2005年月・歌舞伎座 (夜/「義経千本桜〜川連法眼館〜」
「鷺娘」「野田版研辰の討たれ」)

夜の部は、まず、「鷺娘」から、書きたい。「鷺娘」は、5回
目。雀右衛門が2回(96年11月の歌舞伎座と、98年2月の
NHKホール)、玉三郎が、今回含め2回(99年10月歌舞伎
座)。福助が、1回。NHKホールは、せりが使えなかったの
で、演出を工夫していたが、やはり「鷺娘」は、せりで登場させ
たい。歌舞伎座の雀右衛門は、せりであった。

今回の玉三郎は、薄暗い場面、まず、開幕は、置唄。雪景色で無
人。柳の木が、影を落とす湖畔。やがて、玉三郎の鷺娘は、薄暗
いなか、後ろ姿で舞台中央のせりで上がって来た。玉三郎一流の
工夫と見た。後ろ姿なので、綿帽子に白無垢の、雪の化生のよう
な全身真っ白の花嫁衣装より、真黒襦子の帯が印象的で、薄暗さ
のなかに、黒襦子の帯を軸に玉三郎の全身が、溶け込んでいる。
透明感のある黒っぽい蛇の目模様の傘が、玉三郎の上半身、特に
顔を隠している。頭から顔に掛けて、被りものの綿帽子姿をして
いるので、顔がなかなか見えない。観客を焦らせる作戦か。

鳥足や鳥の羽ばたきの所作で、鷺の精を強調する。引き抜きで白
縮緬の振袖姿からピンクの友禅染めの着物へ。黒襦子の帯も、替
る。鷺の精が、可憐な町娘に変身する。恋に夢中の可愛らしい娘
である。一旦引っ込み、紫の衣装に変えて、軽快な傘踊り。再
び、引き抜きで紫色からピンクへ。傘の陰に隠れて、肌脱ぎにな
り、朱色の衣装へ、袖を銜えて、すくっと立つ。玉三郎のスムー
ズな変身を助けるのは、弟子の守若。手際は、颯爽としている。
玉三郎との息もぴったり。ファインプレーの後見だ。ぶっかえり
で、白い鷺の精の衣装へ。髪も捌く。柳の枝を鉄杖に見立てて、
地獄の責め。白い衣装の肩に赤い切り傷があり、嗜虐美の見せ
場。鷺の精の正体を現す。逆海老反りで柔軟な身体を誇示した。
霏々と降る雪。適わぬ恋心の哀しみを演じる。苦しさのあまり、
のたうつように動き回る玉三郎の衣装の裳裾が、所作台に積もり
はじめた雪の紙片を蹴散らし、幾つもの環を描いて行く。描いて
は消える環の数々。白鷺の精は、羽ばたきも弱まり、息も絶え絶
えになる。最後に玉三郎は、紙片の雪に溶け込むように下半身を
崩して行く。恰も、下半身は、紙片の雪のなかに埋もれて行くよ
うに見えたのは、目の錯覚だろうか。それとも、玉三郎の藝のマ
ジックだろうか。ここで、私は、菊五郎の「保名」で、幕切れ寸
前で、打ち掛けを頭から被ったまま、倒れ伏す場面を思い出し
た。菊五郎の演じる安部保名も、舞台に埋もれるがごとく、倒れ
伏したからだ。桜や菜の花が咲き、蝶が舞う春の野辺の「保名」
と雪が霏々と降り、柳が固く閉じ固まっている冬の湖畔の「鷺
娘」の最後の場面で、同じ印象を持つという不思議さ。これぞ、
名優の藝の力。

さて、雀右衛門、福助の「鷺娘」の舞台では、ラストはどうで
あっただろうか。6年前から始まった「遠眼鏡戯場観察」の記録
で見ると、2回観た雀右衛門の劇評は、それ以前の舞台なので、
まだ、書き込まれていない。6年前、99年10月、歌舞伎座の
玉三郎と4年前、01年4月、歌舞伎座の福助の劇評は掲載され
ている。玉三郎の鷺娘は、すでに同じような印象で、すでに「瀕
死の白鳥」論に触れている(渡辺保は、これは歌舞伎ではない、
バレーだと貶しているという趣旨の引用がある)。福助の鷺娘
は、「匂い立つような女形の旬の色気を発散していた」が、霏々
と降る「雪の場面では、最後に緋毛氈の二段に乗っての大見得
だった」とある。「二段に乗っての大見得」は、鷺娘本来の演出
だが、大見得では、恋に破れ、死んで行く鷺娘の哀れさは出な
い。恨みつらみが、前面に出てしまう。ここは、玉三郎独自の工
夫の方が、遥かに素晴しい。まさに、絶品。言葉では、表現でき
ない。だから、所作で見せるしかないのだろう。400回以上、
鷺娘を踊ったと言う玉三郎ならではの、味わいだろう。

では、雀右衛門は、どうであったか。息も絶え絶えはは、同じよ
うな印象だが、玉三郎のように雪に埋もれるのではなく、幕を落
とすという演出だったような気がするが、いまになると、定かで
はない。次回、雀右衛門で「鷺娘」を観るときに確認したい。

「義経千本桜〜川連法眼館〜」、通称「四の切」は、9回目の拝
見。いわゆる「狐忠信」の芝居だ。このうち、澤潟屋系、つまり
市川猿之助演出の「狐忠信」は、4回観ている(猿之助で3回、
右近で1回)。病気休演中の猿之助の状態が気になるが、大分恢
復して来ているように聞いているが、思えば、猿之助の「狐忠
信」を最後に観ているのは、5年前、2000年、7月の歌舞伎
座だ。そのときの劇評で、私は、次のように書いている。猿之助
の「狐忠信」の再演の願いを込めて、再録したい。

*体力による外連が売り物のひとつだった猿之助、体力の衰えを
カバーする演技の円熟さ。円熟さで、狐忠信をカバー出来なくな
る日が、いずれは来るのだろうが、そういうことを考えずに、な
いものを別のもので補いながら、歌舞伎の世界に「天翔ける」猿
之助の舞台を、このあとも見ることが出来るかぎりでは、見続け
たい。今月の歌舞伎座の観客は皆、そういう思いで、心をひとつ
にしているに違いない。

同じ年の9月、大阪の松竹座で、猿之助は、「鳥居前」から「川
連館」までを演じたとき以来、狐忠信を演じていないが、今後、
一日も早く、病気恢復をし、再び、歌舞伎座で、狐狐忠信の「宙
乗り」を見せて欲しいと思っているのは、私ばかりではないだろ
う。

一方、音羽屋系では、本家の菊五郎が、今回含め、3回(そう
か、菊五郎も、猿之助も、私が観た「狐忠信」の回数は、今回
で、並んだのだ)。勘九郎が1回。当代の松緑が1回。澤潟屋系
の演出は、外連味の演出が、派手で、いわゆる宙乗りを多用す
る。狐が本性を顕わしてからの動きも、活発である。本舞台二重
の床下ばかりでなく、天井まで使って、自由奔放に狐を動かす。
それにくらべると、音羽屋系は、まず、宙乗りをしない。天井か
らの出入りをしないなど、狐の動きが、おとなしい。

因に、99年8月の歌舞伎座で演じられた勘九郎の「狐忠信」の
劇評は、以下のようなものであった。

*「義経千本桜」の「四の切」は、猿之助で、何度も見ている。
菊五郎でも見た。勘九郎が、どう演じるか、楽しみな舞台だ。本
物の忠信と狐・忠信の演じ分けは良く判った。しかし、狐は早変
わりを含めて猿之助が優れている。狐がスッポンから飛び出して
きたのは、驚いた。若さの勘九郎らしい演出だと思う。開幕前に
所作台を花道に引きつめる場面で、大道具方が、まずスッポンの
位置にあわせた大きさの台を置き、その上で、その台の部分がく
り抜かれた台を置いていたが、これも何回も同じような準備風景
を見て来たのに、今回初めて気がついた。

そうだった。勘九郎は、スッポンに頭から飛び込んだと思った
ら、花道下の奈落にトランポリンを用意していたらしく、すぐさ
ま、飛び出して来たのは、いまも、印象に残っている。今回は、
舞台下手の垣根から横様に狐は、姿を消した。この演出の方が、
スッポンに消えるよりも、本来の演出ではないか。この演出は、
垣根の一部を黒衣が外し、垣根のなかに予め置いてある水車のよ
うな車に狐が手をかけると、ふたりの黒衣が、車を廻す。狐は、
車の動きに連れて、スムーズに横様に消えるというシステムだ。
このほか、本舞台を良く観察すると、狐の動きを助ける仕掛け
が、あちこちに施されているのが判る。例えば、本舞台から屋体
の二重の上に上がるために、二重舞台の床下に足がかりが付けら
れている。床下から狐が出て来る場所は、床下が、扉状になって
いて、出入りができる仕掛けになっている。「欄干渡り」で、狐
が歩く黒塗りの欄干だけは、丸い欄干ではなく、歩けるように幅
広になっていて、金具の取り付け方が、違っている。音羽屋系
で、いちばん印象に残るのは、澤潟屋系なら、宙乗りが定番の演
出の場面で、「手斧振(ちょうなぶ)り」という仕掛けを使っ
て、舞台上手にある桜の巨木を狐が滑るように上って行く場面だ
ろう。「手斧振り」の演出は、いまでは、「狐忠信」の音羽屋系
の出演のときくらいしか、お目にかからないが、梁や柱を削る大
工道具の手斧の柄に似た金具を立ち木に取り付け、片腕、片足を
仕掛けに乗せて、それを上に引き上げることで、役者の体が、宙
に浮いて行くという趣向だ。

音羽屋系の演出は、五代目以来の菊五郎の家の藝だが、全体に、
澤潟屋系の演出に比べて、派手さはない。しかし、古怪な味わい
があり、これはこれで、大事に残したい演出だと思う。

このほかの役者では、左團次の川連法眼と田之助の妻・飛鳥の夫
婦が、僅かな出番ながら、存在感があった。左團次は、「熊谷陣
屋」の直実の出のように、花道から心に屈託を抱いて、館に帰っ
て来る。海老蔵の義経は、元気がない。菊之助の静御前は、初
役。しかし、良く考えてみれば、「四の切」という芝居は、狐忠
信の芝居であると同時に、「ふたりの忠信登場の怪」の詮議を義
経から任された静御前の芝居でもあるのだ。菊五郎の佐藤忠信と
狐忠信の演じ分けも見どころなら、若い花形役者ふたりの詮議も
見どころにならなければならない。未熟ながら、ふたりの花形役
者も、ようやく、味を出し始めている。以前から指摘している
が、特に、菊之助の進境が著しい。

「野田版研辰の討たれ」は、初見。以前のものは、ビデオで観た
だけ。元々「研辰の討たれ」は、研屋の辰蔵が、女房の不倫の相
手の武士を殺し、諸国を逃げ回った末に、四国の讃岐で敵を討た
れたという文政年間に実際にあった史実をもとにした木村錦花の
原作で、1925(大正14)年に二代目市川猿之助(後の猿
翁)主演で、初演された新歌舞伎だ。成り上がりの武士が、家老
を殺して、敵として狙われる。普通なら、敵討ちをする側を主人
公に据えて、物語を展開するところだが、「研辰の討たれ」で
は、敵を討たれる側を主人公にして、卑怯未練な生への執着を誇
張して描いた喜劇に仕立てた。猿之助の「研辰」は、当たり、
「稽古中の研辰」「恋の研辰」などの続編も上演されたという。

さっそく、贅言:木村錦花という人物は、役者をしながら、戯曲
や小説も書き、二代目左團次の明治座興行の主任を勤め、左團次
とともに入社した松竹では、後に取締役になった。

「研辰の討たれ」は、戦後も、三代目延若が、二代目延二郎時代
から演じ続けていたが、平成に入って、勘九郎が演じるようにな
り、さらに、4年前、01年8月の歌舞伎座の納涼歌舞伎で、
「野田版」として、新たな脚本・演出で演じるようになり、新勘
三郎の人気演目のひとつとなった。

元々の「研辰の討たれ」の舞台を実際に観ていないから、確かな
ことは言えないが、ストーリーは、基本的に同じだろうが、家老
殺しを「からくり」を使って、脳卒中で死亡させてしまうという
のは、野田のアイディアであろうし、そうすることによって、大
正時代の新歌舞伎を21世紀の新歌舞伎に変身させたと、思う。

また、時代を赤穂諸事件、つまり、いわゆる「忠臣蔵」の時代の
直後に設定し直し、町人堅気の抜けない成り上がりの武士に赤穂
浪士らの武士道を批判させた野田の才気。成り上がることで、旧
体制の武士社会に挑戦した研辰こと、守山辰次(勘三郎)だが、
家老の平井市郎右衛門(三津五郎)を脳卒中で死亡させた、いわ
ば、業務上過失致死の容疑が、「武士は、脳卒中では死なない」
などと言っていた家老の名誉を重んじる旧体制派の八見伝内(弥
十郎)らの策略で、殺人の容疑に切り替えられ、平井の子息の兄
弟(染五郎、勘太郎)に敵として命を狙われた末に、兄弟の策略
に遭い、敵を討たれてしまうというのは、旧体制に挑戦しなが
ら、敗れた新体制(町人社会)の成り上がりものという、作劇の
コンセプトを新たに付け加えたとも見ることができる。また、敵
討ちを成就させた真の行為者は、適当に態度を変える大衆そのも
のだという、現代という大衆社会の持つファッショ性を観客にさ
り気なく感じさせる辺りも、野田演出の才気だろう。

敵と狙われて、逃げ回る日々も、口八丁手八丁で要領良く過ごし
ている辰次を勘三郎は、小気味良いぐらい巧く演じて行く。勘三
郎の才気も花開いている。

野田の新工夫は、スピードとアイディア溢れ、細々(こまごま)
とした演出面でも、ほかにも数々あるだろうと、思うし、抽象的
な大道具を使い廻し、さあざまな場面展開に活用するなど、野田
の才気が細部に光る演出であり、新勘三郎を始め、勘三郎一座
が、それに応えて、おもしろい芝居に仕立てたことは確かだが、
さはさりながら、「野田版」の芝居は、ついでに、歌舞伎の範疇
から飛び出してしまったとも、思う。だから、どうだということ
もないが、これは、歌舞伎ではない。別のおもしろい演劇だとい
う、印象は免れないと思うとだけ、指摘しておきたい。「傾(か
ぶ)く心 傾く花」とは、私が、署名を求められるたびに拙著に
書いている識語だ。私も、歌舞伎とは、「傾く」=新奇なことに
挑戦する芸能だと、思っている。傾く心が、新しい歌舞伎の花を
咲かせると、思う。だから、現代にマッチした歌舞伎を作りた
い。歌舞伎であろうと何であろうとおもしろい芝居をしたいとい
う勘三郎の心意気や良しとも、思う。但し、できうれば、歌舞伎
としても評価でき、芝居としても、おもしろい芝居を、いつか勘
三郎一座で、観てみたいというのも、観客側の見果てぬ夢である
ことも確かである。だから、勘三郎には、猿之助のスーパー歌舞
伎とも違い、歌舞伎の王道を歩みながら、おもしろくて、歌舞伎
らしい芝居を見せて欲しいと、思う。

本当の贅言:いま、なにかと話題の中心にいる中村獅童、映画出
演で人気を読んでいる七之助らをワンポイントで使うなど野田演
出か、勘三郎のアイディアか、知らないが、あざといぐらいの
サービス精神には、脱帽。最後のカーテンコールでも、勘三郎
は、獅童をクローズアップさせるなど憎い。もうひとつ、勘三郎
のプロデューサー的憎さを指摘すると、私がファンの中村芝のぶ
を襲名披露の大舞台のトリの演目で、仕どころの多い、大役の
「金魚」という名の芸者で出してくれてありがとう。芝のぶ、見
応えがあったよ。よかった。情熱の太夫、竹本の清太夫も、語り
というより、出演で一役買っていたが、清太夫は、だんだん、人
形襦瑠璃の千歳大夫のような人気者になってきたのではないか。
ついでに。歌舞伎座の3月から5月の、3冊の筋書きを買い求め
た人も多いだろうが、いくら、毎回、新しい人が読むとしても、
服部幸雄の「中村勘三郎と江戸歌舞伎」という同じ文章を3回も
載せるというのは、いかがなものか。もう少し、工夫のしよう
が、なかったのか。
- 2005年5月29日(日) 20:56:52
2005年5月・歌舞伎座 (昼/「菅原伝授手習鑑〜車引〜」
「芋掘長者」「弥栄芝居賑〜中村座芝居前〜」「梅雨小袖昔八丈
〜髪結新三〜」)

新勘三郎の襲名披露興行も3ヶ月目。歌舞伎座の場内に入ると、
江戸3座のひとつ、森田座の定式幕を引き継いだ歌舞伎座の定式
幕に替って、黒・白・茶の中村座の定式幕が、すっかり馴染んだ
ように見える。江戸の芝居小屋の定式幕は、後に中村座になる猿
若座から始まった。市村座の定式幕は、黒・萌葱・茶は、いま
は、国立劇場の定式幕として引き継がれている。江戸の芝居小屋
の創設は、確証がないそうだが、中村座の後は、後に市村座にな
る村山座が創設され、後に、江島生島事件で廃座に追い込まれた
山村座、そして、いまの歌舞伎座のある木挽町(いまは、東銀
座)の森田座の順だから、幕の配色から見れば、中村座の「黒・
白・茶」の白が、市村座で、萌葱に替って、「黒・萌葱・茶」、
それが、森田座で「黒・茶・萌葱」と、萌葱と茶の配色の順番が
替ったと容易に想像される。

さて、昼の部の最初は、「菅原伝授手習鑑〜車引〜」である。
「車引」は、6回目の拝見。「車引」は、元々、動く錦絵のよう
な芝居である。色彩豊かな吉田神社の門前、豪華な牛車をバック
に、今回は、梅王丸(勘太郎)、桜丸(七之助)、松王丸(海老
蔵)という配役で、浅草歌舞伎のレベルのフレッシュさが売りの
興行。今回、揚幕、本花道から梅王丸と仮花道から桜丸のそれぞ
れの出は、両花道を使っての出逢いで、後に、南北が「鞘當」で
なぞっているのもうなずける。

勘太郎の梅王丸は、口跡も良く、成長の跡が伺える。私が観た
「車引」の梅王丸は、我當、染五郎、辰之助、團十郎(2)だか
ら、勘太郎が、23歳で、いちばん若い梅王丸となる。桜丸を演
じた七之助は、口跡が、女形の甲(かん)の声が、残ってしま
い、もう一工夫欲しい。海老蔵の松王丸は、3人のなかでは、最
年長の27歳ということで、顔も大きく、立派に見えた。海老蔵
は、肌脱ぎ(重ね着した衣装を脱ぐ)の場面では、蝦ならぬ蝶が
羽化するようにスムーズに脱皮して見せた。「足元のあけえ(明
るい)うちに、早くけーれ(帰れ)」と、海老蔵の松王丸は、京
の吉田神社の門前で、江戸弁丸出しで、兄の梅王丸と弟の桜丸を
威す。「あけ(明)え」が、「あけ(赤)え」と聞こえたが、こ
こは、「あっけえ」とか、「明けえ」という意味が伝わる科白廻
しにするべきではないか。

最近の子役のなかでも、人気のあった清水大希が、役者になると
いうことで、勘三郎の部屋子になり、二代目中村鶴松として、デ
ビュー杉王丸を演じた(昼の部、3番目の、「弥栄芝居賑〜中村
座芝居前〜」では、中村座一門の役者として、勘三郎から披露さ
れる場面がある)。

30分の芝居の、3分の2の辺りで、藤原時平の牛車への出があ
る。吉田神社の塀と柵の間に黒衣が立ち、黒幕で牛車の上手と下
手を塞ぐ。塀と柵が、動く。牛車の裏側に時平が入る。黒衣の手
で、牛車が分解され、様式的な舞台装置に変身して、牛車の上に
姿を現す時平(左團次)。時平役者は、この出現の瞬間、役者の
格が問われる。左團次の時平は、威厳と妖気が漂う。時平の一睨
みで萎縮する梅王丸と桜丸という狙い通りか。牛車の牛も逃げ出
した。私が見た時平は、三代目権十郎、彦三郎(3)、芦燕、そ
して、今回の左團次と4人。父親の十七代目羽左衛門譲りの彦三
郎に馴染みがある。

この演目は、隈取の見本市でもある。紅系統の「筋隈」の梅王丸
(手足にも隈取)、「一本隈」の松王丸、「むきみ隈」の桜丸。
藍系統の「公家荒(くげあ)れ」の時平。滑稽味の金棒引・藤内
(橘太郎)の隈は、「対面」の朝比奈だけが用いる「猿隈」の変
型か。

「車引」は、左遷が決まった右大臣・菅原道真の臣の梅王丸ら
が、左大臣・藤原時平の吉田神社参籠を知り、時平の乗った牛車
を停めるという、ストーリーらしいストーリーもない、何と言う
こともない芝居なのだが、歌舞伎の持つ色彩感覚、洗練された様
式美など、目で見て愉しい、大らかな歌舞伎味たっぷりの上等な
芝居である。

「芋掘長者」は、初見。大正時代に生まれた舞踊劇。六代目菊五
郎と七代目三津五郎のために岡村柿紅が作った。六代目が演じた
芋掘藤五郎を今回は、三津五郎が演じ、三津五郎が演じた治六郎
を橋之助が、演じる。長者の松ヶ枝家息女・緑御前(亀治郎)に
恋した藤五郎が、「日本一の舞の上手」と偽って、婿選びの舞い
競べに参加し、舞の巧い、友人の治六郎の助けを借りながら、一
拍遅れて、おもしろおかしく舞ってみせるというのが、ミソ。舞
い競べに参加した名手としては、権十郎、高麗蔵が出演し、藤五
郎らと競う。松ヶ枝家の後室に秀調、腰元に萬次郎。

同じ岡村柿紅作の「茶壺」という舞踊劇が、一拍遅れて振りをま
ねる場面があるが、作劇の発想は、同じだろう。三津五郎は、当
代の歌舞伎役者の中では、踊りの名手だけに、どれだけ、下手な
踊りを見せられるか。そこに、新たな笑いが生じる。亀治郎も、
若手の中では、舞上手。

落ちは、踊りの下手さに自ら我慢できなくなった藤五郎が、得意
の芋掘りの様子をなぞる「芋掘り踊り」を踊りだし、緑御前に舞
の名手より、芋掘りの名人の藤五郎に添いたいと言い出す辺り
は、「鰯売恋曳網」の鰯売りの猿源氏と螢火、実は丹鶴城の姫君
との恋に似ている。メルヘンチックな愉しい舞踊劇。

「弥栄芝居賑〜中村座芝居前〜」は、川尻清潭作の祝典劇で、
1950(昭和25)年1月の歌舞伎座、十七代目勘三郎襲名披
露興行で、「顔揃櫓前賑」という外題で上演された演目で、実質
的に「口上」を趣向を凝らして見せるという愉しい発想。その後
も、さまざまな外題で、演じられたが、「弥栄芝居賑」となった
のは、1976(昭和51)年4月の歌舞伎座で、「初代猿若中
村勘三郎三百五十年記念」として、上演されて以来。

今回は、江戸の中村座で、十八代目中村勘三郎の襲名披露興行が
行われているという、時空自在な想定で、勘三郎一座に猿若町名
主女房(芝翫)、芝居茶屋女将(雀右衛門)、芝居茶屋亭主(富
十郎)のほか、両花道のうち、本花道を埋める男伊達に菊五郎、
三津五郎、橋之助、染五郎、松緑、海老蔵、獅童、弥十郎、左團
次、梅玉の順で、10人、仮花道を埋める女伊達に玉三郎、時
蔵、福助、扇雀、孝太郎、菊之助、亀治郎、芝雀、魁春、秀太郎
の順で、10人という華やかな舞台を演出。男伊達から女伊達
へ、そして、また、男伊達から女伊達へと、それぞれが工夫した
洒落た祝の口上を渡り科白形式で、繋いで行く。実は、仮花道
は、常設の本花道と違って、幅が狭い上に、台が安定していない
ので、やりにくいと言うが、そういうことを観客に感じさせず
に、堂々のツラネは、無事終了。

芝居小屋には、櫓が立ち、演目を知らせる看板や絵看板も掲げら
れ、木戸には、「大入」「客留」などの張り出しもある。「芝居
前」での口上は、芝翫が仕切り、上手側へ、雀右衛門、富十郎と
続き、下手に移り、中村座の若太夫のふたりのうち、七之助、勘
太郎の順で挨拶、そして、新勘三郎の挨拶、さらに勘三郎は、下
手端に控えていた鶴松を紹介する。中村座一門の役者に、芸者、
座方、芝居茶屋の若い者らも加わって、江戸の芝居町のにぎわい
を活写する。

「梅雨小袖昔八丈〜髪結新三〜」は、世話物。砕けた科白廻しが
魅力。例えば・・・・、「ええ、黙りゃアがれ、この野郎はとん
だ事を言やあがる、そんなら言って聞かせるが、あのお熊はおれ
が情人(いろ)だから、引っ攫って逃げたのだ、手前に用がある
ものか」という新三を演じる勘三郎の、世話科白の心地よさ。
「梅雨小袖昔八丈」、通称「髪結新三」は、4回目の拝見であ
る。主役の新三で言えば、菊五郎が2回、勘九郎時代を含め勘三
郎が、2回。私は、菊五郎の新三の方が好きだ。勘三郎は、菊五
郎に比べて、科白を謳い上げてしまうので、その差が、私の評価
を下げる。

狂言の概説は、前回の私の劇評を再録する。

*1874(明治6)年。幕末期の江戸の色が、まだ濃く残って
いるなか、58歳の江戸歌舞伎作者・河竹黙阿弥は、明治の喧噪
な音が耳に五月蝿かったであろうに、従来の歌舞伎調そのまま
に、江戸の深川を舞台にした生世話物の名作を書いた。前年の明
治5年2月、東京布達では「淫事(いたづらごと)ノ媒(なかだ
ち)ト」なるような作風を改めるようにという告示があった。濡
れ場、殺し場などの生世話物特色ある場面を淡白にしろという。
さらに同年4月、政府諭告では、「狂言綺語」を廃して史実第一
主義をとれという。

ならず者の入れ墨新三。廻り(出張専門)の髪結職人。日本橋、
新材木町の材木問屋。婦女かどわかし。梅雨の長雨。永代橋。雨
のなかでの立ち回り。梅雨の晴れ間。深川の長屋。初鰹売り。朝
湯帰りの浴衣姿。長屋の世慣れた大家。この舞台は江戸下町の風
物詩であり、人情生態を活写した世話物になっている。もともと
は、1727(享保12)年に婿殺しで死罪になった「白子屋お
熊」らの事件という実話。新三の科白にある「あのお熊はおれが
情人(いろ)だ」という「お熊」が、「白子屋お熊」だ。

五代目菊五郎のために、黙阿弥が書き下ろした。歌舞伎を巡る、
先のような動きのなかで、黙阿弥は地名、人名は実話通りにし
た。忠七の台詞に「今は開化の世の中に女子供に至まで、文に明
るく物の理を弁(わきま)えているその中で」などと、「明治」
にも気を使った。幕末の盟友・小團次がいなくなってしまい、幕
末歌舞伎の頽廃色を消して、いなせで、美男の五代目のために、
爽やかな世話物を作ろう。さあ、あとは、好きなように江戸調
で、と黙阿弥が考えたかどうか知らないが、この狂言は、永井荷
風が言うところの、「科白劇」であると、私は思う。

さて、今回は、勘九郎が、勘三郎襲名披露の世話物の代表として
選び、自ら髪結新三を演じた。白子屋手代・忠七(三津五郎)と
の白子屋見世先や永代橋川端の場でのやり取り。新三(勘三郎)
は、切れの良い七五調の科白を気持ち良さそうに喋っていた。ま
た、新三内の場での源七(富十郎)との喧嘩でも、「強い人だか
ら返されねえ」などと、気っ風(きっぷ)の良い科白があり、こ
れは明治の庶民も、喝采を送ったことだろう。江戸歌舞伎とは違
う「科白劇」という意味でも、これは、やはり明治の歌舞伎なの
だろうが、勘三郎の場合、今回も、科白劇の前半(序幕の部分)
より、笑劇の後半(二幕目)の方が、見応えがある。

三津五郎ふた役の大家・長兵衛と新三との対話は、この科白劇の
白眉。特に、三津五郎は、良い味を出している。落語の人情噺
「白子屋政談」(「大岡政談」のひとつ)の世界だ。ならず者、
小悪党という新三も、とんまで、単純なところがある。これに対
して、世慣れた、強欲な、ずる賢い大家には、勝てない。大家・
長兵衛を私は、團十郎、富十郎、左團次、そして、今回の三津五
郎と4人観て来たが、いずれも、それぞれ持ち味を活かした長兵
衛で、甲乙付け難い。こういう評価になるのも、私としては、珍
しい限りだ。

お熊(菊之助)をかどわかして、解決金として新三が、三十両を
せしめても、大家の口車に乗せられ半分の十五両とられ、さら
に、家主女房(市蔵)の助言で、新三がためていた店賃二両をと
られ、三分で買った初鰹の半身もとられ・・・、どうなることか
と観ていたら、そんな強欲な大家宅に留守中に泥棒が入ると言う
のは、大家さん。欲張り過ぎだよ、という落語の「おち」が、効
いている。

新勘三郎も髪結いの技(わざ)を見せるところなど、巧いが、先
にも触れたように、新勘三郎は、科白を謳い上げるが、先代の父
親の十七代目勘三郎は、ビデオでしか観ていないが、決して、科
白を謳い上げない。ぼそぼそという感じで科白を言いながら、決
して、ぼそぼそとは聞こえない。新三その人の、自然な言い分と
して、聞こえて来る。新勘三郎の巧さは、一所懸命の巧さ、いわ
ば、努力の滲む巧さだが、先代の勘三郎の巧さは、努力の滲みを
感じさせない天然の巧さが出せる巧い役者だったように思われ
る。努力をしながら、努力の跡を一旦消して、力まずに、自然に
見せる巧さである。新勘三郎は、親父さんを目標に、そのあたり
のコツを取得するよう、精進してほしい。

今回、そのほかの役者では、新三の弟子・下剃勝奴の染五郎(2
回目の拝見)が、新三の芝居の隙間を巧みに埋めながら、味を出
していた。新三の役割をくっきり見せる調味料の役どころと見
た。染五郎も、その辺りは、充分心掛けているようで、初役で演
じた前回も、悪くはなかったが、今回、いちだんと精進した跡が
窺えて、愉しかった。大家の女房おかくの市蔵、それに肴売り新
吉の源左衛門、車力善八の秀調、加賀屋藤兵衛(家橘)と女房の
お常(秀太郎)、白子屋下女・お菊(小山三)は、それぞれ存在
感があり、良い味を出していた。

二幕目が終ると、芝居が終ったような感じになり、実際に席を立
ち、帰りはじめた観客も居た。確かに、大詰の「深川閻魔堂橋の
場」は、新三と恥をかかされた源七(富十郎)の立ち回りが軸に
なる場面だが、付け足しの感が残る。途中で、立回りを止めて、
舞台に座り込んだ勘三郎と富十郎は、声をそろえる。「この狂言
はこれぎり」で、昼の部終了。

贅言:1)二幕目第一場「富吉町新三内の場」で、朝湯から帰っ
て来た史新三が脱いだ浴衣(小網町、ひら清などの文字が染め抜
かれている)が、壁に掛けられている。ちょうど舞台中央付近に
掛けられているため、浴衣は、長い暖簾のように見えて、町家の
雰囲気を盛り上げる効果抜群。

贅言:2)外題の「梅雨小袖昔八丈」は、モデルになった白子屋
お熊が、婿殺しの罪で、刑場に曳かれて行ったとき、着ていた黄
八丈の振袖姿が評判を呼び、劇化する際に、お熊に黄八丈を着せ
て、外題にも組み入れたという。

贅言:3)「昼の部」が終り、「夜の部」が始まるまでの間、一
旦、歌舞伎座の外に出て、夕食の弁当を晴海通りを挟んで歌舞伎
座向いの「辨松」まで、買いに行こうと横断歩道を渡っていた
ら、浴衣姿で、買い物でもしてきたらしい源左衛門が、向うから
近付いて来た。素顔に眼鏡を掛けた源左衛門は、名題時代の助五
郎から、3月の歌舞伎座の舞台から幹部に昇格したせいか、かな
り、インテリっぽく見えた。いわば、哲学者の風貌であった。ま
あ、幼児時代のやんちゃな勘九郎から、今回の勘三郎まで見て来
た真面目な苦労人だけに、根は、知性派なのかもしれないと思っ
た。浴衣と黄八丈が、ワンポイントずつ得点で、3点獲得という
ところ。
- 2005年5月27日(金) 22:16:37
2005年4月・歌舞伎座 (夜/「毛抜」「口上」「籠釣瓶花
街酔醒」)

團十郎の1年ぶりの歌舞伎座復帰「祝祭」

「毛抜」は、3回目だが、前回は、8年前、97年、12月の歌
舞伎座だったから、このサイトの「遠眼鏡戯場観察」には、劇評
は、掲載されていない。初登場である。「毛抜」の初回は、い
ま、病気休演中の猿之助の粂寺弾正で、10年前、95年1月の
歌舞伎座であった。この辺りのことは、拙著「ゆるりと江戸へ 
〜遠眼鏡戯場観察〜」に書いている。我が息子も当時、中学生で
歌舞伎を見始めたころで、「毛抜」は、子どもにもおもしろい歌
舞伎の演目であった。私が観た主な配役。粂寺弾正:猿之助、段
四郎、團十郎。巻絹:宗十郎、門之助、時蔵。秀太郎:門之助、
笑也、勘太郎。錦の前:芝雀、春猿、亀寿。小野春道:三代目権
十郎、歌六、友右衛門。八剣玄蕃:彦三郎、段治郎、團蔵。桜町
中将:菊五郎、なし、海老蔵。

さて、今回の「毛抜」は、去年の5月。十一代目海老蔵の襲名披
露興行という市川團十郎家にとって、大事な舞台ながら、重篤な
病気で、團十郎は、10日の舞台から休演した。それから、ほぼ
1年。4月1日から十八代目中村勘九郎の襲名披露興行の舞台
で、歌舞伎座復帰、というか、生還、あるいは復活を果たした。
だから、今月の團十郎の舞台は、昼の部の「京鹿子娘道成寺」の
「押し戻し」大館左馬五郎のところでも、触れたように、随所
で、「復帰」「復活」を主張している。この後の、「口上」で
も、團十郎は、はっきり復帰の喜びを述べているように、「毛
抜」では、いちだんと「復帰」を意識しているようだから、ま
ず、その辺りから、解き明かして行こう。

十八代目勘三郎襲名披露の「18」代目と歌舞伎十八番のうち、
「毛抜」ということで、ここも「18」番。18への言祝ぎ。中
村座の黒白茶の定式幕ではなく、歌舞伎座の黒茶萌葱の定式幕
(江戸時代は、いまの歌舞伎座がある木挽町に創設された森田座
の定式幕。因に、黒萌葱茶の定式幕は、市村座のもので、いま
は、国立劇場の定式幕になっている)が開くと、上手に、「歌舞
伎十八番の内 毛抜 一幕」という看板。下手に、「市川團十郎
相勤め申し升(マスは、変体)」とある。舞台は、小野春道の
館。御殿の金地の襖には、桜の花の丸模様。御殿の座敷上手に
は、花車。下手には、金地の衝立に團十郎家の三升の家紋が青で
描かれている。團十郎復活祭という祝祭の佇まい。

1)ならば、なぜ、團十郎は、歌舞伎十八番のうち、1年前に病
気休演した歌舞伎座の舞台で、己の復帰、あるいは、復活を強調
した舞台の演目に「毛抜」を選んだのだろうか。実は、歌舞伎十
八番というのは、歌舞伎の十八番ではなく、團十郎の「家の藝」
の十八番(おはこ)であり、十八番というように、18の演目
が、幕末の名優、七代目團十郎によって選ばれているが、「鳴
神」「不動」「毛抜」の3演目は、本来は、「雷神不動北山桜
(なるかみふどうきたやまざくら)」全五段というひとつの演目
であった。「不動」は、屋号の、成田屋の元「成田不動尊」信仰
という謂れがあるから、「鳴神不動北山桜」という、成田屋の大
黒柱ともいうべき演目を「復活」の舞台に利用した発想は、理解
できる。また、四段目「鳴神」でもなく、五段目大切(おおぎ
り)「不動」でもなく、三段目「毛抜」というのは、主人公の粂
寺弾正の人間的な魅力から、團十郎は、選んだのではないだろう
か。颯爽とした捌き役でありながら、若衆の秀太郎や美形の腰
元・巻絹(演じた時蔵からは、若い女性独特の科白「ぴぴぴぴ
ぴー」も、出る。いわば、娘版「あかんべー」である)に、いま
なら、セクハラと非難されるような、ちょっかいを出しては、二
度も振られながら、観客席に向かって、「近頃面目次第もござり
ません」と弾正が謝る場面もあり、豪放磊落、人間味や愛嬌のあ
る、明るく、大らかな人柄なのだ。

それに、弾正の科白の数々。例えば、悪家老の策謀のひとつ、亡
くなった妹(小野家の元腰元)を返せと強談判をしに来た兄と称
する万兵衛(市蔵)に対して、自分は、閻魔大王の友だちだか
ら、大王に「妹を甦らせるよう」手紙を書いてやる。それを持っ
て地獄へ行けと言う際に、大王への言伝を頼む。「かわることも
ござらぬか、粂寺弾正息災でおりますると」。これは、大病を克
服した團十郎の「息災」宣言である。また、本来の台本にはない
(二代目左團次の工夫のひとつ)が、花道の引っ込みの際、團十
郎は、「身に余る大役も、どうやら勤まりましてござりまする。
いずれも様のお陰でござりまする。しからば、お開きといたしま
する」という科白で締めくくったが、これも、病気休演、快癒、
その後の海老蔵襲名披露興行での共演、歌舞伎座への復帰とい
う、1年間の観客の支援への感謝と読み取れる。これらの科白を
言いたくて、團十郎復活祭ともいうべき舞台の演目に、團十郎
は、「毛抜」を選んだという思いがする。いかがであろうか。

2)物語の主筋は、お家騒動。小野春道(友右衛門)家の乗っ取
りを企む悪家老・八剣玄蕃(團蔵)の策謀が進むなか、小野家の
息女・錦の前(亀寿)と文屋豊秀の婚儀が調った。しかし、錦の
前の奇病(髪の毛が逆立つ)発症で、輿入れが延期となり、文屋
家の家老・粂寺弾正(團十郎)が、乗込んで来る。待たされてい
る間に、毛抜で髭を抜いていると、手を話した隙に、鉄製の毛抜
が、ひとりでに立ち上がる。不思議に思いながら、次に煙草を吸
おうとして、銀の煙管を置くと、こちらは、変化なし。次に、小
柄(こづか)を取り出すと、刃物だから、こちらも、ひとりでに
立つ。まあ、そういう「実験」を経て、弾正は、鉄と磁石という
「科学知識」に思い至り、錦の前の奇病も、髪に差している鉄製
の櫛笄(くしこうがい)を取り外すと「奇病」も治まる、という
次第。天井裏に、大きな磁石(実際は、羅針盤)を持った曲者が
隠れ潜んでいたのを槍で退治する。そして、悪家老の策謀の全貌
を解き明かし、お家騒動も治まるという、まさに推理小説もどき
の芝居なのだ。

これを團十郎の病気休演との関係という視点で見れば、こういう
推理が成り立つ(まあ、「風が吹けば、桶屋が儲かる」式だ
が・・・)。役者の病気は、場合によっては、跡目相続という、
お家騒動を引き起こす。従って、お家騒動の決着と病気快癒は、
イコールというわけだろう。それに、今回の場合、お家騒動の決
着で、文屋家と小野家の婚儀も滞りなく進むという、もうひとつ
の「祝祭」も成就する。

3)物語の副筋、というか、エピソードのおもしろさ。先にも触
れたが、磁石の話。1742(寛保2)年、大坂で初演された安
田蛙文(あぶん)らの合作「雷神不動北山桜」は、1832(天
保3)年、七代目團十郎によって、歌舞伎十八番に選定された
が、その後、長らく上演されなかった。1909(明治42)
年、二代目市川左團次が、復活上演し、さらに、明治の「劇聖」
十一代目團十郎が、磨きを懸けた。その際、左團次は、いま上演
されるような演出の工夫を凝らしたという。そのひとつに、鉄を
引き付ける磁石を方位を示す羅針盤に変えた。科学知識からする
と、逆行だが、大きな円形の羅針盤(東西南北と十二支が、描か
れている)は、この芝居の大らかさ(弾正の人柄の大らかさにも
通じる)を示していて、おもしろい。見た目を大事にする歌舞伎
の様式美とも通底する。だから、誰も、磁石に戻さないのだろ
う。理屈っぽくない大らかさが、喜劇的な荒事の信条だと理解し
ているからだろう。リアリズムから遠くなることで、ものごとの
真相に迫る、という芝居の本道のおもしろさが、ここにはある。

4)配役の多様さも、目で観て楽しめる。主軸となる弾正は、捌
き役。上使(海老蔵)、悪と善の家老の対比(團蔵と権十郎)、
若衆(勘太郎)、腰元(時蔵、右之助)、姫(亀寿)、殿様(友
右衛門)、若君(高麗蔵)百姓(市蔵)など。やはり、主軸とな
る團十郎の万感の思いを込めた熱演が光る。以前より、いちだん
と叮嚀に演じているのが、判る。逆に言えば、團十郎を光らせた
傍役たちの連繋の演技も、良かった。鬘をつけた裃後見たち(新
次、升一)も、活躍。

贅言(1):前から感じていたが、御殿の場面で、御簾の上り下
がりで、場面展開することがあるが、あれは、テレビやパソコン
なら、スイッチ、あるいは、クリックで措置という感じなのだろ
う。あっと、いう間に場面展開するのは、電気もない、テレビも
ない、パソコンもないという時代に誰か(工夫した人の名前も
残っていないと、思う)が考えて、それ以来、受け継がれて来た
演出だろう。

贅言(2):「合引(あいびき)」は、舞台で使われる箱状の腰
掛で、座っている役者が、疲れない、姿勢を立派に見せるなどの
効果がある道具。長く立っている姿勢を示すときに使われるの
が、踏み台に似た「中(ちゅう)合引」、「高(たか)合引」
で、上に座布団が付いているが、女形が使うときは、赤い座布団
が付いている。「高合引」を使うときなどは、黒衣が、後ろから
手を添えて、合引が倒れないように、支えているのが見える。普
通は、役者が、客席に正面を向くので、合引は、見えないが、今
回は、弾正(團十郎)が、座り用の小さな合引を使ったとき、珍
しく客席に後ろを向く(つまり、暫く、芝居をしないので、いわ
ば「消えている」状態)場面であったので、團十郎と合引の足の
位置関係が見えて、「ああ、こうして使うのか。これなら、正座
より疲れないなあ」と、思った次第でござりまする。ということ
で、次は、「口上」。

襲名披露興行の花は、「口上」

先月、昼の部に設定された「口上」は、今月は、夜の部に移され
た。祝幕が開くと、芝翫を軸に16人の役者が、伏している。襖
の絵も、3月とは、異なる意匠。襖には、松の大木が描かれてい
る。襖の上の壁には、金の雲に家紋の「舞鶴」に因んで鶴の絵と
寿の文字(そういえば、3月も壁には、金の雲に多数の鶴)、中
村座の座紋でもある「角切銀杏」の家紋。美術は、金子國義(そ
ういえば、2階のギャラリーに、金子國義から勘三郎に贈られた
「蘭」の花籠があったけれど、気づきましたか)。

3月同様、野郎頭(月代を剃り込んでいる)の鬘の芝翫が取り仕
切る(芝翫は、四代目までは、代々立役なので、口上のときは、
女形の鬘を付けないとは、歌舞伎座の支配人を通じて聞いても
らった芝翫夫人の話)。3月の襲名披露興行が終っているので、
私は、「勘三郎」が、芝翫の下手、隣に控えていると思っていた
ら、芝翫は、こう言った。「ここに控えおりまする中村勘九郎
が、このたび中村勘三郎の十八代目を襲名致しましてござりま
す」。そうか、全ての襲名披露興行が終らない限り、「口上」で
は、ここへ控えているのは、いつも、勘九郎なのだ。

そして、上手、隣にいる片岡仁左衛門から祝福の挨拶が始まっ
た。仁左衛門は、3月と4月と襲名披露の舞台を一緒している
が、先月の25日間は、愉しかった、伝統ある中村家の繁栄を期
待したい、と挨拶。次いで、同じ松嶋屋の秀太郎。女形の鬘に紫
の帽子を付けている。時蔵は、珍しく野郎頭の鬘。幼くして父・
四代目時蔵を亡くしているので、(祖父の弟にあたる)先代の勘
三郎は、父親代わりで良くしてくれた、新勘三郎とも子役時代の
組織「杉の子会」の頃から兄弟のように、仲良かった。魁春も、
女形の鬘に紫の帽子。又五郎は、勘九郎の幼いころから芝居を教
えている。藝熱心な新勘三郎は、いまも、聞いて来る。そして、
上手の殿(しんがり)は、富十郎。新勘三郎は、兎に角、努力の
人で、藝熱心。今後も、歴史ある中村家を守って行って欲しい。
ふたりの息子たちも宜敷くと、不祥事で休演していた七之助の舞
台復帰を歌舞伎界の重鎮のひとりとして、紹介した。

次いで、下手の殿にいる團十郎に廻る。團十郎は、ほぼ1年ぶり
の歌舞伎座出演で、大名跡の襲名披露の「口上」に元気で列席で
きる喜びを語る。江戸歌舞伎の歴史を背負う、中村座の座元の中
村家と江戸歌舞伎の荒事宗家の市川家との伝統的な関係の重みを
強調。代々の勘三郎の襲名披露の口上には、代々の團十郎が必
ず、祝の言葉を述べたと紹介。息子・海老蔵の十一代目襲名披露
興行という大事な舞台を病気休演した1年前の無念さを思い出
し、無事、生還、復活できた喜びを噛み締めながらの口上であ
る。「團十郎生還」の口上には、観客席から、いちだんと大きな
拍手。

ここから、上手側、つまり舞台中央へ順番に戻って行くが、左團
次は、「以心伝心」などと、3月と同じ挨拶。段四郎、そして、
海老蔵と、ここは、4人とも、「鉞(まさかり)」の髷。髷の先
が、鉞のように鋭く研ぎすまされている。市川家の口上用の独特
の髷である。海老蔵は、浅草歌舞伎の花形トリオ・(段四郎の長
男)亀治郎、勘太郎・七之助の兄弟らにも触れ、我々は、勘九郎
の藝を学んで行くと、若手を代表して、「素晴しい先輩」だと持
ち上げる。彦三郎は、父親の羽左衛門と先代の勘三郎に触れる。

玉三郎も、女形の鬘に紫の帽子。3月の舞台は、「鰯賣戀曳網」
で勘三郎の鰯賣と仲良しになる姫という嬉しいコンビで、夜の部
の「引っ込み」では、25日間毎日いっしょに花道を引っ込んだ
ので、愉しかった。あっという間に、千秋楽になってしまい、寂
しかったと新勘三郎に話したら、「でも、5日後には、(大和屋
の)お兄さんを殺しているんだよ」(場内爆笑)と、言われた
と、楽屋落ちのエピソードを披露。満開の桜とともに、今月も、
良い芝居をしたいと挨拶。後は、ファミリー。七之助は、ひたす
ら、口上の舞台に列席できたことを感謝。大役を喜ぶ兄の勘太郎
に続いて、兄弟の父親・新勘三郎。如才ない勘三郎は、まず、先
輩の團十郎の舞台復帰を喜ぶ。ことし、50歳を迎えるが、まだ
まだ若いので、これから精進を重ねると決意表明。最後に、義父
の芝翫が締めて、口上を終え、観客席の上手、下手、中央に、皆
それぞれ一斉に顔を向けて、「いずれも様」に改めて、感謝のお
辞儀をした。

吉原は、ディズニーランド〜ふたつの「笑い」の間の悲劇〜

「籠釣瓶花街酔醒」は、4回目。河竹黙阿弥の弟子で、三代目新
七の原作。明治中期初演の世話狂言。江戸時代に実際にあった佐
野次郎左衛門による八ッ橋殺しを元にした話の系譜に位置する。
次郎左衛門役は、幸四郎、吉右衛門、勘九郎(今回含め2回目)
改め=勘三郎。八ッ橋役は、雀右衛門、玉三郎(今回含め3回
目)だから、私にとっては、玉三郎のイメージが強い。

開幕前に場内は、真っ暗闇になる。暗闇のなかを中村座の黒白茶
の定式幕が、引かれてゆく音が、下手から上手へと移動する。走
るスピードは、明るい、普通の幕開きと変らないように聞こえ
る。これも、大道具方の藝のうち。足元が、見えないだろうに、
不安はないのか、大丈夫なのか。観客席から見えないように、上
手の袖の奥に、目印となる灯りでもあるのだろうか。そして、止
め柝。パッと明かりがつく。序幕、吉原仲之町見染の場は、桜も
満開に咲き競う、華やかな吉原のいつもの場面。そう言えば、昼
の部にも、見染の場があった。あちらは、木更津海岸。見染られ
るのは、いずれも、玉三郎。女形冥利だろう。
 
花道から下野佐野の絹商人・次郎左衛門(勘三郎)と下男・治六
(段四郎)のふたりが、白倉屋万八(四郎五郎)に案内されて
やってくる。それを見掛けた立花屋主人・長兵衛(富十郎)が、
爽やかな捌き役で登場。田舎者から法外な代金を取る客引きの白
倉屋から、吉原不案内のふたりを助ける。この場面、富十郎は、
ご馳走役のようだが、のちに、引手茶屋の立花屋は、次郎左衛門
劇の重要な舞台になる。やがて、花魁道中に出くわす。最初は、
舞台上手から七越(勘太郎)一行13人、次いで、花道から九重
(魁春)一行18人、さらに、舞台中央奥から八ッ橋(玉三郎)
一行22人ということで、前回より、花魁道中が1組多い。これ
だけで、53人が登場する。次々に繰り出される花魁道中に夢見
ごこちの次郎左衛門たち。さすが、勘三郎の襲名披露興行の舞台
だ。厚みがある。3組の花魁道中が、行き交う様を観ていると、
ディズニーランドのパレードを思い出した。そう気が付いてみれ
ば、吉原は、江戸時代のディズニーランドのようなものだったの
ではないかという、連想が働いた。花魁道中は、アトラクショ
ン。
 
前回、3年前の02年9月の歌舞伎座。82歳の雀右衛門八ッ橋
は、肩を貸す若い者に、ほんとうにもたれかかっているように見
えた。よろよろしていて、危なっかしい足取りだったので、観て
いて、こちらも、はらはらしたが、さすが、若さの玉三郎は、そ
ういう心配がない。

最大の見せ場は、八ッ橋の花道七三での笑いだ。この笑顔は、田
舎者が、初めての吉原見物で、ぼうとしている次郎左衛門を見
て、微苦笑している。彼女の美貌に見とれている男に、あるい
は、将来客になるかもしれないと、愛想笑いしている。だが、そ
れだけではない。さらに、あれは、客席の観客たちに向けた玉三
郎のサービスの笑いでもあるのだ。こういう演出は、六代目歌右
衛門が始めたという。

六代目歌右衛門が演じたときの、この笑いがなんとも言えなかっ
たと他人(ひと)は、言うが、私は、生の舞台で歌右衛門の八ッ
橋を観たことがないので、判らない。かなり、意図的な笑いを演
じたようで、玉三郎も、その系譜で演じているように思う。しか
し、8年前、6年前、そして、今回と3回観たことになる玉三郎
の笑顔は、確かに綺麗だが、まだ、会心の八ッ橋の笑顔には、
なっていないように感じた。雀右衛門とも、違うが、なにか、足
りないものがあるような気がする。玉三郎には、もう一つ上へ
の、飛躍を期待したい。いずれ、期待に適う会心の八ッ橋を演じ
るのも、玉三郎しかいないだろうから。それにしても、難しい芝
居だ。

観客の眼は、ほとんどが花道を行く玉三郎の花魁道中に注がれて
いる。舞台中央の勘三郎の惚けた表情は、実に巧い。動かない
し、動けないのだろう。そんな勘三郎を段四郎が、舞台下手で、
黙って見ている。段四郎も、いつもの表情を無くしている。ふた
りとも、巧い。ここの治六(段四郎)の役は、難しい。花魁道中
に集中していた観客の視線を主役の勘三郎に戻さなければならな
いからだ。「もし、旦那・・・」という科白で観客の気持ちを本
舞台の勘三郎に、一気にのめり込ませなければならない。さす
が、段四郎は、その辺りも、心得ているようで、巧かった。
 
二幕目、第一場。半年後、立花屋の見世先。吉原に通い慣れた次
郎左衛門が、仲間の絹商人を連れて八ッ橋自慢に来る場面だ。
八ッ橋の身請けの噂を、どこかで聞きつけて、親元代わりとして
金をせびりに来た無頼漢の釣鐘権八(「桜姫廓文章」、通称「清
玄桜姫」の小悪党は、釣鐘権助という。こういう融通無礙が、ま
さに、歌舞伎の世界)は、姫路藩士だった八ッ橋の父親に仕えて
いた元中間。釣鐘権八役は、今回も芦燕。さすがに味がある。権
八は、八ッ橋の色である浪人・繁山栄之丞(仁左衛門)に告げ口
をして、後の、次郎左衛門の悲劇の伏線を敷く役回りだ。やが
て、絹商人仲間を連れて立花屋に上がった次郎左衛門は、八ッ橋
を皆に紹介して、得意絶頂の場面。勘三郎は、こういう場面は、
巧い。場内に笑いが拡がる。

二幕目、第二場。大音寺前浪宅。仁左衛門の栄之丞登場。湯屋か
らの帰りの栄之丞は、水も下たる色男振りだ。権八に唆され、兵
庫屋へ向かうために、栄之丞は、着物を着替えるが、着物の着
方、帯の締め方、羽織の紐の結び方、着付け教室のように鮮やか
な手際だ。
 
三幕目、第一場。兵庫屋二階の遣手部屋、第二場。同じく廻し部
屋の場面へ。舞台は、くるりくるり廻り続ける。いずれも、吉原
の風俗が、色濃く残っている貴重な場面だ。第三場は、兵庫屋
八ッ橋部屋縁切りの場。下手、押入れの布団にかけた唐草の大風
呂敷、衣桁にかけた紫の打ち掛け。上手、銀地の襖には、八つ橋
と杜若の絵。幇間らが、座敷を賑やかにしている。部屋の下手
に、ひとりの花魁の後ろ姿。静かにしている。やがて、相方にな
る下男の治六(段四郎)が、やって来た、引き合わされる。くる
りと正面を向く初菊は、七之助。場内から、暖かい拍手。

やがて、浮かぬ顔でやって来た八ッ橋の愛想尽かしで、地獄に落
ちる次郎左衛門。この芝居の最大の見せ場だ。そういう男の変化
を勘三郎は、細かく、叮嚀に演じて行く。「花魁、そりゃあ、ち
と、そでなかろうぜ・・・」という科白も、思い入れ、たっぷ
り。勘三郎の万感は、襲名披露の万感をも包み込む。部屋の様子
を見に来た廊下の栄之丞の仁左衛門と次郎左衛門の勘三郎の眼と
眼が合う。八ッ橋の愛想尽かしの真意が、一気に腑に落ちる次郎
左衛門。次郎左衛門を避けて、座敷の畳の縁沿いに逃げるように
して部屋を出て行く八ッ橋。彼女の次郎左衛門に対する心情は、
顧客への切なさと廓に身を沈める前からの恋人である栄之丞への
実との間で、揺れ動いている。栄之丞ヘ実を尽す疾しさが、畳の
縁に沿って歩く八ッ橋の動線に、そういう彼女の苦しい心情が写
る。巧いなあ、玉三郎。廻り続けていた舞台は、廻らずに、幕。
そして、大詰めへ。

大詰。さらに、4ヶ月。立花屋の二階。妖刀「籠釣瓶」を隠し
持った次郎左衛門が、久しぶりに立花屋を訪れる。次郎左衛門の
執念深い復讐。八ッ橋の気を逸らせておいて、足袋を脱ぐ次郎左
衛門。血糊で足が滑らぬように、周到に準備。顧客を騙した疾し
さから、いつもより、余計に可憐に振舞う八ッ橋。「この世の別
れだ。飲んでくりゃれ」。怪訝な表情の八ッ橋。「世」とは、ま
さに、男女の仲のこと。「世の別れ」とは、男女関係の崩壊宣言
に等しい。崩壊は、やがて、薄暮の殺人へ至る。場面は、破滅に
向かって、急展開する。裏切られた真面目男は、恐い。村正の妖
刀「籠釣瓶」を持っているから、なお、怖い。黒に裾模様の入っ
た打ち掛けで、後の立ち姿のまま、斬られる八ッ橋の哀れさ。切
なさ。八ッ橋は、縁切り場と殺し場で、切ない表情を見せる。美
しい無惨絵を見るようだ。美しさと無惨さが、同居できる玉三郎
は、当代では、希有な女形だ。逆蝦に反り返る玉三郎の身体の柔
軟さには、驚かされる。今月末で、55歳になるとは、思えない
若い身体。そういう花魁の心理を歌舞伎の衣装は、さりげなく、
形を描いてゆく。妖刀に引きずられる勘三郎の狂気。「にやり」
と笑う勘三郎。序幕の玉三郎の微苦笑。大詰の勘三郎の狂気の笑
い。ふたつの「笑い」の間に、悲劇が生まれた。時の鐘、柝、
幕。

1860(万延元)年の河竹黙阿弥の「縮屋新助」(美代吉殺
し:見初め→逢い引き→別れ→殺し)をベースに、28年後、
1888(明治21)年の黙阿弥の弟子・三代目河竹新七の「籠
釣瓶」(八ッ橋殺し:見初め→廓通い→縁切り→殺し)は、生ま
れた。連綿と続く、黙阿弥調の世話の世界。いずれも、殺し役
は、初代吉右衛門が、得意としたし、近年では、いずれも六代目
歌右衛門が殺された。この芝居を私は、吉右衛門対雀右衛門で
は、観ているし、幸四郎、勘三郎(勘九郎を含む)対玉三郎で
も、観ているが、吉右衛門対玉三郎では観ていない。というか、
そういう組み合わせでは、演じていない(少なくとも、本興行で
は、歌舞伎座の筋書の記録にはない。当代の吉右衛門対六代目歌
右衛門はあるが)から、観ていないのが、当然だろう。いずれ、
是非とも、実現して欲しい組み合わせだ。

私が観た3人の次郎左衛門は、幸四郎、吉右衛門、勘三郎(勘九
郎も含む)。幸四郎は、陰惨な色合いが、濃くなる大詰が良い。
前半は、コミカルで、勘三郎。全体通しでは、バランスの良い吉
右衛門というところか。初代の吉右衛門が、この芝居では、哀愁
があったというが、その線を引き継いでいるせいか、吉右衛門に
軍配を上げておく。 

勘三郎は、22年前の名古屋・御園座で上演された「籠釣瓶」の
次郎左衛門を演じている。私が、歌舞伎を観るようになって、
11年だから、当然、観ていないし、勘三郎の生の舞台を観てい
ないから、新勘三郎と先代を比較できない。但し、ビデオなら観
ているから、若干の推測はできるかもしれない。ビデオで観た先
代の勘三郎は、まず、科白が自然体で、役柄を演じているという
より、役柄になりきっているという印象を受けた。新勘三郎は、
まだ、勘九郎のままだから、どの役も、一生懸命演技してしま
う。勘九郎らのインタビューでまとめた「中村屋三代記」のなか
で、勘九郎は、先代の「真似をした」から、「似ている」と言わ
れ、大向こうからも「お父さん、そっくり」「おやじ、そっく
り」と言われた時期があると述べている。「でも、いまは少しち
がう。自分なりに考えて工夫したところもある。(略)批判があ
りながらも、自分でいろいろ演ってみて、失敗したりしている。
でも、そうやり続けながら、結局は、親父の『型』に戻っていけ
たらいいと思っている」と、言っている。「真似る、あるいは、
似せる」→「工夫する」→「似る」というプロセスを経て、勘九
郎は、先代とも違う、真勘三郎になって行くのだろうと思う。
「似せる」と「似る」は、大違い。十八代目の勘三郎の精進を期
待し、新しい勘三郎の花が大輪になることを愉しみにしている。
- 2005年4月15日(金) 22:05:21
2005年4月・歌舞伎座 (昼/「ひらがな盛衰記〜源太勘当
〜」「京鹿子娘道成寺」「与話情浮名横櫛」)


新勘三郎襲名披露興行2ヶ月目は、「情が燃える」


「黒白茶」の中村座の定式幕で始まるのが、今回の「ひらがな盛
衰記〜源太勘当〜」。今回の配役は、歌舞伎座の通常の上演レベ
ルから見れば、浅草歌舞伎のレベルだが、清新な顔ぶれで、若手
の熱演ぶりに好感が持てた。特に、不祥事で出演を自粛した中村
七之助の休演の影響だが、このところ、地道に力を付けている中
村芝翫門下の中村芝のぶ(この「遠眼鏡戯場観察」でも、折に触
れて、芝のぶに注目して来た)に、「石切梶原」で知られる梶原
平三景時の息子たち、つまり、長男の梶原源太景季(勘太郎)と
次男の平次景高(海老蔵)の兄弟との三角関係でクローズアップ
される腰元・千鳥の役が、廻って来て、科白も多い、良い役を、
期待に違わぬ好演で通してくれたので、私は、昼の部最初の演目
を愉しんだ。

文耕堂を軸に三好松洛、竹田小出雲らが合作した「ひらがな盛衰
記」(全五段)の、二段目が、「源太勘当」(「先陣問答」、
「勘当場」)などの通称で知られる今回の演目。この二段目は、
私は、初見なので、楽しみにしていた。

舞台は、鎌倉の梶原平三景時の館。平三と源太は、平家討伐のた
め西国に出陣中、仮病で館に残った平次は、源太の恋人・千鳥に
横恋慕。軍人一家の家庭の悲劇は、厳格な父親と優しい母親、武
芸に優れスマートな美青年の軍人の兄、劣等生でコンプレックス
の固まりゆえに、横紙破りの憎まれものの弟、美形の小間使いと
いう人間関係のなかで起きる。厳格な父と息子たちとの対立。そ
のなかで、悩む優しい母の情愛。小間使いの若い娘の純愛。まる
で、チェーホフの世界のような構造である。

宇治川の先陣争いで、先月の夜の部「近江源氏先陣館」の、舞台
には登場しないが重要な役どころの佐々木高綱(高綱は、舞台に
登場しないものの、二ヶ月続けて、芝居の内容に影響を与える人
物なのだから、おもしろい)に、何故か「負けて」、父親より一
足早く帰国した源太(勘太郎)。まだ、戦場にいる父親から母親
宛に、長男の切腹を命じる手紙が届く。兄源太の恋人千鳥(芝の
ぶ)にちょっかいをだし、見事振られた腹いせに、兄の失点を攻
める根性悪の平次(梶原平次景高は、「熊谷陣屋」にも登場し、
陰に居て敦盛身替わりの仕掛けを聞き届けて、鎌倉にご注進に行
こうとして弥陀六に殺される、あいつ)を海老蔵が、好演。兄が
いなくなれば、家督と兄の恋人を、一気に手に入ると取らぬ皮算
用をする弟である。

基調は、「家庭悲劇」だが、原作者たちが仕掛けた、喜劇的な
タッチが、随所に伺われる芝居だ。例えば、平次の取り巻きのひ
とり、市蔵が演じる横須賀軍内は、平次の着ている派手などてら
が欲しいために「アモシ、あなたのお袖にお塵がお塵が」とどて
らの塵を払う場面がある。平次「取っとけ、取っとけ」と言っ
て、どてらを脱いで、軍内に与える。平次退出後、平次を真似
て、どてらを着る軍内。その軍内に、今度は、橘太郎が演じる茶
坊主の茶道珍斎が、「あなたのお袖にお塵がお塵が」と揶揄する
が、軍内は、珍斎には、どてらをやらずに、平次の退出の真似を
しながら出て行く。仕方がないので、珍斎は、自分の羽織で自作
自演で、客席を笑わせる。いわゆる「鸚鵡返し」(物真似)とい
う、三枚目役者の得意藝の披露が繰り返される。

源太を嘲って平次と取り巻きの3人が、笑う場面では、「いろは
笑い」という、ひとりが「い」で笑い、もうひとりが、「ろ」で
笑い、3人目が、「は」で笑うやりかた。源太も、負けずに、
「おのれが刀でおれが首」「うぬが刀でうぬが首」(軍内)「こ
ろりと落とすは自業自得」「ころりと落ちるは自業自得」(軍
内)と言いながら、「源太は殺さぬ。手ばかり動く」と、軍内の
首を斬り、竹本の葵太夫に、「首と胴との生き別れ」と語らせる
など、喜劇的な手法、科白を、原作者たちは、かなり確信的に
使っている。

海老蔵演じる三角関係の憎まれ役は、また、滑稽な役どころでも
ある。こういう役は、味を出してくれる役者がいると芝居が奥深
くなる。勘太郎、七之助などと比べると、先輩の貫禄が違うとば
かりに、不良のプレイボーイというキャラクターがはっきりした
役を的確に演じて、芸域の広さを実証した海老蔵。そう言えば、
海老蔵の口跡が、父親の團十郎に似て来たようだ。

当初、七之助が演じることになっていた源太を勘太郎が演じ、勘
太郎が演じることになっていた千鳥を芝のぶが演じた。勘太郎
は、「鎌倉一の風流男(おのこ)」(葵太夫の語り)と言われた
源太(恋飛脚大和往来」の「封印切り」の場面で、亀屋忠兵衛
が、井筒屋に入る手前で、「梶原源太は、俺かいなあ」と色男
ぶって言うが、あの科白は、この源太のこと。それほど、源太
は、色男なのである)を演じるが、梅の枝の簪(かんざし)をつ
けた烏帽子(えぼし)に、ピンク地の着付けに紫繻子(じゅす)
の大紋(だいもん)姿から、古布子(ふるぬのこ)姿に、帯も荒
縄に替えられるなど侘びしい姿になっても、男の色気を失わない
という役どころだが、勘太郎では、まだ、無理だろう。芝のぶの
千鳥は、色気と跳ねっ返りの強気と愛嬌を兼ね備えた娘を表現し
なければならない。難しい役だ。千鳥は、主家の次男で、いけず
の平次に「ぴぴぴぴぴー」とやるほどお侠(後の場面では、平次
も、本当は強い兄貴にやり返され、千鳥の真似をして「ぴぴぴぴ
ぴー」と源太にやり返したり、延寿に「おっかさん」などと泣き
言で訴えたりしていた)。

芝のぶ:神戸出身、37歳の名題役者にチャンス到来。爽やかに
演じていた。最初、大向こうからは、「芝のぶ」「成駒屋」と掛
け声がかかっていたが、途中からは「成駒屋」「成駒屋」の掛け
声ばかり。大丈夫、皆から、受けていたよ。平次には、負けずに
やり返し、恋する源太には、メロメロ。メリハリの良い千鳥。

延寿は、女形の捌き役であり、また、母親の情も見せねばならな
い難しい役どころだが、秀太郎の演じる老母・延寿は、貫禄不
足。ジッとして、肚で演じる時間が長くて、大変な役だ。しか
し、秀太郎は、「若い」老母に見えてしまって、損。黒衣が、延
寿に合引(あいびき・腰掛け。女形用は、立役用より小振りで、
さらに、台に赤い座蒲団が付いている)を持って行くとき、芝の
ぶが、手伝っていたが、見えないはずの黒衣と見える登場人物の
千鳥が、力を合わせるのも変だが、芝のぶが、やると健気に見え
るのは、贔屓の欲目か。父の命に従わず、殺される代わりに、母
から勘当された源太は、勘当の旅立ちに、誕生祝の鎧兜を持ち、
不義の科(とが)で、鎧櫃に入れられていた千鳥を連れて、「友
千鳥」とせよとは、母の計らい。さらに、旅の金子を投げ与える
母に陰で感謝しながら、旅立つふたり。

「京鹿子娘道成寺」は、8回目の拝見。但し、押し戻しがある
「道成寺」を拝見するのは、初めてなので、愉しみにしている。
十八代目勘三郎が演じる初めての「娘道成寺」なので、引幕は、
祝幕に替る。先月の祝幕とも異なり、ピンク地に勘三郎の大きな
家紋を中央に据え、中の家紋が幕の上に4つ、下に4つ、小の家
紋が、上手、下手にひとつずつ配置されている。濃いピンクと金
の雲が棚引いている。その上に、金銀の鶴のシルエットが、飛び
交っている紋様だ。3羽の金の鶴は、家紋に因み、金色の銀杏の
葉を銜えている。銀の鶴は、9羽。幕の下手に縦に大きく、十八
代目中村勘三郎丈江とある。上手の下部には、「ヤマノホール
ディンググループ」と「銀座きしや 丸正千代田のきもの」とス
ポンサー名が入っている。祝幕が、上手に引き込まれると舞台
は、大きな鐘と紅白の横縞の幕という、いつもの「京鹿子娘道成
寺」の佇まい。大名跡の襲名披露の舞台、昼の部の軸になる演目
とあって、所化は、大物がずらり。芝翫、左團次、彦三郎らふく
めて、27人と大軍団。白拍子・花子(勘三郎)が登場すると、
女人禁制とあって、「白拍子かきむすめか」と問いかけるのが、
おもしろい。同じ女人でも、性の経験者(あるいは、性を売り物
にしている)か、性体験のない処女か、ということで、「禁制」
の扱いが、異なるのだろうか。

勘三郎は、初めてだが、勘九郎では、2回観ているから、都合3
回目。このほか、前回が、玉三郎で、ほかに、芝翫、菊五郎、福
助(芝翫の代役)、雀右衛門が、それぞれ、1回ずつ。

大曲の踊りは、いわば組曲で、「道行、所化たちとの問答、乱拍
子・急ノ舞のある中啓の舞、手踊、振出し笠・所化の花傘の踊、
クドキ、羯鼓(山尽し)、手踊、鈴太鼓、鐘入り、所化たちの祈
り、鱗四天、後ジテの出、押し戻し」などの踊りが、次々に連鎖
して繰り出される。ポンポンという小鼓。テンテンと高い音の大
鼓(おおかわ)のテンポも、良く合う。衣装の色や模様も、所作
に合わせて、緋縮緬に枝垂れ桜、浅葱と朱鷺色の縮緬に枝垂れ
桜、藤、白地に幔幕と火焔太鼓(火焔御幕)、今回は、押し戻し
付きなので、花子の姿は、鐘のなかに飛び込んだ後、鐘が上がる
と、朱色(緋精巧・ひぜいこう)の長袴に金地に朱色の鱗の摺箔
へと替って行く。弟子たちの後見のサポートが、さすが伝統の中
村屋一門だけあって見事。引き抜きも、脱皮するがごとく、ス
ムーズに進んで行く。

女形に取って、立役の所作事「勧進帳」に匹敵する演目だと思う
が、女形も立役もこなす新勘三郎は、母の父、六代目菊五郎を意
識している。今回は、押し戻しの大館左馬五郎照秀に團十郎が扮
し、歌舞伎座は、去年の海老蔵襲名披露の舞台途中で病気休演し
て以来の登場。押し戻しがあるので、花子は、鐘の上での「凝
着」の表情の代わりに、後ジテの、赤熊(しゃぐま)の鬘(かつ
ら)に、隈取りをした鬼女(般若・清姫の亡霊)となって、紅白
の撞木(しゅもく・鐘などを打鳴らす棒)を持って、12人の鱗
四天相手に大立ち回り。赤熊(しゃぐま)は、「怒髪天を衝く」
から、怒り心頭に発した清姫の亡霊の心理が、こういう様式美で
表現されているのだろう。さらに、押し戻しの左馬五郎に襲い掛
かる。押し戻しとは、怨霊・妖怪を花道から本舞台に押し戻すか
ら、ずばり、「押し戻し」と言う。團十郎は、「家に伝わる十八
番、歌舞伎の花の押し戻し」と、團十郎家の家の藝の十八番と新
勘三郎の十八代目を意識した科白を言う(病気という妖怪に打ち
勝った團十郎というアピールも込めているかもしれないと、思い
ながら聴いた)。さて、左馬五郎の出立ちは、竹笠、肩簑を付け
ている。花道七三で竹笠、肩簑などは、後見が取り外す。「義経
千本桜」の「鳥居前」に登場する弁慶と同じで、筋隈の隈取り、
赤地に多数の玉の付いた派手な着付け、金地の肩衣、それに加え
て白地に紫の童子格子のどてらに黒いとんぼ帯(「義経千本桜」
の方が、6年先行した作品だから、こちらが真似たのだろう)、
高足駄に笹付きの太い青竹を持っている。腰には、緑の房に三升
の四角い鍔が付いた大太刀を差している。下駄を脱いだ足まで、
隈取り(隈は、血管の躍動を表現する)している。

新勘三郎は、力が入っている。充実の舞台で、見応えがあった
が、まだ、勘九郎のままだ(夜の部の「口上」では、芝翫が、隣
に控えている新勘三郎を紹介するとき、「ここに控えおりまする
中村勘九郎が、このたび、十八代目勘三郎を襲名することになっ
た」と言っていた。厳密には、全ての襲名披露興行が終らないと
勘三郎にならないのかもしれない)。いずれ、勘九郎から脱皮
し、後ジテのように変身した勘三郎の藝を見せて欲しい。勘三郎
の宿題は、大きいほど良い。最後は、朱色の三段に乗って、大見
得の鬼女を軸に皆々、引っ張りの見得で、幕。


「仁・玉ワールド」の妖艶さ


「与話情浮名横櫛」、通称「切られ与三」は、7回目の拝見とな
る。これまでの記録を整理すると、以下のようになる。

与三郎:仁左衛門(今回含め3回)、團十郎(2)、梅玉、橋之
助。お富:玉三郎(今回含め4回)、雀右衛門(2)、扇雀。團
十郎、雀右衛門はのコンビは、歌舞伎座とNHKホールで観てい
る。このうち、10年前の、95年9月、松竹百年記念の年、歌
舞伎座では、「見染」から「元の伊豆屋」まで、通しで拝見。
「見染」は、都合5回。「赤間別荘」は、2回。「源氏店」は、
7回。今回は、仁左衛門と玉三郎のコンビで、連続3回拝見して
いることになるので、今回は、コンパクトにまとめたい。

まず、「見染」の場面は、木更津の海岸となる。土地の親分・赤
間源左衛門の妾・お富(玉三郎)主宰の潮干狩りに大勢の人たち
が繰り出している。大部屋の役者衆が、それぞれの居所にいて、
江戸風俗の雰囲気を出している。「与話情浮名横櫛」は、大部屋
役者の使い方が巧いし、傍役の演技が光る演目でもある。潮干狩
りの場は、横に広く、長く続いている。それを歌舞伎の舞台は、
廻り舞台を使わずに、「居処替り」という手法で、大道具を上、
下に引っ張って背景を替えてしまう。与三郎(仁左衛門)と鳶
頭・金五郎(勘三郎)のふたりが、本舞台から降りて、いわば、
江戸の芝居小屋なら「東の歩み」ともいうべき、客席の間の通路
を通り、「中の歩み」から、花道へ上がるコースで、ふたりが、
客席に愛嬌を振りまきながら通る間、ふたりに観客の視線を引き
つけておいて、観客が、気が付く頃には、すでに、本舞台は、背
景が替ってしまっている。「伊賀越道中双六」の「沼津」と同じ
趣向だが、こちらは、場面展開後、再び潮干狩りの人たちで海岸
が賑わうから楽しい。ここでは、江戸の太鼓持ちで、木更津で
は、五行亭相生という噺家になっている助五郎、改め源左衛門
(「赤間源左衛門」は、登場人物で、木更津のやくざの親分な
ら、こちらは、役者の、二代目中村源左衛門というわけだ)が、
相変わらず、味のある演技をしている。仁左衛門の与三郎は、上
方和事の、「つっころばし」と呼ばれる濡事師の味わいが濃厚だ
が、この場面では、まだ、初な感じを残している。お富も初々し
い。「いい景色だねえ」とお富が、言うのは、「梅暦」の辰巳芸
者・仇吉が丹次郎を見初めた際に、「いい男だねえ」と言うの同
じである。「見染」のお富との出逢いの後の、仁左衛門の「羽織
落とし」(もともと、上方和事の演出)も、上方味で、頼り無い
与三郎で、それがかえって、良かった。ここでは、ふたりの初
(うぶ)さを強調し、後の「源氏店」での、ふたりの世慣れた、
強(したた)かさと対比しようという演出だろう。

「源氏店の場」。塀の外で、雨宿りをしている番頭・藤八(松之
助)との短いやり取りで、お富は、すでに、百戦錬磨の、一筋縄
では行かない女性に「成長」しているという印象を与える。美女
の湯上がり姿は、もう、それだけで、エロチックだ。このあたり
は、さすが、玉三郎の貫禄である。傍役が活躍する「切られ与
三」は、おもしろいと書いたが、特に、「源氏店」の剽軽役・藤
八を演じた松之助が、今回も、良かった。大向こうから、「緑
屋」と声が掛かっていた。お富に白粉(おしろい)を塗られる藤
八は、「ちゃり(笑劇)場」で守り立てながら、与三郎(仁左衛
門)と蝙蝠安(左團次)の出のきっかけをつける重要な役どころ
だ。藤八は、通しで観ると、赤間源左衛門の子分の、松五郎の兄
として、悪役になるのだが、この場面では、道化役に徹してい
る。私が観た藤八役者で印象に残るのは、鶴蔵で、2回観てい
る。

蝙蝠安は、今回、左團次が演じる。女物の袷の古着を着ているよ
うなしがない破落戸(ごろつき)である。与三郎の格好よさを強
調するために、無恰好な対比をする。すでに私が観ている蝙蝠安
は、富十郎、勘九郎のほか、弥十郎は、3回も観ている。今回、
勘三郎を襲名した勘九郎の蝙蝠安は、2年前に観ているが、彼の
持ち味と蝙蝠安の持ち味が、渾然一体になっていて、良かった
が、今回の左團次も、左團次ならでは、地を出した蝙蝠安で、味
があった。段四郎が、貫禄のある源氏店の主・多左衛門を演じて
いる。

原作の与三郎は、養子に入った伊豆屋で、与三郎が跡継ぎになっ
た後、実子が生まれ、それでも、養子を跡取りにする、という父
親に対して、実子の「弟」への義理立てから、放蕩をし、家出を
して、つまり、身を引いているのだ。父親、弟への思い、家への
思い、という屈折した思いを胸に秘めながら、木更津に行き、お
富と逢い、事件があり、江戸に戻り、強請、騙りという、荒廃し
た生活をしている青年を描いている。「源氏店」の場面で、蝙蝠
安が、最初、家のなかに入り、お富と交渉している間、家の外に
ある柳の木の下で、屈託ありげに、佇んでいる場面で、仁左衛門
は、そういう与三郎の心象風景までも、滲み出させて来る。も
う、与三郎は、仁左衛門以外に考えられないし、お富も、玉三郎
が、いまのようになり切っていたら、ちょっと、ほかの役者と言
うわけには行かないような気がする。原作の与三郎は、幕末の江
戸歌舞伎の世話物という影が濃く、人間像もいろいろ屈折してい
るのだ。そして、家のなかに入ってからの
強請の名場面。仁左衛門は、与三郎の科白「エエ、御新造さん
え、おかみさんへ、お富さんえ、イヤサ、コレお富、久しぶりだ
なア」以下、特に、「しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切れたの
を、どう取り留めてか木更津から、・・」の独白を、節目節目の
科白の語尾を上げながら、気持ち良さそうに言っていた。玉三郎
のお富とのやりとり。たっぷり堪能した。仁・玉ワールドの妖艶
さも、極まれりの感。昼の部、いちばんの見応えのある舞台で、
勘三郎には、悪いが、勘三郎襲名披露より、江戸の粋を活写する
仁左衛門、玉三郎のゴールデンコンビの、充実の舞台の印象の方
が、強く残った。では、襲名披露は、「口上」のある夜の部に期
待を繋ぐことにしよう。
- 2005年4月10日(日) 22:29:02
2005年3月・歌舞伎座 (夜/「近江源氏先陣館〜盛綱陣屋
〜」「保名」「鰯賣戀曳網」)

滑稽味で明るい襲名披露

「近江源氏先陣館〜盛綱陣屋〜」は、同じ「陣屋もの」の「熊谷
陣屋」が、厭戦という、時代を越えた普遍的なテーマを構想する
のに比べて、せいぜい、「戦略」の厳しさというテーマが、垣間
見られるだけで、スケールが小さいように思う。今回、十八代目
勘三郎の襲名披露興行で、昼夜通しで見ると、勘三郎が主役を張
る演目で、唯一シリアスな芝居が、この「近江源氏先陣館〜盛綱
陣屋〜」である。私が、「盛綱陣屋」を観るのは、3回目。

「盛綱陣屋」は、豊臣方の末路を描いた全九段「近江源氏先陣
館」の八段目で、北條方(鎌倉)の佐々木盛綱と敵の京方(近江
坂本)の高綱兄弟という、敵味方に分れた父親たちの苦渋の戦略
のなかで、兄弟の血脈を活かすために、一役を買って出た高綱の
一子・小四郎が、伯父の盛綱を巻き込んで、父親の贋首を使い、
首実検に赴いた北條時政を欺くために、小四郎が切腹するという
事件を軸にした物語だ。ところが、徳川家康をモデルにした北條
時政は、したたかで、騙された振りをして、偽首を持って帰るの
だが、盛綱に褒美として与えられた鎧櫃のなかに隠れて聞き耳を
立てていた時政の間者・榛谷十郎が殺されるという展開になるな
ど、互いに騙しあう「戦略」の厳しさを描いた作品でもある。己
の子どもを犠牲にして、虚しさを覚え、出家する熊谷直実のと戦
略上の必要から、甥っ子の命を犠牲にする佐々木盛綱との違いは
大きい。それだけに、私は、「熊谷陣屋」は、何度観ても飽きな
いが、「盛綱陣屋」は、何度観ても虚しさばかりが残るので、あ
まり、好きになれない。

作者は、「熊谷陣屋」が、並木宗輔。「盛綱陣屋」が、近松半
二、三好松洛ら。「熊谷陣屋」初演より18年遅れて「盛綱陣
屋」が、上演されている。子どものからむ「陣屋もの」として、
作者たちにも、連想があったかもしれない。しかし、一方は、近
世の封建主義の時代を超越して、子どもに対する母の愛を主張す
る並木宗輔の明確なメッセージを発するのに対して、もう一方
は、戦略のために、子を犠牲にする、そういう封建時代の倫理観
が、肯定される。

さて、役者論。十八代目を襲名した勘三郎は、気を入れて盛綱を
演じ、義父の芝翫の盛綱の母・微妙、義弟の福助の高綱(盛綱の
弟)妻・篝火という「神谷町ファミリー」の協力の布陣を敷く。
勘三郎盛綱は、小四郎(児太郎)を軸にしながら、弟高綱の目論
見が、観客に次第に見えて来るという、芝居の筋立てにそって変
化する心理描写をきちんとトレースして行く(このあたりは、こ
れまで2回観た吉右衛門盛綱も、よかった)。形の演技から情の
演技へ。目と目で互いに意志を伝えあいながら、甥の命がけの行
為を受けて、主君・時政を裏切り、自分も命を捨てる覚悟をす
る。主従より血脈を大事にする。盛綱の、そうした変化が、観客
の胸にストレートに入って来る。勘三郎は、大きな盛綱を演じて
いたと、思う。

芝翫の微妙は、歌舞伎で「三婆」という、複雑な役どころを演じ
て、安定している。福助の篝火は、母の情感が弱い。茶色い陣羽
織を着て、弓や赤い日の丸が描かれている黒塗りの笠を持ってい
て、木戸越しに矢文を飛ばしたりして、スパイもどきの動きをす
るからかとも思うが、前回、同じ衣装を着て、同じ役を勤めた雀
右衛門では、そういう感じがしなかった。雀右衛門の篝火の烈し
く、深い母の情感の場面の印象が強いだけに、雀右衛門と比較す
るのは、福助には、酷かもしれないが・・・。

思うに、雀右衛門は、男性が母の情愛を演じるということで、母
性のない男性ならではの想像力を働かせる。そして、彼の想像力
は、情愛の受け手としての幼い「男の子」から見た母の情愛のあ
りようを表現しようとして、とうとう、母の情愛の極北とも言え
るような純粋型の境地に達してしまったのではないか。それは、
女性が、母の情愛を表現しようとすると、逆に生身の母性が、邪
魔をして、極北という純粋型の情愛の表現を阻害するのと、まさ
に、対極に位置するということではないか。そういう雀右衛門の
境地には、福助は、まだ、踏み込んではいないということだろ
う。しかし、福助も、ことし、芸術院賞を受賞し、着々と将来の
七代目歌右衛門襲名への道筋を付けていると見た。福助の長男、
児太郎は、悲劇の少年・小四郎を熱演して、大活躍。ただ、観客
を泣かせよう泣かせようとする原作者近松半二らの作意が、見え
ているので、私は、あまり好きではない。

富十郎の和田兵衛は、さすが、貫禄。赤面(あかっつら)の美学
ともいうべきいでたちで、黒いビロードの衣装に金襴の朱地のき
らびやかな裃を着け、大太刀には、緑の房がついている。歌舞伎
の美意識が、豪快な人物を形象化する。我當の演じる北條時政
も、グロテスクさを滲ませながら、堂々とした大将振り。こうい
う柄の必要な役をこなせる役者が少ないだけに、我當は、貴重で
ある。子どもまで巻き込みながら、時政を騙す盛綱・高綱の兄
弟。時政は、騙された振りをしながら、心底から盛綱を疑ってい
る。謀略家同士の騙しあい。盛綱の妻・早瀬に魁春。「アバレの
注進」として、颯爽とした注進役に、ご馳走の信楽太郎は、幸四
郎。「道化の注進」という、滑稽味の注進役の伊吹藤太に段四
郎。脇に廻った人たちが、持ち味を出すと、芝居の奥行きが、
ぐっと拡がって来る。この芝居は、そういう歌舞伎のおもしろさ
を教えてくれる。

「保名」は、6回目。菊五郎、團十郎、橋之助、芝翫が、それぞ
れ1回。今回の仁左衛門だけは、2回目。今回は、先月の仁左衛
門・孝太郎の親子コンビによる「二人椀久」という物狂から、仁
左衛門単独の物狂への、橋渡しが、どういう演出で行われるかを
注目しながら、暗転した、真っ暗な場内で、私は、待っていた。

春の曙が、暗闇から、徐々に明るんで来るが、まず、舞台上手が
ほの明るくなる。山台に乗った清元連中の影が、ぼやっとしてい
る。「恋よ恋、われ中空になすな恋」という置浄瑠璃(浄瑠璃は
始まるが、舞台は無人という状態が続くこと)のまま、暫く置か
れる。2月の歌舞伎座で仁左衛門が息子の孝太郎といっしょに演
じた「二人椀久」のときと、同じ演出である。やがて、本舞台中
央に木の影が浮かび上がって来る。木の下に花が咲いているよう
だと影絵で知れる。徐々に明るくなり、その木が、桜木だと判る
ころ、木の下の花が黄色い花で、どうも、菜の花らしいと判る。
書き割りに後ろから(つまり、舞台奥から)光を当てていたのだ
ろう。さらに書き割りの表に、より強い光が当たると、影絵が消
え、満開の桜木と木の下の菜の花、さらに遠景で拡がる野には、
菜の花畑が続いていて、畑の間には、河が、くねくねと幾重にも
蛇行しているのが判る。そして、野の果てには、桜並木が見え、
その向うは、春霞に霞む山並である。

後見の松之助と松三郎の持つ蝶の差し金に前後を挟まれながら花
道に登場したのは、安部保名である。ピンクの地に露芝の縫い取
りの着付け、紫地に野葡萄の縫い取りの袴、袴は、裾が、若紫に
ぼかしてある。紫の病はちまき姿の保名は、仁左衛門である。手
には、銀地に水色の露芝の図柄が描かれた扇子を持っている。悪
人の計略に引っ掛かり、自害した恋人の榊の前のことが忘れられ
ず、きょうも、恋人の形見の小袖を肩に懸けたまま、野をさすら
う。仁左衛門は、2月と3月の歌舞伎座で、恋しい女性を深く思
い込み、挙げ句の果てに物狂になってしまった狂気の男を続けて
演じているのである。

物狂のうちにも、颯爽とした面影を残す仁左衛門の保名である。
恋に身を焼く男の苦衷を踊り続ける。そして、見どころは、「似
た人あらば教えてと 振りの小袖を身に添えて 狂い乱れて伏し
沈む」という清元の文句に合わせて、役者が、どういうラスト
カットを見せるかということである。

実は、これは、最初に「保名」を観た菊五郎の舞台が印象に残っ
ているからだ。この舞台では、亡くなった榊の前の小袖が、狂気
の保名を騙す。騙される至福を求めて、狂気になる男の物語。六
代目菊五郎工夫の演出を引き継いでいる。狂気の保名には、死ん
でしまった榊の前が、見える。だから、ふらふらと榊の前を追い
続けることができるのだ。一方、観客席に座る正気の私たちに
は、榊の前は、当然ながら、見えない。しかし、保名を演じる役
者は、保名の心にならなければならない。つまり、役者には、榊
の前が見えていなければならない。保名の狂った心を役者の正気
の心としなければならない。その上で、役者は、藝の力で、保名
と同化して、そういう幻想を観客である私たちに見せなければな
らない。つまり、観客に錯覚を起こさせ、見えない榊の前を見え
たように幻視させなければならない。それができたとき、初め
て、保名役者は、観客に勝つのである。

それを判断するポイントは、幕切れ直前にやって来る。前にも、
何回か、書いたが、「保名」では、私は、いつも、最後の幕切れ
直前の場面を注目している。菊五郎のとき、「狂い乱れて伏し沈
む」という清元の文句に、小袖を頭から被ったまま、菊五郎が、
舞台中央に伏した姿が、恰も、舞台から菊五郎の身体が消えた
(まさに、「沈む」)ように観えたからだ。所作台と小袖が、平
に見え、菊五郎の身体が、無くなったように観えた。2階席から
観ていたのだが、そのように観えた。「榊の前」というイメージ
(これは、本来、保名の頭のなかにあるもので、観客には見えな
い)とともに、保名が、昇天したように観えたのだ。榊の前と保
名が、手を取り合って、昇天して行った。不思議な気がしたのを
私は、いまも覚えている。8年前の、97年2月の歌舞伎座の舞
台であった。

その後、私は、「保名」の舞台を3階、2階、1階などの席か
ら、都合6回観ているが、團十郎は、身体が消えなかった。舞台
中央に拡がった小袖の下が、こんもりしていた。橋之助は、最
後、暗転する演出で、その場面を見せなかった。芝翫は、その場
面になる前に、緞帳を降ろしてしまい、やはり、その場面を見せ
なかった。古風な型では、扇をかざして立ち身の見得に、幕が降
りて来るというが、芝翫は、これに近かったように思う。今回2
回目の仁左衛門は、肩に小袖を懸けたまま、座り込んだだけだっ
た。

役者たちは、皆、「伏し沈む」という清元の文句をどう演じてみ
せようかと、いろいろ、工夫しているのだろうが、最初に観た菊
五郎の「伏し沈む保名」が、強烈に印象に残っている。それは、
先ほど述べたように、いないはずの榊の前を観客に見せることが
できるかどうかという工夫でもあるのだ。それだけに、是非と
も、菊五郎の「保名」を、再び、観てみたいと、切望する。

さて、最後に演じられた「鰯賣戀曳網」は、「楯の会」の若者た
ちとともに、自衛隊に乱入し、切腹自殺をした作家三島由紀夫が
残した歌舞伎狂言である。血腥い作家の最期を思い出すすべもな
いほど、それは、明るく、笑いのある恋物語である。名代の傾城
に恋した鰯賣が、大名に扮して傾城のいる五條東洞院に繰り込む
が、傾城は、実は、姫様で、かって御城下で聴いた売り声の鰯賣
に恋をしていたというメルヘンである。

三越寄贈の祝幕が開くと、五條橋(「ごでうばし」と書いてあ
る)の袂である。「開帳」と書かれた2本の立て札には、それぞ
れ、「多聞寺」「保元寺」と書いてある。「鰯売戀曳網」は3回
目の拝見。2回は、勘九郎、玉三郎のコンビである。以前は、先
代の勘三郎と六代目歌右衛門のコンビが上演している。いずれ
も、絵に描いたような舞台だったろう。今回は、新勘三郎が、鰯
賣猿源氏を玉三郎が、傾城・螢火、実は、丹鶴城の姫を演じる。
当然のことながら、二人の手慣れた世界が出現する。歌舞伎仕立
てのお伽噺。目に愛嬌のある勘九郎と目に色気のある玉三郎の二
人が、それを肉体化する。恋の成就で、めでたしめでたしで幕と
なるが、その明るさが、いかにも勘三郎の十八代目という積み重
ねて来た役者を受け継ぐ襲名披露の舞台の花道に相応しい。勘九
郎の持ち味の明るさ、愉しさを最初から諸手を揚げて、味わおう
という先入観の固まりのような勘九郎ファンは、確実に新勘三郎
ファンになりきってしまったようだ。千秋楽の前日に観た所為も
あるが、場内は、そういう人たちが、醸し出す、襲名披露お疲れ
さま、あと2ヶ月続く舞台、ご苦労さん、愉しみにしているよ、
という、暖かい拍手で、盛り上がっていた。

そのほかの役者評。上村吉弥が、傾城・錦木を演じ、芝のぶが、
傾城・乱菊を演じる。若い颯爽の女形たちが、爽やか色気を振り
まく。傾城・薄雲の扇雀、傾城・春雨の勘太郎。禿を演じた清水
大希が巧い。子役として定評のある少年だ。大名に扮した鰯賣猿
源氏(勘三郎)恥ずかしがって禿を突き飛ばすと、見事に後転す
る。さらに、起き上がると、怒った様子で、慌てて乱れた髪を整
える様が、観客の笑いを誘っていた。海老名なむあみだぶつの左
團次、博労の弥十郎、亭主の段四郎と脇も達者な役者で固めて、
幅と奥行きを出した。もうひとり、達者な役者がいたっけ。竹本
の出語りで、「赤んべい」をしてみせた清太夫は、いつもの熱演
振りに加えて、役者振りも見せてくれた。

贅言:昼の部の「猿若江戸の初櫓」に出て来る江戸町奉行は、歌
舞伎座の筋書きによれば、名前を「板倉四郎左衛門勝重」として
いる。しかし、東郷隆「猿若の舞 初代勘三郎」という小説によ
れば、勘三郎が出逢う板倉某は、ふたりいる。私が昼の部の劇評
で触れたのは、江戸の初代町奉行(五百石)の板倉四郎『右』衛
門で、後に彼は京都所司代(二万石)となり、「板倉伊賀守『勝
重』」を名乗る(「常山紀談」よりの引用と注している)とあ
る。伊賀守勝重は、猿若に洛中での芝居小屋建設と歌舞伎上演の
許可を出したという。

さて、勘三郎は、「猿若江戸の初櫓」にあるように、阿国一行と
いっしょに江戸入りはしない。しかし、後に、1622(元和
8)年、史実の勘三郎は、江戸入りする。そして、もうひとりの
板倉と出逢う。江戸での歌舞伎興行の許可を勘三郎が得るのが、
町奉行の板倉四郎『左』衛門であり、京都所司代の板倉伊賀守勝
重の縁者であるとある。勘三郎は、1623(元和9)年、小屋
立てや役者集めの準備をし、1624(寛永元)年春には、日本
橋中橋南地(いまの京橋)に猿若座の櫓を揚げて、芝居興行を始
めたとある。こちらの記述の方が、正確だとするならば、「猿若
江戸の初櫓」に出て来る奉行の「板倉四郎左衛門勝重」は、ふた
りの板倉(つまり、伊賀守勝重と四郎左衛門という別人)をミッ
クスした名前になっているとしか思えない。

もうひとつ贅言:きょう(4・1)は、もう、エイプリルフール
ではあるが、嘘ではなく、勘三郎襲名披露2ヶ月目の舞台が初日
を迎えた。愉しく、明るく、「滑稽」に笑わせて1ヶ月目の舞台
を無事終えた勘三郎は、2ヶ月目の舞台は、演目から読み取る
と、「情」で盛り上げるのだろうか。次の劇評は、比較的早くお
目に懸けたいと思う。では、また。
- 2005年4月1日(金) 21:59:59
2005年3月・歌舞伎座 (昼/「猿若江戸の初櫓」「平家女
護島〜俊寛〜」「口上」「一條大蔵譚」)

新勘三郎は、猿若の滑稽藝で勝負と見た

3月の歌舞伎座は、3ヶ月に及ぶ十八代目勘三郎の襲名披露興行
に入ったと、思ったら、もう千秋楽。歌舞伎座は、連日、大勢の
ファンで埋まったようだが、チケットの売り出しが早く、また、
3月は、初日の前に、前売りで全席(当日券の補助席を除く)完
売ということで、実際の観劇日には、都合が悪くなった人もいる
ようで、若干の空席があった。それでも、人気の「口上」のある
昼の部は、空席を横目にしながらも、一等席に補助席が出てい
た。夜の部は、補助席はなかったから、昼の部の方が、人気が高
いのだろう。

2階ロビーでは、恒例の襲名披露関連の資料や写真の展示のほ
か、御贔屓筋からの「入山招木」の看板が、所狭しと並び、蘭の
花駕篭も並ぶ。祝幕は、三越が、山吹色の地に勘三郎家の家紋
「角切銀杏」3つを大きく染め抜いたものに十八代目中村勘三郎
丈江と寄贈。黒白茶(柿)の中村座の定式幕は、若鶴会からの寄
贈。バルセロナからは、「角切角(すみきりかく)に銀杏」の家
紋を印刷したラベルが貼られた酒の瓶が、47本並べられてい
る。写真は、子役時代から最後までの勘九郎の舞台写真や父親の
十七代目勘三郎との写真など。

文書がある。1959(昭和34)年の「中村宗家直系名跡
(みょうせき)考證」、時期不明記の「中村宗家直系名跡(みょ
うせき)抜萃」、「俳優鑑」、「三座例遺誌(れいいし)」、
「江戸芝居濫觴(らんしょう)の事」、そして、「猿若狂言 新
発意(しんほち)太鼓之図」(元治2年)や「猿若座戯場ノ図」
などの絵。生涯で803役(20075公演)を演じ、ギネス
ブックに記録されている十七代目の顕彰資料や1950(昭和
25)年の十七代目襲名披露時の歌舞伎座の筋書など。

展示コーナーの入り口に飾られた「猿若人形」は、中村家に初代
以来から300有余年も伝えられて来たというもの。猿若勘三郎
が扮するシテ「猿若」と杵屋勘五郎の扮するワキ「杵屋何某と申
す大名」の舞台姿の二人立て人形である。このうち、猿若の扮装
は、昼の部の「猿若江戸の初櫓」で、猿若を演じ、猿若舞を舞う
勘太郎が、そっくりそのままの出立ちで舞台を勤める。つまり、
こうだ。紅絹(もみ)の長手拭の頬かむり、着付けは、表赤地、
裏浅葱。立浪模様の長着をあづまからげに着て、黒絹表、紅絹裏
の露芝之模様の袖無し羽織に、紅絹の、丸くて太い総角(あげま
き)紐を帯替わりに締めている。紐の先を右手に持ち、くるくる
廻しながら、声色や仕方話をする。

まず、初代猿若登場の演目は、「猿若江戸の初櫓」。私は、もち
ろん、初見。これは、18年前、1987(昭和62)年1月
の、歌舞伎座で、江戸歌舞伎360年を記念した「猿若祭」の記
念演目が、初演。「助六由縁江戸桜」で本舞台奥の御簾内で語ら
れる、お馴染みの河東節は、「十寸見(ますみ)会」の面々が、
出演費用自腹で演じているが、現在の十寸見会事務局長・田中達
男氏の父親である田中青滋作の新作舞踊劇が、この「猿若江戸の
初櫓」で、史実にフィクションを巧みに紛れ込ませて、猿若初代
のエピソードを舞踊化している。初演時は、猿若を勘九郎時代の
勘三郎が演じ、福富屋を延若、福富屋女房ふくを松江時代の魁
春、板倉勝重を福助時代の梅玉、阿国を児太郎時代の福助が演じ
た。今回は、猿若:勘太郎、福富屋:弥十郎、女房ふく:高麗
蔵、板倉勝重:扇雀、阿国:福助など。

猿若は、阿国歌舞伎時代の道化役で、滑稽藝が売り物。初代の中
村勘三郎も当初は、猿若勘三郎と名乗っていたように、滑稽藝=
猿若藝は、初代の勘三郎の時代から、持ち味の一つ。芝居では、
史実にはないが、阿国歌舞伎の一行として、江戸入りした猿若の
機転で、京橋の福富屋の難儀(鶴が飛び交い、松が栄え、不滅の
滝が落ちている「蓬来山」=中国の伝説にある不老不死の島にあ
る霊山=の置き物が、車に載せられたまま路傍に放置されてい
る)を救い、それを聞き及んだ奉行の板倉勝重(史実では、初代
の江戸町奉行を勤め、後に京都所司代=徳川幕府の京都の出先機
関の長で2万石の大名となる)が、褒美替わりに、日本橋中橋に
猿若座の櫓を揚げることを認めたという物語を作り上げている。

勘太郎は、爽やかに猿若を演じていた。本来なら、阿国は、弟の
七之助が演じるはずであったが、不祥事の責任を取らされて、降
板。初演と同じ福助の登板となったが、ここは、父親の勘三郎襲
名披露興行の舞台だけに、七之助の阿国で、観たかった。3月の
七之助は、勘三郎の付き人役で、表には出ず、専ら楽屋内で父親
の世話をしていた。4月は、昼の部まで休演で、夜の部の「口
上」以降、「籠釣瓶」の初菊で七之助の出演が許されるようにな
る。ほかは、阿国一座の若衆方では、上村吉弥、澤村宗之助ら
が、爽やか。

京都所司代の板倉勝重が、猿若に洛中での芝居小屋建設と歌舞伎
上演の許可を出したとあるが、これは、所司代による洛中の芸能
支配であり、税の徴集である、という趣旨のことが、東郷隆「猿
若の舞 初代勘三郎」に書かれている。芝居小屋の許認可の実相
は、そういうことであり、決して、御褒美というようなものでは
なかったのではないか。もっとも、時の権力者とのかかわりを強
調するのが、初代の経歴の特徴というから、そういう演出も仕方
がないか・・・。

まあ、勘三郎十八代目のお披露目の舞台で、猿若の扮装をした初
代の勘三郎登場のめでたい噺であり、「初櫓」という外題は、い
かにも、十八代目の好みに合いそうで、理屈抜きで言祝ぐ場面だ
ろう。まあ、判りやすい舞踊劇。

幕引きの大道具の係は、所作台と舞台の照明との間を縫うように
して、幕を曳いて、走った。閉幕後、下手から、中村座の定式幕
とともに歌舞伎座の定式幕(黒、柿、萌葱)が引き出され、本来
の引幕に替り、さて、次の舞台への準備となる。

「俊寛」は、7回目。定式幕が開けられると、置浄瑠璃に浅葱
幕。竹本は、綾太夫。歌舞伎座では、この演目の場合、綾太夫の
出演が多い(記録を調べたわけではないが、印象的には、どうも
そうだ)。今回の幸四郎が、3回目。吉右衛門、2回。仁左衛
門、猿之助が、それぞれ1回。前回の吉右衛門の俊寛は、祖父の
初代の50回忌追善興行とあって、いつもにも増して、こってり
と演じていたのが、印象的だった。こってり俊寛は、オーバーア
クションの幸四郎の持ち味で、今回も、幸四郎ペース。

俊寛は、いろいろ綾があるが、要は、妻の東屋が、御赦免の上
使・瀬尾に殺されていたことを知り、瀬尾を殺して、妻の仇を取
り、その責任を負って、鬼界ヶ島に居残り続けるという話。虚無
的な表情のまま、幸四郎の俊寛は、幕切れとなる。この表情が、
先代の幸四郎(白鸚)に酷似していたので、身の毛がよだったと
いう人がいたが、私も、白鸚の顔を知ってはいるものの、俊寛を
演じたときの白鸚の舞台を観ていないので、良く判らない。ただ
し、何時にも増して、虚無的な幸四郎の表情は、私も、印象に
残った。

さて、ほかの役者では、憎まれ役の瀬尾太郎に段四郎が、味を出
していた。いま、こういう役所を適役で演じることができる役者
が限られて来たが、猿之助病気休演で、猿之助一座が、展開しに
くい状況は、実に、歌舞伎の演劇としての幅を狭めてしまうの
で、残念の極みだが、猿之助の体調が恢復しない限り状況打開と
はならないだろうから、偏に、猿之助の舞台復帰を祈るしかな
い。しかし、さはさりながら、猿之助一座が開店休業の時期に、
段四郎が、これまでと違った形で、役者としての可能性を拡げて
いることは、恭賀としたい。猿之助舞台復帰のときには、幅を拡
げた段四郎として猿之助一座の一員としての新たな展開を期待し
たい。

魁春の千鳥は、松江時代も含めて、今回で4回目の拝見。ほかの
千鳥は、福助、亀治郎、孝太郎。前にも書いたが、この芝居は、
実は、俊寛の悲劇と千鳥の幸福の対比を軸にした芝居なのだか
ら、千鳥の出来の良し悪しが、舞台を左右すると、私は思ってい
る。それだけに、千鳥役に魁春というと、もう安心して舞台を観
ていられる。若手では、亀治郎が良かった。

前回、たっぷり、最後の科白「おーい」の分析を軸に、「俊寛」
劇のエキスを追求したので、今回は、この程度に留めて、あっさ
りと、次の「口上」の舞台へ移ろうと思うが、「俊寛」に関心の
ある人は、「遠眼鏡戯場観察」に掲載している02年9月の歌舞
伎座の劇評を参考にして欲しい。このサイト内の「検索」で、
「俊寛」と打ち込めば、関連の劇評が出て来るので、読むことが
できる。

「俊寛」閉幕後、食堂「ほうおう」で、勘三郎の襲名弁当を戴
く。飯は、紅白のおこわ。刺身、蝦の揚げ物、竹の形をした器に
入った酢の物には、寿の字を切り出したもの。煮物のなかの高野
豆腐にも、寿の字。吸い物の四角い湯葉には、歌舞伎座の紋。福
の字が書かれた枡には、黒白茶(柿)という中村座の定式幕の模
様に仕立てられた練り物。税込み、3500円。舞台は、歌舞伎
座の定式幕から、勘三郎襲名の祝幕。三越贈呈の方。祝幕が開く
と、「口上」。

「口上」は、下から黒、白、柿の3色の暈(ぼか)しの襖を背景
に19人の役者が勢ぞろいする。真ん中に控える新勘三郎の上手
に、義父の芝翫が座り、口上のまとめ役を司る。芝翫の挨拶の
後、上手側に順番に、幸四郎、我當、魁春、扇雀、段四郎、左團
次、梅玉、そして、上手の締めに雀右衛門。次いで、下手の締め
に移り、富十郎から始まり、上手側に順番に、又五郎、秀太郎、
福助、弥十郎、東蔵、玉三郎、仁左衛門、勘太郎、勘三郎。髷
が、市川宗家縁の「鉞(まさかり)」なのは、幸四郎、段四郎、
左團次。女形の鬘は、雀右衛門、玉三郎、魁春、福助、秀太郎。
芝翫は、恒例の野郎頭。笑わせる人、勘三郎との個人的なエピ
ソードを紹介する人、紋切り型に近い祝の言葉のみの人などさま
ざまだが、勘三郎の明るい性格を反映して、ほっこりムードのう
ちに終了。祝幕が、三越から、若鶴会の黒白茶(柿)に替ると、
「一條大蔵譚」の準備完了。

「一條大蔵譚」は4回目の拝見。大蔵卿は、猿之助で1回、吉右
衛門で2回。今回は、初めて、勘三郎である。襲名披露の大舞台
だけに、常盤御前は、雀右衛門。鬼次郎に仁左衛門、鬼次郎女房
のお京に玉三郎という豪華な顔ぶれ。2回観た吉右衛門は、こう
いう役は、巧かった。前回の劇評にこうある。

「滑稽さの味は、いまや第一人者か。阿呆顔と真面目顔の切り替
えにメリハリがあり、良かった」。

初めて観た勘三郎の大蔵卿は、吉右衛門に匹敵する巧さである。
上の感想は、勘三郎にも当てはまる。滑稽藝を初代以来の勘三郎
の原点と考えていると見られる勘三郎である。勘九郎時代でも、
本興行で何回も大蔵卿を演じている。勘九郎から脱皮し、勘三郎
として大きく羽搏くであろうと予感させる大蔵卿の出来であった
から、あるいは、いずれ、大蔵卿役では、吉右衛門を凌ぐかもし
れない。兎に角、滑稽味に命を懸けて、阿呆に徹しようとしてい
る様が、全身から滲み出て来る。舞台で、いつ、どういう形で、
滑稽味を出そうか、いつもチャンスを狙っているようで、観客と
しては、勘三郎から目が離せないという気持ちに駆られる。観客
対勘三郎のバトルは、勘三郎の勝ちと観た。奥殿での雀右衛門の
常磐御前は、平家への復讐心という真意を胸底に秘めながら、風
格がある常磐御前に仕上がっていた。

仁左衛門の鬼次郎と玉三郎のお京の夫婦役が、悪かろうはずがな
い。二人は、「裏切り者」の常盤御前の真意を探るスパイ活動を
するために大蔵館に入り込もうと、白河御所の外にある檜垣茶屋
で、大蔵卿を待ち伏せる。ピンクの衣装の腰元20人。白い衣装
の仕丁22人を連れて御所から大蔵卿登場。上から観ていると、
腰元と仕丁は、紅白の対比で、舞台全体を祝儀袋に見立てれば、
紅白の紐で大きな祝儀袋を結んだように見える。そこまで計算し
て、この演目を選んだのだろうか。まさに、襲名披露に相応しい
舞台だと感心する。

奥殿までのつなぎの網代塀の場面は、舞台に置かれた木戸ひとつ
が、奉公人として内に忍び込んだお京と曲者として、これからお
京の手引きで内へ忍び込む鬼次郎の、ふたりの状況をシンプル
に、それでいて、的確に観客に見せつける巧い演出だ。

奥殿で常盤御前を最初はなじった鬼次郎だが、清盛の絵姿に矢を
射ていたということで、常盤御前の真意も知れる。鬼次郎らの助
太刀に現われ、やがて、ぶっかえりで正体を現わし、常盤御前を
誉めたたえる大蔵卿も、実は、源氏の血筋。勘三郎は、阿呆と真
面目の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現する勘三郎。
清盛方の勘解由(助五郎改め、源左衛門)と勘解由女房・鳴瀬
(小山三)は、やがて、自害(ふたりとも、勘九郎幼少の頃から
の先代の弟子である。ざっと50年間見守って来たおぼっちゃん
が父親の大名跡を無事に引き継ぎ、見事な舞台を見せているだけ
に、感慨も無量のものがあるだろうと拝察しながら、ふたりの演
技を見守った)。笑いのうちに、昼の部は、終了。勘三郎らし
い、明るさが、閉幕後も、場内に漂っている。これは、この後
の、夜の部終了で、もっと、くっきりとしてくる。
- 2005年3月27日(日) 21:53:05
2005年2月・歌舞伎座 (夜/「ぢいさんばあさん」「新版
歌祭文 野崎村」「二人椀久」)


内容充実の舞台が続く


夜の部は、3演目ともおもしろかったが、あまり期待していな
かった「二人椀久」が、よかった。仁左衛門は、玉三郎とのコン
ビで培って来た「二人椀久」の魅力に、さらに新工夫の演出を加
え、親子コンビならではの、大胆な妖艶さで、舞台を飾った。後
で、詳しく書きたい。

内容充実の夜の部は、昼の部に比べて、歌舞伎座の客足は、落ち
ていて、空席もあったが、いまの歌舞伎ブームを象徴している現
象のように思えた。人気のときは、演目よりも、興行者側の思惑
が先行していて、観客は、その思惑通りに動く傾向があるような
気がする。襲名披露興行では、演目や役者の顔ぶれよりも、幹部
役者が一堂に会して挨拶する「口上」のある部に人気が集中す
る。3月の歌舞伎座では、十八代目勘三郎の襲名披露の口上のあ
る昼の部が、売り出し初日だけで、全日満席になってしまった。
2月も、先代の三津五郎七回忌追善興行の演目である「どんつ
く」のある昼の部の方が、人気がある。だが、おもしろかったの
は、断然、夜の部の方だった。以下、演目の順番に劇評を書いて
行く。


新しい暮らしの始まり


「ぢいさんばあさん」は、3回目の拝見(前々回は、99年3月
の歌舞伎座、前回は、02年4月の歌舞伎座)。これは、森鴎外
原作の小説「ぢいさんばあさん」を宇野信夫が歌舞伎化した新歌
舞伎作品。1951(昭和26)年、7月、東西の歌舞伎座(当
時は、歌舞伎座が東京と大阪にふたつあり、特に、東京の歌舞伎
座は、1945年戦災で焼失し、復興したばかりであった)で、
初演された。劇中では、「新しい暮らし」という科白が、ぢいさ
んばあさんの夫婦と若い夫婦の2組から発せられる。世代を越え
て、「新しい暮らし」を宣言するというのは、何故かと思い、森
鴎外の原作を読んでみたら、原作には、若い夫婦が、そもそも出
て来ないし、ぢいさんばあさんの科白にも、「新しい暮らし」な
どというものは、出て来ない。まさに、宇野歌舞伎の独創の科白
であったことが判る。そして、その科白の意味するところは、な
にかを考えていたら、1951(昭和26)年という初演の「時
期」にその秘密があるのではないかと見た。敗戦直後の混乱も、
6年経過し、幾分落ち着いてきたのだろう。戦後の新しい生活が
スタートしようとしている。それを宇野信夫は、歌舞伎の舞台で
も、表現しようとしたのだろう。つまり、宇野は、敗戦後の日本
人の生活にダブるように、明治の文豪森鴎外の作品「ぢいさんば
あさん」をもとにしながら、別の新歌舞伎の作品に作り替えたこ
とだろう。宇野信夫にとって、戦後とは、新しい暮らしの始まり
であリ、それは、例えば、女性の地位向上などという形で、いず
れ具体化されるべき事象であった。ことしは、「戦後60年」と
いう節目の年。軍国主義の足音も近付いている状況の現在、改め
て、戦後の「新しい暮らし」という原点に立ち返り、「新しい暮
らし」への喜びを検証し直すことも必要だろう。

因に、原作の「ぢいさんばあさん」では、江戸の麻布龍土町の三
河國奥殿の領主松平家の屋敷内にある宮重久右衛門という人の隠
居所作りの話から始まって、久右衛門の兄に当たる美濃部伊織と
妻のるんの話が、語られて行く。ふたりの年寄りの経て来た人生
は、歌舞伎で語られるものとほぼ同じだが、芝居では、美濃部伊
織と妻のるんが若いころ住んでいた家にぢいさんとばあさんが
37年ぶりに帰って来ることになっている。弟の久右衛門も亡く
なっていて、甥の宮重久弥と妻のきくが、伯父夫婦の家を守って
いたことになっている。この辺りの設定が、まさしく宇野の独創
で、まず、伯父夫婦に家を引き渡した若い甥夫婦に、別の家で。
自分たちの「新しい暮らしが始まる」と言わせる。さらに、ぢい
さんばあさんの夫婦にも、自分たちの生活が、失われた時を求め
るだけでなく、また、生い先短い「余生ではなく、生まれ変わっ
て、新しい暮らしをはじめるのだ」と言わせる、という趣向にな
る。

宇野歌舞伎で忘れてはならないのは、「曽根崎心中」である。元
禄期に近松門左衛門が作った人形浄瑠璃の原作は、後に、歌舞伎
化され、さらに、1953(昭和28)年8月の新橋演舞場で宇
野信夫によって、新脚色で上演された。二代目鴈治郎と扇雀(当
代、3代目鴈治郎)の親子によって、徳兵衛とお初が、演じられ
た。武智鉄二に育てられた扇雀が、宇野演出で、新鮮なお初を演
じて、ブームを巻き起こした。その象徴的な場面が、天満屋を抜
け出し、死出の道行に花道を行く際、お初が徳兵衛を先導すると
いう、あの有名な場面を初めて演じたのだ。それまでは、男が女
を引っ張ることはあっても、女が男を引っ張るということは、歌
舞伎では、なかったからだ。

初日の様子を二代目鴈治郎は、藝談として、次のようなことを書
いているという。天満屋の場面で、お初は、床下に潜む徳兵衛に
脚で心中の覚悟を伝える。徳兵衛も、お初の脚に触って、己の死
ぬ覚悟を伝える場面で、観客は、興奮の渦に巻き込まれる。天満
屋をふたりが逃げ出す場面では、前の方の客席から、「早く、早
く・・・」の声が聞こえるし、観客は、皆、ハンカチを眼に当て
ている。その熱気に押されて、思わず、お初が、徳兵衛の手を
引っ張って、花道を引っ込んでしまったという。藝談が、本当か
どうか知らないが、あるいは、宇野信夫が、2年前「ぢいさんば
あさん」で、「新しい暮らし」を強調したように、「曽根崎心
中」で、新しい女性像を提唱したのかもしれない。そうだとすれ
ば、宇野歌舞伎のコンセプトから発せられるメッセージは、「新
しい暮らし」への鼓舞であり、「新しい人間関係」の提唱という
ことになるのではないだろうか。そういう眼で、「ぢいさんばあ
さん」を観ると、この芝居の理解が深まる。こうしてみてくる
と、「ぢいさんばあさん」の有能な妻というイメージは、2年後
の「曽根崎心中」の新演出に多大な影響を与えているのではない
か、という推察に説得力を与えてくれる。「お初は、るんから生
まれた」と言えるのではないか。

さて、私が観た「ぢいさんばあさん」の主な配役は、次の通り。
美濃部伊織:團十郎、勘九郎)、そして、今回は、仁左衛門。
妻・るん:菊五郎は、今回含め2回目、玉三郎。團十郎の伊織
は、前半が良い。仁左衛門の伊織は、逆に、後半が良かった。勘
九郎の伊織は、人柄の良さを強調し過ぎる。3人の伊織のなかで
は、私は、仁左衛門を推賞する。菊五郎のるんは、定評がある。
玉三郎は、若いばあさんになってしまい、まだ、時期尚早。2回
見た菊五郎が、ダントツで良い。憎まれ役の甚右衛門は、左團
次、橋之助、そして、今回の團蔵だが、團蔵が、憎々しい存在感
があって、良かった。

序幕「江戸番町美濃部伊織の屋敷」では、第一子が生まれたばか
りの若い夫婦の日常が描かれる。同僚との些細な喧嘩で、怪我を
した弟の代わりに伊織が、京へ単身赴任するという。怪我をした
弟という設定は、宇野独自のものだが、後の伊織の「殺人事件」
を思えば、短気な兄弟は、いずれも、些細な喧嘩で、怪我をした
り、人生を過ったりしている。ふたりとも、気は好いが、短慮で
あり、一家を構えた主人としては、甚だ頼り無い。特に、嫌な男
だが、隣人として、それなりに付き合って来た筈で、その実績に
拠り、京での刀購入の際に借金をした同僚の甚右衛門を些細なこ
とから殺してしまう。そういう優柔不断さが、伊織にはある。器
量が足りないのだ。

二幕目の「京都鴨川口に近い料亭」の場面は、前々回は、料亭に
ある室内の座敷であったが、前回と今回は、鴨川の独特の「床」
と呼ばれる河川敷に張り出した座敷で、大きな空間に、自然の涼
味が感じられて、新鮮であった。この場面は、この方が良い。

大詰「江戸番町美濃部伊織の屋敷」では、37年後の自宅の場面
であり、家は、変わっていないものの庭の桜木は、年輪を増し、
太い木になっている。信二郎と菊之助の若夫婦が、初々しい。仁
左衛門の伊織は、「新口村」の忠兵衛の父・孫右衛門を演じる場
合同様、仁左衛門と判らないように老けて見せていた。つまり、
老爺の顔のなかに仁左衛門の顔が、滲み出てくるような化粧をし
ている。それが、自然体で、なんとも、良いのだ。菊五郎のるん
は、庭から座敷に上がるとき、草履を脱ぎ、時間を掛けて動く年
寄りらしい動作など、老いをユーモラスに演じて、さすがに巧
い。夫が、単身赴任先で人殺しをして、長期間の他家預かりに
なっている間、奥女中奉公をし、銀十枚の退職金と就寝二人扶持
という年金を貰うキャリアウーマンになっていただけに、落ち着
きのあるばあさんになっている。伊織ぢいさんも、37年前の単
身赴任に際して、妻から持たされた手づくりのお守りを肌身放さ
ず持っているという誠実振りをみせる。しっかりものの女房と誠
実だが、頼り無い夫という構図は、もっと、深い意味をみってい
そうである。それにしても、相思相愛の、しっとりした老夫婦
は、芝居も、森鴎外の原作の通りだ。森鴎外は、次のように書い
ている。

「此翁媼二人の中の好いことは無類である。近所のものは、若し
あれが若い男女であったら、どうも平気で見ていることが出来ま
いなどと云った」ほどの睦まじさとある。


5人の人間国宝、歴史に残る名舞台


「新版歌祭文 野崎村」は、1710(宝永7)年、大坂で起き
たお染・久松の情死という実話が元になっての狂言で、大店の娘
と若い使用人の心中物語という「お染・久松もの」の世界。大店
の娘と若い使用人の物語としては、それより50年ほど前の
1662(寛文2)年、姫路で起きた「お夏・清十郎もの」とい
う歌舞伎や人形浄瑠璃の先行作品があり、俗謡の「歌祭文」と
なったことから、近松半二ほかの原作は、久作に、この「歌祭
文」のことを触れさせるが故に、外題を「新版歌祭文」とする凝
りようである。左右対称の舞台装置を得意とする半二劇の典型的
な演劇空間。花道が、二つありそれが、どういう舞台空間を創造
するか、野崎村の百姓・久作の家が、廻り舞台に載って、表裏へ
と廻り込むのも見ものである。

「新版歌祭文 野崎村」は、2回目の拝見。それも、前回は、
10年前、95年12月の歌舞伎座だ。勘九郎のお光、富十郎の
久作、玉三郎のお染、藤十郎の久松、松江時代の魁春のお常。今
回は、芝翫のお光、富十郎の久作、雀右衛門のお染、鴈治郎の久
松、田之助のお常で、いずれも人間国宝。最若手が、後家役のお
常を演じる田之助で72歳、順に、久松の鴈治郎、久作の富十
郎、お光の芝翫までが、昭和生まれ、そして、お染の雀右衛門
は、大正生まれで、今夏で、85歳になる。

この芝居は、「野崎村」とあるように、軸は、野崎村に住む久作
と後妻の連れ子のお光の物語だろう。大坂の奉公先で、お店のお
金を紛失し、養父・久作の家に避難して来た久松と久松と恋仲で
久松を追って訪ねて来たお店のお嬢さん・お染、それに、お染を
追って来たお染の母・お常の3人は、いわば、お客さん。じっく
り展開を読むのなら、お光と久作に注目しなければならない。

お光は、大坂のお店をしくじって養家先に出戻って来た久松と祝
言が上がられるので嬉しい。自分の婚礼の料理を自分で作るのも
嬉しい。大根と人参を切り刻み、膾を作る途中で、包丁で指を
切ったりする様を76歳の芝翫は、科白も所作も初々しく演じ
る。巧いなあ、この人は。初々しい娘のときは、特に力が入って
いる。鏡に向かって、髪を直したり、油取りの紙を細く折り畳
み、それで眉を隠して、眉を剃り落として若妻になった様を見せ
る。「大恥ずかし」という科白も、自然に聞こえる。イヤフォン
ガイドの表紙に髪を直す芝翫のお光の写真が載っていたが、可憐
に写っているから藝の力は、恐ろしい。お染に嫉妬心を燃やして
いたお光だが、お染・久松の決心を知り、後半は、自己犠牲を覚
悟する。お光の恋敵、大坂の大店のお嬢さん・お染は、雀右衛
門。おっとり、物静かだが、烈しいものをうちに秘めている。久
松との心中も辞さないという強気が隠れている。

富十郎の久作が、本当に巧い。見どころの灸を据える場面だけで
はない、大坂弁の科白回しに、なんとも、味わいがある。お光・
久松・お染の若い3人の男女の関係をバランス良く目配りするの
は、久作の仕どころである。戦後の、若いころに苦労した、実験
的な演出に足跡を残した武智鉄二指導の、いわゆる「武智歌舞
伎」の味を込めたというが、久作の科白が、叮嚀なので、話の展
開が非常に判りやすい。文学的には、未熟といわれる「野崎村」
を演劇的には、熟成されたものに感じさせたのは、富十郎の功績
が、大であると、思う。鴈治郎の久松は、おっとりしていて、頼
り無いが、これが、上方和事の「つっころばし」の味わいなのだ
ろう。田之助のお常は、久松の嫌疑を晴らし、兎に角、原状回復
ということで、お染と久松を大坂に戻す役どころ。膝の悪い田之
助は、座り込むことが出来ないが、それを不自然に感じさせず
に、淡々と演じていた。

大道具が廻る。久作の家が、裏表を見ることができる仕掛けだ。
舟溜まりのある家。舞台に敷き詰められていた地絣を取り除く
と、下から水布が出て来る。いまなら、さしずめ、駐車場のある
家か。死を覚悟したお染・久松の恋に犠牲になり、髪を切り、尼
になったお光だが、そこは、若い娘、大坂に帰る、お染の乗る舟
と久松の乗る駕篭を見送りながら、父親に取りすがり、泣き崩れ
る。

両花道。本花道が、舟溜まりから繋がる川。仮花道が、川沿いに
延びる土手。久作の家の裏側。3ケ所で人間国宝5人の芝居が、
同時進行する。この場面、観客の眼は、サーチライトのように、
本花道、本舞台中央、仮花道と、絶えず嘗めるように顔を左右に
振りながら観なければならないから大変だ。この場面、舟は、舟
底に人が入って、操縦しているはずだが、舟溜まりでは、舟を後
ろから押す水衣(みずご)を使ったりして、憎い演出。早間の三
味線が、ツレ弾き(2連で演奏)され、「さらば、さらばも遠ざ
かる、舟と堤は隔たれど」と、賑やかに、情感を盛り上げる。

駕篭かき。歌舞伎の芝居に駕篭は好く出てくるから、駕篭かき役
者は、星の数ほどいるかもしれないが、「野崎村」の駕篭かきを
演じる役者は、天下一の駕篭かき役者だ。別れの場面を長引かせ
ようと、駕篭かきは、土手でひと休みして、汗を拭う。舟は、ト
見れば、船頭も同じように汗を拭く。俗な演出だが、ここは、天
下一の駕篭かきの場面だと思えば、腹も立たない。

狂言として、決して優れたものではない「野崎村」だが、大道
具、両花道が、舞台を救う。その上、今回は、5人の人間国宝
が、それぞれの役柄をくっきりと、過不足なく演じていて、見応
えのある舞台に仕上げてくれた。こういう舞台は、当分、観るこ
とが出来ないだろうと、思う。


妖艶なり!仁左衛門・孝太郎コンビの新工夫


「二人椀久」は、6回目。孝夫時代の仁左衛門と玉三郎のコンビ
で、3回。これは、ふたりの息も合い、華麗な舞台である。富十
郎と雀右衛門のコンビで、2回拝見している。重厚な富十郎と雀
右衛門のコンビも良いし、華麗で、綺麗な仁左衛門と玉三郎のコ
ンビも良い。どちらも、持ち味が違い、それぞれ良く、甲乙付け
難い。そして、今回は、仁左衛門、孝太郎の親子コンビで、孝太
郎は、初役の松山太夫に挑む。そして、実際に舞台を観てみる
と、仁左衛門は、仁左衛門と玉三郎のコンビで、積み重ねて来た
演出の工夫の延長線上に孝太郎を据えて、さらに、仁左衛門演出
を究極のものにしようとした節が伺える。舞台装置も化粧も衣装
も現代的でさえある。それでいて、歌舞伎の舞踊劇として成立し
ているから、おもしろい。

特に、今回は、幻想を表現する大道具の使い方が巧い。真っ暗な
場内。上手、長唄連中の載る雛壇が、薄明かりで、影が滲み出
す。置き唄が、暫く続く。やがて、本舞台中央、上部、黒幕の上
に下弦の月が浮かび上がる。薄闇。「いまは心も乱れ候」で、花
道から錯乱気味の椀久(仁左衛門)が、音もなく、登場。「末の
松山・・・」の長唄の文句通りに、舞台には、松の巨木の蔭が闇
から切り取られて来る。波音。急峻な崖の上である。明るくなる
に連れて、椀久の様子が知れて来る。総髪いとだれに紫の投げ頭
巾、黒の羽織、薄紫の地に裾に松葉や銀杏などの模様の着付け、
黒と銀の横縞の帯。閉じ込められていた座敷楼を抜け出し、愛人
の松山太夫の面影を追いながら踊り狂っているうちに、松の根元
付近で手枕で眠ってしまう。

やがて、椀久の夢枕に立つという想定の松山太夫(孝太郎)が浮
かび上がってくる。何時の間にか、月は消えている。黒幕が上が
り、紗の幕の向こう、セリに乗り、奈落から上がってきたはずの
孝太郎。それと同時に、崖の向こうの虚空に、あるはずのない満
開の桜の木々が浮かび上がる。舞台上部から大きな桜の吊り枝も
降りてきた。それが、いずれも、ほぼ同時に浮かび上がる演出が
巧い(いずれも、やがて、夢から覚めるときには、逆の方法で、
消えて行くことになる)。松は、現実。桜は、夢のなか、幻想。
その対比を印象深く見せる。ここでも桜の散り花が、効果的。

孝太郎の化粧が、妖艶だ。受け口の、決して美女とは言えないは
ずの孝太郎が、いつもより、妖しく、エロチックだ。元禄勝山の
髷、銀鼠色の地に松の縫い取りのある打ち掛け、クリームがかっ
た白地に金銀の箔を置いた着付け、赤い地の絞りの帯も、艶やか
だ。仁左衛門と孝太郎の、それぞれの所作は、さすが、親子で、
息は合っている。しかし、孝太郎の踊りは、玉三郎のときのよう
には、指の先まで仁左衛門と揃ってはいない。

背中を向けあい、斜めに向けあいする、歌舞伎の舞踊の情愛の踊
り。逆説のセクシャリズム。ふたりの所作は、廓の色模様を再現
する。松山太夫の着付けの赤い裏地と赤い帯が、官能を滲ませ
る。それは、濃厚なラブシーンそのもの。恋の情炎。「官能」と
は、こういうもののことを言う。早間のリズムに乗って、軽やか
に踊るふたり。椀久が手に持つ扇子を良く観れば、表は、銀地に
下弦の月、裏は、青地に桜模様。まさに、幻想の舞台装置で描く
「夢」と「現(うつつ)」が、そのまま、扇子のなかの「小宇
宙」となっているではないか。

いつの間にか、消えている桜木。紗の幕の向うに入り、やがて、
セリ下がる孝太郎。桜の吊り枝も舞台上部に引き揚げられる。幻
想の消滅。舞台には、「保名」のように、倒れ伏す椀久。廓の賑
わいは、空耳。寒々しい崖の上、松籟ばかりが聞こえるよう。仁
左衛門と孝太郎の充実の舞台であった。3月の歌舞伎座、夜の部
の「保名」をひとりで踊る仁左衛門は、「二人椀久」の実験の上
に、さらに工夫を重ねて、幻想的な舞台を見せてくれるのではな
いか、という予感が沸いて来る。

贅言:3日からの歌舞伎座は、「十八代目勘三郎襲名披露興行」
の舞台が始まる。3ヶ月のロングラン。七之助は、結局、起訴猶
予処分になったが、3月の舞台は、残念ながら謹慎休演。昼の部
の「猿若江戸の初櫓」の「出雲の阿国」役は、福助。夜の部の
「鰯売戀曳網」の「傾城錦木」役は、上村吉弥。それぞれが、代
役を勤める。
- 2005年3月1日(火) 22:41:31
2005年2月・歌舞伎座 (昼/「番町皿屋敷」「義経腰越状 
五斗三番叟」「隅田川」「神楽諷雲井曲毬 どんつく」


人気の昼の部、見応えの夜の部


歌舞伎座、2月の昼の部は、人気が先行していて、私が観たの
は、最終の日曜日とあって混雑していた。当日券があるものの、
ほぼ満席のようであった。人気の目当ては、先代の三津五郎の七
回忌追善と銘打った「神楽諷雲井曲毬 どんつく」のようだ。私
も初見の演目なので、期待をしながら、まあ、舞台の順番通りに
劇評を書いて行こう。


お菊の非常識、十太夫の常識・播磨の非常識、奴権次の常識


最初の「番町皿屋敷」は、3回目。青山播磨:團十郎、三津五
郎、そして今回は、梅玉。腰元・お菊:福助(2)、今回は、時
蔵。岡本綺堂作の新歌舞伎は、「湯殿の幡随院長兵衛」の話の続
きという体裁だ。水野の旗本奴と長兵衛の町奴の対立という基本
構造を踏まえ、水野の「白柄組」に所属する旗本・青山播磨と町
奴の放駒四郎兵衛らが、第一場「麹町山王下」では、あわや喧嘩
になりそうになる。それをとめるのが、播磨の伯母・真弓(東
蔵)だが、これまで私が観た芝翫、田之助に比べると、貫禄が足
りない。

そういう喧嘩ぱやい、あるいは、喧嘩好きの青山播磨と腰元お菊
の純愛物語。お互いの純愛の果ての狂気が、悲劇を生む。喧嘩と
純愛、そして、悲劇の果てに喧嘩場へ飛び出して行く青山播磨
の、突出した場面が、第二場、「番町青山家」。純愛を自負する
男の器量が試された挙げ句、切れてしまう播磨。

「家宝の皿より、私が大事と播磨に言わせられるかどうか」。そ
んな女心は、純な愛で胸がいっぱいなのだろう。迷いに迷った挙
げ句、皿を座敷きの柱にぶつけて割ってしまうお菊(時蔵)。岡
本綺堂の科白劇は、近代劇なら心理描写すべきところを独白の科
白で長々と心理を説明する。この場面、無言で、殆ど科白なし
で、所作で演じても、観客には、お菊の心理は、手に取るように
判ると思うが、如何だろうか。

帰ってきた播磨は、皿を割ったことを「粗相か」と聞くだけで、
優しく、お菊を許す。愛する女ゆえに、女の非常識を許すという
心の広さを見せる播磨だが、お菊が皿を割るところを見てしまっ
た同僚のお仙(扇雀)から知らせを受けた常識人の用人十太夫
(弥十郎)に、真実を知らされ、それをお菊が追認すると逆上し
てしまう。自分のお菊に対する純愛を疑われたことが判り、逆上
するのだ。第二場で、重要な傍役を勤める弥十郎が、良い。この
場面のメリハリは、力一杯熱演する播磨の梅玉でもなければ、表
情が乏しく、鬱の気さえ感じさせるお菊の時蔵でもなく、弥十郎
の十太夫が、付けていると思う。

男の誠を疑った女が罪なのか。お菊の、世迷いごとに基づく「愚
かな行為」を、「可愛い」と思うか、男の誠を疑われた無念さゆ
えに「憎さ」を増長させるか。精神の危機管理ができるかどう
か。男・播磨の器量が問われる場面だ。逆上して、非常識になっ
てしまっている播磨を諭すのは、もうひとりの常識人、奴権次
(亀蔵)である。

このあたりの演技は、團十郎も、巧かったが、梅玉も巧い。梅玉
は、一旦逆上すると、止(とど)めが効かなくなる、そういう男
たちを描くのが巧い。梅玉が、播磨を当り役としているのは、そ
ういう点だろう。

己の命を掛けて、男の真情を理解し、喜んで殺されるお菊は、ま
さに、喜悦のなかで死んで行ったと思う。「至福の非常識」が、
お菊にはある。そういう心理造型が、今回の時蔵は、弱かったよ
うに思う。先の「鳴神」では、雲の絶間姫で、セクシャルな恍惚
感を過不足なく演じて、新境地を開いたかに見えた時蔵だけに期
待外れであった。用人十太夫と奴権次というふたりの常識人は、
まさに、「俗世間の常識」なのだが、このふたりを配すること
で、お菊の非常識と播磨の非常識の相乗効果によって熟成され
る、死に至る「究極の純愛物語」が、ここに成立することにな
る。

お菊が、割った皿を片付けるために、包み込み、その皿を井戸に
投げ捨てる際や最後に播磨に斬り殺される際に、口にくわえたま
まとなる朱色の袱紗はの使用は、初演の市川松蔦の工夫だという
が、今回は、何故か、従来の朱ではなく、橙色の布を使っていた
のは、どういうわけだろうか。特に、斬り殺される場面では、あ
れは、お菊の口から流れる血を連想させるだけに朱の方が良くは
ないか。

贅言:長兵衛率いる町奴一派の放駒四郎兵衛(我當)の子分のひ
とり聖天万蔵(亀三郎)は、科白回しで「さむらい」と発音した
ので違和感を感じたら、さすが、我當は、その後の場面で、「さ
むれい」と発音したので、安心した。ここは、「さむれい」と発
音すべき場面だろう。


軽るみの魅力・吉右衛門


「五斗三番叟」は、4回目の拝見。目貫師・五斗兵衛:團十郎
(2)、富十郎、そして、今回は、初役の吉右衛門。この演目の
見どころは、物語の筋や登場人物の関係よりも、酒好きの五斗兵
衛の、いかにも酒好きらしさと酒を飲み始めてからの、酔いの深
まりをどう観客に納得させる演技をするかにかかっている。何回
か、書いたように、この場面の酔いっぷりは、團十郎の演技が当
代随一だろうと思うが、今回の吉右衛門は、軽やかさ自由闊達さ
が感じられ、おもしろく拝見した。「目貫(めぬき・刀の柄を飾
る金属製の装飾品)の講釈」という仕方噺をする目貫師を演じる
吉右衛門の眼が、とぼけて、飄々としている。特に、竹田奴たち
とのユーモラスな立回りでは、煙草入れを剣先烏帽子に見立て、
肩衣を素袍に見立てて、三番叟を舞い、舞い納めた後は、角樽を
馬の頭に見立て、奴の騎馬に跨がって、悠々と花道を引き上げる
場面では、もう、初役もなんのその、場内は、すっかり、吉右衛
門ワールドになってしまっている。

このほか、頼朝と不和になった後、遊興に耽る義経に三津五郎、
さばき役の泉三郎に左團次、雀踊りの奴たちに混じって登場し、
「ゴト−(五斗)を待ちながら」、前半を盛り上げる色若衆の亀
井六郎に松緑、実悪の兄・錦戸太郎に歌六、赤っ面の弟・伊達次
郎に歌昇という実の兄弟役者。時代の科白で五斗兵衛に迫るの
に、吉右衛門から、世話の科白で、「太郎さん、次郎さん」と軽
く受けられてしまうおもしろさ。

「義経記」の世界だが、本当は、大坂・夏の陣の際の豊臣家が舞
台で、五斗兵衛=後藤又兵衛、義経=秀頼、頼朝=家康、泉三郎
=真田幸村、錦戸太郎と伊達次郎の兄弟=大野父子、亀井六郎=
木村重成。

贅言:竹田奴との立回りの場面で、相撲見立てもあり、奴のひと
りが、高見盛の、例の、己に渇を入れる所作を真似ていたが、あ
まり、観客席は、受けていなかったようだ。「見立て」と「物真
似」の違いだろうか。なかなか、難しいものだ。紙相撲、奴凧の
見立てもあった。


母の情は、海よりも深し


「隅田川」。まず、置き浄瑠璃。延寿太夫を軸にした清元。澄ん
だ男性の声が、江戸情緒を掻き立てる。「隅田川」は、海よりも
深い母の情愛がテーマ。「梅若伝説」(隅田川という土地に根を
生やした幼子受難の伝説)をもとにした能のなかでも大曲であ
る。人買いにさらわれて、京から東国の隅田川まできて、病に侵
されて、12歳で死亡した梅若。地元の人たちは、塚を作って梅
若を葬ってくれた。丁度、1年後、梅若の命日に、息子をさがし
て隅田川を訪れた母・班女の前(鴈治郎)は、すでに、狂気の人
であった。地元の人を代表して舟人(梅玉)が狂気の母に良くし
てくれる。この演目は、母の情愛とそれを見つめる舟人の感情
を、ふたりの演者が、どう演じるかがポイントだ。私は、3回目
の拝見。班女の前:雀右衛門(2)、今回は、鴈治郎。舟人:富
十郎、梅玉は、今回も含めて2回目。鴈治郎も、母親役を演じれ
ば、定評があるが、やはり、きちんと母の情愛を出してくれるの
は、雀右衛門ということになり、今回の鴈治郎も、一寸、物足り
なかった。舟人は、梅玉より、富十郎。息子を思う余りに狂気の
世界に入り込んだ母親に対する同情を過不足なく表現している。
富十郎に比べると、梅玉には、なにかが足りない。

「去年の弥生に(略)習わぬ旅の労(つか)れにや ひと足だに
も歩めじと この川岸にひれ伏しを 情知らぬ人買いは 幼き者
を路次に捨て」と、舟に乗って現れた舟人が仕方話で説明する。
泣き崩れる班女の前。舟人は彼女を舟に乗せ、梅若の塚に案内す
る。上手は、松の木、下手は、薄い色の花弁が満開の桜木。背景
など、青を主体とした現代的で、スマートな雰囲気で、まさに
「青の世界」で斬新で、幻想的な気分を盛り上げる。舟は動かさ
ずに、書き割りが、下手へ移動することで、舟は、動いているよ
うに見えながらも、いつも、舞台中央にある。歌舞伎の大道具方
の工夫魂胆。舟の後ろに控える黒衣ならぬ水衣(みずご)の水色
の衣装。これも、立派に背景になっている。

藤舎名生の笛が、良い。歌舞伎の笛には、魔性が宿る。何回も鳴
る時の鐘とともに、母親の狂気と情愛の狭間を、これでもか、こ
れでもか、という感じで詰め寄る。


科白付きの「だんまり」か


初見の「どんつく」(前回は、03年8月の歌舞伎座。納涼歌舞
伎の第三部で上演しているが、第三部は、都合に拠り、私は、拝
見しなかった)は、三津五郎の持ちネタ。定式幕が引かれると、
浅葱幕が、舞台を隠している。勢揃いの役者衆の登場をいっぺん
で見せようという趣向。舞台は、亀戸天神の境内。

今回は、先代の三津五郎七回忌追善興行で、三津五郎を軸に菊五
郎、仁左衛門、左團次、時蔵、魁春、松緑、翫雀、菊之助、秀
調、弥十郎、そして、三津五郎の息子の巳之助という顔ぶれ。昼
の部の切りで、顔見せ、勢揃い、いわば、科白のある「だんま
り」の趣向と観た。まあ、そういう趣向が先走りした演目で、
思ったほど、おもしろい演目では無いが、なぜか、昼の部の目玉
がこれで、人気の源泉となっている(前回は、人気の「野田版鼠
小僧」と同時上演だったので、その所為か)。

「どんつく」とは、鈍な男、太鼓の擬音で、「どん」と「つ
く」。大道芸の「太神楽」が、披露される。菊五郎が、器用に太
神楽の親方を演じていた。「どんつく」を演じる三津五郎の踊り
は、安定している。白酒売の魁春、太鼓持の松緑、翫雀、太鼓打
ちの秀調、大工の仁左衛門、芸者の時蔵、門礼者の左團次、町娘
の菊之助、田舎侍の弥十郎、子守の巳之助。陽気で、賑やかで、
滑稽な風俗舞踊。
- 2005年2月22日(火) 22:53:41
2005年1月・歌舞伎座 (夜/「鳴神」「土蜘」「新皿屋舗
月雨暈−魚屋宗五郎−」)

「高僧 VS 女スパイの色仕掛け−鳴神−」

「鳴神」は、2回目の拝見。毎年のように、あちこちの芝居小屋
で演じられる演目だが、歌舞伎座での上演は、8年振り。前回
は、97年9月であった。鳴神上人は、團十郎が演じ、雲の絶間
姫は、芝翫が演じた。私が観た生の舞台は、これだけなのに、印
象が強烈に残っている。以前運営していた「大原雄の歌舞伎寺子
屋」という市民講座(1年半開催)で、講座生たちとビデオの映
像を観ながら、いろいろ解説をしたので、何度も、観たような気
がしていたが、今回を含めて、わずか、2回ということで、従っ
て、この「遠眼鏡戯場観察」には、初登場という演目だ。拙著
「ゆるりと江戸へ −−遠眼鏡戯場観察(かぶきうおっちんぐ)
−−」には、出て来る。

歌舞伎十八番は、甲府の歌舞伎常打ちの小屋「亀屋座」に何回も
出演したことのある市川團十郎家の七代目が、江戸歌舞伎の祖と
いわれた初代から荒事で当たった家の藝として制定した18の演
目であり、「鳴神」は、そのひとつである。18の演目のうち、
初代が得意としたものは、6つあり、「鳴神」「暫」、「勧進
帳」は、特に、いまも繰り返し上演されている(6つのうち、
「不破」「象引」「嫐(うわなり)」など、ほとんど演じられな
いものもある)。それだけに、今回、2回目というのは、我なが
ら意外であった。

今回は、三津五郎の鳴神上人と時蔵の雲の絶間姫であった。風格
のある高僧が、女性の色香に迷い、堕落する鳴神上人は、三津五
郎も悪く無い出来であったと、思うが、團十郎の鳴神上人の、い
わば「破戒後」(遅ればせの「性の目覚め」)の、男の色気の演
技は、團十郎の方が、印象的であった。一方、雲の絶間姫は、芝
翫が、重厚さを滲ませた品位のある赤姫を定式通りに演じたのに
対して、今回の時蔵は、美形、色気、品位とも十二分に発揮し、
出色の出来であったので、三津五郎の印象が弱まったかもしれな
い。特に、時蔵は、法力で雨を降らせ無くしている鳴神上人の力
を自分の色香で迷わせ、無力にさせ、雨を降らせようと女スパイ
さながらに、上人に近付き、己の肉体を武器にして、闘う。その
際の、雲の絶間姫の喜悦の表情は、これまでのどの役者よりも、
迫真力があった。これは、凄い場面になったと、思う。なぜ、こ
ういうことが起きたかと言うと、次のようなベクトルが働く。

1)高僧の風格 ⇒ 色香への迷い ⇒ 堕落僧の自暴自棄

2)若い未亡人の品格 ⇒ 扇情的なテクニック ⇒ 冷徹な目
的達成

修行に明け暮れ法力を身につけ、戒壇建立を条件に天皇の後継争
いで、今上(きんじょう)天皇(女帝となるはずの女性を「変成
男子(へんじょうなんし)の法で男性にした)の誕生を実現させ
たのにも関わらず、君子豹変すとばかりに約束を反古にされ、朝
廷に恨みを持つエリート鳴神上人。幼いころからのエリートは、
勉強ばかりしていて、頭でっかち。青春も謳歌せずに、修行に励
んで来たので、高僧に上り詰めたにもかかわらず、いまだ、女体
を知らない。童貞である。また、権力を握ったものは、それ以前
の約束を無視する。権力者は、嘘を付く。どこでも、どこの時代
でも、同じらしい。まして、無菌状態で、生きて来たような人
は、ころっと、騙される。歌舞伎は、さすが、400年の庶民の
知恵の宝庫だけに、人間がやりそうなことは、みな、出て来る。

先帝から皇位を引き継げなかった王子は、上人の恨みを利用し
て、竜神(「八大竜王雨止めたまえ」−−源実朝)を滝壷に閉じ
込めて、天下に日照りをもたらしていた。お陰で、政争と関係な
い庶民が、旱魃で苦しむことになる。また、政治には、蔭に仕掛
人が存在するものだ。

勅命で上人の力を封じ込め、雨を降らせようとやってきたのが、
朝廷方の女スパイ(大内第一の美女という)で、性のテクニック
を知り尽した若き元人妻・雲の絶間姫という、いわば熟れ盛りの
熟女登場というわけだ。朝廷方の策士が、鳴神上人の素性を調
べ、「童貞」を看破、女色に弱いエリートと目星を付けた上での
作戦だろう。

だから、鳴神上人のベクトルのうち、「色香への迷い」と雲の絶
間姫のベクトルのうち、「扇情的なテクニック」とは、クロスす
る。修行の場の壇上から落ちる鳴神上人。この芝居では、壇上か
らの落ち方が、いちばん難しいらしい(ここで、上人役者は、精
神的な堕落を表現するという)。上人は、自ら、姫を誘って、酒
を呑む。酩酊を見抜かれ、「つかえ」(「癪」という胸の苦し
み)の症状が起きたとして偽の病を装う雲の絶間姫。生まれて初
めて女体に触れるという鳴神上人の手を己のふくよかな胸へ入れ
させるなど、打々発止の、火花を散らした挙げ句、見事、喜悦の
表情に表現された雲の絶間姫の熟れた肉体が勝ちを占める。

「あじなもの」「何やらやわらかなくくり枕のようなもの」「先
に小さな把手のようなもの」に触れさせた雲の絶間姫。

「ありゃなんじゃ」という鳴神上人。

「ありゃ乳でござんすわいな」「コレが乳」

情慾に初めて目覚めた男は、上人であれ、庶民であれ、熟れた女
体に抵抗などできないだろう。危惧したように、上人の手は、熟
れた女体を下へ下へと滑って行く。「ほぞ(臍)」「丹田(たん
でん・臍の下、下腹部)」、その下の「極楽浄土」というわけ
で、とうとう姫の女性器まで触ってしまった上人である。目を瞑
り、喜悦、恍惚の表情を深める時蔵は、もう、女形では無い。熟
れた女体を武器に闘う女スパイそのものである。そこにあるの
は、女体そのものである。時蔵は、三津五郎を騙しただけでは無
い。歌舞伎座の観客席を埋めた人々を、みな、騙した。荒事の舞
台は、とんだ、濡れ場になった。その後、沛然と雨が降るだけ
に、まさに、濡れ場だ。元禄時代の台本だが、テーマは、普遍的
で、現在も通用する。同じような手口に、いまも引っ掛かる人は
多いだろう。

荒事だけに、音楽も「大薩摩」。役者が、長い立ち姿を持続する
ときに使う「合引(あいびき)」(腰掛)にも、女形用の赤い小
さな蒲団が付いている。花道に立つ時蔵が、座る合引。後見が、
後ろから合引を支え持っている。花道の七三だけに、本舞台な
ら、役者の後ろになり、観客席からは、見えにくい合引の赤い蒲
団が、瞬間的に見えた。荒事のなかの、赤い点景。

まんまんと、鳴神上人の法力を破り、滝壷に閉じ込められていた
竜神を救い出し、雨を降らせた雲の絶間姫は、職務に忠実で、有
能なスパイらしく、所期の目的完遂後、素早く、姿を消してしま
う。まさに、雲の絶間がないように、雨を降らせて、逐電だ。破
戒後、法力も破られた鳴神上人は、ぶっ返りで、本性を顕わし
(ということは、付け焼き刃のエリートだったのだろう)、思い
を掛けた女性に裏切られ、逃げられたので、もう、やけくそ。怒
りまくり、暴れまくる。エリートほど、破局には、弱い。破戒僧
は、「生きながら鳴るいかずち」となり、まさに、鳴神⇒神鳴=
雷というわけだ。全国まで、姫を追って行く覚悟らしい。万一、
望み通りに、姫を見つけたとしても、相手の格が上でしょうね。
また、弄ばれるだけ。それも知らずに、エリートの頭でっかち
は、白地に火焔が燃える衣装のまま、東西南北、奔走する覚悟ら
しい。

「柱巻きの大見得」「後向きの見得」「不動の見得」など、怒り
まくり、暴れまくる様を、数々の様式美にまで昇華させた歌舞伎
の美学。最後は、花道での飛び六法(大三重の送り)。荒事の決
まり技の数々を披露するサービス振り。良くできた演目だ。

このほか、所化の白雲坊(秀調)、黒雲坊(桂三)は、軽妙。竜
神を封じ込めた滝壷の前に立つ不審な女性(雲の絶間姫)を見つ
けた際に、確かめに行けと言う鳴神上人とのやりとり。その際
に、ふたりの所化は、「ずぼんぼえ、ずぼんぼえ」と言いなが
ら、踊る摩訶不思議。荒唐無稽な、荒事の稚気の表れか。

「『後見』入門−土蜘−」

「新古演劇十種のうち 土蜘」は、3回目の拝見。「新古演劇十
種」とは、五代目菊五郎が、尾上家の得意な演目10種を集めた
もの。團十郎家の「歌舞伎十八番」と同じ趣旨。この演目は、日
本六十余州を魔界に変えようという悪魔・土蜘対王城の警護の責
任者・源頼光とのバトルという、なにやら、コンピューターゲー
ムや漫画にありそうな、現代的な、それでいて荒唐無稽なテーマ
の荒事劇。「凄み」が、キーポイント。主役の僧智籌(ちちゅ
う)、実は、土蜘の精は、孝夫時代の仁左衛門、團十郎と観て、
今回が、吉右衛門。

能の「土蜘」をベースに明治期の黙阿弥が、五代目菊五郎のため
に作った舞踊劇。僧智籌(ちちゅう)、実は、土蜘の精は、3人
の役者で観たわけだが、いずれも、見応えがあり、勿論、今回の
吉右衛門も素晴しかった。

今回は、花道の近くの席で拝見したが、花道のフットライトも付
けずに、音も無く、すぐ横を通り抜けた吉右衛門・僧智籌の出の
不気味さ。できるだけ、観客に気づかれずに、花道七三まで行か
ねばならない。後半、引き回(蜘蛛の巣の張った古塚を擬してい
る)から、茶の隈取りをした土蜘の精になって出て来てからの吉
右衛門の眼や声の凄かったこと。まさに、人間離れをした土蜘蛛
の眼や声であったと、思う。凄まじい迫力。千筋の糸を何回も何
回もまき散らす土蜘の精。頼光の四天王や軍兵との立ち回り。歌
舞伎美溢れる古怪で、豪快な立回りである。

気品あり、見事な源頼光(芝翫)、侍女・胡蝶(福助)、太刀
持・音若(児太郎)と、神谷町ファミリー3代の出演。3人の後
見のうち、芝翫サポートを軸にした後見は、芝のぶ。爽やかな女
形の名題役者・芝のぶの素顔を初めて観た。彼の動きを追ってい
ると、普通は、顔を良く知らないために見落としがちな後見の役
割分担が良く判った。今回は、ほかのふたりの後見が、吉右衛門
の弟子の吉三郎、吉五郎であった。例えば、芝のぶは、最初は、
もっぱら師匠の芝翫の動きを注視しながらサポートをしていた。
吉右衛門と芝翫のやりとりでは、吉三郎、吉五郎らと連係しなが
ら、それぞれの師匠をサポートをする。やりとりが済むと僧智籌
のまま、土蜘の精を暗示するように、口の避けた土蜘蛛を表現す
るために使われた吉右衛門の数珠を芝のぶが片付けた。さらに、
芝翫の頼光が、乗っていた大きくて、重い「二畳台」を吉右衛門
側の後見と一緒に片付けた。いわば、「後見入門」として、芝の
ぶの動きを注視したことになる。

このほか、独武者(ひとりむしゃ)保昌(段四郎)、番卒(歌
六、歌昇、高麗蔵)、四天王(桂三、由次郎、宗之助、吉之助)
など。主役、傍役、後見など、皆で、集団演劇らしい緊密感溢れ
た舞台を作り上げ、完成度の高い、充実の時間が流れた。見応え
があった。

「魚宗の憂鬱」

「新皿屋舗月雨暈−魚屋宗五郎−」は、5回目。この芝居、黙阿
弥の原作は、怪談の「皿屋敷」をベースに酒乱の殿の、御乱心
と、殿に斬り殺された腰元の兄の酒乱という、いわば「酒乱の二
重性」が、モチーフだった五代目菊五郎に頼まれて、黙阿弥は、
そういう芝居を書いたのだが、現在、上演されるのは、殿様の酒
乱の場面が描かれないため、妹を殺され、殿様の屋敷に殴り込み
を掛けた酒乱の宗五郎だけの物語となっている。また、妹・お蔦
と兄・宗五郎のふた役を五代目菊五郎は、演じた。殿様を狂わせ
るほどの美女と酒乱の魚屋のふた役の早替り、それが、五代目の
趣向でもあった。そういう、作者や初演者の趣向、工夫魂胆を殺
ぎ落とせば、殺ぎ落とすほど、芝居は、つまらなくなりはしない
か。演目数が、少なくなっても良いから、原作、あるいは、初演
者のおもしろい趣向を大事にするような興行をして欲しい。

「磯部屋敷」の場面、前半の「玄関の場」での、殴りこみのおも
しろさと後半の「庭先の場」、酔いが醒めた後の、殿様の陳謝と
慰労金で、めでたしめでたしという紋切り型の結末は、なんとも
ドラマとしては、弱い。素面に戻った宗五郎が、トラブルを悔
い、また、殿様が、それを許すという、腰の砕けたような、納得
しにくい、あまり良い幕切れではない芝居に変質してしまってい
るのが、残念だと、観る度に思う。まさに、私の「魚宗の憂鬱」
は、芝居のようには、晴れない。妹を理不尽に殺された兄の悔し
さは、時空を越えて、現代にも共感を呼ぶ筈だ。なんとか、原作
を活かした形で、再演できないものか。

今回の宗五郎は、幸四郎であり、昼の部同様に、初役の幸四郎の
生世話もの向きではない演技が、興を殺ぐ。特に、己の酒乱を承
知していて、酒を断ちっていた宗五郎が、妹のお蔦の惨殺を知
り、悔やみに来た妹の同輩の腰元・おなぎ(高麗蔵)が、持参し
た酒桶を家族の妨害を無視して全て飲み干し、すっかりでき上
がって、酒乱となった勢いで殿様の屋敷へ一人殴り込みを掛けに
行くまでの序幕「宗五郎内の場」では、演技としての酒乱が目に
付いて、リアリティが弱い。ここは、「酒乱の進行」が、見せ場
の場面だ。

宗五郎は、次第次第に深まって行く酔いを見せなければならな
い。妹の遺体と対面し、寺から戻って来た宗五郎にお茶を出す。
お茶の茶碗が、次の展開の伏線となるので、要注意。まず、この
茶碗で、酒を呑む。禁酒している宗五郎は、供養になるからと勧
められても、最初は、酒を呑まない。やがて、1杯だけと断っ
て、茶碗酒をはじめる。それが、2杯になり、3杯になる。反対
されるようになる。酒を注ぐ、「片口」という大きな器になる。
妨害されるようになる。それでも、呑み続ける。やがて、眼を盗
んで、酒桶そのものから直接呑むようになる。そして、全てを呑
み尽してしまう。

私が観た宗五郎:團十郎、勘九郎、菊五郎、三津五郎、今回の幸
四郎で、5人の宗五郎を観たことになる。それぞれ、持ち味の違
う宗五郎を観たわけだ。

菊五郎は、こういう役が巧い。團十郎も巧い。三津五郎も負けて
いない。だが、幸四郎は、負けている。この場面は、酒飲みの動
作が、早間の三味線と連動しなければならない。幸四郎は、糸に
乗るのが、巧くない。そこが、踊りの巧い菊五郎や三津五郎との
違いではないか。また、昼の部同様に、科白は、世話で、なかに
は、笑わせる科白もあるのだが、やはり、眼が時代になってい
る。笑いの科白もあるが、それを言う役者幸四郎の眼は、笑って
いない。

宗五郎の酔いを際立たせるのは、宗五郎役者の演技だけでは駄目
だ。脇役を含め演技と音楽が連携しているのが求められる。ここ
では、時蔵の演じる女房・おはま、芦燕の演じる父親太兵衛は、
味を出しているが、染五郎の演じる小奴・三吉が、もうひとつ。
前回、04年5月、歌舞伎座で観たときの松緑の三吉は、特に良
かった。剽軽な小奴の味が、松緑にはあった。染五郎は、こうい
う剽軽な役は、苦手では無いはずだ。それだけに、残念。
時蔵は、「鳴神」の、雲の絶間姫のエロスとは、違って、庶民の
女房の味だ。生活の匂いを感じさせる地味な化粧。奔放な性愛の
喜悦の表情を表現した姫の片鱗も無いという、見事さ。少し前ま
で、いつも、何を演じても、「時蔵」という感じだったのが、大
脱皮。苦言を呈し続けたファンとしては、本当に、嬉しい限りだ
(中学生の昔から、萬屋ファンの息子に脱帽)。この場面は、出
演者のチームプレーが、巧く行けば、宗五郎の酔いの哀しみと深
まりを観客にくっきりと見せられる筈だ。
 
- 2005年1月29日(土) 21:16:58
2005年1月・歌舞伎座 (昼/「松廼寿操三番叟」「梶原平
三誉石切」「盲長屋梅加賀鳶」「女伊達」)

「糸が見えるか、人間が見えるか−操三番叟−」

「松廼寿操三番叟」は、5回目の拝見。役者が、操り人形を演
じ、人形を吊す見えない糸が、観客に見えるようになるかどうか
が、ポイント。あくまでも、役者が踊っているようにしか見えな
ければ、藝が未熟と言うことになる。ここに、この演目の面目が
ある。人形を演じるのは、染五郎が、今回を含め3回目。ほか
に、右近、歌昇。人形を操る後見は、今回が、猿弥で、ほかが、
玉太郎、段治郎、信二郎、高麗蔵。

こうして私が観た「操三番叟」の配役を見ても判るように、染五
郎が演じることが多い。

前回(03年3月、歌舞伎座)の劇評で、私は次のように書いて
いる。

「この演目で、肝心なのは、人形を演じる役者の頭、手先、足先
の動きだろう。頭は、重心が、糸で吊り下げられているように見
えなければならない。手先、足先は、力が入っては行けない。糸
がもつれたり、重心が狂い、片足たちで、クルクル廻ったりした
あげく、人形は倒れてしまう。自力では、制御不能の人形が見え
てこなければならない。後見は、逆に人間らしく、動き、人形を
支える。両者の一体感が無いと駄目である。花形の役者たちが演
じる演目だが、なかなか、理想的な舞台を観ることが難しい染五
郎は、外題(「松寿操り三番叟」ー−注)まで、自分のものに決
めて、熱心に取り組んでいるようだが、私の目には、まだ、糸が
見えてこない。三代目延若が、数多く演じ、その舞台を観た染五
郎が、人形ぶりに魅せられたというが、染五郎のさらなる精進を
期待したい」

前回から、2年経ったわけだが、今回も、上の批評は、変わらな
い。染五郎は、テキパキしたメリハリの効いた動きをするが、人
間が、時々見えてしまう。つまり、人形と人間の間を揺れてい
る。顔のつくりも、良くない。人形を意識し過ぎた化粧になって
しまっている。歌舞伎座の正月の序幕は初めてということで、張
り切った染五郎だったろうが、狙ったはずの「おおらかさ」「洒
落っ気」を感じさせるためには、もう、一工夫欲しいところ。正
月の歌舞伎座の舞台にいの一番に出て来る翁を演じた歌六は、出
て来て舞台中央に立ちお辞儀をする前の目線を歌舞伎座の天井奥
に向けていた。そこに、歌舞伎の神様がいるのだろう。千歳を初
めて演じた高麗蔵は、背筋を真直ぐ伸ばしていて気持ちが良い。
後見の猿弥は、きりりとしている。

「得意満面、吉右衛門梶原」

「梶原平三誉石切」こと、「石切梶原」は、9回目。この演目
も、良く上演される。私が見た梶原平三役者は、5人。富十郎
(2)、吉右衛門(今回含め、2)、仁左衛門(2)、團十郎
(同じ月の舞台を2回観ている)、幸四郎。

名刀の目利きを頼まれて、頼み主を、結果的に騙して、名刀を手
に入れるという話だが、ストーリーより、場面場面のメリハリ、
見栄えが勝負の演目だろうと、思う。従って、颯爽とした裁き役
の「石切梶原」だが、内面的には、一筋縄で行かない男だ。以前
から書いているが、「石切梶原」で梶原平三を演じる役者は、そ
れを底に潜ませて複雑な人間である「人間梶原」を演じるか、颯
爽とした外面を重点に、梶原より、役者としての、「裁き役と
は、こう描くのだ」と、己の藝を優先させて演じるかで、梶原平
三の描き方が、変わって来る。

これまで観たところでは、人間梶原を演じたのは、富十郎。見せ
場ごとに外面から颯爽と描いたのは、仁左衛門が優れていた。も
ともと大味な芝居なので、仁左衛門のように外面(つまり、型を
重視する)にこだわる演技が、いちばん正解かとも思う。今回の
吉右衛門も、このタイプだが仁左衛門より、内面(心理描写)も
滲ませる。策略家、あるいは、知将のように感じさせたのは、團
十郎。吉右衛門は、2回目だが、前回よりも、かなり愉しそうに
演じていたと思う。吉右衛門は、「私の梶原は、こりゃ、どう
じゃ」という役者の心理が透けて見えるように、振れの無い安定
した演技で、気持ち良さそうな科白廻しといい、得意満面の吉右
衛門という感じだった。それが、抵抗感なく、観客の側に、す
うっと入って来る。本人が、愉しみながら演じているからだろ
う。こちらも、愉しくなる。気持ちの良い舞台だった。

刀の目利きを頼みながら、まんまと騙され、名刀を梶原の手に渡
してしまう兄の大庭三郎(左團次)と弟の俣野五郎(歌昇)は、
前回(私が観たのは、03年11月、歌舞伎座)と同じ配役。大
庭は、意外と存在感が無い。俣野に喰われてしまう。梶原方に対
抗して、憎まれ役の赤面(あかっつら)として、対照的な役割を
果たすのは、大庭三郎より、俣野五郎という訳だ。今回の歌昇の
五郎も、前回同様、巧かった。「黙れ、親爺」「命がのうても、
金が欲しいか」などの、憎まれ口の科白も良い。梶原を颯爽と見
せるためには、五郎の憎々しさ、人間としての単純さが、際立た
なければならない。「颯爽」と「単純さ」の対比が、観客に判り
やすく演じる必要がある。そういう意味で、重要な傍役である。

もうひと組、重要な傍役がいる。名刀「八幡」を大庭に三郎に売
りに来た六郎太夫と梢の親子だ。今回の六郎太夫を演じた段四郎
は、病後のやつれが、事情があって刀を売りに来た青貝師(青貝
は、螺鈿細工の材料だから、螺鈿の細工師のことか)の生活のや
つれと重なっていて、良かった。私が観た六郎太夫では、ほか
に、幸右衛門、又五郎、左團次が、それぞれ1回。そのほかの5
回は、すべて、坂東吉弥であり、もう、六郎太夫は、吉弥が極め
付けの巧さだと思うが、吉弥も去年の夏に亡くなってしまい、も
う、舞台で観ることができない。残念だ。だれが、六郎太夫役に
適して行くだろうか。左團次か、段四郎か。

今回の梢は、福助(2)。このほか、これまで私が観た梢は、時
蔵(2)、松江時代の魁春、宗之助、秀太郎、芝雀で、時蔵の梢
は、初々しくて、印象に残っているが、今回の福助も、可愛らし
い。梢は、初々しく、愛嬌のある可愛らしさが必須だが、芯の強
さ、親を思う強さ、気丈さも滲ませなければならない。

いつも、思うのだが、「ふたつ胴」の試し切りの場面で、天井か
ら赤い散リ花を降らせるのは、誰の演出なのだろう。ふたつに斬
り離された囚人の剣菱呑助の人形の下で、無傷の六郎太夫の背や
腰に付いている赤い花びらは、まるで、血のように見える。六郎
太夫の科白、「こりゃ、どうじゃ」の「どうじゃ」は、「胴
じゃ」の洒落かと、いつも思う。吉右衛門の梶原の剣裁きは、重
ねられた「ふたつ胴」に、名刀を叩き付け、留めて、前へ出す、
という形で演じられた。石の手水鉢を、まっぷたつに斬る場面で
は、吉右衛門は、観客に背中を見せながら刀を手水鉢に叩き付け
ていた。「剣も剣」「斬り手も斬り手」の名場面。今回は、「役
者も役者」という、大向こうからの掛け声は無かった。

剣菱呑助も、ちょい役だが、見せ場の役柄だ。今回は、秀調(前
回含め、2)。このほか、私が観た呑助は、坂東吉弥、團蔵、松
助、鶴蔵、弥十郎、寿三郎。この役は、傍役の味わいを出せる人
のときが、良い。今回の秀調も、悪くは無かったが、前回同様、
平凡。弥十郎は、地方巡業の舞台で観たのだが、口跡も良く、印
象に残っている(なぜか、彼は、本興行では、出演していない
が、惜しい)。

さて、そのほか、今回の舞台をウオッチングしていて気がついた
ことをまとめておこう。

この芝居では、大庭方、梶原方の大名が、いわゆる「並び大名」
で背景の一部となるが、前回の舞台の劇評で、私は次のように書
いている。

「例えば、大庭方の大名では、松之助と當十郎は、充分に相手方
に振り向き、睨み付けるようにしていたが、吉三郎、蝶十郎は、
それが不充分であった。誰であれ、いつもの舞台で、先人たちの
役者が演じた、いつものさまをなぞりながら、独自の味を出す工
夫を重ねる。芝居は、集団で演じるが、そのなかで、埋没しない
ために、自分は、舞台からなにを伝えようとしているか、なにを
伝えるべきか、ということを考えて、絶えず、舞台に出ているか
どうか。役者は、毎回、そういう性根が問われている。そういう
問題意識があり、そういう精進の積み重ねをしているかしていな
いかが、役者の演技力を磨くことになると思う」

ここで指摘した役者の心構えは、主役なら、皆が実践していると
思うが、傍役の役者で、どれだけの人が、実践しているだろう
か。今回でいえば、大庭方の大名に松之助と當十郎は、出演して
おらず、吉三郎、蝶十郎のほかに、吉五郎、又之助が出演してい
たが、いずれも、不充分で、背景から、抜け出して来なかった。
背景に埋没していた。梶原方の大名は、前回同様の大谷桂三、吉
之助のほかに、由次郎、宗之助だが、宗之助は、女形が良い。こ
ういう役柄は、印象が薄い。今回は、「加賀鳶」の道玄女房おせ
つの姪・お朝役のみとは、寂しい。そのかわり、お朝は、初々し
くて、良かった。

幕外の引っ込みは、名刀の購入を約束し、屋敷に戻る梶原と付い
て行く六郎太夫・梢の親子。定式幕が、上手から下手へ引き閉め
られるが、これは、浅葱幕が、降り被せられるのと同じ効果を持
つ。残された花道周辺が、観客の眼にクローズアップされる。
悠々と引き上げる梶原。嬉々とした足取りで付いて行く六郎太
夫・梢。

今回の「石切梶原」は、全体に配役のアンサンブルが良かったの
で、見応えがあった。傍役にも、工夫の跡が見えれば、もっと、
良かったと思う。いずれにせよ、昼の部では、「石切梶原」が、
いちばんの出来。

「科白は世話だが、眼が時代−幸四郎は、こうしろう」

「盲長屋梅加賀鳶」では、初役で道玄を演じた幸四郎が、いま、
ひとつ。道玄は、偽の盲で、按摩だが、殺しもすれば、盗みもす
る、不倫の果てに、女房にドメスティク・バイオレンスを振るう
し、女房の姪をネタに姪の奉公先に強請にも行こうという、小悪
党。それでいて、可笑し味も滲ませる人柄。悪党と道化が、共存
しているのが、道玄の持ち味の筈だ。五代目菊五郎は、小悪党を
強調していたと言う。六代目菊五郎になって、悪党と道化の二重
性に役柄を膨らませたと言う。現在の観客の眼から見れば、六代
目の工夫が正解だろうと思うが、幸四郎は、「こうしろう」とば
かりに、五代目派のようだ。その上、幸四郎だと、持ち味からし
て、どうしても、陰気で、凄みが強すぎるようになる。私が観た
「盲長屋梅加賀鳶」は、4回目。これまで観た道玄は、富十郎
(2)、猿之助。03年7月の歌舞伎座の舞台を観て、その富十
郎と猿之助の演技を比較をしたのが、次の文章。

「道玄の魅力は、巨悪とは違う、小悪党の凄み、狡さと滑稽さの
両立だろう。ハイライトが二つある。そのひとつ、伊勢屋の『質
見世』の、道玄強請場面では、小悪党ぶりは、さすが、猿之助
は、巧い。だが、富十郎の達者さには、及ばない。上には、上が
あるもので、特に、狡さ、滑稽さでは、富十郎に先輩の風格があ
る。凄みは、同格か」

この場面は、強請場で名高い「河内山」の質店「上州屋」の河内
山や「切られ与三」の源氏店の蝙蝠安を思い出させる。富十郎道
玄は、二代目松緑の演出を引き継いでいて、六代目の味に自分の
持ち味を加味して、道化にポイントを置いて、演じている。それ
が、良かったので、私の道玄像を形作っている。

これが、今回の幸四郎は、小悪党も、世話になっていない。時代
になっている。道玄の科白は、もちろん、世話なのだが、科白を
言うときの、道玄の眼は、幸四郎の眼のままで、その眼は、時代
の眼なのだ。幸四郎の眼だけが、世話物の舞台で、違和感を持っ
て、浮かび上がって来る。自堕落な親爺としての道玄。それが、
幸四郎の演じた道玄であった。

前回挙げたハイライトのふたつめは、大詰「菊坂道玄借家」から
「加州侯表門」(つまり、いまの東大本郷キャンパスの「赤
門」)の場面。この場面での、滑稽味は、断然、富十郎に軍配が
上がる。逃げる道玄。追う捕り方。特に、「表門」は、月が照っ
たり、隠れたりしながら、闇に紛れて、追う方と追われる方の、
逆転の場面で、どっと笑いが来ないと負けである。この場面は、
富十郎が、いちばん巧い。今回の幸四郎は、真面目過ぎて、面白
みがない。前回の猿之助も同じだった。「道玄借家」から「表
門」に続く立回りの「だんまり」も見せ場だ。途中で、捕まりそ
うなると、闇を利用して「俺だ、俺だ」と言って、取り方の仲間
を装い、巧みに逃げる。まるで、いま流行りの「おれおれ詐欺」
のようではないか。いまの世相は、黙阿弥の筆にかかれば、明治
期に、すでに風刺されている。

さて、そのほかの配役では、道玄と不倫な仲の女按摩・お兼は、
福助である。前回は、東蔵が演じていた。売春婦も兼ねる女按
摩。こういう二重性のある役は、東蔵は、本当に巧い。どちらか
に、重点を置きながら、もう、一方を巧く滲ませることができ
る。実に、達者に演じる。今回の福助は、お兼の二重性より、同
じ昼の舞台だけに、「石切梶原」の梢の初々しさと対比するよう
に悪婆を演じたようだ。蓮っ葉な、それでいて中年男道玄が、好
きで好きで堪らない(性愛に溺れた)という愛情過多の女性を陽
気に、巧みに、演じていた。  

三津五郎の加賀鳶・日蔭町松蔵も、良かった。松蔵は、実は、こ
の芝居の各場面を綴り合わせる糸の役どころであり、重要な登場
人物だと、思う。「本郷通町木戸前勢揃い」、「御茶の水土手
際」、「竹町質見世」と、松蔵は3つの出番があるが、仕どころ
があるのは、「質見世」。三津五郎は、颯爽とした裁き役を演
じ、鯔背な「松頭」を造型した。

「大御所の所作−芝翫の女伊達−」

「女伊達」は、3回目の拝見。菊五郎(2)、今回は、芝翫で、
私は、芝翫の「女伊達」を観るのは、初めてである。下駄を履い
ての所作と立ち回りが入り交じったような江戸前の魅力たっぷり
な舞踊劇。江戸を象徴する女伊達に喧嘩を売り、対抗するふたり
の男伊達(歌昇、高麗蔵)は、上方を象徴する。舞台は、上手に
「なりこまや」、下手に「成駒屋」の看板のある吉原店の風景。

腰の背に尺八を差し込んだ女伊達は、女助六であるという。だか
ら、長唄も、「助六」の原曲だという。「だんべ」言葉は、荒事
独特の言葉である。「丹前振り」という所作も、荒事の所作。
「こりゃまた何のこった」「こころも吉原助六流」など、助六を
女形で見せる趣向。大きく「なりこまや」と書いた傘を持った若
い者との立ち回り。「女伊達らに」を文字どおり、主張した「女
伊達」であり、東の成駒屋の大御所・芝翫の風格の舞台であっ
た。後見に、芝のぶ。
- 2005年1月29日(土) 13:25:08
2005年1月・国立劇場  (「御ひいき勧進帳」)

05年年頭の初芝居は、国立劇場の雀右衛門。「御ひいき勧進
帳」の一幕目「山城国石清水八幡宮の場 −女暫−」である。
「一幕目」という表記は、珍しい。普通なら、「序幕」だろう。
新歌舞伎なら、「第一幕」だろうし。今回は、二幕目「越前国気
比明神境内の場」。三幕目「加賀国安宅の関の場 −芋洗い勧進
帳−」。良く見れば、皆、「国尽くし」のタイトルである。「御
ひいき勧進帳」三幕構成の上演は、国立劇場17年ぶりというこ
とで、私は、初見。「御ひいき勧進帳」は、いわば、「義経記」
の世界。

正月の国立劇場の舞台では、役者衆の名を書いた提灯が飾られ、
賑やか。雀右衛門:3、富十郎:3、梅玉:2、ほかはひとり:
1ずつで、全部で12。さらに、国立劇場の紋が入ったのが、全
部で13。都合、33の
提灯が、正月気分を盛り上げる。

一幕目は、雀右衛門の「女暫」、三幕目は、富十郎の大泣きする
「弁慶」で、間に演じられた二幕目は、梅玉、魁春、芝雀らとい
う顔ぶれでは、強力で、美味しい「パン」に挟まれた、具に乏し
いサンドイッチのようで、気の毒、可哀想だった。今回の演目自
体が、稚気に溢れた、荒唐無稽な、江戸荒事の芝居で、ストー
リー展開には、どうという処の無いものだけに、単純に瞬間瞬間
の舞台を楽しみながら拝見したので、まあ、幕の順序に従って、
批評しようか。

まず、一幕目「女暫」は、この部分の上演では、3回目の拝見。
もっとも、「御ひいき勧進帳」では、「暫」は、熊井太郎という
荒武者だ。今回の「女暫」は、主役の雀右衛門のための女武者
で、熊井太郎の妹で、初花という設定だが、過去の2回は、いず
れも、「巴御前」で、演じたのは、98年2月、歌舞伎座で、十
五代目仁左衛門の襲名披露興行の舞台、菊五郎、01年2月歌舞
伎座では、初役の玉三郎。玉三郎の巴御前は、りりしく、色気も
あり、兼ねる役者・菊五郎とは、ひと味違う真女形・巴御前に
なっていた。特に、恥じらいの演技は、菊五郎より、玉三郎の方
が、艶冶な感じ。今回の雀右衛門初花も、恥じらいの演技には、
かなり、気を使っている。しかし、玉三郎美女とも違う、45年
ぶりに演じるという雀右衛門の女武者は、独特の魅力。三者三様
の「女暫」が、楽しめた。ただし、母の情を表現したら、当代随
一の雀右衛門の魅力は、女武者では、十全には、出せないから、
残念だが、ここは、雀右衛門の新たな魅力に挑戦という場面で、
それも良し。

「暫」の鎌倉権五郎が、江戸荒事の典型的な英雄なら、「女暫」
は、権五郎の荒事の魅力を残したまま、女形の色気を付け加え
る。以前にも書いたように、「女を感じさせる荒事」の魅力溢れ
る演目だ。単純明解な芝居だけに、「暫」には、さまざまなバリ
エーションが作られた。「二人道成寺」のように、暫の主役をふ
たりにしたり、武家を奴に変えたり、女に変えたり、時代物を世
話に仕立てたり。なかでも、やはり、「女」が、色気があり、芝
居としても、見栄えがするから、本番の「暫」同様、後世に残っ
たのだろう。

「暫」が、鎌倉鶴ヶ岡八幡や鹿島神社、つまり、東国の社頭が舞
台なら、「女暫」は、京都の北野天神や、今回のように「山城国
石清水八幡宮」、つまり、西国の社頭というように対比的だが
(必ずしも、「女暫」が、西国でもないようだが)、所詮、
「暫」のパロディで、「女暫」は、芝居の現場で生まれ育てられ
た演目だから、作者不詳。今回の初世桜田治助原作「御ひいき勧
進帳」の初演は、安永2(1773)年で、その30年ほど前に
上演された無名氏作「女暫」が、一幕目に取り入れられたという
わけだ。筋は、単純で、権力者の横暴に泣く「太刀下(たちし
た)」と呼ばれる善人たちが、「あわや」という場面で、スー
パーウーマンが登場し、悪をくじき、弱きを助けるという話。ス
トーリー性よりグラフィックが大事と、「色と形」という歌舞伎
の「見た目」を大事にする演目で、景気が良く、明るく、元気な
出し物。その上、「女暫」は、「暫」よりも、一層、「色と形」
に加えて、香り、つまり、「江戸の色香」を添える趣向、江戸歌
舞伎の、粋な特徴を一段と生かした典型的な舞台。正月に相応し
い華やぎがある。

ただし、登場人物たちは、単独の「女暫」と、「山城国石清水八
幡宮の場 −女暫−」では、大分違う。単独の「女暫」の場合
は、「暫」同様の、「ウケ」と「腹出し」などというお馴染みの
登場人物だが、「御ひいき勧進帳」は、「義経記の世界」なの
で、「ウケ」には、義経謀反の噂を広め、頼朝・義経の兄弟の不
和を促進し、天下掌握を狙う是明君(彦三郎)の野望がベースに
なっている。そして、「腹出し」の代わりに「西宮右大弁」「正
親町左少弁」「下松右中弁」らの、滑稽な顔をした公家らが、憎
まれ、笑われする役を引き受ける。

雀右衛門の「つらね」の最後には、女形らしく「おお、恥ずか
し」となり、観客席が湧く。最後の「女形の恥じらい」、幕外の
引っ込みの「六法」をやろうとしない初花と舞台番の場面は、
「女暫」の定番。玉三郎も雀右衛門も同じ演出。菊五郎は、演じ
ていた巴御前から芸者・音菊に変わるという重層的な構造を見せ
たが、玉三郎の巴御前、雀右衛門の初花は、それぞれのままで、
幕外で舞台番とやりあう。その舞台番は、玉三郎は、辰次(吉右
衛門)、菊五郎は、成吉(團十郎)で、今回の雀右衛門は、富吉
(富十郎)というわけだ。白地に紺の模様が染め抜かれた浴衣の
舞台番の衣装は、粋で、颯爽としている。舞台番が、「暫」の
引っ込みには、欠かせない「六法」の所作を女武者に教える辺り
がミソ。まあ、ご馳走の場面である。人間国宝同士の、和気藹々
の至芸に観客席も湧く。このほか、稲毛入道(東蔵)、女鯰(魁
春)、可憐な腰元・葵(京紫)など。

二幕目「越前国気比明神境内の場」は、印象が薄い。義経は、芝
雀、義経の忠臣、鷲尾三郎は、信二郎。女好きの義経が、恋慕す
る女馬士(まご)お梅、実は、藤原秀衡息女・忍の前は、魁春。
占師の「鹿島の事触れ」こと、べいべい言葉の弥五兵衛、実は、
もうひとりの義経の忠臣のお厩の喜三太は、梅玉。3人がいると
ころへ、追っ手の稲毛入道と軍兵たち。喜三太が、彼らを蹴散ら
し、義経一行は、奥州藤原秀衡の下へ落ちて行く。いわば、逃避
行の途中の話。

三幕目「加賀国安宅の関の場 −芋洗い勧進帳−」では、勧進帳
同様、関所を通り抜ける話だが、普通、勧進帳では、義経一行、
特に弁慶と冨樫の対立、丁々発止のせめぎ合いが、見せ場だが、
今回の特徴は、関守がふたり居て、冨樫(梅玉)と同じ関守の斎
藤次(さいとうじ・彦三郎)の対立となるのが、ひとつ。武士の
情けで、義経(芝雀)や従者の常陸坊海尊(寿猿)ら六天王に同
情的な冨樫と鎌倉からの指示に忠実に、正体を見抜いた義経一行
を捕縛しようとする斎藤次。弁慶は、勧進帳同様に何も書いてい
ない真っ黒く塗りつぶされた軸を拡げて、観客席に堂々と見せ
て、大音声で読み上げる。

もうひとつは、義経一行の逃亡の時間稼ぎに、縄で縛られて、大
泣きする弁慶(富十郎)、その後、怪力で縄をちぎり飛ばし、関
所破りの立ち回りの末、番卒どもの首を怪力を使って引き抜く
と、大きな用水桶のなかで、多数の首を、金剛杖で芋のように洗
い飛ばすなど、弁慶のスペクタクルが見せ場となる。名作、名曲
の勧進帳に対し、あくまでも、笑い飛ばすという「パロディ勧進
帳」の面目躍如。まあ、他愛無い、荒唐無稽の、お伽噺のよう
な、荒事の稚気をふんだんに見せてくれる。その上で、改めて、
「独参湯」の忠臣蔵同様に、勧進帳の名作振りを浮き彫りにして
くれた。

「芋洗い」の場面の拝見は、2回目。前回は、02年7月、歌舞
伎座で、弁慶(右近)一行は、義経(亀治郎)に従う、常陸坊海
尊(寿猿)ら六天王、富樫(門之助)と斎藤次(猿弥)という顔
ぶれだから、今回とは、大分感じが違う。偶然だが、寿猿のみ、
同じ役柄で出演している。前回の劇評では、こう書いた。「右近
の弁慶は、元気があるが、何かが足りない」と。富十郎の弁慶
は、大らかで、明るい。それでいて、重厚。江戸時代の初演
(1773年)から、およそ200年後の、昭和43
(1968)年、国立劇場で、弁慶・二代目松緑によって復活上
演された「御ひいき勧進帳」は、昭和54(1979)年再演。
弁慶・富十郎で、昭和63(1988)年にも演じられ、富十郎
は、今回も弁慶を演じた。富十郎の明るさと重厚さ。これは、右
近では、まだまだ、出せない。

贅言:1)復活狂言の仕掛人が、二代目松緑だから、雀右衛門を
はじめ何人かの役者が、アドリブで、「紀尾井町の兄さん」と松
緑を偲ぶ科白(雀右衛門、富十郎)を言っていた。2)正月興行
だから、新年の挨拶(雀右衛門)やら、昨秋の雀右衛門の文化勲
章受賞のお祝の言葉(東蔵)やら、女暫を遠ざけようと、「揚幕
の方へ、寄って下さんせ」という科白(魁春)やら、皆、アドリ
ブで、観客席を笑わせ、正月気分を盛り上げていた。3)所化が
手拭を観客席に投げ入れる「京鹿子娘道成寺」同様に、今回は、
番卒が、手拭を投げ入れていた。前回の歌舞伎座では、なかった
なあ。
- 2005年1月21日(金) 22:20:31
2004年12月・歌舞伎座 (夜/「鈴ヶ森」「阿国歌舞伎夢
華」「たぬき」「今昔桃太郎」)

「御存(ごぞんじ) 鈴ヶ森」は、5回目の拝見。10年前の
94年4月、歌舞伎座。40歳代の後半から歌舞伎を見始めた
が、その最初の芝居の一つが、「御存 鈴ヶ森」で、幸四郎の幡
随院長兵衛と勘九郎の白井権八だった。今回は、その権八を勘九
郎の次男の七之助が演じ、長兵衛は、橋之助が演じるのだから、
「ああ、10年は、一昔」という科白も、口から出そうになる
(その科白なら、「6年」早いってか。すみません。判る人に
は、判る話だが、判らない人は、「熊谷陣屋」参照)。

今回で5回目の拝見になる割には、そう言えば、このサイトで
は、「御存 鈴ヶ森」の劇評をしっかりと書いていない(サイト
の開設が、5年前の春なので、「御存 鈴ヶ森」は、むしろ、そ
れ以前に何回か観ている)。この芝居、権八と長兵衛以外は、殆
ど薄汚れた衣装と化粧の雲助ばかりの群像劇で、本当に男たちば
かりしか出て来ない芝居なのだ。さて、「御存 鈴ヶ森」では、
今も幕開きと幕切れでは、なぜか、1)「馬子歌(通称「箱
八」)」と、2)波の音がつきものだが、その訳はと、いう
と・・・・。

1)「鈴ヶ森」は、もともと初代桜田治助の「契情吾妻鑑(けい
せいあずまかがみ)」が、原型で、権八、長兵衛の出逢いが、この
段階から取り入れられていたが、このときの場面は「箱根の山
中」だったと言う。なぜ、「御存 鈴ヶ森」で波の音にあわせて
「箱八」(あの「箱根八里は・・・」の唄)という「山の唄」
が、歌われるのかと思っていたが、もともとは「山」の場面で、
それも、箱根だったから陶然だったのだ。だから、外題も、「御
存 (箱根)」という意味なのだろう。

2)また、波の音は、観客席が江戸湾の大森海岸だからなのだ
が、幕開きから、舞台をよく観ると、中央より上手の舞台前方に
「波板」があることに気がつかれるだろう。幕切れの最後の科白
で権八と長兵衛が、「ゆるりと江戸で逢いやしょう」という場面
で、柝が入り、舞台の背景が、夜の闇を表現していた黒幕から夜
明けの品川の野遠見に変わるが、これで、観客席が、海、舞台が
陸と知らされる訳だ。つまり、観客の一人ひとりは、いわば、江
戸湾の波頭という見立てなのだ。

こうした観客席や一人ひとりの観客の頭をも、舞台装置に「見立
てる」演出では、「妹背山婦女庭訓」の「吉野川の場」(浄瑠璃
なら「山の段」)で、川面の小波や煌きに見立てる、「野崎村」
では、両花道を使って、「お染」(本花道を)舟で、「久松」は
(仮花道の)土手を駕籠で、それぞれ大坂に戻る場面があるが、
そこでは、川と土手の間の河原の石ころに見立てる。これらは、
いずれも、花道など芝居小屋構造の特性を活かした歌舞伎独特の
卓抜な演出だと思う。

いま演じられる「御存 鈴ヶ森」は、四世鶴屋南北作の時代世話
物「浮世柄比翼稲妻」のうちの「鈴ヶ森」で、白井権八が、難く
せをつけに来た雲助たちを追い払い、江戸、浅草花川戸の侠客・
幡随院長兵衛との出逢いという一幕。「出逢い」の芝居。筋は単
純明解、権八と長兵衛の存在感を、どう表現するか、江戸の庶民
の「出逢い」の夢に、どう応えるか、というのが、この芝居のミ
ソだろう。

私が観た権八:勘九郎、菊之助、芝翫、染五郎、そして今回の七
之助。同じく長兵衛:幸四郎(2)、團十郎、羽左衛門、そして
今回の橋之助。こうした顔ぶれを見ると、今回は、若い舞台とす
ぐ判る。5年前、99年5月の歌舞伎座。権八が芝翫で、長兵衛
がいまは亡き羽左衛門という大物の舞台であり、歌舞伎の手本の
ようだった。この舞台では、雲助も、左團次、團蔵、飛脚が彦三
郎という重厚さ。これに適う舞台は、滅多には、観られないだろ
う。

ヒーロー同士の出逢いという夢は、江戸時代も現代も変わらな
い。今回のふたりの役者の存在感も、いまひとつ。役者の成長を
見守るためにも、こういう舞台も、必要ということだ。飛脚早助
に名題昇進の中村仲一郎、改め、六代目山左衛門。雲助たちのな
かでは、四郎五郎の東海の勘蔵、助五郎の北海の熊六、権一の土
手の十蔵などに、存在感があった。

「阿国歌舞伎夢華」は、2回目。「御存 鈴ヶ森」男たちばかり
の芝居なら、こちらは、男も若干出てくるが、綺麗な女性ばかり
の舞踊劇。その対比が、くっきりとしている。

4年前の2000年3月、歌舞伎座で、このときの外題は、3月
の上演に因んで、「お国山三春霞歌舞伎草紙」で、阿国は、時
蔵、山三(さんざ)は、染五郎。今回は、阿国に玉三郎、山三
に、もちろん、段治郎。

この芝居は、出雲の阿国と名古屋山三(なごや・さんざ)の恋物
語。前回の歌舞伎座上演は、30年振りだった。その30年前
は、雀右衛門と猿之助のカップルだった。そのときの白黒の舞台
写真の、若々しい阿国と初々しい山三の、なんとも素敵なこと。

さて、前回の劇評の再録になるが、阿国に比べると、知名度の劣
る山三、名古屋山三、名古屋山三郎のことをコンパクトに紹介し
ておこう。

名古屋山三郎は、実在の人物で、母は織田信長の姪にあたるとい
うから、尾張縁の人で、その美貌は、織田家の血筋だろう。蒲生
氏郷の小姓で、すこぶるつきの美男だったようで、それだけにプ
ライドも高く、同僚と刃傷事件を起こして死亡(美人薄命なら、
美男も薄命か)。その結果、美貌で風流を愛する伊達男の「代名
詞」になり、かぶき者の美男の、いわば代表として、たくさんの
華やかな恋愛「伝説」を残した。阿国の夫、愛人などとして、歌
舞伎の始祖・阿国とペアで、いつしか歌舞伎の「源流」に位置す
るように、フィクションとして作り上げられていった人物のよう
だ。歴史と歴史離れの、二重構造の物語(つまり、「伝説」のこ
とだ)の典型的な人物像の造型と言えよう。阿国の方も、出生地
不詳、生没年不詳で、何人かの、女歌舞伎たち、いわば「阿国」
たちの伝説の、「集合名詞」のようになって伝えられている。ふ
たりとも「伝説」になるだけの、パワーがあったということだろ
う。

幕が開くと「都の春の花盛り」という、上手雛壇に並んだ長唄、
三味線、四拍子(いずれも5人ずつ)にあわせて、背景は、桜満
開の様子。豪華な打ち掛けが、桜の木々の間に、吊されている。
花道から阿近(右近)と国猿(猿弥)のふたりが、出て来る。桜
を眺めながら、ふたりの会話は、いま、都の四条河原で評判と
なっている歌舞伎踊りに触れている。

阿国(玉三郎)一行が、花道から遅れて登場する。総勢15人
が、花道から本舞台へ。玉三郎の前後を、笑也、笑三郎、春猿、
芝のぶが囲む。4人は、それぞれ個別に踊る度に、大向こうか
ら、それぞれに声がかかる。屋号ではなく、名前だ。ほかに、
10人の女歌舞伎。6番目が、甲府市出身の喜昇。華やかな女形
たちの群舞。まるで動く風俗浮世絵巻のようだ。やがて、鉦を鳴
らしながら踊る念仏踊りへ。

阿国(玉三郎)が、弥陀の名を唱え念じて舞台中央で伏すと、花
道すっぽんから、亡霊の山三(段治郎)が、笛の音に誘われるよ
うにして、出て来る。昼の部の、「梅ごよみ」でも、触れたが、
ふたりは、立ち並んだときが、綺麗だ。ふたりの身の丈や顔の小
ささのバランスがよくとれている。所作の息も合っている。玉三
郎は、病気休演中の猿之助に替って澤潟屋一門を引き受けると
き、この辺りの要素を、段治郎抜てきの基準にしたのだろうと、
思う。阿国・山三のからみ合いは、前回の時蔵の舞台とは大分違
う。時蔵は、「どろどろ」を使って山三の亡霊性を強調する演出
を取っていた。しかし、今回は、亡霊としての山三より、幻で
も、美しいければ、それで良いという演出のようである。華やか
な舞台を心掛けるとは、玉三郎の言葉。昔の想い出に浸りながら
踊るふたり。ほかの役者ならいざ知らず、玉三郎では、初めて観
たが、踊りながら、玉三郎は、一度、持っていた扇子を落として
しまった。扇子をくるりと回転させて、持ち直す場面だった。や
がて、阿国が、夢からさめると、山三は、すっぽんから、消えて
しまう。後を追う阿国。花道から連れ戻す女歌舞伎のお福(芝の
ぶ)。終始、一幅の豪華な浮世絵を見るような、華やかさと爽や
かさがある舞台であった。

たぬき」は、初見。大佛次郎原作の新作歌舞伎だが、芝居として
も、三津五郎、勘九郎、福助らの主役陣の好演で、夜の部では、
いちばん、見応えがあった。

序幕は、第一場「深川十万坪」、第二場「大川端の妾宅」。江戸
も末期。折しも、世上では、疫病「ころり」が、流行っている。
死者が多数に上るので、江戸では、深川十万坪の埋め立て地に新
しく焼き場が作られたほどだ。柏屋金兵衛(三津五郎)は、吉原
で遊興をしつくし、飲み過ぎて、一旦は、亡くなり、棺桶に入れ
られ、十万坪の焼き場に運ばれ、葬儀も終った。葬儀を取り仕
切ったのは、叔父の備後屋宗右衛門(弥十郎)。放蕩三昧で亡く
なった金兵衛に妻のおせき(扇雀)も、夫の死を悲しむ様子はな
い。むしろ、ほっとしている。葬儀終了寸前に吉原代表で悔やみ
に来たのが、太鼓持・蝶作(勘九郎)と芸者のお駒(東蔵)。迷
惑そうなおせきの表情。このほか、会葬の女などに喜昇ら。

桶ごと焼かれるはずの金兵衛だが、死者が多くて、焼き場の順番
を待っているうちに桶のなかで目を醒ました。焼き場の隠亡の多
吉(助五郎)に、自分が、亡くなったことを知らされた金兵衛
は、家族らに、「亡くなった」とされたことを奇貨として、妾の
ところで暮らそうと考える。この場面、金兵衛と多吉のやりとり
が、良い。助五郎は、好演である。隠亡の相方の平助に、三津之
助。

金兵衛が、金を預けておいた妾のお染(福助)の家に行く。お染
は、太鼓持の蝶作の妹でもある。お染は、金兵衛の死を悼むどこ
ろか、葬儀にも出席せず、情人で、御家人の狭山三五郎(橋之
助)と新しい生活を始めている。妾宅の障子に写るエロチックな
ふたりの影。がっかりし、隙を見て自分の金を持ち出す金兵衛。
妾宅の大道具は、廻り舞台を、珍しい「四分の一廻し」で、屋外
での金兵衛と焼き場から一緒に来た多吉とのやりとりとなる。

二幕目第一場は、2年後。「芝居茶屋の二階」では、窓の外に
は、海鼠塀に掛けられた「招き看板」(「中村」「市川」「尾
上」「坂東」などの字が見える)、「幟」(「中村」「尾上」な
ど)、「伽羅先代萩」の場面を描いた鳥居派の芝居絵3枚、茶屋
内には、守田座の定式幕の模様の襖、「暫」の鎌倉権五郎の芝居
絵などが見える。

やがて、茶屋には、持ち出した金で、神奈川で生糸の買い付けを
して成功し、いまでは、生糸商人・甲州屋長蔵と名前も変えて、
別人になっている柏屋金兵衛(三津五郎)らが幕間に茶屋に休憩
に来る。茶屋に出入りしている蝶作(勘九郎)とお駒(東蔵)
は、「金兵衛が甦った、いや、そんなはずは、ないなど」と思い
ながら、びっくり、こわごわ。生真面目に、ふたりを威す長蔵、
実は、金兵衛。このやり取りが、ここの見せ場。三津五郎と勘九
郎のやり取りは、秀逸。ふたりとも、こういう芝居は、巧い。こ
のほか、芸者おせんに芝のぶ。一緒に芝居見物に来た生糸商人に
信二郎、門之助。

二幕目第二場は、「本宅に近い寺の境内」見せ物小屋から狸が逃
げ出したとかで、騒いでいる。寺に飾られた絵馬、宝船の絵、本
石町講中の額(天保二年三月吉日 世話人会とある)、鹿島講、
おかげ講、下総屋の幟などがウオッチングの目を引く。遠景に、
芝居小屋の幟(「中村」「片岡」「坂東」などの字が見える)
が、5本上がっている。

金兵衛が、蝶作を連れてやって来る。通りかかるお染(福助)
も、金兵衛を見ても、驚かない。金兵衛に似た他人だと思い込ん
でいる。死人が、生き返る道理がないからだ。柏屋の女中(芝喜
松)が、金兵衛の息子を連れて、境内を通りかかる。息子は、
「ちゃんだ、ちゃんだ」と、長蔵、実は、金兵衛の正体を見抜く
ので、金兵衛も動揺するが、大人には、子どものような目が無い
から、女中は、詫びを言いながら、気づかない。蝶作が、おせき
(扇雀)の「金兵衛に似た人になど逢いたく無い」という返事を
持って戻って来る。がっかりする金兵衛は、大人は騙せても、子
どもは騙せないと悟る。アイロニカルな喜劇である。

「今昔桃太郎」は、渡辺えり子の新作だから、これも、当然、初
見。舞台上手に、「今昔桃太郎」(後半は、「苦労納御礼」に替
る)と書いた看板。下手に「中村勘九郎相勤め申し枡(記号)」
と書いた看板。上手、下手に桃。

1959(昭和34)年、「昔噺桃太郎」で、五代目勘九郎とし
て初舞台を踏んでから、45年。勘九郎最後の舞台も、「桃太
郎」ということで、「今昔桃太郎」。05年3月の歌舞伎座で、
十八代目勘三郎を襲名披露する勘九郎。

桃太郎から、桃太郎へ。プロデュサー勘九郎の面目躍如のアイ
ディア。勘九郎は、役者としても優れているが、役者より、プロ
デュサー、あるいは、興行師として、より優れた能力を持ってい
ると思う。しかし、芝居のできは、また、別。

鬼が島に鬼退治に向かった少年・桃太郎も、45年経って、すっ
かり中年になり、ぶくぶく太ってしまった。戦後の社会も、すっ
かり変わって、日本全国鬼が島という状況になっている。日本
も、桃太郎も、変えなければならない。中年・桃太郎の再出発の
噺。しかし、正直に言って、こちらは、歌舞伎座では、五代目勘
九郎最後の舞台という、いわば「お祭り」のための、余興の域を
でない演目で、あまりおもしろくなかった。再演を考えていない
ということだが、これでは、当然ながら、再演は無理だろうと、
思った。

因に、出演は、勘九郎(桃太郎)のほか、三津五郎(薬売り、実
は、赤富士の岳鬼忠)、又五郎(長老の犬、勘九郎初舞台時も犬
吉で共演)、福助(桃の妖精)、扇雀(桃太郎の妻・お松、松、
実は、鬼姫のふた役)、橋之助(忠吉、実は、黒雲の助鬼吉)、
弥十郎(犬)、信二郎(村人 ・吾作)、猿弥(猿)、門之助
(吾作女房・お米)、七之助(桃太郎娘・桜)、小山三(雉。勘
九郎初舞台時もお雉で共演)、村の娘・春(芝のぶ)ほか。
- 2004年12月18日(土) 17:48:51
2004年12月・歌舞伎座 (昼/「八重桐廓噺」「身替座
禅」「梅ごよみ」)

「とちり」が無くなる!!

今月の歌舞伎座は、五代目勘九郎としては、歌舞伎座での最後の
舞台とあって、人気を呼び、補助席も埋まる盛況。また、歌舞伎
の座席として、見やすいという指標となった「とちり」のよう
な、前列から「いろは」順、上手から、「123」順という座席
の表記は、今月で「これぎり(終了)」となる。来月(05年、
1月)からは、国立劇場などと同様に、歌舞伎座の座席も、前列
から、「123」、下手、というより、横書きの左から、
「123」に変わる。歌舞伎座の良い席は、「とちり」という科
白が、観客から無くなるのは、淋しい。

また、来月分から、チケットの予約販売も、変わる。「チケット
ホン松竹」に加えて、「チケットWeb松竹」が、すでに15日
から始まった(24時間受け付け)。私も、早速、ユーザー登録
を済ませた。来年は、松竹創業110周年。十八代目中村勘三
郎、四代目藤十郎らの襲名披露興行は、記念興行の柱となる。

「八重桐廓噺〜嫗山姥(こもちやまんば)〜」は、3回目の拝
見。96年4月歌舞伎座の中村鴈治郎、01年6月の時蔵、そし
て今回の福助というわけだ(2000年1月の国立劇場の中村芝
翫の舞台は、テレビで拝見したが、これは参考情報)。別名
「しゃべり山姥」といわれる「嫗山姥」では、八重桐の物語の部
分を「しゃべり」で演じるが、私が観た舞台で、「しゃべり」を
忠実に演じていたのは、鴈治郎だけで、時蔵も、ビデオで見た芝
翫も、しゃべらずに、竹本に乗っての「仕方噺」として、所作で
表現していた。これは、三代目、四代目が得意とした萬屋の家の
藝の演出であるという。私が観た「嫗山姥」では、こうした萬屋
系の演出より、鴈治郎の「しゃべり」の演出の方が、印象に残っ
ている。

今回の福助は、どうだったかというと、父親の芝翫同様の仕方噺
であった。ときに糸に乗っての一人芝居は、自在な演技で、熱演
であった。福助の踊りのできはよかったし、竹本に合わせて、三
味線に乗った所作は、充分に堪能できた。八重桐は、故あって、
自害する夫の坂田蔵人の魂を飲み込むことで、己も怪力を持つと
いう超能力者になるとともに、妊娠し、後に、怪力少年・怪童丸
(お伽噺の金太郎、後の坂田公時)を産み落とすことになる。

贅言:ということは、今月の歌舞伎座は、「金太郎」で始まり、
「桃太郎」で終ることになる。

超能力は、八重桐の声を太くするし、花四天の一人を人形(床下
で、一人が、まさに、人形とすり替る)のように投げ飛ばすし、
重い石の手水も投げ飛ばす。

ほかの役者では、珍しい女形で、滑稽な腰元・お歌を演じた猿弥
が、自分の芸域を広げる(猿弥の、もうひとつの魅力を発見す
る)とともに、味のある滑稽な傍役で、福助を支えていた。信二
郎の煙草屋源七、実は、坂田蔵人が、澤潟姫(七之助)を慰めよ
うと、煙草の由来を話して聞かせる場面では、煙草嫌いだが、女
好きという太田十郎(弥十郎)とが、絡み、ちゃり(滑稽劇)と
なるのも楽しませる。その後で、一旦追い出された弥十郎の太田
十郎が、手勢を連れて、現代版煙草尽くしの、「いこい、ピー
ス、キャビン、マルボーロ、ラッキーストライク、せーラムライ
ト」などを入れ込んだ科白で、迫ってくると、山台出語りの竹本
蔵太夫が「せーらむらいとと」太田十郎の科白を引き取った語り
出しで、観客席の笑いを取っていた。七之助の澤潟姫、芝喜松の
局・野分ほか腰元らは、二重舞台の上で、殆ど動かず、科白も少
なく、それでいて、それらしく見せねばならず、結構、大変な役
どころだろう。このほか、扇雀が、腰元・白菊、実は、坂田蔵人
の妹・糸萩を演じていた。

本来、お伽噺向きの、坂田公時の誕生秘話という荒唐無稽な話。
単純な人形浄瑠璃の筋書きを、歌舞伎では、口数の少ない女形が
「しゃべり」の演技を見せるという近松門左衛門作には珍しい味
わいのある演目。鴈治郎のように「しゃべり」の歌舞伎味を強調
するか、時蔵、福助らのように、様式色の強い所作の仕方話で、
人形浄瑠璃の味を強調するかが、ポイントだろうが、鴈治郎のよ
うな「しゃべり」の型では、今回登場した蔵人の妹・白菊(扇
雀)、腰元・お歌(猿弥)などの役柄は、登場しない。今月の昼
の部では、「嫗山姥」の福助の演技と「梅ごよみ」の玉三郎と勘
九郎のやりとりが、良いできであった。

「身替座禅」は、6回目の拝見。今回の右京は、勘九郎。過去の
右京:菊五郎(2)、富十郎(2)、猿之助。玉の井、今回は、
三津五郎。過去の玉の井:吉右衛門(2)、宗十郎、田之助、團
十郎。玉の井は、断然、團十郎のときがよかった。右京は、菊五
郎が良い。菊五郎の右京には、巧さだけではない、味があった。
特に、右京の酔いを現す演技が巧い。酔いの味が、良いというこ
とだ。

右京のポイントは、右京を演じるだけでなく、右京の演技だけ
で、姿を見せない愛人の花子をどれだけ、観客に感じ取らせるこ
とができるかどうかにかかっていると思う。1910(明治
43)の、市村座。作者の岡村柿紅は、六代目菊五郎の持ち味を
生かすために、狂言「花子」を元に、この舞踊劇を作った。初演
時の玉の井は、七代目三津五郎。元の狂言は、観ていないので判
らないが、外題からして、花子も登場するのだろうが、歌舞伎で
は、花子は、舞台では、影も形もないというのが、おもしろい。
向う揚幕のなかに花子は、いるという想定だろう。そういう意味
で、見えない花子の姿を観客の脳裏に忍ばせるのは、右京役者の
腕次第ということだろう。右京の花子に対する惚気で、観客に花
子の存在を窺わせなければならない。

一方、玉の井は、醜女で、悋気が烈しく、強気であることが必要
だろう。浮気で、人が良くて、気弱な右京との対比が、この狂言
のミソであろう。そういうイメージの玉の井は、團十郎の演技
が、いちばん近かった。この芝居は、やはり、立役が演じる玉の
井のでき次第で、おもしろくも、つまらなくもなる。身替わりに
座禅を組まされる太郎冠者の、さらに身替わりになる玉の井。そ
れを知らない右京と全てを知っている観客の違いのおもしろさ。
玉の井は、その中間にいて、次第に、右京と花子の情事の顛末を
知るようになりながら、観客へも情報を伝達して行く。そういう
重要な役割が、玉の井の役どころである。

今回の三津五郎の玉の井は、あまり、醜女ではなかった、悋気は
烈しかったが、それが、夫への愛情の強さに裏打ちされているよ
うで、「強気」になっていない。右京への「愛情が強い余りに恐
妻となる」というのが、筋書きの楽屋話で紹介される三津五郎の
玉の井のイメージであった。しかし、この役作りは、玉の井のコ
ンセプトとしては、違うのではないかと思う。これでは、右京の
性格とのコントラストが、鮮明にならない。そういうもどかしさ
を感じながら、私は、三津五郎の玉の井を観ていた(夜の部の
「たぬき」では、三津五郎は、主役の柏屋金兵衛を演じるが、こ
ちらは、巧かった)。

従って、勘九郎の右京も、乗りが悪く、上滑りをしていた。太郎
冠者(橋之助)に身替わりをさせて、愛人との情事に耽り、微醺
を帯びながら、ご帰還ということで、ここは、右京の浮かれ振り
が、見せ場だろう。身替わりが、太郎冠者から玉の井に替ってい
ることを知らない、右京の浮かれ振り。身替わりの身替わりを
知っている観客は、その齟齬を笑いで愉しむ。この場面、右京
が、得意になって、情事を語れば語るほど、ついでに、玉の井の
悪口を言えば言うほど、観客の笑いを誘う。しかし、今回の舞台
では、悪事露見した後の右京が、困った表情を見せる(ここは、
巧かった)まで、勘九郎の乗りは、不十分であった。演技の調子
に斑があるように見受けられた。疲れているのかもしれない。

因に、私が観たほかの玉の井では、吉右衛門は、こういう役で
は、意外と器用ではない。また、宗十郎、田之助では、元々女形
だから、この役を演じる旨味が、薄くなる。太郎冠者の橋之助
も、声が高過ぎた。もう少し、抑制した演技の方が、逆に、笑い
を誘ったのではないか。このほか、侍女の、千枝に門之助、小枝
に七之助。

「梅ごよみ」は、3回目の拝見だが、前回が、97年12月の歌
舞伎座だから、このサイトの劇評としては、初登場ということに
なる(拙著「ゆるりと江戸へ〜遠眼鏡戯場観察〜」には、掲
載)。「観察」劇評の基本に立ち返って、しっかり書きたい。今
回を含め、3回とも、深川芸者のうち、仇吉は、玉三郎、丹次郎
を巡る恋の鞘当ての相手の米八は、勘九郎ということで、もう、
このふたりは、仇吉、米八になりきっているように見える。まさ
に、「梅ごよみ」では、ゴールデンコンビだろう。お家騒動の元
の、お宝(茶入)探しを副筋にしながら、ふたりの恋の鞘当ての
物語。今回は、序幕の大道具の展開を上から観たくて、3階席を
取ったが、その謎解きは、後に触れたい。

結局は、ふたりの芸者を手玉に取り、大店の若い娘で、金もあ
り、若さもありというお蝶と結ばれる色男の丹次郎は、これま
で、孝夫時代の仁左衛門、團十郎と観て来て、今回は、大抜てき
の段治郎。猿之助病気休演で、いま、澤潟屋一門を引っ張ってい
るのが、玉三郎。この一門との芝居では、最近、玉三郎が相手役
として抜てきしている幸運児・段治郎の丹次郎を観ることになる
(そういえば、「だんじろう」と「たんじろう」は、かなにすれ
ば、一字の濁り違い)。段治郎が、仁左衛門、團十郎らに、どこ
まで迫れるかが、見もの。

玉三郎と勘九郎の芝居のレベルに、澤潟屋一門の中堅どころが、
追い付いていないので、芝居が二重構造になってしまい、迫力に
かける。それが、「梅ごよみ」の芝居の味を殺ぐが、まあ、これ
は、澤潟屋一門の役者衆の、いまの実力では、仕方がないだろ
う。もう少し経てば、それぞれ力を付けてくるだろう(確かに、
玉三郎に引っ張られて澤潟屋一門は、いま、女形陣が元気だ)。

序幕の第一場「向島三囲堤上の場」と第二場「隅田川川中の場」
は、主要な登場人物の、いわば、顔見せの場面だが、大道具の仕
掛けが、ダイナミックで、堤での船の乗り降りの後、堤が、上手
下手にふたつに割れて、舞台の袖に引き込むと、廻り舞台を使っ
ての、2艘の船のすれ違う場面となる(昔は、「蛇の目廻し」と
いう演出ができるように、廻り舞台が二重になっていて、ふたつ
の廻り舞台が、それぞれ逆に廻ることができる小屋もあった)。
これが、3階席で観ていると、第一場の場面で、すでに、堤の後
ろに仇吉(玉三郎)や政次(笑三郎)のふたりの芸者を乗せた屋
形船が待機しているのが判る。ふたりの芸者は、屋形のなかに
入っているので、姿は見えないが、船の後ろに乗っている船頭
(猿四郎)は、姿が見える。これは、これまで観た1階席、2階
席では、観たくても観ることができない貴重な場面だ。

船の屋形のなかから出て来た玉三郎の仇吉が、丹次郎(段治郎)
を見初め、花道を行く船を見送りながら、舞台中央に廻って来た
船の上で艶やかな立ち姿を見せる。「いい男だねえーー」と言い
ながら、船端から足を踏み外す場面で、柝が入る。何度観ても、
この場面は、見せ場である。

二幕目は、深川尾花屋の入り口と奥座敷(道具は、鷹揚に廻
る)。お家騒動の仇役らの内緒話を立ち聞く仇吉、奥座敷では、
仇吉と丹次郎のいる座敷に乗込んで来る米八。深川芸者の意地の
突っ張りあいが、見せ場。玉三郎と勘九郎の打々発止が、見も
の。尾花屋の女中には、私の好きな芝のぶに、守若ら。丹次郎に
羽織を誂え、それを着せる場面では、まず、畳紙(たとう)か
ら、羽織を取り出した玉三郎は、まず、畳紙を折り畳んで、片付
けた。羽織の仕付け糸を取り、それから、丹次郎の背中に廻り、
羽織を着せ掛ける。昔の日本女性の奥ゆかしい所作が匂って来
る。こういう場面では、玉三郎と段治郎の、ふたりの立ち姿は、
双方の身の丈のバランスといい、よく似合っている。愛らしい仇
吉。颯爽とした丹治郎。舞台上手は、「よそごと浄瑠璃」で、清
元。艶っぽい歌詞に、「私たちのことを語ってくれているよう」
と言うふたり。

やがて、米吉が乗込んで来て、折角の羽織を庭に放り投げ、下駄
で、踏みにじる。仇吉と米八の喧嘩になる。深川芸者は、男名前
で、気風が良い。羽織を愛用していたところから、「羽織芸者」
とも言う。そういう深川芸者同士の喧嘩の小道具に羽織を使うと
ころが憎い演出。

「ちょいとばかり、ここがいいからってねーー」と自分の顔を指
差しながら言う米八。「私は、ここばかりじゃないよ」と言い返
す仇吉。人気芸者同士の意地の張り合い。実力派役者同士の、熟
成のやりとり。

こっそり逃げ出す丹治郎の優しさ、気弱さを、段治郎は、よく出
しているが、玉三郎と勘九郎の熟成された演技とは、残念なが
ら、未だ、レベルが違う(次いでながら、段治郎は、眼と口で損
をしている。今後、この欠点を藝でどこまでカバーできるように
なるかが、課題だろう)。全編を通じて、玉三郎・勘九郎という
熟成の演技の場面に、澤潟屋一門という異質なものが、貼付けら
れている、あるいは、はめ込まれているような感じがする。段治
郎も、仁左衛門、團十郎に並ぶことを目指して、精進して欲し
い。

三幕目第一場「深川中裏丹次郎内の場」、第二場「深川松本離れ
座敷の場」。相変わらずの恋の鞘当て。政次(笑三郎)に嘘を教
えられたにもかかわらず、頭に血が上っている米八(勘九郎)
は、仇吉と丹次郎の座敷と勘違いして、確かめもせず、駆け付け
た離れ座敷内へ、駒下駄を投げ込む。しかし、座敷に仇吉(玉三
郎)はいたものの、相手は、茶入を隠し持っている古鳥左文太
(猿弥)。米八に替って、詫びるお蝶(春猿)。年下のお蝶の方
がしっかりしている(これは、大団円への伏線だろう)。仇吉と
米八は、「鏡山旧錦絵」の「草履打」の場面を真似た駒下駄打の
場面を演じる。

玉三郎の仇吉、勘九郎の米八、春猿のお蝶、笑三郎の政次らを観
ていると、タイムスリップしたように、10代から20代の江戸
の町娘らの姿が浮かび上がって来る。米八は、姐御格で、20代
の年増か。後は、10代のお茶ピー娘たち。

副筋のお家騒動、お宝探しは、千葉半次郎(門之助)と千葉藤兵
衛(弥十郎)。もめ事の捌き役として、節目節目に登場する弥十
郎は、貫禄がある。寿猿は、普通なら、團蔵の役どころか。澤潟
屋の舞台では、貴重な味の傍役。

第三場「深川仲町裏河岸の場」は、浅葱幕の「振り被せ」、「振
り落とし」で、場面展開(こういう演出は、定式とは言え、ワク
ワクする)。仲之橋が、舞台中央に設えてある(「仲町」は、い
まの「門前仲町」だろう。私は、毎日、この下を走る地下鉄に
乗って通勤している。そう思うと、この場面、親しみが湧く)。
雨のなか、傘と刃物を振りかざしての仇吉と米八の争いもここま
で。お宝の茶入も半次郎の手に取り戻し、恋の鞘当ても、丹次郎
が、お蝶と納まり、仇吉と米八は、ふたりとも振られてしまう。
ふたり揃って、「しらけるねえーー」。役者衆が、揃って挨拶
「この狂言は、これぎり」で、昼の部は、幕。
- 2004年12月18日(土) 14:03:33
2004年11月・歌舞伎座 (夜/「菊畑」「吉田屋」「河内
山」)

夜の部は、「吉田屋」「河内山」が、見応えがあったが、劇評
は、上演順に「菊畑」から始まる。「菊畑」は、4回目の拝見。
まず、配役から見ておこう。

智恵内、実は、鬼三太は、富十郎、團十郎、仁左衛門で観てい
る。今回は、吉右衛門。昼の部で関兵衛、実は、大伴黒主を演じ
た吉右衛門は、その人柄、持ち味からして、やはり、黒主より、
智恵内、実は、鬼三太のような、役柄の方が、安心して観ていら
れる。

虎蔵、実は、牛若丸は、勘九郎、芝翫、菊五郎と観ているので、
今回の芝翫は、2回目。初見は、98年11月の歌舞伎座であっ
た。そのときも感じたのだが、芝翫のこの配役は、あまり、戴け
ない。顔が大きく、鰓が張っていて、女形の鬘のときは、そう目
立たないが、若衆髷では、顔の特徴が目立ち過ぎる。さらに、短
躯も、この役には、似合わない。芝翫は、ほかの役で、彼の良さ
を引き出すものがたくさんある。

鬼一法眼は、権十郎、羽左衛門(代:富十郎)、富十郎(代:左
團次)ということで、今回の富十郎は、2回目。口跡も良く、お
おらかな富十郎の科白回しが、生きている。4年前、2000年
9月の歌舞伎座は、観ていないので、このときの、羽左衛門
(代:彦三郎)も、観ていない。鬼一法眼がいちばん似合いそう
な羽左衛門の舞台を2回も見逃している。羽左衛門の鬼一法眼
は、是非とも生の舞台で観ておきたかった。

皆鶴姫は、時蔵、雀右衛門、菊之助で、今回は、芝翫の長男、福
助。ほかの役者では、湛海を演じた段四郎の悪役ぶりが、良かっ
た。

舞台は、定式幕が開くと、浅葱幕。浅葱幕が、膨らんで、チョン
で、振り落とし。吉右衛門の智恵内、実は、鬼三太が、床几に
座っている。体制派の奴たちと智恵内とのやりとり。花道は、中
庭の想定、七三に木戸があり、ここから本舞台は、奥庭で、通称
菊畑。鬼一とともに、奥庭に入って来る八人の腰元の花道の歩き
が良い。歩くだけでも、藝になるのが、歌舞伎。大部屋役者だっ
た中村時枝が、歌舞伎の舞台で歩くだけでも、様になるのに10
年はかかると言っていたのを思い出す。

「菊畑」は、歌舞伎の典型的な役柄がいろいろ出てくる演目だ。
源平の時代に敵味方に別れた兄弟の悲劇の物語という通俗さが、
歌舞伎の命。皆鶴姫(福助)の供をしていた虎蔵(芝翫)が、姫
より先に帰って来る。それを鬼一(富十郎)が責める。鬼一は、
知恵内(吉右衛門)に虎蔵を杖で打たせようとする。知恵内、実
は、鬼三太は、鬼一の末弟である。兄の鬼一は、平家方。弟の鬼
三太は、源氏方という構図。

こうなると、牛若丸(後の義経)を杖で打たねばならぬ鬼三太
は、「勧進帳」なら、弁慶の役どころと知れるだろう。安宅の関
で義経を杖で打ち、関守の責任者・冨樫に男としての同情を抱か
せ、関所を通り抜けさせた弁慶の「知恵」が、知恵内にあるかど
うかが作者の工夫魂胆という趣向と判る。答えは、分別があるの
に、知恵が「内(無い)」ということで、牛若丸を知恵内は、打
つことができない。「打てぬ弁慶」もいるだろうという作者の批
判精神の現れ。虎蔵、実は、牛若丸に、実は、恋している皆鶴姫
が遅れて戻って来て、あわやという所で虎蔵と鬼三太の主従を助
ける。皆鶴姫は、いわば、「女冨樫」。まさに、「裏返し勧進
帳」というところ。徹底して、勧進帳のパロディになっているの
が、この演目の眼目だ。

さて、いよいよ、「はんなり(華あり)」した上方和事の「吉田
屋」だ。「吉田屋」は、4回目の拝見だが、過去3回は、いずれ
も、仁左衛門の伊左衛門だった。外題も、「夕霧伊左衛門廓文章 
吉田屋」というわけだ。鴈治郎は、今回が、初見で、今回は、外
題も、「玩辞楼十二曲の内」と銘打たれた「廓文章 吉田屋」。
鴈治郎の家の藝としての「吉田屋」という位置付けだ。松嶋屋型
の伊左衛門と今回の鴈治郎のように、成駒屋型の伊左衛門は、大
分違うらしいので、その辺を注意して、舞台を拝見した。衣装、
科白、演技、役者の絡み方(伊左衛門とおきさや太鼓持ちの絡
み)など、ふたつの型は、いろいろ違うようだ。竹本と常磐津の
掛け合いは、上方風ということで仁左衛門も鴈治郎も、同じ。六
代目菊五郎以来、東京風は、清元。

この演目は、いわば、「痴話口舌」を一遍の名舞台にしてしま
う、上方喜劇の能天気さが売り物の、明るく、おめでたい和事
で、私の印象では、細かなことは別にして、仁左衛門の伊左衛門
は、かなり、コミカルに演じていた(「三枚目の心で演じる二枚
目の味」)が、鴈治郎の伊左衛門の方は、阿呆な男の能天気さを
客観的に演じていたように思う。こちらが、坂田藤十郎の演じた
和事の原型に近いのかもしれない。しかし、仁左衛門の味も、鴈
治郎の味も、どちらも、捨て難い。炬燵の使い方が、巧い作品。

夕霧は、今年度の文化勲章受賞者の雀右衛門。雀右衛門の夕霧
は、2回目。玉三郎でも、2回観ている。こちらも、雀右衛門の
味も、玉三郎の味も、どちらも、捨て難い。伊左衛門一筋という
夕霧の情の濃さは、雀右衛門か。色気は、やはり、玉三郎。それ
ぞれの、持ち味を楽しめる。

贅言:国立劇場と歌舞伎座の違いの一例。当月に雀右衛門が文化
勲章を受賞し、出演までしているというのに、歌舞伎座は、その
ことを特にピーアールせず。一方、国立劇場は、場内に貼った
あった正月の「御ひいき勧進帳」のポスターの上に、「祝文化勲
章受賞 中村雀右衛門丈」というステッカーが、貼ってあった。
先物を利用してのピーアールというか、同じ、文部科学省という
ことか。

吉田屋の喜左衛門(我當)とおきさ(秀太郎)夫婦は、仁左衛門
型では、伊左衛門と夫婦ともども絡ませるが、鴈治郎型では、お
さきは、伊左衛門と直接、絡んで来ない。我當、秀太郎の夫婦役
は、上方味あり、人情ありで、このコンビの喜左衛門とおきさ
は、侮れない。落魄した伊左衛門を囲むふたりの雰囲気には、し
みじみとしたものがある。

仲居・お花に、芝のぶげ出ていて、相変わらず、爽やか。芝のぶ
に、もう少し、重い役もやらせてあげたいと、いつも思う。

「河内山」、今回は、なんと、仁左衛門初役の河内山というか
ら、これは、見逃せない。仁左衛門は、上方味を消して、江戸っ
子ぶりを強調していた。花道を歩いて来るだけで、身の丈高く、
颯爽とした、新しい河内山の誕生と言える、見応えのある舞台で
あった。

「河内山」は、河竹黙阿弥が、明治14(1881)年3月に初
演した狂言。明治期に書かれた江戸の世話物だから、幕末期の世
話物の重苦しさはない。明るいのだ。初演時の河内山は、明治期
の「劇聖」の九代目團十郎だった。

「河内山」は、5回目の拝見。河内山宗俊は、吉右衛門(3)、
幸四郎(1)で、今回の仁左衛門は、初見。「河内山」は、科白
回しが難しい芝居だ。それも、無理難題を仕掛ける大名相手に、
金欲しさとは言え、寛永寺門主の使僧(使者の僧侶)に化けて、
度胸ひとつで、町人の娘を救出に行く。最後に、北村大膳に見破
られても、真相を知られたく無い大名側の弱味につけ込んで、
堂々と突破してしまう。権力者、なにするものぞという痛快感が
ある。悪党だが、正義漢でもある河内山の、質店・上州屋での、
「日常的なたかり」と、松江出雲守の屋敷での、「非日常的なゆ
すり」での、科白の妙ともいえる使い分け。悪事が露見すると、
科白も、世話に砕ける。仁左衛門は、口跡も良い。時代と世話の
科白の手本のような芝居だし、江戸っ子の魅力をたっぷり感じさ
せる芝居だ。度胸と金銭欲が悪党の正義感を担保しているのが、
判る。そういう颯爽さが、この芝居の魅力だろう。それを東京育
ちとは言え、上方歌舞伎の名跡を継ぐ仁左衛門が初めて演じるの
だから、注目せざるを得ない。最後の「馬鹿めーー」という仁左
衛門の科白は、江戸っ子そのもの。偽の使僧ながら、貫禄充分。
この一言で、江戸の庶民の溜飲を下げさせた気持ちが現されてい
た。

このほかの役者では、相変わらず、芦燕の北村大膳が良い。河内
山の正体を見抜いた松江出雲守邸の重役・北村大膳は、権力に胡
座をかいているが、危機管理者としては、失格者、つまり、上州
屋質店の番頭と同格に北村大膳を描いているからだ。そういう眼
で、この場面を観ると、大膳役は、今回の芦燕が、だんぜん、巧
い。駄目な中間管理職の雰囲気を巧みに出している。こういう人
は、どこの職場にもいるのではないか。芦燕の、狡そうな、それ
でいて、駄目そうな大膳の描き方が、やはり、巧いのである。同
じく、実務の危機管理の失格者が、上州屋の番頭・伝右衛門。松
之助は、軽率な上州屋の番頭をリアルに、巧く演じていた。太っ
ていて、ぎょろ目で、質屋の番頭そのものになりきっている。仁
左衛門の河内山が、いっそう、颯爽として見えてくる。脇にこう
いう役者がいると、主役もやりやすいし、舞台に奥行きが出る。

松江出雲守は、癇癪もちの殿様。いまなら、セクハラだ。梅玉
が、3回目だが、こういう性格の殿様役は、巧い。このほか、腰
元・浪路に孝太郎、家老・高木小左衛門に左團次、近習頭、宮崎
数馬に、信二郎、腰元にひとりに芝のぶなど。

贅言:河内山の偽の使僧の名前は、北谷道海(きただにのどうか
い)。これは、「(松江邸に)来ただに、(これで)どうかい」
の洒落か。
- 2004年11月26日(金) 7:04:50
2004年11月・歌舞伎座 (昼/「箙の梅」「葛の葉」「積
恋雪関扉」「松栄祝嶋台〜お祭り〜」)

顔見世興行の歌舞伎座は、特に、昼の部は、普通の顔見世という
より、松嶋屋の顔見世という印象が強い。仁左衛門の孫、孝太郎
の長男、初代千之助(4)の初舞台なのだ。松嶋屋三代のお披露
目とあって、歌舞伎座、2階ロビーのギャラリーには、さまざま
な花籠が、所狭しと並ぶ。京都の御茶屋さんからタレント(松た
かこ、大楠道代など)まで、じいちゃん、おとうさんの関係者
が、ずらり。祝幕は、中央に、暴れ熨斗。7枚の熨斗をまとめた
形。それぞれの熨斗には、子供用らしく、手鞠、巻物、玩具の太
鼓の絵などが、描かれている。その左隣に、仁左衛門家の紋の一
つ、「追いかけ五枚銀杏」。下手は、片岡千之助丈江。上手下に
は、資生堂の横文字と「ねのひ」。いつもの、顔見世月より、華
やかだ。

まず、初見の「箙(えびら)の梅」は、岡本綺堂歌舞伎。平家物
語をベースにした歌舞伎では、憎まれ役を勤めさせられることが
多い佞人梶原一家の物語。父・梶原平三景時(通俗日本史では、
腹黒悪人として、「げじげじ」の渾名がある。「石切梶原」のと
きだけ、捌き役で、例外的に恰好が良い)、長男・梶原源太、次
男・梶原平次景高(「熊谷陣屋」では、陣屋の奥に隠れて聞き耳
を立てていて、「義経熊谷心を合わせ、敦盛を助けし段々、鎌倉
へ注進する。待っておれ」と言い捨てて、駆け出すと、どこから
か飛んで来た手裏剣が、「骨をつらぬく鋼鉄の石鑿」というわけ
で、「うんとばかりに息絶えたり」という実に損な役どころ)の
3人が、珍しく揃う。このうち、梶原源太だけは、父や弟が敵役
だというのに、鎌倉随一の美男として、立役の役どころであり、
今回も、不粋の坂東武者のなかにも、風流を解する詩人がいたと
いう話で、恰好がよい(梅川忠兵衛「封印切り」の場面では、悲
劇を前に、大坂新町揚屋「井筒屋」の店先まで来た忠兵衛が、躁
鬱の幅が大きいまま、「自惚れながら、梶原源太はおれかしら
ん」と寂しくはしゃぐときに、引用されるような色男の代名詞に
なっている)。

この芝居でも、外題が示す「箙(えびら)の梅」は、源太(梅
玉)が、鎧の上の腰に付けていた箙(矢を入れて携帯する容器)
の矢が尽きてしまい、戦場となっている生田城近くで立ち寄った
生田の森の民家の庭に咲いていた紅梅の枝を入れて、戦場に戻
り、勇ましく闘ったところから、名付けたもののようだ。紅梅が
咲く民家の娘が、梅ヶ枝(孝太郎)で、源太に一目惚れをしてし
まい、戦場近くまで後を追い、途中で、流れ矢に当たり、その傷
が元で、亡くなってしまうというだけの話。まあ、敢て言えば、
「戦火のなかの恋」、「戦場の風流」がテーマか。梅の枝が、恋
のキューピット役というところ。それにしても、芝居としても、
薄味だ。しかし、梅玉は、こういう、判りやすい役は、巧い。孝
太郎は、恋する娘にしては、声が高過ぎて、情緒がない。坂東武
者を敵ながら誉める平家方の大将、平重衡を演じた我當は、科白
が、言いにくそう。だから、科白が堅くなる。先月の国立劇場
「伊賀越道中双六」の平作の名演技の影も形もないのが、残念。
平家方の後藤兵衛に、我當の息子、進之助。梅ヶ枝の父に、段四
郎。平三景時は、芦燕で、平次景高は、玉太郎だが、芦燕の平三
は、「げじげじ」平三の味を出していた。脇で、味があったの
は、梅の木がらみのところで出ていた農夫女房のふたり、おいね
の吉之丞とおくろの歌江は、そこに居るだけで、芝居が深まる。

「葛の葉」は、おもしろかった。4回目の拝見。この芝居のテー
マは、「情愛の深さ」だろう。葛の葉&葛の葉姫のふた役は、鴈
治郎で2回。福助、雀右衛門で、それぞれ、1回観ている。狐だ
ろうと、人間だろうと、子を思う母の気持ちは変わらない、普遍
的な母性には変わりがないと、母性の情を色濃く出すのが、雀右
衛門なら、鴈治郎は、母性と言えども、狐の化身たる葛の葉に
は、人間とは異なる超能力を持つ異形者(獣性)としての味わい
があるということで、色気を感じさせる異形を滲ませながら、描
いているように思える。その鴈治郎が、葛の葉と葛の葉姫のふた
役を演じ分けていて、趣があった。特に、奥座敷の場では、狐の
化を滲み出しながら、まだ、女房の葛の葉なのだが、鴈治郎は、
右手を懐に入れて、左手を袖のなかに入れて、という恰好で、手
先を観客に見せないようにして、奥の暖簾うちから出て来る。ド
ロドロの音に合わせて、遠くの木戸を開けてみせたり、保名との
間にもうけた童子が、寝ているところに立て掛けてある屏風を一
回転させたり、やがて、手先を見せると、狐手に構えていたり、
足取りも、狐のようにしたりで、じわじわ、獣性を滲み出して来
る辺りは、なんとも、巧いものだ。

道行の葛の葉は、狐の口を付けて、塗笠を被ってスッポンから出
て来る。途中で、狐の口は、塗笠のなかへ、仕舞い込まれる仕掛
けになっているが、その後の狐の正体を現し、忠信狐の雌版のよ
うな衣装に早替りする(ふたりの奴を、巧く、赤幕のように使っ
て、ふたりの後ろで早替りをしてみせた)ことを思えば、狐の正
体を現すまで、狐の口を付けたまま、という想定で演じているの
だろうと思う。前回の雀右衛門の舞台では、道行は、なかった
し、前々回の福助の舞台では、スッポンの出から狐への早替りの
間に、小さな縫いぐるみの狐を見せる場面があったから、気が付
かなかったのだが、今回の演出を観ていると狐の正体を現すま
で、狐の口を付けたまま、という想定で演じているのだろうとい
う思いが、いっそう強くなった。狐の衣装に早替りした鴈治郎
は、紫の鉢巻きで病巻きをしているなど、童子を人間界に残して
来た狐の母性を滲ませていて、哀れであった。子を思う異形の者
の哀しみ。それが、鴈治郎の葛の葉であったと思う。

このほか、安倍保名は、今回は、翫雀。鴈治郎そっくりに見える
ときがある。信田庄司は、左團次、妻の柵は、東蔵。

贅言:葛の葉を演じた3人のうち、奥座敷での障子に書く字は、
何と言っても、雀右衛門が、いちばん巧い。雀右衛門さんとは、
一度、パーティの席で話をしたことがあり、ちょうど、お出しに
なった直後の著書「女形無限」を私が持っていたので、記念に署
名をしていただいたが、老眼で目が良く見えないといいながら、
筆を取られた筆跡は、素晴しい達筆であった。鴈治郎の字は、残
念ながら、あまり巧くはない。もっと、下手なのが、福助であっ
た。福助の祖父、五代目歌右衛門の口書きは屏風仕立てで、いま
も残っているそうだから、演技もさることながら、お祖父さんに
負けないように習字の研鑽も努めて欲しい。将来の七代目歌右衛
門襲名に日まで、そう時間がないだろう。

「積恋雪関扉」は、3回目の拝見。これまでの2回は、いずれ
も、幸四郎の関兵衛、実は、大伴黒主であった。こういう役は、
幸四郎の方が、持ち味にあっている。吉右衛門の関兵衛、実は、
大伴黒主は、今回が、私は、初見だが、吉右衛門の持ち味では、
こういう役は、あまり、似合わない。実悪の大きさが出ない。洒
落っ気は、巧いのだが・・・。

「積恋雪関扉」は、関兵衛を軸にしたふたつの芝居からできてい
る。前半は、小野小町(魁春)と良峯少将宗貞(富十郎)との恋
の物語と宗貞の弟・安貞の仇討(大伴黒主に殺されている)の話
が底奏通音となっている。後半は、かって安貞と契りを結んでい
た小町桜の精が、関兵衛の正体を大伴黒主ではないかと疑って、
敵討ちに来るという話。複雑な話なので、筋を追うより、古怪な
味わいの所作事を楽しめば良いか。

小野小町、傾城・墨染、実は、小町桜の精のふた役を同じ役者が
演じる場合と別々の役者が演じる場合とが、あるが、今回は、魁
春が、小野小町で、福助が、傾城・墨染、実は、小町桜の精と演
じ分けた。前回は、芝翫のふた役(99年1月、歌舞伎座)で
あった。前々回は、福助と芝翫(96年12月、歌舞伎座)で
あった。上演記録を見ると、六代目歌右衛門は、ひとりでふた役
を演じることが多かったようだが、ここは、ひとりふた役の方
が、私には、落ち着きが良いように思えた。

福助は、後ろ姿が、良い。ほかの女形と違って、後ろ姿も、女性
そのもの。多分、帯の巻方が巧いのだろう。福助の所作は、
段々、六代目歌右衛門に似て来たように思える。妖艶さを演じれ
ば、福助は、玉三郎と肩を並べそうだ。魁春の初々しさ、踊りの
冴えも、良かった。病み上がりの富十郎は、所作事の安定振り
は、さすがである。

「松栄祝嶋台〜お祭り〜」は、仁左衛門の孫、孝太郎の長男の千
之助の初舞台とあって、普通の「お祭り」とは、一味もふた味も
違っていた。清元の文句が、山王祭の山車に因んで「申酉の」で
始まるから、通称「申酉(さるとり)」という「お祭り」自体
は、6回目の拝見になる。今回は、松嶋屋ファミリーのお披露目
の舞台であり、千之助の初舞台の趣向の数々が、随所にあるの
で、見逃さないようにしたい。そう言えば、4年前の2000年
2月の歌舞伎座で、「春待若木賑」という外題で、種太郎、種之
助、竹松の子どもたちの「お祭り」という、一風変わった舞台も
拝見している。

今回は、祖父・仁左衛門の鳶頭に父・孝太郎の芸者という基本軸
にしながら、孫の千之助(眼が孝太郎似)が、若鳶で絡む、若鳶
の子守として、秀太郎の養子・愛之助が、きめ細かくフォローし
ていた。そのお陰で、千之助の演技は、節目節目が、きちんと決
まっていて、大喝采を受けていた。それに、千之助は、花道の出
から、舞台に居る間、ずうっと、嬉しそうにニコニコしていて、
観客席の笑いを誘っていた。さすがに、祖父と父に挟まれての口
上のときは、緊張した表情だったが・・・。それでも、「片岡千
之助です。よろしくお願いします」と、ハキハキとした声で挨拶
をしていた。本当に舞台に上がるのが好きらしい。その役者魂た
るや。4歳にして、将来愉しみな役者である。

家紋の「追いかけ五枚銀杏」を銀杏を紺で染め抜いた白地の衣装
(城縮緬に首抜き)も凛々しい仁左衛門の鳶頭は、桃色の牡丹の
花を付けた花笠と同じ牡丹の絵柄の扇子を持っている。孝太郎の
芸者は、恋文を思わせる天紅の扇子。舞台上の提灯は、上手下手
が、歌舞伎座の紋の入った7つの提灯。真ん中は、いずれも、松
嶋屋の家紋「七ッ割丸に二引」の紋の提灯4つと「追いかけ五枚
銀杏」の紋の提灯3つという組み合わせ。

さて、獅子舞が、2組出て来た。ひとつは、前脚と後脚の組ん
だ、つまり、4つ脚の普通の獅子舞。もうひとつは、脚が、6つ
ある。どういう趣向かと観ていたら、2組の獅子舞が、「横転」
してみせた。そしたら、脚が6つある獅子舞の、いわば、「腹」
から、ニコニコした千之助が、「生まれ出て来た」から、再び、
大喝采。真ん中の脚をしていた役者が、獅子舞の「腹」のなか
に、千之助を抱いたまま、演技をしていたというわけだ。
- 2004年11月23日(火) 18:26:09
2004年11月・国立劇場  (通し狂言「噂音菊柳澤騒
動」)

今回のキーワードは、「てれこ」

本格的な「てれこ」構造の芝居を初めて観た。まず、「てれこ」
とは、広辞苑によると、・「交互にする。また、くいちがいに
なっていること。あべこべ」とある。まあ、これが、「てれこ」
の、普通の意味であろう。しかし、広辞苑には、・がある。「歌
舞伎の脚本で、二つの異なる筋を一つの脚本にまとめ、交互に筋
を進行させること」。さらに、歌舞伎事典によると、こうある。
「脚本、演出用語。異なる筋の脚本を交互に展開上演すること。
三世瀬川如皐の《東山桜荘子》(田舎源氏と佐倉宗吾を交互に演
じた上演形態)などがその例」。

広辞苑と歌舞伎事典の説明は、同じようであるが、違う。広辞苑
は、一つの脚本の趣向を意味し、歌舞伎事典は、二つの脚本を交
互に展開する演出の趣向を意味している。「てれこ」の「東山桜
荘子」は、観ていないが、「てれこ」の演出ではない、佐倉宗吾
の「佐倉義民伝」は、観たことがある(02年12月の歌舞伎座
で、勘九郎初演の木内宗吾は、熱演であった)。今回の「噂音菊
柳澤騒動」は、広辞苑の意味の、「てれこ」構造を持った脚本
で、さらに、「二つの異なる筋」に接点を持たせ、両方が、一
瞬、一体化するという趣向もあり、作者の河竹黙阿弥らしい趣向
豊かな、本格的な「てれこ」作品と言え、おもしろいのではない
かと思いながら、舞台を観ていた。

河竹黙阿弥の原作では、外題を「裏表柳團画(うらおもてやなぎ
のうちわえ)」と言った。1875(明治8)年の作品である。
主演は、明治の「劇聖」と言われた九代目團十郎。團十郎ゆえ
に、外題に「團」の字を入れ、これ一字で、「団扇(うちわ)」
を意味させ、柳澤を描いた団扇画の裏表を意味させるとともに、
「てれこ」の裏と表の「二つの異なる筋」を意味させると言う、
卓抜な外題であったと思う。外題で言えば、断然、黙阿弥の原題
の方が、優れていると思う。

さて、今回の、「てれこ」構造の芝居は、幾つもの「裏と表」を
持っていると思う。ひとつは、「時代と世話」という裏表の演劇
構造である。「時代もの」としては、柳澤吉保が、五代将軍綱吉
の歓心を買い、奥方のおさめの方のセックスまで提供し、綱吉の
子を孕ませ、その子を六代将軍にさせ、己が、六代将軍を操ろう
という野心家・吉保の野望が、展開され、挫かれるまでの、お家
騒動ものという仕掛けである。武ばった「時代もの」らしい、大
道具、衣装、科白の芝居が展開する。

一方、「世話もの」としては、江戸・柳橋の船宿「出羽屋」で
も、武士の世界と同じような人間模様が展開し、出羽屋忠五郎の
妻のおりうが、亭主・忠五郎の指示で、亭主の元の主人・武蔵屋
徳兵衛と不倫関係に入り、子を孕み、徳兵衛から金を引き出すと
いう野望が、最後は、砕かれるまでの、物語であり、良く似た裏
表の関係にありながら、「二つの異なる筋」が、交互に展開す
る。

ふたつ目の「てれこ」構造は、柳澤出羽守吉保の名字の「柳澤」
「出羽守」と出羽屋のある、江戸の地名、「柳橋」「出羽屋」と
いう、ふたつの「柳」と「出羽」が、裏表になっているという趣
向である。

三つ目の裏表は、武士と庶民という違う世界が、交互に描かれ、
それでいながら、テーマの、「人間の色と欲」は、武士も庶民も
同じという共通性を強調している、つまり、人間に裏も表もある
ものか、裸にすれば、武士も庶民も、色と欲の固まりではないか
という黙阿弥一流の人間観が、前面に出てくるという仕組みに
なっているようである。

「てれこ」構造の芝居の、接点は、三幕目第一場「朝妻船遊興の
場」で、白拍子姿のおさめと小忌衣(おみごろも)姿の綱吉の、
ふたりの色模様を柳澤吉保が、操り人形の人形遣のように、操る
という場面があり、次の第二場「駒止橋出羽屋別宅の場」では、
セックスに耽った疲れで眠り込んだ木場の豪商(材木問屋)の武
蔵屋徳兵衛とおりうが、目覚めると、ふたりで朝妻船遊興という
同じ夢を見ていたことを知るという場面があり、綱吉とおさめの
方のふたりは、武蔵屋徳兵衛とおりうのふたりにぴたりと重なる
という演出をとっている。そして、武蔵屋徳兵衛とおりうの情事
を隠していた衝立には、琵琶湖東岸の朝妻と西岸の大津を結ぶ渡
し船の、通称「朝妻船」に乗った白拍子姿の船遊女と小忌衣の殿
方が描かれているという趣向である。この絵を描いた英一蝶(は
なぶさいっちょう)は、綱吉が、柳澤家の下屋敷(江戸駒込の
「六義園」)で、吉保の妻・お伝の方の饗応を受けている様を描
いたとして、断罪され、遠島に処せられたという。絵と夢で、芝
居の方では、綱吉とおさめの方のふたりは、武蔵屋徳兵衛とおり
うのふたりにぴたりと重なるというわけである。お気付きと思う
が、「駒込の柳澤家下屋敷」と「駒止橋出羽屋別宅」も、ぴたり
と重なる。

さて、実は、この芝居の最大の「てれこ」は、六代将軍家宣(甲
斐徳川家最後の甲府=甲斐府中=藩主・徳川綱豊。綱豊を主人公
にした歌舞伎では、真山青果「元禄忠臣蔵」の「御浜御殿綱豊
卿」が、良く上演されるので、知っている人も多いだろう。さ
て、武田勝頼自害で、甲斐武田家が滅び、甲州は、信長の支配下
に入る。その後、「本能寺の変」で信長が滅びると、甲州は、徳
川家康の支配下に入り、甲斐徳川家が続く)と柳澤吉保(武田勝
頼家臣の系譜で、徳川家以外で、最初の甲府藩主。五代将軍綱吉
が死去すると、吉保は、隠居、息子の吉里が二代目になるが、吉
里は、その後、大和郡山の藩主に転封する)のふたりの人生の交
互性ではないのか。

つまり、綱豊が、「甲府藩主」から綱吉の養子・家宣になると、
吉保は、川越藩主から「甲府藩主」になり、綱吉の側近から老中
に上り詰める。綱吉死去に伴い、家宣が、六代将軍に「就任」す
ると、吉保は、逆に、「隠居」するというように、ふたりの人生
は、まさに、「てれこ」になっているのである。こういうことを
総合的に勘案して、黙阿弥は、ふたりの「史実=てれこ人生」を
「芝居=てれこ構造」にしようと発想したのではないかと、私
は、思う。これが、黙阿弥の趣向あふるる芝居精神であると思う
が、実際の舞台は、科白劇の部分が、意外と多く、芝居としての
見せ場が少ないよいう感じた。

おもしろかったのは、柳澤邸の奥座敷を吉原に見立てる二幕目第
二場「柳澤邸内奥座敷酒宴の場」。吉保(菊五郎)は、綱吉(菊
之助)を歓待するため、奥座敷を、吉原に見立て、局を茶屋の女
房や遣り手婆に変え、腰元を新造や茶屋女に変え、女小姓を禿に
変え、家臣を辻占売りや廓の若い者などに変え、という趣向をす
る。さらに、おさめの方(時蔵)が、花魁の高尾太夫に扮し、花
魁道中までしてみせる。演出家・菊五郎は、さらに、サービス満
点で、己が、幇間に扮し、皆で、いま流行りの「マツケンサン
バ」を披露し、観客席の笑いを誘う。

武蔵屋徳兵衛(菊之助)とおりう(時蔵)のふたり。奥座敷の蚊
帳のなかでの情事の後を窺わせる二幕目第三場「柳橋出羽屋の
場」は、笑いの場面の後に、世話の濡れ場に場面展開する。

三幕目第一場「朝妻船遊興の場」は、先ほど、触れたように、綱
吉とおさめの方の所作事。絵面の納まりも、綺麗な見せ場。

三幕目第二場「「駒止橋出羽屋別宅の場」は、朝妻船遊興の夢を
見ていた武蔵屋徳兵衛とおりうのふたりが、しどけない。ふたり
の情事を知りながら、女房のおりうを操り、徳兵衛から千両の土
地を権利書(沽券)をせしめる亭主の出羽屋忠五郎(菊五郎)と
おりうの兄の五郎蔵(彦三郎)の悪だくみの場。

大詰第二場「城内奥御殿蔦の間の場」では、綱吉が、養子の家宣
(綱豊)ではなく、吉保の子(吉里)が、おさめの方に産ませた
実子だとして、六代将軍の地位を吉里に譲ると御台所操の前(時
蔵)に言い出す。それでは、「天下(てんが)が、乱れる」と反
対する操の前は、雷鳴轟き、稲光が走るなかで、将軍殺しを敢行
する。この場面は、この芝居のハイライトで、見応えが、あった
が、惜しむらくは、雷鳴が、効果音であったこと。ここは、効果
音ではなく、あくまでも、歌舞伎らしく、黒御簾音楽、特に、太
鼓を巧く使って欲しかった。音響だけ、現代劇という演出は、頷
けなかった。

大詰第三場「城内奥御殿元の広間の場」では、綱吉急病を聞き付
けて、駆け付けて来た吉保が、将軍謁見を望んだが、正義の味
方・加納大隈守(松緑)らに阻まれる。吉保は、「伽羅先代萩」
の「刃傷」の場面の、仁木弾正のような悪役振りを見せる(史実
の吉保は、綱吉のイエスマンで、策謀家、辣腕の悪役というよ
り、才気のない、愚直なほど従順な人物だったらしい)。

大詰第四場「深川木場材木河岸の場」は、世話ものの方の大団
円。突然亡くなった徳兵衛の遺言で、おりうの産んだ実子ではな
く、養子に家督を譲ることになり、悪役忠五郎は、主人徳兵衛の
代わりにということで、木場の筏乗りたちに囲まれて、大立ち回
りとなる。これも、見せ場。いつもの、黒衣ではなく、水衣(み
ずご)、雪衣(ゆきご)が、サポートするので、見逃さぬよう。

贅言:・時蔵の扮したおりうの持つ団扇は、2枚。ひとつは、役
者絵が描かれていた。もうひとつは、良く判らなかったが、いず
れにせよ、団扇は、黙阿弥の、もとの外題「裏表柳團画」をさり
げなく、強調しているように見えた。「おりう」は、また、「柳
(りゅう)」であろう。

贅言:・狂言のなかで、対立する後継争いは、みな、甲府と関係
があるので、国立劇場の1階ロビーでは、山梨県の物産販売の
コーナーが、あった。ただし、山梨の物産に、あまり工夫はな
く、紋切り型の、どこにでもある山梨土産で、がっかり。

さて、さいごになったが、役者論を少し語ろう。吉保、忠五郎と
いう、裏表の悪役の主役を演じた菊五郎は、さらに、あと、ふた
役を演じていた。ひとりは、白髪の老忠臣・井伊掃部守と茶道の
才能を吉保に認められて出世した三間右近という善人の傍役をも
演じていた。このうち、三間右近は、柳澤家家老の曽根権太夫
(團蔵)から吉保の命だとして綱豊暗殺を唆されるが、結局、自
害して果てる。この三間右近が、茶道を嗜む文化人で、文化好き
の吉保の庇護を受けて出世したという人物造型だったので、私
は、日野龍夫「江戸人とユートピア」という本の中で、「壷中の
天ーー服部南郭の詩境」という章に描かれた「近世を通じて屈指
の漢詩人」服部南郭をモデルに黙阿弥が、三間右近をイメージし
たのではないかと、思った。

菊之助は、日々、成長しているようだ。菊五郎の4役には、及ば
ないが、将軍綱吉、木場の豪商・武蔵屋徳兵衛、三間下女・おし
ずの3役をきちんと演じ分けていた。

時蔵も、3役。おさめの方、おりう、操の前。特に、おさめの方
とおりうの対比は、くっきりとしていて、見応えがあった。田之
助も、綱吉の母・桂昌院、右近の母おせつ、操の前を助ける岡本
の局の3役だが、似たような人物造型で、存在感が薄かったの
は、残念。松助は、牧野備前守、松也は、近習。松緑は、操の前
を助ける正義の味方・加納大隈守。権十郎も、「天下の乱れ」を
綱吉に諫言する。團蔵は、柳澤家家老の曽根権太夫で、吉保の陰
謀を支える。萬次郎は、柳橋出羽屋の近所の女房で、船頭の長次
を演じた亀蔵とともに、世話の世界を補強する。彦三郎は、おり
うの兄・五郎蔵で、忠五郎の悪事に加担する。亀三郎と亀寿の兄
弟は、近習。
- 2004年11月12日(金) 22:55:37
2004年10月・国立劇場  (通し狂言「伊賀越道中双
六」)

国立劇場の定式幕は、歌舞伎座の定式幕とは、配色の順番が違
う。歌舞伎座のは、かって、木挽町にあった守田座の幕を引き継
ぐ形で、使っていて、黒・柿・萌葱の順。これに対して、国立劇
場の定式幕は、市村座の配色を引き継いでいて、黒・萌葱・柿で
ある。柝が鳴り、定式幕は、大道具方が、下手から、ゆっくりと
曵きはじめる。やがて、大間に歩き、早足になり、そして、全力
で疾走しはじめる。

「伊賀越道中双六」は、「沼津」の部分は、3回目の拝見だが、
通し狂言としては、初めて観る。演じる方も、上方の成駒屋・中
村鴈治郎と翫雀の親子、松嶋屋の片岡我當と進之介の親子、我當
の弟・秀太郎、音羽屋の坂東彦三郎と竹三郎、加賀屋の中村魁
春、萬屋の中村信二郎、八幡屋の中村亀鶴、澤潟屋の市川寿猿
(脇で渋い演技が良かった)、我當の弟子の美吉屋の上村吉弥な
どで、初役が多い。初役は、役者も、役づくりに工夫をすること
が多いから、愉しみである。例えば、政右衛門と十兵衛の二役を
演じる鴈治郎も、政右衛門役は、初めて。我當の雲助平作役も、
魁春の政右衛門の妻・お谷役も、信二郎の仇役・股五郎役など
も、初役。

また、成駒屋と松嶋屋が、軸になることで、上方歌舞伎の流れを
組む役者が多くなり、上方演出の「伊賀越道中双六」になるの
も、楽しみ。科白回しだけでなく、衣装なども、江戸の演出と
は、細かく違うという。本来、丸本時代物の演目だが、脇筋の
「沼津」は、時代物のなかの世話物で、最近では本編が上演され
ず、この脇の世話物「沼津」が良く上演されるが、今回は、本来
の形に近い、通しとなる。序幕、二幕目の前半は、時代で、三幕
目の「沼津」で、世話にくだけ、その後、大詰の仇討の場で、時
代に戻る辺りのトーンの違いを味わうのも、見どころ。

まず、初見の序幕。「鎌倉和田行家屋敷の場」では、沢井股五郎
(信二郎)による和田行家(竹三郎)殺しがある。行家を殺し
て、和田家の家宝の刀「正宗」を盗み出して、逐電してしまう。
和田家嫡男の志津馬(亀鶴)が、この股五郎を追い掛け、仇討を
果たすまでが、「伊賀越道中双六」のメインストーリー。股五郎
逐電の際、股五郎は、志津馬の脚に斬り付け、怪我を負わせる。
己も行家に眉間に傷を付けられる。亀鶴は、嫡男だが、頼り無い
若者の感じを出していた。信二郎は、猿之助一座の段治郎、成駒
屋の橋之助らと共に、若手で色悪を演じられる数少ない役者だと
思っている。

次いで、同じく、初見の二幕目。第一場「大和郡山唐木政右衛門
屋敷の場」では、志津馬の敵討ちに助太刀するため、政右衛門
(鴈治郎)は、不義密通で結婚し、和田家から絶縁されている志
津馬の姉で、内縁の妻のお谷(魁春)と離縁をし、改めて、お谷
の義妹にあたる、7歳のおのちと形ばかりの再婚をし、正式に志
津馬の妹の夫という立場になる話。内縁では、藩主から敵討ちの
許可が降りないだろうという配慮なのだが、それが、妻のお谷に
も、夫婦の後見人である郡山藩の重臣・宇佐美五右衛門翁(彦三
郎)にも、唐木家家臣の石留武助(寿猿)にも、知らせないま
ま、いきなり、花嫁の御入来、そして、祝言となるから関係者
は、歎いたり、怒ったりする。まあ、そこが、この芝居の趣向
で、幼い花嫁は、盃の取り交わしの後に、饅頭を欲しがり、花婿
と饅頭をふたつに分け合って食べる場面があり(だから、この場
面の通称は、「饅頭娘」という)、まるで、「帯屋」の「お半長
右衛門」のカップルのように見える。この辺りも、上方味で、楽
しめる。また、こういう役は、鴈治郎は、自家薬籠中のものであ
る。滋味さえある。

ここでは、背景となる襖に書かれていた漢詩が気になったので、
写してみた。襖1枚に、五言で3行。それが、4枚で、12行。

黄鶴西樓月
長江萬里情
春風三十度
空憶武昌城
送爾難為別
衝杯惜未傾
湖連張楽地
山逐泛舟行
諾謂楚人重
詩傅謝○清  (○は、「月」偏に「兆」)
滄浪吾有曲
寄人櫂歌聲

雄大な自然を前にして、別離を惜しむ人々の思いが伝わって来
る。義弟の敵討ちに為に、愛する妻と、いわば「政略離婚」をす
る場面の背景である。


第二場「大和郡山誉田家城中の場」、通称「奉書試合」では、郡
山藩主・誉田大内記(翫雀)の前で、宇佐美五右衛門(彦三郎)
の推挙を受けた唐木政右衛門(鴈治郎)が、誉田家剣術指南番の
桜田林左衛門(橘三郎)との御前試合に臨む。銀地に家紋の襖。
銀地に山水画の衝立。奉書のある床の間には、「春日大明神」
「天照皇大神」「正八幡大武神」の掛け軸が飾ってあった。武
ばった場面である。次に、くだける世話場を前に、精一杯、武
ばっているのだろう。

政右衛門は、ここでも、わざと林左衛門に負けて、郡山藩から自
由の身になり、志津馬の敵討ちに助成しやすい立場にしようと企
んでいる。しかし、名君誉田大内記は、御前試合で、わざと負け
た政右衛門を不忠者として、成敗しようとするが、素手と奉書で
立ち会いながら、殿に神蔭流の奥義を伝授する政右衛門の対応に
感じ入り、「首尾よう本望」を遂げるように励ます。政右衛門と
大内記との知恵競べの場面。翫雀の声が、大きすぎるのが、気に
なった。ここは、御前試合、その後の殿との立回りを含めて、殺
陣を楽しむ。つまり、序幕、二幕目は、敵討ちへの伏線の説明。
ここまで、テンポ良く、筋が、展開する。

そして、三幕目が、いつもの「沼津」。銀地の襖と裃という、
「時代」から、一転して、くだけた「世話」場で、上方味の科白
のやりとりで、客席を和ませる。志津馬の仇の沢井家に出入りし
ている商人・呉服屋十兵衛(鴈治郎)と怪我をした志津馬を介抱
するかつての傾城・瀬川こと、お米(秀太郎)の父親・雲助の平
作(我當)が、たっぷり、上方歌舞伎を演じてくれる。これは、
茶気のある老人、小賢しいが善良な庶民を演じていて圧巻だっ
た。

十兵衛は、実は、養子に出した平作の息子の平三郎ということだ
が、当初は、小金を持った旅の途中の商人としがない雲助(荷物
持ち)という関係だが、途中から、親子だと言うことが判って
も、敵同士の関係ということで、お互いに、親子の名乗りが出来
ないまま、芝居が、進行する。行方の判らなかった実の親子の出
会いと、親子の名乗りをした直後の死別(自害)、その父と子の
情愛(特に、父親の情が濃い)という場面では、初役ながら、娘
の恋人志津馬のために、仇の股五郎の居所を聞き出すために、己
の命を懸けてまで、誠実であろうとする我當の熱演が光る。

客席のあちこちから、もらい泣きの声が、聞こえる。十兵衛は、
そういう命を懸けた平作の行為に父親の娘への情愛を悟り(自分
の妹への情愛も自覚し)、沢井家に出入りする商人でありなが
ら、薮陰にいる妹のお米らにも聞こえるように股五郎の行く先を
教える。死に行く父親に笠を差しかけながら息子は、きっぱりと
言う。「落ち着く先は、九州相良」。最後は、親子の情愛が勝
り、「親子一世の逢い初めの逢い納め」で、親子の名乗り。父は
死に、兄は渡世を裏切り、妹は兄に詫びる。3人合掌のうちに、
幕。「七十になって雲助が、肩にかなわぬ重荷を持」ったが故
に、別れ別れだった親子の名乗り。古風な人情噺の大団円。

本来、テキストとして見ても、「沼津」は、十兵衛よりも、平作
の為所(しどころ)中心で、正解なのだろうと思う。初役の我當
は、はまり役と観た。以前観た、勘九郎の平作も良かった。当代
仁左衛門の平作も良いかもしれない。

さて、贅言:この三幕目の愉しみは、歌舞伎独特の舞台転換の
妙。かっての「東の歩み」同様の客席間の通路を通って行く十兵
衛と平作のやりとりが、おもしろい。一階の観客らを絡ませた
「捨て台詞(つまり、アドリブ)」が見せ場となる。その間、観
客の関心をふたりに引きつけておき、廻り舞台を使わずに、大道
具を早替わりさせる、いわゆる「居処替わり」という演出で、
「沼津棒鼻」の宿場(御休所・茶店の娘、休憩する旅人たち。妊
婦と夫のふたり連れがいる。飛脚が通る。巡礼が通る。野菜売の
村の女が通る。江戸時代、東海道の旅の様子が良く判り、この幕
開きは、私の好きな場面)と稲刈りを済ませた田畑の野遠見(上
手に富士山)から富士山が真ん中にある松並木の野遠見へ。

平舞台の大道具の茶店や床几が下手に引っ込められ、遠見は、上
下の部分が、それぞれ、上と下に引き込まれ、中央真ん中の部分
が、上下にふたつに折れて、裏側の絵が出てくるという仕組み。
舞台の配置が調う頃、やがて、十兵衛と平作のふたりは、花道を
上がって来る。そこへ、墓参り帰りのお米(秀太郎)。どこかで
摘んで来た野の花を手に持っているのが似合い可憐な女性だが、
志津馬が入れ揚げた元傾城・瀬川のお米という複雑な女性だけ
に、難しい役だ。可憐な娘の下地に傾城が滲み出て来なければ成
らないからだ。お米が、3回目という秀太郎は、ていねいに演じ
ている。お米に見とれ、一目惚れの体の十兵衛の鴈治郎も、こう
いう役は、さすがに、巧い。

次は、普通に、廻り舞台で、「平作住居の場」。次いで、「千本
松原の場」への転換は、やはり、「居処替わり」。今度は、平作
住居の世話木戸の扉や垣根だけを大道具方が持ってゆく。その上
で、住居の二重舞台が舞台奥へ引き込む。住居の屋根が前に倒れ
てきて、後ろ側の背景が真ん中から上下にふたつに折れて、裏側
の絵(松林)が出てくるという仕組みで、早替わり。木戸の棒だ
け、平舞台に残るが、いずれの早替わりも、あっと言う間の変化
で、見落としているうちに、残されていた木戸の棒が、いつの間
にか「千本松原」を示す道標の杭になっていた。前回も、良く判
らないうちに変わっていたが、ここは、杭が、回転して、裏と表
を使い分けているのだろうか。

大詰。「伊賀上野城下口の場」。鍵屋の辻である。舞台上手に
「かぎや」という小さな旗がある茶店。店の障子には、「銘酒 
鬼ごろし」「有肴 含む めし」と大きく書いてある(肴は、頭
付きの鰯)。舞台中央に石の道標。「ひだり うえの」「みぎ 
いせミち」と彫り込んである。舞台下手には、奉行の定め書きの
立看板。やがて、舞台上手から政右衛門、志津馬らが、姿を現
し、茶屋で、銘酒「鬼ごろし」を呑んで、勢いをつける。そし
て、股五郎一行を待ち受けるため、茶屋のなかに隠れる。暫くす
ると、花道を通って、女乗物(駕篭)の一行が、やって来る。女
乗物にカモフラージュした駕篭には、実は、股五郎が乗ってい
た。そこへ、志津馬らが、名乗りを上げて、敵討ちが始まった。
助太刀の政右衛門は、鉢巻きに手裏剣3本を挟んでいる。やが
て、二刀流になり、股五郎一行の供侍を次々に、斬り倒して行
く。槍を持ちながら、逃げる股五郎。追う志津馬。

舞台は、廻る。「伊賀上野馬場先の場」。股五郎と志津馬の一騎
討ち。薄暗い舞台が、廻りきるまで誰も動かない。太鼓の音が、
どんどんと高く鳴る。やがて、柝。灯りが付く。動き出すふた
り。なかなか、勝負が付かない。供侍たちを斬り捨てて、追い付
いて来た政右衛門が、志津馬を励ますうちに、「かくなるうえ
は、やぶれかぶれだ」と股五郎。志津馬が、股五郎を討ち取り、
「思い知ったか」「これにて、本懐、めでたい、めでたい」で、
幕。

本来の通し狂言「伊賀越道中双六」は、実在の人物・荒木又右衛
門が、義弟で、備前岡山藩の家臣・渡辺数馬の弟・源太夫の敵討
ちで河合又五郎をしとめた「伊賀上野の仇討」をモデルにした芝
居で、全十段の構成。鎌倉から、大和郡山、沼津、藤川(通称
「遠眼鏡」)、岡崎、伏見、伊賀上野などと東から西へ、まさ
に、双六のように場面が展開するという。

前回の国立劇場での通し狂言「伊賀越道中双六」の上演では、
「沼津」を入れずに、主筋を政右衛門物語で通して、「藤川」
「岡崎」を入れていたという。しかし、今回、時代と世話の二本
柱とすることで、武家の敵討ち物語とその陰で犠牲になった平作
の家族の物語、つまり、武家の仇討成功譚の陰に隠れた庶民の犠
牲噺ということで、みどり上演での「沼津」とも違う、もっと、
厚みのある物語空間が出現したことになり、おもしろく拝見し
た。

合作者の軸になっている近松半二は、「伊賀越道中双六」で、3
人の老人を描いたという。「饅頭娘」の五右衛門、「沼津」の平
作、「岡崎」幸兵衛。「伊賀越道中双六」は、近松半二の絶筆に
なっただけに、迫りくる死の影に対抗して、半二は、3人の老人
に仮託して、老いの一徹のようなものを主張したかったのかもし
れない。そうとなれば、未だ、見ぬもうひとりの老人・幸兵衛に
も、いずれ、逢ってみたいと、思う。岡本綺堂には、「伊賀越道
中双六」を書き上げながら、上演を観ずに亡くなった半二の姿を
描いた「近松半二の死」という戯曲があるが、上演されていない
という。

岡本綺堂「近松半二の死」は、私も関係している日本ペンクラブ
の「電子文藝館」の「戯曲」コーナーに全編が掲載されているの
で、読むことができる。作曲ができた「沼津」の下りの浄瑠璃を
聞きながら、死んで行く半二の姿を描いた「近松半二の死」の結
末部分のみを抜粋してみよう。

(この淨瑠璃を聽くあひだに、半二はをりをりに咳き入る。奥よりお
きよは藥を持つて出づれば、半二は要らないと押退けて、机に倚り
かゝりながらぢつと聽いてゐる。そのうちに、だんだん弱つてゆく
らしいので、お作とおきよは不安らしく見つめてゐると、
半二はやがて“がつくり”となりて机の上にうつ伏す。お作とおき
よは驚いて半二をかゝへ起さうとする。
薄く雨の音。小座敷の内ではそれを知らずに淨瑠璃を語りつゞけて
ゐる。)            ――幕――
- 2004年10月25日(月) 22:13:20
2004年10月・歌舞伎座 (夜/「井伊大老」「実盛物語」
「雪暮夜入谷畦道」)

さて、今回、見応えがあった夜の部の劇評を書くことにする。
「雪暮夜入谷畦道」について、早く書きたいが、まあ、出し物の
順に書いて行こう。

まず、「井伊大老」は、2回目の拝見。8年前、96年4月の歌
舞伎座の舞台を観ている。井伊大老は、吉右衛門。お静の方は、
歌右衛門であった。今回は、「松本白鸚二十三回忌追善狂言」と
して上演され、井伊大老は、幸四郎、お静の方は、雀右衛門。北
條秀司作の新歌舞伎で、1956(昭和31)年、明治座で初演
された(新国劇としての初演は、それより、3年前の1953
(昭和28)年、京都南座)。歌舞伎の初演は、井伊大老:当時
の八代目幸四郎(後の初代白鸚)、お静の方:六代目歌右衛門。
初演以降、お静の方は、六代目歌右衛門の当り役になった。北條
秀司の科白劇で、動きより、言葉の芝居だ。

安政の大獄(1858(安政5)年から59(安政6年)にかけ
て、井伊大老が、尊王攘夷の志士らを弾圧し、吉田松陰、梅田雲
浜、橋本左内らを投獄、処刑した)以来、政情不安になり、挙げ
句、1860(安政7)年、旧暦の3月3日の「桜田門外の変」
で、井伊大老は、水戸浪士らによって襲撃され、暗殺される。歌
舞伎の舞台は、その前日の、3月2日の、井伊家下屋敷での、井
伊大老と側室のお静の方の、しっとりとした語らいの時間を軸に
描く。従って、芝居のテーマは、「迫りくる死の影」といったと
ころか。ところが、舞台を観ているうちに、このテーマは、いわ
ば、表のテーマであり、裏のテーマは、別にあることに気づい
た。それは、お静の方に具現されるように、「本当の女人とは、
どういう女性か」というのが、北條秀司の真のテーマではないか
と、思うようになった。

序幕は、1859(安政6)年の初冬。井伊大老邸の奥書院の場
では、正室の昌子の方(芝雀)を軸にしながら、安政の大獄の時
代状況が簡潔に説明される。井伊大老とお静の方の間には、鶴姫
がいるが、病弱であり、あすをも知れぬ病状である。一方、桜田
門に近い堀端では、井伊大老を襲撃しようとして、失敗した幼馴
染みの水無部六臣(東蔵)と井伊大老との語らいが描かれる。や
がて、自害する水無部六臣。いずれも、「迫りくる死の影」を象
徴するエピソードだ。

第二幕は、翌年、1860(安政7)年3月2日。井伊家下屋
敷、お静の方の居室。井伊大老とお静の方の衣装は、死に装束の
ように、白っぽく見える。舞台中央に飾られた雛壇の朱色が、眼
に痛いほど、対照的に見えて来る。自ら招いた政情不安の果て
に、迫りくる死を覚悟する井伊大老と大老を慰めるお静の方の、
しっとりとした語らいは、心を許しあう男女の交接のようで、ま
るで、心のセックスのような、エロチックでさえあるような、良
い場面である。エロスとタナトス。文字どおり、死に裏打ちされ
た生の会話である。それを北條秀司は、庭に咲いた桃の花に降り
掛かる雪で描き出す。朱色の毛氈が敷き詰められた雛壇では、上
手、つまり、観客席から観て右側に内裏雛が飾られている。各段
に置かれた雪洞が、何時の間にか、ひとつずつ下の段から消され
て行く。ほの赤かった雛壇も、迫りくる死へ向かっているよう
に、薄闇に沈みはじめる。

昼の部の「熊谷陣屋」の直実役で、抑制の効かないオーバーアク
ションが、目立った幸四郎だが、ここでは、雀右衛門のしっとり
したお静の方に合わせるように、直実よりは、幾分抑制気味の演
技で、お静の方の惻々とした会話に馴染んで来た。男と女、死と
いう永遠の別れを前にした、生の最後の輝きとも言えそうな、無
理して明るい対話が展開する。「夫婦は、二世」という信仰が生
きていた封建時代。井伊大老も、正室より、側室のお静の方との
男女関係をこそ、真の夫婦関係として重視していた。井伊大老の
運命を予感し、お静の方を慰める仙英禅師に段四郎、井伊大老の
ブレーンの長野主膳に梅玉が出演。

「実盛物語」は、6回目の拝見(2000年の2月には、国立劇
場で、「源平布引滝」の通しを人形浄瑠璃でも、拝見してい
る)。斎藤実盛役で言えば、吉右衛門、富十郎、勘九郎、菊五
郎、新之助、そして、今回の仁左衛門と、あわせて6人の実盛を
観たことになる。

今回の舞台を観ていて、これまで、気が付かなかったことに出
逢った。それは、この狂言は、「SF漫画風の喜劇」だと言うこ
とである。そして、その主人公は、実盛ではなく、太郎吉(後
の、手塚太郎)であり、実盛は、まさに、「物語」とあるよう
に、ものを語る人、つまり、ナレーター兼歴史の証人という役回
りであるということだ。そういう眼で見ると、歴史の将来を予言
する「実盛物語」は、まさに、SF漫画風の喜劇ということが、
すっきりと姿を顕わすではないか。太郎吉(男寅)にとって、母
の小万(田之助)が亡くなっているというのは、悲劇だけれど、
そういう視点で観るより、一旦、亡くなった筈の母が、太郎吉
が、「俺が採った」という白旗を握りしめた右腕を母の遺骸に繋
げると、一時とは言え、母が蘇生する喜びの方に、ここは、重点
が置かれている。こういう発想は、まさに、漫画的である。並木
宗輔が軸になって書き上げた人形浄瑠璃の台本は、数々あるが、
こういうSF漫画風の喜劇は、珍しい。こういう狂言を並木宗輔
が書き残していたと、思うと、なにか、心愉しくなって来るでは
ないか。宗輔の世界が、一段と拡がって見えて来るではないか。

斎藤実盛だけを軸にして舞台の展開を追い掛けていると、捌き役
として、颯爽としている実盛しか、見えて来ない。それはそれ
で、決して、間違っているわけではないが、今回気が付いたよう
に、太郎吉を軸にした視点で観ると、並木宗輔らが、隠し味に
使っている「笑劇」的要素が、見えてくるから不思議だ。

例えば、白旗(それは、やがて、源氏の白旗という重宝だという
ことが判る)を握っている右手は、太郎吉のみによって、白旗を
放すための指が緩められる。探索に来た平家方の瀬尾十郎の詮議
に対して、木曽義賢の妻・葵御前(孝太郎)が、産んだのが、そ
の右手だというのも、漫画的発想である。それを実盛は、真面目
な顔をして「今より此所を・・・手孕(てはらみ)村と名づくべ
し」などと言っている。また、これを受けて、瀬尾も、「腹に腕
があるからは、胸に思案がなくちゃ叶わぬ」などと返している。
まさに、喜劇の対話だ。

お産となる葵御前の部屋を何度も覗き込もうとして実盛に叱られ
る太郎吉の執拗さも、漫画的ではないか。小万と瀬尾の遺骸を片
付ける場面では、いずれも、黒衣が、バットマンの蝙蝠の羽を拡
げるように、大きな黒い消し幕を拡げて、倒れている役者を隠し
て、「遺骸の移動」を観客席の眼から遮る。これなども、歌舞伎
の約束事を知らなかったら、漫画的に眼に写るだろう。実盛の花
道の引っ込みでも、実盛を乗せた馬が、言うことを聴かずに、実
盛をてこずらせる場面も、観客席の笑いを誘う。
笑いの工夫は、まさに、随所にあるではないか。

小万が、実は、百姓・九郎助(芦燕)、小よし(鐵之助)夫婦の
娘ではなく、瀬尾の娘であり、太郎吉は、瀬尾にとって、孫に当
たるという「真相」も、運命的で、漫画的である(因に、太郎吉
と瀬尾、男寅と左團次は、実際にも祖父と孫同士である)。孫の
太郎吉に平家方の武将である自分を討たせて手柄とさせる瀬尾の
気持ちは、そういう漫画的な発想の上に、構築されている。そし
て、源氏の白旗を守るためとは言え、太郎吉の母・小万を殺した
斎藤実盛を、未来の戦場で手塚太郎が討つことを約束するという
場面は、まさに、SF漫画そのものではないか。それでいて、糸
繰り機を馬に見立てて、太郎吉を乗せる場面では、実盛が、太郎
吉の鼻を懐紙で嚼んでやることで、太郎吉の子役ぶりを改めて強
調する作者の計算が透けて見えるが、それでも、観客席の笑いを
素直に誘う。

こうして観てくると、宗輔らは、太郎吉に絡めて数々の笑いを誘
う工夫を随所に施していることが判る。それは、全て、向う揚幕
の、鳥屋(とや)のうちから、大声で「俺が、採った」を繰り返
し言わされて来た太郎吉の科白の秘密(「俺が、(主役を)採っ
た」)から伺い知ることができるのである。

今回、私の座席は、1階の「よ 38」という席で、いわゆる
「どぶ」(西桟敷と花道の間の座席群を俗に「どぶ」と呼ぶ)の
席の最後部で、向う揚幕の、鳥屋の音が良く聞こえた。例えば、
太郎吉の科白のほかに、実盛が乗ることになる馬とお付きの郎党
4人と馬丁が、早くから鳥屋のなかで待機しているのが、花道に
敷き詰めた所作台の軋む音で、判った。

仁左衛門の実盛は、颯爽としていて、華があって、見栄えがし
た。科白の緩急、表情の豊かさ、竹本の糸に乗る動きなど堪能し
た。瀬尾十郎を演じた左團次も、相変わらず、よかったと思う。
「黙れ、おいぼれ」と九郎助を叱る場面が印象的である。貫禄の
ある憎まれ役で、最後に、孫思いの善人に戻る(いわゆる、「モ
ドリ」)など、奥行きのある役だけに、奥深さが滲み出て来ない
と、ここの瀬尾は不十分となるが、左團次は、それを、過不足な
く演じていたのではないか。

このほか、葵御前は、孝太郎、小万は、田之助。いずれも、結
構、難しい役柄だ。例えば、葵御前は、3回姿を変えるので、そ
れぞれの違いの出し方が難しいし、小万は、ほとんど、遺骸の役
で、動かないが、一時の甦り(黄泉帰り)で、一瞬の芝居に存在
感を掛けなければならないからだ。左團次の息子・男女蔵は、実
盛の郎党の一人を演じていたが、男女蔵の息子・男寅の太郎吉
は、達者に演じていた。太郎吉が、せがんで、実盛の乗った馬に
いっしょに乗せてもらう場面では、馬の乗り降りを父親の男女蔵
に手助けしてもらっていた。

「雪暮夜入谷畦道」は、5回目の拝見。これは、黙阿弥版ポルノ
グラフィーである。なにしろ、入谷の大口屋寮の濡れ場が、幻想
的で、最高である。それだけに、その前を描く、「入谷蕎麦屋の
場」は、写実的で、場末の蕎麦屋の侘びしさ、貧しさ、雪の夜の
底寒さが、たっぷりと観客のなかに染み込まなければならない。

直次郎役で言えば、吉右衛門、團十郎、仁左衛門、今回含め、菊
五郎は2回観たことになる。まあ、実質、4人の「直侍」だが、
前回同様、やはり、菊五郎が最高であった。芸の細かさ、江戸の
無頼のリアリティなどでは一番ではないか。團十郎には、男の色
気があり、吉右衛門には、男としての人間の幅があり、仁左衛門
には、色悪の魅力があるが、上方色が、江戸の無頼の邪魔をす
る。江戸の無頼は、小悪党ながら、女には、無類に優しい。直次
郎は、色気がある小悪党ながら、人間味もある。つまり、菊五郎
は、ほかの3人の魅力を足した上に、己の魅力でも、さらに味付
けをしているようだ。

三千歳役では、雀右衛門(2)、玉三郎、福助、そして今回の時
蔵だが、こちらも、それぞれ、持ち味がある。妖艶な玉三郎、お
茶ピーの福助、可憐な雀右衛門、そして、少女のような時蔵。実
際、三千歳は、何歳ぐらいに想定されているのだろうか。今回の
時蔵三千歳は、大人の男に性愛の魅力を初めて知らされたよう
な、幼い娼婦の喜びと哀しみが滲み出ていて、良かったと思う。
冷静に逃げ延びる手段と機会を窺っていた直次郎の逃亡劇を狂わ
せたのは、三千歳の、客観情勢の読めない幼い娼婦の、病身とは
言え、男一途の、半狂乱とも言える、縋り付きが原因であった。
そういうシチュエーションが、時蔵の演技で、今回は、いつもよ
り、より鮮明に浮き彫りになって来たように、思う。

ほかには、丈賀役の田之助、暗闇の丑松役の松助。いずれも、適
役ぞろいで、舞台を観るのが、愉しみだ。

それに、1881(明治14)年に上演された「幕末ものの江戸
世話物」という辺りに、本来の幕末ものと違う透明感、明るさが
ある。さて、端から、贅言:「入谷の蕎麦屋」の壁にあった3枚
の貼り紙。

*「御連れ様の外 盃(ただし、これは絵で表現していた)のや
り取り 御断り申し升」。
*「覚(おぼえ)」という、蕎麦や饂飩、酒の代金表には、二八
蕎麦、饂飩代が16文、天麩羅蕎麦代が32文、玉子とじ蕎麦代
が48文、酒が一合30文、上酒が40文などと書いてある。
*「貸売一切御断申升」

こういう場末の蕎麦屋の、いかにもという、江戸市井を描写する
細部のリアリティが、私には、嬉しい。

春の寒さに、降る雨も、いつしか、雪に変わる夕暮れ。雪のな
か、一刻も早い、逃亡の気持ちを高めながら、その前に、機会が
あれば、恋人の三千歳に、一目逢い、別れの言葉を懸けて行きた
い直次郎(菊五郎)が、歩いている。薄闇のなか、それでも足ら
ずに、手拭で頬被りをして、顔を隠し、傘をさしている。下駄に
まとわり付く雪が、気になる。

辺りの様子を窺いながら、「逃亡者」は、蕎麦屋に入る。天麩羅
蕎麦で、酒を呑みたい。もう、店じまいを考えている夜の蕎麦屋
には、天麩羅は、品切れになっている。ならば、天麩羅抜きの蕎
麦で良い。まずは、一杯、熱い酒を身体に注ぎ込みたい。しか
し、燗をするのにも、幾分、時間がかかる。

直次郎は、まず、「股火鉢」で、「すっかり縮み上がった」一物
を暖める。やっと来た燗徳利、御猪口に酒を入れるが、なぜか、
ゴミが浮いている。文句も言わずに、それを箸でよける直次郎。
名作歌舞伎全集では、直次郎と蕎麦屋の亭主(権一)の硯の貸し
借りでは「筆には首がない」と、蕎麦屋の仁八に言わせている
が、菊五郎の「直侍」は、筆の首を口にくわえると、筆の首が取
れるように演技をし、代わりに取り出した楊子の先を噛んで、こ
れに墨をつけて、三千歳への手紙を書くなど、菊五郎の手順は、
すべて手慣れた感じで、芸が細かい。形で、直次郎の全人格を表
現する菊五郎。

この後、三千歳の所に出入りしている按摩の丈賀(田之助)が、
出て来る。この田之助が、絶ッ品(思わず、「ッ」が、入ってし
まうほど)の丈賀を演じてくれた。女形が、丈賀を演じること
は、ほとんどない。前回、4年前の、2000年3月の歌舞伎座
の舞台で、初めて演じていて、私も観ているが、今回は、さらに
磨きがかかっている。燻し銀を、さらに、磨き込んだという感じ
で、なんとも、滋味溢れる丈賀であった。そして、直次郎を裏切
ることになる、弟分の暗闇の丑松(松助)との出逢い。

「入谷大口屋寮の場」では、夜も更けて来た。外は、雪。冷え込
んでいる。室内は、銀地に白梅、柳、野の花の襖で、春の装い。
紅梅などを描いた六面の屏風。赤い椿の生け花。朱塗りの行灯。
花に雪囲いを描いた掛け軸。暖かい部屋。暖かい三千歳の女体。
20日ぶりの、直次郎と三千歳の逢瀬の場面が、ここのクライ
マックス。一日千秋の思いで、恋いこがれていた三千歳のところ
に、逃亡者・直次郎が別れを言いにやってくる。捕まれば死罪か
遠島という直次郎は、もう、この世では、逢えないと思い、今生
の別れを言いにやって来た。弟分の丑松が、裏切りをしているな
どと知らずに。

この世の片隅で、互いの人生を慰めあうような小さな恋。逢え
ば、性愛になるのだろう。だが、歌舞伎の舞台では、性愛を露骨
に描くことはない。江戸時代にも幕府が、たびたび厳しく取り締
まった。「大口屋寮」では、二人の「性愛」の場面は、セックス
を直接的には描かないで、様式美の積み重ねという、いわば、別
の形で、立ち居ふるまう二人の所作(それは、立ったまま、背中
合わせになりながら、互いに手を握りあったり、直次郎に寄り添
いながら、三千歳が右肩から着物をずらしたりする。座り込み、
客席の後ろ姿を見せる三千歳、立ったまま、左肩を引いて直次郎
の方に振り返る三千歳、髪を整えた後に、珊瑚の朱色の簪を落と
す三千歳などの姿、正面から抱き合う二人。起請文ごと胸に手を
入れる。これらのさまざまな二人のポーズは、まるで、性愛の
ポーズのようだ)や、こより、煙管、火箸などの、小道具の使い
方で、濃密な性愛の流れを感じさせる演出の巧さ。障子などは、
開け放ったままである。それは、性愛の密室逃亡者の心理を表わ
している。いつ、捕り方が、踏み込んで来ないとも限らないから
だ。それは、また、雪のなか、下半身丸出しの、着物を端折った
姿で歩く直次郎、二重の屋体の部屋の上下の障子を開け放したま
まの、逢瀬の場面などに共通する、「粋の美学」、いや「意気地
の美学」か。

やがて、捕り方がくるだろう。だが、行かせたくない、三千歳
「連れて行って」。(それが駄目ならば、)「殺して」というや
りとり。直次郎「山坂多い、甲州に、女は、連れて行かれね
え」。病みつかれた小娘の、無鉄砲なまでの、執拗な執着、半狂
乱に対する大人の男の分別。だが、分別は、執着にまける。寮
番・喜兵衛(幸右衛門)の「少しも早くここをお逃げなされま
せ」という台詞で、私は、「新口村」の孫右衛門を思いだした。
まさに、同じ雪の世界。逃亡者たちを案じる年寄りの思い。どん
どんという太鼓の音の高まりが、切羽詰まって聞こえて来る。観
客を含めて、皆の切迫感が、いちだんと高まる。濃い空気が、歌
舞伎座の館内を覆う。

捕り方に背中から羽交い締めにされた直次郎「三千歳。・・・も
う此の世では、逢わねえぞ」。三千歳「直さん・・・」

青春の悲劇(俺たちに、あすはない)。過ぎ去った青春は、還ら
ない。ドラマにとって、永遠のテーマ。そういう判りやすいテー
マが、この芝居の得なところ。それが、この演目を、永遠のA級
世話物の座に付けていると、思う。それにしても、脇の配役も含
めて、充実の舞台。菊五郎の直次郎は、最高の直次郎だろうと、
思う。

ふたりの別れの言葉は、短い。それでも、捕り方の手を逃れて、
花道から逃げて行く直次郎。私の、すぐ横を逃げて行く逃亡者。
打たれた腹を抱えながら、逃亡者を追う捕り方たち。舞台に取り
残される三千歳の悲しい顔。
- 2004年10月23日(土) 21:36:02
2004年10月・歌舞伎座 (昼/「寿猩々」「熊谷陣屋」
「都鳥廓白浪」)

芸術祭参加の歌舞伎見物は、今月は、歌舞伎座と国立劇場で楽し
む。国立劇場は、未だ観ていない。今月の歌舞伎座の、昼と夜で
は、断然、夜の部の方がおもしろかった。そこで、夜の部をじっ
くり批評し、昼の部は、スケッチ風にまとめることにした。

まず、昼の部最初の演目「寿猩々」は、2回目の拝見。これは、
「大人の童話」だと、思いながら、舞台を観ていた。能の
「猩々」では、猩々=不老長寿の福酒の神と「高風」という親孝
行の酒売の青年との交歓の物語。酒賛美の大人の童話だ。

夢幻能の世界を、1946(昭和21)年に文楽座の野澤松之輔
が作曲し、後の八代目三津五郎、当時の六代目簑助が、振り付け
をして、新歌舞伎の舞踊劇(義太夫舞踊)に仕立て直しをして、
当時の大阪歌舞伎座で上演された。その後の上演では、竹本(義
太夫)は、長唄に替えられたりもしたし、記録を見ると、竹本・
長唄の掛け合いだったり、常磐津だったり、猩々が二人以上だっ
たり、いろいろ演出があるというか、演出が、なかなか、定まら
ないというか、そういう演目のようである。

前回は、3年前の、2001年2月の歌舞伎座の舞台で観てい
る。猩々:富十郎、酒売り:魁春(当時の松江)という配役。今
回は、猩々:梅玉、酒売り:歌昇。いずれも、竹本で拝見。前回
は、松江の、白い袴に葡萄茶(えびちゃ)の狩衣姿という珍しい
若衆姿が、印象に残ったが、富十郎と松江の踊りの生み出す空間
が、不充分だったという思いが、このサイトの「遠眼鏡戯場観
察」に記録されている。そもそも、女形の酒売りは、珍しいので
は、ないか。

そこで、今回は、次のような、幾つかのポイントを予め建てて、
観劇に望んだ。

1)舞台空間の使い方。
2)足捌き。
3)頭の天辺からお尻の穴までの中心線(直線)の安定感。
4)猩々と酒売りの相関関係。

その結果、
1)舞台の上下まで空間を充分に使っていたので、○。
2)能の舞台では、舞は、「摺り足」なのだが、「寿猩々」は、
六代目簑助工夫の振り付けで、「乱(みだれ)」という、遅速の
変化に富んだ「抜き足」「流れ足(爪先立ち)」「蹴上げ足」な
どを交えて、水上をほろ酔いで歩く猩々の姿を浮き彫りにさせる
趣向をとったというが、これは、梅玉では、イメージできなかっ
たので、×。酔った猩々は、童心という本性を顕わすというが、
梅玉の猩々は、足捌きにメリハリがなかったように思う。
3)これは、さすが、梅玉で、朱色の金襴の衣装に、
赤い毛熊という赤づくしの風体の踊り手の身体の中心線は、ほぼ
安定していたので、△。もっとも、当代の三津五郎の踊りは、い
つも、もっと、安定している。
4)梅玉と歌昇との、踊りの相関関係は、バランスが取れていた
ので、△。前回は、富十郎の豊かさと松江の所作の単調さで、ア
ンバランスは、否めなかった。

「能取り物」なので、舞台の背景は、定式の「松羽目」(松の鏡
板)である。舞台上手、竹本の四連の出語り。葵太夫、泉太夫、
朋太夫、豊太夫。中央には四拍子。この四拍子が、幕外の、猩々
の引っ込みでは、揃って、幕の外に出て来る。これは、珍しい。
普通、幕外の引っ込みでは、「送り三重」を演奏する三味線方
が、独りで出て来る。前回、どうであったのか、私の当時の劇評
を見たが、なにも書いていないので、幕外では、四拍子の演奏
は、なかったのかもしれない。あれば、書いていると思えるの
で。

「熊谷陣屋」は、10年前の、1994年4月の歌舞伎座(直
実:幸四郎、相模:雀右衛門、義経:梅幸など。因に、直実は、
今回含め幸四郎が5回。相模は、雀右衛門が5回)で、10数年
ぶりに歌舞伎を観た私にとっては、歌舞伎開眼の演目なので、何
回観ても、興味津々なのだが、今回は、8回目の拝見(01年5
月の国立劇場の人形浄瑠璃の舞台を含めれば、9回目)になるの
で、劇評の方は、役者の演技論、つまり、今回は、誰が、どう演
じたかにポイントを絞って書きたいと、思う。

まず、今回の相模は、2回目の芝翫。芝翫は、独特の鰓の張った
顔も、さることながら、存在自体に味のある役者だが、いつも言
うように、母より、女房役のときが、その味わいが生きる役者
だ。相模は、直実にとっては、女房、父親に殺された息子・小次
郎にとっては、母であるから、難しい。雀右衛門は、母に徹する
が、芝翫は、女房と母を半々に演じる。

義経による敦盛の首実検で、初めて、「敦盛の首」とされる首
が、実は、わが子小次郎の首であることを知り、驚く。その驚き
には、わが子を殺したのが、夫であることを知った驚きも加わっ
ている。しかし、義経は、「小次郎の首」を承知しながら、それ
を直実の主張するように、「敦盛の首」の首として、同意を与え
ている状況も承知している。そして、「小次郎の首」=「敦盛の
首」という芝居を同席している敦盛の母である藤の方にも承知さ
せようとする。陣屋の奥に、源氏方の梶原景高が、首実検の様子
を窺っていることを知っているからである。それは、また、息子
の命を犠牲にしてまで、夫が、義経の暗示に答えるために、一芝
居打っていることを承知しているからでもある。芝翫の相模は、
そういう女房の内助の効を強調する。虚と実の対比を芝翫は、巧
みに演じる。私の好きな雀右衛門の相模は、息子を殺した夫への
恨みを滲ませながら、敦盛の身替わりになることを進んで承知し
たであろう息子・小次郎の気持ちを斟酌して虚と実の狭間で、母
性愛を燃焼させる。芝翫と雀右衛門の相模の違いは、そういう違
いである。

この場に居る、もうひとりの母は、藤の方だが、今回は、時蔵が
演じた。芝翫の相模が、賢母なら、藤の方は、普通の母だろう。
直実が、敦盛を殺した話を聞き、直実に斬り掛かる母である。
「敦盛の首」と称する首が、敦盛自身のものではない、偽首と
知って、安堵する母である。「熊谷陣屋」での時蔵は、あまり、
印象に残らない。その揺り戻しは、夜の部の「雪暮夜入谷畦道」
の三千歳で来る。今回の歌舞伎座の舞台では、三千歳で、時蔵
は、満を持しての女形燃焼となるが、それは、また、「雪暮夜入
谷畦道」の劇評で触れるのが、良いだろうと、思う。

さて、幸四郎である。5回目の直実。幸四郎は、確かに、直実の
ような、こういう深刻な役は巧い。直実役者で言うと、幸四郎の
ほかに、襲名興行のときの仁左衛門、そして吉右衛門、三津五郎
(当時は、八十助)で、それぞれ1回観ている。深刻さの深彫り
では、確かに幸四郎が巧いが、深過ぎて、オーバーアクションに
なってしまう。特に、幕外の引っ込みが、身体を震わせて、大袈
裟すぎる。

それでいて、花道の引っ込みを前に、16歳で自分が殺した息子
の全生涯を思い、「ア、十六年はひと昔、アア夢だ、夢だ」とい
う台詞で、両目に泪を溢れさせていたのは、幸四郎ではなく、仁
左衛門であった。この仁左衛門の滂沱の泪のシーンは、16年な
らぬ、6年余(上演は、98年2月の歌舞伎座)経っても、私
は、まざまざと目に浮かんで来る。仁左衛門の直実は、それほど
強烈な直実であった。私が観た5回の幸四郎直実では、2年10
ヶ月前の02年1月の歌舞伎座の舞台で、左目だけから、泪を流
していたのを覚えているから、観客は、怖い。今回は、竹本が、
白髪の喜太夫で、この人も、熱演派なので、幸四郎とあうのだろ
う、幸四郎のオーバーアクションを助長する感じがする。

梅玉の義経は、初めてだが、この人は、こういう役柄は、いつ
も、同じに見える。驚いたのは、弥陀六の段四郎であった。段四
郎は、猿之助病気休演もあって、すっかり、右近や笑也らの猿之
助一座とは、舞台をいっしょにする機会が減り、いわば、客演が
増えて来ているが、こういう柄の役者が、羽左衛門が、亡くなっ
たこともあって、左團次ぐらいになってしまったせいか、段四郎
が、最近、だんぜん、存在感を増しているように見える。前回の
劇評で、私は、3年続けて、毎年観ていた左團次の弥陀六が、な
かなか良かったので、次のように書いた。

*羽左衛門亡き後は、左團次が、この役に馴染み始めているよう
に思う。

それが、初役ながら、段四郎が、左團次と並ぶ勢いで、弥陀六役
者のなかに入り込んで来た。段四郎は、今回、弥陀六や夜の部の
「井伊大老」の仙英禅師の役で、羽左衛門のような、良い味を出
しているのに、私は、初めて気づいた。堤軍次役の高麗蔵も、き
りりとしていた。伊勢三郎に、いつもなら、初々しい娘役が似合
う、宗之助が、若武者としても、存在感を出していた。夜の部で
も、「実盛物語」の郎党のひとりを演じた。

昼の部最後の出し物「都鳥廓白浪」(1854年)は、黙阿弥の
初期の作品。黙阿弥の白浪物の原点とも言うべきもの。いわば、
ドタバタの「B級世話物」という味わいの演目。今回は、晩年の
傑作で、「A級世話物」の「雪暮夜入谷畦道」(1881年)を
夜の部の最後の演目として、いずれも、菊五郎が軸になって演じ
る。

「都鳥廓白浪」は、2回目だが、実は、4年前、初めて観る前
に、縁があって、初日の前に、歌舞伎座の舞台稽古を拝見してい
るので、実質的には、3回目。初回のときも、花子、実は、松若
丸:菊五郎、宵寝の丑市:左團次というコンビで、熱心に、「原
庭按摩宿の場」の立回りの稽古をしていたのを覚えている。この
演目は、実は、実は、というのが多くて、まるで、パソコンゲー
ムのローリングプレイゲームのような印象を、実は、私は、持っ
ている。

まず、序幕の第一場と第二場の場面展開が、古怪で素晴しい。第
一場「三囲稲荷前の場」、背景は大川(隅田川)左岸の向島で、
つまり、観客席が大川のなかである。大川縁の「梅若伝説」(吉
田家の若君・梅若丸が物取りに殺される)の一芝居があった後
に、浅葱幕の「振り被せ」で、場面遮断、さらに「振り落とし」
の場面展開で、第二場「長命寺堤の場」へ、180度の転換。ま
さに、映画のカメラワークのような手法で、今度は、逆に、背景
が対岸になる大川右岸の浅草・待乳山のあたりを見せるという秀
逸さ。観客席は、クレーンに乗って、陸に揚がることになる。

そして、贅言:此岸の真ん中、上手寄りには、立て札があるが、
実は、この立て札がおもしろい。私の記録によると、前回は、
「五月二十日 葵會 長命寺」と書いてあったのが、今回は、
「四月八日 灌佛會 木母寺」と替っているから、おもしろい。
なにか、理由があるのだろうか。それに、初演時の立て札は、ど
うであったのかなどと、立て札一枚で、私の思いは、123年前
に飛んでしまう。

忍ぶの惣太(仁左衛門)は、紺地に枝垂れ桜の模様の着流し。盲
故の過ちで、薄いピンク地の若衆姿の梅若丸(孝太郎)から金を
奪おうとして、手拭いで口を塞ぐところが、首を締めてしまい梅
若丸を殺してしまう。忍ぶの惣太、実は吉田家の旧臣・山田六郎
で、主家の若君・梅若丸を過って殺したことになるという伏線
だ。そのあと、按摩・宵寝の丑市(左團次)、男伊達の葛飾十右
衛門(段四郎)、傾城花子(菊五郎)が出てきて、お宝の系図の
一巻と二百両という、まさに定式通りの小道具の取り合いになる
「世話だんまり」。歌舞伎の定式の美意識を堪能する場面だ。

二幕目。長命寺堤側にある「向島惣太内の場」は、桜餅屋の店
先。小篭入りや竹の経木で包んだ桜餅が売られている。仕出しの
役者(町人の女に、芝喜松、嶋之丞ら)が、買いに来る。桜餅屋
を営む惣太の女房・お梶(時蔵)、植木屋の茂吉(権十郎)、借
金取り立ての道具屋・小兵衛(権一)、お梶の父で吉田家に仕え
る下部・軍助(團蔵)などが、江戸の庶民の店先の人間模様を活
写する。黙阿弥劇の嬉しいところ。

三幕目。「原庭按摩宿の場」、丑市宅での花子による丑市殺しと
いう殺し場。花子、実は、天狗小僧霧太郎という盗賊の頭、実
は、吉田家の嫡子の若君・松若丸(つまり、梅若丸の兄)だが、
花子は最初は、もちろん女。女だが、盗賊グループの頭であり、
手下の丑市に酒を飲まして酔わせ、丑市を徳利を枕に寝かした
後、着物を脱ぎ、頭の手拭いをはずすと、女物の赤い襦袢姿に、
頭は「むしりの銀杏」という鬘か、兎に角、男の鬘の盗人・天狗
小僧霧太郎という両性具有の妖婉さ。倒錯美。まるで、ローリン
グプレイゲームのような分岐、また、分岐という仕掛けが趣向
だ。

こういう役ができるのは、当代では菊五郎に如くはなしと、今回
も思う。三重の人物をさらりと、繋ぎ目を感じさせずに、するり
するりと、演じる辺りは、さすが、音羽屋。この人、目の使い方
が巧いのだ。まさに、菊五郎のための芝居だし、菊五郎は、たっ
ぷり、己の魅力を味合わせてくれる。戦後、一度、三代目時蔵が
花子を演じたことがあるが、後は、菊五郎ばかり。松若丸は、家
宝を探し出すために、傾城・花子になり、天狗小僧霧太郎になり
して、色気という持ち味と盗賊の組織をフルに使っていたのだ。
波乱万丈のローリングプレイゲーム向きと私が指摘する由縁であ
る。

お宝が戻った吉田松若丸。そこへ丑市と同居の女按摩・お市(歌
江)の密告で捕り方がやって来る。仁左衛門の早替りで、霧太郎
手下の木の葉峰蔵を助っ人に、捕り方たちと松若丸らが演じるの
が、「おまんまの立ち回り」という、悠々と飯を喰いながら、捕
り方をかわす、珍しい立ち回り。

惣太は、小悪党風なので、仁左衛門の悪人ぶりも弱いが、実は、
盲人の殺人鬼という凄い役柄で、主家の若君と舅を殺す極悪人な
のだ。仁左衛門二役目のユーモラスな木の葉峰蔵は、両脇の捕り
方たちに両手を持たれて、トンボ返りまで見せてくれるという
サービス振り。前回、惣太を演じた團十郎は、そこまで、見せて
くれなかったように思う。丑市の左團次も、さすが、達者な演技
で好演。顔の痣は、左側にあったが、筋書きの写真では、右側に
なっていた。「遊び人」の左團次のことだから、毎日の気分で左
右を変えているのかもしれない。

「都鳥廓白浪」は、最初に書いたように、荒唐無稽な、ドタバタ
の「B級世話物」だから、あまり、理屈絡みにせずに、舞台の流
れに乗って、ひたすら、役者衆の演技振りを楽しめば良いと思
う。
- 2004年10月22日(金) 22:50:09
2004年9月・歌舞伎座 (夜/「重の井」「男女道成寺」
「蔦紅葉宇都谷峠」)

「恋女房染分手綱〜重の井〜」は、3回目。97年5月、歌舞伎
座で雀右衛門、98年10月、歌舞伎座で鴈治郎の重の井を観て
いる。ここは、実子と名乗りあえずに別れる母の哀しみが、描か
れる。今回の芝翫まで含めると3人の重の井を観たことになる
が、役者の持ち味の違いで、同じ重の井を演じても、「母と女房
の間」で演技が、ぶれているように思えた。私の印象論で区分け
すれば、母の愛を直接的に表現するのは、雀右衛門。「母」を演
じていても、どこかに「女房」の色を残す芝翫。その中間で演じ
る鴈治郎と、いったところか。

今回は、母・芝翫よりも、子・自然薯の三吉を演じた国生の達者
さを特筆しておきたい。国生の父、橋之助も、子どものころから
芝居好きで、名子役の名をほしいままにしたと伝えられている
が、血は争えず、国生も、このまま、名子役の道を歩みそうな気
配である。落ち着いていて、舞台度胸がある。口跡も良いし、演
技のメリハリもある。名子役=名優になるかどうかは、今後の本
人の精進次第だが、国生を筆頭に3兄弟とも「お芝居ごっこ」が
好きだそうだから、変声期の激動を巧く乗り越えて、「お芝居
ごっこ」から、「芝居」に精進するように成長して欲しい。期待
は、大。

橋之助が、腰元・若菜」で出てくるが、国生への配慮と次の演目
である「男女道成寺」の桜子への導線であろうと思いながら、橋
之助の珍しい女形姿を見守った。

この芝居のテーマは、封建時代の「家」というものの持つ不条理
が、同年の幼い少年少女たちへ受難を強いるということだろう。
由留木家息女として生まれたばかりに東国の入間家へ嫁に行かな
ければならない調姫には、家同士で決めた結婚という重圧があ
る。だから、東国へ旅立つのは、「いやじゃ、いやじゃ」とい
う。それゆえに、「いやじゃ姫」と渾名される役どころだ。

一方、自然薯の三吉という幼い馬子は、実は、由留木家の奥家老
の子息・伊達与作と重の井との間にできた子だが、不義の咎を受
けて、父・与作は追放される。母・重の井は、実父の命に替えて
嘆願で、調姫の乳母になったという次第。乳兄弟のはずだが、姫
の乳兄弟に馬子がいるということが知れては大変と三吉は、母と
の別れを強いられるという重圧がある。封建時代に作られた歌舞
伎の演目には、こういう悲劇が多いが、それは、我が身に比べて
芝居の登場人物たちは、もっと、過酷な人生を送っていると、思
うことで、自分の背負っている人生の重圧を、少しでも、軽くし
ようという思いがあるのを作者たちが、充分に知り抜いていて、
血涙を絞ろうと企てるからだろう。元々は、近松門左衛門原作の
「丹波与作待夜の小室節」という時代浄瑠璃だが、後に、三好松
洛らが改作して、「恋女房染分手綱」にしたというが、十段目の
「重の井子別れ」は、筋立ては、近松の原作と殆ど変わっていな
いという。但し、近松は、この場面の舞台を旅の途中の「水口宿
の本陣」としていたが、松洛らは、旅立つ前の「由留木家御殿」
としたという。その結果、御殿表の舞台で、三吉と重の井の子別
れの愁嘆場が繰り広げられているのと同時に、御殿奥では、調姫
と実母の子別れも進行しているという。御殿の表と奥で演じられ
る「二重の子別れ」こそ、封建時代の諸制度の不条理への批判が
浮かび上がるという説がある。しかし、私は、そういう封建時代
に限定されるテーマを読み取る見方よりも、時代を越えて、子ど
もたちに襲い掛かる大人社会の勝手に拠る重圧という、先に述べ
た見方の方が、より普遍的であり、未来永劫、いつの時代にも通
用するテーマとして、この芝居を取り扱った方が、良いと思って
いる。

贅言:1)私の机の上に中村時枝が描いた「自然薯の三吉」の絵
がある。舞台に座り込む三吉の後ろ姿を舞台下手の幕溜まりから
描いたと思われる小品である。この絵を見ていると、小さな子ど
もの背中に背負われた重圧が、形となって見えて来るような気が
する。2)この芝居では、向う揚幕から花道全体が御殿の廊下に
なっているから、向う揚幕には、実は、「揚幕」はなく、「襖」
が、はめ込まれている。これは、一階の客席に座り、「向う」か
らの出を気遣う人にしか見えない場面である。

「男女道成寺」は、2回目。今回は、五代目福助70年祭追善狂
言として、演じられる。10年前、94年5月、歌舞伎座で、丑
之助時代の菊之助と菊五郎で初めて観ている。この演目は、「二
人道成寺」のように、花子、桜子のふたりの白拍子として登場す
るが、途中で、桜子の方が、実は、といって、狂言師・左近とし
て正体を顕わすところにミソがある。今回は、福助の花子と橋之
助の桜子、実は、左近という配役。女形と立役の藝の違いが、見
もの。ここは、さすがに、福助の堂に入った所作と橋之助の所作
の違いが、目立った。後ろに反り返る場面でも、福助の身体の柔
軟さは、客席から拍手が沸き起こっていた。橋之助は、さらりと
逃げていた感じだ。福助は、祖父の追善狂言として、力が入って
いるが、橋之助は、宜生の初舞台の方に気が廻っている感じ。

夜の部、宜生の初舞台でもあり、「聞いたか坊主」の所化たちと
は別に、父親の橋之助(赤い衣装はそのままに、桜子の鬘から、
左近の野郎頭の鬘に替えている)に連れられて所化のひとりとし
て、登場し、福助といっしょに「口上」の挨拶という趣向。昼の
部同様、宜生は、「偏に」が、キーワードで、この言葉が聞こえ
ると父らといっしょに頭を下げていた。

「道成寺もの」では、本山の「京鹿子娘道成寺」でも、そうだ
が、主役の家紋などを染め抜いた手拭を客席に投げる場面があ
り、役者と客席との交歓風景が演じられるのも、歌舞伎観劇の楽
しみ(もっとも、私は、一度も手拭をキャッチしたことはない
が)。

贅言:1)すでに、舞台を観た方は、所化の数の不思議に気が付
かれただろうか。花道から登場する「聞いたか坊主」では、亀三
郎、亀寿、児太郎、由次郎、桂三含めて17人で登場する。舞台
の上下に分れて座るときは、由次郎、桂三のふたりが抜けて、
15人。花子が奥に引き込んでいないとき、花傘を持って踊りを
踊る所化たちは、12人。亀三郎、亀寿、児太郎が、抜けてい
る。因に、筋書きには、18人の所化の名前が、列挙されてい
る。18人目は、後から出て来る初舞台の宜生である。2)この
舞台では、裃後見が4人出てくるが、ひとりだけ、女形の鬘に衣
装。これは、芝喜松である。福助の衣装の引き抜きなどの後見に
徹する。3)昼の部「高時」の家紋の「ミツウロコ」に加えて夜
の部「男女道成寺」では、正体を顕わした蛇の化身として、花子
は、銀の鱗の衣装で、鐘の上に立ち、左近は、金の鱗の衣装で下
に立つ。昼夜通しで共通する紋は、鱗。

「蔦紅葉宇都谷峠」は、2回目。「百両と因果というだけで、も
う河竹黙阿弥の世界」と前回の劇評の書き出しにあるが、その通
り。百両を巡り、殺人事件が2件起きる。犯人は、実直そうな顔
をした極悪人という筋立て。

黙阿弥の暗い作劇は、安政5年初演という、幕末の時代状況を写
し取っているのだが、150年後の、21世紀の閉塞感とも通底
するから不思議だ。アメリカのブッシュが、つくり出す金と戦争
の因果による閉塞感にも通じて来る。この芝居のテーマは、小悪
党と極悪人を対比させて描くことで、人間の「悪」とは、何かを
観客に突き付けて来る。その辺りが、21世紀にも通用する、こ
の芝居の普遍性だろうと、思う。

金を持っている座頭の文弥(勘九郎)と知り合ったが故に殺しを
犯す伊丹屋十兵衛(三津五郎)は、序幕第一場の宿屋の場面で
は、実直な人柄として描かれるが、序幕第二場の宇都谷峠で、魔
がさしての殺しというなら、犯行の目撃者である小悪人「提婆の
仁三(にさ)」(勘九郎)殺しという、大詰の鈴ヶ森での2度目
の犯行には、及ばないのではないか。実直そうな男の深層に潜む
極悪人の正体こそ、黙阿弥が描きたかったテーマであろうと、思
う。テーマが、くっきりしているだけに見応えのあるドラマで
あった。

それにしては、三津五郎の「極悪人」の演技に深みが足りない。
薄っぺらで、存在感が乏しいような気がする。ここは、5年前、
99年10月の歌舞伎座で演じた富十郎の方が、巧かった。「提
婆の仁三(にさ)」と文弥は、皆、ふた役早替りで演じる。初役
で演じた勘九郎の、早替りの素晴しさ。吹き替えを巧く使いなが
ら、テンポアップしたタイミングの良さは、当代随一ではない
か。意欲的に実験の舞台に挑戦している工夫の人ならではの素晴
しさだと、思う。但し、前回の幸四郎も、別な面では、巧さを感
じさせた。例えば、二幕目第一場「伊丹屋店先の場」での、幸四
郎の仁三は、芸が細かく、徳利をはずみで倒すと、手拭いで畳を
拭いて、手に付いた酒を舐めていた。アドリブだろうが、この動
作は仁三という「小」悪人の、「小」の部分の本質的な「心根」
を出していたように思う。勘九郎では、そういうアクシデントが
なかったから、この辺りは、サラッとしていた。やはり、薄っぺ
らな感じが残る。こういう場面は、積極的に取り入れると、人物
描写に深みが増すと、思う。いずれにせよ、今回、勘九郎、三津
五郎ともに、初役に挑戦ということであり、今後のふたりの役作
りの熟成(つまり、人間描写に深みが増すこと)が楽しみと、し
ておきたい。

贅言:1)昼の部「一本刀土俵入」と同じように、この芝居で
も、「生活のリアリティ」を大事にしている。鞠子の宿の宿「藤
屋」の場面では、泊り客が、賑やかだ。座頭、侍、大工、商人
(居酒屋、小間物屋)、大阪商人、そして、宿の亭主と女房、飯
盛女と思われる下女など。弥十郎、秀調、高麗蔵、由次郎、四郎
五郎、桂三、千弥ら達者な役者が、それぞれ演じるから、奥行き
がある。こういう場面こそ、細部の役者の細かな演技を見逃さな
いようにしたい。2)坂東玉之助という役者。筋書きに掲載され
る写真では、ほかの役者が皆、和服を着ているなかで、唯一、模
様の入ったワイシャツにネクタイ、スーツ姿だから、ああ、あの
写真かと気が付く人もいるだろう。1935年4月生まれなの
で、まもなく、古稀の年齢なのだが、写真は、かなり若い時のも
のを使っているから、いまの素顔が判らない。今回は、文弥の
母・りくを演じていて、後半のキーパースンとなる。リアリティ
のある老婆役を好演していた。ほかに、老婆役を演じられる脇役
で味があり、私の好きな人は、千弥、鐵之助、吉之丞など。
- 2004年9月23日(木) 18:01:13
2004年9月・歌舞伎座 (昼/「高時」「茶壺」「一本刀土
俵入」「菊薫縁羽衣」)

「高時」について、渡辺保は、「歌舞伎手帳」で、「愚劇であ
る」と書いている。代々の團十郎のなかでも、幕末から明治期を
生き抜き、政府の欧化主義に共鳴をし、歌舞伎の国劇化を目指し
て、「活歴(かつれき)もの」と呼ばれる史実を重視した歴史劇
を軸に歌舞伎の改良運動に意欲を燃やし、「劇聖」と称された九
代目團十郎。その九代目が、演劇改良運動のシンボルとして制定
した「新歌舞伎十八番」のうちのひとつが、この「高時」であ
る。黙阿弥原作。それを「愚劇」と断じるのは、渡辺保の卓見な
のか、偏見なのか。

「高時」は、2回目の拝見である。前回は、羽左衛門の高時で、
重厚な演技であったのを覚えている。「高時」は、九代目團十郎
が、「活歴」創作に情熱を燃やした絶頂期の作品と言われるもの
で、当時の識者であった有職故実の学者、画家、劇文学者らをブ
レーンとして作った「求古(きゅうこ)会」の時代考証や意見を
取り入れて作り上げた出し物。「求古会」が、とりまとめた原案
を元に、九代目が、黙阿弥に台本を書かせたというが、黙阿弥
は、「芝居にならなくて困る」と弟子にこぼしていたと伝えられ
る。

幕開きで、高時が、舞台の中央で正面を向いているという従来の
演出を採用せずに、上手の柱に横向きに寄り掛かっているとい
う、いわば、リアリズムを主張した辺りに九代目の眼目が象徴さ
れている。そのほか、さまざまな工夫が施されていて、歌舞伎を
愚昧な大衆演劇から、西洋人にも誇れるような国劇へ脱皮させよ
うとした熱情が秘められている。いまも、これら演出は、受け継
がれている。にもかかわらず、愚劇と断じる評論家がいて、その
主張は、九代目團十郎への名演技への幻想だと、いうのがポイン
トである。團十郎の工夫が、愚劇を昇華させているということだ
ろうと、思う。これに対する私見は、後に述べたい。

この劇は、「反権力」というテーマが、明確である。まず、幕開
きで、徳川幕府の五代将軍・綱吉(継嗣がなく、子宝に恵まれる
よう、「犬公方」と渾名されたほど犬に象徴される生き物を大事
にする「生類憐みの令」という悪法の制定者として歴史に名を残
した)のような、北条氏九代目高時(橋之助)の姿を豪華な駕篭
に乗せられた犬を登場させることで観客に印象づける。そして、
この「お犬さま」が、通行人の老婆(芝喜松)に噛み付くことに
より、息子の浪人(亀寿)によって、眉間を鉄扇で討たれて、死
んでしまう。愛妾(孝太郎)らを侍らせ、酒宴中の高時は、それ
を聞いて、直ちに両人を死刑にしろと命じてしまう。獣命より人
命を軽視するようでは、「不仁の君」になってしまうと諌める家
臣・大佛陸奥守(愛之助)の忠言も聞かない。さらに秋田入道
(弥十郎)に月は違うが、「きょうは、先祖の命日」と諌めら
れ、死刑を思いとどまるというありさま。

さらに、多数の烏天狗たちが登場して、高時に己らを田楽法師と
錯覚させて誑かす。私には、「今昔物語」などに題材を採った短
編小説の味わいを感じさせたほどの印象を残した。ならば、視点
を変えて、お話としては、おもしろいが、芝居としては、どうか
と思うと、「活歴もの」共通のことだが、歌舞伎味が乏しいとい
う弱味が目に着く。黙阿弥が、芝居にならないと歎いたのも、こ
の辺りだろう。なにしろ、荒唐無稽故の味わいこそが、歌舞伎の
魅力だろうから。そこを見誤ったのが、「活歴もの」の弱点だ
と、思っている。つまり、合理性で歌舞伎を作り上げると、芝居
としての「余白」が、乏しくなり、潤いがなくなる。だから、演
劇改良運動に協力しながら、歌舞伎の歴史という長い目でみれ
ば、そういう運動は、元の木阿弥になるだろうと予見し、「黙阿
弥」というペンネームをつけた黙阿弥の卓見が、渡辺保にも受け
継がれ、今日の多くの歌舞伎ファンにも受け継がれ、何度目かの
歌舞伎ブームを作っているのだと、私は思う。だから、私も、
「愚劇論」に共感する。

ならば、どうすればよいのか。古いものを大事にしながら、新し
いものを積極的に取り入れるのが、歌舞伎の真骨頂なら、ふたつ
の道があるだろう。いまのように、九代目の名演技への幻想を大
事にしながら、当代の役者たちが、九代目の演技の域に迫ろうと
する道が、ひとつ。團十郎の系譜である。もうひとつは、九代目
が、ゼロから作り上げた工夫の数々を一旦、白紙に戻して、「反
権力劇」としての「高時」を歌舞伎味で再構築する道があるので
はないか。つまり、九代目團十郎とは違う、新しい「型」の創造
である。歌舞伎の美学、様式美、荒唐無稽さなども大事にしなが
ら、いろいろな工夫を積み上げて行く。そして、反権力の大衆劇
としての歌舞伎の原点に立ち返る。こういう工夫は、当代の役者
では、勘九郎しかやれないと、私は思うが、如何だろうか。来年
の十八代目勘三郎襲名をきっかけに、新たな歌舞伎の創造へ向け
ての挑戦を勘九郎に望みたい。これが、渡辺保の卓見に対する私
の愚見である。

簡単に、今回の舞台の役者論をメモしておこう。まず、高時を演
じた橋之助は、團十郎の系譜志向であろう。6年前の9月の筋書
きに掲載されている舞台写真を見比べてみたが、眉、目の化粧を
見ても、橋之助は、羽左衛門の重厚さに及ばない。愛之助は、新
境地への挑戦。弥十郎は、それなりに。

贅言:1)御殿の奥の襖に北条家の「ミツウロコ」の紋が描かれ
ているが、襖の外枠のようにちりばめられていて、大部分が、雲
に巨木の絵という図柄のため、紋が、いくつも切り取られてい
る。家紋を大事にする封建時代のこと、歴史劇という考証を大事
にするならあり得ない図柄だと思っていたら、後の、烏天狗が登
場する場面で、この襖絵が、からくり仕掛けとなっているため、
やむを得ず、家紋の一部が切り取られるという仕儀になったとい
うことが判った。2)高時が、烏天狗たちに嘲弄される場面で
は、ふたりの天狗に両手を繋がれ、高時役の橋之助が、「とんぼ
返し」のようにくるりと回転したり、天狗に当て身を食わされ、
「義賢最期」の舞台のように、全身を伸ばしたまま、前へ倒れ込
むだりしたが、羽左衛門のときは、どうであったか、思い出せな
い。多分、そういうことはしていないのではないかと思うが、橋
之助ならではの工夫かもしれない。

「茶壺」は、3回目。最初は、熊鷹太郎(富十郎)、麻胡六(左
團次)、目代某(弥十郎)。前回は、熊鷹太郎(八十助時代の三
津五郎)、麻胡六(勘九郎)、目代某(東蔵)。今回は、熊鷹太
郎(三津五郎)、麻胡六(翫雀)、目代某(秀調)。

善人と小悪人との対比を「笑い」で表現するのが、この演目の眼
目と、思う。酒に酔った麻胡六が、道でうたた寝をしてしまい、
背負ってきた茶壺を枕元に置き、その背負い紐の片方を熊鷹太郎
に奪われてしまうことから始まる「笑い」の対称性は、やがて、
熊鷹太郎による模倣の反復を生み、不正確な反復が生み出す模倣
のズレによる、善人と小悪人の性根の対比となる。ズレによって
醸し出される可笑し味というのが、この舞踊劇の真骨頂だろう。
これは、麻胡六は、善人でありさえすれば、勤まるが、熊鷹太郎
の小悪人は、剣の刃の上を歩くような緊張感を持ちながら、それ
を感じさせない図太さを持たなければならない。この芝居の正否
は、偏に熊鷹太郎が、そういう役割分担を全うする演技ができる
かにかかっていると、思う。いわば、悪の持つ生命力のようなも
のが、舞台から観客に伝わってくるかどうか。

「茶壺」は、三津五郎代々の家の藝というべき演目で、三津五郎
も、滑稽味を出せる役者ではあるが、最初に観た富十郎の達者さ
には、まだ、適わないのでは、ないか。裁判長役の目代某(秀
調)を騙し、被害者の麻胡六(翫雀)を虚仮にして、熊鷹太郎
(三津五郎)は、まんまと茶壷を奪って逃げおおせてしまう。そ
ういう根っからの、小悪党の味の出し方では、いまの三津五郎で
は、「加賀鳶」での道玄のような、さまざまな小悪人を舞台で演
じて来た富十郎の藝の豊かさが醸し出す「ずる賢さ」には、ま
だ、及ばないと、感じた。麻胡六は、翫雀より、前回の勘九郎の
方が、奥行きが深かったように思う。

「一本刀土俵入」は、5回目。この芝居は、いつ観ても、仕出し
の登場人物たちの多様さが描き出す、江戸の庶民の、いわば、
「生活のリアリティ」を味わうことが、楽しみだと、思ってい
る。まるで、江戸時代へタイムスリップし、街道の賑わいになか
に身を置くような、ワクワク感に包まれる。

序幕の「取手の宿」、「利根の渡し」の場面に登場する人物たち
をアトランダムに列挙してみよう。町人の夫婦、やくざ者、遊
人、宿の従業員(帳附け、料理人、洗い場の若い者、酌婦)、土
地の人(宿場町の在の人たち)、村の庄屋、隠居、職人、飛脚、
博労、行商人(「孫太郎虫売」「飴屋」)、旅商人と手代、新内
語りの男女、子守娘、渡しの船頭、比丘尼、釣師、鰻掻き、取
的、角兵衛獅子と親方。「孫太郎虫売」は、売り声を聞かせてく
れ、角兵衛獅子は、藝を披露してくれる。親方は、太鼓の音を聞
かせてくれるが、江戸の音も、もっと、聞いてみたい気がする。

舞台(特に大道具)の工夫も、また、ウオッチングの愉しみであ
る。取手宿の安孫子屋の漆喰の戸袋。いまも、古い街道筋の面影
の残る旧家などに残っているのを見かけるレリーフの漆喰の文
様。宿の裏手の釣瓶井戸で、空腹の駒形茂兵衛が、水を所望し、
釣瓶を使う場面があるが、これがなんとも長閑な秋の宿場町の雰
囲気を盛り上げる。

利根の渡しの場面では、土手の向うにある船の姿が見えないのも
良い。船の見えない船着き場という大道具は、余韻を感じさせ
る。逆に、布施の川の場面では、舞台上手半分を湿る造船中の船
が、作業場の空間密度を高める。

大道具の秀逸は、お蔦の家を廻り舞台で裏表を見せて、軒の大き
な山桜を印象的に出現させるという演出だ。自然と人為との対
比。秋の宿場町。10年の歳月の流れ。春の一軒家。洗練された
大道具の楽しみも、歌舞伎の魅力のひとつ。

この芝居のテーマは、「送り、送られ」の二重奏。序幕では、無
一文の取的・駒形茂兵衛(勘九郎)が、酌婦のお蔦(福助)に情
を掛けられ、江戸への道を、何度も後ろを振り返りながら、2階
から見送るお蔦に送られる。大詰では、いかさま博打に手をだ
し、やくざ者に追われる「船印彫師(だしほりし)」の辰三郎
(三津五郎)と家族のお蔦と娘を送りだすのは、駒形茂兵衛だ。
送られる者と送る者の逆転は、人生そのもの。それは、極端に言
えば、「死なれて、死なせて」という生き死にの、送り、送られ
という人生を象徴しているように見える。

役者論では、駒形茂兵衛の勘九郎に味わいがあるのは、当然だろ
うが、祖父の70年祭追善狂言に、将来の七代目歌右衛門役者た
るべき福助が、初役ながら、人間味のあるお蔦を演じてくれてい
て、良かったと、思う。特に、お蔦の自宅を訪れた茂兵衛が、や
くざ者たちに追われる一家を助けるために、追ってきたやくざ者
のひとりに頭突きを食らわし、茂兵衛を想い出す「想い出した」
という、お蔦の台詞の声音も福助独特のお侠さが滲み出ていて、
良かった。

上州勢多郡駒形村の農民出身の茂兵衛に対する、越中富山から
「南へ六里、山の中さ」と言い、声を低めて唄い出した小原節か
ら「風の盆」で知られる八尾(やつお)の出身と判るお蔦。お互
いに旅の空ですれ違う男女の出逢いの遣る瀬無さ。

それを浮き彫りにしながら、主軸の演技を支える脇役陣にも、味
があった。最近は、後見に廻っていることが多かった小山三は、
声に独特の味がある酌婦役で好演。「高時」で老女の渚役を演じ
ていた芝喜松も酌婦。暴れン棒の弥八を演じた助五郎は、熱演。
渡しの場面で、お蔦の子どもを背負っていた子守娘の芝のぶは、
相変わらず、爽やかな風を舞台に残す。前回同様の配役となった
のが、「布施の川」の場面、船づくりをしている老船頭(幸右衛
門)と清大工(芦燕)の老人同士のやりとりも、台詞に巧さが感
じられた。この人たちが出ていると、舞台に奥行きが出るから、
愉しみだ。

贅言:1)三津五郎が演じた「船印彫師(だしほりし)」の辰三
郎だが、この職業が判らない。字面で見当をつけると、船板に刻
む紋か何かを彫るのが仕事かと思うが、よく判らない。いろいろ
調べてみたが、判らない。2)お蔦の出身地、越中八尾(やつ
お)の「風の盆」は、二百十日の時期に風の神を鎮め、豊年を祈
る行事のこと。哀調を帯びた越中小原節を三味線、胡弓、太鼓で
伴奏し、男女が街々を廻り、徹夜で踊り明かすという。

「菊薫縁羽衣」は、初演の新作。昼の部の人気の秘密は、この出
し物に拠る。まあ、「出し物」というより、神谷町ファミリーの
「口上」の場だろう。

芝翫を軸に、長男・福助、福助の長男・児太郎、次男・橋之助、
橋之助の長男・国生、次男・宗生、三男・宜生、芝翫の長女の
婿・勘九郎、勘九郎の次男・七之助の登場だ。

芝翫を中心に児太郎、国生、宗生がせり上がって来る。やがて、
スッポンから、初舞台の宜生を抱いて橋之助がせり上がって来
る。

劇中の「口上」では、宗生と宜生が、客席の笑いを誘う。
「口上」の挨拶では、ちゃんと、「顔を上げて」とでも、注意さ
れているのだろう、顔を上げ過ぎて、後ろに反り返り、顔を天井
に向けてしまう宗生。9月10日に3歳になったばかりという宜
生は、まだ、分けが判らずに、舞台にいるだけだが、こちらも、
頭を下げるタイミングとして、「偏(ひとえ)に」という言葉が
聞こえたら、皆といっしょに頭を下げるようにと、言われたの
か、そのキーワードを聞き分けると、律儀に頭を下げて、これ
も、客席の笑いを誘っていた。芝翫、橋之助、福助、勘九郎、七
之助などの順番で挨拶。幸福な神谷町ファミリーの、絵に描いた
ような秋の一齣。

贅言:宜生初舞台の祝い幕は、中央に、成駒屋代々の「祇園守」
と「裏梅」の家紋。江戸の子どもの玩具らしい、馬、太鼓、巾
着、蓑、雀、蜻蛉などが描かれている。スポンサーの2社は、大
阪に本社のあるギフト製品などの会社と富山県高岡市に本社のあ
る壁紙や床の工事をする際の接着剤などを製造販売している会
社。橋之助がコマーシャル出演している会社という縁らしい。
- 2004年9月23日(木) 14:43:08
2004年8月・歌舞伎座 
    「八月納涼歌舞伎」(第三部/「東海道四谷怪談」)

「東海道四谷怪談」は、江戸の中村座で、文政8(1825)年
に初演されて以来、来年で180年になる。四世南北の代表作の
輝きを永遠に失わない演目だろう。

序幕「浅草観世音額堂の場」では、タイムマシーンに乗ったよう
に、江戸の風俗が目の前に拡がって来る。舞台下手、「御休処」
の屋根に掲げられた複数の絵馬や宝の字が描かれた奉納額。参詣
の男女が行き交う。上手には、「御楊枝」と書かれた提灯が掲げ
られていて、お岩の妹のお袖(福助)が、働いている。「藤八五
文」の薬売の直助(三津五郎)が、やって来る。客席の、ざわめ
きも消えている。そこは、江戸の空間であり、ゆるりとした時間
が流れはじめる。

「四谷怪談」は、2回目の拝見。前回は、4年前、2000年、
同じ時期の歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」の、やはり、「第三部」
で、勘九郎以下、配役は、ほぼ同じ。勘九郎は、お岩、小平、与
茂七の3役。伊右衛門は、橋之助。直助は、三津五郎(前回は、
当時の八十助)。お袖は、福助。宅悦は、弥十郎。お梅が、前回
は、芝のぶ、今回は、七之助。お梅の祖父・伊藤喜兵衛が、前回
は、ことし、亡くなった坂東吉弥、今回は、市蔵などが、違って
いる程度。なお、吉弥は、舞台番と二役。その舞台番は、今回
は、染五郎。                   

「四谷怪談」上演の場合、客席は、始終暗いので、いつものよう
な観察メモが取れない。観客席は、いわば、江戸の闇のなかに潜
んでいる。

4年前の劇評では、4点に絞って書き進めている(詳細は、この
サイトの「遠眼鏡戯場観察」でキーワード検索をすれば、読むこ
とができます)。まあ、要点を簡単に振り返っておこう。

1)「場所の展開」では、「四谷怪談」の舞台が、「江戸」とい
う武士の街の中心には入り込まず、周辺の大江戸と呼ばれる地域
を、楕円のように、歪んだまま、左回りに廻りながら、同心円状
にスタート地点から川一つ隔てた地点にゴールするこの趣向のお
もしろさを指摘した。2)「近代人の登場」では、民谷伊右衛門
=「悪の個人主義者」。死霊になったお岩=伊右衛門と同じ「悪
の個人主義者」であり、二人とも、南北の分身であり、南北が生
んだ「双生児」と指摘した。3)「役者の魂胆」では、役者の演
技論。読み返してみると、4年前の印象と今回の印象は、大分違
う。今回の役者論、演技論は、新たな印象でまとめてみたい。
4)「『空間』と『音』の工夫」では、南北劇の特色の一つ「空
間」と「音」の使い方の巧さについて、言及。この印象は、今回
も変わらず、感心する。

違った視点で、今回も、やはり、4点で論じてみたい。テーマ
は、次の通り。1)「藝神は、細部に宿る」。2)「染五郎の舞
台番『藤松』」。3)「役者評」。4)「外連の演出など」。

1)藝神は、細部に宿る。

先ず、今回は、小道具が、目に飛び込んで来た。それは、お岩の
顔の崩れを見せる山場の二幕目、第三場「元の伊右衛門浪宅の
場」。宅悦とのやり取りの果てに、鏡で、己の崩れた顔を見る場
面。勘九郎のお岩は、なぜか、鏡に手拭を被せながら演技する。
ほかの役者の古い写真を見ても、この場面では、やはり、手拭が
鏡に被さっている。しかし、「名作歌舞伎全集」所収の台本など
を見ても、ト書きなどに手拭は、出て来ないから、何処かの時代
の、ある役者の工夫で、鏡に手拭を被せるようになったのだろう
か。薄暗い舞台での演技では、登場人物の心理を役者の表情だけ
では、観客に伝えにくい。そこで、小道具を使うことで、役者の
表情を補う。

元々、近代的な心理劇と違って、外面的な演技、化粧、衣装で、
登場人物の心理を表現するのが、歌舞伎の特徴だから、この場面
でも、醜く崩れた己の顔を見たくない、しかし、ちらっと見ただ
けでは、どうなっているかは、判らない。そういう動揺する心を
「見る鏡」と「隠す手拭」という、見る道具の機能としては、逆
の作用をする二つの小道具を組み合わせることを思いついた役者
が居たのだろうと思うし、それを良しとして、代々の役者に受け
継がれ、いまも用いられているということだろう。

そういう目で見ると、南北劇では、小道具が、重要な役割を担わ
されていることに気が付くだろう。例えば、「元の伊右衛門浪宅
の場」をウオッチングして見れば、お岩の母の形見の「櫛」は、
お岩が、いちだんと幽霊の形相に近付く、いわゆる「髪すき」の
場面の主役とも言える小道具だし、これは、また、後の「砂村隠
亡堀の場」では、お岩・小平の「戸板返し」の伏線として、鰻掻
き・直助権兵衛が、堀からヤスで引き上げる場面でも、髪がから
みついた櫛として、存在感のある小道具として観客に注目され
る。

お岩が、宅悦との間で、振りかざす小平の脇差は、やがて、二人
の争いの果てに飛ばされ、屋体上手の柱に突き刺さり、本当の出
番を待つことになる。お岩は、伊右衛門に殺されるのではなく、
いわば、アクシデントでよろけかかり、柱に刺さっていた、件の
脇差しに自らの喉を突いてしまうからだ。お岩殺しの真犯人は、
小道具としての脇差なのだ。

鏡台と鉄漿(かね)の道具、つまり、お歯黒をつける道具。この
場面では、「髪もおどろなこの姿。せめて女の身嗜み。鉄漿(か
ね)なとつけて、髪も梳き上げ」と言いながら、お岩は、お歯黒
を付けているうちに、口が歪み、まるで、異能な画家ムンクの名
画「叫び」の絵柄同様の無気味さが滲み出て来る(勘九郎は、こ
の場面、丹念に、あるいは、くどいぐらいにお歯黒を塗り続け
る。形で見せる無気味さだ)。

件の櫛でお岩が髪を梳けば、髪の毛が、大量に抜け落ちて来て、
野郎頭の「月代」のように、額から頭の前部が露出されて来る
(勘九郎は、この場面でも、お歯黒同様、丹念に、あるいは、く
どいぐらいに髪を梳く。ここは、怖い場面なのだが、滑稽味させ
感じさせる勘九郎の演技だ)。さらに、抜け毛と櫛を強く掴め
ば、血が滴り落ち、それは、倒された衝立の上に無気味な文様を
描き出す。柱に刺さった脇差で己の喉を突き、死に絶えるお岩の
後に出て来る大きな鼠。

こうして、薄暗い舞台を注意して観てくると、南北は、ほかの場
面でも、小道具の役割を、役者同等の重要さで捉えているのが判
る。藝の神は、まさに、細部に宿るというわけだ。藝の神の役割
を鋭く見抜いた南北劇の永遠性は、こういうところにある。

2)染五郎の舞台番「藤松」。

勘九郎の「四谷怪談」を拝見するのは、2回目だが、前回同様、
今回も、「三角屋敷の場」は、省略されて、「隠亡堀の場」か
ら、「蛇山庵室の場」に展開するが、そのつなぎとして、「舞台
番」が登場するという演出法法を採っている。これは、名のある
役者のひとり語りの場面で、いわば、「ご馳走」というサービス
の演出だ。今回の舞台番は、染五郎の「藤松」。「納涼歌舞伎」
の第一部で、主役の綱豊卿を、本興行初役で演じる染五郎の、第
三部では、ここだけの出演だ。

前回の舞台番は、ことし亡くなった坂東吉弥であった。このとき
の舞台番の名は、「鶴吉」で、命名の由来は、鶴屋南北の「鶴」
に吉弥の「吉」かと、私は、推測した(「藤松」は、どういう由
来での命名か。染五郎の「染め」からの連想で、「紫色」→「藤
色」、あたりか。「松」は、「松竹」か)。吉弥の舞台番は、さ
すがに、老練で、巧かった。お岩さまの祟りを強調して場内を怖
がらせていたが、その「予言」どおりのことが、「あなたの後ろ
に」という科白で舞台番スポット暗転の後、やがて場内で起こざ
わめき。

今回は、上の方の座席で観ていたので、私は、観ることができな
かったので、下の方のざわめきで想像するしかなかったが、前回
は、間近で観た。夏の怪談話らしいサービス精神溢れた演出と言
えば、お判り願えるだろう、と思う(あるいは、お化け屋敷の趣
向ということで、嫌う人もいるかもしれない)。染五郎の舞台番
は、吉弥と比べると酷かもしれない。こういう役柄は、練れてい
る傍役の持ち味が、光る場面だ。スマートで、鯔背な恰好の染五
郎では、「ご馳走」の楽しさは、味わえても、練れた傍役のコク
のある味わいは、滲み出てこない。新盆でもあり、坂東吉弥の、
燻し銀のごとき演技を忍びながら、改めて、冥福を祈りたい。合
掌。

3)役者評。

染五郎だけ、俎上に上げるのも、なんだし、ということで、ここ
で、今回の役者論、演技論をまとめておこう。まず、平成中村座
ニューヨーク公演で「夏祭浪花鑑」を上演し、江戸の芝居小屋を
そっくり、アメリカに持ち込み、歌舞伎の歴史に新たなページを
付け加えたと言われるが、勘九郎は、疲れも見せずに熱演した。
前回同様、その太めの肉体を、フルに生かして肉感的なお岩を
演じていたと思う。幕末の初演時に、お岩、小平、与茂七の3役
を早替りで演じた三代目菊五郎同様に、勘九郎も3役を演じた。

私は、2回とも、勘九郎のお岩しか観ていないので、ほかの役者
との比較などは、詳細には論じられないが、鏡に向かって、お歯
黒を塗る場面に象徴されるように、恐いはずのお岩なのに、勘九
郎の肉体が、お岩という存在の向こう側に透けて見え、滑稽味す
ら感じてしまう。「恐い可笑しみ」。これは、前回も、今回も、
同様に感じられた。これで、良いのか、悪いのか。私は、勘九郎
の、お岩の場合は、これで良いのだろうと思う。これが、勘九郎
の持ち味だろうから。

雀右衛門、鴈治郎、玉三郎などの、お岩も観てみたい。勘九郎と
は、ひと味もふた味も違うお岩が見られるだろうが、鴈治郎が、
お岩を演じたのは、11年前、玉三郎が演じたのが、21年前、
雀右衛門が演じたのは、実に、46年前、と言うことでは、なか
なか、望むべくもないかもしれない。ましてや、歌右衛門や勘三
郎の往年の舞台は、なお、なお、適わない。映像でしか観ること
ができない。歌右衛門や勘三郎の、生の舞台を観た人たちから
は、勘九郎の「四谷怪談」は、お化け屋敷のようで、歌舞伎の味
わいが乏しいという声も聞こえて来た。

色気と悪さの二つの要素が欠かせないはずの伊右衛門の橋之助
は、前回の私の劇評では、「男の色気は乏しいものの、悪さ加減
の出し方は、生き生きしていた」と。誉めていたが、今回は、悪
の凄みに欠けていて、物足りなかった。ニューヨーク公演の疲れ
というか、ざわめきというか、伊右衛門の役作りに不必要なもの
が、橋之助のなかに残っていたのかもしれない(4年前の上演の
とき、橋之助は、伊右衛門をやるときは、「家へ帰っても暗く
て、外にも出掛けません。女房も怖くて近寄って来ないくらい。
内面からそうならないと出来ない」と言っている。そういう一種
の「純化作用」が、今回は、不足していなかっただろうか)。

直助を演じた三津五郎も、本当の直助の出番である「三角屋敷」
の場面が、カットされているので、凄みや、存在感が乏しかった
のは、残念。前回の三津五郎は、「存在感のある役作りをしてい
た」と、私は、劇評に書いている。直助は、伊右衛門以上の酷薄
さで、悪役振りを出さなくてはならないから、難しい。

そのなかで、弥十郎は、今回も良かった。前回の劇評では、こう
ある。

*最近存在感のある演技をする弥十郎の初役の宅悦が滅法良かっ
た。宅悦は、お岩の変貌ぶりを見届ける「目撃者」。もうひとり
の「目撃者」は、私達観客だ。つまり、目撃者・宅悦の恐怖は、
観客の恐怖と同調しなければならない。そこが、宅悦役者のしど
ころであり、また、難しいところだろう。

そういう役作りの方向の上に、今回、さらに、弥十郎は、演技に
肉付けをしてくれていたように思う。元来、怖いものが大嫌いと
いう弥十郎は、最初から、大勢の観客と心理的に同調している強
みがあった。

勘九郎のお岩とのやり取りが続く二幕目、第三場「元の伊右衛門
浪宅の場」の舞台の密度と橋之助の伊右衛門と勘九郎のお岩との
やり取りの二幕目、第一場「伊右衛門浪宅の場」の舞台の薄さと
は、実に、対照的な印象が残った。大道具が、「鷹揚に」廻り、
第二場の「伊藤喜兵衛星宅の場」を挟んで、そして、同じ場面に
戻って来るというだけではない、大きな違いが感じられる。弥十
郎の役作りが、叮嚀なのだ。それに比べて、橋之助の演技は、
薄っぺらな印象だ。同じ勘九郎を相手役として演技しながら、そ
れだけ、印象が異なる。勘九郎の演技も、弥十郎相手では、調子
が乗っているが、橋之助相手では、調子が落ちている。今回の最
大の収穫は、弥十郎の充実の演技と言えるだろう。橋之助が、暗
さを充分に充電して、前回並みの演技をしてくれていたら、ま
た、印象が異なっていたと思うと残念だ。

このほかの配役では、お岩の妹・お袖と小平女房・お花の、二役
を演じた福助。喜兵衛の孫で、伊右衛門に嫁いだ途端、お岩に取
り付かれた伊右衛門に殺されるお梅を演じた七之助。怪談劇に
は、美しい女形が、良く似合う。芝のぶは、茶屋女房で出演。前
回は、お梅を演じて、科白も多かったのだが、今回は、出番も少
なく、残念。前回は、「蛇山庵室の場」の講中の女のなかにいた
はずの時枝も、いまは、いない。合掌。

4)外連の演出など。

さて、今回の劇評の最後は、「外連」を中心に演出面をウオッチ
ング。今回の上演では、「外連」の演出は、「大詰」で、一気に
花開く。幽霊となって、伊右衛門(橋之助)に対する恨みの「一
念通さで置くべきか」とばかりに、お岩(勘九郎)は、伊右衛門
や秋山長兵衛(亀蔵)に対して、果敢に攻撃する。

まず、お岩の出は、庵室の外に掲げられた提灯の名号が、燃えて
から、その隙を狙うようにして、抜け出て来る。いわゆる「提灯
抜け」という演出。壁に掛けた衣紋にぶら下がり、それに引っ張
られるように壁のなかに溶け込んで行くお岩。

次は、井戸のなかから「宙乗り」で足のないお岩が出て来て、本
舞台を下から上へ移動して、再び、消えてしまう。そして、昔の
仲間、伊右衛門から金の代わりに、高師直の墨附を脅し取って以
来、鼠に頭などを齧られて困っていると訴えて来た秋山長兵衛
は、お岩に祟られ、仏壇のなかへ引き込まれるようにして殺され
てしまう。いわゆる「仏壇返し」という演出。

このほか、三幕目「隠亡堀の場」での、小平とお岩の遺体が、戸
板の裏表に張り付けられている、いわゆる「戸板返し」という演
出。勘九郎のお岩、小平、与茂七の3役早替りも、この場面での
外連演出の見せ場だ。この一連の演出では、怖い幽霊劇なのに、
勘九郎特有の、可笑し味、愉しさが滲み出てくるからおもしろ
い。

最後の、与茂七、お花による紫の病鉢巻き姿の伊右衛門への与茂
七、お花による「仇討の場」。その後の、勘九郎、福助、橋之助
の「3兄弟」による、「今日は、これぎり」という演出は、陰惨
な怪談噺の印象のまま、真夏の夜とは言え、午後10時の暗い巷
へ観客を解き放たないという勘九郎一流の心遣いか。これも、ま
た、一種の外連(騙し)の演出かもしれぬ。南北原作では、この
場面、「ドロドロ激しく、雪しきりに降る。この見得にて、よろ
しく。幕」となっている。

贅言1;今回は、全体的に、まだ、錬り切れていない段階で、舞
台を観たようで、そういう不満感は、残ってしまった。ところ
で、この10年は、シアターコク−ン以来、歌舞伎座、博多座
で、いずれも勘九郎の「四谷怪談」しか、上演されていない。い
ずれも、今回同様の演出で、3時間半余りの上演時間だが、こう
いう演目は、是非、時間をたっぷりとって、国立劇場で上演して
欲しい。「四谷怪談」の国立劇場の上演は、33年前の、71年
9月の十七代目勘三郎以来、途絶えている。近い将来の国立劇場
版「東海道四谷怪談」の上演を期待したい。ついては、お岩と伊
右衛門を玉三郎と仁左衛門で観たいと思うのは、私だけではない
だろう。21年前の83年6月歌舞伎座の舞台の再現。但し、直
助は、「三角屋敷の場」も含めて、三津五郎でお願いしたい。こ
のときこそ、当代では、究極の「四谷怪談」が、出現するに違い
ない。

贅言2;第三部の「四谷怪談」が、故なくして、亡くなったお岩
の仇討物語なら、第二部の「蘭平物狂」も父親の仇討を試みた物
語である。さらに、第一部の「綱豊卿」も、赤穂浪士の討ち入り
という仇討物語の9ヶ月前の、いわば、前夜噺、ということであ
れば、大団円は、つまり、こうなる。

今月の納涼歌舞伎は、第一部、第二部、第三部というピースが、
「仇討物語」というひとつの糸で結ばれていた、という次第で、
これにて、一件落着。「四谷怪談」同様に、「さて、今日は、こ
れぎり」。

- 2004年8月19日(木) 6:28:02
2004年8月・歌舞伎座
 「八月納涼歌舞伎」(第二部/「蘭平物狂」「仇ゆめ」)

歌舞伎の演目のなかでも、大部屋の立役たちが活躍し、立回りの
魅力をたっぷり味合わせてくれるものとしては、「蘭平物狂」
は、屈指の演目だろう。似たようなものでは、「義経千本桜」の
「小金吾討死」などの立回りの場面も、すぐに浮かんで来る。実
は、私の「蘭平物狂」の立回りの「シーン」との最初の出合い
は、歌舞伎の舞台ではなく、映画の「写楽」での舞台の場面で、
これは、強烈な印象を受け、一日も早く、本当の歌舞伎の舞台を
観たいと念じたものだ。いまから考えれば、「蘭平物狂」の大梯
子などを使った大立回りは、戦後の工夫だから、江戸の芝居小屋
のシーンで使われているのは、おかしいかもしれないのだ
が・・・。

「蘭平物狂」は、4回目の拝見。今回も含めて、三津五郎が、八
十助時代と三津五郎襲名後と2回(93年11月歌舞伎座が初
回)。辰之助も、辰之助時代と松緑襲名披露時と2回。戦後の上
演記録を観ても、松緑の復活上演など、先々代、先代を含めて、
松緑、三津五郎、の系統の得意な演目になっている。当代同士で
言えば、やはり、三津五郎の舞台は、松緑襲名披露の舞台を、ま
だまだ凌駕している。先ず、その辺りから、書きはじめよう。

02年6月・歌舞伎座。四代目松緑襲名披露の舞台に「蘭平物
狂」が掛かった。新・松緑の「蘭平物狂」は、辰之助のときと通
算すると、2回目の拝見だが、当時の「遠眼鏡戯場観察」で、私
は次にように書いている。

*進境が見えない。特に、「在原行平館の場」が弱い。「奥庭の
場」は、八十助も良かったが、辰之助も良かった。ただ、八十助
は、前半も良かったが、辰之助も新・松緑も、ここが良くなかっ
た。そこが、新・松緑と三津五郎の違いだろう。

補足すると、「在原行平館の場」は、「蘭平物狂」の前半で、
「奥庭の場」は、後半だ。「蘭平物狂」では、芝居らしい芝居を
するのは、「在原行平館の場」で、「奥庭の場」は、1953
(昭和28)年9月二代目松緑が、埋もれていた時代浄瑠璃を復
活上演した際に、殺陣師の坂東八重之助が、いまのような大立回
りを工夫し、評判を呼んだだけあって、芝居というより、ダイナ
ミックな大立回りを楽しむものだろう。新・松緑は、その芝居の
部分が、良くなかったと批判しているのである。

「在原行平館の場」は、行平(勘九郎)が、須磨に隠棲した際
に、地元の海女の松風と契ったが、都に戻った後も、松風のこと
が忘れられず、恋の病に陥っている。奥方の水無瀬御前(孝太
郎)に意向を受けて奴蘭平(三津五郎)は、与茂作(橋之助)の
女房で、松風に良く似たおりく(扇雀)を連れて来て、おりくを
松風に、与茂作を松風の兄にと、それぞれ偽らせて、行平に目通
りさせる。騙しの場面だ。実は、この芝居、騙しあいの連続劇な
のだ。

蘭平は、刀の刃を見ると乱心すると偽ることから「蘭平物狂」と
通称される。行平の前では、刀の刃を見て物狂になる蘭平だが、
与茂作との立回りでは、物狂にならないばかりか、与茂作の持っ
ていた刀が、「天国(あまくに)」の名刀だったことから、与茂
作は、実は、弟の伴義澄と見抜き、自分は、実は、兄の伴義雄だ
と名乗る。二人の父親・伴実澄の仇である行平をともに倒そうと
誓いあうが、実は、与茂作は、大江音人で、おりくは、音人の妻
の明石であり、行平の恋の病も、仮病で、全ては、蘭平を伴義雄
ではないかと疑った行平一派の策略で、見事、蘭平は、それに
引っ掛かり、正体を顕わし、行平方の大勢の捕り手に囲まれて、
大立回りとなるという仕儀なのだ。

そういう騙しの連続の芝居が、新・松緑では、弱かったというわ
けだ。案の定、今回の三津五郎の芝居は、その辺りを叮嚀に演じ
ていて、見応えがあった。「奥庭の場」では、追い詰められた蘭
平が、どうせ討たれるなら、捕り手の一人、息子の繁蔵に討たれ
ようとして、息子を探す場面がある。新・松緑の劇評で、私は次
のように書いて松緑を誉めている。

*新・松緑は、口跡は良く、場内に響く。特に、「奥庭の場」
で、息子の繁蔵に己を討たせようと言う父親の情愛を秘めなが
ら、繁蔵を呼ぶ、押さえ付けたような声の出し方が、良かったと
思う。この人は、口跡は良いのだが、いつも、頭の天辺から声を
出しているようで、損をしている。

しかし、今回、久しぶりに三津五郎の、この場面を観たら、松緑
より、やはり、三津五郎の方が、この場面も巧かった。口跡が良
いのは、二人とも同じだが、松緑より三津五郎の方が、「おとう
は、ここにおるぞよ」という声が、なんとも、哀調があるのだ。
これは、松緑には、まだ、出せない味だろう。離婚をして、別れ
て住む息子・巳之助のいる三津五郎には、父親としての実感が、
この科白に込められるが、子どものいない松緑には、まだ、そう
いう実感に裏打ちされた味が滲み出て来ないというわけだ。

「大部屋役者」「三階さん」たちが、いわば、主役と同格になる
大立回りは、いつものことながら、迫力があり、見応えがあっ
た。大小の梯子は、この演目の、もうひとつの主役だろう。今回
は、花四天の6人越しのトンボだったが、松緑四代目襲名披露の
舞台では、8人越しのトンボであったと「遠眼鏡戯場観察」に
は、書いてある。肝心の蘭平自身の立回りも、三津五郎の方が、
松緑より、メリハリがある。節目節目の所作が、くっきりしてい
る。この立回りは、実は、所作事なのだ。そこは、当代の歌舞伎
役者のなかでは、屈指の踊りの名手である三津五郎には、松緑
も、若さや体力だけでは、かなわない。踊りの精進こそが、先輩
に追い付く、唯一の方途だろうと思う。9年ぶりの三津五郎の蘭
平を十二分に堪能できた舞台で、今回の「納涼歌舞伎」最大の収
穫であったと思う。

「仇(あだ)ゆめ」は、初見。北條秀司作の舞踊劇は、狸の恋物
語。「勘三郎・勘九郎もの」。勘九郎の狸が、どれだけ、観客を
笑わせてくれるか、というのが、ポイント。ほかの配役。深雪太
夫:福助。揚屋の亭主:染五郎。踊りの師匠:扇雀。禿:児太
郎。

壬生野の狸(勘九郎)が、島原遊廓の深雪太夫(福助)に恋をし
た。踊りの師匠に化けて、遊廓に逢いに行く。茶色の紋付は、狸
色。紋は、狸の足跡の紋。いつもと違う奇妙な踊りの稽古とな
る。一旦、狸が姿を消すと、やがて、本物の踊りの師匠(扇雀)
が、やってくるが、茶色の紋付など狸と全く同じ衣装の扇雀が、
出て来ても、一瞬、勘九郎が出直したように見えるから、笑って
しまった。そのくらい、勘九郎と扇雀が、似て見えた。但し、本
物の師匠の紋付の紋は、丸に扇子であった。そこだけ違う、とい
うことは、狸が、いかに、踊りの師匠そっくりに化けていたとい
うことか。否、待てよ。勘九郎が、扇雀そっくりに化けていたと
いうことか。ええい、ややこしい。それほど、似ていた。遊廓の
揚屋の亭主に染五郎。染五郎は、剽軽な役に味がある。福助の長
男・児太郎は、「蘭平物狂」の繁蔵役では、いまひとつだった
が、禿役では、好演。

島原遊廓の門の外から揚屋の深雪太夫の部屋までは、長い書き割
りの連続(つまり、書き割りが下手から上手へ移動する)で、場
面展開するという珍しい仕掛けが、見もの。

贅言;滑稽味のある舞踊劇は、お伽噺の愉しさで、第三部の怪談
噺の毒消役というところか。儚い狸の夢なら、「徒(あだ)夢」
だろうが、「仇ゆめ」としたところが、お岩の仇討ちという「東
海道四谷怪談」の伏線にもなる、という辺りが、興行主の発想の
ミソかもしれぬ。
- 2004年8月18日(水) 6:46:26
2004年8月・歌舞伎座
「八月納涼歌舞伎」(第一部/「元禄忠臣蔵」「蜘蛛の拍子
舞」)

「元禄忠臣蔵〜御浜御殿綱豊卿〜」は、3回目の拝見。綱豊は、
團十郎、三津五郎、そして、今回が、染五郎。この間に、歌舞伎
座では、仁左衛門の綱豊も上演されているが、私は、残念なが
ら、評判の良い仁左衛門の綱豊は、観ていない。綱豊初役の染五
郎の舞台を團十郎や三津五郎という風格、貫禄などのあるベテラ
ンと比較するのは、酷というものだろうが、今回の舞台は、綱豊
の染五郎、綱豊が寵愛する中臈・お喜世の七之助、お喜世の兄
で、赤穂の浪士・富森助右衛門の勘太郎ら、それぞれ大役に挑ん
だ若い役者らの熱演で、意外なほど清新な、気持ちの良い舞台に
仕上がっていて、愉しんできた。

綱豊(1662−1712)は、16歳で徳川家甲府藩主にな
り、さらに、43歳で五代将軍綱吉の養子になり、家宣と改名。
その後、1709年、46歳で六代将軍となり、3年あまり将軍
職を務めた人物。「生類憐みの令」で悪名を残した綱吉の後を継
ぎ、新井白石などを重用し、前代の弊風を改革したが、雌伏の期
間が長く、一般にはあまり知られていない。「元禄忠臣蔵〜御浜
御殿綱豊卿〜」では、原作者の真山青果は、将軍就任まで7年あ
る元禄15(1702)年3月(赤穂浪士の吉良邸討ち入りま
で、あと、9ヶ月)というタイミングで、綱豊(39歳)を叡智
な殿様として描いている。御浜御殿とは、徳川家甲府藩の別邸・
浜御殿、浜手屋敷で、いまの浜離宮のことである。

〈浅野家家臣にとって主君の敵〉吉良上野介・〈「昼行灯」を装
いながら、真意を隠し京で放蕩を続ける〉大石内蔵助・〈密かに
敵討ちを狙う〉富森助右衛門ら江戸の赤穂浪士。そういう構図を
知り抜き、浅野家再興を綱吉に上申できる立場にいながら、赤穂
浪士らの「侍心」の有り様を模索する綱豊(綱豊自身も、六代将
軍に近い位置にいながら、いや、その所為で、「政治」に無関心
を装っている)。

真山芝居は、「真の侍心とはなにか」と問いかけて来る。キーポ
イントは、青果流の解釈では、「志の構造が同じ」となる綱豊=
大石内蔵助という構図だろうと思う。内蔵助の心を語ることで、
綱豊の真情を伺わせる。そういう構図を見誤らなければ、この芝
居は、判りやすい。

赤穂浪士らの「侍心」に答えるためには、浅野家再興より浪士ら
による吉良上野介の討ち取りが大事だと綱豊は、密かに考えてい
る。富森助右衛門との御座の間でのやり取りは、双方の本音を隠
しながら、それでいて、嘘はつかないという、火の出るようなや
り取りの会話となる。この会話が、綱豊と助右衛門を演じる二人
の役者の仕どころである。

しかし、綱豊の真意を理解し切れていない助右衛門は、妹・お喜
世の命を掛けた「嘘」の情報(能の「望月」に吉良上野介が出演
する)に踊らされて、「望月」の衣装に身を固めた「上野介」
(実は、綱豊)に槍で討ちかかるが、それを承知していた綱豊
は、助右衛門を引き据え、助右衛門らの不心得を諭し、綱豊の真
意(それは、つまり、大石内蔵助の本望であり、当時の多くの人
たちが、期待していた「侍心」である)を改めて伝え、助右衛門
を助ける(あるいは、知将綱豊は、こういう事態を想定してお喜
世に嘘を言うように指示していたのかもしれない)。槍で突いて
かかる助右衛門と綱豊との立ち回りで、満開の桜木を背にした綱
豊に頭上から花びらが散りかかるが、この場面の「散り花」の舞
台効果は、満点。

その後、何ごともなかったかのように沈着冷静な綱豊は、改め
て、姿勢を正し、「望月」の舞台へと繋がる廊下を颯爽と足を運
びはじめる。綱豊の真意を知り、舞台下手にひれ伏す助右衛門。
上手に控える中臈や奥女中。まさに、一幅の絵となる名場面であ
る。

歌舞伎の綱豊は、冒頭で触れたように、私は、3人の綱豊を観て
いる。團十郎の貫禄充分の殿様。39歳の史実の綱豊より立派か
もしれない。初役の三津五郎は、小柄ながら風格のある殿様で
あった。二人に比べると、染五郎は、貫禄不足で、殿様というよ
り若君であった。

助右衛門は、私が観た2回とも、勘九郎で、勘九郎助右衛門は、
熱演であり、当人も気持ち良さそうに綱豊に対して自分の意見を
堂々と述べたてていた。今回、勘九郎以外の助右衛門を初めて観
たが、実は、勘太郎は、前回、01年8月の歌舞伎座で、三津五
郎綱豊、勘九郎助右衛門の舞台で、お喜世を演じていた。そのと
きの劇評では、私は、次のように書いている。

*助右衛門の名義上の妹で、綱豊卿の寵愛を受けている中臈・お
喜世の勘太郎は、初々しい町娘の風情を残したままの側室で、な
かなか、良かった。

3年経ち、同じ演目で、勘太郎は、お喜世を弟の七之助に譲ると
ともに、父親の熱演を目の当たりに観て、そこから吸収すべきも
のを吸収し、自分なりの助右衛門として、お喜世から一転する立
役としての役作りをし、今回、舞台にぶつけて来たと思う。助右
衛門の勘九郎は、気持ち良さそうに科白を言っていた。そういう
父の科白回しを学び、熱演振りを良しとした息子の熱意が、ひし
ひしと伝わる演技であったと思う。七之助のお喜世も、爽やか
で、華麗だった。七之助は、勘九郎よりも、芝翫の娘である母親
似だが、俯いた七之助の眼は、勘太郎そっくりに見えた。こうし
て若い役者たちは、父親や先達の演技を学びながら、成長して行
くのであろう。若い勘太郎、七之助の兄弟との関係から見れば、
綱豊の染五郎も、ちょうど、バランスが取れて見えてくるから不
思議だ。

御祐筆・江島の孝太郎は、若手に挟まれ、さすが、貫禄がある。
後の「江島生島事件」の主役となり、綱豊の死後、2年で悲劇を
迎え、信州高遠へ流される江島だが、このときは、上昇気流に
乗っていた時期であろう。この芝居では、嫌みのない役柄で、気
持ちの良い役である。新井白石である新井勘解由は、ゆったりと
橋之助、中臈・お古宇の芝のぶも、爽やかに好演。

上臈・浦尾の歌江は、憎まれ役に、存在感があった。浦尾といっ
しょに行動する局の野村の玉太郎は、口跡が良かった。御台所の
付人である津久井九太夫の錦吾。御座の間の座敷内から刀に手を
かけたまま打って出ようとする助右衛門の緊迫感をよそに悠々と
外廊下を通り過ぎる吉良上野介は、ベテランの幸右衛門。こうし
た老練な役者たちが、脇を固めるからこそ、花形歌舞伎の舞台で
は、若手の演技が光って見え、舞台に奥行きが出る。

贅言;第二幕第二場「御浜御殿入側お廊下」の場面では、御座の
間に通じる廊下に大きな鈴が架かっていて、下屋敷番人が、これ
を鳴らすと御祐筆の江島が出て来て、奥へ案内をして行ったが、
ここに金の葵の紋章が浮き彫りにされた無人の椅子が置いてあっ
た。男子禁制の大奥などの結界なども、規模は、大きいのだろう
が、同じような椅子に奥女中などが交代で座り、見張り番をして
いたのだろうと、想像しながら舞台を観るのも一興。

第一部前半の、「元禄忠臣蔵〜御浜御殿綱豊卿〜」が、花形歌舞
伎らしく、若い世代による清新な舞台だとすれば、後半の「蜘蛛
の拍子舞」は、中堅どころの役者による安定した舞台で、見応え
があった。

「蜘蛛の拍子舞」は、2回目。前回は、6年前、98年12月の
歌舞伎座。妻菊、実は蜘蛛の精は、玉三郎。今回は、福助。ほか
の主な配役は、次の通り(前回/今回)。頼光:猿之助、三津五
郎。貞光:左團次、橋之助。金時:段四郎、勘九郎。

「拍子舞」とは、鼓一挺の拍子に合わせて、唄いながら舞う舞踊
とのこと。「蜘蛛の拍子舞」では、妻菊、頼光、貞光の3人が、
トンテンカンと「刀鍛冶づくし」を唄いながら踊るくだりが、拍
子舞になっている。

舞台は、廃御殿となっている花山院空御所。下手の山台に大薩摩
連中。上手の雛壇に長唄囃子連中、そして四拍子、そのうちに笛
の田中傅太郎もいる。御所の屋体下手に宙吊りで大蜘蛛が降りて
来る。蜘蛛を操るのは、黒衣ならぬ、人形遣(黒衣の衣装に似て
いるが、紐が、赤い)は、巧みに蜘蛛を操る。こういう場合、筋
書きの配役や後見のようには、明記されず、担当は、判らない。
渡辺綱(弥十郎)と卜部季武(高麗蔵)が、蜘蛛退治に乗り出す
が、蜘蛛は、立ち回りの末、御所の下手床下に消える。巧みな蜘
蛛捌きは、誰だったのだろう。

「かかるところへ、妻菊が」ということで、向う揚幕から福助登
場。鬘を付け、紋付を着た後見の一人は、女形の芝喜松。滅多に
見られない野郎頭の鬘。

銀地に5つの花丸が描かれた扇子を持つ妻菊(福助)。無地の金
地と銀地が裏表の扇子を持つ頼光(三津五郎)。上下に金の縁取
りが入った裏表白無地の扇子を持つ貞光(橋之助)。この後、3
人による「刀鍛冶づくし」となる。そして、妻菊が、千筋の蜘蛛
の糸を撒き散らしながら、花道スッポンへと消えると、件の大蜘
蛛がせり上がって来て、8人の軍兵との立ち回り。やがて、蜘蛛
は、御所上手、床下へ消える。

茶色の隈取りをした蜘蛛の精の後ジテと渡辺綱(弥十郎)と卜部
季武(高麗蔵)との再びの立ち回り。荒事衣装の金時(勘九郎)
が登場し、押し戻しで、大団円へ。

贅言;綱豊卿から渡辺綱へ。若手の清新な新歌舞伎から中堅の古
風な味わいの舞踊劇への、「綱渡り」は、見事に成功。安定した
舞台で、無事、第一部終了。続いて、第二部、第三部と劇評を掲
載する予定。

- 2004年8月17日(火) 6:35:58
2004年7月・歌舞伎座 (昼・夜/「修禅寺物語」「桜姫東文
章」「三社祭」「義経千本桜〜川連法眼館〜」)

今月の歌舞伎座は、「桜姫東文章」が、昼の部と夜の部に跨がっ
て、「上の巻」「下の巻」に分けて、上演されたが、劇評を分け
て書くのも不自然だし、昼と夜を繋ぐ構成の興行と思えるので、
今回は、昼の部と夜の部を通しにして、劇評を一本にまとめて、
書くことにしたい。あまり長い劇評にはしたくないので、今回の
興行の中心となった「桜姫東文章」を軸に据えて、劇評を書きた
い。従って、ほかの演目への批評は、短くなる。さて、私が観た
舞台は、24日(土)で、いつになく、遅い観劇となったこと
を、冒頭、お詫びしたい。

「修禅寺物語」は、初見。猛暑の晴海通りから歌舞伎座の入り口
を潜った。劇場の桟敷席の上には、笹竹の七夕飾りがあり、涼味
を誘う。「修禅寺物語」は、畢竟、「藝とはなにか」をテーマに
したメッセ−ジ性の明確な芝居だ。岡本綺堂作。源頼朝の長男
で、非業の死を遂げた頼家の事件という史実を軸に伊豆に遺され
ていた「頼家の面」を元に想像力を膨らませてでき上がったフィ
クションである。舞台では、「夜叉王住家」という最初の場面
早々から、面作師・夜叉王(歌六)の娘たち(桂と楓)と楓(春
猿)の夫で夜叉王の弟子・春彦(猿弥)との間で、「職人とはな
にか」という論争が仕組まれるなど、「職人藝」というテーマ
が、くっきりと観客に発信されて来る。自分の繪姿を元に自分の
顔に似せた面を夜叉王に作れという注文を出していた頼家(門之
助)が、登場すると、半年前に注文した面が、いつまで待っても
でき上がって来ないと癇癪を起こした幽閉された権力者・頼家
が、権力尽くで夜叉王を詰る場面が、大きな山場となる。夜叉王
は、この半年間、精魂込めて頼家の面を幾つも作るが、死相とか
恨みとかが、面に込められてしまい、納得が行かないと困窮して
いたのだ。そういう職人藝の直感を尊重しない頼家は、いら立ち
を募らせて夜叉王を斬ろうとする。その有り様を見て、職人藝を
認めない、都への憧れ、上昇志向の強いギャルのような姉の桂
(笑三郎)が、勝手に夜叉王が打ち上げたばかりの面を頼家に手
渡してしまう。懸念を表明する夜叉王を無視し、面が気に入った
頼家は、見初めた桂ともども、御座所に帰って行く。もう、生涯
面を打たないと歎く夜叉王。「ものを見る眼」の有無が、藝に
とって、最も大事だというメッセージが、この場面から伝わって
来る。やがて、頼家が、北条方の闇討ちに遭い亡くなる。その知
らせを聞いて、なぜか、歓喜する夜叉王。死相などが浮き出て、
納得の行かない面しか打てなかったのは、自分の藝が拙かったの
ではなく、頼家の運命を示唆させた自分の藝の確かさのなせる業
だと得心したからだ。さらに、頼家の身替わりになるため、夜叉
王が打ったばかりの頼家の面を付け、頼家の衣装を付けて、襲撃
の眼を欺いて逃げて来た瀕死の娘・桂の死相が深まる顔をほつれ
毛を除けて、スケッチまでする夜叉王の、鬼気迫る職人魂こそ、
「藝とはなにか」をテーマに掲げた岡本綺堂劇の回答がある。藝
とは、己の直感を大事にして、ひたすら、雑念を排除する。その
末に沸き上がって来るものをのみをつくり出す。具象化する行為
である。

ただし、歌六の夜叉王は、岡本綺堂がイメージした職人像を演じ
きったかというと、残念ながら、弱い。気迫が足らない。いや、
歌六ばかりではなく、笑三郎の桂、春猿の楓という姉妹も、門之
助の頼家も弱い。「修禅寺物語」は、テーマの解説を試みたよう
に、メッセージ性のはっきりした劇であり、そのメッセージを体
現した、それぞれの登場人物の性格描写をくっきりと演じなけれ
ばならない芝居である。特に、桂と楓の姉妹は、対照的な性格な
のだが、それが、くっきり浮き彫りにされて来ない。その点が弱
いというのが、今回の配役の顔ぶれだろう。明治時代の初演時の
顔ぶれは、以下の通り。夜叉王:二代目左團次、桂:三代目寿
海、楓:二代目松蔦、頼家:十五代目羽左衛門。これほど豪華な
配役は、望めないとしても、今回は、かなり、小粒の配役という
感は否めない。

岡本綺堂劇の洗練された科白の数々、黒御簾音楽も附け打もない
代わりに、蜩や鈴虫の効果音の適時さ、「桂川辺虎渓橋」の恋の
場面で、皎々と照る月、夜討ちの迫る気配で消える月の使い方な
ど演出の巧みさ。この芝居は、また、違う顔ぶれで観てみたい演
目だ。

「桜姫東文章」は、2000年11月に国立劇場で観ている。染
五郎が、珍しく本格的な女形に挑戦した舞台であった。この「遠
眼鏡戯場観察」でも、書いているが、染五郎は、稚児にはなれて
も、姫や女郎には、なれなかった。「桜姫東文章」の女郎「風鈴
お姫」を演じられるのは、玉三郎しかいないという予感を4年前
に書いているが、それがどうなるのか。今回は、真女形の玉三郎
の舞台と違いをどう観て、どう書くかが、ポイントかなと思いな
がら、開幕を待つ。
                         
「桜姫東文章」という外題のうち、「文章」の「文」は青と赤の
綾、「章」とは、赤と白の綾、という意味。つまり、「文章」と
は、青、赤、白の綾模様のこと。「桜姫東文章」は、吉田家の息
女・桜姫が隅田川伝説(梅若殺し)の「東(江戸)」であやなす
男女のあや模様の意味で、桜姫の弟で梅若の兄・松若が登場す
る。梅若殺しの吉田家の仇に権助、実は信夫の惣太が登場する。
権助は、仇役という正体を隠したまま、桜姫を犯す。男女の仲に
なったため、桜姫は、権助を慕うようになる。桜姫と権助という
男女は、いわば、赤と白(紅白の注連縄のように、性的な連想が
ある。注連縄とは、もともと、蛇のセックスをイメージしてい
る。「桜谷草庵」の場のエロスは、それをリアルに表現する。こ
の場面は、南北は、「権助、桜姫色合い。いろいろあり。簾おり
る」とだけ書いてあるが、実際の舞台は、かなり、どぎつい。お
互いに帯を解き合う。着物の前をはだけて、下帯を見せながら桜
姫と抱き合う権助。簾がおりる前の草庵は、前と左右が開け放た
れていて、いわば、「開放された密室での情事」。簾がおりた後
も、簾の下から、桜姫の打ち掛けの端が覗いている。見えない
「そこ」での濡れ場の余韻が伺える。残月らが、実際にそうする
ように、誰でも、覗き見をしたがるだろう)か。

桜姫の前世の姿として、相承院の稚児・白菊丸がいる。白菊丸と
恋仲になった長谷寺の所化・清玄は、桜姫が、白菊丸の後世の姿
と知って、高僧「阿闍梨」の身分を投げ捨てて、不義の汚名を進
んで着る。清玄と桜姫は、綾なす、もうひと組の男女。こちら
は、いわば、青と赤(ただし、「赤」の前世は、「白菊丸」の
「白」か)。つまり、「桜姫東文章」は、清玄と桜姫と権助とい
う三角関係、青と赤と白という三色の物語。まさに、「文章」の
原意に適う。

「桜姫東文章」は、梅若殺しという隅田川伝説を背景に、悲劇の
吉田家再興の物語をベースにしているが、この物語は、「清玄・
桜姫」と通称されるように、清玄の桜姫(白菊丸)への、「同
性」の恋物語が、これに絡む。と言うより、「清玄・桜姫」の世
界に「隅田川伝説」を持ち込んだともいうことができる。この辺
りは、南北の自由闊達な創造力の世界だ。同性の恋物語(20代
の青年僧と10代前半の稚児の恋)とが、「異性」の恋慕物語
(中年の高僧「阿闍梨」の17歳の姫への恋慕)に変じれば、こ
れは、悲恋にしかならない。性の軸を超えて、生きようとする清
玄の人生には、無理がある。さらに厳密に言えば、これは、桜姫
の前世と現世の物語でもある。いわば、時間の「過去」と「現
在」の両方に生きようとする清玄の人生は、この点でも、無理が
ある。白菊丸との心中をしそこなった清玄には、疾しさがある。
従って、南北は、清玄を惨めな幽霊(後の「東海道四谷怪談」の
お岩のような執念深さは、まだ、ない)にするしかなかった。

桜姫を白菊丸の転生した人と思い込み、桜姫のなかに白菊丸を見
続ける清玄の眼中にあるのは、男色への純愛のみ。女の桜姫は、
白菊丸という愛しい男を包む包装紙のようにしか見えていない。
そういう意味では、永遠のモラトリアムに生きる青年かも知れな
い。中年男の幽霊になっても、ストーカー同様に桜姫のなかの白
菊丸を追いかけ続ける。

桜姫の前世は、清玄が心中し損ねた白菊丸で、桜姫は白菊丸の生
まれ変わり。白菊丸の生まれ変わりから、吉田家の息女・桜姫と
なった(しかし、転生への本人の自覚は、乏しいように見受けら
れる)が、桜姫は、犯された権助の妻になり、夫を助けるために
「風鈴お姫」という千住・小塚原の女郎に身を沈める。高貴な言
葉と下世話な言葉をちゃんぽんにして科白を言う場面が、ハイラ
イト。そのあげく、権助が吉田家の仇と知れたら、夫とふたりの
間にできた赤子まで殺して、父や弟の仇をとり、家宝・「都鳥」
の一巻も取り戻し、めでたく桜姫に戻り、お家再興となる。こう
いう、南北劇特有の荒唐無稽物語というのに相応しい典型的なあ
らすじである。「桜姫東文章」は、隅田川伝説をベースにいろい
ろな趣向が付加された狂言だけに、ストーリーを追っても、あま
り詮がない。今回、初めて観た坂東玉三郎の「桜姫」は、そうい
う南北ワールドを超えて、ひとりのユニークな女性の、いわば、
「自分探しの物語」として、リニューアルしてみせたところに真
骨頂があると、私は、観た。

桜姫は、吉田家に盗みに入ったあげく、自分を暴行した男(後
に、右腕の「釣鐘に桜」の入れ墨で、その男が釣鐘権助だと知れ
る)によって、妊娠させられたにもかかわらず、その男に恋を
し、自分の腕にも男と同じ「釣鐘に桜」模様の入れ墨をし(これ
が、「女の細腕」ゆえに、「釣鐘」が、「風鈴」に見えて、渾名
が、「風鈴お姫」となる)、一途にその男を慕い続ける。権助
が、かなりの悪だと知れた後も、桜姫の権助に対する「純愛物
語」は、変わらない。夫を助けるために、身を場末の女郎に落と
しても、平気だ。前回、国立劇場で観た染五郎の「桜姫」では、
運命に翻弄されているだけのように見えて、わたしは、劇評で次
のように書いた。

*私には、桜姫が良く判らない。権助がどんな悪(ワル)でも、
自分が肌を許した男を慕い続けるという自己の気持ちを大事にす
る自立した女性なのか、あるいは、自分の血を分けた子供を殺し
てまで、ただただ、お家大事という古風な「お姫さま」なのか。
桜姫の純愛の対象は、吉田家なのか。

ところが、今回観た玉三郎の桜姫は、ユニークな自律性を持っ
た、己を通す「自立した女性」というメッセージが、くっきりと
私の胸に伝わって来た。それは、大詰めの「浅草雷門の場」で、
華やかな「お姫さま」に戻って行く前の場面、「権助住居の場」
で、自害するつもりで、不憫な子まで殺して、木戸の外には、多
数の捕り方に囲まれている、という、まさに、「(私には)明日
はない」という状況に己を追い詰めておきながら、木戸に背を載
せて、呆然としていながら、なにか、満たされたものを秘めてい
る玉三郎の姿を認めたからだ。これは、染五郎の「桜姫」では、
滲み出て来なかった真女形・玉三郎の味だろう。南北の桜姫は、
「吉田家の桜姫」に戻って行くが、玉三郎の桜姫は、「風鈴お
姫」として、永遠に生き延びて行くという決意をしたと思う。私
の、幻の舞台では、桜姫は、大勢の捕り方たちの網の目をくぐり
抜けて、火の見櫓に登って行く。・・・そう、八百屋お七のよう
に。あるいは、お岩のように。

今回の「桜姫東文章」は、南北原作を超えて、玉三郎版「桜姫東
文章」になっている。それは、原作のように、通し上演をせず
に、「上の巻」と「下の巻」に変えたこと。昼の部最後の演目
「三社祭」は、いわば、インターミッション。昼の部「上の巻」
の最後を「三囲堤の場」で、桜姫と清玄のすれ違いの場面にし、
夜の部「下の巻」の最初を「三囲土手の場」として、事実上、同
じロケーションながら、こちらを、いわば物語の「承前」の役割
を与えて、「だんまり」の演出とし、その後の「岩渕庵室の場」
に繋げたことが、結局、「権助住居の場」の、あの玉三郎桜姫を
生み出したのではないか、と思う。「桜姫」の本質は、「風鈴お
姫」なのである。私の予想に違わず、玉三郎は、可愛らしいが、
芯はしっかりしている近代女性として、「風鈴お姫」で終る桜姫
を演じてくれたと思う。「浅草雷門の場」で、華やかな「お姫さ
ま」に戻って行った桜姫。あれは、雑誌の裏表紙のようなもの。
なくても良い。吉田家のお家騒動の物語は、所詮、演劇上の「結
構(組み立て)」に過ぎない。玉三郎版「桜姫東文章」は、あ
の、「風鈴お姫」で、終って欲しかった。私は、切実にそう思
う。

大抜てきで、清玄と権助を演じた段治郎の評判が良い。「桜姫東
文章」は、清玄と権助の一人ふた役の芝居でもある。釣鐘権助、
実は、信夫の惣太という侍が、吉田家横領を企む入間悪五郎(右
近)という侍に頼まれて、「見事」悪企みを成功させる。あげく
は、釣鐘権助と名を変えて、吉田家の息女・桜姫が慕ってくるの
を良いことに、金儲けを企む。桜姫を女郎に売り飛ばしても、慕
われる。自分の出世のために、悪企みの仲間・入間悪五郎をも殺
す。そういう現世的な知恵が廻り、男としての魅力もある悪。権
助から見た桜姫は、きっと可愛らしい女性だったのだろう。酔っ
たあげく、自分の正体をかし桜姫に殺されてしまうが、最後ま
で、桜姫を可愛らしく思っていたのではないか。

悪を貫き通すアンチ・ヒーロー・権助。性の強靱さを武器に女を
嘲弄してゆく権助。彼が見た夢は、万事金の世のなか、という近
代人の夢ではなかったか。南北は、そういう時代を超えた志向の
男をきっちり描いた。確かに、猿之助一座でこの芝居を上演する
ならば、清玄&権助は、猿之助の役どころである。その猿之助
が、病気休演中とあれば、この役は、右近よりも、段治郎だろ
う。そして、段治郎は、期待に答えて、熱演してくれた。身の丈
といい、口跡といい、素晴しかったが、私には、なにか、物足り
なかった。00年11月の国立劇場、染五郎桜姫のときは、幸四
郎が演じた。93年11月の国立劇場、雀右衛門桜姫のときも、
幸四郎が演じた(こちらは、観ていない)。しかし、玉三郎が、
歌舞伎座や京都南座で桜姫を演じたときは、いずれも、孝夫時代
の仁左衛門が、相手役を勤めた。段治郎の清玄&権助は、身の丈
の大きさから、所作まで、仁左衛門をモデルにしていなかっただ
ろうか。仁左衛門に似て見えると場面があったように思う。それ
でいて、私に物足りなさを感じさせたのは、なんだろうと考えて
みた。そして、ひとつ、思い当たった。それは、「眼が違う」と
いうことだ。玉三郎と共演するときの仁左衛門は、どの役柄でも
同じだと思うが、特に、恋する男女のときは、本当に、玉三郎を
愛している眼をしている。その眼差しが、段治郎には、なかっ
た。それが、物足りなさの源泉だと私は、痛感した。また、清玄
と権助を演じ分けも、弱い。特に、清玄の演じ方には、もう、一
工夫あって良いのではないか。

ほかの役者では、残月を演じた歌六と局・長浦を演じた笑三郎
が、よかった。「修禅寺物語」の夜叉王では、物足りなかった歌
六だが、こういう剽軽味を加えた味のある人物造型は、さすがに
巧い。また、笑三郎も、生き生きと演じていた。「修禅寺物語」
の桂には、堅さがあったが、ここでは、融通無碍に演じていて緩
怠がなかった。残月と局・長浦のカップルは、南北お得意のパロ
ディーだろう。つまり、清玄と桜姫のパロディだ。こういう役ど
ころは、この辺りを承知で演じないと味が出て来ない。脇が、味
のある演技をすると主軸の演技が生きて来る。

「三社祭」は、5回目。今回は、右近・猿弥という、太めの重量
級のコンビ。先に、触れたように、「桜姫東文章」の「上の巻」
と「下の巻」の間に「三社祭」を入れたのは、いわば、インター
ミッション。それだけを改めて、指摘するにとどめる(筋書きに
は、明記されていなかったが、右近の弟子で、甲府出身のただひ
とりの現役歌舞伎役者・市川喜昇が、後見ふたりのうち、一人を
勤めていた。喜昇は、「桜姫東文章」の「新清水の場」で、腰元
の一人として、出演)。

「義経千本桜〜川連法眼館〜」は、8回目。猿之助病気休演中
で、愛弟子の右近が、狐の親子の情愛に師匠・猿之助への情愛を
滲ませて、きちんと演じていて気持ちが良かった。このところ、
自己流になって来ていたのを改めて、原点に戻ったと右近は、
語っている。同じ「義経千本桜」でも、忠信は、人間忠信らしく
演じる。ときどき、狐忠信を感じさせるだけだ。ところが、「川
連館」では、唯一、人間忠信が出てくることもあって、そのあと
出てくる狐忠信は、狐らしく、狐らしくというように演じる。今
回、ほかの芝居では、右近の科白廻しのねちっこさが、気になっ
た。右近が、科白をいうと、ひとりだけ浮いているように聞こえ
た。狐忠信では、眼を瞑っていると猿之助の科白廻しのように聞
こえるほど、師匠の猿之助を彷彿とさせたが、それはそれで、良
かった。4年前の、00年7月、歌舞伎座の舞台を観たときの劇
評で、私は、次のように書いている。

*体力による外連が売り物のひとつだった猿之助、体力の衰えを
カバーする演技の円熟さ。円熟さで、狐忠信をカバー出来なくな
る日が、いずれは来るのだろうが、そういうことを考えずに、な
いものを別のもので補いながら、歌舞伎の世界に「天翔ける」猿
之助の舞台を、このあとも見ることが出来るかぎりでは、見続け
たい。今月の歌舞伎座の観客は皆、そういう思いで、心をひとつ
にしているに違いない。

同じ年の9月、大阪の松竹座で、猿之助は、「鳥居前」から「川
連館」までを演じたとき以来、狐忠信を演じていないが、今後、
一日も早く、病気恢復をし、再び、歌舞伎座で、狐狐忠信の「宙
乗り」を見せて欲しいと思っているのは、私ばかりではない。4
年前に書いた「今月の歌舞伎座の観客は皆、そういう思いで、心
をひとつにしているに違いない」という記述は、今回も、そのま
ま、生きている。

このほかの役者では、寿猿の川連法眼と芝喜松の妻・飛鳥の夫婦
が、僅かな出番ながら、存在感があった。特に、芝喜松は、こう
いう役柄で、もう少し、活躍して欲しいと思った。笑也の静御前
も、久しぶりの本格的な女形の役柄で、良かったと思う(「桜姫
東文章」では、若衆役)。口跡も、良い。
- 2004年7月25日(日) 15:18:21
2004年6月・歌舞伎座 (夜/「傾城反魂香」「吉野山」
「助六由縁江戸桜」)

「傾城反魂香」は、7回目。このうち、今回同様の、又平:吉右
衛門、おとく:雀右衛門という夫婦は、2回目。因に、又平:吉
右衛門(3)。富十郎(2)、猿之助、團十郎。おとく:雀右衛
門(2)、芝翫(2)、勘九郎、鴈治郎、右之助。

この演目は、吃音者の成功譚である。吃音者の夫を支える饒舌な
妻の愛の描き方が、ドラマのポイントである。特に、妻・おとく
の人間像の作り方が、ポイントになる。前にも書いているが、お
とくは、例えば、芝翫が演じるような、「世話女房型」もある
し、雀右衛門が演じる「母型」もある。私の観察では、このふた
つのおとく像を、いわば「イデアルティプス(原型)」として、
その間に、さまざまな役者のおとく像が、位置付けられていると
思う。

そこで、今回は、「母型」のおとくを堪能した。歌舞伎の「母」
を演じては、最高の雀右衛門であり、先月と今月の歌舞伎座での
海老蔵襲名披露興行の「口上」を仕切っている雀右衛門である。
まして、先月は、体調不十分ということで、「口上」には、登場
したものの、芝居の出演は、休んでいた雀右衛門である。先月途
中からの團十郎の病気休演もあり、代役続きの襲名披露興行であ
る。今月は、久しぶりに芝居をする雀右衛門に、いつもに増して
「やる気」が、横溢しないわけがない。おとくのなかの「母性」
は、まさに、溢れんばかりであり、こういう舞台を観ることがで
きた観客は、しあわせである。これに答えて、吉右衛門の又平
は、いつもにも増して、「子ども」ぽかったが、オーバー気味の
演技が、場内を沸せていた。生真面目、偏屈、子どもぽさ、起死
回生の絵が、石の手水鉢を抜けたときの、「抜けた!」という科
白に、このドラマのクライマックスがある。夫婦というより、母
子ですよ、このふたりは。雀右衛門も佳し、吉右衛門も良し、と
いうところ。ここは、珍しいぐらいにオーバー気味の演技をした
吉右衛門の戦略の勝ちという印象であった。

このほかでは、将監北の方を演じた吉之丞が良かった。控え目な
がら、壺を外さぬ演技。そう言えば、7回観た「傾城反魂香」の
うち、4回は、吉之丞の北の方であった。つまり、又平に対し
て、おとく同様に、母性を発揮している暖かい女性に吉之丞の北
の方がいた。4回も観ていると、吉之丞のいぶし銀のような、着
実な演技が、観客の脳裏に刷り込まれているのに気づくようにな
る。

「吉野山」は、趣向を変えて、親子の役者論を述べてみたい。歌
舞伎役者は、代々であるから、親子の役者は、星の数ほどという
と大袈裟だが、それほどでないとしても、多数いる。しかし、い
ま、子も実力を兼ね備えた旬の親子の役者と言えば、数は、限ら
れるだろう。まず、子(養子も含む)が青年以上の親子役者をリ
ストアップする(順不同)と、今回の襲名披露興行の主役を勤め
る團十郎と海老蔵、段四郎と亀治郎、左團次と男女蔵、彦三郎と
亀三郎・亀寿、菊五郎と菊之助、我當と進之介、秀太郎と愛之
助、仁左衛門と孝太郎、芝翫と福助・橋之助、東蔵と玉太郎、鴈
治郎と翫雀・扇雀、幸四郎と染五郎、雀右衛門と友右衛門・芝
雀、勘九郎と勘太郎・七之助、松助と松也などか。このうち、子
の実力から見て、今回、「吉野山」に出演した菊五郎と菊之助
は、トップクラスだろう。このクラスは、仁左衛門と孝太郎、芝
翫と福助・橋之助、團十郎と海老蔵、鴈治郎と翫雀・扇雀、幸四
郎と染五郎、雀右衛門と友右衛門・芝雀、勘九郎と勘太郎・七之
助、あたりまでか。

さて、「吉野山」である。10回目の拝見。幕が開くと、満開の
桜の間に松と寺院の屋根、雲が見える。いつもながら、華やかな
舞台。菊之助の静御前が良い。ひところの「三之助」は、辰之助
が抜け、今回、新之助が抜けして、菊之助だけが残ったが、「三
之助」のなかで、目下、いちばん実力があるのが、私は、菊之助
だと思っている。静御前は、後ろ姿に色香がなければならない。
桜木の下に、斜め後ろ姿で、佇むとき、エロスの化身であり、桜
の精のように見えなければならない。

「女雛男雛」という象徴的なシーンがあるが、「女雛=静御前=
菊之助」を後ろから、「男雛=忠信=菊五郎」が、そっとサポー
トすることで、ふたりが、立雛の形に決まる。「女雛男雛」とい
う幻想。静御前と忠信という男女。菊之助と菊五郎という親子。
そういう三重構造が、一瞬のポーズで、表現される。この場面で
は、父が息子の藝を、そっとサポートするように見えた。菊之助
は、もう、父の巣から飛び出しているように感じられる。未発表
の私の小説「歌舞伎伝説(仮)」では、近未来の歌舞伎座で、菊
五郎と菊之助が、初代梅寿・八代目菊五郎襲名披露興行の舞台稽
古の場面が描かれる。

逸見藤太は、権十郎が、好演。この藤太の科白に、「とかく戦と
言うものは・・・」とか、「(静御前と初音の鼓を)渡さばよ
し」とか、なんとなく、人気急落中(?)の、イラク戦争を仕掛
けたアメリカの大統領を彷彿とさせるものがあるのに気づき、思
わず、苦笑してしまった。歌舞伎には、時空を越えて、いつの時
代にも通用する魔力のようなものがある。

さて、夜の部のハイライト「助六由縁江戸桜」。「助六」は、5
回目。私が観た助六は、團十郎(2)、海老蔵(新之助含め、
2)、仁左衛門。

海老蔵の助六は、4年前の正月、新橋演舞場で観たときより、巧
くなっている。今回は、新之助・海老蔵の舞台を中心にまとめて
みたい。4年前の劇評(このサイトの検索で選びだすことができ
る)に、私は、次のように書いている。

「新之助の青年・助六が劇中の助六も、このくらいの年の想定な
のだろうなあ、という感じが強くした。新之助の演技もきっぱり
としていて良かったと思う。ただ、台詞廻しが現代劇ぽい部分
が、ままあり気になったが、これはこれで『新之助味』とも言え
るような気がする。いずれ、助六は市川家の家の芸だけに、これ
からも何度か、海老蔵、團十郎と襲名ごとに、新しい工夫を重ね
た役作りを新之助が見せてくれることだろうと期待する」。

まさに、海老蔵襲名披露興行での、「助六」の登場なのだ。海老
蔵は、自信たっぷりに「助六」を演じていて、その点は、観てい
ても、気持ちが良い。大向こうからは、「日本一」などという声
もかかっていた。ただし、今回も、「台詞廻しが現代劇ぽい部分
が、ままあり」で、私は、興醒めだ。特に、傾城たちから多数の
煙管を受け取り、髭の意休(左團次)をやり込める場面での、科
白が、歌舞伎になっていない。そこだけ、歌舞伎のメッキが剥げ
た現代劇のような感じで、「新之助」なら、まだまだ、これから
だからと許せた部分も、今回の「海老蔵」襲名では、そうはいか
ないという感じがした。歌舞伎の科白とは、どうあるべきかが、
海老蔵の課題になりそう。先月、今月の歌舞伎座での襲名披露興
行は、客の入りとしては、まもなく、成功裡に終るだろうが、大
阪、京都、名古屋などの全国での襲名披露興行は、まだまだ、続
くわけで、披露しながらの精進は、これからが、肝心だろう。来
月の大阪・松竹座での演目は、肝心の「勧進帳」である。期待し
たいが、観には、行けそうもない。

こういう場面で観ると、江戸のスーパースター・助六は、子ど
もっぽい。それは、決して、悪いことではない。江戸歌舞伎の
華・荒事は、稚気を表現する。そういう意味で、助六は、まさ
に、荒事の象徴だからだ。実質的な荒事の創始者・二代目團十郎
が、初めて演じたと伝えられている。助六の花道の出で、歌われ
る河東節を使い、外題も、現在の「助六由縁江戸桜」にしたの
が、四代目團十郎である。そして、「歌舞伎十八番」として、七
代目團十郎が市川團十郎家代々の家の藝に昇華させ、いまのよう
な演出に定着させた。その演目を海老蔵が、稚気をいっぱい含ん
だ助六として演じる。髭の意休に対する餓鬼の助六、こういうあ
たりは、父團十郎より、海老蔵の方が、助六の持ち味を、もっ
と、遠くまで拡げてくれるかも知れない。まだまだ、荒削りな海
老蔵の助六だが、そういう将来の可能性を垣間見させる舞台で
あったと思う。

4年前の舞台は、新之助の助六に雀右衛門の揚巻、菊之助の白
玉、左團次の意休、当時の八十助・当代の三津五郎の白酒売、團
十郎が、ご馳走で、くわんぺら門兵衛、田之助の曽我満江、松助
の通人里暁などという顔ぶれであった。さて、このときの舞台で
は、先に亡くなった中村時枝が、白玉(菊之助)付きの振袖新造
の早咲という、名前のある役で出演しているのを観たが、それよ
り、幾分若い頃の、三浦屋の暖簾を前に立っている、同じ役柄
だったと思われる写真を時枝から貰って、いまも持っている。久
しぶりに、その写真を取り出して、時枝のことを想い出した。合
掌。同じ役を今回は、尾上徳松が、演じていた。

ところで、いつも書くように、「助六」は、吉原の風俗を描く芝
居だ。新吉原の江戸町一丁目の三浦屋の店先が、主役だ。三浦屋
で働く人々、三浦屋に通う人々、三浦屋の前を通る人々、吉原で
働く人、通う人などが、出演する。多様な町の人たちを演じる役
者たちのそれぞれの衣装、小道具などに、江戸の風俗が、細部に
宿る。例えば、助六の花道の出で、なくてはならないものは、大
きな蛇の目傘。傘を持たずに助六が出て来たら、芝居にならない
だろう。それほど大事な傘。黒と白のモノトーンが、なんとも粋
だ。この大きな蛇の目傘のワンポイントのお洒落になっているの
は、緑と紅で彩られた杏葉牡丹の紋。團十郎家代々の家紋のひと
つだ。そして、傘の内側の傘の骨を止める部分は、いずれも5色
で華やかだ。モノトーンという、全体の印象と小さなワンポイン
トの家紋、裏の多彩な華やかさ。まさに、江戸の粋な美意識の象
徴である。

これほど、舞台観察の愉しみな演目も、ないかもしれない。江戸
の風俗を具体的に支えるのは、職人たちの美的感覚だろう。武家
の町・江戸にも、職人たちが、いろいろなものを作って、江戸の
美的感覚を支えただろうが、その裾野は、江戸時代のいつ頃から
か、関東地方にも拡がっていた。例えば、最近、埼玉で、いまも
引き継がれている伝統産業の技の数々を取材した多数の番組を
チェックする機会に恵まれた。江戸の美意識の伝統が、現代にま
で伝えられ、新たな美意識として、現代にも活かされている。

例えば、「江戸小紋」は、埼玉県の熊谷で、「捺染(なっせ
ん)」として、受け継がれている。中山道の宿場町だった熊谷
は、江戸の文化や美意識を中継する場でもあっただろうし、江戸
の職人を助けて、文化を増産する場でもあったのだろう。「手描
き友禅」も、残っている。加須では、鯉幟。藍染め。飯能では、
大島紬。本庄の伊勢崎絣。行田の足袋。秩父の秩父銘仙。草加の
浴衣染め。印半纏の藍染めをする「半纏紺屋(はんてんこう
や)」は、江戸文字の技術も残す。家紋を手描きする紋章上絵師
などいる。このほか、刀剣や簪の宝飾。羽二重の端切をつまみ、
糊を使って造型する「つまみ簪」。鼈甲細工。漆塗り。漆塗り独
特の刷毛を作る漆刷毛師。塗師。押絵羽子板(春日部、所沢で、
全国の80%の製品を作るという)。象眼。熊手。神棚。瓦(深
谷)。桐箪笥、桐下駄(春日部)。桶。箒。曲げ物。竹細工(竹
籠、笊など)。雛人形(岩槻、鴻ノ巣)。釣忍(川口)。欄間の
透かし彫り。浮世絵の摺師。こうした職人芸が、江戸の吉原に代
表されるような、華やかな風俗を細部から支え、また、歌舞伎の
舞台にも、これらの職人技の成果が、活かされたことだろうと思
う。事実、助六の舞台にも、提灯、染め物、塗り物、半纏、刀、
煙管、珊瑚や鼈甲の櫛、笄など、その気になって、ウオッチング
すれば、いくつかの品が、眼につくはずだ。

そういう江戸の粋を示す小道具や衣装を活かしながら、吉原の風
俗を活写するのは、生身の役者だ。今回は、4年前に新之助・助
六の相手役の揚巻が、雀右衛門だったが、今回は、海老蔵・助六
の相手役の揚巻は、玉三郎。もう一人の相手役の意休は、前回同
様の左團次。白酒売、実は、曽我十郎は、勘九郎。前回は、八十
助時代の三津五郎。白玉は、福助。前回は、菊之助。くわんぺら
門兵衛は、吉右衛門。前回は、團十郎。朝顔仙平は、歌昇。前回
は、辰之助時代の松緑。福山かつぎが、その松緑。めりはりのあ
る口跡が良い。前回は、男寅時代の男女蔵。曽我満江は、田之助
で、前回同様。松助の通人里暁も、松助で、前回同様。国侍と奴
も、十蔵時代の市蔵と亀蔵の兄弟で、前回同様。それぞれ、甲乙
つけにくい顔ぶれではあるまいか。

市川家の襲名披露ということで、これだけの顔ぶれで、脇を固め
たのだろうと想像がつく。このあたりの配役いかんで、「助六」
の芝居の、厚み、奥深さが決まってくると思う。特に、通人里暁
は、アドリブ(捨て科白)の、巧拙で、印象が異なって来る大事
な役どころだ。私が観た通人は、松助(3)、三代目権十郎、東
蔵。最も多数観ている松助は、毎回、いろいろ工夫していて良
い。團十郎自身が描いた親子の海老の図柄の扇子を持ち、携帯電
話で助六と記念写真を撮ったり、三枡のハンカチ(これは、私が
観た舞台では、助六が、海老蔵(2)、團十郎だったので、毎
回。裏は、白酒売の家紋に合わせてある)を頭に載せて、股潜
り。今回は、さらに、韓国の人気テレビドラマ「冬のソナタ」の
主役を演じているペ・ヨンジュンの物真似をして、後ろ向きで、
チェックのマフラーをし、サングラスをかける準備をしているだ
けで、客席から笑いを取っていた。もちろん、扮装が終り、正面
を向けば、さらに、笑いが拡がった。さらに、さらに、海老蔵の
CMネタの「おーい、お茶」という科白では、黒衣が、舞台袖か
ら、当該商品のペットボトルを持って出て来た。通人を得意とし
た三代目権十郎も、工夫の人で、これも、良かった。思うに、松
助は、三代目権十郎の役作りをベースにして、さらに、現代的な
ものを取り入れていると思う。福山かつぎの松緑は、白塗の足や
尻を出しての演技で、門兵衛とのやり取りの末、三浦屋の店先
で、自ら尻餅を着いて、啖呵を切る場面があるが、尻の白塗が、
濃過ぎて、所作舞台に松緑の尻の形が、白く残ってしまった。

贅言:2階ロビーでは、襲名披露恒例の祝いの品などの展示。念
のため、記録しておこう。團十郎の肉筆による扇子の絵柄は、親
子の海老、白牡丹、祝幕のデザインに使われた海老の頭(因に、
祝幕の十一代目市川海老蔵の文字は、海老蔵の筆跡を活かしてい
る。原画や筆跡を活かしてコンピュータ処理をして、祝幕のデザ
インに使っている)の3種類が展示してあった。海老蔵の助六の
舞台姿をスケッチした多数の繪を貼付けて、屏風に活かしてい
る。暖簾。壺。清光筆の役者絵。人形(「助六」と「暫」が、モ
デル)。「出世海老」が描かれた袋。「寿海老」という文字が書
き込まれた盃。團十郎デザインのルイヴィトンの鞄仕立ての鏡台
(先月は、同趣旨の鞄だった)は、脚がついている。楽屋で組み
立てれば、鏡台、仕舞えば、大きめの鞄という趣向。今回の海老
蔵襲名披露の海外公演などのときに持って行くのだろう。

幕切れ前に、花道を闊歩する海老蔵の助六。それを斜に構えて、
客席に背を向けて、顔の左側だけで、助六を見送る玉三郎揚巻。
その背中が演じる、なんとも言えない色気。先に亡くなってし
まった六代目歌右衛門の床几に座った後ろ姿を舞台下手の袖から
観て描いた中村時枝の絵が私の所にある。背中が伝える色気。六
代目の、後を追うように、2ヶ月後、亡くなってしまった時枝ま
で、想い出した。七代目歌右衛門を継ぐのは、福助だろうが、玉
三郎は、六代目の藝を継ぐ、もうひとりの歌右衛門になるだろう
と思う。

今月の歌舞伎座、昼夜の舞台は、連想む含めて、さまざまな「隠
し絵」を私に見せてくれた。傾(かぶ)く舞台は、ものごとを
ひっくり返す、時空を超えて、観客の側の想像力を引き出す。こ
のところ、多忙な日々が続いて、7日に昼夜通しで拝見した歌舞
伎座の劇評の掲載が遅くなった。お待ちの方には、お詫びする。

- 2004年6月22日(火) 7:06:30
2004年6月・歌舞伎座 (昼/「外郎売」「寺子屋」「口
上」「春興鏡獅子」)

2枚のチラシがある。歌舞伎座が、その月の興行の様子を伝える
ために発行し、歌舞伎座の内外の棚に置いてある、例のチラシで
ある。一見すると、レイアウトも写真も同じだから、同じチラシ
に見えるが、実は、違うチラシである。まず、役者の顔写真の顔
ぶれ、位置が違う。「旧い」ものには、上段に雀右衛門を別格に
して張り出し、吉右衛門と菊五郎が、左右を固めている。下段
は、仁左衛門と團十郎が、左右を固めている。「新しい」もの
は、雀右衛門の張り出しがなくなり、上段の左右を雀右衛門、菊
五郎が固めている。そして、下段は、吉右衛門と仁左衛門が固め
ている。この結果、左右交互に順位が付けられる役者たちの位置
が、全面的に違っている。何故か、と言えば、團十郎が、病気休
演したので、事前に使われていたチラシと事後に作られたチラシ
と2種類あるからだ。2枚のチラシの違いを詳細に見ると、松竹
による、歌舞伎役者のランク付けが、良く判るからおもしろい。

さて、今月は、市川宗家の家の藝を示す歌舞伎十八番から、「外
郎売」。当初は、團十郎が、外郎売、実は曽我五郎を演じる予定
だったが、病気休演で、松緑が代演をする。松緑は、無難にこな
したが、この演目は、もともと、動く錦絵のような狂言。筋が単
純な割に、登場人物が、多くて、多彩だ。外郎売、実は曽我五
郎、工藤祐経、大磯の虎、化粧坂少将、小林朝比奈、小林妹・舞
鶴、梶原平三景時、梶原平次景高、遊君、珍斎、新造と、歌舞伎
に登場するさまざまな役柄が勢揃いし、しかも、きらびやかな衣
装で見せる。華やかな、歌舞伎のおおらかさを感じる演目だ。背
景は、富士山。大磯の廓で休憩する工藤祐経一行に外郎売、実は
曽我五郎が、「一人対面」するという趣向。つまり、曽我十郎・
五郎の兄弟が、父の仇と狙う工藤祐経に対面する「寿曽我対面」
のバリエーションという仕立てだ(1980年の新台本)。

左右に紅白の梅の木が、花を付けている富士山を背景に、奴たち
が、紅白の梅の花槍を使って形づくる富士山があり、さらに、そ
の前面に役者たちが絵面の見得で形づくる富士山があり、という
ことで、三重の富士山を舞台に再現する幕切れの様式美に収斂し
て行くまで、動く錦絵は、様式美の階調をさまざまに織り成す。
さらに、科白劇としては、外郎売の早口言葉の披露というおかし
みもある。単純で判りやすい筋立て、荒事演出のメリハリなど、
楽しめる演目だが、まあ、それだけと言ってしまえば、それだけ
の演目だ。こういう狂言は、気持ち良く、楽しめば良い。いかに
も、襲名披露興行の演目に相応しい祝祭劇だ。本来なら、「外郎
売」は、襲名披露の主役である海老蔵が演じるのが、順当だろ
う。

私が、「外郎売」を初見したのは、98年5月の歌舞伎座。外郎
売、実は曽我五郎は、新之助であった(実は、「鏡獅子」の初見
も、新之助であった。この奇遇)。私のサイトは、99年春の解
説だから、98年の劇評は、まだ、書き込まれていない。それ以
来、2回目の拝見となる。大磯の廓の仕立てなので、舞台の上下
の大臣柱から外側は、白木の桟敷の拵えで、幕開き直後は、浅葱
幕で舞台が覆われ、上手の大薩摩連中の乗る山台も、霞幕で隠さ
れているので、珍しい白木の桟敷の拵えが、新鮮に映る。無人の
舞台に置唄があったあと、浅葱幕の振り落としと霞幕の撤去があ
ると、市川家の色、柿色の上下を付けた大薩摩連中が、長唄と同
じX脚の書見台を前に置いているのが判る。破風のある古風な建
物の柱には、上手に「歌舞伎十八番の内 外郎売」と書かれた看
板があり、下手には、「四代目尾上松緑相勤め申します(旧
字)」という看板がある。本来なら、下手の看板には、「十二代
目市川團十郎」と書かれていたはずだ。團十郎病気休演で不在と
いう、海老蔵襲名披露興行の寂しさがある。その辺を配慮して、
松緑は、外郎の故事来歴を早口言葉で述べる前の、芝居中の「口
上」で、海老蔵襲名披露と團十郎の休演の挨拶をしていた。松緑
の代演は、無難で、ご苦労様と言いたい。

このほかの役者たちは、「だんまり」もどきのゆったりとした所
作で、劇的空間を、一気に江戸時代へタイムスリップさせてくれ
る。段四郎の工藤祐経、芝雀の大磯の虎、七之助の化粧坂少将、
権十郎の小林朝比奈、亀治郎の小林妹・舞鶴、弥十郎の梶原平三
景時、亀鶴の梶原平次景高、遊君では、亀寿の喜瀬川、松也の亀
菊、市蔵の茶道珍斎、そのほか、5人の新造、10人の奴たち。
このうち、亀治郎の舞鶴の印象が弱い。最近、亀治郎の存在感
が、薄くないか。ファンだけに、心配。松也が、可愛らしい。

「寺子屋」は、国立劇場の前進座公演もふくめて、今回で11回
目。テキスト論は、繰り返さないが、今回は、世上流行る親によ
る子殺しだけでなく、長崎県佐世保市で起きた小学6年生の女子
による同級生殺しもあり、注目されているので、歌舞伎の封建的
世界を象徴する「子殺し」に新たな視点で光を当ててみたくなっ
た。

「寺子屋」は、2組の夫婦の物語でもある。加害者夫婦=源蔵
(勘九郎)、戸浪(福助)。被害者夫婦=松王丸(仁左衛門)、
千代(玉三郎)が、織り成す悲劇。江戸時代の封建的な道徳観を
ベースとする歌舞伎は、主君のため、親の都合で、子どもを犠牲
にする話が多い。「一谷嫩軍記」は、義経の暗示を受けて、熊谷
直実が、平敦盛の代わりに自分の息子・小次郎を犠牲にするし、
「寺子屋」は、武部源蔵が、師匠の菅丞相の息子・秀才の代わり
に自分の経営する寺子屋に寺入りして来た松王丸の息子・小太郎
を「勝手に」に犠牲にする(この裏では、松王丸は、自分達の父
親が世話になり、また、三つ子の末弟である桜丸が仕えている菅
丞相の息子・秀才の代わりに自分の息子の小太郎を犠牲にする、
ということでもある)。加害者夫婦は、寺入りして来た見ず知ら
ずの母子の子を自分の都合で、勝手に身替わりにするだけに、悩
み、怯える。そして、秀才の首を差し出せと詮議に来た玄蕃一行
を騙しおおせて、ほっとする。被害者夫婦は、本心かどうかは、
別としても、己の息子を菅丞相ファミリーのために役立たせるこ
とができると確信をし、また、確信通りに、ことが進んだので、
喜んでいる。息子の小太郎も、自分が犠牲になることで、親の役
に立つことを知り、取り乱さずに、莞爾として、死んで行ったと
聞き、哀しみながらも、喜んでいる。「持つべきものは、子でご
ざる」という松王丸の科白に、すべてが収斂されて行く。

本当にそうだろうか。小太郎を回向する、いわゆる「いろは送
り」の場面は、一度だけ人形浄瑠璃で観たことがある。この歌舞
伎の原作は、人形浄瑠璃であった。それを、歌舞伎化したもので
ある。つまり、原作の人形浄瑠璃では、この場面は、人形たちに
足拍子をいれた「跳躍」をさせることで、子を犠牲にした松王
丸・千代の被害者夫婦の、本音の哀しみを演出する。これが、原
作である。この場面は、役者が演じる歌舞伎では、原作に忠実に
表現できない場面だと思う。「飛躍する哀しみ」。役者では、表
現できない哀しみの深さが、そこにあるのと、思う。人形浄瑠璃
では、人形という「超人」(人を超える形=演技こそ、人形浄瑠
璃の原点である)により、超越した哀しみを表現する。空中を調
薬する哀しみ、この哀しみは、人形では、表現できても、歌舞伎
の生身の役者では、充分に表現できない。そこを踏まえた上で、
ここで、「菅原伝授手習鑑」の合作者論に移る。

並木宗輔は、いわゆる三大歌舞伎(「菅原伝授手習鑑」「義経千
本桜」「仮名手本忠臣蔵」)という合作狂言の立作者を勤めた人
である。そして、「一谷嫩軍記」の「熊谷陣屋」を絶筆として、
亡くなっていった人でもある。並木宗輔には、「継嗣・継母」を
扱った作品が多い。幼少年期の不明な人である。私は、並木宗輔
は、幼年期に母を亡くし、継母との気まずい時期を過ごさざるを
得なかった人ではないかと推察している。詳しいことは、私の未
発表の「小説・歌舞伎伝説(仮)」に詳しく書き込んでいるの
で、ここでは、あまり触れない。その挙げ句、並木宗輔は、小次
郎の母であり、直実の妻である相模に「理想の母親像」を託そう
としたと思っている。そういう眼で、私は、合作ものを含めて、
並木宗輔の諸作品を点検し続けている。

内山美樹子の力作「浄瑠璃史の十八世紀」では、近松門左衛門、
並木宗輔、近松半二という浄瑠璃史のなかでも、金字塔を打ち立
てた十八世紀後半の作者たちを論じている。なかでも、並木宗輔
については、三大歌舞伎の合作者の分担論(いわゆる「作者伝
説」論の検証)を展開している。

そこで、「寺子屋」だが、内山は、ここを並木宗輔作と推定して
いる。森修に代表される通説では、ここは、小出雲(二代目出
雲)作とされてきた。学者らは、並木宗輔が単独で書いた作品の
テーマの立て方、処理の仕方などを元に合作者の分担を推測す
る。私は、継嗣・継母をベースにした並木宗輔の「理想の母親
像」をキーワードの「作者伝説」を推測している。その結果、私
は、いまのところ、「寺子屋」の作者は、並木宗輔では、ないだ
ろうと思っている。つまり、小太郎の母であり、松王丸の妻であ
る千代は、理想の母・「相模」とは、ダブルイメージされないか
らである。確かに、千代も、わが子・小太郎を亡くして、悲嘆に
暮れている。しかし、松王丸の価値観から抜け出してはいない。
これに反して、相模は、直実に、父親の都合で、息子を殺され、
「あなたひとりの息子ではないぞ」と、非難している。つまり、
直実の価値観に同調していないのである。

松王丸・千代の夫婦が、封建的な価値観のなかで、子を失った親
の哀しみを訴えているのに対して、相模は、夫の直実に同調せ
ず、封建的な価値観を抜け出して、現代にも通用する普遍的な価
値観で、父親の価値観の犠牲になった小次郎への無償の愛情を迸
らせているのである。千代が、相模ではない。あるいは、千代
が、いずれ相模へ成長して行く女性ではない、という意味で、こ
この作者の価値観と「熊谷陣屋」の作者の価値観の違いを指摘す
ることで、私は、「寺子屋」の作者は、並木宗輔では、ないと
思っているのである。

かつて、私が書いたように、「主人(菅丞相)の子どものために
(つまり、配流となった菅丞相の家の断絶を避けるために)、わ
が子を犠牲にする(つまり、己の家の断絶を決意する)松王丸・
千代の家族を揚げての忠義の物語は、一部の説にあるように、決
して、並木宗輔の筆になるものではないと思っている」という考
えを改めて、掲載しておきたい。

今回、改めて、加害者夫婦と被害者夫婦という視点で、「寺子
屋」という芝居を観ても、その感は、強まるばかりである。それ
にしても、最近の親の都合による子殺し、イラク戦争による米軍
の攻撃で犠牲になる大半が、子どもたちだという現実。そういう
現実を反映しての、子どもによる同級生、下級生、幼児殺し。子
どもたちの命を軽視するような社会風潮。これでは、子殺しは、
封建的な価値観の反映などと嘯いてもいられない。現代の方こ
そ、「封建的」、つまり、子どもの「人権軽視」ではないかと、
250年前の並木宗輔らが、時空を越えて、冷笑しているかも知
れないではないか。

さて、被害者の父親・松王丸を演じた仁左衛門は、先の「義経千
本桜」の「いがみの権太」の場合も、そうであったが、情の出し
方が巧い。今回も、情を押さえて、「忠臣」松王丸を演じた後、
園生の前を呼び出すために、皆から離れて、一旦、木戸の外へ出
る場面で、涙を流す辺りは、情の出し方の緩怠を心得ていると思
う。一方、加害者・源蔵を演じた勘九郎は、もうひとつ、乗って
いないように見えた。加害者の妻・福助の戸浪は、情を出すが、
被害者の母親・玉三郎の千代は、逆に情を押さえる。その対比
が、出ていた。玉三郎対福助は、これで、2回目。今後も、雀右
衛門に続いて、歌舞伎を代表する真女形の位置を占めるであろう
ふたりだけに、今後も、藝を競い合って欲しい。彦三郎の玄蕃
は、6回拝見したことになる。亀蔵の涎くりは、私は、初めて拝
見したが、なかなかの熱演であった。先(もう、6年前になる)
の十五代目仁左衛門襲名披露の歌舞伎座では、「ご馳走」で、涎
くりを勘九郎が演じていた。

「口上」は、先月と違い、海老蔵の父親・團十郎がいない。背景
の襖の絵も、銀地に荒々しい波間の絵柄である。先月いなかった
役者は、仁左衛門、吉右衛門、玉三郎、勘九郎、福助、秀太郎
だった。仁左衛門は、来月、大阪の松竹座で演じる「勧進帳」
で、海老蔵の弁慶に対して、冨樫を演じるとピーアールしてい
た。吉右衛門は、團十郎不在を寂しいと訴えていた。玉三郎は、
五代目玉三郎襲名披露の舞台を「八代目團十郎」をテーマにした
演目で出たとエピソードを述べていた。さらに、海老蔵という名
跡は、行く行くは、團十郎に繋がるだけに精進して欲しいと激励
していた。勘九郎は、「海老蔵は、気は優しくて、力持ちだが、
手加減を知らない」という個人的なエピソードを紹介して、観客
席を笑わせていた。福助は、「源氏物語」に共演して以来、新之
助のファンになった、海老蔵が演じる「鏡獅子」では、息子の児
太郎が、胡蝶の精を演じると、ちゃっかり、わが子のピーアール
も忘れない。秀太郎は、海老蔵に大きな華のある役者になって欲
しいと激励していた。このほか、先月と同じ顔ぶれでは、菊五郎
は、先月と同じ口上をそのまま、使っていた。田之助は、團十郎
家とは、十代目團十郎(追贈)、十一代目、十二代目(当代)、
そして、海老蔵と四代に亘ってのおつきあい、私も、歳をとった
と笑わせていた。海老蔵は、ナイスガイと横文字で誉めていた。
左團次は、写真週刊誌を騒がせて欲しいと海老蔵アバンチュール
を唆していた。段四郎は、明治に「劇聖」と言われた九代目團十
郎の門弟が、二代目段四郎だったと團十郎家との縁をピーアール
していた。海老蔵は、十一代目海老蔵を「相続」したと強調し、
團十郎の病気休演を詫び、先祖の名を辱めないように精進すると
誓っていた。先月は、口上を仕切った雀右衛門に続いて、父親の
團十郎が仕切った「睨み」だが、今月は、口上の仕切り同様に、
雀右衛門が、仕切った。

「鏡獅子」は、7回目。勘九郎(2)、菊之助(2)、新之助
(今回含め2)、勘太郎。海老蔵の「鏡獅子」は、新之助時代に
1回観ているし、それも、「鏡獅子」を生の舞台で私が、最初に
観たのが、新之助だったとは、ほとんど記憶に残っていないが、
この演目は、あまり、海老蔵向きではないと思う。多分、後半の
獅子の精をやりたかったのだろうと思うが、本興行での上演記録
を見ても、十一代目、十二代目とも、團十郎は、「鏡獅子」を演
じていない。團十郎家の家の藝として、幕末に「歌舞伎十八番」
を選定した七代目團十郎が、自分の得意藝を「新歌舞伎十八番」
として、2演目の選定をしかけて、途中で亡くなってしまい、若
くして自殺した八代目の後を継いで、九代目になった團十郎が、
残りの16演目など(「歌舞伎十八番」が、18の演目を選んで
いるのに対して、「新歌舞伎十八番」は、「十八番」を「おは
こ」と読ませて、実際には、32の演目を選んでいる)を選定
し、新たに、「鏡獅子」を入れた。111年前の、明治26
(1893)年、九代目が、56歳で「鏡獅子」を初演したと
き、これは「年を取ってはなかなかに骨が折れるなり」と言った
そうだ。菊之助、勘太郎、新之助は、いずれも十代の舞台だっ
た。が、若くないと体力が続かないだろうし、若すぎると味が出
ないだろうし、なかなか難しい演目だと思う。

勘九郎は、20歳が初演で、あしかけ27年間におよそ400回
演じたそうだ。40歳代後半に入って、勘九郎の「鏡獅子」に
は、味が出て来たと思う。九代目團十郎が選定した「鏡獅子」だ
が、父も祖父も敬遠した演目に、果敢に挑戦する将来の十三代目
團十郎、海老蔵の敢闘精神は、多とする。しかし、それと、舞台
の評価は、当然のことながら、違う(否、ここは、20年後の海
老蔵か、十三代目團十郎か、の「鏡獅子」をこそ、期待すべきか
も知れない)。

「鏡獅子」は、江戸城内の、正月吉例の鏡開きがある。
上手の祭壇には、将軍家秘蔵の一対の獅子頭(茶色)、鏡餅、一
対の榊、一対の燭台が、飾られている。

前半は、小姓・弥生の躍りで、女形の色気を要求される。後半
は、獅子の精で、荒事の立役の豪快さを要求される。海老蔵の弥
生は、残念ながら、なかなか、女性に見えてこない。もうひとつ
のポイント。六代目菊五郎の「鏡獅子」は、映像でしか見たこと
がないが、六代目の弥生は獅子頭に身体ごと引き吊られて行くよ
うに見えたものだ。将軍家秘蔵の獅子頭には、そういう魔力があ
るという想定だろう。ここが、前半と後半を繋ぐ最高の見せ場だ
と私は、思っている。だから、どの役者が「鏡獅子」を演じて
も、観客は、このポイントは、見逃さないだろう。私も、そう
だ。海老蔵も、祭壇から受け取った、ひとつの獅子頭に「引き吊
られて」、というところまで、まだまだ、行かない。

後半に入って、「髪洗い」、「巴」、「菖蒲打」などの獅子の白
い毛を振り回す所作を連続して演じる。大変な運動量だろう。メ
リハリもあり、全身をバネのようにしてダイナミックに加速する
海老蔵の毛振りは、いかにも、若獅子らしく、見応えがあった。
この辺りは、さすがに、巧い。右足を上げて、左足だけで立ち、
静止した後の見得も、決まっている。海老蔵は、これをしたかっ
たのだろうと思った。
- 2004年6月12日(土) 18:47:43
2004年5月・歌舞伎座 (夜/「碁太平記白石噺」「口上」
「勧進帳」「魚屋宗五郎」)

夜の部の劇評のポイントは、「口上」だろうと自己宣伝してお
く。「口上」の舞台は、情報が豊富だからだ。それにしても、
12日に病名が判明した團十郎のその後が、気になる。初期の症
状で、異常が見つかったというのが、救いだ。きちんと、そし
て、じっくりと治療をして、再発防止に心掛け、その上で、一日
も早く、舞台復帰して欲しい。苦しい経験をすると藝が深まると
言われる世界だ。私と同学年の團十郎。先に歌舞伎座で行われた
歳末チャリティーサイン会のときの、オーラのある雰囲気と大き
な眼で私を「睨んで」くれた、あの表情を思い出す。ひとまわり
大きくなった十二代目に舞台で再会したい。海老蔵も、父のいな
い、市川宗家の襲名披露など夢想だにしなかったと思うが、奇禍
を奇貨として、ひとまわり大きくなるだろうと期待したい。

さて、まず、歌舞伎座の食堂で食べた十一代目海老蔵「襲名弁
当」から記録しておこう。記念一筆箋付で、3500円(税込
み)。兜の絵が印刷された「お献立」は、以下の通り。

「お造り」 真鯛 つま一式
「口代り」 海老錦紙巻 江戸厚焼玉子 ちまき
      寿人参酢取り 延べ板蒲鉾
      丸十密煮 小柱佃煮 金目鯛西京焼き
「煮物一」 里芋 筍 蕗 人参 椎茸 絹さや
      かえで麩
「煮物二」 豚角煮 新じゃが ミニアスパラ
「揚 物」 海老真文 キス黄身衣揚げ しし唐
      赤黄パプリカ
「飯 物」 俵青豆飯 末広赤飯 鮪角煮
「椀 物」 海老団子 湯葉 三ツ葉
「香 物」 白瓜浅漬け 大根浅漬け
「果 物」 オレンジ キウイ 苺

次に、歌舞伎座2階のロビーでは、襲名披露の記念の品々の展示
コーナーがあるが、狭い場所で、人の流れへの配慮がなく、混雑
すること、この上無し。展示物をゆっくり観ることができない。

さて、5日に観た「口上」の舞台から紹介しよう。「口上」の舞
台には、私が、以下、気付いたことを書くように、これだけの情
報(あるいは、私が、見落している情報も、当然あるだろうか
ら、それ以上)がある。

金地に杏葉牡丹(市川宗家の紋のひとつ)の襖の前に、今月、歌
舞伎座で共演した歌舞伎界の幹部が、並ぶ(来月は、また、別の
幹部が並ぶ)。体調不十分のため、当初予定していた芝居の出演
を止め、「口上」のみの出演となった中村雀右衛門が、取り仕切
る。兵隊から無事還って来て、義父の七代目松本幸四郎の慧眼
で、それまでの立役から女形に転換するように言われて、今日で
は、最高の真女形雀右衛門誕生となった。つまり、七代目松本幸
四郎の娘と結婚した雀右衛門は、十一代目團十郎(七代目松本幸
四郎の長男で、市川宗家の養子になった。当代團十郎の父、海老
蔵の祖父。海老蔵時代が長く、「海老さま」として、人気沸騰し
たが、十一代目襲名後、3年ほどして、58歳で死去)の妹の夫
に当たる。ということは、当代團十郎にとっては、叔母の夫に当
たるということになる。だから、京屋が、市川宗家の襲名披露の
口上を取り仕切る。紫の帽子をつけた女形の鬘、裃姿で、舞台中
央、新之助改め、海老蔵の上手隣に控えている。

雀右衛門は、まず、自分の挨拶を済ませ、さらに上手の菊五郎に
バトンタッチした後も、各役者の挨拶が続く間、ずうっと、顔を
上げたまま、座っている。菊五郎(若い頃は、女形だったが、
「兼ねる役者」として、立役もこなす。鬘は、野郎頭。)は、
「私も、ときどき、えびさまと呼ばれます。血液型が、AB型な
ので」と言って、観客席を湧かせる。以後、上手へ順番に、彦三
郎、三津五郎:「海老が殻を脱ぐように、さらに大きく脱皮して
欲しい」、松緑(来月の襲名披露興行、昼の部では、「外郎売」
で、休演の團十郎に代って、外郎売を演じる)、芝雀(女形の
鬘、裃)、段四郎(初代猿之助、二代目段四郎は、九代目團十郎
の門弟なので、市川宗家の一門になるので、鬘の髷も、市川宗家
の口上用の「鉞(まさかり)」、裃も茶色。来月の夜の部では、
「助六」の「口上」を團十郎に代って、勤める)、田之助(女形
の鬘、裃)、芝翫(当代は、女形だが、鬘は、野郎頭。先祖が、
立役なので)。

この後、挨拶は、下手に移る。まず、いちばん外側の富十郎。富
十郎から上手へ順番に、左團次(茶色の裃に、鬘は市川宗家の口
上用の「鉞」)は、「外国の女性も含めて、いろいろな女性を近
付けて、『色気のある俳優』になって欲しい」と笑わせる。次い
で、時蔵(当代は、女形だが、鬘は、野郎頭)、権十郎(裃は、
茶色ではないが、鬘は市川宗家の口上用の「鉞」。九代目團十郎
は、七代目團十郎の五男だったが、長男が八代目團十郎を継いだ
ため、河原崎座の座元に養子に入り、初代河原崎権十郎となり、
八代目が、幕末に大坂で自殺してしまった後、九代目を継ぐため
に、実家の市川宗家に戻った。そういう市川宗家と河原崎家の縁
が、当代、つまり、四代目権十郎にはあるため、「鉞」の髷が許
される)、菊之助(当代は、女形だが、鬘は、父親の菊五郎同
様、野郎頭。先の、辰之助に続いて、新之助がいなくなり、ひと
ころの「三之助」は、いまや、ひとりになってしまった)、友右
衛門、魁春(女形の鬘、裃)、梅玉(團十郎と同級生の年齢)、
團十郎(茶色の裃に、鬘は市川宗家の口上用の「鉞」)は、「幕
末の安政時代以来、およそ150年ぶりの團十郎、海老蔵が、舞
台に並ぶ」と挨拶(七代目團十郎が、長男に八代目を譲り、その
後、五代目海老蔵名乗っていたから、これ以来ということだろ
う。緊張のせいか、團十郎らしからぬ、珍しく「上がっている」
ように見えたが、いまから思えば、このころから体調に異変が
あったのかも知れない。4日後に、入院というのは、極限まで、
我慢していたのだと思う)。海老蔵(茶色の裃に、鬘は市川宗家
の口上用の「鉞」)。挨拶の後、ここからは、父親の團十郎の仕
切りで、市川宗家代々に伝わる「睨み」をきっちりと演じてくれ
た。海老蔵は、柄も目も大きいので、こういう役どころは、巧
い。迫力がある。

次に、「碁太平記白石噺」では、「新吉原揚屋の場」。2回目の
拝見。前回の宮城野は、澤村宗十郎。信夫:芝雀。惣六:左團
次。今回は、休演の雀右衛門に代って、時蔵が、宮城野を演じ
る。湯上がりの浴衣姿の傾城という珍しい場面だ。鼈甲(べっこ
う)の簪(かんざし)に、紙が巻いてある。竹本の葵太夫も、い
つもの回転する山台ではなく、廻らない山台で、壁の書き割りの
前で、出語り。姉の宮城野を探しに来た信夫(菊之助)が、惣六
に助けられ、吉原に辿り着き、奥州弁という奇妙な訛りの言葉を
使って、「田舎者」を演じる。初々しい菊之助。互いに、姉妹と
知れ、感激する。妹の話から父親が殺されたことを知り、姉妹で
敵討ちに行こうとするが、惣六(富十郎)は、宮城野の年期証文
を反古にするとともに、ふたりに曽我物語を引き合いに出して、
敵討ちの時期を待てと諭すという単純な筋。洒落た江戸の吉原の
風俗と江戸っ子・惣六の気風を見せるという趣向だけの芝居。1
枚の風俗錦絵のような舞台だ。

夜の部のメインは、「勧進帳」。「勧進帳」は、良くできた演目
で、奥が深い。名曲、名舞踊、名ドラマ、と芝居のエキスの全て
が揃っている。これで、役者が適役ぞろいとなれば、何度観ても
あきないのは、当然だろう。「独参湯」たる由縁である。

今回の「勧進帳」は、成田屋親子で見せる弁慶と冨樫が売りだ。
海老蔵襲名の舞台なので、私としては、本当は、海老蔵の弁慶が
観たかったが、團十郎の弁慶は、いつもにも増して、意欲的で、
見応えがあった。海老蔵の冨樫、菊五郎の義経とも、なかなか見
物(みもの)の舞台だ。弁慶と冨樫が、所作台2枚分まで、詰め
寄る「山伏問答」。逆に、弁慶と義経が、所作台9枚分まで、離
れる「判官御手を」。いずれも、舞台の広さ、空間を活用した、
憎い演出である。それだけ、弁慶役者は、舞台を動き回る。その
動きも、長唄に載せて踊る舞踊劇だから、舞うような演技が必要
になる。さらに、内部にござを入れた大口袴という弁慶の衣装
は、重く、演じる役者に体力、気力を要求する。團十郎の弁慶に
は、息子の襲名披露の舞台をなんとしても成功させようという気
迫があった。役者魂と團十郎代々の将来を担う長男・海老蔵への
情もあったのだろう。それだけに、團十郎は、いつも以上の気力
で、舞台に臨んでいたのではないか。それが、團十郎のなかで
も、今回の弁慶を、いつもとは一味違う素晴しい弁慶にしていた
と思う。10回観ている勧進帳で、團十郎の弁慶は、今回で、3
回目だが、いちばん、迫力のある弁慶であった。それほどの、素
晴しい弁慶であった。

しかし、また、それが、体力の限界まで團十郎を追い詰めてし
まったのではないか。いまから、考えれば、團十郎は、体を虐
め、白血病に罹るほど、意気込み過ぎていたのかも知れない。半
年前から、本格的に始まった海老蔵襲名披露興行への準備。それ
は、自分の舞台を勤めながら、息子のポスター写真の撮影現場に
も立ち会うなど、準備の進捗状況にも、きめ細かく、目を光らせ
るということだ(以前に、初日前の歌舞伎座で舞台稽古を何回
か、観ているが、秦新之助の稽古に客席から浴衣姿の團十郎が、
注文を出している場面に出くわしたことがある。日頃から、息子
の藝の精進には、目を光らせていた)。今回の冨樫などの演技を
見れば判るが、海老蔵も父親の期待に答えようと頑張っていた。
父親の病状も心配だろうが、父親の期待に答える舞台を見せてく
れることが、父・團十郎へのなによりも替え難い良薬だと思う。

命がけで、演じていた團十郎の体を病魔が襲っていたのかも知れ
ない。5日の舞台で、病魔と戦うそぶりも見せずに、凄まじい弁
慶を團十郎は、演じてくれた。恢復後、再び、さらに奥行きのあ
る弁慶を演じて欲しいと、願うのは、私だけではない。歌舞伎
ファンが、みな、一丸となって、團十郎の恢復を待っている。

さて、菊五郎の義経は、風格があった。身の丈の大きな海老蔵の
冨樫は、口跡も良く、見栄えがした。また、いつの日か、親子の
役柄を変えて、海老蔵の弁慶、團十郎の冨樫でも、「勧進帳」を
観てみたい。

ところで、團十郎は、若い頃の、役者としては、致命的欠陥とも
言える、自分の口跡の悪さ(声が籠る)を藝の力で克服して来た
努力の人である。手を抜くことができない性格だろう。凄い弁慶
を見せてくれた團十郎には、頭が下がるが、健康を害してしまっ
ては、なんにもならない。いまの雀右衛門を観ていれば良く判る
が、歌舞伎役者は、60歳、70歳と年齢を重ねるに連れて、本
当の役者の味を出す。十一代目が、いまの團十郎より、わずか1
歳年上の年齢で亡くなっているだけに、團十郎の芝居の、老境に
拠る円熟の境地を私たちは、ここ1世紀ほど、体験していない。
それを体験させてくれるのは、当代の團十郎しかいない。そうい
う同年代の歌舞伎を演じる、観ると言う立場ばかりでなく、文字
どおり、團十郎と同級生の世代の者として、私は、自分の健康に
も気をつけながら、團十郎の藝の充実とともに、老境の円熟の舞
台を観続けて行きたいと、日頃から念じて来た。今後も、そうい
う至福の時間が、團十郎とともに持てるように念じている。

私が、拝見した10回の「勧進帳」の主な配役は、以下の通り。
弁慶:團十郎(3)、吉右衛門(2)、幸四郎(2)、猿之助、
八十助、辰之助、改め松緑。冨樫:菊五郎(3)、富十郎
(2)、猿之助、團十郎、梅玉、勘九郎、新之助。義経:雀右衛
門(3)、菊五郎(2)、芝翫、富十郎、梅玉、福助、染五郎。

ところで、歌舞伎座では、10日の舞台から、團十郎に代って、
三津五郎が弁慶を演じている。三津五郎の弁慶は、5年前の8
月、歌舞伎座で、八十助時代の最後に、観ている。この弁慶も素
晴しかった。小柄な八十助が、大きく見えたことを覚えている。
今回の三津五郎の弁慶も、頑張っていると聞く。市川宗家の次代
を背負う息子の襲名披露興行の舞台で、家の藝である歌舞伎十八
番のなかでも、最も重要な演目の主役を代役を立てなければなら
ない、病床の團十郎の悔しさ、無念さ。そういう役者稼業の苦渋
に共感しながらも、5年前(11年前にも、浅草公会堂で演じて
いる)に演じた弁慶を、代役を言われたその日の夜の部から、見
事に演じてゆけるという三津五郎の力強さ。それは、歌舞伎伝承
の演劇システムの素晴しさ、それを担いきる役者の素晴しさでも
ある。

その三津五郎だが、「魚屋宗五郎」では、充実の舞台を見せてく
れた。「魚屋宗五郎」は、4回目。宗五郎:團十郎、勘九郎、菊
五郎、そして今回の三津五郎。それぞれ、持ち味の違う宗五郎を
観たことになる。

序幕の「芝片門前魚屋内の場」。宗五郎は、次第次第に深まって
行く酔いを見せなければならない。菊五郎は、こういう役が巧
い。三津五郎も負けていない。この場面は、酒飲みの動作が、早
間の三味線と連動しなければならない。宗五郎の酔いを際立たせ
るのは、宗五郎役者の演技だけでは駄目だ。脇役を含め演技と音
楽が連携しているのが求められる。ここでは、芝雀の演じる女
房・おはまと松緑の演じる小奴・三吉が、特に良い。剽軽な小奴
の味が、松緑にはあった。磯部邸の召使・おなぎを演じた菊之助
も、宗五郎の父親・太兵衛役の松助も良い。チームプレーが、宗
五郎の酔いの哀しみと深まりを観客にくっきりと見せる。

 「磯部屋敷」の場面、前半の「玄関の場」での、殴りこみのおも
しろさと後半の「庭先の場」、酔いが醒めた後の、殿様の陳謝と
慰労金で、めでたしめでたしという紋切り型の結末。殿様の磯部
役は、海老蔵。家老の浦戸役で、彦三郎が、もの判リの良い、危
機管理の実務担当者として、良い味を出していた。
- 2004年5月15日(土) 8:41:38
2004年5月・歌舞伎座 (昼/「四季三葉草」「暫」「紅葉
狩」「伊勢音頭恋寝刃」)

市川新之助の十一代目海老蔵襲名の舞台とあって、連日満員が続
いている。襲名披露ゆえ、海老蔵には、夜の部の「勧進帳」で
は、弁慶をやって欲しいというファンが多いと思うが、5日に観
た團十郎の弁慶は、それほど、よかった(詳しくは、夜の部の劇
評で述べたい)。息子の襲名披露の舞台をなんとしても成功させ
ようという気迫が團十郎には、あったと思っていたら、9日夜の
終演後、急に体調を崩し、10日から、休演となってしまった。
そして、13日の朝刊には、休演中の團十郎の病名判明の記事掲
載される。「急性前骨髄球性白血病」という。息子の海老蔵襲名
の舞台で、意欲的な團十郎だったが、頑張り過ぎたのだと思う。
記事に拠ると、大半の患者は、投薬で直ると言うから、一日も早
い恢復を祈りたい。

さて、歌舞伎座に入ると、本舞台には、祝儀幕。市川家の「三
升」の紋所を中心に黄金地に荒波の模様が描かれていて、幕の下
手側には、十一代目市川海老蔵丈江と染め抜かれた道具幕だ(上
手側には、スポンサー名)。

「四季三葉草」は、初見。舞踊劇なので、開幕前に、祝儀幕は、
片付けられ、いつもの緞帳に替っている。「四季三葉草」は、音
読み通り、「式三番叟」を捩り、四季の花尽くしで歌詞を仕立て
上げたところがミソ。今回は、新之助の海老蔵襲名を祝ってい
る。翁:梅玉。三番叟:松緑。千歳:芝雀。本舞台には、能の舞
台が想定されていて、まさに、二重舞台。屋根には、歌舞伎座の
紋が入っている。鏡板にあたる背景は、大海の孤島。絶壁の、舟
を寄せつけないような緑の島には、五重塔を含む寺院があるよう
だ。緑の間から、朱塗りの橋や大屋根の寺院が見える。構成は、
元の「式三番叟」がベース。「もみの段」、「鈴の段」が、舞わ
れる。鬘をつけた裃後見たちが、手際良く、3人のサポートをす
る。

次いで、祝儀幕のふたつ目。生成りの地の中心に大海老の頭が描
かれている。海老の髭が、大きく伸びている。その辺りは、黄金
地。幕の下手側には、同じく、十一代目市川海老蔵丈江と染め抜
かれていて、上手側には、別のスポンサー名)。さて、次は、い
よいよ、新海老蔵の登場だ。

「暫」は、歌舞伎座の上演記録を見ると、去年の5月にも團十郎
の鎌倉権五郎などの配役で上演されているが、私は、去年のこの
時期、まだ、地方在住で、東京への転勤の準備と1ヶ月間に3回
の引っ越しが重なり、歌舞伎を観に行く暇がなかったので、この
舞台を観ていない。私が観たのは、95年11月、歌舞伎座の舞
台だけとなり、今回が、2回目。私が観た前回と今回の配役を記
録すると次のようになる。鎌倉権五郎(暫):團十郎、海老蔵。
清原武衡(ウケ):九代目三津五郎、富十郎。震斎(鯰):当時
の八十助、当代の三津五郎、三津五郎。照葉(女鯰):いずれも
時蔵。桂の前:右之助、芝雀。加茂次郎(太刀下):秀調、芝
翫。成田五郎(腹出し):松助、左團次。局常盤木:玉之助、東
蔵。今回は、襲名披露だけに、配役の顔ぶれが、豪華だ。

「暫」は、祭祀劇であり、記号の演劇だ。江戸時代には、幕末ま
での1世紀余りに渡って、「暫」は、旧暦の11月に「顔見世興
行」のシンボルとして、演じられた演目であった。同じ演目ゆえ
に、毎年、趣向を変えて演じられた。その結果、役どころは、変
わらないが、役名が、変動した。江戸の人々は、役柄を重視し、
役柄、姿、動作などから、主な役どころには、通称をつけて、理
解を助けたのである。先の主な配役一覧で、役名の後に、括弧で
記入したのは、役の通称だが、極めてユニークな記号になってい
ると思う。例えば、主役の鎌倉権五郎の「暫」は、向う揚幕の、
鳥屋のうちから、「暫く」、と声をかけて、暫くしてから花道に
出てくるから、「暫」と呼ばれた。清原武衡の「ウケ」は、その
「暫く」を受けて立つ敵役だから、「ウケ」となる。震斎の
「鯰」は、「震災」(鯰は、地震を予知するという説がある)で
あり、化粧などが、「鯰」だからだろうし、照葉の「女鯰」は、
「鯰」に付き従っている女性だからだろう。「太刀下」は、鎌倉
権五郎が、振るう大太刀の下で、あわや、首が飛びそうになるか
らだ。成田五郎、東金太郎、足柄左衛門、荏原八郎、埴生五郎の
5人は、「腹出し」と呼ばれるが、これも「腹を出した赤っ面」
という扮装を見れば、良く判るネーミングだ。また、道化方、若
衆、女形、敵役など歌舞伎の主な役柄が出揃うという意味でも、
初心者にも判りやすい演目だ。

それは、歌舞伎の配役が、類型化されて、衣装や扮装、化粧など
という歌舞伎の演目を越えて共通する様式性でバランスを採り、
それに伴い、「大同小異」という人物の普遍性を主張するという
演劇としての歌舞伎の特性を裏付けていると思う。鎌倉権五郎
は、花道七三でのツラネで、役柄と役者自身の自己主張をする。
今回の海老蔵は、例えば、「晴れて受け継ぐ十一代目」「親譲
り、親の口まね、口移し」などと、今回の襲名披露を科白に折り
込むなど、役者が自作で科白を考える趣向になっている。江戸歌
舞伎を代表する荒事の演目であり、勇壮な荒事の特徴の、花道の
出、愛嬌、力感、科白廻し(主役の科白のほか、主役の動作に添
える、仕丁たちの「ありゃー、こりゃー」という化粧声など
も)、柿色の素袍の衣装、紅隈の隈取り、力紙をつけた鬘、大太
刀などの小道具、全体の扮装、元禄見得など、いくつかの見得、
引っ込みの六法まで、團十郎家代々の荒事のエキスを見せつけ
る。花道での海老蔵を支える裃後見は、團十郎家の髷である、
「鉞」であり(本舞台は、鉞ではなかった)、徹底しているな
あ、という印象であった。海老蔵は、丈も大きく、口跡も良く、
大きな眼も印象的で、まさに、若武者・鎌倉権五郎を写して、余
りなしという、良い出来であったと思う。こういう判りやすい役
柄は、海老蔵には、良く似合う。幕外(祝儀の海老が頭が描かれ
た道具幕)での花道の引っ込みでも、ライトに照らされた海老蔵
の影が、祝儀幕に写る。大太刀を担いだその影が、海老蔵が、向
う揚幕に近付くに連れて、ぼやけながらも、次第に大きくなって
行く。

「紅葉狩」は、6回目。私の観た更科姫は、5人。玉三郎
(2)、芝翫、福助、雀右衛門。そして、今回が、菊五郎。この
うち、体調が悪かったのか、芝翫が、扇を落とす場面が、印象に
残っている。それほど、更科姫の扇の場面は、難しい。福助も、
落としそうになった。そのために、踊りが、乱れたのを覚えてい
る。雀右衛門は、落とさなかった。なかでも、玉三郎は、危な気
なかった。今回の菊五郎は、さすが、安定していて、危なげがな
いと思って観ていたら、最後に、少しだけ、揺らぎがあった。そ
れほど、ここの扇の扱いは難しい。

前にも書いたが、「紅葉狩」は、「豹変」がテーマである。更科
姫、実は戸隠山の鬼女への豹変が、ベースであるが、姫の「着ぐ
るみ」を断ち割りそうな鬼女の気配を滲ませながら、幾段にも見
せる、豹変の深まりが、更科姫の重要な演じどころである。観客
にしてみれば、豹変の妙が、観どころ。見落しては、いけない。
黒い衣装、隈取りの鬼女は、更科姫の赤姫からの外見的な豹変。
歌舞伎は、様式的に、色彩的に、単純明快に豹変を表現する。
「暫」が、七代目團十郎選定の「歌舞伎十八番」なら、「紅葉
狩」は、九代目團十郎選定の「新歌舞伎十八番」ということだ。

このほかの今回の配役は、維盛:梅玉、山神:菊之助、右源太:
権十郎、左源太:信二郎、局田毎:東蔵、局望月:秀調、腰元・
岩橋(道化役):亀蔵、侍女・野菊:松也など。松也が、初々し
い。

「伊勢音頭恋寝刃」は、4回目。「伊勢音頭恋寝刃」は、もとも
と説明的な筋の展開で、ドラマツルーギーとしては、決して良い
作品ではない。実際に伊勢の古市遊廓であった殺人事件を題材に
している。事件後、急ごしらえで作り上げられただけに、戯曲と
しては無理がある。それにも拘らず、長い間上演され続ける人気
狂言として残った。前にも、書いたが、お家騒動をベースに、主
役の福岡貢へのお紺の本心ではない縁切り話から始まって、ひょ
んなことから妖刀による連続殺人(9人殺し)へというパター
ン。殺し場の様式美。殺しの演出の工夫。絵面としての、洗練さ
れた細工物のような精緻さのある場面。絵葉書を見るような美し
さがある反面、紋切り型の安心感がある。そういう紋切り型を好
む庶民の受けが、いまも続いている作品。馬鹿馬鹿しい場面なが
ら、汲めども尽きぬおもしろさを盛り込む。それが歌舞伎役者の
藝。そういう工夫魂胆の蓄積が飛躍を生んだという、典型的な作
品が、この「伊勢音頭恋寝刃」だろう。本来なら、あまり、襲名
披露の舞台の演目としては、相応しくないような凄惨な話だが、
最後に、お家騒動の元になった重宝の刀・青江下坂と折紙(刀の
鑑定書)が、揃って、殺人鬼と化していた貢が、正気に帰り、主
筋へふたつの重宝を届けに行く、「めでたし、めでたし」の場面
ぐらいが、言祝ぎか。

團十郎の貢は、昼の部唯一の出番とあって、力が入っている。お
鹿の田之助は、今回も好演。そう言えば、私が観たお鹿は、いつ
も田之助だ。もともと、類型ばかりが目立つ、典型的な筋の展
開、人物造型のなかで、お鹿は、類型外の人物として、傍役なが
ら難しい役柄だと思う。悲劇の前の笑劇という類型の上塗りだ
が、田之助が雰囲気をやわらげる。貢は、上方和事の辛抱立役の
典型だが、俗に「ぴんとこな」と呼ばれる江戸和事で洗練された
役づくりが必要な役。私が観た印象では、2回観た仁左衛門の方
が、今回を含め、やはり2回の團十郎より適役だったと思う。最
後に殺人鬼となる貢の、鬼気迫るのは、仁左衛門の役柄だろう。
仲居・万野は、憎まれ役だが、これも、玉三郎(2)、菊五郎、
そして、今回の芝翫では、それぞれ、味わいが違うが、玉三郎
が、いちばん適役か、より憎々しかった。玉三郎は、綺麗なだけ
の役より、こういう憎まれ役をやると、美貌に凄みが加わり、好
演することが多い。喜助は、傍役ながら、貢の味方であることを
観客に判らせながらの演技という、いわば「機嫌良い役」で、今
回は、襲名披露主役の、海老蔵が勤める。

この演目は、小道具では、団扇が見どころ、お岸(芝雀)、お鹿
の持つ銀地、あるいは、お紺(魁春)の持つ透かし地に、同じよ
うな紫の桔梗の花があしらったもの、万野の持つ役者浮世絵の
柄、油屋のお仕着せの流水に盃の柄など、団扇の模様をウオッチ
ングするのも、夏狂言らしくて、楽しい。

- 2004年5月13日(木) 6:31:26
2004年4月・歌舞伎座 (夜/「通し狂言白浪五人男」)

「通し狂言白浪五人男」は、本外題を「青砥稿花紅彩画(あおと
ぞうしはなのにしきえ)」という。我がサイトの掲示板「網模様
花紅彩画」が、この本外題の「もじり」であることは、言うまで
もない。通しで演じられたのは、最近では、9年前の、1995
年8月に、歌舞伎座で上演されていて、私も観ている。そのとき
の弁天小僧は、勘九郎であった。「ゆるりと江戸へ 〜遠眼鏡戯
場観察〜」という拙著には、舞台の印象を書いているが、我がサ
イトの発足は、99年なので、こちらの「遠眼鏡戯場観察」に
は、書き込んでいない。従って、「通し狂言白浪五人男」の掲載
は、今回が初めてとなる。

「通し狂言白浪五人男」は、通しで演じられないときは、「雪の
下浜松屋」と「稲瀬川勢揃」の場面だけが、演じられることが多
い。その場合は、外題も、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめ
おのしらなみ)」となる。略称では、「弁天小僧」。そういうも
のを合わせると、4回目の拝見となる。しかし、「みどり」上演
では、一枚、一枚の絵葉書を見るようである。これが、通しでの
上演となると、この物語が、如何に起伏に富んでいるかが判る。
明暗起伏に富む原作は、幕末の江戸文化を活写していることが、
伺われる。以前の演出では、もっと、端役や仕出しを活用して、
江戸の庶民を活写したという。まさに、生きた幕末絵巻であっ
た。いつか、そういう演出で、上演されないものか、と思う。ち
なみに、通し狂言の前回と今回の配役をまず書いておこう。

弁天小僧:前回、今回とも勘九郎。南郷力丸:前回、今回とも三
津五郎(ただし、前回は、八十助という前名であった)。日本駄
右衛門:前回は、富十郎、今回は、仁左衛門(以下、前回、今回
の順)。忠信利平:橋之助、信二郎。赤星十三郎:前回、今回と
も福助。浜松屋幸兵衛:三代目権十郎、弥十郎。千寿姫と宗之
助:孝太郎、七之助。鳶頭:彦三郎、市蔵。青砥左衛門:前回、
今回とも勘九郎。

「通し狂言白浪五人男」は、本外題にある「花紅彩画(はなのに
しきえ)」というタイトルに偽りなく、本当に何枚もの錦絵を見
るように、豪華絢爛たる明るい色彩の場面が多い。また、「極楽
寺屋根立腹の場」の「がんどう返し」や、「極楽寺山門の場」、
「滑川土橋の場」などの大せりを使った大道具の転換など、歌舞
伎の演劇空間のダイナミックさを見せつける場面が続くのも魅力
だ。花のある役者が、最低でも5人は「勢揃い」しないと成り立
たない芝居であるし、捕り手となる大部屋役者衆と弁天小僧の大
立ち回りも、見せ場が、たくさんある。そういう意味では、初心
者にも、楽しめる演目だ。

ストーリ−の方は、序幕で、日本駄右衛門を頭とする5人の盗人
の略歴と5人組が結成される経緯が演じられる。サブストーリー
として、千寿姫と信田小太郎の物語。二幕目で、日本駄右衛門、
弁天小僧、南郷力丸の3人による、浜松屋での詐欺。サブストー
リーとして、黙阿弥劇特有の因果話として、日本駄右衛門と浜松
屋のお互いの実子を幼い頃、取り違えていたことが判る。そし
て、逃亡しようとする5人の盗人の勢揃い。大詰では、多数の捕
り手に追い詰められた弁天小僧が、極楽寺の大屋根の上で、大立
ち回りの末に立ったまま切腹する「立腹(たちばら)」の場面や
極楽寺の山門にいる日本駄右衛門を青砥左衛門を追い詰める。と
いうように、複雑な筋立てだが、枝葉を整理すると盗人5人組の
起承転結という単純な話になる。逆に、話としてみてしまえば、
あまり傑作とも言えないし、人物造型も深みがない。それなの
に、「浜松屋」を主とした上演回数は、黙阿弥もののなかでも、
人気ナンバーワンと言われる。それは、ひとえに、初演時に、五
代目菊五郎の明るさを打ち出すために、歌舞伎の絵画美に徹した
舞台構成を考えだしたからであろう。それが、また、大当たりを
したことから、定着してしまった。

黙阿弥が、両国橋で見掛けた女の着物を着た青年のことを浮世絵
師・豊国に話したことから、錦絵ができたという説や豊国が描い
た義賊の見立て絵を元に黙阿弥が狂言を仕立てたという説もあ
り、錦絵と狂言が、相関関係にあるだけに、話よりも、きらびや
かな絵に近い舞台を見せることに重点を置かれた出し物である。
それに、「初瀬寺花見」は、「新薄雪物語」を下敷きにしている
し、「極楽寺山門」は、「楼門五三桐」を下敷きにしているか
ら、歌舞伎の見せ場を寄せ集めた芝居とも言える。だから、「通
し狂言白浪五人男」は、何枚もの錦絵を楽しむように、大道具の
ダイナミックな動きも含めて、ひたすら、舞台を「眼」で堪能す
る、さらに、黙阿弥劇特有の七五調のリズムに乗った科白の音楽
性を「耳」で楽しむ、というのが、この演目の最も、オーソドッ
クスな観劇方法だろうと思う。だから、今回は、あまり、テキス
ト論は、展開しない。

そこで、双眼鏡のなかに飛び込んで来たものをメモを元に、アト
ランダムに記録しておきたい。序幕・第一場「初瀬寺花見の場」
では、赤姫の扮装の千寿姫の七之助と紫の衣装を着た腰元・小桜
の芝のぶであった。ふたりとも、目立つほど、綺麗であった。初
瀬寺の朱塗りの御殿の階(きざはし)の両側には、桜の木があ
り、下手側の木の傍には、「開帳 初瀬寺」の立て札(普通、こ
ういう場合は、『當寺』と書く)。立て札は、後ほど、奴駒平、
実は、南郷力丸(三津五郎)が、忠信利平(信二郎)と立ち回り
をするときに使用される。境内には、茶屋(出会茶屋、ラブホテ
ル)があり、後ほど、千寿姫と許嫁の信田小太郎、実は、弁天小
僧菊之助(勘九郎)が、使用する(これが、後ほど、正体を顕わ
し、小太郎を殺して、小太郎に化けた弁天小僧と契ってしまった
ことを恥じて千寿姫は、自害することになる)。

序幕・第二場「神輿ヶ嶽の場」では、日本駄右衛門に敗れ、手下
になった弁天小僧のふたりを乗せたまま、大道具がせり上がり、
崖下の場面に替る。崖は、崖の絵を描いた道具幕。道具幕が、振
り落としになると、そこは、序幕・第三場「稲瀬川谷間の場」
で、許嫁を殺したことが判った弁天小僧に追われて、崖から身を
投げた千寿姫が川の傍に横たわっている。やがて、気が付いた千
寿姫は、信田家の中小姓であった赤星十三郎(福助)に出会い、
再び、川に入水して果てると、忠信利平が現れ、次々に、五人男
が出揃い、はやばやと「だんまり」になる。まあ、なんとも、荒
唐無稽な楽しさ。歌舞伎の絵面のおもしろさを知り抜いた黙阿弥
の技は、冴える。

二幕目第一場「雪の下浜松屋」では、番頭・与九郎(四郎五
郎)、白浪五人男の手下・狼の悪次郎(助五郎)の姿が、目に付
く。浜松屋では、店の者が行灯とともに、品物を持って来るの
で、ときは、夕方と判る。詐欺を働こうと娘に化けた弁天小僧ら
が来て、案の定、トラブルになる。番頭は、算盤を持っている。
番頭のしでかす軽率な行為が、この場を見せ場にする。弁天小僧
の額を算盤で打ち叩き怪我をさせるのである。この怪我が、最後
まで、弁天小僧の、いわば「武器」になる。正体がばれて、帯を
解き、全身で伸びをし、赤い襦袢の前をはだけて、風を入れなが
ら、下帯姿を見せる勘九郎弁天小僧。まあ、良く演じられる場面
であり、「知らざあ言って聞かせやしょう」という名科白を使い
たいために、作ったような場面だ。勘九郎は、気持ち良さそうに
科白を言う。「稲瀬川の勢揃」の場面でもそうだが、名調子の割
には、あまり内容のない「名乗り」の科白を書きたいがために、
黙阿弥は、この芝居を書いたとさえ思える。

やがて、花道の引き上げ、いわゆる「坊主持ち」の場面で、勘九
郎と三津五郎の軽妙なやり取りで、観客を笑わせる。コンビの息
は、ぴったりだ。この間、本舞台では、弁天小僧の正体を見破っ
た玉島逸当、実は、日本駄右衛門や浜松屋の人々9人が、黙っ
て、正面を向いて、花道の芝居が終るのを待っている。歌舞伎独
特の演出法方法だ。花道のふたりが、向こう揚幕のなかに消え
て、チャリンと揚幕を閉める音を合図に、「フリーズ」が、解け
て、本舞台の芝居が始まる。浜松屋に恩を着せ、店の奥に案内さ
れる日本駄右衛門。これが彼らの狙いであった。また、もうひと
り、小悪党が店に残る。皆が、引き上げるまで頭を下げていた番
頭の与九郎は、実は、店の金をくすねていた。今回の騒ぎで己の
犯行も露見すると思い、さらに、店の有り金を盗んで逃げようと
している。丁稚の長松、亀吉に見とがめられる。黙阿弥は、細か
い藝で笑いをとる。

二幕目第三場「雪の下蔵前の場」では、上手に蔵があるから、
「蔵前の座敷き」ということになる。座敷きのあちこちに、藁で
包まれた四角い荷持が置いてある。玉島逸当、実は、日本駄右衛
門の後ろには、何故か、白木の呉服葛籠(つづら)が置いてあ
る。浜松屋の主人・幸兵衛(弥十郎)らが、お礼の金子を渡そう
とすると、正体を顕わした日本駄右衛門は、「有金残らず所望し
たい」と脅しながら、刀を畳に突き刺し、後ろの呉服葛籠に腰を
掛ける。下手からは、弁天小僧ら、先ほどのふたりが抜き身を
持って現れ、同じように刀を畳に突き刺し、件の荷物に腰を掛け
る。その上で、浜松屋の親子の、どちらが犠牲になるかを、賊の
前で争っているうちに、実子の取り違えが判り、弁天小僧は、幸
兵衛の子、宗之助は、駄右衛門の子と判るという荒唐無稽さ。

二幕目第三場「稲瀬川勢揃の場」も、桜が満開。浅葱幕に隠され
た舞台。浅葱幕の前で、蓙(ござ)を被り、太鼓を叩きながら、
迷子探しをする人たち。前の場面の話しを引っ張っているのか。
実は、捕り手たちが、5人の盗人を探していたというわけ。やが
て、浅葱幕の振り落としで、桜が満開の稲瀬川の土手(実は、大
川=隅田川。対岸に待父山が見える)。花道より傘を持った白浪
五人男が出て来る。弁天小僧、忠信利平、赤星十三郎、南郷力
丸、日本駄右衛門の順。まず、西の桟敷席に顔を向けて、花道で
勢揃いし、東を向き直り、場内の観客に顔を見せながら、互いに
渡り科白を言う。

本舞台への移動は、途中から、日本駄右衛門が、4人の前を横切
り、一気に、本舞台の上手に行く。残りの4人は、花道の出の順
に上手から並ぶ。恐らく、花道の出は、頭領の日本駄右衛門が、
貫禄で殿(しんがり)となり、本舞台では、名乗りの先頭に立つ
ため、一気に上手に移動したのだろう。「問われて名乗るもおこ
がましいが」で、日本駄右衛門、次いで順に、弁天小僧、忠信利
平、赤星十三郎、「さて、どんじりに控(ひけ)えしは」で、南
郷力丸となる。捕り手との立ち回りを前に、傘を窄めるが、皆、
傘の柄を持つのに対して、忠信利平だけは、傘を逆に持つ。5人
の列の3番目、つまり、真ん中だからか。捕り手たちとの立ち回
り。絵面の見得で幕。五人男に取り付いた10人の取り手のう
ち、客席に顔を見せているのは、ふたりだけ、後は、後ろを向い
たり、下を向いたりしていて、顔が見えない。

大詰第一場「極楽寺屋根立腹の場」は、まず、開幕すると浅葱
幕。大薩摩の演奏。そして、幕の振り落としで、極楽寺の大屋根
の上での弁天小僧と28人の捕り手たちとの大立ち回り。ここ
は、主演の勘九郎と大部屋の役者衆の息が合っていないと、大立
ち回りは、スムーズに展開しない(実際、なかなか、難しい)。
その挙げ句、覚悟を決め手の弁天小僧の切腹。がんどう返しとな
る大屋根の下から、のどかな春の極楽寺境内の遠見の書き割り。
桜が、満開。その下から、極楽寺の山門がせり上がり、山門に
は、日本駄右衛門がいる。山門では、手下に化けた青砥配下の者
が、駄右衛門に斬り掛かる。やがて、更に駄右衛門を乗せたま
ま、山門がせり上がり、奈落からせり上がって来た山門下の滑川
に架かる橋の上には、弁天小僧から早替りした勘九郎の青砥左衛
門が、家臣とともに、駄右衛門を追い詰める。大詰の、畳みかけ
るような大道具の連続した展開は、初めて観た人なら、感動する
だろう。

さて、最後に、簡単に役者論を書いておこうか。まず、主役の弁
天小僧を演じた勘九郎、南郷力丸の三津五郎のコンビは、息の
合った芝居を見せてくれた。勘九郎のパワーは、いつもながら、
凄い。白浪五人男の、残り3人では、日本駄右衛門の仁左衛門。
知盛よりは、肩の力を抜いて、飄々と演じている。忠信利平の信
二郎、赤星十三郎の福助は、まあ、あんなところか。まあ、この
狂言は、役者の賑わいが大事だから、そういう意味では、配役も
まずまずで、楽しめた。

- 2004年4月19日(月) 21:17:30
2004年4月・歌舞伎座 (昼/「番町皿屋敷」「棒しばり」
「義経千本桜〜渡海屋、大物浦〜」)

舞台は、桜が満開

「番町皿屋敷」は、2回目。前回は、青山播磨:團十郎、お菊:
今回同様、福助であった。今回の青山播磨は、三津五郎。岡本綺
堂作の新歌舞伎は、「湯殿の幡随院長兵衛」の話の続きという拵
えを物語のベースにしている。水野の旗本奴と長兵衛の町奴の対
立のなかで、水野の「白柄組」に所属する旗本・青山播磨と町奴
の放駒四郎兵衛らが、第一場「麹町山王下」では、あわや喧嘩に
なりそうになる。桜が満開の美しい自然と人間の醜い争い。駕篭
で通りかかった播磨の伯母・真弓(田之助)にいさめられて、こ
こは、一旦落ち着く。この場面は、後の伏線。青山播磨の喧嘩ぱ
やさと気の弱さは、第二場での、お菊への優しさと逆上しやすさ
を暗示している。子分を引き連れた放駒四郎兵衛(信二郎)は、
颯爽としている。放駒は、播磨の性格を浮き彫りにするための対
比の役割を持っている。

豪華な駕籠に乗ったまま登場し、喧嘩にならないように裁く田之
助は、初役ながら、貫禄がある。田之助は、駕篭のなかで横座り
をしていたが、これは、足の悪い田之助の工夫なのか、前回、真
弓を演じた芝翫は、駕篭のなかで、前を向いて座ってはいなかっ
たか。

第二場、「番町青山家」。播磨の屋敷である。水野十郎左衛門た
ちを呼んで開かれる宴会で使うため、腰元お菊(福助)と腰元お
仙(芝のぶ)が、青山家の家宝の高麗青磁の皿の準備をしてい
る。人の噂で、播磨の結婚の話を聞いたお菊は、虚ろな気持ちを
隠さずに、儚げ。てきぱきと物事を進めるお仙とは、対照的だ。
そういう役どころのお仙を芝のぶが、好演している。ここのお仙
も、お菊の性格を浮き彫りにするための対比の役割を持ってい
る。

「家宝の皿より、私が大事と播磨に言わせられるかどうか」。そ
んな女心は、純な愛で胸がいっぱいなのだろう。迷いに迷った挙
げ句、皿を座敷きの柱にぶつけて割ってしまうお菊。帰ってきた
播磨は、皿を割ったことを「粗相か」と聞くだけで、優しく、お
菊を許す。愛する女ゆえに、男の心の広さを見せる播磨だが、お
菊が皿を割るところを見てしまったお仙から知らせを受けた用人
(秀調)に、真実を知らされ、それをお菊が追認すると逆上して
しまう。お菊への愛情を疑われたことが判り、逆上するのだ。

割られた皿のために、お菊を斬るのではなく、真情を疑われたこ
とで、ふたりの仲を維持できないと播磨は、思ったのだろう。わ
ざと、残りの皿を割った上での所業だ。男の誠を疑った女が罪な
のか、些細なことで、疑い迷うのは、女の純情。お菊の、世迷い
ごとに基づく「愚かな行為」を、「可愛い」と思うか、男の誠を
疑われた無念さゆえに「憎さ」を増長させるか。精神の危機管理
ができるかどうか。

このあたりの演技は、前回の團十郎の方が、巧かった。團十郎
は、初役にもかかわらず、愛する女性に対する物わかりの良さを
持つ近代人でありながら、一旦逆上すると、止(とど)めが効か
なくなる、そういう男としての播磨の性格を浮き彫りにした。そ
ういう人物造型が、播磨役が3回目という三津五郎は、弱かった
ように見える。男の真情を理解し、喜んで殺されるお菊は、近代
的な女性である。福助のお菊は、前回より、押さえ気味の演技で
あった。前回の演技の方が、説得力があったと思うが、なぜか、
変えている。良く判らない変化だ。お菊が、割った皿を包み、皿
を井戸に投げ捨てる際や最後に斬り殺される際に口にくわえたま
まとなる朱色の袱紗はの使用は、初演の市川松蔦の工夫だとい
う。用人・十太夫初役の秀調は、好演。

怪談伝説「皿屋敷もの」をベースに、歌舞伎の演出という擬古典
的な手法で描かれた近代的な恋の心理劇というところか。それ
が、「番町皿屋敷」の演劇としての本質なのだろう。

「棒しばり」は、4回目。次郎冠者:富十郎、勘九郎(2)、染
五郎。太郎冠者:九代目三津五郎、当代三津五郎(2)、勘太
郎。曽根松兵衛:三代目権十郎、坂東吉弥、友右衛門、弥十郎。
巧さの勘九郎、当代三津五郎のコンビは、2回目。ふたりとも踊
りには、定評があるだけに、たっぷりと堪能した(勘九郎と三津
五郎のコンビは、今月は、昼夜通じて、3演目で、息の合ったと
ころを見せる)。こういう舞踊劇は、それぞれの踊りの実力だけ
でなく、コンビの息が合わないと、出来具合いが、違って来るか
ら、怖い。

あの手、この手で、手を使わずに、踊る舞踊劇。初心者にも、歌
舞伎の楽しさを判らせてくれる新歌舞伎の演目。勘九郎と三津五
郎のコンビに弥十郎も味を加えていて、3人とも、バランスの取
れた配役で、楽しめた。

「義経千本桜〜渡海屋、大物浦〜」は、5回目。今回は、あまり
詳しく書き込まない。「渡海屋」の銀平、実は、知盛を初役で演
じる仁左衛門を堪能。その一語に尽きる。先月の「いがみの権
太」で、上方演出を軸に、菊五郎系の演出、仁左衛門独自の工夫
を見せて、好評だったが、今月の「碇知盛」も、同様で、特に、
「大物浦」では、傷付いた知盛は、胸に刺さっていた矢を引き抜
き、血まみれの矢を真っ赤になった口で舐めるという場面まで
あった。

「大物浦」で源氏方と壮絶な戦いをする知盛の姿は、理不尽な状
況のなかで、必死に抵抗する武将の意地が感じられる。この場面
を観ていて、私は、知盛の意地を表現する仁左衛門の演技に、イ
ラク戦争のなかで、新局面になっている「ファルージャ」で抵抗
するイラクの人たちの意地に繋がる思いが、重なって見えて来て
仕方がなかった(そう言えば、「棒しばり」も、両手を縛られた
太郎冠者と次郎冠者は、酒の呑みたさゆえの主人への反抗であ
り、これも、イラクの人たちの苦境が、二重写しに感じられた。
私の思い入れが強すぎるのかも知れないが、そういう連想が、湧
いて来たことは事実だ)。歌舞伎というものは、そういう現代性
を隠し持っている。「傾(かぶ)く」という視点は、古い袋のな
かに、新しいものを汲み入れる機能を持っているのかも知れな
い。

上方訛りの科白を言う知盛の科白廻しも新鮮に聞こえた。「渡海
屋」の場面での颯爽とした銀平、「大物浦」の場面での品格を感
じさせる知盛。仁左衛門は、仁左衛門が演じるというだけで、役
柄が、輝いて見える。得な人だ。

岩組の上で、碇の綱を身に巻き付け、綱の結び目を3回作る。重
そうな碇を持ち上げて、海に投げ込む。綱の長さ、海の深さを感
じさせる間の作り方。綱に引っ張られるようにして、後ろ向きの
まま、落ちて行く、「背ギバ」と呼ばれる荒技の演技。知盛が、
入水する場面は、立役の藝の力が、必要。ここは、滅びの美学。
「義賢最期」をベースに荒技の演技を積み重ねて来た仁左衛門な
らではの重厚な「知盛最期」であった。仁左衛門は、この場面、
風格のある演技で、たっぷり、リアルに見せる。役者として、旬
の味を観客に堪能させる上に、独自の創意工夫の努力を欠かさな
い仁左衛門。「いがみの権太」、「碇知盛」と続けば、いずれ、
「狐忠信」も、仁左衛門が演じる日が来るだろう。それを愉しみ
に待っているのは、私だけではない。


銀平女房お柳、実は、典侍の局は、芝翫。芝翫がこの役を演じる
のを観るのは、2回目。自分の命を掛けて、安徳帝を守ろうとす
る乳人役の局の決意が滲み出ていた。相模五郎(勘九郎)、入江
丹蔵(三津五郎)は、いずれも、好演。役どころの前半(笑劇)
と後半(悲壮な、ご注進)の場面で、持ち味の違いをきっちり味
あわせてくれた。ご注進の入江丹蔵は、下に、アイヌ文様の衣装
を着ていた(以前には、気が付かなかった)。このほか、カラフ
ルな「ブーツ」を履いた義経役の福助、弁慶役の左團次らが、芝
居の厚みを増す。菊の局に芝のぶ。片岡八郎の宗之助は、初々し
い娘役を見なれているせいか、最初、宗之助と判らなかった。

贅言:昼と夜を通しで歌舞伎座の舞台を観ていると、桜が満開の
場面が、続くのが良く判る。「番町皿屋敷」の第一場「麹町山王
下の場」。「白浪五人男」の序幕・第一場「初瀬寺花見の場」。
二幕目第三場「稲瀬川勢揃の場」。大詰第一場「極楽寺屋根立腹
の場」。

- 2004年4月18日(日) 16:39:04
2004年3月・歌舞伎座 (夜/「大石最後の一日」「達陀」
「義経千本桜」)


  上方歌舞伎としての「いがみの権太」を堪能


夜の部は、歌舞伎らしい出し物は、「義経千本桜」だけであっ
た。それも、「木の実」「小金吾討死」「すし屋」という「義経
千本桜」のなかでも、「知盛もの」「忠信もの」と並んで、3本
柱となる「いがみの権太もの」で、東京では、あまり演じられな
い上方歌舞伎の演出なので、愉しみにしていた。以前に、
2000年7月の地方巡業の舞台で、我當の主演、上方演出の
「いがみの権太」を観ている。このときは、「すし屋」だけで
あったし、今回よりは、上方味も、かなり、あっさりしていた。
今回は、「いがみの権太」の通しなので、どういう上方味が、随
所に隠されているか、そこをウオッチングしてみたい。

まず、「大石最後の一日」は、3回目。「大石最後の一日」は、
真山青果原作の新歌舞伎、「元禄忠臣蔵」シリーズのうち、最初
に書かれた場面である。赤穂浪士の後日談である。

97年11月歌舞伎座で、初めて観た大石内蔵助は、幸四郎。次
が、吉右衛門。そして、今回は、再び、幸四郎。舞台は、吉良邸
への討ち入りから、一月半ほど経った、元禄十六年二月四日。江
戸の細川家には、大石内蔵助ら17人が、預けられ、幕府の沙汰
を待つ日々を過ごしている。浪士たちが着ている鼠色の無地の着
物と帯は、恰も、「囚人服」のような味気なさ。

この芝居は、どういう人生を送って来ようと、誰にでも、必ず訪
れる「人生最後の一日」の過ごし方、という普遍的なテーマが隠
されているように思う。死を前にした時間を、どう過ごすのか。
それは、大石内蔵助(幸四郎)の最後の日であるとともに、ほか
の浪士たちにとっても、最後の日である。さらに、芝居は、死に
行く浪士の一人、磯貝十郎左衛門(信二郎)の許嫁・おみの(孝
太郎)にとっても、最後の日であったというドラマを付け加え
る。「おみの・十郎左衛門」という若い男女の恋物語が、挟まる
ことで、それぞれの人生最後の日というテーマは、鮮明になっ
た。それは、死に際して、「初心」(「初一念」という言葉を
使っている)を、全うしたかどうか、という真山の人生哲学が、
隠されている。

そういう人々の「最後の日」に立ち会う人々も、その日は、人生
での印象的な数少ない日のひとつになるだろう。細川家の堀内伝
右衛門(我當)も、その一人。堀内伝右衛門は、私が観た3回と
も我當だが、我當の伝右衛門は、風格があり、すっかり、この役
を持ち役にしてしまった。信二郎の磯貝十郎左衛門は、初役なが
ら、味があった。これまでに、染五郎、歌昇で観ているが、信二
郎は、特に、良かったと思う。染五郎では、若すぎるし、歌昇で
は、少し、重すぎる。その中間を狙った信二郎は、当りかも知れ
ない。若衆姿に身をやつして、細川邸に紛れ込ませてもらったお
みの役は、時蔵、芝雀、そして、今回の孝太郎だが、初役の孝太
郎は、やや、熱演気味であった。幸四郎、我當の熱演に引っ張ら
れたかも知れない。まあ、かなり、濃いめの芝居に煮詰まってき
たようだ。もう少し、薄味の調味料で仕立てると、観客の胸にす
るりと入って来るのではないか。

細川家の若君・内記は、松也。前回も、松也。前々回の辰之助時
代の松緑より、良いかも知れない。松也は、父親の松助とは一味
違う役者になりそうな気がする。荒木十左衛門役の東蔵も適役。
さて、肝腎の内蔵助は、やはり、前回の吉右衛門のほうが、明る
さがあって、よかった。幸四郎は、昼の部の「伽羅先代萩」の仁
木弾正の雰囲気を消し切れていない。

「達陀(だったん)」は、2回目。96年2月歌舞伎座で観てい
る。僧集慶(菊五郎)、青衣(しょうえ)の女人(雀右衛門)、
堂童子(九代目三津五郎)などであった。今回は、菊五郎のほか
が、青衣の女人(菊之助)、堂童子(松緑)と若返っているの
が、特色である。8年経って、菊之助が成長し、青衣の女人を演
じられるようになったということだろう。

3月12日に、奈良の東大寺二月堂で行われる修二会の行、通称
「お水取り」をテーマにした舞踊劇を、今回、私は、3月13日
に観たわけである。二代目松緑の発案で作られた新作舞踊を菊五
郎が引き継ぎ、工夫を重ねている。荒行に取り組む集慶の胸に浮
かんできた煩悩・幻の女性が、青衣の女人である。物狂の上に浮
かぶ女人としては、「二人椀久」の椀屋久兵衛にとっての、遊
女・松山や、「保名」の安倍保名にとっての、榊前などがいる
が、荒行の果ての、「物狂」に似た心境で浮かぶ女人という共通
性があると思う。そういう意味では、歌舞伎の演目のひとつの普
遍的なテーマの追求と言えるだろう。それを「達陀」は、立役た
ちの力強い舞踊劇に仕立てた。そこが、画期的である。

二月堂のシルエットに、舞台上手に天へ向けて昇る階段、回廊な
ど象徴的な大道具、舞踊というより、体操のような激しい動き、
大部屋役者たちの「とんぼ」を主体にした群舞の振り付けなど、
所作というより、立ち回りのようなアクション。新しい試みにか
ける菊五郎一座の意気込みが伝わってくるが、私は、あまり好き
ではない。いずれ、当代の松緑が、引き継いで行くことになるの
だろう。菊之助の青衣の女人は、立役ばかりの群舞のなかで、印
象に残る演出だ。

「義経千本桜〜木の実、小金吾討死、すし屋〜」は、8回目。何
回も、劇評(このサイトの「検索」で、読むことができる)を書
いているので、今回の劇評は、コンパクトにまとめたい。今回
の、上方型の「いがみの権太」で、まず指摘しておきたいこと
は、配役のバランスが、よくとれているように思う。権太(仁左
衛門)、弥助・実は維盛(梅玉)、お里(孝太郎)、小金吾(愛
之助)、こせん(秀太郎)、若葉内侍(東蔵)、弥左衛門(坂東
吉弥)、お米(鐵之助)、梶原平三景時(左團次)など。いずれ
も、なかなか、味わいのある配役と言えるだろう。

この物語は、主筋は、亡くなったと思っていた平維盛が、生きて
いると聞いて、妻の若葉内侍が、わが子・六代君を連れて、家来
の主馬小金吾とともに旅をする。しかし、途中で、小金吾は、旅
のごろつきに金をだまし取られたり、鎌倉方の大勢の追っ手に阻
まれ、若葉内侍らは、逃れさすものの、自分は、敢え無く、討ち
死にしてしまう。そして、家族の再会を果たした維盛一家を助け
る鮓屋の家族たち、そのひとりが、「いがみの権太」というごろ
つきで、彼の悪行と本心の「もどり」といった辺りが、鑑賞のポ
イントか。

そこで、今回は、冒頭で触れたように、「いがみの権太」物語り
の、珍しい上方歌舞伎としての演出を記録の意味でも、書き留め
ておきたい。

「木の実」では、いがみの権太(仁左衛門)が、椎木のある茶店
で、行き会った小金吾(愛之助)から、上方落語で知られる「壺
算」のような仕掛けの、詐欺の手口で二十両を騙しとった。「い
がみの権太」の「権太」(ごろつき、やくざもの)ぶりが、上方
訛りの科白で生き生きと描かれる。小金吾は、維盛の御台所・若
葉内侍(東蔵)と六代君を連れて、死んだと思っていた主人の維
盛が生きていると聞いて、追っ手を逃れての、忍びの旅ゆえに、
怒りを押さえながら権太の騙りを承知で、耐え忍ばざるを得な
い。小金吾の白塗りの若衆姿を観ると、昼の部の「新口村」の仁
左衛門の吹き替えが、愛之助だったのではないか、という確信を
強めるが、いかがであろうか。

仁左衛門は、旬の役者なのだろう。大病の後の復帰から、十五代
目襲名、後続の役者の襲名ラッシュのなか、磐石に己の藝域を拡
げ、蓄積し、確固な独自性を仕立てている。先月の、「三人吉
三」のお坊吉三を思い出してほしい。お坊吉三は、女形への同性
愛という屈折した愛情表現として、仁左衛門から玉三郎に「官
能」を仕掛けている、と思う。これは、お坊吉三を演じた、どの
役者(もちろん、私が観たなかで、という限定付きだが)にも、
できなかったことだ。

四国や大阪で披露してきた仁左衛門流「いがみの権太」は、歌舞
伎座で、今回、いちだんと大輪の花を咲かせたと、思う(西の舞
台を観ていないので、これも、推測)。愛之助も、本来、秀太郎
の養子として、女形修行をしているはずだが、今回は、吹き替え
の忠兵衛(推測)と小金吾という立役だけの出演。女形より、立
役の方が、存在感があるように見受けたが、いかがだろうか。愛
之助の女形は、何回か、観てきているが、女形の顔としては、顎
の線が、鋭すぎると、ずうっと思ってきたので、私などは、愛之
助立役論には、賛成なのだが・・・。そうなると、片岡一門の若
手の立ち役として嘱望される我當の長男・進之介の影が薄いのが
気になる。

その、愛之助は、「小金吾討死」で、大勢の追っ手に追われ、女
形にしては、切れ味の良い大立ち回りを見せる。「小金吾討死」
は、歌舞伎の立ち回りのなかでも、群舞に近い、計算された立ち
回りで、「蘭平物狂」の立ち回りとともに、私の好きな立ち回り
の場面だ。竹林(竹薮)と縄、さらに廻り舞台(「半廻し」を含
む)を巧く使ったこの立ち回りの場面は、いつ観ても見応えがあ
る(ただし、今回は、あまり、竹林を活かしていなかったし、
「半廻し」は、使わなかったので、ダイナミックさが、矮小化さ
れた。これも、上方の演出なのだろうか)。

上方歌舞伎独特の演出が、たっぷり詰まっているのは、何といっ
ても、「すし屋」の場面。弥助・実は維盛(梅玉)、お里(孝太
郎)は、両方とも持ち味を活かしていて、適役。特に、弥助・実
は維盛は、「つっころばし」、「公家の御曹司」、「武将」など
重層的な品格が必要な役だ。孝太郎のお里は、初々しい。身分と
妻子持ちを隠している弥助・実は維盛への恋情が一途である。そ
れでいて、蓮っ葉さも見せなければならない。この二人のやりと
りは、江戸歌舞伎も上方歌舞伎も、あまり変わらないようだ。

前の場面で討ち死にした小金吾の首を切り取り、維盛の偽首とし
て使って維盛を助けようとするのは、権太の父親・鮓屋の弥左衛
門(坂東吉弥)。吉弥は、熱演。権太との絡みの場面は、江戸歌
舞伎とは、大分違うが、率(そつ)なくこなしていて、上方味に
も欠かせない役者だというのが、判る。

仁左衛門の権太は、ここでも、本領発揮。マザー・コンプレック
スの権太は、何かと口煩い父の弥左衛門を敬遠して、父親の留守
を見計らって母親のお米(鐵之助)に金を工面してもらいに来
る。泣き落しの戦術は、変わらないが、江戸歌舞伎ならお茶を利
用して、涙を流した風に装うが、上方歌舞伎では、鮓桶の後ろに
置いてある花瓶(円筒形の白地の瓶に山水画の焼きつけ)の水を
利用する。このほか、上方の権太は、自分の臑を抓って、泣き顔
にしようとしたり、口を歪めたりする。母親の膝に頭をつけて、
甘えてみたり、「木の実」の茶屋の場面で見せた「権太振り」
は、どこへやら、完全な「マザー・コン」振りを見せつける。そ
のあたりは、仁左衛門の権太は、緩急自在に演じる。以前、拝見
した我當の上方演出の「いがみの権太」も、ここまでは、演じて
いなかった。

弥助・実は維盛とお里の色模様は、人形浄瑠璃にはない歌舞伎の
入れごとだが、これは、江戸も上方も変わらないようだ。いずれ
にせよ、後の家族の崩壊という悲劇を前にした、笑劇(ちゃり)
の場面だ。恋しい殿子(とのご)に「寝ましょう」と粉をかける
お里は、初々しいなかにも、積極性のある女性である。外に出
て、「お月さんも、もう寝ねしやしゃんしたわいなあ」と言っ
て、室内に戻る際、脱いだ草履を揃えたりせずに、片方がひっく
り返ったままになっていたが、これは、偶然だろうなあ。維盛と
のラブシーンを邪魔され、権太に対して、「兄さん、ビビ、ビ
ビ、ビビ」とやる、いわば、「お茶ピー」娘だから、草履ぐらい
ひっくり返してもおかしくはないが・・・.

このほか、上がり口の辺りに、弥助・実は維盛が、鮓桶を天秤棒
で担いできたときに使った桶を天秤棒にぶら下げる器具と紐がい
つまでも置きっぱなしになっていたり、すし屋に一夜の宿りを頼
みに来た若葉内侍の持っていた黒塗りの笠や杖(これは、後に、
また、使う場面があったが)が、置きっぱなしになったりしてい
るのは、いつも、手際良く黒衣が、出てきて、片付ける場面を観
ているので、気になったが、江戸歌舞伎でも、片付けない場面
だったかどうか。笠と草履の乱れは、お里が、さり気なく片付け
ていた。そのうち、鎌倉武士・梶原平三景時の詮議の場面の前
に、いつものように、大道具方が、木戸を片付ける際に、黒衣も
出て、お茶や煙草盆といっしょに、片付けて行った。

やがて、権太は、弥助・実は維盛を鎌倉方へ訴人に行くと言っ
て、母親から詐取した金を入れておいた鮓桶(と、本人が、思っ
ているが、実は、維盛の偽首、つまり、小金吾の首が入ってい
る)を持って、駆け出して行く。ここらは、同じ。その後を弥左
衛門が、追おうとするが、梶原平三景時一行に出逢い、押し戻さ
れて、すごすごと、帰って来る。

弥左衛門一家が、弥助・実は維盛一家を匿っていたのでは、と梶
原平三景時に詮議され、困っているところへ、権太が現れ、維盛
の首を撥ね、若葉内侍らを捕まえてきたと、大きな手拭で、猿ぐ
つわをはめた若葉内侍ら(実は、権太の妻子・こせんと善太郎)
維盛一家と維盛の首(実は、小金吾の首)を持って、帰ってき
た。維盛一家を梶原平三景時一行に引き渡すとき、権太は、汗を
拭う手拭で、隙をみて、後ろ向きで目頭を押さえていた。維盛の
首実検では、江戸歌舞伎にない、燃える松明が軍兵が持ち出して
きた。維盛の首実検の後の、若葉内侍と六代君の詮議でも、軍兵
がかざす松明が使われた。宵闇のなかでの詮議というのが、良く
判る。若葉内侍と六代君の二人の間に立ち、「面あげろ」と両手
で、二人に促した後、右足を使って若葉内侍の顔をあげさせよう
としたり、座り込んで、両手で二人の顎を持ち上げたりしてい
た。このあたりは、立ったまま、左足を使って、二人の顔を挙げ
させる演出とは、異なる江戸歌舞伎にはない演出で、良し悪し
は、別にして、おもしろく拝見した。

褒美に梶原平三景時が権太に渡した陣羽織(後に、褒美の金を渡
す証拠の品というわけだ)も、すぐに権太が、着込んで忠義面を
するのも、おもしろい。権太は、「小気味のよい奴」と景時に誉
められる。無事、梶原平三景時一行を騙したと思っている権太
は、花道で梶原平三景時一行を送りだすとき、「褒美の金を忘れ
ちゃいけませんよ」と駄目を押しながらも、一行の姿が見えなく
なると、生き別れとなった妻子へ、涙を流す権太。このあたり
も、江戸歌舞伎では、あまり、見かけない場面だ。そして、やが
て、父親の弥左衛門に肚を刺されて死ぬことになる権太。「もど
り」と称して、悪人が、善人に戻る場面だ。己の家族の破滅を覚
悟で、維盛一家を助けたという本心を明かす権太。権太は、ここ
で、初めて、本心を明かすべきで、妻子との別れの節々に本心を
暗示するような演出(涙を流すなど)は、するべきではない、と
いう戸板康二のような主張もあるが、生き別れの最後を見送り、
父親に刺される前の、涙は、不自然だとは、私は、思わない。花
道での「駄目押し」とその後の涙の対比は、むしろ、メリハリの
ある演出ではないか。

父に肚を刺され、死に行く権太は、家族崩壊を覚悟している。苦
しい息のなか、「木の実」の場面で、息子の善太郎から取り上げ
た呼び子(この場面の、伏線だったのだ)の笛を吹き、無事だっ
た維盛一家を呼び寄せる権太。江戸歌舞伎では、母のお米が、権
太から受け取った笛を外に出て、吹く。本心を明かさなかった
「いがみ」ぶりを攻める弥左衛門は、瀕死の権太を手拭で何度も
叩いたりする。息子家族を犠牲にして、生き残った弥左衛門一家
の苦しみを表現する。死に行く権太を中心に取り囲んで、号泣
し、リアルな芝居を続ける弥左衛門一家と、その上手で、3人
揃って、前を向いたまま、長いこと芝居をしないでいる維盛一
家。弥左衛門一家という悲劇の家族を見守っているなら、まだし
も、何もしないで前を向いているだけという、歌舞伎という芝居
の、面妖さ。上方歌舞伎ならではの味なのかも知れない。仁左衛
門の権太は、江戸歌舞伎で、いまの権太の型に洗練させた五代目
幸四郎、五代目菊五郎の型を取り入れながら、二代目実川延若ら
が工夫し、父・十三代目仁左衛門らがさらに、工夫を加えた上方
歌舞伎の演出や人形浄瑠璃の演出をもミックスして、仁左衛門型
にしているように見受けられた。

輪袈裟と数珠が仕込まれていた陣羽織の仕掛け(「内や床しき、
内ぞ床しき」という小野小町の歌の一部の文字で謎を解く)を見
ると、鎌倉方の梶原平三景時も、ここでは、いつもの憎まれ役と
は、一味違う役柄だ。梶原平三景時には、権太一家の命を犠牲に
しても、維盛の家族全員死亡という「伝説」を創造する必要が
あった。梶原のこうした意向や、権太の本心を知り、維盛も、家
族と別れて、出家する。若葉内侍も、六代君をつれて、高雄の文
覚上人のところへ行く。こちらも、家族は、崩壊する。
- 2004年3月15日(月) 20:30:56
2004年3月・歌舞伎座 (昼/「伽羅先代萩」「藤娘」「新
口村」)

今月の歌舞伎座、昼夜通しのテーマは、さしずめ、「家族」だろ
うか。特に、昼の部では、「伽羅先代萩」の「母」、「藤娘」の
「娘」、「新口村」の「父」というように、個別のテーマが、鮮
明だ。夜の部では、「義経千本桜」が、「崩壊する家族」を描い
ている。


  極彩色の御殿が、歌舞伎の美意識


「伽羅先代萩」は、6回目の拝見。今回は、「花水橋」、「竹の
間」(銀地の襖に竹林が描かれている)、「御殿」(金地の襖に
竹林と雀が描かれている)、「床下」。以下は、それぞれの場面
を観た回数。「花水橋」(5)、「竹の間」(3)、「御殿」
(6)、「床下」(6)。このほか、「対決」「刃傷」まで、観
る場合もある。

「伽羅先代萩」は、「伊達騒動」という史実のお家騒動をベース
に、安永6(1777)年4月、奈河亀輔原作の狂言が、大坂中
の芝居で上演され、翌安永7(1778)年7月、「伽羅先代
萩」の書き換えとして、桜田治助らの合作の狂言「伊達競阿国戯
場」が、江戸の中村座で上演され、それぞれ、評判をとったとい
うことで、両方の「いいとこどり」が、いまのような上演形態に
なっている。「花水橋」(阿国)、「竹の間」「御殿」「床下」
(先代萩)、「対決」「刃傷」(阿国)。

それだけに、何処で「切って」も、見栄えがするということで、
いろいろな場面の組み合わせが可能な、興行主や役者にとって
は、はなはだ、都合の良い狂言ということになる。

何回も観ている「伽羅先代萩」なので、今回は、劇評をコンパク
トにまとめたいが、やはり、「母の情愛」を「政岡」役者が、ど
う演じたかを書き留めておくことは、劇評者の最低の責務だろう
から、ここは、避けて通れない。従って、政岡、八汐を軸に今回
の劇評は、役者論で行きたい。

95年10月の歌舞伎座から見始めた、政岡は、玉三郎、雀右衛
門、福助、菊五郎、玉三郎、そして、今回の菊五郎。つまり、玉
三郎と菊五郎が、2回ということで、4人の役者の政岡を観てい
ることになる。残念ながら、六代目歌右衛門の政岡は、観ていな
い。一度しか観ていない雀右衛門は、このサイトの「遠眼鏡戯場
観察」で、何回も強調しているように、当代の歌舞伎役者では、
最高に「母の情愛」が、表現できる女形なので、別格とする。ほ
かは、誰が、雀右衛門の域へ、少しでも近付こうとしているか、
という問題である。前回、01年10月の歌舞伎座の劇評に書い
たのを引用してみたい(全文は、このサイトの「遠眼鏡戯場観
察」検索で読むことができる)。

「凄みがあったのは、玉三郎。前回、政岡初演の玉三郎だった
が、今回は、特に充実していた。6年間の蓄積が滲み出ている舞
台だ」。栄御前を廊下に送りに出た「玉三郎の眼の鋭さ。6年前
より、充実した玉三郎の演技の象徴は、このときの、この眼の鋭
さにあると感じた」。栄御前が向う揚幕ならぬ「襖」(この場
合、花道は、長い廊下なのである。だから、いつもの揚幕の代わ
りに襖が取り付けられている)のなかに消えると、玉三郎の政岡
は、「途端に表情が崩れ、我が子・千松を殺された母の激情が迸
る。誰もいなくなった奥殿には、千松の遺体が横たわっている。
堪えに堪えていた母の愛情が、政岡を突き動かす名場面である。
打ち掛けを千松の遺体に掛ける政岡。打ち掛けを脱いだ後の、
真っ赤な衣装は、我が子を救えなかった母親の血の叫びを現して
いるのだろう。このあたりの歌舞伎の色彩感覚も見事だ。『三千
世界に子を持った親の心は皆ひとつ』という『くどき』の名台詞
に、『胴欲非道な母親がまたと一人あるものか』と竹本が、追い
掛け、畳み掛け、観客の涙を搾り取る」。

ということで、玉三郎が、母親を強く意識した創意工夫で、熱心
な役作りに取り組んでいて、雀右衛門の政岡への途を歩みだして
いると思う。政岡は、雀右衛門、玉三郎のような、役作りが、理
想的であろう。今回、2回目の拝見となった菊五郎には、このあ
たりのメリハリがなかった。特に、花道で栄御前を見送った後
(つまり、邪魔者がいなくなった)、本舞台に戻る場面では、殺
された千松の様子を少しでも早く見たいと思う母の心を表現する
ためには、千松へ視線を送るまでの間が、長過ぎたと思う。

菊五郎は、母の情愛よりも、隠居を命じられた足利頼兼の跡継
ぎ・鶴千代君の乳人(めのと、乳母のこと)政岡という、側近の
役人の使命感にウエイトを置いて、演じていた。いわば、元・乳
母で、いまは、若き君主の後見人&警護官という政岡の、組織人
としての現実的な役回りは、充分に伝わってきた。若い主君のた
めに、命を投げ出した幼い我が子に対して、「でかしゃった」と
誉める言葉に、役人の使命感のみしか、感じられない響きがあっ
た。これは、菊五郎の計算か。まあ、母の情愛の表現は、不足気
味だが、これは、これで、ひとつの解釈だろうか。「母の情愛
派」政岡贔屓の私には、いたく、欲求不満が残ったのだ
が・・・。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。政岡
で印象に残るのが、雀右衛門なら、八汐で印象に残るのは、何と
いっても、仁左衛門。孝夫時代と襲名後の2回拝見している。八
汐は、性根から悪人という女性で、最初は、正義面をしている
が、だんだん、化けの皮を剥がされて行くに従い、そういう不敵
な本性を顕わして行くというプロセスを表現する演技が、できな
ければならない。それができたのが、私が観た4人の八汐では、
仁左衛門の演技であった。因に、私が観た八汐:仁左衛門
(2)、團十郎(2)、勘九郎、そして、今回の段四郎。

段四郎の八汐は、仁左衛門の八汐とは、対極にあった。憎まれ役
の凄みが、徐々に出て来るのではなく、最初から、グロテスクな
悪役になってしまっていた。悪役と憎まれ役は、似ているようだ
が、違うだろう。悪役は、善玉、悪玉と比較されるように、最初
から悪役である。ところが、憎まれ役は、他者との関係のなか
で、憎まれて「行く」という、プロセスが、伝わらなければ、憎
まれ役には、なれないという宿命を持つ。そのあたりの違いが判
らないと、憎まれ役は、演じられない。

典型的な悪役といえば、今回の「伽羅先代萩」では、「床下」出
て来る仁木弾正の役どころであろう。そういう意味で、今回の幸
四郎の仁木弾正は、良かった。「く」の字にそらした立ち姿。そ
のまま、花道を滑るように歩んで行く。横から、たっぷり拝見し
た。この人は、こういう役回りになると、実に、巧い。仁左衛門
は、また、仁木弾正も絶品であった。99年11月と01年10
月の歌舞伎座で観ている。憎まれ役と悪役の違いを心得た上で、
それぞれの壺を押さえた演技をしているからだろうと、思う。

「伽羅先代萩」の裁き役といえば、「対決」の場面での、細川勝
元の役どころだが、今回は、女・勝元の役回りを「竹の間」で演
じたのが、沖の井の時蔵であった。最近、充実の時蔵は、傍役な
がら、八汐のでっち上げた神仏への祈願書の真偽を質す沖の井を
良い味を出しながら演じていた。政岡の窮地を救う正義の味方
で、おいしい役柄。沖の井と並んで、詮議をする松島は、やは
り、充実、進境著しい菊之助が、美しく、凛々しい「片はずし」
ぶりで、存在感があった。芝翫の栄御前、富十郎の荒獅子男之助
は、彼らの力量から見れば、それなりに、という感じで肩の力を
抜いて、悠々と演じていたように見受けられた。魁春初役の足利
頼兼は、放蕩の末に、将軍家から隠居を命じられた柔弱な殿様だ
が、剣は使う。それは、お家乗っ取りを狙う仁木弾正一派の闇討
ちに遭った際の、立ち回り(「花水橋」)の身振舞いで判るが、
そういう剣の強さが、足裁きに出ていなければならない役だろう
に、魁春の歩みの足裁きは、女形の足裁きで、これは、戴けな
かった。同じ「花水橋」に登場する力士・絹川谷蔵を演じた松緑
は、花道に出てきた途端、絹川谷蔵というよりも、猫背の松緑と
いう地が前面に出てしまっていて、残念であった。「竹の間」で
は、腰元・小枝に芝のぶが、出ていた。いつも、爽やかな若い女
性を演じていて、好感を持って、舞台を観ているのだが、もう少
し、仕どころのある役に着かせてあげたいと思っているのは、私
だけではないであろう。

今回の「御殿」では、いわゆる「飯焚(ままた)き」の場面が、
なかったが、鶴千代、千松を演じた男女の子役は、二人とも巧
かった。千松は、母の菊五郎政岡にあわせてか、小さな警護官
(SP)ぶりを演じていた(「子どもたちの先代萩」は、以前
に、まとめてみたことがあるので、これ以上は、触れない)。

「藤娘」は、9回目。雀右衛門(3)、玉三郎(3)、芝翫(今
回ふくめ、2)、菊之助。それぞれ、趣が違うし、松の大木に大
きな藤の花の下という六代目菊五郎の演出を踏襲する舞台が多い
なかで、五変化舞踊から生まれた「藤娘」という旧来の、琵琶湖
を背景にした大津絵の雰囲気を出した演出も、確か、雀右衛門
だったと思うが、拝見したことがある。「藤娘」は、03年6
月、歌舞伎座で、従来の趣向をがらりと変えた、「玉三郎藤娘」
というべき、新境地を開いた瞠目の舞台を観てしまったので、今
回の芝翫の舞台は、印象うすかった。一部、踊りの所作というよ
り、体操のような身の動きがあったが、芝翫さんは、疲れていた
のではないか。また、いつもは、年齢に関係なく、登場人物にな
り切る巧さを感じさせる芝翫にしては、いくら観ていても、若い
娘に見えて来なかったのが、残念であった。寒暖の激しい、季節
の変わり目、御自愛専一にて、舞台を勤めなさるように念じてい
る。

今回は、2階東の桟敷席4で、舞台を拝見したので、舞台中央に
設えられた藤が絡んだ松の巨木の後ろまで見えた。裏方の苦労も
見えたが、ここでは、触れない。但し、背景の書き割りが、巨木
の幹の裏側で、人が出入りできるように隙間が空く工夫をして
あったが、あれは、どの階であれ、正面客席からでは、伺えない
工夫だろうと思う。


  忠兵衛の末期に見えたモノトーン(雪景色)


「恋飛脚大和往来〜新口村〜」では、4階の幕見席に立ち見の客
が何人もいた。観客は、良く知っている。昼の部の最高の見せ場
だからだろう。梅川は、16年ぶり、5回目という雀右衛門の、
満を持しての取り組みと見た。あるいは、雀右衛門は、一世一代
の梅川という気持ちを秘めているかも知れない。雀右衛門の梅川
を観るのは、初めて。忠兵衛は、孝夫時代を含めて、3回目の拝
見の仁左衛門。いずれも、孫右衛門との早替りの二役である。充
実の舞台であった。いやあ、見応えがあった。

歌舞伎の舞台で、霏々と降る雪の場面で美しいのは、皆、別れの
場面だ。これは、日本人の美意識の、ひとつの象徴かも知れな
い。「新口村」の、村はずれでの梅川・忠兵衛と忠兵衛の父・孫
右衛門との別れ。そこに降る大量の雪は、舞台を白い雪の幕で閉
ざすほどだ(今回は、それほどでもなかったが、これは、上方演
出か)。色彩感覚の豊かな、どちらかと言えば、極彩色を好みた
がる歌舞伎の舞台で、白と黒とのモノトーンで、極彩色を超える
美しさを見せてくれるには、この「新口村」が、代表格だろう。
この雪景色、梅川・忠兵衛の見た末期の景色だから、美しいのか
も知れない(梅川は、長生きしたらしいが、まもなく、忠兵衛
は、捕まって殺されたという)。

この舞台、定式幕が引かれると、浅葱幕。竹本は、山台での出語
り。無人の舞台が、暫く続く。浅葱幕や舞台には、雪がある。幕
に畳み込まれたままだったのだろう、前日の舞台で使われた雪が
幕に着いたり、幕から舞台に落ちたりしているのが見える。やが
て、浅葱幕の振り落とし。百姓家の前で、一枚の茣蓙で上半身を
隠した梅川(雀右衛門)と忠兵衛(仁左衛門)が立っている。二
人の上半身は見えないが、「比翼」という揃いの黒い衣装の下半
身、裾に梅の枝の模様が描かれている(但し、裏地は、梅川は、
桃色、忠兵衛は、水色)。やがて、茣蓙が開かれると、絵に描い
たような美男美女。二人とも「道行」の定式どおりに、雪のなか
にもかかわらず、素足だ。梅川の裾の雪を払い、凍えて冷たく
なった梅川の手を忠兵衛が両手に包み込んで温める。今度は、雪
の水分が染み込んだ忠兵衛の衣服を手拭で拭う梅川。二人の所作
に重なる竹本の文句が綺麗だ。「暖められつ暖めつ」。日本語の
簡潔さ。仁左衛門、雀右衛門が、竹本の言葉通りに、情の細やか
さを叮嚀に演じている。この場面の情愛は、官能的でさえある
(先月の歌舞伎座「三人吉三」のお坊吉三を、どの役者よりも、
官能的に演じた仁左衛門の持ち味は、ここでも生きている。それ
に応える雀右衛門の演技も鋭い)。いつしか、抱き合う二人。
仁左衛門の忠兵衛の科白は、いつもより、上方訛りがきつい。あ
あ、今回は、上方歌舞伎の「新口村」なのだという感じがする。
忠兵衛に音なわれて百姓家から出てきた女房は、松之丞。上方訛
りの科白で、味のある女房を演じていて、その印象をいちだんと
強める。大事な役回りだ。

やがて、忠兵衛・孫右衛門への二役早替わりの場合の入れごと。
新年を寿ぐ万歳(友右衛門)と才蔵(男女蔵)が、村にやってく
る。二人に行き会った百姓の水右衛門(権一)のお家繁盛、長寿
を寿ぐやりとりがある。お礼の金を二人に手渡す水右衛門。ここ
は、村では、人通りの多い場所なのだ。すでに、公金横領で手配
の懸かっている梅川・忠兵衛には、人目を気にしなければならな
い、危険な場所であることが判る。

それだけに、百姓家の窓の障子を少しだけ開け、障子越しに外の
様子を窺う梅川・忠兵衛。たびたび、窓をそっと開け、手先だけ
の演技を続けるのは、仁左衛門扮する忠兵衛は、「まだ、ここに
いるよ」という仁左衛門の、孫右衛門への二役「早替わり」を観
客に印象づけるための伏線でもあるだろうが、すでに、忠兵衛
は、吹き替えの代役にかわっているのだろう。この間に、仁左衛
門は、道具裏で、老爺の化粧、扮装を済ませている筈だ。

「ああ、親爺さまがやってくる」という仁左衛門の科白を最後に
仁左衛門は、奈落を抜けて、向う揚幕に入るのだろう。吹き替え
の忠兵衛は、梅川とともに、窓辺で手先を出したりして演技をし
ている。忠兵衛は、たぶん、昼の部の出演のない愛之助が演じて
いると思うが、これが、白塗にすると、仁左衛門そっくりだか
ら、感心する。目の感じ、顎の感じがそっくりだ。

花道から孫右衛門登場。逃避行の梅川・忠兵衛は、直接、孫右衛
門に声を掛けたくても掛けられない。窓から顔を出す二人。とこ
ろが、本舞台まで来た孫右衛門は、雪道に転んで、下駄の鼻緒が
切れる。あわてて、飛び出す梅川。「丸本物」らしく、役者の科
白と竹本の語りが、ダブってくる。やがて、吹き替えの忠兵衛も
含めて、たっぷりの見せ場。孫右衛門の左手首に数珠が見える。
犯罪を犯しても、子は子。子を思う親は、親。代役の忠兵衛も、
仁左衛門のごとく、堂々と前顔や横顔を見せているので、いやが
上にも、愁嘆場は、盛り上がる。

やがて、百姓家の屋体が、上手と下手に、二つに割れて行く。舞
台は、竹林越しの御所(ごぜ)街道の雪遠見に早替わりする。黒
衣に替わって、白い衣装の雪衣(ゆきご)が、すばやく、出て来
て、舞台換わりを手助けする。逃げて行く梅川・忠兵衛は、子役
の遠見(今回は、二人とも、かなり、大きい。大谷廣松と中村隼
人)。霏々と降る雪。雪音を表す「雪おろし」という太鼓が、ど
んどんどんどんと、鳴る。時の鐘も加わる。憂い三重。地獄への
逃避行。残るは、親の未練な心ばかり。
- 2004年3月14日(日) 17:19:23
2004年2月・歌舞伎座 (夜/「三人吉三巴白浪」「傾城」
「お祭り」)

「三人吉三巴白浪」は、5回目。このうち、2回は、「大川端」
の場面のみの一幕もの。今回のように、半通しで、「大川端」の
前に、「川岸」、または、「河岸」がつくのは、2回目。今回
は、玉三郎のお嬢吉三、仁左衛門のお坊吉三、團十郎の和尚吉三
という錦絵のような組み合わせがミソ。当代の歌舞伎役者の顔合
わせでは、最高の組み合わせであろう。

今回の劇評は、1)まず、テキストの簡単なガイダンス。2)最
高の顔合わせの役者論。演出論。そして、贅言として、3)舞台
を観ながら、今回「記号と数字論」というコンセプトを思いつい
た。数字論については、前回も触れているので、それは、簡単に
総括しながら若干敷衍し、新たに、記号論を軸に加えて、「三人
吉三試論」というべきものを書いてみたい。

さて、「三人吉三巴白浪」は、河竹黙阿弥が、自分の作品のなか
でも、生涯愛着を持った生世話物の傑作である。「八百屋お七の
世界」を借りて、安森家が将軍家から預っている名刀・庚申丸が
何者かに盗まれ、お家断絶になっているため、名刀を探し出そう
とする「お家再興もの」に加えて、通人・小道具商木屋文蔵の
倅・文里(ぶんり)と遊女・一重(ひとえ・安森家長女、つま
り、お坊吉三の妹)の「情恋哀話」という3つの要素が演劇構成
をなす。

1)副筋の文里・一重の「情恋哀話」の部分は、「丁字屋」など
の場面として残っているが、あまり上演されない。上演される場
面では、木屋の手代・十三郎(小道具商として、川底から見つけ
た庚申丸を売った代金百両を遊興の途中で落とすが、遊んだ夜
鷹・一年(ひととせ)こと、伝吉の娘・おとせが拾って、届けよ
うとする。後に、おとせと双児と判るが、そのときは、すでに近
親相姦の関係になっていた)という登場人物として残っている。

2)「八百屋お七の世界」が、お七=お嬢吉三(旅役者の女形
で、おとせから百両を奪い、おとせを大川に蹴落とす、いまで
は、女装の盗人である)、お七の父親で、「八百久」こと、八百
屋久兵衛、「吉祥院」の場、「火の見櫓」の場として、もっとも
確固として、上演されている。「演劇」的には、これが、「三人
吉三」の主軸となっている。

3)安森家の「お家再興もの」が、「物語」の主筋としてあり、
安森家長男・吉三=お坊吉三(お家断絶で、浪人の身で、強盗も
辞さない不逞の族(やから)。後にお嬢吉三と同性愛の間がらと
なる)、それに、名刀・庚申丸探しという形で、糾(あざな)え
る縄のごとく、舞台の展開に、絶えず、見え隠れしている。

4)これらを、いわば「接着」するのが、和尚吉三(所化上がり
の巾着切、いまでは、盗賊)を軸にした「肉親縁者の因果も
の」。伝吉(庚申丸を盗んだ盗人、いまは、夜鷹宿の主人。後
に、お坊吉三に殺される)=伝吉の長男・和尚吉三=次男・十三
郎と長女・おとせ(二人は、双児ながら、出生の秘密を知らず、
恋仲になり、知らぬこととはいえ、近親愛に耽る)。十三郎の養
父・「八百久」こと、八百屋久兵衛=久兵衛の「長男」・お七
(男の子ながら、女の子として育てられた。幼いときに誘拐さ
れ、旅役者の女形・お嬢吉三となった)。

次が、役者論。私が観たお嬢吉三:菊五郎(2)、菊之助、新之
助、玉三郎。お坊吉三:宗十郎、新之助、家橘、吉右衛門、仁左
衛門。和尚吉三:團十郎(3)、幸四郎、辰之助時代の松緑。因
に、伝吉:羽左衛門、左團次(2)。

これは、もう、冒頭に書いたように今回の3人の顔合わせは、当
代では、これ以上の配役は、考えられないだろう。多くの人が、
そういう思いを抱いたのか、夜の部の歌舞伎座は、当日券も売り
切れ、満席であった。

特に、私としては、3回目の團十郎の和尚吉三は、相変わらずの
充実ぶりで、この人の生涯の当り役になるのではないかという印
象を改めて強くした。所化出身ゆえに「和尚」の名がある和尚吉
三は、「三人吉三」のなかでは、兄貴格で、いろいろ取り仕切
る。その上、和尚吉三は、父親の伝吉と並んで、黙阿弥劇独特
の、複雑な筋、巡る因果の物語の案内役(キーパースン)になっ
ているから、芝居の軸になる(観客の私たちも、こういう役柄の
人たちの台詞を聞き漏らさない、演技を見過ごさないようにする
と、ストーリーの展開が良く判る)。

前回の劇評(00年2月、歌舞伎座。当サイトの「遠眼鏡戯場観
察」で検索可能)では、次のように書いている。

「敢て言えば、3人のなかでは吉右衛門が、少し存在感が弱かっ
た」というのが、吉右衛門のお坊吉三であった。「三人吉三のう
ち、お嬢吉三(菊五郎)、お坊吉三(吉右衛門)の同性愛(男と
女装をした男という屈折はあるが)ぶりが、どのように表現され
ているか、を見ようと思った。それで吉祥院の場を注目していた
が、お互いに『逢いたかった』という台詞はあるが、ただ、久し
ぶりという感じでセックスまでしている情人同士の『愛の台詞』
という感じではなかった。そして、いろいろな因果の縺れた糸が
ほぐれて『一緒に死ね』と言い合う下りでもそういう情愛は伝
わってこない。團十郎の充実ぶり、菊五郎の壷にはまった安定感
に比べると、吉右衛門の存在感の弱さは、残念。お坊吉三は、や
はり色気のある役者の方が仁にあう。例えば、仁左衛門あたりが
適役か。吉右衛門は本来、巧い役者なのだが、お坊吉三は、あま
りいただけなかった」。屈折の役柄は、吉右衛門より、兄の幸四
郎向きだろう(しかし、本興行の上演記録を見ると、幸四郎も和
尚吉三は演じているが、なぜか、お坊吉三は、演じていない)。
それだけに、理想のお坊吉三役者を迎えた今回の舞台は、どう
だったか。

期待に違わぬ舞台であった。仁左衛門と玉三郎は、訳ありの男女
の情愛場面を何回も演じあって来ただけに、科白ばかりでなく、
無言で見つめあう場面でも、情愛が通じている。また、それが、
観客にも明確に伝わって来る。前回の欲求不満が見事に解消され
ていた。特に、二人の、男女の仲を表現する眼の演技が、何と
も、言えない。但し、玉三郎初演のお嬢吉三は、大川端の杭に足
を乗せて、「春も朧に白魚の・・・」という名科白を言う場面
で、なにか、テレのような表情が過(よぎ)ったような気がした
が、見間違いか。見間違いでなければ、まさに、「玉に傷」。

左團次の伝吉も、当り役。先月、体調を崩して、休演した左團次
だが、今月は、充実の舞台。羽左衛門亡き後、こういう役が、
ぴったりの役者は、当面、左團次しかいない。羽左衛門に直に
習ったというから、強い。いずれ、松助あたりが、精進してくる
かどうか、期待したい。おとせの七之助は、初々しい。まだ、工
夫の余地がある。今後が、愉しみ。十三郎(翫雀)、八百久(吉
弥)、釜屋武兵衛(松助)、源次坊(市蔵)、それに木戸番の番
太・時助(権一)と、いずれも、力のある役者が、脇を固めてい
て、見応えがあった。特に、権一は、頑固な番太そのものに見え
た。

今回の演出で、前回といちばん違っていたのが、「火の見櫓」の
場面で、仕切られた木戸の上・下で、お嬢、お坊のふたりが、木
戸越しに手を取り合う場面は、同じだが(ここは、映画のガラス
越しの接吻という名場面の先行場面のように思えた。これは、余
談)、このあと、前回は、お嬢吉三のいる上手側の火の見櫓が、
道具ごとセリ下がり、下手側の番小屋の屋根の上で、捕り方たち
とやりあうお坊吉三だけを見せたが、今回は、舞台がゆるりと
廻って、裏側の小屋の屋根の上での、お坊吉三と捕り方たちの立
ち回りを暫く見せる。そして、前回なら、再び、火の見櫓が、道
具ごとセリ上がってきて、お坊吉三が屋根から木戸に渡り、降り
て来たが、今回は、大道具が、逆に戻るように廻って、元の場面
に戻ってから、お坊吉三が屋根から木戸に渡り、降りて来た。ま
あ、こちらの方が、判りやすい演出だ。ただ、この場面の後、
櫓の上のお嬢吉三、花道(本花道)から駆け付けてきた和尚吉三
と3人が揃うのだが、そのとき、お坊吉三は、仮花道に居た(昼
の部、夜の部とも、両花道の使い方が、中途半端ではなかった
か)。最後は、3人とも、本舞台に集まり、死を覚悟する。

いよいよ、余計な話の贅言:「記号と数字の演劇学」試論へと筆
を進めよう。まず、前回も触れた数字論を簡単に総括しておこ
う。この狂言、元々の外題は、「三人吉三廓初買(さんにんきち
さくるわのはつがい)」であったが、木屋文里という、当時の市
川小團次に当てて黙阿弥が書いた部分が削ぎ落とされて、いまで
は「三人吉三」をベースにした物語に改められ、「三人吉三巴白
浪」になったことは、知られている。この外題には、わずか7文
字のなかに、「3」または、「3」を意味する文字(巴)が、3
つも入っている。元の外題より「3」の意味合いが増している。
それだけ「3」にこだわる芝居なのだろう。

初演の1860(安政7・万延元)年は、庚申(かのえさる)の
年であった。庚申の宵に生まれた子どもは、盗癖があるという迷
信が生きていた時代である。盗癖=手が長い=猿=三猿(見ざ
る、言わざる、聞かざる)で、「3」へのこだわりが、黙阿弥に
生まれたという説がある。

実際の場面を舞台で追うと、「大川端庚申塚の場」での3人の出
会い。「割下水伝吉内の場」での、3人の夜鷹による大川端のパ
ロディー、「吉祥院裏手墓地の場」での、和尚吉三と実の妹・弟
の「おとせ」と「十三郎」殺しの場面、吉祥院の「元の本堂の
場」での義兄弟の「お嬢」、「お坊」を助ける和尚吉三、最後の
「火の見櫓の場」での3人勢ぞろいの末、三つ巴になって刺し違
えを覚悟する場面まで、いずれも「三人吉三」の基本の数字
「3」という枠組みは、絶対に崩していない。特に吉祥院の「裏
手墓地の場」と「元の本堂の場」では、和尚の居所を三角形の頂
点にするのは、同じでありながら、実の兄弟を殺す場面と義兄弟
を助ける(とりあえず、生き延びるだけなのだが)場面では、男
女の位置を逆にして、陽画と陰画のように、生死の別れる境界線
を引いているように感じられた。黙阿弥劇では、このように、永
遠に「3」の羅列が続く気配がする。

ところで、宴席や儀式の場面で、いまも、祝儀を兼ねて、「締め
る」という行為が行われる。例えば、一本締、三本締などがあ
る。「物事が決着したのを祝って皆で手を打つ」(「広辞苑」)
儀式だが、これは、知られているように「3・3・3」の拍子に
「1」が、基本パターンとなる。それが、1回で終るのが、一本
締。3回繰り返すのが、三本締。普通は、手を打つだけだが、歌
舞伎の役者衆などは、これに、「よよいの、よよいの、よよい
の、よい」と掛け声をつける。「よい」、「よ(り)よい」と
は、「良い、善い、佳い」という意味だろう。「3・3・3」の
拍子で、合計すると「9」になる。それに、「1」を加える。つ
まり、「九」の字に「ヽ」で、「丸」という訳で、「物事が、丸
く納まる」ということを意味する縁起かつぎだ。

そう考えると、「三人吉三」に代表されるように、黙阿弥劇で
は、「3・3・3」の拍子が続くばかりで、永遠に「1」が、加
わらないような気がする。つまり、丸く納まることがない、永遠
に物事が決着しない世界、永遠に悲劇が続く世界。それが、黙阿
弥劇の世界なのではないか。「3」、例えば、三角形を立体的に
組み合わせ、エジプトのピラミッドを思い起こせば判りやすい
が、これは、墓場のデザインである。まあ、思いつきだが、これ
が、黙阿弥劇に対する数字論的分析の試論。ついで、「記号論」
も試みてみる。

それは、「吉三」は、記号ではないか、という発想である。「吉
三」=「A」という発想である。「三人吉三」は、冒頭で触れた
ように、「八百屋お七の世界」であるから、「吉三(きちさ)」
は、お七の相手、寺小姓の「吉三郎(きちさぶろう)」から、第
一義的には、来ているのだろうが(だから、「吉三」の読みは、
「きちさ」であり、「きちざ」ではない)、私には、それだけで
はないように思える。

例えば、江戸時代の芝居や役者の評価には、「吉」という文字が
使われた。「役者評判記」などに出て来るのは、「極上吉」
「上々吉」「上吉」「吉」などという表記である。これは、いま
なら、差し詰め、「A」という表記にあたる。「極上吉」=
「AAAA」、「上々吉」=「AAA」、「上吉」=「AA」、
「吉」=「A」と置き換えられよう。そうすると、「吉三」は、
吉三郎から来ているにしても、黙阿弥の脳裏に、私が考える
「吉」=「A」のようなコンセプトが、浮かんだかも知れないの
である。

3人の違った人格が、登場しながら、3人とも名前が、「吉三」
というのは、やはり、非常識である。逆にいえば、そこに、独特
の発想の意味があるはずである。それを敢えて、3人とも「吉
三」という名前を持つ同名異人にしたのは、「三人吉三」という
外題の語呂の良さもあろうが、私は、むしろ、「お嬢」、「お
坊」というものと記号としての「吉三」の関わりに注目したい。
つまり、「お嬢」=少女、「お坊」=少年である。そう考える
と、「お嬢吉三」=少女A、「お坊吉三」=少年Aである。つい
でに、「お嬢」、「お坊」の兄貴格の「和尚吉三」は、「和尚」
=「親爺」(特に、「吉祥院」の場面以降は、丸坊主になってい
る)=「年上」=「兄貴」であり、差し詰め、青年Aといったと
ころだろうか。

そういう風に、「三人吉三」を「三人のAの物語」と読み替える
ことが可能だとすれば、「肉親縁者の因果もの」として、血縁、
因果の網で、雁字搦めにされていたはずの、閉鎖的な黙阿弥劇
は、記号という普遍的なコンセプトに読み替えることで、「障子
の穴から天の川」を覗き観るように、広大無辺な人間の性がテー
マという開放的な演劇空間へと、一気にジャンプする。黙阿弥
は、先行作品を下敷きにして、さまざまな作品を書くことで、実
よりも虚のほうが、よほど、真実に通底することを覚え、いわ
ば、記号と数字の演劇学を体験的に身につけたことで、抽象的な
物語をベースに歌舞伎の持つ様式美、絵画美で飾り付ける演劇術
で、観念的なイメージを舞台という具体的な空間に次々と置き換
えながら、名作をものにして行ったのではないだろうか。「お七
吉三」の寺小姓吉三という一人の人物は、人格が分解され、「三
人吉三」という3人の男たちに変化し、「三人吉三」は、時空を
超えて、いま、少年少女Aたちの青春解体の物語として、新たな
命を吹き込まれ、少年期をテーマとした永遠の物語の世界へと飛
翔して行った。

贅言が、長くなったので、先を急ごう。歌舞伎座の舞台に戻る。
次は、「仮初の傾城」は、初見。1811(文化8)年、三代目
中村歌右衛門初演の変化舞踊の一幕。戦後は、六代目歌右衛門が
演じ、10年前には、歌舞伎座で福助が演じている。時蔵の踊り
が見もの。舞台中央下手寄りの衣桁には、紫地に紅葉と花と川な
どが描かれた豪華な打ち掛けが掛けてある。金地に白、桃、紅の
大輪の牡丹が描かれた襖が開かれると、緋毛氈を敷き詰めた台に
乗り夢を見ている傾城(時蔵)を後見、大道具方が、押し出して
来る。傾城が着ている打ち掛けは、赤、黄、紫の牡丹に蝶、孔雀
などが描かれている。蝶を恋人に見立てたり、客との痴話模様を
見せたりしながら、傾城の華やかさ、鷹揚さ、艶やかさを見せ
る。

持っている扇子も、遊女の恋文に用いる天紅(巻紙の手紙の天を
口紅を押し付けてキスマークをつける)のように天が、紅に染
まっている。官能的な扇子だ。やがて、着ていた打ち掛けを衣桁
の打ち掛けと着替える。華麗、優美、濃艶、そういう言葉を頭に
思い浮かべながら、私は、時蔵の所作を追う。歌舞伎座の大舞台
を一人で引き付ける時蔵。時蔵は、五代目襲名以来、23年にし
て、長いトンネルを抜けて、殻を破った蝶のように変身しようと
している。

傾城が花道を去ると、舞台は、中央が、セリ下がり、次の主役の
出の準備、大道具の書き割りが変わるほか、霞幕の陰で、清元連
中に入れ代わる。

「お祭り」は、1826(文政9)年、三代目三津五郎初演の変
化舞踊の一幕。江戸の天下祭は、神田祭に山王祭が、二大祭とい
われた。山王神社の祭り「山王祭」を題材にしていて、山王祭
は、一番鶏、二番猿という山車が先達になるので、清元の文句
が、「申酉の」で始まるから、通称「申酉(さるとり)」とい
う。5回目。三津五郎は、初見。

鳶頭:勘九郎、孝夫時代を含めて仁左衛門(2)、三津五郎。仁
左衛門は、2回とも、芸者(玉三郎)と共演。
「春待若木賑」として、種太郎、種之助、竹松の子どもたちの
「お祭り」も拝見。

白縮緬に紺で大の字をデザイン化して染め抜いた粋で派手な衣装
の鳶が三津五郎。「待ってました」と、大向こうから声が懸かる
と「待っていたとは、ありがてー」と、応じる。歌舞伎役者屈指
の踊りの名手、三津五郎が家の藝を見せる踊りなので、期待して
拝見。8人の若い者らとのからみ、ひょっとこ、お多福の面を
使っての工夫など、「奴道成寺」の発想か、三津五郎独特の新機
軸も盛り込んで、歌舞伎座一日の「とり」を舞い納めた。体の軸
が安定した踊りで、堪能。江戸情緒たっぷりの舞台。今月の歌舞
伎座、三津五郎は、この「お祭り」だけの出演だが、弟子が女形
ばかりの玉三郎のために、お嬢吉三の立ち回りに立役の弟子多数
を助っ人したのだろう。
- 2004年2月14日(土) 17:38:19
2004年2月・歌舞伎座 (昼/「市原野のだんまり」「毛谷
村」「茨木」「良弁杉由来」)

「市原野のだんまり」は、歌舞伎座66年ぶりの上演という演目
で、当然初見。元々、大蘇芳年が描いた3枚続きの錦絵「藤原保
昌月下弄笛図」が元になってできた演目という。明治期には、盛
んに上演されたという。

京の市原野というところで、源頼光の家臣・平井保昌(梅玉)と
盗賊の袴垂保輔(左團次)が、出逢って、切り結ぶ。さらに、同
じく盗賊の鬼童丸(玉太郎)が牛の皮を被って、保昌に襲い掛か
る。次々に、盗賊が襲い掛かるさまを、後半は、「だんまり」で
見せる。

薄野の荒野、月が出ている。笛を吹きながら散策する平井保昌
が、月夜の明かりで盗賊らと切り結んだ後、再び、姿を表わした
袴垂保輔が、手に持っていた短筒を撃つと、それを合図に、月が
消えて、3人の「だんまり」となる。まあ、それだけの演目か。
「だんまり」は、大勢で演じると様式美、古怪美などが感じられ
て、おもしろいのだが、3人では、数が少なく、それも期待でき
ない。あまり、上演されない理由が、良く判る。平井保昌は、源
頼光の四天王と言われた渡辺綱、坂田公時(きんとき)らと並ぶ
頼光の家臣。独武者(ひとりむしゃ)と言われたという。舞踊劇
「土蜘」では、四天王とともに土蜘退治をする人。その関係で、
「茨木」とのあわせ技で、昼の部に入ったのだろうか。

「毛谷村」は、4回目。最近では、03年9月の歌舞伎座で観て
いる(このサイトの「遠眼鏡戯場観察」に掲載済み。従って、劇
評も、前回書いたことは、繰り返さない)。ただし、この芝居
は、やはり、お園が主役だろうから、前回、今回と同様の時蔵の
お園の演技が、5ヶ月で、どう変わったか、あるいは、変わって
いないかを軸に舞台を拝見した。劇評も、その線でまとめたい。
今回の配役は、六助(吉右衛門)、お幸(東蔵)、微塵弾正(歌
昇)など。

私が観たお園:鴈治郎、芝翫、時蔵(2)。同じく六助:吉右衛
門(2)、團十郎、梅玉。同じくお幸:吉之丞、又五郎、歌江、
東蔵。

前回の劇評のお園の部分のみ、簡単に繰り返したい。

「女丈夫で、力持ちのお園の人物造型が、ポイントである。お園
は、弾みで、庭にあった臼を持ち上げたりする。それに気づい
て、恥ずかしそうにしたりもする。そういう女性である。お園
は、いわば、両性具有の、妖しさを感じさせなければならない
と、私は思う」。

つまり、お園は、「男ぽさと女らしさ」をあわせて表現しなけれ
ばならない。「女武道」という役柄の典型。

「敵を探し、遺族を探すために、女ながら、虚無僧姿に身をやつ
したお園の登場である。笠で顔が見えないお園は、大きく見えな
ければならない。花道出の足の踏み方、六助との立ち回り、特に
子役を左脇に抱えての立ち回りなどは、力持ちに見えなければな
らない。そういう男っぽさの後、六助が、父・一味斎が決めた夫
になる人と判り、急に女らしく、色っぽく見せる緩急の対比が、
生きて来る。ここは、柄が、大きく見えたり、小さく見えたり、
してほしい場面だと思う。『毛谷村』のお園は、男姿の虚無僧→
力持ちの女性→恥ずかしがりの婚約者→父の敵討ちを決意する娘
と変化しなければならない。時蔵のお園は、そのあたりの妙味に
欠けた。柄が変わらないのである」。

これが、前回の時蔵のお園であった。それが、今回は、見事に変
わっていた。花道から登場した虚無僧が、前回より大きく見えた
のである。動作も男っぽい。先月の「遠眼鏡戯場観察」で、「十
六夜清心」の花道の出で、手拭を被り、口元を隠した十六夜は、
時蔵に見えなかったと私は、書いているが、それと同じことが、
今回の舞台でも起きている。虚無僧を演じているのが、時蔵に見
えなかったということだ。それが、時蔵の柄を大きく見せたのだ
ろうと思う。前半、立役のように演じられれば、後半のお園の女
らしさがいちだんと引き立つ。可愛らしいし、恥じらいもある。
色気もある。お園が、成功するかどうかは、虚無僧として顔を見
せない場面で、どれだけ、女形を隠して、立役のように演じられ
るかが、ポイントだろうということを今回の時蔵は、示してくれ
たように思う。時蔵が、このところ、変わって来ているという印
象を、私は、改めて、強く感じた。夜の部、「仮初の傾城」で、
時蔵は、一人で踊る。そのあたりを夜の部で、さらに、ウオッチ
ングしてみたい。

六助は、前回書いたように、モデルとなる実在の人物があり、そ
の人のように、芝居の六助は、大男の剣豪で、力持ちだ。この役
は、人の善さのなかに鋭さを感じさせなければならないが、吉右
衛門は、そのあたりを十二分に演じていたと思う。剣の実力は、
抜群ながら、人に優しく、悪に厳しく、そういう人物が、吉右衛
門のなかから滲み出て来る。善人の印象は、吉右衛門の地、鋭さ
は、演技の賜物というところか。東蔵のお幸は、もうひとつ、重
さが足りないように見受けられた。

「茨木」は、2回目。今回の昼の部は、実は、これを観るのが愉
しみという思いで、歌舞伎座に入った。玉三郎は、初役で、前半
は、渡辺綱(團十郎)の伯母で老女の真柴の品格、後半は、凄み
のある鬼(茨木童子)を演じわける。小鼓の田中源助の十三代目
田中傳左衛門襲名披露の舞台でもある。四拍子の皆さん、袴も、
いつものような「前垂れ」ではなく、本当の袴を着け、侍烏帽子
(さむらいえぼし)も被り、盛装で立派だった。

前回の「茨木」は、01年11月の歌舞伎座で、芝翫主演で観た
から、どうしても、玉三郎と芝翫を比較してしまう。まず、白
髪、白塗の玉三郎は、老婆に見えない。いくら、「リアルにやら
ない」(玉三郎談)とは言え、白髪の人形のようで存在感がな
い。眼のみで、真柴のなかの、茨木童子を演じるのは、無理では
ないのか。3年前の芝翫は、どう演じたか。このサイトの「遠眼
鏡戯場観察」から、引用してみると、

「真柴、実は、茨木童子」という役は、「外に溢れ出ようとする
茨木童子の正体を小さな身体のなかに、いわば、封じ込めながら
の演技である。ともすると、真柴の身体を裂き破って、茨木童子
が噴出してこないとも限らないというエネルギーを秘めていなけ
ればならない役だろう」と、私は、書いている。

芝翫の「真柴も、所望されて、一さし、舞う。片腕を無くしてい
る茨木童子と真柴の二重性を小さな身体に閉じこめているだけ
に、春夏秋冬の景色を唄い、そして、舞いながら、ときどき、ぼ
ろが出て、扇を取り落とす。また、この舞は、伯母・真柴が、
徐々に溶け始め、茨木童子の本性が、姿を現すプロセスでもあ
る。『もののけ度』が、濃くなってくる」「やがて、綱に持ちか
け、唐櫃に隠されていた鬼の左腕を見せて貰う真柴。形相が見る
見る変わった後、片腕をつかみ取る茨木童子。ドラマのクライ
マックス。表情を闊達に変える芝翫。さすが、巧い」と、ある。

そのあたりをじっくり見ようと舞台を観ていたのだが、玉三郎の
真柴は、平板で、私は、何時の間にか、眠りに落ちていて、臨席
の家人に起こされる始末。やはり、品格のある老婆の皮を被った
鬼(童子)という二重性の表現が、芝翫と比べると弱い。ただ、
唐櫃に隠されていた鬼の左腕を見せて貰う場面では、左腕を観た
とたん、玉三郎の白塗の顔が口元を中心に醜く歪んで、表情を激
変させる。この片腕をつかみ取る場面は、芝翫より迫力があった
ように思う。

「後(のち)ジテ」で、代赭隈、白頭(しろがしら)という獅子
のような長い髪の鬘に金の角を二本生やしている。鬼の本性を顕
わした茨木童子は、綱との立ち回りの場面は、平板。「前シテ」
で、白塗のまま、形相を変えた玉三郎の方が、よほど、怖い。幕
外になると、茨木童子は、片手だけの「変化六法(方)」を踏ん
で引っ込んで行くが、今回は、2階奥の座席であったので、花道
は、余り、見えなかった。玉三郎の「茨木」は、芝翫と比較して
は、可哀想かも知れないが、まだまだ、一工夫必要だろう。私
は、途中、うつらうつらしてしまい、見逃している場面もいくつ
かあるかもしれない。それほど、退屈だったのだろう。玉三郎の
次回の舞台を期待したい。團十郎の渡辺綱は、後半の隈取りも含
めて、迫力あり。幕切れの口を大きく開いた大見得は、風格があ
る。

「良弁杉由来」は、3回目。そのうち、1回は、6年前の9月歌
舞伎座で、「二月堂」のみの上演。今回と同じ「志賀の里」、
「物狂」、「二月堂」は、3年前の11月歌舞伎座で拝見。季節
感の変化が、愉しみな舞台である。初夏、春、そして30年後の
盛夏。

渚の方:芝翫、鴈治郎(2)。良弁僧正:梅玉、菊五郎、仁左衛
門。芝翫のときが、「二月堂」だけであったが、何故か、老いた
渚の方だけを演じた芝翫の姿が、印象に残る。鴈治郎は、奥方・
渚の方、物狂の渚の方、そして、老いた渚の方、というように、
渚の方三態を演じ、さらに、その芝居を2回観ているというの
に、鴈治郎より、芝翫が印象に残っているのか。それは、恐ら
く、この芝居が、詰まるところ、高僧の親孝行の話という、一枚
の絵で足りる印象の芝居だからだろう。渚の方三態を見せる鴈治
郎版は、物語の展開を見せてくれるので、判りやすいのだが、そ
の分、この芝居の本質である、一枚の絵の持つインパクトが、弱
まってしまうのだろうと思う。

さて、今回の鴈治郎は、「志賀の里」の場面は、変わらないが、
前回の「桜の宮物狂い」とは、演出を変えている。前回は、桜が
爛漫と咲く桜宮、子どもたちにからかわれる狂女という演出で、
物狂の渚の方に子どもをからませていた。今回は、それがなく
なっていた。その代わり、珍しく両花道を使って、翫雀の船人清
兵衛と扇雀の蝶々売おかんとのからみに演出を搾っているのだ
が、両花道の効果があまり感じられなかった(両花道は、夜の部
でも「三人吉三」の後半で使っていたが、これも、もうひとつ。
今回の両花道の演出意図が、良く判らない)。

「二月堂」の場面は、30年、離ればなれになっていた母と子が
再会を果たすという話。高僧は、母を大事にした。そういう単純
なストーリ−なので、役者の藝と風格で見せる舞台だ。仁左衛門
の良弁僧正は、風格がある。鴈治郎は、太めの身体を小さく見せ
花道の出で、全身が老婆になっている。しかし、前回の舞台で
も、感じたが、渚の方は、芝翫の方が、巧い。芝翫の方が、枯れ
果てた老婆になっている。翫治郎は、さすが、渚の方三態の変化
をくっきりと演じ分けていた。この場面でいつも思うのだが、
30数人という大勢の僧や法師らは、この舞台では、ほとんど背
景になっている。なんとも、贅沢な芝居である。

- 2004年2月13日(金) 22:33:14
2004年1月・歌舞伎座 (夜/「鎌倉三代記」「二人道成
寺」「十六夜清心」)

「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」は、3回目。時姫は、いずれも、
雀右衛門。この演目は、時代物のなかでも、時代色の強いものだ
ろう。だから、時代物の「かびくささ」「古臭さ」「堅苦しさ」
などを逆に楽しめば良いと思う。特に、雀右衛門の時姫は、時代
物の様式に乗っ取り叮嚀に演じているので、そこらあたりを堪能
すれば良いと思う。3回目といっても、前回、観たのが、5年
前、99年の6月、歌舞伎座だったので、当サイトの「遠眼鏡戯
場観察」にも劇評は入っていないし、99年春刊行の拙著「ゆる
りと江戸へ 遠眼鏡戯場観察(かぶきうおっちんぐ)」にも、
入っていない。初回の、96年5月の舞台は、「ゆるりと江戸へ 
遠眼鏡戯場観察(かぶきうおっちんぐ)」を書くために、活かさ
れている。雀右衛門は、このところ、歌舞伎の「三姫」を熱心に
演じている。「三姫」とは、「本朝廿四孝」の「十種香」に出て
来る八重垣姫、祇園祭礼信仰記〜金閣寺〜」の雪姫、「鎌倉三代
記〜絹川村閑居〜」の時姫という3人の姫君のことで、それを3
年がかりで、じっくり演じている。1920(大正9)年8月生
まれの雀右衛門は、今夏で84歳になる。申年生まれの年男だ
(生きていれば、わが父親と同年になる)。現役で、元気に伝統
藝の素晴しさをこれからも実感させてほしい。

やはり、雀右衛門の時姫は、位があり、見応えがあった。科白よ
り、所作で見せる。言葉より、形で迫って来る。堪能の舞台で
あった。物語は、「近江源氏先陣館」の続編。大坂夏の陣を鎌倉
時代に移し替え、時姫(千姫)に父親・北条時政(徳川家康)へ
の謀反を決意させるという筋書きである。夫・三浦之助(豊臣方
の木村茂成)と父親との板挟みになり、苦しむという、性根の難
しさを言葉ではなく、形で見せるのが難しいので、「三姫」とい
う姫の難役のひとつと数えられて来た。赤姫の扮装に手拭を姉さ
んかぶりにし、箒を持って、夫の実家を掃除している。そういう
ある意味では、破天荒で、荒唐無稽な姫様が、苦悩している。そ
れを雀右衛門は、徹底して、所作で演じてみせる。私は、雀右衛
門以外の役者が演じた時姫を一度も観ていないので、いずれ、誰
かの時姫を観て、雀右衛門の時姫と比較してみたい。

佐々木高綱(真田幸村)は、最初、時姫を助けた足軽・安達藤三
郎(幸四郎)に化けている。滑稽役の藤三郎と、後の武将・佐々
木高綱への変わり身が、身上の役どころ。「地獄の上の一足飛
び」で、衣装ぶっかえりになり、真っ赤な舌をだして、両手を垂
れた無気味な見得をするのも、この時代物の古臭さが、かえっ
て、斬新に見えるから不思議だ。旧いものは、新しい。こういう
無気味な役柄は、幸四郎の得意とするところ。

三浦之助(菊五郎)の身につけている簑が、「天使の羽」のよう
に見える。そういう天真爛漫さが、菊五郎の味にあっている。実
母・長門(田之助)を心配して戦場から戻って来たのだが、母か
らは、拒絶される。実は、母を口実に妻・時姫の父親への謀反を
決意させるために戻って来たという難しい役。菊五郎は、天使が
空を飛ぶように、やすやすと演じて行く。ちょっとしか、顔を見
せない田之助も、重厚。

このほか、時姫救出を時政から命じられたふたりの局(友右衛
門、家橘)や、閑居の庭内にある井戸から出入りする富田六郎
(歌六)など、時政の手の者が、井戸のなかの抜け道を使うな
ど、時代物らしい荒唐無稽さが、かえって、おもしろい。藤三郎
の女房・おくる(東蔵)など、達者な役者が脇を固めていて、身
分の違う登場人物たちが、登場したり、本性をあらわしたりする
と、役者の居所が替ったり、後ろを向いて、演技の場から姿を消
したことにしたり、時代物の約束事をきちんと守りながら、舞台
は、進行して行くので、その辺りに興味を持って舞台を観るの
も、一興。時代物の好きな人には、そういう時代物独特の演出の
様式を楽しめる演目だろう。

「二人道成寺」は、4回目。白拍子の花子と桜子が登場する。私
の楽しみは、以前観た雀右衛門と芝雀親子の「二人道成寺」(こ
の劇評も、当サイトの「遠眼鏡戯場観察」にあるので、検索する
と出て来る。99年9月歌舞伎座)は、真女形親子の藝の伝承と
して、素晴しいものだったので、今回の玉三郎と菊之助が、当
然、親子の「二人道成寺」とは、違う舞台を、どういう風な工夫
で見せてくれるか、楽しみにしていた。この演目では、翫雀、扇
雀の兄妹の襲名披露(当時、ふたりは、智太郎、浩太郎)の舞台
を観たのが初めてで、以後、時蔵・福助、雀右衛門・芝雀とな
り、今回となる。

雀右衛門・芝雀のときは、ふたりの「雀」の間に鏡でもあるよう
に、過去の伝統と継承の未来の精が、現在という舞台で、ふたり
の白拍子に化けて出て来た藝の化身のように見えた。所作も、左
右対称で、いつもの所作と逆の形で踊る雀右衛門の素晴しさ(芝
雀の所作は、基本的に「娘道成寺」と変わらない)、息子を気遣
う父親の思い、藝の先達として後身を見る眼の厳しさなど、いろ
いろ考えさせる味のある舞台であった。迫りくる老いと戦う父
親。そういう父親の戦いを知り、少しでも早く藝の継承に努めよ
うとする息子。そのとき、特に、ふたりが鐘の上に乗ってから
の、印象的な場面を私は、次のように書いている。

*鐘に乗った後の、花子・雀右衛門の、「般若のこしらえ」で、
「妹背山」の、お三輪のような「疑着(ぎちゃく)の相」を思わ
せる、物凄い表情を一瞬だけ見せるというのが、印象的だったの
は今回が初めてのような気がする。

従って、今回の劇評では、1)実の親子の「二人道成寺」と女形
の藝の先輩・後輩の「二人道成寺」は、どう違うのか。2)雀右
衛門の、「般若のこしらえ」を玉三郎が、どう演じてみせるか。
この2点について、報告したい。

まず、結論1)。今回の「二人道成寺」は、素晴しかった。実
は、菊之助は、白拍子「桜子」には、ならなかった。玉三郎も菊
之助も、ふたりとも、白拍子「花子」であった。というより、菊
之助が、白拍子花子として、花道向う揚幕から登場するのに対し
て、玉三郎は、花道すっぽんから登場する。ということは、玉三
郎は、生身の白拍子花子ではなく、花子の生き霊なのではない
か。つまり、ふたりは、二人ではなく、一人なのだ。白拍子花子
の光と影。それが、今回の玉三郎と菊之助の「「二人道成寺」の
コンセプトではないか。玉三郎が、すっぽんから登場したため、
私は、そういう着想にとらわれて、以後の舞台を観ていた。

花道七三で、並んだふたりの所作を私は、昼の部と同じ、1階
の、いわゆる「どぶ」側の、真後ろの花道直近の座席から観てい
た。昼の部でも触れたように、この席からは、まるで、向う揚幕
の前に座って、花道七三を正面に観るように舞台が見えるのであ
る。そこで観ていると、しばしば、二人の白拍子が、所作も含め
て重なって見えるのである。つまり、ときどき、二人は、一人に
しか見えない場面があったのである。衣装も帯も同じ二人が、重
なる。一人になる。やがて、所作が終り、玉三郎は、すっぽんか
ら消えて行った。残りは、菊之助一人。それは、恰も、最初から
一人で踊っていたような静寂さがある。

これは、「二人道成寺」ではなく、「娘道成寺」ではなかったの
か。二人に見えたのは、私たちの幻想であったのではないのか。
そういう錯覚さえ起こすほど、この「一人道成寺」は、素晴し
かった。筋書きを良く見れば「京鹿子娘二人道成寺」とあるでは
ないか。この「娘」と「二人」は、ここまで融通無碍だったの
か。こういう「二人道成寺」は、初めての趣向だと思う。因に、
5年前の雀右衛門・芝雀のときの外題は、「傘寿を祝うて向かい
雀二人道成寺」であった(この年の8月、満79歳になった雀右
衛門は、数えでは、80歳=傘寿である。「向かい雀」とは、向
かい合う「雀」右衛門と芝「雀」のことである)。いずれも、外
題は、観客に向けて、きちんとテーマを明確にメッセージしてい
るのが判る。それをきちんと受け止めるか、受け止めないかは、
私たち観客の感性の問題である。

さて、花子・桜子を花子のダブルイメージにしたのは、玉三郎の
趣向だろうなと、私は思う。去年「娘道成寺」を踊った玉三郎
は、初演で新しい「二人道成寺」への扉を開いたと言えそうであ
る。工夫魂胆の、藝熱心の真女形の発想に敬意を表したい。今後
の、玉三郎の「道成寺もの」には、要注意。その後も、今回は、
花子が、一人になったり、生き霊として、二人になったりしなが
ら(あるいは、ここは、二人に「見えたり」が、正確か)、新趣
向の所作が繰り出され、大曲を飽きさせない場面が続いた。二人
の絡みは、ときに官能的にさえ、感じられた。最初、玉三郎につ
いて行った菊之助だが、途中の「手鞠」の場面では、遅れをとっ
た菊之助が、途中をさり気なく飛ばして、玉三郎に追い付いた手
腕は、なかなかのものであった。若さばかりが売り物ではなく、
藝の強かさも身に着きはじめているように思えた。また、逆海老
に反り返る場面では、それなりに柔軟な玉三郎よりも、さらに身
体の柔らかさを見せつけていて、明らかに若い女形のはつらつさ
を感じさせていた。ただ、反りに入る瞬間的に女形ではなく、男
を感じさせる場面があり、今後の課題だろう。

玉三郎53歳。菊之助26歳。円熟と成長のカーブが異なる、ふ
たりの真女形の今後の組み合わせを楽しみとしたい。

ことしの5月の歌舞伎座での新之助の十一代目海老蔵襲名で、か
つて、「三之助」と呼ばれた役者は、菊之助一人になり、いわ
ば、「三之助解体」となるなかで、いちばん最後まで、「之助」
を名乗る菊之助が、このところの舞台を拝見していると、いちば
ん成長しているように思える。辰之助の松緑は、その後の成長
が、いまひとつ。新之助の海老蔵襲名は、愉しみだが、襲名後の
脱皮の具合を見ないとなんとも言えない未知数の部分がある。そ
うした「三之助」のなかで、菊之助は、すでに将来の大器が、ほ
の見えだしたと思う。

結論2)。これは、雀右衛門の勝ち。雀右衛門の執念の表情に
は、玉三郎も及ばなかった。もともと、白拍子花子は、清姫の亡
霊(つまり、死霊)である。花子であれ、桜子であれ、ひとりの
死霊が、ダブって見えるのである。今回のような「二人花子」
(ダブル花子)であっても、それは同じ。従って、鐘の上に乗
り、死霊の正体を顕わしたときは、霊は、一人の花子に収斂し、
執念の昇華をさせなければならない。玉三郎の今後の精進に期待
したい。

贅言:雀右衛門・芝雀のときは、裃後見が、立ち役と女形のカッ
プル2組だったが、今回は、4人とも、立ち役ばかりの鬘・衣装
の扮装だった。

「花街模様薊色縫〜十六夜清心〜」は、6回目。私が観た十六
夜:玉三郎(3)、芝翫、芝雀、そして今回の時蔵。清心:孝夫
時代を含む仁左衛門(2)、菊五郎(2)、八十助時代の三津五
郎、そして、今回の新之助。このうち、仁左衛門・玉三郎コンビ
の02年3月の歌舞伎座の劇評は、当サイトの「遠眼鏡戯場観
察」にある。この演目は、玉三郎、孝夫のコンビが絵面では最高
だといまも思う(関心のある人は、検索して、読んでみて下さ
い)。仁左衛門・玉三郎コンビの「十六夜清心」最初に観たの
は、97年2月の歌舞伎座で、仁左衛門は、まだ孝夫だった。当
サイトは、開設していなかったので、「遠眼鏡戯場観察」に劇評
はない。

まず、今回の十六夜時蔵は、花道の出で、私の席のすぐ横を通っ
て行ったが、その際、手拭で頬被りをしていたので、特徴のある
口が見えず、別人のように見えた。時蔵は、このところ、初役に
積極的に挑戦していて、それなりに成果をだしている。十六夜
は、素足であったが、後の「川中船の場」で、四つ手網で白魚漁
をしているところを見ると、舞台の季節は、旧暦の2月か(初演
は、1859(安政6)年2月。幕末の外圧を軸に日本は、内外
とも騒然としていた時期)。ならば早春か。それでも、素足は、
肌寒かろう。しかし、寒さは、伝わって来なかった。

97年11月歌舞伎座で観た芝翫、菊五郎のコンビは、円熟の演
技で、仁左衛門・玉三郎コンビなど、ほかのカップルとは、ひと
味違っていたのを覚えている。芝翫は、特に、花道の出が良かっ
た。早足で出てきただけで、安女郎・十六夜の雰囲気があった。
時蔵の十六夜は、後半に存在感がなくなる(「花街模様薊色縫」
は、通しで上演すると、「十六夜清心」物語は、前半の話で、後
半は、「おさよ(鬼薊)清吉」物語として、悪の夫婦の話とな
る。そこまで、補助線を伸ばして考えると、時蔵の十六夜役作り
が、「十六夜清心」物語の後半で、存在感がなくなるようでは、
本当は、困るのである。これでは、「花街模様薊色縫」の通し上
演はできない)。

新之助の清心は、身長が高いので、柄は、舞台映えする。仁左衛
門のような清心に、いずれ、化けるかもしれないし、化けないま
まで終るかも知れない。つまり、今回のような科白廻しが下手で
は、どうしようもない。いつもより下手で、新之助らしからず。
科白を言うというより、唄っている。何か、黙阿弥の七五調の科
白の言い廻しを勘違いしているようだ。新之助は、役者としての
容れ物は、でかいので、舞台での存在感があり、将来、大物役者
になる可能性がある。後は、容れ物に入れる中味の充実。藝の精
進あるのみ。これは、時間がかかるかも知れない。

ところで、今回の新之助の欠陥は、清心の役作りが、中途半端
だったことに起因するように思う。清心とは、どういう人物か。
女好きの気弱な男。清心は、自分の所属する鎌倉の極楽寺で起き
た公金横領事件の際、着せられた濡れ衣から、たまたま、女犯
(大磯の女郎・十六夜と馴染みになった)の罪という「別件逮
捕」で、失脚した所化(坊主)。当初は、つまらないことに引っ
かかったとばかりに、おとなしくしていた。遊郭を抜け出してき
て、清心の子を宿したので、心中をと誘いかける十六夜の積極性
にたじろぎながらも、女に押されて心中の片割れになってしまう
気弱な男であった。ところが、入水心中をしたものの、下総・行
徳生まれの「我は、海の子」の清心は、水中では、自然に身体が
浮き、自然に泳いでしまう、ということで、死ねないのである。

自分だけ助かった後も、それが疚しいため、まだ、気弱である。
雨のなか、しゃくをおこして苦しむ求女を助ける善人・清心だ
が、背中や腹をさすってやるうちに、50両の入った財布に手が
触れ悪心を起こすが、直ぐには、悪人にはなれない性格。ひとた
び、求女と別れてから、後を追い、金を奪おうとするが、なかな
か巧くは行かない。弾みで、求女の持っていた刀を奪い、首を傷
つけてしまう。

それでも、まだ、清心は、悪人になり切れていない。求女の懐か
ら奪い取った財布に長い紐がついていたのが仇になり、求女と互
いに背中を向けあったまま、財布を引っ張る清心は、知らない間
に、求女の首を紐で絞める結果になっている(つまり、「過失致
死」)のに、気がつかない。やがて、求女を殺してしまったこと
に気づいたことから、求女の刀を腹に刺して自殺をしようとする
が、3回試みても巧く行かない。4回目の試みの際、雲間から現
れ、川面に映る朧月を見て、「しかし、待てよ・・・、人間わず
か五十年・・・、こいつあめったに死なれぬわえ」という悪の発
心となる名台詞に繋がる(適時に入る時の鐘。唄。「恋するも楽
しみするもお互いに、世にあるうちと思わんせ、死んで花実も野
暮らしい・・・」。このあたりの、歌舞伎の舞台と音のコンビ
ネーションの巧さ)。

雨が、降ったり止んだり、月が出たり、隠れたりしているようだ
が、これは、外題の「花街模様(さともよう)」ならぬ清心の
「心模様」を表わす演出を黙阿弥は、狙っているのだろうと思う
が、新之助清心の演技や今回の舞台演出からは充分に見えて来な
い。これが、清心の「悪の発心」へ繋がって行くはずなのだ。例
えば、月が、悪への発心という心理を形で描いて行く補助線と
なっている。時代物であれ、世話物であれ、心を形にする、それ
が、歌舞伎の真骨頂のはずだ。それが、今回の舞台は、ちぐはぐ
だった。つまり、演技が、道具方の進行にちゃんとついて行って
いなかったのではないか。

仁左衛門の場合は、ここからが、巧い。がらっと、気弱な所化か
ら、将来の盗人・「鬼薊の清吉」への距離は、短い。がらっと、
表情を変え、にやりと不適な笑いを浮かべる仁左衛門の演技に、
まさに、「待ってました。第2ステージ」という感じ。「その変
わり身の楽しさが芝居の面白さ」(仁左衛門の言葉)なのだ。

ところが、今回の新之助は、それができていない。悪の発心で、
なぜ、新之助の特徴であり、貴重な武器でもある、あの「大きな
眼」を活かさないのか、不思議だ。あの眼で、心機一転、悪への
目覚めを表現したら、新之助の「清心から清吉へ」という演技
に、どれだけ磨きが懸かろうというものだ。

清心に殺され、清心へ悪への目覚めをさせるきっかけとなる恋塚
求女(十六夜の弟)役の中村梅枝は、時蔵の長男で、16歳。松
助の長男、尾上松也など新しい若い役者が、次々と力をつけて来
るのが観客の楽しみ。梅枝の今後の精進に期待したい。

贅言:ずうと、雨に煙る「稲瀬川」の百本杭のあたりの場面。百
本杭は、江戸の大川(隅田川)の川筋が曲がる所で、流れが当た
るので、百本の杭で、防波堤を作っていた。それだけに、いろい
ろなものが流れ着いたり、引っ掛かったりしたらしい。まさに、
人生の定点観測の場所。芝居ばかりでなく、江戸を扱った時代小
説にも、よく登場する場所だ。
- 2004年1月25日(日) 12:47:36
2004年1月・歌舞伎座 (昼/「鳥居前」「高坏」「山科閑
居」「芝浜革財布」)

演劇や映画の批評というのは、同じ舞台、同じ画面を観た人たち
に、どれだけの情報を付加できるかにかかっていると私は思って
いる。観ていない人に作品を紹介するという意味の批評もあるだ
ろうが、同じ舞台、画面を観た人たちにどれだけ役立つ情報を提
供できるか。それが、こういう批評の原点だと思っている。その
ためには、まず、同じ舞台、画面を観たという共通の認識が必要
である。共通の認識は、共感、あるいは同感を呼び起こす。しか
し、それだけでは、批評を読む側から見れば、物足りない。その
物足りなさを補うのは、共通の認識に加えて、新たな認識を引き
起こすような「補助線」を引くことだと思う。この補助線とは、
同じ舞台、画面を観た観客にとって、意外な発見と思うような補
助線でなければならない。あるいは、新たな視点の提示でなけれ
ばならない。そのためには、演劇、映画の元のテキストをきちん
と読み込むことが必要である。作品に関する過去のデータにも、
きちんと目配りすることが必要である。その上で、書き込まれた
批評が、同じ舞台、画面を共有化した人たちの共感を裏打ちする
ことで、説得力を増すことになる。同じ舞台、画面を観た観客
が、気付かなかったこと、見落していたことを教えるようになる
からだ。そういう思いで、気持ちを新たにしながら、ことしも、
このサイトに取り組んで行きたい。12日に舞台を観ておきなが
ら、劇評のアップが遅れたことをおわびしたい。通勤時間が、長
くなり、ものを書く時間が、小間切れになり、まとまった集中力
を発揮できないので、許していただきたい。

「遠眼鏡戯場観察」のコーナーでは、歌舞伎、人形浄瑠璃を取り
上げる。週末に舞台を観て、早朝や週末に劇評を書き込む。舞台
を観た時間以上に時間をかけて、劇評をまとめているので、せっ
かく、東京に戻りながら、多くの舞台を見ることができず、劇評
も寡作になるが、許してもらいたい。劇評を書き上げてこそ、私
の観劇は終るので、舞台を観るだけで、劇評はなしということに
はしたくない。

「双方向曲輪日記」では、映画、演劇の批評、エッセイを書き込
む。「双方向曲輪日記」には、最新の映画評として、10日に観
た「美しい夏キリシマ」(岩波ホール)が掲載されている。「乱
読物狂」では、ジャンルを問わず、乱読の書評を書き込む。こち
らは、通勤時間が長く、本が読めるので、読書は増えるが、書評
を書くのが追い付かない。

さて、今月の歌舞伎座である。今回の昼の部は、まず、「義経千
本桜〜鳥居前〜」である。これは、6回目の拝見。1回目が、辰
之助時代の松緑であるので、今回の松緑の舞台は、2回目という
ことになる。私が観た忠信:松緑(2)、猿之助(2)、八十助
時代の三津五郎、菊五郎。今回は、何回か書いている、私がいち
ばん好きなテキスト論(例えば、「義経千本桜」では、03年2
月の歌舞伎座の舞台について、「遠眼鏡戯場観察」では、「騙し
&騙され論」を私は書いている。関心のある人は、当サイトの検
索で引き出せば、読むことができます)は、やめて、6回観て、
初めて気がついた、あるいは、以前から気になっていたが、着想
に至らなかったことを書いてみたい。

それは、「荒事」とは、いわば、「稚事(おさなごと)」(こう
いう用語はない。私が便宜的に考えた造語)との対比にあるとい
うことである。以前から、ここに出て来る弁慶の衣装が、「鬼の
子」のような衣装に見えていた。台本には、「好みの拵え」とあ
るばかりで、どの時代かの弁慶役者が、「忠臣蔵」の五段目の斧
定九郎役の拵えをいまのような恰好に工夫した初代中村仲蔵のよ
うに、ここの弁慶の扮装を創意工夫の果てに、いまのような「拵
え」にし、その後、代々の役者が引き継ぐようになったのかも知
れない。この弁慶は、能の「船弁慶」同様に、逃避行の旅の途中
で、義経一行と一行を追って来た静御前の間を押し隔てる役割を
担っている。「船弁慶」の弁慶は、「勧進帳」同様の、厳粛な衣
装をまとっているのに、「鳥居前」の弁慶は、何故、赤地に細か
い水玉模様に似た金の飾りのついた「鬼の子」のような、稚気に
溢れた衣装を身に着けているのか。私が観た弁慶:團蔵(4)、
猿十郎、猿弥。従って、團蔵の弁慶の印象が強い。

そういえば、義経も、鬼退治に向かう「桃太郎」のような衣装を
つけているように見える。静御前は、「赤姫」の衣装だ。皆、御
伽草子の絵本に描かれるような衣装を身につけていやしないか。
そう、思いませんか。、パターン化してみれば、いわば、果敢な
少年武士、か弱い、保護される姫、憎まれ役の鬼となる。この3
役がいれば、おとぎ話の世界では、基本的に「お話」は進行す
る。そういう通俗的な、御伽草子の世界が、衣装構成の基本的な
発想にあるのではないかと思うが、いかがだろうか。

つまり、本来、「荒事」とは、「稚気に溢れ、力に満ちた勇壮活
発な人物の行動」を演じる訳だから、「勇壮活発な」荒事と「稚
気に溢れ」る「稚事」が、共存するのは、当たり前なのだろう。
まあ、思いつきによる試論である。

ところで、この舞台の荒事の本流は、忠信である。忠信は、実際
より大きく見せなければならない。赤地に金の縫い取りのある四
天、仁王だすき(化粧だすき)、菱皮(戸板康二は江戸なまりの
役者衆の口真似をして「菱皮(ししかわ)」と読んでいた)の
鬘、火焔隈など典型的な荒事の扮装をした松緑の忠信は、しか
し、大きくは、見えなかった。

忠信の花道の出。「いよお、いよお」という鼓の掛け声に合わせ
て、忠信が、額から月代を広々と見せる菱皮の鬘ゆえ、一層大き
く見える顔を小さく左右に振ってみせる。「待ってました」と、
大向こうから、声がかかってもおかしくない。こういう細部にこ
そ、歌舞伎の魅力は、神のように宿る。神の宿った役者は、大き
く見えるものである。

私が観た忠信で、大きく見えたのは、実は、本来ならいちばん小
柄なはずの八十助であった。八十助(当代の三津五郎)は、因
に、松緑より10センチ身長が少ない。それが大きく見えたので
ある。00年1月の新橋演舞場の舞台であった。1年後、01年
1月、つまり、21世紀初めの歌舞伎座の舞台で、十代目三津五
郎を襲名することになる、そういう勢いの感じられる八十助忠信
であったと思う。また、松緑は、背筋がまっすぐではない、猫背
である。これも、忠信を大きく見せることを阻害している。松緑
が、猫背を是正すれば、かなり、印象が変わって来るだろう。弁
慶を演じた團蔵が、松緑より五センチ背が高いだけに、忠信より
弁慶の方が、大きく見えるのは当然なのだが、そこは、藝の力と
猫背改善の努力で、大きな忠信を松緑には、いずれ、見せてほし
いと思うのは、私だけではないだろう。

贅言;今回は、1階席奥の、いわゆる「どぶ」側の花道の直近の
席だったので、出から引っ込みまで花道をたっぷり使う「鳥居
前」のような演目は、まるで、向こう揚幕の真ん前で花道に座り
込んでいるような錯覚をするほど、花道七三の演技が、同じ高さ
で、ほぼ正面に見える。忠信の「片手六法」と「狐六法」を交互
に見せる引っ込みの場合などは、まるで、松緑が私に向かって来
るようにさえ感じられた。向こう揚幕の内からの、出を前にした
「待あてぇ、待ちやがれええ」という松緑忠信の大声は、まさ
に、耳の隣から聞こえて来た。ここから観ると、1等席に観客の
後ろ姿が、床の傾斜で、下に引き込んでいるように感じられるの
で、本舞台も、観客の頭が邪魔にならず、広々としている。

「高坏(たかつき)」は、2回目。次郎冠者の勘九郎のタップダ
ンスが見物という演目。父親の勘三郎が得意とした演目で、勘九
郎も、本興行で、7回演じている。因に、勘三郎は、16回演じ
ている。05年の十八代目勘三郎襲名に向けて、勘九郎の勘三郎
演目のブラシュアップの舞台とみた。1933(昭和8)年に、
六代目菊五郎が、初演した新作舞踊。当時流行していたタップダ
ンスを取り入れた「松羽目もの」というか、「桜羽目もの」か。
満開の桜を背景に狂言形式の演出である。花見に来た大名(弥十
郎)から盃を載せる「高坏」を忘れて来た次郎冠者に高坏を買い
にやらせる。しかし、高坏が、どういうものか知らない次郎冠者
は、通りかかった高足(高下駄)売り(新之助)に騙されて、一
対の高足を買わされてしまう。言葉の巧い高足売りと意気投合し
た次郎冠者は、ともに、酒を呑み、酔っぱらった挙げ句、高足で
たっぷりタップダンスを興じるというだけのもの。タップダンス
の始まる場面では、大向こうから「タップり」と駄洒落めいた掛
け声がかかっていた。勘九郎の「にっこり」応えた顔が、明る
かった。

「仮名手本忠臣蔵〜山科閑居〜(九段目)」は、4回目。これ
も、私は、好んでテキスト論を書いて来たので、今回は、触れな
い。中村鴈治郎が、上方歌舞伎の演出で、さらに何役も早替りで
演じた(九段目では、大星由良之助と戸無瀬を演じ分けた)02
年11月の国立劇場の舞台も拝見(これの劇評が、「上方歌舞伎
の忠臣蔵演出」という視点で書いてあるので、関心のある人は、
当サイトの「遠眼鏡戯場観察」の検索で、読んでみて下さい)。
今回同様の、勘九郎のお石、玉三郎の戸無瀬の配役は、仁左衛門
が加古川本蔵を演じた01年3月の歌舞伎座の舞台(これの劇評
も、「女の忠臣蔵」「男の忠臣蔵」という視点で書いてあるの
で、関心のある人は、当サイトの「遠眼鏡戯場観察」の検索で、
読んでみて下さい)。

今回は、「忠臣蔵」の「忠臣」とは、大星由良之助らの塩冶浪士
ばかりでなく、「九段目の加古川本蔵」も、「忠臣(本)蔵」だ
ということを再確認した。私が拝見した「九段目の加古川本
蔵」:十七代目羽左衛門、仁左衛門、段四郎。そして、今回の團
十郎である。「九段目の加古川本蔵」は、「三段目の加古川本
蔵」とは違って、裏切り者ではない。まして、由良之助の長男・
力弥と許嫁の仲にあった本蔵の娘・小浪(後妻の戸無瀬は、継
母)に、思いを遂げさせようと一家で、命を掛けて大星家に働き
かける場面である。加古川本蔵一家は、まさに、命がけで、「大
星家への忠義」を歌い上げるのである。「忠臣(本)蔵」とは、
塩冶家への忠義を誓う忠臣蔵の面々に伍して、大星家への忠義を
実践する本蔵一家の面々の真骨頂の舞台である。その忠義の表現
が、團十郎(本蔵)、玉三郎(戸無瀬)、菊之助(小浪)は、い
ずれも巧かった。「恋と忠義はいずれが重い」とは、「義経千本
桜」の「吉野山」の道行の場の浄瑠璃「道行初音旅」の冒頭の文
句であるが、ここは、本蔵の忠義と小浪の恋を戸無瀬の義理の家
族ゆえに純化させた強い意志力で、忠義も恋も、どちらも両立さ
せた緊迫感のある場面であり、3人の役者は、それを十全に表現
したと思う。一方、由良之助(幸四郎)、お石(勘九郎)、力弥
(新之助)は、どうかというと、残念ながら、新之助が弱い。特
に、團十郎、幸四郎に挟まれると、新之助は、まだまだ、格が違
うというのが、はっきりと見えてしまう。5、6月の歌舞伎座で
の十一代目海老蔵襲名以降の舞台で、是非、新之助を「脱皮」し
た海老蔵の姿が見られることを期待しておきたい。そういえば、
この場面は、一夜限りの新妻とは申せ、力弥と小浪の結婚式の場
面でもあるのだ、大星家と加古川家の、親族顔合わせの場面でも
あるのだ。哀しい結婚式。

「芝浜革財布」は、2回目。97年11月の歌舞伎座で、今回同
様、菊五郎の政五郎と魁春(前回は、前名の松江)のおたつで拝
見している。落語家三遊亭圓朝の人情噺を歌舞伎化したもの。こ
の芝居は、軸になる政五郎一家だけでなく、脇の役者衆が、江戸
の庶民を、いかに、生き生きと演じるかに懸かっている。今回
も、彦三郎、團蔵、東蔵、松助ら、藝達者な人たちの出演で、リ
アルの江戸の庶民像が、浮かび上がって来て堪能した。

実は、今回の劇評は、落語との対比でやってみようと思い、
1954年12月29日、NHKのラジオで放送された桂三木助
の「芝浜」と聞き比べてみた。歌舞伎と落語の演者の力点の置方
が、大いに違うのを発見し、まるで、凸凹のように演じられなが
ら、印象は、同じというおもしろい思いをしたので、報告した
い。

歌舞伎「芝浜革財布」は、夜明け前の芝浜(芝金杉海岸)の暗い
海辺から始まる。
落語「芝浜」は、まず、枕で、江戸の暮れから年始へかけての
魚、「こはだ」に触れる、次いで、今月の夜の部「十六夜清心」
にも出て来る白魚。2月の白魚は、隅田川の「大橋の白魚」が良
い。四つ手網で採るという解説が入る。まさに、「十六夜清心」
の「稲瀬川」(隅田川)の「川中白魚船の場」の通りである。三
木助は、ここで、次の句を紹介する。

*曙や 白魚白きこと一寸

そして、白魚の食べ方。屋形船で大川(隅田川)に乗り出し、船
頭が四つ手網で採った白魚を盃を洗う「杯洗」に泳がせて、魚の
透き通った姿を観る。盃に白魚を入れ、そこに、下地(醤油)を
入れると、醤油を飲み込んだ白魚は、醤油が透けて見える。それ
をそのまま、踊り食いで口に入れる。歯にあたると、プチンプチ
ンいう。

「ねええ、お前さん。起きておくれよ」で、落語は、いきなり本
筋に入る。落語は、政五郎とおたつの夫婦の会話で、終始する。
おたつが、酒を呑むと働かなくなり、10日も仕事を休んでいる
亭主を、久しぶりに河岸へ買い出しに行かせようと政五郎を起こ
して、確実に送りだそうと慌てていて、いつもより、一刻(2時
間)も早く、送りだしてしまう。ここからは、政五郎の独白。急
いて道を来た政五郎は、まだ閉まっている河岸の問屋に気がつい
て、おたつの間違いにやっと気がつく。家に戻る訳にも行かず、
閑な時間を過ごそうと河岸の前浜へ出る。江戸湾だ。

ここで、楽我は、歌舞伎の舞台にやっと追い付く。浜での場面
は、歌舞伎も落語もほぼ同じ。落語は、夜明けの浜の描写をす
る。芝居は、大道具で、見せる。朝焼けの海で、財布を拾う。汚
い財布に大金が入っていたので、慌てて、家に駆けて帰る。

落語は、金を数えるが、歌舞伎では、政五郎は、金を数えずに、
おたつに渡したまま、出かけてしまう。落語では、財布のなかに
82両あることが判る。ここは、ふたりのやりとり。やがて、歌
舞伎では、酒、肴が届けられ、政五郎の友達も呼ばれ、二刻(4
時間)の宴会となる。宴会の場面が、江戸の庶民像をリアルに描
いて行く。芝居は、ここが見せ場のひとつ。脇役の力量が問われ
る。

落語は、宴会の場面は、端折り、昼ごろ、起きて来た政五郎が、
再び、酒をの呑んで酔いつぶれて、寝てしまい、翌朝、眼を醒ま
す場面となる。「ねええ、お前さん。起きておくれよ」で、枕直
後の冒頭の会話が繰り返される。政五郎は、夫婦のやりとりで、
財布を拾ったことは、夢であった、いい気になって、皆に奢り、
散財した宴会は、現実であったとして、「払いは、どうするの
よ」とおたつにとぼけられる場面になる。歌舞伎は、その日の夕
方、寝覚めた政五郎が、やはり、おたつにとぼけられる。いずれ
も、改心した政五郎の働きで、3年後、表通りに魚屋の店を構え
た政五郎一家の大晦日の場面に行き、めでたしとなる。

つまり、落語は、主筋のうち、夫婦の会話や政五郎の独白で筋を
運んで行く。歌舞伎は、主筋は、同じように追いながら、舞台
で、脇役も含めて、芝居が成立する場面を選んで、展開して行
く。その、落語で省略した、いわば、凹が、歌舞伎では、凸とし
て、演じられ、凸凹が、ひとつに合わされるように、落語を聞き
終り、歌舞伎を観終りした時点で、同じ印象が残るということに
なる。
- 2004年1月24日(土) 16:44:34
2003年12月・歌舞伎座 (夜/「絵本太功記」「素襖落」
「狐狸狐狸ばなし」)

「絵本太功記」は、「尼ヶ崎閑居の場」。時代物の典型的なキャ
ラクターが出揃う狂言。座頭の位取りの立役で敵役に光秀に團十
郎、立女形の妻・操に芝翫、光秀に対抗する立役の久吉に橋之
助、花形の光秀の息子・十次郎に、東京の舞台では、初披露の勘
九郎、若女形役の、十次郎の許嫁・初菊に福助、光秀の母・皐月
に老女形の東蔵、赤面の佐藤正清に新之助などというように、時
代物の典型的な登場人物が、それぞれ、仕どころのある役柄とし
て揃っている名演目のひとつ。

3回目の拝見。こちらも、テキスト論より、役者論で迫りたい。
前回は、光秀(團十郎)、操(雀右衛門)、十次郎(新之助)、
初菊(福助)、皐月(田之助)、正清(團蔵)、久吉(我當)。
前々回は、光秀(幸四郎)、操(雀右衛門)、十次郎(染五
郎)、初菊(松江)、皐月(権十郎)、正清(友右衛門)、久吉
(宗十郎)であった。

十三段の人形浄瑠璃は、明智光秀が織田信長に対して謀反を起こ
す「本能寺の変」の物語を基軸にしている。十段目の「尼ヶ崎閑
居の場」が、良く上演され、「絵本太功記」の「十段目」という
ことで、通称「太十」と呼ばれる。本来は、一日一段ずつ演じら
れたので、「十段目」は、「十日の段」と言ったらしい。見どこ
ろは、ふたつある。前半が、十次郎と初菊の恋模様、後半が、光
秀と久吉の拮抗。特に、光秀の謀反を諌めようと久吉の身替わり
になって竹槍で刺される母の皐月の場面などという、いくつかの
見せ場がある。戦争に巻き込まれた家族の悲劇を、それぞれの立
場で描く。

前回、前々回の新之助、染五郎と比べると勘九郎の十次郎は、や
や、とうがたっている。それでも、福助との若夫婦が初々しい。
十次郎の、正面の襖からの出の扮装(赤い衣装に紫の裃)は、
「十種香」の武田勝頼のように、若々しい。その後、出陣のた
め、鎧兜に身を固めた十次郎は、義経を思わせる。福助の初菊
は、2回目の拝見。福助は、赤姫のような扮装。いずれも、歌舞
伎の役作りの類型化が、判る。「兜引き」の場面などで、前回同
様、福助は、「糸に乗」って、叮嚀に演じていたのが印象に残
る。福助の後ろ姿が、六代目歌右衛門を偲ばせる。

菱皮の鬘に眉間の傷というおどろおどろしい光秀の團十郎は、2
回目の拝見。團十郎は、眼光鋭く、時代物の実悪の味を良く出し
ている。無言劇のように、悲劇の主人公を團十郎は、重厚なが
ら、細かいところにこだわらない、おおらかさで演じていた。光
秀の難しさは、いろいろ動く場面より、死んで行く母親(特に、
母親の皐月は、自ら、久吉の身替わりを覚悟したとは言え、過っ
て、息子・光秀に殺されるのだ)と息子・十次郎を見ながら、悲
劇の源泉は、己の責任という自覚にもかかわらず、表情も変えず
に、舞台中央で、眼だけを動かし、じっとしていることだろう。
まさに、「辛抱立役」という場面で、こういう場面は、外形的な
仕どころがないだけに、肚の藝が要求され、難しいのではないか
と、改めて感じた。段切れで、光秀は、一旦、花道七三へ行き、
舞台が廻って、再び、本舞台に戻り、場面の替った物見の松に光
秀が上がる。戦場の大局を知り、死を覚悟する光秀。花道七三に
戻り、その隙に大道具は、元に戻る。花道向うより、正清(新之
助)、二重舞台の上に、久吉(橋之助)。花道七三に光秀(團十
郎)が、直角になる。やがて、3人は、本舞台で、斜めの直線に
なり、引っ張りの見得へ。このあたりの、3人の線の動きは、計
算されている。

皐月は、位が見えないといけない役なので、かなり難しいと思
う。東蔵は、昼の部最後の「西郷と豚姫」で、大久保市助(後
の、利通)を演じ、客の入れ替えの後、皐月を演じる。操の芝翫
は、母の情愛、位取りをどっしりと演じる。巧い脇役だ。こうい
う人が、舞台に出ると、奥行きが増す。

閑話休題:この幕間に、十次郎として、早めに楽屋に引き込んだ
勘九郎(次の出番は、次の次の「狐狸狐狸ばなし」なので、余裕
がある)の、歳末助け合いチャリティ・サイン会。茶色のセー
ターを着た小柄で、小太りの中年男の「扮装」で、歌舞伎座1階
ロビーに設えられた空席のサイン会場を取り囲む大勢の観客の背
後から、「現われ出たる」中村勘九郎。長蛇の列の客に驚きもせ
ず、さらに、サインを戴きながら、勘九郎のサインの様子を携帯
電話で写真撮影する向きには、サインの筆を止めながら顔を上げ
て、愛想良く応じていた(私は、サイン会には、参加せず、この
「遠眼鏡戯場観察」のために、幕間観察に徹していた)。

「素襖落」は、5回目の拝見。私が観た太郎冠者:團十郎、幸四
郎、富十郎(2)、今回が、橋之助で初役。この演目の見せ場
は、酒の飲み方と酔い方の演技。「勧進帳」の弁慶、「五斗三番
叟」の五斗兵衛、「大杯」の馬場三郎兵衛、「魚屋宗五郎」の宗
五郎、「鳴神」の鳴神上人など、酒を飲むに連れて、酔いの深ま
りを表現する演目は、歌舞伎には、結構、多い。これが、意外と
難しい。これが、巧いのは、團十郎。團十郎は、大杯で酒を飲む
とき、体全体を揺するようにして飲む。酔いが廻るにつれて、特
に、身体の上下動が激しくなる。ところが、今回の橋之助を含め
て、ほかの役者たちは、これが、あまり巧く演じられない。多く
の役者は、身体を左右に揺するだけだ。さまざまな酒飲みの場面
で、幸四郎、富十郎もそうだったし、猿之助もそうだった。台詞
廻しに、酔いの深まりを感じさせることも重要だ。今回の、橋之
助は、それも、巧くない。熱演しようという気持ちが、空回りし
ていると観た。

太郎冠者は、姫御寮(扇雀)に振舞われた酒のお礼に那須の与市
の扇の的を舞う。いわゆる「語り」である。お土産にもらった素
襖をめぐって、帰りの遅い太郎冠者を迎えに来た主人・大名某
(左團次)や鈍太郎(弥十郎)とのコミカルなやりとりが楽しめ
る。「この大名某が、意外と曲者で、この役者の味次第で、『素
襖落』は、味わいが異なってくるから怖い」と、私は、以前にも
「遠眼鏡戯場観察」に書いたが、この印象は、今回も変わらな
い。私が観た大名某:菊五郎(2)、又五郎、彦三郎、そして、
今回の左團次というわけだが、菊五郎のおとぼけの大名某は、秀
逸で、今回の舞台の物足りなさは、左團次、弥十郎の味の無さ
も、原因のひとつと観た。

市川團十郎家の、代々の家の藝を「歌舞伎十八番」として選定し
た七代目團十郎は、さらに、自分の得意藝を「新歌舞伎十八番」
として選定しようと企てたが、途中で、没した。それに16演目
を加えて息子(七代目の5男)の九代目團十郎は、「新歌舞伎十
八番」を追加するとともに、さらに、松羽目物を中心に、14演
目を加えるとともに、「新歌舞伎十八番」の「十八番」を「おは
こ」と読み込むことで、あわせて32演目を選定した。そのうち
のひとつが、この「素襖落」で、代々の名優たちが、磨きをかけ
て来たわけだ。瓢逸さが、味の「素襖落」を橋之助を軸に脇にも
達者な役者を配した舞台で、いつの日か、観たいものだ。

「狐狸狐狸ばなし」は、2回目。7年前、96年8月の歌舞伎座
で拝見している。記憶も薄れて来ている。「遠眼鏡戯場観察」
は、99年春からスタートしているので、観劇記もない。「狐狸
狐狸ばなし」は、歌舞伎というより、「野田版もの」に通じる、
歌舞伎役者たちが演じる喜劇という芝居だろう。そのときの配役
は、元上方歌舞伎の女形で、手拭染屋の伊之助:勘九郎、その女
房・おきわ:福助(今回同様)、おきわの浮気相手・僧侶の重
善:八十助時代の三津五郎(今回は新之助)、伊之助の「隱し
玉」で頭の弱い雇人・又市:染五郎(今回は弥十郎)、重善のい
る閻魔堂の寺男・甚平:坂東吉弥(今回は家橘)、博打打ち・福
造:亀蔵(今回は市蔵)、大坂下りの、金持ちの娘で、重善の婿
入りを望んでいる、おそめ:獅童:(今回は亀蔵)。

まあ、観ているうちに、いろいろ思い出した。勘九郎、福助は、
悪のり気味(籠に赤い薔薇の花が入っていて、なにかと思ってい
たら、「カルメン」まがいの踊りを踊る勘九郎の小道具だったな
ど)も含めて、さらに、工夫を重ねていて、前回以上に楽しめ
た。浮気な女房を持った男の物語。不倫の恋を成就させようと、
夫殺しを企む女房。それを逆手に取り、先手先手を打つ夫。双方
の化かしあいが、「狐狸狐狸ばなし」というわけだ。女房が入れ
た毒鍋で死んだはずの夫が幽霊になって出て来るなど、場面は、
逆転、逆転が、見物なので、ストーリーの詳細な紹介は控える。

重善は、八十助が巧かったが、新之助も、地のキャラクターも活
かして、楽しそうに演じていた。又市は、染五郎も、染五郎らし
く無い剽軽さで、おもしろかったが、今回の弥十郎は、秀逸。こ
の芝居の味わいのおもしろさは、弥十郎にかなり負っていると、
思った(ほかの評者は、あまり、弥十郎に注目していないかも知
れないが、これは、彼の今年最大のできばえの舞台だ)。おそめ
の亀蔵も、奇妙な味を加えていた(こちらは、外連気味)。前回
の獅童のおそめは、残念ながら、あまり記憶に残っていない。亀
蔵のような、奇妙さは無かったのでは無いか。また、当時の獅童
は、昨今のような売れ方をしていなかったので、印象も薄い。

普通の歌舞伎と違って、観客席の照明が落とされていて、暗いの
で、双眼鏡でウオッチングすることはできても、メモを取ること
ができないので、それも辛かった。遅ればせながら、12月の歌
舞伎座の劇評、「これぎり」にて、終了。また、来年をお楽しみ
に。
- 2003年12月28日(日) 14:11:55
2003年12月・歌舞伎座 (昼/「舞妓の花宴」「実盛物
語」「道行旅路の嫁入」「西郷と豚姫」)

福助論は、第1部に書いたので、第2部は、福助を除く、昼の部
の劇評をまとめる。従って、「舞妓の花宴」は、第1部に譲る。

「源平布引滝〜実盛物語〜」は、5回目。実盛役で言えば、吉右
衛門、富十郎、勘九郎、菊五郎、そして、今回の新之助。
2000年の2月には、国立劇場で、「源平布引滝」の通しを人
形浄瑠璃でも、拝見している。

そこで、今回は、テキスト論より、役者論でいこうと思う。私が
観た実盛役者が、上に挙げたように、皆、藝達者な人ばかりだっ
たので、新之助の実盛は、まだ、薄っぺらで、旨味がないが、ほ
かのベテラン役者より、より優れている持ち味は、身の丈(姿勢
が良いから、余計、大きく観える)、変化に富む表情、特に眼の
動きを含めた存在感ではなかったか。眼の動きは、一瞬一瞬を止
めれば、そのまま、役者絵になるようなほど決まっていたように
思う。荒削りな大器を感じさせる存在感があった。来年、新之助
は、大きな飛躍の年を迎える。十一代目市川海老蔵を襲名する
(この関連の記者会見で、父親の十二代目團十郎は、息子の「十
一代目海老蔵襲名」というべきところを「十一代目團十郎襲名」
と言い間違えたという。その後、間違いに気付いた十二代目團十
郎は、(過去に戻っちゃって)「私は、どうなるのでしょう」と
機転を利かせて、会場を笑わせていたという)からだ。松竹に
は、海老蔵襲名プロジェクトがスタートしたという。新之助の持
ち味は、持ち味として生かしながら、歌舞伎役者として、さら
に、精進を重ね、新たな海老蔵の魅力も増してほしいと願ってい
るファンは、多いだろう。

次いで、瀬尾十郎を演じた左團次が、よかったと思う。「黙れ、
おいぼれ」と九郎助を叱る場面が印象的である。貫禄のある憎ま
れ役で、最後に、孫思いの善人に戻る(いわゆる、「モドリ」)
など、奥行きのある役だけに、奥深さが滲み出て来ないと、ここ
の瀬尾は不十分となるが、左團次は、それを、過不足なく演じて
いたのではないか。私が観た5人の瀬尾十郎では、亡くなった十
七代目市村羽左衛門に次ぐ秀逸さだと思う。もっとも、このほ
か、私が観た瀬尾十郎は、今回含め、3回は、左團次で、残りの
1回は、十蔵時代の片岡市蔵。九郎助役の幸右衛門も、熱演であ
り、見応えがあった。因に、私が観た5人の九郎助は、幸右衛門
(2)、芦燕、十蔵時代の市蔵、左團次。「実盛り物語」は、九
郎助住家が、舞台だけに、九郎助は、住家を貸すだけではなく、
ほぼ舞台に出っぱなしで、さまざまな登場人物たちを後ろから支
える重要な役どころである。

葵御前の亀治郎は、物足りない。葵御前は、やつしている姿と盛
装になる身重の葵御前、さらに若君を出産した後の葵御前と、3
通りに演じ分けなければならないのに、それが、殆ど変わらずに
演じていた。これが、最大に物足りないと私は、不満だった。葵
御前の位取りに専念し過ぎたのではないか。私が観た5人の葵御
前のうち、3回は、萬次郎だったが、このあたりの変化は、萬次
郎は、巧かった。さて、同じように難しいのが、小万。家族、特
に、子どもに逢いたいばかりに、死線を越えて、甦(よみが
え)って来ては、一瞬のうちに、また、黄泉(よみ)へ帰るの
が、小万の仕どころ。ふたつの「よみがえり」をどう仕分ける
か。子ども(太郎吉)との対応が、ミソだろう。小万は、松江時
代の魁春、芝翫、福助、芝雀、扇雀だが、やはり、芝翫がピカイ
チで、魁春にも、味があった。今回の扇雀は、物足りなかった。
扇雀は、太郎吉を充分に意識していたのだろうか。

贅言:小万と言えば、息子の太郎吉の科白に、「かかさま、いの
う」というのがある。これが、意外に判りにくいと私は、常々
思っている。以前にも、この「遠眼鏡戯場観察」では、次のよう
に書いたことがある。

*「実盛物語」では、太郎吉は、殺されないが、殺された母親の
遺体と対面させられる。そういう場面で、子供たちは苦しい状況
を逃れるために言う、常套の台詞がある。「奥州安達原」のお君
は、まず、袖萩に言う。「かかさま、いのう」。次いで、正体を
見現した貞任に言う。「ととさま、いのう」と。

*この台詞は、苦境に立った子供たちの「日常性への回帰」の願
望の声だろう。いま、目の前にある苦境から「いのう」、つま
り、逃れようとする際の断末魔の声のように、この台詞を繰り返
す。苦境という「非日常性からの脱却」、父母と安楽に暮らして
こそ、子供の楽園は保証される。ところが、芝居に出てくる子供
たちは、芝居がドラマである以上、当然ながら「ドラマチック」
であることを要求される。「非日常性」=「ドラマ」=「苦境」
だとすれば、芝居に出る子供たちは、元々「日常性」から切り捨
てられているわけだから、苦境という「非日常性からの脱却」
は、「ドラマチック」たることを止める、つまり、芝居から降り
ないかぎり、実現できないはずだ。だから、歌舞伎の子供たち
は、「死ぬ」ことでしか、芝居から降りられない。その結果、歌
舞伎では、子供たちの死が多いのかしら。

*「実盛物語」では、太郎吉は、母親・小万の遺体に切り取られ
た小万の腕を源氏の白旗を持たせたままくっつける際に、「かか
さま、いのう」と言う。太郎吉は、「かかさま、いのう」を3回
繰り返す。横たわる母親へ、また言う。「かかさま、いのう」。
小万の父親・九郎助は、表へ出て、井戸から冥界の小万の霊を呼
び戻そうと声を掛ける。白旗を持たせたまま腕を小万にくっつけ
ながら、また言う。「かかさま、いのう」。そして、小万は、子
供の母親への愛に応えるべく、実に、ひとときながら、生き返る
のである。このときの太郎吉の「かかさま、いのう」は、冥界と
いう「非日常性からの脱却」という「いのう」ではないか。つま
り、「日常性=生への回帰」、生き還りのための「呪文」ではな
かったか。ここにも、並木宗輔の母と子の愛情の強さへの信仰
を、私は見る。さらに、穿った見方が許されるなら、身重の義賢
の妻・葵御前が、後の木曽義仲を産むために産屋に籠もるが、そ
の際、実盛に叱られながらも、何度も太郎吉が産屋のなかを覗こ
うとする場面があるが、これは、亡くなった母・小万の身代わり
としてひとつの「生」(義仲)が産まれるという期待を感じてい
るのではないかとさえ、思う。子供の持つ「生」への希求が、子
殺しの多い歌舞伎では、「いのう」と言う言葉に込めているよう
な気がしてならない。いかがであろうか。

しかし、「いのう」は、江戸弁なら、「いね」=「いなくなれ」
だから、「いなくなる」=「逃れる」という解釈だろうが、それ
で良いのかと疑問に持つようになったからだ。というのは、関西
弁の「こちらに、おいなはれ」の「いなはれ」と「いのう」が、
同義だとしたら、「いのう」は、「逃れる」という味ではなく、
逆に、「参る」という意味になる。歌舞伎の子役たちが、良く使
う科白「かかさま、いのう」「ととさま、いのう」は、「かかさ
ま、そばに来てちょうだい」「ととさま、そばに来てちょうだ
い」という方が、状況にあてはまりやすいと思うが、いかがだろ
うか。先の説明で言えば、両義のうち、「非日常性からの脱却」
の「脱却」より、「日常性=生への回帰」の「回帰」に重きが置
かれているのではないだろうか。

よく、耳にする科白だが、私に限らず、観客側は、良く意味が判
らないまま、聞き流している科白がある。この「いのう」という
科白も、そのひとつで、子どもたちの言う短い科白だけに、正当
な意味をきちんと理解するということが、意外と難しいと、思
う。

また、私は、「実盛物語」のテキストとしてのおもしろさは、太
郎吉を挟んでの、「時空自在」だと思っている。

例えば、1)白旗を持った腕をくっつけることでの、小万の甦り
の場面、つまり、過去と現在の時空を自在に扱う。2)実盛が、
太郎吉(後の手塚太郎)へ、未来での母の仇を討たれることを約
束する、つまり、未来と現在の時空を自在に扱う。そういう、過
去と未来という、ふたつの時空に挟まれた太郎吉の現在という舞
台を見せるという仕掛けが、並木宗輔らが合作した「源平布引滝
〜実盛物語〜」の真骨頂ではないかと、今回、改めて気がついた
のだが、今回は、テキスト論を深めることは避けたので、簡単な
指摘にとどめておきたい。次回、また、「実盛物語」を観る機会
に、充分に観察したい。

「道行旅路の嫁入」。今回は、成駒屋一家の出演で、いつもの、
戸無瀬(芝翫)・小浪(長男・福助)の母子の道行(父子の共
演)だけでなく、東海道の道中をさまざまな旅人の登場で、世話
に描いたり、次男・橋之助が奴で登場して、からませたり、とい
う演出。さらに、所作の振りは、芝翫の長女が担当、ということ
で、神谷町の一家が、総力を集めた演出とのこと。そういう意味
では、貴重な舞台になるだろう。

「西郷と豚姫」は、いわば、「デブデブのラブラブ」物語。ふた
りのデブデブ(西郷と豚姫こと、お玉)を演じた團十郎、勘九郎
が良かった。特に、團十郎は、昼の部、2回目の幕間で、歳末助
け合いのチャリティ・サイン会に背広姿で参加していたが、その
時点で、眼は、もう、西郷隆盛になりきっていたのではないか。
私も、サインを戴いたが、私の買い求めた色紙にサインをする前
とした後と、2回、私と團十郎の眼があったが、もう、尋常な眼
の色ではなかったように感じられ、最近の團十郎の藝への執着
心、熱心さの、ひとつの例証と私は、受け止めた。さて、その想
像通り、團十郎隆盛の登場であった。肥満の西郷隆盛ゆえに、肉
襦袢、衣装で太めにしているので、スマートな背広姿の、1時間
ほど前の、素の團十郎とは、当然違っているが、眼の光は、先ほ
どと同じと観た。初役に挑む團十郎の藝作りの秘密を垣間見たよ
うに思う。前回、98年4月の歌舞伎座で、吉右衛門の西郷隆盛
を観ているが、團十郎の藝に対する器の大きさが、西郷の政治や
人に対する器の大きさとダブるあたりは、この新歌舞伎(池田大
伍作)の持ち味を引き出しているように思える。吉右衛門の誠実
さ、團十郎の大きさ、いずれも、この芝居で描く、若き日の西郷
隆盛の魅力だが、今後、隆盛は、團十郎の当り役のひとつになる
のではないか。

勘九郎も、含み綿をしているような、頬の膨らみのあるお玉(豚
姫)で、存在感がある。大きさが、團十郎の役割だとすれば、
「西郷と豚姫」の持ち味である、喜劇味と哀愁の共存は、勘九郎
が体現する。特に、ラストシーンで、勘九郎の眼から溢れた涙
は、ずばり、「喜劇味と哀愁の共存」そのものだった。西郷
「お、お玉あ−−」。お玉「西郷はん、はよ、来てや」というや
りとりのうち、お玉の科白は、名作歌舞伎全集所載の原作にはな
い。

前回の吉右衛門隆盛のときも、お玉は、勘九郎。岸野は、両方と
も、福助。大久保市助は、両方とも東蔵。幕開きから、独り離れ
て、つくねんと物案じ顔の舞妓の雛勇は、前回は、宗丸時代の宗
之助、今回は、松也。これが、若いころの、スマートな勘九郎の
ように見えて、なかなか、良い。やがて、「姉さん」格の、仲
居・お玉が現れると、「私な、私な。(と泣き)、明後日な、襟
かえで、あの嫌いな夢はんの世話になる様に」(言われている)
と、お玉に相談するので、雛勇の憂い心が、「水揚げ」への不安
と知ることでできる。そう言えば、若い4人の舞妓たち(久しぶ
りに芝のぶが、舞妓の一人・染次で出演。可憐だ)と岸野の襟が
違う、つまり、岸野の襟は、右側が、裏地の赤が見えるようにね
じられている。

松助の長男・松也は、来月で19歳。父親に似ず、美形の真女形
候補になるかどうか。最近、さまざまな役に果敢に挑戦してい
て、進境著しいと思いながら、私は、松也の舞台を愉しみに観て
いる。
- 2003年12月28日(日) 11:17:17
2003年12月・歌舞伎座 (第1部・福助論/「舞妓の花
宴」「道行旅路の嫁入」「西郷と豚姫」「絵本太功記」「狐狸狐
狸ばなし」)

「歌舞伎座は福助デェイ」

今月の歌舞伎座に入り込んだ人は、それが、昼、夜の部を問わ
ず、いつの観劇であれ、福助の出番が多いことに気がつくだろ
う。まして、昼と夜の部を通しで、観た人なら誰でも、こう思
う。「今月の歌舞伎座は、さながら、福助デェイだ」。今月の歌
舞伎座は、昼、夜で、7つの演目が用意され、そのうち、福助
は、5つの演目に出演しているからだ。そして、その選ばれた演
目は、福助から見れば、いずれ来る七代目歌右衛門襲名に備え
て、六代目歌右衛門、そしてその甥である父七代目芝翫の藝を継
承する系統(今回では、「舞妓(しらびょうし)の花宴(はなの
えん)」「道行旅路の嫁入」「絵本太功記」)の演目といまの福
助の魅力を引き出す系統(今回では、「西郷と豚姫」「狐狸狐狸
ばなし」)の演目に分けられるということに容易に気がつくだろ
う。そこで、今回は、まず、昼夜を通しての、福助論を書き、次
いで、昼の部のそのほかの演目、或いは、福助以外の役者につい
ての批評をまとめたい。そして、夜の部は、同様に、福助論以外
の批評をまとめることにする。つまり、3部制の批評となる。

福助は、承知のように、34歳と若くして亡くなった五代目歌右
衛門の孫である。五代目歌右衛門の長男は、父を亡くしたとき、
まだ5歳であったので、六代目歌右衛門は、長男の叔父にあたる
六代目芝翫が継いだ。そして、長じて長男は、七代目芝翫となっ
た。いまの福助の父である。

さて、福助の歌右衛門継承へ向けての藝は、如何だったであろう
か。まず、「舞妓の花宴」は、1838年に江戸の中村座で、四
代目歌右衛門が初演した演目である。長らく上演されていなかっ
たが、1957年、六代目歌右衛門が復活、以降、本興行では、
歌右衛門が演じ続け、最近では、時蔵が演じただけで、まさに、
六代目の演目である。それを今回は、福助が初演した。私のウ
オッチングのポイントは、踊る福助の姿が、六代目歌右衛門に観
えて来るかどうか、ということにした。

桜木が満開の火焔御幕の書割を背景に、長唄囃子連中のみ、無人
の舞台である。やがて、四拍子の太鼓(望月太佐治)の掛け声と
音を合図に、大向こうから「成駒屋」の掛け声がかかる。舞台中
央に紫の水干に、太刀、金色の烏帽子を付けた男舞姿の白拍子・
和歌妙(福助)が、せり上がって来る。白拍子や遊女は、通常、
裸足なのに、福助の白拍子は、白い足袋を履いている。後見は、
裃後見で、鬘を付けているが、一人は、女形の鬘で、紫の帽子を
着けている。中村芝喜松だと思うが、顔の確認ができなかった。

やがて、水干を脱ぎ赤い衣装に成駒屋の定紋「祇園守」を染め抜
いた黒い帯の娘の姿となる。烏帽子も取るが、床に置いた烏帽子
が不安定。衣装を変えたピンクの地に雪月花の字が踊る。自在に
変化する福助の踊りは、時として、後ろ姿や遠目では、六代目歌
右衛門が踊っているように観えてきたから、まずは、成功と言え
よう。この踊りが、いわば、リトマス試験紙。福助の歌右衛門襲
名準備が着々と進んでいるように見受けられたのは、私だけでは
ないだろう。

「道行旅路の嫁入」では、父親の芝翫と出演。父親の母・戸無瀬
に対して、娘・小浪を演じる。福助の小浪を観るのは、初めて。

杉並木に舞台上下から旅人たちが出て来て、街道の風情。その並
木が、上下に割れると、舞台奥に富士山が見えて来る。花道向う
から母子の登場という演出。花道を通る福助の娘・小浪は、私の
席から近かったせいか、少しとうが立っているように見えたが、
遠目になるにつれて、気にならなくなり、やがて、好奇心旺盛
で、近付く富士山に何度も感動する、初々しい娘に観えるように
なる。藝の不思議。

一方、芝翫の母・戸無瀬は、どっしりした母親像を描き、ゆった
りした気分にさせてくれる。やがて、富士の裾野を廻るように遠
目に通る花嫁行列。それに驚く母は、娘にとって、義理の母だ
が、不幸な娘への気遣いが溢れている。娘は、婚約者・大星力弥
への不安を胸に秘めながら、若い娘らしく、己の晴れ姿を脳裏に
描き、しみじみと行列を見つめている。そういうふたりの愛情が
滲み出て来る。福助の踊りに、将来の歌右衛門襲名を夢見ている
ような父親・芝翫の眼差しが暖かい。福助も、父親の藝をきちん
と受け継ごうと芝翫の踊りをしっかり見ている。母娘の心の交流
と役者父子の心の交流が、私の眼にダブって観えてくる。六代目
歌右衛門が、最後に「道行旅路の嫁入」の戸無瀬を演じたのは、
まる13年前近い、91年1月の歌舞伎座だ。いずれ、福助が、
戸無瀬を演じるようになるだろう。

富士の書割が下手に引っ込む。母娘も、下手に入る。城下町の書
割に変わり、上手から奴(橋之助)が、出て来る。やがて、奴と
すれ違うように、再び、母娘が、下手から出て来る。城下町の書
割が、上手に引っ込むと、舞台は、琵琶湖に変わる。大星由良之
助・力弥の父子が住む山科も近い。花道から向うへ引き上げる母
娘。芝翫・福助で演じる「道行旅路の嫁入」は、今回の舞台が最
後かも知れないと思いながら、貴重な舞台を目に焼きつけるよう
に観た。福助にとって、将来の歌右衛門襲名は、六代目の藝を継
承するとともに、身近で見続けている父親の藝を継承することで
もある。そういう代々の家の藝を継承する歌舞伎役者の家族の交
流の場面に出くわしたという貴重な体験をした。

夜の部の「絵本太功記」では、福助は、嫁・初菊を演じる。初菊
の福助を観るのは、2回目。白拍子・和歌妙、娘・小浪、嫁・初
菊は、六代目歌右衛門が、本興行で最後に演じたのが、それぞ
れ、40年前、35年前、46年前の歌舞伎座ということだか
ら、いまの福助の年齢と歌右衛門の当時の年齢を考慮しての演
目、配役であることが判ろうというものだ。初菊は、嫁とは言
え、祝言の盃さえ交わしていない処女の赤姫だ。許嫁で戦場への
初陣を控えた光秀の息子・武智十次郎(勘九郎)との盃は、別れ
の盃になるだろうということを初菊は、知っている。福助の後ろ
姿を観ていると、六代目歌右衛門の後ろ姿に観えて来るから不思
議だ。

光秀の母・皐月に東蔵、光秀の妻・操に芝翫という、女たちが、
初菊に夫となった十次郎への今生の別れをさせる場面。福助は、
ここでも、六代目歌右衛門の藝を引き継ぐとともに、父・芝翫の
操を身近に見ている。六代目歌右衛門が、操を最後に演じたの
は、23年前の歌舞伎座だ。

一方、「西郷と豚姫」の芸妓・岸野や「狐狸狐狸ばなし」の女
房・おきわでは、いまの福助の魅力そのものを強調する。

福助の岸野を観るのは、2回目。芸妓・岸野は、酔っ払いが、真
骨頂だ。思う男との仲がままならない、その寂しさを酒で紛らわ
せている。豚姫こと仲居・お玉(勘九郎)の西郷(團十郎)への
思いを察し、自分とお玉の気持ちを引き立てようと酔っ払いの特
権で、派手に騒ぐ女心を巧く演じていた。お侠な岸野を楽しそう
に演じていて、いまの福助も魅力充分。華がある。情感漂う「西
郷と豚姫」という演目の持ち味を引き出す傍役(隠し味の魅力
か)で、きらりと光っていた。

夜の部の「狐狸狐狸ばなし」の女房・おきわは、いわば、その福
助の魅力を前面に押し出している。福助のおきわを観るのは、2
回目。勘九郎の伊之助との息もぴったり。歌舞伎役者たちが演じ
る笑劇「狐狸狐狸ばなし」は、明るい勘九郎、福助の魅力を十二
分に引き出す演目で、特に、福助のおきわは、喜劇役者・勘九郎
の向うを張って、五分で渡り合い、観客を笑わせてくれた。楽し
い舞台だった。

贅言;幕間で、團十郎、左團次、扇雀、東蔵、勘九郎の歳末チャ
リティサイン会をやっていた。私は、團十郎のサイン会のみ参
加。芝翫、福助、橋之助らは、サイン会には、参加していなかっ
たが、サイン色紙を販売していたので、私は、芝翫のみ、購入。

- 2003年12月25日(木) 5:53:42
2003年11月・国立劇場  (「天衣紛上野初花」)

「星が飛んだのか」

通し狂言「天衣紛上野初花」の、「吉原田圃根岸道の場」で、片
岡直次郎(御家人崩れゆえに「直侍」という)が乗っている駕篭
と勘違いした金子市之丞が、河内山宗俊を間違って、襲う。市之
丞から白刃を突き付けられても、駕篭のなかにゆったりと座り込
んでいる河内山は、ゆっくりと目を開けて、何ごともなかったか
のように、「いま光ったは、星が飛んだのか」と言う。最近の歌
舞伎では、「吉原田圃根岸道の場」は、殆ど上演されないから、
私は、初めて、この科白を聞いた。暗闇で一瞬光った白刃のきら
めき。それを河竹黙阿弥は、河内山に、こういう科白で言わせた
のだろう。

「星飛べり空に淵瀬のあるごとく」  佐藤鬼房
「北の星南の星へ飛びにけり」    加藤三七子

「星が飛ぶ」というのは、「流星」を表現する俳句の季語でもあ
る。そう言えば、含蓄のある言葉が選びだされている季語は、短
い表現のなかに、和歌、短歌、そして俳諧の膨大な歴史を伺わせ
るように重厚、重層な意味を貯えている。この季語が、三文字、
五文字、七文字で表現されることが多い歌舞伎や人形浄瑠璃の外
題、名題に活用されているのでは無いか、というアイディアが浮
かんだ。いずれ、調べてみたい。

さて、通し狂言「天衣紛上野初花」(通称「河内山と直侍」)の
うち、「河内山」は、9月の歌舞伎座で、吉右衛門で観ている。
この「遠眼鏡戯場観察」にも書き込んだばかりだ(関心のある方
は覗いてみて下さい)。そこで、今回は、通称通りの「河内山と
直侍」という二人の出演する通し狂言になって、初めて観えて来
たものを中心に劇評を書きたい(「観る」「観える」は、観察の
意味で、ただ、舞台を見ているのとは、違う)。

まず、明治になってから作られた河竹黙阿弥最後の江戸ものの狂
言「天衣紛上野初花」。「天衣紛上野初花」という狂言は、通し
で観ても、「河内山」の物語だということが判る。主筋は、「河
内山」であり、「三千歳直侍」は、副筋である。つまり、「河内
山一家」の物語なのだ。それは、「仮名手本忠臣蔵」の主筋が、
大星由良之助であり、お軽勘平が、副筋であるという関係と同じ
だ。ところが、最近の歌舞伎の上演形態が、ほとんど「みどり狂
言」の形態で、「河内山」と「三千歳直侍」が、別々に上演さ
れ、河内山宗俊と片岡直次郎が、同じ舞台に立つということがな
くなり、恰も、別の狂言のような印象になっている。本来の筋な
ら、松江邸の場面でも、直侍は、河内山が化けた御使僧・北谷道
海の供侍の役回りで出て来る。今回は、原作通りの通しでは無い
(もっとも原作に近い形での通し狂言として上演されたのは、
1985=昭和60=年の歌舞伎座の舞台が、最後である)が、
「忠臣蔵」で、お軽や勘平が、由良之助らにからむように、三千
歳と直次郎が、河内山宗俊にからむ。特に、直次郎は、今回の上
演でも、兄貴分の河内山宗俊に再三、助けられることが良く判
る。

そこで、通し上演で観えて来るもの、河内山、直侍の早替りを含
む松本幸四郎演出で観えて来るものを、まず、書いておきたい。

1)河内山の左頬にある「黒子(ほくろ)」は、初演時の
九代目團十郎のときからついているが、初演時の直侍は、五代目
菊五郎で、九代目の二役ではない。今回のように幸四郎工夫の二
役早替りだと、黒子の有無で、早替りを印象づけるようで、黒子
が、効果的に感じられる。

2)河内山と直次郎の早替りは、芝居のテンポを生み出す効果が
ある。特に、幕切れの捕り方に追われる直侍の逃亡を助ける場面
で、直侍役に吹き替えを使い、河内山に早替りした幸四郎の出現
は、おもしろい。

3)直次郎、丑松と河内山の関係が、通しだとくっきりと観えて
来る。つまり、河内山が、兄貴格で、直次郎、そして丑松という
力関係が、はっきりする。丑松の裏切りも、「河内山一家」とい
う身内のなかでのことなのだ。

4)さらに、河内山の人間の大きさが、通常の上州屋質店と松江
邸だけでは、見えて来ないが、「直侍」の話との関係まで判る
と、河内山が、仁侠肌の人物として浮き彫りにされて来る。その
象徴的な場面が、「吉原田圃根岸道の場」の河内山の「星が飛ん
だのか」という科白だと思う。
それは、「鈴ヶ森」の白井権八と幡随院長兵衛の出会いのように
駕篭が効果的に使われ、ゆるりと駕篭に座り込んだ様が、この男
の度胸の太さを庶民に判りやすく伝えるという効果を生んでいる
ことが判る。河内山の人間的な度量の広さは、私は、今回の通し
狂言で初めて判った。従来の、みどり狂言の「河内山」で理解し
ていた河内山とは、違った人物像が浮かび上がって来た。この場
面、この科白は、河内山の人間の大きさを示すので、「吉原田圃
根岸道の場」は、割愛しない方が、良いと、思う。

5)もうひとつ違って観えて来たものは、三千歳と直侍の「幸せ
感」というようなもの。通常の「入谷大口寮の場」では、ふたり
をとりまく悲劇が、すでに進行していて、恢復は、困難な状況に
なってしまっているが、今回の通しでは、それ以前に、「吉原大
口屋三千歳部屋の場」があり、まだ、幸せ感のただよう三千歳と
直侍が描かれるので、なんか、ほっとするものがある。芝居は、
禍福あざなえる縄のごときものであるべきで、浮沈があるほうが
良い。悲劇一辺倒になると、観ていても、辛いものがある。「み
どり狂言」では、どうしても、短絡的な芝居の展開になりがち
だ。物語としての奥行きが、乏しくなる。

次は、役者論に移ろう。まず、「河内山」の部分は、9月の歌舞
伎座の舞台と比較しながら、論じてみたい。幸四郎と吉右衛門
は、兄弟ながら、役者としての持ち味が違う。
例えば、河内山最後の花道引っ込みの七三での有名な科白廻し
も、微妙に違う。幸四郎は、「ばあかあ(↑)め−−」と大きな
山を描くように、抑揚を付けて一息で伸ばす科白だったが、吉右
衛門は、「ばっ、かあ、め−−」と、途中で、小さく、息を切る
ように言う科白だった。幸四郎の河内山は、陰気だが、吉右衛門
の河内山は、おおらかさがある。幸四郎の河内山は、直侍との二
役ゆえ、先ほどから触れているように、侠気を秘めている。それ
ぞれの河内山であり、いずれも、興味深く拝見した。松江出雲守
は、前回は、梅玉、今回は、彦三郎。これは、松江出雲守という
「小人物」の大名なので、こういう役柄は、梅玉の方が、巧い。
彦三郎は、「大口寮の場」の寮番・喜兵衛役と二役。家老の高木
小左衛門は、前回は、我當、今回は、錦吾だが、これは、我當の
風格には、適わない。北村大膳は、前回は、芦燕、今回は、幸右
衛門だが、これは、芦燕の方が、巧い。腰元浪路は、前回、芝
雀、今回は、亀寿で、これも、真女形の芝雀には、かなわない。
近習頭宮崎数馬は、前回は、歌昇、今回は、高麗蔵で、これも、
歌昇の方が、やはり、巧いなあ。総じて、歌舞伎座の方が、巧い
役者が揃っていた。

「三千歳直侍」の方は、最近、観ていないので、どういう比較を
しようか。今回は、通し狂言ということで、出演者に前半の「河
内山」との二役が多いので、それとの比較でもしようか。まず、
河内山と直侍の二役の幸四郎は、大成功。早替りのテンポも良
く、芝居に変化と奥行きが出た。金子市之丞と按摩丈賀の二役
は、芦燕で、丈賀が良かった。リアリティのある丈賀で、こうい
う役をやると味が出る人だ。憎まれ役の市之丞の方は、平板だっ
た。家老の高木小左衛門を演じた錦吾は、こちらでは、和泉屋清
兵衛だが、前回、歌舞伎座で清兵衛を演じたのが、又五郎だった
ので、枯れた味の又五郎には、かなわない。上州屋下女・おしげ
と蕎麦屋女房・おかよの二役を演じたのは、守若だが、こういう
人が、脇を固めてくれると芝居に味が出る。特に、蕎麦屋女房
は、良かった。上州屋番頭・伝右衛門と蕎麦屋亭主・仁八など三
役を演じた幸太郎は、特に、伝右衛門と仁八の二役が、それぞ
れ、良かった。前回の伝右衛門役の吉三郎が、ちょっと、ものた
りなかったので、今回は、幕切れまで息を抜かない伝右衛門で良
かったと、思う。上州屋質店の番頭役は、この場面では、結構、
仕どころのある役で、演じ方の工夫で、味わいが異なる役だと、
思う。特に、今回の蕎麦屋の場面は、傍役も気を抜かずに演じて
いて、良かったと、思う。芝居は、細部も大事である。細部に光
るものがあると、全体が、しっかりして来る。

二役では無い人たちも、熱演。暗闇の丑松を演じた弥十郎は、好
演。相変わらず、この人は、口跡が良い。大口屋遣手お熊の鐵之
助、上州屋後家おまきの歌江は、いずれも燻し銀の演技。新造・
千代春の歌女之丞、同じく千代鶴の紫若も、味があった。三千歳
の魁春も安定した演技で、楽しめた。紫若は、9月の歌舞伎座で
は、上州屋下女・おしげで出演。今回、下女・おしげ守若。この
人も、最近は、すぐ判るようになった。地味だが、特徴のある顔
の輪郭を覚えてしまった。

いつものウオッチングのメモ帳から、気づいたことを書き出す
と、次のようになる。

1)直次郎の花道の出と雪の演出。直次郎は、入谷の蕎麦屋へ向
かうときと、同じく入谷の大口屋寮に向かうときと2回雪の花道
を歩く。まず、直侍のさす傘に積んだ雪の量が違う。大口寮の木
戸の屋根に降り積もった雪の量が違う。直次郎が門に当たったは
ずみで屋根を滑り落ちて来る雪の量が違う。そこで表わされてい
るように傘同様に花道の雪の量も違う。ここは、雪布が敷き詰め
られているだけだから、客席から見た目では、積雪量は判らない
が、そこは、藝。傘の雪の量の違いを花道にも当てはめて、歩く
動作で、雪の量の違いを表現しなければならない。蕎麦屋のとき
より、時間も経ち、雪も降り積もっていて、深くなっていること
を観客に判らせなければならない。

2)舞台に降る雪と花道に降る雪。さらに、舞台に降る雪はある
が、花道に降る雪はない。つまり、本舞台の上には、葡萄棚があ
り、いくつもの雪籠が吊ってある。このなかに入れた四角い(昔
は、三角だった)雪が、降ってくるが、花道の上には、雪籠な
ぞ、ない。だから、実際には、花道では雪は降らない。本舞台に
チラチラ降る雪で、花道にも、雪が降っているように見せなけれ
ばならない。役者の演技で、降る雪を観客に想像させなければな
らないということだ。

3)質店「上州屋」の暖簾が、裏返っている。暖簾の字を見れ
ば、一目瞭然。ということは、店の表は、二重舞台を向うへ廻り
込んだ先にあるということになる。とすると、河内山が、出入り
するのは、質店の通用口となる。質店を強請り慣れた坊主という
ことが、通用口を堂々と出入りする様で、良く判るということだ
ろうか。それとも、質店は、通用口が、出入り口ということか。
いずれのせよ、黙阿弥の藝が細かい。

4)「上州屋」の番頭・伝右衛門は、前回、歌舞伎座の舞台で
は、先に触れたように、吉三郎だったが、彼は、強請に来た河内
山への不信感が、幕切れで弛んでいたが、今回の幸太郎は、最後
まで役に徹していた。こういうところは、絶対に息を抜いては駄
目だ。幸太郎は、基礎に忠実で良かったと、思う。

5)松江邸の座敷きには、床の間に時計が置いてあった。歌舞伎
座の大道具では、どうであったか。無かったような気がするが、
思い違いか。いずれにせよ、松江出雲守を強請って、金をせしめ
た河内山が、その戦果を確かめるために、紫の布を扇子で持ち上
げて、中味を確認した際に、「時計の音にて道具廻る」というこ
とで、黒御簾のなかで、時計の音がする。その時計が、床の間に
据えてある。

6)大口屋のなかにある三千歳の部屋は、典型的な遊女の仕事
場。ほかの舞台でも見覚えのある部屋だ。八ツ橋の部屋だったろ
うか。誰の部屋だったろうか。いずれにせよ、貧農の娘が、身売
りされ、頭も器量も良くて、文化を身に着けた成れの果ての部屋
という、紋切り型の部屋の佇まいが、かえって、哀しい。

7)仁八蕎麦屋は、淋しい入谷の一軒屋の風情が良い。直侍を
追っている手先の勘次(大蔵)千太(錦弥)の蕎麦の喰い方は、
後に店に入って来る直次郎の、粋な蕎麦の喰い方を引きたたせる
ように不格好に喰わなければならない。
そうは言っても、江戸の庶民。そうぶざまな喰い方はしない。そ
れの上を行く直次郎の蕎麦喰い。歌舞伎座の場合、ここで皆が喰
う蕎麦は、3階の「かぶきそば」から出前をしていた。国立劇場
では、どこから運んで来るのか。2階の食事処「十八番」から
か。雪の蕎麦屋の場面だが、直侍は、着物の尻をはしょり、素足
に下駄ばき、店に入ってからは、股火鉢で、客席の笑いを取る。

8)三千歳のエロスは、大口屋寮の三千歳の部屋で、直次郎とさ
まざまな形で示す、浮世絵のような、写真のポーズのような場面
で、間接的に描く。「開かれた密室」のエロス。歌舞伎独特の演
出だ。二人が背中合わせで作る三角形の空間など、歌舞伎の美学
が、十二分に発揮される。間接的な表現こそ、直接的な表現よ
り、エロスの度合いが、濃くなるから不思議だ。

9)今回は、九代琴松演出、ということは、幸四郎の演出であ
る。初めての河内山・直侍二役早替りの演出に象徴されるよう
に、黒い羽織の役割が、大きい。吉原大口屋三千歳部屋での直次
郎と河内山の出入りでは、貸し借りする黒い羽織が、二人にぴた
りと合い(同じ役者が着るのだから、ぴたりで当然なのだが)、
その旨の科白もあり、観客の笑いを誘っていた。この黒い羽織
が、原作にない、幕切れの場面での、逃亡する直次郎と三千歳の
やり取り、羽織を頭から被って逃げ切る(原作では、ここで捕ま
る)直次郎と彼と捕り手の間に割って入り、直次郎を逃がす手助
けをする傘をさした男が、先ほどの直次郎から、いつのまにか、
早替りをした幸四郎の河内山という趣向が生きている。羽織を
被った直次郎は、当然、吹き替えである。幸四郎の演出は、冴え
ていた。そういえば、以前、歌舞伎座で幸四郎主演の「俊寛」の
舞台稽古を観た際、客席に降りた幸四郎が、舞台の上の大道具方
に細かな注文を出しているのに気がついたが、今回の舞台の裏で
発揮しているであろう演出家としての幸四郎の熱心さが、想像さ
れる。

初めて観た「河内山」と「三千歳直侍」の通しは、やはり、観て
良かった。今月の歌舞伎は、歌舞伎座の「河庄」と国立の通し狂
言「天衣紛上野初花」の上演があったお陰で、盛り上がりに欠け
た感のある歌舞伎400年の年の掉尾を飾ったかも知れない。ま
あ、12月の舞台もあるし、ことし私が観ていない、歌舞伎の舞
台もたくさんあることだし、早合点は行けないと、己を戒めてお
こう。来月の歌舞伎も愉しみにと、しておきたい。
- 2003年11月27日(木) 5:20:59
2003年11月・歌舞伎座 顔見世大歌舞伎
(夜/「盛綱陣屋」「女伊達」「うかれ坊主」「心中天網島〜河
庄〜」)

雀右衛門の後ろ姿

「近江源氏先陣館〜盛綱陣屋〜」は、2回目。「盛綱陣屋」は、
豊臣方の末路を描いた全九段「近江源氏先陣館」の八段目。父親
の計略の一役を買って出た小四郎を軸にした物語とも言えるの
で、今回は、小次郎を軸にした物語とも言える「熊谷陣屋」との
違いを軸に劇評をまとめてみたい。

歌舞伎では、子どもが、親の犠牲になる芝居がある。例えば、義
経の示唆に従い、わが子・小次郎を敦盛の身替わりにする「一谷
嫩軍記〜熊谷陣屋〜」。父親・佐々木高綱の計略に一役買い、伯
父の佐々木盛綱を巻き込んで、父親の贋首を使い、首実検に赴い
た北條時政を欺くために、小四郎が切腹する「盛綱陣屋」。とも
に、外題に「陣屋」が、入っているために、比較されやすい。

作者は、「熊谷陣屋」が、並木宗輔。「盛綱陣屋」が、近松半
二、三好松洛ら。「熊谷陣屋」初演より18年遅れて「盛綱陣
屋」が、上演されている。子どものからむ「陣屋もの」として、
作者たちにも、連想があったかもしれない。しかし、作品で取り
扱われる子どもの位置付けは、異なると思う。私の「遠眼鏡戯場
観察」で何度も書いて来たように「熊谷陣屋」では、父親の犠牲
になり、死んで行った息子・小次郎の死を哀しみ、母親は、父親
である夫を非難する。夫も、妻子を犠牲にして、上司の期待に応
えた虚しさを感じて、息子の霊を弔うために出家する。芝居の根
底には、近世の封建主義の時代を超越して、子どもに対する母の
愛を主張する並木宗輔の明確なメッセージが、込められている。
現代にも通じる、そういう普遍性が、「熊谷陣屋」からは、感じ
られる。

一方、今回拝見した「盛綱陣屋」では、父の意を体して、伯父の
陣屋に囚われの身となり(捕らえたのは、従兄弟の小三郎)、伯
父・佐々木盛綱との、阿吽の呼吸で、父・高盛の偽首を本物に見
せるために、「ヤア、とと様、さぞ口惜しかろ、私も後から追い
付きます」と言って、切腹する。その小四郎は、人質となる戦国
時代の習いに従って、覚悟を決めているが、「その立派な心」と
祖母の微妙もほめる。伯父の盛綱も、高盛親子の真意を斟酌し
て、「弟佐々木高盛が首に相違ござりませぬ」と時政を欺く戦略
の加担する。兄弟の血脈への愛が、戦国の世の価値観より優先す
るとはいえ、子を犠牲にする、そういう封建時代の倫理観が、肯
定される芝居。

そういう意味では、子どもを軸にして、ふたつの芝居を見比べれ
ば、「熊谷陣屋」の印象と「盛綱陣屋」の印象とは、芝居を見
終った後では、大きく異なる。それは、ほぼ同じ時代に上演され
ながら、そして、ともに、封建性に拘束されながら、現代に通じ
る普遍性を主張するか、しないかという違いから来ているように
思われる。「熊谷陣屋」に登場する小次郎の母・相模は、息子に
対する率直な愛で時代を超えている。

これに対して、「盛綱陣屋」では、小四郎から見て祖母にあたる
微妙(芝翫)と母・篝火(雀右衛門)ふたりの女性が登場する。
特に、敵味方に別れた小三郎と小四郎のふたりの孫を持つ微妙
が、息子(長男の盛綱)との関係も踏まえて、封建色を強めてい
る。一方、次男・高盛の嫁であり、小四郎の母である篝火は、微
妙と違って、息子・小四郎一人との関係だけにこだわれば良いか
ら、「熊谷陣屋」の相模のように子どもへの愛情をストレートに
表現する。特に、今回は、母の情愛を演じたら、ジャンルを超え
たあらゆる演劇の俳優たちのなかでも、超一流の雀右衛門が、篝
火を演じている。雀右衛門が演じたことによって、篝火は、いつ
もよりも、「純粋」母親になっていたのでは無いかとさえ、思え
る。

特に、幕切れ。こときれた小四郎の遺体を囲んで女たちがなげい
ている場面では、雀右衛門が、後ろ姿のまま、肩を波打たせてい
たのが印象に残る。私は、幕が締まりきるまで、雀右衛門の後ろ
姿を見つめていたが、雀右衛門は、幕が締まりきっても、まだ、
肩を波打たせていたに違い無い。時代物の「三婆」のひとつと言
われる微妙を演じた芝翫が、どっしりとした祖母を表現していた
から、雀右衛門の母の情愛のほとばしりが、いちだんと印象的に
見えた。両人間国宝の阿吽の呼吸の演技と観た。ふたりの人間国
宝に挟まれて小四郎を演じた歌昇の次男で、10歳になる種之助
も、将来が楽しみ。小三郎は、父親の男女蔵襲名で、父の前名を
引き継いだ男寅も、頑張っていた。先輩方の演技を幼い頃から目
の当たりにして、良い歌舞伎役者に育ってほしい。

忘れては、いけない。主役の吉右衛門盛綱も、小四郎を軸にしな
がら、弟高盛の目論見が、次第に見えて来る芝居の筋立てにそっ
て変化する心理描写をくっきりと描いていた。互いに目と目で意
志を伝えあいながら、甥の命がけの行為を受けて、己も主君・時
政を裏切り、命を捨てる覚悟をする。盛綱の、そうした変化が、
観客の理解の変化に重なって来る。

左團次の和田兵衛は、赤面の美学ともいうべきいでたちで、黒い
ビロードの衣装に金襴の朱地のきらびやかな裃を着けている。大
太刀には、緑の房がついている。堂々とした上使役で、貫禄充
分。花道の引き際は、前後の槍襖のなかを引っ込む。私は、花道
の横で観ていたが、槍襖にも動じない和田兵衛は、両手を懐に入
れていて、袖のなかの手が見えない。それが、かえって、兵衛と
いう人物の大きさを感じさせる。ほかに、秀太郎の早瀬(盛綱の
妻)、ふたりの注進役に歌昇、東蔵ら。

ウオッチングのメモ帳から。1)篝火の登場の場面。弓と黒地に
赤い丸が描かれた笠を持っている。弓矢を使うと、陣屋上手の紅
葉の木に白羽の矢が刺さる。やがて、篝火が、陣屋の木戸を開け
て、陣中に忍び込むと、木戸は片付けられてしまう。歌舞伎の省
略の演出。2)陣屋の奥の襖が開けられると、琵琶湖の遠見。山
の眺望台に辿り着いたような爽やかさが、館内に拡がる。戦と肉
親の情愛という重苦しいテーマの芝居だけに、ここは、一服の清
涼剤。

「近江源氏先陣館」の続編ともいうべき狂言が、「鎌倉三代記」
だという。「三婆」のひとり微妙がいる「近江源氏先陣館」。
「三姫」のひとり時姫がいる「鎌倉三代記」。以前は、作者不詳
とされていた「鎌倉三代記」も、近松半二らの合作と推定されて
いる。次の機会には、そういう視点で、「鎌倉三代記」を観てみ
よう。

さて、所作事二題のうち、「女伊達」は、2回目。いずれも菊五
郎で観ている。菊の花弁を描いた傘、茶の法被。「五穀豊饒」
「天下太平」「国土安泰」「家内安全」と四方に掛れた傘の纏
(まとい)。「新吉原竹村伊勢」と書かれた積物(つみもの)。
珍しい小道具を使っての所作と立ち回りの入り交じったような舞
踊劇。女伊達に喧嘩を売り、対抗するふたりの男伊達は、松助と
秀調。「うかれ坊主」は、菊五郎の独演。3回目の拝見。初めて
観たときは、富十郎で、富十郎は、可憐な「羽根の禿」から「う
かれ坊主」に変身。2回目も、富十郎で、このときは、「鐘の岬
/うかれ坊主」。今回の菊五郎は、「女伊達/うかれ坊主」と、
皆、組み合わせに一工夫している。それぞれ、独立した変化舞踊
だけに、取り合わせは自由で、役者の創意工夫が、演出の妙を生
む。吉原の外、裏門のあたりが、背景と観た。裸に近い願人坊主
が、ユーモラスな振りで、ジェスチャーのようにさまざまな人物
を描いて行く踊り。「まぜこぜ踊り」という。判りやすいネーミ
ングだ。手桶の底を抜いて、丸の内に悪という字をくわえて踊
る。「三社祭」の善玉悪玉のようだ。こちらが、「三社祭」より
先行して上演されている。

鴈治郎の憑意


最後に、夜の部最高の出し物となったのが、「心中天網島〜河庄
〜」。舞台初見(テレビでは、観ているが、テレビとは、大違い
の迫真力を感じた)。歌舞伎400年、ことし、私が観た歌舞伎
では、最高の芝居であった。長らく埋もれていた復活狂言、「み
どり」でしか演じられなくなった演目を本来の形に戻しての復活
狂言、新しく歌舞伎の演目に付け加えられた新作歌舞伎など。歌
舞伎の出し物には、さまざまな楽しみ方があるが、やはり、上演
回数が多く、さまざまな役者たちによって演じ込まれて来た演目
のおもしろさは、適材適所の役者を得ると、なんとも見応えのあ
る舞台になるかということを痛感させる芝居であった。

ウオッチングのメモ帳から、まとめてみた。
1)鴈治郎の花道の出、虚脱感と色気、計算され尽した足の運
び、その運びが演じる間の重要性、そして、ふっくらとやつれた
鴈治郎の、ほっかむりのなかの顔。花道の横で観ていたので、花
道のフットライト点灯と同時に振り返ってみたら、音も無く向う
揚幕が開いていた。揚幕のなか、鳥屋(とや)にいる鴈治郎と目
が合う。もう、そこにいるのは、鴈治郎では無く、紙屋治兵衛。
鳥屋から揚幕のあたりで、一旦、立ち止まる。そして、「魂抜け
てとぼとぼうかうか」。足取りも、表情も、恋にやつれ、自暴自
棄になっているひとりの男がいる。そして、私の方へ近付いて来
る。和事独特の足の運びも、充分に堪能した。そう言えば、これ
に似た場面を観た覚えがある。拙著「ゆるりと江戸へ」にも、書
いているが、「摂州合邦辻」の玉手御前を演じた芝翫で体験した
ことがある。演じられているのは、女性の玉手御前と男性の紙屋
治兵衛という違いがあるが、登場人物の心理や置かれている状況
は、似ている。花道から本舞台へ、そして、「河庄」の店の名前
を書いた行灯のある木戸での治兵衛の、店内を伺う、有名なポー
ズまで。一気に引き付けられる。

2)鴈治郎(治兵衛)と富十郎(孫右衛門)との大坂弁での科白
のやりとりの滑稽さ。充分煮込んで味の染み込んだおでんのよ
う。死と笑いが、コインの裏表になっている。死を覚悟した果て
に生み出された笑い。この続きの場面、心中に傾斜する「時雨の
炬燵」は、以前に観ているが、「時雨の炬燵」より前段階の場面
の余裕が、笑いを生むのだろう。それに、上方和事独特の可笑し
味が付け加わる。さすが、洗練された芝居だ。これは、鴈治郎で
なければ、出せない味だ。それにさらに旨味を加えた調味料のよ
うな富十郎の演技。その富十郎が、体調を崩して、途中、休演に
なってしまったのが、残念。一世一代の「船弁慶」より、こちら
の孫右衛門が、見られない方が、惜しいと思う。一日も早い恢復
を祈りたい。「船弁慶」の代役は、菊五郎、孫右衛門の代役は、
吉弥だという。

3)今回の配役で、充実の演技は、鴈治郎と富十郎に限らないか
ら、嬉しい。恋にやつれた小春(時蔵)も、良かった。このとこ
ろ充実の舞台が続いている時蔵は、徐々に、皮が剥けて来た感じ
がする。富十郎の代役になった吉弥は、元々、小春を身請けしよ
うとする憎まれ役の江戸家太兵衛を演じる東蔵とコンビを組んで
いる五貫屋善六役だったが、善六は、誰が代役になったのだろ
う。吉弥、東蔵のコンビも、息が合っていて、なかなかよかっ
た。この5人は、役を演じていると言うよりも、そういう性格の
人になりきっていて、いずれも、当人を見るような気さえした。
従って、それは、フィクションと言うより、ドキュメンタリーの
ような舞台に観えた。それほどの迫真力であった。なぜ、つくり
ものの芝居が、恰も、現実に生きている人たちの世界を覗いてい
るように観えたのか。紙屋治兵衛のような女に入れ揚げ、稼業も
家族も犠牲にする駄目男のぶざまさが、観客の心を何故打つの
か。大人子どものような、拗ねた、だだっ子のような男が、鴈治
郎の身体を借りて、私の座っている座席近くの花道を通り、目の
前の舞台の上にいる不思議さ。

4)それは、何回も上演され練れた演目の強みであり、家の藝と
して、代々の役者たちが、何回も演じ、工夫を重ね、演技を磨い
て来たからだろう。上方江戸歌舞伎に押されながらも、上方歌舞
伎の様式美を大事にし、粘り強く持続させて来た鴈治郎代々の執
念が、様式美の極みとして、上方和事型を伝承して来た。それ
は、今回の鴈治郎の演技に見られたように、爪の先、足の先ま
で、身体の隅々まで、紙屋治兵衛になりきる努力を重ねて来た役
者魂が、大きな花を開かせた瞬間に立ち会えたのだと思う。も
う、この演技だけで、中村鴈治郎は、四代目坂田藤十郎襲名の実
力ありと断じられる。さ来年の十八代目中村勘三郎と四代目坂田
藤十郎の襲名披露の年こそ、本当の現代歌舞伎の節目の年になる
のではなかろうか。歌舞伎400年の年は、思ったほど、世間に
注目されなかったまま、あと1ヶ月余で、終ろうとしている。そ
れだけに、今回の歌舞伎座の顔見世興行で観た「河庄」の舞台
は、1年を飛び越えて、さ来年に向けての顔見世になったような
気がしてならない。

5)鴈治郎、富十郎らの人物造型、科白廻し、演技、そのいずれ
もが、なんとも言えず充実の舞台だったが、その充実感を具体的
に担保していたのが、私は、この芝居の小道具の使い方の巧さで
は無いかと思った。「魂抜けてとぼとぼうかうか」の極め付けと
して、鴈治郎は、花道七三で、雪駄が脱げてしまう(「脱ぐ」と
いう演技よりも、それは、自然に「脱げる」という感じだっ
た)。このほか、帯を締め直す演技、手拭(あるいは、着物の裏
地か)を懐に入れたまま、口にくわえる仕種、櫛を使う、つまら
なそうに大福帳をくくるなどなど、全ての微細な演技の積み重ね
が、治兵衛という男になりきって行く。可笑しみと憐れみが、共
存する。その演技の素晴しさ。

- 2003年11月20日(木) 21:52:51
2003年11月・歌舞伎座 顔見世大歌舞伎
(昼/「梶原平三誉石切」「船弁慶」「松竹梅湯島掛額」)

最近、俳句の本を良く読んでいる。そこで、考えていることは、
俳句と歌舞伎の類似性だ。俳句は、ご承知のように、五七五の定
式で、表現される。自由律の俳句もあるが、原則的には、有季定
型と言って、季語が必要とされる。季語とは、文字どおり、季節
を表わす言葉だが、17文字に表現を凝縮させるために、共通の
イメージを喚起する約束の言葉でもある。その背景には、俳句よ
り歴史の長い和歌によるイメージの共通の蓄積がある。イメージ
の共通の蓄積と言えば、歌舞伎の様式美の表現に似てはいまい
か。例えば、そういうことを考えている。俳句は、そういう季語
の持つ約束事を利用して、短い言葉のなかに、豊饒なイメージを
貯え、大きな広がりのある世界を表現する。自然や人生の一瞬を
切り取り、凝縮して表現をする。

ほかのメディアに例えるならば、俳句は、説明的な映画よりも、
一枚の写真に似ているかもしれない。歌舞伎の表現に似たものを
探すとすれば、それは、「見得」かも知れない。俳句は、和歌、
短歌の五七五七七より、さらに、「七七」が少ない。つまり、短
歌と違って、詠み手は、「七七」を省略することで、読み手に
「七七」の表現を想像させるのである。それは、歌舞伎の上演形
式の「みどり(狂言)」に似ているかも知れない。デフォルメな
どの誇張の「演出」もする。そうすることで、読み手に印象を与
えようとする。それは、歌舞伎なら、例えば、「隈取り」の誇張
に通じるかも知れない。まあ、例えば、そんなことを考えている
のである。

そう言えば、代々の歌舞伎役者は、役者名のほかに、俳号、俳名
(はいみょう)も持っていた。例えば、團十郎では、舞台を退い
てから向島に「反古庵(ほごあん)」という庵を建てて隠居し、
芭蕉の風雅を偲ぶ生活をした五代目。彼には、「白猿(はくえ
ん)」という俳号がある。「凩に雨もつ雲の行衛かな」という辞
世の句を残した。また、七代目は、「三升(さんじょう)」、
「白猿」(先々代の俳号を受け継いだ)、「夜雨庵」などの俳号
がある。明治期の歌舞伎改革運動に情熱を燃やし、「劇聖」と仰
がれた九代目は、「三升」、「夜雨庵」(いずれも、先々代の俳
号を受け継いだ)、「團洲」、「寿海」などの俳号を持つ。團十
郎代々には、このほか、「栢莚(はくえん:先の「白猿」に通じ
る)」などがある。そう言えば、尾上梅幸の「梅幸」も、尾上菊
五郎代々の俳号が、後に、六代目からは、藝名になっている。菊
五郎代々の俳号では、ほかに「三朝」などがある。歌右衛門代々
の俳号では、「梅玉」、「芝翫」、「魁春」などがあり、いずれ
も、藝名になっている。市村家橘の「家橘」も、九代目羽左衛門
の俳号から由来している。元禄期(1688〜1704年)以
降、役者が、俳号を持つことが慣例となり、藝名をほかの役者に
譲って、俳号を藝名にしたりしている。俳号だけでなく、俳句、
俳諧を嗜んだ役者も多い。

初代の中村吉右衛門には、次のような句がある。「尼さんのおこ
そ頭巾も京らしき」

まあ、いずれ、歌舞伎と俳句の類似性や、藝名と俳号、俳名など
についても、いろいろ調べて、まとめてみたい。ということで、
ここまでは、余談。

さて、今回、昼の部で冒頭に観た「梶原平三誉石切」こと、「石
切梶原」は、何回観ているのだろうか。記録を見てみると、実
に、8回。なかには、同じ月の舞台を2回見ているときもある。
もちろん、違う時期に、違う舞台で同じ役者が演じる梶原を観た
ときもある。私が見た梶原平三役者は、5人。幸四郎、富十郎
(2)、吉右衛門、仁左衛門(今回を含め、2)、團十郎(同じ
月の舞台を2回観ている)。梶原は、歌舞伎では、本来、憎まれ
役。ところが、「石切梶原」では、颯爽とした裁き役に変身す
る。しかし、内面的には、一筋縄で行かない男だ。従って、「石
切梶原」で梶原平三を演じる役者は、それを底に潜ませて演じる
か、颯爽とした外面を重点に、梶原より、役者としての己の藝を
優先させて演じるかで、梶原平三の描き方が、変わって来る。い
わば、梶原は、刀の目利き以降の、いわばドラマの仕掛人で、た
だひとり、ドラマの進行具合を予め読み取っている人なのだと思
う。

こういう視点で、この芝居を観ていると、これまでの「石切梶
原」での梶原役者では、結果論としてみれば、刀の目利きを頼ん
だ大庭・俣野兄弟を騙し、名刀「八幡」を自ら買い取った梶原
の、そういう「本性」を描いた役者としては、富十郎。目利き、
試し斬り(いわゆる「二つ胴」)、石切の見せ場を外面から颯爽
と描いたのは、仁左衛門、そして、吉右衛門、狡さを潜めて、策
略家、あるいは、知将のように感じさせたのは、團十郎。そうい
う役者による梶原像の変化が、おもしろいと私は思う。前回、山
梨県の巡業先の花道の短い舞台で観た仁左衛門梶原は、今回、歌
舞伎座の舞台で、しっかり拝見。その颯爽ぶりを改めて堪能し
た。もうこれは、梶原平三ではなく、梶原仁左衛門である。それ
は、それで、良い。

せっかくだから、役者論を続けよう。私が観た六郎太夫では、幸
右衛門、又五郎、左團次が、それぞれ1回。今回を含めて、残り
の5回は、すべて、坂東吉弥であり、もう、六郎太夫は、吉弥が
極め付けの巧さだと思う。梢は、芝雀。これまで私が観た梢は、
福助、松江時代の魁春、宗之助、秀太郎、時蔵(2)で、時蔵の
梢も印象に残っている。今回の芝雀は、新橋演舞場公演「宮本武
蔵」にも出演していて、吉野太夫を演じている。歌舞伎座の梢を
演じ、「あい、あい」という最後の科白を言った後、芝雀は、人
力車で演舞場まで移動して、吉野太夫に変わるのである。芝雀の
梢も、理知的な梢で、なかなか良かった。

剣菱呑助も、見せ場の役柄だ。今回は、秀調。私が観た呑助は、
坂東吉弥、團蔵、松助、鶴蔵、弥十郎、寿三郎。この役は、傍役
の味わいを出せる人のときが、良い。今回の秀調も、悪くは無
かったが、地方巡業の舞台で観た弥十郎が、口跡も良く、印象に
残っている。

大庭三郎は、今回の左團次も含めて、意外と存在感が無いが、そ
れは、弟の俣野五郎に喰われてしまうからだ。梶原方に対抗し
て、赤面として、対照的な役割を果たすのは、大庭三郎より、俣
野五郎という訳だ。今回の歌昇の五郎も、巧かった。梶原を颯爽
と見せるためには、五郎の憎々しさ、人間としての単純さが、際
立たなければならない。つまり、騙す側と騙される側は、対照的
に描かれれば描かれるほど、芝居が、明瞭になる。これまで、私
が観た配役。大庭三郎:左團次(4)、我當、富十郎、信二郎。
俣野五郎:歌昇(2)、染五郎、橋之助、男寅(先代)、亀鶴、
正之助時代の権十郎(いずれも、出演の組み合わせ順番は、不
同)。

さて、今回の舞台をウオッチングしていて気がついたことをまと
めておこう。この芝居では、舞台中央で演じる梶原を軸に、下手
にいる六郎太夫と梢親子と上手側にいる大庭・俣野兄弟という形
で、物語は、進行する。そして、上手側には、大庭方の大名4人
が並ぶし、下手側には、梶原方の大名が並ぶ。さらに、それぞれ
の大名の後ろには、それぞれの供侍、中間が並ぶ。科白がないか
ぎり、大名らは、書割のように、いわば、背景になっている。こ
うしたなかで、いつも思うのだが、梶原方の大名・二階堂五郎を
演じることが多い、片岡當十郎は、口を「へ」の字に曲げて、背
景から抜き出して来る。背景になってしまう人と背景から抜け出
して来る人。その違いは、藝の工夫の違いだろうと思う。どんな
役でも、藝の工夫をする人としない人で、違って来るという見本
だ。全員が、背景から抜け出して渡り科白を言ったりや演技をし
たりする場合に、その違いが、さらに、際立って来る。大庭方、
梶原方の間で、対立の緊張が高まり、後ろ向きで、刀に手をかけ
るような場面では、例えば、大庭方の大名では、松之助と當十郎
は、充分に相手方に振り向き、睨み付けるようにしていたが、吉
三郎、蝶十郎は、それが不十分であった。誰であれ、いつもの舞
台で、先人たちの役者が演じた、いつものさまをなぞりながら、
独自の味を出す工夫を重ねる。芝居は、集団で演じるが、そのな
かで、埋没しないために、自分は、舞台からなにを伝えようとし
ているか、なにを伝えるべきか、ということを考えて、絶えず、
舞台に出ているかどうか。役者は、毎回、そういう性根が問われ
ている。そういう問題意識があり、そういう精進の積み重ねをし
ているかしていないかが、役者の演技力を磨くことになると思
う。

さて、梶原方の大名を演じる大谷桂三、尾上松也らの幹部、さら
に、片岡菊市郎、中村吉之助の全員が、膝の上に載せた両手が、
やや内向きになり、指先がまっすぐ伸びているのに対して、大庭
方の大名は全員が、膝に載せた両手を軽く握っている。この違い
は、なんなのか。ちなみに、良く見ると、大庭・俣野兄弟では、
大葉を演じる左團次が、両手の指を伸ばしているのに対して、俣
野を演じる歌昇は、両手を軽く握っている。こういう違いも、な
にか意味があるような気がするが、いまは、判らない。

「石切梶原」では、石の手水鉢を、梶原が、まっぷたつに斬った
場面の後、梶原が「剣も剣」という科白を言うと、六郎太夫が、
「斬り手も斬り手」と言う。そうすると、この後に、大向うか
ら、「役者も役者」という掛け声が、かかる場合とかからない場
合があるが、私が観た8回の舞台で、掛け声がかからない場合も
あったが、客席から、ほとんど掛け声がかかった。しかし、声が
小さかったり、大きな声でも、タイミングが微妙にずれていたり
で、これが、なかなか、難しい。今回も、声がかかっていたが、
タイミングが、少しずれていた。

次に、「船弁慶」。六代目菊五郎演出以来、その形が定着してい
る。松羽目もの、つまり、「能」の味をベースにしながら、歌舞
伎の味付けをしている。昼の部の人気は、富十郎が、一世一代で
演じる「船弁慶」で、幕見席では、連日のように立ち見になって
いるという。私が観た「船弁慶」は、4回。静御前と知盛の亡霊
を演じたのは、今回を含めて富十郎(2)、菊五郎、松緑(松緑
は、四代目襲名披露の舞台)。弁慶:團十郎(2)、彦三郎、吉
右衛門(今回)。義経:時蔵、芝雀、玉三郎、鴈治郎(今回)。
舟長:勘九郎、八十助時代の三津五郎、吉右衛門、仁左衛門(今
回)。

今回は、富十郎の一世一代の舞台とあって、配役は、豪華だ。例
えば、舟長、舟人の組み合わせが、仁左衛門、左團次、東蔵。舞
台は、「義経千本桜」の「大物浦」と同じ場面。ここまで、義経
一行に同伴して来た静御前を弁慶の進言で、都へ帰すことになっ
た。夫・義経との別れを惜しむ静御前。下手のお幕から富十郎の
静御前登場。気合いが入っている。お決まりの、能面のような無
表情で、姿勢も良い。静御前は、後の知盛の亡霊。そういう無気
味さを秘めながら、前半は、静御前として演じる。舟に乗る前の
一行のために、大物浦の「浜」で都の四季の風情を踊る。富十郎
の静御前には、雅びさがある。別れたく無い静御前と行かねばな
らぬ義経の間を「波」のように動き、静御前を阻止する四天王。

起(お幕からの弁慶の登場、続いて、花道からの義経と四天王の
登場)、承(お幕からの静御前の登場)、転(お幕からの舟長、
舟人の登場)結(花道からの知盛亡霊の登場)と、黙阿弥の作劇
は、メリハリがある。知盛亡霊は、すでに船出した義経一行の舟
を大物浦の「沖」で、迎え撃つ。「波乗り」という独特の摺り足
で、義経に迫って来る。数珠を揉んで生み出す法力で悪霊退散を
念じる弁慶の真剣さが伝わって来る。吉右衛門弁慶には、気迫が
ある。知盛の幕外の引っ込みでは、三味線ではなく、太鼓と笛
の、一調一管の出打ち。「荒れの鳴物」と言われる激しい演奏で
ある。

今回、2回目の富十郎の「船弁慶」だが、一世一代の舞台に相応
しい豪華な配役で、富十郎の演技も、いつもにも増して気迫があ
り、見応えがあった。富十郎の厳しい長年の修練の果てに辿り着
いた自由自在の境地を感じさせる舞台であった。老いを超越して
いる闊達さだ。富十郎の静御前は、一際、小柄に観え、知盛亡霊
は、逆に、一際、大きく観えた。この変化が、富十郎の藝の力と
私は、観たし、同じ知盛を題材にしながら、「義経千本桜」の生
きている末期の「碇知盛」の潔さと「船弁慶」の知盛「亡霊」の
執念の強さという作者の意図の違いであると、思う。

「松竹梅湯島掛額」は、2回目。吉三郎が、曽我十郎の子という
想定になるなど、本来、曽我物語の「世界」である。6年前、
97年4月歌舞伎座で吉右衛門の「紅長(べんちょう)」を観て
いる。紅屋長兵衛:吉右衛門、菊五郎(今回)。お七:福助、菊
之助(今回)。吉三郎:田之助、時蔵(今回)。おたけ:吉之
丞、田之助(今回)。歌舞伎では、数が少ない笑劇なので、今回
は、喜劇も得意な菊五郎の主演を楽しみにしていたが、あまり、
おもしろく無かった。特に、「吉祥院お土砂の場」では、前回観
た吉右衛門が、生真面目さと柔らかみのある、吉右衛門本来の人
柄と「紅長」の役柄(剽軽者)が、マッチ(あるいは、ミスマッ
チか)して自然なおかしみ(あるいは、ミスマッチのおかしみ)
を醸し出していて、楽しめたが、菊五郎は、喜劇も得意な彼の藝
の力で「剽軽者(紅長)」を演じたため、そのあたりの味わいに
違いが出た。菊五郎の場合、人情噺のなかで、滲み出るおかしみ
(まさに人情喜劇)のようなときは、彼の持ち味を出すが、「紅
長」の場合は、いわゆる人情噺ではなく、「剽軽者」という、い
わば型にはまった滑稽味ということだろうから、菊五郎の持ち味
とは、異なるのかも知れない。本来、「紅長」は、初代の吉右衛
門が演じるまでは、三枚目の道化方の役柄であったから、菊五郎
の「紅長」に違和感を感じ、家の藝を演じる吉右衛門に違和感を
感じないという私の感性は、意外とまともなのかもしれない。初
代吉右衛門が演じて以降は、勘三郎、松緑など軸になる役者が演
じるようになったという。

また、こういう単純な芝居は、「お土砂」という呪術を使った笑
いの趣向では、筋書きに配役の載らない、歌舞伎座の男の観客と
案内嬢(女優)の登場まで演出が前回と同じだと初見と2回目で
は、観る側の感興が、全く違うことが判った(ツケ打ちや幕引き
などは、配役が載る)。初見では、笑えたが、2回目では、辛
い。つまり、同じ趣向では、まさに、「芸が無い」ということ
だ。このあたりは、繰り返し演じられる歌舞伎の様式美とも違う
ということで、歌舞伎の魅力を裏側から分析する、ひとつの視点
になるかもしれない(もっとも、これらの演出は、初代吉右衛門
から続いているようだ)。

ただし、後半の「四ツ木戸火の見櫓の場」では、菊之助のお七
は、前半とは、異質なぐらい、絶品だった。この「松竹梅湯島掛
額」は、1809(文化6)年の福森久助作「其往昔恋江戸染」
の「吉祥院」の場面は、ほぼそのままで、火の見櫓の場面は、
47年後の、1856(安政3)年に河竹黙阿弥が「伊達娘恋緋
鹿子」ベースにして書いた「松竹梅雪曙」の「火の見櫓」の場面
を採用するようになり、いまのように演じるようになったと言う
から、前半と後半は、いわば、「八百屋お七の世界」ながら、別
の狂言の合体で、本来異質であっても、良いのだろう。福森の吉
祥院の場面の趣向も、後に、1860(安政7)年、黙阿弥の
「三人吉三」に生かされて行く。

前回、6年前に観た福助のお七も良かったが、玉三郎の教えを受
けたという、今回の菊之助のお七は、この若女形の最近の精進ぶ
りを伺わせる演技で、堪能した。この場面は、極色彩の鮮やか
で、豊かな吉祥院の場面とは一転して、白と黒のモノトーンの雪
景色の町家の風景。赤を基調にしたお七の艶やかな衣装だけが引
き立つという演出。さらに、お七の所作が、人形ぶりに変化する
場面で使われる赤い消し幕の色彩感覚が見事だ。黒衣が、赤い消
し幕で、お七と人形遣いたちを隠す。ここは、単純ながら、優れ
た演出だと、思う。場内の観客の視線を、この単純な趣向で、一
点に集中させることができるからだ。

菊之助の人形ぶりも見事だった。人形らしく、足を見せない(こ
こは、三人遣いの人形浄瑠璃とは逆になり、足遣いがいない)。
従って、菊之助人形を遣うのは、ふたりの人形遣いということに
なる。もうひとりの人形遣いは、舞台下手に雪布で覆われた板の
上に立ち、足踏みをして、人形の足音を表現する。特に、ふたり
の人形遣いが人形を横抱きにする場面への展開は、菊之助も人形
遣い役者たちも息がぴたりで、乱れが無い。菊之助は、もとも
と、人形顔だが、こういう人形ぶりの演出では、ますます、ひと
つの表情を持った人形顔になれる。途中、菊之助人形の衣装の引
き抜きもあり、そういう場面でも、一糸の乱れも無い。菊十郎、
菊市郎、菊史郎の3人の人形遣い役に拍手。

菊之助は、人形の首がとれよとばかりに己の首を振る。それは、
途中で、簪を落とすほどの熱演ぶり。花道で、人形から、再び、
血の通った役者に戻る。人形から人間への黄泉帰りを演ずるよう
に、這って本舞台へ帰る菊之助。舞台で、立上がると、菊之助
は、役者に戻っている。梯子から火の見櫓に上がる場面では、
(天井の葡萄棚から)霏々と降る雪が印象的だ。歌舞伎では、
霏々と降る雪の場面では、この火の見櫓と「新口村」の村はずれ
の場面が、私には、印象的だ。

「松竹梅湯島掛額」の舞台をウオッチングしていて、気がついた
こと。お七の母・おたけを演じた澤村田之助が、吉祥院で本来な
ら座る場面なのに膝をついた中腰の姿勢のままで科白のやり取り
をしていたが、足の具合が、いつもより悪くなっているのか心配
になった。舞台の方は、恙無く演じていたが、脇役の貴重な人間
国宝の藝だけに、無理をせずに、足を大事にしてもらいたい。同
じく吉祥院の場面で、坂東橘太郎が演じた了念の、ご飯を食べな
がらの米尽くしの捨て科白は、おもしろく拝聴した。

さて、きょうは、国立劇場へ通し狂言「天衣紛上野初花」を観に
行って来た。「河内山」と「三千歳直侍」が、別々に演じられる
ことが多いが、今回のように、通しで上演してくれると、9月の
歌舞伎座で吉右衛門の河内山を観たばかりとはいえ、いろいろ発
見があり、興味深い舞台であった。演出は、幸四郎。とりあえ
ず、きょうは、歌舞伎座の昼の部の劇評をアップした。この後、
引き続き、夜の部の劇評を書き始め、次いで、きょう拝見した通
し狂言「天衣紛上野初花」の劇評に取りかかる予定なので、いま
暫く待っていて下さい。
- 2003年11月15日(土) 22:27:38
2003年10月・国立劇場  (「競伊勢物語」)

大道具のスペクタクル

市川猿之助一座の公演は、国立劇場では、7年ぶりという。歌舞
伎400年、猿之助襲名40年記念公演のひとつで、猿之助の言
葉を借りるなら、「歌舞伎400年のうち、一割を走ってきたこ
とになります。猿之助が10人いれば400年、と思えば大して
長いことではないんですね、400年という歳月も」ということ
になる。そこで、通し上演は、1882(明治15)年以来、
121年ぶり、「春日村」を軸とする上演では、1965(昭和
40)年以来、37年ぶりという、「競(はでくらべ)伊勢物
語」が上演された。猿之助一座に、いつもの中村歌六に加えて、
中村東蔵が出演しているが、一座の脇役の薄さは、いつもの事だ
から、・・・しょうがないか。じっくり、芝居を見せる場面が、
弱い。従って、大道具のスペクタクルなど、大仕掛けな趣向を楽
しみながらの観劇となる。あまり、上演されない演目なので、ま
ず、簡単に粗筋を紹介しておこう。

序幕は、政争の話。平安時代の初期、文徳天皇亡き後の皇位争
い。失われた三種の神器探し。惟喬、惟仁兄弟の親王が、後継を
争う。謀反人・紀名虎(このなとら)の亡霊(猿之助)まで動員
する惟喬(段治郎)派には、大納言宗岡(歌六)など。対する惟
仁(高麗蔵)派には、天皇の未亡人・染殿(東蔵)、内大臣昭宣
(猿弥)など。惟仁派の孔雀三郎(右近)が、実は、名虎の実子
で、伴良雄と判り、後に、惟喬派に寝返るなど複雑。在原行平
(歌六)、業平(門之助)兄弟は、惟仁派。名虎の出と入は、亡
霊らしい工夫が、なされている。名虎の幻術による内裏炎上な
ど、スペクタクルをちりばめながら、大きな話の骨格をテンポ良
く見せるのが、序幕。

そういう政争のなかに挟まれる挿話。業平と許嫁の井筒姫(笑三
郎)を匿い、さらにふたりの身替わりとなる磯上豆四郎(門之
助)と妻の信夫(笑三郎)、信夫の育ての親・小由(こよし:東
蔵)、名虎の弟だが、謀反に加わらず、陸奥で暮らしていた紀有
常(猿之助)が、都に戻ったとたん、惟喬親王に娘の井筒姫を差
し出すか、さもなくば、首を差し出せと言われて、井筒姫らが匿
われている小由らの住む「春日村」へやってくることから、悲劇
が始まる。まるで、「忠臣蔵」の「お軽・勘平」の悲劇のよう
だ。これが、二幕目になる。この場面は、物語の構成も緊密で、
あまり上演されない「競伊勢物語」のなかでは、比較的上演され
るというのも、頷ける。特に、「小よし住家」は、「双蝶々曲輪
日記」の「引窓」のように、母親の子供たちへの愛が、テーマと
なっている。それなのに、この場面での芝居の味が薄いのが残
念。

大詰では、結局、三種の神器が揃い、惟仁派が、惟喬派を破り、
惟仁親王が、清和天皇になる大団円。二転、三転の趣向があり、
「蘭平物狂」同様の、立ち回りの演出があり(これについては、
後に述べる)、館の屋体崩し、巨大な骸骨の登場もありなど、再
び、スペクタクルの工夫で見せる舞台になっている。従って、話
の展開をじっくり見せる芝居は、弱いが、スペクタクルで見せる
演出は、強い、というのが、全体的な印象。そこで、今回のウ
オッチングメモから、気づいたことを、以下、書き留めておきた
い。

まず、気がついたのは、廻り舞台を良く使うこと。序幕・第一場
(鳥居前)→第二場(小野山)→第三場(相撲土俵)→第四場
(染殿)→道具幕(網代塀、幕の裏で、御殿を載せた舞台が、逆
に廻っているのが隙間から見える)、幕開きで、第五場(内裏炎
上)の場面となる。以上のように、序幕の全五場は、実質的に全
て、廻り舞台を使用し、テンポアップを図っている。二幕目で
は、「小よし住家」が、明転。住家の表、横、裏の全てが、ちゃ
んとした二重舞台になっていて、表→裏→横→表と、きちんと芝
居をする。特に、裏から横、表と有常役の猿之助は、移動しなが
ら、芝居を続ける。次に、大仕掛けでは、「内裏炎上」と「行平
下館」の屋体崩し、特に、「行平下館」では、崩れた館の大屋根
に、巨大な髑髏が出て来るが、三種の神器が揃うと髑髏が崩れる
(つまり、「骨寄せ」の逆)などの工夫があり、こういう趣向
は、猿之助一座は、巧い。いずれも、見応えのある大仕掛けだっ
た。

さて、この芝居、こうして通しで拝見していると、複雑な筋立て
ながら、主人公は、孔雀三郎、後に伴良雄(右近)の二転、三転
する数奇な運命の物語だということが判る。猿之助が二役で演じ
る紀名虎(伴良雄の父)の亡霊や、紀名虎の弟・紀有常は、筋立
てから見れば、脇に廻っている。但し、比較的上演される「春日
村」の場面だけを取り上げれば、10数年ぶりで娘・信夫に再会
した有常が、親子の情を押しとどめながら、惟仁親王への忠義だ
てのために、実の娘を殺す芝居の主人公ということで、主役の役
柄となっている。さて、その猿之助の出と退場だが、前半は、せ
り上がり、せり下りが多い。まず、「小野山々中」では、舞台中
央に設えられた土手にちりばめてあった人骨が、「骨寄せ」で、
髑髏、胸、両手、腰、両足の順に一体化され、やがて、白煙に隠
れて、土手上にせり上がって来る。そして、一芝居あって、やが
て、白煙に隠れて、せり下がり、退場。次が、相撲の場面で、土
俵中央のせり穴からせり上がって来て、惟喬親王の背後に廻り、
乗り移る。ここは、乗り移ったまま、舞台が廻って、退場。内裏
炎上での、せり上がりとせり下がり。4回目のせり上がりは、花
道・すっぽんから。そのまま、宙乗りになり、3階席に誂えた宙
の「向う」へ入り込む。大詰では、奥庭の道具幕が、振り落とさ
れて、雲の山台の上に据えられた合引(あいびき)に乗ったま
ま、台ごと、雪衣(ゆきご)に押されながら登場、最後は、引っ
張りの見得で、幕。後半、紀有常になってからは、花道を使って
の普通の出と入りになる。

事実上主人公役の右近は、「蘭平物狂」同様の、大立ち回りで、
若さを強調。右近は、久しぶりに、熱演。さて、もう、猿之助
も、年齢からして、右近のような役回りは、難しいのだろう。猿
之助は、筋書の石川耕士との対談で、「僕が、『伊達の十役』を
初演した頃なら、紀名虎と孔雀三郎、二役早替りでお客さ様を百
二十パーセント満足させられるけど」と、言っている。いずれ、
猿之助一座も、世代交代して行くのだろうが、交代の仕方が、難
しかろうと、思った。

その「蘭平物狂」と「競伊勢物語」の関係だが、ご存知のよう
に、「蘭平物狂」は、本外題を「倭仮名在原系図(やまとがなあ
りわらけいず)」と言い、在原行平と須磨時代の恋人・松風との
恋物語に皇位争い、伴義雄(ここの、伴良雄と字が違うが、同じ
人物を想定している)の復讐などを織りまぜた全五段の時代浄瑠
璃の四段目で、行平館と奥庭が、舞台。「倭仮名在原系図」は、
1752(宝暦2)年12月(旧暦)、大坂・豊竹座で、人形浄
瑠璃上演、歌舞伎は、翌年1月京都で上演されている。そして、
今回の「競伊勢物語」は、1775(安永4)年4月、大坂・中
の芝居で歌舞伎上演、殆ど同じころ大坂で人形浄瑠璃も上演され
た。従って、「行平下館」と「奥庭」が、大立ち回りを中心に
「蘭平物狂」をほとんど下敷きにしていることが判る。

このほか、先行作品を下敷きにしているのは、いろいろ目につ
く。例えば、序幕・第一場「加茂社鳥居前」は、「菅原伝授手習
鑑」(1746=延享3=年)の「加茂堤」での、斎世親王と苅
屋姫との牛車を使った逢引(いまなら、カーセックスの場面)を
下敷きにしたパロディだし、序幕・第二場「小野山々中」の今回
の演出は、「加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)」
の「八丁畷」の場面、亡くなった岩藤の骨が寄り集まって、一体
の骸骨になる、「骨寄せ」のパロディだ(いつから、こういう演
出になったのか、今回だけの演出なのか、調べていないが、原作
は、1860=万延1=年黙阿弥作「再岩藤」より、85年も前
に上演されているから、「骨寄せ」の場面は、無かっただろう
と、思う。第二幕・第四場「春日村小よし住家」での、有常の振
る舞いは、「御所櫻堀川夜討ち」の三段目「弁慶上使」を下敷き
にしているのだろう。「御所櫻堀川夜討ち」は、1737=元文
2=年初演。18年前に、弁慶がおわさに生ませた娘・信夫と、
17年前、1歳のときに隣家の小由夫婦に預けた有常(当時は、
百姓・太郎助)の娘も信夫とくれば、これは、同じ想定だろう。
大詰・第一場「行平下館」が、「蘭平物狂」を下敷きにしている
ことは、すでに、触れたが、さらに、屋体崩しの上に、巨大な髑
髏が出現するのは、同じような屋体崩しの場面で、大蝦蟇や大蛸
が、出て来る演出のパロディだ。紀名虎の亡霊の宙乗りによる退
場も、猿之助お得意の宙乗り演出。かように、スペクタクル演出
については、歌舞伎の初心者の心理を巧みに掴んでいる猿之助一
流のサービスだろう。判りぬくい歌舞伎の筋立ては、なかなか、
理解できなくても、スピーディな展開とダイナミックな歌舞伎の
演出のおもしろさは、誰にでも容易に理解できるからである。

さて、役者評だが、猿之助が、軸になっている場面は、良いのだ
が、猿之助が出ない場面は、芝居が弱い。その原因は、存在感の
ある役者が少ないということだろう。今回は、猿之助一座の、段
四郎と亀治郎の親子が、歌舞伎座に出演ということで、こちらは
欠席。いつもより、余計に役者の層が薄いのは、否めない。女形
では、笑也、笑三郎、春猿が頑張っているが、井筒姫と信夫の二
役を勤めた笑三郎が、頭ひとつ、抜けているように見受けた。笑
也は、女性が化けた若衆という設定の金吾役では、妖しい異彩が
あった。笑也は、真女形より、こういう一癖ある役柄に独自性が
ありそうだ。美形は、やはり、春猿だろう。二幕目の、名場面で
も東蔵の小由が、弱いので、芝居がおもしろならない。歌六も、
線が細く、存在感が弱い。立役では、右近、寿猿、猿弥、猿四
郎、それに、實川延郎が、印象に残った。親王役の二人、高麗
蔵、段治郎は、なぜか、影が薄いような気がした。竹本の葵太夫
は、今回の再編成にあたり、作曲も手掛けたそうだが、咽の方
も、相変わらず、聞かせる。

このほか、私の「ウオッチングメモ」から気がついたことをアト
ランダムに記録しておきたい。

天皇の皇位を決める大内裏での相撲の行司を勤める前に、加茂社
に精進潔斎に来た在原業平(門之助)は、満開の花見に来ていた
生駒姫に出逢うと、「弓矢は邪魔じゃ」と言うや、弓矢を入れて
担いでいた道具をすぐさま、置き捨ててしまう。武術より、色好
みという当代の色男らしい率直さが、おもしろい。生駒姫は、典
型的な赤姫だが、業平の許嫁・井筒姫の方は、婚約者がいるせい
か、桃色姫であった。「金閣寺」の雪姫も、人妻の姫なので、桃
色姫であった。

名虎(伴良雄の父)の亡霊が、出現した小野山々中では、枯葉の
吹雪が、舞っていた。相撲の土俵は、四角に柱があり、それぞれ
の柱に、亀、虎、鳳凰、龍が、巻き付いていた。周りの幕は、御
殿の瓦燈口の垂幕のような布を縫い合わせてあり、色は、4色
(赤紫、朱、青、緑)であった。右近の仕丁・孔雀三郎が、惟仁
親王の代わりに土俵に上がったが、三郎が、荒事らしく、「やっ
とこどっこい、うんとこな」というと、土俵の周りを囲んでいた
ほかの仕丁たちが、「ありゃ、おりゃ」という化粧声で、和して
いた。ここでも、比叡颪が吹き、枯葉が舞っていた。染殿の御殿
は、白木でも、黒塗りでもなく、珍しい朱塗りであった(そう言
えば、国立劇場の花道、本舞台の床が、いつものままだったの
で、逆に思い出したのだが、歌舞伎座の床が、ことしの8月初め
に葺き替えられているのに先日気がついた。8月初めの葺き替え
というのは、歌舞伎座に確認済み)。

雪の行平下館は、雪景色なのに、なぜか、上手に満開の桜木が
立っている。と、思っていたら、謎の若衆、こと桂金吾(笑也)
を助けた奴友平、実は、伴良雄の二人で、木の根元を箒の柄で穿
ると、三種の神器のひとつ、宝剣を掘り出したから、宝剣の威力
で、桜木が、雪景色のなかでも満開に咲いていたことが判る。行
平下館の場面では、平舞台は、雪衣(ゆきご)が、出勤し、御殿
の座敷き内では、黒衣が、出勤し、それぞれの役を勤めていた。
行平の懐中にあった三種の神器のひとつ、曲玉も、良雄らに奪わ
れたりするが、偽物だと言う行平の機転で、火鉢に投げ込まれ
(御殿の畳に仕掛けがあるので、この場面は、要注意)、結局、
二つの神器は、行平派の手中に入る。さらに、信夫らを犠牲にし
て取りかえした神鏡も、業平が持って駆け付け、惟仁派は、三種
の神器を全て手に入れたことになる。暴れていた奴友平、こと伴
良雄(「蘭平物狂」なら、奴蘭平、こと伴義雄)は、ぶっかえり
で、「水色の孔雀の模様の衣装に替る。そう言えば、蘭平も、こ
の場面では、「百万騎の強敵にもおくれを取らぬ孔雀三郎」など
という科白を言う。

幕切れの場面では、猿之助を除いて、惟仁親王(高麗蔵)、染殿
皇后(東蔵)、井筒姫(笑三郎)、在原行平(歌六)、在原業平
(門之助)、水無瀬御前(春猿)、金吾、実は渕辺春人(笑
也)、此兵衛、実は、大江音人(寿猿)、そして、伴良雄(右
近)の9人が、雪の奥庭の遠見を描いた道具幕の前に、勢ぞろい
する。猿之助がいない。やがて、幕が落とされて、雲に乗った名
虎の霊(猿之助)が、現れる。最後は、緑、黄色、桃色の3色の
花弁が、吹雪いてくる。全員で、絵面の見得となり、幕。
- 2003年10月19日(日) 22:17:19
2003年10月・歌舞伎座  (夜/「祇園祭礼信仰記」「於
染久松色読販」)

「縄と櫻」の美学

「縄と櫻」などと言うと、作家・団鬼六の作品の世界のようなタ
イトルになるが、今回は、「祇園祭礼信仰記」を、暴力(権力)
と文化をテーマという視点で、見据えてみたい。

さて、今月の歌舞伎座は、珍しく、昼・夜の部とも、2演目構成
での公演。夜の部の「祇園祭礼信仰記〜金閣寺〜」は、3回目の
拝見。雪姫:雀右衛門(前回と今回で、2回目)、玉三郎(5年
前の初回)。大膳:幸四郎(3)。東吉:團十郎、富十郎、菊五
郎。慶寿院:田之助(3)。狩野直信:九代目宗十郎、秀太郎、
時蔵。正清:左團次、歌昇、我當。鬼藤太:彦三郎、弥十郎、信
二郎(掲載順は、原則的に私が観た時期の順)。

歌舞伎座の舞台を観てから、2年前の「遠眼鏡戯場観察」の劇評
を読んだが、主要な配役が前回と同じだし、批評も、私なりに過
不足なく書いているので、今回書いてみても、殆ど変わらない
と、思える。従って、今回は、前回の劇評にできるだけ重複しな
いよう、短かめに書く(前回、01年3月の歌舞伎座の劇評は、
このサイトの「観劇記検索キー」で、外題の「祇園祭礼信仰記」
か「金閣寺」を打ち込めば、出て来るので、参照してくださ
い)。

金閣寺の幕開き、中央二重舞台の踏み石の上に揃えられた黒漆塗
りの下駄。紅白の鼻緒が艶かしい。芝居の基調となる、エロス
は、この一対の下駄から始まる。このほか、雪姫を縛る縄と舞台
一面に溢れる櫻花など、この舞台は、小道具が、ポイントになっ
ているから、見逃せない。雀右衛門の雪姫は、前回も、「一世一
代」の演技という感じがしたが、今回も、同じ緊張感を維持した
素晴しい舞台であった。幸四郎は、昼の部の源五兵衛の、陰湿な
存在感を引っ張っていて、こちらの大膳役も、良かった(もっと
も、私が観た舞台は、3回とも大膳は、幸四郎である。ほかの大
膳を観ていない)。縄は、大膳の暴力(権力慾)を象徴すると同
時に、視覚的には、雪姫と櫻木、櫻花との緊張関係を象徴する。
絶えざる弛みのない縄が、両者の関係をピンとしたものにする。
死に行く夫・狩野直信(時蔵)との、別れの場面でも、双方、括
られた縄が、柵(しがらみ)多い、この世との別離を象徴するよ
うに、無情にすれ違う。

雪姫が、櫻の花弁で描いた白い鼠によって、身体を戒めていた縄
を食いちぎらせる。前回は、自由の身になった雪姫が、鼠を叩く
と、黒衣が操る差し金の先の鼠の身体が、まっぷたつに裂けて、
ピンクの花弁が飛び散る仕掛けになっていたが、今回は、無し。
これは、おもしろい仕掛けで、是非、続けてほしかった。前回
は、藝の魔力を象徴しているように受け止めた。天井から落ちて
来る櫻の花弁が、今回は、ときどき、かたまりでどさっと落ちて
来て、場内の笑いを誘っていた。舞台、花道とも、櫻の花弁で一
杯になる綺麗な舞台だ。

さらに、此下東吉から真柴久吉に身顕わしをした菊五郎は、裁き
役として、颯爽としている。こういう役は、巧いと、思う。いつ
も思うのだが、歌舞伎の英雄は、義経像が原型なのだろう。四天
王を引き連れて、久吉ならぬ義経登場と言っても、おかしくない
お馴染みの場面となる。金閣寺の楼閣の大道具せり下がりは、い
つ観ても迫力がある。菊五郎久吉は、猿のように桜木を登る(前
回の富十郎久吉は、木に登らず。前々回の團十郎は、今回同様登
る。この場面は、やはり、いつでも、木を登ってほしい)。

この物語は、情慾と権力の野望に燃える「國崩し」役の大膳対藝
の力の雪姫、それを支援する真柴久吉という構図。つまり、権力
慾と文化の対決で、文化が勝利という判りやすい芝居だ。姫(そ
れも、「三姫」のひとり、雪姫という大役)、老け役の慶寿院、
國崩し、裁き役、和事役の直信、善悪双方の赤っ面など、歌舞伎
の典型的な役柄が出揃う。さらに、ダイナミックな大道具のせり
下げ、せり上げ、冒頭で触れたように小道具も、重要な役回りを
しているし、舞台一面に溢れ出す桜花など、様式美にも富む。そ
ういう意味では、時代物の典型的な演目として、初心者に喜ばれ
る舞台だ。歌舞伎の初心者を魅了してやまない演目だと、思う。
今回も、充分に見応えがあった。

「於染久松色読販」は、初見。昼の部の「盟三五大切」同様、南
北の作品。長い下積み生活の果てに、50歳を前に、立作者に
なった南北は、満74歳で亡くなるまでの、四半世紀に及ぶ「中
年期」こそ、彼にとっては、充実の「青春期」であったかも知れ
ない。第二の人生を「青春期」として過ごした希有な例のひとつ
が、南北の人生であったと、思う。まあ、そういう時期ではあっ
ても、所詮、水ものの興行の世界だ。当たり外れもある。1年余
りの不当たりの後、久しぶりに当てたのが、森田座上演の「於染
久松色読販」であった。五代目岩井半四郎の七役が、当たったの
だ。

こちらは、大坂のお染め久松の物語を江戸に移すという発想を
ベースに、主家の重宝探し、土手のお六と鬼門の喜兵衛の強請が
絡むが、基本は、「お染の七役」と言われるように、早替りを、
いかにテンポ良く見せるかという、単純な芝居(それゆえか、南
北は、2年後、お六を軸にした芝居「杜若艶色紫(かきつばたい
ろもえどぞめ)」を書き、江戸の河原崎座で上演する)。不当た
り続きの南北が、当時、流行の早替りの演出を取り入れた捨て身
の趣向が当たったのだろう。そういう意味では、芝居らしい芝居
は、序幕、第三場「小梅莨屋」の場面から始まる。それまでは、
玉三郎の七役紹介という場面(まるで、雑誌のグラビアページ
だ)が続く。早替りなどに慣れている猿之助一座の芝居と違い、
玉三郎一座は、早替りのテンポなどは、「ちょっと」という場面
もあったが、座頭の玉三郎は「替わる急所をしっかり押さえるこ
とが大事だと思います。七つの役がパッと浮かび上がって見える
ように。だから早替わりでなくて遅替わりになるかもしれませ
ん」(筋書)と言っているから、そこは、承知の上のようだ。

玉三郎が、替る役は、お染、久松、お光(「お染久松」の世界の
3役)、久松の姉で奥女中竹川、後家(つまり、お染の継母)の
貞昌、土手のお六、芸者小糸。それぞれの役を早替りで見せ、
「悪婆」と呼ばれるお六をじっくり見せる。従って、序幕、第三
場で、お六が登場するまで、玉三郎が、目まぐるしく替って見せ
る場面は、筋立てが、判りにくく、途中で、私もうとうとしてし
まった。まあ、ここは、筋立てを気にせずに、目まぐるしく替っ
ても、役者の顔は、替らずに玉三郎というところを堪能するだけ
で、良いのかも知れない。また、今回の座席が、2階、下手寄り
の座席で、上手の玉三郎の出入りや屏風の陰での、早替りのさま
が、「斜め前」から見えるという位置なので、言わば、「舞台
裏」も、ちらちら見えたが、それは、私の肚のなかへ、というこ
とにしておこう(特に、「油屋裏手二階」の場面は、大きな屏風
一枚を巧みに使いながら、お染、久松、貞昌の3役を、吹き替え
を使いながら、玉三郎がひとりで演じて行くさまの、舞台裏の手
際の大変さも、伺えてしまった)。

序幕、第三場は、「悪婆」という独特の女形の型のあるお六(玉
三郎)と鬼門の喜兵衛(團十郎)の夫婦の登場。実は、重宝紛失
の鍵を握る男が、この喜兵衛。盗んだ重宝を売り払い、百両とい
う金を手に入れ、すでに、使い込んでしまっていた。金の工面に
と、喜兵衛が思いついたのが、質店油屋(お染の実家)に対する
強請だが、これが、強請に使った「死体」が、息を吹き返すとい
う杜撰な強請で、化けの皮がはがれるが、喜兵衛は、意外と、泰
然自若としている、小悪党のくせに、大物なのか、小物なのか判
らないという、おもしろい男。この男を團十郎が、過不足なく演
じていて、今回、最大の見どころは、團十郎の芝居だろうと、
思った。これは、収穫だった。従って、「小梅莨屋」から、「油
屋」、「油屋裏手土蔵」までの場面は、じっくり観た方が良い。
人に頼まれて、自分が、重宝を盗み出して、油屋へ質入れをし、
その金を使い込んでしまい、依頼主から重宝を催促されて、質入
れをした店に、偽の「死体」で強請をかけ、それが失敗するや、
質店の土蔵に盗みに入る。その挙げ句、盗みに入った土蔵に居た
久松に見つけられ、久松に斬り殺されるという、発想の単純な小
悪党でもある。そのあたりの人物の描き方が、團十郎は、巧い。
偽の「死体」にならされた丁稚の久太(橘太郎)の、「死体ぶ
り」が、巧い。硬直している体を表現するのは、かなり難しいと
観た。横倒しにされた棺桶(またしても、「樽」)から、飛び出
す、死体の硬直ぶりは、見逃せない。

油屋の強請の場面では、お六と喜兵衛の思惑の違いもあり、この
あたりの、玉三郎との対比も、おもしろい。女形が、強請の主導
権を握るのも、珍しいので、興味部深く拝見した(先月の、「河
内山」の強請場を思い出し、比較しながら)。兎に角、この芝居
は、玉三郎の早替りの妙と、團十郎、玉三郎の絡む場面という、
ふたつの見どころを見逃さなければ、良いだろう。

大詰の、「向島道行」の場面は、「心中翌(あした)の噂」とい
う常磐津舞踊として、独立して、演じられることもある場面で、
お六と久松の早替り、女猿廻しお作(亀治郎)と船頭長吉(松
録)の所作が、見どころ。このほか、南北作品らしく、江戸の庶
民の風俗の描写が、細かい。序幕の「柳島妙見堂」の大道具など
も、そういう視点で観ていると、おもしろい(奉納額、絵馬な
ど)。
- 2003年10月16日(木) 22:33:22
2003年10月・歌舞伎座(昼/「盟三五大切」)

「南北のノワ−ル−−−義鬼・疾駆す」

「仮名手本忠臣蔵」が、人形浄瑠璃や歌舞伎のヒット作となり、
江戸時代の庶民に喝采して迎えられた。1748年のことであ
る。7年後の1755年、江戸の日本橋新乗物町の紺屋の型付職
人の子として生まれた南北は、長い狂言作者の見習いを経て、
50歳を目前にして、ようやく、一人立ちし、「天竺徳兵衛」
(1804年)で、ヒットする。以後、1829年に亡くなるま
で、25年間、いまも残る名作の数々を書き続け、歌舞伎史上に
「大南北」として、名を残して行く。

そのなかでも、3大歌舞伎のひとつとして、人気の出し物となっ
ていた並木宗輔らの「仮名手本忠臣蔵」の外伝として、「謎帯一
寸徳兵衛」(1811年)、「東海道四谷怪談」(文政8=
1825=年7月・江戸中村座)、「盟三五大切」(文政8=
1825=年9月・江戸中村座。いずれも、月は、旧暦)などの
外伝ものを書き上げて行く(03年7月歌舞伎座、夜の部では、
「四谷怪談忠臣蔵」が、猿之助一座で、上演されていて、「遠眼
鏡戯場観察」にも、これについて劇評を書き込んでいる)。

「四谷怪談」で、南北は、塩冶家断絶の後、浪人となった民谷伊
右衛門を主人公として、「忠臣蔵」の義士たちに対して、「不義
士」を描いたが、「盟三五大切」では、義士・不破数右衛門を主
人公として、義士のなかに紛れ込んだ殺人鬼を描いた。「四谷怪
談」が、妾と中間の密通事件を知った旗本が、二人を殺して、同
じ戸板の裏表に二人を縛り付けて、川へ流したという実際の事件
をモデルにしたように、「盟三五大切」では、寛政6
(1794)年2月大坂中の芝居で上演された並木五瓶原作「五
大力恋緘」(大坂・曾根崎で実際に起きた5人斬り事件をモデル
にした)を書き換えた形で、実際の事件を再活用した。私の「盟
三五大切」拝見は、2回目。前回は、6年前、97年10月、歌
舞伎座であった。源五兵衛:今回同様幸四郎、三五郎:勘九郎、
小万:雀右衛門など。特に、小万を演じた雀右衛門の印象が強
い。

「盟三五大切」は、粗筋を簡単に辿ると、こうである。塩冶家の
浪人不破数右衛門は、御用金百両を盗まれ、その咎で浪人とな
り、いまでは、薩摩源五兵衛(幸四郎)と名前を変えて生きてい
る。数右衛門は、旧臣下の徳右衛門、いまは、出家している了心
(幸右衛門)に金の工面を頼んでいる。その一方で、深川の芸
者・小万(時蔵)に入れ揚げている。小万は、船頭・笹野屋三五
郎(菊五郎)の女房・お六である。三五郎は、実は、徳右衛門の
息子の千太郎で、訳あって、勘当の身であるが、父親が旧主のた
めに金の工面をしていると聞き、これを用立てて、勘当を許して
もらおうとしている。そのために、女房のお六を小万と名乗らせ
て、芸者に出しているのだ。その金策が、実は、源五兵衛から金
を巻き上げるということから悲劇が発生することになる。

源五兵衛のところへ、伯父の富森助右衛門(彦三郎)が、百両の
金を持って来る。この金を塩冶浪士たちの頭領・大星由良之助に
届けて、仇討の一味に復帰せよと助言する。しかし、源五兵衛
は、小万らに騙され、小万の身請け用として、百両を渡してしま
う。三五郎は、源五兵衛に小万の亭主だと名乗り、身請け話しを
ちゃらにし、百両をだまし取る。三五郎と小万こと、お六は、騙
りに参加した小悪人ども(團蔵ら)と祝杯を上げたが、寝入った
ところを、源五兵衛に襲われ、小悪人たち5人は、殺されるもの
の、ふたりは、悪運強く、生き延びる。その後、ふたりが、逃げ
込んだ四谷鬼横町の長屋は、かって民谷伊右衛門が住んでいたと
ころだ。さらに、家主の弥助(左團次)は、お六の兄で、実は、
不破数右衛門の百両を盗んだ盗賊であった。さらに、かつて長屋
に出入りしていた大工が隠し持っていた絵図面が見つかる。この
絵図面こそ、塩冶浪士たちが主君の仇と狙う高野家の絵図面で
あった。三五郎は、弥助を殺し、百両と絵図面を父親の了心に渡
す。

小万らの居所を突き止め、再び来た源五兵衛は、三五郎の留守に
小万とその子どもを殺す。三五郎の父親は、百両と絵図面を旧主
の不破数右衛門こと、薩摩源五兵衛に渡す。そのことを初めて
知った三五郎は、父親の旧主不破数右衛門こと、薩摩源五兵衛の
罪の全てと己の罪を一身に被って自害し、源五兵衛には、塩冶浪
士として、敵討ちに加わるように懇願する。源五兵衛は、件の長
屋に姿を変えて潜んでいた塩冶浪士らとともに、高野家(高家)
への討ち入りに参加して行く。

この人間関係で、キーパースンになっているのは、三五郎の父親
の了心だというのが、判る。しかし、了心が、三五郎と源五兵衛
にそれぞれの関係を告げなかったために、三五郎は、源五兵衛を
罠にはめて、金をだまし取り、源五兵衛は、それを恨んで殺人鬼
となり、小万、こと三五郎の女房お六ら8人を殺してしまう。そ
ういう意味では、忠臣・徳右衛門こと、了心こそ、悪行の連鎖の
鍵を握っていたことになる。それにもかかわらず、塩冶義士、こ
と赤穂義士のなかに、殺人鬼が潜んでいることが判る。

そういう点を踏まえて、これから「盟三五大切」を観劇される人
のために、私なりの視点で、この芝居を観るための4つのポイン
トを書き留め、その上で、役者の評を付け加えておきたい。

1)「四谷怪談」の続編
2ヶ月前の7月、江戸・中村座で「仮名手本忠臣蔵」と合わせて
2日がかりで「東海道四谷怪談」を上演し、大当たりをとった南
北が、9月、同じ中村座で「盟三五大切」を上演するあたって、
意図したのは、「四谷怪談」の<続編>の強調であった。三五郎
と女房お六が隠れ住んだ四谷鬼横町は、実は、鬼=お岩というこ
とで、お岩さまで知られる横町であり、ふたりが入った長屋は、
かって民谷伊右衛門が住んでいたところという想定だ。さらに、
お六の兄と判明する家主の弥助は、かって民谷の下部(しも
べ)・土手平であり、お六も、民谷の召使であった。長屋に「勝
手付化物引越申候」という板を打ち付けて、新しい入居者をお化
けでおどして、転出させ、家賃を巻き上げる作戦をとっていた家
主がなりすましたお化けは、お岩の幽霊であった。また、旧主・
不破数右衛門のために、金策に走っていた三五郎の父・徳右衛門
同心了心が、利用した金集めの手段は、なんと、お岩稲荷建立の
ための募金活動であった。芝居のあちこちにちりばめられた「四
谷怪談」の仕掛けを見逃してはならない。「四谷怪談」につい
て、登場人物の類型論という視点から、後に、更に述べてみた
い。

2)「忠臣蔵外伝」の系譜
こちらは、1)とも、関わるが、塩冶判官切腹で取り潰しになっ
た塩冶家の浪人・民谷伊右衛門が、義士の群れから、こぼれ落ち
た「不義士」なら、薩摩源五兵衛として、多数の人殺しをした上
で、百両と高野家(「仮名手本忠臣蔵」では、高家)の絵図面を
手土産に塩冶浪士という義士の群れに復帰する不破数右衛門は、
義士のお面を被った殺人鬼である。何故、南北は、47人いる義
士の群れのなかから、そういう役回りの人物として、不破数右衛
門に「白羽」ならぬ黒い羽のついた矢を放ったのだろうか。

まず、その不破数右衛門とは、「仮名手本忠臣蔵」では、どうい
う役回りだったかを調べてみた。不破数右衛門が出て来る場面
は、六段目。「勘平切腹」の場面である。五段目の「山崎街道鉄
砲渡しの場」で、勘平と出逢い、由良之助の御用金集めの話を打
ち明けた千崎弥五郎が、(「山崎の渡し場を左へとり、百姓」)
与市兵衛内へ、再び、勘平を訪ねて来る。このとき、勘平は、誤
解から、自分が舅の与市兵衛を殺してしまったと思い、動揺して
いる。千崎弥五郎は、ひとりではなかった。このとき、弥五郎と
いっしょに来たのが、不破数右衛門なのである。勘平とふたりの
若干のやり取りの後、数右衛門が言う科白に注目したい。

「コリャ勘平、お身ゃどうしたものじゃ。渇しても盗泉の水を呑
まずとは、義者の戒め。舅を殺し取ったる金、亡君の御用に立つ
と思うか。生得、汝が不忠不義の根性にて、調えたる金子と推察
あって、さし戻されし大星殿の眼力、あっぱれあっぱれ。さりな
がら、ただ情なきは、このこと世上に流布あって、あれ見よ、塩
冶の家来早野勘平、非義非道を行ないしと言わば、汝ばかりの恥
辱にあらず。亡君の御恥辱と知らざるか、うつけ者めが。さほど
のことの弁えなき汝にてはなかりしが、いかなる天魔が魅入りし
か。チエエ、情けなき心じゃなア」。

この道徳論に打たれて、勘平は、「舅殺し」を白状して、切腹す
る。後に、誤解が解けて、勘平に「亡君の敵、高師直を討ち取ら
んと、神文を取り交わせし、一味郎党の連判状」を見せて、勘平
を「一味郎党」に加える判断を下す重臣であり、御用金をまとめ
る金庫番である人物こそ不破数右衛門なのである。こういう武士
の鑑のような道徳論を説く男・不破数右衛門を南北は、薩摩源五
兵衛という殺人鬼、実は、不破数右衛門という塩冶義士、つま
り、「義をかかげる殺人鬼」として、主人公に据えたのである。
こうして見てくると、南北は、表の「仮名手本忠臣蔵」を裏に返
して、「忠臣蔵外伝」として、不義士・民谷伊右衛門を主人公と
する「東海道四谷怪談」を書いただけではものたらず、さらに、
義士のなかにいる殺人鬼・薩摩源五兵衛、実は、不破数右衛門を
主人公とする「盟三五大切」を書いたということになる。「忠臣
蔵」に対する南北の皮肉は、「四谷怪談」では飽き足らず、「盟
三五大切」で、やっと、結実する。

3)「小万源五兵衛」の世界
では、何故、不破数右衛門は、殺人鬼になるにあたって、「薩摩
源五兵衛」と名乗ったのか、という疑問が、次に生まれて来る。
「おまん源五兵衛の『世界』」から、語らねばならないだろう。
「おまん源五兵衛の『世界』」とは、俗謡とも呼ばれる近世歌
謡、浄瑠璃、歌舞伎狂言の系統で、「おまん源五兵衛もの」とし
て、ひとつの「世界」を構成する「概念(コンセプト)」であ
る。江戸の庶民周知の通俗日本史や伝承のなかで、繰り返し、脚
色・上演されることで、形成されて来た類型的コンテンツのこと
である。「世界」とは、大仰な演劇用語かも知れないが、江戸の
芝居の年中行事として、「世界定め」という用語が使われたよう
に、ある出し物が、「○○の世界」と定められれば、作品の背景
となる時代や主な登場人物、そこで繰り広げられる事件などは、
狂言作者も、役者も、観客も、芝居が作られ、上演される前か
ら、基本的な共通意識(コモンセンス)を持ってしまう。そこ
で、芝居の楽しみと言えば、作る方も、演じる方も、観る方も、
お馴染みの「世界」に、どういう工夫魂胆のもと、どういう趣向
を見せてくれるかが、楽しみになって来る。歌舞伎とは、そうい
う演劇空間であった。

「おまん源五兵衛もの」に話を戻すならば、「高い山から谷底見
ればおまん可愛や布晒す」という源五兵衛節があり、流行した俗
謡に刺激されて、井原西鶴は、浮世草子(小説)「好色五人女」
巻五で、「恋の山源五兵衛物語」を書き、近松門左衛門は、浄瑠
璃「薩摩歌」を書いた。これを受けて、源五兵衛・三五兵衛(三
五郎ではない)・おまん(小万ではない)を主たる登場人物とす
る芝居が生まれたという。さらに、大坂の曾根崎新地で実際に起
こった薩摩武士・早田八右衛門による遊女・菊野ら5人殺しとい
う殺人事件に刺激されて、初代並木五瓶が、先行作品「薩摩歌」
を下敷きに、「五人切五十年廻(ごにんぎりごじゅうねんか
い)」を書き、さらに「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじ
め)」に書き換え、江戸で上演した際、曾根崎を深川に書き改め
るとともに、「菊野」の役柄を「おまん」に通じる「小万」に改
めた。だから、「五大力恋緘」には、上方型と江戸型がある。五
瓶は、己の作品を下敷きに、さらに、その名もずばり、「略三五
大切(かきなおしてさんごたいせつ)」を書き、また、これを下
敷きに南北が、「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」を
書いたというわけだ。簡単にふれただけでも、「おまん源五兵衛
もの」は、ストーリーも含めて、幾重にも重層化している。それ
は、ほかの「世界」でも同じだ。己の作品も含めて、先行作品を
下敷きにし、より良い世界を求めて、書き換えて行く。そういう
職人的な、書き換えの行為の果てに、憑意したかのごとき状態に
なった作者の手から、新たな狂言が、生まれでて来ることがあ
る。だから、書き換えは、パロディでもあり、剽窃でもあり、し
ながら、あらたな演劇空間の地平を開いて行く。まさに、書き換
えの勧め(「偉大な先行作品の『模倣と批評』を繰り返し、新た
な傑作を生み出し続けたことで延命を保っている創作形式」は、
ほかのジャンルにも通じる)である。その「世界」で使えそうな
事件が起これば、それは、狂言作者の書き換え意欲を刺激するこ
とになる。

4)「南北のノワ−ル−−−義鬼・疾駆す」
「ノワ−ル」と、名付けたが、「ノワ−ル」とは、文藝評論家の
池上冬樹の定義によれば、「孤独と愛憎から捩じれ屈折し、とき
に破滅していく者たちの精神の暗黒を描く文学」ということにな
る。そういう視点で、「盟三五大切」を観ると、「孤独と愛憎か
ら捩じれ屈折し、ときに破滅していく者たち」の典型は、三五郎
とお六、こと小万であり、「孤独と愛憎から捩じれ屈折し、とき
に破滅してい」きかけながら、したたかに、復活する「義をかか
げる殺人鬼」=「義鬼」こそが、薩摩源五兵衛こと不破数右衛門
なのではないか。

善人面した善人、善人面した悪人は、世間にも多い。悪人面した
悪人も、性根が、顔に出るという意味では、善人面した善人と同
じであるが、こちらは、世間では、稀であろうが、歌舞伎では、
「赤ッ面」などと呼ばれ、化粧からして、一目で判るようになっ
ていて、一芝居打てば、必ずと言って良いほど出て来る。しか
し、今回の薩摩源五兵衛のような、無気味な悪人面した悪人であ
り、義士でもある、などという人物は、滅多にいない。これは、
南北の世界だから出て来る人物であろう。民谷伊右衛門が、色悪
の極みなら、薩摩源五兵衛、実は、不破数右衛門は、独自のキャ
ラクターを作り上げた極悪人の極北であろう。つまり、「南北原
理主義」とでも、呼ぶしかない、人物造型の、悪の極みであろ
う。

したたかな復活。「義士・不破数右衛門の面の皮、その薄皮一枚
剥いてみれば、不義士・民谷伊右衛門よりも、あくどい奴(義鬼
=薩摩源五兵衛)がいる」と南北は、言いたかったのかもしれな
い。

ここで、先ほど、触れた「四谷怪談」の主な登場人物と「盟三五
大切」との類似性を南北原理主義に照らして、論じてみたい。ま
ず、「四谷怪談」の民谷伊右衛門の類型を、仮にAとする。お岩
がB、直助がCとなる。「盟三五大切」の主人公、薩摩源五兵衛
は、塩冶浪士の系譜から見れば、れっきとした義士・不破数右衛
門その人であり、民谷伊右衛門のような、不義士ではないから、
Aではないだろうが、さりとて、源五兵衛としては、伊右衛門と
は、全く別の類型Dでもないだろう。不義士と紙一重の義士の仮
面を被った殺人鬼だから、A’だろうと思う。小万ことお六は、
A’の薩摩源五兵衛に殺されるから、Aの伊右衛門に殺されるお
岩と同じで、Bになると思う。三五郎は、お岩の妹、お袖と契
り、最後に真実を悟って切腹する直助と同じで、お六=お岩と夫
婦で、最後に真実を悟って自害するから、Cのままになるだろ
う。こうして見てくると、「四谷怪談」と「盟三五大切」の類似
性は、いっそう、はっきりする。つまり、「盟三五大切」は、
「四谷怪談」の続編と言うよりは、「四谷怪談」を下敷きにした
書き換え狂言、つまり、「四谷怪談」の「正統なる変種」なので
はないか。不義士の伊右衛門は、源五兵衛のように、本名の不破
数右衛門に戻って、雪降りしきるなか、大星由良之助らとともに
高野家(あるいは、高家)に討ち入ることはできないが、お岩の
亡霊や、佐藤与茂七らを相手に、雪降りしきるなか、斬り結ぶと
いう、幕切れの類似性は、そのことの証左ではないか。

そういう意味では、「盟三五大切」は、同じ江戸・中村座の舞台
で2ヶ月前に上演した「東海道四谷怪談」よりも、南北原理主義
的に言えば、人物造型が、徹底している。徹底し過ぎて、時代を
飛び越えて、近代劇の系譜に突き刺さってしまったかも知れな
い。「歌舞伎名作全集」には、2巻の鶴屋南北集が、所載されて
いて、10の作品が掲載されているが、「盟三五大切」は、入っ
ていない。これは、第1に、ストーリーが、あまりに、陰惨だと
言うことが挙げられるかも知れない。更に、「四谷怪談」に比べ
て、大道具の仕掛けなど、舞台装置の活用に乏しいことが、舞台
を地味にし、意外と「不評」に作用し、埋もれさせているように
も思える(戦後の本興行でも、今回を含めて6回しか公演されて
いない。それも、ここ6年間で、半分の3回というのは、この演
目の、優れた「現代性」の証左かも知れない)。原理主義を徹底
した南北の反骨的な哲学としては、「四谷怪談」よりも時代を超
えるスケールがありながら、芝居という空間の活用としては、
「四谷怪談」に遠く及ばない。これは、そういう演劇空間の問題
でもあるだろう。「演劇空間」の活用により、「盟三五大切」
は、もっと、おもしろくなるかも知れない。

さて、今回のウオッチング・メモから、少し書き足し、役者評を
まとめたい。幕開きは、いきなり、黒幕を背景に舟の場面。序幕
第一場は、「佃沖新地鼻」だから、漆黒の闇のなかでの、江戸湾
である。お先の伊之助(右之助)の船頭と賤ヶ谷伴右衛門(團
蔵)である。深川芸者・小万の噂をしている。舟が、上手の袖に
入って行く。向う揚幕から花道を通り、別の舟が来る。噂の主、
深川芸者・妲妃の小万(時蔵)と船頭で亭主の三五郎(菊五郎)
である。女房のお六こと小万の手には、役者絵を刷り込んだ団扇
が握られている。夕涼みしながら、客から金を搾り取る相談をし
ているようだ。本舞台に舟が差し掛かると上手より、小さな樽が
流れて来る。沙魚が入っている。やがて、船上でのセックスの
体。前にも書いているが、私が観た歌舞伎の舞台では、最も扇情
的な性の描写がなされる場面だ。菊五郎は、時蔵の手を己の下半
身に誘う。さらに、菊五郎の手は、時蔵の下半身、そして胸へ。
そして、船上に横たわり、抱擁するふたり。・・・黒幕が、切っ
て落とされると、月夜の江戸前。上手から小さな屋形舟が、近付
いて来る。薩摩源五兵衛(幸四郎)が、船上に立ち上がって、ふ
たりの情事を見ている(幸四郎は、この出だけで、もう、充分に
存在感がある。「深刻郎」という異名のある幸四郎の、この配役
は、成功)。それに気づき、薩摩源五兵衛に愛想を振りまく小
万。憮然とした表情の三五郎。3艘の舟を効果的に使った演出
で、歌舞伎座の舞台は、一気に、江戸時代の江戸前の海風の世界
へタイムスリップ。

この芝居、今回の登場人物だけでも、6人が「○○、実は△△」
という役回りだ。皆、仮の姿で、まるで、あの世で、戒名芝居を
するように、現世で生きている連中ばかりだ。そのほかの登場人
物、「ごろつき勘九郎」「ごろつき五平」「内びん虎蔵」「やら
ずの弥十」「はしたの甚介」「ますます坊主」「くり廻しの弥
助」など、いかにも、江戸庶民を活写する役名がついている。ま
さに南北ワールド。開幕前の、ざわめきのなかで、筋書きに眼を
通すだけで、南北の工夫魂胆に乗せられて行くのが判る。序幕・
第二場「深川大和町の場」から、「大詰」まで登場する源五兵衛
の若党・六七八右衛門は、愛之助が、きっちり演じている。抜て
きされたのだろう。六七八右衛門の「八右衛門」という名前は、
遊女との痴情の果てに、大坂曾根崎で事件を起こし、この芝居の
モデルになった薩摩武士の「八右衛門」に由来している。因に、
同じくモデルになった事件の遊女「菊野」の名前も、芸者・菊野
(亀治郎)で、出て来る。

二幕目・第一場「深川二軒茶屋」の伊勢屋の場面では、小万の
左、二の腕の入れ黒子「五大力」は、源五兵衛への心中立て、と
いう「小道具」を使って、源五兵衛に小万を身請けするための百
両をださせるために、源五兵衛以外の登場人物たちが、源五兵衛
を騙す。騙しに成功すると、自信過剰の三五郎は、そのからくり
を明かし、源五兵衛の怒りに火を着けてしまう。執念深い、粘着
質の源五兵衛の性格を知らずに。これが、後の悲劇への元凶とな
る。源五兵衛のキャラクターの無気味さを、この辺りから幸四郎
は、巧く、掘り下げはじめる。それは、二幕目・第二場「五人切
の場」まで、溜め込む。

「五人切の場」は、騙しに成功して祝杯を上げている面々がい
る。内びん虎蔵宅である。まず、三五郎が、2階の座敷きで、小
万との情事の果ての、けだるさを感じさせながら、小万の腕の入
れ黒子「五大力」の「力」の字を、「七」と「刀」に書き換え
て、「三五大切」という、三五郎への心中立てに変造してしま
い、悦に入っている。やがて、夜も更け、三五郎らが2階、その
他は、1階で、寝込む。そこへ、障子の丸窓を破って、殺人鬼と
化した源五兵衛が、押し入って来る。まるで、「忠臣蔵」の五段
目の定九郎の出のようだ。だんまりのなかで、5人殺しの殺し場
が展開する。ここでは、「鈴ヶ森」風のノリの立ち回りも見られ
た。特に、團蔵演じる伴右衛門、実は、ごろつき勘九郎は、右手
が切り落とされ、衝立に血糊がつく。橘太郎演じるごろつき五平
(これは、並木五瓶のパロディか)は、首を切り落とされ、首
が、衝立に載る。

大詰第一場「四谷鬼横町」では、幽霊が出るというので、一旦、
長屋に引っ越して来た八右衛門(愛之助)が、すぐに宿移りする
場面があるが、引っ越しの荷物を火の番小屋に運び込む。何故、
火の番小屋なのか。小屋を通じて、長屋の外にでも通じているの
だろうか。この後に、三五郎夫婦が、引っ越してくるが、舟の櫂
棒で担いで来た棺桶のような大きな樽から傘、行灯、釜、笊、土
瓶、三味線、お櫃などが出て来た。まるで、「びっくり箱」のよ
うだ。そして、これらの小道具が、それぞれ、時と所を得て、
次々に、使われて行く。歌舞伎の舞台に出て来る道具は、本当に
無駄がないから、おもしろい。舞台の小道具にはウオッチン
グ!。まあ、要注意です。

「樽代を半分」などという科白もある。やりとりから、推測する
に、樽代とは、家賃のことのように聞き取れたが、どうか。何故
か、「樽」が、良く出て来る芝居だ。家主の弥助(左團次)殺し
の場、三五郎(菊五郎)との立ち回りで、弥助が、三五郎に向
かって言う科白「貴様もよっぽど、強悪じゃなあ」は、「四谷怪
談」の「砂村隠亡堀」の場面で、直助が、伊右衛門に言う科白と
同じだ。大詰第二場「愛染院門前」の場。では、珍しく、「本
首」のトリックが使われる。人の女房の首を斬り落とし、それを
懐に入れて帰って来ただけでも、グロテスクなのに、その首を飾
り、飯を喰うなど、死と食(生)を併存させる辺りは、南北の凄
まじいまでのエネルギーを感じさせる。この場面で、棺桶のなか
から、己の腹に出刃包丁を突き立てた三五郎が、飛び出してくる
が、ここの三五郎は、「忠臣蔵」の勘平切腹とダブルイメージさ
れる。これで、この狂言で、亡くなった人は、11人になった。

兎に角、幸四郎の源五兵衛の不気味さ、存在感は、圧巻。時蔵初
役の小万も、好演(それでも、前回の雀右衛門には及ばない)。
菊五郎の三五郎も、要所要所で、きちんと見せる。繰り返すが、
八右衛門の愛之助が、熱演。今後、ぐんと、成長するだろう。前
回の染五郎は、これほど、印象に残らなかった。脇では、彦三
郎、右之助、團蔵、友右衛門、萬次郎、権一、京蔵らが、印象に
残る。私がファンの亀治郎は、影が薄かった。

「連獅子」は、8回目。團十郎と松緑という珍しい組み合わせ。
風格の團十郎の胸を借りて、若い松緑の熱演が、舞台を熱くす
る。祖父、父を亡くし、歌舞伎界の孤児ともいえる松緑は、頑
張っている。親獅子の子獅子に対する試煉は、松緑の、厳しい芸
道を象徴するようなエピソードに思えて来る。團十郎の動きが、
半テンポ早い。海老ぞリなどは、逆に、松緑の身体の若さを見せ
つける。客席も、松緑の奮闘に暖かい拍手を送っているように思
えた。

劇評は、文藝ジャンルでの存在感が弱い。何故かと考えてみる
と、多くが、役者や演技への印象論だからだろう。印象で、もの
を語っている限り、論理は、鍛えられない。劇評も、もっと、根
源的な批評をしないと、いつまでも一人立ちできないと思う。私
は、できるだけ、印象論は、書かないようにして、もっと、普遍
的なことと通底するような、批評を書きたい思っているのだが、
成功しているかどうか、心もとない。さて、10月の歌舞伎座の
夜の部の劇評も、できるだけ早く、続けて掲載したいと思ってい
る。ご期待下さい。また、私の劇評に対するご批判も戴きたい。
- 2003年10月10日(金) 22:47:41
2003年9月・歌舞伎座  (夜/「俊寛」「身替座禅」「ひ
らがな盛衰記」)

人間、「最期」のひとことは?

「俊寛」は、6回目。吉右衛門、幸四郎が、それぞれ2回。仁左
衛門、猿之助が、それぞれ1回。つまり、4人の俊寛を観てい
る。吉右衛門俊寛は、7年ぶりだが、祖父の初代の50回忌追善
興行とあって、吉右衛門は、いつもにも増して、こってりと演じ
ているように思う。最初の出では、下手奥から、「よろよろ」と
出て来る様は、俊寛の心の疲れを身体の疲れとして、あわせて演
じているのだろうが、吉右衛門にしては、演技過剰な感じで、そ
の後の、成経(梅玉)、康頼(歌昇)、千鳥(魁春)らとのやり
とり、さらに、瀬尾太郎(富十郎)との立ち回りでの「元気さ」
(瀬尾を殺すだけの体力がなければならない)との整合性に欠く
と観た。もう少し、押さえた演技の方が、良くはなかったか。こ
れでは、まるで、オーバーアクションの幸四郎の俊寛のようでは
ないか。

その瀬尾太郎に富十郎、丹左衛門に芝翫とは、50回忌追善狂言
らしく脇を人間国宝のふたりで重厚に固めていて、贅沢な配役で
あるが、見応えがあった。魁春の千鳥は、松江時代も含めて、今
回で3回目の拝見。ほかの千鳥は、福助、亀治郎、孝太郎(亀治
郎が、意外と良かったことは、以前の劇評でも書いている。01
年7月・歌舞伎座の劇評参照。それに、この芝居は、実は、俊寛
と千鳥を軸にした芝居なのだ。だから、千鳥の出来の良し悪し
が、舞台を左右すると、私は思っている)。さて、6回目とあっ
て、今回は、いつもの観劇記のスタイルでは無く、新たな視点
で、俊寛の最後の科白について、考えてみたいと、思う。まず、
その最後の科白とは、なにかと問いかけたい。

ところが、この最後の科白は、なんと、名作歌舞伎全集の台本に
は、「無い」。つまり、無言劇で、所作と表情で演じる。科白と
してあるのは、俊寛が、成経、康頼、千鳥らを船に乗せるため、
「うき世の船には望みなし、サア早う船場まで」と言うのが、最
後の科白となる。後は、糸に載った竹本の語りで、「サア乗って
くれ、はや行けと、袖を引きたて手を引きたて、ようようにすす
むれば・・・・(略)・・・思い切っても凡夫心、岸の高みへか
け上がり」とある。

船を追って、花道へ差し掛かる俊寛の足元に地絣から浪布に変
わって、浪が押し寄せて来る。浪に追われるように、舞台中央へ
押し戻される俊寛。巧みな大道具の使い方で、いつも、印象に残
る。台本には、残された砂浜から、「岩組の上へ俊寛よじのぼ
る」と、ト書きにあるだけ。

しかし、竹本は、続く。「つまだてて打ちまねき、浜の真砂に伏
しまろび、焦がれても叫びても、あわれとぶらう人とても、啼く
音は鴎、天津雁、誘うはおのが友千鳥、ひとりを捨てて沖津浪。
幾重の袖や濡らすらん」

俊寛、最後の科白は、この竹本の「叫びても」が、根拠になっ
て、実際の舞台では、「おーい」「おーい」の連呼となるのだ
が、これは、近松門左衛門の初演時からの科白なのか、それと
も、「俊寛」を家の藝として市川團蔵、それも四代目が、大成さ
せた演出を、さらに初代吉右衛門が洗練した過程で、出て来た科
白なのか。それは、不明だが、一体、この「おーい」は、誰に向
けて、どういう意味を込めて、俊寛が叫んでいるのだろうかを考
えることが、今回の我が劇評のポイントである。私の視点は、そ
の科白が、「最後」の科白なのか、「最期」の科白なのか、とい
う発想である。

近松の戯曲は、原作とは違い、その後の上演で改作されている
ケースが多い。今月の歌舞伎座筋書きに日本文学研究者のドナル
ド・キーンも、書いているが、文学としては、「原作そのまま」
が、良いが、舞台を何回も観ているうちに、舞台は、改作される
理由が、判って来たという趣旨のことを書いている。戯曲は、作
者個人の作品だが、舞台は、複数の人たちの合作、つまり、総合
芸術だから、新たな作者による改作も許容する寛大さが必要だ。
いわば、「原作ばなれ」というべき改作の多い近松もののなかで
は、実は、「俊寛」は、逆に、原作に近い形で、いまも上演され
ている数少ない演目なのだ。だから、千鳥の「武士(もののふ)
はもののあわれを知るというは、いつわりよ。鬼界ヶ島に鬼はな
く」(以下、「竹本」が引き継ぐ。「鬼は都にありけるぞや」)
や先ほどの俊寛の「思い切っても凡夫心」という言葉は、近松そ
のものなのだ。この二つの科白(あるいは、「竹本」の言葉)
は、この芝居のテーマを象徴している。一旦は、「都から来た
人」俊寛も船に乗る。ひとり残される「島の娘」千鳥。岩に頭を
打ち付けて死のうとする。それを押しとどめて、身替わりに島に
残ることを決意する俊寛。千鳥と俊寛の芝居という由縁である。

その果ての、幕切れ近くの、無言劇での、唯一の科白が、「おー
い」「おーい」の連呼なのである。そういう文脈のなかで、この
科白を考える必要がある。まず、この「おーい」は、島流しにさ
れた仲間だった人たちが、都へ向かう船に向けての言葉である。
船には、孤島で苦楽を共にした仲間が乗っている。島の娘と、つ
いさきほど祝言を上げた仲間がいる。そういう人たちへの祝福の
気持ちと自分だけ残された悔しい気持ちを男は持っている。揺れ
る心。「思い切っても凡夫心」なのだ。時の権力者に睨まれ、都
の妻も殺されたことを初めて知り、妻殺しを直接手掛けた男をさ
きほど殺し、改めて重罪人となって、島に残ることにした男が、
叫ぶ「おーい」なのだ。「さらば」という意味も、「待ってく
れ」「戻ってくれ」という意味もある「おーい」なのだ。別離と
逡巡、未練の気持ちを込めた、「最後」の科白が、「おーい」な
のだろう。

しかし、それだけだろうか。私には、それだけではないような気
がする。それは、今回の舞台を観ているうちに、吉右衛門演じる
俊寛の表情から読み取らなければならない情報があるのだと気づ
いたのだ。「おーい」の後に続く俊寛の表情。その静けさ。その
空虚さ、虚無が、そこにはある。

これは、「最後の科白」でもあるが、「最期の科白」でも、ある
のではないか。ひとりの男の人生最期の科白。つまり、岩組に
乗ったまま俊寛は、この後、どう生きるのかということへの想像
力の問題が、そこから、発生する。昔の舞台では、段切れの「幾
重の袖や」の語りにあわせて、岩組の松の枝が折れたところで、
幕となった。しかし、吉右衛門系の型以降、いまでは、この後
の、俊寛の余情を充分に見せるようになっている。仁左衛門、猿
之助が演じる俊寛でも余情をたっぷり見せる。それでも、普通、
その余情は、仲間だった人たちを乗せた船を見送った後の余情だ
けだったが、今回の吉右衛門の俊寛を観ていると、岩組を降りた
後の、俊寛の姿が見えて来た。ここで、俊寛は、自分の人生を総
括したのだと思う。愛する妻が殺されたことを知り、死を覚悟し
たのだろう。俊寛は、岩組を降りた後、死ぬのではないか。これ
は、妻の死に後追いをする俊寛の妻の東屋への愛の物語ではない
のか。それを俊寛は、未来のある成経と千鳥の愛の物語とも、ダ
ブらせたのだ。そして、俊寛自身は、今後、老いて行く自分、死
に行く自分、もう、世界が崩壊しても良いという総括をすること
ができたことから、いわば「充実」感をも込めての呼び掛けとし
て「おーい」、つまり、己の人生への、「最期」の科白としての
「おーい」と叫んでいるように、私には聞こえて来たのだ。

何故、そう感じるのかというと、俊寛は、清盛という時の権力者
の使者=瀬尾を殺す。それは、清盛の代理としての瀬尾殺しだ。
つまり、権力という制度への反逆だ。これは、重罪である。流
人・俊寛は、さらに、新たな罪を重ねたことになる。何故、罪を
重ねたのか。それは、都の妻を殺されたからである。つまり、俊
寛は、重罪人になっても、直接、自分の妻を殺した瀬尾に対し
て、妻の敵を討たない訳には行かなかったのだ。だから、これ
は、敵討ちの物語でもある。妻殺しの瀬尾を殺してでも、妻と自
分の身替わりとして千鳥と成経には、幸せな生活をしてほしいと
思ったのだと思う。ふたりの将来の幸せな生活を夢見る。だか
ら、これは、愛の再生の物語でもある。そこに、虚無の果てとし
ての充実を思い描く俊寛がいる。

そのあたりの俊寛の気持ちを理解した丹左衛門は、だから、重罪
の「凶行」場面でも、役人としての自分の立場を忘れて、見て見
ぬ振りをしてくれたのだと思う。そういうことも含めて、俊寛
は、自分の人生を、過去のものとみなし、そういう過去への訣別
の意味も込めて、「おーい」と己に呼び掛けたのではないか。だ
から、吉右衛門俊寛は、岩組を降りた後の俊寛の姿を私たちに彷
彿とさせるように、虚無とあわせて充実ともいえる表情を見せた
のではないか。あの、吉右衛門の表情には、虚無と充実という、
相反するものの共存する俊寛の気持ちを表現する眼があったと思
う。私が覗く双眼鏡のなかにクローズアップされた吉右衛門の眼
には、そういうものが込められた眼の色の深さがあったと私は、
思う。いままでの役者よりも、吉右衛門は、そのあたりを、いち
だんとくっきりと演じた。

ところで、人間が、死ぬとき、あるいは、死を覚悟したとき、ど
ういう言葉を最期の科白にするのだろうか。私自身の死は、ま
だ、先だと思うが、数十年というような、そんなに遠い先でもな
いようにも思える。私も、また、自分の人生を総括した挙げ句、
傍に誰もいないなら、誰かに呼び掛けるごとく、「おーい(誰
か)」と一言だけ、言うかも知れない。あるいは、家族など、傍
にいる人に、「おい(ありがとう)」と、短く言うかも知れな
い。いずれにせよ、多弁は、弄しないだろう。長めの、「おー
い」か、短めの「おい」か、まあ、そんなところだろう。文豪な
どが、死に際して言った言葉などが、まことしやかに残されてい
るが、人間の最期のひとことなど、案外、ちょとしたひとことに
過ぎない。まあ、そんなものかもしれない。

「身替座禅」は、5回目。右京、今回は、富十郎で、私は、2回
目の拝見。このほか、過去の右京:菊五郎(2)、猿之助。玉の
井、今回は、吉右衛門で、2回目。玉の井:宗十郎、田之助、團
十郎。太郎冠者、今回は、歌昇で、2回目。太郎冠者:当代の権
十郎(当時の正之助)、松助、歌六。この3役が今回同様の配役
というのは、4年前の歌舞伎座の舞台なのだ。この芝居は、やは
り、立役が演じる玉の井のでき次第で、おもしろくも、つまらな
くもなる。身替わりに座禅を組まされる太郎冠者の、さらに身替
わりになる玉の井。そういう意味では、私が観た玉の井では、團
十郎が、秀逸だった。玉の井は、嫉妬深いが、可愛い女性なの
だ。吉右衛門は、こういう役では、意外と器用ではないのだ。團
十郎の方が、嫉妬深さも、可愛さも巧みに演じていた。断然、巧
かった。また、宗十郎、田之助では、元々女形だから、この役を
演じる旨味が、薄くなる。

この芝居は、敢て言えば、夫婦の愛を試す物語である。そういう
普遍的なテーマの芝居だ。古今東西、夫婦、あるいは、男女の関
係の危うさは、永遠のテーマになりうる。夜の部の吉右衛門は、
「俊寛」で、千鳥の身替わりに島に残り、人生を総括し、「身替
座禅」では、太郎冠者の身替わりになって、座禅を組み、愛を試
すために、夫の帰宅を待つ。吉右衛門は、2度身替わりになるの
である。そういう意味でいえば、どちらの身替わりも、結構、人
生の重いテーマなのだ。こういう演目の組み合わせは、何処ま
で、テーマなどの関連性を考えて、松竹は、決めるのか知らない
が、おもしろいものである。あるいは、松竹にしろ、役者にし
ろ、そこまで考えていないのかも知れない。むしろ、私の深読み
僻が、なせる業なのかも知れない。そういう深読みに答えるだけ
の奥深さを400年の歌舞伎の歴史が、持っているということだ
けなのかもしれない。

さて、右京は、好色だが、単純な男である。富十郎の右京も、巧
いが、私が観た右京では、菊五郎が、断然、巧かった。菊五郎の
右京には、巧さだけではない、味があった。特に、右京の酔いを
現す演技が巧い。酔いの味。まさに、こういう味を、持ち味とい
うのだろう。こういう役は、菊五郎が、良い(酔い)と、思うの
は、洒落だけではなく、もちろん、私だけではないであろうと、
思う。明治末期の、市村座。作者の岡村柿紅は、六代目菊五郎の
持ち味を生かすために、狂言「花子」を元に、この舞踊劇を作っ
た、狂言は、観ていないので判らないが、外題からして、花子も
登場するのだろうが、歌舞伎では、花子は、舞台では、影も形も
ないというのが、おもしろい。向う揚幕のなかに花子は、いるの
だろう。そういう意味で、見えない花子の姿を忍ばせるのは、右
京役者の腕次第ということだろう。菊五郎の花子への惚気が、巧
いということだろう。

「ひらがな盛衰記」の「神崎揚屋の場」は、初見。それもそのは
ず、戦後の本興行では、今回が、5回目という上演回数の少なさ
である。これまで、梅ヶ枝を演じているのは、亡くなった歌右衛
門が、2回。扇雀時代の鴈治郎、雀右衛門。そして、今回初役の
福助。相手役の梶原源太は、三代目の左團次、先代の鴈治郎、猿
之助、福助(13年前、雀右衛門の相手役として、梅ヶ枝の舞台
を観ているという訳だ)そして、今回の信二郎。

芝居の主役は、梅ヶ枝。今回は、福助中心の舞台。「恋飛脚大和
往来」の「新町揚屋の場」で、梅川に逢いに来た忠兵衛が、「自
惚れながら、梶原源太はおれかしらん」という、あの梶原源太の
実物が登場する。今回の梶原源太の信二郎は、線が弱い。梅ヶ枝
は、一谷の合戦に出陣する源太の鎧を請け出すために、金を作ろ
うとする。来世では、地獄に落ちるが、現世では富に恵まれると
伝えられる「無間の鐘」になぞらえて、揚屋の縁先にある手水鉢
を打つ場面が、ハイライト。明治時代、俗に「梅ヶ枝の手水鉢叩
いてお金がでるならば」と唄われる場面である。芝居では、実際
に、大名に扮して、廓に忍んで来ていた梶原源太の母・延寿(秀
太郎)が、梅ヶ枝らの様子を忍び見て、三百両の小判を2階から
撒く。まあ、そういう単純な筋立てで、物語としては、二流だろ
うから、上演回数が少ないのもうなずける。ただ、この演目は、
梅ヶ枝の、女の執念、岩をも通すという力強さが、滲み出て来な
いといけない。歌右衛門は、左團次との共演で、話題となった接
吻の場面を演じたというし、女の執念の場面では、なにかに憑か
れたような壮絶な演技を見せたという。そういう意味では、歌右
衛門の「女形の執念」の芝居なのだろう。福助には、そこまでの
執念が出せていなかった。福助が、将来歌右衛門を襲名するとき
の課題になろう。

ところで、この梅ヶ枝、実は、本名、千鳥ということで、この千
鳥は、あの、鬼界ヶ島にいた千鳥の、その後の姿なのだろうか。
だとすると、源太は、忠兵衛ならぬ、実は、丹波少将成経なのか
もしれぬ。まあ、先ほどの話と同様に、そこまで考えて、興行側
が、演目の構成を考えているとは、思えないが、また、私の勝手
な深読みかしらん。

贅言:今回は、公私ともに多忙で、観劇から、昼の部、夜の部の
劇評を書き上げるのに、4週間もかかってしまった。じっくり書
いたために、掲載が遅れたという訳ではないので、お知らせして
おきたい。
- 2003年9月27日(土) 22:36:51
2003年9月・歌舞伎座  (昼/「毛谷村」「業平」「喜
撰」「河内山」)

トラブルメーカーから見た「危機管理」

まず、今回は、「天衣紛上野初花〜河内山〜」から。「河内山」
は、河竹黙阿弥が、明治14(1881)年3月に初演した狂
言。明治期の作でも、テーマは、江戸の世話物。しかし、明治期
10数年の歳月に染まった時代色は、同じ黙阿弥ものでも、幕末
時代の世話物とは、大分感じが違う。文明開化の明るさが、反映
された江戸ものとでも言おうか。この年、実は、黙阿弥になる前
の、まだ、二代目河竹新七としての作品なのだ。黙阿弥は、この
年の11月、一旦引退する(黙阿弥は、実は、引退後の名前なの
だ)。引退後、黙阿弥時代は、本格化することになる。黙阿弥
は、引退する際に「島ちどり(本来は難字)月白浪」を一世一代
と銘打って、引退興行をしているが、実質的には、「天衣紛上野
初花」が、新七時代の掉尾を飾る、まさに、一世一代の得意の世
話物だったのではないか。なにせ、初演時の河内山は、「劇聖」
の九代目團十郎だった。

そういう時期に花開いた作品。黙阿弥もののなかでも、「弁天小
僧」と並んで、最も上演回数の多い作品。そうは言っても、最近
の上演形態は、通しでは無く、「河内山」「三千歳直侍」など、
みどりが、多いので、「天衣紛上野初花」としての、全体像が見
えない。それが、残念。昭和43(1968)年に国立劇場で、
昭和60(1985)年には、歌舞伎座で、それぞれ通し上演さ
れたと言う。いずれも、幕間などを含まない正味の上演時間で、
4時間近い。「天衣紛上野初花」は、元々は、松林伯円の講談
「天保六花撰」で、河内山、直侍、暗闇の丑松、金子市之丞、森
田屋清蔵、そして三千歳という6人構成だから、これは、小野小
町を含む「六歌仙」をもじっていることになる。それゆえかどう
か知らないが、今月の歌舞伎座の舞踊も、「六歌仙容彩(ろっか
せんすがたのいろどり)」から、「業平」「喜撰」の出で、坊主
が、共通項というわけだ。

まあ、それはさておき、私としては、「河内山」は、4回目。宗
俊は、吉右衛門が、今回を含めて、3回。幸四郎が、1回。北村
大膳は、團蔵、弥十郎、幸右衛門、そして、今回の芦燕。吉右衛
門は、初代の五十回忌追善狂言として「河内山」を演じるとあっ
て、いつもより、こってりとした演技をしていたように思う。そ
れは、同じ扱いの、夜の部の「俊寛」でも、感じたことだ。さ
て、「河内山」は、科白回しが難しい芝居だ。それも、無理難題
を仕掛ける大名相手に、金欲しさとは言え、法親王の使者に化け
て、町人の娘を救出に行く。最後に、北村大膳に見破られても、
真相を知られたく無い大名側の弱味につけ込んで、堂々と突破し
てしまう。そういう、いわば、プロのトラブルメーカー(ゆすり
たかりを日常としている)河内山の、質店・上州屋での、「日常
的なたかり」と、松江出雲守の屋敷での、「非日常的なゆすり」
での、科白の妙の使い分け。時代と世話の科白の手本のような芝
居だ。黙阿弥劇としても、一流の芝居だろう。それを吉右衛門
が、たっぷり見せてくれた。最後の「馬鹿っめ」も、この一言
に、江戸の庶民の溜飲を下げさせた気持ちが現されていた。

この芝居で、黙阿弥は、河内山という、トラブルメーカーから見
た「危機管理」を描こうとしたのでは無いか。木刀で五十両を貸
せと迫る河内山。番頭(吉三郎ら)たちでは、とても、太刀打ち
できない。河内山のような男が、店や会社に来た場合、応対する
側は、どういう対応をすれば良いのか。そういう課題ご、ここに
ある。というのも、出雲守の屋敷の場面は、質店の店頭での課題
を、大名の屋敷での課題に、いわば拡大したように思えるから
だ。特に、河内山の正体を見抜いた重役・北村大膳は、危機管理
者としては、失格者、つまり、上州屋質店の番頭と同格に北村大
膳を描いているからだ。そういう眼で、この場面を観ると、大膳
役は、今回の芦燕が、だんぜん、巧い。駄目な中間管理職の雰囲
気を巧みに出している。こういう人は、どこの職場にもいるので
はないか。私が、これまでに拝見した大膳役では、團蔵では、眼
が鋭すぎるし、弥十郎では、立派すぎるし、幸右衛門では、人が
良すぎる。芦燕の、狡そうな、それでいて、駄目そうな大膳の描
き方が、やはり、巧いのである。

トラブルメーカーに対する「危機管理」を担当するものとして適
格なのは、出雲守の屋敷では、家老・高木小左衛門を演じた我當
だろう。実務のリーダーシップを発揮しているのは、この人だと
良く判る。質店の場合は、後家のおまき(吉之丞)では、対応で
きない。番頭も、仕切れない。後見役の和泉屋清兵衛(又五郎)
が、登場しないと収まらない。清兵衛の、いわば経営者としての
判断が、必要になってくる。この芝居は、そういう仕掛けになっ
ている。それにしても、吉三郎は、軽率な番頭を巧く演じていた
が、幕が閉まる直前の、にやけた笑い顔は、いただけなかった。
この場面、いくら、清兵衛の判断で、決着したとしても、後家の
主人を助け、質店の実務のリーダーシップを取るべき中堅の番頭
としては、河内山に対するいまいましさは、最後まで、こだわる
べきでは無かったか。我當は、最後まで、河内山に対して、はら
わたが煮えくり返るという表情を押さえているということを感じ
させる演技をしていた。

私が観た家老役では、左團次もよかった。ほかには、先代の三津
五郎、段四郎。じゃじゃ馬のような殿様・出雲守は、梅玉が、2
回目だが、こういう性格の殿様役は、巧い。管理者失格の殿様
だ。ほかに私が観た出雲守は、富十郎、八十助時代の三津五郎。
このほか、近習頭の宮崎数馬の歌昇、質店の娘で、いまは、腰元
の浪路の芝雀も、良かった。

ところで、河内山を演じた吉右衛門の耳にお気付きになっただろ
うか。上州屋の店先では、吉右衛門の耳には、朱が入っていない
が、出雲守の屋敷の場面では、朱が入っている。偽の使僧役(非
日常性)で、日頃のお数寄屋坊主の正体を暴かれる役だから、酒
焼けした耳(日常性)を示しているのだろうか。それならば、上
州屋の店先でも、酒焼けした耳のままでなければ、おかしいだろ
う。酒焼けした耳が、場面での都合に合わせて、赤くなったり、
白くなったりするのは、やはり、おかしいだろうと思うからだ。
私の推測では、日常のゆすりの場面と、非日常のたかりという、
河内山にとっも、一世一代の大舞台という出雲守の屋敷での、
「緊張感」が、赤らんだ耳として、吉右衛門は、耳に朱を入れた
のでは無いか。「河内山だって、人の子さ、やはり、緊張しま
す」という、楽屋での吉右衛門の声が、聞こえてきそうな、朱の
耳であった。

「毛谷村」は、3回目。本興行のほかに、NHKホールで、観た
ことがある。京極内匠のモデルが、佐々木小次郎、六助のモデル
が、宮本武蔵という説がある。内匠は、明智光秀の遺子という想
定であるから、光秀と秀吉の対決構図でもある。六助は、実は、
秀吉方なのである。六助は、毛谷村の場面で、師匠の吉岡一味斎
の娘・お園を妻とすることになり、その後は、秀吉の前で、相撲
を取って、勝ち抜き、それが縁で、加藤清政の臣になり、朝鮮出
兵の際には、清政とともい、朝鮮まで出向き、その後、帰国。
62歳で病死する。モデルは、実在の人物なのである。だから、
地元には、いまも、六助が、大男で、力持ちだったという「巨人
伝説」がある、という。舞台の「毛谷村」でも、六助が、庭の捨
石を踏み沈める場面がある。剣豪であり、力持ちであるという六
助を描く、象徴的な演出だ。その京極内匠は、名前を微塵弾正と
変えて、「毛谷村」幕開きの仕合(仕官のための試験。お目付の
武士ふたりが見守っている)の場面に出て来る。今回は、弾正
は、段四郎である。六助:梅玉。お園:時蔵。お幸:歌江。ご馳
走の斧右衛門:玉太郎。

憎まれ役の弾正=内匠は、一味斎を光秀方の残党より渡された短
銃で狙い撃ちして、殺している。「毛谷村」の幕開き冒頭の仕合
は、そういう背景を承知して観なければならない。すべて、一味
斎遺族の敵討ちへの布石である。六助は、この仕合では、老母の
ため、仕官の道を譲ってほしいという弾正を信用して、勝ちを譲
る善意の人である。仕合の後、弾正は、扇で六助の額に傷をつけ
るという象徴的な場面があるからである。その後は、主な登場人
物たちが、師匠の一味斎の遺族と判り、先ほど、勝ちを譲った弾
正が、実は、敵の内匠と判りと、畳み掛けるように真実が判明す
る。その経緯を踏まえて、六助が、後見役として、お園らに助太
刀をすることになり、敵討ちに出発するというのが、この場面の
流れである。舞台は、さまざまな先行作品の演出を下敷きにしな
がら、庭に咲いている梅や椿の小枝を巧みに使って、色彩や形な
どを重視した、様式美を重視した歌舞伎らしい演出となる。その
上、敵味方のくっきりした筋立てゆえか、人形浄瑠璃の上演史上
では、「妹背山」以来の大当たりをとった狂言だという。毛谷村
の、この幕切れの場面で、NHKホールでは、一味斎の妻で、お
園の母である、お幸が、椿の小枝を折ろうとしたが、なかなか、
折れないという珍しいシーンがあったのを覚えている。お幸は、
又五郎だったか。いま、手許に資料がないので、確かなことが言
えない。敵役の弾正が、幕開き早々の場面で、まさに「一芝居」
うった後、善意の人たちが、次々に正体を現すという、判りやす
い展開だ。開幕の仕合の場面では、幕が開きはじめる時点では、
登場人物が、フリーズしている。柝が、止まってから動き始める
から、おおらかだ。

さて、この芝居は、善意の人たちのなかでも、女丈夫で、力持ち
のお園の人物造型が、ポイントである。お園は、弾みで、庭に
あった臼を持ち上げたりする。それに気づいて、恥ずかしそうに
したりもする。そういう女性である。女性ながら、お園は、力持
ちで巨人伝説のある六助の分身でもあるのだろう。お園は、いわ
ば、両性具有の、妖しさを感じさせなければならないと、私は思
う。そういうお園を今回は、時蔵が演じる。

敵を探し、遺族を探すために、女ながら、虚無僧姿に身をやつし
たお園の登場である。笠で顔が見えないお園は、大きく見えなけ
ればならない。花道出の足の踏み方、六助との立ち回り、特に子
役を左脇に抱えての立ち回りなどは、力持ちに見えなければなら
ない。そういう男っぽさの後、六助が、父・一味斎が決めた夫に
なる人と判り、急に女らしく、色っぽく見せる緩急の対比が、生
きて来る。ここは、柄が、大きく見えたり、小さく見えたり、し
てほしい場面だと思う。「毛谷村」のお園は、男姿の虚無僧→力
持ちの女性→恥ずかしがりの婚約者→父の敵討ちを決意する娘と
変化しなければならない。時蔵のお園は、そのあたりの妙味に欠
けた。柄が変わらないのである。六助役の梅玉も、大きく見えな
い。ほかの役者も、演技がこじんまりしている。

「業平」と「喜撰」は、「六歌仙容彩」という変化舞踊として
「河内山」の原作「天保六花撰」と同じ時代、天保2年3月、江
戸の中村座で初演された。小町、茶汲女を相手に、業平、遍照、
喜撰、康秀、黒主の5役を一人の役者が演じるというのが、原型
の演出であったが、いまでは、それぞれが独立した演目として演
じられる。今回は、「業平」と「喜撰」で、芝翫の業平と福助の
小町という、親子出演。富十郎の喜撰法師と雀右衛門の、茶汲
女・祇園のお梶という人間国宝同士の顔ぶれだ。「業平」は、3
回目。ほかの2回は、業平:富十郎、仁左衛門。小町:松江、玉
三郎。「喜撰」は、3回とも、富十郎。お梶は、ほかの2回は、
亡くなった宗十郎、福助。

今回の「業平」は、息のあった親子の舞踊で、派手やかな舞台が
印象的だ。特に、福助小町の芝翫業平の舞いを見る眼が、良い。
これは、恋する女性の眼だ。眼と眼が合うと、小町が顔を伏せる
場面が、秀逸だ。

「喜撰」は、小道具の使い方が巧い舞踊だ。櫻の小枝、京屋結び
と鷹の羽八ツ矢車が染め抜かれた手拭、緋縮緬の前掛け、櫻の小
槍、金の縁取りの扇子、長柄の傘などが、効果的に使われる。喜
撰は、花道の出が難しい。立役と女形の間で踊るという。歩き方
も、片足をやや内輪にする。富十郎は、さすがに安定感がある。
雀右衛門の踊りも、見応えがある。
- 2003年9月24日(水) 7:06:46
2003年8月・歌舞伎座  (第二部/「怪談牡丹灯籠」「団
子売」)

「てれこ」と「綯い交ぜ」が、巧緻な構造

外題の「怪談牡丹灯籠」が、原作である円朝のもの。ところが、
歌舞伎の外題は、三文字、五文字、七文字などと、奇数で構成す
るところから、歌舞伎に移された時点で、「怪異談牡丹灯籠」と
七文字になった。さて、「牡丹灯籠」は、3回目。うち、今回を
含めて2回が、大西信行版の「怪談牡丹灯籠」で、残りの1回
が、河竹新七版の「怪異談牡丹灯籠」。いくつかの支流が集まっ
て、大河となる複雑な物語。どこを主流に浮き上がらせるかで、
物語が違って来る。また、演出も、違って来る。大西版も、前回
と今回とでは、演出が、若干違う。今回の方が、演出が洗練され
ていると思った。

河竹新七版を観たのは、去年の9月、歌舞伎座。伴蔵、(孝助の
ふた役):吉右衛門、お峰、お国:魁春、新三郎:梅玉、お露:
孝太郎、源次郎:歌昇、お米:吉之丞。こちらには、円朝は、出
て来ない。こちらは、前半が、飯島平左衛門と忠義の若徒孝助と
の因果噺と後半が主人思いの孝助の古風な仇討ものとも言える忠
義噺にウエイトを置いていた。伴蔵、孝助のふた役を演じた吉右
衛門は、男の悪と忠義を対比的に演じ分けていたと思う。

大西版を観たのは、7年前の8月、歌舞伎座。伴蔵:当時の八十助
(今回の三津五郎と同じ)、お峰:福助(今回と同じ)、新三
郎:染五郎(今回は、七之助)、お露:孝太郎(今回は、勘太
郎)、お国:扇雀(今回と同じ)、源次郎:歌昇(今回は、橋之
助)、お米:吉之丞(今回と同じ)、円朝:勘九郎。こちらに
は、孝助が出て来ない。「牡丹灯籠」が、もともと、三遊亭円朝
自作の人情噺だったことから、大西版では、高座に上がる円朝を
プロローグとエピローグで使うという演出だった。

さて、今回は、幕開きから演出が異なる。場内が暗いので、いつ
ものように、ウオッチングのメモが取れない。記憶だけで書くの
で、舞台の細部の再現が難しいので、お許しを。

まず、舞台は、大川(隅田川)。上手揚幕から出て来た舟の場面
から始まる。舞台上手の舟には、飯島平左衛門の娘・お露(勘太
郎)と乳母のお米(吉之丞)、医師の志丈(助五郎)が乗ってい
る。舟を操るのは、志丈だ。そこへ、下手から、もう一艘の舟が
近付いて来る。屋形船だ。外から見えない密室。動くラブホテル
の役割も果たす。密室には、飯島平左衛門の後妻、ということ
は、お露の継母・お国(扇雀)が、不倫相手の隣家の次男坊・宮
野辺源次郎(橋之助)と一緒に入っている。それに、後ろ向きの
船頭が乗っている。お互いに誰が乗っているか、知らずに、すれ
違う舟と舟。大川での舟のすれ違いは、「梅暦」の場面と同じ演
出(歌舞伎座に「蛇の目廻し」という二重の廻り舞台があったこ
ろ、「梅暦」で、内側に廻る舞台と外側に廻る舞台の動きを逆に
して、舟をすれ違わせたこともあるという。観てみたかったな
あ)。

やがて、暗転。なぜか、スポットライトが、後ろ向きの船頭に当
たる。船頭は、脱皮するように衣装を脱ぎ捨て、旦那風の男に変
わる。一旦、花道に向かう。黒衣の持って来た羽織を着て、髪を
整える。勘九郎だ。舞台中央に高座がせり上がって来る。勘九郎
は、円朝になっている。ここからは、前回の大西版と同じ演出に
なる。そして、高座の後ろに新三郎(七之助)の座敷きが浮かび
上がって来る。亡くなったと聞かされたお露の霊を弔っている。
細面の七之助の顔は、やつれた新三郎を巧く演じている。本来な
ら、お露は、勘太郎より七之助の方が似合うのだろうが、勘太郎
が新三郎では、このやつれが出にくいだろう。勘太郎は、頬骨が
出ているので、美女役の女形は、あまり似合わないと思う。将
来、勘九郎ぐらい太ってくると顔もふっくらとなり、頬骨が気に
ならなくなるかも知れないが、まあ、当分は、無理だろう。

牡丹灯籠を手にしたお米(吉之丞)に伴われて、お露(勘太郎)
がやって来る。騙されてお露らを座敷きに導き入れる新三郎。吉
之丞のお米が、巧い。両肩を極端に下げ、両腕をだらりと垂れ下
げた「幽霊」ぶりは、逸品だ。動きも、遠心力を利用するように
滑らかに動く。それは、同じ幽霊のお露役を演じる勘太郎と比較
すれば、良く判る。勘太郎の両肩は、ほとんど下がっていない。
このあたりに、キャリアの差が、はっきり表れる。そう言えば、
大西版も新七版も、お米は、いずれも吉之丞だ。この吉之丞の幽
霊ぶりを観るだけでも、「牡丹灯籠」は、見応えがある。まさ
に、「底の底までよく徹つた藝の寂」(先人が、別の役者を評し
た表現だが、吉之丞にも進呈したい)。

やがて、志丈と一緒に新三郎の下男・伴蔵(三津五郎)が帰って
来る。新三郎とお露が、しけ込んでいる障子の部屋を覗くと、新
三郎が、骸骨のお露と抱き合っているのが見える。逃げ出す伴蔵
ら。一方、飯島平左衛門の屋敷では、お露が亡くなったことか
ら、継母のお国は、不倫相手の宮野辺源次郎を養子にしようとし
ている。取り合わない平左衛門(秀調)を殺そうとお国は、源次
郎にけしかける。それを立ち聞きして、怒り心頭の平左衛門が、
部屋に入って来て、殺しあいになる。挙げ句、平左衛門は、殺さ
れ、灯りを持って来合わせた女中のお竹(宗之助)も、巻き添え
を喰って、殺される。金を奪って、逐電するお国らこの場面で
は、扇雀のお国が巧い。

伴蔵の住居では、お峰(福助)が、待っている。戻って来て経緯
を話す伴蔵。この場面でのふたりのやりとりは、秀逸。生世話も
のの科白のやりとりの妙。「牡丹灯籠」と言えば、お露と新三郎
のカップルの物語と思いがちだが、このふたりは、幽霊噺のイン
トロというかグラビアみたいなもので、本筋のストーリーから
は、外れてい来る。本筋の方は、お峰と伴蔵、お国と源次郎とい
うふた組のカップルの噺なのだ。原作でも、ふた組の男女の物語
が、てれこに展開する。今回は、どちらかというとお峰と伴蔵の
物語が、主調になっている。

幽霊に取り付かれ、死相の現れた新三郎は、家の周りに魔除けの
札を貼り、金無垢の如来像を持っている。幽霊に頼まれてお札を
剥がし、如来像を取り上げる代わりに幽霊から百両をせしめる伴
蔵夫婦、お露に冥途に道連れにされる新三郎。ここで、主役は、
お峰と伴蔵に代わったことを私たちは知るようになる。梯子に乗
り、高いところに貼られたお札を剥がす伴蔵の所作の巧みさ。三
津五郎は、藝が細かい。

後は、利根川ぞいの栗橋の宿場近辺に舞台が移る。高座の円朝
が、時間経過を物語る。百両を元に関口屋という荒物屋を宿場で
営み、景気の良い伴蔵夫婦と宿場はずれの河原の蓆小屋に住むお
国と源次郎のふたり。平左衛門の屋敷から盗んだ金などを奪わ
れ、斬りあいの際に刺された傷が元で足萎えになった源次郎。蓆
小屋から宿場の料理屋に通う酌婦勤めのお国。明暗を分けたカッ
プルが、相互に絡みながら展開する。お国と伴蔵の男女関係が接
点となり、ふた組のカップルの破滅が始まる。「てれこ」になっ
ていたふた組の男女が、ここからは、「綯い交ぜ」になる。

悲劇のなかに、笑いをもたらすのは、勘九郎ふた役の馬子の九蔵
だ。楽屋落ちの捨て台詞(アドリブ)も含めて、場内ばかりでな
く、相手役の福助まで笑わせる勘九郎は、相変わらず、愛想がよ
い。ひとときの笑劇。江戸から訪ねて来たお峰の旧友、お六(芝
喜松)に、お露の霊が憑き、真相がばれそうになる。一方、お国
に引っ張られてここまで来た源次郎は、気が弱くなっている。群
れ飛ぶ螢に惑わされ、刀を自らの背中から身体に貫通させてしま
う源次郎。それと知らずに源次郎にすがりつき、刀に突き刺され
るお国。「義賢最期」の義賢と進野次郎との立ち回りの場面と、
ちょうど逆の形になっている。お国、源次郎の死後も、螢は、乱
舞する。歌舞伎の美学。滅びの美学(原作では、お国、源次郎
は、今回出て来ない忠義な若徒・孝助の手で、仇討にされる。こ
こは、やはり、「義賢最期」を意識した演出の遊びと観た)。

遠雷轟く幸手堤。栗橋から程近い。ここで、もうひとつの滅びの
美学が始まる。死霊の取り憑いたお六を残して逃げて来た伴蔵夫
婦だ。お峰を殺し、自分だけ逃げ延びようとする伴蔵。ふたりの
間で、死闘が始まる。本水を使った殺し場が、続く。前回なかっ
た演出。「夏祭浪花鑑」の「泥場」のような感じがする。先月の
歌舞伎座「四谷怪談忠臣蔵」でも、最後は、本水を使っていた。
びしょぬれになりながら、脇差しで伴蔵に刺され、川に落とされ
るお峰。川の中から伸びたお峰の白い手が、伴蔵を奈落に引きず
り込む。今回の、この芝居には、3つの物語がある。1)「お露
=新三郎」;女性の恨みつらみで、地獄に引き込まれた男の物
語、2)「お国=源次郎」;弱気の年下の男を引っ張って来た年
上の女も、弱気から狂った男とともにハプニングで死んでしま
う、3)「お峰=伴蔵」;強気の男に嫉妬をし、殺され、男も道
連れにする女の物語。破滅する男女の人生;3つのパターンが描
かれる。こうして3組の男女は、皆、「いなくなった」。残って
いるのは、再び、螢ばかり。

この芝居は、本来は、伴蔵の物語だろうが、今回は、お峰を演じ
た福助を軸に、三津五郎の伴蔵、勘九郎の馬子が、それぞれ絡む
場面の、生世話で、達者な科白のやり取りが見せ場に仕立てたと
観た。それと新機軸の大川の舟のすれ違いと本水の殺し場が、文
学座公演の大西版の芝居を、大分、歌舞伎に近付けたと思う。
元々、円朝の高座での人情噺を速記で記録し、それを歌舞伎座の
生みの親のひとり福地桜痴が、演劇的に整理をし、それを黙阿弥
を名乗った二代目から引き継いだ三代目新七が、書き上げた狂
言。それを大西信行が、文学座の芝居にし、さらに、それを今回
先行作品の歌舞伎の演出を取り入れて工夫した。

「団子売」は、4回目。観た順にあげると、杵造:染五郎、仁左
衛門、三津五郎、七之助。お福:孝太郎(2)、勘九郎、勘太
郎。暗い、陰惨な、怪談噺と殺し場という舞台の後は、明るい所
作事。杵と臼という、ひょっとことお多福という、男女の和合の
噺。初めて観たのが、染五郎と孝太郎という似合いのふたり。次
いで、仁左衛門と孝太郎という、息の合った親子の踊り。三津五
郎と勘九郎は、達者な舞踊。そして、今回は、兄弟。それぞれ、
味わいが違って、おもしろい。明るく、コミカルな踊りは、踊り
手が、替れば、味わいも違って来るのが、良く判る。

贅言;「野田版鼠小僧」を含む第三部は、拝見せず。劇評無しな
ので、御期待された向きには、悪しからず、お許し下さい。
- 2003年8月31日(日) 14:59:57
2003年8月・歌舞伎座  (第一部/「義賢最期」「浅妻
船」「山帰強桔梗」「近江のお兼」)

「源平布引瀧〜義賢最期〜」は、「カイダン」芝居

歌舞伎の舞台には、平舞台と二重舞台があるが、今回は、歌舞伎
座4階の幕見席で観たことから、3番目の舞台を発見した。出し
物は、「源平布引瀧〜義賢最期〜」で、この演目は、3年前の6
月、歌舞伎座で、当代の片岡仁左衛門の義賢で観ているが、この
ときは、1階席で、いわば平面で観たので、気づかなかった。今
回、舞台を斜め上から見下ろす感じで観たので、平舞台でも、二
重舞台でもない、第3の舞台を見つけたのだと思う。勿体ぶらず
に言えば、第3の舞台とは、平舞台と二重舞台を繋ぐ階段(つま
り、「三段」)のことである。

「源平布引瀧」は、並木宗輔、三好松洛らの合作で、3大歌舞伎
の最後、「仮名手本忠臣蔵」上演の翌年(1749年)に初演さ
れた。宗輔没の2年前である。「義賢最期」は、その二段目。義
賢の兄・源義朝が、平清盛に討たれた。平家方に味方した木曽先
生(きそのせんじょう)義賢は、帝から賜った源氏の白旗を持っ
ている。そして、密かに源氏再興を企んでいる。そういう状況で
舞台は、幕を開く。幕が開くと、そこは、木曽義賢館の場。いつ
もの御殿に、二重舞台上手寄りの縁に松の盆栽。近くの平舞台に
石の手水鉢。

義賢(橋之助)は、隠し持っていた源氏の白旗(笹竜胆の紋が黒
く染め抜かれている)を長押に掲げて、平家討伐の志を折平、実
は多田蔵人(歌昇)に打ち明けたあと、蔵人と娘の待宵姫(七之
助)には、源氏の再挙を願い、妻の葵御前(高麗蔵)と未生の子
を百姓・九郎助(仲一郎)、その娘・小万(孝太郎)らに白旗と
ともに託す。やがて、何度かの攻め太鼓の音。平家の大軍の包囲
され、やがて、討ち死にする。この芝居は、義賢の本心開示が
テーマで、ストーリーは、簡単明瞭で判りやすい。従って、今回
の芝居は、芝居としては、重厚さに欠ける。その代わり、この芝
居の魅力は、立ち回りにある。そこで、今回は、この立ち回りの
ポイントを中心に劇評をまとめたい。

義賢は、鎧兜を付けるのは、卑怯だという価値観の持ち主。だか
ら、最後の戦いでも、鎧兜を身に着けずに、素襖大紋のままで、
大立ち回りとなる。平家方の関心を己に引き付けて、関係者を無
事に落ち延びさせ、源氏の再挙に結び付けたいがためである。そ
の立ち回りに、2ケ所、義賢の見せ場がある。その見せ場は、歌
舞伎名作全集の台本(台帳)では、殆ど書かれていない。つま
り、役者の工夫で生まれて来た演出なのだろう。江戸時代の初演
時からなのか、大正時代になって、七代目三津五郎が、復活上演
した際の工夫なのか。あるいは、昭和になって、戦前だが、十二
代目仁左衛門が演じた時の工夫なのか。調べてみないと判らない
が、戦後の舞台では、この演出で、十三代目の仁左衛門は、孝夫
時代から演じている。ほかに、猿之助、右近、最近では、橋之助
も大阪・中座の舞台でというように、皆、同様の演出で演じてい
るようだ。この演出がないと、「義賢最期」と言えないだろう。

その見せ場とは、ひとつは、御殿の金襖(戸板)を三枚使って、
組み上げた上に血まみれの義賢が乗って、立ち上がり、軍兵との
立ち回りの末、襖とともに横倒しに崩れ落ちる場面(高さは、2
メートルぐらいか)。もうひとつは、高二重(高足)の座敷きか
ら階段(「三段」)へ、大紋の袖を左右に拡げたまま、武者凧が
前へ倒れるように倒れ込む。仏像が、立ったまま倒れるように見
えることから、「仏倒し」という。高二重と平舞台は、およそ
84センチの段差がある。いずれも、危険だが、ダイナミックな
立ち回りの場面だ。敗北者・義賢の犠牲ぶりが見ものの芝居なの
だ。

「仏倒し」に使われる「三段」は、この演目の場合、単に、昇り
降りをする階段の役目のほかに、いろいろな使い方をされる。ま
ず、矢走兵内(勘之丞)率いる軍兵のひとりが、三段の上に斜に
載せた御殿の襖(戸板)をスロープにして、横にした体を転がり
落とす。清盛の上使が来た際に「無礼の長髪略衣のこのからだ、
御用捨(容赦)にあずかりたし」と言った病身の義賢は、五十日
鬘に紫の病鉢巻き姿であり、病身らしく、三段で倒れ込む場面が
多い。三段の上で、衣装を拡げてみせたり、葵御前が、一旦は、
平内に奪われた白旗を取り戻したり、平家方の討ち手の大将・進
野次郎(亀鶴)との立ち回りをしてみせたりする。更に、後ろか
ら義賢を羽交い締めにしてきた進野次郎に対して、義賢は、刀を
逆手に持ち、己の腹もろともに、突き立てれば、刃は、背中越し
に進野次郎をも貫く。奪い返した白旗を渡すために呼び立てた小
万とのやりとり。小万から末期の水を与えられ、それを呑んで倒
れ込む瀕死の義賢。義賢の瀕死ぶりを、観客に視覚的に理解させ
るためには、平らな舞台より、斜面の舞台、つまり、三段が、最
上の舞台と気が付いているのだろう。体調の不安定、精神の不安
定、義賢の、そういう心身共に瀕死状態を三段が、見事に象徴し
ていると観た。最期に、もう一度、二重舞台の中央から上手寄り
に立ち上がる義賢。瀕死の義賢は、二重舞台の縁から衣装を垂れ
流している。そして、三段の上へ。柝の頭で、仏倒しに倒れ込
む。階段下の平舞台に落ちた義賢が、俯せのまま、首をあげて、
極まると、死。

ということで、この芝居では、「三段」が、重要な役割を果たし
ている。1階の席では、気が付かなかったことを4階の幕見席
(今回は、「義賢最期」だけを観るなら、800円)ならでは
で、発見というわけだ。このほか、上使が首桶に入れて持って来
たのが、兄義朝の髑髏だ。ふたりの上使は、それを踏み絵なら
ぬ、蹴り髑髏として、蹴れと要求するが、蹴ることができず、義
賢が、上使を殺す(但し、ひとりには、逃げられる)という、織
田信長を想起させる場面があったり、壮絶な義賢の死があったり
する、どちらかと言えば、暗い芝居だが、それを救っているの
は、派手な立ち回りのダイナミズムということだろう。

さて、私が観た義賢は、ふたりだけ。だから、どうしても比較し
てしまう。仁左衛門と橋之助だ。ふたりの身長は、殆ど同じはず
(「俳優名鑑」によれば、1メートル77センチと78センチ
で、1センチしか違わない)なのだが、舞台で見ると大きさが違
う。少しでも大きいはずの橋之助が、逆に、義賢としては、小さ
く見えるのだ。前を向いても、背中を見せても小さい。特に、大
きく見えなければならない立ち回りの見せ場でも、小さい。組み
立てた戸板の上でも、三段に倒れ込んだときでも、橋之助義賢
は、大きく見えないのだ。これは、もう、キャリアの違いとしか
言い様がないか。しかし、この芝居は、既に指摘したように、立
ち回りのダイナミズムが、芝居の暗さを救う演目である。橋之助
は、「義賢最期」の舞台を大きく見せるためには、さらなる精進
が必要だろうと思った。それと、この人、時代の科白を言うとき
に声が籠るのではないか。聞き取りにくかった。別の演目、例え
ば、今回では、第2部の「牡丹灯籠」の宮野辺源次郎では、世話
の科白だったので、ハッキリ聞こえた。

そのほかでは、小万を演じた孝太郎が、良かった。気丈な女性・
小万(三段目の「御座船」では、白旗を持ったまま、琵琶湖に飛
び込み、片腕を斬られて死ぬことになる。後の「九郎助住家」で
は、引き上げた小万の遺体に片腕を繋げ、井戸から底に向かっ
て、呼び掛けるとると、一時、息を吹き返すほどの気丈さであ
る。そういう後の場面を予想させる気丈さが必要だ)をきちんと
演じていた。この人は、このところ、藝の幅が拡がって来たよう
に見受けられる。七之助の待宵姫も、良かった。父親の勘九郎の
人気で、勘太郎、七之助兄弟も大勢の観客の視線に晒されている
ことが多くなったが、そのせいか、ふたりとも進境著しい。特
に、七之助は、真女形らしい、柔らかさが出て来た。以前のよう
な硬さが無くなって来た。可憐な待宵姫であった。今回の舞台で
は、「牡丹灯籠」では、新三郎、「団子売」では、杵造などと、
若衆役だったので、私は、不満だった。

「浅妻船」は、初見。まず、置唄。舞台中央の大せりが、奈落ま
で折りていて、幕見席からだと、奈落が深く観え、まるで、地獄
の釜の蓋が開いているように観える。大せりに載せた小舟ととも
に、白拍子姿の福助がせり上がって来る。遠見は、奥庭を庭の奥
から屋敷を見たように描かれている。珍しい遠見だ(普通は、屋
敷から見た庭を描く)。柳の大木があるという想定だから、舞台
上手の半分は、柳の吊り枝が、下がっている。実は、この演目
は、五代将軍・綱吉が、いまの東京・駒込の六義園、当時の柳沢
吉保の屋敷の庭の泉水に舟を浮かべて、愛妾・お伝の方に白拍子
の扮装をさせたという史実が、下敷きになっている。この場面を
画家の英一蝶が、描いたことから配流された。柳沢吉保だから、
柳の大木か。従って、奥庭は、当然、柳沢の屋敷の見立てであ
る。柳沢は、甲斐の出。いまも、山梨県武川村には、柳沢という
地名の集落がある。鮓米で有名な武川米の産地。信玄時代には、
武川衆として、信濃との国境警備にあたったほどの人たちで、忍
者、スパイの仕事を得意としたすばしっこい有能な人たちの出身
地だという。

長唄囃子連中の雛壇の前面、上手に座った笛は、久しぶりの田中
傅太郎だ。私が舞台で観るのは、久しぶりだ。浅妻とは、琵琶湖
東岸の船着き場の地名。「源平布引滝」とは、琵琶湖で縁続き。
白拍子朝香(福助)は、男のつれなさを嘆きながら踊る。「恋は
曲者忍ぶ夜の」は、瀧夜叉姫が出て来る、通称「将門」の、「忍
夜恋曲者」と同じだろう。この所作事は、クドキ、手踊り、羯鼓
の舞、鈴太鼓の振りと「娘道成寺」のように、変化に富んでいて
見応えがある。衣装も、ご同様、引き抜きありで、楽しめる。福
助の踊りは、柔らかい。舞台を斜め上の高みから観ていると、福
助の身体が、幾重にも折り曲げられて行く様が、良く見て取れ
る。なかなか、笛の出番がないと思っていたら、最後のせり下が
りの所で、一際高く、吹き込んでいた。笛は、神の音、神通力を
呼び覚ます。

背景が変わり、遠くに富士山の見える大山道の遠見となる。小舟
を載せて、せり下がった大せりが、「大山道」の道標を上手側に
載せてせり上がって来た。「山帰強桔梗」は、9年前の八十助時
代の三津五郎を観ている筈で、2回目。勘九郎の幼馴染み、延寿
太夫ら清元連中を載せた山台が、下手から押し出されて来る。大
山参りを終えてきた大吉(三津五郎)の踊りは、身体半分が、重
さを感じさせないようで、軽やか。見えない糸に釣り下げられて
いるように重さを感じさせない。喇叭の付いた十字架型の梵天を
肩に担いだ鯔背(いなせ)な職人姿。麦藁細工の喇叭を唐人笛に
見立てて、吹いてみせたり、当時神奈川にあった遠眼鏡に喇叭を
見立てたりする場面があり、観客の笑いを呼んでいた。三津五郎
は、歌舞伎役者のなかでも、屈指の踊りの名手らしい身体の動き
で、バランスといい、安定感のある踊りだ。すっかり堪能した。

浅葱幕の振り被せで、場面展開。幕を振り落とすと、もう、そこ
は、琵琶湖の遠見。ということで、再び、琵琶湖。だが、今度
は、西岸(堅田の浦、浮見堂の近く)か。「近江のお兼」(別称
「晒女(さらしめ)」「團十郎娘」)は、2回目。前回は、国立
劇場で、菊之助のお兼を観た。このときの出は、花道から暴れ馬
が出て、それからバタバタで、大力の女性、お兼の出では、な
かったか。今回は、馬が、からまず、まず、お兼(勘九郎)が出
て、上手、下手、正面と観客に愛想を振りまいていた。その後、
馬の出。お兼の出は、このほかにも、「からみ」(大勢)が、投
げ飛ばされて、お兼が出てくるという演出もあるという。初演の
七代目團十郎(だから、「團十郎娘」)は、どの演出だったのだ
ろうか(因に、七代目團十郎は、浮世絵を見たシーボルトが、逢
いたがった役者で、実際に逢ったという。浮世絵と違うとシーボ
ルトが言ったので、七代目は、浮世絵と同じ化粧をしてみせた
ら、本物の團十郎だと納得したと言が、これは、後にシーボルト
事件と言われた事件の一環であった。そう言えば、占領軍のマッ
カーサーお付の副官が、厚木飛行場に着いたとき、「羽左衛門
は、元気か」と記者団に尋ねたと言う。この副官こそ、戦後の歌
舞伎の救世主/ミスター・バワーズであった)。

クドキ、盆踊り、鼓唄、布晒し(だから、「晒女」)。勘九郎
は、娘道成寺のときのように、手拭を客席に投げていた。布晒し
の前には、「待ってました」と女性の声が、幕見席から飛んでい
た。布晒しの場面で、若い者も絡む。その後半、花道まで出向い
た後、片足で、戻りながら布晒しをしていた。お兼は、片足で、
馬の手綱を踏んで、馬を動かさなかったという(鎌倉時代に書か
れた「古今著聞集」にあるという)。最後は、お兼が、馬の背に
乗り、布晒しをし、上下に若い者が、位置して、決まり。布晒し
は、「越後獅子」でも、使われる。

贅言;幕見席では、第1部が、2幕に分けられ、それぞれ800
円ずつ。「義賢最期」で、一部の客が、入れ代わるのは、当然と
しても、「所作事三題」のうち、福助の踊りだけを観て、席を
立って行ってしまった女性がいた。この人は、福助の踊りの間
は、ずうと、双眼鏡を覗いたままだった。たまに、幕見席で観る
と、舞台以外に、いろいろなものが見えるから、おもしろい。さ
て、「所作事三題」のうち、二つは、男女の痴話喧嘩が、共通。
また、「義賢最期」では、矢走(あるいは、横田)兵内が、葵御
前らと絡む場面で、自身の名前にも関わる、「近江八景」を折り
込んだ科白を言うが、「近江のお兼」は、元は、近江八景になぞ
らえた八変化の舞踊の一つ。ここにも、「矢走(やばせ)」が出
て来る。こういう共通性を探すのも、おもしろい。

- 2003年8月31日(日) 14:56:22
2003年7月・歌舞伎座  (夜/「四谷怪談忠臣蔵」)

市川團十郎代々が、創案し、工夫し、受け継いだ「荒事」が、上
方歌舞伎の「和事」に対する江戸歌舞伎の大きな柱なら、南北の
時代に達成したといわれる「生世話物」は、諏訪春雄によれば、
江戸の口語の使用と江戸の下層庶民の風俗を舞台化した演劇様
式、つまり「上方に対する純粋な江戸のことばと風俗と人物」を
描く江戸歌舞伎のもうひとつの、大きな柱だろう。その「南北生
世話」の、最も巨大な花が、「東海道四谷怪談」ではないか。

もともと、「東海道四谷怪談」(1825年・江戸/中村座初
演)は、忠臣蔵外伝だから、四谷怪談と「仮名手本忠臣蔵」
(1748年・大坂/竹本座初演)が、2003年に「ないま
ぜ」になって演じられても、少しも不思議ではない。今回の猿之
助歌舞伎は、古典をベースに、スーパー歌舞伎で培ったサービス
精神を、「ないまぜ」にして、歌舞伎の新たな、それでいて、伝
統に適う、「傾く歌舞伎」を見せてくれた。それに加えて、猿之
助一座の若手役者の成長もみてとれる、そういう舞台だった。

「四谷怪談忠臣蔵」といっても、「忠臣蔵」は、「松の間」の判
官の刃傷(三段目)、「塩冶館」の評定と城明け渡し(四段
目)、「天川屋」(十段目)、高家への「討ち入り」(十一段
目)ぐらいで、そのほかは、「四谷怪談」の世界。本来の「四谷
怪談」でいえば、序幕、二幕目、三幕目に加えて、四幕目までを
見せる。何よりの楽しみは、最近では、あまり演じられない四幕
目「三角屋敷」をじっくり上演してくれたことだ。そのかわり、
今回は、大切(おおぎり)の「蛇山庵室」が、ない。

もっとも、「天川屋」(天河屋)の場面も、「仮名手本忠臣蔵」
では、あまり演じられないから、これも楽しみだった。今回は、
これに加えて、「忠臣蔵」に影響を与えた「太平記」の世界を、
もっと明確にして、新田義貞の霊を登場させ、妖術で、その霊が
高師直に乗り移り、さらに、暁星五郎、実は義貞の息子・新田鬼
龍丸らが、足利政権転覆をはかるという筋書き(暁星五郎は、
「忠臣蔵」のパロディで、「四谷怪談」の4年前に上演された南
北作「菊宴月白浪(きくのえんつきのしらなみ)」では、実は、
斧定九郎で、塩冶家の再興に苦心する。だから、名前も、大
「星」と縁のある暁「星」なのだ。それが、今回は、義貞の息
子・新田鬼龍丸として、塩冶家と敵対する。南北の原作「菊宴月
白浪」がイメージした暁星五郎像は、今回は、いわば、分裂して
いる。代わりに、定九郎が、大星方のスパイとして活躍する。忠
臣蔵の討ち入りの後に、今回は、別の大詰を考えたから、捩じれ
たのだと思う)。今回は、「発端」に続く、長い序幕は、八場ま
であり、「忠臣蔵」と「四谷怪談」の構図を一気に、説明してし
まう。

「忠臣蔵」と「四谷怪談」を繋ぐ主要な登場人物は、「塩冶館」
と「討ち入り」の場面での小林平八郎こと、伊右衛門(段治
郎)、同じく「討ち入り」の場面での、与茂七(右近)とお岩
(笑三郎)。

さらに、猿之助一座お得意の、外連の演出のために、「忠臣蔵」
なら五段目の見立てである、「序幕 第八場 両国橋の場」で
は、宙乗りと川開きの花火の場面や「討ち入り」の後に付加され
た本水を使う「大滝」の場面などがあり、サービス満点。ここで
は、塩冶判官も、高師直に乗り移った新田義貞の霊に誑かされて
松の間の刃傷事件を起こしたことになっている。また、塩冶家の
家臣では、民谷伊右衛門とともに、裏切り者のひとりになってい
る斧九太夫の息子・定九郎が、由良之助の諜報方という格好よい
役回りが振られるなど、新趣向が、いくつも取り入れられてい
る。発端の場面、「東海道四谷宿宿外れの場」で、春猿の定九郎
が、「口上」の形で、そういう趣向を述べる。

まあ、そういう「新作歌舞伎」という要素よりも、私が、堪能し
たのは、「三角屋敷」などの場面を登場人物の数は、絞りながら
も、盥のなかから女(お岩)の手が出て来るなど軸となる場面
は、南北の原作に忠実に演じてくれたこと、これが、何よりの収
穫であった。ばたばたと筋立てを追うことが多い猿之助歌舞伎で
は、ここは、珍しく、世話場をじっくり見せてくれる本格的な歌
舞伎で、オーソドックスな舞台が、かえって、光っていた。

猿之助一座の弱点、脇役の薄さが、若手の成長で、埋められ始め
た徴候かも知れない。今後、猿之助一座は、本格的な歌舞伎に
じっくり取り組めば、「スーパー歌舞伎」とは、一味違う、古典
に立ち返った新しい猿之助歌舞伎が、誕生するかも知れない、そ
ういう予感がしたし、そういう期待をうかがわせる舞台であっ
た。私の観た「四谷怪談」は、2回目。前回は、勘九郎のお岩を
観ているが、今回の舞台とは、趣向が違うので、比較しない。

配役をみておこう。猿之助は、直助、暁星五郎実は新田鬼龍丸
(新田義貞の息子)、天川屋義平と、仕どころの多い3役。ほか
に、「四谷怪談」の軸になる民谷伊右衛門:段治郎、お岩と小仏
小平、小平妹お軽の3役:笑三郎、「忠臣蔵」と「四谷怪談」で
は、いずれも欠かせない高師直と宅悦の2役:猿弥、塩冶判官:
門之助、大星由良之助:歌六、佐藤与茂七:右近、「三角屋敷」
では、直助とともに軸になるお袖と大星力弥の2役:笑也、いず
れも、新趣向の新田義貞の霊:段四郎と由良之助の諜報方の斧定
九郎:春猿。

猿之助の演技は、別に述べるとして、まず、「四谷怪談」の主役
のひとり、色悪・民谷伊右衛門を段治郎が、好演していた。民谷
伊右衛門の人物造型については、高田衛『お岩と伊右衛門』とい
う興味深い本に、「伊右衛門はどこから来たのか」という章があ
る。それに拠ると、伊右衛門は、まず、南北自身の先行作品「謎
帯一寸徳兵衛」の大島団七に遡る(立作者は、南北前名の勝俵
蔵)。その大島団七は、名前からも推察できるように、並木宗輔
らの合作「夏祭浪花鑑」の団七九郎兵衛の江戸版であり、南北版
である。さらに、「謎帯一寸徳兵衛」は、南北自身の先行作品
「法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん・「かさ
ね」)」も、下敷きにしているから、「かさね」の与右衛門の影
も、伊右衛門には、投影されている。

実は、「団七九郎兵衛→大島団七」の間に、もうひとりの団七が
いる。南北が、勝俵蔵として合作の立作者に名前を列ねている
「御祭礼端午帷子(ごさいれいそろへのかたびら)」(1809
年・市村座)の魚屋団七が、それだ。「団七九郎兵衛→魚屋団七
→大島団七」というわけだ。なぜ、魚屋団七は、2年後の「謎帯
一寸徳兵衛」(1811年・市村座)で大島団七に生まれ変わら
なければならなかったか。それは、「御祭礼端午帷子」が、当た
らなかったからだ。不入りの「御祭礼端午帷子」の絵本番付は、
残っているが、台本が残っていないと言う。というのは、この時
期、南北は、江戸の市村座と森田座の両方の立作者を兼ねてい
て、市村座で「夏祭浪花鑑」の書き換え狂言として「御祭礼端午
帷子」を上演したとき、森田座では、「阿国御前化粧鏡(おくに
ごぜんけしょうのすがたみ)」を上演し、大当たりをとった。つ
まり、当時の勝俵蔵、後の南北は、「阿国御前化粧鏡」(こちら
の阿国御前は、16年後、「四谷怪談」のお岩に「成長」するこ
とになる)に力を入れていて、「御祭礼端午帷子」には、力を入
れず、ほかの合作者たちに任せていたのではないか、と高田衛
は、推察している。

そして、2年後、同じ素材で、南北が、市村座への「借り」を返
すべく、真面目に取り組んだのが、「謎帯一寸徳兵衛」だったと
いうのである。その「謎帯一寸徳兵衛」も、主役の五代目松本幸
四郎、五代目岩井半四郎の病気休演で、不完全燃焼に終ってしま
い、欲求不満の南北は、14年後に、まさに、満を持して、民谷
伊右衛門に、「色悪」という人物造型のエキスを注ぎ込み、「四
谷怪談」を、3大歌舞伎の一つ、「仮名手本忠臣蔵」と並ぶ、4
番目クラスの「大歌舞伎」にしたと言えるのではないか。

そういう民谷伊右衛門を段治郎は、どう演じたか。段治郎伊右衛
門は、いつもの伊右衛門がいる場所とは、違うところで、「伊右
衛門の味」を出していたように思う。段治郎伊右衛門は、「四谷
怪談」ではなく、「忠臣蔵」の方で、独自色を出した。伊右衛門
は、「塩冶館」に出て来て、家の断絶と城の明け渡しを決めた足
利方と「一戦まじえるべし」と、主張する塩冶家家臣団のなかに
あって(彼は、舞台下手の、末席に座っていた)、松の間で事件
を起こした主君・判官の短慮を、独り、批判することで、後に、
高家に討ち入りをして、英雄となる大星らとは、一線を画す。そ
ういう意味では、伊右衛門は、家臣団のなかで、知略を尽す大星
由良之助とは、また、違った意味で、冷静な(冷酷でもある)男
であったと思う。そういう伊右衛門の一面を気づかせてくれる役
造りに感心した。「四谷怪談」だけでは、伊右衛門は、冷酷で
あっても、冷静さを印象づけない。「四谷怪談忠臣蔵」にして、
初めて、さまざまな人物が投影された南北の伊右衛門像が、浮か
び上がって来たと言える。段治郎。まだまだ、大きさには、欠け
るが、強欲さに悪を滲み出させていて、印象に残る段治郎伊右衛
門であった。

猿弥も、良かった。高師直では、「松の間」の場面で、悪の大き
さを現し、対照的な庶民・宅悦では、滑稽味と小狡さを表現して
いて、今回の舞台では、猿之助を除けば、いちばんの存在感が
あったと、思う。こういう「柄」の役者が、猿之助一座には、段
四郎ぐらいしかいないから、今後の活躍が楽しみ。

お岩は、2度死ぬ。1度目は、櫛削った髪の毛から、倒れた衝立
の上に血を滴らせる場面で、「立ちながら息引き取」ってしま
う。それにもかかわらず、お岩は、さらに、よろよろよろけて、
柱に刺さった小平の刀に「喉のあたりをつらぬきし体にて」、2
度目の死を、観客に印象づける。鼠年のお岩のために、多くの鼠
が、いろいろな場面で出て来た。そういう仕掛けも含めて、お岩
には、無気味さと凄みが必要となる。笑三郎のお岩を、前回観た
勘九郎のお岩とは比較をしないでおこう。

さて、3役、特にお岩役の笑三郎は、無気味さや凄みには、若干
欠け、サラッとしたお岩である(「怪談噺」に重きを置く場合の
「四谷怪談」だけのお岩ではないため、今回は、お岩の場面自体
も、サラッとしている)が、哀れみを滲ませながら、それでも、
「四谷怪談」の見せ場見せ場で、彼なりにきちんと演じて藝幅の
広さを感じさせていて、成長したと思う。笑也、笑三郎、春猿と
いう猿之助一座の女形陣のなかから、頭をひとつ、出して来たの
ではないか。そういうものを感じさせる演技であった。春猿の演
じる定九郎は、新たな趣向の役回りで、良い役なのだが、それが
理解できるまで、私は、戸惑った。笑三郎とともに評されがちな
春猿だが、今後とも笑三郎に伍して、ともに、成長すべく、今後
とも頑張ってほしい。寿猿も、猪熊局、伊右衛門の母・お熊な
ど、いぶし銀のような声で、印象に残った。

さて、猿之助の直助(あるいは、後の直助権兵衛)の小悪党ぶり
は、お手のものという感じ。歩き方からして、味がある。花道
は、「歩く藝」だと言われるが、長年、花道を歩き続けて来た蓄
積が滲み出ている。こういう役は、一座の座長として、良い役ひ
とりじめの猿之助だが、やはり、この人しかいない。猿之助の後
継と目されている右近では、まだ、こういう味は、滲み出て来な
い。暁星五郎のような颯爽とした役は演じることが出来ても、猿
之助直助のような味は、まだ、出せない。右近は、猿之助一座の
優等生だが、優等生ゆえの、端正さや安定感があるものの、彼独
特の味を出すためには、もう、何回か、脱皮をしなければならな
いだろう。

「四谷怪談忠臣蔵」では、猿之助の登場は、「序幕 第三場 塩
冶館塀外の場」から。段治郎の伊右衛門と組んで、塩冶館の金蔵
から三千両を盗み出し、塀外の堀(滑川)に舫ってあった屋形舟
のなかから、屋形を開けて、「中間直助」として颯爽と登場。次
いで、(「1年後」という頭取(助五郎)の「口上」がある)
「序幕 第四場 浅草観世音額堂の場」での、「薬売直助」にな
る。ここが、「忠臣蔵」と「四谷怪談」の結節点。直助は、「藤
八五文 奇妙」と書かれた箱と扇子を持っている。「藤八五文 
奇妙」は、江戸時代に流行った薬売の、いわば、キャッチコ
ピー。南北の台本を見ると、この言葉(特に、「奇妙」)は、随
所に出て来る。先日の歌舞伎座の舞台で、「なんでかな」を捨て
台詞に使っていたが、これと同断。流行語(はやりことば)を舞
台に持ち込むのは、江戸時代もいまも変わらない趣向。

以後、「浅草宅悦住居」「同 裏田圃」「伊右衛門浪宅」と、
「四谷怪談」の場面が、テンポ良く展開する。「浪宅」のお岩の
場面も、先に触れたように、いつもの「四谷怪談」と違って、サ
ラッとしている。そして、先に触れた「両国橋」の場面と続く。
舞台中央に両国端。下手に2本の立て札(この立て札は、裏返す
と、仕掛けが施されている)。「開帳 彌勒寺」「川開き」と書
いてある。上手のよしずは、「忠臣蔵」五段目の稲藁の見立て。
伊藤喜兵衛宅から出入りの医者の竹扇が盗み出した千両箱を奪う
暁星五郎(猿之助)が撃つ鉄砲。「鉄砲お定」こと、女装した斧
定九郎(春猿)が、よしずから現れるという趣向。さらに、遠見
に両国の川開きの花火が上がり、花火を高見の見物を兼ねて、妖
術を使って、空を飛ぶ、「宙乗り」の猿之助。花火は、最後に、
「ナイガラヤ」の仕掛け花火となる。「忠臣蔵」の暗い五段目
が、ここでは、華やかな両国の夜となる。ここまでが、長い「序
幕」。この場面、私は、2階席「へ36」で観ていたが、2階席
から観ていると、一旦、上に上がって姿を消した猿之助が、再び
下がって来る。その下がって来る位置が、「37」「38」辺り
なので、目の前に星五郎が、姿を現すように観えて、迫力があっ
た。

「二幕目」で、「四谷怪談」の「隠亡堀」の、だんまり、先に触
れた「三角屋敷」の場面となる。お岩の妹・お袖(笑也)は、小
仏小平やお岩の遺体から剥ぎ取った衣装を洗い出し、古着として
売ろうという古着屋商売の下請けをしている。さらに、直助権兵
衛が先の隠亡堀の場面で、川底から拾い上げて来た櫛は、亡く
なったお岩の髪に刺してあったものだと判る。やがて、お岩の衣
装を漬けてある盥から女の腕が出て来て、直助の足を掴んだり、
その櫛を取りかえしたりする場面がある。盥の下に仕掛けがある
のだろうが、その後、盥を持ち去っても、仕掛けは、判りにくい
ようにしてある。そして、果ては、黙阿弥同様、肉親同士の「畜
生道」の因縁話から、お袖、直助の自害の場面となる。いずれに
せよ、「怪談話」の世話場を、5人の登場人物で、じっくり見せ
る。

さて、初見の「忠臣蔵十段目」。今回は、「大詰 第一場」とし
ての「天川屋義平内の場」は、絵に描いたような名場面、名科白
だが、それゆえの、軽さもある。こういう場面なんだ、という印
象で終ってしまう。まあ、「中幕」風の、付け足しのような場面
で、普段は、省略されてことが多いのが、頷ける。猿翁の演技を
残す意味でも上演したと脚本家が書いているが、そういう意味合
いも、伝統芸能を残す場合は、必要かも知れない。直助、暁星五
郎実は新田鬼龍丸、天川屋義平の3役のうち、猿之助は、直助
で、歌舞伎役者としての実力を見せつけ、暁星五郎実は新田鬼龍
丸で、スーパー歌舞伎的な活力を誇示し、さらに、天川屋義平
で、澤潟屋としての家の藝の伝承という役割も見せたということ
か。

そして、「第二場 高家奥庭泉水の場」「第三場 同 炭部屋の
場」と「忠臣蔵」の、討ち入りの場面が続く。いつもの、討ち入
りと違うのは、雪の「奥庭泉水の場」で、小林平八郎と名を変え
た伊右衛門が、与茂七と切り結ぶ場面があり、そこへ、お岩の幽
霊が出て来て、伊右衛門の邪魔立てをし、金縛りになる伊右衛門
が、与茂七に討たれる(ここは、「四谷怪談」の大切「蛇山庵
室」のパロディでもある)。また、師直が討たれる「炭部屋の
場」でも、塩冶判官の幽霊が、現れるという場面がある。さら
に、新田義貞の霊が乗り移った師直の妖術を源氏の重宝の矢でう
ち負かし、暁星五郎と名を変えている、義貞の息子・新田鬼龍丸
と対決する、次の場面への伏線があり、このあたりは、もう、新
作歌舞伎の世界。

そして、「大詰 第四場 東海道明神ヶ嶽山中の場」では、星五
郎(猿之助)と定九郎(春猿)、お軽(笑三郎)の対決、そこへ
助っ人に駆け付ける与茂七(右近)など、猿之助一座の芝居らし
い。さらに、「第五場 同 大滝の場」では、本水を使った立ち
回りと、冷夏とは言え、夏の芝居らしい趣向で、涼味を呼ぶ。水
に濡れた衣装で猿之助らが、本舞台に座り、「こんにちは、これ
ぎり」の挨拶にて、幕。「古典の新演出」、「新歌舞伎の創造」
など、猿之助一座の趣向が、「ないまぜ」になった舞台で、楽し
めた。
- 2003年8月1日(金) 22:17:29
2003年7月・歌舞伎座  
(昼/「妹背山婦女庭訓・蝦夷子館(えみじやかた)」「檜垣」
「盲長屋梅加賀鳶」)


昼の部のテーマは、「悪」。国崩しの、「巨悪」、若いカップル
への、老女の嫉妬心という「悪」というか、「意地悪」という
か、そして、小悪党の、「狡い悪」。そういう、人間の、さまざ
まな悪を考えさせる舞台だった。それは、夜の部「四谷怪談忠臣
蔵」という幕末の時代相のテーマ「悪の根源」ヘと繋がって行く
ように思える。まずは、昼の部から。

「妹背山・蝦夷子館」は、しばしば、演じられる「吉野川(山の
段)」へ、後に続く場面だが、最近は、殆ど演じられない。歌舞
伎座では、初演、国立劇場以来、20年ぶりの上演で、私も、初
見。同じく初見の「檜垣」(52年ぶりの上演)が、何より、楽
しみで、歌舞伎座の玄関を潜った。「盲長屋梅加賀鳶」は、以前
に富十郎で2回観ているが、猿之助では、初めてなので、富十郎
との違いが、どうでるか。そこに、注目したい。

「妹背山・蝦夷子館」は、白木の館に雲形が、巴に描かれた紋入
りの金地の襖という華やかな舞台をバックに悪が描かれる。本舞
台、上手に白木の鳥居が設えられているのは、「入定の行」(棺
を土に埋めて、生きたままそのなかに入り、死ぬことで仏になる
という「百日行」)に入っている入鹿の「即身成仏」の行為を象
徴している。周りは、雪景色。芝居の進行にあわせて、舞台で
は、雪が降ったり止んだりしているが、本来のドラマとしては、
ここは、「雪降り続く」という舞台と観た。清涼な雪のなかで、
腹黒い悪のドラマが、進行すると受け止めたい。ということで、
これから展開する「悪のドラマ」の舞台は、あくまでも、白一色
である。そして、雪は、正義の象徴でもある。それは、今回の舞
台には、登場しなかったが、原作では、行主とともに現れる大判
事清澄の科白に、明確に出て来る。歌舞伎の美意識は、こういう
辺りは、徹底している。こだわっている。それが、歌舞伎の奥深
さでもあり、類型化でもある。

さて、まず、悪徳非道な蝦夷子(歌六)は、入鹿の本心を疑い、
夫婦ならば、夫の本心を知っていようと入鹿の妻・「蓍(めど)
の方」(笑三郎)攻め立てる。そのあげく、それを諌める蓍の方
を殺してしまう。雪景色ゆえ、庭では、笑三郎の後見は、白い衣
装の「雪衣(ゆきご)」、座敷きでは、歌六の後見は、普通の黒
衣が、出て来る(しかし、その後の場面では、庭と座敷きで、引
き続き後見をする場面では、本舞台、二重舞台とも黒衣で通して
いた)。裁き役の勅使・安倍行主(蓍の方の父)は、猿弥。つま
り、入鹿連合の一翼を担って、蝦夷子を糾弾しに来る。

蝦夷子が、証拠の連判状を突き付けられて、切腹すると、安倍行
主の胸に矢が飛んで来る。そして、本性を現した入鹿(右近)の
登場となる。行主に対しては、義父の役割は、終った。後は、秘
密を知っているだけに、邪魔になるというわけだ。蝦夷子に対し
ては、父親より自分の方が、天下を奪う器量を持っている、だか
ら、邪魔立てするなというわけだ。入鹿は、ここで、実父、義父
と二人の父親を殺すことになる。白い衣装を着ていた入鹿は、こ
こで、金の衣装に「ぶっかえり」をする。金の衣装は、野心の象
徴か。見えない本性の見顕わしを歌舞伎は、視覚的に見せようと
する。

歌六の蝦夷子と右近の入鹿は、親子で皇位を狙う「公家悪」同士
の、いわば「巨悪」ぶりの競り合いが、物語のミソだが、実際の
舞台では、どちらも、巨悪を感じさせない、狭量で器が小さく、
残念であった。本来なら、この後に続く「国崩し」のドラマの主
役を明確化する大事な人物造型の場面なのだから。

ただ、歌六の「なんと(「ど」と聞こえる)・・・・」いう、ふ
るえを滲ませた科白廻しは、迫力があった。猿之助一座は、若い
人たちが多い所為で、こういう科白廻しは、「まだ、早い」の
か、味が薄い。歌六のみ、突出していた。総じて、猿之助一座
は、中堅層が弱い。しかし、今回の舞台辺りから、若手→中堅層
への成長が観られたように思うが、それは、夜の部に入ってから
と観た。

「檜垣」は、老女の嫉妬がテーマ。人間、いくつになっても嫉妬
心がある。若い少将(芝翫)と少将の愛人・小野小町(亀治
郎)。猿之助の老女は、死霊になって、若いカップルを悩ませ
る。嫉妬心と悲恋の苦しみを描く。小町への嫌がらせの場面な
ど、秀逸だ。「澤潟十種」のひとつ。猿之助も、本興行では、初
演という。舞台は、暗転からスタート。「骨寄せ」の演出も入れ
て、趣向のある所作事の舞台になっている。

今回の私の席は、通称「どぶ」の、「ち・39」で、花道も、
すっぽんも近い。猿之助の熱演にも拘らず、少しうとうとしてい
たようで、幕切れ、すっぽんから消える前の老女の場面で、気が
付く(あるいは、目覚めるか)と、猿之助が、ひときわ大きく観
えた。まるで、巨像のようにさえ、観えた。画面を故意にズーム
アップしたような感覚だった。不思議な体験をした。人を喰う
「黒塚」の老女。恋を喰う「檜垣」の老女。いずれにせよ、人間
の業の哀しみの一面を巨大化させている点では、共通している。
亀治郎が、最初、私の目には、菊之助のように観えたのも、おも
しろかった。ふたつとも、居眠りゆえの幻想か。まあ、それも良
しと、しておこう。

「盲長屋梅加賀鳶」では、富十郎と比較しながら、猿之助の演技
に注目して書きたい。梅吉と道玄のふた役は、猿之助も同じ。こ
こは、後の道玄の小悪党ぶりを浮き上がらせるためにも、ふた役
の梅吉は、颯爽と恰好良く演じたい。そこは、良いとこ取りの、
座長・猿之助、きちんと役割を演じていた。特に、「本郷木戸前
勢揃い」の場面では、茶の地に、丸に鉞(まさかり)2本を染め
抜いた半纏。髷も、通称、「鉞」と呼ばれる、先が、鉞の刃のよ
うに鋭くなっている。本来なら、市川團十郎宗家が、口上で付け
る髷に似ている。花道でのツラネ、屋台囃子、木遣りなど、すべ
て、江戸情緒たっぷりで「江戸開府400年」に貢献。まさに、
歌舞伎の一面の魅力を伝えている。木戸の向う側(つまり、本舞
台の奥、上手寄り)にいた「町人の女」のひとりは、甲府市出身
の現役役者では、唯一の喜昇が、演じていた。

さて、2003年も、上半期が終り、下半期に入った。東京で
は、「江戸開府400年」の活動の方が、都庁もバックアップし
ていることから、積極的に展開していて、残念ながら、「歌舞伎
400年」の方は、陰に隠れているように見える。松竹、国立劇
場とも、頑張れ。私も、「歌舞伎400年」に因んで、3大歌舞
伎の謎解きに挑戦した小説「歌舞伎伝説」(400字換算、
280枚)を書き上げたのに、まだ、発表していない。颯爽とし
た「本郷木戸前勢揃い」の場面は、猿之助の若さの勝利。でも、
ここは、「盲長屋梅加賀鳶」では、いわば、お飾り、「グラビ
ア」の場面だ。実力が問われるのは、雑誌ならば、グラビア以降
のページの作り方だろう。道玄の魅力は、巨悪とは違う、小悪党
の凄み、狡さと滑稽さの両立だろう。ハイライトは、二つある。
そのひとつ、伊勢屋の「質見世」の、道玄強請場面では、小悪党
ぶりは、さすが、猿之助は、巧い。だが、富十郎の達者さには、
及ばない。上には、上があるもので、特に、狡さ、滑稽さでは、
富十郎に先輩の風格がある。凄みは、同格か。  

梅玉の松蔵は、「木戸前勢揃い」、「御茶の水土手際」、「質見
世」と3つの出番があるが、仕どころが、あるのは、「質見
世」。梅玉は、いつもの梅玉だが、こういう役は、颯爽としてい
て、梅玉には似あっている。「質見世」では、番頭の佐五兵衛を
演じた猿十郎の、「背中の丸さ」が、いかにも疲れた中年番頭の
風情が出ていて良かった。ああいう脇を演じる役者が、もっと増
えると猿之助一座も、厚みがますのだが、この点が、猿之助一座
の、当面の課題だろう。しかし、この課題は、いずれ時間が解決
してくれそうな予感がする。

さて、道玄と訳ありの女按摩・お兼は、東蔵が演じていた。売春
婦も兼ねる女按摩。こういう二重性のある役は、東蔵は、本当に
巧い。どちらかに、重点を置きながら、もう、一方を巧く滲ませ
ることができる。実に、達者に演じる。まあ、以前観た田之助
も、巧かった。

ハイライトの、その2。「道玄内」から「赤門」の場面での、滑
稽味は、断然、富十郎に軍配が上がる。逃げる道玄。追う捕り
方。特に、「赤門」は、闇に紛れて、追う方と追われる方の、逆
転の場面で、どっと笑いが来ないと負けである。この出方が、富
十郎の方が、巧かった。この場面、猿之助は、真面目過ぎて、面
白みがない。「道玄内」から「赤門」に続く「だんまり」も見せ
場だ。

- 2003年8月1日(金) 22:15:15
2003年6月・歌舞伎座  
(夜/「御存 鈴ヶ森」「曽我綉侠御所染(そがもようたてしの
ごしょぞめ)」)

「御存 鈴ヶ森」の最後の科白「ゆるりと江戸で逢いやしょう」
は、拙著「ゆるりと江戸へ 遠眼鏡戯場観察」のタイトルに、も
じって使われているほどだから、私には、想い出深い作品だ。4
回目の拝見になる。鶴屋南北作の時代世話物「浮世柄比翼稲妻」
のうち、鈴ヶ森で、白井権八が、難くせをつけに来た雲助たちを
追い払い、江戸、浅草花川戸の侠客・幡随院長兵衛との出逢いと
いう一幕を演じるのが、「御存 鈴ヶ森」。江戸の庶民が、愛し
てやまなかった「出逢い」の芝居。筋は単純明解、権八と長兵衛
の存在感を、どう表現するか、江戸の庶民の「出逢い」の夢に、
どう応えるか、という舞台。夜の部の劇評は、「鈴ヶ森」は、コ
ンパクトにまとめ、「曽我綉侠御所染」も、良く上演される「御
所五郎蔵」よりも、今回、私が初見する場面について、詳しく書
きたい。

今回は、昼、夜通しで4つの演目に出演している染五郎。その染
五郎の権八だ。「夢の仲蔵」で、珍しく女形を演じて、染五郎
は、強く、逞しく、さらに、藝の幅も拡げたと思っている。9年
前に、私が初めて観たのが、勘九郎の権八。以来、菊之助、芝
翫、そして、今回の染五郎となる。染五郎の権八は、私の観たな
かでは、勘九郎に次ぐ存在感のある若衆、黒の着付け(立役が演
じる場合の衣装)での権八だったと思う(芝翫は、女形が演じる
場合の衣装である鶸色の着付けの権八だった。菊之助も、そう
だったように思う)。染五郎には、男の色気がある。それが、権
八でも、巧く出ている。女形の色気を出すか、若衆の色気をだす
か、そこが、この役のおもしろさだろう。

対する長兵衛は、幸四郎(2)、團十郎、羽左衛門。貫禄の侠
客・羽左衛門、男気の侠客・團十郎、そして今回を含めて2回
目、世話物の侠客というより時代物の武家の雰囲気を引きずる幸
四郎というところか。なにか、違うんだな、この人の芝居は。

この演目は、大部屋の役者衆に仕どころが多いので、おもしろ
い。権八との立ち回りで、雲助たちが、顔、鼻、尻、手、足など
を傷つけられるが、それぞれがコミカルに工夫されている。今
回、特段の新趣向の工夫は無いが、歴代の「三階さん」たちの工
夫の成果だ。一力茶屋の「見立て」同様に、こういう場面で、
「三階さん」ならではの、新趣向を混ぜると、舞台の味わいが深
まるのでは無いかと、思うのだが、いかがだろうか。

贅言;舞台中央上手に、さり気なく置かれた浪板は、実は、品川
海岸から江戸湾への広がりを表現している。観客席は、海なの
だ。この一枚の浪板で、江戸湾の浪の満ち干が感じられる。卓越
した道具だ。さて、浪板の裏は、件の手紙を燃やす際の防火区
域、特に、今回は、火がなかなか消えず、「ゆるりと江戸で 
(柝) 逢いやしょう」で、黒一色だった背景の幕が落とされ
て、夜明けの品川の野遠見となる場面でも、2階席から見ると、
小さな火が燃えているのが判った。

「曽我綉侠御所染」は、幕末期の異能役者・市川小團次のため
に、河竹黙阿弥が書いた六幕物の時代世話狂言。このうち、五幕
目「御所五郎蔵」(五条坂仲之町(出会い)、甲屋奥座敷(縁
切、愛想づかし)、廓内夜更け(逢州殺し)の三場)は、良く上
演され、私も4回目だが、三幕目「時鳥殺し」と、大詰「五郎蔵
内切腹の場」は、初見なので、楽しみにしていた。今回は、序幕
(本来の序幕、三幕目)、二幕目(本来の五幕目)、大詰という
三幕構成で上演。

まず、序幕第一場「名取川見染の場」。巡礼・おすて(玉三郎)
に悪さをしようとする雲助(夜の部は、雲助シリーズ)たちを通
りかかった陸奥国守・浅間巴之丞良治(染五郎)を助けるという
だけの場面。おすては、浅間巴之丞に囲われ、愛妾・時鳥にな
る。時鳥になっても、純朴な巡礼の前身を滲ませることができる
か。さて、今月の染五郎は、大活躍。颯爽の殿様に観えた。巴之
丞は、本来、原作では、「浅間の世界」として、時鳥、時鳥に瓜
ふたつの傾城・逢州というわけで、いろいろ筋立てに絡む役なの
だが、今回は、これぎりの出番である。高麗蔵も、ちょい役なが
ら、存在感を残したのは、さすが。

序幕第二場「長福寺門前の場」。巴之丞の母・遠山尼の三回忌法
要が、営まれている。ここは、後の舞台で重要な役回りをする人
たちを紹介する場面。一種の「だんまり」効果か。都へ向かう須
崎角弥(仁左衛門)と妻の皐月(玉三郎)が、仮花道から登場
し、本舞台を横切り(市蔵演じる金貸しとのやりとりがある)、
本花道から退場する。上手から登場し、皐月に横恋慕し、ふたり
を追う星影土右衛門(左團次)も、花道を退く。仁左衛門、ふた
役の百合の方(巴之丞の義母)は、仮面のような厚化粧で、悪の
老け役を演じる。法要に参加するため長福寺に来ていたのだ。娘
の撫子姫(巴之丞の妻)のために、巴之丞の寵愛を奪った時鳥殺
しを狙っている。その前に、時鳥の毒薬を呑ませて病気にした秘
密を知るお抱え医者の鈍玄(松之助)を騙して、殺す。悪役ぶり
を強調する場面だ。

序幕第三場「浅間家殺しの場」では、縁側でのセリ上がりで、鈍
玄の亡霊が現れ、百合の方の悪だくみを告白する。そのお陰で、
毒消しの薬を呑み、恢復する時鳥(玉三郎)。しかし、百合の方
とともに奥州に下って来た撫子姫方の奥女中たちが、刺客となっ
て、時鳥の寝所を襲う。さらに、腰元らを連れて現れた百合の方
が、傷付いた時鳥を時間を掛けてなぶりながら殺す場面だ。八つ
橋の架かった池があり、杜若の咲き乱れる庭で殺される時鳥。醜
い老女が、若くて可憐な娘を嬲り殺す。殺人現場を目撃した女小
姓らも殺される。幕末期の退廃美を表わす、歌舞伎の殺し場の名
場面のひとつ。徹底的に憎まれ役になる仁左衛門。しかし、「伽
羅先代萩」の八汐では、二枚目の颯爽とした顔を薄い化粧で伺わ
せながら、表情で憎しみを出した「美悪女」を演じた仁左衛門だ
が、ここでは、厚めの化粧で、最初から顔に、いわば固定した
「悪老女」を描いていて、八汐のような、奥行きや余韻が感じら
れないのが残念。表情があるのは、矛盾するかも知れないが、
「無表情の化粧」であり、化粧下の生きた表情を活用しないの
は、いかがなものか。玉三郎は、巡礼の下地を残しながら、あく
までも可憐、純朴な美女のまま、殺されて行く。この後の、「廓
内夜更けの場」での「逢州殺し」と合わせて、今回の舞台は、こ
うした「殺し場」が、見どころ。

さて、いつもの二幕目「御所五郎蔵」は、簡略に書こう。まず、
第一場「五条坂仲之町」の場面は、両花道を使っての「出会い」
の様式美。黒と白の衣装の対照。ツラネ、渡り科白など、科白廻
しの妙。洗練された舞台の魅力。須崎角弥は、いまや、御所五郎
蔵(仁左衛門)と呼ばれる男伊達になっている。仁左衛門として
は、悪老女・百合の方から、颯爽とした男伊達・五郎蔵への変身
が、見せ所。剣術指南で多くの門弟を抱え、懐も裕福な星影土右
衛門との鞘当ての場面。御所五郎蔵方の子分たち(友右衛門、権
十郎、男女蔵、由次郎、市蔵)の配役と比べると星影土右衛門方
の門弟(松之助ら)の配役の段違いぶり。ここまで、観たところ
では、脇に藝達者な役者がいないため、芝居を薄っぺらなものに
していて、味わいが少ない。そうしたなか、松之助が、奮闘して
いる。

廓でも、皐月に横恋慕しながら、かってはなかった金の力で、今
回は、何とかしようという下心のある土右衛門とそれに対抗する
御所五郎蔵。そこへ、割って入ったのが、仲之町の甲屋の女房・
お松(秀太郎)。留め役の女房だが、こういう役は、秀太郎は、
実に巧い。初役と言うが、存在感のある女房だ。以前は、芝翫の
女房も観ている。芝翫も、良かった。ほか私が観たのは、「留め
男」・甲屋主人(九代目と当代の三津五郎)。

第二場「甲屋奥座敷」の場面、皐月を挟んで金の力を誇示する土
右衛門と金も無く、工夫も無く、意地だけが強い五郎蔵との鞘当
て第二弾。歌舞伎に良く描かれる「縁切」の場面。心を偽り、
「愛想づかし」で、金になびいてみせ、苦しい状況のなかで、と
りあえず、実を取ろうとする健気な女性・傾城皐月(玉三郎)、
実務もだめ、危機管理もできない、ただただ、意地を張るだけと
いう駄目男・五郎蔵、金の信奉者・土右衛門という三者三様は、
歌舞伎や人形浄瑠璃で良く見かける場面。菊野・源五兵衛の「五
大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」、貢・お紺の「伊勢音
頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」などが、浮かんで来る。
皐月の窮地を救おうと、助っ人を名乗り出る傾城逢州(孝太郎)
が、実は、人違いで殺されてしまうのが、次の第三場「廓内夜更
け」の場面。傾城皐月の玉三郎が、美しい。華麗、純朴な時鳥と
は、対比的に着飾る。駄目男とはいえ、五郎蔵の、怒りに燃えた
男の表情が、見物(みもの)という辺りが、物語より、舞台で
の、形容(かたち)を大事にする、「傾(かぶ)く」芝居、歌舞
伎の奥深さの魅力だろう。

五郎蔵の下帯が、前の場面の白から赤に変わっている。歌舞伎の
美意識は、こういう細部に宿るので、見逃せない。仁左衛門、玉
三郎とも、見応えがある。このところ、本興行で、5回連続で土
右衛門を演じている左團次には、存在感。花形屋吾助の錦吾が、
弱いなど、今回の舞台通じて、脇の隙間が、気に掛かるが、ここ
でも松之助が、奮闘。五郎蔵方の子分(友右衛門ら)より、仕ど
ころがある。

皐月の紋の入った箱提灯を持たせ、自らも皐月の打ち掛けを羽
織った逢州と土右衛門の一行に物陰から飛び出して斬り付ける五
郎蔵。妖術を遣って逃げ延びる土右衛門と敢え無く殺される逢
州。受け口の孝太郎が、懐から飛ばす懐紙の束。皐月の打ち掛け
を挟んでの逢州と五郎蔵の絵画的な立ち回り。死を美化する華麗
な様式美の演出。妖術遣い土右衛門は、すっぽんによるセリ上が
りの後、面灯りの差出しで、花道を去って行く。仁木弾正のよう
に、雲の上を歩くようにではないが・・・。いずれにせよ、妖術
遣いの退場の場面だ。いつもなら、ここで、「今日はこれぎり」
だが、今回は、大詰がある。

大詰「五郎蔵内切腹の場」。逢州殺しの翌日。機嫌の悪い五郎蔵
は、子分(権十郎、男女蔵、市蔵。いずれも、先月の襲名組)た
ちに八つ当たり。座敷き奥の出入り口、上手に、太刀、3本の尺
八、胡弓が、棚に立て掛けられている(後に、使われる)。下手
には、清酒一樽、一駄、白米一俵などと書いた紙が貼ってある。
いずれも、「五郎蔵さん江」とあり、寄贈者は、勝蔵、佐太郎、
武蔵屋、辰巳屋と書いてある。「一駄」とは、馬に載せる荷の単
位。酒樽の場合、三斗五升入りの酒樽2樽の量。勝蔵、佐太郎よ
り、2倍の清酒を贈ったのが、武蔵屋だと判る。

皐月殺しと思っていた五郎蔵は、昨晩、暗闇で斬りとった首を改
めて確認すると、なんと、人違い!さらに、逢州の手紙を読ん
で、皐月の真意を悟った五郎蔵は、切腹を決意する。棚の太刀に
手を伸ばす五郎蔵。そこへ廓を抜け出して来た皐月がやって来
る。経緯があって、結局、それぞれ、自害するふたり。家の外
で、胸乳を刺す皐月。室内で腹を斬っていた五郎蔵は、格子を壊
して室内に入って来た皐月の願いを受け入れて、去り状を破り捨
て、あの世でも夫婦の契りをと約束して死んで行く。背中合わせ
のふたりが描く三角形が、男女の情愛の気持ちを「形(外形
美)」にして見せる。

今生の名残りに、過って死なせてしまった逢州への手向けヘと、
苦しい息の下で、尺八を吹く五郎蔵と胡弓を弾く皐月。傷付いた
身体のまま、奥の棚まで、それぞれ尺八、胡弓を取りに行くふた
り。残酷美、動く錦絵(それも、明治期に流行った「無惨絵」を
思い出す)のような場面が、続く。こういう場面では、仁左衛
門、玉三郎のコンビは、当代随一の舞台を作り上げる。見応えの
ある大詰だ。

さて、気になったこと。大詰の場面、柱を背に尺八を吹く仁左衛
門は、いかにも、苦し気だが、胡弓を弾く玉三郎は、その場面だ
け、「元気そう」になるのが、気にかかった。苦し気にすると胡
弓が弾けないのだろうか。やがて、寄り添い、重なりあうように
して死に絶えるふたり。愛する人と夫婦(めおと)のまま、あの
世への道行に出かける女性の喜びのような表情。昼の部の、観客
には見せないはずの、不適な笑いと違って、観客に見せるため
の、玉三郎の微笑が印象に残った。

今回は、昼の部の演目が、馴染みのあるものばかりで、初見の
「時鳥殺し」を含む夜の部に期待して観たが、馴染みのある演目
は、それだけ、洗練されている訳だから、役者の新趣向も含め
て、おもしろく拝見した。歌舞伎のおもしろさは、同じ演目が、
違った顔を見せるということだろう。

- 2003年8月1日(金) 22:12:47
2003年6月・歌舞伎座  
(昼「一谷嫩軍記〜陣門、組打〜」「棒しばり」「葛の葉」
「藤娘」) 

先月、多忙で歌舞伎座に足を運ぶ機会に恵まれず、久しぶりの歌
舞伎観劇である。今月初めまで3年間続いた甲府での単身赴任を
解消したため、家族とともに昼・夜通しで拝見した。昼の部は、
2階、東の桟敷・7である。この席は、本舞台も花道も良く見え
るポストだ。

「一谷嫩軍記〜陣門、組打〜」は、3回目。はるばる東国の本宅
を離れ、息子・小次郎直家とともに単身赴任中の熊谷直実の物語
である。単身赴任を解消した身には、なにかと印象に残る舞台で
あった。特に、父と子の、生死をわける「組打」の場面。この場
面は、全五段の人形浄瑠璃の、二段目前半に当たる。三段目の
「熊谷陣屋」になると、東国から息子、そして夫に逢いに来た母
であり妻である相模と直実の場面になるが、そこには、息子はも
ういない。つまり、東国にいれば、なかったであろう、ある家族
の崩壊への予兆が、「陣門、組打」での最大のテーマとなる。

このうち、私にとって初回だった96年2月・歌舞伎座の舞台で
は、「組打」の後に「陣屋」が続いていた。それは、幸四郎が本
興行で演じる「陣門、組打」の直実の2回目の出演であった。ほ
かの2回は、「陣門、組打」の組み合わせのみ。戦後の本興行の
上演形態でも、「陣門、組打」の組み合わせだけの方が、圧倒的
に多い。しかし、ここは、どちらかでなければならないという選
択では無いと、思う。どちらでも良いと、私は思う。つまり、
「陣門、組打」の舞台の観方としては、ふたつあるのである。ひ
とつは、舞台で演じられるさまを、そのまま、素直に観る方法。
平家物語の通りに、敦盛最期の場面として、観るのである。もう
ひとつは、「陣屋」での、どんでん返しを知っている観客とし
て、つまり、ドラマチックな展開を期待する「伏線」として、舞
台では、伏し隠されている部分を読み解こうとしながら観る方法
である。通し狂言として、並木宗輔の作劇術を楽しみながら観る
のである。これは、どちらが良いという方法では無い。どちら
も、楽しめる方法である。そこで、今回は、「陣門、組打」だけ
が演じられる訳だから、ふたつの鑑賞方法を並記する形で劇評を
まとめ、最後に役者評を記すという形にしたい。

まず、「敦盛最期」のコースとして、平家物語の叙事詩を楽しも
う。まず、「陣門」。須磨・一谷に陣を構える平家一門。戦場に
あっても、文化・文藝を愛する平家の人たちは、敗色濃い状況の
なか、死を覚悟して、現世での最期となるであろう管弦を楽しん
でいる。敦盛が吹いていると推測される笛の音。源氏方の若武
者・熊谷小次郎直家は、そういう風雅な心を忘れない平家の志を
良しとする、そういう心根の若者だ。ここの小次郎は、颯爽とし
ていてほしい。染五郎の演じる小次郎は、そういう期待に答える
登場ぶりだ。小次郎を引き立てるために、源氏方、坂東武者の
「がさつさ」を表現する役回りは、平山武者所季重(錦吾)。管
弦は、平家の策略だと煽り、小次郎に陣門のなかへ斬り込むよう
勧める。次いで、小次郎を心配してやって来た直実(幸四郎)に
も、小次郎に続いて、敵陣への斬り込みを勧める平山。あわよく
ば、熊谷親子の手柄を横取りしようという魂胆である。いまも、
こういう人物は、良く身近にいる。ここでは、豪宕な東国武者・
直実が、見えて来なければならない。やがて、傷付いた小次郎を
助け出し、逃げ延びて来た直実。それを追うように白馬に跨がっ
た凛々しい若武者・平敦盛(染五郎)が登場する。斬りかかる平
山を蹴散らし、追って行く。爽やかで凛々しい小次郎/敦盛、ふ
た役の染五郎の演技が光る。

須磨の浦。海岸の様子が、浪幕に描かれている。敦盛を探して陣
門を出て来た玉織姫(勘太郎)が、敦盛に追われて逃げて来た平
山と出逢い、平山に騙されて深手を負わされる場面だ。勘太郎の
玉織姫は、まだ、線が固い。勘太郎の課題だろう。浪幕の振り落
としがあり、同じ大海原ながら、今度は、大道具で表現される。
沖合い、遠見の平家船が見える。平家方は、源氏方の猛攻に押さ
れて海上に逃れたのだ。平山を深追いをして、遅れをとった敦盛
も、海辺へ戻って来た。沖の船に追い付こうと馬に乗ったまま海
中へ入り込む敦盛。朱色の地にに桜の花弁が染め抜かれた母衣
(ほろ)を鎧の背に背負っている。歌舞伎の敦盛のこの姿が、庶
民に印象深かった所為で、母衣(ほろ)のようなふっくりした花
を咲かせる山野草に「あつもりそう」(深山に自生する蘭科の多
年草。最近、盗掘が多い)という名前が付けられた。白馬に乗っ
た舞台を下手から上手に横切った敦盛は、今度は、海原の大道具
の間を上手から下手へ移動する。海原の大道具の間で、浪幕が動
めく。幕の下に入った人が幕を上下に動かして、大浪を表現して
いる。浪が、敦盛の行く手を阻もうとする。下手に入った敦盛
は、子役による「遠見」となって、再び、舞台に出て来る。そう
いう距離感の出し方をするのが、歌舞伎の演出だ。

やがて、花道から出て来た黒馬に乗った直実が、敦盛を呼び止め
る。直実は、紫色に蛇の目を染め抜いた母衣を背負っている。直
実の乗った黒馬も、敦盛を乗せた白馬と同じ段取りで海中へ進み
出る。歌舞伎の様式美、色彩感の豊かさ。子役の「遠見」同士の
海中合戦。やがて、浅葱幕の振り被せ。上手、幕の後ろから、敦
盛を失った白馬が、出て来る。本舞台を上手から下手へ横切り、
さらに、花道から向う揚幕へ消えて行く。主人を失った哀しみを
表現する馬だけの、印象に残る演出。浅葱幕の振り落しで、場面
展開。須磨の浦。海岸、舞台中央に朱の消し幕。幕が退けられる
と、セリ上がりで、浜辺に押し戻された敦盛、直実の「組打」の
場面となる。ふたりの周りには、母衣が、それぞれ流れ着いてい
る。舞台上手の海岸には、平家方の矢留の大板が立て掛けられて
ある。板の前には、一振りの薙刀(いずれも、後に、それぞれの
役割が判る)。舞台奥に大海原を描いた書割。沖合い、下手に
は、先の場面より、一層小さく、遠くなった平家船が2艘。この
2艘の船が、実は、意外と重要な表現をする。まあ、それは、後
ほど、解き明かすとして・・・。さあ、舞台装置は、整った。生
死を分ける父子のドラマを観ようではないか。

組打の果て、若い敦盛は、剛直な武将・直実の敵では無い、もは
や、これまでと死の覚悟を決めた敦盛。息子・小次郎と同年輩の
若武者を憐れみ、逃そうとする直実。しかし、敦盛は、潔く死を
選ぶ。この場面を遠望していた平山が、敦盛にとって、死への促
進剤。悪(わる)は、悪の場面で、節目の役割をする。直実が、
敦盛の首を刎ねる場面では、さっと近寄った黒衣が、倒れた染五
郎の顔を黒い消し幕で包み込む。敦盛の切首は、直実の手に。こ
の場面に限らないが、いつものようなオーバーアクションの父・
幸四郎の演技に対して、さらりと軽やかに演じる息子・染五郎の
演技の対比が、目立つ。

やがて、矢留の板の陰から、深手をもろともせずに這い出て来た
のが、玉織姫(勘太郎)。板は、大道具として、玉織姫の、いわ
ば、揚幕の役割を果たしていたのだ。既に死んでしまった敦盛と
やがて息耐える玉織姫との最期の出逢い。それは、恋人たちの最
期の別れであり、死への道行の始まりでもある。敦盛の首を抱き
しめたまま亡くなる玉織姫。敦盛の首を取り戻そうとする直実。
しかし、玉織姫の懐にしっかりと抱き込まれた首が取れない。南
無阿弥陀仏と唱えながら、やっと、玉織姫から首を引き離す直
実。紫の母衣を切り取り、敦盛の首を包み込む直実。残りの紫の
母衣は、敦盛の遺体を包み、さらに、隠す「消し幕」の役割も果
たす。もうひとつの朱色の母衣は、玉織姫の遺体を隠す消し幕と
なり、ふたりの遺体は、直実の手で、海辺に流れ着いていた別の
一枚の板に載せられ、同時に海へ葬られ、恋人たちは、永遠の道
行へと旅立って行った。ふたつの遺体を海に押し遣る場面では、
先ほどの薙刀が使われた。この辺りを見ていると、歌舞伎の舞台
には、「不要なものは、なにも置いていない」という原則が、改
めて、認識される。舞台にあるものには、すべて、役割を与えら
れている。それは、ひとりひとりの人生に必ず、生きる意味があ
るように。歌舞伎の舞台を観ていると、なにか、元気づけられる
のは、こういう大道具、あるいは、小道具の「役割」の所為かも
知れない。

直実は、何故か、思い入れを込めて、敦盛の鎧をしっかりと抱き
締める。その後、思いを断ち切ったかのように、下手から出て来
た己の黒馬の背に敦盛形見の鎧、兜、大小の刀を縛り付ける。
「戦後処理」をてきぱきと終えた直実は、背に敦盛が、伏して
乗っているように見える黒馬を引き連れて陣屋に引き上げて行
く。剛直でありながら、実務にも長けた武将・直実の姿が、明確
に浮かんで来る。後ろ向きで号泣する直実は、生死を分ける戦場
での営みの虚しさを痛感しているのだろうか。

さて、大海原の沖合いを見れば、動かないように見えていた平家
船が、いつのまにか、舞台下手から上手に移動している。まる
で、砂時計の砂が、ガラスの器のなかをゆるりと移動しているよ
うに。つまり、2艘の船は、生死を分ける人間たちのドラマを見
守りながら、時間の推移を観客たちに知らせるという、神のよう
な役割を果たしていたのだということに私は気づく。悠久の時間
の流れと対比される人間たちの卑小な生の営み、大河のような歴
史のなかで翻弄される人間の軽さ。自然と戦争という対比もある
だろう。この場面の、もうひとつの主役は、意外と、有為転変の
世の中を生きることの虚しさ、そういう「人間対時間」という対
比を示した、この2艘の船だったのかも知れないとさえ、思う。
3回目の観劇で初めて気づいた啓示のような思い。

さて、並木宗輔の作劇術というコースで、芝居を振り返ってみよ
う。違うものが観えて来るはずだ。平家の「陣門」に攻め入り、
傷付いた息子・小次郎救出を装い、義経との阿吽の約束を守り、
敦盛を戦場から救い出した直実は、まず、同じ源氏方の平山を騙
し、観客を騙す。また、敦盛に扮して、白馬に跨がり、平山を蹴
散らした小次郎(白馬は、知っていたのだろうなあ。乗せた若武
者が、主人の敦盛ではないことを。だとすれば、「組打」の場面
の前に幕外で演じた、主人と逸(はぐ)れ、しょんぼりと帰途に
つく馬、という「ひとり」芝居は、本当に観客を騙す名演技だっ
たということになる)も、すべてを承知していたことになる。須
磨の浦での「組打」の場面も、熊谷親子の、いわば「できレー
ス」としての死闘となる。直実と敦盛の死闘と見せながら、親子
の情も、密かに通わせるように演じる。そこが、代々の役者の工
夫魂胆であった。ここでも騙されるのは、源氏方を代表しての平
山である。「死の促進剤」とみられた平山武者所季重の役所(や
くどころ)は、むしろ、観客をともに欺く、「騙されの促進剤」
として、狂言作者・並木宗輔からは、期待されていたのである。
命を掛けて敦盛を慕う玉織姫も、騙されている。小次郎の首を恋
人・敦盛の首と信じ込まされて、死んで行くのである。偽の道
行。

しかし、そうとは知っていても、私は、玉織姫が懐に抱き締めた
「小次郎の首」の抱き締め方に、まるで、赤子を抱くような母の
姿が、私には見えて来たのには、驚いた。つまり、玉織姫の姿に
小次郎の母・相模の面影を観てしまったような気がしたから不思
議なのだ。陣屋の母子の別れの伏線。赤子を抱く母。死んでも赤
子を離そうとはしない母親。そして、やがて来る母子の別れ(三
段目)。そう言えば、若いふたりの男女の遺体を包み、隠す道具
が、「母衣(ほろ)」というのも、並木宗輔らしい、確信犯的な
工夫魂胆では無いか。「母衣」、つまり、「母」の「衣」が、子
を包む。芝居のデモーニッシュな力。至る所に作者の工夫魂胆
が、隠されている。魔力を読み解く観客も大変だ。

ところが、父も母に負けてばかり入られない。幸四郎直実は、小
次郎の身につけていた鎧を抱き締める場面では、敦盛より小次郎
を意識しているのが判る。あの鎧の抱き締め方は、母親に負けて
いない。「戦後処理」を全て済ませて、己の陣屋(三段目)に戻
る前に、観客席に背を向けて号泣する場面を見せたのは、そうい
う肚であろうと思う。三段目まで通しで観た場合を考えれば、家
族崩壊が、始まってしまったという場面になるこの場面は、やは
り必要なのだろう。通しとしての、このドラマのテーマは、まさ
に、幸四郎直実の、この演技にこそあるのである。並木宗輔の作
劇術という視点から見れば、幸四郎のオーバーアクションも、こ
こでは、嵌っているように見えてくる。幸四郎直実は、「陣門、
組打」だけの上演であろうと、「陣門、組打」「陣屋」の通し上
演であろうと、同じ演技をしているのだろうと思う。

まあ、そういうことで、3回の「陣門、組打」では、直実:幸四
郎(2)、吉右衛門。小次郎/敦盛:染五郎(2)、梅玉。玉織
姫:藤十郎、松江、勘太郎。平山武者所:坂東吉弥、葦燕、錦
吾。という配役で観たことになるが、小次郎/敦盛の染五郎が、
随分巧くなったのと、幸四郎直実の深読みの、おもしろさを堪能
したということになるか。

ここまで、6月歌舞伎座、昼の部の劇評を書いて来たが、すでに
紙数も少なくなって来たので、残りの演目は、簡潔に行きたい。
「棒しばり」は、3回目。次郎冠者:富十郎、勘九郎、染五郎。
太郎冠者:九代目三津五郎、当代三津五郎、勘太郎。曽根松兵
衛:三代目権十郎、坂東吉弥、友右衛門。達者な富十郎、九代目
三津五郎のコンビ。巧さの勘九郎、当代三津五郎のコンビ。とい
うように比較すれば、今回の染五郎、勘太郎のコンビは、テキパ
キした所作に若さが溢れていて、良かったと思う。鏡獅子、勧進
帳の弁慶など、さまざまな演目の所作の振りが混じっていて、そ
ういうものを発見する愉しみもある。

「葛の葉」も、3回目。葛の葉/葛の葉姫:鴈治郎、福助、雀右
衛門。安倍保名:宗十郎、東蔵、信二郎。信田庄司:三代目権十
郎、葦燕、段四郎。柵:吉之丞、鐵之助、田之助。鴈治郎の葛の
葉は、色気があった。福助の葛の葉は、若さがあった。今回の雀
右衛門は、老いも感じたが、葛の葉姫では、赤姫の気高さ、葛の
葉では、母の優しさ、狐の妖怪さを感じさせ、姫の顔、母の顔、
狐の顔を演じ分けて見せてくれた。差別される女性の哀しみ。そ
れゆえに、差別しない情愛の深さが滲み出なければならない。そ
ういう難しさが、この役にはあると、思う。それぞれの場面で、
表情を変えてしまう雀右衛門の藝の力には、圧倒される。子を残
して去る母親狐の情愛の表現は、雀右衛門が、当代随一だろうと
思う。

この舞台を観た、翌日、神保町の岩波ホールで、韓国映画「おば
あちゃんの家」を観た。この映画は、韓国の山村で独居生活を送
るおばあちゃんの家に、都会に憧れて若いころ家出した娘が、離
婚をし、失業もして、息子を一時的に預ってもらおうと帰って来
る。我がままに育った孫の少年との生活、祖母を馬鹿にして、い
ろいろ悪戯ばかりする孫に、嫌な顔も見せずに情愛深く接する祖
母の無償の愛。口も聴けず、字も知らない、耳も聞こえにくい老
女。そういう祖母が、負の力をも利用して、全身で表現する情愛
で、やがて、孫は、成長して行く。仕事を見つけて、息子を迎え
に来た娘。母親とともに、都会へ帰って行く孫は、祖母のことが
心配心配で堪らなくなっている。信太の森に逃げ帰った葛の葉の
情愛が、この祖母の情愛とダブって見えて来た。女性たちの無償
の愛は、いまだに、開戦時の大義名分であった「大量破壊兵器」
が見つからない、アメリカによるイラク戦争という男性原理に象
徴される、21世紀のニヒリズムに対抗する有力なメッセージだ
と思う。まして、男性→女形→母の情愛という屈折のある生活の
なかで、逆にそれをバネに奥行きも、深みもある演技をし続けて
いる歌舞伎役者・雀右衛門の藝の力。それは、男性原理と女性の
情愛を、ともに揚棄する、21世紀の新たな原理の構築へのヒン
トだと思っている私にとって、心強い実践である。思想的にも、
現代の最先端に位置する雀右衛門よ。いつまでも、元気で、充実
の舞台を見せてほしいと、思う。

木戸や置道具(屏風)などで狐の妖力を見せる場面がいくつかあ
るが、2階東の桟敷席は、ほかの席なら見えない部分で、大道具
方、黒衣などの尽力がなされているのが判るポストだ。最期の、
花道での狐の引っ込みは、すっぽんの出、面灯りの差し出し、暗
から明へ転じる際の、紫から薄紫への衣装の引き抜きなどがあ
り、楽しめた。

「藤娘」は、8回目。雀右衛門(3)、玉三郎(2)、芝翫、勘九
郎、菊之助。それぞれ、趣が違うし、松の大木に大きな藤の花の
下という六代目菊五郎の演出を踏襲する舞台が多いなかで、五変
化舞踊から生まれた「藤娘」という旧来の、琵琶湖を背景にした
大津絵の雰囲気を出した演出も拝見したことがあるが、今回の玉
三郎は、そういう従来の趣向をがらりと変えて、「玉三郎藤娘」
に新境地を開いた瞠目の舞台と言える。上手、中央、下手と3枚
の大きな銀屏風に、遠近感のある藤の花をあしらっている。歌舞
伎とは思えない新趣向の舞台装置が生きている。これはこれで、
良い藤娘だ。六代目が、なしたことを玉三郎は、独自の感覚で、
成し遂げたのだと思う。藤娘も、葛の葉の狐のように、人外の存
在である。人間から差別される「もの」。そういう哀しみを藤娘
の華やぎのなかにも、秘められている。

上手、下手、中央で客席に愛想を振りまく娘の場面で、玉三郎
は、お辞儀をした後、客席の反応に満足したのか、顔を伏せた
後、にんまりと不適な笑いを浮かべていたのが、印象に残る。良
きにつけ、悪しきにつけ、こういう場面は、なかなか、観ること
ができないし、玉三郎本人も、そういう不適な笑いを観客に観ら
れてしまったとは、思っていないかも知れない。
- 2003年8月1日(金) 22:10:35
2003年4月・歌舞伎座
(夜/「大石最後の一日」「二人夕霧」「人間万事金世中」)

今月は、昼、夜通して、舞台を観ながら、「『戦争』について、
考えるの心だ!」と。ラジオの小沢昭一の番組みたいな、キャッ
チコピーになって来た。昼の部に続いて、夜の部も、「戦争」と
いう「色眼鏡」(これは、いまのサングラスとは、違う。物理的
には、過剰な太陽光線を避けるという機能は、同じでも、色眼鏡
には、「色眼鏡で見る」という言葉があるように、「偏見」を意
味するニュアンスがある。あるいは、ここで使っているように、
ある視点から光をあててみるという意味もある。ついでだが、
「サングラスで見る」というのは、偏見では無く、多分、気の弱
さの現れだろう)で、舞台を観てやろうと思いながら、昼の部の
客とともに、一旦、外に出た歌舞伎座の玄関を、また、夜の客と
ともに入り直した。

「大石最後の一日」は、2回目。「大石最後の一日」は、殿の仇
を討った赤穂浪士の話であり、いわば、「戦」の後日談、つま
り、「戦後処理」の話である。と、昼の部の劇評の冒頭に書いた
通りである。6年前、97年11月の歌舞伎座で、大石内蔵助
は、幸四郎だった。今回は、弟の吉右衛門。舞台は、吉良邸への
討ち入りから、一月半ほど経った、元禄十六年二月四日。江戸の
細川家には、大石内蔵助ら17人が、預けられ、幕府の沙汰を待
つ日々を過ごしている。ほかの浪士たちが、綺麗に月代を剃って
いるのに、大石だけは、「伸びた月代」である。皆のことに気を
配り、世間に気を配り、幕府に気を配るリーダーの真情と苦労
が、あの「伸びた月代」(歌謡曲の文句に、ありましたね)だけ
でも、伺える。吉右衛門の大石は、そこにいるだけで、存在感が
ある。

この芝居は、どういう人生を送って来ようと、誰にでも、必ず訪
れる「人生最後の一日」の過ごし方、というのが、テーマだろ
う。例えば、癌を宣言され、残された時間をどう使うか。あす、
攻撃すると宣戦布告され、きょうが、「最後の一日」だと、告げ
られたイラク国民は、どういう思いで時間を過ごしただろうか。
あす、自殺しようと決心した人は、最後の一日をどう過ごすの
か。いずれにせよ、死を前にした時間を、どう過ごすのか。そう
いう普遍的なテーマを問う芝居である。つまり、人間は、どうい
う人生を送り、どういう最後の日を迎えるか。原作者の真山青果
は、それを「初一念」という言葉で表わす。

その一日を、最後の一日と思わずに、恋しい未来の夫の真情をは
かりたいと若い女が、小姓姿で、細川家に忍んで来る。吉良邸内
偵中の磯貝十郎左衛門(歌昇)と知り合い、婚約したおみの(芝
雀)である。おみのは、その一徹から細川家を浪人した乙女田杢
之進のひとり娘であった。結納の当日、姿を消した十郎左衛門に
とって、自分との婚約は、大志のために利用した策略だったの
か、それとも、ひとりの娘への真情だったのか。迷う娘は、男心
を確かめたくなったのである。大石は、そういう女心を嫌い、お
みのを十郎左衛門に逢わせることを、一度は、拒絶する。

歌舞伎の忠臣蔵では、架空の若い男女の物語を挟み込む。まず、
三大歌舞伎のひとつ「仮名手本忠臣蔵」では、架空の「お軽勘
平」という若い男女の恋物語が、挟み込まれている。今回の「元
禄忠臣蔵」誕生の端緒となった「大石最後の一日」でも、架空の
「おみの十郎左衛門」という若い男女の恋物語が、挟み込まれて
いる。「仮名手本忠臣蔵」では、勘平が、舅殺しの嫌疑をかけら
れ自害する。大石内蔵助らとともに、自害する磯貝十郎左衛門と
最後の対面をするため、小姓姿になり、「夫」との対面を果たし
た「妻・おみの」は、夫に先立ち自害して果てる。こちらは、
「後追い心中」ならぬ、一種の「前倒し心中」である。男女の誠
の真情が、磯貝の持っている「琴の爪」という小道具を、その象
徴として使って表わされる。

やがて、大石たちは、自害の場となる細川家の庭に設えられた
「仮屋」へと花道を歩んで行く。新歌舞伎ゆえの、「額縁芝居」
(本舞台だけで、花道を使わない芝居)で、せっかく花道の直近
の席に座っているのに、全く花道を使用しないまま、芝居が終っ
てしまうのかと待っていたら、最後に、傍を通って行った。薄暗
い花道横は、黄泉の国への回路であった。
見どころは、さまざまな対面の場面。下の間での細川内記(松
也)と内蔵助との対面、詰番詰所でのおみのと内蔵助との対面、
さらに、そこに磯貝十郎左衛門も加わっての対面、大書院での浪
士たちと幕府の上使たち・荒木十左衛門(梅玉)、久永内記(彦
三郎)との対面(つまりは、「判決」の言い渡し)、再び詰め所
での、先に死に行くおみのと磯貝との対面など。松也が、随分背
が伸びた。細川家の堀内伝右衛門(我當)が、風格がある。

贅言:大石ら吉良を討ち取った赤穂浪士の17人が、預けられた
細川家は、家紋が、「九曜」である。私が、卒業した都立高校
は、前身が、「東京府立九中」ということで、3枚の柊の葉を三
角形に組み合わせ、真ん中に「九曜」を入れていたから、懐かし
く拝見。「九曜の星は高くして」などと、忘れていた母校の校歌
を思い出した。もう、40年近く昔のことである。

一見、戦に関係無さそうな「二人夕霧」も、先の夕霧(初代)と
後の夕霧(二代目)の、「女の争い」というようにも、見えて来
る。まあ、それは、こじつけ。「二人夕霧」は、初見。「廓文
章」の吉田屋の場面のパロディを楽しく拝見。吉田屋で馴染んだ
先の夕霧が、亡くなってしまい、後の夕霧(魁春)と再婚した伊
左衛門(梅玉)が、夫婦共働きで、「傾城買指南所」を開いてい
るという舞台設定が、作者の趣向の目指すところを充分発揮して
いる。やがて、そこへ、「死んだ振り」をしていた先の夕霧が訪
ねて来たから大変。軽味と笑いの狂言。勘当の身のぼんぼん・伊
左衛門と傾城の打ち掛け姿で、夕餉の支度をする夕霧の、ふたり
の生活というのが、「浮き世離れ」している、この狂言の原点。
上方落語の味とでも、言おうか。おおらかさと笑い。

もうひとつ、現実と仮構との間(あわい)が、曖昧な大道具。こ
れも、「浮き世離れ」の意図的な趣向と観た。二重舞台と平舞
台。座敷きと庭なのだが、木戸と庭、座敷きの区別が、いつの間
にか、曖昧になる。いつもの歌舞伎の手法。庭に炬燵を持ち出し
て来るころには、そこは、座敷き。役者たちの草履を脱ぐ場所
も、やはり、いつの間にか、曖昧になる。いつもと違って、木戸
は、なかなか片付けられないが、やがて、片付けられる(いつも
の、大道具方ではなく、黒衣が、片付けていた)。その間の、木
戸と庭、座敷きの役割分担の曖昧さが、おもしろい。それは、亡
くなったと思っていた先の夕霧が、霊なのか、生身なのか、曖昧
なまま、出て来て、結局は、無理な身請けから逃げる算段として
の、先の夕霧の「死んだ振り」だったことが、判るなど、この
「曖昧さ」は、作者の趣向だろう。

先の夕霧(鴈治郎)、後の夕霧(魁春)、おきさ(秀太郎)が、
それぞれ味を出している。しかし、いちばん愉しみにしていた伊
左衛門が、仁左衛門の病気休演で実現せず、残念。代役の梅玉で
は、この伊左衛門の味を出すのは、無理であった。ここは、上方
味と滑稽味が、必要だろう。梅玉は、最後まで、それが充分に出
せなかったと思う。「廓文章」の仁左衛門の伊左衛門は、すでに
何回か観ているので、そのあたりを愉しみにしていた。昼の部の
「国性爺合戦」の甘輝は、仁左衛門ではなく、富十郎の代役で
も、充分、楽しめたが、こちらは、そうはいかない。梅玉を観な
がら、仁左衛門の伊左衛門なら、ここは違うだろうというような
ことが、いくつもあり、それが気になってしまった。梅玉の急遽
の代役は、誠にご苦労だったが、ここは、後日、改めて、仁左衛
門の伊左衛門を是非とも観てみたい。吉田屋の場面での伊左衛門
と、パロディでの伊左衛門の違いをどう演じるのか。そこが、ポ
イントだろう。このほか、指南所に通って来る3人の弟子の内、
「いや風」の翫雀が、良い。借金取りの「三つ物屋」の坂東吉弥
も、味を出している。

贅言:「二人夕霧」という外題は、文字どおり、ふたりの夕霧の
登場だが、似たような外題の「二人椀久」の場合は、舞台に登場
する「椀久」、大坂の豪商・椀屋久兵衛は、ひとりである。舞台
には、椀久と松山のふたりが、登場する。この違いは、なにか。
「二人椀久」の外題は、正確には、「其面影二人椀久」である。
遊女・松山に恋いこがれて、商売そっちのけの椀久の体たらくか
ら身上を守ろうと、家族らに軟禁されて、松山に逢え無いまま、
狂ってしまった椀久。その椀久が、やっと、屋敷を脱走して、街
を彷徨い、松山の幻想を見るという趣向で、「其面影二人」なの
である。幻想が消える、「あわれ椀久」と生活力逞しい、「あっ
ぱれ夕霧」という「二人もの」の違い。趣向のエネルギーを感じ
る上方和事狂言であった。

「人間万事金世中」こそ、アメリカの圧倒的な軍事力による、
ブッシュ大統領の「一国主義」(ユニラテラリズム)が引き起こ
した「イラク戦争」を、河竹黙阿弥が、黄泉の国から皮肉り、
「人間万事力世中(にんげんばんじちからのよのなか)」という
メッセージを送っているように見えるから、不思議だ。河竹黙阿
弥は、幕末から明治にかけて活躍した狂言作者の巨人だが、散切
物と言われる明治初年の新風俗を描いた世話物も書き残してい
る。新風俗を歌舞伎世話物の手法で、描いている。五代目菊五郎
が、熱心に上演した。「人間万事金世中」も、そういう散切物の
ひとつだ。イギリスの作家・リットンの喜劇「マネー」の翻訳物
を横浜を舞台に歌舞伎化した。登場人物の名前も、恵府林之助
(えふりんのすけ=エブリン)、おくら=クララなど、いかにも
翻訳物らしい。遺産という「マネー」に絡む人情喜劇。

「人間万事金世中」は、初見。これは、辺見勢左衛門(富十
郎)、妻・おらん(吉之丞)、娘・おしな(扇雀)という積問屋
の家族が、いかに、欲の深い人たちに描けるかにかかっている。
そういう意味で、3人とも熱演で、おもしろく拝見した。富十郎
について言えば、以前観た「盲長屋梅加賀鳶」(河竹黙阿弥が、
「人間万事金世中」の7年後に書いている作品)で、按摩の道玄を
演じたときの、達者な舞台を思い出した。こういう役は、富十郎
が、当代随一で、その達者さを妻・おらん(吉之丞)、娘・おし
な(扇雀)のふたりと親戚の雅羅田(がらた)臼右衛門(吉弥)
らが、増幅する印象を観客に与える舞台であった。明治の開化
期、横浜の海運問屋の風俗や「ノーエ節」の音楽が、興を添え
る。「人情噺文七元結」の文七のような林之助(信二郎)とお久
のようなおくら(孝太郎)が登場する「波止場脇海岸の場」で
は、大川端が、横浜の埠頭に変わっただけと言うような筋立て。
孝太郎が、巧い。こういう散切物は、なかなか、歌舞伎味を出す
のが難しい。
- 2003年8月1日(金) 22:07:16
2003年4月・歌舞伎座
 (昼/「国性爺合戦」「七変化 慣(みなろうて)ちょっと
七化(ばけ)」)

歌舞伎は、世相を映す鏡である。歌舞伎は、丸い鏡ゆえに、全方
向から照らし出される。鏡に映しだされる映像は、方向によっ
て、違った貌(かお)をしている。光を当てる方向によって、
違って見えるのが、歌舞伎という万華鏡である。違って見えて
も、同じに見えても、皆、正解というのが歌舞伎だろうと思う。
歌舞伎は、400年の歴史のなかで繰り返されて来た人間の生き
方を洗練しながら、様式化し、類型化してきた芝居群である。だ
から、人類が、やりそうなことは、皆、すでに、舞台に載っかっ
ていると思って良い。そういう眼で観直してみると、今月の歌舞
伎座は、3・20に始まり、「戦争」としては、最終段階に入っ
たと思われる「イラク戦争」が、浮かんで来た。というか、人類
が、懲りずに繰り返してきた「戦(いくさ)」の様が、生々しく
浮かび上がって来たから不思議だ。松竹の方でも、アメリカを軸
とする国際政治の展開、特に、「イラク戦争」への展開を想定し
て、4月の演目を決めた訳でも無いであろうが・・・。

例えば、昼の部の「国性爺合戦」は、もともと、17世紀の中国
の歴史、「抗清復明」の戦いと呼ばれた明国再興の歴史、なかで
も、鄭成功の物語を題材にしている。近松門左衛門は、「明清闘
記」という日本の書物を下敷きに、「国性爺合戦」を書いたとい
うから、これは、まさに、「戦記」である。韃靼に滅ぼされる明
を救おうと、韃靼に従っている甘輝将軍のところに、姉の錦祥女
が将軍に嫁いでいるという縁を生かして、義弟の和藤内が、父母
とともに、協力を要請に行くという、「戦への誘いの物語」であ
る。戦とは、関係なさそうな「七化(ばけ)」)も、最後に登場
する「鐘馗」は、鬼神を退治し、国土安寧の霊力を期待される。
さらに、夜の部では、「大石最後の一日」は、殿の仇を討った赤
穂浪士の話であり、いわば、「戦」の後日談、つまり、「戦後処
理」の話である。一見、関係無さそうな「二人夕霧」も、先の夕
霧(初代)と後の夕霧(二代目)の、「女の争い」というように
も、見えて来る。「人間万事金世中」こそ、アメリカの圧倒的な
軍事力による、ブッシュ大統領の「一国主義」(ユニラテラリズ
ム)が引き起こした「イラク戦争」を、河竹黙阿弥が、黄泉の国
から皮肉り、「人間万事力世中(にんげんばんじちからのよのな
か)」というメッセージを送っているように見えるから、不思議
だ。

まあ、そういうことで、まず、「国性爺合戦」。これは、5年
前、歌舞伎座で、猿之助一座の、通し興行で拝見している。この
舞台は、人形浄瑠璃の全五段構成を大事にした場面構成で、筋立
てが判りやすくて、良かった。そのときより、今回は、場面が整
理され、コンパクトになっている。

原作は、近松門左衛門の人形浄瑠璃で、全五段構成。初段では、
明が韃靼に攻め込まれ、敗走。そのひとり、皇妹・「せんだん
(檀)」(芝雀)が日本の平戸の浜に流れ着く。皇妹を含めた
「だんまり」の立ち回りの場面が、今回は、序幕「肥前平戸海岸
の場」で、最後に演じられるのは、そこから来ている。「せんだ
ん(檀)」を演じる芝雀と和藤内(吉右衛門)の女房・小むつを
演じる魁春のふたりは、実に、ここだけの登場。浄瑠璃なら、二
段目の、(今回は序幕の)「肥前平戸海岸の場」では、鴫と蛤の
争う場面。通称「鴫蛤(しぎはま)」は、いかにも、稚味(ち
み)溢れる、荒唐無稽な歌舞伎らしい、おおらかな場面で、楽し
い。今回は、まず、浅葱幕の前で、大漁の平戸の浜の様子と流れ
着いた唐船の話題が漁師たちによって、語られる。浅葱幕、振り
落としで、月の平戸浜に、漂流し、難破した唐船。セリ上がり
で、漁師・和藤内登場。この場面、いわゆる、「漁夫の利」とい
うことだろうが、和藤内の目前で、鋭い嘴を持つ鴫が、固い殻で
身を覆った蛤を攻め立て、結局、蛤の貝殻に鴫は、嘴を挟まれ動
きが取れなくなる。それを和藤内が、両方ともつかみ取る。「両
雄戦わしめてその虚を討つ」という軍法だと漁師・和藤内は、悟
り、軍師・和藤内への変身を決意する場面が、象徴的に演じられ
る。父親・老一官(左團次)の祖国・明へ渡り、韃靼と争ってい
る明と韃靼の「両国を只一呑みに、我が日の本の名を上げん」と
いうわけだ。ブッシュ大統領のような和藤内の野心である。

大坂の竹本座で、人形浄瑠璃として初演され、京の都万太夫座
で、歌舞伎として初演され、さらに、上方育ちの演目が、江戸で
上演される際に、二代目團十郎が、いまのような荒事の演出を持
ち込んだという。そういう荒事演出の典型的な稚味が、この場面
には、ある。大薩摩(「三升」の紋をつけている)が、本来なら
竹本出語りの「床」で、2連で演じられる。これも、音楽の荒
事。豪快にセリ上がって来る和藤内。大柄の格子縞模様の衣装。
大きな煙管。全編を通じて用いられる荒事演出への、スタートで
ある。この場面は、歌舞伎では、あまり演じられないというが、
古典味があり、前回、今回とも、この場面があるのは、嬉しい。

二幕目「千里ヶ竹の場」。舞台は、日本から明へ移る。明に渡っ
た和藤内一家。いわゆる虎退治の場面である。ここも、まず、浅
葱幕。また、振り落とし。一面、丈の大きな竹林のてい。3人の
黒衣が、裏で支える赤の消し幕が、舞台中央を隠している。消し
幕が、動くと、大虎と一本隈の和藤内(後に、筋隈に変わる)と
母・渚(田之助)が、セリ上がって来る。赤地の呉絽(ごろ)に
金色の真鍮鋲打ちの胴丸を着ている和藤内。この衣装は、何処か
で観たことがあると、思ったら、「義経千本桜」の「鳥居前」の
弁慶と同じだ。ということは、和藤内には、強力無双の弁慶と同
じ力が、宿っていることになる。その、様式的な表現が、この衣
装なのだろうと思う。

この場面は、母を守って、虎退治をするヒーロー和藤内のハイラ
イトなのだが、虎の動きが、凄く良いのに、感心した。前脚役、
後脚役とも、動きにメリハリがある。特に、前脚役の役者(残念
ながら、歌舞伎座筋書きには、配役名無し)は、腰の落し方が、
充分である。こういう低い腰の落し方を観て、以前に「菅原伝授
手習鑑」の「車曵」の「梅王丸」を演じた際の、團十郎を、私は
思い出した。

虎と和藤内の「面白き立ち廻り」は、最後まで、メリハリがあ
り、見応えがあった。虎がぐるぐる廻ったり(そう言えば、「チ
ビクロサンボ」という発禁になった絵本でも、虎がぐるぐる廻
り、黄色いカレー?のようになったっけ。あれを思い出した)、
前脚を上げて、和藤内の後ろから、和藤内の上に、のしかかった
りする(虎の着ぐるみのなかでは、後脚役の役者の肩に前脚役の
役者の身体を乗せて、八の字に拡げた前脚役の両脚が、虎の拡げ
た前脚になっているのである)場面では、さすが、客席から拍手
が起きていた(突然ですが、閑話休題:歌舞伎座ロビーでは、こ
のところ、毎月の演目を猫の役者たちが演じている様を描いた原
画の展示とそれを絵葉書に仕立てたものを販売しているが、今月
の場合、可愛い猫の和藤内と大虎の絡みということで、いつもよ
り、おもしろい。なに、「虎より猫が強い」のかだって)。

やがて、母・渚が差し出した「天照皇太神宮」の護符を和藤内
が、虎に向かって差しつけると、虎は、おとなしくなる。和藤
内、護符を振り上げての元禄見得。兎に角、メリハリは、荒事演
出。護符の力は、日の本の神の国というわけか。やがて、安大人
(あんたいじん)が、大勢の官人を連れて、「義経千本桜」の
「早見藤太と花四天」よろしく、立ち廻りとなる。安大人(吉之
助)は、和藤内に投げ付けられ、「岩に熟柿を打つごとく、五体
ひしげて失せにける」。

和藤内が、大太刀を振るうと、大勢の官人たちの、首の代わり
に、髪の毛が切り落とされ、日本流の月代に早替わりとなる(大
太刀をひと廻り振るうと、大勢の首が飛ぶ場面も、あったよね。
あれは、なんの場面だっけ。喉元まで、外題が出かかっているの
だが・・・。弁慶が、軍兵たちの首を、大きな天水桶に入れて、
芋洗いのように洗うのは、「御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょ
う)」が浮かんで来たが、あれは、軍兵たちの首を引っこ抜くん
だよね。と、思って悩んでいるうちに、やっと、「暫」の鎌倉権
五郎が、浮かんできた。暫くかかったね。まあ、いずれにせよ、
江戸荒事の演出だ)。

これらの演目の初演の年月日をざっと見れば、「暫」→「国性爺
合戦」→「義経千本桜」などの流れと判る。ここは、大雑把に言
えば、歌舞伎の荒事の歴史、つまり、スーパーマンの系譜という
ことになるだろう。鎌倉権五郎→和藤内→弁慶(後の、勧進帳の
崇高な弁慶ではなく、赤地の呉絽(ごろ)に金色の真鍮鋲打ちの
胴丸を来た赤鬼のような弁慶である。稚気と超能力が、併存する
ような弁慶。歌舞伎の狂言は、多くの無学な狂言作者たちが、職
人的な修練で、漆の重ね塗のように、先行作品を下敷きにして、
換骨奪胎しながら、言葉を変えれば、創意工夫しながら、新たな
狂言を書き継いで行く。役柄は、さらに、工夫魂胆され、洗練さ
れたものだけが、残って行く。先行作品も、また、似たような役
柄の後発作品に刺激され、逆輸入で、物真似をして、洗練されて
行く。人形浄瑠璃が、歌舞伎化され、評判の良い歌舞伎の演出
が、人形浄瑠璃に逆輸入される例も多い。そういう相乗効果が、
似たものヒーローをさらに似たもの同士にして行く。そういう荒
唐無稽さは、歌舞伎の身上である。

次の三幕目、四幕目が、「国性爺合戦」で、いちばん演じられる
「獅子ヶ城楼門の場」「獅子ヶ城内(甘輝館、紅流し、元の甘輝
館)の場」となる。軍師・和藤内は、老いた両親を連れての登場
である(「獅子ヶ城楼門」は、「楼門五三桐」では、「さんも
ん」だが、ここでは、「ろうもん」と読む)。ファミリーで戦争
へ行くという発想も、衝撃的であるし、非日常的なものがある。
まさに「衝撃と恐怖」。ラムズフェルド国防長官ら「ネオコン」
(ネオコンサーヴァティスト=ブッシュ大統領を牛耳る新保守主
義者)の世界だ。三幕目、四幕目は、戦のなかで翻弄される家族
の物語。和藤内一家と和藤内の義理の姉・錦祥女(雀右衛門)、
そして錦祥女の夫・甘輝(富十郎)が、物語の軸になる。まず、
「獅子ヶ城楼門の場」では、和藤内が、金の獅子頭が飾られてい
る楼門の外から城内に呼び掛け、甘輝ヘの面会を求めるが、断ら
れる。この後、和藤内は、あまり仕どころが無い。次に、老一官
が、娘の錦祥女に逢いたいと申し出る。やがて、楼門の上に錦祥
女が現れ、「親子の対面」となるが、親子の証拠を改めるという
場面である。幼い娘に残した父の絵姿や父の額の黒子(私が観た
舞台では、左團次は、左の眉の上の額に黒子をつけていたが、筋
書きの写真では、右の眉の上の額に黒子をつけていた。歌舞伎役
者のなかでも、稚気のある左團次ゆえ、毎日、黒子の位置を移動
させているかも知れぬ)など、楼門の上から、月の光を受けて、
鏡を使って確かめる娘。ここは、左團次の老一官、雀右衛門の錦
祥女とのやりとりは、さすが、見応えがあった。楼門の上と下と
いう立体的な「対面」も、劇的な趣向が良い。

戦時下のことゆえ、父と娘と、お互いに知れても、兵士たちがい
るので、異国人の家族は、城内に入れない。そこで、母・渚の仕
どころができる。縄を打ち、人質になるから、義母を城内に入れ
てほしいと義理の娘に頼む。それを聞き入れ、「紅白」の合図
(後の「紅流し」の場面に繋がる)を決めて、渚を城内に引き入
れる。この後、老一官は、さっさと花道に入るが、和藤内は、城
門の外に出て来た下官たちを大見得で海老折れ(将棋倒し)にし
てしまう。さらに、幕外での、石投げの見得、片手の飛び六法
で、向うに入る和藤内。歌舞伎の飛び六法は、「勧進帳」の弁
慶、「車曵」の梅王丸とこの和藤内しかやらない。「国性爺合
戦」では、和藤内は、この後も、「紅流し」を確認した橋の引っ
込みでも、両手を拡げた飛び六法を再び見せる。そういう意味で
は、貴重な場面だ。江戸荒事の歌舞伎の歴史のなかでの「国性爺
合戦」の位置付けは、相当に重要である。

「甘輝館」は、「かんきやかた」と読む。仁左衛門、病気休演の
ため、甘輝は、富十郎が代役。さすが、人間国宝。重厚な甘輝で
ある。錦祥女の雀右衛門、渚の田之助と3人の人間国宝の藝が絡
む贅沢な場面が続くことになる。ここは、見応えがあった。和藤
内に味方するためには、妻を殺さなければ面目が立たないと、甘
輝が、錦祥女に刀を向ける場面では、両手を縄で縛られていて不
自由な渚が、口を使って、ふたりの袖をそれぞれに引き、諌める
場面が、良い。忠孝と慈悲という古臭い価値観は、通用しなく
なっても、互いの立場を慮る真情は、いまにも通じる。「口にく
わえて唐猫(からねこ)の、ねぐらを換ゆるごとくにて」という
竹本の語りがあるので、「唐猫のくだり」という名場面だ。夫の
面目を立て、父と義弟のために、喜んで命を捨てるという錦祥
女。継母としては、義理の娘の命を犠牲にするわけにはいかない
という渚。母性愛の見せ場だ。歌舞伎の「三婆」は、通説では、
「盛綱陣屋」の「微妙」、「菅原伝授手習鑑」の「覚寿」、「廿
四孝」の「越路」だが、「越路」の代わりに「渚」を入れる説も
ある。それほど重要な役なのに、原作には、母の名前が無かっ
た。それで、歌舞伎では、「渚」という可憐な名前がついた。こ
こは、紀伊国屋の演技が、光る。

「甘輝館」の御殿の壁は、緑地に金のアンモナイトの図柄。御殿
から鑓水(やりみず)に架かる小さな橋で繋がる上手の一間(部
屋)は、紫の帳(とばり)が、垂れ下がっている。いずれの緞帳
も、蝦夷錦という。ここで、錦祥女は、左胸に抱えた瑠璃の紅鉢
から、紅を流すのだが、実は、これは、紅では無く、自分の左胸
(つまり、心臓)を刺した血であるが、赤布で表現される「紅流
し」は、まだ、観客には、底を明かさない。だが、甘輝が、渚を
和藤内の元へ送り返そうと言ったとき、錦祥女は、白糊(おしろ
い)流しと紅流しの合図があるから、それを見て和藤内が母を迎
えに来ると答えるが、このときは、もう、錦祥女は、自害の覚悟
をしている。

御殿の大道具が、舞台上下に引き込まれ、石橋が、奥から押し出
されて来る(この「押し出し」は、九代目團十郎以降の演出らし
い)。橋の上には、紫地木綿に白い碇綱が染め抜かれた衣装の和
藤内がいる。右手に持った竹の小笠で顔を隠している。左手に
は、松明。背には、化粧簑を着けている。城内は、たちまちにし
て、城外に早替り。「赤白(しゃくびゃく)ふたつの川水に、心
をつけて水の面」という竹本は、清太夫(ただし、清太夫は、
「あかしろ」と語っていた。いまの人たちに「しゃくびゃく」で
は、意味が伝わらないと思ったのだろうか)。橋の下の水の流れ
を注視している。やがて、紅(赤い布)が、流れて来る。「南無
三、紅が流るるワ」で、顔を見せると、和藤内の隈が、一本隈か
ら筋隈(二本隈)に変わっている。怒りに燃えて、顔に浮き出る
血管が、増えていることになる。人質の母を助けようと急ぐ和藤
内。それを阻止しようとする下官たち。和藤内は、下官たちとの
立ち回りの末に、下官の胴人形を下官たちの群れに投げ入れる
(これは、人形浄瑠璃で良く見かける演出だ)。そして、両手を
使った、2度目の飛び六法での引っ込みとなる。石橋などの大道
具が、先ほどの手順の逆で、奥へ引き込まれ、上下の道具が、再
び、押し出されて、「元の甘輝館」の場面へ。巧みな場面展開で
ある。

甘輝館へ乗り込んだ和藤内は、母・渚を助け、縄を解く。甘輝と
対決しようとする和藤内。
元禄見得対関羽見得。ハイライトの場面。そこへ、上手の一間か
ら錦祥女が出て来る。瀕死の錦祥女。命を掛けた妻の行動に和藤
内への助力を約束する甘輝は、さらに、和藤内に名前を「鄭成
功」と改めるように勧める。その一部始終を認めた渚は、義理の
娘同様の志で自死する。ふたりの女性を犠牲にしての大団円。女
たちが、物語の主軸になると、和藤内は、仕どころが無くなる。
下手寄りで、両腕をぶっちがえにして、じっとしている和藤内。
関節が抜けるほど苦しいという。すべてを肚で見せる和藤内。

もともと「戦史」を下敷きにしている狂言だけに、国家主義的な
言辞が多い科白回しだが、男たちの勇壮な戦への誘いのなかで、
女たちは、死という形で、家族の絆を深めて行く。戦と平和。
「国性爺合戦」は、影の多い狂言で、表面的な言辞と深層的な味
わいが、共存している。この狂言、別の光を当てれば、また、
違って見えて来るはずだ。私は、戦の影を「荒事」演出に注目し
ながら、拝見した。荒事演出を除けば、物語は、男どもより、女
房どもの方が、おもしろい。錦祥女の雀右衛門、渚の田之助が、
ともに、私には、見応えがあった。吉右衛門の和藤内の評が、な
かなか出て来ないって?。いつも全力投球の播磨屋の演技が、悪
い訳が無い。休演した仁左衛門の甘輝役は、どうだったであろう
か。富十郎は、さすが、貫禄。

前回の猿之助一座は、人形浄瑠璃の全五段をすべて見せたので、
いかにも、「戦史」という印象であった。しかし、これも、おも
しろかった。「国性爺合戦」は、「新・三国志」並に、スーパー
歌舞伎向きかも知れない。そう言えば、「新・三国志」は、第2
部まで拝見したが、第3部上演中の、歌舞伎座近くの新橋演舞場
まで、なかなか、私の足が向かないのは、何故だろう。

「七変化 慣(みなろうて)ちょっと七化(ばけ)」は、鴈治郎
が、7つの役柄を、どれだけ、変化(へんげ)させて、夢幻の世
界へ誘ってくれるかが、見どころ。舞台上手には、「七変化 慣
ちょっと七化」の看板。下手は、「中村鴈治郎七役相勤め申しま
す(「ます」の字は、記号の「ます」の崩しか)。開幕すると、
舞台真ん中に大き目の赤い消し幕。黒衣たちが、隠している。や
がて、消し幕は、浅葱幕の振り落しのように使われる。現れいで
たる「傾城」(鴈治郎)と二頭の蝶。廓の広間である。傾城は、
黒地に牡丹の豪華な衣装を着ている。上手の衣桁には、紫地の打
ち掛けが掛かっている。天紅の手紙は、傾城の恋文。禿の岡村研
佑には、「研佑」と、大向こうから声が掛かる。踊りがあり、や
がて、8枚の座敷きの障子が上がると、都近くの野遠見。やが
て、琵琶を背負うた「座頭」に早替りした鴈治郎が、花道から出
て来る。京へ上るのだ。

桜のある野遠見は、東海道。萬次郎、友右衛門、信二郎、玉太郎
の仕丁が、「業平」(鴈治郎)の東下りのお供。せりから上がっ
て来た業平は、すっぽんから消える。「相模蜑(あま)」では、
海女に変身して、すっぽんから、上がって来る鴈治郎。漁師たち
(翫雀、扇雀)を振り切る海女。次は、どう言う訳か、京の五条
大橋。「橋弁慶」。上手から出たのは、弁慶(富十郎)。弁慶
は、剽軽。洒落っ気たっぷり。辻君の牛若お玉は、鴈治郎。背景
は、町遠見。遠見が上がると、こんどは、江戸の日本橋。真ん中
が、日本橋川。奥に、江戸城と富士山。下手に、商家群。遠くに
火の見櫓。上手に白壁の蔵群。遠くに、竹の置き場がある。すっ
ぽんで、セリ上がる「越後獅子」(鴈治郎)。布晒しは、角兵衛
獅子の家の藝。「越後獅子」は、この「七変化」が、原型とい
う。

浅葱幕振りかぶせ。幕外で、大薩摩の定式の演奏スタイルがあ
り、浅葱幕の振り落としで、一転、深山幽谷の岩山の遠見。最後
に登場したのは、「朱鐘馗」(鴈治郎)。隈取りをして、最後
は、荒事で決める。鬼神を退治し、国土安寧の霊力を期待される
鐘馗の精霊。「悪鬼のみだれ切りはらい 国土を守る誓いの形
相」とは、フセインを倒したブッシュのよう。中東情勢は、「戦
後」が、難しいと思う。

鴈治郎のたおやかさ、強かさ、艶かしさ、藝域の広さを改めて立
証する舞台である。音楽の方も、長唄、清元、常磐津、大薩摩な
どが、入り乱れて、山台や雛段が、出たり、入ったりで、こちら
も、「七変化」。まあ、あまり、考えずに、変化に富む舞台を満
喫した。夜の部も、「戦」をテーマにまとめてみたい。
- 2003年8月1日(金) 22:05:12
2003年3月・歌舞伎座
 (夜/「傾城反魂香」「連獅子」「与話情浮名横櫛」)

いずれも、良く演じられる演目なので、劇評は、役者の印象記に
なりやすい。さて、どうしたものか。歌舞伎座の座席に座って
も、まだ、思案投げ首。まあ、生身の役者さんたちが、演じてく
れるのだから、舞台を見ていれば、必ず、新たな発見があるだろ
うと思いながら、開幕までの、ざわついた客席に座っていた。

「傾城反魂香」は、6回目。山梨県三珠町に歌舞伎文化公園とい
うのがある。一種の町起こしで、先代の三珠町長が作った公園
だ。三珠町は、もともと、武田信玄の十二将のひとりと言われた
一條信龍の領地があったところで、信龍の家臣に堀越十蔵という
能係り(いわば、文化担当だろう)の武士がいたという。信玄の
息子の勝頼が、織田信長軍に滅ぼされた後、掘越十蔵一族は、下
総に逃れ、十蔵の曾孫が、後に江戸へ出た歌舞伎役者になったと
言われている。その役者が、初代・市川團十郎という説があり、
三珠町は、江戸歌舞伎の源流の地ということで、町起こしに歌舞
伎文化公園を作り、團十郎の資料館、郷土資料館、多目的ホール
(ときどき、歌舞伎の巡業公演がある。そういうことなら、江戸
時代の甲府にあった常打ちの歌舞伎小屋「亀屋座」を再現して、
金丸座のように江戸歌舞伎の演出を再現できるような施設にすれ
ば良かったのだろうが、採算なども考えたのだろうか、知恵者が
いなかったのだろうか。「多目的」=「無目的」という、あまり
利用されない、どこにでもあるホールになってしまっている)そ
して、公園がある施設が、整備された。まあ、実は、そこで、團
十郎の「吃又」を観たことがあるので、本興行とあわせて6回の
「傾城反魂香」を観たというわけだ。

今回は、3点について述べたい。1つ目は、幕開き直後の「虎騒
動」である。先日、テレビで、NHKに所属した報道カメラマン
たちの50年間の撮影の歴史(「テレビ50年」キャンペーンシ
リーズの一環)をまとめたドキュメンタリーを観た。私が、一緒
に仕事をした多くのカメラマン(皆さん、歳をとりました。とい
うことは、私も歳をとったということか)が、出てきて、報道カ
メラマンの歴史を写し取った一瞬の映像と思い出話を聞かされ
た。そのなかに、木村征男カメラマンのエピソードが語られてい
た。千葉県君津市の山奥の寺で飼われていた虎が、檻を破り逃げ
出したという事件があり、それを取材したときの話である。

木村カメラマンは、虎を追い、ついに虎と遭遇し、虎の姿を撮影
する。カメラのレンズを通して、虎と眼をあわす。レンズ越しと
は言え、恐いだろうなあ。そのとき、まさに、「眼(がん)をつ
けた」状態になった虎の眼を見ているうちに恐怖心が和らいだと
いう。木村カメラマンは、実は、愛猫家で、何匹もの猫を飼った
ことがあり、猫と言えども、虎の血を引くわけだから、獲物を狙
うときは、眼が爛々と輝くと言うのである。輝かないときは、獲
物を「獲物」と思わないときであり、つまり、興味がないときで
ある。それを思い出して、レンズ越しに見た虎の眼を、また、
じっと見たというのである。そうすると、寺の檻を破って逃げ出
した虎の眼は、獲物を狙う、爛々と光る眼ではなく、なにか、自
由の身になり、戸惑っている、気弱な眼だったというのである。
そう思うと、急に虎に対する恐怖心が消えてしまい、普通の撮影
対象のものに向き合うように落ち着いて、虎を撮影することがで
きたというのである。そういう眼で、レンズ越しに虎の眼を見て
いたら、虎は、横を向き、やがて、木立の間に姿を隠してしまっ
たというのである。

「傾城反魂香」の「虎騒動」の場面で、俄に木村カメラマンを思
い出した私は、木村カメラマン同様に双眼鏡のレンズ越しに着ぐ
るみの虎の眼を「観た」のである。当然のことながら、着ぐるみ
の虎の眼から表情を読み取ることなどできるものではないと判っ
ていながら、それでも観たのである。そうすると、気のせいと言
えば、気のせいなのだが、薮から上半身を覗かせている虎の眼
は、爛々と光る眼ではなく、なにか、自由の身になり、戸惑って
いる、気弱な眼に観えてきたから、おもしろい。案の定、狩野元
信が描いた絵から抜け出してきて、近隣の百姓の畑を荒らして、
村々を逃げ回っていた虎は、土佐将監光信(左團次)の弟子、土
佐修理之助(勘太郎)に、正体を見抜かれ、筆で墨を塗られると
消えてしまう。ところで、先月、病気休演の左團次が、元気な姿
を見せてくれた。風格のある土佐将監であった。それだけで、心
嬉しくなる。

今回の劇評ポイント、2つ目。やがて、舞台には、「吃又」こ
と、浮世又平(富十郎)が、女房のおとく(芝翫)と連れ立っ
て、土産を持ち、師匠の土佐将監のところへ、時候の挨拶にやっ
てくる。ここから先は、人間国宝同士の至高の演技ともいうべき
場面で、堪能した。吃音ゆえ、ほとんど喋ることができない又平
の「静」と、そういう夫の代わりに喋るおとくの「動」との、演
技の対比が、見どころ。身分ゆえに、師匠から名字を許されない
又平は、命をかけて、入魂の絵を描く。それが成功して、身分
も、吃音という障害も超えて、名字が許されるという、男のドラ
マである。私が観た又平は、吉右衛門で2回、富十郎は、今回も
含めて、2回。猿之助、そして、三珠町で観た團十郎が、それぞ
れ1回。本来、「悲劇」の物語のはずだが、吃音者の成功譚だけ
に、こういうコミカルな味わいを交えた役作りは、富十郎が巧
い。吉右衛門も巧いが、彼は、どの役をやっても、彼の人の良さ
という地が出てしまい、なぜか、役作りが純化されないところが
ある。これに対して、富十郎は、「悪達者」というと語弊がある
が、地を消してしまい、役作りを純化させるところがある。この
あたりが、「人間国宝」の至芸なのかも知れない。

もうひとりの人間国宝である芝翫も、その辺りは、心得ていて、
女房おとくの至芸を見せてくれる。男のドラマを支えていたの
は、女房おとくの愛である。そのあたりを巧く演じなければなら
ない。緩急自在に、たっぷりした演技を続けるふたりの人間国宝
のやりとり。死の覚悟と生への歓喜。そのあたりが、この芝居の
最大の見どころだろう。私が観たおとくは、芝翫が、今回も含め
て、2回。雀右衛門、鴈治郎、勘九郎、右之助。前にも、書いた
と思うが、男を支える女の愛の描き方は、役者によって違う。つ
まり、「世話女房型」は、芝翫、「母型」は、雀右衛門で、ほか
の役者のおとくは、この2つの「イデアルティプス(原型)」の
間に、位置付けられると思う。

3つ目。又平、おとくが、土佐将監の家に来て、「木戸を潜る」
(ここが、ポイント)と、大道具方が出てきて、木戸を片付けて
しまう。又平、おとくが、履いてきた履物も、黒衣が出てきて、
二重舞台の下手、奥(木戸があったときは、明らかに、家の外の
場所)に移動したふたりが、(家に上がるために)履物を脱ぐ
と、黒衣が出てきて、ふたりの履物を片付ける。つまり、又平、
おとくが、登場するまでは、土佐将監の家の敷地という平面の外
と内(道と庭)を区切り、また、高足二重舞台の座敷と庭という
立体の下と上を区切っていた木戸(役割の二重性)が、片付けら
れると、平舞台は、全て座敷となり二重舞台の上下は、実は、
「上」「下」でもなくなり、座敷きの「奥」「前」という関係に
変わるのである。それは、その後の、役者たちの動きで証明され
る。座敷内を裸足、ないし足袋だけで、移動するのである。修理
之助は、裸足で、将監は、足袋だけで、二重舞台から下に(つま
り、前に)下りて(つまり、出て)くるのである。おとくは、お
土産を平舞台に置いたり、平舞台に置いて羽織を畳んだり、そこ
に座って鼓を打ったりする。又平は、そこで、舞いを舞ったりす
るのである。すべてが、座敷きなのだ。つまり、空間が、木戸を
片付けるだけで、無限の広がりを見せるという、歌舞伎の演出の
妙である。

その挙げ句、虎騒動のときは、二重舞台から庭に下り、木戸の外
へ出るときに、ちゃんと履物を履いていたのに、又平、おとくの
登場以後、履物を片付けられた修理之助は、主家の銀杏の前危難
を救うために、将監の命で加勢に行く際も、裸足で出かけ、花道
も裸足で駆け抜けるのである。こうなると、将監の座敷は、花道
の向う揚げ幕まで続いている。ということは、歌舞伎座の1階客
席は、このとき、全て、将監の座敷というわけだ。この空間が、
再び、内と外に分けられるのは、又平が、石の手水鉢を突き抜け
る絵を描き、将監にほめられ、「土佐光起」という名前を与えら
れ、修理之助に続く、二番手の銀杏の前救出組に組み入れられ、
衣服と刀の与えられ、お礼に「大頭(だいがしら)の舞い」(大
黒舞)を舞い、師匠からさらに与えられた印可の筆を手に、一巻
を懐に入れて、出発するときまで、待たねばならない。そのと
き、黒衣が、又平、おとくの履物を持ってくるからである。ここ
で、客席にいる私たちは、猫騙しの呪術が解けるかのように、目
の前で、両手をポンと打たれて、将監の座敷から解放され、本来
の歌舞伎座の座席にいる自分に気がつくのである。

閑話休題:さて、座敷の場面で気がつくことのおまけ。おとく
は、誰もいない二重舞台に上がり、将監の硯と筆を黙って借り出
し、又平に最後の絵を描かせようとする。しかし、又平は、将監
に懇願する場面で、階段を昇り、二重舞台の上の、近くまで行く
が、決して師匠のいる二重舞台の上には、上がらない。一方、将
監の北の方(吉之丞)は、二重舞台の上を移動はするが、決っし
て、二重舞台から下りては来ない。これは、やはり、おとくの無
断借り出しの行為の場面は、別として、師匠夫妻の場である
「奥」には、弟子夫婦である又平、おとくは、原則的に近寄らな
いのであろう。二重舞台の自由に下り、上りするのは、将監と修
理之助だけである。


さて、「連獅子」。「連獅子」は、通常、親獅子と仔獅子という
ふたりの役者で演じられる。ところが、今回は、ふたりの成人し
た息子に恵まれた勘九郎一家が、3人で演じるという珍しい演出
である。「三人連獅子」の初演は、確か、去年の元旦の早朝、千
葉県の九十九里海岸に特設した舞台で演じたときではなかったか
(それ以前は、勘太郎、七之助の兄弟が、交代で、仔獅子を演じ
たことはある。私は、観ていない)。その後、去年の9月、博多
座の舞台にかけて好評、そして、今回の歌舞伎座の舞台というわ
けだ。夜の部の人気は、この演目と見た。「三人連獅子」は、初
見。「大当たり」という掛声が、大向こうから、何回か掛かっ
た。しかし、ここでは、ムードに流されずに、ふたりから3人に
なることで、単に役者の数が増えたということだけではない、な
にか、プラス・アルファが、あったのか、なかったのかを大原流
に検証してみたい。

「連獅子」は、7回目。「連獅子」では、普通、親子で、「対照
的」になる。ところが、「三人連獅子」では、親が、軸になり、
ふたりの子が、親とも「対照的」になりながら、子同士も「対照
的」にならなければならない。「三人連獅子」の記録では、明治
27(1894)年、明治座で演じられた「勢獅子巌戯(きおい
じしいわおのたわむれ)」というのがある。親獅子が、市川左團
次、両仔獅子が、市川小團次、米蔵であったという。着ぐるみで
出て、引き抜きで、四天姿になって、白頭、赤頭を持ったり、最
後に花四天がからんだりということで、いまのような、松羽目風
ではない。今回の「三人連獅子」は、あくまでも、「連獅子」の
3人版である。従って、「対照的」になりながら、普通の「連獅
子」との違いを見せなければならない。

まず、両仔獅子は、舞台の上、下に別れる。所作は、同じ向きの
繰り返しであったり、互いに逆方向への所作だったりする。歌舞
伎座の筋書きには、振り付け師の名前が無い。勘九郎だろうか。
藤間某(なにがし)だろうか。親獅子は、軸になっている。両仔
獅子の所作は、親とも、対照的になるものの、より、対照的にな
るのは、仔獅子同士である。その「二人仔獅子」は、「二人道成
寺」の花子・桜子の所作のようには、まだ、なっていない。所作
が、洗練されていない。発展途上の所作である。その上、上、下
の両仔獅子の呼吸(いき)があわない。まだ、荒削りと観た。い
ずれ、勘太郎、七之助の兄弟が、成長しながら、踊り込み、呼吸
もあい、この演目は、洗練されて行くのではないか。そういう予
感がする。

後シテになって、3人で繰り広げる赤、白、赤の毛振りは、さす
がに、迫力がある。「大当たり」という掛け声が、また、大向う
から掛かる。しかし、左巴は、3人の呼吸があわない。ふたりで
も難しいのだから、3人は、なかなか揃わないだろう。身体の構
えを崩さずに、腹で毛を廻すのが、毛振りのコツだというが、ま
た、この所作は、体力の勝負であろう。年齢の違いと藝の違い、
それを3人分、あわせるのは、至難の業(わざ)だと思うが、
40歳台後半の勘九郎、20歳台前半の勘太郎、ことし20歳に
なる七之助という、世代を見れば、「三人連獅子」が、やがて、
中村屋一家の、新たな家の藝になってゆくのではないか。

さ来年、十八代目勘三郎を襲名する勘九郎は、そのとき、50歳
になる。向こう20年は、役者の「旬」になる年齢を迎える父親
を軸に兄弟が、20歳台、30歳台として、父親に随伴しなが
ら、是非、十八代目一家の十八番(おはこ)として「三人連獅
子」を洗練させてほしい。そういう舞台の成長を観ながら、私た
ち観客も、年をとって行くことができるということは、同時代に
生きる観客の幸せで無くて、なんであろう。そういう未来の至福
の時間を感じさせる、「未完成」の魅力に富んだ「三人連獅子」
であったと思う。つまり、今回の舞台では、普通の「連獅子」よ
り、ひとり仔獅子が増えた分、広い歌舞伎座の舞台も狭く見える
ほど、迫力があったが、所作が、洗練されていなかっただけに、
残念ながら、役者が、ひとり増えたというだけではない、なにか
が、付け加わってはいなかったように感じられた。
欠けていたものは、工夫魂胆か、精進か。それは、不明だが、結
局、プラス・アルファの魅力は、私には、見つけられなかったと
いうことだ。「連獅子」には、なくて、「三人連獅子」には、滲
み出てくるもの。そういうものを、何年か先の舞台で期待した
い。これは、愉しみが、ひとつ増えた。簡単には、死ねないね。
皆さん。

「与話情浮名横櫛」は、6回目。与三郎:仁左衛門(今回含め2
回)、團十郎(2)、梅玉、橋之助。お富:玉三郎(今回含め2
回)、雀右衛門(2)、扇雀。團十郎、雀右衛門はのコンビは、
歌舞伎座とNHKホールで観ている。このうち、8年前の9月、
松竹百年記念の年、歌舞伎座では、「見染」から「元の伊豆屋」
まで、通しで拝見。「見染」は、都合4回。「赤間別荘」は、2
回。「源氏店」は、6回ということになる。

「見染」の場面が、好きだ。幕が開くと、木更津の海岸となる。
土地の親分・赤間源左衛門の妾・お富(玉三郎)主宰の潮干狩り
に大勢の人たちが繰り出している。大部屋の役者衆が、それぞれ
の居所にいて、江戸の雰囲気を出している。「与話情浮名横櫛」
は、大部屋役者の使い方が巧いし、傍役の演技が光る演目でもあ
る。潮干狩りの場は、横に広く、長く続いている。それを歌舞伎
の舞台は、廻り舞台を使わずに、「居処替り」という手法で、大
道具を上、下に引っ張って背景を替えてしまう。その際、1階と
2階席、3階席の一部の人たちの眼は、本舞台から降りて、いわ
ば、「東の歩み」ともいうべき、客席の間の通路を通り、「中の
歩み」から、花道へ上がるコースで、客席に愛嬌を振りまきなが
ら通る与三郎(仁左衛門)と鳶頭・金五郎(芦燕)のふたりに引
きつけられてしまい、気が付くと、すでに、本舞台は、背景が
替ってしまっているという趣向だ。「伊賀越道中双六」の「沼
津」と同じ趣向だが、こちらは、場面展開後、再び潮干狩りの人
たちで海岸が賑わうから楽しい。ここでは、江戸の太鼓持ちで、
木更津では、五行亭相生という噺家になっている助五郎が、味の
ある演技をしている。この相生は、後で、もう一役買う。助五郎
といえば、四郎五郎だが、今回、四郎五郎の姿が見えない。

「赤間別荘」では、相生(助五郎)の手引きで、与三郎が、赤間
別荘に囲われているお富との逢い引きにやって来る。親分が旅に
出た隙にアバンチュールを楽しもうという訳だ。お富に手を取ら
れ、座敷に上がる。さらに、障子屋体のお富の寝間に引き入れら
れる。積極的なお富。押され気味の与三郎。仁左衛門が演じてい
るだけに、与三郎は、上方和事の、「つっころばし」と呼ばれる
濡事師の味わいが濃厚で、なかなか良い。「見染」のお富との出
逢いの後の、「羽織り落とし」も、上方味だった。障子屋体の寝
間は、なかから灯りがともり、着物を脱ぎあう、お富と与三郎
が、細かな桟のある障子の向うに透けて見えるという趣向で、こ
れは、もう、浮世絵を通り越して、春画の世界に近い。際どい感
じを残して、舞台が半転すると、別荘の横が見えて来る。舟の板
を再活用したと思われる塀の外で、松五郎(吉之助)が、お富の
ことを赤間源左衛門(弥 十郎)に密告する。再び、舞台は、逆に
半廻しで、元の座敷に戻り、密通の現場を押さえられる。ここ
は、だんまり。お富は、逃げる。取り残された与三郎は、源左衛
門らに、身体や顔を切り刻まれる。「見染」から、この場面まで
の与三郎は、上方和事の味が、良くあっている。その後、舞台
は、さらに、逆に廻り、小高い海岸の場面へ。これは、初見。
95年9月、歌舞伎座では、江戸元山町の「伊豆屋」の場面まで
通しで観たときも、この場面は、なかった。要するに、松五郎に
終われた挙げ句の、お富入水の場面である。

「源氏店の場」。この場面については、3年前の10月、歌舞伎
座で、やはり、仁左衛門・玉三郎のコンビで観たとき、「五線譜
の恋歌」と題して、この場面に登場する人たちの、敷き詰めてあ
る定敷きの上での、居所替りの、まさに、「妙味妙味」の味わい
を書いたことがあるが、今回は、そこは、省略(参照:「座席知
盛」というタイトルの私の劇評では、「源氏店」含めて、いくつ
かの演目を取り上げて、歌舞伎の舞台の「幾何学模様」を、いわ
ば、座席の違うところで観る、立体的な観方の楽しみについて書
いている)。この場面、仁左衛門・玉三郎の演技は、細かく述べ
るのは、置いておくとして、勘九郎の蝙蝠安が、何といっても巧
い。すでに私が観ている蝙蝠安は、富十郎、弥 十郎(3)などだ
が、勘九郎の蝙蝠安は、彼の持ち味と蝙蝠安の持ち味が、渾然一
体になっていて、良いのである。地が透けても得をする勘九郎と
いうわけだ。仁左衛門・玉三郎の見せ場の演技を、恰も、江戸時
代の芝居小屋にあった「羅漢台」という、役者の後ろ姿ばかりが
見えるような、安い席で観ている観客のような表情を見せたりす
るのだ。おもしろそうにふたりのやり取り、あるいは、ふたりの
役者の演技ぶりを観ているように見える。江戸の芝居好きの庶民
が、タイムマシンで現れたような感じがさえしてきた。もうひと
りの観客。

今回は、主軸を演じる、「仁三九(にさく)」トリオに加えて、
傍役に恵まれている。特に、「源氏店」の剽軽役・藤八を演じた
松之助が、良かった。再三、「緑屋」と、大向うから声が掛かっ
ていた。藤八は、通しで観ると、源左衛門の子分の、松五郎の兄
として、悪役になるのだが、この場面では、道化役に徹してい
る。その道化振りが良いのである。松之助の住所を見たら、私の
市川の自宅の近所であった。さらに、弥 十郎の源左衛門、芦燕の
金五郎、先に触れた助五郎の相生、守若のおよしなども良い。そ
れぞれの味を出している。病気恢復の左團次の多左衛門も、格が
大きい。こういう人たちが、それぞれの味を出しながら、芝居を
すると、舞台に奥行きも出るし、演技にコクも出るというもの
だ。

多左衛門が、お富の兄と判り、嫉妬していた与三郎も、お富を見
直し、「生涯、おめえを離さねえーぞ」という辺りは、「三千歳
直侍」の「もう、この世では、逢わねえぞ」という片岡直次郎の
科白を思い出させる。命を掛けた恋に生きる男女。これぞ、芝
居。紋切り型でも、芝居。原作の与三郎は、養子に入った伊豆屋
で、与三郎が跡継ぎになった後、実子が生まれ、それでも、養子
を跡取りにする、という父親に対して、実子の「弟」への義理立
てから、放蕩をし、家出をして、つまり、身を引いているのだ。
父親、弟への思い、家への思い、という屈折した思いを胸に秘め
ながら、木更津に行き、お富と逢い、事件があり、江戸に戻り、
強請、騙りという、荒廃した生活をしている青年を描いている。
与三郎は、さらに、「源氏店」の場面のあとも、悪事を重ね、島
送りにされ、島抜けをして、再び、江戸に戻り、養家の伊豆屋へ
父親に会いに来る。この場面は、以前の、通しの際に拝見した。
「新口村」を思い出させる場面だ。

まあ、こういう風に、原作の与三郎は、幕末の江戸歌舞伎の世話
物という影が濃く、人間像もいろいろ屈折しているのだが、よく
演じられる「見染」や「源氏店」の場面での、与三郎は、十五代
目市村羽左衛門の颯爽としたイメージが強いから、いまのような
与三郎が、造型されたと思う。私は、通しの与三郎と「源氏店」
の与三郎の人物造型が、違っても、一向に構わないと思ってい
る。まさに、これぞ、芝居。紋切り型でも、芝居。というのは、
歌舞伎の、間口の広さの証明だと思っているからだ。
- 2003年8月1日(金) 22:02:54
2003年3月・歌舞伎座
 (昼/「松寿操り三番叟」「源氏物語 浮舟」「勧進帳」)

「人間を2つに類別する」という方法がある。男と女、子どもと
大人、若者と年寄り、いまなら、イラク攻撃に対する考え方が対
立する、アメリカ大統領とフランス大統領も入るかも知れない。
世界は、この問題で2つに別れている。また、一つの国でも、政府
と国民とで別れている。

また、人間の類別では、嘘つきと正直者、子ども大人と大人子ど
もという分類もあるかも知れない。子どものように自分の感情の
ままに生きようとする大人と大人の賢さを備えたように見える
が、子ども(あるいは、そういう状態の大人)という意味であ
る。

今月の歌舞伎座。例えば、幕見席のような幕ごとに人が移動でき
る座席ゾーンで定点観察をすると、今月の昼の部の客層は、「浮
舟」の仁左衛門・玉三郎・勘九郎の「二三九トリオ」を観に来る
観客が、半分、「勧進帳」の幸四郎・富十郎の「四十コンビ」を
観に来る観客が、半分と出た。昼の部のうち「浮舟」が終ると、
そのゾーンにいた観客の半分が、座席を立ってしまった。立ち見
の人も消えた。そして、「勧進帳」が、始まる前には、空いた座
席が、全て埋まった。立ち見も同じように、一杯になった。

この、半入れ替えで際立った特徴がみられた。前半の客からは、
役者の屋号の掛け声をかける人が、殆どおらず、ただひたすら熱
心に拍手(それも、煩いぐらい、強く叩くのが特徴とみた)をす
るばかり。それが、後半の客になったとたん、「天王寺屋」、
「高麗屋」とあちこちから大声が掛かる。それも、同じ声で、両
方に屋号の掛け声を掛けている。前者が、贔屓のタレント(役
者)を見に来たファン、後者が、歌舞伎役者を見に来た人という
ことか。私にとっては、昼の部の前半で、「大向う」(ここで
は、3階席や幕見席で、屋号の声掛けをする人たちという意味)
が、一人もおらず、後半になって、「雨後の筍」のように現れた
のがおかしかった。

更に、今月の千秋楽で「勧進帳」の弁慶役が、700回になると
いう、弁慶役者・幸四郎には、「高麗屋」のほかに、「待ってま
した」、「たっぷり」、「日本一」など、さまざまな掛け声が掛
かる。富十郎には、「天王寺屋」、「五代目」ぐらいか。昼の部
の前半と後半の、この拍手と掛け声の対比は、本当に、くっきり
と分れていた。さて、前置きが長くなったが、ここで、論じたい
のは、「北條源氏」のひとつ、「源氏物語 浮舟」の対立軸であ
る「心とからだ」「精神的な愛と肉欲」を体現する人間の二分法
のことである。

ということで、、まず、初見の「源氏物語 浮舟」から、批評を
始めたい。源氏物語の「宇治十帖」を再構築した北條秀司の原作
なので、まず、歌舞伎座の筋書きに基づいて、北條源氏に登場す
る人物の系譜を上記のテーマに即して分けてみたい(歌舞伎名作
全集に、北條秀司の作品が、載っていないので、悪しからず)。

* 薫大将(仁左衛門)=光源氏と女三の宮の子とされている
が、実は、柏木と女三の宮の子。光源氏と「縁」こそあれ、「縁
り(所縁、由縁)」は無い。亡くなった宇治の大君に恋してい
る。肉欲と精神的な愛を区別する理想主義者。つまり、女性の心
と身体の関わりに無頓着な男。大人になっていない。先の類別な
ら、大人子ども。
* 匂宮(勘九郎)=光源氏の孫(となっているが、光源氏と
契ったことのある明石の君が今上天皇との間にもうけた皇子)。
光源氏縁りの二条院のいまの主。光源氏縁り(異母弟の娘、つま
り、姪)である大君の妹、中の君(魁春)との間に子をもうけ
る。こちらが、どちらかと言えば、正統光源氏縁りの人である。
女性の心と身体を知り尽し、自由奔放に振る舞うプレイボーイ。
平気で嘘のつける人。先の類別なら、子ども大人。
* 浮舟(玉三郎)=中の君の異母妹、ということは、やはり、
光源氏縁りの人。熊谷直実の妻・相模のように東国からやって来
た。雛には、稀な美女である。都の女性と違い、雛の美女は、エ
キゾティズムで、男心を誘う。その上、浮舟は、匂宮のレイプ
で、官能に目覚めてしまい、浮舟に大君の面影を求める薫大将と
若い女性好きの匂宮の間で、心と身体を引き裂かれる運命の女
性。母中将の淫乱な血を恐れている。
* 浮舟母中将(秀太郎)=光源氏の異母弟・宇治の八条の宮と
の間にできた娘の浮舟を匂宮に捧げる策士。女性の心と身体の関
わりを、体験的にも熟知している。高齢ながら、いまも男を求め
ている淫奔な女性。

ということは、薫大将以外は、皆、光源氏の縁りの人たちだ。こ
こを読み誤ると混乱して来る。光源氏の女性との契りは、殆どレ
イプである。そういう男女関係の時代を考えれば、匂宮の肉欲第
一主義は、正統光源氏のやり方なのである。子ども大人こそ、光
源氏正統派の性根なのだ。そういう意識を忘れていても、芝居で
のリアリティは、勘九郎演じる匂宮にあったし、策士・浮舟母中
将の側にあったと思う。欲望派は、説得力があるだけ強い。ここ
で、「匂宮派」を結成すると、次のようになる。

* 「匂宮派」:領袖・匂宮。参謀・浮舟母中将、匂宮の供(側
近、秘書の類い)・時方(染五郎)、浮舟侍従で時方の恋人(七
之助)、匂宮夫人・中の君(ただし、この人は、浮舟、そして薫
大将に同情的である)。

それに対立するのは、以下のごとし。

* 「浮舟派」:領袖・浮舟。弁の尼(家橘)、女房・右近(上
村吉弥)。
* 「薫大将派」:領袖・薫大将。孤独である。

こうして区分けしてみると、圧倒的に「匂宮派」の舞台であるこ
とが判る。観客の目で見ていても、勘九郎演じる匂宮に勢いがあ
り、肉欲派の現実主義が強い。心派の理想主義は、弱い。だが、
得てして、こういう対立軸を作るときは、肉欲派=腹黒、心派=
正義、などという紋切り型の分類になる。だから、観客は、心派
である薫大将に声援ならぬ拍手を送ることになるのだが、その薫
大将の仁左衛門は、白塗りで、のっぺりしていて、大人の賢さを
備えたように見える子どもだが、結局は、大人に手玉に採られる
子どもという役回りか。存在感が、乏しい。心派は、肉欲派に負
ける。いずれにせよ、図式的に観察すると、良く判る芝居であ
る。

さて、かわいらしい女性であり、人間的に生きようとしながら、
正直さゆえに、心と身体が引き裂かれ、身体に引っ張られ、官能
に引き吊られて、苦悩する女性・浮舟は、結局、自虐への道をひ
た走る。そう言えば、玉三郎の演じる浮舟は、殆ど、躄(い
ざ)っているか、座っている。歩く姿は、少ない。レイプを迫る
匂宮から逃げるか、レイプ後の厚かましさを隠さない匂宮に引っ
張られて行くか。そういう姿が多い。躄る女性の姿に、女性の運
命を投企する芝居か。源氏絵巻を求めた「船橋源氏」。源氏物語
に題材を採りながら、現代的な人間のドラマを求めた「北條源
氏」。最近では、「瀬戸内源氏」も、歌舞伎の舞台に参集してい
る。源氏物語とは、そういう多元的な解釈を全て飲み込む大器の
物語と言えよう。

さらに、もうひとり、心と身体が引き裂かれている女性が、中の
君である。こちらは、匂宮の若君を生んだが、その後は、匂宮に
疎んぜられていて、心は、浮舟、薫大将を支援している。結局、
「北條源氏」の「浮舟の巻」は、女性の官能とは、なにか。官能
の苦しみとは、なにかというのが、テーマと、私は悟る。

最後に、役者の演技評を少し付け加えたい。匂宮を演じた勘九郎
と浮舟を演じた玉三郎、浮舟の母親を演じた秀太郎の巧さが印象
的な舞台であった。宇治の山荘の、匂宮の夜這いを助ける浮舟母
中将の山荘から浮舟の寝所に行く場面の、舞台半廻し、さらに、
半廻しの場面展開は、道具も役者もテンポがあり、良かった。こ
のあたりは、芸達者な勘九郎と秀太郎の功績だろう。幕切れ前、
行方不明になった浮舟を探し求めて、薫大将が、花道向うに向か
う場面では、ライトに照らされた薫の影が、舞台下手で、向うへ
行けば行くほど、大きくなるのが印象的だった。宇治川のほとり
で、彷徨う浮舟。入水するのか、引き裂かれた心と身体のまま、
彷徨い続けるのか。舞台奥へ千鳥足の浮舟。そこに、緞帳が降り
る。勘九郎を含め、歌舞伎というより、現代劇調の科白が、多
かった芝居である。

さて、「勧進帳」である。8年前の1995年1月、歌舞伎座
で、吉右衛門の弁慶、梅玉の冨樫、雀右衛門の義経を観て以来、
弁慶:吉右衛門(2)、幸四郎(2)、團十郎(2)、猿之助、
八十助、辰之助、改め松緑の、都合9回観ている。冨樫:菊五郎
(3)、富十郎(2)、猿之助、團十郎、梅玉、勘九郎。義経:
雀右衛門(3)、芝翫、富十郎、菊五郎、梅玉、福助、染五郎。
私が観た舞台では、猿之助、團十郎は、弁慶も冨樫も演じてい
る。富十郎、菊五郎、梅玉は、冨樫も義経も演じている。

もっと以前の上演記録を見れば、富十郎は、弁慶も演じていて、
3役を演じている。猿之助は、團子時代に義経も演じていて、や
はり、3役を演じている。若いころの吉右衛門も、義経を演じて
いて、やはり、3役を演じている。最近の若い役者では、いま話
題の新之助も、松緑も、すでに、3役を演じている。菊五郎、梅
玉は、断じて、弁慶は演じない。また、團十郎は、断じて、義経
を演じない。義経は、立役と女形とが演じる役柄である。玉三
郎、魁春(元の松江)、時蔵なども、義経を演じている。

このうち、幸四郎は、今月の千秋楽で、弁慶700回を演じたこ
とになるという。オーバーな演技、謳い上げるような科白廻し
で、必ずしも、歌舞伎役者としては、評判が良くない幸四郎だ
が、彼の癖が、「勧進帳」の弁慶だけは、持ち味になっているよ
うで、悪く無いから不思議だ。もともと、「勧進帳」は、長唄に
乗せて踊る舞踊劇だから、舞うような演技(つまり、演技という
より所作)と謳うような科白という幸四郎の持ち味が、あうのだ
ろう。内部にござを入れた大口袴という弁慶の衣装は、演じる役
者に体力、気力を要求する。そういう弁慶役者の特徴が、幸四郎
には、あっている。今回、富十郎の冨樫も、貫禄充分で、700
回の弁慶役者に太刀打ちしていた。染五郎の義経は、器が、まだ
小さいが、染五郎は、結構、義経を演じている。浅草の花形歌舞
伎を含めて、本興行で4回。

「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、名舞踊、名
ドラマ、と芝居のエキスの全てが揃っている。これで、役者が適
役ぞろいとなれば、何度観てもあきないのは、当然だろう。「独
参湯」たる由縁である。弁慶と冨樫が、所作台2枚分まで、詰め寄
る「山伏問答」。弁慶と義経が、所作台9枚分まで、離れる「判
官御手を」。いずれも、舞台の広さを活用した、にくい演出であ
る。

私が観た「勧進帳」のなかでは、5年前の、98年10月の歌舞
伎座、幸四郎(弁慶)、團十郎(冨樫)、雀右衛門(義経)が、
いちばんか。中堅では、99年8月の歌舞伎座納涼歌舞伎の舞
台、八十助(弁慶)、勘九郎(冨樫)、福助(義経)か。

昼の部、最初に観た「松寿操り三番叟」が、最後の批評となっ
た。「松寿操り三番叟」は、このところの大原流歌舞伎劇評の
テーマ、「騙し&騙されの美学」の典型的な出し物と判る。役者
が、操り人形を演じ、人形を吊す見えない糸が、観客に見えるよ
うになれば、騙した役者の勝ちであり、騙された観客の至福の時
間が流れる。あくまでも、役者が踊っているようにしか見えなけ
れば、騙されない観客の勝ち。だが、騙されない観客は、至福の
時間が流れず、不幸である。ここに、この演目の面目がある。
「操り三番叟」は、4回目。このうち、染五郎の「松寿操り三番
叟」は、今回を含め2回目。ほかに、右近、歌昇。人形を操る後
見は、今回が、高麗蔵で、ほかが、玉太郎、段治郎、信二郎。

この演目で、肝心なのは、人形を演じる役者の頭、手先、足先の
動きだろう。頭は、重心が、糸で吊り下げられているように見え
なければならない。手先、足先は、力が入っては行けない。糸が
もつれたり、重心が狂い、片足たちで、クルクル廻ったりしたあ
げく、人形は倒れてしまう。自力では、制御不能の人形が見えて
こなければならない。後見は、逆に人間らしく、動き、人形を支
える。両者の一体感が無いと駄目である。花形の役者たちが演じ
る演目だが、なかなか、理想的な舞台を観ることが難しい。染五
郎は、外題まで、自分のものに決めて、熱心に取り組んでいるよ
うだが、私の目には、まだ、糸が見えてこない。三代目延若が、
数多く演じ、その舞台を観た染五郎が、人形ぶりに魅せられたと
いうが、染五郎のさらなる精進を期待したい。
- 2003年8月1日(金) 22:00:14
2003年2月・歌舞伎座 (通し狂言「義経千本桜」)

義経が、出て来る。千本桜とは、一目千本で知られる吉野桜。と
いうことで、外題からは、義経の吉野山への逃避行と知れる。ま
あ、全くの間違いとは言えないが、それがテーマかと思うと読み
違える(当代の團十郎は、「義経が、芯になっている芝居」だとい
う意味のようなことを言っている。それぞれの主要な登場人物
が、義経に訴えかけているというのである。いわば、義経は、
「王様の耳は、ロバの耳」と訴えられる木の祠のような求心力の
機能を果たしているというのである。これも、実演者ならでは
の、おもしろい見方ではないか)。

義経は、通俗日本史の有名人なので、外題に利用されると共に、
悲劇の象徴として、遠見のように舞台背景に利用されているだけ
だと、いまの私は思っている。並木宗輔を調べれば、調べるほ
ど、いまの私は、そう思っている(これについては、すでに、別
稿をまとめているが、未発表)。それも、一見、團十郎も、一見
と言えば、少々、烏滸(おこ)がましいか。済みませぬ。

史実では、亡くなった平家の3人の武将が、その後も、生きてい
たというイマジネーションからでっち上げあげられた物語と佐藤
忠信に化けた狐の親恋物語というさらに、荒唐無稽なファンタ
ジー、というふたつの大きな流れが「義経千本桜」の世界なのだ
(と、私は、思う)。主調は、「3大歌舞伎」作者グループの軸
になっている並木宗輔が奏でた忠信に化けた狐の「愛情物語」で
あろう。「義経」=「ぎつね」、「源(みなもと)九郎(くろ
う)判官(ほうがん)義経」から、狐は、最後に名前を貰い、
「源九郎(げんくろう)狐」と名乗ることになる。

吉野山以降の、「源九郎狐」の伝説が、実は、九州の宮崎・土呂
久(とろく)地方の山間部に残っていると聞いたことがあるが、
いつか、調べてみたい。佐藤忠信は、奥州・出羽国の人だから、
九州とは、無関係だろう。九州に関係がある佐藤忠信と言えば、
狐忠信の佐藤忠信しか、思い当たらない。現に、土呂久地方に
は、佐藤姓が多いのである。一度、亜砒公害の取材で、土呂久へ
行ったことがある。そこで、元朝日新聞記者で、土呂久の公害の
歴史を書いている私の大学の同級生から聞いたのだ。あるいは、
「源九郎」の「九」の字に、この謎を解く鍵があるかも知れな
い。でも、それは、後日の調査の話。まあ、外題から見れば、
「義経千本桜」とは、つまり、「ぎつね(狐)の吉野行」という
わけだ。少なくとも、人形浄瑠璃の段構成は、それで、辻褄が合
うようにできている。

この狂言も、何回も観ている。上演の形式や演出の一部、それ
に、演じる役者が毎回異なるとは言え、同じ内容の芝居につい
て、役者の印象論ではなく、違った視点で書くというのも、辛い
ものがある。歌舞伎座の筋書きの上演記録から拾うだけでも、
「鳥居前」:5回。「渡海屋・大物浦」:4回。「道行初音
旅」:9回。「木の実・小金吾討死」:3回。「すし屋」:6
回。「川連法眼館」:7回。通しでは、3回。そろそろ、私の視
点が、尽きかけていると思う(次回は、どうなることやら)。

そうとなれば、テキスト論を論じても新味は出ないだろうし、役
者論は、読者も同じ舞台を観ているとすれば、共感を呼びやすい
が、おおむね、評者のひとりよがりな印象論になりがちでもある
(新聞社の演劇記者や演劇評論家は、役者の印象論を繰り返す。
それは、それで、情報であろう)。そこで、今回は、どういう切
り口にしたら、この劇評がおもしろくなるかと思いながら歌舞伎
座の座席に座った(そう言えば、私には、「座席知盛」という評
論があったっけ)。先月同様、「騙し&騙され論」という視点
で、舞台が切れたら、おもしろいかと安直に考え、舞台の進行に
身を委ねながら、いつもの「ウオッチング(遠眼鏡戯場観察)」
より、気楽な気持ちで、双眼鏡は覗くものの、あまり熱心にメモ
をとらずに見始めた。そうしたら、幾層にも重なって来る「騙し
&騙され」の場面が、連綿と目につき、「義経千本桜」に曵きづ
り込まれてしまったというわけだ。「義経千本桜」に限らず、歌
舞伎は、ほんとうに奥が深い。見なれた狂言も、こちらが、見方
を変えてみれば、違った風景を見せてくれる。以下は、その記録
であるので、今回は、いつものように昼の部、夜の部と分けず
に、通しで「騙し&騙され論・パート3」をぶちあげることにし
たい。

江戸時代なら、「鼠木戸」という背を屈めなければひとッ子ひと
り、入れない入口を潜り、観客は芝居小屋に入ったものだ。なか
には薄灯りの閉ざされた空間がある。現代とて、灯りこそ、明る
くなったというものの、劇的空間の持つ魔力は、蝋燭の芝居小屋
も、電気の歌舞伎座も変わらない。黒、柿、萌葱の定式幕が開く
と、例えば、舞台は、無限に拡がる大海原だったり、桜が全山満
開だったりする。観客は、まるで瓢箪の中括りを抜け出し、広々
とした空間に飛び出したような気分に襲われる。騙される快楽
が、そこにはある。日常生活の憂さを中括りの外に残して、中括
りの内側には、ひとときの別世界を夢見る。そういう庶民の期待
に答えようとするのが、400年の歴史のなかで積み上げられて
来た歌舞伎独特の演劇構造「騙し&騙されの美学」なのではない
だろうか。今回は、まあ、そういうこじつけをスタートラインに
置いたまま、そういう視点で3大歌舞伎の2番手「義経千本桜」
を観察してみようと思う。

今回、昼、夜通しで拝見。今回も歌舞伎では上演されていない
が、人形浄瑠璃ならば、序段で、義経が、左大臣藤原朝方から、
後白河法皇の勅命と称して、兄の頼朝を討てとという謎をかけら
れ「初音の鼓」を手渡される。義経は、企みを察して、鼓は、
「打つ(討つ)まい」と決心して、退出する(従って、義経は、
最後まで、鼓を打たない。打つのは、静御前と最後は、冥界の親
と交感する源九郎狐)。騙し:藤原朝方。騙された振り:義経。

今回は、「鳥居前」からの上演である。この場面も、人形浄瑠璃
なら、佐藤忠信は、本物の忠信として描かれる。「四の切(しの
きり)」の、「川連法眼館」で、本物の忠信が登場するまで、観
客も、義経、静御前らも狐の化身の忠信を本物と思わされると言
うのが、浄瑠璃作者の魂胆であった。騙し:狐。騙され:観客、
義経、静御前ら。全五段の構成は、最初から、「騙し&騙され」
が、キーワードとなっていると思われる。

だが、歌舞伎は、「みどり」上演さることが多いので(なかで
も、「義経千本桜」は、長篇と言うより、短編連作の世界だか
ら、よけい「みどり」が、多いのだろう)、いわば、一話完結
で、場面ごとに磨きあげられて来たため、「鳥居前」は、忠信
(菊五郎)の幕外の引っ込みで、「狐六方」を見せるために、最
初から忠信が、狐の化身だと言うことを観客にだけ、判らせるよ
うにする。つまり、幕を閉め、静御前(芝雀)を先に花道を行か
せるという演出で、義経(梅玉)ら、芝居の登場人物たちには、
「狐六方」を見せないのである。幕外の演出というのには、そう
いう意味合いもあるのだろう。もちろん、狐の通力は、軍兵を率
いる忠太らには、垣間見せる。彼らは、狐に騙されているから、
正体を見抜くことはできない。「忠太」と「忠信」という名前の
対比も、歌舞伎の入れごとだが、おもしろい。「太」(「権
太」、「権太くれ」=「無頼」からの連想か)と「信」は、
「偽」と「真」の対比ではないか(騙し:私。騙され:読者)。

まあ、それは、さておき、歌舞伎の「鳥居前」では、騙し:狐。
騙され:義経、静御前ら。ということになり、観客は、騙された
振りをする。菊五郎の忠信は、「ししかわ」の鬘が、顔を大きく
見せる。「火焔隈」という隈取りも良い。そういういでたちの、
お助けマン、忠信の花道の出が良い。「いよお、いよお」という
鼓の掛け声に合わせて、忠信が、大きな顔を小さく左右に振って
みせる。「待ってました」と、大向こうから、声がかかってもお
かしくない。こういう細部にこそ、歌舞伎の魅力は、神のように
宿る。忠信を軸にして、笹目忠太が率いる軍兵たちが、本舞台
で、長い「蛇」のような形をして、見せるが、これは、忠太の
「車尽くし」の科白に対抗する、忠信の「竜車に向かって刃向か
うとも蟷螂が斧」という科白の形象化か。ところで、義経の梅玉
は、いつも、金太郎飴のように、梅玉の地顔が出てしまうのが、
惜しい。

「渡海屋」の銀平、実は、知盛(吉右衛門)。銀平女房お柳、実
は、典侍の局(芝翫)。銀平娘お安、実は、安徳帝。知盛らは、
皆、騙す人。義経一行を匿うとみせかけて、一行が、船で海上に
出たら、暗殺しようと思っている。騙し:知盛ら。騙され:義経
一行。鎌倉武士で源氏方の相模五郎(三津五郎)、入江丹蔵(歌
昇)も、実は、平家方。それなのに、渡海屋の奥に居る義経一行
を騙そうと、銀平は、相模五郎らを蹴散らし、刀を曲げて追い出
す。この場面は、奥に「聞かせ」ているのである。五郎は、端敵
の役どころ。「魚尽くし」の科白を含めて、ここは、後の悲劇の
前の笑劇という定番。後の「大物浦」で、銀の四天に、銀の髑髏
を着けた鉢巻きをして、平家方に「御注進」をする颯爽とした五
郎とは、大違い。そういう対比の妙を三津五郎が巧く演じてい
た。笑劇の後、大道具方が、「渡海屋」の木戸を片付ける(知盛
出陣のため)。騙し:あったはずの木戸。騙された振り:(なく
ても、平気な)観客、出陣に都合の良い知盛。

渡海屋の船頭たち、実は、平家の郎党たちは、皆、知盛同様、亡
霊の恰好をしている。首尾良く義経一行を暗殺したとき、平家の
亡霊が、義経に復讐したという「伝説」を作るためである。騙
し:五郎、知盛。騙され:観客。騙された振り:義経一行。しか
し、平家の策略は見抜かれていて、義経方に逆襲される。騙し:
義経ら。騙され:知盛ら。というわけだ。大海原の遠見の大物浦
の沖に浮かんだ船から合図の灯が消えて行く場面を見る典侍の局
と安徳帝ら。芝翫の典侍の局が、二重舞台から降りて、大事な科
白を客席に聞かせる。官女・桜の局に、芝のぶ。相変わらず、爽
やか。「碇知盛」の場面、碇の綱を身に巻き付け、重そうな碇を
持ち上げて、海に投げ込み、それに引っ張られるようにして、知
盛が、入水するのは、立役の藝の力が、必要。ここは、滅びの美
学。吉右衛門は、風格のある演技で、たっぷり、リアルに見せ
る。ここには、騙し&騙されは、ない。知盛の鬘の髪が、仕掛け
で逆立つのも、リアルに見える。それにしても、入水する知盛を
見送る義経は、いつも、「見送る人」ではないのか(私の脳裏
に、先ず浮かんで来るのは、「熊谷陣屋」で、出家する直実を見
送る義経の姿である。もっとも、「勧進帳」では、義経は、「見
送られる人」である)。

「道行初音旅」は、人形浄瑠璃なら、「四段目」であり、「三段
目」(「椎の木」、または、「木の実」。「小金吾討死」、「す
し屋」)の後に、演じられるが、今回は、「三幕目」として、昼
の部の最後に演じられた。これも、一種の騙しか。それでも、違
和感がないところが、歌舞伎の奥深さ。騙し:歌舞伎座。騙さ
れ:観客(誰も、文句を云わないだろう)。それより、この場
面、忠信(菊五郎)と静御前(雀右衛門)の美男美女が、観客を
騙す。本来、主従の関係の道行なのだが、「女雛男雛」の場面で
は、情愛深い男女の雰囲気になり切る。騙し:静御前、忠信。騙
され:観客。

特に、雀右衛門の静御前は、後ろ姿に色香があり、エロスの化身
であり、桜の精のように見える。狐の化身の忠信と合わせて化身
のエロチシズム。こういうのは、役者の藝の力であり、騙しとは
言わないが、これが、騙し(男、それも、ことしの8月で、83
歳になる爺が、若い女性に見えると言えば、本来なら、これは、
騙し以外のなにものでもない)なら、騙される快楽の度合いは、
いよいよ、深まって来る。こういう快楽を求めて、人々は、芝居
小屋に足を運び続けて来たのだろう。静御前の、女性としての、
いわば、エキスを雀右衛門が、演じてみせて、そのほかの場面の
静御前は、息子の芝雀に任せている。

桜の木の木株に置かれた、義経の鎧(「きせなが」着長)と初音
の鼓は、鼓を頭と見立てれば、鎧と合わせると義経に見える。騙
し:鎧と鼓。騙され:観客。藤太(團蔵)と花四天は、見立ての
所作で、「鳥居」「駕篭かき」など満開の桜を背景に、「騙し
絵」のように、様々なものを見せてくれる。ここでも、狐忠信の
通力で、藤太と花四天は、道行のふたりの旅立ちの支度を手伝わ
される。騙し:狐。騙され:藤太と花四天。

左團次病気休演で、代役も加わり、忙しい團蔵は、前の場面での
弁慶役(「鳥居前」の鬼の子のような赤い衣装の泣く弁慶、「渡
海屋」の僧侶のような弁慶、「大物浦」の山伏姿の弁慶など、團
蔵の「弁慶三態」の衣装も見物。左團次が、出演していたら、弁
慶は、左團次と團蔵の競演となっていて、團蔵の「三態」には、
ならなかった)のほか、ここでは、道化役の逸見藤太(「みど
り」上演なら、「鳥居前」も、逸見藤太のはずだが、「鳥居前」
では、踏み殺されて、目を飛び出させて死んでしまうので、別人
の笹目忠太(十蔵)となっていた)を演じていた。騙し:花四天
を引き連れた藤太、軍兵を引き連れた忠太(歌舞伎の「入れご
と」、つまり、人形浄瑠璃では、ない演出)。騙され:観客(私
などは、「まあ、いいか」と云いながら観ていたが、今回、昼の
部の観客は、序幕と三幕目とで、「かしこまってござります」や
「女武者」云々という同じ場面を2度見せられる)。

昼の部の終わりにあたり、閑話休題。贅言:左團次休演で、歌舞
伎座では、急遽、ポスターに手を加えた。つまり、今回のポス
ターには、2種類ある。最初のポスターは、左團次出演のポス
ター。2枚目(と言っても、「花形」の意味ではない)のポス
ターは、左團次代役の團蔵、松助に修正したもの。ところが、出
演者の名前の所だけを張り替え、役者の順番を変えている。ま
ず、最初のポスター。「鳥居前」では、「弁慶」という同じ役柄
ながら、左團次は、右から2番目、菊五郎の次になる。これが、團
蔵に修正されると、團蔵は、左から2番目、梅玉の次になる。「渡
海屋・大物浦」では、左團次は、左から2番目、芝翫の次だが、團
蔵になると、左から3番目、芝翫、三津五郎の次だ。「木の実、
小金吾討死」では、「弥左衛門」を演じる左團次は、左端になる
が、同じ役を演じる松助は、左から3番目、秀太郎、東蔵の次に
なる。「すし屋」では、左團次は、左から2番目、富十郎の次だ
が、松助は、左から4番目、富十郎、秀太郎、東蔵の次だ。しか
し、ポスターの写真は、左團次のまま、ただし、チラシの写真
は、左團次は、なし。歌舞伎座宣伝部の皆様、ご対応、ご苦労さ
までした。

次の、夜の部最初の「木の実」では、いがみの権太(團十郎)
が、椎木のある茶店で、行き会った小金吾(信二郎)から、仕掛
けた詐欺の手口で二十両を騙しとっていた。騙された振りができ
ない小金吾は、維盛の御台所・若葉の内侍(東蔵)と六代君を連
れての忍びの旅ゆえに、怒りを押さえながら権太の騙りを承知の
上で、立ち去って行く。信二郎の小金吾は、存在感があったが、
東蔵の若葉の内侍は、印象が薄かった。茶店の床几に置いてあっ
た、招き猫とお多福の焼き物は、実は、煙草盆。騙し:煙草盆。
騙され:私。

「小金吾討死」では、藤原朝方の追っ手に追われる旅であり、や
がて、若葉の内侍らと逸れた小金吾は、追っ手に囲まれ、殺され
てしまう。竹林(竹薮)と縄、さらに廻り舞台(半廻しを含む)
を巧く使ったこの立ち回りの場面は、いつ観ても見応えがある。
茶屋に居た親子、つまり、権太の女房・小せん(秀太郎)と倅・
善太郎は、のちに、若葉の内侍と六代君の身替わりとなり、鎌倉
武士・梶原平三景時(富十郎)らを騙す役割が待っている。殺さ
れた小金吾の首も権太の父親・鮓屋の弥左衛門(松助)が、維盛
の身替わりの偽首に使おうと持って帰る。左團次代役の松助の弥
左衛門は、線が細く、その後の「すし屋」の場面も含めて、全
然、ニンではなく、興を削ぐ。松助では、観客を騙せない。ここ
は、左團次の弥左衛門が、観たかった。

「すし屋」では、まず、鮓屋の娘・お里(魁春)らを騙す弥助、
実は、維盛(時蔵)。騙し:維盛。騙され:お里。魁春のお里
は、初々しい。身分と妻子持ちを隠している弥助への恋情が一途
である。それでいて、蓮っ葉さも見せなければならない。これ
は、騙しではなく、女形魁春の藝の力だろう。時蔵初役の維盛
も、新鮮でよろしい。「つっころばし」、「公家の御曹司」、
「武将」など重層的な品格が必要な役だ。お里の絡みは、定番の
悲劇の前の笑劇。

母親から金を騙し取る権太。茶を使って涙に見せる。ここでは、
騙し:権太。騙され:権太の母親・お米(升寿)。騙しとった金
を鮓桶に入れる権太。後に、別の鮓桶に弥左衛門が、小金吾の首
を入れてしまうため、権太は、間違って、金の代わりに首の入っ
た桶を持って行く羽目になる。ここは、騙し:鮓桶。騙され:権
太。いずれの場面も、騙された振りをして、舞台を静かに観てい
るのが、観客のエチケット。

次に、維盛らを鎌倉方から助けようとする権太ら。ここは、現代
の「ワイドショー」風に言うなら、いわば、「鮓屋一家の悲劇」
である。騙し:権太、小せん、善太郎。騙され:弥左衛門らと梶
原一行。また、もう一つ偽首による騙し:弥左衛門。騙され:梶
原一行。騙されたと知らずに、裏切り者と思い込んだ弥左衛門
は、権太に斬り掛かる。苦しい息の下から真実を話す権太。善太
郎形見の笛を吹くと、無事な維盛の家族が、全員、現れる。梶原
(富十郎)を騙して、権太が、褒美にもらった陣羽織には、「内
やゆかしき内ぞゆかしき」という小野小町の歌の一部の文字が書
き連ねてあり、これを維盛が、不審に思い、縫い目を切り開いて
みると、数珠と袈裟が出て来て、騙されたはずの梶原が、実は、
全てをお見通しで、維盛らを助けようとしていたことが判る。梶
原には、権太の命を犠牲にしても、維盛の家族全員死亡という
「伝説」を創造する必要があった。権力は、しばしば、騙しの伝
説を必要とする。騙し:梶原。騙され:権太、弥左衛門、維盛
ら。というわけで、ここは、騙し&騙されが、幾重にも重なる複
合構造になっていることが判る。当時の浄瑠璃作者たちは、大衆
の動向を図りながら、権力批判を秘めて、騙し&騙されの美学に
魅了されて、これでもか、これでもかと騙しの工夫魂胆を重ねた
ことだろう。富十郎の梶原は、懐の深さが、滲み出ていなかっ
た。騙し&騙されの深さが、欲しかった。ここでも、梶原一行が
来る前に、「すし屋」にあった木戸が、大道具方によって、取り
片付けられる。

権太の演出は、五代目幸四郎の工夫による。「鼻高幸四郎」と渾
名された役者で、左の眉の上に黒子があり、これゆえに、その
後、権太を演じる役者は、皆、左の眉の上に黒子を描いた。今回
の團十郎も、同じであった。これも、一種の騙しのテクニックで
はないか。五代目幸四郎は、「伽羅先代萩」の実悪(敵役)・仁
木弾正の演出も定着させたので、仁木弾正も権太と同じように左
の眉の上に黒子を描くから、おもしろい。息子・新之助の隠し子
騒動が発覚した團十郎だが、「義経千本桜」の主要な3役のう
ち、菊五郎(忠信)、吉右衛門(知盛)との競演では、團十郎の
権太が、頭一つ抜け出していたように思う。意欲的な権太で、見
応えがあった。逆境に強い役者が、本物の役者だと判らせてくれ
た。

権太の女房・小せんは、水商売あがりの女性だが、「木の実」で
は、そういう前身を感じさせる色気を秀太郎は、巧く演じてい
た。こういう役は、秀太郎は、ほんとうに巧い。これは、騙しで
はなく、魁春同様、女形秀太郎の藝の力だ。また、同じ、小せん
でも、「すし屋」の後半の場面では、さるぐつわをされて、顔も
半分しか見えず、科白もなく、という状態でありながら、観客に
は、小せんとして、梶原一行には、若葉の内侍として、見えるよ
うに演じなければならないから、大変だ。夫・権太との別れ。道
連れになる息子・善太郎への気遣いも、必要だ。

浄瑠璃作者たちが仕掛けたもうひとつの騙しがある。それは、
「小金吾討死」の場面で、小金吾の遺体に躓く弥左衛門は、小田
原提灯を持ち、夜の場面として演じていたが、次の「すし屋」の
場面では、竹本の「オオ、秋の日は釣瓶落しと、モウ日も暮る
る」とあるように、時間が、夕暮れに、遡っている。この場面、
騙し:浄瑠璃作者。騙され:弥左衛門と観客。

「騙し&騙され」の典型的な場面は、まだある。次の「川連法眼
館」。まず、本物の佐藤忠信(菊五郎)が、初めて登場する。
「鳥居前」から観ている観客は、すでに、忠信が、狐の化身だと
知っているが、義経や静御前は、知らない。騙されている。だか
ら、義経が忠信に静御前のことを尋ねると、話が合わない。騙さ
れていることを知らない義経は、佐藤忠信を疑う。まさに、狐に
摘まれたような表情の佐藤忠信。騙し:狐。騙され:義経、静御
前。静御前と一緒に来たはずの忠信は、行方知れずになる。菊五
郎の佐藤忠信は、刀の下緒を裁いて、右手にからめ、輪を作りな
がら、(偽の忠信を待ちうけるように)向うを見込んだり、亀
井、駿河に引き立てられながら、3人とも、「引っ張り」の形
で、舞台上手に入るなど、五代目が、工夫した伝統の藝を、じっ
くりなぞりながら叮嚀に演じていた。歌舞伎の様式美と役者の風
格。

その後の、軽い幕間寸劇のように見せる、ぼんぼりを持った6人
の腰元たち(大部屋の女形が演じる)による忠信探索の場面が、
私は好きだ。「双方行き会い、捨て科白よろしく、あたりを見回
ることあって、左右に別れ入る」というだけの場面だが、いつも
印象に残る。大部屋の女形たちの、この場面に対する執念が、感
じられるからだろうか。私も狐に騙されているのだろうか。騙
し:腰元たち。騙され:私。

初音の鼓を打てば、忠信が現れることを知っている静御前は、義
経から忠信真贋の詮議を命じられる。狐忠信の出現の場面では、
向う揚幕担当の道具方が、「出があるぞ」と大声を出して、チャ
リンと大きな音をたてて幕を開けるから、初心の観客は、花道の
後ろを振り向く(昔は、花道の向う揚幕の出には、必ず、この声
を掛けたという。いまでは、全く廃れたので、ことさらに、こう
いう声を掛けるという演出は、一種の騙し効果を生む)。でも、
誰も出てこない。騙し:道具方。騙され:観客。騙されずに、本
舞台の館の階を観ていた観客だけが藤色の裾をぼかした長袴姿の
狐忠信出現の仕掛け(「階段抜け」、「仕掛け板の打ち返し」な
どという演出)を観ることができる。しかし、向う揚幕を観て、
本舞台に戻り、狐忠信を「発見」した、つまり、騙された筈の観
客の方が、劇的感興は深いのではないだろうか。騙された初心者
と騙されずにいた見巧者とどっちが演劇的に得をしたかは、一概
に言えないだろう。そういう懐の深さが歌舞伎にはある。

狐忠信を騙しながら、油断をみすまして義経から預った小刀で、
静御前は二度も忠信に斬り掛かる。ここでは、騙し:静御前。騙
され:狐。本性を現し、「毛縫い」の衣装に、「はじき茶筅
(ちゃせん)」という狐の頭を模した鬘をつけ、狐声という科白
廻しに、狐手(きつねで)という仕種、外連の動きで本舞台を下
手、上手と縦横に動き回る狐忠信。騙し:大道具の仕掛け(本舞
台をウオッチングすると、あちこちに仕掛けが、施されているの
が判るだろう)。騙され:観客。私が、気づいた仕掛け:二重舞
台の床下や欄干、渡り廊下の床下、舞台下手の柴垣、二重舞台上
手の壁、さらに、舞台上手の桜の大木(ここには、「手斧(ちょ
うな)振り」と呼ばれる大工道具の「手斧(ちょうな)」に似た
仕掛けがある。後に、狐忠信が、桜の木に釣り上げられる場面が
ある)。

初音の鼓の皮が両親の形見と真実を話す狐。それ故、忠信に姿を
変え静御前と鼓を守護する旅を続けて来たと白状して姿を消す
狐。狐を呼び戻そうと静御前は、再び鼓を打つが、鼓は鳴らな
い。騙し:鼓。騙され:静御前、義経。親を思う心に免じて、
「源九郎狐」という名前を授けると共に鼓を狐に与える義経。そ
こへ義経を狙う荒法師たちが襲って来る。義経への恩返しに、通
力で法師たちを翻弄する狐。いわゆる、「化かされ」の場面だ。
騙し:狐。騙され:荒法師。肉親の情が薄い義経の悲劇の生涯。
親子の情に溢れる狐の物語。そのモチベーションは、実は、浄瑠
璃作者・並木宗輔の自伝的色彩が強いと思うが、それは、また、
別の所で述べたい。

歌舞伎では上演されない場面まで含めると、「義経千本桜」は、
平家物語では、死んでしまう知盛、維盛、教経の3人が、実は、
「生きていた」という、根っからの「騙し」の工夫魂胆の芝居
で、3つ別れが工夫魂胆の芝居で、前年大当たりした「菅原伝授
手習鑑」と、合わせ鏡となるような趣向になっている。2匹目の
泥鰌を探り当てた並木宗輔らの、浄瑠璃ヒットメーカーは、翌
年、「仮名手本忠臣蔵」を書き上げる。つまり、3匹目の泥鰌も
掴むのである。当時の浄瑠璃作者たちには、当たった先行作品を
下敷きにして、新たな作品を書くという性向にある。それが、学
の無い人が多かった浄瑠璃作者たちの、いわば「職人藝」の奥義
だったのである。下敷きにしているものを観客に、いかに悟られ
ないようにするか。あるいは、悟られても、その手口の鮮やかさ
が、逆に、感心されるようにする。それが、職人浄瑠璃作者たち
の工夫魂胆の最大のものであった。だから、当時の作者たちは、
日陰の身であり、番付に作者の名前が載るのは、近松門左衛門ま
で、待たなければならない。当時は、役者、浄瑠璃語りの太夫た
ちが、芝居興行の中心であった。そういう意味では、武士出身の
近松門左衛門や禅僧出身の並木宗輔なぞは、浄瑠璃作者として
は、異色の出自の人たちであった。

職人浄瑠璃作者たちは、なにかに憑かれたように工夫魂胆をすれ
ば、まさに、憑意の作品として、名作を生み出すことになる。だ
から、名作のなかには、憑意、つまり作者自身も、己を「騙し&
騙され」という状況に追い込んだ末に、神憑かりのようにして、
生み出されたものも多いようである。そういう作者たちと意気投
合した役者子どもと呼ばれる名優たちの、いわば、「共同正犯」
の成果が、400年に及ぶ歌舞伎の世界には、伝統芸能の貴重な
積み重ねとして、燦然と輝いているのである。

向かい合う2枚の鏡のように、「騙し&騙され」が、無限連鎖す
る演劇空間。まあ、これは、良く言われる表現に戻すならば「虚
実皮膜の間」となるが、これは、「虚」=「芝居」、「実」=
「人生の普遍性」ということだろうか。まあ、こういう難しい表
現より、今回提起した「騙し&騙され」という視点の方が、遥か
に判りやすいと思われる。こういう視点で歌舞伎を観ると、多く
の狂言が、いままでと違って見えてくること請け合いだ。筋書き
も結末も、百も承知の歌舞伎狂言。繰り返される話を、繰り返し
観るために、芝居小屋へ通うという心理。それは、なんだろう。
思うに、「狂言」とは、もともと、「誑かしの言の葉」ではない
のか。「誑かされる快楽」。それを求めて、人々は、400年も
芝居小屋に通ったし、将来も通い続けるだろう。

歌舞伎を観るなら、騙されたと思って、掛けてご覧。「騙し&騙
され」のレンズが入った、この色眼鏡。「誑かし」、「妖かし」
の世界が、きっと、あなたにも、見えてくる筈だ。貸してあげる
よ!この色眼鏡。お代は、観てのお帰りだい!!

昼、夜、通しの劇評。構想と文章に趣向を凝らして、書くのも疲
れたが、読むのも疲れたかも知れない。でも、読みごたえは、
あったのではないでしょうか。まあ、そういうことにさせていた
だく。ということで、「こんにちは、これぎり」(拍子、幕)。
- 2003年8月1日(金) 21:57:53
2003年1月・国立劇場 (通し狂言「双蝶々曲輪日記」)

無軌道な若者たち〜江戸版「俺たちに明日はない」〜

「双蝶々曲輪日記」は、並木宗輔が、千柳の名前で、二代目竹田
出雲、三好松洛という三大歌舞伎の合作者トリオで「仮名手本忠
臣蔵」上演の翌年の夏に初演されている。濡紙長五郎という相撲
取りが、武士を殺した罪で捕らえられたという実際の事件をもと
にした先行作品を下敷きにして作られた狂言だという。全九段の
世話浄瑠璃で、いまでは、二段目の「角力場」や八段目の「引
窓」が良く上演されるが、「引窓」は、江戸時代には、あまり上
演されなかった。明治に入って、初代の中村鴈治郎が復活してか
ら、いまでは、全九段のなかでは、八段目が、いちばん上演され
ている。私は、4回目(3回は、「引窓」のみの一幕上演)。二
段目は、2回目(前回は、「角力場」のみの一幕上演)。今回の国
立劇場は、「通し」ということで、四段目の「米屋」と五段目の
「難波裏殺し」が、上演され、四段構成の、いわば「半通し」上
演だ。もちろん、四段目、五段目は、初見。

従って、この「遠眼鏡戯場観察」でも、「引窓」については、何
回か書いているので、繰り返しになるような内容の劇評は避けた
い。そこで、今回の劇評の構成だが、1)本来の物語は、「無軌
道な若者たち〜江戸版『俺たちに明日はない』〜」という内容だ
から、それが、舞台では、どう演じられたかを検証したい。2)
今回、初見の「米屋」では、姉が、無軌道な弟を諭す場面がある
が、これが、「引窓」の母と息子たち(実子と継子)という関係
における「母機能」の役割を、いわば「増幅」する姉と弟という
関係における「姉機能」ともいうべきもののように観えて来たの
で、そのあたりも検証したい。今回は、この2点を主軸にしたい。

3)蛇足的で、こじつけ的だが、今回の上演には、これは、「見
えない」あるいは「見せない」というテーマが、隠されているの
ではないかと思う。まず、先に、これをチェックしてみよう。小
屋の外しか見せない「角力場」の、声ばかりで、「見えない土
俵」(後に、土俵の勝負のありさまは、今回は、「米屋」の場面
で再現されるが・・・)。いまでは、全く上演されなくなった三
段目の「新町井筒屋」という廓(曲輪)という、上演されないと
いうことで、「見せない曲輪」。「難波芝居裏」は、芝居の鳴物
が、遠く聞こえる難波浦の暗がりという想定のようで、やはり
「見えない芝居」という、いわば、陰画の世界が、かなり意図的
に取り入れられているのではないか(因に、「難波芝居裏殺し」
は、4年前に初演された「夏祭浪花鑑」の「長町裏」の殺し場に
似ているというので、初演時は、不評だったらしい)。この場
面、大部分は、「忠臣蔵」五段目の山崎街道に出て来るような稲
藁干しが目立つ黒幕の背景だが、七つの鐘の音とともに、夜明け
になれば、この場面の書割りは、良く観ると上手奥に、「今宮天
王寺」あたりの遠見の景色が描かれていて、数本の幟がはため
く、芝居小屋が遠望され、本当に黒御簾の鳴物が聞こえてきそう
な場所である。

4)「双蝶々」という外題は、史実の相撲取り「濡紙長五郎」を
捩(もじ)った濡髪長五郎、放駒長吉の「長・長」で、ふたりの
力士を意味している(七段目の「道行菜種の乱咲(みだれざ
き)」に、「二人合わせて蝶々とまれ」とある。因に、「道行菜
種の乱咲」は、男の物狂・「保名」のパロディだという)。「曲
輪」は、大坂・新町の廓を意味している。従って、「双蝶々・曲
輪・日記」は、庶民に人気の角力と廓の「書き取り帳」(いわ
ば、ニュースの記録)が、芝居の二本柱という主張なわけだ。つ
いでのことだが、「米屋」の場面で、長五郎、長吉が喧嘩にな
り、角力を取る場面は、「双蝶々曲輪日記」初演より、2年前の夏
に上演された「菅原伝授手習鑑」の三段目「佐太村(賀の祝
い)」の、松王丸と梅王丸の喧嘩の場面そっくりに再現されてい
る。先行狂言で観客に受けた場面は、どんどん、下敷きにして、2
匹目の泥鰌を求める浄瑠璃作者たちの強(したた)かさ、生命
力。浄瑠璃、歌舞伎は、やはり、庶民の芸能だと改めて認識し
た。先に指摘したように「夏祭浪花鑑」なども下敷きにしてい
る。

そういう劇評の舞台構造を仕組(しぐ)んだ上で、さっそく、主
軸の1)と2)の検証をしてみよう。まず、1)無軌道な若者た
ちでは、全ての事件の発端は、豪商山崎屋の息子・与五郎(信二
郎)が、新町の藤屋の遊女・吾妻(宗之助)と相愛の仲になった
ことだ。「角力場」に出て来る、この与五郎は、上方歌舞伎の和
事の役柄で、「つっころばし」という異名がある。「ちょっと突
けば、転びそうな柔弱な優男、ぼうとした、とぼけた若旦那」、
濡事師である。柔弱ゆえに、恋は盲目で、遊女とともに、明日な
き恋路を無軌道に突っ走り、最後は、狂気にとらわれてしまう与
五郎である。彼も、一種の、無軌道な若者である。今回は、上演
されない「新町」の場面では、吾妻も殺人犯・南与兵衛を匿い、
与兵衛と相愛中の姉遊女・都(後の与兵衛妻・お早)に横恋慕の
山崎屋の悪番頭を代わりの殺人犯に仕立てるわけだから、この女
性も無軌道な若者の一人と言えるだろう。後に「引窓」に出て来
る与兵衛(富十郎)も、妻のお早(時蔵)も、父の死後、放埒な
生活をしていたり、廓に身を沈めたりしていて、元は、やはり無
軌道な若者の仲間だったわけだ(初段の「新清水」の場面では、
吾妻に横恋慕し、後に長五郎に殺される武士の一味の悪者に追わ
れて、与兵衛が、傘をさして、清水の舞台から飛び下り、逃げる
場面があるというほどだから、まるで、このころの与兵衛は、
「日活無国籍映画」時代の小林旭のイメージだ)。

米屋の倅でありながら、喧嘩に明け暮れている無頼派で、主筋
(後に、吾妻に横恋慕のあげく、吾妻・与五郎を助ける長五郎に
殺される武士)から頼まれて飛び入りで濡髪と勝負する草相撲の
力士放駒長吉(歌昇)も、いつの間にか、事件に巻き込まれて行
く無軌道な若者である。プロの力士で、大関を張る濡髪長五郎
(吉右衛門)も、吾妻・与五郎を助けたいばかりに、件(くだ
ん)の武士らふたりを、はずみで殺してしまい、逃亡者になる。
そういう意味では、力士としては、風格があるものの、やはり、
思慮分別に欠けた無軌道な若者のひとりである。それなのに、
「俺たちに明日はない」とばかりに、無軌道ぶりを発揮する若者
たちという青春群像が、舞台から観えてくるかというと、これ
が、残念ながら、なかなか観えてこない。それでも、歌昇の長吉
は、格の落ちる素人力士であり、また、歌昇の熱演もあって、無
軌道ぶりが浮き上がってくる。しかし、吉右衛門の演じる長五郎
は、役者としての風格もあり、プロの大関ぶりを演じるときは、
貫禄が違う長吉との比較では、良いのだが、風格があり過ぎて、
無軌道な若者には、観えてこない。これが、重層的に滲み出せれ
ば、旬の役者・吉右衛門の魅力も増すだろうにと思いながら観て
いた。長五郎は、「角力場」から「引窓」まで、今回、すべての
舞台に出ていたのだが、「米屋」とか「難波裏殺し」という、い
わば、補助線を引いてくれた「半通し」上演でも、それが観えて
こなかった。

「引窓」のお早は、新町の元遊女・都を思わせる、あるいは、無
軌道な若者時代の与兵衛との青春彷徨を窺わせる、あっけらかん
ぶりを演じてくれていたのは、救いだった。「角力場」の与五郎
初役の信二郎は、喜劇的な役柄で上方味を出していた。贔屓の濡
髪を茶屋の亭主(嵐橘三郎)にほめられて、持ち物や羽織を上げ
てしまう件(くだり)や、亭主とふたりで長五郎の大きなどてら
を着てみせる場面などの笑劇は、愉しく拝見。宗之助は、初々し
いだけで、無軌道のかけらもない。いちばん、残念だったのは、
富十郎の与兵衛で、元・無軌道という、いわば、「鬼平犯科帳」
の火盗改・長谷川平蔵(鬼平)のような役回りで、酸いも甘いも
噛み分けたような人物の筈なのに、そのあたりの洒脱さの印象が
弱い。「両腰差せば南方十次兵衛、丸腰なれば、今まで通りの南
与兵衛」という台詞はあるものの、全体の印象としては、洒脱さ
が滲み出てこない。真面目な良い人になってしまっているのだ。
「引窓」だけの上演なら、それでも良いのだろうが、本来なら同
一人物として、こちらも重層的に演じるべきで、今回のような
「半通し」では、ちょっと不満が残る人物造型だ。

2)「米屋」の姉と弟。「引窓」の母と息子たち。さらに、長五
郎と与兵衛・お早夫婦との関係。つまり、母(人形浄瑠璃では、
名前のない母だが、歌舞伎では、いつのまにか、「お幸」になっ
ている)から見れば、ふたりの息子は、実子と継子だが、確か、
長五郎の方が、兄の筈だ。この疑問に先に答えようと、改めて台
本を読んでみた。「今でこそ落ちぶれたれど、前は南方十次兵衛
というて、人も羨む身代。連れ合い(与兵衛の父ーー筆者注)が
お果てなされてから与兵衛が放埒、郷代官の役目も揚がり内証も
しもつれ、こなたの手前も恥ずかしい事だらけ。さりながら、こ
この殿様もお代わりなされ、新代官は皆あがり、古代官の筋目を
お尋ねにて、与兵衛もにわかのお召し、昔に返るはこの時と」
と、母親のお幸の台詞にあるところから推測すると、与兵衛は、
父が死に、それがショックだったのか、若いころ「放埒」な生活
をしていたが、遊女の「都」を妻の「お早」とし、いまでは、義
理の老母と同居して、無軌道さも潜め、穏やかに暮らしているか
ら、それなりの年になっているようだ。一方、長五郎は、「五つ
の時養子にやって、わしはこの家へ嫁入り。与兵衛は先妻の子
で、わしとは生さぬ仲ゆえに、その訳知っても知らぬ顔」という
お幸の台詞からみれば、与兵衛が兄、長五郎が弟ということにな
る。そうすれば、長五郎からみれば、お早は、実際の年には関係
なく、義理の姉にあたるということだろう。まず、お早=義姉と
いうところを押さえておこう。ここが、大事だと思う。

その上で、初見の「米屋」の場面を検証したい。両親が死に、無
頼の弟が商売をそっちのけで、出歩くなか(まるで、与兵衛の放
埒時代を思わせる)、ひとりで米屋を切り盛りする長吉の姉・お
せき(東蔵)。竹本で「我が子のように弟を、思うは姉の習いな
り」とあるように、姉は、弟に濡衣を着せる一芝居を企んでま
で、弟を改心させようと長吉に意見をする。その場面を見ていた
長五郎が言う。「俺も八幡には一人の母者人があれど、五つの時
に別れてから逢うたはたった一度、誰一人意見なぞしてくれる者
はないに、わが身は結構な姉を持ち、たとえ山が崩れて来よう
と、姉貴がぐっと受け込んで、我が身に難儀は微塵かからぬ。そ
の姉貴が今の意見、わが身の事じゃとは思わぬ。一つ一つ俺が身
に堪えて腹にしみとおったわい」。喧嘩相手の長五郎にここまで
言われて、長吉は、改心する。長五郎、長吉は、これ以降、終生
の義兄弟となる。つまり、与兵衛→長五郎→長吉という義兄弟の
関係ができあがる。この関係が、物語の最後の、九段目「観心
寺」まで生きるのだが、いまでは、ここまでは、上演されない。

さて、今回、ここでは、母と姉にこだわっているので、義兄弟
は、これ以上触れずに、置いておく。ところで、四段目「米屋」
も、八段目「引窓」同様に、並木宗輔が書いているのではない
か、という思いを強くした。なぜなら、姉と母は、ここで、同格
になっているからである。弟、息子の違いはあれども、姉と母
は、長吉、長五郎に同じような情愛を注いでいることが判る。私
には、「母機能」=「姉機能」という仕掛けが見えて来る。さら
に、そういう視点で、見なれた八段目「引窓」を改めて、観てみ
よう。そうすると、長五郎にとって、義理の姉にあたるお早は、
もはや、長五郎にとって、遊び仲間だった新町の遊女ではなく、
義母・お幸を助ける、いわば、「母機能」の増幅機関になってい
る、「姉機能」のように観えてくる。これは、今回初めて「米
屋」の場面を観たことによって、鮮明になって来た印象である。
つまり、「米屋」の姉は、「引窓」の母を観客に増幅させて、印
象づけるための伏線というわけだ。

「引窓」のもうひとりの姉・お早は、だから、「滅相な、長五郎
をくくらっしゃんすと大の不孝になりますぞえ」と与兵衛をたし
なめる。さらに、お早は、「イヤもうし。与兵衛殿。あまり母さ
んのお心根が痛わしさに、大事の手柄を支えました。さぞ憎い奴
とお叱りもあろうが、産みの子よりも大切に、可愛がって下さる
御恩、せめてお力にと、ともども匿いました」と白状する。義理
の姉も、実の母も、長五郎にかける情愛は、もはや、同格であ
る。「母機能」を増幅する機関としての「姉機能」パート2であ
る。

さらに、義兄・南方十次兵衛(南与兵衛)も、ふたりの女性の情
愛を理解して、長五郎を逃がすことにする。お幸「この母ばかり
か、嫁の志、与兵衛の情まで無にしおるか、罰当たりめが・・
(略)・・コリャヤイ、死ぬるばかりが男ではないぞよ」。も
う、これは、2年後の、並木宗輔の絶筆「熊谷陣屋」の相模の世
界ではないか。「母の情理」が、「男の論理」を凌駕する。これ
は、浄瑠璃作者・並木宗輔畢生のメッセージであると、私は受け
止めている。そう考えると、本興行では、戦後、大阪の中座と朝
日座で、2度しか「米屋」が上演されていないというのは、あまり
にも、不親切ではないか。「米屋」と「引窓」は、両輪のように
して、母の情理を増幅する。

さて、ほかのことにも触れたい。こうして「半通し」で観てくる
と、「角力場」と「難波裏殺し」が、絵画的で、様式的で、内容
よりも、見せる場面の多い、視覚的な歌舞伎になっているのこと
が判る。また、(先に触れた)与五郎を中心にした笑劇と長五郎
を中心にした悲劇という、判りやすい舞台で、観客サービス満点
なのだ。例えば、角力小屋の6本の幟。小屋のある堀江の御贔
屓、あるいは、堂島の御贔屓から贈られたものだ。小屋出入口付
近の「大入」、「客留」の貼紙。12組の取り組みを書いた貼紙
もある。もう、これだけでも、視覚に訴えて、風俗浮世絵を見る
ようで、角力情緒満点というわけだ。濡髪の小屋出入口からの、
出も、長五郎の身体の大きさを見せるために、まず、手に持った
扇子、次いで、下駄、そして頭という具合に徐々に出て来る。そ
のおおらかさ。稚気。

思惑があって、長五郎は、土俵では、放駒に勝ちを譲ったけれ
ど、本当は、「格が違う」。長吉が座っている床几を片足で蹴っ
て、壊したり、湯呑み茶碗を片手で握りつぶしたり、スーパーマ
ンぶりも見せつける。長吉は、真似ができない。「難波裏殺し」
では、黒幕の背景に月が出たり、月が隠れて「だんまり」になっ
たり、最後は、暁を告げる七つの鐘の音で、黒幕が振り落ちて、
夜明けの遠見になったりして、単純な仕掛けながら、視覚的にも
愉しめる。

一方、「米屋」、「引窓」は、文学的だ。それは、すでに触れた
「母機能」と「姉機能」の意味だから、ここでは、もう詳しくは
触れないが、それだけに、深く理解することが、難しい。私も、
「引窓」4回目の観劇で、今回新たに気づいたことも多い(もち
ろん、あまり演じられない「米屋」を観たことが、なによりも大
きいが・・・)。今回の国立の「半通し」上演形態は、そういう
絵画美→文学の伏線→絵画美→文学の深まり・発展という演劇構
成が、いわば、螺旋構造に上昇するようになっているとだけ、指
摘しておきたい。

それでも、贅言:「引窓」の視覚的要素を指摘しておきたい。台
本を読むと、与兵衛が、2階の長五郎に気が付くのは、本当は、2
階の障子を開けて、階下を覗く長五郎の姿が、開け放たれた引窓
を通じて(だから、長五郎の姿を見せないようにと、引窓を閉め
る)、庭先の手水鉢の水に映ることで、知ることになるのだが、
それは、無理なのである。昔もいまも変わらないだろうが、屋内
の舞台構造上、2階の障子が直接、手水鉢の水に映るのが、やっと
である。「引窓」効果は、充分に視覚的にならないのである。ま
あ、いずれ、「○○版・引窓」として、天井のない野外舞台で、
台本通りの「引窓」効果たっぷりの舞台を誰かが見せてくれるだ
ろう。

もうひとつ、最後に役者論。一部は、すでに「無軌道な若者論」
のところで触れたが、吉右衛門、富十郎の役づくりは、確かに難
しい。最近は、特に、「角力場」、「引窓」が、それぞれ独立し
て、「みどり」で、上演されることが多いから、「みどり」で
の、人物造型になりがちである。でも、役者として円熟期の、こ
のふたりには、ほかの役者に手本を示すという意味で、ぜひと
も、全段を背景にした人物造型をしてほしい。時蔵、歌昇は、熱
演であった。東蔵、信二郎も、まずまず。吉之丞は、巧い。たっ
ぷり、母を堪能。宗之助は、さらに、工夫魂胆をしてほしい。
初々しさを滲ませながら、いろいろな大人の女形を演じてほし
い。まあ、そうは言っても、なかなか充実の配役ぶりで、堪能し
た。歌舞伎400年の年、国立劇場も、歌舞伎座(「寺子屋」)
も、三大歌舞伎の合作者トリオで開幕とは、ご同慶の至り。
- 2003年8月1日(金) 21:54:57
2003年1月・歌舞伎座
 (夜/「寺子屋」「保名」「助六由縁江戸桜」)

「騙し、騙され・パート2」

「寺子屋」は、国立劇場の前進座公演もふくめて、今回で10回
目。松王丸は、猿之助、幸四郎(今回含め4回)、仁左衛門、吉
右衛門(2)、橋之助、嵐圭史。さらに、国立劇場で、人形浄瑠
璃でも観ている。今回も感じたが、「いろは送り」の場面は、一
度だけ観た人形浄瑠璃の足拍子をいれた跳躍による、子を犠牲に
した松王丸・千代のふたりの哀しみの演出には、何度も歌舞伎を
観ても、歌舞伎は、叶わないと思う。役者では、表現できない哀
しみがあるのである。人形浄瑠璃では、人形という「超人」(人
を超える形こそ、人形の原点である)に、観客は、騙される愉悦
の時間を過ごす。

「菅原伝授手習鑑」は、歌舞伎400年の歴史に燦然と輝く、三
大歌舞伎の1蕃バッターである。母の情愛の表現では、不朽の作
者である並木千柳(宗輔)、竹田出雲(初代)、三好松洛、竹田
小出雲(後の、二代目出雲)の合作だが、「寺子屋」は、出雲が
書いたと私は思っている。つまり、主人(菅丞相)の子どものた
めに(つまり、配流となった菅丞相の家の断絶を避けるため
に)、わが子を犠牲にする(つまり、己の家の断絶を決意する)
松王丸・千代の家族を揚げての忠義の物語は、一部の説にあるよ
うに、決して、並木宗輔の筆になるものではないと思っている。
私は、「寺子屋」は、出雲執筆説に与(くみ)する。根本の哲学
が、宗輔とは、あまりに違い過ぎる。「熊谷陣屋」などの、「子
殺し」という、同じテーマに騙されていると思っている。

さて、「騙し、騙され」というテーマに即して、舞台を観ている
と、松王丸の子・小太郎(児太郎)の首が、春藤玄蕃(彦三郎)
を騙す。松王丸(幸四郎)は、確信犯だ。源蔵(三津五郎)も、
最初は、松王丸に騙される。主人・菅丞相のために、寺子屋に入
塾して来たばかりの見知らぬ子を殺す源蔵。それを停めない源
蔵・妻の戸浪(福助)。主人・藤原時平を騙すために、わが子を
犠牲にする松王丸。それに加担する松王丸・妻の千代(玉三
郎)。そういう大人たちのために、子どもが殺される。そういう
大人の勝手な「非道」の芝居が、なぜ、250年も残り、いま
も、上演され続けるのか。それは、多分、この「子殺し」が、誰
もが感じている人生の辛さ、不条理の象徴になっているからでは
ないか。「子殺し」ではないにしても、生きているということ
は、ときに理不尽なことをせざるをえないときがある。そういう
ことを観客たちは、自分の人生のなかで、体験しているから、つ
まり、実際の「子殺し」ではないにしろ、「子殺し」と同等の不
条理が、人生にはあると知っているから、こういう象徴劇を同感
しながら、観ているのではないだろうか。

百姓とその子どもたちは、皆、名前が付いている。珍しいことだ
(原作では、子どもにのみ名前が付いている)。涎くり与太郎
(亀鶴)と百姓吾作(幸右衛門)が、彼らの軸になるが、彼らの
演じる笑劇は、後の悲劇の緩衝剤だ。いつもの手法(後の悲劇を
際立たせるための、笑劇)。笑劇として、観客に注目されるだけ
でなく、花道でのやりとりは、涎くりに象徴される、子どもの側
からの「抗議」であり、大人たちの非道告発の重要な場面かも知
れない。この場面、原作には、あまり、書き込まれていないが、
ここにこそ、不条理劇に込めた、代々の役者たちの工夫のメッ
セージ(つまり、観客の反応の昇華した蓄積)があるのかもしれ
ない。

この芝居が、そういう性格ゆえに、私でさえも、8年間で、人形
浄瑠璃を入れて、11回観ていて、観るたびになにか新たな発見
をすることになる。この「遠眼鏡戯場観察」でも、何回も書いて
来た。従って、今回は、これまでに書いていないことを書きとめ
ておきたい。

源蔵夫婦の間で、「せまじきものは、宮仕えじゃなあ」などとい
う、この芝居のテーマとなる台詞のやり取りがあった後、松王丸
を乗せた駕篭と春藤玄蕃が、寺子屋の子どもたちの親である百姓
を大勢連れて、子どもたちの首実検にやって来る。その際、源蔵
夫婦は、菅秀才を押し入れに隠し、一旦、障子屋体に入る。門口
で、百姓、玄蕃、松王丸とのやり取りの後、再び、源蔵夫婦は、
ちょっとだけ、姿を見せて、また、障子屋体に入る。子どもの首
実検が終り、秀才が、見つからないので、いよいよ、玄蕃、松王
丸が、門口から中に入って来る頃合を前に、源蔵夫婦が、障子屋
体から出てくるが、これらの動きは、いわば、玄蕃、松王丸のや
りとりを観客にクローズアップして、観せるための工夫なのだろ
う。つまり、舞台に居ながら、役者が、観客に後ろ姿を見せて、
「隠れている」場合と同じだ。やがて、自分の出番になれば、前
を向いて、芝居に参加するというやり方と同断だということだ。
だから、芝居の設定としては、子どもたちの首実検が、進む間、
源蔵夫婦は、その場に居合わせて、じっと、ことの成りゆきを息
を潜めて見守っているという想定なのだろうと思う。源蔵夫婦の
動きに騙されてはならない。

さて、私が観た松王丸4回目の幸四郎だが、幸四郎は、こういう
芝居は、巧い。「まつもとこうしろう」は、代々、「まっ、もっ
と、こうしろう(いや、ああしろう)」で、工夫魂胆の役者だか
ら、いろいろ、工夫するのだが、当代の幸四郎は、「しんこくろ
う(深刻郎)」で、どうも、オーバーアクションになりがちだ。
三津五郎は、「矢の根」のときと違って、小さく見えるが、きち
んとした芝居をしている。特に、秀才の身替わり探しという目
で、子どもたちを物色し、小太郎を見つけ、「そなたは、よいこ
じゃなあ」という台詞は、台詞の意味とは、裏腹に、顔に残酷な
笑いを滲ませ、本音を窺わせる場面が巧かったと思う。

また、この芝居は、源蔵と戸浪、松王丸と千代のふた組の夫婦
(「子殺し」として見れば、加害者夫婦と被害者夫婦)の物語で
もある。加害者の妻・福助の戸浪は、情を出すが、被害者の母・
玉三郎の千代は、逆に情を押さえる。その対比が、出ていた。松
王丸が、首実検で、贋の秀才の首を「相違なし」と言ったので、
源蔵と戸浪が、戸惑いながらも、ほっとする。その場面、舞台下
手に座り込んでいるふたりは、頭を別々の方向をして、蹲ってい
る。方角的にみると、源蔵は、南東(上手に松王丸と玄蕃がい
る)。戸浪は、南西。私には、源蔵は、松王丸らと心の内で、対
抗しているが、戸浪は、殺された小太郎の冥福を西方に祈ってい
るように見える。そのうち、戸浪は、失神してしまったように観
える。その証拠に、松王丸らが去り、源蔵に合図されても、暫く
動かずに居る。2度目の合図で、我に帰る。つまり、情を出してい
る。それにくらべると、その後の場面で登場する千代は、いつ
も、心を抑圧している。夫・松王丸に従うことを優先し、子ども
への母の情を抑圧している。玉三郎は、「先代萩」の政岡のよう
に、抑圧していた母の情を噴出させる場面が、見応えがあった
が、今回は、抑圧したままで終ってしまう。人形浄瑠璃の千代な
ら、足拍子の跳躍で、幕切れ直前、母の情を噴出させることがで
きるのだが、人間が演じる歌舞伎では、人間を越えられないか
ら、それが、できない。竹本との絡みなど、これまでと違った工
夫で人形に迫ることが、必要かも知れない。

おまけの、贅言:「寺子屋」では、「いろは送り」と言われる野
辺送りの場面が近付き、松王丸が、門口を出て、園生の前に知ら
せる呼び子を吹くと、「下手より乗物」という演出に合わせるよ
うに、大道具方が出て来て、門口を片付けてしまう。前半の玄
蕃、松王丸などが、門口の外で、寺子屋から出て来る子どもたち
を「首実検」する場面では、あって当然の門口が、「いろは送
り」では、なくて当然という、この演出の妙。まるで、大道具ま
で、舞台の「騙し絵」に加担しているようではないか。

「保名」は、5回目。今回は、春の曙を暗闇から、徐々に明るん
で来るという演出である。舞台は、菜の花畑と桜の若木という象
徴的で、シンプルなものを使っている。菊五郎、團十郎、橋之
助、仁左衛門、そして今回の芝翫。渋い芝翫の保名は、安定感が
ある。ところで、これは、最初に見た菊五郎の舞台が印象に残っ
ている。この舞台では、亡くなった榊の前の小袖が、狂気の保名
を騙す。こちらは、騙される至福を求めて、狂気になる男の物語
である。いずれも、六代目菊五郎工夫の演出を引き継いでいる。

私は、「保名」では、いつも、最後の幕切れ直前の場面を注目し
ている。当代の菊五郎のとき、「狂い乱れて伏し沈む」という清
元の文句に、小袖を頭から被ったまま、舞台中央に伏した姿が、
恰も、舞台から菊五郎の身体が消えた(まさに、「沈む」)よう
に観えたからだ。所作台と小袖が、平に見え、菊五郎の身体が、
無くなったように観えた。2階席から観ていたのだが、そのよう
に観えた。「榊の前」というイメージ(これは、本来、保名の頭
のなかにあるもので、観客には見えない)とともに、保名が、昇
天したように観えた。不思議な気がしたのを覚えている。その
後、2階や1階の席から観ているが、次に観た團十郎は、身体が消
えなかった。舞台中央に拡がった小袖の下が、こんもりしてい
た。

橋之助は、最後、暗転する演出で、その場面を見せなかった。仁
左衛門、そして今回の芝翫は、その場面になる前に、緞帳を降ろ
してしまった。皆、「伏し沈む」をいろいろ、工夫しているのだ
ろう。こうなると、菊五郎の「保名」を、再び、観てみたい。
「伏し沈む」ように観えたのは、私が、騙されたのか。だとした
ら、まさに、騙される至福の舞台であったと思う。歌舞伎座の筋
書きにある上演記録だと、本興行での当代菊五郎の「保名」は、
97年2月の歌舞伎座だけだ。それ以前も、それ以降もない。私が
観たのも、このときの舞台だ。

「助六由縁江戸桜」は、4回目。助六は、團十郎(今回含め2
回)、仁左衛門、新之助。
助六は、髭の意休(左團次、病気休演で、彦三郎)ほかに、喧嘩
を売り付け、剣を抜かせて、探している源氏の宝刀・友切丸かど
うか、見定めている。つまり、喧嘩は、騙しの術なのだ。まず、
口上に、「いちかわだんじゅうろう(市川團十郎)」ならぬ、
「いちかわだんしろう(市川段四郎)」(で、マイナス「6」
で、「引け六」=「助六」か)が、本来なら「三升に段の字」の
紋のはずなのに、「三升」の紋が入った成田屋の裃を付けて、登
場する。澤潟屋が、成田屋に「化けて」(あるいは、演じて)、
成田屋宗家、あるいは、市川家総代の口上を象徴する「鉞(まさ
かり)」と呼ばれる髷を結って口上を述べる。

「助六由縁江戸桜」の本来のテーマは、江戸の繁華街・新吉原の
風俗である。吉原では、毎年、桜の季節になると江戸・染井の里
から染井吉野を移植して、期間限定の桜並木を町内に作り上げた
というが、「騙しの本家」であるが、昔の歌舞伎の演出では、舞
台だけでなく、芝居小屋の周りの街並にも、場内にも、桜の木を
多数、植え込んだらしい。そうして、芝居小屋全体、芝居町全体
を、恰も、吉原と錯覚させるような騙しのテクニックを使ったと
いう。観客も、喜んで騙されに来た。芝居町は、遊廓(遊里)を
凌ぐ騙しの里であったようだ。そういう騙しの祝祭劇が、「助六
由縁江戸桜」ではないのか。従って、この舞台に登場する人たち
は、吉原で働く人たちや客のほか、饂飩を配達する福山のかつぎ
(松緑)、国侍、奴、通人など、いわば、通行する人もふくめ
て、騙し絵のジクソーパズルのピースなのだと思う。

吉原で働く人たちのうち、華やかな衣装を身にまとった花魁たち
は、実は、売春をするために、拘束された気の毒な女性たちであ
る。それを象徴する、重い、拘束着のような衣装を着けて、若い
者に肩を借りないと歩くこともできない不自由さ。中国の纏足女
性のようだ。見掛けの華やかさが、彼女たちの、そうした不幸な
身の上を知らせず、観客たちを騙す。三浦屋・揚巻。鬘、衣装、
下駄などの重さが、40キロもある。そういう重い扮装をして、
1920年8月生まれの、82歳の女形が、若々しい姿で、観客
を騙す。観客は、騙されるという、なんとも言えない、至福の時
間を劇場で過ごす。

3年前の1月、新橋演舞場で、京屋の揚巻を花道七三の真横で、
間近に観た私は、雀右衛門の白く塗った割には、男性的な、ごつ
ごつとした足の指が、目の前にあったことや下から見上げた鼻や
歯の、とても、女形とは思えない、生々しさを、いまも覚えてい
る。実は、一世一代で、こういう体力勝負の役柄は、演舞場の舞
台が、見納めかなと思いながら(また、このときの助六は、新之
助であり、新旧の役者が交差する、エポックメイキングな舞台で
あったから、よけい、そういう思いを強くしたのだろう)観たの
である。それが、3年後も、元気で、この思い役をやり遂げてい
る京屋は、体力トレーニングもさることながら、強い意欲で観客
を騙す努力を続けている。大相撲の横綱・貴乃花は、この初場所
で、観客を騙すことが、できなくなりそうな星の展開になって来
ているが、かなり、強い意欲が前面に出てこないと「騙す」とい
う行為は、できない。「騙す」という行為は、人を超人にする。
そういう怪しい魅力がある。怪しい魅力溢れる京屋の舞台が、い
つまでも続くことを祈っている。京屋贔屓の私は、そういう祈り
も込めて、京屋結びのネクタイピンを付けている。実は、このネ
クタイピンは、直接、雀右衛門丈に逢って、話をする機会があっ
たときも私は、していて、話題になった。

助六は、江戸のスーパーマンだが、今回、髭の意休の大人ぶりと
比較すると、なんとも、子どもに見えて来た。それは、決して、
悪いことではない。江戸歌舞伎の華・荒事は、稚気を表現する。
そういう意味で、助六は、まさに、荒事の象徴だ。実質的な荒事
の創始者・二代目團十郎が、初めて演じたと伝えられている。助
六の花道の出で、歌われる河東節を使い、名題(外題)も、現在
の「助六由縁江戸桜」にしたのが、四代目團十郎である。そし
て、「歌舞伎十八番」として、七代目團十郎が市川團十郎家の家
の藝に昇華させ、いまのような演出に定着させた。その演目を十
二代目團十郎が、稚気をいっぱい含んだ助六に仕立てて、新世紀
3年目の正月の歌舞伎座の舞台を飾っている。髭の意休に対する
餓鬼の助六、円熟期の團十郎の稚気、これも、また、新たな騙し
のテクニックかも知れない。

髭の意休役は、当初、左團次であった。初日の歌舞伎座中継で
は、左團次の意休をテレビで拝見した。生の舞台では、彦三郎で
あった。当日、歌舞伎座に来てから知った私は、騙されたような
気がしたが、左團次の意休は、3回観ている。1回は、富十郎で
あった。このところの本興行では、記録を見ると、左團次の意休
は、今回で、8回目とある。安定しているし、味わいもあるの
で、左團次の意休は、飽きないが、以前、意休は、彦三郎の父、
十七代目羽左衛門の当たり役であった(戦後の、本興行の記録を
見ると、先代の彦三郎を名乗った時代から、羽左衛門は、あわせ
て9回演じている)。それを考えると、本興行では、今回の代役
が初演という彦三郎の意休なら、騙されても良いかもしれないと
思いながら観劇した。まあ、意休の出来は、これからだったが、
彦三郎意休の精進をお願いしたい。羽左衛門のように、化けて欲
しい、騙してほしい。大名跡を次ぎたい、という意欲こそ、いま
の、彦三郎にいちばん欠けているものだと、私は、常々、感じて
いる。

さて、白酒売り、実は、曽我十郎(菊五郎)も、加わっての、
「股くぐり」は、助六の稚気劇のおまけのようなものだが、本筋
には、無関係の笑劇で、團十郎、菊五郎の大所が、大顔合わせを
している。国侍と奴:十蔵(ことし5月團菊祭で父の名跡である
六代目市蔵を襲名する)・亀蔵の松島屋兄弟や、通人:里暁の松
助ら藝達者たちが、笑劇の味を深くするため、サービス満点で、
観客を笑わせる。朝顔仙平を演じた坂東正之助も、ことし、四代
目河原崎権十郎を襲名する。張り切っているように見受けられ
た。襲名披露も、いわば、化ける、騙すところから、始まる儀式
だ。役者を大きくする節目になる。

幕切れ前に、花道を闊歩する團十郎の助六。それを斜に構えて、
客席に背を向けて、顔だけで、助六を見送る雀右衛門揚巻。その
背中が演じる、なんとも言えない色気。亡くなってしまった六代
目歌右衛門の床几に座った後ろ姿を舞台下手の袖から観て描いた
中村時枝の絵が私の所にある。背中が伝える色気。六代目の、後
を追うように、2ヶ月後、亡くなってしまった時枝まで、思い出し
た。今月の歌舞伎座の舞台は、連想む含めて、さまざまな騙し絵
を私に見せてくれた。傾(かぶ)く舞台は、ものごとをひっくり
返す、想像力を引き出す。

さて、松王丸、保名、助六の共通項。紫の病(やまい)鉢巻。同
じ鉢巻きが、結び方の違いなどで、「味方」を欺く仮病の小道
具、狂気という病気、粋のシンボルなど、さまざまな使われ方を
する。これも、騙しのテクニックの、粋な象徴か。
- 2003年8月1日(金) 21:52:25
2003年1月・歌舞伎座
 (昼/「出雲の阿国」「矢の根」「京鹿子娘道成寺」
「弁天娘女男白浪」)

歌舞伎400年の年明け、長引く不況にもかかわらず、歌舞伎座
は、盛況のスタートを切った。特に、昼の部は、千秋楽まで満席
続きとかで、私も、売り出しの1時間前に並んで、幕見席で観劇
した。幕見席の切符売り出し(10時半)の1時間前に歌舞伎座
に到着したが、すでに、10人以上が並んでいた。指定席の当日
券売り場は、10時売り出しだが、こちらも、長蛇の列。劇場前
には、酒の菰樽の積み物があり、正月気分を煽る。

私は、幕見席では、最前列のほぼまん中に席を確保できたが、列
の前の方に並んでいた人たちの席の取り方も皆、様々でおもしろ
い。私のようにまん中を狙う人は、数人いた。一気に上手の最前
列に行く人。下手の花道の上あたりの最前列を狙う人。まあ、当
然だが、最前列が一杯になると、2列目へ。椅子席は、この2列
しかない。「い」と「ろ」である。歌舞伎の原点は、「いろ」と
いうわけだ。後は、立ち見。これが、2段になっている。料金
は、「出雲の阿国」「矢の根」で700円。「京鹿子娘道成
寺」、「弁天娘女男白浪」は、それぞれ900円。つまり3部制
料金だ。私は、昼の部の通しでチケット購入したので、合計で
2500円。3等B席と同じ料金になる。1時間も並んだのに、
1部:700円、2部まで:1600円という買い方をする人も
いた。開幕前には、立ち見も出ている。

さて、今月の演目(だしもの)は、初演の「出雲の阿国」を除け
ば、すでに観た演目ばかりである。昼・夜通しで、外題を見てい
たら、共通項に気が付いた。キーワードは、「騙す」である。
「出雲の阿国」は、歌舞伎400年のために、瀬戸内寂聴が書き
下ろした新作舞踊。歌舞伎の始祖・阿国と、その恋人・名古屋山
三郎の物語だが、山三は、亡霊だ。江戸の時代ならいざ知らず、
いまの観客は、亡霊など信じない。山三は、阿国を騙すだけ。騙
しの色模様。さて、そういう気分が、舞台から伝わってくるか。
舞台には、舞台がある。京・四条河原の芝居小屋の体。下手見切
りに「阿國か舞妓」「天下一」の幟の書割。櫓の絵も描いてあ
る。櫓には、定式通りに5本の毛槍。

舞台では、女歌舞伎や若衆たちが歌舞伎踊りを踊っている。やが
て、男装の麗人よろしく阿国(福助)が、刀を持って踊りに加
わってくる。やがて、舞台が暗くなり、阿国にスポットが当たる
と、舞台上手奥にもスポットが当たり、名古屋山三郎(菊之助)
の霊が登場し、二人の踊りとなる。阿国・山三の連舞の部分は、
小屋が消え、河原の光景になる。下手に橋が見える。やがて、山
三の霊が消えると、舞台は、元の小屋に戻る。阿国・山三の伝説
の色模様を浮き世絵巻に仕立てた。芝のぶも女歌舞伎のひとりと
して出演。騙しの色模様は、伝わってこなかった。

「矢の根」は、4回目。三津五郎の曽我五郎は、2回目。ほか
は、橋之助、羽左衛門病気休演代理の彦三郎。「矢の根」は、歌
舞伎十八番で、もっとも短い演目。小柄な三津五郎が、身体の小
ささを騙して、大きく見せる演目でもある。実際、大きく観え
た。三津五郎は、ときどき、化ける。大薩摩の家元・主膳太夫
(歌六)が、五郎役者(今回は、三津五郎)の所へ、年始に持っ
て来た宝船の絵で、役の五郎が、初夢を見て、兄の曽我十郎が、
仇の工藤家にとらわれていることを知り、馬に乗り助けに行く。
昔は、上手山台で語っていた太夫が降りて来て、役者に年始の挨
拶をして見せたという。そもそも、たわいのない話で、夢を売る
芝居の原点のような出し物だ。大道具の色彩が豊かで、絵画美を
強調する演目、音楽の荒事、大薩摩もあり、豪快で、正月興行向
き。いわば、荒事の儀式劇であり、江戸の芝居小屋の楽屋風俗を
活写する意味もある。

舞台上手に「歌舞伎十八番 矢の根」、下手に「五郎時致 坂東
三津五郎相勤め申し候」の看板がかかっている。荒唐無稽なもの
ほど、仰々しく仕立てる。それが、儀式の鉄則だ。観客も、気持
ち良く騙される。大薩摩の置き浄瑠璃。正面、二重の三方市松の
揚障子が、「よせの合方」で上がる。車鬢、二本隈、化粧襷、厚
綿の着付けの肌を脱いだ五郎が、炬燵櫓に腰を掛けている。ここ
にも、櫓がある。台詞は、正月の食膳のつらね。七福神をこき下
ろす悪態は、大薩摩と台詞の掛け合い。

太い綱の化粧襷を一旦取り、五郎が初夢を見た後、再び、結び直
すが、裃後見の腕の見せ所で、手際よく済ませると拍手が来てい
た。女形が踊りながら、後見が衣装の引き抜きをしてみせるのと
同じ効果があるようだ。宝船の絵を砥石の下に敷いて、眠る五
郎。後見の坂東八大が、右手を三津五郎の背に宛てながら、蹲
り、自分の背を貸す。裃後見は、三津之助と八大。後見たちのて
きぱきした動きと、三津五郎の安定した舞台で、見ごたえがあっ
た。荒事の所作事であるがゆえに、古風な荒事の演出が、残され
たという。

「京鹿子娘道成寺」は、7回目。玉三郎は、私は、初めて。歌舞
伎座筋書きの上演記録では、8年ぶりだが、楽屋インタビューの
記事では、4年ぶりとある。いずれにせよ、久しぶりの上演で、
昼の部盛況の原因は、玉三郎の「娘道成寺」にありと見た。白拍
子・花子に化けた清姫の亡霊が、所化たちを騙して、かつて安珍
を隠した道成寺の鐘に飛び乗り(一旦、鐘の中に飛び入り、般若
に変わる化粧をする場合もある)蛇体となって、恨みをはらすの
が主筋。大曲の踊りは、いわば組曲で、「道行、手踊、鞠唄、花
笠踊、手拭踊、羯鼓(山尽し)、鈴太鼓、鐘入り、祈り、蛇体
(見現し)」などが、次々に踊りが連鎖して繰り出される。衣装
の色や模様も、所作に合わせて、緋縮緬に枝垂れ桜、浅葱と朱鷺
色の縮緬に枝垂れ桜、藤、白地に幔幕と火焔太鼓(火焔御幕)、
白地に銀鱗の摺箔へと変わる。但し、今回、私の席からは、花道
での道行は、見えない。

白拍子・花子は、すでに勘九郎で、2回。ほかは、1回ずつだ
が、雀右衛門、芝翫病気休演代理の福助、菊五郎、芝翫。今回
は、本舞台に移動してからの玉三郎の踊りから見えてくる。玉三
郎の踊りは、手足がなめらかに動く。安定感もある。所作事の女
形の演目としては、大曲で演じどころの多い「娘道成寺」だが、
私初見の玉三郎は、充実の舞台で、流れるような所作の連続を堪
能した。女形に取って、立役の所作事「勧進帳」に匹敵する演目
だと思う。ただ、最後の鐘の上での「凝着」の表情が、玉三郎は
弱いと思った。この部分では、雀右衛門の表情が圧倒的だったよ
うな気がする。実際、蛇に観えたもの。これも、騙しの技術。

二人の裃後見うち、ひとり(坂東守若)が、女形の鬘で出てい
た。珍しい。私は初めて見たが、こういう裃後見も、新鮮で良
い。玉三郎の衣装の引き抜きも、守若の手際が良く、こちらも、
拍手が来ていた。今月の昼の部は、「矢の根」、「娘道成寺」の
後見にも注目。昼の部、ここまで、全て所作台を使っている(夜
の部も、「保名」、「助六」と所作台を使用)。そのせいか、幕
見席という天井桟敷から舞台を観ていると、中央の手前の9枚
(なかでも、特に7枚)が、乱れた足跡が付いていて、白っぽく
なっている(所作台は、大道具方が、1枚ずつ運び込むのと、ワ
イヤーで天井から吊しているのを下ろす方法がある。後者だと、
所作台を置く位置が変わらない)。八代目松本幸四郎が、五郎を
勤めたとき、勢い余って、所作台を足の形に踏み抜いたという
が、荒事の所作事は、力が入る。体全体に力が入る荒事は、いか
に激しい動きを秘めているかが伺われておもしろかった(夜の部
は、1階で拝見したので、所作台は、上から観ることができな
かった)。

「弁天娘女男白浪」は、3回目。「矢の根」同様に、絵画美の舞
台。動く浮世絵。もともと豊国が描いた義賊の見立て絵を元にで
きあがった狂言(あるいは、黙阿弥が、両国橋で見掛けた女の着
物を着た青年のことを豊国に話し、錦絵ができたという説もあ
る。いずれにせよ、錦絵と狂言が、相関関係にある)。大道具、
弁天小僧の黒と赤に象徴されるように衣装も、派手やか。弁天小
僧:今回の菊五郎のほか、菊之助(襲名披露興行)、勘九郎。ほ
とんど、今回同様、「浜松屋」、「勢揃い」だが、95年8月・
歌舞伎座、勘九郎のときは、通しで拝見。従って、このときは、
「青砥稿花紅彩画」という通し用の外題であった。通しで観る
と、明暗起伏に富む原作は、幕末の江戸文化を活写するのが判
る。みどりの「浜松屋」、「勢揃い」の2場面だと、どうして
も、絵画美、様式美を強調する舞台になる。黙阿弥の七五調の台
詞も、歯切れが良いから、耳を通り過ぎる。それでも、鳶頭(團
蔵)や買い物客、按摩などが出て来て、江戸の市井風俗が、浮か
び上がる。この舞台、以前の演出では、もっと、端役や仕出しを
活用して、江戸の庶民を活写したという。そういう台詞の端に喜
ぶ観客もいたのだろう。それでこそ、黙阿弥劇の面目躍如なのだ
が・・・。

菊五郎の弁天小僧は、安定感がある。「浜松屋」の場面は、男が
娘に化けて、呉服屋を騙すという芝居である。私が観た菊之助
は、初役(初演時の五代目菊五郎と同じ年齢)。初々しいという
か、煙管を廻す場面など、痛々しい感じさえした印象があるが、
菊之助も、最近は、すっかり安定して来た。成長する役者の軌跡
を観るようだ。若党四十八、実は南郷力丸(團十郎)も、達者。
團十郎の若党は、2回目。浜松屋の前半の啖呵は、團十郎で聞か
せる。後半の啖呵は、もちろん、菊五郎。夕方の薄暗い明かりの
時間帯を利用した詐欺行為の芝居。手代が、2基のぼんぼりを
持ってくることで、状況が判る。浜松屋の番頭(松太郎)は、二
人の啖呵を際立たせる促進機関の役割を果たしている。威丈高に
なったり、謝ったり。四郎五郎、鶴蔵と、番頭・与九郎役を観て
いるが、こういう役は、鶴蔵が巧い。ここの、緩急が巧くないと
台詞のやりとりが生きない。日本駄右衛門(幸四郎)は、浮いて
いる。テンポが、ほかの役者と違う。

第二場は、開幕すると、浅葱幕。振り落として、「稲瀬川勢揃い
の場」。ここは、まさに錦絵。忠信利平(松緑)、赤星十三郎
(菊之助)は、ベテラン3人に挟まれると、もう、位負け。ただ
し、幕見席では、花道の出の演技は、見えない。台詞を聞いてい
るだけ。「白浪五人男」は、3人までは、モデルがいるそうだ
が、「三人男」では、「三人吉三」と外題が似て来るので、「五
人」にしたとか。

歌舞伎は、「傾(かぶ)く」というように、ちょっと違った見方
をする。ものを正面に置きながら、斜に観る。ただし、ただ斜に
見るのではない。斜に構えるのではない。ものを正面に置くとい
うのが大事。正面に置いた上で、ちょっと違った見方をするので
ある。今回のキーワードの、「騙す」というのも、言い方を変え
れば、違った見方をするということだろう。人の裏をかくから、
騙される。ものごとをひっくり返すから、違った世界が観える。
見るというのと、観るというは、違うと私は思っている。漫然と
見るのが、「見る」(シーイング)で、意識して、なにかを見つ
けるのが、「観る」(ウオッチング)だと思っている。芝居は、
役者と観客の、いわば、騙しあいだろう。騙す意欲の役者と騙さ
れる愉楽の観客。ときには、観客も役者を騙す。だから、芝居
は、幕を開けないと、当たるか、はずれるか、判らない。そうい
う騙し、騙されの世界が、芝居の世界。観客の側の「騙し」こ
そ、芝居の興行元が、いちばん恐れる「騙し」だろう。そういう
意味では、今月の歌舞伎座は、芝居に相応しい「騙し」が、キー
ワードとして、隠されている。なに、それは、昼の部ばかりじゃ
ない。夜の部も、騙しの世界。ということで、この続きは、夜の
部の劇評へ。(拍子幕)。
- 2003年8月1日(金) 21:49:01
2002年12月・歌舞伎座(夜/通し狂言「椿説弓張月」)

三島由紀夫が、自分で組織した「楯の会」の隊員たちといっしょ
に東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地に押し入り、自衛隊員に「クーデ
ター」を呼び掛けたのは、1969年11月25日であった。私
は、大学院修士課程の1年生だった。三島の行動は、テレビで見
た。三島版「椿説弓張月」は、その月の5日、国立劇場で初めて
上演された。千秋楽が、いつだったのか、調べれば判るだろう
が、いまは、その暇が無い。25日には、もう、千秋楽を迎えて
いたかも知れない。いずれにせよ、三島は、「クーデター」呼び
掛けに失敗し、この芝居を遺書代わりに、自ら腹を切り、楯の会
の森田正義に、己の首を切らせて、果てた。初演、演出のころの
写真が、歌舞伎座の筋書に掲載されているが、三島の辣韮(らっ
きょう)のような形の頭が、何日か後には、自衛隊の床に落ちて
いたことになる。そういう写真を私も見た記憶がある。当時、芝
居のことが、話題になったかどうか、私の記憶には無い。

さて、滝沢馬琴原作の「椿説弓張月」は、「保元の乱」で崇徳院
方につき、一族でひとりだけ生き長らえた源為朝の波乱万丈の物
語だが、三島版「椿説弓張月」では、為朝は、キーパースンでは
無いような気がする。むしろ、為朝の妻であり、舜天丸(すてま
る)の母である白縫姫の方が、キーパースンではないか。白縫姫
は、為朝や舜天丸らと九州から都へ攻め上る航海中、嵐のため、
海に落ちた舜天丸の後を追って、入水、死後、黒揚羽に変身し、
為朝と、実は、助かった舜天丸の加護をするが、為朝が辿り着い
た琉球で、お家乗っ取りを策謀する大臣一派と対抗する王女・寧
王女(ねいわんにょ)に自分の霊を宿すという「転生」をするな
ど、三島の遺作「豊饒の海」に描かれた「転生譚」に通じる人物
である。自害した三島も転生を願っていたかも知れない。あるい
は、怨念の崇徳院の霊のごとく、クーデターに失敗したことで、
現世に怨念を残したまま、33年後も、その辺りを彷徨っている
かもしれない。最近のきな臭い政治の動きを、どういう眼で見て
いるか。

33年前に、この芝居に出ていた人で、初演時と今回、同じ役を
演じた、ただひとりの人は、その白縫姫を演じた玉三郎である。
今回、為朝を演じる猿之助も、初演時に出演しているが、舜天丸
にかしづく高間太郎の役であった。初演時の為朝は、八代目幸四
郎であった。同じく、初演時に武藤太で出演していた談四郎は、
今回、直前になって、病気休演。勘九郎は、初演時、14歳。再
演時には、高間太郎を演じているので、今回は、2回目となる。

奇想天外な物語の筋を追ってもしょうがないと思うので、夜の部
では、三島がダイイング・メッセージに込めたと思われる死の影
を追うにとどめ、むしろ、猿之助演出の、スペクタクル性、特に
大道具の使い方など、見せる歌舞伎美に注目しながら、劇評をま
とめたい。

まず、「死の影」。伊豆大島に流された為朝(猿之助)は、崇徳
院の後を追って、「殉死」したがっている。東から西へ彷徨う、
波乱万丈の生涯の末に、為朝は、琉球國の安寧に力を貸し、息子
で、琉球の王になった舜天王(しゅんてんおう・弘太郎)に後事
を託して、8月25日、崇徳院の命日の前夜、ガジュマルの大木
のある運天海浜に大きな弓張月がかかるなか、遠く、春に平家が
滅びたという報を胸に、念願の殉死を果たし、「葉月も末の弓張
月は、『為朝の形見』と思いやれ」という内容の遺言をして、黄
泉の國から迎えに来た白馬に跨がり、昇天して行く。「平清盛憎
し、崇徳院に申し訳なし」と念じた果ての、覚悟の自害であっ
た。怨念一徹の生涯は、三島の最大のダイイング・メッセージ
か。

さて、次に、為朝の伊豆大島での現地妻になった悪代官の娘・簓
江(ささらえ・笑三郎)は、為朝との間に、男女二子をなしてい
たが、為朝追討の平家の先触れとして攻めて来た先の悪代官であ
る父方の軍兵に追われ、娘を道連れに入水する。軍兵に立ち向
かった息子も、傷を負い、為朝に出逢ったのを幸いに、父に介錯
をしてもらう。

配流先の大島から逃れた為朝は、讃岐・白峰の崇徳院御陵で自害
しようとするが、現れた崇徳院の霊(亀治郎)に諭され、自害を
留まる。再会した忠臣・紀平治(歌六)とともに、九州・肥後に
向かう。肥後の木原山中で、妻の白縫姫(玉三郎)、息子の舜天
丸とも、再会する。

その前に、木原山塞では、為朝、白縫姫を付けねらう以前の家来
で、いまは裏切り者の武藤太(猿四郎)が捕らえられ、白縫姫の
仕置きで、虐殺される。初演時、武藤太役を演じた段四郎は、今
回、紀平治役で出演の予定だったが、病気休演で、歌六に替っ
た。段四郎によれば、初演時にも、三島から「武藤太は、肉襦袢
を着けずに、裸で下帯ひとつで演じてほしいと言われたが、当時
は、痩せていたので、ボディビルで鍛えていた映画俳優に吹き替
えを頼んだ」と語っている。

三島版「椿説弓張月」美学の、最も象徴的な場面は、今回、吹き
替え無しで、36歳、猿四郎の均整の取れた裸体で、演じられ
た。「薄雪」という曲を、自ら琴で演じながら、白縫姫は、腰元
たち(芝のぶほか)に命じて、下帯ひとつで、御殿の階(きざは
し)に後ろ手に縛られた武藤太の裸の胸などに、先の尖った竹筒
状の竹釘を木槌で打ち込ませて行く。竹釘責め。琴責め。芝のぶ
たちが粛々と打ち込む度に、裸身に鮮血が流れる。裸体を汚した
血で、白い下帯が、赤く染まって行く。憎しみとサディズムの極
致の、愉悦の表情を交えながら、裏切り者を仕置きする玉三郎の
白縫姫(初演時、10代の玉三郎を印象づけた出世芸だ)。無表
情に目をつぶり、徐々に近付く死を従容と迎える猿四郎の武藤
太。三島が自ら演じ、写真を残した「聖セバスチャンの殉死」そ
のものの場面。殺された武藤太の遺体は、狼の餌食にしてしまえ
と命じる白縫姫。玉三郎は、今回、初演時にした演技を大事にし
て、演じたという。息を呑む観客たちの緊迫感が、場内に満ちて
いるのが判る。

平家征伐に薩南海上に大船を繰り出し、都のある東に向かった為
朝一行は、途中で嵐に遭い、浪に揉まれているうちに、高間太郎
(勘九郎)、磯萩(福助)夫婦が、浪に呑まれ、次いで、舜天丸
も海中に没する。舜天丸を助けようと飛び込む紀平治も、姿が見
えなくなる。息子を失った哀しみのあまり、白縫姫は、弟橘姫の
故事にならい、入水をして、嵐をしずめようとする。亡くなった
白縫姫の身替わりか、嵐の海中から飛び立つ黒揚羽蝶。

その後、大海原の大岩に辿り着いて助かった高間夫婦だが、海原
に船影一つ見えない孤独さに耐えかねて、太郎が磯萩を殺し、自
分も切腹して心中する。ふたりの遺体を呑み込む大波が、大岩を
没しさせる。一方、舜天丸は、紀平治に助けられ、黒揚羽に導か
れ、現われた大魚の背に乗り、いずこかへ向かう。

琉球のお家騒動でも、策謀家の大臣・利勇(猿弥)や大臣を唆し
ていた王子の伝役(こもりやく)の阿公(くまぎみ・勘九郎)
も、最後は、死ぬ。自分の孫を王子にしようとしていた阿公は、
謀事が発覚した挙げ句、王子を殺害する。都合、11人が、死
ぬ。大臣に殺されながら、生き残るのは、白縫姫の霊で甦える寧
王女(ねいわんにょ・春猿)だけだ。死の影の濃さこそ、三島の
企図であろう。三島は、生涯で6本の新作歌舞伎を書いたとい
う。最初が、芥川龍之介の「地獄変」を基にした作品。最後が、
滝沢馬琴の「椿説弓張月」を基にした、今回の作品。三島の6本
の新作歌舞伎のなかでは、死の影のない「鰯売恋曵網」が、いま
も、玉三郎、勘九郎らによって、良く演じられる。

さて、次は、猿之助歌舞伎のスペクタクル性を大道具の演出を軸
にしながら、観てみたい。先ず、今回の座席は、東2階の桟敷き。
8番ー1。舞台も、宙乗りも、それなりに見通せるポイントだ。
観客の表情も、良く観える。開幕すると、浅葱幕。床のまま、出
語りは、葵太夫。すかさず、大向うから「葵太夫」と声がかか
る。無表情の葵太夫の端正な顔。

伊豆大島の場面では、浅葱幕、振り落としの後、為朝(猿之助)
を中心に下手、高間太郎(勘九郎)、上手、紀平治(歌六)がい
る。いずれも、「忠臣蔵」の大序に似て、動かない人形のよう。
やがて、名前とともに、動き出す。為朝の現地妻・簓江(笑三
郎)と高間の妻・磯萩(福助)が花道からやって来る。次の場
面、為朝の妻子が、平家軍に襲われるころ、上手奥の三原山が、
噴煙をあげる。砂浜を表現していた地絣の一部が、舞台奥へ引っ
込むと、海原の遠見が、上から降りて来る。為朝の子、為頼が、
瀕死の重傷を負い、父・為朝に介錯を頼む。子役の首を落とす
と、顔に小さな黒布が被せられ、首が、紫の布に包まれて出て来
る。仰向けに倒れたままの、子役は、微動だにせず。この子役が
巧い。黒衣ふたりが、黒幕を使い、巧く子役を遺体を片付ける。2
階、斜め横から舞台を観ていても、処理が見えないというのは、
巧い。観客VS黒衣。黒衣の勝ち。

島を離れることになる為朝の場面では、海の遠見が、上がると、
本舞台は、全面海。花道も地絣が向う揚幕に引き込まれ、浪布が
下から現われる。陸地だったはずの客席が、あっという間に、海
に没する。観客の私たちは、突如、大海原に浮かんでいることに
なる。ビックリハウスのような歌舞伎の演出の見事さ。本舞台浅
瀬には、舟が3艘ある。為朝と紀平治。高間夫婦。4人が浅瀬を
渡り、舟に乗り込む。ふたりずつ、2艘の舟に、別々に乗り込
む。上手揚幕に行く高間夫婦。花道へ漕ぎ出す為朝と紀平治。残
された舟は、藁屋根のついた屋形船。誰が乗っているか、判らな
い。やがて、屋形から人が出て来て、為朝と紀平治の舟を追う。
裏切り者、猿四郎の武藤太だ。

崇徳院が、配流され、憤死した讃岐國白峰。真っ暗な舞台に青白
い一条の光。誰も居ない。深山を描いた書割が、左右に開くと、
やがて、薄暗い舞台奥に為朝。明るんでくると、遠見は、海が見
える高台の社の様子。せり上がりで、崇徳院の霊(亀治郎)が、
下手、頼長の霊(段治郎)、上手、為義理の霊(猿弥)を配し、
後ろに烏天狗を引き連れて出現。お告げの後、せり台が下がり、
姿を消す。せりの上下に合わせて、雲の背景が、逆に上下する。

肥後國木原山中では、まず、雪を被り、荒涼とした原生林が描か
れた道具幕と幕が上がると、同じデザインの荒涼とした山中の場
面になる。大きな猪が出て来る。役者を支えるのは、白衣たち
だ。素手で、大猪を倒す為朝。しかし、地元の猟師たち、実は、
白縫姫の手の者たちに痺れ酒を呑まされ、捕らえられる為朝と紀
平治。

木原山山塞は、雪の御殿。肩に毛皮を掛けた赤姫は、白縫姫(玉
三郎)。そう言えば、讃岐の白峰、白縫姫、雪、後の白馬と、白
ないし、白いイメージが続く。白縫姫は、やがて、海原で没し、
黒揚羽に変身する。白から黒へ、呪術的変化でもある。国立劇場
と歌舞伎座と、芝居のポスターを担当した横尾忠則は、三島が、
ポスターのラフスケッチまで自ら描くほど熱心だったというエピ
ソードを伝えている。蝶にこだわっていたことも披露している。
きっと、呪術力にこだわったのではないか。ふたつのポスター
は、似ているが、同じものでは無い。いずれも、オリジナルだ。
今回、歌舞伎座では、このポスターを販売していた。

幕が開き、地絣が引き込まれると、また、浪布。遠くに島が見え
る海の道具幕に隠された舞台は、幕が開くと、「毛剃」(博多小
女郎浪枕」)に登場する大船が、舞台に現われる。為朝、白縫
姫、舜天丸、紀平治、高間夫婦、郎党5人の11人が乗ってい
る。やがて、時化て来る。浪布の下に人が入り、布を上下に揺す
ぶりながら、浪布は、上手から、下手へ舞台前面を覆って来る。
浪に呑まれる人たち。白縫姫が、入水すると、大きな黒揚羽が、
海中から飛び立ち、海は、静まる。大船は、廻り舞台を使わず
に、船のなかの操縦で、自動的に廻る。船の正面前部が、舞台中
央にくると、船の先端に立ちふさがった猿之助の為朝は、毛剃九
右衛門同様、睨みを利かす。

幕が閉まると、幕外の、浪布に覆われた花道スッポンを覆ってい
た浪布が、ふたつに割れ舜天丸と紀平次が、顔を出し、花道、向
う揚幕から流れて来た船の残骸の板(客席に降りた黒衣が、板を
引っ張っている)に乗り上がり、助かる。板は、紐に引っ張ら
れ、黒衣に押され、向う揚幕に入って行く。

幕が開くと、舞台は、大海原。浪布の向うを高間夫婦が、流され
て行く。口から水を吹く高間太郎(勘九郎)が、客席を笑わせ
る。海に突き出た岩によじ登るふたり。だが、船影も見えない大
海原に絶望して、心中するふたり。逆海老ぞりに倒れる黒い衣装
の磯萩(福助)。身体の柔らかさに拍手が来る。切腹の血で、白
い衣装を染める太郎(前回、大量の血を流して、衣装を汚し、国
立劇場から注意されたという勘九郎は、翌日、もっと、血を流し
たと打ち明けている。今回は、思う存分血を流している。それに
しても、血糊に汚れた衣装を、毎日、代えるのは、確かに大変だ
ろう)。そのふたりの姿を大波が、縄跳びの円のようにふたりを
襲い、隠してしまう。と同時に、せりで、ふたりを乗せたまま、
奈落に落ちる岩。その連動の妙。巧い演出だ。ここも、見せ場
だ。

薄暗いなか、青い浪布で姿を隠した白縫姫が、浪衣にサポートさ
れて、舞台中央に移動して来るのが、判る。やがて、台を乗せた
せり上がり、昇天し、白縫姫の霊に早替り。海中から巨大な怪魚
が現われる。舜天丸と紀平治は、怪魚に襲われるが、母・白縫姫
の化身、黒揚羽に導かれて、舜天丸は、紀平治とともに、怪魚の
背に乗り、いずこへか。

琉球國北谷斎場は、寧王女に楯突く大臣の謀反の場面。勘九郎ふ
た役の阿公(くまぎみ)は、大臣を唆す「女」國崩し。阿公は、
「奥州安達ヶ原」の「一つ家」の岩手のパロディ。岩手そっくり
に演じる勘九郎。王女に味方する為朝と紀平治。ふたりは、琉球
に流れ着いた。同じく、王女に味方する鶴(笑也)と亀(亀治
郎)兄弟の母は、実は、阿公の娘であり、娘の父、つまり、阿公
が契った相手は、なんと、紀平治。ここは、「弁慶上使」のパロ
ディ。鶴は、黒地に鶴が描かれた衣装。亀は、亀甲紋が描かれた
衣装。紀平治の告白を聞き、善心に立ち戻った、いわゆる「もど
り」の阿公。勘九郎の阿公は、なかなか、熱演。ここも見どこ
ろ。

上手にガジュマルの大木が描かれた運天海浜の道具幕が上がる
と、無人の舞台に弓張月。やがて、崇徳院の命日前夜の、宵宮の
神事を催す為朝らが正装で勢揃い。白馬が現われ、昇天する為
朝。馬の足が入った白馬が、下手袖に引っ込むと、下手奥からか
らくりの白馬が代わりに出て来る。車のついた台の上に乗ってい
る白馬は、花道で、宙乗りのワイヤーが取り付けられ、台からも
離れ、猿之助を乗せ、花道上の「宙道(そらみち)」へ、舞い上
がる。2階東桟敷きからは、良く観える。

猿之助一座の舞台は、ほかのスーパー歌舞伎と、あまり、代り映
えしない上、国立劇場の舞台より、今回は、30分ほど刈り込ま
れていたようで、筋を追うだけという薄っぺらな印象が残ったの
は、残念(歌舞伎座、午後4時半開演で、正味4時間半の舞台
を、そのままかけると、食事、休憩時間を含めると、終演が、午
後10時になってしまう)。初演時、演出も担当した三島由紀夫
は、自らの命も、市ヶ谷で果てさせた。その場面も、楯の会らと
ともに、自ら「演出」している。三島版「椿説弓張月」解決編
は、市ヶ谷の場面がないと、芝居として、完結しないのかも知れ
ない。「椿説弓張月」に登場するキーパースンは、舞台に出てい
ない三島本人かも知れない。しかし、次々に繰り出されるスペク
タクルな大道具の工夫は、楽しめた。歌舞伎の大道具の魅力を余
すところ無く伝えてくれた。大道具の見せ場が、多い演目だ。

さて、甲府出身の唯一の女形・市川喜昇(来月、22歳になる)
は、伊豆大島の場面で、3人の漁師女房のひとり、さらに、運天
海浜の場面では、踊る8人の村の女のひとりで、出演。女形を目
指すなら、もう少し、体重を落とした方が良いだろう。

- 2003年8月1日(金) 21:46:18
2002年12月・歌舞伎座
 (昼/「小栗栖の長兵衛」「紅葉狩」「佐倉義民伝」)

「豹変する人、しない人」

昼の部は、初見の「佐倉義民伝」が、楽しみ。勘九郎初演の木内
宗吾は、熱演であったが、意外と、堪能したのが、5回目の拝見
の「紅葉狩」であったから、歌舞伎はおもしろい。特に、玉三郎
の更科姫がよかった。そう言えば、歌舞伎座100年の年、7年前
の12月、初めて観た更科姫も玉三郎であった。

「紅葉狩」は、歌舞伎座の金田支配人から明治32年に九代目團
十郎が演じた更科姫のフィルムのビデオを見せていただいたこと
がある。維盛が、五代目菊五郎。山神が、丑之助(後の六代目菊
五郎)であった。駒落しのような、早い動きは、古いフォルムゆ
え、仕方がない。九代目が、扇を落とすところまで映っている。
私の観た更科姫は、4人。玉三郎が2回だからである。後は、芝
翫、福助、雀右衛門。このうち、芝翫が、扇を落とす場面が、印
象に残っている。それほど、更科姫の扇の場面は、難しい。福助
も、落としそうになった。そのために、踊りが、乱れたのを覚え
ている。雀右衛門は、落とさなかった。なかでも、玉三郎は、危
な気なかった。7年前の舞台をしっかり記憶しているわけではない
けれど、今回の舞台は、しっかり記憶した。安定した扇裁きで、
印象的であった。多分、7年前も、玉三郎は、扇をしっかり操った
のだろうと思う。

さて、「紅葉狩」は、「豹変」がテーマである。更科姫、実は戸
隠山の鬼女であるように、更科姫は、名を明かさぬまま、維盛
(猿之助)を誘う。酒を呑ませて、酔い潰す。盃に身体を傾ける
玉三郎の仕種に色香がいちだんと濃くなる。鬼女が、仕掛けた更
科姫の幻影。幻の更科姫は、維盛に恋をしている訳ではなく、餌
食の対象としてしか見ていないはずで、鬼女が餌食欲しさに見せ
る『処女の色香』(この言葉の矛盾。普通、「色香」は、年増に
しか出せないが、恋に裏打ちされて滲み出る若い女性の「色気」
とは違う、ここは、鬼女(年増だろうな)の壮絶な欲望が滲み出
す「色香」である)挙げ句、餌食にしようとするが、山神(勘九
郎)が、夢のなかに現れ、助ける。

更科姫の正体を暴くと、実は戸隠山の鬼女と判り、維盛は、名
刀・小烏丸の力を借りて、鬼女退治をする。従って、濃艶な色香
の更科姫。維盛師従を眠らせ、眼光鋭くなるが、維盛が目覚める
と、元の若い女の表情に戻り、二枚扇を踊る。しかし、再び、維
盛が眠り込むと、きっとなった表情を見せて、「こおーれ」と野
太い声を出し、雄々しく、侍女たちを率いて、足音も高く、一旦
上手の幔幕のうちに引っ込む姫。維盛に追われて、鬼女の正体を
現して、再び、登場する姫という具合に、幾段にも見せる、豹変
の深まりが、更科姫の重要な演じどころである。観客にしてみれ
ば、豹変の妙が、観どころ。見落しては、いけない。黒い衣装、
隈取りの鬼女は、更科姫の赤姫からの外見的な豹変。歌舞伎は、
様式的に、色彩的に、単純明快に豹変を表現する。

従って、扇は、催眠効果のある重要な小道具である。これを取り
落とすと、催眠術は破られるはずである。だから、扇の場面は、
重要である。そこを為損じると、この狂言は、成り立たない。そ
れほど、難しい演目だ。豹変した後の鬼女も、パワーは強い。再
び、維盛は、意識を失いながら、名刀・小烏丸が、ひとりでに鬼
女に立ち向かうこと数度で、助けられる。そこを含めて、全ての
所作を、今回の玉三郎は、過不足なく演じていた。松の巨木の上
に追い詰められた鬼女。松の大枝を持ち上げながら見得をする鬼
女の姿に、「平家『女』護島」で、『鬼』界ヶ島に取り残される
俊寛の孤独の姿が、私には、二重写しになって、観えた。そのあ
たりを充分に堪能した舞台であった。守田親市が、坂東玉三郎に
変身し、さらに、戸隠山の鬼女になり、更科姫を演じる。男→役
者(女形)→鬼女(年増)→更科姫(処女)という歌舞伎の持つ
四重層。変身、変化、妖変、豹変の醍醐味。

常磐津、長唄、竹本の三方掛け合い。新歌舞伎十八番だけに、
皆、「三升」の紋所を付けている。能取りものだが、松羽目もの
ではない舞台。今回の維盛が、猿之助だが、山神が、勘九郎とい
うのは、7年前の舞台と同じだ。勘太郎の侍女野菊、歌女之丞、守
若などの侍女も同じ。今回は、芝のぶが、侍女松風に扮してい
る。

右源太が、猿弥、左源太が、猿四郎。座頭の踊りを演じる。猿之
助一座の舞台は、何度も観ているが、今回は、猿四郎抜てきの舞
台ではないか。そう言えば、「小栗栖の長兵衛」でも、仕どころ
のある猟人を演じた。「佐倉義民伝」でも、侍を演じている。圧
巻は、夜の部「椿説弓張月」の武藤太であり、「三島由紀夫版椿
説弓張月」最大のハイライトとして、裏切り者・武藤太の虐殺の
場面では、下帯ひとつの猿四郎の均整の取れた裸体が、白縫姫
(玉三郎)の命により、侍女たち(芝のぶほか)に傷つけられ、
血を流す。自ら「聖セバスチャンの殉死」に扮して写真を撮った
三島美学を二重写しにする場面であり、それを演じた猿四郎は、
一気に、今回の公演のキーパースンのひとりになった。私は、猿
之助一座では、猿之助の甥で、段四郎の長男、女形の市川亀治郎
のファンだが、素顔が亀治郎(27歳)似で、私が、以前から注
目していた役者が猿四郎だった。猿四郎、36歳。遅咲きの立
役。豹変、つまり、大化けした役者の、今後の活躍が望まれる。

「小栗栖の長兵衛」は、2回目。こちらのテーマも、「豹変」だ
ろう。こちらは、長兵衛を取り巻く人間関係の「豹変」ぶりが、
浮き上がってくるかが、眼目だと思う。今回の長兵衛は、右近。
副座長格なのか、右近は、今回の猿之助一座公演では、猿之助と
は、共演せず、独立しているように見える。前回の長兵衛は、歌
昇。歌昇の長兵衛が、良かったので、右近と比較してしまうが、
右近は、調子を張り過ぎていて、台詞も「名調子」になり過ぎて
いて、違和感があった。歌い上げてしまうのだ。それも、容易に
師匠の猿之助に似ているのが判るほどに。それが、興を削ぐ感じ
がした。

長兵衛は、酒に酔って、乱暴狼藉をしている。酔いの勢いと酔っ
払いのいい加減さが両立しない困る場面だ。右近は、酔っ払いを
真面目に演じてしまう。それでは、力の入った酔っ払いにはなっ
ても、いい加減な酔っ払いには、ならない。つまり、本当の酔っ
払いには、なっていない。いかにも、酔っ払いを演じているとい
う感じが抜けないのだ。この場面に限らず、右近の課題は、師匠
からの脱却をした上に、右近独特の持ち味を再構築することだろ
う。そこが、歌昇の長兵衛との味わいの違いではないか。

話は、小栗栖村の暴れ者・長兵衛の物語だ。きょうも、長兵衛
は、野遠見の上手奥に描かれている八幡様の巫女・小鈴(笑也)
を連れ出して、村の茶店の床几に座らせ、酌を強要するなど、い
つものように村内で傍若無人な振る舞いをしている。桃、瓜、草
鞋、懐紙などを売る村の茶店が、リアルである(後の、長兵衛大
暴れの立ち回りのための伏線である)。止めに入った父親・長九
郎(助五郎)に傷を負わせてしまい、村人たちに取り押さえら
れ、簀巻きにされてしまう。困った暴れ者だ。それが、前半。後
半は、秀吉の家臣・堀尾茂助(段治郎)の詮議の結果、明智光秀
を竹槍で討った手柄者が、長兵衛と判り、英雄視される。その結
果、暴れ者に困り果てていた父親を初めとする家族、庄屋などの
村人たちの権威や名誉に弱い「豹変ぶり」が、皮肉を込めて描か
れる。父親・長九郎の助五郎、庄屋・与茂作の欣弥などが、その
あたりを巧く演じていた。筋立てのはっきりした岡本歌舞伎だ。

「佐倉義民伝」は、初見。序幕では、印旛沼の渡し、佐倉の木内
宗吾内、同裏手へと雪のなかを舞台が廻り、場面が展開する。二
幕目では、1年後の江戸・上野の寛永寺。多数の大名を連れた四
代将軍家綱(玉三郎)の参詣の場面は、錦繍のなかで燦然と輝く
朱塗りの太鼓橋である通天橋(吉祥閣と御霊所を結ぶが、死の世
界に通じる橋でもあるだろう)が、舞台上下に大きく跨がり、ま
さに、錦絵だ(遠見中央に、寛永寺本堂が望まれる)。やがて、
宗吾(勘九郎)は、この橋の下に忍び寄り、橋の上を通りかかる
将軍に死の直訴をすることになるのだ。雪の白さと錦繍の紅との
対比。それは、将軍直訴=死刑という時代に、故郷と愛しい家族
との別れの場面を純愛の色、雪の色の白で表わし、迫り来る死の
覚悟を血の色の赤、紅葉の紅で表わそうとしたのかも知れない。
戦後57年間で、本興行で11回目ということで、数年から10
年のスパンでしか演じられない演目なので、少し詳しくストー
リーも追いたい。

「印旛沼渡し小屋の場」では、まず、見回りの役人(四郎五郎)
がふたりの番太を連れて、渡し小屋を点検に来る。雪の舟溜まり
には、小舟が舫ってある。土手には、庚申さまの石碑を祭った祠
がある。淋しい光景だ。役人たちは、宗吾帰郷警戒する非常線を
敷いている。番太が小屋の戸を叩き、小屋内を覗くが、誰も出て
こない。それでも、舟を点検し、異常なしという訳で、役人らは
引き上げる。

暫くして、勘九郎初演の宗吾が、花道から姿を現す。「願いのた
めに江戸へ出て、思いのほかに日数を経、忍んで帰る故里も、去
年の冬にひきかえて、田畑もそのまま荒れ果てて、村里ともにし
んしんと、人気もおのずと絶えたるは、多くの人も離散して、他
国へ立ち退くものなるか」。この台詞で、この芝居の原点は、す
べて語られている。勘九郎は、控え気味に熱演している。将軍へ
の死の直訴を胸に秘め、江戸を中心に降った大雪を隠れ簑に、一
旦、江戸から故郷へ戻り、家族との永久の暇乞いをしようとして
いる男、木内宗吾。この場面は、渡し守の甚兵衛(又五郎)が、
肝心だ。役人には、狸寝入りをしていたと思われる甚兵衛が、恩
ある宗吾の声を聞き、慌てて小屋の戸を開け、宗吾をなかに引き
入れる。小屋のなかにあった竹笠で、甚兵衛は、焚火を消す。火
の灯りが洩れて役人に宗吾と知られるのを警戒してのようだ。や
がて、禁を破り、舫いの鎖を斧で切り離した甚兵衛は、宗吾を乗
せて、舟を出す。雪下ろし、三重にて、舟は、上手へ移動する。
ふたりを乗せた舟を隠すように霏々と降る雪。甚兵衛の命を掛け
た誠意が、宗吾の人柄を浮き上がらせる。又五郎、久しぶりの登
場だろう。

舞台が廻り、佐倉の木内宗吾内の場は、珍しく上手に屋根付きも
じ張りの門がある。下手に障子屋体。いずれも、常の大道具の位
置とは、逆である。座敷きでは、宗吾の女房おさん(福助)が、
縫い物をしている。宗吾の子どもたちが、囲炉裡端で遊んでい
る。長男・彦七、次男・徳松に加えて長女・おとうもいる。さら
に、障子屋体に寝ている乳飲み子も。すべて、やがての「子別
れ」の場面を濃厚に演じようという伏線だろう。

小山三、芝喜松ら、達者なベテランが演じる村の百姓の女房たち
が、薄着で震えている。おさんは、宗吾との婚礼のときに着た着
物や男物の袴などを寒さしのぎにと女房たちにくれてやる。後の
愁嘆場の前のチャリ場(笑劇)。女房たちが、帰った後、上手か
ら宗吾が出て来る。家族との久々の出逢い。宗吾が脱いだ笠から
雪が、丸いまま、ぞろっとすべり落ちる。

女房との出逢い、目と目を見交わす、濃艶さを秘めた情愛。子ど
もたち一人一人との出逢い。父に抱き着く子どもたち。子から父
への親愛の場面。父から子への情愛。双方向の愛情が交流しあ
う。勘九郎は、それぞれを叮嚀に演じて行く。勘太郎、七之助
(「新春浅草歌舞伎」のポスターで、獅童、七之助、亀治郎、勘
太郎、男女蔵襲名を控えた男寅の5人が、革のコートやブルゾン
姿で、仲見世と通りに立っている写真を使っている。特に、七之
助の表情が良い)が、青年になり、多分、小さな子ども好きの勘
九郎は日頃から、寂しい思いもしているだろうから、楽屋でも子
役たちに父のような情愛を注いでいるのではないか。そう思わせ
るように、勘九郎に対する子役たちの情愛の交流は、自然だ。子
役たちも、熱演である。

雪に濡れた着物を仕立て下ろしに着替える宗吾。手伝うおさん
は、自分が着ていた半纏を夫に着せかける。福助のおさんは、久
しぶりに触れる夫の身体を愛しんでいるのが判る。しかし、妻と
の交情もほどほどに、宗吾一家の再会は、永遠の別れのための暇
乞いなのだ。

幻の長吉(猿之助)とのやりとり、長吉を追う捕り手は、やが
て、己にも追っ手が迫って来る宗吾への危険信号でもある。逃げ
た長吉の、雪の上に脱ぎ捨てられた下駄が、宗吾のあすは我が身
を象徴している。幻の長吉は、そういう劇的効果を狙った触媒の
役回りだ。落としてしまった妻への去り状をおさんに見られた宗
吾は、本心を明かす。将軍直訴は、家族も同罪となるので、家族
大事で縁切り状を認めていたのだ。夫婦として、いっしょに地獄
に落ちたいというおさん。その心に突き動かされて去り状を破り
捨てる宗吾。

親たちの情愛の交流を肌で感じ、こども心にも、永遠の別れを予
感して、次々に、父親に纏わりついて離れようとしない子どもた
ち。「子別れ」は、歌舞伎には、多い場面だが、3人(正確に
は、乳飲み子を入れて4人)の子別れは、珍しい。それだけに、
こってり、こってり、お涙を誘う演出が続く。役者の芸で観客を
泣かせる場面。実際、客席のあちこちですすり上げる声が聞こえ
出す。勘九郎は、その辺りは、巧い。泣かせに、泣かせる。私の
隣の席にいた和服の女性は、遠慮なく、泣いていた。あれだけ泣
けば、ストレス解消。歌舞伎の有り難さ。あすから、また、元気
を出そうという気持ちになるだろう。特に、長男・彦七は、宗吾
の合羽を掴んで放さない。垣根を壊して、家の裏手へ廻る宗吾の
動きに連れて、半廻りする舞台。ともに、半廻りして、移動する
父と子。雪は、いちだんと霏々と降り出す。

歌舞伎の舞台で、霏々と降る雪の場面で美しいのは、皆、別れの
場面だ。これは、日本人の美意識の、ひとつの象徴かも知れな
い。「新口村」の、村はずれでの梅川・忠兵衛と忠兵衛の父・孫
右衛門との別れ。雪の降り積もった竹薮の裏道を、子役の遠見を
使って舞台奥へ逃げる場面を演じるが、そこに降る大量の雪は、
舞台を白い雪の幕で閉ざすほどだ。ズーム・アウトで、印象を強
める。この「宗吾宅子別れ」は、「宗吾宅」の裏窓から顔を覗か
せる妻と子、すがりつく合羽から引き離して、裏道に倒れたまま
の子を残しての、父親は、愛しい家族から顔をそむけての、覚悟
の出発。雪が、まるで、同情の涙を流したように降り募る。宗吾
は、「新口村」とは逆に、花道に飛び出して来る。ズーム・イン
で強調する。別れを隔てる雪の壁は、同じ効果をあげる。

二幕目「東叡山直訴の場」では、開幕しても、浅葱幕が、舞台全
面を覆い隠している。幕の両脇、上下から出て来る猿四郎ら警護
の侍4人。警護の厳しさを強調して、再び、幕内に引っ込むと、
浅葱幕が、振り落とされて、紅葉の寛永寺の場面になる。家綱公
が、松平伊豆守(家橘)ら大名たちを引き連れて、通天橋を渡っ
て行く。玉三郎、珍しい立役で、将軍を演じる。橋の下に現れた
宗吾だが、橋の高さに届かぬ直訴状を折り採った紅葉の小枝に結
び付ける。しかし、還御の際、橋の上に立つ将軍に直訴状が届か
ぬうちに、捕らえられてしまう。「知恵伊豆」こと、松平伊豆守
(家橘)が、知恵のある裁き方をする。つまり、形式的には、直
訴御法度なので、受け付けないが、直訴状の上包み(封)を投げ
捨て、中味を袂に入れて、保管するという見せ場を創る。

この結果、佐倉城主・堀田上野之介の悪政は、将軍家に知られ、
領民は救済される。しかし、封建時代は、形式主義の時代だか
ら、宗吾一家は、おさんが覚悟したように乳飲み子も含めて子ど
もたち全員、皆殺しにされる。伊豆守は、段四郎病気休演のた
め、家橘に替ったが、先日、病後、恢復の舞台を見せたばかりの
段四郎の、再びの病気休演は、気にかかる。

「佐倉義民伝」は、史実を基にした芝居。木内宗吾は、本名、木
内惣五郎だけに、「惣『五郎』」で、「五郎」。これは、曾我兄
弟の「五郎・十郎」の「五郎」と同じで、「五郎」=「御霊(ご
りょう)」。つまり、御霊信仰。農村における凶作悪疫の厄を払
う、古来の民間信仰に通じる。この後、今回は、演じられなかっ
たが、「問註所」の裁きの場面、大詰で城主の病気と宗吾一家の
怨霊出現の場面があり、庶民が、溜飲を下げる形になっている。
従って、宗吾の故郷、佐倉藩の領地、印旛郡公津村(いまの成田
市)には、没後350年経ったいまも宗吾霊堂には、年間250
万人を超える人が、参詣するという。私心を捨て、公民のため
に、己と家族の命を犠牲にした「宗吾様」は、神様なのである。
信念を通した人は、「小栗栖」の村人のようには、「豹変」しな
い人でもあった。

また、この芝居は、農民の反抗劇でもある。それだけに、
1945年の敗戦直後に、「忠臣蔵」などの上演が、切腹の場面
などがあり、歌舞伎は、封建的だと進駐軍によって、禁じられる
なかで、敗戦から、わずか3ヶ月後の、11月には、東京劇場
で、早々と歌舞伎復活の一翼を担っている。初代の吉右衛門の宗
吾、美貌の三代目時蔵のおさん、初代吉之丞の甚兵衛、七代目幸
四郎の伊豆守、後の十七代目勘三郎のもしほの家綱などという配
役であった。初演時は、磔を背負った宗吾一家の怨霊がでる演出
などがあったという。
- 2003年8月1日(金) 21:43:03
2002年11月・国立劇場(通し狂言「仮名手本忠臣蔵」)

先月の歌舞伎座での通し狂言「仮名手本忠臣蔵」上演に続いて、
今月は、国立劇場でも通し狂言「仮名手本忠臣蔵」が上演され
る。赤穂浪士の吉良邸討ち入りから、300年ということで、
「忠臣蔵」の競演となっているのである。先月の歌舞伎座の劇評
に書いたように、先月の舞台は、配役のバランスが取れていて、
見応えがあったが、今月の国立は、鴈治郎の七役早替りと上方演
出の舞台と言うのが、キャッチフレーズで、これはこれで、興味
深く拝見した。今回の演出が、全て上方演出ではないかもしれな
いが、今回の演出で、これまで私が見た5回の「忠臣蔵」通し興
行のうち、4回の江戸歌舞伎の演出と違うところを書いておきた
い(みどり興行で観た「忠臣蔵」の各舞台は、除く)。そこで、
今回の劇評では、私が初めて観た上方演出の舞台で、興味が引か
れたことを中心にまとめてみたい。

まず、開幕前の口上人形の登場は、江戸歌舞伎と同じ。しかし、
後ろの幕が違う。いつもの三色の定式幕の代わりに黒地の引割幕
が下がっている。この引割幕は、開幕時には、上手と下手に引き
分かれて行く。下手側の幕は、緑の笹の絵に赤で「せ」の字が描
かれている。上手側の幕は、赤の丸に「大手」という文字が、白
抜きで描かれている。上方独特の幕だ。書物では、読んだり、絵
を見たりして来たが、江戸時代の物ではないものの、本物の「引
割幕」を拝見するのは、初めてだ。上方の大歌舞伎の舞台では、
この二枚幕が使われ、中小の芝居では、定式幕同様の片開きの幕
が使われたという。

この幕は、贔屓連中から、毎年初春に贈られるのが習わしで、
「笹せ」は、「笹瀬連(ささせれん)」で、最初の贔屓連中の発
起人になった豪商の名前から取ったという。次にできた贔屓連中
が、大坂・上町(うえまち)の追手筋(大坂城には、「大手門」
ではなく、「追手門」があり、今も追手門大学などという私立大
学の名前にもなっている)の連中で、追手連が、「大手連(おう
てれん)」となったという。その後、「藤石」「花王(花の王=
桜というわけで、これで、「さくら」と読ませた。後に、安珍清
姫もので「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら」という
外題に「花王(さくら)」が、使われている)と続き、大坂の
「四連中」と呼ばれた。ただし、大坂・道頓堀の中座、角座に舞
台に名前を染め抜いた本幕を掲げることができたのは、笹瀬連と
大手連だけだったという。

こういう贔屓連は、大坂でも、更に、「雑喉場(ざこば:いま
も、上方落語家の伝統ある名跡の一つとして、残っている)」、
「紅梅」、「堂島」などと数が増えたし、その後、京では、「笹
木」、名古屋では、「真蘇我木(まそぎ)」、「花岡、「大笹」
の三連中(京、名古屋は、名前の付け方からして、明らかに大坂
の真似であろう)、江戸では、役者の後援会組織として「イ菱
連」、「勝見連」、見巧者のグループとして「周茂淑連(しゅう
もしゅくれん)」通称「眼鏡連」などができた(見巧者のグルー
プは、明治になっても続き、明治10年代にできた「六二連(ろ
くにれん)」というのは、芝居通の旦那連中で組織し、劇場1階土
間の上手から6番目、前から2列目の枡席を買いきり、ここで観劇
をしたため、この名前が付いたという。江戸期の「役者評判記」
の向うをはって、「俳優(やくしゃ)評判記」を刊行したり、
「歌舞伎新報」に合評を掲載したりした。

大序は、基本的に江戸歌舞伎と同じだが、大道具が違う。鶴が岡
八幡宮の遠見の遠近感が、より遠大になっている。役柄の衣装な
どは、同じ。足利直義(亀治郎)の還御の場面は、声のみの「還
御」で直義一行は登場せず(かっては、古い時期の歌舞伎座に、
「蛇の目廻し」という二重の廻り舞台を使って、派手に還御の場
面を演出したこともあったという)、舞台では、高師直(鴈治
郎)と若狭之助(歌昇)の石段の二重舞台の上と下で演じる引っ
張りの見得、「天地の見得」で、柝となった。鴈治郎の師直が、
大きく観えた。

道具が廻り、三段目。鷺坂伴内(寿治郎)が、師直の側近中の側
近である、いわば、社長秘書の役回りよろしく、道具が廻るに
従って、門前の収賄、松の廊下での対応など、万事取り仕切って
いるのが判る。殿様の威を借る狐という役所(どころ)。これ
を、承知していないと伴内というキーパースンを見誤ることにな
る。梅玉の塩冶判官は、我慢の演技が、弱い。従って、「師直、
待て」の怒りの噴出も弱くなる。ここでの、閉幕は、定式幕。

四段目。判官切腹では、石堂右馬之丞(段四郎)は、病後の舞台
だが、大分、痩せている。塩冶家出迎えの原郷右衛門(坂東吉
弥)が、重厚。大星親子に次ぐナンバー3の貫禄が、滲み出てい
る。判官切腹の場面では、江戸と違って、右馬之丞ら上使のふた
りが、柄頭に白紙を巻いて藁草履に履き替えたりする。切腹の場
面での汚れを意識しているのだろうし(判官の絶命を近寄って見
届けると、ふたりは、穢れた草履を脱ぎ捨てる)、また、城明け
渡しの場面では、館の大門が、大竹で閉門にさせられている。こ
のあたりは、江戸歌舞伎よりリアルである。お上のいる江戸の武
家社会とお上が遠い上方の商人社会との空間的な距離を感じる。
由良之助(鴈治郎)が、館から去る場面では、引き道具を使っ
て、館が、後ろに引けるが、江戸の演出のように、斜に引かず
に、真後ろに幾分引いた後、煽り返しの手法で、館が、中遠見に
なり、遠見になるという具合で、二段階で変化する。ここも、鶴
が岡八幡同様、遠近感が、より遠大になっている。

五、六段目。鴈治郎は、勘平、与市兵衛、定九郎の三役早替りを
見せるので、そのための演出の違いが出て来る。特に、初代中村
仲蔵の工夫した鬘、衣装を見なれた定九郎は、いつもよりと違う
扮装で出て来る。定九郎が、吹き替えの与市兵衛とからむ場面や
吹き替えの定九郎が鉄砲で撃たれ、勘平が出て来て、からむ場面
など、早替り故の演出の違いだろう。

勘平切腹に至る与市兵衛住家では、何といっても、勘平の衣装
が、写実的で、江戸より上方の方が、地味だ。運び込まれた与市
兵衛の遺体が、上手、障子の間に引き入れられるのも、江戸とは
違う。また、勘平切腹の演技も違う。座敷きの下手奥、つまり、
勘平は、誰にも気づかれないように、隅っこでそっと腹を切る。
原郷右衛門(坂東吉弥)らが、与市兵衛の傷を刀傷と断じたこと
で、勘平の舅殺しという冤罪は晴れるが、下手奥で、切腹をした
勘平は、瀕死の状態で、上手、障子の間の柱までやって来て、与
市兵衛の遺体を見る。その上で、やっと、座敷き中央に移動す
る。「色に耽ったばっかりに、大事なところに居り申さず」とい
う歌舞伎の入れごとの台詞は、ない。連判状に名を列ね、46番
目の塩冶浪士となる勘平。息絶えかかる勘平に黒い紋服を着せか
けるおかや(竹三郎)。竹三郎のおかやは、堂に入っている。勘
平に合掌をさせないのも、江戸との違いか。魁春のおかるは、
初々しい。外に出るときも含めて、素足で通すのも、痛々しい。
一文字屋お才は、顔世御前と二役の東蔵。ここまで、一気に、第1
部で上演してしまう。上方演出は、テンポアップ。

七段目。第1部より、客席に空席が目立つ。ここは、鴈治郎は、由
良之助と平右衛門の二役早替りで見せる。開幕、まず、大道具が
違うのに気が付く。さらに、灯籠の下に竹の濡れ縁があるのが、
目を引く。三人侍の代わりに、まず、塩冶家筆頭家老の斧九太夫
(橘三郎)が、師直の秘書役の鷺坂伴内(寿治郎)を案内して、
一力茶屋に来る。茶屋の亭主が出て来て、応対する。

その後、原郷右衛門(坂東吉弥)ら三人侍が、足軽の平右衛門
(鴈治郎)を供に連れて登場する。「下郎」ゆえ、平右衛門は、
「よい時分に呼び出そう。それまで勝手に控えていやれ」と郷右
衛門に言われて、平右衛門は、下手に引っ込む。やがて、「めん
ない千鳥」の遊びをしながら、酔った由良之助に早替りした鴈治
郎が、上手、奥から出て来る。仇討ちの性根を無くしていると見
た三人侍のうちの郷右衛門を除くふたりが、由良之助に立ち掛か
る場面では、ふたりと由良之助の間に入り、ふたりを押しとどめ
る郷右衛門の姿に、「勧進帳」の弁慶の姿が、二重写しに観えて
来る。

江戸の演出では、三人侍には、郷右衛門のような役割は、持たせ
ない。後の場面で、本来なら由良之助が、平右衛門とおかるの兄
妹の諍いをとどめるために出てくるが、ここは、上方演出のゆえ
と言うより、由良之助と平右衛門の二役早替りゆえに、由良之助
の留め男の役回りを郷右衛門にやらせる伏線のようだ(実際、塩
冶浪士グループでは、ナンバー3の郷右衛門は、由良之助の本心
を承知している)。さらに、郷右衛門の助けを借りて、おかる
は、座敷きから竹の濡れ縁の隙間から刀を入れ、下に潜んでいた
九太夫を刺し、父・与市兵衛の仇・斧定九郎の代わりに父・斧九
太夫を殺し、まず、仇討ちを成功させる。この場面、おかるの
「胴抜」(傾城遊女役が着る、胴の部分を別布にした衣装)は、
上方演出。足軽・平右衛門は、晴れて、四十七番目の浪士に加え
られる。

九段目。山科閑居は、人形浄瑠璃の原型を尊重する上方歌舞伎で
は、通し狂言でも、落とせない場面だ。だが、大筋の演出は、江
戸歌舞伎とあまり、違わない。大道具は、違う。大星宅は、座敷
きのうち、平舞台の部分が、広くとってある。背景の書割も、雪
の野遠見ではなく、塀の外に雑木林の体。白無垢の嫁入り衣装の
小浪を乗せた駕篭の一行が花道から、舞台下手に入ってくるが、
このとき、下手、屋敷の外側のみ、雪が舞っている。国立劇場
は、桟敷席がないので、花道を行く一行の影が、劇場の壁に写っ
て、通り過ぎて行く。

鴈治郎は、戸無瀬役を演じた後、早替りで、由良之助を演じるた
め、夫の加古川本蔵(段四郎)が、戸無瀬は、桃井若狭之助への
書状を持って、京屋敷に使いに行かされる場面があるぐらいか。
女形と立役を演じ分ける鴈治郎の芸域の広さを見せつける。小浪
(亀治郎)、力弥(玉太郎)、お石(魁春)。亀治郎の甲の声
が、とても綺麗。早く、真女形の修業に専念した方が良いと思
う。

十一段目。浅葱幕を振り落とすと、討ち入りの場面。師直館表門
に塩冶浪士が勢揃い。揃いの衣装の上に羽織を着ているのは、3
人のみ。由良之助(鴈治郎)が、黒、力弥が、紫、郷右衛門(坂
東吉弥)が、茶色。四十七番目の浪士で、足軽の平右衛門(歌
昇)は、揃いの衣装ながら、袖が付いていない。皆、腰にいろは
47文字を書いた札を付けている。観ると、「い」が、由良之
助。「ろ」が、力弥。「は」が、郷右衛門で、郷右衛門が、浪士
グループのナンバー3であることが判る。因に、平右衛門は、
「ん」であった。

道具が、廻ると、いつもの「奥庭泉水」の場面ではなく、「広間
の場」。さらに、道具が廻る。「柴部屋本懐焼香の場」。いつも
の道行の形(なり)の鷺坂伴内(寿治郎)が、浪士に討ちかかっ
て来るが、斬られてしまう。師直の側近中の側近として、伴内
は、最後まで、師直と死生を共にしているのである。師直の首も
切り落とされる。江戸時代なら、敵方ながら、あっぱれ、忠臣・
伴内ということになろうか。ここに、もうひとりの「忠臣」がい
た。

さて、塩冶方には、すでに死んでしまった忠臣が、もうひとりい
る。矢間重太郎(高麗蔵)が、師直を見つけだしたので、この討
ち入りのいちばん手柄として、塩冶判官の位牌に、いのいちばん
に焼香するが、なんと、二番手は、勘平。「忠臣二番目の焼香、
早野勘平がなれの果て、金戻したは由良之助が一生の誤り、不憫
な最期遂げさしたと、今宵夜討も財布と同道、ヤアヤア平右衛
門、妹聟に代わって焼香を」と由良之助は、男気と度量の広いと
ころを見せる。勝鬨、段切にて、拍子幕。上下より、「大手笹瀬
の幕」が、舞台中央に閉まって来る。上方演出の、珍しい「仮名
手本忠臣蔵」であった。
- 2003年8月1日(金) 21:38:46
2002年11月・歌舞伎座
(夜/「本朝廿四孝〜十種香・奥庭〜」「松浦の太鼓」
「鞍馬獅子」)

昼の部の「新薄雪物語」上演の影響を受けて、「本朝廿四孝〜十
種香〜」は、メンバーが豪華な上、バランスが取れていて、私が
観た7回の舞台では、最高に充実したものになった。昼の部の「新
薄雪物語」も、配役の妙を堪能したが、「本朝廿四孝〜十種香
〜」は、そのエキスを更に煮詰めて、更に、濃度を高めた舞台で
あった。因に、私が観た八重垣姫を列挙してみると、芝翫、松江
時代を含む魁春(2)、雀右衛門(2)、鴈治郎、菊之助で、今
回も演じた雀右衛門が、静かなうちに、優美さと熱情を滲ませる
八重垣姫としては、私には、最高であった。「十種香・奥庭」
は、姫の熱情の恋が、奇跡を起こす物語である。「いっそ、殺し
て殺してと」という八重垣姫の燃える恋の声を代弁する葵太夫の
語りが、いまも、耳に聞こえて来る。回向のため、八重垣姫が焚
く香の匂いは、噎せ返るほどの恋の香だ。

鴈治郎は、奥庭を人形ぶりで付け加えてくれたが、太めの八重垣
姫であったし、魁春は、いずれ、もっと良くなると期待してい
る。菊之助は、初々しかったが、たまたま、舞台稽古を観る機会
に恵まれたとき、濡衣を演じる玉三郎から指導を受けて、素直に
何度も演じていたのを思い出す。芝翫の場合は、巧さがあるが、
ちょっと違う感じが残った。今回は、その芝翫が、濡衣に廻って
いるが、濡衣は、本来、腰元として密かに簑作こと勝頼に仕える
身、芝翫の巧さは、静かさ、優美さというより、こういう臈長け
た女の色気という役柄には、充分に良さを発揮する。

菊五郎の勝頼は、八重垣姫(雀右衛門)、濡衣(芝翫)と来れ
ば、バランスも充分。因に、私が観た勝頼を列挙してみると、鴈
治郎、梅玉(2)、菊五郎(2)、團十郎、新之助で、やはり、
八重垣姫、濡衣とのトライアングルを考えれば、今回が、最高だ
ろうと思う。フレッシュなトライアングルは、舞台稽古と本番と
を観た八重垣姫(菊之助)、濡衣(玉三郎)、勝頼(新之助)の2
年前の歌舞伎座の舞台だろうけれど。赤と紫の派手な衣装に身を
包んだ勝頼だが、注意して、良く観ると、甲斐源氏500年の最
後の城主らしく「武田菱」の家紋が、衣装のなかに観える。

ことし四月の魁春襲名披露興行のときは、ご馳走で、白須賀六郎
に勘九郎、原小文治に吉右衛門という配役だったが、今回も凄
い。白須賀六郎に團十郎、原小文治に仁左衛門という豪華さだ。
まさに、夢の大顔合わせではないか。ここを観るのも、愉しかっ
た。因に、謙信は、富十郎。今回は、「十種香」だけでなく、
「奥庭」も演じられ、ここの八重垣姫は、雀右衛門の次男・芝雀
で、それも、兄の大谷友右衛門の人形遣で、人形ぶりで演じると
いうサービスもある。その人形ぶりだが、以前に国立劇場で、
「桔梗ヶ原」、「勘助住家」、「竹薮」、「勘助物語」に加え
て、「十種香」「奥庭」と通し狂言として上演された折に、鴈治
郎の八重垣姫が、人形ぶりで演じられたのを思い出したが、同じ
人形ぶりとは、いいながら、演出は、大分違う。今回は、京屋型
の人形ぶりということで、同じ上方型でも、成駒屋型とは、違っ
て、宙乗りの場面がある。

この「十種香」は、大道具が違う。近松半二の舞台は、左右対称
が、大きな特色だが、今回の謙信館は、上手、障子の間の間か
ら、後の場面に出て来る奥庭が、透けて見えることで、左右対称
のバランスをわざと壊している。これも、一興。この結果、舞台
の象徴となる番(つがい)の鴛鴦が、欄干の下まで泳いで来る。
御殿も、いつもの白御殿ではなく、上方型の黒御殿になってい
る。

いずれにせよ、細かなことは、書かないが、「十種香」の舞台と
しては、当代、最高の顔ぶれで、隅々まで、堪能できる舞台だと
思う。

「松浦の太鼓」は、3回目の拝見。「年の瀬や水の流れと人の身
は」という上の句に「明日待たるるその宝船」という下の句をつ
けた謎を解く話。「忠臣蔵外伝」のひとつ。雪の町遠見のかかっ
た大川、両国橋の袂。「二月十五日 常楽会 回向院」「十二月
廿日 千部 長泉寺」という立て札2枚が、立っている。時期
は、11月ごろと知れよう。

吉良邸の隣に屋敷を構える、赤穂びいきの松浦の殿様・松浦鎮信
が、主人公。人は、良いのだが、余り名君とは、言い兼ねるよう
な殿様だ。96年と00年の歌舞伎座で、吉右衛門の松浦鎮信で
観ている。吉右衛門の松浦公は、吉右衛門本来の人の良さが滲み
出ていて、そこが強調されていて、おもしろかったが、今回の仁
左衛門は、人の良さよりも、憎めない殿様の軽薄さ、鷹揚だが気
侭に生きて来た殿様という人柄が、強調されていて、松浦公の別
の一面を浮き彫りにしていて、これはこれで、また、結構であっ
た。「ばかばかばーか」という台詞に仁左衛門は、殿様の軽薄さ
を滲ませている。

初代吉右衛門の当り藝だったというが、初代は、吉右衛門+仁左
衛門の味わいで、風格と愛嬌のある殿様ぶりを演じていたのかも
知れない。「松浦の太鼓」は、討ち入りの合図に赤穂浪士が叩く
太鼓の音(客席の後ろ、向う揚げ幕の鳥屋から聞こえて来る)を
隣家で聞き、指を折って数えながら、それが山鹿流の陣太鼓と松
浦公が認識する下りが、見物である。

儲け役の大高源吾に三津五郎、松浦家に奉公する源吾の妹・お縫
に孝太郎、もうひとりのキーパースン・宝井其角に左團次。俳
人・其角は、松浦公を初めとする松浦家中に俳句を教えている。
「詠草」という、俳句を書き留める帳面を皆が持ている場面があ
る。其角、お縫には、それぞれに仕どころがあり、判りやすい芝
居だ。

「鞍馬獅子」は、初見。義経の恋人・卿の君(菊之助)は、義経
が亡くなったと騙され、物狂いになってしまう。紫の鉢巻きをし
た卿の君が、義経の遺品の薙刀を持って、御裳濯川(みもすそが
わ)の辺りを徘徊している。そこへ、太神楽の藝人・角兵衛獅子
(染五郎)がやって来る。彼は、実は、義経の家臣・御厩(おう
まや)喜三太だが、互いに互いの素性を知らない。太神楽は、神
楽の故事来歴を語り、舞う。狂った獅子の踊りが見せ場。恋の物
狂いと獅子の物狂いの二重性。江戸時代の顔見世興行では、大詰
めには、こういう夢幻的な所作事を演じたという。そういう伝統
を大事にして、21世紀の2回目の顔見世でも古式に則っている。
菊之助と染五郎という若いカップル。歌舞伎の古さと新しさの二
重性。
- 2003年8月1日(金) 21:35:34
2002年11月・歌舞伎座 (昼/「新薄雪物語」)

歌舞伎の典型的な役柄が出揃う「新薄雪物語」は、大劇団が構成
されないと上演できない演目だが、顔見世興行の今月の歌舞伎座
は、豪華メンバーを取り揃えて、5年ぶりの「新薄雪物語」上演
に漕ぎ着けてくれた。私は、2回目の拝見。5年前の舞台と比較
しながら、今回の劇評をまとめたい。

まず、配役。「事件」を引き起こす(というか、仕掛けられた)
カップル、園部左衛門(前回:梅玉、今回:菊之助)、薄雪姫
(福助、孝太郎)、ふたりを取り持つカップル、奴・妻平(菊五
郎、三津五郎)、腰元・籬(宗十郎休演で松江、時蔵)、「事
件」を仕掛けられたカップルの両親、園部兵衛(孝夫時代の仁左
衛門、菊五郎)、その妻・梅の方(玉三郎、芝翫)、幸崎伊賀守
(幸四郎、團十郎)、その妻・松ヶ枝(秀太郎、田之助)、伊賀
守の家来・刎川兵蔵(染五郎、正之助)、事件を仕掛けた秋月大
膳(権十郎、富十郎)、その一味で刀鍛冶・正宗倅・団九郎(弥
十郎、團十郎)、同じく渋川藤馬(松之助、十蔵)、刀鍛冶・来
国行(幸右衛門、幸右衛門)、裁き役・葛城民部(菊五郎、仁左
衛門)、若衆・花山艶之丞(鶴蔵、鶴蔵)以下、前回にはない大
詰の出演者:刀鍛冶・正宗(富十郎)、その娘・おれん(勘太
郎)、国行倅・国俊(信二郎)、下女・お杉(右之助)。

配役を整理するだけでも、筋は、判りやすい。薄雪姫に懸想する
悪人・秋月大膳が、事件を仕掛け、左衛門を陥れるために、鎌倉
殿に誕生した若君の祝いに京都守護職(六波羅探題)・北条成時
の名代に左衛門が、清水寺(新清水)に奉納した太刀に天下調伏
(国家転覆の企み)のヤスリ目を入れ、その責を左衛門と大膳が
横恋慕の薄雪姫(更に、その父親たちを謀反の罪に落とす陰謀も
企てている)に負わせようとした。左衛門に宛てた薄雪姫の謎掛
け恋文(縦に刀の絵を描き、その下に「心」の文字:「忍」の意
味か)も、左衛門が落としてしまったため、悪用されたのだ。全
てを見通す捌き役が、キーパースンとなる「詮議」の場面は、顔
ぶれが揃わないと芝居が成り立たない。反逆罪の嫌疑だけで、即
刻、死罪という悲劇の場面だが、豊潤な時代色たっぷりの時間が
流れる。

そのふたりの子どもたちを助けるために、それぞれの父親が陰腹
を切る。「合腹」、ふたりでそっと腹を切った。團十郎の、演技
は、肌理が細かい。その苦痛を堪えるふたりの父親と夫を亡くす
哀しみに耐える左衛門の母の3人の、今生の想い出に、命を掛け
て子を救ったことを喜ぶ「三人笑い」の表現が、難しく、ここを
名場面にしている。せめて、笑って、死にたいという親の気持ち
が、観客の涙を誘う。人生最期の笑いでもあるだろう。到底打開
できぬという無情の笑いでもあるだろう。大膳への呪詛の笑いと
いう解釈もあるという。ここには、観客の気持ち次第で、如何様
にも受け止められる奥深さがある。それが、歌舞伎の魅力のひと
つであろう。ここでも、黒御簾の笛の音が、効果的だ。

さて、大詰、通称「鍛冶屋」。悲劇の後の笑劇の場面が、場内を
和ませる。ここでは、悪の手先になっていた団九郎は、親の正宗
を逆に勘当していたが、刀鍛冶としては、二流のため、親の秘伝
を盗もうとして、親から腕を切り落とされてしまう。すると、善
に目覚めた団九郎は、これまでの悪の構図、つまり、大膳の仕掛
けをすべて白状する。

今回、立ち回りは、妻平(三津五郎)と三津之助ら手桶を持った
秋月家の赤い四天姿の奴たちとの場面と父に片手を切り落とさ
れ、改心した団九郎(團十郎)が、黒い四天姿の捕り手たちを相
手の片手の立ち回りの場面とふたつある。妻平がからむ立ち回り
の方が、演出が、洗練されていて、派手でもあり(高足の清水の
舞台から石段を越え、下の平舞台に蜻蛉をきるほか、人力車を見
立てたり、全員による「赤富士」の見立ての形、最後は、花道に
一旦将棋倒しになった20人が、次々と起き上がり、前の人の尻
に食らい付き、恰も、赤い、長い、蛇のようになって、花道を中
腰に連なって、向う揚げ幕に引っ込んで行く)見応えがあった。
妻平の立ち回りの際、黒御簾で伝太郎の吹く笛の音が良い。

前回は、大詰無しで、親の陰腹までだったので、親のために子が
犠牲になることが多い歌舞伎の世界とは、違って、子のために親
が身替わりになる物語の印象が強かったが、今回は、大詰の世話
場が演じられたことで、悪人が善人になる、いわゆる「戻り」の
物語になり、めでたしめでたしという大団円になった。また、時
代物のままで終らず、世話物の場面が付加され、芝居として、奥
行きも出た。

粗筋は、荒唐無稽の歌舞伎の物語の典型のような演目だが、「新
薄雪物語」は、美男美女の色模様の二重性、道化役の横恋慕の二
重性、男だけの一行と女だけの一行という二重性、国崩しの仇役
の暗躍、4組の親子の関係、颯爽とした奴や改心した男を軸にし
た派手な立ち回りの二重性、鮮やかな捌き役の登場など趣向を凝
らし、歌舞伎の類型的な、善悪さまざまな役柄がちりばめられて
いる。さらに、背景には、爛漫の桜がある。桜は、人間たちの美
醜を見ている。絵になる歌舞伎の舞台の典型的な芝居として、大
顔合わせが可能な劇団が組まれるたびに、繰り返し上演されて来
た。特に、序幕の「新清水花見の場」は、文字どおり、華のあ
る、華麗な舞台であるため、南北や黙阿弥らが、別の狂言でも、
この場面を下敷きにして、活用している。例えば、「桜姫東文
章」、「白浪五人男」など。

さて、私が観た前回と今回とでは、どっちが「いい顔合わせ」
(役柄に相応しい役者が出揃うこと)だったかというと。私は、
今回の方に軍配を挙げたい。まず、珍しく大詰まで上演したこと
で、歌舞伎として、芝居全体のバランスが取れたこと。菊之助の
園部左衛門の若さ、頼り無さ。梅玉より、仁に合っている。薄雪
姫は、福助もよかったし、孝太郎も、悪くない。奴・妻平は、菊
五郎、三津五郎、それぞれ持ち味がある。腰元・籬は、宗十郎病
気休演で、松江であったが、私は、今回の時蔵の方が、お侠であ
りながら、恋の先達としての色香もある役柄である籬の演技とし
ては、時蔵の方を好もしく感じた。籬は、恋の取り持ちをするた
め、この芝居以降、そういうキューピットの行為を「籬」という
ようになった。

園部兵衛は、仁左衛門、菊五郎、だが、裁き役・葛城民部の菊五
郎、仁左衛門という配役を考えれば、どちらも一理ある。甲乙付
け難い。梅の方は、5年前の玉三郎より、今回の芝翫の方が、器
が大きい。難しい役だけに、芝翫に軍配が上がる。幸崎伊賀守
は、幸四郎、團十郎だが、今回の團十郎は、団九郎との二役で、
その演じ分けの妙がある。陰腹を切り、懐に毬(いが)栗を入れ
ている気持ちで演じるという難しい役だ。伊賀=毬という洒落で
もある。松ヶ枝は、秀太郎、田之助。田之助の人の好さが、滲み
出た演技を買いたい。刎川兵蔵は、染五郎、正之助だが、染五郎
も良かった。秋月大膳は、権十郎、富十郎。富十郎に国崩しの器
の大きさがあった。団九郎は、弥十郎、團十郎で、前回の弥十郎
は、この一役のみ。

渋川藤馬は、松之助、十蔵。前回の印象が弱く、どちらとも言え
ない。来国行は、2回とも、幸右衛門で、この人らしい味がある。
若衆・花山艶之丞は、深編笠を被り、二枚目風のいでたちで、左
衛門を思わせる遊びがある。笠を取ると道化役の化粧。2回とも、
鶴蔵だが、こういう役は巧い。前回にはない大詰の出演者では、
刀鍛冶・正宗は、富十郎の二役。

国俊の親・国行に対する正宗の恩情。それが滲み出なければなら
ない。国俊に恋するおれんの勘太郎は、初々しい。国俊の信二郎
は、美味しい役。お杉の右之助は、味があった。

- 2003年8月1日(金) 21:32:11
2002年10月・国立劇場 (通し狂言「霊験亀山鉾」)

「21世紀を描く南北劇」

鶴屋南北原作の「霊験亀山鉾」は、めったに上演されない。私も
初見。今回は、片岡仁左衛生門が軸になる舞台と言うことで、愉
しみにしていた。繰り返される敵討ちが、ことごとく返り討ちに
あう。いわば、「返り討ちの連鎖」。そういう「暴力の連鎖」を
南北は描いた。それは、去年の9・11の同時多発テロ以来、こ
の1年余の間に、起こったアメリカのブッシュ大統領の報復軍事
行動と主なものだけでも9つもあるテロとの連鎖、さらに、アメ
リカのイラク攻撃の構え、イラクのフセイン大統領の100%支
持というイラク国内の投票結果、インドネシアでのテロなどとい
う現象が、まさに、二重写しに見えて来る。

21世紀の悲劇は、唯一の強大国となったアメリカのグローバリ
ズムという「北」の方針と貧しい「南」のテロ集団の抵抗。「返
り討ちにしてくれるわ」という歌舞伎の色悪役者の台詞もどき
の、双方の「暴力の連鎖」が、続いているようにみえる。21世
紀初頭の悲劇の連鎖には、そういう「南北」問題が根底にあり、
それがテロと軍事行動という「暴力の連鎖」を産んでいると思う
が、その悲劇を200年前の狂言作者・鶴屋「南北」が、すでに
描いていたのではないか。

「仇討ち」を狙いながら、「返り討ち」にあい続け、その繰り返
しの果てに、「仇討ち」を成功させて、物語は大団円になるのだ
が、それでも残る虚しさ。それは、仇を討つという人間の行為の
虚しさなのだろう。やはり、南北は凄い。200年前に、21世
紀の、いまのような状況を描き切っている。あるいは、人間は、
形を変えながら、同じ過ちを繰り返しているのか。いずれにせ
よ、南北の、この狂言は人間の持つ本源的なおろかさを描いてい
るように思う。

舞台は、なんと、甲州・石和宿棒鼻の国境から始まる。序幕・第
一場だ。舞台中央から幾分下手寄りに、杭が建っている。杭の下
手側には、「従是鵜飼石領」、上手側には「従是西代官支配所石
和宿」とある。ということは、遠景の山々は、御坂山地だろう。
石和からは、富士山は、見えにくいから、この書き割りには、富
士山が描かれてはいない。町人たちは、「石和河原」で行われよ
うとしている敵討ちの噂をしている。石和河原とは、笛吹川の河
川敷だろう。

第二場「石和河原仇討の場」。遠州浜名家中の武士で、兄・右内
が闇討ちにあい、重宝の「鵜の丸」という神影流の極意書が奪わ
れたという石井兵助(弥十郎)が、仇と目する藤田水右衛門(仁
左衛門)と石和の代官・林伴左衛門(錦吾)を検分役にして、立
ち会おうとしている。ところが、代官をも抱き込み、果たし合い
の前に、酌み交わす水盃に毒を入れさせた水右衛門の謀で、兵助
は、敢え無く返り討ちにあってしまう。兵助が吐血して苦しむ様
を楽しみながら、色悪・水右衛門は、斬り掛かる。まさに、
『水』右衛門らしい謀で、これゆえに、南北は、色悪の主人公に
水右衛門という名前を与えたのかも知れない。

以後、水右衛門を相手に、石井の一統、右内、弟・兵助、若頭・
轟金六(愛之助)、右内養子・源之丞(染五郎)、源之丞の愛
人・芸者のおつま(芝雀)などが敵討ちに挑むが、ことごとく返
り討ちにあうという筋が展開する。返り討ちに成功し、得意満面
の水右衛門は、懐紙で刀の血を拭い、まとまったままの懐紙を宙
高く撒き散らす。連鎖するであろう返り討ちへの宣戦布告に見え
る。

水右衛門に良く似た古手屋・八郎兵衛、実は隠亡の八郎兵衛(仁
左衛門)【=水右衛門側】や香具屋・弥兵衛、実は殺された源之
丞の義兄で石井の下部・袖介(いずれも、染五郎)【=石井側】
など軸になる配役に近い重要人物の演じ分けが、不十分で、観て
いて、筋が混乱して来る嫌いがある。特に、仁左衛門演じる水右
衛門と八郎兵衛は、劇中でも良く似ているという想定なので、仁
左衛門は、損をしている。それぞれの存在感が弱いのだ。要する
に、小悪党=八郎兵衛と大悪党=水右衛門の演じ分けが弱いか
ら、こういうことになる。悪の象徴のように、南北は、水右衛門
を描きたかったのではないか。ならば、おつまとの色模様もある
八郎兵衛は、色悪でも良いが、徹底して返り討ちを愉しむ水右衛
門は、国崩しを滲ませる必要があったのではないか。

仁左衛門が演じる、もうひとつの役、水右衛門の父・藤田卜庵
は、老け役なので、こちらは、巧く演じ分けていた。この卜庵
は、非常に大事な役で、返り討ちの連鎖という悪に、自らの命を
犠牲にして終止符を打たせるきっかけを創る。というのは、息子
の悪行の連鎖を食い止めようと、石井右内を闇討ちにしたのは、
自分だと言い張り、石井の下部・袖介にわざと討たれ、息子・水
右衛門から預っていた「鵜の丸」という神影流の極意書を手渡
す。この結果、両者の関係は、「仇討ちと返り討ち」から「相
敵」という封建時代の価値観では、対等になる。そういうターニ
ングポイントを創るのが、藤田卜庵なのである。

この芝居は、筋立てから見ると、大歌舞伎というより、小芝居向
けの演目だろう。それだけに、色悪の水右衛門、八郎兵衛は、ど
ぎつく演じないと、この南北劇の趣向が生きてこないと思う。本
筋が、返り討ちの連鎖なのに、副筋の人物、八郎兵衛【=水右衛
門側】とおつま【=石井側】が、劇中から浮かび上がり、この狂
言が、「おつま・八郎兵衛もの」のひとつとして、「中島村焼場
の場」などを中心に伝えられて来たのは、そういう小芝居的な味
付けが、長く行われて来たことの証左ではないかと思う。

南北の趣向は、「おつま・八郎兵衛もの」ばかりではなく、順序
不同ながら、「伊勢音頭恋寝刃」、「双蝶々曲輪日記〜引き窓
〜」、「忠臣蔵〜一力茶屋〜」、「四谷怪談〜隠亡堀のだんまり
〜」、「摂州合邦辻」、「恋飛脚大和往来〜封印切〜」、「伽羅
先代萩」、「夏祭浪花鑑」などの断片を私に思い出させる場面が
相次ぐ。

そういう意味では、めったに上演されない狂言を拝見できたとい
う愉しみは貴重ながら、今回の舞台は、本筋の返り討ちの連鎖の
印象も強く出ておらず、小芝居的などぎつさも、国立劇場的なス
マートさで緩和され、どっちつかずの舞台という印象ではなかっ
たか。また、南北らしい趣向も二幕目第四場「駿州中島村焼場の
場」で、棺桶が、めりめりと内側から破れ、桶の板が弾き飛び、
なかから水右衛門が、すっくと立ち上がってくる場面ぐらいで、
あとは、何処かで観たような場面が相次ぎ、成功していない。

この「焼場の場」は、舞台下手寄りに「火」を使う焼場があり、
上手側に水を使う釣瓶井戸があり、おつまに振られた隠亡の八郎
兵衛(仁左衛門)が、「夫」(芸者・おつまは、源之丞をそう呼
ぶ)の仇というおつま(芝雀)に殺され、井戸に落ちる。間もな
く、焼場の薪の上に据えられた棺桶から水右衛門(仁左衛門の早
替り)が、登場するという仕掛けだ。それぞれの立ち回りが、雷
雨のなかで行われ、この場面は、本水も登場する。しかし、仁左
衛門、染五郎、それぞれの早替りの場面も、観客をどよめかせる
ほどの効果を産まなかった。

甲州石和で開幕した舞台には、日本の各地が登場する。播州明石
網町では、源之丞の女房が、夫を待っている。不義の末に二人の
間にできた子どもは、病気で腰が立たない。源之丞女房・お松
は、孝太郎が演じている。しっとりとした良い女房ぶりだ。留守
宅の場面での登場と最後は、大詰めの敵討ちで子どもと共に本懐
を遂げることになる。本家の兄嫁・おなみは、高麗蔵が、演じて
いるが、高麗蔵の出て来る場面は、ここだけというのは、寂し
い。

駿州彌勒町では、水右衛門側の面々が登場する。揚屋の丹波屋の
主・掛塚官兵衛は、弥十郎で、弥十郎は、序幕で水右衛門に返り
討ちにされた石井兵助との二役。官兵衛の女房・おりきは、秀太
郎で、源之丞母・貞林尼との二役。いずれも、ベテランの役者ら
しく、きちんと演じ分けていた。駿州は、このほか、安倍川、中
島村が、登場する。「安倍川返り討の場」では、だんまりが見
物。「中島村入口の場」では、狼騒ぎで、棺桶の取り違えが生じ
る稚気がおもしろい。

江州馬渕では、乞食に身をやつして敵を追っている石井の下部・
袖介が、水右衛門の父・藤田卜庵と出逢う、この芝居のターニン
グポイントの場面だとは、先に指摘した通りである。

大詰・勢州亀山では、いよいよ敵討ち。亀山曾我八幡宮の祭礼の
華やぎのなかで、敵討ちが、成就する。それを手助けして来たの
が、石井家と縁戚関係にある勢州亀山家の重臣・大岸頼母(段四
郎)と息子の主税(愛之助)が登場する。病気回復に伴い、先日
の舞台から復帰した段四郎が、重々しい感じを添える。それは、
この芝居が、浮き上がるのを押さえる重し石のような役割を演じ
ている。若頭・轟金六として、安倍川で水右衛門に返り討ちに
なった愛之助は、颯爽と再登場。

「大岸」と言えば、「宮内」。「大岸宮内」と言えば、「忠臣
蔵」ものの原型に登場する大星由良之助役の名前だから、南北
は、当然、この敵討ちに「忠臣蔵」を滲ませているだろう。遠く
天守閣を臨む遠見の書き割りのある堀外での敵討ちの場。その背
景に宙に浮いた祭りの「亀山鉾」の行列。鉾の宙乗りは、「夏祭
浪花鑑」が、容易に連想される。

見逃せない役者がいる。三幕目の播州明石網町の場面で袖介・お
松の姉弟の父・仏作介として登場する幸右衛門だ、台詞も少ない
し、目立たないが、この人の持つ人間味が、父親の優しさを滲み
出していて、良い味を出していた。そこにいるだけで、舞台に
しっくり溶け込んでいる。希有な傍役だ。

今回の舞台は、総じて、南北劇としての印象が希薄な感じを受け
た。南北の原作では、今回上演されなかった場として、石井兵介
の妻が、水右衛門に返り討ちにあう場面では、水右衛門の色悪ぶ
りも強調される場面があるそうだ。また、仏作介が、水右衛門に
毒殺される場も省略されている。その結果、執拗に返り討ちを愉
しむ水右衛門という南北劇の趣旨が、希薄になったのは、否めな
いだろう。

亀山の敵討ちは、元禄14(1701)年5月に、実際にあった
話である。この年の3月には、江戸城松の廊下での刃傷事件があ
り、翌年の12月には、赤穂浪士の討ち入りがあるわけだから、
「忠臣蔵」の基本構造を形づくる二つの事件の間で実際にあった
亀山の敵討ちは、兄弟による苦節28年余での仇討ち成就という
こともあって、曾我もの、忠臣蔵ものとの関連で芝居に仕立てら
れて来た。史実の仇討ちの方も、「元禄曾我」と称えられ、当時
の庶民に喝采で迎えられたという。

- 2003年8月1日(金) 21:27:43
2002年10月・歌舞伎座 (通し狂言「仮名手本忠臣蔵」)

「仮名手本忠臣蔵」を通し狂言で観るのは、今回で4回目。95
年2月、98年3月が、歌舞伎座、01年3月が、新橋演舞場と
歌舞伎座(九段目など)、そして今回。
今回は、討入三百年ということで、10月の上演となったが、少
し早いせいか、私の観た日は、昼の部は、1階に若干空席があっ
た。4回目の通し狂言ということで、今回は、いつものように昼
と夜とに分けずに、また、いつもと違って、観察(ウオッチン
グ)論、テキスト論というより、趣向を変えて、というか、私の
禁じ手である、演技についての役者の印象論という線でまとめて
論じたい。

4回の主な配役を書くと次のようになる。上演順に、判官:菊五
郎、勘九郎、菊五郎、鴈治郎。師直:羽左衛門、富十郎、左團
次、吉右衛門。顔世御前:芝翫、玉三郎、芝雀、魁春。伴内:坂
東吉弥/三津五郎、幸右衛門/辰之助、鶴蔵/十蔵、吉弥/翫雀
(二人の役者に分かれるときは、三・七段目/道行)。由良之
助:吉右衛門/幸四郎、幸四郎、團十郎、團十郎/吉右衛門(四
段目/七、十一段目)。勘平:團十郎、菊五郎、新之助、勘九郎
/菊五郎、菊五郎、菊五郎、勘九郎(道行/五、六段目)。お
軽:芝翫、時蔵、菊之助、福助/雀右衛門、福助・玉三郎、菊之
助、玉三郎(道行/六段目・七段目)。定九郎:吉右衛門、橋之
助、新之助、信二郎。おかや:鶴蔵、吉之丞、田之助、上村吉
弥。与市兵衛:佳緑、佳緑、佳緑、助五郎。九太夫:芦燕(全
て)。平右衛門:團十郎、勘九郎、辰之助、團十郎。

こうしてみると、各々の配役で、印象に残る人、残らない人が、
私のなかで歴然として来る。まず、判官だが、菊五郎が判官を演
じるときは、そのまま、勘平を演じることが多い。つまり、菊五
郎は、2回死ぬ。だから、私も判官と言えば、菊五郎が浮かんで
来る。六代目が、洗練した判官・勘平の菊五郎型の演技を本家と
して引き継ぐ訳だから、当然かも知れない。今回のように鴈治郎
の判官は、珍しい。上方の判官は、おっとりしていた。鴈治郎
は、来月、国立劇場で、やはり、「仮名手本忠臣蔵」の通しに出
演するが、江戸型の「忠臣蔵」ではなく、上方型の「忠臣蔵」で
七役早替りをするというので、これが愉しみで、今回の判官の
おっとりぶりをじっくり拝見した。勘九郎の判官は、凛々しかっ
た。

師直は、いまは亡き羽左衛門が重厚であった。憎々しさでは左團
次か。今回の吉右衛門の師直は、奥行きがある。憎しみあり、滑
稽味あり、強かさあり、狡さあり、懐の深さありで、多重な存在
感ありで、場面場面で、実に滋味ともいうべき演技が滲み出てい
て、楽しく、また、憎々しく感じた。顔世御前ヘの横恋慕、若狭
之助(勘九郎)への苛めと賄賂を受け取ってからの諂(へつら)
い、そして判官ヘの苛めなどで、十二分に師直という男の全体像
を描いていたと思う。「忠臣蔵」のうち、大序から三段目まで
は、師直の横恋慕と虐めということで、一人の老いた男の若い男
女への、広い意味での「虐め」が、テーマだろうと思う。吉右衛
門の演技は、そういうテーマをいつもの舞台より、いちだんと
くっきり観せてくれたと思う。

顔世御前は、芝翫の初々しさ、玉三郎の美しさ、芝雀の可憐さ
か。魁春も、また、可憐であった。だが、今回は、大序の舞台で
は、さまざまな場面が、師直と顔世御前、師直と若狭之助という
ように、それぞれの場面で必ず軸になる師直、つまり、吉右衛
門の巧さばかりが印象的で、思い出そうとすると吉右衛門の顔が
前面に出て来るので、ほかの役者が遠のいて見える。ほかに、こ
のところ進境の著しい勘太郎が足利直義を初々しく演じていた。

「三段目」のうち、「足利館門前進物の場」では、鷺坂伴内が主
役だ。今月の筋書きに丸谷才一が書いているように伴内の役割
は、もっと、重要視されてよい。丸谷によると、鷺坂伴内という
名前は、「詐欺」、「慙(ざん)ない=見るにしのびない、見
苦しい」という意味が隠されていると言う。さらに、丸本通りな
ら、十一段目では、六段目で切腹をし、連判状に腹の血で血判を
押した勘平の縞の財布を由良之助が懐中から取り出し、無念の死
を遂げた勘平のために、討ち入り決行に際して肌身につけて同行
したと語るし、財布を香炉の上に載せて、二番の焼香「早野勘
平」と読み上げると、そのとたん、どこからか、伴内が姿を現わ
し、由良之助に斬り掛かる。ところが、伴内は、傍に居た力弥に
斬られてしまう。つまり、伴内は、賄賂の受け取りでも、駕篭の
なかの師直の代役をするぐらいだから、側近の一人であり、最後
まで高家側の忠臣なのだ。その省略された「財布の焼香」が、来
月の国立劇場の舞台では、登場すると言う。では、伴内は、登場
するのか。国立のチラシを見ると、尾上松助演じる「大『鷺』文
吾」が、「『鷺』坂伴内」だろうか。簡単なチラシには、それ以
外に、載っていない。

ずる賢い滑稽な役柄だけではない複雑さを持っているはずなの
だ。その伴内を坂東吉弥が、好演。通し狂言での吉弥の伴内は、
7年前にも見ているので、今回で2回目だが、私が観た「進物の
場」の伴内では、吉弥が、一番であった。「七段目」の伴内は、
由良之助のいなくなった部屋に入り込み、「四段目」の塩冶家城
明け渡しの場面で、御用金分配問題で不服を唱え由良之助を裏
切った塩冶家の筆頭家老・斧九太夫と密談をする。そういう吉弥
の伴内は、師直の「側近」らしさを印象付けていたと思う。滑
稽役の巧い鶴蔵は、滑稽味だけで、吉弥のような「側近」らしさ
が滲み出て来ない。この役の幸右衛門の印象は、残念ながら浮か
んで来ない。

「道行」の伴内は、大序の師直の顔世御前への横恋慕のパロディ
として、お軽への横恋慕をなぞるという二重性を秘めている。
従って、ここの伴内は、「小型師直」を彷佛させなければならな
い。今回は、吉右衛門師直を翫雀が演じられたかどうか。三津
五郎は、巧かったという印象がある。羽左衛門師直に匹敵する
「曲者」伴内であったと思う。これは、別格としよう。ならば、
富十郎師直に対する辰之助、左團次師直に対する十蔵、吉右衛門
師直に対する翫雀と並べると、十蔵が頭一つ出ている。辰之助
は、なにをやっても辰之助というところがある。ことし、新松緑
になってから、進境著しいものもあるが、4年前の辰之助は、ま
だまだだったと思う。今回の翫雀は、新たな挑戦というところだ
ろう。

まず、「四段目」の由良之助は、今回、團十郎が重厚に演じてい
た。この場面、團十郎は、2回目。ほかに、吉右衛門、幸四郎だ
が、私は、團十郎の重厚さ、吉右衛門の人徳、ともに、甲乙つけ
がたい印象が残る。今回「四段目」は、断然、團十郎であっ
た。特に、表門城明け渡しの場面で、判官の遺した九寸五分につ
いた血を左手に擦り付けて舐めるときの眼光の鋭さを忘れない。
鴈治郎の判官は、死に臨んでも、おっとりしていたように思う。
「七段目」の由良之助は、今回の吉右衛門が、良い。ここの
由良之助は、前半で男の色気、後半で男の侠気を演じ分けなけれ
ばならない。今回の吉右衛門は、師直同様、そういう多重性を演
じていた。幸四郎(2)、團十郎は、それぞれの由良之助で、役
者の味わいの違いを出していた。「十一段目」の由良之助だ
が、いまの実録型の「十一段目」は、いわば、3枚の紙芝居の絵
を見せられるようで、それだけのものだろう。従って、ここの由
良之助の印象は、どの役者がやっても、あまり代わり映えがしな
いと思う。

勘平だが、私が観た「道行」の勘平は、以前に書いたように、去
年の新之助が、青春の蹉跌の勘平を演じていて、團十郎、菊五郎
などというベテランの勘平では、出せない味を出していて、一番
だと思う。今回の勘九郎は、ベテランの味とも違うし、青春
の勘平でもなく、おじさん勘平で、もうひとつ感心しなかった。
しかし、「五段目」「六段目」になると、鬘も替り、勘九郎勘平
が熱演し出したから、不思議だ。こちらは、完全に勘九郎勘平が
芝居の軸になっていて、ピンとした緊張感があり、大変良かっ
た。もっとも、この場面は、菊五郎で、3回観ていて、これは、
六代目の菊五郎型をきちんと伝えていて、別格の勘平であったこ
とは、書いておかなければならないだろう。

勘平のパートナー・お軽は、まず、道行では、新之助の相手をし
た菊之助も、新之助同様に良かったことは、以前に書いた通りで
ある。今回の福助は、初々しくて良い。勘九郎とは、恋人同士と
いうより兄妹のようであった。実生活では、義理の兄弟であ
る。芝翫、時蔵は、それぞれのお軽であった。「六段目」のお軽
は、女房だが、今回の玉三郎は、この場面では、陰が薄いように
感じた。しかし、「七段目」の遊女・お軽になると本領発揮で、
濃艶なお軽になる丸谷説では、お軽という命名には、尻軽
(多情)というイメージを感じるという。以前、ここを福助と玉
三郎で演じ分けたが、その方が正解という気がした。雀右衛門
は、どちらも良かった。意外と、ここで健闘したのが、去年の菊
之助ではなかったか。

むしろ、「六段目」で、女形陣で重要なのは、お軽ではなく、お
軽の母であり、与市兵衛の妻であるおかやではないか。勘平に切
腹を決意させるのは、与市兵衛を殺したのは、勘平ではないかと
疑い、勘平を攻め立てたおかやのせいである。そういう他人
(勘平は、娘婿という他人である)の人生に死という決定的な行
為をさせるエネルギーが、おかやの演技から迸らないと、この場
面の芝居は成り立たない。「六段目」では、おかやには、勘平に
匹敵する芝居が要求されると思う。「お疑いは、晴れましたか」
という末期の勘平の台詞は、おかやに対して言うのである。

さて、そのおかやだが、今回は、家橘急病で、上村吉弥が演じ
た。ここは、私なら、思いきって、玉三郎におかやをやらせて、
上村吉弥には、お軽を演じさせてみたかった。吉弥は、もともと
美形で、玉三郎に匹敵する美貌の女形である。また、玉三郎は、
「ぢいさんばあさん」のように老け役にもっと挑戦した方が良い
と思う。老け役をやり、女性の完成した魅力を演じきった上で、
再び、若い役をやると、若さが違って見えて来るのではないか。
玉三郎が、本当の立女形になるためには、そういうチャレン
ジを経験した方が良いように思うが、いかがだろうか。私が観た
これまでのおかやは、鶴蔵、吉之丞、田之助だが、このなかで
は、これは、田之助がいちばんだろう。

おかやの夫、与市兵衛では、佳緑が、最近では、最高の与市兵衛
役者と言われるだけに、私も、通し狂言では、3回観ている。今
回は、助五郎だったが、最近の助五郎は、味わいのある演技が目
立つ。与市兵衛を殺しながら、結果的に勘平に濡衣を着せて自
殺に追いやった張本人の定九郎では、去年の新之助には、滅びの
美学を感じた。吉右衛門、橋之助の定九郎は、それぞれに味わい
があった。今回の信二郎は、新たな挑戦だが、橋之助のように観
えた。九太夫は、私が観た舞台では、全て芦燕であったが、関西
に青虎という役者がいて、彼の九太夫も、良さそうな気がする。

芦燕の九太夫は、前半の地味で無口な筆頭家老から、金にこだわ
る、欲深の親子(因に九太夫は、二千石で、息子の定九郎は、二
百石というのが、九太夫の台詞で知ることができる)に替って、
饒舌になる。さらに、敵の師直方の伴内に通じ、「七段目」で床
下に潜り、由良之助の手紙を盗み見るスパイ行為をした挙げ句、
九太夫は、由良之助に手助けされて、お軽に父親・与市兵衛の仇
を息子・定九郎の代わりとして殺される。

「七段目」は、由良之助とお軽の芝居のようにも見えるが、実
は、平右衛門とお軽の芝居でもある。これは、「七段目」の大き
な二つの流れである。ここの平右衛門は、今回の團十郎を含め、
團十郎平右衛門は、2回目。相変わらず、團十郎平右衛門は、
見応えがあった。玉三郎お軽とのやりとりの場面では、吉右衛門
由良之助を軸にした芝居が、さっきまで続いていたことを忘れさ
せてしまうほど、こちらに集中して観てしまった。勘九郎平右衛
門も、良かったが、味わいの深さが、團十郎は、やはり、違う。
辰之助は、辰之助のままで、平右衛門になりきっていなかった。

総じて、今回の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の配役は、バランス
が取れていて、もともと見どころの多い芝居だが、それぞれの名
場面で、熱演すべき人たちが、きちんと熱演していて、非常に見
応えがあったと思う。新鮮さでは、去年の新橋演舞場の舞台、
重厚さでは、7年前の歌舞伎座の舞台、場面場面の滋味のある舞
台では、今回というところか。

- 2003年8月1日(金) 21:22:42
2002年 9月・歌舞伎座
 (夜/「時平の七笑」「年増」「籠釣瓶花街酔醒」「女夫狐」)
 
夜の部は、「時平の七笑」、「女夫狐」が初見とあって、愉しみにして
座席に座った。まず、通称「時平の七笑」、「天満宮菜種御供(てんま
んぐうなたねのごくう)」は、近松門左衛門の「天神記」や、「天神
記」などを下敷きにした「菅原伝授手習鑑」をさらに、下敷きにして並
木五瓶が書いた九幕十七場の歌舞伎だが、二幕目の「記録所」が、いわ
ば、一幕物のようにして残った。「時平の七笑」という外題は、この芝
居の本質を端的に表す良いネーミングだと思う。別名、「笑い幕」とも
いうが、それは、歌舞伎史上でもユニークな幕切れの場面があるためだ
が、それは、後で書こう。
 
芝居の見所のポイントは、1)「菅原伝授手習鑑」の「車引」の場面
の、青い隈取をした公家悪のイメージがぴったりの、敵役・藤原時平
が、菅原道真を落としいれようとする公家たちを向うに回して、道真に
味方する、若くて、颯爽とした裁き役の貴公子然として登場してくる意
外性だ。2)最後に、通俗どおりの悪人としての正体を現す時平、観客
に「やっぱり」と安心させる納得性がある。3)「七笑」というとお
り、7色の笑い声の可笑しみ。「大鏡」という藤原道長の権勢の趨勢中
心に描いた歴史物語には、時平の笑い癖が、記載されているそうだが、
そういう史実を元に、7色の声ならぬ7色の笑いをキーポイントにした
演出の巧みさだ。役者の藝の見せ所でもある。
 
緞帳で開幕、定式幕で、閉幕。網代塀の記録所の庭には、紅梅白梅が咲
いている。室内の襖、衝立の絵柄は、山水画。ここでは、道真の謀反が
暴かれる。唐(中国)からの使者で事件の関係者として縛られた天蘭敬
(権一)の登場や、密書(漢文、つまり、中国語)の所在など動かぬ証
拠が出てくる。道真を断罪しようとする公家たちを牽制して、道真擁護
をする時平。庭に下りる道真の足元は、サンダルのような白い履物。
時平は、黒い漆塗りの木沓。白と黒の対比。善と悪の暗示か。
 
しかし、時平も、かばいきれず、断罪。道真は、書道の教え子たちに見
送られて配流地へ旅立つ。涙で花道の端まで見送りに出る時平。向う揚
幕に消える道真、二重舞台の奥に消える公家たち。ひとり舞台に取り残
された時平は、やがて、舞台中央に戻り、涙を拭く。二度ほど涙を拭く
と、その顔には、なんと、笑いが滲んでいるではないか。この笑いは、
なんなんだ。後ろ姿を見せながら、二重舞台座敷に上がる時平の腰の太
さ。中年男の腰のようだ。腰に見える異国風のベルトも異様だ。もしか
して、唐風か。天蘭敬との関係は、時平のほうが、濃厚なのではないか
という疑惑が私の胸に湧きあがる。
 
舞台中央にこちら向きに座りなおす時平。その顔には、さらに、笑いが
どんどん広がってゆく。味方のふりをして道真を陥れた張本人が、実
は、時平なのだ。と判る。このあたりの我當は、巧い。若い貴公子然と
した顔の後ろから老獪な政治家の顔が、仮面をはぐように観えてくる。
それも、白塗りのままで。恰も、観えない青い隈が浮き上がってくるよ
うに観えた。大きな角ばった顔にぎょろりとした大きな眼が、効果的
だ。これは、まるで、顔の「ぶっかえり」のようだ。夜の部最大の見所
と観た。見落としなきよう。
 
ここから、七笑が始まる。微笑、冷笑、嘲笑、快笑、哄笑、さまざまな
笑い声が、響き渡る。笑い声のうちに、引き幕が閉まる。閉まりきっ
た幕の中央あたりから幕を突き上げるように、姿の見えない笑い声が響
く。「笑い幕」と言われる所以である。まるで、アメリカ映画の主人
公、「バットマン」が、上空高く舞い上がり、姿も見えないところから
高笑いを聞かせているようではないか。
 
玉太郎の春藤玄蕃は、亀蔵にやらせたかった。玉太郎では、憎さが足り
ない。進之介の輝国は、顔が幼く見えて損をしている。貫禄がない。
松助の希世は、何度も寝返りをうつ卑怯者。松助は、滑稽さのある、
良い味を出している。追放の憂き目にあい、裸にされると、「麻呂が裸
で、まろ(まる)裸」という使い古された台詞だが、観客席の初心者か
らは、笑いが起こる。彦三郎の菅原道真は、老人という設定だが、品位
や颯爽さが残り香としても欲しいところ、少し、老人過ぎないか。落魄
のなかにも風格を感じさせる演技が必要だろう。道真も政治家であり、
老獪さも隠し持っているだろうに、愚直すぎる道真であった。我當の時
平は、適役。隈取もなく、白塗りの若い貴公子然とした顔の底から、
老獪な政治家の顔が現れて来る。その二重性を表現できる数少ない役者
かも知れない。このほか、桂三の定岡、亀三郎の宿祢など。

「年増」の芝翫の踊りは、3回目。その前に、亡くなった宗十郎で、
1回観ている。開幕すると、浅黄幕が全面を覆っている。振り落とし。
大川端に駕籠が一丁。上手に立ち木。やがて、駕籠のなかから藝者上が
りの年増の妾姿の芝翫登場。舞台天井からの散り花が、風情を添える。
。
駕籠の近くに落ちた花びらを拾う芝翫。さすが、藝が細かい。駕籠から
出した草履を履き、外に出る。一人語りの口説きの所作あり、台詞あ
り、常磐津の糸に乗る場面あり、仕方話の所作があり、演技もある。
そういう歌舞伎の総合芸術の見本のような演目だ。老熟した芝翫得意の
出し物。くっきりと見分けるのは、難しい。
 
「籠釣瓶花街酔醒」は、3回目。次郎左衛門役は、幸四郎、勘九郎、
今回の吉右衛門。八ッ橋役は、2回とも玉三郎で、今回は、雀右衛門。
私にとっては、玉三郎のイメージが強いが、雀右衛門が、どう演じる
か、愉しみ。開幕前に場内は、真っ暗闇になる。暗闇のなかを定式幕
が、引かれてゆく音が移動する。走るスピードは、明るい、普通の幕開
きと変らない。これも藝。足元が、見えないだろうに、大丈夫なのか。
そして、止め柝、パッと明かりがつく。華やかな吉原のいつもの場面。
 
花道から次郎左衛門(吉右衛門)と治六(歌昇)の二人が、白倉屋万八
に案内されてやってくる。立花屋主人・長兵衛(我當)が、爽やかな裁
き役で登場。吉原不案内の二人を助ける。この場面は、ご馳走役のよう
だが、のちに、立花屋は、次郎左衛門の重要な舞台になる。やがて、
花魁道中。最初は、花道から九重(東蔵)一行、ついで、舞台中央奥か
ら八ッ橋(雀右衛門)一行。
 
雀右衛門の八ッ橋は、普通なら肩に手を置く程度にしか見えない、肩を
貸す若者に、ほんとうにもたれかかっている。荒い髪の鬘は、頭を後ろ
に引っ張られるようで重いという。総重量が40キロもあるという「助
六」の揚巻ほど、衣装は、重くないそうだが、それでも、80歳の老人
には、かなりの重労働と見た。よろよろしている。危なっかしい足取
り。本舞台から花道への取っ掛かりで、下駄の上で、踵を持ち上げ、
背伸びをする八ッ橋。特に、花道に入ってからの八文字は、辛そう。
花魁道中の若者が着ている浴衣、八ッ橋と書き込まれた大きな提灯に
も、雀右衛門所縁の「京屋結び」の紋が入っている。八ツ橋の花道七三
での笑いは、田舎者の次郎左衛門を嘲笑う笑いではないし、彼女に見と
れている男に愛想笑いしているだけでもない。あれは、客席の観客たち
に向けた笑いでもあるのだ。今回、一階の「ぬ・17番」の席で観てい
て、それが良く判った。そう考えると、「客」を大事にする花魁と役者
に通底する笑いが生まれる。夜の部は、笑いが、ポイント。
 
観客の眼は、ほとんどが花道を行く花魁道中に注がれている。舞台中央
の吉右衛門は、この世のものならぬもの(幻、妖精の類であって、新三
郎のように幽霊を見たわけではない)を観たような、魂を抜かれたよう
な、笑いに似た顔が緩んだ表情とでも言うような異様な顔をして突っ
立っている。腰を前に突き出したような格好で、動かない。動けない。
歌昇が、舞台下手で、そんな吉右衛門を黙ってみている。

ここの治六(歌昇)は、難しい役だ。監督のように、Q出しをしなけれ
ばならない。八ッ橋一行の動きを確かめ、花道から舞台中央にばらばら
に戻ってくる観客の視線の集まり具合を確かめ、滑稽な格好にも見える
吉右衛門の姿に気づき、魂を抜かれた男の状況だを観客が感じ取ったな
と、思ってから「もし、旦那・・・」という台詞を言い、観客の気持ち
を本舞台の芝居に、一気にのめり込ませなければならない。できること
なら、客席から笑いではなく溜息のような「じわ」を期待したい。私が
観たときは、笑いであった。治六は、前回は東蔵、前々回は染五郎であ
り、私が観た3人の治六は、それぞれ味わいがあった。
 
半年後、立花屋の見世先。八ッ橋の身請けの噂を聞いて親元代わりとし
て金をせびりに来た無頼漢の釣鐘権八は、姫路藩士だった八ッ橋の父親
に仕えていた元中間。釣鐘権八役が多い芦燕には、さすが味がある。
権八とやりあう立花屋の若い者・与助(吉之助)も、印象に残った。
拒否された権八は、恨みを残して、次の手を考えて帰って行く。次郎左
衛門(吉右衛門)は、絹商人仲間を連れて立花屋に上がる。吉右衛門人
柄の良さが、次郎左衛門に重なる。次郎左衛門得意絶頂の場面。衣装替
えで身軽になった八ッ橋の登場。次郎左衛門一行を歓待する。安定感の
ある八ッ橋。安心して観ていられる。
 
権八に唆された八ッ橋の愛人で浪人の栄之丞(梅玉)は、適役。湯屋か
らの帰りの栄三郎の持っている手ぬぐいにも京屋結びの紋が、染め抜か
れている。八ッ橋が、次郎左衛門に身請けされるようだという話を権八
に聞き、真偽を確かめに行こうとする栄之丞は、着物を着替えるが、
着物の着方、帯の締め方、羽織の紐の結び方、着付け教室のように鮮や
かな手際だ。下駄から草履に履き替えて吉原に向かう色男。
 
兵庫屋二階の遣手部屋、廻し部屋の場面は、吉原の風俗が、色濃く残っ
ている貴重な場面だ。特に、廻し部屋には、見返り美人など9枚の美人
画(一つは、短冊)ほかが、貼り付けられた粋な六曲の屏風があり、
華やかだ。こういう細部を舞台で発見するのは、歌舞伎の愉しみのひと
つだ。
 
そして、いよいよ、「兵庫屋八ッ橋部屋縁切りの場」。八ッ橋の部屋に
も、京屋結びの紋が、あちこちにある。押入れの布団にかけた唐草の大
風呂敷、衣桁にかけた紫の打ち掛け(裾は、八つ橋に花しょうぶか)
の紋も。上手、銀地の襖には、やはり、八つ橋と杜若の絵。八ッ橋見初
めで、魂を抜かれて、天国に上り、しばらく、天国で遊び、仲間を連れ
て吉原にやってきて得意の絶頂に居た次郎左衛門は、やがて、愛想尽か
しで、地獄に落ちる。そういう男の変化を吉右衛門は、たっぷり演じ
る。お幕に火焔の太鼓の模様の内掛けを着た八ッ橋は、愛想尽かしをし
た後、部屋の外に出てから、柱に顔を寄せて、次郎左衛門にわびる場面
がある。「堪忍してくださんせ」。花魁の精一杯の誠意が滲み出てい
る。雀右衛門の優しさは、心から人を裏切れない八ッ橋を造型している。
 
最後の場面、大詰は、次郎左衛門の復讐。薄闇の殺人。妖刀「籠釣瓶」
を隠し持った次郎左衛門が、久しぶりに兵庫屋を訪れる。真面目男は、
恐いという見本のようだ。黒に裾模様の入った打ち掛けで、後姿のま
ま、斬られる八ッ橋の哀れさ。そういう花魁の心理を歌舞伎の衣装は、
さりげなく、描いてゆく。妖刀に引きずられる吉右衛門の狂気の表現
は、やや不充分。雀右衛門の八ッ橋は、愛想尽かしをしても哀れさが消
えない。時の鐘、柝、幕。昼の部の「牡丹燈籠」と違って、こちらは、
ストーリは、単純明快で、判りやすい。
 
吉右衛門は、二役の「牡丹灯籠」と違って、ひたすら次郎左衛門を演じ
る。私が観た3人の次郎左衛門では、吉右衛門のイメージが、いちば
ん、すとんと胸に落ちる。幸四郎では、大詰は、良いが、前半が、なに
か、違和感がある。勘九郎も、悪くないが、吉右衛門の方が、全体にバ
ランスがとれている。

雀右衛門は、遠目には、年齢を感じさせない色気があるが、遠眼鏡で見
ると老いは隠せない。そのマジックが、この役者の魅力だ。が、今回
は、重い衣装も、これありで、足元にも老いが忍び寄っているように見
えた。しかし、大詰の場面で、次郎左衛門に斬られる花魁の倒れ方に
は、老いは感じられなかった。藝の不思議さ。倒れ込んだ八ッ橋は、
私の席からは、黒い髪、白い顔、黒い衣装、白い手、黒い衣装というよ
うに観える。今後も、無理をしないで、良い舞台をいつまでも見せて欲
しい。
 
東蔵は、今回、大活躍。昼の「怪異談牡丹燈籠」では、自分が父親を殺
してしまった若党・幸助に温かみのある殿様、滑稽味のある馬士の二
役、「籠釣瓶」顔もほっそり見える美形の花魁九重。この人の、脇役と
しての藝域の広さを見せ付ける舞台。今月の松竹会長賞ものと観た。
治六の歌昇には、脇の節目節目で、良い味を出していた。松助、正之助
の絹商人は、持ち味が滲む。
 
「女夫狐」は、「義経千本桜」・川連館(四の切)の場面のパロディ。
雪の御殿に、桜の立ち木とは、はて、面妖な。狐忠信の分身が、雌雄の
狐になって、義経ならぬ楠正行(まさつら)を軸に正行の恋の相手で亡
くなった筈の弁内侍らが登場して、外連(けれん)味も含ませながら踊
る。まず、花道すっぽんから相次いで、男女の二人連れの登場。杖、
笠、蓑を身に着けた静御前風の扮装の弁内侍、実は千枝狐(時蔵)、
忠信風の扮装の又五郎、実は塚本狐(梅玉)。金地に花丸の文様の入っ
た定式の御殿・二重舞台奥から出てきた義経風の扮装の正行(扇雀)
は、鼓を持っている。
 
薄暗い庭に導かれ、金地、銀地の裏表に朱の房のついた扇子で踊る時
蔵。奴道成寺のように、すばやく、仮面を変えながら踊る梅玉。やが
て、灯りが来て、庭に着いた足跡で狐の正体を見破る扇雀。上手と下手
の垣根の後ろへ頭から飛び込む夫婦狐。座敷奥の上手と下手の襖を左右
に分けて、現れる。さらに、二重の座敷床下から姿を消し、再び、床下
からぶっかえりの狐の衣装(白地に狐火の揃いの衣装)で、飛び出す。
外連味の所作も、時蔵、梅玉の息は合っている。狐言葉の台詞。拳を狐
の手に替えての見得。
 
贅言:今回の舞台では、納涼歌舞伎から引き続いて、三遊亭円朝の人情
噺の第3弾もあれば、「籠釣瓶」のパロディだった先月の「浮かれ心
中」を思い出せば、なにやら縁続き。で、今月は、三大歌舞伎のうち、
「菅原伝授手習鑑」のパロディの「時平の七笑」、「義経千本桜」のパ
ロディの「女夫狐」。一つ足りない「仮名手本忠臣蔵」は、来月、パロ
ディではなく、通し狂言で歌舞伎座上演。途切れなく、「縁」が続く歌
舞伎の演目。誰が、歌舞伎座で仕掛けているのか。想像するとおもしろ
い。
- 2002年9月11日(水) 8:16:51
2002年 9月・歌舞伎座 
                    (昼/「佐々木高綱」「怪異談牡丹燈籠」)
 
「佐々木高綱」は、あまり上演されない。最近では、4年前に京都の南
座で上演されているがぐらいだ。私も初見。 紅梅の咲く庭を囲む網代
塀の向うに見える山肌は、遠めに見える比良の山は、白銀だが、近めの
山は、緑ということで、早春の体。近江の国、佐々木の荘。上手に、
厩と屋敷がある。すっきりした舞台だ。
 
源頼朝に味方する鎌倉方ながら、佐々木高綱(梅玉)は、歌舞伎では、
一般に敵役としてお馴染みの梶原一族と仲が悪い。今回も、戦功著しか
ったのに、頼朝からの褒章が不十分で不満を持っている。信義を守らぬ
主君、自己保身に汲々とする武家たちに愛想を尽かし、武士を捨てて出
家を決意するさまを描いている一幕物だ。
 
武士を捨てて出家を決意するという意味では、同じようなシチュエー
ションの芝居に「熊谷陣屋」があるが、「熊谷陣屋」が、子どもを身替
りにした父親の無常観という封建時代の普遍的なテーマを描いているの
に比べて、佐々木高綱は、岡本綺堂原作の新歌舞伎という近代劇だけ
に、心理描写がテーマだけに、舞台の高綱は、始終不機嫌であり、不満
の意思の表明もストレート過ぎて、これがこの芝居の奥行きをなくし、
薄っぺらなものにしてしまっているように見受けられた。無駄という
か、余白というか、そういうものが、随所に入っていると芝居は、コク
が出る。
 
ならば、不満や恨みをどう処理するか。対極を演じるのは、高綱が、
頼朝の旗揚げに馳せ参じるために名馬「生月(いけづき)」を奪い、
その際、だまし討ちにした馬士・紀之介の子で、いまも高綱の下で、
「生月」の世話をしている馬飼の子之介(翫雀)である。訪ねて来た
僧・智山(我當)が、旅の途中で出くわした頼朝一行の様を語るのに対
して、その経緯を語り、紀之介の回向を頼み込む。その主人の語りを途
中で聞いてしまう子之介だが、それでも主人に対する態度を変えない。
それどころか、どういう訳か、高綱が父親の仇と知った子之介の姉・
おみの(時蔵)が、高綱を討とうとやって来る。それを諌める子之介。

しかし、隙を見て高綱に斬り掛かるおみの。「悟られぬ人じゃあるの
う」という高綱の台詞が、この芝居のキーワードだろう。これが、高綱
の自己批判に聞こえれば、この芝居は、奥行きを増したものをと思っ
たが、いかがであろうか。「穢れきった世の中に、愛想が尽きたわ」
という台詞が、我が儘に聞こえるようでは、そもそも、台本も悪いの
か。

 梅玉の高綱、扇雀の高綱の娘・薄衣、翫雀の子之介、馬の生月など
が、上手、奥に引き下がる際の、後姿が、いやに目に付く芝居であっ
た。このほか、高綱の甥・小太郎(玉太郎)などが出演。馬の手綱を取
るとき、上手の紅梅の枝を折るとき、梅玉の手が震えていて、巧くつか
めなかったが、舞台の間の取り方が悪いのか。
 
贅言:ところで、源頼朝という人は、歌舞伎の舞台では、名前は良く登
場するが、いつも姿の見えぬ人だ。雲の上の権力人と言えば、それまで
だが、菅原道真の芝居で、敵役の藤原時平が、ときどきながら姿を見せ
るのと対照的に、本当に舞台には姿を見せぬ人だ。真山青果原作の新歌
舞伎に「頼朝の死」というのがあるが、これも、外題に頼朝とあるだけ
で、舞台は、頼家が、父・頼朝の死の謎を探る三回忌の場面なのだ。 

この芝居にも、馬が出てくるが、芝居の馬の脚というものは、本物の馬
と違って、前足と後ろ足が、左右同時に出てくるが、役者がなかに入っ
ている以上、これは仕方がないことか。

「怪異談牡丹燈籠」は、先月の歌舞伎座上演、「豊志賀の死」「怪談乳
房榎」に続いて、三遊亭圓朝原作の怪談噺を歌舞伎化したもの。「怪
異談牡丹燈籠」は、6年前、96年8月歌舞伎座の納涼歌舞伎で、大西
信行版を勘九郎主演で観ているが、黙阿弥原作の「通し狂言」として
は、初見である。大西版と黙阿弥原作の大きな違いは、飯島家のお家騒
動(主人・飯島平左衛門の裏をかいて、妾のお国が、主人の甥の宮野辺
源次郎と不義密通の果てに、お家を乗っ取ろうとする)を嗅ぎ付け、
若頭の幸助が(吉右衛門)敵討ちをする話が大西版では、省略されてい
る。
 
お露(扇雀)は、実は、飯島家の娘なのだが、萩原新三郎(梅玉)との
結婚を親に反対され、恋煩いで死んでしまう。お露の死霊に取り付かれ
た新三郎も、やがて、殺されてしまう。誰もが知っている牡丹燈籠のカ
ランコロンという下駄の音で、鬼気迫る場面で有名な噺は、落語で言え
ば、ちょっと長めの枕というところ。圓朝の怪談噺でも良く知られてい
る新三郎(梅玉)とお露(扇雀)のくだりは、実は、イントロに過ぎな
いというわけだ。つまり、原作は、怪談噺と世話物が綯い交ぜになっ
ていて、本筋は、世話物なのだ。

悲劇が始まる前の、新三郎とお露が、廻り舞台に乗ったまま、いわば、
「道行」という場面がある。序幕第一場の「柳島飯島別荘の場」から、
第二場「飯島家奥座敷の場」へ展開する場面では、「ご両人」という声
がかかっていた。
 
怪談噺は、ある意味では、喜劇だ。喜劇の部分を巧く演じないと、後の
怪談が怖くならない。笑わせておいて怖がらせる、その陰陽逆転の妙
が、この芝居のポイントだろう。そういう意味では、この舞台は、圓朝
の噺を引き継いだ落語の怖さを越えていかない。
 
お露、お米(吉之丞)の幽霊に頼まれて新三郎の死霊封じの札をとっ
てやり、幽霊から百両をもらった伴蔵(吉右衛門)とお峰(魁春)の夫
婦の噺が本筋。それに、主人・飯島平左衛門(東蔵)思いの真面目男・
幸助(吉右衛門)のお国(魁春)、源次郎(歌昇)の不義カップルに仇
討ちをするという噺が、絡む。
 
世話物になってからも、二つの筋が、綯い交ぜになって舞台が進行す
る。場面展開には、廻り舞台が多用される。牡丹灯籠という廻り灯籠
が、外題だけに、舞台も廻るというところか。舞台は、主に、下手から
上手に廻るが、一度だけ、上手から下手に廻った。六幕目「関口屋店」
で、元の店先に「戻る」際、目明しの藤吉(由次郎)が登場する場面
だ。やがて、捕物になるが、この場面は、世話だんまりとなる。
 
伴蔵、幸助の二役、初演の吉右衛門は、型どおりを演じているが、型を
越えて、滲み出てくる旨味のようなものが欠けているように感じた。
二役は、伴蔵がメインと観た。「後をしっかり閉めてくんな」という台
詞で、金をせびりに来た源次郎に金をやり、追い返す場面では、さすが
貫禄の吉右衛門の伴蔵であった。
 
魁春妾のお国と貧乏所帯の伴蔵女房・お峰の二役、所帯窶れしたお峰が
良い。関口屋の女房なってしまうと妾のお国とお峰の違いが判りにくく
なる。二人の違いは、唇の左下の黒子。お国に黒子有り、お峰に黒子な
しが、見分けのポイント。本来なら、妾お国から酌婦お国になった女性
は、伴蔵と良い仲になるので、お国、お峰は敵同士なのだから、黒子の
有無以外にも演じ分けなければならないはずなのに、そのあたりは成功
していない。飯島平左衛門と馬士久蔵の二役を演じた東蔵は、滑稽な馬
士役が、断然良かった。

この舞台、小道具、大道具が大事と観た。主に、立役が使っているの
が、扇子。黒地や金地、茶地など。女形たちが使う団扇は、桔梗などい
ろいろな花柄が描かれていて、観ているのが愉しい。祭礼の団扇も登場
し、季節感を巧く出している。蚊帳も、節目節目で、効果を出す。新三
郎とお露では、死霊のお露に蚊帳のなかへ誘い込まれ、新三郎は、死出
の旅立ち。タナトス。「飯島邸奥庭の場」の源次郎とお国では、二階、
寝間の場面、エロスを隠す美学として、使われている。幽霊の場面やお
峰殺しの場で使われる柳は、紋切り型の美学、あるいは繰り返しの美
学。東映のやくざ映画は、こうした歌舞伎の定式の演出の正当な伝承者
だったことが判る。死霊の出る場面では、暗闇に浮かぶ黒御簾のなかの
薄明かりが、意外と不気味な味を出しているのに気が付いた。
 
このほか、襖、掛け軸、戸棚の文様が、場面で違っている。山水画風、
杭に止まった小鳥など。荒物屋「関口屋」の店先の雑貨類は、箒、下
駄、籠、樽、すり鉢、すりこ木、素麺の入った箱など。なんで、こんな
にリアルな小道具がたくさん置いてあるのかと思っていたら、捕物のだ
んまりの場面で、生かされる。だんまりの小道具として活用される。
歌舞伎の舞台には、無駄なものが置いていない。いつもと違うものがあ
るなと思ったら、要注目、どこかで使われる場面があるはずだ。これを
見つけるのも歌舞伎の愉しみ。
 
大詰めは、幸助の仇討ち成功の場面だが、力ずくで幕切れにしたような
感じもするが、歌舞伎ではよくあること。できれば、「佐々木高綱」
同様、無駄、余白など、余韻を感じさせる舞台展開があった方が、観客
に余裕が生まれ、舞台を潤いのあるものにすると思う。複雑な筋を追い
過ぎる嫌いがあるが、これが歌舞伎味というところもあり、捨て難い。
その辺りを大西版は、改めたのだろうが、それはそれ、あれはあれ、
というところがあるのが歌舞伎。歌舞伎の懐の深さだろう。
- 2002年9月10日(火) 7:53:46
2002年 8月・歌舞伎座  納涼歌舞伎
                   (第3部/「怪談乳房榎」)

逆「の」の字の秘密
 
第1部の「真景累ヶ淵 豊志賀の死」同様、人情噺、怪談噺を得意とし
た幕末から明治に掛けて活躍した三遊亭圓朝原作の「怪談乳房榎」は、
 初見。この12年間では、勘九郎が、重信、正助、三次の三役早替り
で軸になり、この演目を5回連続で演じている。仇役の磯貝浪江は、
すべて橋之助が演じている。そういう意味では、勘九郎と橋之助のコン
ビは、息があっている。勘九郎の三役早替りは、吹き替えを含めてテン
ポのある、スムーズな展開で、猿之助の早替りとも一味違う舞台で、
見応えがあった。三次→正助→重信のいくつかの場面の早替りがある
が、この芝居は、正助が、主役だろう。重信妻・お関は、藤十郎、時
蔵、そして今回は、福助。
 
この芝居の特色は、江戸の街が見えるということだ。これは、第2部の
「浮かれ心中」でも同様だが、江戸の街と街を行く人たちが舞台の主役
となる瞬間がある。例えば、序幕「隅田堤の場」では、背景の隅田川と
待乳山の書割で、花見で賑わう堤の場面では、梅若伝説で知られる梅若
塚近くの茶店に立ち寄る人たちの姿が活写される。扇折竹六(助五郎)
や重信妻のお関に付き添って来た女中(芝喜松)は、茶店の女・お菊
(小山三)に茶を勧められても床几に座らず立ったまま、茶を飲んでい
た。お関は、床几に座る。このほか、茶屋の前を酔客、花見客、国侍な
どが、通る。赤塚の松月院にある乳房榎に張り付けられた乳房の絵馬や
榎の樹液を採取する竹筒、境内を通る礼拝の男女などの姿にも、江戸の
町人たちの習俗が、伺える。

お関を演じる福助には、母性が感じられる。赤ん坊の真与太郎(まよた
ろう)の命名は、数奇な運命を辿る「まよったろう」という意味合い
が、感じられる。磯貝浪江を演じる橋之助は、「播州皿屋敷」の浅山鉄
山の実悪+色悪と違って、ここは、色悪に徹する。宿を問われて、磯貝
が名刺のようなものを渡す場面がある。三遊亭圓朝の「牡丹燈籠」を読
んでいたら、その「名刺(なふだ)」というのが、ルビ付きで出てき
た。小型の紙に名前や住所を書いて渡すのに使ったようだ。

柳島重信宅の場。まんまと重信の弟子になって2ヶ月が経った。皆に気
配りをする磯貝は、評判が良い。しかし、重信が、高田馬場近くの寺の
本堂の天井画を描くのを頼まれ、夜更けにも拘らず出立してしまい、
ひとり残ったお関が真与太郎を寝かし付けようと蚊帳に入っていると、
豹変した磯貝が、お関を襲って来る。この場面は、蚊帳があるため、
「四谷怪談」のお岩、伊右衛門の場面を連想させる。蚊帳を介在した性
愛を連想させるエロチックな場面だ。座敷き下手の障子に二重舞台の奥
から月光が当たっている。座敷き上手、蚊帳の部屋の薄暗さとの対比
が、陰のエロチシズムを表現する。

柝で舞台廻り、高田の料亭花屋の二階へ。ここでは、磯貝が、金蔵を破
り御用金二千両を奪った佐々繁で、三次が、その家来だったことが判
る。芝居の見どころは、勘九太郎の早替り。二階の場面の後、階段を降
りる場面で、勘九郎は、三次から正助への早替りを見せる。三次の顔、
鬘を長めに見せておきながら、多分、階段下の見えない部分で、勘九郎
は、三次の衣装から短かめの正助の衣装に脱ぎ替えているようだ。そし
て、階下に降りたとたん、客席から見えない場所で、鬘を替え、手ぬぐ
いを持ち、正助になるのだろう。

「落合村田島橋の場」は、暗闇に蛍が飛び、地蔵のある橋の袂の土手と
いう寂しい所。「累」や「四谷怪談」でお馴染みの殺し場の舞台。圓朝
の、この怪談噺は、もともと、幕末の江戸の地名が随所に出て来る。
隅田川、柳島から高田馬場、高田馬場近くの落合、さらに十二社(じ
ゅうにそう)は、新宿角筈、そして練馬の赤塚と場面は、江戸の街を東
南から北西へ展開する。方角的には、「四谷怪談」の逆コースを行っ
ていることになる。つまり、逆「の」の字。たぶん、圓朝は、鶴屋南北
の「四谷怪談」を下敷きにしているのだろう。ここの見せ場も、磯貝に
殺される重信の場面で、正助→重信→正助と早替りを見せる勘九郎の演
技だろう。吹き替えを使っての早替り、花道でのすれ違いは、定式の、
傘と茣蓙を使っての早替りだ。納涼歌舞伎とあって、歌舞伎初心の観客
も多いせいか、この場面、場内のあちこちで早替りの見事さに息を飲む
声が上がっていた。やがて、闇夜の殺し場から、黒幕の背景が、振り落
とされ、月光の夜景に替る。犯罪者・磯貝の心理を外形的に現す歌舞伎
独特の演出。

「高田南蔵院本堂の場」では、重信の幽霊が、画竜点睛を欠く、未完成
の天井画「双龍之図」の眼を入れに現れる。その後、幽霊は、仏壇の裏
へ、回転して消える。重信→正助の早替り。大詰第一場「十二社大滝の
場」では、磯貝にそそのかされて重信の子・真与太郎を滝に捨てに来た
正助と重信の幽霊のやり取り、さらに、三次と正助との殺しあい。夏ら
しい本水とドライアイスを使っての大滝の場面。正助→重信→正助→三
次→正助などという勘九郎のテンポの早い立ち回りと早替りが見せ場。
吹き替え、マイクを使ってと思われる声のみの出演も含むが、芝居のテ
ンポの良さは、感嘆する。蓑笠、傘などの小道具が、そのテンポアッ
プをサポートする演出の巧さ。

大詰第二場「乳房榎の場」は、注連縄を飾った大榎、木の洞がおどろお
どろしい(案の定、やがて、ここに重信の幽霊が現れる)、乳の出を良
くしたいという願を掛けるため、描かれた乳房の絵馬、御利益のある榎
の樹液を採取する竹筒が、それぞれ、大木のあちこちに付けられてい
る。磯貝と再婚し、子ができたものの乳が出ないので、磯貝とともにや
ってきたお関、改心した正助が育てて来た重信の子・真与太郎は、ここ
で育てられていた。怪談噺、因縁噺らしい、大団円が用意されている。
幽霊の登場、霊力による小鳥たちの攻撃、磯貝に過って殺されるお関、
正助、真与太郎に仇を討たれる磯貝。

筋の複雑さを早替りの妙味で、視覚的に見せる歌舞伎の演出。多分、
落語として耳で聞くより、芝居として眼で観る方が、判りやすいという
ことを納得させる充実の舞台であった。勘九郎は、生き生きと演じてい
る。好きな道で精進している役者の満足感が伝わってきた。

全3部通じて、十蔵、亀蔵の松島屋兄弟は、脇で良い味、扇雀、弥十郎
も見せ場を作る。高麗蔵、獅童は、印象うすい。さらに、芝喜松、助五
郎などが、いつもにもまして台詞の多い役柄に恵まれていて、生き生き
演じていた。芝のぶは、もう少し生かして欲しかった。もっと、使うべ
き役者ですよ。芝のぶは。使うほど、伸びること間違いなし。9月の歌
舞伎座は、納涼歌舞伎の尾を引いて、再び圓朝作品の通し狂言「怪異談
牡丹燈篭」の上演、「浮かれ心中」が下敷きにした狂言「籠釣瓶花街酔
醒」も。そして、10月は、赤穂浪士討入三百年記念で、いよいよ、
「仮名手本忠臣蔵」の通し上演。
- 2002年8月23日(金) 21:34:08
2002年 8月・歌舞伎座  納涼歌舞伎
    (第2部/「浮かれ心中」「四変化弥生の花 浅草祭」)
 
第2部の「浮かれ心中」は、2回目。勘九郎は、井上ひさしの直木賞受
賞作品「手鎖心中」をすっかり新歌舞伎にしてしまった。5年ぶりの歌
舞伎座上演で、97年8月、やはり納涼歌舞伎の舞台で私も観ている。
去年8月、歌舞伎座では、珍しい現代劇並みのカーテンコールになっ
たという「野田版研辰の討たれ」が評判になったせいか、納涼歌舞伎3
部制では、この第2部の人気が高そうだ。大店の材木商・伊勢屋のおぼ
っちゃま・栄次郎(勘九郎)は、人も蔑(さげす)む戯作者志願だが、
売れない。「百々謎化物名鑑(もものなぞばけものめいかん)」、「吝
嗇吝嗇山後日哀譚(けちけちやまごじつのあいだん)」などの作品を刊
行するが、売れないのである。
 
売れないから、茶番で名を売ろうとする。子が親に勘当を願い出たり、
3ヶ月の期限付きの婿入り契約をしたりする。そのあげく、茶番心中を
思いつく。茶番心中の相手に吉原の人気花魁・帚木(ははきぎ)を雇っ
たのだが、花魁には、本気の大工の清六(扇雀)がいる。清六の生真面
目さが、茶番の場に登場して、二人を刃物で刺す。花魁は、生き残っ
たが、栄次郎は、ほんとうに死んでしまう。絵草子の鼠に「ちゅう乗
り」して、栄次郎は、昇天する。生真面目さが茶番を殺す。
 
この演目、3回目の出演の勘九郎は、愉しそうに演じている。前回、
私が観た同じ戯作者志願の太助は、八十助時代の三津五郎だったが、
今回は、橋之助。第1部の「播州皿屋敷」の浅山鉄山、第3部の「怪
談乳房榎」の磯貝浪江という悪役の間に、第2部では、コミカルな太助
役を演じる橋之助は、こういう役も巧い。悪役の時代がかった台詞回し
とは、一味も二味も違う。八十助も巧かったが、橋之助も、また、別の
存在感がある。それだけに、通しで観ていると、極端な役を演じわけ
る、この役者の成長振りが判るというものだ。

福助は、栄次郎契約婿入りの相手の花嫁・おすずと花魁・帚木の二役だ
が、両者の印象が似通ってしまう嫌いがあった。「籠釣瓶」を下敷きに
した花魁の場面を除くと、栄次郎の新妻・おすずと栄次郎に身請けされ
た妾・帚木の演じ分けに成功していない。同じ人に観えてしまう。高麗
蔵が、栄次郎の妹・お琴で出ているが、存在感が乏しい。十蔵は、手鎖
志願の栄次郎の心を汲んだおすずに頼みごとをされる奉行所の帳簿役人
で、目立つ。役得。栄次郎の父親の伊勢屋太右衛門に、弥十郎が扮し、
脇を固める。

ところで、今回は、助五郎、芝喜松らの傍役が、いつもより生き生きと
している。出番も多いし、台詞も多いからだ。伊勢屋番頭・吾平(助
五郎)。遣り手・お辰(芝喜松)らが、江戸の庶民像をヴィヴィッドに
演じている。それが、江戸の街の光景を印象深いものにしている。
 
江戸の街が見える。これは、第3部の「怪談乳房榎」でも同様だが、
江戸の街と街を行く人たちが舞台の主役となる瞬間がある。例えば、
「鳥越之場『真間屋』」では、鳥越の絵草紙屋の一人娘・おすずのとこ
ろへ栄次郎が婿入りする。婚礼に長屋のおかみさんたちが手伝いに来
る。栄次郎に金をもらいそれを宣伝する読売屋(かわらばん)、吉原か
ら遣り手のお辰という付き馬つきで戻って来た仲人役の友人・太助。
木場の火消し頭による木遣りの場面など。婚礼周辺に庶民の生活が覗
く。また、「亀戸之場『梅屋敷』」では、梅見客や僧侶、隠居などが繰
り出す。「向島之場『墨堤』」では、辰巳芸者、花見客など、いずれ
も、江戸郊外の光景が再現されて、興味深い。
 
「四変化弥生の花 浅草祭」は、「三社祭」は、ときどき拝見するが、
「四変化」では、初見。暗闇のなかで開幕。黒御簾からは、「鐘は上野
か浅草か・・・」の唄にあわせて、舞台、明転。浅草の海に松。高欄を
巡らした山車の踊り屋台の上には、山車人形の武内宿禰(勘太郎)と神
功皇后(七之助)が踊る。屋台は、やがて舟に替わる。

山車人形も漁師の浜成(七之助)と武成(勘太郎)に早替りして、お馴
染みの「三社祭」への舞台転換。背景も宮戸川へ。向こう岸に三囲神社
が見える。水玉模様の手拭を巧みに使って、おかめ、ひょっとこの振
り、さらに、いつものように、善玉、悪玉がとりつく場面がある。いつ
もと違うのは、悪玉を残して、善玉だけが舟を漕ぎ出して上手に入る
と、やがて通人(七之助)に替って再登場。

その際、常盤津の山台が後ろから黒衣に押されて下手に入る。替りに清
元の山台が同じようにして上手から出てくる。次の場面展開では、常盤
津の山台が、再び、下手から押されて出てくる、というように浄瑠璃、
三味線方も早替り。最後は、長唄。悪玉は、やがて、すっぽんから消え
る。妖怪変化の類ということか。やがて、野暮ったい国侍(勘太郎)
が花道から登場する。

浅黄幕の振りかぶせで、場面展開。幕の外にはみ出す両脇の見切りは、
雪山に牡丹。「石橋の場」だ。大薩摩があり、やがて、浅黄幕の振り落
としで、場面展開。一瞬にして、雪山に牡丹の光景が、舞台前面に広が
る。紅白の獅子の精に扮した二人が、舞台中央にせり上がって来る。
紅獅子は、若い七之助、白獅子は、2歳年長の兄の勘太郎。きびきびし
た力漲る所作。はつらつとした若さが感じられる。
 
勘太郎、七之助の兄弟が、めきめき力を付けているのが判る。この兄弟
は、第1部の「豊志賀の死」でも、成長ぶりを見せていた。特に、以前
にこのコンビで見ている「三社祭」の所作は、今回、いちだんと二人の
息が合ってきているのが判る。
- 2002年8月22日(木) 6:32:44
2002年 8月・歌舞伎座  納涼歌舞伎
          (第1部/「播州皿屋敷」「豊志賀の死」)
 
納涼歌舞伎は、若手、花形の演技力を磨く舞台である。今回は、坂東三
津五郎が、十代目襲名披露のための地方巡業に出ているため不参加なの
で、勘九郎を軸に義理の弟たちの福助と橋之助、息子たちの勘太郎、
七之助などほかの出演だった。だが、もうそろそろ、若手、花形という
グループから勘九郎、三津五郎らは、年齢、実力とも、抜け出ても良い
だろうし、福助、橋之助の力は、もうすでに、8月の歌舞伎座の舞台を
軸になって支える力をつけているし、若手たちも1年前と比べるといち
だんと力を付けて来ていると見た。例えば、八十助時代の三津五郎が一
際、大きく見えたのは、納涼歌舞伎の弁慶であったと思う。そういう意
味で、1年に一度、若手の力の付け具合を見る格好の舞台であった。
 
「播州皿屋敷」は、初見。良くまとまった構成の演目で、おもしろく拝
見。何故これが、あまり上演されないのか判らない。戦後、大劇場の本
興行で上演されたのが、31年前、71年6月の新橋演舞場(孝夫時代
の仁左衛門と玉三郎のコンビで上演)と今回だけと言うのは、解せない。
内容が、暗い話だからか。
 
開幕と同時に浅黄幕が目に入る。いつもながら、歌舞伎独特の演出は、
計算がされつくしている。舞台照明が、自然光と蝋燭などしかなく、
灯りを十二分に、自由自在に、効果的に操作することが、できなかっ
た時代の名残りで、一種の「明転」の演出だろうが、灯りを如何様にも
操ることができる現代になっても生きている演出と言えるだろう。
 
播州姫路の細川勝元家の国家老・浅山鉄山(橋之助)の下屋敷。二重舞
台の座敷の上手に、屋根つきの井戸がある。井戸の傍には、柳の木。
背景が黒幕、座敷内の雪洞に灯が入っていて、夕方から夜という設定だ
と判る。座敷の銀地の襖、金地の戸棚には、山水画。怪談噺らしい状況
だ。
 
この芝居では、岩渕忠太(亀蔵)が、重要な役回りをすると思う。忠太
は、殿様の病をきっかけにお家乗っ取りを企む鉄山が、許嫁のある腰元
お菊に横恋慕していると噂している中間たちを叱る。最初から強面で登
場する。
 
下手には、涙を流している人の顔のように見える大きな石の手水鉢があ
る。手水鉢が動く。やがて、手水鉢の下から人の手が出てくる。忍びの
蟻助(橋弥)が、ここから城まで掘り抜いた穴を通り、お城の宝物蔵か
ら御家の重宝唐絵の10枚組の皿のうち、1枚だけを盗んでくる場面だ。
ご苦労と金を渡した上で、蟻助を騙まし討ちにする鉄山の非情さが、
この芝居の軸だ。やがて、お皿預かりの腰元・お菊(扇雀)が皿の検分
を理由に鉄山の下屋敷につれてこられる。皿を検分すると称して、お菊
に言い寄る鉄山。拒否するお菊。気まずい二人。
 
物語は、良く知られているように、1枚欠けた皿をめぐる冤罪の果てに、
お菊が嬲り殺され、井戸に捨てられる。幽霊となったお菊の復讐譚。
非情な男の冷徹さと純情な女の復讐の対比。皿の数を数えると言う形で
恐怖を描く。非常に判りやすい内容の芝居だ。
 
釣瓶の縄で縛られ、井戸の上で宙吊りにされるお菊。縄の一方を持っ
ているのは、忠太であるが、これは、型どおりに演じている。つまり、
釣瓶井戸の縄で、扇雀をほんとうに持ち上げたりはしていない。鉄山の
刀で、身を刺され、さらに宙吊りになっていた縄を斬られ、井戸のなか
に落下するお菊。扇雀の足元に回転する台でも置いてあるのだろうか。
亀蔵は、扇雀を吊るすのに力を入れてはいない。そうかといって、扇雀
は、立っているようには観えない。やはり、吊るされているように観え
る。扇雀の四角い顔が、幕末の名優・四代目市川小團次を偲ばせる。
許嫁のある女性の色気を秘めながら、お家騒動の渦中にいる人を思い、
鉄山の残虐な仕打ちに耐え忍ぶお菊が、扇雀から観えて来る。
 
浅山鉄山(橋之助)は、こういう役は、巧い。「先代萩」の仁木弾正の
ような実悪と「四谷怪談」の民谷伊右衛門のような色悪を重ね持ったよ
うな大きさを表現していた。忠太(亀蔵)も、非情な上司に仕えきる悪
漢の存在感がある。忠太は、いわば、鉄山の悪を増幅してみせる機関
(からくり)だ。忠太は、鉄山の実悪ぶりの触媒の役割を果たしている。
亀蔵は、そういう役割を、あの顔で、あの声で十二分に演じていた。
憎憎しい忠太であった。
 
やがて、合羽を身につけ、紫の蛇の目傘をさして、雨のなかを上屋敷に
戻ろうとする鉄山。舞台は、夜の上に雨も降っていたのだ。この傘は、
「かさね・色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」同様、幽霊の
霊力を視覚化する道具となる。鉄山の持つ傘が、お菊の見えない力に引
っ張られる。これも、歌舞伎の巧みな演出。両目を寄せて、幽霊の霊力
に耐える橋之助は、写楽が描く江戸期の役者絵のように観える。お菊を
演じる扇雀の着物も両袖と帯の間に脚が観えない。天井から逆吊りにな
っているのだ。演じ終わると、頭や両手に血が溜まるという。

「真景累ヶ淵 豊志賀の死」は、2回目。下総・羽生村の「累伝説」
を基底にした怪談噺を三遊亭圓朝が、創作した。それをさらに歌舞伎化
した。前回、97年8月・歌舞伎座では、富本節の師匠富本豊志賀は、
芝翫が演じた。これは、凄かった。現身の病気の豊志賀も、幽霊になっ
てからの豊志賀も、存在感があった。だから、今回の芝翫の長男・福助
の豊志賀には、あまり、期待を持っていなかった。ところが、これが良
かった。父親とは、一味違う福助豊志賀が、そこにいた。
 
芝翫は、自分の鰓の張った顔を生かした化粧をしていた。しかし、福助
は、素顔を隠す化粧をしていた。爛れた右顔を隠すように横を向き、
左顔を見せない限り福助と判らない厚めの化粧が、成功した。そのくせ、
声や動作では、福助の「やんちゃさ」が、にじみ出ている。これは、
明らかに、芝翫とは違う豊志賀だ。新吉(勘太郎)に甘えかかるところ
も、福助が透けて観える。前回の新吉は、勘九郎が演じた。お久は、
福助であった。今回、お久は、七之助。5年間で、心太(ところてん)
のように役者の顔ぶれを押し出したように見える。まるで、廻り舞台。
 
江戸・根津の七軒町の豊志賀宅には、下手玄関に富本節の教授と「富
本豊志賀」の二枚看板がある。上手、裏庭には、朝顔が咲いている。
臥せっている福助の豊志賀は、衝立を取り除いて、起き上がってくると
崩れた顔が見える。豊志賀とやり合う新吉を演じた勘太郎と新吉を慕う
お久を演じた七之助が、力をつけてきているのが判る。寿司屋の2階、
「蓮見寿司の場」では、衝立から現れる豊志賀の幽霊。新吉の伯父・
「勘蔵家の場」では、幽霊は、障子の奥座敷、家の外に待たせてあっ
た駕篭のなかにいる。 一瞬のうちに、現れ、消える幽霊。

怪談噺だけに、暗転で、黒御簾から木魚の音が聞こえてくる。仏壇の鉦
の音と演技の連動。豊志賀が息絶えるときに縁側から落ちる金盥の音。
時の鐘の音など定式の音も含めて、音の使い方が巧みな芝居である。
舞台の節目節目に音がリンクする。音が、哀れみと凄みをクローズアッ
プする。
- 2002年8月21日(水) 5:44:13
2002年 7月・公文協「東コース」増穂町文化会館公演
             (「石切梶原」「口上」「吉野山」)
 
今回の公演は、公立文化施設協議会の歌舞伎地方興行「東コース」。
2年目に入った十代目坂東三津五郎襲名披露興行で、演目は、「吉野山」
に三津五郎が出演。「石切梶原」は、中村富十郎を軸にした舞台。いず
れも、何回も拝見している舞台なので、地方興行ならではの演出などの
チェックと、いつもと違って、役者の演技振りを中心に書き込みたい。
 
まず、「石切梶原」。今回の配役は、梶原平三は、中村富十郎。黒地に
銀の唐草模様、金の矢羽根模様の衣装を着た梶原が登場。花道が短く、
情緒や余韻がないが、地方の他目的ホールの宿命。私が見た梶原は、
幸四郎、富十郎(2)、吉右衛門、仁左衛門、團十郎。江戸から明治に
かけて、「石切梶原」は、あまり上演されなかったという。大正時代に
復活、上演が多くなった。前にも書いたが、「石切」の場面には、型が
3つあるという。いずれも、大正時代に競演されて、型ができた。

初代吉右衛門型、初代鴈治郎型、十五代目羽左衛門型。その違いは、
石づくりの手水鉢を斬るとき、客席に後ろ姿を見せるのが吉右衛門型
で、鴈治郎型は、客席に前を見せるが、場所が鶴ヶ岡八幡ではなく、
鎌倉星合寺。下手に竹矢来があり、梶原は、舞台正面から登場する。
羽左衛門型は、六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせる。
手水鉢の水にふたりの影を映した上で、「二つ胴」に見立てて、鉢を斬
る場面を前向きで見せた後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出し
てくる。初演のときには、桃太郎のようだと批判された。吉右衛門型と
羽左衛門型は、ともに、花道からの登場である。
 
前回、私が観た富十郎は、場所は鶴ヶ岡八幡で、演技は、鴈治郎型だっ
た。手水鉢の間から飛び出して来なかった。本来、富十郎は、坂東鶴之
助時代に、十五代目羽左衛門の弟子・坂東羽太蔵から「石切梶原」の型
を習ったというから、おおむね羽左衛門型だそうだ。では、前回は、
なぜ、手水鉢の間から飛び出してこなかったのか。そして、今回の富十
郎は、手水鉢の間から飛び出してきたのか。本来に戻っただけなのか。
私が観た、仁左衛門と團十郎も、この羽左衛門型であった。こういう型
で、飛び出し方が颯爽としていたのは、仁左衛門であった。幸四郎、
吉右衛門のふたりは、初代吉右衛門の型で後ろ向きで手水鉢を斬った。
 
梶原には、見せ場が、3つある。1)刀の目利き。2)「二つ胴」の試
し切り。3)石の手水鉢を斬る。いずれも富十郎の梶原は、巧み、梶原
は、手水鉢の間から飛び出して来た後、「剣も剣」〔梶原)、「斬り手
も斬り手」(六郎太夫)という台詞の応酬がある。この後、さらに、
「役者も役者」の声が、大向こうから掛かることもある。今回は、掛か
らなかった。総じて、地方興行の大向こうは、誰かついてくるのだろう
か。昔は、役者について来る大向こうの人がいたという。今回は、男性
一人で、積極的に次々と役者の屋号を叫んでいた。途中から女性の声も
加わった。全般に、富十郎の梶原は、重厚であり、見ごたえがあった。
 
実は、仁左衛門の梶原を観たのは、2年前の、2000年7月で、舞台
も今回と同じ増穂町文化会館であった。十五代目仁左衛門襲名披露・
3年目、公文協「中央コース」の千秋楽。つまり、3年がかりの十五代
目襲名披露興行の、本当の最終日であった。そのときの「双方向曲輪日
記」に、私は次のように書いている。
 
「富士川と南アルプスに挟まれた増穂町は、人口13000人ほどの小
さな町であったが、千秋楽を飾る舞台のチケットは、早々と売り切れて
いた」。今回は、私の見た所では、座席は、3分の2ぐらい埋まってい
た。2年前の熱気はなかった。思うに、今回は、地元の人たちが殆どだ
ろう。2年前は、十五代目仁左衛門の襲名披露興行の、最後の最後の舞
台ということで、東京などからも大勢の観客が来ていた。その違いが、
538席のホールの、ざっと3分の1、百数十人の差になっているので
はないか。

 (「石切梶原」の舞台は)「地方の多目的ホールなので、定式幕のよ
うな引幕はない。緞帳があがると浅黄幕、竹本も床がないので、出語
り。浅黄幕が振り落とされると鶴ヶ岡八幡社頭の場。背景の鶴ヶ岡八幡
は、幕に書いたもの。巡業らしい工夫だ。手前の鳥居も、組立のあとが
見え、双眼鏡で見ると痛みが激しいのが判る。巡業らしさは、こういう
ところにも出ている」。しかし、今回は、背景は、普通の書割で、鳥居
も、そんなに痛んでいない。3年目の地方巡業の千秋楽と2年目の途
中、つまり、8月末から9月にかけて、公文協「西コース」の地方興行
が待っている。しかし、幕開きからの手順は、今回も前回と同じであっ
た。

平家方の大庭三郎は、中村信二郎、弟の俣野五郎は、中村亀鶴。信二郎
は、いつもの信二郎という感じだったが、普段、女形の役の多い亀鶴
が、赤面敵役の俣野五郎を過不足なく演じていて、この人を見直した。
目の剥き方に、迫力があったし、台詞廻しにもメリハリがあり、役には
まっていた。亀鶴は、身長があるので、女形より、立役の方が、向いて
いるかもしれない。立役になれば、芸の幅を広げそうな気がする。
 
「石切梶原」は、また、六郎太夫の芝居でもある。源氏方の六郎太夫
は、坂東吉弥。前回の増穂町文化会館の舞台でも、六郎太夫は、坂東吉
弥であった。ちなみに、このときの梢は、秀太郎。今回、吉弥は、渋い
演技で脇を締めていた。吉弥の衣装は、襟などに汗が滲み出るほどであ
った。最近の吉弥は、ほかの舞台でも脇役の味に、油が乗っている。
その娘の梢は、澤村宗之助。宗之助の梢は、気持ちの表現が、熱演過ぎ
て、台詞もほとんど叫んでいるような感じであった。もう少し、落ち着
いた演技が欲しい。「文七元結」のお久のような口数の少ない初々しい
娘役のときは、良かったのだが・・・。
 
大庭方の大名の4人のひとり・光村左衛門役の坂東三津之助(前の「み
の虫」)と「石切」のときの、ご馳走役の奴・菊平は、三津右衛門(前
の「三平」)の交互出演ということだったが、今回は、三津之助が大
名、三津右衛門が菊平であった。大庭方の大名では、二階堂五郎は、
片岡當十郎がやることが多いようだが、口を写楽の浮世絵のようにへの
字に曲げて、憎々しく、地味な役ながら、いつも巧いと思って観ている。

「石切梶原」の、もうひとつの見せ場は、剣菱呑助の「酒づくし」の台
詞だが、今回は中村寿治郎。これまででは、團蔵、弥十郎の呑助が良か
った。特に、2年前、増穂町の同じ舞台で観た弥十郎の呑助は、絶品だ
った。酒づくしの台詞では、増穂町の地酒「春鶯転(しゅんのうてん)」
の名前を入れていた。前回は、山梨に来たばかりで、良く判らなかっ
た私も、今回は、ちゃんと判った。「春鶯転」などの地酒を造っている
店は、古くからの造り酒屋で、最近、酒蔵を改造してギャラリーと喫茶
店も併営し、町起こしに熱心な若手社長がいる。社長は、酒屋の屋号が、
萬屋なので、その因みから、萬屋・中村獅童の山梨県後援会の会長をし
ている。今回の寿治郎も、手堅く演じていた。
 
2年前の増穂町公演では、「口上」が劇中であった。「石切」の舞台
で、手水鉢の場面に行く前に、劇中の「口上」があり、仁左衛門も、
3年がかりの最後の、最後の襲名披露の口上だっただけに、たっぷりと
したもの言いで良かった。今回は、「石切梶原」には、三津五郎出演な
し(これは、本来、三津五郎の梶原でやるべきではなかったか)なの
で、別途、「口上」の場を設けた。
 
「東西、東西」のあと、口上となるが、地方巡業らしい「ご当地、初、
お目見得」という言い回しはなく、去年1月、2月の歌舞伎座での襲名
披露を強調していて、なにか、情報が古臭い感じがして、そぐわなかっ
た。やはり、地方巡業では、テレビで見るご本人が、直に見えるわけだ
から、「ご当地、初、お目見得」とやってほしかった。

さて、舞台では、三津五郎を真ん中に、上手に富十郎が座り、口上を仕
切る。この「東コース」(8月末からの「西コース」も同じ演目)は、
「口上」の後の演目が、昼の部「喜撰」、夜の部「吉野山」と変る。
日によって、夜の部のみの興行、昼、夜の2回興行と変る。この日は、
15時からの夜の部のみだったが、富十郎は、「口上」の後の、三津五
郎の出る演目を「喜撰」と紹介してしまったが、特に、訂正などはな
く、そのまま、20分後には、「吉野山」が上演された。
 
「口上」は、富十郎から、順に上手へ、秀調、亀鶴、芝雀。下手外側か
ら、吉弥、宗之助、信二郎、最後に、三津五郎本人の口上。ちょっと、
紋切り型、というか、決まった内容の口上でがっかり。もう一工夫すべ
きではないか。全般に薄味の口上が続いた。特に、亀鶴、宗之助など
は、まだ、大劇場での口上には、参加させてもらえないだろうから、
良い経験になったと思う。しかし、先輩方に遠慮していて、あっさりし
た口上であった。
 
次に、「吉野山」は、9回目。先に、02年7月歌舞伎座の舞台で、
7回目と書いたのは、8回目の誤り、訂正。忠信では菊五郎、梅玉、
猿之助(3)、團十郎(2)、勘九郎、今回の三津五郎となる。静は雀
右衛門(2)、芝翫(4)、鴈治郎、玉三郎、今回は、芝雀。
 
この日は、歌舞伎座千秋楽、大阪の松竹座千秋楽前日、そして、公文協
「東コース」で、3ヶ所で「吉野山」の上演があった(翌日の日曜日
は、「東コース」は、移動日で、休演。松竹座のみ「吉野山」上演)。
それぞれの役について、3人の役者が、3ヶ所の舞台で、同じ役を演じ
ていることになる。忠信:猿之助、新・松緑、三津五郎。静:芝翫、
雀右衛門、芝雀。藤太:段四郎、仁左衛門、秀調(いずれも、歌舞伎
座、松竹座、公文協の順)。なかでも、藤太役の仁左衛門は、観たかっ
た。どういう「ご馳走」振りになっているか、知りたいところだ。静
は、雀右衛門、芝雀の父子競演。
 
「吉野山」の舞台は、定式幕を使っていたが、普通は、新歌舞伎や所作
事では、緞帳を使う。「石切梶原」は、今回も、2年前の増穂町の舞台
でも、緞帳を使っていたが、その仕分けは、どういう基準があるのだろ
うか。
 
「恋と忠義はいずれが重い・・・」。いかにも封建時代らしい文句であ
る。静の登場である。初音の鼓と義経の鎧を置く桜の木の根元は、歌舞
伎座の舞台では、同じ木から分かれたものだったが、今回は、普通の切
り株で、桜の木からは、離れていた。舞台によって、少しずつ違うとこ
ろがおもしろい。三津五郎の忠信、芝雀の静のふたりは、中堅という演
技。ただし、巡業疲れか、三津五郎は、扇子を危うく落としそうになっ
た。この芝居は藤太の芝居でもある。藤太の出来が悪いとおもしろくな
い。秀調の藤太は、捨て台詞(アドリブ)も、工夫がなく、凡庸。病み
上がりの歌舞伎座、段四郎の方が、いろいろ工夫があった。
 
三津五郎の忠信は、鼓の音に誘われての、最初の出(地方興行なので、
花道のすっぽんが使えないため、一瞬、場内を真っ暗にして、明かりが
つくと「短い花道」に、すでに姿を現している)の場面、初音の鼓(母
親の皮でできている)に頬擦りする場面、最後の引っ込みの場面と、
3回、狐の本性を伺わせるが、猿之助の狐忠信のように、静の引っ込み
の後、蝶と桜吹雪のなか、狐のぶっかえりで正体を明かしてからの幕外
の引っ込み(狐六方)という凝った演出には、ならずに、三津五郎は、
向う揚幕にゆるりと向かって行った。なんとなく、狐の雰囲気を垣間見
せるというオーソドックスな忠信であった。三津五郎系の忠信は、踊り
重視なので、こういう演出になるという。
 
花四天との絡みでは、さまざまな見立てが、相変わらず、おもしろい。
花槍の見立て。忠信の後ろでは狐らしく「鳥居」、藤太の「操り三番
叟」のもじり(狐に操られている)、同じく藤太の「駕篭乗り」(狐
に化かされている)など。四天が絡むと芝居に「歌舞伎味」が増す。
特に、花四天は、華やか。この所作だての背景には、狐忠信の神通力
が、要所要所に使われている。上記のほかには、花四天のひとりが、
静の旅立ちの準備を手伝うのも、そうだろう。
 
ただし、花四天の花道の出は、「花道」が短いため、8人のうちの4人
しか見えない。やり難いだろうなあ。忠信の幕外の引っ込みも、引幕を
舞台後ろいっぱい、真ん中近くまで引き込み、忠信のスタート地点をで
きる限り後ろに下げているのが判る。
 
附打ちは、巡業中、ひとりで対応したようだが、例の、歌舞伎の舞台技
術の本によれば、今回の丹崎健一さんは、国立劇場所属の大道具方で、
附打ちも担当しているという。ご苦労様。
- 2002年7月31日(水) 7:11:53
2002年 7月・歌舞伎座 (夜/「南総里見八犬伝」)

「南総里見八犬伝」は、初見。暗闇のなかで開幕。定式幕が、滑ってく
る音だけが聞こえる。幕引の人が、暗闇のなか、疾駆するのは、大変だ
ろう。猿之助が、八犬士のひとり、犬山道節として軸になって出演し、
宙乗りを見せるが、お得意の早替りで何役も勤めるという演出ではない
上、中堅、若手の光る演技があり、世代交代を感じさせる舞台だった。
6年前、96年7月、歌舞伎座公演「独道中(ひとりたび)五十三驛
(つぎ)」では、14役早替りであったことを思えば、その感一入であ
る。

中村歌六が、いつものように猿之助一座に客演し、要所要所を締めてい
る。歌六は、金鞠大輔、後に、ヽ大(ちゅだい)法師、赤岩一角、実
は、猫の怪の3役。以前なら、猿之助早替りの役どころだろう。
 
このほか、右近の犬飼現八、亀治郎の犬村角太郎、笑也の犬塚信乃、
猿弥の犬田小文吾、春猿の犬坂毛野、猿四郎の犬川荘介、弘太郎の犬江
親兵衛などの八犬士。相変わらず、中堅層の役者が少ないのは、猿之助
一座では、暫く続く構造的な問題で仕方がない。それだけに、姥雪世四
郎(おばゆきよしろう)役の寿猿の渋い演技が光る。亀治郎は、ほか
に、道節妹糸滝、実は、州崎明神の2役。葛城中納言役の延夫も、好演
。ほかに、敵役・山下定包(さだかね)の段治郎の進境が著しい。伏
(ふせ)姫、角太郎妻・雛衣(ひなぎぬ)、五十子(いさらご)御前の
3役の笑三郎。滸我成氏(こがなりうじ)の門之助。
 
肝心の芝居の方は、「南総里見八犬伝」の役名、あらすじを借りた、
歌舞伎の演目、役柄の見本市のような舞台であった。歌舞伎ショーか。
私が、気がついたものを列挙しながら、スケッチしてみよう。
 
犬の「八房」(犬の着ぐるみ役ながら、めずらしく筋書に配役名が明記
されていた。笑三)が、鉄砲で撃たれる。八房は、里見家の危難の際、
敵将を殺したことで、里見家の伏姫の「夫」となった。懐妊した伏姫
は、それを恥じて八房ともども死のうとしている。笑三郎の伏姫は、
「鳴神」の「雲絶間姫」のよう。里見家の忠臣・金鞠(かなまり)大輔
(歌六)は、それを悟り、八房と伏姫をひとつ玉で、撃ち殺す。その大
輔は、「忠臣蔵」の「五段目・二つ玉」の猟師姿の勘平のよう。

里見家の守護神・洲崎明神のお告で、体内の子は、里見家を再興する勇
士になるということから、伏姫は、女ながら懐剣で切腹する。すると、
伏姫の体内から、8つの光り輝く玉が飛び出す。最初、黒衣の持つ差し
金だった玉(仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌)は、やがて、天井から
下がる8つの玉に入れ替わる。

里見家の執権ながら、敵将に通じ、伏姫の父・里見義実を殺した裏切り
者・山下定包が、登場する場面の八幡宮は、「白浪五人男」の極楽寺の
山門を思わせる。山下定包側と八犬士側との里見家の重宝・村雨丸をめ
ぐるやりとりがあり、助太刀を装って現れた角力取り・犬田小文吾(猿
弥)は、「双蝶々曲輪日記」の角力取り・「濡髪長五郎」にそっくり。

「鼓ヶ滝洲崎社の場」で、やっと、猿之助が、犬山道節役で登場。洲崎
明神役の亀治郎とのやりとりなど。洲崎明神の加護で、水火の術を体得
する犬山道節。

関八州管領・滸我成氏(門之助)の館。村雨丸を献上して里見家の再興
を願おうという犬塚信乃(笑也)だが、持って来た村雨丸は、いつのま
にか、偽物に摺り替えられている。逃げる信乃に追っ手となる犬飼現八
(右近)。ということで、八犬士側も、まだ互いを知らず、入り乱れて
いる。

信乃と現八が立ち回りをする芳流閣の場面は、「白浪五人男」のうち、
弁天小僧の立ち回りのある極楽寺の山門大屋根のよう。二人を乗せたま
ま大屋根のがんどう返しで、山門の天井画が、立ち上がってくる。やが
て、「行徳入江」の遠見が、降りてきて、場面展開。入江に佇む僧侶・
ヽ大(ちゅだい)法師(歌六)は、「熊谷陣屋」の「熊谷直実」にそっ
くり。ちなみに、「ヽ大(ちゅだい)」とは、犬の字を二つに分けたも
の。八犬士を結び付けようと、諸国を遍歴し、八犬士の行方を尋ねてい
る。お陰で、大屋根から落ち、行徳の入り江に流れ着いた信乃と現八
も、お互いの正体を知るようになる。

滸我成氏の館へ至る花道の場面で、信乃(笑也)と絡む6人の腰元た
ち。そのひとり、小桜役の喜昇は、甲府市出身の若い女形。今回の舞台
が、初台詞とあって、舞台がはねた後、電話で話をしたら張り切ってい
た。

やがて、八犬士のうち、六犬士が、出逢う円塚山山中の場。犬坂毛野
(春猿)。犬川荘介(猿四郎)、犬江親兵衛(弘太郎)なども登場。
犬坂毛野は、「白井権八」風。玉と同じ言葉を書き込んだ傘を開いた姿
は、「白浪五人男」勢揃いのような演出。六犬士の「だんまり」。犬山
道節(猿之助)の、花道の引っ込みと、見せ場が続く。

犬山道節が旅籠を営む「藤の森古那屋(こなや)の場」。ことしの大
阪・松竹座公演で、新たに作られた場面。旅籠に八犬士側が集まって来
る。「藤の森」と言えば、「石川五右衛門」縁りの地名。古那屋(こ
なや)と言えば、甲府市に同名のホテルがある。駕篭かきに村雨丸を奪
われた小文吾(猿弥)が、旅籠にやって来る。さきに指摘したように小
文吾は、「双蝶々曲輪日記」の「濡髪長五郎」だ。特に、旅籠古那屋の
2階から障子を開けて外の様子を窺う場面は、「引窓」そっくり。やが
て、経緯があって、山下定包に騙されていたことを悟る小文吾。捕手た
ちとの「おまんまの立ち回り」は、「忍ぶの惣太」を思い出させる舞台
だ。

「玉返しの里庵室の場」。角太郎(亀治郎)妻・雛衣役の笑三郎が、
角太郎の養父の赤岩一角、実は、猫の怪(歌六)との所作事で、トンボ
を返したり、障子破りをしたり大活躍。前回、3年前の歌舞伎座の「八
犬伝」みどり上演のときも、この場面の雛衣役は、笑三郎であった。
すっかり彼の得意役になったようだ。最後は、狐忠信のように、「手
斧(ちょうな)ぶり」という立ち木に仕掛けた道具を使って、立ち木伝
いに昇る。その前に、一角の差し金で離縁を迫られる雛衣に角太郎が言
う台詞「もうこの世では、逢われぬぞよ」は、「三千歳直侍」の片岡直
次郎の台詞に似ている。

ところで、「八犬伝」という犬にまつわる芝居のハイライトは、じつ
は、大猫、妖猫であった。猫の怪と言えば、6年前の96年7月、歌舞
伎座「独道中(ひとりたび)五十三驛(つぎ)」の「岡崎無量寺の場」
では、猿之助が、猫「婆」を演じていた。今回は、あの猫の怪姿でする
宙乗りを除いて、猫「爺」・歌六は、殆ど再現している。行灯の油舐め
の場面は、今回の1階「ほ・3」の座席からは、行灯内側の仕掛けま
で、きっちり拝見できた。簡単な仕掛けだが、良くできている(まあ、
仕掛けの紹介は、遠慮しよう)。庵室の「屋体崩し」があって、妻を殺
された角太郎と助太刀の現八(右近)の2人を猫の怪が吊り上げる、
3人宙乗りの場面になる。やがて、猫の怪から解放される角太郎と現八
の2人だが、猫の怪は、屋根上に現れた大猫とともに、2人を睨み据え
る。

大詰「山下館御殿の場」では、「石川五右衛門」が、勅使呉羽中納言に
なりすまして足利将軍義輝の別荘に乗り込んだように、五右衛門縁りの
藤の森の旅籠・古那屋(こなや)の場でやり込めた葛城中納言の衣服を
奪って、身につけた犬山道節(猿之助)が、乗り込んで来る。「金閣
寺」の謀反家・「松永大膳」のような格好をした山下定包に金の無心を
する葛城中納言の猿之助は、ワールドカップをもじった台詞で、観客を
笑わせる。まさに、石川五右衛門のパロディであり、いろいろあった末
に、「仁木弾正」のような恰好に変わった犬山道節は、「景清」のよう
に座敷牢に入れられていた犬坂毛野(春猿)を救い出し、重宝・村雨丸
をも奪い返し、雨を呼ぶ村雨丸の威力で、浪幕を巧く使った水攻めを引
き起こし、山下側の執権・馬加(まくわり)大記らを、煙ならぬ、水に
巻いて遁走する。

さて、幕外で、定石通り、五右衛門のように葛籠抜けの宙乗りをする犬
山道節。この場面で、「葛籠背負(しょ)ったが、おかしいか」と、
猿之助は、気持ち良さそうに大台詞。さらに五右衛門なら、幕外ではな
く、舞台にたち残される連中を尻目に「馬鹿めえー」と言う所だ。とこ
ろで、御殿の場、馬加(まくわり)大記(欣弥)、馬加鞍弥吾(猿十
郎)の親子は、「菅原伝授手習鑑」の「道明寺」の悪巧み親子の、師兵
衛(はじのひょうえ)宿弥(しゅくね)太郎を思い出させる。そう言え
ば、馬加(まくわり)は、「ばか」とも読めるが、馬加大記らは、すで
に水死してしまっている。

「山下館奥庭対牛楼の場」。満開の桜の下、山下側と勢ぞろいした八犬
士側とが梯子を使った立ち回りで、「蘭平物狂」のよう。ただし、逃げ
る山下定包(段治郎)が、蘭平のように花道で大きな梯子に昇る場面
は、なし。裁き役の滸我成氏(門之助)やヽ大(ちゅだい)法師(歌
六)に諌められ、領地没収となる山下定包。里見家再興となる若君・
義若丸(義経と牛若丸か)を抱き上げた義若丸の母・五十子(いさら
ご)御前(笑三郎)は、「義経千本桜」の「大物浦」の典侍局そっく
り。お家騒動にも決着、歌舞伎の名場面をつなぎ合わせたような猿之助
芝居も大団円。筋書を見ると田中傳太郎が、黒御簾で、笛を吹いていた
ようだ。久しぶりの傳太郎の笛。

総じて、今回の興行は、猿之助一座の若手の腕の磨きあいのような舞台
で、皆、将来やりたい役に似せて、配役を楽しんでいたようだ。

- 2002年7月19日(金) 7:19:01
2002年 7月・歌舞伎座
(昼/「御摂勧進帳」「義経千本桜〜吉野山〜」「暗闇の丑松」)

「御摂(ごひいき)勧進帳」は、初見。1773年、江戸・中村座初演
のものを先代の猿之助(猿翁)が、大正時代に復活した荒事の狂言。
弁慶(右近)一行は、義経(亀治郎)に従う、常陸坊尊海(寿猿)ら
「六」天王。当初は、義経と六天王のみの登場。安宅の関守は、この地
の豪族・富樫左衛門家直(門之助)のほかに、鎌倉幕府から遣わされた
斎藤次祐家(猿弥)がいる。ふたりは、恰も、「俊寛」で、ご赦免船の
遣いできた康頼と瀬尾に似た雰囲気であり、役割分担である。最初、
関所にいるのは、斎藤、横手軍藤太らと番卒。関の陣屋、上手に巨大な
天水桶が、いわくありげに置かれている。さらに、上手には、突き棒、
刺股などの武器が重々しく置かれている。警戒厳重。
 
義経一行は、怪しまれてしまう。やがて、朱色の衣装に身を固め、毬栗
に紅隈取をした荒法師姿の弁慶登場。咎める関守の番卒たちとやりあう
弁慶。番卒たちが、「ありゃ」「おりゃ」「べんけい」などと化粧声を
かける。サッカー・ワールドカップのサポーターのノリだ。富樫も登
場。冨樫に言われて、何も書いていない勧進帳の巻物(表が白で、裏が
黒)を取り出して、浪々と弁慶が読み上げる場面は、「勧進帳」と同じ
だが、山伏問答はない。二重舞台の陣屋から斎藤が、懐から眼鏡を取り
出して、勧進帳を覗こうとする。平舞台で、巻物を閉ざして、はったと
睨む弁慶。二重を巧く使った立体的な対立の場面。
 
弁慶は、巻物を奪おうとする横手軍藤太らや番卒たちと巻物を開いたま
まの立ち回り。後ろを向けば、観客席からも何も書いていない黒地が見
える。巻物の裏表が、見えてしまうがお構いなし。わざと、見せつけて
いるようだ。斎藤次が、笠を傾けて顔を隠している強力が義経だと決め
つける。見破られそうになると、弁慶は、金剛杖で義経を打ち付ける
が、その際、義経の被っている笠を飛ばして、義経の顔を見せつける。
そこまでやるなら、お供の、強力は、義経ではないであろうと思わせる
作戦が功を奏する。終始、義経の顔を隠したまま、義経を打ち据える
「勧進帳」とは、演出が違う。富樫の判断で、義経一行に往来切手渡
し、関所を通過させる。弁慶を残して舞台上手から消える義経一行。
 
収まらない斎藤次は、荒法師は、本物の弁慶かもしれないと陣屋に残さ
れ、番卒らに縛り上げられる。皆に袋叩きにされる弁慶。大泣きする弁
慶。通俗日本史の、伝説的人物・「泣かぬ弁慶」を、歌舞伎は、いろい
ろな趣向で泣かそうとする。これだけ、大泣きする弱者が、強者・弁慶
のはずがないという作戦だ。いわば、子供だまし。
 
義経一行が関所から遠ざかった距離を推し量る弁慶。二里では、近すぎ
る。まだまだ。三里?。ならば、もう良いか。弁慶は、己が弁慶だと名
乗り、己を縛っていた縄を縛られたまま、内側から引きちぎる。怪力弁
慶の面目躍如。関所破りの立ち回りになる。弁慶は、軍藤太らや番卒た
ちの首を次々に引きちぎる。20人の番卒たちは、赤い消し幕を背中か
ら出して首を隠す。引きちぎられた首は、出番を待っていて、舞台前方
に押し出されてきた大天水桶に投げ入れられる。
 
ころは、良し。桶の後ろからせり上げに乗って、桶に渡された板の上に
上がる弁慶。「いずれもさまのおかげで、役を勤め上げることができま
した」と右近弁慶の口上。やっとこどっこい、うんとこな。板の上に立
ちはだかり、2本の金剛杖を使って首を芋を洗うようにもみしだく弁慶
(私の子供のころ、東京の八百屋の店先で、同じようなやり方で、サト
イモを洗っていた。洗い終わるとサトイモが綺麗になったのを覚えてい
る)。別称「芋洗い勧進帳」。荒事の豪快さとおおらかな笑劇がミッ
クスされた古劇。
 
今度は、桶のなかから首が次々に飛び出してくる。ありゃ、おりゃ。
玉を数えているようだ。こりゃ、こりゃ、まるで、運動会の玉入れ競争
のノリだ。紅白の玉をそれぞれの駕籠に入れ、終わると、戦果の玉の数
を数える。あの場面だ。
 
右近の弁慶は、元気があるが、何かが足りない。そう思ってみていた。
今回、これを書いていて気がついた。それは、江戸荒事の稚戯の味が、
この「御摂勧進帳」にはあり、研究熱心な先代の猿之助は、かなり、
「確信犯」として、歌舞伎十八番の「勧進帳」と違う味わいを狙ったと
いうことだろう。いわば、「勧進帳」に対する「パロディ勧進帳」であ
り、「対極・勧進帳」と言ったところだろう。向うが、大人受けのす
る、哲学的な勧進帳なら、こちらは、子どもの受け狙いをする漫画的な
勧進帳。その理解が、今回の舞台では、足らず、薄味の、上方風の稚戯
に終わっているのが残念。戦後の本興行の上演記録を見ると、なぜか、
当代の猿之助は、「御摂勧進帳」を上演していないが、一度、観てみた
い。

「吉野山」は、7回目。病気休演中だった段四郎復活の舞台。段四郎の
逸見藤太は、熱演で愛嬌がある。忠信(猿之助)、静御前(芝翫)とい
うトリオの舞台は、2回目だが、段四郎は、今回が断然良い。この道行
は、恋人同士の道行、母子の道行などと違って、上司・義経夫人とその
お供・佐藤忠信、実は、母狐(鼓になっている皮)を恋う子狐という二
重性がある。桜の木の根元に置かれた鼓と鎧は、義経の影のように見え
る。演じたベテランの3人に、安定感あり、巧みさありで、お馴染みの
演目ながら、昼の部、随一の見応え。猿之助の狐忠信なので、引っ込み
は、蝶と桜吹雪のなか、狐のぶっかえりで正体を明かしてからの幕外の
引っ込み(狐六方)となる。

「暗闇の丑松」は、2回目。「暗闇の丑松」だけに、場内暗闇のなかで
開幕。前回、4年前の歌舞伎座で拝見。丑松は、菊五郎だった。身売
り、殺人、復讐など暗い内容で、歌舞伎の世話ものにするためには、
役者の持ち味が重要になる舞台だ。初演の六代目菊五郎以来、脇役も含
めて洗練された舞台造型になっているようだ。菊五郎は、2回目だっ
たが、さすがに世話もの得意の役者だけに過不足なく丑松を演じていた
が、猿之助初演の丑松は、外形的に熱演しすぎで、もう少し抑え気味の
演技で、内面がにじみ出るほうが、良かったのではないか。
 
この芝居は、殺人の現場を舞台では描かずに、例えば、「浅草鳥越の二
階」では、階下で起こる殺人事件を音で表現する。丑松の恋人で、お熊
(東蔵)の娘・お米(笑也)を人の妾にしようというお熊。お熊に頼ま
れて丑松を脅迫するため、二階にいた浪人・潮止長四郎(延夫)が、
まず、階下に下りていって丑松に殺される。ついで、様子を見に行っ
たお熊も殺される。様式化される「殺し場」は、ないのだ。丑松、お米
は、二階から隣家の屋根伝いに逃げる。平屋の屋根の引き窓が、がらり
と開く。こういう大道具の使い方は、巧い。
 
兄貴分の四郎兵衛に預けておいたお米は、四郎兵衛に騙されて売られ、
板橋宿の妓楼「杉屋」で女郎になっていたが、兄貴を信用する丑松に失
望して、嵐のなか、妓楼裏の銀杏の木で首吊り自殺をしてしまった。
この宿の場面では、戸外の嵐、激しい雨の降り様が、光りで描かれる
が、それが、登場人物たちの心理描写に役立っている。巧みな演出だ。
丑松の猿之助に祐次の歌六が助演。建具職人熊吉役の段治郎も好演。
段治郎は、夜の部「南総里見八犬伝」では、抜擢の敵役・山下定包役
で、最後の幕切れでは、師匠の猿之助の犬山道節を見下ろしながら、
三段に乗り、大見得という役得。杉屋妓夫・三吉の寿猿、女郎のひと
り・お美乃のしのぶ、遣手・おくのの鉄之助は、いずれも、脇の役だ
が、味があった。この芝居、脇役の巧拙で舞台が違って来る。

また、「相生町湯屋釜前」では、風呂場で起きる四郎兵衛殺人事件も直
接、「殺し場」は描かずに、殺人の前後の人の動きで表現する。いわ
ば、いずれも、殺人事件の現場を、シルエットにしてしまい、周辺の余
白で、シルエットの中身を推測させる演出を取っている。先の「鳥越の
二階」では、お米の母・お熊役の東蔵が、後の「湯屋釜前」では、湯屋
の番頭・甚太郎役の猿四郎が、それぞれ、巧みに演じていた。
 
特に、湯屋の場面は、前回、橘太郎の甚太郎も、味のある場面を作り上
げていたが、今回の猿四郎も、それに負けずに味わいを出していた。
男風呂、女風呂からのさまざまな注文をこなしながら、湯屋裏側の釜焚
きの生活がリアルに描かれる。この場面を観るだけでも、「暗闇の丑
松」は、観る価値があると思う。甚太郎の明るさと丑松の暗さが、対比
されないといけない。今回の猿之助一座では、ベテランは、別として、
若手で、光り始めた役者が目に付いた。猿四郎も、そのひとりで、夜の
部「南総里見八犬伝」では、八剣士のひとり、犬川荘介を演じていた。
 
 
夜の部、休演の段四郎は、昼の部のみのお目見え。敵役の相生町の四郎
兵衛(傘に「相四」とある)に味を出していた。四郎兵衛女房・お今の
東蔵も、中年女の嫌らしい色気が滲み出ていた。お熊、お今二役の東蔵
は、いずれも、丑松に殺される役だが、存在感があった。四郎兵衛の家
から湯屋への場面展開前に、江戸の物売りのひとつ、笊を両天秤に担い
だ笊屋が、笊売りの売り声をかけながら舞台下手を通りかかり、そのま
ま、暗転という憎い演出。最後の湯屋の湯殿で、四郎兵衛を殺して、
まんまと逃げおおせようという丑松をひるませるのは、近所から聞こえ
てくる法華太鼓の音。これも効果的だ。長町裏の殺人事件と表通りから
裏に廻ってくる祭りの神輿の音を効果的に使った「夏祭浪花鑑」を思わ
せる趣向だ。
 
この芝居は、物語は、陰惨だが、そういう音や声を意識的に使った抑制
の効いた演出の趣向が、随所に光る。そういう意味では、見せる歌舞伎
が、歌舞伎の魅力という常識のなかで、「音で聞かせる歌舞伎」とし
て、得がたい新歌舞伎だと思う。また、江戸の庶民の生活を活写する場
面も多く、江戸の市井人情ものと言われるだけに、細部の趣向に工夫が
多く、それも楽しみ。
 
さて、贅言:私の「御摂(ごひいき)亀治郎」が、最近、あまり存在感
のない舞台が続いている。年齢の割りに老けた顔をしているのだが、
それだけに、赤姫や娘役の可憐さは、なんともいえない味がある。この
道に徹したほうが良いと、私は常々思っているのだが、ときどき立役を
やったりして、どうも徹底しない。退路を断って、女形の道に進むべ
し!。そうすれば、その上に、兼ねる役者としての立役というような、
また、新たな展開があるのではないかと思う。いまのような、中途半端
は、いけない。
- 2002年7月17日(水) 22:01:17
2002年 6月・歌舞伎座 四代目尾上松緑襲名披露興行
(夜/「鬼次拍子舞」「口上」「船弁慶」「魚屋宗五郎」)

昼の部の幕開きの所作事同様に、夜の部の幕開き所作事「鬼次拍子舞」
も、山樵、実は平家の武将・長田太郎兼光(新之助)と白拍子、実は岡
部六弥太妹松の前(菊之助)の二人を乗せたせりが、奈落から上がっ
てきた。昼の部でも、新之助は、同じように上がってきたのだが、扮装
のせいか、今回は、新之助というより、團十郎に観えた。それほど、
新之助は、父親の團十郎に似ていた。

戦後4回しか本興行で上演されていないという貴重な舞台を拝見。勿
論、初見。新之助は、山樵姿。黒と緑のビロードの衣装に、茶の袖なし
の羽織を羽織っていて、まるで、定式幕そのもののような配色である。
良し悪しは、別にしても、歌舞伎の色彩感覚が窺える。菊之助は、白拍
子の扮装で赤い衣装。後見も鬘をつけ、裃を着ている。滅多に上演され
ない演目だが、荒事風の所作が、節目節目に入り、それも、その都度、
新之助の睨みという見得に昇華されてゆく。この睨みが良い。長唄の合
間に、台詞が入る。目が大きく、父親と違って、口跡も良い新之助は、
こういう演目では、ふだんより、一回り大きく観える。私などは、非常
におもしろく拝見した。

菊之助の白拍子は、青葉の笛を奪おうと、色気で迫ったり、山樵の懐に
手を突っ込もうとしたり、ちょっかいを出す。山樵のぶっかえりと白拍
子の引き抜き(赤い衣装から白い衣装へ)で、お互いに正体を顕現す。
刀と紅葉の枝が、対等の武器というのも、おもしろい。最後は、新之助
が三段に乗っての大見得。

新之助の舞台で、團十郎に似ていると思ったのは、私は、今回が、初め
てだ。前に、「遠眼鏡戯場観察」にも書いたが、菊之助では、同じよう
な体験をしている。この二人が、急速に父親に向かって、藝を向上させ
ているということなのだろうと思う。

本来の名題「月顔最中名取種」、あるいは「拍子舞名取種」より、初演
した大谷鬼次の名前が残って、「鬼次拍子舞」とは、おもしろい。「拍
子舞」は、唄いつつ、舞うという所作事。

 続いて、「口上」。先月同様、新・松緑の上手に座った雀右衛門が取
り仕切る。雀右衛門から舞台上手に向かって、吉右衛門、魁春、芝雀、
新之助、友右衛門、團十郎、芝翫。舞台下手から鴈治郎、玉三郎、團
蔵、松助、菊之助、田之助、菊五郎、新・松緑で、一巡。
 
先月の「口上」でも感じたことだが、比較的形式的な挨拶が続くなか
で、藝の上で、新・松緑の親代わりを務めているという菊五郎は、「行
く行くは、立派な松緑となって、歌舞伎界を背負ってほしい」と情味あ
ふれた挨拶をしていたのが、印象的だった。
 
新歌舞伎十八番の「船弁慶」は、兄・頼朝と不和になった義経が、大物
浦から船に乗ろうとしている。それは、歌舞伎十八番の「勧進帳」が、
安宅の関を抜けて、実は、現地を見れば判るのだが、日本海の海岸ベリ
に近い河口にある、安宅の「渡し」から舟に乗ろうとしているのと同じ
なのだ。と言うことは、江戸時代も幕末に近い天保年間に作られた七代
目團十郎の「勧進帳」を意識しながら、能の「船弁慶」を下敷きに、
明治に入っている河竹黙阿弥が、九代目團十郎のために作った新歌舞
伎。さらに、舞台が、「大物浦」ということで、黙阿弥は、「義経千本
桜」の「渡海屋」「大物浦」を意識しているはずだ。知盛の霊は、「義
経千本桜」の「渡海屋」の「銀平」(平家の銀)から平知盛に変るよう
に「銀」の衣装を身に着けているのが、その証左だろう。

まず、ナレーター(なのだ!弁慶は)弁慶が、下手、お幕から出て来
る。「勧進帳」なら、弁慶を含む義経主従の花道の出で語られる都落ち
の事情を弁慶が、ひとり語る。花道から義経主従。さらに、弁慶の進言
で、義経一行に同行して来た静御前を都へ帰すことになる。下手、お幕
から静御前登場。四代目松緑は、前半の静御前の演技が、平板だった。
顔と猫背気味の姿勢が、印象を悪くする。四季の都の名所の風情を踊る
静御前。踊り終ると、静御前の烏帽子が落ちる。この場面では、恰も、
静御前の頭が斬れたように観えた。別れる義経の形見に烏帽子を持ち帰
るということなのだが、「自害」する静御前というイリュージョンが浮
かんで来る。しかし、能では、静は、前シテで、後シテが、平知盛の亡
霊。ということは、静と知盛は、同じ人格で、静は、亡霊の仮の姿、
本性を現したのが、平知盛の亡霊ということになる。つまり、静、実
は、平知盛の亡霊なのだ。しかし、歌舞伎の「船弁慶」は、そのあたり
の表現が、曖昧ではないのか。単なる二役か。そういう配役になってい
る。

起(弁慶、続いて義経主従の登場)・承(静御前の登場)・転(舟長・
舟人の登場)・結(平知盛の亡霊の登場)という、メリハリがしっかり
した黙阿弥流の作劇。空模様を心配する義経を諌める弁慶。舞台下手の
弁慶、四天王、上手の義経という各自の居所は、「勧進帳」と同じだ
が、今回、2階席の、「は」の44番では、先月、3階席で観えたよう
な「空間的距離」は、判りにくい。「ご馳走」の配役、舟長(吉右衛
門)、舟人(菊之助、新之助)は、「転」という、時間稼ぎ、あるい
は、息抜きの軽妙な場面だが、見応えがある。襲名披露興行ならでは
の、贅沢な場面だ。

早笛の太鼓で、花道から現れる平知盛の霊(松緑)。波の上を移動する
霊であり、「波乗り」という摺り足の、足の運びが難しい。怨霊の凄み
と、足のない霊の足取り、という二重の難しさがある。「そのとき義経
少しも騒がず」という長唄の文句。霊と義経(玉三郎)との立ち回り。
数珠を揉んで生み出す法力で霊を退散させる弁慶(團十郎)に主人を守
ろうという気迫が感じられた。

知盛の幕外の引っ込みは、三味線ではなく、太鼓と笛。「荒れの鳴物」
と言われる激しい演奏。波に翻弄される知盛は、花道で薙刀を首に当て
ながら、横向き、後ろ向きで、何度も迫りながら、やがて、「渦巻き」
という所作で、巴に、身体をぐるぐる廻しながら、揚幕に入るらしい
(花道は、舞台に近い所のみしか見えない)。新・松緑の「船弁慶」
は、後半の知盛の霊は、まだ、見られたが、今後の精進に期待したい。
若い松緑は、「三十年、四十年かけて、祖父(二代目松緑)に近付きた
い」と言っているという。それを観ることができるのは、20歳代、
30歳代の歌舞伎ファンの特権だろう。私には、観ることができないか
もしれない。

「船弁慶」は、3回目。静御前、知盛の霊は、富十郎、菊五郎、そし
て、今回の松緑だが、初めて観た富十郎が、印象に残っている。弁慶
は、彦三郎、團十郎(2)。今回を含めて2回観た團十郎より、彦三郎
が、印象に残っているのは、このとき、楽屋を案内していただき、舞台
裏下手の、通称「鏡の間」で、出番を前に、弁慶の衣装のまま、煙草を
吸っていた彦三郎の姿を見てしまったせいらしい。

「魚屋宗五郎」は、3回目。宗五郎:團十郎、勘九郎、そして、今回の
菊五郎。3人の宗五郎は、持ち味が違い、それぞれ楽しめるが、やは
り、こういう役は、今回の菊五郎が、良い。序幕の「芝片門前魚屋内の
場」。宗五郎(菊五郎)の酔いの場面は、秀逸。酒飲みの動作が、三味
線と連動している。脇役を含め演技と音楽が連携しているのが判る。
全員の完璧な演技、演奏で、菊五郎劇団の息があったところを見せら
れ、堪能した。この場面だけで、充分見応えありという感じ。
 
「磯部屋敷」の場面、前半の「玄関の場」での、殴りこみのおもしろさ
と後半の「庭先の場」、酔いが醒めた後の、殿様の陳謝と慰労金で、
めでたしめでたしという紋切り型の結末が、「酔い醒め」ならぬ「興
醒め」。
- 2002年6月12日(水) 7:30:47
2002年 6月・歌舞伎座 四代目尾上松緑襲名披露興行
(昼/「君が代松竹梅」「弁慶上使」「其小唄夢廓」「蘭平物狂」)

先月に引き続く四代目尾上松緑襲名披露興行の舞台を昼・夜通しで拝見
して来た。まずは、昼の部の劇評を書く。舞台には、大きな、手描きの
祝い幕。先月のものとは、当然違う。幕の下手には、5本の蛇の目傘の
絵柄。そのほかは、先月と同じ。四代目尾上松緑丈江。上手には、松
葉。松緑格子。真ん中に、「四つ輪に抱き柏」の家紋。

昼の部では、まず、「君が代松竹梅」は、2回目の拝見。寒さに負けな
い松竹梅は、めでたさの象徴。せり台に乗って、平安朝の優雅な衣装を
まとった3人が、奈落から上がって来る。松の君(菊之助)と竹の君
(新之助)に挟まれて梅の姫(芝雀)の登場。細面の貴公子然とした若
者に囲まれて芝雀は、随分、お多福顔に見える。動く雛人形のようだ。
3人の所作が揃っていないのが残念。

昼の部のハイライトは、「弁慶上使」。吉右衛門の弁慶と鴈治郎のおわ
さが必見。時代物の台詞回しに定評のある吉右衛門の口跡を堪能した。
鴈治郎のおわさは、母性と女性との間で、揺れ動く表情を巧みに演じて
いた。「弁慶上使」は、4回目。私が観た過去の配役。弁慶:團十郎
(2)、羽左衛門。おわさ:芝翫(3)。しのぶと卿の君:芝雀、勘太
郎、七之助。今回は、扇雀。前回、01年12月の歌舞伎座の舞台の劇
評で、文耕堂と三好松洛の合作「弁慶上使」と並木宗輔ほかの合作「一
谷嫩軍記」のうち、「熊谷陣屋」(この段は、並木宗輔)との類似につ
いて書いているが、今回は、それを発展させて述べたい。前回の詳細
は、この「遠眼鏡戯場観察」を参照して欲しい。

つまり、狂言作者たちは、新しい作品を書くときに、物語の「世界」
を定め、先行作品を下敷きに、あるいは剽窃する。その上で、先行作品
とは、一味も二味も違う印象になるよう「趣向」を凝らす。平家物語と
いう世界を共通とし、登場人物の人間関係、わが子を殺すという殺人の
状況、騙す人・騙される人、女性観などの類似。キーワードは、父親
(男)の論理:組織大事。母親(女)の情理:肉親への愛。

1737年の「弁慶上使」を下敷きに、並木宗輔は、1751年、最後
の作品「熊谷陣屋」を書き上げて、生涯を閉じる。「弁慶上使」の弁慶
が、組織のなかで評価されるよう、偶然のこととはしながら、卿の君の
身替わりにわが子・しのぶを殺して、その首を卿の君だと偽って、組織
のなかへ戻って行くのに対して、宗輔は、「熊谷陣屋」の主人公・熊谷
直実には、平敦盛の身替わりにわが子・小次郎を殺して、組織の評価を
得ながら、その虚しさに目覚め、出家をして妻・相模と共に(歌舞伎で
は、相模も取り残されるが、並木宗輔原作の人形浄瑠璃では、共に旅立
つ)わが子供養の旅に出るという趣向を工夫した。

これは、前回の劇評では、触れなかったが、「弁慶上使」の弁慶は、
わが子を犠牲にしてまで、出世の階段を登ろうとする「サラリーマンは
辛いよ」という物語であるのに対して、「熊谷陣屋」の熊谷直実は、
わが子を犠牲にしてまで、出世しようとした己の虚しさに気付き、サラ
リーマンを辞めて、いわば、第二の人生を妻と共にわが子の供養の日々
を送ろうと決断した「脱サラ人生」への提言と読めるというわけだ。
封建時代に宗輔が書いたテーマは、時空を越えて、そういう現代的なテ
ーマとして、私の前に迫って来る。封建時代の論理に縛られながら描い
た「弁慶上使」。封建時代のなかで、封建性を超える情理を提言した
「熊谷陣屋」。これが、今回の最大の発見。

鴈治郎のおわさは、前半では、卿の君の身替わりにわが子・しのぶを差
し出せと侍従太郎(歌昇)言われても、娘を助けたい一身という母親の
一途さを演じ、後半では、上使の弁慶が、わが子の父親と知り、若き日
の自分に戻り、母性より女性を強調する、可愛らしい女を巧みに演じわ
ける。母と女の対比がポイント。吉右衛門の弁慶は、状況に動じない組
織人の「静」と一度だけ大泣きをする父親の情を「動」として演じわけ
る、静と動の対比がポイント。

偽の卿の君の首(紅布に包まれている)の担保にと追腹を斬ったように
見せ掛けるために、己の首を差し出した侍従太郎(白布に包まれてい
る)。紅白の首を両脇に抱えて、修羅の世界へ戻って行く弁慶。歌舞伎
の色彩の美学。娘を失った母親と夫を失った妻の両方に花道七三から二
つの首をかざして見せる弁慶に、無情にも遠寄せの音が被さる。弁慶の
この行為は、陣屋を去る熊谷直実に小次郎の首を見せる義経の行為と同
じながら、二人が立つ舞台のポイントは、逆転していることに注意。
この位置の逆転こそ、「弁慶上使」の作者と「熊谷陣屋」の作者の創作
意志の逆転の象徴なのだと私は、思う。

贅言:侍従太郎の館で、舞台中央の銀地に「火焔太鼓にお幕」という絵
柄の襖の開け閉めと役者の出と退場は、パソコンの画面のクリックに拠
る場面展開のように見えて、おもしろかった。

「其小唄夢廓」は、2回目。前回は、6年前の4月、歌舞伎座。権八:
梅玉、小紫:雀右衛門。今回は、権八:團十郎、小紫:玉三郎。竹矢来
に黒幕だけという舞台は、鷹揚に廻っても竹矢来に題目塔という刑場の
殺風景には、変わりない。團十郎の演じる罪人・権八の無表情には、
男の色気が乏しい。退廃美というより虚無感。襟と袖だけが紫という
「胴抜き」という色っぽい姿の遊女・小紫を演じる玉三郎は、お得意の
世界で、安定した演技。周りの役人たちの隙を見て、権八を戒めていた
縄を切る小紫の激情も、結局、失敗。二人とも取り押さえられてしまう
ところで、舞台は、暗転。

暫くして灯りが付くと、舞台は、華やかな吉原。権八は、虚しい未来を
暗示する夢を見ていたのだ。大勢の新造たちに囲まれる権八。天紅つき
の小紫からの恋文を読む権八。不吉な夢を懸念する権八。そういう未来
から現在に光を当てるという趣向を暗転を挟んで、陰と陽の舞台のコン
トラストにして、2枚組みの浮世絵に仕立てたのが、この舞台。

肝腎の新・松緑の「蘭平物狂」は、辰之助のときと2回目の拝見だが、
進境が見えない。特に、「在原行平館の場」が弱い。「蘭平物狂」は、
3回目の拝見。7年前の11月、歌舞伎座の八十助時代の三津五郎、
3年前の11月、歌舞伎座の辰之助、そして今回。「奥庭の場」は、
八十助も良かったが、辰之助も良かった。ただ、八十助は、前半も良か
ったが、辰之助も新・松緑も、ここが良くなかった。そこが、新・松緑
と三津五郎の違いだろう。新・松緑は、口跡は良く、場内に響く。特
に、「奥庭の場」で、息子の繁蔵に己を討たせようと言う父親の情愛を
秘めながら、繁蔵を呼ぶ、押さえ付けたような声の出し方が、良かっ
たと思う。この人は、口跡は良いのだが、いつも、頭の天辺から声を出
しているようで、損をしている。行平の芝翫の声が弱い。さらに、おり
くの雀右衛門の声が弱いのが、気になった。

新・松緑は、猫背気味の姿勢と役柄が限られるという印象が強い顔を藝
で越えることができれば、将来が楽しみになるだろう。

「三階さん」たち、大部屋の役者衆に華を持たせる演目で、こういうも
のを名跡の襲名披露興行に使うと大部屋の役者衆も張り切ると思うの
で、その作戦は、成功と見た。ここの場面の集団立ち回りは、いつもの
ことながら、迫力があり、見応えがあった。大小の梯子は、この演目
の、もうひとつの主役だろう。花四天の8人越のトンボは、素晴しい。

菊五郎は、昼の部は、休演、夜の部のみ出演。「蘭平物狂」の与茂作
(菊五郎)の代役は、菊之助。菊之助は、これまでのところ、本来の役
ではないであろうと思われる、こうした与茂作なども、無難に勤めて、
藝域を拡げたように見受けられる。将来が、楽しみ。
- 2002年6月10日(月) 7:30:44