2001年 5月・国立劇場(小劇場・文楽公演) 
                     (第1部「一谷ふたば軍記」)
   
歴史に残る三大歌舞伎「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」は、
最初人形浄瑠璃(本来は、「操り浄瑠璃」「浄瑠璃操り」と言われた。「文楽」
と言われるようになるのは、後のことである)の舞台にかけられ、好評だったこ
とから、その後、歌舞伎の舞台に移された。いわゆる「丸本物」という、歌舞伎
のジャンルの典型である。だが、それは、当時、大坂では人形浄瑠璃が歌舞伎よ
り人気があり、失地回復を狙う歌舞伎の興行側が工夫した結果であった。やが
て、歌舞伎の興行の中心が、大坂や京都から江戸の移り、歌舞伎の人気が隆盛に
なると、歌舞伎の当り狂言が、逆に人形浄瑠璃に移されたり、歌舞伎の演出が、
いわば、「逆移入」されたりし始めた。そういう現象もありながら、人形浄瑠
璃は、人形浄瑠璃ならではの本来の演出を残してきたことも事実である。

私は、もともと歌舞伎から見始めたので、いま歌舞伎狂言のなかにある「丸本物」
の原典である人形浄瑠璃や「能取り物」「松羽目物」、あるいは「本行物」な
どと呼ばれる能を原典に歌舞伎狂言化されたものなど歌舞伎と関わる芸能のうち、
人形浄瑠璃や能にも興味を持ちはじめるようになったのは、最近のことである。
なかでも、人形浄瑠璃は、実際に見始めると役者が演じる歌舞伎より、人形を操
る人形浄瑠璃の方が、物語性を大事にしていることが判って来た。歌舞伎より人
形浄瑠璃の方が、ストーリーがくっきり判るのである。

私が初めて観た歌舞伎が「一谷ふたば軍記」(「ふたば」は、漢字一字で表現す
る)のうち、「熊谷陣屋」であり、それが、並木宗輔の絶筆であり、並木宗輔
が、竹田出雲・小出雲、三好松洛らとの合作で三大歌舞伎を発表したということ
を知るようになってから、三大歌舞伎やいまも盛んに上演される「丸本物」を
演目を人形浄瑠璃で観る機会があれば観るようになってきた。とは言っても、実
際に観たのは、三大歌舞伎のうちでは、「仮名手本忠臣蔵」の前半だけで、その
ほか「源平布引滝」、今回の「一谷ふたば軍記」などである。そして、観れば観
るほど、歌舞伎とは一味違う人形浄瑠璃のおもしろさにも気付き始めた。それと
同時に、人形浄瑠璃の舞台を観ることで、逆に歌舞伎の舞台のおもしろさを再発
見するということにもなった。人形浄瑠璃は、歌舞伎の舞台の影に光を当てるこ
ともある。

そういうことで、今回は、並木宗輔の「一谷ふたば軍記」を拝見したわけだが、
ここでは、人形浄瑠璃と歌舞伎の演出の違いで、私の気が付いたことを書いてお
きたい。

歌舞伎との違いで、もっとも大きいのは、歌舞伎では演じられない場面で、「脇
ヶ浜宝引の段」である。この場面は、いわゆる「チャリ場」(滑稽な場面。「チ
ャリ」とは、関西の方言で、道化たこと、道化者の意である)として、「笑劇」
として、後の「悲劇」の場面を際立たせる役回りの場面である。人形浄瑠璃の筋
書に書かれている「人形役割」では、「おおぜい」と記載され、人形遣いの名前
が明記されていない「つめの人形」(一人遣いの人形)として「百姓」が、群衆
として出て来る。彼らは、須磨浦の「組打の段」で、平敦盛が熊谷直実に討たれ
る場面(実は、敦盛の替りに直実の実子・小次郎が討たれるのだが)の、目撃
者たちなのである。

このように人形浄瑠璃の「段」(場面)そのものが、歌舞伎では演じられない部
分もあるが、歌舞伎で演じられる場面でも、人形浄瑠璃とは、大分、演出が異
なる場面もいくつかあった。それでは、そういう歌舞伎と人形浄瑠璃の演出の違
いを、いつものように舞台のウオッチングの手法で、順に述べてみたい。

今回演じられた場面は、「陣門の段」「須磨浦の段」「組打の段」「脇ヶ浜宝引
の段」「熊谷桜の段」「熊谷陣屋の段」である。歌舞伎の「一谷ふたば軍記」の
上演は、圧倒的に「熊谷陣屋」の場面が、演じられるが、珍しく「一谷ふたば
軍記」の半通し狂言を観たことがある。96年2月の歌舞伎座。「陣門」「組
打」「熊谷陣屋」の場面であった(因に、そのときの主な配役は、次の通り。直
実(幸四郎)、小次郎と敦盛(染五郎)、平山武者所(坂東吉弥)、玉織姫
(藤十郎)、相模(芝翫)、義経(菊五郎)、藤の方(松江)、弥陀六(九代目
三津五郎)、軍次(高麗蔵)、梶原平次(幸右衛門)など)。このうち、「陣門」
は、人形浄瑠璃で言えば、「陣門の段」「須磨浦の段」をひとつにまとめている
し、「熊谷陣屋」は、「熊谷桜の段」「熊谷陣屋の段」をひとつにまとめて、上
演していることが判る。

国立小劇場では、定式幕の開幕前に、緞帳が上がり、浅葱幕の前でいつものよう
に「三番叟」が演じられ、終ると緞帳が降りる。やがて、本当の開幕。黒・萌黄・
茶の定式幕が、歌舞伎と違って、上手から下手に開いて行く。「陣門の段」は、
かなりの時間、竹本の大夫の語りの場面が続き、舞台は、いわば無人の状態であ
る。その後の展開は、「須磨浦の段」「組打の段」をふくめ、歌舞伎が基本的に
人形浄瑠璃をなぞっているのが判る。人形の遠見も、初めて拝見した。遠寄の音
が、ストーリーの展開をせき立てる。そこに生まれる緊迫感が巧い。

「脇ヶ浜宝引の段」は、先にも書いたように歌舞伎では演じられないので、初見。
これまでの場面は、戦の場面であり、源平の戦いであり、平家の敦盛が源氏方の
直実に討たれるのは、やむを得ないが、実は、これが親による子殺しだというの
が、後の場面の悲劇への伏線なのだ。その悲劇性をより際立たせるために、ドラ
マツルーギーとして「笑劇」を入れるのが、この「脇ヶ浜宝引の段」である。

舞台には登場しないが若者(実は、小次郎の身替わりで、助けられた敦盛)に頼
まれた石塔ができあがっている。それを造ったのは御影の里の石屋・弥陀六で
ある。ところが、弥陀六が百姓たちと話しているうちに、若者は代金も払わずに
姿を消している。実は、弥陀六の娘・小雪が、代金の替りに若者から青葉の笛を
預かっている。そこへ源氏に追われて逃げて来た敦盛の母・藤の局(歌舞伎では、
「藤の方」)が現れる。そこで、この笛を見て藤の局が、これは敦盛の愛用の笛
だと証言するが、百姓たちは、敦盛が須磨浦で直実に討ち取られたと目撃した様
を話す。敦盛の死を知り藤の局は泣きふす。

ところが、源氏方の追っ手が来るので、百姓らは藤の局を逃がす。その騒ぎのな
かで百姓らは、追っ手のうちの須股運平を過ってなぶり殺しにしてしまう。そこ
へ、地元の庄屋が現れて、運平の遺体を検証したり、源氏方への言い訳をどうす
るかなど相談したりして、後始末に乗り出す。困った百姓たちは、庄屋も交えて
籤引きで、その役割を誰にしようか決めることにするが、結局、貧乏籤は庄屋が
引き当てる。並木宗輔の筆は、どこまでも庶民の味方である。

この場面を、人形浄瑠璃は、百姓たちのコミカルな台詞、動作で埋めて行く。追
っ手方の番場忠太が、藤の局の服装などの特徴を述べる。その「着(ちゃく)い
たし」尽しの台詞で語る咲大夫の早口が、観客席の笑いを呼ぶ。隠れていた運平
が蛙の真似をして飛び出して来る。この場面の語りもユーモラス。運平を過って
なぶり殺しにする百姓たちの鋤鍬大熊手などを使っての立ち回りの滑稽さ。運平
の急所に当たり、運平は悶絶して、死んでしまう。駆けつけた庄屋と一同とのや
りとり。並木宗輔の筆は、下世話な調子ながら、滑稽味を塗り重ねながら、走る、
走る。上方の庶民には、受けたのだろう。「屁」尽しの台詞。本筋には、関係の
ないドラマツルーギーの手法だけに、歌舞伎では、上演されなくなったのだろ
うが、上方の人形浄瑠璃らしい、大衆的な「段」である。実際、私の座っていた
1等席の隣で、この「段」だけをお目当てに観て、前後の段を観ないで、帰って
しまった観客がいた。

「熊谷桜の段」「熊谷陣屋の段」は、歌舞伎の「熊谷陣屋」より、叮嚀に見せる。
「熊谷桜の段」は、いまの歌舞伎なら陣屋の前の桜の木に立ててある制札を仕出
しの役者衆の百姓が噂をする場面で終ってしまうが、直実の妻・相模が供を連れ
て、東国からはるばると訪ねて来る場面や、追っ手に追われて逃げて来る藤の局、
梶原平次に引き立てられた弥陀六が来るというわけで、次の「熊谷陣屋の段」の
伏線になっていることが、よく判る。以前は、歌舞伎でも、これらの「入り込み」
を省略しなかったようだ。相模の人形を遣う吉田文雀、弥陀六を遣う吉田玉男と
いう、ふたりの人間国宝の人形遣いは、さすが、背筋をぴんと伸ばして、姿勢も
良ければ、人形の動きの細かなところまで、メリハリがあり、巧い。

さて、「熊谷陣屋の段」だが、登場する直実の衣裳が派手だ。いまの歌舞伎では、
市川團十郎系の衣裳(織物の着附・裃という、重厚な感じ)だが、人形はオレン
ジ色に近い赤地錦のきんきらした派手なもので、中村歌右衛門系の衣裳(黒のび
ろうど着附・赤地錦の裃)が、人形の衣裳をほぼそっくり移しているということ
が判る。

歌舞伎では、藤の方が青葉の笛を吹くと敦盛の姿が上手の障子にシルエットとな
って写るが、人形浄瑠璃では、舞台正面の背景として障子があり、そこに影が写
る。影に驚いて、障子をあけると、そこには、緋縅の鎧が正面を向いて置かれて
いるだけというのは、歌舞伎も人形浄瑠璃も同じだが、歌舞伎の場合、障子に写
る影が正面を向いた敦盛なのに、人形浄瑠璃では、横向きの敦盛であった。

歌舞伎の場合、義経は、必ず四天王を引き連れて登場するが、人形浄瑠璃の舞台
では、義経は、ひとりで登場した。但し、首実検での義経の役回りは、同じであ
った。この後、「首」を巡っての直実と相模、藤の局の絡みでは、制札の使い方
が、歌舞伎より人形浄瑠璃の方が、実用的で、「首」をふたりの女性に見せない
ように、見せないようにとするための道具として使われる。

歌舞伎の場合には、「制札の見得」と呼ばれる有名な場面のための、いわば象
徴的な使い方を制札はするのだが、人形浄瑠璃の場合、特に相模に対しては、殺
された息子の首を母親・相模の目から、本当に「目隠し」をするように使うので
ある。また、「首」に近づこうとする相模の身体を直実は、右足で下に押さえ込
み、相模の顔を下に向ける。「首」の前には、扇子を置き、女性らには、首を見
えないようにもする。この場合、制札は藤の局の顔を隠している。まあ、三人遣
いの人形だからこそ、できる動作だろう。「首」の前から扇子をはずすのは、
「首」を義経に見せるときだけだ。どの段階で、誰に「首」を見せるか、そこは、
細かなところまで徹底しているように見受けられた。

いよいよ「首」をふたりの女性に見せる場面。先ず、相模。その「首」が、敦
盛ではなく、わが子・小次郎と知り、泣き崩れる相模だが、相模は「首」を藤の
局にも見せなければならない。紫の布に包み「首」を藤の局のところに運ぶ相模。
ここは、女性同士で泣かせる芝居になる。途中で、「首」を持ったまま、つまづ
く相模。藤の局に語りかける相模のクドキの台詞は、人形浄瑠璃も歌舞伎も同じ
だ。

ただ、「首」を包む紫の布を開けたり閉めたりする相模の動作がきめ細かい。こ
こでも、「首」の見せ方は、細かなところまで徹底しているように見受けられた。
それは、私には、歌舞伎の舞台より、小次郎に対する相模の母としての愛情表現
が、遥かに細やかに思えて来た。これまでにも、何回も私が主張して来たように、
並木宗輔の「母の愛」というテーマへの思いの濃さが感じられる場面である。

直実から弥陀六に「手渡された」鎧櫃は、歌舞伎なら櫃のなかに、生き残って、
逃がされることになる敦盛が隠れているという想定だから、手渡したりしない。
弥陀六も、平気で両手で櫃を運んだりする。人形浄瑠璃でも櫃のなかに敦盛が隠
れているという想定は変わらないのだが・・・。重さを表現すると言うところに、
こだわりはないらしい。

さて、直実は、歌舞伎なら頭を剃りあげて僧形になる場面では、人形浄瑠璃では、
直実は、被っていた兜の下から髷を切った頭を見せる。一旦、奥に引き込んだ後
も、髷を切り落としただけで有髪の僧形である。剃った頭と僧形を鎧兜の下から
脱いでみせるのは、歌舞伎の芝居心なのだろう。「十六年も、ひと昔。ア夢であ
ったなあ」も、脱いだ兜に向かって言う。歌舞伎の場合、直実は、長い間の武士
の生活に別れを告げるだけでなく、16歳で亡くなった(いや、自らの手で殺し
た)わが子・小次郎の「首」へ向けて、父親としての惜別の思いを込めているよ
うに思うが、人形浄瑠璃では、武士の生活との別れへの述懐だけのようだ。

幕切れは、歌舞伎の場合も、もとは本舞台に全員が残っての引っぱりの見得だっ
たという。ところが、いまの歌舞伎では、花道で直実が、思い入れたっぷりに
「ア、十六年はひと昔、アア夢だ、夢だ」と言いながら、頭を抱え、さらに幕
外で武士と僧形の間で揺れる心を、遠寄の音を効果的に使いながら見せるという
演出をする。これは、「送り三重」という三味線の演奏を使うという演出ととも
に九代目市川團十郎が創案した演出である。役者の工夫魂胆である。私は、筋
立てとの整合性は、若干欠くと思われるこの役者・九代目ならではの歌舞伎の工
夫も好きだし、原作者・並木宗輔ならではの、工夫魂胆も好きである。

私の観たところでは、人形浄瑠璃では、むしろ「惜しむ子を捨て武士を捨て、住
み所さへ定めなき有為転変の世の中やと、互ひに見合はす顔と顔 『さらば』
『さらば』『おさらば』の声も涙にかき曇り別れて、こそは出でて往く」という
文句を竹本の大夫が語りあげる場面が、クライマックスと思う。

むしろ、人形浄瑠璃では、制札という小道具を直実がいつまでも持っているこ
とを考えれば(歌舞伎は、幕外の引っ込みでは「笠」が、大事な小道具になって
いるが)、組織(主従関係)のため、制札に込められた謎を解き明かし、それが
成功して、評価された(男の論理)ことの虚しさ(子殺しという結果)をこそ、
「有為転変」という言葉に原作者・並木宗輔は、メッセージを込めているように
思える。彼の価値観としては、男の論理より、母の情を上位に置いているのだろ
う。

「一谷ふたば軍記」全5段は、並木宗輔が亡くなった後も書き続けられ、並木正
三ほか5人の名前が連記されているが、結局、後世まで上演が繰り返されている
のは、宗輔が書き残した3段目切までで、「有為転変」に象徴されるようなテー
マの明確さ、いつの時代にも通用する人間の普遍的な心情を書き切った部分だ
けが、風雪のななかで輝き続けていると言える。

- 2001年5月30日(水) 6:23:36
2001年 5月・新橋演舞場 
   (スーパー歌舞伎/「新・三国志 パート2〜孔明篇〜」)

市川猿之助のスーパー歌舞伎「新・三国志」を再演時の去年、同じ新橋演舞場で
見ているので、「パート2〜孔明篇〜」も拝見した。前回は、3階席、東の袖で
あったが、今回は宙乗りがあるので、西の袖にした。新橋演舞場は、歌舞伎座
の3階席と違って、宙乗りがある場合、特設の向こう揚幕の、すぐ隣の下手にも
席がある。ここは、後ろの方の座席は、舞台がほとんど見えない死角に入るので、
3階席も完売と言いながら、「特設」でつぶれる34席のほかに、10席分の空
席を造らざるを得ない。今回の私の席は、袖の2列目の最後だったので、宙乗り
の最終点が目の前(そういう意味では、一種の「特別席」)だが、特設の向う揚
幕が右手にあるので、舞台は壷の底に穴を開けて、そこから覗いているような感
じになる。花道は、全く見えないが、空席がいくつもあるので、ほかの観客同様、
そういう場面では、席を移って拝見できた。

前回は、京劇の演出を取り入れた部分が新鮮で、歌舞伎と言うよりダイナミック
な群舞として印象に残った。今回は、その印象がさらに強まり、京劇の立ち回り
と歌舞伎の台詞劇の折衷という思いを強くした。京劇に歌舞伎の劇場構造の大セ
リ、セリ、スッポンを活用が目立った。「附け打ち入りの京劇」で、例えはお
かしいかもしれないが、昔の「マカロニ・ウエスタン」映画のような感じと言え
ば良いだろうか。

猿之助の定義に拠れば、スーパー歌舞伎は、「近代の新歌舞伎があまり顧みよう
としなかった古典歌舞伎の演技・演出上の諸要素(踊り・立ち回り・ツケ入り
の見得・隈取りの化粧・台詞の合方としての音楽等々)を意識的に採り入れ、な
おかつ現代人に感動を与え得る、テーマ性のある物語であることを目標」とした
という。

確かに、新歌舞伎が、新派とあまり変わらない演出の作劇が多い。新派では、女
優が出るが、歌舞伎では女形が出る。違いは、それだけというような印象の新歌
舞伎が眼につく。歌舞伎味が、猿之助の言うように「古典歌舞伎の演技・演出上
の諸要素」を「排除」しているように見受けられるのは、残念だ。古典歌舞伎と
違う新歌舞伎で、歌舞伎の領域を広げようという意図も理解ではないわけではな
いが、「排除」してしまうのは、どうかと思う。必要があれば、新歌舞伎も、積
極的に「古典歌舞伎の演技・演出上の諸要素」を活用すべきだと思う。先に書き
込んだ前進座公演の「臍曲がり新座」は、そういう意味で、「古典歌舞伎の演
技・演出上の諸要素」をも視野に入れた「新歌舞伎」(但し、女優も出演してい
る)だったのではないか。

しかし、こういう「新歌舞伎」と、猿之助一座のスーパー歌舞伎は、また、一
味違うように思う。「新・三国史」シリーズは、蜀の国をベースに北の魏の国、
東の呉の国との、いわば戦国時代の物語である。ストーリーは、入り組んでいる
ので紹介はさけるが、要するに他国侵略のせめぎ合いの物語である。戦のない
平安の世を目指す孔明の生涯が主軸として描かれるが、戦のない平安の世とは、
蜀の国による中国統一ということであり、それは失敗に終る。

軍師・孔明(猿之助)は、「空城の計」やら「上方谷の火の闘い」やらという戦
略で仲達(段四郎)と立ち向かい、これを退けたりもするが、志なかばで亡くな
ってしまう。孔明は、自分の死を秘するように遺言する。日本の戦国時代に武田
信玄が、己の死を3年間秘すように遺言をし、結局、これが後継者育成につなが
らず、家臣団の不協和を醸成し、500年続いた甲斐源氏が信玄の息子・勝頼の
ときに滅んだように・・・。結局、「三国史」の3つの国は、いずれも滅び、晋
という新たな国が中国を統一する。

そういう男たちの闘いの物語であると同時に、「新・三国志 パート2〜孔明
篇〜」には、もうひとつの物語がある。孔明と翠蘭(笑也)の愛の物語である。
戦のために、故郷に翠蘭を残して、長い旅に出る孔明。結局、この世では、再び
出会うことができなかったふたり。「三千歳直侍」のように。

ということは、孔明は、再び、故郷に帰ることができなかったわけである。そう
いう意味では、この愛の物語は、望郷の物語でもある。ドラマの最後に、春琴
(笑也)という女性が出て来る。翠蘭に生き写しなのだが、実は、春琴は翠蘭の
娘であることが判明する。さらに、当初の仲達側から、途中で孔明側に変わり、
後に孔明の後継者と目される姜維(右近)が、春琴の兄だと判る。この兄妹の母
親は、翠蘭だというが、それなら父親は誰なのか。孔明は、若いときに翠蘭を残
して、故郷を去っている。しかし、孔明は、鷹揚なのか、その点にはこだわらな
かった。

猿之助の台詞で気になったこと。「新・三国志」シリーズでは、共通のキー・ワ
ードがある。それは「夢見る力」だと猿之助は言い、「夢というものは、それを
実現すること以上に、夢を追い続ける姿こそが夢なのだ」と語っている。実際の
舞台の台詞でも、そういう主旨の台詞が、何回も出て来る。いかにも、猿之助ら
しいと言ってしまえば、それまでだが、この人は、実際の人生でも、そういう
哲学を持っている人なのだと思う。

1986年初演の「ヤマトタケル」から「天翔る」と猿之助は言い出している。
15年間で8つのスーパー歌舞伎を創作し上演して来た猿之助の人生哲学でもあ
り、演劇哲学でもある「天翔る」=「夢見る力」という楽天主義。それが、猿之
助のエネルギーの源泉だと承知しながらも、このあまりの楽天主義の台詞を繰り
返し、繰り返し聞かされると「うんざり」する気持ちも湧いて来る。暗くて、
長いトンネルのなかにいるような、先が見えない時代だから、こういう楽天主義
が、せめて、劇場のなかにいるときだけでも夢見ていたいという観客に受けてい
るという面があることも確かだろう。

そういう楽天主義と裏腹に、この入り組んでいる「新・三国志」のストーリーを
猿之助演出は、文字どおり「旗色鮮明」で、旗の色、衣裳の色で区分する。その
あたりの現実的な演劇センスが、まあ、この人のバランス感覚の良さなのだろう。
舞台は、まず、派手な音楽で幕が開く。前回同様、旗を持った群舞でドラマは始
まる。京劇のダイナミックな立ち回りが鮮やかだ。特に「孟獲(猿弥)を七度
(たび)捕らえて、七度放つ」、いわば、敗者意識を強めるという心理作戦の演
技は、原作の「三国演義」のエピソードを視覚的に表現し得ていて見事だった。
大セリ、セリの多用で、夢や対陣の様子を時空自在に描く。

京劇の女形は、いまの中国では、毛沢東の時代の「文化革命」で廃れてしまった
(これの経緯は「覇王別姫」という映画で、以前にじっくり見た。この映画は、
原作の小説と結末の部分が逆転しているが、3時間をこえる超大作ながら、飽き
させない名画だ)が、今回のスーパー歌舞伎のなかで、猿之助は、日本で復活さ
せている。いまの京劇では、女優を出演させるものの女形を出演させていない。
従って、以前なら女形がやっていた役を女優がしている。

今回、復活させたのは「武旦(ぶたん)」という武芸に秀でた女形の役柄である。
吉林省京劇院所属の17歳の少年・沙立金(シャ・リジン)半年間の特訓の果て
に、見事に妖艶な、不思議な魅力を持つ「武旦」を演じてくれた。京劇の濃い化
粧の女形は、中性的なエロスを振りまく。そのエロチックな女形が、相手が投
げて来る槍を足で蹴って、素早く相手に返すというアクロバチックな技を披露し
て、見事だった。日本の女形も負けていない。特に、笑三郎の祝融や春猿の才鴻
らは、天佑(沙立金)女四天王らが、仕掛けて来るアクロバチックな技に対抗し
て頑張っていた。

旗は、「旗色」ばかりを示すのではない。火炎を描いたり、消し幕の役割を果た
したり、立ち回りを、さらにダイナミックにする小道具としたり、大活躍をする。
立ち回りの宙返りの際、飛び板を使っていたが、飛び板を観客の眼から隠すのに、
旗が巧みに使われていた。「新・三国史」シリーズは、そういう意味では、旗の
芝居だ。京劇の立ち回りがダイナミックなだけに、それがとぎれて台詞劇の場面
が続くと、だれる感じがした。

「天水城」での関平(歌六)、安仁(亀治郎)らの本水を使っての立ち回り、
「上方谷」での屋台崩しの火事場、「五丈原天昇」では、孔明と翠蘭のふたり宙
乗り、全体を通じての京劇のアクロバチックな立ち回り、「南方国」での孟獲
(猿弥)を乗せた大きな象(乗り物)の登場のほか、着ぐるみの寅、猿など動
物も活躍するなど、「外連(けれん)」味は、猿之助の十八番(おはこ)である。

演舞場の3階、西の袖の席は、このうちの宙乗りを観るのには、最高の席であっ
た。亡くなったばかりの孔明(猿之助)が、姜維(右近)らの背後に、真っ白な
衣裳に着替えて大セリに乗って現れる。やがて、孔明だけが舞台に残り、白い煙
りが本舞台を覆い始める。さらに孔明が逢いたかった翠蘭(笑也)が同じ白い衣
裳で加わる。ふたりは、花道のところで、宙乗りに入る。これは、宙乗りによる
死の「道行」である。白い煙りを下に残して、ふたりは昇天して来る。やがて、
花道ならぬ、「宙道」をゆるりと歩くように、ふたりが私のいる席に向かって近
付いて来る。向きを変えて下に戻る。下の客席に顔を向ける寄り添うような仕種
をする笑也。ゆったりとした得意そうな表情の猿之助。ふたりは、そのまま、3
階席に特設された向う揚幕に入るが、その瞬間、揚幕のなかから、白い煙りが吹
き出し、ふたりの姿を迎え入れる。

さて、簡単に役者評をまとめておく。猿之助は、先にも触れたように「夢」を力
説するのだが、同じような台詞が繰り返され、少し鼻についた。笑也は、ストー
リーの上では、大事なヒロイン役なのだが、出番はあまり多くなく、この一座
の女形の実質的な役割は、笑三郎、春猿らの若手に世代交代しているように見受
けられた。段四郎が、敵役の軸として存在感があった。歌六、猿弥も重要な役回
りを果たしていた。若手立役では、段治郎、猿四郎が活躍していた。我が亀治
郎の女形が観たかったが、残念、立役のホープとして、右近に次ぐ役回りで、所
作事の代わりに本水まで含めて立ち回りで、大回転。「鼻」のある役者・門之助
が、独特の味。

週末の2日間で、松竹歌舞伎、前進座歌舞伎、スーパー歌舞伎という、「歌舞
伎」と言いながら、肌合いの違う歌舞伎を観ることがきた。歌舞伎座では、
昼の部で、「源氏物語」という新歌舞伎を上演していたが、夜の部は、先に、こ
の「遠眼鏡戯場観察」に書き込んだように、「摂州合邦辻」などの古典歌舞伎で
あり、新歌舞伎の上演はなかったが、古典の歌舞伎味をそれぞれおもしろく吟味
した。

前進座歌舞伎は、「臍曲がり新座」は、おもしろかった。これも、先に「遠眼鏡
戯場観察」に書いたように、普通の新歌舞伎より歌舞伎味の濃い新派(何せ、女
優が出演している)という感じだが、廻り舞台、花道など歌舞伎の演出方法を巧
く活用している。もっと、活用する余地もあると私は見たが・・・。

猿之助のスーパー歌舞伎は、「新派」というよりも、「超派」という感じの現代
劇で、コンピュータゲームのような衣裳や場面展開を活用しながら、セリ、ス
ッポン、花道、附け打ち、宙乗り、屋台崩し、立ち回り、見得、隈取りなどで、
いわば古典歌舞伎で厚化粧をしている。京劇の立ち回りに、現代的な台詞劇、そ
して歌舞伎の「外連」を重視した演出という、いわば「ごった煮」の魅力なのだ
ろう。15年間で、8作創作し、再演も入れると上演回数は、毎年1回という勘
定だろうし、それが、「あれは、歌舞伎ではない」などと言われ続けながら、フ
ァンを増やし、当たり続けているという時代の嗜好も見逃せない。

まあ、いずれも歌舞伎なのだ。歌舞伎の概念と言うのは、時代とともに変わるも
のだと言うなら、それも当たっているだろう。音楽があり、踊りがあり、立ち回
りがあり、台詞がある。そして、セリ、スッポン、廻り舞台などという歌舞伎独
特の劇場装置を駆使する演劇空間は、チャレンジ歓迎の演劇空間なのだから。
演舞場の外に出ると、パソコンのモニターから、なにかコンピュータゲームの画
面が消えたような、後味が残ったことも確かだが・・・。
- 2001年5月18日(金) 7:11:50
2001年 5月・国立劇場(大劇場・前進座特別公演) 
         (「臍曲がり新左」「菅原伝授手習鑑〜寺子屋〜」)
   
前進座は、劇団創立70周年だそうで、その特別公演を拝見した。あわせて七代
目瀬川菊之丞襲名披露公演でもある。まず、藤沢周平作品の初めての舞台化は
「臍曲がり新左」であった。中村梅之助が演じた「臍曲がり新左」こと、治部新
左衛門の存在感には圧倒された。

秀吉の「朝鮮出兵」にも参加するなど、戦国の世を体験している世代の武将も、
世の中がおさまって来た江戸時代初期に生きる小藩の御旗奉行という窓際族。大
平の世に、戦場で使うを旗の管理など、まあ、典型的な閑職である。時勢に乗
れず、というか、敢て乗らず、なにかというと苦虫を噛み潰したような顔をし
て、一家言を言い、若い世代には敬遠される。それゆえに、「臍曲がり新左」な
どとあだ名される。

しかし、戦国の時代を体験していない世代にはない、硬骨漢として、芯が通っ
ているが、普段なら、そういう場面に出くわす事もなく、性根を見せる機会もな
く、「煙たい親爺」として嫌われるだけだ。一方、そういう時代の時流に乗り、
権力者が金と色気で出世しようとしている。側用人とその一派だ。まあ、「臍曲
がり」などと世を拗ねている人の存在など忘れて、我が世の春を謳歌しようとい
う人たちだ。先ず、そういう「対立」の図式が見える。

一方、新左衛門には、一人娘の葭江と隣家の息子・平四郎が、どうも好き合って
いるらしいというのが、判る。若い世代と父親の世代という、もうひとつの「対
立」の図式もある。「親爺」は、簡単には娘を嫁にやったりはしない。その平四
郎が、さきの側用人たちの「悪巧み」を阻止しようとして動いている。それをひ
ょんな事から知る新左衛門。そういう、ふたつの「対立」の図式が、ここで一
部重なり、戦国武将が、悪の権力者に牙を向き、大平の世に警鐘をならして、悪
が滅び、合わせて、ふたつの「対立」が、解消される。若い世代のなかにも、頼
もしいやつがいるものだ。新左衛門のなかで、公私ともに巧くいったという笑い
がこみ上げて来る。

まあ、こういう風に図式を解剖すると、なにやら類型的になるけれど、そこは、
ユーモラスな新歌舞伎風の舞台として工夫の多い演出であった。新しい「世話狂
言」として楽しめる演目に育つ可能性が感じられた。新歌舞伎風と書いたけれ
ど、「歌舞伎味のある新派」という感じが一番近いかも知れない。女優も登場す
るから、新歌舞伎ではない。歌舞伎座で上演する新歌舞伎のなかには、廻り舞台
も花道も下座音楽も使わない新派同様の舞台も結構ある。それに比べたら、はる
かに歌舞伎味を大事にした演出であったと思う。

音楽が鳴り、緞帳が上がると、三万石の繊月(せんげつ)藩城中、嘉承殿の中
庭。録音された鳥の声が聞こえる。場面展開は、最初、暗転が多くて、歌舞伎で
はないな、という印象だったが、演出は、思っていた以上に歌舞伎の劇場装置を
駆使していて、好感が持てた。廻り舞台も、朝鮮出兵の回想場面で、登場人物
にスポットを当てたままながら、明転でやってくれた。そのあと、御旗奉行の詰
所から嘉承殿の中庭への「半廻し」などがあり、暗転中の舞台展開も、廻り舞台
の装置を活用しているのが判る。花道も活用していて、新派より、よほど歌舞伎
っぽい演出で、嬉しくなる。願わくば、「篠井右京邸八重桜下」の場面など下座
音楽も工夫できたかも知れない。新左衛門の立ち回りなども写実的に演じていた
が、附け打ち入で、バタバタとやれたかも知れない。

「網模様花紅彩画」という我がサイトの掲示板にときどき書き込んで下さってい
る「丹次」さんこと、松涛喜八郎さんの舞台を初めて拝見。御旗奉行の詰所にい
た三人の新左衛門配下の家臣のひとり、菱刈源兵衛として、上司・新左の悪口を
言っていたが、なかなか味のある役回りをこなしていたと思う。前進座では、ち
ょうどまん中辺りなのだろうか。前新座の役者の構成は、詳しく承知しているわ
けではないけれど、梅之助や嵐圭史の後を継いで、芯になる中堅層が薄そうな気
がする。脇に良い役者がいないと、舞台に奥行きが出ない。松涛喜八郎さんは、
今回の役柄だけを見て判断するのは、早計かも知れないが、脇の貴重な役どころ
を狙うというのは、そういう意味で期待されるのではないか。「寺子屋」では、
子どもを引き取りに来る「百姓」のひとりを演じていた。

さて、「寺子屋」だが、正直言って、「臍曲がり新左」よりは退屈で、途中で眠
くなる場面があり、台詞を聞き漏らした可能性がある。松竹歌舞伎で、何回も見
ている演目であり、松竹歌舞伎の見せ方とは違う前進座歌舞伎の工夫もあるのだ
ろうが、それを堪能するより前に、83年の「若手歌舞伎試演会」を除けば、前
進座では、57年の京都・南座公演以来、44年ぶりの上演で、皆、初役とい
うだけあって、演じ込んだ場合に滲み出て来るような「濃く」に欠けていたよう
に思う。配役も、あれで良かったのかどうか。今後の再演に期待したい。

嵐圭史は、ややだみ声ながら、口跡が良い。ただ、松王丸の演技は、外面をな
ぞっているだけという感じで、内面表現が弱いのではないか。それは、源蔵の中
村梅雀、戸浪の河原崎国太郎の夫婦にも共通している。この夫婦の表現は、ふた
りとも小粒な感じで、藝のスケールが小さいように感じた。特に、時代ものの味
が薄い。折口信夫に言わせると、菅秀才の命を助けるために里の子を討とうとす
る計画を秘めて登場する源蔵は、原作の人間像としても、欠陥人間で、「斬り取
り強盗」や「無頼漢」同然の男だと言う。「其は、一にも二にも作者ーー多分出
雲ーーの人間が出来て居ない為の欠陥なので」などと、こき下ろしている。いず
れにせよ、源蔵、戸浪の夫婦は、「寺子屋」では、キーパースンなので、もっ
と、ほかに演じようの工夫がありそうな気がする。特に、源蔵は、松王丸とも、
千代とも緊迫の場面があり、それが「寺子屋」の山場を形成するだけに、しどこ
ろが多いはずだ。

こうしたなか、襲名披露の七代目瀬川菊之丞の千代は、熱演であった。我が子・
小太郎を親のために犠牲にする母の嘆き。「いろは送り」の場面に象徴されるよ
うに、この部分を強調するのが、「前進座寺子屋」の特徴なのだろうが、そうい
う意味で、襲名の意欲からか、菊之丞は、ひとり気を吐いていたと思う。「寺子
屋」は、親たちのために、子どもが犠牲になるドラマでもあるし、源蔵・戸浪と
松王丸・千代というふた組の夫婦のドラマでもある。女たちの描き方で、「哀
愁」のドラマも印象が変わって来る。

ふたつの演目の間に、実は「口上」があり、前進座の口上は、初めて拝見した
が、梅之助、襲名披露の菊之丞、嵐圭史ら大幹部ばかりが、独自の挨拶を述べて
いた。梅雀、国太郎ほかの人たちは、名乗りをあげるだけでおしまいで、趣向が
足りないような気がする。松竹歌舞伎と違って、前進座には、女優がいるので、
口上でも、女優と女形は、鬘が違っていた。それにしても、「口上」は、素顔
を含め役者の個性を見せる貴重な場面だから、もう少し観客を楽しませる工夫が
あっても良いのではないかと思った。
- 2001年5月17日(木) 6:14:46
2001年 5月・歌舞伎座 
(團菊祭 夜/「摂州合邦辻」「英執着獅子」「伊勢音頭恋寝刃」「関三奴」)
   
ことしの團菊祭は、去年、初日前に前売り券が売り切れた三之助の「源氏物語」
の続編で、柳の下に泥鰌は、やはりいたということだ。今回は、源氏物語は観ず
に、夜の部の「摂州合邦辻」と雀右衛門の「英執着獅子」をお目当てに、拝見を
することにした。週末に、この後、前進座の「寺子屋」「臍曲がり新左」と猿之
助一座のスーパー歌舞伎「新・三国史パート2」を拝見したので、その順番で劇
評を書き込み、スーパー歌舞伎の後に、松竹歌舞伎、前進座歌舞伎、スーパー
歌舞伎の比較論を書いてみたい。

「摂州合邦辻」は2回目。5年前、96年9月、歌舞伎座で拝見。玉手御前は芝
翫、今回は菊五郎、合邦は羽左衛門、今回は團十郎、俊徳丸は田之助、今回は新
之助、浅香姫は福助、今回は菊之助、奴入平は先代の三津五郎、今回は左團次、
おとくは又五郎、今回は田之助。

前回の舞台について、拙著「ゆるりと 江戸へ」のなかで、こう書いている。

「この時は、西の桟敷席と花道の間の、縦に細長い座席群の後で、花道の横の席
であった。花道の両脇に埋め込まれたライトに明かりが点いた。『さあ芝翫が
出てくるぞ』私は後を振り向いた。近くの席の誰もまだ後を振り向いたりなどし
ていない。『鳥屋(とや)』と呼ばれる花道へ出るための溜まり部屋の揚幕がサ
ッと開かれた。鳥屋にいる、いわば花道への出を待つ芝翫の姿が目に入ったっば
かりではない。すっかり玉手御前になりきっている、異様な表情の芝翫と視線が
合ってしまった。その異様な表情に負けた私は一瞬目をそらしてしまったが、役
になりきっている芝翫はそろそろと近付いてくる。若い継母で継嗣の俊徳丸と恋
仲になっているという異常な人間関係が展開するドラマの始まりである。玉手御
前の芝翫は虚ろな足取りで花道を左右にヨロヨロしながら私のすぐ横を通り過ぎ、
本舞台に近付いて行く」

本では活字になるので、通称「どぶ」と呼ばれる座席群(1等席)の、俗称を使
わなかった。前回は「どぶ」の最後の列の上手側、「よ・36」の席だった。後
は、江戸時代なら「なかの歩み」と呼ばれた通路で、歌舞伎座の場合、1等席と
2等席の境である。今回は、「を・38」の席だから、前回より3列前の、2つ
下手に寄った席で、まあ、ほぼ前回同様のポジションなので、前回と同様のこと
を観ようと待ち構えていた。

ライトが点いた。花道の、このライトをフットライトという。花道を歩く役者の
足元を照らすと言うわけだ。前回は芝翫がでてくるぞと、思っていたら、いきな
り玉手御前と遭遇して、吃驚したわけだが、今回は、どうか。私は、後を振り
向いた。鳥屋の揚幕がサッと開かれた。だが、鳥屋のなかは、見えない。暫くし
て役者が出て来た。玉手御前か菊五郎か。

「菊五郎が出てきた」。異様な表情でもなかっった。いつもの菊五郎の視線であ
った。菊五郎の玉手御前は、「虚ろな足取りで花道を左右にヨロヨロ」せず、颯
爽とした足取りで、私の近くの「横を通り過ぎ、本舞台に近付いて行く」ではな
いか。いやあ、違うんじゃないの菊五郎さんと私は心のなかで叫んでいた。

引きちぎった片袖を頭巾代わりにした玉手御前は、竹本の「しんしんたる夜の道、
恋の道には暗からねど、気は烏羽玉の玉手御前、俊徳丸の御行衛、尋ねかねつつ
人目をば、忍び兼ねたる頬冠り」とあるように、暗い夜道を烏の羽のような暗い
気持ちで人目を忍んで、そっと歩いてくる場面ではないか。菊五郎は、10年前
にも玉手御前を演じている。菊五郎は、「僕は玉手は俊徳丸に本当に惚れていて、
それだからこそ自分の命を捨てて助けたと思ってるんです」と語っているが、ま
あ、いろいろ解釈ができる演目だから、どう工夫して演じても良いわけだけれど、
「物語」の伝えるイメージを思えば、私は10年ぶりに玉手御前を演じた菊五郎
よりも、5年前に初役で演じた芝翫の方が、この場面は正解なような気がする。

花道の出という短い場面だけで、長いこと語り過ぎたかも知れない。先を急ご
う。いつものように、劇場内でメモした記録を元にウオッチングを辿りたい。大
坂天王寺西門にある合邦道心(團十郎)の庵室。道心の妻・おとく(田之助)が、
講中の人たちを招いて、玉手御前こと娘の辻が継嗣の息子・俊徳丸に邪恋をしか
け、殺されたと思っているので、亡き娘の回向をしてもらっている。講中の人
たちとのやり取り、講中の人たちを木戸から送り出す場面という、なんらドラマ
チックではない場面だが、ここの田之助が良い。亡くなったと思っている娘への
心遣いが、所作の端々に出ているように私には観えた。田之助は、足が悪いが、
そういう身体的なハンディキャップさえ、おとくその人のハンディキャップのよ
うに自然で、リアリティが感じられた。木戸を閉めて座敷きに上がる場面で、偶
然、脱ぎ捨てた草履が乱れたが、そういう場面さえ、自然に娘への思いの乱れの
ための計算された演技のようにさえ観えた。

合邦道心の團十郎も、前回の羽左衛門と比べてしまう。当代の歌舞伎界の芯にな
る菊五郎と團十郎だが、私の眼には、菊五郎より芝翫が良く映ったように、團十
郎より羽左衛門が良く映った。合邦は難しい役だ。親の跡目を継いで、一旦は大
名になったのが、讒言されて落ちぶれて、坊主になり、閻魔堂建立を願って活動
をしている頑固な老人だ。そういう複雑な人格の合邦を羽左衛門は、本興行の
舞台だけでも8回演じている。それと彼の風格は、こういう役柄にぴったりだ。
それと比べると初役の團十郎の合邦は、スマートすぎ、重層構造が出ていないよ
うな気がした。羽左衛門と芝翫の親子に比較すると、團十郎と菊五郎の親子は、
ひとまわり小さく、私には観えた。

これにおとくの田之助を加えると、今回は田之助だけが、足を地につけていて、
團十郎と菊五郎は、足が地に着いていないように見受けられた。そういう視点で、
前回の舞台を思い浮かべると、前回のおとくは又五郎であったが、あまり印象に
残っていない。羽左衛門と芝翫の陰で、印象が薄れてしまったのかもしれない。
今回とは、逆に。まあ、だから、歌舞伎というものは、おもしろいのかも知れな
い。本当に一筋縄ではいかない怪物(モンスター)というわけだ。

ところで、「摂州合邦辻」は、外題も役名も皆地名だという。大阪市天王寺区逢
阪下之町、天王寺の西門から逢阪を西へ下ったところにあるコンクリート造りの
小さなお堂がいまもあるという。合邦が辻の閻魔堂だ。そこから下へおりる小さ
な石段があるのが合邦が辻で、さらにそこから天王寺公園の方に広い坂を下ると、
左側に「玉手水旧跡」の碑があるという。近くの高台には、新清水清光院という
寺があり、その北側の坂の下には、「浅香ノ清水」というのがあるという。地名
から物語が生まれ、役名も決める。

だから、舞台下手の、おとくが、やがて、火を入れることになる一本柱の釣灯籠
も、それがあるだけで、合邦が辻というロケーションを示すと共に、竹本の出
語りの「しんしんたる夜の道」を照らす、ほのかな明かりを実感させることにな
る。歌舞伎の大道具の使い方の巧妙さを感じる。

さて、この物語は、狂気の物語であった。義理の母・玉手御前が、先妻の息子に
抱く恋心も狂気なら、父・合邦が玉手御前こと、娘の辻を殺すのも狂気だ。玉手
御前は、後妻とは言え、20代の若い女性、原作では、お家騒動が前半の要で、
お家大事と、「策略」で邪心ならぬ「邪恋」を企むという設定になっているが、
菊五郎は、先に引用したように「真実の恋」説だと言う。もともといろいろ解釈
される原作で、そのあたりの問題点は、作者論ともあわせて別途触れるが、さは、
さりながら義母から逃げた俊徳丸(新之助)を追って実家へ立ち寄ると、乞食に
身を落とした病身の俊徳丸が、合邦に助けられ、妻の浅香姫(菊之助)といっし
ょに実家に身を隠しているという荒唐無稽さ。

玉手御前は、この場面で「口説き」という女形の長台詞を2度言う。母・おと
くへの告白、俊徳丸、浅香姫らへの嫉妬だが、本心を隠しているという二重性の
ある難しい台詞だ。玉手御前という「母」と辻という「娘」の二重性という「狂
気の装い」に対して、父親としての合邦の怒りが、娘を殺すという狂気として、
娘に斬り付ける。その挙げ句の「もどり」で、手負いの身体で本心を明かす玉手
御前。確かに難しい演技だ。

折口信夫は、「玉手御前の恋」という文章のなかで、この狂言の原作者菅専助、
若竹笛躬のふたりに触れている。長くなるが、引用してみよう。「口説き」の
文句は、文章として読んでしまうと、「何の『へんてつ』(原文では、傍点)も
ない文句なのである。でも幸福なことに、我々は浄瑠璃の節を聞き知つているの
で、ただ読んでも、記憶の中に、ここの『よさ』(同前)が甦って来る。浄瑠璃
の文句は一体に、皆そうだと言へる。(略)何もない所からある節を模索して来
る。節づけの面白さは、ここに発現する。(略)類型を辿って、前の行き方をな
ぞると言ふ方が、多いのであらう。

(略)それと同じ様な事が、浄瑠璃の作者の場合にもある。一体浄瑠璃作者など
は、唯ひとり近松は別であるが、あとは誰も彼も、さのみ高い才能を持つた人と
は思はれぬのが多い。人がらの事は、一口に言つてはわるいが、教養については、
どう見てもありそうでない。(略)さう言ふ連衆が、段々書いている中に、珍し
い事件を書き上げ、更に、非常に戯曲的に効果の深い性格を発見して来る。論よ
り証拠、此合邦の作者など、菅専助にしても、若竹笛躬にしても、凡庸きはまる
作者で、熟練だけで書いている、何の『とりえ』(同前)もない作者だが、しか
もこの浄瑠璃で、玉手御前と言ふ人の性格をこれ程に書いている。前の段のあた
りまでは、まだごく平凡な性格しか書けていないのに、此段へ来て、俄然とし
て玉手御前の性格が昇って来る。此は、凡庸の人にでも、文学の魂が憑いて来る
と言つたらよいのだろうか。

併し事実はさう神秘的に考える事はない。平凡に言ふと、浄瑠璃作者の戯曲を書
く態度は、類型を重ねて行く事であつた。彼等が出来る最正しい態度は、類型の
上に類型を積んで行く事であつた。我々から言へば、最いけない態度であると思
つている事であるのに、彼等は、昔の人の書いた型の上に、自分達の書くものを、
重ねて行った。それが彼等の文章道に於ける道徳であつた」。

つまり、職人芸で、先達の教えを守り、いわば先達そっくりに手法を守ることが、
ときとして、こういう「連鎖と断絶」あるいは「蓄積と飛躍」のような効果を生
み出すことを知っているのである。

さらに、折口は書く。「次の人がその類型の上に、その類型に拠つて書くので、
たとひ作者がつまらぬ人でも、其類型の上にかさねて行くと、前のものの権威を
尊重して書く為に新しいものは前のものよりも、一段も二段も上のものになる事
が多い」と。必ずしも、類型の上に、類型を重ねれば、良いものができるとは思
えないが、ひょんなことから、そういうものが突然変異のように現れる可能性は
あるだろう。「併し作者が凡庸である場合には、却つて、すこしづつよくなる事
もある。玉手御前の場合は、おそらく、それであつたと思はれる」と折口は、推
論する。そういう幸福な作品が、「摂州合邦辻」の「合邦庵室の場」であろう。
荒唐無稽さ、類型さの「蓄積と飛躍」と言えば、ひとり浄瑠璃ばかりではない、
歌舞伎役者の演技も同じだろう。つまり、職人芸の極みとしての、伝承と洗練、
それが歌舞伎の歴史の隅々に生き残っている。

この、いわば「狂気」のドラマでは、狂気でない人を探す方が難しい。その数少
ない「正気」の登場人物が、合邦の妻であり、辻の母であるおとくであり、俊徳
丸の消息を訪ねてやって来た高安家の若党入平(左團次)であろう。ふたりの
「正気」の、この場面での役割は、多くの狂気の人たちの、まさに「狂気」を際
立たせるということである。

その狂気の極みの果ての、「もどり」というトリック。観客たちは、トリック
を知りながら、「騙された振り」をしている。父親に斬り付けられたとは言え、
玉手御前は「寅年、寅の月、寅の刻生まれ」の自分の肝臓の生き血を毒を盛った
ときの鮑の盃に入れて飲めば、俊徳丸の業病は治癒すると言う。その上で、女形
では珍しい切腹をして息絶える玉手御前。トリックに驚くのは、登場人物ばかり、
観客は、優しく「騙された振り」をしている。そういうなれ合いの果ての戯曲が、
何回見ても飽きないという歌舞伎の面妖さ。それが、歌舞伎の悪賢い魅力なのだ
ろう。

菊五郎の玉手御前としての「切腹」の場面を観ていると3月の「忠臣蔵」で、菊
五郎は、一日に塩冶判官、勘平として2度も切腹をしたのを思い出した。我が身
を捨てて他人を助ける。身替わりのトリック(「熊谷陣屋」や「寺子屋」などが、
すぐに浮かんで来る)も、浄瑠璃は、良く使う手法だが、こういう類型の上塗り
という浄瑠璃や歌舞伎の特性を主張する折口の文章には、説得力がある。

「英執着獅子」は、4回目。雀右衛門(2)、玉三郎、福助で拝見。雀右衛門
は、今回のような傾城と前回のような姫の両方で観ているが、今回の方がよかっ
た。こういう「石橋もの」は、「枕獅子」という原型があり、それは遊女だから、
傾城の方が、古いタイプだろう。女形が演じる「石橋もの」の古典を、雀右衛門
の、いわば「一世一代」の充実の舞台で堪能。雀右衛門は、いつにも増して、小
さく可憐な傾城であった。しかし、「髪あらい」で、首を廻す場面は、少し辛そ
うに見受けられた。

「伊勢音頭恋寝刃」は、2回目。福岡貢は前回、仁左衛門、今回、團十郎。お紺
は前回、福助、今回、時蔵。万野は、前回、玉三郎、今回、菊五郎。喜助は前
回、富十郎、今回、三津五郎。お鹿は前回、今回とも田之助。

「伊勢音頭恋寝刃」は、もともと説明的な筋の展開で、ドラマツルーギーとし
ては、決して良い作品ではない。実際に伊勢の古市遊廓であった殺人事件を題材
にしている。事件後、急ごしらえで作り上げられただけに、戯曲としては無理が
ある。それにも拘らず、長い間上演され続ける人気狂言として残った。読む戯曲
の善し悪しと演じられる芝居の人気とは、得てして裏腹なものがある場合がある
が、これは、その典型。些末なことだが、岩次(團蔵)と北六(家橘)の入れ代
わっているという趣向が良く判らない上、トリックとしても生きていない。

折口説にあるように、過去の受けの良い戯曲の類型の上塗り。お家騒動をベース
に、本心ではない縁切りから始まって、ひょんなことから妖刀による連続殺人
(9人殺し)へというパターン。殺し場の様式美。殺しの演出の工夫。絵面とし
ての、洗練された細工物のような精緻さのある場面。絵葉書を見るような美しさ
がある反面、紋切り型の安心感がある。そういう紋切り型を好む庶民の受けが、
いまも続いている作品。馬鹿馬鹿しい場面ながら、汲めども尽きぬおもしろさを
盛り込む。それが歌舞伎役者の藝。そういう工夫魂胆の蓄積が飛躍を生んだとい
う、典型的な作品が、この「伊勢音頭恋寝刃」だろう。

この舞台も、お鹿の田之助が好演。もともと、類型ばかりが目立つ、典型的な
筋の展開、人物造型のなかで、お鹿は、類型外の人物として、傍役ながら難しい
役柄だと思う。悲劇の前の笑劇という類型の上塗りだが、田之助が雰囲気をやわ
らげる。貢は、上方和事の辛抱立役の典型だが、俗に「ぴんとこな」と呼ばれ
る江戸和事で洗練された役づくりが必要な役。私が観た印象では、前回の仁左衛
門の方が、今回の團十郎より適役だった。万野は、憎まれ役だが、これも前回の
玉三郎の方が、今回の菊五郎より憎々しかった。玉三郎は、綺麗なだけの役より、
こういう憎まれ役をやると、美貌に凄みが加わり、好演することが多い。

喜助は、傍役ながら、貢の味方であることを観客に判らせながらの演技という、
いわば「機嫌良い役」で、前回の富十郎と今回の三津五郎とも、それぞれ味を出
していて、両方とも良かった。全ての登場人物が、貢の白絣、遊女や仲居たちの
紫、水浅葱、鶸、黒などカラフルな夏の着物のファッションショーのように、あ
るいはカタログのように、配色もよく、隠された見どころのひとつだろう。

もうひとつ聞きどころ。附け打ちが、「摂州合邦辻」の保科幹から、こちらは、
芝田正利に替わった。保科の附け打ちはダイナミックだが、芝田の方は、滑らか
な割りに、メリハリがある。

「関三奴」は、2回目。前回は八十助時代の三津五郎と今回の三津五郎というわ
けで、いずれも三津五郎がメイン。相手の奴が、前回は歌昇で、今回が辰之助。
三津五郎の踊りは、相変わらず味がある。それに比べてしまうのは、可哀想だ
が、辰之助は踊りと言うより、体操のよう。背景は、下手側が店や蔵、まん中に
富士山、上手に江戸城ということで、典型的な日本橋の絵柄。隈取りをした奴が
ふたり、白と黒の毛槍を振りながらの所作事。附け打ち入の荒事の踊り。

- 2001年5月16日(水) 8:55:48
2001年 4月 ・ 歌舞伎座
           (夜/「義経千本桜〜渡海屋・大物浦〜」「お江戸みや
げ」「鷺娘」)

「義経千本桜〜渡海屋・大物浦〜」は、吉右衛門の知盛初役ということで、期待の
舞台。「お江戸みやげ」は、川口松太郎の新歌舞伎だが、新派の味。芝翫のお辻
は、定評があり、これまた愉しみ。「鷺娘」は、福助の初役で、期待の舞台。

「義経千本桜〜渡海屋・大物浦〜」は、3回目。私が観た3人の知盛は、團十郎、
猿之助、そして今回の吉右衛門。銀平、実は知盛というと、95年5月、「義経千
本桜〜鳥居前から川連館まで〜」(歌舞伎座)の團十郎の銀平が、傘をさしたアイ
ヌ文様の厚司姿の花道の出が、いまも目に浮かぶ。厚司といえば、広辞苑には「オ
ヒョウの樹皮から採った糸で織った織物」とあるが、93年夏に札幌勤務から東京
勤務になり、札幌在勤の2年間に家族で旅行したり、取材で訪れたりした北海道各
地のうち、アイヌ民族が多い二風谷(にぶだに)を何度か訪れた。アイヌ文様は、
織物、木彫などで親しみがあり、いまも好きだが、そういう馴染みのある文様が見
始めたころの歌舞伎の舞台に登場したこともあって、よけいに印象が強かった。そ
れだけに、茶色の長い厚司に紺のアイヌ文様の縫い取りのある衣装を着た團十郎の
銀平の颯爽とした出を、いまも忘れないのだろう。次に観たのは、猿之助の「千本
桜」の通し(こちらは、珍しく「鳥居前」の前に「堀川御所」があり、「川連館」
まで)。猿之助は、知盛、権太、狐忠信の三役をひとりで演じていた。

昼の部に続いて、歌昇が北条時政(そういえば、昼の部「頼朝の死」の将軍家御
館の場面で、壁に30人の家臣の名が貼ってあり、その筆頭に北条時政の名があっ
た)の家臣・相模五郎の前半、まだ知盛の手の者という正体を現さずに、頼朝の命
で時政の名題として、義経の討手という触れ込みで登場するが、銀平(吉右衛門)
にやりこめられ、魚尽くしの負け惜しみを言い、観客を笑わせる滑稽な役所を熱演
していた。後段の悲劇を際だたせるための、前段の笑劇というドラマツルーギーの
見せ場。吉右衛門は、初役ながら安定した演技で十全の銀平。昼の部の長兵衛同
様、見応えのある舞台。

梅玉の義経、4天王の家臣には、澤村由次郎、大谷桂三らだが、梅玉の義経は、金
太郎飴のように、「いつもの梅玉」で、この人は、こういう役柄が多いが、いず
れ、軸になる役への挑戦と飛躍を望みたい。梅玉は團十郎と同年なわけだし、父・
歌右衛門の逝去をきっかけに、良い役が廻って欲しいと思う。雨のなか船出の風に
なったという銀平の判断で、義経ら一行が、簑笠姿で渡海屋を後にする。

やがて、二重舞台の障子が開くと、銀烏帽子に白糸緘の鎧、白柄の長刀(鞘も白い
毛皮製)、白い毛皮の沓という白と銀のみの華麗な衣装の銀平、実は知盛の登場。
銀平は、「銀の平氏」、つまり、知盛というわけだ。そこへ亡霊姿の配下たち。義
経らに嘘の日和を教え、海上で積年の恨みを晴らそうとする知盛。それは、知盛の
狙いに反して、私には死出の旅路に出る主従のように見える。

案の定、知盛側の苦戦。銀平女房・お柳、実は典侍の局(福助)らが、安徳帝と
いっしょに戦況を案じていると銀の髑髏をつけた鉢巻き姿で、白と銀の衣装の相模
五郎(歌昇)、アイヌ文様の厚司の両肩を脱いだ衣装の入江丹蔵(信二郎)が、
相次いで報告に来る。戦況不利を悟り、次々に海へ飛び込む局たち。「いかに八
大龍王・・・」典侍の局は、立女形の役柄。福助は、4演目の違ったキャラクター
をくっきり演じ分けていた。

手負いの知盛が、先ほどの華麗な衣装を知に染めて逃れてくる。名場面を吉右衛門
が、隙間のない演技で埋めて行く。ただ、鎧姿の義経は、鎧の上に笹竜胆を縫いつ
けた陣羽織を着ているため、少し猫背に見える。岩組の上で、大きな碇を頭上高く
掲げた知盛。それを舞台下手から見つめる義経主従。やがて、知盛は碇を海に投げ
込む。碇に付いている縄を身に縛り付けた知盛は、海中に落ちて行く碇の重さに
引っ張られて海の底へ消えることになる。そういうことを知りながら、義経主従
は、知盛の転落を見送る。それは、花道からやがて去る熊谷直実を二重舞台の中央
から小次郎の首を見せながら見送る義経主従の場面と、ちょうど上、下(かみ、し
も)が逆になる。歌舞伎の「位相の美学」とも言うべきか。「見送る」というのは、
芝居のキーワードになる。

知盛の転落で、幕になり、義経主従の幕外の引っ込み。安徳帝を抱いた義経に続く
四天王ら。弁慶(團蔵)だけが、残される。知盛追悼の法螺貝を鳴らした後、弁慶
は六法も踏まずにゆるりと引っ込む。吉右衛門の知盛をひたすら堪能した。

「お江戸みやげ」は、2回目。96年1月の歌舞伎座。お辻は、2回とも当然なが
ら芝翫。戦後の本興行で8回上演しているが、最初の3回は、勘三郎、残りの5回
は、今回を含め芝翫。すっかり芝翫の当たり役になっている。当面、芝翫以外に
考えられないが、いずれは、勘九郎も味を出す年齢になるだろう。勘三郎のとき、
相手役のおゆうは、守田勘弥だったから、将来は、勘九郎と玉三郎という名コンビ
を夢見たい。勘三郎と勘弥という立役同士、勘九郎と玉三郎という立役と真女形と
いう味の違いが、また、どう言う舞台を作るか、愉しみ。

当面の芝翫の相手・おゆうだが、前回が田之助で、悪くはなかったが、今回の富十
郎の、太めのおばあさんに何とも味があった。97年、名古屋の御園座と同じ配
役。それ以前は、宗十郎が2回勤めているが、おゆうは、太めが良いだろう。なら
ば、宗十郎より、田之助だろうし、田之助より富十郎だろう。お紺は、私が観た2
回とも福助で、これも適役。蓮っ葉で、お侠な江戸下町の娘の味を出している。憎
まれどころの常磐津の師匠・文字辰の松江が好演。緞帳が上がると、湯島天神の
宮地芝居の御休処「松ヶ枝」。いきなり「仕出し」のように松江が、御休処の緋
毛氈を掛けた床几に座っていてビックリ。このあたりが、新派の味わい。私が観た
前回は、舞台復帰が待たれる澤村藤十郎。結城の呉服行商人のお辻・おゆうを、
芝翫・富十郎のコンビは、実在感充分に登場する。このあたりの川口松太郎のドラ
マツルーギーも、憎いくらいに巧い。

いつものウオッチングで言うと、松ヶ枝の壁に掛かっている木の看板。平舞台上手
に「巡拝講中」、「三島講」、「金平月参講」、「安中講」、「伊勢年参講」、真
ん中から下手に「本石町講中」などの額が掲げてあり、天保二年三月吉日と書かれ
ている。ほかの額と同じように、個人名や屋号を書いた木札が入っている。次の座
敷の場面では、笹尾長三郎一座の芝居の辻番付(ポスター)が廊下に貼ってある。
「楼門五三桐 笹尾座」とあるのが、私の席から見える。どうせなら、宮地芝居の
楽屋内の場面があったら、芝居好きには最高なのだが・・・。昼の部は、「村山座」
の舞台、夜の部は、「笹尾座」と芝居小屋に縁のある演目を揃えている。

お紺の恋人で、笹尾座の花形・阪東栄紫(梅玉)に、一目惚れしたお辻は、普段は
始末屋なのに、酔った勢いも手伝って、若いふたりのために稼いだ虎の子の13両
あまりを財布ごと差し出し、添い遂げるよう進める。一世一代のお辻の散財である。
夜が明けて、暗闇からじわじわ明るんでくる湯島天神境内の演出がよい。栄紫も着
ている長襦袢の片袖を引き裂いて渡す。梅玉は、こういう役は巧い。上方に向かう
ふたりを花道に見送るあたりのお辻は、「一本刀土俵入」の駒形茂兵衛を送るお蔦
のように私には見える。13両あまりの片袖、それがお辻の「お江戸みやげ」とい
うわけだ。まあ、本当の江戸土産は、こういう想い出の方だろうけれど。

「鷺娘」は、4回目。雀右衛門が2回(96年11月の歌舞伎座と、98年2月
のNHKホール)、玉三郎が1回(99年10月歌舞伎座)。NHKホールは、
せりが使えなかったので、演出を工夫していたが、やはり「鷺娘」は、せりで登場
させたい。玉三郎は、持って出た傘を浮き上がらせるような演出をしていたと思う
が、今回の福助は、雀右衛門と同じような演出であった。ただ、福助が持っていた
傘が薄紫色が入った透明な蛇の目傘(ただし、閉じると、黒っぽく見えた)で、印
象的だった。3回、引き抜きで白からピンク、水色、薄紫と衣装を替え、最後は、
ぶっかえりで、白鷺の羽の衣装になり、鷺の精を現す。玉三郎も逆海老反りで柔軟
な身体を誇示していたが、福助は、若いだけにもっと柔軟さとスピーディな所作
を見せつけていた。このあたりは、踊りが老練とは言え、8月で81歳になる雀
右衛門では、5年前でも望めなかった。今回、昼・夜通しで4役を演じた福助は、
鷺娘では、匂い立つような女形の旬の色気を発散していた。最後に緋毛氈の二段に
乗っての大見得では、初役らしい工夫で、雪を降らせていて、なかなか良かった。
踊りとしては、雀右衛門も玉三郎も福助もよく、それぞれ味わいがある。それにし
ても、歌右衛門の逝去は、惜しまれる。もう、歌右衛門の鷺娘は、拝見できないの
だという空虚感が残る。改めて、合掌。

さて、おまけ。
先月の、「遠眼鏡戯場観察」に敢て全部を書き込まなかったテーマを絞った「特別
版」がある。それは、新橋演舞場、歌舞伎座の3つの部を使っての「忠臣蔵」通し
興行だけに、こちらの「戯場観察(かぶきうおっちんぐ)」も、いつものウオッチ
ング・スタイルではなく、それに答える、新たなスタイルで、「大序、三、四、道
行、五、六、七、八、九、十一」を通して、私なりにとらえた「テーマ」を限
定して劇評を試みてみたのだ(但し、一部は表現が重複する)。

題して、
女たちの「愛の忠臣蔵」〜死なれて・死なせて〜

浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良上野介に斬り掛かったのは、18世紀が始ま
ったばかりの新世紀初頭(1701年)であった。あれから、3世紀。21世紀の
初頭を飾る「忠臣蔵」通し上演は、新橋演舞場と歌舞伎座の両方を使うという異例
の興行だった。こうして、「通し」で見ると、死んで行く男たちのドラマとして知
られる「忠臣蔵」の陰で、生きた女たちの愛のドラマが浮かび上がってくる。死
なれて・死なせて。女たちの「愛の忠臣蔵」。

まず、「落人」の道行では、勘平(新之助)につきそうお軽(菊之助)が良い。勘
平は、六段目のような「大事の場所にもおりあわさず」(今回の菊五郎の台詞。普
通は、「色に耽ったばっかりに、大事な所に居合わせず」)などと、分別臭いこ
とを言うようには見えない。颯爽とした青春まっただなかの勘平である。それだけ
に、「青春の蹉跌」の虚ろさが感じられる。そういう不安定期の青年のありよう
を、このところ充実の新之助は演じていた。また、菊之助のお軽は、この時期特
有の女性の早熟さを滲ませながら、道行途上の頼り無い青年への気遣いを感じさせ
ていて、ときにリーダーシップを発揮したりしながら、失意のあまり、自殺しかね
ない恋人への気遣いをみせながら、「恋人の愛」を感じ取ることができる演技をし
ていた。

「六段目」では、「妻の愛」。ふたりの妻。まず、田之助のおかやの夫・与市兵衛
(五段目と違って、筋書に名前がない)の遺体に対する狂おしい愛の表現が納得で
きる演技であった。もうひとりは、おかる。この場面、登場人物のほとんどが灰色
のようなくすんだモノトーンの衣裳のなかで、鴬色の勘平(菊五郎)と紫色のお
かる(菊之助)の衣裳は、印象的だ。色彩で歌舞伎がふたりをクローズアップし
ているのが判る。おかるは、「道行」の初々しさが消え、猟師・勘平の妻としての
落ち着きもあり、日常化した夫への愛情もあり、夫への献身ぶりが伺える。

だが、お軽は、夫の、その後の悲劇は知らないまま、夫のためにと、遊廓に身を
売る。悲劇を知るのは、色っぽい遊女として一力茶屋に馴染んでからだ。だが、
兄・平右衛門(辰之助)に夫の最後の様を知らされると、勘平の見えぬ遺体に対す
る妻としての狂おしい愛の表現が菊之助迸る。遊女の色っぽさの下に隠された夫へ
の親愛。お軽の「二重性」。私が観たさまざまなお軽では、菊之助は、雀右衛門、
玉三郎、福助に次ぐ、堂々のお軽であった。

次いで、「八段目」、「九段目」では、小浪(勘太郎)に対する母・戸無瀬(玉
三郎)の娘への愛が描かれ、義母となる大星お石(勘九郎)の一日限りの嫁への愛
が描かれる。まず、「八段目」(「道行旅路の嫁入」)では、玉三郎が娘との長旅
を気遣う所作が良い。柔軟さを感じさせる玉三郎の所作のなかに、玉三郎は、強靱
な母の愛を滲ませる。それは、「九段目」への伏線だ。

「九段目」(「山科閑居」)では、白無垢の娘に対して、嫁入りに命をかける赤い
衣裳の母、灰色から、後に黒に着替える義母は、娘を一夜限りの嫁にしないよう冷
たくあしらう。そういうふたりの母の思いを歌舞伎は、色彩感覚でズバリと表現す
る。それが「御無用」という二度にわたるお石の声が、凛と響き、ふたりの母の愛
がひとつになる。後は、男たちの「友情」のドラマに引き継がれる。

このあたり、さまざまな並木宗輔作品に共通する、彼の「母の愛」思想が伺える。
そういう運命の大浪に揉まれながらも、小浪は、力弥(孝太郎)への初々しい愛を
表現する。死なれて、死なせて。生き残る女たちの苦悩。「忠臣蔵」3人の共作
者のうち、並木宗輔は、きっと、そういうメッセージを、こうした女たちの愛の表
現に滲ませたと、私は思う。

- 2001年4月11日(水) 6:47:00
2001年 4月 ・ 歌舞伎座
           (昼/「頼朝の死」「石橋」「極付八幡随長兵衛」)

六代目中村歌右衛門逝去(3・」31)の直後の歌舞伎座の舞台は、歌右衛門
養子の長男・梅玉、同じく次男・松江、芸養子・東蔵、東蔵の長男・玉太郎。
歌右衛門甥の芝翫、芝翫の長男・福助。四代目歌右衛門家系の中村富十郎、富十
郎の長男・大(初舞台)。三代目歌右衛門の弟・初代歌六家系の吉右衛門、歌昇、
信二郎など。六代目歌右衛門の近親者の舞台。昼の部最初の演目「頼朝の死」
では、主演の梅玉が演じる頼家(頼朝の後を継いで将軍になる)が、不慮の事
故で亡くなった父親・頼朝の死を悼み、号泣する場面があり、自ずから長男・梅
玉の父・歌右衛門を追悼している気持ちが察せられる。そういう意味で言えば、
「頼朝の死」は「六代目歌右衛門の死」であった。

この演目、私は、2回目。前回は、96年12月、歌舞伎座。頼家は、三津五郎
(当時は、八十助)。重保(染五郎)、小周防(福助)、政子(宗十郎)、大江
広元(秀調)。前回は、純粋に戯曲として拝見。

新歌舞伎の戯曲としての「頼朝の死」は、真山青果作。頼朝夫人・尼御台政子
(富十郎)の侍女・小周防(福助)の寝所へ入り込もうとした曲者として、頼朝
が殺されたことが全ての始まり。真相を知っているのは、宿直の番をしていると
きに曲者を斬った畠山重保(歌昇)。小周防は重保を密かに愛しているが、薄々
感づいている重保はそれを拒否している上、斬り捨てた曲者が頼朝と知り、死に
たいほど苦しんでいる。真相を知っているのは、頼朝のスキャンダルを隠してい
る頼朝夫人・尼御台政子と頼朝の家臣・大江広元を含めて3人だけ。3人には、
秘密を共有しているという心理がある。

頼朝の嫡男・頼家は、真相を知らされず、彼も狂おしいほど悩み、真相究明を続
けているが、真相に近い疑惑までは辿り着いたが、そこから最後の詰めができな
いでいる。そうして、月日は流れ、舞台は事件から2年後。頼朝の三回忌の法要
が行われている祥月命日の日。序幕では、上手、法華堂門前に「故頼朝公大三年
回忌供養」という立て札がある。頼家、尼御台政子以外の主な登場人物が勢揃い
をし、小周防のひたむきの乙女心という恋を描く。それはまた、「重保の恋」
のようにも見受けられる。重保の悩みは描かれるが、三回忌という客観的な時間
の流れのなかで、頼朝の「死」=タナトスは、すでに捨象され、ふたりの「恋」
=生へのエロスが、色濃く私の目には映る。それゆえに、重保は小周防に真相を
漏らしてしまう。タナトスがエロスに負けた瞬間だ。歌昇と福助が熱演。

第二幕「将軍家御館」。ひとり悩ましい時間を過ごしている頼家(梅玉)。重
保ら3人の秘密共有者と小周防も呼び、真相究明に走るが、正しい推理は、正し
いが故に空回りする。この場面、エロスとタナトスは、ベクトルが逆に作動し、
頼家は真相にたどり着けない。だから、いらだつ。梅玉は、そういう正しく、し
かし、正しい故に、一直線な男・頼家を熱演するが、分かり易すぎる男の故に、
熱演すればするほど人物造型が薄っぺらになる。ただ、梅玉の父親の死を悼む気
持ちは、観客にも歌右衛門の死を痛む気持ちを醸成する。これに対して、苦悩と
ともに真相を知っている重保を演じる歌昇は、人物造型の奥深さを表現する。将
軍からの利益誘導で、真相を告げそうになる小周防は、口封じのために、恋人に
斬り殺される。それゆえに、この芝居は、私には一層、「重保の恋」として、
印象づけられる。それほど、歌昇の演技には、味があった。前回の染五郎の演技
とは、格段に違う。吉右衛門の広元は、印象が薄い。

「石橋」は、芝翫と富十郎という人間国宝同士の重厚な舞台。それに花を添える
のが4・11で2歳になるという富十郎の長男の大の初舞台。祝幕は、暴れ熨斗
に鷹の羽八ツ矢車という天王寺屋の定紋。初舞台を飾る舞台上部の提灯も歌舞伎
座と天王寺屋の定紋。舞台背景は、岩山の深山。舞台奥の正面に石橋といういつ
もの舞台装置がない。背景遠くに山の頂を繋ぐ石橋が、霞んで見える。長唄囃子
連中も上手の山台に乗っている。手前に長唄、後ろに三味線。下手には、四拍子。

7年前、94年5月の歌舞伎座は、辰之助、新之助の獅子で、オーソドックスな
演出だったのを覚えているが、あまり印象に残っていない。今回は、寂昭法師
(芝翫)と童子、獅子の精(富十郎)、文殊観音(大)という私には初見の演出。
73歳の芝翫と6月で72歳になる富十郎の安定した踊りと一本隈の化粧、四天
の衣装に紅白の牡丹の枝を持った力者たちの立ち回りを愉しんだ。立ち回りの最
中に、四天の背中と牡丹の枝の組み合わせで、天王寺屋の定紋を表現。

前段と後段は、浅葱に雲の文様の幕が振り被せ、振り落としの演出で切り替わる
が、ここでおじいちゃんたちが孫よりも幼い富十郎長男の披露(後見は、信二郎)
の口上をするが、これが微笑ましい。口上の後、一旦引っ込んだ大が、岩組が動
くと、親子の唐獅子の上に乗った文殊観音として登場する。「石橋もの」は、さ
まざまなバリエーションがあり、バリエーションの方は、まま上演されるが、
「石橋」そのものは、あまり上演されないが、久しぶりの両長老の落ち着いた舞
台であった(本興行では、戦後5回目)。1歳11ヶ月では、物心も付いていな
いだろうが、ふたりのおじいちゃんの動きを首を左右にして見ているだけの大の
舞台を、当然のことながらきっちりカバーしていた。

「極付幡随長兵衛」は、3回目。私が観た長兵衛は、橋之助、團十郎、吉右衛門
(今回、以下同様)。白柄(しらつか)組の元締め・水野十郎左衛門は、三津五郎
(当時は、八十助)、幸四郎、富十郎。ほかにも登場人物はいろいろいるが、こ
の芝居は、村山座という劇中劇の芝居小屋の場面と、水野の屋敷、それに、水野
家の湯殿の場面。「人は一代、名は末代」という哲学に裏打ちされた町奴・幡随
長兵衛の男気をひたすら見せつける芝居であり、長兵衛一家の若い者も、水野十
郎左衛門の家中や友人も、長兵衛を浮き彫りにする背景に過ぎない。そういう
意味では、3人の長兵衛は、いずれも颯爽としていたが、台詞回しの巧さでは、
今回の吉右衛門が光っていた。長兵衛女房・お時では、今回の松江に妻としての
情愛が感じられた。特に、死地に赴く夫に着せる晴着の仕付をとるところ(前回
は、時蔵、前々は、福助)。劇中劇(「公平法問諍 大薩摩連中」という看板)
では、坂田公平の團蔵が巧かった(以前は、2回とも十蔵)。

閑話休題。因みに、「頼朝の死」では、将軍を叱る政子の台詞「御家は末代、人
は一世」、つまり、将軍といえども、御家よりは、価値が低いということで、頼
家の独断専行を諫める場面で、使っていた。今回、歌舞伎座の昼の部は、個人の
価値観を問う芝居で「あったるか」。

私の記憶では、幸四郎の水野十郎左衛門のときに、水野らが姿を現す桟敷席が舞
台上手の、いつもなら竹本の床のあるところであった。そのほかは、今回同様
下手の下座の黒御簾の上に桟敷席を作っていた。もうひとつ、いつものウオッチ
ングスタイルで記述すると、花川戸長兵衛内では、積物の提供者の品書きの名前、
屋号がおもしろい。反物一反では、「左勝」、「福乃家」。清酒一駄(馬に載せ
る量)では、「信濃屋」、「黒金」。大鯛一尾では、「魚金」。白米一俵では、
「徳兵衛」、「政三郎」と個人名。褥(布団)一組では、「越前屋」、「大黒
屋」。この場面、二重舞台の上手に「三社大権現」という掛け軸があり、下手二
重舞台の入り口には、祭礼の提灯。明治14(1881)年に河竹黙阿弥が江戸
の下町の初夏を鮮やかに描く。そういえば、水野邸の奥庭には、池を挟んだ上手
と下手に藤棚。

- 2001年4月9日(月) 22:07:09
2001年 3月・新橋演舞場

           (昼・夜/「仮名手本忠臣蔵」通し)

ここに、4冊の「仮名手本忠臣蔵」の筋書がある。一番新しいのが、今回、演舞場で
買い求めたもの。表紙は、「古今俳優似顔大全」という三代目豊国描く浮世絵版画。
判官:市川荒太郎、由良之助:三代目澤村宗十郎、勘平:三代目尾上菊五郎、お軽:
三代目澤村田之助。次は、98年3月の歌舞伎座。表紙は、「忠臣蔵・討入り」とい
う同じく三代目豊国の浮世絵版画。五代目澤村長十郎の由良之助ら7人が描かれてい
る(元画は、10人)。もうひとつは、95年2月の歌舞伎座。表紙は、赤地に大
きく「百寿」の文字と小さく松竹百年記念という文字が入ったシンプルなデザイン。
4册目は、2000年月の国立劇場(小劇場)の人形浄瑠璃公演のもの。表紙は、
「七段目」一力茶屋の由良之助とお軽の人形をコラージュしている。いずれも、通し
興行の筋書である。

このうち、3回拝見した歌舞伎の場合、主な配役を書いておこう。記載の順番は、今
回から逆に98年、95年という順番(()内は、後半の役者名)。

塩冶判官:菊五郎、勘九郎、菊五郎。高師直:左團次、富十郎、羽左衛門。桃井若狭
之助:辰之助、橋之助、富十郎。顔世御前:芝雀、玉三郎、芝翫。足利直義:亀三郎、
菊之助、彦三郎。加古川本蔵(二、三段目):権一、佳緑、錦吾。大星由良之助:團
十郎、幸四郎、吉右衛門(幸四郎)。石堂右馬之丞:羽左衛門、左團次、権十郎。
薬師寺次郎左衛門:彦三郎、團蔵、左團次。大星力弥:松也、勘太郎(七之助)、
芝雀(菊之助=当時、丑之助)。道行の勘平:新之助、菊五郎、團十郎。道行のお
軽:菊之助、時蔵、芝翫。道行の伴内:十蔵、辰之助、三津五郎。勘平:菊五郎、
菊五郎、菊五郎。お軽:菊之助、福助(玉三郎)、雀右衛門。定九郎:新之助、橋之
助、吉右衛門。お才:芝雀、宗十郎、宗十郎。千崎弥五郎:正之助、左團次、左團次。
原郷右衛門(不破数右衛門):左團次、富十郎、権十郎。おかや:田之助、吉之丞、
鶴蔵。源六:松助、松助、松助。与市兵衛:佳緑、佳緑、佳緑。九太夫:芦燕、芦
燕、芦燕。平右衛門:辰之助、勘九郎、團十郎。服部逸郎:新之助、菊五郎、ーーー。
さらに、今回の「忠臣蔵」通し興行では、八段目(「道行旅路の嫁入り」)、九段
目(「山科閑居」)が、歌舞伎座で上演されると言う異例の興行形態をとっている。
加古川本蔵(九段目):仁左衛門。戸無瀬(八、九段目):玉三郎。小浪(八、九段
目):勘太郎。由良之助(九段目):富十郎。お石:勘九郎。力弥(九段目):孝太
郎。

こうやって、3回分の「役人替名」(配役名)を並べてみると、いろいろな情報が埋
もれている。今回の演舞場の場合、七代目梅幸七回忌と二代目松緑十三回忌の追善興
行であり、菊五郎劇団の興行であり、ということで菊五郎系統の役者が優遇されてい
る。それを團十郎系統が「團・菊祭」のよしみでサポートしているのが判る。

菊五郎が昼の部では、判官で軸になり、夜の部では、勘平で軸になっている。どちら
も、当代では、最高の判官であり、勘平だということを今回もまざまざと見せてくれ
た。「切腹二態」。一日に2度も切腹をするというのも大変だろう。息子の菊之助が、
腰元、女房、遊女という、いわゆる「お軽三態」を、今回はひとりで通し、堂々と演
じていた。三之助のなかでも、菊之助が、女形として、ここ数年の間に、ひと回り
も、ふた回りも芸が大きくなり、着々と成長しているのが判る。いずれも、菊五郎の
父、菊之助の祖父、梅幸は、冥界で安心しているのではないか。

一方、松緑の方は、息子の初代辰之助を若くして亡くしてから、孫のいまの二代目辰
之助の成長を楽しみにしていたであろうから、今回の上演では、辰之助が昼の部では、
若狭之助、夜の部では、平右衛門ということで、富十郎や團十郎、勘九郎が演じてい
た大役を演じている。辰之助は、大きな期待を背負う余り、確かに熱演だが、熱演過
ぎて、少し浮いているように、私には観えた。まず、顔の化粧が、彼の場合、これま
でにも、ときどき感じることがあるのだが、人間の生きた顔と言うよりも、なにか人
形浄瑠璃の人形の頭のように観えることがあるが、今回も、そういう違和感をまず感
じた。熱演は、声にも現れている。ほかの役者と違う温度を感じる声になっているの
で、これも違和感がある。いずれ、辰之助の熱演も、うちに熱を秘めたようになれば、
安心して演技を観ていられるようになるだろうと思うので、それを期待したい。

歌舞伎座の「八段目」、「九段目」は、今月の歌舞伎座の劇評で書いたように、十四
代目守田勘弥の二十七回忌追善興行で、こちらは、養子の玉三郎中心の配役で、玉三
郎が、真女形の立女形を目指して精進している成果をきちんと出す演技で、充実して
いた(歌舞伎座の劇評は、この後のページに掲載されているので読んで下さい)。

そこで、今回は、演舞場、歌舞伎座の3つの部を使っての「忠臣蔵」通し上演という
異例の興行だけに、こちらの「戯場観察(かぶきうおっちんぐ)」も、歌舞伎座の部
分の劇評は、は若干ダブるが、「大序、三、四、道行、五、六、七、八、九、十一」
を通して、ひとつの興行としてまとめて書いてみたい。

「忠臣蔵」の通しは、開幕前の口上人形が見逃せない。人形浄瑠璃・裃姿の中年男の
人形を脇役のベテラン役者が操りながら、「役人替名」を順番に名乗って行く。二度
名乗ったり、あさり一度しか名乗らなかったり、「エヘン、エヘン」と咳き払いをし
たりして、恰も見せる番付のようだ(「エヘン、エヘン」という咳き払いは、「三段
目 足利館門前進物の場」の鷺坂伴内と中間たちとの「返り討ち」の練習の場面の戯
画だろう)。

「大序」では、色彩に注目。勿論良く言われている将軍(金)、師直(黒)、若狭
之助(浅葱)、塩冶判官(黄色)、並び大名などの様々な色相ばかりでなく、背景の
鶴ヶ岡八幡宮の色彩。宮の朱と木々の緑、茶、黒、白、金、空の青、砂や石の灰色の
なかで、「季節外れ」の銀杏の大木の黄色が、なぜか調和しているから不思議だ。左
團次の師直は、将軍の隣に控える高官の位の表現が不充分だが、顔世御前(芝雀)へ
の「セクハラ」顔ともいうべき嫌らしさ、助平顔、狡さ、下品さは巧く表現していた。
師直は、女性にはセクハラ、年下の男性には虐めというところか。左團次は、これに
位の高さの表現が重なるように、滲み出せるようになれば良い師直役者になるだろう。
師直、若狭之助、塩冶判官、それに顔世御前らで作る三角形の変化や崩れは、観てい
ておもしろい。芝雀は、正面の顔を下から見上げていると判りづらいが、上から観
ていると顔の輪郭がすっかり父・雀右衛門に似て来た。

「三段目」。鶴蔵の伴内は、「チャリ」(滑稽)で、次の悲劇とのバランスをとる。
駕篭のなかにいるという設定の師直へのひとり芝居が巧い。本蔵(権一)は、渋い
家老で、若狭之助への有能な部下としての危機管理能力が、後の悲劇を生むのをまだ
知らない。ここは、場面展開に廻り舞台をフル活用。足利館「松の間」刃傷、「四段
目」、扇ヶ谷判官切腹、表門城明渡しと、舞台は鷹揚にくるりくるりと廻る。

「松の間」の定敷き(薄縁)の一番外側の舞台間口の長さに近いものを大道具が一気
に敷き詰めるのが大道具方の見せどころだが、今回は失敗。松の間の場面は、顔世御
前の短冊を師直が読む際に、蝋燭立てを近付けるように薄暗さを感じさせなければな
らない。そういう薄暗さのなかでの刃傷事件なのだ。菊五郎の判官が出てくると、颯
爽としていて、一人だけ役者の格が違うという印象。刃傷の後、松の間の片隅の衝立
の薄暗がりから出て来て、判官を後ろから抱き締める本蔵。本蔵は、判官を人形浄瑠
璃の人形を操る人形遣いのように観えた。

松の間の金地の襖から塩冶館の銀地の襖へ。このあたりも、竹本の出語りの、廻る床
(山台)の衝立のイメージか。上使のひとり石堂(羽左衛門)は、風格。やがて、
遅かりし由良之助(團十郎)の登場で、切腹した判官(菊五郎)と、当代最高級の役
者3人揃うという場面。「いまだ、参上仕りません」の力弥(松也)が、16歳
(松助の息子)ながら、なかなかの出色の出来。

判官の切腹を見届けて羽左衛門が花道から引き上げる場面は、座って控えている由良
之助、九太夫(芦燕)、郷右衛門(團蔵)が、円形になっている。判官の遺体が駕篭
に入れられる場面では、あわせて31人の諸士(その多くは、舞台下手袖の後ろにい
て見えない)が、赤い消し幕のように、客席の視線を遮るし、その後、駕篭について、
花道から引き上げる場面は、圧巻。大勢が板(舞台)に乗る演目は、見応えがある。
判官の死後、白無垢の喪服姿の顔世御前と6人の腰元が上手に座り焼香するが、白一
色の横に置かれた手向けの品を包んだ風呂敷の紫の色が印象的だった。

城明渡しの場面、由良之助の動きに合わせて、大道具の城門が、3回に分けて、上手
を中心に円を描くように下手側だけ、すうっ、すうっと徐々に遠ざかる引き道具にな
るのは、いつ観ても良い。そして、送り三重での由良之助の花道の引っ込み。歌舞伎
の渋い魅力を満喫できる場面。

道行「落人」(「旅路の花聟」)は、お軽が軽やかに踊っている。勘平は、心の揺れ
がある。お軽は、そんな勘平を絶えず気遣っているのが判る。良いお軽だ。伴内が出
てくると、恋人に良い所を見せようと、強くなるところが初な青年らしさ。最後に、
花道から伴内へ声をかける勘平の「馬鹿めぇー」は、河内山宗俊や石川五右衛門(宙
乗り)の「馬鹿めぇー」のように、カタルシス(観客も重苦しさが続いた舞台に、ふ
うっと息を吐く)。さて、伴内役の十蔵がよい味を出していた。「千本桜」の静御前
と狐・忠信の道行にしろ、この道行にしろ、基本的には、男女の道行を邪魔立てする
滑稽男・藤太、伴内の登場の場面は、江戸の庶民のお気に入りの場面だろう。テキス
トの深刻さより、見た目の華やかさ、特に花四天のからみによる「所作立て」(所作
事のなかの立ち回り)は、何回観ても飽きない。長い演目の息抜きとして、あるいは、
「みどり狂言」として単発で、それぞれ如何様にも愉しめるというメリットがあるか
らだろう。

「五段目」、幕が開くと、いつもの浅葱幕の振り落とし。黒幕に松の巨木。木陰で雨
宿りをしている猟師。山崎街道では、まず、勘平(菊五郎)と千崎弥五郎(正之助)
が雷雨のなかで出会う場面は短いが、勘平は、殿様の刃傷の際、近くにいなかったと
いう失敗の汚名を雪ぐため、仇討ちの御用金を用立てれば、「義士」の仲間に入れる
と聞かされ、焦る気持ちを抱くようになる。

舞台が廻ると、黒幕にいつもの稲叢(いなむら)と薮というシンプルな道具立て。定
九郎を新之助が、どう演じるか。新たな仲蔵が誕生するか、関心を持って待っている。
こちらも、前の場面同様に、暗闇と雷雨が続いている。稲叢の前で雨宿りをした与市
兵衛(佳緑)から財布を奪って殺し、財布を口に銜えたまま、右手に人殺しに使った
ばかりの抜き身を持ち、稲叢からの出の際に乱れた左右の髪を整えるという不敵さ。
濡れ切っている黒い衣裳をゆっくり絞る犯罪者の顔であり、所作である。私が観た
定九郎は、実は4人。「夢の仲蔵」で、幸四郎が、劇中劇で定九郎を演じている。そ
の幸四郎にも、吉右衛門にも、橋之助にも感じなかった新之助独特の雰囲気がある。
家老の息子ながら悪党という定九郎のキャラクターにぴったり。若手のなかで、この
ところ充実ナンバーワンだけに、面目躍如の新之助定九郎の誕生だ。佳緑の与市兵衛
は、3回目。

破れ傘で花道から逃げようとした定九郎は、向うから人の気配があり引き返すが、鉄
砲の流れ弾にあたって敢え無い最後。銃を担ぎ、火縄を廻しながら現れた勘平の動作
は、一種の「だんまり」と観た。この場面、登場する3人の役者が発する台詞は、定
九郎の「五十両」と勘平の「こりゃ、人」のふたつだけ。複数の役者がゆるりと江戸
の気分で演技するのが「だんまり」だが、ここの「だんまり」に参加するのは、勘平
と撃ちとった猪と勘違いされ細縄で縛られた定九郎の右足だけ。シンプルな大道具、
シンプルな台詞(ふたつの台詞に、ふたつの弾音)、「蜩三重(ひぐらしさんじゅ
う)」という三味線の演奏。夏の漆黒の闇を示す黒幕の前での、ほぼ無言劇に近い演
技。「こりゃ、『だんまり』」だあ。

舞台が廻る。廻って、廻って、「忠臣蔵」は、実に廻り舞台の機能をフルに回転させ
る。浅葱幕の振り落としといい、廻り舞台といい、大道具の機能の魅力をよく知って
いる。「六段目」与市兵衛内、主な役者の顔ぶれが出揃う。勘平(菊五郎)、お軽
(菊之助)、お才(芝雀)、源六(松助)、おかや(田之助)。いずれも理想的な配
役だ。3回観たなかで、今回がいちばんしっくりする。

茶の着物に菊五郎格子の継ぎ当て。勘平が戻って来た。家のなかに源六やお才という
見知らぬ人たちがいる。2度繰り返される「あのお方は?」問答で、会場の笑いを誘
う。悲劇の前に笑劇という定番通りの展開。鴬色の洒落た着付けに替わる勘平。紫の
着付けに黒い帯というお軽の洒落たレベルにあわせる。この場面、登場人物のほとん
どが灰色のようなくすんだモノトーンの衣裳のなかで、鴬色の勘平と紫色のおかるの
衣裳は、印象的だ。色彩で歌舞伎がふたりをクローズアップしているのが判る。おか
るは、「道行」の初々しさが消え、猟師・勘平の妻としての落ち着きもあり、日常化
した夫への愛情もあり、夫への献身ぶりが伺える。

田之助のおかやが良い。夫・与市兵衛の遺体(「五段目」は、佳緑だが、「六段目」
は、筋書に名前がない。戸板で運ばれたまま、最後まで動かない。遺体だから、当た
り前か)を相手に夫への愛情溢れる演技、それと対照的に誤解に基づく勘平への憎し
みを率直にぶつける巧さ。それゆえに、後の場面で、死に行く勘平が「疑いは晴れ
ましたか」とさらっという台詞が生きる。日本芸術院賞受賞の田之助の周到の演技が
光る。

勘平は、「色に耽ったばっかりに、大事の場所にも居り合わさず」という歌舞伎の名
台詞(人形浄瑠璃にはない)が菊五郎節で、たっぷり。菊五郎、二度目の切腹の場面。

「七段目」。一力茶屋の前半は、「忠臣蔵」全十一段のなかで、最も華やかな舞台。
團十郎が貫禄の由良之助。捌き役(特に、「四段目」)でありながら、華のある一力
茶屋の由良之助。この場面の由良之助が、2回とも幸四郎だったので、團十郎の由良
之助は、なんとも良い。「一力茶屋の由良之助」は、華のなかにも捌き役が透けて見
えなければならない。由良之助の「二重性」。そうなると、当代では、團十郎、吉右
衛門、仁左衛門あたりだろう。吉右衛門は、何故か、13年前から本興行では演じて
いない(「四段目」の由良之助は、演じている)。仁左衛門は、おととし、大阪・松
竹座で演じているが、私は観ていない。ふたりの由良之助を観てみたい。

夫・勘平の、その後の悲劇は知らないまま、夫のためにと、遊廓に身を売ったお軽。
悲劇を知るのは、色っぽい遊女として一力茶屋に馴染んでからだ。二階のお軽。梯子
で降りてくるときの、「船玉さま」問答。エロチックな問答では、玉三郎のお軽がい
ちばん色っぽかった。「ええ、覗かんすな」と言っていた玉三郎の台詞が、今回の菊
之助は「そんなこと言わしゃんすな」に替わっていたが、ここは、本来通り、玉三郎
の台詞の方が良い。ここも、お軽の、その後の悲劇の前の笑劇の台詞だからだ。観客
の笑いを呼んでおいて、後の悲劇を際立たせると言う作者の工夫魂胆を大事にしたい
(人形浄瑠璃の場合も、同様の台詞があるが、エロチックな会話で会場を湧かせてい
る間に、お軽の人形遣いは、人形を梯子に乗せたまま、裏を廻って、上手から平舞台
に出てくる。そういう工夫魂胆が、この台詞には隠されている)。兄・平右衛門に夫
の最後の様を知らされると、「遊女」お軽には、勘平という「見えぬ遺体」に対して
「妻」お軽としての想像力が沸き上がる。それは、狂おしいまでの夫への愛の表現と
して菊之助が迸る。遊女の色っぽさの下に隠された夫への親愛。お軽の「二重性」。
菊之助は、雀右衛門、玉三郎、福助に次ぐ、堂々のお軽であった。平右衛門(辰之助)
が、悲劇の告白では、竹本の三味線「チンチンべンベン」の執拗な繰り返しの糸に合
わせて熱演。三味線も平右衛門の動きに合わせる。

「十一段目」も浅葱幕、振り落とし。舞台には、四十七士の体で、実に42人の浪士
たちが勢揃い。圧巻であった。そして、討ち入り。奥庭泉水の場面。和久半太夫(亀
蔵)、小林平八郎(團蔵)らが、高家側。雪降り続けるなかでの團蔵と亀寿(竹森喜
多八)の立ち回りは、しっくりしていなかった。千秋楽まで残り数日なのに・・・。

大道具、また、鷹揚に廻る。炭部屋で、本懐遂げる場面だ。「滝野屋」、「十文
字屋」と、男寅(村松三太夫)、桂三(磯貝十郎左衛門)のふたりに声がかかる。人
形浄瑠璃の「花水橋」と違って、歌舞伎は「両国橋」。引き上げの場面。下手、橋
の袂にふたつの立看板。「二月十五日 常楽会 回向院」、「十二月二十日 千部 
長泉寺」とある。「常楽会(じょうらくえ)」は、「釈尊入滅の日」(2・15)
に修する「涅槃会」。「千部」は「千部会(せんぶえ)」追善や祈願のために同じ経
千部を500〜1000人の僧侶で読む法会。ひとりの僧侶が千部を読むこともある。
舞台にさり気なく立てられたふたつの立看板から、討入りの時期は、20日以前と判
るし、行事の内容から劇中の判官への回向も伺える。さらには、幕外へ向けての梅幸、
松緑追善という、今回の興行側の情報発信も私には、観えてくる。

【贅言】「釈尊入滅の日」の2・15とは、「ねがはくは花のしたにて春死なんその
きさらぎの望月の頃」と西行法師が詠う「きさらぎ(如月)の望月(満月の日)」で
あり、実際、西行は、1190(文治6)年、2月16日に亡くなったという。

新之助の服部逸郎が爽やか。浪士の引き上げ、殿(しんがり)に辰之助。本舞台に
暫し残る團十郎。花道を引き上げる由良之助。馬上、扇子を挙げてそれを見送る服部
逸郎。今年度の芸術選奨文部科学大臣新人賞と松尾芸能大賞新人賞のダブル受賞の新
之助。三之助では、新之助、菊之助、ややあって、辰之助、追い掛けて勘太郎か。

若手の役者が力をつけて来ている。菊五郎、團十郎、羽左衛門、田之助らのベテラン、
仁左衛門、玉三郎、勘九郎らの中堅を載せた舞台を若手、花形たちが、せり上げ、鷹
揚に廻すのを確かに観た。とすれば、別の外題が浮かんで来る。「新世紀鮮忠臣蔵
(いまようあたらしちゅうしんぐら)」。今回の「忠臣蔵」通しの舞台を観て、私は
歌舞伎の舞台が新時代へ、ゆるりと廻ったのに立ち会えたと思った。
- 2001年3月26日(月) 18:55:20
2001年 3月 ・ 歌舞伎座
     (夜/「鳥辺山心中」「保名」「仮名手本忠臣蔵/八段目・九段目」)

今月は、18世紀初頭の浅野内匠頭の江戸城松の廊下での吉良上野介への刃傷事件か
ら3世紀ということで、新橋演舞場での「仮名手本忠臣蔵」通し上演(大序、三段
目、四段目、道行「旅路の花婿」、五段目、六段目、七段目、十一段目と、いつもの
通し上演の構成)に加えて、歌舞伎座・夜の部での「仮名手本忠臣蔵(八段目・九
段目)」上演という、異例の興行形態を取っている。そこで、「仮名手本忠臣蔵」に
ついては、別途、全体を通して論じたいので、ここでは、「仮名手本忠臣蔵/八段目・
九段目」は、舞台の印象について述べるに留めたい。

「鳥辺山心中」は、岡本綺堂作の新歌舞伎ながら、竹本付きである。原作は、400
字詰め原稿用紙にして、わずか30枚という。1915(大正4)年の東京・本郷座
初演以来、本興行でも、ざっと100回は上演されていようと言う新歌舞伎の古典的
作品だろう。私は、2回目の拝見。97年1月の歌舞伎座。半九郎が2回とも幸四郎。
お染が前回、雀右衛門、今回、時蔵。市之助が前回、宗十郎、今回、我當。お花が、
前回、田之助、今回、秀太郎。源三郎が、前回、染五郎、今回、弥十郎。

舞台は、遊郭、祇園の茶屋花菱屋。庭に面した裏の座敷。扇子尽くしの間。二重舞台
の座敷、下手より衝立に扇の絵柄。中央襖に開きかけの扇子6本。絵柄は、銀地に下
手が梅、松、無地(白)。上手が紅葉、桔梗、菖蒲(あやめ)。上手床の間に掛け軸。
開きかけの扇子。青い地に三日月の模様。庭へ出る踏み石に黒塗りに赤い鼻緒の下駄。
庭下手に釣瓶井戸。上手、塀の外に竹本、御簾うち。よそ事浄瑠璃の体(てい)。

開幕直後、暫く無人。やがて、オレンジ色と若草色の衣装を着た若松屋の遊女・お染
(時蔵)がひとり座敷を抜け出してくる。髪に紅白の元結、赤い地の板に金色の模様
の入った髪留め。この時蔵の出がよい。爽やかな感じ。いつもの時蔵とは違う。父・
与兵衛(幸右衛門)に会うためだ。新調した春着を父親が持ってきてくれたのだ。廓
に身を沈めて間がない、娘娘した「うぶさ」が出ている。色気より、父への親愛、新
しい着物ができた喜びが滲み出ている。三代将軍・家光に随伴して京に上ってきた江
戸の旗本・菊地半九郎という馴染みができたというものの日は浅い。女の喜びは、ま
だ、不充分だろう。そういう「おぼこらしさ」が感じられる。十代半ばの少女だろう
か。

やがて、半九郎が部屋に入ってくる。当初の予定を変更して数日のうちに、江戸に戻
らねばならないと言う。折角、いっしょに創った春着も着ることができないかも知れ
ないと言う。酔い伏す半九郎の世話をしながら涙を浮かべるお染。半九郎も若いよう
で、分別も色気もあまり感じられない。密室に男女ふたりきりの割には、性愛の匂
いがしない。沸き立つものがない。「あずま男に京女」というわりには、ふたりは
若すぎる。半九郎も十代後半か二十代の初めぐらいか。「雪夕暮入谷畦道」の三千世・
直次郎のような、今生の別れをしようとする男女の性の生々しさがない。これが、
少年少女の心中ものという「鳥辺山心中」の基調なのだろう。そうだとすれば、ふた
りは巧く味を出している。半九郎の足袋の色が、黄色いのは効果的だ。嘴だけでな
く、足元も黄色いのだろう。

遊び仲間の市之助が同じく若松屋の遊女・お花を連れて、飲み直そうと座敷に入って
くる。お花の秀太郎は、時蔵と違って崩れた、蓮っ葉な感じの遊女の色気を充分に出
している。時蔵の初々しさを側面から巧く引き立てている。秀太郎は、こういう外面
だけの美しさがあるというような女性の色気の出し方は、当代随一だろう。我當の市
之助も、明るい、あまり考え込まない朋輩の役柄を出している。半九郎の根暗な青年
という感じと対比が巧く出ている。こちらは、白足袋。二十代半ばの分別を持ってい
るようだ。押し黙って、汁茶碗で酒を呑み出す半九郎。このあたりから幸四郎の演技
は、昼の部の抑制がなくなり、オーバー気味、つまり、いつもの幸四郎の歌舞伎が始
まる。今回は、「深刻郎」という幸四郎の持ち味が、役柄に合っている。

市之助の弟・源三郎が遊興にふける兄を諫めに座敷を訪れる。武骨で直情径行の弟も、
分別知らずで、手加減ができない。十代後半か。危機管理意識など微塵もなさそう。
危なっかしい。弥十郎の源三郎が、やはり、オーバー気味で、ちょっと違うのではと
いう感じがするが、兄弟ながら、兄・市之助との性格の差は、対比的に出ている。こ
ちらは、緑の足袋。やがて、黄色になるということか。暫く、兄弟のやりとりがあり、
そこに、お花が口出しをし、お花と源三郎が衝突したのをきっかけに市之助らが退散。
残った半九郎は酒の勢い、源三郎は直情の勢いで、「侍の面汚し」と半九郎を面罵し
て衝突。「河原へ来い」と真剣勝負にもつれ込む。幼さの残るお染には、こういう
事態は手に負えない。

四条河原での立ち回り。月の使い方が巧い。三条大橋の向こうに比叡山。「双蝶々
曲輪日記〜引窓〜」の、窓から差し込む月光のように、登場人物の心理と月光の明る
さを巧く使っている。川面に映る月は、照ったり、曇ったり。まるで、人が引窓を開
けたり閉めたりするように。河原の場では、竹本・ふたりに、三味線・ひとりだった
のが、途中からふたりになる。決闘は、半九郎が勝ち。弾みでの殺人事件へ。後悔す
る半九郎。こういう暗い話は、幸四郎は巧い。

半九郎「濁りに沈んで濁りに染まぬ、清い乙女と恋をして」。お染「死ぬるきわまで
離れずに・・・」。「死ぬしかない」。「死ぬなら、鳥辺山へ」とふたり。お染「折
角こしらえたふたりの春着を、あたら形見に残そうよりも、死んで行く身の晴れ小
袖」。一対の春着は、死出の道行の晴着になる。それは、紫に裏地はピンクというお
染。黒に裏地は浅葱という半九郎。来し方を振り返るように後ろを向き月を眺めるふ
たりの後ろ姿。川面に映る月影。儚く映ったり、消えたりする月の頼りなさ。未熟な
ふたり。それでも、男が手を引いて鳥辺山へと花道を行く。同じ心中ものでも「曾根
崎心中」のお初・徳兵衛のふたりとは違う。床の三重のに時の鐘。古風な味を大事に
した新歌舞伎。そこに、新歌舞伎の古典と言われる由縁がある。

「保名」は、4回目。菊五郎、團十郎、橋之助、そして今回の仁左衛門。4人の保
名の比較が、ここの核心。男の狂乱ものの代表作。能の世阿弥の「恋重荷」から詩句
をとっている。舞台は、無人。「恋よ恋われ中空になすな恋」が清元の置浄瑠璃。一
面菜の花畑が霞んで見える野遠見。川が蛇行している。説遠くの山際には桜の並木が
見える。舞台中央上手寄りにも若木の桜が一本。やがて、花道から保名(仁左衛門)
が、前後に差し金の蝶々を操る後見を前後に従えて登場。六代目菊五郎なら、差し金
の蝶々は使わない。当代の菊五郎も使わなかった。仁左衛門は、定式の露芝模様黒地
の着付けではなく、ピンクに内側が浅葱色の着付け、紫の長袴姿。紫縮緬の病鉢巻き、
右の片肌を脱ぎ、手に銀地の扇子を持ち、亡くなった榊の前の橙色の小袖を左肩に掛
けている。

江戸時代の竹田出雲作・人形樹瑠璃「蘆屋道満大内鑑」の二段目「小袖物狂ひの段」、
三代目菊五郎「四季七変化」の春「小袖物狂ひ」などを経て、長らく上演が絶えてい
たのを明治になって九代目團十郎が復活。さらに、1922(大正11)年、六代
目菊五郎が、新舞踊として洗練、いま上演される形にしたという。私が4年前、最初
に観た菊五郎の「保名」が、その型を大事にした演出だろう。六代目は、先に述べ
たように差し金の蝶々を使った出をしなかったし、最後の「狂い乱れて、伏し沈む」
では、小袖の下に伏せって消えた。

その通り演じた97年2月、歌舞伎座の当代菊五郎の舞台は、いまも印象に残ってい
る。團十郎も六代目の型だったと思うが、最後の「伏し沈む」では、当代菊五郎の、
あの太った身体が、小袖の下に消えた(平舞台とフラットになり、存在が無くなった
ように観えた)ように感じられたのに対して、團十郎は、小袖の下から消えなかった
(こちらが、当たり前なのだが)。橋之助は、最後の場面を暗転で消えるように演出
を変えていたので、「藝で勝負せい」と思った。だから、今回の仁左衛門がどういう
終わり方をするかが、最大の関心。少なくとも花道の出は、六代目より古い型で出て
きたというわけだ。

そもそも、「保名」の花道の出の振りが、いちばん難しいようだ。「菜種の畑に狂う
蝶、翼交わして羨まし」など景色を説明する詩句の「よきほど」にて、出とある。魂
の抜けた保名は、まといつく蝶々に心が移り、また、我に返り、榊の前を想い出して、
小袖を抱くというような感じを所作で表現する。仁左衛門は、男の物狂いの割には、
やつれてもおらずスマートすぎるが、よく観ていると所作と言うより眼差しで、意識
の変化の様を演じる演出と判った。今回の仁左衛門の踊りは、いわば「眼差しの踊
り」だ。蝶々をうるさそうに見たり、ぼうと魂の抜けたような眼差しをしたり、正気
に戻ったり、という様を眼差しが丹念に演じている。今回は、歌舞伎座一階の「とち
り」の次の「ぬ」27番という真ん中の席で、花道にも近いので、そういう細かいと
ころも充分に観察できる。

蝶が消え、小袖を肩から落として、拾う。本舞台での踊り。遊女と客に見立てた振り
などで、恋に身を焼く青年の姿を表現する。清元の山台の前に、小鼓担当が出てくる。
座布団の上に、座る。「夜さの泊まりは」で、小鼓一調の出打ち(田中長十郎)。こ
れは、六代目の考案という。「似た人あらば教えてと、振りの小袖を身に添えて、狂
い乱れて」の後、注目の「伏し沈む」となるが、仁左衛門は「伏し沈」まず、扇子を
落とし、小袖を抱きしめながら悲しみに沈む、立ち身という演出で、やがて、緞帳が
降りる。

やはり、「保名」は、六代目が洗練し、当代菊五郎も踏襲する型が、いちばん良いと
思う。菊五郎は、恰も、榊の前と「ふたり」の色模様で踊っているような感じで、濃
艶耽美な印象だった。仁左衛門は、小鼓出打ち以外は、六代目の型ではなく古風な型
を見せてくれて、これはこれでおもしろかった。最後の部分は、古風な型では、扇子
をかざした立ち身の見得という型もあるという。男の物狂いものとして、人形浄瑠
璃、変化舞踊、一本立ち、新舞踊と、いろいろ工夫魂胆が重ねられてきた演目だけに、
役者の創意でいろいろな舞台を見せてくれるのは愉しみ。特に、仁左衛門の「眼差し
の踊り」は、幻想を抱きながらの「ひとり踊り」の「幻想ぶり」を強調していて印象
に残った。菊五郎を再び観る機会があったら、彼の眼差しの動きも注目したいと思う。

「仮名手本忠臣蔵/八段目・九段目」は、十四代目守田勘弥二十七回忌追善興行だけ
あって、いずれも養子の玉三郎が中心の舞台。初役・戸無瀬の玉三郎も期待に応えて
の熱演で見応えがあった。まず、「八段目・道行旅路の嫁入」では、母・戸無瀬
(玉三郎)、娘・小浪(勘太郎)。舞台は、竹本が「文楽座出演」という人形浄瑠璃
の演出を真似たもので、いつもの富士山のある野遠見ではなく、大きな松の松並木が
全面を覆っている。暫く置き浄瑠璃で、やがて、松並木の書割りが、上下にふたつに
割れて引き込まれ、富士山が真ん中にある、いつもの遠見になる。普通、ふたりは
下手から上手に道行きをする体だが、今回は、舞台奥から観客席に向かって道行きと
いう体。奴も絡まず、人形浄瑠璃の演出を大事にしていると観た。

「八段目・道行旅路の嫁入」は、2回目。景事(けいごと)と呼ばれる道行きの所作
事だが、忠臣蔵通し上演のときには、お軽・勘平の「道行旅路の花婿」に押されて、
上演されないが、今回も通し上演の新橋演舞場の舞台からははずされている。悲劇の
母娘の道行きで、私はこちらの方が好きだが・・・。前回は、芝翫の戸無瀬と今回同
様、勘太郎の小浪。5年前の舞台だから、、勘太郎は、14歳の中学生だった。祖父
と孫の「共」演ということで、祖父の芝翫の孫への気遣いが感じられて、微笑まし
かった。

以来、5年、勘太郎も、秋には20歳。成人間近の花形役者に成長してきた。今回は、
祖父との「共」演ではなく、先輩・玉三郎との「競」演。玉三郎が軽やかに、雲の上
を歩んでいるように踊るのに比べて、勘太郎は、所作が重い。特に、後ろ姿が固くて、
重い。玉三郎のように軽やかに踊るためには、あと20〜30年ぐらいかかるのかな。
今後の精進を期待したい。

背景の遠見が、富士山が見える街道筋から、雲か霧に霞む住家のある城下町の高台、
鈴鹿の石場の遠見、最後は、琵琶湖の見える大津までと、いつもより細かい演出。さ
らに、花道からは大星由良之助の山科閑居の場へ道を急ぐふたり。

「九段目・山科閑居」。2回目。前回は97年2月の歌舞伎座。本蔵が、前回は、
羽左衛門、今回は、初役の仁左衛門。戸無瀬が、菊五郎、今回は、初役の玉三郎。由
良之助が、孝夫時代の仁左衛門、今回は、初役の富十郎。お石が、玉三郎、今回は、
初役の勘九郎。小浪が菊之助、今回は、初役の勘太郎。力弥が、八十助時代の三津五
郎、今回は、初役の孝太郎。初役の多いフレッシュな舞台というわけだ。

舞台下手に木戸。これは、人形浄瑠璃の大道具とは逆。去年の国立劇場、人形浄瑠
璃での忠臣蔵通し上演では、九段目を前に、七段目の一力茶屋から由良之助が帰って
くる「雪こかし」を観た後、九段目になった。そのときは、木戸が上手にあった。舞
台は、下手に竹林があり、竹林の向こうは雪の原、遠くに雪山という遠見。大星宅に
は、いつもの漢詩の襖。襖の上の鴨居には槍が懸かっている。舞台は、暫く無人で、
雪が降っている。いつもの竹本の出語り。

戸無瀬(玉三郎)が駕籠の一行に付き添って花道を出てくる。傘、駕籠、従者の笠
や衣装、荷にそれぞれ雪が積もっている。遠くから来たのだろう。大星宅を探し当て、
案内を乞う。下女・りん(松之丞)が剽軽な味の「チャリ」(滑稽味)で深刻な芝居
の出で、笑いをとり、場内を和ませる。歌舞伎は、意外とバランスをとる演劇だ。笑
わせた後の方が、悲劇性が高まるのを知っている。戸無瀬の傘の雪は、白布で、傘を
畳むと、さあっと落ちた。荷の上に積もっていた雪は、厚めの綿。これも、蓋を開け
ると、さあっと落ちた。やがて、駕籠のなかから白無垢の花嫁衣装の小浪(勘太郎)
が出てくる。

「山科閑居」の前半は、「女の忠臣蔵」。悲劇の母を玉三郎は、細部まできちんと演
じている。踊りが重かった勘太郎は悲劇の娘・小浪を白無垢姿でゆるりと演じていて、
初々しい。小浪と力弥の結婚を目指して「熱演」する戸無瀬。打ち掛けの下は赤い衣
装。由良之助女房・お石を勘九郎は、初役ながら過不足無く丹念に演じる。こちらも、
この結婚問題に対する婿の母、大望を隠す由良之助の妻という立場で「芝居」をす
る。灰色の衣装。後に、黒の衣装。建前と本音の、女の芝居が衝突する場面だ。今月
の勘九郎は、愛嬌のある藤娘、味のある老け役・平作、女の捌き役ともいうべきお石
と、いずれも初役ながら素晴らしい演技で、見応えがあった。見所の力弥との祝言を
断られた戸無瀬が、小浪の首を持ってきた刀で斬ろうとする場面。このとき、上手の
障子の内から「ご無用」の声が掛かる。勘九郎の声が二度響く。

後半は、「男の忠臣蔵」。まず、木戸の外に虚無僧姿の加古川本蔵(仁左衛門)。
「女の芝居」に絡んだ後、由良之助(富十郎)、力弥(孝太郎)相手に、男同士の
「芝居」。こちらも、建前と本音が交錯する。木戸の外は雪景色ゆえ、雪衣。大星宅
は、室内なので黒衣。雪景色の山里、女性陣の白、赤、灰(黒)、そして黒衣らの黒、
白の衣装と、「山科閑居」も渋めだが、計算された色彩の芝居だ。

仁左衛門は老け役の大役・本蔵に挑戦。虚無僧姿で、笠を取って顔を見せた瞬間が勝
負という。役者の風格が問われる。見せ場は、憎まれ役のまま、鴨居から槍を取りだ
し討ってかかるお石との立ち回り、力弥の槍にわざと刺された後、二重舞台に上がり、
いわゆる「モドリ」の演技で、本心をうち明ける。松の廊下で浅野内匠頭を抱き留め
たことの後悔を苦しい息の下で語る。本蔵の胸の内を察している由良之助が手当をす
る。漢詩の書いてあった襖を開けて、奥庭に作った雪の五輪2基を本蔵らに見せる由
良之助。この際、奥庭にも、木戸の外にも雪が降り出す。

確定していないにせよ、(一年後の、同じような雪の日に)死を覚悟した討ち入りを
心に秘めている由良之助たち。いずれにせよ、間もなく死ぬ本蔵と近く死ぬことにな
る由良之助と力弥の、男同士の気持ちの芝居だ、この場面は。白塗りの力弥、肌色の
由良之助、ふたりの中間とも言うべき顔色の本蔵。男3人の顔色にそれぞれの苦悩が
伺える。「忠義ならでは捨てぬ命、子ゆえに捨てる親心、推量あれ大星どの」。父親
同士の友情がハイライト。

本蔵から手渡された師直邸の絵図面を紫の風呂敷に包んだまま、改めて婚儀が整った
小浪が平舞台に降りて、袖の陰から力弥に渡す場面で勘太郎の小浪の恥じらいが良い。
絵図面を貰った後、討ち入りのコースを説明する由良之助と力弥の場面、竹のバネ
を利用して夜討ちの際、雨戸を一度に開ける際の手際を力弥にやらせる場面は、昔か
らの場面だが、説明的すぎないか。力弥役者は、台詞が少なく、この場面が見せ場な
のだが、見るたびに同じ感想を抱いてしまう。

最後は、死ぬ父と母娘の別れをする加古川一家、1年後の討ち入りに向けて本蔵の虚
無僧の扮装を借り受けて、大星家を伺っているであろうスパイらを欺く心で、死出の
旅に発つ由良之助、小浪と一夜の契りの後、父の後を追う力弥、夫と息子を見送るこ
とになるお石ら大星一家。2家族の、今生の別れの場面。真っ先に死に行く本蔵の苦
い笑い顔が幕切れの印象に残った。

富十郎九段目初役の由良之助は、人物造型が、もうひとつという感じ。力弥の孝太郎
も印象薄い。前回お石、今回戸無瀬の玉三郎は立女形としての風格を感じさせる熱演。
仁左衛門も熱演だが、仁左衛門は、前回の羽左衛門の風格には、まだ届かない。勘太
郎は成長の跡が見える。しかし、今月の歌舞伎座、夜の部では、見応えのある「忠臣
蔵」の舞台であった。新橋演舞場の「忠臣蔵」通しが愉しみ。
- 2001年3月21日(水) 20:45:07
2001年 3月 ・ 歌舞伎座
(昼/「松竹梅」「祇園祭礼信仰記〜金閣寺〜」「藤娘」「伊賀越道中双六〜沼津〜」)

「松竹梅」は初見。「松竹梅乙女舞振」が本名題。江戸時代の作品だが、戦後、本興行
での上演は、今回で5回目。「乙女舞振」とあるが、乙女はひとりも出てこない。平安朝
の貴公子3人の舞。松、竹、梅の精を表現するように3人の若者には、松の君、竹の君、
梅の君という名前が付いている。手にそれぞれの小枝を持っている。冠には、3人とも梅
の小枝が差してある。艶やかな狩衣姿も鮮やか。松の君(信二郎)、竹の君(進之介)、
梅の君(愛之助)が、爽やかに舞う。紫の扇子を持った松の君。緑の扇子を持った竹の君、
黄色の扇子を持った梅の君という具合で、衣装と小道具とも色彩感覚豊かな舞台。中央か
らせり上がってきて、松の長寿、雪にもめげぬ竹から能の「井筒」の恋の通い路の「クド
キ」、「手まり梅」「槍梅」「鹿子梅」などの梅の精へと変化しながら舞うが、3人が舞
う幅が、「セリ」の幅を超えず、本舞台の一部で留まってしまう。舞が小さすぎないか。

「祇園祭礼信仰記〜金閣寺〜」は、2回目。前回は、98年6月、歌舞伎座。玉三郎の雪
姫だったが、今回は、我が贔屓の京屋・中村雀右衛門。昼の部の私のお目当ては、これな
ので、この舞台のみ、長めに書く。舞台の幕が開くと、金襴たる金閣寺が舞台中央にあり、
一階は御簾が降りている。両脇の縁側には、金地に紅白の牡丹の絵。二階が金地に桐の木
と花の絵、両脇の縁側が竹の絵、瓦燈口(かとうぐち)には、いつもの織物の垂れ幕。屋
根に鳳凰の飾り。下手に桜の木と滝壺、手前に井筒、上手に緑の障子の閉まった別棟の御
堂一宇。金閣寺と御堂の間に桜の大樹。間の背景に池が見える。中央二重舞台前の踏み石
に黒塗りに赤と白の鼻緒をつけた一対の夫婦下駄。下手、平舞台に白い鼻緒の素木の下駄。
暫く空舞台。竹本の出語り。いちばんワクワクする時間が流れる。

やがて、御簾が上がる。金地の襖に虎の絵。瓦灯口には、いつもの織物の垂れ幕。「王子」
という長髪の鬘(典型的な敵役・「国崩し」の型)をつけた松永大膳(幸四郎)と赤面
の弟・鬼藤太(弥十郎)が瓦燈口の垂れ幕の前で碁を打っている。大膳の上手、横には大
層な袋に入れられた刀が置いてある。碁をしながらも愉しまぬ大膳。「障子皆開けろ」
で、御堂の障子のうち、まず、緑の布がするすると上がり、網越しに雪姫が見える。やが
て、全ての障子が上手に引き抜かれる。人妻の姫ゆえに、いつもの、「赤姫」の衣装で
はなくピンクの衣装の雪姫(雀右衛門)。周りに腰元。夫の絵師・狩野直信(秀太郎)が
牢屋にいるので、案じている。雪姫は、龍の墨絵を描くことと大膳との情事を強要されて
いるが、拒んでいる。大膳の気鬱は、拒まれ男の気鬱という明解さ。「色よい返事を聞
くまでは、布団の上の極楽責め、サア、雪姫、声張り上げて歌え、歌え」と台詞も露骨。
「かかる憂目を見んよりも、いっそ殺して下さりませ」と雪姫。これで、この物語の仕
掛けは判る。お助けマン・此下東吉(富十郎)待ちというところ。

黒いビロードの衣装に金襴の裃、袴(但し、たくし上げていて、両足が見える)十河軍平、
実は佐藤正清(歌昇)に襟元の刀を突きつけられたまま、生締に浅葱の織物、黒地に金の
縫い取りで瓢箪の絵柄の裃・袴という典型的な捌き役の衣装の此下東吉(このしたとうき
ち)登場。東吉は、本心を隠し大膳への奉公を希望している。やがて、大膳と碁を打ちな
がら東吉が、金閣寺の内部に幽閉されている慶寿院(田之助)を伺う心。いわゆる「碁
立ての段」。東吉が黒石。大膳が白石。ふたりの碁が暫く続くが、碁の判る人が舞台を観
れば、勝負は判るのかな。

碁の勝負に引っかけたノリの台詞の掛け合い。だが、野望に燃えながら、好色で短気の
大膳は、碁の勝負に負けて碁盤をひっくり返す単純さ。さらに、負け惜しみに碁笥(ご
け)を井戸に投げ込み、東吉に手を濡らさずに取れという。白い鼻緒の素木の下駄を履き、
庭に降りる東吉。金閣寺の建物の金の樋を使って、滝壺の水を井戸に引き込み碁笥を浮か
び上がらせて、裏返しにした碁盤の上に碁笥を載せて、天下取りを気取る大膳にとっても
敵の小田春永(おだはるなが)の首実検をみせる東吉。颯爽の智将ぶりを示し、大膳の軍
師に迎えられる。公家悪のような白塗りの幸四郎は、いつものオーバーな演技もなく抑制
が利いている。口跡鮮やかな富十郎との息もよく、見応えがある。

次いで、後半は「爪先鼠の段」。夫を助けたいが為、操を犠牲にする覚悟の雪姫。閨に行
こうと雪姫の手を取ったが、先に龍の絵の手本を見せようと刀を右手に、雪姫の手を左
手に、黒塗りの先の夫婦下駄を共に履いて庭に降りる大膳と従う雪姫。歌舞伎のエロスは、
豊かに視覚的。袋から出し、「石切梶原」同様に、まず、鞘を上にし、鞘を持ち上げるよ
うにして刀を抜く大膳。さらに、抜き身の刀を滝にかざして、滝の水に倶利伽羅龍(くり
からりゅう)を映させる。これを見て、取り上げた刀が狩野家の宝刀・「倶利伽羅丸」と
知り、自分の父・雪村は大膳に殺されたと悟る雪姫。だが、大膳に引き倒される雪姫。大
膳の足元で震える雪姫の姿が、次に出てくる鼠に観えた。「先代萩」の「床下」だ、これ
は。御殿から床下へ、大道具が『せり上がる』「床下」。大鼠姿の仁木弾正を足元に置く
男之助。雪姫を足元に置く大膳。やがて、大道具の楼閣が『せり下げ、上がる』「金閣
寺」。鼠と女、せりの上げ下げが逆ながら、1757(宝暦7)年初演の「金閣寺」と
1777(安永6)年初演の「先代萩」。私にはイメージが似ているように観える。初め
て三重の楼閣をせり下げ、せり上げを試みた「金閣寺」の場面を、後の「先代萩」の作者・
奈河亀輔が真似たのか。因みに、「石切梶原」の本名題「三浦大助紅梅たづな」は、
1730(享保15)年。ただし、鞘を上にし、鞘を持ち上げるようにして刀を抜くとい
う行為は、よくあるのかもしれない。こちらは、私にはイメージがダブってこない。

舞台に2本ある桜の大樹のうち、上手の桜に縄で縛られる雪姫。夫・狩野直信との別れ
の場面は、両者とも縄付きのまま。ここは、縄が「主役」ではないか。縄の美学。縄が注
目される場面はふたつある。1)軍平に追い立てられる直信と軍平との間の縄。桜の木の
後ろに隠れて雪姫と縄の関係を調節する黒衣。縄目のふたりが交錯する舞台。ふたりを引
き立てようかという軍平。「抱いて寝るか成敗するか」。縛られた雪姫を見て、再び欲情
する大膳(この役柄は、どこまでも性格が判りやすい)。

2)「さらばさらばの暇乞い」。夫を連れ去られ、ふたりは、この世の別れ。「心のうち
に夕間暮れ」と美しい詩句の竹本。ひとり残った雪姫。葵太夫の竹本に三味線は、途中か
ら2連になる。「切れぬか解けぬかと、身をあせるほど締め搦む」という竹本に合わせて、
平舞台、二重舞台を上下に動く雪姫。縄は、最大限、二重舞台の下手側の柱まで伸びる。
鐘の音の響きに揺り動かされ雪のように降り続ける桜の花びら。舞台は、ピンクに染ま
る。雪姫の衣装の動きにより、乱れる花びら。川面に浮かぶ花筏のよう。描き出される
ピンクの模様。桜の木と雪姫の間の縄は、いつもまっすぐになっている。二重舞台の下
手側まで伸びたはずの縄は、どうしたのか、舞台中央でピーンと伸びきり、桜の木の方へ
引き戻される雪姫。いよいよ、名人・雪舟の孫・雪姫が着物の裾や爪先で桜の花びらをか
き集めて、「花を毛色の白鼠」を2匹描き出し、戒められていた縄を鼠が食いちぎる名場
面。不自由な仕種ながら、三味線の糸に乗る所作が続く雪姫。縄を食いちぎられ自由の身
になった雪姫が鼠を叩くと、黒衣が操る差し金の先の鼠の身体がまっぷたつに裂けて、ピ
ンクの花びらが飛び散る。

やがて、義経のような鎧姿、つまり、陣立ての装いの真柴久吉(ましばひさよし)、前の
東吉が登場。捌きます。鬼藤太を殺し、雪姫を助け、鬼藤太が持っていた倶利伽羅丸を雪
姫に手渡す。夫を追って花道へ行く雪姫。この際、剣を抜いて髪のほつれを直すのが型だ
そうだが、雀右衛門の雪姫は、「嬉しきこなし」だけで、それをしなかったような気がす
る。この方が、すっきりしていないか。「小褄ほらほら花の浪」という竹本も美しく雪姫
は、花道のあちこちに裾から落ちる花びらを撒き散らしながら向こう揚幕へ。むしろ、
「花の浪」の方が、私は好きだ。雀右衛門の雪姫は、一世一代の演技をした「十種香」の
八重垣姫同様、こちらも一世一代の感のある素晴らしい「三姫」の演技であった。前回見
た玉三郎の雪姫も良かったが、深みのある雀右衛門の雪姫は、また、格別の味わい。この
場面が終わると、竹本は出語りから御簾内へ。見せ場は、終わったということか。

金閣寺の楼閣がせり下がり、久吉は、下手の桜の木を登り、楼閣の2階へ行く場面だが、
富十郎は、私が前回見た團十郎のように、桜の木を登らずに後に廻るだけで、2階縁側か
ら出てきたが、これは如何なものか。猿面冠者と言われた久吉(つまり、秀吉)は、や
はり、猿のように桜木を登って欲しい。2階に幽閉されていた慶寿院に春永(つまり、信
長)からの迎えと告げる。

楼閣せり上がり、花四天とともに大膳を追いつめる久吉。軍平も実は佐藤正清(つまり、
加藤清正)と正体を現す。皆が絡む立ち回りの最中、本舞台、花道から撒き散らされる桜
の花びら。「互いの勝負は戦場にて」で、大膳が三段に上がり、長刀を両手で頭上にかざ
し大見得。久吉らは、引っ張りの見得。「戦場は、次回」といいながら、次回も芝居小
屋でという体(てい)にて、幕。この演目を3年前と今回と2回観た私としては、幸四郎
は、前回も大膳だが、今回の方が良かった。東吉、後に久吉は、富十郎より團十郎が爽や
か。田之助の慶寿院も前回同様、渋い役どころ。軍平の歌昇は、口跡が良かった(前回は、
左團次)。鬼藤太の弥十郎は、赤面の割に立派な顔で存在感があった(前回は、彦三
郎)。秀太郎の直信は、前回では、亡くなった宗十郎。

「藤娘」は、7回目。「吃又」の浮世又平の描いた大津絵から藤の精が抜け出して、娘の
姿で踊るという想定。松の古木に蔓を掛けた藤の花々が普通。だが、大津絵という素材か
ら琵琶湖を背景にした藤の花もある。雀右衛門(3)、芝翫、玉三郎、菊之助、そして今
回の勘九郎。雀右衛門では、背景を琵琶湖に変えた舞台も観た。そrぞれの藤娘に味があ
り、雀右衛門は華麗、芝翫は初々しさ、玉三郎は綺麗、菊之助は若々しさ、勘九郎は愛嬌。

まず、暗転で開幕。三味線、笛、鼓、そして長唄の独吟の置唄が闇のなかから聞こえる。
その繰り返し。やがて、明転。鴇色、桜色、紫色の地に下がり藤の模様の衣装とお色直し
しながら踊る。「花もの言わぬ」から、扇子を杯に見立て、酒を呑む所作の踊り。「八千
代の契りなよなよと」で、酔って色っぽくなった娘の場面で、勘九郎は上、下、真ん中と
3ヶ所で客席に挨拶。一瞬の表情の変化に愛嬌が溢れ、会場から笑いが起こる。こういう
ことをやらせると、当代では勘九郎が一番だろう。白い藤の花の簪。紫の藤の大枝を背に
担ぎ幕。勘九郎は今回、初役。

「伊賀越道中双六〜沼津〜」は、2度目。前回は、95年12月、歌舞伎座。十兵衛は、
吉右衛門と今回の仁左衛門。平作は、富十郎と今回の勘九郎。お米は、松江と今回の玉三
郎。もともと、人形浄瑠璃として大坂竹本座で初演されたせいか、鎌倉幕府の御用達の商
人・十兵衛は、関西訛の台詞廻し。それが、今回、関西育ちの仁左衛門が味を出している。
本来、丸本時代物の演目だが、脇筋の「沼津」は、時代物のなかの世話物で、最近では本
編が上演されず、この脇の世話物「沼津」が良く上演される。行方の判らなかった実の親
子の出会いと、親子の名乗りの直後の死別、その父と子の情愛(特に、父親の情が濃い)
という場面が、江戸から東京の庶民に引き継がれて愛されてきたのだろう。

歌舞伎独特の舞台転換。かっての「東の歩み」同様の客席間の通路を通って、一階の観客
らを絡ませた「捨て台詞(つまり、アドリブ)」が見せ場となる。その間、観客の関心を
ふたりに引きつけておき、廻り舞台を使わずに、大道具を早替わりさせる、いわゆる「居
処替わり」という演出で、「沼津棒鼻」の宿場(「三島宿棒鼻」で、御休所、休憩する駕
籠かき、旅人たちがいる。飛脚が通る。巡礼が通る。江戸時代、東海道の旅の様子が良く
判り、私の好きな場面)と畑の野遠見(上手に富士山)から富士山が真ん中にある松並木
の野遠見へ。平舞台の大道具が上手から下手へ動かされ、遠見は、中央真ん中が上下にふ
たつに折れて、裏側の絵が出てくるという仕組み。「道中心得」を書いた立て看板には、
道連れを装って、客引きをしてはいけないとか、人を乗せた馬に荷物を積んではいけない、
大酒、遊女狂い、喧嘩・口論無用などと書いてある。

十兵衛が荷物持・安兵衛(松之助)を連れて、花道へ登場。関西弁が響く。十兵衛が手に
持った小道具の使用目的が最後まで判らなかった。松之助の関西弁、動作も味があり、良
かった。藤娘から一転して老け役・平作になった勘九郎が、初役ながら抜群に巧い。前回
観た富十郎も達者だったが、勘九郎には負ける。会場は、笑いの渦。居処替わりの舞台に
再び上がってきたふたり。そこへ、墓参り帰りのお米は、玉三郎。前回の松江も素朴な味
があり良かったが、玉三郎の田舎娘姿も良い。怪我をした敵持ちの夫があり、元遊女・瀬
川のお米という複雑な女性だけに、玉三郎は、松江には出せない味を滲ませている。手に
持った野菊が綺麗。お米に見とれ、一目惚れの体の十兵衛の仁左衛門。前回の十兵衛・吉
右衛門は、吉右衛門本来の人柄が滲んでいて愛嬌があったが、今回は愛嬌や笑いは勘九郎
が独占の感ありで、仁左衛門は、上方和事師として、「ぴんとこな」という「和(やわ)
らかな色気を身体の線に包みながら、・・・立役的な手強さも要求される役柄」(青木繁・
「歌舞伎事典」解説)に近いような(でも、「ぴんとこな」の典型な役柄である「伊勢音
頭」の福岡貢とは、ちょっと違うような気がする)味を出している。これは、どちらがよ
いというよりも、吉・仁の持ち味の違いであろう。

今度は、廻り舞台で、「平作住居の場」。貧しい家に、美しい娘と老父。颯爽とした男
前の宿泊客。布団が2組しかない。部屋も次の間を入れてふたつ。娘と男を下手と上手に
分けて寝かし、自分は油紙を布団代わりに木槌を枕代わりに寝る平作。下手で帯を解くお
米。遊女の姿態を覗かせなければならない。足の指の怪我をした父親に男が使ってくれた
薬の入った印籠を夫のために夜中に盗もうとするお米。暗闇のなか、印籠を盗むが、衝立
にぶつかり十兵衛に捕まえられてしまう。盗みをした訳を「クドキ」の台詞で語るお米。
帯を締め直す。騒ぎの最中に枕代わりにしていた木槌に足を取られ平舞台に落ちる平作の
勘九郎。足の指の痛みで、薬と印籠を想い出す平作。勘九郎の初役とは思えない巧い演技
が続く。平作親子とのやりとりで自分の父と妹と知る十兵衛。印籠と30両の金と親子の
証拠(臍の緒書きの入ったお守り)を置いて、旅立つ。勘九郎は、盗みをした娘への情愛
を示しながら、まだ、自覚していない息子への情愛も滲ませる。それを感じ取る仁左衛門
の十兵衛。吉右衛門の味とは違うが、男の情愛、これもよし。残された品を見つけ、息子、
兄の気持ちを知る父と妹。追いかけるふたり。

「千本松原の場」への転換。今度は、平作住居の世話木戸の扉だけを大道具が持ってゆく
と住居の一部が自動的に引き込まれる。その上で、住居の二重舞台が舞台奥へ引き込む。
住居の屋根が前に倒れてきて、後ろ側の背景が真ん中から上下にふたつに折れて、裏側の
絵が出てくるという仕組みで、早替わり。今回は、こういう廻り舞台を含めた居処替わり
の仕掛けが愉しい。今回のもう一つの主役だ。木戸の棒だけ、平舞台に残るが、いずれの
早替わりも、あっと言う間の変化で、見落としているうちに、木戸の棒が、いつの間にか
「千本松原」を示す道標になっていた(この場面を確認するだけでも、幕見席で、もう一
度観たい気がする)。娘のために印籠の持ち主(つまり、娘の夫の敵)を知りたい平作。
ふたりを追ってきたお米は、下手の草むらに隠れて、ふたりのやりとりを見守っている。
息子の刀を抜き、自分の腹に差す平作。命がけで敵の居所を知ろうとする。「チンチン、
ベンベン」という三味線の繰り返しの音が、緊迫感をあおり立てる。

十兵衛は、そういう命を懸けた平作の行為に娘への情愛を悟り、敵の側と商取引がある身
でありながら、草むらにいる妹にも聞こえるように敵の居所を教える。最後は、親子の情
愛が勝り、「親子一世の逢い初めの逢い納め」で、親子の名乗り。父は死に、兄は裏切り、
妹は詫びる。3人合掌のうちに、幕。「七十になって雲助が、肩にかなわぬ重荷を持」た
が故に、別れ別れだった親子の名乗り。古風な人情話の大団円。まあ、前回の「沼津」は、
吉右衛門の「沼津」だったが、今回の「沼津」は、完全に勘九郎の「沼津」であったが、
本来、テキストとして見ても、この演目は、平作の為所(しどころ)中心の「沼津」で、
正解なのだろうと思う。十一代目仁左衛門、三代目歌六、二代目延若、十七代目勘三郎あ
たりが平作を得意としたようだが、勘九郎の平作が、これに仲間入りした場面に、今回出
会わせた幸福。さらに、いずれは平作をやってみたいという当代仁左衛門の意欲。仁左衛
門の老け役も味があるだけに、今後、「沼津」は、勘九郎、仁左衛門の平作に注目。楽し
みな演目になるだろうということが判った。

- 2001年3月20日(火) 15:57:07
2001年 3月 ・ 国立劇場(大劇場)
                          (「新世紀累化粧鏡」)

「新世紀累化粧鏡(いまようかさねけしょうのすがたみ)」は、四世南北(1755
生−1829没)の「阿国御前化粧鏡(おくにごぜんけしょうのすがたみ)」を21
世紀の作品に改めた演目。まず、元の「阿国御前化粧鏡」をほぐさないと、この狂言
は、一筋縄では行かない。というのは、基本的に「綯い交ぜ狂言」なのだが、文化6
(1809)年という初演を基軸に、その時点で、先行作品を利用した綯い交ぜの趣
向があり、それ以後、南北が自分の作品として、この狂言で使ったエピソードを純化
して、新たな狂言として独立させて行く、あるいは、ほかの作者が、ここからエピソ
ードを純化して、新たな狂言として独立させて行くという経過があり、幕末まで上演
されてきた。

ところが、明治以降、殆ど上演されなくなる、いわば忘れられた狂言になっていたの
を、昭和50(1975)年に、およそ120年ぶりに復活した際、付け加えられた
エピソードがあり、その後、ふたたび、26年間上演されなかったという事情がある。
そこで、久しぶりに上演された「新世紀累化粧鏡」としての、演出の工夫もあるとい
うわけで、全体的に「綯い交ぜ狂言」という趣向は、たっぷりしているが故に、逆に、
どこにオリジナルがあるのか判りにくいという狂言になっているので、観客の歌舞伎
観劇歴によっては、「綯い交ぜ」=「物真似」のような印象(つまり、どこかで観た
狂言【既視感】の寄せ集めという印象)ばかりが残り、正味およそ3時間半の狂言を
観た割には、全体の印象が散漫になってしまい、何も残らないという危険性がある
(実際、初日の幕間に劇場内で、そういう声が聞こえてきた)。1809年の狂言と
いう基軸を認識していて、その前からの狂言の綯い交ぜとその後に、ここから生まれ
た狂言、昭和になって付け加えられた狂言という、時間的な重層性を理解できる人に
は、それなりにおもしろいであろうし、また、逆に、初めて歌舞伎を観た人なら、そ
ういう既視感にとらわれないから、いわば歌舞伎入門編のように観れば、それはそ
れでおもしろいと思うのかも知れない(もし、入門編に徹するのなら、私は、不満が
いくつかあるので、それは、また、【蛇足】として、最後の所で論じたい)。「中途
半端な」と、までは、いわないにしても、それなりの知識しか持っていない初心者に
は、かえって、つまらない狂言かもしれない。

そこで、まず、「1809年」を基軸にして、時間的な重層性が判るように、「綯い
交ぜ狂言」を解きほぐすことから始めたい。七幕十四場という長い狂言である「阿国
御前化粧鏡」には、初演の時点で、まず、中年過ぎから立作者になった南北自身の出
世作で、長い下積み生活の苦節○年を経て、5年前に初演に漕ぎ着けた「天竺徳兵衛
韓噺(てんじくとくべいいこくばなし)」【文化元(1804)年】のほか、近松門
左衛門の人形浄瑠璃「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」:宝永2(1706)
年、歌舞伎は、宝暦13(1764)年』、初世桜田治助の『「伊達競阿国戯場(だ
てくらべおくにかぶき)」【安永7(1779)年】、作者不詳の「南詠恋抜卒(と
ころばいかいこいのぬきがき)」(「卒」の字は、本当は、草冠に「卒」、通称
「小さん金五郎」)【安永9(1781)年】、初代尾上菊五郎(1713生ー
1783年没)が得意とした、本水を使った夏狂言の一趣向「鯉つかみもの」(その
後、尾上菊五郎代々の家の藝になる)、中国の小説を仮名草子作者の浅井了意
(1691年没)が翻案した「御伽ぼうこ(女偏に卑と子)」に出てくる牡丹灯籠の
エピソード、戯作者の山東京伝(1761生ー1816没)が書き、当時流行してい
た「昔話稲妻表紙」の不破・名古屋の世界のエピソードなどを取り入れている。初演
でも、これだけ綯い交ぜにしている。

狂言の前半は、時代物仕立てで、佐々木家の姫君「銀杏の前」と側室「阿国御前」
と佐々木家の家臣・狩野元信との恋の争いと佐々木家の嫡子・豊若丸の争奪という
「御家騒動もの」(これは、「傾城反魂香」、通称「吃又」では、伏線になっている
方の別の物語)という仕立てと狂死した阿国の墓のある元興寺(がんごうじ)を舞台
にした怪談話の趣向になっている。後半は、世話物仕立てで、「累伝説もの」という
趣向だ。

ここから、更に、15年後の文政6(1824)年3月に、南北は、「稲妻草紙」
だけを純化して、「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)」・通称
「鞘当」(不破伴左衛門と名古屋山三郎)を初演し、続いて、3ヶ月後の文政6
(1824)年6月には、「累伝説もの」だけを純化して、「法懸松成田利剣(けさ
かけまつなりたのりけん)」を初演、更に、その2年後の文政8(1826)年には、
顔が変容した阿国御前の髪梳きの場面を純化させて、お岩の髪梳きのエピソードにブ
ラッシュアップして、「東海道四谷怪談」の初演に漕ぎ着けるなど、その後の南北劇
の母胎となる重要な作品ではある。

また、「重井筒の場」での、「湯上がりの累」の場面も、より洗練されて、およそ半
世紀後の、嘉永6(1854)年に、瀬川如皐の「与話情浮名横櫛(よわなさけうき
なのよこぐし)」の「源氏店」の場面に利用される。更に、河竹黙阿弥は、阿国御前
が、骸骨になる場面から万延元(1860)年に初演された「加賀見山再岩藤(かが
みやまごにちのいわふじ)」では、「岩藤もの」の先行作品で五世南北の「桜花大江
戸入船(やよいのはなおえどのいりふね)」などを改訂・脚色した際、「骨寄せ」の
エピソードに発想を拡げて行っただろうし、桜花爛漫たる春の野原に傘をさした岩藤
の宙乗りへと想像力に弾みをつけていっただろう。そういう意味では、この南北の
「阿国御前化粧鏡」は、ほかの狂言作者たちの想像力を刺激する「永久装置」の役割
を果たした。今回の上演でも、その「永久装置」は、機能している。南北劇の、こう
した「永久装置」は、演劇というものが死に絶えない限り、無限運動なのだろう。

幕末の安政年間に上演されて以来、明治になって殆ど演じられなくなった、この狂言
をおよそ120年ぶりに復活上演した中村歌右衛門と補綴・監修をした郡司正勝も、
「永久装置」を使っている。元興寺の場面で、「加賀見山再岩藤」の花の山の上を日
傘を持ったまま宙乗りした岩藤のように、日傘を持った阿国御前を月夜に女郎花の咲
き乱れる野原の上空を「ふわふわ」(宙乗りの一種)という演出で、蛍と共に浮遊さ
せる(夜に日傘という、この荒唐無稽さ)という結果になっている。更に、阿国御前
の持っていた日傘は、その後、御前の手を放れて、更に、ふわふわと中空に浮かび上
がって行ったことで、「再岩藤」との違いも(意外性も計算している)演出をしてい
る(このあたりの演出が、26年前と、全く同じかどうかは、いまのところ不明)。

このように「綯い交ぜ狂言」の「綯い交ぜ」の部分を、いわば、メスを利用して、細
かく解剖してみたというわけだ(まだ、解剖が足りないような気がするが、そういう
重層構造の狂言という特質を明らかにするのが、ここでのポイントなので、この程度
に留める)。そこで、さて、今回の「新世紀累化粧鏡」の舞台の出来はというと、福
助・橋之助兄弟の取り組みの意欲は認めるものの、綯い交ぜ狂言の印象を越えて、全
体的なまとまりを見せる、「新世紀」に相応しい新作狂言の誕生というところまでは、
残念ながら至らなかったようだ。

まず、私が観たのが初日だったことから、立ち回りのかみ合わせが不充分だった。特
に、序幕・第一場「伊吹山山中の場」で、佐々木家の腰元・夏野(歌江)と阿国御
前側の團八(獅童)の立ち回りが、ぎこちなかった。最後の「鯉つかみ」の場面の
立ち回りも、序幕の立ち回り同様に、初日のせいか、まだ、練れていない感じだった。

次、第二場「世継瀬平内の場」では、貧家の場面ながら、病で伏せっている阿国御前
の寝間は、上手の障子が開くと金地の屏風が目に付く。下手の貧家の作りと上手の御
前の寝間の対比は、近松半二(1725生−1783没)お得意の左右が対比的な舞
台構成を想い出す。布団の上に座り込んでいる阿国御前(福助)は、紫の鉢巻き、鶯
色の着物に金地の豪華な帯と同じような色の打ち掛けを肩から羽織り、箱枕を縦に立
てて寄りかかっている。御前の上手に桃色のカバーをつけた脇息。御前の下手に、貧
相な急須と豪華な湯飲み。このうち、急須は、ほかの道具が豪華なのに、薄茶色の
「かわらけ(土器)」のような、随分と安っぽい色だなと思って観ていたら、後の場
面で二重舞台から本舞台に落ちた際に、見事に割れたので、ああ、そういう仕掛けだ
ったのだと合点がいった。歌舞伎の舞台で、何かいつもと違うという印象を持った大
道具・小道具は、必ずといって良いほど、「後で、使われる」ので、注意して観てい
るとおもしろい。

この場面では、上手障子の間にある大道具・小道具は、豪華なら普通、貧相なら要注
意というところ。一方、下手貧家の体(てい)では、まず、下手の土間に簑、水瓶、
木桶、柄杓、常足の二重舞台に上がれば、座敷下手から、洗面道具のようなもの、衝
立、暖簾の懸かっていない出入り口、仏壇、押入など。座敷も、縁側の後ろに、縁の
ない上敷きが3列。木戸の近く、上に、なぜか、唐突な感じで、牡丹灯籠がある(こ
れにも、仕掛けがあり、あとで、火を噴いた)。阿国御前の気晴らしに吊してあると
いう。阿国御前の世話をする世継瀬平(吉弥)が、渋い味を出している。

治療に来た医師が世間話の挙げ句に御前の恋敵・銀杏の前(高麗蔵)と元信(福助)
の話が出ると、嫉妬から御前の顔が変わって、お岩のようになる。夏野の持っていた
密書を奪ってやってきた團八(獅童)から密書を受け取り、それを読む御前。佐々木
家の家宝の掛け軸(「鯉魚の一軸」。この鯉が、後の「鯉つかみ」の伏線になってい
る)探しのために、元信に騙されていたことを知る。いちだんと、窶れた御前。以後、
髪梳きの果てに、御前の髪の毛がごっそり抜ける。抜けた髪の毛から、二重舞台から
平舞台に斜めに倒れた衝立の上にしたたり落ちる血。面変わりをし、妖気さえ漂う阿
国御前。歩き方は、すでに幽霊そのもの。福助は熱演をしている。それは、間違いな
い。この場面だけで言えば、16年後の、お岩の髪梳きの場面まで、あと一息という
感じ。

この場面では、御前の周りに、鏡台のほか、朱色の手鏡、化粧をするのに必要な水差
し、小盥、紅をさす道具など、さまざまな小道具がある。特に、化粧の道具は、今回
の外題「化粧鏡(けしょうのすがたみ)」からみても、女性が日常的にも「変容」す
る「化粧」=「美容」(「変」と「美」とは、一字違いに過ぎない)という動作とそ
れの象徴的な小道具としての「鏡」は、幕が閉まりきるまで要注意だろう。これらの
小道具が、後で重要な役割を果たすのだが、いまは、そういうものがあると気がつい
たということだけにしておこう。薄暗い場内、暗転。やがて、明転になると、豪華な
元興寺の場へ。元信に早替わりした若衆姿の福助。そこまで観客が観ていた舞台は、
実は、元信が見ていた「悪夢」の物語というわけだ。

さらに、赤子(佐々木家の嫡子・豊若丸:彼も家宝の掛け軸同様に有為転変のあげく、
大団円まで重要な役割を演じる。人形だが・・・)を抱いた高麗蔵の銀杏の前は、人
妻ながら、赤姫の装い。寺の下手には、墓がある。墓標は、字が小さく残念ながら、
私の席からは一部だけ読めて、全ては読めない。瀬平が墓参りに来ると、二人の前
に、後ろ向きの元信(代役)と早替わりした朱色の衣装を着た女性(福助)が出てく
る。実は、彼女は阿国御前の霊で、やがて、正体を現し、骸骨(人形)に変わる。前
を向いた元信(福助)。このあたり、単純に早替わりの手際が愉しめばよい。橋之助
が又平になって、御前の霊から二人を助けるために逗子に入った小さな観音像を持っ
て、登場。兄弟がやっと揃う。観音像の神通力に御前の霊が消えると、豪華な寺も煙
と共に変容し古寺に変わる。これも誰かが見ていた「悪夢」かもしれない。

浅葱幕の振りかぶせ、振り落としで、場面展開後、御前の「ふわふわ」(宙乗りの一
種)で、見せ場。野原には、煙が漂い、幻想的。御前の周りには、蛍の乱舞。岩藤の、
春の桜花の山もよいが、こちらは、秋の月夜。「心地よき眺めじゃなあ」という福
助の台詞は、場内の観客の感想を代弁している。これも、よく考えれば幻妖な「悪夢」
ではあるが・・・。ここまでが、前半の時代物。

第二幕は、世話物になる。第一場、大坂・生玉神社の鳥居前。見世物小屋が下手にあ
る。蛇遣いの大女・淀滝などと書いた幟がはためいている。呼び込みをしている。更
に、上手側にいる高下駄を履いた居合い抜きの周りにも人だかり。舞台中央に御休処
があるが、ここは無人。その上手に鳥居という体。背景は森と遠景の山。大女、実
は、女物の衣装の下に高下駄で背を伸ばし、鬘の上に、簡易な鬘を二重に被った見世
物師・藤六(獅童)の扮装。どうという場面ではないが、下世話の風俗に通じていた
南北ならではの場面で、江戸時代の上方の庶民の風俗が忍ばれて、私は、こういう
場面は、文句なく好きだ。獅童が、口跡、動作ともきりっとしている。井筒屋の女経
営者で累(福助)の母・妙林(芝喜松)、下女・おさの(芝のぶ)が、味を出して、
舞台に色を添えている。

南北の初演では、累と与右衛門は、三代目菊五郎の早替わりだったというが、今回は
累(福助)、与右衛門(橋之助)。累と恋仲の与右衛門(実は、又平)は、茶色の着
物に紙衣仕立ての着流しで、「やつし」の扮装。金に困っている与右衛門に助け船を
出す羽生屋助四郎(東蔵)は、腹に一物を持っているが、隠している。案の定、隙を
見つけて重宝の掛け軸を茶店の火吹竹に替えてしまう。そのために、無人ながら御休
処という大道具が必要だったのだ。御休処は、油断のならない道具だ。それに輪を掛
けて、助四郎は油断のならない奴だ。そういうずる賢く、一筋縄では行かない男を東
蔵は、過不足無く好演。突然、雷(太鼓の音)が鳴る。妙林は、雷除けに落ちていた
古鎌を拾う。これも、次への伏線。まあ、粗筋を書いても切りがないので、この辺に
するが、いずれにせよ、この場面、「累物語」へのイントロダクション。

第二場「重井筒の場」では、いよいよ、化粧の小道具などが活躍する。こういう小道
具への南北のフェティシズムが、くっきりと浮かび上がる重要な場面だ。化粧の小
道具に加えて、なんと、位牌と髑髏が出てくる(髑髏は死んだ阿国御前のもの。男に
惚れすぎた女の悲哀を説く母・妙林が仕掛けた小道具)。まさに、南北の面目躍如と
いうところ。

大坂・船場の島の内の茶屋・重井筒。娘の累を生活力のない与右衛門ではなく、財力
のある助四郎に娶せようという母親の妙林。座敷に上がって悠々と累を待つ助四郎。
そこへ、湯屋から累が、戻ってくる。「湯上がりの累」。手桶と手拭い、白地に紺
の浪と縞の模様の入った洒落た浴衣姿の累は、湯上がりの色気がぷんぷんとしている。
湯上がりの化粧をする累の周りには、鏡、鏡台、手拭い掛け、化粧の小道具などが置
かれている。湯上がりの女性の化粧姿には、妖気さえ漂う(と、思うのは、男の偏見
か)。3人は、座敷の上敷き(6列に敷き込んである)の3列目で芝居をする。居所
の変化は、「源氏店」のようには、ない。

300両の金で、縁談を承知した累のために、金屏風が出てくる。そんな場面に、お
定まりの色男登場。怒る与右衛門と本心(この金で、与右衛門のために、佐々木家
の家宝の掛け軸を買い戻したい)を偽る累。芝居の常套。観客は、承知している。こ
こは、南北の原作とは違い、今回は、阿国御前も累も、男への恋心という共通性を持
たせ、だから、阿国御前の霊が累に乗り移るという「合理的な」解釈にしたという。
でも、そうすると、御前の霊は、銀杏の前に嫉妬心を燃やすのはよいとしても、元信
の替わりに与右衛門にも嫉妬心を燃やすというのは、「非合理的」ではないのか。御
前の霊が累の身体に乗り移るというのが、「憑依」という状態の真実ではないのか。
そうだとすれば、意識は御前のみのはず。阿国御前は、与右衛門とは、直接の繋がり
はないはず。

累の妹芸者・小さん(実は、銀杏の前)に与右衛門への手紙を託す累。掛け軸が手に
はいると聞いた銀杏の前(小さん)が狩野元信の名前を出すと、突然、累がおかしく
なる。阿国御前の髑髏は、虚ろな内部が赤く光る。やがて、割れた髑髏が累の顔に張
り付く。小判を撒き散らしながら、金屏風の後ろに隠れる累。小判は、やがて、蛇に
変容する。「金」が、「恨みの原型(ウルティプス)」=「蛇」というのは、南北の
哲学か。「天竺徳兵衛」の蝦蟇、「四谷怪談」の鰻など、こういう動物の扱いも、
小道具同様、南北は巧い。

髑髏を剥がすと、顔が変容(青痣)している。累と阿国の「双面」(それは、お富と
お岩の「双面」へのアナロジーでもある)の様子。時代物の女性と世話物の女性の
「双面」の演じ分けという意味では興味深いが、福助は、今回、そこまで演じ込んで
はいなかったのではないか。あの「古鎌」をくわえて与右衛門と小さん(実は、銀杏
の前)を追う累(実は、阿国御前の霊)。女の嫉妬を累の周りにあった小道具が、茶
屋のありきたりな光景を、一躍、おどろおどろしい怪談話の場面に変える。特に、鏡
は、懐中鏡と手鏡、鏡台と使い分けていた。南北の小道具フェティシズムには、こう
いう場面展開の演出上の狙いがあったのだ。舞台に置かれた小道具の伏線と次の展開
での計算された小道具の使用。場面展開ごとに、連鎖する小道具。その手際の絶妙さ。

これは、以前に「遠眼鏡戯場観察」にも書いたことだが、いまは亡き澤村宗十郎が累
を演じた「法懸松成田利剣」の舞台稽古を観たことがある。その場合、稽古をしなが
ら、宗十郎ら役者衆が、舞台のあちこちに置かれた小道具の位置を、かなりきめ細か
く確認しながら、演じているのに気がついたことがある。南北劇では、こういう場面
がよくあり、小道具が演出上、重要な役割を演じていることが、まま、あるので、小
道具には注意が必要。今回の演出でも、そういう南北劇の小道具の取り扱いは、可能
な限り、原作通りにしたという。

次の、第三場「木津(きづ)川堤の場」の殺し場(与右衛門に殺される累)は、もう、
ほとんど「法懸松成田利剣」の「木下(きね)川堤」(=鬼怒川の畔に伝わる祐天上
人の「累伝説」)の場面そのものだ。累の殺し場(与右衛門が使っていた刃物は、両
端に取っ手のあるものだったが、あれは、何だったのだろう)が、長々と続いた後、
黒幕の背景が落ちて、明るい野遠見に変わる。殺し場に漂っていた霊の呪縛が解ける。

元信(福助)、助四郎(東蔵)、与右衛門(橋之助)、銀杏の前(高麗蔵)、与右衛
門の叔母・おりく(芝翫)の5人が絡む「世話だんまり」が見物(みもの)。観客も
気分転換。こういう「だんまり」の演出も、私は文句なく、歌舞伎味が舞台に濃厚に
出るで好きだ。やっと、芝翫が登場。若手が中心の舞台に、この人が出てくると、も
う、それだけで舞台が引き締まる。格が違うのだ。原作では、「伯父」の登場の場面
だが、それを芝翫に合わせて「叔母」としたところが、今回の演出のミソ。前回の上
演では、「元興寺」の場面で、「時代だんまり」の演出をしたという。まあ、私は、
どちらかというと「世話だんまり」より、「時代だんまり」の方が好きなのだが、
「だんまり」がないより、「世話だんまり」でも、だんまりがある方がよい。

第三幕、第一場「与右衛門内の場」(二重舞台が、常足の半分の高さか?)。お助
けウーマン・叔母のおりくが、もつれていたストーリーの糸をほぐして大団円への序
幕という場面。座敷奥の藁筒の件の古鎌が差してある(ということは、まだ、出番が
ある)。今度は、阿国御前の霊は累の霊に純化している。壁のなかに浮かび上がる累
(福助)。累の怨霊を鎮めるため、巳年の年月日時が揃っている自分の生き血を鎌に
注いで、怨霊を退散させるおりく(これは、すでに「天竺徳兵衛」で、使ったエピソ
ード)。命を懸けたお助けウーマン。さすが、累の怨霊も消える(ほかの壁と同色の
透ける布と不透明な布の組み合わせで見せる仕掛け)。福助、橋之助兄弟に見せつけ
た「叔母」ならぬ、貫禄の「父」・芝翫の演技であった。

第三幕、第二場「木津川口・鯉つかみの場」は、大切り。本当の大団円。佐々木家
の嫡子・豊若丸が、やっと助けられる。助四郎が持って逃げていた家宝の掛け軸
(「鯉魚の一軸」)も登場。さらに、掛け軸のなかから鯉の絵が抜け出す。木津川口
の滝壺で泳ぎ回る鯉。それを追う与右衛門。この「鯉つかみ」は、家宝の掛け軸、つ
まり、「鯉魚の一軸」探索の、象徴としての幻想的な場面でもある。

本水を使った場面で、東蔵、獅童ら(赤い下帯に、金太郎やおかめの入れ墨の扮装)
とともに、橋之助も五月人形のような扮装(豪華な衣装の金太郎という印象)で、大
鎌(件の古鎌ではない)を持って戦い、助四郎らとは水遊びの体で、争う(橋之助が
演じた同じような水遊びの場面がある「小笠原騒動」を想い出す)。常套なら、「だ
んまり」での、掛け軸の奪い合いという場面で、済んでしまうあたりを「金太郎と鯉」
のようなメルヘン的な舞台に仕立てたのが、古くから伝わる「鯉つかみ」の演出な
のだろう。

この立ち回りの場面でも、東蔵、獅童は、最後まで、脇役の味を出していた。しかし、
橋之助は、立ち回りをしながら、客席の方へ顔を向けすぎる。鯉も場面展開の都合で、
大小4尾が出てきたが、肝心の「鯉つかみ」の場面が、水遊びの印象が強いせいか、
鯉の形をした「大きな浮き袋」と遊んでいるように見えて、少し興ざめがした。大き
な鯉だけでも、動く仕掛けを工夫して、臨場感を出せなかったものか。惜しまれる。
橋之助は、鯉の滝登りにしがみつき、鯉とともに「宙乗り」の体だった。最後に、
暴れ廻っていた鯉も目を刺されると、おとなしく掛け軸の絵に逆戻り(この仕掛け
は、巧く行った)。本水を使った「夏狂言」を、まだ、肌寒い3月初めに拝見したわ
けだが、橋之助らの役者衆、お疲れさまでした。

最後は、銀杏の前(高麗蔵)、狩野元信(福助)、水浸しの与右衛門(橋之助)、
将軍家御台所榊御前(芝翫)、村越良助(玉太郎)が勢揃いして、引っ張りの見得で
幕。佐々木家の御家再興も榊御前に許される。全体を通じて、芝居の中心にいた福助、
橋之助兄弟は、熱演だが、幽霊なのに「地に足がついた」演技をした福助と演技が、
ややオーバー気味で「地に足がついていない」橋之助という違いがあったように思う。

【蛇足】
「新世紀累化粧鏡」は、「初めて歌舞伎を観た人なら、いわば歌舞伎入門編のように
観れば、それはそれでおもしろいと思うのかも知れない」と先に書いたが、この狂言
を初心者向けの演目として、更に、ブラッシュアップするなら、私ならこうしたい。
まあ、一種の私の演出メモ、かな。

1)まず、荒唐無稽なストーりーを、売るにする。
2)「綯い交ぜ」=歌舞伎入門として、特徴づける。
3)歌舞伎入門として観た場合に、今回の演出で足りないもの。
 @ 所作事が、全くなかった。所作事は、歌舞伎の華やかな場面の象徴であり、観
   客の気分転換にとっても、必要なので、今回のような本来七幕十四場という長
   丁場の狂言では、再構成するにしても、所作事は是非欲しい。
 A 廻り舞台は使ったが、大道具のセリ、屋台崩しなどが、ダイナミックな大道具
   の活用がなかった。
 B 花道、特に、スッポンの使用がなかった。
 C 竹本の「糸に乗る」という場面がなかった。

四代目市川小團次が、幕末に河竹黙阿弥と出会い、いろいろな狂言を飽くなき工夫を
して、新しいものを作り出したときに、彼が執拗に提案したのは、歌舞伎味を出すと
いう一点だったと私は思っている。彼は、新作の世話物にも竹本を使いたがった。
「糸に乗る」演技は、竹本の語りに合わせて演じる手法で、多分、これは、役者衆に
は快楽な演技なのではないかと、私は思う。私に歌舞伎役者になる能力があるのなら、
先ず、第一番に、この「糸に乗る」という演技をしてみたいと思う。私の場合、次に
やってみたいのが、「だんまり」。継いで、難しいが「見得」(この辺は、もう、蛇
足の蛇足のようで、失礼!)。

今回は、「だんまり」、「宙乗り」、「本水」などの外連の演出はあったが、本来の
外題に変えて、「新世紀」と銘打つぐらいなら、新世紀の歌舞伎味の出し方の見本と
いうぐらいの意欲的な演出があっても、良かったのではないか。それが、今回取り
入れたようなMr.マリックのような「ホラーやスペクタクルの趣向」より、歌舞伎
の本来の演出を使い切るというか、新しい技術も「古怪な趣向の純化」させ、歌舞伎
の本来の演出に溶解させる(つまり、観客に新しさを気付かせない)ような工夫がし
てみたい。

そこで、先に挙げたメモのうち、3)の部分を、今回の演目に合わせて、もう少し
述べてみる。例えば、@の所作事では、元信と銀杏の前などの道行の場面が欲しい。
出囃子があると、舞台が明るくなる。Aでは、元興寺の場面展開で、屋台崩し。更に、
「ふわふわ」の部分では、冒頭、セリ下げ。Bでは、阿国御前、累などの出で、一度
ぐらい「スッポン」が使えなかったか。もともとの、南北の同時代の上演では、この
あたりをどういう演出でやっていたのだろうか。Cは、工夫次第で、何ヶ所かできそ
うな気がするが、如何だろうか。

つまり、今回のような、綯い交ぜ狂言であり、久しぶりの復活上演で、それも、長丁
場の通し上演の場合、いろいろな狂言の名場面が入っているだけに、なまじ知識のあ
る観客には、どうしても既視感が出ると予想される。それならば、歌舞伎鑑賞教室用
に、徹底的に初心者向けの「歌舞伎入門狂言」に仕立て直して、歌舞伎の主だった演
出、役柄などが一通り学べるような仕組(しぐ)みに徹してしまう、というのは、お
もしろいのではないかと思う。
- 2001年3月7日(水) 19:51:45
2001年 2月 ・ 国立劇場(小劇場)
(七代目鶴澤寛治襲名披露/「口上」襲名披露狂言「増補忠臣蔵」「寿式三番叟」)

国立劇場前にあるお堀端の向こう側の土手は、上部が青く染まっていた。春近し。
芸人の襲名披露は、生まれ変わりという意味で、「青春」である。今月は、歌舞伎と
人形浄瑠璃と二つの襲名披露興行が、東京の歌舞伎座と国立劇場であった。国立劇場
は、人形浄瑠璃の三味線方の人間国宝・竹澤団六が、七代目鶴澤寛治(72歳)の
襲名披露興行だ。

歌舞伎役者の襲名披露興行の舞台は何回か観ている。人形浄瑠璃は初めて。国立劇場
(小劇場)のロビーには、祝の品が展示されている。千秋楽の舞台。掛け軸には、
「うつりゆく はじめもはても しらくもの あやしきものは こころなりけり け
ごんかいうん」全てひらがな。掛け軸の上部にも、大きな字のような、絵のような。
家紋を染め抜いた紫の大きな座布団。これには、大阪の「堂島小 竹馬の友」とある。
富士山と大波の墨絵の掛け軸。「大瀬崎波の頭に富士の山 水蓮」とある。朱塗りの
丸盆には、「東大寺別當」とある。北海道の優佳良織には、「織元 木内綾」とある。

舞台は、まず、お目出度い「寿式三番叟」から。能の「翁」から、人形浄瑠璃、歌舞
伎の演目にもなった。「翁」から「三番叟」に主役が転じることで、歌舞伎や人形浄
瑠璃の、この演目は、荘重さより、洒落っけが強まったと言われる。舞台は、破風の
ついた能楽堂の体。橋懸には、紫、黄、朱、萌葱、白の5色の幕。江戸時代、歌舞伎
でも、一日の興行の始まりには「三番叟」が上演された。いまでも、新劇場の開場な
どの祝い事や襲名披露興行には、よく上演される演目。

さて、今回、私の座席は、舞台上手、大夫、三味線方たちの座る「文楽廻し」の真ん
前下手より(国立小劇場、7列、31番)。大夫、三味線方それぞれ6人、翁、千歳、
二人の三番叟(人形の頭は、なんと、ひとつは「又平」で、もうひとつが「検非違
遣」)、ほかに二人。江戸時代、上方では、大夫と三味線方がペアで、「浄瑠璃渡世」
と呼ばれたという。大夫、三味線方とも、真ん中が格が高く、そこから左右に順番に
並ぶ。人形遣いは、江戸時代から「浄瑠璃渡世」のペアとは、別にされたようだ。今
回は、翁を人間国宝・吉田文雀が扱う。

まず、千歳が出てくる。颯爽としている。次いで、翁。主役である。吉田文雀は、相
変わらず立派な顔をしている。さらに、二人の三番叟も登場。「とうとうたらりたら
りら」というお決まりの謡。翁は面を掛ける。「千秋万歳、悦びの舞いなれば、ひと
舞舞はふ、万歳楽」と、文句も襲名披露興行の千秋楽に相応しい。祝言、祝舞が無
事終わり、翁も面をはずす。

次の、三番叟の連舞が素晴らしかった。三番叟の連舞「揉の段」、千歳との「問答」、
再び、三番叟の連舞「鈴の段」と続く。「不良少年」のような面影を残す吉田蓑太郎
と「農協青年」のような素朴さを感じさせる吉田玉女(ただし、それぞれの比喩は、
私の勝手な印象。失礼あれば、お許しを)の二人が、力いっぱい人形とともに「舞う」
(もう、「操る」という感じではなく、自身も人形とともに「舞って」いる。あるい
は、人形とともに「踏む」というらしい)。曲の速度も上がる。局面も、一気に、
文字通りのクライマックスへ。連舞だが、二人の三番叟の動きは、人形も人形遣いの
動きも違う。簑太郎は、ふてぶてしく居直ったような動き。玉女は、激しい動きなが
ら、丁寧になぞって行く。その違いと調和。それに、大地へ「五穀豊穣」の思いを
届かせようとする、力強い足拍子が加わる。麦を踏むように、足を「踏む」。

ランランラレラレランシャカシャンチャ。テレステンテレステン。スッチョンスッチ
ョンスッチョンスッチョンなど(耳に聞こえる範囲で、手元のメモに音を書き付けて
みた)。三味線の音に下座からの太鼓の音が被さる。メモの字が読みにくいこともあ
って正確ではないだろうが、曲の盛り上がりが想像できるだろうか。二人の三番叟は、
交代で休み、汗を拭いたり、扇子で顔に風を送り、会場の笑いを取ることも忘れない。
さらに、二人は励まし合いながら舞い続ける。まさに、激舞。藝による祝祭という意
味が良く判る。五穀豊穣・子孫繁栄の祈り。加持祈祷と紙一重という感じ。歌舞伎の
「寿式三番叟」も観ているが、これほど激しさを感じなかった。役者が演じる歌舞伎
の「寿式三番叟」より、人形の方が、「人間離れ」をしているだけに、迫力がある。
見応えがあった。

「口上」では、下手に座った竹本伊達大夫が仕切った(伊達大夫は、次の襲名披露狂
言で鶴澤寛治の相方の大夫を勤める)。順に、上手側へ、鶴澤寛治の孫の寛太郎(初
舞台)、吉田玉男、寛治、竹本住大夫、野澤喜左衛門が並ぶ。皆、紋付きの衣装のみ。
まず、住大夫が挨拶。続いて、喜左衛門、玉男。「スケール」とか「(21世紀、
初の門下生は)サラブレッド」など、江戸の挨拶に似つかわしくない横文字が入り、
七代目襲名と孫の初舞台のお披露目が無事終わる。本人たちは、かしこまって控えて
いるだけだ。歌舞伎の「口上」に比べて地味だが、地味のプライド(多分、色は、
「燻し銀」)が滲み出ている(因みに、今月のもう一つの襲名披露興行、歌舞伎座
の十代目三津五郎の「口上」は、幕見席で、なんと700円であった。前回の仁左衛
門のとき、「口上」は、独立料金を設けず、あわせて幾らだったと記憶しているが
・・・)。

襲名披露狂言「増補忠臣蔵」。本来、私個人の趣味で言えば、「増補版」の舞台は、
好きではない。「菅原伝授手習鑑」にも「松王下屋敷」という増補がある。要するに、
「寺子屋」に至る経緯を松王丸の下屋敷を舞台に描く。松王丸の息子・小太郎を菅秀
才の身代わりに立てる計画を松王丸が女房の千代と相談するという話である。江戸や
東京の小芝居などで上演されていたようだが、大歌舞伎の舞台には、あまり乗らなか
った。「松王下屋敷」の松王丸を演じている実川延二郎という役者の写真を見たこと
がある。東京の小芝居の系統を引く松尾塾子供歌舞伎の舞台ながら、「松王下屋敷」
を観たこともある。

「増補もの」は、小芝居の舞台で演じられても、大歌舞伎ではあまり演じられない。
それには、当然の理由があるように思う。つまり、その増補を入れて、「通し」で上
演すると、舞台がしつこくなるのだ。説明的すぎるといえばよいか。人気の原作にあ
やかり、原作で描かれなかった部分を補う形で、ひとつの作品を作り上げる。それが
「増補もの」と呼ばれる狂言だ。畢竟、「増補もの」は、小芝居などで、そこだけ、
手軽に上演されるようになる。つまり、「本編」の、いわばダイジェスト版としての
扱いである。小芝居の役者も「大役」を演じたい。そういう役者の気持ちは解る。だ
が、それは、差別をするわけではないが、やはり、テキストとして、本編とは違う。
歌舞伎味として、檜舞台とは違う。「増補もの」には、そういう扱いを受けやすい下
地がある。

俳句、短歌という短型の文学を愛好した日本人は、「余白の美」を好んだ。余白を想像
するのは、愛好家の想像力に任せるというのが、美意識なのだ。ところが、「増補もの」
の思想というのは、この美意識と対立する。それぞれが想像すべき美を、ひとつの
価値観で描き出した特定の「美」を押しつける。そういう弊害が「増補の思想」には
ある。長い狂言が、「通し」で演じられるよりも「みどり」で演じられると言うのも、
「余白の美」を愛好する心である。いちばん印象に残る場面を舞台に掛ける。その余
は、観客の想像力に任せる。そういう美意識が歌舞伎にはある。勿論、あまりに、
省略をしすぎて「みどり」では、判らないという弊害がないわけではない。「通し狂
言」の妙味は、程の良い「通し」の演出をすることができるかどうかにかかっている。
「みどり」も「通し」も、そこが難しい。

「増補もの」狂言は、そういう成り立ち方をし、小芝居、中芝居の舞台にかかったこ
とが多かったので、作者の名前が、あまり残されていないようだ。「増補桃山譚」、
通称「地震加藤」は、河竹黙阿弥作だけに、逆に原作を食い、「増補もの」として、
歌舞伎事典にただひとつ記載されていた。

だから、襲名披露狂言「増補忠臣蔵」は、演目としては、あまり期待しないで拝見し
た。しかし、観ていて、なぜ、鶴澤寛治が、襲名披露、それも、孫の初舞台とあわせ
て上演する演目に、これを選んだかが、良く判った。若狭之助の妹・三千歳姫が上手、
障子の間で、琴を演奏する場面がある。その琴を孫の寛太郎が弾くのである。孫思い
の寛治は、孫の初舞台のために、孫の出番が、目立つようにと、この演目を選んだの
だろう。私の席は、寛太郎の真ん前で、少し下手よりなので、寛太郎と三千歳姫が遠
近法の相似形に観えるというポジション。糸を爪で弾くのまで、ほぼ相似形に観える。
三千歳姫をあやつるのは、桐竹一暢(いっちょう)。吉田蓑助とは違う色気のある人
だ。三千歳姫は、ちゃんと琴を弾いている(人形遣いは、琴も引けないとダメなので
すね)。

「増補忠臣蔵」は、「仮名手本忠臣蔵」の、二、三段目を受け継ぎ、九段目に至る経
緯の「隙間」を埋めようという作品。なぜ、加古川本蔵は、主君の若狭之助を見限り、
娘・小浪のために、命を投げ出して大星由良助を助けるために山科へ行ったのか、高
家の屋敷の図面を持っていたのかなどを観客に説明するために作った。近代人から見
れば、加古川本蔵は、短気な社長・若狭之助の危機を救う、いわば危機管理の達人な
のだが、江戸の美意識から見れば、「へつらい武士」と蔑まれた。武家社会の前近代
性を批判して、明治になって作られた狂言。人形浄瑠璃では、明治11年、4月、大
阪の「大江橋席」で初演されたという。だから、新しい物語では、若狭之助は本蔵の
危機管理に感謝をし、自分の短慮を反省するという近代性を付加している。「通し」
の際、七段目と九段目の間に入れて上演されたこともあると言うが、長続きはしなか
ったようだ。

「本蔵下屋敷の段」では、まず、若狭之助から蟄居を命じられた本蔵下屋敷。若狭之
助の近習・伴左衛門を吉田玉也が操る。敵役の人形を操る玉也は、いつも巧い。伴左
衛門は、塩冶判官の弟・縫之助と婚約している三千歳姫に横恋慕している。さらに、
悪巧みをしている。それを知り阻止しようとする本蔵は、町のおじさんの雰囲気のあ
る吉田玉幸が遣う。

下屋敷は、奥庭に変わる場面で、庭の遠見と襖の絵柄が、衣装の引き抜きの演出のよ
うに瞬時に替わる。一旦、縄を掛けられ、奥庭に引かれた本蔵だが、彼の真意は、や
がて、若狭之助に理解される。若狭之助は吉田玉男が操る。この人も顔が立派。伴左
衛門は、若狭之助に斬り殺される。人形は、どたっと、真後ろに倒れ込む。本蔵には、
高家の屋敷の図面と虚無僧の衣装などが若狭之助から与えられ、「山科閑居の段」へ
繋がるようにできている。竹本の文句に「ありがた涙」というのが出てくるが、これ
は、歌舞伎でも良く出てくる。江戸の地口の流行文句なのだろう。

別れの段に、先ほどの三千歳姫の琴の演奏がある。三千歳姫の座る障子舞台の奥には、
花車の掛け軸。この大道具だけで、若い女性らしい部屋の雰囲気が出る。本蔵は、
琴の演奏に尺八を合わせる。主君との今生の別れの場面である。言葉では、言わない
が、「三千歳姫さま。もうこの世では、お逢いしません」という意味か(ええ!それ
なら「三千歳・直侍」のパロディか。まさか)。琴の演奏を無事終えて、中学生の
顔に戻った寛太郎退場。「文楽廻し」の左右横には、木戸があり、ここから琴を出し
入れし、寛太郎も入退場した。主役・本蔵は山科へ向かうが、この場面、人形の動
きがダイナミック。足遣いは、いつもと違って、人形の前に廻り、足を大きく動かす。
メリハリのある動き。人形浄瑠璃の足遣いは、意外と、いろいろな感情を表現する。顔
と同じぐらい大事な気がするが、如何だろうか。

【蛇足】
1)国立劇場の今回は、三部制で、1部が「国性爺合戦」、3部が「心中宵庚申」だ
が、この二つは拝見せず。従って、竹本千歳大夫の顔も、お千代を操る吉田蓑助の顔
も拝見できず、残念。
2)人形浄瑠璃の劇評も、今後は、「番外編」としてではなく、随時、この「遠眼鏡
戯場観察」に書き込みたい。










- 2001年2月21日(水) 21:08:21
2001年 2月 ・ 歌舞伎座
                 (昼/「寿猩々」「傾城反魂香」のみ)

演劇のあらゆるジャンルを越えて、中村雀右衛門は、母の慈愛を身体で表現できる唯
一の「男性」の役者かもしれない。

今月の歌舞伎座・昼の部は、拝見しないつもりだったが、「傾城反魂香」の好評の
噂が相次いだので、今月2回しかない週末の都会暮らしのスケジュールをやりくりし
て、国立劇場/人形浄瑠璃・七代目鶴澤寛治襲名披露興行千秋楽の舞台の前に、「寿
猩々」「傾城反魂香」のみ観てきた。従って、「十六夜清心」「奴道成寺」は、残念
ながら拝見せず。

のっけから、他人の舞台批評を引用するというのも気が引けるが、作家・秦恒平さ
んは能の見巧者であり、歌舞伎の見巧者である。その秦さんが、早々と歌舞伎座の昼
と夜を通しでご覧になり、自分のサイトに「寿猩々」について、以下のような批評を
掲載した。

*「猩々」は振り付けに妙味とぼしく名人富十郎としては大きく豊かに舞い遊べずじ
まいのような不燃焼感が残った。固く、小さかった。ひとえにふりつけのせいである
が、今ひとつ感興をそいだのは松江の不出来であった。姿、顔かたちは、もともと
嫌いでない女形の凛々しい男姿であればわるかろう筈がない。きれいだなあと観てい
たが、所作に颯爽の切れ味無く、粗雑で、科白にも騒がしさと揺れとが耳ざわりでマ
イッタ。当日、この開幕一番目だけがつまらなかったのは惜しい。 

私には、未見の演目でもあり、贔屓の富十郎、松江の二人の出演でもあり、愉しみに
して座席に座った。富士山の緞帳が上がると、松羽目物の決まり、松の鏡板。松江は
珍しい若衆姿で登場。酒売り・高風。白い袴に葡萄茶(えびちゃ)の狩衣姿で、凛々
しい。上手、竹本の四連の出語り。中央には四拍子。富十郎は、朱色の金襴の衣装に、
赤い毛熊という赤づくしの風体。酒を巡る若者と水中に住む中国の伝説の霊獣・猩々
の供応。能の「猩々」が、どういうもので、それが歌舞伎の「寿猩々」とどう違うの
かは、知らない。ただ、私が観ていても、二人の所作が大きな舞台を充分に使い切っ
ていないように思えた。3分の2ぐらいという感じ。両脇に隙間を感じる。

先に夜の部で観た新・三津五郎の「越後獅子」では、一人で踊るのに、舞台の全てを
使い切っていて、隙間を感じさせなかったように思えるのとは違う。能と歌舞伎舞踊
の振り付けは、当然違うわけだから、能の見巧者の「不燃焼感」と、私が感じた「隙
間」とは、違うだろうし、松江の所作の「切れ味の有無」など、私には判らないが、
富十郎の舞いが、「乱(みだれ)」という八代目三津五郎(当時・簑助)の振り付
けで戦後に京都の南座で初演した「抜き足」「流れ足」などという工夫の所作がある
のに、松江の所作が単調なのは、否めない。まあ、今回のような竹本のほかに、長唄
だったり、竹本・長唄の掛け合いだったり、常磐津だったり、猩々が二人以上だった
り、記録を見ると、いろいろ演出があるようなので、いずれ違う舞台を観るまで、私
の最終的な判断は保留としておこう。

「傾城反魂香」は、4回目の拝見となる。。4人の又平とおとくを観たことになる。
又平は、吉右衛門(2)、富十郎、團十郎だから、実際には3人。相手のおとくは、
芝翫、鴈治郎、市川右之助、雀右衛門の4人。又平は、今回も演じている吉右衛門が
又平の人柄を充分に出す表現で良かったが、前回のおとくが芝翫、今回のおとくが雀
右衛門ということで、同じ吉右衛門の又平ながら、印象は大分違う。ほかの役者の印
象については、先の歌舞伎座・夜の部「遠眼鏡戯場観察」の【蛇足】に書き込んだの
で、ここでは省略する。その代わり、芝翫、雀右衛門の、それぞれの「おとく論」
と、相手が変われば吉右衛門の又平も変わるというあたりに焦点を合わせて、今回は
書き込みたい。

「芝翫が、如何にも、おしゃべりな世話女房の典型という迫真の演技で印象に残って
いる」と、先の【蛇足】で私は書いた。その印象は、いまも変わらないが、結論を先
に書くと、冒頭書いたように、雀右衛門のおとくは、母のような慈愛に満ちた世話女
房であった。それに伴い、今回の吉右衛門は、駄々っ子のような子供らしさも滲ませ
た又平であった。その結果、芝翫・吉右衛門の夫婦より、雀右衛門・吉右衛門の夫婦
の方が、「癒し」「癒される」夫婦像として、「おとく・又平」の夫婦像に、格別の
味付けをしたように思う。それを以下述べてみたい。

「反魂香」は、そもそも、シュールな物語である。1)虎が絵のなかの抜け出す。抜
け出た虎を絵筆で描き消す。奇跡。2)「入木道(じゅぼくどう)」の奇跡ならぬ、
「入石道」の奇跡が起こり、石の手水鉢に描いた自画像が、石を通り抜ける。それを
土佐派の絵師・将監(芦燕)の二人の弟子がやってのける。その上、ストりーの展開
として、「動と静」の繰り返しがある。

まず、虎の出現という「動」。百姓たちが騒ぐ。それを描き消した弟子・修理之助
(友右衛門)が、土佐光澄という名前を許される。「静」かな舞台。次の「動」。狩
野派の絵師・狩野元信が暴漢に襲われて、元信の恋人・銀杏の前も難に遭ったと、元
信の弟子・雅楽之助(歌昇)が助けを求めに来て、又平と修理之助が、救いの手を争
うという動。師匠の断で、修理之助が救助に向かう。望みを絶たれ死のうとする又平
とおとくのやりとりという「静かな舞台(竹本の三味線は、次の「動」に備えて、こ
こから2連の準備をする。三味線方だけ登場。だが、まだまだ、三味線は弾かない。
クライマックスの「動」を前にした静けさがひとしお沁み入る)」。死ぬ気で描いた
「入石道」の奇跡という「動」。そして、土佐光起という名前が許される。歓喜の
「静」かな舞台。

そういう「動と静」の繰り返しを、舞台は、まず、無人のまま、冒頭の竹本の語り。
さらに、虎騒動の後、又平・おとくの出の前に、本舞台での竹本の出語りで、また、
無人という場面で、緩急を印象づける。

吉右衛門の又平は、吃音のもどかしさと生真面目さ、その裏に直情と子供っぽい大ら
かさを隠し持っている。雀右衛門のおとくは、世話女房だが、母親のような慈愛を夫
に抱いている。最初、それは私にも判らなかった。もっとも、子供っぽさを別にすれ
ば、吉右衛門の又平は、私も2度目なので、彼の役作りは承知していた。雀右衛門
のおとくも芝翫のおとく同様に世話女房だとばかり思っていた。言葉が不自由な又平
に代わって、師匠にお願いする世話女房のおしゃべり。ところが、雅楽之助登場の場
面以降で、気が付き始めたことがある。雀右衛門のおとくの居所に気が付いたのだ。

おとくは、又平をいつも後ろから気遣っている。言葉が不自由なので、師匠に対して
思うとおりに自己主張をすることができない又平。その都度、怒り、嘆く又平。又平
の失意を竹本の三味線が煽る。チンチンベンベン。チンチンベンベン。怒りの持って
行き場がなくなり、おとくにあたる又平。耐えるおとく。しかし、おとくの気持ちを
察してくれる人がいる。又平ではない。将監の北の方(吉之丞)である。女の気持
ちは、一緒というのが、台詞ではなく、雀右衛門、吉之丞の演技に滲み出ている。巧
いなあ!二人とも。

特に、雀右衛門が、単なる世話女房を演じているのではないのではないかと、私が気
付いたのは、雅楽之助が将監らに、狩野元信らが遭遇した事件を語る間、師匠に命
じられて花道の端の本舞台の一所に座って「物見」をしているときだ。又平は、馬鹿
正直に花道の先を「一所」懸命に睨んでいる。吉右衛門の又平は、彼の人柄が出て、
こういう馬鹿正直さの演技は、本当に巧い。それをあたかも、出来の悪い子供を気遣
うように、吉右衛門の遙か後ろ、本舞台下手、奥から、斜め前を向いて吉右衛門を見
守っている雀右衛門の、この居所と距離の置き方。そこで、私は、又平&おとくとい
う夫婦ではない、「母」のような雀右衛門と「子」のような吉右衛門という、二人の
役者の姿を観てしまったのだ。観えないものが観えてきた。

さて、失意の夫に筆を持たせる雀右衛門のおとくは、私には幼子の世話をする母に観
える(ここから、竹本は、三味線が2連になる)。又平は、死ぬ前の、最期の一枚の
絵を石製の手水鉢に描く決心をする。生真面目、直情という性格丸出しで、手水鉢の
片面を一所懸命磨く又平。雀右衛門の「母」の演技が、乗り移って、吉右衛門も「子」
のような動作。その際、勢い余って手水鉢の上に載っていた柄杓を下に落とす(これ
が、後の伏線)。

又平は、入魂の自画像をそこに描く。雀右衛門の妻としてよりも、母の慈愛のような
夫への思いが通じる。虚脱の又平。虚脱の「子」・又平から、筆をもぎ取るのは
「母」・おとく。それは、人を斬った侍の手が、刀からなかなか離れないように、筆
は、又平の手からなかなか離れない。「私も一緒に死にまする」とおとくが言う。平
舞台に落ちている柄杓を取ろうとして、最初に石を突き抜けた自画像という奇跡に気
が付くのがおとくである。奇跡を奇跡として観客に感じさせる、ここは、雀右衛門
のおとくがリードする。吉右衛門の又平が、それに従う。二人が、そのあたりを巧く
演じないと荒唐無稽になる。母と子の歓喜。それが、観客の気持ちを芝居に集中させ
る。書道のことを「入木道」というのは、中国の詩人の書が、墨痕鮮やかで木に三分
染み込んだという故事にちなむ。

チンチンベンベン。チンチンベンベン。竹本の三味線が、観客の気持ちを上気させる。
役者の窮地の場面で、よく演奏される、この三味線の音が、ここでは、歓喜の音に聞
こえるから不思議だ。さらに、「三味線の魔法」が加わる。・・・三味線に乗せられ
るのは、私たち、観客である。

やがて、二重舞台、上手、障子の間の障子を開けて、師匠が出てくる。芦燕の将監は、
「奇瑞に気付いていた(別に、洒落ではないが)かのごとく」に、あまり、驚かない
(ええ、一寸待って。それで良いのか。私は、ちょっと、白ける)。そして、又平は、
師匠から土佐光起の名前を許され、銀杏の前、救助の第二番手を命じられる。真新し
い紋付きの着物と裃、大小の刀も師匠から戴く。裃をつけて、裃を着けて得意そうに
喜ぶ又平の様は、まるで母親に晴れ着を見せる子供のようだ。母の慈愛が、入魂の子
(夫)に奇跡をもたらす。芝翫・吉右衛門では、世話女房と夫に見えた夫婦が、雀右
衛門・吉右衛門では、私には母と子に見える。雀右衛門は身体自体から母の慈愛を出
すことができる。「雀右衛門の魔法」だ。これは。この魔法のお陰で、吉右衛門も、
いつもの又平の味に、稚気のある年下の夫という風味を滲ませながら、好演。新しい
おとく・又平誕生の舞台であった。癒し(母)・癒される(子)という関係を舞台で、
結晶させる。観客も舞台の役者から癒され、役者も観客の反応で癒される。芸能とは、
いまも、昔も、癒し・癒されの双方向で螺旋状に回転しているというのが、私のイメ
ージ。

二人が、母のような年上の世話女房と夫に戻って見えたのは、又平が、吃音の言葉の
口上に代わる舞いを練習する場面だ。、女房の鼓に合わせて、祝の舞いと謡を、大ら
かな男舞で舞う又平。分別のある成人の落ち着きが感じられる。汗びっしょりの吉右
衛門。それが、光の具合で、歓喜の涙の跡のようにも観えた。そして、花道から引っ
込む最後の場面では、二人は、完全に夫婦に戻っている。そして、「雀右衛門の魔法」
から、私も目を覚まされる。

- 2001年2月20日(火) 19:01:17
2001年 2月 ・ 歌舞伎座
           (夜/「女暫」「口上」「め組の喧嘩」「越後獅子」)

先月に続いて、歌舞伎座は2月も10代目坂東三津五郎襲名披露興行。夜の部を拝見。
歌舞伎座の舞台には、先月と違って上部に提灯が飾られている。舞台には坂東家の紋
(「三つ大・花かつみ」)の提灯と歌舞伎座の提灯、東西の桟敷席の上には、三津五
郎だけの替紋(「梶の葉」)の提灯と歌舞伎座の提灯が、それぞれ飾られている。今
月の祝幕は、坂東家の紋入りの傘(先月は、八十助の「あばれ熨斗」だったと思う)。
客席の雰囲気は、先月より活気があるように見受けられた。

まず、「女暫」。2回目。前回は、3年前の2月、十五代目仁左衛門の襲名披露興行
の舞台、菊五郎の巴御前で拝見。これも良かったが、今回は玉三郎の初役と言うこと
で楽しみだった。期待に違わず玉三郎の巴御前は、りりしく、色気もあり、兼ねる役
者・菊五郎とは、ひと味違う真女形・巴御前になっていた。特に、恥じらいの演技は、
菊五郎より、艶冶な感じ。巴は女性なのだし、「女の荒事」として、女性の存在の底
にもある荒事(あるいは、「女を感じさせる荒事」という表現をしても良い)の味を
引き出せば良いのだろう。和事が「男のやつし」の味なら、立ち役の荒事と違う女形
の荒事も、また、ひと味違う味があるのではないか。前回の菊五郎は、巴御前を演じ
た後、幕外では、さらに、芸者・音菊に変わるという重層的な構造に仕立てていたが、
演劇構造は、前回の方が工夫魂胆が感じられた。

男の「暫」も観ている(95年11月、歌舞伎座。鎌倉権五郎(團十郎)、清原武
衡(先代の三津五郎)、鹿島入道震斎(八十助・十代目三津五郎)が、その場合は、
鶴ヶ岡八幡の社頭が舞台、「女暫」は、京都の北野天神の社頭が舞台。「暫」では、
清原武衡らが社頭で勢揃いしている。「女暫」は、登場人物の名前こそ違うが、「暫」
とは、基本的な演劇構造は同じ。権力者の横暴に泣く「太刀下(たちした)」と呼ば
れる善人たちが、「あわや」という場面で、スーパーマン(今回は、スーパーウーマ
ン)が登場し、悪をくじき、弱きを助けるという、ストりーの判り易さが身上の演目。

むしろ、物語性より「色と形」という歌舞伎の「外形」(岡鬼太郎の表現を借りれば
「見た状」)と表現としての「様式美」が売り物だろう。歌舞伎十八番に選ばれた
「暫」は、景気が良く、明るく、元気な狂言。それだけで、祝い事には欠かせない演
目となる。昔は、いろいろな「暫」があったようだ。「奴暫」、「二重の暫」(主人
公がふたり登場)、世話物仕立ての「世話の暫」などがある。「女暫」も、もともと
派手さのある「暫」の「華」に加えて、「女」という「華やぎ」まで付け加えること
が可能なだけに、そういうさまざまな趣向の「暫」のなかから生まれ、「二重の華」
として、いちだんと洗練されながら、生き残ってきた。

本来、「暫」は、独立した演目ではなかった。江戸時代の「顔見世(旧暦の11月興
行)狂言」の一場面の通称であった。一場面ながら立役、実悪、敵役、若衆方、立女
形、若女形、道化方などが出演するため、「だんまり」同様に、一座の役者の顔見世
(向こう11年間のお披露目)には、好都合の、いわば、一種の「動くブロマイド」、
あるいは「動く絵番付(演劇パンフレット)」のような役割を果たしたことだろう。
いつしか、そういう演目としての役回りの方が評価され、独立した出し物になった。

「女暫」では、清原武衡に代わり、蒲冠者範頼(我當)が出てくる。今回の範頼一行
の顔ぶれは、轟坊震斎(辰之助)、女鯰若菜(福助)、「腹出し」の赤面の家臣・成
田五郎(左團次)。前回は、範頼(富十郎)、震斎(先代の三津五郎)、若菜
(秀太郎)、五郎(同じく左團次)だから、震斎、若菜は、ひとまわり若い配役にな
っている。「腹出し」では、猪俣平六(弥十郎)と江田源蔵(亀蔵)に存在感があっ
た(前回は、順に、團蔵、松助)。こういう人たちが力の入った演技をすると舞台に
幅が出る。

福助が「大和屋のお姉さん」と呼びかければ、玉三郎が「成駒屋の福助」さんと切
り返す(ふたりは、芝居上でも、敵対関係ではなく、実は伯母と姪(樋口妹若葉)の
関係)。そういう役柄だけでなく、江戸歌舞伎でも、その時代に合わせた洒落た味わ
いを感じさせる台詞を、ふたりは言い合ったのだろうと想像される。伝統のお披露目
の演目は、前回の仁左衛門の襲名披露興行に続いて、今回の襲名披露でもお目出度い
演目になり、祝い事らしい和気藹々の台詞廻しが付加される。

「十代目さんの襲名に初お目見得の大役は、・・・」という玉三郎の「つらね」
(台詞の最後には、女形らしく「おお、恥ずかし」となる)に、会場が湧く。今回の
善人方は、秀太郎の清水冠者義高、七之助の義高許嫁・紅梅姫、歌江の局・唐糸ら
(前回は、元気なころの藤十郎が義高。萬次郎が紅梅姫)。最後の、いずれにせよ、
「女暫」は、「暫」よりも、一層、色と形が命という、「江戸の色香」を感じさせる
江戸歌舞伎の特徴を生かした典型的な舞台。それに、さらに、「色香」に加えて
「艶」を添えるのが実力派・真女形の玉三郎というから、この演目の特徴が余計に目
立つ。

「女形の恥じらい」、幕外の引っ込みの「六法」をやろうとしない巴御前と舞台番・
辰次(吉右衛門)とのやりとりが、ハイライト。前回の舞台番・成吉は團十郎で(成
田屋だから「成」吉か)、巴御前を「演じていた」芸者・音菊に変わった菊五郎を相
手に颯爽としていて、これも良かったが、吉右衛門の舞台番は、人間的な暖かみがあ
り、なかなか、棄てがたい味を出していた。白い浴衣の舞台番の衣装は、肩のあた
りが紺色の蝶々の模様だろうが、何か、前の胸のあたりは、模様が章魚の顔に見えた。
浴衣の下の方は、朱色の文字で「播磨屋」とある。白と紺、朱の配色が鮮やか。團十
郎のときは、音菊に替わって「六法」を踏んだように、当時の筋書には書いてあるが、
あてにならない(私の記憶は不鮮明)。吉右衛門は、人の良さそうな、困った顔をし
て、大太刀を肩に担いで、玉三郎の後に、ついていった。團十郎なら、菊五郎の芸者・
音菊が芝居町の人込みのなかに消えてしまった後、きっちり團十郎流の六法をやりそ
うな気もするが・・・。

この舞台番、いまの歌舞伎座なら、さしずめ制服姿の女性の案内係の役どころ。「制
服姿の女性の案内係」が歌舞伎の舞台に出るという演目としては「松竹梅湯島掛額」・
通称「紅長」、「お土砂」(この紅屋長兵衛は、吉右衛門であった)で、にこにこ
顔の吉右衛門に「お土砂」をかけられた女優の案内係(歌舞伎の舞台に、珍しく
「女優」が出演)がふにゃふにゃになり、会場、大爆笑という場面があった。「お土
砂」とは、江戸時代の加持祈祷に使われた。白砂に加持祈祷をすると、遺体を柔軟に
して、滅罪往生すると言われた。その砂を人にかけると、身体がふにゃふにゃになる。
ついでに、日常語に「お土砂をかける」というのがあるが、これは、お世辞を言って、
人を喜ばせること。

あと、勘太郎の手塚太郎(「実盛物語」の太郎吉の後の姿)が、木曽義仲の宝剣・倶
利伽羅丸を持って駆けつけるが、彼の口跡の良さが目立った。ちなみに、前回の手
塚太郎は、新之助。

いつもの「観察」結果から。巴が大太刀で切り取る10人の仕丁の首が、紐で繋が
っていて片づけやすいようになっているのには、感心し(その後、笑っ)た。様式
性の強い荒事の「女暫」なのに、これらの首を黒衣が片づける際には、赤ではなく、
黒の消幕を使っていたのが不思議。白と桃色の花槍を持った女奴たちは、「暫」な
ら、花四天の役どころだが、女奴だけに、槍というより長刀風の持ち方をしていた。
まあ、細部も含めて、たっぷり愉しめる舞台だった。

「口上」は、つまらなかった。左團次と菊五郎ぐらいが、新・三津五郎の素の話を持
ち出していたけれど、後は、文字通り「紋切り型」の挨拶が多かった。気がついたこ
と。舞台の襖などは先月と同じ。役者の顔ぶれは、当然ながら違う。ただし、仕切は
羽左衛門で、同じ。女形の時蔵と萬次郎が、立役の姿だったこと。前回、芝翫が立
役の姿だったが、これは先祖がもともと立役だったためで、今回のふたりもそういう
ことなのだろうと思う。それから、家系が同じだったり、屋号が同じだったりすると
裃の色が同じだということ。髷を小さな鉞のようにしていたのは、今回は左團次だけ。
いろいろな情報が舞台には、埋もれている。私も、もっと、勉強をすれば、舞台から
さまざまな情報を読みとれるようになるだろう。

「め組の喧嘩」。5年前に歌舞伎座、菊五郎の辰五郎で拝見。先代の三津五郎は、喜
三郎で出演。今回は、襲名披露興行だけに、辰五郎役を新・三津五郎に譲り、菊五郎
は、喜三郎役に廻っている。相撲取りの四ツ車に富十郎(前回は、左團次)九竜山に
左團次(前回は、團蔵)、辰五郎女房・お仲に時蔵(前回は、田之助)で、時蔵が良
かった。火消しの頭(かしら)のかみさんの貫禄が滲み出ていた。時蔵の襲名20周
年のことしだけに、いちだんの飛躍を期待したい。藤松(辰之助)も、江戸っ子の勢
いを表現していた。

序幕第一場「島津楼広間の場」では、上手横、床の間の掛け軸が日の出に、松と鶴で、
いかにも江戸の正月風景。お飾りも古風。若い者が、人の座敷で騒ぎを起こした後、
颯爽と入ってきた新・三津五郎。もう、それだけで、火消し「め」組の頭になりきっ
ている。この人は、こういう役は巧い。菊五郎の巧さとは違うが、小さな身体が大き
く見える。

舞台中央、「広間」の「次の間」のような隣座敷の作りが、私にはおもしろい。小さ
な空間を巧く使っている。1)隣座敷。2)広間の後ろの出入り口を隠す。3)下手
から繋がる島津楼の廊下を隠す。まさに、ブラックボックスのような空間。

さて序幕第二場「八ツ山下の場」。舞台上手に標示杭。それには、こう書いてある。
「関東代官領江川太郎左衛門支配」。つまり、品川の「八ツ山下」からは、「関東」、
つまり、江戸の外というわけだ。ふたつの立て札もある。「當二月二十七日 開帳 
品川源雲寺」、「節分会 平間寺」。四ツ車を待ち伏せる辰五郎は、意外と粘着質な
男だ。ここは、いわゆる「だんまり」になる。世話物のだんまりだから、「世話だ
んまり」。「だんまり」は、時代物であれ、世話物であれ、「ゆるりとした」鷹揚な
江戸歌舞伎の味がして、私は大好きなので、場面の殺伐さとは関係なく、ほのぼの
としてくるから不思議だ。

第二幕「神明社内芝居前の場」。いわゆる宮地芝居の小屋だが、こういうものも大好
き。座元の江戸座喜太郎(又五郎)が渋い。出し物は、「義経千本桜」だが、「大物
の船櫓」と「吉野の花櫓」というサブタイトルが新鮮(左下の、文字は残念ながら判
読不能。今月の筋書の勘亭流文字は、伏木寿亭さんなのだが、こういう場合、舞台の
大道具の文字も書いているのなら、彼に聞けば判るだろう)。ほかに「碁太平記白
石噺」(これには、「ひとま久」と書いてある)、「日高川入相花王(いりあいざ
くら)」(これには、「竹本連中」とある)という看板。さらに、芝居小屋の上手上
部に鳥居派の絵看板が3枚。絵柄から演目は、上手から「大物浦」、「つるべ鮨」、
「狐忠信」。江戸の芝居小屋の雰囲気を絵ではなく、復元として観ることができる愉
しさ。

お仲に連れられた辰五郎倅・又八(種之助)らが持っている物。籠に入った桜餅、ミ
ニチュアの「め」組の纏。種之助は、巧いねえ。お馴染みの剣菱の薦樽もふたつ。

飛んで、大詰の「喧嘩場」は、廻り舞台の機能を生かしている。最後に仲介に入る喜
三郎の菊五郎は、やはり、前回見た先代の三津五郎より存在感がある。先代は、身体
も小さかったから、梯子に乗り、騒ぎの真ん中に、いわば、空から仲裁に入る場面も、
なにか強い風が吹いたら、飛ばされそうな感じだったが、菊五郎は、ずっしんという
感じで着地していた。この場面は、大部屋の立役たちも、充分に存在感を誇示する場
面。鳶側では、梅枝、萬太郎、新悟、巳之助という御曹司たちも活躍。相撲取り側で
は、神路山花五郎(亀蔵)が巧かった。

「越後獅子」は3回目。前回は、富十郎。前々回は、なんと、歌昇、進之介、玉太郎、
新之助、亀三郎、亀寿の6人という演出。これは、家の藝だけに、新・三津五郎が良
かった。舞台は、江戸のど真ん中。日本橋の袂。舞台背景の中央に日本橋川(これは、
江戸城の中まで入れるようにできている運河)が流れ、江戸城と富士山が遠く、中央
に見える。川の下手に2階建ての商家の家並み、右側に白い壁の蔵が並ぶ。舞台下手、
手前に越後屋(いまの三越)の店先。屋号と商っている呉服(絹物)太物(木綿物)
と染めた日除け。

もともと所作事の達者な三津五郎だけに、一本歯の高下駄にもかかわらず、安定した
所作で、両手に持った長い「サラシ」布を波に見立てて操る。男の新体操という趣。
緩急、軽妙、めりはり。自由闊達を絵に描いたような動き。大きな舞台に一人きりだ
が、隙間を感じさせない。それでいて、越後から家族とも別れて、遠い他国の旅先で
一人で芸を見せて金を稼ぐ男の悲哀さえ感じる(菊五郎の「口上」の台詞「(離婚後、
一人暮らしで)料理も洗濯も自分でやって、芸を拡げている」(本当かしら。まあ、
眉唾だが)を本気にしかねない)。帰りたいけれど、帰れない男の孤独。「た〜
び〜の空(という、小林旭の歌声が聞こえそう)」。

【蛇足】
歌舞伎座・昼の部を観ていないのだが、記録代わりに。そして、参考として作家・秦
恒平さんの劇評を引用。

「反魂香」は、3回拝見。又平は、吉右衛門、富十郎、團十郎。相手のおとくは、順
に、芝翫、鴈治郎、市川右之助。又平は、今回も演じている吉右衛門が又平の人柄を
充分に出す表現で良かった。團十郎も「ぢいさんばあさん」のノリのような愛嬌のあ
る又平で印象に残っている。團十郎は、99年8月、山梨県三珠町の歌舞伎文化公園
5周年記念歌舞伎興行で拝見。夫をなんとか出世させようと、夫の替わりになってお
しゃべりをするおとくは、芝翫が、如何にも、おしゃべりな世話女房の典型という迫
真の演技で印象に残っている。鴈治郎は、「必死な恋女房」タイプで、可愛らしかっ
た。

* 作家・秦恒平評では、吉・雀「好演」。脇役の締めも過不足なく、最後まで舞台
が煮えていた。

「十六夜清心」は、3回拝見。十六夜は、玉三郎、芝翫、芝雀。清心は、順に、孝
夫時代の仁左衛門、菊五郎、八十助。この演目は、玉三郎、孝夫のコンビが絵面では
最高。芝翫、菊五郎のコンビは、円熟の演技で、ほかのカップルとは、ひと味違う。
芝翫は、花道の出が良かった。芝雀と八十助のコンビは、ふたりとも初々しかった。
このふたりのときは、国立劇場の通し上演だったので、普通観ることができない場面
がいくつもあり、いわば、みどり狂言の舞台にはない、いろいろな補助線が、実線と
なる舞台として拝見できたので、おもしろかった。

*作家・秦恒平評では、しっとりと情緒に溢れて、「江戸」への郷愁を養われる、格
別の佳い味の舞台。
 
「奴道成寺」は、3回拝見。八十助、猿之助。この演目は、後見が「お多福(傾城)、
「お大尽」、「太鼓持」という3種類の面を、タイミング良く踊り手の狂言師・左近
に手渡すかが大事。後見との息の合ったところを見せるのがミソ。これは、後見との
息も含めて八十助が巧かった。実は、拙著「ゆるりと江戸へ〜遠眼鏡戯場観察〜」に
も書いているが、私はこの演目をもう一回観ている。日本舞踊の西川流の家元・西川
扇蔵の踊りで観たのだが、役者の踊りと舞踊家の踊りは、見せ方が違うと思うので、
ここでは比較しない。

*作家・秦恒平評では、新三津五郎の面目躍如。

「寿猩々(しょうじょう)」のみ、未見(それ故、秦さんの評も掲載せず)。

- 2001年2月15日(木) 21:48:54
2001年 1月 ・ 歌舞伎座
          (夜/「源平布引滝」「口上」「寿曽我対面」「団子売」)

1月、2月は10代目坂東三津五郎襲名披露興行。とりあえず、夜の部を拝見。歌舞
伎座は国立劇場のように役者の提灯を舞台に飾ってはいないが、客席の方に、歌舞伎
座2、三津五郎1という割合で、提灯を飾り、襲名披露興行のムードを高めている。
ここでも、三津五郎襲名に敬意を表して、「寿曽我対面」「団子売」、そして「口上」
を、先ず論じたい。三津五郎襲名披露の陰になっているが、三平の「三津右衛門」襲
名と、みの虫の「三津之助」襲名に、まず、おめでとうと言いたい。この「遠眼鏡戯
場観察」を継続して、読んで下さっている人には、私が、以前から、このふたりの藝
に注目して書いていることをご存じだから、今回、とってつけたようにふたりに注目
した訳ではないことは理解されるだろう。昼の部では、ふたりとも舞台に出ているが、
夜の部では、残念ながら三津右衛門が、「団子売」で、後見で出ているだけ。

「寿曽我対面」は、2度目。3年前1月、片岡仁左衛門襲名披露興行のときに仁左衛
門は出演していないが、梅玉、我當の十郎、五郎、富十郎の工藤で観ている。これは、
歌舞伎の動く年賀状という演目。江戸時代の大名らの年始風景を描いているという。
祝言儀礼的な狂言で、大名の年始風景を正月に観るという江戸歌舞伎の正月公演の定
番。だから、小林朝比奈、あるいは妹の舞鶴という「仕掛け人」の手で、年賀の席
に曽我十郎、五郎の兄弟の登場というハプニングがあり、演劇性を高めるが、いろい
ろな役柄、様々な衣装、絵面の見得、大道具の仕掛けなど、歌舞伎の様式美の典型の
舞台で、いわば歌舞伎の入門編として、「だんまり」(動くブロマイド)同様の効
果のある演目。今回は、特に見応えのある舞台だった。

今回は、襲名披露のご当人を交えての配役だけに、3年前の片岡仁左衛門襲名披露興
行のときより豪華な顔ぶれ。五郎に三津五郎、十郎に菊五郎、工藤に團十郎、舞鶴に
芝翫、十郎、五郎の恋人・大磯の虎に雀右衛門、化粧坂の少将に芝雀、さらに喜瀬川
亀鶴に菊之助、鬼王新左衛門に幸四郎。3年前には、先の3人のほか、舞鶴に秀太郎、
大磯の虎に田之助、化粧坂の少将に孝太郎、鬼王新左衛門に芦燕という顔ぶれだし、
去年1月の新橋演舞場を私は観ていないが、菊之助、辰之助の十郎、五郎、富十郎の
工藤、新之助の小林朝比奈、大磯の虎に萬次郎、化粧坂の少将に秀調、鬼王新左衛門
に團蔵という顔ぶれと比較しても、今回の豪華さが判るだろう。それに、三津五郎
の五郎が、力の入った五郎で、八十助が、以前に勧進帳の弁慶を演じたときのように
インパクトのある舞台だった。小柄な彼が大きく観えた。さらに、菊五郎の十郎が、
静かに五郎を押さえていて、何かというと奮い立ちたがる五郎に対比して「危機管理
のできる男」という印象であった。三ヶ津、江戸、大坂、京都の歌舞伎の3つの檜舞
台で五郎を演じられるようにという、三津五郎の命名だが、とりあえず、「江戸五
郎」は、成功であったろう。

菊五郎の十郎が勧進帳の弁慶なら、三津五郎の五郎は、ひとりで四天王の大きさを表
していたと思う。もう、それだけでも充分という感じだが、女仕掛け人の舞鶴の芝翫
が、「工藤さん」などと「さん」付けで呼んでいて、それに相応しい貫禄のある演技
で、以前観た秀太郎の舞鶴など吹っ飛んでしまう。このふたりをたっぷり観ることが
できて、夜の部は満足という人も多かったのではないか。團十郎も風格のある工藤。
大磯の虎の雀右衛門、化粧坂の少将の芝雀、喜瀬川亀鶴の菊之助という綺麗どころは、
やや影が薄い。鬼王新左衛門に幸四郎は、もともと、ご馳走の役柄だが、彼だけ
「対面」ではなく、「忠臣蔵」の大星由良之助という感じ。並び大名、小名や、梶原
親子のなかでは、息子の平次景高(亀蔵)が、ひとり存在感があった。

「団子売」は、三津五郎、勘九郎の夫婦の踊りで、力強い五郎の後に、踊りの達者な
三津五郎の魅力たっぷりという演目の順番の妙が効いた舞台。仁左衛門、孝太郎の
親子の舞台も以前に観たが、仲良しコンビの三津五郎、勘九郎の今回の舞台も、良か
った。

「口上」では、病欠の宗十郎を除いて、14人の大幹部が参加。「坂東三津五郎丈江」
と書かれた祝幕が上手へと開く。羽左衛門が、取り仕切り、それぞれが七代目から十
代目の思い出や、エピソードを語る。立役、真女形、衣装、髷、紋(白いのが普通だ
が、黒かったり、灰色だったりいろいろある)なども拝見。再び、祝幕が閉められる
が、やがて、定式幕が祝幕を下手へ押すようにして、祝幕が片づけられ、定式幕が
閉まり、儀式の終了を告げる。

さて、「源平布引滝」のうち、「実盛物語」。「平家物語」や「源平盛衰記」を元に
構築される歌舞伎の「世界」。並木宗輔ほかの合作、全五段ものという人形浄瑠璃典
型の構成、丸本の時代物。3大歌舞伎のトリオが、3年連続のヒット作「忠臣蔵」の
後、翌年の7月「双蝶々曲輪日記」を上演、その年の11月にトリオのうち、宗輔と
三好松洛のふたりで合作。歌舞伎では、二段目「義賢最期」と、三段目の「実盛物語」
が良く上演される。二段目「義賢最期」は、2000年6月、歌舞伎座で片岡仁左衛
門のダイナミックな演技がいまも目に焼き付いている。仁左衛門得意の、だが、か
なり危険な演目。「実盛物語」は、比較的良く上演される。私は、3回目の拝見。
3人の斎藤実盛を吉右衛門、富十郎、そして今回の勘九郎とで、観たことになる。そ
れぞれ味わいが違うが、こういう役は、吉右衛門が良い。また、2000年の2月に
は、国立劇場の小劇場で人形浄瑠璃の舞台でも拝見している。

ここでは、今回は、「子殺し」、「モラトリアム」について、テーマを絞って書き込
みたい。まず「子殺し」。歌舞伎の子殺しと言えば、「寺子屋」の小太郎(菅秀才の
身代わり)、「熊谷陣屋」の小次郎(平敦盛の身代わり)、「盛綱陣屋」の小四郎
(父親の代わり)など子供が殺される演目が多い。今月、国立劇場で上演している
「奥州安達原」の貞任の息子・千代童も、病身とは言え、「父親(育ての親・文治)」
が縄を打たれた姿にショックを受けて突然死する。同じく貞任の娘・お君は殺されな
いが、母親の自害を見るし、父親・貞任の苦境を見ることになる。「実盛物語」では、
太郎吉は、殺されないが、殺された母親の遺体と対面させられる。そういう場面で、
子供たちは苦しい状況を逃れるために言う、常套の台詞がある。「奥州安達原」のお
君は、まず、袖萩に言う。「かかさま、いのう」。次いで、正体を見現した貞任に
言う。「ととさま、いのう」と。

この台詞は、苦境に立った子供たちの「日常性への回帰」の願望の声だろう。いま、
目の前にある苦境から「いのう」、つまり、逃れようとする際の断末魔の声のように、
この台詞を繰り返す。苦境という「非日常性からの脱却」、父母と安楽に暮らしてこ
そ、子供の楽園は保証される。ところが、芝居に出てくる子供たちは、芝居がドラマ
である以上、当然ながら「ドラマチック」であることを要求される。「非日常性」
=「ドラマ」=「苦境」だとすれば、芝居に出る子供たちは、元々「日常性」から切
り捨てられているわけだから、苦境という「非日常性からの脱却」は、「ドラマチッ
ク」たることを止める、つまり、芝居から降りないかぎり、実現できないはずだ。だ
から、歌舞伎の子供たちは、「死ぬ」ことでしか、芝居から降りられない。その結果、
歌舞伎では、子供たちの死が多いのかしら。

「実盛物語」では、太郎吉は、母親・小万の遺体に切り取られた小万の腕を源氏の白
旗を持たせたままくっつける際に、「かかさま、いのう」と言う。太郎吉は、「かか
さま、いのう」を3回繰り返す。横たわる母親へ、また言う。「かかさま、いのう」。
小万の父親・九郎助は、表へ出て、井戸から冥界の小万の霊を呼び戻そうと声を掛け
る。白旗を持たせたまま腕を小万にくっつけながら、また言う。「かかさま、いのう」。
そして、小万は、子供の母親への愛に応えるべく、実に、ひとときながら、生き返る
のである。このときの太郎吉の「かかさま、いのう」は、冥界という「非日常性か
らの脱却」という「いのう」ではないか。つまり、「日常性=生への回帰」、生き還
りのための「呪文」ではなかったか。ここにも、並木宗輔の母と子の愛情の強さへの
信仰を、私は見る。さらに、穿った見方が許されるなら、身重の義賢の妻・葵御前が、
後の木曽義仲を産むために産屋に籠もるが、その際、実盛に叱られながらも、何度も
太郎吉が産屋のなかを覗こうとする場面があるが、これは、亡くなった母・小万の身
代わりとしてひとつの「生」(義仲)が産まれるという期待を感じているのではない
かとさえ、思う。子供の持つ「生」への希求が、子殺しの多い歌舞伎では、「いのう」
と言う言葉に込めているような気がしてならない。いかがであろうか。

次いで、「モラトリアム」。「実盛物語」では、結果として太郎吉の母・小万を殺
した斎藤実盛は、新たに産まれた、将来の義仲の最初の家来になった太郎吉・将来の
手塚太郎に戦場で再会をして討たれる約束をする。「奥州安達原」では、義家は、
安倍兄弟と戦場での対決を約束する。「曽我対面」でも、工藤祐経は曽我兄弟との対
決を約束する。歌舞伎は、このように幕切れを終結させずに、後日に託する終わり方
をすることが良くある。余韻を残すという日本人の美意識なのだろう。対決の執行猶
予、つまり、「モラトリアム」という作劇術も、歌舞伎の魅力なのだろう。

おまけの情報:国立劇場と歌舞伎座を掛け持ちしていた人たち。ご苦労様。私が気付
いた範囲では、竹本葵大夫。国立の「文治住家」の語りを終えてから、歌舞伎座の
「実盛物語」の2番手以降出演。同じく竹本清大夫、喜大夫。三味線の鶴澤正一郎、
松也。陰囃子の田中伝太郎、源太郎。陰なので、いつの間にかいなくなっているはず。
もっと、いらっしゃるかも知れないが、まあ、本当にご苦労様。





- 2001年1月10日(水) 21:30:53
2001年 1月 ・ 国立劇場
                    (「舞妓の花宴」「奥州安達原」)

国立劇場は、正月気分を舞台一文字幕のあたりに出演する役者の提灯を飾って盛りた
てていた。33ある提灯のうち、中央に3つあるのは「吉右衛門」。国立劇場の提灯
をひとつ間に挟みながら上手に3つあるのが「梅玉」、2つが「東蔵」、同じく
2つが「芦燕」、ひとつが「吉之丞」、同じくひとつが「歌江」。一方、中央から
国立劇場の提灯をひとつ間に挟みながら下手に2つあるのが「松江」、同じく2つが
「時蔵」、同じく2つが「歌昇」、ひとつが「玉太郎」、同じくひとつが「種太郎」
と「種之助」。

「舞妓(しらびょうし)の花宴(はなのえん)」は当代歌右衛門が、44年前に上演、
その後、歌舞伎座での上演も38年前ということで、私は、もちろん初見。白拍子が
烏帽子に水干、狩衣を羽織り、太刀をつけるという扮装で踊る。「男装の麗人」だが、
宝塚の女優が男装するのと違って、歌舞伎は男の女形役者が男を演じるという構造に
なる。通称「男舞」。時蔵は、「男装」の下には、赤姫の衣装。さらにその下には、
ピンクの地に雪月花の文字を入れ込んだ華麗な衣装で、女らしさを強調。近年では、
当代歌右衛門が得意としたというように、立女形の実力者が、衣装に負けずに、所作
でも男舞とその後の女舞を舞い分けるのがミソだろう。時蔵の所作は、そのあたりの
舞い分けにメリハリがあり、愉しめた。特に、女に「戻って」からの所作に工夫があ
った。時蔵襲名20年の年のスタートは、順調に滑り出したと見た。

いよいよ、「奥州安達原」。近松半二らの合作の全五段、丸本の時代物。舞台は、
いつもの半二ものと違って、シンメトリーではない。平安時代末期に奥州に、もうひ
とつの国をつくっていた阿倍一族の物語。「西の国・日本」から見れば、「俘囚の
反乱」で、日本史では「前九年の役」と呼ばれた史実を下敷きにしながら、そこは荒
唐無稽が売り物の人形浄瑠璃の世界。史実よりも半二ら作者の感性の赴くまま(とい
うことは、観客の「嗜好」を予想して)、換骨奪胎に自由に作り上げられる「物語の
世界」。

「奥州安達原」のうち、よく上演される三段目・通称「袖萩祭文」は猿之助主演で、
99年12月、歌舞伎座で拝見。それ以外は、あまり上演されない。だが「奥州」が
実際に舞台になるのは、今回の舞台で言えば序幕第一場「奥州外ヶ浜の場」、第二場
「善知鳥文治住家の場」であって、通称「袖萩祭文」は「環宮明御殿の場」は、雪が
降る場面で有名だが、実は京の都。その「外ヶ浜」は、生き物を殺めて生活の糧とす
る漁師や猟師の住む「人外境」という意味の「外ヶ浜」だという。被差別地域の対抗
魂が「俘囚の反乱」という「西の国・日本」の正史の記述に対抗する半二らの作者魂
には、あるのだろう。そういう演劇空間として「外ヶ浜」はある。だから、「外ヶ浜」
は、奥州でもさらに北の果てに設定されている。

人形浄瑠璃ならば、「鶴殺し」と「文治住家」と一段目、二段目構成だが、今回は、
第一場で、文治(梅玉)による鶴殺しを極めてシンプルに見せていて、好感が持てた
(おまけの情報:歌舞伎で有名な生き物殺しは、この「鶴殺し」と「妹背山」の「芝
六住家」の「鹿殺し」だという。それぐらい、生き物を殺す場面は少ないという。確
かに江戸時代には五代将軍・綱吉の「生類憐れみの令」という悪法が長期間あった。
「文治住家」も「芝六住家」も、綱吉が亡くなってから数十年後の作品)。

第二場は、時代物のなかの世話場。貞任の息子・千代童が、病気で寝付いている。貞
任の忠臣文治は、主人の子供の薬代欲しさに鶴を殺していた。同じく薬代欲しさに自
分の身を廓に売ろう文治の妻・お谷(松江)と、自分をこそ犠牲にし、賞金欲しさに
自訴を企てる文治。さらに、文盲故に、亭主の書いた、その自訴の手紙を、それとは
知らずにお上に届ける妻。そういう、いわば「お涙頂戴」の世話場。かなり「臭く」
やらないといけないのかも知れない。以前は、東京の小芝居で良く上演されたという
が、大歌舞伎では、あまり上演しない場面で、それだけに、一度も舞台を見たことが
ないという梅玉・松江のコンビは、かなり手探りという感じで演じている印象が残っ
た。ふたりとも楽屋話として喋っているようだが、先達から「まねる芝居」とあわせ
て、あらたに「つくる芝居」のコツを身につけたら、演技がひと廻りもふた廻りも大
きくなると思う。今後の工夫魂胆を期待したい。

東京の小芝居の当たり狂言「文治住家」は、1960年を最後に、小芝居の舞台から
も消えた。1978年、国立劇場での半通し上演「奥州安達原」では、「文治住家」
はない。1979年の東京サンシャイン劇場での猿之助一座公演で「文治住家」は、
上演される。猿之助の芝居に対する意欲が、東京小芝居の当たり狂言に、再び光を
当てたのだろう。

文治に貸した借金の催促に来た南兵衛(歌昇)は、やがて本性を現し、実は貞任の弟・
宗任となるが、ふたりの世話場を見て、文治の身代わりを申し出る。囚われの身とな
って義家のいる京に行き、父・頼時の敵を討ちたいという。この歌昇の南兵衛と宗任
の演じ分けが良かった。ところで、文治が一旦縄で縛り上げられた姿を見て、ショッ
クを受けた千代童は、そのまま死んでしまう場面があるが、歌舞伎は、本当に子供た
ちが犠牲になる芝居だ。これも「お涙頂戴」の見せ場なのだろう。

さて、通称「袖萩祭文」、「環宮明御殿の場」。半二の舞台らしさが出てくる。上手、
下手の舞台が対照的に作られている。下手は「白の世界」、上手は「黒の世界」。下
手は、白い雪布と雪の世界。上手は、上方風の黒い屋体(黒い柱、黒い手すり、黒い
階段)。所作舞台もいつものまま(但し、上手にある手水鉢と竹には、若干の雪)。
袖萩は、花道から本舞台に上がっても下手の木戸の外だけで終始演技をする。白い雪
の世界は、悲劇の女性の世界。雪衣も、こちらだけ登場する。上手木戸のうちには黒
衣と言う、対照的な演出。

袖萩の悲劇的な要素を、増幅するのが娘のお君。袖萩の祭文の語りとお君の踊り、さ
らに霏々と降り続く雪が、愁嘆場の悲しみを盛り上げる。ここも、「お涙頂戴」の見
せ場。ところで、この雪が、舞台の真ん中から下手で降る。上手には、全く降らない。
それがおかしどころか、私の目には、時空の狭間という、いわば「第3の軸」という
特殊な場に降る雪に見えた。これが歌舞伎味の雪なのだろう。そう言えば、花道では、
そこに降らない雪が見えるてくるから不思議だ。

吉右衛門の女形の演技は「法界坊」などで見ているが、これらは「真女形」の演技で
はない。今回初めて吉右衛門の甲(かん)の声を聞いた。「法界坊」のときは、お化
粧をした黒衣が、後ろで替わりに声を出していた。今回の甲(かん)の声で、本気の
吉右衛門と見受けたが、三味線も含めて、袖萩の演技は、先の猿之助の方が上だった
ように思う。

ただ、吉右衛門の「真女形」には、限りない可能性があるように思える。今後の再
演、再々演で、ブラシュ・アップを期待できる演目になるだろう(おまけの情報:雀
右衛門も幼い頃、名子役で、初代吉右衛門の袖萩と一緒に、お君で出たときのエピソ
ードが彼の「女形無限」という本に出てくる)。吉右衛門の「二つ玉(二役)」に、
磨きが掛かることを期待したい。歌六、初代吉右衛門、勘三郎という一門の家の藝だ
けに、吉右衛門の工夫魂胆は、期待できると思う。

さて、木戸(枝折戸)が、女と男の、二つの世界を分ける境界線。袖萩の死後、中納
言、実は貞任に早変わりした吉右衛門は、今度は舞台中央から上手で「黒の世界」、
「男の世界」を貞任への「ぶっかえり」(衣装も黒=中納言から白=貞任、再び黒=
中納言へと変化する)や、左手片手だけで刀を抜くことも含めて、武張って演じてい
た。こちらは、さすが吉右衛門の方が、猿之助よりスケールが大きい。吉右衛門独特
の味わいがある。

「白の世界」と「黒の世界」を結ぶのが、袖萩の父母、直方(芦燕)と 浜夕(吉
之丞)のふたり。重要な役割と見たが、ふたりとも「白」と「黒」の世界に挟まれて、
洒落で言うのではないが、「灰色」を超えて、「燻し銀」という味のある演技で、ま
た、いちだんと涙腺を緩めた観客も多かったと思う。まあ、役者の演技という視点か
ら見れば、今回の舞台の太い柱は、安倍兄弟を演じた吉右衛門と歌昇のふたりだった
ろう。

ところで、ここも歌舞伎味なのだが、大道具方は、この場面を前に木戸を片づけてし
まう。ついでに、上手に降り溜まった雪も片づけてしまう。つまり、「お涙頂戴」
の「女の世界」が、一気に、義家(梅玉)と貞任、さらに宗任兄弟の、武張った「男
の世界」の騙しあいという「政治の世界」へ、舞台は早変わりという趣向だ。

貞任の通り道には「雪」はなく、袖萩の居所には「雪」ばかり。これこそ、半二得意
の、シンメトリーか。舞台大道具の白と黒に対比。小道具では、源氏の白旗、それへ
宗任が矢の根で傷ついた自分の血で和歌を書き、白旗への復讐を誓う、さらに平家の
赤旗も登場と、ここも白と赤の対比。そう見てくると、この舞台は、やはり半二の趣
向を「隠し味」にしていたことが判る。

実は、もうひとつの「隠し味」もあると見た。つまり、父親の敵として義家を狙う安
倍兄弟。正体を現した後のふたりを殺さずに、戦場での再会を約束する義家。「曽我
対面」と似ていないか。いわば、「安倍対面」も、隠し味(おまけの情報:今回演じ
られなかった「奥州安達原」の四段目、通称「一つ家」は、能の「安達原」、「黒塚」
(能には、良くあるが、流派によって演目の名前が違う)、猿之助が良く演じる新歌
舞伎「黒塚」でも知られる。私は、2000年7月、歌舞伎座で拝見。「一つ家」に
出てくる新羅三郎義光は、甲斐源氏の元祖と言うことで、山梨では有名)。

これは、翌日、歌舞伎座で観た「実盛物語」と合わせて論じたいのだが、歌舞伎の
「子殺し」というテーマがある。その「さわり」というか、イントロダクションを書
いておきたい。「奥州安達原」では、ふたりの子供が出てくる。病気で寝ているが、
縛られた文治(父親と思っている)の姿を見て死んでしまう千代童。母親・袖萩を死
なせ、正体を見破られた父親・貞任にすがるお君。お君は、母親には、ある場面で
「かかさま、いのう」と言う。また、父親には、ある場面で「ととさま、いのう」
と言う。この「いのう」という台詞の意味を考えたいのだ。つまり「実盛物語」では、
片腕を切られて死んだ母親・小万に対して倅の太郎吉もまた、ある場面で「かかさま、
いのう」と言う。3つの場面の「いのう」という台詞が、歌舞伎の「子殺し」という
場面と歌舞伎の「演劇性」との関わりという重要なテーマに絡んでくるような気がし
てならない。しかし、それは、後日の「対面」ということで、「こんにちは、これぎ
り」。



- 2001年1月10日(水) 21:21:50
2000年 12月 ・ 国立劇場
                        (「富岡恋山開」「素襖落」)

江戸時代には、何回も上演され、舞台を描いた錦絵も多数ある並木五瓶の名作「富岡
恋山開(とみがおかこいのやまびらき)」が近代になって埋もれていたという。ほぼ
同時代に作られた五瓶の名作「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」が、江
戸時代にも上演され、近代に入っても上演され、歌舞伎の脚本のなかでも円熟味のあ
るものと、いまも評価が高いのと対照的である。77年ぶりの復活狂言「富岡恋山開」
を当代の藝達者な役者、菊五郎と富十郎が軸になって演じるというので、私は愉し
みにして、国立劇場の「木戸」をくぐった。

「富岡恋山開」は、実は干支の「羊」が出演するただ一つの演目だという。高久久と
いう人に「歌舞伎動物記=十二支尽歌舞伎色種」という本がある。この本によると、
ほかに動物が出る演目で、一つしかないものに、「猪」(これは、当然「仮名手本忠
臣蔵」)、「象」、「兎」など。因みに、いちばん多い動物が「馬」で、17演目。
次いで、「蛇」が11演目。「狐」と「犬」が10演目などの順だ。

幕開け。舞台は、江戸・「芝神明境内の場」。下手に羊相撲の見世物小屋。「羊相撲
さん江」、「乳ヶ張関さん江」、「姥ヶ里関さん江」という幟が、はためいている。
小屋の入り口の上には、羊と女相撲の絵看板が掲げてある。通行人や観客が小屋へ入
ると木戸番が、木戸に「大入札留」の紙を貼り、引っ込む(中村時枝さんが、通行人
のひとりとして、上手から下手へ横切って行った。あっという間だった)。舞台中
央には、「吹き矢」の小屋掛け。大道具が、きめ細かく江戸情緒を再現する。羊の動
きもきめ細かく、巧い。偽の証文を食べる大事な役割だ。

さて、「富岡恋山開」は、羊の演技も良かったが、「役者も役者」で、良かった。特
に、玉屋新兵衛の菊五郎、出村新兵衛の富十郎は役柄と任があっていて、この狂言
では、当代では最高の配役ではないだろうか。主家の若様が、手のつけられない悪党
に成り下がったにも関わらず献身するが、ひょんな弾みで主殺しをしてしまう元侍で、
いまは藍問屋の若旦那・菊五郎。そういう菊五郎に男気を感じて支援する商家の主人
で男伊達・富十郎というのは、任そのものではないか。若旦那には若さ故の未熟さが
あるが、こちらは危機管理もできる人物。そういう持ち味が男同士の「達引」でも、
二人新兵衛は安定感のある演技で揺るぎがない。原作がどうなっているか判らないが、
ただ、「達引」という割には、富十郎の「引き」が早すぎるのではないかと思った。
もう少し「達引」があっても良いのではないか。そのほうが、舞台が緊張すると思う。

もうひとりの主役三国屋の遊女・小女郎(時蔵)にも期待したが、悪党の妹(と言う
ことは、玉屋新兵衛の主家の若様の妹だから、本来ならお姫様)で、遊女になってか
ら菊五郎の恋人になったという複雑な役柄の「複雑さ」を演じ切れていないのが残念。
粋な芸者、あるいは遊女・小女郎の「現在形」は、演じていたが、彼女の過去を感じ
させる「パースペクティブ」までという奥深い表現はなかったように思う。

玉屋新兵衛の恋敵という憎まれ役「茨の藤兵衛」(團蔵)は、先月の歌舞伎座「らく
だ」の馬太郎の遺体というユニークな役柄を「怪演」したが、その「ノリ」を持続し
たままの舞台と観た。こういう脇役がいる舞台は、奥行きが出てきて、愉しい。

予想以上だったのが、信二郎演じる、その悪党、鵜飼九十郎が良かったことだ。錦絵
を見ると九十郎は、衣装や傘など中村仲蔵が工夫した「忠臣蔵」の定九郎そっくりの
扮装をしているように、私には思えた。仲蔵の工夫が明和3(1766)年で、
「富岡恋山開」は、初演が寛政10(1798)年1月、江戸・桐座というから、
32年後になる。こういうキャラクターなら、定九郎の扮装ということが観客にも了
解されたのだろう。また、「九十郎」という名前も、そう考えれば一字違いで、「定
九郎」に似ている。

もうひとり、私が九十郎から類推したのが、「四谷怪談」の民谷伊右衛門であったが、
それは、色悪の九十郎は、悪党でも古いタイプの悪党で、伊右衛門のような近代的な、
ということは個人主義的な悪党になるには、まだ早すぎたというわけである。
もちろん、五瓶と南北という狂言作者のキャラクターの違いこそ、大きいのは承知だ
が、単に時系列的に見ても、文政8(1825)年7月初演の「四谷怪談」より28
年前が初演の「富岡恋山開」という時期を考えると、九十郎は、伊右衛門より一世代
前の悪党ということになる。

そういう時代背景を抜きにしても、九十郎は悪党だが、いわば「底の割れた悪党」で、
伊右衛門のような「底の知れない悪党」とは違う。伊右衛門は、お岩様に祟られるが、
少なくとも南北の描いた舞台では死んではいない。佐藤与茂七や小仏小平の妹・お花
に斬りかかられるが、死んだかどうかは判らないはずだ。ところが、九十郎は、「夏
祭浪花鑑」の「長町裏」の「泥場」のパロディのような「殺し場」で、玉屋新兵衛に
「手が替わったか」という台詞で判るように、刀の峰が、いつの間にか、刃に替わ
っていて、結局、殺されてしまう。主殺しなどできないと新兵衛に多寡をくくってい
たのだ。そういう底の浅さが九十郎にはある。そういう「底の割れた悪党」ぶりを信
二郎は、逆に、存在感のある演技で演じていたと思う。こういう信二郎を観るのは、
私は初めてだったので、これは収穫だった。だが、信二郎にしても兄の時蔵と同じで
「過去」のある役柄だが、そういう「「パースペクティブ」な性格までの表現がなか
った。もうひとまわり、大きさを感じさせる演技が必要なのだろう。

もうひとつ、比較したい狂言がある。それは、「富岡恋山開」が初演から、江戸の庶
民に受けて、何回も上演されたのに、大正12年(1923年)以降は、ぷっつり
と演じられなくなり、今回、77年ぶりに上演されたことと、ちょうど逆になる狂言
との比較である。それは、「双蝶々曲輪日記〜引窓〜」が、寛延2(1749)年の
初演後、およそ200年以上も、あまり上演されず、明治になって「発掘」され、復
活狂言として上演されてから毎年のように上演される人気狂言になったということと
の比較である。「富岡恋山開」より、およそ50年も古い「引窓」については、この
「遠眼鏡戯場観察」や「双方向曲輪日記」でも論じてきたように江戸時代には「早す
ぎた」が、時代を超える「母の子への愛」という普遍的な原理が、近代になって正当
に評価されるようになったと私は思っている。

それと比べると、「富岡恋山開」は、先行する狂言のパロディを随所に散りばめなが
ら、江戸の庶民には人気のある「お家騒動もの」、江戸の盛り場の最新情報、深川の
男女の「粋」=「好き」という感情の「粋」のクローズアップ、さらに、上方から
の「くだりもの」(「くだらないもの」の逆)の並木五瓶のプロパーとしての上方歌
舞伎(と言うよりも、上方が本拠地の「人形浄瑠璃」の物語として)作劇術の論理性、
合理という、当時の江戸としては「新しさ、手堅さ」(それらが、江戸庶民向けの趣
向の味付けにはなったのだろうが)を持っていた、あるいは、重要人物の九十郎に充
分に光を当てなかったが故に、逆に、近代になって、新しい観客には、受け入れを拒
否されたのかも知れない。

古怪な、歌舞伎味というものを、逆に武器にして、時代を超える普遍性を持つ狂言も
あるわけだから、一筋縄で、あるいは、図式的な判断はできないけれど、「結果論」
から見れば、「富岡恋山開」は、そういう「同時代性」にぴたっと当てはまり、江戸
の庶民には受けたけれど、「江戸時代そのまま」という特殊な要素があり、大正から
昭和の、近代人には、「古くさい」と判断されたのかも知れない。

それは、「富岡恋山開」と同じころに作られた並木五瓶作品でも、寛政6(1794)
年「五大力恋緘」(「富岡恋山開」の、わずか4年前)が、同じような「お家騒動も
の」でありながら(そういう意味では、「富岡恋山開」は、「五大力恋緘」の後、
「隅田春妓女容性(すだのはるげいしゃかたぎ)」に続いて、「深川もの」として作
り出され、これらは、互いに通底している要素が多い)、深川芸者・小萬と薩摩源五
兵衛が、嘘から出た誠と誠から出た嘘という状況のなかで、恋に陥り、裏切りに苦悩
するという「普遍的な人間の心理」の鉱脈に突き当たり、それを論理的で合理的な、
五瓶の台詞とマッチして、近代劇のような緊密で、洗練された演劇になり、時代を超
えて、埋もれることなく上演され続けたことと対照的である。江戸時代には、ふたつ
の狂言とも良く上演されたが、近代に入って、「江戸時代離れ」という普遍的な要素
も含んでいた「五大力恋緘」と比較され、ふたつの評価は、対照的に分かれたのかも
しれない。

「五大力恋緘」は、その後、五瓶によっても書き換えられたし、文政8(1825)
年9月には(なんと、「四谷怪談」の2ヶ月後の初演)、南北によって「盟三五大切
(かみかけてさんごたいせつ)」として書き換えられた。「盟三五大切」も長い間
埋もれていて、近代に入って新国劇や新劇で発掘され、歌舞伎でも復活したというか
ら、狂言の生命というものは、おもしろい。五瓶の「九十郎」が、まず「五大力恋緘」
の源五兵衛になり、ついで、南北の「盟三五大切」の源五兵衛=塩冶家の浪人・不破
数右衛門(彼は、五瓶の「五大力恋緘」の源五兵衛が原型であることに注意)になり、
さらに、この源五兵衛=実は、塩冶家の浪人・不破数右衛門は、それより前に登場し
た南北の「四谷怪談」の伊右衛門=塩冶家の浪人となりということで、いずれも歴史
の大きな流れのなかでは、同時代の登場人物と言える。ここに見られるのは、「役柄」
=キャラクターという「存在の連鎖」の妙ということであり、それは、歌舞伎という
演劇の妙でもある。

いずれにせよ、並木五瓶の台本は、人形浄瑠璃の台本のような、物語の統一性や論理
的な緻密さが特色であった。五瓶は上方から江戸に下った後、一度だけ上方に戻った
が(大坂での五瓶の人気は、すでに下り坂になっていたのだろう)、その後、文化5
(1808)年に江戸で亡くなるまで、よそ者として「江戸」を見ながら、客観的に
江戸を分析し、大坂でヒットした旧作の狂言を江戸風に書き換えるコツを掴み、「第
二の人生」の江戸で、上方歌舞伎の作劇術をベースにした「新・江戸歌舞伎」を作り
続けたのだろう。

さて、いつもの「戯場観察(歌舞伎ウオッチング)」で、気が付いたこと。大切・第
一場「玉屋見世の場」では、店先の用水漕に「三十間堀二丁目」という地番表示の板
が打ち付けてあったし、実際、芝宇田川町の木綿問屋主人・出村新兵衛が、ここを訪
ねてくる場面で富十郎は、この表示と店の屋号の標しを確認していたが、こういう
表示が江戸の町に実際にあったのだろうか。歌舞伎の舞台で、私は初めて見た。吉原
の場面などで、用水漕に直接「江戸町」などと町の名前を書き込んであるのは、何度
か見たが・・・。玉屋の見世の場面では、黒い一文字幕の下に、玉屋と染め抜いた紺
の横長の暖簾があったが、見世の空間を大きく見せる効果がある。

小女郎が玉屋新兵衛に与える黒い紋付き羽織には、裏地に比翼紋と重ね扇が染め抜か
れている。ふたりの運命を象徴している。後で、羽織は剃刀で、まっぷたつに切り裂
かれてしまう。

「泥場」は、「夏祭」の場面には、かなわない。夏祭りは、ただの「殺し場」ではな
く、あの塀の向こう側を通る祭りの山車の華やかさと塀のこちら側の陰惨な舅殺しの
対比が、視覚と音で迫ってくる。そういう「エロスとタナトスの共存」がある場面と
「タナトス」しかない場面では、そこから生まれるエネルギーの量が違うだろう。

大切・第二場「江戸橋の場」は、陰惨な話を明るくする。引幕が開くと、舞台には
浅葱幕。これで、気分一新。巧い演出だ。幕が振り落とされると江戸橋。川向こう
は、江戸時代の歌舞伎の二大スポンサーのひとつ、魚河岸(もうひとつは、吉原)。
「お家騒動もの」の定番、お家の重宝「鯉魚の一軸」を無事取り戻した玉屋新兵衛を
襲うのは、茨の藤兵衛の息の掛かった魚河岸の若い衆たち。桶を持っての大立ち回り。
「喧嘩」なのだが、様式美を重視した殺陣が展開する。桶で、江戸らしく富士山(江
戸は、神田浄水、江戸城、富士山が定番)を描く。台車に乗せた魚(鰹、鯛)の
ほか、蟹、章魚、提灯魚などが、立ち回りの道具として使われる。最後には、桶文字
で「2001」と「巳」と描く。西暦と干支が共存するところに近代歌舞伎らしさが
匂う。まあ、めでたし、めでたし。

総じて、今回の復活上演では、補綴でテンポアップしているとかで、換骨奪胎してい
る部分も多く、原作の持ち味とは大分違うようだが、こういう形をベースに、今後も
再演されるよう望みたい。注文をつけるとすれば、その場合には、九十郎の造形に、
もう一工夫できないだろうか。

「素襖落」。これは、当代の歌舞伎役者では、踊りの名手・富十郎の踊りを堪能した。
六代目菊五郎の型を尾上松緑から教わったという。そのときに松緑が描いてくれた蝙
蝠の扇を使ったと言うが、この蝙蝠の扇は、前に見たことがある。東京では、およそ
40年ぶりという「素襖落」・太郎冠者の披露。これに対して、大名某の菊五郎の、
おとぼけもおもしろい。「素襖落」は、何回か観ているが、これは屈指の舞台ではな
いか。ただし、太刀持鈍太郎の信二郎が、このふたりに挟まれると格が違うのが良く
判る。しかし、若手が御両所の藝を学ぶ意味では、最高の舞台だろう。菊之助、辰之
助も、同じことが言える。おもしろかったのは、松羽目物(能取物)という所作事な
のに、いつもの所作舞台が使われていなかった。替わりに薄い板が敷き詰めてあった。
あまり見ない光景だ。
- 2000年12月26日(火) 18:45:45
2000年 12月 ・ 歌舞伎座
  (夜/「双蝶々曲輪日記〜引き窓〜」「勧進帳」「若木仇名草〜蘭蝶〜」)

「引窓」は、歌舞伎の3大名作「菅原」「千本桜」「忠臣蔵」を合作した竹田出雲、
並木宗輔、三好松洛らの作品で、「忠臣蔵」の翌年、寛延2(1749)年7月に
竹本座で初演されている。3大名作が1746年から毎年初演され、大当たりしたこ
とを考えれば、シリーズ4番目の「双蝶々曲輪日記」も、大当たりしてもおかしくな
い作品だった。濡紙長五郎(舞台では、「濡髪」)と放駒長吉というふたりの相撲取
りは実在の人物だったらしい。そういう巷間の話題を取り入れる手口は、「菅原」
と同じだ。

本来、人形浄瑠璃では、全9段のもので、全5段という人形浄瑠璃の定番の「菅原」
「千本桜」の後、上演された全11段の「忠臣蔵」に次ぐ構想の作品としても遜色は
ない。いまでも、二段目の「相撲場」や八段目の「引窓」は、良く上演される。とこ
ろが、この「引窓」は、初演後、江戸時代にはあまり上演されなかったという。「忠
臣蔵」の演出をめぐって、人形遣いと竹本の大夫(人形浄瑠璃の「大夫」は、本行
の義太夫語りのプライドで「太夫」ではなく、「大夫」の字を使う。いまは、楽屋内
でも使わなくなったそうだが、歌舞伎の太夫の座る浄瑠璃台のことを「床」と書い
て、昔は「チョボ」と読ませた。この「チョボ」は、本行の義太夫語りなら人形の動
きに合わせて、本の全てを語るのに、歌舞伎の竹本では、役者の台詞を抜いて、いわ
ばナレーションの部分のみ語るので、自分の語る部分を本に筆で「チョボ、チョボ」
と印を付けたことから、こういう言い方が流行ったという説もある)が論争になり、
大夫がライバルの豊竹座に移り、逆に豊竹座から別の大夫が竹本座に来たという「事
件」があったから、そういうことも翌年の「双蝶々曲輪日記」の上演に影響したのか
も知れない。

そういうわけで、「引窓」は、初演から百数十年後の、明治時代の後半になってから、
初代中村雁(人偏の鳥)治郎が「発掘」して、復活狂言として上演した。それ以来、
毎年のように上演される当たり狂言になった。「引窓」は、殺人事件の容疑者が、実
母に逢いたいばかりに逃亡者となり、実母が後妻に入っている山崎の八幡の里にある
家に逃げ込んでくる。ところが、後妻に入った先の先妻の息子が、その日、役人(西
部劇で言えば、町の保安官のような役)に取り立てられたばかりで、義理の息子の初
仕事が逃亡者の捕捉なのである。そこで、彼らがその容疑者の取り扱いをどうするか
という話である。そこには、母の義理の息子への、まさしく「義理」と、実の息子
への「愛」。妻の夫への愛と姑への義理。逃亡者の義理の兄弟への思いやり。新米役
人の逃亡者を含めた「家族」への愛。そういう愛の諸相という構造がある芝居だ。そ
れだけに、登場人物にはそれぞれに仕所がある。

時は、「放生会」。生き物を大事にする日、夜は秋の名月。そこで、外の光を室内に
取り入れる屋根に作られた「引窓」(天窓で、紐で開け閉めができる)から入り込む
月の光を巧く利用して、各人の心理劇の綾を浮き彫りにするという憎い趣向の芝居な
のだ。私から見れば、この狂言は、あまりにも近代の心理劇に近すぎるから、封建時
代の庶民には、受けなかったのだろうと思う。いわば、早く来すぎた「近代演劇」
だったのである。特に、「母の愛」がテーマのキーワードになっていて、そこには
「熊谷陣屋」に通じる、並木宗輔の明解なメッセージがある(私は、そういう宗輔の
メッセージを受け止めるために、実は、このホームページの「日記」のタイトルを
「双蝶々曲輪日記」の、もじりとして、また、インターネット時代の「双方向」性
の意味を込めて、「双方向曲輪日記(ふたつほうこうくるわにっき)」とした次第。
まあ、これは、別の話)。結局、母の愛が、いろいろ義理立てするふたりの息子を説
得して、とりあえず、この場としては最善策の、逃亡者の、さらなる逃走を助けると
いう、ハッピーエンドで、閉幕。そういえば、以前の人気外国テレビドラマにリチャ
ード・キンブルという主人公の逃亡の日々を描いた長期連続ドラマ「逃亡者」という
のがあった。従って、「引窓」は、充分にシリーズ4番目の名作になっても、おかし
くない作品なのである。

その「引窓」を、私は3回拝見した。この芝居は、逃亡者の追っ手として来たふたり
の役人を除けば、皆、善人で、相手の立場を重んじて、己を押さえる人たちばかりが
登場する。それでいて、実際に血が繋がっているのは母と逃亡者だけ。あとは、夫婦
は別とすれば、皆、義理の関係。母・お幸が、この芝居のキーパーソンで、今回は澤
村鐵之助で、河内山同様に、良い味を出していた。前には、田之助、又五郎で見てい
るが、又五郎も良かった。十次兵衛は、今回は幸四郎で、前には、雁(人偏の鳥)
治郎、勘九郎で拝見。勘九郎は人柄の暖かみが出ていて、良かった。長五郎は、今回
は段四郎で、これも良かった。前には、團十郎、我當。このふたりも悪くなかったが、
段四郎は、最近、柄が大きくなったのではないだろうか。妻・お早は、今回松江で、
前には、時蔵、藤十郎であった。松江は、前歴が遊女というお早の、秘められた色気
を出す場面が良かった。松江が、一旦外へ出て、再び座敷に上がるとき、踏み石の
下で草履を脱ぎ、裸足のまま踏み石から座敷に上がったが、封建時代の女性は、こう
いうことをしていたのかと思った。

この芝居は、「引窓」の開け閉めという装置で、義理と愛との板挟みの心理を巧みに
表現するが、一方、十次兵衛は、きのうまでの町人ときょうからの役人の立場を、刀
を放したり、持ったりすることで巧みに表現する。基本が人形浄瑠璃だから、人形の
表情の変わりに、こういう動作で「感情」を表現しようとしたのかも知れない。いず
れにせよ、テーマが、極めて普遍的で、良くできた芝居である。黒沢映画のうち、
「用心棒」などが、「荒野の用心棒」などという西部劇の映画にリメークされたよう
に、この「狂言」も、そのまま、西武の町に舞台を移して映画にしたら、外国人に
も、すんなり受け入れられるのではないか。そういう近代性がある。

「勧進帳」は、7回目。これは、男たちのドラマである。弁慶は、今回は、ことしだ
けで、1月の新橋演舞場、10月の名古屋・御園座と、弁慶出演3回目という團十郎、
以前の弁慶は、近い順から、八十助、幸四郎、吉右衛門、團十郎、猿之助、吉右衛門
で、團十郎、吉右衛門がそれぞれ2回だから、私は5人の弁慶を観たことになる。そ
れぞれ味わいが違うが、弁慶は、知勇の人。とっさの危機管理もできる人。そういう
意味では、團十郎、吉右衛門の弁慶は、知があり、安定感がある弁慶である。猿之助
は、勇が勝り、気持ちが溢れていて、動き過ぎだった。去年の夏の八十助は、大役へ
の挑戦で、新年の三津五郎襲名披露に繋がる進境著しい、「脱皮」の舞台だった。弁
慶は、巻物を拡げるとき、下から上に向けて開いて行ったが、「石切梶原」の刀の目
利きも同じような動作をしていたが、なにか共通する所作の約束事でもあるのだろう
か。

富樫は、今回は、22年ぶりの猿之助であったが、猿之助は、弁慶のときより、男の
情を示す富樫の方が私には良かった。團十郎と猿之助の競演は、去年の同じ時期の歌
舞伎座公演「大盃」以来、1年ぶりの顔合わせで、今回は昼の部の「身替座禅」に続
く。ふたりの激突する勧進帳は、本当に見応えがあった。富樫は、以前には、勘九郎、
團十郎、菊五郎、富十郎、菊五郎、梅玉。菊五郎が2回だから、6人の富樫を観たこ
とになる。懐の深さが肝心の富樫は、菊五郎がいちばんだろう。

義経は、今回は、芝翫で、これは良かった。以前には、福助、雀右衛門、梅玉、菊
五郎、雀右衛門、雀右衛門。雀右衛門が3回だから、5人の義経を観たことになる。
雀右衛門も品位があって、良かった。網代笠を被り、金剛杖を肩にして、俯いてい
る場面が多いだけに、義経は舞台の印象が大きくなりがちだが、それだけに小柄な人
の方が、弁慶を大きく見せるための対比からみても、バランスが取れると思う。そう
いう意味と品位ある演技で芝翫の義経は良かったと思う。

勧進帳は、いろいろな舞台を観ているが、狂言としては完成されていて、一部の隙
もない。後は、配役の妙だろうが、なかなか、バランスの取れた配役というものはな
いもので、今回の舞台は、そういう意味でも私が観た舞台のなかでは、いちばん配役
がすっきりしていて、見応えがあった。

上の客席から観てると、義経が笠を取って、上手に廻り、「判官御手をとり給い」か
らの場面では、義経の位置、弁慶の位置、舞台後ろに控える亀井六郎らの家臣の位置
などから、安宅の関の「広さ」が感じられる。この「広さ」は、また、義経と弁慶ら
主従の身分関係の「距離」でもある。こういう本来の主従の「空間的な距離」を、こ
こで見せることは、重要なのだろう。そういう主従の距離の遠さが基本にありながら、
関所を抜ける方便として、主人を強力姿に身をやつさせ、窮地では、弁慶が義経を金
剛杖で打ちのめすという場面まで観客に見せる。これは、ここで起こっている状況の
「異常さ」を観客に印象づけるためには、この「距離」、この「広さ」が必要なのだ
と思う。1階席では、距離は見えても、この空間的な広さは見えない。

勧進帳で、いちばん緊迫する場面は、義経の強力が疑われ、弁慶一行が富樫に呼び止
められる。関所破りをしてでも突破しようとする家臣らを押さえる弁慶。詰め寄る
富樫。ここで、義経の正体を見たにも関わらず、後の義経打擲の場面を見せられ、弁
慶に対する男の情に自分の関守としての責任さえもかける富樫。甲府盆地の山々に例
えるなら、富樫は八ヶ岳、弁慶は甲斐駒ヶ岳、家臣らは、南アルプスの山塊。義経は、
少し離れて、やはり富士山か。冬になると、寒いが、晴れの日が多いという甲府盆地
の大パノラマは、毎日のように勧進帳の舞台を私に見せてくれるだろう。冬の甲府
盆地は、晴れた日には男のドラマを観ることができる。

「若木仇名草〜蘭蝶〜」は、初見。鞍馬天狗のような宗十郎頭巾に象徴されるように、
「高賀十種」という紀伊国屋の家の藝。歌舞伎では珍しい新内節の狂言。新内節は、
心中者を助長したとかで、禁止された。新内節の名曲は、「蘭蝶」のほかに、「明烏」、
「尾上伊太八(いだはち)」が3大名曲だそうだが、「明烏」の舞台も観てみたい。
もっとも、歌舞伎の「明烏」は、新内を清元に編曲し直しているという。よそ事浄
瑠璃の台が、舞台上手に登場。浄瑠璃は女性3人の語り。語り出す前に、見台の下
に置いた扇子を取るため、お辞儀しているように見える。

新内節の男芸者という珍しい主人公を巡る心中ものという物語を、歌舞伎は男女の三
角関係とお家騒動を絡めたストーリーに「書き換えた」。女の偽りの心変わりが、男
のお家の重宝を取り戻す仕掛けとなる。男芸者・櫻川蘭蝶、実は、翅(あげは)蝶
三郎(宗十郎)の帰参が叶うという、ハッピーエンドで、最後に、ご馳走で紀伊国屋
文左右衛門(八十助)まで登場。

筋は、たわいのない話だが、舞台の大道具がすっきりしていて気持ちがよい。吉原・
若木屋裏口。黒板塀の木戸の内側にある遊郭の暖簾が、新鮮だ。離れ座敷の襖の横縞、
定敷の黒い縁、いずれも横の線。座敷の広縁。縦の線。その縦と横の組み合わせに江
戸の、美意識・粋の構造が感じられる。但し、座敷の定敷の線は2本で、炬燵を挟
んで座る男と女には、動きが乏しい。芝雀演じる若木屋此糸の色気が醸し出す官能が
凄いが、宗十郎が受け止めていない。

此糸の部屋では、座敷下手に青、赤、紫の布団に唐草模様の大風呂敷が掛けてある。
隣に紫地で裾に浪模様の入った座敷用の豪華な衣装が衣桁に掛かっている。行燈、床
の間の掛け軸は、雪囲いをした赤い花の絵。良く使い廻しされる掛け軸だ。如何にも、
色鮮やかだが、あまり備品に金が掛かっていないようだ。まさに、遊女の部屋の艶め
かしさと安直さの共存。座敷の定敷の線は5本。蘭蝶女房・お宮(宗十郎の二役)が、
蘭蝶と別れてくれと頼みに来る、というだけで、登場人物も少なく、「源氏店」の
ような、音楽は舞台からは聞こえてこず。芝雀と宗十郎は、台詞を聞かなければ、親
子の場面のよう。恋の修羅場には見えない。若木屋の広座敷も、定敷の線は5本で、
登場人物も最大で13人と多いが、動きが少ない上、ほぼ全員が前を向いている。こ
こでも、「源氏店」のような、音楽は聞こえてこない。逆に言えば、「源氏店」の
定敷の五線譜を意識した(と思われる)役者の位置と向きの美学が特異なのだろう。

暗転・明転での大道具の廻り、引幕、緞帳などを使って、さまざまな場面の切り替え。
最後の場面は、吉原衣紋坂。舞台中央に柳の木が二本。上手に開帳の立て札が2本。
さらに上手に医者以外は、乗り物を用いる事を許さないと記された「定」書き。
吉原を出入りする衣紋坂は、そういう坂なのだろう。駕籠では、なかの人が見えない。
遊女の足抜きを警戒しているのかもしれない。書割の背景に紅灯の巷、吉原の遊郭が
見える。儚げな舞台だ。

さて、今回の歌舞伎座・昼と夜の部に共通した隠しテーマは、「黒子(ほくろ)」
だろう。昼の部、河内山の左の高頬の黒子。北村大膳「やあ、いか様にしらをきると
も、脱れぬ証拠は覚えある。左の高頬(たかほ)に一つの黒子」。これは「逃れぬ」
証拠。一方、夜の部、濡髪長五郎の父親譲りの高頬の右の黒子は、人相書から「逃れ
る」ための黒子落としをする趣向。「熊谷陣屋」の幕切れ風に言えば・・・・。

甲「命あらば」ト黒子同士、
乙「健固で暮らせよ」ト御上意に、有難涙、名残りの泪、

と言うわけで、いつしか黒子は黒子(くろご=黒衣)になって、歌舞伎の舞台を支え
ている。

こういう遊びは、誰が考えるのか、それとも、誰も考えないのか。単なる偶然か。


- 2000年12月7日(木) 19:12:37
2000年 12月 ・ 歌舞伎座
(昼/「華果西遊記」「大原女・国入奴」「天衣紛上野初花・河内山」「身替座禅」)

歌舞伎座の正面玄関の上から、先月の櫓が消えている。入口玄関脇には、大関の積物。
これは残っている。今月も、先月同様に昼・夜合わせて7つの演目が揃ったみどり狂言
興行。20世紀最後の歌舞伎座興行は、戦災から立ち直り、いまの建物として再出発し
た歌舞伎座の50年、つまり半世紀最後の月の興行でもある。21世紀の歌舞伎座は、
51年目の歌舞伎座の歴史を刻み始める。その最初の興行が、八十助の十代目三津五郎
襲名披露興行となる。

八十助は、昼の部では、お得意の踊りで、変化舞踊「大原女・国入奴」を切れ味良く見
せてくれた。夜の部では、「蘭蝶」の舞台の最後に、なんと紀伊国屋(澤村宗十郎)
を相手に紀伊国屋文左衛門に扮して登場。お家騒動のハッピーエンドの「おめでとう存
じまする」というご馳走の役どころ。あわせて、来月の襲名披露興行の前宣伝を宗十郎
がしてくれて、八十助もプレ口上。そのうえで、さらに芝雀交えて3人で舞台に座り、
宗十郎主導の「東西、こんにちは、これぎり」にて、幕という趣向。これで、26日の
千秋楽を迎えれば、明けて新年1月2日は、十代目三津五郎襲名披露興行の初日。歌舞
伎座の21世紀が始まる。私は、1月7日に観劇予定。

さて、まずは、昼の部。「華果(かか)西遊記」。猿之助の俳号「華果」を冠した外
題の、この狂言は、東京では47年ぶりの上演という。もちろん、私も初見。明治時代
の三代目河竹新七「通俗西遊記」が原作だが、再演を初代猿之助が演じたことから、代
々の猿之助の演目となった。しかし、十七代目勘三郎を含めても、余り上演されていな
い演目だ。当代の猿之助は、20年前大阪で上演している。

今回は、猿之助は出ずに、右近の孫悟空、笑也の三蔵法師を軸にしての上演。笑也は、
右近と共に猿之助一座の芯になる役者、女形は後輩に譲り、立役として(当面は、若衆
役だが)精進して欲しい。これは、私の希望。笑也のこれからが愉しみ。幕が開くと、
金地に紫、黄、朱、青、緑の雲を「花丸」のように描いた壁のある御殿。柱は朱色。
瓦燈口の幕も薄いオレンジ、緑、紫という趣向。御殿の廊下も白と黒の四角を斜めに組
み合わせていてチェスの競技盤風。内容の80%は新作と言うことで、外題も原題の
「通俗西遊記」から改めたという。もともと、西遊記は荒唐無稽な話だが、時代や空間
を越えた西遊記の持つ物語としての永遠性が感じられ、今回の公演も歌舞伎というより、
手品、曲芸、京劇風などの調味が効いていて、おもしろかった。

右近の孫悟空は、なかなか熱演。ハイライトは、黒地に雲の模様を下半分に入れた道具
幕を振り落として、出現する子役を16人使っての分身の場面。子役たちが、上手と下
手に分かれて、それぞれ脇から背の順に並んでいる。会場からは分身たちが飛んだり、
跳ねたりするごとに、爆笑の渦。猿之助一座が「猿軍団」だとすれば、まさに、これほ
ど相応しい演目もなかろう。しかし、歌舞伎として見る場合、宙乗りを含めた外連味が、
もう少し欲しかった。西梁国の女王姉妹、実は蜘蛛の精の姉妹(笑三郎、春猿)が、
綺麗。二重舞台でのふたり揃っての海老反りが、ふたりの体の柔らかさ、若さを強調
していた。本性を現してからの鬼女ぶりも良い。大勢の蜘蛛四天との孫悟空の立ち回り
も勢いがある、マスゲームに蜘蛛の巣の形を意識した工夫があり、愉しめた。蜘蛛の精
のふたりの最後は、「石橋」風な味わい。猿之助一座らしく、いつもの屋号に替わって、
それぞれの役者名の掛け声が飛びかう。それだけに、若々しい舞台だが、逆に言えば、
本来の歌舞伎の持つ重厚さや役者の層の厚さという魅力には欠ける。

明治41年歌舞伎座公演の配役と比べれば、それは一目瞭然だ。孫悟空(初代猿之助)、
三蔵法師(芝翫、後の五代目歌右衛門)、猪八戒(十五代目羽左衛門)、沙悟浄
(六代目菊五郎)、女王(六代目梅幸)、今回の配役にないが、百眼魔王(高麗蔵、
後の七代目幸四郎)という、まさに涎のでそうな配役だ。

さて、舞台も大団円。引っ張りの見得となる最後は、もちろん「澤潟屋」。いずれに
せよ、古色のある歌舞伎味を如何に舞台に滲ませるかが、課題の演目なのだろう。

「大原女・国入奴」は、歌舞伎界の踊りの名手・八十助らしい演目。初見。変化舞踊の、
まず最初の背景は大原の秋。黒木(薪の束)を持った大原女は、若い女性と言うより中
年の女性の体の線(下に、「奴」のフル装備だから仕様がない)で、かなり太め。実は、
これがなかなか良い。黒い衣装にお多福の面を被り、「志るもしらぬも、あふさかの
せき」と両端に分かれて染め抜かれた黒い手拭いを頭に掛けているので、衣装から出
ている手足まで女性に見えてくるから不思議だ。「たれに見しょとて夕化粧」という長
唄の文句からすれば、若い女性なのだろうが・・・。とにかく、愛嬌のある女性という
感じは出ていた。

さて、背景が城のある情景に替わる。「大原女」の衣装を引き抜くと白い衣装の奴。
黒い卵から白い衣装の奴が誕生という感じ。白い足袋を脱ぐと、紫の足袋に草履の奴。
国入りしたばかりの奴は、早くもお国言葉で「べい、べい」言う。台詞なら荒事だ。本
当は、この奴も若い男なのだろうが、やせた奴は、隈取りのせいか、年寄りのように見
える。八十助の踊りの巧さは定評があるが、ここでも毛槍を持って、ひとり踊る「八十
助奴」を見ているうちに、私の目には奴の後ろに続く大名行列が見えてきたから不思議
だ。見たことがなかったが、三津五郎の舞台は、どうだったのだろうか。同じような
幻視が可能だったのだろうか。いずれにせよ、こういう踊りのときの八十助は、いまの
歌舞伎役者のなかでは、ほかの役者の追従を許さないものがある。

「天衣紛上野初花・河内山」は、3回目。うち、2回は吉右衛門の河内山。今回、初め
て兄貴の幸四郎の河内山を観た。幸四郎は、終始、気持ちよさそうに台詞を言っていた。
これは、好感が持てた。幸四郎の河内山は、悪(わる)は悪なりの品格を感じさせるが、
これは、吉右衛門の方が、仁に合っている。幸四郎は、先月の国立劇場の清玄、権助か
らの役変わり。幸四郎の河内山は、もちろん悪なのだが、悪一筋に染みわたった男のよ
うに見受けられる。一方、吉右衛門の河内山も悪なのだが、その上に狡い男の味わいが
ある。天下の大名を相手に、「一芝居」打つ江戸っ子の覇気がある。その分だけ、吉右
衛門の方が、スケールも大きい。どちらも、褒められるような男ではないのだろうが、
同じ悪でも、滲み出る人柄が違う。それは、極めつけの台詞「馬鹿めー」の味わいが
違うように思う。幸四郎の「馬鹿めー」は、文字通り罵倒の台詞に聞こえたが、吉右衛
門の「馬鹿めー」は、してやったりという得意満面の「馬鹿めー」というニュアンスを
込めている。そのあたりに、この兄弟の歌舞伎役者としての持ち味の違いが伺えるし、
むしろ河内山という登場人物の「性根」(悪でも、江戸っ子が喝采した人物)が、そこ
にこそあると、私は思っている。

ほかの配役では、序幕では、鐵之助の「おまき」が良い。質屋の後家というのが、滲み
出ている。二幕目では、家老の高木小左衛門を演じた段四郎に家老の風格。北村大膳の
幸右衛門は、役柄の味を出し切っていないように思う。幸右衛門の人柄が邪魔をしてい
るように見受けられた。八十助の松江出雲守も、もうひとつ存在感が薄い。

腰元・浪路(高麗蔵)は、座るときに上半身が薄紫で、下が薄いオレンジ色の振り袖の、
左袖を座った膝の上から掛けていて、上の客席から観ると、左右の袖を合わせて四角形
を作っていた。銀地に秋の草花を描いた襖や衝立のある座敷では、定敷の縁に、黒地に
家紋を多数染め抜いたものを使っていて、定敷の縁は白っぽく見える。その定敷全体が
縦横に繋がって、広々と見える松江邸の広間では、上から観ると、薄オレンジ色の派手
やかな衣装が描く四角い模様は、そこに座る、薄紫の振り袖に濃いオレンジの帯を締め
た浪路の上半身を含めて、一輪の花が咲いたようで綺麗だった。座り直す度に、高麗蔵
は、両袖の四角形をきちんと作っていたが、振り袖を着た場合の、昔の日本女性の嗜み
なのか、歌舞伎の女形の嗜みなのか不明だが、なにか、草原のまっただなかで、野に咲
く可憐な花を見つけたような、良いものを、そっと覗き見をしたような、気がして愉
しくなった。周りの人に教えたくなった。

大道具が鷹揚に廻ると、同じ松江邸の書院の場。襖絵も銀地に山水の墨絵という落ち着
いた物に変わる。床の間にのみ、彩色をした掛け軸が2つ掛かっている。床の間の下
手に、時計が置いてある。燈台型の時計で、下が黒、上が金という豪華な作り。朱の衣
をまとう御使僧に扮した河内山の出を待つばかり。こういう無人の舞台は、実は、情報
がたくさん埋まっている。

茶菓に手をつけず、酒肴も断り、「山吹の、お茶を一服所望」という河内山。やがて、
袱紗の下に小判の包みを載せた台が運ばれてくる。一人になった河内山が、袱紗を持ち
上げて小判の嵩を確かめようとすると、黒御簾から時計の音が大きく響き、ぎくっとす
る河内山。舞台の時計は、実は、河竹黙阿弥が仕掛けた時限爆弾だったのだ。人間の心
理と効果音を知り尽くした黙阿弥の、心憎いばかりの演出である。歌舞伎は、過激だ。

また、大道具が廻る。玄関先の場に変わる。「とんだところに北村大膳」で、大膳に
正体を見破られ、河内山は玄関に座り込み、台詞も、世話にくだけて、「こういうわけ
だ、聞いてくれ」となる。それまでの宮家の御使僧らしい格調高い台詞廻しが、一変す
る。大向こうからは、「待ってました」の掛け声。高麗屋も気持ちよさそうに長台詞を
たっぷり語っていた。時代と世話の台詞廻しのメリハリ。歌舞伎役者には、堪えられな
い役の一つだろう。出雲守の近習のひとり川添運平に、坂東みの虫。台詞があり、張り
切っているのが判る。

「身替座禅」は、4回目。山蔭右京(猿之助)と奥方・玉の井(團十郎)が熱演。昼
の部、最高の演目。尾上家の家の藝のひとつ。狂言を歌舞伎化し、長唄と常磐津の掛け
合いで踊る舞踊劇。山蔭右京は、これまでに、私は、本家の菊五郎で2回、そして富十
郎で1回観ている。菊五郎は、ことしの1月新橋演舞場で観ていて、これが良かったが、
今回の猿之助も菊五郎とは違う味があり、愉しめた。花子との密会のために、右京は太
郎冠者に座禅の身代わりをさせる。しかし、身代わりがばれ、座禅は、太郎冠者から奥
方に替わる。それを知らずに、良いご機嫌で帰宅する右京。特に、花子と密会してきた
後の、太郎冠者に聞かせるつもりで、実は、奥方に聞かせる際の、得意満面で語る右京
の惚気ぶり、さりげない男の色気が良い。右京の、脇は甘いが、人が良い、そして女性
が好きという人柄が良く出ている。こういう憎めない人って、いつの時代にもいるんだ
ろうね。それを際だたせたのが、團十郎の玉の井の嫉妬。

この演目は、玉の井と右京の駆け引きの呼吸の巧拙で決まる。もともとのテーマは夫婦、
男女の関係の機微という、普遍的な課題で、内容は判りやすいが、それだけに役者の藝
で見せる演目だろう。私が観た菊五郎の場合は、玉の井は、最初が宗十郎で、演舞場が
田之助。この場合も、田之助との演技の対照が良かった。富十郎の場合は、吉右衛門。
團十郎の玉の井は、以前観た「釣女」の場合の、「醜女」役の可笑し味に通じるような
気がする。

門之助、亀治郎の千枝、小枝のふたりの侍女も振り袖を着ていて、座るときには、左の
袖を座った膝の上に掛けていた。しかし、四角形は作らなかった。立ち上がるときも左
の袖の先を右手で持ち、体の前で見せていた。

逃げる、ユーモラスな右京、追いかける、しっかり者の奥方・玉の井。兎に角、藝達者
なふたり抜きには、愉しめない舞台。幕切れの追いかけっこをするふたりのスローモー
ションの所作を、もう少し観たかったほどだ。
- 2000年12月5日(火) 19:37:31
2000年 11月・歌舞伎座 
            (吉例顔見世興行/昼・夜の部「補遺ノート」)
   
歌舞伎座の「顔見世興行/昼・夜の部」を通しで、再び拝見。前回(すでに、
「遠眼鏡戯場観察」に書き込み済み)と違う席で拝見したのと、20日間の時
間が経っているので、また新たなウオッチングが愉しめた。そこで、「吉例顔
見世興行/補遺ノート」と題して、簡単に箇条書きで舞台の記録をしておきたい。
前回のウオッチングとダブらないように書くので、合わせてお読みいただきたい。

* 昼の部。まず、「石切梶原」では、團十郎の梶原の刀三態を、特に、注意し
て拝見。

1)刀の目利き。まず、梶原は、袋から刀の柄の部分を出す。鞘の部分は袋に入
れたままで袋を折り返して紐で縛る。その縛り方が整然としていて見事。昔の日
本人は、こういう、きちんとした縛り方をしたのだと思う。いまでは、普通の人
は、こういう縛り方を忘れてしまったか、学んでいなかったか、ということだろ
う。

目利きの場面では、まず、刀を上下逆に持ち、鞘を袋ごと下から上に抜いてゆく。
この間、梶原は目を瞑っている。やがて、刀を鞘から抜き終わると、目を開け
て、縦にした刀身を下から上にじっくりと見る。次いで、刀身を横にする。今度
は、刀身の切っ先から、つまり、刀身の上から下にじっくりと見る。さらに、
再び、刀の切っ先を前に、刀身を縦にして、刀の背から刀身全体をじっくり見る。

2)「二つ胴」の試し切り。俯せにした六郎太夫の上に、囚人剣菱呑助を重ねて
試し切りをするのだが、梶原は腰を落として刀を降り下ろすとき、呑助の身体で
刀身を、いわば「バウンド」させるようにする。つまり、刀身を一旦呑助の身体
に降り下ろしながら、すぐに持ち上げる。その結果、呑助の胴は、まっぷたつに
斬れるが、下の六郎太夫は、後ろ手に縛られていた縄のみが切られて、六郎太夫
は、無事で、かすり傷さえないと言うことになる。このふたつの動作には、役者
による違いがあるのか、ないのか。次回、別の役者のときに、ウオッチングす
るのが愉しみ。

3)石の手水鉢を切る。十五代目羽左衛門型の團十郎の梶原は、手水鉢の向う側
に廻り、顔を客席に向けて石の手水鉢を切る。この際、梶原は刀を手水鉢に叩き
付けるように降り下ろした。手水鉢を見事まっぷたつに切った後、團十郎の梶原
は、手水鉢の間から飛び出して来たものの、やはり7月に観た仁左衛門のように
は、飛び出し方が颯爽としていなくて、よろよろしていた。「剣も剣」、「斬り
手も斬り手」の後、前回同様3階席から「役者も役者」の声が掛かったが、声
が小さくて、今回は、ほぼ不発。こちらも「よろよろ」していた。

さて、この際、梶原が高らかにかざす刀身には、八幡の刻印が刻まれていたのを、
私もしっかりウオッチングした。本来、この刀は六郎太夫の家に伝わる重代の名
刀ということなのだが、何故、そういう銘が入っているか、梶原が目利きをする
場所の鶴岡八幡宮の「八幡」なのか。実は、六郎太夫の家が源氏縁りのため「八
幡」という銘が刀身に刻まれていて、梶原は、目利きの際に、すでに六郎太夫の
正体と刀を売り急ぐ事情を察知したということになっている。「石切梶原」の梶
原は、ほかの舞台の梶原と違って、どこまでも「知将」であり続ける。そこで、
「知将」梶原への素朴な疑問。

梶原は、どの時点で、六郎太夫の命を助ける(ということは、自分の目利きが間
違っていたことになり、「二つ胴」を失敗することになる)とともに、梶原に目
利きを頼んだ大庭三郎らを騙して、この名刀を自分で買い取るという決意をした
のか。

1)最初、梶原は自分の目利きに自信を持ち、この刀が「八幡」という源氏縁り
の銘の入った刀と知りながら、大庭らに刀を買い取るよう薦めている。梶原の本
心は、どうなのか。本来なら、源氏縁りの刀を大庭らには、渡したくはないので
はないか。そういう表情を役者はどう演じるのか。今回、團十郎の梶原は、どこ
で「八幡」という銘を認識し、それをどう表そうとしたのか、しなかったのか。

また、そういう本心を隠して大庭らに刀を買い取らせようとしたのは何故か。そ
ういう表情を役者はするのかしないのか。團十郎は、どうしたのか。それにも
かかわらず、梶原は、いつ、どこで、自分が買い取ると「心変わり」をしたの
か。今回なら、團十郎は、どう、それを表現したのか、しなかったのか。私は、
それをちゃんと受け止めたのか、見落としたのか。まあ、「荒唐無稽」が、セー
ルスポイントのひとつでもある歌舞伎で、あまり理詰めで精査しようとするのは
「邪道」だとは知りながら、それも「知の遊び」と、ご勘弁願い、歌舞伎の魅力
の幅を拡げたいのだ。

2)梶原の目利きを信用せず、大庭の弟の俣野や大庭方の大名らが試し切りをそ
そのかした時点で不愉快になり、せっかくの名刀を、こういう連中に渡すのは、
まさに「宝の持ち腐れ」と思い、真に名刀の価値を知る自分が持つべきだと思っ
たのか。

3)「二つ胴」の試し切りをする際、囚人がひとりしかいなかったため、大儀の
ために、金が欲しい六郎太夫が自分の命を差し出してでも試し切りをと申し出た
ことから、六郎太夫を助けるために、梶原は「二つ胴」の試し切りを失敗する風
を装った。その結果、大庭らに刀を売ることができなくなった六郎太夫のために、
自分で刀を買い取りを申し出たのか。

だとすれば、六郎太夫の「騙り」を見抜いたと思って、意気揚々と引き上げた大
庭らは、実は、梶原の「騙り」の罠に嵌ったことになる。歌舞伎のおもしろさは、
まさに、ここにある。いかようにも、観客の立場で、舞台を深読みすることが可
能だし、深読みなどせずに、表面的に、素直に受け止めて舞台を愉しむこともで
きる。

もうひとつだけ、お許し願いたい。梶原と大庭らのやり取りを聞いていて、六郎
太夫と娘の梢は、お家重代の名刀の評価が揺れ動いたり、自分達たちの立場が揺
れ動いたりしているのを聞きながら、坂東吉弥の六郎太夫も時蔵の梢も、そうい
うプロセスでの演技に、なんらの顕著な変化も見せなかったのは、何故だろうか。
もう少し自分たちの置かれている状況に対する「不安感」が、にじみ出ても良か
ったのではないか。

また、時蔵の演じる梢は、確実に梶原に惚れているし、何度か惚れ直している。
それは、観客の梶原に対する気持ちのバロメーターなのだが、そのあたりの表現
として、あの演技でよかったのかどうか。あるいは、團十郎の梶原の梢の気持ち
に対する受け止め方が、あれでよかったのかどうか。先の不安感の演技とあわせ
て、時蔵の梢の気持ちの表現の仕方が上滑りしていなかったかどうか。

幕になり、終わってみれば、九代目團十郎からは、平家方と源氏方とを両股にか
けた「二股武士」と嫌われたはずの梶原は、十二代目團十郎が演じると、「知将」
として、さらに穿った見方をすれば、意外とジェームス・ボンドのような確信犯
の「スパイ」として、「恰好良く」、敵陣営に残置して、任務をまとうしてきた
ような気がしてきたが、いかがであろうか。

* 「鴛鴦襖恋睦」は、前回は上から観て、今回は1階、中央、前から5列目で
観て、ということで、3人の出となるセリ上がりの穴が、全く見えなかったが、
これはどちらの席がよいのかどうか。そこが歌舞伎座の「座席の幾何学」の妙。
遊女・喜瀬川の持つ団扇(実質、軍配)は、距離が近いので今回は良く見えた。
銀地で表の下部に青い浪の紋、左右に金の太陽、銀の月、太陽の下には、オレン
ジと紫の雲形、月の下には、青と緑の雲形。もう、軍配まであと一息のデザイン。
さて、吉右衛門が懐から落とす緑と赤のものは、どうやら、矢の根と錦の袋に入
った院宣(御墨付き)であるようだが、前回は気が付かなかった。とにかく、3
人の大名題役者の圧巻の舞台であった。

舞台展開では、切って落とされた背景の黒幕が、舞台中央の紅葉の木に引っ掛か
って、なかなか取れなかった。前回には、なかったハプニング。大道具方が、舞
台裏で竿を持ち出してやっととったが、会場からは、御苦労さんの拍手。常磐津
連中は、せっかく語りを聞かせる場面なのに、場内の関心がそちらに集中してし
まい、やりにくかったことだろう。

* 「沓手鳥孤城落月」は、芝翫による「淀の方」の狂気の表現が、歌右衛門
とは違う。芝翫は、歌右衛門らのような顔の表情の変化より、目(というより、
率直に言って目玉)の動きで狂気を表そうとしていたが、正解だったかどうか
(私は、あまり成功していないと思った)。淀の方は、一度だけ正気に戻るよう
だが、基本的には、ひとり狂気のなかにいて、演技としては、いわば「ひとり芝
居」を、ずうっと演じている。それを周りの役者たちが、いかに「淀の方」の
狂気を、いわば「鏡」として写し取って、観客に見せるかが勝負だろうが、今回
も、若い菊之助が奮闘していた。菊之助は、今回近くで観た所為か、一段と若
い頃の菊五郎に似て来た。逆に言えば、それだけ菊之助が力をつけて来たと言う
ことだろう。

* 「乗合舟」。秀太郎の女船頭の腰付きの色気。アイヌ紋様の厚司が良い。こ
の「アイヌ紋様」については、拙著「ゆるりと 江戸へ」でも書いているが、水
辺に縁のある場面、人のときに持ちいる衣裳である。昼と夜の部の間の時間に、
外に出ていたとき、昭和通りの面した歌舞伎座の楽屋口から素顔の秀太郎が出て
来た。私は、ばったり出会ってしまった。「ああ、松島屋だ」と、思いながら彼
の先を急いでしまった。声をかけて、今月2度観た女船頭の妖婉さを伝えれば良
かったかな、と思ったが、後ろを向き直ってから言うのも如何なものかと思って
しまった。孝太郎の持っていた羽子板は、宝船を描いた押絵。

そう言えば、いま、駿河台下の三省堂本店で、「江戸・東京」をテーマにした
ブックフェアを開いている。拙著も、いつもの歌舞伎コーナーとあわせて、この
特設コーナーのも置いて下さっている。どなたか、買ってあげて下さい。残部僅
少。早い者勝ち。必要なら後日、署名識語入れます。

* 「逆櫓」。ここから、夜の部。吉右衛門は、途中で衣裳を変えるが、緑の地
に太い茶色の格子縞、さらに縦に2本、横に1本の黒い格子縞。これは定式幕と
同じ配色。ところで、歌舞伎座の定式幕は、ご存じの通り、木挽町の江戸時代に
あった森田座の幕を使っていて、下手から黒、茶(柿色、つまり、成田屋の色)、
緑の順だが、国立劇場は、市村座の配色だから、下手から黒、緑、茶。それで、
国立劇場の最寄り駅のひとつ、半蔵門駅は、ホームの向う側の側壁に市村座の配
色を並べ、歌舞伎座のある東銀座駅は、森田座の配色を並べていると信じていた
が、きのう良く見たら、なんと東銀座駅も市村座の配色であった。夢かと思って、
何度も目を擦ったが、やはり、市村座の配色だった。歌舞伎座の人たちは、営団
地下鉄に、なんとか言ったのかな。

さて、吉右衛門演じる松右衛門は、衣裳を変えて出て来たときに、顔に隈を入れ
ている。すでに、樋口次郎の形なのだ。そして、やがて、顔つきも声音も変わっ
て、台詞廻しも世話から時代に変わってメリハリをつける。また、世話に戻る。
歌舞伎役者には、堪えられない台詞廻しが続く場面だ。

さて、「邪道」だが、ウオッチング派の種明かしの愉しみ。「逆櫓の松」の場面
で、松右衛門が松の大木の太い枝を持ち上げて、彼の怪力ぶりを示すが、その際、
実は、松の後ろにいる黒衣が紐で松の枝を持ち上げていた。総合芸術の歌舞伎の
おもしろさは、役者も黒衣も息を合わせた、こういう連係プレーにあると思う。
吉右衛門は、顔中に汗をかいての熱演であった。

*  「将門」。雀右衛門の妖婉さ。團十郎の颯爽さ。前回、古御所の屋根に出
現した滝夜叉姫の表情が一文字幕に遮られて、良く判らなかったが、今回は1
階なので、ちゃんと見えた。眉が細い月形から、太い凹形に変わっていた。写真
で見る歌右衛門の滝夜叉姫の眉は、同じ場面でも細い月形のままであった。

*  「らくだ」。舞台上手の竹本の床のあるところに、長家の隣家の書割りが
あったが、客席に見える側に、いつもの御簾を掛けていたが、あれはなにか意味
があるのか。駱駝住居の屋体の上手奥にある木戸の上に、「丸に井」のマーク
が描いてあったが、あれはなにか。その後の、家主左兵衛内の場の下手、家主の
家の木戸の外側にある木戸の上にも同じマークがあり、その近くには、「水」と
書かれた例の用水槽があったので、そういう用途を示す印だろうか。そう言え
ば、駱駝住居の場では、大きな桶が木戸の近くにあった。

貧しい駱駝の葬礼では、素麺の木箱の上に、蝋燭、線香立て、湯呑み、一膳飯の
盛り切りに箸を垂直に立てていた。室内には、薄い煎餅布団に寝かされた駱駝の
馬太郎の遺体、それに、土瓶と煙草盆ぐらししか見当たらなかった。團蔵の怪
演が目立った。しかし、新聞などの演劇評では、こういう演技は邪道と映るのか、
あまり評価していなかったが、場内は爆笑の渦ができた。

そう言えば、昼の部の最後が、「萬歳」で、夜の部の最後が「落語」。歌舞伎
座の演出担当も、洒落気があるというものだ。江戸時代、歌舞伎は、朝から夜
まで一日の総合演出であったという。


- 2000年11月25日(土) 23:47:06
2000年 11月 ・ 歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」

            (夜/「ひらがな盛衰記」「忍夜恋曲者」「らくだ」)

夜の部では、「ひらがな盛衰記」、通称「逆櫓(さかろ)」が、3回目。これまで
の2回は、幸四郎の樋口次郎だった。今回は、吉右衛門なので、愉しみ。結論から
言えば、吉右衛門は、気持ちようさそうに演じていた。船頭に身をやつしている松右
衛門、実は樋口次郎兼光で、主人木曽義仲の仇・義経を討とうとしている。「ひらが
な盛衰記」は、源平合戦の木曽義仲討ち死に描いた時代物の人形浄瑠璃。その三段
目が「逆櫓」。昼の部の「石切梶原」は、梶原を颯爽としたさばき役として描いてい
るが、本来の梶原は憎まれ役。この舞台には、直接登場しないが、松右衛門の正体を
知って、捕らえようとするのが梶原。今回の昼と夜の出し物には、そういう繋がりが
ある。

さて、松右衛門、実は樋口次郎は、歌舞伎でいうところの「やつし事」。「やつ
し事」のポイントは仮の姿から本性を現すくだりを、如何に演じるか。旅先で源平の
争いに巻き込まれ、孫の槌松(つちまつ)と義仲の一子・駒若丸を取り違えて連れて
きた松右衛門の義父・権四郎(左團次)、槌松として育てられている駒若丸を引き取
りに来た腰元・お筆(雁【人偏に鳥】治郎)、そして松右衛門、実は樋口次郎が絡む
場面。一緒に住んでいた吉右衛門は、槌松こそ、駒若丸と知ったところで、言う台詞。
「ハテ、是非もなし。この上は我が名を語り、仔細を明かした上の事。(駒若丸をお
筆に抱かせ、上手へやり、門口をあけて、表を窺う)権四郎、頭が高い。イヤサ、
頭(かしら)が高い。天地に轟く鳴るいかずちの如く、御姿は見奉らずとも、さだめ
て音にも聞きつらん、これこそ朝日将軍、義仲公の御公達駒若君、かく申す某(それ
がし)は、樋口の次郎兼光なるわ」。立役の名場面のひとつだが、吉右衛門は、本当
に気持ちよさそうに台詞を言っていた。お筆の雁(人偏に鳥)治郎も女武道も、台詞
にあるとおり「女のかいがいしく、後々まで御先途を見届ける神妙さ」という賢い女
性を緩怠なく演じていた。雁(人偏に鳥)治郎の太めの肉体を感じさせない、ほっそ
りとしたお筆であった。藝の妙。

よく見れば、義理とは言え、槌松(実は駒若丸)は、我が子。駒若丸の身代わりにす
でに殺された槌松と思って、駒若丸を育ててきたのは、松右衛門も義父の権四郎と同
じ気持ち。これも我が子を主君のために犠牲にする「熊谷陣屋」の世界。それと知
った権四郎は、梶原から駒若丸を助けるために、畠山重忠(羽左衛門)に訴え出て、
再び駒若丸を槌松として命を守る。「熊谷陣屋」を私が好むのは、決して直実が良い
からではない。実の父に殺された小次郎を、母親の相模が、「妻」として夫を非難し
てまで、「母」としての愛情を示すところに、封建時代を超えた愛の普遍性があると
思うからだ。そこに、この件(くだり)を書いた並木宗輔の意思を感じるからだ。だ
から、相模は、「寺子屋」の松王丸の妻で、殺された小太郎の母・千代とは違う。千
代には、夫に付き従う「妻」を「母」より優先してしまう。「先代萩」の政岡ではな
いが、「三千世界に子を持った親の心は皆一つ」だから、千代が相模より、実の子に
対する愛情が不足しているなどとは思わないが、「子供」をどう思うかという、芝居
としての「思想」が違うと、私は思っている。

「逆櫓」では、「子供」を思う権四郎の駒若丸に対する愛憎は、複雑なものがある。
駒若丸のために、実の孫の槌松は殺されている。一度は、お筆の態度に対して、怒り
を覚え、駒若丸を殺そうとさえ思った。にもかかわらず、「子供」の命というものを
大切に思い、最後は、自分の機転で、「よその子供」である若君を助ける。そこには、
樋口のような「忠義心」があるわけではない。相模と同じような、「子供」の命に対
する封建時代を超えた愛の普遍性があると思う。歌舞伎は、「子殺し」の場面が多い。
それも、親の都合、特に、武士の社会の「忠義」のために、子供を犠牲にする話が多
い。封建時代の芝居だから、そういう道徳律が働いているのだろう。そういう舞台が
続くなかで、権四郎のような人物に出会うと、私はほっとする。きっと、江戸の庶
民たちも、こういう武家社会の道徳律には、反発していただろう。「忠義」よりも、
「子供」への愛情、歌舞伎が時代を超えて、いまも、観客に共感される秘密は、ここ
にある。

松右衛門、実は樋口次郎は、船の上で「逆櫓」(櫓を逆に立てて、船を後退させる方
法)を船頭たちに教えるが、実は梶原の息のかかった船頭たちで、隙を見て松右衛門
に襲いかかる。この部分、「裏手船中の場」を、今回は子役の遠見でやっていたが、
初めて拝見。浅葱幕の振り落としで、遠見の場面。

浪を下部に描いた道具幕の振りかぶせで、本舞台前面の浪布を幕内にしまい込む。再
び、道具幕の振り落としで、「逆櫓の松の場」。浜辺に戻っても争いは続く。そこへ、
遠寄せの陣太鼓。樋口次郎は、大きな松に登り、大枝を持ち上げての物見。権四郎が
若君を連れて畠山重忠に訴人したのだ。樋口次郎危うしと見ての権四郎の機転が駒若
丸を救うことになる。子供の取り違えを、「逆櫓」ならぬ、「逆手」にとって若君を
救うのである。武士にできなかったことを、実の孫を犠牲にしながら、その恨みを消
しながら、一庶民の権四郎が成し遂げる。そうと知って、おとなしく縄に付く樋口次
郎。事情を知って、権四郎の思い通りにさせる畠山重忠。羽左衛門の風格。そういう
封建時代に、封建制度の重圧に押しつけられてきた江戸の庶民の、大向こう受けする
ような芝居が、この「逆櫓」の場面なのだ。権四郎は、ある意味では、樋口より立派
な役柄なのだと、思う。しかし、左團次の権四郎は、力が入りすぎていて、ややオー
バーな演技が気になった。もう少し肩から力を抜いてくれれば、良い権四郎になった
と思うので、残念。

もうひとつの見せ場。櫓をもった船頭たちが、樋口次郎相手に演じる大立ち回りは、
迫力充分。樋口を真ん中、船頭の背中に乗せて、それを取り囲むように、手に持っ
た櫓で、大きな船の形を本舞台一杯に描く。殺陣師の冴え、洗練された美意識が、こ
こにはある。それだけに、大部屋役者の船頭たちの立ち回りにも力が入っている。V
の字。ダブルVの字。逆Vの字。櫓で描くXの字。櫓で描く菱形のなかでの樋口の見
得。碇を担ぐ樋口。碇に繋がる綱の綱引き。「アリャー、アリャー、アリャー」とい
う声。櫓で描く幾何模様。飛び六法で花道ならぬ、本舞台中央に戻る樋口。まるで体
育祭のマスゲームの様だ。こうした動きに附打ちの音が冴える。見れば上手のいつも
のところに、珍しや、保科幹(やっと、手の傷が快癒したのか)。いずれにせよ、役
者が役柄ぴったりで、大部屋の三階さんたちの気合いが入った立ち回り。歌舞伎ら
しい見応えのある舞台だった。

「忍夜恋曲者」・通称「将門」は、2000年1月の国立劇場の公演を、残念なが
らテレビで拝見。従って、生の舞台は今回が初めて。山颪で幕。常磐津の舞踊劇だけ
に、浄瑠璃をたっぷり聞かせてくれる。幕開け後、しばらくは「置き浄瑠璃」。薄暗
い舞台は無人で、下手、山台の上にいる常磐津連中がじっくり聞かせる。三下りに
なって、スッポンの出に、面灯りという古風な演出が見合う傾城・如月の古風な衣装
で、気分も「ゆるりと江戸の気分」。

傾城・如月、実は滝夜叉姫を演じる雀右衛門は、今月は二十世紀最後の歌舞伎座の舞
台という。昼の部の「桜姫」が、赤姫から、女郎の「風鈴お姫」に変わるのとは逆に、
「将門」では、傾城から姫に変わる。スッポンから面灯りで傾城・如月登場。「恋は
曲者 世の人の 迷いの淵瀬きのどくの 山より落つる流れの身 」雀右衛門の所作
は、安定している。古御所では、御簾が上がると光圀(團十郎)が、まどろんでいる。

嵯峨の花見で、光圀を見初めたと近づいてくる如月のクドキ。色仕掛けにもめげず、
怪しんだ光圀は、将門最期を、仕方話で物語る。團十郎の所作は、いつ見ても、そう
思うのだが、下半身が安定している。腰の落とし方が良い。天下一品ではないか。黒
地に金の梵字、裏に金の星座の扇子を持って踊る。7つの星が描かれた星座には、ひ
とつだけ流れ星のような星が描かれている。天下争乱か。将門最期の場面で、不覚に
も無念の涙を流す如月。やがて、如月の胸から相馬錦の赤旗(平家の赤旗。源氏は白
旗。日本人が、運動会で赤勝て!、白勝て!とやるのも、擬似源平合戦。紅白試合、
紅白歌合戦、皆、擬似源平合戦というわけだ。それだけ、日本人の頭には、源平合戦
が刷り込まれている)の巻物を取り落とす。そこで、如月、実は滝夜叉姫と、その正
体を知る光圀。

「ぶっかえり」で滝夜叉姫という本性を現した後、彼女の立ち回りは「女地雷也」
のようだ。ピンクの衣装にしたに黄色い素網を着込んでいる。楓の緑の葉が付いた小
枝を持っている。「紅葉狩」の鬼女の紅葉の小枝と同じように、神通力を持った小道
具だ。しかし、御所の階段を上がるとき、衣装を「ぶっかえり」にしたとはいえ、下
半身は傾城の衣装のままだから、片手で裾を持って上がる。そのあたりの色気が良い。
福助は、若いから、このようなことをしなくても階段を上がって行った。若い滝夜
叉姫も良いが、ベテランの滝夜叉姫も、味がある。妖術を使い、御所の奥に姿を消す
滝夜叉姫。ぐるぐる回る「廻る成田屋」が、やがて、座り込むと、古御所の御簾が降
りる。御簾の下から大蝦蟇が出てくる。

やがて、屋体崩し。古御所が壊れ、大屋根が落ちてくる。屋根の上には、大蝦蟇と
滝夜叉姫。崩れた屋根の下から這い出す光圀。それに四天たちがからむ。滝夜叉姫
のピンクの衣装に相馬錦の赤旗がよく似合う。歌舞伎の美意識。両者にらみ合いのま
ま、幕。古風な舞踊劇に、大蝦蟇の出現、スペクタクルな屋体崩しをかませたあたり
に、この演目の独自性と永遠性を感じる。

「らくだ」は、初見。上方生まれの「らくだの葬礼」を、江戸落語に直した。それを
さらに、岡鬼太郎(作家、歌舞伎批評家)が、劇化した。江戸下町の裏長屋での人情
噺。1928(昭和3)年、初代吉右衛門の久六で、東京・本郷座初演の新歌舞伎。

「駱駝の馬太郎」(團蔵)が河豚にあたって死んだ。遊び仲間の半次(八十助)が、
紙屑買いの久六(菊五郎)を脅して、葬礼の準備をさせる。家主(左團次、家主女房・
秀調)のところへ馬太郎の遺体を運び入れ、「かんかんのう」という踊りを踊らせて、
酒肴をせしめようと言うたわいのない話。歌舞伎には、珍しい滑稽噺。元が落語だけ
に、「落ち」がある。おとなしく半次の言うままに手足となって動いていた久六が、
酒が入るに連れて人が代わり、半次を顎で使うようになる。今月は、歌舞伎座と国立
劇場の歌舞伎公演に加えて、隅田川沿いの特設テント芝居小屋「中村座」も勘九郎
の「法世坊」の上演で戦列に加わった。役者のやりくりが大変だったろう。国立劇場
の「桜姫」で、敵役の入間悪五郎を演じて、殺された團蔵は、歌舞伎座の「らくだ」
で、ちゃんと遺体となって舞台に横になっていた。ところが、この遺体、おとなし
くしていたのは最初のうちだけで、あとは半次に操られて、「かんかんのう」を踊る
は、半次の立場が弱くなったと見るや一人で踊りだし、最後は、半次に「かんかんの
う」を踊らせる始末。まあ、愉しい舞台だった。

上演の記録を見ると、最近では勘九郎の久六に八十助の半次という配役が多いが、菊
五郎初役の久六も味があったが、願うならば、滑稽噺で、息の合うところを見せてい
る勘九郎・八十助のコンビで見たかった。そのかわり家主夫婦は、團十郎、菊五郎と
いうゴールデン・シルバーコンビ(なにか、おかしい表現だが。まあ、表と裏が金地
と銀地の団扇のようなコンビ)で見たかった。というのは、家主夫婦は、突然室内
に遺体を持ち込まれて、「かんかんのう」まで踊られるという、「悲劇的な」状況な
のだが、客席から見ると、これが「悲劇的」ならぬ「喜劇的」な状況のわけで、左團
次、秀調の家主夫婦では、そのあたりの「おかしみ」の藝が、滲み出てこなかった。
半次の妹・おやすで、菊之助が、ちらっと出てくるが、これが素朴な娘らしくて良か
った。











- 2000年11月10日(金) 19:32:23
2000年 11月 ・ 歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」
(昼/「梶原平三誉石切」「鴛鴦襖恋睦」「沓手鳥孤城落月」「乗合船恵方萬歳」)

顔見世興行だけに、歌舞伎座の正面玄関の上には、櫓が出ている。入り口玄関脇には、
大関の積物。すっかり、芝居小屋の正月気分。顔見世ということだから、役者の顔
をそろえるのが、大変だろうし、観客の方も、歌舞伎入門という気分で、ご新規の
人も少なくないのだろう。従って、昼・夜合わせて七つの演目がみどり狂言興行とし
て準備された。国立劇場の通し狂言興行とは、興行師としてのコンセプトが違う。た
だし、幕見席には、先月の仁左衛門・玉三郎見物の熱気はない。

みどり狂言興行の典型的な演目建ての歌舞伎座・吉例顔見世興行昼の部であった。初
めて拝見するのは、舞踊劇「鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのむつごと)」だけで
ある。だが、これが最高であった。遊女・喜瀬川(雁【人偏に鳥】治郎)、河津三
郎(菊五郎)、股野五郎(吉右衛門)という顔ぶれ。歌舞伎座の筋書にある記録によ
ると、本興行では、戦後6回目。6回の顔ぶれを見ると、歌右衛門、勘三郎、勘弥と
いう1954(昭和29)年の顔ぶれに匹敵するものだろう。舞台上手に金地に花丸
の襖のある御殿。真ん中の池に浮島、そこに長唄囃子連中の出囃子、下手には、霞幕
ならぬ網代塀の書割(なかに常磐津連中が、控えている)。中央のセリから3人がせ
り上がってくる。雁(人偏に鳥)治郎はピンクの衣装に髪は伊達兵庫、手にオレンジ
の長い房の付いた銀地の団扇(軍配のよう)。菊五郎は白塗り、水色の衣装に紫の袴。
吉右衛門は赤面に、金襴の衣装、黄色い足袋。髷を付けた裃後見が3人。季節は秋。
舞台中央奥と上手に紅葉した木がある。まず、「相撲の場」。河津三郎と股野五郎が
相撲を取り、股野五郎が負ける。両者の、いわば「土俵」に当たるところに、水色の
糸を巻いた白い箱のようなもの、白い糸を巻いた赤い箱のようなものが置かれる。そ
れぞれ房が付いているから、いまなら白房、赤房と言うところであろう。勝負の後、
皆引っ込む。舞踊劇ながら、荒事のような所作がおもしろい。

長唄囃子連中を乗せた浮島が舞台下手に引き入れられる。御殿が上手に引き入れられ
る。下手、網代塀が替わると、常磐津連中の出番。背景の書割も替わり、広い池が
見渡せる。鴛鴦の番が池に姿を見せる。鴛鴦は雄を殺せば、雌も慕い死ぬと言われる
ことから、勝負に負けた股野五郎は、雄鳥を殺して、その血を酒に混ぜて河津三郎に
飲ませ、恋に溺れさせようとする。股野五郎は、殺した雄鳥を抱いて花道へ。

次いで、「鴛鴦の場」。雄を殺された雌の鴛鴦の精(雁【人偏に鳥】治郎)が、紫の
衣装に、羽模様の黒地の帯を着けた人間の娘の姿で花道から現れる。鳥らしく、しば
らくは袂から手を見せないで踊る。羽ばたきのような所作。足取りも「鳥」らしい。
河津三郎の姿を借りた雄の鴛鴦の精も、薄い鼠色の衣装で、上手、垣根のなかから現
れる。手を出さずに踊る。やがて、手を出し合って、握り合うふたり。ふたりの踊り
を物陰から見ていた股野五郎が現れる。ふたりに斬りつけると、ふたりは「ぶっかえ
り」で、鴛鴦の正体を現す。水色とオレンジの羽模様のふたり。赤い毛氈を敷いた三
段の上で、大見得。美しい舞台。

「梶原平三誉石切」は、5回目。いずれも、違う役者が梶原平三を演じていたので、
5人の梶原を論じてみたい。私が見た梶原は、まず幸四郎、富十郎、吉右衛門、仁左
衛門、そして今回が團十郎。前にも書いたが、「石切」の場面には、型が3つあると
いう。初代吉右衛門型、雁(人偏に鳥)治郎型、十五代目羽左衛門型。その違いは、
石づくりの手水鉢を斬るとき、客席に後ろ姿を見せるのが吉右衛門型で、雁(人偏
に鳥)治郎型は、客席に前を見せるが、場所が鶴ヶ岡八幡ではなく、鎌倉星合寺。羽
左衛門型は、六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、手水鉢の水にふ
たりの影を映した上で、鉢を斬る場面を前向きで見せた後、ふたつに分かれた手水鉢
の間から飛び出してくる。桃太郎のようだと批判された。幸四郎、吉右衛門のふたり
は、吉右衛門型であった。富十郎は、雁(人偏に鳥)治郎型だったが、場所は鶴ヶ岡
八幡であった。仁左衛門は、羽左衛門型で、颯爽と飛び出してきた。今回の團十郎は、
羽左衛門型だったが、手水鉢の間から「よろよろ」と出てきた。「桃太郎批判」を意
識して、変えたのだろうか。これなら、仁左衛門と同じように颯爽と飛び出した方が
良かったのではないか。従って、私にとっての「颯爽とした」梶原としては、仁左衛
門が1番。吉右衛門が2番、というところか。これより先の、「二つ胴」では、上
で仰向けになっている囚人の胴を斬るが、下で俯せになっている六郎太夫については、
彼を縛っていた縄だけを斬る。掛け声と刀の動きが、石切と違う藝の見せ所らしいが、
あまり違いが判らなかった。

ところで、テキストとしての「石切梶原」について、述べたい。梶原平三は、この舞
台ではいつもの憎まれ役という役柄と違って、颯爽としているが、実は、刀の目利
きを頼まれ、六郎太夫が持ってきた刀が余りの名刀だったので、今回の舞台での憎ま
れ役の大庭三郎(左團次)や俣野五郎(正之助)を騙して、「二つ胴」を失敗させて
見せる。その上で、自分の本心を聞かせ、六郎太夫を安心させて、その後で、手水鉢
を斬って見せる。そして、自分でその名刀を手に入れると言うことだから、やはり、
一筋縄ではいかない男である。そういう本性の持ち主としての梶原としては、富十郎
が1番というところか。歌舞伎は、いつも、違った顔を見せてくれる。

梢は、今回は時蔵で、吉右衛門が梶原のときと2回目の拝見。時蔵は、初々しい梢だ
けれど、来年時蔵襲名20年になるのに、いつまでも、得意な役をやっていては如何
なものかとも思うし、だからといって、先日のような「小栗判官ものがたり」での小
栗判官のような仁に合わない役というのもどうかと思う。40歳代後半に入り、真女
形として飛躍が望まれる時蔵には、もう少し頑張って欲しいと思う。「停滞気味」
の時蔵の役廻りという状況改革をファンとしても望みたい。

「石切梶原」の、もうひとつの見せ場は、剣菱呑助の「酒づくし」の台詞だが、今回
は鶴蔵。これまででは、團蔵、弥十郎の呑助が良かった。特に、弥十郎の呑助は、絶
品だったと、いまも、思っている。鶴蔵は、剽軽な役に味があるので、今回の舞台を
楽しみにしていたが、鶴蔵は、ほかの役のときのようには、あまりおもしろくなかっ
た。ところで、二つ胴で、生き残った六郎太夫(坂東吉弥)の背中に、偶然、落ちて
きた赤い梅の花びらが、一瞬、血のように見えた。

「沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)」は、3回目。「石切梶原」
に真似れば、3人の淀の方を観た。最初が歌右衛門、次いで雀右衛門、そして今回が
芝翫。この演目は、淀の方の狂気をどう演じるかに尽きる。その場合、正気と狂気の
あわいを彷徨う様をどう演じて見せるかだが、私の意見では、相手方の演技が、淀の
方の狂乱の演技を増幅して写す「鏡」だと思う。「狂気」というのは、普段、普通に
生活していれば、縁のないものだろう。観客はもちろん、演じる役者も縁がない。そ
ういうものをリアルに感じさせるというのが難しい。もともと、この演目は、五代目
歌右衛門の当たり役で、彼は、精神病院まで「狂気」を観察に行って、役作りをした
という。彼の、淀の方を演じた際の舞台写真が、先日、早稲田の演劇博物館で開かれ
た資料展で展示されていた。貴重なものだと思う。六代目歌右衛門、雀右衛門、そし
て今回の芝翫が、そのあたり、どういう役作りをしてきたのか。今回の芝翫で言えば、
菊之助の秀頼が良かった。私は、過去2回とも、秀頼は梅玉だったが、今回ほど印象
に残っていない。菊之助の秀頼は、母の狂気を案じる息子の気持ちが素直に出ていて
良かった。その点、芝翫には有利だったのではないか。三之助のなかでは、大きな役
がきて進境著しい新之助の活躍が目立つが、最近、菊之助も良くなってきた。菊之助
は、ことし、大きくなったのではないか。若い人の伸びる場面に立ち会うこと、これ
は生の舞台ならではの醍醐味だろう。

3人の淀の方は、いずれも重厚であるが、私は、やはり、いまより元気な頃の六代目
歌右衛門の淀の方が忘れられない。元気とは言え、身体の自由が利かなくなってから
の歌右衛門である。私は、このころ、歌右衛門の舞台を観るのは、これが最後かも知
れないという思いで観ていた。彼の舞台への情熱というか、執念というか、そういう
ものが、淀の方の狂気とダブって見える。そういう鬼気迫る気迫のようなものは、雀
右衛門、そして今回の芝翫にも、ないだろうし、なかったと思う。身体の自由が利か
ないと言えば、評論家の江藤淳は、遺書のなかで、身体の自由がきかない事を苦にし
て、いまある自分の身体を「形骸」というような表現で、断罪をし、自らを害して行
った。それほど、人によっては、あるいは程度によっては、苦痛になることを背負い
ながら、こういう言い方をすることが適切かどうか不明だが、そういうハンディキャ
ップさえも、「藝に活かして」、淀の方を演じた歌右衛門の舞台は、暫く、どなたが
淀の方を演じても、決して出せるものではないと思う。

ところで、新歌舞伎で、場内が暗いままで、ウオッチングのメモが付けられなかった
が、「二の丸乱戦の場」では、最初から遺体で、最後まで寸毫も動かない役者がいた。
ご苦労様でした。さいごには、8人が遺体になった。若い人と言えば、裸武者役の七
之助が、石段から転げ落ちる演技を力一杯やっていて、気持ち良く拝見した。若い人
の思いっきりの良い演技は、観ていても気持ちよいものだ。

「乗合船恵方萬歳」は、2回目。それぞれの職業や立場の乗客が、自己紹介を兼ねて
藝を披露し合う趣向の、江戸の正月の風俗を写した明るい踊り。背景は、隅田川に
待乳山。遠く筑波山が見える。なかでも白酒売りが、茶色の地の団扇に白酒、裏に山
川「言い立て(宣伝)」をする。いまならキャンペーンガールの役回りだ。今回は萬
次郎、前回が藤十郎。藤十郎の舞台復帰が、望まれる。孝太郎の芸者が初々しい、爽
やかな色気。女船頭の秀太郎は、相変わらず妖しい雰囲気。萬歳の梅玉は、こういう
役は巧い。才造の辰之助は、浮いている感じ。梅玉とのコンビでは、役者が違う。三
之助のなかで、辰之助の存在感が弱くはないか。











- 2000年11月9日(木) 19:12:22
2000年 国立劇場 ・11月歌舞伎公演
                         (「桜姫東文章」)

「桜姫」の前に、「桜餅」について触れたい。「桜姫」が鶴屋南北の作品なら、「桜
餅」は、河竹黙阿弥の作品。「桜姫」が「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」
なら、「桜餅」は、「都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)」。「文章」とい
う外題では、通称「吉田屋」の「廓文章(くるわぶんしょう)」が知られる。「文章」
の「文」は青と赤のあや、「章」とは、赤と白のあや。「文章」とは、「あや」模様
のこと。「廓文章」が廓の男女のあや模様なら、「桜姫東文章」は、吉田家の息女・
桜姫が隅田川伝説(梅若殺し)の「東(江戸)」であやなす男女のあや模様で、桜姫
の弟で梅若の兄・松若が登場する。梅若殺しの吉田家の仇に権助、実は信夫の惣太が
登場する。「都鳥廓白浪」も隅田川伝説が基盤で、吉原の花魁・花子、実は松若とい
う世界。こちらには、吉田家の仇に桜餅屋に身を隠している忍ぶの惣太が登場する。
吉田家の家宝・「都鳥」の一巻も双方に登場する。つまり、登場人物の名前こそ、全
てが同じという訳ではないが、要するに梅若殺しという隅田川伝説を背景に、悲劇の
吉田家再興の物語という意味では、同じ世界だ。「桜餅」には、桜姫の替わりに「桜」
餅が登場しているだけ。言葉の遊び。いずれも男の生まれ変わりの女、男が女になっ
ているという、性の倒錯の美を強調する趣向も同じで、南北の「桜姫」の向こうを張
って黙阿弥が隅田川伝説に「桜餅」に挑戦というドラマだ。黙阿弥は、後世の私たち
同様に、このことを知っているが、南北は知らない。隅田川沿いに、いまも長命寺の
「桜餅」がある。芝居好きの江戸の庶民たちは、こういう遊びを喜んだことだろう。

さて、「桜姫」である。この物語は、「清玄・桜姫」と通称されるようにふたりの物
語であることは、確かだが、さらに厳密に言えば、桜姫の前世と現世の物語である。
桜姫の前世は、清玄が心中し損ねた白菊丸で、桜姫は白菊丸の生まれ変わり。白菊丸
の生まれ変わりで、吉田家の息女・桜姫が権助の妻になり、夫を助けるために「風鈴
お姫」という千住の女郎に身を沈めたあげく、権助が吉田家の仇と知れたら、夫を殺
して、父や弟の仇をとり、家宝・「都鳥」の一巻も取り戻し、めでたく桜姫に戻り、
お家再興となる。こういう、荒唐無稽の典型的なあらすじの物語で、「桜姫東文章」
は、隅田川伝説をベースにいろいろな趣向が付加された狂言だけに、ストーリーを追
っても、あまり詮がない。私は、まだ見ていないが坂東玉三郎や中村雀右衛門の「桜
姫」が、評判だったようだ。そこで、今回の舞台が、こういう真女形の役者ではなく、
市川染五郎という若衆役がお似合いの若手・花形が、「桜姫」に挑戦した意味とその
結果を私なりに分析をし、さらに、いつもの「大原流ウオッチング」の記録を若干、
書き留めるという形で劇評をまとめてみたい。

舞台は、両花道。「引幕開けず、そのまま。禅のツトメ、迷子鉦になり、本花道よ
り、相承院(そうしょういん)の寺侍、同宿、下男、弓張提灯、六尺棒を持ち」稚児
の白菊丸の名を呼びながら出てくる。「仮花道より、長谷寺の同宿、下男、弓張提灯、
六尺棒を持ち」清玄の名を呼びながら出てくる。双方、本舞台にて行き会う。やりと
りがあり、双方、幕の引付に入ると、時の鐘、浪の音、拍子木にて引幕が開き始める。
本舞台には、岩組。「江ノ島、児ヶ淵」と書かれた傍示杭。時の鐘、合方の後、花道
より青坊主の清玄(幸四郎)と稚児髷の白菊丸(染五郎)の登場。

やがて、岩組の上でのやりとりがあり、南無阿弥陀仏で白菊丸が先に、投身。清玄、
気遅れて、狼狽える。本当の「悲劇」の始まり。

そこで、物語1)「清玄が見続けたもの」。
清玄と白菊丸は、同性愛心中を企てたとき、何歳だったのか。青年・清玄は言う。
「わしひとり死ねばよいことを、蕾の花のこなたまで」とあるから、稚児の白菊丸は、
10歳代前半か。しかし、清玄とて、白菊丸の先に投身されると狼狽えるから、分別
もない。17年後、桜姫と出会うが、そのときの桜姫は、台詞にあるように17歳。
清玄は、すでに「阿奢梨(あじゃり)」(高僧)に出世した中年男。青年から中年男
に成長したにも関わらず、清玄は、桜姫を白菊丸の転生した人と思い込み、桜姫のな
かに白菊丸を見続ける。清玄は、男色への純愛のみ。女の桜姫は、白菊丸という愛し
い男を包む包装紙のようにしか見えていない。白菊丸の方が、よほど「まとも」だ
った。心中する前の台詞。「お前と一緒に未来まで、どうぞ女子(おなご)に生まれ
きて」と白菊丸は、言っている。高僧に出世するだけの世間的な能力がありながら、
清玄は、こちらの方の分別は身に付かない。あげく、誤って喉に刃物を差し、死んで
しまう。死後、幽霊になっても、ストーカー同様に桜姫のなかの白菊丸を追いかける。
社会的な地位を築きながら、そういう「性癖」の男がいるものだ。南北は、そういう
時代を超えた性癖の男をきっちり描く。

一方、物語2)「桜姫の純愛物語」。
桜姫は、吉田家に盗みに入ったあげく、自分を暴行した謎の男(後に、右腕の「鐘に
桜」の入れ墨で、その男が釣鐘権助だと知れる)によって、妊娠させられたにもかか
わらず、その男に恋をし、自分の腕にも男と同じ模様の入れ墨を入れ、一途にその男
を慕い続ける。権助が、かなりの悪だと知れた後も、桜姫の権助に対する「純愛物語」
は、変わらない。夫を助けるために、身を場末の女郎に落としても、平気だ。清玄が
桜姫のなかに白菊丸だけを見続けて、うるさくつきまとうのをいなすあたり、つまり、
清玄に対する態度は、はっきりしている。落語の「たらちね」ばりに、上品な言葉を
使いながら、ユニークな女郎として人気者になって行く。しかし、「純愛」もここま
で。権助が盗みに入って自分を犯しただけでなく、父と弟を殺していたことが判り、
酒によって寝込んだ処を殺し、あげく権助と自分の間に生まれた子供をも殺す。家宝
の都鳥も取り戻すと、もとの「桜姫」に戻って行く。私には、桜姫が良く判らない。
権助がどんな悪(ワル)でも、自分が肌を許した男を慕い続けるという自己の気持ち
を大事にする自立した女性なのか、あるいは、自分の血を分けた子供を殺してまで、
ただただ、お家大事という古風な「お姫さま」なのか。桜姫の純愛の対象は、吉田家
なのか。

物語2)を逆に見ると、物語3)「権助:アンチ・ヒーロー物語」。
「桜姫東文章」は、釣鐘権助の物語でもある。信夫の惣太という侍が、吉田家横領を
企む入間悪五郎という侍に頼まれて、「見事」悪企みを成功させる。あげくは、釣鐘
権助と名を変えて、吉田家の息女・桜姫が慕ってくるのを良いことに、金儲けを企む。
桜姫を女郎に売り飛ばしても、慕われる。自分の出世のために、悪企みの仲間・入間
悪五郎をも殺す。そういう現世的な知恵が廻り、男としての魅力もある悪。権助から
見た桜姫は、きっと可愛らしい女性だったのだろう。酔ったあげく、自分の正体を明
かし桜姫に殺されてしまうが、最後まで、桜姫を可愛らしく思っていたのではないか。
悪を貫き通すアンチ・ヒーロー・権助。権助が見た夢は、万事金の世のなか、という
近代人の夢ではなかったか。南北は、そういう時代を超えた志向の男をきっちり描い
た。

さらに、物語は、もうひとつある。物語4)「吉田家の姉と弟の仇討ち物語」。
結局、桜姫は、乞食になったり、女郎に身を落としたり、有為転変の末に、東国を放
浪していた弟・松若とともに吉田家再興を果たすことになるのだから、これは、艱難
辛苦をもろともせず、仇討ちを成功させた姉と弟の物語でもあるのだ。

こういう幾層もの物語が伏流する南北の世界。そこで南北が見たものは、多分、や
がて来る近代人たちの群像。だとすれば、桜姫は、清玄と権助というふたりの男を虜
にした近代人なのか。そこには、以前に書いたように「四谷怪談」の世界が繋がって
くる。しかし、桜姫は、少なくとも「お岩」にはならないだろうが、お岩にはなれな
かった桜姫と違って、権助は悪の個人主義者・民谷伊右衛門の直ぐ近くまできている
と思う。

さて、舞台では・・・。染五郎の「白菊丸」、「桜姫」、「風鈴お姫」の出来は、ど
うであろうか。南北の世界が、ここまで私が書いてきたもののようなら、「桜姫」
の本質は、「風鈴お姫」ではないか。可愛らしいが、芯はしっかりしている近代女性。
私は、そう思う。国立の筋書きに、「桜姫」の監修をしている雀右衛門は、「(桜姫
の)性根はお姫様であるということです。(略)。芯は、八重垣姫でなくてはいけな
いのです」と書いている。ならば、雀右衛門の「桜姫」は、お姫さま。玉三郎の「桜
姫」は、観ていないので推測になるが、評判を呼んだ舞台というから、玉三郎の「桜
姫」ならば、私同様に「風鈴お姫」なのではないか。いまの歌舞伎界で、傾城や女
郎の役をやらせたら玉三郎が、いちばんだと私は思っている。では、今回の染五郎は、
というと、これが、最後まで「白菊丸」のまま。彼の演技は、私の目には、女形には
見えず、最後まで「若衆」であった。「桜姫」になっても男の「線」は消えていない。
まして、「風鈴お姫」という女郎にはなり切れていない。だとすれば、染五郎の「桜
姫」は、やはり仁(にん)が違う。この演目なら、玉三郎の「風鈴お姫」をこそ見
せるべきではないか。

従って、染五郎版「桜姫」によって、私たち観客が観たものは、「清玄が見続けたも
の」と同じであった。つまり、清玄(幸四郎)が見た桜姫は染五郎であった。だとす
れば、権助(幸四郎)が見ようとした桜姫は、玉三郎だったかもしれない。南北が見
た桜姫は、五代目岩井半四郎であったことは、言うまでもない。

幾層もの物語を紡ぎだした南北劇。大原流ウオッチングで、気になった小道具がある。
それは、傘。まず序幕・第一場「新清水の場」では、桜姫の腰元たちが持つ傘。極彩
色の新清水には、絵馬とあわせて傘の額が奉納してあるから、傘に縁の寺か。二幕目・
第一場「三囲の場」では、清玄が仮花道から破れ笠、桜姫が本花道から「破れし大黒
傘」を持って出てくる。石段下、下手にも傘が棄てられている。この傘には「ほころ
びし花の袂は風のみか、わりなくぬるる雨もいとわぬ」と和歌が書いてある。二幕目・
第二場「岩淵庵室の場」。桜姫が僧衣に網代笠、袖頭巾を被って登場。これから場末
の女郎屋に売られて行く。さらに、落ちぶれ庵室の庵主になっている残月(幸右衛門)
と局・長浦(竹三郎)が、権助から追い出される場面でも、破れ傘。「両人相合傘
にて道行悪身(わりみ)のこなし」で、花道の引っ込み(ついでだが、残月と局・長
浦のカップルは、清玄と桜姫のパロディと見た)。いずれにせよ、傘や笠が効果的な
小道具として使われている。南北の狙いは、和歌にあるように、「風雨」に晒され
るのが人生という人生観があるのではないかと思う。葬礼同様に、南北は雨が好きと
見た。

序幕・第二場「桜谷草庵の場」の権助・桜姫の官能の場面は、「権助、桜姫色合い。
いろいろあり。簾おりる」とあるが、実際の舞台は、かなりどぎつい。お互いに帯を
解き合う。着物の前をはだけて、下帯を見せながら桜姫と抱き合う権助。簾がおり
る前の草庵は、前と左右が開け放たれていて、いわば、「開放された密室」。そこで
の濡れ場。総じて、幸四郎は、歌舞伎以外の演劇にも情熱を燃やす役者なので、歌舞
伎に戻るときは、ほかの役者よりも、歌舞伎を意識してか、演技がオーバーになるよ
うだ。歌舞伎から離れていることから、逆に必要以上に「歌舞伎、歌舞伎」した演技
になるのではないだろうか。彼が思うより、半歩手前ぐらいで演技をしてくれると良
いと思うときが良くある。弟の吉右衛門の場合には、そういうことが感じられない。

台詞では、「きりきりと」という台詞が、良く出てくるが、これは、現代語なら「さ
っさと」と言うような意味か。今回は「きりきりと」のほかに「素敵に」という言
い回しが何度かあった。「大層な」、「大分」とか、程度が大きいような意味で使わ
れていた。こういう現代語にない台詞が聞こえてくるのも愉しい。

幸四郎の清玄、権助の早変わり。清玄の幽霊の「ふわふわ」。序幕「新清水の場」の
大道具のせり上がり。廻り舞台。大詰「三社祭の場」の役者3人のせり上がりなど、
歌舞伎の立体的な演劇空間を駆使した舞台進行。脇では、幸右衛門と竹三郎が好演
(南北独特の深刻な話のなかで、笑いを呼んでいた)。総じて言えば、今回の国立劇
場の公演は、私にとって南北歌舞伎のテキストとしては、おもしろかったが、それだ
けだ。




- 2000年11月7日(火) 19:44:15
2000年 10月・歌舞伎座
                        (夜/「加賀見山再岩藤」)

「加賀見山再岩藤」、通称「骨寄せの岩藤」は、2回目。前回は、ちょうど5年前、
95年10月、同じ歌舞伎座で拝見。私は、本格的に歌舞伎を見始めて1年ぐらい
のときであった。河竹黙阿弥原作。別名「女忠臣蔵」と言われる「鏡山旧錦絵」の
「後日もの」。「鏡山旧錦絵」は、もともと人形浄瑠璃で、容楊黛(ようようたい)
の作。人形浄瑠璃、歌舞伎には「お家騒動もの」というジャンルがある。鏡山、
加賀見山で、判るように加賀百万石、前田家のお家騒動をベースにしている。「伽
羅先代萩」が、仙台藩の伊達家のお家騒動をベースにしているのと同断だ。「加賀
見山再岩藤」は、「お家騒動もの」の「後日もの」という趣向だ。

「お家騒動もの」の系譜。簡単に記すと、例えば、上記、二つのほかには、「摂州
合邦辻」、「恋女房染分手綱」、「いもり酒」、「柳影沢蛍火」、「法界坊」、
「桜姫東文章」、「青砥稿花紅彩画」、「伊勢音頭恋寝刃」、「与話情浮名横櫛」、
「蔦紅葉宇都谷峠」、「黒田騒動〜黒白論織分博多〜」、「小笠原騒動〜小笠原諸
礼忠孝〜」、「宇和島騒動〜君臣船浪宇和嶋〜」など。なかには、お家騒動の部分
が、いまでは殆ど上演されないため、「お家騒動もの」とは、判らなくなっている
演目も多い。今月、歌舞伎座・昼の部の「与話情浮名横櫛」では、本来、与三郎
は武家の血筋で、千葉家の家宝「真鶴の香炉」を巡る話でもあるのだ。

本来、加賀騒動の芝居は、鳥居(井)又助などの場面のある奈河亀輔の「加賀見山
廓写本(さとのききがき)」で、これをベースに松平家で実際にあった「草履打ち」
の場面を取り入れて、「鏡山旧錦絵」になった。「骨寄せの岩藤」は、先に鶴屋南
北が「桜花大江戸入舟(やよいのはなおおえどのいりふね)」という外題で書き、
これを後に黙阿弥が「再岩藤」として、「「骨寄せ」に加えて「廓写本」の「又
助切腹」の場面を、いわば、「ない交ぜ狂言」として書き換えた。

人気狂言の後日物語として書かれる作品を「後日もの」などというが、歌舞伎の狂
言は、もともと、ベースになる「世界」(「太平記」、「義経記」、「曽我物語」
などいろいろある)という竪系列のなかに、「趣向」という横系列をクロスさせて
作り上げる世界だから、ある意味では、どの作品も皆、「後日もの」の積み重ね、
「パロディの歴史」が、歌舞伎の歴史の一面を物語ることになると言っても、過言
ではないかも知れない。まあ、歌舞伎は、趣向の「骨寄せ」、「書き換え狂言」の
連鎖の歴史。そういう歌舞伎の歴史のなかで、明らかに芝居の時代設定が変わり、
「鏡山の尾上」から「加賀見山の二代目尾上」のように、後継者が居るとなれば、
これは、「純粋・後日もの」と呼べるだろう。

そこで、この狂言のテキストとしての構造を明らかにしておくと、「鏡山旧錦絵」
では、尾上が岩藤に虐められ、草履打ちにされる。それを苦に自害する尾上。尾上
の召使い・お初が尾上の敵を討ち、岩藤を殺す。お初は、その功により、二代目
尾上となる。お初は、主人思いの、初々しい娘だったが、二代目尾上は、最初か
ら殺人者として出発する。

次に「加賀見山再岩藤」は、その1年後という設定。二代目尾上が初代の一周忌の
墓参に訪れると、同じ墓地の「馬捨場」に、バラバラに捨てられていた骨が寄せら
れ、一体の骸骨になり、やがて岩藤の亡霊になる。中老として権力を握っている二
代目尾上に対する岩藤の復讐が始まる。再び、岩藤の尾上に対する「2度目」の草
履打ち。しかし、この草履打ちは、「殺人者への反抗」もあり、「旧錦絵」の「虐
め」としての「1度目」の草履打ちとは、性格が異なることに注意したい。権力者
は、手を汚しているものである。それを覆い隠すのが、封建時代の上下関係を重視
する道徳観だ。正義の味方だったお初も、二代目尾上になったことで、根本的に質
的に変換している。そういうことを幕末の黙阿弥は承知しているし、芝居小屋に来
る庶民も承知している。

だから、幕末の演出は、いまとは違うだろうが、骸骨から蘇った岩藤が、「花の
山」という華やかな舞台で、まず、「ふわふわ」と上手から下手へ本舞台の上を、
いわば「宙乗り」し、さらに、衣装を替えて花道・すっぽんから、再び、本格的
な「宙乗り」をして、花道の上の「宙道(そらみち)」(と言うのが、あるとすれ
ば)を3階席の向こう揚幕まで、満場の注目を集めながら引っ込む場面に、現代の
観客も大喝采をするのだ。ここを押さえておかないと、「再岩藤」の真意を見失う。
なお、猿之助は、上演する度に「再岩藤」の演出を工夫していて、前回の95年の
上演では、花道での「宙乗り」を際だたせるためにという理由で、この「ふわふわ」
がなかった。「ふわふわ」を私は、初めてみたが、これがあるから本格的な「宙乗
り」が際だたないと言うことは無かった。むしろ、歌舞伎の荒唐無稽なおもしろさ
という意味では、相乗効果があったのではないか。

虐めと言えば、世話物となる二幕目・「又助切腹」のなかで、又助の弟で、盲目の
志賀市が近所の子供たちに虐められる場面がある。そのときに子供が言う台詞は、
「目が見えぬから、虐めるのじゃ」。子供は、残酷である。大人たちの価値観をそ
のまま学んでいる。残酷な社会は、子供たちの心のなかに、大人たちの残酷さをそ
のまま持ち込んでいる。黙阿弥は、時代物の「草履打ち」の意味と子供たちの志賀
市虐めの意味の違いを、こういう形で明確に分けて提示している。いまの社会でも、
子供たちの間で虐めが跡を絶たない。幕末の黙阿弥が見たものと、いま私たちが見
ているものと、そこには同じ光景が広がっているのではないかと、私は思う。そう
いう意味で、テキストとしての「再岩藤」は、極めて今日的であると思う。

本来、黙阿弥の作では、「草履打ち」の後に、「又助切腹」があったが、猿之助
は、前回(5年前、私が観たもの)以来、「又助切腹」を「草履打ち」の前に設定
した。これは、多分演出的には、猿之助は、見た目の華やかな時代の舞台をショー
的に、つまり様式的にして、世話の前後に付けることで、世話の場面をじっくり見
せるという効果を狙ったのだろうが、そういう舞台効果だけでなく、「志賀市虐
め」を先に出すことで、その後の「草履打ち」の場面での、「虐め」と殺人者に対
する「反抗」との違いを、テキストとしても強調した結果になっていると思うし、
その試みは成功している。

さて、前段が長くなった。今回の舞台をウオッチングしてみよう。まず、序幕。
第一場は「花見の場」。舞台中央の立て札「開帳 大乗寺」とある。変だ。5年前
のメモには「当寺」となっている。よその寺ならいざ知らず、そこの寺の境内にあ
る立て札なら、「当寺」となるはず。求女・若衆役の笑也(前回は、おつゆ。今回、
おつゆは、亀治郎)がなかなか良い。笑也は、もっと役柄に幅の出せる役者だと思
うので、猿之助劇団の右近と並ぶ芯の役者を目指して挑戦して欲しい。お柳の方に
笑三郎、御台・梅の方に門之助は前回と同じ。歌六の一角、猿弥の主税は、憎まれ
役として好演。梅の方付きの腰元の芝のぶ。相変わらず、爽やか。京紫も初々しい。

奴・伊達平は、前回同様右近。伊達平の絡む立ち回りは、真っ赤な衣装の水奴たち
が、小振りな桶を持って、歌舞伎の醍醐味、群舞のような立ち回りの様式美で、最
後に石段を利用して人で描く富士山。堪能。第二場の「多賀家下館門前の場」では、
又助(猿之助)に、一角が声を掛け、「浅野川川端で、お柳の方を殺せ」と求女
の刀を渡して、そそのかす。二幕目・世話物への布石。続く、「浅野川川端の場」
では、お柳の方と間えて梅の方を殺してしまう又助。雨のなか傘を差している腰元
の行列。後の「花の山」、岩藤の「ふわふわ」の伏線。

川に飛び込み浪布の間を巧みに泳ぐ又助。「八丁畷三昧(墓場)の場」。道具
幕、書割などを巧く使い舞台展開に、スピードと奥行きを見せる。土手の骨も、筵
で頭蓋骨を巧みに隠している。骨寄せの見せ場。岩藤の亡霊(猿之助)への転換。
テンポが良く、見応えがある。骸骨の人形遣いの苦労が忍ばれる。土手上での、二
代目尾上(玉三郎)、主税(猿弥)、伊達平(右近)のだんまり。尾上が落とした
大事な弥陀の尊像は、伊達平の手に。桜満開の大乗寺の道具幕が振りかぶせとなる。
幕の前で、下座音楽の荒事、大薩摩の唄と演奏。

道具幕振り落としで、「花の山の場」。まずは、本舞台上での「ふわふわ」。黒い
衣装に、角隠し、傘を差して岩藤の亡霊が、春爛漫の上空を上手から、下手へ悠然
と移動。下界を眺めれば、桜の木々や寺、五重塔が下手から上手へ移動して行く。
いまなら、さしずめヘリコプターからの「空撮ショット」の体。岩藤が下手上空に
消えると、春猿、笑野の胡蝶の精がせり上がる。やがて、花道・スッポンから艶や
かな衣装に着替え、角隠しに、傘をさした岩藤が上がってきて、そのまま、宙乗り
へ。傘のあたりには、2羽の胡蝶が舞う。本舞台の胡蝶の精は、セリ下がる。岩藤
は上がったり、下がったりしながら徐々に上空へ。花道真上の、2階席「は・36」
にいた私は、真ん前に、猿之助の得意満面、悠然とした顔が上がったり、下がっ
たりしながら近づいてきた。猿之助が、空中でゆるりと前後に動かす草履の裏まで
拝見した。前回の八場から六場に減らしたものの、長い序幕が終わる。前回無かっ
た胡蝶の精の場面は、後の宙乗りの、傘のあたりで舞う胡蝶との繋がりもあるが、
それ以上に序幕の舞台を明るくさせていて良い工夫だと思った。

二幕目「鳥居又助内切腹の場」。世話の見せ場で、又助(猿之助)中心に、世話物
の芝居をたっぷり見せる。又助・弟志賀市が好演。最近、子役が皆巧い。世話の
見せ場では、御簾内の竹本葵太夫の熱演もあることながら、三味線方の鶴澤慎治の
「ハッ、ハッ」という力の入った掛け声が、場を盛り上げる。ここでも、笑也の
求女が良い。段四郎の長谷部帯刀は前回同様、重厚さを出す。医師役の助五郎が、
暗くなるがちの世話物に、笑いを誘う。亀治郎が、前回笑也が演じた又助・妹おつ
ゆで出ているが、世話の味は出ていない。華やかな赤姫などには、華がある亀治郎
だが、こういう役柄では、まだまだ場数が必要か。

大詰は、再び「草履打ち」と「奥庭」。いずれも「旧錦絵」のパロディ。猿之助
の望月弾正が後ろ姿でセリ下がると、岩藤の亡霊がせり上がる形で、早変わり。御
殿も、荒れ果てた姿に早変わり。岩藤の尾上を草履打ちする場面の意味合いは、す
でに述べたとおり。岩藤の謀反(「旧錦絵」)を、今回は尾上の謀反にでっち上げ
る。そこへ、男伊達平の登場で、「だんまり」のときに無くした大事な弥陀の尊像
が、尾上の手に戻り、亡霊退散。差し歯をし、物凄い形相の岩藤は、スッポンへ。
替わりに骸骨の人形が登場。荒唐無稽なストーリーに加えて、スピ−ド、スペク
タクル、客へのサービス精神溢れる演出。猿之助歌舞伎健在なり。御殿は、元の華
やかな様子に戻る。舞台中央に早変わりした望月弾正。

定式幕が、いつもとは逆に、上手から下手へ引き開けられて行く。一緒に網代幕が
引き閉められて行く。「多賀家下館の場」では、弾正相手に大勢の捕手との立ち回
りが見もの。蘭平物狂、小金吾討ち死になど、歌舞伎の名場面の立ち回りをふんだ
んに取り入れている。ここも、「骨寄せ」顔負けのサービス満点ぶり。三階さんた
ちの見せ場、たっぷり。「立ち回りの美学」。

そして、「奥庭」の大道具は、「旧錦絵」そっくり。弾正から再び早変わりした岩
藤の亡霊。尾上に追いつめられる岩藤の亡霊。後ろ姿の岩藤は、すでに代役。骸骨
の仮面を付けて客席に顔を見せた後、岩藤は、庭の垣根から姿を消す。序幕同様に
多賀家の主人・大領に早変わりした猿之助の登場で、大団円へ。亡霊解脱で病気か
ら快癒した花園姫(春猿)が綺麗。猿之助、玉三郎、笑也、春猿、弘太郎(水鳥主
水)らが、本舞台に座り込み、「こんにちは、これぎり」。玉三郎の二代目尾上は、
お初の初々しさが消え、人を殺したことのある人の影のような物を引きずっていて、
存在感があった。前回の二代目尾上は、雀右衛門も良かった。因みに、お初役では、
芝翫がいちばんだと私は思っている。
- 2000年10月24日(火) 19:54:51
2000年 10月・歌舞伎座
   (昼/「源氏店」「お祭り」  *「英執着獅子」「綱豊卿」)

10月の歌舞伎座・昼の部は、仁左衛門・玉三郎の競演(役者同士なので「共演」
というより、「競演」を使いたい)ということで、前売り券が初日の幕開きを前に
売り切れたとか。私は、今月の昼の部は、演目を見て、役者は違うものの、いずれ
も、すでに何回か観た演目なので、「源氏店」以外の演目には執着感が無く、混雑
しているなら無理をしてチケットを入手しなくても良いと思っていた。

夜の部の「加賀見山再岩藤」は、5年前に観ただけなので、こちらは観たいと思っ
て予約していた。そう思いながら、夜の部を観るとともに、来月の歌舞伎座のチケ
ットを買うために、甲府から出てきたことから、夜の部の開演より早めに、昼過ぎ
に銀座に出て、歌舞伎座の幕見席の行列を見たら、「源氏店」に長い列。そのま
ま、舞台を観たくなった。結局、400円を奮発して「源氏店」の前の幕の「英執
着獅子」の途中から拝見した。立ち見さえ、2列。私は2列目の下手のいちばん端
っこで拝見。これなら、無理してでも、昼の部を最初から見たかった。夜の部の
「宙乗り」の向こう揚幕のある分、4階の幕見席も座席が少ない。次の幕間で立ち
見の1列目、真ん中に移動できた。そこで「源氏店」をしっかりと観た。これが、
意外な「発見」があり、おもしろかったので、ここでは「源氏店」を中心に書き込
みたい。

「源氏店」は、「与話情浮名横櫛」が外題で、「源氏店」は、その一幕の場面のタ
イトル。しかし、「与話情浮名横櫛」で、ほかの場面は、必ずしも演じられる訳で
はないが、「源氏店の場」を演じない「与話情浮名横櫛」ありえないだろう。「源
氏店の場」だけ演じることも多い。私は5回目の拝見。最初が95年9月の歌舞伎
座。与三郎に團十郎、お富に雀右衛門、蝙蝠安に富十郎、多左衛門に吉右衛門、藤
八に鶴蔵などといった配役で、このときは「見染(なぜか、「見初め」ではない)」
から「赤間別荘」、「源氏店」、「元の伊豆屋」まで上演した。97年2月には、
NHKホールで團十郎、雀右衛門(だったと、思う)で「見染」と「源氏店」を見
た。与三郎・お富で言えば、梅玉・玉三郎、橋之助・扇雀、そして今回の仁左衛門・
玉三郎。

「見染」は、木更津海岸で、与三郎とお富が初めて出会う場面。与三郎の「羽織落
とし」で有名な場面。与三郎が鳶頭金五郎(東蔵)と客席のなかの昔なら「東の歩
み」にあたる通路を歩いているうちに、海岸の背景が移動する。舞台では、竹籠に
熊手を持った人たちが潮干狩りをする場面があり、なんとも風情がある。やがて、
客席を一廻りして、再び本花道から七三のあたりに与三郎の上半身が来る。客席
(と言っても、1階席と2、3階席の一部だが)の視線を仁左衛門と東蔵のふたり
に引きつけておいて、舞台は「居処替わり」となる。与三郎の羽織が、このあたり
から徐々に肩から巧みに擦(ず)れ始めていて、お富が花道を行き過ぎる頃、両手
から自然に落ちるようにする。

「黒山の 向こうに七三(ひちさん)
            白塗りの 首が与三郎富(よさ・とみ) 入れ替わり」
「与三郎 お富が演じる 源氏店 幕見で観れば 席は『いろ』のみ」
(歌舞伎座・立ち見席にて、詠める)

ハイライト。「源氏店の場」。舞台では、使わない部屋に、上手、障子の右、外廊
下の奥の部屋がある。箪笥の側にシンプルな模様の寝間着のような着物が掛かって
いる。お富の「寝間」だろうか。お富の独り寝の生活が伺えるが、そこは若い女性
の部屋らしい艶めかしさがある。

舞台下手、蝙蝠安(弥十郎)と一緒にお富を強請騙りに来た与三郎がひとりで、先
に室内に入った安から呼ばれるのを待っている。所在なさそうに、ぶらぶらしたあ
げく、柳の下に佇んでいる。仁左衛門は頬かぶりをしていて、表情が伺えないが、
それだけで、木更津海岸にいた「若旦那」与三郎から「強請騙り」という自堕落な
生活を送る荒(すさ)みを感じさせる与三郎に変わっているのが判る。

さて、いよいよ与三郎が室内に入る。ここからが、私の「発見」。
題して、「五線譜の恋歌」。

「源氏店」。その室内には、上敷きが敷き詰めてある。木戸を開けて、なかに入っ
た与三郎は、この店の女主人に顔見られないように、背を向けていて、客席から見
ると横を向いている。室内に入ったものの、安とお富の芝居には、まだ積極的に加
わらない。一芝居終えた番頭・藤八(寿猿)は、上手奥、斜め後ろ向きで、やはり
芝居には加わっていない、というより、この場面では事実上「無人(不在)状態」
になっている。お富は斜め前向きで、安と芝居をしている。安のみ正面を向いてい
る。それぞれの「向き」の違いが、4階からは、良く判る。この後、芝居が進行す
るに連れて、それぞれの「居処」と「向き」が変わるのが判る。恰も「向き(角
度)の美学」のように。これぞ、「歌舞伎の幾何学」。

さらに、4階から見ると、「薄べり」(定敷き)の縁取りが全て見える。定敷き
のなかにある縁の数は、5本。まるで、五線譜だ。居処と向きを変える役者たちの
動き(ときには、小道具の移動もこれに加わる)が、実は、この5つの線の上を、
「音符」のように、メロディを奏でるように移動するのに、気が付いた。

例えば、名場面の「イヤサ、お富、久しぶりだなあ」と与三郎が啖呵を切り始める
と、安は座敷内、下手奥の5番目の線の上にいて、それまで項垂れて隠れていたよ
うなのが「羅漢台」の観客のように、役者の後ろから舞台を観ている。与三郎とお
富は、3番目の線上に居る。与三郎は、この線上を上手に移動して、お富に近づく。
与三郎が使っていた煙草盆は、下手、1番目の線上に残されたまま。上手、1番目
の線上には、以前から蝋燭立てが置いてある。お富の後ろ、奥3番目と、4番目
の線の間には座布団が置いてある。舞台奥、真ん中あたり、5番目の線上に衝立と
行燈。

こういう五線譜の動きを促すものが、強請騙りの場面に相応しく、お金。まず、
藤八が、はした金を出して、安のレベルで拒否される。次いで、お富が一分銀を出
すと、安は引き揚げようとする。だが、与三郎は「手前、それで良けりゃ先へ帰ん
ねえ」と拒否。やがて、先ほどの名台詞となるのである。

次に、多左衛門(羽左衛門)が登場すると、まず、お富のいた位置に座布団を持っ
てこさせて座る。やがて、与三郎と多左衛門の芝居が進むに連れて、与三郎は、下
手、1番目の線上で、斜め前を向く。多左衛門は、与三郎と平行するようにやはり
斜め前向きで中央、2番目の線上に移動する。お富は、多左衛門の与三郎との交渉
を任せたとばかりに、上手、3番目の線上で後ろを向いている。安は、与三郎と多
左衛門の間で、多左衛門と同じ2番目の線上に横向き(多左衛門には、背を向けて
いる。芝居には加わらない。与三郎と多左衛門のやりとりには、格が不足している
のだろう。いわば、蚊帳の外という感じ)に座っている。多左衛門を演じる羽左衛
門には、さすが風格が感じられる。多左衛門は、結局、与三郎に10数両の金を渡
す。与三郎も多左衛門の格には勝てない。与三郎は、1番目の線上に残されていた
煙草盆の前で、所在なげに、チェーンスモーカーのように煙草を吸う。気が付いた
ら、行燈は5番目から4番目の線上移動していた。

お富への恋情に未練のある与三郎は、去りがたそうだが、金の交渉の潮目を見抜い
た安に促されて、与三郎もしぶしぶ引き揚げる。弥十郎の安は、巧い。ずるがしこ
い小悪党を過不足無く演じていた。藤八、お富の金の入った「お捻り」を、どさく
さに紛れて懐へ入れ、玄関先の多左衛門の履き物の向きを直してから出て行く。

与三郎らふたりが木戸の外へ出て、花道でゆすり取った金の分け方でもめていると
き、源氏店の五線譜の上では・・・。舞台奥、中央から衝立、行燈、後ろ向きのお
富、斜め前向きで、俯いている多左衛門が、上手へ向かって斜め、一直線の線上に
いる。これで、「五線譜の恋歌」、つまり、「源氏店エレジー」の演奏は、これに
て終了。

多左衛門とお富の芝居を終えて、見世から来た迎えとともに、下手に引き込む羽左
衛門の背に、幕見席から「大橘」の掛け声がかかった。仁左衛門・玉三郎は充実の
舞台。

「お祭り」。3回目の拝見。鳶頭は、勘九郎、孝夫時代を含む仁左衛門2回。勘九
郎のときは、芸者が出ずに、若い者として七之助が共演、仁左衛門のときは、いず
れも芸者に玉三郎が競演。この演目は、美男美女をいかに美しく見せるかが、ポイ
ント。特に、仁左衛門・玉三郎のコンビは、仲も良く、麗しい。この舞踊曲は、
「二人椀久」などが、踊り(所作)に徹しているのに比べると、所作(踊り)と
動作(演技)が、入り交じっているところに特徴がある。鳶頭一人で踊るときは、
また別だが。今回は、玉三郎の踊りを引き立たせるために、仁左衛門は所作より動
作に重きを置いていたように見受けられ、鳶頭の芸者に対する、男の優しさが出て
いたように思う。前回(97年10月・歌舞伎座)のときは、「神田祭」という
外題で、仁左衛門・玉三郎のコンビは、花道を引き揚げるとき、演技が終わったよ
うな「素」の感じで、観客席に挨拶をしながら歩いていったが、そのふたりの訳あ
りの男女という風情が何とも良く、「お祭り」は余韻が良いと私は思っているのだ
が、今回は、そのあたりが物理的に花道が殆ど見えない場所だったので(まあ、今
回は、最初から諦めていたが)、全然味わえず残念だった。

「英執着獅子」も3回目。玉三郎(傾城)、雀右衛門(姫)、福助(姫)。今
回の福助初役の舞台は、途中から観たので、あまり書けない。銀地に桜の木が大き
く描かれた襖。あでやかに踊る。姫が引っ込むと石橋に牡丹という背景で、姫から
獅子の精に変身した福助が4人の力者を引き連れて出てくる。福助の獅子は、雀右
衛門などと比べると、やはり若さがある。それだけに、髪洗いの場面など、上半身
の激しい動きを支える下半身に特に「強靱さ」がある。その強靱さが若さの表現に
留まっていれば良いのだが、福助の場合、若さ以上に強靱さが出ていて、私には
女形の姿のなかに、男としての福助の肉体が感じられてしまい、少し興ざめ。これ
が雀右衛門なら、年齢の割に体も柔らかく、強靱さもあるのだが、女形の柔らかさ
のなかに、強靱さを包み込んでいるようでいて、良かったのと対照的だ。玉三郎
の下半身も、福助ほど「男性的な」強靱さは、無かったように思う。全部観ていな
いので、あまり書きたくないが、福助も場数を踏めば、そのあたりの柔らかい線が
出せるようになるだろうし、私も、今後福助の「石橋もの」を観るときに、また、
注意して観てみたい。

「元禄忠臣蔵〜御浜御殿綱豊卿〜」は、残念ながら、今回拝見できず。95年6月
に歌舞伎座で拝見したときは、綱豊卿に團十郎、富森助右衛門に勘九郎、お喜世
に藤十郎(早く、舞台に復帰して欲しい。藤十郎の女形を観たい)、江島(時蔵。
国立では時蔵の小栗判官。劇評は、すでに掲載)、新井勘解由(権十郎。残念な
がら、すでに鬼籍。味のある役者だった)という顔ぶれ。團十郎が良かった。今回
は、仁左衛門の綱豊卿が好評のようで、拝見したかった。
- 2000年10月24日(火) 8:26:36
2000年 10月・国立劇場
                (「小栗判官譚〜姫競双葉絵草紙〜」)

「小栗判官譚(おぐりはんがんものがたり)〜姫競双葉絵草紙(ひめくらべふた
ばえぞうし)〜」)という外題は、最近、市川猿之助一座で上演される「當世流
(とうりゅう)小栗判官」とは、「世界」は同じでも、違う演目である。

俗に「小栗判官・照手姫」と言われるように、このふたりを中心にした物語は、
軍紀物「鎌倉大草紙」(室町時代末期の成立と推定されている)に記録されてい
る鎌倉公方家と管領・上杉家との闘争のなかで滅んだ小栗家の悲劇の歴史が発端
になっている。恨みを持つ小栗家の「御霊」の跳梁を鎮めるという、「御霊信
仰」の価値観、つまり、これは「曾我物語」や、後の「忠臣蔵」などにも通じる
日本人の価値観の歴史に繋がる。神明社に仕える巫女の御霊鎮めの語りが、中世
の口承文藝(つまり、語りの藝)として、やがて各地を漂泊しながら語る説教の
徒たちの生活手段のツールのひとつ(出し物)となっていった。そういう様々な
「語り物」として、様々な「小栗判官」にからむエピソードが「語られ」、ある
いは、「騙られ」(つまり、フィクション)しているうちに、荒唐無稽な物語と
しての豊潤さを持ち、神話性を深めて行く。

そういう各地の伝承が、やがて合体し、付加と整理を経て、近世初頭の「説教節」
としての「小栗判官」物語として、文字化され、「英雄叙事詩」のひとつとして
記録されていったのだろう。さらに、「説教節」が人形劇の形でも演じられたこ
とから、「別の人形劇」でもある「人形浄瑠璃」にも生かされ、やがて近松門左
衛門の「当流(とうりゅう)小栗判官」や文耕堂の「小栗判官車街道(くるまか
いどう)」が作られ、歌舞伎の「姫競双葉絵草紙」にもなったと、物の本では、
説明している。

そうだとすれば、「小栗判官」物語は、テキストとしての歌舞伎台本の、ルーツ
のひとつとして、歌舞伎の「世界」を構成するようになるのは、当たり前かも知
れない。「姫競双葉絵草紙」は、記録によると1800(寛政12)年、様
々な「小栗判官」物語の集大成として、大坂で上演されたという。その後も、上
方では人形浄瑠璃の「小栗判官車街道」の物語をも取込みながら、初春芝居の定
番として、明治前半まで盛んに上演されたという。江戸歌舞伎では「曾我物語」
が、同じように初春芝居の定番として盛んに上演されていた。つまり、東西の芝
居小屋にとって、向こう一年の穢れなき評判を祈る出し物として、あるいは観客
としての庶民にとっても、無病息災・家内安全を祈願する芝居として(つまりは、
「御霊信仰」)、人気の演目であったわけだ。

特に、今回上演された「小栗判官譚〜姫競双葉絵草紙〜」は、この上方味の歌舞
伎として中村鴈治郎を中心に組み立てられた。四半世紀前に、武智歌舞伎として
「小栗判官車街道」という外題で、扇雀時代の鴈治郎が上演している。今回は、
さらに上方歌舞伎としての「小栗もの」に徹底するべく「小栗判官譚〜姫競双葉
絵草紙〜」として、「復活&創作」されたという。その意味では、上方歌舞伎の
原点=「おもしろい芝居」を見せてくれたと思う。従って、私も観たことのある
市川猿之助一座の「當世流小栗判官」とは、大分違う(特に、外題は「小栗判官
譚」だが、小栗が主人公ではない)ということを承知しておく必要がある。さて、
前置きは、これぐらいにして舞台をウオッチングしよう。

まず、暴れ馬・鬼鹿毛を碁盤の上で立ち上がらせる場面はない。「京右近の馬
場の場」から開幕。桜が満開の春。小栗判官(時蔵)が将軍足利義満の前で鬼鹿
毛を乗り鎮めた(馬場での、馬の立ち上がりはある。ワイヤーで馬の上半身、つ
まり、前脚の役者を、いわば、「宙乗り」させる)ことから、将軍は小栗の父を
足利家の宝「勝鬨の轡」の守護役に、小栗を馬藝の頭領職にそれぞれ任じ、さら
に、小栗には関東の探査を命じる。ここから、小栗の東下りの物語が始まるとい
う趣向だ。もうひとつの見どころ、大道具が春から夏、秋、そして、大詰の冬
へという四季の移り変わるのも、別の趣向。

しかし、小栗の父は、足利家の宝蔵から「勝鬨の轡」を盗み出した盗賊・風間八
郎(鴈治郎)に殺されてしまう(「宝蔵前塀外」の場面では、火花が散り、塀の
一部が吹き飛び、八郎が、出てくる)。こうして小栗の旅は、公務のほかに、父
親殺しの八郎を追う仇討ちの旅にもなる。この場面に出くわしたのが、細川政元
(富十郎)で、以後、小栗と風間の対決の節目節目で絡んでくる。細かく、芝居
の筋は追わないが、「大筋」は、触れるようにしたい。

まず、小栗の公務は、二幕目第二場「横山大膳館大書院の場」で、関東探題・横
山大膳の疑惑を解明する上使役である。しかし、ここは、小栗より大膳(坂東吉
弥)の嫡男で、「作り阿呆」(莫迦を装おう)の太郎(秀太郎)が主役の場面だ。
将軍の子と孫を摺り替えて謀反を企てている父親が、上使・小栗を毒酒で殺そう
とするのを妨げる。そのため、父親から親子の縁を切られるが、それを奇貨とし
て、正気に戻った太郎は父親と父に共謀する弟・次郎(男寅)のふたりを死なせ、
自らも自害して横山家の謀反を防ぐ。十三代目仁左衛門(秀太郎の父)も演じた
大役で、今回の上演でも前半の山場だが、若衆姿ながら阿呆と実事師のふたつの
役柄をメリハリあるように演じる必要がある。しかし、秀太郎の演技は、その辺
りにコクがなく、メリハリが弱かった。憎まれ役の吉弥、男寅のふたりは、好演。
大膳は、死のまぎわに、善人に「戻り」、奪った宝刀の隠し場所を白状する。照
手姫は愛之助だが、やはりまだ、女形の線としては堅い。

この場面の、もうひとつの芝居は、細川政元を騙る偽上使・風間八郎と逆に八郎
を騙る政元の対決の場面だ。鴈治郎の偽上使は、仁木弾正風の国崩しの感じがあ
り、なかなか良かった。鴈治郎と富十郎の、互いに互いを騙るという場面は、な
んとも荒唐無稽な歌舞伎味で、見ごたえがあった。

この場面の、もうひとつの見せ場は、書院の大道具だろう。中央に金地の襖絵。
絵柄は左に松、右に桜。それぞれ3枚の襖に描かれている。襖絵の上下(かみし
も)外側に、3枚の障子、その外側に下は、金地に菊の絵、上は、金地に下がり
藤の絵。さらに、上下に、あわせて一対の蝋燭立て。つまり、近松半二好みの左
右対称の大道具。正体を見破られた偽偽上使は、妖術を使い下の蝋燭立てで火花
を散らし、3枚の松の襖のまん中から姿を晦ます。

さて、第三場は、宝刀の隠し場所、「江の島沖の場」。夏の夜の海。岩場で松
明を翳す政元。花道から鬼鹿毛に乗って駆け付けた小栗。本舞台に入ると政元を
載せたまま岩場が、右へ動き、波が割れる。そこへ、馬上のまま、海中へ走り込
む小栗。鉤縄で宝刀を海から引き上げる小栗。しかし、花道スッポンに現れた風
間が、またも妖術で、刀をスッポンまで飛ばし、奪いとってしまう。この場面、
三幅対の錦絵にもなった名場面。引っぱりの見得で幕。幕外では、まんまと刀を
奪い取った風間が、まさに仁木弾正よろしくゆっくりと六法で花道から引っ込む。
「成駒屋」の声がしきり。暫く間があって、やがて拍子木。

次は、一転して「近江堅田浪七住家の場」と「同 湖水難風の場」。漁師・
浪七、実は小栗家旧臣・美戸小次郎(鴈治郎)が照手姫(愛之助)の逃亡を助け
る場面。葛籠に入れられ、船に載せられた姫を自分の命と引き換えに、神風を巻
き起こし姫を救う。女形に戻った秀太郎が浪七女房・お藤。やはり、安定感が
ある。お藤の兄・鬼瓦の胴八(吉弥)が、実は風間の子分で、照手姫略奪の命を
受けている。悪仲間の湿病みの橋蔵(竹三郎)が、好演。この場面は、確か猿之
助の「「當世流小栗判官」にもあった。竹三郎の上方弁の台詞廻しが効いている。
葛籠に入れられ、奪われた照手姫を追う浪七の踊るように花道を行く鴈治郎の足
取りに上方歌舞伎の味があった。

この場面、もうひとつの見どころは、やはり大道具。「住家の場」から「湖水難
風の場」への場面転回では、廻り舞台を使わずに、住家に、御簾を下げてなかを
隠し、住家の三段の階段が、竹本の出語りの床のように回転して、岩に替わる。
二重も書割が替わるように折れて、岩に替わる。本舞台下手と花道の地絣が、浪
布に替わる。さらに御簾を下げたまま、屋体が上にあがると、そこは琵琶湖畔の
船着き場に「早変わり」。まさに、大道具の「趣向」。すっかり、堪能。上方の
「中(ちゅう)の芝居」の味とは、こういうものも含めた味なのかも知れないと、
思った。胴八を乗せ、姫を入れた葛籠を載せた船が舞台下手から花道を通り、ま
た、後ろ向きのまま逆戻りする。船のなかには、人が腹這いになって入っていて
船の前に作られた小窓から前を見て、船を操縦するのだが、後ろ向きに船をバッ
クさせるのは、大変だろう。これらの場面では、黒衣ならぬ浪衣が活躍。

四幕目。いわゆる「万長」の場面。秋である。万長の娘・お駒の嫉妬と小栗の発
病の場面だ。万長の娘・お駒(鴈治郎)が、美濃青墓宝光院で小栗と出会い、見
初める場面では、羽織落としならぬ、扇子落し。万長にある名作の誉れ高い轡を
確かめるために、嘘を言って婿になると約束した小栗が祝言の準備のため、風呂
に入る。風呂の水汲みをしていたのが、下女・小萩、実は照手姫。それが判り、
嫉妬するお駒。小萩、お駒、小栗が、下手から二重を挟んで、上手へ、一直線に
並び、三者の相関図を描くと、舞台が廻る。

「奥座敷の場」では、お駒が万長の後家(つまり、お駒の継母)で、かっての
照手姫の乳母・お槇(宗十郎)によって、はずみで殺されてしまう。お駒の首
が、奥座敷の庭にある石灯籠の上に飛ぶ。ピンクの衣裳の下に赤い着物を着たお
駒は、肩を出したり、赤い帯を解けさせたり、鬘の赤い髪止めを垂らしたりして、
「殺し場」の血を表現する。灯籠の上に飛んだ首は、最初「切り首」だが、途
中で、お槇の所作を利用して、「本首」(鴈治郎)に入れ代わる。「ええ恨めし
い」と言って、小栗に祟るためである。小栗は「俊徳丸」のように顔が醜く変わ
り、足腰が立たなくなる。このあたりの切り替えはスムーズであった。

大詰は、「熊野」の場面。冬。まず、風間の隠れ家・山塞。本舞台と花道には雪
布。当然、黒衣の代わりに雪衣が活躍。風間八郎、実は新田義貞系統の新田小太
郎義久。その山塞に小栗を車に乗せて引く妻の照手姫のふたりが迷い込む。たち
まち、小栗は、殺され裏の谷川に投げ捨てられる。水布を「消し幕」に、姿を
消す小栗。照手姫は、雪のなか、庭の梅の木に縛り付けられる。「泡雪」の浦
里や「金閣寺」の雪姫などのように。しかし、あわやという危機を前に熊野権現
の霊験があり、3羽の鴉に縄を食いちぎってもらう照手姫。山塞に紛れ込み、風
間の手下に化けていた奴・三千助(芳彦)が、姫を助けて、那智山の大滝へと急
ぐ。

舞台では、二重舞台の隠れ家の縁側が引っ込むと、屋体は、セリ下がり始める。
舞台中央のセリ穴から、蘇生した小栗がセリ上がってくる。谷川に流され滝壷に
落ちたお陰で、小栗は熊野権現の霊験により、蘇生した上、新田小太郎が滝壷に
隠していた宝物二品を手に入れたのだ。そこへ、照手姫、三千助、新田小太郎、
細川政元が勢揃い。雪一色の白い世界。薄紫の時蔵を中心に、赤姫の愛之助、濃
紫の衣裳の芳彦、黒の鴈治郎、金襴の富十郎という、まさに色彩豊かな錦絵の世
界が出現。ぶっかえりで、黒地に金襴に替わった鴈治郎が総髪、白塗りながら
「公家悪」の風格で、赤い三段に載り、雪衣が後ろから鴈治郎の衣裳を広げる大
見得を中心に、全員で絵面の見得になり、幕。

小栗の時蔵は、馬に乗る立役は初めてと言うが、鴈治郎との舞台は、勉強にな
ったのではないか。と言うのは、この舞台を観て、改めて鴈治郎の藝域の広さに
感心した。立役、実悪(国崩し、公家悪)、町娘など、いまの歌舞伎役者で充実
の舞台を見せることができる数少ないひとり、鴈治郎の魅力が溢れていた。それ
に反して、時蔵は、小栗一役ながらメリハリがなく、今後は是非とも本来の女形
に磨きをかけると共に(あるいは、女形に徹するか)、今回のように立ち役にも
意欲を燃やすなら、鴈治郎のような「兼ねる役者」を目指して頑張ってもらい
たいとファンとして痛感した。真女形を目指す同世代の中村福助の進境が目覚ま
しい(これはこれで、私も福助の精進を愉しみにしている)だけに、萬屋の輝
きも欲しいところだ。富十郎も、政元一役で、観客としては、少し物足りなかっ
た。

今回の舞台は、歌舞伎のテキストとしての「小栗判官もの」の豊饒さを、改めて
知った(伝承文藝としては、小栗と照手姫の「恋の物語」なのだろうが、歌舞伎
の舞台で言えば、幕ごとに、新たな主人公が出現する。そういう支流と大団円に
向かう本流との、輻輳する物語としての重層さが、この「世界」にはある)こと、
東京では111年ぶりという本格的な通し上演、古怪な歌舞伎味、大道具のスペ
クタクル、鴈治郎の充実、四季を盛り込んだ色彩豊かな舞台など、見応えがあっ
た。
- 2000年10月8日(日) 15:21:59
2000年 9月・歌舞伎座
(夜/「妹背山婦女庭訓・御殿」「菊晴勢若駒」「二人椀久」「魚屋宗五郎」)

歌舞伎座の2階ロビーで五代目歌右衛門の六十年祭の特別展示をしていた。「妹
背山婦女庭訓・三笠山御殿の場」の福助(お三輪)を観た後の幕間に拝見した。
終わったばかりの「御殿」。福助の、お三輪を観ていて、私はいつもの福助と違
う「役者」が福助の演技のなかからにじみ出るように見えた瞬間が何度かあり、
不思議な気がしていた。その「役者」は「父親の芝翫ではないし、当代の歌右衛
門に似ているのかな」とも考えたが、どうも違う。しかし、これまでの福助とも、
確かに違う。謎の「役者」は、誰だろうと、思いながら地下食堂で食事を済ませ、
2階に戻って来て、たまたまロビーで開かれている五代目歌右衛門の特別展示を
覗いていて驚いたのだ。

1888(明治21)年に豊原国周が描いた「春遊四季の詠」という浮世絵のな
かに、謎の『役者』がいたのだ。その四代目福助(後の五代目歌右衛門)に当代
の福助が、あまりにもそっくりだったからだ。日本髪に和服、手に洋傘を持って
いるという、当時では時代の流行の最先端という扮装なのだろう。特に、目が似
ている。「浮世絵だからかな」とも思ったが、いっしょに展示されている五代目
歌右衛門扮する「玉菊」の写真(大正15年5月歌舞伎座で撮影)を見ても、
「やはり、似ている」のである。「そうか、さっき観た『役者』は、五代目歌
右衛門だったのか」。五代目歌右衛門は当代福助の祖父に当たる。

夜の部のハイライトは、「妹背山婦女庭訓・御殿」のお三輪役の福助という思い
で、歌舞伎座の玄関を潜った。久しぶりの銀座は、あいにくの雨だった。限ら
れた時間のなかで、神田・神保町の書店を廻り、銀座の画廊で久しく知り合いの
画家「建石修志展『書物と衣裳』」を覗き、さらにデパートも廻って来た。

「御殿」の橘姫(松江)と求女(梅玉)のふたりは、ミステリアスであった。
先日観た「一條大蔵卿」に、ふたりで扮していたあのスパイのカップルのように
見えた。特に、松江が良い。ことし、この人は確かに変わった。存在感が強くな
ったと、思う。恋する女の必死さが出ている。姫に兄・入鹿が禁廷から奪った剣
を取り戻してほしいと唆しながら、少し「おどおどしている」求女の梅玉との対
比が際立つ。

姫が帰って来て、迎えに出る官女たちは、6人。このあと、求女につけた苧環の
糸を手繰ってついてきた結果、「図らずも入鹿の御殿に入り込んでしまった」商
家の娘・お三輪を虐める「いじめの官女たち」は、8人。前半の官女たちと後半
の官女たちを演じる役者は、前半が女形、後半は立役と、根本的に違う。通常、
この違いは、女形は、根っからの悪女や底意地の悪い女を演じない、歌舞伎の
女形は、「心身共に美しい」から、などと説明されている。なぜ、そういう演出
をするのかと、私は舞台を観ながら考えた。そして、気がついた。この「御殿」
の場合、後半の官女たちも、本当は女形の演じる官女たちと変わりが無いはずな
のに、「不思議の国」の「御殿」に紛れ込んでしまったお三輪の「不安、恐怖
心」という内面が、いわば「幻想」するものとして、立役が演じる「いじめの官
女たち」というバーチャル・リアリティを、観客に感じさせるというのが、原作
者・近松半二の狙いであったのではないかということだ。お三輪の「不安、恐怖
心」が、普通の官女たちを、グロテスクに、意地悪に、「変型」させてみせる、
それが「いじめの官女たち」の正体ではないか。グロテスクのクローズアップ、
それが立役に演じさせる官女たちという「幻」。

「幻」、つまり、幻覚症状が出始めたお三輪。幻に虐められるお三輪。不安感が
増幅するグロテスクな恐怖。「嫌いかや」「帰りや」というお三輪を攻め立てる
「いじめの官女たち」の罵声。それは、恰も、お三輪の頭のなかにだけ渦巻く声
なのではないか。酌取りの役を教える振りの虐めも、お三輪の頭のなかでの想像。
そういう風にして、舞台を観ているとお三輪を虐めたあ後、奥に引っ込もうと
する「いじめの官女たち」を引き戻そうとするお三輪。倒れる官女。その官女
が前の官女の袴の裾を踏み、「ドミノゲーム」のように次々に倒れ込む「いじめ
の官女たち」の8人の、「ひと固まり」が、私には、恰も、お三輪の身体から抜
け出した「魂」、つまり「人魂」のように見えたものだ。そういうものが見えて
しまうと、その後、ばらばらのひとり一人に戻った「いじめの官女たち」は、
「人魂」の分身の集まりのようにさえ見えてくるから不思議だ。お三輪のなかに
あった魂、心が離れて行き、まるで抜け殻のようになったお三輪。「正気」から
「狂気」へ転換するためには、そのぐらいの想像力が無ければ、できないだろう
と思う。

そういう彼女の頭脳のなかの幻覚症状を観客に納得させる演出が、「いじめの官
女たち」が舞台から消えた後、独法師(ひとりぼっち)になった、お三輪の耳
(それは、もう観客の耳そのものだが)に、聞こえてくる姫と求女の「婚礼」を
告げる「三国一の婿取り・・・」という「いじめの官女たち」の、お三輪にとっ
て、虐めの極みの声の結果、嫉妬に狂い「疑着(ぎちゃく)」の相という、お三
輪の「内面の真相の外面化」という、いくら歌舞伎とは言え、荒唐無稽な発想を
江戸の庶民も納得しなかったのではないかと思うのだ。不安感からくる幻想、幻
想の極みとしての狂気に至る嫉妬。そこまで半二は、考えていたのではないだろ
うか。

「「妹背山婦女庭訓・御殿」を観るのは、2回目。前回のお三輪は、雀右衛門
で、そのときには、このような感想を抱かなかったが、今回は、なぜそのように
感じたのか、それは、私自身にも判らない。ただ、この演目のハイライトである
「疑着(ぎちゃく)」の相の場面は、雀右衛門の方が、迫力はあった。

しかし、福助が、いま、変わろうとしていることは、間違い無いだろう。梅玉・
松江の求女と橘姫の登場ということは、本来、当代の歌右衛門が元気なら、当
然、お三輪は歌右衛門が演じただろう。病身の歌右衛門が演じることができな
いとしても芝翫の、お三輪は考えられない。歌右衛門が演じた演目を弟の芝翫
や雀右衛門が演じることは、いま、ままあるが、それは、年令が近い実力者た
ちによる、いわば「代役」としての、ワンポイント・リリーフという形だろう。
歌右衛門の藝を引き継ぐのは、変わりはじめた福助であり、最近、歌右衛門の
藝の継承に意欲を燃やしている玉三郎であり、ということだろうと強く感じる
舞台であった。

舞台で気がついたこと。「いじめの官女たち」が、お三輪に馬子唄を唄わせる
ために扮装を替えさせるとき、6人の官女たちが後ろを向き、お三輪の姿を観
客から見えないようにするが、赤の袴が、本来なら黒衣が広げて掲げる「赤い
消幕」のように見えた。「いじめの官女たち」が、お三輪に酌の取り方を教え
る振りをする場面では、私が、この年になって始めたゴルフ教室のインストラ
クターが教えて下さるグリップの持ち方、クラブの振り方の難しさを思い出し
て、笑ってしまった(私を教えて下さるインストラクターは、親切な上に、教
え方も巧いと思っている。決して虐められてはいないのだけれど)。

夜の部の劇評が、「御殿」にばかり集中したので、後は要点のみとしたい。
まず、「菊晴勢若駒」。「神谷町」一家の、芝翫の子供たち(福助、橋之助、
娘婿の勘九郎)と孫たち(児太郎、国生、宗生、そして七之助)の、21世紀
の歌舞伎を背負う人たちの晴舞台で、口上もあり、おめでたい。

「二人椀久」は、4回目。富十郎・雀右衛門が今回を含めて2回目。仁左衛門・
玉三郎が2回。この演目で、舞台が綺麗なのは、やはり仁左衛門・玉三郎。舞台
が巧いのは富十郎・雀右衛門。「御殿」が、ひとりの若い娘の狂気と幻想の物語
なら、こちらは、ひとりの男の狂気と幻想の物語。この舞台では、皮肉なことに、
普通なら「狂気」の代名詞である「月」が、現実と正気を演出する。「椀久」
こと、椀屋久兵衛が狂気の果てに見る幻想の女・松山。舞台が明るくなると、崖
の上に大きな松の木がある。松は、久兵衛。崖の向こうに見える満開の桜の木々
は松山。つまり、霊であり、幻影である。

「二人椀久」は、狂気と霊が見せる幻の踊りなのだ。踊りながら、2回、手を握
りあう場面を演じるふたり。お互いの衣裳を替えあうふたり。富十郎・雀右衛門
のふたりの踊りは、それぞれの手足の指の先まで、息がぴたりと合っている感
じだ。恐らく、いま、「二人椀久」を踊らせたら、このふたり以上の舞台はない
だろう。それだけに、ふたりの所作は、濃厚なラブシーンそのものだ。「官能」
とは、こういうもののことを言う。それにしても、この夜のふたりは、最高だっ
た。狂気は覚めないが、霊は、やがて消える。

衣に描かれた手紙。ふたりの踊りの間で行き来する手紙。それは、天女の羽衣の
ように私には見える。やがて、羽衣を手に舞台中央のセリから消える松山。久兵
衛の手にある羽織の色が、青から黒に変わっている。幻の満開の桜も、いつしか
消えている。代わりに、消えていた、あるいは久兵衛に見えなくなっていた
(と言うことは、観客にも見えなくなっていた)月が、皎々と、そして寒々と照
っている。私達が観ていた舞台は、すべて久兵衛の狂気の頭脳のなかの世界に過
ぎなかったことを、改めて思い知らされる。神秘力のある「笛」の音が、甲高い
音で劇場をいっぱいにする。

「魚屋宗五郎」は、2回目。前回の宗五郎は團十郎。今回は勘九郎。この芝居
は黙阿弥が五代目菊五郎に頼まれて書いた「酒乱物語」。それだけに、酒に酔っ
てゆく様を、どう演じるかにかかっている。團十郎は「勧進帳」、「鳴神」、
「義経腰越状」など酒に酔ってゆく様を演じて定評があるが、勘九郎も巧かった。

序幕では、茶屋娘・おしげ役の芝のぶが、相変わらず初々しい。宗五郎の父親を
演じた鶴蔵は好演。小奴・三吉の獅童の演技が、少し浮いている。宗五郎・勘九
郎の声が、この人には珍しく通りにくいと、思っていたら、酔っぱらった後の、
声高の話し振りと対比させていたことに気付き、このひとの藝達者振りを改めて
痛感した。この場面では、「酒の角樽」が、もうひとつの「主役」だろうに、
「酒樽」の、重さの表現が、役者のよってまちまち。福助が宗五郎の女房・おは
まを演じているが、最初は地味。どこから世話女房として精彩を見せてくるか、
愉しみにしていたが、あまり発揮されず、残念。

二幕目、第一場。四郎五郎が、いつもより良い役の、憎まれ役・岩上典蔵を演じ
ている。家老の浦戸役で、東蔵が良い味を出していた。第二場。殿様の磯部役の
富十郎は、悲劇を引き起こした張本人だが、格好よすぎる。

勘九郎の序幕の酔いの深まりの演技は、充分に見せてくれたが、第二場の、泣き、
笑い、怒りの、いわゆる「三人上戸」の場面は後半の見どころだが、もうひと
つ印象に残らなかった。いずれ、菊五郎で観てみたい。

さて、五代目歌右衛門の資料展が、今月25日から10月29日まで東京・早稲
田大学の「演劇博物館」で開かれる。次いで、11月15日から来年の1月28
日まで山口県長門市の「ルネッサながと」で開かれる(「演劇博物館」は無料)。
いずれ、見に行きたい。
- 2000年9月24日(日) 15:48:08
  番外編(人形浄瑠璃)
2000年 9月・国立劇場
             (「仮名手本忠臣蔵」第二部)

人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」は、大夫の竹本住大夫、三味線方の竹澤団六、人
形遣いの吉田玉男、吉田簑助、吉田文雀という人間国宝の出演での、通し公演
とあって、大序から六段目までの、第一部は早々と全期間中売り切れ、第二部も
残り僅少という状況であった。私も、残念ながら第二部のみ拝見。

人形遣いでは、大星由良助(玉男)、おかる(簑助)、戸無瀬(文雀)という布
陣。大夫では、住大夫が「山科閑居の段」の前半をひとりで語るという演出。後
半は豊竹十九大夫。

先ず、舞台は「七段目 祇園一力茶屋の段」。下手に茶屋の玄関先、中央に座
敷、上手の二階座敷が舞台に、ちょこっとしか出ていない。ここが歌舞伎とは大
違い(いずれ舞台の展開で座敷が下手へ、二階座敷が、もう少し真ん中へと移動
することが判る)。

塩冶判官の月命日を前に、高師直方に寝返った斧九太夫が鷺坂伴内を連れて、由
良助の様子を探りに来る。次いで、塩冶の同志たちも由良助の気持ちを確かめに
来る。この場面と後のおかるとの関わりでは、足軽の寺岡平右衛門が重要な役割
であることが歌舞伎より鮮明に演出される。上手の床の大夫たち(大夫の語り
は、登場人物別に一人一人の大夫が付き、語り分ける)とは別に、下手に臨時の
床が運び込まれ、見台無しで大夫が語るという形で、平右衛門の役割の重要さを
観客に印象づける。本来なら豊竹呂大夫の担当だったが、初日の午後、呂大夫逝
去ということで、坊主頭の千歳大夫が代行。呂大夫のご冥福を祈る。

「一力」の暖簾は、「万」と読める。京都の実在の「一力茶屋」の暖簾も「万」
と読めるということを、どこかで読んだことがある。話の展開は、基本的に歌舞
伎と同じ。大星由良助(玉男)は、敵も味方も騙すが、平右衛門には、真意を伝
える。玉男の由良助の動きには、家老としての品格、器量の大きさを表現してい
て、すがすがしい。「忠臣蔵」には、由良助の出番は、いろいろあるが「七段目」
が難物というのも頷ける。

おかる(簑助)は、ゆったりした表情の簑助が、おかるに「女形」の色気を滲ま
せて行く。簑助の無表情と人形の色気のある所作の段差という、「使い方」も
堪能できる。おかるが二階座敷から梯子で降りてくる場面は、玉三郎と人形と
「色気」に違いはなかったように見受けられた(二階座敷からおりるおかる。梯
子が「船のように揺れる」と言って、立ち往生する。由良助が「道理で舟玉さま
(女性器)が見える」と、おかるをからかう、件の場面である)。

しかし、この場面は、歌舞伎では判らなかったが、人形浄瑠璃では、人形は、
当然の事ながら役者ではないから、人形だけが梯子で降りるわけには行かない。
そういう場面で「舟玉さま」談義という、下世話な台詞を大夫にやりとりさせて
おき、観客の笑いを誘って、観客の関心をそちらに引きつけておくやり方で、そ
の間に人形遣いが二階座敷から姿を消し、舞台裏を廻り、舞台上手から再登場、
何事もなかったかのように、再び人形を遣い始めるという、舞台裏の事情があっ
て、生まれた台詞のやりとりと見受けたが、いかがであろうか。それは、「義経
千本桜」の「四の切」・河連館の狐忠信の「出現」を印象づけるために、誰も出
てこないのに、向こう揚幕をちゃりんと音だけ聞かせて、観客の関心を舞台の後
ろに引きつける手法と同じ効果を期待しているように思う。

人形浄瑠璃の場合、切腹などをした人形を舞台に於いたまま、人形遣いが全員腰
をかがめて舞台から姿を消すことはよくあることなので、人形浄瑠璃を見慣れた
観客の目には、人形だけが舞台に残されるという場面を観ても、なんら奇異には
感じなかったと思う。

「八段目 道行旅路の嫁入」から「九段目 山科閑居の段」の前半は、男のドラ
マである「忠臣蔵」では、数少ない「女のドラマ」の場面だろう。「八段目」で
は、大道具が従来は、富士山の場面から近江八幡への展開が、上手から下手へ動
かすことで処理していたそうだが、それでは東西の地理関係が逆になると言うこ
とで、今回は、前の場面が下に倒れ、後ろから次の場面が出てくるというやり方
で、違和感がなかった。

今回は、歌舞伎ではやらない場面として、九段目の「山科閑居」の場面の前に、
「雪転がしの段」がある。由良助が一力茶屋から山科に帰ってくる場面があり、
物語としての「忠臣蔵」の筋が、一段と明確になった。「一段と」という言葉も、
人形浄瑠璃の「一段、一段」のメリハリの仕組みと、関係のある言葉のような気
がするが、いかがだろうか。

酔っぱらった由良助が、祇園からの朝帰りの際、太鼓持ちや仲居たちと一緒に雪
だるまを作りながらおぼつかない足取りで帰ってくる。そういう、なんと言うこ
とのない場面だが、華やかな一力茶屋と静かな山科閑居の場面を繋ぐ、味わいの
ある場面だった。人形遣いは、普通、頭と右手を遣う主遣いは、顔を出していて、
左手と脚を遣う人たちが、黒い頭巾で顔を隠しているのと区別をしているが、
「雪転がしの段」では、三人遣いの全員が顔を隠していたのも、この段、特段の
演出なのだろう。「特段」という言葉も、人形浄瑠璃がらみの言葉か。

さて、「山科閑居の段」の前半は、人間国宝・竹本住大夫の一人語り。ところで、
山科閑居の大道具の上下が、歌舞伎や通常の人形浄瑠璃とは違う「逆勝手」と
呼ばれる珍しいものであった。木戸が上手にある。雪持ちの竹を使って、由良
助が雨戸(舞台では、障子だった)をはずす場面を観客に印象づけるための演出
という。歌舞伎でも同じ場面があるが、こちらは、大道具の上下は、通常と同
じ。

「山科閑居の段」は、義太夫節でも最高の大曲と言われる。それを、それまで
の場面と違ってひとりで語るのである。塩冶判官を松の廊下での刃傷事件の際、
判官を抱き留め、判官の思いを阻害したとされる加古川本蔵の妻・戸無瀬と娘・
小浪。小浪は、実は由良助の子息・力弥と縁組みの約束があった。

由良助の気持ちを忖度して縁組みを拒否する妻・お石とのやりとりは、母親同士
の争い、両方の母と子の情を絡めての「女のドラマ」が火花を散らす場面だ。

ここを人形浄瑠璃の舞台では、黒い衣装のお石、緋色の衣装の戸無瀬、花嫁の白
無垢の衣装の小浪という、際だった衣装の対比(これは、歌舞伎も同じ)のほか
に、住大夫のひとり語りで、「女のドラマ」を観客に印象づける。特に、「継母」
戸無瀬と小浪は、義理の関係の「母と娘」というだけに、「実母」お石と力弥と
いう関係の「母と息子」という要素より、よほど強くドラマ性を担っていると
思われる。それが、わずか一夜とは言え、「小浪のために」若いふたりの「儚い
契り(セックス)」の時間を実現させる。若いふたりの婚礼と本蔵の葬儀。人生
の局面は、どこまでも対照的だ。

後半の本蔵と由良助の、父親同士のドラマになると、大夫は十九大夫に替わるわ
けだから、前半と後半の印象は、人形の動きという舞台だけでなく、義太夫節
の「声」でも、がらりと替わる仕掛けになっている。実際、哀切感を漂わせた住
大夫の声と野太い十九大夫の声の、切り替わりはドラマチックだった。「母の愛」
という女のドラマ。「武士道・忠義」という男のドラマ。ここの「男のドラマ」
も、「忠臣蔵」という仇討ち物語の本筋に立ち返った展開なので、深みはないが、
ここの「女のドラマ」は、「男のドラマ」を、いわば、「装った」なかに、紛れ
込まされた「伏流水」のようで、「この部分を誰が書いたか」というのは、私に
は、ことのほか興味深く感じられた。

こういう、物語の筋についての演出上のメリハリは、この「演目」が、もともと
人形浄瑠璃だったということを改めて思い出させる。役者が演じる歌舞伎では、
出しにくい演出だろう。

この演出については、並木宗輔のドラマづくりの「思想」とも、関わりがあるよ
うな気がするので、もう少し調べて、次作「歌舞伎伝説(仮)」のなかで、解明
してみたいと思っている。

最後が、「十一段目 花水橋引揚の段」で、本懐を遂げた由良助たち一行を馬に
乗って駆けつけた若狭助が一行を勇気づける場面である。人形浄瑠璃の馬を初め
て拝見したので、おもしろかった。三人遣いの脚遣いは不要で、馬上の若狭助の
人形を伸び上がるようにして遣う人の腰を支えていた。一方、馬のなかには、本
当の馬の脚役がひとり入っていた。人形浄瑠璃に「馬の脚」役がいる、おもしろ
さかな、というところか。




- 2000年9月14日(木) 23:06:55
2000年 9月・日生劇場
            (「夢の仲蔵」特別付録〜『劇中劇』考〜)

「夢の仲蔵」には、「劇中劇」として、歌舞伎の4つの演目が上演される。先の「夢
の仲蔵」劇評で、書き足りなかったことを、「批評中批評」という特別付録として補
足したい。

「夢の仲蔵」に登場する劇中劇は、以下の通り。
「仮名手本忠臣蔵」、「娘道成寺」、「蘭平物狂」、「関の扉」である。

このうち、「忠臣蔵」の五段目「山崎街道」は、初代中村仲蔵が、従来の定九郎役が、
野暮ったい鬘や衣装の山賊姿(単純な悪者という想定)だったのを、定九郎が塩冶判
官家の大星由良助と並ぶ家老職にあった斧九太夫(事件後、高師直方に寝返る)の息
子(上流家庭の子息)であり、九太夫に勘当された無頼漢(人外境に落ちた者)とい
うことから、もっと「屈折した悪者」というイメージを強調して、いまのような黒い
衣装や鬘などに替えた、という仲蔵の「工夫魂胆」の始まりになった芝居である。当
時の舞台だけでなく、歌舞伎の「歴史」そのものへの仲蔵のデビュー作である。それ
だけに、この演目が、「夢の仲蔵」の劇中劇に出るのは、当然で、仲蔵を演じる幸四
郎の、いつものオーバーな演技は、この場合、極めて適切で、納得のゆくものだった。

また、勘平を「演じる」五代目市川團十郎を「演じる」(という、演技の「二重性」
が、こういう芝居のおもしろさ)染五郎も良かったと思う。館内からは(というより、
誰か役者の声だろうが)「栄屋」(初代仲蔵の屋号)、「成田屋」という掛け声が、
「高麗屋」親子にかかるという愉しさ。「ライバル物語」らしい最初の展開で良かっ
た。

別の舞台では、架空の屋号と現実の屋号が、交互に場内を駆けめぐり、歌舞伎を演じ
る歌舞伎役者を演じる歌舞伎役者がでる歌舞伎という、この新作歌舞伎の持つ、演劇
空間の多重性を見せつける面目躍如の場面も展開した。

舞台上手の附打ち(渡辺恒)も髷をつけていた。出語りの、竹本の大夫(「太夫」で
はない)や三味線方も、頭に髷を載せていた。床には本物の蝋燭が立ててあった。
出囃子の長唄、常磐津、三味線方、四拍子の人たちは、さすが大勢なので、全員に髷
を用意すると経費もかかるだろう(なぜなら、鬘はすべて個人に合わせた特注品だか
ら)から、頭に頭巾をかぶっていた。

日生劇場なので鳥屋もなければ、花道もないという「市村座」の体なのだが、鳥屋の
ない向こう揚幕に染め抜かれた「紋」(葉っぱに、林檎を二つに切った模様)は、市
村座のものなのだろうが、まだ、確認する暇がない。向こう揚幕の、その「向こう」
は、実は、客席の入り口(つまり、いまようのモダンな扉)に、繋がっているという、
この不思議さ。恰も、「タイムスリップ」するための、不可思議な時空への入り口の
ように、私には見えた。いずれにせよ、隅から隅まで、江戸時代の市村座の舞台の
「体」である(歌舞伎や人形浄瑠璃の台本のおもしろさは、ト書きの「体」という
概念([「らしさ」の世界)にあるのではないかとさえ、思う)。

ならば、いっそのこと「極付幡随長兵衛」・通称「湯殿の長兵衛」の江戸村山座の舞
台のように、「劇中劇」ならぬ「舞台中舞台」のような、もう一工夫できなかったか
と思う。せめて、日生劇場の舞台の柱に、市村座の「体」を装えなかったか。「海神
別荘」のときには、場内の客席から天井まで「海神別荘」の「体」にしたのが、日生
劇場だったではないか。

次の「娘道成寺」では、五代目團十郎が、花子を踊っていたが、五代目は、女形の役
もやったということだが、物の本によると役柄は「岩藤」や「かさね」という名前が
上がっている。「岩藤」は、「八汐」と同じように、いまでも立ち役が演じる「女形」
だが、こういう役をやる人は、花子はやらないような気がするが、どうだったのか。
吉右衛門や仁左衛門の「岩藤」や「八汐」は、名演だったが、彼らの「花子」は、
目に浮かばない。この演目を劇中劇に選んだことに、若干違和感を感じたのは、私だ
けか。

ただ、仲蔵は花子を演じた。その仲蔵の得意な「娘道成寺」の花子という主役を取ら
れた腹いせに、團十郎代々の家の芸・荒事の「暫」に出てくる鎌倉権五郎の出で立ち
で「押戻し」の役を演じる仲蔵の「工夫魂胆」という強気は、表現されていて、これ
はこれで演目の選び方としては、史実かどうかは別として(つまり、私の違和感は違
和感としながら、今回の芝居が、先の私の劇評で触れたように「工夫魂胆の役者」と
「伝統の家の芸を守る役者」の、ライバル物語というテーマからみれば、おもしろ
い演出だと思った。これは、演出家の勝ち。

「蘭平物狂」は、五代目團十郎が出てこないので、「ライバル物語」舞台編という本
来の目的からは、はずれているが、仲蔵が藝熱心のあまり「狂乱」、「物狂」にな
ったという記録があり、また仲蔵自身が「仲蔵物狂」という演目を舞台に掛けていた
ようだから、舞台のなかで、蘭平を演じる仲蔵が狂うというアイディアも捨てたもの
ではないと思う。松井今朝子という松竹の歌舞伎演出に携わっていたことがある時代
小説家の作品に、確か「仲蔵狂乱」という小説がある。この小説もおもしろかった。

「関の扉」は、團十郎が墨染を演じるというのは、花子同様に、私には違和感が残る
のだが、関兵衛の演技に「仲蔵ぶり」という所作が、いまも残ることから見れば、劇
中劇として選ぶというのは、うなずける。「仲蔵狂乱」という演目が「関の扉」と
リンクして演じられた「重重人重小町桜(じゅうにひとえこまちざくら)」という
演目の所作もの(舞踊劇)という関連性もある。

こうして見てくると、それぞれの演目は、仲蔵との関連で見て行けば、決して違和感
のないことが判るが、それを五代目團十郎との「ライバル物語」の舞台という枠に押
し込もうとすると、「仲蔵のライバルとしての團十郎との競演」という舞台を設定す
る演目として、いくつかの演目が團十郎の役柄としては、私に違和感を抱かせたとい
う構造がはっきりしてくるように思う。

いずれにせよ、極めて意欲的な新作歌舞伎であった。裏舞台の「幕内」の場面も、動
く歌舞伎図鑑という感じで、今回の舞台には表も裏もともに、さまざまな情報が埋ま
っていた。私が気が付いたものもあれば、私の知識の浅さ、ウオッチングの能力の非
力さで、見落としているものもたくさんあっただろうと思う。

最後に、「関の扉」の引っ張りの見得で幕。引幕が一旦しまった後、なんと「カーテ
ンコール」があり、幸四郎、染五郎の握手まであり、最後に緞帳が降りてきて、本当
の幕。引幕は、劇中劇の幕。つまり、市村座の幕。そして、降りてきた緞帳は、日生
劇場の幕、ということで、この芝居の「二重性」は、この「遠眼鏡戯場観察」では、
ひとつの演目の劇評が、二回に渡るという例外的な措置をして、いずれもさまも、お
疲れさま。「こんにちは、これぎり」(大原独白に「拍子木」)やっと、幕。
- 2000年9月13日(水) 20:47:28
2000年 9月・日生劇場(松竹九月公演)
          (「栄屋異聞影伝来 夢の仲蔵」)

新作歌舞伎の魅力とは、なんだろう。歌舞伎は、もともと「傾(かぶ)く」とい
うように、新奇なものを好んだ。歌舞伎とは「当世風」たろうとする演劇であっ
た。だとすれば、新作歌舞伎こそ、歌舞伎「演出」の原点だ。原作者の工夫魂胆
とそれに基づく新趣向こそ、新作歌舞伎の醍醐味だろう。今回の新作歌舞伎は、
幸四郎劇団「梨苑座」の旗揚げ興行だ。原作は荒俣宏。博覧強記のもの書きとし
て知られるだけに、どういう趣向が出てくるか愉しみだが、ここは、舞台を観て
感じたままを、とりあえず、箇条書きでまとめておきたい(いま、手許に歌舞伎
関係の資料などないままで(記憶にある範囲で)、以下の論考を書くので、いく
ぶん「強記」(あるいは、「仲蔵もの」だけに、私も「狂気(物狂)」の気味が
あるかも知れない。従って、私の文章に不正確な部分もあるだろうと、思う。そ
の場合には、いずれ後日、訂正したい)。

1)原作者の工夫魂胆とは何か。

まず、劇場内に入ると、すでに幕は開いている。舞台には「仮名手本忠臣蔵」の
「城明け渡し」の場面に使われる(これは、後に「使われた」ということが判る)
赤門の大道具がある。大道具は、上手を軸にすれば、下手側が舞台奥にやや引き
ずられて、つまり、やや斜に置かれているのである。しかし、場内に入って来た
多くの観客は、この「趣向」を充分に理解していたかどうか。やがて、大道具方
が舞台に出て来て、黙って、この大道具を片付けはじめる。薮の造りの大道具が
運び込まれる。さらに、藁を干す棚が持ち込まれる。立ち木も持ち込まれる。舞
台を掃除する人もいる。場内の観客は、まだざわついている。私の後ろの席の御
婦人方、自分たちの話に無中で、声高なおしゃべりをやめない。

いつのまにか、普通の髪をした大道具方がいなくなり、かわりに髷の鬘を付けた
大道具過方に替っているのに気がつく。黒幕を背景にした「忠臣蔵」五段目の
「山崎街道の場面」になっている。それも髷を付けた人たちが準備をしている。
やかんの水を口に含み、棚の藁に霧を吹き掛けている。いまなら、機械で吹き掛
けるのだが・・・。舞台稽古のときの舞台の設営の仕方と全く同じだ。やがて、
上手から引幕が閉められる。つまり、ざわつく場内で、私たちが観て来たものは、
すでに江戸の市村座の「体」で、幕の内側の場面展開の場面を既に観ているとい
うわけだ。

観客は、場内に入ったところから、すでに原作者や演出家の工夫魂胆の成果を見
せつけられているのだが、これに気が付かないとしたら、入場料の幾らかを損し
たことになる。

荒俣宏の「原作者仰天ばなし」によれば、「今回の舞台は役者の裏の顔、つまり
楽屋での生きかたを描いてほしい」と注文されたそうな。そこが、原作者の工夫
魂胆なら、観客たるもの、劇場に入ったら、「劇的空間」を、素早く察知したい
ものだ(ちなみに、劇場内と「劇的空間」とは、違う。「劇場内」は、単なる場
所を示すが、「劇的空間」は、ドラマチックである。新作歌舞伎には、かような
工夫魂胆が隠されていることがあるから、「夢々、油断めさるな。観客どの」。

従って、今回の芝居は、劇中劇の間間に挟まれる、楽屋の場面や舞台の準備の場
面など、こういう「幕内」の場面を、きちんとウオッチングしたい。舞台の準備
は、歌舞伎座の場合、初日が開く、前日と前々日に舞台稽古をするが、そういう
場面でしか普段なら見ることができない場面を、今回の舞台は見せてくれる。

特に、「市村座内仲蔵の楽屋」の場面が2回あるが、これは貴重な場面だ。1階
の頭取の部屋、栄屋・仲蔵の楽屋内、2階(中二階)の三枡の紋の染め抜かれた
暖簾のある團十郎の、同じく楽屋内、高麗屋の楽屋外の廊下、3階(本二階)ヘ
繋がる階段などがある。各楽屋には、鏡台など、いろいろな道具が置かれている。
貼紙がある。贔屓からの差し入れの品が書いてある貼紙。頭取からの楽屋内の注
意書きもある。廊下にも頭取の注意書き。火の用心の貼紙。実に「藝」が細かい。
「幕内」に登場するのは、役者は勿論、弟子、床山、道具方、出前持、楽屋番、
舞台番、頭取、奥役(いまならプロデューサー)と、歌舞伎の解説書に出てくる
役回りの人たちが、「実物」で出てくるから、ためになる。幕内の階段をどたど
たと登る女形。男の日常に戻っている。外から楽屋に入り、頭取部屋に挨拶する
人。各楽屋を繋ぐ廊下を行き交う人々。

役者の舞台へ出るための、化粧、着付け、鬘、そして最後に両の手を白塗りする
などの手順。私が国立劇場の楽屋で、素顔から舞台に出るまでの手順を見せてい
ただいたときと同じ手順で進む。これは、普段の芝居では、絶対に観ることはで
きない。そういう意味で、新作歌舞伎の魅力充分の「工夫魂胆」だと思う。しか
し、それなら、その「趣向」をもっと徹底させて、劇中劇の「表舞台」と楽屋な
どの「裏舞台」との、替り目の、大道具の設えを、暗闇のなかでしないで、観客
に見える程度の灯の元でやってほしかったと思う。勿論、大道具方も髷を載せて
いてほしい。そうすれば、観客の江戸時代の芝居小屋へのタイムスリップ感は、
もっと強烈になったと思う。

2)五代目團十郎(染五郎)は、ここで演じられるような人だったのだろうか。

五代目團十郎は、俳句でも一流の人だったらしい。当時の歌舞伎役者としては、
かなり文人だったようだ。四代目團十郎の実子で、家の藝の荒事もさることなが
ら、女形もこなしたという。引退後は、文人生活をしたのではなかったか。四代
目は、初代幸四郎の養子だが、実は二代目の子という説がある。三代目が夭折し
てしまったために、海老蔵(前名二代目團十郎)に請われて四代目を継いだ。元
来は陰影に富む「実悪」の役者だったと言う。四代目は、「木場の親玉」と言わ
れた人で、江戸川柳にもたびたび登場する。代々の團十郎のなかでも、かなり有
能な人だ。深川木場の自宅で「修行講」という、いわば後輩役者を育てるための
「塾」のようなものを主宰していた。そういう四代目の後を継いだ五代目のイメ
ージからすると、染五郎の演じる五代目は、違うのでは無いかという気がする。
この違和感は、幕が降りるまで変わらなかった。染五郎の五代目が出て来るたび
に、それが気になって仕方が無かった。もう少し。五代目のことを調べてみたい。

3)そのほか、江戸時代の役者の格付けの描き方は、どうだろうか?

この芝居に出てくる役者のうち、仲蔵(幸四郎)は、主役だから別にして、四代
目幸四郎(弥十郎)、四代目芳沢あやめ(市川高麗蔵)、大谷廣次(松本錦吾)、
市川幾蔵(尾上扇緑)、山科四郎十郎(松本幸太郎)、尾上紋三郎(澤村大蔵)、
小野川常世(尾上菊三呂)、吾妻藤蔵(片岡嶋之丞、「丞」の字は、本当は口、
又)、松本山十郎(坂東みの虫)、中村此蔵(尾上音吉)などの固有名詞のある
役者の格付けは、ああいう描き方で、良いのかどうか。

どうも、役者の格付けというか、それぞれに演じられる役者の風格に、濃淡が無
さ過ぎると感じた。封建時代の役者たちである。幕内でも、そういう濃淡は強か
ったのでは無いか。特に、名跡の御曹子の五代目團十郎と力は付けて来たとは言
え、いわば「成り上がって来た」初代仲蔵の役者としての「格付け」、「風格」
の演じ方は、どうだろうか。要は、染五郎が演じる五代目團十郎の描き方が、弱
すぎるのでは無いかということだ。あるいは、逆に言えば、幸四郎が演じる仲蔵
が強すぎるということでもある。

幕内の描き方に「工夫魂胆」が感じられたのに、楽屋での役者の描き方、あるい
は、各役者の演じ方に、繊細さが感じられなかったのは残念。

4)物語の本筋は、「ライバル物語」なのでは、ないのか。

この芝居のテーマは、名跡を継ぐ、「華」のある役者・五代目團十郎と工夫魂胆
で、「写実」という新しい藝を作り出した成り上がりの、「実」で勝負という役
者・初代仲蔵の、いわば、ライバル物語であろう。しかも、それは歌舞伎の歴史
のなかで、次に来る新しい役者の世代と古い世代との「世代交替」の波を先取り
するものであった。團十郎家と言えども、七代目の時代には、「写実」を取り入
れ、「生世話もの」の世界へ入って行ったのだから。

そうだとすれば、このライバル同士の描き方が、弱い。先に触れたように、演じ
られる江戸の役者としての風格も、ライバルの拮抗にはなっていなかった。仲蔵
を幸四郎が演じるなら五代目團十郎は、当代の團十郎クラスが演じるので無けれ
ば、なかなか「拮抗」する演技にはならないのでは無いか。幸四郎・染五郎とい
う、実の親子で、歌舞伎の歴史の、いわばターニングポイントにあたる、五代目
團十郎と初代仲蔵の、ライバル物語を描こうというのは、少なくとも、いまの幸
四郎・染五郎の年齢・力・風格の差から言うと、なかなか難しいのでは無いか。
実際に、年齢だけを見ても五代目團十郎と初代仲蔵の年は、團十郎が5歳若いだ
けに過ぎない。

ここは、配役についての「工夫魂胆」が足りなかったのでは無いか。例えば、こ
の演目が歌舞伎界、全体の演目として、再演されるようになれば、仲蔵を富十郎
が演じ、五代目團十郎を幸四郎あるいは吉右衛門あたりという配役も、良いので
はないか。

- 2000年9月10日(日) 13:07:47
 2000年・歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」
                   (第3部/「東海道四谷怪談」)

南北の傑作は、やはり傑作であった。歌舞伎の舞台で「四谷怪談」を初めて観
た。歌舞伎の資料は、いまでは甲府の自宅に全て置いてあるので、ここでは今
回の舞台の印象を中心に、私の頭のなかに残っている記憶をもとに、とりあえ
ず、論点を4つに絞って、書きすすめる。それに、客席は、始終暗いので、い
つものような観察メモが取れない。ほかの人がすでに書いたようなことは書き
たく無い。
いずれ、「四谷怪談」については、別稿で、じっくりまとめてみたい。

1)場所の展開。

序幕は、浅草。浅草寺界隈から芝居町・猿若町に通じる「藪の内」という横町、
そして浅草寺裏の田圃。二幕目は、雑司ヶ谷。三幕目は、砂村の隠亡堀。今回
の舞台では、深川を省略して、序幕の浅草の、川向こう本所へ。「江戸」とい
う武士の街の中心には入り込まず、周辺の大江戸と呼ばれる地域を、楕円のよ
うに、歪んだまま、左回りに廻りながら、同心円状にスタート地点から川一つ
隔てた地点にゴールするこの趣向のおもしろさ。それは、江戸城を中心に張り
巡らされた堀や川の持つ淡水性と海水性の混じりあいという「汽水域」を、こ
の舞台展開が巧みに辿っていることに、気付かされる。例えば、序幕では、廻
り舞台は、ときには左へ、ときには、右へ。さらに右へ。鷹揚に廻る。また、
二幕目では、右へ。そして、左へ。この舞台展開が、当時の「汽水域」を経巡
っている。

いまの人には、「知識」がなくなっているが、この「汽水域」は、実は、江戸
の権力から空白となる空間なのだ。例えば、遺体。「四谷怪談」では、舞台に
は登場しないが、姿見川(いまの神田川上流、早稲田の面影橋のあたり)から
流されるのが、お岩と小平の、ふたつの遺体を括り付けた戸板だ。
遺体は、川辺に漂着しない限り、権力は手を出さない。ときには、役人によっ
て、遺体を下流に押し流す。淡水域から汽水域へ。汽水域から海水域(江戸湾
の湾口)へ。そして海へ。海は、当時では治外法権。政治の無い場所。だから、
江戸幕府は幕末になっても「黒船(外国船)」を、打ち払おうとした。そうい
う「お上」の意向、役人の対応を江戸の庶民は、知り抜いていた。つまり、庶
民の「常識」には、いまと違って、この「汽水域」という意識が刷り込まれて
いた。当然、南北はそれを踏まえて、「四谷怪談」の場所の展開に利用した。
これまで、台本の上で承知していたことを、今回は、鷹揚に廻る舞台の廻る
「方向」で、確認させられた。

2)近代人の登場。

民谷伊右衛門は、最初から「悪の個人主義者」という近代人。「家庭」無視。
つまり、お岩と嬰児という家族をないがしろにし、ふたりを捨て、家財道具も
売り払う。「会社」、つまり、お家断絶で、塩冶家という破産した会社をない
がしろにし、ライバル会社の高家への再就職を目論む。主君を選ばず、家族を
捨て、人も殺す。そういう欲望に負けたエゴイストの、近代人・伊右衛門を橋
之助は、きちんと演じていた。
伊右衛門違って、一見封建的に見えるお岩は、生前と死後では、性格が一変す
る。つまり、おとなしくて夫の言いなりで、めそめそしていたお岩は、死後、
「怨念」の固まりとなって、伊右衛門や隣家の伊藤喜兵衛一家を襲う。その行
動原理は、エゴイスティックなまでに鞏固である。「四谷怪談」を性格の違う
夫婦の悲劇というように解説している人もいるが、私は違うと思う。ふたりは、
あるいは、少なくとも死霊になったお岩は、伊右衛門と同じ性格を持つ、南北
の分身であり、南北が生んだ「双生児」の片割れだと思う。

そう、お岩も、また、「悪の個人主義者」だと思う。そういう「近代的」な原
理を南北は、形相の変わった顔を見る鏡、髪を梳く櫛、抜けた髪や流れ落ちる
血を受ける衝立て、柱に刺さった刀(お岩の直接の死は、アクシデントのよる
死であって、誰かに「殺された」わけではない)などという、小道具を駆使し
て、肉感的に、リアルに描いてゆく。顔が変わったお岩が蚊帳のなかから出て
くる場面では、恰も水膨れをした水死体が、水底から浮き上がってくるように
さえ見えた。具体的な小道具や化粧で、ひとつひとつ情念に形を与え、目に見
えるものにしてゆく。これが南北劇の特徴か。

お岩は、死霊になっても、魂を鎮められずに、宙空を彷徨い続ける。伊右衛門
も、与茂七に、敵と挑まれても「返り討ちにしてくれる」と言って、なかなか
殺されない。結局、魂まで死に切れずに、舞台狭しと、宙乗りを含めて「六方
(むほう・全方向)」に暴れ廻る、「無法」者のお岩。舞台では、殺されない
伊右衛門。これは、近代人の宿命を背負って、いまも生き続ける、ふたりの
「はやく来過ぎた近代人」の悲劇ではないか。

3)役者の魂胆。

そういうお岩の虚像を勘九郎は、その太めの肉体を、フルに生かして肉感的に
演じていたと思う。幕末に三代目菊五郎が演じ、戦後は勘三郎が演じ、そして
今回、勘九郎が演じた。私は、勘九郎のお岩しか観ていないので詳細には論じ
られないが、勘三郎のお岩も勘九郎のように、肉感的な気がする。鏡に向かっ
て、お歯黒を塗る場面、恐いはずなのに勘九郎の肉体が、お岩の向こう側に感
じられて、滑稽味すら感じてしまう。恐い可笑しみ。これも、勘九郎の藝の魂
胆なら凄い。歌右衛門、雀右衛門、雁(本当は、人偏に鳥)治郎、玉三郎なら、
また、ひと味もふた味も違うお岩が見られるだろう。

伊右衛門の橋之助は、男の色気は乏しいものの、悪さ加減の出し方は、生き生
きしていた。直助の八十助は、五代目幸四郎のように、左眉尻の上に黒子を描
き入れて、気合い充分。口跡も良く、「藤八、奇妙」の薬売りの場面から、
「強欲だなあ」と伊右衛門と悪の同志感を共有する直助権兵衛の小悪党になる
まで、存在感のある役作りをしていた。お岩の妹と小平(勘九郎)女房・お花
の福助。特に、最近存在感のある演技をする弥十郎の初役の宅悦が滅法良かっ
た。宅悦は、お岩の変貌ぶりを見届ける「目撃者」。もうひとりの「目撃者」
は、私達観客だ。つまり、目撃者・宅悦の恐怖は、観客の恐怖と同調しなけれ
ばならない。そこが、宅悦役者のしどころであり、また、難しいところだろう。
それを、弥十郎はきっちり演じていた。お梅の芝のぶも台詞が多くて、私はフ
ァンとして嬉しかった。講中の女のなかにいたはずの時枝さん。残念ながら、
今回は暗くて、良く判らなかった。

深川の「三角屋敷」の場面を省略するために、出て来た舞台番・鶴吉の吉弥
(鶴屋南北の「鶴」に吉弥の「吉」か)は、巧かった。お岩さまの祟りを強調
して場内を怖がらせていたが、その「予言」どおりのことが、やがて場内で起
こる。これも、演出家の魂胆だから、ここでは触れまい。劇場での体験にゆだ
ねたい。私は、間近で観たが・・・。それぞれの役者に、演出家に、歌舞伎座
に、夏の怪談話らしい、肚に一物の、魂胆ぶり(サービス精神)が溢れていた
ように思う。

4)「空間」と「音」の工夫。

まず、空間。
殺し場から祝言の場へ。そして、お岩の死霊に惑わされての殺し場へ。廻り舞
台だけで無く、南北の舞台展開は、完全な確信犯。芝居のおもしろさを知り抜
いた劇作家・南北の完全犯罪。殺し場の描き出すタナトスと白無垢の処女の婚
礼というエロスの裏表。それは、この世の二重性。隠亡堀の黒幕を落としてか
らのだんまり。この世なんて、所詮薄い皮、そのひと皮をひん剥いてみせれば、
血みどろの肉塊の集まり。芝居なら黒幕一枚で世界が変わる。提灯抜け、仏壇
返し、戸板返し、早替り、宙乗りなど、昔の人たちが考え出した、古怪な「機
関(からくり)」の数々。こういう「遊び心」の工夫。楽しもう、愉しませよ
うという、さまざまな趣向を実際に見ることができて、私も愉しかった。

次いで、音。
赤ん坊の泣き声の使い方が効果的だった。お岩と赤ん坊と伊右衛門。この可哀
想な家族。その悲劇性を一身に背負う小さな身体。そこから発せられる泣き声。
場面展開のときに、恰も音のクローズアップのように大きくなったり、小さく
なったりする泣き声。その泣き声は、単に赤ん坊だけを表現するのではない。
姿を見せぬお岩の存在感、赤ん坊のいるところに母親はいる筈という、私達の
想像力を、その泣き声は表現する。
小平とお岩は、勘九郎の早替り。上手、障子屋体に姿を消したお岩。屋体下手
の押し入れのなかで暴れる小平の物音。ふたりの同時存在。それは、音で表現
される。さまざまな場面で、効果的に使われる太鼓の音。南北は、芝居の「音」
を知り抜いている。

こういう演劇空間の、隅々まで生かし抜いた密度の高さ。南北の芝居は、いく
つも観て来たが、「四谷怪談」が、南北劇の極北と言われるのは、多分、そう
いう密度の高さが、南北自身の、ほかの作品を凌駕しているからであろう。
歌舞伎の魅力は、作者による世界構築。大道具、小道具の工夫による、世界の
具体化。役者による登場人物の肉体化。ひとつの演目も、役者が変われば、演
劇空間も変わってくる。今回の配役、舞台が南北の意図したものと同じかどう
かは知らない。とりあえず、「速報」的に今回の舞台の印象をまとめてみた。
- 2000年8月17日(木) 8:50:47
 2000年・歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」
            (第2部/「侠客人情噺〜愚図六〜」「紅葉狩」)

「侠客人情噺〜愚図六〜」は、新作歌舞伎で、今回が初演。最近は、新作歌舞伎
が舞台化されることも少ないし、一度舞台化されても、なかなか再演されないと
いうことで、新作歌舞伎を取り巻く状況は、厳しいものがある。そういうなかで、
若手・中堅の歌舞伎という、歌舞伎座の八月納涼歌舞伎では、毎回のように新作
歌舞伎を含む新歌舞伎が上演されていて、今年で11回目というのは、なんとも
嬉しい。今回の「侠客人情噺〜愚図六〜」は、事前の情報もあまりなかったので、
関心も薄いまま、舞台を拝見した。静岡と山梨のやくざの噺。

主役ではないが、黒駒の勝蔵が出てくる。黒駒の勝蔵と言えば、先日、仕事で山
梨県の河口湖町へ出張したとき、甲府盆地と富士山を隔てる御坂山地を通り、甲
府側と河口湖側を結ぶ「御坂みち」と呼ばれる坂道を車で登った。そのとき、桃
や葡萄の畑が多い地域に「黒駒の勝蔵の生地」という立て看板があった。黒駒の
勝蔵と言えば、「善の親分」静岡の清水の次郎長に対して、敵役の「悪の親分」
として、浪曲などで描かれていた。黒駒の勝蔵は山梨のやくざだったのだ。実際、
清水の次郎長は、浪曲で描かれるような「善の親分」ではなく、上昇志向の強い、
普通のやくざだったと言う。彼は幕末から明治維新を生き抜き、明治もかなり遅
くまで生き、長寿を全うした筈だ。黒駒の勝蔵も、確か萩原健一(ショー健)が、
歌手から俳優に転じた際の、最初の映画出演だったと思うが、通常の浪曲で描か
れるのとは違う黒駒の勝蔵役を好演していたのを、いまも覚えている。
今回の歌舞伎でも、勝蔵は橋之助が爽やかに演じてくれた。

ということで、さて舞台は、幕末。まず、いまの静岡県、東海道の由井、蒲原を
縄張りとする「岩渕源七の家」。度胸の良い親分という源七のところに数人の渡
世人(信二郎ら)が草鞋を脱ぎ、手慰みの博打に興じている。そこに現れる同宿
の「愚図六」こと、庵原の六蔵(勘九郎)。勘九郎は、毎回やくざものの上演に、
ファイトを燃やしてくれるので観ていても楽しい。今回も愉しみ。舞台遠見下手
に富士山。この富士山が、今回の芝居では、全ての舞台の背景に、ついてまわる。

勘九郎は、まず、その愚図ぶりで、まず客席を笑わせる。居合わせた渡世人との
博打に勝ってしまい、恨みを買う。これが後の展開にも結びつく。庵原の六蔵の
幼馴染みに疾風の綱太郎(八十助)登場。やはり同宿の勝蔵(橋之助)は、祐天
仙之助に仕返しをするため、甲州に行くと言う。その子分の大岩・小岩に八十助
の弟子、三平・みの虫が扮する。いつもより台詞も出番も多いのが嬉しい。岩渕
源七(坂東吉弥)が、顔中傷だらけの百戦錬磨の大親分で、喧嘩・出入りを前に、
渡世人たちに「一宿一飯」の義理を強要せず男気のあるところを見せるが、吉弥
は、親分役を「怪演」していて、場内の笑いを取っていた。出入りを前に、逃げ
るか、助っ人するか。悩む六蔵のところへ故郷から妻子が訪ねてくる。六蔵の女
房・お政(福助)は、こういうお侠な味を出す役柄は、お得意なので、こちらも
笑いを取っている。この新作歌舞伎は、なかなか好調な滑り出しと見た。

第一幕第二場では、傷を負った綱太郎が丸太を振り回す六蔵に助けられる。背景
の富士山は、由井川を挟んだ上手奥に遠のく。場面は第一場の「蒲原」から「由
井の町端れ」に移動しているのだ。

第二幕第一場は、九年後。「庵原の六蔵の家」。綱太郎を助けた六蔵は、故郷で
一家を張っている。蝉の声が季節感を強調。勝蔵と盃を交し、貫禄をつけた綱太
郎が子分の友吉(高麗蔵)を連れてやってくる。六蔵の息子・信吉(七之助)は、
そういう綱太郎に憧れ、一緒に旅に出たいと言う。親子の葛藤、子の親離れとい
うテーマが明確。勘九郎、七之助という、実際の親子が味を出している。息子の
いる私にも、テーマが身近に迫ってくる。六蔵の家の掛け軸には、牛の絵。手前
に、牛の置き物。富士山は、六蔵の家の後ろに隠れていて、すべては見えない。
上手側に、裾野が見える。垣根に百合。六蔵の使う団扇にも富士山の絵。裏側は
波のアップ。北斎か。

2ヶ月後の六蔵の家。福助の着ている着物が、ぐうんと秋向きになっている。虫
の音が季節感を強調している。勝蔵のところで、出入りがあるという噂。息子も
綱太郎とともに、勝蔵に助っ人する筈。気が気では無い父親を勘九郎が好演。い
たたまれずに、神棚の下に飾ってあった、例の丸太を持ち出して、「戦場」に駆
け付けようとする六蔵。慌てる六蔵とおっちょこちょいの、お政のやりとり。
勘九郎、福助とも、こういう場面は巧い。花道の足の縺れ。勘九郎の演技は、
「夏祭浪花鑑」の乗りだ。勘九郎には、こういうところでは、勘三郎譲りの持ち
味が出るように思う。

第二幕第三場は、「甲州鰍沢の川べり」。富士山は背景の中央に霞んでいる。鰍
沢は先日、仁左衛門の3年がかりの襲名披露興行の最後の舞台となった山梨県増
穂町と鰍沢町のあるところ。当然、川は富士川。これまで、富士山に向かって、
観客席は海側だったが、この場面だけは、観客席は南アルプス側になっている。
その川べりでの出入りだけに、大立ち回りとなる。舞台奥の土手の向こう側(つ
まり、河原)から勝蔵を先頭に渡世人姿のやくざたちが駆け上がって来る。舞台
下手より、三度笠姿の祐天一派。いずれも、合羽を放り投げたり、笠を飛ばした
り。さらに、客席の東西の通路まで出入りの場とする派手目の演出。私の横も、
風を斬るようにしてやくざ者たちが通り抜ける。

案の定、信吉も綱太郎と一緒に出入りに参加していて、怪我をしている。乱闘の
なか、駆け付ける六蔵。得意の丸太を振り回して手助け。親子の出逢い。
「お父っつあんと、一緒に帰りな」というところで、霞んでいた富士山がはっき
りして来た。一件落着と思いきや、突然の銃声、倒れる六蔵。で、幕。

ところが、この後に、もう一展開。勘九郎らしい遊び心。それは、舞台を見ての
お楽しみに、取っておこう。勘九郎と福助を軸に、八十助、橋之助が脇を固めた
新作歌舞伎は、とりあえず見ごたえあり。歌舞伎役者たちが新作に挑戦する。厳
しい批評をかいくぐって、役者も工夫をするし、演出家も工夫をする。そして、
演目として洗練されて、芝居も成長する。この「愚図六」も、そういうものとし
て、成長してほしい。いずれ、勘九郎同様に、「股旅もの」の上演に意欲的な菊
五郎にも演じてほしい。勘九郎とはひと味違う菊五郎の「愚図六」を観てみたい
と、思うのは私だけでは無いだろう。新作歌舞伎の再演とは、違う役者による工
夫というトンネルを何度もくぐる必要がある。それが、新作歌舞伎から新歌舞伎
へ成長する道ではないか。ちなみに新歌舞伎とは、明治後半から戦後ぐらいまで
に上演されたもの。戦後に書かれた歌舞伎は新作歌舞伎として私は区別している。

「紅葉狩」は、3回目。下手に常盤津、上手に長唄、床では、竹本の出語り、と
いう3つの音楽の掛け合い。能をベースにした新歌舞伎十八番の、大曲である。
明治からのものだが、上演回数の多い演目。「信濃路に その名も高き 戸隠の
 山も時雨に 染めなして 錦いろどる 夕紅葉」ということで、舞台は、秋の
山梨県鰍沢から、長野県戸隠へ。そう言えば、第2部の、演目の舞台は、静岡県
蒲原から富士川ぞいに山梨県鰍沢へ、さらに、途中から富士川から釜無川へ遡る。
甲斐と信濃の国境を経て、長野県戸隠へと、陸続きに北上して来たことになる。
これが、第2部の、実は、「隠し」テーマ(と、言うのは、私の「遊び心」)。

維茂(歌昇)に付く従者が、八十助、勘九郎という、ごちそうの配役。一方、更
科姫(福助)には、局(歌江)、腰元(七之助、亀蔵)、侍女(芝のぶ、玉太郎、
獅童ら)。八十助が達者な踊りをみせていて、「大和屋」の掛け声が多かった。
更科姫は、難しい。私は玉三郎、芝翫で観ているが、私が観た舞台では芝翫が、
元気がないときで、ふたつの扇子を扱う場面で扇子を落としていた。今回の息子
福助も、危うい場面が何回かあった。玉三郎が、いちばん安定していた。後ジテ
で、鬼女に変わったときも、玉三郎が前シテで美貌を売り物にしていただけに、
後ジテの変わり様も、ほかの役者より「段差」があり、メリハリが効いていたよ
うに思う。

維茂は、梅玉、富十郎だったが、太めの富十郎、歌昇より、梅玉のようなガラの
方が似合う。山神は、勘九郎、八十助に続いて、今回は若い勘太郎だった。勘太
郎の山神は、所作が男子の新体操というような感じもあったが、それが逆に大地
を踏みとどろかす山神らしく、きびきびしていて、良かった。

いずれにせよ、紅葉狩は、良くできた作品で、「京鹿子娘道成寺」同様に、長い
踊りに味がある演目で何度観てもあきない。特に、前半、皆が替る替る踊る「シ
ヌキ」の妙もあり、楽しめる。それだけに、役者衆には、しっかりした踊りが要
求されると思う。今回は、八十助、勘太郎の踊りに、見ごたえがあった。





- 2000年8月16日(水) 10:49:36
 2000年・歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」
               (第1部/「操三番叟」「冨樫」「茶壷」)

まず、「操三番叟」は、3回目。「三番叟」単独では2回目。染五郎、そして今
回の歌昇。後見は、玉太郎、今回は信二郎。ほかは、三番叟が右近、翁が歌六、
千歳が笑也、後見が、段治郎という配役で見ている。この演目は、なんと言って
も、役者が操り人形に見えてこなければならない。そのためには、人形を操る糸
が目に見えてこなければならない。私が見た舞台では、いずれも若手・中堅が、
それぞれ藝達者ぶりを発揮するのだが、なかなか、「糸が見える」舞台には、お
目にかかれない。今回は、このところ進境著しい歌昇だし、あの重量感のある身
体が、どれほど軽く、吊り下げられているように見えるかを楽しみにしていた。
後見の人形遣い信二郎は、きりっとしている。無言で、仕種のみの挨拶のあと、
箱から人形を取り出す。糸を調べ、天井の人形遣いに合図。滑らかに人形は動き
出す。途中で、一部の糸が切れて、糸が縺れ、人形がキリキリ舞を始める。人形
を止め、糸を結び直す。蘇る人形。

「三番叟」は、江戸時代の芝居小屋では、早朝の幕開きに、舞台を浄める意味で、
毎日演じられた。それだけに、基本的には五穀豊穣を祈るという目出たさの意味
合いは同じだが、さまざまの「三番叟もの」が歌舞伎や人形浄瑠璃、能では、演
じられて来た。「舌出三番叟」、「二人三番叟」、「式三番叟」など。それだけ
に、「三番叟」は、伝えるメッセージよりも、その趣向を生かさないと観客に飽
きられる。そういう意味では、「操三番叟」は、何より「操(あやつり)」の具
合を、どれだけ観客に意識させるかである。それには、人形役の役者の演技だけ
ではダメで、後見の人形遣いと人形の、ふたりの役者の「息使い」こそ、大事で
ある。まだ、これぞ「操三番叟」という舞台には、お目にかかっていない。残念
ながら今回もそうであった。

「冨樫」は、あの冨樫左衛門。そう安宅の「関」で、義経、弁慶らの正体を知り
ながら落ち延びさせてやった「勧進帳」の冨樫左衛門である。歌舞伎評論家、劇
作家の野口達二原作の新作歌舞伎「冨樫」は、その冨樫左衛門の、その後の人生
を描く。北陸道加賀にある冨樫の館。文治2(1186)年の早春。根雪が、あ
ちこちに残っている。この演目のテーマは、「兄弟」と見た。左衛門(八十助)
には、足の悪い弟・兵衛(橋之助)がいる。仲の良い兄弟だが、気質は違う。生
真面目で一本気な、「男気」のある兄。この兄は、「男気」の故に、義経の逃避
行を見逃し、冨樫家を断絶させることになる。

一方、弟は、幼い頃兄と馬に乗り、怪我をして足を引きずるようになる。京で学
問を学び、文芸や音曲にも造形がある繊細な文学青年でもある。しかし、それゆ
えに、屈折もしていて、兄の初恋の人と知らずに、京の留学の後、故郷に戻り、
その人・鈴(福助)と結婚する。兄は、弟に怪我をさせたという思いもあり、持
ち前の「男気」もありで、弟のために恋から身を引く。

それだけの前提の上に、義経見逃しという「事件」に対する、ふたりの男の考え
方の違いが、この物語を作っている。私は、初見。初演は、昭和38(63)年
4月、富十郎(当時は、鶴之助)であった。新歌舞伎の歴史劇らしく、台詞のな
かに「安宅の渡」という言葉が出てくる。私も、過年、小松空港に近い、「安宅
の関跡」まで実際に行ってみたことがある。日本海の海辺にある「安宅の関跡」
は、松林のなかにある「渡し場」の跡であった。海か山間部までは、かなりあり、
タクシーで空港を出て、安宅の関跡へ向かう途中、いちばん疑問に思ったのは、
こんな広いところに「関」を設けても、どこからでも国越えができるのでは無い
か、ということであった。その疑問は、関跡に辿り着き、実は国境は、山では無
く、川であったと判った。「関」という「道路」で「出入国審査」をしていたの
では無く、「渡し」という特殊な「交通機関」で、「出入国審査」をしていたの
だ。それなら、この地形で「渡し」が「関」の役割をすることができる。そうい
う事実が、この新作歌舞伎では、判る。新作歌舞伎だけに馬の場面が、2回ある
が、歌舞伎のような馬が出てこない。舞台裏での演技に加えて、馬の嘶き、蹄の
音は、録音である。

冨樫の館には、門の横に山伏の首が、ふたつ後ろ向きに晒してある。裏側が見え
る立て札がある。義経探索のことでも書いてあるのだろう。舞台の背景側が、北
陸道の体である。館のなかは、がらんとしている。行灯のほか、大弓と刀が縦に
立て掛けてある。少し離れて文机。殺風景ともいえる侘びしさだ。兄弟の、間近
に迫った悲劇の運命を表しているようだ。翌日の夕暮れが、第二場。同じ冨樫館。
前日「成敗」した山伏の晒し首が、3つに増えている。すでに、「事件」は起こ
ってしまった。あの「勧進帳」の場面は、すでに終ったのだ。

見回りから帰って来た弟は、兄が義経らを逃したことを知り、兄を責める。「勧
進帳」の山伏問答の再現の場面もある。しかし、答えるのは、勿論弁慶では無い。
兄・左衛門だ。しかし、遂に、真実を語る兄。「真のもののふ」たろうとする兄
には、「滅びの美学」がある。一方、理性的に客観情勢を判断し、兄をなじる弟。
こういう論争には、過激な考え方が勝つ。死に装束で、自害をする気の兄の「お
ぬし、死ねるか」という挑発に、弟は負ける。弟が、勝つためには、兄の挑発に
乗り立ち腹を斬るという、さらに過激な行動しか無い。死なせたく無い弟を死な
せてしまった兄は、鎌倉方の討手が近づいたのを知り、館に火をかけさせる。

この演目は、悲劇の兄弟の物語だが、一方では、弟夫婦(橋之助と福助)の悲劇
の物語でもある。ふたつの悲劇を起こしたのは、「男気」の「勧進帳」の、もう
ひとりの主役、冨樫。やがて、義経一行同様に、鎌倉方の討手に追われ陸奥に落
ちてゆく冨樫。これは、そういう冨樫の逃避行の物語の発端でもある。そういう
眼で覗くと、私の「遠眼鏡」には、別の冨樫が見えて来た。
八十助の冨樫に、私は「国崩し」の悪相を見たが、いかがであろうか。義経と弁
慶の必死の逃避行という「勧進帳」。義経らは「勧進帳」を演じた男たち。一方、
「勧進帳」を見てしまった男・冨樫は、己の国を崩し、家を断絶させ、愛する弟
を死なせてしまった。「世の無常」を語る八十助の冨樫。実生活でも「無常」を
経験したばかりの、八十助の演技に、そういうことを感じるのは、こちらの深読
みだろうか。

「茶壷」は、2回目。去年の10月。歌舞伎座で観たのは、熊鷹太郎(富十郎)、
麻胡六(左團次)、目代某(弥十郎)。今回は、熊鷹太郎(八十助)、麻胡六
(勘九郎)、目代某(東蔵)。いずれも、藝達者ばかり。その上、八十助の滑稽
な役は、定評があり、相手が仲の良い勘九郎なので、愉しみにすると共に、ふた
つの舞台の比較を楽しみにして拝見した。結論を言うと、去年の方が、「役者が
一枚上」であった(99年10月の歌舞伎座の劇評は、この「遠眼鏡戯場観察」
にも、書き込んであるので参照してほしい)。その差は、なにかと言うと、役柄
の持ち味の出し方だろうと思う。例えば、富十郎の熊鷹太郎は八十助の熊鷹太郎
よりも、熊鷹太郎としての持ち味が濃いのである。この演目は、熊鷹太郎の狡さ
が、滑稽さの底に最後まで貫かれていなければならないだろう。結局、目代某を
騙し、麻胡六を虚仮にして、熊鷹太郎は茶壷を奪って逃げおおせてしまうからで
ある。そういう根っからの、小悪党の味の出し方では、「加賀鳶」での道玄のよ
うな、さまざまな小悪党を舞台で演じて来た富十郎の藝の豊かさが醸し出すもの
と藝達者で、踊りにも、滑稽味にも、定評のある八十助が醸し出すものとでは、
まだ隔たりがあると思う。

- 2000年8月15日(火) 10:01:21
2000年 7月・山梨県増穂町文化会館
  (片岡仁左衛門襲名披露・千秋楽「羽衣」「梶原平三誉石切」
  「義経千本桜〜すし屋〜」)

片岡孝夫の十五代目仁左衛門の襲名は、十三代目の一周忌を前に、5年前の95
年2月の記者会見で公表された。そのあと、孝夫の病気休演などもあったが、2
年前の98年1月〜2月にかけて、東京・歌舞伎座で2ヶ月間の襲名披露興行が、
連日満員のなかで始まった。私も、苦労して席を取り、拝見した。以後、98
年は大阪の松竹座、名古屋の御園座、京都の南座で披露。翌99年は、公文協の
東コースと西コースで巡業。今年は福岡の博多座、6月から7月にかけて、公文
協の中央コースで巡業。3年がかりの襲名披露興行の掉尾が、日本列島の屋台骨
とも言える日本アルプスのひとつ、南アルプス山麓にある山梨県の増穂町文化会
館であった。7月30日、14時半開場、15時開演であった。私が到着したと
きには、開場前であったが、大勢の歌舞伎ファン、仁左衛門ファンが詰めかけて
いた。富士川と南アルプスに挟まれた増穂町は、人口13000人ほどの小さな
町であったが、千秋楽を飾る舞台のチケットは、早々と売り切れていた。会館
の裏側には、大型バスとトレーラーが駐車していたが、前日の埼玉県越谷市での
舞台が17時開演というから、3時間余の舞台を終えて、片づけ、移動、設営
の時間を考えれば、かなりの強行軍だったことは、想像に難くない。それにして
も、増穂町は、JR身延線の車窓から見た感じでは、手前の田園の向こうに富士
川の堤防、市街地の後ろに巨大な南アルプスの山塊という「絵」になる町であっ
た。会館のなかに入るとロビーは大勢の観客で、足の踏み場もないが、ロビー横
に楽屋の入り口があり、狂言作者、頭取などの張り紙があり、いかにも地方巡業
の舞台という感じで、これはこれで親しめる。

さて、お待ちかねの舞台だが、まずは「羽衣」。私は初見だが、巡業公演と言う
こともあって、簡略化された舞台と拝見した。天女に愛之助、漁師に上村吉弥。
松に富士の遠景で美保の松原の体。舞台上手に小松。松の周りに白い囲いがある。
囲いには、細いひもがついている。

吉弥が、白と水色系の二色の衣装で登場。扇子も白地に水色。顔も白塗り、月代
の色も水色(これらは、普通なのだが)で、足袋の白色と、文字通り頭の先から
爪先まで、まさに「隅から隅まで」すっきり見える。今回、上村吉弥は、普段
の若女形ではなく、このあとの「すし屋」でも、老女形ということで、吉弥の
「美貌」(玉三郎の「天守閣物語」では、奥女中・薄は、玉三郎に負けないほど
の印象を私は受けた)を、じっくり見られずに残念であった。愛之助は、先月
の甲府の「封印切」(「遠眼鏡戯場観察」に劇評あり)に続いて、2ヶ月連続の
山梨の舞台となった。ご苦労様。だが、相変わらず女形らしい柔らかな線が出て
いない。ごつごつした堅い印象で、残念。いずれ、芸に、姿態に柔らかさが出て
くることを期待したい。

天女は、白地に下がり藤の模様の入った着付け(裏は桃色)に橙色の帯、その
上に紫の羽衣を付け、金色の冠、表裏が金地と銀地に花柄の扇子を持っている。
舞いながら扇子の動きで天への飛翔を表す。「天翔ける」天女の動きに連れて、
天女は視線を下へ、漁師は視線を上へ。やがて、舞台上手にあった件の松は、天
女が下手にいるあたりで、上手に引き入れられる。天高く遠ざかる天女。地上
に取り残される漁師。眼下遙かに見えなくなって行く松、というわけだ。下座
の笛が天女の飛翔を示す神通力を表現していた。

「羽衣」は、明治の時代に五代目菊五郎が能から歌舞伎舞踊化した演目で、初演
当時は、羽衣に羽をつけ、閉じたり開いたりさせたようだ。宙乗りも取り入れ、
まわるく一周したりしたようだ。さらに、本来は長唄と常磐津の掛け合いだが、
今回は長唄だけ。猿之助一座で、菊五郎の原型をもとに、上演してくれるとおも
しろいかもしれない演目だ。

さて、「石切梶原」では、お目当ての仁左衛門登場。「石切」は、私は4回目。
仁左衛門は、京都の南座以来、9年ぶりということで、私は初見。「石切」には、
3つの型があるという。初代吉右衛門型、雁(本当は、人偏に鳥)治郎型、羽左
衛門型。これまで私が見たのは、いずれも歌舞伎座で、96年1月の幸四郎、
98年1月(歌舞伎座・仁左衛門襲名披露の舞台)の富十郎、99年1月の吉右
衛門。幸四郎と吉右衛門は、手水鉢を斬るとき、客席に後ろ姿を見せているので、
これは吉右衛門型。確か富十郎は、前向きで手水鉢を斬ったと記憶する。雁治
郎も前向きだが、雁治郎のときは、舞台が鶴ヶ岡八幡ではなく、鎌倉星合寺にな
る。しかし、富十郎のときも、鶴ヶ岡八幡であった。「石切」の場面がいちばん
派手なのが羽左衛門型で、十五代目仁左衛門は、まさに、この十五代目羽左衛門
型をやるというので、愉しみ。

地方の多目的ホールなので、常式幕のような引幕はない。緞帳があがると浅黄幕、
竹本も床がないので、出語り。浅黄幕が振り落とされると鶴ヶ岡八幡社頭の場。
背景の鶴ヶ岡八幡は、幕に書いたもの。巡業らしい工夫だ。手前の鳥居も、組立
のあとが見え、双眼鏡で見ると痛みが激しいのが判る。巡業らしさは、こういう
ところにも出ている。

舞台では平家方の武士たちが弓の稽古をしている。やがて向こう揚幕が開き、白
地の着付けに黒地に金の矢筈の紋の衣装の梶原(仁左衛門)が登場。花道とはい
えない短い「花道」で、じっくり出を見せることができないので、可哀想。本舞
台の役者の演技も花道の役者と絡むときには、間がいつもの大きな舞台とは異な
るだけにやりにくそう。でも、仁左衛門は襲名披露興行で上演したい演目に入れ
ていた「石切」の梶原だけに、持ち前のさわやかな二枚目の裁き役を、刀の目利
き、二胴の試斬り、手水鉢と、3つの主な見せ場を颯爽と演じていた。口跡も良
かった。見応えがあった。

特に、ハイライトの手水鉢の場面では手水鉢に向こう側に廻って客席に向き、六
郎太夫(坂東吉弥)、梢(秀太郎)親子を鉢の両側に立たせて、ふたりが手水鉢
に手を掛け、手水の水にふたりの影を映して「二胴」のように見せて、鉢を斬る
と、鉢が一刀両断される。そのあと、割れた手水鉢の間から梶原が飛び出してく
ると言う、桃太郎の誕生のような派手な演出をたっぷりと堪能させてくれた。

ただし、これは、無い物ねだりを承知して言うが、増穂町文化会館も同様に地方
の多目的ホールは、間口が狭いので、舞台が狭く、梶原が二胴の試斬りの前に、
刀に手水鉢の水を2度掛けるが、手水鉢の手前に大庭方の家来が居て手水鉢が良
く観えないなどの難点があり、そのほかの場面でも、役者同士の居所が近すぎて
やりにくそうに見えた。特に巡業のときは、行く先々で舞台の広さが違うのだろ
うから、大変だろうと察する。仁左衛門も、梶原に掛けた思い入れたっぷりに、
悠々と花道の引っ込みをしたかっただろう。この場面も本来ならたっぷり、ゆる
りと観たかったが、これも、また、無い物ねだり。

ほかの配役では、剣菱呑助(弥十郎)が味のある、ご馳走の役をみせてくれて、
とても良かった。呑助では、富十郎のときの團蔵も良かったが、弥十郎が、私の
見た4人の呑助では、いちばん印象に残る。酒づくしの台詞では、増穂町の地酒
の名前を入れていたようで、私には判らなかったが、地元の人たちからは笑い声
が上がり、受けていた。本来「石切」のときの、ご馳走は、奴・菊平(今回は、
進之介)ということだが、進之介は、ご馳走役を弥十郎に喰われていた。

秀太郎の梢は、黙っていれば可愛らしいのだが、台詞廻しが良くない。私の印象
に残る梢では、幸四郎のときの福助、富十郎のときの松江、吉右衛門のときの時
蔵が、それぞれ独自の味があり良かった。六郎太夫は、私が舞台を観た順番で、
幸右衛門、又五郎、左團次、そして今回の坂東吉弥だったが、吉弥は味があり、
やせた役者衆のときが、総じて私には印象に残っている。最近の坂東吉弥は、ほ
かの舞台でも脇役の味に、油が乗っているようだ。さらに、憎まれ役の大庭と俣
野の方は、大庭が左團次、我當、富十郎で、今回が左團次、俣野が、染五郎、歌
昇、橋之助で、今回が男寅だったが、赤面の俣野は、いわば、プロレスの悪役の
アクションなどがあると憎々しさが増すので、太めの役者の方が良い。そういう
意味で、今回の男寅は、太目の柄も良く、台詞廻しにもメリハリがあり、役に
填っていた。左團次の大庭は2度目だが、今回は男寅との親子出演で楽しく拝見
した。大庭方の大名では4人のうち、下手からふたり目(多分片岡當十郎かもし
れない)が、口を写楽の浮世絵のようにへの字に曲げて、憎々しく、地味な役な
がら巧いと思った。

さらに、「石切」の舞台では、手水鉢の場面に行く前に、劇中の「口上」があ
り、仁左衛門も、3年がかりの最後の、最後の襲名披露の口上だっただけに、た
っぷりとしたもの言いで良かった。仁左衛門を真ん中に、上手に秀太郎、下手
に坂東吉弥を従えていたが、口上の触れがあったあと、3人がいったんくるりと
廻って、「役柄」から素の「役者」の顔に戻り、座り直す。「東西、東西」のあ
と、口上となる。「ご当地、初、お目見得」とは、十五代目仁左衛門。次いで、
秀太郎、吉弥が、それぞれ地声で、口添えの口上。3人立ち上がって、秀太郎が
「これだけ、お願いしておけば、安心でござりまする。更に、芝居の続きをいた
ましょう」と、今度は女形の台詞廻しで言えば、客も受け、すんなり芝居が続く
あたりは、見事。

最後は、我當の「すし屋」。これは、我當が上方型の「いがみの権太」を、どこ
まで見せてくれるかという興味に尽きる。先ず、台詞が上方ことば。東京の舞台
では、普通、五代目幸四郎の「権太」が、基本形になっている。この人は、権太
と「先代萩」の弾正が当たり役で、以後、ふたつの役を演じる役者は、五代目の
左眉尻の上にある黒子まで写し取るので、黒子のない我當の権太は、新鮮に見え
る。私は、「すし屋」は、6回目。権太で言えば、富十郎、幸四郎(2)、
團十郎、猿之助、そして今回の我當。歌舞伎座では、毎年一度は拝見している勘
定になる。印象に残るのは、初めて富十郎で観た権太で、あとは、2回目を今年
の6月(ちなみに、1回目は96年6月)に観た幸四郎の権太。富十郎は口跡の
良さが光ったし、幸四郎は、いつもの深刻な、大きな芝居がなく、憎めない小悪
という感じで権太を演じていたように思う。

我當の権太は、巡業の舞台と言うこともあり、1時間半のところを1時間余りに
縮めていることから、本来の上方型の舞台とも違うような気がするが、いまの段
階では確かめようがないので、この舞台に限っての論評とする。

まず、権太が弥助(進之介)の人相書きを確かめる場面がない。嘘泣きをする場
面はあるが、「茶碗の水を使って」、空涙を装い、母親・おくら(上村吉弥)を
だます場面がないなど、金を入れた桶と首を入れた桶を、あわてている上、迷っ
たあげく上手から二つ目を取り違えて、持って行く場面も、迷わずに一番上手に
置いてある桶(これは、弥左衛門が、首をしまう場面で首を入れた桶を上手に置
く)を持って行くなど、省略された場面が多い。それだけに、我當の権太は、充
分に役柄の演技をしていない上に、上方ことばも影響があるのだろうが、私に
は役作りが軽すぎるような気がして、少し不満だった。しかし、父親に刀で肩を
切られ、腹を刺されして瀕死の状態になり、最後に本音を言う、権太の、いわ
ゆる「もどり」の状態まで、憎まれ役に徹していたのは、さすが。また、江戸
型だと、右足で立ったまま、右手で倅の善太の顔を上げさせ、左足を上げて、女
房の小せんの顎に掛けるが、我當は、立て膝のまま、両手を拡げて、右手で女房、
左手で倅の、それぞれの顔を上げさせていたが、これは初めて拝見。これは延若
型という。維盛親子を笛で呼び返す場面もこれまで観た舞台では、権太から笛を
受け取った母親が木戸口へ出て外で吹いていたが、今回は、権太が瀕死の状態な
がら、力を振り絞るようにして、何回かに分けて吹いていたが、これも上方型の
演出か。状況設定に少し無流がないか。いずれにせよ、これまで観た権太とは、
ひと味もふた味も違っていて、私としては戸惑う部分もあれば、興味深い部分も
あり、総じておもしろく拝見できた。

このほかの場面でも省略があった。例えば、弥左衛門(市川青虎)が、小金吾の
首を脱いだ袴で包み、羽織の下の腰に巻いて帰ってくる場面でも、首を手に持っ
て帰ってきた。首を桶に入れたあと、血で汚れた袴を二重の床下に隠したり、汚
れた手を弥助が持ってきたお茶で洗ったりする場面、母親からだまして、せし
めた金を母親自身に桶に入れさせ、権太は金を入れた桶の場所を確認して、赤ん
べえーをして、奥に引っ込むだけ)など。さらに、梶原一行が来る前、普通なら
黒衣ふたりが舞台に出て、「つるべすし」の木戸を下手に片づけるが、巡業らし
く、木戸が舞台奥の大道具のなかに、するすると引っ込んで行ったのは、微笑
ましかった。

一方、権太が維盛の首を打ち、妻子を生け捕りにした褒美に頼朝の陣羽織を授け
る場面では、梶原が自分の着ていた立派な羽織を脱いで渡す演出と家来が持って
いた羽織を渡す演出と二通りあるそうだが、私の観た舞台では、家来の持ってき
た羽織を渡していたと思うが、今回も同じだった。

さて、ほかの役者では、里(孝太郎)は、上方型らしく、二重の上手に屏風を立
てた俄作りの「寝間」がらみの場面が、いつもより濃厚に見えた。例えば、普通
なら屏風に前垂れを掛けるぐらいで、表現している場面で、前垂れに加えて、男
女の、ふたつの枕を屏風の内側から掲げて見せたりした。若葉の内侍(愛之助)
と若君が現れ、弥助が平維盛と判ったあと、維盛親子との身分の違いを憚ってか、
屏風を二重の上から平舞台まで持ってきて、維盛親子と自分の間に置くのも初め
てみたが、これは上方型の演出だろうか。里の孝太郎は、初々しく良かった。
里、弥左衛門、おくらの親子3人が舞台下手で後ろ向きでいるときに、大好きな
弥助こと維盛の首実検で、「(維盛の首に)相違なし」という声を背中で聞いて、
里だけ背中をふるわせ泣きじゃくっていたが、これも良かった。

私の観た里では、2回観た福助、今年6月の芝雀も良かった。弥助の進之介は、
あまりに少年っぽく見えて、実は妻子のある維盛という、実在感がない。弥助
は、結構難しい役で、芝翫(2)、秀太郎も良くなく、私が観た限りでは、病気
で舞台復帰がかなわない澤村藤十郎のときが良かった。弥左衛門の市川青虎は、
初めてみる役者だったが、帰宅して木戸が開かず、弥助に開けさせる場面などで
は、台詞廻しに上方落語の味があり、この場面は良かったと思う。

この弥助、実は維盛は、平家物語では、静岡県で太平洋に流れ込む富士川に縁が
ある。今回、富士川の上流部(というのは、富士川は、八ヶ岳から流れてくる釜
無川と秩父の方から流れてくる笛吹川を基本に、甲府盆地の中小の河川を集め、
増穂町と東隣の市川大門町のところで合流し、この合流点から、初めて「富士川」
となるのである)のほとりにある増穂町で維盛由縁の芝居が上演されたが、維盛
は、河口に近い(いまの静岡県の)富士川の合戦で、水鳥の羽音に驚いて戦わず
にして、敗走した部将として平家物語には描かれているからである。彼の生涯に
ついては、いろいろな説があり、謎の多い人物で本当のところは判らないが、こ
の芝居でも、何事も承知の梶原に助けられ出家するという筋書きになっている。
維盛は、いつも「逃げる人」として、描かれやすいのか。

さて、梶原の登場である。今回の梶原は弥十郎。「石切」では、呑助という「笑
われ役」をきちんとこなした弥十郎は、今回白塗りの立役、衣装も立派。敵役
見えながら、性根は味方という作り。颯爽としていて、騙された振りをする、懐
の深い役。「すし屋」の梶原を憎まれ役の赤面でする人もいるようだが、ここ
は本来の性根通りでありたい。私が観た「すし屋」の梶原では、羽左衛門(2)、
故・権十郎、吉右衛門、段四郎では、羽左衛門はさすがに風格が違った。吉右
衛門も良かった。

今回の巡業の演目としては、「ふたりの梶原」が、演目の組み合わせの妙であっ
た。仁左衛門と弥十郎、それぞれ、演技の味が違いながら、役柄の性根は同じと
いうあたりが、この巡業興行での演出の密かな狙いかな、と思った。

附打ちは、巡業中、ひとりで対応したようだが、例の、歌舞伎の舞台技術の本に
よれば、今回の山崎徹さんは、歌舞伎の地方公演で大道具や附打ちをもっぱら
担当しているという。ご苦労様。


- 2000年8月3日(木) 19:06:31
2000年 7月・歌舞伎座
    (昼/「鎌髭」「口上」「黒塚」「義経千本桜〜川連法眼館〜」)

猿之助が、歌舞伎座の7月公演を始めてから30年目になるという。私が記者に
なったのが29年前、大阪で新人記者生活を始めたのが、71年の6月半ば、そ
の翌月の7月、昼の部、歌舞伎座では、今回と同じ演目「鎌髭」「黒塚」「川連
法眼館」を上演したと、歌舞伎座の上演記録には残っている。私が赴任した頃の
大阪では、「鎌髭」ならぬ「釜ヶ崎」(当時)地区で、自由労働者が、警察官と
対峙したりしていて、熱い季節であった。

さて「鎌髭」は、初見。七代目市川團十郎が江戸時代に制定した「歌舞伎十八番」
は、いまでも盛んに上演されるものとされないものと分かれてしまったが、この
「鎌髭」も、あまり上演されないもののひとつだ。元々は、四代目團十郎の当た
り役だったと言うが、七代目が「十八番」を制定した後、あまり演じられなかっ
たという。明治時代の末に初代の猿之助が復活して以来、團十郎家の「十八番」
にもかかわらず、事実上、猿之助家の「家の藝」として、今回を含めて復活後で
は4回目の上演となるという。戦後の公演としては、29年前の7月だから30
年目の、いわば「復活」となる。さて、今回は、そのときと同じ形の上演ではな
く、明治時代の上演に近いから90年ぶりの復活と言う。江戸の荒事らしく、話
の大筋は、判りやすく、基本的には将門の世界で、将門の息子・良門(段四郎)
が諸国修行の六部姿の身になって、俄か旅籠の亭主・源満仲(歌六)の館(そう
いう想定なので屋体も、瓦灯口があり、下地は御殿という設え)に逗留する。
宿の下男、実は将門を殺した俵藤太の一子・小藤太(右近)が良門の所望で、顎
髭を剃ってやるのに草刈り鎌で剃ることになる。その場面で、良門の正体を怪ん
だ小藤太が髭の代わりに良門の首を鎌で刎ねようとするが、その企みを見抜いた
良門が「わしは不死身さ」と動じない。実際に、前の場面よりひとまわり大きく
なった(歌舞伎の「クローズアップ」効果)鎌を良門の首に引っ掛けたまま、お
互いに鎌の引っぱりあいをするというのが、見せ場となる。

従って、この演目は、物語の筋を追うというよりも、絵本のように絵になる場面
をじっくり観て楽しめば良いだろう。ほとんどの登場人物が、「実は」という二
重人格者ばかり、幕開き冒頭の旅籠の場面でも、いわゆる「顔見世だんまり」の
ように、旅僧、修験者、鹿島踊り、旅座頭、金比羅詣り、馬子など扮装、衣裳も
さまざまな人たちの動きを楽しんだ。さらに、珍しいのは、荒事らしく、伴奏も
「音楽の荒事」と言われる「大薩摩」が、いつものような浅葱幕の外での、立ち
語り、立ち弾きでなく、なんと竹本の床での出語りであった。また、髭そりの前
の戦語りの場面で、小藤太、良門の、ふたりが煙管を附打ちのように叩く場面も
おもしろかった。

在所の娘・おりは(亀治郎)が、実は藤原美女丸という男が女装してもので、満
仲から、なにやら密命を受けると突然、野太い男の声になり、動作も荒々しく出
て行き、花道に差し掛かると、また娘に戻ってなよなよとした足取りに戻るとい
うあたりも荒唐無稽でおもしろい。将門の世界お定まりの滝夜叉姫の霊(笑三郎)
が、曽我物語の「矢の根」の十郎のように出てくるのも、歌舞伎らしい遊び。
ぶっかえりで、正体を現わした良門が12人の四天相手の大立ち回り。最後に、
「実は」の人たち9人が、それぞれの本来の姿に戻って、絵面の見得ということ
で、とにかく、歌舞伎の定番の様式美を、ビジュアルに愉しめば良い演目と見受
けた。

「口上」は、猿之助の独演。バックに、哲学者の梅原猛の書。美、創、翔、雅、
夢、陽、生、明、晨、智という字がバラバラに書かれている。完全に猿之助と猛
の、ふたりだけの世界。 

「黒塚」は、5年前、95年7月の歌舞伎座で観ている。本興行で、今回が30
回目という猿之助の演技は、風格もあり、円熟味を増しているように受け止めた。
私の印象では、前回との違いは、祐慶だと思う。前回の祐慶は、宗十郎であり、
今回は梅玉である。梅玉は、いつも梅玉、なにをやっても梅玉という印象が、私
には強いのだが、今回は違っていた。梅玉の祐慶が、とても良いのである。こん
な梅玉を私は、初めて観た。

というのは、梅玉が私には、中国の四大奇書と言われる「西遊記」の唐僧玄奘三
蔵、いわゆる三蔵法師に見えたのだ。梅玉が三蔵法師となると、前回同様、太郎
吾を演じている段四郎まで、違って見えてきた。三蔵法師が連れている3人の従
者。孫悟空、猪八戒、沙悟浄。太郎吾は、孫悟空ではないか。祐慶に仏戒によっ
て悟りの道に入れば、成仏すると聞かされ、夜寒のなか薪を拾いに行った岩手
(猿之助)は、月光の下、薄の原で歓喜の踊りに興ずる。ところが、血相を変え
て逃げてくる太郎吾を見て、岩手が悪行を悟られたことが判る場面。それは、た
またま薪を採り、帰途についた岩手が太郎吾と出会った場面に過ぎないのだが、
その場面が、私には、あたかも逃げても逃げても、お釈迦様の手のひらから逃げ
られなかった孫悟空の姿と太郎吾の必死の遁走が、二重写しに見えたのだ。自分
の悪行を隠しながら、人間を信じることで救われようとした岩手は、人の心の偽
りを見て、本来の鬼女に戻ってしまう。

そういう風に、舞台から本来なら見えないはずのものを観てしまうと、「黒塚」
という物語は、妖魔と戦いながら長い旅をする三蔵法師とその従者たちという物
語を、「西遊記」とは逆に、実は、その妖魔=鬼女の側から見た物語なのではな
いかと、思えてくるのだ。アニメーションなどでも、妖魔は成敗されるが、成敗
される妖魔にも、哀しい心や善への憧れなどがあるのだということを、この「黒
塚」は伝えようとしているのではないか。

それは、梅玉が祐慶にとどまらず三蔵法師になり、その結果、段四郎の太郎吾が
孫悟空に観えてくるという舞台として「、黒塚」の、いわば、演劇構造が浮かび
上がってくる。それは、ちょうど月がかげり、それまで客席側から光が当てられ
ていた舞台下手の立木に、舞台下手奥斜め上から光が当たり、岩手の姿が立木の
影のなかに包まれるように、「黒塚」の裏側に隠された「西遊記」に、後ろから
光が当てられたように私には観えたのである。光としての「黒塚」、影としての
「西遊記」。それを私に感じさせたのは、梅玉の演技にほかならない。
だから、今回の梅玉は、いつもの梅玉ではないのである。

もうひとつ気が付いたこと。祐慶、大和坊(猿弥)、讃岐坊(亀治郎)が、薄の
原の古塚から正体を現した鬼女に対して法(のり)の力で、戦う場面で、数珠
を鳴らしながら鬼女に立ち向かう姿は、アニメーションのなかで、よく使われる
光線銃で悪魔に立ち向かう戦士のように見えた。それと、こういう場面で使われ
る下座の笛の音には、なにか神通力のようなものが宿っているように感じられた。

「川連法眼館」は、5回目。菊五郎と勘九郎の忠信も観ているから、猿之助では、
3回目。同じ「義経千本桜」でも、忠信は、人間忠信らしく演じる。ときどき、
狐忠信を感じさせるだけだ。ところが、「川連館」では、唯一、人間忠信が出て
くることもあって、そのあと出てくる忠信は、狐らしく、狐らしくというように
演じる。本興行だけで39回目という猿之助の演技は、「黒塚」以上に円熟味を
増し、61歳という年齢を、ときどき感じさせながら、それをカバーしきってい
たように思う。年齢は、舞台の裏表を使った仕掛けによる早替わりでは、感じ
させないが、もろに舞台に出ているところで素早い動きをする場面で見られたが、
それはそれで、ご苦労様という気持ちを観客のなかに生じさせると言うのは、こ
の人の強みだろう。この舞台でも、下座の笛の音は、私には神通力を表現してい
るように聞こえた。宙乗りを含めて、猿之助忠信は、安定感のある舞台で堪能さ
せてくれた。体力による外連が売り物のひとつだった猿之助、体力の衰えをカバ
ーする演技の円熟さ。円熟さで、狐忠信をカバー出来なくなる日が、いずれは来
るのだろうが、そういうことを考えずに、ないものを別のもので補いながら、歌
舞伎の世界に「天翔ける」猿之助の舞台を、このあとも見ることが出来るかぎり
では、見続けたい。今月の歌舞伎座の観客は皆、そういう思いで、心をひとつに
しているに違いない。

29年前、7月の歌舞伎座。猿之助の舞台は、今回の昼の部と同じ演目で始まっ
た。以来、30回目の昼の部。夜の部は26回目。昼の部だけの公演が、最初
は続いたという。猿之助の狐忠信(ただのぶ)は、歌舞伎座昼の部(ひるのぶ)
の30回公演のトップランナーであり続ける。


- 2000年7月24日(月) 17:00:09
2000年 7月・歌舞伎座
          (夜/「君臣船浪宇和島」)

歌舞伎座・7月興行は、71年から30年連続の猿之助公演。特に、昼の部の演
目は、歌舞伎座の筋書をチェックしてみると判るように、同じ演目だ。つまり、
「鎌髭」、「黒塚」、「川連法眼館」とある。今回の歌舞伎座も、いつものよう
に昼・夜通しで拝見したが、観劇評を書き込むのは、初見の夜の部を先にしたい。
猿之助十八番のひとつ、「君臣船浪宇和島(きみはふねなみのうわじま)」、通
称「宇和島騒動」は、明治時代初期に上方で作られたもの。大阪では、大正時代
初期まで上演されていたようだが、その後廃れていた。それを23年前、猿之助
一座が東京の明治座で復活、以来大阪、名古屋で公演した。今回は、20年ぶり
の、そして歌舞伎座では、初めての公演である。四国の宇和島藩(10万石)に、
伊達政宗の長男・秀宗が藩主として来る。秀宗は、大藩の長男と言うことで、幼
い頃から、秀吉、家康と天下人が替るなか、成年になるまで長い人質生活を送っ
た人だ。本来なら仙台藩主になっているはずの男が、10万石の大名に、という
意識があり、さらに、正宗から長男の藩政の補佐をまかされた、「口煩い」家老
を殺してしまい、「お家騒動」を引き起こしたということで、藩主としての器量
もなかったのだろうと、伝えられている。

だが、歌舞伎の「宇和島騒動」では、その殿は、江戸詰めで国元にはいないとい
うことで、殿を、いわば、「蚊帳の外に置く」。その殿のいない間に、我が子を
跡継ぎにしようとする側室の、お辰の方(笑三郎)、お家乗っ取りを企む家老の
大橋右膳(歌六)、和気三左衛門(猿弥)らが暗躍し、それを阻止しようとする
山辺清兵衛(猿之助)、越智武右衛門(段四郎)らが争うというのが大筋。

「君は船なり臣は水、水よく船を浮かべども、水また船を覆す」という台詞が、
この物語の全てを語っている。この言葉は、組織論として、現代にも通用する普
遍性を持っている。組織というものは、トップもスタッフもひとつになって動か
ないと転覆する。それが判っていても、そのように動かないのも、また、人間の
集まりとしての、組織の弱さでもある。そういう意味で、この演目の現代性は、
あると思う。外題の「君臣船浪宇和島」は、そのポイントを明確に示している。

ただ、今回の歌舞伎の台本は、猿之助一座が演じるようになって、4回目であり、
歌舞伎座初演ということで、猿之助が台本にも演出にも、さらに工夫をこらした
というが、発端、序幕、二幕目、三幕目、大詰までの、11の場面展開の大半は、
複雑な筋を追うのに追われて、少し冗漫な気がした。猿之助得意の早替りや、本
水を使った「養老の滝」での死闘などの見せ場の緊迫感との、演劇としての落差
を感じたので、もう一工夫あると、余計おもしろくなるのではないか。

特に、「復活狂言」というものは、「復活」するだけの理由があると同時に、逆
に言えば、「廃れた」だけの理由もあるのだろう。その理由は、個々の演目によ
って違うと思うし、廃れた時代の、社会状況も影響していると思う。それは、例
えば「引窓」のように、250年間も廃れていながら、一旦復活すると、今度は
100年間も、途絶えることなく上演され続けている演目もあるわけだから、廃
れた原因が、その時代にとって「早く来過ぎた演目」というものもあることは確
かだろう。その一方で、廃れる演目は、廃れる理由、例えば、その時代特有の条
件に合い過ぎていて、逆に時代を越えるような普遍性を持ち得ないものなどだろ
う。さらに、いくつもの時代を越えて、演じ続けられるもの、例えば、「義経千
本桜」、「菅原伝授手習鑑」、「仮名手本忠臣蔵」、「勧進帳」のような演目も
ある。こういう演目は、逆にさまざまの時代の浪に揉まれ、多くの役者や道具方、
下座音楽の担当者など、芝居に関わる人たちの「工夫魂胆」で、より洗練されて、
磨きがかかってくるということも、多いにある。そういう目で、「復活狂言」と
いうものを見た場合、復活狂言にもふたつの種類があるように思える。復活して、
さらに、工夫魂胆の対象として、磨かれるもの。復活したものの、その後余り上
演されないもの、それゆえに磨かれずに、再び錆始めてゆくもの。そういう意味
で「宇和島騒動」は、見せ場と筋の展開が主で、芝居として中だるみする場面と、
もう少し精査し、整理する必要があるのではないか。同じように猿之助一座が復
活し、先に新橋演舞場で、若手の橋之助らが上演した「小笠原騒動」の方が、復
活後の、磨かれ方が良いのではないか。

また、歌舞伎の「通し狂言」は、「みどり狂言」と違って、確かに筋を理解す
るという意味では親切なのだが、逆に「みどり狂言」が廃れないと言うのは、
ほかの演劇と違って、歌舞伎が物語の筋だけではなく、役者や衣裳、大道具な
どの「見せ場」だけを観るだけで楽しめる演劇という独自性を持っていること
も忘れてはならない。「通し狂言」、「みどり狂言」、そのいずれも歌舞伎の
愉しみである。要は、夫々の上演形態の合理性、演劇としての密度の濃さが、
その演目に相応しいかどうかが、判断の分かれ目だと思う。無理に、「復活狂
言」、「通し狂言」を主張するのも愚だし、「みどり狂言」で、見せ場だけを
繰り返し上演していたのでは、マンネリ化するし、そのあわいのバランスをと
ることが、歌舞伎公演の魅力なのだろう。

せっかくだから、「宇和島騒動」の観察(ウオッチング)の細部にも触れたい。
岩、松、海を描いた道具幕(三津ヶ浦への場面展開)、あるいは、滝と岩山の
道具幕、さらに、奥の背景に使われた養老の滝と周りの森を描いた道具幕(こ
れは、後の本水を使った場面の効果をますためのつなぎ)の、いわば二重の道
具幕の使用など、道具幕の使い方が、総じて今回はおもしろかった。

鳥目の症状が出て、目が良く見えない山辺清兵衛と中間胴助の蚊帳を巧く使っ
た早替り、蚊帳のなかでなぶり殺される清兵衛。殿様を「蚊帳の外」に置きな
がら、忠臣を「蚊帳のなか」で、殺す、という皮肉。蚊帳などという懐かしい
ものを観ただけでもおもしろい。蚊帳は、私たちの子供の頃、と言うからせい
ぜい30年ぐらい前まで、実用されていたもので、すっかり姿を消したものの
代表だろう。同じようなもののうち、洗濯板、あるいは洗濯盥(たらい)など
は、まだ見かけることがあるもの。
歌六の息子たちの初舞台、文字どおり初々しい台詞廻し、舞台途中での口上で
の、子供らしい仕種と親としての歌六の気づかいなどは、芝居以上に演劇性、
普遍性がある「場面」で、場内も盛り上がっていた。

近江と美濃の国境を示す「江濃国境寝物語」(美濃の話を近江で寝ながら聞け
るということで有名な中山道の国境、寝物語の里)という碑のある、三幕目、
第一場と第二場の、廻り舞台を使った場面展開は、おもしろいことに前場と後
場の大道具が、左右対称になる。屋体の裏に廻る場面は、しょっちゅうあるが、
今回のようにきっちり裏返るというのも珍しいのではないか。特に、雲助の源
五郎(右近)が、自分の駕篭屋の裏側から顔を出した後、ぐるりと表を廻って
隣の茶屋の内儀(笑也)のところへ、押し掛ける場面では、大道具をそこまで
左右対称に工夫して作るなら、駕篭などの小道具の位置のほか、右近の動きは、
屋体の裏側を通って廻ってゆくのが、観客に判るように演出するなど、すべて
に、裏表の整合性が見えるよう工夫しても、遊びとしては、良かったのではな
いか。

本水を使った養老の滝の「殺し場」は、赤い血をたくさん流してリアルすぎる
感じがあったが、こういう場面は、文字通りスペクタクルを楽しめば良いのだ
ろう。

大詰の「宇和島城城内月下楼の場」では、江戸から帰って来た殿(猿之助)が、
右膳一派の悪人の一人の背後を御殿の御簾内から刺し殺す場面がある。思わず
「殿、それは卑怯ではないか」と叫んでしまった。それは、さておき、悪企み
が発覚し、右膳、お辰の方が成敗されるところは、先代萩の弾正、八潮そっく
り。悪人一派の成敗が終ると奥庭の空に花火が上がっていた。

最後に、この演目は、附打ちが大活躍する場面の多いもので、今回は大熊史朗
さんが、ひとりで対応していた。花道、本舞台で役者衆が見得をしたり、立ち
回りをしたりする場面では、大向こうからも役者の屋号などの声はしきりに掛
かるが、附打ちにも「大熊」という声を掛けたくなるほどの、大活躍だったと
思う。まだ、場内で、声を出したことのない身を恥じながら、いま、ここで、
一声掛けたい。「大熊」!。大熊さん、ごくろうさま。

総じて、さまざまな外連の醍醐味と、荒唐無稽な筋を追い掛ける舞台展開の中
だるみという「緩怠の解消」の工夫が必要だ。今後、この狂言を猿之助一座の、
持ち物で終らせるか、歌舞伎界の、共通の財産にするか、もう少し「工夫魂胆」
が望まれると思う。
- 2000年7月23日(日) 12:25:21
2000年 7月・国立劇場
      (「恋女房染分手綱〜重の井子別れ〜」「雨の五郎」)

国立劇場の歌舞伎教室。前回は1階の1等席だったので、今回は3階の2等席に
挑戦したが、この席でも充分に観劇を楽しめた。これで1500円(筋書パンフ
レット付き)というのは、安い。惜しいのは、隣の席にいた若いカップルが歌舞
伎教室独特の「歌舞伎解説」(今回は、富十郎の甥の、中村芳彦=父親の中村亀
鶴は、富十郎の弟で45歳で没、芳彦は国立の研修所育ちという苦労人だが、進
境が著しいと思う。楽しみな若手女形=が担当)を、聞いただけで、休憩の後、
姿を消してしまったこと。たとえ退屈でも一つの舞台を観てから、退出を考えれ
ばよいのに、と思う。本物を見ないで、事前の情報だけで判断する。こういう価
値観で、今後の人生を生きて行くなら、この人の人生の前途は、目に見えてくる
ような気がする。特に、男の方が退出のリードをとっていた)。この「解説」は、
前回の亀寿のときと、基本的な内容は同じであった。芳彦は、「重の井子別れ」
では、侍女若菜であでやかな姿を見せていた。

まず「恋女房染分手綱〜重の井子別れ〜」は、3回目の拝見。重の井は、雀右衛
門(97年9月・歌舞伎座)、雁(本当は、人偏に、鳥)治郎(98年10月・
歌舞伎座)、そして今回は時蔵。歌舞伎座の筋書に掲載されている戦後の上演記
録を見ると、三代目時蔵(当代の祖父)が、本興行で5回、四代目(当代の父、
34歳で没)が、1回上演している。当代は、92年4月のこんぴら歌舞伎以来、
2回目。そういう意味では、時蔵の持ち役にしていかなければならない役柄なの
だろう。しかし、私の個人的な印象では、重の井は、雀右衛門の印象が一番強い。
雁治郎でもなく、今回の時蔵でもない。重の井は、「片はずし」の大役で、品格、
つまり品位と格とともに、乳人(めのと)としての気丈さと母親としての真情
(母性愛)を併せ持ち、それを、ほとんど子役(調姫と自然薯の三吉)相手に長
時間芝居をするという難しさがある。今回の舞台でも、通称「いやじゃ姫」と言
われる調姫が、「いやじゃ、いやじゃ、いやじゃわいなあ」と、政略結婚に対す
る拒否を嫁入りの当日になっても、繰り返すのをなだめたり、脅したりする場面。
姫と同じ年頃の三吉が、道中双六を持ってきて、姫も交えて遊ぶ場面。幼い姫の
機嫌をとる大人たち。機嫌を直した姫は、由留木(ゆるぎ)家の両親と最後の別
れをするために、奥に入る。由留木家の殿様たちは舞台には出てこないので、そ
の親子の別れは描かれないが、替わりに舞台では、親子の名乗りをする三吉と、
三吉を我が子と認識しながら、乳人というキャリアウーマンとして、それを拒否
する母・重の井の、「親子の別れ」という、いわば、ふたつの子別れが、同時進
行する仕組みになっている。

職責の「義理」と母の「人情」の板挟みという、いかにも封建時代には、観客の
涙を誘った場面なのだろうが、今回は、子役の三吉の声が、キイキイしている感
じでそういう興を削いでしまう。雀右衛門のときの三吉は、「きょろきょろ」す
る癖のある市村竹松(萬次郎の息子)であったけれど、この「母子」のときの方
が、良かった。それは、竹松が良かったからというよりも当然雀右衛門の演技力
だろう。雁治郎のときの三吉は、壱(かず)太郎(翫雀の息子、つまり雁治郎の
孫)であったが、残念ながらあまり印象に残っていない。調姫は、まだしも三吉
は、「子役の大役」で、子役たちの調子が乗らないと、何とも芝居にならないと
いう難しさが、「重の井子別れ」の最大のポイントだろう。だが、子役の出来に
は、当然むらがあると、思わないといけない。そういう子役の弱点をカバーする
演技が、重の井の、「物語」としての役割とともに、「舞台」での役割があると
思う。そういう意味では、今回の時蔵の舞台は、気の毒だけれど、まだまだとい
う気がした。子役を相手にした長い台詞は、大人の役者相手の芝居とは、一段も
二段も違って難しいだろうと、思う。一方、子役が、巧すぎて大人の演技を喰う
という場面もないわけではないから、これも難しい。要するに、重の井のような
役の難しさは、まさにここにあるのではないか。そういう意味で、私の印象に残
っている重の井は、いまのところ雀右衛門だけである。私の見方では、この「遠
眼鏡戯場観察」でも、たびたび指摘しているように、子供が殺される「熊谷陣屋」
の「相模」にしろ、「寺子屋」の「千代」にしろ、「先代萩」の「政岡」にしろ、
こういう場面では、雀右衛門が演じる母の情愛の出し方の巧さは、当代一だろう
と思っている。特に重の井は、重層的な様式性のなかに、世話物以上にくだけた
母性愛を滲ませるという難しさもあるだろう。その辺も勘案すると、ますます私
は雀右衛門贔屓になってしまうが、時蔵も先々代に負けないような、重の井役者
に、いずれなって欲しいと思っている。

「夕顔棚」という、夕顔棚の下で涼む裸の親子三人を描いた絵がある。家族水入
らずが一番の幸せというテーマの絵だが、それが、人生では、なかなか、ままな
らないから芝居にもなる。母子の別れは、母も子も辛い。だから、芝居というキ
ャンバスでは、これでもかこれでもかとばかりに、何度でも同じ色を塗り重ねる。
これがまさに、歌舞伎「絵」なのだろう。

重の井と三吉のふたりだけの場面では、三吉が舞台下手へ移動すると重の井が、
上手の置かれた花車が描かれた衝立の後ろに隠れたり、人目を忍んで抱き合った
り、三吉が重の井の打ち掛けにすがりついたり、邪険に何度も重の井がそれをう
ち払ったり、再び抱き合ったり、打ち掛けの下から三吉が重の井を見上げて、絵
面を作ったり、ふたりの役者と私たち観客の間にできる三角形は、大きくなった
り、小さくなったりしながら、母子の愛情と別れの、感情線の濃淡は描かれて行
く。「キリキリと、唄え」と、無理矢理、馬子唄を唄わされる三吉。上手の道中
姿の腰元たち。下手に供侍たち。舞台裏での、もうひとつの親子の別れを終えた
調姫が、再び登場。三吉は花道へ。舞台中央で立ち上がる重の井と調姫のふたり。
「姫君のお発ち」引っ張りの見得で、幕。

この演目、元々は近松門左衛門の原作だけに、「重の井子別れ」より前段の場面
で、「恋飛脚大和往来〜封印切〜」のような、「公金」紛失の話があったり、そ
ういえば門左衛門は、「恋」という字を外題につけるのが好きらしい。例えば、
「恋女房」、「恋飛脚」、「恋湊博多楓」(まあ、正確には、すべて門左衛門が
直接つけたげだいばかりではないが)など。

さて、我が時枝さんも腰元で道中双六などに参加していたが、拍手の来る三吉で
もなく、笑いを誘う調姫でもなく、掛け声のかかる幹部でもなく、座っているだ
け、あるいは、通り過ぎるだけという役者人生にもかかわらず、歌舞伎役者と日
本画の絵師という、時枝さんだけの独自性に誇りを持ち、高齢にも関わらず元気
で舞台を勤めている姿を、毎月のように舞台で拝見するのは、私の喜びである。
絵の方の取材も進んでいるようで、新作を中心に来春にも個展を開きたいという
時枝さんを精一杯応援したい。また、個展の段取りが決まれば、紹介したい。

次いで、「雨の五郎」。こちらは萬屋兄弟の弟、信二郎が曽我五郎時致で、廓の
若い衆を引き連れて踊る。元々は「八重九重花姿絵」という、九変化の舞踊のう
ちのひとつだった。「対面」のように、大磯の廓の化粧坂(けわいざか)少将と
ペアの話だが、少将は登場しない。廓と五郎と言えば、「吉原の助六」。助六、
実は五郎なわけだから、「むきみ隈」に、黒い蛇の目傘、紫の頬かむり、黒地に
蝶の模様の刺繍。黒い塗り下駄など、助六によく似た衣装は、当然なのだろう。
だが、実は、助六と五郎は、印象では、まったく逆になる。両者とも傘を持って
いるものの、傘を軸に、両者は一八〇度反転する。

「晴れの助六」は、伊達の傘だし、「雨の五郎」は、「春雨に 濡れて廓の化粧
坂」「雨の降る夜も雪の日も 通い通いて大磯や」という長唄の歌詞にあるよう
に、本当に雨に差す傘なのだ。花道から出てきて出端の舞台が長い助六。「助六」
は、江戸歌舞伎、荒事の「晴れ」の舞台を飾る派手やかな演目。一方、「五郎」
の方は、本舞台・セリで上がってきて花道から引っ込む五郎。演出は、意図的に
逆志向が感じられるが、どうだろうか。「晴れてよかろか晴れぬがよいか」「い
つか晴らさん父の仇」という長唄の歌詞に、曽我物語の仇討ちへの強い意志が、
「晴れと雨」の対比として、かなり明確なメッセージがあるような気がする。
この演目は初見だが、単純なストーリーで判りやすく、全編を通じての軽快なテ
ンポの音楽と五郎(信二郎)の所作が繰り広げる舞台もメリハリがあり、好演。

今回の事前の「解説」で、観客の一部を舞台に上げて、下座の大太鼓の実演と観
客の試し打ちなどの趣向があった。「雨の五郎」に因んで、雨音の打ち方の実演
があり、判りやすくおもしろかった。




- 2000年7月12日(水) 18:30:47
2000年 6月・山梨県民文化ホール
           (「恋飛脚大和往来〜封印切〜」再見)

地方の公共施設という、悪評の、いわゆる「多目的ホール」での、歌舞伎鑑賞教
室。演目は「封印切」で、2週間前に、東京の国立劇場で観たのと同じ演目、役
者衆も同じ顔ぶれ。つまり、国立での今回の公演は、23日で千秋楽となり、一
日置いて、25、26日と甲府での、歌舞伎鑑賞教室開催と言うわけだ。

さて、「封印切」は、今回の顔振れが3回目。96年11月の歌舞伎座では、忠
兵衛が勘九郎、梅川が孝太郎、八右衛門が当時の孝夫(いまの仁左衛門)、おえ
が東蔵、治兵衛が芦燕。2回目が、99年4月の歌舞伎座で、忠兵衛が雁(本当
は、人偏の鳥)治郎、梅川が扇雀、八右衛門が我當、おえんが秀太郎、治兵衛が
富十郎。この顔ぶれから見れば、96年が江戸型、99年が上方型で、今回も雁
治郎監修で、扇雀が主演なのだから、上方型であろう。ところが、99年の歌舞
伎座の筋書に掲載されている舞台写真を見ると、屋体の構造、特に2階の作り方
が、今回のような、高い2階という上方型ではなくて、江戸型の低い2階になっ
ているのが不思議だ。当時の舞台が、写真の通りだったかどうか、調べてみない
と判らない。ただ、最後の幕切れ前の演出が、今回と同じで梅川を先に行かせて
忠兵衛は、後からひとりで行く上方型の演出だ。96年の方は、勘九郎と孝太郎
のふたりの道行きという江戸型だ。

上方型の、屋体の「2階」は、ほかの演目でもときどき目に付く。例えば、忠臣
蔵の「一力茶屋」の場面など。そこで、今回は、屋体を簡単にスケッチしてみた。
立派な2階で、階段より上手にある梅川と忠兵衛が、ふたりっきりで籠もって、
その後、ひとときの性愛の時間を過ごしたであろう「愛の部屋」もあれば、階段
から下手側にいくつかある部屋(まあ、構造上、大部屋と言うこともありうるが、
階下の座敷が大部屋なら、2階は、お女郎さんと客が過ごす小部屋と解釈したい)
は、今回の舞台では、使われなかったが、そこにも、さまざまな人生があっただ
ろうと、思う。

処で、前回、国立で観たときに、疑問に思ったことが、今回氷解したのは、井筒
屋の奥庭の場面。国立は井筒屋の表座敷、奥庭の離れ、再び表座敷という、場面
展開は、廻り舞台だったのだが、地方の公立施設という「多目的ホール」という
か、「無目的ホール」という、評判の悪い施設での歌舞伎(なにせ、クラシック
のコンサートをしたり、文楽をしたり、落語をしたり、オペラをしたり、地元の
ピアノの発表会をしたり、それでも、月々の利用は少ない。だからといって、そ
ういう活動を無視して、何かあればテントとか、野外で、と言うわけにも行かな
いし、財政の乏しい自治体では、これは意外と悩ましい問題なのではないか、と
思う)公演は、大変だと思う。でも、舞台が廻らないために、今回は、国立と違
う演出で、拍子木と暗転で、幕を下ろし、その間に、井筒屋の裏側を描いた書割
の拝啓を中心とした大道具で、下手に木戸、真ん中に「吾妻屋」風の、屋根のあ
るベンチ(床几ですな。歌舞伎の場合は)で、おえんに合図されて、「密かに」
梅川との逢瀬を図る忠兵衛が木戸から入る場面では、おえんがつけていた「ぼん
ぼり」の灯を消して、ふたりの「密会」(要するに、恋するふたりのために「性
愛」のチャンスを作るという、おえんの心遣い。年上の訳知りの女性は、気配り
が行き届いている)のお膳立てをするのが、よく判った。ふたりは、この場面で
「恋のだんまり」をするので、まさしく、暗闇が必要なのだ。演出によっては、
この場面では、表座敷に出ていた「お大尽」が、二階から水を捨てて、それが下
の庭で密会中のふたりにかかるようなシーンがあるという。今回の演出は、離れ
という上方の型と、井筒屋裏の堀の外という江戸型の、ちょうど中間のような演
出ではないか。ベンチに座るふたりなので、離れの座敷という国立の舞台より、
公園のベンチでいちゃつく恋人同士のような、濃密なエロスの場面になっていた
ような気がする。これは、今回の公演のほうが、演出が明確であった。

扇雀の忠兵衛の人物造形は、国立と今回と殆ど同じだが、より上方味の濃い、ひ
ょうきん男という印象が、2週間前より鮮明になっていて、肝心の封印切りも、
八右衛門に、そそのかされ、その挑発に簡単に乗って、弾みで、やけくそで、封
印をきるような、脇の甘い、軽率な「逆上男」を、きっちり描いていたように思
う。これに対して、梅川は、純情ながら、真情ある女性を浮き彫りにしてくれた
と思う。八右衛門の松助も、確信犯として、忠兵衛をそそのかしながら、上方漫
才のようなやりとりのなかで、彼の予想よりエスカレートする様が、よく判った。
やはり、あの場面は、上方漫才の原型のような、言葉の応酬で、上方歌舞伎では、
毎日台詞が変わるという、最大の見せ場なのだろう。今回の扇雀と松助の応酬は、
前回より、私には聞き応えがあった。封印切りは、大罪なので、八右衛門は、忠
兵衛を意図的に、そそのかしながらも、その通りになってしまうと、関わりを避
けるために、封印の紙片を拾い、外へ出てから井筒屋の屋号を書いた灯り取りの
下で確かめた後、そそくさと逃げ出す型があるようだが、前回、私はそれに対す
る不満を表明し、ここは「してやったりと、にんまりすべきではないか」と思っ
たのだが、今回の演出で松助は、にんまりは、しないまでも、自分から仕掛けた
とおりに、忠兵衛が、公金横領に踏み切ってしまい、「やっぱり、やってしまっ
たか。馬鹿な奴め」という表情で、お上に密告に行く心で、花道に入っていった
のも、ありかなと思った。

最後の、幕切れ前の場面で、梅川と忠兵衛がふたりで花道を行かずに、梅川だけ
を先に行かせるのは、やはり、私は不満で、当然、ふたりいっしょに死出の道行
きに踏み出すべきだと思うが、上方の型では、梅川を先に行かせるのは、仲居た
ちが梅川に付いて行く、あるいは、梅川が仲居たちを連れて行くことで、忠兵衛
とおえんとの別れを、大勢に邪魔にされずに、単純な、それ故、純粋なものとし
て、観客に強烈に印象づけようという演出なのかな、という気がしてきた。脇の
甘い、頼りない男のくせに、母か姉のように、良くしてくれたおえんに、無様な
姿を見せたくないという男の矜持のようなものもあり得るとも、思うようになっ
た。これも、そういう演出もありかなと言うだけであって、私は、やはり江戸の
型のように、ふたり一緒の「道行」の方が好きだ。今回は、忠兵衛の花道の引っ
込みでは、おぼつかない、ぎくしゃくした足取りにあわせて、拍子木が、恰も、
附打ちのように、打っていたのが印象に残る。これも、ふたりの道行きだと、打
ちづらいのかも知れない。

閑話休題、さて、もうひとつ。この場面で、裏の事情を知らない仲居たちが、格
の低い「見世女郎」の梅川が、好きな男の忠兵衛に、身請けされて廓を出て行く
のを喜んで「嬉し涙様」などとお祝いを言うと、死出の旅路へ出向くことを知っ
ている梅川は、「嬉しいような悲しいような」という台詞を言う。この類で、例
えば廓の出入り口の「西口」は、廓からの脱出の象徴なのだが、「西方浄土」と、
解釈して「あの世」のことを思ったり、「千日」と言う言葉で、江戸の刑場「鈴
が森」のあたる大坂の「千日前」のことを思わせたり、近松門左衛門の台本は、
上方の人なら判る「言葉の遊び」で、死出の道行きを飾っているのも、知ってい
ると上方歌舞伎の味わいが深くなるだろう。

歌舞伎の関係者は、地方公演のときに、いつも苦労されているのだと思うが、花
道がない、あるいは、今回のような、舞台の脇と言う感じの、不十分な、短い花
での演技など、余裕のない舞台を強いられるというのは、本来なら余韻が必要な
のに、それができないという、つらいものがあるのだろうと推察する。特に、花
道の七三などは、その場所を、役者は体で覚えているものだろうから。
それでも、地方在住の人が、本物の歌舞伎に触れる機会は、やはり大事にしたい。

今回も、バスで、車で、自転車で、大勢の人が、ホールに詰めかけていた。
歌舞伎を見終わって、外に出たら、甲府を囲む山々が見えて、いつも舞台を見終
わって、外に出ると歌舞伎座の前の地下鉄駅へ向かう混雑や皇居前の半蔵門の光
景を見慣れてきた私としては、外に出ても、「野遠見」の書割でも観ているよう
で、なにか変な気持ちがした。なにか、夢のなかのように、あるいは舞台に紛れ
込んでいるようにさえ、思う。この日は、選挙の開票速報番組に立ち会うために、
自転車で職場に向かったので、その何時間後には、甲府のNHKスタジオで開か
れた「スタジオ開き」で、番組に関わるスタッフ全員に向けて、挨拶をした。
そのあとは、夜半過ぎまで、きちんと仕事をした。当選確実の打ち間違いもなく
無事終わったので、まずまずであった。






- 2000年6月26日(月) 18:13:11
2000年 6月・歌舞伎座
        (夜/「義賢最期」「道行恋苧環」「縮屋新助」)

原作・並木宗輔ほかの「義賢最期」が、圧巻であった。特に仁左衛門は、孝夫の
時代から何回も、これを演じていて独特の様式的で、特殊な演出に執念を燃やし
ているように見受けられるだけに楽しみにしていたが、期待を裏切らない舞台で
あった。最後の力を振り絞り、瀕死の人形のような形で立ち上がったときには、
仁左衛門が、一際大きく見えた。

「源平布引滝」は、なかなか通しでは上演されない。良く上演されるのは、三段
目切にあたる「実盛物語」であるが、先日、国立小劇場での人形浄瑠璃公演では、
三段目、四段目が上演され、私も見に行った(これについては、「遠眼鏡戯場観
察」の番外編に書き込んであるので、まだ見ていない方は、どうぞご覧下さい)。
「義賢最期」は、二段目切にあたるので、このときにも上演されなかった。歌舞
伎座の筋書に掲載された上演記録では、30年前から孝夫は、この狂言を復活さ
せて以来、この役に取り組んでいて、今回の公演は、本興行では8回目。すっか
り、仁左衛門の当たり役になっている。ほかの役者では、猿之助、右近、橋之助
が演じている。義賢は、松王丸風の五十日鬘に紫の鉢巻きという病身の体。二重
舞台の上手に羽のような形をした手の付いた木製の植木鉢に小松が植え込んであ
る。さらに、その手前の平舞台にある手水鉢の、左上の角に斜めに線が入ってい
る。これは、何かあると、思っていたら、折平(團十郎)が登場する場面で、義
賢が折平の正体を多田蔵人行綱と見破った上で、先ほどの植木鉢の手を利用して
小松を引き抜き、庭の手水鉢に松の根っこを打ち付けると、手水鉢の角が欠け落
ちる。これが水の陰、木の陽ということで、源氏への思いの証となり、折平が義
賢に心を開くきっかけとなるという仕組みだ。こういう荒唐無稽さが歌舞伎の古
怪な味である。

平家に降伏した義賢だが、本心は源氏再興への熱い思いがあり、平清盛から奪い
返した源氏の白旗を隠し持っている。これが折平の妻・小万(田之助)に託され
ことになる。旗を巡るせめぎ合いが長い物語の一つの筋で、それゆえに、外題の
「布引」は、布=旗で、実際の地名の布引滝に引っかけているのだろう。義賢を
演じる仁左衛門には、襲名以来3年目ということで、すっかり風格が出てきたと、
思う。ここへ、清盛の上使が、白旗の詮議に来る。義賢の兄、義朝の髑髏を足蹴
にしろと迫る。ところが、本心を隠し仰せなくなった義賢は、髑髏を足蹴にでき
ない。逆に、上使のひとり長田太郎(亀蔵)の頭を髑髏で叩いて、殺してしまう。
しかし、もうひとりの高橋判官(十蔵)を取り逃がしたため、もはやこれまでと
義賢は、鉢巻きを投げ捨てるように取り去り、やがて攻めてくる平家に備えるが、
鎧を着けずに巣襖大紋のままで、自分の命と引き替えに、葵御前(秀太郎)と生
まれ来る子供(後の義仲)や白旗を託した小万たちを落ち延びさせようとする。

迫り来る平家の軍勢の描き方がおもしろい。まず、花道向こう奥の鳥屋で、遠寄
(攻め太鼓)が鳴る。やがて、下座でも遠寄ということで、音が、義賢館に近づ
いてくる。これを、後の場面で、もう一度繰り返す。その上で、平家方の大将・
進野次郎(弥十郎)が軍勢を引き連れて花道から出てくる。小万の父親・九郎助
(幸右衛門)は、孫を背中合わせになるように背負い、二人も軍勢とやり合う。
子役も背負まれたまま、節目では見得をするからおもしろい。そういうくすぐり
があってから、いよいよクライマックスに入る。兎に角、この芝居は、まさに義
賢の殺され方を見せるのが、最大の見せ場だ。屋体奥の襖がすべて倒れ、義賢が
平家の軍勢とともに躍り出てくる。奥は、いわゆる千畳敷だ。御殿の階段に襖を
裏返して敷き、その傾斜を利用して軍勢の独りが転げ落ちる。襖に囲まれる義賢。
やがて、襖に義賢を載せたまま、襖が底のない四角い箱のように組み立てられ、
その上に立つ義賢。軍勢が手を離すと、箱は菱形に変形をし、やがて、崩れる。
そういう一連の動きの間、義賢は、襖に乗ったまま一緒に崩れ落ちてくるのだか
ら、非常に危険な演技だ。箱が組み立てられた一瞬、高さは2メートル以上はあ
ろうか。その上に、長身の仁左衛門が立つのだから、仁左衛門は、かなり大きく
見える。芸の大きさと実際の柄の大きさの相乗効果を仁左衛門はたっぷりと見せ
てくれる。

合戦らしく矢が無数に飛び、そのうちの4本が柱などに刺さる。義賢も瀕死の重
傷だ。白旗も奪われたり、奪い返したり。後ろから抱え込まれた義賢は、己と後
ろの進野次郎ごと刀で刺し貫くという凄さだ。二重舞台に倒れ込んだ後、最後の
力を振り絞って、手足をだらりと下げて、瀕死の人形の体で、立ち上がる義賢。
ここの仁左衛門も、また、大きく見える。さらに、素襖の大紋の裾を大きく左右
に拡げたまま、高二重の屋体から平舞台めがけて、階段に倒れ込むから、これも
迫力がある。その上で、階段の傾斜を利用して滑り落ちて、息が絶える。殺され
方の美学だけという舞台だが、危険な演技を含めて、すっかり得意芸にしている
仁左衛門の演技は、最後まで安定していて、見応えがある。まったく初見なので、
以前の仁左衛門の演技との比較もできないし、猿之助らの舞台も知らないが、か
なりの出来映えの無頼だったと思う。仁左衛門中心に論じたが、待宵姫の芝雀も
可憐で良かった。

「道行恋苧環」は、「妹背山婦女庭訓」のなかの道行。2回目の拝見。お三輪が
芝翫、求女が團十郎、橘姫が雁(人偏に鳥)治郎というのは、最高の配役ではな
いか。前回は、お三輪・雁治郎、求女・翫雀、橘姫・松江であった。このときは
翫雀、扇雀の襲名披露の舞台。いわゆる三角関係の気持ちの揺れを描く。通しの
場合、お三輪が犠牲になる三笠山御殿の前に演じられる。今回は竹本で3人が踊
る。竹本は葵太夫ら5人が、それぞれの三味線方を引き連れての5連の演奏。後
見も鬘に裃姿という様式性の強い演出。浅黄幕が落ちると奈良の春日神社。黒幕
の夜の場面で橘姫と求女、そこに邪魔しに入るお三輪。黒幕から明るい山々の背
景に変わる。赤姫の雁治郎は、綺麗。田舎娘の芝翫は、緑の着物で「お茶ぴー」
な感じ。所作の手の動きも、雁治郎は、ゆるりとおっとりした姫の感じを出す。
芝翫は、愛嬌があるが、手の動きは早い。赤い糸の苧環を持った求女。白い糸の
苧環を持ったお三輪。求女は、橘姫に糸を結ぶ。お三輪は、求女に糸を結ぶ。橘
姫が花道を行くと求女の苧環がクルクル廻る。求女が姫を追いかけるとお三輪の
苧環がクルクル廻る。しかし、お三輪のお環は、途中で糸が切れてしまう。

「八幡祭小望月賑〜縮屋新助〜」も初見。河竹黙阿弥の原作で、新助が幸四郎、
美代吉が福助。これを新歌舞伎に書き換えた「名月八幡祭」は、去年の9月に歌
舞伎座で見ている。話の展開は基本的に同じだが、演出は新歌舞伎の方が洗練さ
れていたように思う。このときは、新助が吉右衛門、美代吉は福助で今回と同じ。
黙阿弥の原作は、幕末の時期に一緒に組んで新境地を開いた四代目小團次にあわ
せて書いた一連の作品のひとつ。新助に殺された美代吉が、実は新助の探してい
た妹だというのは、いかにも黙阿弥ものらしい。初演では「切られの与三」の世
界であったという。さらに、この狂言は、三代目河竹新七が28年後に「籠釣瓶
花街酔醒」に書き換えた。黙阿弥の原作が歌舞伎座で上演されるのは、49年ぶ
り。戦後の上演回数も歌舞伎座の記録では、本興行で9回目。これに対して「籠
釣瓶」の方は、48回。新歌舞伎の方は、15回。なぜか、大元の「縮屋新助」
の方が、上演回数が少ない。たぶんそれは、「籠釣瓶」が、吉原という華やかな
場所に舞台を移し替えたことで成功したし、新歌舞伎の方は、洗練された演出で
好まれているのだろうと思う。しかし、黙阿弥原作の、幕末歌舞伎の味も捨てが
たいように思う。

福助は、手古舞姿で賑やかに登場した後一旦引っ込むと、今度は障子屋体から、
白地の紺の大胆な模様の浴衣姿で、さわやかに再登場。会場からは、じわが起こ
る。幸四郎の新助は、滑稽味も感じさせながら生真面目で、融通のきかない男を
好演。相変わらずの心理主義や過剰演技はあるものの、私には許容範囲に見えた。
「すし屋」の権太よりも良かったと、思う。「すし屋」の方は、1階西桟敷の3
番目という最高の席にいながら、少し眠くなってしまった。まあ、新助の方は、
先代の時代から吉右衛門や幸四郎の持ち役で、当代の二人ともそれぞれ味わいの
違いはありながらも、安定した持ち味を出しているようで、好き嫌いを別にすれ
ば、それぞれ見せているのではないか。私個人は、吉右衛門の方が、好きだが。

妖刀・村正を手に入れてからの狂気の演技は、「深刻郎」の幸四郎は、確かに巧
い。陰気で、辛気くさい役作りは、当代一かもしれない。「越後國縮商旅宿」の
前で、人を殺した新助の持つ刀に、巧くライトが当たり、その刀に引っ張られる
ように花道を「引き連られてゆく」様は、まるで「狂気」が、形をなして見えて
きたように思えた。その間に、遺体を載せた舞台が廻って、場面は、仲町裏河岸。
再び花道から出てきた新助。「加賀見山」の「尾上」のように、鳥屋での待機中
も役者は、同じ気持ちを維持し続けるのだろう。ここでも新助は、自分を馬鹿に
した仲間の縮商らを殺す。更に、舞台は遺体を載せたまま廻って今度は、洲崎土
手。駕籠に乗って、通りかかった美代吉を殺す。このときの、福助が逆海老に反
り返る形の腰の線の綺麗なこと。若さがムンムンしていた。しかし、新助を心配
している荷持・作助(弥十郎)に、呼びかけられて正気に戻った新助。その口か
ら美代吉が、生き別れになっていた新助の妹と知らされたが、まさしく「もう、
後の祭り」の「八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのあやまち)」ではない
か。そのあたりの、外題の付け方も、黙阿弥は、実に巧いではないか。

福助の熱演が特筆。このほかの配役では、秀太郎の尾花屋女房・おつゆ、坂東吉
弥の赤間源左衛門、高麗蔵の笹葉お鈴、芝のぶの尾花屋娘分・おせんなどが、脇
で、それぞれ良い味を出していた。



- 2000年6月22日(木) 18:00:38
2000年 6月・歌舞伎座
(昼/「番町皿屋敷」「大津絵道成り寺」「義経千本桜〜すし屋〜」)
(夜/「源平布引滝〜義賢最期〜」「道行恋苧環」
      「八幡祭小望月賑〜縮屋新助〜」)

〜昼の部〜
週末に歌舞伎座に通うために、甲府から金曜日に帰宅というのも、良いものだ。
今回は、いつもの通りで、昼・夜通しで拝見した。「番町皿屋敷」は、初見なの
で、少し詳しく観察した。岡本綺堂作の新歌舞伎は、「湯殿の幡随院長兵衛」の
話の続きという拵えを物語のベースにしている。水野の旗本奴と長兵衛の町奴の
対立のなかで、水野の「白柄組」所属の旗本・青山播磨(團十郎)と町奴の放駒
四郎兵衛(仁左衛門)らが、山王神社の境内で、あわや喧嘩になりそうになる。
播磨の伯母の真弓(芝翫)にいさめられ、何時までも身を固めないから、喧嘩
早いのだとして、縁談も勧められる。ここまでが物語の伏線。仁左衛門は、絵馬
の柄の着物も黄色い足袋、黒い塗り下駄も格好良い。勿論、子分たちを引き連れ
た親分としての態度も颯爽としている。子分は白木の下駄。紫の豪華な駕籠に乗
ったまま登場し、喧嘩にならないように裁く芝翫は、白い足袋に草履を履いて、
駕籠から降り、貫禄を見せる(駕籠かきたちは、草鞋を履いている)。伯母には、
頭が上がらず「はあ〜い」と、何でも言うことを聞く男を團十郎は、誇張して描
く。その播磨は、紫の足袋に草履。役者衆の足元を見ているだけでも、歌舞伎の
小道具の細部に対するこだわりが伺えて、私にはおもしろい。歌舞伎の、もう
ひとつの魅力だろう。血の気が多いくせに、マザコン(年上の女性に弱い)男の
播磨。ここに、後の悲劇の芽があると、綺堂は、提示しているのだろう。

第一場(「序幕」ではない)の幕切れ、「散る桜にも風情がある」というのは、こ
の狂言のテーマを象徴する台詞。桜と言えば、「散る桜、残る桜も散る桜」という
のがるが、この狂言では、先に散るお菊も、後から散ることになる播磨も、桜なの
だ。さて、第二場、播磨の屋敷。水野十郎左衛門たちを呼んで開かれる宴会で使う
ため、腰元お菊(福助)と腰元お仙(萬次郎)が、青山家の家宝の高麗青磁の皿の
準備をしている。人の噂で、播磨の結婚の話を聞いたお菊は、紫の細い縦縞の着物
に、花柄の黒い帯姿で、虚ろな気持ちを隠さずに、儚げ。福助は、竹久夢二の絵に
登場する女性のような感じを出していて好演。

二重舞台の庭石の上に、黒塗りの薄い下駄が、ぽつんと一対置いてある。後の悲
劇の準備をしているが、誰も、その悲劇を予想できない。いろいろ迷った末に、一
人っきりになった後、お菊は、急に「うさぎ」の動きのような激しい所作をしたあ
と、家宝の皿を座敷の柱にたたきつけて割ってしまう。それを庭陰から見ているお
仙。「家宝の皿より、お菊が大事と播磨に言わせられるかどうか」。そんな女心は、
純な愛で胸がいっぱいなのだろう。だが、この女性も、このとき「逆上」してい
ることを忘れてはならない。冷静な判断力からは見放されている。その逆上は、
「うさぎ」のような動きの所作に表現されている。帰ってきた播磨は、皿を割った
ことを「粗相か」と聞くだけで、お菊の思惑通りにを許す。割れた皿を井戸に捨て
させる播磨。お菊が、このとき皿を包む朱色の袱紗(ふくさ)は、歌舞伎のなかで、
「物を片づける」ときに使う「消し幕」を意識している。さらに、この朱色の袱紗
は、後に、もう一役を果たすことになる。

愛する女ゆえに、男の心の広さを見せる播磨だが、作られた冷静さも、お仙の告げ
口を聞いた用人(坂東吉弥)に、真実を知らされ、それをお菊が追認すると、「逆
上」してしまう。男の心の広さを見せていただけに、よけい「逆上」する。そうい
う意味では、播磨もお菊も、同じレベルの人間だ。

物語には、ふつう「起承転結」がある。まず、皿を割るという「事故」が起こった。
ここが「起」。その「事故」を許す場面までは「承」。だが、それが
「事故」で
はなく、仕組まれた「事件」だと判ると、男の誠の心を疑ったお菊が
憎いと逆上
して、お菊を殺してしまう播磨。悲劇の始まりの合図は、播磨が履く、
先ほどの黒
塗りの庭下駄。それを止めに入る奴の権次。お菊の命乞いと、殿の
逆上をいさ
める権次の言い分は、正論だけれど、その熱心さに播磨の心を権次と
お菊の仲を
疑う嫉妬心も、芽生えたように私には見えた。それが、播磨の怒りに、
さらに油を
注ぐ。ここは、お菊の、世迷いごとに基づく「愚かな行為」を、「可愛い」と思う
か、誠を疑われた故の「憎さ」を増長させるか、ここが播磨の人生の分かれ道。
お菊に、さらに皿を出させて、それをことごとく割ることで、家宝の皿なぞ、なん
とも思わぬというヒロイズムに酔いしれる播磨。そういう行為を積み重ねれば積み
重ねるほど、逆上して行くのに、気がつかない。
男の誠を疑った女の罪か、些細なことで、疑い迷う女の純情。だが、所詮、播磨と
お菊は、「逆上」するタイプの同質の気性の持ち主であったと、私は思う。播磨に
斬られ、先の朱色の袱紗を銜えたまま死ぬお菊。それは、お菊の口から流れ出した
悲しい血反吐のようだ。この芝居は、足袋といい、小さな布きれといい、小道具
の使い方が巧いと思う。

愛する女を殺して、井戸に投げ入れさせた播磨に、水野十郎左衛門が、町奴に絡ま
れているという知らせが入る。逆上男は、破れかぶれの気持ちのまま、座敷にあっ
た槍を取ると、裸足で喧嘩の現場に駆けつけようと走り去る。この狂言は、初見な
ので、詳しく観察したが、近代的な恋の悲劇、それも、お互いに純な気持ちを抱い
ているが故に、「逆上」してしまった男女の怖さを本来なら幽霊話の皿屋敷伝説と
いう巷談をもとに、綺堂は、新しい歌舞伎として描きたかったのだろうと思う。

いまが役者としての「旬」という観がある團十郎は、初役ながら、愛する女性に対
する物わかりの良さを持つ近代人でありながら、一旦逆上すると、止(とど)め
が効かなくなる、そういう男としての播磨を浮き彫りにした。福助も、一見、儚げ
なげながら、自分の意志で皿を割り、それを認めた上で、愛する男に殺されて行く
という、ある意味で、「近代的」とも言える女性を描いていたように思う。

次いで、「大津絵道成寺」。これは、「大津絵もの」と言われる所作事のひとつ。
「道成寺もの」をベースに、河竹黙阿弥が、恰も歌舞伎のアラベスクのような、モ
ザイク画に仕上げた。初見。私が気がついただけでも、この道成寺というモザイク
に盛り込んだ歌舞伎の狂言は、「藤娘」、「雷船頭」、「紅葉狩」、「熊谷陣屋」、
「弁慶」、「矢の根」、「吉野山」、「石川五右衛門」などが、あった
と思う。黙
阿弥らしいサービス精神だろう。

「道成寺」恒例の「聞いたか坊主」の所化の替わりに、大津絵に描かれている老人・
外方(げほう)が、6人の華やかな唐子を連れて出てくる。場所も道成寺から三井
寺に移されている。唐子のなかでは相変わらず、芝のぶが、初々しい。大津絵らし
く、さらにその後ろをついてくる鯰。珍しく着ぐるみの鯰を演じる役者の名前が筋
書に明記されている。そういう楽しい舞台を5役の早変わりで雁(本当は人偏に
「鳥」)治郎が演じる。

スッポンから出てくる藤娘の精。道成寺の曲に合わせて藤娘が踊るという趣向。常
磐津が伴奏。紅白の幕が上がると、背景は大津絵らしく琵琶湖。長唄が加わる。常
磐津と長唄の掛け合い。藤娘が下手に引っ込むと、外方ら一行に鷹が絡んでくる。
舞台下手の立て札は、「熊谷陣屋」の、あの弁慶が書いたという制札がさりげなく
立ててある。鷹を追うように花道から早替わりの鷹匠が登場。鷹匠が上手に引っ込
み、斑の犬が舞台に観客の視線を引きつけておいた後、座頭に早替わり。

一踊りした後、座頭はスッポンから消える。再び下手から藤娘に早替わり。下手に
引っ込むと、今度は早替わりした船頭へ。「なりこまや」の傘が粋。雷が響く。
再び藤娘へ早替わり。藤の花笠が、いつもの花笠と違って舞台に清涼感を添える。
引き抜きで、娘は青い地の着物へ替わる。鐘のなかに姿を消す藤娘。弁慶が槍持奴
を連れて場をつなぐ。この弁慶と槍持奴たちは吉野山の早見藤太の見立てであろう。
滑稽身をにじませた上で、弁慶が真言密教の力を借りて鐘を引き上げると、藤娘か
ら替わった大津絵の鬼が撞木と奉加帳を持って出てくるからおかしい。

歌舞伎の名場面、名登場人物のオンパレードとなる台本を書いた黙阿弥。それに、
上方歌舞伎の味を加えて、楽しい舞台にした雁(人偏に「鳥」)治郎の洒落。上方
で人気のある所作事は、東京では、あまり上演されない。三井寺なのに、槍持奴
たちが演じる幕切れの見得では、槍襖ならぬ、槍の富士の山。

「すし屋」は、5回目なので、ここでは、細かな観察は、あまり書き込まず(実際
の観察は、いつものようにやっているが)、いつもと違って5回の舞台での、それ
ぞれの役者について、私流の比較論という趣向にしてみたい。

まず、主役の権太は、今回の幸四郎が2回、富十郎、團十郎、猿之助であった。
このうち、一番印象に残っているのが、富十郎。そもそもこの狂言の初見だった上
に、團十郎の口跡が、いまのようではなく、かなり悪かった頃だけに、富十郎の口
跡の良さが目立ったし、メリハリのある演技も良かった。幸四郎は、こういう「戻
り」のあるような深刻な役柄は悪くないが、上記の4人のなかでは富十郎が巧い。
もともと権太は、人情落語の世界の人のような役柄で、滑稽味も大事だろう。

弥助は、芝翫が2回、藤十郎、梅玉、秀太郎。このなかでは、梅玉以外は、女形だ
が、病気療養中の藤十郎が印象に残っている。藤十郎の再起の舞台が早く観たい。
今回の秀太郎は、やはり女形の線が、演技のあちこちにでてしまい、あまり良くな
かった。夜の部の「義賢最期」で、女形本来の役柄で出てくると、正直言ってホッ
とした。

お里は、福助が2回、宗十郎、亀治郎、芝雀。こういうお侠な役柄は、福助が一番。
今回は芝雀で、障子屋体の障子を開けて、その前に衝立を置くという、例の「一緒
に休みましょう」という場面では、彼らの「寝間」が、障子屋体のなかに、限定さ
れずに拡大されているように見えた。エロチシズムの「露呈」のような、新鮮な
印象が残ったが、いつもそうだったのか。障子は閉めていたのではなかったか。
それにしても、ここでは、お里という女性は、積極的だ。いつも思うのだが、封建
的な筈の歌舞伎に登場する女性は、結構積極的な人が多いのではないか。
それに、格子縞の前掛けだけを取って、衝立に掛けるのは、恰も女性の下着を脱い
で、ベッドの脇に置くような感じで、ものすごくエロチックな感じがした。

弥左衛門は、幸右衛門が2回、権十郎、三津五郎、坂東吉弥。亡くなった権十郎は、
味のある脇役だったが、今回も演じた幸右衛門にも、違った味があり、良かった。
小錦吾の首を袴で包み、羽織の下に背負って、裸足足袋で帰宅した弥左衛門が、自
宅玄関の木戸を入り、ホッとして座り込み、足袋を脱ぐ場面には、たく
さんの情報
が詰め込まれている。血に塗れた袴を二重舞台の床下に隠し、血で汚
れた指を、
出されたお茶で洗う。以前に、通しで観ているせいか、小錦吾の立ち
回りや殺さ
れた小錦吾の遺体に躓く弥左衛門の場面まで浮かんでくる。

景時は、羽左衛門が2回、権十郎、幸右衛門、段四郎。羽左衛門が風格があり、一番。
すべてお見通しで、だまされた振りをする、器の大きさが出ないとダメな役柄だろ
う。

おもしろいと思ったのは、木戸から上手が、上敷きを敷き詰めて、
座敷の体だ
ったのを、景時一行が来る前に片づけて、座敷から庭に変わる。その
後、話の展
開からすると、死に行く権太を囲んで再び座敷に戻るはずだが(実際
に、笛の音
を合図に外から戻ってきた弥助たちは、履き物を脱いで上がる)、実
際の舞台は、
そのままで、座敷の思いで役者衆も演じていた。とりあえず、昼の
部の劇評は
終了。夜の部は、別途。行が、かなり乱れているが、ご容赦を。


- 2000年6月20日(火) 18:53:43
2000年 6月・国立劇場
       (「恋飛脚大和往来」)

国立劇場の歌舞伎鑑賞教室の公演は、初めて拝見。「累々甲斐路往来(かさねがさ
ねかいじおうらい)」初登場には、「恋飛脚大和往来」は、同じ「往来」ものとし
て、相応しかろうと思ったことと、地下鉄半蔵門線の半蔵門、あるいは永田町の駅か
ら、地下鉄の丸の内線に乗り換えて新宿に出て、JR中央線で、特急「あずさ」あ
るいは「スーパーあずさ」に乗るのにどのくらいの時間を見ればよいのかと、思い試
してみた。そしたら、公演終了から40分後に出る列車に間にあってしまった。

今回の国立公演では、1等席3800円のチケットを当日買いをしたところ、簡単な
筋書と河竹登志夫「歌舞伎ーーその美と歴史」というパンフレット付きであった(2
等席でも同じだろう)。その筋書を見ていたら、こうある。国立の公演終了後、6月
25日、26日の2日間、なんと山梨県民文化ホールでも、同じ顔ぶれで歌舞伎鑑賞
教室を開く予定になっているではないか。後援のなかには、NHK甲府放送局も入っ
ている。その後、甲府の職場に、この公演の招待状が、私の手元に来たので、早速、
もう一度拝見する予定にしてある。東京での舞台と地方公演の違いを見る、格好のモ
デルになりそうなので、楽しみだ。前にも、このHPの「双方向曲輪日記」の方に書
たとおり、7月には、山梨県の増穂町という團十郎の祖先の地・山梨県三珠町に近い
ころで、仁左衛門襲名披露興行3年目の興行があるから、甲府市内ないし甲府の近く
(電車で30分ぐらい)で、続けて歌舞伎を観ることができるとは、なんて「間」が
いいんでしょうということか。

「恋飛脚大和往来〜封印切〜」の舞台の方だが、まず、坂東亀寿(彦三郎の次男)の
解説「歌舞伎の見方」では、坂東みの虫の飛脚とのやりとりで、当時の飛脚制度の説
明をした。月に3度江戸と上方を往来したので、「三度飛脚」と呼ばれ、彼らが頭
に載せた笠を、それ故に「三度笠」と言った、急ぎの封書には「正六」という朱印を
押した(歌舞伎の小道具の封書にも、宛名書きと朱印があった)、小判の三百両は、
5・4キロもあったなど、なかなかおもしろい。

さて、舞台は、「新町井筒屋の場」である。忠兵衛(扇雀)、梅川(愛之助)、おえ
ん(竹三郎)、治右衛門(秀調)、八右衛門(松助)という顔ぶれ。舞台の屋体から
して、上方歌舞伎の作り(2階の作りが違う)。扇雀の忠兵衛は、上方味がたっぷり
で、「ひょうきんなキャラクター」を強調していて、それはそれでおもしろい。仁左
衛門らの演じた「新口村の場」の、スマートで、格好の良い忠兵衛とは、かなり印
象が違う。

愛之助の梅川は、顔や体の線(結局は、彼の「芸」の線なのだろう)が、女形にな
りきっていないと思った。かなり堅いのである。先月の歌舞伎座の「源氏物語」の夕
顔役でも、私はそう思った(新聞の劇評などでは、誉めているものもあったが、私
は、少し厳しい見方をしている。養父の秀太郎の、あの柔らかい線をもっと盗むべ
きだ)。おえんの竹三郎が、いつもの老け役とは違って、色気のある中年の女性を好
演していた。おえんは、梅川・忠兵衛たちにとっては、最後まで優しい母親のような
女性であり、その懐の深い、人の良さを出していて、好感が持てた。

井筒屋の表座敷から、舞台が廻って、奥庭の離れに変わるが、これも上方の演出。江
戸歌舞伎では、井筒屋の裏手、堀外になるという。このとき、おえんの案内で、木戸
から入ってきた忠兵衛は、いかにもおっちょこちょいの人らしい動作で、暗闇のな
かを手探りで行く演技をするが、おえんが手に持っているのは「ぼんぼり」の筈なの
に、なぜ暗闇という想定なのか。薄暗闇なのだろうか。その後、おえんが、後に裸の
蝋燭を持ってきて、場が明るくなる場面があるから、あの「ぼんぼり」は、余計不思
議に思えるので、もう少し調べてみる。

さて、離れにいる梅川と忠兵衛は、久しぶりの逢瀬(10日逢っていない)であり、
もし「薄暗闇」なら、おえんが気を利かせて離れから去った後は、ふたりだけの密室
なのだから、本来なら性愛の場面だろうに(実際には身請けの金の算段の話だから、
それどころではないのだが)、性愛を直接描くことの少ない歌舞伎と言えども、「直
侍」の「大口寮」の場面のように、間接ながら濃密なエロスを感じさせる演技や演出
が考えられるであろうに、今回のふたりのやりとりは、なんとも薄味なのである。

もっとも、この忠兵衛は、木戸からの入り方を見ても、なんとも脇の甘い人柄で、公
金の封印切りという重罪を、はずみで犯してしまう人らしく、扇雀は、演じているの
かもしれない。忠兵衛の封印切りは、薄幸の梅川のために、覚悟をして男気を出して
公金に手を出すという「意地」の型と成り行きで封印切りをしてしまうという「はず
み」の型があるそうだが、扇雀の演技は、後者であり、徹底的に脇の甘い、頼りない、
まさに「金も力もない」という上方の色男を演じている。忠兵衛の着ていた羽織の裏
に、なにかに驚いて竹藪から抜けて、飛び出す雀の絵が描いてあったが、これは、
忠兵衛の性根を示す象徴的な絵柄だと思い、上方の演出の、きめの細かさに感じ入っ
た次第。

愛之助の演技は、堅さはあるものの公金にまで手を出して、命がけで自分を愛してく
れる男への真情が溢れていた。その真情の溢れ具合の「重さ」が、滑稽でひょうきん
な人柄の忠兵衛という対照的な「軽さ」の演技とバランスが取れ、両方が際だって見
えて、これはこれでおもしろいと思った。

さて、再び舞台は廻って表座敷へ。この狂言では、あまり演ずるところの少ない秀調
の治右衛門は、若手の多い舞台だけに、重々しく風格があり、味が出ていたように、
思う。治右衛門も梅川・忠兵衛の二人には、同情的だ。唯一の憎まれ役の八右衛門の
松助だが、みんなが上方味というなかで、ひとりだけ「江戸っ子」と言う感じで、残
念であった。八右衛門が来ると、皆から嫌われていることが判る。おえんがそれを代
表するように、八右衛門へ悪態をつく。これは、観客の気持ちをも代弁するようにす
るのだろう。八右衛門が忠兵衛へつく悪態の伏線にもなるようにする。後の場面を観
客に際だたせて印象づけるための演出だと思う。

肝心の封印切りに至る八右衛門と忠兵衛との喧嘩、まさに、命を懸けた「死闘」とも
言うべき意地を張り合う場面では、まるで、上方漫才の「ぼけ」と「つっこみ」
のような掛け合いであったが、この忠兵衛の怒りの演技は、怒りのなかにも、こうい
う性格の人が怒ると、こうなるのかなという怒り方であったと思う。二代目延若によ
ると、この怒りは、この幕の間じゅう「ブルブル震えるほど怒っているのですが、始
終梅川に気をとられている。顔色ばかりみている、これが忠兵衛の性根です」という
ことらしいが、怒りながらも、絶えず他人の表情を横目で伺っている人って、いま
すよね。実際に。忠兵衛のそういう人間像が伝わってきたと、思う。

この場面は、上方の型では、本来アドリブでやり合うそうだから、忠兵衛の「ひょう
きんさ」を売り物にするという演出なら、首尾一貫しているように思う。一方、松
助の人柄も、もともとひょうきんさを持っているので、八右衛門という憎まれ役が、
憎まれ役に徹していない嫌いがあり、残念であった。そういうふたりの喧嘩を、下手
で火鉢を囲んで治右衛門、梅川、おえんの3人がうつむきながら聞いている。
しかし、同じように聞いている、ふたりの後ろに座った仲居たちは、少し違うと、思
う。仲居たちは、あたかも背景画のようにじっとしているが、ときどき、みせる
表情に八右衛門への、憎しみをにじませる。それは、ふたりを挟んで反対側にいる
私たち観客の気持ちを代弁しているようだ。仲居たちは、鏡に映った観客の気持ちだ。
卓抜な演出だ。

忠兵衛が、封印切りをしてしまったあと、八右衛門は封印の破片を盗み取り、井筒屋
の外に出て、それを確かめた後も、憎々しく、「にやり」として、まさに「してやっ
たり」という表情をすべき所なのに、松助には、それがなく、演技としての深さに欠
けていたように思う。兎に角、身請けの金が処理され、表座敷にいる人たちの間には、
忠兵衛を除いて、事情を何も知らないわけだから、「一件落着」のような、ほっとし
た雰囲気が広がる。「公金横領」という鬱陶しい話の舞台だけに、頭の大尽の遊びの
場面とこの場面だけに華やぎがあるが、こういうメリハリの場面は大事だ。そのなか
で、忠兵衛だけは、将来が見えている。死しかないのだ。梅川の身請けの手続きのた
めに、おえんや仲居たちが外出してしまうと、後に残されたのは、梅川と忠兵衛のふ
たりだけ。ここで忠兵衛は、初めて本当のことを話す。「はずみ」で、公金横領をし
た、危機管理の出来ない男、忠兵衛が「死んでくれ」と言うと、梅川は「死んでくれ
とは勿体ない。わしゃ、礼を言うて、死にますわいなあ」と、自分に命を懸けてくれ
た男への愛情を精一杯見せる名場面だ。ここでは、そういう台詞のやりとりとあわせ
て、忠兵衛の羽織に注目。羽織落としをふくめて、この「羽織の演技」は、効果的だ。
愛する男女の気持ちを通底させる憎い「装置」の役を羽織が果たしている。

死を前に、ひとときでも愛する男の妻になりたい、そのためには、殺されても良い。
そういう梅川の気持ちを包み込むようにして忠兵衛と、ふたりの道行きになるべき場
面(「名作歌舞伎全集」の台本では、当然、そうなっている)なのに、今回の演出で
は、なぜか、まず、梅川がひとりで、悲しい道中に出発する。その後、しばらくして
から忠兵衛が、ひとりで、件(くだん)の羽織を鷲掴みにして、足下もおぼつかない
様子で、おえんとの別れを惜しみながら、立ち去って行くという演出を取っていたが、
いかがなものだろうか。

脇の甘い、頼りない男・忠兵衛の性根を印象づけるための演出か。それにしても、こ
こは、やはりふたりで死出の道行きをすべきではないのか。25日の、甲府での再度
の拝見で、そのあたりを、もう一度観てみたい。また、上方歌舞伎の忠兵衛・八右衛
門の喧嘩が、アドリブで毎日変わるというのなら、そのあたりも上方味の楽しさだろ
うから、これも楽しみだ。再度の劇評にご期待を。

- 2000年6月13日(火) 19:17:25