2002年 5月・国立劇場(小劇場)
     人形浄瑠璃通し狂言「菅原伝授手習鑑」(第1部、第2部)
 
並木千柳が、竹田出雲、三好松洛、竹田小出雲(後の二代目出雲)と合
作した「菅原伝授手習鑑」は、歌舞伎では、「通し」も「みどり」も、
さまざまな上演形態で拝見ということで、上演回数の多い狂言だけに何
度も観ている。しかし、人形浄瑠璃の舞台は、初めてなので、期待して
拝見した。

第1部、第2部の通しでは、午前11時開演から、休憩、入れ替えを挟
んで、終演が、午後9時という長丁場。ここでは、第1部、第2部をま
とめて、劇評掲載したい。今回のポイントは、歌舞伎と人形浄瑠璃との
演出の違いを中心にしたウオッチングに加えて、竹本の語りや三味線、
人形の動きなど、若干の劇評というスタイルをとりたい。

私は、千秋楽に拝見したが、人形遣いの桐竹一暢(いっちょう)が、
病気休演ということで、「佐太村茶筅酒の段」の白太夫の舞台のみ出
演、ほかの場面は、代役。竹本の豊竹嶋大夫も、病気休演で、代役。
国立劇場の今回の公演パンフレットに誤りがあった。14ページの「鑑
賞ガイド 2」。三大歌舞伎の上演の順番が、「菅原」「忠臣蔵」「千
本桜」となっているが、これは、「菅原」「千本桜」「忠臣蔵」の順。

開幕前に、恒例の三番叟。定式幕は、歌舞伎と逆に上手から下手へと開
く。舞台、上手の揚幕には、竹本座の座紋と豊竹座の座紋。下手の揚幕
(歌舞伎なら、花道の向う揚幕の機能)には、豊竹座の座紋と竹本座の
座紋。人形遣いの黒ずくめの扮装は、左手遣い、足遣い、一人遣い(い
わゆる「大ぜい」)だけでなく、歌舞伎なら、狂言作者の役割の柝を叩
いた上で、(歌舞伎にはない)「東西」で始まる大夫、三味線方の紹介
(「口上」)をするほか、大道具方の仕事などなんでもこなすようだ。
歌舞伎座では、マイクを使用しない。肉声が、劇場の音響効果で、幕見
席まで伝わる(ただし、聞きづらい席もある。昔は、この席を露骨に
「**桟敷」と言ったものだ)。国立劇場(小劇場)の場合、客席の前
の方の天井に2本のマイクが設定されていた。
 
第1部:「初段」
○「加茂の堤の段」では、7人の大夫が、松王丸、梅王丸、桜丸など、
それぞれの人形ごとに役割分担で語り分ける。「舎人ふたりは肘枕。
二輪並べし御所車」という語りに、歌舞伎の「加茂の堤の場」上演で
も、カットされる、ふたりの舎人、三つ子の長男・梅王丸(菅丞相方)
と次男・松王丸(藤原時平方)が、加茂明神へ主人の代参役を待ちなが
ら、堤で昼寝している場面から始まる。双方の主人、菅丞相と藤原時平
とは、政敵同士である。目覚めた梅王丸が「コリヤヤイ松王丸、そち
が」と松王丸に呼びかける口調で、長男・梅王丸が、どちらかと判る。
さらに、「斎世の宮様の車を引く桜丸と、われと俺と三人は、世に稀な
三つ子」と梅王丸が、三つ子の兄弟を自己紹介する。歌舞伎では、松王
丸が、長男という印象で演じている。

もともと、この時代に生まれた三つ子の話題を取り入れただけに、話題
のニュースは、まず、頭から知らせるという報道の原則どおり、早々
と全段を通じて、重要な登場人物になる三つ子を紹介している。このあ
たりは、さすがに巧いものだ。後の「佐太村」の賀の祝いの場面への伏
線があり、さらに、桜丸登場。以後、歌舞伎同様のやり取りがある。
人形の出番がなくなると、大夫も交代する。

斎世の宮と苅屋姫の逢引の場面では、牛車の外にいる桜丸・八重夫婦の
会話が、かなり官能的。ここは、歌舞伎も同じ。ただ、歌舞伎の場合、
牛車の外に脱ぎ残された男女の履物という小道具が印象的だが、人形浄
瑠璃の場合は、なかった。歌舞伎や人形浄瑠璃の舞台では、桜丸の切腹
が、印象的だが、このふたりは、原作では、ふたりとも、やがて死んで
しまうのだ。丞相の御台所を北嵯峨に匿っている梅王丸女房・春と八
重。そこへ、藤原時平方の手の者が、襲いかかり、応戦する八重は、
殺されてしまう。そういう未来の死が、生の謳歌という、「性愛」の場
面での官能の台詞になるのだろうか。
 
○「筆法伝授の段」からは、大夫の一人語り。人形にあわせて声色を使
い分ける。前半は、竹本津国大夫。後半は、豊竹嶋大夫代役・豊竹呂勢
大夫。その都度、竹本出語りの山台が半回転をし、「東西」で、大夫と
三味線方の紹介がある。この場面で、菅丞相の御台所、一子・秀才、
源蔵女房・戸浪まで含めて、後の「寺子屋」の登場人物が、勢ぞろいす
る。後の場面への伏線を周到に張り巡らせているのだろう。

後半、御簾が上がると、菅丞相の出。人形の頭は、「孔明」。後の場面
では、「丞相」に替ることに注目。丞相の人形を操る首遣いの吉田玉男
(人間国宝)は、重厚。玉男も丞相も、ほとんど動かないが、肚で演じ
る。至難の場面。その貫禄ぶりが、人形にも乗り移っている感じ。武部
源蔵に筆法伝授をした後の、「伝授は伝授、勘当は勘当」という歌舞伎
でも聞かせどころのやりとりだが、嶋大夫代役・呂勢大夫の声は、そう
いう重厚な菅丞相に似合わない。ここは、嶋大夫で、聞きたかった。
頭は、「端役」の左中弁稀世は、厳粛な筆法伝授の場面で、ひとりよが
りな男のチャリ(笑劇)を演じ、客席の笑いを取る。歌舞伎以上に、
人形は、オーバーアクションが似合う。大道具の書割が、上や左右に移
動して、あっという間に場面展開。
 
○「築地の段」は、歌舞伎でも上演される。囚われ人となって、丞相戻
り。語りは、竹本文字久大夫。重々しく安定。やはり、人形浄瑠璃は、
竹本の語りが主なのだろう。三味線との連繋の妙なども、判る人には、
判るのだろうと思う。屋敷は、閉門。丞相の一子・秀才を梅王丸と源蔵
の連携プレーで屋敷から救出するが、邪魔立てをする左中弁稀世や荒島
主税。これを迎え撃つ源蔵が結構な剣の使い手と判る。立ち回りでは、
足遣いによる足拍子と下手奥で打つ、付け打ちの音が、重なり、歌舞伎
より激しい感じ。源蔵は、文武両道の達人なのだ。

ところで、後で、気づくことになるのだが、「菅原」では、結構、人が
多数殺される(舞台では、演じられなかった八重の死まで、含めると、
都合7人だった。意外と、血腥い狂言なのだ)。戸浪も秀才救出では、
築地塀上の、梅王丸から、秀才を抱き取り、背負うなど重要な役割を果
たす。人形たちの引っ張りの見得で幕切れ。人形たちの見得は、役者の
見得とは、一味違う。
 
第1部:「二段目」
○「杖折檻の段」と「丞相名残の段」では、歌舞伎以上に、丞相の伯母
であり、苅屋姫の母である覚寿(文雀)の役割が重要だと判る。人間国
宝の文雀の操りは、静謐。「杖折檻の段」の語りは、豊竹咲大夫。河内
の土師の里、覚寿の屋敷、歌舞伎では、「三幕目・道明寺」の場面。
丞相が配流となる事件の発端となった苅屋姫を杖で折檻する場面。杖で
叩く場面では、叩きを三段に分けているのが判る。効果的で印象的。
覚寿も、貫禄と肚が必要。
 
○「東天紅の段」
御殿が、大道具から書割に代わり、舞台奥に引っ込むことで、庭が広々
としているのが判るし、時平方から丞相暗殺を頼まれた土師兵衛と宿禰
太郎の親子が悪巧みの打ち合わせをする場所が、広い庭の隅で、周りに
は、誰もいないという状況も良く判る。歌舞伎では、判らない演出だ。
語りは、竹本津駒大夫。歌舞伎では、赤面に隈取、緑色のビロードの衣
装の太郎。人形浄瑠璃では、衣装は、緑色だが、ビロードではないの
で、少し貧相に見える。役者の工夫か。夫・太郎の陰謀を察知した苅屋
姫の姉・立田は、夫に殺される。
 
○「丞相名残の段」。前の段の書割が、上がり、片付けられる。御殿
が、舞台奥から引き出される。御殿奥から、丞相登場。上手に丞相(玉
男)。下手に覚寿(文雀)。人間国宝の人形遣いが揃う名場面。人形遣
いとしては、当代最高の配役だろう。それぞれの思い入れを内輪にしな
がら、胸中の万感を表現する。語りは、豊竹十九大夫。丞相配流の旅へ
出発する場面を確かめに来た宿禰太郎。立田の遺体を庭の池から救い出
した奴・宅内、通称「水奴」が、舞台下手でチャリを演じ、客席を笑わ
せる。舞台上手では、見つかった立田の遺体を囲んで愁嘆場。その対比
の妙。やがて、立田を殺したのが、娘婿の宿禰太郎と悟る覚寿。太郎を
長女・立田の仇として討つ覚寿。

白い衣装:木像の化身の丞相と紫の衣装:生身の丞相。歌舞伎では、
例えば、片岡仁左衛門では、孝夫時代を含めて、2回、観ているが、
人形ぶりという演出だった。人形浄瑠璃では、元々、人形が演じるのだ
からどういう風にするのかと思っていたら、白い衣装の場合、人形の足
を動かさない、紫の衣装の場合、人形の足を動かすという演出だった。
足が動かないまま、すうっと滑るように移動していた。
 
第2部:「三段目」
○「車曳の段」は、第1部の最初の段と同様に、5人の大夫が、それぞ
れの人形ごとに役割分担で語り分ける。後から、登場する松王丸を語る
竹本三輪大夫は、上手袖の後ろで最初声を出し、人形の登場にあわせ
て、山台に上がってきた。まず、浅黄幕前での梅王丸と桜丸の出会い。
幕の振り落としで、吉田神社の鳥居前。歌舞伎の演出が、人形浄瑠璃に
逆輸入されたそうで、ほとんど、歌舞伎と同じ演出だったが、歌舞伎役
者の方が、隈取の化粧をする分、メリハリがある。「初段」の「加茂の
堤の段」で、三つ子を登場させているので、「車曳の段」の人間関係が
判り易いことを発見。その代わりかどうか知らないが、藤原時平が、
しつこいぐらい笑って見せるのが印象に残った。
 
○「佐太村茶筅酒の段」では、四郎九郎(「シロ・クロ」。竹本に「白
黒まんだらかいは、掃き溜めへほつて退け」という文句が出て来る。
古稀の祝いをきっかけに、丞相より名前をもらい、改名して、白太夫と
なる)の「賀の祝い」。語りは、豊竹松香大夫。百姓・十作が、鍬を足
で蹴飛ばして肩に担ぎ上げる仕草の農民振りが客席を笑わせる。歌舞伎
とは違って、三つ子の嫁たちの衣装が、みな、鶸(ひわ)色だったが、
裾模様の絵柄が、梅、松、桜とそれぞれの連れ合いに合わせていた。
桜丸女房・八重のみ、「娘」の頭に、赤い襦袢に朱色模様の帯。ほかの
ふたりは、「老女形」に黒い帯。松王丸女房・千代を担当する吉田簑助
(人間国宝)は、相変わらず、色っぽく人形を操る。病気休演の桐竹一
暢は、この段だけ出演して、白太夫を操る。
 
○「佐太村喧嘩の段」。語りは、竹本千歳大夫。客席から、スキンヘッ
ドの大夫に、「千歳大夫」と掛け声がかかる。喧嘩の場面は、歌舞伎
が、子供みたいな取っ組み合いの場面になっているのと比べて、まさ
に、喧嘩であった。その挙句、梅、松、桜と植えてある庭木のうち、
歌舞伎なら、桜の小枝を折ってしまう場面で、人形浄瑠璃では、桜の立
ち木そのものを折り倒してしまう。「土際四五寸残る」と竹本にもあ
る。また、歌舞伎では、荒事の演出らしく、二人が、稚児っぽく、「お
いらは知らぬ」と言い合うが、人形浄瑠璃には、そういう台詞は、な
い。歌舞伎の洒落っ気だろうが、竹本では、語りにくい台詞でもある。
 
○「佐太村桜丸切腹の段」では、「東西」の掛け声で始まる大夫、三味
線方の紹介の間、人形や人形遣い全員が、後ろを向いていたのが、印象
的。語りは、人間国宝の竹本住大夫。住大夫の竹本は、何回か、聞いて
いるが、この人は、人間国宝の三味線方、鶴澤寛治の襲名披露の「口
上」の素声を聞いたことがある。濁った声である。ところが、語りの声
は、澄んで聞こえるから不思議だ。緩急自在で、聞き惚れていた。桜丸
は、黒い衣装で静かに登場。死を覚悟している。陰に籠った役で難し
い。奥から座敷きへの登場の瞬間が大事だ。大筋は、歌舞伎と同じ演出。
 
第2部:「四段目」
○「天拝山の段」は、歌舞伎では、あまり上演しないので、初見。語り
は、竹本伊達大夫。三味線方、鶴澤寛治。野遠見を背景に、白太夫が綱
を持つ牛に乗った丞相。人形の頭は、髭を伸ばした「丞相」。配流先の
地で、一夜のうちに生えたという安楽寺の梅の木を見に出かける場面。
白太夫の人形を操るのは、一暢代役の吉田玉也。

場面展開で、梅の木の生えた安楽寺の観音堂。梅の木は、佐太村の白太
夫の庭に生えていた梅の木だった。やがて、時平の家来たちが丞相を追
って来る。立ち回り。足拍子と付け打ちで、賑やか。梅の小枝を折り、
その枝で、時平の家来の首を切り落とす。白梅の花を「火花」のように
噴出させる丞相。人形浄瑠璃の演出としては、外連の部類なのだろう。
将来、雷を操る天神となる丞相の面目躍如。再び、場面が展開して、
「上」と書いた書状を持ち、岩山の上に登る丞相の場面は、平家女護島
の「俊寛」のような印象(人形の「頭」も、同じなのかも知れない。
調べてみよう)。丞相、俊寛、両方とも配流で、都に恨みを持つ身に
は、変わりない。変化に富む展開が続く。見せ場である。人形浄瑠璃の
大荒事。何故、歌舞伎では、あまり上演されないのだろうか。通し上演
では、時間の関係か。みどり上演でも、楽しめる。
 
○「寺入りの段」。玄関脇に「手習指南 武部氏」という看板がある。
座敷奥に「天照皇大神」の掛け軸。語りは、豊竹呂勢大夫。「よだれく
り」をはじめとする手習い子たちの動作は、歌舞伎よりリアルに見え
た。人形の三人遣いは、「よだれくり」のみ。ほかの場面では、三人遣
いの、菅秀才も、この場面では、一人遣いの「大ぜい」。この段では、
小太郎「寺入り」の場面での「東西」による大夫らの紹介では、手習い
子の人形や人形遣いたちは、後ろを向かずに、所在なげに前を向いて、
紹介が終わるのを待っている。かえって、リアルに見えるから不思議
だ。柱によじ登る「よだれくり」など、子供の遊ぶ場面の演出が歌舞伎
より写実的。次の段で、秀才の身代わりに小太郎を殺してしまった後
で、小太郎の母・千代の問いかけに対して、「奥で遊んでいる」と、
源蔵が言う場面があるが、その場面への伏線か。
 
○「寺子屋の段」は、歌舞伎とほぼ同じだが、小太郎が殺された瞬間、
歌舞伎では、戸浪と松王丸が、ぶつかりあい、「無礼者め」と松王丸が
言う場面が、人形浄瑠璃にはない。歌舞伎は、この場面のハイライトと
して、演技の気合いを、ここに込めた。「無礼者め」は、役者の工夫魂
胆。歌舞伎の入れごとと知れる。人形の松王丸の衣装は、歌舞伎からの
逆輸入。歌舞伎でも演じる「いろは送り」だが、これは、人形浄瑠璃の
方が、圧巻であった。白い喪服姿の松王丸、千代夫妻。特に、千代は、
新妻のような角隠し姿が、官能的。吉田簑助の操りが、いやまさ、官能
に深みを与える。死に裏打ちされた官能。性とは、死に至る官能であ
る。人形の動きも、妖しい美が感じられる。ここは、この段の、人形浄
瑠璃のハイライト。歌舞伎も人形浄瑠璃も、ハイライトは、それぞれ、
ひとつに限るということか。それも、ひとつの見方かもしれない。語り
は、前半が、竹本綱大夫。後半が、豊竹英大夫。

何回か、人形浄瑠璃の舞台を観てきて、歌舞伎と違って、人形浄瑠璃
は、竹本の語りが主だということが判る。竹本と糸(三味線)、そし
て、操りという感じだ。第1部は、12列の18番目という真ん中の席
で、1枚の絵を鑑賞するように、全体が良く見えたが、第2部は、7列
の7番目で、座席は、前になったが、下手側に寄ったので、舞台全体が
見えるバランスは、悪くなった。その代わり、松王丸の女房・千代の人
形を操った人間国宝の吉田簑助が、下手側で人形を操る場面が多いの
で、すぐ近くから、彼の操りの具合や表情が手に取るように判った。
また、舞台上手袖の奥が見えるので、これも、真ん中の席とは違う、
いろいろな情報が取れた。人形浄瑠璃が、竹本と糸(三味線)、そし
て、操りという順番だとしても、人形遣いの操りの具合で、人形の表情
や表現が、大きく変わることも、目の前の簑助で体験したので、こうい
う順番は、簡単には、言えないと思った。やはり、奥が深いのである。  

- 2002年5月30日(木) 6:16:16
2002年 5月・歌舞伎座
 四代目尾上松緑襲名披露興行(夜/「舌出し三番叟」「口上」「勧進
帳」「半七捕物帳〜春の雪解〜」)

「口上」があるため、昼の部に比べて、売れ行き好調という。先月の
「二代目魁春襲名披露興行」の口上より、挨拶が明るいのが良い。先月
は、二代目魁春襲名披露というより六代目歌右衛門の一年祭(一周忌)
という色彩が強く、没後、1年では、故人の思い出というトーンが強く
やや暗かった。二代目松緑没後、来月で、まもなく、まる13年という
時間は、思い出話にも、明るさがあり、若い松緑の誕生という華やぎも
あり、夜の部のハイライトになった。

新・松緑が弁慶を演じる「勧進帳」は、将来の可能性を感じさせる舞台
であった。私が、意外とおもしろく拝見したのが、「半七捕物帳〜春の
雪解〜」。私は、初見の演目だが、「三千歳直侍」を下敷きにした新歌
舞伎は、そういう趣向を楽しみながら、團十郎の二役早変わりもテンポ
があり、人情噺として、夜の部いちばんのお勧めと観た。それでは、
出しもの順に劇評をまとめたい。

「舌出し三番叟」は、初見。「三番叟もの」は、いろいろバリエーショ
ンがあるが、基本は能の「翁」。だから、「かまけわざ」(人間の「ま
ぐあい」を見て、田の神が、その気になり(=かまけてしまい)、五穀
豊穣、ひいては、廓や芝居の盛況への祈りをもたらす)という呪術であ
る。それには、必ず、「エロス」への祈りが秘められている。「三番
叟」は、江戸時代の芝居小屋では、早朝の幕開きに、舞台を浄める意味
で、毎日演じられた。それだけに、基本的には五穀豊穣を祈るというめ
でたさの意味合いは同じだが、さまざまの「三番叟もの」が能、人形浄
瑠璃、そして歌舞伎で演じられて来た。「舌出し三番叟」、「二人三番
叟」、「式三番叟」など。私も、また、さまざまな「三番叟」を拝見し
てきた。それだけに、「三番叟」は、伝えるメッセージよりも、その趣
向を生かさないと観客に飽きられる。趣向とは、江戸庶民の意向を代弁
して、「洒落のめす」心が、横溢している。今回の趣向は、「舌出し」
であり、滑稽な味付けである。

まず、我當の翁が、静かに、穏やかに舞う。小鼓の「いよーお、いよー
お」という掛け声が、腹に響いて来る。芝雀の千歳。能の「翁」の主役
が、翁であるように、歌舞伎の「三番叟」の主役は、三番叟(三津五
郎)である。三番叟は、客席に向かって挨拶をするが、実は、劇場の天
井あたりに宿る神に挨拶をし、神に舞をささげる。だから、三津五郎
は、正面を向いている間は、上目遣いになっている。3階席、3列目
(「は」)の31番の席から双眼鏡で見ていると、三津五郎の視線が、
こちらに向かっているのが、よく判る。三津五郎の所作は、安定感があ
り、三津五郎代々の工夫魂胆を一身に体現しているように見受けられ
て、堪能。千歳の芝雀は、舞う時間より座っている時間のほうが長い。
翁は、最初に舞い、さっさと引っ込んでしまう。

閑話休題。しかし、歌舞伎の「三番叟」は、人形浄瑠璃の「三番叟」
には、勝てないと思う。去年の2月、国立劇場(小劇場)で「寿式三番
叟」を観たことがある。この舞台では、三番叟の連舞が素晴らしかっ
た。人形遣いが、人形を操るというより、人形といっしょに舞っている
のである。踏んでいるのである。大地へ「五穀豊穣」の思いを届かせよ
うとする、力強い足拍子が加わる。まさに、麦を踏むように、足を「踏
む」。農耕民族の信仰心が、濃厚である。その迫力に圧倒された。呪術
的色彩が濃厚な演目だけに、役者が演じる歌舞伎より、人形の方が、
「人間離れ」をしているだけに、神に近い。迫力があるのである。三津
五郎の迫力も人形には、かなわない。

「口上」は、十一代目團十郎、八代目幸四郎(後の白鸚)、二代目松
緑、つまり、七代目幸四郎を父に持つ3兄弟の妹(家系図では、七代目
幸四郎娘としかでてこない)の夫ということで、四代目松緑の叔父にあ
たる雀右衛門が、取り仕切った。雀右衛門から舞台上手側に順に、田之
助、彦三郎、芝雀、(新之助休演)、時蔵、我當、富十郎。一方、下手
側は、團十郎から順に、舞台中央に向かって、左團次、團蔵、松助、
菊之助、三津五郎、菊五郎、そして、新・松緑。先月の二代目魁春襲名
披露、六代目歌右衛門一年祭が、追善の色彩が強く、寿ぎの華やかさに
欠けたのに比べて、今回は、実のある、明るい口上が多く、楽しめた。
ただ、同世代の菊之助の口上は、形式的であったし、新之助は、病気休
演で座には並ばず、三之助に別れを告げる舞台としては、少し寂しかっ
た。女形姿は、雀右衛門、田之助、芝雀の3人のみ。

「勧進帳」は、8回目。弁慶は、前回から順に遡る(以下も同じ)と、
團十郎、八十助(当代の三津五郎)、幸四郎、吉右衛門、團十郎、猿之
助、吉右衛門で、團十郎、吉右衛門をそれぞれ2回観ている。今回は、
四代目松緑。私は6人目の弁慶を観たことになる。

それぞれ味わいが違うが、弁慶は、知勇の人。とっさの危機管理もでき
る人。そういう意味では、團十郎、吉右衛門の弁慶は、知があり、安定
感がある弁慶であった。猿之助は、勇が勝り、気持ちが溢れていて、
動き過ぎだった。八十助時代の三津五郎は、大役への挑戦で、01年の
三津五郎襲名披露に繋がる進境著しい、「脱皮」の舞台だった。小柄な
八十助が、別人のように大きく観えたのが印象的だった。今回の新・
松緑の弁慶は、どうであったか。まだ、「脱皮」とは行かなかったが、
将来の可能性を感じさせる弁慶であった。なにより、花道登場の際の、
声が良かった。場内に響き渡る太い声であった。特徴のある辰之助の声
ではなくなっていた。昼の部の狐忠信のときは、まだ、辰之助の声であ
ったのに、不思議だ。二代目秘伝の発声法か。

力いっぱいの弁慶であった。ただ、私が観た6人の弁慶のなかでは、
いちばん若い。それだけに、若々しいが、弁慶の器の大きさが、表現で
きていない。力が入りすぎているようで、肩から力を抜くことを覚えた
ら、もっと、器の大きな、良い弁慶になっただろうと思う。力の弁慶か
らの脱皮の舞台を楽しみにしている。今後、舞台の場数を踏み、声に似
合うように、顔にも風格が滲み出るような「松緑弁慶」を構築すること
を期待したい。

富樫は、菊五郎。以前には、猿之助、勘九郎、團十郎、菊五郎、富十
郎、菊五郎、梅玉。菊五郎が3回だから、6人の富樫を観たことにな
る。男の情にほだされ、自分の命を掛けて、義経、弁慶の師従を逃がし
てやるという懐の深さが肝心の富樫は、菊五郎がいちばんだろう。今回
も、見応えがあった。

義経は、富十郎。以前には、芝翫、福助、雀右衛門、梅玉、菊五郎、
雀右衛門、雀右衛門。雀右衛門が3回だから、6人の義経を観たことに
なる。雀右衛門も品位があって、良かった。網代笠を被り、金剛杖を肩
にして、俯いている場面が多いだけに、義経は舞台の印象が地味になり
がちだが、それだけに小柄な人の方が、弁慶を大きく見せるための対比
からみても、バランスが取れると思う。そういう意味で、6人の義経の
なかでは、私は、芝翫の義経が良かったと思う。富十郎の義経は、45
年ぶりという。芝翫の助言で、復習したという。

勧進帳は、いろいろな役者の舞台を観ているが、狂言としては完成され
ていて、一部の隙もない。後は、配役の妙だろうが、なかなか、バラン
スの取れた配役というものはないもので、今回の舞台は、私のイメー
ジより義経役の富十郎が、少し太めであった。昼の部の「狐忠信」で
は、「勧進帳」では、絶対にあり得ない團十郎義経であったのも、おも
しろい。

前にも、感じたことだが、今回、3階席から観てると、義経が笠を取っ
て、上手に廻り、「判官御手をとり給い」からの場面では、義経の位
置、弁慶の位置、舞台後ろに控える亀井六郎らの家臣の位置などから、
安宅の関の「広さ」が感じられる。この「広さ」は、残念ながら1階席
では、判らないものだ。この「広さ」は、また、義経と弁慶ら主従の身
分関係の「距離」でもある。こういう本来の主従の「空間的な距離」
(広さと距離)を、ここで見せることは、重要なのだろう。

封建時代の歌舞伎の観客、江戸の庶民は、身分制度のなかで、そういう
主従関係の「空間的な距離」を肌身で知っている。それだけに、関所を
抜ける方便として、主人を強力姿に身をやつさせ、窮地では、弁慶が義
経を金剛杖で打ちのめすという場面の異常さは、さぞや衝撃的であっ
ただろう。観客たちは、新しい時代が迫っていることを痛切に感じたこ
とだろう(初演の1840年から、明治維新まで、もう30年もないの
だ。そういう幕末=幕政の末期という時代が感じ取れる芝居だ)。これ
は、ここで起こっている状況の「異常さ」を観客に印象づけるために
は、この「距離」、この「広さ」が、「身分的空間」として、是非とも
必要なのだと私は、思うが、現代の観客は、どこまで、このことを認識
しながら、舞台を観ているだろうか。少なくとも、私は、前に一度、
3階席で観るまで、このことに気がつかなかった。今回2回目だが、
改めて、この思いを強くした。

「半七捕物帳〜春の雪解〜」は、おもしろかった。通称「三千歳直侍」
(「雪暮夜入谷畦道」)を下敷きに、「蕎麦屋」と「寮」という特定の
「場」に拘った舞台構成の趣向は、洗練されていて、楽しめた。延寿太
夫らの「他所事浄瑠璃」として、の趣向も、いかにも歌舞伎好きの宇野
信夫が作った新歌舞伎らしい。この浄瑠璃の題名「忍逢春雪解(しのび
あうはるのゆきどけ)」を歌舞伎の外題のサブタイトルにしているの
も、好もしい。

雪の降る、入谷の寮の塀外の場面から始まり、蕎麦屋、寮とを「綯い交
ぜ狂言」のようにからみ合わせる手法で場面を展開しながら、芝居の進
行に伴い、雪が消えて、春が近づいてくる。筋自体は、三千歳を思わせ
る花魁・誰袖(時蔵)が、直侍を思わせる若旦那・永太郎(三津五郎)
の愛人・辻占売りのおきんに嫉妬をし、おきんを殺してしまい、その霊
に怯えているという謎を半七の推理で解き明かしてゆくという、たわい
もないものだ。この芝居は、筋よりも、こういう歌舞伎好きな作者なら
ではの、いわば「隠し絵」の情報を舞台のなかから引き出して行く観客
の眼力を楽しむものだろう。

二役早変わりの團十郎は、按摩の徳寿は、コミカルに、半七は、重厚に
と丁寧に演じていた。最初の早変わりは、半七が、上手袖に引っ込む
と、寮を見張っている子分の床太(新之助代役・十蔵)に塀の外に張り
出した庭木の枝に積もった雪が落ちてくる。その間のタイミングで、
按摩に変わった團十郎が出てくる。一種の「狐忠信」同様の演出だと思
う。

次は、半七もいる蕎麦屋の場面が、廻り舞台で、ゆるりと廻る間、蕎麦
屋の下女が、店の外を掃除している場面を引っ張っている間に、舞台
は、「もみれうぢ とくじゅ」という看板のある按摩の自宅になる。
太った八百屋の隠居(寿鴻)を揉み療治している按摩が、すでに團十郎
になっているという具合だ。

元々、半七親分は、子分に情報を集めさせながら、節目節目に登場する
ので、「半七捕物帳」とはいえ、團十郎は、半七を演じているより、
按摩の徳寿を演じているほうが多いぐらいだ。この按摩役が、團十郎
は、実に、巧い。いつもの重厚さ、颯爽さという團十郎の本道など感じ
させないあざとさなのだ。「釣り女」などで見せたことがある團十郎
の、喜劇役者としての芸達者ぶりも、もうひとつの魅力と言えるだろう
と思う。

徳寿の女房・おせき(鶴蔵)も、渋い。おせきは、猫(人形)を抱いて
いるが、この猫、徳寿が抱くと、手を動かす。あざとく、團十郎が操作
していたのに気が付いた。

三津五郎の若旦那・永太郎、時蔵の花魁・誰袖、右之助の仲働き・お
時、家橘の遊び人・寅松(殺されたおきんの兄)たちは、筋立てのせい
もあろうが、人物の起伏も弱い。

贅言:蕎麦屋を演じる山崎権一は、舞台で10杯の蕎麦を作る。蕎麦を
湯がき、丼に蕎麦を入れると、すぐ、下に置くので、観客席からは見え
ない。暫くすると蕎麦屋の女房(升寿)が、台所の奥から蕎麦を持ち出
す。それを小女が受けて、お客に運ぶ。この台所奥が曲者で、実は、
ここに出し入れ口があり、舞台裏から、本物の蕎麦を運んでくる。蕎麦
は、もちろん、歌舞伎座3階の「歌舞伎蕎麦」からの出前である。「雪
暮夜入谷畦道」の蕎麦屋の場面でも、同じシステムであった。幕切れま
でに10杯の蕎麦が出て来た。食べた人。半七2杯、徳寿2杯(これ
は、一度に続けて食べた)なので、團十郎は、都合、4杯食べたことに
なる。子分役の十蔵3杯、もうひとりの子分役の亀寿1杯、残りの2杯
は、寅松とお時が、注文したまま、慌しく出かけてしまったので、権一
が、2杯の蕎麦を持ったまま、うろうろしていた。その後、権一と小女
が、食べるように見えたが、舞台は、向うへ廻ってしまった。

蕎麦屋の帳場にある大福帳は、よく出てくる商家の取引の記録帳だが、
この蕎麦屋には、「寿留」という帳面がぶら下げてあった。「寿留」
とは、読み方も、用途も判らない。

徳寿の家には、「摩利支天」と書いた軸が、掛かっている。「摩利支
天」は、広辞苑によると、「常にその形を隠し、障難を除き、利益を与
える」という神で、「天女」の姿をしている。武士の守り本尊。何ごと
にも、利益を期待する、どこかの政治家のような、けちな按摩の守り本
尊として使われているようだ。庶民にも、そういう信仰があったのだろ
うか。

そういえば、南アルプスの甲斐駒ケ岳は、山頂の傍に「摩利支天」とい
う峰があり、甲斐駒ヶ岳山塊を独特の風貌にしている。私の好きな山
だ。
- 2002年5月10日(金) 22:02:09
2002年 5月・歌舞伎座
 四代目尾上松緑襲名披露興行(昼/「寿曽我対面」「素襖落」「義
経千本桜〜川連法眼館の場〜」「京人形」)

10年後、20年後の松緑が、楽しみ

27歳の新・松緑の誕生である。祖父に当る二代目の松緑の印象が強い
だけに、四代目の存在感が強まるためには、10年かかるか、20年か
かるか、そういう松緑の誕生である。歌舞伎座2階のロビーには、襲名
祝いの品々が展示されている。新しい暖簾だけでも6枚。既に楽屋でも
新しい暖簾を使っているだろうから、一興行で1枚ずつ使っても、半年
以上かかる。座布団が、5組。そのほか、いろいろ。舞台には、大きな、
手描きの祝い幕。幕の下手には、松の絵柄。四代目尾上松緑丈江。上手
には、松葉。松緑格子。真ん中に、「四つ輪に抱き柏」の家紋。名跡
は、役者を大きくすると言うから、大歌舞伎の軸になる役者のひとりに
なるよう、今後の精進と成長を期待したい。

「寿曽我対面」は、昼の部のハイライト。特に、曽我兄弟・兄の十郎
(菊之助)と弟の五郎(新之助代役・團十郎)が、見物(みもの)であ
った。團「十郎」の「五郎」が、菊之助の「十郎」に影響を与え、菊之
助の顔が、しばしば、菊「五郎」に観えて仕方がなかった。特に、斜め
横顔で、菊之助の面長の若い頬の線が隠されると父・菊五郎そっくりに
観えた。

実は、歌舞伎を見始めた年、95年1月の歌舞伎座で、團十郎の五郎に
菊五郎の十郎という配役があったのだが、このころは、昼夜通しで拝見
という、私の観劇の基本スタイルが定着しておらず、見逃してしまっ
た。その後は、この配役は、実現していない。私は、今回が、3回目の
「寿曽我対面」の拝見であり、白塗りの十郎は、梅玉、菊五郎、今回の
菊之助である。白塗りに助六(実は、五郎)同様の「剥き身」と呼ばれ
る隈取の五郎は、我當、三津五郎、今回の團十郎というわけだ。別々
ながら、やっと菊五郎と團十郎の曾我兄弟を観たことになる。そういう
意味では、新之助には、悪いが、儲けものというわけだ。いずれ、菊之
助と新之助の若い曽我兄弟も観てみたいと思う。「寿曽我対面」という
芝居は、十郎と五郎の出来具合が、舞台を左右する。

前回の三津五郎襲名披露興行の舞台では、三津五郎の五郎にインパクト
があり、小柄な三津五郎が大きく観えた。それは、菊五郎の十郎が、
役柄としてだけでなく、「任」としても、三津五郎の五郎の暴発を押さ
えるだけの貫禄があったからだろう。今回は、菊之助の十郎に、父親の
世代の團十郎の五郎を押さえるだけの貫禄を要求するのは、無理がある
が、それでも、菊之助の顔に、ときどき、父・菊五郎の表情が宿るのを
観ていると、いずれ、菊之助にも、父親同様の貫禄が備わって来るの
は、必定と見た。女形姿ばかり見なれ、女形としても、器を大きくしつ
つある菊之助も、やがて、菊五郎のように兼ねる役者への途を歩むこと
は、間違いないだろう。今回の十郎ぶりは、それを予兆させるものがあ
る。五郎と十郎は、勧進帳に例えれば、工藤=冨樫に立ち向かう五郎=
四天王、十郎=弁慶という構図になる。五郎のインパクトは、4人分の
力を感じさせなければならない。

この演目は、正月、工藤祐経館での新年の祝いの席に祐経を親の敵と狙
う曽我兄弟が闖入する。やり取りの末、富士の裾野の狩場で、いずれ討
たれてやると約束し、狩場の通行証(切手)をお年玉としてくれてやる
というだけの場面。舞台も、正月なら、上演の時期も正月である。それ
が、動く錦絵、色彩豊かな絵になる舞台と、登場人物の華麗な衣装と渡
り台詞、背景代わりの並び大名の化粧声など歌舞伎独特の舞台構成と演
出で、十二分に観客を魅了する。また、歌舞伎の主要な役柄や一座の役
者の力量を、顔見世のように見せることができる舞台でもある。11
月の顔見世と正月の寿ぎの舞台の同質性。工藤は、鶴の形。曽我兄弟ほ
かは、富士山の形。そういう最後の、まさに絵面の見得で、舞台が閉じ
る。実に、歌舞伎の初夢のような、華やかさのシンボルとなる芝居だ。
江戸の庶民が、正月の舞台で観たがったわけだ。正月の江戸三座では、
皆、「寿曽我対面」を出し、それぞれの趣向を競い合ったという。

「素襖落」は、4回目の拝見。能をベースにした「松羽目もの」狂言舞
踊だけに、舞台中央の能で言う「鏡板」には、待つの巨木が描かれてい
る。二代目松緑の偉大さを表現か。さらに、上下の舞台両脇には、竹。
「松羽目もの」は、まさに、松竹。さて、この演目は、太郎冠者が、
主役。私が観た太郎冠者:團十郎、幸四郎、富十郎(2)。今回の太郎
冠者の富十郎が、2回目というわけだ。富十郎は、芸達者、踊り達者
で、所作は、十分に見せるが、この演目の、もう一つの味は、今回の夜
の部・「勧進帳」の弁慶のほか、「五斗三番叟」の五斗兵衛、「大杯」
の馬場三郎兵衛、「魚屋宗五郎」の宗五郎、「鳴神」の鳴神上人などと
同様に、酒を飲むに連れて、酔いの深まりを表現する必要がある。

ところが、富十郎は、それが、あまり巧くない。團十郎は、その点、
巧かった。團十郎は、大杯で酒を飲むとき、体全体を揺するようにして
飲む。酔いが廻るにつれて、特に、身体の上下動が激しくなる。ところ
が、ほかの役者たちは、身体を左右に揺するだけだ。これは、幸四郎、
富十郎もそうだったし、猿之助もそうだった。台詞廻しに、酔いの深ま
りを感じさせることも重要だ。ただ、富十郎は、酒好きゆえに酒に意地
汚い太郎冠者を巧く表現していた。このあたりは、富十郎らしい。

富十郎は、金地と銀地の裏表に描かれた蝙蝠の扇子を使っていたが、
これは、二代目松緑手描きの品だという。前回の国立劇場の舞台でも同
じ扇子を使っていた。太郎冠者は、姫御寮(時蔵)に振舞われた酒のお
礼に那須の与市の扇の的を舞う。いわゆる「語り」である。お土産にも
らった素襖をめぐって、帰りの遅い太郎冠者を迎えに来た主人・大名某
(彦三郎)や鈍太郎(信二郎)とのコミカルなやりとりが楽しめる。
この大名某が、意外と曲者で、この役者の味次第で、「素襖落」は、
味わいが異なってくるから怖い。私が観た大名某:菊五郎(2)、又五
郎、今回の彦三郎というわけだが、菊五郎のおとぼけの大名某は、秀逸
で、今回の舞台のもの足らなさは、彦三郎の真面目さにあるようだ。

もう一つの、竹。竹本。いつもの場所ではなく、舞台上手奥の山台(い
つもの山台とは違う)の上に竹本清太夫らが座ったまま、引き出されて
きた。やがて、鏡板が上がると、板の後ろ、舞台奥の雛壇に長唄連中。
途中で、掛け合いがあり、やがて、竹本を乗せた台が、上手に引き戻さ
れる。ところで、長唄の囃し方四拍子のうち、太鼓の望月長左久、小鼓
の望月太左衛門、望月太左治が、音楽部幹部に昇進。お披露目の舞台で
もあった。このうち、太左衛門は、立鼓(鼓の紐が、朱から紫に変わ
る)を担当した。
 
さて、贅言。昼食は、地下の「花道」で、いつもの寿司を戴いたが、
お澄ましのなかの蒲鉾は、松緑に因んで松の形をしていた。歌舞伎座の
粋な計らい。

「義経千本桜〜川連法眼館の場〜」、いわゆる「四の切」は、6回目の
拝見。主役の狐忠信:菊五郎、猿之助(3)、勘九郎、そして今回の松
緑。本物の佐藤忠信(長い「義経千本桜」の舞台で、ただ一度、本物の
佐藤忠信が出てくるのは、この場面だけ)と狐忠信との演じわけが、
必要になる。狐忠信は、それまでの偽の佐藤忠信を本物らしく、本物ら
しく演じたのと逆に、狐らしく、狐らしく演じなければならない。狐忠
信は、宙乗りまで含めて、猿之助が外連味たっぷりの舞台を見せている
ので、ほかの役者では、どうしても薄味になりがちだ。

今回の松緑は、まだ、形をなぞっているような印象だ。猿之助の狐忠信
とは、違う味わいで独自の狐忠信を観せてくれたのは、3年前の8月・
歌舞伎座の勘九郎だった。花道スッポンに飛び込んだと思ったら、ま
た、飛び出して来たからだ(「トランポリン」でも使ったかも知れな
い)。今回、昼の部の松緑襲名披露の舞台では、狐忠信だけなので、
もう一工夫欲しかったと思う。

雀右衛門は、12年ぶりの静御前ということで、黒衣に台詞を助けても
らっていたが、義経の「妻」であるだけの静御前が、いつか、狐忠信の
母親のように観えてきた。「初音の鼓」(雌雄の狐の皮で作ってある。
雌雄の狐とは、狐忠信の両親)に狐忠信がじゃれあう場面では、台詞で
はなく、雀右衛門の所作、表情から、母性が滲み出てくる。これは、
雀右衛門の芝居への理解度の深さの賜物だろうと思う。これまでの6人
の静御前(6回とも、皆、違う役者がやっていた)を見てきたが、今回
の雀右衛門だけだ、こういう母性を演じたのは・・・。

血縁の薄い義経の悲劇と、狐親子の濃い血縁。動物を借りて、肉親の愛
とは、なにかというのがテーマ。ここも、作者・並木宗輔の顔が見える
ように、私は思う。

最後の場面、猿之助なら、宙乗りになるところを、菊五郎型の「手斧
(チョウナ)振り」と呼ばれる仕掛けを使って、舞台上手の桜の立ち木
づたいに、登ってゆく狐忠信。この演出は、7年前に一度、菊五郎で観
たことがある。

さて、贅言。怪しまれて、一旦、姿を消した狐忠信を探す6人の腰元た
ち。この場面は、どうということのない場面だが、何回、観ても、妙に
印象に残る。何故だろう。大部屋の女形たちの晴れの舞台であり、去年
の6月、亡くなった大部屋の女形中村時枝を思い出すということもある
だろうが、どうも、それだけではない。関容子の脇役シリーズの本の、
一冊が、確か、この場面を描いた表紙だったと思う。

「京人形」は、初見。菊之助の京人形は、華麗であり、さらに女の命と
いう手鏡を胸に入れると、恰も電池を入れたロボットのように、活発に
動き出す趣向が近代的か。木彫りの人形は、左甚五郎が見初めた京の郭
の遊女・小車太夫に似せて作った。しかし、男の魂を入れて作った、
左甚五郎入魂の人形だけに、命を吹き込まれると同時に、男の気持ちも
封じこまれてしまった。それが、手鏡を胸に入れると女っぽくなる。
人形の動きは、男女の所作を乗り入れている形だ。菊之助の人形ぶり
は、そういう男と女の、いわば、「ふたなり」のような奇妙なエロチシ
ズムが滲み出てくる。そういう寓話的な不思議な所作事だ。菊之助の演
技は、印象に残った。

下手、霞幕で隠されていた常磐津、屋体、上手、障子の陰から、やが
て、長唄。京人形と左甚五郎の対称的な所作事は、「二人道成寺」を思
わせる。「四つ輪」の紋を染め抜いた音羽屋の半纏を着た大工たちとの
立ち回りは、所作立てで、大工仕事のさまざまな仕方を踊りで表す。

この演目は、本来の筋をカットした部分があり、それを入れて演じてい
るため、いろいろ挟雑物があるよう見えたが、いかがだろうか。栗山大
蔵(亀蔵)とその家来たち、奴照平(正之助)と井筒姫(松也)の場面
が判りにくい。元々、井筒姫の身代わりに京人形の首を切り落として差
し出すという筋だったのを、いまのような形に改めたというが、それぐ
らいなら、奴照平(正之助)と井筒姫(松也)などの場面も、カット
し、人形に命を吹き込む場面だけの所作事と(井筒姫を渡せと甚五郎に
襲い掛かる)大工たちとの立ち回りという大団円の舞台にすることも可
能かもしれない。もともと、寓話的な話だけに、あまり筋の説明には、
こだわらずに所作事と所作立ての舞踊劇としてすっきりさせるのも、
演出的には、「あり」かもしれない。この舞台を務めた三味線方の杵屋
巳吉も音楽部幹部に昇進披露。

歌舞伎座を出ると、銀座の鉄砲州稲荷神社の夏祭り(5・2〜6)の神
輿が、ちょうど、歌舞伎座前の晴海通りを練り歩いていた。

- 2002年5月8日(水) 7:25:48
2002年  4月 ・ 歌舞伎座  (夜/「沓手鳥孤城落月」「口上」
「本朝廿四孝〜十種香〜」「ぢいさんばあさん」)

夜の部は、二代目魁春襲名披露の「十種香」と勘九郎、玉三郎のユニー
クな「ぢいさんばあさん」に期待を掛けて、拝見した。「沓手鳥孤城落
月」は、4回目で、芝翫の淀の方は、2回目なので、そういうつもりで
客席に座った。

まず、「沓手鳥孤城落月」。私が観た淀の方は、歌右衛門、雀右衛門、
芝翫(2)。この芝居は、新歌舞伎だけに、リアルさが要求される。
特に、軸は、第二場「糒倉(ほしいぐら)」(「城内山里糒倉階上の
場」)での、淀の方の芝居で、狂気と正気の間を彷徨う淀の方をいかに
迫力あるように演じるかがポイントだろう。歌右衛門、雀右衛門も、
狂気の演じ方には、定評があるが、芝翫の場合、いっそう、味のある彼
独特の表情で演じていた。お付の 数人の侍女のうち桔梗(芝のぶ)
は、ほかの多くの者が下を向いているなかで、半分顔を上げて、淀の方
の狂気と正気の彷徨いを心配げに見ていた表情が印象的だった。それ
は、あたかも淀の方の狂気というより、芝翫の「狂気」を心配している
風にも私には観えた。同じような役柄でも、工夫をする人と伝えられた
通りを踏襲する人とふた通りである。これは、一般的にも言えること
で、必ず、工夫を重ねる人とそういうことに気付かない人といる。

芝翫の「狂気」の演技としては、淀の方の狂気にとどまらずに、「摂
州合邦辻」の玉手御前、「隅田川」の班女にも共通する狂気の表現であ
ると思う。五代目歌右衛門の「狂気」の表情は、早稲田大学の演劇博物
館で展示されていた絵で見たことがある。山梨県櫛形町出身で、大正か
ら昭和初期にかけて活躍した歌舞伎役者絵画家(版画)・名取春仙の作
品で、五代目の迫真の表情を描ききった版画がある。「淀君 表情八
態」という写真も見たことがある。「狂気」を表現するために精神病院
の患者を観察したという五代目。芝翫の狂気の表情は、六代目より五代
目の表情に似ているように思う。六代目の「狂気」の表情も、別の味が
ある。立役の秀頼役に珍しく福助。初役。

「糒倉」の場面が、そういう場であるなら、第一場「乱戦」(「二の丸
乱戦の場」)では、戦闘の場面が、まさに「活劇」として生きなければ
ならない。若い裸武者・石川銀八が、立ち回りの後、鉄砲で撃たれ、
城門の石段を一気に転げ落ちるという壮絶さと裸ゆえの滑稽味という、
ふたつの役割を担わされているゆえんである。今回は、勘太郎、前回
は、七之助が演じていた。多数の役者の出がないと、成立しない場面で
ある。

そのほか贅言(ウオッチング):1)「糒倉」の場面で、気がついたこ
と。大砲が打ち込まれ、倉の壁が爆発で飛ばされ、米俵が崩れ落ちる場
面では、3ヶ所に縄が括り付けられ、爆発と同時に一斉に上手側に引か
れ、俵が崩れ落ちた。2)福助の息子・児太郎が、小姓・神矢新吾役
で、戦闘の場面に出てきたが、これ以前の舞台ではなかった、今回の入
れ事。「神矢」とは、芝翫の住まい、東京の神谷町のもじりか。大伯
父・歌右衛門の一年祭ゆえに、成駒屋一門の総師としては、芝翫は、
家族、親族を上げて取り組む姿勢を見せたかったのだろう。この舞台
は、成駒屋一門あげての六代目歌右衛門追悼であるとともに、甥・芝翫
の伯父・歌右衛門への追悼の気持ちが溢れていた。この部分は、前回の
芝翫の芝居とは、異なり、新しい感慨を持って受け止めた。

「口上」では、六代目歌右衛門の甥・中村芝翫が、仕切る。六代目歌右
衛門の追善と歌右衛門の養子・松江の二代目魁春襲名披露である。魁春
を挟んで上手に座る芝翫が口火を切り、魁春を挟んで下手に座る魁春兄
の中村梅玉が続く。以下、次の順番で口上を述べる。まず、まん中から
上手順に。中村富十郎、坂東玉三郎、中村勘九郎、片岡秀太郎、秀太郎
の兄の片岡我當、中村又五郎、中村吉右衛門、中村雀右衛門。次いで、
下手外側から、中村鴈治郎、市川團十郎、澤村田之助、六代目歌右衛門
の芸養子・中村東蔵、東蔵の息子の玉太郎、芝翫の次男・中村橋之助、
長男・中村福助、そして梅玉に戻り、再び、芝翫。

そのほか贅言(ウオッチング):1)鬘:女形と野郎頭。女形(ときに
は若衆役)が多い芝翫と女形と立役の鴈治郎が、野郎頭で印象的。野郎
頭は、生締が多いなかで、團十郎は、市川宗家総代格が口上を言うとき
の髷である「油付本毛鬘の鉞(まさかり)」という、まさに「鉞」の刃
のように鋭い髷をしていた。裃:女形と立役では、裃の形が違う。女形
のは、コンパクトである。袴の帯の締め方も違う。立役が腹で締めるな
ら、女形は、胸で締めるという感じで、胸高である。色も緑など派手。
着物は、基本的に紋付だが、女形は、胸の辺りが紫などで、模様が入っ
ていてお洒落。裃で、細かな模様は見えないが・・・。

各人の口上の中味は、全体的に、二代目魁春襲名への祝辞というより、
六代目歌右衛門追悼の言葉の方が、多かったように思う。中村又五郎
は、芝居をせずに、今回は、口上のみの参加。

「本朝廿四孝〜十種香〜」は、6回目。八重垣姫は、魁春。夜の部の、
この演目は、襲名披露興行に相応しい様式美溢れる華麗な舞台。八重垣
姫、武田勝頼(梅玉)、濡衣(雀右衛門)。魁春の八重垣姫は、昼の部
の「忍夜恋曲者」の傾城・如月、実は滝夜叉姫のときとは違って、恋す
る姫の可愛らしさがストレートに演じられていて、安心して観ていられ
る。歌舞伎では、恋を衣装と所作で外面的に表現する。だから、幕が開
き、やがて、八重垣姫が姿を見せる、居室の場面では、八重垣姫は、
後ろ姿で、それを表現する。九代目團十郎以来の、演出というが、まさ
に、ひとひねりした、傾(かぶ)く歌舞伎の演出だ。

ただ、八重垣姫は、恋に一途なだけではなく、恋人の勝頼危急存亡のと
きにあっては、この後の場面「奥庭・狐火」の場が上演されれば明らか
になるように、諏訪大明神の「使姫(つかわしめ)」である狐の力を借
りて、凍った諏訪湖の上空を飛び越えて、勝頼への刺客の襲撃より前
に、勝頼に危険を知らせに行くという「恋心の奇跡」を起こす、知恵の
働く気丈な女性でもある。そういう姫の可愛らしさと気丈さが、この場
面でも、滲み出てこなければならないと思う。

私が観た八重垣姫を演じた 5人の役者(松江と魁春で、あわせて2回
観ているので、観劇としては、6回)のうち、戦後の本興行で、6回演
じ、「一世一代」と銘打って、八重垣姫役を打ち切りにした雀右衛門の
舞台(99年3月・歌舞伎座)を観ることができたが、やはり、このと
きの雀右衛門の八重垣姫が、印象深い。戦後の本興行で、21回演じた
歌右衛門の八重垣姫は、残念ながら拝見できなかったので、比較できな
い。私が観たほかの八重垣姫は、芝翫、鴈治郎、菊之助。このうち、
鴈治郎は、国立劇場で観ているが、桔梗ヶ原から勘助住家、竹薮、勘助
物語、十種香、狐火の通しで、狐火の奥庭の場面では、珍しい人形ぶり
の八重垣姫であり、あの太めの鴈治郎が、人形遣に持ち上げられるよう
に観えたから、芸の力は恐ろしい。雀右衛門は、今回、濡衣役で、「恋
敵」のはずの魁春の八重垣姫を支えていた。

今回の魁春の八重垣姫は、初々しい姫だが、連れ添うことが叶わないな
らば「いっそ、殺して殺してと」という竹本の語りに乗って所作をする
場面でも、ぽっちゃりした顔が、「災い」して、恋の強靱さより、女の
悲しさが出てしまう。魁春の歌右衛門後継の役者としての課題は、ぽっ
ちゃりした顔が、メリットになる役柄には、強いが、そうではなく、
怖さ、狂気などをも秘めた複雑な役柄のときは、デメリットになるの
を、どう克服するかであろう。松江時代にも八重垣姫を演じている二代
目魁春は、歌右衛門の分身・魁春を襲名した以上、六代目歌右衛門の持
ち役のうち、いくつを魁春だけの得意芸にできるか。また、白塗の赤姫
ではない、長屋住まいの女房のような砥の粉塗の庶民の女性、例えば、
「人情噺文七元結」の左官・長兵衛の女房・お兼などは、秀逸であっ
た。こうした六代目歌右衛門にはない、魁春独特の役柄を新たに、いく
つ獲得できるか、今後の精進に期待したい。

今回は、「ごちそう」で、白須賀(勘九郎)と原(吉右衛門)が出てい
た。この役での「ごちそう」は、私が観た舞台では、先の雀右衛門「一
世一代」のときの、順に、團十郎、幸四郎ぐらいか。こういう配役は、
襲名披露興行などの楽しみ。

そのほか贅言(ウオッチング):1)八重垣姫の居室に掛けてある掛け
軸には、亡くなったと思われている武田勝頼の姿絵が描かれているが、
姿絵では、紫の裃で裏地が赤、袴は、紫、着物は、桃色だが、梅玉演じ
る勝頼は、梅玉だけに限らないが、紫の裃で裏地が水色、袴は、紫、
着物は、赤だ。2)竹本の語りは、前半では、葵太夫が、八重垣姫の情
感を重厚に盛り上げる。後半は、清太夫が、謙信(富十郎)の勝頼への
殺意と刺客をふたり出す際の、権力者としての荒々しさを独特の語りで
演じる。3)ここでも、舞台には、網代塀が登場している。今月の歌舞
伎座は、昼、夜通して、網代塀が、もうひとつの主役か。こういう傾向
は、なんでしょうね。偶然だろうが、おもしろい。4)武田勝頼のブロ
ンズ像が、勝頼終焉の地、山梨県大和村のJR「甲斐大和駅」の北口広
場に、このほど(4・11)建立された。鎧兜に軍配を持った姿なの
で、甲府駅前の武田信玄の像に似ている。色気のある歌舞伎の勝頼像に
馴染みのある人には、違和感があるかもしれない。

「ぢいさんばあさん」は、2回目。美濃部伊織(勘九郎)、妻・るん
(玉三郎)。ということで、実は、楽しみにしていたが、やや、期待は
ずれであった。このふたりは、若いうちの役柄の演技は、爽やかであっ
たが、老いの演技が弱いと思った。しかし、勘九郎の伊織は、老若を越
えて、ただ人柄が良いだけの人物という造型では、解釈が浅いのではな
いか。

第二幕の京の鴨川口に近い料亭の場面は、前回は、料亭にある室内の座
敷であったが、今回は、鴨川の独特の「床」と呼ばれる河川敷に張り出
した座敷で、大きな空間に、自然の涼味が感じられて、新鮮であった。

橋之助の下嶋甚右衛門は、憎まれ役を巧く演じていて、昼の部の「鴛
鴦」の(実は、「曾我物語」の憎まれ役)股野役同様に存在感があっ
た。最近の橋之助は、役による巧さに濃淡があるが、こういう役柄に
は、進境著しいものがあると思う。

第三幕では、獅童と七之助の若夫婦だが、前回は、新之助、菊之助の若
夫婦の方が、巧かった。勘九郎のぢいさんは、年寄りに観えたが、玉三
郎のばあさんは、綺麗過ぎて年寄りに観えなかった。最近でも、髪を白
髪に染めた若い女性(メッシュだったりすることが多いが)のような奇
異な感じが残った。例えば、「新口村」の忠兵衛の父・孫右衛門を片岡
仁左衛門が演じる場合、仁左衛門と判らないように老けて見せていた。
つまり、老爺の顔のなかに仁左衛門の顔が、滲み出てくるような化粧を
するが、玉三郎は、老婆の顔の前に玉三郎の顔が、まず見えてしまうと
いう違いか。ただし、庭から座敷に上がるとき、草履を脱ぎ、時間を掛
けて動く年寄りらしい動作などは、さすがに巧い。

玉三郎は、「先代萩」の政岡など、母親役では、このところ、進境著し
いものがあるが、今後、真女形としてステップアップするためには、
老け役にも挑戦し、逆説的な表現を使えば、玉三郎は、玉三郎らしさか
ら脱却する飛躍の舞台を演じる必要があると思う。

この物語は、テクストとしては、年月、年齢を超えた純愛の物語だろう
し、役者にとっては、老若を演じ分ける難しさがある。特に、老いをほ
どよく演じることは、殊のほか難しいと思う。前回は、團十郎 菊五
郎。こちらの方が、すべてを通じて味があった。まだまだ、「役者が違
う」か。玉三郎は、本興行で今回4回目の妻・るん役。「大好きなお芝
居」と言っているが、その割には、そのあたりを、どう考えて演じてい
るのだろうか。

そういう違和感を感じたまま、観ていたせいか、37年後のふたりの再
会の場面は、情が盛り上がらず、いまひとつであった(もっとも、この
場面で、泣いている女性もいたことはいたが・・・)。
- 2002年4月12日(金) 7:52:41
2002年  4月 ・ 歌舞伎座  (昼/「鴛鴦襖恋睦」「元禄忠
臣蔵〜南部坂雪の別れ」「忍夜恋曲者」「壇浦兜軍記〜阿古屋〜」)

法事と披露宴の協演

今月の歌舞伎座は、去年亡くなった六代目中村歌右衛門の一年祭(一周
忌)追善興行と歌右衛門の養子・松江の二代目中村魁春襲名披露興行と
いうふたつの意味を持つ舞台である。そういう意味では、あえて、判り
やすい例えをすれば、法事と披露宴が、同居する舞台である。いわば、
法事と披露宴の協演。松江は、兄の梅玉とともに、歌右衛門夫人の兄の
子で、平野順之・豊栄兄弟(最初の芸名は、加賀屋福之助、橋之助)で
一緒に、歌右衛門の養子になった。今回、松江が引き継いだ二代目魁春
は、歌右衛門が、楽屋で使っていた名前で、自分の台詞を抜き出した
「書抜」には、「魁春」と揮毫している(歌舞伎座2階ロビーでは、魁
春襲名の祝賀の品々とともに、六代目歌右衛門縁の品のうち、魁春がら
みの品も展示されている。そのなかに、件の「書抜」もある)。

「魁春」は、歌右衛門が徳富蘇峰から贈られた俳号で、従って、初代魁
春は、歌右衛門の分身である。今回、松江が、二代目魁春を襲名すると
いうことは、歌右衛門の分身を襲名するということであり、いずれ近い
うちに、成駒屋一門の役者が、七代目歌右衛門を襲名するだろうが、そ
の場合の七代目歌右衛門は、成駒屋代々の名跡・歌右衛門を襲名したと
しても、六代目の分身としての歌右衛門を引き継いだものの、魁春は、
引き継がなかったことになる。そういう意味で、高砂屋(梅玉)、加賀
屋(松江)兄弟のうち、魁春(屋号は、加賀屋のまま)は、養父・六代
目歌右衛門の藝を引き継ぎ、七代目歌右衛門に負けぬような女形になっ
て欲しいと思う。そういう視点で、今月の歌舞伎座の昼と夜の舞台を観
てみたい。

歌舞伎座の場内に入ると、舞台には、いつもの定式幕の代わりに「二代
目中村魁春丈江」という祝幕が眼に入ってくる。若草色というか、緑地
の引幕には、天と左右に満開の桜木が描かれ、金の雲がところどころに
棚引いている。幕の中央には、「『ぬ』という文字と梅をデザイン化し
た紋」(後で、調べたい)と加賀屋の「梅八藤」の紋が描かれ、上手に
は、「のし」と書き込まれている。

「鴛鴦襖恋睦」は、2回目。前回は、遊女・喜瀬川(鴈治郎)、河津
(菊五郎)、股野(吉右衛門)。今回は、順に、福助、梅玉、橋之助。
前回の顔ぶれは、味があった。今回は、若さで対抗。舞台中央には、
いつものように長唄連中が雛壇に座っている。暫くは、置き長唄で、
舞台は、無人。下手には、石垣に網代塀が据え付けられている。上手
には、金地に花丸の模様を描いた襖のある障子屋体の御殿。やがて、
中央のセリ台に、3人がポーズを付けて乗ったまま、セリ上がってく
る。洒落た演出だ。

もともと、江戸時代に原曲があるが、戦後、六代目歌右衛門が復活上
演をした際に、いまの形になった。歌右衛門、海老蔵(後の團十郎)、
松緑のトリオで、セリ上がって来たときには、客席がどよめいたという。

「相撲」が、長唄。「鴛鴦」が、常磐津と別れている。それだけに、
大道具の展開が、いろいろ工夫されていて、おもしろい。まず、「相
撲」の場面。行司役の素足の福助。白塗り白足袋の梅玉と赤面に黄色い
足袋の橋之助が、相撲の由来を所作事の「格闘技」で、披露する。恋の
格闘技という二重構造の拍子舞である。福助の喜瀬川は、お茶ピーな感
じ。恋する河津(梅玉)のために、公平ではない行司の役割をする。
色っぽさと鷹揚さがあった鴈治郎の喜瀬川とは、大分違う。梅玉の河津
には、凛々しさが欠ける。橋之助の股野には、憎々しさがあり、合格点
ではないか。

ふたりが障子屋体の御殿に入ると御殿が上手に引き込まれる。中央の長
唄連中も雛壇ごと下手に引き込めれる。池には、番(つがい)の鴛鴦。
鴛鴦の夫婦は、雄を殺せば、雌も慕い死ぬというので、相撲に負けた股
野は、河津攻略のために、鴛鴦のうち、雄を殺して、持ち去る。

下手にあった石垣に網代塀には、霞幕の向こう、下手から常磐津連中が
入り込み、やがて、網代塀が、倒されて山台に早変わりする。舞台は、池
のある奥深い庭が拡がる。奥行きのある庭全体が、網代塀によって囲
まれているようだが、中央奧まで池が続き、その向こうには、森が拡が
る。長唄から常磐津への引き継ぎが、こういう舞台転換で、進む。観客
の気分を清々しくさせる。

紫の衣装に着替えた福助が、花道、スッポンから、せり上がって来る。
雄の鴛鴦を殺された雌の鴛鴦の精。羽を伸ばし、羽をつくろい、羽ばた
きをする。すっかり雌鴛鴦の精だが、やはり、鴈治郎のときとは、違う。
鴈治郎の方が、もっと、鳥に見えた。庭の垣根を割って出てきた梅玉。
雄鴛鴦の精だが、こちらは、殺されただけに、立ち姿も朧に霞んでいる
ように見える。前回の菊五郎より、このあたりは、梅玉の方が、亡者の
感じが強い。鴛鴦の夫婦の所作は、前回のコンビの方が巧い。

殺したはずの鴛鴦の夫婦の幻影に悩まされない股野は、ふたりを斬り付
ける。鬘とぶっかえりの仕掛けで、鴛鴦の本性が顕わされる。本性を顕
わせば、怖いものなしと股野を攻め立てる。橋之助の股野との立ち廻り
の果てに、逆海老にのけぞる雌鴛鴦の精・福助の身体の柔軟さ。このあ
たりは、若さの勝利。

上手、網代塀の「見切り」の蔭に隠れている黒衣の足元が、赤っぽいの
で気になっていると、やがて、黒衣ふたりが、朱の毛氈で包み込んだふ
たり用の三段を持ち出してきた。夫婦の鴛鴦の精・福助、梅玉の大見得。

所作をする福助の表情の断片をジグソーパズルのピースを寄せ集めるよ
うに観ていると、私の眼前に、ひとりの懐かしい顔が浮かんで観えてき
た。六代目歌右衛門。来年、2003年のいまごろは、六代目の三回忌
であり、阿国歌舞伎が始まったとされる1603年から数えて、ちょ
うど400年。歌舞伎の歴史の大きな節目の年を迎える。七代目歌右衛
門襲名興行があってもおかしくない。一周忌の興行が終了したら、発表
になるのではないか。2001年の十代目三津五郎襲名、2002年の
二代目魁春襲名、四代目松緑の襲名などと、このところ襲名披露興行が
続き、さらに、2004年には、十一代目市川海老蔵、2005年には、
四代目坂田藤十郎襲名、十八代目中村勘三郎襲名と襲名ラッシュが続く。
私の目には、肝腎の2003年だけが、空白というのは、おかしいと以
前から思っているのだが・・・。いずれにせよ、昼の部では、六代目歌
右衛門追善のハイライトの演目だろう。

「元禄忠臣蔵〜南部坂雪の別れ」は、初見。15年ぶりの興行という。
元禄15年12月14日、吉良邸討ち入りの前日の13日の話。泉岳
寺に浅野内匠頭の墓参りをする大石内蔵助(吉右衛門)は、羽倉斎宮
(我當)と出逢い、主君の仇討ちをしない、卑怯者と罵られる。ふた
りの出逢いでは、雪が降り出す。ふたりのやりとりが始まると、雪が
降り止む。ふたりをクローズアップする効果。やりとりが、決裂する
と、再び、雪が降り出す。

南部坂にある内匠頭の奥方・阿久里の実家、いま、彼女は瑤泉院と名
を変えている。夫の菩提を弔いながら、内蔵助たちが、夫の仇討ちを
してくれるのを待っている。心に秘めた決意を明かさないまま、暇乞
いに来た内蔵助。中屋敷の場から瑤泉院御居間の場への明転。瑤泉院
御居間には、内匠頭の姿を描いたとおぼしい掛け軸があり、仏壇もあ
る。吉右衛門の内蔵助と鴈治郎の瑤泉院との仇討ちの本心を隠したま
まのやりとりが見せ場。最後まで、本心を明かさぬ内蔵助の姿が、時
計の音で巧みに演出される。暗溶。

幕間の薄暗闇のなかで花道に雪布を敷き詰める。幕が開くと阿久里の
実家の外。雪が降っている。瑤泉院に歌道の指導をしている羽倉斎宮
と行き会う。再び、内蔵助を罵倒する斎宮。この芝居、構成が平板で、
本心を明かさぬ内蔵助が、瑤泉院との別れ際に、討ち入りの決意を示
す連判状を置いて帰り、誤解がとけるというパターンだが、ここは、
斎宮(我當)がキーパーソンなのだろう。斎宮への憎しみを観客に感
情移入させようという計算が透けて見える。だから、おもしろ味が少
なく上演回数も少ないのだろう。だが、我當は、熱演していた。吉右
衛門の内蔵助も、渋くて、風格が滲んでいた。29歳という想定の割
には、鴈治郎の瑤泉院は重厚。足軽の寺坂吉右衛門も出てくるが、こ
の人の墓と伝えられるものが仙台市にある。

「忍夜恋曲者」は、2回目。前回は、傾城・如月、実は滝夜叉姫(雀
右衛門)、光圀(團十郎)。今回は、順に、二代目魁春、團十郎。昼
の部では、この演目が、二代目魁春の襲名披露の舞台だ。花道、スッ
ポンのあたりに、開いたままの傘の頭だけが見える。黒衣、ふたりに
よる差し出しの面明かり。スッポンのせり上がりで、松江改め、二代
目魁春の登場。私が、最初に観た二代目魁春の初舞台。ぽっちゃりし
た顔の二代目魁春は、傾城・如月、実は滝夜叉姫は、ちょっと違うの
ではないか、という予想が当たる。襲名披露の初舞台だけに、違う演
目の方が、二代目魁春には、相応しかったのではないか。例えば、「京
鹿子娘道成寺」とか、「祇園祭礼信仰記」とか。華やかで、明るい演目
が選ばれなかったのだろうか。

総じて、魁春は、ぽっちゃりした顔をしているので、赤姫の愛らしい
場面や初々しい女房役などでは、別の魅力もあり、良いのだが、如月
→滝夜叉姫のような、表情の変化におもしろ味を要求される役柄は、
いまひとつ、魁春の魅力を引き出さないのではないか。将門の最後の
場面を語る光圀の仕方噺に、一瞬表情を変える傾城・如月だが、それ
も含めて、実は滝夜叉姫の部分が、弱い。

大きな蝦蟇。屋台崩しなどがあり、ダイナミックな歌舞伎の演目のひ
とつで、私も好きなのだが、だが、父・将門の恨み辛みの話で、決し
て明るい話ではない。

「壇浦兜軍記〜阿古屋〜」は、2回目。玉三郎の阿古屋。堀川御所の
問注所(評定所)の場面。梅玉の秩父。勘九郎の岩永。勘九郎の人形
ぶりは、しっかり、客席から笑いを取っていた。琴、三味線、胡弓を
演奏しないといけないので、まず、3種類の楽器がこなせないと演じ
られない。問注所に引き出される阿古屋が、捕手たちに前後を囲まれ
ながら、堂々と私の席近くの花道を通って行ったが、玉三郎の白塗り
の素足が印象的。前回は、勘九郎の秩父。弥十郎の岩永など。

琴と竹本の三味線の協演。下手に網代塀。今回は、網代塀の出番が多
い。黒御簾が、いつもと違う。シャッターが上がるように、引き上が
り、平な引台に乗った長唄と三味線のコンビが、滑り出てくる。三味
線との協演。さらに、胡弓と三味線の協演。これも、玉三郎による六
代目歌右衛門追善の演目で、見応えがあった。問注所の捌きが、楽器
の音色というだけあって、昼の部では、比較的内容の明るい演目。胡
弓を演奏できる女形が、少ないということで、長年、歌右衛門の得意
演目になっていたが、最近では、玉三郎が独占している。孔雀模様の
帯。大柄な白、赤、金の牡丹文様の打掛。松竹梅と霞に桜楓文様の歌
右衛門の衣装とは違う。すっかり玉三郎の持ち役になっている。

魁春も、昼の演目なら、3種類の楽器をマスターして、この「阿古屋」
の主役を演じて、襲名披露するぐらいの気概を持つべきではなかった
か。二代目魁春には、是非、七代目歌右衛門に対抗する真女形を目指
して欲しいと思ったのは、私だけではないかも知れない。

歌舞伎座の、ある大道具方の独白が、聞こえて来た。
「今月は大変」「歌右衛門のお得意(演目)でのラインナップは松江
さん襲名とはいうものの」全体的には、「辛い、暗いかんじ」とある
ように、法事と披露宴の協演は、法事ムードが濃かった。昼の部では、
福助、玉三郎による六代目歌右衛門追善という印象は残ったが、二代
目魁春の襲名披露の印象は、残念ながら、薄かった。夜の部の「口上」
と華やかな八重垣姫役の「十種香」の舞台に期待したい。
- 2002年4月11日(木) 9:00:49
2002年  3月 ・ 歌舞伎座  (夜/「俊寛」「十六夜清心」)

歌舞伎座は、「幕末気分」

「俊寛」は、5回目。私が観た5人の俊寛は、96年11月、歌舞伎座
の吉右衛門、98年6月、歌舞伎座の幸四郎、00年4月、歌舞伎座の
仁左衛門、01年7月の猿之助。今回の幸四郎は、2回目の拝見(幸
四郎は、開幕前の舞台稽古の舞台も観ているので、実質的には3回目)。
役者別では、4人の俊寛を観たことになるが、前回の猿之助の「俊寛」
の劇評の際、私は、こう書いている。「4人の俊寛で、私の印象に残っ
ているのは、なんと、いちばん似合いそうもなかった筈の仁左衛門であ
った」。今回、この印象が変わるかどうかがポイント。座席は、花道の
横、「を・34番」。

南の孤島で過ごした3年間の「最後の日」になったかも知れない。そう
いう一日の俊寛の心の揺れ(歓喜と絶望)を幸四郎は、どう演じたか。
舞台は、幕が開くと、置浄瑠璃に、浅葱幕があり、直ぐには、孤島を見
せない。振り落とし後、昼の部の「二人椀久」の、残り「散り花」が、
ひとひら落ちてくる。

俊寛は、誰が演じても、やはり最後の海中にある孤島の松の木に寄り掛
かる場面で、去り行くご赦免船を見送るところをどう演じるかにかかっ
ていると言える。幕切れまでのクライマックスで見せる俊寛の表情には、
3つのゴールがある。

(1)「一人だけ孤島に取り残された悔しさの表情」
(2)「丹波少将成経と千鳥という若いカップルのこれからの人生
       のために喜ぶ歓喜の表情」
(3)「一緒に苦楽を共にして来た仲間たちが去ってしまった後の虚無
       感、孤独感、そして無常観」

結論を先に言うと、今回の幸四郎は、(3)であった。心の揺れは、
あいかわらず、幸四郎は、苦悩と絶望に力が入っているようだ。若いカ
ップルの結婚を祝う場面での、一瞬の歓喜の表現が充分にないと、最後
の虚無感が、弱くなる。平板になる。幸四郎は、俊寛は、若い二人のた
めに犠牲になったという解釈のようだ。「歌舞伎というのは常に身代わ
り、犠牲がつきものですが、人間というのはそうした大きな犠牲の上で
生かされている」という。このあたりは、やはり、能面の「翁」の面の
ような表情を入れた仁左衛門の工夫は、卓抜で、この方が、良かったと、
思う(千鳥と少将成経の結婚を祝う舞のときに、少しだけ見せた能面の
「翁」の表情に、最後の最後の場面で、再び戻った仁左衛門・俊寛の工
夫魂胆)。仁左衛門は、「呆然」でもなければ、「歓喜」でもない、
「悟り」のような、「無常観」のようなものを、そういう表情で演じて
いたのを想い出す。

それは、後に、千鳥が、俊寛の亡妻・あずまやとともに、怨霊になっ
て、清盛を呪い殺す場面まで、計算に入っているような「無常観」
(「思い切っても凡夫心」。人間は、一筋縄では行かない)では、無か
ったか。「有為転変の世の中じゃなあ」(「熊谷陣屋」)。

前回も書いたが、俊寛のように一人で舞台を占める登場人物のうち、
もうひとりは、海女の千鳥である。俊寛(幸四郎)に対するのは、赤っ
面の瀬尾太郎兼康(左團次)だが、もうひとり俊寛に対する芝居をする
のが、千鳥(孝太郎)なのだ。左團次の瀬尾太郎は、憎々しい。こうい
う役は、当代では、左團次が、実に巧い。油に乗り切っている。前回、
猿之助の俊寛のとき、段四郎が、瀬尾をやっているが、それ以外の本興
行では、6年前から左團次ばかりだ。前回の劇評で、千鳥役の亀治郎を、
私は褒めた。私は、書いた。「花道の千鳥の出から、亀治郎は、力が入
っているように見受けた。南の孤島に住む田舎娘の初々しさ、それでい
て、物事の本質を見抜く力のある聡明で、意志の強い娘という感じを演
じていたように思う」。亀治郎は、このときの演技を中心にして、今年
度の松尾芸能賞新人賞を受賞する。表彰式は、今月28日。

では、孝太郎は、どう演じたか。花道の出。孝太郎は、私の横を駆け抜
けた。戻った。また、駆けた。紅を付けるといちだんと受け口が印象的
になる孝太郎の顔が、直ぐ側を行ったり来たりした。そこには、恥じら
いを含んだ表情の千鳥がいた。俊寛が瀬尾太郎と立ち回りを演じる場面
では、俊寛を助けて、果敢に瀬尾に立ち向かう。4度も立ち向かう。
そういう場面でも、孝太郎の千鳥は、如何にも「上方味」というような
仕種が出る。客席に笑いが起こる。亀治郎の千鳥には、ない味だ(昼
の部、「道元の月」の北条時頼を演じた橋之助には、こういうメリハリ
が欲しかった)。

千鳥の「くどき」の文句(「武士(もののふ)はもののあわれを知ると
いうのは、いつわりよ。鬼界ヶ島に鬼はなく、/鬼は都にありけるぞ」
というところに、原作者近松門左衛門の哲学がある)。千鳥は、先に亡
くなっている俊寛の妻・あずまやとともに、その後、怨霊となって、
清盛をとり殺す。そういう女性である。孝太郎の千鳥から、そこまでの
凄まじさは、演じられていない。こういう性根を秘したまま、滲み出て
くるようになると良いのだが、まず、孝太郎は、「入りやすいし大好き
な役です」と本人が言うように、好演。松江(吉右門、幸四郎の俊寛)、
福助(仁左衛門の俊寛)の千鳥に加えて、孝太郎、亀治郎と若くて、
新しい千鳥役者が、頼もしい。丹左衛門基康(三津五郎)、少将成経
(橋之助)、平判官康頼(友右衛門)は、今回、存在感が弱かった。

瀬尾を倒した後、最後のとどめをする俊寛には、憎しみの極まりがある。
赦免船の鞆綱を結んでいた岩に抱きつく俊寛。こういうあたりは、幸四
郎は、巧い。舞台稽古で、この岩をふくめて道具方に細かな注文を付け
ていた幸四郎は、こういうところを計算しているのだろう。花道横に座
って観ていると、花道を奔流する浪布の動きに迫力がある。去りゆく赦
免船を追い求める俊寛の気持ちを遮り、立ちはだかる波は、重要な場面
だ。地絣の布が、次々に、浪布に切り替わる。舞台下手の地絣は、下座
音楽の黒御簾の下の隙間から、引き入れられた。絶海の孤島が、歌舞伎
座の舞台に出現する瞬間だ。

ただ、前回、猿之助出演では、舞台の上手と下手で、浪衣が、舞台最先
端の浪布を上下に揺らして、波が俊寛に迫って来るだけでなく、深さも
深くなる様を演じていたが、これは、猿之助一座らしい演出で良かっ
た。こういう工夫は、継承して欲しい。

次に、「十六夜清心」。歌舞伎座は、江戸の「幕末気分」横溢の舞台。
この演目は、「稲瀬川」(百本杭、川中白魚船、百本杭川下)は、良く
上演されるが、そのほかの場面は、いまでは、あまり上演されない。
みどり上演の「稲瀬川」は、2回観ている。今回は、「稲瀬川」場面の
ほかに、「白蓮妾宅」と「白蓮本宅」の場面を加えた、半通し上演であ
る。99年4月、国立劇場で、今回の場面にさらに、「花水橋」「地
獄谷」「無縁寺」を加えた舞台を観たことがある。先代の三津五郎が、
亡くなった舞台だ。白蓮役の三津五郎の代役は、團蔵が務めた。従っ
て、「稲瀬川」の場面で言えば、4回目となる。

十六夜は、玉三郎、芝翫、芝雀。今回の玉三郎は、2回目。これに対す
る清心は(十六夜との共演順)、孝夫時代の仁左衛門、菊五郎、八十助
時代の三津五郎、今回の仁左衛門。白蓮は、富十郎、吉右衛門、團蔵、
左團次。求女は、孝太郎、菊之助、高麗蔵、勘太郎。このほか、通しで
出てくるお藤は、徳三郎、今回は、秀太郎。杢助、実は、寺沢塔十郎は、
秀調、今回は、亀蔵。西心は、錦吾、今回は、弥十郎。去年2月の歌舞
伎座、菊五郎と玉三郎の「稲瀬川」の舞台は、残念ながら拝見していな
い。

この演目は、玉三郎、孝夫のコンビが絵面では最高だが、芝翫、菊五郎
のコンビは、円熟の演技で、ほかのカップルとは、ひと味違っていたの
を覚えている。芝翫は、花道の出が良かった。出てきただけで、安女郎・
十六夜の雰囲気があった。今回、私の横の花道を早足で、逃げるように
過ぎて行った玉三郎は、また、別の味。こうして、「半通し」で、玉三
郎だけを追ってみると、女郎・十六夜。妾・おさよ。 尼・おさよ。
 散切り頭の女盗賊で清吉の女房・おさよ(それまでの、白塗りの化粧
を落とし、薄化粧。「半男」という感じで、かえって、艶めかしい)。
こうした玉三郎の鬘・四変化で、幕末・開化気分が、客席内には、否応
もなく盛り上がる。玉三郎は、「十六夜は前半と後半の変わり身が面白
いところなのですが、完全に通しているわけではないので、難しいとこ
ろのある役だ」と言っているが、そうだろうと思う。国立劇場で、ほか
の場面も観ているだけに、良く判る。

仁左衛門の清心は、当初、極楽寺の公金横領の濡れ衣から、たまたま、
女犯の罪という「別件逮捕」で、失脚。つまらないことに引っかかっ
たとばかりに、おとなしくしていた。遊郭を抜け出してきて、心中を誘
いかける十六夜の積極性にたじろぎながらも、女に押されて心中の片割
れになってしまう気弱な男であった。ところが、入水心中をしたものの、
下総・行徳生まれの「我は、海の子」は、水中では、自然に身体が浮き、
泳ぎ、ということで、死ねない!

自分だけ助かった後も、それが疚しいため、まだ、気弱である。雨のな
か、しゃくをおこして苦しむ求女(勘太郎)を助ける善人・清心だが、
背中や腹をさすってやるうちに、50両の入った財布に手が触れ悪心を
起こすが、直ぐには、悪人にはなれない性格。ひとたび、求女と別れて
から、後を追い、金を奪おうとするが、なかなか巧くは行かない。弾み
で、求女の持っていた刀を奪い、首を傷つけてしまう(普通は、求女が
刀で切った杭に自分の喉を突き傷つけるとなっているが、今回は、清心
が奪った刀が、はずみで求女の首を切っていた)。

それでも、まだ、清心は、悪人になり切れていない。求女の懐から奪い
取った財布に長い紐がついていたのが仇になり、求女と互いに背中を向
けあったまま、財布を引っ張る清心は、知らない間に、求女の首を紐で
絞める結果になっているのに、気がつかない。やがて、求女を殺してし
まったことに気づいたことから、求女の刀を腹に刺して自殺をしようと
するが、3回試みても巧く行かない。4回目の試みの際、川面に映る朧
月を見て、「しかし、待てよ・・・こいつあめったに死なれぬわえ」
という悪の発心となる名台詞に繋がる。適時に入る時の鐘。このあたり
の、歌舞伎の舞台と音のコンビネーションの巧さ。

ここからが、仁左衛門は、巧い。がらっと、気弱な所化(坊主)から、
将来の盗人・「鬼薊の清吉」への距離は、短い。がらっと、表情を変え、
にやりと不適な笑いを浮かべる仁左衛門の演技に、まさに、「待ってま
した。第2ステージ」という感じ。清心は、今回演じる場面だけでも
「四段階変わるんです。その変わり身の楽しさが芝居の面白さでしょ
う」と仁左衛門は言う。「第4ステージ」まで楽しめるわけだ。通しに
なれば、夫婦の情、姉弟の情、親子の情など、さらにステージが増える。
この芝居は、十六夜と清心の、変わり身争いの芝居なのだ。つまり、
人の一生のさまざまなステージを黙阿弥は、因果の悲劇として考えてみ
たということだろう。頬被りをして、花道を、新たな悪の世界に旅立つ
清心は、私の横を通り過ぎていった。

ずうと、雨に煙る百本杭のあたりの場面。百本杭は、大川(隅田川)
の曲がる所で、流れが当たるので、百本の杭で、防波堤を作っていた。
それだけに、いろいろなものが流れ着いたり、引っ掛かったりしたらし
い。まさに、人生の定点観測。

「白蓮妾宅」では、座敷に花の雪囲いの掛け軸が掛かっている。この掛
け軸は、割と、いろいろな舞台で使われている。清心が死んだと思っ
ている遊女・十六夜こと、本名・おさよは、白連に囲われているが、
白蓮と一緒に寝間に入った後、ひとりだけ抜け出してきて、箪笥の着物
の間に隠していた清心の位牌を拝む。その場面を寝間を抜け出してきた
白蓮に見られてしまう。しかし、太っ腹な白蓮は、清心を回向したいと
いう、おさよの出家を許す。やがて、尼に変身したおさよの艶めかしさ。
長い白衣の頭巾で頭を隠している。剃ったばかりの頭を見せるのを、
恰も、裸身を見せるように恥ずかしがるおさよ。笠で頭を隠そうとする。
尼のエロティシズム。旅立ち前、笠を被る前に頭を見せる玉三郎。玉三
郎の坊主頭など、なかなか観ることができない。

国立劇場では、この後、箱根の「地獄谷」で、おさよと清吉との出会い
の場面があるが、今回は、鎌倉雪の下「白蓮本宅」の場面へ。白蓮本宅
の玄関の両脇には、「三升に左」の紋(左團次の紋)が入った高張提灯
が、高々と掲げてある。やがて、鬼薊の清吉と頬被りをしたおさよが、
連れだって花道を出てくる。玉三郎の素顔に近い薄化粧のおさよ。二人
は、白蓮本宅に強請に行くところ。この場面、「与話情浮名横櫛」、
つまり、切られの与三郎が蝙蝠安を連れて、お富の所へ強請に行く場面
を下敷きにしている。「地獄谷」は、歌舞伎座でも一度上演されたこと
があるというが、時間がかかり過ぎたため、1日か、2日で中止された
と言う。そのとき、孝夫時代の仁左衛門と玉三郎のコンビで、初めて演
じている。

強請の場面で、手拭いを取り、散切り頭(毛が長髪のようにならない短
髪)を見せるおさよ。清心は、月代に、小さな髷(こちらも、坊主頭か
らだから、毛が、まだ、髷が結えるほど、長髪になっていない)が、
滑稽。おさよは、与三郎の役回り。清心は、蝙蝠安の滑稽味の役どころ。
夫婦で強請のタグマッチ。そのあたりは、下敷きにしている「与話情浮
名横櫛」とは、別の味で、おもしろい。

百両を強請り取ったが、小判に清心が濡れ衣を着せられた「極楽寺」
の封印があったことから、清吉は、白蓮に極楽寺で盗まれ、自分が濡衣
を着せられた三千両と同額を要求。経緯があり、残っていた三百両を夫
婦で百両、白蓮に二百両と分けて、手打ちとなるが、清吉が持っていた、
臍の緒書きから、白連と清吉は、下総・行徳汐浜(私の市川の自宅の直
ぐ近くに「塩浜」という地名が、いまもある)漁師を父に持つ兄弟だと
判る。「こいつあ兄貴、芝居のようだ」と清吉。

さらに、白蓮本宅の下男・杢助になっていたのが、白連の御金蔵破りを
捜査していた寺沢塔十郎(亀蔵)で、捕り方とともに本宅に立ち入っ
てきた塔十郎が、先ほどまで本宅にいた杢助と判ると、亀蔵の、あの味
のある顔が、客席から、笑いを誘う。白蓮役の左團次は、大物・大盗人
の器の大きさを好演。

この話。求女が十六夜の弟(昔は、十六夜と求女を早変りで二役を演じ
たという)。白蓮(実は、御金蔵破りの大寺正兵衛)と清心が兄弟。
十六夜を軸に人間関係を見れば、弟を殺した清心を夫とし、自分が妾に
なった白蓮が夫の兄と判る。黙阿弥独特の骨肉の世界。この後、今回は、
演じられなかったが、弟を殺したと白状する夫・清吉と揉み合ううちに
過って夫に殺されるおさよ。巡る因果の恐ろしさ。二人の間に生まれた
男の子を残し、兄に介錯を頼み死んで行く清吉などの場面がある。十六
夜清心は、また、純愛の物語でもあったのだ。二人の変わり身ばかり観
ていると、その大本の純愛物語を忘れてしまう。

いやあ、「十六夜清心」は、変な言い方だが、物語の「洗練された荒唐
無稽さ」に、歌舞伎として完成された黙阿弥の様式美の舞台。絵面では、
当代では、これ以上ないと言える仁左衛門&玉三郎のコンビ、小気味の
良い黙阿弥の台詞廻し。すっかり、江戸の幕末気分で、タイムマシー
ンに乗って、江戸情緒にたっぷり浸って来たようで、満足、満足の夜の
部であった。「しかし、待てよ。やはり、国立のように、通しで、もう
一度観たいものじゃなあ」。
- 2002年3月20日(水) 7:00:34
2002年 3月 ・ 歌舞伎座 (昼/「道元の月」
「文屋」「一本刀土俵入」「二人椀久」)

「道元禅師七百五十回大遠忌(だいおんき)」新作歌
舞伎「「道元の月」は、初見。仏教は、長い間日本の
思想を形成してきた。僧侶は、思想家である。特に、
道元が生きた13世紀前半は、当時の中国(宋)に苦
労して渡り、新たな仏教思想を学び、それを如何に日
本の風土に根付かせるかが、問われた時代である。従
って、宗派の争いも盛んであった。宋から帰国し、京
に禅宗の寺を開いた道元も、比叡山から疎まれ、京か
ら追放された。やがて、道元は、越前に永平寺を造り、
思想(座禅)優位の仏教を追究する。今回の芝居では、
永平寺と鎌倉を舞台とし、48歳の道元が、登場する。

鎌倉幕府の執権は、北条時頼21歳。道元を鎌倉に呼
び、幕府の庇護の元に武家の都合の良い新しい仏教を
作らせようとする時頼と、あくまでも思想、個人の尊
厳を守ろうとする道元の対決。仏教(思想)と政治
(権力)とが、対立した場合、どちらを選ぶのかとい
うのが、テーマ。政治(権力)、経済(権力からの利
益供与)などより、思想、個人の尊厳を選択した道元
の物語。そういう思想のドラマが、歌舞伎の舞台とし
て成功するかどうか。それが、今回の舞台のポイント
だろう。

そういう眼で、私は、舞台を凝視する。原作を書いた
立松和平は、「森羅万象の自然を、私は歌舞伎座の大
舞台に持ち込もうとしている」と本に書いていた。演
出家の福田逸は、それを大道具の展開で表現しようと
したのではないか。まず、永平寺の大屋根が舞台の上
部にある。永平寺の方丈の場面が、僧堂(座禅堂)に
替わる場面で、廻り舞台で道具が鷹揚に廻るとき、大
屋根が、なんと動かないのである。屋根の下の一文字
幕が、するすると上がると、方丈だけが動き、回廊に
なり、やがて、僧堂(座禅堂)になる。道具が止まる
と、再び、一文字幕が下りてくる。こういう廻り舞台
の仕掛けは、初見。舞台装置は、中嶋正留。

さらに、驚いたのは、再び、廻り舞台が、逆に廻り、
元の方丈の場面になり、鎌倉からの使い・波多野義重
(弥十郎)から時頼の意向を伝え聞き、道元(三津五
郎)が鎌倉行きを決心する場面。方丈中央奧の障子を
開け放つ。障子の向こうは、「目の醒めるような鮮や
かな緑の山」。道元:「渓声山色(けいせいさんしょ
う)。この世は、美しい・・・。」この場面で、なん
と、方丈の大屋根は、舞台から上部に、するすると引
き揚げられ、二重屋体は、むき出しの舞台裏の光景を
晒し出す。それが、2階の奧の座席で観ていた私には、
緑の宇宙に浮かび、「遊行」する宇宙船のように観え
たのである。これを、立松の「森羅万象」を歌舞伎座
の舞台に持ち込むというアイディアに対する演出家や
装置担当者の答えだとしたら、これは、成功したと言
える。

総じて、自然の表現の巧い舞台だった。第三幕の雪の
永平寺は、緞帳が上がると、途端に、明るい舞台は、
ヒヒと雪が降る。意外な開幕に、観客席からは、「じ
わ」と呼ばれるどよめきが走る。さらに、雪の永平寺
の庭の場面が、半廻しになり、舞台下手にあった山門
が、舞台中央に来る。書割の袖にある「見切り」を、
いつもと違って、そのまま動かさずに、山門と井戸の
ある庭が、ゆるりと動く。これも、巧い。

さて、こうした大道具の使い方の新鮮さに対して、役
者の方である。道元役の小柄な三津五郎は、大きくは、
見えてこなかったが、静謐な修行僧の存在感はあった。
対する北条時頼役の橋之助は、若さや権力者からくる
激情の表現が弱い。鎌倉に出向いた道元を迎え、儀礼
的な歓迎の後、道元と長時間対決をする。白昼から、
夕景、そして、夜景へと舞台照明は、変化する。その
なかで、落ち着いて、時頼の意向を拒絶する道元の態
度に刀を抜いて、武力威嚇で、自分の要求を通そうと
するが、挫折する。その挙げ句の激情で、道元を斬り
捨てようとするが、「ご存分になさいませ」と、白刃
の下で、平常心で座禅を組む道元の姿に刀を降ろせな
い。負けた。思想に武力が、政治が負けた。そして、
道元に帰依する時頼。橋之助の演技は、そのメリハリ
が弱い。だから、平常心の道元を演じる三津五郎の静
と橋之助の動の対比が、鮮明になって、観客に伝わっ
てこない。時頼の北の方は、高麗蔵だったが、退場の
際の歩き方が、悪い。女形の足の運びではない。

この舞台、縷々述べてきたように道元と時頼の対立が、
主旋律だが、もうひとつ別のテーマがあると思う。そ
れは、師匠・道元と若く、未熟な僧・玄明(げんみょ
う)との主従関係だろう。未熟な若い僧を大きな心で
包む師匠、鎌倉行も同行させたのだが、鎌倉に滞在し、
師匠より遅れて戻ってきた玄明。時頼からの荘園の寄
進を喜んで伝えるため、鎌倉から急ぎ戻ってきた玄明
を諫め、直ちに、雲水の行に出そうとする道元。この
ふたりの主従の在り方、それも立松は、問うているの
だろう。玄明役の勘太郎も、存在感は、ちょっと弱い。
役者の役作りは、今後の精進だろうが、そのあたりの
課題が、解決すれば、この演目は、おもしろいものに
なるのではないか。

「文屋」は、3回目の拝見。これまでに、96年4月、
歌舞伎座で、「六歌仙容彩」のうち、遍照・文屋・業
平・喜撰・黒主の5人のひとりとして、がん治郎の文
屋を拝見。99年2月、歌舞伎座で、文屋・業平・喜
撰のうち、勘九郎の文屋を拝見。富十郎の文屋は、も
ともと、踊りの達者な天王寺屋だけに、そつがない。
しかし、舞台は、文屋だけではない。8人の官女がい
る。中村四郎五郎、尾上寿鴻、嵐橘三郎、片岡松之助
らが演じている。この8人の所作が、なんとも、揃わ
ない。踊りの統一感を損なう。

「一本刀土俵入」は、4回目。最後の場面「軒の山桜」
では、お蔦の家の表に道具が廻ったときに、初めて全
体が見える桜の木が、いつ観ても、この芝居を美しく
している。自然と人為との対比。「散り花」が、効果
的。駒形茂兵衛は、幸四郎(2)、猿之助、吉右衛門。

幸四郎は、味のある茂兵衛を演じている。幸四郎と波
一里儀十役の弥十郎との、「しょっきり」のような相
撲の場面も、いつも深刻で、オーバーな演技になりが
ちな幸四郎には、珍しいコミカルな演技で、客席を涌
かせていた。お蔦は、芝翫(2)、雀右衛門、そして、
今回の時蔵。芝翫も、雀右衛門も、それぞれ味があっ
た。時蔵は、両老優に比べれば、粒が小さいが、時蔵
も良かった。湯飲みに銚子から酒をつぎ、2本の銚子
を二階窓辺に並べる。倦怠感と酔いの深まりを感じさ
せる演技だ。櫛と簪を頭から抜き取り、紐帯で縛り、
階下の茂兵衛に渡す場面。酔いのなかで、気儘な心が
働いた善意の行為。でも、そこに、偶然であった男と
女の心の交流があった。紐帯を介在して交流する男女
の静止の場面が、私には、セクシャルにさえ、観えた。

およそ10年後の春の日、お蔦の自宅を訪れた茂兵衛
が、いかさま師のお蔦の夫・辰三郎(三津五郎)を助
けるために、追ってきたやくざ者に頭突きを食らわし、
茂兵衛を想い出す「想い出した」という台詞の声音も
良い。暗転し、小屋の表側に、廻り舞台が半廻しにな
る際、暗転する舞台で、茂兵衛を想い出した興奮で、
観客席から見えなくなるまで、夫に語り続ける時蔵の
演技は、この人が、ことし変わってきていることを感
じさせる。老優の充実の演技とは、また、違う味わい
を時蔵は出していた。安孫子屋の老女郎たち、歌江、
吉之丞、鐵之助も、そこにいるだけで、けだるさを出
していて良かった。利根川の渡し場で、お蔦の子を背
負った子守役で出てくる中村しのぶも良い。利根川の
向こうは、下総(夜の部の「十六夜清心」も、下総・
行徳に縁がある。今回は、下総が隠しテーマか)。船
戸の弥八(由次郎)とともに、茂兵衛を渡し場まで追
いかけてきた手下のひとりいわしの北(松之助)も良
かった。およそ10年後の布施の川べり。船づくりを
している老船頭(幸右衛門)と清大工(芦燕)の老人
同士のやりとりも、台詞に巧さが感じられ、味がある
演技だった。こういう脇役がいると芝居に深みが出る。

銀杏の葉が黄色く色づき、宿屋の前に白と黄色の菊の
花が飾られている。取手宿で、騒ぎを起こす弥八は、
由次郎が熱演。仕出しの群衆を演じる大部屋役者に去
年までいた筈の時枝がいないのが寂しい。6月末には、
一周忌。3月末に亡くなった六代目歌右衛門は、来月
一周忌の舞台が、松江の魁春襲名を兼ねて、歌舞伎座
で展開される。時枝は、ジグソーパズルのピースを探
すように、群衆の舞台を観る人にしか、面影を探せな
い。

「二人椀久」は、5回目。孝夫時代の仁左衛門と玉三
郎のコンビで、3回。富十郎と雀右衛門のコンビで、
2回拝見している。重厚な富十郎と雀右衛門のコンビ
も良いし、華麗な仁左衛門と玉三郎のコンビも良い。
特に、今回は、幻想を表現する大道具の使い方が巧い。

「末の松山・・・」の長唄の文句通りに、舞台には、
松の巨木がある。急峻な崖の上である。夜空には、月
が出ている。花道からは、物狂いの椀久。亡くなった
愛人の松山太夫の面影を追いながら踊っているうちに、
眠ってしまう。やがて、椀久の幻想のなかに、夢枕に
立つという想定の松山太夫(玉三郎)が浮かび上がっ
てくる。セリに乗り、奈落から上がってきたはずの玉
三郎。それと同時に、崖の向こうの虚空に、あるはず
のない満開の桜の木々が浮かび上がる。舞台上部から
降りてきた大きな桜の枝も浮かび上がる。それが、い
ずれも、ほぼ同時に浮かび上がる演出が巧い(いずれ
も、やがて、逆の方法で、消えて行くことになる)。

松=此岸、現実。桜=彼岸、幻想。その対比を印象深
く見せる。ここでも桜の散り花が、効果的。仁左衛門
と玉三郎の、それぞれの所作は、本当に指の先まで揃
っている。背中を向けあい、斜めに向けあいする、歌
舞伎の舞踊の情愛の踊り。逆説のセクシャリズム。ふ
たりの所作は、濃厚なラブシーンそのもの。「官能」
とは、こういうもののことを言う。いつの間にか、消
えている桜木。セリ下がる玉三郎。桜の枝も舞台上部
に引き揚げられる。幻想の消滅。舞台には、「保名」
のように、倒れ伏す椀久。寒々しい崖の上、松籟ばか
りが聞こえるよう。仁左衛門と玉三郎の充実の舞台を
堪能。「文屋」の舞台とは、大違いだ。役者のレベル
が、揃えやすい二人舞と、老獪な主軸役者と力を揃え
にくい多数と絡む舞の、大きな違い。さて、昼の部の、
仁左衛門と玉三郎は、これぎり。夜の部では、「十六
夜清心」の半通しで、「たっぷり」、拝見する。
- 2002年3月19日(火) 8:59:00
2002年 2月 ・ 歌舞伎座 (夜/「菅原伝授手習鑑」・後半)

「並木宗輔は、どういう人?」

夜の部は、みどり上演される演目なので、いずれも数回以上観ている。
「車引」は、5回目。「賀の祝」は、4回目。「寺子屋」は、8回目。
それでも、今回の舞台を観ていて、初めて気が付いたことがある。

それは、「賀の祝」だ。人形浄瑠璃のこの「段」の作者は、並木宗輔で
はないか。桜丸の切腹の後、白太夫は、「菅丞相の御跡慕い」追い掛け
る旅に出る。その場面に桜丸=小次郎というイメージが重なって来たの
だ。宗輔のテーマは、いつも、母の愛。三つ子の母親は、芝居には、
登場しない。居ないのだろう。父親が70歳の白太夫。だから、「佐
太村」は、通称「賀の祝」。「母の愛」を「肉親の愛」に拡げれば、
これは、並木宗輔お得意の世界ではないだろうか。桜丸=小次郎を軸に
登場人物を読み替えると、白太夫=直実。梅王丸=義経。八重=相模。
これガ、「熊谷陣屋」の基本構図と同じに観えてきたのである。調べて
みたら、案の定、肉親の別れをテーマに「道明寺」は、三好松洛。「賀
の祝」は、千柳(宗輔)。「寺子屋」は、竹田出雲。そう言えば、この
説は、良く知られている説だ。でも、知識としての説を忘れていたのだ
が、舞台から「賀の祝」=「熊谷陣屋」というイメージが、くっきり見
えて来た。この不思議さ。白太夫を急き立てる鐘と拍子木の音が、「十
六年は、ひと昔。アア、夢だア。夢だア」という台詞を言った後の、
熊谷直実を急かす遠寄せの陣太鼓のように聞こえてきた。

松王丸(吉右衛門)と千代(玉三郎)は、「賀の祝」と「寺子屋」では、
存在感が違う。「賀の祝」のふたりは、三つ子の兄弟夫婦のひと組とい
う印象しかない。「賀の祝」では、父・白太夫と弟・桜丸の関係の中心
にいる梅王丸が取り仕切る。梅王丸が、三つ子の長男だが、次男の松王
丸に比べて影が薄いと思っていたが、團十郎が梅王丸を演じたこともあ
り、テキスト本来の梅王丸が担う役柄が大きく観えてきた。「寺子屋」
が、松王丸の芝居なら、「賀の祝」は、梅王丸の芝居だ。團十郎は、
「車引」と「賀の祝」では、実質主役の貫禄ぶりだ。私が観た「賀の
祝」の梅王丸は、これまで、我當、橋之助、そして團十郎(2)だっ
た。梅王丸(團十郎)と春(芝雀)。芝雀は、團十郎に負けていない。
このところ、芝雀は、いちだんと父・雀右衛門に顔だけでなく、藝も似
てきたのではないか。

「車引」は、人形浄瑠璃の短い場面を歌舞伎は、一枚の錦絵に仕立て上
げた。見せる歌舞伎のエッセンスのような名場面だ。華麗な衣装、ダイ
ナミックな演技、色彩豊かな吉田神社の門前、豪華な牛車。梅王丸(團
十郎)と桜丸(梅玉)の出逢いは、後に、南北が「鞘當」でなぞってい
る。京の都、吉田神社の門前で、江戸の荒事の言葉を駆使する役者た
ち。江戸のデモンストレーション。梅王丸を賞賛する化粧声は、江戸の
コマーシャルソング。團十郎の梅王丸は、腰の落とし方の確かさ。團十
郎の梅王丸は、今回、「車引」の主役を印象づける演技だった。これま
で私が観た「車引」の梅王丸は、我當、染五郎、辰之助、そして團十郎
(2)となれば、團十郎以外の梅王丸は、小さく見えて当たり前か。
普通は、三つ子のなかでは、松王丸(吉右衛門)が、次男ながら、歌舞
伎の役どころでは、長男の印象で演じられる。

時平の牛車への出方。吉田神社の塀や柵が動く。牛車の裏側に現れる。
牛車が分解され、様式的な舞台装置に変身して、牛車の上に出現する時
平。時平は、この出現の瞬間で、役者の格が問われる。だが、芦燕の藤
原時平は、役者不足。後の、「寺子屋」の春藤玄蕃は、芦燕馴染みの適
役だが、時平は、小粒だ。時平の一睨みで萎縮する梅王丸と桜丸という
感じにならない。芦燕の地が出て、團十郎、梅玉とは格が違う。ふたり
は、萎縮しない。去年亡くなった羽左衛門なら、貫禄充分だったろう
が、それは、芦燕では、無理というもので、今回の顔ぶれなら左團次
か。でも、上演記録を見ると、本興行では、羽左衛門は、彦三郎時代
は、別として、時平を演じていない。私が観た時平は、権十郎、彦三郎
(3)であった。

隈取りからの荒事度を測る。「二本隈」の梅王丸(手足にも隈取り)、
時平の「公家荒れ(藍)、「一本隈」の松王丸、「むきみ」の桜丸。
「猿隈」(滑稽味)の金棒引。という順番か。隈取りは、血管や筋肉を
誇張して表現する。従って、同じ人物でも、場面が違えば、表情も違う
から、隈取りも異なって来る。「賀の祝」では、三つ子の隈取りが、
「車引」とは、違っている。梅王丸、松王丸とも、隈取りの過激度を
「車引」より、ワンランク落としている。つまり、緊張度が違うという
ことだろう。最後の大見得。松王丸、桜丸。黒衣が、後ろから衣装を持
ち上げる。梅王丸は、普通の見得。大きく見える團十郎は、吉右衛門、
梅玉となら、大見得などしなくても、それでバランスが取れるというこ
とか。

「寺子屋」は、「菅原伝授手習鑑」の通し上演ということで、みどり上
演では、あまり演じない「寺入り(入塾)」の場面があり、おもしろか
った。7年前にも、「寺入り」を観ている。上演記録をみると、上演時
間が、普通1時間半程度の「寺子屋」は、「寺入り」があると、15
分から20分ぐらい長くなる。千代(玉三郎)と小太郎(隼人=信二郎
の息子で、初舞台)が、従者の下男(片岡松之助)に荷物を持たせて
「寺入り」してくる。涎くり(中村吉之助)の仕置きの場面と入塾の手
続きの場面だ。千代が隣村まで、外出してしまう。下男は、玄関先で眠
り惚ける。下男の顔にいたずらをする涎くり。下男を興して、千代の真
似をする涎くりと下男のパロディ。その後の悲劇との対比のための笑
劇。松之助は、藝達者ぶりを見せる。

主人への「忠義」のために、見知らぬ他人の子を殺す学習塾「寺子屋」
の経営者・源蔵もグロテスクなら、主人への「忠義」のために自分の子
を殺させるようにし向ける父親・松王丸もグロテスクだ。それは、封建
社会の芝居として、ここでは演じられるが、封建社会に限らず、縦(タ
テ)社会の持つ、そういうグロテスクさ(拘束力であり、反自主性であ
る)は、時代が変わっても、内実が替わりながらも、いまの世にも生き
ている。

例えば、いまの国際政治なら、アメリカによるグローバリズムという価
値の一元化(アメリカ化)だろうか。特に、ブッシュ大統領になってか
ら一元化が激しい。それは、肯定か否定かという二元論で表現される。
つまり、アメリカ新覇権主義に対して、同時多発テロ以降、「テロリス
ト」国家、「ならずもの」国家を対置したり、最近では、北朝鮮を相手
に「悪の枢軸」国家を対置したりしている。縦(タテ)社会には、そう
いうグロテスクなものが跋扈する。それが、「寺子屋」という芝居の永
遠なる演劇テーマであり、現代性であり、普遍性だろう。

「寺子屋」に於ける「父」と「母」の対比。「父」:松王丸(吉右衛
門)。ここは、父の情を殺す芝居をしなければならない。首実検。松王
丸は、先ず、眼をつむり首を見ようとしない。眼を開いても上目遣い
で、やはり、見ていない。上目遣いのまま、眼を動かさずに、顔を徐々
に下げるように動かす。「相違ない。相違ござらん」と、源蔵(富十
郎)に言い、玄蕃(芦燕)に言う。首桶の蓋を慌てて閉める。閉めたと
たんに首桶を横に押しやる。竹田出雲が書いたこの父親の一連の動作
は、肉親の情を殺す松王丸の苦しみを表現している。

忠義が肉親の情に優るというテーマ。「持つべきものは、子でござる」
これは、並木宗輔の筆ではない。宗輔は、そういう封建的な倫理観よ
り、肉親、特に母親の愛情観を自分の価値観の上位に置いている人だ。
「桜丸が不憫だ」と松王丸は、大泣きする。ならば、親の犠牲になっ
た実子小太郎は、不憫ではないのか。そうではないことを観客は知っ
ている。だから、観客は、いつの時代でも、この場面で泣くのではない
か。

「母」:玉三郎は、このところ、「先代萩」の政岡、「妹背山」の定
高、そして、今回の千代と、いずれも子を殺される母親を演じている。
幕切れの「余技」のような演技を見せた。下手の駕篭に乗せられた首の
ない小太郎の遺体に執着を見せる演技。吉右衛門の松王丸に刀で止めら
れ、引っ張りの見得へ。玉三郎の、この動作は、演技ではなく、本当の
母親の情に動かされたもののように見えた。玉三郎の「母親の愛の入魂
ぶり」は、本物だ。また、玉三郎の動きを牽制した吉右衛門の動きも、
子への思いに「狂気」になっている妻をたしなめる夫のように観えた
(このあたり、吉右衛門も巧い)。玉三郎は、合作者の違いを越えて、
宗輔の母親の愛情観の普遍性を理解していると思う。芝翫も雀右衛門も
見せなかった千代の狂気、それを玉三郎だけが見せた。見逃せない場面
であった。

ところで、並木宗輔とは、どういう人なのか。瀬戸内海に面した備後三
原の臨済宗の僧侶で、還俗して人形浄瑠璃の豊竹座の座付き作者にな
る。竹田出雲、小出雲、三好松洛らとの合作で、三大歌舞伎と言われる
「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」などを書き残
す。僧侶になる前身は、不明。どういう幼少年期を送ったのか。母親と
の関係は? あるいは、肉親との関係は? いずれも謎に包まれてい
る。私の「歌舞伎伝説(仮)」は、その謎解きに挑戦するが、まあ、
それは、また、もうひとつの物語になる。

さて、こうして歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」を通しで観ると、「加茂
堤」が、桜丸と八重の夫婦の芝居であり、「筆法伝授」が、菅丞相と武
部源蔵、「道明寺」が、菅丞相と覚寿、「車引」が、梅王丸と藤原時
平、「賀の祝」は、梅王丸と白太夫、「寺子屋」は、松王丸と千代の夫
婦と武部源蔵と戸浪の夫婦というふた組の夫婦の芝居であるということ
が明確になる。さらに、いずれも、どちらかをひとり選べと言われた
ら、順番に、桜丸、菅丞相、梅王丸、松王丸となるだろう。これは、
みどりで観ていると気が付かないバランスだ。

戸板康二に言わせると、3大歌舞伎といいながら、「仮名手本忠臣蔵」
のように通し上演されることが稀な「菅原伝授手習鑑」は、みどりで、
絶えず上演され、洗練されている場面とあまり上演されずに古いまま残
されている場面とでは、「歌舞伎的な成長度に高低があり、ずっと通し
て見ると、むらが目立つのである。面白いことだと思う」とある。さし
ずめ、今回で言えば、「加茂堤」の笑劇風、「筆法伝授」の史劇風、
そのほかの歌舞伎風などということになるか。

5月には、国立劇場小劇場で、人形浄瑠璃の「菅原伝授手習鑑」の通し
上演がある。「筆法伝授」「丞相名残」「佐太村」「天拝山」「寺子
屋」などの場面が上演される。人形浄瑠璃と歌舞伎では、通し上演の仕
方も違う。例えば、「寺子屋」は、「寺入り」「首実検」「いろは送
り」と分かれるが、人形浄瑠璃の「いろは送り」では、松王丸と千代
が、足拍子を入れて、人形の哀しみの跳躍を見せるそうだが、人形浄瑠
璃の人形の足の動きは、歌舞伎の役者では、表現できない演出だけに、
愉しみだ。そうなれば、また、人間の生き死にの場面で見えて来る風景
も違うだろう。風景は、舞台から反逆するか。反逆する風景こそ、歌舞
伎の醍醐味。

- 2002年2月14日(木) 8:25:53
2002年 2月 ・ 歌舞伎座 (昼/「菅原伝授手習鑑」・前半)

「菅丞相は、仁左衛門で決まり」

歌舞伎座の昼と夜の部「菅原伝授手習鑑」の通しを、拝見。「菅原伝授手
習鑑」の通しは、7年前の松竹100年の年に、初めて拝見して以来、
2回目。2階ロビーには、小さな太宰天満宮が設えられていて、隣に出演
役者が名前や願い事を書き込んだ絵馬が飾られている。

仁左衛門の菅丞相、玉三郎の苅屋姫、芝翫の覚寿、雀右衛門の園生の前、
團十郎の梅王丸、吉右衛門の松王丸、富十郎の源蔵などという豪華な顔ぶ
れが効を奏し、満員盛況であった。昼の部、夜の部とも、2階席で拝見し
たが、同じ席で昼、夜通しで観ている人もいるほどだ。昼の部は、「加茂
堤」「筆法伝授」「道明寺」の上演だが、みどりでは、あまり上演されな
い演目だけに、まさに、7年ぶり、2回目。配役(かっこは、前回)
は、「加茂堤」の桜丸=梅玉(勘九郎)。八重=福助(福助)。斎世の君
=信二郎(高麗蔵)。苅屋姫=高麗蔵(孝太郎)。三善清行=松助(松
助)。

今回の劇評は、昼の部は、少し詳しく、夜の部は、数回以上観ている演目
なので、通常の劇評のスタイルは、最小限度にして、合作者3人のうち、
並木宗輔(人形浄瑠璃の場合は、筆名が、「並木千柳」)の手になる
「段」の探求に絞って、別途、書いてみたい。

特に、昼の部では、「筆法伝授」「道明寺」の仁左衛門の菅丞相の演技が
見応えがあった。前回は、十五代目仁左衛門襲名前の孝夫の時代だった
が、大病で休演していた孝夫の完全復調を印象づける舞台で、好評だっ
た。菅丞相は、動きが少なく、肚の演技が要求される難しい役柄だが、今
回は、孝夫時代にも増して、風格のある仁左衛門の菅丞相であった。こ
れだけの菅丞相を仁左衛門が、演じてしまうとほかの人が菅丞相を演じに
くくなることは、間違いなさそうだ。菅丞相は、かっては、九代目團十
郎、五代目歌右衛門、十一代目、十三代目仁左衛門が、評判だったと言わ
れる。いずれ、團十郎の菅丞相を観てみたい。

まず、「加茂堤」では、加茂の社では、天皇の病気平癒祈願の儀式が行わ
れている。天皇の弟・斉世の君(信二郎)は、式を抜け出し、かねてより
恋仲の苅屋姫(高麗蔵)と牛車で逢い引きを目論む。苅屋姫が、菅丞相の
養女だったことから、菅丞相の政敵・藤原時平に「天皇亡き後、斉世の君
を天皇にし、苅屋姫を皇后として、自らが皇后の父親になろうという謀反
心だ」という難癖を付けられ、菅丞相太宰府配流という後の悲劇の種とな
る場面だ。もうひとつの悲劇の種は、ふたりの逢い引きの手筈を整えたの
が、桜丸(梅玉)と妻の八重(福助)で、後の「賀の祝」での、桜丸切腹
に繋がる。高麗蔵の苅屋姫は、似合わない。この人は、訳ありの芸者など
は、ぴったりだが、こういう愛情一途の幼い姫のイメージではない。前
回の孝太郎は、よかった。

後の悲劇を感じさせない紅白の梅の咲く、長閑な春の景色のなか、牛車
が、性の空間になり、外で見張る桜丸夫婦が、その有様をみて、「たま
らぬ、たまらぬ」というあけすけな台詞の後、ふたりが舞台中央で抱き合
い、接吻をするという、最近の歌舞伎では珍しい直接的な愛の表現がある
(昔は、もっとエロチックに、露骨に演じられた場面だろう)。まあ、一
種の「チャリ(滑稽)場」とも、受け取れる。牛車の階段下に、紅白の鼻
緒の草履と沓(こちらは、いわば、サンダルのようなもの)が、並べて置
かれているのが、何とも悩ましい。まさに、「たまらぬ、たまらぬ」。
牛車を引く「牛の脚」の役者は、「正座」で座っていて、微動だにしな
い。

三善清行(松助)は、仕丁を連れて、けしからぬ斉世の君と苅屋姫の現場
を押さえようとやってくる。このような場面は、翌年上演された「義経
千本桜」の花四天を連れた早見藤太、翌々年上演された「仮名手本忠臣
蔵」の花四天を連れた鷺坂伴内という形で洗練されて行く。受ける場面
は、さらに工夫魂胆。斉世の君と苅屋姫は、和歌の書き置きを残して、三
善清行が、現場に到着する前に、駆け落ちをしてしまう。後を追う桜丸。
桜丸の白丁の衣装を借りて、牛車を引こうとする八重は、ものを引く(つ
まり、力がある)女形というユニークな場面だけに、見せ場だ。牛車の牛
とのやりとりも、場内の笑いを誘う。正座していた牛の脚が中腰になると
ころで引っ張りの見得。「加茂堤」の場面が、明るく、滑稽に演じられれ
ば演じられるほど、後の悲劇が際だつ。悲劇の前の笑劇が、この場面の役
割だ。

「筆法伝授」では、勅命により弟子に筆法の奥義を伝授する場面だ。
「菅原館奥殿の場」、舞台は、金地の襖に白梅の老木の絵。上下には、板
戸。花道向こう揚げ幕も、いつもの幕から御殿の板戸に替わっている。襖
の下手にある銀地の山水画の衝立がある。どういうわけか、衝立の後ろの
金地の襖の部分に衝立の影が黒々と描かれている(それも金地の部分のみ
黒く、白梅や枝の部分は、影になっていないという奇妙さ)。なにか、舞
台進行上、意味があるのかと思ってみていたが、特段の使われ方はしなか
った(普通、普段と違う道具がある場合、必ず、特別な使われ方をするも
のだが・・・)。配役は、菅丞相=仁左衛門(孝夫)。園生の前=雀右衛
門(松江)。武部源蔵=富十郎(富十郎)。戸浪=松江(藤十郎)。
梅王丸=歌昇(彦三郎)。左中弁希世=東蔵(東蔵)。

仁左衛門の菅丞相の重厚な、動きの少ない肚の演技と対比をなすのが、
「静と動」とばかりに左中弁希世(東蔵)の動きの多い、うるさいほどの
滑稽役の役割だ。東蔵が、そういう役どころをきちんと弁えて演じてい
て、しつこいチャリをおもしろく拝見。脇にこういう演技をする役者がい
ると舞台の奥行きを増すという手本。菅丞相の奥方・園生の前(雀右衛
門)の腰元・戸浪(松江)との不義密通(不倫)で菅丞相から勘当されて
いた武部源蔵(富十郎)・戸浪夫婦が、浪々の身の上ながら、久しぶりの
主人のお召しに花道を出てくる。

この後、源蔵は、局・水無瀬(家橘)に案内されて奧の「学問所」に入っ
て行く。最初の座敷から、廊下へ。廻り舞台は、半廻し。さらに、半廻し
で学問所奧へ。こちらは、菅丞相が筆法伝授する場所なので、菅丞相の梅
鉢の紋が、銀地の襖に青々と描かれている。こういう大道具の、ゆるりと
した廻り具合は、いかにも江戸歌舞伎の鷹揚な世界を偲ばせて愉しくなる。

舞台中央の御簾が上がると、仁左衛門の菅丞相は、白い衣装で座ってい
る。この場面、仁左衛門は、座っているだけで、風格を見せなければなら
ない。やがて、源蔵に神道秘文の伝授の一巻を手渡して、立ち上がる場面
があるが、仁左衛門の動作は、これだけ。「伝授は伝授、勘当は勘当、こ
の以後の対面は、叶わぬぞ」という菅丞相の器量の大きさを見せる場面。
「勘当は勘当」で、源蔵は、表向きは主人がいない。菅丞相の悲劇後も、
累を及ぼさない身の処仕方の伏線であり、「対面は、叶わぬ」が、配流さ
れる主人との別れの場面にもなる。そういう肚もある。

やがて、「参内せよ」との天皇からのお召しで黒っぽい紫色の衣装に替わ
った菅丞相が、再登場する。仁左衛門は、ジャコメティの彫刻のように、
ぎりぎりの最小限度の動作で、最大限の肚を表現していて、過不足なく演
じていたと思う。肚を外形的に表現する白・黒の衣装の対比。

園生の前の雀右衛門が、いつもの精彩がないのが気になる。松江は、4
月に魁春を襲名するので、今月の戸浪が、松江の名前としては、最後の舞
台になる。この場面の富十郎の源蔵は、主人との最後の別れの場面でもあ
るが、東蔵に喰われていて、小粒に見えた。

さらに、舞台が廻る。「半明転」で、「「菅原館門外」の場面へ。やが
て、直布をはぎ取られた菅丞相が、三善清行らに引き連れられて自宅に戻
ってくる。門は、閉門処分にされる。屋敷内から、梅王丸(歌昇)の手引
きで、菅秀才(中村大)が救出される場面では、富十郎の実子・大(4月
で3歳)を主人・菅丞相の子というより、実子・大を宝物を扱うようにし
ていて、遅い子の父親の情愛が溢れていた。源蔵は、菅丞相の無念をはら
すため、希世(東蔵)荒島主税(玉太郎)を斬り、武士の力量を見せる。

「道明寺」は、見応えがあった。仁左衛門の菅丞相の演技は、さらに磨き
がかかっているようだ。座の演技。配役は、菅丞相=仁左衛門(孝夫)。
覚寿=芝翫(芝翫)。輝国=富十郎(富十郎)。立田の前=秀太郎(秀太
郎)。苅屋姫=玉三郎(孝太郎)。土師兵衛=芦燕(権十郎)。宿弥太郎
=左團次(段四郎)。弥藤次=十蔵(錦吾)。「水奴」宅内=橋之助(勘
九郎)。

覚寿(芝翫)は、適役。覚寿の娘=苅屋姫の姉=宿弥太郎の妻=立田の前
(秀太郎)は、重要な役所。苅屋姫(玉三郎)は、父への詫びと親愛の表
現がポイント。裁き役の輝国(富十郎)は、颯爽としている。立田の前の
遺体を池から救い上げる「水奴」宅内(橋之助)は、ごちそう。藤原時平
の意向を受けて菅丞相を誘拐して暗殺しようとする土師兵衛(芦燕)、
宿弥太郎(左團次)の親子。入れ事に工夫魂胆。土師兵衛、宿弥太郎の親
子が、偽の迎えのために、夜明け前に啼かせようとする鶏を庭の池に放す
場面では、池の水布の間から、水色の手が出てきて、鶏を載せた挟み箱の
蓋を引き取っていた。娘・立田の前殺しの真相を悟った覚寿の機転で殺さ
れた宿弥太郎とその夫の悪だくみを知り、夫に殺された立田の前の(つま
り、夫婦の)遺体は、黒い消し幕とともに二重舞台の床下に消えて行く。

自分が作った入魂の木像が、菅丞相の命を救う。だが、それは道明寺の縁
起に関わる伝奇物語。実際の舞台では、ひとり二役で演じなければならな
い。仁左衛門が、木像の精になる場面は、これも、ひとつの「人形ぶり」
ではないか。木像と生身の人間(肉付き)との対比。仁左衛門は、伝統的
な演出に乗っ取り、脚の運びでそれを表現する。そのあたりの緩急の妙
が、実に巧い(ほかの役者で観たことがないのだが、これは、難しいだろ
うと想像できる)。夜明け前の暗闘のなかから、夜明けとともに菅丞相
は、伏せ籠のなかに潜んでいた養女・刈屋姫への情愛を断ち切って、太
宰府に配流される。人間から木像の精を通底して、菅丞相は、さまざまな
人たちの死を見るという修羅場を経て、後の天神様へ変身する。そういう
ドラスティックなドラマが展開するなか、仁左衛門の菅丞相の肚の演技が
続く。

「道明寺」は、歌舞伎の典型的な役柄が出そろう。立役=菅丞相。老女=
覚寿。赤姫=苅屋姫。立田の前=片はずし。太郎=敵役。兵衛=老父敵。
輝国=二枚目。宅内=ごちそう。役者が揃う大きな舞台にならないと懸か
らない演目の由縁である。

- 2002年2月13日(水) 8:21:29
2002年 1月 ・ 歌舞伎座
            (夜/「熊谷陣屋」「鏡獅子」「人情噺文七元結」)

「『鏡獅子』には、鏡がないが、ひとり勝ち」

「熊谷陣屋」は、7回目の拝見なので、今回は、テキスト論はやめて、
役者論のみに留める。雀右衛門の相模は、何回観たことだろう(5回観
ている)。じつは、2001年5月に国立劇場(小劇場)で、「熊谷陣
屋」を人形浄瑠璃でも観ている。この「遠眼鏡遊戯場観察」にも書いて
いるが、一部引用したい。

*いよいよ「首」をふたりの女性に見せる場面。先ず、相模。その「首」
が、敦盛ではなく、わが子・小次郎と知り、泣き崩れる相模だが、相模
は「首」を藤の局にも見せなければならない。紫の布に包み「首」を藤
の局のところに運ぶ相模。ここは、女性同士で泣かせる芝居になる。
途中で、「首」を持ったまま、つまづく相模。藤の局に語りかける相模
のクドキの台詞は、人形浄瑠璃も歌舞伎も同じだ。ただ、「首」を包む
紫の布を開けたり閉めたりする相模の動作がきめ細かい。ここでも、
「首」の見せ方は、細かなところまで徹底しているように見受けられ
た。それは、私には、歌舞伎の舞台より、小次郎に対する相模の母とし
ての愛情表現が、遥かに細やかに思えて来た。これまでにも、何回も私
が主張して来たように、並木宗輔の「母の愛」というテーマへの思いの
濃さが感じられる場面である。

この場面、雀右衛門の相模は、今回どう演じたか。相模は、夫・直実か
ら手渡されたわが子・小次郎の首を打掛を脱いで、包み込む。その手順
の丁寧さ。これは、人形浄瑠璃の「きめの細か」さに似た動作だと思っ
た。人形浄瑠璃は、命のない人形に命を吹き込み、人間異以上に、物語
の彫を深く刻んで行く。ドラマとしては、歌舞伎より人形浄瑠璃の方
が、奥深いかも知れない。私が観た相模は、3人。雀右衛門のほかは、
芝翫、藤十郎。芝翫の相模の味があるが、そういうこととは別に、私に
とって、相模は、イコール雀右衛門のイメージになってしまっている。
雀右衛門の相模が、やはり、いちばん愛情表現が細やかだと思う。それ
は、この演目が、並木宗輔の「母の愛」というテーマであるということ
を雀右衛門が、どの相模役者よりも良く知っているからに違いない。
雀右衛門が、いつか、一世一代と称して、相模を演じ終える日が来るか
も知れないが、来ないで欲しいとも思ってしまう。

藤の方(松江)は、もうひとりの母であるが、雀右衛門の相模が、完璧
な母親だとすると、こちらは、「姉」のようで、「母」という感じがし
ない。まだ、格が違う。

幸四郎は、直実のような、こういう深刻な役は巧い。直実役者で言う
と、幸四郎が初見で、これまでに4回拝見。あとは、襲名興行の仁左衛
門、そして吉右衛門、8月歌舞伎の、当時の八十助。それぞれ、持ち味
がある。深刻さの表現では、幸四郎。時代がかった台詞廻しの巧さで
は、吉右衛門。人間味では、仁左衛門。小さな身体が大きく見えるのが
八十助。花道の引っ込みを前に、16歳で亡くなった息子の全生涯を思
い、「ア、十六年はひと昔、アア夢だ、夢だ」という台詞で、両目に泪
を溢れさせていたのは、仁左衛門であった。この仁左衛門の滂沱の泪の
シーンは、16年経っても、忘れないに違いない。ひと昔以上は、覚え
ているだろう。それほど強烈な直実であった。今回の幸四郎は、左目だ
けが、泪を流していた。

いっしょに舞台を観ていた家族が、直実のことを「勝手なのよね」と言
っていたが、息子を亡くし、世の中の虚無を悟り、息子の菩提を弔うた
めに、戦場の最前線の陣屋の責任者の男・直実が、職場を捨てて離脱す
る。そういう状況であっても、妻・相模を置いて出家するところに、
女性は反発するのだろう。九代目團十郎が、いまのような直実の引っ
込みの演出をする前は、直実と相模が、ともに出家する含みの幕切れが
あったようだ。今回の幸四郎は、妻を置き去りにして、ひとりで出家す
る男の「やましさ」を、心の乱れのように表現していた。だから、いっ
しょに観ていた家族のような感想が強まったのだと思う。幸四郎の演技
の巧さだ。

義経(染五郎)は、意外と難しい役だ。多くの義経を観たが、いちばん
最初に観た梅幸の義経を超える、義経には、出会えていない。染五郎
も、義経になりきっていなかった。弥陀六(左團次)は、やはり、羽左
衛門が、いちばん似合う。しかし、羽左衛門亡き後は、左團次が、この
役に馴染み始めているように思う。

いつも同じことを書いているが、それにしても、「熊谷陣屋」は、何回
観ても、その内容を噛み締めれば噛み締める程、いろいろ味の出てくる
演目だと思う。

「鏡獅子」は、6回目。勘九郎(2)、菊之助(2)、勘太郎。新之
助。勘九郎は、98年1月の歌舞伎座と今回。菊之助、勘太郎、新之助
は、いずれも十代の舞台だった。明治26年、九代目團十郎が「鏡獅
子」を初演したとき、これは「年を取ってはなかなかに骨が折れるな
り」と言ったそうだが、若くないと体力が続かないだろうし、若すぎる
と味が出ないだろうし、なかなか難しい演目だと思う。前回の勘九郎
は、42歳。今回は、46歳。勘九郎は、20歳が初演で、あしかけ
27年間におよそ400回演じたそうだ(確かに、本興行で15回演じ
ているから、1興行25日だから、それ以外を含めれば400回は、
勘定が合う)が、恐らく、今回の年齢は、勘九郎が踊る「旬の鏡獅子」
ではないか。そういうつもりで拝見したが、期待に違わぬ、良い「鏡
獅子」であった。「鏡獅子」は前半は、小姓・弥生の躍りで、女形の色
気を要求される。後半は、獅子の精で、荒事の立役の豪快さを要求され
る。勘九郎の弥生は、最初、太めの女性に見えたが、弥生に獅子の精が
移るような場面までくると、清楚で可憐な若い娘に観えて来たから不思
議だ。

もうひとつのポイント。六代目の「鏡獅子」は、映像でしか見たことが
ないが、六代目の弥生は獅子頭に身体ごと引き吊られて行くように観え
たものだ。ここが、前半と後半を繋ぐ最高の見せ場だと私は、思ってい
る。だから、どの役者が「鏡獅子」を演じても、このポイントは、見逃
さない。勘九郎は、「引き吊られて」というところまで行かないが、
右手の獅子頭に引っ張られて行くようには、観えた。

後半に入って、「髪洗い」、「巴」、「菖蒲打」などの獅子の白い毛を
振り回す所作を連続して続ける。昼の部の「連獅子」同様、大変な運動
量だと思う。「連獅子」は、若手の力量によって、舞台の印象が異なる
が、若手に力があれば、それとのバランスで見せることもできる。しか
し、「鏡獅子」の後半は、独り舞台だ。役者の全存在が試される。勘九
郎は、後半、完璧に獅子の精に変身すると、そのイメージも消え、男性
的な中年男がそこにいるばかりであった。このところ、若い役者の「鏡
獅子」ばかり観て来たから、46歳の勘九郎の、若さと巧みさを併せ持
つ獅子の精が、全身をバネのようにしてダイナミックに加速する毛振り
は、見応えがあった。昼の「連獅子」より、夜の「鏡獅子」の勝ちとい
うところか。

「人情噺文七元結」は、明治の落語家・三遊亭圓朝原作の人情噺には、
善人しか出て来ない。明治の庶民の哀感と滑稽の物語だ。その軸になる
のが、酒と博打で家族に迷惑をかけどうしという左官職人だ。夫婦喧嘩
が絶えない家庭に嫌気が差して、また、親の苦境を救おうと、娘の「お
久」が、家出をする。女房の「お兼」は、また、博打をして、着物もは
ぎ取られて半纏姿で暗闇のなかを帰ってきた長兵衛(吉右衛門)に、
そっと言う。「お久がいないよ」。「お久」の不在から、物語が展開し
始める。吉右衛門の長兵衛も、彼の人柄が滲み出ていて、悪くはない
が、ちょっと違う。5回観た「人情噺文七元結」のうち、菊五郎の長兵
衛が3回(あとの、1回は、勘九郎)だが、兎に角、「人情噺文七元
結」の菊五郎の長兵衛抜群。細かな演技まで、自家薬籠中のものにして
いる。江戸から明治という時代を生きた職人気質、江戸っ子気分とは、
こういうものかと安心して観ていられる。存在感も充分。

松江の「お兼」は、田之助の「お兼」の巧さには負ける。なにせ、田之
助は、菊五郎に本当に長年連れ添っている女房という感じで、菊五郎の
長兵衛と喧嘩をしたり、絡んだりしている。だが、いつも白塗りの姫君
や武家の女房役が多い松江が、最後まで砥粉塗りの長屋の女房も、写実
的な感じで、別の松江の魅力を発見したようで良かった。松江の「お
兼」は、7年前にも観ている。

一人娘・「お久」は、宗之助だが、すっかり、彼の持ち役になっている
ようだ。いつ観ても、歌舞伎役者という、男が見えてこないほど、娘ら
しく見える。上演記録を見ると、宗丸時代を含めて、本興行だけでも、
7回演じている。

文七(染五郎)は、意外と、こういう役が巧い。特に、前半の身投げを
しようとする場面が良い。この役は、前半の深刻さと後半の弛緩した喜
びの表情とで、観客に違いを見せつけなければならない。染五郎の後半
は、少し影が薄くなる。それは、このメリハリが弱いからだろう。

角海老の女将・お駒(玉三郎)は、ちょっと時代がかった台詞廻しに聞
こえていた。この役は、情のある妓楼の女将の貫禄が必要だが、底に
は、若い女性の性(人格)を商売にする妓楼の女将の非情さも滲ませる
という難しい役だと思う。

和泉屋清兵衛(左團次)「めでたし、めでたし」の幕切れでは、各人の
割台詞が一巡したあと、清兵衛が「きょうは、めでとう」という台詞に
あわせて、煙草盆を叩く煙管の音に、閉幕の合図の拍子木を重ね、「お
開きとしましょうよ」となり、賑やかな鳴物で閉幕となるなど、洗練さ
れた人気演目のスマートさがにじみ出ている。ここも小道具の煙管の使
い方が、巧みだ。和泉屋清兵衛は、いまは亡き、権十郎が良かった。
左團次も悪くないが、今月の舞台で言えば、弥陀六の羽左衛門、清兵衛
の権十郎などと比べると、なにか、足りない。このほか、長屋の家主・
甚八(四郎五郎)は、茫洋とした四郎五郎の性格が、巧く合っていて、
好演。こういう役は、山崎権一も良い。

この場面、薄汚れた二枚折りの小屏風の使い方が巧い。役者の演技もさ
ることながら、大道具の屏風の妙で、客席の笑いを誘っていた。兎に
角、善人ばかりが出て来る芝居で、それだけで、現代への鋭い批判とな
っている。
- 2002年1月22日(火) 8:19:14
2002年 1月 ・ 歌舞伎座
            (昼/「鞘当」「連獅子」「吉野川」「さくら川」)

「鏡が見えるか? 初春の舞台」

「鞘当」は、初見。桜満開の江戸新吉原仲の町。浪人・不破伴左衛門
(橋之助)と同じく浪人・名古屋山三(梅玉)が、両花道を使って登場。
衣装こそ違うものの、深編笠姿の山三は、花魁の葛城の情人、伴左衛門
は、葛城の客。二人は、まるで、「二人もの」の演目のように、という
ことは、ふたりの間に鏡があるかのごとき、左右対称に見える所作をす
る。両花道での渡り台詞の応酬など、様式的な美を意識した舞台。本舞
台中央で、二人がすれ違った際に、刀の鞘が当たって、武士の面目上、
喧嘩になる。そういうわけで、引手茶屋女房・お京(芝雀)が、喧嘩の
仲裁役の止め女という役どころ。そういう浮世絵葉書のような所作事の
芝居。鶴屋南北作。元禄歌舞伎の古風な味わいを残した舞踊劇。物語と
言うより、3人の役者の持ち味が見所。それぞれの役者の関わりが、
錦絵になるかどうか。そういう意味では、一寸、小粒な浮世絵で、錦絵
ほどの風格は、出ていなかったのではないか。

「連獅子」は、6回目の拝見。連獅子は、千丈の断崖絶壁から親獅子が
子獅子を突き落とし、親子の試練を乗り越える物語だ。能の「石橋」
のバリエーションに親子の獅子の狂いを見せる演出があり、それから歌
舞伎に直された「松羽目もの」だ。去年の7月、私は、歌舞伎座で見て
いる。そのときは、猿之助、亀治郎。そのときの劇評で、私は次のよう
に書いている。

*「連獅子」は、親子の獅子で、親獅子の子育てぶりが描かれるなど親
子を軸にしている。従って、立役同士が親子で演じることの多い演目で、
正に立役の親から子へ藝の伝承をするものが、それは恰も、女形の親子
が「二人道成寺」で、親から子へ藝の伝承をするのと同じだ。

以前観た、雀右衛門と芝雀の「二人道成寺」の舞台では、ふたりの間に
恰も鏡があるように見えたと書いている。その上で、私は、さらに次の
ように書いた。

*今回の「連獅子」も、猿之助は亀治郎との間にも鏡が見えて来た。
ということは、還暦を越えた猿之助が、藝の力で、25歳の甥・亀治郎
の持つ若さが演じる所作に充分に対抗しているというになる。

実は、猿之助(61歳)、亀治郎(25歳)の「連獅子」は、このとき
が、2回目(1回目は、97年1月の歌舞伎座)で、58歳の猿之助と
22歳の亀治郎の1回目には、そういう鏡は、見えてこなかった。何故、
2回目のときに、存在しないはずの鏡が見えたのかというと、多分、
亀治郎の所作が、ダイナミックで、メリハリがあったからだと思ってい
る。跳躍の高さが、1回目とは、大違いだったのだ。それに、そういう
若さに負けない猿之助の藝の力が、拮抗して、ふたりの踊りに、バラン
スが感じられ、恰も、鏡に映る2匹の獅子のように見えたのだ。獅子の
毛振りは、左から振る「左巴」、右から振る「右巴」。女性が、長い髪
を洗うように振る「髪洗い」。数字の8の字のように振る「襷」。毛を
右、左に振る「菖蒲叩き」。この組み合わせで、数十回髪を振るわけだ
から、大変な労働だろう。

そういう意味で言うと、今回の幸四郎(59歳)、染五郎(29歳)
の舞台は、どうだったか。結論を言うと、染五郎が弱かった。子獅子の
所作が、弱いと親獅子の所作とのバランスを欠く。そうなると、ふたり
の間に鏡が出現してこない。実は、私が、歌舞伎を見始めた95年1月
の歌舞伎座の舞台(ということは、7年前か)で、幸四郎(52歳)、
染五郎(22歳)であった。そのころは、私も、舞台から情報を入手す
る力が弱く、あまり、印象に残っていない。

従って、親子、ないし、それに近い関係(猿之助、亀治郎は、伯父と
甥)で踊る「連獅子」は、そういう子獅子の若さと親獅子の老獪さのバ
ランスがとれ、ふたりの間に鏡が出現するかが、ポイントだろうと思う。
こうして幾組かの連獅子の舞台を思い出すと、親子の獅子を演じる役者
の年齢の組み合わせの、いわば、「旬の時期」が見えて来る。特に、
子獅子を演じる役者の年齢が難しい。若さと技量のバランス。これが、
連獅子の舞台の妙味か。今月の大阪、松竹座の舞台で演じられている團
十郎(55歳)と新之助(24歳)の「連獅子」では、鏡が出現してい
るだろうか。

「吉野川」は、2回目。近松半二らの合作で、半二お得意の左右対称の
舞台構成が特徴。満開の桜に覆われた妹山(下手)、背山(上手)の麓
のふたつの家。上手の紀伊国が、大判事の領国。下手の大和国が、太宰
少貳の未亡人定高の領国。家と家の間には、吉野川が流れていて、いわ
ば、国境。川は、次第に川幅を広げて、劇場の観客席を川にしてしまう。
「鞘当」で使われた両花道が、河原を挟む堤になる。

親同士は、不仲だが、息子と娘は、恋仲。皇位を狙って反乱を起こした
曽我入鹿が、ふたりの子どもに難題を持ちかける。ふたりの子どもの気
持ちを知っている親同士が、互いに協力をして、子どもたちをなんとか
助けようとするが、結局、ふたりの子どもを殺して、彼岸で結ばれるよ
うにさせるという悲劇。竹本も妹山と背山に二組出て、交互に、霞幕を
掛け合って、ドラマは、互い違いに進行する。そういう意味では、左右
対称の舞台構成、大道具(例えば、定高の屋敷の金屏風、大判事の屋敷
の銀屏風などの対比)、竹本、吉野川で繰り広げられる「雛流し」の場
面など、あらゆる細部に工夫魂胆の溢れる舞台で、歌舞伎のなかでも屈
指の名場面のひとつである。

前回は、99年10月の歌舞伎座。今回定高を勤めた玉三郎が、娘の雛
鳥を演じていた。初役であった。今回の雛鳥は、福助。前回の定高は、
芝翫。大判事は、前回、幸四郎で、今回は、吉右衛門。息子の久我之助
は、前回、染五郎、今回は、梅玉。ふたつの舞台を比較すると、今回の
方が、充実していたように思う。それは、大判事役の吉右衛門の演技に
負う所が多い。姿、風格、台詞、動作などが、なんとも見応えがあっ
た。前回の幸四郎は、いつものように演技過剰で、味が大間(おおま)
過ぎた。定高初役の玉三郎は、芝翫とは、一味違う定高で、前半の強い
女と後半の母性の滋味をメリハリのある演技で見せてくれた。雛鳥初役
の福助も、初々しい。

梅玉の久我之助は、前回の染五郎より、遥かに良い。染五郎の久我之助
は、存在感が薄かった。久我之助の役は、動きが少なく、特に切腹をし
てから、止めのために首を打たれるまでが、前のめりの姿勢で、ジッ
としているという、いわば仕どころのないのが、仕どころというかなり
難しい役だ。でも、この姿勢の場面が、観客には、印象的なのだ。ここ
に、存在感を感じさせるような演技がないと、久我之助役は、勤まらな
いと思う。長い芝居の割には、登場人物が少ないだけに、それぞれの存
在感が勝負の舞台だろう。このほかでは、腰元・桔梗のしのぶが良い。
この人は、ことし、大きく飛躍するのではないか。大向うからも「し
のぶ」と掛け声がかかっていた。

気が付いた観客もいたと思うが、無人の舞台で、川の流れを描いた浪布
を貼ったいくつもの筒が廻り、水の流れる様を見せていた吉野川は、
舞台でドラマが進行すると、息を潜めて、悲劇を見守るように、止まっ
てしまう。雛鳥の首が、母親によって切り落とされたのに続いて、久我
之助の首が、父親によって切り落とされると、吉野川は、哀しみの涙を
流すように、再び、水が流れる。心憎いばかりの演出ではないか。

「さくら川」は、初見。能の「桜川」をベースにした新歌舞伎。芝翫と
孫たち(福助、橋之助の子どもたち)の共演。子どもを捜して、物狂い
になった母親が、孤児たちのなかに自分の子どもを見つけるが、残され
た孤児たちは、親と巡り逢った子どもを羨ましく思う。子どもたちの友
情と哀感。

- 2002年1月21日(月) 8:00:02
2002年 1月・国立劇場 開場35周年記念
             (「小春穏沖津白浪〜小狐礼三〜」)

「小春穏沖津白浪(こはるなみおきつしらなみ)〜小狐礼三〜」は、
元治(1864)年11月、江戸の市村座で初演された。中心となる登
場人物は、小狐礼三(こぎつねれいざ)、船玉お才、日本駄右衛門とい
う3人の盗賊である。初演時は、四代目市川小團次の日本駄右衛門、
四代目市川家橘(後の五代目尾上菊五郎)の小狐礼三、二代目尾上菊次
郎の船玉お才であった。

四代目市川小團次は、もともと大坂の歌舞伎役者で、江戸を追放されて
上方に来た七代目市川團十郎に弟子入りして、米十郎を名乗り、大坂の
小芝居から中芝居で活躍をし、小男で口跡も悪かったにも拘らず、外連
(けれん)味と幅の広い演技で人気者になった。その後、小團次を襲名
し、3年後に江戸に下り、以降、20年間江戸の歌舞伎役者を務めた。
役者としての自分の肉体的な弱点を克服し、台詞回しや演出で、いろい
ろ工夫魂胆をする人であった。それゆえ、河竹黙阿弥と意気投合して、
生世話狂言の新作を次々と舞台に掛け、幕末の江戸歌舞伎に一時代を築
いた。幕末という時代の不安を盗賊の心情で代弁する演技で、庶民の共
感を得た。「小春穏沖津白浪」は、そういう役者・四代目市川小團次の
ために河竹黙阿弥が書いた狂言であるということを、まず、抑えておき
たい。

歌舞伎の狂言作者たちは、先行作品を下敷きにして、自分の工夫魂胆で、
新しい趣向を考え、新狂言として書き換えるということを習わしとして
来た。むしろ、先行狂言という江戸の庶民が知っている登場人物の芝居
なのに、新趣向でおもしろいという評判をとることに生き甲斐を感じる
人たちが狂言作者であった。従って、日本駄右衛門が出て来る狂言は、
宝歴11(1761)年の「秋葉権現廻船語(あきばごんげんかいせん
ばなし)」が、最初で、足利義政の時代(「東山の世界」)という設定
で、「小春穏沖津白浪」の「世界」も、時代世話物らしく、「東山の世
界」を借りて、同様に月本家のお家騒動を下敷きにしている。そこに、
小狐礼三という黙阿弥が創作したか、講談から借りて来たかした人物を
からめて、黙阿弥が手掛けて来たさまざまな狂言の趣向も取り入れなが
ら、新狂言を創ったということになる。

例えば、それは、「三人吉三」が、判りやすい。三幕目第三場「花水川
河畔の場」の3人の盗賊の義兄弟の契りの場面は、「三人吉三」の「大
川端」の場面を容易に思い出す。その「三人吉三」の初演が、安政7
(1860)年1月の江戸・市村座だったことを思えば、4年10ヶ月
後に同じ芝居小屋で演じられた「花水川河畔の場」は、観客には、「大
川端の場」と重なって見えたことだろう。まして、鎌倉の「花水川」
は、江戸の大川(隅田川)であり、「大磯」の遊廓の「三浦屋格子先の
場」も、江戸の吉原であることを、観客たちは、当然の約束事として、
読み替えているのである。「礼三」というネーミングも、「吉三」に通
底している。

もうひとつだけ、指摘しておきたい。例えば、序幕の「新清水の場」
では、姫の拵えをした三浦屋の傾城・花月と月本家の若様・数馬之助が、
新清水観音の前にある出茶屋で密会するために舞台上手の茶屋に入っ
た後、数馬之助一行の連れ、奴・弓平が花月一行の連れ、番頭新造・
花川に「申し弓平さん、久しぶりでござんすな」と呼び止められ、舞台
下手奥にあるそぶりで「蔭の茶屋へ、ト、弓平の手を取る」などのやり
とりがあり、「ト、唄になり、両人、思い入れあって、下手へ入る」
という場面は、寛保元(1741)年5月、大坂竹本座初演の人形浄瑠
璃「新薄雪物語」(同年8月には、歌舞伎化されている)の序幕「清
水寺花見の場」で、薄雪姫一行と園部左衛門一行のそれぞれの連れの、
主らの恋の取り持ちをする腰元・籬と奴・妻平の艶書の場面があるが、
それのパロディであることも、知れるであろう。

そういう意味では、初演以来、138年ぶりの復活通し上演という「小
春穏沖津白浪」は、滅多に上演されない演目だけに、幾重にも埋もれて
いる先行狂言などの隠し絵を探すという愉しみがあるということも抑え
ておこう。それは、恰も何度もの噴火で流れ出た溶岩が幾層もの山肌を
形成し、なだらかな裾野を形成した富士山の地層を見るように、黙阿弥
に限らず、本歌取り、書き換え、パロディなど、さまざまな趣向で幾層
もの上塗りを続ける歌舞伎の狂言の構造の特徴を学ぶ典型的な狂言とし
て楽しめるということだ。

ただし、今回の台本は、もともと黙阿弥の台本が、未完成だったことも
あって、三幕目までは、原作にのっとって復活しているものの大詰めの
「鎌倉佐助稲荷」や「鳥居前」の場面などは、木村錦花原作の増補版
「半田稲荷鳥居前」の立ち回りの場面や、月本家のお家騒動ものとして
の決着をつける「大団円」の場面を付け加えるなど、ほとんど新作とも
いえる構成になっていることも忘れてはならない。そういう新狂言とし
て全体を見渡した場合、「小春穏沖津白浪」の物語は、因果は巡る変幻
自在という新趣向の狂言という姿で、私の前に立ち現れて来る。そうい
う全体像を踏まえて、私なりに採点をすると、今回の舞台は、悪人と善
人、男と女など芝居を構成する要素のメリハリが弱く、荒唐無稽の物語
は、承知しながらも、物語としては、いくつかのエピソードを並列させ
ただけで、奥行きに乏しく、味が薄かったように思う。

おもしろかったのは、逆に部分的なところや細部で、初演時にも評判を
呼んだという二幕目の「雪月花のだんまり」と増補の「鳥居前の立ち回
り」であった。「雪月花のだんまり」は、幕末の白浪ものにみる日本人
の自然観のようなことを考えながらも、そういう理屈を抜きにした芝居
の仕掛けの妙、大道具の居所替り、大きな背負い籠を使っての宙乗り、
吹き替え、早替り、狐六法プラス仕掛け六法による引っ込みなどという
定式も含めた演出を承知の上で、堪能した。「鳥居前の立ち回り」も、
連綿と続く鳥居の上での立ち回りは、鳥居を使った器械体操のようで新
鮮な上、菊五郎を中心に大部屋役者のからみなどのコンビネーションの
巧みさもあり、愉しく拝見。

「三浦屋」の場面では、「八重垣礼三郎」に化けた小狐礼三(菊五郎)
や「地蔵尊のご夢想」に化けた船玉お才(時蔵)が、ほかの登場人物に
まぎれていて、ジクソーパズルのピースを探すような趣向に見えて、
これも楽しんだ。廻り舞台など、いつも見ているはずなのに、今回は、
なぜか、マウスでクリックすると場面が替るパソコンの画面を連想し、
歌舞伎の舞台機構は、江戸時代からあるものなのに、随分デジタル感覚
だったのだなと不思議な思いをしながら舞台を見ていた。

いっしょの舞台を観ていた人たちが、気づいていないかも知れない、
あるいは、気づいていても、明確に意識していないかも知れないと私が
感じたことを中心に劇評を纏めてみたが、役者のことに触れないのでは、
やはり、寂しいので最後に少しだけ私の役者評を付け加えておきたい。

二幕目第一場「矢倉沢一つ家の場」の前半、雪山を描いた「山幕」の前
で、敵役の三上一学の下部・早助(松助)が、着ぐるみに全身を包んだ
女形の狐に騙される場面の狐の所作の巧さとふたりのやり取りのおもし
ろさ、総じて松助は、好演で、「三浦屋」の場面での、遣手・お爪の老
け役も味があった。ところで、雪の場面で、雪衣が出てこず、黒衣が出
て来たのは、興醒め。

小狐礼三(菊五郎)、日本駄右衛門(富十郎)、船玉お才(時蔵)など
盗賊が多数出て来る割には、あまり悪さをせずに、月本家のお家騒動で
は、いずれも、次々に若殿の味方になってしまう。これが、物語として
の平板さの主原因か。さらに、その結果、唯一の敵役となる三上一学
(團蔵)も、本来なら欲しい凄みがなく、結局、團蔵の役づくりの平板
さが、この舞台の平板さを増幅したと観たが、いかがだろうか。数馬之
助(信二郎)も、気弱な若殿というだけで弱いと思った。菊之助も傾城・
花月が姫の拵えで出て来る場面では、姫にしか見えず、「姫に扮してい
る傾城」という味が、さりげなく滲み出して欲しかった。11月の歌舞
伎座を途中で病気休演した富十郎は、元気に復帰、相変わらず口跡の良
さが光った。時蔵は、薄皮が一枚剥けたようで、肩に力が入らずに、
楽々と役をこなしているようで、ことしの舞台が愉しみになりそうな予
感がする。

- 2002年1月17日(木) 7:41:53
2001年 12月 ・ 歌舞伎座
(夜/「傾城反魂香」「妹背山婦女庭訓〜道行恋苧環〜」「妹背山婦女庭
訓〜三笠山御殿〜」

◎「傾城反魂香〜吃又〜」。5回目の拝見。この狂言は、なぜ、「傾城
反魂香」という外題がついているのか。近松門左衛門原作の人形浄瑠璃。
近松には、「傾城阿波の鳴門」、「傾城仏の原」、「傾城壬生大念仏」な
ど「傾城」=「遊女」を題材にした狂言が多い。「傾城反魂香」は、全
三段。狩野元信が、土佐光信の娘婿となり、「絵所」(官の絵を制作する
役所)の預りとなったという史実をベースに仕立てたお家騒動もの。
「吃又」は、上中下3巻の上巻の切。土佐将監光信の旧主・佐々木家の息
女・銀杏の前の御朱印取り返しを命じられる又平、改め土佐又平光起の晴
れ姿で、幕切れとなる。

これに加えて、遊女・葛城を巡る名古屋山三、不破伴左衛門の「鞘当」の
世界が、絡む。さらに、大津絵師・又平は、浮世絵師・岩佐又兵衛伝説を
もとにしている。いろいろな先行作品を真似たり、なぞったり、換骨奪胎
したり、当時の、普通の狂言作者たちの作劇術が、芝居を重層化する。
「鞘当」の世界が、絡むのは、当時「傾城もの」を江戸和事として、上
方の和事とは、一味違う芸風を創始した中村七三郎の追善当て込み興行で
もあったという。七三郎得意の「傾城浅間獄」(作者不詳)の系譜の上
に、「傾城反魂香」の趣向も載っているというわけだ。外題一つとって
みても、そういう重層性が窺える。

「吃又」という芝居は、争いに敗れ、閑居している絵師・土佐将監光信の
居宅が舞台。弟子同士の出世争いに負けている「吃又」こと、又平が、
妻・おとくの夫婦愛で励まされ、奇跡を起こす。いわば、敗者復活の物
語。「反魂」とは、死者の魂を呼び戻すという意味。蘇生である。又平が
石の手水鉢に己の死を覚悟して絵を描き、その絵が、石をも貫き通したと
いうことと絵師として蘇生したことという意味で使用したものと思われ
る。

また、「反魂香」とは、中国の漢の時代の孝武帝が李夫人の死後、香を焚
いてその面影を見たという故事に例えて、焚けば死者の姿を煙のなかに現
すという香のこと。江戸の庶民には、馴染みがあった香なのであろう。あ
るいは、「反魂『丹』」という、江戸時代に富山の薬売りが、全国を行商
して、売り歩いた懐中丸薬(食傷、腹痛に効いたという)「反魂丹」の
方を連想したかも知れない。因みに、「反魂丹」江戸の芝・田町の「さか
いや長兵衛」が取り扱った「田町の反魂丹」が、良く知られていたとい
う。

吉右衛門(2)、富十郎、團十郎、そして、今回の猿之助という私が観た
4人の又平。芝翫、鴈治郎、右之助、雀右衛門、今回の勘九郎という私の
観た5人のおとく。印象に残っているのは、又平では、やはり、吉右衛
門。彼の本来の人柄が、又平には、ぴったり。ほかの役者は、今回の猿之
助含めて、又平を真似て、演技をしているという感じ。

おとくでは、地方公演で観た右之助を除けば、それぞれ、違う味わいのお
とくたちがいる。吃音の又平に対する喋りの女房・おとくというなら、喋
りの旨さでは、芝翫だろうし、人柄の演技では、鴈治郎だろうし、雀右衛
門のおとくも、子に対する母親のような感じで、夫への気遣いが滲み出て
いて、また、別の味わいがある。今回の勘九郎は、世話女房の味。おとく
という女は、いろいろな顔を持っている。それでいて、みな、おとくに観
えるから、歌舞伎は、おもしろい。

さて、今回の猿之助と勘九郎の演技は、というと、ふたりとも藝達者なの
で、それぞれの独立した演技では、それほど感じなかったが、ふたりの演
技が重なると、「巧すぎ」で、私などには、味が濃すぎるという印象が残
った。難しいものだ。猿之助の又平は、絵を描く前に、手水鉢の四辺を撫
でて廻る。生涯最後の絵を描くという気迫が伝わってくる。手水鉢の水に
顔を映して、髪を整えているうちに、手が滑ったという体(てい)で、柄
杓(ひしゃく)を前に落とす。これは、伏線。

絵を描き上げると、又平は、死のうとするが、落ちていた柄杓を拾おうと
手水鉢の前に廻ったおとくが、「手水鉢の奇跡」に気がつく。柄杓を拾お
うとする視線の端に夫が手水鉢に描いた絵が、反対側に滲み出ていること
に最初に気づくのだ。それを夫に知らせようとするのだが、死を覚悟した
又平の気持ちは、そちらに向かない。そこで、おとくは、夫に自分の指先
に注目させるという仕種で、奇跡の絵に気づかせようとする。なかなか気
づかない又平。それを何回も繰り返す場面があり、観客の笑いを誘って
いたが、このあたりが、味が濃すぎる感じがした。ふたりが、前後に、鏡
餅のように重なって驚きを表現し、ふたり一緒に座り込む場面も然り。

ところで、この芝居は、「二組の夫婦の芝居」でもある。又平(猿之助)
とおとく(勘九郎)の夫婦は、必死で、復活を図る生々しさがある。一
方、将監(又五郎)と北の方(吉之丞)という老夫婦は、枯淡の味があ
る。この二組の夫婦の組み合わせは、バランスが取れていて、二組の夫婦
が、絡む場面は、落ち着きがあった。この場面が、話の本筋通りなら、
「吃又誉奇跡(どもまたほまれのきせき)」であっても良いはずなのに、
「土佐将監閑居の場」となっていて、そのくせ、通称は「吃又」となるあ
たりに、歌舞伎の面妖さがあると思う。二組の夫婦に光が当たる由縁であ
る。

◎「妹背山婦女庭訓〜道行恋苧環〜」は、2回目(国立劇場で、96年
12月に通し上演をしたものをビデオで見たことがあるが、ビデオは数に
入れない)。配役は、前回(00年6月、歌舞伎座)と今回の順。お三
輪:芝翫、玉三郎。求女:團十郎、勘九郎。橘姫:鴈治郎、福助。今回
は、玉三郎の発案で、「人形ぶり」の演出なので、前回との比較はしな
い。「人形ぶり」という点だけを検証してみよう。

定式幕が開くと浅葱幕。竹本が、文楽座出演というスタイルで、4連で上
手に座る。人形遣いが、人形浄瑠璃の口上を真似て、太夫、三味線、役
者を紹介する。やがて、浅葱幕が振り落とされる。まず、橘姫(福助)の
登場。橘姫が、頭の上にかざす竹の入った打掛は、いかにも人形浄瑠璃の
体。福助の人形ぶり。前に、どのときの舞台か、いま記録が見つからずに
特定できないが、八百屋お七の福助の人形ぶりを、見ている。やがて、求
女(勘九郎)が、追っかけて出てくる。ふたりのやりとりがあり、「山
颪」の大太鼓の音。不気味なデデンデンデンに合わせてお三輪(玉三郎)
が、下手奧から出てくる。求女を追いかけ、橘姫に嫉妬の炎を燃やし、何
度も睨み付けるお三輪。気の強い町娘を十全に表現している。

「人形ぶり」では、眼が大事。眼が、人形の眼に観えてこないと、役者の
「肉体」が消えてこない。そういう意味で、今回の3人の役者のうち、玉
三郎だけ、顔が文楽人形のように観えてきた。従って、身体も人形に観え
てくる。不思議なことに、福助は、顔は、役者の福助のままだが、身体
は、人形に観えてきた。多分、骨格の動かし方が、巧みなのだろう。勘
九郎は、最後までギクシャクした肉体という動きで終始していた。このあ
たり、今月の国立劇場小劇場で、人形浄瑠璃の「妹背山婦女庭訓」が、上
演されているので、観てみたかったが、多忙で果たせず、残念(歌舞伎座
の翌日、国立劇場に行ったというH・Uさんが、掲示板「編模様花紅彩
画」に書き込んで下さると良いのだが・・・)。

◎「妹背山婦女庭訓〜三笠山御殿〜」は、3回目(国立劇場で、96年
12月に通し上演をしたものをビデオで見たことがあるが、ビデオは数に
入れない)。配役は、前々回(98年11月、歌舞伎座)前回(00
年9月、歌舞伎座)と今回の順。お三輪:雀右衛門、福助、玉三郎。求
女:菊五郎、梅玉、勘九郎。橘姫:福助、松江、福助。鱶七:團十郎、吉
右衛門、團十郎。入鹿:羽左衛門、なし、段四郎(代役:弥十郎)。
豆腐買い:富十郎、勘九郎、猿之助。

こちらは、テキストして、詳細に検証すると、ストーリーの、あまりの荒
唐無稽さに呆れ果ててしまうのだが、テキストの印象と舞台の印象が、ま
た、違うという所に、この演目の強(したた)かさがあり、それが、ま
さに、歌舞伎の強かさであるから、まさに、怪物である。つまり、「三笠
山御殿」は、1本の映画かビデオに仕上げようとすると破たんするが、数
枚の絵葉書にすると成功するという類いの作品であろうと思う。従っ
て、今回は、その点だけを分析してみたい。

数枚の絵葉書とは、私なら「入鹿と鱶七」、「鱶七と官女」、「求女と橘
姫と官女」、「お三輪と豆腐買い」、「官女たちのお三輪虐め」、「疑着
のお三輪」、「鱶七とお三輪」というところか。7枚組というわけだ。こ
れらの場面は、それぞれ独立していて、個々には、絵になるのだが、映
画のように連続した話にすると、ストーリー展開に無理がある。核となる
場面を切り離して、それぞれ独自に鑑賞する演目だろう。

「入鹿と鱶七」:鱶七(團十郎)は、荒事定式の、衣装(大柄の格子縞の
裃、長袴、縦縞の着付)に、撥鬢頭に、隈取りに、「ごんす」「なんのこ
んた、やっとこなア」などの台詞回しにと、荒事の魅力をたっぷり盛り込
む。首に巻いていた水玉の手拭いも、荒事用の大きなもの。後に、鉢巻き
をする際、黒衣から、さりげなく、普通サイズを受け取っていた。二本太
刀の大太刀は、朱塗りの鞘に緑の大房。太刀の柄には、大きな徳利をぶら
下げている。腰の後ろに差した朱色の革製の煙草入れも大型。鬘の元結も
何本も束ねた大きな紐を使ってる。上から下まで、すべてに、大柄な荒事
意識が行き届いている扮装。

團十郎は、江戸歌舞伎の特徴である荒事を代々伝える宗家の貫禄で、豪
快で、大らかで、古風な歌舞伎味を出していて、歌舞伎としての「カゲ
キ度」抜群の演技。こういう役柄は、当代の團十郎の持ち味。菊五郎、吉
右衛門でも、一寸違う。

「鱶七と官女」:入鹿との対決の後、床下から差し掛けられた槍2本と鉢
巻きにしていた手拭いで、Xの字になるように縛り上げた後、槍を枕に寝
てしまう豪快さ。歌舞伎十八番のひとつ「矢の根」の夢見の場面との類似
を感じる。立役の官女たちとのやりとりも、官女たちをおおらかにやりこ
める。これは、後の舞台、「官女たちのお三輪虐め」への伏線だろう。

二重舞台の三笠山御殿は、近松半二得意のシンメトリー。高足の二重欄
干、御殿の柱、高欄階(きざはし)、も黒塗り。人形浄瑠璃なら、「金
殿」という上方風の御殿に、「『浪波』浪波の浦の鱶七」は、江戸荒事の
扮装、台詞、動作で闊歩する。この場面、そういう一枚の絵。人形浄瑠璃
なら、「鱶七上使の段」と、そのものずばりのネーミングになっている。
入鹿は、段四郎休演で、弥十郎の代役。

「求女と橘姫と官女」:「人形から役者に戻った橘姫(福助)が、被衣
(かつぎ)を被りお忍び姿で戻って来る。出迎える官女たち。その一人
が、姫の振袖の袂についている赤い糸を手繰ると、求女(勘九郎)が登
場。姫様の恋人だと官女たちが喜ぶ。やっと、求女が姫の正体、つまり、
政敵の入鹿の妹と知る場面だ。苧環」を搦めた美男美女の錦絵風。自分と
の結婚の条件として、兄・入鹿が隠し持っている「十握(とつか)の御剣
(みつるぎ)」(三種の神器のひとつ)を盗み出すよう娘をそそのかす求
女、じつは、藤原淡海(入鹿と敵対する藤原鎌足の息子)の強かさ。た
だの美男ではないという求女。人形浄瑠璃なら、「姫戻りの段」と、こ
ちらも、判りやすい。

「お三輪と豆腐買い」:悲劇の前の笑劇という、定式の作劇術。風俗絵
風。豆腐買いの猿之助は、「ごちそう」の役どころ。余裕たっぷりの猿之
助。「不思議の国のアリス」のように「御殿」=「不思議の国」を迷い、
彷徨するお三輪=アリスにとって、豆腐買いは、敵か味方か。迷路で出逢
った、別次元の通行人にすぎないか。白い苧環は、お三輪=アリスにとっ
て、魔法の杖だったはずだが、糸の切れた苧環は、「糸の切れた凧」同
様、迷路では、役に立たない。

「官女たちのお三輪虐め」:「道行恋苧環」の強気の町娘・お三輪は、こ
こでは、虐められっ子。この場面が、「三笠山御殿」では、本編中の本編
だろう。四郎五郎、助五郎らの8人の立役のおじさん役者たちが、魔女の
ように、可憐な少女アリス=お三輪に対して、如何に憎々しく演じること
ができるか。それが、対照的に、お三輪の可憐さを浮き立たせる。お三輪
(玉三郎)も、ここで虐め抜かれることで、「疑着のお三輪」の、女形と
しての「カゲキ度」をいちだんと高めるという構図。

上手、奧からは、求女と橘姫の婚礼の準備の進ちゃくをせかせるように、
効果的な音が、続く。1)ドン、2)チン、チン、チン、3)ドン、ド
ン、ドン、4)とん、とん、とん。これが、規則的に繰り返される。下
手、黒御簾からは、三味線と笛の音。舞台では、次第に高まる緊張。官
女たちの虐めもエスカレートする。さりげない効果音的な演奏が、場を引
き立てる。音と絵のシンフォニー。

「疑着のお三輪」:「官女たちのお三輪虐め」→「鱶七とお三輪」という
ふたつの場面を繋ぐ、ブラックボックス。強いお三輪の復活。しかし、ひ
とたび、弱さを見せたお三輪は、「道行恋苧環」のようには、強さを維持
できない。次の悲劇を暗示している。

「鱶七とお三輪」:求女、じつは、藤原淡海の、政敵・入鹿征伐のために
鱶七、実は、金輪五郎今国(藤原鎌足の家臣)に命を預けるお三輪。疑
着の女の血が役立つと、死んで行くお三輪の悲劇が、正義の味方・淡海を
助けるという大団円。瓦灯口の定式幕が、取り払われると、奧に畳千帖の
遠見(これが、「弁慶上使」のものと同じで、手前上下の襖が、銀地に竹
林。奧手前の開かれた襖が、銀地に桜。奧中央の襖が、金地に松。悲劇を
豪華絢爛の、きんきらきんの極彩色で舞台を飾って、歌舞伎の「カゲキ
度」も、いちだんと高まる。亡くなったお三輪の遺体が平舞台、中央上手
寄り。二重舞台中央では、豪華な馬簾の付いた伊達四天姿に替わった鱶七
と12人の花四天との立ち回りになったところで、幕。

私が、これまでに観たお三輪では、雀右衛門が、いちばん虐められてい
て、可哀想に観えた。美男なだけではない、強かな求女は、菊五郎か。橘
姫は、松江。鱶七は、断然、團十郎。入鹿も、断然、羽左衛門。豆腐買い
は、それぞれ、味を出していた。

後口上:今月の歌舞伎座、夜の部は、一部ながら幕見席で、もう一度舞台
を拝見できる機会があるので、愉しみにしている。なにか、気づいたこと
があれば、「双方向曲輪日記」に書き込みたい。

- 2001年12月16日(日) 22:19:00
2001年 12月 ・ 歌舞伎座
(昼/「華果西遊記」「御所桜堀河夜討〜弁慶上使〜」「源氏物語〜末摘
花〜」「浮世風呂」)

「夢は、見果てぬ〜おわさの夢、相模の夢」

「御所桜堀河夜討〜弁慶上使〜」は、「熊谷陣屋」に似ていまいか。巴
のように、同じ方向にクルクル廻るような相似ではなく、一本の線で対照
的になる相似。ということは、左右が逆転している。そういう相似の関係
に、「弁慶上使」と「熊谷陣屋」はある。96年5月、99年9月、そ
して、01年12月。私が歌舞伎座で観るたびに、巴太鼓の3つの巴のよ
うに、上演月が、少しずつ後ろにずれてくる。3回目の今回の舞台で、初
めて気が付いたことがある。実は、「見顕し」のように、「弁慶上使」の
舞台から、透けて見えて来た、もうひとつの歌舞伎の舞台がある。それ
が、「熊谷陣屋」だったとは、私も、最初は信じられなかった。今回は、
その謎を解いてみたい。

「御所桜堀河夜討」は、全五段の人形浄瑠璃で、源義経が、平時忠の娘・
卿の君を正妻にしたためにおこる悲劇。堀河御所にいる義経を頼朝の命令
で夜討するというのが全段の話。「弁慶上使」は、三段目の切で、頼朝の
使者として、懐妊し乳人侍従太郎の館に預けられている卿の君の首を弁慶
が、取りに来る。しかし、弁慶も含めた謀で卿の君の首の偽ものを持ち帰
る。偽ものの首を提供するのが、腰元のしのぶであり、たまたま娘に逢い
に来たしのぶの母親、おわさが、実は、17年前、若き日の弁慶と契り、
しのぶが生まれたということが判明する。判明したとたん、娘は、父の手
で殺されるということで、散り散りになっていた弁慶一家の出会いと崩壊
という「ある家族」の悲劇の物語でもある。四段目に「藤弥太物語」が
あり、「御所桜堀河夜討」では、このふたつの場面が、伝存した。

*「弁慶上使」と「熊谷陣屋」のテキスト比較。

1)人間関係の類似。
○悲劇の元となるキーパーソン:「義経」=「弁慶上使」では、名前だ
  け。「熊谷陣」では、舞台に登場。両方とも、義経をめぐる人間関係が
  共通。
○「身替わりとなる子」=「弁慶上使」では、弁慶とおわさの子・しの
  ぶ。「熊谷陣屋」では、熊谷直実と相模の子・小次郎。

2)殺人の状況の類似。
○「我が子を殺す」=「弁慶上使」では、弁慶がしのぶを殺して、義経の
  正妻・卿の君を助け、卿の君の身替わりの偽首として持ち帰る。「熊谷
  陣屋」では、義経が弁慶に書かせた制札の文句の真意を汲み取り、す
  でに須磨の浦で小次郎を殺していて、その首を平敦盛の身替わりの偽首
  として、義経に検分をさせ、首を義経に引き渡す。両方とも、立て系列
  の組織のために、肉親の情を抑えて、父親が、我が子を殺す。

3)「騙す人・騙される人」の類似=両方とも、義経は、偽首を承知して
  いる。
 「弁慶上使」では、騙す人の系譜:義経、弁慶、侍従太郎。騙される人
  の系譜:頼朝、梶原景時(鎌倉方)。「熊谷陣屋」では、騙す人の系
  譜:義経、直実。騙される人の系譜:頼朝、梶原景高(鎌倉方)。

4)「世界」は、共通。平家物語が、ベース。

5)女性観の類似。
  女たちの見果てぬ夢:「弁慶上使」では、おわさは、我が子・しのぶと
  ともに、長年探していた父親・弁慶に殺される場面を見せつけられる。
  「熊谷陣屋」では、相模は、我が子・小次郎に逢いたさに、遠国からは
  るばる訪ねて来たのに、すでに、小次郎は、父親・直実の手で殺されて
  いたことを、首実検の首で知らされる。

  両方に共通しているのは、父親(男)の論理:組織大事。母親(女)
  の情:肉親への愛。ふたりの母親の夢は、所詮、見果てぬ夢。おわさ
  は、元気な娘に逢うことができたが、目の前で娘を殺された。見果てぬ
  父親に娘を逢わせたいというおわさの夢は、叶わなかった。いまわの際
  の父娘の出会いなど、目も見えぬ、耳も聞こえぬ娘に、己を殺したの
  は、実の父親などと知らせぬ方が良いかも知れぬ。

  これに対して、相模は、息子・小次郎に逢いに来たときには、息子は、
  すでに殺されていた。相模は、おわさより、不幸だったろうか。息子の
  元気な顔を見たいという相模の夢は、叶わなかった。幸は、薄い、厚
  いがあるかもしれぬ。幸福は、さまざまな顔をしている。だが、不幸
  に、度合いなどあるものか。不幸は、みな同じ顔をしている。

6)並木宗輔の工夫魂胆。
 「熊谷陣屋」の並木宗輔と「弁慶上使」の文耕堂・三好松洛:「御所
  桜堀河夜討〜弁慶上使〜」は、文耕堂・三好松洛の合作で、文元2
 (1737)年、初演。「熊谷陣屋」は、宝歴元(1751)年、初
  演。全体は、「一谷ふたば軍記」で、並木宗輔のほかに、数人の合作者
  がいるが、三段目の「熊谷陣屋」は、並木宗輔の絶筆。

 「弁慶上使」から「熊谷陣屋」まで、14年。並木宗輔は、文耕堂らの
  通称「扇屋熊谷」の「源平魁躑躅」やこの「弁慶上使」を先行作品とし
  て認識していたであろうし、折口信夫の説ではないが、狂言作者たちの
  修業、あるいは、劇作活動は、先行作品を、ときには、なぞり、真似、
  ときには、換骨奪胎し、ときには、パロディ化し、兎に角、書き換え
  る。そして、ときには、無能な作者でも、先行作品の「良いとこ取り」
  で、憑依するような作品を書き上げることがあり、先行作品を凌ぐこと
  もある。

  恐らく、竹田出雲、小出雲、三好松洛らとともに、いまも400年の歌
  舞伎の歴史に燦然と輝きながら残る3大歌舞伎の合作者のなかでも、出
  雲に並んで、有能だったと思われる並木宗輔にとって、「扇屋熊谷」や
  「弁慶上使」という先行作品は、機会があったら、もっと良い作品に工
  夫して、これらを凌駕して見せようという気概があっただろう。そのエ
  ネルギーが、並木宗輔に、生涯最後の作品として「熊谷陣屋」を書かせ
  たと思う。

7)逆転する男たち:大きな相違。
  ならば、並木宗輔と文耕堂・三好松洛とは、どこが違うのか。:「弁慶
  上使」では、弁慶は、組織からの使命を果たし、武士の世界、男の論理
  の世界に、ふたつの首を両脇に抱えて、のっしのっしと帰って行く。
  「熊谷陣屋」では、武士の世界、男の論理の世界への義理を果たした上
  で、その空しさに感じ入った直実は、息子の首を義経に預けたまま、
  「ア、十六年は、一昔、アア、夢だア、夢だア」という台詞を残して、
  武士の世界、現世、俗世、組織の世界を捨てて、出家の世界、彼岸を目
  指す精神世界、孤立の世界へと出発して行く。

8)取り残される女たちの類似。
 「弁慶上使」では、武士の世界に帰って行く弁慶を見送るおわさの孤
  独。つかの間の夫との出逢いは、娘との別れのときでもあった。その夫
  は、仕事が終ったら帰って来るような男には見えない。九代目團十郎が
  演じて以来、いまも演じられる「熊谷陣屋」の舞台では、武士の世界に
  は戻らぬ直実も、男一人で、出家の世界に出発してしまう。相模は、息
  子を失い、夫を失う。相模の孤独は、直実の孤独より深い。原作では、
  相模と直実は、いっしょに、引っぱりの見得で幕。ふたりは、小次郎の
  霊を弔う漂白の旅に出る。相模は、やっと、息子と夫を取り戻す。だ
  から、渡り台詞の「惜しむ子を捨て、武士を捨て」というのは、相模の
  台詞である。

さて、そろそろ、今月の歌舞伎座の舞台を観てみよう。幕が開くと、侍
従太郎(段四郎病気休演で、歌六が代役)の館。座敷は、中央奥、銀地に
火焔太鼓とお幕の絵柄の襖。太鼓をよく観ると、太鼓は、三つ巴の絵柄
だ。上下(かみしも)の襖は、金地に花の丸。下手に、花車の絵柄の衝
立。ここが、後に、しのぶの処断の場となるなどと、観客は、まだ、誰
も思っても、いないだろう。七之助は、義経の正妻・卿の君とおわさ、弁
慶の娘・しのぶへの早替わりをするので、上手の障子屋体で、威儀を正し
た弁慶(團十郎)と観客にお目見えをしただけで、早々と姿を消す。

烏帽子、いが栗に車鬢、鳥居隈、黒の大紋、長袴の下に女物の濃紅の襦
袢(重要な襦袢)、赤の手甲。團十郎の弁慶は、花道の登場から立派な弁
慶だ。油の乗った役者の色気が、眼に出ている。出迎えの侍従太郎と妻・
花の井(芝雀)。七之助は、このあとは、腰元・しのぶとしての演技がポ
イント。弁慶らは、上使の趣を奥で話し合うため引っ込む。

私は、「弁慶上使」を3回観ているが、弁慶は、團十郎で2回。前回は、
羽左衛門。おわさは、3回とも芝翫。卿の君としのぶは、芝雀、勘太郎、
そして今回の七之助。

おわさの芝翫は、まず、しのぶの母親として登場する。母と娘の久方の語
らい。奥から戻って来た侍従太郎からしのぶを卿の君の身代わりにと求め
られると、娘は、主のためと、承知するが、母は、それを拒否する。お
わさは、仕方噺で、「くどき」の場面。10数年の、自分の娘の父親探し
の経緯を話す。名台詞。「母親ばかりで出来る子が、三千世界にあろうか
やい」。母親の強さ、気丈さ。東国からはるばる訪ねて来た「熊谷陣屋」
の相模が、間に合わなかった我が子の救命の努力をする。

その展開のなかで、襦袢の濃紅の片振袖を証拠として示す。筆、硯、孔
雀の羽をあしらった稚児の衣装。実は、それが、鬼若丸と名乗っていたこ
ろの、若き日の弁慶のものであった。それでも、姫様大事という侍従太郎
は、しのぶを追う。おわさは、娘を逃がそうとするが、正面奥の襖の蔭か
ら父親の弁慶に刺される。懐紙で、太刀を拭き上げる見得。

名乗る弁慶。若き日の恋を語り、いまも着込んでいる濃紅の襦袢を示し、
しのぶの父親だと明かす。親子の証は、お家大事の前には、二の次なの
だ。「子ゆえに親は名をあげる」。心を鬼にして、我が娘を殺し、泣く弁
慶。團十郎の弁慶は、様式美の演技を丹念に積み重ねる。

濃紅の襦袢の片袖という小道具が、効いている。名場面のひとつ。おわさ
は、母親から若い女に変わる。下手に倒れ伏すしのぶ。中央におわさ。上
手に弁慶。青春の日の娘の気持ちと現在の母親の気持ちとの間で、揺れる
おわさ。歌舞伎は、舞台の上手と下手の空間を精一杯使って、三者の心の
有り様をビジュアルに見せつける。

「三十余年の溜め涙」。大落しで、大泣きする弁慶。一人になり、生の母
親の感情を咎められない状況になって、初めて母をむき出しにした「伽羅
先代萩」の政岡のように、弁慶にも父親の情愛が迸る場面だ。伝説の泣か
ぬ弁慶は、歌舞伎の舞台では、「弁慶上使」と「勧進帳」で泣く。このあ
たりの演技では、前回の羽左衛門の弁慶の方が、父親の情の表出の演技
は、巧かったと思う。羽左衛門の仁の重さが、團十郎の颯爽とした弁慶を
凌ぐ。

時計が、八つの時刻を告げる。母・おわさの抵抗も空しく、銀色の襖と衝
立の間で、首を切り取られるしのぶ。しのぶの首は、紅の布で包まれる。
武士の論理のために、可愛がっていた腰元のしのぶの首を取った侍従太郎
は、自らも切腹する。偽首を鎌倉方への保証とするため、自分も首を差し
出すつもりなのだ。太郎の首は、白い布で包まれる。源平の紅白合戦とい
う定式の色彩感覚。江戸の人たちは、こだわっている。

門の外にいる梶原景時の配下の軍兵たちに聞こえるように、首を討ち取っ
たことを大音声で告げる弁慶。紅白の首を両脇に抱えた弁慶が、花道から
出て行く。娘を失った母・おわさと夫を失った妻・花の井がふたつの首を
追おうとするが、女たちには、見送るしか、すべはない。ふたつの別れ。
男と女の世界を引きちぎるように遠寄せの太鼓の音が、場内に響く。花
道での弁慶は、紅の首に頬を寄せて、泣く。父親の情が迸る。

段四郎病気休演で歌六が代役。先月の歌舞伎座は、富十郎が途中休演した
が、東京だけで3ヶ所で歌舞伎公演があるなど、歌舞伎ブームのなかで、
役者衆は、過労気味ではないか。寒さに向かう折り、皆さん、ご自愛を。

◎「華果西遊記」。下座からの銅鑼の音が、シンバルのように聞こえる。
それに、歌舞伎独特の柝の音が、重なるうちに、幕開き。竹本は、御簾を
揚げての出語りで、2連。竹本の床の出語りのあたりに、清元の山台が、
岩組の大道具の上に作られている。これが、山台の原初の形で、山台の謂
れの元らしい。太夫4人に三味線が3人。竹本と清元の掛け合い。こうい
う音楽の使い方は、歌舞伎そのものだが、舞台演出は、手品や京劇風立ち
回りも取り入れて、猿之助一座お得意のスーパー歌舞伎風。

この演目の本編は、2回目の拝見。00年12月、歌舞伎座で観ている。
01年7月、歌舞伎座の続編を含めれば、3回目。前回より、いろいろ刈
り込んだりして演出を工夫しているようだが、観た印象は、大きくは、変
わらない。それぞれの劇評は、この「遠眼鏡戯場観察」に、すでに書き込
んであるので、参照して欲しい。今回は、前回との違いだけを書きたい。
前回は、初見なので、右近を筆頭にした若々しい舞台も愉しめたが、前
回の結論通り、「本来の歌舞伎の持つ重厚さや役者の層の厚さという魅力
には欠ける」という印象は、今回も変わらなかった。「古色のある歌舞伎
味を如何に舞台に滲ませるかが、課題の演目」という期待は、叶えられな
かった。こういう舞台では、初見の観客は、愉しめても、リピーターに
は、一寸つらい。

◎「源氏物語〜末摘花〜」は、初見。場内からは、何度も笑いが起こる、
つまり、醜女と美男の「笑劇」をベースにした、歌舞伎と言うより近代
劇。北條秀司作の新歌舞伎。勘九郎の末摘花は、「おでこ(額)」を強調
した化粧で、お多福のよう。松の木のある海辺の絵柄の中啓で、顔を隠し
たままの出。抑えた口調の台詞廻しなどをふくめて、醜女ながら、気持ち
の優しい女性を巧く演じる(浅草の「平成中村座」興行の「義経千本桜」
千秋楽から中4日の初役とは、思えない)。須磨に流される前の光の君、
光源氏に一度だけ、契りを持った後、二度と訪れてくれない光源氏に、そ
の後も流謫の地へ歌を贈ったりして、励ましながら待ち続けている。

花散里への訪ないを告げる手紙が、使いの藤内(弥十郎)の手違いで、末
摘花のところに誤配される。半廻しの廻り舞台などで、その経緯や困惑を
描くなど、演出も巧み。惟光(勘太郎)を従えた玉三郎の光源氏もスマー
トなプレイボーイながら、そういう醜女の真情を理解する器の大きな人物
として描かれる。侍従の福助が、「誤解劇」の間に立ち、健気に末摘花を
助ける。侍女・狭霧の芝のぶも、名題試験に合格してから、為所も増え、
台詞も増え、それに答える熱演で、すっかり、力を付けてきた。今後が愉
しみな役者だ。今回も爽やかで、味があった。脇を固める侍従叔母の吉之
丞、老女・雲の井の家橘も好演。光源氏と愛を復活させながら、原作の源
氏物語には登場しない盲目で、誠実な受領雅国(團十郎)の愛を受け入れ
東国へ行く決心をする末摘花。笑いのなかに、「真実の愛とはなにか」と
いうテーマを追求する北條源氏の世界。もともとは、NHKのラジオドラ
マから生まれた「王朝風俗のホームドラマ」だという。

すでに、「双方向曲輪日記」に書いた通り、別冊太陽の最新刊「歌舞伎源
氏物語」が、おもしろい。成田屋3代の光源氏の特集だ。

◎「浮世風呂」は、初見。暗転で、開幕。上手の風呂場の格子窓から朝日
が射し始め、徐々に明るくなる。大きな浴槽のある風呂場に赤い下帯と白
地に紺の模様を染め抜いた半纏(襟に「喜のし湯」の文字を染め込む)と
いう裸同然の三助・政吉(猿之助)。全身白粉塗り。朝湯の客のために、
早朝から準備中。猿之助は、舞踊の「うかれ坊主」同様に、男の色気を売
る。「喜のし湯」は、猿之助の本名「喜熨斗」から。「湯舟の逆櫓」な
ど江戸時代の風呂屋の風俗を見せる。風呂場の風景画は、波頭が立つ海の
絵。白い波頭を「兎が走る」と兎に例えるが、まさに、海の上を走る兎た
ち。

「なめくじ」という名の悪婆(亀治郎)が、「お富」のような、あの馬の
尻尾のような、悪婆定式の髪型に、頭に銀色の角のある「なめくじ」の
飾りを付けて登場。上がオレンジ、下が灰色のぼかし衣装に、いくつもの
「なめくじ」という、ひらがなの字を、上は灰色、下はオレンジで染めた
衣装である。体の真ん中で、濃いオレンジの帯が、アクセントになって
いる。なめくじは、花道スッポンから登場し、色仕掛けの「くどき」で
三助に迫るが、相手にされず、塩を撒かれ、スッポンから消えて行く。芝
居の吹き寄せの仕方噺で、ひとりで、踊り惚けている三助に、やがて若い
者の立ち回りが、絡んで来る「所作立て」。二代目猿之助が、初演した所
作事の新歌舞伎。二代目のときは、「なめくじ」は、着ぐるみだったとい
う。

* 贅言:さて、12・21(金)の夜には、歌舞伎座で、会員制の「ア
  ーバンサロン」の講演がある。テーマは、大原雄の「中年からの挑戦〜
  『歌舞伎と私』〜」。1時間半ほど話をして、最後は、幕見席で観劇。
  「妹背山」の「三笠山御殿」の一部。お三輪が、虐められている場面あ
  たりからか。二次会「更に、語る会」。

- 2001年12月12日(水) 7:24:35
2001年・日本ペンクラブ「電子文藝館」開館記念特別出稿(電子文藝
館同時掲載)

* 「遠眼鏡戯場観察」 21世紀、最初の特別原稿 *

新世紀カゲキ歌舞伎
〜女・子・狂気 「男(役者)たちは、どう演じたか」〜 大原 雄  


                                          
 口 上

 21世紀。新世紀、歌舞伎界は、中村歌右衛門を失った。市村羽左衛門
を失った。ふたりは、立女形であり、立役の重鎮であり、何より、20世
紀後半の歌舞伎界の屋台骨を背負ってきた。十代目坂東三津五郎の襲名披
露の舞台で明けた21世紀、初年の歌舞伎の舞台。そのすべての舞台を観
たわけではないが、それでも、地方巡業を含めて、いくつかの舞台を拝見
し、私の個人電子マガジン「遠眼鏡戯場観察(かぶきうおっちんぐ)」
として毎月連載した。そこに描かれた歌舞伎の舞台の数々。ときに、人
形浄瑠璃の舞台も混じる。

 歌舞伎は、男たちの演じる演劇だ。男たちが、女を演じる。元々、
そこには、日常性から解離した非常の世界が出現することになる。江戸時
代の庶民たちは、そういう「非常の世界」を求めて、芝居小屋の「鼠木
戸」(出入り口)を潜った。

 男が、女たちを演じるというだけで、日常の世界が「傾く」。これを
「かぶく」と読む。「かぶく」世界は、その非日常性故に、日常性から見
れば、過激である。男が女を演じ、さらに、女の狂気を演じる。そこに
は、いわば、「『かぶく』の自乗」とも言うべき世界が、出現するはずで
ある。歌舞伎の「過激度」(これを、私は「歌舞伎味」とも言っている)
を見るには、「狂気」がテーマとなる演目の、舞台の出来具合を測るの
が、いちばんである。「歌舞伎」とは、本来、「傾く」という言葉の当て
字である。だから、私は、「かぶく」=「カゲキ(過激)」という関係を
重視する。つまり、カゲキな歌舞伎とは、生来的な、かぶく歌舞伎の謂い
だからである。

 この1年の舞台から、通常の「劇評」とは、ひと味違う「歌舞伎観察
(ウオッチング)」のまとめをしてみたい。そこで、「仮名手本忠臣蔵」、
「伽羅先代萩」、「摂州合邦辻」という3つの舞台を選び、「女性」、
「子ども」、「狂気」という視点で、舞台をクローズアップし、男(役
者)たちの日常性から遠い舞台を、男たちが、どう演じたか、「新世紀カ
ゲキ歌舞伎」と題して、記録してみた。



 序幕 女たちの「愛の忠臣蔵」〜死なれて・死なせて〜

 浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良上野介に斬り掛かったのは、18世
紀が始まったばかりの新世紀初頭(1701年)であった。あれから、3
世紀。21世紀の初頭を飾る「忠臣蔵」通し上演は、新橋演舞場と歌舞伎
座の両方を使うという異例の興行だった。こうして、「通し」で見ると、
死んで行く男たちのドラマとして知られる「忠臣蔵」の陰で、生き残った
女たちの愛のドラマが浮かび上がってくる。死なれて・死なせて。女たち
の「愛の忠臣蔵」。

 まず、「落人(「道行旅路花聟」)」の道行では、お軽が軽やかに踊っ
ている。「勤め」という男の世界をしくじった勘平には、心の揺れがあ
る。お軽は、そんな勘平を絶えず気遣っているのが判る。この舞台でも、
勘平(新之助)につきそうお軽(菊之助)が良い。新之助の勘平は、六
段目のような「色に耽ったばっかりに、大事の場所にもおりあわさず」な
どと、分別臭いことを言うようには見えない。颯爽とした青春まっただな
かの勘平である。それだけに、「青春の蹉跌」の虚ろさが感じられる。そ
ういう不安定期の青年のありようを、このところ充実の新之助はしっか
りと演じていた。また、菊之助のお軽は、この時期特有の女性の早熟さ
(=「姐さん性」)を滲ませながら、道行途上の頼り無い青年への気遣い
を感じさせていて、ときにリーダーシップを発揮したりして、失意のあま
り、自殺しかねない恋人への気遣いをみせたりしながら、「恋人の愛」を
感じ取ることができる演技をしていた。良いお軽だ。

 勘平も、伴内が出てくると、恋人に良い所を見せようと、強くなるとこ
ろに初な青年らしさがある。最後に、花道から伴内へ声をかける勘平の
「馬鹿めぇー」は、河内山宗俊や籠を背負った石川五右衛門(宙乗り)の
「馬鹿めぇー」のように、カタルシス(観客も重苦しさが続いた舞台や日
常生活の鬱陶しさに対して、「ふうっ」と息を吐く)がある。さて、今
回、伴内役の十蔵がよい味を出していた。「千本桜」の静御前と狐・忠
信の道行にしろ、この道行にしろ、基本的には、男女の道行を邪魔立てす
る滑稽男の藤太や伴内の登場の場面は、江戸の庶民のお気に入りの場面だ
ろう。テキストの深刻さより、見た目の華やかさ、特に花四天のからみに
よる「所作立て」(所作事のなかの立ち回り)は、何回観ても飽きない。
長い演目の息抜きとして、あるいは、「みどり狂言」として単発演目とし
て、それぞれ如何様にも愉しめるというメリットがあるからだろう。

 舞台が廻る。廻って、廻って、「忠臣蔵」は、実に廻り舞台の機能をフ
ルに回転させる。浅葱幕の振り落としといい、廻り舞台といい、大道具の
機能の魅力をよく知っている。「六段目」与市兵衛内、主な役者の顔ぶれ
が出揃う。勘平(菊五郎)、お軽(菊之助)、お才(芝雀)、源六(松
助)、おかや(田之助)。いずれも理想的な配役だ。私が、3回観た舞台
のなかで、今回がいちばんしっくりする。「六段目」では、「妻の愛」。
お軽とおかやという、ふたりの妻の夫への愛情ぶりが描かれる。

 茶の着物に菊五郎格子の継ぎ当て。勘平が戻って来た。家のなかに源六
やお才という見知らぬ人たちがいる。2度繰り返される勘平の「あのお方
は?」という問答で、会場の笑いを誘う。悲劇の前に笑劇という定番通り
の展開。鴬色の洒落た着付けに替わる勘平。紫の着付けに黒い帯というお
軽の洒落たレベルにあわせる。この場面、登場人物のほとんどが灰色のよ
うなくすんだモノトーンの衣裳のなかで、鴬色の勘平と紫色のおかるの衣
裳は、印象的だ。色彩で歌舞伎がふたりをクローズアップしているのが判
る。お軽は、「道行」の初々しさが消え、猟師・勘平の妻としての落ち着
きもあり、日常化した夫への愛情もあり、夫への献身ぶりが伺える。

 田之助のおかやが良い。夫・与市兵衛の遺体(「五段目」は、佳緑だ
が、「六段目」は、筋書に名前がない。戸板で運ばれたまま、最後まで動
かない。遺体だから、当たり前か)を相手に夫への愛情溢れる演技、そ
れと対照的に誤解に基づく勘平への憎しみを率直にぶつける巧さ。それゆ
えに、後の場面で、死に行く勘平が「疑いは晴れましたか」とさらっと
いう台詞が生きてくる。日本芸術院賞受賞の田之助の周到の演技が光る。

 勘平は、「色に耽ったばっかりに、大事の場所にも居り合わさず」と
いう歌舞伎独特の名台詞(もともとの人形浄瑠璃にはない。三代目尾上菊
五郎の「入れごと」)を七代目らしい菊五郎節で、たっぷり。菊五郎は、
判官役に続く、この日の舞台、2度目の切腹の場面。

 「七段目」。一力茶屋の前半は、「忠臣蔵」全十一段のなかで、最も華
やかな舞台。團十郎が貫禄の由良之助。捌き役(特に、「四段目」)
でありながら、華のある一力茶屋の由良之助。この場面の由良之助が、2
回とも幸四郎だったので、團十郎の由良之助は、なんとも良い。「一力
茶屋の由良之助」は、華のなかにも捌き役が透けて見えなければならな
い。由良之助の「二重性」。そうなると、これを表現できるのは、当代で
は、團十郎、吉右衛門、仁左衛門あたりだろう。吉右衛門は、何故か、
13年前から本興行では演じていない(「四段目」の由良之助は、演じて
いる)。仁左衛門は、おととし、大阪・松竹座で演じているが、私は観て
いない。ふたりの由良之助を観てみたい。

 夫・勘平の、その後の悲劇は知らないまま、夫のためにと、遊廓に身を
売ったお軽。悲劇を知るのは、色っぽい遊女として一力茶屋に馴染んでか
らだ。二階のお軽。梯子で降りてくるときの、「船玉さま」問答。エロチ
ックな問答では、玉三郎のお軽がいちばん色っぽかった。「ええ、覗かん
すな」と言って幸四郎の由良之助を睨んだ玉三郎の台詞が、今回の菊之助
は「そんなこと言わしゃんすな」に替わっていたが、ここは、本来通り、
玉三郎の台詞の方が良い。ここも、お軽の、その後に来る悲劇の前の笑劇
の台詞だからだ。観客の笑いを呼んでおいて、後の悲劇を際立たせると言
う作者の工夫魂胆を大事にしたい(人形浄瑠璃の場合も、同様の台詞があ
るが、エロチックな会話で会場を湧かせている間に、お軽の人形遣いは、
人形を梯子に載せたまま、裏を廻って、上手から平舞台に出てくる。そ
ういう工夫魂胆の仕掛けが、実は、この台詞には隠されている)。

 兄・平右衛門に夫の最後の様子を知らされると、「遊女」お軽には、勘
平という「見えぬ遺体」に対して「妻」お軽としての想像力が沸き上が
る。それは、狂おしいまでの夫への愛の表現として菊之助から迸る。遊
女の色っぽさの下に隠された夫への親愛。お軽の「二重性」。菊之助は、
立女形・雀右衛門、玉三郎、福助に次ぐ、堂々のお軽であったと思う。平
右衛門(辰之助)が、悲劇の告白では、竹本の三味線「チンチンべンベ
ン」の執拗な繰り返しの糸に合わせて熱演。三味線も平右衛門の動きに合
わせる。演技と音の止揚する効果。

 「大序から十一段目」が、新橋演舞場なら、「八段目・九段目」は、歌
舞伎座。十四代目守田勘弥二十七回忌追善興行だけあって、いずれも養子
の玉三郎が中心の舞台。初役・戸無瀬の玉三郎も期待に応えての熱演で見
応えがあった。まず、「八段目・道行旅路の嫁入」では、母・戸無瀬(玉
三郎)、娘・小浪(勘太郎)。舞台は、竹本が「文楽座出演」という人形
浄瑠璃の演出を真似たもので、出語り。背景も、いつもの富士山のある野
遠見ではなく、大きな松の松並木が全面を覆っている(人形なら、松並木
がより大きく見えるだろう)。暫く「置き浄瑠璃」で、舞台は、無人。や
がて、松並木の書割りが、上下(かみしも)にふたつに割れて引き込ま
れ、富士山が真ん中にある、いつもの遠見になる。普通、ふたりは下手か
ら上手に道行をする体だが、今回は、舞台奥から観客席に向かって道行と
いう体。奴も絡まず、人形浄瑠璃の演出を大事にしていると観た。

 「八段目・道行旅路の嫁入」の舞台は、2回目の拝見。「景事(けい
ごと)」と呼ばれる道行の所作事だが、忠臣蔵通し上演のときには、お
軽・勘平の「落人(「道行旅路花聟」)」に押されて、上演されないが、
今回も通し上演の新橋演舞場の舞台からははずされている。悲劇の母娘の
道行で、私はこちらの方が好きだが・・・。前回は、芝翫の戸無瀬と今回
同様、勘太郎の小浪。5年前の舞台だから、勘太郎は、まだ、14歳の中
学生だった。祖父と孫の「共」演ということで、祖父の芝翫の孫への気遣
いが感じられる舞台で、微笑ましかった。

 以来、5年、勘太郎も、秋には20歳。成人間近の花形役者に成長して
きた。今回は、祖父との「共」演ではなく、先輩・玉三郎との「競」
演。玉三郎が軽やかに、雲の上を歩んでいるように踊るのに比べて、勘
太郎は、所作が重い。特に、後ろ姿が固くて、重い。玉三郎のように軽や
かに踊るためには、あと20〜30年ぐらいかかるのかな。今後の精進を
期待したい。「八段目」、「九段目」では、小浪に対する母・戸無瀬(玉
三郎)の娘への愛が描かれ、義母となる大星お石(勘九郎)の一日限りの
嫁への愛が描かれる。「道行旅路の嫁入」では、玉三郎が娘との長旅を気
遣う所作が良い。柔軟さを感じさせる玉三郎の所作のなかに、玉三郎は、
強靱な母の愛を滲ませる。それは、「九段目」への伏線だ。

 背景の遠見が、富士山が見える街道筋から、雲か霧に霞む住家のある城
下町の高台、鈴鹿の石場の遠見、最後は、琵琶湖の見える大津までと、い
つもより細やかな演出。さらに、花道からは、大星由良之助の山科閑居の
場へ道を急ぐふたり。

 「九段目・山科閑居」。舞台下手に木戸。これは、人形浄瑠璃の大道具
とは逆。去年の国立劇場、人形浄瑠璃での忠臣蔵通し上演では、九段目を
前に、七段目の一力茶屋から由良之助が帰ってくる「雪こかし」を観た
後、九段目になった。そのときは、木戸が上手にあった。舞台は、下手に
竹林があり、竹林の向こうは雪の原、遠くに雪山という遠見。大星宅に
は、いつもの漢詩の襖。襖の上の鴨居には槍が懸かっている。舞台は、暫
く無人で、雪が降っている。いつもの竹本の出語り。

 戸無瀬(玉三郎)が駕籠の一行に付き添って花道を出てくる。傘、駕
籠、従者の笠や衣装、荷にそれぞれ雪が積もっている。遠くから来たのだ
ろう。大星宅を探し当て、案内を乞う。下女・りん(松之丞)が剽軽な味
の「チャリ」(滑稽味)で深刻な芝居の出で、笑いをとり、場内を和ませ
る。歌舞伎は、意外とバランスをとる演劇だ。笑わせた後の方が、悲劇性
が高まるのを知っている。戸無瀬の傘の雪は、白布で、傘を畳むと、さ
あっと一気に落ちた。荷の上に積もっていた雪は、厚めの綿。これも、蓋
を開けると、同じように、さあっと落ちた。やがて、駕籠のなかから白無
垢の花嫁衣装の小浪(勘太郎)が出てくる。

 「山科閑居」の前半は、まさに、「女の忠臣蔵」。女形たちの芝居が見
所。悲劇の母を玉三郎は、細部まできちんと演じている。踊りが重かった
勘太郎は悲劇の娘・小浪を白無垢姿でゆるりと演じていて、初々しい。小
浪と力弥の結婚を目指して「熱演」する戸無瀬。打ち掛けの下は赤い衣
装。由良之助女房・お石を勘九郎は、初役ながら過不足無く丹念に演じ
る。こちらも、この結婚問題に対する婿の母、大望を隠す由良之助の妻と
いう二重の立場で「芝居」をする。灰色の衣装。後に、黒の衣装に替わ
る。建前と本音の、女の芝居が衝突する場面だ。白無垢の娘に対して、嫁
入りに命をかける赤い衣裳の母、灰色から、後に黒に着替える義母は、娘
を一夜限りの嫁にしないよう冷たくあしらう。そういうふたりの母の思い
を歌舞伎は、色彩感覚でズバリと表現して、緩怠がない。

 歌舞伎座、この月の勘九郎は、愛嬌のある藤娘、味のある老け役・平
作、女の捌き役ともいうべきお石と、いずれも初役ながら素晴らしい演技
で、見応えがあった。見所の力弥との祝言を断られた戸無瀬が、小浪の首
を持ってきた刀で斬ろうとする場面。このとき、上手の障子の内から「ご
無用」の声が掛かる。勘九郎の声が二度響く。凛と響き、ふたりの母の愛
がひとつになる。ふたりの母の、その「共感」が、観客の共感に繋がる。
後は、「九段目」後半、男たちの「友情」のドラマに引き継がれるが、そ
れは、この論考の目的ではない。

 このあたり、「仮名手本忠臣蔵」の3人の合作者のひとり、並木宗輔の
顔が、江戸の闇のなかから浮かび上がってくる。さまざまな並木宗輔作品
に共通する、彼の「母の愛」思想が伺える。そういう運命の大浪に揉まれ
ながらも、小浪は、力弥(孝太郎)への初々しい愛を表現する。死なれ
て、死なせて。死んで行く男たちの潔さより、生き残る女たちの苦悩。並
木宗輔は、きっと、そういうメッセージを、こうした女たちの愛の表現に
滲ませたと、私は思う。
            (2001年、3月・新橋演舞場、歌舞伎座)



 二幕目 「子どもたちの先代萩」〜ひもじゅうても、ひもじゅうない〜

  歌舞伎の舞台で、これまでに「伽羅先代萩」を5回拝見した。その末
に、私に観えて来たもの。それは、「子どもたちの先代萩」というテーマ
であった。二幕目「足利家奥殿の場」、いわゆる「飯焚き」の場面では、
鶴千代役と千松役の、ふたりの子役が、主役だ。千松が、「お腹がすいて
もひもじゅうない」と言う。今回は、橋本勝也。この子役が、なかなか芸
達者で、巧い。この台詞で、客席から拍手が来た。足利鶴千代の身替わり
に千松が、母で、鶴千代乳母の政岡の命(めい)に応じて、「飯焚き」か
ら食事までに再三、毒味をする場面がある。

 まず、1)お湯の毒味。次いで、2)生の米の毒味(これは、庭に来た
雀の役目。親子の雀は、「飯焚き」を先取りして、なぞるという効果があ
る)。3)炊きあがった握り飯の毒味。4)栄御前が、持って来た毒入り
の菓子の毒味(これを食べて、苦しみ出す千松は、八汐に、何度も刃物で
抉られて殺されてしまう)。冷たい表情で、幼子を殺す八汐。母として、
我が子・千松の命を助けたいのだが、若君の乳母という立場で、お家大事
という思いから、母の愛情を胸中深く押し込める政岡。八汐の刃物で身体
を抉られる度に「あー」「あー」と切な気に声を出す千松。それを厳しい
表情を変えずに耐える政岡。屈指の名場面である。母の愛情とは、厳しい
ものであるというメッセージが伝わって来る。

 こういう畳み掛けるように、叮嚀に子どもの死までの道筋を描くのは、
大人たちのお家騒動の陰で、命を落とす子どもの悲劇を強調し、客席の涙
を、これでもか、これでもかと誘う作者の演出意図があることは、間違い
ない。その上で、私には、大人=武家社会、子ども=庶民の社会という、
構造もダブらせて、武家社会に対する庶民の批判が隠されていると思う。

 「伽羅先代萩」は、もともと伊達騒動という実際にあったお家乗っ取
りの事件を素材にした先行する人形浄瑠璃や歌舞伎の狂言の名場面を集め
て集大成した演目だ。同じ10月、国立劇場で上演した「殿下茶屋聚」の
作者・奈河亀輔らが1777(安永6)年に合作した「伽羅先代萩」。
それを改作した人形浄瑠璃。翌、1778年に桜田治助が書いた書き換え
狂言「伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)」をアレンジしたもの
が、現在は、「伽羅先代萩」という外題で上演されている。それだけに、
この演目に携わった作者たちの「思想」としての武家批判が、「子どもた
ちを先代萩」という形で、象徴されているように私には、思える。

 もう一度、足利家の奥殿の舞台を覗いてみよう。足利幕府管領山名宗全
の奥方・栄御前(田之助)の登場である。山名宗全(芦燕)こそが、お
家騒動の黒幕。仁木弾正(仁左衛門)と 八汐(團十郎)の兄妹は、山
名の意を受けて暗躍しているに過ぎない。政岡(玉三郎)は、八汐、沖
の井(秀太郎)、松島(孝太郎)とともに、栄御前を迎える。

 全員が居所に着いたとき、私の眼に飛び込んで来たものがある。それ
は、豪華な打ち掛けの裏地である。政岡を含めて、ほとんどの裏地が、赤
なのに、八汐と栄御前の裏地が、白なのだ。悪の暗躍グループが、白。善
のグループが、赤。これは、源平合戦以来の、赤旗・白旗、つまり、
「紅白合戦」ではないか。色彩による善悪の区分け。赤面(あかっつら)
の役者は、悪役という歌舞伎の決まりがあるが、そういう歌舞伎独特の善
悪を色彩で区分けする手法が、この場面でも使われているのではないか。
そういう決まり事は、いまの私たちには不明でも、江戸時代の庶民たちに
は、極く常識的な知恵だったのではないか。もし、私の思いつきが正解な
ら、歌舞伎の小屋に詰め掛ける庶民たちは、赤勝て、白勝てというような
運動会の気分で、ものを食べたり、飲んだりしながら、武家社会のお家騒
動の舞台を見物していたのではないか。

 我が子・千松が殺される場面で、表情を変えなかった政岡を誤解して、
栄御前は政岡を味方と思い込み、皆を下がらせた後、一人残った政岡に秘
密を打ち明ける。政岡の策略で千松と鶴千代を入れ替えていたため、殺
されたのは千松ではなく、鶴千代だったのではないかと思い込んだのだ。
そして、一味の連判状を政岡に預けて、満足そうに帰って行く栄御前。花
道を去る田之助の笑みが、そういう思い込みの激しい栄御前の性格を巧く
演じていた。一方、それを見送る政岡の表情の厳しさ。玉三郎の眼の鋭
さ。私が観た6年前の舞台より、充実した玉三郎の演技の象徴は、このと
きの、この眼の鋭さにあると感じた。

 栄御前が向う「揚幕」ならぬ「襖」(この場合、花道は、長い廊下なの
である。だから、いつもの揚幕の代わりに襖が取り付けられている)の
なかに消えると、途端に表情が崩れ我が子・千松を殺された母の激情が迸
る(巧くなったぞ、玉三郎)。誰もいなくなった奥殿には、千松の遺体が
横たわっている。堪えに堪えていた母の愛情が、政岡を突き動かす名場面
である。打ち掛けを千松の遺体に掛ける政岡。打ち掛けを脱いだ後の、真
っ赤な衣装は、我が子を救えなかった母親の血の叫びを現しているのだろ
う。このあたりの歌舞伎の色彩感覚も見事だ。「三千世界に子を持った
親の心は皆ひとつ」という「くどき」の名台詞に、「胴欲非道な母親がま
たと一人あるものか」と竹本が、追い掛け、畳み掛け、観客の涙を搾り取
る。

 そして、企み発覚を悟り、連判状を取りかえそうとした八汐が、政岡に
斬り掛かると、政岡は、その刃物を奪い取って八汐の胸をぐりぐりと抉
る。子の仇を取る母親。多分、江戸の庶民は、千松の仕返しの「ぐりぐ
り」を、もっとやれ、とばかりに声を掛け、積もり積もった溜飲を下げて
いたのではないか。引っぱりの見得で大団円。残酷美を絵に描いたような
幕切れ。この後の「問注所」の場面は、一転して、男の「対決」の舞台
だ。

 「伽羅先代萩」の舞台を観るのは、5回目。95年10月の歌舞伎座が
初見。政岡は、今回同様、玉三郎であった。ほかの政岡は、99年11月
が菊五郎、98年8月が福助、96年10月が雀右衛門、いずれも歌舞伎
座である。4人の政岡。凄みがあったのは、今回の玉三郎。前回、政岡初
演の玉三郎だったが、今回は、特に充実していた。6年間の蓄積が滲み出
ている舞台だ。雀右衛門の政岡は、円熟。菊五郎は、重厚。福助は、初
役で、これからの精進を見届けたいという感じだった。

 一方、憎まれ役の八汐は、3人。今回の八汐は、團十郎だったが、團
十郎の八汐は、2回目、いずれも、玉三郎の政岡を相手にしている。印
象に残る八汐は、何といっても、仁左衛門。孝夫時代と襲名後の2回拝
見。相手の政岡は、菊五郎、雀右衛門であった。八汐は、性根から悪人と
いう女性だが、そういう不敵な本性をいちばん現していたのが、仁左衛門
の演技であった。この人は、藝に華もあるが、凄みもある。そういう意味
で、希有な役者だ。もうひとりの 八汐は、勘九郎で、相手の政岡は、福
助。

 母の愛の政岡、悪の化身の八汐。ふたりの女性のダイナミズムが、
「子どもたちの先代萩」の子どもをクローズアップさせている。
                 (2001年、10月・歌舞伎座)



 三幕目 「狂気の演じ方」〜「連続と断絶」あるいは「蓄積と飛躍」〜

 前回、「摂州合邦辻」の玉手御前は、芝翫であった。この舞台につい
て、拙著「ゆるりと 江戸へ〜遠眼鏡戯場観察〜」のなかで、こう書いて
いる。

 「この時は、西の桟敷席と花道の間の、縦に細長い座席群の後で、花
道の横の席であった。花道の両脇に埋め込まれたライトに明かりが点い
た。『さあ芝翫が出てくるぞ』私は後を振り向いた。近くの席の誰もまだ
後を振り向いたりなどしていない。『鳥屋(とや)』と呼ばれる花道へ出
るための溜まり部屋の揚幕がサッと開かれた。鳥屋にいる、いわば花道へ
の出を待つ芝翫の姿が目に入ったっばかりではない。すっかり玉手御前に
なりきっている、異様な表情の芝翫と視線が合ってしまった。その異様な
表情に負けた私は一瞬目をそらしてしまったが、役になりきっている芝翫
はそろそろと近付いてくる。若い継母で継嗣の俊徳丸と恋仲になっている
という異常な人間関係が展開するドラマの始まりである。玉手御前の芝翫
は虚ろな足取りで花道を左右にヨロヨロしながら私のすぐ横を通り過ぎ、
本舞台に近付いて行く」。

 本では活字になるので、通称「どぶ」と呼ばれる座席群(1等席)
の、俗称を使わなかった。前回は「どぶ」の最後の列の上手側、「よ・
36」(歌舞伎座は、最前列から「いろは」順)の席だった。後は、江
戸時代なら「なかの歩み」と呼ばれた通路で、歌舞伎座の場合、1等席と
2等席の境である。今回は、「を・38」の席だから、前回より3列前
の、2つ下手に寄った席で、まあ、ほぼ前回同様のポジションなので、前
回と同様のことを観ようと、私は待ち構えていた。

 ライトが点いた。花道の、このライトをフットライトという。花道を歩
く役者の足元を照らすと言うわけだ。前回は芝翫が出てくるぞと、思って
いたら、いきなり玉手御前と遭遇して、吃驚したわけだが、今回は、ど
うか。私は、後を振り向いた。鳥屋の揚幕がサッと開かれた。だが、鳥
屋のなかは、見えない。暫くして役者が出て来た。
 玉手御前か、菊五郎か。

 「菊五郎が出てきた」。異様な表情でもなかっった。いつもの菊五郎の
視線であった。菊五郎の玉手御前は、「虚ろな足取りで花道を左右にヨロ
ヨロ」せず、颯爽とした足取りで、私の近くの「横を通り過ぎ、本舞台に
近付いて行く」ではないか。いやあ、違うんじゃないの菊五郎さん、と
私は心のなかで叫んでいた。

 引きちぎった片袖を頭巾代わりにした玉手御前は、竹本の「しんしんた
る夜の道、恋の道には暗からねど、気は烏羽玉の玉手御前、俊徳丸の御行
衛、尋ねかねつつ人目をば、忍び兼ねたる頬冠り」とあるように、暗い夜
道を烏の羽のような暗い気持ちで人目を忍んで、そっと歩いてくる場面で
はないか。菊五郎は、10年前にも玉手御前を演じている。菊五郎は、
「僕は玉手は俊徳丸に本当に惚れていて、それだからこそ自分の命を捨て
て助けたと思ってるんです」と語っているが、まあ、いろいろ解釈ができ
る演目だから、どう工夫して演じても良いわけだけれど、「物語」の伝え
るイメージを思えば、私は10年ぶりに玉手御前を演じた菊五郎よりも、
5年前に初役で演じた芝翫の方が、この場面は正解なような気がする。

 花道の出という短い場面だけで、長いこと語り過ぎたかも知れない。先
を急ごう。いつものように、劇場内でメモした記録を元にウオッチングを
辿りたい。大坂天王寺西門にある合邦道心(團十郎)の庵室。道心の妻・
おとく(田之助)が、講中の人たちを招いて、玉手御前こと娘・辻が継嗣
の息子・俊徳丸に邪恋をしかけ、殺されたと思っているので、亡き娘の回
向をしてもらっている。講中の人たちとのやり取り、講中の人たちを木戸
から送り出す場面という、なんらドラマチックではない場面だが、ここの
田之助が良い。亡くなったと思っている娘への心遣いが、所作の端々に
出ているように私には観えた。田之助は、足が悪いが、そういう身体的な
ハンディキャップさえ、おとくその人のハンディキャップのように自然
で、リアリティが感じられた。木戸を閉めて座敷に上がる場面で、偶然、
脱ぎ捨てた草履が乱れたが、そういう場面さえ、自然に娘への思いの乱れ
のための計算された演技のように観えた。

 合邦道心の團十郎も、私が観た前回の舞台の羽左衛門と比べてしまう。
当代の歌舞伎界の芯になる菊五郎と團十郎だが、私の眼には、菊五郎より
芝翫が良く映ったように、團十郎より羽左衛門が良く映った。合邦は難し
い役だ。親の跡目を継いで、一旦は大名になったのが、讒言されて落ちぶ
れて、坊主になり、閻魔堂建立を願って活動をしている頑固な老人だ。そ
ういう複雑な人格の合邦を羽左衛門は、本興行の舞台だけでも8回演じて
いる。それと彼の風格は、こういう役柄にぴったりだ(その羽左衛門の舞
台は、もう、観ることができない)。それと比べると初役の團十郎の合邦
は、スマートすぎ、重層構造が出ていないような気がした。羽左衛門と芝
翫の父娘に比較すると、團十郎と菊五郎の父娘は、ひとまわり小さく、私
には観えた。

 これにおとくの田之助を加えると、今回は田之助だけが、足を地につけ
ていて、團十郎と菊五郎は、足が地に着いていないように見受けられた。
そういう視点で、前回の舞台を思い浮かべると、前回のおとくは又五郎で
あったが、あまり印象に残っていない。羽左衛門と芝翫の陰で、印象が薄
れてしまったのかもしれない。今回とは、逆に。まあ、だから、歌舞伎と
いうものは、おもしろいのかも知れない。歌舞伎は、本当に一筋縄ではい
かない怪物(モンスター)というわけだ。

 ところで、「摂州合邦辻」は、外題も役名も皆地名だという。大阪市天
王寺区逢阪下之町、天王寺の西門から逢阪を西へ下ったところにあるコン
クリート造りの小さなお堂がいまもあるという。「合邦が辻」の閻魔堂
だ。そこから下へおりる小さな石段があるのが合邦が辻で、さらにそこか
ら天王寺公園の方に広い坂を下ると、左側に「玉手水旧跡」の碑があると
いう。近くの高台には、新清水清光院という寺があり、その北側の坂の下
には、「浅香ノ清水」というのがあるという。地名から物語が生まれ、役
名も決める。そういう人形浄瑠璃の作者の工夫魂胆が伺える。

 だから、舞台下手の、おとくが、やがて、火を入れることになる一本柱
の釣灯籠も、それがあるだけで、合邦が辻というロケーションを示すと共
に、竹本の出語りの「しんしんたる夜の道」を照らす、ほのかな明かりを
実感させることになる。歌舞伎の大道具の使い方の巧妙さを感じる。

 さて、この物語は、「狂気」の物語であった。義理の母・玉手御前が、
先妻の息子に抱く恋心も狂気なら、父・合邦が玉手御前こと、娘の辻を殺
すのも狂気だ。玉手御前は、後妻とは言え、20代の若い女性、原作で
は、お家騒動が前半の要で、お家大事と、「策略」で邪心ならぬ「邪
恋」を企むという設定になっているが、菊五郎は、先に引用したように
「真実の恋」説だと言う。もともといろいろ解釈される原作で、そのあた
りの問題点は、作者論ともあわせて別途触れるが、さは、さりながら義母
から逃げた俊徳丸(新之助)を追って実家へ立ち寄ると、乞食に身を落と
した病身の俊徳丸が、合邦に助けられ、妻の浅香姫(菊之助)といっし
ょに実家に身を隠しているという荒唐無稽さ。

 玉手御前は、この場面で「くどき」=「口説き」という女形の長台詞を
2度言う。母・おとくへの告白、俊徳丸、浅香姫らへの嫉妬だが、本心を
隠しているという二重性のある難しい台詞だ。玉手御前という「母」
と辻という「娘」の二重性という「狂気の装い」に対して、父親としての
合邦の怒りが、娘を殺すという狂気になり、娘に斬り付ける。その挙げ句
の「もどり」で、手負いの身体で本心を明かす玉手御前。確かに難しい演
技だ。

 折口信夫は、「玉手御前の恋」という文章のなかで、この狂言の原作者
菅専助、若竹笛躬のふたりに触れている。長くなるが、引用してみよう。

 「口説き」の文句は、文章として読んでしまうと、「何の『へんてつ』
(原文では、傍点)もない文句なのである。でも幸福なことに、我々は
浄瑠璃の節を聞き知つているので、ただ読んでも、記憶の中に、ここの
『よさ』(同前)が甦って来る。浄瑠璃の文句は一体に、皆そうだと言へ
る。(略)何もない所からある節を模索して来る。節づけの面白さは、こ
こに発現する。(略)類型を辿って、前の行き方をなぞると言ふ方が、多
いのであらう。(略)それと同じ様な事が、浄瑠璃の作者の場合にもあ
る。一体浄瑠璃作者などは、唯ひとり近松は別であるが、あとは誰も彼
も、さのみ高い才能を持つた人とは思はれぬのが多い人がらの事は、一
口に言つてはわるいが、教養については、どう見てもありそうでない。
(略)さう言ふ連衆が、段々書いている中に、珍しい事件を書き上げ、更
に、非常に戯曲的に効果の深い性格を発見して来る。論より証拠、此合邦
の作者など、菅専助にしても、若竹笛躬にしても、凡庸きはまる作者で、
熟練だけで書いている、何の『とりえ』(同前)もない作者だが、しかも
この浄瑠璃で、玉手御前と言ふ人の性格をこれ程に書いている。前の段の
あたりまでは、まだごく平凡な性格しか書けていないのに、此段へ来て、
俄然として玉手御前の性格が昇って来る。此は、凡庸の人にでも、文学の
魂が憑いて来ると言つたらよいのだろうか。併し事実はさう神秘的に考え
る事はない。平凡に言ふと、浄瑠璃作者の戯曲を書く態度は、類型を重ね
て行く事であつた。彼等が出来る最正しい態度は、類型の上に類型を積ん
で行く事であつた。我々から言へば、最いけない態度であると思つている
事であるのに、彼等は、昔の人の書いた型の上に、自分達の書くものを、
重ねて行った。それが彼等の文章道に於ける道徳であつた」。

 つまり、職人芸で、先達の教えを守り、いわば先達そっくりに手法を守
ることが、ときとして、こういう「連鎖と断絶」あるいは「蓄積と飛躍」
のような効果を生み出すことを知っているのである。

 さらに、折口は書く。「次の人がその類型の上に、その類型に拠つて書
くので、たとひ作者がつまらぬ人でも、其類型の上にかさねて行くと、前
のものの権威を尊重して書く為に新しいものは前のものよりも、一段も二
段も上のものになる事が多い」と。必ずしも、類型の上に、類型を重ねれ
ば、良いものができるとは思えないが、ひょんなことから、そういうもの
が突然変異のように現れる可能性はあるだろう。伝統と創造との関係は、
そういうものだろう。

 「併し作者が凡庸である場合には、却つて、すこしづつよくなる事もあ
る。玉手御前の場合は、おそらく、それであつたと思はれる」と折口は、
推論する。そういう幸福な作品が、「摂州合邦辻」の「合邦庵室の場」で
あろう。荒唐無稽さ、類型さの「蓄積と飛躍」と言えば、ひとり浄瑠璃ば
かりではない、歌舞伎役者の演技も同じだろう。つまり、職人芸の極みと
しての、伝承と洗練、それが歌舞伎の歴史の隅々に生き残っている。

 この、いわば「狂気」のドラマでは、狂気でない人を探す方が難しい。
その数少ない「正気」の登場人物が、合邦の妻であり、辻の母であるおと
くであり、俊徳丸の消息を訪ねてやって来た高安家の若党入平(左團次)
であろう。ふたりの「正気」の、この場面での役割は、多くの狂気の人た
ちの、まさに「狂気」を際立たせるということである。

 その狂気の極みの果ての、「もどり」というトリック。観客たちは、ト
リックを知りながら、「騙された振り」をしている。父親に斬り付けられ
たとは言え、玉手御前は「寅年、寅の月、寅の刻生まれ」の自分の肝臓の
生き血を毒を盛ったときの鮑の盃に入れて飲めば、俊徳丸の業病は治癒す
ると言う。その上で、女形としては珍しい切腹をして息絶える玉手御前。
トリックに驚くのは、登場人物ばかり、観客は、優しく「騙された振り」
をしている。そういうなれ合いの果ての戯曲が、何回見ても飽きないとい
う歌舞伎の面妖さ。それが、歌舞伎の悪賢い魅力なのだろう。

 菊五郎の玉手御前としての「切腹」の場面を観ていると3月の「忠臣
蔵」で、菊五郎は、一日に塩冶判官、勘平として2度も切腹をしたのを思
い出した。我が身を捨てて他人を助ける。身替わりのトリック(「熊
谷陣屋」や「寺子屋」などが、すぐに浮かんで来る)も、浄瑠璃や歌舞伎
が、良く使う手法だが、こういう「類型の上塗り」という浄瑠璃や歌舞伎
の特性だと主張する折口の文章には、説得力がある。
               (2001年、5月・歌舞伎座)(了)
 
著作権者=大原 雄・注)電子ブックとしての文字の大きさ、レイアウト
などは、日本ペンクラブ「電子文藝館」版をオリジナルとする。
                               





- 2001年12月10日(月) 21:55:50
2001年 11月 ・ 歌舞伎座
(夜/「良弁杉由来」「茨木」「恋飛脚大和往来〜新口村〜」「供奴」)

顔見世月の歌舞伎座は、玄関前に菰被り酒樽が「積物」として、積み上げ
られている。玄関の上には、年に一度の櫓が立っている。劇場前は、独
特の雰囲気。後は、正月の華やいだ場内。初午の稲荷神社前の賑わい。こ
の3回は、歌舞伎座が、大江戸の雰囲気に近付くときだ。

「良弁杉由来」は、2回目。98年9月、歌舞伎座で観ている。良弁は、
梅玉、今回は、菊五郎。渚の方は、芝翫、今回は、鴈治郎。前回との大き
な違いは、今回は、「二月堂」だけでなく、「志賀の里」「桜の宮物狂
い」の場面があり、幼子・光丸が、鷲にさらわれ、それを追って、母親・
渚の方が物狂いになった様が判るようになっている。幼子は、鴈治郎の
孫、扇雀の長男・林虎之介の初お目見得。

早春の茶畑、志賀の里の景色。領主・水無瀬左近は、菅原道真の後を追っ
て、自害。奥方の渚の方は、若後家。三歳の遺児を連れて、仏詣に来てい
る。突然の比叡颪が襲う。鷲にさらわれる幼子。夫の忘れ形見を奪われ、
乱心する渚の方。「床」のまま、御簾を揚げての二連の出語りで、場面を
盛り上げる。

暗転の後、舞台は、桜が爛漫と咲く桜宮。子どもたちにからかわれる狂女
は、渚の方。明治時代の初演された人形浄瑠璃だが、作者不詳。歌舞伎化
した作者も不詳と言うから、宮地芝居で演じられたのだろう。「良弁伝
説」を元に、江戸時代から伝わる「梅若伝説」をダブらせた演目だろう。
子どもを奪われ(あるいは、さらわれ)物狂いとなった「梅若伝説」の
母親像と、成人しても消息の知れない母親への愛を忘れない良弁。渚の方
は、紫の左鉢巻きに、桃色の衣装、紫の打掛という典型的な「物狂い」の
装い。

「二月堂」の場面は、定式幕が引かれると、浅葱幕。今回は、こういう演
出の舞台が続く。竹本は、山台での出語り。大きな二月堂の前には、杉
の大木。そこに張り紙がある。早速、双眼鏡でウオッチング。今回は、2
階席の最前列(い・28)で、ほぼ真ん中という位置。「近江の国志賀の
里宮塚・・・・」などと読める。鷲に取られた光丸を長年探している旨の
張り紙で、正気に戻った渚の方が張り付けたものと知れ、30年、離れば
なれになっていた母と子が再会を果たすという話。高僧が、実は、乞食女
の息子だった。30年ぶりに母子の対面が実現した。高僧は、母を大事に
した。そういう単純なストーリ−なので、役者の藝と風格で見せる舞台だ。

前回、芝翫の渚の方が、巧かった。芝翫は、何処から観ても小柄な老婆以
外の者ではなかった。花道の出で、全身が老婆になっていた。今回の鴈治
郎が、それをどう演じるか、それだけを愉しみに舞台に向かっていた。良
弁大僧正(菊五郎)が、大勢の僧や法師、供侍を引き連れている。僧や法
師らは、この舞台では、ほとんど背景になっている。良弁は、梅玉より菊
五郎の方が、風格がある。梅より菊か。

やがて、みすぼらしい乞食女の老婆が、花道に出てくる。さすが、鴈治郎
だけに、太めの身体を小さく見せている。しかし、芝翫の枯れ果てたよう
な、萎んだような老婆の感じには、達していない。それが、全てを決める
という、ある意味では、恐い舞台だ。

「茨木」は、初見。今度は、その芝翫が、登場。渡辺綱(富十郎代役の仁
左衛門)の伯母・真柴、実は、茨木童子を演じる。こちらも、老婆だが、
枯れ果ててなどいない。外に溢れ出ようとする茨木童子の正体を小さな身
体のなかに、いわば、封じ込めながらの演技である。ともすると、真柴の
身体を裂き破って、茨木童子が噴出してこないとも限らないというエネル
ギーを秘めていなければならない役だろう。明治時代の河竹黙阿弥作で、
五代目菊五郎が制定した「新古演劇十種」のひとつ。

笠を背負い、杖をついて老女が、花道を出てくる。杖の持つ位置を変える
際、杖を地面に立てたまま、杖を握る手を少し緩めては、杖に沿って、手
を移動させるという不自然な動作をする。よく見ると、この老女には、左
手がないのだ。だから、右手だけで、このような動作をしないと杖の位置
を持ち変えることができないというわけだ。

羅生門の鬼から、左の腕を斬り取った渡辺綱は、自宅の門を固く閉ざし
て、物忌みを執り行っている。家臣・宇源太(信二郎)が、仁左衛門の渡
辺綱の警護についている。爽やかな二人の美丈夫の舞台。物忌み6日目、
門の外に、伯母・真柴が訪ねてきたのだ。門の外での真柴の「くどき」。
物忌みの最中だからと、一旦、面会を断るが、そこは、恩ある伯母とあっ
て、綱は、門を開け、とぼとぼと花道を戻りかけた伯母を呼び戻してしま
う。門を開いたことで、物忌みの「結界」は、破られたことになる。後
の展開を示唆する。

物忌みは、中断。酒宴となり、舞となる。真柴も、所望されて、一さし、
舞う。片腕を無くしている茨木童子と真柴の二重性を小さな身体に閉じこ
めているだけに、春夏秋冬の景色を唄い、そして、舞いながら、ときど
き、ぼろが出て、扇を取り落とす。また、この舞は、伯母・真柴が、徐
々に溶け始め、茨木童子の本性が、姿を現すプロセスでもある。「もの
のけ度」が、濃くなってくる。それを歌舞伎は、真柴の舞の所作に合わせ
て、笛の音で表現する。

やがて、綱に持ちかけ、唐櫃に隠されていた鬼の左腕を見せて貰う真柴。
形相が見る見る変わった後、片腕をつかみ取る茨木童子。ドラマのクライ
マックス。表情を闊達に変える芝翫。さすが、巧い。鬼に変化した真柴を
追って、渡辺綱も退席。

「後(のち)ジテ」への繋ぎに間の踊り。左團次、彦三郎、二代目亀鶴の
3人の士卒が、踊る。舞台奧の四拍子が、全員横を向いて演奏をする。

隈取りをして本性を顕わした茨木童子は、綱との立ち回りもなんのその、
奪い取った左腕を右手に持ったまま、空中高く飛び去る。芝翫の小股の動
きが、迅速さを表す。刀を抜いて、逃げた茨木童子を睨む渡辺綱の見得。
大股開きが、仁左衛門の身体をいちだんと大きく見せる。幕外になると、
茨木童子は、片手だけの「変化六法(方)」を踏んで引っ込んで行く。大
の仁左衛門、小の芝翫のコントラストで、見応えがあった。能仕立ての舞
踊劇だが、原曲は、能では無く、長唄の「綱館」が原作だという。

「恋飛脚大和往来〜新口村〜」は、昼の部の「封印切」の続編。公金を横
領した忠兵衛は、身請けをした梅川をつれて、実家のある大和の新口村
へ、逃避行。「跡は野となれ大和路へ、足に任せて」とは、「封印切」の
幕切れに近い場面の竹本の文句。「新口村」は、5年前の6月、歌舞伎座
で観ている。このときは、孝夫時代の仁左衛門の忠兵衛と父・孫右衛門の
二役。梅川は、玉三郎だった。今回は、孝太郎。まあ、綺麗なのは、
「孝・玉」の舞台だろうが、受け口の孝太郎の梅川も可愛らしい。

この舞台も、定式幕が引かれると、浅葱幕。竹本は、山台での出語り。無
人の舞台が、暫く続き、やがて、浅葱幕の振り落とし。一枚の茣蓙で上半
身を隠した梅川・忠兵衛。「比翼」という揃いの黒い衣装の裾に梅の枝の
模様が描かれている(但し、裏地は、梅川は、桃色、忠兵衛は、水色)。
二人とも「道行」の定式どおりに、雪のなかにもかかわらず、素足だ。雪
の林に囲まれた百姓家がある。孫右衛門の家来同然の忠三郎の家だ。逃
避行の一夜の宿りを頼みに来た。納屋には、簑、笠、農機具に混じっ
て、大根や柿が干してある。梅川の凍えて冷たくなった手を忠兵衛が両手
に包み込んで温める。それでも、寒い。竹本の文句が綺麗だ。「暖められ
つ暖めつ」。日本語の簡潔さ。いつしか、抱き合う二人。忠三郎の女房
(鐵之助)の、履いている黒足袋と下駄が、素足の逃亡者二人の哀れさを
雪布の舞台が対比する。小屋に入る二人。

やがて、忠兵衛孫右衛門への二役早替わりの場合の入れごと。新年を寿ぐ
万歳(秀調)と才蔵(男寅)が、やってくる。足袋に下駄を履いている。
二人に行き会った百姓の水右衛門(権一)のお家繁盛、長寿を寿ぐやりと
りがある。水右衛門は、藁靴を履いている。この場面、山台での竹本は、
二連になる。小屋の窓を少しだけ開け、外の様子を窺う梅川・忠兵衛。上
方の演出では、この場面、忠兵衛が、誰は誰某と故郷の知り合いを梅川に
教えていると言う(今回、そこまで気が付かなかったが、たびたび、窓
をそっと開けるのは、仁左衛門扮する忠兵衛は、「まだ、ここにいるよ」
という仁左衛門の孫右衛門への二役「早替わり」を印象づけるための伏線
ではあるだろう)。忠兵衛は、代役になっているのだろうが、仁左衛門の
ようにも見えるところが大事だ。

花道から孫右衛門登場。「わたしゃ嫁の梅川でござんすわいなあ」。
だが、逃避行の梅川・忠兵衛は、直接、孫右衛門に声を掛けたくても掛け
られない。窓から顔を出す二人。ところが、本舞台まで来た孫右衛門は、
雪道に転んで、下駄の鼻緒が切れる。あわてて、飛び出す梅川。鼻緒をす
げ替える。やがて、この女性を梅川と知り、息子・忠兵衛も近くにいるこ
とを知る父。孫右衛門の嘆きと梅川の口説き。竹本の言葉の美しさ。

「丸本物」らしく、役者の台詞と竹本の語りが、ダブってくる。顔を見な
ければ、逢ったことにはならないだろうと梅川は、孫右衛門に目隠し、忠
兵衛に頬被りをさせて、父親に逢わせる。「めんない千鳥」という演出。
両者の手と手が、互いを「見つめる」(「恋飛脚大和往来」は、全編「手
の美学」がある)。ストリートしては、そういう理屈付けだが、舞台とし
ては、忠兵衛の代役をあくまでも忠兵衛役者(この場合は、仁左衛門)ら
しく見せる狂言作者の工夫魂胆と観た。白い雪一色の世界に、黒の揃いの
衣装の梅川・忠兵衛。茶色い衣装の孫右衛門。手拭いや頬被りの白い色
も、巧く使われている。モノトーンの美学。

さて、今回、この場面の忠兵衛役が、あまりにも仁左衛門にそっくりであ
った。普通なら、忠兵衛役者は、後ろ姿や横顔をチラチラとしか見せない
演出になるはずなのに、今回は、何回も正面を向いたりして、顔を見せて
いる。私も、二階席の最前列から双眼鏡で何度も確かめたが、仁左衛門に
観えてしょうがない。孫右衛門は、老け役の化粧をした仁左衛門(これ
が、実に良い)なのに、忠兵衛も、仁左衛門に観える。そこで、片岡門下
の役者衆のチェックを試みた。以下、その推理結果。

1)まず、筋書に掲載されている顔写真でチェック。片岡一門の、今月の
出演者のうち、主な役者を除くと、名題クラスが、2人。嶋之丞(女
形)、松之助。そのほかが、5人。燕一(女形)、千蔵、たか志、松三
郎、松次郎。私が、舞台の顔を知っている嶋之丞、松之助は、違う。す
ると、残りは、5人だが、このうち、顔の輪郭や目元などが、仁左衛門に
似ていて、「化けられる」と思われるのは、松次郎ではないかと思われた。

2)これに加えて、「体格」がチェクできれば、もう少しはっきりするだ
ろうと思い、「歌舞伎俳優名鑑」で調べてみた。まず、この「名鑑」
が、身長体重を正しく載せているというのが、前提条件になる。それによ
ると、片岡仁左衛門は、身長177センチ、体重60キロとある。嶋之丞
などの女形は、小柄だ。立役の松之助は、173センチだが、体重の方は
80キロある。身長、体重が載っていない人もいる。千蔵などは、身体関
係の情報は、A型と血液型しか掲載していない。松三郎も体格が判らな
い。与えられた情報で、体格がいちばん仁左衛門に近いのは、7人のなか
では、たか志で、174センチ、58キロである。舞台の代役は、体格の
類似がいちばん大事というのなら、代役は、たか志だろうか。しかし、た
か志は、顎の形が、あまりにも仁左衛門とは、違いすぎる。

3)、更に、筋書に顔写真が載ると、給金が貰えると聞いた。従って、顔
写真のある役者は、原則的に舞台に出ている筈。但し、ベテランの大部屋
役者で、舞台に出ていないが、給金が出るので、顔写真を掲載するという
ケースがありるという。「人頭(にんとう)」という、楽屋の言葉がある
そうだが、これが、それにあたる。ことしの6月に亡くなった中村時枝
は、ときどき、「人頭」の月もあったと聞いた。楽屋で師匠の手助けをす
るようだ。今月の歌舞伎座の場合、坂東鶴枝などが、それにあたると思わ
れる。先の片岡一門の場合、一人を除いて、皆、筋書の演目ごとに役名が
掲載されている。顔写真で、似ていると思われる松三郎は、太鼓持ちと駕
籠かきの役だ。

役名がないまま、顔写真が掲載されていて、「人頭」待遇されるような
「ベテラン」ではない役者は、いないか。いた。それは、千蔵であっ
た。しかし、千蔵は、仁左衛門とは、まず、目元が全然違う。だから、先
の顔写真チェックでは、はずしたのだが、よく見ると、顔の輪郭は、似
ている。体格は、血液型しか判らない。目元は、化粧でなんとでもなると
すれば・・・、ということで、私の結論。仁左衛門に観える忠兵衛役者
は、片岡千蔵と推理したというわけだ。但し、今度、彼が役名のつく役を
したときに、177センチ、60キロの仁左衛門の体格に似ているかどう
かで、最終的に特定してみようと思うが、如何だろうか。

贅言:そう言えば、「あるときは、タクシードライバー、あるときは、マ
ドロス」などと逝って、かって早替りで何役も演じる「片岡千恵蔵(ちえ
ぞう)」という映画俳優がいたが、30歳の「片岡千蔵(せんぞう)」
は、なにか、関係があるのかどうか。千蔵の師匠は、十三代目仁左衛門、
秀太郎とある。

どの役者にも、こういう早替わりの役が、廻ってくるわけだが、それぞれ
の一門で、主に顔や体格が似ている、いわば「早替わりの代役」という役
者を育てているのだろうか。例えば、猿之助など。機会があったら、調
べてみたい。

さて、舞台の方は、やがて、百姓家の屋体が、上下に、二つに割れて、竹
林越しの御所(ごぜ)街道の遠見の早替わりする。新口村の道標、地蔵な
ど、村はずれの体。黒衣に替わって、白い衣装の雪衣(ゆきご)が、手
助け。逃げて行く梅川・忠兵衛は、子役の遠見。ヒヒと降る雪。雪音を表
す太鼓が、どんどんどんどんと、鳴る。時の鐘も加わる。地獄への逃避
行。この場面は、極彩色がお得意の歌舞伎の数ある舞台のなかで、モノト
ーンながら、最も美しい場面だと私は、いつも思う。梅川・忠兵衛の見た
末期の景色だから、美しいのかも知れない。ところが、「三千歳直侍」同
様、捕まって殺されたのは、男の方で、三千歳が長生きしたように、梅
川も命長らえて、京の伏見に庵を結んだらしい。

「供奴」は、2回目。前回は、4年前の8月、歌舞伎座。歌舞伎界でも名
うての踊り上手の坂東八十助(当時)で、いまの三津五郎。今回は、来
年、松緑を襲名する辰之助。辰之助最後の歌舞伎座の舞台。

これは、奴・辰平が、江戸の遊郭・吉原で、自分の主人の自慢や自分の奉
公ぶりを所作で見せているうちに、廓通いの主人とはぐれるという趣向の
舞踊。元禄以来のかぶき者の風俗が判るような鷹揚な振りが大事。足拍子
の巧さで定評のあった二代目芝翫(後の四代目歌右衛門)に合わせて創ら
れたという。だから、別名「芝翫奴」という外題もある。奴が、花道から
持って出て来る箱提灯に描かれた定紋は、歌右衛門・芝翫の「祇園守」。

八十助は、さすが、巧かった。特に、「足拍子」は、最大の見せ場。強
弱のリズム。間と拍子。手足の動きが激しいから、芯になる身体が踊りを
踊っていないと、手足だけの動きになってしまう。ここを巧くやらない
と、踊りではなくなる。体操になってしまう。さて、辰之助の踊りだが、
一所懸命やればやるほど、この人は、体操になってしまう。難しい踊り
だ。もっと、柔らかい所作ができないものかと思ってしまう。動きが、所
作ではなく、動作になってしまっている。松緑襲名後の、精進が待たれ
る。

- 2001年11月29日(木) 7:47:27
2001年 11月 ・ 歌舞伎座(昼/「宮島のだんまり」「鬼一法眼
三略巻〜菊畑〜」「戻駕色相肩」「恋飛脚大和往来〜封印切〜」)

今回は、歌舞伎のお正月。顔見世月。「吉例顔見世大歌舞伎」興行である。
歌舞伎座には、積物の菰樽が、堆く積み上げられ、玄関の上には、櫓が上
がっている。昼の部では、「戻駕色相肩」のみ初見。中村芳彦が、父親の
中村亀鶴二代目を襲名する舞台でもある。屋号も中村富十郎の「天王寺屋」
から離れ、父の「八幡屋」になる。肝腎の後見人・富十郎が、今月途中か
ら病気休演となり、「戻駕色相肩」の舞台での襲名披露(「劇中口上」)
も、二代目亀鶴を挟んで、上手に中村鴈治郎、本来なら下手に富十郎が居
て、両者から紹介があるのだろうが、私が見たのは、富十郎代役の市川左
團次であり、挨拶も鴈治郎ひとりだけで、若干、寂しい口上であった。

「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」は、常磐津の舞踊劇。定
式幕が引かれると、舞台一面浅葱幕。無人の舞台で、常磐津の「置(お
き)」。浅葱幕の振り落としで、舞台は、菜の花畑の桜も満開という洛
北・紫野に早替り。浪花の次郎作、実は、石川五右衛門(左團次)と吾妻
の与四郎、実は、真柴久吉(鴈治郎)という、とんでもない駕篭かき二人
が、紫野まで、島原遊廓からの戻り駕篭を担いで来た。駕篭には、愛らし
い禿・たより(二代目亀鶴)が乗っている。小車太夫にお使いを頼まれ
た。浪花と吾妻の駕篭かきが、京で、大坂と江戸の自慢をするという趣向
で、舞台は始まる。従って、駕篭かき二人は、江戸と大坂の気質の違いを
踊りで表現しなければならない。

駕篭からおりてきた禿を含めて、やがて、三人で京、大坂、江戸の三都の
郭自慢になる。「悪身(わりみ)」という、男が女の振りをする滑稽な振
りなどをまじえながら、踊る。そのうちに、興が乗り、懐から一巻の系図
を落とす次郎作(五右衛門)、同じく小田家の重宝、千鳥の香炉落とす与
四郎(久吉)。お互いの正体を知り、詰め寄る二人。慌てて間に入った
禿の機転で取りあえず、この場は納まり、二人の大見得で幕。

ストーリーを紹介すると荒唐無稽で、たわいないが、背景の春爛漫の景色
に、浅葱頭巾に白塗り、柿色頭巾に赤面、という二人に加えて、赤い振袖
の禿という絵画美が身上の舞台。趣向の奇抜さと洒落っ気たっぷりの天明
期の歌舞伎舞踊の特色を伝える。「忠臣蔵・五段目」の定九郎を工夫した
ことで知られる初代中村仲蔵らが初演。上方に修業に行っていた仲蔵が、
江戸に帰って来たから「浪花の次郎作」であり、「戻り」なのだ。

小車太夫が客に贈る羽織を届ける禿・たよりは、言付かって駕篭に乗って
いたわけだが、これを使って武士の見立てで「丹前六法」の振りを演じる
浪花の次郎作。さらに、この羽織を次郎作と与四郎の二人が着て、いわ
ば、二人羽織で、三味線を引く趣向を見せる。

二代目亀鶴は、長身であり、若衆姿などをさせると、すっきりしていて綺
麗なのだが、禿などをやらせると、その長身が障害になる。本人も自覚し
ているようで、座るときには、足の間に腰を落とし、さらに、上半身を斜
め後ろにそらし、小さく見せようとするのだが、それがなんとも不自然
で、興を削ぐ。

「宮島のだんまり」は、2回目。4年前の97年11月、歌舞伎座で拝
見。傾城・浮舟、実は盗賊・袈裟太郎が、藤十郎(今回:時蔵)、平清盛
が、彦三郎(今回:左團次)、畠山重忠が、歌昇(今回:彦三郎)、
大江広元が、正之助(今回:歌昇)。初めての「時代だんまり」の拝見で
あり、すっかり、魅了されたのを覚えている。「お目見得だんまり」と
して、興行の初めに、一座の中核になる役者を紹介する演目として、人
気があったという。動くブロマイドというわけだ。

ストーリ−は、他愛無い。8人から10人が、平家の赤旗や巻物を争奪す
る様を、極彩色の絵巻のような「だんまり」というパントマイムで見せる
という趣向。定式幕が引かれると、浪幕が舞台を覆っている。荒事らし
く、大薩摩も幕前で、演じられる。今回、私の席は、1階5列目で、大
薩摩を演じる柏 伊千之丞は、真正面である。やがて、浪幕の振り落と
し。大きな消し幕を使っての、傾城・浮舟ら3人のセリ上がりという趣向
で、舞台は、端(はな)っから古色蒼然という愉しさ。黒幕をバックにし
た宮島は、真っ暗闇。

傾城・浮舟、実は盗賊・袈裟太郎の時蔵が、お目当て。天紅の「恋文」を
持った浮舟の時蔵は、古風な雰囲気で、なかなか良い。「だんまり」と
いう暗闘のうちに、浮舟は、大きな石灯籠のなかに姿を隠す。替って、左
團次の平清盛らが、暗闘に加わる。やがて、舞台中央、浮舟が、舟に乗っ
て現れ、舟とともに沈んで消える。暗闘のなか、長い赤旗が、力者の手で
舞台上手から下手に拡げられて行く。だんまりの役者たちが、長い赤旗を
手に取る。やがて、赤旗も石灯籠のなかに消えると、舞台の背景は、黒
幕が落とされて、夜が明ける。宮島の朝の遠見へと変わる。一同、絵面の
見得をするうちに、幕。

幕外、花道、スッポンから袈裟太郎として、正体を現した時蔵は、「差し
出し」の面明かりを使っての出。古風な味を大事にした演出が続く。盗
賊と傾城という二重性を上半身と下半身で分けて演じるという難しさが、
この役にはある。手の六法と足元の八文字が、男と女の化身の象徴だと、
観客に判らせなければならない。時蔵は、いつもより、丹念な演技で、難
役を無事勤め上げた。

「鬼一法眼三略巻〜菊畑〜」は、3回目。虎蔵、実は、牛若丸では、勘
九郎、芝翫、今回が菊五郎。知恵内、実は、鬼三太では、富十郎、團十
郎、仁左衛門。皆鶴姫では、時蔵、雀右衛門、菊之助。湛海では、正之
助、彦三郎、正之助。鬼一法眼では、権十郎、羽左衛門(代:富十郎)、
富十郎(代:左團次)。

去年の9月の歌舞伎座の「菊畑」を観ていると思っていたが、過去の「遠
眼鏡戯場観察」や「双方向曲輪日記」を探しても、観たという記録が無
い。去年は、羽左衛門休演による長男の彦三郎の舞台も観ていない。何
故か、この月は、事情があって、夜の部のみ観ている。それも、千秋楽間
近の日に観ていて、「日記」には、羽左衛門の休演のことを書いている。
結局、鬼一法眼がいちばん似合いそうな羽左衛門の舞台を2回も見逃して
いるのだ。鬼一法眼は、これまで3回観ていて、そのうち、2回が代役の
富十郎であり、左團次であったというわけだ。羽左衛門の鬼一法眼は、是
非とも生の舞台で観ておきたかったが、永遠に機会をなくしてしまっ
た。

「菊畑」は、歌舞伎の典型的な役柄がいろいろ出てくる。舞台も美しい菊
畑で、色彩も豊か。典型的な入門編のような演目。定式幕が引かれると、
舞台一面浅葱幕。今回の演目は、こういう演出のものが多い。源平の時代
に敵味方に別れた兄弟の悲劇の物語。皆鶴姫の供をしていた虎蔵が先に帰
って来る。それを鬼一が責める。鬼一は、知恵内に虎蔵を杖で打たせよう
とする。知恵内、実は、鬼三太は、鬼一の末弟である。鬼一は、平家方。
鬼三太は、源氏方という構図。

こうなると、牛若丸(後の義経)を杖で打たねばならぬ鬼三太は、「勧進
帳」なら、弁慶の役所(やくどころ)と知れるだろう。安宅の関で義経を
杖で打ち、関守の責任者・冨樫に男としての同情を抱かせ、関所を通り抜
けさせた弁慶の「知恵」が、知恵内にあるかどうかが作者の工夫魂胆とい
う趣向と判る。裏返し版「勧進帳」というところ。答えは、知恵「内
(無い)」ということで、牛若丸を知恵内は、打つことができない。
「打てぬ弁慶」もいるだろうという作者の批判精神の現れと観た。

虎蔵、実は、牛若丸に、実は、恋している皆鶴姫が遅れて戻って来て、あ
わやという所で虎蔵と鬼三太の主従を助ける。皆鶴姫は、いわば、「女冨
樫」。「勧進帳」が、男のドラマなら、「菊畑」は、女の情のドラマ。だ
から、皆鶴姫が本当の情を示す場面は、「菊畑」に続く「奥庭」の場面で
ある。なぜなら、ここで、皆鶴姫は、虎蔵に父親・鬼一の秘蔵する軍法の
秘書「三略巻」を手渡すときに、女房にして欲しいと伝える。それが、こ
の演目の眼目だからである。しかし、「奥庭」は、あまり上演されない
(最近では、16年前の国立劇場で上演)から、その辺りの作者のメッセ
ージが、希薄になる。

今回は、知恵内の仁左衛門が、竹本のノリ地の場面も含めて愉しそうに演
じていたのが印象に残る。虎蔵は、意外と難しい役で、芝翫では、小柄過
ぎ、菊五郎では、少し太め過ぎるような気がする。いずれ、理想の虎蔵
が、現れるか。

「恋飛脚大和往来〜封印切〜」は、3回目。忠兵衛が、勘九郎、鴈治郎
(今回ふくめ2回)。梅川が、孝太郎、扇雀、時蔵。八右衛門が、孝夫時
代の仁左衛門、我當、そして、今回が富十郎代役の仁左衛門。おえんが、
東蔵、秀太郎、田之助。治右衛門が、芦燕、富十郎、左團次。こちらも3
回目なので、コンパクトにまとめたい。

前にも、書いたことがあるが(「封印切」:2000年6月、山梨県民文
化ホール公演)、「封印切」の演出には、上方型と江戸型がある。いくつ
か、違う演出のポイントがある。今回は、忠兵衛の鴈治郎と八右衛門の仁
左衛門(富十郎でも、同じだろう)なので、当然、上方型であった。私
が観た舞台では、初めて観た96年11月の歌舞伎座が、江戸型で、あ
とは、すべて上方型ということになる(但し、山梨県民文化ホールの場
合、劇場の機構から廻り舞台が使えないので、一部、江戸型が取り入れら
れていた。詳しく知りたい方は、このサイトの「遠眼鏡戯場観察」の当該
ページを検索で引き出して、読んで欲しい)。ここでは、前回までに「封
印切」について書いてきたことがらには、触れずに、今回、改めて、見
えてきたものを中心に、二つのポイントに絞って、書き込みたい。題し
て、「手・足二題」。

1)「手のエロティシズム」

その上方型の奧庭の離れの場面、梅川と忠兵衛の「逢い引き」(いまで
は、死語だろう)で、二人の手引きをしたおえんは、明かりを消して、二
人のために、「闇の密室」を創る。ここまでは、これまでにも、この劇評
で述べてきたところだが、今回、鴈治郎と時蔵は、さらに、暗闇のなかで
の、二人の「手の触れ合い」という所作を強調することで、「濃密なエロ
ス」を描いていたと思う。外から木戸を押し開けて入ってきた忠兵衛。座
敷から離れに、ゆるりと入ってきた梅川。二人は、手探りで、互いを捜し
合う。庭と離れの部屋のなか、二人がいる場所は、決して、密室ではな
い。開け放たれた部屋。しかし、闇が開放された空間を密室に仕立て上げ
る。そういう空間で、二人の「手」が、闇のなかで、触れ合ったり、離
れたりする場面が、何回か繰り返される。

背中合わせに三角形を創る二人。前に座り込んだ忠兵衛の肩に、後ろから
手を掛ける梅川。その両手を優しく包む忠兵衛。「さいなら」と意地悪を
言う忠兵衛。袂のなかの左手で、別れの合図をする。別れが悲しいと、泣
く梅川。真情を告げあい、仲直りをする二人。手を繋ぎ合う。そういう手
を中心にした所作が続く。二人の手に注目したとたん、そういう一連の手
の演技が、私の前に浮かび上がってきた。それは、恰も、「いちゃつき」
というような、他人の入り込めない濃密な若い男女の時間の流れ。この時
間の流れは、「性愛」の場面に似ているように見える。いわば、「手の
エロティシズム」である。

暫くして、二人のために気を利かせていたおえんが、蝋燭を持って、離
れに入ってくる。忠兵衛の手を引いて、女性主導の所作になっていた梅川
は、おえんの持ってきた明かりをあわてて消す。「おお照れくさ」。
梅川の、この台詞に積極的に性愛を主導していた女性の「ふてぶてしさ」
さえもが浮き彫りにされる。体(てい)の好いところで、「チョーン」と
拍子木の音。舞台は廻り、ふたたび、「井筒屋」の表の座敷、つまり、観
客は、「闇の密室」から、「明かりの世界」へ、引き戻される。

2)「足のエゴイズム」

「封印切」の3人の主要な人物像を、今回の舞台では、どう描いたか。
○忠兵衛:田舎出身の、脇の甘い、小心なくせに、軽率な「逆上男」。
女性に優しいけれど、エゴイスト。鴈治郎は、そういう男の人物造型を隅
々まで、たっぷり、色濃く演じていた。
○梅川:身分の低い女郎であるが、純情で、自分のために、人生を掛けて
くれて男への真情が溢れる女性。「江戸」の役者・時蔵は、鴈治郎、仁
左衛門という二人の達者な「上方」の役者の間で、田舎出身の若い女性の
持つ「古風な真情」を描いていた。時蔵は、この役で、脱皮したのではな
いか。
○八右衛門:成り上がりの金持ち男。商売用の公金を持っているが、自
分の金のない忠兵衛の懐具合を見抜いた上で、喧嘩を仕掛け、「戦略」通
りに、公金の「封印切」という重罪を忠兵衛に犯させる、「確信犯」の
憎い男・八右衛門を仁左衛門は、過不足なく演じていた。

特に、忠兵衛VS八右衛門の上方言葉での、丁々発止は、当代では、最
高の顔ぶれだったのではないか。花道の引っ込みは、梅川・忠兵衛の「死
出の道行」が、江戸型で、梅川を先に行かせて、忠兵衛のみが、「ゆっ
くり」と舞台に残り、世話になったおえんへの礼もたっぷりに、また、大
罪を犯した「逆上男」の後悔の心情をたっぷり見せる上方型。

鴈治郎は、羽織の使い方から足の指先まで計算し尽くした演技で、上方男
を完璧に描いて行く。逆上して、封印切をした後、忠兵衛の腹の辺りか
ら、封印を解かれた小判が、血のように迸る場面は、圧巻だ。

特に、花道を歩く足元の「おぼつかなさ」を鴈治郎は、過剰なまでに描
く。ひとりよがりの男が、純情な女性を巻き添えにして死に赴く。これ
は、まるで、「足のエゴイズム」ではないか。このあたり、鴈治郎の忠兵
衛は、ほかの忠兵衛役者を寄せつけない抜群さがある。多分、これが、上
方味の濃い歌舞伎ということなのだろう。向こう揚幕に忠兵衛が入り込む
タイミングで、本舞台の定式幕も同時に締め切った。裏方の心意気が感じ
られる。




- 2001年11月27日(火) 22:23:19
2001年 10月 ・ 歌舞伎座
                  (夜/「相生獅子」「伽羅先代萩」)

「相生獅子」は、2回目。99年2月、歌舞伎座。姫ふたりは、芝雀、孝太郎であ
った。今回は、孝太郎が、芝雀の代わりに福助とコンビを組む。江戸時代の長唄舞
踊で、「男獅子女獅子のあなたへひらり」という文句から、相生と名付けられた。
本外題は、「風流相生獅子」。女ふたりながら、男女の恋愛模様を描く。初代の瀬
川菊之丞が初演。一人で踊ったり、ふたりで踊ったり、また、そのふたりが、傾城
だったり、姫だったりする。

私が観た前回と今回は、共に姫ふたり。それぞれ、紅と白(クリーム色)の衣装。
しかし、ふたりとも、手に持った扇子の扱いがおぼつかない場面があった。前半、
紅白の「手獅子」(扇子を利用した獅子頭)を持ったふたりの姫が、花や蝶に戯
れる獅子の様子を四季とともに描く。手に持った「獅子頭」で、「石橋もの」の
定番を演じ、差金の蝶を追って引っ込む。後半、紅白の毛に鈴のついた「扇獅子」
を頭に、紅と白の 衣装を脱ぎ、裾を引いた姿。なかは、いずれもピンクの衣装。
紅白の牡丹の枝を持っている。女形の髪洗いは、獅子らしい力強さとともに、姫ら
しい艶やかさ、華やかさを滲ませる。「手獅子」→「獅子頭」→「扇獅子」とい
う「獅子」の変化も、女形の獅子らしく華麗。                                                                        
                                                      
 「伽羅先代萩」は、5回目なので、コンパクトにまとめたい。95年10月の
歌舞伎座が初見。政岡は、玉三郎であった。そして、今回も。ちなみに、政岡は、
このほか、99年11月が菊五郎、98年8月が福助、96年10月が雀右衛門、
いずれも歌舞伎座である。4人の政岡。凄みがあったのは、玉三郎。前回、政岡
初演の玉三郎だったが、今回は、特に充実していた。6年間の蓄積が滲み出ている
舞台だ。雀右衛門の政岡は、円熟。菊五郎は、重厚。福助は、初役で、これからの
精進を見届けたいという感じだった。

ついでに、5回のほかの役者の主な顔ぶれを紹介したい(日付け、原則逆順)。
八汐は、3人。今回の八汐は、團十郎だったが、團十郎の八汐は、2回目、玉三郎
の政岡を相手にしている。印象に残る八汐は、何といっても、仁左衛門。孝夫時代
と襲名後の2回拝見。相手の政岡は、菊五郎、雀右衛門であった。八汐は、性根か
ら悪人という女性だが、そういう不適な本性をいちばん現しているのが、仁左衛門
の演技であった。もうひとりの 八汐は、勘九郎で、相手の政岡は、福助。

仁木弾正は、今回と前回が、仁左衛門。98年が、八十助時代の三津五郎、96年
が、富十郎、95年が、團十郎。それぞれ、味わいが違う。凄みは、仁左衛門だ
ったが、今回は、特に充実の舞台で、堪能させてもらった。八十助は、小粒ながら、
ぴりっとした弾正であった。富十郎は、達者な弾正。團十郎は、「風格」のある
悪人、国崩し。細川勝元は、今回が、團十郎で、颯爽としていた。この人は、根っ
からの立役なのだ。今回も、八汐の演技は底が浅いようで、物足りなかったが、勝
元は、過不足なく演じていた。前回は、「対決」の場面がなく、勝元は、休場。
98年は、勘九郎、96年は、梅玉、95年は、孝夫時代の仁左衛門。「床下」の
 男之助は、今回が、新鋭の新之助。前回が、重厚の羽左衛門。橋之助、我當、段
四郎の順。 

 「伽羅先代萩」を5回拝見して、私に観えて来たもの。それは、「子どもたちの
先代萩」というテーマであった。二幕目「足利家奥殿の場」、いわゆる「飯焚き」
の場面で、千松が、「お腹がすいてもひもじゅうない」と言う。今回は、橋本勝
也。この子役が、なかなか芸達者で、巧い。この台詞で、客席から拍手が来た。足
利鶴千代の身替わりに千松が、母で、鶴千代乳母の政岡の命で、「飯焚き」から
食事までに再三、毒味をする場面がある。まず、1)お湯の毒味。次いで、2)生
の米の毒味(これは、庭に来た雀の役目。親子の雀は、「飯焚き」を先取りして、
なぞるという効果がある)。3)炊きあがった握り飯の毒味。4)栄御前が、持っ
て来た毒入りの菓子の毒味(これを食べて、苦しみ出す千松は、八汐に、何度も刃
物で抉られて殺されてしまう)。冷たい表情で、幼子を殺す八汐。母として、我が
子・千松の命を助けたいのだが、若君の乳母という立場で、お家大事という思いか
ら、母の愛情を胸中深く押し込める政岡。八汐の刃物で身体を抉られる度に「あ
ー」「あー」と切な気に声を出す千松。それを厳しい表情を変えずに耐える政岡。
屈指の名場面である。母の愛情とは、厳しいものであるというメッセージが伝わっ
て来る。

こういう畳み掛けるように、叮嚀に子どもの死までの道筋を描くのは、大人たちの
お家騒動の陰で、命を落とす子どもの悲劇を強調し、客席の涙を、これでもか、こ
れでもかと誘う作者の演出意図があることは、間違いない。その上で、私には、大
人=武家社会、子ども=庶民の社会という、構造もダブらせて、武家社会に対する
庶民の批判が隠されていると思うのだ。

「伽羅先代萩」は、もともと伊達騒動という実際にあったお家乗っ取りの事件を素
材にした先行する人形浄瑠璃や歌舞伎の名場面を集めて集大成した演目だ。今月、
国立劇場で上演し、先に「遠眼鏡戯場観察」に書き込んだばかりの「殿下茶屋聚」
の作者・奈河亀輔らが1777(安永6)年に合作した「伽羅先代萩」。それを改
作した人形浄瑠璃。翌、1778年に桜田治助が書いた「伊達競阿国戯場(だてく
らべおくにかぶき)」をアレンジしたものが、現在は、「伽羅先代萩」という外題
で上演されている。それだけに、この演目に携わった作者たちの「思想」として
の武家批判が、「子どもたちを先代萩」という形で、象徴されているように思え
る。

もう一度、足利家の奥殿を覗いてみよう。足利幕府管領山名宗全の奥方・栄御前
(田之助)の登場である。山名宗全(芦燕)こそが、お家騒動の黒幕。仁木弾正
(仁左衛門)と 八汐(團十郎)の兄妹は、山名の意を受けて暗躍しているに過ぎ
ない。政岡(玉三郎)は、八汐、沖の井(秀太郎)、松島(孝太郎)とともに、
栄御前を迎える。                                                                                                                           

全員が居所に着いたとき、私の眼に飛び込んで来たものがある。それは、豪華な打
ち掛けの裏地である。政岡を含めて、ほとんどの裏地が、赤なのに、八汐と栄御
前の裏地が、白なのだ。悪の暗躍グループが、白。善のグループが、赤。これ
は、源平合戦以来の、「紅白合戦」ではないか。色彩による善悪の区分け。赤面の
役者は、悪役という歌舞伎の決まりがあるが、そういう歌舞伎独特の善悪を色彩で
区分けする手法が、この場面でも使われているのではないか。そういう決まり事
は、いまの私たちには不明でも、江戸時代の庶民たちには、極く常識的な知恵だっ
たのではないか。もし、私の思いつきが正解なら、武家社会のお家騒動を歌舞伎の
小屋に詰め掛ける庶民たちは、赤勝て、白勝てというような運動会の気分で、もの
を食べたり、飲んだりしながら、舞台を見物していたのではないか。

我が子・千松が殺される場面で、表情を変えなかった政岡を誤解して、栄御前は政
岡を味方と思い込み、皆を下がらせた後、一人残った政岡に秘密を打ち明ける。政
岡の策略で千松と鶴千代を入れ替えていたため、殺されたのは千松ではなく、鶴千
代だったのではないかという思い込んだのだ。そして、一味の連判状を政岡に預け
て、満足そうに帰って行く栄御前。花道を去る田之助の笑みが、そういう思い込み
の激しい栄御前の性格を巧く演じていた。一方、それを見送る政岡の表情の厳し
さ。玉三郎の眼の鋭さ。6年前より、充実した玉三郎の演技の象徴は、このとき
の、この眼の鋭さにあると感じた。

栄御前が向う揚幕ならぬ「襖」(この場合、花道は、長い廊下なのである。だか
ら、いつもの揚幕の代わりに襖が取り付けられている)のなかに消えると、途端に
表情が崩れ、我が子・千松を殺された母の激情が迸る(巧くなったぞ、玉三郎)。
誰もいなくなった奥殿には、千松の遺体が横たわっている。堪えに堪えていた母の
愛情が、政岡を突き動かす名場面である。打ち掛けを千松の遺体に掛ける政岡。打
ち掛けを脱いだ後の、真っ赤な衣装は、我が子を救えなかった母親の血の叫びを現
しているのだろう。このあたりの歌舞伎の色彩感覚も見事だ。「三千世界に子を持
った親の心は皆ひとつ」という「くどき」の名台詞に、「胴欲非道な母親がまたと
一人あるものか」と竹本が、追い掛け、畳み掛け、観客の涙を搾り取る。

そして、企み発覚を悟り、連判状を取りかえそうとした八汐が、政岡に斬り掛かる
と、政岡は、その刃物を奪い取って八汐の胸をぐりぐりと抉る。子の仇を取る母
親。多分、江戸の庶民は、千松の仕返しの「ぐりぐり」を、もっとやれ、とばかり
に声を掛け、積もり積もった溜飲を下げていたのではないか。引っぱりの見得で大
団円。残酷美を絵に描いたような幕切れ。

やがて、奥殿の道具が、鷹揚にセリ上がって、「床下」の場面。荒獅子男之助を演
じる新之助は、江戸荒事の宗家だけに、気合いが入っている。妖術を使い鼠に化け
て連判状を取り戻したが、床下で待機していた男之助に見破られる。鼠から正体
を現した弾正。額に傷、左眉の上にホクロ(五代目松本幸四郎縁りのホクロ)。ス
ッポンからセリ上がり、花道に立った弾正(仁左衛門)は、無言のまま、眼を瞑っ
たり、開けたり、睨んだり、それだけで弾正という男の不適さが表現される。両手に
袴を持ち、雲の上をゆるりと歩む弾正。この場面、仁左衛門の台詞は、「エイ」
(手裏剣を投げる仕種)、「ムム、ハハハハ」。  

三幕目「門注所対決の場」。「門注所」、つまり裁判の場面。弾正ら被告側は、裸
足に刀も無し。原告側は、足袋に脇差しが許されている。仁左衛門の弾正は、「実
悪」として充実の演技。いま、この人は、役者として旬なのだろう。颯爽とした
捌き役・團十郎の勝元と好対照の正義と悪をくっきりと描ききる。裁きが下って、
肩衣が剥ぎ取られる。「恐れ入ったか」と勝元。「恐れ入ってござりまする」と
「鼠」の形になり平伏する弾正。それでも悪を悪とも思わない不適な弾正。我當の
渡辺外記も実直な家老役として味を出していて、好演。時の太鼓が効果的に鳴る。  
                                                                     
大詰「刃傷の場」。「門注所詰所」での弾正の刃傷沙汰。最後は、殺される弾正。
遺体となった弾正は、諸士らに頭上高く担ぎ上げられて退場。いわば、「担ぎ上げ
の美学」というところか。凄みのある仁左衛門の弾正は、熱演で、最後まで見応え
があった。今回の「伽羅先代萩」は、前半の「女ばかりの芝居」では、玉三郎、後
半の「男ばかりの芝居」では、仁左衛門が、それぞれ過不足ない充実の演技。この
「女から男へ」の切り替えが、御殿の大道具のセリ上がりであり、登場する人物が
「男」之助という荒事師という発想も卓抜ではないか。それに、「子どもたちの
先代萩」が、観えてきたことにより、「伽羅先代萩」の演劇的な構造が、いちだん
とくっきりして来たように私には、思える。

触れなかったが、序幕「鎌倉花水橋の場」では、足利頼兼に福助、絹川谷蔵に弥十
郎。「だんまり」風の場面に、チャリが入る。本来なら、この「花水橋」の場面の
後に、「高尾の吊斬り」という稀にしか演じられない場面があるそうだが、観たこ
とがない。戦後の、本興行の上演記録を見る限りでは、98年11月の国立劇場
で、鴈治郎の政岡などで演じられたときに「高尾丸船中」という場面があるぐら
い。「毛剃」、つまり、「博多小女郎浪枕」の「元船」の場面同様に、舞台いっぱ
いの大船が、見せ場だという。一度、観てみたい。

「鎌倉花水橋の場」は、江戸歌舞伎の和事の味。「足利家奥殿の場」は、丸本物
の味。「床下の場」は、再び、江戸歌舞伎の荒事の味。「対決の場」「刃傷の
場」は、実録歌舞伎風。一日の歌舞伎小屋の狂言立ての見本のような趣向の構造で
ある。
- 2001年10月17日(水) 8:39:59
2001年 10月 ・ 歌舞伎座
           (昼/「おちくぼ物語」「絵本太功記」「廓文章」)

「おちくぼ物語」は、初見。これは、一種の「シンデレラ物語」であると思った。
継母や腹違いの妹たちから虐められるおちくぼの君。そういう姫に同情を寄せる
家来の夫婦。妻に頭の上がらない実父。家来の夫婦が、姫に貴公子・左近少将
を引き合わせ、結局、ふたりは結ばれるという話。宇野信夫が1959(昭
和34)年におちくぼの君・六代目中村歌右衛門、左近少将・八代目松本幸四郎
で、書き下ろした王朝ものの新歌舞伎で、演出も担当したとある。

「シンデレラ物語」同様、登場人物のキャラクターが、ハッキリと描きわけられ
ているので、判りやすい。継子苛めの物語だが、それを姫と貴公子の恋の物語を
基軸にした喜劇仕立てにしている。今回は、おちくぼの君に中村福助、左近少将
に市川新之助。このほか、継子苛めをする北の方に上村吉弥、実父の中納言に坂
東弥十郎、家来の帯刀に片岡愛之助、その妻・中村芝のぶなどという配役。新之
助は、このところ「源氏物語」など王朝ものの貴公子に定評があるが、今回も、
ほかの役者は、役柄を演じているという感じなのに対して、彼だけは、演じる前
に、つまり、舞台に出て来るだけで、すでに貴公子になっているという印象であ
る。王朝ものに出演する歌舞伎役者は、例えば、女形は、男が女を演じた上で、
さらに平安人にも観えなければならない。今回、福助を含めて、女形で、平安人
に観えた役者は、いなかった。

先妻との間にできた娘に対して父親としての愛情を秘めながら、気の強い後妻の
尻に敷かれているという気の弱い父親・中納言の弥十郎が味を出していて、好演。
今回の舞台では、脇の弥十郎がいちばんリアリティがあった。北の方の上村吉弥
も憎まれ役の継母を巧く演じていた。帯刀の愛之助は、久しぶりの立役だが、女
形のときより良いという印象を抱いた。その妻・芝のぶは、相変わらず巧い。姫
思いの、性格のすっきりした女性を爽やかに演じている。これに比べて、京妙、
芝喜松らの妹君たちが、弱いと思った。

「絵本太功記」は、いつものように「尼ヶ崎閑居の場」。時代物の典型的なキャ
ラクターが出揃う狂言で、時代物のカタログのような作品だけに、時代物の入門
編として好まれるのだろうと思う。座頭の位取りの立役で敵役に光秀、立女形の
妻・操、光秀に対抗する立役の久吉、光秀の息子・十次郎が花形、その許嫁・初
菊に若女形、光秀の母・皐月に老女形などというように、時代物の典型的な登場
人物が、それぞれ、仕どころのある役柄として揃っている。これに「東風(ひが
しふう)」という人形浄瑠璃の「豊竹(とよたけ)座」伝統の艶麗華麗な節廻し
で、竹本の語りが入る。江戸時代、人形浄瑠璃の竹本座に出演していた豊竹越前
少掾(後の豊竹若太夫)の美声から始まった語りが、竹本座に対抗して豊竹座を
興すことになる。

2回目の拝見。97年6月、歌舞伎座で観ている。このときは、途中から観た分
まで含めると3回目の拝見となる。前回は、光秀(幸四郎)、操(雀右衛門)、
十次郎(染五郎)、初菊(松江)、皐月(権十郎)、正清(友右衛門)、久吉
(宗十郎)であった。今回は、光秀(團十郎)、操(雀右衛門)、十次郎(新之
助)、初菊(福助)、皐月(田之助)、正清(團蔵)、久吉(我當)。

十三段の人形浄瑠璃は、明智光秀が織田信長に対して謀反を起こす「本能寺の変」
の物語を基軸にしている。13日間を1段ごとに演じた。いわば「13日物
語」。なかでも、十段目の「尼ヶ崎閑居の場」が、良く上演され、「絵本太功記」
の「十段目」ということで、通称「太十」と呼ばれる。前半が、十次郎と初菊の
恋模様、後半が、光秀と久吉の拮抗。光秀の謀反を諌めようと久吉の身替わりに
なって竹槍で刺される母の皐月などといういくつかの見せ場がある。戦争に巻
き込まれた家族の悲劇を、それぞれの立場で描く。細流がひとつひとつ物語を持
ち、それぞれが集まって大河になる。そういう構造の物語である。皐月が死に、
やがて、十次郎も死ぬ。光秀も、いずれ殺されるだろう。残るは、妻と義理の娘。
戦争で、悲しむのは、いつの時代も、女たちだ。

新之助と福助の若夫婦が初々しい。前回は、染五郎と松江。染五郎は、初々しい
若者であったが、新之助は、凛々しい若者という違いがある。初菊は、私は、松
江の方が好きだ。福助は、「兜引き」の場面などで、「糸に乗」って、叮嚀に演
じていたのが印象に残る。十次郎が亡くなり、哀しみに沈み、俯せになった初菊
を乗せて、舞台が廻って行く。動かない初菊の姿が、この悲劇の本質を見せつけ
る。この場面、ト書きには「遠よせにて、この道具、ぶん廻す」とあじけない。

菱皮の鬘に眉間の傷というおどろおどろしい光秀の團十郎が、時代物の味を充分
だしている。前回の幸四郎の光秀も、巧かったので、これは、甲乙つけ難い。光
秀の難しさは、いろいろ動く場面より、死んで行く母親と息子を見ながら、表情
も変えずに、舞台中央で、じっと、「辛抱立役」という場面が、演じていて、い
ちばん難しいのではないかと、改めて感じた。

皐月は、位が見えないといけない役なので、かなり難しいと思う。皐月の田之助
は、前回の権十郎より重厚。操の雀右衛門が、いつになく印象が薄い。操は、前
回も雀右衛門だが、前回の操のときの方が、嫁として、妻として、義理の母とし
て、雀右衛門は、古風な女性を、もっと、こってり演じていたように思う。

「廓文章」は、3回目の拝見なので、コンパクトにまとめたい。3年前の98年
1月、歌舞伎座は孝夫の十五代目仁左衛門襲名の舞台。その前、96年3月、
歌舞伎座が初見。孝夫時代の仁左衛門。3回とも、伊左衛門は、仁左衛門で、こ
れは、「伊左衛門が、仁左衛門か。仁左衛門が、伊左衛門か」というところで、
当代の当り役だろうと思うが、あとは、鴈治郎でも、伊左衛門を観てみたいと思
う。仁左衛門の伊左衛門は、舞台を観るごとに、薄い漆を塗り重ねるように上方
の味わいが深まって来る。滑稽味も充分で、文句無しの伊左衛門だろうと思う。
「三枚目の心で演じる二枚目の味」とは、戸板康二の名言である。むしろ、伊左
衛門は、仁左衛門の今後の役づくりの「工夫魂胆」の積み重ねをして、より理想
に近い伊左衛門像に磨きをかけることを期待したい。「完成された上方和事とし
ての喜劇」へ向けて、さらに精進されることを愉しみしている。

夕霧は、今回、玉三郎。前回が、雀右衛門。前々回が、玉三郎ということで、玉
三郎は、2回目。夕霧は、雀右衛門だと、少し気弱に映る。玉三郎だと、強気の
夕霧になる。どちらの夕霧も、それぞれの一面を強調しているようで、観ている
側としては、それぞれを楽しめば良いので、違和感はない。今回の玉三郎は、い
ちだんと夕霧になってきたように思う。夕霧が、紙で隠していた顔を見せると、
場内から「じわ」がきた。久しぶりだ。背を向けて、左側に反り返り、再び、顔
を見せる夕霧。観客は、玉三郎の魅力を堪能していた。

今回、喜左衛門に我當、おきさに秀太郎ということで、舞台には、松島屋3兄弟
のみという時間もあったが、さすが、息があっていて、気持ちが良かった。落魄
した伊左衛門を囲むふたりの雰囲気には、しみじみとしたものがある。喜左衛門
は、前回、羽左衛門で、前々回が、左團次。おきさが、芝翫で、前々回が、藤
十郎。秀太郎のおきさは、おっとりした感じがあり、よかった。我當の喜左衛門
は、愛嬌があり、いかにも上方という味わいがあった。愛之助の太鼓持ちも良か
った。太鼓持ちも絡んで、手紙を引き合い、三つに裂いて、伊左衛門、夕霧、太
鼓持ちの3人が、それぞれ持って、ポーズを取る。太鼓持ちが、こういう形で絡
むのが、仁左衛門系の演出(型)だという。女形でない愛之助には、新しい魅
力を感じた。女形では、何回か観ているが、女性を演じていても、彼の場合、男
性の線が残ってしまうように思っている。いずれにせよ、「吉田屋」は、「は
んなり」(華なり)という舞台で、結構であった。

- 2001年10月16日(火) 20:35:30
2001年 10月・国立劇場 開場35周年記念
             (「大願成就殿下茶屋聚〜天下茶屋の敵討〜」)

「大願成就殿下茶屋聚(てんがちゃやむら)」は、戦後では、二代目尾上松緑や
当代の猿之助らが主人公の安達元右衛門を好んで演じた。このほか、初代の猿
翁(先代の猿之助)、先代の勘三郎、当代では、富十郎、勘九郎なども演じてい
る。慶長14(1609)年、大坂の天下茶屋村(かって豊臣秀吉が、大坂城か
ら住吉大社を訪れる途中、しばしば立ち寄り、茶の湯を楽しんだ茶屋があったた
め、この地名が生まれたという)で、実際に起きた敵討ちを素材にしている。

実際に舞台になったのは、172年後の天明元(1781)年12月。上方の狂
言作者・奈河亀輔と十輔の「殿下茶屋聚」が角(「かど」、「角座」)の芝居
で、また、亀輔の弟子筋に当たる奈河七五三助の「連歌茶屋誉文臺(れんがちゃ
やほまれのぶんだい)」が中(「なか」、「中(なか)座」)の芝居で、それぞ
れ上演したが、師匠の方が、大当たり、弟子の方は、不入りであったという。

以後、大坂の「浜芝居」(「浜芝居」は、歴史のなかで、その性格を変えて来て
いるので、重層的な概念だが、おおざっぱに言うと、次のようになる。上方の芝
居小屋が並ぶ道頓堀芝居通りの南側が「大芝居」と呼ばれたのに対して、河岸=
浜側の小規模な小屋で演じられた「中(ちゅ)ウ芝居」、江戸で言う、いわゆる
「小芝居」、「宮芝居」のこと)で、盛んに演じられたことから、小芝居の灰汁
の強い味が、濃く染み付いたようだ。さらに、半世紀後の天保3(1832)
年8月、中の芝居で奈河篤輔が改作、上演した「絵本殿下茶屋聚」が、いまも上
演されるものの基本という。

3年後の天保6(1835)年7月、江戸の舞台に出た「殿下茶屋聚」は、中村
座で「松主殿(まつをあるじ)殿下茶屋聚」という外題で上演された。この舞台
では、七代目市川團十郎の誘いで、天保2(1831)年から江戸に出ていた上
方の浜芝居で人気のあった役者・四代目大谷友右衛門(浜芝居では、大谷万作
であった)が元右衛門を演じ、「半道敵(はんどうがたき・三枚目敵)」という
友右衛門の持ち役を充分に発揮して、大当たりをとった。当時、「友右衛門が
元右衛門か、元右衛門が友右衛門か」と、言われたという。浜芝居独特の灰汁の
強さ(いわゆる、「臭い芝居」の味)もさることながら、友右衛門は、私生活で
も、滑稽な憎まれ役だったようで、いろいろエピソードが残っている。

以後、「敵討ち」の敵と討つ側という主人公たちをよそに、討つ側から敵の側へ
と寝返った「裏切り者」の元右衛門が、この狂言の脇の小悪党から魅力のある悪
の主役になって行く。下僕が主人に「反乱」を起こすという設定は、封建時代
には、いま以上のインパクトがあったに違いない。初代中村仲蔵が、「忠臣蔵」
の定九郎役で実施した「役者の工夫魂胆」が、定九郎の役の「格」を上げたのと
同じようなことが元右衛門の役づくりにもあったと言えよう。その結果、数多
(あまた)ある敵討ちものの狂言のなかで、「殿下茶屋聚」は、討たれる者の魅
力を描くという形で、討つ側の、いわば「屈折した苦衷」が描かれるという、こ
の狂言独自のテーマが浮かび上がって来る趣向となるのだ。

また、「憎いが愛嬌」という「元右衛門」のような役柄は、歌舞伎では、「法界
坊」「お土砂の紅長」などという登場人物に見られるが、そう言えば、私は、こ
れらの役を中村吉右衛門で、拝見している。

さて、今回の吉右衛門の元右衛門初役までの「藝の伝承」を辿るならば、友右衛
門→四代目小團次→五代目菊五郎→六代目菊五郎→二代目松緑→富十郎→吉右衛
門という「元右衛門の系譜」が見えて来る。特に、六代目菊五郎は、この狂言
についても、近代的な洗練の工夫をして藝を洗い上げ、六代目が要石となった結
果が、松緑→勘三郎→勘九郎、猿翁→猿之助という流れにもなる。

原作者の奈河亀輔は、奈良の生まれで、遊蕩の末、狂言作者の途に入ったが、奈
良、河内で遊んで身が治まらなかったのを洒落て、「奈河」という筆名にしたと
いう。初代並木正三の弟子になり、正三没後、中(なか)の芝居の立作者となり、
およそ15年間に40余編の狂言を書いた。「競伊勢物語(はでくらべいせもの
がたり)」「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」など、いまも上演される時
代物を残した。十輔は、不詳。七五三助(しめすけ)は、時代物では、丸本物の
手直しをした作品が多く、「洗濯物の七五三助」と渾名されたという。

「殿下茶屋聚」は、「敵討天下茶屋聚」という外題で、私は、98年12月・歌
舞伎座で拝見している。場面は、「貸座敷」「天神森」「枝川川下」で、主演
は、市川猿之助だった。それまで、通しで「敵討天下茶屋聚」を4回演じていた
猿之助は、このときは、いわば、「名場面集」という演出だった。今回は、これ
らの場面に加えて、序幕「四天王寺」、二幕目、三幕目が、上記の場、四幕目
「人形屋幸右衛門内」「京屋萬助内」、大喜利「敵討」という構成である。戦後
の上演記録を見ると、67年6月の国立劇場の上演と同じような構成だが、この
ときは、「萬助内」「幸右衛門内」という、逆の順番になっている。

前回の歌舞伎座では、元右衛門の猿之助のほかは、東間三郎右衛門が市川段四郎、
早瀬伊織が中村梅玉、早瀬源次郎が市川門之助、伊織の妻・染の井が中村松江、
安達弥助が中村歌六、人形屋幸右衛門が、中村東蔵などであった。この舞台では、
猿之助の達者な藝が印象に残っている。猿之助一座で、この狂言を5回演じてい
るので、その舞台に参加した役者衆が、今回も、多数出演している。例えば、
梅玉(前回、初役・伊織)、松江(前回、初役・染の井)、信二郎(幸右衛門)、
玉太郎(万歳)、東蔵(前回、初役・幸右衛門)など。

今回の配役は、元右衛門が中村吉右衛門、三郎右衛門と片岡造酒頭が富十郎、伊
織と幸右衛門が梅玉、源次郎が中村信二郎、染の井と幸右衛門の女房・お時が中
村松江、弥助と京屋萬助が中村歌昇、坂田庄三郎と小屋頭伝吉が東蔵、源次郎の
妻・葉末が中村玉太郎、井筒屋の女房・お吉が中村歌江(武士の連れ合いは、
「妻」、商人の連れ合いが「女房」になっている)など。

因に、今回と構成が同じ67年6月の国立劇場の配役は、主人公の元右衛門が勘
三郎、三郎右衛門が十三代目片岡仁左衛門、伊織と幸右衛門が十四代目守田勘弥、
源次郎が五代目訥升(先に亡くなった、後の九代目澤村宗十郎)、染の井が五代
目片岡我童(後に、十四代目仁左衛門を追贈)、弥助が中村又五郎などであった。

さて、今回の舞台である。序幕の「四天王寺の場」。門前の賑わいに、歌舞伎ら
しい華やぎがある。下手には、日除に三日月と太陽にそれぞれ雲がある絵柄に
「占所」という文字がある小屋(敵の弟が占い師)、次いで、障子に「酒肴」と
書かれた小屋がある。立看板に「開帳 荒陵山」、四天王寺の門。背景の書割に
寺の建物や木々。多数の参詣人が仕出し役で出ていて、門前の賑わいを表現する。
仕出しの役者たちも、江戸時代の人に見えなければならない。亡くなった中村時
枝によると、「台詞を言わない役で、舞台の板に馴染むだけでも、10年掛かる」
と言う。旅姿の女中、つまり、染の井、葉末の義姉妹が花道から登場する。それ
ぞれの夫たち、伊織と源次郎の兄弟を追い、敵討ちの旅に出ている。

ふたりの女中が参詣のため、四天王寺の門内に姿を消すと、伊織と源次郎の兄弟
が家来の弥助を連れて登場。「酒肴」の小屋の前に出された床几に腰を掛けてお
茶を飲む兄弟。家来は、地面に膝を着いてお茶を飲む。やがて、弥助の兄・元右
衛門が生酔いの中間に絡まれながら登場。これで敵討ちの「追う側」が揃う。
さらに、「敵側」の奉公人や敵の張本人・三郎右衛門も登場ということで、いわ
ば、登場人物の顔見せの場面。要領よくできている。敵探しを焦る余り、深編笠
の武士を敵と間違える場面、ふたりが、「鞘当」の不破・名古屋のように「つけ
まわし」になり、最後に顔を見せて、見得となる場面なども、伏線としては、巧
い構成だ。

二幕目「東寺貸座敷の場」。昔、私の子どものころにも、「貸座敷」というの
があった。当時は、良く判らなかったが、いまで言うラブホテルのようなもので
あろう。ただ、この芝居の場合は、安い宿のようである。伊織と源次郎の兄弟が
家来の弥助が、敵を探しながら、ここで暮らしている。葉末とはぐれた染の井も、
ここにいる。按摩になっている元右衛門が、呼び込まれ、弟と出逢う。早瀬家家
宝・紀貫之の色紙の在り処が知れるが、買い戻すのに二百両が必要だなどという
ことが判る。二百両のために、染の井は、身を売るという。取りあえず、百両が
手付けとして置かれる。お定まりの筋書き。

この始終を戸棚のなかで聞いていた元右衛門に百両分の悪が芽生える。それを、
歌舞伎は、目の不自由な按摩が、偽按摩で、目明きだという形で、見事に表現す
る。本舞台から花道まで来た元右衛門は、持っていた杖を捨て、頭巾を捨て、目
を見開き、本性を現す。着物の尻をはしょる。一連の動作のなかに悪への変身を
表現する。元右衛門は、貸座敷に隣り合う藤棚に昇り、屋根の引き窓から貸座敷
のなかに忍び込む。百両を奪い、さらに弟の弥助まで殺す。

藤棚から足を踏み外したり、落ち掛かったり、室内で振り上げた刀が、鴨居に当
たったり、台所へ水を飲みに行った後、刀と柄杓を間違えたり、弥助と源次郎の、
どちらを先に殺そうかと迷ったり、悪役ながら可笑し味のある「端敵(はがた
き)」「半道敵」という役柄を、いわば、漆を塗り重ねるように演じて行く。こ
こら辺りの演技の呼吸は、吉右衛門は巧い。悪人と言っても、小悪党の部類、
「狡さ」が身上だろう。暗闇のなか、源次郎まで殺めようとするが、外から戻
って来た伊織に邪魔をされ、伊織の足に斬り付け、怪我を追わせて逃げる。花道
で伏せって、刀を構える場面が絵になる。

三幕目「福島天神の森の場」。敵の三郎右衛門は、「立敵(たてがたき)」とし
て、元右衛門の小悪党とは、段違いの悪の凄みを表現しなければならない。富十
郎は、どちらかというと元右衛門を演じた方が、味が出そう。三郎右衛門では、
似合わない。梅玉の伊織は、元右衛門に斬られた怪我が元で足萎えになっている
という、暗い辛抱立役。陰湿な舞台に、華やかさを与えるのが、万歳・才蔵のコ
ンビの大道芸。悲劇の前の笑劇。これも、定番。

天神の森の乞食小屋で、元右衛門、三郎右衛門らに、返り打ちにあってしまう。
封建時代の敵討ちは、返り打ちにあえば、それは、それで敵側の武士には、名誉
なことである。蓆で造られた乞食小屋には、剣菱の紋が描かれた蓆が出入り口を
飾っている。この場面では、花道の出の元右衛門が、黒襟を掛けた黄八丈に、萌
黄献上の博多帯、朱鞘の大小、つぶの鬘、白塗りに青黛という扮装で、腰には、
四代目友右衛門縁りの「くつわの紋」が入った印篭を下げていると言うが、今回
は、確認できなかった。友右衛門の役づくりの工夫魂胆が、この狂言を後世にま
で残したという徳を偲んでいる。三郎右衛門は、立敵らしい「悪の華」を咲かせ
る場面だ。

戻って来た弟の源次郎(信二郎)も、兄の亡骸を始末した後、三郎右衛門の奉公
人・腕助(橘三郎)らに襲われ、川へ投げ込まれる。舞台が、ゆるりと鷹揚に廻
る。「枝川川下の場」では、川から這い上がった源次郎は、通りかかった京屋萬
助(歌昇)に助けられる。二幕目、三幕目では、敵討ちを狙う側の、さまざま
な苦労を描く。

四幕目「人形屋幸右衛門内の場」、「京屋萬助内の場」。こちらは、敵討ちを
支援する人たちを描く場面が続く。幸右衛門は、早瀬家の元家臣、萬助は、早瀬
家に恩義を感じている。このうち、伏見人形を造っている「人形屋幸右衛門内」
では、貧を描き、呉服屋「京屋萬助内」では、富を描く。それは、年の瀬の商家
の様子で描かれる。その象徴となるのが、松飾り。年の瀬の「掛け取り」が、数
人押し掛けている「人形屋」は、粗末な松飾り、立派な店構えの大店「京屋」
は、豪華な門松。

両家を結ぶのが、子どもの喧嘩である。喧嘩の末に、幸右衛門倅・幸松が、萬助
の息子に殴られた。早瀬家家宝・紀貫之の色紙代金の支払いを催促され、倅を使
うことを思いつく。「倅が命は色紙の価」という台詞になり、倅を殺そうと、我
が子の額めがけて、人形を振り上げる。早瀬家のためという事情を承知の萬助は、
掛け合いに来た幸右衛門の希望通りにし、己の正体を明かす。あわせて、京屋に
助けられた源次郎も紹介される。主従の対面。家宝も入手。葉末、染の井も、両
家に保護されている。敵を討つ側の役者は、揃ったと言うわけだ。正体を明かす
場面では、その度に幸右衛門が、源次郎が、上座に移る、「居所替り」をする。

大喜利「天下茶屋敵討の場」。松の並木が連なる住吉街道沿いの村はずれ。とこ
ろどころに、紅梅、白梅。中央より上手に「天下茶屋村」の標識。敵を討つ側が
勢ぞろいしている。残すは、敵の登場のみ。さらに、助っ人。時の大老・片岡造
酒頭の家臣・坂田庄三郎が、敵の三郎右衛門の情報を寄せてくれる。さらに、
造酒頭が敵討ちを支援しているとも伝える。その情報通りに三郎右衛門一行が現
れる。敵討ちの立ち回りは、歌舞伎らしく、様式美に溢れている。三郎右衛門も
討たれ、警護の元右衛門も討たれる。元右衛門は、小悪党らしく、最後まで、姑
息に、滑稽に演じる。富十郎早変りの造酒頭が現れ、大願成就、めでたしめでた
しとなる。舞台に倒れていた元右衛門、こと吉右衛門に、富十郎が呼び掛けて、
全員で「口上」。富十郎、梅玉、吉右衛門の順で、「国立劇場開場35周年」の
お祝を述べる。

吉右衛門は、小悪党の姑息さと、滑稽さを無難にこなしていたが、江戸時代、
「友右衛門が元右衛門か、元右衛門が友右衛門か」と言われたように、今後、
「吉右衛門が元右衛門か、元右衛門が吉右衛門か」と言われるようになるまでに
は、もう少し、熟成が必要と見た。11年前の90年3月の国立劇場では、富十
郎が元右衛門を演じているが、富十郎の元右衛門を是非観てみたい。いまのと
ころ、以前観た猿之助の元右衛門の方が、小悪党ぶりでは、吉右衛門より、「に
ん」にあっているように思う。富十郎なら、さらに、巧く演じるのではないか。
吉右衛門は、滑稽さの味が強すぎるようだ。


- 2001年10月11日(木) 8:23:33
2001年 9月 ・ 歌舞伎座
              (夜/「米米百俵」「紅葉狩」「女殺油地獄」)

「米百俵」は、初見。戊辰戦争で「賊軍」側に廻った東北諸藩同様、長岡藩も
石高を大幅に減らされた。戊辰戦争のなかでも抵抗が激しかった北越戦争を描く
歴史小説に登場する軍事総督で家老の河井継之助で知られる長岡藩のその後の話
である。明治3年、貧窮に喘ぐ長岡藩に、分家の三根山(みねやま)藩から百
俵の米が見舞いとして届けられた。それを、直ちに藩士全員に分けるべきか、将
来の人材育成を考えて、米を金に換えて学校づくりに乗り出すか。そういう図式
の論争の果てに、大参事・小林虎三郎の主張する学校づくり、人材づくりに意見
が集約されて行くという話。

夜明けと長岡藩の未来を短絡するなど、演劇としては、薄っぺらな感じがあるが、
主人公の小林虎三郎を演じた吉右衛門の演技が、それを救っている。血気には
やり、夜中に大勢で虎三郎宅に押し掛け、抜刀して、己らの主張を通そうとする
藩士たちに対して、情理を交えた説得をする吉右衛門の台詞回しに緩急の巧さが
あり、そこが聞きどころ。藩士たちを演じる歌昇、玉太郎、橋之助、染五郎な
どは、弱い。孝太郎の武家の女房に味わいがある。この人は、このところ、進境
著しいのではないか。

「紅葉狩」は、4回目。更級姫で言えば、いずれも歌舞伎座で、95年12月
の玉三郎、98年11月の芝翫、2000年8月の福助、そして今回が雀右衛門。
更科姫は、つくづく、難しいと思う。雀右衛門の更級姫は、「二枚扇」が巧くで
きなかった。私が観た、舞台では芝翫が、元気がないときで、ふたつの扇子を扱
う場面で扇子を落としていた。前回の福助も、危うい場面が何回かあった。玉三
郎が、いちばん安定していた。こういう場面は、プロの舞台としては、情けない。
不安感がないような舞台にするというのが、最低限の基準だろう。その上で、役
者の味わいがどう出るか、そういうものを観客は観に来ている。

「能取りもの」でありながら、「松羽目もの」ではない。舞台下手から上手へ、
常磐津、長唄、床の竹本。全てが出語りの三方掛け合いという下座音楽。今回、
竹本の太夫のひとりが、葵太夫だったが、風邪をひいているような声に聞こえた。

女形役者による「前シテ」と「後ジテ」の変化の妙が売り物になる。それだけ
に、私が観た「紅葉狩」では、玉三郎が前シテで美貌を売り物にしていただけに、
後ジテで、鬼女に変わったときの変わり様も、ほかの役者より「段差」があり、
メリハリが効いていたように思う。それだけの演目とは、勿論、思わないが、そ
の場合には、そういう玉三郎の美貌を越える藝の提示が必要だろう。

雀右衛門の舞台は、80歳を越えた彼が、これまでは、年齢による衰えを藝でカ
バーしてきた。また、それが雀右衛門の存在感であり、安心できる藝になってい
た。ところが、今回は、衰えが、まともに見えてしまった。ほかの舞台も、そう
なのかどうか知らないが、新聞の劇評にも「扇の扱いはおぼつかないが、濃厚か
つ悽愴な味はこの人ならではだ」と書かれてしまった。

21世紀に入ったとたん、歌右衛門、羽左衛門が相次いで亡くなってしまった。
そういうなかで、最長老の位置に押し出された雀右衛門には、いつまでも元気で
舞台を勤めて貰いたいという気持ちが強い。それだけに、今回の二枚扇のミスは、
体調不良でミスをした芝翫の場合とは、違う不安を私のなかに生み出したのも事
実だ。杞憂であれば、良い。

維茂(梅玉)に付く従者の右源太(東蔵)、左源太(友右衛門)で前回の、右源
太(八十助)、左源太(勘九郎)ほど踊りが巧くないが、ベテランの味わいがあ
った。維茂の梅玉は、2回目。歌昇、富十郎でも観ているが、梅玉のようなガラ
の方が似合う。山神は、吉右衛門が初役ながら、重厚。すでに、勘九郎、八十助、
勘太郎で観ているが、勘九郎、八十助の味も捨て難いが、吉右衛門は別格の味わ
い。
                                                                                                                                                                       
 いずれにせよ、紅葉狩は、良くできた作品で、「京鹿子娘道成寺」同様に、
踊りの大曲に味がある演目であり、何度観てもあきない。特に、前半、皆が替る
替る踊ってみせる「シヌキ」の妙もあり、楽しい。それだけに、役者衆には、し
っかりした踊りが要求されると思う。腰元・野菊(玉太郎)が、印象うすい。
ほかに、更科姫の侍女に芝喜松、芝のぶら。

「女殺油地獄」は、江戸時代に実際に起きた事件をモデルに仕組んだと言われる
江戸の人形浄瑠璃から明治の末年になって、歌舞伎化されたという演目。浄瑠璃
は近松門左衛門の作品。近代性の強い劇ゆえに、江戸時代は、歌舞伎としては、
上演されなかったという事実がある。明治40(1907)年、東京の地芝居で
上演され、その後、明治42(1909)年、渡辺霞亭の台本で、大阪の朝日座
で上演された。                                                                                                 

前回、98年9月・歌舞伎座で仁左衛門、雀右衛門という重厚なコンビで拝見し
た。これは、これでとても良かった。上方の味が染み付いている仁左衛門の演技。
女房の演技に定評のある雀右衛門。この演目の当代では、最高の配役である。今
回は、若い染五郎(与兵衛)、孝太郎(お吉)という花形コンビだ。実力では、
「仁・雀」コンビに叶わない。なら、若いふたりの舞台に、なにを期待すべきか。
単純なことだが、それは、若さでしか演じられない「女殺油地獄」の世界だろう。

ことしの6月、福岡の博多座で、今回とほぼ同じ顔ぶれで演じられ、「染・孝」
コンビが、評判になった。違うのは、主な役としては、殺される女房・お吉の夫・
七左衛門が、信二郎から友右衛門に、与兵衛の兄・太兵衛が芳彦から玉太郎に、
替わっている。

博多座の評判は、聞いたとは言うものの、あまり、期待しないで、というと若い
ふたりに失礼なことだが(あまりにも、前回の「仁・雀」コンビが、築き上げ
た「女殺油地獄」の世界が、完成していたように私には観えたから、それは、
許して貰いたい)、実は、「染・孝」コンビは、別の魅力がある「女殺油地獄」
の世界を私の前に見せてくれた。特に、染五郎は、今月の舞台では、ほかの演目
では、全くといって良いほど精彩がなかったが、その分を全て挽回するような、逆
転ホームランを打ってみせたと言っても、褒めすぎではないと私は思う。

こういう話の場合、いかに、登場人物にリアリティを持たせられるかが大事だ。
染五郎は、発作的に犯罪に走る、現代の犯罪青年にも通じるようなリアリティを
感じさせる青年像を作り上げた。明るさ、頼りなさ、不安定さ、不思慮、危うさ、
甘さ、そういう言葉で表現される脆弱な青年像を染五郎は、多分、演技というよ
りも、彼自身の持ち味が幸いする形で与兵衛という人物に投影できたのではない
か。

また、こういう青年に慕われる若い人妻・お吉の危うさを孝太郎が、演じてい
る。人が良く、世話好きで、姉が弟のような青年のことを心配するという気持ち
が、大人の社会では通じない。「不義(いまなら、不倫)ではないか」という眼
で見られがちだ。封建時代ならなおさらそうだったろう。そういう世間の眼が、
世間からそう見られていると感じる与兵衛の心が、ふたりを地獄の世界に連れて
行く。甘えられる相手ゆえに、この人なら、「殺されてもらえる」という与兵衛
の歪んだ心情。まるで、いまのような犯罪心理の現代性さえ、感じる。

お吉の方は、善意が、結果として、世間の眼が期待する方向に、そういう隙を与
兵衛に感じさせるということに気が付かない。多分、なぜ殺されるのか、よく判
らないまま、殺されたのではないか。そういう感じを孝太郎の、あの「おちょぼ
口」を中心にした顔の表情が、巧みに表現している。そういう彼女の善意を大人
の社会では、危ぶむのだ。その大人社会の常識通り、彼女は、青年に対する善意
ゆえに、「不義になって、(金を)貸してくだされ」と甘えたことを言う青年の
衝動に殺されてしまう。若者たちが、共同幻想の果てに作り上げる自分たちだけ
の世界がある。

与兵衛の父母を演じた幸右衛門、吉之丞が、若いふたりでは、埋められない部分
で燻し銀のような演技力を発揮している。このふたりが、凄く良い。老人たち
は、また、社会を現に支えている大人の常識では、対応しないような世界を作り
上げているものだ。これも、共同幻想の世界なのだが、それが、奇妙に、若いふ
たりが築いている砂上の楼閣のような世界とバランスが取れている。その対象
の妙が、今回の舞台を成功させている。

与兵衛の義父・徳兵衛は、店の使用人から先の主人で、与兵衛の実父の死後、義
父になったという屈折感がある。実際、そういう家庭環境への不満が、与兵衛を
愚連(ぐれ)させている。つまり、義理の息子を甘やかしている。気が弱いなが
ら、そういう自覚があり、手に余る与兵衛が、妻であり、与兵衛の実母であるお
さわ・吉之丞らに家庭内暴力を振るう様を見て徳兵衛は、義理の息子を店から追
い出すが、追い出した後、与兵衛の姿が、恩のある先の主人にそっくりだと悔や
むような実直な男だ。そういう男の真情を幸右衛門は、過不足なく演じている。

吉之丞のおさわも、いまの夫に気兼ねしつつ、ダメな息子を見放せない。夫に隠
れて、追い出す息子を見送るが、夫に気づかれたときに、夫と目をあわすタイミ
ングの巧さ。ふたりのベテランの役者の演技の妙。「ダメな子ほど、可愛い」
と言われる世間智の説得力を老夫婦が、十二分に見せつける。これでは、観客が
泣くはずだ。

そういう、ふたつの、ある意味では、「非常識な世界」に対して、お吉の夫・豊
嶋屋(てしまや)七左衛門を演じる友右衛門は、傍役ながら、ふたつの世界の間
にある、幻想ではない、大人の常識の世界があることを観客に思い出させる。出
番は、控えめだが、仕事、仕事に追われる男の慌ただしさと堅固さを、主人「不
在がち」による豊嶋屋の危うさ、要所要所で、そういう存在感として友右衛門の
演技は、示していた。こういう味わいは、前回の博多座の信二郎では、出せなか
ったのではないかと、推測する。今回の、舞台の成功のポイントは、意外と、
友右衛門に七左衛門の役を振り当てた時点で、決まったのかも知れない。

大道具・小道具のウオッチングでは、前回の舞台でも感じたのだが、殺人現場
の「豊嶋屋」の店先の天井から吊るされた明かり(まるで、電灯の笠のようなモ
ダンなもの)は、行灯などが主体の当時のことだから、蝋燭なのだろうが、不思
議な存在感がある。また、帳場には、大福帳と「金銀出入帳」が掛けてある。特
に、当時、銀本位制度をとっていた上方の商家らしい「銀」という字が、「生世
話もの」の舞台のリアリティをさりげなく主張している。

殺人現場で、店先にある油の入った樽が次々に倒され、なかの油が、舞台一面
に流れ出る。座敷きにも逃げるお吉を追って、与兵衛は、油まみれのままにじり
寄る。ふたりの衣裳も「油まみれ」に見える。不条理劇を象徴する、見事な場
面が、延々と展開する。お吉を殺した後、花道に掛かるポイントで、惚けたよ
うな表情の与兵衛を演じる染五郎が凄い。この表情ができるだけでも、染五郎の
与兵衛は、仁左衛門とは、違う味わいがある。この若さゆえの惚けた表情は、仁
左衛門には出せないかも知れないと思った。博多座の大評判の元は、ここにあ
ったと思う。

花道も、「油まみれ」だ。閉幕後、何人もの観客が、道具方がモップで掃除を始
めた花道まで来て、板を汚した「油」を点検していた。私も、もちろん、触って
みたが、外見上「ぬるぬるして見えた」ものは、意外とサラッとしていて、粘着
力のない液体だった。布海苔を油のように見せているという。



- 2001年9月20日(木) 7:51:55
2001年 9月 ・ 歌舞伎座    (昼/「明君行状記」「俄獅子」「三社祭」
                            「一谷ふたば軍記〜陣門・組打〜」「藤娘」)

歌舞伎の役者たちは、皆、廻り舞台の上に乗っている。21世紀は、世紀の変
わり目であると同時に、歌舞伎の世界では、役者の世代交代の変わり目である。
8月の納涼歌舞伎という花形・若手などの役者が創る舞台の雰囲気を9月の歌舞
伎座も、色濃く残している。三之助が軸になり、團十郎を後見人にして、新橋演
舞場に出演している。歌舞伎座は、芝翫を後見人にして、橋之助、染五郎、孝太
郎が、実質的に軸になっている。吉右衛門は、もう、別格。こうした役者の顔ぶ
れを見て、そういう舞台だと思いながら、歌舞伎座の入り口を潜った。

「明君行状記」は、真山青果の新歌舞伎。私は、初見。岡山藩主・池田光政と家
臣の青地善左衛門の物語り。梅玉の光政、橋之助の善左衛門。名君の誉れ高い光
政の、その名君ぶりに疑惑を抱く青年・善左衛門が、一命に代えても殿様の本心
を知りたいという動機が、良く判らなかった。御禁制の鷹場で、過って鉄砲を
撃ったというアクシデントは判るが、そういうアクシデントを「切っ掛け
に」、上記のような動機が生まれたというところが、判りにくい。本心で生きて
いない(であろう)大人と本心で生きたいと思う青年の、人生の価値観を巡る論
争という普遍的なテーマである。論争の部分は、良く判るが、その論争の入り口
にあたる動機付けが弱い戯曲だと思った。それは、指摘するだけにとどめる。

「元禄忠臣蔵」「江戸城総攻」「頼朝の死」など、いくつかの青果劇を観て来た。
青果劇は、総じて、台詞劇であり、台詞のやり取りの丁々発止が、魅力である。
今回の「明君行状記」も同様である。情をベースにした光政と不利と知りながら、
理を主張する善左衛門。梅玉の光政は、懐の深さを表現し、橋之助の善左衛門は、
相変わらずのオーバーな演技が、気にかかる。演技が大仰なため、肚が空っぽと
いう印象が残る。橋之助の最大の課題だろう。

新歌舞伎だけに、幕が開くと、一瞬、静止画の舞台となり、暫くして芦燕の磯村
甚太夫が台詞を言いはじめる。芦燕の台詞が聞き取りにくい。元気がないような
感じだ。善左衛門の妻・ぬい(孝太郎)、弟・大五郎(玉太郎)が、叔父・磯
村甚太夫の叱責を聞いている。孝太郎の武家女房ぶりが良い。善左衛門のことを
心配して、幼友達で従兄弟の筒井三之允(染五郎)も訪ねて来るが、殿様の意
向をたずさえて来たと知ると喧嘩別れをしてしまう。染五郎の印象も弱い。

岡山城内の書院の間。幕が開くと「時計」の音を効果的に使っている。時計の音
は、光政と善左衛門の「対決」の場面でも効果的だ。論争の果てに、証人とな
る若党の死を利用して、死人に口無しで、証言を得られないから、「疑わしきは、
罰せず」という結論を導き出す光政の情をベースにした理の主張に負けを認める
善左衛門。「一件落着」の場面では、太鼓の音を使う。このあたりは、歌舞伎の
音遣いの巧さを感じる。光政の側近・山内権左衛門の東蔵は、台詞も控えめだが、
存在感があった。

「俄獅子」「三社祭」は、浅葱幕を巧く使って、一演目にしている。「俄獅子」
は、初見。松江の芸者と歌昇の鳶頭が「俄(仁和賀・にわか)」を演じる場面。
獅子ものを「俄」仕立てにしたところが、この演目の味噌だろう。相生獅子のも
じりで、遊廓・吉原の年中行事と俄の模様を所作で表現し、それを獅子もの仕立
てにする。そういう江戸趣味の趣向が魅力の演目。扇子に牡丹の絵。若い者の
持つ花笠も牡丹。紅白の手獅子(扇子を利用した獅子頭)。松江と歌昇の踊りを
堪能。附打は、この前まで舞台上手袖で、舞台に出ている先輩といっしょに陰
打ちをしていた原田陽司が担当。打ち方が少しオーバー気味か。「引っぱり」
の見得に、浅葱幕の「振りかぶせ」、そして、「振り落とし」で、「三社祭」へ。

「三社祭」は、3回目。浅草三社祭の縁起を描く山車の人形に魂が入って、漁師
の兄弟が踊りだすという趣向の、清元の舞踊劇。軽快で、リズミカル、その上、
テンポもある。粋で、きびきびしている。そういう江戸好みの所作事である。後
半は、天井から降りて来た黒雲が善玉、悪玉を隠していて、それぞれが、ふたり
に取り付く人形ぶりになる。テンポのある早間の踊りなので、ふたりの息が合わ
ないと踊りにならない危険性がある。目を瞑っていても、ふたりの息が合う。そ
ういう舞台を期待して観客は観に来る。難しい踊りだ。

私が観た舞台は、96年10月・歌舞伎座の富十郎と勘九郎。99年8月・歌舞
伎座の勘太郎と七之助。そして、今回の橋之助、染五郎。富十郎と勘九郎の達者
ぶり。勘太郎と七之助の初々しさ。それらに比べて、今回期待すべきものは、な
にか。そう考えていたら、「精進」という言葉が浮かんで来た。「初々しさ」
では、「免責」されないが、「達者」を期待するのは、まだ早い。そういう藝を
拝見できれば、上々と思った。しかし、橋之助、染五郎の息が合っておらず、ち
ょっとがっかり。跳躍が所作に入っていたりする演目で、巧くやらないと「運動
会」になってしまう。「運動会」も勘太郎と七之助なら許せるが、今月、舞台の
軸になっているふたりの場合には、許されない。息の合ったきびきびした踊りが
観たかった。笛は、陰囃子ながら、田中伝太郎として聞いた。

昼の部の見物は、次のふたつ。「陣門・組打」と「藤娘」。ふたつとも見応えが
あった。「陣門・組打」は、2回目。前回は、96年2月・歌舞伎座で「陣門・
組打」「熊谷陣屋」という構成で拝見。直実は幸四郎、小次郎/敦盛は染五郎、
玉織姫は藤十郎、平山武者所は坂東吉弥。今回は、直実・吉右衛門、小次郎/
敦盛・梅玉、玉織姫・松江、平山武者所・芦燕。

「陣門」は、都を落ち延びた平家方の陣門に、源氏方が攻め寄る。源氏方の先陣
に直実、小次郎の親子、平山武者所。平家方は、敦盛、敦盛許嫁の玉織姫。一番
手に攻めて来た小次郎は、平家の陣門のなかから聞こえる笛の音に聞き惚れる。
そこへ駆け付けた二番手の平山武者所に、三国志の故事を引き、笛の音は、平家
の策略だから攻め込めと促されて、平家方の士卒を追って、陣門のなかへ入る小
次郎。先陣争いで小次郎に負けた平山武者所の陰謀。三番手が、直実。花道から
出て来る吉右衛門の直実は、豪宕(ごうとう)な存在感があり、第一声から時代
の台詞回しが見事。そう、今月の歌舞伎座は、これを観に来たのだ。

「後詰めを待て、と言ったのに、お宅の息子は、功を焦ってひとりで陣門のなか
へ押し入った」と嘯く平山武者所。ずるい男・平山武者所は、熊谷親子に害意を
抱いている。悪役ながら、あるいは悪役ゆえに、「陣門・組打」という場面では、
重要な役どころを担う。芦燕には、その「狡さ」の存在感がある。息子・小次郎
の加勢に陣門に攻め入る父・直実。力の籠った歩き方で、武人としての優秀さを
吉右衛門の直実は、強調する。ここは、後の「熊谷陣屋」の場面の伏線として、
直実は、観客に判りやすいように(実は、観客を騙すのだが)、素直に肉親への
愛を演じる。平山武者所が悪役ぶりを強調するのは、対照的に、熊谷親子の善良
ぶりを強調する仕掛けである。

やがて、平家方の勝鬨の声。父・直実は、傷付いた息子・小次郎を抱えて、逃げ
て来る。何故か、兜で顔を隠したままの小次郎(実は、吹き替え)。すでに、
直実の「策略」(と言うか、正確には、原作者・並木宗輔の策略)は、始まって
いる。「熊谷陣屋」が、「見せる」トリックなら、ここの一連の「策略」は、
「見せない」トリックなのだ。そこにこそ、「陣門・組打」の隠し味がある。

やがて、平家の陣門から敦盛が白馬に跨がって、朱色の母布(ほろ)を背負っ
て、攻めて出て来る。直実に後を託されたはずの平山武者所は、逃げ出す。敦盛
は平山を追って花道を通り、向う揚幕のなかへ入って行く。母布は、背後から
撃ちかけられる矢を防ぐ道具であり、多数の武者が行き交う戦場で、伝令とし
て動く役割の武者を陣屋にいる指揮官が識別する標しでもある。本来の戦場なら、
平家の若大将・敦盛が伝令役とも思えない(後に黒馬に跨がった直実も、同じよ
うに紫色の母布を背負って出て来る。これも伝令役の役どころではない)が、こ
れは、外形を重視する歌舞伎の美学だろう。

舞台は、浪幕の振りかぶせで、場面展開。須磨の浦の体。向う揚幕より敦盛の許
嫁・玉織姫(松江)登場。さらに敦盛から逃げ延びて来た平山武者所も姿を現す。
かねてより玉織姫に懸想をしていた平山は、戦場であることも忘れて、姫に言い
寄る。相変わらず、狡い平山を原作者は、強調することを忘れてはいない。敦盛
を討ち果たしたと嘯く平山。夫の敵と斬り掛かる玉織姫。しかし、玉織姫は、逆
に平山に刺される。

浪幕の振り落としで、第二場「須磨浦浜辺組打の場」へ。海のなかには、御座舟
などが遠くに見える。向う揚幕から、再び、馬に乗った敦盛登場。花道から本舞
台下手、そして、舞台中央でひとまわりした後、上手へ入る。沖の舟を追って、
やがて、浪手摺の向うを通り、上手から下手へ。さらに、浪手摺に隠された二重
の上に乗る敦盛は、子役による「遠見」に替わっている。馬に乗った敦盛が、海
のなかへ徐々に分け入るという、憎い演出。「おおい、おおい」の声の後、揚幕
から黒馬に乗った直実登場。「引き返して、勝負あれ」と敦盛に呼び掛けながら、
敦盛の後を追い、同じようなコースをとりながら、舞台中央で、子役による「遠
見」に替わる趣向。浪間の「遠見」で、打々発止と戦う源平の武将たち。

浅葱幕の振りかぶせ。やがて、敦盛を乗せていたはずの白馬だけが、ひとりで
幕の向う側、舞台上手から出て来て、下手、花道を通り、向う揚幕に引っ込む。
主人と逸れた哀感を白馬が過不足なく演じる(「陣門・組打」では、白馬も黒
馬も、実は、重要な役割を演じるので、注意)。浅葱幕の振り落とし。舞台中央
に、赤い消し幕。セリ上がりで、敦盛(梅玉)と直実(吉右衛門)の組打。一連
の演出は、簡素で、象徴的で、無駄がなく、洗練されている。歌舞伎らしい舞台
だ。平家の武将を敦盛と知った(「風の」、と言うのが、正解なのだ。実は、す
でに敦盛は、小次郎にすり替わっているはずなのだ。だが、そういうことは、お
首にも出さない。直実役者は、一ケ所だけ除いて、観客には、「敦盛」と思わせ
なければならない)直実は、周囲に他人目がないのを確かめると「落ち給え」
と敦盛を救おうとする。しかし、「平家の武将」として潔く死のうとする敦盛
(小次郎)。親子の情と「子」の武士の誇りが交錯する。

しかし、他人目はあった。憎き平山が、遠くから一部始終を見ていて、平家の武
将を早く討てと直実を促す。悪の役割は、芝居の味を濃くする。敦盛(小次郎)
を討ち取る直実。親子の情が、「父」の武士の誇りに負けた瞬間だ。遠くで勝
鬨をあげる平山たち。「熊谷陣屋」の場面で吹き出る直実の「諦観」は、この
場面で固まったと、私は観る。並木宗輔の「親の情」の描き方は、生半可ではな
い。また、それを十二分に感じさせる吉右衛門の演技の的確さ。最高の直実役者
だ。

戯曲としての「一谷ふたば軍記」を考えると、直実は、舞台で、敦盛をトリック
も含めて、「3回」逃がそうとする。1回目は、傷付いた小次郎と見せ掛けて、
「兜を被せたまま」、敦盛を戦場から熊谷の陣屋に連れて逃げる。小次郎を敦
盛の身替わりに扮するようにして平家の陣門に残す。2回目が、この場面だ。敦
盛に扮したままの、我が子・小次郎も、できることなら助けたい(あるいは、
少しでも死の瞬間を先送りしたい)。しかし、義経の暗示を受け止めている直実
は、いずれ、息子を殺すしか途がないと思っている。それが、平山の声に背を押
されるようにして、この場面で、「兜をとり」敦盛であることを強調しながら、
我が子・小次郎を殺してしまう。「父親」の諦観、無常観の極みに、直実はい
る。3回目は、熊谷陣屋で、鎧櫃に身を隠したままの敦盛を鎧櫃ごと平家方に渡
す。

平山らの勝鬨を聞き付け、瀕死のなか、意識を戻した玉織姫の頼みで、直実が、
「敦盛」の首を姫に見せる場面がある。このとき、直実は、「敦盛」の首が、
小次郎の首だと知っているので、それを玉織姫に悟られるのを恐れて、姫の眼が、
すでに見えなくなっているのを確かめる場面がある。直実は(というか、原作者
は)、いままで、観客には、「敦盛、実は、小次郎」というからくりを隠してい
たのだが、この場面のみ、その「からくり」を観客に暗示しているのである。判
る人には、判らせても良いという原作者の「趣向」か。

さて、敦盛(小次郎)を殺した後の直実の「後処理」が、見事だ。「敦盛」との
最期の別れのために、花道付近まで戻って、見張りに立つ直実には、大人の男
の情がある。やがて、息絶えた玉織姫と首のない敦盛(それは、もう、完全に小
次郎そのものだ)の、ふたりに対して「どちらを見ても蕾の花」と、若くして
死ななければならない身を嘆く。

玉織姫の遺体には、敦盛の朱色の母衣を被せる。「敦盛」の遺体には、自分の紫
色の母衣を被せる。切り取った紫色の母衣の一部で「敦盛」の首を包む。来世の
契りを誓う玉織姫と「敦盛」の、ふたりの遺体を板に乗せて海に流して、ふたり
に手をあわせて、弔う直実。敦盛の身につけていた鎧、兜、刀などは、自分の黒
馬の背に括りつける。戦場ゆえに、遠寄せの音が、直実の心を急かさせるのだが、
それに動じず、直実は、死者たちの浜辺で、ただひとりの生者として、有能な武
人らしく、こうした「後処理」を着実にこなして行く。

その手順の有能さ。ひとり舞台で、至難の演技が、要求される。直実も有能なら、
役者・吉右衛門も有能だ。初代の吉右衛門は、この場面が素晴しかったという。
竹本の語りの文句から、この場面は、「檀特山(だんとくせん)」と呼ばれるが、
「檀特山」は、「断(然)特撰」と駄洒落も言いたくなる名場面だと思う。原作
者・並木宗輔は、人形浄瑠璃や歌舞伎の台本を書く前は、禅宗の僧侶だが、その
前に何をしていたか不明だ。しかし、武家の出で、当人も有能な武人だったのが、
なにかがあり、出家をし、さらに、還俗をして、世俗的な狂言作者になったので
はないかと、私は、推察している。

さて、黒馬も、巧い。ともすると、無常観に打拉がれそうになる直実の心を引き
立てるのが、この馬だ。下手から戻って来た黒馬に出逢ったときの直実は、戦場
で、唯一、心を許せる戦友に逢ったような表情を見せる。「後処理」を済ませ
た直実が、自分の陣屋に戻ろうとする際、直実は、2回、馬に引き戻される。我
が子・小次郎を亡くしたばかりの父親として直実の情を、なぜか、馬は、それこ
そ、動物的な勘で、知っているのだろう。気力を振り絞るようにして、馬を引く
直実。馬が、主人の気持ちを察して、元気づけたのだと私は思った。

無情に響く遠寄せ。眼玉を中央に寄せて、見得をする吉右衛門の直実。その見得
に、子を亡くした親としての哀感が漂う。この場面の見どころが、集中的に表現
されていたように思う。「熊谷陣屋」の幕外の引っ込みに匹敵する重厚な、引っ
ぱりの幕切れだと思う。並木宗輔は、「組打」(二段目)も、「熊谷陣屋(三段
目)」も、力一杯書いている。須磨の浦にもロケハンに行っているという。そし
て、初演を見ないまま、亡くなっている。人気の「熊谷陣屋に比べると、上演回
数の少ない「陣門・組打」だが、是非、二段目、三段目の通しで、上演する機会
を増やして欲しい演目だ。また、小次郎/敦盛初役の梅玉も、気品があり、良か
った。

 「藤娘」は、8回目。本来、「吃又」の浮世又平の描いた大津絵から藤の精が
抜 け出して、娘の姿で踊るという想定。だから、大津絵という素材から琵琶湖
を背景にした藤の花もあるが、これは、稀。3回観た雀右衛門の舞台で、一度琵
琶湖を背景にした藤の花を観たことがあるが、ほかは、皆、松の古木に蔓を掛け
た藤の花々。
                                                                   
7年ぶりに藤娘を踊るという芝翫の舞台は、2回目。7年前に観ているのを忘
れて、先日の「日記」には、初めてと書いてしまった。しかし、芝翫の藤娘へ
の印象は、勘九郎が藤娘を初演した、ことし3月の歌舞伎座の舞台への批評に同
じことを書いている。「遠眼鏡戯場観察」の検索キーに「藤娘」と入れて、確認
した(この検索キーは便利)。このほか、勘九郎、玉三郎、菊之助の藤娘を拝見
している。それぞれの藤娘に味があり、雀右衛門は華麗、芝翫は初々しさ、玉
三郎は綺麗、菊之助は若々しさ、勘九郎は愛嬌。今回の芝翫は、さらにお茶ピー
という味も加わっていた。 
 
- 2001年9月19日(水) 9:32:30
2001年 8月・歌舞伎座・納涼歌舞伎
       (第2部/「元禄忠臣蔵〜御浜御殿綱豊卿〜」「化競丑満鐘」)

「元禄忠臣蔵〜御浜御殿綱豊卿〜」は、95年6月・歌舞伎座で拝見しているが、
6年前で、歌舞伎を見始めたばかりであった。当時の配役は、綱豊卿に團十郎、
富森助右衛門には、今回と同じ勘九郎、お喜世に藤十郎(そろそろ、歌舞伎の
舞台への復帰してほしい)、江島に時蔵、新井勘解由に亡くなった権十郎という
顔ぶれ(そう言えば、十郎、九郎の多い舞台だった)。團十郎の綱豊卿に印象が
残っているが、舞台全体の印象は、薄れている。00年10月の仁左衛門の綱豊
卿は、評判が良かったものの、私は、残念ながら拝見できなかった。

今回は、綱豊卿、つまり、徳川綱豊(1662−1712)が、「甲府中納言」
(真山青果原作の、この舞台では、「甲府宰相」となっているが)と呼ばれ、
「甲府宰相」と呼ばれた甲府藩主で父親の徳川綱重(1644−1678)の跡
を継いで、16歳で甲府藩主になり、さらに、43歳で五代将軍綱吉の養子にな
り、家宣と改名。その後、1709年、46歳で六代将軍となる(将軍職は、
3年余)ことなどを承知の上、私も、ことしの夏で、甲府勤番1年余という状況の
なかで、今回、この芝居を拝見している。そういう意味で、この芝居への「傾斜
度」が、前回とは違うので、又、別のものが観えてくるという期待があった。
なお、御浜御殿とは、甲府徳川家の別邸・浜御殿、浜手屋敷で、いまの浜離宮の
ことである。

三津五郎、初役の綱豊卿は、小柄ながらも、風格のある殿様を演じていた。團十
郎の綱豊卿が江戸風なら、三津五郎の綱豊卿は、甲府の残香があるような、とい
う違いか。なにかというと、高笑いをする綱豊卿に、特に、それを感じた。勘九
郎の助右衛門は、熱演。それを観ても、6年前の助右衛門の姿が、思い出せない
のが、もどかしい。第二幕第三場「御浜御殿綱豊卿御座の間」での綱豊卿と助右
衛門の対話は、台詞劇そのもので、特に、助右衛門の勘九郎は、気持ち良さそう
に台詞を言っていた。こういう役柄は、勘九郎は、好きなんだろうね。

助右衛門の名義上の妹で、綱豊卿の寵愛を受けている中臈・お喜世の勘太郎は、
初々しい町娘の風情を残したままの側室で、なかなか、良かった。勘太郎、七之
助とも、荒削りの部分は、まだ、なくなっていないが、順調に育っていると見受
けた。

江島の福助は、さすが、貫禄がある。嫌みのない役柄で、気持ちの良い役である。
上臈・浦尾の秀調は、憎まれ役に、存在感があった。花形歌舞伎の舞台では、彼
のような、あるいは、津久井九太夫の幸右衛門、外廊下を通り過ぎるだけだが、
座敷内から刀に手をかけたまま打って出ようとする助右衛門の緊迫感を観客に感
じさせる場面での吉良上野介の佳緑、下屋敷番人・小谷甚内の助五郎ような、渋
い役者が脇を固めると舞台に奥行きが出る。

新井白石である新井勘解由の歌昇は、重厚な演技。中臈・お古宇の芝のぶは、い
つもの舞台より、大きな役柄を振り分けられ、力一杯演じていて、好感が持てた。
本当にこの人は、いつみても爽やかである。こういう舞台を経て、芝のぶも成長
して行くのだということが、実感された。

第二幕第四場「御浜御殿御能舞台の背面」では、「望月」の後ジテに扮した綱豊
卿に、後ジテは吉良と思い込み、槍で突いてかかる綱豊卿と助右衛門との立ち回
りに、桜の木から花びらが散りかかるが、この場面の「散り花」の舞台効果は、
憎いぐらいだった。

綱豊卿は、生類憐れみの令で悪評の、犬公方と陰口を叩かれた五代将軍綱吉の養
子となり、悪政改革の期待の星であった。新井白石という知恵袋を重用して、綱
吉の遺風を一掃する。そういう庶民の期待感が、赤穂家の再興と仇討ち成就とい
う通俗的な歴史観を持つ庶民の期待にも繋がり、そういう歴史観の流れを踏まえ
て、真山青果は、武士のあるべき心という封建道徳を純化する人物として綱豊卿
の人間像を描き出している。地元・甲府では、綱豊卿より、やはり武田信玄の方
が、遥かに知名度があり、余り、一般には知られていないというのが実情である。

さて、「化競丑満鐘」は、曲亭馬琴原作の浄瑠璃ものだが、人形浄瑠璃の舞台で
は、何度か演じられてきたが、歌舞伎は、初演。化け物たちのお家騒動の物語。
昔話というか、絵本というか、そういう世界。

綱豊卿の知恵袋という新井勘解由の重厚な演技から、笑いと軽みの狸になるのが
歌昇だが、実は、主役。主家の家宝の文福茶釜を紛失してから、腹鼓指南で家計
を支えている。耳の生えた鬘で観客席を笑わせる。狸の女房・雪女に、福助。ふ
たりの間にできた子どもが、河童の「河太郎」。雪女の兄で憎まれ役の獺(かわ
うそ)に橋之助が、扮しているが、彼は、愉しそうに演じていって、余裕の獺
だ。鎌鼬(かまいたち)に染五郎。染五郎は、チャリ場に、意外な魅力を発揮す
るのだが、今回は、中途半端で、不完全燃焼と観た。三津五郎の青鷺之進は、鳥
のため、出番の最初から宙乗りで、舞台下手の上の方から出て来る。

主家の姫君・「ろくろ姫」に孝太郎。ろくろ姫は、名前の通り、「ろくろ首」
の持ち主で、狸が借金取りを嫌って、狸寝入りをして、開けようとしない閉めき
られた木戸もなんのその、するする伸びた首だけが、狸の住家に入ってくる。
この仕掛けが、人形浄瑠璃の仕掛けを援用していて、おもしろい。

孝太郎から、孝太郎そっくりの首を付けた人形になり、首(つまり、「切り首」
の一種だが、首に長い喉が、どこまでもついてくるため、「切り首」には、な
らない)を伸ばすと、家のなかにある衝立の後ろに入る。外にある胴体は、黒衣
が、両手を操作する。衝立を利用して、首だけを孝太郎に早替わりさせ(つまり、
「本首」)、台詞を言わせる。終わると、再び「切り首」と早変わり。首が、家
の外にある胴体に、するすると戻り、再び、「首の据わった」ろくろ姫の孝太郎
に早替わりするという愉しさ。ろくろ首のろくろ姫を操るのに、黒衣、4人掛か
りとなる大仕掛けだ。

いずれにせよ、筋よりも、役者の「俳優祭」にも向きそうな趣向の演目だが、お
家のために、女房の雪女をろくろ姫の身替わりにするしかないと心に決めて、狸
が家に帰って来る場面は、「寺子屋」の源蔵の出のパロディと判るように、向う
揚幕を音もなく開ける。姫の首実験をする鎌鼬の出も、「寺子屋」の玄蕃のパロ
ディと判る。鎌鼬が狸に言う「ハテサテ、命は惜しいものだなあ」という台詞も
源蔵へ投げかける玄蕃の台詞、そのまま。そういう眼で見れば、獺は、「義経千
本桜」の「鮨屋」のいがみの権太のパロディではないか。そういう隠された趣向
を宝探しのように楽しめる人には、おもしろい演目だ。もうひと工夫、ふた工夫
したら、歌舞伎の数少ない、笑劇のパロディとして貴重な演目にすることができ
るのではなか。

- 2001年8月25日(土) 16:16:18
2001年 8月 ・ 歌舞伎座・納涼歌舞伎
    (第1部/「菅原伝授手習鑑〜寺子屋〜」「色彩間刈豆〜かさね〜」)

「菅原伝授手習鑑〜寺子屋〜」は、前進座の国立劇場公演も含めて、7回目の
拝見。納涼歌舞伎は、若手や花形が、大役に挑み、力を付ける舞台。「寺子屋」
では、松王丸が、12日の初日から20日までは、橋之助、武部源蔵が、同じく、
染五郎。私は、21日に拝見したのだが、ちょうどこの日から千秋楽の29日ま
で、松王丸が、染五郎、武部源蔵が、橋之助と、役割と変更。時代物の「寺子屋」
を、力を付けてきているとはいえ、花形役者たちが、どう演じるかが見所と思い、
私は、「鼠木戸」をくぐり抜けた。

「寺子屋」のように上演頻度の高い演目は、戯曲としては、充分に練れているし、
登場人物は、いわば記号のようなもので、観客も、その記号に対して、一定のイ
メージを持っているし、役者の方も、父親、兄、伯父・叔父、先達などからイメ
ージを引き継いでいる。そうなると、後は、従来にない新鮮な印象を観客に与え
る演技をするか、先達たちの演技を完璧に「模倣」するか(「親爺そっくり」と
いう掛け声が、それを象徴している)しかない。私が観たのは、5人の源蔵。こ
のうち、富十郎の源蔵を3回観ているが、このひとの源蔵は、渋味があってよい
のだが、「せまじきものは、宮仕えじゃなあ」という台詞を全部言わずに、竹本
に引き継ぐのが、私は、いつ観ても不満。私が観たなかで、ほどよかった源蔵は、
吉右衛門。忠義と人情の狭間で苦悩する源蔵とは、こういう男というリアリティ
があった。橋之助の源蔵は、節目節目を強調する余り、演技がオーバー気味で、
力み過ぎと観た。抑制とメリハリ、強調と力みの、兼ね合いが今後の課題だろう。

染五郎の松王丸は、台詞の一部に現代劇調があり、残念。松王丸は、幸四郎で
3回観ている。幸四郎は、まさに、松王丸役者で、ぴったりであり、染五郎は、
父親を真似ることが当面の目標だろう。しかし、まだまだ、足元にも及ばない。
ほかの松王丸では、襲名披露の仁左衛門と吉右衛門を観ているが、仁左衛門が、
思いのほか良かったという印象がある。この舞台では、吉右衛門が源蔵だったの
で、余計印象が良いのだろうと思う。

孝太郎の戸浪が、古色があり、時代物の味を出していた。戸浪では、松江で4
回観ているが、松江の古色と孝太郎の古色に、合い通じるものを私は感じて、戸
浪役者としての孝太郎の将来性を期待しながら拝見できた。玄蕃の出の前に、向
う揚幕から百姓の声がして、戸浪が菅秀才を押し入れに隠した後、源蔵と戸浪が、
ふたり連れ立って、上手の障子屋体へ入る場面は、短い道行きに観えた。夫婦仲
がしっくり行っているというのが、この一瞬の演技で表現されていると思う。

こういう花形役者に挟まれて、勘九郎の松王丸女房・千代は、一回り違うという
感じがする。花形から中堅へ、確実に勘九郎は、成長している。2004年の
十八代目勘三郎襲名目前の貫禄は、ほかの花形役者たちから、かなり水を空けて
いる。若い人たちは、どしどし先達の胸を借りて、藝の工夫魂胆を忘れずに精進
して欲しいと思った。このほか、私の観た千代では、雀右衛門2回、芝翫2回、
玉三郎1回。瀬川菊之丞1回。

亀蔵の玄蕃が、脇役の味を出していて、好演。寺子屋の子どもたちの親や祖父と
しては、よだれ繰りの父親役・四郎五郎が光った。このほか、七之助の園生の前。
「寺子屋」では、御簾内と本舞台での山台の金・銀の衝立の前と3組の竹本の太
夫と三味線方が登場する。3番手の喜太夫が、いつものように熱演していた。

「色彩間刈豆〜かさね〜」は、3回目の拝見。この演目では、3組の与右衛門と
かさねを観たことになるが、おもしろいことにいずれも味が違うが、見応えが
あった。まず、97年6月・歌舞伎座で拝見した仁左衛門の与右衛門と玉三郎の
かさねの、恰も「無惨絵」「残酷絵」(幕末期の浮世絵の一種)を見るような、
まさに「絵のような」舞台がいちばん印象に残っている。次いで、99年4月・
歌舞伎座、吉右衛門の与右衛門と雀右衛門のかさねは、またひと味違い、ふたり
の人間味が滲み出ているような舞台も良かった。今回の三津五郎の与右衛門、福
助のかさねは、また、味わいが違い、ふたりの場合は、3組のなかでは、踊りの
巧さが光った。

この演目の基本的な構成は、道行きとだんまり。道行きは、悲劇を予兆しながら
華麗に、だんまりは、起こってしまった悲劇に開き直って、大胆に演じるという
のが、ポイントだろう。手紙を読む場面で、黒幕一枚だった闇夜の背景が、一瞬
にして、月夜の野遠見に替わる場面展開のメリハリの良さ。太鼓と附打ちのコン
ビネーションの巧さ(附打ちは、我が保科幹であった)が、幕切れでは、太鼓と
拍子木のコンビネーションに、幽冥明らかならずという感じで、すり替わるとい
う辺りの演出の洗練さ。だから、歌舞伎はおもしろい。

この演目では、残酷な話を舞踊劇という綺麗な舞台に仕立てる必要がある。残酷
さを美にしてしまったのが、仁左衛門と玉三郎なら、残酷にならざるを得ない人
間の非情な哀しみを滲み出させたのが、吉右衛門と雀右衛門。残酷さを所作の優
美さというオブラートに包み込んだのが、三津五郎と福助ということではないか。
まだ、ほかにも工夫の余地があるかも知れない。次は、どういうカップルが、
どういう「かさねの世界」を、これまでの舞台の上に、「重ね」てくれるか、そ
れが観客の愉しみと言うもの。ということで、第1部は、終了。


- 2001年8月25日(土) 10:46:05
2001年 7月・国立劇場 
         (歌舞伎鑑賞教室/「近江のお兼」「人情噺文七元結」)

「大力乙女は、悲しからずや。湖(うみ)の青、空の青にも染まず、踊れり」。
「近江のお兼」は、初見。女形の所作事に立ち回りが組み込まれている。江戸時
代の甲府と縁の深い七代目團十郎(21)によって初演された「大切(おおぎ
り)所作事」は、女形に「荒事」を加味させた変化舞踊だ。近江八景をベースに
しているが、そのひとつが「晒女(さらしめ)の落雁」という「近江のお兼」。
力持ちの「團十郎娘」、こと「晒女」、ことお兼という若い娘の「武勇伝」が、
女踊りの隠し絵になっている。

幕が開くと、浅葱幕。幕が振り落とされると舞台中央にお兼(菊之助)。近江の
琵琶湖を背景に堅田付近が舞台。湖の青さが目にしみる。遠くに浮見堂が見える。
舞台上手、下手、中央と移動して、客席に挨拶するが、その足取りが娘らしくな
い。「蓮っ葉な」動作、お兼のなかの「團十郎娘」を感じさせる演出だ。晒し盥
を持ち、若緑の衣装に赤い帯、高足駄を履いた姿は可憐な賎女(しずのめ)。
花道から暴れ馬が登場。花道へ移動したお兼が、七三で馬の手綱を高足駄で踏み
付けて、押しとどめる。

こういう入りではなく、花道に飛び出した暴れ馬を追って向こう揚げ幕からお兼
が追い掛けてくるという演出もあるという。いずれにせよ、舞台で馬と絡むお兼
の所作事が続く。青い湖面の前で、踊るお兼は、決して湖の青さに染まらない。
そういう力強さを感じさせる。やがて、馬は、立ち上がり、前脚を高々と持ち上
げるが、これは、馬の脚役者のうち、後ろ足の役者が前足の役者を肩に乗せると
いう荒技。前足を持ち上げた状態が暫く続く。

馬が上手に退くと、漁師らがお兼に絡んでの立ち回りとなる。お兼は、両手に持
った長い晒し布を巧みに操りながら、立ち回りの所作。「越後獅子」でも見せる、
あの晒し布だ。長さが1丈2尺(およそ3・6メートル)ある。花道七三での漁
師8人(師匠の十代目坂東三津五郎襲名時に、坂東みのむしから名を改めている
三津之助ら)との絡みに、観客の眼を引き付けておいて、大道具のセリ上がりで、
書き割りのなかにあった浮見堂が登場。岸から浮見堂に渡る橋を舞台のように使
い、立ち回りが立体的になる。晒し布は、三段に変えて振られる。漁師たちは、
次々に橋の上から、とんぼで飛び下りてくる。

大力の持ち主の乙女は、屈強な漁師たちを相手に蝶のように舞い、蜂のように
刺す。娘の様式的な美、大力の強さを現わす形式的な美。晒しの合方に、浪の音。
「ああ、歌舞伎は、いつもお祭りだ」と、思う。8人の漁師たちが、ふたりずつ
組になって、「車輪」のように、クルクル廻る。ジクソーパズルの最後のピース
は、黒い五段に乗ったお兼が馬の背に膝をついて座っての、引っぱりの見得とい
う趣向で、幕。

菊之助お兼の「男を秘めた娘」という演技は、21歳で初演した七代目團十郎を
偲ばせた。男が女を演じる女形が、娘の姿のなかに男を隠している。それが、
「近江のお兼」という演目の真骨頂だろう。菊之助の堅さが、最初気になったが、
そういう風に見れば、これも計算のうちとも思える。

「人情噺文七元結」は、何回か見ているが、左官の長兵衛は、菊五郎が最適役だ
ろう(それに続くのは、勘九郎か)。まして、長兵衛女房お兼(ふたり目のお
兼の登場だ)が、田之助とあっては、こんなに息のあった夫婦役も珍しい。そん
な夫婦に逢いたくて、国立劇場の「鼠木戸」を潜った次第。そういえば、坂東亀
寿の「歌舞伎のみかた」も何度目だろうか。国立でも観たし、甲府でも観た。国
立の、17あるというセリやスッポン、廻り舞台という舞台機構の説明と甲府の
県民文化ホールでの舞台機構のない説明も拝見。今回は、「近江のお兼」に登場
する馬に引っ掛けて、歌舞伎に登場する十二支の動物を紹介していた。「床下」
の鼠から「二つ玉」の猪まで、十二支に因む演目も巧みに入れ込んでいた。判り
やすい解説だった。

さて、「人情噺文七元結」は、今回の劇評は、役者の演技論で行くとしよう。明
治の落語家・三遊亭圓朝原作の人情噺には、善人しか出て来ない。明治の庶民
の哀感と滑稽の物語だ。その軸になるのが、酒と博打で家族に迷惑をかけどうし
という左官職人だ。兎に角、菊五郎の長兵衛は、抜群。細かな演技まで、自家薬
籠中のものにしている。江戸から明治という時代を生きた職人気質、江戸っ子気
分とは、こういうものかと安心して観ていられる。存在感も充分。

田之助の女房お兼は、そういう江戸っ子・菊五郎に、どこまでも、ぴたっと着
いて廻る。タイムマシーンに乗り込んで、この頃の本所割下水の長屋を尋ねたら、
世話木戸の外、過手口の前に井戸流しがあり、左官職が使う「泥船」(壁塗りの
土を捏ねる道具のひとつ)が立て掛けてある長屋の路地で出合いそうなおかみさ
んだ。ぐうたらな職人に愛想をつかしながら、一人娘・お久(松也)の成長を祈
り、別れられずにいる。田之助は、菊五郎に本当に長年連れ添っている女房とい
う感じで、菊五郎の長兵衛と喧嘩をしたり、絡んだりしている。

角海老の女将・お駒(萬次郎)も、情のある吉原の妓楼の女主人の貫禄を出して
いる。松助の息子・松也は、長兵衛の娘・お久を好演。持ち味が強い父・松助に
似合わないほど素直な演技をしていて、このところ私の目を引いている松也は、
親思いの娘を可憐で、清楚に演じている。和泉屋清兵衛を演じた松助は、役柄が
違うような気がする。

和泉屋手代文七の菊之助は、前の舞台の堅さを引きずっている。集金してきた店
の金をなくし、身投げをしようとした大川端の場面での堅さ、依怙地さは良いと
しても、なくしたと思っていた金が集金先に置き忘れていたことが判り、なけな
しの金を貸してくれた長兵衛宅を探し当て、お礼とお久との縁談を申し込みに来
る場面では、観客に違いを見せつけなければならない。長屋の家主・甚八の山崎
権一も、好演。こういう役柄は、権一にぴったり。脇に、こういう役者がいると
菊五郎も田之助もやりやすかろうと思う。それに、この場面、薄汚れた二枚折り
の小屏風の使い方が巧い。役者の演技もさることながら、大道具の屏風の妙で、
客席の笑いを誘っていた。

「めでたし、めでたし」の幕切れでは、各人の割台詞が一巡したあと、清兵衛が
「きょうは、めでとう」という台詞にあわせて、煙草盆を叩く煙管の音に、閉幕
の合図の拍子木を重ね、「お開きとしましょうよ」となり、賑やかな鳴物で閉幕
となるなど、洗練された人気演目のスマートさがにじみ出ている。ここも小道
具の煙管の使い方が、巧みだ。

ところで、この芝居も「仮名手本忠臣蔵(「五段目」、「六段目」)同様に、
「五十両」を巡る話だ。酒と博打で長兵衛がこしらえた借金の総額が「五十両」。
「死んでお詫びを」と身投げをしようとする文七がなくした金が「五十両」。
「忠臣蔵」の定九郎が、与市兵衛を刺し殺して奪う金が「五十両」。猪と間違
えて勘平が鉄砲で撃ち殺した人間(定九郎)の懐から盗み取った金が「五十両」。
時代は異なるとは言え、江戸の庶民にとって、「五十両」とは、自分の人生を左
右する金額として、納得できる金額だったのだろう。

汚い形(なり)をした人情家の長兵衛に最後まで、半信半疑で、堅い態度を崩さ
なかった文七が、無理矢理長兵衛から掴まれた財布の中身が、本物の「五十両」
と知れたとき、他人の情に触れた真面目青年・文七が呻くように言う「親方」と
いう台詞。家老の息子でありながら、山賊に落ちぶれた不良青年・定九郎が歓
喜のうちに呻くように言う「五十両」という台詞。前者は、大川端の向う側に見
える遠見の町家の黄色い明かりの暖かさ(人情)を感じさせる。後者は、漆黒の
闇の黒幕の前で、鉄砲で撃たれて赤い血反吐を吐きながらも、闇に染まりきらな
い赤色に、一瞬の美(非人情)を感じさせる。たまたま、17日に観た青年・定
九郎と21日に観た青年・文七という、ふたりの青年に、時空を越えた人生の明
暗を感じた。

- 2001年7月22日(日) 12:46:55
  2001年 7月・山梨県立県民文化ホール(公文協「歌舞伎公演」東コース)
         (「仮名手本忠臣蔵(五段目、六段目)」「男女道成寺」)

「仮名手本忠臣蔵(五段目、六段目)」は、ことしの3月、新橋演舞場と歌舞伎座
に跨る通し上演の際に見ている。五段目の山崎街道「二つ玉」の場面は、今回と同
じ新之助が定九郎を演じている。この「遠眼鏡戯場観察」にも、劇評を書いている。
今回の劇評では、いつもと「趣向」を変えて、歌舞伎座などの本興行と地方の施設
を使った歌舞伎公演の場合の違いや舞台の工夫について、主に書き、舞台批評は、
簡単にまとめてみたい。

 今回の公演は、本興行と同じ、「松竹大歌舞伎」なのだが、劇場の緞帳が上がる
と、定式幕(黒、萌葱、柿)は、江戸三座の市村座の幕(国立劇場が、これ)では
ないか。松竹歌舞伎の本拠地・歌舞伎座は、江戸三座の森(守)田座の幕で、黒、
柿、萌葱なのに、これは、いかにと思っていたが、どうも、この幕は、県民文化ホ
ールの歌舞伎用の幕らしい。因に、向こう揚げ幕の紋というかマークは、山梨県の
マークだったから。地方興行際には、定式幕は、ホールで用意するとすれば、松竹
歌舞伎と言えども、市村座の幕で芝居をするということになるのだろう。

「仮名手本忠臣蔵(五段目、六段目)」のうち、1)五段目の山崎街道・「鉄砲渡
し」と「二つ玉」の舞台展開は、脚本には、次のようにある。「知らせにつき、山
おろしにて道具廻る」。さらに、2)五段目と六段目の舞台展開でも、「知らせに
つき、やはり山おろしにて、この道具廻る」。確かに、新橋演舞場で観たときには、
廻り舞台を使用していた。歌舞伎座でも、然り。ところが、今回のような公共文化
施設という、いわゆる多目的ホールは、廻り舞台などの舞台機構はない。だから、
廻り舞台が使えない。そのために、今回の興行でしたこと。定式幕を閉めたまま、
「山おろし」(太鼓の音)を鳴し続ける。そして、拍子木をチョンチョンと、間を
おきながら、鳴らし続けていた(幕間ではないという合図)。

「男女道成寺」では、「聞いたか坊主」の出のときに、本舞台中央が、紅白の大柄
な横縞の幕で全面覆われていた。幕が上がると、白拍子花子(芝雀)と白拍子桜
子(新之助)が立っていたが、本来ならふたりは、舞台下の奈落からセリを使って
上がってくる「せり上げ」の場面だろう。奈落のない地方のホールでは、「せり」
が使えない。

そういう意味では、本来の花道も使えない。花道は、歌舞伎の特徴的な舞台機構。
劇場によって、微妙に長さが違うが、本舞台の下手側から、本舞台と同じ高さで、
客席に向かって突き出た舞台の一部で、幅、1間(およそ1・8メートル)本舞
台の橋から向う揚げ幕までの長さ、10間(およそ18メートル)。ところが、
地方の多目的ホールは、花道などない。あっても、斜めに、数メートルの仮設のも
のが、せいぜいだろう。

主な役柄を演じる役者は花道で停まって演技をする。それは、「花道七三」という
定点で、必ず何かを演じる決まりになっているが、これは、長さ、10間の花道の
ある芝居小屋なら、本舞台から3間、揚げ幕から7間の場所。「出端」にしろ、
「引っ込み」にしろ、七三という位置での演技は、大切だ。七三を過ぎての演技な
ど、役者の身体に染みついた花道の「居所感覚」が、通用しないのでは、やりにく
いだろうと思う。例えば、「勧進帳」の弁慶の「引っ込み」では、七三での演技の
後、弁慶役者は、飛六法で、向こう揚げ幕に勢い良く飛び込んでくる。地方のホー
ルでは、速度がつかないうちに飛び込まざるえない。これは、やりにくいだろう
(11月に山梨県増穂町の文化会館で、その「勧進帳」を上演する。弁慶は、幸
四郎が演じる。噂で聞いたところでは、弁慶の引っ込みのために、長い花道を仮設
するという話だ)。

竹本の御簾内の語りができない。出語りばかりだ。今回は、舞台上手での出語りの
上、出語りの山台も使えず、霞幕を使用していた。特に、「五段目」の「二つ玉」
は、台詞が極端に少ない。3人の登場人物と猪しか出てこないのに、長めの台詞
を言うのは、与市兵衛だけで、人殺しをするふたりのうち、定九郎は、ひとこと
「五十両」だし、勘平も、ひとこと「こりゃ、人」というだけである。つまり、竹
本が、まさに適度なナレーションとして機能する。

それに、雨音の太鼓の音が効果的だ。「五段目」の「鉄砲渡し」の場面が終わると、
雨音のあと。「二つ玉」の場面が終わると、拍子木の頭(合図)に続いて、「蜩三
重(ひぐらしさんじゅう)」(三味線)、山おろし(太鼓)、「過って、人を
殺してしまった」という勘平の心の動揺(恐怖感)を花道での、雲の上を歩くよう
な(地に足が着いていない)蹌踉とした足取りで表現しながら、團十郎の引っ込み
となる。

「五段目」の二つ玉は、尾上菊五郎が代々得意としている場面で、黒幕をバックに、
道具らしい道具もなく、さらに、ほとんど台詞無し、様式的な演技の手順を踏んで
行けば、「形で心が演じられる」という緻密で精緻な場面。定九郎は、ひとこと
「五十両」としか言わないし、勘平も、ひとこと「こりゃ、人」というだけ。まさ
に、「削ぎ落としの美学」がある。外国人にも良く判ったのではないか。(「忠臣
蔵」の戯曲評は、参照:「遠眼鏡戯場観察」01年、3月。新橋演舞場)

團十郎の勘平は、公務の途中での、お軽(芝雀)との情事の果てに、職場をしく
じり、恋人の実家に身を寄せていて、昔の先輩に逢い、話を聞いて、武士に戻れ
る道を見つけたと思い、それに眼が暗んで人を殺して、金を奪ったという、気弱な
若い侍になり切っていた。その挙げ句、自分が殺したのは、義父ではないかと思い
つくと、脚なえになってしまい、立つこともできない。義母に詰られても、抗弁も
できない。それにしても、気の弱い、優し気な男だった。だから、お軽に惚れられ
たのか。別れの前に抱き合うふたりの場面が、印象に残る。

このあたりの普遍性(歴史的な事件の、歴史に残らない傍役の悲劇なんて、やはり、
ありそうな気がするものだ)が、仇討ち物語としての「忠臣蔵」の本筋ではない勘
平・お軽の物語という副筋の「五段目」「六段目」の魅力になっているのかも知れ
ない。團十郎の勘平は、自分の思惑とは、食い違った人生を歩み、そこから抜け出
し、人生の軌道を直そうとあせりながら、武士と猟師の間で揺れる男の心情を描い
ている。

切腹する勘平は、塩冶家から拝領した浅葱色の衣裳に着替えている。不破数右衛
門(團蔵)らを迎えて、金を渡して、武士に戻ろうとする気持ちの現れだが、じつ
は、この衣裳に裃を着けて正装すれば、すでに切腹した判官と同じ色の衣裳だとい
うことが判る。江戸の庶民から見れば、雲の上の人の判官の切腹と百姓家の娘の聟
という、自分たちの隣人にもなりかねない勘平の切腹は、同じことだと、この場面
を書いた作者は、言いたかったのかも知れない。

新之助は、ことし3月の新橋演舞場のときの定九郎より、凄みを増していた。ちょ
いと出て来て、凄みの印象を観客に与えたと思ったら、あっけなく鉄砲玉に当たっ
て、死んでしまった。手際よく、巧く演じていた。一瞬の美、それは、黒幕をバッ
クに、黒い衣裳に、白い顔、白い下着というモノトーンの世界に垂れ落ちる赤い血
の美と重なって見える。

片岡十蔵の源六が巧い。彼が、後の悲劇をよけい悲劇に見せるように、笑劇部分を
きちんとわきまえて、良い味を出していた。一文字屋お才(右之助)を食ってし
まっている。与市兵衛の佳緑は、すっかり、この人の持役になってしまった。私が
観た5人の与市兵衛は、すべて佳緑である。升寿のおかやは、本興行の舞台では、
観ることがないだろう。私も初めて観たが、前回、演舞場の田之助が最高ではない
か。

「男女道成寺」は、初見。「道成寺もの」は、本来、能の「道成寺」が原型。
安珍清姫の物語。男・安珍に裏切られた清姫が復讐する話。恋に狂った女性の執
念の恐ろしさがテーマ。筋が判り易くて、大衆的。舞台が桜満開の寺。大きな鐘供
養の当日という設定で、華やかなので、よく演じられる。趣向は、変わるが、歌の
文句や所作は、殆ど同じ。

「京鹿子娘道成寺」もよく拝見する。私は、六代目歌右衛門、雀右衛門、芝翫、富
十郎、菊五郎、勘九郎などで拝見。「二人道成寺」は、白拍子花子と白拍子桜子と
いうスタイルで、最後まで踊る。左右の踊り手の所作が逆になる。雀右衛門と息子
の芝雀のコンビのほか、あわせて3組の「二人道成寺」を拝見。「奴道成寺」
は、白拍子桜子、実は、狂言師・左近が最初から最後まで一人で踊る。現在の坂東
三津五郎の達者な踊りが印象に残っている。

さて、今回の「男女道成寺」は、「二人道成寺」と「奴道成寺」をあわせたような
もの。途中から、白拍子桜子、実は、狂言師・左近が正体を現して、花子と男女
のペアで踊る。それぞれの役割分担と、女形の踊りと立役の踊りの対比が見所。珍
しい新之助の女形が遠目には、綺麗に見える(1階の最後列から2番目の席で拝
見)。将来の團十郎(新之助)と将来の雀右衛門(芝雀)の踊りということで、見
ておいて、損はない舞台だろう。(「二人道成寺」は、参照:「遠眼鏡戯場観察」
特別版「座席知盛」)



- 2001年7月19日(木) 6:29:04
2001年 7月 ・ 歌舞伎座
     (夜/「猿之助十八番 楼門五三桐」)

「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の通し上演は、本興行では、戦後3回目
(京都・南座、国立劇場、そして今回の歌舞伎座)。戦後の復活上演は、34年前
の67年、猿之助の第2回「春秋会」での公演で、外題は原作・並木五瓶の初演時
の外題に忠実に「金門(きんもん)五三桐」(五三桐という太閤秀吉の金紋という
意味)。実に、190年ぶりの復活上演であった。「猿之助十八番」という復活
狂言上演の走りとなった。

秀吉の「朝鮮出兵」という歴史的な事実をベースに、秀吉に対する「朝鮮」(ここ
では、明)という外国の遺臣の復讐潭。秀吉に復讐するのが、遺臣の息子の石川五
右衛門(最近の表現なら中国系日本人)らというのが、基本構図。外国人による日
本という「お家」乗っ取りの物語。これに、明智光秀の遺臣の秀吉に対する復讐や
豊臣家の後継者争いも絡むという複雑なストーリー。それに、丸本物らしい、虚々
実々のトリックの応酬がある。つまり、ナンセンス劇の極致であり、異色の「お
家騒動もの」と言えるだろう。

それだけに、ただ、荒唐無稽な歌舞伎の、開き直りと言うような、まさに「荒唐無
稽からの反逆」という精力的なストーリー展開を追っても、しょうがないだろう。
むしろ、荒唐無稽な粗筋など忘れてでも、「葛抜け」の宙乗りなど歌舞伎的な外連
な趣向、演出、舞台の絵面の美しさ、廻り舞台、大セリなどの大道具のスペクタク
ル、衣裳の奇抜さなど、歌舞伎の「趣向」の持つさまざまな魅力を素直に享受する
のも、歌舞伎の愉しみである。そういう歌舞伎の愉しみ方というのに、格好の演目
だろう。

だから、今回の劇評は、「趣向」論だけで、コンパクトに行きたい。それに、今
回は、後半部分は、ほとんど新作というから、正確な意味での復活狂言とは言いに
くいところもあるので、余計に「趣向」に的を絞りたい。

この演目、絵面の美しさの極致は、「南禅寺山門の場」で、五右衛門を乗せたまま
の極彩色の大きな山門のセリ上がりと同時に進行する久吉のセリ上がりという大道
具のスペクタクル。興行の軸となる大立物の役者2人の見せ場があるという、この
場面だけは、時間的にも10数分ということもあって、何回も上演されている。私
も、今月亡くなった市村羽左衛門が病気休演のあと、復帰の舞台で拝見した。山門
上の羽左衛門の五右衛門に対して、門前の梅玉の久吉(秀吉)であった。

今回は、この場面だけの出で、芝翫が、久吉を演じている。ここは、格の高い役
者の対決の場面で、今回の猿之助の五右衛門と芝翫の久吉は、見応えがあった。
「絶景かな、絶景かな。春の詠(なが)めは価千金・・・」「石川や 浜の真砂
は・・・」「巡礼にご報謝」などの名台詞。五右衛門の天地の見得。歌舞伎の視
覚、聴覚の愉しみ方のモデルになる場面だ。

筒井順慶(欣弥)が殺される場面では、衝立を巧く使い首が切り落とされた様を演
じている。閉じられた常式幕の上に、場面の書き割りを描いた道具幕が引かれ、島
原揚屋の外の場面に早替わり(猿之助一座は、場面展開が好きなせいか、道具幕を
多用する傾向が強い)。大炊之助館の場面では、立ち回りもある。館奥庭の場面で
は、屋体上手に、他所事浄瑠璃風に葵太夫ら竹本連中が入る。この場(床)から、
宋蘇卿(段四郎)の箏の演奏を三味線方が助ける。

座敷きの掛け軸の白鷹が、煙りとともに絵から抜け出して来る。抜け出た掛け軸の
鷹は、影絵に替わる(後の場面で、また、普通の鷹の絵に戻るが・・・)。白
鷹の精(笑三郎)の踊り。大炊之助、実は宋蘇卿(段四郎)が鷹の羽に血文字で五
右衛門宛の手紙を書く。踊りながら、やがて、白鷹の精の衣裳の振袖部分が「引き
抜き」で赤く替わる。

浅葱幕の垂れた花道・スッポンから、なんと、大薩摩が出て来て、ひとくさりあっ
たあと、引っ込む(スッポンから出る大薩摩など、初めて観た)。やがて、浅葱幕
の振り落としがあると、先の「山門」になる。山門の上にいる五右衛門のところに
白鷹が飛んで来る。白鷹の使命が、こうして通し上演で見ると良く判る。ここまで
が、序幕で、時代物。

早川高景(歌六)と呉竹(歌江)が、良い味。ほかは、八田平(右近)、久秋(笑
也)、久次(猿弥)、薗生の前(門之助)、傾城・九重(春猿)、源五郎(段治
郎)らだが、なかなか時代色が出にくい。ただし、段治郎は、台詞にメリハリがあ
る。春猿は、いちだんと妖艶になってきた。猿之助一座の舞台に、適度な時代色が
出るためには、あと、どのくらいかかるのか。

後半は、二幕目、世話場。「大仏餅屋の場」では、猿之助が、餅屋を営む三二五郎
七(歌六)の女房・お滝(実は、五右衛門の妹)になる。これからが、猿之助の本
格的な出番だが、声の調子が悪そう。台詞も充分ではない。お滝の養父、来栖村の
長兵衛(寿猿)は、明智光秀を殺したとされる男。歌六の息子・米吉が三二五郎七
の倅・五郎市を好演。この場面、隠し絵は、「夏祭浪花鑑」やら「源氏店」やら
「三千歳直侍」やら、いろいろある。新作同様だけに、五右衛門の「世界」だけ活
用して、脚本家も楽しんでいる。歌舞伎入門編か。拍子木を使わずに鐘の合図で、
幕。

「加茂川堤の場」では、中納言(猿弥)が、身ぐるみ脱がされる(本来「五右衛
門もの」なら、「大手並木松原の場」)。その後、加茂川の水面では、「舟だんま
り」。利家(段四郎)、五右衛門(猿之助)、お通姫(亀治郎)らを乗せた3艘の
小舟と廻り舞台を活用した、珍しい「舟だんまり」で、愉しく拝見。

小舟には、裏方の人が入っていて、舟を電気で操っているが、花道の、通称「ど
ぶ」の席(花道と西の桟敷席の間の座席)だったので、舟の前方に空いた窓から舟
のなかの一部が見えた(舟を操縦している人までは、見えなかったが・・・)。
「だんまり」だけに、ゆるりとした動きで、お宝の入った守り袋が舟から舟へ奪わ
れる。そこは、ふつうの「だんまり」の常道を行く。お通姫の亀治郎は、昼の部と
違って、あまり精彩がない。

大詰・第一場、第二場が、桃山御殿広間と奥殿の場。内侍、実はお滝の正体見現し
は、隠し絵が、「弁天小僧」か「お富」(悪婆)。猿之助の五右衛門、お滝のふた
役。替え玉を使ったりして、座敷牢に捕われていたお滝を救出するなど早替わり。
今回の最大の見せ場、五右衛門の「葛抜け」は、「増補双級巴(ぞうほふたつども
え)石川五右衛門」(99年、9月・歌舞伎座)で、吉右衛門を私は観ている。こ
れも「遠眼鏡戯場観察」に劇評があるので、参考(このときは、3階と1階で、2
回拝見している。宙乗りは、3階が特等席)。

歌舞伎の五右衛門ものは、並木宗輔の「釜淵(かまがふち)双級巴」をベース
に、この並木五瓶の「金門五三桐(後に、「楼門五三桐」に改題)」、「木下
蔭狭間合戦」、「艶競(はでくらべ)石川染」などがあり、これらの先行作品を書
き換えた狂言「増補双級巴 石川五右衛門」(木村円次作。四代目小團次が幕末の
1861年に初演)があり、後の作品だけに「増補双級巴」は、筋は整理されてい
て、判り安い。

「葛抜け」の後、猿之助五右衛門は、「葛背負ったが、おかしいか」と言うが、
吉右衛門五右衛門は、地上にいる追っ手に、この台詞の後に、河内山のように、
「馬鹿めえ」と大音声で言う。この方が、術を使って逃げ出す悪党・五右衛門と
しては、「してやったり」という、悪党ならではの説得力がある。

また、珍しい宙乗りを披露した吉右衛門だったが、私には、今回の猿之助より吉右
衛門の方が、大きな五右衛門に観えた。猿之助の使用した葛は、吉右衛門の使用し
た葛より、大きいのではないか。猿之助より身体の大きな吉右衛門が入った葛が小
さく、吉右衛門より身体の小柄な猿之助が入った葛が大きい。あるいは、体重だろ
うか。吉右衛門より猿之助の方が、体重は重いのか(それがあるのかもしれない)。

大詰・第三場。南禅寺明法堂の場。黒幕の背景から桜の山の遠見へ。五右衛門と
花四天との大立ち回り。立ち回りのハイライト集のようだが、隠し絵は、「蘭平物
狂」(これは、誰もが気が付くから隠し絵には、ならないか)。二段階連続のトン
ボ、6人越えのトンボなどもあり、「活劇」らしい派手やかさのうちに、やがて、
主だった役者による引っ張りの見得に、桜吹雪が重なり、幕。

猿之助一座は、軸となる猿之助の廻りに、若手が育って来たが、中堅やベテランの
傍役が少ないため(今回で言えば、芝翫、歌六、歌江がいたが)、どうしても奥行
きの浅い、薄っぺらな舞台になる恐れがある。従って、演出や趣向で、その弱点を
補うという方法になりがちだ。

猿之助一座の復活狂言は、ふだん見られない演目を拝見できるので、私も観客の
ひとりとして愉しみだし、積極的に支援したいが、配役を含めて、時代色を出せる
工夫が、もっと必要だろう。スーパー歌舞伎も、そういう劇団の欠点を補ううち
に、創造された演出という嫌いがないでもないと思う。スーパー歌舞伎は、スーパ
ー歌舞伎として、私も愉しめるし、実際、愉しんでいる。そのかわり、古典復活上
演のときは、スーパー歌舞伎的な演出は控えられないか。
- 2001年7月15日(日) 18:54:20
2001年 7月 ・ 歌舞伎座
     (昼/「続篇華果西遊記」「平家女護島〜俊寛〜」「連獅子」)

「続篇華果西遊記」は、ご存知のように去年の12月に歌舞伎座で上演した「華果
西遊記」の続編。市川右近、笑也を軸にしたミニ・スーパー歌舞伎志向で、12月
公演が好評につき続編も上演というところ。歌舞伎における「西遊記」の上演の歴
史については、00年12月の「遠眼鏡戯場観察」でも触れているので省略。興味
のある方は、そちらを参照。ストーリーは、三蔵法師(笑也)に付き従う孫悟空
(右近)らのお供の一行が、大蛇金角の精の金簾女王(笑三郎)らにたぶらかされ
る。正体を現した大蛇の精の魔手から侍女・紅少娥実は観世音菩薩(春猿)によっ
て、救出されるという話で、筋を見れば、「隠し絵」となっているのは、「紅葉
狩」と観た。「紅葉狩」を下敷きに、登場人物たちは、西遊記の「世界」という
ところ。戸隠山へ行く平維茂一行が、蛇盤山へ連れ去られる三蔵法師一行。更科
姫、実は鬼女が、金簾女王実は大蛇金角の精。維茂を助ける戸隠山の山神が、紅少
娥、実は観世音菩薩というわけだ。従って、筋を追っても、あまり得策ではないと
思う。

むしろ、新作歌舞伎で、それも猿之助一座の舞台ということで、演出の「趣向」に
注目をして劇評に仕立てたい。開幕、のっけから、舞台は横長の真っ赤な消し幕
で覆われている。浅葱幕の真似をしている。消し幕の、いわば振り落とし効果があ
り、消し幕を消すことで、三蔵法師の顔だけが、本舞台に出て来る。やがて、セ
リ上がりがあって、三蔵法師一行の登場。孫悟空のほか、猪八戒(猿弥)、沙悟
浄(段治郎)らが姿を見せる。そこらあたりの演出は、さすがに巧い。猿之助演出
は、歌舞伎の旨味の活かし方を隅々まで知り尽しているということが、この場面を
観ただけで判る。竹本、常盤津、長唄の三方掛け合いも、「紅葉狩」の真似。金
簾女王御殿の場面でも、「他所事浄瑠璃」風の演出、中国風の御殿の舞台奥に長唄
連中も登場となるが、中国風の衣裳で踊る侍女たちを「鯛や鮃の舞踊り」と見抜け
ば、そこは、浦島太郎の世界で、竜宮城が隠し絵となる。そういう風に見れば、和
風の竹本、長唄の太夫方や三味線方の衣裳も、竜宮城に溶け込んで見えるから不思
議だ。

孫悟空ら3人の動きは、さすが右近だけは切れが良い。しかし、ここは笑劇(ちゃ
り場)だろうから、巧くいっても笑い、失敗しても笑いということで、優しい観客
たちだ。鱗四天があやつる紅蓮の炎の赤い旗と観世音から孫悟空が授かった雪と書
かれた白旗とのせめぎ合いは、まさにスーパー歌舞伎「三国志」で多用された演出
だ。子役たちによる孫悟空の分身の術は、前回ご好評につき、再度のお目見えと、
サービス精神に溢れていると言うか、あざといというか、猿之助の外連志向の正直
さだろう。黒幕の代わりに赤い消し幕を舞台一面に垂らし、紅蓮と燃える炎の海に
してしまう。その消し幕を振り落とせば、深山幽谷に早替わりとなる。大蛇の精の
大見得や鱗四天の大蛇の形の表現は、「京鹿子娘道成寺」の真似。まあ、歌舞伎初
心の人たちは、愉しい舞台を大喜びで観ていたようだ。

「平家女護島〜俊寛〜」は、4回目の拝見。私が観た4人の俊寛は、96年11
月、歌舞伎座の吉右衛門、98年6月、歌舞伎座の幸四郎、00年4月、歌舞伎座
の仁左衛門、そして、今回の猿之助。このうち、幸四郎の舞台は、初日前の舞台稽
古と本番と2回拝見している。4人の俊寛で、私の印象に残っているのは、なん
と、いちばん似合いそうもなかった筈の仁左衛門であったから不思議だ。仁左衛門
俊寛についての劇評は、「遠眼鏡戯場観察」のバックナンバーの00年4月のと
ころを参照。俊寛は、誰が演じても、やはり最後の海中にある孤島の松の木に寄り
掛かる場面で、去り行くご赦免船を見送るところをどう演じるかにかかっていると
言えるだろう。幕切れまでのクライマックスで見せる俊寛の表情。それを一人だけ
孤島に取り残された悔しさなのか(これは、いわばマイナスの感情)、海女千鳥
の身替わりとなり、丹波少将成経と千鳥という若いカップルのこれからの人生のた
めに喜ぶ歓喜の表情なのか(これは、いわばプラスの感情)、あるいは、良いこと
をしたにしても、一緒に苦楽を共にして来た仲間たちが去ってしまった後の虚無
感、孤独感(これは、いわばゼロの感情)なのか。それぞれ、歴代の役者たちが工
夫して、さまざまな解釈に基づいて、演じているので、それ自体は、役者の解釈
を優先したい。観客からみて、重要なのは、その解釈が説得力のあるものとして、
心に響いてくるかの方が重要だと思う。今回の猿之助は、私の受け取ったところで
は、「歓喜」というより、「虚無」を感じた。猿之助の藝談を見ると、前進座の翫
右衛門、十三代目仁左衛門同様に、猿之助は、「歓喜」派なのだろうけれど、前回
の十五代目(当代)仁左衛門の方が、「歓喜」派に観え、猿之助は、「虚無」派
に観えた。しかし、この「虚無」の表情を猿之助は、歌舞伎と言うより現代劇風
(つまり、心理劇。肚で見せる芝居)で、情感たっぷりに演じていて、これはこれ
で、見応えがあった。

「俊寛」は、初代猿之助から当代猿之助に引き継がれた猿之助家の家の藝だから、
力が入っている。猿之助の浜辺という舞台への登場(岩組の後ろからの出)は、風
雪に晒された顔というか、いかにも3年間も島流しに耐えて、南の孤島での厳しい
自然環境のなかで生きて来た老人を表現していた。しかし、その後の展開、つま
り、俊寛の心の揺れ(歓喜と絶望)という心理描写は、意外と平板な感じがした。
「凡夫心」の表現でもあるまいが・・・。

「俊寛」という、いま上演される場面だけでの芝居(本来は、「平家女護島」全五
段で、平清盛の晩年の横暴から奇病にかかって悶死するまでの物語。「俊寛」
は、このうちの二段目。「平家女護島」という外題は、三段目の朱雀御殿で常盤御
前が、次々と男を引き入れるという平家物語の「吉田御殿」伝説からついている)
では、一人で舞台を占める登場人物は、実は、ふたりいる。ひとりは、もちろん俊
寛だが、もうひとりは、海女の千鳥である。

「俊寛」というと、ご赦免船に乗って来たふたりの使者、赤っ面の瀬尾太郎兼康
(段四郎)と白塗の丹左衛門基康(歌六)と俊寛の絡みが、見せ場ということにな
るが、私は、むしろ、千鳥の芝居の方が、重要だと思っている。「平家女護島」
の外題にある「女」という字は、三段目だけでなく、いや、三段目への伏線として
二段目にも隠されているテーマではないのか。狂言全体を観たことも、浄瑠璃を読
んだこともないので、あるいは、過った解釈の可能性もあるかもしれないが、印象
的には、そう感じる。これは、女の芝居ではないのか。そういう思いで、二段目を
見ると、俄に千鳥を注目せざるを得ない。千鳥は、俊寛の代わりに船に乗るが、
序・破・急が、ドラマの基本なら、「破」の部分の主役は、俊寛の代わりに千鳥が
務めている。千鳥の「くどき」の文句。「武士(もののふ)はもののあわれを知る
というのは、いつわりよ。鬼界ヶ島に鬼はなく、/鬼は都にありけるぞ」というと
ころに、原作者近松門左衛門の哲学がある。その根本的な哲学を近松は、千鳥の
「くどき」で、主張しているのである。隠し絵は、「女の物語(復讐潭)」。

さて、その千鳥を亀治郎が演じている。実は、この昼の部の圧巻は、亀治郎だっ
たと私は思っているのだが、亀治郎は、ひとまわり大きくなった。花道の千鳥の出
から、亀治郎は、力が入っているように見受けた。南の孤島に住む田舎娘の初々し
さ、それでいて、物事の本質を見抜く力のある聡明で、意志の強い娘という感じを
演じていたように思う。初役ながら、芝翫に教わった型を忠実に演じたというが、
その狙いが、私の胸には、すとんと落ちて来た。俊寛と「並ぶ」大役の千鳥を亀治
郎は、叮嚀に演じていたのではないかと思う。今後の亀治郎の千鳥の役づくりの深
まりを期待したい。千鳥は、その後、上京の途中に清盛に殺され、先に亡くなって
いる俊寛の妻・あずまやとともに、怨霊となって、清盛をとり殺すというから、千
鳥は、この場面でもそういう女性として演じなければならないだろう。私が観た4
人の千鳥では、ほかに、松江(吉右衛門、幸四郎の俊寛)、福助(仁左衛門の俊
寛)だったが、先輩方に劣らない亀治郎の千鳥であったと思う。

この芝居で、見応えがあるのは、もうひとつある。それは、地絣と浪布、それと廻
り舞台を活用したダイナミックで、写実的な場面展開の見事さである。これを観る
だけでも、「俊寛」という芝居は、心踊るものがある。特に、今回は、舞台の上手
と下手で、浪衣が、舞台最先端の浪布を上下に揺らして、浪が俊寛に迫って来るだ
けでなく、深さも深くなる様を演じていた。今回は、1階の席で観たので、そうい
う海中の深まりが良く判ったが、こういう場面展開を観るのは、上の方の席の方が
見やすい。これも、歌舞伎観劇の愉しみのひとつ。

「連獅子」は、澤潟十種のひとつで、やはり、猿之助の家の藝。私は、5回目の拝
見。幸四郎と染五郎(95年1月・歌舞伎座)、勘九郎と勘太郎(96年1月・
歌舞伎座)、猿之助と亀治郎(97年1月・歌舞伎座)、孝夫(いまの仁左衛門)
と孝太郎(97年12月・歌舞伎座)。そして、今回が4年前と同じく猿之助と亀
治郎だが、この亀治郎の子獅子が、前回と違って、気迫があり、所作にメリハリが
あり、上下の飛躍も充分で、花道側の座席から拝見したこともあって、迫力満点で
堪能した。子獅子というより、若者の獅子の迫力だったと思う。

後ジテで、二畳台を3つ重ねて、本来の「石橋」に見せるところが、澤潟十種の
工夫魂胆。ここ10年、猿之助は亀治郎とのコンビで「連獅子」を踊っていると言
うが、その10年間の蓄積と息の合ったところを十二分に見せつける素晴しい「連
獅子」であった。特に、「髪洗い」「巴」という、親獅子は、白頭、子獅子は、
赤頭を大きく動かす所作は、ふたりの描く円が、ぴたっと決まっていた。なかな
か、ふたりの息がぴたっと合う「連獅子」というものは、観たくても観れないもの
だ。

「連獅子」は、親子の獅子で、親獅子の子育てぶりが描かれるなど親子を軸にして
いる。従って、立役同士が親子で演じることの多い演目で、正に立役の親から子へ
藝の伝承をするものが、それは恰も、女形の親子が「二人道成寺」で、親から子へ
藝の伝承をするのと同じだ。以前、雀右衛門と芝雀の「二人道成寺」の舞台を観
たときのことが、「遠眼鏡戯場観察」の特別版「座席知盛」に書き込んである。そ
のときに、私は、上手と下手に分かれて、つまり、観客席から見れば、左右に分か
れて踊る、雀右衛門と芝雀の踊りを観ているうちに、ふたりの間に、実際には無
いはずの鏡が見えて来たということを書いたが、今回の「連獅子」も、猿之助は亀
治郎との間にも鏡が見えて来た。ということは、還暦を越えた猿之助が、藝の力
で、25歳の甥・亀治郎の持つ若さが演じる所作に充分に対抗しているというにな
る。そこで、隠し絵は、なんと「二人道成寺」。

前シテと後ジテの間を繋ぐ「宗論」では、段四郎、歌六というベテランだっただけ
に、余裕の舞台で愉しく拝見(前回は、右近、門之助)。
- 2001年7月15日(日) 13:59:42
2001年 6月 ・ 山梨県立県民文化ホール(歌舞伎鑑賞教室)
                     (「双蝶々曲輪日記〜引窓〜」)

きのう(6・25)、中村時枝さんが亡くなったという。今月は、歌舞伎座の昼の
部「嫗山姥」で、腰元役を5日まで演じていたという。私が舞台を観たのが、9日
で、時枝さんの最期の舞台を観ることができずに残念であった。歌舞伎役者への供
養は、歌舞伎がいちばんと思い、きょう(26日)、「双蝶々曲輪日記〜引窓〜」
を拝見して来た。今月の国立劇場で上演していた舞台そのままだ。

さて、「双蝶々曲輪日記〜引窓〜」は、3回目の拝見。96年、8月・歌舞伎座で
は、十次兵衛(勘九郎)、濡髪長五郎(我當)、お早(澤村藤十郎)、お幸(又
五郎)であった。98年、10月・歌舞伎座では、十次兵衛(鴈治郎)、濡髪長五
郎(團十郎)、お早(時蔵)、お幸(田之助)であった。そして、今回は、十次兵
衛(梅玉)、濡髪長五郎(團蔵)、お早(芝雀)、お幸(歌江)であった。

「双蝶々曲輪日記」は、「仮名手本忠臣蔵」など歌舞伎史上の3大歌舞伎を生み出
した並木宗輔らトリオの合作で、3年連続でヒットを飛ばし、4年目の夏興行に
「双蝶々曲輪日記」をぶつけた。「双蝶々曲輪日記」は、全九段の長い世話浄瑠璃
で、いまも、この「引窓」の場面のほか、「相撲場」などが演じられるが、八段目
の「引窓」は、江戸時代には、あまり上演されなかったという。明治になって復活
され、それ以来、上演回数の多い人気狂言のひとつになっている。

大坂で殺人を犯した濡髪長五郎が、今生の暇乞いのため、実母のお幸に逢いに来る。
お幸は、再婚をしていて、夫を亡くしたものの役人(庄屋代官)にとりたてられた
ばかりの義理の息子・十次兵衛、お早夫婦といっしょに、穏やかに暮らしている。
十次兵衛の初仕事が、濡髪長五郎の逮捕という設定。まるで、役人を保安官と書き
換えれば、西部劇の設定のような感じのするスマートなストーリーである。「逃亡
者」が、義理の家族というところが、ポイント。そこに、石清水八幡宮の名月の行
事・放生会(ほうじょうえ)の前夜という設定(「放生会」=生命の大切さ=家族
の愛という図式)が加わり、桂川、宇治川、木津川の合流した淀川左岸に位置する
京都・男山の麓・八幡の里は、深い竹薮に覆われていて、昼でも薄暗かったため、
どの家でも屋根に「引窓」を作り、乏しい日の光を家のなかに入れるようにしたり、
引窓の下に手水鉢を置いて、雨の降る日には雨水を溜めるようにしていたという、
地域の特性も巧みに取り込んでいる。「引窓」の開け閉めによって、外の月光が
家のなかに入ったり、閉ざさたりするのを、登場人物たちの心理描写や「時間のト
リック」にも利用する。月光が射す手水鉢の水面を鏡のように利用したりする。そ
ういう意味では、良くできた「戯曲」で、さきほど西部劇に例えたような、バター
臭さもあれば、外面での演技を重視した人形浄瑠璃に似合わないような近代の心理
劇臭さもある。趣向のスマートさもある。そういう近代性が、恐らく江戸時代の庶
民には受けず、明治以降まで評価を待たなければならなかったのは、「引窓」の
宿命だったような気がする。

さて、役者たちは、どう演じたか。私が観た3人の十次兵衛では、勘九郎が印象に
残っている。この芝居は、主に5つの仕どころがあると思う。まず、濡髪長五郎
が実母を訪ねて来る場面。次いで、十次兵衛が、晴れて役人になって、長五郎を追
うふたりの侍を連れて来る場面。十次兵衛と長五郎との出会いの場面。長五郎と
母・お幸の場面。そのお幸の気持ちに共感して、長五郎を十次兵衛も含めた「家
族」全員で逃がす場面。このうち、十次兵衛の仕どころは、3つある。晴れて役人
になれた嬉しさ、役人としての矜持と義理の母、兄への愛情との板挟み、そして、
母の愛への共感。この3つの仕どころを、どう演じるか。それが、十次兵衛役の成
否のポイントだろう。勘九郎は、メリハリ良く演じていたと思う。今回の梅玉は、
そのメリハリが弱かったように感じられた。もうひとりの十次兵衛の鴈治郎は、
「晴れて役人になって」という場面での明るさで、勘九郎に及ばなかったような印
象がある。

さて、濡髪長五郎は、我當が、相撲取りという「柄」のせいもあり、良かったよ
うに思う。次いで、團十郎。今回の團蔵は、こういう役柄のときは、小粒に見え
てしまう。殺人を犯した逃亡者という身の置きどころのなさと相撲取りという体格
の大きさというアンバランスの上で綱渡りをしているという感じが出ないと、この
役は、巧く行かない。

お早(芝雀)、お幸(歌江)の女形たちは良かった。特に、お幸は、実母と義理
の母というふたつの立場で、犯罪者と役人という、全く対照的なふたりの息子への
気持ちを演じわける仕どころの多い役である。それを歌江が過不足なく演じていた。
ほかの舞台では、やはり、田之助のお幸に味があった。お早は、もと廓の遊女だっ
たという色気を滲ませなければならないので、意外と難しい。

「引窓」は、ともすると、屋根の「引窓」が主役なのだが、主役以外の窓として、
木戸の横にある窓が、重要な役割をしていることに、今回改めて気がついた。濡髪
のホクロを取るために、十次兵衛「銀礫(かねつぶて)」を投げ入れた後、閉めて
しまう窓である。

歌舞伎鑑賞教室では、ふたりの侍のうちのひとり、平岡丹平に扮している東蔵の息
子・中村玉太郎が、解説役を担当している。解説の場面では、ふだんあまり上演さ
れない濡髪長五郎が殺人を犯す立ち回りの場面が演じられたので、おもしろく拝見
した。


- 2001年6月27日(水) 8:26:52
2001年 6月 ・ 歌舞伎座
              (夜/「五斗三番叟」「吉原雀」「荒川の佐吉」)

6月の歌舞伎座の夜の部は、團十郎の「義経腰越状〜五斗三番叟〜」と仁左衛門
の「江戸絵両国八景〜荒川の佐吉〜」に挟まれた中幕、芝翫と雀右衛門の「吉原雀」
を愉しみに木戸を潜った。

「五斗三番叟」は、3回目の拝見、このうち、團十郎は、今回を含め2回目(前回
は、96年3月の歌舞伎座)、もう1回は、富十郎(99年4月の歌舞伎座)であ
った。この演目は、物語の筋や登場人物の関係よりも、酒好きの五斗兵衛の、いか
にも酒好きらしさと酒を飲み始めてからの、酔いの深まりをどう観客に納得させる
演技をするかにかかっていると私は思っている。演出と趣向の奇抜さが売り物の所
作事という色合いが強い。

この「遠眼鏡戯場観察」で、前回、富十郎の演技について書いているので、繰り返
しは避けるが(関心のある方は、この「遠眼鏡戯場観察」の99年4月の歌舞伎座
の劇評を覗いてみて下さい)、こればかりは、團十郎の演技が当代随一だろうと思
う。團十郎本人が分析しているように、役者の持ち味や愛嬌で決まる演目だろう。
團十郎の酔いぷりの演技は、藝巧者の富十郎も負けている。戦後は、尾上松緑が
もっぱら得意としていた演目だ。それ以前は、九代目團十郎、六代目菊五郎が得意
とした。團十郎は松緑のたっぷり手ほどきを受けたようだ。朱塗りの大杯に仕込ん
だ紅で、観客に顔を隠しながら、酔った顔を作るのが、仕掛け。

私は、まだ観ていないが「義経腰越状」の通し上演では、「五斗三番叟」の後に、
「鉄砲場」というのがあり、この場面を演じると、目貫師であり、実は、性根は軍
師である五斗兵衛が、深酒をしている割に、芯はしっかりしているということを表
現できるそうだが、一度観てみたい。五斗兵衛の表と裏、外面と内面、擬態と本心。
その対比は、「鉄砲場」がないと、本来は見えてこない。松竹演劇部の舞台上演記
録をみると、戦後の本興行での「鉄砲場」の上演記録は、25年前の76年、歌舞
伎座の松緑しかない。

軍法についての問答、竹田奴との絡みで演じる「目貫(刀の柄を飾る金属製の装飾
品)の講釈」という仕方噺、立ち回り、そして「三番叟」ということになるのだが、
花道の側、通称「どぶ」の前から3番目という、花道七三の側という座席で拝見し
ていたせいか、酒樽を馬の顔に「見立て」た竹田奴の馬に乗った團十郎の顔は、汗
びっしょりで、非常に爽やかな顔をしていた。「鉄砲場」へのつなぎか。もっとも、
あれだけ汗を流せば、深酒も醒めるというもの。「鉄砲場」では、五斗兵衛の妻・
関女が出て来る。因に、76年、歌舞伎座の松緑の五斗兵衛に対して、妻・関女は、
この三月に亡くなった歌右衛門であった。関女は、「傾城反魂香〜吃又〜」のお徳、
「本朝二十四孝」のお種と並んで、歌舞伎の三女房と言われる女房の大役のひとり。

このほか、頼朝と不和になった後、堀川館で遊興に耽る義経に菊五郎、さばき役の
泉三郎に仁左衛門、色若衆の亀井六郎に菊之助、実悪の錦戸太郎に東蔵、赤っ面の
伊達次郎に家橘。「義経記」の世界だが、本当は、大坂・夏の陣の際の豊臣家が舞
台で、五斗兵衛=後藤又兵衛、義経=秀頼、頼朝=家康、泉三郎=真田幸村、錦戸
太郎と伊達次郎の兄弟=大野父子、亀井六郎=木村重成。

「吉原雀」は、3回目。前の2回は、97年10月歌舞伎座が、長唄で、新之助、
玉三郎。99年3月歌舞伎座が、清元で、菊五郎、菊之助。生き物を解き放す「放
生会(ほうじょうえ)」の日に、解き放し用の小鳥を売りに夫婦の「鳥売り」吉原
にやってきた。廓の風俗や遊女と客のやりとりを仕方噺仕立ての所作事で表現をす
る。「風情」をどう表現するかがポイント。

今回は、芝翫と雀右衛門という、ふたりの人間国宝の奥行きのある舞台で堪能した。
若い新之助、玉三郎の綺麗な舞台。菊五郎、菊之助親子の息のあった舞台。それと
も違うベテランの緩急自在な舞台。今後とも、このコンビでの「吉原雀」を拝見す
ることは、難しいのではないかと思いながら、貴重な舞台を眼に焼き付けんばかり
に拝見した。「どぶ」の座席で斜めから舞台を観ている私には、芝翫が、雀右衛門
の上手側に廻り込むたびに、「踊りの精」の「こびと」のように、背丈が縮んで観
えたのが不思議だった。見えない者を、私は、またも、観てしまったのか。

「江戸絵両国八景〜荒川の佐吉〜」は、3回目。最初が95年7月の歌舞伎座で猿
之助であった。その後、98年8月の歌舞伎座で、勘九郎の舞台であった。真山青
果原作の新歌舞伎。今回は、上方歌舞伎の雄・仁左衛門が、江戸の庶民をどう演じ
るかが、私には仁左衛門の佐吉は、初見なので愉しみであった(仁左衛門は、孝夫
時代に4回、佐吉を演じていて、彼の当り役のひとつである)。仁左衛門の佐吉は、
爽やかで見応えがあった。花道七三の演技は、私の座席が近いせいで、仁左衛門ら
しいきめ細かな部分の工夫まで堪能できた。

今回のほかの配役。政五郎(團十郎)、辰五郎(十蔵)、郷右衛門(松助)、仁兵
衛(芦燕)、お新(時蔵)、お八重(菊之助)。十蔵が大工の辰五郎を熱演。十蔵
の演技が、仁左衛門の演技を際立たせていたように思う。因に、前回の辰五郎は、
歌昇。これも悪くなかった。前々回は、歌六。政五郎では、前回の島田正吾に貫禄
があった。前々回は、段四郎。郷右衛門は、前回が橋之助、前々回が弥十郎。鐘馗
の仁兵衛という親分は、前回が弥十郎、前々回が権十郎で、権十郎が親分の味を出
していて、良かった。お新は、前回が福助、前々回が笑三郎だが、今回の時蔵は、
母親の情を出していて良かった。最近の萬屋は、人間の深みが出せるようになって
きたと思う。お八重は、前回が孝太郎、前々回が笑也。

この芝居を観るたびに思うのは、今回もそうだったが、第二幕、第二場の「法恩寺
橋畔」というシンプルな場面。佐吉は、お新が生んだ盲目の赤子・卯之吉(親分・
仁兵衛の孫)を寝かし付けようと橋の辺りを歩いている。舞台中央に据えられた法
恩寺橋には、人ッ子ひとりいない。上空には、貧しい街並を照らす月があるばかり。
佐吉のひとり芝居の場面。これが、「荒川の佐吉」を初めて観た猿之助のときから
印象に残っている。前回の勘九郎の舞台でも印象に残った。やがて、稲荷鮨売り
が、後ろ姿のまま橋で佐吉とすれ違う。今回の稲荷鮨売りは、片岡たか志。この後
ろ姿に哀愁がある。不必要なものを削りに削って作り上げたような彫刻家のジャコ
メティの作品に良く似た世界と、私には感じられる。稲荷鮨売りのほか、この場面
では、いかさま博打が発覚して親分が殺されたことを佐吉に知らせに来る極楽徳兵
衛(片岡松之助)が出て来る。

「江戸絵両国八景」という外題が示すように、両国界隈の景色が、基調の物語で、
それに三下奴の佐吉のサクセスストーリー(それは、場面が替わるごとに、舞台の
屋体の家が立派になることで、表現されている)と6年間、義理の息子・卯之吉を
育て上げて行く過程で生まれた父親としての情愛、それに佐吉本来の男気のダンデ
ィズムが絡む。それだけに、「法恩寺橋畔」の場面は、基調の「景色」という本質
がむき出しになってくるから、シンプルな場面で、どうということはないのだが、
私には最初から気になる場面として印象づけられたのだと思う。この短い場面を観
たくて、私は「荒川の佐吉」という芝居を観るような気がする。

この芝居に出て来る八景とは言え、今回の舞台では、4枚の立て札が納涼の祭を伝
える「両国橋付近」、「法恩寺橋畔」、「向島・秋葉権現」、「向島・長命寺前の
堤」ぐらいか。本来は、全八場で、両国を中心に隅田川界隈の八景を出しているよ
うだ。

もうひとつ。舞台に隠してあるのが、桜。大川端(隅田川)両国橋付近に構えた佐
吉の新しい家。親分の仇討ちもし、縄張りも取り戻した。立派な家の上手、床の間
に色紙を掛け軸に直したものが飾られている。その色紙にヒント。「敷島の大和心
を人とはば朝日に匂ふ山桜花」と書いてあるが、この場面では、桜について触れら
れることはない。床の間の近くに置かれた大きな壺にも桜の木が差し込んである。
やがて、「長命寺前の堤」の場面。大川端の遠見。筑波山が見える。堤には、6
本の桜木。草鞋を履き、江戸を離れ、遠国へ旅立つ佐吉へ餞の言葉を述べる政五郎
の台詞に「朝日に匂ふ山桜花」が出て来て、前の場の舞台の設えが、この台詞の
ための伏線になっていることが判るという趣向。散り掛かる桜の花びらのなかで、
佐吉を泣きながら見送る辰五郎の台詞。「やけに散りやがる桜だなあ」で、だめ押
し。

閑話休題。佐吉が、親分の仁兵衛の用事で行くのが「甲州」という設定で、彼が甲
州で病気になって、江戸に帰ってくるのが遅れている間に(4ヶ月後)、親分を取
り巻く環境が、がらっと変わってしまうという設定になっている。こういうところ
に、甲州が出てくると、それだけで、嬉しくなる。

- 2001年6月17日(日) 11:41:19
2001年 6月 ・ 歌舞伎座
  (昼/「八重桐廓噺〜こもち(「女偏に區」)山姥〜」「天一坊大岡政談」)

6月の歌舞伎座の役者の顔ぶれを見ると、5月の「團菊祭」の続きかと錯覚する人
もいるだろう。團十郎に菊五郎、それに仁左衛門が軸になっている。ところが、
実は、6月は、時蔵襲名20周年なのだ。先代の四代目時蔵が亡くなり、当時26
歳の四代目長男・梅枝が五代目時蔵を継いだのだ。以来、20年が過ぎ去り、時蔵
も46歳になった。その時蔵が、三代目や四代目が得意とした家の藝の「こもち山
姥」を演じると言うから、女形としての力量を測る演目として、これは、6月の歌
舞伎座の「目玉」の一つだろう。そう思いながら、私は歌舞伎座に入った。

「こもち山姥」の生の舞台を、私は2回見ている。96年4月歌舞伎座の中村鴈治
郎、そして今回の時蔵というわけだ(2000年1月の国立劇場の中村芝翫の舞台
は、テレビで拝見。これは参考情報)。時蔵は、別名「しゃべり」といわれる「こ
もち山姥」の八重桐の物語の部分をしゃべらずに竹本での「仕方噺」として、所
作で表現した。これは、三代目、四代目が得意とした萬屋の家の藝の演出である。
鴈治郎の舞台は、本来の「しゃべり」、ビデオで見た芝翫、そして今回の時蔵の舞
台では、「仕方噺」とそれぞれの芸風が異なる演出を観たわけだが、私は、「こ
もち山姥」は、やはり鴈治郎の「しゃべり」の演出が、いちばん印象に残っている。

「山姥」の舞台は、黒幕に塀の書割、舞台中央から下手寄りに桜の大木が塀のうち
から立っている。塀の外、桜の大木と並行するように木の根(女形用に小さい木の
根だろう)がある。紫の地に黒の文反古をはいだ着付け姿の八重桐(時蔵)の出。
元は大坂の傾城、いまは恋文の代筆をしている。竹本に合わせて八重桐の所作が続
く。やがて、黒衣が出て来て、八重桐の動きに合わせるように木の根を動かし、八
重桐を座らせる。塀のなかから三味線の音。耳を澄ますと、夫の坂田蔵人行綱と自
分しか知らないはずの歌が聞こえて来る。八重桐は、やがて立ち上がる。すると、
木の根は、黒衣によって片付けられる。八重桐は、「傾城の祐筆」を手に持ってい
る笠に字を書く所作で表わす。八重桐を呼び込みに来た腰元・お歌(十蔵)とのや
りとり。

拍子木を合図に塀が左右に開くと、そこは大納言岩倉兼冬の館と知れる。息女・沢
潟姫(菊史郎)らが御殿の屋体・二重舞台の上に控えている。二重の下手には、後
ろ向きの煙草屋源七、実は坂田蔵人行綱(田之助)。屋体下手の平舞台に木戸。お
歌に導かれて八重桐が木戸を開けて入る。お歌は下駄を、八重桐は草履を脱ぐと、
木戸も下駄も草履も黒衣が片付ける。八重桐は、お歌とも絡みながら蔵人への面当
てに自分の恋の模様や廓での傾城同士の喧嘩の模様などを仕方話でたっぷり演じる。
この演目、最大の見せ場。十蔵のお歌が、チャリ(滑稽劇)の味を出していて好演。

蔵人の妹・白菊(菊之助)の登場。敵討ちの旅に出ていたはずの蔵人は、妹に先を
越され、妻の八重桐にも愛想をつかされ、やがて自害。蔵人が己の念力を込めた
「血腸(ちわた)」を抱き寄せた八重桐に、「口移し」をする場面は、エロチック
である。死と生の架橋、という場面だ。この結果、八重桐は、大力無双の山姥に変
身。実は、これが後の金太郎、坂田金時誕生の秘話なのだ。沢潟姫を奪いに来る太
田十郎(松助)の手の者・四天たちと白菊、八重桐との立ち回り。四天のひとりが
後ろから八重桐の腹の両脇を両手で支え、妊婦・八重桐を強調する。やがて、
「ぶっかえり」で山姥の正体を現した八重桐は、石の手水を頭上に持ち上げたりし
て怪力ぶりを発揮する。三段に乗っての大見得で幕。目を見開いた時蔵の姿が印象
的。

本来、坂田金時の誕生秘話という荒唐無稽な話という単純な人形浄瑠璃の筋書きを
口数の少ない女形が「しゃべり」の演技を見せるという歌舞伎の意外性が売り物
で、近松門左衛門作には珍しい味わいの演目。鴈治郎のように「しゃべり」の
歌舞伎味を強調するか、今回の時蔵のように様式色の強い所作の人形浄瑠璃の味を
強調するかポイントだろうが、ふたつの舞台を観た上で、鴈治郎と時蔵の演技力を
観た上で、今回の所では、まだまだ、鴈治郎の舞台の方が、私にはおもしろかっ
た。前回の鴈治郎の舞台では、今回登場した白菊、腰元・お歌は登場せず、八重桐
の「しゃべり」をクローズアップする演出であったから、余計そういう印象になっ
たのかも知れない。時蔵は、大女形へ脱皮しかかっているのか、どうか。そのあた
りが、よく観えない。澤村宗十郎の型も、また、違うそうだが、私は観ていない。

「天一坊大岡政談」は、初見。菊五郎は29年ぶりの再演というし、歌舞伎座で
の上演は、戦前から59年ぶりというから、多くの観客が初見の演目だろう。この
演目の見所のポイントのひとつは、菊五郎が演じる「天一坊」の善人面、悪人とし
ての正体の見現し、高貴な生まれという騙り、それの白状、さらに仲間と示し合わ
せての騙りという、四変化(へんげ)のメリハリをどう演じるかだろう。神田伯山
の講釈を河竹黙阿弥が明治の初めに歌舞伎に仕立て直しただけに、ちょっと歌舞伎
とは、一味違う。

紀州・平野村の老婆・お三の住居。感応院の下男久助(松助)は、舞台クライマッ
クスの重要な人物。さらっと出て来る。やがて、感応院の小坊主・法澤(菊五郎)
が自分の誕生日の祝いに出された料理と酒のお裾分けをしようといつも世話になっ
ているお三(東蔵)を訪ねて登場。酒を飲みながら、お三の身の上話を聞くうち
に、亡くなったお三の孫と自分の誕生日が同じことに気付く。その孫の母、つま
り、いまは亡きお三の娘が、後の将軍・吉宗のお手付きになったことを知ることか
ら、お三を殺して(1番目の殺人)、証拠の品を奪い、孫になりすますことを思い
つき、実行する。この法澤の最初の変化だが、菊五郎の演技は淡々としていて、よ
く変化が表現できてなかったと思う。孫の年齢の法澤を男にした老婆・お三の色気
を東蔵が好演。存在感があった。

加太の浦の場面は、説明的。まず、駆け落ちをした久助らが通り過ぎる。法澤は、
自分の氏素性を知る師匠をお三のところにあった鼠とりの薬で殺し、その罪を久
助になすりつけているという想定。村びとに送られて来る法澤は、村びとと別れた
後、ぶち犬に吠えかけられると、その犬も殺し、犬の血を利用して、自分も久助
に返り打ちにあい、殺されたように見せ掛けるため、自分の襦袢に血をつける(こ
のあたり、黙阿弥作「三人吉三」の吉祥院裏手の、おとせ十三郎殺しの場面が、私
には目に浮かぶ)。ここは、そういう「工作」を見せつける場面。夜明け前の雪の
海岸は、やがて、黒幕が落とされ、夜明けに変わる。

美濃の国、常楽院本堂の場面。大膳(秀調)、左京(右之助)を従えて、将軍の御
落胤・吉之助になりすました法澤。常楽院住職天忠(芦燕)は、すっかり騙され
ている。このあたりの菊五郎のとりすました演技は、さすが。その上で、法澤は、
自ら「御落胤とおれが見えるか」と正体を明かす。世話にくだける台詞の妙。「お
らあ、偽者よ」。場内に拡がる笑い。巧い菊五郎(黙阿弥作「白浪五人男」の弁天
小僧を思い出す)。天忠の提案で、寺に身を寄せていた知恵者・伊賀亮(仁左衛
門)を一味に引っ張り込むことにしたが、伊賀亮に拒否をされると、法澤は、潔
く首を差し出す。それが逆転ホームランで、結局、法澤の男気に感じ入った伊賀亮
は一味に加わる。天一という所化を殺して(2番目の殺人)、遂に、天一坊の誕
生という前半の終了。悪巧みの祝宴にと、鯉が出て来る。仕掛けで動く鯉をお見逃
しなく。

いよいよ、大岡越前守屋敷きの場面。開幕は、時計の音とともに。台詞と時計の音
の使い方が巧い。やがて、大岡(團十郎)の出。大岡と天一坊一味との最初の対
決。仰々しい行列。堂々の菊五郎の天一坊。河内山宗俊(黙阿弥作「天衣紛上野初
花」)の貫禄。だが、芝居は、ここからは伊賀亮と大岡との芝居になる。幼い吉宗
を知っている伊賀亮と大岡との、いわゆる「網代問答」(「網代」というのは、天
一坊の乗って来た網代駕篭のことが問題となるので、こう名付けられたという。今
回の舞台では、駕篭は登場せず)の場面。証拠の品とともに、問答で伊賀亮に言い
負かされる大岡。当代では、これ以上望めない配役、團十郎、仁左衛門、菊五郎の
重厚な演技が続く。圧巻の場面である。場面展開による役者の上手、下手などへ
の居処の変化などにも注意。天一坊と大岡が、対決で作る三角形の空間。天一坊が
花道から引っ込んだ直後に、下手の襖を開けて登場する大岡の腹心池田大助への菊
五郎のふた役、早替わりも見物。

大岡邸奥の間。真相究明に紀州に探索に行った大助を待っている死に装束の大岡と
妻子(松江、松也)。介錯を頼まれた治右衛門(友右衛門)がひとり芝居の体。忠
臣蔵の判官腹切りの場面のパロディ。ここでも、時計の音を効果的に使っている。
待たせに待たせて、逆転の証拠と証人が用意できると判明。次いで、奥殿で、再
度の対決で、正体を暴かれる天一坊一味(「伽羅先代萩」の「対決」の場面に似
ている。仁木弾正と天一坊のアナロジー)。生き証人、久助の登場と、先の場面で
法澤が工作した襦袢などが提出されれば、天一坊一味は、ぐうの音も出ないとい
う、話の分かりやすさが大衆的。

黙阿弥原作だけに、彼の狂言ほか、歌舞伎の名場面を彷彿とさせる場面があちこち
に散りばめられているので、それを見抜くのも楽しい。めったに上演されない演目
で、筋は、たわい無いが、「絵で観る講談」の世界として堪能。典型的な「お家狂
言」味たっぷりの舞台であった。

- 2001年6月14日(木) 7:23:24