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9・XX 演劇評論家・戸板康二の書いたものは、歌舞伎に対
する深い識見が、随所に滲み出ているので、何を読んでも、滋味
がある。戸板は、また、1959(昭和34)年に「團十郎切腹
事件」という小説で、第42回直木賞を受賞した作家である。中
村雅楽という老優を主軸にしながら、「私」こと、竹野記者とい
う、新聞社を定年退職した後、嘱託として、かなりフリーな形
で、取材を続けている老演劇記者が、「主人公」になっている一
連の歌舞伎推理小説群を、戸板は残している。いわば、雅楽と竹
野記者という、ふたつの中心を持つ楕円形の世界のなかで、歌舞
伎をテーマにした、「トイタワールド」とも言うべき、一味違う
推理小説の世界を構築している。その作品群を再編集したもの
が、「創元推理文庫」の「中村雅楽探偵全集」(全5巻)とし
て、刊行されていて、最近、第四巻が、発刊された。第1巻から
タイトルを上げてみると、「團十郎切腹事件」、「グリーン車の
子供」、「目黒の狂女」、「劇場の迷子」、11月に刊行が、予
告されている最終巻が、「松風の記憶」である。
そもそも、演劇評論家の戸板康二に「車引殺人事件」という推理
小説を書かせ、旧「宝石」という雑誌に載せたのが、江戸川乱歩
というから、昔の話だ。シリーズの作品は、タイトルからも判る
ように、当初は、「推理小説」らしく、芝居小屋で起こった「殺
人」など、血腥い素材を扱っていたが、途中から、歌舞伎や歌舞
伎役者がからむ、日常的な話題の謎解きに重きを置くようにな
り、評論やエッセイでは、書き難い、フィクションを交えた形
で、歌舞伎の滋味を醸し出すという独特の作品群を積み重ねて
行った。最終巻の「松風の記憶」を除けば、すべて短編小説であ
り、このうち、先に触れたように、「團十郎切腹事件」という作
品で、第42回直木賞を受賞したほか、「グリーン車の子供」と
いう作品で、第29回日本推理作家協会賞を受賞している。
私は、単行本としては、どの作品も読んだことがなかったが、今
回の「創元推理文庫・中村雅楽探偵全集」の刊行を知ってから
は、毎回の刊行を愉しみに読み続けている。戸板の分身である竹
野記者(イニシャルに直せば、いずれも、Tである)は、現役記
者から嘱託記者へと立場を変えながらも、雅楽とは、昵懇の関係
を維持して来た。
「高松屋(雅楽の屋号)と十何年もつきあっているので、門前の
小僧、そんな風に頭がすこしは廻るようになっていますよ」
(「劇場の椅子」所載の「日曜日のアリバイ」)と、竹野記者が
言うように、雅楽とは、ほぼ、一心同体のセンスの持ち主になっ
ている。竹野記者も、名演劇評論家の分身だから、歌舞伎に対す
る造詣は、並々ならぬものがあるし、雅楽は、実在の、何人かの
歌舞伎役者をモデルにして作り上げた人物だけに、歌舞伎史への
識見、先輩やお仲間の役者論、実演者としての演技論など、含蓄
のある人物になっている。私は、雅楽シリーズの作品群では、こ
のふたりに逢うことを愉しみに、読んでいるような気がする。ま
た、歌舞伎絡みのエピソードや話題が、随所にちりばめられてい
るので、細部も読み落さないように心がけながら読んでいる。
雅楽の魅力は、役者論、演技論もさることながら、舞台の表や裏
で見聞きした長い人生経験から醸し出される、芝居ばかりではな
い、人生全般に通じる普遍的な識見の見事さが、最大だろうと思
う。これは、まさに、戸板康二という作家の魅力にほかならな
い。それでいて、推理小説、いまの言葉なら、ミステリ小説、探
偵ものという、エンターテインメント色も、盛り込まれていて、
肩を凝らさずに読み進むことができるから、愉しい。雅楽ものの
短編小説群は、第4巻「劇場の迷子」で終る。ミステリ短編小説
群なので、ルールに従って、個々の小説の内容の紹介はしない。
長い小説では、「雅楽老人が、くたびれるような気がする」(講
談社版『劇場の迷子』後記)と、戸板自身が書いているが、最終
巻の、雅楽シリーズ唯一の長編小説「松風の記憶」も、愉しみに
して、11月を待とうと思う。
- 2007年9月30日(日) 12:33:45
8・XX 今期芥川賞受賞作の諏訪哲史「アサッテの人」は、
ある種の「藝談」である。「アサッテ」とは、「ねじれ」であ
り、きょうあすというような真っ当、あるいは、真直ぐなベクト
ルとは異なる所作、科白のことである。それは、「私」の叔父の
得意な藝である。私は、それを行方不明、昔の言葉でいうなら、
「蒸発」してしまった叔父の代りに、「私」の目撃証言(記憶、
あるいは、それは、既に亡くなっている叔父の連れ合いの朋子さ
んを語り手として、「私」の手で小説化を試みたが、巧く行か
ず、「草稿の山」となっているものも含む)をベースに、叔父が
書き残した日記(大判ノート3冊分)などをコラージュしなが
ら、再構成して行く。
叔父の科白は、使われるシチュエーションも、突然であって、良
く判らないし、意味も不明であるが、列挙してみると、次のよう
なものである。「ポンパッ」「チリパッハ」「ホエミャウ」「タ
ポンテュー」。「私」は、それぞれの科白の発音及び使用例」を
解説するが、なかなか、読者である私には、伝わって来ない。
「私」の記憶によれば、叔父は、昔、「ング−ギ・ワ・ジオン
ゴ」と言っていたことがあり、これも、件の科白の一種かと思っ
ていたら、実在するアフリカの作家の名前であった。読者である
私は、先日、タイの警察官の出て来る新聞記事を読んでいたら、
「ポンパット」という名前の警察官が出てきたので、「ポン
パッ」「チリパッハ」「ホエミャウ」「タポンテュー」などが、
「ング−ギ・ワ・ジオンゴ」同様に、何処かの国の実在する人た
ちの名前であるという可能性も否定していない。
しかし、叔父が残した大判ノート3冊分の日記のほかに見つかっ
たと「私」が言う「一枚の大便箋」のことが、今回の小説「ア
サッテの人」の、いわば付録として巻末に出て来る。大便箋の右
半分には、文章が、左半分には、叔父の部屋の平面図が書いてあ
る。
文章には、「ポンパッカポンパ、ポンパッカポンパ。・・・へ
えー、だって。」「ポンパッカポンパ、ポンパッカポン
パ。・・・へえー、だって。」などというようなことも書いてあ
る。平面図には、アコーデオンカーテンの入り口から、部屋に入
ると、部屋に敷き詰められた古い絨緞の上に、★のマーク(これ
には、「踏み出し地点」という注がある)。「1」から「16」
までの番号順に、部屋の中を壁や窓に沿って、四角く移動するよ
うに指示されていて、「3」と「4」の間には、「朋子さんの鏡
台」があると、図示されている。「8」の所では、「朋子さんの
ピンナップ」が、明記されている。「16」は、★マークと隣り
合っている、というか、スタート地点に戻っているから、
「16」は、とりあえず、ゴールなのかもしれない。
平面図には、叔父の筆跡で、「一歩目(パッカ)」で「1」、
「二歩目(ポンパ)」で「2」とあり、さらに、「手はクロール
のコマ送り。首をカクカク曲げながら、小さく抜き足、大きく差
し足」と書き込まれている。続けて、「初めのパッカ、ひしがた
踏んだ。二歩目のポンパ、つるくさ踏んだ。三歩目パッカ、猫足
さすり、四歩目ポンパ、猫足さする」とある。図示された古い絨
緞の「1」と「2」の場所には、「ひしがた」と「つるくさ」の
模様があると、「私」は、気がつく。さらに、猫足は、「3」と
「4」という数字の位置と「朋子さんの鏡台」の「猫足」の位置
の近接を思えば、鏡台の猫足注意という意味だと、「私」は、理
解する。ここまで判ると、大便箋の右側の文章と左側の平面図
は、連動していて、「ポンパッカポンパ、ポンパッカポンパ。」
で、★のマークから、「4」まで、移動すべしという叔父のメッ
セージが、明確になる。「4」で、「ピタリ止まる」とあり、さ
らに、「顔右向けてこんにちは。ニッコリ笑って、へえー、だっ
て」と続いている。部屋の角で、右に顔を向けた先に、朋子さん
のピンナップがあるのが判れば、「こんにちは。ニッコリ笑っ
て、へえー、だって」とは、朋子さんのピンナップへの、お愛想
だと判る。「飽きるまで、飽きてもなお、くりかえし」と叔父の
筆跡の注が、書き込まれている。つまり、大便箋は、叔父が、部
屋の中を四角く経巡りながら、亡くなった妻の朋子さんへの鎮魂
の所作事を書き記した、ある種の「藝談」の覚書だということが
判る。
「アサッテ」流家元の叔父の藝談覚書が、「ポンパッ、ポン
パッ」というわけだ。「私」は、確かに叔父の「家の藝」を引き
継ぎ、「傾(かぶ)く」世界に向って行く。「ポンパッ」という
張り裂けるような絶叫の声が、聞こえる。
- 2007年8月12日(日) 20:44:47
7・XX EDO NOVELS 江戸小説がブームである。
書店の時代小説のコーナーが、活況を呈している。江戸小説=時
代小説+剣豪小説+捕り物帳+歴私小説+武士道小説+股旅物+
忍法物+市井人情物ほか、という「数式」を最近の新聞の広告特
集のページで見たが、随分乱暴な定義である。要するに、江戸時
代や江戸を舞台とした小説は、皆、江戸小説(エドノベルズ)と
して括り、ブームに、さらに火を付けたいという意図ありありの
「数式」であろう。読者は、サラリーマンが多いそうだ。多く
は、書斎(大都市圏の住宅事情を考えれば、マイホームや賃貸住
宅に「書斎スペース」など望むべくもない)で読むような本では
無く、通勤の行き帰りに、あるいは、出張の車中や機内で読み、
場合によっては、読み終われば、新刊古書店に払い下げて、幾許
かでも、返金を期待するという類いのエンターテインメント系の
読み物であろう。チャンバラ、勧善懲悪、人情など、現実の生活
の閉塞感からくる酸欠状態を一時忘れて、江戸時代にタイムス
リップし、新鮮な酸素を補給したいという向きに歓迎されている
のだろうとは、容易に想像がつく。お家騒動、家督相続、浪人
(就職)、汚職、派閥争い、身分格差、職人堅気など、現代、特
にサラリーマンの生活に通じるテーマを積極的に描く。舞台とな
る江戸は、例えば、歌舞伎の舞台を見たことがある人なら、容易
に想像できるだろうが、現代社会がとっくに失ってしまったよう
な、粋な生活術、武士の矜持、商人、職人などの町人の誇り、庶
民の人情などに溢れたスペースが、再現されている。
私も、朝夕の通勤電車という、動く書斎を利用している身であれ
ば、この空間での読書では、哲学書や、純文学書より、時代小説
の方にテが伸びやすい傾向にある。今回も、いつものように読み
溜まった時代小説の書評をまとめて書き込もうと、思う。東映な
どの時代劇映画が、廃れて久しい。テレビの時代劇も、「水戸黄
門」、「鬼平犯科帳」など、高齢者向きのものに限られて久しい
上に、民放では、これらの時代劇ドラマ自体の先行きが、心もと
ない状況になっている。NHKでも、大河ドラマなどの時代劇
が、頑張っている程度で、映像メディアの時代劇は、低落傾向に
あるようだ。一方、時代小説はと眼を転じれば、雑誌掲載→単行
本→文庫本という以前からの流れに加えて、いきなり、文庫本書
き下ろしという大きな流れが、ここ数年前から、奔流となって来
ているように見受けられる。文庫本書き下ろしという大きな流れ
は、読み捨てのエンターテインメント作品として、時代小説が、
特に、中高年の読者層、それもサラリーマン層に受け入れられて
いるようである。
すでに亡くなってしまった隆慶一郎は、「単行本→文庫本」系統
に属しながら、作家としては、遅咲きだったが、独特の史観で、
独自の世界を築き、彗星のごとき航跡を遺して、逝ってしまっ
た。やはり、すでに亡くなっているが、峰隆一郎は、初期には、
「単行本→文庫本」系統に属しながら、途中から、「文庫本書き
下ろし」系統として、多数の作品を送りだし、現在のようなエン
ターテインメントの時代小説は、「文庫本書き下ろし」本流とい
う流れを築いて来たと思われる。現在、この流れの、まっただ中
で、健筆を振るっているのが、佐伯泰英であろう。多数のシリー
ズものを同時併行させながら、それぞれが、激流のごとき勢いを
失わずに、独自の世界を築いている。そういう時代小説を取り巻
く、大きな図式を見据えながら、以下、最近読んだ時代小説の書
評を書き留めておきたい。
まず、単行本派の時代小説から。
山本一力「まとい大名」と「銀しゃり」、北重人「白疾風」と
「夏の椿」、その続編の「蒼火」、高橋義夫「七・五・三は悪の
香り」、歌舞伎の世界が描写される芦辺拓「からくり灯籠 五瓶
劇場」、物書同心居眠り紋蔵シリーズの佐藤雅美「物書同心居眠
り紋蔵 向井帯刀の発心」や早瀬詠一郎「日本ばし芳町おふさ」
にも、歌舞伎が点描される。出久根達郎「ぐらり! 大江戸烈震
録」、「信長の棺」、「秀吉の枷(上・下)に続く、「本能寺」
三部作の加藤廣「明智左馬助の恋」、宇江佐真理「花嵐浮世困話
十日えびす」などを読了。
いちいち個別の書評をするのは、避けるが、例えば、山本一力
「銀しゃり」は、山本お得意の江戸の職人気質を解きほぐす。今
回は、寿司職人の巻というわけだ。職人の藝の工夫、人情、恋情
などを江戸深川う舞台に展開する。知行取旗本(4500石)の
家臣で、俸給100俵の勘定方祐筆も登場し、職人物語にサラ
リーマン物語も付け加える。江戸庶民の生活の細部を丹念に描
き、サラリーマンへの応援歌も忘れない、江戸の人情噺で、ほろ
りとし、現代社会の浮世の憂さを晴らす。まあ、典型的な江戸ノ
ベルズ作品だろう。
次に、文庫本書き下ろし派の作品から。
佐伯泰英の諸作品を読む。往復通勤電車の中で、1日に、ほぼ1
冊を読む。「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズの「野分ノ灘」、
「鯖雲ノ城」、「荒海ノ津」。「吉原裏同心」シリーズの「流
離」、「足抜」、「見番」、「清掻」、「初花」、「遣手」、
「枕絵」、「炎上」。「酔いどれ小籐次留書」シリーズの「御鑓
拝借」「意地に候」「寄残花恋」「一首千両」「孫六兼元」「騒
乱前夜」「子育て侍」。佐伯は、目下、6つの出版社から、10
のシリーズで書き下ろし「大河小説」を刊行し続けている。総発
行部数は、1000万部を超えるという。
鈴木英治は、中央公論文庫書き下ろしシリーズで、ひとひねりし
た主人公を軸に展開している。例えば、「手習重兵衛」シリーズ
は、いわば、「学習塾」の先生が、子どもを相手に読み書きを教
えながら、剣豪として、チャンバラを披露し、お家騒動を軸にし
た「剣豪ミステリ」として、紆余曲折の展開となって行く。「手
習重兵衛」シリーズの「闇討ち斬」、「梵鐘」、「暁闇」、「刃
舞」、「道中霧」、「天狗変」を読了。また、「無言殺剣」シ
リーズの「大名討ち」、「火縄の寺」、「首代一万両」、「野盗
薙ぎ」、「妖気の山路」、「獣散る刻」も読み上げたが、こちら
は、喋らないのか、障害があって、喋れないのか、最後まで、種
明かしが無かったが、そういう「無言」武士のチャンバラ小説で
あった。
こういう時代小説ブームの背景を探るのに役立つのが、数年前に
新書で刊行された小沢信男、多田道太郎、原章二共著の「時代小
説の愉しみ」である。当時は、まだ、いまのような江戸小説ブー
ムは、出現していないから、話題に登場する作家たちの名前を見
ても、時代認識は、少しずれ込むが、それでも、小沢の次のよう
な発言は、近未来を予想してている慧眼であろう。
「時代小説の今後ということで言えば、やっぱり山田風太郎みた
いな天才があらわれると、またパッと広がるんじゃないかという
気がします」
小沢のいう、「山田風太郎みたいな天才」というのは、佐伯泰英
であろう。かの国民的な時代小説作家の吉川英治作品の総刊行数
が、1億部だそうだが、吉川英治の時間の長さと佐伯泰英の時間
の短さを比較すれば、吉川英治の10分の1の1000万部とい
う部数は、やはり、驚異だろう。吉川英治、山本周五郎、藤沢周
平など、大衆時代小説の巨峰に続いて行く作家は、佐伯泰英ほ
か、現在の江戸小説ブームの中から、何人が、生き残って行くの
だろうか。
- 2007年7月1日(日) 21:54:18
6・XX 今期、中原中也賞受賞した須藤洋平詩集「みちのく
鉄砲店」初版を入手し、早速読みはじめる。
須藤洋平は、兄・雄一郎が書いた「あとがき」によると、「トゥ
レット症候群」という病気と闘っているという。「トゥレット症
候群」とは、「運動チック」(まばたき、顔しかめ、首振り、体
のねじり、ジャンプ、人や物に触れるなど)と「音声チック」
(咳払い、叫び声、卑猥な言葉や不謹慎な言葉を発する、自分や
他人が言った言葉を繰り返すなど)の行動を主な症状とする神経
の病気だという。併発症に、強迫性障害、注意欠陥・多動性障
害、学習障害、睡眠障害などがあり、学校、職場、家庭での生活
に支障を来す。普通、10代前後で発症し、治療により、数週
間、数カ月程度で、症状が消えたり、軽くなったりすることが多
いが、人により、大人になっても症状が続く場合もあるという。
須藤洋平は、なぜか、20数年も、この病気に苦しんでいる。病
状に対する周囲の無知、偏見、誤解があり、患者をより追い詰め
ている。原因は、脳内の神経伝達物質の異状によるという。
須藤洋平は、闘病しながら、苦しい中で、詩を書くことで、生き
ている。閉じ込めてきた自分の思いを詩に書き綴る。「もう、書
けない」「一段落をつけたい」と20編の詩を選び、一冊の詩集
を上梓した。初版は、07年4月30日発行。タイトルは、「みち
のく鉄砲店」である。
表題作では、鉄砲店の女主人が、「火薬を買いなよ、負けとく
よ!」と言う。
「みちのく鉄砲店で/火薬を/買った」で、詩は、終る。
須藤にとって、「火薬」は、閉じ込められている自分を解放させ
るための、言葉の発火装置なのだろうと思われる。
「こぶし」という詩。
「よつんばいにされてみんなにおしりの穴を/みられたときはど
うにかがまんできたけど/今日がけからおとされた自転車のこと
を思うと涙がとまらないんだ/兄ちゃんにゆずってもらったばか
りの3だんへんそくの蒼いやつ/『だいじにつかいなよ』って兄
ちゃんいってたんだ・・・
先生が『ベランダに犬でもいるの?』/なんていってみんなをわ
らわせるから/みんあをあおるから・・・/
ぼくのあのこぶしの木が兄ちゃんのみたいに大きくなって/枝が
太くなったらぼくはそこで首をつろう/みんなにこうかいさせて
やるんだ!
涙が/とまらないよ・・・」
「孤独とじゃれあえ!」という詩には、「トゥレット症候群と闘
う勇者たちへ捧ぐ」というサブタイトルが付いている。その詩の
一節に次のような言葉がある。
「芸術なんだ!僕の身体は芸術なんだ!/それがその時の僕の唯
一の逃げ場だった。/『生きるという事は恐ろしいね』/祖母が
畑にはびこる雑草を見て言っていた事を同時に思い出してい
た。」
「トゥレット症候群」に併発した根の深い神経症からくる鬱病と
闘いながら、そういう苦しみの身体を芸術と理解し、詩を書き続
ける30歳の須藤洋平。その処女詩集に、第12回中原中也賞が
贈られた。「汚れちまった悲しみ」から、立ち上がれ。
「涙が/また/あふれた。」
- 2007年6月14日(木) 21:46:34
6・XX 丸山健二「荒野の庭」など、丸山流作庭術の本を読
む。「安曇野の白い庭」で、自宅の庭作りについてエッセイを書
いた作家は、その後、庭作りの結果を写真で示しながら、花や自
然、それに関わる思索などを書き綴り、「夕庭」、「ひもとく
花」、「荒野の庭」、「神々の指紋」と、同趣旨の本を次々と刊
行してきた。写真も、最初こそ、専門のカメラマンに撮影させて
いたが、最近は、作庭、写真撮影、文章とすべてひとりでこなし
ている。作庭を最後に支配するのが、自然(神)だとしても、そ
れにどこまで、人智で対抗できるか、丸山は、挑戦をし、その結
果を、写真・文章で記録しているのかも知れない。だから、それ
は、多数の箴言を含んだ宗教書のような印象の本になっているよ
うに思える。
この世は地獄、世界は、不毛の荒野。その地獄に踏み止まり、小
説を書く作家は、地獄の荒野に抗うように庭を作る。極楽の花園
なんて、ありはしないのだろうが、闇夜の一灯のごとき、ワンポ
イントの世界の構築に、作家は、命を削る。
「私の小説は一作に一年半ほどかかる。私の庭には少なくともあ
と百年は欲しい」と丸山は書く。作庭とは、不可能への挑戦なの
である。
安曇野に住み続け、文壇などとは、無縁な生活をし、自分の庭を
ひとりで作り続け、四季折々咲き巡る花々の写真を撮り続け、
日々変化する花の表情を見抜く文章を書き続ける。
井の中の蛙が、井戸の水を「大海」と思いながら、見続けるよう
に、自宅の庭を「この世」と思いながら、花々を咲かせては、枯
らし、世界を見続ける。これは、そういう庭の花々の記録であ
り、この世の記録である。庭の中に、天地創造を想像する。だか
ら、記録は、宗教書のようになって来る。
「自分の人生を生きるのに何の遠慮がいるものか。ここら辺りで
ひとつ居直ってみよう。そして、生きたいように生きてみよう」
と丸山は、書いている。
05年2月刊行の本を07年5月に読んだ。07年5月30日に
開かれた日本ペンクラブの総会で、私は、理事に就任した。阿刀
田高15代会長の就任に伴い、理事会のメンバーになった。あわ
せて、電子文藝館委員会委員長にも就任する。
世相、時代に対する日本ペンクラブの敏感なセンサーが、「言論
表現委員会」の役割で、いわば、直接話法で、メッセージを発信
するなら、電子文藝館委員会は、先人たちの諸作品を掲載するこ
とで、間接話法で、メッセージを発信する。「言論表現委員会」
活動と「電子文藝館委員会」活動は、メタルの裏表であろうと思
う。「志のある電子文藝館」を、さらに、目指したい。
丸山の、先の文章は、そういう気持ちを持つ私の背中を、ぐいっ
と力強く押したような気がする。
丸山は、さらに、書く。「白い花を演じられるのは白い花だけ。
赤い花を演じられるのは赤い花だけ。私を演じられる者は私だ
け」。
- 2007年6月3日(日) 15:35:08
5・XX 浅田次郎「月島慕情」を読む。大正時代の吉原が出
て来る。吉原の太夫が、落籍される。身請けするのは、月島に住
む時次郎で、背中に「南無妙法蓮華経」という題目の彫り物をし
ているやくざの幹部だが、無口な、様子の良い男で、男気のある
紳士風。夢見心地で、事前に月島の時次郎の家を下見に行った太
夫こと、ミノは、自分のために、家族離散の実状を時次郎の子ど
もたちから知らされる羽目に落ち入る。男の実像が見えてしまっ
た太夫は、さっぱりした気性ゆえ、人を不幸にして、自分が幸福
になることができない。
「あたしね。この世にきれいごとなんてひとっつもないんだっ
て、よくわかったの。だったら、あたしがそのきれいごとをこし
らえるってのも、悪かないなって思ったのよ」
表題作を含めて、7つの短編小説が、浅田節で奏でられる。ミノ
の科白に見られるように、浅田節とは、いわゆる「泣かせ節」で
ある。
なお、表題作の「月島慕情」のみは、日本ペンクラブの「電子文
藝館」の「小説」部門にも収録されているので、インターネット
でも、読むことができる。
- 2007年5月10日(木) 21:17:14
5・XX 鴨川達夫「武田信玄と勝頼 ーー文書に見る戦国大
名の実像」を読む。信玄、勝頼関連の古文書を取り上げ、古文書
の真贋の見分け方、崩し文字の判読のコツ、年代の判別など、古
文書解読のノウハウの記述が半分を占める。その上で、古文書か
ら浮かび上がって来る信玄とは、どういう人物だったのか、筆跡
や文書の構成などから推察する。さらに、信玄の後を継ぎ武田家
滅亡の最後の首領となった勝頼の生涯を通説に捕われず、むし
ろ、文書から見えて来る人物像を追跡する。
大学の先生が、学生のセミナーで使った原稿を元に新書を書いて
いるので、前半のノウハウは、いかにも、セミナーという感じ
だ。それだけに、新書という分量で、前半のセミナーと後半の
「文書に見る戦国大名の実像」というテーマの読み物とでは、ど
ちらも、消化不良で、中途半端になってしまっている。第1部と
第2部を分けて、それなりの分量の単行本にするか、新書にこだ
わるなら、テーマを一つに絞り込むべきだった。
- 2007年5月8日(火) 21:22:25
5・XX 高山文彦「麻原彰晃の誕生」は、似非宗教家の実像
を描く。1955(昭和30)年に熊本で生まれた眼の不自由な
少年は、いかにして、似非宗教グループを創り、一流大学の出身
者たちを巻き込み、「オウム真理教」という宗教団体をでっち上
げ、大量無差別殺人行為を犯すようになったのか。少年は、後
に、麻原彰晃と名乗るようになるが、その生涯は、社会の中で差
別されつづけたことで、社会への反抗心を育み、「狂気」の果て
の殺人者になりながら、「異常」のふりをして、罪から逃れよう
と足掻いている、というように総括されるかも知れない。似非宗
教家は、「オール、オア、ナッシング」という二元論を武器に信
者たちをまとめたことで、「成功した似非宗教家」なりの動物的
な勘で、社会もまとめることができると思い込んだのだろう。麻
原とほぼ同年の高山は、1995年3月の地下鉄サリン事件の1
年後、月刊誌「現代」の1996年5月号から8月号にかけて、
連載した文章と2001年6月から8月にかけて、週刊誌
「フォーカス」に連載した文章を元に、2006年2月に本書を
刊行した。
10年ほど前に書いた文章を加筆訂正して、刊行するということ
は、出版社の事情も、これありで、何も珍しいことでは無いが、
去年の12月に「乱読物狂」に書評掲載した藤原新也の「黄泉の
犬」も、似たような経緯で、本が刊行されていたことを思い出し
た。「乱読物狂」には、以下のような文章が掲載されている。
*1995年7月から96年5月にかけて、藤原新也は、週間プレ
イボーイという雑誌に「世紀末航海録」という連載を載せた。と
ころが、松本智津夫の生涯を追い掛けている内に実兄の満弘さん
の居場所を突き止め、インタビューをしたが、インタビューの際
の実兄との約束で、インタビューの内容を雑誌に掛けなくなり、
連載が中断したままになった。以来、10年の歳月が流れ、満弘
さんも亡くなり、藤原新也は、連載の続きを書き下ろし、「黄泉
の犬」というタイトルで、刊行した。これは、1995年1月
17日朝の阪神淡路大震災、95年3月20日朝の地下鉄サリン
事件など一連のオウム真理教事件、2年後の、1997年春の神
戸連続児童殺傷事件、いわゆる「酒鬼薔薇聖斗事件」という時代
の世相を大掴みしようという作品だ。そしてまた、それは、いま
の世相、前ファッショというべき思潮、戦争へ傾斜する法案が
続々と成立しているのを見ようともしない大衆たち、そういうも
のへのいら立ちを書き留めた時代の書である。インド、チベット
放浪から、34年間も、精神的な放浪を続けている思索家・藤原
新也の魂の記録は、オウム真理教の松本死刑囚の記録とも二重写
しになりながら、ここに、刊行された。2006年の収穫のひと
つだろうと思う。」
高山文彦にも、藤原と似たような事情があるのでは無いか。ふた
りの優れた世相ウオッチャ−が、同じような軌跡を残して、麻原
彰晃について、改めて、メッセージを発信したことの意味は、出
版社の事情だけで無く、前ファシズム時代といわれる現代日本社
会に向けて、似非宗教とファシズムの類似性を危惧したからでは
無いのだろうかと、私には思えてならない。
- 2007年5月6日(日) 21:34:32
5・XX 秦恒平「愛、はるかに照らせ 愛の歌・日本の抒
情」は、「湖(うみ)の本」という、私家版の全集を作家自ら
が、編集をし、出版をしているというユニークなシリーズの、第
90巻に当る。1986年に創刊した「湖(うみ)の本」は、
21年間で、創作シリーズ50冊とエッセイシリーズ40冊を刊
行した。骨肉の争いをテーマにした小説「逆らひてこそ、父」、
インターネット上で公開している日記をベースに愛孫娘の病死を
記録した「かくのごとき、死」に続く詞華集「愛、はるかに照ら
せ」は、骨肉の愛の酷い実相を描いた「三部作」であるという。
ただし、詞華集「愛、はるかに照らせ」では、「愛と友情の 詩
歌日本の抒情」という講談社から1985年に刊行された本が底
本になっている。22年前に刊行された本が、争いの今日を予兆
していたということだろうか。その講談社版は、「日本の抒情」
シリーズの一分冊であった。その「あとがき」が、「愛、はるか
に照らせ」にも、再録されている。それには、次のように書かれ
ている。「昭和60年6月8日 娘・朝日子が華燭の日に 著
者」。
本書は、「男女の愛」「夫婦の愛」「子への愛」「親への愛」
「血縁の愛」「友の愛」「師弟の愛」「さまざまな愛」という8
つのテーマに分類されて、詩、短歌、和歌、俳句、川柳、歌謡な
どの分野から、選別されている。
★ 花嫁の初々しさを打ち見つつ身近く吾娘(あこ)といふも今
日のみ 山下 清
「我が家に適齢期の娘が射た。朝日子(あさひこ)という名のそ
の娘を、親はちいさくから「あこ」と呼んできた。佳い縁が欲し
いと心から願っていたら恵まれた。その嬉しい思いが、この歌の
「吾娘」とあるルビに結ばれた。半ば同情し半ばよろこばしく、
この歌を採った」と秦は、書いている。この「佳い縁」の筈だっ
た娘夫婦との骨肉の争いこそが、「三部作」のテーマとなってい
る。
★ 人の世のこちたきことら娘(こ)にいひて娘が去りゆけばひ
とり涙す 村上一郎
★ 今にして知りて悲しむ父母(ちちはは)がわれにしまししそ
の片おもひ 窪田空穂
★ 百石(ももさか)ニ八十石(やそさか)ソヘテ給ヒテシ、乳
房ノ報ヒ今日ゾワガスルヤ、今日ゾワガスルヤ、・・・
百石讃歎(和讃)
親の子への愛は、片思いであって、子には通じにくい。子が親の
「片思い」のような、無償の愛に気がつくのは、子が子を持っ
て、親の立場を知った時か。いや、それでも気がつかないから、
骨肉の争いとなってしまうのか。「生みの父母には死なれ・死な
せてしまった。八十路を超えて生きにあえぐ育ての父母は、遠く
故郷にうち捨てて顧みていない。胸の内に、すでに地獄が在る」
と秦は、書く。「地獄は一定すみかぞかし」を、私は、思い出
す。
★ 家族(うから)とも言えど異なる部屋に居て人はひとりで生
きているなり 冬道麻子
★ 白きうさぎ雪の山より出でて来て 殺されたれば眼を開き居
り 斎藤 史
★ 春昼(しゅんちう)の校庭に立つ足裏にさくらさくらと散る
ものの声 東 淳子
★ 我よりも長く生きなむこの樹よと幹に触れつつたのしみて居
り 斎藤 史
★ 死の側(がわ)より照明(てら)せばことにかがやきてひた
くれなゐの生ならずやも 斎藤 史
娘婿が介在したことで、骨肉の争いに巻き込まれ、孤独な心境に
追い込まれている。秦の場合、「夫婦の愛」が、頑丈なのが救い
だが、離れてしまった「子への愛」、亡くしてしまった「親への
愛」、幼児期より薄い「血縁の愛」のなかで、孤独な作家の魂
は、何処へ行こうとしているのか。
「電車では、『愛、はるかに照らせ』を念のために読んでいた
が、自分で言うのもおかしいいが、ずんずん読めて、同感する。
あたりまえか」と、秦は、インターネットで公開している「生活
と意見」で書いていた。自死した上方落語家の桂枝雀が、自分で
語った落語のビデオを見て、「おもしろい、波長が合うんです
わ」という趣旨のことを枕で振って、お客を笑わせていたのを思
い出す。落語家は、お客を笑わせるために言っていたが、秦は、
本気も本気、真面目に言っているところが、この作家らしい。
- 2007年5月5日(土) 20:54:10
5・XX 日本国憲法は、60歳を迎えた。日本の憲法は、立
憲主義である。憲法は、国家権力が法律を通じて、国民の生活を
規制することを正当化するために、国民の権利を護る目的で、権
力を規制するというフィクションの上に構築される。歴史上、権
力は、しばしば、腐敗してきた。そういう歴史的な体験を積み重
ねて、人類は、憲法が、権力の腐敗を予防するというシステムを
生み出してきた。憲法は、権力を規制するのである。これを判り
やすく、図式化すると、
憲法→国家権力→法律→国民→憲法
というサイクルで、意志の伝達が「循環」する。国民主権は、意
志の伝達が、制度的に循環するところに初めて成立する。これ
が、近代の「立憲主義」の美しい姿だった。
ところが、いま、与党が目論んでいる憲法改定では、このサイク
ルが、変って来る。
憲法←国家権力→法律→国民←憲法
国家権力は、法律だけでは無く、憲法にも意志を発信する。つま
り、「循環」構造を断ち切って、「双方向に触手を伸ばす」。こ
の結果、意志の伝達は、「循環」せず、国民は、法律だけでは無
く、憲法からも、規制されることになる。つまり、国民は、「双
方向から触手を伸ばされ、絡め採られる」。
さらに、憲法をそういう形に改定するために、与党が、今回、衆
議院を通過させた「国民投票法案」は、最低投票率の規定も無
く、投票率が低くても、投票総数の過半数で憲法を改定するとい
う、「形式的過半数」という考え方に立っている。安倍政権や与
党は、自分たちの「天下」が永遠に続くと思っているのかも知れ
ないが、世の中の「有為転変」は、古来よりの習いである。「奢
る平家は久しからず」で、望月の夜も、いつかは、陰る。今の政
権に都合の良いようにとばかり、考えていると、大変なことにな
る。いずれ、政権が変れば、当然の事ながら、与野党は逆転す
る。価値観や世界観の異なる政党が、政権を握ることもあり得
る。かつてのナチスを思い浮かべても良いかも知れない。国家の
制度とは、民主主義である限り、どういう政党が政権をとって
も、最小限の政治のルールは、共通するもので無ければならな
い。立憲主義とは、国歌の制度に、そういう歯止めをかける理念
である。そういう背景が、マスコミによって、きちんと国民に伝
えられているだろうか。
町田康「真実真正日記」は、「虚構虚偽日記」であるが、虚構虚
偽の果てに真実真正に通じるという摩訶不思議な日記である。以
下のような、作家の直感的な、鋭い洞察が出て来ることでも、そ
れは判る。作家の直感は、鋭くて、深い。
「というか最近、新聞やテレビの様子が変だ。なにかが起きてい
るようなのだけれどもそのなにかというのが分からない。ますま
す先行きが不安だ。肩が痛い」
世の中、右傾化をし、キナ臭い時代に突入しているが、「新聞や
テレビ」では、ほとんど、伝えられない。伝えられないから、多
くの人は、危機的な時代状況を深刻に受け止めないまま、日々
を、のんべんだらりと過ごしている。例えば、選挙の期間中に、
市長候補が銃撃されて、暗殺されてしまうということが、つい最
近も、起こった。武士が、剣を持って、殺しあいをした戦国時代
ではあるまいし、あるいは、西部劇の時代やギャングが暗躍した
アメリカの暗黒時代ではあるまいし、現代日本で、実際に起きて
いるのだが、「新聞やテレビ」では、こうした事件の背景に迫る
ような報道をしないまま、上っ面だけに情報が流れて、おしまい
で、もう、事件も事件の衝撃も、「風化」してしまっているよう
で、結局、「なにかが起きているようなのだけれどもそのなにか
というのが分からない」まま、日々が過ぎてゆく。
「憲法」も、外堀を埋めるように、「解釈」を積み重ねて、事実
上の「解釈改憲」状態を構築して来たと思ったら、その究極の果
てに、「集団的自衛権」を「解釈改憲」で、「憲法」を維持した
まま、可能にさせようという、「有識者」会議なるものを、時の
権力者が、発足させたというから、驚きだ。「有識者」も、軽く
見られたものだ。その一方で、「国民投票法」を選挙前に成立さ
せて内堀を埋めるように、「改憲」への途を進もうとしている。
外堀も埋めて、内堀も埋めて、時の権力者は、時代遅れのアメリ
カ追随主義で、「戦争放棄」という傘の外へ出ようとしている。
いまのアメリカは、単独覇権主義で、一所懸命、墓穴を掘ってい
る。そういうアメリカに追随して、「戦争放棄の傘の外」に出れ
ば、「戦争」という荒野が待っているだけという想像力が働かな
いのか、「新聞やテレビ」も、「なにかが起きているようなのだ
けれどもそのなにかというのが分からない」ままに、ほったらか
しにしている。残された国民の一部は、「ますます先行きが不安
だ。肩が痛い」という町田康の嘆きに、そうだそうだと同意する
だけましな方で、国民の多くは、「なにかが起きているようなの
だけれどもそのなにかというのが分からない」けれど、自分の生
きている間くらいは、大丈夫だろうと、タカを括り、全く、根拠
のない理由の上に、胡座をかいている。
- 2007年5月1日(火) 21:28:06
4・XX 武田百合子については、最近、「富士日記(上・
下)」を再読したので、印象に残っている。日記には、中央公論
「海」編集部の編集者として、富士山麓にある武田泰淳の別荘
「武田山荘」をときどき訪れた村松友視の姿も、断片だが、描か
れている。「富士日記(上・下)」は、30年も前に刊行された
本で、田村俊子賞受賞。日記は、富士山麓に建てた別荘で過ごす
武田夫妻の10数年が、記録されている。東京・赤坂の自宅と山
荘を行き来し、山荘での生活のみが、細かく描かれている。村松
友視は、その後、「百合子さんは何色」という武田百合子論を書
いている。「富士日記(上・下)」に続いて、「百合子さんは何
色」も再読した。
終生、武田百合子ファンという立場で、武田泰淳夫人の百合子に
温かな気遣いを見せて、亡くなった埴谷雄高は、若い頃の泰淳、
百合子の生活を知っていて、武田と同棲するようになってからの
百合子の立場を「一種の妾」だったと書いている。1947年か
ら50年の間に、「死ぬ苦しみで四度目まで子供を堕した」とい
う百合子は、修羅の女だったのだろう。鈴木家という、お金持ち
の家庭のお嬢様として育った百合子だが、幼くして、母を亡く
し、18歳の秋、直前の横浜空襲で焼け出され、敗戦の前年に
は、父を亡くした。その挙げ句、鈴木家は、没落するなど、武田
泰淳と出逢うまでにも、修羅を生きて来た。
鈴木家の悲劇は、百合子の祖父の時代から始まる。1919年5
月31日、横浜の外米商人の鈴木弁蔵が、農商務省外米課の技師
山田憲とその友人の農学士渡辺惣蔵によって惨殺された。山田は
死刑に処され、渡辺は、懲役15年の刑罰を受けたが、二人と
も、「正義の犯罪」めいた意識を持っていたという。祖父惨殺の
事件が起きた頃、世間には、1918年夏の「米騒動」後の、騒
然とした雰囲気が残っていたのかも知れない。米屋の丁稚から叩
き上げた一代の成り金米穀商の米の買い占めのよる米価高騰を不
満とした民衆の暴動が、「米騒動」だった。鈴木弁蔵も、一代で
財を築いたという。弁蔵の娘婿が、百合子の父親で、この父親
が、妻の死去後、後妻に迎えた女性との間に百合子が生まれてい
るから、百合子と祖父の弁蔵との間には、血の繋がりは無い。
百合子は、武田泰淳と出逢う頃、駿河台下の酒も出す喫茶店「ら
んぼう」のウエイトレスをしていたが、年上で、若い頃より、大
人(たいじん)の風格のある泰淳の前に付き合っていた旧制高校
の生徒がいた。「らんぼう」は、経営者が、出版社も経営してい
たことから、文学青年、同人誌愛好家などの溜り場になっていた
ようだ泰淳の世代から見れば、一世代ほど下になる旧制高校の生
徒とは、山形高校の生徒で、後の戯曲家・八木柊一郎。1946
年12月刊行の「世代」12月号に発表した「放心の手帖」のほ
か、「三人の盗賊」などの作品で知られる。
貧しい百合子は、泰淳と知り合った当時、いつも腹を空かせてい
た。泰淳は、口数が少ないものの、百合子に逢うと、なにか、食
べ物を奢り、自分は、煙草を吹かして、おいしそうに物を食べる
百合子を、にこにこしながら、見ていたという。泰淳は、後に、
百合子の一族の話を「血と米の物語」として、作品化するが、こ
の作品は、全集には、入れなかった。
武田百合子は、泰淳に薦められて、新編雑記として書いていた
「富士日記」を泰淳の死後、中央公論の編集者に薦められなけれ
ば、出版しなかったかも知れない。「富士日記」が、出版されな
ければ、百合子は、目配り、気配りのできる作家夫人のままで生
涯を終えてしまったかも知れない。しかし、誰にも似ていない、
独特の輝ける感性の持ち主であり、他人(ひと)と違う独特の眼
差しが、他人の眼から鱗を剥がす文章は、世に出て、その後の、
寡婦の文学活動は、泰淳の文学活動とは、違う存在感で、私たち
の前に諸作品を遺した。放心の人・武田百合子。百合子が言うよ
うに、「糸が切れて漂うごとく遊び戯れながら」私も、物を書い
てゆきたい。
- 2007年4月30日(月) 12:14:40
4・XX 森村誠一「地の果て海尽きるまで 小説チンギス汗
(ハン)」(文庫版で上・下)は、映画「蒼き狼 地の果て海尽
きるまで」の原作本という。映画は、「モンゴル建国800年記
念」と銘打たれている。
チンギス汗については、井上靖の「蒼き狼」という優れた先行作
品があり、私も、以前に読んだが、井上作品が、引き締まった文
体でモンゴル帝国の創始者の生涯を描いたというなら、森村作品
は、モンゴル帝国の叙事詩の人間群像を饒舌な文体で、文字どお
り、「地の果て海尽きるまで」広大に描いたと言えよう。
覇道を行くチンギス(鉄木真=テムジン、幼名。1162ー
1227。65歳で没)の躍進を始め、オゴデイ、グユク、モン
ケなど後に続く者たちの混乱振り、中興の祖、クビライの活躍な
どが描かれる。モンゴルの統一から世界制覇の野望と挫折、およ
そ130年の物語だ。特に、日本と関係が深いのが、クビライで
ある。南宋を滅ぼし、中国に元王朝を築き、日本遠征を図った。
いわゆる、「蒙古襲来」で、日本でいえば、「文永の役」、「弘
安の役」と言われた。時の、若き執権・北条時宗が、対抗し、2
度とも台風に助けられ、日本側が、防御した。
- 2007年4月30日(月) 11:10:53
4・XX 北杜夫「どくとるマンボウ回想記」は、北杜夫が、
日経新聞に連載した「私の履歴書」を主軸に、同じようなテーマ
で断片的に書いて来た数編の短文などをベースにして、さらに、
隙間を埋めるような書き下ろしの短文10数編を加えて、一冊の
本に仕立てたというもの。従って、一部には、ほとんど同じテー
マで書いていて、内容がダブるものの、角度が違うので、別の作
品として認定せざるを得ないような文章も混じっている。興味深
く読んだのは、躁鬱の症状と文学の日々の交錯が、ユーモラスに
回想されている点であった。
「のちにウツ病になったとき、初めはジタバタしたが、やがて
『虫の冬眠』と称して、ひたすらじっと寝ていて、必然的にやっ
てくる春を待つ術を私は覚えた」とあったが、「鬱病で自殺」、
「いじめで鬱病に」などと新聞の社会面の記事に混じって来る最
近の事象も、北杜夫の、この本を読んでいて、別の解決策がある
のではないかと思った。この一文に出逢っただけでも、「どくと
るマンボウ回想記」は、私にとって、価値があった。
- 2007年4月29日(日) 21:37:25
4・XX 柳美里「石に泳ぐ魚」は、柳美里の幻の処女作。モ
デルがあり、小説化されたことで、プライバシーが、侵害された
として、94年、雑誌「新潮」に掲載後、単行本の刊行が、差し
止められ、損害賠償が請求される裁判ざたとなった問題作。結
局、裁判は、8年間に及び、02年9月、最高裁判所は、出版の
差し止めと損害賠償を柳美里と出版社に対して命じる判決を言い
渡した。一方、裁判の過程で、柳美里は、雑誌掲載とは違った形
で、「改訂版・石に泳ぐ魚」を提出し、これについても、原告と
の間で、争いになり、原告側は、出版の差し止めを請求したが、
東京地裁は、1審判決で、原告側の請求を棄却した。その後、
「改訂版」についての争いがなく、「改訂版」は、02年10月
に新潮社から出版された。
主人公は、ソウルに住む韓国人で、彫刻の勉強をしている朴里花
(ぱくりふぁ)は、日本の美術大学を受験するために来日する。
在日韓国人で、演劇をやっている戯曲家の梁秀香という女性の眼
で、里花を見るという形で、物語は進行する。作者と等身大の秀
香と小説のモデルとなった韓国人女性の関係、韓国人女性の経歴
や風貌描写から、韓国人や在日韓国・朝鮮人では、里花のモデル
の実在の女性は、良く知られてしまった。
「岩陰に潜む沈み魚のような里花の顔」という表現があり、主人
公は、顔の左側に痣があるが、右側は、美しい人だとある。「魚
がだんだんと変化して鳥になってゆく過程を、三十四インチテレ
ビ程の大きさの石版に彫り込んである作品」が出て来る。「海底
に隠れる魚、水面に浮かびあがる魚、海と空の境界線、水平線に
躯を分断された魚、飛び魚のように胸鰭を開き水上を跳ねまわる
魚、空に浮いた魚、鳥になって空を自在に泳ぐ魚。鳥が墜ちて海
に沈み、魚になってゆく過程のようにも見える。グレイの石板が
海の冷たい碧から、空の落陽の瞬間の黄色に移り変わるグラデー
ションのようにも見えて、とても美しい」と秀香が誉める里花の
作品が、小説のタイトルを暗示するように、巧く使われている。
「私にとってあなたは魔除けなの」と秀香が里花に面と向って言
う。「他者に見捨てられそうになった時、憎悪をかきたてて自分
を防御する」という性癖のある秀香は、作者そのものを思わせ
る。親友との訣別の物語は、作品化されたことで、8年に及ぶ裁
判を二人の間に残した。それにしても、柳美里にとって、「魚」
という言葉は、キーワードになっているようで、岸田國士戯曲賞
受賞作品が、「魚の祭」、エッセイ集のタイトルが、「魚が見た
夢」。小説の結末部分で、「彼女の顔の中に棲む魚」という表現
が出て来るが、「魚」とは、柳美里にとって、痣なのかもしれな
い。人間関係を壊すのが、柳美里の体内にある座であり、その痣
こそが、柳美里の創作のエネルギー源なのかもしれない。そうい
う意味でも、「石に泳ぐ魚」は、柳美里文学の原点であると言え
よう。
- 2007年4月28日(土) 22:12:55
4・XX 書庫を整理していて、未読の本を見つけて、読みは
じめたら、おもしろくなり、同じ作家のものを続けて読みふけ
る、ということは、よくあることだ。今回は、石和鷹の作品が、
そうだ。まず、東京・神田の古書店で、付いている定価の半額と
称して、店の前の台に載っていたのが、「茶湯寺(ちゃとうで
ら)で見た夢」というタイトルで刊行された短編作品集であっ
た。実は、石和鷹の作品を読んだことが無いまま、過ごして来た
のだけれど、近しい作家の河野修一郎から読むことを薦められた
ことがあり、名前だけは、承知していて、何冊か本を買ったこと
がある。それらが、未読のまま、書庫に埋もれていたと言うわけ
だ。
標題になっている94年の作品「茶湯寺(ちゃとうでら)で見た
夢」は、下咽喉癌が発覚された後の不安定な日常を描いている。
放射線治療をしたが、全治せず、下咽喉を全摘出する。つまり、
声帯を失った上、咽喉に10円玉大の穴が空く。以後は、筆談を
するか、「銀鈴会」という、同病者の集まりで、食道発声を訓練
し、声帯の代りに食道を使って声を出せるようにするかしなけれ
ばならない。これが、なかなか難しいらしい。私の大学の先輩
が、同じ病気になり、声帯を取る手術をし、「銀鈴会」に入り、
見事に食道から声を発している人がいる。しわがれた独特の声で
あるが、この人の場合は、電話でも、きちんと聞き取れるほど熟
達したが、石和は、なかなか巧く行かないようだ。
それでも、体調が回復し、以前は、行き着けだった居酒屋に行
き、周りの人の話に耳を傾けることが好きで、ときどき行くよう
になる。ある日、そこで、「大山参り」の話をしているグループ
の話を聞き取り、大山にある涅槃像で知られる茶湯寺の「百一日
参り」に自分も行ってみようという気になり、家族に黙って出掛
けてしまう。「百一日参り」では、亡くなった人にそっくりな人
に出逢うという奇遇があるという。果たせるかな、主人公も、同
年齢くらいの婦人と出逢うが、話をしている内に、自分が、その
婦人の亡くなった夫にそっくりだということが分かって来る。つ
まり、婦人が、主人公の妻であり、妻の夫である主人公は、自分
の死後の姿だという、いわば、ブラックユーモアの作品というわ
けだ。
93年の作品「利根大漁歌」は、埼玉県の北東部、利根川沿いの
街、羽生出身の石和の世代が、還暦を迎えたことから開かれた小
学校の同窓会に初めて参加したときの話だ。主人公は、還暦を迎
え、腰痛には、悩まされているものの、まだ、癌は、発覚してい
ない。椎間板ヘルニアに拠る座骨神経痛だが、これが痛い。
石和は、還暦を迎えた93年の5月末に下咽喉癌が発覚し、放射
線治療と声帯の摘出手術を受け、死の恐怖に震える姿を直視し、
それを文学作品に昇華させて行く。石和は、病気の進行に合わせ
て文学的営為を深めて行き、95年には、私は未読の「クルー」
で芸術選奨文部大臣賞を受賞する。さらに、ライフワークとなる
「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし 小説暁烏敏(あけが
らすはや)」を97年に刊行し、伊藤整文学賞を受賞したもの
の、命永らえず、97年4月に逝去する。4年間の実に濃い文学
的営為が続く。そして、死後の、97年7月に刊行されたのが、
「茶湯寺(ちゃとうでら)で見た夢」という短編作品集というわ
けだ。
さて、また、「利根大漁歌」に戻ろう。小学校の同窓会を前に主
人公は、奥利根紀行を試みる。自分が、高校生まで親地域の利根
川の、いわば、青年期のような若々しい流れの表情を見たいがた
めに上流に遡る。そして、小学校の同窓会。小学生時代の初恋の
想い出とその相手との再会。「利根川土手の陽だまり」のよう
だ。同窓会後に発覚した癌を退治に主人公が受けた放射線治療
は、月ー金の毎日治療で、病院に通い続け、4週間で、20回照
射を受けるという過酷なものだ。「村の渡しの船頭さんは今年六
十のお爺さん」という童謡が、低奏音として、聞こえて来る作品
だ。
「ババジェフスカ」は、95年の作品。病院の「リニアック治療
室」という、放射線治療が主軸となる。この病院では、放射線治
療の際、患者の気分を紛らわすために、放射線照射に合わせて、
「乙女の祈り」の音楽を患者に聞かせるという。この治療室で、
主人公は、まさに「馬があわない」という性格不一致の典型的な
人物と同席する羽目に落ち入る。「ベレー帽をのせた赤黒い野卑
な顔」の男は、見知らぬ患者なのだが、「馬があわない」と、主
人公は、直感してしまう(こういう直感は、相手も、同じように
直感するから、更に馬があわなくなる)。見たくも無いと思いな
がら、治療室の待合所で良く鉢合わせをする。あるときなど、隣
り合わせて座ってしまい、お互いに放射線治療の時に聞かされる
「乙女の祈り」の作曲者の若い女性の名前を「ババジェフスカ」
「バダジェフスカ」「バダルチェフスカ」だと論争になる。癌治
療の放射線照射という不快感が生み出したかもしれない、馬のあ
わない者同士の鉢合わせという更なる幻想なのかも知れない話な
のだ。
同じく95年作品の「甚兵衛広沼のブラックバス」も、奇妙な味
の短編だ。印旗沼を舞台に、ブラックバス釣に友人と出掛けた主
人公が、沼に落ち、咽喉に空いた10円玉大の穴に泥水が入り、
死んでしまう幻想的な作品だ。これも作品集の標題作「茶湯寺
(ちゃとうでら)で見た夢」同様の、死の影、あるいは、死後の
世界への恐怖がテーマだったのだろうと思う。
96年の作品「おばんの湯の町」は、主人公を証券会社で知り
合った株売買の仲間の70歳と74歳のおばあさんたちに設定し
ている。70歳の桐代は、肺癌の告知をされたのだが、仲良しの
74歳のとみに言い出せないまま、二人で、湯河原温泉に旅行に
来ている。「かまやしないよ。七十すぎたらなにをしたっていい
んだ。これまでさんざっぱら世のなかのお役に立ってきたんだか
ら」というのが、作家の開き直りでもあるのだろう。97年の作
品「平成七年のネバーダイ」の5つが、短編作品集に所収されて
いる。
97年に刊行された「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし
小説暁烏敏(あけがらすはや)」を書庫で見つける。読まなくて
も、ちゃんと石和の問題作は、入手してある。買い求めてから、
10年経って読みはじめるというわけだ。「地獄は一定(いち
じょう)すみかぞかし」は、サブタイトルに「小説暁烏敏(あけ
がらすはや)」とあるように、怪僧・暁烏敏を主軸としながら、
無頼派作家・石和鷹の人生を二重写しにしている。つまり、フラ
ンス写実主義文学の旗手・フローベールの「マダム・ボヴァリ−
は、私だ」と言うように、「暁烏敏は、私だ」という作品。下咽
喉癌で声帯を失った晩年の石和の、いわば、末期の眼で戦前か
ら、戦中、戦後にかけて、独特のセンスで、仏教の近代化運動に
取り組む一方で、若い女性たちを巻き込んだスキャンダルを公言
して憚らない、強かな浄土真宗大谷派の怪僧の生涯を追跡する。
ユニークな暁烏敏という名前は、実は、本名で、父親の代に新内
節で流行り、江戸の市村座で清元の歌舞伎化もされている「明烏
春淡雪(あけがらすはるのあわゆき)」の「明烏」に因んで戸籍
名を「暁烏」にしたという。「明烏春淡雪」は、別名「浦里時次
郎」という恋物語で、雪のなかで遊女の浦里が、折檻される場面
で知られる。
暁烏は、親鸞の「歎異鈔」を原典として、念仏を重視しながら、
仏教の近代化運動に取り組み、大谷派の改革を目指した。暁烏敏
の代表作「歎異鈔講話」は、今も講談社学術文庫で刊行されてい
る。そこには、暁烏敏の虚像がある。石和は、暁烏敏を担ぎ出
し、自分と同じように、癌手術で声帯を失い食道を使った発声法
を学ぶ「銀鈴会」に通う老女の湯浅よね子という、多分、石和が
こしらえた架空の人物と石和本人と等身大の主人公との、いわば
「三角関係」のなかで、執拗に暁烏敏の実像を追い続ける。畢竟
するに、「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし 小説暁烏敏
(あけがらすはや)」とは、そういう作品だろう。
石和は、癌という病魔に襲われた後、それと正面から向きあい、
いくつもの作品を生み出し、大きな文学賞を受賞したが、それら
の作品は、ほとんど入手困難で、新刊本の書店どころか、古書店
でも、なかなかお目にかかれない。
私の書庫には、これまでのところ、3冊の石和作品の単行本があ
り、芥川賞候補作品となった「掌の護符」と「果つる日」のふた
つの作品が所収されている短編作品集「果つる日」も、書庫に
あった。これまで取り上げて来た2冊の単行本は、石和自身の癌
との戦いで生まれて来た作品だが、短編作品集「果つる日」は、
それより、10数年前に石和を襲った妻の病魔との戦いの物語で
ある。
肺癌で死に行く妻、小学生の娘と息子を抱えながら、妻の入院す
る病院近くのホテルで人妻との情事に耽る夫。破滅型の作家が描
いた、癌という病。癌死する妻を看取りながら、立ち往生する
男。生来の性的欲望から破滅を承知でもコントロールが効かない
人生を送る男。そういうオーバーアクションになりがちなテーマ
を抑制の効いた(それゆえに、命を縮めたのだろう)小気味の良
い文体で私小説作家は、活写して行く。死に行く妻の姿を描いて
いた頃、石和は、後年、自分も癌で死ぬとは、夢想だにしていな
かっただろう。
映画監督の浦山桐郎も、女性関係にだらしなく、破滅型の人生を
送った人だが、石和鷹も、戦中の世相のなかで、「破滅型」と呼
ばれた葛西善蔵などに繋がる作家系の人だと思った。石和の作品
は、古書店で探して、もう少し読んでみたいと思った。
- 2007年4月11日(水) 22:29:30
3・XX 今期(06年度下期)芥川賞受賞の青山七恵の受賞
作「ひとり日和」と05年度文藝賞受賞作の「窓の灯」を続けて
読む。
「ひとり日和」は、高校を卒業したあと、大学に行かず、正規に
就職もせず、フリーター生活を続けている女性が、高校の国語の
教師をしている母が中国に留学するのを切っ掛けに母子家庭を飛
び出し、東京で独居生活を送っている遠縁の老女のところで一緒
に住みはじめる。男友達との別れと出逢い、また、別れというエ
ピソード(そうなんだ、男友達とのことは、エピソードでしかな
い。ここが、青山作品の新しさだ)を交えながら、四季を過ごし
た老女との生活からも、巣立って行く。正規社員登用という道へ
踏み出す。若い女性の魂の自立の物語。選考委員のひとり、村上
龍が言うように「嘘のない自立を描いた、希有な作品」かどうか
は知らないが(青春の自立というのは、古来、文学作品の永遠の
テーマではないか。それとも、「嘘のない」のが、希有なの
か)、細部の描写が的確なことと会話のテンポが良く、あらゆる
ことから自立しようという若い女性の積極的な生き方というテー
マが明確に伝わってきて、良い作品であった。
「窓の灯(あかり)」は、大学を辞めて、喫茶店でアルバイトを
している。喫茶店の経営者の「姉さん」の好意で、その喫茶店の
2階にある部屋を借りることになった。その部屋は、向いの建物
とも近いので、向いにある2階建てのアパートの部屋の動きも、
分かってしまいそうだ。当初、そこは空き部屋だったのだが、1
ヶ月ほど前に、引っ越してきた人がいる。若い男性で、ときど
き、少女が泊りに来る。カーテンを閉めないと、丸見えになって
しまう。それは、お互いさま。やがて、主人公は、こっそり、向
いの部屋の窓の中を覗くことが、「日課」になってしまった。姉
さんは、男たちと奔放に付き合っている。窓の灯の向こうに繰り
広げられる他人の世界。若い女性による「覗き行為」。やがて、
主人公は、夜の街を徘徊し、「覗き」は、主人公の、社会との独
特の関わり方として、続けられる。それは、また、若い女性の、
一種風変わりな自立の方法なのかも知れない。そういう意味で、
「窓の灯」は、第2作「ひとり日和」のテーマに繋がって行く。
姉さんは、71歳のおばあさんに変って行くが、映像的な、ビ
ビッドな描写力のある文章が、この若い作家の持ち味だと言うこ
とが判る。
- 2007年3月11日(日) 14:30:02
3・XX 田月仙(チョンウオルソン)「海峡のアリア」は、
在日韓国人のソプラノ歌手が、自分の家族の歴史を軸に南北に分
断され、特に北朝鮮に非情な独裁者を抱える祖国の実状を描いた
ノンフィクション作品。06年度の小学館ノンフィクション大賞
の優秀賞受賞作品。
作品の記述によると、1982年、東京と大阪で、在日韓国・朝
鮮人が主体となった音楽祭「アリランの夕べ」が開かれることに
なり、その準備をしている過程で、大阪在住の詩人・金時鐘(キ
ムシジョン)と作家の梁石日(ヤンソギル)が、プロの歌手デ
ビュー前の田月仙と出逢ったとある。その頃、私は、取材で知り
合った金時鐘に連れられて、西新宿(十二社)のスナックで、金
に紹介された梁石日とそこのスナックでアルバイトをしていた田
月仙に逢ったことがある。これも、1982年頃のことだ。梁石
日は、確か、作家デビューする前で、タクシーの運転手をしなが
ら、ものを書いていた頃だと思う。金さんは、私を梁さんに紹介
するため、そのスナックに私を連れて行ったのだと思う。後に、
梁さんに再び逢う機会があったとき、四半世紀前に、金さんに紹
介されて、新宿で逢ったことがあるけれど、覚えてますかと聞い
たら、全く、覚えていないようだった。まあ、閑話休題。
田月仙は、総連の活動家一家で高校まで民族学校に通い、日本の
大学受験の壁に突き当たりながら、なんとか音楽大学に進み、
1983年、リサイタルで、プロのオペラ歌手デビューを果た
し、1985年、北朝鮮の平壌で開かれた「春親善芸術祝典」
(世界音楽祭)に招かれ、金日成の前で、北朝鮮の革命歌劇「血
の海」のアリアを歌ったという。この際、すでに北朝鮮に帰還し
ていた四人の兄たち(彼らは、母親が前の夫との間にもうけてい
た異父兄弟であった。母親は、数年前、北朝鮮訪問の際に、息子
たちとすでに再会している)に25年ぶりに再会できたが、兄た
ちは、強制収容所に容れられ、その後、出所していたが、痩せ細
り、母親が日本から送ったスーツを着ていた。一人の兄は、すで
に収容所時代に亡くなっていた。その後、1990年、2001
年と、二人の兄も、相次いで亡くなり、四番目の兄は、その後、
音信不通となってしまったという。
その後、1994年、ソウル定都600年記念公演として、オペ
ラ「カルメン」が、上演されることになり、田月仙は、主役のカ
ルメンを演じるため、韓国に渡った。さらに、父母の故郷・晋州
(チンジュ)を訪ね、先祖の墓参りをし、親戚とも逢った。その
際、ソウルで買い求めた古いレコードやテープのなかから「高麗
山河わが愛」を見つけだし、朝鮮半島の南北分断を悲しむ歌とし
て、甦らせ、1995年、東京で開かれたリサイタルで披露し
た。その後、田月仙は、「高麗山河わが愛」の作詞・作曲した歯
科医を探し出し、1996年、アメリカまで逢いに行っている。
海峡を越えて、アリアを歌いつづけた田月仙は、ひとりの在日の
オペラ歌手の物語という、自伝的記述をベースにしながら、北朝
鮮当局による拉致事件も視野に入れながら自分の家族を取り巻く
南北朝鮮の現状(南北分断で、家族が引き裂かれる、恐らく在日
韓国・朝鮮人にとって、どこの家庭にも、似たような状況がある
のではないか)を書き込んで行く。ただ、記述方法が、一部客観
的でないため、歌手としての成功譚という印象が残り、下世話に
言えば、「自慢話」めいた違和感があり、損をしていると思う。
悲劇の主人公の自慢話という印象は損である。自分を突き放し
て、書き切れていれば、ドラマチックな内容だけに、もうちょっ
と、感動を呼んだのではないかと、残念だ。こういう物語は、書
き方が難しい。
- 2007年3月6日(火) 21:00:15
3・XX 「不在っていうのは影みたいなものだ。エスケイプ
したら不在が残る」
ある人が、エスケープすると、ある人がいた場所からみれば、あ
る人は、アブセントになる。
絲山秋子「スモールトーク」は、外国車のカタログ的紹介に別れ
た男との「より戻し」の話が絡む。絲山って、車と乗馬にのめり
込んでいるだね。新人ながら、短編の名手で、「スモールトー
ク」を車のカタログ的エッセイにせずに、小説としても読ませて
しまう手腕は、確かなものがある。その割には、正体不明の本と
いう印象が抜けずに、この本は、損をしている。「外国車を絡め
た小噺」が、「小説・スモールトーク」というわけだ。
別れた男と言うのは、いわば、女の前から、エスケープしたわけ
だから、アブセント(欠席)な状態にあるが、寄りを戻すと、
戻ってきて、出席することになる。しかし、おおっぴらに戻って
きたと言うのも気恥ずかしいので、出欠を取るとき、「はーい」
と元気良く、大声で返事もできず、小声で話すことになる。
引き続き、同じ絲山の最新作「エスケイプ/アブセント」を読
む。2006年、40歳になった双児の兄弟の話。18歳まで仙
台で育ち、それぞれ東西に別れて暮らしながら、学生運動の果て
に、潜伏生活20年という双児の兄の主人公が、東京から旅に出
る。兄に付きまとっている公安刑事に挨拶をして、現状からのエ
スケイプ(「エスケープ」なら、ワープロで一発で変換できるの
に、なぜか、絲山は、「エスケイプ」なので、「エス系プ」と
なってしまう。実は、「エスケイプ」とは、兄が20年間探して
いるロバート・クインとジョディ・ハリスのレコードのタイトル
なのだ)というわけだ。
旅先の京都のレコード店で怪し気な西洋坊主(神父)と出逢い、
坊主のいる教会の居候となる。奇妙な同居生活。どちらもユニー
クな男たち。さらに教会の信者や近所の人たちも巻き込む。実
は、京都大学の学制だった主人公の双児の兄弟が、数年前、この
界隈に住んでいたことが判る。主人公は、セクトの活動家、弟
は、ノンセクト・ラジカルというアナーキストの活動家。双児だ
から、二人は、長い間逢っていないとは言え、いまも瓜二つらし
い。主人公は、髪が短い。物心ついた頃から、髪を伸ばしたこと
がない。居酒屋の親父に、突然「髪、切ったんやな」と言われ
る。(おれじゃない)と思いながら、弟のことだと感じ取り、
「ああ」と気の無さそうな返事をする。4年前、京都の、この界
隈に弟はいたようだ。「少なくとも、四年前には生きていた。何
の用事だったのか、京都に来た、或いは京都に住んでいた。それ
だけ生き抜きゃ、今だって生きているだろう、多分、きっと」と
兄は、思う。
双児の兄は、叡山電鉄のケーブルカーに乗り、比叡山の山頂か
ら、京都の街を眺めたら、東京に戻るつもりになった。山頂から
は、京都が見えるのではなかった。琵琶湖が見えるのだ。ここま
でが「エスケイプ」。
一方、京都の街にいなかった双児の弟は、2002年現在、「ア
ブセント」というわけで、仙台18年、京都3年半、福岡15
年。不在生活を送っている(と言っても、作品「エスケイプ」か
ら、4年前の話だ)。
最近は、本屋でバイト。大分出身のガス会社の正社員の恋人と付
き合って、2年、現在、36歳。働いている書店に学生運動仲間
で、いまは京都の私立大学の助教授をしているのが、出張で福岡
に来て、この書店に立ち寄り、偶然現われた。その夜、その同級
生から電話。二人の知人の大学時代の友人が交通事故で死んだと
言う。弟は、その友人から10万円を借りたまま、返さずに、エ
スケープしていたのだ。大津まで香典を届けに行き、つまり、
10万円を返しに行き、京都の助教授とも逢うことにする。恋人
の実家に結婚を申し込みに行く予定だった休みを利用して。京都
で助教授と待ち合わせをして、双児の兄が4年後に行くことにな
る居酒屋に久しぶりで行ったのだ。つまり、ふたつの作品の接点
が、居酒屋なのだが、4年の時間がずれている。
「不在っていうのは影みたいなものだ。エスケイプしたら不在が
残る」ということだ。
死んだ友人の家に香典を届け終えて、弟は、琵琶湖まで歩いた。
すぐだった。湖畔で、弟は、比叡山を眺める。4年後に、双児の
兄が、山頂から琵琶湖を眺め下ろすとも知らないで。「早く帰っ
てやんなきゃなー」。大分まで行き、恋人の両親に結婚を申し込
まなければならない。双児の兄弟にとって、人生は、これから
だ。人生は、まだ、たっぷり残っている。
- 2007年3月5日(月) 21:20:18
3・XX 吾妻ひでお「逃亡日記」を読む。漫画家が書けない
と、アルコール依存症になり、たびたび、失踪し、ホームレス生
活を送っていた漫画家が、失踪中の実体験を漫画作品「失踪日
記」として、刊行したところ、日本漫画家協会大賞受賞、文化庁
メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞
受賞など立て続けに「大賞」を受賞した。その経緯やらをロング
インタビューし、幕間に書き下しの漫画と撮り下しの写真(ホー
ムレス時代の現場再訪)という、タイトルからして、まさしく、
「柳の下の泥鰌」を狙った「便乗本」である。
幾分、開き直っている吾妻とインタビュアーの編集者(「柳の下
の泥鰌」を狙った張本人だろう)の温度差が、透けて見える本で
ある。1950年、北海道生れの漫画家は、ほとんど、私と同世
代。医療保護入院までしてアルコール依存症は、治癒したようだ
が、喫煙依存症は、続いているようだし、鬱病もあるようだし、
気をつけて、お過ごし下さい。自画像のイラストとサイン入り
の本を入手。「柳の下の泥鰌」を狙った編集者の執念が、漫画家
に多数のサイン本を仕立て上げさせたのだろうが、狙い通りに、
売れている気配。鬼編集者には、負けるよ。
- 2007年3月3日(土) 10:29:40
3・XX 谷川俊太郎・太田大八「詩人の墓」、谷川俊太郎・
荒木経惟「写真ノ中ノ空」。最近、ほかのジャンルとの競演に積
極的に乗り出している詩人・谷川俊太郎の本。前作は、言葉を操
る詩人の運命を「自虐的」とも言える視点で作った詩に絵本作家
が絵を添えたもの。詩しか作れない詩人に飽き足らない女の嘆
き。詩人は、ほかの人の墓碑名を刻んだが、詩人の「墓には言葉
はなにひとつ刻まれていなかった」。
「その墓のかたわらに/気がつくとひとりぼっちで娘は立ってい
た/昔ながらの青空がひろがっていた」
抽象画の絵本は、そういう詩人の魂に触れて、色鮮やかなコンポ
ジションで、要求に答えようとした。
後作は、詩人の書き下ろしの詩のほか、既に書いてある詩から、
空をテーマに再構成したもの。それに、荒木が撮りためた空の写
真、つまり、「写真ノ中ノ空」とを組み合わせた。
「あの青い空の波の音が聞こえるあたりに/何かとんえもないお
とし物を/僕はしてきてしまったらしい
透明な過去の駅で/遺失物係の前に立ったら/僕は余計に悲しく
なってしまった」
失われても、失っても、人間は、悲しむ。1931生まれ。詩人
は、今年、76才になる。喜寿まで、もう1年。悲しみの1年が
続き、やがて、喜びの年が来る。禍福は糾える縄のごとし。有為
転変の世の中じゃなあ。いや、人生は、螺旋状に昇って行く。
- 2007年3月3日(土) 9:47:06
3・XX 北井一夫「80年代フナバシストーリー」を読む。
この本は、1989年に六興出版から刊行された写真集「フナバ
シストーリー」の復刻版で、冬青社からの復刻に当りタイトルの
頭に、「80年代」というのがつけられた。というのは、冬青社
では、北井が若干32歳で、1976年、第1回の木村伊兵衛賞
を受賞した作品「村へ」を軸にした写真集「1970年代
NIPPON」と「1990年代北京」を2001年に刊行して
いて、その、いわば第3弾として、「80年代フナバシストー
リー」が位置付けられるからだろう。
たまたま、写真集の販売に力を入れている渋谷の大型書店の写真
集コーナーを覗いていて、知り合いの北井の写真集を見掛けたの
で、とりあえず、「80年代フナバシストーリー」を購入し読ん
で見たというわけだ。書店の写真集のコーナーは、嫌いではない
ので、ときどき覗くのだが、最近は、専ら洋書写真集の方ばかり
で、国内の写真家の方は、とんとご無沙汰していたので、北井一
夫の近作も、知らなかった。実は、北井とは、20年ほど前に知
り合っている。というのは、北井が、船橋市の要請を受けて、
「フナバシストーリー」1984年から87年に掛けて、「船橋
の表情」を写していた頃、その撮影ぶりをNHKのニュース番組
で紹介する取材を私がしていたのだ。私が同行したのは、85年
の冬ぐらいか。船橋の団地などに撮影に行く北井と2、3日行動
をともにしたような記憶がある。4階建てくらいの団地の吹きさ
らしの階段を思い出すから、筑波颪の吹く寒い冬の日だったので
はないか。
北井によると、撮影を始めて1年ほどで、市役所から頼まれたイ
メージ(撮影の方向性)が、まだ腑に落ちない時期で、試行錯誤
しながら撮影していたようだ。団地、新旧住民の融和辺りが、市
役所の注文だったような気がする。北井によると、「結局、撮れ
たと思えたのは最後の半年」だったということだから、私が、
ニュース番組の企画リポートで放送した頃は、悩みながら写真を
撮っていた時期だったようで、私の取材は、かえって、北井の悩
みを倍加させていたのかも知れない。だから、いつまで撮影行が
続くのかもはっきりしていなかったし、私の企画リポートは、船
橋在住の木村伊兵衛賞受賞カメラマンが、「船橋の表情」を写真
に撮りつづけているという辺りを伝えただけだったような気がす
る。
結局、北井は、船橋の団地の内外をいろいろ撮影して廻り、首都
圏の郊外都市に住む家族というのは、地方の農村で跡継ぎになれ
ない次男、三男が、都会に出てきて、朝早くから夜遅くまで働き
ながら、船橋の様な新興住宅地の狭い団地住まいに、新たな
「村」を作っているという辺りに撮影のポイントを絞り込んで
行ったのだろうと思う。そうであれば、東北の田舎の村を4年間
掛けて、丹念に撮影した作品、「村へ」、「そして村へ」で、第
1回の木村伊兵衛賞を受賞したモチーフと同根であることに気が
付くだろう。つまり、都会の中の「村へ」が、船橋の郊外の団地
のなかで、浮き彫りにされたということだろう。
私は、86年の夏に東京の社会部に転勤してしまったので、87
年に船橋市役所で開かれた写真展「フナバシストーリー」は、取
材ではなく、拝見に行っただけだったかも知れない。いずれ、写
真集を刊行したいと北井は、言っていたと思うが、88年には、
東北地区担当のニュースデスクになり、仙台に転勤してしまった
ので、89年に六興出版から刊行された写真集「フナバシストー
リー」は、知らされなかったと思われる。
あれから、20年以上が過ぎ去っているので、記憶も曖昧だが、
今回、復刻版を書店で購入して、読んで見たけれど、以前から見
掛けているという印象はなかった。この写真集には、かなり長い
文章が、57ページもあるので、撮影の意図や苦心談などが判
る。首都圏の典型的な新興住宅地船橋を浮き彫りにすべく、団
地、そこに住む若い家族、子育て、子どもたち、団地の事件、事
故、噂、教育問題などを住民のロングインタビューを交えなが
ら、模索しているのが判る。
私が、千葉県を取材していたのは、82年から86年の4年間
で、主に、船橋、市川、浦安、松戸、柏など千葉県の北西部の地
域を取材で飛び廻っていた。東京の社会部の記者をしていた私
は、千葉県の担当になる前から市川の住民として千葉県内に住ん
でいて、地域で起こる新旧住民の軋轢などを肌で感じながら、首
都圏の郊外都市に共通すると思われるおもしろいニュースがいろ
いろあるのに、あまり伝えられていないなあと思っていた。同じ
千葉県の松戸に住む社会部の先輩記者が管理職デスクとして千葉
県担当になったときに私も連れて行かれたのは、千葉県のニュー
スをおもしろくしたいと思っていたことが、その先輩記者に伝
わっていたのかも知れない。それで、デスクと二人で千葉県の北
西部のニュースを発掘しては、東京に売り込み、次々に企画リ
ポートを放送して行った。千葉県は、当時、人口が500万ほど
だったが、北西部の人口は、200万以上と半分近い人が、この
地域に集中的に住んでいて、7割から8割は、俗に、「千葉都
民」と呼ばれた、新住民であった。圧倒的に新住民の方が、多い
のだが、地方議会は、少数派の旧住民が、牛耳っているというの
が、何処の自治体でも共通していて、それが、新旧住民の軋轢を
産んでいたのだ。なんとか、新旧住民のバランスがとれた新しい
地域社会像を提供する、そのための事実をニュースにして提供す
るというのが、地域ジャーナリストの仕事だろうと思っていた私
は、積極的に地域に入り込み、おもしろい人たちをどしどし紹介
して行った。そのひとりが、北井一夫だったというわけだ。だか
ら、北井が、団地の内外、家族、子どもたち、風呂場の煙突に掛
けられた洗濯物、埋め立て地、東京湾、花火大会、地方競馬場、
ストリップ小屋、商店、街工場、駅、通勤電車など、細部にも眼
を光らせて、「船橋の表情」を点描した写真集は、私の当時の取
材モチーフとも重なって来るのが判る。
あれから、さらに、20年が過ぎ去り、写真集に載っているもの
や人たちは、どう変っただろうか。1枚目の写真の空に浮かぶ白
い雲は、変らないだろうが、2枚目の新生児(女の子)は、すで
に成人式を終えている。ベランダに干された蒲団、洗濯物、鳥籠
のある部屋は、いま、だれが住んでいるのだろう。子どもたち
は、独立して狭い団地を抜け出して、何処か別の場所に住んでい
るかも知れない。だとすれば、還暦を過ぎた親たちが、ひっそり
と住んでいるかも知れない。あるいは、親たちは、第2の人生を
田舎暮しに切り替えて、あるいは、すでに亡くなってしまい、子
どもたちが、新たな家族を構成して住んでいるかも知れない。
20年後の姿は、写真集には、入っていないが、それは、まさ
に、私たちの、いまの生活の姿かも知れない。
江戸時代は、成田山新勝寺参詣の人たちが行き交った、佐倉街道
(成田街道)、江戸と行き来する行徳街道、房総方面を結ぶ上総
街道を結ぶ要の宿場町が、船橋であった。東京湾に面した漁業の
街という顔もある。近代化して、鉄道網が伸び、新興住宅地とし
て団地が次々に誕生し、「80年代フナバシストーリー」撮影時
は、人口50万だった船橋は、いまは、58万近い。数年の内
に、60万を超えるだろう。若かった新住民も、還暦を迎える。
新旧住民の間に、「中二階」のような、年を取った新住民層が入
り込んでいる。いま、新たな視点で、「フナバシストーリー」を
再構築したら、また、違った光景が見えて来るだろう。
団地は、一般の街の戸建て住宅のように、簡単に建て替えられな
いから、街並が、あまり変らない。しかし、街路樹などは、20
年も経てば、20年分、幹も太くなるし、背丈も高くなる。街並
が、変らないまま、樹木だけ、太く逞しくなっているというの
も、奇妙なものだ。私は、それを記者になって最初に住んだ大阪
のニュータウンの団地を阪神淡路大震災の前年に久しぶりで訪れ
た時に味わったことがある。あのとき、ついでに見て廻った神戸
の街は、半年後の冬に大破してしまった。
- 2007年3月2日(金) 22:47:36
2・XX 田山力哉「小説 浦山桐郎」を読む。映画「キュー
ポラのある街」で監督でビューと同時に寡作だが、丹念な演出で
知られる名監督となった浦山桐郎の生涯を描く。生涯に作った映
画は、第2作の「非行少女」(これぞ、浦山の最高傑作だと私は
思っている。和泉雅子主演)のほかに、「私が棄てた女」、「青
春の門」、「青春の門・自立篇」、「夢千代日記」など。酒乱
で、酒を呑むと人格が変り、優しさ故に女性との縁が複合してし
まう生活破綻者。映画「キューポラのある街」は、「双方向曲輪
日記」に詳細な映評を書き込んだので、関心のある人は見て欲し
い。
「小説 浦山桐郎」を読んでも判らなかったことは、なぜ、浦山
は、評判を呼んだ「キューポラのある街」の続編「未成年 続・
キューポラのある街」(吉永小百合主演、浜田光夫は出演してい
るが、そのほかのキャストは、第1作と替っている。野村孝監督
作品)を作らずに、「非行少女」を作ったのかということであっ
た。
- 2007年2月28日(水) 9:34:04
2・XX 俳句は、カメラのようなものである。一瞬の光景や
心情をカメラの代りに言葉で写し取る。私は、「こころあまりて
ことばたらず」というような性向の人間なので、昔から五七五の
俳句では物足りなく、プラス七七の短歌が好きであった。七七の
魅力こそ、短歌の魅力だと思ってきた。とは言っても、自分で短
歌を詠むほど好きだったわけではない。他人の短歌を読むのが好
きだっただけだ(それも、系統だてて読んでいるわけではな
い)。そういう意味で、短歌には、物語のはじまりがあるという
説には、うなずける。
松村由利子「物語のはじまり」は、そういう説をベースに、構築
されている。サブタイトルが、「短歌でつづる日常」とある。
「働く」「食べる」「恋する」「ともに暮らす」「住まう」「産
む」「育てる」「見る」「老いる」「病む、別れる」という10
のテーマを詠んだ短歌が、取り上げられ、それを解釈し、さらに
そのテーマなり、短歌なりと松村の生活のかかわりを赤裸々に語
る。短歌の解説と人生エッセイを合わせたような文章が綴られ
る。そういう意味では、この「物語のはじまり」で言う「物語」
も、広辞苑が解説する「話し語ること」というより、短歌という
「詠うもの」を小道具にしながら、主役の松村が、想い出や心情
を「語る」という意味で、歌舞伎の古風な時代物の演出と通じる
趣がある。
「物語」というのは、古来、人形浄瑠璃や歌舞伎の時代物の演出
のひとつを示す言葉であり、主役が、想い出や心情などを語る一
段のなかの、重要な場面で、見どころ、聴きどころの演出をい
う。例えば、「熊谷陣屋」では、戦場から戻ってきた熊谷直実
が、父親とともに出征したひとり息子の小次郎を案じて東国から
やってきた妻の相模に平敦盛討ち死の場面を物語るが、敦盛の母
である藤の方が障子の陰で聴いていて、直実に斬り掛かるという
場面などで使われる。
松村は、新聞記者出身の歌人であり、歌詠みを生活の軸にするた
めに1年前に新聞社を退職した。例えば、「働く」では、同じ新
聞記者出身の歌人・島田修二の歌を取り上げ、読売新聞社を辞め
て大学の先生に転職したころを詠った歌に出て来るサラリーと語
源の「ソルト(塩)」を興味深く解きほぐす。松村の短歌解説で
は、単に歌の解釈だけでなく、一般に馴染みにくい語が出て来る
とコンパクトに解説して、取り上げた短歌の背景などを分かりや
すく説明するという、いかにも記者らし目配りが感じられて嬉し
くなる。私も、現役の記者のころには、どんなに難しい政治や経
済のニュース原稿であっても、中学生に判るように書くことを心
掛けたものだ。
先に松村由利子の「鳥女」という06年度「現代短歌新人賞」受
賞歌集を取り上げ、書評したが、松村の短歌には、独特の眼差し
があり、さらに松村には、それを的確に表現する感性がある。こ
の「物語のはじまり」には、松村の短歌は、一首も登場しない
が、10のテーマに分けられた、およそ二百首の短歌が、百十数
人の歌人(インデックスに、歌人の名前とともに生年、人によっ
ては、没年も明記されているのは、便利だ)によって詠われて登
場する。つまり、松村由利子の人生エッセイのなかに多数の歌人
の短歌が詰まっている。短歌の解釈は、31文字という短歌の文
字数に拘束されるから、古来より、歌枕、季語など、短い表現な
がら、共通の認識の広がりを担保する言葉(約束ごと=言)が使
われ、ときには、31文字で宇宙や世界までも表現する。また、
解釈は、ときに、多義になり、解説する人により、解釈が違って
来る。それはそれで、短歌の奥深いところであり、短歌鑑賞の愉
しみでもある。そういう意味で、この「物語のはじまり」のよう
なスタイルの本は、いわば、短歌の解釈を松村由利子の色に染め
ることに通じる。そういう本を私が松村とのかかわりを軸に私が
批評するということは、また、「物語のはじまり」を私の色に染
めるということにも通じる。私→松村→歌人たちという、染め
(嗜好)が濃淡に連鎖する構造だと言える。
これは、恰も、ロシアのユニークな人形である「マトリョーシ
カ」ではないかと気がついた。「マトリョーシカ」とは、ロシア
の民族衣装を着飾った、ちょっと太めの女性の人形の胴体部が上
下に割れると、中から、少し小ぶりの同じ女性の人形が現われ、
また、人形の胴体部が上下に割れると、中から、さらに小ぶりの
同じ女性の人形が現われるという、「入れ子構造」の人形であ
る。通常、六重構造になっている。
「物語のはじまり」では、例えば、「恋する」「ともに暮らす」
「住まう」「産む」「育てる」は、テーマさえも、五重の「入れ
子構造」になっている。記事やニュースの主張と違和感があるほ
ど、前近代的な職場であるマスコミの記者になり、いつものハー
ドルを越えながら記者活動を続け、結婚をし、子どもを産み、同
じころ、短歌結社の「かりん」に入り、歌を詠みながら、子育て
をした。記者も続けたが、離婚をし、子別れを余儀無くされ、と
いう松村由利子の人生と同伴する5つのテーマが、入れ子のよう
に続く部分だ。松村は、いまは、淡々として、テーマにそって、
自分の人生の軌跡を述べながら、短歌の解釈を続ける。いくつも
のハードルを越えて、やさしさと逞しさを両立させてきた松村の
独特の眼差しからアンラーンされる(学びほぐされる)短歌解釈
の一つひとつは、私には、ほとんど砂地に染み込むように、良く
理解できた。
しかし、たまには、私の解釈と違う解説に出逢うこともある。例
えば、
*子守唄うたい終わりて立ちしとき一生(ひとよ)は半ば過ぎし
と思いき 花山多佳子
「子どもが寝入ってから立上がるとき、途方もなく深い疲れと孤
独を感じる」と松村は、解説する。「半ば過ぎし」は、若い母親
の「人生の午後」の始まりだと言う。
私は、「一生(ひとよ)は半ば過ぎし」=「人生の午後」が比喩
なのではなく、「子守唄うたい終わりて立ちしとき」が、比喩
で、子育てを終え、子どもは、就職か、結婚をして、もう家には
いない。うたい終った子守唄は、象徴的である。作者の「一生
(ひとよ)は半ば過ぎし」という初老の母親の感慨を詠んだ歌と
いう風に理解してしまった。
私は、ひとり息子の子育てしか手伝っていないが、本当に子ども
は、3歳までは、天使で、子育てさせてもらった至福の時間は、
子どもから親への恩返しのようなもので、親冥利に尽きる。わた
しの息子が、1歳になる前くらいで、「這いはい」をしていたの
が、なにかの拍子に私の手を掴み、そのまま、私に向って、初め
て立上がってきたときの感動は、いまも、鮮烈に印象に残ってい
る。あの場面を見せてくれただけで、もう、この子から貰うもの
は、充分という気がしている。子育てとは、子どもの成長を支
え、成長ぶりを目の当たりにする喜びのことだから、親の苦労も
苦労と感じない。かなうことなら、いまからでも、もう一度、子
育てをしたいと思う(そういえば、子どもの健康を思い、子育て
を切っ掛けに、禁煙を始め、以来、25年間も禁煙が続いてい
る)。3年間、子育てという至福の時間を経験させてもらえた親
は、子からの「一生分の恩返し」を貰っているのである。
子どもは、「17歳にして親を許す」という言葉(出典不明)が
あるようだが、子どもは、親を選べない(親も、子どもを選べな
い)。17年経ったら、親も子どもも、対等な人格を持つように
なる。親だから、子どもだからと甘えるなというような意味なの
だろうと私は、解釈している。
もうひとつ。
*とげとげしき心おとろへてわが妻と親しみゆくもあはれなりけ
り 斎藤茂吉
「若い頃かなり癇癪もちだった」茂吉が、「五十代に入った頃」
詠んだ歌で、「気の強かった夫婦がもう頻繁に衝突し合うことも
なくなり」「年齢を重ねることで変る部分もあるのだなあと興味
深い」と松村は解説する。
私は、老年になって、謹厳で厳格な歌人である反面、女性の愛弟
子との情事に溺れた茂吉の手紙(いま、そのエピソードを掲載し
た本が手許にないので正確には引用できない)を思い出し、「と
げとげしき心」=情慾も、「おとろへて」、「あはれなりけ
り」、つまり、「ああ、情けないなあ」という、茂吉の身勝手さ
が、浮き彫りにされて来るように読んでしまった。
私の解釈は、掲載された一首に対する直感的なもので、松村のよ
うに、掲載された短歌を含む歌集や歌人の作品全体を読んだ上で
解説しているのとは、違うので、間違った解釈になっている可能
性が高いが、まあ、印象論として述べておこう。
ほかのテーマでは、「見る」のうちの芝居が幾分弱い。解説が、
ブッキシュで、舞台を見ていないまま、本で調べて、解説を書い
ているような感じが強く、まだ、血肉化されていないというよう
な印象が残る。
「老いる」「病む、別れる」は、松村も、これから、歌材として
も、人生としても、直面するテーマだから、松村が、今後、この
テーマをいかに豊饒に詠むか、期待したい。「別れる」とは、
「死別」という、人生最大の修羅と立ち向かうことを滲ませてい
るのも、松村らしい心配りだろう。
「老いる」では、岡本かの子の「いよよ華やぐいのちなりけ
り」、斎藤史の「ひたくれない(旧字)の生(せい)」、同じく
「老いてなほ艶(えん)とよぶべきものありや」は、老年の、豊
饒の時間(第二の思春期)が予感されて、嬉しい。「不良老年
(あるいは、定年)は、沃野を目指す」が、私の、目下のモッ
トーなので、豊饒な時間が沃野を約束してくれそうで、意を強く
した次第。退職後の私の理想は、「糸の切れた凧」になり、それ
も、切れた糸を操る凧になり、大空を漂いながら、遊び戯れるよ
うな生活をしたい、ということだ。そう、後白河法皇の「梁塵秘
抄」の今様歌謡の文句のように。
なお、松村が取り上げた百十数人の歌人のうちに、塚本邦雄、春
日井建、岡井隆が入っていたのは、嬉しいが、福島泰樹、道浦母
都子(例えば、逆説的ながら、「四十代この先生きて何がある風
に群れ咲くコスモスの花」)、寺山修司、中井英夫らが登場して
来ないのは、私には、淋しい。松村が、彼らや彼女をどういう色
に染めて解釈したか知りたかったとだけ、告白しておこう。
さて、最後に、松村由利子の「鳥女」で、私がいちばん好きな歌
を改めて、書き留めておこう。
*指先まで力を込めよ負荷をかけ負荷をかけ人は美しくなる
- 2007年2月2日(金) 22:01:02
1・XX 1月には、毎年、箱根駅伝がある。前に、箱根駅伝
をテーマにした三浦しをん「風が強く吹いている」を読んだが、
今期の直木賞候補で落選した、佐藤多佳子「一瞬の風になれ」
(1、2、3)を読了。高校の陸上競技部のメンバーを主軸に据
えた青春スポーツ小説。というか、スポーツものの漫画の原作の
ような作品。名もない神奈川の県立高校陸上競技部。そこにサッ
カー少年崩れと中学の陸上エリート挫折の二人が入部。ほかの部
員にも、好影響を与えながら、二人を軸に、試行錯誤を繰り返し
ながら、3年間に、地区大会、県大会、関東大会と上り詰めて行
く姿を、汗と涙、そして、ちょっぴり、御法度の、恋愛模様も絡
ませながら、展開して行く。全体的には、まさに、青春、スポー
ツ根性漫画。だが、細部の描写には、ときどき、光るものがあ
り、その辺りが、人気小説になった由縁か。
同じく今期の直木賞候補で落選した、荻原浩「四度目の氷河期」
は、ロシア人と日本人の女性研究者の間に生まれた少年が、自分
のルーツを探す話。母親は、ロシアのシビルスク研究センターに
勤めていたが、未婚の母となり、帰国し、少年と二人で慎ましく
生きている。シビルスク研究センターの近くでクロマニヨン人の
ミイラが見つかったという科学雑誌の記事を見つけた少年は、不
明の父親像をクロマニヨン人になぞられるという荻原文学一流の
「付加」で、物語を展開させて行く。少年は、スポーツに才能が
あり、やがて、槍投げの選手になって行き、ロシアまで、父親に
逢いに行くことになる。こちらも、半分程度は、槍投げを軸にし
たスポーツ小説風である。それにしても、お話しをおもしろくす
る能力は、荻原は、実に巧いが、技巧的な作品は、文学作品とし
ては、どうしても、構成が、スカスカとなりがちである。三浦、
佐藤、荻原と筆力のある作家たちの、スポーツ小説を読んでみた
が、薄っぺらな感じは、最後まで残った。佐藤、荻原が、今期の
直木賞受賞せずというのは、当然の結果だったと思う。
それにしても、スポーツ小説が、何故、流行るのか。かってのよ
うなスポーツもの=根性ものではないのだが、時代の世相と通底
しているようなところがあるような気がする。この問題は、暫
く、意識化に置いておき、いつか、分析してみよう。
1・XX 逢阪剛「道連れ彦輔」は、時代小説。逢阪は、最
近、時代小説に新境地を開いている。父は、徒目付の御家人だ
が、そろそろ三十の声を聞く鹿角彦輔(かづのひこすけ)は、三
男坊で、父の跡継ぎは、嫡男、部屋住みも次男がいるからままな
らず、モラトリアム人間の典型のような境遇。身の置きどころが
ないから、家をでて、湯島妻恋坂の町家の長屋住まい。そこで考
えた商売が、道連れ屋稼業。用心棒というほど、武ばってはいな
いが、女性の、遠出のお出かけ、寺参り、温泉巡りなどの小旅
行、たまには、関所手形の必要な旅もないわけではないという程
度、のボディガードという仕事。まあ、余り金にはなりそうもな
い。冷えた甘酒が好きという、変った侍。
彦輔の知人、小人目付神宮迅一郎の手下で、めくぼの藤八という
小者が、ときどき、仕事を持って来る。長屋の隣人に、扇師の勧
進かなめという狂歌が趣味の大年増がいて、どうも、彦輔に気が
あるようで、ときどき、飯を持ってきたり、なにかと世話を焼
く。勧進かなめの姉御は、金貸の鞠婆(まりばば)とは、狂歌連
の「騒婦連」のお仲間。この辺りが、彦輔を軸に江戸の町をうろ
つき、事件に巻き込まれる。今後の、シリーズ化が、予感され
る。江戸の西部劇という感じの、ノリが、楽しみ。
- 2007年1月30日(火) 20:55:31
1・XX 歌人・松村由利子は、「八重桐(やえぎり)」では
ないか。近松門左衛門原作の人形浄瑠璃、歌舞伎の「嫗山姥(こ
もちやまんば)」の主役、大坂の遊女荻野八重桐である。いまは
恋文の代筆をして歩いている。亡くなった夫の魂を取り込み、大
力無双の山姥に変身し、さらに、金太郎(後の坂田金時)を生
む。八重桐には、やさしさと逞しさがある。
松村由利子の第2歌集「鳥女」を読む。「鳥女」は、06年現代
短歌新人賞受賞(07年3月に表彰式)歌集である。松村は、
94年短歌研究新人賞を受賞しており、今回、ふたつ目の「新人
賞」受賞。新人賞を取ってから、さらに12年後にも、また、新
人賞というところが、おもしろい。短歌界のことは判らないが、
そこが、短歌界の懐の深さ、奥行きの深さかもしれない。98年
には、第1歌集「薄荷色の朝に」を刊行している。07年1月
「物語のはじまり」を刊行した。毎日新聞の元記者。「薄荷色の
朝に」は、刊行時に読んでいるが、今回は、「物語のはじまり」
にも、触れず(それは、また、別途、書評しよう)、「鳥女」だ
けを素材にして松村由利子論を書いてみたい。
「鳥女・松村由利子論の試み」
松村由利子には、あるシステムがある。
○松村由利子式短歌システム:松村の体内には、「井戸」があ
る。井戸には、修羅を沈める。
* 井戸ひとつ吾の真中に暗くあり激しきものを沈めて久し
新聞社という「男社会」(毎日新聞の記者になり、主に、生活家
庭部、科学環境部に所属、20年勤務し、管理職デスクまで勤め
て、06年退職した。新聞社の女性記者は、私がいたテレビ局
は、私がデスクになったころは、まだ、東京の報道局には、女性
記者は皆無だった。私が、デスクになる直前くらいに、少数の女
性記者の新規採用が始まり、地方局には、毎年、女性記者が赴任
していた。彼女たちが、東京の報道局に攻め上って来るまでに
は、まだ、数年かかる。女性記者の赴任が決まると、男性記者
が、多数の電話やファックスが並ぶ机群の側に設えた組み立て式
のソファーベッドで仮眠をしていたような職場では、徹宵勤務の
女性が仮眠するコーナーを作るなど、慌てたものだ。新聞社は、
家庭部、文化部などがあり、私の職場よりも早くから、少数の女
性記者がいたが、松村は、私がデスクになる直前のころ、各社に
入社した組の女性記者のひとりではないのか)の修羅場をくぐり
抜けて来るだけでも大変なのに、その後の、私生活の修羅場(松
村は、赤裸々に短歌に詠んでいるでいるが、ここでは触れない)
も含めて、その「修羅」をエネルギーとして、歌を詠んできたよ
うに見受けられる。松村の修羅とは、「抱き柱」を放棄して立ち
向かう強靱な歌こころである。その意味で、松村は、修羅の歌人
である。
さて、松村由利子式短歌システムとは、こうである。修羅場から
出されるさまざまな毒、松村の体内にある井戸に毒が溜まると、
修羅の毒は、鬼に変身する。井戸から鬼のマグマが噴出するよう
になると、松村の方は、「鳥女」に変身し、鬼との争いを攻撃的
に防御する。その防御行為が、歌詠み行為となる。松村の中で、
そういうシステムができ上がっているようだ。
* 夜になると嘴(くちばし)ずんと伸びるゆえ吾うつむきて仕
事するなり
松村の短歌には、表現に特徴がある。ひとつは、「○○にて」と
いう表現。例えば、「私も会社員にて」「疎と密の刻々変る電車
にて」「星座のひとつにて」など。この「にて」という表現に
は、新聞記者の「客観的な冷静さ」が伺える。と同時に、なんと
も言えないリズムがある。ふたつ目は、繰り返し(リフレイン)
の表現。31文字という短歌の世界を考えれば、同じ言葉の繰り
返しは、盛り込める情報量が、それだけ減るから得策ではないで
あろう。例えば、「くりのき栗の木なにも語るな」「くりかえし
繰り返す朝」など。だが、この繰り返しの表現には、母親として
の優しさが滲む。幼子との対話の気配が、しのばれる。これも、
リズミカルである。記者と母親は、松村短歌の特徴をなす。理と
情と言い換えても良い。そして、ふたつに共通するものは、リズ
ム。そういう意味で、松村は、リズムの歌人かも知れない。
「鳥女」に集められた短歌は、406首。それは、おおまかに
は、8つのグループに別れる。
1)職場詠は、同業の私の眼から見ても、共通する体験が、詠い
込まれていて、貴重である。報道の現場や職場の短歌は、あまり
お目にかかれない。報道現場に長くいた私も、現場や職場で写し
た写真など、ほとんどない。まして、短歌、俳句、詩のようなも
のを書くという発想もなかった。だれもしないことを松村はし
た。記者らしく、時事詠も含まれる。<scrapbook>として、囲ま
れている。06年3月で、新聞社を辞めて、歌人に専念している
から、今後は、職場詠が、少なくなりそうな予感「にて」・・・
淋しい。一方、退路を断って、表現と向かい合う生活を始めた松
村の勇気を讃えたい。
2)女性の自立詠。働く女性として、仲間への激励のメッセージ
が込められている。
3)恋心詠。
4)母情詠。別れた夫と暮らす一人息子への情愛。ときどき逢う
と、そろそろ、少年から青年になりかける年齢ゆえに、「まはだ
かの子に」「青年の骨などくわっと現れんかと」凝視してしま
う。
5)自分史詠。幼かった日々を詠う。「日曜学校」のお茶目な女
の子が、可愛い。
* 聖歌隊の最後列で友達のお下げをひっぱっていたのはわたし
6)生物学、遺伝子工学、考古学など、科学部詠とでもいうも
の。恐竜好きは、子どもからの影響?母・松村からの影響? こ
れが、松村由利子の、個人、母親、女性、人間、生物へという普
遍性に繋がる、独特な連鎖感となっている。
7)フラメンコ詠。修羅退治の補助エンジンか。
* ニッポンの働く女苦しくて仕事帰りにフラメンコ習う
20年くらい前に、私はフラメンコの長嶺やす子さんにインタ
ビューしたことがある。私が訪ねたマンションには、まだ、多数
の猫はいなかった。情熱的な女性で、フラメンコにかける熱き思
いを語ってくださった。招かれて一度だけ、長嶺さんの舞台も拝
見した。長嶺さんは、70歳を越えたいまも、毎日5キロを走
り、体力を培っているが、フラメンコは、もう、踊っていないよ
うだ。松村も、06年には、フラメンコの舞台に立ったという。
フラメンコの修業詠は、歌舞伎の所作事に私が感じていることと
共通するものがあり、おもしろく読む。基礎体力作りの詠があれ
ば、なお、共通性が強調されるように思える。
8)小山田二郎画「鳥女」詠。91年に亡くなった異形の画家小
山田二郎。顔に障害のある画家は、頭は鳥、身体は女性という
「鳥女」と名付けた絵を何枚も描き残した。顔の障害という修羅
から逃げずに立ち向かった小山田二郎に修羅の歌人は、共鳴し
た。二人は、魂の色が似ているのかも知れない。05年5月から
7月、松村が勤める新聞社の主催で「異形の幻視力 小山田二郎
展」が、東京と高崎で開かれた。ギャラリーで「鳥女」を見た松
村は、鳥女は、私だと思ったという。その年の8月、松村は、
406首の歌を選び、11月、小山田の最後の作品「舞踏
(1991年)」を表紙に使って、歌集「鳥女」を刊行した。
<間奏曲>406首の色をチェックしてみたら、36首が色を
詠っていた。白:11首(「ミルク色」まで入れると、12
首)。青:5首(「空色」「紺青」まで入れれば、7首)。
黄色:4首、赤:3首というのは、フラメンコの衣装のお陰。そ
のほか、みかん色、銀色、うす茶、緑など。
ならば、松村由利子は、「何色」だろう。白の混じった淡い青色
か。村松友視が武田泰淳夫人の武田百合子について書いた本のタ
イトル「百合子さんは何色」をもじって言えば、「由利子さんは
何色」。松村は、赤、青、黄などという原色や観念的な色より
も、淡い、それでいて具体的な色が好きなようだ。例えば、第1
歌集のタイトルの「薄荷色の朝に」の、薄荷は、具体的なものの
色である。ブログのタイトルの「そらいろ短歌通信」も、空の色
と具体的である。薄荷色は、「ミント・グリーン」で、色は定
まっているが、ブログのタイトルにある「そらいろ短歌通信」の
「そらいろ」の「空色」は、じつは、色が定まっていない。色見
本では、「天色」と呼ばれているが、「空色」には、白昼の
「白」から、山間部の漆黒の闇の「黒」まであり、その途中に
は、夜明け前の色、朝焼けの色、日の出の色、朝から夕方までの
さまざまな色、夕焼けの色、日没後の色、夜の色など、また、季
節によっても、「空色」は、変る。つまり、「空色」は、定まり
がない色なのである。
谷川俊太郎「写真ノ中ノ空」にある詩では、「幼いころ空は不思
議に満ちていた/大人になるといつか空は空っぽになっていた」
とある。
多分、松村は、冬の、からからに乾いた青空が好き。
* 透きとおる鳥の魂集められ冬天かくも深き青なり
北国のスキー場のリフトに乗って山頂に向っていたとき、銀嶺の
上に広がっていた青空。青色の向うに、宇宙の黒い闇が、透けて
見えるように思えるほどの深い青空だったのを思い出す。
あるいは、白ぽくも見えるような淡いスカイブルー。それでい
て、奥深い空。宇宙の空。そう、冬の快晴の、午後2時ころの、
空。こういう「そらいろ」を、なんていうか、知ってるかい?
色見本を見て調べた。勿忘草色が、それに近い。英語名、
「フォーゲット・ミ−・ノット・ブルー」。勿忘草わすれなぐ
さ、忘れてくれるな。
新聞社を辞めて、歌人に専念して、間もなく、1年になる。修羅
が減って、松村の歌風は、変るかも知れない。「一人でことばと
向き合い、小さな世界を作ろうと試みていた」のが、松村の原
点。いまは、感じないかも知れないが、いずれ、10年もすれ
ば、老いが、身近になって来るかも知れない。新たな修羅を呼び
込み、修羅の歌人は、詠い続けるだろう。「鬼は都にありけるぞ
や」。
「井戸」に戻ろう。
「井の中の蛙(かわず)大海を知る」だ。身の回りの、自分に見
える世界を掘り下げながら、詠うこと。記者は、現場で確認した
ことだけを書いてきたはずだ。記者というアンテナと歌人という
システム。井戸の中は、己の身の大きさをコントロールする術
(すべ)さえ身につければ、大海に見える。そうなれば、井戸
は、普遍的な大海に通じる。井戸を変える必要はない。時間が、
さらに、才能に磨きをかけるだろう。普遍を見抜く眼を持つこと
こそ必要。松村由利子の歌の世界は、井戸のなかにこそ、ある。
- 2007年1月25日(木) 21:40:29
1・XX 大晦日、自宅近くの寺に除夜の鐘を叩きに行った。
激動の1年を締めくくるには、寒くもなく、何とも、穏やかな
夜。
帰宅すると、日本ペンクラブの電子文藝館委員会の同僚副委員長
の詩人・村山精二さんから7年ぶりに刊行した詩集「帰郷」が届い
ていたので、読んでしまう。07年最初の書評は、これを書かない
わけには行かない。
私より、2歳下。北海道の赤平で生まれ、10歳のとき、母に死
なれた。青森に居た父と別れ、2歳下の弟とともに青函連絡船に
乗せられ、北海道の芦別にいる叔父(母の弟)のところへ、貰わ
れて行った。学校を卒業し、フィルムメーカーの技術屋になり、
以来、38年間、サラリーマン生活を送り、管理職にもなり、
「下請け会社との宴会のし方 上にしか向かないヒラメの視線
部下の評価の下げ方 出入り業者の潰し方 それらをひっくるめ
た理数系のモノの考え方を38年も勉強させていただいた」「最
末端の管理職も経験して 特許も取れて思った以上の会社人生で
した」と、退職金のほかに、定年前の給料3年分をくれるという
ので、「この度の会社提案首切りにまっ先に手を挙げた」のは、
「首切りという安易な方向に走る経営に方針転換したトップへの
腹立ちまぎれ」。でも「役員報酬カット5%はいただけません
なぁ 五千人もの首切りやるんだったら50%はカッとしなきゃ
100%だっていいんですよ それでようやく事の重大性が判ろ
うというもの まだまだ甘いなあ」と、下剋上。
村山さんは、会社人間を辞めて、社会人間になった。
村山さんは、技術屋生活の傍ら、28歳で最初の詩集「プラス
チック粘土」という、いかにも技術屋らしいタイトルの詩集を刊
行。多感な青年像が浮かんでくる。爾来、遅筆、多忙の、隙を
縫って、数年ごとに詩集を出しつづけ、小説も書き、詩集は、今
回のものを含めて、6冊になった。私は、7年前刊行の「特別な
朝」以来の、村山詩集の読者。
詩集「帰郷」は、司修装幀、土曜美術出版販売刊行で、「21世
紀詩人叢書・第期」シリーズの第26巻という立派なもの。装
幀も実に良い。
詩群は、退職を軸にしたものと私生活を軸にしたものとふたつに
大別される。退職は、あすは、我が身の、私ゆえに、身につまさ
れるとともにうらやましい。いずれ、私もと、武者震い。特に、
先に長々と引用した「挨拶」という詩が良い。本音と皮肉と混じ
りあった、良い惜別の辞であり、新たな旅立ちへの、決意の辞で
ある。「ともあれこれでサラリーマンとはお別れ 不向きなこと
が出来たんだから これからは何でも出来る気がします まず手
始めは書斎の整理 愛しい詩集たちに安住の地を!」
私生活を詠った詩も、社会情勢への目配りが裏打ちされている。
「変らないものと変ったもの/いつだって〈いい世の中〉なんて
無かったけど/アメリカが変って日本が釣られた/大事なものは
去って行く」(「この冬」)
「先輩が築いた50年の平和を/僕らは君たちに遺せなかった/
いい一日なんて今日だけなんだ」(「2月26日木曜日」)
私にとって、2003年の、2・26(木)って、どんな日だっ
ただろうか。思い出せない。
「薩摩の船尾に掲げられた旗は/いつのまにか武装して/県旗校
旗を従えている/北へ南へ 西へ/駆けぬけた土足の跡を消す日
は/とうとう来なかったというのに」(「花だより」)
日の丸・君が代の卒業式。「保護者席」でも、起立せず。
「すでに 74で死んだお袋と、若くして死んだお袋が入ってい
て/80を過ぎた親父もそろそろ/次はオレか弟の番/子供時代
を思い出しそうな墓だ」(「終の棲家」)
村山さんに赤平、芦別など、炭坑の頃をテーマにした詩を書いて
欲しいと言ったことがある。今回の詩集でも、炭坑の事は、直接
書かれていないけれど、幼い日々の苦労は、滲み出て、伝わって
くる。実母も、継母も、墓のなかで、同居している。
私も、北海道勤務時代に訪れた、夕張の、10数年前の炭住街を
思い出しながら、最近の、財政破綻の、夕張のニュースに心が痛
む。傾斜地に貼り付くように建ち並ぶ家々。映画「黄色いハンカ
チ」のロケに使われた家もあった。
「おまえは無傷か/そうはいかないだろう/余白の人生などと格
好をつけても/そこも例外ではない」(「帰郷」)
「そうはいかない」かもしれないが、村山さんよ!
今後の豊饒な時間を、詩のために、例外的に、最恵国待遇で、
使って欲しい。
辻原登「夢からの手紙」を読み終わった。辻原最初の時代小説
は、新聞連載小説の「花はさくら木」だろうが、読んでいない
(サイン本を購入し、所持している)。それを読む前に、最近出
たばかりの「夢からの手紙」(これも、サイン本)は、読んでし
まった。標題作は、時代小説らしからぬ、シュールな作品であ
る。奇妙な夢を見たという国元から届いた妻からの手紙がある。
その夢というのは、江戸にいる夫が、大きな屋敷の奥まった広間
の集まりに参加している。10人から15人の男たちの中に夫が
いる。皆が、お面を被っている。つまり、一種の仮面パーティで
ある。何が行われているのか、あるいは、何が行われようとして
いるのか、不明だが、何か不安な雰囲気が感じ取れる。そういう
危うい夢であった。
実は、妻が不安な夢を見て、そのことを手紙に書いてきた日付け
の、前の日、夫は、妻の夢と同じ場面といえるような体験をした
のである。昔、国元で幼い日々を親友として過ごした男、父親が
死に、その父親に不行跡の疑いという濡衣が掛けられたことか
ら、主人公の夫より早めに国元を出て、江戸入りしていた男だ
が、不遇らしく、悪い仲間と付き合っている。その男に誘われる
ようにして、夫は、不思議な秘密パーティに参加してしまう。人
が自死する様を見るような不道徳なパーティであるが、夫は、実
は、悪友に誘われたというよりは、悪友に無理強いをして、参加
したのであった。それが、秘密パーティの主題者側に知れて、悪
友は、殺されるが、夫は、警告されただけで、命は助かる。
妻への手紙を書きかける夫。「おまえの夢は正夢だった」と書き
出して、夫は、それを破り捨てる。「世はなべて事もなし」と書
く。日頃、マスコミから私たちに伝えられていることも、悲惨な
事件事故が多いように見受けられるが、実は、「世はなべて事も
なし」としか、伝えられていないのかも知れない。その挙げ句、
ある日突然、憲法が改悪されているのに気づかされ、「おまえの
夢は正夢だった」と告げられるのかも知れない。
「有馬」は、有馬温泉の旅館の女将の着物のツケを取りに行く呉
服屋の主人の話。女将も主人も、一目惚れ。そういう魂胆を胸に
秘めて、主人は、奥方の悋気の目を盗んで女将に逢いに行く。た
だし、手代と丁稚が付いて行く。特に、丁稚は、奥方のエージェ
ント。つまり、スパイ。機転の効く小僧だから、始末が悪い。有
馬温泉に着き、件の旅館に入り、女将と主人の再会の様を見た丁
稚は、奥方大事の意気に燃える。女将との逢瀬のために精力剤を
調合してもらった主人と恋煩いの不眠対策で、睡眠薬を調合して
もらった手代とが、それぞれ持参した薬を丁稚が入れ替えてしま
う。女将との情事の最中に未遂のまま、眠り込んでしまう主人。
睡眠薬の代りに精力剤を呑み、爛々としている手代。主人との情
事不発で、欲求不満オ女将は、不眠の果てに、精力ギラギラの手
代と、丁々発止、朝までという時間を過ごし、機嫌がよい。主人
も、ぐっすり寝て、昨夜の不首尾も思い出せず、元気がよい。手
代も、不眠は治らないが、欲求充実で、機嫌がよい。
両作品に共通するのは、「夢」である。知人が殺されるというの
が、夢か現か、いや、現だろうと思うような、怖い夢が、「夢か
らの手紙」。夢の通りの内容の手紙が来れば、やはり、怖い。も
うひとつは、現か、夢か、判然としないまま、夢であって欲しい
という悪夢。夢が、現実となり、夢の声で、目を覚ます。あるい
は、夢のなかでの行動が、本当の行動になる「レム睡眠行動障
害」を体験した私は、夢を夢と信じられない辻原の世界を信じ
る。夢に色があるように、魂にも、色があるのかも知れない。似
たような色の魂が、同床異夢か、異床同夢か、分岐点を決める。
新年、初夢、皆さんは、どんな初夢を見るのだろうか。さて、夢
から覚めた私は、「花はさくら木」を読んでみるとするか。とこ
ろで、「夢からの手紙」は、6つの短編を収載した短編小説集。
「川に沈む夕日」は、「心中天の網島」の紙屋治兵衛ならぬ、染
屋治兵衛と京の島原遊廓の太夫・小春の物語など、歌舞伎の舞台
のような、荒唐無稽な、シュールな時代小説が、並べられてい
る。
- 2007年1月1日(月) 12:19:38
12・XX 鈴木理生「お世継ぎのつくりかた」を読む。
鈴木理生(まさお)は、江戸と東京を地形学、考古学の立場から
研究している都市史研究家で、「江戸は、こうして造られた」
「江戸の町は骨だらけ」「大江戸の正体」など、ユニークな視点
で再構築した江戸ものを私は、愛読している。今回の「お世継ぎ
のつくりかた」は、刺激的なタイトルで、サブタイトルには、
「大奥から長屋まで 江戸の性と統治システム」とある。封建時
代の政略結婚を経営学的な視点で分析した、極めて真面目な本
だ。
武家は、男子優先で、養子を含めて、「お世継ぎ」を絶やさない
ようにして、いわば、「家」という会社(それは、領地不足のな
かで、信長によって考案された「封」と呼ばれる、ある範囲の経
営権を基盤とするから、そういう経済構造を「封建て」、つま
り、「封建制度」の基礎は、ここにある)を継続させようと努力
する(武家に限らず、男系中心の「お世継ぎ」は、今も皇室を
縛っているのは、ご承知の通り)。
一方、商家は、女子優先で、実子の男子よりも、店の従業員のな
かから、商才に長けた娘婿を選びだし、まさに、店(会社)を繁
昌させようと努めた。こちらでは、「お世継ぎ」は、女子が優先
されている。外向けの「当主」は、男性だが、その出自は、番頭
上がりの婿養子であり、本当の「当主」は、家付きの娘から、当
主の配偶者になった夫人の方なのである。店の経営権は、「腹を
痛めた娘から娘へ」継承される。そういう大店の場合、多くの、
「正嫡の男子は廃嫡されて、一生食うに困らず相当の放蕩もでき
るだけの財産を与えられて隠棲する」という。「東京の筋目の
通った商家の多くは伊勢・近江資本の『江戸店(えどだな)』
(江戸支店)だったから」、こういう形で、財産が相続されて
行ったという。「嫡出男子が店を継承しているという一事だけ
で、金融機関からの信用が各段(格段?)に薄くなったのが商売
の場の原則であった」そうだ。
上方歌舞伎の和事に出て来る若旦那たちは、こういう廃嫡された
放蕩児だったと理解が行けば、女好きの、優男の、色事師(濡事
師)というイメージから、絶望の果ての、自暴自棄的な、茶屋遊
び、傾城狂い→心中行こそ、理想の終局という、「滅びの美学」
の切実さが、浮き彫りにされて、歌舞伎を観る際の、新しいイ
メージが涌いて来る。遊蕩のために勘当されたという設定の「夕
霧狂言」の藤屋伊左衛門などの顔も、「廃嫡された放蕩児」とい
う解釈になれば、また、違って見えて来るというものだ。
- 2006年12月31日(日) 18:52:26
12・XX 工藤美代子「われ巣鴨に出頭せず」、杉田望「天
才大悪党 昭和の大宰相田中角栄の革命」を読んだ。
戦中から戦後まで、総理大臣などを務め、政治的な指導者の一人
として活動し、1945(昭和20)年12月16日、GHQ
(ジェネラル・ヘッド・クォーター=総司令部)のマッカーサー
最高司令官からの逮捕令を受けて、スガモプリズンへ収監される
のを拒んで、青酸カリを呑んで、自死したのが、近衛文磨であっ
た。その文磨の生涯と日本の近代史、特に昭和史とを丹念に跡付
けたのが、工藤美代子「われ巣鴨に出頭せず」である。優柔不断
とか、弱いとか、その性格を断じられた近衛文麿の実像を史実に
即して再構築して行く。天皇との関係は、近衛と天皇それぞれの
戦争責任のありようにも関わって来る大事な論点だ。
12月14日、近衛は、次のように語ったという。
「自分は極刑にはなるまいが、重罪は免れまいと思う。日支事変
後種々失敗を重ねてきたが、自分の志したところは別にあっ
た」。
政治家は、結果責任である。志がどうであれ、政治家の足跡こそ
が、責任の所在である。「種々失敗」という結果をスガモでは、
裁かれざるを得ない。それを予感したからこそ、近衛は、スガモ
に「出頭せず」、自死を選んだのではないか。
だが、工藤美代子は、次のように書く。
「近衛は人生の猶予をも断ち切って、慄然たる死の道を選んだ。
たとえ平素、人から軟弱だと言われようとも、最後に一人で花道
から死出の旅に立つ男の姿は美しい。日本文化の伝統にある死の
形を見事に演じきったことで、近衛の人生は誰はばかることなく
『強い』人間だったと書き換えられるべきだろう」。「昭和の戦
時に火の粉をかぶって天皇を護る覚悟を決めた。その末の自裁
だった。護るべきものを護り通した近衛は、ほかの誰よりもむし
ろ強かったというのが私の結論である」。
果たして、そうか。
教育基本法を改悪し、やがては、憲法も改悪しようとする勢力が
ある。近衛文麿という人物像の書き換えは、戦中戦後史の書き換
えに繋がりはしないか。先の勢力との繋がりは、どうなのだろう
か。工藤美代子の力作を読んで、余計に疑問が膨らむ。
工藤は、また、戦後「直後に再来日したハーバード・ノーマンは
友人の都留重人と二人で何を企んだのか。それが結果的には近衛
の生涯にどのような影響を与えたのか」と書く。
毒を呷り、「米国の法廷」への出廷を拒否し、「天皇の御楯とし
て命を絶った」近衛の矜持。史実は、工藤の、近衛擁護の力作を
読んだ後も、やはり、まだ、明らかにされていない。謎は、深ま
るばかりだ。
杉田望「天才大悪党 昭和の大宰相田中角栄の革命」は、タイト
ルこそ、前段で「天才大悪党」と掲げているものの、「昭和の大
宰相田中角栄の革命」という、後段のタイトルのみに注目をすれ
ば、この本が、田中角栄擁護論の本だということが、容易に知れ
る。
杉田は、「悪党」とは、「革命家」だと言う。この本は、そうい
う視点で、田中角栄像を再構築することを狙っている。「田中角
栄は昭和を生きた革命家だ。すなわち、人びとの暮らしに心し、
新しい制度や仕組みを作る革命家だ。革命家の末路は悲惨であ
る。角栄の最期も、その例外ではなかった」。「小泉がぶち壊す
と宣言したのは、角栄が遺した政治遺産のすべてだ。すなわち、
道路、鉄道、橋、用水路、港湾、郵便局、放送、健康保険、年金
制度など人びとの暮らしと安心を確保する制度と仕組みだ。その
ぶち壊しを『構造改革』と呼んだ小泉政権。(略)はっきりして
きたのは、貧者の拡大再生産だ。たぶん、日本は行き着くところ
まで行くに違いない。そう考えるとき、万民の幸せを第一義にお
く田中角栄の政治思想がにわかに光芒を放つ」。
果たして、そうか。
小泉の「構造改革」は、挫折し、中途半端になりつつあるが、小
泉政権を継承しながら、小泉の「構造改革」を挫折させつつある
のは、安倍政権である。その一方で、極めてナショナルで、観念
的な安倍政権は、支持率を急激に落しながらも、教育基本法の改
悪、憲法改悪のための、国民投票法の成立を着々と準備を進めて
いる。
工藤美代子は、木江文磨の復権を目指して、「われ巣鴨に出頭せ
ず」を書き、杉田望は、田中角栄の復権を目指して、「天才大悪
党 昭和の大宰相田中角栄の革命」を書く。閉塞感が強まる一方
の時代状況のなかで、ふたりが空けた風穴は、果たして、国民の
ための風が吹く穴なのだろうか。あるいは、国民へ向けては、冷
たい北風が吹き募るばかりという、現実を私たちの前に突き付け
ているのだろうか。2006年も、間もなく、暮れるが、暗い年
の瀬は、息苦しいばかりだ。
きょう、イラクのフセイン元大統領が、死刑に処せられた。フセ
インの犯罪は、許し難いが、死刑を実行した側にも、民主的な手
続が充分だったと、後世の歴史家に誇れるような対応ではなかっ
たように思うのは、私だけではないであろう。日本も世界も、何
処へ行としているのか。日本も世界も、「行き着くところまで行
くに違いない」のだろうか。方向感覚を失ったまま、人類は、破
滅に向って進んでいるのだろうか。人類は、万物の中でも、叡智
なき種族なのだろうか。
- 2006年12月30日(土) 21:12:56
12・XX 小沢昭一「老いらくの花」、車谷長吉「文士の生
魑魅(いきすだま)」を読んだので、敢て、2著を並べて、書評
を試みてみよう。その結果、秦恒平「かくのごとき死」が、顕在
化してきた。
小沢昭一「老いらくの花」は、「咲いてよし、咲かぬもよし」と
いう、余裕の花。「散る桜、残る桜も、散る桜」同様、花があれ
ば、めでたいし、ないからと言って、がっかりする必要もない。
「生涯現役」などと粋がるより、「退役悠々」が好きという小沢
昭一の面目躍如の随想集。エッセイなどという構えたものではな
く、そのときどきに、心に移り変わり行く、よしなしごとをあち
こちに書き散らし、また、寄せ集め、同じような話は、ひとつの
グループにして、例えば、「老いらくの花」などと名付け、ある
いは、「忘れられない人」、「懐かしい場所、懐かしい歌」とし
てしまえば、まあ、なんとか、恰好がつくというものだ。
もう余禄どうでもいいぜ法師蝉 変哲
寒月やさて行く末の丁と半 変哲
「変哲」とは、小沢昭一の俳号である。
変哲もない人生なんて、という小沢の声が聞こえて来るようであ
る。生臭さが、年をとって枯れて来ると、「老いらく」となるの
かもしれない。「老いらく」とは、老年のことだけれど、「老楽
(おいらく)」となると、「老後の安楽、老年の楽しみ」と広辞
苑は、説明する。
さて、すでに老境に入っているはずの、車谷長吉(くるまたに
ちょうきつ)の「文士の生魑魅(いきすだま)」は、生臭い。
「俗物は、私が会社勤めをしていた時にも、ゴミ捨て場の蠅のご
とく、うようよいた。そういう男は、ほとんどが田舎者の東京人
であった」。車谷の読書遍歴。書評と私小説の融合のような本。
「当節は功名心のために、あるいは金が欲しいがために、作家に
なりたがる手合いが覆い。これは文学の堕落である。文学とは本
来、(略)人の苦痛が一ト時の慰めを求めて手を伸ばすものであ
る」。
テーマは、「病者の文学」、「近代的自我の滑稽と悲惨」、「宗
教と文学」、「意地悪な目」、「人間の愚かさ」、「故里の文
学」、「短編小説の切れ味」、「史伝」、「幻想文学」、「私小
説」などと、真っ当なものばかりが、並ぶ。
「人間の剥き出しの姿を書くのが、私(わたくし)小説である。
だから私小説は面白く、書かれた人は厭がるのである」
かつて、私は、ある作家にこういったことがある。「純文学」な
ど、姿を消した「純喫茶」と同じように、やがて、姿を消してし
まうだろうが、私(わたくし)小説は、永遠に不滅でしょうね。
私小説は、ジャンルを越えて、生き残るでしょう。
文士という言葉も、すでに死語になっていると思う人もいるかも
しれないが、文士は、私(わたくし)小説が不滅な限り、やは
り、不滅なのではないか。
タイトルの「生魑魅(いきすだま)」とは、生霊(いきりょ
う)、つまり、生きている人の怨霊、恨み、辛み。
ところで、日本ペンクラブの電子文藝館活動をご一緒している作
家の秦恒平さんが、「かくのごとき死」という本を私家版「湖の
本」シリーズの一巻として刊行した。ご自分のホームページの
「私語の刻」という、日記体裁の文章群を、そのまま刊行したの
である。2006年は、彼にとって、過酷な1年間であった。タ
イトルの「かくのごとき死」とは、06年7月27日の孫娘の難病
による死を意味している。この死を巡っての、孫娘の両親(つま
り、秦さんの長女夫妻)との訴訟沙汰が展開している。06年か
ら07年へと続いて行くであろう骨肉の争いの断面、苦しく、忘
れてしまいたいような、この1年の記録、記憶を、文士魂は、1
冊の本にして、世に問うた。長女夫妻との争いの火種を大きくす
る危険性を犯してでも、本にして出さざるを得なかったのであ
る。この作品は、私小説ではないが、私小説のような衝撃力を秘
めた文学作品である。車谷の言う「私小説」作家と「書かれた人
は厭がる」ということの争い。プライバシー訴訟こそ、この問題
の本質だろう。プライバシーの侵害、名誉毀損は、どちらが被害
者か。文士の抵抗は、表現の自由と骨肉の争いの是非を、敢て、
白日の下に曝け出したのである。車谷長吉「文士の生魑魅(いき
すだま)」は、秦さんの文学行為は、永遠なりと、宣言している
ように読むことができる。
- 2006年12月30日(土) 17:27:33
12・XX 大崎善生「パイロットフィッシュ」は、アダルト
雑誌の編集者が、主人公。ある夜、と言っても、午前2時、仕事
場の電話がなった。高校時代の同級生が、こちらの都合や時間を
考慮することなく、よく電話をして来るようになった(大手カメ
ラメーカーの営業マンだが就職して、19年、つまり、中間管理
職の年代か、最近、彼の様子がおかしくなった。昼であれ、夜で
あれ、いつも、泥酔しているのである)。だから、そのときの電
話も、彼からだと思った。電話器を取ると、女性の声で、「わか
る?」と、言った。「ああ、わかるよ」。19年ぶりの元恋人の
声だ。「私、今二人の子供の母親なのよ」。41歳の中年男女の
物語は、過去と現在を交錯させながら、展開する。
石持浅海「セリヌンティウスの舟」は、「走れメロス」の友、セ
リヌンティウスの真情をキーワードにしたミステリー小説。セリ
ヌンティウスは、メロスが、絶対に約束を守るために、友のとこ
ろに帰って来るという意志を信じた。人の心を疑うということ
は、最も恥ずべき悪徳だ。だから、友を信じる。6人のダイバー
たちは、石垣島の海で遭難したが、皆の信頼で、遭難を克服し、
助かった。しかし、何故か、ダイビング打ち上げの後、ひとりの
女性が、青酸カリを飲んで自殺してしまった。彼女の自殺の謎。
残された5人の仲間たちは、メロスに試されるセリヌンティウス
の心境なのだ。密室殺人事件など、密室状況の解明を得意とする
石持ワールドは、信じると言うことが、ミステリーを解き明かす
というアイディアで、小説の世界を構築した。
- 2006年12月30日(土) 16:12:18
12・XX 趣を変えて、エンターテインメント作品の書評。
ここで取り上げるのは、いずれも、達者な売れっ子作家の作品。
以下の通り。
大沢在昌「Kの日々」、石田衣良「美丘」、浅田次郎「あやしう
らめしあなかなし」、そして、嵐山光三郎「よろしく」。ただ
し、この後に、おまけというか、もうひとつ趣向を凝らしたいの
で、こちらも、「よろしく」。
大沢在昌「Kの日々」は、ミステリー。Kという謎の女性を軸に
ストーリーは、展開する。3年前、やくざの組長が誘拐され、身
代金が奪われた。当時の犯人グループは、4人。メールで仲間に
指示を出すが、姿を見せない謎の「メール男」とKの恋人の中国
人青年(その後、遺体となって東京湾に浮かんだ)。そして、最
近出所したばかりのやくざの組員2人。やくざの組員2人が、奪
われた身代金を取り戻そうと、Kの身辺調査に依頼したのが、主
人公の探偵・木(もく)というわけだ。Kに近づき、身辺調査を
しながら、次第にKに好意を寄せる木。サスペンス溢れるエン
ターテインメント作家らしい作品だ。ミステリー故に粗筋の紹介
は、控える。
石田衣良「美丘」も、エンターテインメント作家としての力量
は、大沢に劣らない。石田も、量産する作家だ。表題の「美丘」
とは、女性の名前。「みおか」と読む。幼児の頃、交通事故で頭
蓋骨骨折をし、輸入した硬膜を移植した。その際、ヤコブ病に感
染した。発症すると、3ヶ月から数年で脳から身体を動かす信号
が発っせなくなり、やがて、息をすることも食事をとることもで
きなくなるという難病だ。そういう危険性を秘めた女性を愛した
青年太一の純愛物語。純愛小説の流行に乗ろうと石田も、純愛小
説に挑戦したのが、この作品。一種の「心中行」だろう。それな
らば、「美丘太一」の物語。現代の「心中行」の花道は、病室に
向う。愛する人との約束を守るために、延命装置をはずすこと。
浅田次郎「あやしうらめしあなかなし」も、達者な作品。7つの
短編作品。生者と死者の邂逅、奇蹟と奇譚。あやし、うらめし、
かなしの世界。怪奇譚は、いつも愉しくて怖い。お話しが語り継
がれる限り、怪奇な話は、不滅である。こういう作品集も、ミス
テリーの結末同様、紹介できない。
嵐山光三郎「よろしく」は、老人介護の物語。東京・国立市とお
ぼしき、K立市の、嵐山家とおぼしき、A山家のぼく(小説家)
は、ノブちゃんと呼ぶ父親を看取ることになる。ノブちゃんは、
新聞社勤務の後、多摩美術大学とおぼしき、T美術大学の教授と
なったが、そこも退職し、いまは、若干の惚け老人で、油断をす
ると徘徊もする。ノブちゃんの連れ合い、つまり、ぼくの母親
は、トシ子さん。妻は、月子さん。一橋大学とおぼしき、H橋大
学も出て来る。近所には、新潮社とおぼしき、S潮社のY村さ
ん、小説家の山口瞳とおぼしき、Y口瞳さん、漫画家のT田ゆう
さんなどという名前も出て来る、嵐山光三郎の、いわば「ご近所
小説」というわけだ。嵐山節だから、どこまでが、事実で、どこ
からが、フィクションか、そのあわいも定かではない。ぼくとノ
ブちゃんの物語が軸になるので、老人ホームの問題も、リアルに
描かれる。そういう意味では、「老人介護小説」でもあるという
ことになる。病院での最後の筆談で、父親のノブちゃんは、メモ
用紙に「よ ろ し く」と書き、「うん」とうなずくだけで、
精いっぱいだったぼくを残して、逝ってしまった。飄々とした嵐
山節が、一人の老人を看取った。「よろしく」。
ついでに、もうひとつ書評を併載しておこう。こちらは、小説で
はない。作者は、校條剛。誰も、この名前を読めないのではない
か。「めんじょうつよし」と読む。校條剛は、S潮社の編集者。
校條剛が書いた本のタイトルが、「ぬけられますか」。知ってい
る人には、説明の必要もないが、知らない人には、判らないの
が、「ぬけられます」という看板。昔、「玉の井」という向島に
あった私娼街は、路地が入り組んでいて、迷路のようになってい
たが、客を引き込むために、恰も通り抜けられる道路を装うため
に、このような看板を掲げていた。その私娼街を舞台に町内でス
タンドバーを営む一家の少年「キヨシ」を中心に描いたのが、滝
田ゆうの「寺島町奇譚」だった。だから、「寺島町奇譚」の背景
には、私娼街が独特の線描で描かれ、背景の中には、「ぬけられ
ます」という看板も描かれた。つまり、「ぬけられます」は、滝
田ゆうの漫画の象徴になっているというわけ。その結果、校條剛
の「ぬけられますか」は、編集者として付き合った滝田ゆうの生
涯を描いた作品ということになる。嵐山光三郎「よろしく」の表
現を借りれば、漫画家の「T田ゆう」さんの登場となる。
滝田ゆうは、国立と飲み屋街の、新宿ゴールデン街を行き来しな
がら、空襲で焼けてしまった幻のふるさと「寺島町」の三角形を
結んで、螺旋状に駆け登り、挙げ句の果てに、昇天してしまった
漫画家だったのかも知れない。校條剛は、愛情を込めながら、遅
筆の上に、編集者の目を盗んで、酒場に逃げ出すという、編集者
泣かせの滝田の姿を赤裸裸に描いて行く。懐かしき、滝田の漫
画。独特の線は、浮遊するごとくに画面を埋める。私のところに
も、多数の滝田ゆう作品が、所蔵されている。
- 2006年12月29日(金) 22:21:16
12・XX 男性の感性も、女性に負けず、劣らず、時代や世
相の断片を鋭く切り取る。12月に読んだ本は、以下の通り。
阿部和重「ミステリアスセッティング」、大江健三郎「『伝える
言葉』プラス」、奥野修司「心にナイフをしのばせて」、藤原新
也「黄泉の犬」、伊東乾「さよなら、サイレントネイビー」。阿
部は、小説。大江は、エッセイと言うより、評論。奥野は、ルポ
ルタージュ。藤原と伊東は、オウムものの体験記をベースにした
ルポルタージュ。
阿部和重「ミステリアスセッティング」は、いじめ問題を小説家
の想像力を働かせると、スーツケース型の核爆弾が出て来て、実
際に東京の地下鉄網のなかで爆発してしまうという小説に昇華す
る。「2011年の『マッチ売りの少女』というのは、本の帯に
書かれた惹句である。つかの間の幸せを売るマッチ売りの少女に
なぞらえられたのは、シオリという少女。少女は、マッチを売る
代りに歌を唄うのだが、これが、音痴。それゆえに、虐められ、
その果てに、正体不明の外国人から預ったスーツケース型の核爆
弾のスイッチを過って入れてしまい、核爆弾の爆発とともに、東
京メトロの地下鉄網の、暗闇のなかで消えてしまう。だが、この
物語を語ったのは、公園を根城にする爺さん。そう、爺さんの話
す話が、シオリ物語というわけだ。実際にあったことなのか、将
来起こるできごとの予言なのか、それは、漠としている。
だが、阿部には聞こえるらしい。「絶体絶命の危機に瀕しながら
も、打ちひしがれまいとして懸命に恐怖に耐える女の子の、いじ
らしく麗しい鳴声が」。
ええっ、なに?。「絶体絶命の(支持率低下という)危機に瀕し
ながらも、打ちひしがれまいとして懸命に恐怖に耐える権力者
の、いじましく嗄れた鳴声が」
あべは、そういう声を発しているらしいが、国民には、まだ聞こ
えて来ない。
大江健三郎「『伝える言葉』プラス」は、朝日新聞に連載された
「伝える言葉」とそのほかの文章(講演の記録)をプラスして、
刊行したので、こういうタイトルになった。刊行を記念するサイ
ン会に参加した人は、「為書き」で、名前を書いてもらう代り
に、大江健三郎作品では、小説やエッセイ、評論というジャンル
を越えて、大江文学のキーワードになっている「新しい人」に因
んで、「新居仁」様、つまり、「新しく居る人(仁)」様と、大
江健三郎に書いてもらったと言っていた。その本が、私の所へ
廻って来たのである。
大江文学の世相へ、特に戦争や暴力の世相、あるいは、それに傾
く世相に対しては、厳しく抵抗する作家の目が、隅々に感じられ
る好著である。「もう一度、新しく」「受忍しない」など、キー
ワードが目立つ。衆議院、参議院ともに、人気急落の安倍政権の
下で、強行採決された教育基本法改悪について、大江は、その後
の連載のなかで、現場では、前基本法を心のなかに持ち、教育を
実践しようと呼び掛けている。しなやかに、「もう一度、新し
く」現実を「受忍しない」で、前教育基本法を再構築しよう、そ
して、戦争や暴力を憎む心を育もう。そう「心に前基本法をしの
ばせて」。
奥野修司「心にナイフをしのばせて」は、犯罪の被害者にあった
家族の物語。28年前に少年を殺した同級生は、関東医療少年院
を出所し、大学に入り、弁護士になり、殺した少年の遺族には、
謝罪すらせずに、法の番人として、金儲けをしていた。遺族とと
もに歩んで来たフリーライターが、やっと元同級生を探り当てこ
とから、連絡をとった殺された少年の母に対して、元同級生の弁
護士は、「少しぐらいなら貸すよ、印鑑証明と実印を用意してく
れ、五十万ぐらいなら準備できる」と言い、金より謝罪をと言う
母に「なんでおれが誤るんだ」と居直った。わが子を殺され、
30年近く経ち、一緒に茨の道を歩んで来た夫に先立たれ、年金
だけで、細々と暮らす老いた母親。
歳月は、被害者の遺族たちを癒さない。癒されない歳月は、まだ
まだ、死ぬまで続く。「心にナイフをしのばせて」。凶器を持ち
続ける生活は、狂気にまみれた生活だ。狂気のなかで暮らすこと
の苦しさ。
狂気と言えば、オウム真理教のマインドコントロールは、まだ、
続いている。1995年7月から96年5月にかけて、藤原新也
は、週間プレイボーイという雑誌に「世紀末航海録」という連載
を載せた。ところが、松本智津夫の生涯を追い掛けている内に実
兄の満弘さんの居場所を突き止め、インタビューをしたが、イン
タビューの際の実兄との約束で、インタビューの内容を雑誌に掛
けなくなり、連載が中断したままになった。以来、10年の歳月
が流れ、満弘さんも亡くなり、藤原新也は、連載の続きを書き下
ろし、「黄泉の犬」というタイトルで、刊行した。これは、
1995年1月17日朝の阪神淡路大震災、95年3月20日朝
の地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件、2年後の、
1997年春の神戸連続児童殺傷事件、いわゆる「酒鬼薔薇聖斗
事件」という時代の世相を大掴みしようという作品だ。そしてま
た、それは、いまの世相、前ファッショというべき思潮、戦争へ
傾斜する法案が続々と成立しているのを見ようともしない大衆た
ち、そういうものへのいら立ちを書き留めた時代の書である。イ
ンド、チベット放浪から、34年間も、精神的な放浪を続けてい
る思索家・藤原新也の魂の記録は、オウム真理教の松本死刑囚の
記録とも二重写しになりながら、ここに、刊行された。2006
年の収穫のひとつだろうと思う。
もうひとり、オウム真理教に人生を絡めとられた大学助教授がい
る。音楽家の伊東乾である。伊東乾は、東京大学の物理学専攻の
大学院博士課程中退だが、大学の同級生に豊田亨がいる。95年
3月20日に中目黒駅から地下鉄日比谷線に乗り、車内でサリン
を撒いた男である。「さよなら、サイレントネイビー 地下鉄に
乗った同級生」は、その豊田のことを書いた作品であり、今年度
の開高健康ノンフィクション賞を受賞した。サリン事件の実行犯
と東大助教授の人生の分岐点は、どこにあったのか。また、その
分岐は、未来永劫、別れたままの状態が続くのか。早い段階で、
オウム真理教のマインドコントロールから目覚めた豊田は、一日
も早く、自責の念から罪に服したい、つまり死刑にされたいと願
うようになったが、それで、オウム真理教事件は、裁かれ、二度
と類似の事件は起きないような、社会的な予防策は確立されるの
か。
そういう課題に対して、伊東は、「ノン」と答える。「黙って責
任をとる」豊田のような態度が、日本の戦争責任を曖昧にし、戦
後処理を誤らせて来た。そういう過ちを日本人たちは、戦後も繰
り返して来たし、いまも、繰り返している。豊田も、その一人に
過ぎない。それでは、いつまで経っても、オウム真理教事件は、
解決されないし、日本は、なにも、変らない。
「黙って責任をとる」という精神構造は、海軍の精神構造であ
り、それは、「サイレントネイビー」と称され、男らしい態度と
誤解されて来た。だから、タイトルは、「さよなら、サイレント
ネイビー」なのだが、実は、このタイトルは、非常に判りにく
い。一オウム真理教事件としてではなく、日本人の精神構造の奥
に潜在し、いまも、蠢いている心のありようを問題視して、提起
したという著者の熱意は熱意としながらも、このタイトルは、改
めるべきだった。
松本死刑囚を始め、オウム真理教事件の被告たちは、全てを告白
し、なぜ、こういう事件を引き起こしたか、その社会的なメカニ
ズムを解明させ、二度と、こういう事件を起こさないような社会
的な防衛力を高めることこそ、いちばん大切なことではないか。
たまたま、読んだ男たちが提起した問題を私なりに受け止める
と、こういうことになった。2006年は、間もなく、暮れる。
そして、新しい年、2007年が始まる。戦争、暴力への狂気だ
けは、絶ちたいと切に思うが、人類は、その長い歴史を見れば、
戦争と暴力に傾斜しながら歴史を進めて来たことが判る。それだ
けに、戦争と暴力への傾斜から脱却するということは、一筋縄で
は行かない大事業だということが判る。だが、そこへ向って、人
類の歩みを向けさせる以外に、人類を自滅から救済する方法はな
い。
ということで、2006年の最後を飾る書評に相応しい内容に
なったが、実は、まだ、読み終わったまま、書評を書いていない
本が多数あるので、2006年の書評は、まだ、続く。
乱読は、まさに、ものぐるほしけれ。
- 2006年12月29日(金) 19:35:38
12・XX 女性の感性が、時代や世相の断片を鋭く切り取
る。12月に読んだ本は、以下の通り。小川洋子「海」、多和田
葉子「アメリカ 非道の大陸」、村田喜代子「鯉浄土」、絲山秋
子「絲的メイソウ」、三浦しおん「風が強く吹いている」。
小川洋子「海」と多和田葉子「アメリカ 非道の大陸」、村田喜
代子「鯉浄土」は、いずれも達者な実力派の短編作品集。絲山秋
子「絲的メイソウ」は、エッセイ。三浦しおん「風が強く吹いて
いる」は、直木賞受賞作家の箱根駅伝もの。
小川洋子「海」は、長編小説「博士の愛した数式」というユニー
クな作品を執筆していた前後に書かれた短編小説7作品を集めたも
の。表題作は、「海」という平凡なタイトルになっているもの
の、「風薫るウイーンの旅六日間」とか、「バタフライ和文タイ
プ事務所」など、一癖の有りそうな作品も並んでいる。その期待
を裏切らず、例えば、「バタフライ和文タイプ事務所」では、タ
イピストとして事務所に新しく雇われた私が、やがて遭遇する倉
庫にいる活字管理人という奇特な人物が、登場するが、私にも、
人物の姿は見えない。「糜爛」の「糜」の字の活字が欠けてし
まった。所長は、活字管理人のところへ行って、新しい活字を出
してもらえという。
「よく見ると、不思議な字ですね」と管理人。「淫らな感じが
漂っています」「淫靡の、靡、の字に似ているからでしょう
か」。
「まあ、本当だ」と、私。
「だからこそ、よく欠けるのです」と、管理人。「それに比べ
て、爛の字は端正です。取り澄ましたところがあります。ですか
らなかなか欠けません」。
「丈夫な活字の方がお好きですか」と、私。
「いいえ。そんあことはありません。(略)ほんの少しどこか欠
けただけで、バランスが危うくなって、雰囲気が変ってしまった
その様子を、眺めるのも好きです」と、管理人。
この管理人は、活字管理人だけでなく、世相管理人、あるいは、
「政界」管理人なのではないかと、評者である「私」などは、思
うが、いかがだろうか。
多和田葉子「アメリカ 非道の大陸」を読む。多和田は、20年
以上もドイツのハンブルグに住み、ドイツ在住10年にして、群
像新人賞を受賞し、翌年「犬婿入り」で芥川賞を受賞した。以
来、ドイツ語と日本語で作品を書き続けている。2年前、ドイツ
での生活の長さが、生まれてからの日本の生活の長さを越えたと
いう。さらに、最近では、アメリカにしばしば旅行、滞在してい
る。「アメリカ 非道の大陸」は、そういうアメリカ体験を長編
小説に昇華させたもの。ドイツとアメリカと日本という三角関係
のなかで、この作品は、生まれた。狂ったブッシュが率いる国、
アメリカ。世界中に出掛けて行っては、喧嘩を吹っかけ、戦争状
態をつくり、それでいて、世界に「デモクラシー」を伝道してい
ると思っている伝道師が、アメリカだ。非道のアメリカを車で旅
すると、何が見えて来るか。きつねの森、水の道、砂の道。
「どうしても確かめたい。走るのをやめないで確かめたい」。
「バックミラーに映ったら/急に思い出した/左右が逆だったか
ら分かったの」
バックミラーがなかったら、左右が逆にならなかったら、判らな
い。日本もアメリカも、左右が逆にならないから、判らないま
ま、猪突猛進。そう、来年は、亥年だぞ。
村田喜代子「鯉浄土」は、相変わらずの、村田ワールドで、読み
ごたえあり。現実と幻のあわいを紡ぐ村田マジック。まな板の上
に載った鯉は、身じろぎもしない。地獄の覚悟か、諦めか。い
や、それこそ、浄土なのかも知れない。国民は、そう思いなが
ら、地獄を浄土に変えて、御陀仏して行くのかも知れない。引導
を渡すのは、獅子奮迅の指導者か、捨て身の教育改革一点突破、
玉砕者か。はたまた、次の出番の道化師か。
腰が抜ける。髪が逆立つ。血が凍る。胆が潰れる。腸が煮えくり
返る。血で血を洗う。断腸。
そして、鯉は、浄土に昇天する。
絲山秋子「絲的メイソウ」。瞑想の人、絲山秋子。「絲的」と
は、「絲山的」と「意図的」と二重の意味を持つがゆえに、意図
的に付けられた外題である。要するに、エッセイを書くなどとい
うことは、あまり、得意ではないと思われる名短編作家の、初
エッセイ集ですよ。「メイソウ」も、「瞑想」、あるいは、「迷
走」。車好きの絲山。そう、この人にも、福岡の精神病院から脱
走した患者コンビによる鹿児島までの、車による迷走記、いや、
逃走記という長編小説が、ありましたっけ。
「寝言は寝て言え」というタイトルが付けられたエッセイが載っ
ている。一人で言う「ひとりごと」をテーマにしている。つまら
ないことを言われた時に絲山が返す科白の常套句が、「寝言は寝
て言え」だとか。
「レム睡眠行動障害」って、知っていますか。レム睡眠というの
は、朝方の浅い眠りの状態のこと。よく夢を見ます。だから、寝
言も言う。寝言を言うだけなら、よいのだけれど、寝言が、夢の
なかに押し込められずに、夢の外に飛び出し、実際に大声を出し
てしまう。こういう場合、たいてい、怖い夢、襲われている夢を
見るため、襲うものに対して抵抗をして、あるいは、威嚇をし
て、大声を出すのである。その声に自分が吃驚して、起きてしま
うことがある。たまたま、隣に寝ている人があれば、その人を起
こしてしまうことがある。さらに、困るのは、声を出すだけでな
く、抵抗の、防御の、動作が伴い、壁や箪笥を蹴飛ばしたり、た
またま、隣に寝ている人があれば、その人を蹴飛ばしてしまった
りする。蹴り方が激しいと、自損する。大怪我をする場合もあ
る。不幸な隣人に怪我をさせる場合もあるという。そういう症状
を「レム睡眠行動障害」という。歴とした、立派な病気なのであ
る。寝ていて言う寝言は、実は、怖いものなのである。
三浦しおん「風が強く吹いている」は、いま、流行りのスポーツ
青春小説。箱根駅伝に挑戦する大学生たちの姿を臨場感溢れる
タッチで描いている。箱根駅伝、そう、間もなく正月になると、
2日間に亘って、テレビで中継する、あれ。素人も交えて、同じ
アパートに住む大学生たちが、未知への挑戦とばかりに、駅伝に
挑戦し、完走し、10位に入賞する。読みごたえのある読み物だ
が、
前ファッショとも言うべき、世間に背を向けて、純粋世界に潜り
込んでいて、良いのかと反省したこと、しきり。それほど、手に
汗を握り、足に豆を作りするほど、おもしろかった。
- 2006年12月29日(金) 17:53:48
12・XX 時代小説を読む。順不同にあげれば、次のような
ものを読んだ。宇江佐真理「恋いちもんめ」と「ひとつ灯せ 大
江戸怪奇譚」、藤沢周平「未刊行初期短編」、佐伯泰英「居眠り
磐音 江戸双紙梅雨ノ蝶」、小杉健治「毋子草」、山本一力「牡
丹酒」、江宮隆之「歳三奔る」。
宇江佐真理「恋いちもんめ」と「ひとつ灯せ 大江戸怪奇譚」
は、いつもながらの宇江佐節で奏でる江戸の庶民の真情が、読み
ごたえがある。「恋いちもんめ」は、江戸の両国広小路の水茶屋
「明石屋」の娘・お初と青物屋「八百清」の跡取り息子・栄蔵の
悲恋物語を軸に庶民の生活ぶりが描かれる。「ひとつ灯せ 大江
戸怪奇譚」は、宇江佐版「百物語」。会員制の「話の会」に集う
面々。江戸の四季と庶民の人情を絡めながら、本当にあった(あ
るいは、聞いた)話を面々は、当番制で語り出す。この世には、
昼と夜があり、明と暗がある。暗があるから、明が輝く。怖いこ
とを突き抜けて、見直すと苦しい人生も違って見えて来る。生き
ているということは、何と素晴しいことか。それにしても、この
世は、人智の及ばぬ不思議なことがあるものだ。それは、江戸時
代だからではない。現代だって、隅っこには、明の及ばぬ暗闇が
あり、魑魅魍魎が跋扈している。ほら、そこの隅っこにも、なに
やら蠢くものの気配が・・・。それ、「ひとつ灯せ」。
藤沢周平「未刊行初期短編」は、タイトル通り、初期の習作14
作品が発掘され、短編集として編まれた。藤沢周平の刊行された
小説の作品集は、ほとんど持っている。かなり早い時期からの読
者だったわけだから、いずれも、初版である。なかには、署名本
もある。藤沢周平は、死後、ますますブームが過熱し、全集ばか
りでなく、復刊本の刊行も、相次ぎ、ムックや雑誌の特集も、生
前並みに企画される。藤沢作品の魅力は、サラリーマンの悲哀を
時代小説のなかに持ち込み、読者の体験が、作品に登場する武士
や町人の体験と二重写しになるようにした仕掛けにあると思う。
そういう意味で、時代小説を、それ以前のチャンバラ小説、ある
いは、重厚な史実の人々を扱った歴史小説と区分けをしたという
のが大きな特徴だ。そういう、その後の藤沢ワールドをへの助走
を感じさせる作品、実際、同じモチーフで、後に新たな作品が作
り上げられた痕跡がある。あるいは、古臭い、以前の時代小説を
抜け切れない作品などが、「未刊行初期短編」には、含まれる。
佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙 梅雨ノ蝶」は、「居眠り磐音
江戸双紙」シリーズの第19弾。佐伯は、毎月、多数の文庫書き
下ろしシリーズを手掛けながら、筆が荒れていないのは、驚嘆に
値する。春風駘蕩の主人公・坂崎磐音の人生を追い掛ける佐伯の
筆致は、居眠りどころか、まさに春風駘蕩で、磐石の世界を構築
している。
小杉健治「毋子草 どぶ板文吾義侠伝」は、かっての裁判ミステ
リー小説家・小杉健治をすっかり忘れさせるような時代小説家ぶ
りで、佐伯ほどではないが、時代小説の新シリーズに健筆を振
るっている。主人公の文吾は、小間物屋。女遊びをした商家の旦
那を威して小金をせしめたり、駆け落ちした娘を連れ戻して、手
間賃を稼いだり、小悪党の文吾であるが、人情に厚いところが、
主人公を張る軸になっている。小杉の時代小説を全て読んでいる
わけではないが、小杉時代小説では、「風烈廻り与力・青柳剣一
郎」シリーズは、愛読している。
山本一力「牡丹酒」は、「深川黄表紙掛取帖」シリーズの第2
弾。蔵秀、辰次郎、宗佑、雅乃の4人が、それぞれ、表の稼業
は、皆違うが、裏稼業は、江戸の厄介事を始末するプロジェクト
チーム。今回は、山本の故郷土佐に飛んで、地酒作りの話から物
語が展開した。山本も、藤沢時代小説と同じようにサラリーマン
の悲哀を時代小説のなかで昇華させ、サラリーマン読者から支持
を得ている。ただし、教師、業界紙記者を経て作家になった藤沢
とさまざまな職業を経て、さらに、莫大な借金を背負って、作家
として人生のリセットボタンをおした山本との肌合いの違いが、
お互いの作風の旗幟を鮮明にしている。
江宮隆之「歳三奔る 新選組最後の戦い」は、山梨日々新聞社の
幹部を務める江宮らしく、甲府城を官軍にとられるか、幕府側に
立つ新選組が守りとルか、甲州に進軍したものの、甲州街道から
甲府盆地の付け根に入り込んだだけで、甲府城に到達できずに、
官軍に追われて敗走する新選組一行の史実を元に土方歳三の奮戦
ぶりを描く。
- 2006年12月29日(金) 15:22:01
12・XX 山本容子「パリ散歩画帖」は、パリに旅行に行く
のではなく、パリに部屋を借りて、暫く滞在することをすすめる
本。パリに滞在して、何をするか。買い物をし、路地などを巡る
散歩をし、買い物で集めた包み紙やメトロのキップを再利用し、
文具店か画材店で買い求めた道具を使って、紙に、張り絵、格好
よく言うなら、コラージュをし、自分だけに散歩画帖を作りま
しょうという。いや、そればかりではない、料理をしたり、知り
合った人を部屋に招いたり、旅行で過ごすパリとは違う、パリの
表情を見る事をすすめる。美術館も廻りたい、ゴルフもしたい、
パリの日曜日を過ごしたい。滞在型なら、なんでもできる。
- 2006年12月2日(土) 22:08:27
11・XX 永遠のモラトリアム人間・川上弘美の作品を幾つ
か読む。
「ざらざら」は、お飾りの海老の触感。27歳のフリータ−の男
女3人の話。「人生の執行猶予がそろそろなくなってきている」
「長い間、のヘ−っとやってきたけど、そろそろアレだし」とい
う年齢が、27歳。クリスマスの集まりで、3人で酒を呑んだ。
呑んだ勢いで、正月も集まることになり、「正月ケーキ」をつく
ることになった。「エビと