2000年 5月・歌舞伎座
         (夜/「本朝二十四孝〜十種香」「望月」「都鳥廓白浪」)
 
夜の部の演目の一部は、初日前日の舞台稽古を見せていただいた。まず、「十種
香」だが、菊之助の八重垣姫と新之助の蓑作、実は勝頼が、初々しい。「十種香」
は、5回目。八重垣姫は、芝翫、松江、雀右衛門、鴈治郎、そして菊之助という
わけで、雀右衛門の「一世一代」の舞台から鴈治郎の「奥庭狐火」での、上方味
のある「人形振り」など、ベテランの舞台を見てきているだけに、これらとの比
較論のなかで菊之助を取り上げるのは、可哀想な気がする。ベテランが「一世一
代」の演目にするぐらい八重垣姫は、いわゆる「三姫」(ほかに、時姫、雪姫)
のなかでも、難しい役だ。今回は、奥庭がなかったが、初々しい少女の八重垣姫
の恋と奇跡の物語を役者の姿形で見せる芝居なのだ。舞台稽古では、稽古の前
に、玉三郎の濡衣をふくめて、3人いっしょにした篠山紀信の写真撮影がたまた
まあったのを見ることができた。その合間に、八重垣姫のハイライトの場面の所
作を繰り返し練習する菊之助に対して、玉三郎がアドバイスをする場面があり、
見ていると所作のメリハリを持ち上げる袖の位置や両手の開き具合などを助言し
ていた。

さて、本当の舞台は、それから2週間たったところで、拝見した。菊之助の八重
垣姫は、まだ身体の線の動きが滑らかではない。曲線というより折れ線に近い形
だ。これは、2週間前に書いた、私のメモ帳にも同じことが記入されていた。先
輩方の所作を見て、今後の課題にしてほしい。新之助の勝頼は、動きの少ない役
柄だ。近松半二独特の上下左右対称の舞台、八重垣姫の赤、濡衣の黒、勝頼の赤
と紫という、それぞれの衣裳の色彩感覚。筋が複雑な芝居だが、視覚的には、簡
単明瞭で判りやすい。勝頼は、ほとんど舞台中央から動かない。左右対称の中心
にじっとしている。それだけに弥次郎兵衛のように、左右で動くふたりの女性の
動きが、明瞭になる。赤い打掛けを着た八重垣姫と赤の衣裳と紫の肩衣の勝頼の
ふたりがよりそう場面では、ふたりの衣裳の赤がひとつに解け合うように見える。
確か、色彩学的には赤と紫はセックスを象徴する色ではなかったか。この場面
では、勝頼であることを否定する蓑作と八重垣姫の仲を取り持とうとする濡衣の
3人がいるわけだから、ふたりだけの濡れ場にはならないのだが、色彩は濡れ場
を表現していた。

新之助は、舞台稽古の前に、花道の引っ込みを練習していたが、この舞台で勝頼
に比較的動きがあるのは、確かに謙信(羽左衛門)に命じられて、文箱を持って
塩尻へ出かける場面だけだ。そのちょっとした所作に、匂い立つような歌舞伎の
味わいがあった。菊之助と新之助の舞台は、まだ小さいが、初々しく、りりしい
若さは、ほかの「十種香」には、なかったもの。それだけでも、観る価値がある。
今後の舞台の変容が愉しみだ。

私が観た5回の「十種香」の謙信のうち、3回は羽左衛門で、この人が舞台に立
っているだけで、歌舞伎の奥深さが伝わってくる。玉三郎の濡衣は、しっとり
していて安心して観ることができた。辰之助の六郎も、口跡も良く、動作にメ
リハリがあった。昼の部「源氏物語」の好演の緊張感を持続させているように見
受けられた。

こういう舞台を観ていると歌舞伎の劇場は、タイムマシーンの箱舟のようだと、
つくづく感じる。劇場の外の、喧噪や時代の悩みをひととき忘れて、過去の時
代へ引き連れていってくれる。観察(ウオッチング)で気がついたこと。屋体奥
の4枚の襖には、菊の絵柄が描いてあったが、上手の襖の前には、銀地に白と黒
で雪の枝に止まる2羽の鴉(だと、思ったが)が、描かれている衝立てがあり、
舞台の華やかさに、一点の「違和感」を与えているのは、勝頼の正体を見抜いて
いる謙信の心を際立たせ、殺されそうな勝頼の未来を暗示しているように見える。
その上、この衝立ての後ろの襖には、人が出入りできるほどの扉が仕込まれてい
て、八重垣姫が脱いだ打掛けを黒衣がしまったり、黒衣の交替をしたりするのに
使っていた。衝立てと襖の出入りの扉の前の空間が、いわば「控えの間」の役割
をしている。前にも書いているが、歌舞伎の舞台に出ている大道具、小道具に
は、必ずなんらかの使い道があるということである。

歌舞伎座で45年ぶりの公演で、私ももちろん初見の「望月」は、能が元の演目
で、能で言うなら、シテが友房(八十助)、シテツレが白菊(菊五郎)、それに
準じるのが花若(巳之助)、ワキが秋長(團十郎)、ワキツレが太郎(秀調)。
そういう風に見ると、この演目の奥行きが判る。あらすじは単純明快で、秋長に
討たれた友治の妻子(白菊と花若)が、たまたま秋長と泊りあわせた宿屋甲屋で、
宿屋の亭主でかつての夫の部下・友房の才覚と助力で、獅子舞にことよせて、酒
で酔わせた秋長を討つ戸言う物語である。打掛け、赤い牡丹の笠に、白い毛の
獅子頭、白いマスクで目以外を隠すという、いわば異形の者の扮装で獅子舞を踊
る友房は、獅子の格好をすることで、ちゃんと複式夢幻能の、前シテ、後シテの
様式を踏んでいる(この扮装を打掛けの下で、後見の助けを借りながら、いわば
「引き抜き」効果のように瞬時で、扮装を変えるあたりは、歌舞伎の醍醐味)。
八十助の踊りというか、ここは能なので舞いになると思うが、安定していて安心
してみていられるが、今年の9月で11歳になる巳之助は、すでに子役の時期を
越えていて、歌舞伎で言うところの、一番中途半端な年齢に差し掛かっているせ
いか、台詞廻しも子役のそれではなく、そうかといって本格的な歌舞伎の台詞廻
しでもなく、彼が台詞を言うたびに、歌舞伎劇に水を差す感じで、残念であった。
どの役者も、そういう年齢の時期を精進で過ごして、本格的な青年役者になるの
だから、暖かい目で育ててほしい。後見の三平が、巳之助のフォローに努めて
いたように見受けられた。

八十助の友房は、前シテの甲屋主人で友治の部下という立場で、かっての主人
の北の方・白菊に盲御前という、夜の伽もするような遊行女になるよう勧めるあ
たりに、この役の、まず第1の「しどころ」があるのだろう。次に、白菊親子
と秋長主従の間に立ち、仇討ちの、いわば「潮目」を読み、かつそれを観客に納
得させるあたりが、第2の「しどころ」。そういう「内々への堪え」と、その
後の「外への発散」を緩怠なく表現するのが、この演目の肝要なところだろう。
秋長の團十郎は、酔いが深まり、不覚をとることになるはずだが、酔いの深まり
が感じられなかった。秋長が討たれた瞬間、團十郎がすぐさま上手に引っ込み、
残された笠に止めを刺す場面は、いかにも「能」らしい簡略さで、秀逸な演出だ
と思う。この「趣向」に感嘆した。さて、秀調の太郎には、従者らしい味があっ
た。それにしても彼が身に付けていた肩衣の模様は何だろう。木の箱と紐の付い
た道具(あるいは、井戸?)のゆに見受けられたが、おもしろい模様だと思った。
菊五郎の白菊はどっしりしていたが、節目節目の印象が薄かったような気がする。

それにしても、能のタイトルは、おもしろい。この「望月」にしても、仇を討た
れる人の名前を使っている。いわば、陰陽逆転というか、マイナスのものを前面
にたてるというのは、「簡にして、空」を、最善とする能の精神の現れだろう。
それは、例えば、「翁」が、エロチックな催馬楽(さいばら)に由来する詞章で、
疑似性行為による、豊かな生産への祈願を、若さではなく、老いで表現するよう
に。いずれ、「望月」を能で観てみたい。

さて、幕間だが、この日にたまたま、日本俳優協会賞の表彰式があり、この一年
間(99年4月から2000年3月までの舞台)に活躍した「脇役」のなかから優
秀な人に賞が贈られる場面を見ることができた。俳優協会賞(いわゆる脇役大賞)
に、女形の中村京妙、新派の小泉まち子、奨励賞(いわゆる脇役新人賞)に、尾
上菊市郎と中村芳彦であった。皆さんの今後の精進を期待したい。

「都鳥廓白浪」は、黙阿弥の初期の作品。黙阿弥の白浪物の原点とも言うべき作
品で、後の黙阿弥の持ち味、つまり、血縁の因果、お宝や小判が巡る筋道、七五
調の台詞廻し、派手な色の衣裳など、すっかり幕末歌舞伎のどろどろした風合い
たっぷりの作品だ。三囲神社の前、つまり背景は大川(隅田川)左岸の向島で、
一芝居あった後に、浅葱幕の「振り被せ」で、場面遮断、さらに「振り落とし」
の場面展開で長命寺堤へ、今度は逆に背景が対岸になる大川右岸の浅草・待乳山
のあたりを見せるという秀逸さ。此岸には、「五月二十日 葵會 長命寺」の立
て札。立て札のあるところと背景の書割の間に、セリ穴が開けたままになってい
て、後に、ここへ殺された吉田梅若丸(菊之助)の遺体を投げ入れるという趣向
だ。こういう古風な歌舞伎の味わいがある舞台の仕掛けが嬉しい。

團十郎の忍ぶの惣太は、枝垂れ桜の模様の着流しで、駕篭から降りてくる。その
動作がおかしい。「そこひ」を患っていて、盲なのだ。盲故の過ちで、梅若丸か
ら金を奪おうとして、手拭いで口を塞ぐところが、首を締めてしまい梅若丸を殺
してしまう。忍ぶの惣太、実は吉田家の旧臣・山田六郎で、主家の若君を過って
殺したことになるという伏線だ。そのあと、按摩の丑市(左團次)、傘をさ
した男伊達の十右衛門(八十助)、笠をかざした傾城花子(菊五郎)が出てき
て、お宝の系図と二百両という、まさに定式通りの小道具の取り合いになる「だ
んまり」。古風な錦絵さながらの舞台。もう、サービス満点の黙阿弥劇なのだ。

さて、次は同じ長命寺堤側にある向島の桜餅屋。小篭入りや竹の経木で包んだ桜
餅(いいねえ)。桜餅屋を営む惣太の女房・お梶に雀右衛門。道具屋・小兵衛
(権一)、お梶の父で吉田家に仕える軍助(團蔵)などが、それぞれの役柄に味
を出している。赤い襦袢に若紫のしどけない着物姿で、廓を抜けてきた花子は、
お梶の目も気にせず惣太にしがみつく。雀右衛門の誠実さは、「帯屋」の女房・
お絹の誠実さに通じる。いろいろ黙阿弥劇らしいやり取りがあるが、それは省
略。台詞で気になったのが、「きりきり返事をしやがれ」、「きりきり、こっち
へ渡してしまえ」など、「きりきり○○」というもの。この言葉が、芝居の随
所で出てくる。私は、黙阿弥劇もふくめて初めて聞いたような気がする。当時の
流行り言葉なのだろうか。

秘薬を入れた貝殻などという小道具も嬉しい。そして、お梶の自害で、生き血と
秘薬を混ぜ合わせたものを呑み、目が治る惣太。「摂州合邦辻」の世界。そして、
丑市宅での花子による丑市殺しという殺し場。花子は最初は、もちろん女。酒を
飲まして酔わせ、丑市を徳利を枕に寝かした後、着物を脱ぎ、頭の手拭いをはず
すと、女物の赤い襦袢姿に、頭は「むしりの銀杏」という鬘か、兎に角、男の鬘
の盗人・天狗小僧霧太郎という両性具有の妖婉さ。こういう役ができるのは、当
代では菊五郎に如くはなし。花子は、実は吉田家の嫡男・松若丸で、梅若丸を
過って殺してしまった惣太こと山田六郎は、松若丸に殺されるために、ここへや
ってくる。お宝が戻った吉田松若丸。そこへ丑市と同居のお市の密告で捕り方が
来る。團十郎の早変わりで、霧太郎手下の木の葉峰蔵を助っ人に、捕り方たちと
松若丸が演じるのが、「おまんまの立ち回り」という、悠々と飯を喰いながら、
捕り方をかわす、珍しい立ち回り。こういう荒唐無稽さが、幕末歌舞伎では受け
たのだろう。

今月の「團菊祭」は、若手の成長著しいなかで、團菊のふたりが、脇に廻って舞
台全体を支えていた。特に團十郎は、「源氏物語」の舞台稽古でも演出家から駄
目が出されると新之助とともに、舞台を降りてきてフォローしていたのには、感
心した。閑話休題。5日の「こどもの日」に、艶染連の小会合を開いた、隅田川
の吾妻橋際のビアホールの所から、墨堤ぞいに、川上に暫く行くと長命寺の桜餅
屋がある。さすが、小篭に桜餅は入っていないが・・・。
- 2000年5月18日(木) 14:40:27
2000年 5月・歌舞伎座
          (昼/「源氏物語」)
                      
「光源氏」(新之助)、「頭中将」(辰之助)、「紫の上」(菊之助)が、揃う
最後の場面。公職をすべて辞任し、須磨へ流れてゆく「光源氏」を送る場面。光
源氏の台詞が、新「新歌舞伎」の誕生を象徴する。

「人生は、長い。我々は、まだ若い」、「運は自分の若さと力で、切り開いてゆ
くものだ。私は絶望しない」。

「青春・源氏物語」の誕生の瞬間だ。市川新之助、22歳5ヶ月。菊之助、22歳
9ヶ月。辰之助25歳3ヶ月。21世紀の歌舞伎界を背負ってゆく人たちの中心
に、この3人の姿がいることは、間違いないだろう。先代の辰之助(当代辰之助
の父)のように、誰かが早死にするようなことがないように。「源氏物語」の、
この最後の場面は、新しき歌舞伎の時代の開幕を告げる名場面であり、名台詞に
なるだろう。先日完訳が終了したばかりの瀬戸内寂聴訳に基づく大薮郁子脚本の
「(新)源氏物語」は、脚本が難航したとも聞いたが、それだけに練り直しの効
果があったのだろう。

そもそも歌舞伎の「源氏物語」は、新時代の訪れを告げるものだった。戦争が終
って、空襲で焼失した歌舞伎座が復興した1951年(1月に新築なった歌舞伎
座も来年で50年になる)、その年の3月に船橋聖一作・新歌舞伎「源氏物語」
は、初演された。天皇が「人間宣言」をしてから、日も浅いという状況で、歌舞
伎に天皇(桐壷帝)が、登場して判りやすい現代語で、台詞を言う。いわば2
回目の「人間宣言」のように、大衆に受け取られてもおかしくない。私は、当
時4歳だから、勿論何も知らない。戦前の昭和8(1933)年に、当時の坂
東蓑助(後の八代目坂東三津五郎)が、「源氏物語」の上演を計画したが、初日
の前日になって、警視庁から禁止されたという経緯もある。まさに、戦後でな
ければ上演できなかっただけに、渡辺保は、この「源氏物語」が、「上演され、
大当たりをとった」ことを「画期的な事件であった」と書いている。文字どお
り、新しい時代の到来を、皆が実感したのだろう。

当時の配役。「光源氏」(海老蔵、後の十一代目團十郎・新之助の祖父)、「頭
中将」(松緑・辰之助の祖父)、「桐壷の更衣」、「藤壷」のほか源氏の相手役
(梅幸・菊之助の祖父)で、30歳代から40歳ぐらいの年令で演じている。油
の乗り切った中堅役者たちの「源氏物語」は、歌舞伎座の大きな舞台、装置、衣
裳ともあいまって、ブームを巻き起こし、再演もされ、続編も作られた。さらに、
これをきっかけに歌舞伎の新作の流行を生んだと言う。

今回は、20歳代前半から半ばという若い役者たちが演じ、少なくとも私の目か
ら見れば、それは成功していると思う。だから、私は、50年前の新歌舞伎「源
氏物語」に比べて、今回のは、「新・新歌舞伎」の「(新)源氏物語」とも、
「青春・源氏物語」とも、名付けたいと、思う。案の定、今回の興行では、初日
を前に、早々と全席売り切れとなった。

さて、舞台である。緞帳を降ろしたまま、東儀秀樹作曲の音楽で、暗転。ピンス
ポットが、素通しの幕越しに、ひとりの後ろ姿を浮かび上がらせる。この後ろ
姿が良い。顔を巡らせると「光源氏」の新之助。スポットの灯が落ち、再び暗転。
素通しの幕の前に、物語の語り手が出てくる。予兆。花道から光源氏の登場。語
り手に導かれるように素通しの幕が上がると、光源氏は高二重の御殿のある舞台
へ歩む。舞台半廻しで、木戸をくぐり、廊下を渡り、階段を降りる。御殿裏手
に入る光源氏。テンポのある舞台廻し。

さて、いよいよ、藤壷(玉三郎)との逢瀬の場面。暗転から舞台が明るさを取り
戻すと、衣の簾の向うは、光源氏と藤壷の艶かしい世界。新之助の「光源氏」は、
多分この人がこれをやってしまったので、もう当分ほかの人では「光源氏」が、
できないのではないか。「光源氏」とは、この新之助のような顔をし、声をして
いたのではないか、と納得させるようなリアリティがある。写真で見る十一代目
團十郎より、良さそうな気がする。

「源氏物語」を、私は95年9月の歌舞伎座で観ている。萩原雪夫作の新作舞踊
劇「夕顔の巻」である。このときの「光源氏」は、梅玉だったが、今回の新之助
を観てしまった以上、もう見れないだろう。ちなみに、このときの「夕顔」は福
助、「六條御息所」に、往年の「夕顔役者」・芝翫。清元は、当時97歳で美声
の志寿太夫ほかが新曲に取り組んだ。しかし、これは一幕物の舞踊劇であり、今
回のような通しとは違う。それだけに、私も愉しみにして、拝見した。

今回の「源氏物語」では、「桐壺帝」は、かっての「光源氏役者」・團十郎。
源氏の正妻「葵の上」に芝雀。その兄「頭中将」が辰之助で、その父「左大臣」
に左團次。さて、光源氏の笛、葵の上の琴という合奏の場面では、ふたりとも、
実際には演奏していないのが、まる判りで残念。いずれ、精進して実際に演奏し
てほしい。細部こそ、神が宿る。細部のリアリティ、あなどるべからず。

さて、華麗なる女性遍歴の物語・「源氏物語」の舞台では、3っつの不幸な見せ
場がある。ひとつは、夕顔、もうひとつは葵の上を襲う、いずれも光源氏の寵愛
が離れたことを恨みに思う「六條御息所」(時蔵)の生霊のたたりで、ふたりと
も死んでしまう。3っつ目は、光源氏が帝の中宮(天皇の后のひとり)藤壷に
「母」を感じながら、「母=永遠の理想の女性」という光源氏の「女性観」、
あるいは「性愛観」は、一気に男女の一線を越え、藤壷を懐妊させながら、それ
を帝の子として育てるという秘話。後半の悲劇は、ここから派生するが、それは、
もっと後の話(それにしても、帝に対する、この裏切りの話の組立が源氏物語を
不朽の名作にしていると、思う。文学には「悪」が似合う)。

まず、ひとつめの不幸。夕顔との出合いの場面では、夕顔の侘び住居の前の道を、
米売り、魚売り、花売り、大根売りなどの物売りが通る場面が、明るく、愉しい。
それは、その後の、夕顔の悲劇を、くっきり浮かび上がらせる伏線だろう。ただ、
夕顔役に愛之助という配役は、いかがなものだろうか。少し違和感があった。夕
顔は、もっと「たおやかな」女性だったのではないか。夕顔の住居で、逢瀬を愉
しむ光源氏らを襲う六條御息所の生霊に夕顔は殺される。暗転、音楽。「源氏物
語」は、場面の数が多いので、簡単な大道具を有機的に駆使した上で、この「暗
転、音楽」という場面の切り替えが多い。もう少し、整理できないものか。ある
いは、場面展開の工夫にも、まだ余地があるのではないのか。

さて、もうひとつの不幸は4年後、都大路で、車がぶち当たる場面から始まる。
六條御息所の車と、葵の上の車が行き当たる。双方とも道を譲らない(御息所の
車に付き従う側に中村時枝。紫の衣裳)。車を降り息巻く御息所。身重の葵の上
も負けず嫌い。ふたりとも街頭で言い合う。その途中、お腹が痛み出す葵の上。
やがて、葵の上が、光源氏の子供を生む。廻り舞台を巧く使って歩く場面の後、
葵の上を見舞う光源氏ら。親子水入らずになった、そこにも、六條御息所の生霊
は襲う。生霊はスッポンを出入りして葵の上を襲う。葵の上の死は、光源氏と
義理の父・左大臣、義理の兄・頭中将との関係にも影響を及ぼす。

第2の不幸は、第3の不幸、もっとも根本的な、帝を騙した上での、「不倫の
恋」を浮かび上がらせる。帝の桐壷への寵愛のころから恨みを抱き続ける弘徽殿
(田之助)と、その兄の右大臣(菊五郎)らが、光源氏の失脚を画策する。田之
助は、脇の、この悪女を好演。帝と藤壷の宮とその子・若宮(実は、光源氏の
子)の関係も気付いている右大臣一派。若宮を可愛がる帝。20歳の光源氏。そ
して、50歳の帝。藤壷の宮は、何歳か。20歳代後半ぐらいか。光源氏と藤壷
の宮の不安を象徴するように、聞こえてくる鳩の鳴き声が効果的な場面だ。帝が
引き上げた後、続いて引き上げる藤壷の宮に投げかける光源氏の視線の強さ。む
き出しの男女の愛憎半ばする感情は、この強い視線で、充分に出ていたと思う。
新之助は、なかなか演技派。今回の光源氏で、この人は、完全に「大化け」し
たのではないか。「水も下たる」、「光り輝く」、「匂うような」という常套句
の褒め言葉が、霞んでいる。それほど、新之助は、光源氏になりきっている。

葵の上の死後、「紫の上」(菊之助)を、正妻に迎える光源氏。桜の木の書割り
の前で、段の上で踊る光源氏と紫の上のふたりは、まるでお雛様のよう。そこへ
「ご崩御、ご崩御」の声。暗転。薄暗い花道から読経する僧侶の長い行列が続く。
19人の行列が、淡々と進む。喪服を着た光源氏が花道に転がり出る。「中宮様」
と、声の限りに呼びながらスッポンからセリ下がる。

さらに1年後、我が世の春を目前にした右大臣一派。さらに、光源氏への追い打
ちを画策する。源氏の義兄・頭中将にも働きかける。こうした動きを察知して、
自ら宮仕えを止めて、あらゆる公職から身を引こうと辞表持参で右大臣の館へ来
る源氏。一周忌を期して、当時の女性の命とも言える黒髪を切り捨てた藤壷。玉
三郎の藤壷は、ほとんど無表情の場面が多い。不倫による出産、子育てという、
いつまでも持続する苦渋。さらに夫、帝に先立たれた悲しみ。こうしたなかで
「年上の女」は、賢明に生きる。その賢明さを玉三郎は、「無表情」という演
技で過不足なく演じる。

都での生活に見切りを付けた光源氏は、妻・紫の上とも別居して、自ら須磨へ流
れようとする。光源氏の旅立ちを前に、紫の上との別れのひととき、頭中将も
見送りに来る。そして、冒頭での台詞になる。

さて、1951年の「源氏物語」は、今回同様ブームを巻き起こし、新たな歌
舞伎ファンを歌舞伎座に招き寄せたという。戦後の、貧しい生活のなかで、復興
へ向けて逞しく動いていた人たちは、役者衆の着る豪華な衣裳の衣擦れの音を花
道で間近に聞き、明日への生きる活力にしたのかも知れない。敗戦後の生活の苦
労を、ひととき忘れさせてくれた歌舞伎。海老蔵は、戦後の新しい時代を象徴す
る歌舞伎役者の「華」になった。そういう、この「時代」独特のものがもたらし
た感動は、今回の「源氏物語」には、ないかもしれない。しかし、新しい歌舞伎
役者の「華」が、それも「大輪」の予兆を、感じさせながら登場したことには、
間違いがないだろう。

新之助は、まだまだ未熟だし、これから精進する課題はたくさんあると、思うが、
精進の土台となる「華」は、「三之助」のなかでも、いちばんしっかりしている。
私事で言えば、3月の「海神別荘」の、「歌舞伎離れ」に対する私の不満を、こ
の新歌舞伎は、「歌舞伎そのまま」の路線に近付きながら、かなり解消してくれ
たように思う。改めて「助六」も観たい、「直侍」も観たい、「清心」も観たい、
「与三郎」も観たい、「小猿七之助」も観たい、「お坊吉三」も観たい、「福岡
貢」も観たい、「勘平」も観たい、なんと言っても私は、新之助の「伊右衛門」
が観たい。歌舞伎のキーワードは、「色気」である。女形の「色気」と立役の
持つ男の「色気」が、歌舞伎の「華」の両輪である。新之助は、海老蔵、團十郎
と、今後「変成」してゆく過程で、歌舞伎の歴史に、どういう「色」を付け
てくれるのだろうか。どういう「悪の華」を咲かせてくれるのだろうか。
- 2000年5月3日(水) 14:26:20
2000年 4月・新橋演舞場
          (スーパー歌舞伎「新・三国志」)

「ふるさとの右左口郷は骨壷の底にゆられてわがかえる村」
1914(大正3)年生まれで、1985(昭和60)年まで生きた歌人・山崎
方代(ほうだい)の、歌である。望郷の歌人は、死して、ようやくふるさとへ帰
るのである。「右左口」というのは、山梨県に実際にある地名で、「うばぐち」
と読む。

99年東京の新橋演舞場での興行後、名古屋・中日劇場、大阪・松竹座とあわせ
て5ヶ月のロングランとなったスーパー歌舞伎「新・三国志」は、2000年、
再び新橋演舞場での4月、5月の興行に加えて、6月の大阪・松竹座、11月の
福岡・博多座での、あわせて4ヶ月のロングランが決まっている。「新・三国志」
も、また、紀元2世紀という、遠い昔ながら、ふるさとに帰ろうとして、果たせ
なかった英雄たちの物語である。英雄たちとは、関羽、張飛、劉備の3人である。
「三国志」とは、中国の四大奇書のひとつと言われる古書「三国志通俗演義」の
ことである。それをもとに作り上げられた「新・三国志」の「新」たる由縁は、
「劉備」を一部巷間に伝えられてきた「女性説」を大胆に取り入れて、新たなる
「三国志」の世界を構築したからに、ほかならない。それは、かって劇作家の、
つかこうへいが、「新撰組」の沖田総司を女性として、彼の劇的世界に登場させ
たのと同断であろう。

従って、「新・三国志」は、「玉蘭」こと「劉備」が主人公の物語とも言える。
それを市川笑也が演じる。泉山太男という男がいる。「太男」と書いて、なんて
読むのか。どこかで話題になっているだろうから、知っている人は知っているこ
とだろうが、ここでは、それはどうでも良い。この泉山太男が青森県の八戸工業
大学第一高校を卒業して、国立劇場歌舞伎研修生として歌舞伎役者になる道に入
った。芸名が市川笑也である。いまや猿之助一座の主要な女形として実績を積ん
でいる。「新・三国志」の「玉蘭」こと「劉備」は、ひとりの女性が、「男」の
戦略家として、ほかのふたりとともに、群雄割拠の時代を生き抜くという物語だ。
つまり、「男」・泉山太男が歌舞伎の「女」形役者・市川笑也となり、その上で、
紀元2世紀の時代の中国の「女」・「玉蘭」を演じ、その「玉蘭」が「劉備」と
して、ただし、ときどき「女」であることを、「武器」にしながら、ほかの、
ふたりの男たちとともに、夢を追い掛けてゆく。従って「新・三国志」が、劇的
空間として成功するかどうかは、こういう性の乱交叉が、プラスに働いたという
効果を生まなければならないだろう。それを、検証してみたい(「新・三国
志」は、客席に手許の明るさが残る歌舞伎の舞台と違って、舞台以外の場内の照
明は落とされるので、メモができない。そう「海神別荘」の舞台と同じだ。だか
ら、いつもの歌舞伎ウオッチングに比べて、記憶に頼る部分が増え、観察のき
め細かさで、落ちることを予め了とされたい)。

まず、舞台の緞帳が下りたまま、まだ照明のついたままの場内に大音響の音楽が
溢れる。加藤和彦作曲、ロシアン・シンフォニー・オーケストラの「洋楽」だ。
緞帳が上がると、黄色の旗を掲げた「黄巾賊」の群舞。中国の京劇俳優たちが、
旗とトンボを組み合わせた見事な集団演技で、観客を一気に魅了する。特に、
大きな旗の使い方が巧い(今回は、最後まで旗を巧く使っていた)。関羽
(猿之助)と張飛(猿弥)は、「黄巾賊」に備えて豪族に雇われていた用心棒だ。
ふたりに蹴散らされる「黄巾賊」たち。しかし、ひとりの若者が勇敢にも立ち向
かう。玉蘭(笑也)という男装の若い娘だ。立ち回りのうちに、上半身の衣裳が
乱れ、女性と判ってしまう。女性ながらの、その勇敢さに惹かれて、関羽は玉
蘭を助ける。玉蘭は劉備と名前を変えて、ふたりに同行を志願する。3人の
「男」たち(本当は、男ふたりに、男装の女ひとり)は、「失われたふるさとの
再建」=「理想の社会の実現(世直し)」という「見果てぬ夢」に向かって、
「義兄弟の契り(ただし、「新・三国志」では、劉備と関羽の恋愛関係を明示す
る)」を結び、群雄割拠の乱世に飛び出してゆく。それは、理想を持たない悪の
同盟の、江戸歌舞伎、黙阿弥作「三人吉三」と似ているような気がする。こちら
は、男ふたりに、「女」ひとり(ただし、こちらは女装の男なので、本当は男
3人。しかし、黙阿弥は、「お坊吉三」と「お嬢三」にホモセクシュアルな関
係を臭わせる)で、幕末という、やはり、乱世に飛び出してゆく。

さて、劉備(笑也)だが、3人のなかで、彼女が一番「世直し」の理想に燃えて
いる。そういう彼女に関羽の心が動かされる。革命の同志の心に、やがて恋が芽
生える。革命への使命感が、互いを愛しいと思う恋に裏打ちされる。関羽と張
飛は、まさに「義兄弟」、親の血を引く兄弟よりも、強い同志愛。ふたりは、劉
備の理想に燃える志に、感化され、さらに純化、融合してゆく。ここまでが、第
一幕。笑也の「玉蘭」から「劉備」へ、男(太男)→女形(笑也)=女(玉蘭)
→男(劉備)の「劇的な変身」は、成功したとは、残念ながら言いがたい。「男
装の笑也」には、ストレートな女の色気は出せても、男の下に隠した女の色気を
出すのは、まだ難しいのかも知れない。「男装」の笑也は、「青年劉備」という
「男」そのものになってしまっている。ホモセクシュアルの、色気さえも感じら
れなかった。立ち回りのうちに、上半身の衣裳が乱れ、女性と判ってしまう「玉
蘭」の場面では、女形としての色気はあったのだが・・・。今月半ば、公演中に、
41歳になったばかりの女形役者には、「性の乱交叉」を描き切るのは、まだ荷
が重過ぎるのだろう。

本来なら、「新・三国志」の「新」は、「玉蘭」こと「劉備」の「理想の世直
し」という「男装の麗人の革命譚」という「新説」であるべきなのだろう。とこ
ろが、猿之助一座の興行ということもあり、結局は、猿之助の「関羽物語」にな
ってしまう。次に、「新・三国志」を「関羽物語」として、検証してみよう。関
羽(猿之助)は、失われたふるさとへ帰る夢を持っている。それが、用心棒時
代の張飛(猿弥)との、絆の原点だ。第二幕で魏の王・曹操(段四郎)に陣営へ
の参加を申し込まれた際、関羽が語る「夢」(つまり、それは、この時点では、
玉蘭の理想革命の夢である)を、さすが、乱世の雄だけあって、曹操は、鋭くも
「女子供の夢」と看破する。しかし、関羽は「女子供の夢」を信じると言う。そ
れを「男の本懐」とさえ強調する。そうすると、曹操は、「これぞ、まことの
男」とほめたたえる。ここからは、関羽は、すっかり「天翔る猿之助」の世界に
なり切る。やはり、猿之助が主役だア。「劉備」こと「玉蘭」に向けて、関羽は
言う。「そなたを守りたい。そなたの笑顔が、吾に力を与えてくれる」。もう、
これは、恋愛感情の吐露だ。関羽と玉蘭の「純愛物語」。そして、スーパー歌舞
伎「新・三国志」は、この「純愛物語」としては、メッセージも明確で、成功し
たと思う。

ふたりの「純愛物語」の陰に隠れてしまったが関羽と張飛の「義兄弟物語」、
張飛(猿弥)の熱演ぶりが光っていた。この人は、歌舞伎座の1月興行「吉野山」
の早見藤太の好演を私も強調したが、最近進境著しいものがある。今回も第一幕
から元気があり(猿之助が元気がなかった。もっとも、中盤以降、元気になって
きたが)、とても良かった。

さて、スーパー歌舞伎らしさの検証に移る。間口より奥行きの方が長い舞台。大
音響の「洋楽」、第一幕(「序幕」と呼ばないところが、スーパー歌舞伎らしい)
のうち、「黄巾賊」の群舞の素晴しさ、第二幕のうち、「赤壁の戦い」では、巨
船の炎上・沈没の場面の、廻り舞台を活用したスペクタクル、第三幕では、関羽
と劉備のふたりの宙乗り(3階席近くで、「宙の花道の向こう」への、入りを前
に、くるりと場内に顔を見せるために向きを変えるというきめの細かい演出)、
関羽の養子・関平(亀治郎)の、大量の本水を使った立ち回り、そのほか、登場
人物のスッポン(普通の歌舞伎なら妖怪変化の類いしか出入りしないのに)とセ
リの効果的かつ有機的な使用による、卓抜な場面展開。去年の5ヶ月間のロング
ランで、すっかり洗練された外連(けれん)の演出とテンポには、堪能した。

そのほかに、ウオッチングしたこと。猿之助が、白とピンクと2種類の「厚底ブ
ーツ」(渋谷のガングロ少女も顔負けだよ)を履いていたこと。スッポンやセ
リ、それに階段のところに、スッポンやセリの枠や役者が立つ位置を示す白いテ
ープのマーキング(こんなの、初めて気がついた)があったこと、役者の屋号で
は、猿之助、段四郎、亀治郎には、「澤潟屋」と、歌六には、「萬屋」と、それ
ぞれ声が掛かっていたが、中堅・若手には「右近」、「笑也」、「猿弥」、
「笑三郎」、「春猿」などと名前のみの掛け声が掛かっていた。皆「澤潟屋」だ
ものなア。スーパー歌舞伎と言えども、「海神別荘」公演と違い、附け打ちと見
得の連動があり、スッポン、セリ、廻り舞台の演出があり、そしてカーテンコー
ルがなかったのは、やはり「歌舞伎」だからだろう(最後に、カーテンコールめ
いた演出はあったが)。

最後に、役者衆のこと。亀治郎ファンの私としては、亀ちゃんに「玉蘭」こと
「劉備」をやらせたかったなあ(今回の立役は、すっきりしていて悪くはなかっ
たけれど、この人には真女形一筋で、精進してほしい)。「右近」は、ますます
師匠の猿之助に似て来た。「笑三郎」、「春猿」の30歳で同年という、女形ふ
たりは、爽やかで綺麗だったが、ふたりとも、もっと色気が欲しい。さて、そ
の春猿のほか、段治郎、猿四郎の、あわせて3人が、今興行で名題昇進披露で、
おめでたい。余談だが、猿四郎は、顔の輪郭と眼が、素顔、立役とも亀治郎に良
く似ていると、思う。いかがだろうか。

結局、物語としての「新・三国志」は、3人の英雄たちの見果てぬ夢で終ってし
まった。「ふるさとは、骨壷の底」にしかないのか。畢竟、「未完の革命」は、
若手にゆだねられる。猿之助一座も、また・・・。

(注記― 私はスーパー歌舞伎の生の舞台は「ヤマトタケル」についで、2回目。
テレビで、「八犬伝」を拝見したことがある)
- 2000年4月27日(木) 13:34:26
2000年 4月・歌舞伎座
         (夜/「一條大蔵譚」「口上」「鰯売戀曳網」「鏡獅子」)

「一條大蔵譚」は3回目。猿之助で1回、吉右衛門で2回。今回は吉右衛門の大
蔵卿に芝翫の常盤御前。これも2回目。1回は鴈治郎。吉右衛門は、こういう
役は、実に巧い。滑稽さの味は、いまや第一人者か。阿呆顔と真面目顔の切り替
えにメリハリがあり、良かった。芝翫は、今回、この常盤御前に限らず、なにか
精彩がないように感じたが、体調でも良くないのかなあ。今回は、梅玉の鬼次郎
と松江のお京の夫婦役が良かった。梅玉については、この人は何をやっても「い
つも梅玉」で、金太郎飴のように、同じ顔、同じ表情で、私はいつも辛い点しか
付けないのだが、今回も「いつも梅玉」というところは変わらないのだが、役が
仁(にん)に合っているような気がした。この人、前回の吉右衛門のときと同じ
役だったが、松江とのコンビの今回はなかなか良かった。松江は、今年、私が注
目している女形だが、今回も味があった。私が観たお京役は、松江のほかに、時
蔵、宗十郎であったが、今回の松江が一番印象に残る。

二人は、「裏切り者」の常盤御前の真意を探るスパイ活動をするために大蔵館に
入り込もうと、白河御所の外にある檜垣茶屋で、大蔵卿を待ち伏せる。茶屋の与
市(四郎五郎)が、水を汲みに行くのを口実にいなくなるが、そのときに与市が
二人に向けて味なことを言う。「後でしっぽり」。これを聞いて、お京が恥ずか
しそうな顔をする。話の筋とは、関係ないが、こういうとこころも松江は巧い。
腰元15人。仕丁20人を連れて御所から大蔵卿登場。腰元の列のまん中に時枝。
久しぶりの舞台姿。大蔵卿にお目通りを許されるお京。一行を連れて花道へ行く
大蔵卿。振り返って、上目遣いに供のものたちの人数を数える大蔵卿と白河御所
の門の所にいる鬼次郎と目が合う。

やがて、お京の手引きで鬼次郎も大蔵館のなかへ入る。奥殿で常盤御前を最初は
なじった鬼次郎だが、常盤御前の真意も知れる。鬼次郎は、土足で、刀を二本
差しのまま、奥殿に上がり込んでいたが、真意が知れると、土間に下り、刀も大
太刀を腰から引き抜く。こういうところは、歌舞伎は律儀だ。鬼次郎らの助太刀
に現われ、やがて、ぶっかえりで正体を現わし、常盤御前を誉めたたえる大蔵卿。
大蔵卿が客席に顔を向け、後ろ向きのまま、館の階段を上がるとき、すばやく
黒衣が背後に屈み込んで、身体で吉右衛門を誘導していたが、さすが歌舞伎だ。
背中に目がないのが人間だが、歌舞伎の役者は背中に目がある。いや、目を付け
てしまうのだ。歌舞伎の経験則であみ出した演技の補助法だろう。余情残心。吉
右衛門の緩急自在な、緩怠なき演技を堪能した。黒御簾での、田中伝太郎の笛も
良かった。前から2列目、花道上手へ2番目という席だったので、黒御簾のうち
の動きも伺い知れる。大太鼓ほどではないが、四拍子のなかでも笛は、舞台展開
の節目をくっきりとさせるように思うが、いかがだろうか。筋書の名簿の附け打
ちのところに、保科 幹の名前がある。身長1・82・、短髪細顔と、ご本人が
言うが、いつか舞台で確認してみたい。歌舞伎座舞台(株)の大道具の人たちは、
スノーボード好きが多いようだが、スキー場で「歌舞伎座」とか「音羽屋」な
どと染め抜かれた法被を一番上に着て集団で滑り降りてきたら目立つだろうなあ
(ええっ、もう実行しているって)。

「口上」は、幹部役者勢ぞろいだったが、仁左衛門の襲名披露のときの口上のよ
うな、現在から未来へ向けての勢いがないのは、十三回忌追善の口上という、過
去を振り返る口上だからか。歌舞伎座の場合、仁左衛門の襲名披露のときは、口
上のある興行の方に、客が集まったが、今回は口上のある夜の部より、昼の部の
方が人気があった。

「鰯売戀曳網」は2回目。勘九郎、玉三郎のコンビは、絵に描いたよう。二人の
手慣れた世界が出現。歌舞伎仕立てのお伽噺。三島由紀夫らしい、ある意味で頭
だけで作り上げた英知の構成。目に愛嬌のある勘九郎と目に色気のある玉三郎の
二人が、それを肉体化する。さて、このほど、名題試験に合格した芝のぶが、傾
城「乱菊」で爽やかに登場。ここでも博労役の染五郎が良い味を出していた。こ
の人は、こういう滑稽味(あじ)を巧く使うと、ひとまわり大きな役者になると
思う。玉三郎はお歯黒をつけていたが、傾城役でも既婚者のようにお歯黒をつけ
るものなのだろうか。

「鏡獅子」は、勘太郎(18歳)が初挑戦。私は5回目の拝見。このうち、98
年1月、歌舞伎座の勘九郎は、別として、いずれも歌舞伎座で十代の若手の「鏡
獅子」の舞台だった。95年9月が新之助(17歳)、96年5月が菊之助襲名
(19歳)、99年5月再び菊之助。明治26年、九代目團十郎が初演のとき、
これは「年を取ってはなかなかに骨が折れるなり」と言ったそうだが、若くない
と体力が続かないだろうし、若すぎると味が出ないだろうし、なかなか難しい演
目だ。

さて、新之助の「鏡獅子」は、あまり印象に残っていないので、ここでは、今回
の勘太郎と2回観た菊之助の「鏡獅子」に絞って、両者を比較する形で論じたい。
「鏡獅子」は前半は、小姓・弥生の躍りで、女形の色気を要求される。後半は、
獅子の精で、立役の豪快さを要求される。その二つながらを成功させると、若手
役者のなかから、頭角を現わすという仕組みだ。そういう意味で、獅子ならぬ龍
を目指す、若手の「登竜門」とも言うべき演目であろう。まあ、後に一流となる
歌舞伎役者は、皆これをこなして、大きな役者になったのだろう。そういう意味
で見ると、前半は、菊之助の方が、身体の線が柔らかくて良かった。勘太郎の
弥生は、身体の線が堅い。女形の衣裳の下に、青年の身体が透けて見えてしまい、
まだまだという感じだった。

一方、後半の方は、逆に勘太郎の方が、青年の身体を生かして、きびきびとして
いた。向こう揚幕(いつもの歌舞伎座の定紋の入った紺の幕ではなく、5色の幕)
が、引かれて獅子の精が姿を見せる。花道の出、一旦本舞台近くまで来た後、後
ろ向きで素早く戻る。今度は大蔵卿のように、後ろに黒衣がいるわけではない。
多分、舞台の一点を見つめたまま、まっすぐ「逆走」する練習を繰り返すのだろ
う。再び、本舞台へ。「髪洗い」、「巴」、「菖蒲打」などの獅子の白い毛を振
り回す所作を連続して続ける。大変な運動量だと思う。こういう一連の動きを観
ていると、体操競技の規定問題を思い出した。規定の種目を組み合わせて、一連
の動きとして体操を採点する。客席に審査員がいるなら、専門家の目で、「髪洗
い、良し」、「巴、もう少し」、「菖蒲打、まだまだ」などと、採点しているよ
うな気がする。「菖蒲打」は、六代目菊五郎が巧く、余人の追随を許さなかった
と言う。

途中の、胡蝶の精には、弥十郎の息子の新悟、藤山直美の甥の藤山扇治郎が出演。
局・吉野の芝のぶ。後見に弥十郎。この演目で、いちばん難しいと思うのは、前
半と後半の替り目となる弥生の花道の引っ込みだろう。手に持っている獅子頭の
力に引っ張られるようにグイグイ身体を「引き吊られて」行かなければならない。
獅子頭を掲げて、引っ込んでゆくというのでは、駄目だ。女性の心持ちが、見え
ない力で一変し、獅子のために狂う。狂うまいとする、醒めた弥生の心も残る。
意識の分離化の過程で、弥生の身体が二つにさける寸前のようになる。そして、
結局、獅子の力に負けて、女体は、実体を失い、獅子の精に「化身」してしま
う。だから、獅子の精には、女体の片鱗もないはずだ。

さて、それでは菊之助、勘太郎の「鏡獅子」の規定問題の評点は、いかに。前半
は菊之助が上、後半は勘太郎が上。弥生の引っ込みは、二人ともまだまだ。六代
目の「鏡獅子」は、映像でしか見たことがないが、六代目の弥生は獅子頭に身体
ごと引き吊られて行くように見えたものだ。菊之助、勘太郎とも、得意な分野は
更に工夫魂胆、不得意な分野は更なる精進。

さて、菊之助と言えども、「色気」という点では、まだまだか。ここで、付録に
歌舞伎の「色」について考えたい。「色」あるいは「いろ」というと、「髪結新
三」の「いろ(情人)」のように、色情(異性の気を引く性的魅力)と密接な
関係がある。情人(ラバー)ないしセックスフレンドである。「色気」というと、
男女共通で、「色気付く」というように、異性に性的な関心を抱くような年令に
なる、第二次性徴の時期である。「色男」、「色女」は、そういう色気がある男
女のこと。これが「色香」となると、成熟した女性だけが持つ色気、というよ
うに意味が限定されてくる。「色子」というと、逆に「男色」のことで、歌舞伎
若衆で男色を売り物にした。だから、幕府から禁止され、いまのような成年男子
による「野郎歌舞伎」になった。「色悪」は、歌舞伎の立役の役柄の一つで、色
男の敵役。セックスアピールのある悪人。「四谷怪談」の伊右衛門が典型的。つ
まり、「色」というのは、異性間、あるいは同性間に、「性欲」、「性愛」を媒
介としたダイナミズムをかもし出す情動ということだろう。英語で言えば「エロ
チック」ということだが、「エロチック」という言葉には、根底に「エロス(生
への意志)」がある。「性欲」とは、子孫繁栄の本能が基底にあるのと同断であ
ろう。

ところで、歌舞伎の「色」は、更に複雑だ。というのは、「野郎歌舞伎」という、
男だけの世界で、こういう「色」を演じることになるからだ。女形で言えば、男
が作る女の色気ということだ。そこに、屈折があり、抑圧がある。そういう「迷
宮」のような世界をくぐり抜けてきて、初めて「女形の色気」が、幻想される。
それが、つまり「傾(かぶ)く」ということだ。女形の「色気」を、私なりに、
思い付くまま評価すると、次のようになる。「色香」がある役者は限られる。雀
右衛門、鴈治郎あたりか。全盛の頃の歌右衛門は、観ていない。最近までの歌右
衛門は「残り香」のような色気はあるが、「色香」の時期は、過ぎ去っている。
逆に、玉三郎、時蔵、松江あたりは、「色気」はあるが、まだ「色香」の境地ま
でには至っていないような気がする。芝翫は、もともと「色香」というより、高
齢にもかかわらず、希有な、いつまでも初々しい「色気」の持ち主だ。「お侠」
な地が売り物の福助は、やはり「色気」の方だろう。若手の爽やかな「色気」で
は、菊之助や亀治郎、春猿、芝のぶか。

立役でも、男の色気はある。例えば、又五郎や板東吉弥には、老いても残る男の
色気がある。菊五郎や仁左衛門、團十郎には、女性の「色香」に匹敵するような
成熟した男の色気を感じる。歌舞伎役者全員を精緻に評価し直せば、いろいろ
な人の名前をあげなければならないだろうが、ここは、それ、思い付くままとい
うことで、洩れがあることを承知の、不完全な評価で勘弁していただく。

ところで、来年度のNHKの定期採用試験の「論述」の課題のことは、既に触れ
たように「色」であった。私なら、今の自分の関心から上記のような歌舞伎の
「色」について書きたいが、学生達の答案の半分は「色」=「特徴」、「個性」
などという貧弱な発想で、チームカラーなどサークル活動の体験などを書いてい
た。これを読まされる方は、うんざりで、もうそれだけでマイナス評価だ。なか
に、類型的ではない変わったことを書いてある答案に出会うと、それだけで嬉し
くなる。100枚近く、数時間以上も、下手くそな文章を読まされる採点者の立
場に想像力が行くような、気の利いた人こそ、マスコミは求めている。
- 2000年4月17日(月) 17:55:07
 2000年 4月・歌舞伎座
          (昼/「平家女護島」「舞鶴雪月花」「梅雨小袖昔八丈」)
 
〜その2〜                     
歌舞伎座・昼の部の続き。ここでは、「梅雨小袖昔八丈」、通称「髪結新三」
をとりあげる。

新三「ええ、黙りゃアがれ、この野郎はとんだ事を言やあがる、そんなら言って
聞かせるが、あのお熊はおれが情人(いろ)だから、引っ攫って逃げたのだ、手
前に用があるものか」

1874(明治6)年。江戸の色が、まだ濃く残っているなかで、58歳の江戸
歌舞伎作者・河竹黙阿弥は、明治の喧噪な音が耳に五月蝿かったであろうに、従
来の歌舞伎調そのままに、江戸の深川を舞台にした生世話物の名作を書いた。前
年の明治5年2月、東京布達では「淫事(いたづらごと)ノ媒(なかだち)ト」
なるような作風を改めるようにという告示があった。濡れ場、殺し場などの生世
話物特色ある場面を淡白にしろという。さらに同年4月、政府諭告では、「狂言
綺語」を廃して史実第一主義をとれという。

ならず者の入れ墨新三。廻り(出張専門)の髪結職人。日本橋、新材木町の材木
問屋。婦女かどわかし。梅雨の長雨。永代橋。雨のなかでの立ち回り。梅雨の晴
れ間。深川の長屋。初鰹売り。朝湯帰りの浴衣姿。長屋の世慣れた大家。この舞
台は江戸下町の風物詩であり、人情生態を活写した世話物になっている。もとも
とは、1727(享保12)年に婿殺しで死罪になった「白子屋お熊」らの事件
という実話。五代目菊五郎のために、黙阿弥が書き下ろした。歌舞伎を巡る、先
のような動きのなかで、黙阿弥は地名、人名は実話通りにした。忠七の台詞に
「今は開化の世の中に女子供に至まで、文に明るく物の理を弁(わきま)えてい
るその中で」などと、「明治」にも気を使った。幕末の盟友・小團次がいなくな
ってしまい、幕末歌舞伎の頽廃色を消して、いなせで、美男の五代目のために、
爽やかな世話物を作ろう。さあ、あとは、好きなように江戸調で、と黙阿弥が考
えたかどうか知らないが、この狂言は、永井荷風が言うところの、「科白劇」で
あると、私は思う。白子屋手代・忠七(芝翫)との白子屋見世先や永代橋川端の
場でのやり取り。新三(勘九郎)は、切れの良い七五調の科白を気持ち良さそう
に喋っていた。また、新三内の場での源七(仁左衛門)との喧嘩でも、「強い人
だから返されねえ」などと、気っ風(きっぷ)の良い科白があり、これは明治の
庶民も、喝采を送ったことだろう。江戸歌舞伎とは違う「科白劇」という意味で
も、これは、やはり明治の歌舞伎なのだろう。

新三と大家・長兵衛(富十郎)との対話は、この科白劇の白眉。私は「髪結新
三」を観るのは2回目。99年5月の歌舞伎座で菊五郎で観ている。今回の勘
九郎も悪くはないが、歌舞伎世話物としてみると、菊五郎の方が、一枚上だろう。
と言うのは、勘九郎のは、落語になってしまっている。もともと、黙阿弥は、当
時、人気のあった人情噺「白子屋政談」をベースに歌舞伎狂言に書き換えたとい
うから、落語の味は残っているのだろう。特に、大家とのやりとりは、落語の世
界だ。ならず者、小悪党という新三も、とんまで、単純なところがある。これに
対して、世慣れた、強欲な、ずる賢い大家には、勝てない。婦女かどわかしで、
三十両をせしめても、大家の口車に乗せられ十五両とられ、さらにためていた店
賃二両をとられ、三分で買った初鰹の半身もとられ、いや、これは端ッからあげ
る約束だあ。そんな強欲な大家宅に、留守中に泥棒が入ると言うのは、大家さん。
欲張り過ぎだよ、という落語の「おち」である。

今回の大家・富十郎は、こういう役は手慣れていて巧い。「盲長屋」の竹垣道
玄の演技を思い出した。勘九郎も髪結いの技(わざ)を見せるところなど、巧い
が、富十郎の頭抜けた、老練さ、巧さには、確かに「頭」の差ぐらい、まだある。
新三と大家の「睨み合い」。ありゃ、大家の勝ちだあ。でも、勘九郎も父・勘三
郎の十三回忌追善興行で、芸達者な先輩といっしょの舞台を踏めて幸せだろう。
私は、歌舞伎に目覚めたのが遅く、残念ながら勘三郎の生の舞台を拝見していな
いのだけれど、巧さと言えば、勘三郎も巧い役者だったろうから、親父さんを目
標に精進してほしい。

ついでに、去年の「髪結新三」の印象を言うと、このときは、既に触れたように
新三(菊五郎)、大家・長兵衛(團十郎)で、この團菊コンビが、すごく良かっ
た。菊五郎の新三は、定評のあるところだが、初役の團十郎が、老け役に良い味
を出していた。團十郎は、その前に、同じコンビの歌舞伎座で「ぢいさんばあさ
ん」のぢいさんが良かった。この年の團十郎は、多分、後世から、役がひとまわ
り大きくなった節目の年として、記録されるだろうと思う。

今回、そのほかの役者では、大家の女房おかくの鶴蔵、新三の弟子・下剃勝奴
の染五郎、それに肴売り新吉の助五郎は、それぞれ良い味を出していた。新三の
使う団扇に鰹の絵、初鰹を相伴し、酒を呑む大家の台詞に「これは、剣菱だな
ア」など、ところどころにウオッチングの愉しみがあり、目を光らせたり、耳を
そばだてたりして楽しんだ。

さて、本当は冒頭引用した新三の台詞のなかにある、「いろ」という言葉から
「色気」について、いろいろ書いてみたいと思っていたのだが、これについては、
夜の部の「鏡獅子」のところで、触れることにしたい。というのは、今年のN
HKの採用試験の論述(小論文)の課題が「色」で、私も採点委員として、ぜん
ぶで100枚近い答案を採点をして、「色」については、歌舞伎との関わりにつ
いて、いろいろ思うところがあったので、是非書いてみたい。 
- 2000年4月16日(日) 20:42:24
2000年 4月・歌舞伎座
         (昼/「平家女護島」「舞鶴雪月花」「梅雨小袖昔八丈」)
            
〜その1〜
今月の歌舞伎座は、中村会。十七代目中村勘三郎十三回忌追善ということで、筋
書の表紙絵も「中村座内外之図」のうち、木戸前(外)のにぎわいが描かれてい
る。劇場の大屋根には「隅切角に銀杏」、俗に「隅切銀杏」と呼ばれる中村座の
座紋(座元の定紋)を染めぬいた櫓幕が張り巡らされている。名題の看板、定紋
のある提灯、的に矢が突き刺さった「大入り」の看板も見える。赤い頬被りをし
た声色屋は「木戸芸者」と呼ばれる呼び込みの男たちだ。御殿女中、馬に乗っ
た武士、武家の黒塗りの駕篭かき、芝居茶屋に料理を運ぶ男、「助六」でお馴染
みの「福山のかつぎ」、相撲取り、町人などに混じって、錦絵類の入った四角い
箱を緑の大風呂敷に包み、それを背負っている男もいる。「山形に森」の商標か
ら初代歌川豊国描く、この「中村座内外之図」の版元・森屋治兵衛の手代と知れ
る。抜け目なく宣伝している。

筋書には、さらに勘三郎の遺影、四月歌舞伎の番付などがある。さあ、拍子木が
鳴ったぞ。いざ、開幕。

まず、「平家女護島〜俊寛〜」。「俊寛」は、吉右衛門、幸四郎、そして今回の
仁左衛門となるが、実は都合4回拝見。というのは、98年4月の幸四郎の「俊
寛」は、初日を前に舞台稽古を観ているからだ(このときの様子については、拙
著「ゆるりと 江戸へ」に書いている)。

今回の仁左衛門「俊寛」は、背も高く、顔も小さく、とてもスマート。俊寛のい
る浜へ同じ事件で島流しになっている康頼(歌昇)、成経(勘九郎)が訪ねて
くる。3人の語らいの場面は、それなりに「平穏な生活ぶり」が伺える。俊寛の
2人に向ける微笑が、それを物語る。勘九郎の成経は、俗から超越している感じ
が出ていて好演。3人のなかの年長者として、俊寛は、あたかも「慈父」のよ
うな表情だ。これが、仁左衛門「俊寛」の基本の表情か。成経が島で結婚したと
いう千鳥(福助)を連れてきた。島の山水を酒に見立て、鮑貝の盃で、結婚の祝
いの宴を繰り広げる。微笑を絶やさぬ俊寛。そのとき、所望されて俊寛が松の小
枝を手に持って、舞いを舞う。真面目な表情に変わって、舞う俊寛。その表情
の変化した後の、仁左衛門の顔が、私には「俊寛」の顔でもなく、もちろん仁左
衛門の素顔でもなく、能面の「翁」の面のように、見えてきた。この舞自体は、
遥か沖合いに船が見えたということで、中座することになるので、長い時間の舞
ではない。「船ではないか」ということで、舞を止めた俊寛の表情は、一変する。
「御赦免の船ではないか」ということで、4人は手を取り合って船の動きを追っ
てゆく。俊寛の微笑が象徴するように流刑の生活は、それなりに穏やかであった
のが、突然、船が近付いてきたことにより、ドラマが始まる。そのドラマの場面
展開の、切っ掛けを仁左衛門「俊寛」は、舞の場面で、ひととき、能面のような
表情を見せることで、メリハリをつけたのではないか。そうだとすれば、吉右衛
門、幸四郎のときには、気がつかなかった演出だ。

福助の千鳥は、離島の素朴な娘になっていなかった。お侠な、福助の地が出てし
まっていて残念だった。御赦免の船から下りてきた二人の役人。瀬尾太郎と基康。
私が観た瀬尾太郎は、すべて左團次で、この役は憎まれるだけ憎まれる役だけに
、左團次は好演。役目から逸脱しようとしないで、役人として当然の論理を尽く
す。一方、基康(吉右衛門)は、俊寛らにとっては、正義の味方の役人だが、役
人の論理からすると外れている、つまり、職責を逸脱して「ええ格好しい」なの
である。それでも、芝居の観客は、正義の味方に拍手喝采をする。そのあたりの
巧さが、この演目にはある。

瀬尾から妻の自害を知らされた俊寛は、自分の代わりに千鳥を船に乗せ、成経と
いっしょに帰らせようとする。そのために、憎まれ役の瀬尾を殺し、新たな罪
状に服しよう企てる。俊寛は、瀬尾の持ってきた「赦免状」に、自分の名前がな
いと言って大騒ぎをする。基康の「上」と書かれた書状で、自分の名前を見い出
し歓喜する。千鳥をいっしょに連れてゆけないと判り、島に残ろうとする成経を
見、さらに、成経と別れるなら死ぬと言う千鳥を見て、今度は自分が身替わりに
なると言う俊寛。この気持ちの揺れの背景には、妻の自害があるだろうが、少し
身勝手なところもある。「俊寛め。勝手なことばかり言って、つけあがるな」と
いう気持ちを強める瀬尾。そのあたり左團次は巧い。瀬尾と俊寛の立ち回り。太
鼓の浪音も、一段と高まる。音による場面のクローズアップ効果と見た。二人の
立ち回りで、俊寛に味方して、瀬尾の邪魔立てをする千鳥。三味線は「千鳥の合
方」に変わる。無声映画の、チャンバラのときのテーマソング。千鳥が絡むから
「千鳥の合方」と言うのだろうか。「千鳥の合方」は、このあと、もう一度演奏
される。船が上手に引き込み、島を離れる。黒幕が船を消してしまうという、歌
舞伎の、この大胆さ。舞台中央にひとり立ち尽くしながら船の影を目で追う俊寛。
この場面で、再び「千鳥の合方」。船を追いながら下手へ移動する俊寛。さらに
花道から海へ入ろうとするが、波(浪布が効果的)に邪魔される。

波に追い立てられるように、岩組に乗る俊寛。舞台が廻り、鬼界が島が絶海の孤
島であることを強調する、この場面展開は、いつ観ても、見事としか言い様がな
い。岩組の上での俊寛の表情には、役者によっていろいろな解釈がある。「思い
切っても凡夫心」という近松の表現には、人間の真情の根底に突き刺さる文学的
な深さがある。「関羽の見得」までして、ひとり島に残ることを決意したのは、
俊寛自身だ。それなのに、ひとり残された現実に呆然とする。そういう俊寛の人
間の弱さの演技で終る役者が多いが、身替わりを決意して、望む通りになったの
だからと歓喜の表情で終る役者もいる。今回の仁左衛門は、どうであったか。舞
のときに少しだけ見せた能面の「翁」の表情に戻ったと私は観た。

能の「俊寛」を私は観ていないが、当然、面をつけている。歌舞伎の「俊寛」は
もともと人形浄瑠璃であるが、人形浄瑠璃は平家物語から作られた謡曲を元にし
ている。そういう日本の伝統芸能の相互のつながりを、今回の仁左衛門「俊寛」
は、私に感じさせたと思う。それは、「呆然」でもなければ、「歓喜」でもない、
「悟り」のような、「無常観」のようなものとして、私には受け取れたように思
うが、いかがであろうか。

次に「舞鶴雪月花」。上演の順番は、実は「さくら」、「松虫」、「雪達磨」で、
「花→月→雪」。つまり、春・秋・冬の順。日本人も言葉への感覚の微妙さの一
端が知れる。玉三郎の桜の精は美しく、勘九郎、七之助らの松虫は可愛らしく、
あわれで、そして、特に富十郎の雪達磨は、踊りが得意なこの人らしく堪能の舞
台であった。3つの踊りをつなぐ場面展開のスッポンやせりの使い方が有機的で
効果的。月→雪での、雪音も良かった。

昼の部について、まとめて書き込もうと思っていたが、「俊寛」の記述が長くな
ったので、とりあえず、ここまでを「〜その1〜」とした。「梅雨小袖昔八丈」
については、いろいろ書き込みたい部分もあるので、「〜その2〜」として、
別稿として、まとめたい。

- 2000年4月15日(土) 13:43:17
2000年 3月・新橋演舞場
          (「小笠原諸礼忠孝・小笠原騒動」)

「弥生花形歌舞伎」ということで、若手花形の役者衆の意欲的な舞台という評判、
が聞こえてきたので、拝見した。扇雀、翫雀、橋之助、信二郎、桂三、芝喜松ほ
かの出演で、「通し狂言・小笠原騒動」を観た。三代目勝諺蔵が明治14年に書
いたのが原作だが、今回の上演は、去年、京都・南座で現代向きに奈河彰輔が補
綴したものだという。猿之助一座でも上演したことがあるというが、今回は、
猿之助バージョンではなく、それ以前からある台本を基本にしたと言う。どこが
どう変わったか、詳しくは判らないが今回上演された舞台に限って気がついたこ
とを言えば、まず、ストーリーが判りやすい。展開にテンポもメリハリもあり、
その上、さまざまな歌舞伎狂言の見せ場をあちこちにちりばめていて、まるで歌
舞伎入門のための、動くガイドブックのようで、堪能した。もちろん細かなとこ
ろでは、いろいろあり、歌舞伎座の今月夜の部「菅原伝授手習鑑」の「賀の祝い」
の、役者の顔ぶれや油の乗った実力者たちの重厚な演技という現代の歌舞伎の、
最高水準をみせる舞台とは比べるべくもないが、若手花形役者の意欲や工夫が良
く判る、気持ちの良い舞台だった。

まず、序幕「明神ヶ獄芒原の場」下手に道祖神の石碑、上手に狩のための小笠原
家の家紋を染めた陣幕。遠く山々が見える広大な芒の原の遠見。いつもの遠見と
違って、中間に丈が2メートルほどの芒の遠見の書割が、もうひとつある。歌舞
伎の大道具には、なにか仕掛けや、目的を持った使われ方をすることが良くある。
例えば、この場面で言えば、道祖神の石碑は、その後、白狐(着ぐるみだが、筋
書に珍しく「辰巳」と、役者の名前が明記されている)が、その上に飛び乗る。
陣幕の方は、陣幕に逃げ込んだ者の首を赤い帯で締め殺そうとしながら、お大の
方(扇雀)が登場するときに、まるで「浅葱幕の振り落とし」のような効果的な
使い方で、はずされる。芒の遠見の書割は、3っつぐらいに折り畳まれると、狐
が化けた奴と駕篭かきの一行が、忽然と姿を現わすという仕掛けになっている。
歌舞伎の舞台を観ていて、いつもと違う大道具などがあると、それを注視してい
るとおもしろい展開を見逃さずにすむことが多いが、初見だとタイミング良く見
るということが意外とむずかしい。

小笠原豊前守(桂三)の側室・お大の方として、自分の子を孕んでいる馴染みの
女を送り込んだ悪役の兵部(信二郎)は、小笠原家を自分の生まれてくる子供に
継がせようと企んでいる。これを阻止しようという隼人(翫雀)を中心とした、
いわゆる「お家騒動もの」で、18世紀後半に九州小倉藩がモデルだという。芒
原の場では、豊前守一行が狩で追い詰めた白狐を隼人が助けるが、豊前守が放っ
た矢を隼人が手でつかみ取る場面がある。もちろん豊前守は矢を放ったとたん、
後ろに矢を隠すのだが、隼人は後ろに控えた黒衣からタイミング良く、矢を受け
取り、あたかも飛んできた矢をつかみ取ったように見せる。このタイミングは難
しいだろうが、巧く演じていた。豊前守の方も後ろに隠した矢を弓と一緒に家来
にさりげなく渡していた。

兵部役の信二郎も憎々しいながらも、凛々しく、上から観ていると兄の時蔵に良
く似ているのが判る。諌められ、刺客まで差し向けられた隼人は、今度は逆に白
狐の恩返しで、狐が化けた奴と駕篭かきの一行に助けられる。恩をかえした白狐
が、スッポンに飛び込んで、姿を消すと翫雀は早替りで、狐が化けた奴菊平とし
て、スッポンからセリ上がってくる。3階席で観ていたので、白狐が飛び込むた
めに、スッポンの床が途中まで上がってきているのが見える。狐といえば、「千
本桜」の狐忠信だが、狐役はいろいろな役者がやっているが、翫雀もこれから精
進するのだろう。

二幕目。閉門を言い渡された「隼人邸の場」では、兵部から贈られた見舞いの菓
子に毒が仕掛けられていることを隼人が見破ると、赤い布で菓子入れを覆うが、
これも一種の「消し幕」効果とみた。小平次の女房・お早(扇雀)が登場。恩の
ある隼人を助けるため、分家の小笠原遠江守に密書を運ぶ役になる。「大手先
火除の松原の場」は、黒幕を背景に、松が7本ある(江戸の火除地と言えば、時
代小説に良く出てくるのが俗に「采女ヶ原」と呼ばれる所。ここは、松平采女
正の屋敷があったが、火事になり、そのまま、防火のための火除地となり、そう
呼ばれた。実は、新橋演舞場は、ここに建っている)。

お早は藩の目付けに襲われるが、隼人の若党と偽る岡田良助(橋之助)に救われ
る。橋之助はこういう役は良く似合う。去年8月歌舞伎座の「半七捕物帖・人間
万事廻り燈籠」の江戸無宿金蔵のときも良かった。この場面では、お早と良助が、
「伊賀越道中双六」の「沼津」のように、客席の間を通るが、普通なら舞台上手
の仮花道の位置の辺りに造られた階段から客席の間の通路(かってなら、「歩み」
だろう)を通り、「中の歩み」を通り、本花道に上がる。客席の観客と二人の役
者の「捨て台詞(アドリブ)」のやりとりに、館内を引き付けておいて、舞台の
背景を変え、距離と時間の経過をあらわす「居処替り」の演出である。だが、今
回は本花道(演舞場の花道は、舞台との付け根が直角ではなく、斜になっていて
少し広くなっている)の付け根に造られた階段から客席に降り、近くの通路を
「向こう」に向かって歩き、「中の歩み」を途中まで行き、客席中央の通路を通
って、舞台の方に戻りる。このとき、道のぬかるみを想定した箇所で、良助はお
早の手をとり、お早がぬかるみを飛び越えるのを手助けして、館内を笑わせてい
た。その後、舞台と最前列の客席の前を通り、仮花道の位置の辺りに造られた階
段を上がるが、ここでもお早の手をとり、お早が舞台に飛び上がるのを手助けし
ていた。舞台の松は、紐で下手に引き入れられ、先ほどとは違う松が今度は5本
になる。ここで兵部方という正体を現わした良助がお早を襲い、密書を盗もうと
する。背景の黒幕が振り落とされると、「龍の口門外堀端の場」で、明るい堀
端の遠見となるが、これは「道行」と同じで、時刻は夜のままであろう。殺され
て、密書も奪われたお早の遺骸は、堀に蹴落とされるが、お早(扇雀)は逆海老
にそったり、密書を持った手の指を切り落とされたり、巧みに演技をする。先ほ
どの「歩み」が、こうした「殺し場」の前の、いわば「遊び」で観客の気分を変
え、次の「殺し場」の凄惨な場面とのコントラストを強める役目を持っていたこ
とが判る。傘を持っているので雨、そして夜分、登場人物は二人、長目の殺しあ
いということで、「殺し場」の条件が揃っている。密書を奪った良助のところへ、
黒幕の兵部一行が現われる。信二郎は、傘に合羽姿で、改めて雨の場面であるこ
とと強調する。良助に成功報酬としての百両を渡し、身を隠しに江戸へ行け、残
された家族の面倒はみると約束する兵部。良助は傘と黒の着流しスタイルで、ま
るで「忠臣蔵」の定九郎のよう。さらに、お早の幽霊に引き戻される場面では、
「累」の与右衛門のように、傘を御猪口にしたりする決まりの所作。この後、
お早の夫小平次と行き会い、片袖をもぎ取られる。テンポとメリハリがあり、歌
舞伎の名場面の動くスケッチ画を観ているような気分。

三幕目「岡田良助住家の場」は、前場から半年あと。貧家ながら、家の屋体の大
きさは隼人邸の屋体より大きいので、笑ってしまった。さて、兵部は約束を守ら
ず、良助の家族の面倒などみてはいない。扇雀は良助の女房・おかの。母・お浦
に芝喜松。この人の老け役も味がある。でも、この場面で館内の笑いや拍手を一
身にとっていたのは、良助娘・お雪の永田晃子。この子役は、台詞といい、所作
といい抜群。去年12月の歌舞伎座「奥州安達原・袖萩祭文」で、猿之助の袖萩
の娘・お君のときも、とても良かった。今回も掛け取りにきた3人の上方商人
(松之助らが好演。舞台に奥行きが出る。かれらの台詞で、この狂言が上方で生
まれた歌舞伎だと良く判る)相手に、借金を「帖消し」(掛け取り帖の帖面を筆
で消していた)のする名演技をしてみせた。この日の舞台で、一番反応が良かっ
たのが、この場面(これでは、若手花形も、もっと芸に精進しなければならない)。

さて、良助が江戸から戻ってくる。飲み代を踏み倒し、「バカめー」と大音
声。「河内山宗俊」や「石川五右衛門」を思い出す。旅装を解き、紺の縦じまの
着流しになり、行灯の火で煙管に火をつけようとする良助。扇雀は、さらに、
お早の幽霊に早替り。幽霊は、行灯から出てきたという想定で、宙乗りの演出。
さらに障子抜けで、消える幽霊。「四谷怪談」の舞台はまだ観ていないが、それ
を連想する。行灯にぶら下げてあった紙(こういうところに紙をぶら下げておく
ものなのだろうか)に、筆の首だけで、三くだり半を書く良助(この場面では、
「直侍」の入谷の蕎麦屋の場面を思い出す)は、家族と縁を切ることで幽霊のた
たりから家族を守ろうとする。善人に戻り遠江守に訴え出る肚を固める良助の心
を知らない娘のお雪が母たちの詫びのつもりで、自害しようと父の刀でのどをつ
く。介錯に手を貸す良助の「子殺し」の場面でも、永田晃子は好演。さらに母
も妻も自害する。良助の兵部に対する恨みは、どんどん深まる。

四幕目「犬神邸裏手の場」。犬神は兵部の名字。本水を使う場面なので、1階最
前列の座席の人には、「小笠原騒動」などと書いた透明のビニールの風呂敷が配
られていた。密書や連判状を盗む良助。片袖から自分の妻殺しの犯人は良助と知
った小平次(翫雀)水車小屋での戦い。3階席から観ると、水車小屋を中心にし
た廻り舞台の全体が見えて、この場面では3階正面の、私の座席は最高の席と思
う。褐色の地絣(じがすり)の引きつめ方の特徴まで判る。小屋の傍には本水の
水槽もある。小屋の屋根の上での争いでは、屋根の一部が壊れる仕掛けや屋根を
滑り台代わりに使って、水槽に落ちたりする。水槽の中では水を掛け合ったり、
廻り始めた水車に張り付き、水車とともにぐるぐる廻る良助(橋之助)。この場
面は、「天竺徳兵衛」の蝦蟇と同じ演出。幼児の水遊びを見て、思い付いたとい
う水槽のなかでの立ち回り。橋之助は、ぬれた着物の袖を揺すって客席に「水の
サービス」。歌舞伎のたわいなさが、かえって歌舞伎味になっている。

死んでゆく良助の真意を知る小平次。舞台が廻って、「柳ヶ浦街道筋の場」では、
小平次が良助の代わりに遠江守一行に直訴のやりとり。駕篭のなかの遠江守が、
どこからか発せられた鉄砲の玉で死亡と思いきや、実は身替わり。街道筋の建物
のなかから、早替りで本物の遠江守になった橋之助が、颯爽と出てくる。すべて
の情報や証拠の品は遠江守の手許に無事届く。大詰「小笠原城内奥庭菊畑の場」
は、幕が開くとまず浅葱幕。浅葱幕が振り落とされて、華やかな舞台へ。「鬼一
法眼三略絵巻」の「菊畑・奥庭」の大道具を思い出す。お家騒動の面々、裁き役
の遠江守まで勢ぞろいして、これにて一件落着の場面。

隼人と奴・菊平は翫雀の早替りで対応。翫雀の狐言葉には、思わず館内から笑い
が洩れていた。菊平は、舞台下手の垣根抜けで姿を消し、代わりに白狐が登場。
「手斧(ちょうな)振り」で、狐は立ち木にそって上下に移動。さらに、狐は舞
台上手の石灯籠のなかへ抜けて姿を消す。兵部(信二郎)は、まるで「先代萩」
の仁木弾正のようないでたち。お大の方の覚悟の自害。真っ赤な衣装は、やはり
「先代萩」の八汐の体(てい)。豊前守は、いわゆる信長役者のような衣装。悪
人滅びて、お家安泰で「目出たし、目出たし」。ニコニコ笑う橋之助を中心に一
同、座り込むと「とーざい」の声。そのあと、客席に向かい「まず、今日は、
これぎり」。私も「良かった、良かった」で、歌舞伎入門を兼ねたような、この
演目。初心者には、愉しみ所の多い舞台であった。このほか、印象に残った役者
では中村芳彦が綺麗だった。「小笠原騒動」の当日券を買ったついでに、隣の前
売り所で、4月のスーパー歌舞伎「新・三国志」のチケットも買ってしまった。
- 2000年3月25日(土) 18:45:45
  番外編〈泉鏡花劇〉 
2000年 3月・日生劇場
          (「海神別荘」)
                      
「今月、東京では、泉鏡花原作の舞台が、ふたつ同時に公演されている」と書い
たのは、国立劇場「滝の白糸」(八十助、二代目水谷八重子ほか)の観劇記の出
だしであった。

日生劇場「海神別荘」(玉三郎、新之助、秀太郎、弥十郎、上村吉弥、左團次ほ
か)は、まず「海神別荘」というネーミングが素晴らしい。改装された日生劇場
の内装に合わせて「海神別荘」が上演されるのではないかと思える程、劇場全体
が海神別荘「琅汗(本当は「王偏」)殿(ろうかんでん)」のようで、貝がちり
ばめられた凹凸のある曲線の複雑な天井、周りの壁も、ふぞろいなタイルのよう
なものが貼りつけてあり、こちらも優美な曲線、舞台も曲線で柔らかみを出して
いる。1階の客席は、最後部から見ても舞台とフラットな感じ、中2階は、馬蹄
形の曲線で壁にそった形で、ここも比較的フラット(ここまでがA席)、2階
(実際は3階。こういうところは、江戸時代の芝居小屋と同じ)は、スロープ
になっていて、5列までがB席、通路を挟んで6列から11列がC席。2階のフ
ロアーも曲線で1階の上の空間を切り取っている。舞台下手に1階客席から上が
れる階段がある。緞帳も、抽象的な模様ながら、海にちなんだものに見える。客
席が暗くなり、音楽とともに緞帳が上がる。茶系統の荘厳な神殿のような「海神
別荘」の舞台装置。劇場の、いわゆる「額縁」部分さえも茶系統で、この舞台
装置に溶け込んでいて、舞台から客席の壁、天井まで、つまり、劇場の内部全体
が森厳藍碧の海底そのものの体(てい)。これに、音楽があり、波の効果音があ
り、さらに、客席の天井や壁を照らす照明が海のなかの揺らめきを表現していて、
観客は早々と、泉鏡花ワールドの幻想の海底へと連れて行かれる。

しかし、舞台は、暫く「無人」の空間のまま。この「無人」が、実は曲者。と言
うのは、沖の僧都(左團次)、侍女たち(上村吉弥ほか)が登場するが、実は皆
すべて海底に住む異界のものたちだから、「無人(人間ではない)」の状態
は、続くのである。これこそ、まさに鏡花の幻想世界そのもの。別荘の主・公子
(新之助)を始め異界のものたちを包む衣装は、画家の天野喜孝という独自の世
界。海の幸と引き換えに迎える妻となる美女(玉三郎)を公子は待っている。
姿見の珠に映る美女たち一行の姿。白い龍馬に乗り、槍を備えた20人の黒潮
騎士に守られている。龍馬は、9人の男たちの群舞で表現する。白い龍馬と黒い
騎士たちの、乱舞は素晴らしい。歌舞伎の「とんぼ」を思わせるリズミカルで、
軽やかな動きだ。この乱舞、あるいは群舞は、何回か演じられたが、最後まで
素晴らしかった。

前半では、僧都と侍女たちの台詞廻しが歌舞伎調なのに、舞台装置や衣装(侍女
たちは、腰元風の衣装だが)が現代劇調で、私にはそぐわなかった(「天守物語」
のように、将来、歌舞伎座でも上演するなら、思いきって、大道具も、衣装も、
台詞廻しも、できるだけすべてを歌舞伎調の幻想劇にしてしまうのも、おもしろ
いと思った)。ところが、公子の新之助の台詞廻しは、逆に現代劇調で、ときど
き歌舞伎調が入るように感じた。

女房(秀太郎)の濃艶な美しさ(この人ほど、素顔と化粧顔の違う人もいないの
ではないか)。侍女たちのなかにいた芝のぶの爽やかさ。しかし、やがて、後半
では、この異界のものたちは、すべて蛇の化身なのだということが、判ってく
る。地上に戻り、自分の、いまの幸せを知らせたいと願う美女に、公子は告げる。
「もはや、あなたは人間の目には、蛇に見える」と(ここで、公子の黒い衣装と
美女の白い衣装を効果的に使っていたのが印象的)。「いや、それは公子の魔法
ではないか」と疑う美女。自分の純愛を疑うなら、美女を「殺してしまえ」と、
騎士たちに命じる公子。巨大な錨に縛られ、槍を突き付けられる美女。その結果、
逆に公子の至高の愛に目覚める美女。死を覚悟した美女の姿に感動して、互いの
身を傷つけて流した血を飲みあう二人。

それまで見えなかったものが、見えたのだ。異界の公子の純愛観が人間界の価値
観に打ち勝った瞬間だ。絶望から歓喜へ、鏡花ワールドの逆転する価値観を美女
の玉三郎は一身に体現する。それは、美女と公子が、そろって身につける白く、
長いガウンが象徴する。これに対して、新之助は台詞廻しをふくめて、「人は自
由に生きなければならない」など含蓄のある台詞が、そういう言葉の内容とは裏
腹に、私の胸に響いてこないのは、なぜか。これは、多分、新之助の役づくりが、
充分に練り上げられていないままなのではないか。そう感じられたのは残念であ
ったが、若い新之助の、これからの課題として、理想の役づくりを工夫してもら
えれば、それはそれで、今後が愉しみと言うものである。とにかく、この人に
はそういう将来を期待させる「華」がある。

(追記。今回は、客席が終始暗くて、双眼鏡での舞台のウオッチングはできたも
のの、メモがほとんどできず、やりにくかった。)
- 2000年3月18日(土) 23:28:06
2000年 3月・歌舞伎座
          (夜/「菅原伝授手習鑑〜車引・賀の祝い・   
              寺子屋〜」「越後獅子」) 
            

夜の部では、「菅原伝授手習鑑〜車引・賀の祝い・寺子屋〜」は「菅原」の半
通しだが、これが圧巻。当代実力派の役者が、これだけそろった舞台も珍しい。
5年前(95年)の3月の「加茂堤・筆法伝授・道明寺・車引・賀の祝い・寺子
屋」を見たのが、私は「菅原」の初見。以来、「車引」は、4回目。「賀の祝
い」は、3回目。「寺子屋」は、5回目。なかでも「賀の祝い」の配役は、今回
が最高。演劇評論家の上村以和於と、私も同意見で、「当代歌舞伎のひとつの水
準を示すもの」で、見ごたえがあった。

まず、桜丸の菊五郎が、ほかの桜丸(勘九郎、梅玉)より、ずんと良い。実力の
差を見せつけた。時蔵の八重は、2回目の拝見だが、初々しくて良かった。昼の
部の「お国」の余韻が残っていた。「賀の祝い」を圧巻にしているのは、なんと
言っても白太夫の羽左衛門で、この人の白太夫は2回目(あとの、1回は又五郎)
だが、今回は断然良い。歌舞伎座1月の「矢の根」を途中休演した羽左衛門は、
病後のやつれもあるかも知れないが、ジャコメッティの彫刻のように、不必要な
ものを削ぎ落としたような、枯淡な感じが身体全体から立ち篭めていて、さらに、
松王丸と梅王丸から、それぞれ出された願いの書面を改めるところで、目を擦る
など古稀(「賀の祝い」)の老人の体調を細かく演じるなど、肌理細かさもあり、
この人の「白太夫」としても、歴史に残る舞台になったのではないか。

松王丸の幸四郎は2回目。梅王丸の團十郎は、初めて。田之助の千代は、2回目。
福助の春は、初めて、それぞれ拝見した。1階の最前列、上手から2番目という
席だったので、ツケ打の音が、耳に痛いぐらい響いてきた。松王丸(幸四郎)と
梅王丸(團十郎)の「喧嘩」には、稚気があり楽しめた。先日、国立劇場で見た
「二十四孝」の「筍掘り」の横蔵(團十郎)と慈悲蔵(鴈治郎)の竹薮での喧嘩
の場面を彷佛とさせた。

また、桜丸の切腹の後、梅王丸が桜丸の身体を起こして合掌させ、白太夫の筑紫
行きを見送るが、これも「熊谷陣屋」の直実の雲水になっての旅立ちの場面を思
い出させた。並木宗輔らの合作「菅原」と、宗輔の「熊谷陣屋」が、似ている
のは頷けるが、こうした、いわば名場面を何回も趣向を変えて使うという、歌舞
伎という演劇が、いわゆる「本歌取り」、「世界と趣向」、「ないまぜ」などと
いう作劇術のなかで、連綿と名場面を継承し、互いに利用しあって、400年
の命を保ってきたことと無縁ではないと思う。似たような場面を、あるいは同じ
場面を役者がどういう工夫魂胆で、今回は見せてくれるか、それが愉しみという
のが、この世界なのだろう。そういう意味で、今月の歌舞伎座の「賀の祝い」
は、「役者に不足なし」の、まさに当代の歌舞伎の最高水準の舞台であったと思
う。

順序が逆になるが「車引」もは、梅王丸(團十郎)、松王丸(幸四郎)、桜丸
(菊五郎)の3兄弟と藤原時平(彦三郎)の舞台。3兄弟の隈取り、大柄な市
松模様の衣装、大太刀などの小道具(太刀では、2本差しの梅王丸が、一旦「飛
び六法」で、向うに引っ込んだ後、時平の牛車の前に立ちはだかるときには、さ
らに、大きな太刀を加えて3本差しに変わっているという大らかさ)、役者の
動き、所作(特に、團十郎の隈取りの見事さ、腰を低く構えた見得の姿勢などに
は、この人の最近の充実ぶりが伺えた)など、いずれも江戸歌舞伎荒事の結晶の
ような場面で、堪能した。最初の桜丸の花道の出、舞台上手揚幕からの梅王丸の
出では、桜丸が花道七三に来るのを、上手揚幕に作られた、「小さな穴」から、
誰かが覗いているのが判った。タイミングを見計らって、この揚幕が引かれ、梅
王丸が姿を見せた。二人は、舞台中央で行き会う。こういう「小さな穴」の発見
も私には愉しい。400年の歴史のなかで、歌舞伎のパートパートを受け持った
先人たちが、いかにも工夫を重ねてきたというのが、この「小さな穴」ひとつで、
判るというもの。歌舞伎錦絵に相応しい充実の舞台。

「寺子屋」では、「賀の祝い」の田之助から変わった雀右衛門の千代が、断然良
い。雀右衛門の千代は2回目(ほかに芝翫で2回。玉三郎で1回拝見)。この人
は、昼の部の「隅田川」の斑女の前といい、「熊谷陣屋」の相模といい、子供を
失う母親の役をやらせると、当代随一ではないか。源蔵(富十郎)とのやりとり
の、一際の濃密さ(昼の部の「隅田川」の「同情」と、ここでの「応酬」とい
う、意味合いの違いはあるが、関係の濃密さでは、同じではないか)。富十郎
の源蔵(閑話休題、この人の衣装の紋は、正式になんというのか知らないが、
「逆さ三菱」が抜けていた)は3回目(ほかに吉右衛門、梅玉で、それぞれ1回)
だが、この人の源蔵役の不満は、拙著「ゆるりと 江戸へ」にも書いたが、「せ
まじきものは、宮仕え」という台詞を言わないこと。いつも竹本に語らせている
が、この名台詞は、是非とも役者に言ってほしいと、いつも私は思っている。

このところ一段と演技に深みをました松江の戸浪(4回拝見。あとの1回は菊五
郎)は、夫・源蔵への気配り、特に菅秀才の顔を知っている松王丸による「首実
検」(実は松王丸・千代の子・小太郎の首)の前の、不安感では源蔵ともども同
じでも、女の念力で、窮地を脱しようと言う気迫のようなものがにじみ出ていて、
好演。この舞台で、すべての事情を承知しているはずの松王丸が「演技」をし
てみせる(それを見守るのは、玄蕃と源蔵夫婦)「首実検」では、首桶に手をや
り、一旦目を瞑る。その上で、カッと見開き、上、正面、下と睨んだ後、初めて
首を見て、ふたたび、目を見開くという動作で、この人は、だいたい演技過剰な
ところがあり、ときには辟易するが、今回は昼の部の「江戸城総攻」のうち、
勝の「薩摩屋敷」での、腹の芸が良い抑制感を残して、「寺子屋」の松王丸の演
技を程よくしたのではないか。松王丸(幸四郎)と千代のやりとりでは、覚悟し
たこととは言え、息子・小太郎を亡くして泣く千代を「泣くな」と叱るときの、
松王丸の最初の「泣くな」という台詞廻しに情があり、心に響いてきた。心理主
義の幸四郎ならではの台詞廻しで、私には良かった。この夫婦のやりとり、これ
なら京屋もやりやすかったのではないか。この日の「寺子屋」最大の見せ場だっ
たと思う。

最後に「越後獅子」は、富十郎。3年前の歌舞伎座では、歌昇、新之助ら6人で
勤めた舞台を、今回は富十郎ひとりで踊る。富士山を背景にした江戸城という家
康が江戸のイメージに利用した景色を巧く使い、日本橋の街の佇まい、道三掘、
火の見櫓、材木町、蔵屋敷などが見える。「晒す細布手にくるくると 晒す細布
手にくるくると いざや帰らん己が住家へ」という長唄で、「一人旅寝の草枕」
という角兵衛獅子の辛さも忘れ、熟成した踊りの名手・富十郎の魅力をたっぷり、
愉しんだ後、私達は銀座へ。
- 2000年3月18日(土) 14:59:01
2000年 3月・歌舞伎座
          (昼/「春霞歌舞伎草紙」「江戸城総攻」    
             「隅田川」「雪暮夜入谷畦道」)

〜その2〜
昼の部、続き。「〜その2〜」は「隅田川」。幕が開くと、早速清元の「延寿太
夫」という、声が大向こうからかかる。延寿太夫は勘九郎の幼馴染みで、子役時
代には勘九郎と一緒に舞台に出ていたと言う。休憩時間に、三階のトイレで、和
服を着て、白髪の長髪を後ろで束ねたおじいさんと一緒になった。そのとき、彼
の仲間がトイレに入ってきたらしく、「きょうは、『大向こう』が少なく、これ
までかけ声が、ほとんどかからないと言っていた。あとからトイレにきた人は
「いま、来たばかりだ」というようなことを言っていた。そこで、開幕と同時に
「延寿太夫」という声が、かかったというわけだ。

さて、「隅田川」だが、これは、拙著「ゆるりと 江戸へ」にも書いたように、
母の情愛がテーマだ。「梅若伝説」(また、「伝説」だ。こちらは、隅田川と
いう土地に根を生やした伝説)をもとにした能のなかでも大曲である。人買いに
さらわれて、京から東国の隅田川まできて、病に侵されて、12歳で死亡した梅
若。地元の人たちは、塚を作って梅若を葬ってくれた。1年後、息子をさがして
隅田川を訪れた母・班女の前は、狂気の人であった。地元の人を代表して舟人が
狂気の母に良くしてくれる。この演目は、母の情愛とそれを見つめる舟人の感情
を、ふたりの演者が、どう演じるかがポイントだ。私は、2回目の拝見。前回は
雀右衛門(班女の前)、舟人(梅玉)だったが、今回は雀右衛門(班女の前)
は、同じで舟人が、富十郎であった。結論を先に言えば、雀右衛門は前回同様、
きちんと母の情愛を出していて、とても良かった。さらに、今回の富十郎は、息
子を思う余りに狂気の世界に入り込んだ母親に対する同情を過不足なく表現して
いて、前回より遥かに密度の高い舞台を見せてくれた。「去年の弥生に(略)習
わぬ旅の労(つか)れにや ひと足だにも歩めじと この川岸にひれ伏しを 情
知らぬ人買いは 幼き者を路次に捨て」と、舟に乗って現れた舟人が仕方話で説
明する。12、3歳の少年は、名を梅若丸と言ったという。班女の前の持つ笠と
小枝を「梅若丸」に見たてて、少年の最後を母親に伝える舟人の所作の肌理の細
やかさ。泣き崩れる班女の前。舟人は彼女を舟に乗せ、梅若の塚に案内する。舟
は動かさずに、川に生えている草々が、下手に移動する。舟を停めるときも、舟
につけられた「移動する穴」に棹を括りつけ、縄で結わいつける、という大道具
の工夫。野辺の花を摘み、班女の前に手渡す舟人の、男の情愛。時の鐘が、都合
6回鳴り、母親の狂気と情愛の狭間を、これでもか、これでもか、という感じで
詰め寄る。せっかく舟人から手渡された男の情愛の印の花々も、女の情よりも優
る狂気の母の情愛が、花々を一本一本手許から落としてゆく。そういう女の、母
の哀しみを、包み込むような広い気持ちで見守る舟人。このときの富十郎の、男
の優しさを表現する眼差しが、なんとも言えないくらい、良かった(富十郎には、
孫のような、遅くに生まれたわが子に対する父親の情愛があるのかもしれない。
この人は、自分の結婚以来、芸に幅ができたような気がする)。これは、同じ舟
人でも、残念ながら梅玉では、まだ表現できないだろう。

「隅田川」は、2回しか見ていないが、雀右衛門は、これを得意とした歌右衛門
の舞台が見れない状況では、彼が最高の「班女の前」ができる立女形だろう。そ
うすると、あとは舟人だが、こういう役は、富十郎が良いのだろう。雀右衛門
と富十郎の「二人椀久」同様、こういう演目では、この二人が当面では、最高な
のではないか。「隅田川」、「二人椀久」という演目は、海外公演でも、言語や
国情の違いを越えて、大きな反響があると聞くが、それは万国共通の、母の情愛
や男女の愛、人間愛という感情が、誰にでも判りやすく伝わると言うことだろう。
隣の席で泣いていた女性客の姿が印象的であった。

「雪暮夜入谷畦道」は、4回目の拝見。直次郎役で言えば、吉右衛門、團十郎、
仁左衛門、そして今回は菊五郎。この4人の「直侍」では、今回の菊五郎が最高
であった。芸の細かさ、江戸の無頼のリアリティなどでは一番ではないか。團十
郎には、男の色気があり、吉右衛門には、男としての人間の幅があり、仁左衛門
には、色悪の魅力があるが、上方色が、江戸の無頼の邪魔をする。三千歳役では
、雀右衛門(2)、玉三郎、そして今回の福助だが、これについては、後で説明
したい。4回目の拝見なので、詳しい筋の展開の分析は止める。

「入谷の蕎麦屋」では、「蕎麦屋」を論じたい。蕎麦屋の壁にあった貼り紙には、
「御連れ様の外 盃(ただし、これは絵で表現していた)のやり取り 御断り申
し升」というのと、「覚(おぼえ)」という、蕎麦や饂飩、酒の代金表があった。
二八蕎麦、饂飩代が16文、天麩羅蕎麦代が32文、玉子とじ蕎麦代が48文、
酒が一合30文、上酒が40文などと書いてある。さらに、「貸売一切御断申升」
という貼紙も。名作歌舞伎全集では硯の貸し借りでは「筆には首がない」と、蕎
麦屋の仁八に言わせているが、菊五郎の「直侍」は、筆の首を口にくわえると、
筆の首が取れるように演技をし、代わりに取り出した楊子の先を噛んで、これに
墨をつけて、三千歳への手紙を書くなど、すべて手慣れた感じの芸が細かい。

このとき、「直侍」は、酒と蕎麦を飲み食いするが、この蕎麦の色が、いかにも
白い。「二八蕎麦」は、蕎麦粉8分、饂飩粉2分で、つくるものだが、歌舞伎座
の舞台で使う蕎麦は、歌舞伎座3階の歌舞伎蕎麦から取り寄せていると言う。食
べ物のような「消えもの」は、燃料、壊すもの、破るものなどあるが、すべて劇
場の別会計で用意すると言う。蕎麦も「消えもの」なので、歌舞伎座で用意する
のだ。実は、歌舞伎蕎麦の、隠れた流行りものは秋田名産の「稲庭うどん」だと
いうのは、ご存じだろうか。白い蕎麦は、何も不思議ではないけれど、「嫌に白
い」蕎麦が、私には気になった。「稲庭うどん」なら、蕎麦のように細いし、舞
台で「出番待ちで」伸びないためにも「饂飩」の方が、都合が良いのではないか。
観客には、蕎麦と思わせて、実は饂飩だったというのなら、おもしろかろうと思
ったが、実際に3階の歌舞伎蕎麦の、私の知り合いのKさんに、問い合わせたと
ころ、「あれは、間違いなく蕎麦です」という答えが返ってきて、がっくり。歌
舞伎蕎麦特製の手打ち蕎麦で、3階で、幕間に出している蕎麦と同じものを使っ
ていると言う。今月は、毎日、午後2時15分に、舞台へ、「配達」している
という。伸びるか、伸びないかは、やはり大問題なので、舞台の進行に合わせて、
タイミングよく準備するのに気を使うと言う。何ごとも裏方さんは、大変です。
だから、今月、歌舞伎座の昼の部に行かれる方は、是非、菊五郎より、一足早く
「入谷の蕎麦屋」の蕎麦を、3階の歌舞伎蕎麦の蕎麦で堪能してください。それ
から、舞台の菊五郎の、蕎麦の食べぶりを、じっくり見てください。「ああ、
私と同じ蕎麦を音羽屋が食べている」という、この役者と’観客の一体感が、芝
居には大事です。ちなみに、蕎麦に「湯」ならぬ、「水」をさすようで気が引け
るが、「直侍」が食べるような「かけ蕎麦」は、3階の蕎麦屋には、ないそう
です。だから、幾らで歌舞伎座が、舞台に蕎麦を提供しているかは、教えてく
れませんでした。

さて、「入谷大口屋寮の場」では、花道を歩く直次郎が、七三のところで、立ち
止まると傘に雪が降り積もるのだが、このとき、とうぜんのことながら花道では
「雪は降らない」。本舞台では、雪の降りが激しくなる。歌舞伎というのは、決
して直接的ではなく、あるいは、説明的ではなく、こういう形で、状況を表現す
るのだ。

さて、20日ぶりの、直次郎と三千歳の逢瀬の場面が、ここのクライマックス。
一日千秋の思いで、恋いこがれていた三千歳のところに、直次郎が別れを惜しみ
にやってくる。捕まれば死罪か遠島という直次郎が、逢いに来てくれた。いまの
映画なら性愛の場面だろう。最近見た映画「年下のひと」というのは、19世紀
の女性作家・ジョルジュ・サンドと年下の恋人、美貌の詩人・ミュッセとの
激しい恋の物語であった(5月に、東京の「ル・シネマ」で公開予定)。互いの
人生を決定的に変えてしまう程の恋。ふたりの性愛の場面が美しかった。それ
は、三千歳と直次郎の間にもある。歌舞伎の舞台では、性愛を露骨に描くことは
ない。江戸時代にも幕府が、たびたび取り締まった。

歌舞伎の舞台で、濃厚な性愛を感じさせる場面では、「盟三五大切」の小萬と
三五郎の舟のなかでの「情事」や「小猿七之助」の七之助と滝川の小屋のなかで
の「強姦」(客席からは、もちろん見えない)などが、私には思い浮かぶ。「大
口屋寮」では、二人の「性愛」の場面は、セックスを見せないで、二人っきりに
なったあとの、立ち居ふるまう二人の所作(それは、背中合わせになりながら、
互いに手を握りあったり、直次郎に寄り添いながら、三千歳が右肩から着物をず
らしたりする。座り込み、客席の後ろ姿を見せる三千歳、立ったまま、左肩を引
いて直次郎の方に振り返る三千歳、髪を整えた後に、珊瑚の朱色の簪を落とす三
千歳などの姿、抱き合う二人)や、こより、煙管、火箸などの、小道具の使い方
で、濃密な時間の流れを感じさせる。それは、雪のなか、下半身丸出しの、着物
を端折った姿で歩く直次郎、二重の屋体の部屋の上下の障子を開け放したままの、
逢瀬の場面などに共通する、「粋の美学」、いや「意気地の美学」に、裏打ちさ
れた、黙阿弥の「性愛の美学」なのではないか。

映画ならセックスシーンになるところと同等以上の濃密な時間の流れを、三千歳
(福助)、直次郎(菊五郎)が、演じてくれたかどうかが、私の今回の最大の関
心事であった。最近読みはじめたバリー・ユアグロー「セックスの哀しみ」では、
こう書いている。「私たちは抱きあって何分も何分もキスをつづけ、たがいの
暖かな息を吸い込み、一時間おきに目ざめるたび、二人とも悦びに包まれて、た
がいの輝く瞳の奥にまじまじと見入るのだった」とある。

行かなければ、追っ手がくる。だが、行かせたくない、三千歳「殺して行って下
さんせ」というやりとり。寮番・喜兵衛の「少しも早くここをお逃げなされませ」
という台詞で、「新口村」の孫右衛門を思いだした。まさに、同じ雪の世界。ど
んどんという太鼓の音の高まり。追っ手に捕らえられ、直次郎「三千歳」三千歳
「直さん」直次郎「もう此の世では、逢わねえぞ」。映画のようにセックスを直
接的には表現しないけれど、それと同等の、性愛の濃密な時間の流れが(花道の
傘を持つ役者の演技と誰もいない本舞台で降る雪のように)、歌舞伎座の舞台か
らも伝わってきた。
- 2000年3月18日(土) 0:05:16
2000年 3月・歌舞伎座
          (昼/「春霞歌舞伎草紙」「江戸城総攻」   
             「隅田川」「雪暮夜入谷畦道」)

〜その1〜
今月は、12日に、昼・夜通しで拝見したが、仕事の方が、年度の切り替え時期
の多忙で、時間がなく、観劇評を全部がまとまってから、このコーナーに書き込
むとなると、暫く時間がかかりそうなので、とりあえず、昼の部、それも、「そ
の1」(「春霞歌舞伎草紙」、「江戸城総攻」)と「その2」(「隅田川」、
「雪暮夜入谷畦道」)にわける形で、書いておきたい。函館のSさんのご希望に
より、今月の歌舞伎座の観劇日を、彼の上京、観劇の日程に私も合わせた。

まず、「春霞歌舞伎草紙」は、出雲のお国(阿国)と名古屋山三(なごや・
さんざ)の物語。歌舞伎座では30年振りの上演と言う。今回は時蔵(阿国)と
染五郎(山三)だが、30年前は、雀右衛門と猿之助だった。筋書に掲載されて
いる白黒写真の、若々しいお国と初々しい山三の、なんとも素敵なこと。名古屋
山三、つまり名古屋山三郎は実在の人物で、母は織田信長の姪にあたるというか
ら、その美貌は、織田家の血筋だろう。蒲生氏郷の小姓で、すこぶるつきの美男
だったようで、それだけにプライドも高く、同僚と刃傷事件を起こして死亡(美
人薄命なら、美男も薄命か)。その結果、美貌で風流を愛する伊達男の「代名詞」
になり、かぶき者の、いわば代表として、たくさんの華やかな恋愛伝説を残した。
お国の夫、愛人などとして、歌舞伎の始祖・お国とペアで、いつしか歌舞伎の源
流に位置するように、フィクションとして作り上げられていった人物のようだ。
歴史と歴史離れの、二重構造の物語(つまり、伝説)の典型的な人物像の造型と
言えよう。お国の方も、出生地不詳、生没年不詳で、何人かの、女歌舞伎たち、
いわば「お国」たちの伝説の、「集合名詞」のようになって伝えられている。

柳田国男のよれば、「伝説」とは、「植物のような」「ある一つの土地に根を生
やしていて、そうしてつねに成長してゆく」という。これに対して、「昔話」
は「動物のごとく」「ほうぼうをとびあるくから、どこへ行っても同じ姿を見か
ける」ということになるが、ここの二人も、「名古屋」山三であり、「出雲」
阿国でありで、土地と密接な関係のある名前で、歌舞伎400年の歴史の、永遠
のトップバッターという栄誉を担っている。お国の方も、本来は出生地不詳なの
だが、まあ、ふたりとも「伝説」になるだけの、パワーのある人たちだった。

服部幸雄「歌舞伎の原像」のなかの、「初期歌舞伎の一画証」は、大和文華館本
「阿国歌舞伎草紙」の考察だが、「阿国歌舞伎草紙」を紹介したのは山東京伝の
「骨董集」下之巻が最初であるという。その絵は、阿国の念仏踊りのお陰で、山
三の亡霊が呼び出されるという、「能様式」の発想をした絵である。それも、
阿国の踊る舞台に客席から山三の亡霊はたちあらわれるのである。つまり、歌舞
伎は花道などないような初期の歌舞伎から、すでに客席(客席は、すべて花道)
と舞台との連係という「劇場空間」を想定したと言えるのである。ここが、歌舞
伎とほかの演劇との決定的な違いと、私は思っているが、前置きが長過ぎるので、
それはさておき、とりあえず、今月の歌舞伎座である。

幕が開くと「都の春の花盛り」という、長唄にあわせて、花道から歌舞伎踊りの
一座のうち、女歌舞伎と若衆が先触れのように二人で登場。一方、舞台の四拍子
のうち、笛は、なんと、でんたろさん、こと田中伝太郎ではないか(でんたろさ
んの舞台は、私は2回目)。いつもの、きりっとした表情で、今回は、何故か右
の耳に、黒っぽいイヤフォンのようなものを入れているように、我が遠眼鏡では
見える。でんたろさん、あれは何だったのでしょうか。それとも、私の見間違い
か。最近目も遠くなってきた。

傾城のような大きな傘で守られながら、お国(時蔵)一行が遅れて登場する。総
勢21人が、花道に並ぶ。まるで動く風俗浮世絵巻のようだ。花道に並んだ一行
は、やがて念仏踊りを花盛りの背景の舞台いっぱいに繰り広げるが、私には、
花道で踊りもなく、歩いたり、立ち止まったりしているときの、一座の方が、よ
り華やかに見えた。それは何故かと考えたのだが、つまり、花道では、背景は何
もない。足下の「地」に、花道の板があるだけで、「天」、「東、西、南、北」
の、いわば「五方向」には、何もない(ちなみに、「六法」とは、天地東西南北
のこと)。あるのは、客席を埋めた観客の、厳しい視線ばかり。そういう何もな
い状況で、役者の生身とそれを包む衣装だけ、という極限が歌舞伎踊りの一座を、
より華やかに見せたのではないか。いわば、幾何学で言えば、限られた「実線」
だけの、素っ気無い世界で、逆に役者が、くっきり、輝いて見えたのではないか。

ところが、本舞台に上がれば、背景もあれば、充分な照明もある。舞台上手と下
手には、長唄、三味線、四拍子の人たちもいる。役者を囲む舞台の「補助線」の
数々。そういう、いわば華やかな「援軍たち」が、役者の肉体や衣装を、華やか
な舞台に、逆に溶け込ませてしまい、かえって、役者の存在感を希薄にさせたの
ではないか。そういう意味で、「春霞歌舞伎草紙」という舞台は、亡霊の山三が、
どろどろという太鼓の音で、舞台が薄暗くなり(なにせ、亡霊の出である。亡霊
に魅入られる状況なのだろう)、舞台中央奥のセリで上がってきたあと、暫くし
て山三が刀に手を掛けると、刀の「霊験」あらたかで(亡霊に刀が打ち勝つ、と
いうことだろう)、ふたたび、舞台が明るくなり、お国とその一行の一座の面々
を交えて、山三が本舞台で踊る場面の、見た目の華やかさのあるときには、本当
の舞台の見せ場は、すでに終わっているということではないのか。実は花道の向
こう揚幕から一座の面々が、歩いてきて花道七三に、お国が立ち止まった辺りま
での、お国を前後に包み込む一行の、この「歩きの芸」こそが、この演目「春霞
歌舞伎草紙」の、まさに真骨頂ではなかったのか、と思ったのだ。

まあ、それでも舞台は続く。お国と山三は、流行りの歌舞伎踊りに興じるが、や
がて、人込みのなかに紛れ込む山三と、それを追うお国。ふたたび何回かの、ど
ろどろがあり、刀の霊験も消えかけてゆき、ついには花道のすっぽんから山三は
姿を消してしまう。舞台に倒れ込むお国。「おかへりあるか名古山(なごさん)
さまは、送り申そよ木幡まで、(略)八千代添うとも名古山さまに、名残惜し
さは限りなし」という念仏踊りに、長唄が被(かぶ)さる。緞帳にて、幕(今回
の、この観劇評は、花道以前と花道までの部分が異様に長いのに、本舞台になる
と簡略になる、というスタイルを意図してとった。我が劇評の、この過激さは、
「春霞歌舞伎草紙」の、演出の真骨頂としての、花道出端三七からすっぽん七三
までの、「歩きの芸」論という、我が主張にあわせた、工夫魂胆という、苦心の
論理構築なのだ)。

「江戸城総攻」は、真山青果が、大正から昭和初期に、10年近くをかけて完成
させた新歌舞伎の3部作の第1部。ちなみに第2部は「慶喜命乞」、第3部
は「将軍江戸を去る」。いずれも、見ている。この新歌舞伎は、汽笛(あるいは
砲声か)の録音された効果音で、緞帳があがる。この舞台では、録音された効果
音が多い。このほかにも、水音、馬の蹄の音、銃声、小鳥、官軍の進軍の音など
もあった。今回の舞台は「その1 麹町半蔵門を望むお濠端」(なんと、いまの
国立劇場のあたり。ちなみに、地下鉄の半蔵門駅から国立劇場に行くときに、見
かける、いつも警察官が警護している建物は、警視庁の警視総監官舎である)、
「その2 江戸薩摩屋敷」で、青果3部作では、第1部の第1幕と第3部の第1
幕から、構成されている。その1とその2の、間には、なんと「数日後の江戸薩
摩屋敷」という字幕が、スライドで上映されるという、この「歌舞伎離れ」ぶり。

先日見た新派「瀧の白糸」の方が、「効果音で緞帳があがり」は、いっしょでも
幕間には、歌舞伎の木とともに、お馴染みの定式幕が、何度か、舞台上手から引
いてこられたのとは逆で、新派よりも、歌舞伎らしくないほどだ。さて、團十郎
の西郷は、薩摩弁でまくしたてる。幸四郎の勝は、寡黙で、腹の芸。その対照
の妙が、この台詞劇の特徴なのだろうが、團十郎の薩摩弁と喜劇の「ワッ、ファ
ッ、ファ」本舗の総裁のような、わざとらしい高笑いは、先月の「毛剃」の長
崎弁のときより、演技過剰で、私はあまり好きになれなかった。我当の山岡鉄太
郎は、「お濠端」の場面で、ちょっとしか出てこないが、風格があり、良かった
と、思う。「薩摩屋敷」に出てくる村田新八(團蔵)と中村半次郎(東蔵)は、
函館のSさんも言っていたが、仁からいえば、「人斬り半次郎」の方が、凄みの
出せる團蔵にあっているのではないか。私もそう感じた。

幕府から焼き討ち攻撃を受けたあとの薩摩屋敷らしく、焼けただれた塀や桜、松
、破れた壁や障子、壊れた屋根瓦など。座敷きには、「征討大将軍」と「軍事
参謀」の、大きな垂れ幕が飾ってある。この薩摩屋敷は、いまのJR田町駅近
くの戸板女子短大のある地区ということで、庭の向こう側には、江戸湾が見え、
軍艦も浮かんでいる。汽笛(時代の激変を告げる)は、これか。いずれにせよ、
花道を一度も使わず、額縁芝居に徹していた。新派より歌舞伎離れをしている演
出で、新派など女優がいるだけで、「旧派」の歌舞伎役者だけでも、「新派」
劇ぐらいできるよ、という作品か。私が今月見たかぎりでは、新派VS歌舞伎は、
歌舞伎の方が、度量が大きくて、歌舞伎に軍配があがったと、思う。
歌舞伎座・昼の部〜その2〜につづく。
 
- 2000年3月16日(木) 23:36:01
  番外編〈新派〉 
2000年 3月・国立劇場(大劇場)
          (「滝の白糸」)
                      
今月、東京では、泉鏡花原作の舞台が、ふたつ同時に公演されている。3・3が
初日の、日生劇場「海神別荘」(玉三郎、新之助、秀太郎、弥十郎、上村吉弥、
左團次)。3・4が初日の国立劇場「滝の白糸」(八十助、二代目水谷八重子ほ
か)。このうち、「滝の白糸」を初日の昼の部で拝見。初日の前日に急な話があ
り、急きょ、拝見することになったのだが、一緒に見に行くはずだった人の体
調が悪く、当日の朝になって、泉鏡花についての評論を書き、講演もしている作
家の秦恒平さんをお誘いして、ご一緒に観た。

実は、私は新派劇を生の舞台で見るのは初めてである(花柳章太郎〈新派の「女
形」〉、大矢市次郎、水谷八重子らの舞台を以前にテレビでは見たことがある)。
新派とは、明治の半ばに「日本改良演劇」として始まった「壮士芝居」、「書生
芝居」に端を発すると、「歌舞伎事典」には書いてある。明治時代になっても、
当時で300年の歴史を持つ歌舞伎=芝居(「芝居」とは、歌舞伎のことを言っ
た)という時代に、芝居のジャンルのなかに分派が生まれ、歌舞伎=旧派を否定
する形で、新派が旗揚げされた。新派は歌舞伎の持つ荒唐無稽さや様式性を否定
し、「写実芸」を売り物にしたという。私の幼い頃の記憶にも「新派大悲劇」と
いう言葉が残っているように、「金色夜叉」、「不如帰」、「婦系図」などの小
説を劇化して、リアルな「悲劇もの」で演劇的にも成功した。

歌舞伎を長年見なれてきた江戸や明治の時代の人にとって、新派のリアリズムは
驚きだったのだろう。女形の替わりに女優が舞台に上がるというだけでも、新鮮
だったろう。私は、ここ数年歌舞伎を観てきた。新劇や現代の小劇場の演劇、か
ってのアングラ演劇は以前から舞台を観てきた。ところが、新派の舞台は、今回
が初めてだから、歌舞伎=旧派と新派との関係で舞台を観るという観点に的を絞
れば、いわば、明治の人たちと同じことになる。そういう眼に新派がどう写った
か、ということを今回の「滝の白糸」の舞台に追いかけながら書いてみるのもお
もしろいだろう。

まず、緞帳(当時は、小芝居の象徴であった)。録音された効果音が館内に響く。
定式幕も、拍子木も、下座音楽もなく芝居が始まる。第1幕(「序幕」ではない)
「石動の建場茶屋」の屋体。「御休處」の大きな暖簾が屋体中央の奥に裏返しで
掛かっている。人力車や馬車が通る北国街道は、屋体の向こう側という設定だ。
歌舞伎の舞台なら、茶屋の屋体も、客席側を向いていて、暖簾も屋体下手に掛か
っているのではないか。効果音の蝉の声が役者の台詞との間で、大きくなったり
小さくなったりする。真夏の昼前。明治時代には録音こそないだろうが、擬音を
いろいろ工夫したのではないか。それにしても、下座音楽がない舞台と言うのは、
新鮮かも知れないが、なにか物足りない(すっかり、明治時代に初めて新派を観
た人の気持ちになっている)。

第1幕が終わると、なんと木が入り、定式幕が上手から閉まってきたので、驚い
た(いや、明治の人なら「安心」したか。やっぱり、これでなければ「芝居見物
の気分にならねえや」とでも)。

第2幕は「卯辰橋」。舞台中央に斜に橋の欄干だけがある。花道から出てきた水
芸の芸人・「滝の白糸」(八重子)。花道七三で立ち止まり、後ろを向き客席に
顔を見せる白糸(このあたりは、歌舞伎調なので、安心して観ている)は、「将
棋の駒散らし」の衣裳。本舞台に白糸が上がると廻り舞台が廻って、橋が客席
と平行になり、白糸は橋を渡る。欄干が徐々にセリ上がってくる。下手から樹々
を描いた書割が出てくる(この辺は、歌舞伎と同じ)。上手から「階段」の大
道具が引き出されてくる。橋を渡った白糸は、向きを変えてこの階段を降りて、
舞台中央にある橋の下の河川敷へ降りて行く。橋の欄干は、さらにセリ上がり、
橋桁が全て見えてくる。橋の下の小舟で寝ている村越欣弥(八十助)。白糸と
欣弥の出会い(物語の筋としては、再会)の場面。この辺りの廻り舞台や橋の大
道具、セリの上げ方などは、歌舞伎にない立体的で、継続的な動かし方で新鮮に
見えた。舞台上方に移動した橋の欄干と人力車をひいて俥夫が通りかかるという
演出も新鮮だったろう。

第3幕「水芸の舞台」では、「滝の白糸さん江」と書かれた贔屓からの引き幕・
「祝い幕」(「贈り幕」とも言う)。これが上手に引かれると、歌舞伎の浅黄幕
のような横縞模様の紅白の幕が、舞台を隠している。「(歌舞伎のように)振り
落とすのかな」と思っていると、緞帳のように引き上げられて、水芸の舞台へ。
舞台で水芸を披露しながら白糸の衣裳は、後見と黒衣の手で、歌舞伎のように
「引き抜かれ」て、瞬時に衣裳の早変わりとなる。水芸の舞台が終わって、「祝
い幕」が引かれると、舞台下手から白糸と口上の春平が、「幕外」でのやりとり
の後、花道から向こう揚幕に、歌舞伎同様に引っ込む。新派と言っても、「新旧」
両方(つまり、歌舞伎の演出が随分残っている)の演出が混在しているのが判り
始めた。

第4幕「福助座の楽屋」。3年後の秋。水芸の白糸と「南京」出刃打ち芸の寅吉
(安井昌二)との確執。背景に日清戦争による社会的な昂揚感がある。兼六園近
くの夜道で寅吉に金を奪われ、出刃を投げ付けられる白糸。その後、廻り舞台
の外、本舞台下手にいる白糸を「残したまま」、廻り舞台が廻って「六勝亭の裏
手」の場へ(こうした廻り舞台の使い方は、歌舞伎ではあまり見かけない。歌舞
伎では役者を乗せたまま動かすのではないか)。助けを求めて白糸が裏木戸から
入り込んだ「六勝亭」。すると、裏木戸は、塀ごと左右に引き込まれる(ここは、
歌舞伎と同じ)。亭内の庭で、白糸は泥棒と間違われ、持っていた出刃のはずみ
で、人殺しをしてしまう。

第5幕「再び石動茶屋」。3年前は夏。今回は秋。茶屋の屋体中央の奥に裏返し
で掛かっている「御休處」の大きな暖簾も紺色に替わっている。書割も秋の風情。
殺しの場に残された寅吉の片袖と出刃を証拠に寅吉は囚われの身で、証人とし
て出廷を促される白糸。白糸がいなくなると、白糸の送金で、東京で勉強をして
検事代理に出世した欣弥と老母。八十助の台詞回しは、当然ながら現代劇調。し
かし、大道具はここまでは、歌舞伎の屋体と似ている。ところが大詰の「裁判所
法廷」と「監獄署の一室」では、大道具も歌舞伎の屋体とは異なり、すっかり
現代劇調である。芝居はクライマックスで、偽証をしていた白糸が法廷で3年ぶ
りに再会した検事代理・欣弥に真実を告げる場面。死刑を宣告され収監された白
糸。監獄署を訪れてきた欣弥の老母から、白糸の死刑宣告後、欣弥が自殺したこ
とを知らされる。この辺りで、「歌舞伎調」なのは、監獄署の外で降る雪の、小
さい四角い紙片だけであった。

幕切れの幕は、再び緞帳。しかし、驚いたことに閉幕後、木が鳴り、「しゃぎ
り」の下座音楽があったこと。明治の頃の新派の演出がどうであったかは判らな
いが、いまの新派の演出でも、歌舞伎調は、かなり残っているのか、意図的に
そうしているのか。いずれにせよ、初めての新派観劇はおもしろかった。

さて、秦さんとは、幕間の昼食をふくめて、鏡花談義、歌舞伎談義のほか、志賀
直哉から娘義太夫まで愉しい会話が弾んだことは、言うまでもない。
- 2000年3月4日(土) 21:29:24
2000年 2月・歌舞伎座
       (昼/「恋湊博多諷」「三人吉三巴白浪」*補記)
       (夜/「熊谷陣屋」「桂川連理柵・帯屋」
          「正札附根元草摺」「手習子」「お祭り」)
            
昼の部は、今月2回目。従って前回と重複しないように、新たに気づいたこと
のみを書く。歌舞伎のおもしろさは、毎回あらたな発見があると言うことだ。
毛剃九右衛門(團十郎)は、好調。本来、この物語は浄瑠璃の原作としては小
松屋宗七の物語だということで、今回は、主にそちらに視線を置いて拝見して
みた。船に乗り合わせ、抜け荷の場面を見てしまったばっかりに海に放り込ま
れ、無一物になった小松屋宗七(鴈治郎)は、女(小女郎)の身請けを条件に
毛剃の抜け荷の仲間に入るというのが、今回の舞台。ところが、原作では、身
請けした小女郎と、つかの間の所帯を持つが、抜け荷の罪が発覚し、親の情に
縋って落ち延びる(「梅川忠兵衛」の「新口村」に、よく似ているが、歌舞伎
では、めったに上演されない)が、ついに捕縛され、自決する。その後に恩赦
の話が舞い込むという、いわば「ついていない男」の物語だという。そういう
小松屋宗七(鴈治郎)には、例え後段の物語が、舞台で演じられないにせよ、
そういう心で演じているという余韻のようなものが感じられなければならない
だろう。ところが、歌舞伎では、序幕の「元船」の船の大道具の見事さ、毛剃
九右衛門を演じた歴代の團十郎たち(特に七代目、九代目)の創意工夫で、九
右衛門という役柄が舞台で、どんどん大きくなり、「楼門」の石川五右衛門の
ような歌舞伎を錦絵のように見せる、いまのような形になったようだ。これは
これでおもしろいし、私の当初の期待は、まさに船を使った錦絵歌舞伎への期
待であった。そういうことで、本来であれば序幕の脇役に過ぎない、単純だが、
気の悪くない「悪人」(なにせ抜け荷の主犯である)という毛剃九右衛門の独
特のキャラクター(一人だけ使う「長崎弁」(?)、手下たちは長崎弁など使
わないという、この奇妙さ、荒唐無稽さ)が形成されていったのだろう。つい
でに、言うと茶髪のパンチパーマの鬘の上に被っている帽子は「茶羅紗の釜底
帽子」というそうだ。さらに、九右衛門が語る長崎の話(七代目の工夫という)
のなかに出てくる「下大工町の「先得(せんとく)のコンプラ(金麩羅)」の
「先得」は、料理屋の名前だそうで、「コンプラ(金麩羅)」は、天麩羅かと
思ったら、「御用商人」のオランダ語とか。もっとも、料理のテンプラという
のは、このオランダ語からきている筈。さらに「コバ唐人(とうじん)」とか
「目ん玉の太か奴」とあるのは、江戸・深川島田町の木場(きば)に住んでい
た目の大きい七代目團十郎の風貌をさしている楽屋落ちと言う。

「汐見の見得」は、前回書いた通り九代目の創案だそうだが、元船(昔は、廻
り舞台の盆ごと廻ったようだが、その後の大道具方の工夫で、いまのように船
だけが廻るようになった)が半廻しになるなか、船の舳先へ進んだ九右衛門が
立ち止まり、左右を見た後、両手を上げる。さらに両手を両脇に廻してから、
大きく目を剥いて「汐見の見得」になる。さらに、船は廻り、上手より浪幕に
て、幕。この後の場面だが、前回は3階西袖の席で、花道がまったく見えなか
ったのであるが、今回は2階東桟敷き席だったので、きっちり拝見した。舞台
下手から黒衣により引き出された伝馬船が、浪布を敷き詰めた花道七三を過ぎ
た辺りに置かれる。浪布の下の「すっぽん」から浪布の切れ目を分けて、宗七
が船の上に這い上がってくる。幕間になると、黒い布で包み隠した伝馬船を大
道具方が押して、花道を逆に戻り、定式幕のなかに入れていた。

この後の「奥田屋」の場では、宗七が笠で顔を隠す、いわゆる「やつし」の恰
好で(「吉田屋」の伊左衛門の出に、よく似ている)花道を出てくる。宗七の
格好を見た奥田屋の禿が「太夫さん。太夫さん。京の宗七さんが『ものもら
い』になってござんした」という台詞を言うので、館内に笑いが広がっていた。
「奥田屋」「髪梳き」「奥座敷」(湊が見える座敷きで、唐風の焼き物の灯籠
が吊り下げてある)などの場の感想は、前回と変わらない。緑のビロードの洒
落た衣装に、羽織の紐が数珠繋ぎの赤珊瑚という九右衛門は、本来なら抜け荷
の品々の筈なのに、奥田屋皆に、お土産だといって、椀飯振舞いする。そのく
せ、役人の客改めには、へどもどするなど、本来の滑稽な脇役という人柄が出
ている。九右衛門が小女郎(芝雀)の願いを聞き入れて、身請けすることにな
るが、実は小女郎は宗七と添いたいためなのだが、それと知っても願いを叶え
る、太っ腹を見せる。海に投げ込まれた宗七が恨みを晴らそうと刀に手をかけ、
九右衛門とやりあう場面でも、九右衛門の方が大人で、器が大きい。この場
面で九右衛門の手下が宗七につっかかろうとするとき、九右衛門が6人の手下
を何回か、両手を広げて背中で止める場面は、「勧進帳」の弁慶を思い出す。
さて、九右衛門が零落した(九右衛門が零落させたのだ)宗七に対する小女郎
の心(情)に打たれて、身請けの金を約束通り出してやる代りに、宗七を抜け
荷の仲間に引き込む交渉をするのは、海に投げ出されながら、助かった宗七
の強運にあやかろうとする、抜け荷業者とは言え、海の男の心理などが伺える
し、九右衛門という人間は、単純明解で、非常に判りやすい人だと思った。抜
け荷の仲間に引き入れた宗七と九右衛門の6人の手下全員に身請けした傾城を
あてがい、ひとりだけ良い気持ちになって花道を引き上げるいる九右衛門は、
まさに稚気愛すべしなのだろう。芝雀は眼の演技で小女郎の情を充分出してい
た。鴈治郎は上方和事師の魅力たっぷり。田之助は、味がある。「よか、よ
か」とばかりに、騒ぎ唄にて、皆々向こうへ入る。幕。と言うことなのだが、
実は、主人公・宗七の本当の悲劇は、ここからが始まりなのである。

さて、「三人吉三巴白浪」は、舞台を良く見れば、判ることなのだが、物語の
重要な小道具となる脇差(庚申丸)と百両は開幕直後から観客の眼に曝されて
いる。その辺りの黙阿弥の作劇術の巧さ。伝吉(左團次)や和尚吉三(團十郎)
が、黙阿弥劇独特の、複雑な筋、巡る因果の案内役(キーパースン)になって
いるから、こういう役柄の人たちの台詞を聞き漏らさないようにすると、スト
ーリーの展開が良く判る。それと、今回は大川端から火の見櫓までなら3度目
の観劇ということで、三人吉三のうち、お嬢吉三(菊五郎)、お坊吉三(吉右
衛門)の同性愛(男と女装をした男という屈折はあるが)ぶりが、どのように
表現されているか、を見ようと思った。それで吉祥院の場を注目していたが、
お互いに「逢いたかった」という台詞はあるが、ただ、久しぶりという感じで
セックスまでしている情人同士の「愛の台詞」という感じではなかった。そし
て、いろいろな因果の縺れた糸がほぐれて「一緒に死ね」と言い合う下りでも
そういう情愛は伝わってこない。今月初めに拝見したときも感じたが團十郎の
充実ぶり、菊五郎の壷にはまった安定感に比べると、吉右衛門の存在感の弱さ
は、前回と変わらなかったのは、残念。お坊吉三は、やはり色気のある役者の
方が仁にあう。例えば、仁左衛門あたりが適役か。吉右衛門は本来、巧い役者
なのだが、お坊吉三は、あまりいただけなかった。

吉祥院の本堂の場面でお嬢、お坊のふたりが白幡に遺書を書く場面で、舞台は
廻って裏手墓地の場へ移動する。この場合、東2階の桟敷席からだと舞台がか
なり廻り込むまで、ずうっと本堂の場が見えるのだが、菊五郎、吉右衛門とも、
最後までふたりでなにか言い合うような演技を続けていたので、感心してしま
った。裏手墓地の場では、舞台が廻ってくると、和尚吉三(團十郎)が、出
刃を振り上げて、おとせ(萬次郎)十三郎(翫雀)が左右に別れて、犬のブ
チの模様のような斑点のある襦袢を見せた手負いの恰好で、廻り舞台が正面で
止まる。「畜生道」(幼いときに、別れ別れになっていた双子の兄妹の近親相
姦)の成れの果てに、実の兄貴の和尚吉三が、ふたりを死なせる(殺してや
る)ということで、この「三人吉三巴白浪」の、隠されたテーマは、先のお
嬢、お坊の同性愛と、あわせて異常性愛だということが判る。火の見櫓の場面
で、仕切られた木戸の左右(客席から見て)で、お嬢、お坊のふたりが、木戸
越しに手を取り合う場面のあと、お嬢吉三のいる右側の火の見櫓が、道具ご
とセリ下がり、左側の番小屋の屋根の上で、捕り方たちとやりあうお坊吉三だ
けを見せるのは、拙著「ゆるりと 江戸へ」で、強調したように、「クローズ
アップ効果」を狙った演出だと思う。ひとしきり、屋根の上での立ち回りを見
せた後、ふたたび、火の見櫓が、道具ごとセリ上がってきて、お坊吉三が屋根
から木戸に渡り、降りてくる。お嬢吉三の叩く太鼓の音で、木戸が開けられ、
花道から駆け付けてきた和尚吉三と3人が揃った後の、幕切れには、今回も
熱い拍手が送られていた。

ところで、陰惨な因果話の「三人吉三巴白浪」のなかで、笑いを誘い良い味を
出す役回りに源次(松助)がいるが、吉祥院の本堂の場面で源次が酒と軍鶏を
買いに行かされたり、軍鶏を料理したりする場面で、「坊主軍鶏に二年いやし
た」という台詞があるが、河竹黙阿弥の劇に登場する幕末の店はないものの、
東京・人形町に明治時代創業の「軍鶏料理屋」が、いまも健在で、営業をして
いる。

夜の部の「熊谷陣屋」は、4度目の拝見。直実役者で言うと、幸四郎が初見で、
これまでに2度拝見。あとは、仁左衛門が襲名興行のとき、今回が吉右衛門。
今月の歌舞伎座では、吉右衛門が3演目に出ていて、このあとの「帯屋」にも
出ているが、直実役は時代がかった台詞廻しと言い、メリハリのある所作と言
い良かった。私を歌舞伎熱にかからせたのが、「熊谷陣屋」だけに、この演目
は、誰が直実役をやっても良いが、私が見た4度のなかでは、仁左衛門が特に
良かったと思っている。それにしても「熊谷陣屋」は、現代的な歌舞伎だ。
仕事熱心で、亭主関白の男・直実と、息子・小次郎への母の愛だけで生きてい
る直実の妻・相模(いまの埼玉県熊谷市の家から直実と小次郎の仕事先の、い
まの兵庫県の須磨にある、この陣屋まで、来てしまう)息子・平敦盛のいた戦
場から難を逃れてきた、もうひとりの母・藤の方(相模の、かつての上司で、
相模が佐竹次郎時代の直実と一緒になるときに、力になってくれた。だから、
直実が敦盛の首を討ったので、仕返しをしたいと言う藤の方に協力するように
と言われると、協力を約束する)、それに、直実の上司の義経(敦盛の身替わ
りに小次郎の首を取れと、謎掛をしている)というのが、主な登場人物だから
だ。だから、「首実検」の場面も、仕事熱心で有能な部下たる直実が上司に、
業務報告をしているように見える。義経役は菊五郎で、私が初めて「熊谷陣屋」
を見たときの義経役の梅幸の息子だけに、梅幸を思い出した。相模役は雀右衛
門で、見応えがあった。直実も義経も男たちが、「タテマエ」の社会に生きて
いるのなら、相模も藤の方(時蔵)も女たちは、「ホンネ」のなかで生きてい
る。その対比が、並木宗輔の原作になる、この演目には明確に描かれている。
そのメッセージの鮮明さに、私は毎回感動する。直実は、遠寄せが聞こえてく
ると、いったんは身につけていた鎧兜の下から、墨染めの衣姿を見せ、武家社
会から、おさらばして、小次郎の慰霊をするために「住み所さえ定めなき」世
界へ転身して、「タテマエ」から「ホンネ」の社会へ行くように見えるが、そ
うではないだろう。「十六年は、一昔、アア、夢だ、夢だア」という有名な台
詞を言って、気持ちよくなっているが、取り残される相模(雀右衛門)は、そ
の間、頭を下げて下を向いたまま、微動だにせずに、なにかに耐えているよう
で、圧巻であった。私は「相模は、直実に2度騙される」という解釈をしてい
るので、雀右衛門の相模の心情の理解は正解だと思う。それにしても、「熊谷
陣屋」は、何回見ても、その内容を噛み締めれば噛み締める程、いろいろ味の
出てくる演目だと思う。

「帯屋」は、初見なので愉しみにしていた。40歳の中年男(と言うより当時
なら初老の歳だろう)と若い女性の悲恋の物語だが、娘・お半と丁稚・長吉の
ふた役を演じた鴈治郎の芸域の広さを見せつけた芝居。京都の帯屋の長右衛門
(吉右衛門)は養子である。養父・繁斎(又五郎)は理解があるが、繁斎の後
妻に入った養母・おとせ(竹三郎)が、連れ子の義兵衛(坂東吉弥)のふたり
は長右衛門を虐めて追い出し、帯屋を自分達のものにしたいと、思っている。
長右衛門には、良妻・お絹(雀右衛門)がいる。そこまでは、普通の家庭だろ
う。この程度の、不和ぐらいどこの家庭、どこの職場でも抱えているだろう。
ところが、この物語には、もうひとつ問題がある。いまで言う「不倫」。それ
も、帯屋の隣にある「信濃屋」の若い娘・お半と旅先での偶然の出会いから男
女の仲になってしまったのだ。享保年間(18世紀前半)に京都の桂川に流れ
着いた50男と10代後半の娘の遺体という実際の出来事をもとに、人形浄瑠
璃や歌舞伎が作られた。まさに、いまのワイドショー同様、格好の話題になっ
たことから、このような物語が作られた。律儀で分別もあるという長右衛門と
一度体の関係を知って、一途に慕情をつのらせる、匂うばかりの娘・お半。
そういう状況を知りながら夫・長右衛門を非難するどころか、庇おうとする女
房・お絹。それなのに、長右衛門はおとせ、義兵衛の嫌がらせに、ジッと耐え
るばかり。なんとも、うっとしい役柄なのだ。お絹の献身振りも、いまの時代
を生きる私たちには辛い。「長さままいる」という、お半から長右衛門に宛て
た手紙が義兵衛の手に入り、長右衛門をいびる。信濃屋の丁稚・長吉が呼ばれ
るが、お絹に予め言い含められた長吉の証言で「長さま」は長吉のことと、逃
れることができるが、長右衛門は、お絹に本当の事を告白する。それでも夫を
許すが、結局、そういう良妻にも、息苦しい思いを抱く長右衛門は、以前にも
芸妓と心中未遂の体験者だけに、純愛を貫こうとする、お半が死のうとすると
後を追いかけて行くことになる。このあと、「道行思案余(みちゆきしあんの
ほか)」という浄瑠璃で、道行の場面が演じられるそうだが、今回は無し。吉
右衛門の長右衛門は、陰気で、男の色気も不足気味で、つまらない。2月の吉
右衛門は熊谷直実に尽きる。鴈治郎の長吉は、絶品。滑稽味溢れていた。それ
だけに、あとのお半が、いちだんと華麗であった。これは、鴈治郎の上方歌舞
伎の魅力が売り物か。憎まれ役の竹三郎と吉弥が好演。こういう人たちが味の
ある演技で、脇を支えてくれると、歌舞伎はいちだんとおもしろく
なる。奥行
きも出てくる。

「正札附根元草摺」「手習子」「お祭り」は、「春待若木賑(はるをまつわか
ぎのにぎわい)」という「大喜利」で、時蔵、歌昇、萬次郎、翫雀らの息子た
ちの、将来へ向けての舞台。


- 2000年2月26日(土) 21:43:00
  番外編〈人形浄瑠璃〉 
2000年 2月・国立劇場(小劇場)
          (「源平布引滝」三段目・四段目)
                      
人形浄瑠璃を、初めて生の舞台で見た(テレビでは何度か見たことがあるが、全
く違う、という印象だ)。だから、初めからお断りしておくが、人形浄瑠璃論も
しない(素人の印象ぐらいは述べたいが)し、歌舞伎と違って生身の役者がいる
訳ではないから、役者論もなし。ただ、観客の反応を見ていると、竹本の太夫や
三味線方の紹介の口上に、拍手の多寡があるところをみると、歌舞伎役者同様に、
それぞれ贔屓があるのだろう。人形遣いにも贔屓があるだろう。

国立劇場の3部構成の今回の演目は、1部と2部が「源平布引滝」の三段目・四
段目で、全五段の、この作品は並木千柳(宗輔)、三好松洛の合作で、私は次作
では、並木千柳(宗輔)を主軸に書きたいと思っているので、人形浄瑠璃を初め
て観るのに、彼の作品を選んだ次第。今回の公演では、人形遣いが人間国宝の吉
田玉男と吉田文雀の二人(ちなみに、3部は「染模様妹背門松」と「面売り」で、
こちらの人形遣いのなかには人間国宝の吉田簑助がいるので、人形浄瑠璃の初見
としては、こちらも観るべきだったかもしれない)で、ふたりの顔が立派で、終
始良い姿勢で人形の頭と右手を、主に操っていたのが印象的だった。竹本の人
間国宝では、竹本住太夫が3部の「染模様妹背門松」に出ていたので、浄瑠璃の
好きな人は、こちらの方を観るのかも知れない。今回の三味線方のうち人間国宝
は竹沢団六で、「源平布引滝」のうち「九郎助内の段」(歌舞伎で、最も良く
上演される、いわゆる「実盛物語」と同じ場面)では、憎まれ役の瀬尾十郎の最
初の出の所で、塩辛声の竹本伊達太夫(この人も風格のある良い顔をしていた)
と一緒に出ていた。いずれにせよ、初見で、なにも判らないので、太夫論にも三
味線方論にも人形遣い論にも触れない。

さて、「源平布引滝」は、歴史上の3大歌舞伎と言われる「菅原伝授手習鑑」、
「義経千本桜」、「仮名手本忠臣蔵」が3年(1746年から48年まで)続け
て、人形浄瑠璃として、竹田出雲・千柳・松洛らの合作で上演された翌年(17
49年)、千柳・松洛のコンビの作品として竹本座で初演された。従って「源平
布引滝」も名作と言われている。「平家物語」や「源平盛衰記」を題材に、平清
盛、木曽義賢・義仲、多田蔵人行綱、斎藤実盛と手塚太郎光盛らが出てくる源平
闘争の絵巻である。本来なら初段の大内山で後白河法皇が源氏の白幡(旗)を木
曽義賢に賜るのが清盛の恨みを買い、平家方、源氏方の「旗をめぐる争い」が始
まる。布引滝(生田川上流で、神戸市東部の布引山中に、雄滝と雌滝が実際にあ
る)の龍神の憤り。「布引」とは、「旗(布)」をめぐる「争い(引き合う)」
を象徴させてのネーミングだろうか、そして「旗」は、つまりは、後白河法皇の
身と白幡の両方の争奪をめぐる争いのことか。

二段目のうち、「義賢最期」は、歌舞伎でもときどき演じられるようだが、「仏
倒し」という高二重中央の白州梯子に倒れ落ちるという、壮絶な最期を見せる演
技で知られ、現仁左衛門が孝夫の頃に演じた写真を見たことがある。今回の人
形浄瑠璃では、三段目が「矢橋の段」、「竹生島遊覧の段」、「九郎助内の段」。
四段目が「音羽山の段」、「松波琵琶の段」、「紅葉山の段」。五段目の木曽館
では、三段目で木曽義賢の奥方・葵御前から生まれた駒王丸が成人して義仲と名
乗って平家討伐に出立するまでの物語となる。三段目の前半は、歌舞伎の「実盛
物語」で、斎藤別当実盛が「物語る」もののうち、「過去の場面」も見せる。四
段目は初段や二段目で出てくる多田蔵人行綱が松波検校に化けて鳥羽の離宮(平
重盛の館に後白河法皇が幽閉されている)に潜り込み法皇救出を試みるうちに、
娘の小桜(義賢の娘・待宵姫と蔵人の間にできた)に逢うが、三人上戸(笑い、
泣き、怒り)の仕丁のうちの、「怒り上戸」の仕丁平次、実は難波六郎(初段に
出てくる平家方の武士)に見破られ、小桜が折檻を受け、さらに縄をかけられ、
紅葉の梢に吊るされるという責め場がある。蔵人と小桜が逃げ込んだ先の紅葉山
での、大立ち回りで幕。人形遣いには、歌舞伎で言う立役と女形があるのだろう
(それだけに「染模様妹背門松」で、お染を操る吉田簑助が見たかった)と、
推察されるが、人形を遣いながら、ほとんど無表情に近い人と、人形と同じよう
な表情をしながら人形を操る人といるのは、男と女の人形を操る所作の違いと、
あわせておもしろい。

人形浄瑠璃の舞台を初めて観た人でないと感じないような素朴な驚きについて、
まず述べておきたい。ひとつ、竹本の床(ちょぼ)の、立派なこと。歌舞伎の
竹本の床は、浄瑠璃の床のミニチュアという感じ。歌舞伎での出語りの床の3倍
ぐらいあるか。国立の小劇場とは言え、舞台は大きい(以前に何度か松尾塾子供
歌舞伎を、ここで拝見)。1部の開幕を前に(上演時間の15分ぐらい前)に、
三番叟の人形の舞いがあった。いつもやるのかな。引幕は、歌舞伎と違って、上
手から下手へと開けられた。舞台は、平舞台の上に、なんと言うのか知らないが
(いずれ調べる)、「裾」だか「袴」だか、という感じで、書割のようなものが
あり、人形の足が立っているように見える。人形遣いは、主な人形では3人で
担当し、1人は袴姿で素顔を見せる。残りの2人は黒衣のような衣裳で、面隠し
に烏賊のような形の袋(フルフェイスのヘルメットのよう)を被っている。軍兵
のような人形は、1人遣い。「段」の始まりを前に、黒衣が木を叩き、「とざい、
とざい」のあと、竹本の太夫や三味線方を紹介する口上。太夫が見台に座り、挨
拶した後、床本を両手に持ち、頭上に掲げるのも、初めての観客の目には新鮮に
映る。歌舞伎のような花道がないかわりに、同じ揚幕(描かれている紋が左右対
称)が、舞台の上手と下手にある。

「矢橋の段」(歌舞伎では「矢走浦」)では、白旗を持って逃げる「小まん」を、
平家方の「塩見忠太」が追ってくる。「義経千本桜」の「早見藤太」のよう。
逃げ場を失い、琵琶湖へ飛び込む「小まん」。舞台上手へ泳ぎ込む。書割と
「裾」が上と下へ移動すると、舞台が変わり、「竹生島遊覧の段」(歌舞伎では
「御座船」あるいは「湖上」)へ。舞台には「平宗盛」の御座船。やがて、下手
より「実盛」を乗せた小船が近付く(船頭の人形も3人遣い)。御座船の横腹が
「引き戸」のようになっていて、「実盛」とともに、3人遣いの人形師が御座船
に乗り移る。「小まん」舞台下手から泳ぎ出る。人形師たちが屈んで、泳ぐ「小
まん」を操る。書割の「裾」が、そういう人形師たちの動きやそれをサポートす
る黒衣たちの姿を巧く隠す。この「裾」の高さが、竹本の床の高さと同じである。

歌舞伎の大道具は、立体的で、いわば「箱」の積み重ねだが、人形浄瑠璃では、
垂直に平板な書割が観客席に向かって、いわば幾層にも多重になっていて、その
隙間を人形師らが動き回る。そう言えば、「能」(能は、国立能劇場などで何度
か観ている)の舞台は、水平に平板な舞台があるだけで、背景は決まり物の、松
を描いた鏡板があるばかり。こういう舞台の仕掛けの違いも、おもしろいし、味
わいがある。人形浄瑠璃の人形は、人間と比べたら、3分の2ぐらいの大きさか。
それにしても、想像していたより人形は大きいし、舞台も歌舞伎の大舞台よりは
小さいものの、思っていたより大きい。歌舞伎ですることは、ほとんどできるの
ではないか(歌舞伎の子役が演じるような「遠見」はあるという。廻り舞台はな
いか)。障子屋体のうち、観客席から見て側面の障子が、引き戸ではなく、上か
ら吊るされていたのはおもしろい。黒衣が、必要に応じて、はずしていた。

人形の演技は、役者顔負けの演技である。立ち回りで、軍兵が投げ飛ばされるの
は、歌舞伎の「とんぼ」より、迫力があった。幕切れでは、人形たちもしっかり
「引っ張りの見得」をしていた。おもしろく感じたのは人形が死ぬと、人形遣い
のうち、メインの人が、さっと身を引いて舞台から降りてしまうことだ。これは、
あたかも人形の魂が抜けていくようである。いまより信仰心の厚かった昔の人
は、我々以上に、そういうことは強く感じたのではないか。竹本の太夫らのサポ
ートに歌舞伎の黒衣と同じ、面隠し(顔の全面が、透けて見える薄い衣。人形師
の被る真っ黒い、烏賊状のものとは違う)をした人もいたが、舞台で木を叩いた
り、「口上」を述べたり、後見役をしたりする人たちは、やはり「黒衣」と言
うのかな。それとも歌舞伎のように大道具方と役割分担しているのかな。

さて、歌舞伎では生身の役者が、役柄の感情を所作、動作に加えて、表情も豊
かに演じることができるが、人形浄瑠璃では、人形は表情を、ほとんど変えるこ
とができない。それは、能の面が作られたひとつの表情だけで、役柄の感情も表
現するのと似ている。従って、人形浄瑠璃では、人形の所作や動作で、役柄の感
情を現す。その際、能では、演者の所作、動作は最小限であるが、観客の想像力
を掻き立てるという力を発揮できるようにならなければいけない。能の面を顔に
つけると、面のなかからの視野は限られ、あまり見えないという。そういう、い
わば「束縛」された状態を、(演者も観客も)基本的な前提条件として受け入れ
て演じるというのが、能であろう。一方、人形浄瑠璃の人形は、顔の表情こそ、
生身の役者のように変化させられないが、それ以外のことは、できるのだろう。
頭と右手をメインの人形師が遣い、残りの二人は、左手を遣う人、両足を遣う人
に分かれるというのは興味深い。歌舞伎で「馬の足」といえば、大部屋役者の役
割だが、人形遣いの「人形の脚」というのは、少し違うような気がする。初めて
人形浄瑠璃を見た私の目には人形の脚の動きが印象に残ったが、この脚の動きが、
人形の「生き死に」の印象を強く左右すると、思ったからだ。人形遣いが、1人
から3人に増えてきて、3人遣いで定着した歴史は、そこに意味があるのではな
いか。面や人形故、顔の表情の表現が限られるのを能では、観客の想像力で補い、
人形浄瑠璃では、手足の動きで、役柄の感情表現を補う。

それがそれぞれの芸能の独自性であり、それぞれの観客を魅了するポイントにな
る。いわば、マイナスをプラスに変える「魔法」は、そういう弱点を逆手にとり、
長所にする努力の積み重ねの歴史にほかならないように思う。

人形浄瑠璃の場合、生身の役者が持つ「生命的な雑音」のようなものを持ち得な
い人形という客体が、逆に「物語(物を語る)」としての、人物像をきっちり描
く。その結果、舞台で演じられる演劇の物語性を、より深めるということになる。
「源平布引滝」では、「実盛物語」の部分しか、私は歌舞伎と人形浄瑠璃の両方
を観ていないのだが、演劇としての物語性は、人形浄瑠璃の方が深いような印象
を持った(1回の観劇で結論めいたことを言うのは早計で、早とちりの可能性が
あるが)。並木千柳(宗輔)が人形浄瑠璃から歌舞伎に移りながら、短期間に、
また人形浄瑠璃の世界に戻った秘密は、この辺りにあるのではないかと、以前か
ら私は推察しているところがあるから、余計に、そう思うのかも知れない。

「遠眼鏡戯場観察」の番外編にしては、長くなり過ぎたと思うので、そろそろ
終わりにするが、今回三段目と四段目を国立劇場が、いわば通しで公演したのは
何故か、と考えてみた。国立のパンフレットには、その辺の公演の狙いは明記さ
れていないが、私はこう考えた。三段目と四段目には共通する登場人物はいない
(全五段で見れば別だが)。ところが、演劇としてのテーマは、共通して見えて
くる。三段目が「小まん」と伜「太郎吉」の母子の情が、母の蘇生という奇蹟を
産む。四段目では、「松波検校、実は蔵人」と娘「小桜」の父子の情が、小桜に
責め場を耐えきらせるし、男の「阿古屋の琴責め」ならぬ「検校の琵琶責め」の
末、一旦は苦境を脱するかにみえるが、誰もいなくなったあと、二人が抱き合い、
親子の情を発露させ、戻ってきた難波六郎に見とがめられる。三段目と四段目の
どちらを、あるいは段繰りの、どの段を、千柳と松洛が分担して書き分けたのか
、いま、ここでは詳らかではないが、いくつかの作品を観たり、読んだりしてき
た体験から言うと、母子の情の方に千柳の、強いテーマ性があるように思ってい
る。いずれにせよ、三段目と四段目は、母子と父子の、それぞれの「情愛」が、
あたかもシンメトリーのように、描き分けられていることは確かだろう。それが
今回の「源平布引滝」の「半通し」という公演形式の狙いではないだろうか。
- 2000年2月19日(土) 14:17:01
2000年 2月・歌舞伎座
          (昼/「恋湊博多諷」「三人吉三巴白浪」)
                      
今回はとりあえず、まず昼の部を見に行った。「恋湊博多諷」は初見なので、
愉しみにしていた。去年の6月、福岡の博多座の柿落としで、團十郎を中心に
演じたもので、毛剃九右衛門(團十郎)、小松屋宗七(鴈治郎)は博多座と同
じ配役。「国性爺合戦」と同じ近松門左衛門の異国情緒を加味した作品。文字
ヶ関(門司)や博多を舞台に、「抜け荷」(密輸)の海賊・毛剃九右衛門とそ
の一味の物語。「文字ヶ関元船の場」では、舞台いっぱいの、大海原に浮かぶ
大きな船が出てきて、これが廻り舞台でゆるりと廻る場面が、最大の愉しみで
あった。もう一つは、異国情緒たっぷりの九右衛門の蝦夷錦に五爪龍の文様の
唐服という衣装を拝見すること。そのために今回は、元船の内部が、上から良
く見えるようにと3階の席にした。浪の音にて幕が開くと、舞台に浪布、向う
浅黄幕。竹本「長門の沖の夕映えは、歌に詠むちょう文字ヶ関、下の関とも名
に高き、西国一の大港・・・」につづいて、浅黄幕が切って落とされると、舞
台いっぱいに木造の親船。背景は長門の沖の遠見。船の上には弥平次(團蔵)
ら4人が板付きで出ている。すかさず、3階席から「三河屋」の掛け声。掛け
声は、3階が館内のどこの席よりも迫力がある。船の下の方、小窓の油障子に
「山形に八の字」が書いてある。この、ちょっと気になる小窓が、あとで重要
なポイントになる。九右衛門も登場。あまり洗練されていない緑の衣装に茶の
どてら、頭には茶の、「正ちゃん帽」のような帽子を被っている。九右衛門の
「酒、もってこい」で、酒盛りが始まると、そういう風体には似つかわしくな
いような、洒落たギヤマン(ガラス)の容器に入った赤ワインとグラスが出て
くる。抜け荷で密輸をしたという訳だ。このあと、抜け荷の珍しい品がいくつ
か出てくる。團十郎は長崎弁の口跡も良く通り、演技に緩怠なところもなく、
好演であった。

博多までの約束で、抜け荷の船とは知らずに同乗していた京の商人、小松屋宗
七の鴈治郎だけは、上方和事師の白塗りで、九右衛門らに呼ばれて酒盛りに参
加するが、四方山話をする鴈治郎の声の通りが良くなかった。この話の最中に
宗七が、博多の奥田屋の傾城・小女郎と良い仲になっていると言うと、九右衛
門の機嫌が悪くなり、宗七はしらけた気分で船内に退散。その後、抜け荷の品
を積み込んだ伝馬船が親船に漕ぎ着くが、抜け荷を船積みする場面を、先ほど
の小窓から宗七に見られてしまい、正体露見を恐れる九右衛門らに、結局宗七
らは、海の中に投げ入れられてしまう。鉞(まさかり)を持ち、手下たちが宗
七らを次々に、海に投げ入れるのを見る九右衛門。さらに、その後、船の反対
側で、帽子を脱ぎ、センスのない衣装を脱ぐと、九右衛門は茶髪のパンチパー
マに、蝦夷錦に五爪龍の文様の唐服という豪華な衣装に変身して、船の舳先へ
移動。すると船が半廻しになり、舳先は舞台の正面に来る。仁王立ちで、正面
の海上(つまり、観客席)を睨む「汐見の見得」をする團十郎。この睨みは、
九代目創案の荒事の芸だ。このあと、両手を揚げ、睨み続ける九右衛門を乗せ
たまま、船はさらに、半廻しとなる。つまり、最初観客席に右舷を見せていた
船は、左舷を見せるように「居処替わり」をしたことになる。まさに、船が主
役の舞台であった。上手より、浪幕が引かれてきて船を隠すと、花道(ここに
も浪布が敷き詰められているはず)での宗七が、流れてきた伝馬船に取り付い
て助かる場面になるが、私のいた3階の席ではまったく見えず。台詞のみ聞こ
えた。とは言うものの、今回は3階席で、愉しみにしていた「文字ヶ関元船の
場」の元船を上から、たっぷり堪能したので、このウオッチングでも、この序
幕を長めに紹介した。

このあと、「奥田屋」、「髪梳き」、「奥座敷」などの場があるが、小女郎の
芝雀が、情のある女性を切ない程、可憐に演じていた。
鴈治郎も、こういう場面では、さすがに和事の年期が入っていて、安心して見
ていられる。奥田屋女房の田之助は、こういう役柄だと、この人はほんとうに
味がある。数人の仲居の役では、下手から3番目にいた芝のぶが、さわやかな
感じで良かった。蛇足だが「博多小女郎浪枕」という外題は人形浄瑠璃のとき
で、歌舞伎のときは「恋湊博多諷(こいみなとはかたのひとふし)」が多いと
言う。

幕間で、「きょうは初午なので、1階東側ロビーの外にある稲荷神社で、お汁
粉とお神酒をふるまう」という放送があったので、遠慮なくご馳走になった。
小さな神社の横には、役者衆、裏方の人たち(会社)、歌舞伎座の関係者たち
の寄付の金額を書いたものが貼り出してあって、これはこれで興味深かった。

さて、「三人吉三巴白浪」は、今回のような大川端から火の見櫓までなら2度
目で、大川端だけなら4度目。お嬢吉三(菊五郎)お坊吉三(吉右衛門)和尚
吉三(團十郎)と、油の乗り切った実力派ぞろいの舞台なので、愉しみにして
いたが、期待通りであった。特に團十郎が充実していた。敢て言えば、3人の
なかでは吉右衛門が、少し存在感が弱かった。もともと「八百屋お七」のパロ
ディーだけに、「八百久」(鶴蔵)が、最後まで節目節目に出てくるが、この
鶴蔵が、味を出していて押さえ役を果たしていた。こういう役柄の役者が好演
すると芝居に奥行きが出る。そういう意味では、伝吉(左團次)、おとせ(萬
次郎)、源次坊(松助)なども、要求される役柄を緩怠なく演じていた。もと
もと黙阿弥作品は、因果応報、家宝の庚申丸と100両の金、人間関係のもつ
れなど、複雑な筋を追ってゆくと頭が痛くなりそうだが、七五調の台詞(それ
も渡り台詞や割り台詞など)に代表されるように、良い気分で芝居の流れに乗
っていれば良いというのが、この人の芝居だと思う。今回の舞台は、メインも
脇も達者な役者が多く、充分堪能できる舞台だと思う。

4度目の演目なので、あまり細かいウオッチングはしないが、この外題は最初
「三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)」であったが、木屋文
里という、当時の役者で言えば市川小團次に当てていた役柄の部分が削ぎ落と
されて、いまでは「三人吉三」をベースにした物語に改められ、「三人吉三巴
白浪」になった訳だが、気をつけてみると、わずか7文字のなかに、「3」ま
たは、「3」を意味する文字(巴)が、3つも入っている。最初の外題より
「3」の意味合いが増している。それだけ「3」にこだわる芝居なのだろう。
実際の場面を追うと、「大川端庚申塚の場」での3人の出会い。「割下水伝吉
内の場」での、3人の夜鷹による大川端のパロディー、「吉祥院裏手墓地の場」
での、和尚吉三と実の妹・弟の「おとせ」と「十三郎」殺しの場面、吉祥院の
「元の本堂の場」での義兄弟の「お嬢」、「お坊」を助ける和尚吉三、最後の
「火の見櫓の場」での3人勢ぞろいの末、三つ巴になって刺し違える場面まで、
いずれも「三人吉三」の基本の数字「3」という枠組みは、絶対に崩していな
い。特に吉祥院の「裏手墓地の場」と「元の本堂の場」では、和尚の居所を三
角形の頂点にするのは、同じでありながら、実の兄弟を殺す場面と義兄弟を助
ける(とりあえず、生き延びるだけなのだが)場面では、男女の位置を逆にし
て、陽画と陰画のように、生死の別れる境界線を引いているように感じられた。
ついでに言えば「裏手墓地の場」で、水盃を3人の実の兄弟で交わす場面は、
大川端の義兄弟の契りで血盃を交わす場面のパロディーであるだろう。達者な
役者たちの芝居なので、最後の幕切れの観客の拍手には、勢いがあった。

今月の歌舞伎座昼の部の、もうひとつの隠し味は、2つの演目とも、水に縁が
あったこと、つまり、海と川との違いはあるが、「毛剃」も幕が開くといきな
り浪布、「大川端」も浪布であった。
さらに、幕外の私事で言えば、この芝居のなかでは、私の生まれ、育った「駒
込」、「巣鴨」が出てくるので、御当地贔屓にならざるを得ないのは許してい
ただきたい。

- 2000年2月6日(日) 21:36:25
2000年 1月・歌舞伎座
          (昼/「廓三番叟」「矢の根」「義経千本桜〜吉野山」
             「松浦の太鼓」)
          (夜/「双蝶々曲輪日記〜角力場」「京鹿子娘道成寺」
             「壇浦兜軍記〜阿古屋」)

昼の部では、「廓三番叟」のみ初見。郭の座敷きの態の本舞台奥、真ん中から
下手にかけての障子が開くと、出囃子の雛壇。赤い毛氈の一番下、右手で笛を
担当しているのが田中伝太郎。わが所属するメーリングリストの主宰者だが、
私は彼の表舞台の晴れ(?)姿を見るのは初めて(いつもは、黒御簾のなかに
いることが多い)なので、こちらも緊張してしまう。傾城千歳太夫(時蔵)、
新造梅里(孝太郎)の二人を前に、囃子方では誰よりも早く音を出すので、
「初日は、きっかえを間違えた。二日目は能管(黒くて太い笛で、音量豊か)
と篠笛(枯れた竹の笛で、細い音色)の吹き分けをするのだが、それを間違え
た」とか、いつもの冗談口調で書いていたので本当か嘘か不明だが、なにか
とちりやしないかと、こちらも本気になって心配になっていたのだ。しかし、
19日目というわけでもないだろうが、力の籠った「ピー」という音が、綺麗
に出て一気に舞台に華やぎを与えると同時に、鶯の啼き声のする、江戸の春の
郭の世界へと「タイムスリップ」させてくれたのは、さすがだ。本舞台奥、真
ん中から上手の庭遠見は、松の木の雪吊り。座敷きに置かれた衣桁には、傾城
の艶やかな打掛が架けてある。上手床の間の天袋や引き出しには梅の木の模様。
床の間に置かれた黒い漆の箱には、鶴の絵が描かれている。梅を描いた中啓や
正月のお飾りなども飾られている。舞台左右は竹に梅の銀襖。すべて、正月の
郭の座敷の態の華やかさ。「三番叟もの」は、いろいろバリエーションがあ
るが、基本は能の「翁」であろう。ならば「かまけわざ」(人間の「まぐあい」
を見て、田の神が、その気になり(=かまけてしまい)、五穀豊穣(=ひいて
は、郭や芝居の盛況への祈り)をもたらす)という呪術、それは「エロス」
への祈りが必ず秘められている。まして「廓」という、「エロス」そのものの
場に、書き換えた演目である。遊女の手練手管や間夫との遊びの様、太鼓持
ち(歌昇)も加わっての総踊りでは、「現(うつつ)なの戯れごと」、「三
つ蒲団」、「廓(さと)の豊かぞ祝しける」と、長唄の文句も色っぽくなる。
傾城の持つ閉じた中啓と太鼓持ちの杯で、それを象徴しているのか(形状から
見れば逆のような気がするが)。

「矢の根」は、残念ながら羽左衛門が休演で、五郎は息子の彦三郎の代役。大
薩摩文太夫は孫の亀三郎。舞台中央に高足の二重。前、両褄に市松模様の揚障
子があり、中は見えない。舞台上手に白梅、下手に紅梅。遠見は春霞たなびく
山々と、こちらも新春らしい。代表的な江戸歌舞伎の荒事だけに、大薩摩で、
暫く無人の舞台。「矢の根」は、3回目。八十助。橋之助と見ている。今回は
今年の年男(と言うことは、84歳)羽左衛門が最高齢の五郎を演じるという
ので、愉しみにしていたのだが。彦三郎の台詞廻しは、口の中に声が籠ってい
る。台詞に江戸方言が多いだけに、もう少し明瞭にしてほしい。「矢の根」は
歌舞伎十八番のなかでも、最も短い演目だが、「シンプル・イズ・ベスト」で、
荒事のモデル作品だろう。五郎の動作は、矢を砥石で研ぐところなど、もとも
と荒事らしいメリハリがある。年始に来た大薩摩文太夫との絡みでは「はやば
やとの出語り御大儀に存じます」とあるが、昔は、本物の太夫が山台から降り
てきたそうだが、大薩摩の語れる役者はいないのか。女形では「阿古屋」が、
琴も三味線も胡弓も、実際に演奏するのだから、立役で、竹本もできるという
役者が出てきても良いのではないか。太夫から年玉にもらった宝船の絵は、五
郎が後ろ向きになって、観客にも絵を見せてくれる。絵を砥石の下に敷き、砥
石を枕に眠る場面では、後見が寝そべった上に、五郎が寝るという形で、五郎
の寝姿を豪快に見せている。大薩摩の立三味線が、右肩を脱いで、下に着てい
る赤地の衣装を見せて、三味線を弾くのも音楽の荒事と言われる大薩摩らしく
て良い。ほかに宗十郎の十郎。羽左衛門三男の正之助の馬士は好演。

「吉野山」は7回目。忠信では菊五郎、梅玉、猿之助(2)、團十郎(2)、
そして今回は勘九郎。静は雀右衛門(2)、芝翫(3)、鴈治郎、今回は玉三
郎。藤太は、三津五郎、東蔵、翫雀、段四郎、八十助、今回は猿弥。清元の
延寿太夫が雛壇にいたが、髪に白いものが増えたようだ。確か勘九郎と同じぐ
らいの筈だから、まだ40歳代後半。子どもの頃は勘九郎と一緒に役者をやっ
ていたと言う。背景の書割が、いつもの「吉野山」より、山が奥深い。ここで
も、鶯の啼き声が効果的。師走と正月と2ヵ月続けて、歌舞伎座での共演とい
う玉三郎と勘九郎。本当にお雛様のように可憐な舞台。この芝居は藤太の芝居
でもある。藤太の出来が悪いとおもしろくない。猿弥は、捨て台詞(アドリブ)
も良かったし、全体に味があった。以前に見た藤太では三津五郎、八十助の親
子2代が良かった。花四天との絡みでは、さまざまな見立てがおもしろい。忠
信の後ろでは狐らしく「鳥居」、藤太の「操り人形」や「駕篭乗り」など。
四天が絡むと芝居に「歌舞伎味」が増す。

「松浦の太鼓」は吉右衛門で、2度目。これは落語の味のする芝居だ。序幕の
大川端の場面は、雪の町遠見、両国橋詰の小屋、蛇の目傘と言い、安藤広重の
浮世絵の世界。松浦邸の場では、お縫(玉三郎)が、男たちの句会の芝居の傍
ら下手で、昔ながらの作法で、淡々とお茶を何度も入れ直す所作が良かった。
やかん、焜炉、急須、茶椀などといっしょに、白いポット(水指し)があっ
たが、あの時代にも、こういうものがあったのか。松浦侯の身のまわりには、
火鉢、煙草盆、小机、脇息(きょうそく)、刀掛などの小道具がある。松浦侯
は殿様としては、二流の人であろうし、善人だろうが、かなり単純な人柄であ
ろう。そういう殿様を、吉右衛門は巧く演じていた。全体を通じて、松浦侯
は本人ばかり、良い気持ちになっている。周りの気持ちへの想像力に欠ける。
でも、こういう人って、いますね。源吾の妹・お縫の気持ちを結局は弄んでい
るが、昔の殿様には、こういう人が多かったのだろうと思わせる。そういうリ
アリティが、この芝居にはある。こういう役柄をさせると吉右衛門は本当に巧
い。松浦侯が落語の殿様なら、討ち入りの赤穂浪士・大高源吾(勘九郎)は、
講談調で、討ち入りの様子を語る。源吾が腰に差して菱形の板に「お」と書
いたものは、討ち入りの認識票のようなものか。
其角(又五郎)は、俳諧師の味を出していた。

夜の部では、「角力場」、「阿古屋」が愉しみ。まず、「角力場」では、演舞
場と共演の富十郎の放駒長吉と、昼の部最後の松浦侯に引き続いての吉右衛門
の濡髪長五郎。まず舞台上手には、角力の小屋掛けで、力士への贔屓筋からの
幟、取り組みを示す12組のビラ。木戸口の大入りのビラ。見物客が入ってし
まうと、木戸の若い者が「客留(満員の意味)」のビラを張り、木戸を閉める。
江戸時代の上方(大阪・高麗橋のたもと)の相撲風情が楽しめる。舞台下手に
は「出茶屋」そばにお定まりの剣菱の菰被りが3つ積んである。小屋の中は見
せないが、昔は小屋を観音開きにして、内部の取り組みの場面を見せる演出も
あったという。いまは、声や音だけで処理。結びの一番(濡髪対放駒)が終わ
り、打止めで、仕出しの見物客が木戸からゾロゾロ出てくる。筋書の出演者を
見ると男18人、女5人だが、やけに多く見える。二廻りしているのかな。
次いで、木戸から放駒の出。富十郎は今回昼の部は演舞場で、「弁天娘女男白
浪」を終えてから、人力車で歌舞伎座へ移動していると言う。次に出てくる吉
右衛門の濡髪を、より大きく見せるために(と言うのは濡髪の木戸の出は、昔
から押し出しの立派さを強調するため、役者などが工夫を重ねるポイントにな
っている)、草履を履いている。濡髪は木戸から扇子を持った手が見えるが、
上半身はあまり見えない。黒い衣装に横綱の四手(しで)の模様、歯の高い駒
下駄を履いている。二人が舞台で並ぶと濡髪の大きさが目立つ。濡髪贔屓の与
五郎(歌昇)は、典型的な「つっころばし」を好演。語源通りに、何度もつっ
ころばされていた。濡髪と放駒のやりとりでは、勝負にわざと負けた上で、頼
みごとをする濡髪のやり方を怒る放駒の言い分が勝ちだろう。芝居でも、そう
主張する放駒の座っている床几を蹴倒す濡髪。通しではなく、「角力場」だけ
を見ているといくら濡髪を立派だと褒めても、敵役の雰囲気は残る。濡髪の
持つ黒地の扇子には、片方に白い軍配と赤い房の絵、もう片方に赤い弓の絵。
濡髪は敵役の印象を残さないで、力士としての豪快さを出す工夫を役者がどこ
までできるかがポイントだろう。さて、本当の軍配はどちらに・・・。
今回の吉右衛門は、残念ながらそこまでの味がなかった。

「娘道成寺」は、6回目。勘九郎は2度目。ほかに、玉三郎、雀右衛門、芝翫、
菊五郎。男のドラマの「勧進帳」と女のドラマの「娘道成寺」は、歌舞伎の舞
踊劇の双璧で、いつ見ても見応えがある。白拍子・花子も、弁慶も胸に一物を
持ち、周りをたぶらかしてでも、「目的」を達成する戦略家である。衣装を
替え、演じる女性もさまざまで、「女の百態」とまでは、いかないが、見えな
いものも見せなければならない難しい踊りである。歌右衛門のは、テレビでし
か見ていないのが残念。

「阿古屋」は、初見。玉三郎の演奏は、見事であった。本舞台高二重の堀川御
所の門注所。いつもの襖絵に笹竜胆の幔幕で、源氏方を示す。出語りの竹本は
4連で、役割分担。勘九郎は、爽やかな捌き役。憎まれ役の岩永に弥十郎、人
形振りで滑稽味を強調。花道から阿古屋が、前後を捕手に挟まれて、登場。
孔雀模様の豪華な帯。蝶と大柄の白牡丹の模様の打掛。しかし、遊女なので、
足は素足。通称「琴責め」の詮議の場で、琴、三味線、胡弓と、次々に演奏
するが、琴には竹本の三味線で合奏が入る。三味線では、長唄の三味線が下手、
黒御簾前に出てきて合奏。唄も支援(玉三郎の低い歌声が、途中からしっかり
聞こえてきたので、何故だろうと思ったら、下手の長唄が、合唱していた。さ
すが、巧い)。胡弓では、玉三郎の独奏に、竹本全員が合唱。いずれにせよ、
歌右衛門の「琴責め」が見れない以上、この役をこなせるのは、当分玉三郎し
かいないだろう。景清への愛(生まれてくる子どもへの慈しみも)と真実への
思いを胸に秘めて、毅然とした態度を崩さない阿古屋という女性像は、充分に
感じ取れた、良い舞台であった。


2000年 1月・新橋演舞場
      (夜/「義経千本桜〜鳥居前」「身替座禅」「助六由縁江戸桜」)

いずれも何回か見た演目。「鳥居前」は、忠信を、辰之助、猿之助(2)で見
ている。今回は八十助だが、これが良かった。通しではなく「見取り」で上演
するときは、気がつきにくいが早見藤太の出る場面は、「吉野山」であれ、
「鳥居前」であれ、基本的に同じ。今回は、歌舞伎座で「吉野山」、演舞
場で「鳥居前」ということで、忠信、静、藤太の競演となった。特に藤太は、
ほぼ同じ役回りだから、比較されよう。歌舞伎座の藤太はすでに触れたように
猿弥。こちらは、亀蔵。捨て台詞含めて、猿弥の方に味があった。八十助の忠
信は役になり切っていた。口跡も良かった。去年8月歌舞伎座の勧進帳で弁慶
を演じたあたりから、一皮剥けたような気がする。團蔵の弁慶も黒と赤の衣装、
隈取などの扮装含めて滑稽味のある金棒を持った「鬼」(ある種の弁慶のパタ
ーンではあるが)、あるいは「ピエロ」という感じで、「無念無念と拳を握り、
ついに泣かぬ弁慶が、たしない涙をこぼせしは、忠義ゆえとぞ知られける」で
は、勧進帳の「ついに泣かぬ弁慶も、一期の涙ぞ殊勝なる」の、重々しい、
厳粛な弁慶(この弁慶は、スーパーマンだろう)とは、違った駄々っ子の
ような、人間味が出ていた。さて、歌舞伎では「ついに泣かぬ弁慶」だが、
実は「弁慶上使」でも、弁慶は泣いている。ほかに辰之助の義経、芝雀の静。

「身替座禅」は、ベテランの菊五郎(右京)と田之助(右京奥方・玉の井)が
味のある熱演で、充分に楽しめた。松助の太郎冠者も良かった。

「助六由縁江戸桜」は、新之助の青年・助六が劇中の助六も、このくらいの年
の想定なのだろうなあ、という感じが強くした。新之助の演技もきっぱりと
していて良かったと思う。ただ、台詞廻しが現代劇ぽい部分が、ままあり気に
なったが、これはこれで「新之助味」とも言えるような気がする。いずれ、助
六は市川家の家の芸だけに、これからも何度か、海老蔵、團十郎と襲名ごとに、
新しい工夫を重ねた役作りを新之助が見せてくれることだろうと期待する。
雀右衛門の揚巻は、安定感はあるものの、台詞が一息で言えなかったのが気に
なった。美貌、貫禄、伝法が揚巻役者の3要素と言われるが、かなり重い衣装
(確か40キロぐらいあると雀右衛門は、書いていた)で、助六に次ぐ長丁場
の出がある役だけに、体力も大事だろう。寒さの正月公演で「矢の根」の羽左
衛門途中休演、「こもち山姥」の芝翫の一時休演などあるなかで、雀右衛門さ
んには、ご苦労様と言いたい。助六では、菊之助の白玉が、すぐあとに出てく
るだけに、演技の重厚さ以外に、体力、年齢まで比較されてしまう辛さがある。
白酒売り、実は曽我十郎の八十助は、先の忠信と違って、いつもの八十助に戻
っていた。なよなよとした、滑稽味のある十郎を好演していた。私の夜の部の
収穫は、八十助だった。助六という芝居は、実はこうした主な役者の外に主役
がいる。それは、吉原という町そのものだ。三浦屋という店先で演じられるド
ラマは、助六と意休の対決だけではない。だから、この芝居を見るときの、最
後の判断基準は、町が描けているかどうかということだ。あるいは、この町
で暮らす人たちが、舞台で活き活きとしているかということだ。その意味で、
今回の舞台では通人(松助)、遣手のお辰(鶴蔵)、国侍(十蔵)、福山
かつぎ(男寅)、意休子分の門兵衛(ごちそうの團十郎)、朝顔仙平(辰之助)
などが、活き活きとして来なければならない。

さて、中村時枝が、白玉付きの振袖新造の早咲という、名前のある役で正月の
舞台を飾れたのは何よりであった。私の座席は今回、本舞台から2列目、花道
の上手側2番目であった。花道七三で、演じるときには、私たちの真横という
位置で、役者衆の爪先が見え、顔は真下から見上げるという感じであった。助
六は、小道具では、傘が大事な役処だが、揚巻、白玉、そして助六の傘の内側
を、とっくりと見た。いずれも大きな傘だが、内側の傘の骨を止める部分は、
いずれも5色だが、配色が全て違っていた。ただ、この場所は、花道の鳥屋か
らの出や引っ込みを見るためには、ほとんど真後ろを向かないと見えないとい
うことで、あまり良い席ではない。特に、助六は、出の花道での演技が長いか
ら、たびたび振り返ると、しまいには疲れてくる。

処で、今月は東京だけでも3ケ所で歌舞伎公演があり、大阪でもあるというこ
とで、歌舞伎の盛況ぶりは、ご同慶の至りだが、一種集団劇が魅力という面も
ある歌舞伎のファンとしては、脇役が薄くなり、奥行きがなくなるのは心配だ。
実際、今回は、お弟子さんたちを、あちこちに分けた役者衆も多かったよう
だ。
- 2000年1月23日(日) 21:09:30
99年12月 ・歌舞伎座 
                    (昼/「吉例寿曽我」「勢獅子」「奥州安達原」「釣女」)
         (夜/「大杯觴酒戦強者」「酔奴」「籠釣瓶花街酔醒」)

昼の部では、「釣女」以外は初見。「吉例寿曽我」は、2000年を間近に控え
て1900(明治33)年の竹柴其水原作という、100年まえの作品を借りて、
曽我物の名場面をオンパレード方式でまとめたもの。猿之助演出、猿之助一
門総出。五郎・十郎の「対面」の物語をベースに「助六」あり、「忠臣蔵」あり、
「ひらがな盛衰記」あり、「五右衛門」ありで、自分の歌舞伎の知識を検証す
るのに好都合。石段のだんまりもどきの立ち回りから、「がんどう返し」で「高
楼の場」へ、大道具が変わるなど、歌舞伎の荒唐無稽さを楽しみながら、歌
舞伎の入門編のような舞台になっていた。春猿、亀治郎の二人が匂い立つ
ような色香を発揮していた。
今回は2階に西桟敷席で拝見したので、せりで上がってくるときの、舞台裏の
様子やがんどう返しで石垣が上がるにつれて、足の位置を変えて姿勢を直す
様子などが見てとれて勉強になった。


「勢獅子」は、之も曽我物。舞台下手の積物が剣菱で祭りらしさを盛り上げて
いた。團十郎と梅玉の二人が達者な踊りを披露。百獣の王 ・獅子の演目だけ
に、百花の雄 ・牡丹が描かれた扇子を二つ組み合わせて、蝶々に見立てて
いた。

「奥州安達原」は、近松半二らの合作もの。それだけに半二の影響があり、
「吉野川」や「二四孝」ほどではないが、上手、下手の舞台が対照的に作
られていた。下手は「白の世界」、上手は「黒の世界」と見受けた。
下手は、白い雪布と雪の世界。上手は、上方風の黒い屋体(黒い柱、黒
い手すり、黒い階段)。
前半で猿之助の袖萩は、花道から本舞台に上がっても下手の木戸の外だ
けで終始演技していた。白い雪の世界は、悲劇の女性の世界。雪衣も登
場。
木戸(枝折戸)が、女と男の、二つの世界を分ける境界線。上手木戸のう
ちには黒衣と言う、対照的な演出。祭文の語りが終わって、袖萩の使って
いた三味線が袋に入れられ雪衣に渡された後、雪衣はこの三味線に白い
布をかけてから、しまっていたのには感心した。

袖萩の悲劇的な要素を、増幅するのが娘のお君。袖萩の祭文の語りとお
君の躍り、さらに霏々と降り続く雪が、愁嘆場の悲しみを盛り上げる。客席
のあちこちで目頭を押さえる人の姿が目についた。今月の子役も先月の歌
舞伎座「先代萩」の子役同様、しっかりした演技で良かったと思う。
雀右衛門も幼い頃、名子役で、初代吉右衛門の袖萩と一緒に出たときに、
降り続く紙の雪が吉右衛門の顔に張り付いてしまい、それがおかしくて、
舞台で笑い、吉右衛門に叱られたと、彼が書いた「女形無限」という本に出
てくる。

袖萩の死後、中納言に早変わりした猿之助は、今度は舞台中央から上手
で「黒の世界」、「男の世界」を貞任へのぶっかえりも含めて、武張って演じ
ていた。
「白の世界」と「黒の世界」を結ぶのが、老女 ・ 浜夕(東蔵)の、重要な役
割と見た。
ここでも、2階の桟敷席ならではの、舞台裏が見えた。自害をして遺体にな
っていた役者が、黒衣のもつ黒い消し幕の後ろで、すたすたとすばやく歩い
て姿を消すのが見えた。
竹本出語りの葵太夫が熱演で、舞台を盛り上げていた。終了後歌舞伎座
を出て、三原橋の交差点で、楽屋から出てきた葵太夫が眼鏡をかけてマス
クをして(寒風から咽を守ると見た)いたが、観劇後の人たちは、多分彼を
葵太夫とは気がつかなかった人のほうが多いだろうと思う。

「釣女」は、以前に醜女・吉右衛門で拝見。吉右衛門も良かったが、今回の
團十郎も良かった。大名・猿之助、太郎冠者・勘九郎、上臈・玉三郎、醜女・
團十郎という豪華な顔ぶれで、評判もよく、今回も「待ってました」の掛け声
とともに、幕が上がった。太郎冠者・勘九郎と醜女・團十郎の掛け合いは、
楽しく「奥州安達原」の泣きとあわせて、文字どおりの泣き笑いで、師走の
観客を堪能させていたと思う。
二人は新たな芸域に挑戦していた。特に最近新たな分野への挑戦で、進境
の著しい團十郎は、本人自身楽しみながらやっているように見受けられた。
気持ちの良い滑稽さで、心の芯からあたたまる感じがした。一方、大名・猿之
助、上臈・玉三郎の二人は、安定しているものの、従来の境地から脱却して
いないと思われ、物足りなかった。

夜の部「大杯觴酒戦強者」は、「五斗三番叟」「勧進帳」「鳴神」「魚屋宗五郎」
など酒呑みが主人公の演目。團十郎の酒呑み役の演技については、これま
でにも、このコーナーで書いたことがあるが、私はいまの役者衆では、一番巧
いと思っている。今回は、もう一人の酒呑みを猿之助がどう演じるかを楽しみ
にして見た。團十郎は、やはり巧かったが、はたと気づいたことがある。團十
郎の巧さは、あの「口跡の悪さ」という欠陥故ではないか、ということである
(古いビデオなどと見比べると團十郎の口跡の悪さは、ここ2、3年ですこぶる
改良されてきたと思う。私自身は、最近は余り気にならなくなった)。声が口に
隠る「口跡の悪さ」が逆に、酔ったいる声に相応しいと思うのだ。それは、猿之
助が團十郎と「酒戦」をして、杯を大きなものに変えながら、お互いに酔いを深
めていくはずなのに、最後まで「名調子」の台詞回しで、全然酔いが感じられ
ないのと対照的だった。

演技ととしては、團十郎が体全体を使って、上下に動かしながら大杯を呑み干
す様は、なかなか良かった。一方、猿之助は体を左右に揺すりながら大杯を呑
み干していた。演技としては、いずれ劣らぬと見えたが、猿之助の台詞では、
酔いの深まりが感じられなかった。
この「大杯」は滅多に演じられない演目だけに、楽しんで拝見したが、「酒呑み」
が出世に繋がると言う話だけに、忘年会や新年会で酒を呑む機会が増える時
期だけに、喜んでみていた人も多いのではないか。

「酔奴」は、「猿翁十種」の一つ。先代の猿之助が戦前に初演。以後先代と当
代の猿之助が本興行で6回演じただけと言う上演の回数の少ない演目。竹
本が「文楽座」の仕立てで出てくるのもおもしろい。これも酒呑みの話。笑い
上戸、泣き上戸、怒り上戸を表情の早変わりで、巧みに演じてみせた。おか
め・ひょっとこなどのお面で、三者三様の変化を見せる「奴道成寺」と同趣向で
楽しめた。大川を行く屋形船、竹馬、むしろ、荷車などの道具が効果的で、寒
さを表わしていた。
酔った奴が寄りかかった荷車が立ち木に当たり、木の上の雪が、どさっと落
ちるのも良かった。

「籠釣瓶花街酔醒」は、2度目。いずれも八ツ橋は玉三郎。次郎左衛門は、
前回が幸四郎、今回が勘九郎。玉三郎の花道の笑顔は、彼の舞台しか見
ていないので、歌右衛門、雀右衛門、鴈治郎らが、どう演じているか知らない
ので、比較のしようがない。でも玉三郎の笑顔は、少し違うのではないかと感
じたことだけ書いておきたい。
勘九郎はよかったが、次郎左衛門の役柄を、随所で増幅してみせる役は、下
男の治六(東蔵)ではないか。その東蔵が、なかなか好演で感心した。この人
の今月の舞台では「安達原」の浜夕も慈愛が出ていて良かったし、治六も主人
への忠誠心が溢れていて良かった。脇の演技では、今月はこの人が最高だっ
た。九重の道中では、時枝が紫色の衣装で芸者役で出ていた。夜の部は、2
階の花道の上の奥の席だったので、花道は七三の演技が、かろうじて役者の
顔が見えると言うぐらいだったが、二幕目第一場から第二場への、廻り舞台で
は、役者衆が書き割りの、空いた隙間を通って舞台裏へ入っていったのは、時
空の隙間に人が飛び込んでいくように感じられて、「歌舞伎=江戸時代へのタ
イムスリップ」を、目の当たりに見るようで楽しめた。
立花屋、兵庫屋などの店の中は、廊下と各部屋の壁の色が、きちんと仕分け
されていて良く判った。
芝翫の吉原の裏も表も知り尽くしたような「おきつ」。九重の松江の情愛。新造
の芝のぶ。芸者の芝喜松。白倉屋万八の四郎五郎。いずれも持ち味を出して
いた。七越の笑三郎、初菊の亀治郎の匂い立つような美しさ。立花屋の2階か
ら見える遠見の大屋根の上にあったのは、防水槽か。
実直で人の良い次郎左衛門が妖刀「籠釣瓶」に魅せられて、八ツ橋を殺して、
さらに下女を殺して、殺人鬼に変化(へんげ)してゆく様も良かった。勘九郎の
熱演。玉三郎も二人の男のなかで、本心を明かさない花魁の悲しさを、ほとん
ど表情を変えない冷たい演技で好演していた。
最後の倒れ方に「鷺娘」などの踊りの新工夫が生きていたように思う。





- 1999年12月13日(月) 22:57:17
99年11月・歌舞伎座   「顔見世歌舞伎」  
           (昼/「先代萩」「団子売」「浮塒鴎」)
           (夜/「蘭平物狂」「素襖落」「壷坂霊験記」
              「龍虎」)

「顔見世歌舞伎」だけに、歌舞伎座正面には恒例の櫓が立つ。劇場正面
入り口下手には、清酒「大関」の積物。華やかで良い。

昼の部「先代萩」は、仁左衛門が楽しみ。
序幕「鎌倉花水橋」の場。黒幕の背景。ドンドンドンドン・・・、とい
う大間な太鼓の音。官蔵ふくめ諸士12人が登場。頼兼(時蔵)を待ち
伏せる。駕篭に乗った頼兼登場で、13人の「だんまり」もどきとなる。
基本は立ち回りだが、諸士が頼兼の肩を揉んだり、頼兼が飛ばした下駄
を持って来たりというユーモラスな立ち回り。黒幕の振り落としで、背
景は川端の遠見。角力取・谷蔵(彦三郎)が、助太刀に。諸士との立ち
回りで頼兼への道案内を示すという、ここもユーモラス。

二幕目「竹の間」と三幕目「御殿」の場面は、基本的に女同士の争い。
政岡(菊五郎)と八汐(仁左衛門)の確執が見物。貫禄の政岡と憎々し
い八汐の対比を堪能した。4回目の「先代萩」だが、八汐は仁左衛門で
2回、團十郎と勘九郎で、それぞれ1回見ている。八汐は仁左衛門が一
番。芝雀の「松島」も良い。この人は、最近一段と父親・雀右衛門に表
情が似てきた。
この二つの場面を見ていて、女性たちの年齢を考えてみた。人生50年
の時代である。まず腰元たち(「御殿」では、時枝さんも八汐側の腰元
として、上手から二人目に坐っていた)は10代だろう。目の周りの紅
色が初々しい。口紅も鮮やか。お歯黒は、当然つけていない。政岡、沖
の井(田之助)、松島は、目の周りの紅、口紅、お歯黒と、いうことで
20代後半か、30代前半の既婚者というところか。八汐は顔に紅色は
ない。口紅も塗っていない。お歯黒のみ。笑うと縦に皺が出る。30代
後半から40代前半か。仁木弾正の妹で、独身というイメージ(お歯黒
をつけていたから既婚か)の、いじわる「ばあさん」のような役回り。
4人とも鬘は「片はずし」。栄御前(芝翫)も顔に紅色はない。口紅は、
上唇に少し黒を塗っているか。もちろん、お歯黒。八汐より年上。脇の
甘い(八汐より人が良いのだろう、花道を去るときも、千松の遺体を見
て、にやりと笑っていた。芝翫の巧さ)お家騒動の密謀者。
政岡の実子・千松が八汐に殺される場面では、栄御前は顔前に扇をかざ
して惨劇を見ないようにしていた(これも、気の弱さか)。こちらは、
40代の後半か。50近いか。
一度、女形の化粧による年齢の描き分けを、時枝さんにでも聞いてみた
いと思う。

この惨劇の際、政岡ら3人の「片はずし」は、懐の小刀に手をかけて身
構えていたが、上手、下手の腰元たちは、後ろを向き黒い、大きな帯を
観客席に見せて、じっとしていた。これも舞台袖の書割を裏返すような、
一種の背景転換効果なのだろう。
ここでの、出語りの竹本は喜太夫で、書見台を両手で握りしめて熱演で
あった。床が廻ってゆく時も、廻りながら、まだ唸っていた。

今回の子役たちは、先月と違って、二人ともしっかりしていて、安心し
て見ていられた。

「床下」は羽左衛門の男之助と仁左衛門の弾正。短い場面だが、二人の
重厚な演技で、これぞ歌舞伎の手本。面灯りと照明の妙で、雲の上を歩
くようにみせる弾正の花道の引っ込みは、幕に映る影もゆらゆらゆれて、
影を含めて堪能。
歌舞伎には、花道を歩くという「歩きの芸」があると言ったのは、戸板
康二だった。六法などの凝った「歩き」だけでなく、普通の歩きにも武
士や町人、男性と女性など、本舞台への出入りで歌舞伎らしさを感じさ
せる貴重な舞台機構・花道を活用した芸だと思う。

「団子売り」は、仁左衛門と孝太郎親子が若夫婦を演じる上方色濃厚の
明るい舞踊。天満宮前の天神橋が舞台。八汐の憎々しさのあとだけに、
優しい夫とそれを信頼する妻との、夫婦の情愛がでていた。

「浮塒鴎」。こちらは隅田川左岸の三囲神社前の土手が舞台。遠く見え
るのは筑波山か。福助・八十助の「お染・久松」に、芝翫の「女猿曵」
後見の一人に芝のぶ。後見でも芝のぶは初々しい。

夜の部は、なんと言っても辰之助初役の「蘭平物狂」が目当て。祖父・
松緑、父・初代辰之助の、お得意の演目をどう引き継いでいるか。
父親の十三回忌追善狂言。辰之助の登場。黒字に金の紋様刺繍のある衣
裳。背中と左右の胸、両袖の後ろ、あわせて5ケ所に「蘭」の縫い取り。
顔の化粧が、人形浄瑠璃の頭(かしら)のよう。「うむ」これは・・・
と、思ってしまった。声は良く出ていて、口跡も良かったが、台詞も動
作も、生硬な感じがした。しかし、気迫と一所懸命さは、充分に感じ取
れて、すがすがしく、好感が持てた。
網代幕で、場面展開。幕が振り落とされると、お目当ての「奥庭」の場。
マスゲーム風の大立ち回りが続く。4年前に八十助で見ている。音羽屋
のほかに、大和屋も先代、当代と演じている。大勢の3階さんが出演し
ないとなりたたない演目だけに、条件が整わないと、めったに上演され
ないが、歌舞伎の魅力満点の狂言で、こういう舞台が私は好きだ。

今回の十三回忌追善狂言というのは、実は初代辰之助だけではなく、こ
の大立ち回りを松緑とともに工夫した立師坂東八重之助の十三回忌追善
でもあるという。それだけに大部屋役者衆のなかには、八重之助の薫陶
を受けた人も多く、捕り手の動きには一段と力が入っているように思え
た。芯になる役者は祖父、父の芸を引き継ぎ、大部屋役者は先輩の名を
辱めないように、芸を引き継ぐ。いかにも伝統の、歌舞伎らしい新しい
世代の役者たちの誕生を、印象づける舞台だった。ただ、私が見たのが
11日目という、中だるみの時期だった所為か、辰之助と捕り手たちの
全体の動きに調和がなく、最高7人の背中をこえる大トンボでは、3人
目で超えられず、失敗(4人目から最後の7人は成功)。見物のつるべ
井戸の屋根から下手の石灯籠、さらに平舞台への、二段宙返りも失敗、
という場面は、初めて見た。この舞台は、蘭平と捕り手(三平、みの虫
ら28人、この二人は大勢いても、見分けられるようになった)の集団
演技だけに、全体の調和が絶対に必要。それに、ああいう演技では、怪
我人が出かねない。「蘭平物狂」の舞台場面が出てくる映画「写楽」で
は、怪我をするシーンがあった。

この舞台は、「父と子」が、もうひとつのテーマではなかったか。
蘭平と繁蔵。わが子に命を差し出し、手柄を立てさせようとする。ゆす
ると音がする刀(鍔が二重になっていた)を手に「おとうは、ここにい
るぞ」と繁蔵を呼ばわる蘭平。
K・Mさんのメール。辰之助が「子を探す父親というよりは、父親を探
す子に見えてしまった」とある。辰之助の孤独。12歳で40歳の父を
亡くした辰之助が、12年後のいま、父も初めて演じた24歳という、
同じ年で父の芸にしっかりと手をかけた「蘭平物狂」の舞台。
芸のなかで父を訪ねてきた甲斐があったというように、この演目を3階
さんとも息を合わせて、自分たちの物に育て上げてほしいと思った。

さらに、音羽屋親子のほかに、私には、この舞台からもう一組の親子の
姿が見える。大和屋親子。4年前に八十助の蘭平を見たときに、繁蔵を
演じていたのは、今回と同じ巳之助だった。「靭猿」で祖父、父と3代
の舞台で、初舞台を勤めた巳之助は、さらに達者になって11月の舞台
を勤めたのだったが、その後両親の離婚があり、母親との生活を選んだ
ので、歌舞伎の舞台から暫く離れてしまった。それが、今年から復帰し
たが、この年齢に時期の数年の空白は大きく、今回の舞台では、柄は、
少年らしく大きくなったものの、演技の方は4年前と変わらずに幼かっ
た。こちらの「子」も、父を探して、迷って来たに違いない。その上で、
子どもながらに改めて歌舞伎を選んだのだ。
猿之助も辰之助も孤独を乗り越えて「歌舞伎の孤児」にならずに、頑張
って来た。巳之助の場合は、離婚したとは言え、父は健在なのだから、
干支の「猿」、「辰」、「巳」と縁続きのおじさんたちに負けないよう
に、精進して君の初舞台で、私が感じた君の役者としての可能性という
期待に答えてほしいと痛感した。

「素襖落」は、2回目。
「五斗三番そう」同様に、いかにして酔いが深まっていくように見せる
かが見どころ。こういう芸では、團十郎が一番。幸四郎が、どこまで、
とぼけた味を出すかと期待したが、なかなか難しい。
福助の姫御寮が、良い味を出していた。この人は、こういう役は巧い。
染五郎のもう一つの魅力、滑稽味も充分出ていなかった。

「壷坂霊験記」は、初見。
吉右衛門と芝翫という芸達者同士で楽しめた。話は荒唐無稽で、たわい
もないのだが、特に芝翫の「お里」は本当に巧い。芝翫の顔のむこうに、
若くて、初々しく、夫思いの、素晴らしく魅力的な女性の顔がちゃんと
見えて来た。3つ違いで、こんな女性がいれば、観世音菩薩でなくても、
何かをしてあげたくなる人だ。
芝翫の役づくりには脱帽。今月の歌舞伎座の役者のなかでは、最高の演
技。こういう演技を見たくて歌舞伎に通うのだろう。福助の長男、優太
の観世音は、小さくて可愛らしいが、大声で台詞をがなるので、何を言
っているのか不明だった。太鼓の音で、観音堂と谷底との距離を感じさ
せていて、おもしろかった。
   
「龍虎」は、初見。京都南座公演から25年。八十助と染五郎。隈取は
お面で工夫したのか。


99年11月・国立劇場   「本朝二十四孝」 国立劇場の「本朝二十四孝」は、「筍掘り」と「十種香」の上演。特に 「筍掘り」は、22年ぶりの上演というので、慈悲蔵・横蔵との出会い を楽しみにしていた。「吉野川」の作者・近松半二原作とあって、舞台 の上手、下手の対称の妙は、序幕「桔梗ケ原」の場から発揮。本舞台中 央に「東 甲州領/西 越後領」という「榜示杭」があり、桔梗ケ原の 遠景に山々、舞台暫く無人。やがて、秣刈りをめぐって争いとなり、武 田家と長尾家の執権同士の対立が浮かび上がってくる。両者の登場人物 の数、役所、衣裳など、すべてよきところで対称の妙を発揮する。 慈悲蔵(鴈治郎)が、実子を捨てに来るが、捨てた場所が「榜示杭」の 前、捨子の札に軍師「山本勘助」の名があることから、赤子をめぐって の武田家と長尾家の執権同士の対立となる。舞台に何度も膝をつく慈悲 蔵の衣裳の裾の汚れが気になったが、雪布が敷き詰められた次の場面で は綺麗な衣裳に着替えていた。長尾家の執権・越名弾正役の片岡進之助 は、父親の我當に似てきた。 二幕目は、舞台はシンメトリーではなくなるが、いわゆる「筍掘り」。 雪の場面が続くので、黒衣のかわりに雪衣が登場する。「勘助住家」の 場では竹本の朋太夫の語りが、オーバーで浮いていた。慈悲蔵(鴈治郎) と横蔵(團十郎)の対称が、ここの見せ場。その対称を際立たせる「触 媒」の役をするのが、いわゆる「三婆」の一人・越路(徳三郎)だが、 徳三郎は熱演。慈悲蔵の女房・お種(宗十郎)も良かった。江戸の浮世 絵(美人画ではないが)のような妖しい印象が残った。 月代を銀色にした横蔵(團十郎)のやんちゃ振りもおもしろい。 「筍掘り」の場面での慈悲蔵(鴈治郎)と横蔵(團十郎)の喧嘩の様式 美は楽しめた。書割が左右に開き、「勘助物語」の場の屋体が押し出さ れてくる。ここは、後の勘助こと横蔵がメイン。屋体の襖をあけると奥 に、雪の野遠見が、舞台の奥行きを見せる。「ぶっかえり」で本心を見 せた横蔵の「大見得」。團十郎の「口跡」の悪さは、ここ数年でかなり 改善された。体質の改善というのは、精進の賜物で、頭が下がる。木に 合わせた幕引の足取りが最初はゆっくり、だんだん早間になってゆく。 「大詰」は、お馴染みの「十種香」だが、今回は鴈治郎が主役、團十郎 が客演ということで、人形浄瑠璃に似せた「上方風」の演出。先ず、黒 塗りの御殿が登場。瓦燈口の織物の3色の垂幕の色も江戸風とは違う。 但し、舞台の左右対称は、半二お得意の演出。 昭和22年1月帝劇、菊之助(後の梅幸)の舞台では、平舞台に泉水が あり、鴛鴦(おしどり)の番(つがい)が泳いでくるというが、今回は 屋体内上手のつい立てに鴛鴦の番の絵が描いてあった。 ここは、八重垣姫(鴈治郎)がメイン。匂い立つような勝頼(團十郎) の色男振り。八重垣姫は、初々しいにもかかわらず、意志のはっきりし た「近代女性」のような姫に仕上がっていて良かった。「曾根崎心中」 の「お初」(宇野信夫演出)が得意の鴈治郎は、こういう性格の女性が 好きなのかも知れない。それに、「あぁ・・・」という泣き声で、泣き 崩れるが、なんとも色っぽくて良かった。八重垣姫がいつもの「柱巻き」 の型ではなく、欄干に袖を載せるのも文楽風(上方風)。 我當の謙信は声も良く、風格があった。新之助の白須賀六郎きびきびし た動きで逞しく、颯爽としていて場内からの拍手は一番多かった。 続いて、「奥庭狐火」は、人形浄瑠璃を真似た「人形振り」。黒衣衣裳 の人形遣いの「口上」で、始まる。裃姿の人形遣い・翫雀が「葛の葉」 のときのように、狐の人形を遣ってみせる。下手に立った人形遣いが、 足で所作台を叩き、「つけ」の音を出す。 上手出語りの竹本の太夫(3人)のうち、谷太夫が、もっぱら「甲(か ん)の声」の語りを担当。早変わりで衣裳を変えた翫雀の人形遣いが、 人形に変身した八重垣姫を操る。鴈治郎の人形振りは、見事だったが、 階段の上りの場面では少し重そうだった。赤姫から引き抜きで白い衣裳 に早変わりした後、人間に戻る。さらに、狐へ。大きな石灯籠の上での 回転。初めて見た上方風の「奥庭狐火」を堪能した。
99年10月・歌舞伎座  (昼/「葛の葉」「茶壷」「吉野川」)              (夜/「実盛物語」「鷺娘」                 「宇都谷峠」)   歌舞伎座・十月大歌舞伎。昼の部が、今年の芸術祭参加興行だけに、力 が入っていた。 昼の部の「葛の葉」の福助は初めて拝見。前回は鴈治郎で観た。機織り の小部屋の小障子から最初に顔を出すのは、その後の早変わりの伏線。 福助は「葛の葉」と「葛の葉姫」を演じ分けていて、なかなか良かった。 狐の本性を現してからも良く、狐手や狐の姿態も若さを強調していた。 ただ、奥座敷での障子に書く字は、もう少し修業してほしい。五代目歌 右衛門の口書きは屏風仕立てで、いまも残っているそうだからお祖父さ んに負けないように習字の研鑽を望みたい。信田の森の道行は、福助が スッポンから「面灯り」に口に銜えた狐面で出てくる。踊りのあと福助 が姿を消すと、狐のぬいぐるみを後見(黒衣姿)の「芝のぶ」が奴との からみのなかで小気味良く操っていた。ぬいぐるみから「狐忠信」同様 の狐の衣裳に姿を変えた福助が出てきて、さらに奴とからんっだあと宙 乗りまであり堪能した。鴈治郎では無かった演出だが、福助が前に国立 劇場でやったときにも宙乗りがあったとか。私は観ていない。「保名」 (東蔵)は舞踊の「保名」の狂ったあとの保名が葛の葉に出会って正気 に戻ったのだが、そのあたりの腹が東蔵には感じられなかった。 「茶壷」は、国立能楽堂の狂言で、野村万作・萬斎で観た記憶がある。 今回は富十郎が秀逸。先月の「加賀鳶」に続いて盗人役だが、こういう 役をやらせると、この人の芸達者ぶりが浮き彫りになる。本当に巧い。 人まねをして役人の目をごまかすわけだが、一拍遅れた台詞や所作、そ して、ときどき、相手に追い付くために所作をばれない程度にぞんざい にやるところの、間がなんとも言えないほど巧いのである。今月の盗人 は、盗人とばれたあとも、先月と違って巧く茶壷を奪い、逃げおおせて しまったようである。 「吉野川」は、本当に良くできた芝居だ。原作も、舞台装置も、道具の 配色も、衣裳も、舞台展開も、竹本も、小道具の使い方も、あらゆるこ とに神経が行き届いた名作だと思う。3大歌舞伎に引けをとらない。 「雛鳥」の部屋のお雛様が普通の飾り方と違う。普通は内裏様は左右に 男雛、女雛だが、舞台なので上手(舞台から見て右)に男雛、下手に女 雛という、この場面独特の飾り方になっているのもそう。お雛様の道具 を、不幸な死に方(いや、江戸時代の価値観では、あの世で添い遂げて 幸福なのかもしれない)をする若いふたりのための祝言の、雛鳥の嫁入 りに使うなど、本当に憎いぐらいの演出である。さて、芝翫初役の「定 高」の演技は重厚であり堪能した。幸四郎の「大判事」は、若干オーバ ー・アクションに感じられ、芝翫の演技とアンバランスであった。玉三 郎の「雛鳥」は一途さが出ていた。染五郎の「久我(こが)之助」は凛 々しかったが、「死を覚悟した」という腹が坐った感じが乏しかったの は残念。 「夜の部」の「実盛物語」2度目。太郎吉を演ずる子役の市村光(萬次 郎の次男)が、落ち着きが無く(5歳6カ月では、まだ幼稚園児。5月 の歌舞伎座、初舞台のときは、そうでもなかったが、舞台慣れして来た ことと、次の展開と自分の出番が気になっているようで、落ち着かない のか)、こちらも落ち着いて芝居が見れなかったのは残念。 「鷺娘」は3度目。京屋で2回。玉三郎は初めて。若さの鷺娘であり、 玉三郎なりの独自の工夫があり、これも良かった。特に、傘をふわっと 浮かす場面は、この演目の幻想さの象徴の場面で、なんとも「この世な らぬ」という、せつなさがあり良かった。大鼓と小鼓、太鼓と篠笛の合 奏、篠笛の独奏など所作と一体となった出囃子が良かった。雪山の湖を 背景に霏々と降り続けるを雪のなかで、白から赤、紫、桃色、さらに上 半身だけの緋色、そして「ぶっかえり」の白鷺の衣裳へと変化してゆく 玉三郎。ピーと雪を裂くような能管(笛)の音。劇場にいることをすら 忘れた。玉三郎の華麗で、柔軟な所作。厚く、重い衣裳の下の、裸身の 上半身に、「なで肩の首から肩、背にかけての筋肉が、柔らかく、それ でいて芯がありそうで、厚みもあり、しなやかである。しかも、美しい。 不思議な筋肉であった」(夢枕獏「絢爛(けんらん)たる鷺」)という ような筋肉が隠されているとは誰も想像できない。 夢枕本に、引用されている91年12月の、二つの劇評がおもしろいの で、孫引きさせてもらおう。渡辺保は、このときの玉三郎を「天を仰ぎ、 地に這い、雪にのけぞるその身体は、私には歌舞伎舞踊とも『鷺娘』と も思えなかった。ほとんどバレエの感覚で、蒲焼きにカレーをかけたよ うで不思議な味であった。いくらなんでもこれはやりすぎではないだろ うか」「古典の再創造ではなく破壊である」と批評したという。 もう一人は三浦雅士で「玉三郎の『鷺娘』はこの(バレエのーーー注は 大原)「瀕死の白鳥」を思わせずにはおかなかった。(中略)息絶えて ゆくその場面が素晴らしかった。まさに宇宙の神秘を感じさせたのであ る。玉三郎は世界を相手に踊っていると思わせた」と書いているという。 このとき玉三郎は歌舞伎座の本公演だけでも「鷺娘」を3回上演してい る(他の劇場を入れれば、もっと、多い)。前の2回は、歌舞伎座の資 料では上演時間がいずれも28分と記録されている。問題の91年は、 それが30分に変化している。渡辺は、先の劇評の冒頭に「大きな衝撃 をうけた」と書き出しているから、これ以前の玉三郎の「鷺娘」を歌舞 伎座の舞台で見ているのなら、こういう書き出しにはならないだろう。 だとすれば、28分バージョンから30分バージョンに変わったときに 「新演出」は付加されたのだろう。その後、93年10月の歌舞伎座も 30分、今回は何分だったか、判らないが、渡辺の言う「天を仰ぎ、地 に這い、雪にのけぞる」という所作はしていたから、今回も30分バー ジョンではなかったか。だとすれば、私は雀右衛門の2回の舞台(1回 は歌舞伎座、もう1回はNHKホールという違いはあり、舞台冒頭の出が、 歌舞伎座は「せり上がり」であったが、劇場の構造の問題でだろうと思 うが、NHKホールは違う演出であったとしても)と比べて、この項の冒 頭に書いたように、玉三郎は、かなり独自の工夫しているとは感じたが、 渡辺のように「これは、歌舞伎ではない」というような感じには、なら なかった。 「宇都谷峠」は初見。百両と因果というだけで、もう河竹黙阿弥の世界。 安政5年初演。松浦武四郎が6度目の北海道渡航をした年。序幕の宿屋 の場面は当時なら写実だったのだろう。とてもおもしろい。峠での殺し の場面では、「仁三(にさ)」(幸四郎)の代役(後ろ姿)も混じって の早変わりもあり見どころ。あんまの「文弥」(幸四郎)はユーモラス な味も出していて良かった。この人は、重い役のときは肩に力が入って いることが多いが、力を抜いたような演技の方が、持ち味が出るのでは ないか。ただ、理屈を言えば「十兵衛」は、江戸へ帰るのに、文弥に頼 まれて峠まで戻ってきた(スッポンの階段を利用して急峻な山道を表現 していた)のに、文弥を殺し、その場面を仁三に目撃され、そこから逃 げるのに、江戸からさらに遠くなる「仮花道」(峠の反対側)へ行くと いうのは理屈にあわないのではないか。名作歌舞伎全集を見たら、「宇 都谷峠」は、本来は仮花道は使わず、十兵衛は本花道を江戸へ向けて逃 げて行った。多分、昼の部の「吉野川」で使った「仮花道」の有効利用 として、今回だけの演出だったのではないか。 十兵衛の江戸(「柴井(しばい)町」というのは、しゃれか)の店の屋 号は「伊丹屋」という。そう言えば、昼の部の「茶壷」も舞台は摂津の 国・混陽野(こやの)で、これも現在の兵庫県伊丹市で、昼・夜通しの キー・ワードは伊丹か。 伊丹屋には、しっかりと「剣菱」の菰被りがあった。歌舞伎の酒は「剣 菱か大関」(戸板康二)というが、見た経験で言えば、圧倒的に「剣菱」 が多い。幸四郎の仁三は、芸が細かく、徳利をはずみで倒すと、手拭い で畳を拭いて、手に付いた酒を舐めていた。アドリブだろうが、この動 作は仁三という悪党の、本質的な「心根」を出していたように思う。 鈴ヶ森で仁三は十兵衛に殺されるが、この場面では、江戸湾が「鈴ヶ森」 で「ご存知の」石碑の後ろに開けていたが、これは本当では無い。本来 は後ろは陸地(いまは第一京浜国道)で「御存鈴ヶ森」のように、客席 側が海というのが本当だが、歌舞伎は何でもありで、今回の工夫も「新 趣向」とみれば、これはこれで良いのだろう。 名作歌舞伎全集を見たら、この場合の「鈴ヶ森」の場面も、石塔の背景 は「ご存鈴ヶ森」同様、黒幕であった(つまり、観客席が江戸湾)。 黙阿弥さんは、きちんと書いていた。 ところで、「宇都谷峠」といえば、「天竺徳川兵衛」と繋がっている。 才三郎と十兵衛の妻・おしずの父親・尾花六郎左衛門(十兵衛は六郎 左衛門の元若党・作平)は、今月の「天竺徳川兵衛」で萬屋・中村時 蔵が演じた佐々木桂之助の家臣であった。因果は巡る歌舞伎の世界。 歌舞伎は、元々『世界』と『趣向』の世界だから、異なる狂言の『世 界』が同じであっても、なんの不思議もなけれども・・・。とにかく おもしろいですね、歌舞伎って。 「傾(かぶ)く心」が歌舞伎の原点です。歌舞伎は、「あれかこれか」 の世界ではなく、「あれもこれも」の世界だと思う。 しかし、程度というものは、自ずからあるでしょうが・・・。
99年10月・国立劇場  「音菊天竺徳兵衛」 国立劇場で通し公演の「天竺徳兵衛」を観た。徳兵衛は近世初期の実在 の人物である。鎖国になる前に貿易船に乗り込んで、いまのベトナム・ タイなどへ2度渡航している。この場合、天竺とはインドではなく、タ イだという。徳兵衛のことは、これ以外判らないが、江戸の人たちは人 形浄瑠璃や歌舞伎で、いまのようなイメージの徳兵衛を育ててきた。 一方、鎖国時代に入ってから嵐に見舞われ難破事故にあい、漂流した人 たちがかなりいる。浜田彦蔵も、そのひとりだ。彼はアメリカに辿り着 き、向こうの学校は入り、幕末の開国時に帰国、アメリカの日本領事館 の通訳になった。しかし、攘夷派の志士に命を狙われ、再び渡米し、南 北戦争に遭遇し、再度帰国、横浜で貿易の仕事をしたり、英字新聞を翻 訳した新聞を発行したりして、明治30年代まで生きる。「アメリカ彦 蔵」と呼ばれた。「天竺徳兵衛」も「アメリカ彦蔵」も外国の地名を冠 した通り名で呼ばれるほど知られた人物だが、一方は劇中人物として 「妖術使い」になり、いまも生きているし、一方は「米語使い」になり、 激動の幕末から明治中期まで生き延びた。 私が徳兵衛で、おもしろいと思っているのは「アイヌ紋様」の衣装だ。 南に渡航した人物が、北のアイヌ紋様の衣装を着ている。これは、北も 南も無く、当時の人たちには遠国からの渡来物は、みなエキゾチックに 見えたのだろう。そこがおもしろい。 「渡海屋銀平」、「俳諧師・白蓮」、「鬚の意休」、「毛剃」、「女船 頭」など、当時の「蝦夷模様」の衣装が売り物の役柄は、歌舞伎には結 構ある。これは、拙著「ゆるりと 江戸へ」に詳しく書いた。 「天竺徳兵衛」で、おもしろいのはケレンである。もともと日中(明) 混血の徳兵衛は、蝦蟇の妖術を使う「国崩し」の極悪人という荒唐無稽 な物語であるだけに、ケレン向きの演目。大蝦蟇と屋体崩しが、売り物 である。大道具・釘町久磨次。釘町さんは、亡くなる数カ月前にパーテ ィ−でお見かけしたことがある。小柄な人であったが、彼の大道具は、 ダイナミックだ。 今回も大蝦蟇の出現と屋体崩し崩しは、見応えがあった。序幕の3場面 は、廻り舞台の半廻し(1/4廻し)が2回続いて、堪能した。蝦蟇と 言えば、この物語では蝦蟇と蛇(くちなわ)の争いでもある。最後に 「蛇派」が勝つ。蝦蟇と言えば、同種のぬいぐるみは、役者の名前は、 ほとんど明記されないが、今回も同様。 有名な「水門の場」では、蝦蟇の立ち回りが、四天とのからみ、水中や 石垣でのアクションなど、見せ場が豊富。 最後に花道での徳兵衛の見顕(あらわ)しで、蝦蟇役者が菊五郎と判る。 でも、蝦蟇は手足を動かした上、目や口も動かしていたが、一人で演じ ていて、どういう仕掛けになっているのだろうか。水門が引き道具で、 「忠臣蔵」の城明渡しの場面のように、後ろに下がり遠近感を強調して いた。さて、今回の顔ぶれでは、菊五郎が、初役ながら「韓噺(いこく ばなし)」では、沖縄出身のタレントの名前を上げたり、台湾の大地震 ことを入れたりして、新しさを出しながら、全体におおらかな時代味を 出したり、木琴の演奏で観客を笑わせたりしていた。 徳兵衛は、茶髪で、パンチパーマ風の巻き毛であった。ほかに時蔵と菊 之助の濡れ場で、一つの蒲団に黒と朱の枕が二つあるなど歌舞伎として は珍しくリアルで、濃艶であった。姫が積極的なのもいいなぁ、と思っ た。團蔵、松助は憎まれ役を好演。脇の役者が良いと歌舞伎は味わいが ぐっと増す。辰之助もいずれ徳兵衛をやるだろうが、これも楽しみ。 徳兵衛の花道の引っ込みで見せる「水中六法」は、珍しいもの。音羽屋 の、家の芸の出し物だけに、金地に菊の襖絵、舞台上手の庭に菊の花な ど、さりげなく菊を強調して、まさに、「音菊(おとにきく・かねてき く)」演目だけに楽しんだ。 歌舞伎の醍醐味のひとつは、荒唐無稽な物語とそれを担保する大道具の スペクタクルだろう。 猿之助の演出でもやっているから、次はぜひ観てみたい。 さて、幕外編の追加。実は、私の持っているネクタイは西陣織りに蓑虫 の蓑を使った張り絵で描いた天竺徳兵衛の絵柄。ただし、ネクタイピン は雀右衛門好きの私としては「京屋むすび」の紋と言っておこう。
99年9月・歌舞伎座  (昼/「弁慶上使」「二人道成寺」                「名月八幡祭」)             (夜/「石川五右衛門」「盲長屋梅加賀鳶」                「紅かん」) 昼の部は、今月初見。「弁慶上使」は2度目。前回の弁慶は團十郎。羽 左衛門は、柄が立派。しかし、歩くときの足元がちょっと不安で、気に なった。「卿の君」と「しのぶ」の二役の勘太郎はうつむくと父・勘九 郎に良く似てきた。「しのぶ」の母・「おわさ」役の芝翫が巧い。母と 若き日の弁慶と契った女との表情、仕種の使い分けが、なんとも巧いの である。この話は、もともと「女寺子屋」で、主のための姫の「身替わ り」、「子殺し」の話だ。実の父・弁慶の刺された「しのぶ」は、後ろ 向きのうちに唇を紅から白に変えて死相を表わしていた。 羽左衛門の弁慶は演技がしっかりしていて、父の悲しみを表現していた。 板東衛(本名)でもなく、羽左衛門(役者名)でもなく、弁慶(役名) でもなく、生き別れになっていて、やっと逢えたばかりの実の娘を、自 分の手で殺さざるを得なかった、一人の男の悲しみ、心の荒涼さが、そ こには感じられた。 弁慶の幕外、花道の引っ込みでは、「勧進帳」の飛び六法が有名だが、 この演目でも、弁慶の幕外、花道の引っ込みがある。「勧進帳」では、 巧く安宅の関を通り抜けた喜びが弁慶の全身に溢れて、踊るように引っ 込んで行くが、ここの弁慶は紅色の布で包んだ娘の首と白色の布で包ん だ侍従の首を両脇に持って、「遠寄せ」の音に引きずられ、せき立てら れるように、重い気持ちですごすごと花道を引き上げて行く。哀れだ。 「二人道成寺」は、雀右衛門の傘寿の祝いの舞台。息子の芝雀と、白拍 子花子・桜子の共演。一人で踊る「娘道成寺」とは、踊りの手が逆にな るわけだから、難しいだろうと思う。この舞台を見た東京のK・Mさん から、良い内容のメールをいただいた。ご本人の了解をえたので、一部 を引用する。「見えないもの見ちゃいました」、「もう嗚咽してしまい ました」、「『人が生きるということ』を見たのではないかと思います」、 「歌舞伎役者は、舞台の上にその身をさらし生涯かけて、『生きるとい うこと』を私たちに示しているような気がします」とある。 ほかの若い人も、同じような感動をしたという。私も舞台を拝見しなが ら、このことを考えてみた。舞台では、まず雀右衛門の孫(息子の友右 衛門の二人の子ども)が所化役で出てきて、友右衛門 、團蔵、松助、秀 調、高麗蔵など本来の所化たちと一緒に雀右衛門こと、おじいちゃんの 長寿を祝う口上に一役買う場面がある。倒産やリストラで、企業崩壊、 サラリーマン崩壊、家庭崩壊、学校崩壊、高校崩壊など、「崩壊」とい う言葉が新聞などの紙面を賑わしている。30年前の大学解体は、「解 体」して再構築するという理屈があった。だが、30年後のいま、先の 見えない世紀末のなかで「崩壊」は、社会全体に蔓延しそうな勢いであ る。若い人たちも、偏差値で縛られる受験体制のなかで自主自律を無く している。せっかく大学を出ても、就職の「氷河期」のまっただなか。 先行きの不安がつのる。 何を頼れば良いのか。見つからない。まさに「不安の時代」だ。 ところが、歌舞伎の舞台では幼児、父親、祖父が一つの舞台に共演して、 400年の伝統芸能を引き継ごうとしている。それも上手の芝雀と下手 の雀右衛門の間に、見えない鏡があり、そこに、逆の形で映る二人の踊 りは、どちらかが本当であり、どちらかが幻である。鏡のある位置、そ こが冥界と現世の汀(みぎわ)であり、現在につながる過去、未来につ ながる現在の狭間(はざま)である。そこに、人類の歴史や生き方の一 つのモデルを感じ取ってしまったことが、K・Mさんを泣かせたのでは ないか、と私は思う。脈々と続いてきた伝統の強さ。年齢を感じさせな い雀右衛門の若々しい踊り、表情。「これほどまでに、人はすごいのか」 という彼女のいになったのではないか。「正しい歌舞伎の見方ではない のかもしれません」と、さらに彼女は書くが、拙著「ゆるりと 江戸へ」 の冒頭にも、「歌舞伎は物語のひとつの表現形式である。物語は(略) 『物を語る』人心から生まれ、物語は別の人の心へ行く。(略)何故に。 江戸庶民の生活感覚を伝えるために・・・・。」と書いたように、私は それこそ「歌舞伎の正しい見方」だと、常々思ってきた。見巧者も初心 者もないと思っている。 だから、K・Mさんにも、そのように返事を出した。しかし、歌舞伎は 度も消滅の危機を乗り越えてきたのであって、決して平たんな道を歩ん できたわけではないことも事実である。先人たちの絶えまざる努力の蓄 積の果て(それが歌舞伎の歴史である)に、いまの現状があるし、将来 も安らかな道がいているわけではないだろう。 さて、「二人道成寺」では、長唄の出囃子である。四拍子の笛が、演奏 をリードしているように思えた部分があった。「手鞠」の振りの部分で ある。もしかしたら、これが「田中伝(本来は旧字)太郎」さんこと、 「でんたろ」さんが言っていた演奏形式なのかなと思ったが、そうでは ないと言うことだった。能管と篠笛の吹き分けもよかった。「道成寺」 は、大曲なので、注意して聞いていると鼓が先導したり、太鼓が仕切っ たり、三味線が主導したり、いろいろあるのが判る。 雀右衛門と芝雀は顔の形が違うのだが、最近表情が似てきた。裃後見が 4人いて、それぞれ男女のペアというのもおもしろい。 「二人道成寺」は3度目。扇雀・翫雀(襲名披露)、時蔵・福助で見て いる。しかし、鐘に乗った後の、花子・雀右衛門の、「般若のこしらえ」 で、「妹背山」の、お三輪のような「疑着(ぎちゃく)の相」を思わせ る、物凄い表情を一瞬だけ見せるというのが、印象的だったのは今回が 初めてのような気がする。 これまで見落としていただけなのかもしれないが。雀右衛門と羽左衛門 の二人の老優の、芸とは「老い」への闘いであるということを見せつけ られたような気がした、なかなか見応えのある良い舞台であったと思う。 お二人とも、いつまでもお元気で、良い舞台を見せてほしい(因みに、 公演後、「二人道成寺」は松竹会長賞を受賞した)。 「名月八幡祭」は、テーマが「狂気」。この狂気へ向って収斂して行く 舞台を「新助」・吉右衛門と「美代吉」・福助が二人とも過不足なく演 じていた。 梅玉は、色男の役柄が多いが、なんとなく「いつも梅玉」という感じで、 何か現状から突き抜けたものを感じさせない嫌いがあり、いつも残念に 思っていた。今回もそう。福助は、柄にあうのは今回の「美代吉」のよ うなお侠な女性のときだろう。姫君より芸者が仁にあっている。吉右衛 門は誠実さの果てに、地獄を見てしまった狂気の男を巧く演じていた。 蚊や団扇を巧く舞台回しに使っていて感心した。大詰の「深川仲町裏河 岸」では、本水を使った壮絶な殺しの場面が見応えがあった。海老ぞり になる福助の若々しい肢体。水浸しの二人の衣裳。火の番小屋の障子を、 巧く使った美代吉絶命の最後の場面、祭りの男たちに取り押さえられ、 大の字になって神輿のように担ぎ上げられた「新助」が、花道七三で、 半身を上げて狂気の高笑いをする場面、雨の上がった裏河岸の向こうか ら上がる大きな名月、それに逆らうように降りてくる緞帳の幕。大正生 まれの新歌舞伎らしいスマートで、洗練された演出が光った。 深川は、いつも通勤の地下鉄で下を通っている土地だが、何時か門前仲 町から地上を歩いて、相撲ばかりでなく、江戸歌舞伎の痕跡をじっくり 探してみたいと思う。「四谷怪談」の三角屋敷なども、この辺りだ。 ところで、当時の深川は、江戸ではなく、江戸も外周地域だったから、 江戸へ行くことを、「お江戸へ『行く』」と言った。江戸は、「お江戸」 というように都市の名前に「お」という敬語が付いていて、世界の歴代 の都市でも珍しいと言う。西山松之助さんによると、将軍のいる江戸城 では、門や部屋の名前の前に、「お」が付けられたことなどから、将軍 のいる都市として「お江戸」と呼ばれたのではないかと説明している。 又、全国でただ一つの「中央都市」としても「お江戸」が、成立したの ではないかとも言う。明治以来の近代化の中で、江戸時代は、最近まで ほとんど評価されてこなかったが、18世紀以降の江戸は文化的にも優 れていたという。その具体的な象徴が歌舞伎なのだ、と私は思う。 夜の部は、今月2度目。3階最奥の補助席「4」(4階幕見席のすぐ 下)、1階「り・5」で、同じ舞台がどう違って見えるか。 まずは「石川五右衛門」。前回谷底のように見えた舞台では、芦燕が、 すぐ目の前にいる。だが、この人は、十二代目仁左衛門の三男だけに 、声が良く通るので3階も1階も、あまり違わない。さすが2度目な ので、芝居の中身も前回より良く分かる。桂三の呉羽中納言が、五右 衛門 の手下に襲われ、身ぐるみ脱がされるが、「麿は麿でも、マロハ ダカ」というのは、江戸庶民の「権力批判」が感じられておもしろい。 呉羽中納言に化た五右衛門が出てくる花道は、いつもの揚幕ではなく、 板戸に変わっている。花道は御殿の廊下だ。初日、2日目と宙乗りで は、上下に動かすのが、1回だけだったのが、3日目以降2回になっ た。最初の日には五右衛門の背負った葛籠が舞台上の大欄間に当たる というハプニングがあったが、今回はすんなり、うまくいった。 この3日目を、私は3階で見ていた。このとき、宙乗りを最初に引き 上げる位置が悪く、「つづら抜け」を済ませた後、舞台の上まで引き 上げた際、大欄間に背負った「つづら」が、あたってしまい、グラッ ときて、少し驚いたが、播磨屋は悠然と演技を続けた。 9月の歌舞伎座は、これが売り物で、土日祝日の夜の部の3階席は早 々と予約で満席。宙乗りがあるため、この演目では、3階席が一等席 なのだろう。 「葛籠背負って、おかしいか。馬鹿め。」と、一喝する五右衛門の台 詞は、何時聞いても気持ち良い。ストレス解消になる。同じ吉右衛門 の河内山宗俊の台詞「馬鹿め」も気持ちよかったのを思い出した。 葛籠を背負っている所為か、宙乗りでは、上下に動かすときに吉右衛 門の身体が、前後にも大きく揺れていた。 恐いでしょうね。きっと。宙乗りの吉右衛門を、斜め上からと真横斜 め下からと2度拝見したことになるが、両方を重ねてイメージすると、 動く三角形になる。これぞ「歌舞伎の幾何学」。 大詰・南禅寺山門の場面では、 前回はセリ上がった後の 五右衛門の顔が全く見えなかったが、今回は ちゃんと見えた。やはり顔は見たいもの。 「盲長屋梅加賀鳶」では、前回は加賀鳶たちの花道での「名乗り」は、 声だけしか聞こえなかったが、今回は一番後ろの 吉右衛門の日陰町松 蔵まで全員が見えた。舞台での冨十郎の加賀鳶天神町梅吉と日陰町一 統とのやりとりでは、全員の髷に注目。髷の先が斧の刃先のように先 が鋭利な感じになっていることに気づいた。いまの「茶髪」や「剃り」 のようなものだろう。きっと「粋(いき)」だったんだろうな。「加 賀鳶」といえば、歌舞伎座正面下手に金沢の酒造メーカー「福光屋醸」 の「加賀鳶」の菰被り(72リットル)48個の積物があった。 冨十郎はすっかり道玄に、なりきっていて、今月出色の舞台になった。 彼の「道玄」は本当に巧い。張りのある声は天井桟敷にも、良く響く。 私は、富十郎の「道玄」は2度目だが、何度見ても感心させられる。 以前は松緑の当たり役で、天王寺屋も松緑の指導を受けたわけだが、 いまでは、この人しかいないほどの当たり役になっているような気がす る。「役者の巧さ」の見本のような演技で満喫した。あとは、猿之助な ら、やらせてみたい。 大詰の捕り方たちとの「チェイス」(追跡劇)は、3階でも1階でもお もしろい。「とんだ、だんまりもどきだが」という台詞が効いている。 しかし、加州候表門(いまの東大の赤門)の場では、「だんまり」の集 団演技はおよそ20日前に、見たときと余り進歩していなかった。 「だんまり」は「踊の手心なき人は、身体の態(こなし)つかざるもの にて、俳優(やくしゃ)の技倆は大凡(あらまし)暗闘(だんまり)に て知るを得るなり」(四代目芝翫の芸談)というから、舞台の役者全員 が集団演技で、演技力が同じレベルということはあり得ないから難しい のだろう。 さて、最後の「紅かん」は、ほとんど上演されない踊りであり、浅間神 社の門前での江戸の行商人の世界が描かれていて、三谷一馬の江戸風俗 の世界を見るようだ。動く絵葉書。江戸・浅草の実在の人物・小間物屋 の紅屋勘兵衛をモデルに幕末から明治初期に活躍した踊りの名人四代目 芝翫が、1864年、明治維新の4年前という慌ただしい時代に、守田 座で上演したという。この芝翫は顔が錦絵のように(というか、絵より も)立派で、江戸歌舞伎最後の名優と渡辺保は、書いている。昔江戸の 下町に「芝翫河岸」という地名があったが、四代目芝翫に因んだもので あろう。萬屋・歌昇が演じた朝顔売が「成駒屋」の名入りの半纏を着て いたが、これも四代目に敬意を表しているのだろう。「紅かん」は、梅 玉が演じていたが、相変わらず「いつも梅玉」という感じは、ここでも 変わらなかった。この人は、いずれ、いまの「皮」を脱ぐ日がくるのだ ろうと思う。 前回3階で見えて、今回1階で見えなかったもの。「所作舞台」の後ろ にできた隙間に平舞台の薄黒い表面(いわば舞台裏)。 前回見えずに、今回見えたもの。芝雀の「団扇売」が持っている団扇入 れに入った数々の団扇の絵柄(表が役者や町娘の顔、裏は花柄)。
99年8月・歌舞伎座  「納涼歌舞伎」           (第1部/「朝顔日記」「保名」「関三奴」)           (第2部/「あんまと泥棒」「義経千本桜」                「三社祭」)           (第3部/「勧進帳」「人間万事廻り灯籠」) 歌舞伎座の納涼歌舞伎は、千秋楽に拝見したので、簡潔に感想を書く。 第1部。「朝顔日記」。これは以前に東京・八王子に伝わる車人形とい う一人遣いの人形浄瑠璃で見たことがある。「すれ違い」の多い、江戸 時代版「君の名は」である。福助は熱演過ぎて、私には彼の役柄として は「ちょっと違うのでは」と、感じられた。 福助は、一途な役柄より「お侠」な役の方が任に合っていると思う。 「おなべ」の芝のぶが、なんとも初々しくて良かった。 序幕の「宇治川蛍狩の場」は、夏興行らしい、涼しげな良い舞台だ。 小舟と屋形船の出会いと別れ(花道と廻り舞台を巧みに使う)。螢の乱 舞。こういう舞台は歌舞伎らしくてなんとも良い気分になる。幕間に花 道を小舟が黒幕をかぶせて戻って来たが、こういう場面は初めて見た。 さて、二幕目の「島田宿戎屋の場」で、福助が箏をひく場面では、竹本 の太棹との合奏が良かった。おとなしそうな姫君・深雪から激情の朝顔 へ、難しい役だ。 「保名」の橋之助は、こういう扮装をすると父親の芝翫に良く似ている のに驚かされる。最後の場面を期待していたが、菊五郎のように見せる かと思っていたら、途中で暗転する演出で、最後を見せず、がっかりし た。「保名」は菊五郎、團十郎でも見ているが、最高は菊五郎で、最後 の場面で、着物の下に隠れた菊五郎の姿が、「無」のように見えたのは、 芸の力だろう。 「関三奴」は、八十助と歌昇。 第2部。「あんまと泥棒」は落語のような愉快な話。あんまの歌昇が期 待通りの熱演で堪能した。こういう役は歌昇に限る。味のある役者だ。 橋之助の泥棒は、八十助で見たかった。 「義経千本桜」の「四の切」は、猿之助で、何度も見ている。 菊五郎でも見た。勘九郎が、どう演じるか、楽しみな舞台だ。本物の忠 信と狐・忠信の演じ分けは良く判った。 しかし、狐は早変わりを含めて猿之助が優れている。狐がスッポンから 飛び出してきたのは、驚いた。若さの勘九郎らしい演出だと思う。 開幕前に所作台を花道に引きつめる場面で、大道具方が、まずスッポン の位置にあわせた大きさの台を置き、その上で、その台の部分がくり抜 かれた台を置いていたが、これも何回も同じような準備風景を見て来た のに、今回初めて気がついた。中村時枝の腰元も、顔がふっくらしてい て、なかなか良かった。 「三社祭」は、勘太郎、七之助。 第3部。「勧進帳」は7回目。弁慶役者でいえば、幸四郎(2)、吉右 衛門(2)、猿之助、團十郎そして今回の八十助。八十助の弁慶は悪く 無かった。勘九郎冨樫も熱演だが、時々勘九郎が見えた。八十助は弁慶 になり切っていた。後見の坂東みの虫の真剣なバックアップの表情が良 かった。三平といい、みの虫といい、八十助は弟子の後見が良いのが印 象的だ。勧進帳といえば、私たち、報道の業界にも「勧進帳」というの がある。取材したメモを元に、ふつうは原稿を書いてから、昔は電話で 送稿したものだ。その際、締め切り間際だと、原稿を書かないまま、メ モだけで送稿することがある。それを「勧進帳」といった。新人記者は、 ちょっと年上の先輩が、そういう「離れ業(新人の目には、そう映った)」 をすると、尊敬したものだ。もっとも、そういう原稿は、事件事故など、 日にちや場所、名前などを入れ替えるだけという、原稿の形の決まった ものに限られていることが、後に新人でも、気づくようになる。いまは、 新人も携帯用のパソコンで送稿するから、こういう言葉も死語になって しまった。 「勧進帳」といえば、もうひとつ思い出がある。去年の夏、金沢に行っ たとき、小松空港からタクシーで、安宅の関跡に行って来た。あの辺り は海岸から山も遠く、比較的広い平野になっている。何故、こんなとこ ろに関を設けることが出来たのか、どこでも通れるだろうにと思ったら、 「関」は、本当は「渡し」であった。平野といえども、川で分断されて いれば、渡しを利用するしか無い。日本海に面した渡しのそばの松林の なかに「関跡」あった。先代の團十郎らを型どった歌舞伎の舞台の銅像 があった。「勧進帳」は、山の中では無く、波の音が聞こえる場所なの だ。 「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」が女形の踊り の大曲なら、「勧進帳」は立役の踊りの大曲である。 いずれにせよ、八十助、勘九郎、福助などの中堅の「勧進帳」で、歌舞 伎役者の時代がまた、ひとまわりしたという感じだ。 次いで、ひとまわりといえば「人間万事廻り灯籠」の半七捕物帳は、 千秋楽の所為もあってか、勘九郎の捨て台詞(アドリブ)に、「ご ちそう」があって、とても楽しい舞台になった。福助など、本当に 笑っていた。こういう役柄は、勘九郎にしろ福助にしろ、仁に合っ ていて、安心して見ていられる。夏興行らしく、水垢離の場では、 本水を使っていた。その水にぬれる橋之助が、憎まれ役に良い味を 出していた。小女「お照」の千弥もかわいらしかった。この人は、 老け役をやるときと娘役をやるときとでは、全然印象が違う。「垢 離場敷石供養」という石碑があった寺の名前は、なんと「大雄寺」。 私のペンネームに、さも似たり、と一人悦に入っていた。
99年8月・三珠町(山梨県)歌舞伎文化公園開設5周年記念公演                    (「三人吉三」「ども又」) 甲府の近くの三珠町にある歌舞伎文化公園開設5周年記念の團十郎、新 之助歌舞伎公演を見に行った。ネットで知り合ったMさんのお誘いで、 ご一緒した。新宿10時発の「スーパーあずさ」は、山に行く人や家族 連れで混雑していた。久しぶりの長い休みの初日であり、久しぶりの私 的な「小さな旅」であり、ということで朝から缶ビールで、乾杯した。 すみません。あとは、二人で甲府に着くまで、歌舞伎談義。1時間半が、 あっという間に過ぎた。次いで、身延線へ乗り換える。二人とも初めて 乗る身延線。ホームの向いに、立派な石垣があるが、甲府城か。電車は 甲府盆地の中を進む。30分で「甲斐上野」駅に着く。駅前は何もない、 空き地があるのみ。Mさん曰く。「『明日萌(あしもり)駅(朝の連続 ドラマに登場する)』みたい」。まさに、町外れの停車場という感じ。 駅前で食事という目論見は消える。駅前の「市川團十郎発祥の地」とい う立て看板の案内に従って、とりあえず歌舞伎文化公園への道を辿る。 公園のそばに町役場があることになっている。役場があるなら食事ぐら いできるだろう。坂道を登る。登り詰めると一条家の館跡がある。 武田信玄の二十四将の一人、一条右衛門が、ここに上野城を築いたとあ る。二十四将だから「本朝二十四孝」なのか。一条家の家臣に武田家の 能掛りの武士がいた。掘越十郎。武田勝頼が徳川などに負けて、掘越十 郎は下総(千葉県)の幡谷へ敗走する。この人が江戸歌舞伎の祖・初代 團十郎の曾祖父だという。やっと、團十郎がでてきた。とにかくお腹が すいているので、ならびにある公園の中のふるさと会館の中で、食事。 ひと心地着いて、歌舞伎の資料がある文化資料館へ。十一代目の衣装や 紙などが展示されている。次いで、展望台へ。少し雲があったが、甲府 盆地が一望され、大菩薩峠から八ヶ岳まで見える。甲府市街を挟んで、 深沢七郎の「楢山節考」で、お馴染みの笛吹川も見える。展望台下の考 古資料館を覗いていたら、女性に、声をかけられる。私が「私のHPにあ る似顔絵とそっくりなので」と、声をかけてくださった。拙著「ゆるり と 江戸へ」を買ってくださる。この人がもう一人のK・Mさんで、雑 誌「戯場国」の編集を担当している。 当初から、メールでお逢いすることになっていたので、目印を決めてい たのだが、目印無しでの出会いであった。ちなみに持っていった目印は 千社札のような紙に斉藤龍亭さん直筆で書いてくださった「大原 雄」。 午後2時半。ふるさと会館の中の多目的ホールで歌舞伎上演。「三人吉 三」は「お嬢」が新之助、「お坊」が家橘、「和尚」が團十郎で、新之 助は、女装した男で、菊之助のような甲(かん)の声を出せないが、こ れはこれで良いのじゃないか。美輪明宏ばりの怪しきエロチシズム。 「黒蜥蜴」もいけそう。加役の役どころの、岩藤や八汐なども、将来、 新之助で見てみたい。30分で、大川端庚申塚の場は終わる。雑誌のグ ラビアを見るような感じ。グラビアだけでなく本文も見てみたい。 30分休憩の後「ども又」。團十郎の「又平」に右之助の「おとく」、 新之助の「雅楽之助」。團十郎は、いつもより愛嬌たっぷりに、かわい らしい又平を演じていた。歌舞伎座の大劇場より470席の小劇場の故 か、会場の隅々まで届く笑顔で、120%の愛嬌の良さと見受けた。 「ども又」は、すでに2回拝見。吉右衛門、富十郎だが、今回の又平が 一番愛嬌があった。團十郎は、ユーモラスな線も狙い目ではないか。 「おとく」は、芝翫、鴈治郎で拝見している。 ところで、「ども又」では、太棹の演奏で、困惑や驚きのときの「ちん ちんべんべん」が、2度も聞けて、良かった。理屈抜きで、歌舞伎らし い(義太夫らしい)リズムで好き。歌舞伎はこういう伴奏や下座音楽で、 どれほど舞台を豊かにさせていることか。無人の舞台で、幕が開き、音 楽だけが演奏されるというときの、観客の期待感を、嫌が上にも膨らま せる舞台演出の密度の高さ。
99年7月・歌舞伎座  (昼/「南総里見八犬伝」「奴道成寺」                「一本刀土俵入」)             (夜/「伊達の十役」) 昼の部の「南総里見八犬伝」は初見。猿之助一座の舞台だけに、テンポ があり楽しめた。スーパー歌舞伎の「八犬伝」はテレビで見ただけなの で、比較しにくい。ただ、立ち回りをやっている役者さんは、子供の頃 の「チャンバラ」の夢を実現しているのだな、と思い役者さんの至福の 思いを想像してしまった。子供の頃の、胸ときめかせて遊んだ「チャン バラ」の醍醐味、最近ではとんと味わいませんね。寂しい限り。最近の 子供達は胸ときめかせることって、あるのでしょうか。「だんまり」は、 だんまりもどきで、短かったが、歌舞伎らしくて、いつも良いなあと、 思っってしまう。 今回の八犬伝は犬と猫(猫の怪)の対決。昔はよく上演されたらしい。 「独道中五十三驛」の岡崎の化け猫に演出が似ていると思ったら、やはり、 それを参考にしていた。段四郎の幕外の引っ込みも気持ち良さそうにやっ ている。 「所作」は「動作」と違ってめりはりがあるからやっていて気持ちが良い のだろうな。農村歌舞伎で素人が役者になりたがる気持ちが良く判る。 私も一度やってみたい。今回は暑かったので、隈取の入った扇子を持って 行ったが、知らないうちに木や太鼓に合わせて、動かしていた。 「庵室の場」では、「雛衣」が二重屋体に上がるとき、ぞうりを立役のよ うに踏み石の上に脱がずに、一段低い舞台に脱ぎ捨てていたが、これも封 建時代の女性の嗜みだったのだろうか。「雛衣」(笑三郎)が「猫の怪」 に操られるように、見事にとんぼを返したり、逆立ちしたり、四天のよう な立ち回りを見せてくれて楽しかった。巨大な「猫の怪」の出現や宙乗り などもあり、「荒唐無稽の歌舞伎」の面目躍如の楽しい舞台であった。 「奴道成寺」は、私の本「ゆるりと江戸へ」にも書いてあるように、すで に2度拝見している。今回で3度目。これは、3つの面を素早く踊り手に 渡さなければならないので、後見が成否の決め手となる。私の感じでは八 十助の舞台が一番良かったと思う。後見は三平だったと思う。 「一本刀土俵入」も3度目。幸四郎、吉右衛門、そして今回の猿之助。 「お蔦」は芝翫で2度、雀右衛門で1度。芝翫は、はまり役だが、雀右衛 門も良かった。原作からして良くできた芝居だ。最後の桜の木は、何時見 ても良いなあ。桜は、この狂言の第二の主役ではないかとすら思う。 夜の部は猿之助の「伊達の十役」の通し。これは初見。猿之助が10役を 41回早変わりで見せるとあって、超満員。館内はきのうより暑い。 累物語と先代萩が筋のベースだが、筋よりも猿之助の、早変わりの妙で見 せる芝居。一世一代ということで、本公演(25日間の興行)は、今回が 最後だろうというので、よけい人気が上がっていると思われる。兎に角観 客は猿之助が、早変わりで登場するたびに喜んでいる。 昼の部の「八犬伝」は猫と犬が登場するが、夜の部では、さまざまな鼠が 登場する。 仁木弾正は、花道の引っ込みを「雲の上歩くように」演じると言われるが、 猿之助は、これを「宙乗り」で空中を歩いてみせた。「雲の上の宇宙」と いうわけだ。3階席に特設の「向こう」(揚幕の変わりに特製のトビラが 作られていた)をつけて、「宙の花道」を完結させていた。通常の「床下」 の場面と違って、鼠が幕外に残り、笑ったり、立ち回りを見せたりして猿 之助の「男之助から弾正へ」の早変わりの時間を稼いでいた。鼠の役者は、 なかなか熱演であったが、例の通り筋書には配役は載っていない。 帰りに地下鉄の茅場町駅構内で線路をまるまると太った鼠が走っているの を、一緒に歌舞伎を見に行った息子が見付けて、教えてくれた。「あ、弾 正だ」と言って、二人で笑ってしまった。 とにかく猿之助の舞台は荒唐無稽を、敢然と楽しもうと言う姿勢が明確で、 おもしろい。私の御贔屓の亀治郎が久しぶりに歌舞伎座に出ていたが、今 回は昼夜とも立役ばかりで、つまらなかった。彼は慶応を今年あたり卒業 したのではなかったか。歌舞伎に専念して、女形の芸に磨きをかけて、大 きな役者になってほしい。立役をという声も、一部にあるようだが、立役 だと、彼は、ふけて見えて損だ。女形だと初々しくて、可憐だ。菊之助と は、ひと味違う可憐さがあり、これを大事に育てるべきだと思う。
99年6月・歌舞伎座  (昼/「いもり酒」「夏祭浪花鑑」                「二人椀久」)             (夜/「鎌倉三代記」「鐘の岬・うかれ坊主」「伊勢音頭恋寝刃」) 千秋楽の歌舞伎座に行った。昼・夜通しで拝見した「いもり酒」と「夏 祭浪花鑑」はいずれも並木宗輔が作者のひとりなので、我が次作にも関 係があるので楽しみだ。 今月の歌舞伎座のテーマは「うちわとつっころばし」ではないかと思っ た。それは、あとで説明するとして、まず「いもり酒」では宗十郎の 「夕しで」は処女とお宝鑑定で、恋をした処女と「いもり酒」の仕掛け、 性体験後の変化はあまり巧く演じられてはいなかったように思う。萬次 郎の「橋立」は存在感があった。 「夏祭浪花鑑」幸右生門の「義平次」が同じように存在感があった。舅 (親)殺しは、宗輔のテーマか。 「二人椀久」の仁左衛門と玉三郎は綺麗だった。このコンビで2回、富 十郎と雀右衛門で1回見たことになるが、今回は演出が斬新で、良かっ た。昼の部は2階奥の席で見たので、椀久の花道での踊りは最初は舞台 に写る「影ばかり」しか見えなかった。 夜の部は、実は今月2回目。「ゆるりと江戸へ」の読者で、三重のSさ んが上京し、「一緒に歌舞伎を見てほしい」ということだったので、休 日の別の用事を済ませてから、途中で合流して「鎌倉三代記」の一部か ら見た。2階奥と1階「よ・1」とでは、「舞台がどう違って見えるか」 も楽しみ。 「鎌倉」は無人の舞台でいきなり「遠寄せ」から始まり、三浦之助が戦 場を逃れて、母に会いに花道へ出てくる。「遠寄せ」は、都合6回ある が、三浦之助に戦場を思い出させる。現代のサラリーマンの「職場」の ようだ。「遠寄せ」は、始業ベルか。時姫が気絶した三浦之助に薬を飲 ませるとき、時姫(雀右衛門)は、右袖で隠して動作をしていたが、 1階の席では袖の裏側が見えたが、芸の秘密なので、書かないことにす る。障子屋体の障子は桟の見える内側が観客席に向いているので、本来 なら内側から開け閉めする手がかりがないはずだが、ちゃんと手がかり がつけられていた。1階上手の席ならではの発見であった。舞台上手に 置いてあった庭石は1階では、気にならなかったが先日の2階席では気 になったら、ちゃんと槍を立てるのに使っていた。三浦之助は室内に上 がってもわらじを履いたままだった。 「うかれ坊主」は2回目。勘三郎の得意芸だったようだが、すっかり富 十郎のものになっていて楽しめた。上・下の演出で「鐘の岬」の清姫と うかれ坊主とのコントラストだが、以前に「羽根の禿(かむろ)」と 「うかれ坊主」の組み合わせで富十郎の踊りを見ている。要するに姫や 禿という可愛らしい娘と中年男の坊主の変身の妙。更に、坊主の巧みな 見立てがミソ。今月の 富十郎は最近若い奥さんに子供ができたこともあ ってか、どの演目でも生き生きしていた。 「伊勢音頭恋寝刃」は、2回目(今月2回だから通算3回か)。仁左衛 門と玉三郎とも同じ役で、今回も良かった。夜の部は玉三郎目当ての客 が多いようだ。昼の部より玉三郎への拍手が多い。 ここでは「仁・玉」以外では田之助に存在感があった。傾城や女郎の役 では右襟を折り込み、裏地の赤や水色などを見せるが、今月の舞台では 「夏祭」の徳兵衛女房・お辰と「伊勢」の仲居・万野が同じように着て いた。 さて、今月の歌舞伎座のテーマとして私が考えた「うちわとつっころば し」では、初夏興行らしく「夏祭」、「伊勢」と団扇がふんだんに出て くる。銀地に花柄(房付き)、房無しの花柄、役者絵(女形と立役)、 店のマーク(PR用)などさまざま。「伊勢」では伊勢音頭の場面で 20人がそろいの衣装と団扇で踊るが、千秋楽になっても踊りの動きが 揃っていなかったのは残念。 「つっころばし」では「いもり酒」の女之助は若衆なのだろうが、福助 がやると上方和事の「つっころし」のようだった。「夏祭」の磯之丞、 「伊勢」の万次郎は「つっころばし」で、「伊勢」の貢のような「ぴん とこな」と対照的で、二つの役柄の違いが良く判った。余談だが「伊勢」 では貢の恋人・お紺(福助)が、貢に偽の愛想づかしをして、貢ほかを 騙して、名刀・青井下坂の折紙(保証書)を客から取り上げるが、ネタ をとるジャーナリストの執拗さのような感じがしたのは、私が記者だか らか。私たちも嘘で取材することはないが必要な情報を取材しようとい う意気込みのようなものを、お紺に感じ、それはそれで役柄の執念を表 現していて良かった。
99年5月・歌舞伎座  「團菊祭」             (昼/「車引」「土蜘」「髪結新三」)             (夜/「鈴ケ森」「吉野山」「文七元結」                「鏡獅子」) 五月歌舞伎は恒例の「團菊祭」。今年は六代目菊五郎の五十回忌追善と いうことで、昼も夜も熱演でおもしろかった。 昼の部では「車引」中堅、若手の出演だったが、いつもより小粒の感じ がした。京都を舞台に、役者たちが荒事の江戸弁で台詞を言うのは、お もしろい。 「 土蜘(つちぐも)」では、團十郎の初役。花道の揚幕が、この場合、 松羽目物の下手にある五色の幕に変わっているのに注意。「土蜘蛛」が 歌舞伎の外題では「土蜘」となっているのもおもしろい。源頼光が菊五 郎など、さまざまな登場人物が豊富で楽しめる舞台。萬次郎の息子(次 男)の光の初舞台姿がかわいらしい。お母さんならぬ女形のお父さんに 背負われての退場が、なんとも微笑ましい。 「髪結新三」は、江戸の庶民の生活や風俗がふんだんに盛り込まれてい るので、見る前から楽しみにしていた。私は初見。菊五郎もよいが、何 といっても團十郎の家主がとても良かった。3月に歌舞伎座で見た「ぢ いさんばあさん」は、菊五郎と團十郎の老夫婦も良かったが、團十郎初 役の家主は、「ぢいさん」の続きのようでありながら、一段と味わいの ある老け役で、私は「ぢいさん」のときより、良い印象を持った。 悪役・髪結い新三の話だが、後半は落語調のおかしみのある人情話で、 さすが黙阿弥原作である。 夜の部の「鈴ヶ森」は、何度か見ているが、今回は「権八」が芝翫、 「長兵衛」が羽左衛門という大物の舞台であり、歌舞伎の手本のようだ った。雲助の左團次、團蔵、飛脚が彦三郎という重厚さ。前にも書いた ことがあるが、舞台中央前に浪板があり、観客席は、いわば大森海岸の 海のなかの体だが、浪板は権八の正体を知らせる飛脚が落した手紙を燃 やす場面で、火のついた燃え滓の受け皿を観客の目から隠す役目もある のだろう。 ところで、先日、「鈴ヶ森」の刑場跡に行ってみた。第一京浜国道沿 いの高速道路 ・鈴ヶ森線の出口に近い高架下沿いにあった。 東京・品川区南大井2−5.「鈴森山大経寺」の敷地内だが、三角形の 狭い区域だ。 南北の「幡随院長兵衛精進俎板」には、幕開きの舞台説明にはこうある。 「本舞台、うしろ一面の黒幕、上下薮畳にて見切、真中少し上手寄りに 題目の石塔、この脇に松の立木、すべて東海道鈴ケ森の体」本来の刑場 の面積は、品川区教育委員会の説明板によれば、「元禄8(1695) 年の検地によると、間口40間(約74m)、奥行9間(約16m)」 とあるから、当時の広さ1184uからみれば、いまの跡地は非常に狭 い。「題目の石塔」は、同じ教育委員会の説明では「ひげ題目を刻んだ 石碑は、元禄6(1693)年、池上本門寺の住職の手で建てられた題 目供養碑」と言う。この刑場で処刑されたのは、丸橋忠弥、天一坊、 権八、八百屋お七、白木屋お駒など。 題目の石碑の左隣には、「首洗いの井戸」がある。右隣には「火炙台」、 「磔台」という石の土台が残っている。「火炙台」は、方丈の中に円 があり、内側の円がくりぬかれ、そこに丸い鉄柱を立てて、生きたま ま焼き殺されたという。一方、「磔台」は方丈の真ん中を四角くくり ぬき、そこに角柱を立てて、刺し殺したとある。 狭い敷地には、このほか鯉塚や水難者供養塔があり、江戸湾に面した 海岸が近かったことを窺わせる。 「鈴ヶ森」は、もともと初代桜田治助の「契情(けいせい)吾妻鑑」で、 権八、長兵衛の出会いが取り入れられたが、この時は「箱根の山中」 だったと言う。「鈴ヶ森」では、今も幕開きと幕切れでは、「馬子歌 (通称「箱八」)」と波の音がつきものだが、なぜ、鈴ヶ森に波の音 にあわせて「箱八」(あの「箱根八里は・・・」の唄)という「山の唄」 が、唄われるのかと思っていたが、もともとは「山」の箱根だったのだ。 また、波の音は、観客席が海だからなのだが、舞台をよく見ると、上 の舞台前方に「波板」があることに気がつかれるだろう。私たち観客の 一人ひとりは、いわば、江戸湾の波頭というわけだ。こうした観客席 や一人ひとりの観客の頭をも、舞台装置に「見立てる」演出では、「妹 背山婦女庭訓」の「吉野川の場」(浄瑠璃なら「山の段」)で、川面の 小波や煌き、「崎村」の両花道を使って、「お染」(本花道を)舟で、 「久松」は(仮花道の)土手を駕籠で、それぞれ行く名場面があるが、 川と土手の間の河原の石ころなど、への「見立て」がある。歌舞伎独特 の卓抜な演出だと思う。 「吉野山」では、静(しずか)が雀右衛門で、忠信が團十郎、藤太が 八十助。静に合引が出てきたが、赤い座布団のついた女形用の合引で あった。前に時蔵の静を見たが、合引など使わなかったような気がす るが、どうだろうか。忠信の睨みの術で藤太側の四天たちが、後見の ように静の支度を手伝わされるのは、おもしろい。 「文七元結」も円朝の落語が元。こちらは何回か見ているが、登場人 物が皆善人というのも珍しい。ただし今回は幕開きが、「藤娘」のよ うに会場が真っ暗のなかで始まった。これは、私は初めて。「まっく らじゃねーか」という左官長兵衛(菊五郎)の声で、舞台のみ少し薄 暗くなるという趣向。角海老の店の場面に舞台が廻るまで、薄暗いま まで、廻り終わると、一気に明かりが入る。これは菊五郎と田之助の 夫婦が良い味を出していた。特に田之助は好演。文七役の辰之助は巧 い。一段と成長した感じ。 最後が「鏡獅子」で、菊之助だが、後見が團蔵という重々しさ。この 場合も花道の揚幕は五色の幕。松助の老女役は、老けては見えなかっ たのが、残念。とにかく、今月の歌舞伎座はみごたえがあった。
99年4月・歌舞伎座  「中村会」          (昼/「義経腰越状」「色彩間苅豆」「封印切」)          (夜/「寺子屋」「蝶の道行」「曾根崎心中」) 今月の歌舞伎座は「中村会」の二代目鴈治郎十七回忌追善公演で昼夜通 し公演。「封印切」、「曾根崎心中」など鴈治郎らによる上方歌舞伎 だ。 「義経腰越状」では、「五斗兵衛(中村富十郎)」と「竹田奴」役の 大部屋の役者さんが絡む場面で、芸達者な人たちの絡みが、おもしろ かった。元からある「見立て」なのかどうか確認はしていないが、紙 相撲と凧上げの間に、竹田奴の3人が、竹の先の割れた「ささら」の 棒と、奴の頭を団子に見立てて、つまり、いま流行の「だんご3兄弟」 の振りをしてみせていた。ちなみに夜の部では「寺子屋」の「よだれ くり」が、「だんご3兄弟を買って」などと「捨て台詞(いわゆるア ドリブ)}で、言っていた。さらに、歌舞伎座の売店では「三色だん ご」が1本130円で売っていた。 また、冒頭の「亀井六郎(中村歌昇)」と大勢の大部屋役者が、立ち 回る場面では、何人かが後ろを向いて、いわゆる「化粧声」で「あり ゃせー、よいせー」と、声高に声を出す場面で、掛け声の間に大間に 大太鼓の音が「ドンドン」と重々しく入るのが、なんとも「江戸の時 間」を感じさせて良かった。この演目は、以前に團十郎で見たことが あるが、富十郎の五斗兵衛は、酔いの深まりが感じられなかったのは 残念だった。酒の呑みっぷりは團十郎の方が巧かった。この演目は、 この呑みっぷりと、だんだん酔いが深まってゆく様を、どう演じるか に掛っている。 竹本の語りが、最初の御廉内から舞台での出語りに替わるときに、狂 言作者が、舞台上手で拍子木を「チョンチョン」と軽く打って、上下 にいる竹本に、交代を知らせていた。いつもやっているのだろうが、 私は初めて気が付いた。 「色彩間苅豆」(かさね)は、雀右衛門と吉右衛門。この演目では玉 三郎と仁左衛門のコンビが一番絵になるが、雀右衛門と吉右衛門のコ ンビも、味があって良かった。通しでは「伽羅累物語」を拝見したこ とがある。通しで見ないと筋は判りにくいが、この「かさね」は舞踊 劇だから不幸な美男美女の「残酷絵巻き」として楽しめば良いのだろ う。 「封印切」は、「梅川・忠兵衛」が扇雀と鴈治郎。夜の部の「曾根崎 心中」は、「お初・徳兵衛」が鴈治郎と翫雀。鴈治郎の忠兵衛と鴈治 郎のお初ということで、昼・夜のコントラストをつけた。扇雀と翫雀 の兄弟は、早く飛躍してほしいが、父親鴈治郎の扇雀時代の印象の方 が大きかったように思う。「封印切り」も、二度目。鴈治郎では、初 めてだったが、さすが上方歌舞伎の第一人者だけあって、堪能した。 共演の片岡我当が、憎まれ役の「八右衛門」で、良い味を出していた。 三男の孝夫が仁左衛門を襲名してから、長男の我当も一段と味のある 役者になったような気がする。今回は1階の花道の傍の左側、(かっ ては通称「どぶ」と言っていたが、いまは言わないそうだ)の席で拝 見したが、「忠兵衛(鴈治郎)」は、幕れの花道から鳥屋(とや)へ の入りでは、公金を使ってしまい、死罪になることを恐れる心根を、 足取りでうまく表現していたが、それにあわせるように、鳥屋の揚幕 は、忠兵衛が幕ギリギリに近づくまで、開けられなかったのが印象に 残った。逃げ道がないと言う、心の圧迫感を、この揚幕を、なかなか 開けないと言う演出で表現していて、心憎かった。 「寺子屋」では、吉右衛門の「松王丸」と雀右衛門の「千代」が、予 想通り良かった。松江の「戸浪」も、相変わらず愛らしい。「寺子屋」 は、何時見ても客席で泣いてるおばあさんを見かけるが、歌舞伎は、 知っているストーリーを、知っている役者が演じていても、観客の中 に感情移入をする人が、必ずいると言うのは、やはり名作の由縁なの であろう。「寺子屋」は、何度見たか調べないと判らない。富十郎の 「武部源蔵」では「せまじきものは、宮仕え」のくだりを竹本に語ら せていたのは、残念だった。ここは是非とも口跡の良い富十郎のはっ きりした台詞で願いたかった。キーワードが劇的効果を高めると言う ことは、何も木下順二の「劇的とは」を読まなくても判る。忠臣蔵の 「色にふけったばっかりに、大事なところに居合わせず」などの名台 詞は、歌舞伎では、やはり役者の声音で、堪能したい。「寺子屋」で は、「松王丸」と「春藤玄番」が、座る「合引(椅子のようなもの」」 が、違っていたが、役柄の格付けで合引にも違いがあるのだろうか。 今度調べてみたい。 「蝶の道行」は、初見。もともとあまり上演されないが、梅玉、時蔵 のコンビが華麗な舞台に仕上げていた。亡くなった男女が蝶になって 死出の道行という幻想的なもの。 「曾根崎心中」は、近松門左衛門の原作を宇野信夫が戦後に脚色したも のを当代の鴈治郎は、扇雀時代から演じていて、今月の公演が終われば すでに1100前後の出演になるはずだ。鴈治郎の「お初」は、年齢を 感じさせない初々しさで、「封印切」とあわせて二人の息子たちを、寄 せ付けない熱演であり、堪能した。 私にとって印象深いのは、1001回目の上演が大阪で行われたときの ことだ。その日の朝、実は阪神大震災の起こった。鴈治郎は、最初、そ の日の上演を中止しようと考えた。ところが、大震災に歌舞伎役者がで きることは、「舞台で、お客様を、慰めることだ」と、思い直して結局 幕を開けたという。 いろいろな考え方があろうが、これも役者ならではの判断だろう。歌舞 伎の演目は、たくさんあり、それぞれ途絶えたり、演じつづけられたり、 いったん途絶えたにも関わらず、復活し、また演じつづけられたり、さ まざまである。そして、そのひとつひとつに、それぞれの歴史があるの だろう。 「封印切」や「曾根崎心中」は、「梅川」にしろ「お初」にしろ着物の 右襟を折り曲げて、裏地の赤を出す着方は、江戸時代の遊女の「粋(い き)」を感じさせて、「ゆるりと江戸へ」の気分が出て、良かったと思 う。もっとも上方では「粋」は「すい」と読み、江戸の「いき」=「意 気地」とは、違うそうだから、何と言えば良いのか。これは宿題。 あと気が付いたのは「封印切」と「曾根崎心中」の舞台屋体の「二階」 の作りが、違っていたこと。両方とも上方歌舞伎なのに、一方が、江戸 歌舞伎の二階仕立てというのが、良く分からない。これも宿題で、調べ てみたい。
99年4月・国立劇場  「十六夜清心」 国立劇場では「小袖曾我薊色縫」、通称「十六夜清心」の、通し公演。 河竹黙阿弥の、この作品は十六夜と清心の心中未遂の顛末と、清心の悪 への目覚めという、通称「百本杭」の場面ばかりが、いつも上演される が、今回のように通しで上演されることは珍しい。「通し」を愉しみに していた。特に、公演の直前に坂東三津五郎が、亡くなった。筋書に挟 まれた「お知らせ」を見るのが辛い。合掌。 三河屋 ・ 市川團蔵が代役 を勤める。 この日、東京は大荒れの天気だった。八十助の「清心」、芝雀の「十六 夜」。さて、八十助演じる清心は、私の住む千葉県市川市 ・ 行徳の漁 師の倅で、小さい頃から海になじみ、水泳が得意だったので、十六夜 (芝雀)と一緒に大川に身を投げたにもかかわらず、体が自然に泳いで しまい、死なれないという意味の台詞を言う場面がある。 一方、十六夜も白魚漁の船を出していた俳諧師「白連」に助けられる。 通し上演の見せ場は二幕目「初瀬小路白連妾宅の場」と三幕目「雪の下 白連本宅の場」の対比。心中した(と思っている)清心の菩提を弔うた め、父親と一緒に出家する十六夜が、丸めた頭を、見せる場面の芝雀の 恥じらう色気が良かった。この場面だけでも、通し上演は良いと思う。 そのあとの展開も因果が巡る、いつもの黙阿弥劇だ。二幕目の「箱根山 中地獄谷の場」の、「山おろし」を伴奏にした「だんまり」も、めった に上演しない場面である。歌舞伎らしくて良かった。河竹登志夫による と「地獄谷」の場面は、幕末の安政6(1859)年の初演以来の復活 上演と言う。この場面の「だんまり」は良かった。坂東みの虫が、良い 味を出していた。この人は、大詰「名越無縁寺」の場に出ていた坂東三 平とともに、いずれ味のある役者として、頭角を表わすのではないかと、 期待している。「雪の下」では、十六夜(「おさよ」になっている)が、 白連宅に入った後、玄関の外で清心(「清吉」になっている)が所在な げに座り込んでいる。普通なら演技をせずに後ろを向いているところだ が、清吉は地面に落ちている何かを拾っている。さっそく双眼鏡で見た ら、松葉を拾っていた。その後、この松葉で、いわゆる「松葉崩し」の 遊びをしていた。 竹本が、普段と違って、下手に出てきたのには、驚いた。下座音楽の上、 「羅漢台(らかんだい)」と呼ばれるところで御廉をあげての「出語り」 になった。いわゆる「よそごと浄瑠璃」の場面だから、こういう演出に なったのだろう。清吉の懺悔の後の自害と介錯の場面で、「本首」もど きの趣向や浅黄幕の「振りかぶせ」の演出が、的確で良かったと思う。 通しで見ると白連という役が、大事だというのが良く判る。序幕の「稲 瀬川」の場面だけでは、白連は良く判らないし、狂言として、黙阿弥は、 二幕目以降にテーマを持っていたことが判る。今回は通し上演だったが、 「歌舞伎名作全集」にある台本よりは、かなり整理された演出になって いたが、興味深く拝見した。 通し上演でないと、判らないこと。 この狂言の、もう一つの主役は「鬘」ではないかということである。 特に十六夜は遊女、尼、散切りのような髪型での「ゆすり」、赤ん坊を 抱いた母親などなど、序幕から大詰めまで十六夜の身分や状況の変化を さまざまな鬘が、的確に表現しているような気がした。 特に、二幕目と三幕目の対比でも、鬘の変化が効果的だった。 先月の国立公演「鏡山旧錦絵」の「岩藤」役に続いて連続出演の團蔵が、 三津五郎の代役で、俳諧師「白連」実は大泥棒・大寺正兵衛を勤める。 團蔵は、当初、二幕目の「箱根山中地獄谷」の場で、「地獄の谷蔵」を 勤めることになっていた。 團蔵が、2ヵ月続いての、重要な役をこなしていた。さっそうとした團 蔵がよかった。この人は、素顔より化粧顔が、きつい印象で、いつも損 をしているが、今回は柄に合っていて、最初からこの役でもよかったの ではないか、という感じがした。團蔵が「一皮むけた」と思った。 そう言えば河竹黙阿弥は、本名は「吉村」の筈だが、養子に入った河竹 繁俊から、どうして名字が「河竹」になっているのか調べてみたい。幕 末から明治を第一線の狂言作者として生き抜いた河竹黙阿弥には、興味 がある。黙阿弥の作品からこの時期を生きた江戸庶民の生活意識の変化 が、伺えないかと言う発想である。
99年3月・国立劇場  「鏡山旧錦絵」 国立では「鏡山旧錦絵」の通し上演だ。「お初」は時蔵。「尾上」は、 松江。憎まれ役の大役「岩藤」は團蔵。 萬屋・時蔵の先々代からの弟子で、女形歌舞伎絵師の時枝さん(生身を 存じ上げているので「さん」付けにするが、役者名は、基本的に敬称略 とする)から「楽屋に来ませんか」というお誘いがあった。国立の楽屋 へ行くのは初めてだ。国立劇場の大部屋の楽屋が広いからぜひ訪ねて欲 しいと以前から要望されていたのだ。時枝さんは、「ゆるりと 江戸へ」 の中でも書いたが、個展(最近では99年1月に銀座松屋で開催)と作 品集の刊行を生き甲斐としている。 「身の丈を 女衣装に 包み込み 傾(かぶ)く心に 男のからだ」                             −−大原雄 歌舞伎の大部屋役者である時枝さんのことを歌ってみた。 午前11時半に到着。楽屋入り口で用件を言うと「どうぞ中へ」と言わ れた。廊下を右に行くと両側に部屋がある。廊下の右側は役者の楽屋。 松江、時蔵、信二郎、團蔵、彦三郎などの個室が並ぶ。左側は囃子方の 部屋のほか、トイレ、浴室などがある。時枝さんは「尾上」の腰元 ・ 女郎花(おみなえし)で、「草履打の場」に出ていた。時枝さんにとっ ては久しぶりのきれいな役だし、いいなあと思った。 時枝さんの大部屋は右側の一番奥だ。暖簾を分けて入ると、時枝さんが 普段の格好で出迎えてくれた。大きな部屋に鶴枝さん(だと思うが、時 枝さんには聞かなかった)のほかにすでに女形の化粧を終えた比較的若 い人がいた。時枝さんは、私の本にも書いた通り、役者絵師で、彼の話 は、戦後占領軍のマッカーサー司令官の副官だったフォービアン・バワ ーズ氏のことを、NHKのBSで放送していたのを見たのだが、自分も バワーズ氏を知っているので、ニューヨークに連絡を取り、自分の絵の 個展を開けるように彼に言ってくれないかというものだった。 私も、「歌舞伎を救った男」という毎日新聞の元記者が書いた本を読ん だが、それをベースにした、その番組を見たし、その後、この記者が書 いた最近の文春の記事も読んでいたので、老後の厳しい生活を送ってい るバワーズ氏に、そういうことを頼むのはかなり難しいと、率直に申し 上げた。時枝さんもほかでもその話をして、私と同じような返事をもら っていて、難しいことは承知しているようで、一応言ってみたという感 じだった。部屋の天井からは何時しか舞台の幕が開く音が聞こえている。 その後は雑談に終始したが、話の途中で時枝さんは着ていた着物や肌着 を脱ぎ出した。ゆっくりした動作なので、見かねて「手伝いましょうか」 と言うと、「ぢいさんだから、ゆっくりなの」と言いながら動きを止め ないので、黙って拝見していた。 顔や背中も一人で白粉を塗って行く。体が柔軟なのに驚いた。「元気な のですね」と言うと、本来なら「養老院(老人ホーム)の年なのにね」 と答える。時枝さんは役者名鑑では「大正10年生まれ」と年を偽って いると言う話だったので、良い機会だと思って本当の年を聞いたら、教 えてくださったけれど、女形なので少しでも若く見せたいと言うことの ようなので、ここでは公表しないことにする。化粧をしながら、話が続 いていると、今度は腰巻きを着けたりし始めたので、私も目のやり場に 困ったが、時枝んは平気で作業を続けていく。 そのうち衣装係の女性が来て、時枝さんに紫の舞台衣装を着ける。頭に は鬘をつけるための羽二重。 暫くすると今度は床山さんが来る。これも若い女性。時枝さんの頭に鬘 を載せると鬘が取れないように鬘の内側についている紐をギュウっと、 という感じできつくきつく締め付けた。両の手の化粧が施されていない ので、「手は塗らないのですか」と聞いたら、最後に塗っていた。衣装 と鬘を着けると結構な重さになると言う。毎日こういう運動をしていた ら元気なはずだと思った。 そうした作業が終わると、時枝さんが言った。「(舞台の)袖で、見ま すか」。そうしたら、さっきから出たり入ったりしていた若い役者さん が、「二階の席で、見たら」と言ってくれたので、私は劇場の隅で「草 履打の場」だけ、一幕を拝見した。本当は時蔵の「お初」が登場する次 の幕も拝見したかったのだが、時枝さんが楽屋に戻っているので、「草 履打の場」だけは、最後まで拝見し、「岩藤」に草履で打たれて、苛め 抜かれた「尾上」の松江が花道を、すごすごと戻っていく、含蓄のある 場面も拝見できたので、満足した。「岩藤」は、いろいろ見ているが、 当代仁左衛門が、これまで私が見たうちでは最高だった(97年10月 歌舞伎座)ので、團蔵の「岩藤」は、スケールが小さいと思った。 再び時枝さんの楽屋に戻ると、時枝さんは、もう素顔に戻っていた。午 後2時になっていたので、時枝さんの出番も終わったことだしと思い、 一緒に食事に行きませんかと誘ったら、舞台が終わるまで外に出られな いと言うことだった。後から考えたら、2階席なら、お金を出せば何時 でも見られるのだから、舞台の袖で、見せてもらえばよかったなと思っ た。また、機会があるだろう。