2000年5月まではここ 2001年5月まではここ 2002年5月まではここ 2005年5月まではここ

10,000アクセス記念特別版

20年2月国立劇場(人形浄瑠璃)・第三部「傾城恋飛脚」「鳴響安宅新関」



2月。歌舞伎座は、「道行故郷の初雪」、国立は、「傾城恋飛脚〜新口村〜」



国立劇場人形浄瑠璃興行の第三部は、「傾城恋飛脚」「鳴響安宅新関」という構成。「傾城
恋飛脚」では、このうち、「新口村の段」。
近松門左衛門原作の「冥途の飛脚」(1711年初演)を菅専助・若竹笛躬の合作で改作し
たのが、「傾城恋飛脚」(1773年初演)。「新口村の段」は、いつも歌舞伎などで観て
いる「恋飛脚大和往来」の原作である。

人形浄瑠璃

人形浄瑠璃「傾城恋飛脚」:舞台は、百姓家。下手に、「新口村」の道標。竹本では、冒
頭、「節季候だいだい、だいだいは節季候、おめでたいは節季候」。「節季候(せきぞ
ろ)」や「古手買」など庶民の風俗が描写される。「節季候」とは、門付けを演じる芸人た
ちのこと。「古手買(ふるてかい)」は、古着や古道具を農村に買いに来た商人。古着屋、
古道具屋のことである。しかし、この芝居では、いずれも、公金横領の忠兵衛と同伴する遊
廓から逃げ出した遊女の梅川の逃避行を追っている探索の追っ手(捕り方)たちの変装であ
る。

「薄尾花はなけれども」は、「冥途の飛脚」の「道行相合かご」での竹本の文句。道行きの
途中は、晩秋の芒の季節。しかし、新口村は、今、雪景色。「人目を包む頬かぶり、隠せど
色か梅川が馴れぬ旅路を忠兵衛、労はる身さえ雪風に、凍える手先懐に、暖められつ暖め
つ、……」

死出の道行の果てに、忠兵衛のふるさと・新口村まで、逃げて来た梅川・忠兵衛の登場。
「比翼」という揃いの黒い衣装、裾に梅の枝の模様が描かれている(但し、裏地は、梅川
は、桃色、忠兵衛は、水色)。衣装が派手なだけに、かえって、寒そうに感じる。互いに抱
き合う形の美しさ。ふたりが頼って来た百姓家は、実家ではなく、「親たちの家来も同然」
という忠三郎宅。忠三郎不在で、女房から、大坂での「事件」について聞かされ、己の身許
を明かせないまま、「年籠りの参宮」と、ごまかし、忠三郎を呼んで欲しいと女房に使いを
頼む。

家に入ったふたりは、上手の奥の間、「反古障子を細目にあけ」て、吹雪の畠道を通る人々
の中に、老父・孫右衛門がいないかを見守る。桶の口の水右衛門、伝が婆、置頭巾、弦掛の
藤治兵衛、針立の道庵など、忠兵衛顔見知りの村の面々が、寺に法話を聞きに行く情景が描
かれる。忠兵衛は、梅川に、得意げに、人物寸評をする。ここは、歌舞伎では、あまりやら
ない場面。さまざまな人形が登場するのも、おもしろい。怪しい巡礼姿の男(実は、八右衛
門)が、家内を窺っている。

それと気づかず、忠兵衛「アレアレあそこに見えるのが親父様」で、孫右衛門登場。「せめ
てよそながらお顔なりとも拝もうと」と、忠兵衛は、梅川に、遠目ながら、老父を紹介す
る。忠兵衛「今生のお暇乞」、梅川「お顔の見初めの見納め」。

孫右衛門は、雪道に転んで、高足駄の鼻緒が切れる。あわてて、飛び出す梅川。家の中に招
き入れ、忠兵衛の代りに、「嫁の」梅川が、父親の面倒を見る。初見ながら、「嫁の梅川」
と悟る孫右衛門は、義父の判断。梅川の機転で、再会を果たす忠兵衛と孫右衛門。ここは、
歌舞伎も同様。巡礼に化けていた八右衛門の知らせで、近づいて来る追っ手の声を聞き、孫
右衛門は、忠兵衛と梅川をよそで捕まれと、逃がすため百姓家裏の抜け道を教える。情報錯
綜の追っ手たちが向かったのとは、違う道を教える。ああ、親心。

「平沙(へいさ)の善知鳥(うとう)血の涙、長き親子の別れには、やすかたならで安き気
も、涙々の浮世なり」(幕)。奥州の善知鳥(うとう)という鳥。親鳥は、「うとう」と鳴
き、子は「やすかた」と泣くという。


歌舞伎

歌舞伎「恋飛脚大和往来」:花道には、白い雪布が敷き詰められている。定式幕が開くと、
まず、無人のまま、浅葱幕が舞台を覆っている。振り落としで、「新口村」となる。本舞台
中央に、ご両人。梅川・忠兵衛の二人。茣蓙で人目と雪を遮って、立っている。背景は、密
集した竹林の枝に雪がみっちりと積もっている。いつもより、山深い地に来たように見え
る。

この場面、ずうっと雪が降り続いているのを忘れてはいけない。梅川が、「三日なと女房に
して、こちの人よと」請願した希望の地、忠兵衛の父親が住む在所である。忠兵衛の知り合
いの百姓・忠三郎の家の前。雪の中、一枚の茣蓙で上半身を隠しただけの、男女が立ってい
る。黒御簾からは、どおん、どおんと、大間に太鼓の音が聞こえて来る。雪音だ。天井から
雪が降って来る。

ふたりの上半身は見えないが、「比翼」という揃いの黒い衣装の下半身、裾に梅の枝の模様
が描かれている(但し、裏地は、梅川は、桃色、忠兵衛は、水色)。衣装が派手なだけに、
かえって、寒そうに感じる。やがて、茣蓙が開かれると、梅川と忠兵衛。絵に描いたような
美男美女。二人とも「道行」の定式どおりに、雪の中にもかかわらず、素足だ。足は、冷え
きっていて、ちぎれそうなことだろう。茣蓙を二つ折り、また、二つ折りと鷹揚に、二人
で、叮嚀に畳み、百姓屋の納屋にしまい込む。梅川の裾の雪を払い、凍えて冷たくなった梅
川の手を忠兵衛が息で暖め、己の懐に入れ込んで温める。忠兵衛を直接知らない百姓家の女
房に声を掛け、不在の夫・忠三郎を迎えに行ってもらう。家の中に入る二人。

やがて、花道から孫右衛門登場。逃避行の梅川・忠兵衛は、直接、孫右衛門に声を掛けたく
ても掛けられない。百姓家の窓から顔を出す二人。ところが、本舞台まで来た孫右衛門は、
雪道に転んで下駄の鼻緒が切れる。あわてて飛び出す梅川。見慣れぬ美女が、懇切に世話を
するので、息子の封印切り事件を知っている父親は女が息子と逃げている梅川と悟る。忠兵
衛の代りに、「嫁の」梅川が父親の面倒を見る。梅川と孫右衛門のやりとりを家の中から障
子を開けたり、締めたりしながら、様子を窺うことで、父親を目前にして落ち着かない忠兵
衛の心理が浮かび上がる。寺に寄進する予定だった金を「嫁」に逃走資金として渡す義理の
父親。

「めんない千鳥」(江戸時代の子供の遊び。目隠しをした「鬼ごっこ」のこと)で、手ぬぐ
いを目隠しに使って、梅川は、外に飛び出した忠兵衛と孫右衛門を事実上、会わせる。目隠
しも梅川が外してあげて、親子の対面。家の裏から逃げよと父親が言う。二人が百姓家の中
に改めて入ると、やがて、雪深い竹林の書割がふたつに割れて、舞台下手に雪の遠見と街道
が透けて見える。いつもなら、百姓家の屋体は、物置ごと舞台上手に引き込まれる。人形浄
瑠璃は、屋体は、逆に下手に引き込まれる。百姓家の周りが雪深い密集した林だったのだと
判る。

贅言;舞台下手に花道がある歌舞伎の場合は、出入り口が、下手に設定される。花道がな
い、人形浄瑠璃は、状況設定により、屋体の上手側、下手側に、自在に出入り口が設定され
る。引き道具で、屋体が上手、下手へと自由に設定できる。

舞台は次へ、展開。百姓家の横側、竹林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見
に替わる。黒衣に替わって、白い衣装の雪衣(ゆきご)が、舞台奥からすばやく出て来て、
本舞台に残った道具(孫右衛門が使っていた茣蓙と椅子)を片付ける。逃げて行く梅川・忠
兵衛は、上手奥から再び姿を現す。霏々と降る雪。雪音を表す「雪おろし」という太鼓が、
どんどんどんどんと、鳴り続ける。さらに、時の鐘も加わる。憂い三重。竹林の向こうを通
って、舞台上手から下手へ進んだ後、下手から上手へスロープを上がってさらに奥へ行く二
人。白黒、モノトーンの世界に雪が降り続く。孫右衛門がよろけると、木の上に積もってい
た雪が落ちる。孫右衛門も、鼻緒の切れた下駄を梅川に紙縒りで応急措置をしてもらった
が、結局履かずに素足のまま。逃げる方も逃がす方も、素足で我慢。

歌舞伎の所作事

歌舞伎の所作事「道行故郷の初雪」:梅川忠兵衛の新口村の実家への逃避行、通称「新口
村」。1711(正徳元)年、近松門左衛門は、大坂竹本座で、人形浄瑠璃「冥途の飛脚」
を初演した。「梅川忠兵衛もの」と呼ばれた、この系統の演目が、1796(寛政8)年、
大坂角の芝居で、歌舞伎化され、「恋飛脚大和往来」という外題で初演された。稼業の「飛
脚業」で公金使いという罪を犯し、死を覚悟した忠兵衛が遊郭から恋人の梅川を連れ出し
て、忠兵衛の実父が住む故郷の大和国新口村へ向かう。今生の別れを告げる逃避行だ。滅び
の美学。私たちに明日はない、という破滅型の人生に美学を見つける、という演目。

1854(嘉永7)年、江戸中村座。「新口村」は、八代目仁左衛門の主演で、所作事とし
て、新たに「道行故郷の初雪」という外題がつけられて初演された。今回の演目は、その系
統の舞台である。

20年2月、歌舞伎座。幕が開くと、無人の舞台。全面を浅葱幕が覆っている。清元の置浄
瑠璃に続き、浅葱幕が振り落とされると、舞台中央に立つ男女の姿が、いわば、クローズア
ップされる。黒地に比翼紋の入った揃いの衣装を着た足元だけが見える。周りは、雪を被っ
た竹林。天地左右前後、白銀の世界だ。客席すらシルバーワールド。二人は、雪の中にも関
わらず、素足だ。茣蓙で上半身を隠している。茣蓙を跳ねるように外すと、梅川・忠兵衛と
いう若いカップルが姿を現す。公金使いの男と遊郭から抜け出した遊女。指名手配の犯罪者
たちだ。大坂から逃げてきたのだ。梅川は、秀太郎。忠兵衛は、梅玉が演じる。やがて、真
っ白い竹林の書割が左右に開き、新口村の村境へ、二人は辿り着く。

この演出は、馴染みのある「新口村」と若干、違う。今回の演目「道行故郷の初雪」は、所
作事に特化して、洗練されている。例えば、「出口」、というか逃げ場のない真っ白な竹
林。舞台の背景全体が、天地、白一色の銀世界。竹林には、道があるのか。やがて、竹林の
書割が左右に開き、新口村の村境へ、二人は辿り着く。舞台中央下手に、「新口村」の道標
と孤独な地蔵さん。たった一人で雪を被っている。中央上手には、百姓屋と納屋。遠方に
は、厳しい山容の雪山の峰々が見える。寒かろう。白一色の孤独な世界の中で若い二人の
み、黒装束。もちろん客席は、カラフル。

贅言; 万才松太夫が、登場するのは、今回が初めて(あるいは、戦後では初めて)。松緑の
ための配役か。万才の登場は、「節季候」の趣向なのだろう。

下手から万才の松太夫(松緑)の登場。戦後演じられたこの演目で、初めての万才役の登
場。二人の逃避行の姿を見て、松太夫は、「これが、噂に聞いた二人」と直感する。犯罪者
たちの逃避行中という噂にトンと合点が行きながら、おくびにも出さずに、二人を慰めるた
めに、門付の踊りを披露する。万才の男は、松緑のために作ったような配役ではないか。や
がて、松太夫も去り、捕り方が近づいていることを示す太鼓の音が鳴り響く。百姓家が納屋
ごと引き道具で上手に引き込められる。百姓家の後ろに雪のあぜ道。さらに、遠方に雪山の
峰々。下手奥から逃げ延びようと竹林に入る梅川・忠兵衛の背中を見せながら、幕。逃げ延
びようとする梅川・忠兵衛の背中を見せながら、幕。舞踊劇の華やかさを求める。人形浄瑠
璃の芝居は、細部の丁寧に演じている。


ダイナミックなチーム「勧進帳」


「勧進帳」は、元々、能の「安宅」。歌舞伎では、四代目市川團十郎の「御摂勧進帳」を経
て、七代目市川團十郎が、弁慶の役を大きくして、「勧進帳」を新規に創作した。「鳴響安
宅新関(なりひびくあたかのしんせき)」は、1895(明治28)年、大阪の稲荷座で初
演された。作曲は、二代目豊澤団平。その後、手が加えられ、1930(昭和5)年大阪の
四ツ橋文楽座で、外題も「勧進帳」として初演された。弁慶の首(かしら)も、「団七」か
ら「文七」に替わった。「延年の舞」などの場面を長めに改良した。筋立ては、歌舞伎に拠
っているが、浄瑠璃の詞は、能に近い、という。

人形浄瑠璃では、例えば、今回上演の「鳴響安宅新関」のうち、「勧進帳の段」では、歌舞
伎と違って、群像劇としての「勧進帳」を大事にしているように見える。弁慶が、軸になっ
ているが、歌舞伎ほど弁慶がスターになっていないように思える。弁慶と義経の四天王が、
人間戦車のように、ワンチームと化した重量感を持ち、地響きを立てながら、関所を突破し
て行くイメージを抱いた。延年の舞も大合奏の迫力がある。弁慶は、きびきびした男舞を見
せる。背景の書割が、山から海辺へ替わるのが、新鮮。実際に安宅の関跡は、かなり、海辺
に近いのである。三人の人形遣いは、ここから、全員が顔出しとなる。最後に、弁慶が、歌
舞伎とは違う飛び六方を踏んで見せてくれる。お見逃しなきよう。

特に人間戦車の司令塔になっている弁慶は、延年の舞含めて、重量級を感じさせる。動きに
重量感、機動力を感じさせる。人形浄瑠璃の勧進帳は、歌舞伎の勧進帳の場面よりも、原型
に近いのではないか、という印象がある。
- 2020年2月21日(金) 16:02:42
20年2月国立劇場(人形浄瑠璃)・第二部「新版歌祭文」「傾城反魂香」



津駒太夫、六代目錣太夫襲名



2月の国立劇場は、浄瑠璃の津駒太夫が六代目錣太夫として襲名披露の舞台である。

第二部のうち、「傾城反魂香」の浄瑠璃「奥」の語りの前に披露された。人形浄瑠璃の人形
遣いや浄瑠璃の太夫らの襲名披露、あるいは、引退の披露などの舞台は、私も何回か観てい
るが、今回は、いかに。

「錣(しころ)」とは、兜(かぶと)や頭巾の左右、後ろに下げて、首筋を覆って、保護す
る役目を持つ。大相撲では、錣山親方も「錣」という字を使用している。歌舞伎の演目で
は、「錣引」というのがある。屋島の戦いで、平氏方の平景清と源氏方の美尾谷(みおの
や)十郎国俊が格闘した際、強力の持ち主の戦いゆえ、国俊の兜の錣が切れてしまったとい
うエピソードが残されていて、この伝説が、歌舞伎でいろいろ潤色され、さまざまな趣向で
演じられている。

歴代の錣太夫は、詳細不詳だが、五人いる。初代豊竹錣太夫は、1840(天保11)年―
1883(明治16)年の人。江戸生まれの人だった。二代目竹本錣太夫、三代目豊竹錣太
夫は、ともに、生没年経歴も不詳という。一部、明治期の舞台の出演記録は、ある。四代目
も不詳。五代目竹本錣太夫は、1876(明治9)年―1940(昭和15)年の人。東京
出身。子供太夫として出発。竹本錣太夫、あるいは豊竹錣太夫と名乗るが、再び、竹本錣太
夫に改める。芸域が広く、チャリ(笑劇)場や入れ事(アドリブ)を得意とした。そして、
今回の六代目竹本錣太夫となる。1949年生まれ。1969年、四代目竹本津太夫に入
門。津駒太夫を名乗る。1970年、朝日座で初舞台。1989年、五代目豊竹呂太夫の門
下となる。それゆえ、今回の襲名披露でも、当代の呂太夫が、介添え役となって口上を勤め
た。二人は、三味線の宗助を間に挟んで、盆回しに乗って、舞台上手に現れる。呂太夫の披
露の口上が座を盛り上げるが、歌舞伎の襲名披露のような華やかさは、無い。

今回の上演は、「傾城反魂香」のうち「土佐将監閑居の段」。浮世又平の絵師としての苗字
へのこだわり。聾唖へのコンプレックスなど、通称「吃又」という表記も含めて、歌舞伎の
封建的な価値観の残滓は、いつ観ても、不愉快だが、ここは封建時代の善人噺として、観て
いるしかない。今回は、津駒太夫、改め、六代目錣太夫の襲名披露の舞台。ご祝儀代わりに
観劇。皆の出世譚として、許容するか。

人形浄瑠璃の「傾城反魂香」は、12年5月、私は国立劇場で初めて観ている。
「傾城反魂香」は1708(宝永5)年、大坂・竹本座で初演された。後に、1719(享
保4)年、歌舞伎化されている。この舞台で、近松門左衛門原作のお家騒動ものから脱し
た。又平は出世譚の主人公に躍り出た。以後、よく上演されるようになった。私も歌舞伎で
は、何回も観ている。今回も歌舞伎との違いをチェックしておきたい。

人形浄瑠璃の「傾城反魂香」では、修理之介が絵から抜け出て騒がせている虎を筆で消す場
面が、歌舞伎とは違う。歌舞伎では、将監の屋敷から一旦外に出た修理之介が下手の竹藪に
潜む虎と正対して、筆で消すが、人形浄瑠璃では、屋敷の部屋の中に居たまま、虎の絵とは
横向きとなる形で、虎を消していた。また、歌舞伎では、師匠の将監から名字帯刀を許され
た後、浮き浮きとしながら、正装の裃袴姿に着替えるが、人形浄瑠璃では、着替える場面が
ない。又平は、初めから裃姿。

さらに、又平が描き、手水鉢突き抜けて、向こう側に自画像の姿絵(女房の勧めで、又平は
手水鉢を墓の石塔と想定し、戒名の代わりに自画像を描いて、自害しようとする場面)が浮
き上がる(抜け出る)が、この場面は、歌舞伎の仕掛けでは、手水鉢の中に人が入って絵を
描くので、滲むようにジワジワと絵が出てくるが、人形浄瑠璃では、ドロドロの鳴り物入り
で、一瞬のうちに絵が抜け出る仕掛けになっているという(児玉竜一早稲田大学教授)。

人形浄瑠璃では、さらに、その手水鉢を将監が真っ二つに斬ると又平の吃りがたちまち治る
という、ご都合主義的な奇蹟の場面がある。「直った直った」。また、又平が早口言葉を言
って、吃音が治ったことをことさらに強調している。「傾城反魂香」は歌舞伎作者から人形
浄瑠璃作者に転じた近松門左衛門が歌舞伎味を活かしながら、人形浄瑠璃の台本を書いた。
門左衛門原作を、後に吉田冠子(人形の三人遣いを創案した人形遣の吉田文三郎のペンネー
ム)らによって、又平の見せ場(人形の動きを重視した)を増やすために改作されている
が、今回は、その改作の台本を使用しているので、吃音が治り、早口言葉を言う場面が出て
来る。改作後の入れ事が残された。襲名披露に好まれる演目らしい、お祝いの場面。

さらに姫君救出の命を受けた又平が、肩衣の両肩を脱いで出立する。人形遣いは、又平を勘
十郎、女房のおとくを清十郎、土佐将監を玉也、将監奥方を文昇ほか。錣太夫の襲名披露ら
しい豪華な配役。幕間のロビーで、錣太夫に祝意を伝え、ちょっと話をした。

浄瑠璃:「口」が、希太夫。三味線:團吾。浄瑠璃:「奥」が、錣太夫。三味線:宗助。ツ
レが、寛太郎。

「新版歌祭文 野崎村の段」は、1780(安永9)年、9月に大坂竹本座が、初演。「新
版歌祭文」は、1710(宝永7)年、大坂で起きたお染・久松の情死という実話が元にな
った狂言。大坂の大店油屋で大事に育てられた娘と武家出身で複雑な家庭環境に育ったイケ
メンの若い使用人の心中物語という「お染・久松もの」の世界。近松半二ほかの原作。上下
二巻の世話浄瑠璃。当時、この事件を元に歌曲、浄瑠璃、歌舞伎が、つくられたが、近松半
二らが、それを集大成した。歌舞伎では、「妹背山」の「山の段」(歌舞伎では、「吉野
川」)同様に、左右対称の舞台装置を得意とする半二劇の典型的な演劇空間で、本来の演出
では両花道(本花道、仮花道)を使う。時に、本花道だけの演出もある。花道の無い人形浄
瑠璃の舞台では、この場面を、どういう演出で上演するのか、見所のポイントの一つになる
だろう。

歌舞伎も人形浄瑠璃も、「野崎村」という通称に示されているように、この場面だけを観る
と、軸となるのは、野崎村に住む久作と後妻の連れ子のお光(今回の人形浄瑠璃では、おみ
つ)の物語となる。大坂の奉公先で、お店のお金を紛失(久松が盗んだという嫌疑もかけら
れる。実は、冤罪)し、養父・久作の家に避難して来た養子の久松、久松と恋仲で久松の後
を追って訪ねて来たお店のお嬢さん・お染、さらに、お染を追って来たお染の母・お勝が登
場し、お染も、久松も、店に戻されるという展開になるだけの話。皆、野崎村に来て、お騒
がせをして、帰って行く。しかし,軸は、おみつと義父・久作であることを忘れてはならな
い。髪を切り(尼になる)、人生の岐路を曲がってしまうのは、おみつであり、それを健気
だと慈しむのが、久作であるからだ。

大坂の油屋の手代小助に連れられて久松が帰って来た。久松が金を盗んだとして、久松の実
家に掛け合いに来たのだ。実際に盗んだのは、この小助なのだが、小悪党の小助は、さらに
金をゆすり取ろうという魂胆である。強欲にして小心者の小助の人間性が浮き彫りになる端
場として知られ、この場面は「あいたし小助」という通称がある。歌舞伎では、ほとんど上
演されないようだ。虫の知らせか、途中から引き返して来た久作が、小助と応対し、藁苞に
いれていた金を小助に渡すと、小助は、大坂に戻って行く。

この後は、歌舞伎でもお馴染みの場面となる。久作の後妻の連れ子のおみつは、養子の久松
との婚礼を楽しみにしている。事情はどうあれ、恋しい久松が、戻って来たので、嬉しいお
みつ。そこへ、大坂から野崎参りにかこつけてお染がやって来る。おみつは、若い女性の直
感で、お染を「恋敵」として、鋭く認識する。お染持参の土産物の服紗を投げ返したり、門
の戸を閉めたり、娘らしい嫌がらせをする。三角関係と嫉妬。おみつが、久作とともに、奥
に引っ込むと、お染は、久松に詰め寄る。山家屋に嫁ぐ話が進んでいるお染は、久松の真意
が知りたいと焦っている。既に、男女の仲になっているお染・久松。処女の田舎娘のおみ
つ。「深き契り」の様を壁越しに肌で感じたおみつのとるべき途は? ということで、恋敵
お染の存在を知り、奥で、髪を切り、尼になったおみつ。処女は、修道女(尼)になるつも
りだ。

そこへ、大坂からお染の母親が、訪ねて来て、結局は、お染・久松の二人を大坂に連れて帰
ることになる。小助のからみを除けば、大筋は、歌舞伎も人形浄瑠璃も、同じだ。だが、幕
切れ近い、ここから、先が違って来る。

歌舞伎では、舞台が回り、久作の家の裏手の舟着き場が現れる。水布が敷き詰められて、川
となった本花道から、お染と母親を乗せた舟が大坂を目指す。土手の街道となった仮花道か
ら、久松を乗せた駕篭が大坂を目指す。

人形浄瑠璃では、舞台の構造上、そういう演出は取れない。舞台下手手前に川があり、下手
小幕から出て来た屋形舟にお染と母親が乗る。母親が乗って来て、下手奥の袖に置かれてい
た駕篭に、代わりに久松が乗る。「死んで花実は咲かぬ梅、一本花にならぬ様にめでたい盛
りを見せてくれ。随分達者で」と、久作。

やがて、舞台の久作宅の大道具(屋体)が、本舞台奥に引き入れられる。引き道具という演
出だ。山の遠見が舞台の上から降りて来る。本舞台前面が、川になる。川の奥が、土手にな
る。川には、障子を締め切った屋形舟(両脇が、黒い布で、隠されている)を大男の、力士
のような太った船頭が舟を漕ぐ。漕ぎながら、体操まがいの動きをさせて、「チャリ場」
(笑劇)を演じる。駕篭の簾を垂らしたままで、駕篭が、下手から上手に移動し、舞台中央
の辺りで、駕篭かきに休憩をさせて、汗を拭わせる。歌舞伎なら、本花道で屋形舟の障子を
開けて、お染の顔を覗かせるし、仮花道で、駕篭の簾を開けて、久松の顔も覗かせる。別れ
別れの道行を観客に見せつける。見せつける時間稼ぎのために、駕篭かきに汗を吹かせたり
してチャリ場を演じさせる。ここは、歌舞伎も人形浄瑠璃も同じ。歌舞伎も人形浄瑠璃も、
この場面では、早間の三味線が、ツレ弾き(2連で演奏)されるが、実は、この場面は、歌
舞伎の方が視覚的に演出する。

3人遣いの人形を屋形舟には、ふた組(つまり6人、船頭の3人遣いを入れれば9人か)、
駕篭には、一組乗せている、という想定。これを実際に本舞台の下手から上手へ移動させる
ことは出来にくいだろうと私は推察した。

その結果、歌舞伎なら、本舞台土手上の久作の家では、死を覚悟したお染・久松の恋に犠牲
になり、髪を切り、尼になったお光が、そこは、若い娘、大坂に帰るお染の乗る屋形舟と久
松の乗る駕篭をにこやかに見送りながら、舟も駕篭も見えなくなれば、一旦,放心した後、
我に返ると、狂ったように、父親に取りすがり、「父(とと)さん、父さん」と泣き崩れる
娘の姿があった。まだ、尼(修道女)になりきれない、若い処女の、最後の真情発露であろ
う。人形浄瑠璃では、そういう余韻は無いので、こういう場面も無い。野崎村の場面で、歌
舞伎と人形浄瑠璃は、幕切れ直前に演出が大きく異なるのである。

人形役割は、以下の通り。
おみつ:簑二郎。久作:勘寿。久松:玉助。お染:清五郎。お勝:紋臣。船頭:玉誉。

浄瑠璃:「中」が、睦太夫。三味線:勝平。「前」が、織太夫。三味線:清治。
「切」が、咲太夫。三味線:燕三。ツレが、燕二郎。
- 2020年2月20日(木) 14:39:44
20年2月国立劇場(人形浄瑠璃)・第一部「菅原伝授手習鑑」



人形浄瑠璃では、珍しい「みどり」上演



今月の国立劇場(小劇場)の人形浄瑠璃興行は、三部制。通し上演が多い国立劇場小劇場の
人形浄瑠璃興行だが、今回は、歌舞伎座並みの、名作演目の「さわり」の場面を集めた「み
どり」上演であった。第2部では、津駒太夫改め、六代目錣太夫の襲名披露の舞台もある。
今月の人形浄瑠璃の演目は、今月の歌舞伎座の演目と共通するか、所縁の深い演目も目立
つ。例えば、「菅原伝授手習鑑」、「傾城恋飛脚」。歌舞伎に慣れて、人形浄瑠璃に興味を
抱き始めたくらいの観劇派には、演目理解のおさらいになり、人形浄瑠璃と歌舞伎の違いな
どを比較検討できるレベルになっているだろうから、初心者とは、また一味違う歌舞伎・人
形浄瑠璃の楽しみ方を身に付ける、ちょうど良い機会かもしれない。

「菅原伝授手習鑑」で言えば、歌舞伎座は、昼の部で仁左衛門独占の「道明寺」、国立劇場
は、第一部で「佐太村」。


「車曳」から「佐太村」へ


第一部「菅原伝授手習鑑」。「吉田社頭「車曳」の段(歌舞伎は、「車引」)」。「車引」
の後の展開は、桜丸の切腹につながる「佐太村」(桜丸・八重夫婦の悲劇)への流れ(「加
茂堤」から「佐太村」の方が流れとしては自然ではないだろうか)がある。もう一つ、確信
的な実子殺しに繋がる「寺子屋」(松王丸・千代夫婦の悲劇)への流れというように二つの
別なストーリーが用意されている。今回は、「佐太村」への流れ。

話題の三つ子も成人になり、長男の梅王丸は、菅丞相、次男の松王丸は、藤原時平、三男の
桜丸は、斉世親王と、それぞれ立場は違うが、有力者の舎人(とねり。今で言えば、秘書、
警護、運転手などを兼ねた職種)になっている。仕組まれた政変で事実上の権力者は、菅丞
相から藤原時平へと政権が変わる。三つ子たちの運命も変わろうとしている。政変後、初め
てキュ台が出会うのが、「車曳」の場面。梅王丸と桜丸が、吉田神社(藤原氏の氏神)に参
詣に来た互いの怨敵・藤原時平の牛車に立ち向かう場面が、「車曳」(「車引」)である。
いずれも、以降の場面への伏線が隠されている。「佐太村」の流れでは、三兄弟の喧嘩の場
面が、見どころの一つとなる。

松王丸の出。「待てらう待てらう」と上手陰で詞を言って、芳穂太夫自身も登場して床に着
く、という演出。

「車曳」の浄瑠璃は、掛け合い。冒頭は、三人のみ。梅王丸:靖太夫、桜丸:咲寿太夫、杉
王丸:碩太夫。一人一役という演出。後半に、松王丸:芳穂太夫、時平:津國太夫。全員が
揃うと、松王丸:芳穂太夫、梅王丸:靖太夫、桜丸:咲寿太夫、杉王丸:碩太夫、時平:津
國太夫。三味線:清友。こういう演出は、幕末からだという。衣装は、梅王丸と桜丸は、襦
袢の赤地にそれぞれ梅と桜の花。松王丸は、白地の襦袢。下級官人が着る白張姿。歌舞伎の
演出が、逆流している、という。時平の科白。「命冥加なうづ虫めら」。権力者の庶民への
意識は、冷酷だ。

今回の人形浄瑠璃では、「佐太村」の場面は、4つに分割されている。
「佐太村茶筅酒の段」「同 喧嘩の段」「同 訴訟の段」「同 桜丸切腹の段」の4つであ
る。


「佐太村茶筅酒の段」。悲劇の前の笑劇、という場面。人形浄瑠璃や歌舞伎の作劇の定番演
出の一つ。「泣かせる前に、笑わせる」という演出。堤畑の十作とののどかな世間話。三兄
弟の父・四郎五郎は、古希を記念して菅丞相から「白太夫」という名前を戴く。70歳にし
て生まれ変わる、という発想。本来なら、誕生日という祝い事なのだが、菅丞相の都落ち、
九州への配流に配慮して、祝い酒の代わりに茶筅(茶道具の一種)で酒塩を振った餅を近所
に配ることになる。桜丸の妻・八重、梅王丸の妻・春、松王丸の妻・千代が宴席の手伝いに
訪れる。ところが、三人の夫たちは、なかなか姿を見せない。嫁たちから三方、扇、頭巾を
贈られた白太夫は、八戸を連れて氏神詣でに出かける。

「茶筅酒」の浄瑠璃は、三輪太夫。三味線は、團七。

「同 喧嘩の段」。遅れて、松王丸、梅王丸が現れる。桜丸だけが現れない。政変後いがみ
合っている梅王丸と松王丸が、口争いから掴み合いの喧嘩を始める始末。米俵を用いた殺陣
(「双蝶々曲輪日記」米屋の段の真似)。喧嘩の弾みで、庭に植えてあった梅松桜の木のう
ち、桜の木を折ってしまう。歌舞伎では、桜の枝が折れたが、人形浄瑠璃では、桜の幹を、
二人でポキリと折ってしまう。そこへ、白太夫が帰宅する。

「喧嘩」の浄瑠璃は、小住太夫。三味線は、清馗。

「同 訴訟の段」。何故か、白太夫は、大事にしていた桜木が折れているのに、何も咎めな
い。松王丸と梅王丸から書状(訴え)が出されると、これを受け取る。梅王丸:菅丞相の元
へ行きたい。菅丞相の御台所と息子の菅秀才を探すことが先だろうと訴えを退ける。松王
丸:勘当して欲しい。聞き届けるが、お前の真意は、己の主人のために、敵対する親兄弟を
討つためではないか、と非難される。白太夫は、二組の夫婦を追い出す。

「訴訟」の浄瑠璃は、靖太夫。三味線は、錦糸。


簑助の静謐な桜丸


「同 桜丸切腹の段」。「寺子屋の段」で、松王丸が、「桜丸が不憫でならぬ」と号泣する
場面があるが、佐太村の白太夫の家を一旦退去した梅王丸が妻の春と共に戻ってきて家の外
ながら桜丸が自害する場面の一部始終を見聞きしている場面が演じられる。梅王丸が、目撃
者になるから、記録が残ったのだろう。梅王丸、松王丸の二組の夫婦が父親から追い出され
た後、一人残された桜丸の妻・八重が夫の桜丸の行方を案じている。実は、桜丸は真っ先に
来ていて、納戸に隠れていたのだ。桜丸が、中央の暖簾奥から現れる。人形遣いは、簑助。
静謐な桜丸である。動かないし、喋らない。歌舞伎の「道明寺」の菅丞相を演じる仁左衛門
も静謐なら、人形浄瑠璃の「佐太村」の桜丸を操る簑助も静謐である。

桜丸は、静かに主人の菅丞相配流の責任を取り切腹すると告げる。桜丸と八重が斉世親王と
菅丞相の娘・苅屋姫の密会を手引きしたせいで、恋は盲目の若い二人は、失踪してしまう。
権力奪取を狙う藤原時平に菅丞相は隙を突かれ、配流に繋がってしまったことの責任を取る
という。予め桜丸自害を聞いていた父親の白太夫は、切腹の準備を始める。父親が介錯の刀
の代わりに鉦を打ち鳴らし、念仏を唱える中で、桜丸は絶命する。立ち去ったはずの梅王丸
と春という長男夫婦は、三つ子とはいえ、末っ子の桜丸の最期の場面の様子を外から伺って
いる。桜丸の後を追おうとする八重。押しとどめる梅王丸と春。後のことは、長男夫婦に任
せて白太夫は、菅丞相の元へと旅立って行く。「冥途の土産はただ念仏」。繰り返される
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀
仏」。人形遣いたちが踏む足音が、死別の悲しみを盛り上げる。

「桜丸切腹」の浄瑠璃は、千歳太夫。三味線は、富助。

人形遣いは、梅王丸:文司。桜丸:前半は、簑紫郎、後半は、簑助。松王丸:玉輝。白太
夫:和生。八重:勘十郎。千代:清十郎。春:一輔。
- 2020年2月19日(水) 19:55:05
20年02月歌舞伎座・夜/(「八陣守護城」「羽衣」「人情噺文七元結」「道行故郷の初
雪」)


十三代目仁左衛門二十七回忌追善狂言


所作事二題:夜の部も、十三代目仁左衛門二十七回忌追善狂言の看板を掲げた演目が、二つ
ある。「八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)」と「道行故郷の初雪」。今回まず取
り上げる所作事は、「道行故郷の初雪」と「羽衣」。このうち、「羽衣」は、玉三郎と勘九
郎の踊り。「人情噺文七元結」は、ご存知菊五郎劇団の十八番(おはこ)の人情噺。という
ことで、夜の部の劇評は、舞踊劇「道行故郷の初雪」から始めよう。

この道雪は、私は初見だが、梅川忠兵衛の新口村の実家への逃避行、通称「新口村」と言え
ば、何回も観てきた馴染みのあるテーマである。1711(正徳元)年、近松門左衛門は、
大坂竹本座で、人形浄瑠璃「冥途の飛脚」を初演した。「梅川忠兵衛もの」と呼ばれた、こ
の系統の演目が、1796(寛政8)年、大坂角の芝居で、歌舞伎化され、「恋飛脚大和往
来」という外題で初演された。稼業の「飛脚業」で公金使いという罪を犯し、死を覚悟した
忠兵衛が遊郭から恋人の梅川を連れ出して、忠兵衛の実父が住む故郷の大和国新口村へ向か
う。今生の別れを告げる逃避行だ。滅びの美学。私たちに明日はない、という破滅型の人生
に美学を見つける、という演目。

1854(嘉永7)年、江戸中村座。「新口村」は、八代目仁左衛門の主演で、所作事とし
て、新たに「道行故郷の初雪」という外題がつけられて初演された。今回の演目は、その系
統の舞台である。

幕が開くと、無人の舞台。全面を浅葱幕が覆っている。清元の置浄瑠璃に続き、浅葱幕が振
り落とされると、舞台中央に立つ男女の姿が、いわば、クローズアップされる。黒地に比翼
紋の入った揃いの衣装を着た足元だけが見える。周りは、雪を被った竹林。天地左右前後、
白銀の世界だ。客席すらシルバーワールド。二人は、雪の中にも関わらず、素足だ。茣蓙で
上半身を隠している。茣蓙を跳ねるように外すと、梅川・忠兵衛という若いカップルが姿を
現す。公金使いの男と遊郭から抜け出した遊女。指名手配の犯罪者たちだ。大坂から逃げて
きたのだ。梅川は、秀太郎。忠兵衛は、梅玉が演じる。やがて、真っ白い竹林の書割が左右
に開き、新口村の村境へ、二人は辿り着く。

この演出は、馴染みのある「新口村」と若干、違う。今回の演目「道行故郷の初雪」は、所
作事に特化して、洗練されている。例えば、「出口」、というか逃げ場のない真っ白な竹
林。舞台の背景全体が、天地、白一色の銀世界。竹林には、道があるのか。やがて、竹林の
書割が左右に開き、新口村の村境へ、二人は辿り着く。舞台中央下手に、「新口村」の道標
と孤独な地蔵さん。たった一人で雪を被っている。中央上手には、百姓屋と納屋。遠方に
は、厳しい山容の雪山の峰々が見える。寒かろう。白一色の孤独な世界の中で若い二人の
み、黒装束。もちろん客席は、カラフル。

贅言; 万才松太夫が、登場するのは、今回が初めて(あるいは、戦後では初めて)。松緑の
ための配役か。

下手から万才の松太夫(松緑)の登場。戦後演じられたこの演目で、初めての万才役の登
場。二人の逃避行の姿を見て、松太夫は、「これが、噂に聞いた二人」と直感する。犯罪者
たちの逃避行中という噂にトンと合点が行きながら、おくびにも出さずに、二人を慰めるた
めに、門付の踊りを披露する。万才の男は、松緑のために作ったような配役ではないか。や
がて、松太夫も去り、捕り方が近づいていることを示す太鼓の音が鳴り響く。百姓家が納屋
ごと引き道具で上手に引き込められる。百姓家の後ろに雪のあぜ道。さらに、遠方に雪山の
峰々。下手奥から逃げ延びようと竹林に入る梅川・忠兵衛の背中を見せながら、幕。逃げ延
びようとする梅川・忠兵衛の背中を見せながら、幕。今回は、十三代目仁左衛門の二十七回
忌追善狂言として上演された。

贅言;今月人形浄瑠璃を上演している国立劇場小劇場では、「新口村の場」を古典に則り、
演じている。

忠兵衛の実家のある新口村への逃避行と言えば、歌舞伎では、何回も観てきた馴染みのある
テーマである。1711(正徳元)年、近松門左衛門は、大坂竹本座で、人形浄瑠璃「冥途
の飛脚」を初演した。「梅川忠兵衛もの」と呼ばれた、この系統の演目が、1796(寛政
8)年、大坂角の芝居で、歌舞伎化され、「恋飛脚大和往来」という外題で初演された。稼
業の「飛脚業」で公金横領という大罪を犯し、死を覚悟した忠兵衛が遊郭から恋人の梅川を
連れ出して、忠兵衛の実父が住む故郷の大和国新口村へ向かう。親に今生の別れを告げるた
めの逃避行だ。
 
1854(嘉永7)年、江戸中村座。芝居の「恋飛脚大和往来」のうち、道行の場面だけを
舞踊化した。八代目仁左衛門の主演で、所作事として、新たに「道行故郷の初雪」という外
題がつけられて初演されたのである。この所作事は、富本節では、「三度笠故郷春雨」、清
元節では、「道行故郷の春雨」などが生まれた。1854年、八代目仁左衛門は、清元節で
初演した際、外題を「道行故郷の初雪」に改めたことから、松嶋屋所縁の演目となった。戦
後の再演では、「道行雪故郷」、あるいは「道行雪の故郷」という外題が掲げられた。今回
は、十三世仁左衛門二十七回忌追善として、外題を「道行故郷の初雪」とした、という。
 
もう一つの所作事「羽衣」も初見、だが、歌舞伎の巡業先で、観たような気がする。筋書き
に掲載された松竹の上演記録には、記載されていないので、残念だが、上演日や配役は不
明。能の「羽衣」を基に長唄の所作事として作られた舞踊。いわゆる「能取りもの」の系譜
の演目。能の格調の高さと歌舞伎の華やかさを併せ持つ演目だ。三保の松原の羽衣伝説がベ
ースになっている。今回は、玉三郎が天女を演じる。従って、長唄のリーダーは、杵屋勝四
郎。玉三郎専属的な歌い手である。玉三郎の踊りには、欠かせない長唄の名手だ。

幕が開くと、漁師の伯龍(勘九郎)の出。羽衣を見つけた伯龍は、これを家に持ち帰ろうと
する。天女は、慌てて姿を現して、漁師を呼び止め、羽衣を返してほしいと願う。伯龍は、
つれない。色気より欲。これを拒絶する。嘆く天女。これを見て伯龍は、羽衣を返すことに
する。若い人は、柔軟。人間味がある。返礼として、天女は月宮殿での舞楽の様子を踊って
見せることになり、「駿河舞」を披露する。伯龍が見守る中、天女は踊りながら天界へと帰
って行く。玉三郎の幽玄味が、見もの。歌舞伎座では、今回、3階席から舞台を観ていたの
だが、本舞台で後ずさる玉三郎が、あたかも天に上るように見えたのが、おもしろかった。
3階席こそ、天界か。


我當、渾身の舞台 


「八陣守護城」は、松嶋屋三兄弟の長男・五代目我當(1月7日の誕生日を無事に過ごし、
85歳になられた。ご同慶の至り)が主演だが、我當は歩けないのかもしれないし、目も見
えないのかもしれない。そのせいか、我當が舞台で移動する場面は無しで、廻り舞台の場面
展開で抑制された主役の演技として工夫されているのだろう。この演目は、ほかの役者で観
たことがないので、何とも言えない。

我當は、14年12月京都南座顔見世興行の舞台で、途中休演。19年7月大阪松竹座で4
年半ぶりに舞台復帰。我當が引き続き今回も登場した。舞台復帰への執念を燃やす我當に場
内からは、熱い掛け声と拍手が飛び交う。「松嶋屋」「五代目」などの掛け声が、大向こう
からも頻りにかかる。

「八陣守護城」は、1807(文化4)年、大坂の大西芝居が初演。加藤清正(劇中では、
佐藤正清)の忠誠と豊臣家の没落を描いた時代もの。「八陣」とは、中国の兵法で言う、8
種類の陣立てのこと。戦術の隊形。8種類は、「魚鱗、「鶴翼、「長蛇、「偃月(または、
「彎月」)、「鋒矢、「方円、「衡軛、「雁行」。孫子の兵法、呉子の兵法、諸葛亮の兵法
など。

「守護城」は、「肥後城」(加藤清正の熊本城)を指す。松嶋屋三兄弟の長男・我當が佐藤
清正を主演する。この演目も、十三代目仁左衛門追善狂言の看板を掲げている。

徳川家康から勧められた毒酒を毒酒と知りながら佐藤正清は飲む。毒酒を飲んでも百日間も
生き続けた佐藤正清伝説の芝居化。幕が開くと、湖水御座船(原作では、四段目)。朱塗り
の御座船に乗る佐藤正清(我當)が座っている。船は船首を上手側に向けている。大船の右
舷側に正清は座っている。下手側に家臣の斑鳩平次(進之介)、正木大介(萬太郎)が控え
ている。上手側では、雛衣が琴を演奏している。正清は、菱皮の鬘に、黒ビロードの着付
け、赤地錦の裃姿という派手な格好。泰然としている。そこへ、下手から小舟が近づいてく
る。徳川(劇中では北畠)の見送りの使者・轟軍次(片岡亀蔵)が、小舟を御座船に漕ぎ寄
せさせる。正清は、軍次に機嫌よく、返礼する。「はて面妖な」と、首を傾げる軍次は、不
審の面持ちで戻って行く。

またもや、別の早船が近づいてくる。鞠川玄蕃(松之助)と鬼鹿毛藤内(當吉郎)が、餞別
の品を載せて、追いかけて来たのだった。餞別の品は、鎧櫃。正清は鎧櫃を受け取る。鞠川
玄蕃らは、先ほどの使者たち同様に合点が行かぬまま戻って行く。鎧櫃から、忍びの侍が飛
び出してくる。家康が送った暗殺者だ。正清は、侍を一刀の元に斬り伏せる。天下を狙う家
康は、正清が邪魔になったので、刺客を送って来たのだ。

御座船は、方向転換の舵を取る。廻り舞台で大船は、8分3回転し、船首を斜め右に向け
る。客席側に見えやすいように迫ってくる。舳先を客席に向けることになる。船の舳先に立
つ正清は、清めの舟唄を船子たちに歌わせ、雛衣の介添えで、刀に付いた血潮を清める。舳
先の水底を見つめる正清の顔色が次第に変り出す。毒酒が正清の体内に回り始めたようだ。
変わった主の顔色を案じる雛衣。平静を装い、再び周囲の景色を眺める正清。

幕切れ前。我當渾身の見得。十三代目から受け継いだ正清像。その演技が高調となる中で、
定式幕が上手から閉まってくる。「松嶋屋」「松嶋屋」と、大向こうからは、我當へ激励の
掛け声頻り。


味の染み込んだ、菊五郎劇団人情噺
 

「人情噺文七元結」は、菊五郎劇団の定食メニューの演目のひとつ。私も、10回目の拝見
となる。「人情噺文七元結」は、明治の落語家・三遊亭圓朝原作の人情噺。明治の庶民の哀
感と滑稽の物語だ。その軸になるのが、酒と博打で家族に迷惑をかけどうしという左官職人
の長兵衛だ。その長兵衛を菊五郎が演じる。

私が観た「人情噺文七元結」のうち、長兵衛は、菊五郎(今回含めて、7)、吉右衛門、勘
九郎時代の勘三郎、そして、幸四郎。兎に角、長兵衛は、菊五郎が抜群で、細かな演技ま
で、自家薬籠中のものにしている。江戸から明治という時代を生きた職人気質、江戸っ子気
分とは、こういうものかと安心して観ていられる。毎回は、さらに、熟成されているように
見受けられた。

長兵衛同様に大事なのは、女房・お兼であろう。私が観たお兼役者は、時蔵(3)。田之助
(2)。松江時代の魁春(2)。現在休演中の澤村藤十郎、鐵之助。今回は、雀右衛門。こ
れは、田之助が巧かった。田之助は、菊五郎に本当に長年連れ添っている女房という感じ
で、菊五郎の長兵衛と喧嘩をしたり、絡んだりしている。いつも白塗りの姫君や武家の妻役
が多い魁春が、砥粉塗りの長屋の女房も、写実的な感じで、悪くはなかった。澤村藤十郎の
お兼を観たのは、97年1月、歌舞伎座だから、もう23年も前になり、印象が甦って来な
いのが残念だ。上演記録を見ると、78年から97年までに、本興行で澤村藤十郎はお兼を
9回も演じている。元気な頃の藤十郎は、お兼を当り役としていたことが判る。相手の長兵
衛が、先代の勘三郎、勘九郎時代の勘三郎、吉右衛門、富十郎という顔ぶれを見れば、藤十
郎のお兼が、長兵衛役者から所望されていたであろうことは、容易に想像される。このとこ
ろすっかりお馴染みとなった時蔵も、絶品だと伝えておきたい。今回の雀右衛門は、初役。
今後、雀右衛門らしい独自の味を出して欲しい。

長兵衛一家の、親孝行な一人娘・お久は、宗丸時代を含めて、宗之助(4)。尾上右近
(3)。勘太郎時代の勘九郎、松也。今回は、莟玉になった梅丸。宗之助のお久の最後は、
15年前、05年11月、歌舞伎座。いつ観ても、歌舞伎役者という、男が見えてこないほ
ど、娘らしく見えた。上演記録を見ると、宗丸時代を含めて、宗之助は本興行だけでも、8
回お久を演じた。その半分は、私も観たことになる。

さて、外題にある文七役は、菊之助(丑之助時代含めて、4)。染五郎(3)。梅枝(今回
で、2)。辰之助時代の松緑。前半は、身投げをしようとして長兵衛という初老の男をてこ
ずらせる文七。菊之助も、染五郎も、こういう役が巧い。この役は、前半の深刻さと後半の
弛緩した喜びの表情とで、観客に違いを見せつけなければならない。2回目の梅枝は、立役
も上手い。

角海老の女将・お駒は、情のある妓楼の女将の貫禄が必要だが、底には、若い女性の性(人
格)を商売にする妓楼の女将の非情さも滲ませるという難しい役だと思う。玉三郎(2)。
先代の芝翫(2)。宗十郎、先代の雀右衛門、萬次郎、秀太郎、魁春。今回は、時蔵。15
年ぶりにお駒。

和泉屋清兵衛は、左團次。鳶頭・伊兵衛は、梅玉。「めでたし、めでたし」の幕切れでは、
各人の割科白が一巡したあと、颯爽と格好良い役どころ。清兵衛が「めでたく」という科白
にあわせて、煙草盆を叩く煙管の音に、閉幕の合図の柝の音(柝の頭)を重ね、「お開きと
しましょうか」となり、賑やかな鳴物で閉幕となるなど、演出的にも、洗練された人気演目
のスマートさがある。代々代々で練り上げられた小道具の煙管の使い方が巧みだ。
- 2020年2月16日(日) 12:26:23
20年02月歌舞伎座/昼(「菅原伝授手習鑑」)


仁左衛門の菅丞相を堪能する。

今回の「菅原伝授手習鑑」の構成は、「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」である。主演の菅
丞相を仁左衛門が演じる。菅丞相は、「筆法伝授」「道明寺」の主役である。仁左衛門は、
父親の十三代目仁左衛門の芸を引き継ぎ、95年3月歌舞伎座で、前名の孝夫のままで菅丞
相を一度演じた。その時の場面構成は、
「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」「車引」「賀の祝」「寺子屋」であった。以後、今回ま
で、仁左衛門は、「道明寺」の菅丞相を6回演じている。上演劇場は、すべて歌舞伎座であ
る。

第1回95年3月。「十三代目片岡仁左衛門を偲んで」。上演された場面は、既に述べたよ
うに「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」「車引」「賀の祝」「寺子屋」であった。前半は、
菅丞相の物語。後半は、三つ子の梅王丸、松王丸、桜丸の物語。
第2回02年2月。「菅原道真公没後千百年」。「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」「車
引」「賀の祝」「寺子屋」。初回と同じ場の構成。
第3回06年3月。「十三世仁左衛門十三回忌追善」。場は、「道明寺」のみ。
第4回10年3月。十三代目仁左衛門十七回忌・十四代目勘弥三十七回忌追善」。「加茂
堤」「筆法伝授」「道明寺」。
第5回15年3月。「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」「車引」「賀の祝」「寺子屋」。
第6回20年2月。「十三世仁左衛門二十七回忌追善」。今回である。「加茂堤」「筆法伝
授」「道明寺」。

このうち、第2回02年2月。「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」「車引」「賀の祝」「寺
子屋」を見てみよう。

当時の私の劇評を再録すると、以下の通り。
歌舞伎座の昼と夜の部「菅原伝授手習鑑」の通しを、拝見。「菅原伝授手習鑑」の通しは、
7年前の松竹100年の年に、初めて拝見して以来、2回目。2階ロビーには、小さな太宰
天満宮が設えられていて、隣に出演役者が名前や願い事を書き込んだ絵馬が飾られている。

仁左衛門の菅丞相、玉三郎の苅屋姫、芝翫(先代)の覚寿、雀右衛門(先代)の園生の前、
團十郎の梅王丸、吉右衛門の松王丸、富十郎の源蔵などという豪華な顔ぶれが効を奏し、満
員盛況であった。昼の部、夜の部とも、2階席で拝見したが、同じ席で昼、夜通しで観てい
る人もいるほどだ。昼の部は、「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」の上演だが、みどりで
は、あまり上演されない演目だけに、まさに、7年ぶり、2回目。配役(かっこは、前回)
は、「加茂堤」の桜丸=梅玉(勘九郎)。八重=福助(福助)。斎世の君=信二郎(高麗
蔵)。苅屋姫=高麗蔵(孝太郎)。三善清行=松助(松助)。
追記・補注:役者名は、当時。

第3回06年3月。みどり興行という形式で、上演される場は、「道明寺」のみ。劇評も
「道明寺」に特化してまとめている。

当時の劇評を読むと、仁左衛門出来栄えは、現在とあまり変わっていないように見受けられ
たので、筋書きなどは、再録としたい。

「道明寺」は、歌舞伎の典型的な役柄が出そろう演目だ。立役=菅丞相。二枚目=輝国。老
女形(ふけおやま)=覚寿。片はずし(武家女房)=立田の前。赤姫=苅屋姫。仇役=太
郎。老父仇=兵衛。ごちそう(配役のサービス)=宅内。「道明寺」は、このように、さま
ざまな役者のバリエーションが揃う大きな舞台にならないと懸からない演目だという由縁で
ある。

菅丞相の仁左衛門は、動きの少ない役柄をただ座っているだけという演技で、過不足なく演
じる。プレゼンス(存在感)が、凄い。当分、仁左衛門以外には、演じにくかろう。白木の
御殿に白木の菅丞相の木像。木像の精の菅丞相は、白い直衣(のうし)ということで、白い
色調に神秘感を滲ませる演出と観た。生身の菅丞相は、梅鉢の紋様の入った紫の直衣で対比
的に木像との違いを強調する。ただし、直衣の下の下袴は、薄い紫色の同じものを着てい
た。

追記の贅言;菅丞相は、團十郎も勘三郎も演じないうちに鬼籍に入ってしまった。仁左衛門
の独占状態が続いていることになる。幸四郎(先代)は、当代の白鸚のこと。

自分が作った入魂の木像が、菅丞相の命を救う。だが、それは道明寺の縁起に関わる伝奇物
語。実際の舞台では、仁左衛門は、木像の精と生身の菅丞相のふた役を早替りで演じなけれ
ばならない。仁左衛門が、木像の精になる場面は、これも、ひとつの「人形ぶり」の所作で
ある。轆轤(ろくろ)に載せた木像のように座ったまま、足を動かさずに、廻ってみせた仁
左衛門。さらに、仁左衛門は、伝統的な演出に乗っ取り、人形振りの脚の運びでそれを表現
する。そのあたりの緩急の妙が、実に巧い(ほかの役者で観たことがないのだが、これは、
難しいだろうと想像できる)。木と生身の人間との対比。それは、直衣の白と紫の色合い、
烏帽子の有無(木像と白い直衣のみ烏帽子を着けている)などで表す。

夜明け前に藤原時平の指示を受けた土師・宿弥親子の仕掛けた暗闘から抜け出した菅丞相だ
が、夜明けとともに菅丞相は、伏せ籠のなかに潜んでいた養女・刈屋姫への情愛を断ち切っ
て、太宰府に配流される。袖の下から檜扇(ひおうぎ)を使っての、養女との別れの切なさ
が、にじみ出る。抱き柱が、辛い刈屋姫。人間から木像の精を通底して、菅丞相は、さまざ
まな人たちの死や別れを見るという修羅場を経て、後の天神様へ変身する。そういうドラス
ティックなドラマが展開するなか、仁左衛門の菅丞相の肚の演技が続く。

覚寿の芝翫(先代)は、適役。仁左衛門の菅丞相のプレゼンスに対抗できるのは、貫禄ある
覚寿を演じられる芝翫しかいないだろう。これも、当分、芝翫以外は、演じにくかろうと、
思う。

覚寿の娘で、菅丞相の養女の苅屋姫の姉で、仇役・宿弥太郎の妻という立田の前(秀太郎)
は、「道明寺」の劇的展開と人間関係では、重要な役処。覚寿(芝翫)、苅屋姫(孝太郎)
が、御殿の奥に入り、立田の前(秀太郎)も、それに続くときの、襖が閉まる直前の、後ろ
姿の静止の仕方が、綺麗だった。

やがて、腰元たちが、雪洞(柄と台座を付けた行灯)を持って来る。御殿も、薄暗くなって
来たのだろう。そう言えば、この後の展開で重要な仇役を演じる土師兵衛(芦燕)と宿弥太
郎(段四郎)の親子は、正式の迎えの使者・判官代輝国(富十郎)一行の来る八つ時(午前
2時ころ)を前に、菅丞相に贋迎い・弥藤次(市蔵)らを寄越す合図として、鶏を啼かせる
策略を実行するなど、この物語は、夕方から夜半にかけて、クライマックスを迎えるとい
う、いわば「夜中の物語」なのだが、皓々と明るい舞台では、観客のうち、どれだけの人
が、夜半を意識しながら物語の進行を観ているだろうか。そういう意味では、ふたりの腰元
が雪洞を持って来る時間をきちんと押さえると共に夫の宿弥太郎(段四郎)と義理の父親の
土師兵衛(芦燕)の謀略を立ち聞きする立田の前(秀太郎)が、手に持っている手燭(手持
ちの行灯)を見逃してはいけない。立田の前は、夫と義理の父親に殺され、御殿前の池に遺
体を投げ込まれ、遺体の上で、鶏が啼くという言い伝えを元に、宿弥太郎と土師兵衛が、練
り上げた偽の夜明けを告げる「一番鶏作戦」を成功させてしまう。

菅丞相の養女の苅屋姫(孝太郎)は、自分が、原因を作っただけに、配流される父への詫び
と惜別の親愛の表現がポイント。孝太郎の苅屋姫からは、養女ゆえの、複雑な惜別の情が、
観客席にも、ひしひしと伝わって来た。菅丞相の伯母の覚寿、娘(姉妹)の立田の前と苅屋
姫という、3世代に分かれる女形の役処も、味わいが深い、良く考えた配役だと、思う。

裁き役の輝国(富十郎)は、颯爽としている。格と雰囲気が、判官代として、滲み出てい
る。立田の前の遺体を池から救い上げる「水奴」宅内(歌六)の役は、いわゆる「ごちそ
う」、観客へのサービス満点の配役。こういう配役が、歌舞伎の奥行きを深める。

第4回10年3月。「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」。この時の興行は、3部制で、以下
のような変則的な構成であった。
第一部/「加茂堤」「楼門五三桐」「女暫」
第二部/「筆法伝授」「弁天娘女男白浪」
第三部/「道明寺」「石橋」
ということで、「菅原伝授手習鑑」の場面を、いわば「バラ売り」されている。

第5回15年3月。「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」「車引」「賀の祝」「寺子屋」。
第6回20年2月。今回である。「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」。私が観た第4回と興
行が同じ構成だったが、第4回の「バラ売り」興行よりは、観客に配慮している、といえ
る。


静謐な仁左衛門


「筆法伝授」「道明寺」では、ますます、絶品の仁左衛門菅丞相であった。動きの少ない、
静謐で、それでいて、立っているだけで、高貴さを滲ませる仁左衛門の演技。いま、こうい
う演技ができる役者はいないだろう。大御所・仁左衛門の舞台をスケッチしよう。
 
菅丞相は、動きが少なく、肚の演技(見えない演技を見えるように感じさせる)が要求され
る難しい役柄だ。それだけに、舞台に存在することだけで勝負が決まってしまう。これだけ
の菅丞相を仁左衛門が演じてしまうとほかの人が菅丞相を演じにくくなることは、間違いな
さそうだ。

2020年の今回。仁左衛門の菅丞相は、追随を許さない域に入っている。孤絶の境地とい
う所か。仁左衛門は、菅丞相の演技をベースに、2015年、重要無形文化財」、いわゆる
「人間国宝」認定。

かって菅丞相は、九代目團十郎、五代目歌右衛門、十一代目、十三代目仁左衛門が、評判だ
ったと言われる。このほか、戦後では、七代目、八代目幸四郎、十一代目團十郎、十七代目
勘三郎、関西で三代目寿三郎。1981年以降は、十三代目仁左衛門、孝夫時代を含む当代
仁左衛門と、松嶋屋の専売特許のようになり、最近は、当代の仁左衛門で定着。いずれ、ほ
かの役者に後継させなければならないが、誰が可能だろうか、と考えてしまう。

若手を軸に、「加茂堤」

「加茂堤」では、加茂の社では、天皇の病気平癒祈願の儀式が行われている。天皇の弟・斉
世(ときよ)の君(米吉)は、式を抜け出し、かねてより恋仲の苅屋姫(千之助)と牛車内
で逢い引きを目論む。苅屋姫が、菅丞相の養女だったことから、菅丞相の政敵・藤原時平に
「天皇亡き後、斉世の君を天皇にし、苅屋姫を皇后として、自らが皇后の父親になろうとい
う謀反心だ」という難癖を付けられ、菅丞相太宰府配流という後の悲劇の種となる場面だ。

もうひとつの悲劇の種は、ふたりの逢い引きの手筈を整えたのが、桜丸(勘九郎)と妻の八
重(孝太郎)で、後の「賀の祝」での、桜丸切腹に繋がる。ここでは、花形、若手、最若手
の役者たちによる芝居。


存在感が決め手の、菅丞相


「筆法伝授」では、勅命により弟子に筆法の奥義を伝授する場面だ。「菅原館奥殿の場」、
舞台は、金地の襖に白梅の老木の絵。上下には、板戸。花道向こう揚げ幕も、いつもの幕か
ら御殿の板戸に替わっている。襖の下手にある銀地の山水画の衝立がある。舞台中央では、
菅丞相の弟子・左中弁希世(まれよ。橘太郎))が、手習いをしている。

仁左衛門の菅丞相の重厚な、動きの少ない肚の演技と対比をなすのが、「静と動」とばかり
に左中弁希世の動きの多い、うるさいほどの滑稽味のある役柄だ。こういう演技が、芝居に
余白を持たせて、じっくり味わいが出て来る。

菅丞相の奥方・園生の前(秀太郎)の腰元・戸浪(時蔵)との不義密通(不倫)で菅丞相か
ら勘当されていた武部源蔵(梅玉)・戸浪夫婦が、浪々の身の上ながら、久しぶりの主人の
お召しに恐縮しながら花道に出てくる。
 
この後、源蔵は、局・水無瀬(秀調)に案内されて奧の「学問所」に入って行く。最初の座
敷から、廊下へ。廻り舞台は、半廻し。さらに、半廻しで学問所奧へ。こちらは、菅丞相が
筆法伝授する場所なので、菅丞相の梅鉢の紋が、銀地の襖に青々と描かれている。

大道具が、ゆるりと鷹揚に廻り、役者が、それにあわせて、ゆっくりと移動し続ける。恰
も、江戸の時間が、そこには流れているように思われる。
 
舞台中央の御簾が上がると、御座の間。仁左衛門の菅丞相は、白い衣装で座っている。この
場面、仁左衛門は、座っているだけで、気品と風格を見せなければならない。やがて、答案
用紙を提出した源蔵に神道秘文の伝授の一巻を手渡して、立ち上がる場面があるが、仁左衛
門の動作は、これだけ。「伝授は伝授、勘当は勘当、この以後の対面は、叶わぬぞ」という
菅丞相の器量の大きさを見せる場面。「勘当は勘当」で、源蔵は、表向きは主人がいない。
菅丞相の悲劇後も、累を及ぼさない身の処し方の伏線であり、「対面は、叶わぬ」が、配流
される主人から弟子への気遣いの別れの場面にもなる。そういう肚も観客に伝える。

御簾が下がり、菅丞相は、姿を消す。仁左衛門は、御簾の上げ下げの間、所作としては、ほ
とんど座っているだけだった。それなのに以心伝心で菅丞相の肚が伝わって来る。
 
贅言1);この場面、人形浄瑠璃では、どのように演じられるか。
「筆法伝授の段」の後半、御簾が上がると、菅丞相の出。人形の頭は、「孔明」。後の場面
では、「丞相」に替る。私が観たとき、丞相の人形を操る主遣いは、今は亡き吉田玉男(初
代。人間国宝)であった。玉男は、重厚。玉男も丞相も、ほとんど動かないが、肚で演じ
る。至難の場面。その貫禄ぶりが、人形にも乗り移っている感じ。玉男の肚は、仁左衛門の
演技にも通じていると思う。
贅言2);太村」が、上演される。

やがて、「参内せよ」との天皇からのお召しの声がかかり、黒っぽい紫色の衣装に替わった
菅丞相が、再登場する。仁左衛門は、ぎりぎりの最小限度の動作で、最大限の肚を表現して
いる。相変わらず、仁左衛門は過不足なく演じていたと思う。肚を外形的に表現する白・黒
の衣装の対比。途中で冠を落とす。不吉な予兆。

さらに、舞台が廻る。「半明転」で、「菅原館門外」の場面へ。やがて、直衣をはぎ取られ
た菅丞相が、三善清行(亀寿)らに引き連れられて自宅に戻ってくる。門は、閉門処分にさ
れる。屋敷内から塀の上に姿を現した梅王丸(橋之助)の手引きで、菅秀才が救出される。
後の「寺子屋」への伏線。

 昼の部のハイライトは「道明寺」。仁左衛門の菅丞相の演技は、いちだんと磨きがかかって
いるようだ。仁左衛門は、静かなり。正座の静謐な演技。

今回の配役は、菅丞相=仁左衛門。覚寿=玉三郎。輝国=芝翫。立田の前=孝太郎。苅屋姫
=千之助。土師兵衛(はじのひょうえ)=歌六。宿袮太郎(すくねのたろう)=彌十郎。弥
藤次=片岡亀蔵。「水奴」宅内=勘九郎、ほか。
 
立田の前は、覚寿の娘=苅屋姫の姉=宿弥太郎の妻という重層性を演じ、重要な役どころ。
苅屋姫は、父への詫びと親愛の表現がポイント。裁き役の輝国は、颯爽としている。立田の
前の遺体を池から救い上げる「水奴」宅内は、ごちそう。藤原時平の意向を受けて菅丞相を
誘拐して暗殺しようとする土師兵衛・宿袮太郎の親子。入れ事に工夫魂胆。土師兵衛・宿袮
太郎の親子が、偽の迎え・弥藤次のために、夜明け前に啼かせようとする鶏を庭の池に放す
場面では、池の水布の間から、水色の手が出てきて、鶏を載せた挟み箱の蓋を引き取ってい
た。娘・立田の前殺しの真相を悟ったのは母親の覚寿。彼女の機転で殺した宿袮太郎とその
父親の悪だくみを知る。夫に殺された立田の前の(つまり、夫婦の)遺体は、黒い消し幕と
ともに二重舞台の床下に消えて行く。
 
自分が作った入魂の木像が、菅丞相の命を救う。だが、それは道明寺の縁起に関わる伝奇物
語。実際の舞台では、ひとり・ふた役で演じなければならない。仁左衛門が、木像の精にな
る場面は、これも、ひとつの「人形ぶり」ではないか。木像と生身の人間(肉付き)との対
比。仁左衛門は、伝統的な演出に乗っ取り、独特の脚の運びでそれを表現する。そのあたり
の緩急の妙が、実に巧い(ほかの役者で観たことがないのだが、これは、意外と難しいだろ
うと想像できる)。夜明け前の暗闘を経て、夜明けとともに菅丞相は、太宰府に配流され
る。伏せ籠のなかに潜んでいた養女・刈屋姫への情愛を断ち切って別れて行く。伏せ籠の場
面が、なかなか良い。人間から木像の精を通底させることで、菅丞相は、さまざまな人たち
の死を見る。こういう修羅場を経ないと、後の天神様への変身も難しいのだろう。そういう
ドラスティックなドラマが展開するなか、仁左衛門の菅丞相の静かなる肚の演技が続く。
 
白木の御殿に白木の菅丞相の木像。その上手に鏡が置いてある。木像の精の菅丞相は、白い
直衣(のうし)ということで、白い色調に神秘感を滲ませる演出と見た。生身の菅丞相は、
梅鉢の紋様の入った紫の直衣で対比的に木像との違いを強調する。ただし、直衣の下の下袴
は、薄い紫色の同じものを着ていた。鏡は、後に、生身の菅丞相が、伏せ籠から出て来る養
女の刈屋姫の姿を振り返らずに認める場面で使っていた。菅丞相の動きを少しでも少なくす
るという工夫なのだろうか。それに加えて、私は、「仮名手本忠臣蔵」の一力茶屋の、由良
之助とお軽の場面へと連想が飛んだのもおもしろい。

「筆法伝授」「道明寺」の菅丞相は、動きの少ないまま、肚での濃厚な演技が要求される難
しい役柄である。仁左衛門の演技は、毎回、見応えがある。今回も、十全の菅丞相であっ
た。ますます、気品と風格のある仁左衛門の菅丞相であった。

仁左衛門という役者そのものが、菅丞相の存在と重なっているように見える。動きの少ない
役柄を演じるということは、肚から、その人物になりきらないと演じられない。菅丞相を演
じるという点で、仁左衛門という役者は、そういう境地に、すでに入っているのではない
か、と思う。孤絶の世界だろう。「筆法伝授」「道明寺」は、大御所・仁左衛門の世界。
「演技というのが通じないお役。内面から出る心で演じる」のだ、という。以前、パーティ
で直接お会いした時に聞いた仁左衛門の「役になりきる」という言葉を改めて思い出した。
仁左衛門は、「加茂堤」には、菅丞相が登場する場面がないので、出演しない。楽屋で、
「筆法伝授」「道明寺」の菅丞相になりきる儀式をしているのだろう。
- 2020年2月8日(土) 11:27:20
20年01月国立劇場(通し狂言「菊一座令和仇討」)


正直な印象から、この劇評を書き始める。なんとも、魅力のない外題を掲げたものだ。「菊
一座令和仇討」とは、ほとんど意味を伝えていない7つの文字の羅列だと、私は思う。「菊
一座」とは、菊五郎劇団の意味だ。そんなことは外題を見なくても判っている。「令和」
も、私にとっては、ただただ、ブームに迎合する、あるいは、忖度する、という意味であざ
といだけ。後、この文字も演目の芝居に関わるのは、「仇討」だけ。仇討の芝居? なんの
仇討? 今回の外題は、何も伝えてくれないのではないか、と私は危惧する。

新年最初の国立劇場の歌舞伎興行は、南北劇。文化文政期(1804年から1830年)の
江戸歌舞伎を支えた巨匠・四代目鶴屋南北の原作を俎上にあげた。本来の外題は、「御国入
曽我中村」という。通称「権三権八」。1825(文政8)年1月、江戸・中村座初演。正
月興行なので、「曽我もの」の「曽我」である。「御国入」は、大江広元家のお家騒動の物
語。さらに、歌舞伎の正月、旧暦の11月は、芝居小屋が1年間の出演契約を役者衆と定め
る月。観客に対しては、顔見世となる。1824(文政7)年11月、中村座は、向こう1
年の座組を披露する「顔見世興行」を打てなかった。この時の座組は、控櫓の河原崎座に移
ってしまった。そのトラブルが解決し、座組は、翌年1月から中村座に戻ることができた。
だから、「御国入」(本拠地帰り)であったかもしれない。だから、「御国入」。当時の芝
居通は、そういう深読みを好んだことだろう。


「御国入曽我中村」


原作者の南北は、幾つものストーリーを巧妙に組み合わせて、工夫しながら「遊ぶ」(創作
する)ことが好きだ。これを「綯交(ないま)ぜ」という。この趣向の演目は、それゆえ
に、「綯交ぜ狂言」と呼ばれた。さらに、ストーリーの構築にあたっては、主筋と副筋を絡
ませる。

今回の原作では、4つの世界が綯い交ぜにされる。「曽我もの」、「幡随院長兵衛・白井権
八・三浦屋小紫・寺西閑心」、「笹野権三」、「三勝・半七」。

原作では、「曽我もの」という「世界」に因んで、鎌倉時代が設定された。こういう時代設
定は、徳川幕府の御正道批判という「難癖」に伴う権力からの介入を阻もうという演出の一
つである。この物語は、「鎌倉物語」であって、決して「江戸物語」では、ありませんとい
う幟を掲げている、という合図になる。狂言の原作では、「曽我物語」の登場人物のほか
に、「御存鈴ヶ森」の幡随院長兵衛や白井権八など歌舞伎の人気キャラクターが登場する
し、「鑓(やり)の権三重帷子」の笹野権三、「三勝半七」の芸者・三勝や茜屋の半七な
ど、ほかの演目の主役なども、時代設定無縁、というか、無視して自由奔放に多数を大胆に
登場させてしまう。さらに、南北の広報マン的才能を生かした事前ピーアール作戦も功を奏
して、興行は大当たりになったという。その後も、この演目は、幕末期に2回、明治初期に
1回、再演されたという記録が残っている、という。


国立版「御国入曽我中村」


今回の国立劇場の興行では、さらに原作の内容を大分アレンジしている、という。権三権八
の家宝詮議と仇討が主軸。「曽我狂言」の五郎・十郎、工藤祐経など「曽我もの」の典型的
な人物は、登場しない。今回の曽我もの構造は、物語の時代背景に借用したり、「仇討も
の」ということにしたり。そのぐらいか。その結果、代わりに国立劇場としては、8年ぶり
の両花道の演出というアイディアも飛び出した次第。この演目は、私も初見なので、粗筋を
きちんと書き残しておこう。

まず、今回の場の構成は、次の通り。
序幕「鎌倉金沢瀬戸明神の場」「飛石山古寺客殿の場」「六浦川堤の場」。
二幕目「朝比奈切通し福寿湯の場」「鈴ヶ森の場」。三幕目「下谷山崎町寺西閑心宅の場」
「大音寺前三浦屋寮の場」「元の寺西閑心宅の場」。大詰「東海道三島宿敵討の場」。

まず、序幕では、時代ものの部分、つまり、大江家のお家騒動を説明しながら、主な登場人
物を紹介する。

序幕。時代ものである。
「鎌倉金沢瀬戸明神の場」。大江家家臣団は、源頼家に武術鍛錬の様を披露する。ここのハ
イライトは、空飛ぶ鷹を射る場面である。この場で執権・大江広元の後継者として千島之助
が、次期将軍の源頼家に紹介される。大江家家宝(「陰陽の判」)の披露の場で、家宝の紛
失が発覚する。お家騒動の伏線。忍び寄る大江家横領の兆しが滲み出てくる。大江家家臣の
二人、笹野権三と白井権八が、両花道から華々しく登場する。鷹は、左右から二人に同時に
羽を射抜かれて、地面に落ちてくる。

「飛石山古寺客殿の場」。大江広元の妾腹の息子・志摩五郎が大江家の家督を狙っている。
権三と権八が目障りで、二人を陥れようと、化け物屋敷を仕掛ける。これが主筋。化け物屋
敷の副筋として絡むのが、権三の妹・八重梅、権八の妹おさい。二人は、互いに相手の兄・
権八と権三にそれぞれ想いを寄せていて、権三・おさいと権八・八重梅の二組のカップルも
誕生することになる。

「六浦川堤の場」。さらに、権三の養父・三太夫、権八の養父・兵左衛門も登場。二人は、
志摩五郎派で、大江家のお家横領に加担している。彼らの黒幕として、頼朝の弟・蒲冠者範
頼がいる。大江家の乗っ取り派(謀反派)と阻止派(大義派)の対決の構図が、序幕が終わ
る頃、観客にもわかってくる。乗っ取り派の彼らは、大江広元・千島之助を暗殺しようとし
ている。それを阻止しようとした大江家家臣の権三と権八は、それぞれ相手の養父を殺害す
る。互いの養父の敵(仇)同士になった二人は、相手に討たれようとするが、大江家に出入
りを許されている江戸の侠客・幡随院長兵衛に救われ、大江家の家宝詮議に向かう。

二幕目は、世話もの。時代ものに仕組まれた世話場である。序幕の時代の世界から雰囲気を
変えて、世話場が、展開されることになる。南北が得意なのは、ここから始まる世話場のス
トーリー展開である。

「朝比奈切通し福寿湯の場」。端午の節句。菖蒲湯の季節。「福寿湯」という銭湯が舞台。
江戸時代の下町の銭湯の雰囲気を醸し出す「湯屋」が、鎌倉時代という設定のはずの芝居に
堂々と出てくる。大江家の家宝探し。盗まれていた家宝の受け渡しが、仕組まれている。大
名の武家が町人に変装して現れたりする。湯屋の常連客の一人、伝法だが美人の三日月おせ
ん、という女。正体は、囲われ者。おせんの囲い主の夫は、医者の寺西閑心、という。閑心
は、大江家の家宝探しに一枚噛んでいる。この場の主役である。おせんがらみでひと騒動。
板の間稼ぎ(脱衣所での窃盗騒ぎ)が起きたり。福寿湯は、大騒ぎ。こういう庶民生活の活
写は、南北の得意技の趣向である。

「鈴ヶ森の場」。「御存鈴ヶ森」のパロディ。互いの養父を殺して追われの身となった権三
と権八。権三は重傷を負いながらも逃げているが、権八は捕縛され、鈴ヶ森の処刑場へ。権
八の急を知って駆けつけた八重梅らが、別れの水杯の趣向を利用して、権八の縄を切る。辺
りが暗くなると、「だんまり」の場面。無言劇の暗闘、という演出。権八、権三、おせんと
長蔵、謎の男が、暗闇の中で、互いを探り合う。長蔵が持っていた家宝(「陰陽の判」)
は、謎の男の手に渡り、男は、悠々と立ち去る。男は、医者の寺西閑心であった。

三幕目「下谷山崎町寺西閑心宅の場」。世話場が続く。寺西閑心は、外科の医者。「鈴ヶ
森」で負傷した権三と権八が治療のため訪ねてくる。治療代がわりに寺西閑心の居候となっ
た二人は、おせんにこき使われる。料理づくりをする美男の権八は、女性と間違えられる。
いろいろな経緯の末、権八は、廓へ身売りとなる。寺西閑心は、権三と権八の素性を知って
いるようだ。寺西閑心とは、本当は何者か。

「大音寺前三浦屋寮の場」。三浦屋の花魁・小紫に変身した権八。男であることがばれぬよ
う、病気の出養生という名目で大音寺前にある三浦屋の寮に引き籠っている。大江家の家宝
は、巡り巡って、質屋の手に。権八はあの手この手で質屋の今市善右衛門に迫り、家宝を入
手する。権八らは、寮を抜け出し、下谷山崎町の寺西閑心宅へ向かう。

「元の寺西閑心宅の場」。閑心・おせん夫婦は不在。折良く権三が、一人で留守番。権八ら
は、家宝を権三に渡す。外出したはずの閑心が奥から出てくる。権三権八の手に入った家宝
は偽物、本物は、閑心が持っている、という。

閑心は、さらに陰謀を明かす。源頼朝を兄と呼ぶ閑心は、源氏の重臣を暗殺し、大江家のお
家騒動を悪用し、幕府執権の大江家取り潰しを策略する。それを踏まえて、将軍家を一気に
追いおとそうという策略だ、という。寺西閑心の正体は、頼朝の弟・蒲冠者範頼というわけ
だ。

さらに、南北の趣向は、もう一捻り。おせんの変心、いや変身、という趣向。おせんは、範
頼に暗殺された源氏の重臣の娘。おせん、権三、権八は、実は、蝶千鳥の比翼柄の同じお守
りを持っている。3人は、重臣の遺児たちであった。範頼は、3人にとって、親の仇。閑心
によって、毒を飲まされていた権三、権八のために、自分の生き血を毒消しとして提供した
おせんは死ぬが、権三、権八の兄弟は、大江家の家宝を取り戻すとともに範頼の謀反を阻止
し、実父の仇を討つために、巨魁・範頼に立ち向かうべく、決意を固める。ここは、「曽我
兄弟」の趣向でもある。

大詰「東海道三島宿敵討の場」。時代物に戻る。蒲冠者範頼を襲撃する権三・権八の兄弟。
ついに、範頼と対峙する。頼朝の御台・政子御前、大江広元・千島之助親子ほか頼朝の重臣
たちも、範頼を追い込むために登場する。大江家家宝の「陰陽の判」を取り戻し、範頼一味
を成敗する。幕切れは、歌舞伎の建前(続きを、また、観にきてね!というメッセージ)。
範頼本人は、見逃し、戦場での再会を約して、後日、その場で権三、権八に敵討ちをさせる
ようにとりはからい、引っ張りの見得で閉幕。

複雑な筋立ても、大分ほぐれてきたと思う。登場人物の人間関係を整理しておこう。

将軍は、源頼朝・御台政子御前。

*謀反派:頼朝を追い出し、権力の座を狙う範頼一派。
頼朝の弟/蒲冠者範頼=医者の寺西閑心に化けている。閑心の妻・三日月おせん。

*大義派:頼朝に忠節。
鎌倉幕府の執権/大江広元・嫡男/千島之助・妾腹/志摩五郎。
大江家の家臣/笹野三太夫・養子/笹野権三・妹の八重梅 → 権八の女房。
大江家の家臣/白井兵左衛門・養子/白井権八・妹のおさい → 権三の女房。

侠客:幡随院長兵衛
佐々木秀義の遺児たち:おせん・権三・権八

今回の主な配役は、以下の通り。
医者の寺西閑心、実は、蒲冠者範頼:菊五郎。
閑心の妻・三日月おせん:時蔵。
笹野権三:松緑。妹の八重梅:右近。
白井権八:菊之助。妹のおさい:梅枝。
幡随院長兵衛:菊五郎。
大江広元(團蔵)・嫡男/千島之助(萬太郎)・妾腹/志摩五郎(彦三郎)ほか。

この芝居の見所は、大義派から見たお家騒動という主筋よりも、例えば、脇筋の湯屋などの
世話場の細部に宿っているのではないか。江戸時代の上演当時にも、湯屋の風俗を写した舞
台は、高く評価されたらしい。

本舞台大道具は、湯屋の玄関から番台周辺というロケーションで組み立てられている。この
場面の大道具を下手から見て行くと、湯屋の外、白地の暖簾の掛かった入口に続いて、下足
置場。土間から板の間に上がって、男湯の暖簾。紺地に四つ輪の文様が白く染め抜かれてい
る。男湯の文字。青白の市松模様の庇がついた番台が有って、女中湯の暖簾。茶地に四つ輪
の文様が白く染め抜かれている。女中湯の文字。番台の周辺には、団扇、茶道具など。貸出
用か。二階の休憩所へ上がる階段の下部が見えている。下足置場のところに、「五月五日菖
蒲湯仕候」の貼り紙。女中湯の暖簾の横の柱に「→ をんな湯のぞくべからず」の貼り紙。
それにしても湯屋の室内には、あちこちに貼り紙が目立つ。いくつか記録しておこう。
貼り紙には、「伯山/馬琴」「文楽/鯉かん」「龍生/小勝」。ほかに「志ん生」「桃太
郎」などの名前が、大書されている。講談、落語の高座案内だろうか。室内の上手には、
「豊竹秀太夫」、下手には、「豆仮名太夫」。素浄瑠璃(浄瑠璃だけの語り)か。
芝居の進行も観ながら、双眼鏡を覗いて、メモを取っているので、見落としもあるだろう
が、こういう細部のウオッチングが、私には、興味深い。

菊五郎の芝居は、いつものように安定している。今回は、松緑と菊之助の演技が見どころだ
ろう。権三・権八で、二人は同格の芝居が求められる。菊之助が演じる権八は、途中、女形
の力量も試される。「御存鈴ヶ森」の美少年を超えるイメージが必要。権三の松緑は、権八
の存在感に負けてはいけない。序幕の「鎌倉金沢瀬戸明神」は、「鶴岡八幡」という、見慣
れた大道具が、そのまま、というイメージ。「飛石山古寺客殿」は、「将門」の荒れ寺のイ
メージ。「六浦川堤」も、「鈴ヶ森」も、いつか観た馴染みの大道具。「寺西閑心宅」も、
「三浦屋寮」も、とイメージを追って行くと、歌舞伎とは、登場人物も、大道具も、いかに
類型化するかに腐心する芝居でもある、ということが良く判る、というものだ。

若手花形クラスでは、女形の梅枝、右近。梅枝は、初々しいおさい。右近は、清元と歌舞伎
の両立を目指す。立役の萬太郎。萬太郎は、兄の梅枝と違う道を歩む。松緑の長男、左近。
左近は、今後の精進が大事。橘屋・市村兄弟の竹松、光。

このほか、ベテランが、舞台に隅々に気を配る。順不同で、秀調、團蔵、橘太郎、萬次郎、
片岡亀蔵、権十郎、彦三郎、坂東亀蔵、楽善。

南北劇らしい役名。そういう役名は世話場が多い。目についたところをアトランダムに拾い
上げてみると、

雪の下の出羽長、実は手下の長蔵(坂東亀蔵)。湯屋番頭三ぶ六(橘太郎)。判人さぼてん
の源六(片岡亀蔵)。


贅言;
新春の国立劇場の正月芝居を飾る菊五郎劇団。国立劇場のロビーには、2006年1月から
始まったこの興行のうち、10回分、10枚のポスターが展示されていた。06年から20
年。ということは、今年の分を含めて、15回分のポスターがある。10枚なら、3分の
2。菊五郎劇団の1月は、古典歌舞伎の復活通し興行だが、一面新作歌舞伎の要素も持って
いるようだ。思い切って、内容が再構成された作品に新たに外題を付け替えるからだ。しか
し、より良い外題をつけるというのは、難しいらしく、新たに付けられた外題がしっくりし
ないことが多い。復活初演時に観た演目のポスターを見ても、私は芝居も舞台も思い浮かべ
られない、というのは、どういうことだろうか。

今回だって、「権三権八」なら、松緑や菊之助、菊五郎を思い浮かべるだろうが、「菊一座
令和仇討」では、数年先には、私たちの認知症もきっと進んでいることだろうから、これ
は、何の芝居だったっけ、と思い出せなくなってしまいそうである。
- 2020年1月16日(木) 17:28:11
19年12月国立劇場(「盛綱陣屋」、「蝙蝠の安さん」)


白鸚28年ぶりの「盛綱陣屋」


二代目松本白鸚が、1991年10月国立劇場公演以来、28年ぶりに「盛綱陣屋」の佐々
木盛綱を演じる。白鸚は、九代目幸四郎という高麗屋の大看板の名跡を息子の染五郎に譲
り、染五郎は、その名跡を息子の金太郎に譲った。高麗屋三代の同時襲名の結果である。1
981年10月、当時、染五郎という名前であった二代目白鸚は、幸四郎という名跡を父親
から譲り受けた瞬間から幸四郎になりきろうとして、父親を始め高麗屋所縁の先人たちの
「幸四郎藝」を引き継ぎ、それを発展させることに専念をしながら、自分の九代目幸四郎時
代を築き上げてきた。例えば、弁慶役は、1100回を越えて、何回も演じた。弁慶役を細
部まで磨き上げた。父親の八代目幸四郎が1600回以上も弁慶を演じたので、それの並ぼ
うと精進してきたのである。それゆえに、九代目には、若い頃演じたまま、その後、封印し
てきた役どころもあった。「盛綱陣屋」の佐々木盛綱も、そういう役どころの一つであっ
た。盛綱役は、それゆえの、28年の空白であった。

この高麗屋三代の襲名披露が、初代白鸚としてはただ一回、そして生涯最後の舞台となっ
た。晩年に発症したベーチェット病が進行して、この頃には全身に痛みが走って思うように
体を動かせず、襲名披露の舞台での、平伏の挨拶も苦痛に堪えながらやっとし遂げたとい
う。従って、二代目白鸚は、初代白鸚が、ほとんど踏み出せなかった「白鸚藝」という未知
の世界へ、いま踏み出しているのである。

その九代目幸四郎も、八代目幸四郎の没後36年となった2018年1月には、二代目白鸚
を襲名した。さらに、九代目の長男である七代目染五郎が十代目幸四郎を、その長男である
四代目金太郎が、八代目染五郎をそれぞれ襲名し、前回の高麗屋三代同時襲名を再びやり遂
げてみせた。これ以降、二代目白鸚は、若い頃に演じたまま、その後「封印」(あるいは、
時間的制約に拠る「抑制」かもしれない)してきた役どころに、改めて挑戦し始めたのであ
る。二代目白鸚は、来年1月で、襲名以来まる2年となる。若い頃演じ、その後、封印して
きた役柄に、既に、いくつも挑戦している。

さて、「盛綱陣屋」。私は、今回で、9回目の拝見となる。鎌倉時代に設定されているが、
実は、徳川家康と豊臣秀頼の「大坂の陣」を素材にしている。家康が、鎌倉方。秀頼が、京
方と別れる。1769(明和6)年12月大坂竹本座で全九段の人形浄瑠璃として初演され
た。翌年歌舞伎化されて、大坂中の芝居で初演されている。原作は、近松半二らの合作。

今回の主な配役は、白鸚が鎌倉方の知将・佐々木盛綱。彌十郎が京方の赤面(あかっつら)
の和田兵衛(後藤又兵衛がモデル)。この人も、知将だろう。鎌倉方の策士の大将・北條時
政(家康がモデル)が楽善。佐々木盛綱高綱兄弟の母・微妙が吉弥。兄が佐々木盛綱(真田
信幸がモデル)、弟が高綱(真田幸村がモデル)。高綱本人は、今回の芝居では、出番はな
いが、智略の武将。弟の高綱の妻・篝火が魁春。兄の盛綱の妻・早瀬が高麗蔵。妻同士の戦
い。ご注進のふたり、「道化の注進」で知られる伊吹藤太が猿弥。「アバレの注進」で知ら
れる颯爽たる信楽太郎が幸四郎。ご馳走の配役ほか。

コンパクトに舞台の大状況をお浚いすると、「盛綱陣屋」は、大坂冬の陣での、豊臣方の末
路を描いた時代物全九段人形浄瑠璃「近江源氏先陣館」の八段目である。複雑な筋立てを得
意とした近松半二らの作品だ。物語は、半二劇独特の、対立構造を軸とする。まず、鎌倉方
(陣地=石山、源実朝方という設定、史実は、徳川方で、家康役は、北條時政として出て来
る)と京方(陣地=近江坂本、源頼家方という設定、史実は、豊臣方。従って、劇中の坂本
城は、大坂城のことである)の対立。鎌倉方に付いた佐々木三郎兵衛盛綱(兄)と京方に付
いた佐々木四郎左衛門高綱(弟)の対立(実は、兄弟で両派に分かれ、どちらが勝っても、
佐々木家の血を残そうという作戦)。

盛綱高綱兄弟対立の連鎖で、「三郎」兵衛盛綱の嫡男・「小三郎」と「四郎」左衛門高綱の
嫡男・「小四郎」の対立。盛綱の妻・早瀬と高綱の妻・篝火の対立という具合に、対比は、
重層的、かつ、綿密になされている。兄弟対立の上に位置するキーパーソンは、老母・微妙
だ。重責の役どころ。だから、難役。

高綱は、舞台には出て来ないが、贋首として、「出演」する。兄の盛綱に切首として対面
し、謎を掛ける。立役は、盛綱、和田兵衛、北條時政。女形は、早瀬、篝火、微妙。子役
は、小三郎と小四郎で、高綱以外は、皆、登場。

半二劇の物語の展開は、筋が入り組んでいる。「盛綱陣屋」では、ポイントは、小四郎の動
きである。兄弟の血脈を活かすために、一役を買って出た高綱の一子・小四郎が、伯父の盛
綱を巻き込む。父親の「贋首」の真実を担保するために、首実検に赴いた北條時政を欺こう
と、小四郎が自発的に切腹する。

この見せ場のベースは、高盛・小四郎対時政の対峙。甥の切腹の真意(父親を助けたい)を
悟る盛綱は、主君北条時政を騙す決意をし、贋首を高綱に相違ないと証言する。根回し無し
で、自分の嫡男の命をぶら下げて、無謀な賭けを仕掛けて来た弟の高盛の尻拭いをするため
に、主君に対する忠義より、一族の血縁を優先する。血族(兄弟夫婦、従兄弟)上げて協力
して、首実検に赴いた時政を欺くという戦略だ。発覚すれば、己の命を亡くすと、知将・盛
綱は瞬時に頭を巡らせた上で覚悟をしたのだ。小四郎が、大人たちの知謀の一環に子どもな
がら知恵を働かせて一石を投じたのだろう。小四郎の配役を重視することが多いが、今回
は、そういう配役には、なっていないようだ。

盛綱は、息子・小四郎との関係を軸にしながら、弟・高綱の目論見が、観客に次第に見えて
来るという、芝居の筋立てにそって変化する心理描写をきちんとトレースして行く必要があ
る芝居だ。内面を外面に次第に滲ませて行く。形の演技から情の演技へ。目と目で互いに意
志を伝えあいながら、甥の命がけの行為を受けて、主君・時政を裏切り、自分も命を捨てる
覚悟をする。主従関係より一族の血脈を大事にする。盛綱の、そうした変化が、観客の胸に
ストレートに入って来る。白鸚の演技は、科白も控えめ、所作も控えめ。舞台には浄瑠璃の
太棹の音だけが響く。28年ぶりに演じる、という白鸚を軸にした静謐な場面が続く。歴代
の盛綱役者では、初代鴈治郎、十五代目羽左衛門、初代吉右衛門が、歴史に名を残してい
る。当代の白鸚は、祖父の初代吉右衛門から父の八代目幸四郎を経て継承された盛綱像を再
現している。

京方の使者・和田兵衛は、赤面(あかっつら)の美学ともいうべきいでたちである。黒いビ
ロードの衣装に金襴の朱地のきらびやかな裃を着け、朱塗りの大太刀には、緑の房がついて
いる。荒事のヒーローのようで、歌舞伎の美意識が、豪快な人物を形象化するが、兵衛もな
かなかの知将ぶりを見せる。彌十郎が演じる兵衛は、軍兵に前後から槍を突きつけられなが
ら、両手を懐手にして、堂々と花道を去って行く武ばったところも、この役の見せ場であ
る。


チャップリン歌舞伎「蝙蝠の安さん」


この演目は、チャップリンの代表作、サイレント映画「街の灯」を歌舞伎化した作品であ
る。しかし、チャップリンの映画をそのまま歌舞伎化したわけではない。チャップリンの映
画「街の灯」は1931年1月、伴奏音楽入りのサイレント映画として、アメリカのロスア
ンジェルスの劇場で上映され、その後、世界中でヒット上映された。日本での初公開は、1
934(昭和9)年。公開前にこの映画に目をつけたのが、劇作家の木村錦花であった。

贅言;木村錦花という人物については、11月の歌舞伎座・昼の部の「研辰の討たれ」の原
作者として、11月の劇評で触れた。木村錦花は、歌舞伎役者をしながら、戯曲や小説も書
いた、という。二代目左團次の明治座興行の際、主任を勤め、左團次とともに入社した松竹
では、後に取締役になった。なかなか、器用な人だったようで、世渡りもうまかったのだろ
う。

木村錦花は、当時人気のあった8月歌舞伎の演目「弥次喜多もの」に変わる新たな素材を模
索中に「街の灯」に巡りあたり、映画の封切り前で情報が乏しい中で、映画雑誌の短い記事
(筋書き)や海外で映画「街の灯」を見てきた十五代目羽左衛門らの話を頼りに歌舞伎作品
に仕上げた。「切られ与三」(「与話情浮名横櫛」)の脇役の名前(蝙蝠安)だけを借用し
て、1931(昭和6)年8月歌舞伎座で初演された。元々は、新聞連載読み物が、原作で
あった。

歌舞伎初演では、十三代目守田勘弥が、主人公の蝙蝠の安さんを演じた。安さんの「弱っ腰
でお人好し」のところが、「街の灯」の主人公の「放浪者」に合うと思ったという趣旨のこ
とを言っていたそうだ。その日暮らしなのに、人の世話を焼きたがる、そういう好人物であ
る。蝙蝠の安五郎は、右の頬に蝙蝠の刺青を入れ、鼻の下にちょび髭を貯える。

「蝙蝠の安さん」は、チャップリンファンの当代幸四郎が、チャップリンの「街の灯」から
直接ではなく、木村錦花の歌舞伎作品にさらに磨きをかけて、それを再演するという構想へ
の挑戦であった。「30年来の念願が叶い感激している」という。幸四郎のイメージする安
さんの人物像は、「金も名誉もないけれど情にもろく心は紳士という人物」だそうな。私
は、この演目は、今回が初見。今回の興行は、「チャールズ・チャップリン生誕130年」
と銘打たれている。

今回の場面構成は、以下の通り。
序幕「両国大仏興行の場」、二幕目第一場「大川端の場」、同 第二場「上総屋の奥座敷の
場」、同 第三場「八丁堀の長屋の場」、同 第四場「奥山の相撲の場」、三幕目第一場
「上総屋の奥座敷の場」、同 第二場「茅場町薬師堂裏の場」、大詰「浅草奥山の茶店の
場」。

今回の主な配役は、次の通り。蝙蝠の安さんは、幸四郎。草花売りの娘・お花は、新悟。上
総屋新兵衛は、猿弥。お花の母・おさきは、吉弥。大家勘兵衛は、友右衛門。このほか、人
物の数が多く、大部屋の立役、女形の皆さんが、熱演している。

初見の劇評記録なので、粗筋をコンパクトながら、少し詳しく書いておこう。
序幕「両国大仏興行の場」。花道は、なぜか、黒い布で覆われている。場内は、暗転後は、
終演まで、暗いまま。いつものようにメモが取れないので、劇評が書きにくい。

映画「街の灯」のオープニングの場面は、記念碑の除幕式。チャップリン扮する「放浪者」
が、石像の上で、眠り込んでいる。今回の歌舞伎では、場内は、新作歌舞伎らしく緞帳がし
まっている。やがて、暗転。場内が真っ暗になる。薄明るくなると、建元の柳屋清吉(幸
蔵)が、花道で披露の口上を述べる。舞台には、五色の幕が3つかかっている。幕の前で
は、人々が、除幕を待っている。幕が取り払われると、舞台には、デフォルメされた大仏の
掌や鼻などがある。奈良の大仏を真似た両国大仏の披露、という場面。高みの大仏の掌の上
で、何者かが寝込んでいるようだ。風来坊の蝙蝠安さん(幸四郎)だ。右頬に蝙蝠の刺青が
ある。皆が騒ぎ立てるので、清吉が安さんを咎め、追い立てる。大仏の体内を逃げ回る安五
郎。鼻の穴から顔を覗かせてあかんベーをする始末。映画「街の灯」から「盗用」したオー
プニングか。以下、このような「いただき」は、いろいろあるらしいが、映画「街の灯」未
見の身には、何も言えない。

二幕目第一場「大川端の場」。舞台には、大川にかかる橋がある。大川は、舞台から花道ま
で黒い布で覆われている。黒い布は、道にも川にもなる。橋の上には、数人の人々がいる。
草花売りの娘・花が、人々に花を売っている。この場面は、安さんにとって、二つの出会い
があるのがポイント。お花(新悟)が誤って安さんに水をかけてしまう。お花が盲目だとい
うことに安さんも気がつく。不憫に思った安さんは、売れ残った花を全部買い取る。お花
は、安さんを金持ちの旦那と勘違いする場面だ。もう一つの出会いは、橋下のむしろ小屋に
帰った安さんが、上総屋新兵衛(猿弥)と出会う。ヤケになって、酔っ払った勢いで川に飛
び込もうとする新兵衛、それを助ける安さん。はちゃめちゃの手順通りの喜劇。ここは、安
さんの人に良さを浮き彫りにする演出。

同 第二場「上総屋の奥座敷の場」。新兵衛に気に入られた安さんは、上総屋に招かれる。
新兵衛は、実は、酒乱。その上、素面の時と酔っている時は、別人格という、いわば二重人
格的な性格の持ち主。二人の新兵衛に翻弄される安さん。ここも、安さんお善良さが描写さ
れる。

同 第三場「八丁堀の長屋の場」。お花と母親のおさき(吉弥)が住む長屋。母一人、娘一
人の貧しい生活。金持ちの旦那を装って様子を見にきた安さん。親切な大家(友右衛門)か
らいろいろ情報を聞き出す。笑いを滲ませたチャップリン劇の味わい。

同 第四場「奥山の相撲の場」。映画「街の灯」では、娘の目の治療のためにチャップリン
が賭けボクシングに参加するが、こちらは、賭け相撲。賞金の5両を目指して、飛び入り歓
迎。相撲小屋には、三役の力士に飛び入りで勝ったら、賞金の五両を進呈する旨書いた張り
紙(「舌代」と書いてある)が掲げられている。第四場は、途中で場面が転換される。相撲
小屋の外から、土俵のある場内へ。道具幕の振り落としで場面展開。お花のためにと、張り
切って賭け相撲に参加した安さんだったが、やはり最後は負けてしまう。

三幕目第一場「上総屋の奥座敷の場」。再び、上総屋の奥座敷。酔いがまわると、安さんの
ことを思い出す新兵衛が、また、安さんを連れて帰ってきた。新兵衛にお花の治療費を無心
すると、新兵衛は、快諾してくれる。しかし、目が醒めると、忘れている。特に、その夜
は、奥座敷に泥棒が入って、逃げていった。町方を呼んで捜査を依頼する。治療費5両借り
ている安さんは、状況が悪すぎる。疑われる安さん。逃げ出す安さん。善人ゆえに、ややこ
しい立場に追いやられる。安さんを追う手先の梅吉(幸蔵)。暗転し、舞台は廻る。

同 第二場「茅場町薬師堂裏の場」。安さんと梅吉の追っかけ劇。チャリ(笑い)場。お花
に治療費を手渡した後、梅吉のお縄につく安さん。見返りを求めない安さんの真骨頂の場
面。

大詰「浅草奥山の茶店の場」。お花が、花屋で働いている。芸者衆が忘れていった扇子に気
がつくお花。お花の視力が戻ったようですよ。その様子を店の外からじっと見ている一人の
男。お花と再会した安さんだ。それでも、お花に声をかけることができない。訝ったお花が
声をかける。お花から餞別にもらった一輪の菊の花。結局、何も言えずに、立ち去ろうとす
る安さん。訝しがりながらも、安さんが、恩人だと気がつかないお花。このまま、すれ違っ
てしまうのか。安さんが落とした一輪の花を拾って手渡そうと、安さんの手を握ったお花
は、その指先の感触で、その人が恩人だと悟るお花。それでも、お花とおさきは、突然の恩
人出現に動揺し、何も言えずに、呆然としたままである。蝙蝠の安さんは、「お花さん。お
花をありがとうよ」の一言を残して、花道から立ち去る。人情喜劇。大人向けのファンタジ
ーのような新作歌舞伎であった。

★★★★★追記:今月と来月は、「私事」に対応するので、歌舞伎や人形浄瑠璃の観劇をし
たり、劇評を書いたりする時間が制限されるので、十分に対応できず。悪しからず。
- 2019年12月11日(水) 17:52:31
19年11月歌舞伎座(夜/「鬼一法眼三略巻 〜菊畑〜」「連獅子」「一松小僧の女」)



初代莟玉披露・梅玉の養子になった梅丸



「鬼一法眼三略巻 〜菊畑〜」。通称は「菊畑」。梅玉の養子になった梅丸の初代莟玉(か
んぎょく)襲名披露の舞台。莟玉は、奴・虎蔵、実は、牛若丸を演じる。この演目は、文耕
堂らが合作した全五段の時代浄瑠璃「鬼一法眼三略巻」の三段目。

私は、10回目の拝見。歌舞伎の典型的な役どころが揃うので、みどり(独立した上演形式)
で、良く上演される演目である。今回は、梅丸の初代莟玉襲名披露の「劇中口上」を軸に記
録しておきたい。
 
今回の主な配役は、智恵内、実は、鬼三太(梅玉)。虎蔵、実は、牛若丸(莟玉)。鬼一法
眼(芝翫)。皆鶴姫(魁春)。湛海(鴈治郎)。

因みに、私が観た主な配役。
智恵内、実は、鬼三太:吉右衛門(2)、松緑(2)、富十郎、團十郎、仁左衛門、幸四郎
時代の白鸚、又五郎、今回は、梅玉。虎蔵、実は、牛若丸:芝翫(2)、染五郎時代の幸四
郎(2)、勘九郎時代の勘三郎、菊五郎、信二郎改め錦之助、梅玉、時蔵、今回は、初役の
莟玉。鬼一法眼:羽左衛門の代役を含め富十郎(3)、富十郎の代役を含め左團次(2)、
権十郎、吉右衛門、歌六、団蔵、今回は、初役の芝翫。鬼一法眼がいちばん似合いそうな羽
左衛門の舞台を休演で見逃してしまったのが、残念。芝翫は、大きさを感じさせる。皆鶴姫
は、芝雀時代の雀右衛門(2)、時蔵(2)、先代の雀右衛門、菊之助、福助、米吉、児太
郎、今回は、魁春。憎まれ役の湛海:歌昇時代の又五郎(3)、正之助時代の権十郎
(2)、彦三郎時代の楽善、段四郎、歌六、坂東亀蔵、今回は、鴈治郎。

幕が開くと、舞台全面に浅黄幕。置き浄瑠璃で、やがて、幕の振り落とし。「音羽屋」の掛
け声。舞台中央、智恵内、実は、鬼三太(梅玉)が、床几に腰掛けている。体制派の奴たち
が、智恵内を虐めるが、智恵内も、負けていない。花道は、中庭の想定、七三に木戸があ
り、ここから本舞台は、奥庭で、通称「菊畑」。丹精込めた菊が咲いている。鬼一法眼(芝
翫)とともに、花道を通って、木戸を開けて奥庭に入って来る8人の腰元。

病気療養中の鬼一法眼には、2つの出方がある。ひとつは、療養している奥座敷から、とい
うことで、上手から登場する。今回は、8人の腰元一行を引き連れて、華やかに花道から登
場した。
 
「菊畑」は、源平の時代に敵味方に別れた兄弟の悲劇の物語という通俗さが、歌舞伎の命。
鬼一息女の皆鶴姫(魁春)の供をしていた虎蔵、実は、牛若丸(莟玉)が、姫より先に帰っ
て来る。それを鬼一(芝翫)が責める。

梅玉、莟玉、魁春、鴈治郎、芝翫が、舞台に出揃ったところで、今回は、芝居を中断し、
「劇中口上」となる。本舞台には、上手から順に、鴈治郎、莟玉、梅玉、魁春、芝翫が、並
んで座る。

口上は、中央に座った梅玉が仕切る。15年間部屋子として指導した梅丸が自分の養子にな
ったこと、それをきっかけに、梅丸を改め、初代莟玉を名乗らせることを説明し、今回の舞
台で「襲名披露」となる運びに相成った、と声を高めた。梅玉らしい、生真面目な挨拶だっ
た。次いで、下手へ。梅玉の弟の魁春。魁春は、「いつまでもご贔屓、お願い奉りまする」
と述べるに止める。下手の締めは、芝翫。芝翫は、「養子の披露は、大変喜ばしい。可愛い
お子さんなので、いずれも様も、ご贔屓、ご後援をお願いしたい」。次は、上手に回って、
鴈治郎、莟玉と口上を述べる。まず、鴈治郎は、「(自分の息子の)壱太郎ともども、可愛
らしい役者だ。養子・襲名、喜ばしい。幼い頃から梅丸さんを、『マルちゃん』と呼んでい
た。今後は、なんと呼べば良いのか。(悩んでいる)」と挨拶し、場内の観客を笑わせてい
た。さて、本人の莟玉。「芸道に精進します。ご支援ください」。場内からは、暖かい拍
手。皆、立ち上がって、芝居再開。

鬼一は、知恵内に虎蔵を杖で打たせようとする。以前にも書いているように、ここは、「裏
返し勧進帳」という趣向。鬼一は、知恵内(鬼三太)に虎蔵(牛若丸)を杖で打たせようと
するが、ここは、「勧進帳」で弁慶が義経を打擲したのと違って、鬼三太は、牛若丸を討つ
ことが出来ず苦境に落ち込む。戻って来た皆鶴姫がふたりの正体に気付いていて、急場を救
う。鬼一は、鬼三太や牛若丸には、肚を見せないが、観客には、肚を感じさせなければなら
ない。鬼一が退場した後、牛若丸は鬼三太を叱る。

知恵内、実は、鬼三太は、鬼一法眼の末弟である。兄の鬼一法眼は、平家方。弟の鬼三太
は、源氏方という構図。それぞれの真意をさぐり合う兄弟。さらに、鬼三太と牛若丸の主従
は、鬼一法眼が隠し持つ三略巻(虎の巻)を手に入れようと相談する。当初の作戦変更の結
果、牛若丸らは皆鶴姫の案内で鬼一法眼と直談判をし、虎の巻を譲り受けようということに
なる。3人の引張りの見得で、閉幕。


世代交代した高麗屋/親子の「連獅子」


「連獅子」は、通常、親獅子と仔獅子というふたりの役者で演じられる。親子で演じる場面
が、オーソドックスな基本型。それぞれの親子「連獅子」は、観る側も愉しみである。立役
の役者が、親子で、「連獅子」を踊るのは、息子の成長を図るメルクマールになるだろうか
ら、親子で演じられる年齢に息子が到達するのを、皆、待ち望んでいるだろう。父と息子の
コンビは、私も幾つも観てきた。私が観た配役だけでも、以下のようになる。

23年前、1996年1月歌舞伎座、勘九郎時代の勘三郎と勘太郎時代の勘九郎が、最初。
それ以来、孝夫時代の仁左衛門・普通は女形の孝太郎が立役を演じた連獅子。幸四郎時代の
白鸚・染五郎時代の幸四郎(これはいくつも観てきた)。勘九郎時代の勘三郎と勘太郎時代
の勘九郎・七之助という3人で演じる珍しい連獅子。幸四郎時代の白鸚・染五郎時代の幸四
郎、それに孫の金太郎時代の染五郎、という3人で演じる珍しい連獅子。仁左衛門と孫の千
之助(孝太郎の息子)。橋之助時代の芝翫と息子たち(橋之助、福之助、歌之助)という4
人で演じる、「超」珍しい連獅子。

今回は、世代交代した幸四郎と染五郎。
親子では、先代の幸四郎、染五郎の高麗屋親子の連獅子は、当代ではいちばん安定してい
る、と思う。このコンビでの連獅子を観たのは、08年1月の歌舞伎座が、私には、最後に
なった。世代交代した新しい幸四郎と染五郎が、どういう「連獅子」を構築して行くか。今
回が、初見。楽しみである。

新しい幸四郎と染五郎は、18年11月の京都南座で、初演しているが、歌舞伎座では、今
回が初演。今回、観た限りでは、節目節目をきっちり抑え込んでいて、厳しい稽古を積んで
いるのではないか、と想像された。その成果として所作にメリハリがある、という印象だっ
た。しかし、染五郎の表情が、ちょっと緊張気味に思えた。今後の二人の精進が実り、余裕
を生み出した頃に観てみたい。楽しみだ。

このほか、先代の猿之助時代の猿翁と亀治郎時代の猿之助、という伯父と甥のコンビなども
ある。

間狂言(あいきょうげん)の「宗論」(亀鶴と萬太郎)の後、後ジテの場面。白毛の親獅子
の精(幸四郎)、赤毛の仔獅子の精(染五郎)の登場。親獅子が、花道から本舞台に続く辺
りに達したのを確認して、仔獅子は、花道揚げ幕を出てくる。親獅子が、本舞台に設えられ
た「二畳」の台(赤に、緑の縁取りがある)に上がる頃、仔獅子は、花道七三に到着する。

連獅子は、むき身の隈取り、長い毛を左右に降る「髪洗い」、ダイナミックに回転させる
「巴」、毛を舞台に叩き付ける「菖蒲叩き」など。体力のいる演目だ。獅子の座で、両手を
拡げて、肩を上げる親獅子に、緞帳の幕が下りてくる。


「江戸女草紙 市松小僧の女」


「市松小僧の女」は、新作歌舞伎。緞帳が上がると、開幕。1977(昭和52)年2月、
歌舞伎座で初演。今回が、再演。私は、今回が初見。池波正太郎の時代短編小説。原作は、
短編集「にっぽん怪盗伝」のうち、「市松小僧始末」。初演時は、原作者の池波正太郎が、
演出も担当した。初見なので、あらすじも記録しておこう。

女武道。男に生まれたほうがよかった、今なら、「ジェンダー」の時代で、生きやすかった
だろうに、芝居の時代設定は、1776(安永5)年、明治維新まで92年という徳川時代
のこと。男勝りの女性が、スリをしている前髪立ちの美男子と夫婦になり、男は更生し、女
は小間物屋の評判の良い女房に変身する、というのが前半。犯罪依存症、つまり手癖が悪い
男は、更生が続かず再びスリに逆戻り。夫の利き腕を使えないようにしようとする女房。そ
んな女房に恋情を寄せる夫。歌舞伎座で、42年ぶりの再演である。

今回の主な配役は、次の通り。
嶋屋重右衛門:團蔵。重右衛門後妻・お吉:秀調。先妻の娘・お千代:時蔵。後妻の娘・お
雪:梅枝。嶋屋の大番頭・伊兵衛:齋入、森田屋彦太郎:萬太郎、権兵衛女房おかね:秀太
郎、権兵衛:家橘、掏摸市松小僧・又吉:鴈治郎、掏摸・仙太郎:市蔵、永井与五郎:芝翫
ほか。全員が、初役ではないか。

因みに初演時の配役は、次の通り。
嶋屋重右衛門:十七代目羽左衛門。重右衛門後妻・お吉:七代目門之助。先妻の娘・お千
代:七代目梅幸。後妻の娘・お雪:芝雀時代の雀右衛門。権兵衛女房おかね:三代目多賀之
丞。掏摸市松小僧・又吉:二代目又五郎。掏摸・仙太郎:三代目権十郎。永井与五郎:二代
目松緑、ほか。

今回の場面構成は、以下の通り。
序幕「日本橋・坂本町呉服太物所(嶋屋重右衛門方の奥庭)」。二幕目第一場「雑司ヶ谷村
の百姓権兵衛の家」、二幕目第二場「同じ権兵衛の家」。大詰第一場「深川・黒江町にある
小間物屋『市松屋』の内」、第二場「市松屋の外の道」。

序幕「日本橋・坂本町呉服太物所(嶋屋重右衛門方の奥庭)」。春。鶯が頻りに啼いてい
る。大道具は、下手から、門、廊下、座敷、離れに蔵があるという配置。嶋屋の主人・重右
衛門(團蔵)が、親類の線香問屋の三男坊の彦太郎(萬太郎)を連れて、居間に入ってく
る。重右衛門は、妻だったお八重との間に、お千代(時蔵)という娘がいる。さらに、後妻
のお吉(秀調)との間に、お雪(梅枝)という娘がいる。重右衛門は、お千代に婿を迎え、
家家を継がせたいと思っている。お吉は、お雪に相続させたい、と望んでいる。彦太郎は、
お千代の婿候補であるが、お吉に気を使っている。お千代は、彦太郎との縁談には、気が進
まない。女武道らしく剣術の修行に勤めている。店先で小僧(丁稚)に水をかけられた、と
難癖をつけて、無頼の浪人が金をせびりにきた。立ち騒ぐ無頼に当て身を食わせて気絶させ
るお千代。それを見て震え上がる彦太郎。

二幕目第一場「雑司ヶ谷村の百姓権兵衛の家」。晩春。家出したお千代は、鬼子母神のある
雑司ヶ谷村の百姓・権兵衛の家に潜んでいる。権兵衛の女房おかねがお千代の乳母だったの
で、頼ってきたのだ。おかねは、お吉に追い出されたことを恨んでいる。お千代を探しにき
た嶋屋の大番頭・伊兵衛(齋入)にも、店には帰らないと言う。

掏摸グループが、逃げ込んでくる。掏摸市松小僧・又吉(鴈治郎)と兄貴分の掏摸・仙太郎
(市蔵)の犯行をお千代は見抜いてしまう。お千代は、又吉を咎めているうちに、ふと何か
を感じて、美男の又吉を奥の一間に誘ってしまう。
暗転。

緞帳が上がると、二幕目第二場「同じ権兵衛の家」。季節は巡る。初夏。お千代は、掏摸の
又吉と恋仲になっている。南町奉行同心永井与五郎(芝翫)は、お千代が通う道場の兄弟
子。お千代と掏摸の又吉の仲を案じている。二人の話を聞き、永井は重右衛門への仲介を買
って出る。又吉には、近いの証にと前髪を剃り落とさせる。

大詰第一場「深川・黒江町にある小間物屋『市松屋』の内」。時は流れ、2年後。小間物屋
は、堀のそばにある。お千代と又吉は、夫婦になって、黒江町で市松屋という小間物屋を営
んでいる。永井が店を訪れ、又吉が再びスリの世界に戻っている、お千代に告げる。そこ
へ、又吉が戻ってきたので、永井は又吉を詰問する。スリ依存症が治らない、と詫びる又吉
を永井は引き立てていこうとする。咄嗟に又吉に出刃包丁を向けるお千代。それを見て気絶
する又吉。

引き道具で、舞台転換。大詰第二場「市松屋の外の道」。お千代の、とっさの行動を讃える
永井。店の外まで、永井を見送るお千代。そこへ、這うようにして戻ってきた又吉は、お千
代に取りすがって、詫びる。お千代は、そういう又吉を抱きしめる。幕。

この芝居は、演劇的な時空が不十分ではないのか。私の印象では、芝居より、短編小説向き
のネタという気がした。文章で読んだ方がおもしろいのではないか、という気がした。
- 2019年11月18日(月) 16:45:02
19年11月歌舞伎座(昼/「研辰の討たれ」「関三奴」「梅雨小袖昔八丈」)



本家版「研辰の討たれ」初見



「研辰の討たれ」は、最近では、「野田版 研辰の討たれ」の方が、よく知られているかも
しれない。「野田版研辰の討たれ」は、05年5月の歌舞伎座で初めて観た。今回は、本家
版「研辰の討たれ」を初めて観た。

「研辰の討たれ」は、史実を基にしている。研屋の辰蔵こと、愛称「研辰」が、女房の不倫
の相手の武士を殺し、敵討ちを逃れて諸国を逃げ回った末に、四国の讃岐で敵を討たれてし
まったという。文政年間に実際にあった史実をもとにした木村錦花の原作で、1925(大
正14)年に二代目市川猿之助(後の猿翁)主演で、初演された新歌舞伎だ。

成り上がりの武士が、「武士のプライド」を嘲弄されたとして家老を殺して、その遺族から
敵(かたき)として狙われる。普通なら、敵討ちをする側を主人公に据えて、物語を展開す
るところだが、「研辰の討たれ」では、敵を討たれる側を主人公にして、「武士のプライ
ド」を捨てて、「町人の性根」に戻り、未練な生への執着を描いた喜劇に仕立てた。初演以
降、猿之助の「研辰」は当たり、「稽古中の研辰」「恋の研辰」などの続編も上演された、
という。

木村錦花という人物は、歌舞伎役者をしながら、戯曲や小説も書いた、という。二代目左團
次の明治座興行の際、主任を勤め、左團次とともに入社した松竹では、後に取締役になっ
た。なかなか、器用な人だったようで、世渡りもうまかったのだろう。

「研辰の討たれ」は、戦後も、三代目延若が、二代目延二郎時代から演じ続けていたが、平
成に入って、勘九郎時代の勘三郎が演じるようになった。さらに、勘三郎は、01年8月の
歌舞伎座の納涼歌舞伎で、「野田版 研辰の討たれ」」として、新たな脚本・演出で演じる
ようになり、十八代目勘三郎を代表する人気演目のひとつとなった。

「野田版 研辰の討たれ」では、家老殺しを「からくり」を使って、脳卒中で死亡させてし
まうというのは、野田のアイディアであろうし、そうすることによって、大正時代の新歌舞
伎を21世紀の新作歌舞伎に変身させたと、思う。野田版では、幾つもの彼独特の工夫があ
る。例えば、時代を「赤穂諸事件」、つまり、日本人に刷り込まれた外題では、いわゆる
「忠臣蔵」の時代の直後に設定し直し、町人堅気の抜けない成り上がりの武士に赤穂浪士ら
の武士道を批判させた野田の才気。成り上がることで、旧体制の武士社会に挑戦した研辰こ
と、守山辰次だが、家老の平井市郎右衛門を脳卒中で死亡させた、いわば、業務上過失致死
の容疑が、「武士は、脳卒中では死なない」などと言っていた家老の名誉を重んじる旧体制
派の八見伝内らの策略で、殺人の容疑に切り替えられ、平井の子息の兄弟に敵として命を狙
われた末に、兄弟の「策略」に遭い、敵を討たれてしまうというのは、旧体制に挑戦しなが
ら、敗れた新体制(町人社会)の成り上がりものという、作劇のコンセプトを新たに付け加
えたとも見ることができる。また、敵討ちを成就させた真の行為者は、適当に態度を変える
大衆そのものだという、現代という大衆社会の持つファッショ性を観客にさり気なく感じさ
せる辺りも、野田演出の才気だろう。

野田の新工夫は、スピードとアイディア溢れ、細々(こまごま)とした演出面でも、ほかに
も数々あるだろうと、思うし、抽象的な大道具を使い廻し、さあざまな場面展開に活用する
など、野田の才気が細部に光る演出であり、新勘三郎を始め、勘三郎一座が、それに応え
て、おもしろい芝居に仕立てたことは確かだが、さはさりながら、「野田版」の芝居は、つ
いでに、歌舞伎の範疇から飛び出してしまったとも、思う。だから、どうだということもな
いが、これは、歌舞伎ではない。別のおもしろい演劇だという、印象は免れないと思う、と
だけ指摘しておきたい。

野田版への言及は、この程度にして、今回初めて観劇がかなった本家版「研辰の討たれ」に
ついて語ろう。

本家版「研辰の討たれ」のストーリーは、基本的に同じだろう。

「研辰の討たれ」の場面構成は、以下の通り。

序幕第一場「粟津城中侍溜まりの間の場」、同第二場「大手馬場先殺しの場」。二幕目第一
場「信州越中の国境倶利伽羅峠の場」、同第二場「吾妻屋の場」。三幕目「善通寺太子堂裏
手の場」。

また、主な配役は、以下の通り。
守山辰次(幸四郎)、家老・平井市郎右衛門(友右衛門)、平井の子息で兄の久市郎(彦三
郎)、弟の才次郎(坂東亀蔵)、粟津の奥方(高麗蔵)、吾妻屋亭主・清兵衛(橘太郎)、
僧・良観(鴈治郎)、ほか。

序幕第一場「粟津城中侍溜まりの間の場」。世の中泰平。刀の研師から研ぎ師の力量を評価
されて武士の身分に取り立てられた守山辰次(幸四郎)。侍溜まりでは、町人上がりなどと
朋輩たちなどから陰口を叩かれている。粟津の殿様の奥方(高麗蔵)に気に入られているの
を良いことに、告げ口をする。こういう裏表のある守山を嫌う家老の平井市郎右衛門(友右
衛門)は、辰次を茶坊主めと罵る。

同第二場「大手馬場先殺しの場」。辰次は、家老の暴言を許せず、家老を殺害しようと平井
家の中間に穴を掘らせている。家老がやってくると潜んでいた辰次が飛び出し、家老に斬り
かかるが、辰次自身が穴に落ちてしまう。穴に気づいて近づいてきた家老を穴の中から不意
打ちで辰次は家老殺しを成し遂げてしまう。父親の遭難を聞きつけて家老の子息兄弟(彦三
郎、坂東亀蔵)が駆けつけるが、辰次は逃げ去ってしまう。

二幕目第一場「信州越中の国境倶利伽羅峠の場」。兄弟は、父親の敵の辰次を求めて、敵討
ちの旅に出る。ここは、信州と越中の国境にある倶利伽羅峠。兄弟は、偶然にも、辰次と遭
遇するが、逃げられてしまう。

同第二場「吾妻屋の場」。宿屋の吾妻屋。宿の亭主(橘太郎)に宿には、泊まり客がいない
と聞き、辰次がまず宿泊となる。追って、平井家の兄弟が、それぞれ別々に泊まりにくる。
兄の九一郎と宿屋で鉢合わせとなった辰次は逃げ出そうとするが、今度は弟の才次郎を見か
け、慌てて二階の部屋に隠れる。夜更け、久市郎は、辰次を探して宿屋の二階へ忍び込む。
才次郎と遭遇。兄弟二人で辰次を探し始める。その隙を縫って、辰次は宿屋から逃げ出す。

三幕目「善通寺太子堂裏手の場」。それから3年。兄弟は辰次を追って、善通寺へとやって
きた。やっと、辰次と行き会った。辰次を捕らえて、寺の前に引き出した。騒ぎを聞いて出
てきた寺の僧侶・良観(鴈治郎)に敵討ちの経緯を語った上で、辰次との勝負に挑む。辰次
は、大小の刀を投げ出して、命乞いをする始末。それを見た良観は、見逃してやればと言っ
て、その場から去ってしまう。辰次の情けない態度を見た兄弟は、犬侍めと嘲り、犬を斬る
刀は持たぬ、と無念を秘めながら、姿を消してしまう。強打を見送った辰次。やれ、助かっ
た、と安堵し、投げ捨ててあった大小の刀を拾い直し、身支度をしていると、兄弟がたち戻
ってきて、辰次を斬り殺す。敵討ち成就。

本家版「研辰の討たれ」は、「野田版 研辰の討たれ」ほど、エンターテイメントとして
は、趣向が、てんこ盛りになっていないけれど、かえって、筋立てがシンプルで、テーマも
判りやすいと思った。テーマとは、「武士のプライド」と「町人の性根」との対比。これか
これで、おもしろかった。


変化舞踊の一景「関三奴」



「関三奴」は、1826(文政9)年、江戸中村座で初演された五変化舞踊「哥へす哥へす
余波大津絵」の中の一景。本来の外題は、「奴」だが、初演の役者二代目関三十郎に因ん
で、「関三(せきさん)奴」と呼ばれた、という。私が観るのは、5回目。

毛槍を振り回す二人の奴(芝翫、松緑)。途中、道中花魁の身振りをまねる「悪身(わり
み)」を見せ、本舞台での「足拍子」、酔態の手踊り、松尽くしの飄逸な踊り、最後は、再
び、毛槍。色彩美、様式美、活気ある奴の動き。中堅の歌舞伎役者二人の華麗な長唄舞踊。



菊五郎一世一代の髪結新三



「梅雨小袖昔八丈」は、通称「髪結新三」。世話ものの「髪結新三」は、同じく市井の人々
を描いた「幡随長兵衛」同様に、明治に入ってから、黙阿弥が五代目菊五郎のために書き上
げた江戸人情噺である。「髪結新三」は、前半は、颯爽とした髪結職人の姿、小悪党の性根
を描く。後半は、小悪党ながら、底には、お人好しの面がある、滑稽な新三を描く。この新
三の対照的な人間像こそ、この芝居の面白さだろう。当代、七代目菊五郎は、「大好きな芝
居です。音羽屋の家の芸でもあり、若い人に覚えておいてほしいと思っていますが、教えて
いるうちに、自分がやりたくなり(笑)、今回取り上げました」。菊五郎が、歌舞伎座でこ
の演目に出演するのは、16年ぶり。

明治期に入って上演された「髪結新三」には、初演した五代目菊五郎がその後上演を重ねた
工夫が色々残っている。六代目、そして当代の七代目菊五郎が、それに磨きをかけてきた。

今回の主な配役は、以下の通り。
菊五郎の髪結新三、時蔵の白子屋手代・忠七、梅枝の白子屋娘・お熊、魁春の白子屋後家・
お常、左團次の家主・長兵衛、萬次郎の家主女房、家橘の加賀屋藤兵衛、橘太郎の肴売り新
吉など。

私がこれまでに観た新三は、合わせて13回。菊五郎(今回含め、4)、幸四郎時代の白鸚
(3)、勘九郎時代を含め勘三郎(2)、三津五郎、橋之助時代の芝翫、松緑、菊之助。

私は、この芝居では、中でも当代の菊五郎の新三が好きだ。亡くなった十八代目勘三郎は、
菊五郎に比べて、科白を謳い上げてしまう。このところ世話ものに意欲を燃やす白鸚が、世
話もの役者の菊五郎と亡き勘三郎の間に、入り込んで来たという印象だ。白鸚は、時代もの
の場合、演技過多で、私の評価を下げるのだが、なぜか、世話ものは、肩に力が入りすぎな
い所為か、世話ものというより、近代的な「市井もの」ということからか、白鸚も、菊五郎
の新三に負けていないというのが、おもしろい。菊五郎は、15年10月、歌舞伎座では、
二代目松緑追善興行ということで、この演目の後継のひとり松緑に主役を譲った。そして、
自分は、ご馳走役の肴売り新吉で登場。もちろん、初役。私が観たのは、初日だった所為
か、ちょっと、もたもたしていたが、帰って場内の笑いを誘っていた。菊五郎の新吉は、松
緑の新三を食っていたかもしれない。新三に初鰹を食わせて、自分は、松緑を食っていたよ
うな気がする。

今回もそうだったが、序幕の白子屋見世先での新三の登場は、菊五郎型では、舞台「下手
奥」から出て来る。髪結の小道具を下げた「帳場廻り(店を持たず、出張専門)」の髪結職
人。十八代目勘三郎は12年5月の平成中村座の最終演で、黙阿弥の原作通りに「花道」か
ら登場したという。花道の出と下手奥からの出では、芝居の間が違う。余白が違う。12年
12月、勘三郎は逝去してしまう。いまは亡き勘三郎の歌舞伎の原点回帰の心意気や良し。
勘三郎型の新三を観てみたいものだ。当代勘九郎まで待たなければならないか。

この芝居のおもしろさは、舞台という空間がすっぽりと江戸行きのタイムカプセルに入って
いることか。黙阿弥は、当時の江戸の季節感をふんだんに盛り込んだ。梅雨の長雨。永代
橋。雨のなかでの立ち回り。梅雨の晴れ間。深川の長屋。初鰹売り。朝湯帰りの浴衣姿。
旧・江戸っ子の代表としての、町の顔役、長屋の世慣れた大家夫婦。新参者、つまりニュー
カマーの渡りの髪結職人。深川閻魔堂橋と担ぎの立ち食い蕎麦屋などなど。主筋の陰惨な話
の傍らで、この舞台は江戸下町の風物詩であり、庶民の人情生態を活写した世話ものになっ
ている。もともとは、1727(享保12)年に婿殺し(手代と密通し、婿を殺す)で死罪
になった「白子屋お熊」らの事件という実話。大岡政談(大岡越前守忠相の判決記録を元に
した話)のひとつ、「白子屋政談」の事件帖を素材とした。

絡む主人公は、上総生まれの新住民ながら、「江戸っ子」を気取る、ならず者の入れ墨新三
(「上総無宿の入れ墨新三」という啖呵を切る場面がある)。入れ墨は、犯罪者の印とし
て、左腕に線彫りが入っている。深川富吉町の裏長屋住まい。廻り(出張専門)の髪結職
人。立ち回るのは、日本橋、新材木町の材木問屋。江戸の中心地(ダウンタウン)の老舗
だ。老舗に出入りする地方出のニューカマー、新・江戸っ子が、旧・江戸っ子に対抗する、
という図式の話でもある。

ここは、落語の世界。特に後半の「二幕目」の深川富吉町の「新三内」と「家主長兵衛内」
の場面が、おもしろい。前半では、強迫男として悪(わる)を演じるが、後半では、婦女か
どわかしの小悪党ぶりを入れ込みながら、滑稽な持ち味を滲ませる。切れ味の良い科白劇
は、黙阿弥劇そのものだが、おかしみは、落語的だ。世話もののなかでも、「生世話もの」
という現代劇。科白廻しはリアルが良い。生世話ものとは、当時の東京言葉を使った「飛ん
でる芝居」のこと。その典型が、家主の長兵衛と新三のやりとりの妙。この科白劇の白眉。
あわせて、家主夫婦の会話。この芝居が、基本的に笑劇だというのは、家主夫婦の出来具合
に掛かっている。

「髪結新三」は、上総から江戸の出てきたニューカマー青年の営利誘拐の物語。上総(今の
千葉県)という江戸近郊から出てきた青年・髪結「新」三。ちょと、ここで引用するには、
場違いな本かもしれないが、半藤一利・保阪正康『そして、メディアは日本を戦争に導い
た』という対談本がある。この中で、保阪正康は、こういう発言をしている。国民皆兵とな
った明治の軍隊(幕末から明治初期、各藩には、自前の軍隊=武士があったが、天皇の軍隊
はなかった)について、「戦場やその周辺で問われるべき行為に走るのは、東京など大都会
周辺部の出身であることが多いというんですよ。逆に、うんと田舎の舞台も総じておとなし
い。都会周辺部には、ある種のコンプレックスがあるんではないかという気もします」。こ
れに答えて、半藤一利は、「完全に貧しい人たちはコンプレックスを持たない。ところが、
都会に近い田舎だとコンプレックスを持つんだよね。不思議なもんです」(半藤一利・保阪
正康『そして、メディアは日本を戦争に導いた』)と受けている。この説が正しいと仮定す
ると、江戸(都会)周辺部出身の「上総無宿」(人別帳から除籍された)の前科者・髪結新
三は、コンプレックスを持った小悪党の青年として、新たに徴兵された明治の兵隊に通じる
メンタリティを持っているのかもしれない。

黙阿弥が「恋娘」から「小悪党」に主人公を変えたことで、江戸の大店のお嬢さんの「情痴
の果ての事件」は、江戸から東京に変わったばかりの大都会の社会構造の不安定さが、より
明瞭になったような「社会的な事件」へと見事に変貌したように思える。黙阿弥の卓見が、
ここにはある。
- 2019年11月16日(土) 16:53:48
19年11月国立劇場/「孤高勇士嬢景清」と「嬢景清八嶋日記」の比較


俊寛か、景清か


「孤高勇士嬢景清(ここうのゆうしむすめかげきよ)」という外題は、吉右衛門主演の今回
の歌舞伎興行のために新たにつけられた。「大仏殿万代石楚(だいぶつでんばんだいのいし
ずえ)」と「嬢景清(むすめかげきよ)八嶋日記」を踏まえて、新作された。古典の演目を
骨格に、新作歌舞伎で肉付けをした、という格好になっている。主役の吉右衛門は、一世一
代の景清を演じる心算ではないか、と見た。

今回の場面構成は、次の通り。
序幕「鎌倉大倉御所の場」、二幕目「南都東大寺大仏供養の場」、三幕目「手越宿花菱屋の
場」、四幕目「日向嶋浜辺の場」、「日向灘海上の場」。

今回の主な配役は、次の通り。悪七兵衛景清(吉右衛門)、源頼朝と花菱屋長(ちょう)の
二役(歌六)、景清娘・糸滝(雀右衛門)、花菱屋女房・おくま(東蔵)、肝煎・左治太夫
(又五郎)ほか。

今回のこの劇評のポイントは、二つの比較論である。
1)	歌舞伎「孤高勇士嬢景清」と人形浄瑠璃「嬢景清(むすめかげきよ)八嶋日記」。さ
らに、古典歌舞伎と新作歌舞伎「日向嶋景清」。新作歌舞伎の外題は「日向嶋景清(ひにむ
かうしまのかげきよ)」と、読む。
2)	どちらが良いか? 俊寛か、景清か。

平家の武将・悪七兵衛景清は、平家滅亡後も、源氏の大将・源頼朝の命を付け狙い続けたと
伝えられる人物。勇士を慕う京の清水坂の遊女や熱田神宮の姫のことも含めて、「景清伝
説」として、能楽など様々な芸能の素材として好まれ、「景清もの」という系統のジャンル
を残した。定説に従うならば、「景清もの」には、ふたつの系統がある、と言われる。幸若
舞の「景清」(室町時代成立)の系統。景清が拝眉した頼朝の面前で両目を突き、源氏への
復讐を断念する、というストーリーを残す。この系統の作品では、近松門左衛門原作の「出
世景清」、文耕堂・長谷川千四合作の「壇浦兜軍記」など。

もう一つの系統は、謡曲「景清」(作者不詳)の系統。盲目となり、日向に流れ着いた景清
が、はるばると訪ねてきた娘の父親を思う心に打たれる、というストーリーを残す。この系
統の作品では、元禄から享保年間に活躍した松本治太夫の古浄瑠璃「鎌倉袖日記」(初演未
詳)などがある、という。この二つの系統を集大成したのが、「大仏殿万代石楚(だいぶつ
でんばんだいのいしずえ)」。1725(享保10)年大坂豊竹座初演。この演目の主要な
場面は、「嬢景清(むすめかげきよ)八嶋日記」に、そのまま採り入れられた。中でも、
「日向嶋(ひゅうがじま)」は、時代浄瑠璃の大曲となった。歌舞伎では、寛政期以降、
「日向嶋」を下敷きにした改作がいくつも試みられた。

古典の「嬢景清八嶋日記」は、人形浄瑠璃では、9年前、10年2月国立劇場で観て以来、
19年9月の国立劇場の観劇で、2回目。歌舞伎では、今回の国立劇場が初見。

さて、「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)」は、1764(明和元)年、大
坂・豊竹座の初演。全五段の時代物。「嬢景清八嶋日記」の主人公は、平家の残党、悪七兵
衛景清(あくしちびょうえかげきよ)で、景清は、源頼朝暗殺を企てながら、失敗をした。
投降の勧めに反発をし、抵抗の証に、頼朝の面前で自ら己の両目を小刀で突いて、えぐり、
盲目の身になり、今の宮崎県の日向嶋(ひゅうがじま)に流れ着いている。いわば、囚われ
のスパイのような立場である。だから、源氏方は、景清から目を離せない。実際、離島暮ら
しにもめげず景清は、密かに平重盛の位牌を隠し持ち、命日には、きちんと供養をしてい
る。源氏への強烈な反抗心を秘めながら暮らしている。鬼界が島に流された俊寛のような身
の上だ。

私が観た人形浄瑠璃の場面構成は、「花菱屋の段」、「日向嶋の段」。主筋の「日向嶋の
段」の前に「花菱屋の段」が付せられて、身売りする娘をクローズアップする。「嬢景清八
嶋日記」が原型の演出。2回ともこの形式で上演されたものを観た。

歌舞伎の今回の場面構成は、すでに紹介したように、以下の通り。
序幕「鎌倉大倉御所の場」、二幕目「南都東大寺大仏供養の場」、三幕目「手越宿花菱屋の
場」、四幕目「日向嶋浜辺の場」、「日向灘海上の場」。

つまり、序幕「鎌倉大倉御所の場」、二幕目「南都東大寺大仏供養の場」、四幕目後半の
「日向灘海上の場」が、付け加えられて、上演された。

序幕「鎌倉大倉御所の場」。鎌倉大倉御所は、源平合戦で平家に討ち勝った源頼朝(歌六)
が政権を打ち立てた御所。頼朝は、仏教の教えを守ることが、政権運営の基礎という信念を
持っている。平家に焼き討ちされた東大寺大仏殿の再興を図ることが、当面の最大の政治課
題と心得ている。近江の武将・三保谷四郎(歌昇)は、合戦で得た平家の重宝を頼朝に献上
するために参上してきた。頼朝は、平家の武将・悪七兵衛景清が所持する「痣丸の名剣」を
持ってきたかと問う。景清とは、兜の錣が引き千切られるほどの対決をしたが、痣丸を入手
できなかったと詫びる。しかも、景清の生死は不明で、いずれ頼朝の命を狙いに現れるかも
しれないから、ご注意を、と言う。

二幕目「南都東大寺大仏供養の場」。奈良の東大寺。大仏殿と本尊の盧舎那仏が再建され、
きょうは、落成供養が執り行われる予定だ。頼朝が鎌倉から参着した。やがて、読経が始ま
る頃、興福寺の法師と名乗る男が、僧兵の警護を破って、頼朝に接近してくる。頼朝も、太
っ腹なのか、法師に直々の対面を許す。法師は「一門の仇」と攻撃の姿勢を示すが、頼朝は
法師こそ「景清」と見抜く。
「平家滅亡は、清盛の悪政ゆえ。自分が仇呼ばわりされるいわれはない」と反駁する。頼朝
が自分の源氏の白旗を景清に渡すと、景清(吉右衛門)は白旗を切り裂き、平重盛の「仇を
討った」、と涙を流す。頼朝は景清の忠義を称え、源氏への仕官を勧めるが、景清は差添
(さしぞえ。小刀)で自らの両目を突く。頼朝の仁心には感謝するが、頼朝の姿を見れば、
恨みの心が浮き上がってくる、という。二君に見えず。武士の手本と頼朝は景清を称える
が、景清は、気持ちを引きちぎるようにして、痣丸を手に放浪の旅に出てしまう。

三幕目「手越宿花菱屋の場」。人形浄瑠璃も歌舞伎も、ほぼ同じ内容。駿河の手越(てご
し)宿の遊女屋「花菱屋」が、舞台。肝煎り(女衒)の左治太夫(又五郎)が、愛らしい
娘・糸滝(雀右衛門)を花菱屋に連れて来る。花菱屋の主人・長(歌六)と女房・おくま
(東蔵)をからませて、悲劇の前の、「ちゃり場(喜劇)」が、演じられる。特に、計算高
く、人使いの荒い花菱屋女房は、秀逸のキャラクターだと思う。見逃せないポイントだろ
う。東蔵も好演。日向(今の宮崎県)に流されている盲目の父親を救うために、糸滝は、身
を売りたいという。世話になっていた老婆(乳母)が急死して、孤独になってしまったの
で、身を売った金を持ち、九州まで父親に逢いに行きたいという娘のために、花菱屋の夫
婦、店の遊女たち、遣り手婆、針子、飯炊き女、下男までが、娘に餞別を与える場面が、笑
いを誘う。肝煎り(女衒)の左治太夫も娘に同行することになる。

四幕目「日向嶋浜辺の場」。花道には、浪布が敷き詰められている。まず、幕が開くと、浅
黄幕が、舞台全面を被っている。人形浄瑠璃なら「松門独り閉じて、年月を送り……」と、
置浄瑠璃。「切場」(クライマックス)となる場面。「春や昔の春ならん」、幕の振り落し
で、舞台中央の、大海原の浜辺に貧相な蓆がけの小屋。無人の舞台。歌舞伎も、浅黄幕の振
り落し。険しい崖下に蓆がけの小屋。やがて、上手から景清(吉右衛門)登場。

こういう劇的状況の設定は、「俊寛」と似ている。景清の扮装も、俊寛に似ているので、ど
うしても、近松の「俊寛」を連想し、比べてしまう。「俊寛」は、1719年初演。一方、
「景清」は、1764年。

見えぬ目玉の、白眼しか見せないまま、不自由な手探りで、景清は、位牌を海辺の石(浜の
見立てか)の上に置き、密かに平重盛の菩提を弔う。平家の残党の矜持が感じられる。

浜の小屋にいる景清の元へ、沖から船が近づいて来る。廓に身を売った金を持って、幼いと
きに別れた娘が、遊女の糸滝(雀右衛門)と名を変えて、肝煎り(女衒)の左治太夫(又五
郎)に伴われて、父親の景清に逢いに来たのだ。しかし、粗末な小屋から現れた景清(吉右
衛門)は、自分は、景清などではない、景清は、とうに死んだと偽り、娘を追い返して、ひ
とり、小屋の中に入ってしまう。頑なな景清。

困惑した糸滝らは、島の奥へ向かい、島に住む里人に出逢ったので、景清の行方を尋ねる。
すると、先ほどの男が、やはり父親の景清だと知らされる。再度、小屋に訪ねて、やっと、
父親との再会を果たす。「親は子に迷はねど、子は親に迷ふたな」。

しかし、苦界に身を沈めた娘の、いまの身の上を、肝煎りが、「相模の国の大百姓に嫁い
だ」と嘘で固めると、景清は、怒り出す。「食らひ物に尽きたらば、なぜのたつてくたばら
ぬ」。糸滝は、本当のことを語らずに、結局、里人に金と真意を書き留めた手紙を入れた文
箱を託して、去って行く。

この場面、船で浜に辿り着いた糸滝らが、父であることを景清に拒絶されると、浜を舞台上
手に向かって歩く場面があるが、ここは、歌舞伎では、舞台が、半廻しになり、里人たちと
出逢い、先ほどの男がやはり景清と知らされると、廻り舞台が逆に廻り、元の浜辺へ戻る。

この場面、歌舞伎では、「舞台半廻しで、元に戻る」、という演出になるが、廻り舞台が使
えない人形浄瑠璃では、糸滝らの歩みに合わせて、小屋が、景清を入れたまま(ということ
は、3人の人形遣いを入れたまま)、舞台下手に「引き道具」として、引き入れられる。そ
して、糸滝らが小屋の戻る場面では、舞台上手に向かう途中で、ユータンをして歩む糸滝ら
の動きに合わせて、小屋が、再び、中央へ戻って来る。小屋が、舞台中央に安置されると、
景清が、小屋掛けの筵を、正面の筵は、御簾のように上げたり、脇の筵は、「振り落し」た
りして、再び、出て来る。

その後、里人から金と手紙を受け取った景清は、娘が身売りしてまで、自分に金を届けてく
れた事情を知る。「孝行却つて不孝の第一」と景清。景清は、「船よなう、返せ、戻れ」と
声をあげ、娘の後を追おうとするが、娘らを乗せた船は、すでに、出てしまった後だった。


同じく、四幕目「日向灘海上の場」。経緯を知った里人、実は、頼朝の配下で、景清を監視
していた隠し目付の土屋郡内(鷹之資)と天野四郎(種之助)、いわば、頼朝の意を受けた
諜報部員の立場の武士。彼らが、景清の娘が苦界に入らないよう取りはからうことを条件に
父親・景清の頼朝方への投降を進めると、抵抗心を捨てて、頼朝の配下とともに、景清は、
船で都に向う。この辺りは、俊寛の方に、大いに気概がある。今回の演出では、この船に、
糸滝(雀右衛門)まで、同乗している。肝煎とともに先に出た小さめの舟から大きめの船に
日向灘の海上で乗り換えたのであろうか。

両目を潰してまで、抵抗心を隠している「反抗分子」の武士(もののふ)の景清が、娘の身
売りを知っただけで、判断力を失って仇に、それこそ身を売るようなことをするだろうか、
という疑問が残る。俊寛の方がドラマ性でまさる、と言えよう。景清の武士のプライドと娘
への情愛の狭間で揺れる心の有り様が、この芝居のテーマなのだろうが……。徹底性が弱
い。俊寛に比べて、景清が演じられる回数が少ない理由も、この辺にあるのではないだろう
か。

舞台下手奥から、先に娘たちを乗せて出発した船より、いちだんと大きな船が出て来る。船
には、中央に、景清、左右に隠し目付の二人。そして近侍たち。近づきの杯のやり取りの
後、船の上から、重盛の位牌などを海に投げ捨てる景清。変心した武士の悲哀。これは、も
う、俊寛の怨念、虚ろさなどとは、比べようもないし、劇的効果もない。戦に翻弄された親
子の哀れさが、反戦平和のテーマだとしても、何もかも捨てて、敵陣に下る武将の悲哀だと
しても、訴えかけて来るものは、劇的状況も、主人公のキャラクターも、「俊寛」には、及
ばない、と思う。//

2005年11月・歌舞伎座で、「日向嶋景清」という外題の新作歌舞伎を観たことがあ
る。吉右衛門がペンネームを使って、書き下ろした。今回の通し狂言「「孤高勇士嬢景清〜
日向嶋〜」へ繋がっている部分が多くあると思うので、以下、参考のために掲載しておこ
う。

「日向嶋景清(ひにむかうしまのかげきよ)」は、初見。松貫四の書き下ろし作品。05年
4月の四国こんぴら歌舞伎の金丸座が初演。「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっ
き)」を下敷きにしている。松貫四は、吉右衛門のペンネーム。この劇評では、まず、テキ
スト論。次いで、役者論、最後に、大道具論という筋立てで論じてみたい。

1)テキスト論。
「嬢景清八嶋日記」の粗筋は、こうだ。平家の残党、悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげ
きよ)は、源頼朝暗殺を企てながら、失敗をし、投降の勧めに反発をし、抵抗の証に、自ら
己の両目をえぐり、盲目の身になり、逮敢て、日向島(ひゅうがじま)に流されている。い
わば、囚われのスパイのような立場である。だから、源氏方は、景清から目を離せない。実
際、景清は、密かに平重盛の位牌を隠し持ち、命日には、供養をしている。源氏への強烈な
反抗心を秘めながら暮らしている。鬼界が島に流された俊寛のような身の上だ。

そこへ、廓に身を売った金を持って、幼いときに別れた娘の糸滝が肝煎り(女衒)に伴われ
て父親に逢いに来る。しかし、景清は、自分は、景清などではないと偽り、娘を追い返して
しまう。しかし、娘らは、島に住む里人に出逢って、先ほどの男が、やはり父親の景清と知
らされ、再度、訪ね、結局、里人に金と事情を書き留めた手紙を託して、去ってしまう。そ
の後、里人から金と手紙を受け取った景清は、娘が身売りしてまで、自分に金を届けてくれ
た事情を知り、娘の後を追おうとするが、娘らを乗せた船は、すでに、出てしまった後だっ
た。それを知った里人、実は、頼朝の配下で、景清を監視していた、いわば、諜報部員が、
娘が苦界に入らないよう取りはからうことを条件に頼朝方への投降を進めると、抵抗心を捨
てて、頼朝の配下とともに、船で都に向う景清であった。

もともと、原作の筋立てに無理があるように思う。両目を潰してまで、抵抗心を隠している
「反抗分子」の武士(もののふ)の景清が、娘の身売りを知っただけで、判断力を失って仇
に、それこそ身を売るようなことをするだろうか、という疑問である。武士のプライドと娘
への情愛の狭間で揺れる心の有り様が、テーマなのだろう。謡曲の「景清」を原作に無数の
役者たちが、工夫をして歌舞伎の劇として、磨いて来た作品だが、しっかりした原作者がい
ないという戯曲としての根本的な弱さを持ち続けていると思う。それを乗り越えるのは、役
者の藝というのが、演じる役者たちのプライドなのかもしれないが・・・。しかし、それで
は、劇性は、弱くなる。

「日向嶋景清」も、テキストとしては、「嬢景清」の骨格をそのまま引き継いでいる。そう
いう根本的な弱さを残したまま、吉右衛門が、役者魂を燃焼させて、科白の一つ一つを書き
下ろした。そのチャレンジ精神は、多としよう。しかし、近松門左衛門原作の「俊寛」に比
べると、残念ながら、劇としての必然性が弱い。吉右衛門が、熱演すればするほど、違和感
が残る。筋の展開に無理が、透けて見える。それに、過剰な演技も、吉右衛門らしくない。
吉右衛門の持ち味を殺した演技に見える。こういう役柄は、吉右衛門より、兄の幸四郎向き
であろう。

2)役者論。
「日向嶋浜辺の場」。無人の舞台。置き浄瑠璃。清太夫の語り。吉右衛門演じる景清は、ま
ず、舞台上手の揚幕から出て来る。衣装、鬘、化粧などの扮装は、俊寛に似ているので、ど
うしても、近松の「俊寛」を連想し、比べてしまうという欠陥がある。舞台中央から上手よ
りの、浜辺の貧相な蓆がけの小屋という設定も「俊寛」と似ている。吉右衛門の演技も、俊
寛を思い出させる風格を滲ませる。さはさりながら、これは、俊寛物語ではないから、違和
感が、拭い切れない。不自由な手探りで、位牌を海辺の石の上に置き、採って来た梅の枝を
飾り、重盛の菩提を弔う。平家滅亡の悔しさ、生き長らえている己の身のふがいなさ、景清
役者の大きさの見せ所。この辺りまで、吉右衛門は、過不足なく熱演する。

一艘の船が、花道から本舞台の浜に近付いて来る。背景は、大きな崖である。舞台の中央か
らくすんだ空間が透けて見えるという殺風景な浜だ。船には、若い娘が乗っている。景清の
娘・糸滝(芝雀時代の雀右衛門)だ。肝煎りの佐治太夫(歌昇時代の又五郎)を伴ってい
る。芝雀は、このところとみに父親の雀右衛門に似て来たように思う。竹本は、御簾を上げ
た床(ちょぼ)の出語りで、清太夫に加えて、愛太夫が、男と女の役を振り分けて語る。人
形浄瑠璃の演出を踏襲。親子の再会。糸滝の懇願を拒絶する景清。ここまでは、良い。そし
て、別れ。書置の手紙を見て、身売りの真相を知り、半狂乱になる辺りから、私のうちに、
違和感が吹き出して来る。理屈で、芝居を観ては駄目だろうが、理屈をこえる役者の藝がな
いと、それも克服できない。里人、じつは、源氏方のスパイ(隠し目付)の土屋郡内(染五
郎時代の幸四郎)と天野四郎(信二郎時代の錦之助)とのやりとりで、糸滝は、実の父を知
り、景清は、娘を助けるために武士(もののふ)の矜持を捨てる。

「日向灘海上の場」。舞台奥から、大きな船が直進して来る。船には、中央に、景清、左右
に土屋郡内と天野四郎。そして水夫たち。船の上から、重盛の位牌と梅の枝を海に投げ入れ
る景清。変心した武士の悲哀。これは、もう、俊寛の怨念、虚ろさなどとは、比べようもな
いし、劇的効果もない。戦に翻弄された親子の哀れさが、反戦平和のテーマだとしても、何
もかも捨てて、敵陣に下る武将の悲哀だとしても、訴えかけて来るものは、「俊寛」には、
及ばない。役者の仕どころも、殆ど無い場面。

3)大道具論。
ここは、珍しく、大道具を論じたい。まず、幕が開くと、浅黄幕。花道は、浪布が敷き詰め
られている。舞台は、地絣。浅黄幕が振り落とされると、「日向嶋浜辺の場」。舞台背景
は、巨大な崖。中央奥に、空間。地絣が引っ張られると、舞台下手は、海。花道から船で浜
に辿り着いた糸滝らふたりは、娘の父であることを景清に拒絶されると、浜を上手に歩く場
面があるが、ここは、舞台が、半廻しになり、里人たちと出逢い、先ほどの男がやはり景清
と知らされると、元の浜辺へ戻る。舞台半廻しで、元に戻る。先の場面で、舞台中央より上
手側にあった景清の小屋は、今度は、舞台中央に位置が変わっている。同時に、巨大な崖
は、舞台中央の空間が塞がれて、崖下の、閉塞感を明らかにする。小屋の蓆が、浅黄幕のよ
うに振り落とされる。戦さで別れ別れになった親子の再会の場面を盛り上げる。再会もつか
の間の別れ。源氏方の郎党との立回りでは、邪魔になる小屋を黒衣が、ひとりで、上手隅に
引っ張って行くからおもしろい。

「日向灘海上の場」。浜の上手を覆っていた地絣も引っ張られ、下に敷き詰めてあった浪布
が見え、舞台は、全面海へ変わって行く。巨大な崖も上手、下手へ引き込まれ、また、天井
に引き上げられて、という具合に、三方に引き込まれてすっかり無くなり、舞台は、大海原
に早変わりする。舞台奥からは、大きな木造船が舞台前面に向けて直進して来る。竹本の3
人の太夫と3人の三味線方を乗せた上手の山台も、船のように海の上を滑り出して来る(1
9年の今回は、浅黄幕振り落しで、海に浮かぶ山台に太夫たちと三味線方が、3組乗ってい
る)。この辺りの大道具の展開は、素晴しい。演出家・松貫四として、照明、装置(大道具
など)を初演の反省を込めて、見直したというが、このあたりの演出は、颯爽としていて、
素晴しい。できれば、大きな船を出したのだから、舞台を回転させて船を横向きにするな
ど、もう一工夫欲しい。船を出しただけで、終わりという印象で、勿体ない。
- 2019年11月14日(木) 14:19:52
19年10月国立劇場(通し狂言「天竺徳兵衛韓噺」)



鶴屋南北の出世作



「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべいいこくばなし)」は、1802(文化元)年、初演。
南北(1755年生まれ〜1829年没)の47歳の作品。演じたのは、初代尾上松助(お
のえまつすけ:後の初代松緑)が、61歳の時であった。南北が松助のために書き下ろし
た。南北の出世作。この作品は、代々、尾上菊五郎を頂点とする音羽屋型として、伝承され
た。幕末期に初演された、江戸の「けれん」歌舞伎の走り、という位置付けの記念碑的作
品。

「天竺徳兵衛韓噺」では、徳兵衛の妖術使いの場面が、「けれん」の演出で披露される。象
徴的な場面は、異様のもの「大蝦蟇」が、屋敷の大屋根の上に出現。蝦蟇は、屋敷を押し潰
す(「屋体崩し」)。大蝦蟇の上に突如登場する徳兵衛。水中を泳ぎ歩くような独特の「水
中六法」。「本水」を使った「早替り」で、徳兵衛は、奇想天外、神出鬼没の活躍をする。


南北歌舞伎の趣向


「綯交(ないま)ぜ」という趣向:全く性質の異なる「世界」(芝居の世界のこと)構築の
ために、縄をなうように、二つの物語(コンセプト)を綯交ぜにする展開を特徴とした。物
語A(今回は、将軍家のお家騒動)、物語B(徳兵衛の異国漂流体験)を綯い交ぜにして、
別の物語C(徳兵衛の正体は、国崩しの極悪人)を創造する。南北の真骨頂といえる。また
頽廃と怪奇の中に毒のある笑いを加味したその作風は、文化文政期の爛熟・退廃した商人の
感性を代弁した。その時その時における庶民の生活を、写実的(本当のこと)ではないにせ
よ、とにかくリアル(現実的、ありえそう)に描くことに徹し、悪人たちが引き起こす事件
を乾いた視線で描写する作風は、次の世代の河竹黙阿弥(幕末期から明治初期に活躍)らに
も影響を与えた。

「書き換え」という趣向:先行作品の旧い名作を下敷きに諧謔に富んだ作風で優れた書き換
え狂言(芝居)を作った。著作権のない時代であった。また奇想天外な着想と現実主義に徹
したリアルな背景描写(貧民の生活)も得意とした。世間の価値観の逆転に果敢に挑戦し
た。


今回の主な登場人物と配役


天竺徳兵衛:実は、木曽官の息子の大日丸。木曽官から妖術を習う。父親の野望(国家転
覆)を引き継ぐ。→徳兵衛(芝翫)。成駒屋。初役。音羽屋型の演目に初挑戦。
吉岡夫妻。吉岡宗観:佐々木家の家老だが、実は、木曽官(もくそかん、今の中国、「大明
国」の遺臣)、日本転覆を目論む。→宗観(弥十郎)、宗観妻夕浪(東蔵)。
佐々木桂之介:将軍家の重臣。→佐々木桂之介は、芝翫長男の橋之助が演じる。
銀杏の前:家中の梅津掃部の妹。→銀杏の前(米吉)。
梅津夫妻。将軍家の重臣で銀杏の前の兄:梅津掃部(又五郎)、梅津の奥方葛城(高麗
蔵)。


今回の場面構成


通し上演なので、物語の発端として、序幕を演じる。序幕の上演は、国立劇場では、20年
ぶり。

序 幕「北野天満宮境内の場」「同 別当所広間の場」
二幕目「吉岡宗観邸の場」「同 裏手水門の場」*極悪人の驚くべき告白。大蝦蟇登場。
大 詰「梅津掃部館の場」「同 奥座敷庭先の場」*「けれん」の連続。


芝居のあらすじ


当時の徳川幕政のルールに従って、時代を330年ほど前、室町期に移す。将軍足利義政
(京の慈照寺の銀閣を建立した)の治世(将軍在職:1449年 ―1473年 )のフィク
ションとして想定。

二つのあらすじがある。
最初は、お家騒動=物語の発端、全体を通じている。
徳兵衛物語=途中から加わるが、物語の本編は、こちらである。

1)発端:お家騒動のあらすじ:将軍家の重臣・佐々木桂之介(かつらのすけ)は、将軍家
の宝剣を紛失(実は、盗難)した上に、家中の梅津掃部(かもん)の妹・銀杏(いちょう)
の前と恋仲(当時は、「不義」と言った)となり、お咎めを受け、佐々木家家老の吉岡宗観
の屋敷に預けられ、引きこもっている。

2)本当の物語:天竺徳兵衛のあらすじ:芝居(歌舞伎・人形浄瑠璃)では、天竺徳兵衛は
難破船(なんぱせん)の船頭で、異国を漂流した、と想定した。気鬱の桂之助に漂流体験を
話すために吉岡の屋敷に呼ばれた。吉岡は、お家の宝剣紛失と佐々木桂之助と銀杏の前の逐
電の責任を取って、自害する。その際、瀕死の吉岡は徳兵衛に驚くべきことを告白する。→ 
吉岡宗観、実は、大明国の遺臣・木曽官(もくそかん)。実は、徳兵衛の父親。従って、徳
兵衛は、木曽官の息子の大日丸となる。蝦蟇の妖術は、死の間際の父親から息子に伝授され
た。

実の親子の対面と「術譲り」(術伝授)の場面が見せ場となる。妖術を使って、日本国を転
覆させろ、と父親は、今際の際に遺言する。徳兵衛は、「国崩し」(国家転覆)の極悪人
(テロリストか)、という想定。
さらに父親から、蝦蟇の妖術を伝授されると、徳兵衛は、自由自在に妖術を使い始める。取
り囲んだ捕手をよそに悠然と姿を消して行く。


鶴屋南北の魅力


南北の時代(背景)
19世紀半ば:日本では、幕末期。フランスでは、ナポレオンの時代。

江戸の町人の文化:1804年〜1830年(文化文政期)
歴史諸事件:1853年〜1869年
南北の生涯:1755年〜1829年。/享年74。

南北の時代に歴史が大きく「転換」する。幕末期。南北の生涯は、歴史諸事件の幕末期よ
り、20年余り早いが、幕末期に通じる退廃の予兆を感じさせる。

1)文化文政期(1804年から1830年)を最盛期として、江戸を中心として町人文化
が発展した。浮世絵や滑稽本、歌舞伎、川柳など。
江戸時代の中でも、町人文化全盛の時期。

2)幕末期の諸事件:黒船来航=外圧(1853年)から戊辰戦争=徳川幕府軍敗戦(18
69年)。明治維新(元年)は、1868年。

3)2019年は、没後190年。南北は、庶民の出で、字を知らない。紺屋(染物職人)
の息子。遅咲きの狂言作者(劇作家)。49歳で、やっと、立作者(たてさくしゃ。芝居の
メインライター)。「天竺徳兵衛韓噺」は、南北50歳の出世作。70半ばで没するまで晩
年の大活躍の結果、歴史に残る大劇作家となった。字は知らなくても、演劇の本質を掴む直
観力は、抜群であった。


南北歌舞伎のおもしろさ


ジャーナリスティックなまでの、趣向の独自さ。独創性に富み、初代尾上松助とともに、
「怪談物」を工夫。→ けれん味という演出を積極的に活用した。

七代目市川團十郎、三代目尾上菊五郎、五代目松本幸四郎らとともに、「生世話物」(生
(き)とは、生の江戸言葉で科白を言い、当時の庶民生活を活写した)。いわば、現代のテ
レビの「生中継」の印象。

舞台装置の工夫。「東海道四谷怪談」などの「怪談物」では、大道具の十一代目長谷川勘兵
衛と一緒に巧妙な舞台装置を創造し、歌舞伎の新しい表現を開いた。舞台装置も、「けれ
ん」に参加。


「けれん」歌舞伎の特徴


けれん・ケレンとは? 「けれん」という言葉の意味。み
漢字で書くと外連・外連味(けれんみ)。「大げさな「はったり」、破天荒、あざとさ、ご
まかし、目立ちたがり、誇張、フェイク(虚偽)、非常識、常識破り、受けねらい(俗受け
をねらったいやらしさ)など。使われ方によって、ネガティブなニュアンス(けれんみが
「ある」)を持ったり、ポジティブなニュアンス(けれんみが「ない」)を持ったりする不
思議な言葉。

「けれん」を売り物にする歌舞伎が出始めたのは、19世紀半ば以降。黒船来航に象徴され
るように、日本列島周辺の海が落ち着かなくなった幕末まで半世紀の退廃的な時代の空気が
背後にある。一方、庶民の間では、異国の匂いへの興味が高まる。

「けれん」は、歌舞伎用語で、宙乗りや早替りなど、大掛かりで、奇抜な演出のこと。反マ
ンネリズム志向。芝居小屋の用語から一般に広まって行った。

今回の国立劇場のチラシの文句=「奇想天外、神出鬼没、スペクタクル」→けれんみ、目立
つ:クローズアップ効果。伝統歌舞伎を超える、現代のスーパー歌舞伎へ、繋がって行く。
歌舞伎の「けれんみ」=超能力(スーパーナチュラルパワー)を表現する。

南北以前:三大歌舞伎(人形浄瑠璃と歌舞伎)に象徴される「物語」重視。歌舞伎伝承の歴
史の積み重ねを重視。

南北以降:歌舞伎、生身の役者に宛てて芝居を書く。「役者」重視。/ → けれん(趣向重
視):幕末の小団次と黙阿弥が受け継ぐ。


「けれん」演出の見どころ


「天竺徳兵衛」、国立劇場では、20年ぶりの通し上演。「けれん」:新しい演出の工夫。
新機軸。
例えば、「けれん」演出の「早替り」。役者は替らず、扮装が変わる。「吹替え」(代役)
は、役者の替り(本人→ 別の役者)。背格好が似ていれば、化粧でごまかせる。本人と吹替
えを並べてチェックするわけではない。吹替えが、観客に顔を見せずに、後ろ向きのまま演
技をし、舞台を繋いでいる間に、本人は、早替りで別の役柄になって、颯爽と登場する。
主役は、舞台裏では、着せ替え人形の人形と同じ。スタッフたちが、鬘、化粧、衣装を短時
間で替えてしまう。早替わりは役者一門のチームプレーの成果。


「天竺徳兵衛」で、披露される「けれん」演出


蝦蟇の登場。
ガマ(4種類。*妖術で、石から蝦蟇へ。*大屋根に出現した大蝦蟇 → 屋体崩し(御殿な
どの大道具を壊してみせる。宗観邸(そうかんやしき)の場面では、屋根に大蝦蟇が乗る。
屋根の下に仕組まれた柱が割れることで、屋根全体が崩れて行く)。*着ぐるみの蝦蟇の立
ち回り(蝦蟇は本舞台下手の小セリでせり下がって消え、花道すっぽんから、正装の徳兵衛
に戻って、姿を現す。やがて、花道を悠然と去って行く)。*黒衣の差し金で操られる小さ
な蝦蟇と蛇の闘い。
早替り(初代尾上松助(おのえまつすけ)演じる徳兵衛は、座頭(ざとう)に化けて館に潜
入するが、本性を見破られて水の張られた池に飛び込んで、逃げる。池から本水が吹き上が
る。直後に、びしょ濡れのはずの徳兵衛が、向う揚幕から、裃を着て悠々と現れる。これは
「水中の早替り」と呼ばれ、夏芝居の名物となった)。

「水中六方」:花道を泳ぐ六方を踏む。六方(法)とは:六方(ろっぽう)とは、歌舞伎の
演出のひとつ。伊達(美意識)や勇み肌(勇壮なさま)などを誇張したり、美化したりし
て、「荒事」(武張った、猛々しい)」要素をもつ所作。「六方」という名称は、天地と東
西南北の六つの方向に手を動かすことに由来する。基本的な動作は、左足を出す時は、左手
を、右足を出す時は、右手を出す。歌舞伎では、花道の引っ込み(退場)の時に行われる。

当時は、外国も「けれん」:当時の時代は、鎖国。外交を閉ざす。観客たちは、海外体験な
ど、皆、無縁。あの世―海外、この世―国内。異国話は、否定的になれない。判断する材料
がない。信じるか信じないかだけ。だから、話題を呼ぶ。「けれん」を集大成する主役の徳
兵衛は、「国崩し」の極悪人という想定。

「けれん歌舞伎」:例、人間も、妖術使いなど、狐などの動物、人間を超える。超能力。ス
ーパーナチュラルパワー。

「けれん」歌舞伎の現代の役者たち。猿之助ら澤瀉屋一門。菊五郎劇団。海老蔵ら成田屋一
門が、継続的に演じている。玉三郎の「雪之丞変化」なども。

*贅言;「けれん」の意味:外連、外に連なるとは? 内から外へ。幕の内側、「幕内から幕
外へ」。幕外の引っ込み。花道は、演劇空間に固定された、恒久的な「けれん」ではない
か。人の行く裏に道あり、花の山。「けれん」こそ、芸事の王道か。覇道か。


けれん歌舞伎(幕末期)からスーパー歌舞伎(現代)へ


幕末期の「けれん」歌舞伎の到着点 → スーパー歌舞伎(澤瀉屋一門。
先代の猿之助が創設したけれん歌舞伎の新しいジャンル)。
「ワンピース」など漫画やアニメの原作から、「けれん」歌舞伎の系統は、新作歌舞伎「け
れん味を生かすスーパー歌舞伎」を創造し続ける。澤瀉屋の歌舞伎精神は、南北の精神を引
き継いでいる、と思う。
歌舞伎の「かぶき」は、歌=音楽、舞=踊り、伎=芝居、という意味の当て字。かぶき=か
ぶく=傾く=斜めになる。つまり、物事を正面から見ずに、斜めに見る。そうすることで、
視野が広がり、正面からでは見えなかった「歌舞伎の斜めの魅力」を発見できるようにな
る。斜め=正面+奥行きが、見える。

「けれん」全ては、南北から始まった。
- 2019年10月15日(火) 10:28:48
19年10月歌舞伎座(夜/「通し狂言 三人吉三巴白浪」「二人静」)


江戸言葉の歌舞伎


「通し狂言 三人吉三巴白浪」

ここでは、江戸言葉の歌舞伎というテーマで、昼の部の「江戸育ちお祭佐七」と夜の部の
「通し狂言 三人吉三巴白浪」を合わせて論じたい。「江戸育ちお祭佐七」を観るのは、3
回目。「三人吉三巴白浪」は、合わせて13回観ているが、通しは、今回で5回目、上演回
数が抜群に多い「大川端の場」だけの一幕見は、これまでに8回。

まず、昼の部の演目、「江戸育ちお祭り佐七」から。
この芝居は、柳橋の芸者・小糸と鳶職の若者・佐七の物語。江戸の庶民の物語なので、登場
人物が多い。いわば、鳶職を軸にした江戸庶民の群像劇。明治31(1898)年、五代目
菊五郎の佐七、尾上栄三郎(後の、六代目梅幸)の小糸で初演、黙阿弥の弟子、三代目河竹
新七作の新作歌舞伎。

「小糸佐七もの」は、いろいろあるが、四代目南北「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろ
いと)」は、三代目菊五郎の佐七(「お祭佐七」の名前は、この時が、最初)で、大当たり
した。そして、本作は、三代目の孫に当る五代目が、当時の当世風に書き換えさせたもの。
但し、無理矢理座敷に出されて、襦袢姿で、小糸が、外まで逃げて来て、通りかかった佐七
に助けられる場面や、小糸を殺した佐七が、辻行灯の下で、小糸の書き置きを読む場面など
は、南北の趣向を受け継いでいる。

今回の場面構成は、次の通り。
序幕第一場「鎌倉河岸神酒所の場」、第二場「同 菊茂登塀外お堀場の場」、大喜利第一場
「連雀町佐七裏住居の場」、第二場「裏河岸小糸内の場」、第三場「柳原土手仕返しの
場」。

今回の主な配役は、次の通り。
佐七:鳶・菊五郎。芸者・小糸:時蔵。鳶頭・勘右衛門:左團次。倉田伴平:團蔵。鳶・芳
松:権十郎。鳶・三吉:坂東亀蔵。鳶・重太:萬太郎。鳶・柳吉:巳之助。鳶・長蔵:種之
助。鳶・辰吉:廣松。鳶・仙太:市村光ほか。世話役太兵衛:楽善。富次郎:萬次郎。矢場
女・お仲:齋入。伝次:市蔵。久介:片岡亀蔵、ほか。

序幕第一場「鎌倉河岸神酒所の場」。陰惨な結末を知らぬ気に、「鎌倉河岸神酒所」の場面
は、幕末の江戸の風吹き止まぬ、明治初期の神田祭の風俗を写していると言われ、見応えが
ある。舞台下手に白壁の蔵。御祭礼の門が建っている。門の向うは、火除け地風の広場が広
がっているように見える。町家、社など江戸の庶民の街の佇まいの書割り。

神酒所に小糸(時蔵)が、加賀藩の家臣・倉田伴平(團蔵)の供として、やって来る。小糸
が、祭の踊り屋台の踊りを見たいとせがんだからだ(小糸の本心は、神酒所に戻って来る恋
仲の佐七に逢いたいのだ)。倉田は、内心では、小糸を身請けしたいと望んでいる。小糸
は、厭がっている。やがて、祭の世話人を先頭に佐七(菊五郎)を含む鳶職たちが、獅子頭
といっしょに戻って来る。踊り屋台(演奏陣)も、続いて来る。

踊り屋台の出し物は、忠臣蔵所縁の「道行旅路の花聟」で、勘平(寺島眞秀)、お軽(亀三
郎)、伴内(橘太郎)の踊り手たちが、伴奏に合わせて、一芝居する。音羽屋の異色子役・
寺嶋しのぶの長男と同じく音羽屋・彦三郎の長男という、今の年齢でしか見ることができな
い御曹司たちの一芝居。二人とも、最後まできちんと演じることができました。こうして、
幼い彼らは、舞台度胸をつけながら、諸先輩の役者ぶりを幼心に刻んで行く。いわば、劇中
劇。

一方、小糸と佐七は、座敷の隅で、じゃれあっている(煙草盆を使って、満座のなかで、目
と目で濡れ場を演じる)。それに気が付いた倉田は、小糸を無理に連れて座敷に戻る(倉田
の「伴平」は、道行のお軽・勘平の邪魔をする伴内に因んだ名前と推測する)。これに加え
て、踊り屋台かつぎ、踊りの附け打、踊りの師匠と弟子たち、鳶職たち、祭の世話人たち、
町内の娘たち、祭の番付売り、ほうづき売り、手遊び屋、祭見物の男女たち、女髪梳き、遊
び人、矢場女など、大勢の江戸庶民が、本舞台いっぱいに風俗劇を演じるので、この場面
は、珍しい上に、おもしろいのである。

贅言;鎌倉河岸という、人も物資も、出入りする、江戸城にいちばん近い船着き場(大川=
隅田川、日本橋川、外堀と繋がる)、いわば、ターミナルという都市機能を持つ場所が、も
う一つの物語の主人公になっているように、鎌倉河岸は、「江戸育ちお祭り佐七」という芝
居の序幕では、主役を張っているように思われる。

序幕第二場「同 菊茂登塀外お堀場の場」。鎌倉河岸にある料亭「菊茂登」の裏側、塀の外
に倉田の座敷から襦袢姿で逃げて来た小糸が、佐七に助けを求める場面。小糸の母親は、倉
田に小糸を金で売ろうとしているから家にも帰れないということで、佐七は、小糸を自宅へ
連れて行くことにする。

大喜利第一場「連雀町佐七裏住居の場」。時代ものの「大詰」に当たる世話もの「大喜
利」。「大切り」の意。「詰める」「切る」、ともに、「こんにちは、これギリ」、つま
り、「おしまい」ということ。

さて、舞台。夫婦気取りで、過ごす小糸佐七。しかし、そうは、問屋が下ろさない。鳶頭・
勘右衛門(左團次)を巧く巻き込んで、小糸を取り戻しに来た母親(橘三郎)らに諭され、
小糸を柳橋に連れ戻されてしまう。

大喜利第二場「裏河岸小糸内の場」。柳橋に戻った小糸は、ある話を聞かされる。佐七の父
親を突き飛ばして死なせてしまった加賀藩の家臣が、倉田の伯父で、小糸の父親だというの
である。その証拠が、この臍の緒だと、母親は、小糸を諭す。小糸は、佐七の仇の子どもと
知り、絶望してしまう。佐七と添い遂げられない運命を悟った小糸は、佐七宛に書き置きを
書く。やがて、やって来た佐七に事情を説明する小糸だが、佐七は、自分との別れ話のため
にでっち上げたのだろうと本気にしない。怒って、立去る佐七。母親らがでっち上げた嘘の
話という佐七の勘は、当たっているのだが、小糸は、真実、佐七の父親の仇の娘と思い込ん
で、家出をしてしまう。

第三場「柳原土手仕返しの場」。小糸への意趣返しに、小糸殺しを企む佐七。恋が、狂うと
悲劇を産むのは、もつれた男女の仲の、定番。小糸の乗った駕篭が、佐七に襲われ、小糸は
絶命してしまう。虫の息の小糸から手渡された書き置きを辻行灯の下で読む佐七。嘘の話を
嘘では無いと信じ切った小糸の真意を知るが、後の祭。そこへ現れた倉田も殺して、後の祭
の、二乗の体の、お祭佐七。江戸っ子の、自惚れが、本来なら恋しいはずの女を殺してしま
うという皮肉の悲劇。

明治31(1898)年に、幕末の江戸の庶民群像を書いた世話もの・新歌舞伎の演目であ
るが、作品としても、深みが無く、余り出来の良いモノでは無いように思う。前半は、満座
の中での、濡れ場やお祭りの風俗などの趣向もあり、おもしろいが、男女の痴話喧嘩めいた
話となる後半は、底が浅い。江戸っ子の魅力、江戸言葉のやりとりも、その辺りの趣向が理
解できる時代なら、おもしろいのだろうが、初演時の明治は、もはや、遠くなりにけりで、
その辺も、いまでは、弱い。

江戸言葉の歌舞伎芝居は、上方育ちの歌舞伎の歴史の中では、「革新的」でさえあり、当初
は、エポックメイキングだったに違いない。歌舞伎では、武士の世界を描く、例えばお家騒
動ものなどの「時代もの」に対して、商人、商売の世界などを描く「世話もの」が、演目の
ジャンルとして君臨してきた。それが幕末期を前に幕末期以降明治期にも繋がる力量を持つ
劇作家・鶴屋南北が現れて、「世話もの」を進化させて、「生世話もの」というジャンルの
芝居を見つけた。「生世話もの」とは、一口で言ってしまえば、歌舞伎の観客と同じ目線
で、江戸の庶民の言葉で、科白が書かれた芝居ということである。「江戸育ち
お祭り佐七」は、そういうジャンルの芝居であった。


久しぶりの通し「三人吉三巴白浪」


江戸言葉の歌舞伎といえば、今でも、第一人者は、河竹黙阿弥だろう。その黙阿弥の代表作
の一つは、「三人吉三巴白浪」だろう。今月の夜の部は、この演目から。

「三人吉三」の通し上演の楽しみは、大詰「本郷火の見櫓の場」で河竹黙阿弥原作の指定通
りの演出として、両花道を使うことだろう。この場面は、「八百屋お七」を下敷きにしてい
るが、「三人吉三」としては、お嬢吉三とお坊吉三が、白銀の世界で、恋の花を咲かせるフ
ィナーレの場面なのだから、黙阿弥原案通りで見せて欲しい。

両花道を使う場合の大詰「本郷火の見櫓の場」。2012年1月、国立劇場の舞台をベース
とする。

幕間に、大道具方の手で両花道に雪布を敷き詰める作業が始まった。定式幕が開くと、雪景
色の本郷。舞台下手袖には、霞み幕(後に、清元連中登場)。下手、障子に「火の番」と書
かれた火の番小屋。大きな木戸を挟んで、上手側、舞台中央に火の見櫓。上手から町人3人
が出て来て口々に己の事情を言い立て、いつもより厳格に木戸を開けない理由を火の番小屋
の番太に聞いている。火の見櫓に町役人の「触書之事」という文書が打ち付けてある。捕り
方を逃れ、吉祥院から逃げた3人の吉三を追い詰めるため、江戸中の木戸が閉められたのだ
という。

両花道のうち、上手側の仮花道からは、蓆で上半身を隠した赤い衣装のお嬢吉三。本花道か
らは、同じく蓆で上半身を隠した黒い着流し姿のお坊吉三が、雪道をそろりそろりと歩いて
来る。花道七三で蓆を開けて、観客席に顔を見せるふたり。それぞれ本舞台に上がり、やが
て、お互いに気付き、大きな木戸越しに再会する。手配のお嬢吉三とお坊吉三の首の替わり
に和尚吉三の双子の妹と弟の首をお上に提出した。しかし、計略露見で囚われの身となって
しまった和尚吉三を助けたいというふたり。この厳重な警備では、それも叶わない。

火の見櫓に昇って、太鼓を叩けば、手配の3人の吉三が捕まった合図ということを知り、火
の見櫓のある木戸うちにいるお嬢吉三は、違法を覚悟で太鼓を叩く決意をする。お坊吉三
は、それを支援するため、火の番小屋のある木戸内で捕り方と立ち回りをする決意をする。
下手では、お坊吉三と捕り方2人、上手では、お嬢吉三と捕り方4人と、それぞれ立ち回り
となる。捕り方を退け、火の見櫓に昇るお嬢吉三。やがて、木戸の上手側は、火の見櫓ご
と、大せりでせり下がる。下手側は、お坊吉三と捕り方が、火の番小屋の屋根で立ち回り。
映画なら、カメラを上空に向けて、屋根上、櫓上での立ち回りというシーンだろう。

櫓が再びせり上がって来る。お坊吉三は、屋根上の捕り方たちを退けて、屋根から木戸へ飛
び移り、木戸の上手側に下りて来る。お嬢吉三が、ご法度の太鼓を叩き始める。定め通り、
番太が木戸を開ける。花道からは、逃げてきた和尚吉三が、姿を見せる。木戸の上手側で、
3人の吉三が勢ぞろいする。

上手奥から八百屋久兵衛も「八百久」の提灯を持って現れる。八百久、こと八百屋久兵衛
は、女の子として育てられた、誘拐されたままだった男の子・お嬢吉三の実父であり、お坊
吉三の実家(安森家)出入りの業者であり、和尚吉三の双子の妹弟のうち、捨てられた弟の
十三郎の育ての親という、黙阿弥独特の血縁話の典型的な、関係の濃さを象徴する人物。後
のことを八百久に託して、三人吉三は、三つ巴になって、刺し違えようと、捕り方たちに向
かって行く、という場面で、引張りの見得となり、「三人吉三巴白浪」という外題通りに、
3人の犯罪者たちの芝居は、無事閉幕。

今回は、両花道こそ使用しなかったが、舞台下手側を花道も含めて有効に活用していて、上
手下手の役割が、明確にされていたように思えた。


「八百屋お七」・「お家再興」・「情恋哀話」


そもそも「三人吉三巴白浪」は、河竹黙阿弥が、自分の作品のなかでも、生涯愛着を持った
生世話物の傑作である。「八百屋お七」の世界を借りて、安森家が将軍家から預っている名
刀・庚申丸が何者かに盗まれ、お家断絶になっているため、名刀を探し出そうとする「お家
再興もの」に加えて、通人・小道具商木屋文蔵の倅・文里(ぶんり)と遊女・一重(ひと
え・安森家長女、つまり、お坊吉三の妹)の「情恋哀話」という3つの要素が演劇構成をな
す。今回は、「情恋哀話」は、なかった。

1)「八百屋お七」の世界が援用され、お七→お嬢吉三(「八百久」の実子で、幼いころ誘
拐され、旅役者の女形出身で、おとせから問題の百両を奪い、おとせを大川に蹴落とす、い
までは、女装の盗人となっている)という設定で、「吉祥院」の場、「火の見櫓」の場の主
役で、「演劇」的には、これが、「三人吉三」の主軸となっている。

2)安森家の「お家再興もの」が、物語の本来の「主筋」としてあり、安森家長男・吉三=
お坊吉三(お家断絶で、浪人の身で、強盗も辞さない不逞の族(やから)。後にお嬢吉三と
同性愛の間柄となる)、それに、名刀・庚申丸探しという形で、糾(あざな)える縄のごと
く、舞台の展開に、絶えず、見え隠れしている。

3)「副筋」の文里・一重の「情恋哀話」の部分は、「丁字屋」などの場面として残ってい
るが、あまり上演されない。上演される場面では、木屋の手代・十三郎(小道具商として、
川底から見つけた庚申丸を売った代金百両を夜鷹との遊興の途中で落としてしまうが、遊び
相手の夜鷹で、伝吉の娘・おとせが拾っていて、十三郎を探して届けようとする。後に、十
三郎とおとせは、双子と判るが、すでに近親相姦の関係になっていて、それが悲劇を生む)
という登場人物として残っている。

4)これらを、いわば「接着」するのが、三人吉三の兄貴分の和尚吉三(所化上がりの巾着
切、いまでは、盗賊)を軸にした「肉親縁者の因果もの」。伝吉(和尚吉三の実父で、安森
家から庚申丸を盗んだ盗人でお坊吉三の実父を殺している。いまは、夜鷹宿の主人。後に、
お坊吉三に殺され、お坊吉三は、結果的に、敵討の本懐を遂げた事になるが、当初は、義理
の兄貴分の実父を殺したと思い込んでしまう)。このほか、伝吉の次男・十三郎と長女・お
とせ(ふたりは、双子ながら、出生の秘密を知らず、恋仲になり、知らぬこととはいえ、近
親愛に耽る)。お嬢吉三の実父で、十三郎の養父・「八百久」こと、八百屋久兵衛が、絡
む。

「大川端」が、歌舞伎錦絵のような様式美と科白廻しで、これはこれで、いつ観ても充実感
がある。一方、二幕目の「割下水土左衛門伝吉内の場」ほかや三幕目の「巣鴨在吉祥院本堂
の場」ほかは、世話場。

「割下水土左衛門伝吉内の場」では、暗い話が展開する前に、チャリ(笑劇)場として、
「大川端」のパロディが、夜鷹たちによって演じられるが、この場面はいつ観てもおもしろ
い。藝達者な脇の女形たちが熱演するからだ。「巣鴨在吉祥院本堂の場」では、堂守の源次
坊。和尚吉三の双子の妹弟は、妹おとせと弟十三郎。彼らが使う科白は、まさに江戸言葉の
歌舞伎である。


玉三郎が伝授する「二人静」


「二人静」は、初見。世阿弥元清原作の能を玉三郎が補綴した作品で、歌舞伎座では、今回
が初演。静御前は、兄の源頼朝から謀反の嫌疑を受けた弟の義経の恋人。能を素材にした歌
舞伎の演目は、「能とりもの」と言われるジャンルに属する。「二人静」も、同様である。
能の正式な上演形式である五番立てのうち、三番目に上演するので、「三番目もの」、美
女、あるいは、その霊に姿を変えた草木の精を主人公にして、幽玄の世界を描くので、「鬘
もの」などという。今回は、静御前の霊と霊が乗り移った女性の二人(つまり、二人静であ
る)が同じ扮装で、同じ舞を舞う。いわば、「影」が主役で、影の主の「形」に影が寄り添
う。

同じ趣向の演目では、「二人道成寺」などがあり、この場合は、白拍子・花子のほかに、桜
子という、もう一人の白拍子が登場し、二人が同じ扮装で、同じ舞を舞う。

「二人静」の今回の配役は、次の通り。
静御前の霊が、玉三郎、若菜摘みの女性が、児太郎、神職が、彦三郎という配役。

幕が開くと、背景は、シンプル。左右に朱塗りの門。中央に山の遠景。近景は、巨大な松。
上手に長唄連中。花道から若菜摘(児太郎)が登場する。能面のような、表情の乏しい化粧
をしている。吉野の勝手明神のスタッフをしている女性。能のような足使い。ゆっくりと歩
む。左手に若菜摘みの籠を持ち、右手に中啓を持っている。

長唄「木の芽春雨降るとても」で、正月七日に供える若菜摘みをする女性、その名も若菜摘
が紹介される。彼女の前に、花道・すっぽんから、もう一人の美しい女性が姿を現す。この
女性が、静御前の霊。霊は、自分の菩提も弔うようにと、若菜摘に請願する。玉三郎の科白
回しが、独特で良い。児太郎は、台本を読んでいる風。玉三郎は、この願いを疑う者がいた
ら、若菜摘に乗り移って、詳しく名を名乗る(自己紹介をする)と告げて、児太郎を脅す
と、すっぽんから姿を消してしまう。

背景に松が描かれた紗幕が上がると、神社の場。箏曲と四拍子が、演奏に加わる。

若い女性の不気味さに怯えた若菜摘は、急いで明神に戻る。舞台下手から、上司の神職(彦
三郎)が下手から現れる。若菜摘は、神職に女性との出会いの顛末を告げてしまう。する
と、先ほどの女性が下手からさりげなく現れ、若菜摘に乗り移ってくる。若菜摘の口を借り
て、恨み言を託(かこ)つ。驚く神職。

静御前の霊だと名乗った女性は、都落ちをする義経に従って、吉野まで来たが、女人禁制の
山ゆえに、ここで恋する人と別れざるを得なくなった、と恨みと哀しみを述べ立てる。

神職は、本物の静御前ならば、舞の名手のはず。社には、以前、静御前から奉納された舞の
衣装があるので、これを着て舞を舞ってくれたなら、懇ろに「あなたの霊を弔おう」と約束
する。静御前の霊は、神職の所望に従って、舞の衣装を身につけ、若菜摘の姿を借りなが
ら、形に影が寄り添うごとく、艶やかに愛を舞い始める。二人は水干と長袴で太刀を腰に付
けている。二人は、すべて同じ所作を同時に続ける。今回の「二人静」の舞は、玉三郎がリ
ードをし、児太郎を寄り添わせているのが、よくわかった。

見せ場。長唄「しづやしづしづやしづ 賤(しず)の苧環(おだまき) 繰り返し、昔を今
に なす由もがな……」。義経との想い出を舞い納めると、静御前の霊を演じた玉三郎は、
再び、花道すっぽんから姿を消して行く。玉三郎主演なので、長唄連中のキャップは、杵屋
勝四郎。

幕切れ前。児太郎は、本舞台中央で静止。玉三郎は、花道スッポンに戻り、静止。二人の静
のうち、児太郎の頭上からは、緞帳が下りてくる。やがて、すっぽんの玉三郎もセリ下がり
始め、幕外で、玉三郎の姿が見えなくなる頃、本舞台の児太郎の前面にも緞帳が下りてき
て、二人は、同時に姿を消す。
- 2019年10月13日(日) 17:22:38
19年10月歌舞伎座(昼/「廓三番叟」「御摂勧進帳」「蜘蛛絲梓弦」「江戸育ちお祭佐
七」)


若手の藝の精進ぶりを披露


今月の歌舞伎座、特に、昼の部は、伸び盛りの若手の藝の精進ぶりを披露する、いや研鑽
(研修?)を積む若手紹介、という印象が強い舞台が続く。毎年正月、若手を軸とする「浅
草歌舞伎」から、歌舞伎の殿堂、歌舞伎座のある木挽町への距離が、近年、どんどん短くな
っている、という印象が、私には強い。浅草歌舞伎は、最近は、松也が座長格になって興行
し、フレッシュな歌舞伎を見せてくれている。つい数年前まで、海老蔵、勘太郎・七之助の
兄弟などが仕切っていた、という印象だったのに。最近は、ぐんと若返り、中でも30歳代
で、心境著しい松也などは、演目にもよるが、歌舞伎座でも演目の軸になる主役を演じるこ
とも、最近では目立つようになってきた。今月の歌舞伎座の出演役者の中では、愛之助、松
緑、松也、児太郎、梅枝、巳之助、尾上右近などが、その例示になるだろう。

歌右衛門、富十郎、先代の芝翫、先代の雀右衛門の死までは、それぞれ長生きされているの
で、寿命の範囲かもしれない。病気と闘い、寿命半ばで討ち死にしたのが、早すぎた死の團
十郎、勘三郎、三津五郎。ベテラン・中堅が、短い期間にこれだけ、ごそっと抜けたので
は、歌舞伎界としても対応が大変だっただろう。その隙間を埋めるべく、伸び盛りの花形・
若手の登用頻りというのが、今の状況。今月の歌舞伎座昼の部の配役を見ていると、その思
いがいちだんと強まる。


「廓三番叟」


「廓三番叟」を観るのは、5回目だが、2007年1月・歌舞伎座で観た「廓三番叟」が、
印象に残る。「廓三番叟」は、能の「翁(おきな)」を元にした「寿式三番叟」を踏まえて
出来ている。このように歌舞伎には、趣向を凝らしたさまざまな「三番叟もの」があるが、
ここでは、説明を省略。

「廓三番叟」は、1826(文政9)年、初演。「式三番叟」の歌詞を生かしながら、全て
を廓に置き換えているので、いわば「三番叟」のパロディである。
翁、千歳、三番叟の代りに、普通は、傾城、番頭新造や新造、太鼓持ち(「翁」役は、傾
城・千歳太夫、「千歳(せんざい)」役は、番頭新造や新造(配役は複数もあり)、「三番
叟」役は、太鼓持)が、登場するという洒落の世界。ただし、今回の配役は、コンパクト。
傾城・千歳太夫が、扇雀。太鼓持ち・藤中が、巳之助。新造・松ケ枝が、梅枝。3人だけの
舞台。

「廓三番叟」は、遊廓で繰り広げられた正月の座敷遊びの趣向。三番叟なれば、「かまけわ
ざ」(人間の「まぐあい」を見て、田の神が、その気になり(=かまけてしまい)、五穀豊
穣(=ひいては、廓や芝居の盛況への祈り)をもたらす)という呪術、それは「エロス」へ
の祈りが必ず秘められている。まして、今回の場は、「廓」という、「エロス」そのものの
場が、エロスの度合いを高める。エロスとユーモアが、ふんだんに盛り込まれている、いか
にも、江戸の庶民が、新春に楽しんだ風情が、色濃く残る。初演から、40年後には、も
う、明治維新を迎える。日本は、近代化に向けて大きく動き出す。幕末の不安定な政情とは
裏腹に、庶民は、芝居に明るさを求めていたのだろう。

廓の座敷の体の本舞台。上下手。一部に障子のある襖には、銀地に若竹、紅梅の絵。舞台真
ん中から下手にかけては、長い障子(後に、障子が開くと、長唄。出囃子の雛壇)。一方、
上手は、雪釣の松の中庭が見える。上手床の間の壁には、銀地に紅梅が描かれた中啓が飾っ
てある。床の間の床には、正月のお飾り。舞台中央上手寄りにある衣桁には、紫地に紅葉と
小川が描かれた傾城の打ち掛けが掛けてある。全て、廓の正月の光景。

障子が開くと、笛の音をきっかけに鶯の啼き声のする、江戸の春の廓の世界へ一気に入り込
む。暫く、置浄瑠璃のあと、下手、襖が開くと、傾城・千歳太夫(扇雀)が、新造の松ヶ枝
(梅枝)を連れて、登場する。扇雀は、黒地に鶴の縫取りのある打ち掛けを着ているが、途
中で、衣桁の打ち掛けに着替える。後見がテキパキとサポートする。

遅れて出てきた太鼓持ちの藤中(己之助)も、参加して、めでたい「三番叟」の踊りとな
る。私の印象の残っている07年1月・歌舞伎座で観た「廓三番叟」では、傾城が雀右衛
門、太鼓持ちの藤中が富十郎、新造の春菊が芝雀、新造の松ヶ枝が孝太郎、番頭新造の梅里
が魁春であった。雀右衛門を軸にして、太鼓持ちの藤中に富十郎を配置するという豪華版で
あった。人間国宝同士。

贅言;雀右衛門は、当時、87歳。既に足の運びが、スムーズに行かなくなっていた。息子
の芝雀(当代の雀右衛門)が、さり気なく、サポートしていた。雀右衛門は、所作から所作
へは、手は自由に動くが、足の運びは、ぎこちない。それでも、節々の静止の姿は、さすが
に安定していて、やはり美しかった。

やがて、三番叟の舞いおさめとなると、緞帳が下がってきて、幕となる。


滑稽味のある荒事の「御摂勧進帳」


「御摂(ごひいき)勧進帳」を観るのは、今回で5回目。通しが、2回(「女暫(、あるい
は暫)」、「色手綱恋の関札」、「安宅の関」/「舞台番」)、一幕もの(「安宅の関」の
み)が、今回含め、3回。

「御摂勧進帳」は、初代桜田治助らの原作で、1773(安永2)年11月顔見世興行、江
戸・中村座で初演した全5幕の荒事狂言。そして、二代目猿之助(初代猿翁)が、大正時代
に「安宅の関」を復活した。これが澤潟屋版の原型。さらに、戦後、1968(昭和43)
年、二代目松緑が「通し」の形で復活した。二代目松緑は、国立劇場で2回上演をし、3回
目は、主役を当代の菊五郎に譲り、自分は脇に廻って藝の伝承に努めた。私が観た前回、1
2年12月の新橋演舞場では、十代目三津五郎を軸に据え、菊五郎が、脇の冨樫役に廻って
いた。歌舞伎界全体を見渡し、伝統藝のレパートリー保存に力を注ぐという人間国宝役者・
菊五郎の大局観が生きているのだと思う。

さて、「御摂勧進帳」に話を戻そう。今回は、通しではなく、「加賀国安宅の関の場」の一
幕物としての上演である。現在の舞台を観る私たちは、原作者の桜田治助(「江戸の花の桜
田」と渾名された。1769年には、四代目團十郎一座の立作者に抜擢された)らの志と大
正期に「近代的な解釈を付け加え」て、復活した先代猿之助(初代猿翁)の志、さらに、古
い顔見世狂言のおおらかさを求めて、二代目松緑が復活した「通し狂言」の志、それを孫の
当代松緑に引き継ぐ当代(七代目)菊五郎の恩返しという志も含めて、それぞれ重層化する
志を読み取る必要があるのだろうが、今回は、そこまでは、論じまい。とりあえず、キーと
なる演目の初演時を記しておこう。「暫」は、1692年初演。「勧進帳」は、初代團十郎
によって、原型が演じられたのが、1702年。「御摂勧進帳」は、1773年初演。後の
1832年に七代目團十郎によって選定された歌舞伎十八番の「暫」と「勧進帳」のパロデ
ィ化を狙った結果を生んだ。

今回の主な配役は、次の通り。弁慶:松緑。冨樫:愛之助。斎藤次祐家:彦三郎。義経:坂
東亀蔵。鷲尾三郎:松也。駿河次郎:萬太郎。山城四郎:種之助。常陸坊海尊:片岡亀蔵、
ほか。

「加賀国安宅の関の場」は、通称「芋洗い勧進帳」。歌舞伎十八番「勧進帳」同様、能の
「安宅」を素材としているが、「勧進帳」が、荘厳な舞踊劇に収斂して行くのとは違って、
荒事藝で滑稽味をベースにした荒唐無稽な趣向が見せ場になっている。

弁慶(松緑)一行は、義経(坂東亀蔵)に従う常陸坊尊海(片岡亀蔵)ら四天王。安宅の関
守は、この地の豪族・富樫左衛門家直(愛之助)のほかに、鎌倉幕府から遣わされた斎藤次
祐家(彦三郎)がいる。冨樫は、現代ならば、さしずめ地元市長か県知事か。斎藤次は、中
央官僚。ふたりは、恰も、「俊寛」で、ご赦免船の遣いできた康頼と瀬尾に似た雰囲気であ
り、「勧進帳」では、富樫左衛門(平安時代末期から鎌倉時代初期の武将・富樫左衛門泰家
が、モデルと言われる)が、一人で体現する内面の葛藤を、ここではふたりに役割分担させ
ている。それぞれが、「親義経」=富樫と「反義経」=斉藤次を純化させている。演劇的に
は、よく使われる手法だろう。見た目が、判り易くなる代わりに、人物造形が、一層的(平
べったく)になる。

最初、関所にいるのは、花道より現れた斎藤次のほか、出羽運藤太(辰緑)、新庄鈍藤太
(荒五郎)らと大勢の番卒。関の陣屋の幔幕に描かれた九曜の紋は、富樫の紋。舞台下手に
松の木と天水桶(次の場面展開で、存在感を増す)がある。
 
次いで、花道から義経ら一行。「勧進帳」に比べると地味な衣装の山伏一行は、早々と怪し
まれてしまう。やがて、「待て」という大音声と共に、緋色の衣に毬栗頭の弁慶(松緑)が
遅れて花道から登場。咎める関守の番卒たちとやりあう弁慶。関所役宅の奥から富樫登場。
髪に白梅の枝の飾りを着けてお洒落。冨樫に言われた東大寺の添え状を持っていないので、
替わりに勧進帳を読みあげたいと自ら申し出て、弁慶は浪々と読み上げる。弁慶は、巻物を
奪おうとする番卒たちと巻物を開いたままの立ち回りとなる。「勧進帳」のような山伏問答
はない。

富樫は「通過オーケー」というが、斎藤次は、強力(ごうりき)姿の義経を疑う。弁慶は義
経を金剛杖で打擲し、足蹴にし、更に打擲と「勧進帳」より、荒々しい。これでも疑うかと
斎藤次に詰め寄る。斎藤次が、笠を傾けて顔を隠している強力が義経だと決めつける。弁慶
の正体も見抜いている。齋藤次は、有能な官僚なのだろう。弁慶の気迫に押されるが、それ
でも斎藤次は、判断がぶれない。弁慶に縄を打たせ、下手の松に縛り付けさせる。すべてを
悟っている富樫の判断で、義経一行に往来切手渡し、関所を通過させる。富樫と斎藤次が奥
へ入ると、弁慶は素早く義経一行を立ち去らせる。さっさと、花道から退場する義経一行。

ここから先は、歌舞伎十八番「勧進帳」とは大違い。一行を見送った出羽運藤太、新庄鈍藤
太が弁慶を痛めつけ始める。大声で泣き出す弁慶。通俗日本史の、伝説的人物・「泣かぬ弁
慶」を、歌舞伎は、いろいろな趣向で泣かそうとする。これだけ、大泣きする弱者が、強
者・弁慶のはずがないという作戦だ。いわば、子供だまし。

実際は、義経一行が関所から遠ざかった距離を測っている弁慶。戒めの縄を内側から力で押
しちぎる。引き道具により、舞台下手に大きな天水桶と松の巨木が引き出される。後半は、
これらが、雰囲気を出す。

これ以降、弁慶の関所破りの立ち回りになる。弁慶の大暴れが始まり、運藤太、鈍藤太を含
め、番卒たちの首がことごとく引き抜かれ、天水桶に放り込まれる。天水桶によじ上り、桶
に差し渡した板に乗り、二本の金剛杖を使って、首を芋洗いのようにかき回す(左右に揺ら
す)弁慶。「どうやらこうやら、役を勤め上げることができました」と松緑の口上。これ
ぞ、「芋洗い勧進帳」となる。荒事の豪快さとおおらかな笑劇がミックスされた古劇。ここ
は、「御摂勧進帳」独自の場面。この場面ゆえに、「御摂勧進帳」は、後世まで残り、いま
も、私たちを楽しませてくれる。

贅言;運藤太、鈍藤太は、今回弁慶と一緒に首狩り(切取られた関所の番卒たちの首を箒で
掃き集める)をする際、首をゴルフボールに見立ててプレイしたり、運動会の玉入れを真似
て、天水桶に首を投げ入れたり、ワールドカップでの活躍で人気のラグビー選手のモノマネ
をしたりして、場内を盛り上げていた。

この場面を含めて、「御摂勧進帳」には、江戸荒事の稚戯の味がある。その辺りは、「古風
な味わいのある」と言われる原作者の桜田治助らの工夫なのか、大正期に、これを復活上演
し「近代的な解釈を付け加えた」と言う二代目猿之助(初代猿翁)の工夫なのか(特に、
「安宅の関」は、大正期の復活上演時に書き下ろされたらしいが……)、判らない。いわ
ば、「パロディ勧進帳」という趣向だろう。歌舞伎十八番が、品格のある大人受けのする哲
学的な「勧進帳」なら、こちらは、子どもの受け狙いをする漫画的な勧進帳であった。


レジスタンス舞踊「蜘蛛絲梓弦」


今回で、2回目。「蜘蛛絲梓弦」は、15年07月歌舞伎座で観たことがある。変化舞踊の
演目。元々は、江戸時代の1765(明和2)年11月江戸の市村座初演の「降積花二代源
氏」の一番目の大詰に出て来る土蜘蛛の精の変化ものがベース。九代目市村羽左衛門が早替
りで演じた。前回、4年前、三代目猿之助が演じていた演目を亀治郎時代から引き継いで来
た四代目が歌舞伎座初上演した。9年かけて、浅草歌舞伎、博多座、大阪・松竹座、名古
屋・御園座、明治座と5つの劇場で上演し続けてきた。その成果を満を持して新・歌舞伎座
の大舞台に掛ける記念すべき舞台であった。

猿之助は童の熨斗丸、薬売り・彦作、番頭新造・八重里、座頭・亀市、傾城・薄雲、実は女
郎蜘蛛の精を、六変化の早替り(6役)で演じた。こういう早替り演出の持ち味は、猿之助
がいちばん。今回の愛之助は、小姓・寛丸、太鼓持・愛平、座頭・松市、傾城・薄雲太夫、
蜘蛛の精を、五変化の早替り(5役)で演じる。猿之助のような意気込みは、愛之助には、
なさそう。

源頼光の館、多田の御所。頼光が物の怪に取り憑かれて、寝所に臥せっている。柱や手摺、
階段は黒塗りの御所の座敷には、御簾が下がっている。上手に常磐津連中。下手に長唄連
中。座敷下手に大きな花籠が置いてある。舞台無人で暫く置き浄瑠璃。御簾の前で赤っ面の
坂田金時(尾上右近)と白塗りの碓井貞光(松也)が頼光警護の宿直(とのい)をしてい
る。なぜか、ふたりは強い睡魔に襲われる。「濃いお茶が飲みたい」。おどろおどろしい音
が聞こえる。花道すっぽんから、黄色い衣装の小姓・寛丸(愛之助)が現れる。眠気覚まし
の茶を持って来たのだ。妖しい振る舞い。ふたりが止めるとふたりに蜘蛛の糸を投げかけて
小姓は下手の黒御簾の中へ頭から飛び込み姿を消す。愛之助は、早替りで次々と姿を変えな
がら、坂田金時と碓井貞光の隙をついて源頼光の寝所に入り込もうとする行動を繰り返す。
数人の黒衣たちに囲まれて、愛之助は、太鼓持に変わる。姿が暴かれそうになると、蜘蛛の
糸を投げて抵抗する。太鼓持は、座敷に置いてある花籠の後ろから、さっと姿を消す。小せ
りの使用か? 

宿直業務に疲れてきたのか、坂田金時(尾上右近)と碓井貞光(松也)は、碁を打ち始め
る。愛之助は、座頭に姿を変えて、上手の常磐津の太夫の横から、突然、上がってきた。上
手の常磐津連中の太夫の横、見台の下から吊り上がりで出現か? 二人は、碁をやめて座頭
と向き合う。座頭も寝所を目指すが、阻止される。坂田金時と碓井貞光は、花道から退場す
る。

次いで、場内が薄暗くなり、怪しい雰囲気。愛之助は傾城・薄雲太夫に姿を変えて、舞台中
央のせり上がりで上がってくる。滝夜叉姫の雰囲気。

正面、座敷の御簾が上がると、「信長風」の衣装を着て紫の病巻をした源頼光(右團次)の
登場だ。見舞いと称して傾城(愛之助)は遂に寝所に入り込む。久しぶりの逢瀬。薄雲太
夫、実は女郎蜘蛛の精こそ、物の怪。ふたりは座敷から平舞台に下りる。薄雲と頼光の立ち
回り。薄雲太夫は、逆海老のスタイルで、後ろへ顔を下げる。柔軟な肉体。頼光が源氏の重
宝の蜘蛛切丸という名刀を抜くと、蜘蛛の糸を撒きながら、薄雲太夫は姿を消す。

御簾が下がる。舞台下手より、家臣の渡辺綱(種之助)、卜部季武(虎之介)が駆けつけ
る。網代幕が、振り被せとなる。幕外で、大薩摩の歌と演奏の後、花道から頼光と四天王登
場。網代幕、振り落し。場面展開。紅葉真盛りの葛城山。歌舞伎座の筋書では、日本を魔界
に変えようとする魔物が土蜘蛛の精と解説している。蜘蛛の精の棲家、葛城山。蜘蛛の精
(愛之助)が立て籠っている。蜘蛛の精らは、蜘蛛の糸を繰り出して応戦する。蜘蛛の精
は、ぶっかえりで、金地に蜘蛛の巣模様の衣装へ早替り。本性を顕す。逆海老や足踏みをし
て、抵抗。

私の印象では、猿之助の蜘蛛の精は、抵抗精神を滲ませていて、力が入っていたと思うが、
愛之助の蜘蛛の精は、変化ものを演じるだけ、というような感じがあった。

贅言;蜘蛛の精は、能の「土蜘蛛」をベースにしているので、「土」蜘蛛の精。土蜘蛛の
「土」とは、「土民」=百姓のこと。百姓一揆、土一揆のイメージ。「まつろわぬ民」=土
蜘蛛。つまり、強権を発動する権力者に抵抗する農民一揆。従って、この「蜘蛛絲梓弦」の
蜘蛛の精が、何度も姿を変えながら、権力者の頼光に攻め寄せてくるのは、そういう農民の
不断の抵抗(レジスタンス)の姿、とも見える。


「江戸育ちお祭佐七」


「江戸育ちお祭佐七」を観るのは、3回目。今月の歌舞伎座は、昼の部に「江戸育ちお祭佐
七」、夜の部に「通し狂言 三人吉三巴白浪」を上演している。ここでは、江戸言葉の歌舞
伎というテーマで、昼の部の「江戸育ちお祭佐七」と夜の部の「通し狂言 三人吉三巴白
浪」を合わせて論じたいので、「江戸育ちお祭佐七」の劇評は、夜の部の劇評欄にまとめて
掲載する。
- 2019年10月12日(土) 13:09:47
19年09月国立劇場(人形浄瑠璃)・第二部/「嬢景清八嶋日記」「艶容女舞衣」


俊寛か、景清か


今月の国立劇場の人形浄瑠璃公演は、第一部が、人形浄瑠璃「心中もの」代表作であり、日
本の劇作家の代表中の代表、近松門左衛門の代表作「心中天網島(しんじゅうてんのあみじ
ま)」であった。第二部は、そのほかの心中もの作品という形で、「艶容女舞衣(はですが
たおんなまいぎぬ)」が、列せられた。「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっ
き)」は、「心中もの」とは、別のジャンル。ただ、「艶容女舞衣」と「嬢景清八嶋日記」
に、共通点があるとすれば、どちらも、後世の私たちには、ほとんど無名の作者ばかりだ、
ということである。「心中天網島」の初演は、1720年。「嬢景清八嶋日記」は、176
4年。「艶容女舞衣」は、1772年。特に、「心中もの」の「艶容女舞衣」は、先行する
代表作の「心中天網島」の劇的状況を下敷きに、登場人物などを変えているだけ、柳の下の
泥鰌を求めていることは、はっきりと見えてしまっている。

さて、今月第二部の、「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)」は、1764
(明和元年)年、大坂・豊竹座の初演。全五段の時代物。「嬢景清八嶋日記」の主人公は、
平家の残党、悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)で、景清は、源頼朝暗殺を企てな
がら、失敗をした。投降の勧めに反発をし、抵抗の証に、自ら己の両目をえぐり、盲目の身
になり、今の宮崎県の日向嶋(ひゅうがじま)に流されている。いわば、囚われのスパイの
ような立場である。だから、源氏方は、景清から目を離せない。実際、離島暮らしにもめげ
ず景清は、密かに平重盛の位牌を隠し持ち、命日には、供養をしている。源氏への強烈な反
抗心を秘めながら暮らしている。鬼界が島に流された俊寛のような身の上だ。そう、私の関
心は、同じ島流しの身の上のある俊寛と景清の対比にあるのだが、それはおいおい説明する
ことにしよう。

古典の「嬢景清八嶋日記」は、人形浄瑠璃では、9年前、10年2月国立劇場で観て以来な
ので、今回で2回目。歌舞伎では、当代の吉右衛門書き下ろしの新作歌舞伎「日向嶋景清
(ひにむかうしまのかげきよ)」を05年11月歌舞伎座で観たことがある程度。

今回の場面構成は、「花菱屋の段」、「日向嶋の段」。主筋の「日向嶋の段」の前に「花菱
屋の段」が付せられて、身売りする娘をクローズアップする。前回も、この形式で上演され
た。今回は、それを踏襲している。

「花菱屋の段」。竹本:織太夫、三味線:清介。
この段では、駿河の手越(てごし)宿の遊女屋「花菱屋」が、舞台。肝煎り(女衒)の左治
太夫(人形遣い:簑二郎)が、愛らしい娘・糸滝(簑紫郎)を花菱屋に連れて来る。花菱屋
の主人・長(玉輝)と女房(文昇)をからませて、悲劇の前の、「ちゃり場(喜劇)」が、
演じられる。特に、計算高く、人使いの荒い花菱屋女房は、秀逸のキャラクターだと思う。
この段の、見逃せないポイントだろう。日向(今の宮崎県)に流されている盲目の父親を救
うために、身を売りたいという。世話になっていた老婆(乳母)が急死して、孤独になって
しまったので、身を売った金を持ち、九州まで父親に逢いに行きたいという娘のために、花
菱屋の夫婦、店の遊女たち、遣り手婆、飯炊き女までが、娘に餞別を与える場面が、笑いを
誘う。肝煎り(女衒)の左治太夫も娘に同行する。この段の人形遣いは、主遣いも含めて、
全員黒い覆いで面を隠している。

「日向嶋の段」。竹本:千歳太夫。三味線:富助。
この段では、まず、幕が開くと、浅黄幕が、舞台全面を被っている。「松門独り閉じて、年
月を送り……」と、置浄瑠璃。切場とあって、千歳太夫の語り。「春や昔の春ならん」、幕
の振り落しで、舞台中央の、大海原の浜辺に貧相な蓆がけの小屋。無人の舞台。

こういう劇的状況の設定は、「俊寛」と似ている。景清の扮装も、俊寛に似ているので、ど
うしても、近松の「俊寛」を連想し、比べてしまう。「俊寛」は、1719年初演。一方、
「景清」は、1764年。

見えぬ目玉の、白眼しか見せないまま、不自由な手探りで、景清は、位牌を海辺の石の上に
置き、密かに平重盛の菩提を弔う。平家の残党の矜持が感じられる。

浜の小屋にいる景清の元へ、沖から船が近づいて来る。廓に身を売った金を持って、幼いと
きに別れた娘が、遊女の糸滝と名を変えて、肝煎り(女衒)の左治太夫に伴われて、父親の
景清に逢いに来たのだ。しかし、景清は、自分は、景清などではない、景清は、とうに死ん
だと偽り、娘を追い返して、ひとり、小屋に入ってしまう。

困惑した糸滝らは、島に住む里人に出逢って、景清の行方を尋ねる。すると、先ほどの男
が、やはり父親の景清だと知らされる。再度、小屋に訪ねて、やっと、父親との再会を果た
す。「親は子に迷はねど、子は親に迷ふたな」。

しかし、苦界に身を沈めた娘の、いまの身の上を、肝煎りが、「相模の国の大百姓に嫁い
だ」と嘘で固めると、景清は、怒り出す。「食らひ物に尽きたらば、なぜのたつてくたばら
ぬ」。糸滝は、本当のことを語らずに、結局、里人に金と真意を書き留めた手紙を入れた文
箱を託して、去って行く。この場面、景清の人形を遣うのは、玉男だが、人形の所作にメリ
ハリがあり、観ていて、気持ちが良い。

この場面、船で浜に辿り着いた糸滝らが、父であることを景清に拒絶されると、浜を舞台上
手に向かって歩く場面があるが、ここは、歌舞伎では、舞台が、半廻しになり、里人たちと
出逢い、先ほどの男がやはり景清と知らされると、元の浜辺へ戻る。舞台半廻しで、元に戻
る、という演出になるが、廻り舞台が使えない人形浄瑠璃では、糸滝らの歩みに合わせて、
小屋が、景清を入れたまま(ということは、3人の人形遣いを入れたまま)、舞台下手に
「引き道具」として、引き入れられる。そして、糸滝らが小屋の戻る場面では、舞台上手に
向かう途中で、ユータンをして歩む糸滝らの動きに合わせて、小屋が、再び、中央へ戻って
来る。小屋が、舞台中央に安置されると、景清が、小屋掛けの筵を、正面の筵は、御簾のよ
うに上げたり、脇の筵は、「振り落し」たりして、再び、出て来る。糸滝を遣うのは、大ベ
テランの簑助。女形の人形を生きているように、丁寧に演じる。

その後、里人から金と手紙を受け取った景清は、娘が身売りしてまで、自分に金を届けてく
れた事情を知る。「孝行却つて不孝の第一」と景清。景清は、「船よなう、返せ、戻れ」と
声をあげ、娘の後を追おうとするが、娘らを乗せた船は、すでに、出てしまった後だった。

それを知った里人、実は、頼朝の配下で、景清を監視していた隠し目付(土屋軍内、天野四
郎)、いわば、諜報部員が、娘が苦界に入らないよう取りはからうことを条件に父親・景清
の頼朝方への投降を進めると、抵抗心を捨てて、頼朝の配下とともに、景清は、船で都に向
う。この辺りは、俊寛の方に、大いに気概がある。

両目を潰してまで、抵抗心を隠している「反抗分子」の武士(もののふ)の景清が、娘の身
売りを知っただけで、判断力を失って仇に、それこそ身を売るようなことをするだろうか、
という疑問が残る。俊寛の方がドラマ性でまさる、と言えよう。景清の武士のプライドと娘
への情愛の狭間で揺れる心の有り様が、この芝居のテーマなのだろうが……。徹底性が弱
い。俊寛に比べて、景清が演じられる回数が少ない理由も、この辺にあるのではないだろう
か。

舞台下手奥から、先に娘たちを乗せて出発した船より、いちだんと大きな船が出て来る。船
には、中央に、景清、左右に隠し目付のふたり。そして近侍たち。近づきの杯のやり取りの
後、船の上から、重盛の位牌などを海に投げ捨てる景清。変心した武士の悲哀。これは、も
う、俊寛の怨念、虚ろさなどとは、比べようもないし、劇的効果もない。戦に翻弄された親
子の哀れさが、反戦平和のテーマだとしても、何もかも捨てて、敵陣に下る武将の悲哀だと
しても、訴えかけて来るものは、劇的状況も、主人公のキャラクターも、「俊寛」には、及
ばない、と思う。



「艶容女舞衣」は、先行する代表作「心中天網島」を超えるか


「艶容女舞衣」は、1772(安永元)年、大坂豊竹座で初演された。竹本三郎兵衛らの合
作。上中下の三巻構成の世話物だが、「酒屋の段」は、下の巻で、いまは、ここだけが上演
される。今回は、「酒屋の段」を軸に据え、心中行の「道行」を後ろに付した。

親の世代の価値観と息子・娘の世代の価値観との間に引き裂かれたが故の悲劇が、テーマ。
封建時代の価値観は、「親の誠」を強調する。子供の危機を親の価値観だけで、乗り切ろう
として悩む。そういう意味では、封建的なテーマの演目なのだが、なぜか、そういう「情宣
的な」意味合いを忘却してしまうおもしろさが、この演目にはある。芝居が進行するにつれ
て、ミステリーのように謎が解明される、という趣向もおもしろい。

「艶容女舞衣」は、心中ものの代表作「心中天網島」初演から、52年後の作品である。人
形浄瑠璃「艶容女舞衣」を観るのは、私は、2回目。最初は、09年9月国立劇場で拝見。
「艶容女舞衣」の今回の場面構成は、次の通り。「酒屋の段」、「道行霜夜の千日」。前回
10年前は、「酒屋の段」だけの上演であった。「道行霜夜の千日」は、東京での上演は、
1975年以来と、いう。従って、「道行」を観るのは、今回が、初見。

まず、人間関係を整理する。酒屋の「茜屋」主人・半兵衛と息子の半七。半七には、妻のお
園のほかに結婚前からの愛人で、女舞の芸人・三勝(さんかつ)と二人の間の娘・お通が、
いる。これが、悲劇のもと。半七と三勝を添わせていれば、芸人が、酒屋の跡取りの女房と
いう課題は、いずれ、直面するとしても、両親と子供のいる夫婦という家族は、なんの懈怠
もない。なのに、両親は、芸人の嫁入りを認めず、親の価値観で、息子の嫁を決めて、押し
付けた。息子は、家を出てしまい、家に寄り付かない。娘の嫁ぎ先の婚家の状況を知ったお
園の実父の宗岸(そうがん)は、娘婿の不実に怒り、娘を実家に連れ戻してしまう。三勝に
は、自分の父親の代からの借金があり、妾奉公の話が持ち上がっている。半七は、親に相談
できないから、友人の善右衛門に借金を申し込むが、三勝に横恋慕している善右衛門との葛
藤から、半七は、善右衛門を殺してしまい、お尋ね者となってしまう。悲劇は、悲劇を生み
続ける。

実家に戻っても、半七を恋い慕い、泣き暮れる娘のお園を不憫に思い、実父の宗岸は、お園
を婚家に連れて、恥ずかしながらと、復縁を願いに行く。義母は、温かく迎えてくれるが、
なぜか、代官所から戻ったばかりという義父は、一旦実家に戻ったのだから、婚家には、入
れないと冷たい。しかし、義父の半兵衛は、この時、既に、息子・半七の犯行を知っていた
ので、嫁のお園をいずれは、死刑になる犯罪者の連れ合いにしたままにしておけないと、心
を鬼にしての振る舞いだった。半兵衛が、着物を脱ぐと、その下は、縄で、縛られている。
逃走中の息子の代わりに親が、懲罰を受けていたのだ。息子が、捕まらない限り、親の縄目
は、ほどかれない。双方の親たちは、お互いに、子供たちに尽くそうとばかりする。それで
よいのか、というのは、現代の価値観。原作では、「親の誠」とばかりに、親を持ち上げ
る。

義父母も実父も、お園の将来を考えて、奥に引きこもり、善後策を練る。娘・嫁を無視し
て、対策を練るところが、この時代らしい。「跡には園が憂き思ひ」で、お園は、抱き柱
で、クドキとなる。「今頃は半七様(はんしっつあん)、どこでどうしてござろうぞ。今更
返らぬことながら、私(わし)といふ者ないならば、舅御様もお通に免じ、子までなしたる
三勝殿を、とくにも呼び入れさしやんしたら、半七様の身持ちも直り御勘当もあるまいに、
思へば思へばこの園が、去年の秋の煩(わずら)ひに、いつそ死んでしまふたら、かうした
難儀は出来まいもの。お気に入らぬと知りながら、未練な私が輪廻ゆゑ」、という、人口に
膾炙した名科白が語られる。半七への恨みは無く、自分が、半七と三勝の間に入って来たこ
とが、全ての原因と、自分を責める。今なら、自立心の無い女性と非難されるかもしれない
し、ここまで、自虐的になると、「鬱病」を発症しかけないなと、余計な心配をする。

お園(首=かしらは、娘)を操るのは、清十郎。中堅の女形遣い。女形の人形を柔軟に遣い
こなす。「去年の秋の煩(わずら)ひに、いつそ死んでしまふたら、かうした難儀は出来ま
いもの。お気に入らぬと知りながら、未練な私が輪廻ゆゑ」という場面では、主遣いの左手
を人形の中に入れたまま、お園の身体を捻って、背を向かせ、さらに斜めになって、静止し
てみせた。この一連の動きが、スムーズで、場内からも拍手が湧いた。こういう場面は、私
は、初めて見たので、非常に興味深かった。

一方、三勝は、それより前に、娘のお通を半七の実家に預かってもらおうと、紫の頭巾で顔
を隠し、赤子を抱いて、酒を買いに来た客を装い、丁稚を騙して、娘のお通を酒屋に預けて
しまっていた。三勝と赤子。最初の謎の設定である。この場面、店の中には、「剣菱」の菰
樽、仕入帳、大福帳(売買の記録をした元帳)、売掛帳などがあり、客応対をした半兵衛女
房は、「相生」を勧める。塗桶に酒を詰めてもらい丁稚に配達してもらうと折衝する場面
が、リアルである。

先の場面に戻る・・・。お園が、自分を責めていると赤子のお通が、奥から、はい出して来
る。ここで、お園も、赤子が、お通であることを知る。親たちも、それを知り、慌てる。お
園とお通。第二の謎である。お通は、一人遣いで操る。お通が身につけていたお守りの中を
見ると、「書き置き」が出て来る。そこには、半七が、善右衛門を殺めてしまったこと、お
通のこと、両親への感謝、お園には、未来で夫婦になろうなどと書いてある。孫のお通を抱
き上げ、悲嘆に暮れる半兵衛夫婦。未来の夫婦という夫の言葉を心のよりどころに、夫の行
く未を案じるお園。息子と嫁の価値観は、はなから、世間体を優先する親の価値観に負けて
しまっている。

店には、茜屋の屋号が染め抜かれた暖簾と酒林(さかばやし。杉の葉を束ねて、球状にし、
酒屋の看板としたもの)を下げている。やがて、店を閉めると、暖簾を仕舞い、その代わり
に戸を閉め切る。あとは、店ではない木戸(玄関)で出入りする。このあたりも、当時の大
坂の商家の風俗、習慣が伺えて、おもしろい。

やがて、下手から、手拭いで頬被りをした男と紫頭巾で顔を隠した女が、登場する。追っ手
を逃れて、実家の様子を窺いに来た半七と三勝のふたり連れ。店の外には、茶の縦縞の衣装
を着た半七が、控えている。己が名乗り出て捕縛されるなりしないと、親の縄目が解けない
ので、黒地の喪服のような衣装の三勝とともに、これから、心中をしようと覚悟を決めてい
る。陰ながらの暇乞い。死に行く息子の別れの儀式である。頭巾をとり、顔を見せて、乳が
張ると胸を押さえる三勝が、哀れ。店のうちでは、ひもじいと泣く娘のお通。年老いた親た
ち、子の無い嫁では、赤子に乳も与えられない。「アアとは云うものの乳もなく」と婆。木
戸の外では、その声を聞きつけて、「乳はここにあるものを、飲ましてやりたい、顔みた
い」と三勝。タナトスのなかのエロス。死と生が、クロスする場面だ。「悲しさ迫る内と
外」。木戸を挟んで、ふたつに引き裂かれた悲劇が、視覚的で、説得力がある。芝居の物語
や価値観は、どちらかというと、紋切り型なのだが、宗教や政治的な情宣のように、伝えら
れる情報の意味内容というようなものを越えて、現代の私たちの心に響いてくるものがある
ように感じるのは、私だけだろうか。封建的な価値観を見せつけられていながら、そういう
ものを問題としない、普遍的なもの。それは、苦境の悲しみにも人間の営み故の、美しさが
あるということだろうか。原作者たちは、歴史的には、無名で、詳細な個人情報は残ってい
ないが、誰かが、「憑依」の状況に陥って、軸になって、この作品を書き上げたのではない
か。その「憑依」が、歌舞伎のように、生身の役者ではなく、時空を超えうる人形という形
をとることで、情報の実際的な意味内容を越えて(あるいは、消し去って)、感性としての
み、私の胸に鋭く突き刺さってくるのかもしれない。

「大和五条の茜染め、今色上げし艶容。その三勝が言の葉をここに、写して留めけれ」で、
幕。竹本の床本に三勝の「艶容(あですがた)」とあるのを見ると、外題の「艶容女舞衣」
には、「女舞」の芸人・三勝のことばかりが、書かれているのが判る。いまの舞台では、初
めと終わりにしか出てこない三勝だが、通称は、「三勝半七」なのだ。元禄年間に、実際に
あった心中事件を素材にしている「三勝半七の世界」というのが、正解なのだ。本当は、半
七の書き置きを皆で読む場面が、見せ場だったのだが、派手な節回しの「今頃は半七
様・・・」というお園のクドキが、ポピュラーになり、いつしか、主客逆転。従って、外題
には、いまでは実質的な主役となっているお園の気配が少しも入っていないという辺りが、
かえって、私には、おもしろい。

人形遣いにも触れておこう。お園(首=かしらは、娘)は、清十郎。宗岸(首=かしらは、
定の進)は、玉也。半兵衛(首=かしらは、舅)は、玉志。半兵衛女房(首=かしらは、
婆)は、簑一郎、半七(首=かしらは、源太)は、玉助。三勝(首=かしらは、娘)は、一
輔ほか。

「酒屋の段」。竹本は、中が、靖太夫、三味線:錦糸。前が、藤太夫、三味線:清友。奥
が、津駒太夫、三味線:藤蔵。
- 2019年9月9日(月) 17:01:40
19年09月国立劇場(人形浄瑠璃)・第一部/「心中天網島」


女の信義、「心中天網島」



江戸時代のワイドショー。大坂で、天満の紙屋治兵衛と遊廓曽根崎新地の紀伊国屋遊女小春
が網島の大長寺境内で心中した。それが、当時のテレビに当たる人形浄瑠璃芝居で上演され
た。初演は、1720(享保5)年、大坂竹本座であった。原作者は、近松門左衛門。68
歳の円熟期の筆であった。「哀れ涙の物語。伝えて筆に残しけり」。ワイドショー的に締め
るならば、「心中天網島」という外題には、教訓が封じ込められている、という。老子の言
葉を引用しよう。「天網恢々疎にして漏らさず」。つまり、「心中『天網』島」、「『天
網』恢々」ということだ。

今回の場面構成は、以下のようになる。「北新地河庄の段」、「天満紙屋内の段」、「大和
屋の段」、「道行名残の橋づくし」。

「心中天網島」をこういう通しの形で観るのは、今回で2回目。私が国立劇場で初めて観た
のは、6年前。13年5月の公演だった。「心中天網島」は、心中ものの近松門左衛門処女
作「曾根崎心中」から17年後に上演された。

近松門左衛門の原作初演は、1720年で、その後、近松半二らが原作をベースに「心中紙
屋治兵衛」「天網島時雨炬燵」などの改作をした。何れにせよ、上方和事の代表作である。

「北新地河庄の段」。幕が開くと、舞台は無人。盆廻しで竹本の太夫が登場する。三輪太
夫。三味線は、清志郎。舞台は、大坂北新地の茶屋「河庄」。舞台を見て、歌舞伎の大道具
と作りが違うことに気がつく人もいるだろう。

この演目では、歌舞伎では花道を歩く紙屋治兵衛の、いわば「歩く芸」が見どころの一つに
なる。花道、本舞台の河庄の店、玄関横の格子窓、そして店内へと続く空間が、見逃せな
い。歌舞伎の場合、「河庄」と名入れされた門行灯(かどあんどん)と玄関、その向うに玄
関と横並びで格子の嵌った窓がある。玄関を入ると座敷、さらに上手には、障子の奥の間が
ある、という作りだ。

しかし、人形浄瑠璃には、花道はない。下手の小幕を上げて紙屋治兵衛は出て来る。本舞台
の河庄の店には、「河庄」と名入れされた門行灯と玄関があるのは同じだが、格子の嵌った
窓が、玄関の横ではなく、玄関と直角、客席の正面に見える。

下手の小幕が上がり、小春(人形遣:和生)が下女(簑太郎)と傍輩女郎と出て来る。皆、
一緒に座敷のかかった茶屋の「河庄」に出向いてくる場面から芝居が始まる。河庄には、青
っぽい紺地に河庄の2文字と家紋が白抜きに染め抜かれた大暖簾がかかっている。店には、
花車(かしゃ。遊廓の揚屋や茶屋の女主人・紋臣)がいる。さらに下手から小春に横恋慕し
ている江戸屋太兵衛(文司)と連れの五貫屋善六(清五郎)がやって来る。紙屋治兵衛と深
い仲の小春は、太兵衛を嫌っているが、伊丹の商人・太兵衛の金の力には勝てそうもない。
太兵衛と善六の即席の義太夫節を口三味線でやり取りする場面は、間(あい)の笑劇(ファ
ルス)。

今夜の小春の初会の客は、侍。頭巾を被ってやって来る。小春の苦境をみて太兵衛らを懲ら
しめて、追い出してくれた。「希死念虜」のようなことばかり言う欝気味の小春を持て余す
侍は、実は、治兵衛の実の兄・粉屋(こや)孫右衛門(玉男)。弟の心中を食い止めるため
に出向いてきたのだが、本心は隠している。浮かぬ小春の事情を察し、相談に乗る侍。「希
死念虜」を強める小春。竹本「死神のついた耳へは、異見も道理も入るまじとは思へど
も」。現代も不安の時代ゆえ良く判る。ここまでが、「河庄」の「中」の部分。盆回しで、
太夫交代。「奥」の部分を語るのは、呂勢太夫。三味線は、清治。ここからは、このコンビ
が、この段の舞台を引っ張る。

茶屋の河庄に小春が来ていると煮売屋で小耳に挟んだ治兵衛(勘十郎)が下手から、そっと
忍び出て来る。竹本「魂抜けてとぼとぼうかうか、身を焦がす」。歌舞伎の「河庄」なら、
花道の出が、この芝居の最大の見せ場。治兵衛は、河庄の門行灯に静かに近寄り、顔が見ら
れないようにと灯を消す。

歌舞伎なら、「歩く芸」。鴈治郎時代を含めて、坂田藤十郎の花道の出、虚脱感と色気、計
算され尽した足の運び(歌舞伎なら、花道でたっぷり見せる場面も、人形浄瑠璃の見せ場に
はならない)、その運びが演じる間(ま)の重要性、そして、「ふっくらと」しながらも、
やつれた藤十郎の、「ほっかむりのなかの顔」(人形浄瑠璃では、「源太」の首)。妻子が
ありながら、遊女・小春に惚れてしまい、小春に横恋慕する太兵衛の企みに乗せられ、心中
するしかないと思いつめているというのが、治兵衛のいまの心境になっている。歌舞伎では
向こう揚幕から外の花道に出た途端から、花道を歩き続けるだけで、そういう治兵衛の状況
と心境を表現するということが、歌舞伎では、「入れ事」として藝になっている場面だ。足
取りも、表情も、恋にやつれ、自暴自棄になっているひとりの男が歩いて行く。これができ
ない人形浄瑠璃では、別の見せ場を用意することになる。

歌舞伎と違って、人形浄瑠璃では、舞台正面に茶屋の格子窓がある(先に触れたように、後
の展開のために必要な道具だ)。窓の外から中を窺う治兵衛。奥の間で小春は、なんと、初
会の侍に治兵衛のことを訴えているではないか。治兵衛と心中の約束をしたが、実は、死に
たくないのだと、小春は侍に「本心」(実は、虚心)を打ち明けている。竹本「二年といふ
もの化かされた」と小春の不実な態度を知り、本心と思い込み、怒る治兵衛。嫉妬心から障
子を突き破って、届く筈のない小春に小刀を突き出す治兵衛。何者かと、その両手を障子窓
の内側から格子に縛り上げ、男を懲らしめのために、そこから身動きができないようにする
孫右衛門。

実は、小春は、治兵衛の女房・おさんからもらった手紙で、「紙屋の苦しい内情と、夫と別
れてほしい、夫を心中の道連れにしないでほしい」と言われてしまっている。小春は、女の
信義を感じて、治兵衛とは別れるという内容の手紙を書き、店の丁稚に返事を持たせてしま
った。それ故に、心にもない縁切りの態度を敢えて取っているのだが、治兵衛には、判らな
い。

小春は、治兵衛から、自分との心中の約束を違えようとするのかと、さんざん非難される。
しかし、おさんとの約束を守って、何も言わずに拒絶をし、小春はそれに耐え続ける。竹本
「口と心は裏表」。

下手の格子に両手を縛られてしまった治兵衛。やんちゃ坊主のように,小春への悪態を饒舌
に吐き続ける。男が治兵衛と知れる。頭巾を取った侍は、治兵衛の兄の孫右衛門と知れる。
孫右衛門を間にはさんで、舞台上手側に座ったまま、じっとしている小春と下手の格子窓に
縛られながらも饒舌な治兵衛。真意を隠して、じっと聞いている小春の辛い心情。やがて、
小春が起請とともに持っているおさんからの手紙が、孫右衛門の目に止り、女同士の信義と
いう状況が浮き彫りになって来る。小春は理性的な女性だ。この段は、科白劇。竹本の呂勢
太夫の熱演は、聴きどころ。

歌舞伎では、この後、舞台が半廻しとなり、店の外に身動きできずにいる治兵衛の後ろ姿
が、観客席から見えるようになる。そこへ、花道から戻って来た江戸屋太兵衛と五貫屋善六
が、縛られている治兵衛を見つけ、小春を巡る恋敵とばかりに「貸した20両を返せ」など
とからかい、治兵衛を打ち据えて、辱める場面へと繋がる重要なポイントとなる。つまり、
人形浄瑠璃の格子窓の位置は、歌舞伎なら、廻り舞台が半廻りした「後」の場面ということ
になっていることが判る。

廻り舞台という装置のない人形浄瑠璃では、芝居の流れの中で最重要な場面を想定して最初
から大道具の作りを決めているということなのだろう。あるいは、歌舞伎が、後から、この
場面を廻り舞台登場の場面に工夫したか。

さらに窓の上手側から客席に向ってごく低い「塀の屋根のような構造物」がある。ひょいと
足で跨いで通れるような高さである。塀の役割を果たしていない。これは、なにか? それ
は、後ほど解明するとして、兎に角、河庄の格子窓の前には、塀のようなもので仕切られた
空間がある。格子窓の前の空間は、やはり、上手側が河庄の庭にでも続く塀の屋根を、いわ
ば観客は俯瞰しているような構造になっているように見える。最近の映像技術なら、さしず
め、ドロンを使って、治兵衛の苦境を上空からゆっくりと撮影するのではないか。映像化し
て芝居の場面を観るという視点でそういうことに気がつけば、この空間は、何ともモダン
で、シュールな映像空間ではないかと思う。人形浄瑠璃だけを見ている人は、人形浄瑠璃の
大道具で何の不思議もない。歌舞伎だけを観ている人も、歌舞伎の大道具で何の不思議もな
い、と思うだけだろう。

ひたすら心中しようと思う治兵衛。おさんの気持ちを思い治兵衛を道連れには出来ないと思
う小春。二人の心中を止めようと思う孫右衛門。三者三様、それぞれの思いを近松門左衛門
は、きちんと書き分ける。物語は、追い詰められて心中へと傾斜する男女を取り巻く兄と女
房ら近親者の苦悩を描いて行く。事件そのものより、主要人物の心情描写が近松門左衛門の
狙いだ。「絶対の恋愛」を賛美したのが「曾根崎心中」なら、17年後の「心中天網島」
は、「恋愛の重圧」を描くようになる。

「天満紙屋内の段」。私が観た前回は、「天満紙屋内より大和屋の段」という演出だった。
これは、1962(昭和37)年以来の上演形態だった。ふたつの場面を繋いでみせるのは
51年ぶり、ということだ。今回は、「天満紙屋内の段」として独立する。

「天満紙屋内の段」。この段の「口」は、竹本:津國太夫、三味線:團吾。「奥」は、竹
本:呂太夫、三味線:團七。天満紙屋は、治兵衛の店だが、店を実際に切り盛りしているの
は、女房のおさん(勘彌)。小春に愛想を尽かした筈の治兵衛(勘十郎)は、炬燵に潜り込
んで泣いている。治兵衛を責めるおさん。治兵衛は、自分の涙は、小春への未練ではなく、
商道徳上で男の面目を太兵衛に潰された悔しさ、太兵衛に身請けされたら死ぬと言っていた
小春のことを悲しんでいると訴える。おさんは、小春へ出した自分の手紙ゆえに小春が死の
うとしていることを悟る。

竹本「アア、悲しや、この人を殺しては、女同志の義理立たぬ」。おさんは、小春の信義を
受け止め、小春を自分が身請けしようと決意し、金の工面を考える。箪笥の着物を売ろう。
「着物尽くし」作戦。男気(?)さえあるおさん。この女同士の間に流れる信義の交換が凄
い。

ところが、ここへおさんの実父・五左衛門(勘壽)が現れて、ふたりの子どもを残して、即
座に、おさんを強引に実家へ連れ戻してしまう。結婚の時に結納でおさんに持たせた財産
は、いわば父親の遺産分けだから、おさんに権利はあっても、治兵衛にはないという理屈
だ。以後、おさんは、舞台から姿が消え去る。

再び追い込まれた治兵衛は太兵衛から小春を守るためには心中しかないと、曽根崎新地の茶
屋大和屋にいる小春に逢うために家を出る。大道具は、引き道具で、居所替わりとなる。舞
台は、大和屋と店の界隈へ転換。

大和屋には、治兵衛と小春のことを心配した孫右衛門が訪ねて来るが、治兵衛は、すでに帰
ってしまった。小春は、二階で寝ている、とかわされてしまう。やがて、夜回りの拍子木の
音(「曾根崎心中」の場合は、下女の打つ火打石の音)に紛れて大和屋を抜け出てきた小春
と外に潜んでいた治兵衛は手を取り合い死出の道行きとなる。心中という「希死念虜」に取
り付かれた男女を近親者たちは、なんとか思いとどまらせようとするが、近松門左衛門は、
巧みな筆さばきでふたりにとって「障害(ハードル)」となるものを設定しては、次々と破
って行く。セーフティネットからふたりをこぼれ落とさせてしまう。

「道行名残りの橋づくし」。この場面が、実に美しい。竹本「走り書き、謡の本は近衛流。
野良(やろう)帽子は若紫、悪所狂ひの身の果ては、かくなりゆくと定まりし」。

舞台の下手と上手に橋がある。下手から現れた治兵衛と小春は、揃いの黒地の衣装。頬かむ
りの治兵衛。紫の頭巾の小春。世間から顔を隠したふたりは、曾根崎川の蜆橋を渡り、堂島
大江橋にやって来る。舞台は下手に大江橋、堂島、土佐堀川の淀屋橋を渡り、ふたりは上手
に引き込む。上手の橋は、引き道具でふたりを追いかけて上手に引き込まれる。下手の橋
は、上手に向って長々と引き出されて来る。天満橋から京橋へ、という想定か。竹本「あの
いたいけな貝殻に、一杯もなき蜆橋……」以下、橋尽くしの文句に近松門左衛門の筆の冴
え。

やがて、ふたりが橋を渡り終え、下手に引き込むと橋が舞台の奥へ倒される。背景の川も引
き道具で移動し、下手からは綱島の大長寺の背景が出て来る。居所替わりの大道具が、パタ
パタと効率的に処理される。治兵衛と小春も、上手から出てくる。「この世でこそは添わず
とも、未来は云ふに及ばず、今度の今度、つつと今度のその先までも夫婦ぞや」。

小春は、女の信義が守れず、治兵衛を道連れにすることを小春に詫びている。竹本「ふたり
が死に顔並べて、小春と紙屋治兵衛と心中と沙汰あらば、おさん様より頼みにて殺してくれ
るな殺すまい、挨拶切ると取り交わせし、その文を反古(ほうぐ)にし」。夜明けを告げる
大長寺の鐘が響く。「最期は今ぞ」。舞台下手で、治兵衛は小春を刃で抉って殺すと小春の
赤い帯を持ち出し、舞台中央上手の、ずっと離れた川の水門に帯を掛けて、縊れ死ぬ。竹本
「見果てぬ夢と消え果てたり」。下手から迫って来る幕。まず、小春を呑み込む。縊れて揺
れる治兵衛の身体が哀しい。やがて、幕が治兵衛を呑み込む。

竹本は、小春・芳穂太夫。治兵衛・希太夫、ほかに小住太夫、亘太夫、碩太夫。三味線は、
竹澤宗助ら5人。
- 2019年9月8日(日) 17:20:40
19年9月歌舞伎座(夜/「寺子屋」「勧進帳」「松浦の太鼓」)


福助舞台復帰、早1年経過


厄介な病気で、およそ5年間も舞台から遠ざかっていた福助は、去年の秀山祭で、舞台復帰
した。今年の秀山祭が、巡ってきたということで、早1年が経過した。福助は、ゆっくりと
したスピードだが、七代目歌右衛門襲名に向けて、ゴールに近づいているように思える。今
回は、夜の部の「寺子屋」で、園生の前を演じる。

「寺子屋」を観るのは、24回目となる。
今回の主な配役は、松王丸:吉右衛門。千代:菊之助。源蔵:幸四郎。戸浪:児太郎。園生
の前:福助。玄蕃:又五郎ほか。

注目点の一つは、松王丸と千代の夫婦の配役。千代を演じる菊之助は、岳父・吉右衛門の演
じる松王丸と共演する。さらに、菅秀才を演じる福助が息子の丑之助とも共演する、という
点だ。もう一つの注目点は、園生の前を演じる福助が、どういう形で舞台に登場してくる
か、ということだ。従来なら、松王丸が舞台下手に向かって吹く呼子笛の音を聞いた後、園
生の前は下手から、歩いて出てくるからだ。

歌舞伎の時代物の古典で、上演頻度が高い「寺子屋」。初代吉右衛門が得意とした演目であ
ることから「寺子屋」というと、当代でも吉右衛門の舞台が目に浮かぶ。源蔵と松王丸。ど
っちが難しいか。この芝居は、子どもの無い夫婦(源蔵と戸浪)が、子どものある夫婦(松
王丸と千代)の差出す他人の子どもを大人の都合のために殺さなければならない、という苦
渋がテーマ。松王丸と千代の夫婦と源蔵と戸浪の夫婦が、芝居の両輪をなす。ふた組の夫婦
の間で、ものごとは、展開する。「寺子屋」は、「子殺し」に拘わるふた組のグロテスクな
夫婦の物語なのである。
1組目の夫婦は、武部源蔵・戸浪である。匿っている菅丞相の息子・秀才の首を藤原時平方
へ差し出すよう迫られている。なぜか、ちょうど、「この日」、母親に連れられて、新たに
入学して来た子供(松王丸の息子・小太郎)がいる。この子は、野育ちの村の子とは違っ
て、品が有る。この子を秀才の身替わりに殺して、首を権力者に差し出そうかと、源蔵は、
苦渋の選択を迫られているのである。妻の戸浪に話すと、「鬼になって」そうしろと言う。
悩んだ挙げ句、「生き顔と死に顔は、顔付きが変わるから、贋首を出しても大丈夫かも知れ
ない」、「一か、八か」(ばれたら、己も死ねば良い)と、他人(ひと)の子供を殺そうと
決意する源蔵夫婦は、「悩む人たち」では有るが、実際に、小太郎殺しをする直接の下手人
であり、まさに、鬼のような、グロテスクな夫婦ではないか。

2組目の夫婦は、松王丸・千代。もうひと組の、グロテスクな夫婦として、登場する。先に
子どもを連れて、入学して来た母親(千代)とその夫だ。夫は、秀才の首実検役として、藤
原時平の手下・春藤玄蕃とともに、寺子屋を訪ねて来る松王丸である。

実は、源蔵の「心中」を除けば、物語の展開の行く末のありようを「承知」しているのは、
松王丸で、彼が、妻と計らって、自分の息子・小太郎を源蔵が、殺すよう企んでいる。千代
は、息子の死後の装束を文机のなかに、用意して、入学していたし、松王丸も、春藤玄蕃の
手前、源蔵に対して、「生き顔と死に顔は、相好(そうごう、顔付き、表情)が変わるから
と、贋首を出したりするな」などと、さんざん脅しを掛けながら、実は、贋首提出に向け
て、密かな「助言」(メッセージ)を送っている。

源蔵の方が、屈折度が高いのか、恩人のために確信犯的に我が子を犠牲にする松王丸の方
が、屈折度が高いのか。その辺りに、源蔵役者のやりがいがあるかもしれないし、初代吉右
衛門は、そこに気がつき、源蔵を演じる場合の、役づくりの工夫を重ねていたかもしれな
い。初代は、戦後だけでも、松王丸を5回演じ、源蔵を4回演じた。二代目吉右衛門も、初
代に劣らず役づくりに工夫する人で、これまでに、松王丸を今回含め、11回演じ、源蔵を
9回演じている。つまり、吉右衛門渾身の松王丸、ということである。

そういう舞台に、菊之助は、丑之助とともに、今回、吉右衛門の側にいた、ということであ
る。その意味合いは、将来に向けて、より意味が大きくなるだろう、と思う。

さて、園生の前の福助の登場。松王丸が、寺子屋(武部源蔵宅)の外に出て、下手に向かっ
て呼子笛を吹く。下手奥から黒塗りの駕籠が着く。従来なら、駕籠の中から園生の前が歩い
て出てくる。しかし、今回は違った。下手奥から出てきた駕籠は、そのまま、寺子屋の裏に
回ってしまう。やがて、暫く後、中央暖簾の奥(つまり、勝手口に通じる廊下の下手奥)か
ら、福助は立ったまま、数歩歩いて、二重舞台の座敷に登場してきた。暖簾の後ろに現れた
後、暖簾を開けて、歩いてきた。場内の観客からは、熱い激励の拍手が巻き起こる。

平舞台下手に座っていた源蔵の女房・戸浪(児太郎)が、さっと立ち上がり、早足で二重舞
台に上がる。園生の前に立ち、父親・福助の両手を持ち、息子・児太郎は、ゆっくりと父親
を座らせる。福助は、児太郎に介護されて、ゆっくりと腰を下ろすことができた。観客席で
見ていると、とても自然な動作の流れであった。

福助は、その後は、座ったままの演技が続く。両手のうち、もっぱら、左手を動かす。焼香
なども左手だけでこなす。右手を動かす必要があるときは、左手でさりげなく、右手を持ち
上げるなど介助していた。

幕切れに近い場面。平舞台下手から順に、小太郎の遺体を入れた駕篭、白無垢の喪服姿の松
王丸夫妻(吉右衛門、菊之助)、二重舞台の上に園生の前(福助)と若君・菅秀才(丑之
助)、平舞台上手に源蔵夫妻(幸四郎、児太郎)。引張りの見得で皆々静止したところへ、
上手から定式幕が悲しみを覆い隠すように被さって来る。


仁左衛門の「勧進帳」


仁左衛門の弁慶を観るのは、今回で、2回目である。前回は、11年前、
2008年4月・歌舞伎座であった。仁左衛門の弁慶は、孝夫時代を含めて、今回で、9回
目だから、何の不思議も無い。歌舞伎座での上演が少なかった、というだけである。今回
は、幸四郎と一日交代で弁慶を勤める。富樫は、幸四郎。富樫は、幸四郎と錦之助が一日交
代で演じる。私は、仁左衛門の弁慶を観た。義経は、孝太郎。

仁左衛門の弁慶は、父親の十三代目仁左衛門が、戦前、七代目幸四郎に教わったやり方を継
承しているという。だから、戦後、多く演じられる型とは違うという。義経の花道での第一
声のときは、立ったままでは無く、座って応えるという。

ふたりの居どころは、義経との主従関係を強調して、できるかぎり、離れるとか、従者弁慶
の心情に重きを置いた演出となるという。実際、「判官どのに似たると申す者」として、強
力に扮した義経の正体が、暴かれかけ、弁慶が、金剛杖で、義経を打擲し、さらに、解けぬ
疑惑に、強力を荷物とともに、預けるが、但し、打ち殺してからだとまで申し立てた末、危
機を脱した後、「下手の方より弁慶、義経の手を取り上座へ直し敬う」という場面では、仁
左衛門弁慶は、ほとんど這い蹲るようにして、ジリジリと義経に接近していった。前回は、
ここまで這いつくばってはいなかったように思う。前回の仁左衛門演じる弁慶は、これ以上
下げられないというほどまでに頭を下げて、上手から下手へ移動していった、と私の劇評で
は記録している。

贅言;今回は、目を瞑っていても、幸四郎の声が、即座に判るように聞こえてきた。肚から
の声が出せなかった幸四郎の発声に、何か変化があったのだろうか。


「松浦の太鼓」


「松浦の太鼓」は、初代吉右衛門の当り役を集めた「秀山十種」の演目なので、例えば平成
に入って本興行で15回上演されたうち、吉右衛門は10回,松浦侯を演じている。ほか
は、勘三郎が2回、仁左衛門が孝夫時代を含めて、2回。染五郎時代の幸四郎。今回は、三
代目歌六「百回忌追善狂言」として、当代の歌六が松浦侯を演じる。昼の部の「沼津」で
は、三代目歌六「百回忌追善狂言」ということで、「劇中口上」の場面があった(口上は、
吉右衛門が仕切る)が、夜の部は、それも無し。

私は、「松浦の太鼓」を観るのは今回含めて8回目となる。私が観た松浦侯は、吉右衛門
(4)、勘三郎、仁左衛門、染五郎、そして今回は、歌六。

1856(安政3)年、三代目瀬川如皐と三代目桜田治助の合作による原作で初演された
「新台いろは書初」のうちの一幕を、1878(明治11)年に、いまのような形に「改
作」されたというから、新・歌舞伎の部類に入れてもよいだろう。時代がかった科白が、し
ばしば、「世話」になる。「年の瀬や水の流れと人の身は」という上の句に「明日待たるる
その宝船」という下の句をつけた謎を解明する話。「忠臣蔵外伝」のひとつ。判りやすい笑
劇である。

雪の町遠見。大川にかかった両国橋。浮世絵のようなノリの背景画である。開幕すると、雪
に足を取られないようにと、注意しながら、上手から町人ふたりが、両国橋を渡って来る。
両国橋の袂には、柳の木とよしず張りの無人の休憩所がある。立て札が、2本立っている。
以前は、「二月十五日 常楽会 回向院」「十二月廿日 千部 長泉寺」という立札2枚
が、立っていたが、最近では、「十二月廿日 開帳 長泉寺」「十二月廿日 開帳 弘福
寺」という立札が、立っている。今回も、同様であった。

次には、すす払いの笹竹を売り歩く大高源吾(又五郎)が、売り声をあげながら上手から両
国橋を渡って来る。花道からは、傘をさした俳人の宝井其角(東蔵)が、やって来る。この
場面も、舞台は、一枚の風景浮世絵のように見える。

吉良邸の隣に屋敷を構える、赤穂贔屓の松浦の殿様・松浦鎮信が主人公。人は、良いのだ
が、余り名君とは、言い兼ねるような殿様だ。しかし、愛嬌がある。風格と教養もある。歌
六の演じる松浦侯は、歌六本来の人の良さのようなものが滲み出ている。

初代吉右衛門の当り藝で、その後は、先代の勘三郎も当り藝にした。「松浦の太鼓」は、討
ち入りの合図に赤穂浪士が叩く太鼓の音(客席の後ろ、向う揚幕の鳥屋から聞こえて来る)
を隣家で聞き、指を折って数えながら、それが山鹿流の陣太鼓と松浦侯が判断し、討ち入り
が始まったと悟る場面が、見どころである。

又五郎が演じた大高源吾は、前半は、町人に身をやつし、後半は、無事に討ち入りを果たし
た赤穂義士の一人ということで、メリハリのある役どころで、ご馳走な役である。米吉が演
じたお縫は、松浦侯の感情の起伏に翻弄されるばかりで、しどころの難しい役。

東蔵が演じた宝井其角は、お縫と松浦侯の間に入り、憎めない愛嬌のある殿様を相手に、大
人の賢さを発揮して、抜かりなく駆け引きをするという、結構、難しい役である。
- 2019年9月3日(火) 12:25:27
19年9月歌舞伎座(昼/「極付 幡随長兵衛」「お祭り」「伊賀越道中双六 沼津」)


新作歌舞伎で場内を賑わせた歌舞伎座の夏興行、「納涼歌舞伎」も終わり、9月1日が初日
となった「秀山祭」は、初代吉右衛門を偲び、敬う。二代目吉右衛門を軸に、仁左衛門、梅
玉らが出演する。今回の秀山祭には、サブタイトルが付いている。曰く、三代目「中村歌六
百回忌追善」狂言ということで、昼夜の部に、それぞれ、歌六ゆかりの演目を配し、当代、
つまり五代目歌六に演じさせている。昼夜の部の演目は、古典歌舞伎の演目を選んでいる。
舞台では、馴染みの演目が続くが、演じる役者は、軸となる役者以外は、播磨屋一門の若手
抜擢、ということで、世代交代が、進んでいる。まだ、将来の成熟が楽しみという舞台も目
に付く。

昼の部の幕開きの演目は、「極付幡随長兵衛」。「人は一代(でえ)、名は末代(でえ)」
という、男の滅びの美学に裏打ちされた町奴・幡随長兵衛の、愚直なまでの死を覚悟した男
気をひたすら引き立て、観客に見せつけ、武士階級に日頃から抱いている町人層の、恨みつ
らみを解毒する作用を持つ芝居だけに、江戸や明治の時代を生きた庶民には、もてはやされ
たことだろう。幡随長兵衛の、命を懸けた「滅びの美学」に対して、水野十郎左衛門側は、
なりふりかまわぬ私怨を貫く「仁義なき戦い」ぶりで、「殺すには惜しい男だ」と長兵衛の
男気を褒めながらも殺す、そのずる賢さが、幡随長兵衛の男気を、いやが上にも、逆に盛り
たてるという、演出である。

だから、外題で、作者自らが名乗る「極付」とは、誰にも文句を言わせない、男気を強調す
る戦略である。長兵衛一家の若い者も、水野十郎左衛門の家中や友人も皆、偏に、長兵衛を
浮き彫りにする背景画に過ぎない。策略の果てに湯殿が、殺し場になる。陰惨な殺し場さ
え、美学にしてしまう歌舞伎の様式美の世界が展開される。1960年代から70年代に流
行した高倉健らが主演した東映のヤクザ映画の美学の源流はここにある。

しかし、「男気」は、なにも、暴力団の専売特許では無い。江戸の庶民も、憧れた美意識
(精神性)の一つだったから、もてはやされたのだろう。そこに目を付けた黙阿弥の脚本家
としての鋭さ、初演した九代目團十郎の役者としてのセンスの良さが、暴力団同志の抗争事
件を日本人に「語り継がれる物語」に転化した。

この芝居は、村山座(後の市村座のこと)という劇中劇の芝居小屋の場面が、売り物。破風
屋根の能舞台のような舞台である。下手に舞台番。上手に付け打ち。観客席までをも、「大
道具」として利用していて、奥行きのある立体的な演劇空間をつくり出していて、ユニー
ク。阿国歌舞伎の舞台に例えれば、名古屋山三のように客席の間の通路をくぐり抜けてか
ら、舞台に上がる長兵衛。いつにも増して、舞台と客席の一体感が強調されるので、初見の
観客を喜ばせる演出だ。

1881(明治14)年、黙阿弥原作、九代目團十郎主演で、初演された時には、こういう
構想は無かった。原作では、芝居小屋ではなく、角力場だった。地方での興行としては、歌
舞伎も相撲も、同じ興行主が仕切っていたケースもあるから、角力場でのトラブルでも筋と
しては成り立つだろう。また、相撲は、「勧進相撲」と呼ばれ、当時は年に2回10日間興
行された。財政難の寺社を支援することが困難になった幕府が勧進(寺社への寄進)のため
の相撲興行を認めていた。いわば、幕府後援というわけだ。一方、歌舞伎は、「悪所」(庶
民の不満の捌け口)であり、時には、幕府の「御政道」や封建道徳などを批判したりするか
ら、幕府も目を光らせている。この場面が、善所の「角力場」から、悪所の「芝居小屋」に
替わった意味は、思っている以上に大きいのかもしれない。

10年後、1891(明治24)年、歌舞伎座。同じく九代目團十郎主演で、黙阿弥の弟
子・三代目新七に増補させて以来、この演出が追加され、定着した。明治も半ば、徳川幕府
時代への御政道批判も、緩やかになってきたことだろう。三代目新七のアイディアは、不滅
の価値を持つ。幕ひき、附打、木戸番(これらは形を変えて、今も、居る)、出方(大正時
代の芝居小屋までは、居たというが、場内案内として形を変えて、今も、居る)、火縄売
(煙草点火用の火縄を売った。1872=明治5=年に廃止された)、舞台番など、古い時
代の芝居小屋の裏方の様子が偲ばれるのも、愉しい。歌舞伎は、タイムカプセルの典型のよ
うな演目。

タイムカプセルといえば、花川戸長兵衛内では、積物の提供者の品書き。二重舞台の上手に
「三社大権現」という掛け軸があり、下手二重舞台の入り口には、祭礼の提灯。玄関の障子
に大きく「幡」と「随」の2文字。明治14(1881)年に河竹黙阿弥が江戸の下町の初
夏を鮮やかに描く。水野邸の奥庭には、池を挟んだ上手と下手に立派な藤棚がある。歌舞伎
の舞台には、いろいろな情報が埋まっている。観る側が、どれだけ掘り出せるか、というの
も観る楽しみ。

劇中劇の「公平法問諍(きんぴら ほうもんあらそい) 大薩摩連中」という看板を掲げた
狂言の工夫は、世話もの歌舞伎の中で、時代もの歌舞伎を観ることになり、鮮烈な印象を受
ける。歌舞伎初心の向きには、江戸時代の芝居小屋の雰囲気が、伝えられ、芝居の本筋の陰
惨さを掬ってくれるので、楽しいだろう。

幸四郎が演じる町奴という、町の「ちんぴら集団」なら、松緑が演じる白柄組の元締め・水
野十郎左衛門も、旗本奴で、下級武士の「暴力集団」ということで、いわば、町人と下級武
士を代表する「暴力団幹部」の、実録抗争事件である。特に、水野十郎左衛門は悪役で、長
兵衛をだまし討ちにする芝居。17世紀半ばに実際に起こった史実の話を脚色した生世話も
のの芝居。

「極付 幡随長兵衛 公平法問諍」は、今回で、11回目の拝見。私が観た長兵衛は、吉右
衛門(4)、團十郎(2)、海老蔵(2)橋之助時代含め当代の芝翫(2)。今回は、幸四
郎が初役で勤める。悪役の旗本白柄(しらつか)組の元締め・水野十郎左衛門は、菊五郎
(4)、八十助時代の三津五郎、先代の幸四郎、富十郎、仁左衛門、愛之助、染五郎時代の
幸四郎。今回は、松緑が初役で勤める。長兵衛女房・お時は、時蔵(2)、松江時代を含む
魁春(2)、当代の雀右衛門(今回含め、2)、先代の芝翫、福助、玉三郎、坂田藤十郎、
孝太郎。



「お祭り」は、いわば、浮世絵。緞帳が上がると、浅葱幕が舞台全面を覆っている。すぐ
に、幕の引き落としとなり、芸者が二人。舞台に立っている。お駒(魁春)、お萬(梅
枝)。やがて、鳶頭梅吉(梅玉)登場。さらに若い者8人も参加。大部屋の若い衆が、その
まま、若い者役。清元・延寿太夫を軸に「置き浄瑠璃」。

「お祭り」は、1826(文政9)年、三代目三津五郎初演の変化舞踊の一幕。江戸の天下
祭(神田祭と山王祭が、二大祭)のうち、「お祭り」は、山王神社の祭り「山王祭」を題材
にしている。江戸のいなせな祭りを描写する所作事。軸となる役者の事情で、いろいろな演
出が付加されたりするが、今回は特になし。梅玉が、巧みな撥さばきで太鼓を叩いて見せ
た。梅玉が、このところ、メインとなる舞台を私は、あまり観ていないように思える。同年
の團十郎が亡くなって以降辺りくらいから、そういう感じが続いているのではないか。いか
がだろうか。


吉右衛門、歌六のこってり播磨屋系の芝居


「伊賀越道中双六 沼津」のことである。2年前、17年1月歌舞伎座でも、このコンビ
で、「伊賀越道中双六 沼津」を観ている。その時の、劇評は、以下の通りである。サブタ
イトルは、「絶品の吉右衛門と歌六のコンビ」、その時の絶品ぶりは、今回も変わらない。
今回分の劇評を別の視点で書くこともしにくいので、敢えて、再録。

前回の配役。十兵衛:吉右衛門。平作:歌六。お米:雀右衛門。孫八:又五郎。安兵衛:吉
之丞。
今回の配役。十兵衛:吉右衛門。平作:歌六。お米:雀右衛門。孫八:錦之助。安兵衛:又
五郎。

17年1月歌舞伎座。
「絶品の吉右衛門と歌六のコンビ」。以下、再録。

「伊賀越道中双六〜沼津〜」は、基本的に敵(かたき)討ちの物語で、生き別れのままの家
族が、知らず知らずに敵と味方に分かれているという悲劇だが、それよりも、伏流として、
行方の判らなかった実の親子の出会いと、親子の名乗りの直後の死別、その父と子の情愛
(特に、父親の情が濃い)という場面があり、これが、時空を超えて、いまも、観客の胸に
迫って来る演目である。ベースとなる敵討ちは、史実にある、日本三大敵討ちの一つと言わ
れる、荒木又右衛門の「伊賀上野鍵屋辻の仇(あだ)討」のことである。1783(天明
3)年、大坂竹本座での初演。近松半二の最後の作品。伊賀上野の仇(あだ)討」を軸に、
東海道を「双六」のように、西へ西へと旅をするので、こういう外題となった。

「沼津」は、くだけた「世話」場で、上方味の科白のやりとりで、客席を和ませる。志津馬
の仇の沢井家に出入りしている商人・呉服屋十兵衛(吉右衛門)と怪我をした志津馬を介抱
する、かつての傾城・瀬川こと、お米(雀右衛門)の父親・雲助の平作(歌六)が、たっぷ
り、上方歌舞伎を演じてくれる。特に、歌六は老人の腰つき、足取りなど、細かな藝を積み
重ねるようにしながら熱演していた。

十兵衛は、実は、養子に出した平作の息子の平三郎ということだが、前半は、小金を持った
旅の途中の商人としがない雲助(荷物持ち)という関係で、途中から、親子だと言うことが
判っても、「敵同士の関係」ということから、お互いに、親子の名乗りが出来ないまま、芝
居が、進行する。行方の判らなかった実の親子の出会いと、親子の名乗りをした直後の死別
(自害)、その父と子の情愛(特に、父親の情が濃い)という場面では、平作役者は、娘の
恋人・志津馬のために、仇の股五郎の居所を聞き出すために、己の命を懸けてまで、誠実で
あろうとする。

十兵衛は、そういう命を懸けた平作の行為に父親の娘への情愛を悟り(自分の妹への情愛も
自覚し)、沢井家に出入りする商人でありながら、薮陰にいる妹のお米らにも聞こえるよう
に股五郎の行く先を教える。雨降りの場面。死に行く父親に笠を差しかけながら息子は、き
っぱりと言う。(股五郎が)「落ち着く先は、九州相良あ」。

最後は、親子の情愛が勝り、「親子一世の逢い初めの逢い納め」で、親子の名乗り。父は死
に、兄は渡世を裏切り、妹は兄に詫びる。3人合掌のうちに、幕。「七十になって雲助が、
肩にかなわぬ重荷を持」ったが故に、別れ別れだった親子の名乗り。古風な人情噺の大団
円。以上、再録。

この平作役者が、昨今の歌舞伎界では、実は、人材不足である。私が観た「沼津」は、今回
で7回。平作は、歌六(今回含め、3)、富十郎、勘九郎時代の勘三郎、我當、翫雀。因み
に、十兵衛は、吉右衛門(今回含め、4)、鴈治郎時代を含め藤十郎(2)、仁左衛門。歌
六のような、脇役の、年寄り役に味の出せる役者が少なくなっている、ということだ。世代
交代の波は、中堅世代や若い世代を台頭させるが、熟成世代は、なかなか、補充されてこな
い。

十兵衛役は、上方訛りの科白廻しで仁左衛門がダントツ。平作は、やはり上方訛りの科白廻
しで、我當が断然良い。ただし、私は残念ながら、仁左衛門と我當のコンビでは生の舞台を
観ていない。吉右衛門と歌六のコンビは、今回含め、3回観ている。仁左衛門らの科白と
は、味わいが違うが、このコンビの科白廻しも良い。すっかり、熟成している。

贅言;吉右衛門の科白廻しは、現在に歌舞伎役者の中で、特徴がある。重々しい声、独特の
息のつき方が、思い入れをたっぷりしも込ませて、「名調子」と呼ばれる科白廻しになって
いる。初代の科白廻しを研究し、少しでも、似せようとしているのだろう。時代物の中の世
話物である「沼津」最大の見せ場、聞かせどころでは、「落ち着く先は、九州相良あー」。
大向うから「名調子」という声が掛かっていたことがある。吉右衛門の場合、声だけ聞いて
いても、「ああ、吉右衛門だな」と判る辺りが、この人の魅力である。仁左衛門の科白廻し
は、吉右衛門のような「名調子」とは、また、味わいが違う。上方訛りが本物である。「荒
川の佐吉」は、世話物の新作歌舞伎の科白廻し。「時代世話」とも、違うし、播磨屋調の初
代二代の科白廻しとも違うが、これはこれで、堅気の大工からやくざの親分に成長して行く
男の、颯爽としていて、それでいて、辛い「子別れ」を踏まえて、新しい世界へ旅立って行
く男の気持ちを表現する、気持ちのよい科白廻しだ。例えば、「俺が、育てた卯之吉でえ
ー。嫌だ、嫌だあー」、「そりゃ、おめえー。別れたくねえなあー」など。吉右衛門、仁左
衛門、それぞれの科白廻しには、それぞれの味わいがある。

世代交代が、強い勢いで進む歌舞伎界であっても、珠玉の演目に相応しい科白回しが、売り
物となるコンビは、大事にしてほしい。
- 2019年9月2日(月) 11:36:15
19年8月歌舞伎座(3部/「雪之丞変化」)


映像と生身の役者のセリフのコラボレーション


玉三郎の「雪之丞変化」は、けれん歌舞伎であろう。
ここで言う「けれん」とは、何か。
まず、「けれん」という言葉の意味。
漢字で書くと外連・外連味(けれんみ)。「大げさな「はったり」、破天荒、あざとさ、ご
まかし、目立ちたがり、誇張、フェイク(虚偽)、非常識、常識破り、受けねらい(俗受け
をねらったいやらしさ)など。使われ方によって、ネガティブなニュアンス(けれんみが
「ある」)を持ったり、ポジティブなニュアンス(けれんみが「ない」)を持ったりする不
思議な言葉。

「けれん」を売り物にする歌舞伎が出始めたのは、19世紀半ば以降。黒船来航に象徴され
るように、日本列島周辺の海が落ち着かなくなった幕末まで半世紀の退廃的な時代の空気が
背後にある。一方、庶民の間では、異国の匂いへの興味が高まる。

「けれん」は、歌舞伎用語で、宙乗りや早替りなど、大掛かりで、奇抜な演出のこと。反マ
ンネリズム志向。芝居小屋の用語から一般に広まって行った。

19年8月歌舞伎座納涼歌舞伎第三部は、古典の名作「伽羅先代萩」の「御殿の場」の殺し
の場面で始まった。開幕前、歌舞伎座の場内は、全ての照明が消され、全くの暗闇であっ
た。暗闇の中、場内には、ザアーという激しい雨音のような音が暫く響き渡った。やがて、
「雨音」のような雑音は収まった。舞台中央付近にスポットライトの光が届いた。光りの中
に女が二人浮き上がって見えていた。女たちは争っているようだ。揉み合っている女たちの
うち、赤い衣装の女は、座り込んでいる。白い衣装の女は、立ち上がっている。白い衣装の
女は、私の席からは顔が見えない。かろうじて、左の顔面の一部が女の斜め後ろから見える
だけだ。この女の足元に座り込んでいる赤い衣装の女は右の顔面がはっきり見える。坂東玉
三郎。

贅言;上手から順に、茶、白、黒の配色の定式幕が、遠くに見る。中村屋、独自の幕だ。観
客席で、どれだけの人が気付いてくれただろうか。

毎年8月恒例の歌舞伎座納涼歌舞伎。毎日3部制で上演される。今回は、第三部の演目は、
確か新作歌舞伎の「雪之丞変化」の筈で、いま、私が見ている演目が、それだろう。なの
に、この場面には、既視感がある。なんだろう、と思ったが、すぐに気が付いた。第三部の
開幕は、午後6時半。この場面をきょう午前11時から始まった第一部の演目「伽羅先代
萩」の「御殿の場」の終幕近い場面に政岡による八汐殺害場面とそっくり、ということだ。
第一部の配役は、政岡が七之助、八汐が幸四郎だった。八汐を演じた幸四郎は、「御殿の
場」に続く「床下の場」には、早替りで、仁木弾正役になって出てくる。だが、この第三部
の配役は、政岡が、玉三郎。八汐は、誰が演じているのか。双眼鏡でアップしても、私の座
席からは、なかなか判りにくい。どうも、七之助らしい。二人の姿が、闇の中へ溶解して行
くと、花道七三の辺りに、仁木弾正の登場。「床下の場」のラストの場面。弾正役は、中車
である。雲の上を歩くように、ゆったり、それでいて、不気味な歩き方である。私の席から
は、程なく、中車の姿は見えなくなり、舞台の袖近くに映る弾正の影が、次第に大きくなっ
て行く。

玉三郎が演じる役は、中村雪太郎が演じる政岡。八汐を演じる秋空星三郎は、七之助。仁木
弾正を演じる中村菊之丞は、中車。私が観ている芝居は、「雪之丞変化」という新作歌舞
伎。1934年から35年にかけて新聞に連載された三上於菟吉原作の時代小説「雪之丞変
化」を歌舞伎化した新作歌舞伎「新版 雪之丞変化」。劇中劇は、「伽羅先代萩」、というわ
けだ。

この物語は、長崎の豪商だった両親が冤罪により悲劇の最後を遂げた歌舞伎役者・中村雪太
郎の復讐劇。雪太郎は、歌舞伎役者中村菊之丞に庇護され、人気女形の中村雪之丞に変身
し、盗賊の闇太郎の助力を得て、両親の恨みを果たす。根幹は、復讐劇。歌舞伎役者の芸の
精進。彼を支える人たち。敵討ち(仇討ち)を果たした後の空虚感。新たな出発への決意。

この物語は、大衆的に人気を呼び、その後、映画や舞台、さらにテレビのドラマにもなった
大衆向けの娯楽作品。「雪之丞変化」は、歌舞伎の先行作品もあるが、今回は、玉三郎の演
出・補綴で、「新版 雪之丞変化」に生まれ変わった。新しい脚本、撮り下ろしの映像と生の
舞台の混成劇。「連鎖劇」というらしい。雪之丞の復讐劇というドラマを軸に、雪之丞を可
愛がる歌舞伎の先輩役者の星三郎、歌舞伎の師匠・菊之丞の人間関係を描くと同時に、歌舞
伎役者たちの芸道観を浮き彫りにする、というもの。

冒頭で、この作品を「けれん歌舞伎」と言ったのは、舞台での芝居には飽き足らず、「外
連」、つまり、歌舞伎の外へ連帯する志向を極めて明確に打ち出している点である。生身の
歌舞伎の役者の科白と映像化された歌舞伎役者の科白が、劇場の中で、コラボレーションす
る。これほどの外連な演出は、なかろうという意味である。


「雪之丞変化」のけれん度


まず、主な配役を記録しておこう。
中村雪太郎、後に、中村雪之丞(玉三郎)中村菊之丞、孤軒老師、土部三斎、脇田一松斎、
盗賊闇太郎、以上5役を演じるのは、中車。秋空星三郎(七之助)。

第一幕。幕のタイトル、外題は、無し。客席が暗いので、観劇のメモが殆ど取れないのが、
残念。

「伽羅先代萩」に政岡役で出演していて、舞台中央で、八汐殺し、八汐と政岡の絡みの場
面、懐剣を見て、なぜか動揺する雪太郎の政岡(玉三郎)。相手役の星三郎の八汐(七之
助)の機転で、どうにか、舞台は切り抜ける。花道七三分、すっぽんからせり上がりで登場
する仁木弾正に扮する菊之丞(中車)。花道の引っ込み。大きな影絵を舞台に残しながら揚
幕の中に消える。

菊之丞の楽屋。舞台の設定は、実験劇らしく、シンプルである。シンプルな装置、デジタル
映像の積極的な採用、大胆な演出。荒唐無稽な粗筋の大衆演劇を変化できるか、挑戦であ
る。

雪太郎の私的な「事情」を承知している師匠の菊之丞は、雪太郎の心が揺るがぬよう激励す
る。雪太郎の私的な事情とは、こうである。

雪太郎は、長崎の大店松浦屋の息子。父親の清左衛門が、当時の長崎奉行・土部三斎一派に
よる冤罪で、抜け荷の罪を着せられて店を取り潰された、という。母親も、三斎に不義を迫
られ、自害した。これを知った父親も、後追い自害。幼少の雪太郎は、菊之丞に引き取られ
た、というわけだ。役者として、修業しながら、両親の敵討ちを心に秘する雪太郎。幼児期
の両親の悲劇が、トラウマとなり、刀を見ると、舞台上でも、錯乱状態になる、という。

これを盗み聞きしてしまった星三郎の弟子・秋空鈴虫(やゑ六)は、孤軒老師(中車)とい
う謎めいた男に話してしまう。

菊之丞の勧めで、独創天心流の脇田一松斎(中車)に入門し、剣術の手ほどきを受けるよう
になる雪太郎。やがて、菊之丞の勧めで、雪太郎は、雪之丞に名前を改める。地方巡業、大
坂での興行、星三郎は、雪之丞に江戸の舞台に進出するようにと勧める。

雪之丞が兄と慕う星三郎は、病魔に侵されていた。大坂の楽屋の師匠の菊之丞の宛てに江戸
の中村座から雪之丞の出演を依頼する書状が届く。江戸には、雪之丞の親の敵、三斎もい
る。菊之丞も雪之丞も、同じ思いを強くする。その折も折、星三郎は、舞台で倒れる。歌舞
伎の女形は、舞台の夫役を見つけることが大事だと星三郎は、雪之丞に諭し、生き絶える。

孤軒老師(中車)が現れ、雪之丞に声をかける。自分は、付かず離れず、雪之丞を見守って
きたと告白する。雪之丞は、菊之丞、一松斎、星三郎など、良き人々に囲まれて、光を放ち
つつあると、激励する。これが、実は、今回の芝居のテーマ。雪之丞は、先輩の星三郎の歩
んできた道の先へ行くが良いと諭す。孤軒老師が、雪之丞に刀を渡すと、雪之丞は、これま
でのように震えることはなくなっていた。一松斎との修行の成果であった。孤軒老師は、い
わば、演出家・玉三郎本人か、玉三郎劇団のプロデューサーの役回りと思う。

江戸に下った雪之丞の芝居の評判は、大坂にも伝わってくるようになった。雪之丞と昵懇に
なりたいと盗賊の闇太郎は願っていた。

第一幕の粗筋は、ざっと以上のようであるが、生の舞台に出演するのは、4人の役者のみ。
雪太郎・雪之丞(玉三郎)。菊之丞、孤軒老師、土部三斎、盗賊闇太郎が、中車。星三郎
(七之助)。秋空鈴虫(やゑ六)。4人は、それぞれ映像の役者と科白のやり取りをする。

映像化された役者たち。
政岡に扮した雪太郎。鷺の精に扮した雪太郎。雪太郎。脇田一松斎。弾正に扮した菊之丞。
八汐に扮した星三郎。その他では、瓦版売り、浪人、町人、菊之丞の弟子、若い者、芝居小
屋の人、衣装方、「床下の場」の「鼠」、侍、幇間、芸者、仲居。

科白のある配役もあれば、科白もない大部屋役者もいる。歌舞伎座の舞台には、限られた登
場人物が、科白を言い、映像化された配役とやり取りする。デジタル時代の「連鎖劇」らし
く、音響効果、映像の処理など、外連味も含めて、大胆、果敢な演出が続く。歌舞伎座場内
の観客たちは、斬新な新作歌舞伎の味わいを、戸惑いながら味わっている人もいれば、興味
深く舞台に映し出される巨大スクリーンの映像を堪能する人もいる。大向こうも、声もな
く、舞台を見つめているようで、寂として声も無し、の感あり。

20分間の休憩の後、第二幕。
雪之丞は、江戸の中村座初日の舞台に出演中。「京鹿子娘道成寺」の白拍子花子を演じる。
菊之丞(中車)は、客席に土部三斎一味が客席に来ていると、楽屋で雪之丞に伝える。それ
でも、雪之丞は心乱れることなく、舞台を勤め終える。屋敷に来て欲しいと三斎からの伝言
も届く。三斎の屋敷に出向く雪之丞。後を追う闇太郎(中車)。三斎の屋敷から無事に出て
きた雪之丞に闇太郎は、声をかける。闇太郎は、三斎の娘の浪路の思いを受け入れろ、と勧
める。浪路と雪之丞の恋が成就すれば、浪路はお城に上がるのを嫌がるだろう。そうすれ
ば、三斎はお咎めを受けるのは必定、という理屈らしい。弱気になった三歳を攻めろ、とい
う。雪之丞は、闇太郎を江戸の師と呼ぶようになる。

浪路(玉三郎)が、雪之丞に思いを馳せている。一方、雪之丞には、一松斎から菊之丞経由
で奥義の一巻が渡される。雪之丞は、闇太郎、すずむしとともに、三斎の屋敷へ。酒宴に参
加した雪之丞は、庭先に怪しい人物がいると言って、盗賊を捕らえる。盗賊は、実は闇太郎
で、闇太郎は、雪之丞の敵の三斎らの悪事を暴き、雪之丞が、長崎の松浦屋雪太郎と呼んで
逃げて行く。騒ぎを聞きつけて三斎(中車)が姿を見せる。浪路が父親らの悪事を知る。
死んだはずの松浦屋夫妻が現れる。恐れ慄いた三斎らは、互いの首を掴み合う。松浦屋夫妻
は、面を被った雪之丞らであった。三斎らは、互いの首を締め続け、死んでしまう。浪路
は、父親の悪事に対する呵責の念に堪えられず、身投げしてしまう。若い女性の純粋な恋情
を利用して、悲劇に追いやる。

雪太郎は、やっと、両親の無念に応えて、敵討ちを果たすが、これが、人間として、役者と
して、女形として、真っ当な生き方だったのか、という思いに辿り着く。もっと、別の人の
道を選んで、今後は生きて行こうと、決意を新たにする。


第二幕の主な配役。雪之丞が玉三郎。菊之丞、土部三斎、盗賊闇太郎が、中車。秋空鈴虫が
やゑ六。仇(芝歌蔵ら4人)。

映像化された役者たち。白拍子花子、滝夜叉姫、蜘蛛の精に扮した雪之丞が、玉三郎。浪路
が玉三郎。仇(芝歌蔵ら4人)。土部三斎、闇太郎、脇田一松斎が、中車。

幕切れは、「元禄花見踊」という、舞踊劇。明転して開幕。雪之丞(玉三郎)。立役の役者
(鶴松ら4人)。女方の役者(守若、芝のぶら6人)が、華やかに舞う。芝のぶは、玉三郎
の近くに位置し続ける。長唄は、杵屋勝四郎ら。三味線方は、杵屋勝国。今年度、人間国宝
に認定された。

「新版 雪之丞変化」は、今回初見なので、けれん歌舞伎という視点で、舞台を観ていた。映
像と歌舞伎のコラボレーション。敵討ちの芝居。芸道としての歌舞伎は、何か、と問いかけ
る芸道物語。これは、玉三郎が大好きなテーマだろう。

贅言;玉三郎は、守田勘弥の実子でありながら、大塚の料亭の息子のまま、守田勘弥の養子
になり、幼年時の小児麻痺も踊りの修業で克服し、歌舞伎役者としては、真女形一筋で精進
してきた。その結果として、当代随一の立女形という金看板を掲げる身となった。代々の梨
園の柵(しがらみ)に捉われずに、若手中堅の真女形のうち、将来性のある役者に目を付け
ては、熱心に指導している。今回は、七之助が指導を受けた。

澤瀉屋一門のスーパー歌舞伎が、漫画やアニメを原作にけれん歌舞伎の極北を目指している
ように、玉三郎は、大衆演劇を実験台に新しい歌舞伎、新しい歌舞伎役者像を求めて、独り
歩いて行くようである。孤軒老師とは、梨園における玉三郎のプライドであり、玉三郎の芸
道観を象徴する記号的存在だと思う。
- 2019年8月24日(土) 9:34:08
18年8月歌舞伎座(納涼歌舞伎・2部/「東海道中膝栗毛」)


4年連続、納涼歌舞伎の定番「東海道中膝栗毛」


4年連続上演、ということで、このところ、納涼歌舞伎の定番となった「東海道中膝栗毛」
は、いわば、続演で、芝居の中身は、毎回違う。今回の弥次郎兵衛と喜多八は、東海道を西
へ。ちゃんと、お伊勢参りに行く。先行作品の名場面と科白のやり取りを下敷きにした、い
わば、「けれん」(新しい趣向志向)の演目。歌舞伎をパロディにした喜劇。十返舎一九原
作を元に、杉原邦生構成、戸部和久脚本は同じで、異なるのは、市川猿之助「脚本・演
出」。

今回の場面構成は、次の通り。二幕十四場。
序幕第一場「江戸の朝焼け(向日葵畑)の場」、同 第二場「雲中の場」、同
 第三場「鈴ヶ森の場」、同 第四場「三島宿女将芝居登喜和屋の場」、同 第五場「箱根
賽の河原の場」、同 第六場「江尻宿札の辻の場」、同 第七場「鞠子宿丁子屋の場」。第
二幕第八場「岡部宿旅籠離れの場」、同 第九場「藤枝・吉田より見附宿の場」、同 第十
場「宮の渡しの場」、同 第十一場「海上から海中の場」、同 第十二場「古市の芝居小屋
の場」、同 第十三場「朝熊山中大滝の場」、同 第十四場伊勢神宮おはらい町の場」。

場面が多いので、いつものように各場面ごとには、紹介しないで、場面をまとめて紹介した
い。

既に触れたように今夏で4回目の上演だが、演目の概要は、十返舎一九原作を元に、杉原邦
生構成、戸部和久脚本、さらに、市川猿之助、石川耕士のそれぞれが、「脚本・演出」とな
っている。いくつかの場面は、歌舞伎の先行作品の名場面や科白を下敷きにしている。そう
いう意味では、いわば、書き換え狂言。それを見つけるのも、歌舞伎ファンには、楽しみ。

序幕第一場「江戸の朝焼け(向日葵畑)の場」と同 第二場「雲中の場」。向日葵畑の中の
小屋の屋根の上で、夏の光の下、昼寝をしていた弥次郎兵衛(幸四郎)と喜多八(猿之助)
の二人が目を覚ます。二人とも熱中症にならずに、良かったね。二人が同時に見ていた夢
は、歌舞伎座の納涼歌舞伎で上演されていた「東海道中膝栗毛」の3つの作品。つまり、去
年の夏までに上演された、この演目は、夢だったのだ。全部ご破算。今回の「東海道中記」
こそ、本物の「東海道中膝栗毛」という趣向だ。そこで、二人は、改めてお伊勢参りに出か
ける、ということになる。そこへ、弥次郎兵衛の女房・おふつ(宗之助)や借金取りが、花
道からやってくる。

屋根の上から傘を開いて抵抗する弥次郎兵衛と喜多八だが、風に煽られて空へと飛ばされて
行く。風に乗って、伊勢参りと洒落込もうとしたが、花道に現われた猿田彦神(猿弥)の神
力で逆風に吹き返されて、地上に転落。

同 第三場「鈴ヶ森の場」。場面は、ご存知鈴ヶ森へ。雲助役に染松(染五郎)、團市(團
子)。火付盗賊改方の鎌川霧蔵(中車)らが登場し、獅子戸乱武(ししどらんぶ・幸四郎の
二役)と黒船風珍(くろふねふうちん・猿之助の二役)というお尋ね者を探索する旅に出
る、と言う。雲助にお尋ね者の人相書きが手渡される。人相書きは、弥次郎兵衛と喜多八に
そっくり。そこへ、天空から、弥次郎兵衛と喜多八の二人が落ちてくる。そこへ、早替りし
た獅子戸乱武(幸四郎)と黒船風珍(猿之助)のお尋ね者のコンビが、別の駕籠に乗ってや
ってくる。二組のコンビは、お互いにそっくりなことを利用しようとそれぞれ悪事を企む。
弥次郎兵衛(幸四郎)と喜多八(猿之助)コンビと獅子戸乱武(幸四郎)と黒船風珍(猿之
助)コンビのコンビごとの早替り。「吹替え」(代役のコンビ)を交えて、動線を考えて、
早替りをスムーズにするのも、「けれん」演出の一種。弥次郎兵衛と喜多八は、一文無しの
身。雲助の親方・鰐蔵(錦吾)に頼んで、仲間に入れてもらう。お尋ね者コンビは、弥次喜
多コンビに偽の宝剣を預け、伊勢神宮に奉納してほしいと依頼する。染松、團市も雲助の親
方が殺されて寄る辺ない身の上になったので、一緒に、伊勢参りすることになった。

以後、序幕第四場「三島宿女将芝居登喜和屋の場」、同 第五場「箱根賽の河原の場」、
同 第六場「江尻宿札の辻の場」、同 第七場「鞠子宿丁子屋の場」と序幕は、旅先でのエ
ピソードに対応しながら、西へ西へ。

序幕第四場「三島宿女将芝居登喜和屋の場」では、「OKAMIシアター」という看板を掲げ
た芝居小屋も経営する旅籠屋・登喜和屋。女将は、おかめ(笑三郎)、後見の貝蔵(巳之
助)、鳥追い姿の七化けお七(七之助)、弥次喜多コンビにお尋ね者コンビ。お七は、実は
スリ。弥次さんは、財布をすられた。女将と貝蔵の水芸も失敗、貝蔵は、小屋から追い出さ
れる。「困った奴らは、皆ついてこい」と強気の弥次喜多一行は、同伴者が増えるばかり。
でも、金はない。お尋ね者コンビは、女将のおかめに手をかけ、お上が溜め込んだ金を奪っ
て、逃げる。弥次喜多コンビには、顔が似てしまったばっかりに、お尋ね者コンビの代わり
に追っ手が追ってくる。

同 第五場「箱根賽の河原の場」。弥次喜多コンビとお尋ね者コンビは、抜きつ抜かれつ、
珍道中。お尋ね者コンビが、道端の地蔵の首を刎ねてしまう。地蔵の守り役だった村の娘・
千代(児太郎)が、泣き出す。困った弥次喜多コンビは千代も、連れて行くことにする。一
行は、この他にも、道すがら、同行者を増やして、大人数で伊勢を目指すことになる。

同 第六場「江尻宿札の辻の場」。路銀も尽きる。馬喰の安蔵(中村福之助)が、清水次郎
長一家と帆下田(ほげた)久六一家の出入りの話を教えてくれた。
大男の浪人者・熊木虎右衛門(橋之助)と若衆姿の猫爪艶之丞(虎之介)は、敵討ち騒ぎ。
弥次喜多は助っ人に。二人の剣の使いぶりを見ていた帆下田一家の久六(片岡亀蔵)、手嶋
の兼松(廣太郎)は、弥次喜多を出入りの助っ人としてスカウト。旅回りの一座。乳母の奥
の井(門之助)は、一座に同道して、人探しをしている。次郎長一家の森の石松(鷹之
資)、追分の三五郎(千之助)も登場。ということで、東海道は、お賑やか。

同 第七場「鞠子宿丁子屋の場」。久六の女房お富(新悟)は、名物とろろ汁やを営む。近
頃、大繁盛。店内のあちこちにとろろ汁を入れた樽が並べられている。久六が戻ってくる。
出入りの準備に取りかかれ! 隠れていた河内屋与三郎(隼人)が、現れる。与三郎とお
富。「玄冶店」の名場面を下敷きにした芝居。科白のやり取り。駆け落ちを迫るが、断られ
る。逆上した与三郎は、お富に斬りつける。その拍子にとろろ汁を入れてあった樽が倒れ
る。「女殺油地獄」の油まみれの舞台同様、この舞台も、とろろまみれとなる。道理で、大
道具の下には、オムツならぬ巨大なマットが敷かれている。騒ぎを聞きつけた久六、弥次喜
多も参加。皆、とろろまみれ。とろろで手が滑って、持っていた剣が与三郎の体に当たる。
お陰で与三郎の体には、34箇所の刀傷ができる。さらに、清水の次郎長一家も参戦。2階
に上がった連中は、家の中に設えられた滑り台でとろろ汁と一緒に滑り降りてくる。はちゃ
めちゃ。ここまでが、前半の序幕で、第七場までかかる。第七場が、序幕のハイライト。で
は、道中を急ごう。第二幕は、それぞれの場面での追加登場人物・配役(二役なども含む)
を紹介し、どういう展開かをコンパクトに説明するスタイルで記録しておこう。

第二幕第八場「岡部宿旅籠離れの場」。宿場の医師(外科医)・藪玄碩(やぶげんせき/弘
太郎)が、与三郎の刀傷の治療にあたるが、手術の結果、美男・与三郎は、ひどい面相に改
悪されてしまった。怒った与三郎。驚いた弥次郎兵衛は、馬に乗って逃げる。喜多八は、馬
に乗れずに、置いてけぼり。

同 第九場「藤枝・吉田より見附宿の場」。弥次郎兵衛は、岡部宿から馬で飛ばしたので、
早々と、13宿を通過して吉田宿へ。この場面は、新歌舞伎の「一本刀土俵入り」の場面を
下敷きにしている。旅籠屋の二階から飯盛女郎のお蔦(鶴松)が、弥次郎兵衛を案じて、自
分の帯に結んだ飲み物を提供する。

一方、徒歩の喜多八は、岡部宿から隣の藤枝宿へ辿り着く。掛川宿では、女韋駄天・金栗お
三四(みよ)が喜多八を追い抜いて行く。お三四は、七化けお七(七之助)だ。弥次喜多コ
ンビは、見附宿で、合流成功。弥次喜多コンビとお尋ね者コンビの勘違いで、追っ手の捕り
方、雲助出身の染松・團市コンビなどを交えて、ドタバタ。火付盗賊改方の霧蔵が現れ、捕
り方たちの勘違いを訂正して、弥次喜多コンビとお尋ね者コンビは、別人であると証言す
る。捕り方たちは、上司の霧蔵の言い分は、了解する。

同 第十場「宮の渡しの場」。弥次喜多コンビに見切りをつけたお尋ね者コンビは、弥次喜
多から宝剣を取り戻すと、逆に弥次喜多コンビになりすまして、一行とともに伊勢参りに向
かうことになる。本物の弥次喜多も、見つけた苫船(とまぶね)に隠れて乗り込み、伊勢に
向かう。

同 第十一場「海上から海中の場」。隠れて乗り込んでいた弥次喜多が、女船頭のお七に見
つかり、船から海に突き落とされる。海中を泳ぎ行く弥次喜多コンビ。

同 第十二場「古市の芝居小屋の場」。伊勢の古市宿。芝居小屋で「一谷嫩軍記」が、上演
されている。娘義太夫(猿弥)が、語り担当。猿弥の女形姿は、珍しい。舞台では、染松が
遠見の熊谷直実役、團市が遠見の平敦盛役を勤めている。観客の乳母・奥の井が舞台に上り
込む。芝居を見ていた弥次喜多も、何事かと上り込む。奥の井は、染松が若君の伊月梵太
郎、團市が孫の五代政之助に違いないと主張する。天照大神(笑也)を呼び出し、判定を仰
ぐことに。天照大神は、芝居の海の書き割りが二つに割れて、登場。奥の井の言う通り。若
君が領主になるためには、紛失中の宝剣「薫光来」が必要。その刀は、お尋ね者コンビの獅
子戸乱武(ししどらんぶ・幸四郎の二役)と黒船風珍(くろふねふうちん・猿之助の二役)
が、持っている疑いが高い。伊月梵太郎と五代政之助は、天照大神の力を借りて、敵討ちに
向かう。

同 第十三場「朝熊山中大滝の場」。朝熊(あさま)山中の大滝。悪事が暴かれたお尋ね者
コンビと火付盗賊改方の霧蔵が対峙している。捕り方も囲んでいる。舞台に設えられた大滝
は、本物の水が落ちてくる。いわゆる、「本水(ほんみず)」という演出。伊月梵太郎と五
代政之助も駆けつけ、本水の滝壺に入り、大立ち回り。二人は、お尋ね者コンビを討ち果た
し、宝剣を取り戻すことに成功する。

同 第十四場伊勢神宮おはらい町の場」。伊勢では、夏の風物詩、花火大会。主な出演者
が、皆、集まってきた。江戸から弥次郎兵衛の女房や借金取りまで、顔を揃えて、弥次喜多
を探している。二人は、花火の打ち上げ船に逃げ込んだ。打ち上げの筒の中に隠れる。船頭
の寿吉(寿猿)が、それと知らずに花火に火をつける。二人は、空に打ち上げられる。幸四
郎、猿之助の「宙乗り」の演出。幸四郎が、天井近く吊り上げられながら、挨拶。「長い
間、ありがとうございました」。江戸からの伊勢参り。終了。

こうして、大雑把ながら、全十四場の記録を残してみると、この喜劇は、ドタバタ喜劇とい
う印象だけしか残らないことに気がつく。折角、トランプ、プーチンという人物を登場させ
ながら、風刺が効いていない。残念。江戸時代の歌舞伎は、直接的な「御政道批判」は、
「お咎めあり」ゆえに、避けながらも、芝居者の反逆心は、違う形で芝居に溶け込ましてき
たものだ。芝居小屋の精神に立ち返り、風刺の効いた喜劇を作り上げて欲しい。このシリー
ズは、4本拝見したが、結局、同じ欲求不満が、今回も残った。
- 2019年8月17日(土) 12:36:51
19年8月歌舞伎座(1部/「伽羅先代萩」「闇梅百物語」)


「伽羅先代萩」は、名作だけに、バリエーションの演目がある。例えば、「裏表先代萩」。
「裏表先代萩」を私は、07年8月の歌舞伎座「納涼歌舞伎」で観ている。主役の政岡を演
じたのは、勘三郎。もう一回は、去年4月の歌舞伎座。この時は、政岡を時蔵が演じてい
る。

「伽羅先代萩」は、今回で15回目。「裏表先代萩」の2回を含めると、私は、17回の
「先代萩」を観たことになる。玉三郎自身は、5回、政岡を演じている。最近では、4年
前、15年9月歌舞伎座・秀山祭の舞台だった。その上で、玉三郎は、後進の政岡役者を積
極的に指導している。今回の「伽羅先代萩」は、「玉三郎監修」とある。2年前の、17年
5月、歌舞伎座。指導を受けたのは、菊之助。そして、今回、指導を受けたのは、七之助。
二人とも、「御殿」「床下」という演目の「御殿」の場面で、玉三郎の指導を受けている。
若手中堅の真女形候補の指導としては、順当な人選だと思う。今回の七之助の指導の成果は
どうであったかを見る前に、玉三郎の舞台。先の菊之助の指導成果の舞台をそれぞれ思い出
しておこう。

女形役者が、政岡を演じるということは、二つにケースがある。1)立女形として定評のあ
る限られた役者が力量を見せるために演じる、2)女形として精進を重ねてきた真女形役者
が、立女形への道を目指して、登龍門として挑戦するために演じる。今回、ここで取り上げ
るのは、2)のケース。玉三郎を軸に、菊之助と七之助を論じることになる。

私が観た政岡役者でいちばん印象に残るのは、やはり、真女形のふたり。ひとりは1回しか
舞台を観ていない雀右衛門だ。雀右衛門は、全体を通じて、母親の情愛の表出が巧い。次い
で、もうひとりは4回の玉三郎(玉三郎の5回のうち、私は4回観たことになる)。特に、
芝居の半ばからの切り替え、母親の激情の迸(ほとばし)りの場面が巧い。

玉三郎の政岡が、我が子千松の亡がらの周りをおろおろと二度も三度も逡巡し手を出せずに
いる様を描くのは、母性のなせる業だ。回数ばかりが、重要とは言えないのが、歌舞伎のお
もしろさだ。雀右衛門亡き後、玉三郎の政岡を堪能するのが、この演目への敬意であろうと
さえ、私は感じる。

まず、軸となる玉三郎の舞台。「御殿」での政岡は、前半では、幼君を守る「官僚」(乳人
は、警護を含めた御守役、養育担当、帝王学の師匠などの役割)としての一面を強調し、後
半は、千松の「実母」としての一面を強調する。政岡は、冷静で有能な官僚ぶりと抑制の果
てに母親として迸る情愛の「切り替え」をどれだけ印象的に演じるかが大事だろうと思う。

玉三郎は、95年の政岡初演以来、六代目歌右衛門の指導を受けて演じて来たし、歌右衛門
が亡くなってからは、工夫魂胆で、さらに、精進を重ねて来た。

「御殿」。女たちの対決。玉三郎の特徴は、歌右衛門演出と違って、人形浄瑠璃という「本
行」の演出を尊重して、松島が登場しない、ということだ。政岡と八汐の対決をクローズア
ップし、客観的にふたりの「対決」を見ていて、八汐側に与する「女医」の小槙を「落とし
た」沖の井が、八汐の不正義を認めて、政岡に味方する、という構図になる。その分、ドラ
マチックになる、というわけだ。

玉三郎は、有能な「官僚」(乳人)としての政岡を重視する。「大切なのは乳人というもの
をしっかりとお見せすること。若君である鶴千代のことを思い、どれだけ生きてきた
か……。そこが大事なのです」と言う。このところが、亡き雀右衛門の母性の政岡とは、印
象が違うのだろう。

玉三郎は、「御殿」の前半では、子役たちを相手に、母情をベースに暖かみと規律を重んじ
ながら、丁寧に演じる。若君にも実子・千松(若君の警護補佐官のような役回りで「飯炊
き」では、毒味役に徹している)にも、「ひたすら早くご飯を炊いてやりたい」という思い
を全面に押し出す。歌右衛門の演出から離れて初めて歌舞伎座で松島なき「御殿」を演じた
ことで、官僚の役を終えて母親に戻った後の真情吐露の演出を強めたように思われる。

「御殿」では、若君暗殺派のトップ、栄御前が消えると、玉三郎の政岡は、途端に表情が崩
れ、我が子・千松を殺された母の激情が迸る。母は、腰が抜けて、なかなか,立てない。や
っと立ち上がって、舞台中央に移動する。誰もいなくなった奥殿(御殿)には、千松の遺体
が横たわっている。堪えに堪えていた母の愛情が、政岡を突き動かす名場面である。何をし
て良いか判らずにうろうろしている。いつものようにすぐには、脱いだ打ち掛けを千松の遺
体に掛けにはいかない政岡。打ち掛けを脱いだ後の、真っ赤な衣装は、我が子を救えなかっ
た母親の血の叫びを現しているのだろう。

涙とともに、迸る母情と科白。「三千世界に子を持った親の心は皆ひとつ」という「くど
き」の名台詞に、「胴欲非道な母親がまたと一人あるものか」と竹本が、追い掛け、畳み掛
け、観客の涙を搾り取る。政岡の、迸る母の愛情は、「熊谷陣屋」の、熊谷直実の、抑制的
な父の愛情とともに、歌舞伎や人形浄瑠璃の、親の愛情の表出の場面としては、双璧だろ
う、と私は思っている。

菊之助は、前半は有能な女性官僚、乳人(母)に徹していて、我が子が目の前で殺されるの
を見ても表情を変えず、ほとんど無表情で演じていた。栄御前が騙されたように。玉三郎の
それに比べると、後半の母親・政岡の演技が、まだ弱いのではないか、と思った。

さて、今回は、七之助の政岡初役である。七之助の演技は、玉三郎の教えを守って、とにか
く、きちんと真似る、というところに徹しているように見受けられた。それはそれで良し。
二人の政岡が、玉三郎をお手本に切磋琢磨して、役を磨いてほしい。菊之助、七之助の「政
岡」磨きは、今後の楽しみ。


「闇梅百物語」は、初見。江戸時代に流行した怪談話の「百物語」形式の、リレー舞踊劇。
一話を終える度に100本のロウソクの燈芯を消すように、場面を繋いで行く。1900
(明治33)年、歌舞伎座初演。原作は、三代目河竹新七。

場面構成と主な配役は、次の通り。
第一場「大名邸広間の場」(軸となる小姓・小梅は、新悟ほか)、第二場「葛西領源兵衛堀
の場」(狸は、彌十郎。河童は、種之助、傘・一本足は、歌昇)、第三場「廓裏田圃の場」
(雪女郎は、扇雀。新造は、虎之介)、第四場「枯野原の場」(骸骨は、幸四郎)、第五場
「庭中花盛りの場」(読売幸吉、実は白狐。籬姫は、鶴松ほか)。暗い場面の果てに、明る
い花盛りで閉幕。
- 2019年8月16日(金) 11:51:18
19年7月歌舞伎座(夜/「星合世十三團 成田千本桜」)


海老蔵版「義経千本桜」


今月の歌舞伎座、昼の部は、幕末の古典歌舞伎の名作から大正の新歌舞伎の数々。成田屋一
門。贔屓の見慣れた役者、馴染みの演目、という趣向。夜の部は、古典歌舞伎の名作「義経
千本桜」を基本にしながらも、海老蔵の13役早替わりを実現するための新たな演出を加え
る、いわば現代の新作歌舞伎。

「星合世十三團(ほしあわせじゅうさんだん) 成田千本桜」は、初見。これは、海老蔵版
「義経千本桜」であろう。

まずは、今回の場面構成から。

発端「福原平家御殿跡の場」、序幕第一場「大内の場」、同 第二場「堀川御所の場」、
同 第三場「同 塀外の場」、二幕目第一場「伏見稲荷鳥居前の場」、同 第二場「渡海屋
の場」、同 第三場「同 奥座敷の場」、同 第四場「大物浦の場」、三幕目第一場「北嵯
峨庵室の場」、同 第二場「下市村椎の木の場」、同 第三場「同 竹薮小金吾討死の
場」、同 第四場「同 釣瓶鮨屋の場」、大詰第一場「川連法眼館の場」、同 第二場
「同 奥庭の場」。

主な配役は、次の通り。

海老蔵は、13役。能登守教経・渡海屋銀平、実は新中納言知盛・三位中将維盛・左大臣藤
原朝方・御台所卿の君・川越太郎・武蔵坊弁慶・佐藤忠信、実は源九郎狐・入江丹蔵・主馬
小金吾・いがみの権太・鮨屋弥左衛門・弥助、実は三位中将維盛・佐藤四郎兵衛忠信・横川
覚範、実は能登守教経。

海老蔵は、主な役ばかりやるわけではない。早替りで、舞台に「出続ける」という目的のた
めに、うまく繋がる役をリレーして行く、という趣向である。

海老蔵以外の役者、ほかの主な配役は、次の通り。

雀右衛門は、静御前。
梅玉は、源九郎判官義経。
魁春は、銀平女房お柳、実は典侍の局。
萬次郎は、尼 妙林。
左團次は、梶原平三景時。
右團次は、相模五郎。
児太郎は、若葉の内侍・小せん。


粗筋をコンパクトに書いておこう。普通に書いても、判りにくいと思うので、まず、主な登
場人物の動きを整理してみよう。

時は、「戦後」。戦とは、源平合戦。我が世の春を謳歌した平氏を源氏が打ち破った。平家
は、壇ノ浦の合戦を最後に、滅んだとされているが、平家一門の武将、知盛と維盛、教経
が、実は生きていて、これから、この芝居に出てきて、敗者の恨みを晴らしますよ、お楽し
みに、というのが、作者たちのピーアール。さらに、芝居の展開の中で、日本人に絶大な人
気のある源九郎判官義経も絡んでくる。

次いで、場面ごとの説明をしてみよう。

発端「福原平家御殿跡の場」。強者どもが夢の跡、平家の福原御殿跡。教経は、海に飛び込
んで死んだとされたが、生きながらえて、吉野山の荒法師・横川覚範を討ち負かし、「背
(はい)乗り」(スパイの常道で、戸籍などを乗っ取り、他人になりすまし、情報取得のチ
ャンスを待つ。元々警察用語)ということで、教経は自分が、覚範になりすます、という作
戦。同じく入水したとされる知盛も、渡海屋銀平という船頭になりすましている。紀伊国那
智の沖で入水したはずの維盛も、この場に生き霊として現れ、実は、私も生きているよ、と
告げる。3人の亡者たちが、さあ、どういう活躍をするか。

序幕第一場「大内の場」。左大臣藤原朝方のところに源九郎判官義経が、知盛、維盛、教経
の「首」を持ってくる。「皆、偽首じゃ」と、左大臣は怒る。首が本物かどうか、3人の行
方を詮議中、と義経は、弁明する。左大臣は納得し、その恩賞として「初音の鼓」を与え
る。鼓は、後白河院の院宣だという。その院宣とは、義経に頼朝を討て、というメッセージ
だという。義経にとっては、後白河院への忠義と兄・頼朝への孝心の板挟み。

同 第二場「堀川御所の場」。堀川御所は、義経の館。上使・川越太郎を義経らが迎える。
後白河院の院宣の内容は、既に頼朝に筒抜けになっている。川越は、義経の謀反の心を見極
めにきた。平大納言時忠の娘の卿の君を正室に迎えているのは、叛逆の意思の表れだろうと
頼朝は疑っている。謀反の心がないなら、卿の君の首を差し出せという。

卿の君は、自裁したママの姿で奥から現れる。川越は、実は、卿の君は、平家の姫との間に
儲けた自分の娘だという。卿の君は、父親の川越に討たれる。武蔵坊弁慶が、早まって、鎌
倉方の土佐坊相手に戦陣を開いていてしまったとの報が伝えられる。義経は、初音の鼓を携
えて京を落ちて行く。

同 第三場「同 塀外の場」。土佐坊に迫った弁慶は、土佐坊を含め、軍兵の首を斬り落す
と、門外の大きな天水桶に投げ込み、金剛杖を交差させて、首を芋でも洗うかのごとき所作
で演じ、剛勇ぶりを見せる。

贅言;七代目市川團十郎は、自らが歌舞伎十八番に選定した「勧進帳」初演までに弁慶役を
3回勤めている。1815(文化12)年8月、「安宅松」の弁慶。1825(文化8)
年、顔見世興行で、鬼若丸、後に弁慶。1839(天保10)年、「御贔屓勧進帳(ごひい
きかんじんちょう)」(通称「芋洗い勧進帳」)の弁慶。

「御贔屓勧進帳」は1773(安永2)年、四代目團十郎の弁慶、五代目團十郎の富樫で初
演された。富樫に見咎められ、木に縛り付けられた弁慶が、その怪力で縄を打った切りし、
雑兵たちと大立ち回りを演じる。弁慶は、雑兵たちの首を次々に引っこ抜くと、天水桶に叩
き込み、金剛杖で「芋洗い」をする。「芋洗いの弁慶」、「芋洗い勧進帳」と言われる。陰
惨な殺人が、いかにも、江戸の荒事らしい、笑いを含んだ鷹揚な場面に転換する。

二幕目第一場「伏見稲荷鳥居前の場」。ここからは、お馴染みの「義経千本桜」の名場面が
続く。「義経千本桜」は、ご承知のように、歌舞伎・人形浄瑠璃の歴史に「三大演目」とし
て輝く名作中の名作である。「義経千本桜」では、大きく分けて、3つの物語から構成され
る。そこで、3人の主役が登場する。発端で登場した知盛、維盛、教経。さて、どうなる
か。

1・渡海屋銀平、実は新中納言知盛。知盛は、芝居でも最後まで主役を務め、大きな錨とと
もに確実に、再び「入水」して果てる。したがって、ここは、通称「錨知盛」編。

2・弥助、実は三位中将維盛。維盛の芝居では、実は、脇役の「いがみの権太」が主役とな
り、維盛は家族を連れて、さらに出家の旅に出る。したがって、ここは、通称「いがみの権
太」編。

3・横川覚範、実は能登守教経。今回で言えば、発端の「福原平家御殿跡の場」で、教経
は、横川覚範を撃ち、自分が、覚範になりすまして、逃亡。大詰「「川連法眼館の場」の第
二場「奥庭の場」になって、横川覚範、実は能登守教経として正体を現す。ここの主役は、
狐。佐藤忠信に化けて、静御前の旅のお供をする。人間の佐藤忠信も大詰では、登場し、兄
の継信の仇とし教経を討ち果たす。したがって、ここは、通称「狐忠信」編。

二幕目第一場「伏見稲荷鳥居前の場」。堀川御所を出た義経一行が伏見稲荷鳥居前までやっ
てきた。義経は、静御前を京に残すという。形見として初音の鼓を与える。佐藤忠信が静御
前の同伴を申し出る。義経は、忠信に「源九郎義経」という姓名と着用の「着長(きせな
が)」(大将が着ける大形の鎧のこと)を与え、静御前の身を預ける。義経は、家臣ととも
に西国へ向かう。

同 第二場「渡海屋の場」、同 第三場「同 奥座敷の場」、同 第四場「大物浦の場」。
これらの場面が、「義経千本桜」の「錨知盛」編と合致する。摂津国大物浦に近い船問屋
「渡海屋」。銀平が主人。西国に向かう義経一行が滞在している。雨をついて、義経主従
は、船出して行く。銀平らは、実は平知盛を始め、平家一門。義経一行を追いかける。渡海
屋の母娘は、実は安徳帝という幼い女性天皇。母親を演じていたのは、典侍の局。知盛の計
略やいかに、と待っていたが、計略失敗の報。安徳帝の一行は、入水を覚悟する。大物浦の
最後の抵抗。知盛は、義経に伴われて現れた安徳帝に、いままで自分を守護してくれたの
は、知盛だが、いま、命を助けてくれたのは、義経だ、と言われる。知盛は、安徳帝の今後
を義経に依頼すると、身体に錨綱を巻きつけて、自ら海に投げ入れた錨とともに海中へ沈ん
で行く。発端で、生き返って現れた知盛は、再び、死んで行った。「錨知盛」編は、ここま
で。

三幕目第一場「北嵯峨庵室の場」、海老蔵早替わりのためのつなぎの場面。「義経千本桜」
には、ない場面。庵室の主人は、尼の妙林。庵室に匿われているのは、維盛の北の方・若葉
の内侍と嫡男の六代君。そこへ主馬小金吾が訪ねて来る。高野山に維盛が隠れ住んでいると
聞き込んできた小金吾が若葉の内侍たちを同道するため、迎えに来たのだ。

平家の落人を詮議する者たちがやって来た。小金吾は、若葉の内侍たちを妙林に託して、そ
の場から逃げ延びさせる。

同 第二場「下市村椎の木の場」、同 第三場「同 竹薮小金吾討死の場」、同 第四場
「同 釣瓶鮨屋の場」。これらの場面が、「義経千本桜」の「いがみの権太」編と合致す
る。下市村椎の木の大木と茶屋の場面。若葉の内侍たちと妙林は、いがみの権太と出逢う。
本来、小金吾がやる役回りを妙林が演じる。海老蔵が、小金吾から権太に早替りをして演じ
なければならないし、小金吾と権太は、同時には演じられない。下市村竹薮の場で、小金吾
が追っ手に囲まれ討死してしまう。小金吾の首は、通りかかった釣瓶寿司屋の弥左衛門の手
で、寿司屋に運ばれる。弥左衛門の息子が、いがみの権太。維盛は、弥助と名を変えて、寿
司屋の従業員になりすましている。寿司屋の娘・お里に惚れられている。権太と維盛一家の
行方を追う梶原景時。権太の機転が、梶原の手から維盛一家を救う。権太が本心を明かす
「モドリ」といわれる趣向などが展開される。梶原を使った頼朝の計略は、維盛に出家を勧
めることであった。北の方・若葉の内侍と嫡男の六代君を連れて、家長の維盛は、出家の道
に踏み出して行く。発端で、生き返って現れた維盛は、死なずに、家族を連れて、信心の世
界へ。「いがみの権太」編は、ここまで。

大詰第一場「川連法眼館の場」。川連法眼館に匿われている義経。佐藤忠信が訪ねて来た。
さらに、静御前に連れ従った、もう一人の佐藤忠信、実は源九郎狐の一行が現れる。佐藤忠
信が、狐の正体を現す場面。「義経千本桜」の中でも、屈指の場面だ。正体を現した狐の親
への思いに感じ入った義経は、源九郎狐に初音の鼓を与える。吉野の悪僧たちの悪巧みを義
経らに伝えると、狐は、古巣の西国へと宙を飛んで行く。

贅言;ここは、定石の海老蔵の宙乗り。今回は、狐の宙乗りのほかに、知盛の宙乗りも海老
蔵は披露した。「狐忠信」編は、ここまで。

同 第二場「同 奥庭の場」。源九郎狐の助力もあり、吉野の悪僧たちを討ち取った。頭目
の横川覚範を探せ。覚範は、実は、能登守教経であった。教経に兄の継信を討たれた人間の
忠信は、教経との立ち回りの果てに、教経を討ち果たす。教経は、発端で生き返って現れ、
大詰で、再び死んだ。現代の新作歌舞伎らしく、派手な音響効果で、閉幕。

贅言;海老蔵は、正装して現れ、舞台中央に正座し、「こんにちは、これぎり」と挨拶。終
演は、いつもより、1時間ほど遅い、午後10時前。

「義経千本桜」の合作者たちが、芝居の執筆を前に、当初想定した主役の3役は、次の通り
であった。知盛、維盛、教経。ところが、舞台で展開された芝居の主役の3役。五章にとよ
うに、知盛、いがみの権太、狐忠信となった。知盛のみ、初志貫徹。二度目の入水で、亡く
なる。維盛は、生き延びることになり、家族を連れて出家の道へと踏み出す。教経は、人を
殺し、その人物になりすまして、大詰まで生き延びて来たが、佐藤忠信に正体を見抜かれ、
忠信の兄・継信の仇として、討ち取られることになる。


海老蔵と「けれん」の演出


オーソドックスな江戸歌舞伎を生涯追求した父親の十二代目團十郎とは異なり、海老蔵は、
江戸歌舞伎の宗家として、市川一門のトップに立ちたいのかもしれないが、同門の澤瀉屋に
教えを乞うなどして、外連(けれん)の演出にも、積極的にチャレンジしている。今回も、
13人の早替りに挑戦した。来年、十三代目團十郎を襲名する予定の中で、「星合世十三
團 成田千本桜」をぶち上げた。それゆえ、十三代目團十郎を意識した外題になった。

贅言;安宅の関で、関守の富樫らとの心理戦を克服して、義経を守った弁慶は「延年の舞」
を披露する中で、義経主従の山伏たちに関を通り抜けさせた後、それこそ飛ぶようにして、
六法を踏み、一行の後を追う。「義経記」や、能など「安宅の関」の題材は、歌舞伎や人形
浄瑠璃でも、好まれ多くの作品が、脚色された。初代市川団十郎も1702年(元禄15)年
上演の「星合十二段(ほしあいじゅうにだん)」の中でこの場面を演じている。後に、七代
目團十郎は、市川團十郎家の「家の芸」を集大成する際、「星合十二段」を元に、「勧進
帳」を「歌舞伎十八番」の一つとして選定するに当たって、演目の高級化を図り、背景を能
舞台の鏡板に模して松羽目としたし、衣装も、能装束に改めるなど、能の演出法を取り入れ
て、今も演じられるような「勧進帳」として、完成させた。海老蔵には、家の芸の「歌舞伎
十八番」、「勧進帳」、「星合十二段」という連想があっただろう。さらに、来年の十三代
目襲名も滲ませ、「星合世十三團」という、13を意識した外題を付け、13役早替りを最
優先する演出のこだわったようだ。

海老蔵は、13役をどのように演じたのか。海老蔵が演じた13役は順に以下のようにな
る。海老蔵は、「発端」の「平家御殿跡の場」で、源義経のライバル能登守教経から13役
を演じ始める。→ 渡海屋銀平、実は新中納言知盛 → 三位中将維盛の生き霊 → 次いで、
序幕の「大内の場」では、左大臣藤原朝方 → 「堀川御所の場」では、御台所卿の君 → 
川越太郎 → 「堀川御所塀外の場」では、武蔵坊弁慶 → 二幕目の「鳥居前の場」では、
佐藤忠信、実は源九郎狐 →「渡海屋の場」では、渡海屋銀平、実は新中納言知盛 → 「渡
海屋奥座敷の場」では、入江丹蔵 →「大物浦の場」では、満身創痍の知盛 → 三幕目の
「北嵯峨庵室の場」では、主馬小金吾 → 「椎木の場」では、いがみの権太 → 「小金吾
討死の場」では、主馬小金吾 → そこに通りかかった鮨屋弥左衛門 → 「鮨屋の場」で
は、いがみの権太 →鮨屋弥左衛門 → 弥助、実は三位中将維盛 → 大詰の「川連法眼館
の場」では、佐藤四郎兵衛忠信 →佐藤四郎兵衛忠信、実は源九郎狐 → 最終場面、「法眼
館奥庭の場」では、横川覚範、実は能登守教経 → 佐藤四郎兵衛忠信となる。13役といっ
ても、何回か登場する重要な役どころもあれば、早替りのための、繋ぎ役の役どころもあ
る。それが、早替りを飛び石のようにして、成功させる。尼の妙林(萬次郎)のように、小
金吾の代理役や「吹替え」という、後ろ姿だけ(たまに横顔だけ見せる演出も)の筋書きに
記載されない役者のサポートもあり、海老蔵の早替りは、まずはスムーズに繋がって、長丁
場を乗り切った。海老蔵という歌舞伎役者の肉体が、歌舞伎座の舞台に設定された時空を飛
び交った。宙乗りも、知盛で1回、狐忠信で1回。古典歌舞伎「義経千本桜」と新作歌舞伎
「星合世十三團」の併合したものが、今回の演目と言えるのではないか。


「けれん・ケレン」の意味


「けれん」を漢字で表記すると、外連となる。「外に連なる」とは、どういう意味か。内か
ら外へ。幕の内側、「幕内から幕外へ」。ならば、芝居小屋の花道は、固定された、恒久的
なケレンではないか。「花道」の上空を行く。「宙の道」、つまり、「宙乗り」こそ、「け
れん」の原点ということか。人の行く裏に道あり、花の山。花の山の裏道。これぞ、宙乗
り。「けれん」こそ、芸事の王道か。覇道か。

以下、「けれん」私論

「けれん」は、超能力を示す演出。「スーパーナチュラルパワー」。超自然な力。歌舞伎の
「定式(じょうしき)」は、常識、コモンセンス。定式と「けれん」とは、歌舞伎のふたつ
の原理だろう。「定式」は、古典的演出。先人たちが練りにねって作り上げた芝居の約束ご
と。名優たちの到達点の結晶。そのレベルのコモンセンスだから、これは、易しいようで、
かなり難しい。名優になると、体(てい)のいいところを、まさに体で覚えている。

一方、「けれん」は、新しい演出の工夫。今回のような、「早替わり」も「けれん」。ここ
で注意すべきは、「早変わり」、ではなく、「早替わり」ということ。「吹替え」(代行、
偽物でもある。観客の錯覚を狙う演出)。変わるのではなく、替わるだけ。吹替え役者は、
主役の替わり。背格好が似ていれば、化粧でごまかせる。本人と吹替えを並べてチェックす
るわけではない。主役の残像を繋げて、時間稼ぎをする。主役は、舞台裏では、着せ替え人
形の人形。鬘、化粧、衣装を短時間で替えてしまう。早替わりは、まさに、チームプレー。
今回の海老蔵の13役を成功させるも失敗させるも、成田屋一門のチームワーク次第、とい
うことだろう。「けれん」のおもしろさを知ると定式のおもしろさも、より深く判るように
なる。互いに逆照射しあうのではないか。芝居小屋に足を運ぶ常連の観客は、まず、贔屓の
役者を観る。新しい演目なら、その新しさを楽しみに行く。「けれん」も然り。見慣れた馴
染みの演目なら、年齢などで衰えもせずに、いつもと変わらずに演じているかを確かめに行
く。「定式」の安定感を楽しむ。
- 2019年7月14日(日) 12:02:09
19年7月歌舞伎座(昼/「高時」「西郷と豚姫」「素襖落」「外郎売」)


獅童が女形・お玉


昼は、古典名作。新歌舞伎十八番の内、2作品。歌舞伎十八番の内、1作品。大正時代の新
歌舞伎。夜は、古典歌舞伎の名作を基本に、海老蔵の海老蔵の13役早替わりを実現するた
めの演出をする、いわば現代の新作歌舞伎。

「西郷と豚姫」は、1917(大正6)年、初演。大正時代の新歌舞伎(池田大伍作)の代
表作。幕末の京都が舞台。芝居では、太った女性を豚姫と愛称する。主役のお玉、醜女の深
情けが良い。階段箪笥には、招き猫や銚子が並んでいる。京の揚屋(あげや)の風俗が滲ん
でいる。お玉は、揚屋の芸妓や舞妓にも慕われる性格の良い従業員の仲居(なかい)であ
る。揚屋は、江戸時代、置屋(おきや)所属の遊女を客が呼んで、遊んだ店。

「西郷と豚姫」は、悲劇を底に秘めた喜劇である。私が観た主な配役。西郷隆盛:吉右衛
門、團十郎、獅童。今回は、錦之助。お玉:勘九郎時代の勘三郎(2)、翫雀時代の鴈治
郎。今回は、なんと、獅童である。7年前、新橋演舞場で西郷吉之助時代の隆盛を演じた獅
童が、今回は、女形として、お玉に挑戦する。私は、この芝居は、4回目の拝見となる。今
は亡き勘三郎のお玉は、「西郷と豚姫」という芝居の持ち味である、喜劇味と哀愁の共存
は、勘九郎という役者そのものが自ずから体現していて、存在感があった。勘三郎以上のお
玉は、なかなか望めない。

ほかの配役では、私が観た岸野は、福助(2)、松也。今回は、福助の長男・児太郎。大久
保市助(後の大久保利通)は、東蔵(2)、松江。今回は、権十郎。人斬り半次郎(後の桐
野利秋)は、歌昇時代の又五郎、橋之助時代の芝翫、亀鶴。今回は、歌昇。幕開きから、独
り離れて、つくねんと物案じ顔の舞妓の雛勇は、宗丸時代の宗之助、松也、児太郎。今回
は、梅丸。芸妓役の脇役に、芝のぶ、玉朗。20年ほどの間で、私が観た4回だけでも、配
役の移り変わりをみると、世代交代が、透けて見えてくる。例えば、前回、7年前、12年
5月、新橋演舞場で岸野を演じた松也が、良かった。その時の私の劇評。

松也は「存在感があった。03年12月、歌舞伎座で雛勇を演じたころと比べると、中身に
実が詰まって来たという感じがする。鄙勇を2回演じた時(03年6月の博多座でも、雛勇
を演じた)に、(それらの舞台で)岸野を演じる芝雀時代の雀右衛門や福助を見て、工夫し
て来たのだという。芸熱心や、良し」、と私は書いている。さらに、「児太郎が、10年後
くらいに同じように成長し、岸野に挑戦するようになっていて欲しいと思った」とも、書い
ているが、早くも7年で、児太郎は、岸野役に挑戦してくれたことになる。このように、若
手たちが舞台を同じくする際に先輩の演技を見て、数年後には、同じ役を演じる。誠に、頼
もしいかぎりではないか。

幕末の京都。明治維新で大業を担う前史時代の青年西郷と京都三本松の揚屋の仲居・お玉の
純愛物語。いわば、「デブデブのラブラブ」物語。ふたりのデブデブ(西郷と豚姫こと、お
玉)の存在感が、喜劇の味わいを左右する芝居。幕府の刺客に襲われた西郷は、お玉が働く
揚屋に逃げ込んできた。長らくご無沙汰だった西郷に久しぶりに会えて、喜ぶお玉。若い人
たちの純愛が、時代に裂け目に落っこちる。緊迫した状況で、西郷とお玉は、心中へと悲劇
的になるかと思いきや、大久保市助の登場後、西郷は、時代に必要とされる時の人として浮
上し始め、表に出て行く。本当かどうかは知らないが、史実の裏には、お玉(のような女
性)が取り残される、というイメージなのだろう。

幕切れ近く、舞台が鷹揚に半廻しで回ると、揚屋の店の外。夜景の京の町の遠見。お玉を残
して、西郷は、花道を行く。捨てられたのに、笑みを浮かべて、去り行く西郷にゆっくりと
頭を下げるお玉が、醜女ながら、可憐だ。

贅言;原作者の池田大伍は、銀座の天ぷら屋の次男。趣味が高じて、大学卒業後、芝居の世
界に入り込んだという。それだけに、京の花街の情緒を細やかに描写した。


新歌舞伎十八番の「高時」と「素襖落」


まず、「高時」。「高時」は、4回目の拝見である。北条高時を演じたのは、私が観た順番
では、羽左衛門、橋之助時代の芝翫、梅玉そして、今回は、右團次である。羽左衛門の高時
は、重厚な演技であったのを覚えている。4回観たなかでは、相変わらず、羽左衛門が、群
を抜いている。

それにしても、「高時」は、「反権力」というテーマが、明確である。まず、幕開き、北条
家門前の場で、徳川幕府の五代将軍・綱吉(継嗣がなく、子宝に恵まれるよう、「犬公方」
と渾名されたほど犬に象徴される生き物を大事にする「生類憐みの令」という悪法の制定者
として歴史に名を残した)のような、北条氏九代目高時の施政方針を、豪華な駕篭に乗せら
れた「お犬さま」を登場させることで観客に印象づける。そして、この「お犬さま」が、幼
児を連れた通行人の老婆・渚(梅花)の膝に噛み付くことにより、その直後に通りかかった
老婆の息子の浪人・安達三郎(九團次)によって、親を噛まれた仕返しとして、眉間を鉄扇
で討たれて、死んでしまう。老母と子を人質に取られて、抵抗が出来ないまま、捕らえられ
た浪人が、高時の家臣・長崎次郎(猿四郎)らに門のなかに引き立てられて行く、という場
面は、制作者のメッセージが、とても、はっきりしている。

築地塀が描かれた道具幕の前で、繋ぎの、無人の舞台があり、下手の大薩摩と上手の竹本の
掛け合いが続く。やがて、道具幕の振り落しで、北条家奥殿内の場へと、場面展開となる。
この場面で、歌舞伎の定式を破って、高時(右團次)が、舞台の上手の柱に横向きに寄り掛
かっている。史劇としてのリアリズムを主張した九代目の熱情が象徴されている場面だ。大
薩摩連中が、霞幕で隠されると、長崎次郎が、「ご注進」と、門前の事件を告げに来る。高
時は、やや斜ながら、正面を向き、普通の歌舞伎劇の配置となる。

そのほか、さまざまな工夫が施されていて、歌舞伎を愚昧な大衆演劇から、西洋人にも誇れ
るような国劇へ脱皮させようとした熱情が秘められている。いまも、これら演出は、受け継
がれている。

舞台中央、正面を向いた愛妾・衣笠(児太郎)たちを侍らせ、酒宴中の高時は、「ご注進」
の内容を聞いて、即座に浪人を「死刑にしろ」と命じてしまう。短絡的な人物なのだろう。
獣の命より人命を軽視するようでは、「不仁の君」になってしまうと諌める家臣・大佛陸奥
守(市蔵)の忠言も聞かない。さらに秋田入道(寿猿)に月は違うが、「きょうは、先祖の
命日」と諌められると、さすがに、死刑を思いとどまるが、その後、それは、今後の施政方
針であって、今回は、死刑にしろと頑なに態度を変える。何処かの総理大臣のように、軸が
定まらない人物のようだ。権力者の横暴ぶりを印象づける。高時の、「酌を致せ」と衣笠に
命じる科白を合図に、霞幕が取り除かれ、大薩摩連中が、再び、登場し、今宵の「月見の
宴」の余興として呼ばれた田楽法師たちの登場を待つ間、衣笠の舞となる。高時は、再び、
舞台上手の柱に背を預け、横向きとなる。

さらに、途中で、雲行きが妖しくなり、灯が、消えてしまう。独り残された高時の前に、や
がて、田楽法師たちの登場となるのだが、田楽法師たちに見えているのは、高時の酔眼ばか
りで、観客たちの目には、多数の烏天狗たちの登場となる。先ず、下手から、宙づりの滑車
の紐にぶら下がった烏天狗登場。ついで、同じ方法で、上手から、もう一人登場。舞台奥の
仕掛けのある襖が、回転して、6人の烏天狗たちが、登場する。本舞台を飛び跳ねながら、
高時となにやら会話をする烏天狗たち。

烏天狗たちは、田楽舞いを舞っているように、高時に錯覚させて、遊び戯れながら、何時の
間にか、高時を誑かし、翻弄する。高時の身体を逆さまにしたり、足を蹴飛ばして、倒した
りする。虐げられた人たちの怨念が、烏天狗たちに宿っているのだろうか。ここにも、反権
力のメッセージが込められている。

私には、「今昔物語」などに題材を採った短編小説の味わいを感じさせたほどの印象を残し
て、これはこれで、おもしろいと思った。ただし、「活歴もの」共通のことだが、歌舞伎味
が乏しいという弱味は、やはり、目につく。黙阿弥が、芝居にならないと歎いたのも、この
辺りだろう。なにしろ、荒唐無稽故の味わいこそが、歌舞伎の魅力だろうから。そこを見誤
ったのが、「活歴もの」の弱点だと、私は、思っている。つまり、合理性で歌舞伎を作り上
げると、芝居としての「余白」が、乏しくなり、歌舞伎の美学が、発揮できなくなり、潤い
がなくなる。だから、黙阿弥は、演劇改良運動に協力しながら、歌舞伎の歴史という長い目
でみれば、そういう運動は、元の木阿弥になるだろうと予見し、「黙阿弥」というペンネー
ムをつけたという。黙阿弥の予見は、その後の歌舞伎の歴史が、見事に証明している。「高
時」は、明治時代の新歌舞伎、「活歴もの」のサンプルのような作品である。

「高時」は、政府の欧化主義に共鳴をし、歌舞伎の国劇化を目指した九代目團十郎が、「史
劇」(後に、「活歴(かつれき)もの」と総括された。活きた歴史劇。あるいは、史=死と
いう音を嫌い、演技担ぎで、死の対極、活き=活(かつ)としたのかもしれない)の創作に
情熱を燃やした絶頂期の作品と言われるもので、当時の識者であった有職故実の学者、画
家、劇文学者らをブレーンとして作った「求古(きゅうこ)会」の時代考証や意見を取り入
れて作り上げた出し物。「求古会」が、とりまとめた原案を元に、九代目が、黙阿弥に台本
を書かせたというが、黙阿弥は、「芝居にならなくて困る」と弟子にこぼしていたと伝えら
れる。ここで言う「芝居」とは、もちろん、歌舞伎の意味である。九代目が、演劇改良運動
のシンボルとして制定した「新歌舞伎十八番」のうちのひとつが、この「高時」である。黙
阿弥が、歌舞伎にならないと言ったのにもかかわらず、九代目は、幕末に亡くなった七代目
(1791年ー1859年)が制定した「歌舞伎十八番」の向うを張って、「新歌舞伎十八
番」に押し込んだのが、「高時」である。八代目が、若くして、自殺しているので、九代目
(1838年ー1903年)は、自分が、21歳の時に亡くなった七代目に、あるいは、
「ライバル心」を燃やしていたのかも知れない。

次いで、「素襖落(すおう落とし)」。これは、酔っ払いの話だ。「素襖落」は、狂言の演
目を素材に1892(明治25)年に初演された新歌舞伎。松羽目ものの舞踊劇。福地桜痴
原作「襖落那須語(すおうおとしなすものがたり)」。後に六代目菊五郎が「素襖落」とい
う外題に改めた。

私は10回目の拝見。私が観た主な配役。私が観た太郎冠者:幸四郎時代を含む白鸚
(3)、富十郎(2)、團十郎、橋之助時代の芝翫、吉右衛門、松緑。

今回は、海老蔵。大名某:左團次(3)、菊五郎(2)、二代目又五郎、彦郎、富十郎、團
蔵。今回は、獅童。

この演目の見せ場は、酒の飲み方と酔い方の演技。葛桶(かずらおけ、かつらおけ。能や狂
言で用いる道具。黒漆塗円筒形の蓋付(ふたつき)桶。高さは約50センチ。黒地に金の蒔
絵(まきえ)をほどこしたものが多い。能では腰掛けとして使うことが多いが,狂言では酒
樽、茶壺などに見たてる。今回のように、蓋だけを大杯として使うことも多い)の蓋を使っ
て、大酒飲みを演じる。「勧進帳」の弁慶、「五斗三番叟」の五斗兵衛、「大杯」の馬場三
郎兵衛、「魚屋宗五郎」の宗五郎、「鳴神」の鳴神上人など、酒を飲むに連れて、酔いの深
まりを表現する演目は、歌舞伎には、結構、多い。これが、意外と難しい。これが、巧かっ
たのは、今は亡き團十郎。團十郎は、大杯で酒を飲むとき、体全体を揺するようにして飲
む。酔いが廻るにつれて、特に、身体の上下動が激しくなる。ところが、ほかの役者たち
は、これが、あまり巧く演じられない。多くの役者は、身体を左右に揺するだけだ。さら
に、科白廻しに、徐々に酔いの深まりを感じさせることも重要だ。

こちらが、年をとったせいか、今回は、酔った太郎冠者をからかって大名某らが素襖(平安
時代末期頃の男性の上衣の一種)を隠しながら、いわば「素襖リレー」をする場面で気がつ
いたことがある。あそこに素襖があるはずだと大名某らを追い回す際の太郎冠者の「記憶違
い」が、酔いの深まりではなく、高齢化による物忘れのようにも見え出したことだ。

筋は、こうだ。大名某が伊勢参宮を思い立ち、伯父も誘うと太郎冠者を使いに出した。伯父
は不在で、姫御寮が太郎冠者の旅立ちの門出を祝おうと酒でもてなす。宴が果て、太郎冠者
は、姫御寮から餞別に素襖を拝領する。大名某のところに戻るが、太郎冠者は素襖を落とし
てしまう。大名某は、素襖を自分のものにしようと、太刀持ちと連携して、「素襖リレー」
をするが、太郎冠者も、なんとか素襖を取り戻そうと、慌てて周りを探し回る、という滑稽
譚。

緞帳が上がると、松の巨木の背景(書割)。松羽目ものの定番。上手に霞幕。途中から、書
割が替わる。霞幕を外すと、竹本連中の山台。長唄の雛壇。太郎冠者は、姫御寮(児太郎)
に振舞われた酒のお礼に那須の与市の扇の的を舞う。いわゆる「与市の語り」である。謡曲
の「屋島」の間狂言「那須語(なすものがたり)」を取り入れた。与市の的落し、餞別にも
らった太郎冠者の素襖落し。ふたつの落し話がミソ。酔いが深まる様子を見せながら、太郎
冠者は、舞を交えた仕方話を演じ分ける。前半のハイライトの場面。ここでは、次郎冠者
(友右衛門)、三郎吾(権十郎)が、姫御寮とともに、太郎冠者の舞を見るが、座っている
だけなので、金地に蝙蝠を描いた扇子を持った太郎冠者の独壇場となる。

帰りの遅い太郎冠者(海老蔵)を迎えに来た主人・大名某(獅童)や太刀持ち・鈍太郎(市
蔵)とのコミカルなやりとりが楽しめる。酔っていて、ご機嫌の太郎冠者と不機嫌な大名某
の対比。素襖を巡る3人のやりとりの妙。機嫌と不機嫌が、交互に交差することから生まれ
る笑い。自在とおかしみのバランス。


貴甘坊(堀越勸玄)登場


「外郎(ういろう)売」を観るのは、今回で7回目。市川團十郎宗家の家の藝を示す歌舞伎
十八番のひとつ。私が観た外郎売、実は、曽我五郎は團十郎(2)、松緑(3)、新之助時
代を含め海老蔵(今回含め、2)。ということで、成田屋対音羽屋の対決だ。成田屋の演目
だが、松緑も熱心に取り組んでいる。今回は、貴甘坊(堀越勸玄)も登場するのが、最大の
ポイントだろう。

歌舞伎十八番の演目だが、1718(享保3)年、二代目団十郎初演。その後、上演は絶え
る。1922(大正11)年、市川三升(後に十代目團十郎を追贈)が復活。1940(昭
和15)年、九代目海老蔵(後に、十一代目團十郎襲名)が上演。さらに、1980(昭和
55)年の野口達二の改訂版(荒事の味を濃くし、「対面」の趣向を取り入れ、一幕ものと
して充実させた)で、十二代目團十郎が演じ、以後、上演を続けた。

亡くなった十二代目團十郎は「外郎売」を予定していた04年6月の歌舞伎座の舞台を白血
病の発症で休演。代役は当代の松緑が勤めた。2年後の06年5月の歌舞伎座で團十郎は病
を克服して舞台復帰を図る際に、「外郎売」を選んだ。更に、再発で休演に追い込まれた
が、地獄の苦しみの闘病生活をへて復活。09年1月国立劇場の舞台、2回目の復帰を歌舞
伎十八番「象引」で果たし、同年の顔見世月の11月には、歌舞伎十八番「外郎売」で復帰
の年を締めくくる。十二代目團十郎は、海老蔵時代を含め、9回演じた。歌舞伎十八番に
は、当然ながら、宗家としての思い入れが強い。こうした経緯を見れば、中でも「外郎売」
こそは、という思いも、亡くなった團十郎には強かったのだろうと容易に推測できる。

松緑も左近時代、13歳初役で、1989年1月国立劇場で「外郎売」を演じた際、祖父の
二代目松緑が工藤祐経で共演している。それだけに、四代目松緑としても二代目から引き継
いだ演目という思い入れが強いだろう。松緑は、左近、辰之助時代を含め、これまでに、7
回、「外郎売」を勤めている。

この演目はもともと「動く錦絵」のような狂言。曽我兄弟が父親の敵とつけ狙う工藤祐経と
の対面の物語ということで、筋が単純な割に登場人物が多くて、見た目が多彩。歌舞伎に登
場するさまざまな役柄が勢揃いし、しかも、きらびやかな衣装で見せる。華やかで、歌舞伎
のおおらかさを感じさせる演目だ。それと、曽我五郎の早口の「言い立て」の妙という見せ
場もあり、これも判り易い演出だ。まさに、初心者の歌舞伎入門向けの出し物と言えよう。

開幕すると、まず、浅黄幕。柝を合図に振り落としで、大勢が板付きになっている華やかな
舞台が現れる。登場人物がいきなりほぼ全員揃うという演出。ワイドなデジタルテレビにス
イッチが入った感じを江戸時代から歌舞伎の観客はすでに味わっていたのだと思う。

今回の主な配役は次の通り。

本舞台中央に二重舞台、破風のある古風な建物。箱根神社社頭の体。中央に狩場の総奉行の
工藤祐経(梅玉)、大磯の虎(魁春)、化粧坂の少将(雀右衛門)、遊君喜瀬川(廣松)、
亀菊(梅丸)、珍斎(市蔵)、梶原親子(景時=家橘、息子の景高=九團次)、小林朝比奈
(獅童)、妹の舞鶴(児太郎)。

そこへ、花道より、外郎売、実は、曽我五郎(海老蔵)が、貴甘坊(堀越勸玄)と連れ立っ
てやって来たので、宴席に呼び入れられる。場内は、拍手で盛り上がる。貴甘坊は、柄こそ
小さいが、外郎売、実は、曽我五郎とそっくりの格好をしている。

小田原名物の妙薬、ういろうの販売。東西声が入り、そして、故事来歴や効能を宣伝。効能
の証と、早口の「言立(いいた)て」を披露する。今回は、この早口の「言立」を海老蔵の
長男・堀越勸玄が演じてみせるのが、ミソ。ここが見せ場、見どころ聞きどころ。貴甘坊
は、達者に外郎売得意の早口での薬の効用の宣伝をする。

外郎売、実は曽我五郎とともに花道に登場した貴甘坊(堀越勸玄、6歳)は、笑顔も見せな
がら「私の名前は堀越勸玄でござりまする」と達者に挨拶。続く最大の見せ場では、「アカ
サタナハマヤラワ〜」からおよそ4分間に及ぶ早口の長科白を完璧に演じて見せた。自信
満々。ずっと、見守っていた場内の観客は割れんばかりの拍手を聴きながら、満足そうだっ
た。歌舞伎役者の御曹司は、幼い頃から、こういう拍手を浴びながら、成長して行くのだろ
う。

珍斎(市蔵)が戯(たわ)けの役どころで貴甘坊に絡むチャリ場。珍斎とのやり取りを経
て、工藤祐経へ接近しようとする曽我五郎と貴甘坊。大磯の虎、化粧坂の少将が遮る。さら
に、舞鶴、喜瀬川、亀菊、朝比奈、珍斎らが出て、振りごと。下手に設えられた緋毛氈の消
し幕で、外郎売と貴甘坊を隠す。

やがて、消し幕が外され、貴甘坊を連れた外郎売は五郎としての正体を顕す。前髪付きの鬘
に、緋縮緬の襦袢、肌脱ぎ、曽我五郎の出で立ち。工藤祐経を父親の敵と狙う。曽我ものの
「対面」と同じ場面となる趣向。工藤側の奴たちと五郎の立ち回り。

時節を待てと兄弟を諭す朝比奈。工藤祐経は狩場の絵図面を包んだ帛紗を五郎らに投げ与
え、総奉行の職務を終えたら狩場で会おう、というだけの話。

奴たちが上手と下手に分れて花槍を使って、富士山の輪郭をなぞるように裾野を描く。富士
山頂の位置には工藤祐経を演じる歌六が立ち上がる。五郎と貴甘坊も皆々引張りの見得に
て、幕。
- 2019年7月10日(水) 13:35:42
19年7月国立劇場 (「車引」「棒しばり」)


6月に続いて、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室。演目は、「車引」「棒しばり」。
「車引」は、「吉田社頭車引の場」。歌舞伎・人形浄瑠璃の3大名作の一つ「管原伝授手習
鑑」の一場面だ。全五段のうち、三段目の冒頭シーン。1746(延享3)年、大坂・竹本
座の人形浄瑠璃が初演だ。その年のうちに、歌舞伎に移され、上演された。人形浄瑠璃の短
い場面を歌舞伎は、一枚の錦絵に仕立て上げた。見せる歌舞伎のエッセンスのような名場面
だ。いかにも、若い人相手の歌舞伎鑑賞教室にふさわしい演目だろう。華麗な衣装、ダイナ
ミックな演技、色彩豊かな吉田神社の門前、豪華な牛車。

冒頭の梅王丸(坂東亀蔵)と桜丸(新悟)の出逢いは、後に、南北が「鞘當」という演目
で、なぞっている(下敷きにしている)。「足元の明(あけ)えうちに、早くけえれ」(松
王丸)が、場所柄もわきまえず(京の都、吉田神社の門前にも関わらず)、江戸の荒事の言
葉を駆使する役者たち。上方での江戸のデモンストレーション。彼ら三つ子の三兄弟を賞賛
する化粧声は、江戸のコマーシャルソング。

贅言;いまは亡き團十郎が演じた梅王丸(三つ子のうち、長男)は、腰の落とし方の確かさ
が今も印象に残る。今回は、坂東亀蔵。普通は、三つ子のなかでは、松王丸(松緑)が、次
男ながら、歌舞伎の役どころでは、長男の印象で演じられる。今回も、松緑に貫禄がある。

左大臣・藤原時平の牛車への出方。吉田神社の塀や柵が動く。牛車の裏側に現れる。牛車が
分解され、様式的な舞台装置に変身して、牛車の上に出現する時平。時平は、この出現の瞬
間で、役者の格が問われる。治平は、いまは亡き羽左衛門なら、貫禄充分だったろうに。

歌舞伎独特の化粧・隈取りからの荒事「度」を測る。血の気の多い梅王丸は、顔から血管が
膨れて、筋肉が緊張して、飛び出している様を写す。手足にも隈取り。血管、筋肉が飛び出
している。「筋隈」という。車鬢(びん)という派手な髪型。目の下だけのスマートな「む
きみ」隈は桜丸。ふたりは、赤地に梅、または、桜の模様の衣装。兄弟ながら、雇い主が違
うからと、このふたりに対抗する松王丸は、「二本隈」。梅王丸の筋隈よりは、落ち着きや
貫禄を感じさせる。衣装も白地に松の模様。松の枝に雪が載っている。雪持ち松。

松王丸の雇い主、藤原時平は、「公家荒(くげあ)れ」という藍色の不気味な隈。見るから
に、冷酷無比の印象。人は、見た目、ということか。金冠白衣(きんかんびゃくえ)は、天
皇だけに許された装束。それを堂々と着ている時平は、天下を狙う無法人、ということか。

このほか、脇役ながら、先払いのの金棒引は、「猿隈」という滑稽味のある猿の隈。

贅言;隈取りは、登場人物の血管や筋肉を誇張して表現する。従って、同じ人物でも、場面
が違えば、表情も違うから、隈取りも異なって来る。例えば、同じ「管原伝授手習鑑」で
も、「賀の祝」では、三つ子の隈取りが、「車引」とは、違っている。梅王丸、松王丸と
も、隈取りの過激度を「車引」より、ワンランク落としている。つまり、緊張度が違うとい
うことだろう。最後の大見得。松王丸、桜丸。黒衣が、後ろから衣装を持ち上げる大見得。
梅王丸は、普通の見得。「車引」の梅王丸は、元気闊達で、「飛び六方」という勢いよく走
る様をデフォルメさせた演技の型で花道を疾駆して行った。

今回は、松緑の長男・左近が杉王丸を演じる。出演者最年少の13歳。中学生になって、左
近は、声変わりの時期。可哀想に「変な」声で、科白を言わされていた。本来の高い声を抑
えて、腹から声を出すようにと言われたらしい。市川団蔵から指導を受けたという。

閉幕のシーンの、竹本の科白が良い。「睨んで 左右へ」。引っ張りの見得。柝の頭に、
幕。


「棒しばり」。能を素材とした演目、つまり、「能取りもの」で、松の巨木を描いた背景の
鏡板(つまり、能舞台風)のある「松羽目もの」である。その両側、上手と下手は、竹林の
背景。

元となるのは、狂言の「棒縛」。これを元に1916(大正5)年、岡村柿紅作詞、五代目
杵屋巳太郎作曲、六代目菊五郎の次郎冠者、七代目三津五郎の太郎冠者、初代吉右衛門の大
名・曽根松兵衛で初演された。つまり、新歌舞伎の演目。したがって、緞帳で開幕。

狂言半ば。背景の鏡板が、上に上がる。左右の竹林が動く。鏡板の向こうに長唄連中が姿を
現す。背景は、松の巨木から3本の松に替わる。これをきっかけに大名は一旦退場。大名
は、ふたりを信用せず。太郎冠者と次郎冠者が、両手を縛られて、留守番。

にも関わらず、ふたりは、知恵を働かせて、主人の大名の不在時に酒をちゃっかり盗み飲み
し、酩酊するという話。あの手、この手で、手を使わずに、演奏に乗りながら滑らかに踊る
舞踊劇。これでは、まるで、ふたりの従業員が、社長の目を盗んで、ふたりで互いに足らざ
る部分を補い合い、目的を達成する。彼らは、かなり、有能な社員ではないのか、とお見受
けする次第。

何れにせよ、知恵のある酔っぱらいたち。人の良い大名の叡智を超えるふたり。初心者に
も、歌舞伎の楽しさを判らせてくれる新歌舞伎の演目。これも歌舞伎鑑賞教室向き。今月の
国立劇場は、ちと、堅苦しいか。

この演目で、巧さのコンビは、いまは亡き勘三郎、三津五郎。このコンビは、生前に、2回
拝見。勘九郎時代の勘三郎、三津五郎は、ふたりとも踊りには、定評があるだけに、たっぷ
りと堪能した。今回は、次郎冠者が、松緑。太郎冠者が、坂東亀蔵。大名が、松江。

帰宅した大名は、自分の企図に反して、酒を盗み飲み、酔っ払っているふたりとの間でバト
ルとなるが、酒が体内を駆け巡り、威勢の良い酔っ払いには、勝てない。
- 2019年7月8日(月) 17:20:00
19年6月歌舞伎座(夜/三谷かぶき「月光露針路日本 風雲児たち」)


大黒屋光太夫の物語/決死の漂流と彷徨


今月の歌舞伎座は、昼の部は、古典の名作上演、夜の部は、新作歌舞伎として、「三谷かぶ
き」の上演だ。この演目は、初日に見たが、終演閉幕後、定式幕が3回も引き開けられたの
には、驚いた。歌舞伎座でも、新作歌舞伎の場合、カーテンコールが行われることがある
し、私も何回か体験しているが、いずれもカーテンコールされる「カーテン」は、上下に開
閉される緞帳であった。それが今回は、左右に引かれる定式幕なので、びっくりしたわけ
だ。常識幕のカーテンコールは、かなり珍しい。少なくとも、私は、初めて見た。ならば、
三谷かぶき「月光露針路日本(つきあかりめざすふるさと) 風雲児たち」とは、そも、ど
ういう演目なのか。

私の結論を言えば、この芝居は、歌舞伎風歴史劇&現代劇なのではないか。原作は、みなも
と太郎原作の漫画「風雲児たち」。芝居の原作と演出は、人気劇作家&演出家の三谷幸喜。
役者は、脂の乗り切った中堅、若手の歌舞伎役者たち。時に、ベテランの歌舞伎役者も、現
代劇の名脇役も参加。群像劇である。舞台は、歌舞伎のメッカ・歌舞伎座。つまり、舞台機
構、大道具、音楽は、歌舞伎味。みなもと太郎原作の漫画「風雲児たち」は、1979年か
ら、月刊雑誌「月刊少年ワールド」に掲載が始まり、現在もリイド社のSPコミックスで刊
行が続いている大河漫画だ。「風雲児たち 幕末編」は、「コミック乱」で連載中という。
大河漫画は、江戸幕府の成立から幕末期まで。今回の歌舞伎化にあたって、三谷幸喜は、大
黒屋光太夫のロシア漂流物語に焦点を絞っている。

主役は、大黒屋光太夫で、光太夫は、1782(天明2)年12月、神昌丸という船に乗り
込み、16人の仲間とともに伊勢の白子浦を出て、太平洋を日本列島沿岸に沿って、江戸へ
と向かった。途中駿河湾沖で大嵐に遭遇し、難破遭難。太平洋漂流の果てにロシア領アリュ
ーシャン列島のアムチトカ島に流れ着いた。北へ8ヶ月の漂流であった。狩猟のため島に滞
在していたロシア人に助けられたが、絶海の孤島で、仲間たちは、飢えと寒さで次々と亡く
なっていった。その後、日本帰国を夢見ながら、ロシア国内を彷徨い、最後は、ロシアのサ
ンクトペテルブルグに辿り着き、博物学者の協力で1791年5月、ロシアの女帝・エカテ
リーナ2世との謁見に成功し、1792年秋、ふたりの仲間とラックスマンの息子ととも
に、北海道の根室へ待望の帰国を果たす。この間、10年の歳月が流れた。光太夫は帰国
後、江戸に移送、将軍上覧、江戸での永住、一時帰郷(鈴鹿)も含め、36年間生存、18
28(文政11)年、78歳で病死した。今回の芝居は、このうち、駿河湾沖の遭難から駿
河湾への接近、富士山遠望までを描く。

まず、芝居の基礎情報から。
今回の場面構成は、次の通り。
「プロローグ」、第一幕第一場「神昌丸漂流の場」、第一幕第二場「露西亜国アムチトカ島
の場」、第二幕第一場「露西亜国カムチャッカの場」、第二幕第二場「露西亜国オホーツク
の場」、第二幕第三場「露西亜国ヤクーツクの場」、第二幕第四場「露西亜国雪野原犬橇疾
走の場」、第三幕第一場「露西亜国イルクーツク光太夫屋敷の場」、第三幕第二場「露西亜
国サンクトペテルブルグ謁見の場」、第三幕第三場「露西亜国イルクーツク元の光太夫屋敷
の場」、「エピローグ」。

三谷の外題や各段(場面)のタイトルの付け方は、あまり巧くない。と、思わないか。即物
的すぎるような気がする。

主な配役は、次の通り。
船頭(ふながしら)・大黒屋光太夫:幸四郎、水主(かこ)・庄蔵と女帝・エカテリーナ2
世のふた役:猿之助、水主・愛之助、博物学者キリル・ラックスマン(父親)とアダム・ラ
ックスマン(息子)のふた役:八嶋智人、ロシア人教師の娘・アグリッピーナ:高麗蔵、水
主・九右衛門:彌十郎、三五郎とポチョムキン公爵:白鸚。


新作歌舞伎「月光露針路日本」


当然ながら、初見なので、各場面の粗筋も含めて、記録しておこう。
大筋は、三谷幸喜原作、各場面での細部の歌舞伎風演出ほかは、歌舞伎役者たち、舞台装置
では、三谷幸喜のほか、美術、照明の担当者、舞台監督たちも参加しているだろうが、私が
感心したのは、場面転換で、歌舞伎味をうまく活用していたこと、特に道具幕は積極的に活
用していて、歌舞伎劇としての味わいを色濃く残しながら、通常の歌舞伎芝居とは一味違う
大胆な演出になっていて、舞台装置の展開だけでも、もう一度、舞台を観たいと思った。ま
た、古典ものの上演時と違って、場内の客席は、暗くて、ほとんどメモが取れないので、記
憶に残っている印象論で劇評を書かざるを得ず、誤記を含めて、あるいは、記憶違いなど不
適切な間違いなどを含んでいるかもしれないが、ご容赦いただきたい。以下、初見なので、
粗筋もコンパクトながら、記録しておきたい。

「プロローグ」。開幕前。舞台には、定式幕。幕の下から浪幕がはみ出して見えている。開
幕すると、舞台には、浪幕の上に、ユニークな船の大道具。花道から松也登場。「口上」を
勤める。「教授風」の男(松也)が、家康の船の製造規制の背景と1782(天明2)年1
2月の駿河湾沖で起きた大嵐による遭難事故の概略を説明する。24隻が犠牲になり、助か
ったのは、光太夫の神晶丸一隻のみと、説明。助かったとは言え、神晶丸は、ロシアへ8ヶ
月の大漂流となる。

第一幕第一場「神昌丸漂流の場」。暗闇の中で、幕開き。無人の薄暗い舞台に上手黒御簾の
竹本の太夫と三味線方が、浮き上がっている。時は、1783(天明3)年7月。船頭(ふ
ながしら、船長)・光太夫(幸四郎)を含む17人は、難破した船で漂流中。船親司(ふな
おやじ)・三五郎(白鸚)が船頭を支える。水主(かこ、乗組員)たちは、全員で15人。
最長老の九右衛門(彌十郎)、庄蔵(猿之助)、新蔵(愛之助)、次郎兵衛(錦吾)、小市
(男女蔵)、藤助(廣太郎)、与惣松(種之助)、磯吉(染五郎)、清七(宗之助)、磯八
(松之助)、勘太郎(弘太郎)、藤蔵(鶴松)、長次郎(幸蔵)、安五郎(千次郎)、作次
郎(松十郎)。皆の古着から帆を作る水主らもいるが、皆の間には、不安と退屈が覆ってい
るようだ。体の不調を訴える者もいる。その様子を見た光太夫は、リーダーシップを発揮
し、皆で力を合わせて、伊勢に帰ろうと励ます。しかし、ついに、死者が出た。

第一幕第二場「露西亜国アムチトカ島の場」。1783年。8ヶ月の漂流の末、アリューシ
ャン列島のアムチトカ島に漂着。島には、猟師の先住民とラッコの毛皮を買い取るロシア人
たちがいる。光太夫たちは、もう、2年も、この島にいる。この間に、三五郎ら5人が亡く
なった。現在、11人。沖に船影が見えた。帰国できると喜んだが、またも大嵐、船が沈ん
でしまう。発狂した水主が海の中へ姿を消してしまう。残るは、10人。

贅言;黒衣ならぬ白衣たちが多数出て、漂流者の小屋を動かしたり、引き道具を動かした
り、白布の道具幕を巧みに、要領よく使ったりして、小屋を隠す、というか、降る雪の演出
か。何れにせよ、無駄のない場面展開をする。手作りの歌舞伎らしい演出。こういう辺り
は、三谷演出は巧い。

第二幕第一場「露西亜国カムチャッカの場」。1787年。4年間滞在、というか足止めと
なっていたアムチトカ島を脱失した光太夫たち10人は、カムチャッカ半島に渡る。

日本への帰国願いを地元の役所に出しに行った小太夫は、春になったら、シベリア総督府の
あるオホーツクへ行って、許可を取れと言われたと皆に伝える。流氷の裂け目(花道すっぽ
ん)に落ちて一人が亡くなり、力尽きた一人が亡くなる。これで、生き残っているのは、8
人。帰国するまで、仲間が何人亡くなってしまうのかと光太夫は、苦悩する。

第二幕第二場「露西亜国オホーツクの場」。オホーツクに辿り着いたのは、光太夫(幸四
郎)、庄蔵(猿之助)、新蔵(愛之助)、九右衛門(彌十郎)、小市(男女蔵)、磯吉(染
五郎)の6人になってしまった。だが、ここでも帰国の許可が取れず、ヤクーツクへ行けと
言われる。

第二幕第三場「露西亜国ヤクーツクの場」。ここでも帰国の許可が取れず、イルクーツクへ
行けと言われる。ここまで歩いてきた距離の2倍の距離が前面に広がる。ロシア語を学んだ
磯吉は、ここまで同行してきたロシア人教師の娘・アグリッピーナ(高麗蔵)と恋仲になっ
ていて、ここに残ると言い出す。光太夫は、磯吉を諌める。

第二幕第四場「露西亜国雪野原犬橇疾走の場」。ここは、三谷演出が光る場面となる。旅立
ちの朝。犬橇(いぬぞり)の用意が整う。橇犬たちは、着ぐるみの役者たち。大部屋の立役
衆。合計11人。誰が出演しているかは、判りにくい。

ロシア語のできるようになった磯吉が姿を見せていない。犬橇出発を合図した時、磯吉が遅
れて現れ、橇に飛び乗る。追いかけてくる娘を振り切る。昼夜を押して犬橇が走り続ける。
大部屋役者の心意気。橇犬役者たちの見せ場だ。居眠りをしていた庄蔵が橇から落ちる。な
んとか救いあげる。

橇を引く犬たちも脱落し始めた。この辺りの犬たちの演技は、映画のスローモーション、ス
トップモーションの映像を見るような感じで、描かれる。木立も後ろに消えて行く。ここ
が、今回の芝居の見せ場のひとつだろう。一行が、雪原での死を覚悟した時、やっと、イル
クーツクの町が見えてきた。

第三幕第一場「露西亜国イルクーツク光太夫屋敷の場」。1789年。ロシア政府から宿舎
を与えられた光太夫は、町の有力者の間を廻り、「トークショー」で漂流体験を語り、帰国
への賛助金を募っている。久右衛門は、こういう光太夫の行為を批判する。

光太夫のスピーチを聞いた博物学者のキリル・ラックスマン(八嶋智人)が、訪ねてくる。
帰国したいという光太夫に、ロシアに留まり、日本語教師になれと勧める。ラックスマン
は、光太夫にサンクトペテルブルグへ一緒に行き、女帝に謁見し、直接帰国を訴えようと助
言する。ふたりは、サンクトペテルブルグへ旅立つ。最長老の水主・九右衛門が亡くなる。
残るは、5人。

第三幕第二場「露西亜国サンクトペテルブルグ謁見の場」。暗転のうちに場面展開。時は、
1791年。この芝居の、もうひとつの見せ場である。サンクトペテルブルグの夏の離宮ツ
ァールスコエ・セロー。エカテリーナ宮殿は、絢爛豪華な離宮である。光太夫(幸四郎)と
キリル・ラックスマン(八嶋智人)のふたりが、女帝・エカテリーナ2世(猿之助)との謁
見を待っている。秘書官のアレクサンドル・ベズボロトコ(寿猿)と女官のソフィア・イワ
ーノヴナ(竹三郎)と行き交う。そこへ新蔵(愛之助)がマリアンナ(新悟)を連れて現れ
る。凍傷で左足を切断した庄蔵(猿之助)が、キリスト教に改宗した、自分もキリスト教の
洗礼を受けたので、ふたり共、ロシアに留まると告げる。これで、光太夫と一緒に帰国を希
望する者は、3人になった。

贅言・1;「ツァールスコエ・セロー」は、サンクトペテルブルグ中心から南に24キロほ
ど離れたサンクトペテルブルク市プーシキン区にある。ツァールスコエ・セロー(皇帝の
街)は、18世紀の終わりまでには、貴族の間で夏の住まいとして人気のある避暑地になっ
た。「歴史地区と関連の建造物群」として世界遺産にも登録されている。ロシア皇帝の離
宮・エカテリーナ宮殿、アレクサンドロフスキー宮殿などがある。

贅言・2;女帝・エカテリーナ2世は、1729年――1796年。当時の北ドイツ(現在
ポーランド領)生まれ。神聖ローマ帝国領邦君主の娘。14歳で、ロシア皇太子妃候補とな
る。皇太子のホルシュタイン公ピョートル・フョードロヴィッチ(ピョートル3世)と17
45年に結婚。不幸な結婚生活の中で、男性遍歴を経て、ポチョムキン・タヴリーチェスキ
ー公爵とも結ばれた(判っている範囲でも、4人の男性との間に6人の子をなす)。176
2年、エリザヴェータ女帝が死去すると、女帝の甥であるピョートル3世は皇帝になり、そ
の妻であるエカテリーナ2世も皇后となる。詳細は省くが、「皇后のクーデター」で夫のピ
ョートル3世を廃位にし、1762年、女帝として自らが即位する。エカテリーナ2世は、
当時のヨーロッパで流行していた啓蒙思想の信奉者で、「啓蒙君主」を自認していた。寛容
の精神を持っていたことから、光太夫の望郷の念、帰国願望を理解したのだろう。在位、3
4年。1796年、脳梗塞で逝去。享年67。

さて、花道からロシアで女帝に次ぐ地位にいるポチョムキン・タヴリーチェスキー公爵(白
鸚)、その人が現れた。ポチョムキン公爵と光太夫が話をしているところへ、女帝の出座が
告げられる。光太夫は女帝に命がけで帰国の願いを訴える。ドイツ生まれの女帝・エカテリ
ーナ2世は、光太夫の望郷の思いを理解し、光太夫らの帰国を許す。

贅言・3;女帝・エカテリーナ2世とポチョムキン公爵。女帝は、生涯に10人の公認愛人
を持っていたと言われる。夜ごとに人を変えて寝室をともにしたとする伝説も生まれた。そ
れゆえか、孫のニコライ1世からは、「玉座の上の娼婦」と揶揄されたという。そういう女
帝の性癖を理解、許容していたポチョムキン公爵は、1774年頃から10歳年上の女帝と
結ばれた、という。ポチョムキン公爵は、女帝の生涯でただひとりの「真実の夫」と言うべ
き存在で、私生活のみならず、政治家・軍人としても女帝の不可欠のパートナーとなった。

第三幕第三場「露西亜国イルクーツク元の光太夫屋敷の場」。望みを達成し、帰国の準備を
する光太夫。日本へは、キリル・ラックスマンの息子のアダム・ラックスマン(八嶋智人)
も同行することになった。光太夫らは、庄蔵(猿之助)と新蔵(愛之助)に別れを告げて、
帰国の途に着く。

「エピローグ」。1792年。光太夫(幸四郎)、磯吉(染五郎)、小市(男女蔵)の3人
を乗せたロシア船が日本の駿河へ近づいて行く。ここまで来て、小市は、力尽きて、亡くな
る。遂に、ふたりだけになってしまった。富士山が遠く見えてくる。「月光露針路日本」と
いう外題を含めて、「三谷かぶき」の根底には、結構、愛郷主義(パトリオティズム、ナシ
ョナリズム)があるようだ。史実と違って、芝居の光太夫は、富士山の元へ帰郷しようとす
る。

ラストシーンでは、神昌丸の乗組員だった17人全員が登場し、背景には、稚拙な富士山が
描き出される。定式幕が閉まる。そして、全員でのカーテンコール対応、という場面に繋が
る。

さて、閑話休題。私なりに段(場面)ごとのタイトル工夫で遊んでみた。( )内は、今回
上演の「場」。

序幕「北へ流れての段」(第一幕)、二幕目第一場「西へ大曲がりの段」(第二幕第一場か
ら第三場)、二幕目第二場「犬橇決死行の段」(第二幕第四場)、三幕目第一場「イルクー
ツクの段」(第三幕第一場)、三幕目第二場「離宮謁見の段」(第三幕第二場)、三幕目第
三場「イルクーツク別れの段」(第三幕第三場)、大詰「東へ直行の段」(エピローグ)。

大黒屋光太夫一行は、絶望的な状況の中で、希望を失わず、持続した強いしで難行苦行を乗
り越えた、北へ流されたが、西へ大きく大曲がりしながら、帰国の道を探り続けた。10年
間絶望せずに、希望を持ち続けた光太夫のリーダーとしての資質は、並々たるものだ。個々
人の多様性を尊重しながら、大局観を持って、ひとつにまとめる。現代社会でいちばん欠け
ている部分ではないか。

義太夫(竹本)と三味線は、第一幕、第二幕、第三幕、エピローグで演奏される。長唄は、
第二幕で加わる。当然ながら、こういう場面では、歌舞伎役者たちも歌舞伎味に拘泥わる。


「三谷かぶき」の魅力


「三谷かぶき」は、初めて拝見。演出ぶりでは、場面展開の巧さを堪能した。発想が斬新。
照明に凝っている。大道具がシンプル。道具幕を最大限に生かしている。例えば、舞台の屋
体を飛び越えて、白い幕が飛び、シンプルゆえに、屋体を一瞬程度のスピードで隠してしま
う。この斬新、シンプル、合理的(無駄がない)、スッキリして、その上、効果的。こうい
う舞台の効果を知り尽くしているのだろうと思った。三谷流のギャグ満載の科白。歌舞伎の
質は、役者に任せきり、素人の原作者・演出家の顔を出さない。その辺りのさじ加減が巧
い。満席の観客も、それを期待し、あるいはそれを堪能し、初日から、常識を超えて、定式
幕の左右開閉というユニークなカーテンコールになったのではないのか。
- 2019年6月8日(土) 13:27:39
19年6月歌舞伎座(昼/「寿式三番叟」「女車引」「梶原平三誉石切」「恋飛脚大和往
来」)


仁左衛門忠兵衛・吉右衛門梶原


今月の歌舞伎座は、昼は、古典名作。夜は、新作歌舞伎。昼の部の始まりは、「寿式三番
叟」。幸四郎から松也へ。芸の継承。「寿式三番叟」は、「三番叟もの」の中でも、いちば
ん、オーソドックスなものである。緞帳が上がると、まず、松江が舞台下手から登場する。
今回は、翁に東蔵、千歳に松江。三番叟がふたりで、幸四郎と松也が、演じる。まず、松江
の千歳が翁の前に進み出て舞い始める。次いで、東蔵の翁が、歌舞伎座の櫓に一礼した後、
ゆるりと舞う。天下安泰を祈って、翁は、舞い納めると千歳を伴い下手に消える。最後に、
舞台で待機していた三番叟たちの舞となる。幸四郎と幸四郎に影のように付き従いながら、
松也がダブルで舞う。ふたりは、黒で統一した衣装と烏帽子姿。ふたりは鼓の早間の拍子に
合わせて、地面を踏み固めるように、足拍子を踏み鳴らす「揉みの段」。揉み出し、烏飛
び。鈴を持ち、中啓を開いて、種を蒔く振りで「鈴の段」。五穀豊穣、千穐萬歳を願う。松
也の三番叟は、初役。その割には、松也と幸四郎の息は、合っていた。幸四郎は、「飛ぶ高
さも角度もバシッとふたりが合っているような、一心同体で勤められるといいと思います」
と楽屋で語っていた。松也は、「どれだけお兄さんについていけるか、お客様に気持ちよく
ご覧いただけるよう精一杯勤めます」と話す。舞は、農事を写し取っている。舞というよ
り、儀式のような展開。後半は祝儀的色彩が強い。後見たちは、いわゆる「裃後見」。鬘無
し、肩衣、袴姿。


珍しい「女車引」


「女車引」は、初見。魁春曰く。「歌舞伎の本興行で上演されるのは珍しい」。「菅原伝授
手習鑑」の名場面の一つ、「車引」の男たち(松王丸、梅王丸、桜丸という三つ子の兄弟)
を女たちに替えてみたら、という、一種のパロディものの舞踊劇。外題は、「五諸車引哉袖
褄(ごしょぐるまひくやそでつま)」という。1850年代、江戸の遊郭・吉原で流行った
「仁和賀(にわか)」の趣向を真似た舞踊劇。人気演目の主人公を女に替える趣向は、歌舞
伎にはたくさんある。「女暫」「女鳴神」「女團七」「女清玄」などが、思いつく。

本来の「車引」では、松王丸、梅王丸、桜丸が、それぞれ別の主人に舎人(現代なら、お抱
え運転手)として仕えているが、主人が敵味方に分かれてしまったことから、御所車を巡っ
て、兄弟が車を引き合う。主人は、それぞれ、次の通り。松王丸:左大臣藤原時平(しへ
い)、梅王丸:菅原道真、桜丸:斎世親王。

この三兄弟の、それぞれの女房が、松王丸夫人:千代(魁春)、梅王丸夫人:春(雀右衛
門)、桜丸夫人:八重(児太郎)なのだが、「女車引」では、まさに、この3人が登場す
る。定式幕が開くと、そこは、京の吉田神社社頭。3人は、花道から登場。神社社頭で行き
会った、という体(てい)。浄瑠璃は、清元。「色香争う車引 酒の機嫌かほんのり
と……」で、白布に包まれた台傘を引き合う、というパロディのほか、「摘草やほんの嫁菜
の姉妹が 思い思いの料理草 古来稀なる七十の賀の祝とて……」で、原作の「賀の祝」の
場面のパロディ。仲良く料理を作る所作。最後は、「夜毎に引かれて車引 評判よし
原……」で、賑やかな3人の総踊りのうちに幕となる。

登場人物の衣装、小道具、鳴り物は、「車引」の趣向の真似をする。男たちの3兄弟は、争
いの最中だが、女房たち3人は、明るく振る舞う。こちらの後見たちは、鬘、肩衣なしで、
羽織袴姿。


吉右衛門の「石切梶原」


吉右衛門は、「石切梶原」を本興行では、1975年3月、京都南座での初演以来、13回
演じている。データは、松竹演劇製作部(芸文室)がまとめた上演記録による。このうち、
私は、6回観ている。ざっと、半分だ。吉右衛門は、44年間で、13回ということは、3
年に1回程度という間隔で梶原平三役を演じてきたことになる。その度に、吉右衛門は、新
しい梶原像を追求してきたことだろう。平家方の梶原は、石橋山の合戦で、敗走した源頼朝
を助けたことから、平家と源氏に二股をかけた武士として、歌舞伎では、敵役のイメージで
登場することが多いが、「石切梶原」は、ちょっと違う。吉右衛門曰く。「梶原は頼朝に尽
くし、手足となって鎌倉幕府を作った武将です。梶原は頼朝を、『この人はすごい人だ』と
見抜きました。何事にも目が利く人で、それに通ずるのが刀を鑑定する際の目利きぶりなの
で、重要な場面です」。

「梶原平三誉石切」、通称、「石切梶原」という演目を私が観るのは、今回で18回目。私
がこれまでに見た梶原平三役は、6人いる。吉右衛門(今回含め、6)、幸四郎(5)、富
十郎(3)、仁左衛門(2。1回は、巡業興行)、團十郎、当代の彦三郎。この演目は、初
代吉右衛門の当たり芸だけに、播磨屋・高麗屋の兄弟は、母方の祖父の「持ちネタ」には、
特別の思い入れもあるだろうから、上演回数も多くなる。因みに、吉右衛門の兄の二代目白
鸚は、82年1月、大阪新歌舞伎座で、初演し、以来、本興行では、11回演じている。私
は、こちらも、5回なのでざっと、半分観ている勘定だ。

「石切」の名場面には、型が3つある。初代吉右衛門型、初代鴈治郎型、十五代目羽左衛門
型。その違いは「据物斬り」、石づくりの手水鉢を斬るとき、客席に後ろ姿を見せるのが吉
右衛門型で、鴈治郎型は、客席に前を見せるが、場所が鶴ヶ岡八幡ではなく、鎌倉星合寺。
羽左衛門型は、六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、手水鉢の水にふたり
の影を映した上で、鉢を斬る場面を前向きで見せた後、最後は、ふたつに分かれた手水鉢の
間から飛び出してくる。桃太郎のようだと批判された。

幸四郎、吉右衛門のふたりは、母方の祖父という家系から言っても初代吉右衛門型であっ
た。今回も吉右衛門は、梶原役の手本となるような盤石の演技であった。吉右衛門曰く。
「石切梶原」は、「出演者全員が役者ぶりで見せる芝居です」。ほぼ3年ごとに、梶原役に
磨きを入れている吉右衛門という役者がいる、というわけだ。

このほか、今は亡き富十郎は、上方歌舞伎の系統として、初代鴈治郎型だったが、場所は鶴
ヶ岡八幡であった。仁左衛門と團十郎は、十五代目羽左衛門型で、手水鉢の向うから飛び出
してきた。彦三郎は、当然ながら、十五代目羽左衛門型。型通りに地道に丁寧に演じてい
た。

このほかの配役。
刀を娘のために売りに来た六郎太夫は歌六。娘・梢は初役の米吉。六郎太夫は、娘の梢に家
に忘れてきた「折紙」(刀の鑑定書)を取りに行かせた隙に、「二つ胴」という切迫する場
面に己の身体を晒す。「二つ胴」とは、六郎太夫が売りにきた刀の「試し斬り」方式の、通
称だ。獄屋に囚われている囚人の剣菱呑助(吉之丞)と一緒に、ふたり重ねて一気に斬ろう
という、試し斬りのことだ。

平家方の大庭三郎は、又五郎、俣野五郎は、歌昇。大庭宛の書状を届けにきた奴・萬平(播
磨屋型では、本来は若党役)は錦之助。囚人・剣菱呑助は、吉之丞。


仁左衛門の忠兵衛「封印切」を歌舞伎座で初めて観た


「恋飛脚大和往来 封印切」を観るのは、今回で10回目。このうち、「封印切」から「新
口村」への通しで観たのは、05年6月と07年10月の、いずれも、歌舞伎座で、2回あ
る。今回含め、後の8回は、「封印切」のみの拝見。

私が観た前回の舞台。14年3月歌舞伎座は、ことのほか、上方味濃厚で、そこを噛み締め
ながら舞台を観た記憶がある。忠兵衛に人間国宝の坂田藤十郎。山城屋。梅川に息子(藤十
郎次男)の扇雀。憎まれ役の八右衛門に藤十郎長男の翫雀時代の鴈治郎。上方の成駒家。治
右衛門に我當、井筒屋おえんに秀太郎(我當の弟)。松嶋屋。藤十郎を軸に成駒家と松嶋屋
が、科白廻し、大道具、演出などで、濃厚な上方味を堪能させてくれたというわけだ。

今回の仁左衛門も上方型と思い込んでいたら、なんと、大道具は江戸型。江戸型の大道具に
松嶋屋型の演技が、仁左衛門型だったようだ。それでも、仁左衛門は絶品の忠兵衛であっ
た。いろいろ気づいたことがあるので、その辺りを軸に、今回は書いてみたい。

仁左衛門が、「封印切」の忠兵衛を演じるのは、本興行では、今回で9回目だが、歌舞伎座
で演じるのは、今回が、なんと2回目である。歌舞伎座初回は、孝夫時代の1988年10
月であった。それ以来、31年ぶりの忠兵衛である。「石切梶原」のように、3年ごとに持
ち役に磨きをかける吉右衛門とは、役作りの「流儀」が違う、ということだろう。これぞ、
歌舞伎役者の持ち味の違い、ということか。私の見解では、吉右衛門の場合、オーソドック
スに細部まで磨くような役作りをする。一方、仁左衛門の場合、一度、パーティの会場で会
った際、話をしたことがあるのだが、自分は、(まるごと)「役になり切る」という演技論
だとおっしゃっていた。今月が、非情な極悪人。来月が、実のある捌き役。そういう役作り
の谷間となるような月末のパーティ会場での短い会話。今回も、仁左衛門は、丸ごと忠兵衛
になりきってしまえば、後は、役が自然に芝居をするということではないか。まあ、仁左衛
門の「封印切」の忠兵衛には、今回初めて出会った私だが、「新口村」へ逃避行をしてきた
忠兵衛には、私も何回も逢っているから、大坂新町の井筒屋の座敷で、嫌がらせをする八右
衛門相手に、イライラを募らせる忠兵衛には、馴染みがある。絶望の逃避行「新口村」の、
忠兵衛。激怒で、ハイテンション「封印切」の、忠兵衛。いずれも、哀しい忠兵衛なのであ
る。

「封印切」で、私が観た主な配役では、忠兵衛は、鴈治郎時代を含めて藤十郎(5)、扇雀
(2)、勘九郎時代の勘三郎、染五郎。今回は、私は初見の仁左衛門。梅川は、扇雀
(3)、孝太郎(今回含め、3)、時蔵(2)、愛之助(2)。八右衛門は、孝夫時代を含
めて仁左衛門(3)、三津五郎(2)、六代目松助(2)、我當、翫雀時代の鴈治郎、今回
は、愛之助。仁左衛門は、八右衛門を演じていた。仁左衛門曰く。「私自身、本当は八右衛
門を演るほうが好きですね」。おえんは、秀太郎(今回含め、6)、竹三郎(2)、東蔵、
田之助。治右衛門は、我當(2)、秀調(2)、芦燕、富十郎、左團次、東蔵、歌六、今回
は彌十郎。既にちょっと触れたように、「封印切」の演出には、上方型と江戸型がある。上
方型の演出では、井筒屋の店表の場面。大道具の2階へ通じる階段が違う。階段は舞台上手
奥に横に据えられるが、上方型では、階段箪笥が仕込まれた階段が使われる。それだけで、
舞台から上方味が滲んで来るように思う。江戸型は、階段のみ。階段箪笥の前に、火鉢が置
いてある。この火鉢は、後に、忠兵衛対八右衛門の対決の際の、重要な小道具となるのは、
皆、同じ。

井筒屋の裏手の場面も上方型と江戸型がある。この場面、上方型は、井筒屋の「離れ座
敷」。江戸型は、井筒屋の「塀外」の場面となる。これも上方型演出と江戸型演出の大きな
違いだ。私が観た舞台では、江戸型の「塀外」は、勘九郎時代の勘三郎が忠兵衛を演じた9
6年11月と染五郎が忠兵衛を演じた05年6月、そして、今回の仁左衛門の忠兵衛の3回
である。いずれも歌舞伎座の舞台であった。後は、すべて上方型の井筒屋の裏手。

この芝居の場合、私は、上方型の方が、好きだ。特に、上方味が濃厚なのは、何と言って
も、科白廻し。中でも、忠兵衛と八右衛門の激しいやりとり。この場面で、これまで、私が
いちばん印象に残っているのは、20年前。1999年4月、歌舞伎座。鴈治郎時代の坂田
藤十郎の忠兵衛とまだ元気だった我當の八右衛門の舞台。因みに、梅川は、扇雀、おえん
は、秀太郎、治右衛門は、富十郎。この舞台は、二代目鴈治郎一七回忌追善興行であった。

次いで、5年前、14年3月、歌舞伎座。忠兵衛は、坂田藤十郎、梅川は、扇雀、八右衛門
は、翫雀時代の鴈治郎、おえんは、秀太郎、治右衛門は、我當という顔ぶれであった。これ
も、上方型も上方型、役者が極度に「上方純粋系」。丁々発止と、上方弁の科白が行き交っ
たのは、圧巻であった。

忠兵衛は、大和という田舎から出て来たゆえに、生き馬の目を抜くような都会大坂の怖さを
知らず、脇の甘く、小心なくせに、軽率で剽軽、短気で、浅慮な「逆上男」である。地に足
が着いていない。女性に優しいけれど、エゴイスト。セルフコントロールも苦手な男。つま
り、キレる男。震える手で、感情のままに、次々と公金の封印を切ってしまう。破滅型。封
印を切り、死への扉を自ら開けてしまう。逆上して、封印切をした後、忠兵衛の腹の辺りか
ら、封印を解かれた小判が、血のように迸る場面は、いつ見ても、圧巻だ。

花道の引っ込みは、同じ上方型とはいえども、松嶋屋の型と成駒家の型とは違う。梅川・忠
兵衛が手を繋いで行く「死出の道行」が、松嶋屋の型。一方、梅川を仲居や太鼓持と共に、
先に行かせて、遊廓の西の大門(出入り口)での別れをさせておいて、忠兵衛のみが、「ゆ
っくり」と舞台に残り、世話になったおえんへの礼(門出の祝儀とあわせて、自分らの弔い
の費用を渡す)もたっぷりに、また、大罪を犯した「逆上男」の後悔の心情をも、たっぷり
見せるのが、成駒家の型。忠兵衛は、ひとり、花道を去って行く。柝の頭で、上手より、定
式幕が、ゆっくりと閉められて行く。七三から、急に早足になる忠兵衛。井筒屋の門口に、
魂の抜かれたように佇(たたず)むおえん。おえんを隠すように、幕が、閉まって行く。

今回の仁左衛門は、「塀外」は、江戸型で、引っ込みは、松嶋屋型と見受けられた。つま
り、今回の仁左衛門は、江戸型と松嶋屋型の複合型のように見受けられた。要するに、全体
を通じて、これが仁左衛門型ということか。

仁左衛門は、「封印切」の魅力を次のように語っている。八右衛門の挑発に乗り、公金(飛
脚業の他人の預かり金)の封印を自ら切る行為は、郵便業で、現金書留の封を切り、他人の
金を横領する行為に当たる。仁左衛門曰く。「封印を切るまで、盛り上がるか盛り上がらな
いかは八右衛門次第。ふたりのやり取りの主導権は八右衛門ですから。八右衛門がいいと演
(や)り易いです。私自身、本当は八右衛門を演るほうが好きですね(笑)。最後にお客様
に、死にに行く忠兵衛と梅川がかわいそうだな、と思っていただけたら、ありがたいで
す」。

愛之助曰く。「松嶋屋型では初めてで、成駒家さんの型とは忠兵衛とのやりとりが微妙に変
わってくると思います。このような配役の中で八右衛門を演らせれいただけてありがたいで
す」。愛之助も現代の大阪出身者、大坂弁にも、不自由しないのでは?

愛之助と仁左衛門の上方弁の科白のやり取りも、お互いに騙すか騙されるか、命をかけた場
面だけに、その切実さが、きちんと伝わってきて、見応えがあった。愛之助も熱演であっ
た。

仁左衛門の忠兵衛に付き合った孝太郎の梅川。仁左衛門の息子の孝太郎は、次のように語っ
ている。「父の忠兵衛は年齢差を感じさせない若々しさがあり、魅力的。その忠兵衛に愛さ
れる。ほわっとした可愛らしい梅川を勤めたいと思います」。梅川は、井筒屋を出て、忠兵
衛と一緒に死出の旅路へ。最後は、忠兵衛と一緒に花道を引っ込む。そこからは、間も無
く、雪の新口村へ繋がって行く。

秀太郎の上方歌舞伎観が、おもしろいので、最後に引用しておこう。
「上方の芝居は『ここは、こうせなあかん』というのは、あまりありませんので、私自身も
その日の気分や雰囲気で芝居が変わっていきます。ですので、お客様には毎日ご観劇いただ
ければ幸いです(笑)」。秀太郎の上方歌舞伎観と仁左衛門に直に聞いた(まるごと)「役
になり切る」という演技論は、同根である。
- 2019年6月6日(木) 12:18:51
19年6月国立劇場 (「神霊矢口渡」)


逃亡者たちを助ける娘の純な心が、激しい人形振りになった


今月の国立劇場は、上方系の成駒家(なりこまや)、中村鴈治郎を軸とする歌舞伎上演であ
る。鴈治郎の長男・壱太郎が娘お舟、扇雀の長男・虎之介が新田義峰を演じる。鴈治郎は、
渡し守・頓兵衛、ほかには、亀鶴が、下男・六蔵を演じる。国立劇場では、前回、15年1
1月に「神霊矢口渡」を通しで上演してくれたが、今回は、歌舞伎鑑賞教室ということで、
いつも通りの「みどり」上演で、人形浄瑠璃の四段の切り「頓兵衛住家の場」一幕だけであ
った。「神霊矢口渡」は、1770(明和7)年、初演。全五段の時代物義太夫狂言。役者
の科白と竹本の語りで構成。
 
「頓兵衛住家の場」。舞台は、多摩川(六郷川)の矢口の渡しの渡し守・頓兵衛の家であ
る。頓兵衛のいる渡し場は、今の川崎市側か。芝居は、太平記の世界。時代は、南北朝を軸
にした戦乱の世。南朝方の新田義興が、朝敵(北朝方)足利尊氏討伐のため、矢口の渡しを
西から東へ渡ろうとしたところ、頓兵衛は、北朝方の竹沢監物に頼まれて川の中央付近で舟
の底に穴を開け、義興を水死させている。その時の褒美を元に大きな家を建てたのが、頓兵
衛という男だ。矢口の渡しは、今の東京・大田区と神奈川県川崎市を舟で結んでいた。

幕が開くと、舞台は、頓兵衛住家。自宅と事務所を兼ねている。家の外、舞台下手には、
「矢口の渡し」という標示柱(道標)がある。住家の中では、渡しで働く、船頭の八助(寿
治郎)が、船頭仲間たちと頓兵衛の噂話に興じている。なぜ、親方は、金を持っているのか
など。船頭たちが、住家の裏手に姿を消すと、新田義峰(虎之介)が恋人の傾城・うてな
(吉太朗)を連れて花道をやってくる。ふたりは、黒地に露芝模様の揃いの衣装を着てい
る。雨が降っているのか、ふたりは、衣装の上に蓑(萱や菅などで編んだ雨具)を着て、菅
笠を持っている。典型的な粋な「道行」のスタイルである。義峰は、兄の義興が無念の最後
を遂げた渡し場を訪ねてきたのだ。ふたりは、行き暮れて、一夜の宿を借りたいと申し出る
が、頓兵衛が留守なので、娘のお舟(壱太郎)が、応対に出る。宿屋ではないので、とお舟
は、最初断るが、戸の隙間から覗き見た美男の義峰に一目惚れ。一目惚れのエネルギーが、
物語を一気に展開させるから凄い。お舟の義峰一目惚れの場面は、先行作品「義経千本桜」
の「すし屋」(1747年初演)を下敷きにしているのだろうか。つまり、弥助とお里の場
面だ。ここの下敷き説は、判りやすい。義峰に一目惚れをしてしまったお舟。お舟は、当時
の女性としては珍しかったと思われるが、初めて会った良い男に恋心を率直にあからさまに
告げるような娘だ。

一方、義峰は兄が不慮の死を遂げた渡し場で、渡し守が贅沢な暮らしをしていることに疑問
を持つ。その訳が知りたくて、義峰は、お舟の気持ちを利用する。

恋人・うてなを浅草参詣に連れて行く妹と偽り、率直なお舟の恋心を利用して色事に耽よう
と装う義峰。一旦、上手の障子の間に入った義峰とうてな。ひとり部屋から出てきた義峰
が、お舟とのふたりっきりになる場面。いざ、ことに及ぼうとすると、義峰とお舟のふたり
は、義峰が持ってきた新田家の御旗(白旗)の威力(この地で不慮の死を遂げた義興の怨
念)に当てられ、ふたりとも気絶をしてしまう。障子の間からうてなが出てきて、白旗を柱
に掲げると、義峰とお舟は回復する。江戸の科学者の筆は、どこまでも、非科学的である。
義峰とうてなは、寝所にあてがわれた二階へと、上がって行く。

この様子を家の外から窺っていた、この家の下男・六蔵(亀鶴)は、新田家御旗から義峰の
正体を悟り、義岑を自らが捕らえて、己の手柄にしようとする。お舟は、六蔵の下心(横恋
慕)を利用し、夫婦になるからと偽って、六造を立ち去らせ、義峰とうてなを逃がそうとす
る。

六蔵からの報せを受けて、夜になって父親の頓兵衛(鴈治郎)が戻ってきた。下手の薮を分
けて現れる。竹本「薮よりぬっと出たる主の頓兵衛」という場面で、舞台下手に設えた薮か
ら帰宅する頓兵衛の出の場面は、「絵本太功記」(1799年初演)の十段目「尼ケ崎閑
居」(通称、「太十」)の光秀の出にそっくり。「太十」(近松柳ほか合作)が、1770
年人形浄瑠璃初演、1794年歌舞伎初演の、この狂言「矢口渡」を真似たのか、源内原作
にないものが上演を続けて行くなかで、「矢口渡」が、何処かの時点から後世の誰かの工夫
魂胆で「太十」の場面を真似て使うようになったのか。源内は、1780年没だから、原作
になければ、死後の誰かの工夫だろう。

舞台が回る。頓兵衛は住家裏手に出て、二階の寝所にいるはずの義峰を殺そうと、下から刀
を突き刺し、寝ているはずの義峰を襲う。その結果、義峰の身替わりに寝ていたお舟が、父
親の刀で刺されてしまう。この頓兵衛のよるお舟殺しは「太十」の光秀が、久吉(秀吉)と
間違えて障子越しに母の皐月を殺してしまうという状況にそっくり。瀕死の傷を負ったはず
のお舟は、非道な父親を責める。今更、自分の悪い根性は治らねえ、とお舟を蹴飛ばし、義
峰たちの後を追い、頓兵衛は花道へ向かう。

人非人・頓兵衛は、娘の命など物ともせず、花道へ。舞台下手、花道手前にある「矢口の渡
し」の道標を斬り付けると、大きな音を立てて、のろしが上がる。のろしの合図で仲間を集
め、逃げた義峰らを舟で追い掛けようという作戦だ。

鳴り鍔を鳴らしながら頓兵衛が、花道を引っ込むのは、「蜘手蛸足(くもてたこあし)」と
いう特殊な演出をする。舞台上手で附け打ちが打つ附けの音と鍔が鳴らされる音が交錯す
る。鴈治郎は首を振り、腕を振りしながら行ったり戻ったりを繰り返す。江戸情緒たっぷり
の、ゆるりとした場面を観客に楽しませた後、頓兵衛は向う揚幕に引っ込んで行った。ユニ
ークな見せ場であった。鴈治郎によると、「年老いて気ばかり焦って足がついていかない様
子」だという。

竹本は、ここから三味線が二連になり、見せ場だと告げる。本舞台の壱太郎は、赤い消し幕
の後ろで、見せ場の準備。下手奥から黒衣たちが登場し、今回の最大の見せ場である、「人
形振り」(役者が人形のような所作をする)のお舟の所作となる。一目惚れした義峰を助け
たい、という祈りの所作が人形振りになった、という想定か。この場面の黒衣たちは、顔を
含めて、全身黒ずくめで、人形浄瑠璃の人形遣いの所作を真似る。お舟を演じる壱太郎の人
形振りに合わせて黒衣の人形遣いたちは、3人遣い、2人遣い、ひとり遣いと変化しなが
ら、あくまでも壱太郎を人形に見えるように苦心する、ことになる。人形振りは、櫓の太鼓
を叩こうとする前の場面まで続く。櫓に登り、太鼓を叩く場面は、瀕死ながら、お舟は生身
の娘に戻っている。

一方、大道具は、さらに半廻しされ、二階座敷から続き、多摩川の中に突き出た櫓が、舞台
中央に入って来る。瀕死の傷を負いながらお舟は、櫓の太鼓(落人確保、包囲無用の知ら
せ)を叩いて、父親が依頼した追手仲間を引き上げさせ、父の企みを阻止しようとする。義
峰への慕情と父親への孝行心の間で悩む乙女、お舟。櫓の太鼓をお舟に叩かせまいと、邪魔
をする下男の六蔵。この辺りが、芝居の本来のクライマックス。命を掛けて、自分が一目惚
れした身分違いの貴人・義峰らを逃がそうとして太鼓を叩くお舟。愛する人に真心を捧げる
娘心が哀れである。

お舟が、川に突き出た櫓の太鼓を叩く場面は、「伊達娘恋緋鹿子」(1773年)の八百屋
お七、通称「櫓のお七」の火の見の太鼓たたきの場面を彷彿とさせる。源内没後、14年た
った、1794年歌舞伎初演だから、これも誰かがお七から戴いた「入れ事」で演じたの
か。

「矢口渡」に限らず、いろいろな狂言が、重層的に連なって、歌舞伎の狂言ができ上がって
いることは、容易に想像できるが、どちらが先かは、単に初演の時期だけでは、簡単に決め
られないところが、歌舞伎の奥深さであり、手強いところだろう。

さらに、上手から舟が出て来る。頓兵衛が一人乗っている。突然、どこからか飛んで来た白
羽の矢(折り畳み式)が首に刺さり、極悪人の頓兵衛は、滅びるという話。義興の霊の仕業
だ。櫓で太鼓を叩いていたお舟も力尽き、柱に抱きついて死に絶えていた。

以前見た場面では、船上に頓兵衛と銀と白の衣装に身を包んだ義興の亡霊も乗っていた。義
興は突如、頓兵衛に正対して向かうと白羽の矢を射る。死に行く頓兵衛。今回は、こちらの
演出であった。幕。

贅言・1;しかし、この多摩川の川面上の舟の場面は、別空間という想定だろうと思われ
る。舟の上での我が父親ながら、一目惚れした愛しい人のために極悪人を懲らしめる、とい
う夢。義峰の無事を祈る。つまり、死んで行く娘が見た「見果てぬ夢」だったのではない
か。そうだとすれば、2つの別空間が、一つの舞台に写真の二重焼きのように写し込まれた
場面だった、ということか。

贅言・2;「頓兵衛住家の場」は、娘役のお舟は仕どころが多いため、花形の若女形が、良
く演じる。今回も、壱太郎は、普通ならこの芝居では出てこない人形振りを取り入れたのだ
ろう。そういう入れごとが可能な狂言ということか。それゆえ、時空を超えて、「心霊矢口
渡」という芝居は、この場面だけ、歴史の流れの中を生き抜いて来たのではないのか。

本来、「神霊矢口渡」は、「太平記」の世界に絡めて描かれた南朝方・新田家の3組の逃亡
者の話。前半と後半に分れる。いずれも、足利方に追われている。配役名の付け方や庶民を
描く筆致などから鶴屋南北調と思える原作がうかがえるのが、私には興味深い。もちろん、
南北の方が後世の人、時代が違う。

「神霊矢口渡」は、1770(明和7)年、江戸の外記座で、それまでの上方人形浄瑠璃と
は、ひと味違う江戸人形浄瑠璃として初演された。時代浄瑠璃全五段の原作は福内鬼外(ふ
くうちきがい)というペンネームを使った平賀源内である。ペンネームは、お判りのよう
に、「福は内鬼は外」の節分の掛け声に因む。平賀源内は、江戸時代の科学者(本草学、蘭
学)で、後世「日本のダ・ビンチ」と言われたようなマルチ人間である。芸能、特に人形浄
瑠璃にも詳しかったのだろう。狂言には、江戸近郊の地名も出て来るが、西国出身だけに、
必ずしも詳しく、正しいわけではなかったようだ。

既にいくつか触れたが、「神霊矢口渡」には人形浄瑠璃や歌舞伎の名場面がいくつも透けて
見える場面が目立つ。

狂言は人形浄瑠璃初演から24年後、源内の死後、14年後、1794(寛政)年、江戸の
桐座(江戸三座のうち、市村座の控櫓)で歌舞伎としても初演となった。


通し上演場面記録


この演目では、15年11月国立劇場で、珍しい通し上演を観たことがある。参考のため、
以下、その時の場面構成を記録として掲げておこう。

序幕「東海道焼餅坂の場」、二幕目「由良兵庫之助新邸(しんやしき)の場」、三幕目「生
麦村道念庵室の場」、大詰「頓兵衛住家の場」。一説では、平賀源内が新田義貞の子、義興
(よしおき)を祭神とする矢口の新田神社から霊験を広めて欲しいと依頼されて書いたと伝
えられている。今ならスポンサー付きのテレビドラマというところか。舞台は南北朝時代。
芝居の大きな流れは、足利尊氏に敗れて討ち死にした南朝方の新田義興所縁の人々が落人に
なって足利方の追手から逃れる途中の苦労話。新田義興は、足利尊氏追い討ちのために出陣
したが武蔵国矢口渡で謀略にかかり、乗っていた船の船底に穴を空けられて水死してしまっ
た。憤死の義興、ということで、恨み辛みが濃厚だ。この結果、新田家は滅亡した。

この芝居では、新田家所縁の人々のうち、特に3組の逃亡者に焦点を当てて悲劇ぶりを描
く。特に、二幕目「由良兵庫之助新邸の場」では、実子を犠牲にする由良兵庫夫妻、大詰
「頓兵衛住家の場」では、北朝方(足利方)に内通する父・頓兵衛に対抗する娘・お舟な
ど、物語の脇役たちが芝居の各場面では軸になる。主筋の人たちは、ひたすら逃亡する。
「頓兵衛住家の場」以外は、滅多に観ることが出来ない狂言、15年11月国立劇場は、1
00年ぶりの復活上演であった。

なお、歌舞伎鑑賞教室の名物「歌舞伎のみかた」解説は、今回は、扇雀の長男・虎之介が担
当した。
- 2019年6月4日(火) 16:36:20
18年6月国立劇場 (「神霊矢口渡」)


逃亡者たちを助ける娘の純な心が、激しい人形振りになった


今月の国立劇場は、上方系の成駒家(なりこまや)、中村鴈治郎を軸とする歌舞伎上演であ
る。鴈治郎の長男・壱太郎が娘お舟、扇雀の長男・虎之介が新田義峰を演じる。鴈治郎は、
渡し守・頓兵衛、ほかには、亀鶴が、下男・六蔵を演じる。国立劇場では、前回、15年1
1月に「神霊矢口渡」を通しで上演してくれたが、今回は、歌舞伎鑑賞教室ということで、
いつも通りの「みどり」上演で、人形浄瑠璃の四段の切り「頓兵衛住家の場」一幕だけであ
った。「神霊矢口渡」は、1770(明和7)年、初演。全五段の時代物義太夫狂言。役者
の科白と竹本の語りで構成。
 
「頓兵衛住家の場」。舞台は、多摩川(六郷川)の矢口の渡しの渡し守・頓兵衛の家であ
る。頓兵衛のいる渡し場は、今の川崎市側か。芝居は、太平記の世界。時代は、南北朝を軸
にした戦乱の世。南朝方の新田義興が、朝敵(北朝方)足利尊氏討伐のため、矢口の渡しを
西から東へ渡ろうとしたところ、頓兵衛は、北朝方の竹沢監物に頼まれて川の中央付近で舟
の底に穴を開け、義興を水死させている。その時の褒美を元に大きな家を建てたのが、頓兵
衛という男だ。矢口の渡しは、今の東京・大田区と神奈川県川崎市を舟で結んでいた。

幕が開くと、舞台は、頓兵衛住家。自宅と事務所を兼ねている。家の外、舞台下手には、
「矢口の渡し」という標示柱(道標)がある。住家の中では、渡しで働く、船頭の八助(寿
治郎)が、船頭仲間たちと頓兵衛の噂話に興じている。なぜ、親方は、金を持っているのか
など。船頭たちが、住家の裏手に姿を消すと、新田義峰(虎之介)が恋人の傾城・うてな
(吉太朗)を連れて花道をやってくる。ふたりは、黒地に露芝模様の揃いの衣装を着てい
る。雨が降っているのか、ふたりは、衣装の上に蓑(萱や菅などで編んだ雨具)を着て、菅
笠を持っている。典型的な粋な「道行」のスタイルである。義峰は、兄の義興が無念の最後
を遂げた渡し場を訪ねてきたのだ。ふたりは、行き暮れて、一夜の宿を借りたいと申し出る
が、頓兵衛が留守なので、娘のお舟(壱太郎)が、応対に出る。宿屋ではないので、とお舟
は、最初断るが、戸の隙間から覗き見た美男の義峰に一目惚れ。一目惚れのエネルギーが、
物語を一気に展開させるから凄い。お舟の義峰一目惚れの場面は、先行作品「義経千本桜」
の「すし屋」(1747年初演)を下敷きにしているのだろうか。つまり、弥助とお里の場
面だ。ここの下敷き説は、判りやすい。義峰に一目惚れをしてしまったお舟。お舟は、当時
の女性としては珍しかったと思われるが、初めて会った良い男に恋心を率直にあからさまに
告げるような娘だ。

一方、義峰は兄が不慮の死を遂げた渡し場で、渡し守が贅沢な暮らしをしていることに疑問
を持つ。その訳が知りたくて、義峰は、お舟の気持ちを利用する。

恋人・うてなを浅草参詣に連れて行く妹と偽り、率直なお舟の恋心を利用して色事に耽よう
と装う義峰。一旦、上手の障子の間に入った義峰とうてな。ひとり部屋から出てきた義峰
が、お舟とのふたりっきりになる場面。いざ、ことに及ぼうとすると、義峰とお舟のふたり
は、義峰が持ってきた新田家の御旗(白旗)の威力(この地で不慮の死を遂げた義興の怨
念)に当てられ、ふたりとも気絶をしてしまう。障子の間からうてなが出てきて、白旗を柱
に掲げると、義峰とお舟は回復する。江戸の科学者の筆は、どこまでも、非科学的である。
義峰とうてなは、寝所にあてがわれた二階へと、上がって行く。

この様子を家の外から窺っていた、この家の下男・六蔵(亀鶴)は、新田家御旗から義峰の
正体を悟り、義岑を自らが捕らえて、己の手柄にしようとする。お舟は、六蔵の下心(横恋
慕)を利用し、夫婦になるからと偽って、六造を立ち去らせ、義峰とうてなを逃がそうとす
る。

六蔵からの報せを受けて、夜になって父親の頓兵衛(鴈治郎)が戻ってきた。下手の薮を分
けて現れる。竹本「薮よりぬっと出たる主の頓兵衛」という場面で、舞台下手に設えた薮か
ら帰宅する頓兵衛の出の場面は、「絵本太功記」(1799年初演)の十段目「尼ケ崎閑
居」(通称、「太十」)の光秀の出にそっくり。「太十」(近松柳ほか合作)が、1770
年人形浄瑠璃初演、1794年歌舞伎初演の、この狂言「矢口渡」を真似たのか、源内原作
にないものが上演を続けて行くなかで、「矢口渡」が、何処かの時点から後世の誰かの工夫
魂胆で「太十」の場面を真似て使うようになったのか。源内は、1780年没だから、原作
になければ、死後の誰かの工夫だろう。

舞台が回る。頓兵衛は住家裏手に出て、二階の寝所にいるはずの義峰を殺そうと、下から刀
を突き刺し、寝ているはずの義峰を襲う。その結果、義峰の身替わりに寝ていたお舟が、父
親の刀で刺されてしまう。この頓兵衛のよるお舟殺しは「太十」の光秀が、久吉(秀吉)と
間違えて障子越しに母の皐月を殺してしまうという状況にそっくり。瀕死の傷を負ったはず
のお舟は、非道な父親を責める。今更、自分の悪い根性は治らねえ、とお舟を蹴飛ばし、義
峰たちの後を追い、頓兵衛は花道へ向かう。

人非人・頓兵衛は、娘の命など物ともせず、花道へ。舞台下手、花道手前にある「矢口の渡
し」の道標を斬り付けると、大きな音を立てて、のろしが上がる。のろしの合図で仲間を集
め、逃げた義峰らを舟で追い掛けようという作戦だ。

鳴り鍔を鳴らしながら頓兵衛が、花道を引っ込むのは、「蜘手蛸足(くもてたこあし)」と
いう特殊な演出をする。舞台上手で附け打ちが打つ附けの音と鍔が鳴らされる音が交錯す
る。鴈治郎は首を振り、腕を振りしながら行ったり戻ったりを繰り返す。江戸情緒たっぷり
の、ゆるりとした場面を観客に楽しませた後、頓兵衛は向う揚幕に引っ込んで行った。ユニ
ークな見せ場であった。鴈治郎によると、「年老いて気ばかり焦って足がついていかない様
子」だという。

竹本は、ここから三味線が二連になり、見せ場だと告げる。本舞台の壱太郎は、赤い消し幕
の後ろで、見せ場の準備。下手奥から黒衣たちが登場し、今回の最大の見せ場である、「人
形振り」(役者が人形のような所作をする)のお舟の所作となる。一目惚れした義峰を助け
たい、という祈りの所作が人形振りになった、という想定か。この場面の黒衣たちは、顔を
含めて、全身黒ずくめで、人形浄瑠璃の人形遣いの所作を真似る。お舟を演じる壱太郎の人
形振りに合わせて黒衣の人形遣いたちは、3人遣い、2人遣い、ひとり遣いと変化しなが
ら、あくまでも壱太郎を人形に見えるように苦心する、ことになる。人形振りは、櫓の太鼓
を叩こうとする前の場面まで続く。櫓に登り、太鼓を叩く場面は、瀕死ながら、お舟は生身
の娘に戻っている。

一方、大道具は、さらに半廻しされ、二階座敷から続き、多摩川の中に突き出た櫓が、舞台
中央に入って来る。瀕死の傷を負いながらお舟は、櫓の太鼓(落人確保、包囲無用の知ら
せ)を叩いて、父親が依頼した追手仲間を引き上げさせ、父の企みを阻止しようとする。義
峰への慕情と父親への孝行心の間で悩む乙女、お舟。櫓の太鼓をお舟に叩かせまいと、邪魔
をする下男の六蔵。この辺りが、芝居の本来のクライマックス。命を掛けて、自分が一目惚
れした身分違いの貴人・義峰らを逃がそうとして太鼓を叩くお舟。愛する人に真心を捧げる
娘心が哀れである。

お舟が、川に突き出た櫓の太鼓を叩く場面は、「伊達娘恋緋鹿子」(1773年)の八百屋
お七、通称「櫓のお七」の火の見の太鼓たたきの場面を彷彿とさせる。源内没後、14年た
った、1794年歌舞伎初演だから、これも誰かがお七から戴いた「入れ事」で演じたの
か。

「矢口渡」に限らず、いろいろな狂言が、重層的に連なって、歌舞伎の狂言ができ上がって
いることは、容易に想像できるが、どちらが先かは、単に初演の時期だけでは、簡単に決め
られないところが、歌舞伎の奥深さであり、手強いところだろう。

さらに、上手から舟が出て来る。頓兵衛が一人乗っている。突然、どこからか飛んで来た白
羽の矢(折り畳み式)が首に刺さり、極悪人の頓兵衛は、滅びるという話。義興の霊の仕業
だ。櫓で太鼓を叩いていたお舟も力尽き、柱に抱きついて死に絶えていた。

以前見た場面では、船上に頓兵衛と銀と白の衣装に身を包んだ義興の亡霊も乗っていた。義
興は突如、頓兵衛に正対して向かうと白羽の矢を射る。死に行く頓兵衛。今回は、こちらの
演出であった。幕。

贅言・1;しかし、この多摩川の川面上の舟の場面は、別空間という想定だろうと思われ
る。舟の上での我が父親ながら、一目惚れした愛しい人のために極悪人を懲らしめる、とい
う夢。義峰の無事を祈る。つまり、死んで行く娘が見た「見果てぬ夢」だったのではない
か。そうだとすれば、2つの別空間が、一つの舞台に写真の二重焼きのように写し込まれた
場面だった、ということか。

贅言・2;「頓兵衛住家の場」は、娘役のお舟は仕どころが多いため、花形の若女形が、良
く演じる。今回も、壱太郎は、普通ならこの芝居では出てこない人形振りを取り入れたのだ
ろう。そういう入れごとが可能な狂言ということか。それゆえ、時空を超えて、「心霊矢口
渡」という芝居は、この場面だけ、歴史の流れの中を生き抜いて来たのではないのか。

本来、「神霊矢口渡」は、「太平記」の世界に絡めて描かれた南朝方・新田家の3組の逃亡
者の話。前半と後半に分れる。いずれも、足利方に追われている。配役名の付け方や庶民を
描く筆致などから鶴屋南北調と思える原作がうかがえるのが、私には興味深い。もちろん、
南北の方が後世の人、時代が違う。

「神霊矢口渡」は、1770(明和7)年、江戸の外記座で、それまでの上方人形浄瑠璃と
は、ひと味違う江戸人形浄瑠璃として初演された。時代浄瑠璃全五段の原作は福内鬼外(ふ
くうちきがい)というペンネームを使った平賀源内である。ペンネームは、お判りのよう
に、「福は内鬼は外」の節分の掛け声に因む。平賀源内は、江戸時代の科学者(本草学、蘭
学)で、後世「日本のダ・ビンチ」と言われたようなマルチ人間である。芸能、特に人形浄
瑠璃にも詳しかったのだろう。狂言には、江戸近郊の地名も出て来るが、西国出身だけに、
必ずしも詳しく、正しいわけではなかったようだ。

既にいくつか触れたが、「神霊矢口渡」には人形浄瑠璃や歌舞伎の名場面がいくつも透けて
見える場面が目立つ。

狂言は人形浄瑠璃初演から24年後、源内の死後、14年後、1794(寛政)年、江戸の
桐座(江戸三座のうち、市村座の控櫓)で歌舞伎としても初演となった。


通し上演場面記録


この演目では、15年11月国立劇場で、珍しい通し上演を観たことがある。参考のため、
以下、その時の場面構成を記録として掲げておこう。

序幕「東海道焼餅坂の場」、二幕目「由良兵庫之助新邸(しんやしき)の場」、三幕目「生
麦村道念庵室の場」、大詰「頓兵衛住家の場」。一説では、平賀源内が新田義貞の子、義興
(よしおき)を祭神とする矢口の新田神社から霊験を広めて欲しいと依頼されて書いたと伝
えられている。今ならスポンサー付きのテレビドラマというところか。舞台は南北朝時代。
芝居の大きな流れは、足利尊氏に敗れて討ち死にした南朝方の新田義興所縁の人々が落人に
なって足利方の追手から逃れる途中の苦労話。新田義興は、足利尊氏追い討ちのために出陣
したが武蔵国矢口渡で謀略にかかり、乗っていた船の船底に穴を空けられて水死してしまっ
た。憤死の義興、ということで、恨み辛みが濃厚だ。この結果、新田家は滅亡した。

この芝居では、新田家所縁の人々のうち、特に3組の逃亡者に焦点を当てて悲劇ぶりを描
く。特に、二幕目「由良兵庫之助新邸の場」では、実子を犠牲にする由良兵庫夫妻、大詰
「頓兵衛住家の場」では、北朝方(足利方)に内通する父・頓兵衛に対抗する娘・お舟な
ど、物語の脇役たちが芝居の各場面では軸になる。主筋の人たちは、ひたすら逃亡する。
「頓兵衛住家の場」以外は、滅多に観ることが出来ない狂言、15年11月国立劇場は、1
00年ぶりの復活上演であった。

なお、歌舞伎鑑賞教室の名物「歌舞伎のみかた」解説は、今回は、扇雀の長男・虎之介が担
当した。
- 2019年6月4日(火) 16:34:07
19年05月国立劇場(人形浄瑠璃)・通し狂言「妹背山婦女庭訓」(第二部)


充実の通し上演


「妹背山婦女庭訓」の初演は、1771(明和8)年1月の大坂・竹本座。原作は、近松半
二らによる合作である。当時、80年の歴史を持つ竹本座が、経営の危機に瀕していた。半
二が立作者として竹本座起死回生の執念で書き上げた作品である。「妹背山婦女庭訓」は、
背景は、歴史劇。史実の「大化の改新」をベースにしている。半二は、己の執念をどういう
形で人形劇に結晶させたかが、ポイントになる。

この物語では、いくつかの物語が同時並行、重層的に語られる。

1)帝位を巡る権力争い(蘇我入鹿と藤原鎌足)。
2)権力者の横暴に巻き込まれた父子家庭(大判事)・母子家庭(定高)の家族の悲劇。特
に、それぞれの家族の中でも恋仲の若き男女(久我之助、雛鳥)の悲劇。
3)権力争いに巻き込まれた民間人、町娘(お三輪)の悲劇。
4)お三輪と烏帽子折求馬(実は、鎌足の息子・藤原淡海=不比等。歌舞伎では、「求
女」)と橘姫(蘇我入鹿の妹)の三角関係が生み出す悲恋物語。

これらの物語が、重層構成になり、また、交互に織りなしながら、それぞれの男の争いと女
の争いが、背中合わせとなる、とでも言えば良いのだろうか、近松半二お得意の込み入った
ストーリー展開を見せる。まあ、ここまでは、何処の解説書でも書いてあることだろう。

さらに、私の分析では、男の争いと女の争いが、背中合わせになり、それぞれが悲劇と喜劇
としてあざなえる縄の如くに背中で連結しているという複雑さがあるはずなのに、あまり、
複雑さを感じさせずに、幾つもの細流が、縒り合わされて、より大きな奔流になっていくよ
うに、流れに任せてひたすら流されて行けば良い。そして、流された先は、お三輪の視点に
代表させれば、それは、「不思議の国のアリス」という物語になる、という仕掛けだ。

国立劇場の通し上演の第二部こそ、今回のハイライト。中でも、「妹山背山の段」は、ダン
トツのハイライト場面であり、演出である。私にとって、「妹背山婦女庭訓」第一部は、全
て、初見だったが、第二部は、3回目である。13年2月、15年9月、そして、今回とい
ずれも国立劇場で観ている。

1回目、13年2月国立劇場の場面構成は、次の通り。「道行 恋苧環」、「鱶七上使の
段」、「姫戻りの段」、「金殿の段」。

2回目、15年9月国立劇場の場面構成は、次の通り。「井戸替の段」、「杉酒屋の段」、
「道行 恋苧環」、「鱶七上使の段」、「姫戻りの段」、「金殿の段」、「入鹿誅伐の
段」、ということで、「井戸替の段」、「杉酒屋の段」、「入鹿誅伐の段」という3つの段
は、2回目観劇での初見であった。

3回目、19年5月国立劇場。今回の第二部では、特に、三段目「妹山背山の段」が、初見
である。この場面は、歌舞伎では、何回も観ている。歌舞伎では、この場面では、両花道を
使う演出だ。「両花道」とは、舞台下手側に本来ある花道のほかに、舞台上手側にも、臨時
の花道を設けて、そこでも演技をするという演出で、この場合の花道を、下手側は、「本花
道」と呼び、上手側は、「仮花道」と呼ぶ。一階の中央付近の座席で芝居を観る人は、二つ
の花道に囲まれた形となる。人形浄瑠璃の興行では、花道はないので、使えない。代わりに
どういう演出をするのか、というと……。

この場面は、舞台の上手と下手に太夫や三味線方が座り並ぶ「床(ちょぼ)」が、2基据え
られている。私は、「山の段」は、そもそも、今回が初見なので、人形浄瑠璃のこういう演
出は、初めて観たが、歌舞伎でも、竹本の太夫が、舞台の上手と下手に分かれて、語ってい
たことを思い出した。今回は、両床は、いずれも同じものであり、正に、ハイライトの場面
で、見応えがあった。その舞台がどういう演出で使われるかは、おいおい説明することにし
よう。念のため、第一部、第二部通しての場面の構成は以下の通り。

第一部:大序「大内の段」、同 「小松原の段」、同 「蝦夷子館の段」、二段目「猿沢池
の段」、同 「鹿殺しの段」、同 「掛乞の段」、同 「万歳の段」、同 「芝六忠義の
段」。三段目「太宰館の段」。

第二部:三段目「妹山背山の段」、四段目「杉酒屋の段」、同 「道行苧環」、同 「鱶七
上使の段」、同 「姫戻りの段」、同 「金殿の段」。


ハイライトは、「妹山背山の段」


三段目「妹山背山の段」。歌舞伎なら、ここは、「吉野川の場」となる。外題を見れば、人
形浄瑠璃では、「山」を強調し、歌舞伎では「川」を強調しているのが判る。何故だろう
か。

今回の人形浄瑠璃では、第一部の三段目「太宰館の段」で、政治劇の前段を描き、第二部の
同じく「三段目」の続きでは、吉野川を挟んだ妹山背山のふたつの家の悲劇と町娘の悲劇を
描く。

天皇の寵愛を受ける采女の局に横恋慕をしている入鹿は、行方不明の采女の局の探索に絡ん
で、大判事と定高(さだか)の両者を疑う。疑いの根拠は、大判事の息子・久我之助と定高
の娘・雛鳥の恋仲をあげる。つまり、言いがかり、嫌がらせの類である。

対立していると見せ掛けて、天皇と采女の局を匿っているのではないか、というのが入鹿の
疑惑である。疑惑を晴らしたいなら、雛鳥は、入内、久我之助は、出仕せよと厳命する。対
立を利用し、分断して支配する、というのは、いにしえより、権力の原理である。

第二部:三段目「妹山背山の段」。「両床」の演出。人形浄瑠璃では、上手に背山を語る
「本床」。今回は、大判事を竹本千歳太夫が語る。久我之助は、竹本文字久太夫改め、豊竹
藤太夫が語る。襲名披露をせずに、藤太夫は、粛々と語る。三味線方は、前が、藤蔵、後
が、富助。一方、下手には妹山を語る「仮床」が、客席の椅子を片付けて、しつらえられて
いる。今回は、定高を豊竹呂勢太夫が語る。雛鳥は、竹本織太夫である。三味線方は、前
が、清介、後が、清治、琴が、清公。上手は、竹本座系の染太夫風の演出、下手は、豊竹座
系の春太夫風の演出、双方の特徴を生かしながら共演する、という趣向である。それぞれの
持ち味を活かす語り方。掛け合い。渡り科白のようなやりとりもある。

数多ある人形浄瑠璃の演目の中でも、抜群の大掛かりな演出である。それだけに、幕が開い
ても、すぐには舞台を見せない。定式幕開幕。舞台は、紅白の横縞の段幕に全面覆われてい
る。しばらく無人で、置浄瑠璃。「ここ勘気の山住居」で、柝が入り、紅白の段幕振り落と
されると、上手に大判事の館、背景は背山。下手に定高の館、背景は妹山。舞台中央を流れ
るのが、吉野川。この川が、双方の領地の境界線。川には、滝車が廻っている。歌舞伎の舞
台でも同じだが、滝車は、芝居の邪魔にならぬよう、適宜に回り、適宜に止まる。最初は、
背山の語りで始まる。続いて、妹山の語り。「頃は弥生の初め方」。桜満開の季節ながら、
両家には、第一部で描かれたように、家族の命に関わる大問題が、権力者・蘇我入鹿から投
げかけられている。これに対して、雛鳥は、入内を拒否して、清い身体のまま、死を選ぶ。
雛鳥は、母親に介錯される。また、久我之助は、入鹿の家来になるのを拒絶し、やはり、死
を選ぶ。久我之助は、切腹の末に、父親に介錯される。

妹山・背山の領地。間を流れる吉野川が境界という関係の両家。境界争いが原因で、両家の
親同士は、不仲だが、息子と娘は、恋仲。結局、ふたりの子どもを殺して、彼岸(あの世)
で結ばれるようにさせるという悲劇。対立している両親は、娘、息子の純な情愛を尊重し首
だけの花嫁と切腹をして、息も絶え絶えの花婿を添わせる。死が、恋の成就を約束するとい
う暗いテーマ。対立と和解の果て、底に蘇我入鹿という権力者への反抗という明確なメッセ
ージを隠し持つ。時代を越えた普遍的なテーマが窺える。

贅言;歌舞伎なら両花道を使って、上手の仮花道には、向こうから大判事が登場する。それ
と並んで、下手野本花道からは、向こうから定高が登場する。今回は、人形浄瑠璃なので、
花道という舞台機構はない。大判事は、上手の小幕から登場し、定高は、下手の小幕から出
てくる。それぞれの館に近づいたら、向きを館に向くように替えて、観客席に背を向ける。

もう一つの魅力。それは、舞台装置。人形浄瑠璃の「山の段」も、歌舞伎の「吉野川」も、
数ある歌舞伎の舞台のなかでも、一際、美しい舞台装置を持つ。複数の作者連名ながら、ほ
とんど近松半二がひとりで執筆したと言われる原作も、舞台装置も、道具の配色も、小道具
の使い方も、衣裳も、舞台展開も、あらゆることに神経が細かく行き届いた名作だと思う。
近松半二お得意の左右対称の舞台構成。満開の桜に覆われた妹山(下手)、背山(上手)の
麓のふたつの家。大道具(例えば、定高の屋敷の金屏風、大判事の屋敷の銀屏風などの対
比)の工夫、上手の紀伊国が、大判事の領国。下手の大和国が、太宰の少弐の未亡人・後室
定高の領国。家と家の間には、吉野川が流れていて、いわば、国境。川は、次第に川幅を広
げて、劇場の観客席を全て川にしてしまう。歌舞伎なら、両花道が、観客席を呑み込んで、
滔々と流れる河原を挟む堤になる。

舞台下手に設えられた「雛鳥」の部屋では、奥に置かれた段飾りのお雛様も華やかだ。この
段飾りの一式は、大道具にも、小道具にもなる場面が、やがて展開する。これも細やかな演
出だ。

贅言;16年9月、歌舞伎座(この時は、上手、葵太夫と下手、愛太夫)ほか。歌舞伎で
も、「両床」を使った演出を何度か観たことがある。上手と下手に竹本の床がふたつ出て、
それぞれの分担の場面だけを交互に出語りをする。今回の人形浄瑠璃では、語りのない時、
太夫らは反対側のチームの方を見ていたが、歌舞伎では、お休みの時は、霞幕を掛け合って
隠していた。その間、ドラマは、互い違いに進行する。時に、同時に語りあい、雰囲気を盛
り上げる。

室内に置かれた大道具だった雛飾り一式。移動可能な小道具、若いふたりのための祝言の道
具たち、となる。長持ちとオシドリ。雛鳥の、いわば、「首」だけの嫁入りに使われるミニ
チュアの駕篭。駕籠や嫁入り道具は、吉野川を横断して流れて行く。そこに、下手の床で演
奏する琴の音が被さる。哀しみの嫁入り道具に使うなど、本当に憎いぐらいの演出である。
この通称「雛流し」の名場面など、あらゆる細部に、半二の工夫魂胆の溢れる舞台で、歌舞
伎のなかでも屈指の舞台のひとつである。

「妹背山」の芝居の骨格は、政治劇である。天智天皇の時代、天皇の眼の病気を利用して、
天下取りを狙っている蘇我入鹿の野心に巻き込まれたふたつの家族の悲劇の物語が三段目
だ。四段目は、民間人・造り酒屋の娘が巻き込まれる。これは、また、別の物語。

三段目の主な人形遣いは、以下の通り。雛鳥:前が、簑紫郎。後が、簑助。久我之助:玉
助。大判事:玉男。定高:和生ほか。


お三輪悲劇が通奏低音


四段目「杉酒屋の段」。酒屋の玄関先の軒に「しるしの杉玉」(三輪山に茂る杉の葉を球形
に束ねてある)が下がっている。その夜、烏帽子折職人・求馬のところへ白衣を被った女が
忍んで来る。杉酒屋の丁稚がこれを見逃さず、寺子屋の七夕祭から帰ってきたお三輪に告げ
口をする。既に求馬と性的な関係を結んでいるお三輪は、求馬の不実をなじる。来ていたの
は、春日神社の巫女で夫のための烏帽子の注文だと弁解する。お三輪は、七夕祭で祀ってあ
った赤い苧環を求馬に渡す。七夕には、白い糸を男、赤い糸を女に見立てて、心変わりしな
いようにと祀る。「道行」の伏線になるので、判り易い。求馬の家に入っていたはずの先程
の女が下手から出て来る。お三輪と女で求馬の取り合いになる。そこへ、お三輪の母が戻っ
てきて、求馬こそ、お尋ね者の藤原淡海だと言い張る。白衣の女も、お三輪、求馬も姿を消
す。この段、竹本は、津駒太夫、三味線方は、宗助。

脇筋の男女関係から。同じく四段目「道行恋苧環」は、所作事。もて男ひとり(求馬)と女
ふたり(橘姫、お三輪)の三角関係が、三輪山の草深い神社の境内で「景事」というヴィジ
ュアルな舞踊劇で表現される。薄暗い中、幕が開くと、浅黄幕が舞台全面を覆っている。上
手の床では、竹本連中。暫く、置浄瑠璃が続く。「誰と寝(ね)ねして常闇(とこやみ)
の」、「影隠す薄衣」、「包めど香り」など、セクシャルで意味深な文句が続く。

やがて、「暗き、くれ竹の」で、浅黄幕が振り落とされて、場面展開。舞台中央奥に赤い鳥
居。上に蝋燭の灯のような星の光(実際に蝋燭が多数ぶら下げられている)、境内を照らす
のは、道の両側に立ち並ぶ雪洞(ぼんぼり)。境内にいるのは、橘姫だけ。薄衣の被(か
つ)ぎを眉深(まぶか)に被り、顔を隠している。太夫は、希太夫。下手から姫を追って来
たのが求馬。太夫は、靖太夫。夜ごと訪ね来る姫に正体を明かせと男は迫るが、女は教えな
い。

「思ひ乱るるすすき陰」で、更に下手よりお三輪「走り寄り」で登場。太夫は、芳穂太夫。
地元の造り酒屋の娘、お三輪。恋しい求馬の濡れ場を見て嫉妬する娘心。「気の多い悪性
な」(求馬さん!)「外(ほか)の女子は禁制と、しめて固めし肌と肌」(私を騙した
の)。(そこのお姫さんに)「女庭訓躾方」(を教えてあげて。これが、外題の謂れか。
「婦女庭訓」は、女性の人生読本、とでも、言えば良いか)と、強気のお三輪。「恋は仕勝
ちよ我が殿御」と姫も負けていない。勝った方が勝ち、負けた方が負け。いわば、三角関係
の踊りである。ふたりの女が「ともに縋りつ、手を取りて」で、求馬も橘姫に着ている羽織
を脱がされてしまう。その拍子に一回転する求馬。主遣いは、容易に回転できるが、左遣い
は、主遣いの描く円の外を大きな同心円を描くように回るから大変だ。左遣いが、走って移
動する。

「梅は武士、桜は公家よ、山吹は傾城。杜若は女房よ。色は似たりや菖蒲は妾、牡丹は奥方
よ、桐は御守殿、姫百合は娘盛りと」などと、「景事」に相応しい花尽くしの華麗な文句が
太夫の口からは紡ぎ出される。華麗な文句をよそに、姫と娘は、嫉妬の思いを炎上させる。
「睨む荻(おぎ)と/萩(はぎ)/中にもまるる男郎花(おみなえし)」、「恋のしがらみ
蔦かづら、つき纏はれてくるくるくる」。「女郎花」が、ここでは、「男郎花」になってい
る。優男。だが、求馬は、本当に優男か。後に明らかになる。

苧環の赤い糸を姫の振袖の端に付ける求馬。姫の正体を探ろうと尾行する。同じく白い糸を
求馬の裾に付けるお三輪。求馬の後を追う。それぞれが動けば、糸車は、くるくる回る。歌
舞伎でも、この場面は演じられるが、人形たちが演じれば、一層、幻想的で美しい。恋は、
喜劇さ!

主筋の権力争いでは、大化の改新。眼病を患い目が不自由になり、政治をつかさどれない天
皇の代わりの権力代行者を目指すのが、藤原鎌足と蘇我蝦夷子、さらに、父親・蝦夷子を欺
こうという蝦夷子の息子入鹿の野心が、父親を凌ごうとしている。強欲な。三笠御殿の主・
蘇我入鹿側と藤原鎌足側(漁師の鱶七こと、鎌足の家臣・金輪五郎、求馬こと、鎌足の息子
藤原淡海)を軸にして争いは展開する。

「道行恋苧環」と実は、同時進行だったのが、同じく四段目「鱶七上使の段」。盆廻しに乗
って、太夫は、文字久太夫改め、藤太夫。歯切れの良い語り口。新築披露の三笠御殿。蘇我
入鹿は、父を凌ぎ、政敵の鎌足を凌ごうと、すでに、帝のように振る舞っている。入鹿、下
手より登場。付き従う官女たち。入鹿の足さばきに、この男の性格が現れている。足遣い
が、目立つ場面(こういうのは、余りない)。「酒池の遊びに酔ひ疲れ」ほとんど酒乱のよ
うに酒浸りの日々。「類なき栄華の殿」。世話をする官女たち。「猩々の人形に/見惚れ官
女たち」は、更に、酒を勧める。

下手より、「撥鬢(ばちびん)頭の大男」鱶七登場。鱶七は、主の鎌足の「降伏」を伝え、
「臣下に属するの印」という、降伏、つまり白旗の使者だが、上使らしくない漁師の扮装
で、入鹿への献上の酒を毒味と称して、勝手に自分で飲んでしまったり、通俗的な科白廻し
で、鎌足を「鎌どん」と呼んだりして、傍若無人な無頼振り。型破りな上使である。豪快さ
と滑稽さが、要求される。

入鹿に不審がられ、人質として留め置かれる鱶七だが、剛胆。一寝入りしようとしたところ
に床下から入鹿の家臣に槍を突き出されても平気。2本の槍を結びつけ、「ひぢ枕」にして
寝てしまう。官女たちに色仕掛けで迫られても、軽くあしらう。官女たちの差出した酒も毒
と見抜いて、捨ててしまう。「ハレヤレきつひ用心」と、嘯く。鱶七は、江戸荒事の扮装、
科白、動作で闊歩する。入鹿対鎌足の代理の鱶七の「戦闘」も、コミカルに描かれる。権力
争いも、喜劇さ! 

贅言;歌舞伎では、團十郎演じる鱶七を観た。團十郎の鱶七は、荒事定式の、衣装(大柄の
格子縞の裃、長袴、縦縞の着付)に、撥鬢頭、隈取りに、「ごんす」「なんのこんた、やっ
とこなア」などという科白廻しにと、荒事の魅力をたっぷり盛り込む。二本太刀の大太刀
は、朱塗りの鞘に緑の大房。太刀の柄には、大きな徳利をぶら下げている。腰の後ろに差し
た朱色の革製の煙草入れも大型。鬘の元結も何本も束ねた大きな紐を使っている。上から下
まで、すべてに、大柄な荒事意識が行き届いている扮装。

同じく四段目「姫戻りの段」。「道行恋苧環」の続き。盆廻しで登場した太夫は、小住太
夫。まず、下手から橘姫が、なぜか、三笠御殿に帰って来る。上手から出て来た官女たちが
枝折り戸を開けて、迎えたので入鹿の妹・橘姫だったことが判る。官女が姫の袖についてい
る赤い糸を手繰り寄せると求馬が下手から現れる。求馬も姫の正体を知る。姫も求馬の正体
を知る。ばれた男女のうち、女は自分を殺して欲しいと男に頼む。男は、自分と夫婦になり
たいならば、兄の入鹿が持っている三種の神器のひとつ、十握(とつか)の剣を盗み出せと
唆す。「恩にも恋は代へられず。恋にも恩は捨てられぬ」。

恋争いも権力争いには負ける。「第一は天子のため」と橘姫も覚悟を決める。求馬は、橘姫
の正体を疑い、恋人になろうとしたスパイなのだった。単なる優男ではなかった。したたか
な精神の持ち主、スパイであった。有能なスパイの狙いが当たったというわけだ。「たとへ
死んでも夫婦ぢやと仰つて下さりませ」と橘姫。「尽未来際(じんみらいざい)かはらぬ夫
婦」と求馬。姫は、スパイの手下になる。

「苧環」を搦めた美男美女の錦絵風。自分との結婚の条件として、兄・入鹿が隠し持ってい
る「十握の剣」を盗み出すよう娘をそそのかすスパイ・求馬の強かさ。ただの美男ではない
という求馬。姫は、兄を裏切る。皆々、喜劇さ! 

大団円の「金殿の段」。悲劇である。盆廻しで登場した呂太夫。恋の、白い糸が切れて迷子
になったお三輪が辿り着いたのは、「不思議の国」の金の御殿。「金殿(ゴールデンパレ
ス)」という上方風の御殿。人形浄瑠璃では、権力争いより、大きな物語が、実は、町娘の
悲恋物語という趣向。下手から、お三輪登場。

まず、悲劇の前の笑劇という作劇術の定式通りで、「豆腐買い」の場面。上手より「豆腐の
御用」(というのが役名。豆腐箱掲げて使いに行くお端女。人形遣は勘寿。歌舞伎では、通
称「豆腐買い」)は、歌舞伎では、ベテラン役者の「ごちそう」の役どころ。

「不思議の国のアリス」のように「金殿(ゴールデンパレス)」=「不思議の国」に迷い込
み、初めて肌を許した恋しい殿御・求馬への恋心と共に、金殿という未知の世界で、彷徨す
るお三輪=アリスにとって、道案内の情報をくれる豆腐の御用は、敵か味方か。下世話な上
方言葉で、お三輪を翻弄する。追いかけて来た求馬橘姫ふたりの祝言のことをお三輪は聞か
されてしまう。嫉妬に狂い、判断力を摩耗させるお三輪。タイムトリップする迷路で出逢っ
た豆腐の御用は、所詮、不思議の国の通行人にすぎない。

求馬の着物の裾につけた筈の、白い苧環は、お三輪=アリスにとって、魔法の杖だったはず
だが、有能なスパイに悟られたのか、糸の切れた苧環は、「糸の切れた凧」同様、タイムト
リップする異次元の迷路では、迷うばかり。役に立たなかった。時空の果てに置き去りにさ
れたお三輪には、もう、リアルな世界への復帰はない。後戻りできない状況で、前途には過
酷な運命が待ち構えているばかり。

御簾が上がった御殿の長廊下へ上がり込んで侵入してきた異星人・「見慣れぬ女子」のお三
輪を金殿の官女たちは、よってたかって攻撃する。御殿を守る女性防衛隊としては、常識的
な対応なのだろう。まして、異物は「恨み色なる紫の/由縁の女とはや悟り、『なぶつてや
ろ』と目引き、袖引き」。それは、町娘への「虐め」という形で、表現される。「道行恋苧
環」では姫に対抗して強気の町娘だったお三輪は、ここでは、虐められっ子にされてしま
う。

官女たちは、魔女のように、可憐な少女アリス=お三輪を虐め抜く。「オオめでとう哀れに
出来ました」と官女たち。虐めが対照的に、お三輪の可憐さを浮き立たせる。言葉の魔力
は、悲劇と喜劇を綯い交ぜにしながら、確乎とした悲劇のファンタジーの世界、「不思議の
国」を形成して行く。呂太夫の美声が、過酷なファンタジーへと誘う。

贅言;歌舞伎なら、代々のお三輪役者は、ここで虐め抜かれることで、「疑着の相」を表現
するためのエネルギーを溜め込むことになる。しかし、人形の首(かしら)は、「娘」のま
ま、表情を変えないで、歌舞伎と同じ思いを表現しなければならない。女の恨みは、凄まじ
い。

官女たちのお三輪虐めもエスカレートする。「馬子唄」を唄えと強要される。「涙にしぶる
振袖は、鞭よ、手綱よ、立ち上がり」「竹にサ雀はナア、品よくとまるナ、とめてサとまら
ぬナ、色の道かいなアアヨ」。だから、この段の通称を「竹に雀」という。悲劇故に、「竹
に雀」という穏やかな通称外題を付ける、江戸人のセンス。

この後、近松半二は「官女たちのお三輪虐め」を「鱶七によるお三輪殺し」の場面へと繋
ぐ。官女たちに虐め抜かれた果てに、お三輪は、恋しい求馬、実は、藤原鎌足の息子・淡海
の、政敵・蘇我入鹿征伐のためにと鎌足の家臣鱶七、実は、金輪五郎の「氷の刃」に刺され
てしまう。「一念の生きかはり死にかはり、付きまとうてこの怨み晴らさいで置こうか」と
いうお三輪だが、金輪五郎に行き違う隙に脇腹を刺され、瀕死となりながら、その血が藤原
淡海のために、役立つと説得され、「女悦べ。それでこそ天晴れ高家の北の方」と、(娘の
生き血を笛に塗りたい)金輪のリップサービス。それならばと命を預けるお三輪。恋する人
のために死んでも嬉しい娘心を強調し、半二も観客の血涙を絞りとろうとする。

「疑着の相ある女の生血」が役立つと、半二は、かなり無理なおとしまえを付ける。死んで
行くお三輪の悲劇が、お三輪の恋しい人である淡海の権力闘争を助けるという大団円。最後
まで、筋立てには、無理があるが、劇的空間は、揺るぎを見せずに見事着地してしまう。

瓦灯口の定式幕が、取り払われると、奧に畳千帖の遠見(手前上下の襖が、銀地に竹林。奧
手前の開かれた襖が、銀地に桜。奧中央の襖が、金地に松。悲劇を豪華絢爛の、きんきらき
んの極彩色で舞台を飾っている)。お三輪の死を確かめると、主遣いを務めていた勘十郎
は、左遣いや足遣いを残したまま、勿論、お三輪の「遺体」も置いたまま、瓦灯口へ退き、
上手の舞台裏へ隠れてしまう。「思ひの魂(たま)の糸切れし。苧環塚と今の世まで、鳴り
響きたる横笛堂の因縁かくと哀れなり」。

鱶七は、衣装引き抜きで、本性を顕して金輪五郎に立ち戻り、攻め来る花四天相手に大立ち
回りのうちに、幕。

三段目と四段目は、大違い。四段目の概要をスケッチしてみよう。敢えて、現代風にタイト
ルを付けるとすれば、「蘇我入鹿暗殺作戦」。ターゲットは、覇道の王・蘇我入鹿。指令を
発したのは、藤原鎌足。藤原方の主な戦闘員は、藤原淡海、金輪五郎のふたり。
 
色男の淡海は、求馬と名乗り、セックスで女性を抱き込む作戦で、ターゲットに迫る。入鹿
の娘・橘姫と酒屋の娘・お三輪。入鹿の娘・橘姫を戦闘員の助手に使い、父親の持つ宝刀を
盗ませようとする。
 
金輪五郎は、鱶七という市井の漁師に身をやつしながら、藤原鎌足の特使として、臣従する
と装って、ターゲットに正面から迫る。この男は諜報も得意で、情報戦の戦い方を知ってい
る。蘇我入鹿の弱点を探り、弱点攻略の素材として秘術に必要な酒屋の娘・お三輪の血を得
るために、お三輪を犠牲にする(殺される訳だが、好きな人の役に立つ、と聞かされ喜んで
死んで行く)。
 
藤原淡海、金輪五郎の連繋作戦で、蘇我入鹿の御殿に暗殺作戦指令者の藤原鎌足らを導き入
れて、最後は、指令者の藤原鎌足自らにターゲットの蘇我入鹿を抹殺させることに成功し、
花を持たせる。淡海は意外と出世するタイプか?

最後に、「妹背山婦女庭訓」第二部の要素をジャンル分けしてみると、以下のようになるだ
ろう。

時代物:「妹山背山の段」。家と家族。大判事、定高が軸。若い男女の悲劇が絡む。

世話物:「杉酒屋の段」、「道行苧環」、「姫戻りの段」、「金殿の段」。時代物の世界に
紛れ込んだ世話物の町娘・お三輪受難が底流を滔々と流れる。

時代物:「鱶七上使の段」、「金殿の段」。(→ 今回は、演じないが、「入鹿誅伐の段」
へ)。権力争いの政治劇。

四段目の主な人形遣いは、次の通り。橘姫:一輔。求馬、実は、藤原淡海:清十郎。お三
輪:勘十郎。蘇我入鹿:文司。漁師鱶七、実は、金輪五郎:玉志。豆腐の御用:勘壽ほか。
- 2019年5月23日(木) 15:19:31
19年05月国立劇場(人形浄瑠璃)・通し狂言「妹背山婦女庭訓」(第一部)


見応えあり! 大曲「妹背山婦女庭訓」の通し上演


「妹背山婦女庭訓」は、「王代物」の大曲の名作である。1771(明和8)年、大坂竹田
新松座(竹本座)の人形浄瑠璃として初演された。近松半二ほかの合作。中大兄皇子(後の
天智(てんじ)天皇)と中臣(藤原)鎌足対蘇我入鹿との「戦争」(武力衝突)の結果、天
皇親政と時代が変わる事績を背景に、大和地方の名所旧跡、伝説などをちりばめながら、同
じ題材の先行作品を踏まえて、再構築した作品。近松半二独特の作劇術で、シンメトリカル
な舞台装置、複雑な伏線と鮮やかな謎解きなど、話の展開に潤沢なユニークさを持ち込んだ
長編の名作として、今日でも度々上演されている。ただし、長い作品なので、一挙上演とい
う機会は、極めて少ない。今回は、国立劇場が、再構成して、二部制で通し上演となった。
特に、現代では、「仮名手本忠臣蔵」くらいでしか上演されない「大序」という物語の発端
部分を1921年以来、98年ぶりに復活上演された。正に、世紀の復活だ。

今回の場面構成は、以下の通り。
第一部:大序「大内の段」、同 「小松原の段」、同 「蝦夷子館の段」、二段目「猿沢池
の段」、同 「鹿殺しの段」、同 「掛乞の段」、同 「万歳の段」、同 「芝六忠義の
段」、三段目「太宰館の段」。
第二部:三段目「妹山背山の段」、四段目「杉酒屋の段」、同 「道行苧環」、同 「鱶七
上使の段」、同 「姫戻りの段」、同 「金殿の段」。

国立劇場の時間割では、午前10時半開演で、午後9時前の終演という予定で、休憩や一部
二部の観客の入れ替え時間を含めて、10時間半の長丁場の上演であった。客席は、ほぼ満
席。

特に第一部は、私も、全くの所見の場面ばかりなので、粗筋の記録も兼ねて、見どころなど
を小まめに押さえて行きたいので、それぞれの場面ごとにウオッチングしよう。

大序「大内の段」。史実と違い、中大兄皇子(後の天智天皇)は、既に、この場面で天智
(てんち)天皇になっているが、病を得て、盲目になっているという想定だ。天皇の政務を
代行するのが、大臣の蘇我蝦夷子(そがのえみじ)。天皇の盲目(眼疾)を利用して権勢を
振るっている。ゆっくり幕が開くと、舞台には、下手から宮越玄蕃(蝦夷子の家臣)、大判
事清澄(だいはんじきよずみ)、中納言行主(ゆきぬし)、蘇我蝦夷子が静止している。や
がて、竹本の語りで、自分の名前が聞こえてくると、動き始める。人形遣いは、全員顔も隠
した黒尽くめの黒衣姿で人形を操る。人形の動きは、「仮名手本忠臣蔵」の「大序」の演出
にも似ている。下手から、大宰少弐(だざいのしょうに)の後室・定高(さだか)が、参内
してくる。亡くなったばかりの大宰少弐の跡目を娘の雛鳥に婿を迎えて相続させたいので、
許可してほしいと願い出にきた。さらに、遅れて藤原鎌足も参内。「我意驕慢」の蝦夷子
は、帝(天皇)の寵愛を受ける鎌足の娘・采女(うねめ)が、男児を産んだら鎌足は帝の外
戚になるからと警戒している。鎌足がそのための祈願をしていると難癖をつける。鎌足は、
「ならば」と身の潔白を証明できるまで、内裏に近寄らず、蟄居すると言って去って行く。
物語の時代の世界、政治状況をスケッチしておく、という感じ。権力者蘇我蝦夷子対天智
帝・鎌足、という構図を見せる。太夫、三味線弾き、それぞれ4人は、上手の黒御簾の中で
リレー式に演奏。人形遣いは、全員が黒衣で人形を操るので、人形がいつもより浮き彫りに
されている。しかし、権力者は、いずれ早々と転換されることになる。

同 「小松原の段」。この場面も、人形遣いは、全員黒衣。春日神社にほど近い小松原。狩
の帰りで吹矢筒を持った久我之助(大判事清澄の嫡男)が、休憩している。上手から武家の
娘が、衣被(きぬかつぎ)姿で、顔を隠し、腰元を連れて現れる。久我之助と娘、ふたり
は、顔を見合わせた途端、恋に落ちる。同じ床机に並んで座り、扇子の陰で接吻をするふた
り。なかなか、積極的な恋の行動。そこへ、上手から宮越玄蕃が現れる。玄蕃は、娘(大宰
少弐の娘・雛鳥)に横恋慕している。玄蕃は、久我之助と雛鳥に、それぞれの素性を告げて
しまう。大判事と大宰少弐の家は、遺恨のある家同士なので、ふたりの恋は成就しないと、
嫌味を言う。腰元のひとりが、吹矢筒で玄蕃を懲らしめた隙に雛鳥は逃げ帰って行く。

内裏を抜け出した采女(鎌足の娘)が下手奥から現れ、久我之助と出会う。采女が蝦夷子の
企みで蟄居させられた父親の鎌足の行方を捜していることを知る。久我之助は、主従関係に
ある采女を逃がすために采女を連れて行く。

竹本の太夫は、芳穂太夫、咲寿太夫ほか。

同 「蝦夷子館の段」。竹本は、口が亘太夫、奥が三輪太夫。人形遣いのうち、主遣いは、
顔を出している。この芝居のハードな本質。政治の本性が描かれる場面である。帝位を狙う
蝦夷子。それを阻止するのは、鎌足か、いや、別の人物か。権力争い。

蝦夷子館では、雪見の宴。小松原の場面では、紅葉だったから、季節は進んで、冬になって
いる。館に呼び出されてきたのは、久我之助。采女が入水したので、自分も落ち度を責めら
れ、職を失った。そこで、相談だが、蝦夷子に仕えたい、と言う。ならば、腕試しと蝦夷子
の家臣の玄蕃、荒巻弥藤次に襲われるが、久我之助は、易々と二人を躱(かわ)して帰って
行く。この場面では、久我之助が権力者の前でも、屈しない自我を持つ腹の据わった青年と
して描かれる。

続いて登場したのが蝦夷子の嫡男である入鹿の妻・めどの方。仏道に帰依した入鹿が参籠百
日目となり、生きたまま棺に入ることになった、という。蝦夷子が入鹿の真意は何かと問う
と、めどの方は、父親・蝦夷子の謀反の心を諌めるためだ、と答える。蝦夷子は、謀反発
覚、これまでと、庭にいるめどの方に斬りつける。めどの方は懐中に隠し持っていた一巻を
火鉢に投げ込む。燃え上がる煙を合図に鉦太鼓の音が響き渡る。蝦夷子は、庭に降り、めど
の方のとどめを刺す。

そこへ、めどの方の父親・中納言行主と大判事が、連れ立って現れる。勅使だと言う。勅使
という帝の代理の立場を利用して上司役の中納言は、入鹿が謀反の証拠として差し出したと
いう連判状を蝦夷子に突きつけて、切腹せよと攻めたてる。めどの方の揚げた煙は、蝦夷子
謀反を暴いたという合図の狼煙だった、と打ち明ける。観念した蝦夷子は、自害してしま
う。悪の権力者は、あっけなく、自滅する。これで一件落着と、大判事が、蝦夷子の首を打
ち落すが。その隙に中納言は、どこからか飛んできた矢に胸を撃ち抜かれて、死んでしま
う。政治ドラマは、どうなるのか。

そこに現れたのは、蝦夷子の嫡男である入鹿であった。父親の敵討ちかと思いきや、天下を
狙う張本人は、入鹿であった、と本性が暴露される。参籠と見せかけて、内裏への抜け道を
掘り、三種の神器の一つ・叢雲の剣を手に入れる一方、野望家・蝦夷子を自害に追い込み、
行主を射殺した、というわけだ。謀反の挙兵の主は、実は、入鹿だったのだ。入鹿こそ、親
の蝦夷子を凌ぐ極悪人、国崩しであった。大判事は、即座に入鹿に従うと表明する。官僚は
変わり身が早いと言うことか。大判事は、胸中、何か策を秘めているのだろうか。入鹿は、
帝位を奪うために大判事を案内役にして内裏へと向かう。大判事が胸中を明かさないままな
のは、三段目への伏線。

贅言;大判事とは、大宰府などの官人。訴訟事に判決を下し、罪名を定める役割。判事の最
上級職位。今なら、最高裁判所の裁判官か最高裁長官クラス、ということか。因みに、大納
言は、高級官僚。太政官(だいじょうかん)という役所の次官。右大臣の次位。中納言は、大
納言の欠員を補う制度の職位として控えている。

二段目「猿沢池の段」。五重塔が遠くに見える。天智天皇が、采女が入水したと伝えられる
猿沢池に人目を忍んでやってきた。舞台では、上手に御所車が見える。そこへ采女の兄、鎌
足の嫡男・藤原淡海が出会(でくわ)せる。淡海は、神事の際に誤りを犯してしまい、帝の
怒りを買い、遠ざけられていた。しかし、蝦夷子の横暴や父親の鎌足の蟄居を聞き、帝を守
ろうと駆け付けてきたのだ。それを聞き、帝は淡海を許すことになる。内裏から帝への使者
が来る。「入鹿謀反」と告げる。淡海は、内裏へ戻ると偽り、帝一行とともに、その場を去
る。淡海は、帝一行をどこへ導こうとしているのか。采女の「衣掛柳伝説」(能の「采
女」)を取り入れている。蝦夷子館、猿沢池と続いた政治ドラマから、一旦、離れる。竹本
の太夫は、希太夫。

同 「鹿殺しの段」。世話場。場面代わって、葛籠(つづら)山の山中。猟師の芝六は息子
の三作と狩をしている。上手より、鹿が軽快な足取りで現れる。下手より矢が飛んでくる。
さらに、下手から芝六登場。芝六は、鹿を射止める。その鹿は、禁猟の爪黒(つまぐろ)の
牝鹿であった。鹿を背中に担ぎ上げた芝六と三作は、人目を避けて、家に帰って行く。鹿狩
りの真意は、まだ、伏せられているが、入鹿討伐への伏線。興福寺の鹿は、藤原の氏神の使
い、として保護されている。さあ、大変。禍事が待っているのでは、ないか。山中の書き割
りが上がると、場面展開で、芝六住家。竹本の太夫は、碩太夫。

同 「掛乞の段」。人形遣いは、顔出しのまま。これは悲劇の前の笑劇、という演出であ
る。外題の「掛乞(かけごい)」とは、借金取りのこと。舞台は、猟師の芝六の住家。貧し
い家には、猟師の芝六、女房のお雉、女房の連れ子の長男・三作(13歳)、芝六とお雉の
間になした次男・杉松の4人が暮らしている。実は、さらにこの貧家に天智帝一行が匿われ
ている、というのだ。下手から現れたのは、芝六。芝六は、帝の従者たちに猟の帰りに買っ
てきた庶民の服を着せることにした。奥よりお雉。大納言兼秋や官女たちに着替えさせる。
髪型は、王朝風の元のままで、衣服だけ庶民の服、というちぐはぐさが、場内の笑いを誘う
場面だ。

芝六は、実は、藤原鎌足家を勘当放逐された元家臣の玄上太郎なのだが、隠している。そこ
へ、米屋が芝六から借金の取り立てをしようと、やってくる。大納言兼秋は、米屋が突きつ
けた勘定書も珍しいので、和歌のように詠んでしまって、なんとも判じかねる。勘定書が団
扇の風で、飛ばされて行き、場内の笑いを誘う。大納言らは、現金も勘定書も無縁の生活を
しているのだろうから、無理もない。金の代わりにと、芝六女房の身体に抱きついた米屋。
芝六に投げ飛ばされ、さらに、間男代を請求される始末。慌てて、米屋は逃げ帰る。竹本の
太夫は、睦太夫。

同 「万歳の段」。この段も、まだ、笑劇が続く。笑撃から悲劇へ。家臣たちの気配りの結
果、盲目の帝は、芝六宅が内裏のどこかと勘違いしている。奥から出てきた帝は、宮中行事
の管弦を所望する。芝六が機転を利かして、三作とともに管弦の代わりに万歳を披露するこ
とにする。芝六は、密かに射止めた爪黒の牝鹿の血を入れた壺を淡海にそっと渡す。心を動
かされた帝は、己の不徳を嘆く。淡海は、芝六を褒め、父親の鎌足が興福寺の裏の山中で、
帝の眼疾平癒を祈っている、きょうが百日の満願の日なので、明朝の夜明けに鎌足がここへ
きたら、芝六は、帰参が許されるだろうと伝える。それを聞いた女房のお雉も喜ぶが、禁猟
の鹿を射止めた者がいるらしいという噂を聞いた、身に覚えはないかと夫に問いかける。芝
六は、シラを切る。

鹿殺しは、猟師で、犯人を見つけ出せば、褒美が出ると、通りかかった村人が噂をしてい
る。これを聞いた三作は、弟の杉松に手紙を持たせて興福寺へ届けさせる。鹿役人が鹿殺し
の犯人を突き止めたと乗り込んでくる。鹿役人は、入鹿の配下(実は、鎌足の配下)を装っ
て、帝の行方を捜索しているのだ。鹿殺しの嫌疑のある三作を人質に、芝六に帝一行を匿っ
ているだろうと攻め立てる。芝六は、申し開きをするために庄屋へ向かう。芝六が、裏切る
のではないか、と淡海も心配するが、お雉は、弁解をする。竹本の太夫は、織太夫。

同 「芝六忠義の段」。三作は、義理の父親の芝六のために、弟で芝六と血が繋がる杉松に
自分を訴えさせて、自分が父の代わりに処刑されることを望む。それとは知らず、明日朝に
は、鎌足家に帰参が許されることになったとして、帰途に酒屋に立ち寄り、ほろ酔い気分で
帰ってくる。帰宅すると、すでに寝入っている次男の杉松と一緒に寝てしまう。連れ子の三
作のことを案じて、夜が明けないように、と祈るお雉と夜明けの帰参を心待ちにして寝入る
芝六の心情の違いが、この場面の見せ場だ。芝六は、鎌足に忠義心を試されると思い、夜明
けを告げる鐘の音を聞きながら、抱いていた次男の杉松を殺してしまう。ところが、女房の
連れ子の三作が、芝六の身代わりとして処刑されると聞き、動転する。父親は、意識は武士
に戻り、政治ドラマの世界へ。母親は、長男が殺されると恐れ、世話場、家族愛を貫く。

人形浄瑠璃では珍しく、舞台が回って場面展開。芝六の家も上手側に少し移動させられる。
ところで、蝦夷子に盗まれたはずの三種の神器、神鏡と勾玉が見つかったというので、三作
は助命されることになる。鎌足は、芝六の勘当を許し、三作も合わせて、親子で家臣として
召抱えられるわけだ。杉松の遺体は、鹿殺しの代償として埋められることになる。幼い杉松
のみ犠牲になるのか。神鏡が地中から取り出されると、帝の視力も回復した。鎌足は、命が
けで芝六が集めた爪黒の牝鹿の血を入鹿討伐に使うと告げ、帝とともに興福寺へ向かう。切
場。竹本は、咲大夫。大分痩せているようだ。三味線方は、燕三。

三段目「太宰館の段」。通称、「花渡し」。人形遣いは、主遣いの顔出しが続く。奥から現
れたのは、入鹿。入鹿は、金巾子(きんこじ)の冠を着けて帝位に就いたことをアピールし
ている。恭順を示しているにも関わらず、太宰少弐が亡くなった後、家を守る後室の定高の
館にやってきた入鹿により、大判事が呼び出されてきた。下手から現れる。領地の境で争っ
ている両家。入鹿は、大判事に采女の行方を尋ねる。采女入水を疑っているのだ。久我之助
の親なら知っているだろう。雛鳥と久我之助が恋仲なら、両家の不仲も表向きだけではない
のか。親同士は不仲だが、子供たちは、相思相愛、はていかに、ということなのだろう。密
かに帝と采女を匿っているのではないのか。定高と大判事に疑いの目を向ける。匿っていな
いのなら、雛鳥の入内と久我之助の出仕をさせよ、と言う。権力者の横暴ぶりが印象付けら
れる。国崩しの絶頂感。三段目「山の段」の導入部分となる重要な端場。

そこへ、注進登場。帝に味方する軍勢が決起したと伝える。しかし、入鹿は、動じることな
く、馬に乗って出陣して行く。ここまでは、今回の第一部。第二部は、「妹山背山の段」と
なる。竹本は、靖太夫。

この前半の部分は、滅多の上演されない場面が続く。第一部、第二部の観客入れ替えがあ
り、通し上演の後半部は、馴染みの場面となる。
- 2019年5月21日(火) 17:15:23
19年05月歌舞伎座(夜/「鶴寿千歳」「絵本牛若丸」「京鹿子娘道成寺」「御所五郎
蔵」)


團菊祭の由来と最近
 

「團菊祭」とは、徳川幕藩体制の下で育ってきた歌舞伎が明治期の近代化路線の大波の中で
危機に瀕したときに、歌舞伎の近代化に果敢に取り組んだ、九代目團十郎と五代目菊五郎に
因んで、戦前の1936(昭和11)年、両雄の功績を顕彰しながら歌舞伎の活性化を目指
すという目的で第一回團菊祭が始まった。彫刻家・朝倉文夫作の團菊ふたりの胸像が歌舞伎
座に飾られたのを記念して始まった、という。従って、團十郎と菊五郎は、両雄でこそあ
れ、どちらにも上下の意識はない、と私は思っているが、最近の團菊祭は、圧倒的に菊五郎
劇団色が強まってきているように思っている。精査ではないが、ちょっと調べてみた。今月
の出演者だけを見ると以下のような傾向が浮き彫りになってくる(50音順)。

屋号に「音羽屋」を使用している者(11):尾上右近、丑之助、菊五郎、菊之助、左近、
松緑、松也/坂東亀三郎、亀蔵、彦三郎、楽善。「萬屋」を使用している者(3):中村時
蔵、梅枝、萬太郎。→  菊五郎系(14)
屋号に「成田屋」を使用している者(1):海老蔵。「高島屋」あるいは、「高嶋屋」を使
用している者(4):市川右團次、九團次、齊入、左團次。→  團十郎系(5)

今月の演目と主役では、「対面」・松緑。「勧進帳」・海老蔵。「め組の喧嘩」・菊五郎。
「鶴寿千歳」・時蔵、松緑。「絵本牛若丸」・丑之助。「道成寺」・菊之助。「御所五郎
蔵」・松也。→  菊五郎系(6演目)。團十郎系(1演目)。


丑之助初舞台

丑之助の「牛若丸」は、初見。前回は、1984年2月、歌舞伎座。今の菊之助が六代目丑
之助を襲名披露した初舞台。35年前のことだ。

今回の主な配役は、次の通り。
牛若丸:七代目丑之助。弁慶:菊之助。鬼次郎:菊五郎。お京:時蔵。成瀬:雀右衛門。山
法師西蓮:松緑。山法師東念:海老蔵。淡路の局:萬次郎。渋谷金王丸:團蔵。金売り吉
次:楽善。蓮忍阿闍梨:左團次。鬼一法眼:吉右衛門。

因みに、前回の主な配役は、次の通り。
牛若丸:六代目丑之助。弁慶:/。御厩鬼三太:菊五郎。(吉岡)鬼次郎:八十助時代の十
代目三津五郎。常盤御前:梅幸。お京:萬次郎。成瀬:/。山法師西蓮:初代辰之助。山法
師東念:海老蔵時代の團十郎。淡路の局:六代目菊蔵。渋谷金王丸:彦三郎時代の楽善。金
売り吉次:蓑助時代の九代目三津五郎。蓮忍阿闍梨:二代目松緑。鬼一法眼:十七代目羽左
衛門。

丑之助襲名披露、初舞台とあって、音羽屋三代(菊五郎、菊之助、丑之助)が、團菊祭を菊
五郎劇団興行として、「乗っ取った」(?)というと、大げさか。来年の團菊祭は、海老蔵
改め十三代目團十郎襲名披露興行になるから、成田屋一色になるのかもしれない。

贅言;歌舞伎座の場内に入ると、舞台には、温かみのある黄色の祝幕。場内は、祝いごとと
あって、浮き浮きするムード。祝幕の下手に七代目尾上丑之助さん江。背景画は、森深い鞍
馬山らしい。幕の中央に、アニメ調の色彩もくっきりした絵(ジブリ)で、弁慶と牛若丸。
京の五条の橋の上。幕の上手寄りに「重ね扇に抱き柏」は、音羽屋の家紋。幕の上手の背景
画は、川が流れていて、五条橋が掛かる京の鴨川の体(てい)か。幕の上手、下に、「木場
長谷萬」とある。これは、幕贈呈のスポンサーの企業名。


丑之助の「絵本牛若丸」


さて、新・丑之助初舞台。村上元三原作の新作歌舞伎。平治の乱で敗れた源氏の敗走の時
代。鞍馬山で修行中の幼い牛若丸だが、身辺が慌ただしくなってきた。開幕するも、舞台全
面は浅葱幕が覆っている。浅葱幕前で、郎党(秀調、権十郎、彦三郎、坂東亀蔵、松也、右
近)が、牛若丸の話をしている。連中は、鞍馬寺へ向かう。浅葱幕振り落としで、鞍馬山
へ。朱塗りの柱は、鞍馬寺の舞台下か? 舞台上手に立札がある。立札には、「春寅請願」
の4文字が書いてあるが、私には、意味不明。やがて、大せりが上がりってくる。菊五郎
(鬼次郎)、丑之助(牛若丸)、吉右衛門(鬼一法眼)の3人が登場。花道より、弁慶(菊
之助)も、登場。劇中口上となり、4人が前に出てきて、舞台中央に座る。


丑之助の劇中口上

丑之助初舞台の劇中口上は、祖父・菊五郎の仕切り。「菊之助の長男が、七代目として丑之
助という名跡を襲名することになった。いずれは、立派な歌舞伎役者になるように、お願い
します」という趣旨の挨拶。次いで、吉右衛門も挨拶。新・丑之助は、「私の孫でもありま
す」と紹介する。丑之助の初舞台。新しい丑之助が誕生しますので、よろしくお願いしま
す、という趣旨。二人の祖父が孫の新・丑之助を両方からバックアップ。梨園の長男に生ま
れただけでなく、祖父は、父方も母方も人間国宝という超エリート。物心つく年齢、やがて
くる、悩ましい青春期などを経て、一廉の役者になってほしい、というのは、観客も含め
て、皆の願い。父親の菊之助に「ご挨拶を」と促されて、丑之助の口上。「どうぞ、よろし
くお願い致します」。

口上も終わり、芝居の中へ。牛若丸は、陸奥国平泉の藤原秀衡を頼って、鞍馬を離れて奥州
へ向かうことになった。護衛役は弁慶(菊之助)。

旅立ちを前に、一條大蔵卿の伝言を伝えにきた鬼次郎女房のお京(時蔵)や角隠し姿の成瀬
(雀右衛門)。見せ場の一つは、立ち回り。追ってきた郎党(秀調、権十郎、彦三郎、坂東
亀蔵、松也、右近)と牛若丸(丑之助)の対決。蝶のように舞い、蜂のように刺す牛若丸。
祖父、父の弟子の黒衣たちに支えられて、大立ち回り。対決姿勢を見せていた郎党たちも、
実は源氏所縁の武士たち。「家臣して欲しい」と申し出る。山法師西蓮(松緑)と山法師東
念(海老蔵)も、牛若丸の道中警護を申し出て、揉める。蓮忍阿闍梨(左團次)が、ふたり
をたしなめる始末。淡路の局(萬次郎)に案内されてきた渋谷金王丸(團蔵)と金売り吉次
(楽善)も、道中同伴を申し出る。蓮忍阿闍梨の仕切りで、牛若丸の同行者は、予定通り、
弁慶一人に。鬼一法眼(吉右衛門)は、旅の餞(はなむけ)として、牛若丸に、兵法書の
「虎の巻」を授ける。牛若丸は、旅立つことに。幕。

花道。幕外の引っ込み。牛若丸に飛び六法の気配(?)。「俺は馬に跨って、平泉へ」と、
牛若丸。弁慶に肩車をされ、「それ、進め」で、牛若丸の引っ込み、となる。


菊之助熟成の娘道成寺

「京鹿子娘道成寺」のバリエーションものを除けば、私は、「娘道成寺」を観るのは今回で
15回目となる。歌舞伎座筋書所載の松竹演劇製作部(芸文室)が、まとめた「上演記録」
に依拠する。私が観た花子役は、勘九郎時代含め勘三郎(4)、福助(芝翫の代役含めて、
3)、菊之助(今回含めて、2)、玉三郎、先代の芝翫、菊五郎、先代の雀右衛門、坂田藤
十郎、三津五郎。

だが、この上演記録は、「京鹿子娘道成寺」という外題の演目だけのものだから、例えば、
「娘二人道成寺」、「娘五人道成寺」、「奴道成寺」、「男女道成寺」、「傾城道成寺」な
どバリエーション作品、所謂「道成寺」ものの記録は、それぞれ別途として記載されてい
て、ここでは判らない。

菊之助は、歌舞伎座では、今回、初めて「京鹿子娘道成寺」の白拍子花子を単独で踊る。そ
う言えば、玉三郎と菊之助の「娘二人道成寺」を私も歌舞伎座で何度か観たことがある。例
えば、04年1月、06年2月、09年2月の歌舞伎座の舞台。二人道成寺の白拍子花子・
白拍子桜子のペアが、白拍子花子の生身と死霊に統一される、というアイディア。

菊之助は、これまでに、単独で踊る「娘道成寺」は、浅草歌舞伎、新橋演舞場、京都南座、
そして、今回の歌舞伎座の、4回演じている。花子を一人で踊る菊之助の「娘道成寺」を私
が観るのは、2回目。8年前、11年11月、新橋演舞場以来だ。

03年1月、歌舞伎座で観た玉三郎の「娘道成寺」の踊りは、印象深い。玉三郎一人の「娘
道成寺」の踊りは、これ一回きりしか観ていない。玉三郎は手足がなめらかに動く。姿勢に
安定感もある。所作事の女形の演目としては、大曲で演じどころの多い「娘道成寺」だが、
玉三郎は、充実の舞台で、流れるような所作の連続を堪能させてくれた。女形に取って、立
役の所作事「勧進帳」に匹敵する演目だ。玉三郎は、これまでに11回演じている。ただ、
最後の鐘の上での「凝着」の表情が、玉三郎は弱いと思った。この部分では、雀右衛門の表
情が圧倒的だったような気がする。実際、蛇に観えたもの。これも、騙しの技術。

「娘二人道成寺」での玉三郎との共演は、菊之助にとって、実り多かったものと推察する。
玉三郎の指導を仰ぎ、二人から一人の白拍子花子へ。それは、一人踊りの熟成へ、と一歩踏
み出す菊之助の「京鹿子娘道成寺」という物語の始まりになるだろう。今後、菊之助の娘道
成寺を何回観ることができるか、判らないが、機会がある限り観て行きたい。「娘道成寺」
という演目では、歌右衛門、芝翫、雀右衛門亡き後、という状況で、今や第一人者の玉三郎
の傍で一緒に舞台を勤めて来た菊之助の蓄積は大きい。

「京鹿子娘道成寺」は長時間の舞踊で、序破急というか、緩怠無しというか、破綻のない大
曲の所作事。「京鹿子娘道成寺」は、いわば組曲で、「道行、所化たちとの問答、乱拍子・
急ノ舞のある中啓の舞、手踊、振出し笠・所化の花傘の踊、クドキ、羯鼓(山尽し)、手
踊、鈴太鼓、鐘入り、所化たちの祈り、鱗四天、後ジテの出、押し戻し」などの踊りが、逆
海老に体を反り返させる所作も含めて、次々に連鎖して繰り出される。ポンポンという小
鼓。テンテンと高い音の大鼓(おおかわ)のテンポも良く合うが、舞台と袖との出入りごと
に衣装が変われば、踊りも変わるので、テンションを保つのも大変なはず。実は、かなり烈
しい踊りで、役者は日頃からの体力維持が要求される。


花子は衣装の色や模様も、所作に合わせて、後見の「引き抜き」などの助けを借りて、緋縮
緬に枝垂れ桜、浅葱と朱鷺色の縮緬に枝垂れ桜、藤色、黄色地に火焔とお幕の紋様などに、
テンポ良く替わって行く。道成寺の鐘の中に花子が入り込む演出では、後ジテの花子は蛇体
の本性を顕わして、朱色(緋精巧・ひぜいこう)の長袴に、金地に朱色の鱗の摺箔(能の
「道成寺」同様、後ジテへの変身)へと変わって行くが、菊之助は鐘の中に入らずに、娘の
衣装のまま、鐘の上に上がって行く演出の方だった。この演出では、1996年4月の歌舞
伎座、雀右衛門の花子が、私の眼底には今もくっきり残っている。

菊之助の踊りは若いだけに柔軟な肉体を十二分意に発揮し、メリハリがあり、気品があり、
華があり、細部も正確で、見事だった。振り、所作の間に、若い娘らしい愛らしさが滲み出
ていて、菊之助の「京鹿子娘道成寺」は、絶品への予兆がする。いずれ、年齢的に体力が衰
えて行く玉三郎と当面体力を維持できる菊之助とは、いずれ交差し、菊之助は、やがて、玉
三郎を越えて、もっと先へ行くのだろう。今回、菊之助の娘道成寺を観ていたら、菊之助の
中から玉三郎が浮き彫りになってきた。菊之助は、単独の花子の踊りの熟成に向けて歩み始
めた。


初役!松也の五郎蔵

なんと歌舞伎座で、松也は、今回、御所五郎蔵を演じる。「曽我綉侠御所染(そがもようた
てしのごしょぞめ)」の主役。初役ながら堂々の吾郎蔵である。「役が順々に世代交代しつ
つある。(略)男心をくすぐる心意気と格好良さを大事に勤めます」とは、松也の弁。

「御所五郎蔵」という芝居そのものは、武士をやめて伊達者になった五郎蔵という男が、金
の工面で縁切りを偽装した愛人の傾城・皐月の真意を悟らず、愛人殺しと三角関係と思い込
んだ相手方の土右衛門に復讐をしようとして、誤った殺人事件を引き起こし、自滅してゆく
というだけの話。元武士というプライドばかり高く、短気で思慮不足な駄目男。それが、序
幕の両花道を使った五郎蔵と土右衛門の出会い・鞘当てから、二幕目の縁切り、廻り舞台で
場面転換した後の艶冶な殺し場へと歌舞伎の様式美をふんだんに盛り込んだ演出で、歌舞伎
のヒーローになっている。今回は、両花道が無くて、残念であった。

黒(星影土右衛門=左團次)と白(御所五郎蔵=仁左衛門)の衣装の対照。ツラネ、渡り科
白など、いつもの演出で、科白廻しの妙。洗練された舞台の魅力。颯爽とした男伊達・五郎
蔵一派。剣術指南で多くの門弟を抱え、懐も裕福な星影土右衛門一派。五郎蔵女房の傾城・
皐月(梅枝)に廓でも、横恋慕しながら、かつてはなかった金の力で、今回は、何とかしよ
うという下心のある土右衛門とそれに対抗する元武士のプライドを持つ五郎蔵。そこへ、割
って入ったのが、五條坂の「留め男」の甲屋与五郎(坂東亀蔵)の登場という歌舞伎定式の
芝居。様式美と配役の妙のみで魅せる芝居。

「曽我綉侠御所染」は、幕末期の異能役者・市川小團次のために、河竹黙阿弥が書いた六幕
物の時代世話狂言。動く錦絵(無惨絵)ということで、絵になる舞台を意識した演出が洗練
されている。役者のキャラクター(にん)で見せる芝居である。

「御所五郎蔵」は、私は11回目の拝見。私が観た五郎蔵は、菊五郎(4)、仁左衛門
(3)、團十郎、 梅玉、染五郎。そして、今回は、若手の巧者、松也が、抜擢の初役。

今回の主な配役は、次の通り。御所五郎蔵が松也、傾城・皐月が梅枝、星影土右衛門が彦三
郎、甲屋与五郎が坂東亀蔵、傾城・逢州が尾上右近、五郎蔵の子分たちが、吉之丞、廣松、
男寅、菊市郎。存在感のある脇役の花形屋吾助が橘太郎ほか。

今回の「御所五郎蔵」の場構成は次の通り。序幕「五條坂仲之町甲屋の場」、通称「出会
い」。二幕目第一場「五條坂甲屋奥座敷の場」、通称「縁切、愛想づかし」。第二場「五條
坂廓内夜更けの場」、通称「逢州殺し」。この三場は、良く上演される。

序幕「五條坂仲之町甲屋の場」は、まず、按摩のひょろ市、台屋佐郎八とトラブルの場面か
ら始まった。甲屋の若い者・喜助の留め男の場面は、後に出て来る本番のパロディだろう。
本番は、また、「鞘当」という狂言のパロディ。ということで、二重に遊んでいるのが愉し
い。対立するグループの出会いの場面だ。

二幕目第一場「甲屋奥座敷の場」。俗悪な、金と情慾の世界。皐月を挟んで金の力を誇示す
る土右衛門(彦三郎)と金も無く、工夫も無く、意地だけが強い五郎蔵(松也)の対立。歌
舞伎に良く描かれる「縁切り」の場面。五郎蔵女房と傾城という二重性のなかで、心を偽
り、「愛想づかし」で、金になびいてみせ、苦しい状況のなかで、とりあえず、二百両とい
う金を確保しようとする健気な傾城皐月(梅枝)。実務もだめ、危機管理もできない、ただ
ただ、プライドが高く意地を張るだけという駄目男・五郎蔵、剣術指南の経営者として成功
している金の信奉者・土右衛門という三者三様は、歌舞伎や人形浄瑠璃で良く見かける場
面。

「晦日に月が出る廓(さと)も、闇があるから覚えていろ」。花道七三で啖呵ばかりが勇ま
しい御所五郎蔵が退場すると、奥座敷の皐月を乗せたまま、大道具が鷹揚に廻る。
 
二幕目第二場「廓内夜更けの場」。本舞台から花道までが廓と外の境界だ。傾城皐月の助っ
人を名乗り出る傾城逢州(尾上右近)が、実は、人違いで(癪を起こしたという皐月の身替
わりになって、皐月の打掛を着たばっかりに)五郎蔵に殺されてしまう。駄目男とはいえ、
五郎蔵の、怒りに燃えた男の表情が、見物(みもの)という辺りが、この演目のいつもの見
どころ。口跡といい、所作といい、艶冶な殺し場の主役・松也は初役らしからぬ貫禄で、男
の色気を滲ませていて、魅力的な見せ場になった。
 
皐月の紋の入った箱提灯を持たせ、自らも皐月の打ち掛けを羽織った逢州と土右衛門の一行
に物陰から飛び出して斬り付ける五郎蔵。妖術を使って逃げ延びる土右衛門と敢え無く殺さ
れる逢州。逢州が、懐から飛ばす懐紙の束から崩れ散る紙々。皐月の打ち掛けを挟んでの逢
州と五郎蔵の絵画的で、「だんまり」のような静かな立ち回り。濡れ場と見まごう艶冶な殺
し場。官能的なまでの生と死が交錯する。特に、死を美化する華麗な様式美の演出も、いつ
もの通り。
 
馴染みのある演目を若い役者たちが、改めて、なぞり返す。手垢にまみれて見えるか、磨き
抜かれて、光って見えるか。その結果は、役者次第というだけに、演ずる者には怖い場面だ
ろう。先達の藝を継承し、未来に繋げて行く。燻し銀のごとく、鈍く光る歌舞伎のおもしろ
さは、同じ演目が、役者が変われば、いつも、違った顔を見せるということだろう。松也
や、良し!


祝祭の演目「鶴寿千歳」


13年4月歌舞伎座は、リニューアルなった歌舞伎座で、その再開場の筆頭演目(幕開き狂
言)として演じられたのが、「寿祝歌舞伎華彩」だったが、この演目は、実は、本当の外題
を「鶴寿千歳(かくじゅせんざい)」という。従って、「寿祝歌舞伎華彩」を含めて、「鶴
寿千歳」を観るのは、今回で4回目となる。

「鶴寿千歳」は、1928(昭和3)年の初演。岡鬼太郎原作。昭和天皇即位の大礼を記念
して作られた箏曲の舞踊劇。舞台は、甲州鶴峠(実際にある峠かどうか、私は、不詳だが、
地理的に見ると山梨県の西部の峠から東部を見はらしているように思える)の想定。踊りの
原型は、こうだろう。

デザイン化された松の巨木が舞台中央にある。雄鶴と雌鶴が、競り上がって来るのは、松の
上の空。紅白の袴の番の鶴が、舞遊ぶ。やがて、松が描かれた幕が上がると、富士山の幕に
替る。その変化で、番の鶴が、さらに、上空の高みに舞い上がり、富士山を下に見ながら、
舞っている様子が、伺えるという祝祭演目。

1回目は、2006年1月、歌舞伎座で、雄鶴(梅玉)、雌鶴(時蔵)であった。この時
は、ふたりだけの出演。2回目は、08年1月、歌舞伎座で、本舞台奥は、抽象的な大松が
描かれている。1月興行なので、松(歌昇時代の又五郎)、竹(錦之助)、梅(孝太郎)
が、新年を言祝ぐ踊りを披露する。やがて、3人が立去り、大松が上に上がって天井に収ま
ると、背景は、抽象的な富士山の絵に替る。松は、富士の下になる。大きく、横に長いせり
を使って、姥(芝翫)と尉(富十郎)という人間国宝のふたりが、せり上がって来た。松の
木の上空に止(とど)まるの態。ゆるりと長寿を言祝ぐ。長寿を強調して萬歳楽で舞い納め
たが、ふたりとも、歌舞伎座再開場を待たずに、鬼籍に入ってしまった。

3回目は、13年4月、歌舞伎座。「寿祝歌舞伎華彩 鶴寿千歳」。松の巨木ではなく、リ
アルな松林が背景。上手より染五郎時代の幸四郎が春の君、魁春が女御で登場。再開場の歌
舞伎座。舞台に立った最初の演者は、このふたりだった。本舞台中央に進み、座って、黙っ
て観客席に礼をする。座元代理の挨拶か。場内も盛んな拍手で応える。「松山の松の一葉
を……」。暫くふたりの踊り。背景が、天空から見た甲斐の山並の遠見に替わり、富士山も
遠望される。宮中の男女10人(男=権十郎、亀鶴、松也、萬太郎、廣太郎。女=高麗蔵、
梅枝、壱太郎、尾上右近、廣松)が祝賀の舞の群舞を披露する。そこへ、舞い降りた態で、
奈落からせり上がって来たのが、一羽の鶴(坂田藤十郎)。本舞台、花道七三と舞い踊る鶴
一羽。長寿を祝う。宮中の男女も加わる。さらに、上手より、再び、春の君、女御も登場。
歌舞伎座再開場という慶事を寿ぐ萬歳楽で舞い納めると、鶴(藤十郎)は、花道より退場。
本舞台も緞帳にて幕。

そして、今回が4回目。外題も「令和慶祝  鶴寿千歳」。緞帳が上がると、上手は箏曲連
中。歌舞伎では珍しく、女性がほとんどだ。下手は四拍子。こちらは、いつもの形。背景
は、巨松。花道より、宮中の男(梅枝)登場。女御(時蔵)と大臣(松緑)のふたり、宮中
の男(萬太郎)が続く。祝祭の舞を舞う。宮中の男(梅枝、歌昇、萬太郎、左近)が揃っ
て、遠く富士山を仰ぎながら、祝賀の舞の群舞。やがて、女御と大臣は、下手奥へ一旦消え
る。背景の巨松が上がって、薄茶色の富士山が見えてくる。白い袴姿で番いの鶴に姿を変え
て、大セリに乗って、再登場。上下白装束(裏地は朱)の雄鶴(松緑)、袴のみ朱の雌鶴
(時蔵)。富士山を遠くに見る松林の上空に姿を見せ、天空を飛翔する。長寿を祝って、番
いの鶴が宙空に舞う。言祝ぎが終わるころ、緞帳が下がってくる。
- 2019年5月6日(月) 17:19:58
19年05月歌舞伎座(昼/「寿曽我対面」「勧進帳」「神明恵和合取組」)


菊五郎劇団の祝祭のように


今年の團菊祭は、まるで、菊五郎劇団の祝祭の場だ。秋でもないのが、昼夜通しで「菊」
が、花盛り。「團」の方は、海老蔵最後の「勧進帳」くらい。昼の部は、萬屋「兄弟」の曽
我「兄弟」。女形の梅枝と立役の萬太郎の兄弟が、珍しくふたり揃って、「兄弟」を演じ
る。


萬屋兄弟の「曽我兄弟」


「寿曽我対面」は、今回で13回目の拝見。曽我兄弟が父親の敵(かたき)、宿敵・工藤と
「対面」するだけの芝居「寿曽我対面」は、兄弟にとって、「大願成就」の敵討ち予約切符
を発行することで、江戸っ子の正月用の祝典劇となった。祝典。富士の裾野で催される巻狩
りの総奉行に任じられた工藤祐経の就任を祝うために館には既に大名(10人)が集まって
いる。祝い事に伴う儀礼的な儀式を見せるのがテーマの芝居だけに、團菊祭の昼の部冒頭に
演じられるのも、その意味を含ませていることだろう。

江戸時代、人気の演目だった曽我兄弟の「対面もの」は、河竹黙阿弥の手によって、188
5(明治18)年、「寿」を冠する「寿曽我対面」として集大成(いわば決定版)された。
黙阿弥の集大成のポイントは、「寿曽我対面」の主役を「正義派」の曽我兄弟よりも、「宿
敵」の工藤祐経としたことにある。仇(かたき)と狙う曽我兄弟との対面を許し、後の、富
士の裾野で催される巻狩の場での再会を約し(仇討ち承知)、巻狩の総奉行を勤める工藤祐
経は狩り場の通行に必要な「切手」(切符)を懐から取り出し、紫の布で包んだまま兄弟に
投げ渡す。次回、その場で、兄弟の父親の敵として討たれようという意味だ。情理を理解
し、度量も大きく、太っ腹で、「敵ながら、天晴れ」という工藤祐経の「大人」の行動様式
に、曽我兄弟という「子ども」を対比させたことが受けて、日本人は、敵役に長いこと拍手
喝采を続けたのだろう。それだけに、この芝居では工藤祐経の出来具合が大事なポイントに
なる。今回の工藤は、松緑。

「対面」の魅力は、視覚的に色彩豊かな絵のような舞台と、登場人物の華麗な衣装と長々と
続く渡り科白、背景代わりの並び大名の化粧声(10人の大名が5人ひと組で、「ありゃー
おりゃー」と交互に声を出す)など歌舞伎独特の舞台構成と演出で、短編ながら、十二分に
観客を魅了する特性を持っているからだ、と思う。

私が観た工藤祐経は、富十郎(2)、團十郎(2)、三津五郎、幸四郎時代の白鸚、吉右衛
門、海老蔵、仁左衛門、梅玉、橋之助時代の芝翫、菊五郎、そして今回は、松緑。

曽我十郎は、菊之助(3)、梅玉(2)、菊五郎(2)、橋之助時代の芝翫、壱太郎、孝太
郎、勘九郎、時蔵。そして、今回は、梅枝。

曽我五郎は、三津五郎(3)、海老蔵(2)、我當、團十郎、吉右衛門、橋之助時代の芝
翫、松緑、彦三郎、松也。そして、今回は、萬太郎。

つまり、曽我兄弟を萬屋の兄弟が演じるというところが、今回の趣向なわけだ。ふたりが曽
我兄弟を演じるのは、2回目。2年ぶり。前回は、平成中村座(名古屋)だった。兄の梅枝
は、役を演じてみて「自分が理想とする十郎のイメージにはまだまだ及ばないことを実感し
ました」という。弟の萬太郎は、「感情で血気盛んに突っ走っていると、最後まで体力が持
ちません。力の配分に気をつけながらも、お客様にスカッとしていただけるような五郎を目
指して、荒事らしさを全身で表現できるよう勤めたい」と、話している。ふたりとも精進を
重ね、兄弟による曽我兄弟という演出を確立してほしい。


海老蔵最後の「勧進帳」


私が「勧進帳」を観るのは、今回が30回目となる。歌舞伎見始めた1994年4月歌舞伎
座、白鸚十三回忌追善興行の舞台(幸四郎時代の白鸚の弁慶、吉右衛門の冨樫、梅玉の義
経)は、観ていない。勧進帳を初めて観たのは、翌年、95年1月歌舞伎座で、吉右衛門の
弁慶、梅玉の富樫、先代の雀右衛門の義経であった。

私がこれまで観た主な配役は、弁慶:幸四郎時代の白鸚(8)、團十郎(7)、吉右衛門
(5)、海老蔵(今回含め、4)、染五郎(2)、先代の猿之助、八十助時代の三津五郎、
辰之助改めの松緑、仁左衛門。冨樫:菊五郎(7)、富十郎(3)、梅玉(3)、幸四郎
(3)、吉右衛門(3)、勘九郎(2)、團十郎(2)、新之助改めとその後の海老蔵
(2)、先代の猿之助、松緑(今回含め、2)、愛之助、菊之助。義経:梅玉(6)、雀右
衛門(3)、先代の染五郎(4)、藤十郎(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝翫
(2)、富十郎、玉三郎、勘三郎、孝太郎、芝雀時代の雀右衛門、吉右衛門、金太郎改め染
五郎。今回は、菊之助。

今回の弁慶は、海老蔵。20年(来年)5月、海老蔵は、十三代目として團十郎という大名
跡を襲名する。團十郎という名前の後に、白猿と付する。あわせて長男・堀越勸玄が八代目
として市川新之助を襲名する。歌舞伎界は、世代交代、幼子の初舞台が毎年のように続いて
いる。

今回は、海老蔵の弁慶に、松緑が富樫で、菊之助が義経で、付き合う。1999年浅草歌舞
伎で、同じ顔ぶれで三之助「勧進帳」を演じて以来の共演。20年ぶりの顔合わせとなる。
海老蔵の弁慶を観るのも、今回が最後。次回は、十三代目團十郎が弁慶を演じることにな
る。海老蔵としての團菊祭も、今年が最後。代表に「團」の字無き市川宗家だったが、来年
からは、團十郎の存在感を高めながら、弁慶を演じることになるだろう。

海老蔵の弁慶は、若さがあって、なかなか良くなってきているが、睨みが多いことや高笑い
にリアリティがないのが傷。特に、高笑いが、わざとらしくて白ける。新・團十郎としての
「勧進帳」に期待したい。


「神明恵和合取組 め組の喧嘩」 


菊五郎の背中が曲がって見えた。「め組の喧嘩」は、6回目の拝見。1890(明治23)
年、東京・新富座初演。竹柴其水原作。菊五郎劇団は大部屋役者を大勢出演させての、大立
ち回りが好きで、こういう演目を良く演じる。鳶と相撲取りが、些細なことから仲間を引き
連れての大立ち回りというだけの話。1805(文化2)年に実際に起こった喧嘩。この芝
居は大部屋の立役たちも充分に存在感を誇示する場面がある。小屋の屋根に、勢いを付けて
下から駆け昇り、上の者が手を引っ張って引き上げる場面だ。

大立ち回りの場面は、見せ場。立役の役者たちは、皆、若い頃に、これを演じるのが楽しみ
だったらしい。今回も、大勢の鳶役者たちが駆け上っていった。そういう連中が多数集まっ
ている場面にいた鳶頭役の菊五郎の背中が曲がっている。私は、それに気がつくと、急に菊
五郎の姿に老いを感じてしまったのである。

私がこの演目を飽きずに観ているのはこういう筋立てや大立ち回りよりも正月の遊廓風景、
宮地芝居小屋前、「音羽山佐渡嶽」など18組(36人)の取り組みが書かれたビラを貼付
けた相撲小屋前などの大道具、辰五郎倅のおもちゃなどの小道具、江戸の庶民の風俗を忍ば
せる場面が芝居の背景からあちこちに浮き上がって見えてくることだ。

最初に観たのは96年5月歌舞伎座、菊五郎の辰五郎で拝見。九代目(先代)三津五郎が喧
嘩の仲裁役の焚き出し喜三郎で出演。鳶の辰五郎の喧嘩相手、相撲取りの四ツ車が左團次だ
った。2001年2月歌舞伎座は十代目三津五郎の襲名披露の舞台。辰五郎役を新・三津五
郎に譲り、菊五郎は喜三郎役に廻っていた。四ツ車は富十郎。07年5月歌舞伎座、辰五郎
は菊五郎、喜三郎は梅玉、四ツ車は團十郎。12年1月新橋演舞場、辰五郎は菊五郎、喜三
郎は梅玉、四ツ車は左團次。15年5月歌舞伎座、辰五郎は菊五郎、喜三郎は梅玉、四ツ車
は左團次。そして、今回、19年5月歌舞伎座、辰五郎は菊五郎、喜三郎は歌六、四ツ車は
左團次。つまり、私が見た辰五郎は菊五郎(5)、三津五郎。喜三郎は、梅玉(3)、先代
三津五郎、菊五郎、歌六。四ツ車は左團次(4)、富十郎、團十郎。

このほかでは、今回は、九竜山に又五郎(今回含め、3、以前観たのは、海老蔵、左團次、
團蔵)、辰五郎女房・お仲に時蔵(今回含め、5、田之助)で、お仲は、きっぷの良いおか
みさんで、時蔵が良かった。菊五郎・時蔵の夫婦はいつ見ても、味がある。火消しの頭(か
しら)のかみさんの貫禄が滲み出ていた。藤松は珍しく女形の菊之助(今回含め、3、辰之
助時代の松緑も、2、梅玉)で、江戸っ子の空威張りを菊五郎そっくりの地声で演じてい
た。

序幕第一場「島津楼広間の場」では、上手横、床の間の掛け軸が日の出に松と鶴で、いかに
も江戸の正月風景。お飾りも古風。藤松(菊之助)が、他人の座敷で騒ぎを起こした後、始
末をつけるために颯爽と入ってきた辰五郎(菊五郎)。頭として武士や相撲取りからの嫌味
もぐっと我慢の場面の後、「大きにおやかましゅうござりました」と言いながら、力任せに
障子を閉める(「覚えていろ」の気持ち)。「春に近いとて」の伴奏。続いて、獅子舞が部
屋に入って来て、気分転換。大道具、鷹揚に廻る。
 
序幕第二場「八ツ山下の場」。舞台上手に標示杭。それには、こう書いてある。「関東代官
領江川太郎左衛門支配」。つまり、品川の「八ツ山下」からは「関東」、つまり、江戸の外
というわけだ。ふたつの立て札もある。「當二月二十七日 開帳 品川源雲寺」、「節分
会 平間寺」。立春前の江戸の光景。
 
提灯を持った尾花屋女房おくら(雀右衛門)に送られて来る四ツ車(左團次)を待ち伏せる
辰五郎(菊五郎)は、颯爽が売り物のはずなのに意外と粘着質な男だ。「颯爽のイメージが
損なわれるぜ、頭」。焚き出しの喜三郎(歌六)を乗せた駕篭が通りかかり、彼も絡めて、
いわゆる「だんまり」になる。「世話だんまり」。ここも、大詰めへの伏線。
 
二幕目「神明社内芝居前の場」。大歌舞伎とは違い、いわゆる宮地芝居の小屋だが、江戸の
芝居小屋の雰囲気を絵ではなく、立体的な復元として観ることができる愉しさ。こういう大
道具も私は大好きだ。出し物は「義経千本桜」だが、「大物の船櫓」と「吉野の花櫓」とい
うサブタイトルがある。船と花の櫓。ほかに「碁太平記白石噺」(これには「ひとま久」と
書いてある)、「日高川入相花王(いりあいざくら)」(これには「竹本連中」とある)と
いう看板。さらに、芝居小屋の上手上部に鳥居派の絵看板が3枚。絵柄から演目は、上手か
ら「大物浦」、「つるべ鮨」、「狐忠信」。大入の札。小屋の若い者が、「客留」の札を小
屋の入り口に貼る。座元の江戸座喜太郎の名前を大きく書いた看板の両側には、役者衆の名
前。尾上扇太郎、中村かん丸など。
 
お仲(時蔵)、おもちゃの文次(彦三郎)に連れられた辰五郎倅・又八(亀三郎)らが持っ
ている小物。籠に入った桜餅、ミニチュアの「め」組の纏。お馴染みの剣菱の薦樽。この
後、ここでも、鳶と相撲取りの間でトラブルが起こる。間に立つ座元の江戸座喜太郎(楽
善)が渋い。これも、後の喧嘩への伏線。
 
三幕目「浜松町辰五郎内の場」では、焚き出しの喜三郎(歌六)方から、酔って帰ってきた
辰五郎(菊五郎)に勝ち気な女房のお仲(時蔵)が言う。「六十七十の年寄りならば知らぬ
こと」、若い辰五郎に意気地が無いとつっかかり、喧嘩を煽り立てる。倅の又八は、父ちゃ
ん子らしく、「おいらのちゃんを、いじめちゃあいやだ」と、辰五郎の肩を持ち観客席の笑
いを誘う。辰五郎に頼まれて、水を持ってくるなど、甲斐甲斐しい。又八(亀三郎)が、尻
を捲る場面では、毎回2回捲ってから座り込むので、場内の笑いを誘う。時蔵のお仲は、い
わゆる、小股の切れ上がった江戸の女。酔い覚めの水を呑んだ辰五郎「下戸の知らねえ、う
めえ味だな」。又八、お仲も、水を呑む。(竹本の文句が被さる)「浮世の夢の酔醒めに、
それと言わねど三人が呑むは別れの水盃」ということで、辰五郎は密かに死をも決意した本
心を明かし、喧嘩場へ。
 
大詰の「喧嘩場」は、定式幕で仕切りながら、廻り舞台の機能を生かして、第二場「角力小
屋の場」、第三場「喧嘩の場」、第四場「神明社境内の場」が効率的に場面展開する。最後
に仲介に入る喜三郎(歌六)は梯子に乗り(しがみつき)、騒ぎの真ん中に、いわば、空
(そら)から仲裁に入る。喜三郎は着ていた2枚の法被(蛇の目と万字の印)を脱ぎ、鳶の
方へは、「御月番の町奉行」の印を強調、一方、相撲取りの方には、「寺社奉行」の印を見
せつけ、「さ、どっちも掛りの奉行職、印は対して止まるか」と喧嘩をおさめる。颯爽の歌
六である。
- 2019年5月5日(日) 17:23:53
19年04月歌舞伎座(夜/「実盛物語」「黒塚」「二人夕霧」)


仁左衛門と眞秀の共演、「実盛物語」


夜の部では、澤瀉屋代々の藝で磨く新作歌舞伎の舞踊劇「黒塚」で猿之助珠玉の出来栄え、
とみた。裃後見の寿猿(88歳)は、黒々とした御髪(おぐし)で、50歳以上若く見え
た。「黒塚」では、先代の猿之助から後見していた、というベテラン。「実盛物語」は、仁
左衛門が12年ぶりに斎藤別当実盛を演じる。さらに、太郎吉を演じる寺嶋眞秀。仁左衛門
と眞秀の共演も、芝居とは別の楽しみがある。松之助・齊入は、まるで、祖父母が孫の世話
をするように眞秀の後見として貢献していた。ほかに、「二人夕霧」。


「実盛物語」を観るのは、私は今回で、12回目になる。私が観た斎藤実盛は、仁左衛門
(今回含め、3)、菊五郎(2)、吉右衛門、富十郎、勘九郎時代の勘三郎、新之助時代の
海老蔵、團十郎、染五郎、愛之助。

中でも、今回で3回目となる仁左衛門の実盛は、颯爽としていて、華があって、見栄えがし
た。科白の緩急、表情の豊かさ、竹本の糸に乗る動きなど、毎回堪能している。花道から瀬
尾十郎兼氏(歌六)とともに、九郎助住居を訪れて来た後、幕外の引っ込みまで舞台に出突
っ張りになる役は、75歳の仁左衛門にとって、そろそろ苦しい「役どころ」ではないのだ
ろうか。今回の出演者の中でも、仁左衛門が最年長だろう。

舞台の時代は、平家全盛の世。木曽先生義賢は、源氏の再興を図って、失敗して亡くなっ
た。義賢は多田蔵人行綱の妻・小万に源氏の白旗を託し、小万の父親・九郎助に身重の御台
(妻)・葵御前の身を預けた。舞台は、葵御前が匿われている九郎助住家。斎藤別当実盛
は、瀬尾十郎兼氏とともに、葵御前「詮議(産んだか、間もなく産むか、という乳幼児は、
男かどうか)」のため九郎助住居を訪れて来たというわけだ。

「実盛物語」は、並木宗輔ほかによる合作「源平布引滝」の三段目に当る。源平の争いが続
く中、平治の乱に敗れた源義朝の弟・木曾先生義賢の妻・葵御前(米吉)は、懐妊中の身
で、琵琶湖畔の百姓・九郎助(松之助)宅に匿われているが、葵御前のことを訴え出る者が
あり、平家方の斉藤別当実盛(仁左衛門)と瀬尾十郎(歌六)が、詮議に赴いて来た。厳格
に調べを進めようとする瀬尾十郎と源氏の恩を忘れずに、葵御前をなんとか見逃そうとする
斉藤実盛の対比が、芝居の縦軸となる。九郎助を演じた松之助は、脇役のベテランで、味を
出している。仁左衛門、歌六の芝居に奥行きを与えている。九郎助女房・小よしは、齊入。
こちらも、老け女形のベテラン。

葵御前が産んだのは、男でも女でもない、これだと抱いて運んでくるのが小よし。これと
は、なんと、斬り取られた女の白い腕。前の場面、琵琶湖の湖上で、斎藤実盛が、白旗を守
るために白旗を握っていた小万の腕を腕ごと斬り取ったのだ。

小万は、幼い太郎吉(眞秀)の母親だ。そういう経緯を子供ながら悟った太郎吉は、斎藤実
盛(仁左衛門)を母の敵(かたき)と詰め寄る場面がある。実盛は、太郎吉が青年になり、
将来、戦場で見(まみ)えるだろうから、その時の母の敵として討たれようと、約束する。

太郎吉を演じた寺嶋眞秀は、女優の寺島しのぶとフランス人のアートディレクターとの間に
生まれた長男、音羽屋・菊之助の甥、つまり、菊五郎の孫。太郎吉は、最後までしっかり科
白を忘れずに勤めていたが、座る位置などは、さりげなく九郎助(松之助)と小よし(齊
入)が、修正していた。松之助・齊入は、まるで、祖父母が孫の世話をするように眞秀の後
見として働いていた。眞秀は、科白や所作のない時は、両手を左右の膝の上に置き、じっと
大人しく座って、前方を睨むように見ていた。斎藤実盛を演じる仁左衛門との絡みも、初日
から、まあ、失敗することもなく、無事に勤めていたように見受けられた。眞秀には、将来
的には、戦前の名優・十五代目市村羽左衛門のような、ユニークな大物歌舞伎役者になって
ほしい、と私は思っている。

この芝居は、敗走する家族の物語という視点から見れば鬱陶しい話ではあるが、主役の仁左
衛門の華のあるキャラクターと子役の可愛らしさ、健気さが、救いとなるものだろう。1時
間半ほど、舞台に出突っ張りになる仁左衛門には、お疲れさま、と言いたい。

この狂言の本質は、「SF漫画風の喜劇」である。主人公は、実盛ではなく、太郎吉(後
の、手塚太郎)であり、実盛は、まさに、「物語」とあるように、ものを語る人、つまり、
ナレーター兼歴史の証人という役回りである。

ここでは、「平家物語」の逸話にある「実盛が白髪を染めて出陣した」ことの解明が、時空
を超えて、試みられている。母の小万(孝太郎)が斎藤実盛に右腕を斬り取られて、亡くな
ったと知った太郎吉は、幼いながらも、母親の敵を討とうと実盛に詰め寄る。実盛は、将来
の戦場で、手塚太郎に討たれようと約束する。そういう眼で見ると、歴史の将来を予言する
「実盛物語」は、まさに、SF漫画風の喜劇ということになる。小万が、実は、百姓・九郎
助と小よし夫婦の娘ではなく、瀬尾十郎(歌六)の娘であり、太郎吉は、瀬尾にとって、
「孫」に当たるという「真相」も、漫画的である。

将来、武士として生きよ、自分の首を孫・太郎吉の手柄に、と瀬尾十郎が事実上自害する場
面で、死への瞬間を瀬尾役者が、その場で「トンボ」を返ってみせる演出がある。私は、中
村亀鶴、片岡亀蔵で見せてもらったことがある。これは、「平馬(へいま)返り」(片膝で
前方にトンボを返って一瞬で首が飛んだように見せる演出)という。御曹司育ちでなく、若
い頃は、トンボも切るような修業をした役者たちがこういう場面で力を見せてくれる、とい
うのは実に楽しみなものだ。


四代目猿之助珠玉の、「黒塚」


「黒塚」を観るのは6回目。「猿翁十種」と呼ばれる演目の一つ。先代の、三代目猿之助
で、2回観たことがある。95年7月、歌舞伎座。00年7月、歌舞伎座。03年には、三
代目猿之助(後に二代目猿翁)は、発作を起こし、休演するようになる。その後、猿之助と
いう名跡を四代目(当代)に譲り、二代目猿翁として、ちょっとだけ、舞台に立ったりもし
たが、最近は、それもなくなり、風の便りも聴かなくなったような気がする。

当代猿之助の「黒塚」では、12年07月、新橋演舞場での四代目猿之助襲名披露興行、初
役だった。15年01月、再建後の歌舞伎座での初演。12年ぶりの歌舞伎座出演だった。
そして、17年1月、新橋演舞場。19年3月、歌舞伎座。四代目で私が拝見するのは、今
回で4回目。猿之助自体は、地方興行も含めて、襲名披露以来、7年間のうち、今回で6回
目の出演となる。

「黒塚」は、1939(昭和14)年、二代目猿之助初役で上演された新作歌舞伎。謡曲の
「黒塚(安達原)」を素材にしている。3段構成の舞踊劇。照明効果を重視した新作舞踊劇
(照明については、今回もさらに工夫している)。

自ら犯した殺人という罪業を悔やむ老女・岩手の物語。罪障も仏法に頼れば救われるという
高僧の言葉に、老後に一条の救いの光を見出したものの、信頼を裏切られて、それ以前より
も、さらに深い絶望に陥らされる。その悲しみと怒りのために、老女は、鬼女の本性を顕し
てしまう。第一景は能楽様式。第二景は新舞踊様式。第三景は歌舞伎様式。

第一景。暗転のうちに緞帳が上がり、舞台が始まる。上手に長唄連中が、薄闇に浮かび上が
る。暗い舞台の中央に小屋。薄い灯りがともっている。障子には、影が大きく写っている。
小屋の後ろは、一面の薄(すすき)の原。安達原だ。舞台中央上空には、細く、大きな三日
月がかかっている。下手には、庵戸がある。能楽を意識しているためシンプルな舞台装置だ
が、光と影の演出には、気配りが感じられる。スポットライトも活用されている。照明器具
をきめ細かく使っている。やはり、これも新作歌舞伎だと印象を強める。

花道より、阿闍梨(錦之助)一行が安達原に近づいて来る。阿闍梨一行には弟子の山伏・大
和坊(種之助)、同じく讃岐坊(鷹之資)、強力・太郎吾(猿弥)が随行している。本舞台
に来て、阿闍梨は小屋の主に向って、一夜の宿りを乞う。簾式の障子を巻き上げて、木戸を
開けて出て来たのは、独居老女・岩手(猿之助)である。

小屋の前にスポットが当たり、本舞台は光の「室内」のように見受けられる。小屋の外、
「室内」に置かれ直した糸繰車を廻しながら、身の上を語る老女。いかなる罪障も仏の教え
により救われ、成仏できると説く阿闍梨。心が晴れた老女・岩手は一行をもてなすために山
へ薪を取りに行く。小屋の中の閨(ねや)を決して見るなという注意を残して……、出かけ
る。猿之助の科白廻しは、太く、低い。花道を行く足取りも初代猿翁(二代目猿之助)工夫
の独特のものがある。

阿闍梨一行は、勤行をしながら老女の帰りを待つが勤行に参加しない強力の太郎吾だけは、
閨の中が気になって仕方がない。そっと覗き見ると、閨の中は、人骨と血の海。老女は、安
達原の鬼女だったのだ。驚いて阿闍梨らに知らせる。一行は、老婆の言いつけを破ってしま
った。

第二景。山から薪を背負って戻る途中の老女・岩手。辺りは一面の薄の原。月が明るく照ら
している。阿闍梨の「成仏できる」という言葉を思い出して楽しい気分になっている。月明
かりに薄が光る安達原で、心の明るさを表すように老女は踊り始める。猿之助は、この場面
での踊りが特に好きだという。長唄、琴(箏)と尺八、四拍子の合奏。月光を浴びて老女は
童女のように無心に踊る。至福の踊り。心の喜びを表現する。月光は、舞台を青く照らす。
三味線に乗って、猿之助が踊る。海の中か、宇宙空間で踊っているように見える。だが、至
福の時はいつまでも続かない。

血相を変えて上手から逃げて来る太郎吾と鉢合わせしてしまう。恐れ戦(おのの)く姿を見
て、阿闍梨一行が約束を守らなかったと悟った老女・岩手は、人の心の偽りに怒り、悲し
み、姿をくらましてしまう。舞台中央奥のやや上手で「宙に・返る」ように飛び上がり、後
ろに消え去る。「宙返り」か。「忍び車」という道具を使っていると、思う。壁の一部が布
でできていて、その後ろに水車のように回転する仕掛けがある。猿之助は両手を上に伸ばし
て回転する車に乗りかかるようにして壁の後部に消えたものと思われる。

第三景。薄の原の中に古塚がある。宇宙船のようなカプセル。老女を探し求めていた阿闍梨
一行が到着すると、古塚が割れて、中から後ジテの鬼女の姿を顕した老女・岩手が、襲いか
かって来る。老女は、最早、人ではない。鬼女は異星人か。地球人・阿闍梨一行は、数珠を
押し揉み、一心に祈ることで、鬼女の魔力に対抗する。花道で老女は、「仏倒れ」を見せ
る。鬼退治。基本的に「紅葉狩り」や「茨木」などと同じジャンルの演目と言える。

「黒塚」は、1939(昭和14)年に二代目猿之助(後の、初代猿翁)によって、初演さ
れた。二代目猿之助はロシアンバレーまで参考にして所作の手を考えたと言われる。新作舞
踊の名作となり、三代目猿之助(二代目猿翁)が、1964(昭和39)年に「猿翁十種」
として選定した。老女・岩手、実は、鬼女を初代猿翁が16回演じ、二代目猿翁が31回演
じた。当代の猿之助は7年間のうち、今回で6回目である。伯父の二代目猿翁の31回へ向
けて、四代目猿之助は、毎年のように舞台を重ねて行くことだろう。

贅言;今回の裃後見は、寿猿(88歳)。初日の5日ほど前、私は、あるパーティで、寿猿
に会った。その時、彼は、4月歌舞伎座の「黒塚」に後見として出るが、かつらをつけて出
ようと思っているので、観て欲しい、という話だった。黒々とした御髪(おぐし)の鬘をつ
けた寿猿は、50歳以上若く見えた。「黒塚」では、先代の猿之助から後見していた、とい
うベテラン役者である。

寿猿は、大まかに言えば、3箇所で猿之助をサポートする。1回目は、糸繰り車を小屋から
出てきた老女岩手に小屋の横手で渡す。ここは、薄暗いので、寿猿の顔は判別しにくい。後
見として、目立たないようにもしている、と思う。2回目は、薄の原の一劃にある、舞台中
央の古塚から後ジテの鬼女の本性を顕した岩手登場の場面。古塚が上下手に、ふたつに割れ
る際、それをサポートしていた寿猿の横顔が、一瞬だが、しっかり見える。3回目は、月光
で昼間のように明るい光の下で、踊る鬼女の猿之助をサポートするために、舞台下手奥か
ら、舞台中央に向かって、斜めに出てくる。明るい光の下、若々しい寿猿の顔が、正面から
きちんと見える。


「廓文章」のパロディ、「二人夕霧」


「二人夕霧」は、1797(寛政9)年、大坂角の芝居、初演。「百千鳥鳴門白浪」という
演目の六つ目景事。そこから独立。作者は、近松一門の、近松徳三。私は、3回目の拝見。
「二人夕霧」は、「廓文章」吉田屋の後日談のパロディ。上方和事の味。この狂言では、舞
台上手に「二人夕霧」の看板。下手に「傾城買指南所」の看板が、それぞれ、掲げられる
が、これは、この狂言の持つふたつのテーマの明示であることを見逃してはならない。その
テーマとは、1)「吉田屋」で馴染んだ先の夕霧が、亡くなってしまい、後の夕霧(孝太
郎)と再婚した伊左衛門(鴈治郎)が、夫婦共働き。夕霧は、職住接近ゆえ、打掛姿で飯炊
きをしている。京の大仏馬町で、「傾城買指南所」を開いているという舞台設定のおもしろ
さ。2)「先の夕霧(初代)」と「後の夕霧(二代目)」の、いわば、女の争いとしての、
「二人もの」。実は、「死んだ振り」をしていた先の夕霧(魁春)が生きていて、指南所に
訪ねて来たことで巻き起こる喜劇。軽味と笑いの狂言。結局、伊左衛門は、ふたり妻を持つ
身になる。

パロディとともに、もうひとつの趣向も見逃せない。勘当の身のぼんぼん・伊左衛門と傾城
の打掛姿で、井戸端で夕餉の支度をする夕霧の、「ままごと」のような、ふたりの新婚生活
というのが、「浮き世離れ」している、この狂言の原点。上方落語の味とでも、言おうか。
おおらかさと笑いの世界が拡がる。

16年前、03年4月、歌舞伎座、仁左衛門の病気休演で伊左衛門を代役で勤めたのが、梅
玉。は、06年6月、歌舞伎座では、最初から、梅玉の伊左衛門であった。そして、今回
は、鴈治郎が初役で勤める。16年前の、03年1月、大阪松竹座で仁左衛門が、「二人夕
霧」の伊左衛門を演じているが、私は観ていないので、是非とも観てみたいと、常々、思っ
ている。なかなか実現しない。その際の、私の見方のポイントは、吉田屋の場面での伊左衛
門と、パロディでの伊左衛門の違いをどう演じるのかということだ。

このほか、主な出演者では、指南所に通って来る3人の弟子、「いや風」(彌十郎)、「て
んれつ」(萬太郎)、「小れん」(千之助)。借金取りの「三つ物屋」(團蔵)。吉田屋女
房・おきさ(東蔵)ほか、という顔ぶれ。

贅言;「三つ物屋」とは、古着屋のこと。「綿入れ」を表、裏、綿と分けて売り物にしたか
ら、という。この場面では、伊左衛門のした借金の形(かた)に衣類や炬燵蒲団などを剥ぐ
ように持って行くと、すっかり、伊左衛門のユニフォームになっている紙衣姿になるという
のも、「廓文章」のパロディの趣向である。
- 2019年4月6日(土) 17:38:49
19年04月歌舞伎座(昼/「平成代名残絵巻」「新版歌祭文」「寿栄藤末廣」「御存鈴ヶ
森」)


「鈴ヶ森」菊吉の、科白廻しの聴きどころ


昼の部の見どころでは、「新版歌祭文」で、「野崎村」の前に、「座摩社」の場面が、約4
0年ぶりに上演される。次いで、お馴染みの「鈴ヶ森」。これは、見どころというより、聴
きどころ。場面よりも、菊五郎の白井権八と吉右衛門の幡随院長兵衛の出会いの場面の科白
廻しは、いずれも、名調子。それこそ目を閉じてじっくり聴き取ることではないのか。「平
成代名残絵巻」では、舞台復帰後、3回目の挑戦となる福助の所作や演技、口跡のチェッ
ク。「寿栄藤末廣」では、今年米寿(大晦日に、満88歳になる)坂田藤十郎の誕生祝い。
今回の劇評では、「平成代名残絵巻」、「寿栄藤末廣」、「新版歌祭文」、「御存鈴ヶ森」
の順番で書きたい。

まず、「平成代名残絵巻」は、新作歌舞伎。今回が初演。私も初見。福助の立ち居振る舞い
を観に来た。場面構成は、次の通り。「六波羅第広間の場」「清水寺舞台の場」「音羽滝名
残の場」。

「六波羅第広間の場」。場内、暗転。暗闇の中、定式幕が開いて行く音が聞こえる。やが
て、一気に明(あか)転。桜満開、春爛漫の平清盛邸。この時期、歌舞伎座も、内も外も、
春爛漫。六波羅にある清盛邸の広間。金地の襖の絵柄も、松と満開の桜花。平宗盛(男女
蔵)、平重衡(吉之丞)、清盛の妻・時子(笑三郎)、高倉帝の生母・建春門院滋子(笑
也)らが、平徳子の高倉帝への入内を祝う宴を開いている。そこへ花道から、平宗盛の弟・
平知盛(巳之助)が、徳子と連れ立ってやってくる。宗盛の命令で、徳子が踊り始める。知
盛も加わり、舞を披露する。ほか、皆々、踊りの輪へ。世は、平家全盛。

「清水寺舞台の場」。こちらも、桜満開。清水寺の名所、舞台には、後に義経を名乗ること
になる遮那王(児太郎)が、源氏の家臣・鎌田三郎正近(市蔵)と久しぶりの再会を喜んで
いる。中央の襖が開き、奥から、遮那王の母・常盤御前を演じる福助が現れる。福助は、台
に座ったままで登場。台は、舞台前面に押し出されてくる。遮那王の今後について聞きたい
と母が呼び出したのだ。常盤御前を演じる福助の口跡は良い。遮那王は、源氏再興を成し遂
げるために、奥州へ行きたいと母に告げる。この対面を舞台上手奥で窺っていた源氏シンパ
の摂政・藤原基房(権十郎)が、これを聞きつけ、姿を見せる。源義朝形見の源氏の重宝・
白旗を持ってくる。この白旗は、以前に常盤御前が基房に預けておいたものだ。舞台中央。
下手側から遮那王、常盤御前、基房が並び、三宝に載せた源氏の白旗を基房が常盤御前に差
し出す。福助は、左手一本で白旗を掴むと、左手を右側へ動かし、遮那王に白旗を差し出
す。遮那王は、これを受け取る。それを見届けると、基房は、上手へ退場。続いて、遮那王
と鎌田三郎正近も下手から、奥州へと旅立って行く。そこへ、下手から差し金で操られる白
鳩が飛んで来る。清水寺舞台の欄干に留まる。せり上がりで、平宗清(彌十郎)が本舞台、
つまり、清水寺舞台の下に現れる。小柄を投げ、白鳩を殺す。これを見た常盤御前(福助)
が、宗清に向かって左手で小柄を打ち返す。宗清は、金剛杖でこれを受け止める。小柄は、
宗清の持つ金剛杖に突き刺さる。まるで、
石川五右衛門と真柴秀吉の場面だ。「楼門五三桐」。つまり、常盤御前が、楼門の上の階に
いる石川五右衛門、宗清が、楼門の下にいる真柴秀吉の立ち位置ということになる。そこ
へ、浅黄幕が振り被せとなって、幕の前で、大薩摩の歌と演奏。演奏終了後、浅黄幕の振り
落としで、場面展開。

「音羽滝名残の場」へ。舞台下手に音羽滝。中央に満開の桜。上手に御堂。音羽滝までやっ
てきたのは遮那王。隠し持っていた白旗を見咎められて、平家方の配下に取り囲まれる。立
ち回りへ。さらに、平家方には、仮花道から知盛も現れ、本花道にいる遮那王に立ち向か
う。今月は、両花道を使っている。ふたりとも名乗りを上げて、本舞台で対峙。知盛は、長
刀。遮那王は、刀。さらに、宗清が右源太(竹松)、左源太(男寅)を連れて、本花道から
現れる。

上手にある御堂の障子が開くと、中には常盤御前(福助)登場。立ったまま。隣に源氏の家
臣・鎌田三郎正近(市蔵)がいて、福助をさりげなくサポートしている。知盛と遮那王の立
ち回りを見守っている。源氏の白旗は、遮那王。仮花道へ。平家の赤旗は、知盛。本花道
へ。定式幕が閉まり、ふたりは、幕外での立ち回り。ふたりとも、衣装はぶっ返りとなる。
やがて、ふたりは、再会を約して、同時に、六法を踏みながら幕外の引っこみとなる。これ
は、珍しい。

福助の所作では、口跡は大丈夫。手は左手のみを動かしていた、立ち居は、舞台では見せな
い。前半は、座ったまま。後半は、立ったまま。福助の立ち位置を中心に常盤御前は、所作
を繰り返す。多くの観客は、こうした演出の工夫に気がついていないかもしれない。しか
し、既に内定の七代目歌右衛門襲名へと、一歩一歩ゆっくりとだが、福助がじりじりと近づ
いているように思えた。息子の児太郎の十代目福助襲名と合わせて、歌舞伎座での襲名披露
興行は、来年(20年)後半辺りか。だとすれば、今年の後半くらいに、改めて襲名披露興
行へ、という発表が松竹からあるかもしれない。福助は、13年11月、発作で休演。14
年3、4月、歌舞伎座で予定されていた七代目歌右衛門襲名披露興行は、延期。18年9
月、秀山祭の歌舞伎座で、5年ぶりに舞台復帰。


祝儀曲「鶴亀」


「鶴亀」は、3回目の拝見だが、今回の外題は、「寿栄藤末廣(さかえことほぐふじのすえ
ひろ)」に化粧直し。今年の年末、米寿(大晦日に、満88歳になる)坂田藤十郎の誕生祝
いの演目に化ける。この演目、この外題では、今年の1月の大阪松竹座に続いて2回目の上
演となる。本来の「鶴亀」は1851(嘉永4)年、江戸麻布の盛岡藩の南部候の屋敷で初
演披露された。能の謡曲を長唄に移したものだ。

唐の時代の中国の宮廷が舞台。不老門で、玄宗皇帝の長寿を願って、廷臣たちが鶴と亀の舞
を披露するという所作事。私の初見は、06年11月歌舞伎座。この時は、皇帝ではなく女
帝という設定で、今は亡き雀右衛門が勤めた。配役は次の通り。女帝は、雀右衛門、鶴は、
今は亡き三津五郎、亀は、福助。2回目は、13年5月歌舞伎座。皇帝が、梅玉、鶴が、翫
雀時代の鴈治郎、亀が、橋之助時代の芝翫、従者が、松江。

今回の配役は、次の通り。女帝が、坂田藤十郎、鶴が、鴈治郎、亀が、猿之助、従者が、亀
鶴、歌昇、種之助、侍女が、壱太郎、米吉、児太郎。

緞帳が上がると、舞台は唐土の宮廷。紅白の梅が咲いている。「春花の…」置きの長唄。女
帝が廷臣、従者たちを引き連れて現れる。藤十郎は、やや猫背、足元もゆるりと動かす。
「不老門にて日月の 光を君の叡覧にて…」。女帝の拝賀を喜ぶ。

不老門の奥との間仕切になっていた幕が上がる。そこは、宮廷の奥庭。女帝、鶴、亀を乗せ
て、セリが上がってくる。セリは、雲。雲の台に乗った藤十郎は、動きが少ない。そこを軸
にぐるりと舞うだけ。そして、静止。雲の上、空には、藤の花。

「嘉例の舞」を舞う鶴と亀を演じるふたりのうち、鶴は、金の鶴を象った冠姿。鶴は、「小
松に鶴」ということで、「松」の隠喩。亀は、金の亀を象った冠姿。亀は、「呉竹に亀」と
いうことで、「竹」の隠喩。「鶴亀」で、「松竹」となる。御祝儀舞踊。19世紀半ばに初
演された歌舞伎舞踊の中でも、祝儀曲の代表作という。

女帝・藤十郎の米寿を寿ぎ、長命長久を祈願する。「重ね重ねて八十八の 末廣がりの藤の
花房 染めに染めにしうす紫の 花の姿や目出度けれ」

ひとしきり舞終わると、一同は長生殿へ。緞帳が下りてくる。


「座摩社」(「新版歌祭文」)は、初見


「新版歌祭文」は、6回目の拝見。「新版歌祭文」は、近松半二ほかの原作で、このうち、
「野崎村の場」は、左右対称の舞台装置を得意とする半二劇の典型的な演劇空間。「新版歌
祭文」のうちで、上演回数も多い。両花道と廻り舞台のスムーズな連携が、この演目のハイ
ライト。今回は、「野崎村」の前に、「座摩社」の場面が、約40年ぶりに上演される、と
いう。「座摩社」は、大阪の船場に鎮座する古い社。関西では、「ざまさん」と呼ぶという
が、本来は、「居所知る」というのが語源で、「いかすりしゃ」が正式名だとは、松竹の解
説。

「新版歌祭文」は、大坂で実際に起こった心中事件を芝居にしている。今なら、テレビのワ
イドショー的な事件ものの芝居化ということになる。初演は、人形浄瑠璃。1780(安永
9)年、大坂竹本座。その後、歌舞伎に移され、大坂・中の芝居で上演された。

今回の場面構成は、次の通り。序幕「座摩社の場」、二幕目「野崎村百姓久作住家の場」。

序幕「座摩社の場」。ここでは、瓦屋橋の油屋の丁稚久松が、野崎村の養父の元へ帰された
原因となる出来事(店の金を紛失する)が描かれる。油屋のお嬢さんに惚れられた久松は、
皆の怨嗟の的。お染に横恋慕の山家屋佐四郎(門之助)、油屋の手代、つまり久松の上役の
小助(又五郎)が、久松を騙そうとしているが、久松は、そういう悪巧みに気がついていな
い。佐四郎は、お染との恋の成就を祈願して、難波の里の座摩社でお百度を踏んでいる。小
助と久松は、商売の金(銀一貫五百匁)を受け取りに行く途中。小助は、仮病を装って、久
松一人に金を受け取りに行かせる。小助は、座摩社の門前で、占いの店を出している山伏の
法印妙斎(松之助)とかたらって、まず、佐四郎から小銭を巻き上げる。小助は、さらに、
浪人者の弥忠太(家橘)、町人の勘六(寿治郎)という悪仲間と何やら相談。占いの店の隣
にある茶店にしけ込む。

贅言;銀一貫は、千匁だから、久松が受け取ってきたのは、千五百匁。一両が五十匁、とい
うから、時代や景気などの要素は別としても、ざっと三十両ということになるから、やは
り、大金だ。

そこへ、油屋のお嬢さんのお染(雀右衛門)が、下女(京蔵)を連れて、やって来る。久松
の外出を聞きつけて、後を追ってきたのだ。金(銀一貫五百匁)を受け取って、久松が戻っ
てきた。久松を見つけたお染は、久松の手を取り、物陰に姿を消す。

弥忠太と勘六が喧嘩を始める。騒ぎのため、人だかりとなるが、弥忠太が久松の懐の財布を
掴んで、勘六に投げつける。財布は勘六の眉間に当たり、血が滲む。弥忠太は、血の付いた
財布を井戸で洗って、久松に返すが、財布ごとすり替えられて、金が無くなっていた。弥忠
太と勘六の喧嘩は、小助が仕組んだもので、仲間たち共謀の芝居だ。こうして、久松は、店
の金を紛失し、その責を一身に負わされた。店を追い出され、養父に後始末を相談に行くた
め、野崎村へ行くことになる。

二幕目「野崎村百姓久作住家の場」。上役の手代・小助は、店の金を紛失した罪をすべて丁
稚の久松に擦りつけた。本花道から久松(錦之助)が、小助(又五郎)に引き立てられるよ
うにして帰ってきた。

贅言;お金の話をしておくと、久松が紛失したと責められた銀一貫五百匁(ざっと、三十
両)は、「座摩社の場」で判るように、小助をリーダーとする小悪党たちが、奪った。にも
かかわらず、野崎村まで久松についてきた小助は、久松の養父・久作の前で、金を弁償しろ
とわめきたてて、叩きつけるように金を投げ返した久作の腹立ちのお蔭で、新たに銀一貫五
百匁も手に入れた。小助グループは、まんまと六十両を手に入れたことになる。しかし、真
実を悟っている油屋の後家・お常が、野崎村を訪れた際、久作の後妻で病の床についている
おさよへの見舞いという名目で、銀一貫五百匁を小助から取り上げていて、久作に渡す(返
す)。そこまで、お常が見通しているなら、小助グループがせしめた銀一貫五百匁も返させ
ていることだろう。小助は、馘首になっているかもしれない。

話の筋としては、不祥事の責を負わされ、実家に戻された青年(久松)とそれを追って来た
経営者の娘(お染)、さらに、娘を連れ戻しに来た経営者の後家さん(お常。娘にとって
は、継母である)。筋は単純、お染も、身の潔白となった久松も、店に戻されるという展開
になるだけの話。久松とお染・お常が、駕篭と舟に別れて別々に大坂の店に帰る場面が、見
せ場。本来は、両花道(本花道=川、仮花道=土手)を使ってたっぷりみせる別れの場面
が、最近は、本花道=土手だけの演出が多い。しかし、今回は、両花道で見せてくれた。

この芝居は、「お染・久松もの」の系統だが、「野崎村」という通称に示されているよう
に、軸となるのは、野崎村に住む久作と後妻・盲目のおさよの連れ子のお光の物語。大坂の
奉公先で、お店のお金を紛失し、養父・久作の家に戻されて来た養子の久松、久松と恋仲で
久松の後を追って訪ねて来たお店のお嬢さん・お染、さらに、お染を追って来たお染の義
母・お常が登場する。後家のお常は、久松の嫌疑を晴らし、兎に角、原状回復ということ
で、お染と久松を大坂に戻す役。お光、お染のふたりの女性の愛憎物語の一面もあるのだ
が、軸のなる人間関係は、やはり、お光と久作の親子であることを忘れてはならない。最後
の場面で、出家して行く娘と世俗に残る父親、ふたりだけが舞台に残り、クローズアップさ
れるので、良く判る。

お光(時蔵)は、田舎娘らしい初々しさが大事。お嬢様育ちのお染(雀右衛門)は、お光に
比べると、おっとり、ゆったりしている。しかし、心中(しんちゅう)には、烈しいものを
秘めている。剃刀を隠し持ち久松との心中(しんじゅう)をも辞さないという強気が隠れて
いるからである。ふたりの若い娘の衣装の色が、印象的。赤いお染。若緑のお光。

久松(錦之助)は、未成熟で、頼り無い青年だが、これが、上方和事の「つっころばし」の
味わいのある役どころなのだ。ふたりの娘たちに気を使い、優柔不断。歌六は、初役で養
父・久作を演じる。久作は、私が観た中では、富十郎が本当に巧かった。見どころの灸を据
える場面だけではない、大坂弁の科白回しに、なんとも、味わいがあった。お光・久松・お
染の若い3人の男女の関係をバランス良く目配りするのは、老練・久作役者の仕どころであ
る。

大道具が廻る。久作の家が、裏表を見ることができる仕掛けだ。裏手に舟溜まりのある家。
舞台に敷き詰められていた地絣を取り除くと、下から青い水布が出て来て、同じように水布
が敷き詰められた本花道の川へと繋がる。両花道の場合は、本花道が、川で、仮花道が、川
の土手の街道となり、大坂方面に向かう船と土手を行く駕篭の「併行」、別れ別れに店に戻
る男女を引き裂くのは、「観客席という河川敷」という卓抜な演出方法をとる。

本舞台、船溜まりの堤防上にある久作の家では、死を覚悟したお染・久松の恋に犠牲にな
り、髪を切り、尼になったお光だが、そこは、若い娘、大坂に帰る、お染の乗る舟と久松の
乗る駕篭をにこやかに見送りながら、舟も駕篭も見えなくなれば、一旦,放心した後、我に
返ると、狂ったように、父親に取りすがり、「父(とと)さん、父さん」と泣き崩れる娘で
あった。

竹本に、早間の三味線が、途中から、ツレ弾き(2連で演奏)される。「さらば、さらばも
遠ざかる、舟と堤は隔たれど……」という文句通りの演出。賑やかに、情感を盛り上げる。
駕籠かきのふたりも張り切る場面。

歌舞伎の芝居に駕篭は良く出てくるから、駕篭かき役者は、星の数ほどいるかもしれない
が、「野崎村」の駕篭かきを演じる役者は、「天下一の駕篭かき役者」と言われた。別れの
場面を長引かせようと、駕篭かきは、土手でひと休みして、汗を拭う。舟は、と見れば、船
頭も同じように汗を拭く。いまは、亡くなってしまったが、四郎五郎と当時の助五郎(後
の、源左衛門)のコンビは、絶品だった。

今回の駕篭かきは、荒五郎と吉兵衛。下帯一つの姿になり、汗を拭ったりして、見せ場を稼
いでいた。本花道を行く舟には、お染と油屋後家のお常(秀太郎)を乗せた船頭の権六(千
藏)。船頭役者は、仮花道を行く駕籠かきの演出を横目で見ながら、両方の芝居がバランス
よく進むように気遣っていることだろう。人形浄瑠璃に例えるならば、駕籠かきが、竹本の
太夫で船頭が三味線方という役割分担と言えば、良いだろうか。

6回見た「新版歌祭文」だが、「座摩社」の場」は、今回が初見。ちょっと触れたが、盲目
の久作の後妻・おさよが出てくる場面は、これまでに2回観たことがある。最初は、95年
12月、歌舞伎座で、もう亡くなってしまった吉之丞が演じていた。次が、14年10月、
歌舞伎座で、歌女之丞であった。味のある脇役の老け女形がいないと、こういう役はできな
い。

おさよは、お光の実母である。おさよは、盲目で、上手の障子の間に籠っている。障子の間
を病間として使っている。従って、彼女は情報過疎の状態にある。実の娘・お光が養子の久
松と婚礼を挙げるというところで情報が止まったままだ。大坂から久松を追って来たお染が
座敷にいることも、お染が命を賭してまで久松に執着していることも知らない。お染の気持
ちを知ったお光が身を引き、髪を切って、尼になる決意をしたことも知らない。そういう場
面で、久作に導かれて障子の間から座敷に出て来る。その後の経緯を知らないおさよは、素
直にお光の婚礼を喜んでいる。出家を覚悟したお光への申し訳なさから、再び剃刀で手首を
切ろうとするお染の異常な息遣いを聴き止めて、お光に這い寄るおさよ。実母は、娘が「五
条袈娑」を首から掛けていることを手触りで察し、お光の出家の覚悟を初めて知り、嘆く。
普段は、省略される場面だが、これがあることで、お光とお染という、ふたりの娘の互いを
気遣う情愛と、どうにもならない悲劇の深さを観客は改めて知ることになる。ベテランの老
け女形役者の抑制された演技が、脇で光る場面である。


御存!名調子


「御存鈴ヶ森」は、12回目。「鈴ケ森」は、25年前、94年4月、歌舞伎座、白鸚十三
回忌の舞台が、私の初見だ。私が観た権八は、先代の芝翫(2)、勘九郎時代を含む勘三郎
(2)、梅玉(2)、菊之助(2)、染五郎時代の幸四郎、七之助、高麗蔵。今回は、御
大、菊五郎。長兵衛は、幸四郎時代の白鸚(4)、吉右衛門(今回含め、3)、團十郎、羽
左衛門、橋之助時代の芝翫、富十郎、松緑。

初見の舞台では、幸四郎時代の白鸚の長兵衛と勘九郎時代の勘三郎の権八であった。印象に
残るのは、この舞台(94年4月、歌舞伎座)と12年2月の新橋演舞場。吉右衛門の長兵
衛と息子・勘太郎の六代目勘九郎襲名披露の舞台に出演していた勘三郎の権八であった。つ
まり、長兵衛役は、変われども、権八役は、いずれも勘三郎である。勘三郎は、この年の暮
れ、病没してしまう。この2回の勘三郎の権八が、いまのところ、私の畢生の権八だろうと
思っている。吉右衛門も勘三郎も科白廻しが何とも良いのである。ふたりとも、楽しみなが
ら科白を言っているように聞こえた。今回の吉右衛門と菊五郎の科白のやり取りも、全く同
じような印象を受けた。

白井権八は、美少年で、剣豪、さらに、殺人犯で、逃亡者(お尋ね者)。幡随院長兵衛は、
男伊達とも呼ばれた町奴を率いた侠客の顔役で、まあ、暴力団の親分という側面もある人
物。逃亡者と親分とが、江戸の御朱引き(御府内)の外にある品川・鈴ヶ森の刑場の前で、
ある夜の未明に出逢い、互いに、意気に感じて、親分が、逃亡者の面倒を見ましょう、江戸
に来たら、訪ねていらっしゃい、ということになり、「ゆるりと江戸で(チョーン)逢いや
しょう」というだけの噺。柝の音で、ぱっと、夜が明ける。御朱引きの外にある当時の品川
なのだろう、人家など全く見えない野遠見。客席は、江戸湾。観客の頭は、波頭。

吉右衛門の幡随院長兵衛は、3回目。相変わらず、科白廻しが素晴らしい。この場面の吉右
衛門は、舞台を拝見しないで、目を瞑って、耳だけをそば立てていたいくらいだ。

菊五郎の権八は、私は今回が初めて。こちらの科白廻しも、菊五郎節で素晴らしかった。菊
五郎も、41年前、78年3月に国立劇場で演じて以来ではないか。松竹の上演記録を見る
と、菊五郎は、なぜか、白井権八は、この時と今回だけの出演のように見える。この時の幡
随院長兵衛役は、十七代目羽左衛門。だとすれば、今回の吉右衛門の幡随院長兵衛と菊五郎
の白井権八のじっくりした科白のやり取りの場面は、これだけでも、プラチナチケットであ
ろう、と思う。

41年ぶりに権八を演じた菊五郎は、「播磨屋さんの幡随院長兵衛で権八の芝居ができ、あ
りがたいです。久しぶりの権八ですが、若くなくてはいけない役なので、爽やかにお見せし
たい」という。


このほかの役者では、「三すくみ」(見ざる、言わざる、聞かざる)を演じる左團次の雲
助・東海の勘蔵、楽善の雲助・北海の熊六、又五郎の飛脚早助。ベテラン3人が、「だんま
り」、「三すくみ」の果て、権八に斬られる。ここは遊びで観客を笑わせる、酸いも甘いも
噛み分けたベテラン役者らしい、洒落っ気がないといけない。
- 2019年4月5日(金) 22:14:11
19年03月歌舞伎座(夜/「盛綱陣屋」「雷船頭」「弁天娘女男白浪」)


「盛綱陣屋」、三組の母と息子の物語


「盛綱陣屋」は、私は、8回目の拝見となる。鎌倉時代に設定されているが、実は、徳川家
康と豊臣秀頼の「大坂の陣」を素材にしている。家康が、鎌倉方。秀頼が、京方と別れる。
この馴染みの名作を今回は、いつもと違う視点で論じてみたい。それで、サブタイトルは、
「三組の母と息子の物語」、というように仮にしておこう。三組の母と息子とは、次の通り
である。1)微妙と盛綱。2)盛綱妻・早瀬と小三郎。3)高綱妻・篝火と小四郎。

それぞれの関係をコンパクトに記録しておこう。
1)微妙と盛綱。微妙は、歌舞伎の「三婆」という難しい老け役の役どころ。
兄弟の息子たちが、敵味方に分かれて戦っている中で、兄の盛綱陣屋に同居しながら、孫の
小三郎の養育にも当たっている。盛綱の子息・小三郎は戦に出て、従兄弟の小四郎を人質に
取ってきた。時政は、小四郎を手蔓にして、智略に優れる高綱を味方につけようとしている
のを察知し、高綱が息子への情愛に迷い、戦場での判断を間違えぬよう、甥の小四郎を討っ
てしまおうと決意し、母親の微妙に心の内を告げる。弟高綱を思う盛綱の気持ちを知った母
親は、兄の盛綱の思いを尊重し、孫の小四郎を我が手で討とうと決意する。微妙と盛綱は、
状況判断を一にしている。孫を討たなければならない身の因果を嘆きつつも、総領息子の判
断に付き従うことを承知する。

2)盛綱妻・早瀬と小三郎。小三郎は、従兄弟の小四郎を生け捕りにし、大将の時政から褒
められ、覚えめでたい、ということで、得意満面である。早瀬は、弟の嫁の篝火の軽率な行
為に腹を立てている。我が子への情に溺れ、無鉄砲に敵陣に近づいてきた息子への未練を諌
めるべく、同じように矢文で陣屋の外に向かって、射返す。

3)高綱妻・篝火と小四郎。兄盛綱の陣屋に人質にとらえられて幽閉されている息子小四郎
の安否を心配して、篝火は、兵卒に身を窶して盛綱陣屋に近づいてくる。陣屋の外からで
は、小四郎の様子が判らない。矢文を陣屋内に放つ。状況判断も何もない、息子一途で、周
りが見えない、というタイプの女性らしい。母が近くにいる、と空気から察した小四郎は、
陣屋の庭に出てくる。陣屋の外にいる母へ慕情を告げる。陣屋から外に出たがる小四郎を父
親高綱のために切腹せよと祖母の微妙は涙ながらに小四郎を諭す。それならば、生きている
うちに一目両親に会い、その後で、切腹したいと申し出る。陣屋の外に漏れ伝わる情報を元
に、やきもきする小四郎の母・篝火。

こういう三組の母と息子が綾なす、戦場悲話が、盛綱陣屋である。

今回の主な配役は、仁左衛門が鎌倉方の知将・佐々木盛綱。左團次が京方の赤面(あかっつ
ら)の和田兵衛(後藤又兵衛がモデル)。この人も、知将だろう。鎌倉方の策士の大将・北
條時政(家康がモデル)が歌六。佐々木盛綱高綱兄弟の母・微妙が秀太郎。兄が佐々木盛綱
(真田信幸がモデル)、弟が高綱(真田幸村がモデル)。高綱本人は、今回の芝居では、出
番はないが、智略の武将。弟の高綱の妻・篝火が雀右衛門。兄の盛綱の妻・早瀬が孝太郎。
妻同士の戦い。ご注進のふたり、「道化の注進」で知られる伊吹藤太が猿弥。「アバレの注
進」で知られる颯爽たる信楽太郎が錦之助。高綱一子・小四郎が勘太郎。盛綱一子・小三郎
が寺嶋眞秀。

私が観た8回の面々をまとめてみる。盛綱:吉右衛門(3)、仁左衛門(今回含め、3)、
勘九郎改め、勘三郎(襲名披露)。橋之助改め、芝翫(襲名披露)。老母・微妙:芝翫
(4)、秀太郎(今回含め、3)、東蔵。和田兵衛:左團次(今回含め、3)、富十郎
(2)、團十郎、吉右衛門、幸四郎時代の白鸚。兄・盛綱妻の早瀬:孝太郎(今回含め、
2)、福助、秀太郎、魁春、玉三郎、芝雀時代の雀右衛門、扇雀。弟・高綱妻の篝火:福助
(2)、時蔵(2)、九代目宗十郎、先代の雀右衛門、魁春。そして今回は、当代の雀右衛
門。北條時政:我當(5)、歌六(今回含め、2)、彦三郎時代の楽善。信楽太郎:歌昇時
代の又五郎(2)、幸四郎時代の白鸚、松緑、三津五郎、橋之助時代の芝翫、染五郎時代の
幸四郎、そして今回は、錦之助。伊吹藤太:東蔵(2)、翫雀時代を含め、鴈治郎(2)、
段四郎、歌昇時代の又五郎、錦之助、そして今回は、猿弥。小四郎:種太郎時代の歌昇、種
之助、児太郎、宜生時代の歌之助、金太郎時代の染五郎、秋山悠介時代の市川福太郎、左
近、そして今回は、勘太郎。小三郎:種之助、男寅、宗生時代の福之助、玉太郎、大河時代
の左近、そして今回は、眞秀。ほか子役。

コンパクトに舞台の大状況をお浚いすると、「盛綱陣屋」は、大坂冬の陣での、豊臣方の末
路を描いた時代物全九段人形浄瑠璃「近江源氏先陣館」の八段目である。複雑な筋立てを得
意とした近松半二らの作品だ。物語は、半二劇独特の、対立構造を軸とする。まず、鎌倉方
(陣地=石山、源実朝方という設定、史実は、徳川方で、家康役は、北條時政として出て来
る)と京方(陣地=近江坂本、源頼家方という設定、史実は、豊臣方)の対立。鎌倉方に付
いた佐々木三郎兵衛盛綱(兄)と京方に付いた佐々木四郎左衛門高綱(弟)の対立(実は、
兄弟で両派に分かれ、どちらが勝っても、佐々木家の血を残そうという作戦)。

盛綱高綱兄弟対立の連鎖で、「三郎」兵衛盛綱の嫡男・「小三郎」と「四郎」左衛門高綱の
嫡男・「小四郎」の対立。盛綱の妻・早瀬と高綱の妻・篝火の対立という具合に、対比は、
重層的、かつ、綿密になされている。兄弟対立の上に位置するキーパーソンは、老母・微妙
だ。重責の役どころ。だから、難役。高綱は、舞台には出て来ないが、贋首として、「出
演」する。兄の盛綱に切首として対面し、謎を掛ける。立役は、盛綱、和田兵衛、北條時
政。女形は、早瀬、篝火、微妙。子役は、小三郎と小四郎で、高綱以外は、皆、登場。

半二劇の物語の展開は、筋が入り組んでいる。「盛綱陣屋」では、兄弟の血脈を活かすため
に、一役を買って出た高綱の一子・小四郎が、伯父の盛綱を巻き込む。父親の「贋首」の真
実を担保するために、首実検に赴いた北條時政を欺こうと、小四郎が自発的に切腹する。

ベースは、高盛・小四郎対時政の対峙。甥の切腹の真意(父親を助けたい)を悟る盛綱は、
主君北条時政を騙す決意をし、贋首を高綱に相違ないと証言する。根回し無しで、自分の嫡
男の命をぶら下げて、無謀な賭けを仕掛けて来た弟の高盛の尻拭いをするために、主君に対
する忠義より、一族の血縁を優先する。血族(兄弟夫婦、従兄弟)上げて協力して、首実検
に赴いた時政を欺くという戦略だ。発覚すれば、己の命を亡くすと、知将・盛綱は瞬時に頭
を巡らせた上で覚悟をしたのだ。小四郎が、大人たちの知謀の一環に子どもながら知恵を働
かせて一石を投じたのだろう。今回の小四郎は、勘太郎。

贅言;私が見ていた舞台では、勘太郎が演じる小四郎が腹に小刀を突き刺す場面が、早過ぎ
たように観えたが、如何なものか。勘太郎の勘違いか、私の勘違いか。勘太郎の勘違いな
ら、周りの大人の役者たちは、それを平気で包み込んで、何事もないかのごとく、平然と芝
居を続けているように見えた。


小四郎役と御曹司たち、巣立ちの役


歴代の小四郎役。ここ20年くらいの間にも、松也、種太郎(歌昇)、種之助、児太郎、宣
生(歌之助)、金太郎(染五郎)、左近、今回の勘太郎と続く。いずれも、小四郎を演じ終
えたら、一丁前の青年役者に育って行くではないか。中には、子役時代の名前から脱皮した
青年役者もいる。小四郎を演じた子役たちは、誰も彼も、長い芝居ながら、科白もと散ら
ず、緊張感を持って頑張っている。小四郎役は、御曹司たちに取って、巣立ちの役なのかも
しれない。

6年前、13年4月、歌舞伎座で金太郎が、小四郎を演じた時に、難しい役を無事にこなせ
るようになったと感心した。幕間だかにロビーの出た時、高麗屋のお内儀にばったり会った
ので、「金太郎さんも、科白の多い、ずいぶん難しい役もこなせるようになったんですね」
と褒め言葉を伝えた。あれから、そんなに時間が経っていないと思っているうちに、金太郎
は、18年には、祖父の白鸚、父の幸四郎とともに高麗屋三大襲名披露の大イベントも無事
こなし、八代目染五郎を名乗る役者になってしまっている。

私が観た小四郎は8人:種太郎時代の歌昇、種之助、児太郎、宜生時代の歌之助、金太郎時
代の染五郎、秋山悠介時代の市川福太郎、左近、そして今回は、勘太郎。

京方の使者・和田兵衛は、赤面(あかっつら)の美学ともいうべきいでたちである。黒いビ
ロードの衣装に金襴の朱地のきらびやかな裃を着け、朱塗りの大太刀には、緑の房がついて
いる。荒事のヒーローのようで、歌舞伎の美意識が、豪快な人物を形象化するが、兵衛もな
かなかの知将ぶりを見せる。軍兵に前後から槍を突きつけられながら、両手を懐手にして、
堂々と花道を去って行く武ばったところも見せる。

小四郎、小三郎という己らの子どもまで巻き込みながら、時政を騙す盛綱・高綱の兄弟。時
政は、騙された振りをしながら、心底から盛綱を疑っている。残置間者を鎧櫃の中に残して
行くのも諜報活動のためだ。それを見抜く高綱代理の軍使・和田兵衛も含めて、知将=謀略
家同士の騙しあいの物語でもある。

盛綱は、息子・小四郎との関係を軸にしながら、弟・高綱の目論見が、観客に次第に見えて
来るという、芝居の筋立てにそって変化する心理描写をきちんとトレースして行く必要があ
る芝居だ。内面を外面に次第に滲ませて行く。形の演技から情の演技へ。目と目で互いに意
志を伝えあいながら、甥の命がけの行為を受けて、主君・時政を裏切り、自分も命を捨てる
覚悟をする。主従関係より一族の血脈を大事にする。盛綱の、そうした変化が、観客の胸に
ストレートに入って来る。

もう一人、書いておかなければならない役者がいる。微妙は、亡くなった芝翫で4回観てい
るが、安定していた。秀太郎の微妙を観るのは、今回で3回目。初回は、白塗りで、白髪、
銀地の衣装に銀地の帽子という出で立ちだが、可愛らしすぎて、老婆に見えなかった。最初
に観てから6年経った前回は、ちゃんと老婆に見えた。さらに、今回は、もっと老婆に馴染
んでいて、芝翫亡き後、微妙を演じられる風格さえ感じさせると観えてきたのだから、役者
というものは凄いものだ。


「雷(かみなり)船頭」。1839(天保10)年、江戸の河原崎座で初演された「四季詠
○い歳(しきのながめまるにいのとし)」という四変化舞踊のうち、夏を描いたもの。外題
は、○の中に、「い」の字が入っている。「雷船頭」、「夏船頭」とも呼ばれた。五代目澤
村宗十郎初演。戦後復活された。私は初見。今回は、1日交代の演出。大川端、猪牙舟。猿
之助が女船頭で演じれば、翌日は、幸四郎が稲瀬な船頭で演じる。私は、猿之助版の舞台を
観た。猪牙舟は、江戸の世話物の時代小説などによく出てくる船で、船体が細長く、船脚が
早い。小説の中では、吉原通いの客が乗る。今なら、タクシーという感じか。

「夜風山風富士おろし…」で、吉原へ行く客を送り終え、歌詞に上がった船頭が、客の忘れ
た笹の枝に気づき、枝に付けてあったオカメの面に話しかける。

「折から夕立稲光り…」で、夕立を降らした雷が空から落ちてくる。飄逸な雷とのやりと
り。女船頭版:雷(弘太郎)が女船頭に代わって、猪牙舟に乗り込み、去ってゆく。残され
た女船頭に大勢の若いものが絡む立ち回り。若者をあしらった女船頭が立ち去って、幕。船
頭版:雷(鷹之助)との立ち回り。ふたりで船に乗り込み、吉原へ向かって、幕。


「弁天娘女男白浪」の勢揃い


「弁天娘女男白浪」。今回の場面構成は、次の通り。第一場「浜松屋見世先の場」、第二場
「稲瀬川勢揃の場」。これだけ、シンプルである。

私は、今回で10回目の拝見。うち、それなりの「通し」で観たのは6回目。「それなり」
というのは、「浜松屋」、「勢揃」の後に、「屋根」、「山門」、「土橋」のような場面
が、付加される場合と、さらに、「花見」「神輿ヶ嶽」「谷間」「蔵前」まで追加される
「通し」があるからだ。

参考までに、私が、「通し」で観た6回の主な配役は、以下の通り。顔ぶれが判ろうという
もの。

弁天小僧:勘九郎時代の勘三郎(2)、菊五郎(3)、菊之助。日本駄右衛門:富十郎、仁
左衛門、團十郎、吉右衛門、染五郎時代の幸四郎、海老蔵。南郷力丸:左團次(3)、八十
助時代含めて三津五郎(2)、松緑。忠信利平:三津五郎(2)、橋之助時代の芝翫、信二
郎時代の錦之助、亀三郎時代の彦三郎、松緑。赤星十三郎:福助(2)、時蔵(2)。七之
助、菊之助。浜松屋幸兵衛:団蔵(2)、三代目権十郎、彌十郎、東蔵、彦三郎時代の楽
善。鳶頭:彦三郎時代の楽善、市蔵、梅玉、幸四郎時代の白鸚、亀寿時代の坂東亀蔵、松
也。青砥左衛門:勘九郎時代の勘三郎(2、つまり、弁天小僧とふた役早替り)、梅玉
(2)、富十郎、菊之助。

贅言;歌舞伎の初心者でも、すぐに楽しめる人気演目の配役の変遷を見ていると、今の歌舞
伎界では、急速に世代交代が進んでいることが窺えるだろう。

第一場「浜松屋見世先の場」。番頭・与九郎を演じる橘三郎が、老練で達者なところを見せ
る。彼の出来は、この場面を左右すると言っても過言ではない。貴重なキャラクターだ。舞
台では、店の者が上手下手に行灯を持って来るので、時刻は、すでに、夕方と判る。詐欺を
働こうと娘に化けた弁天小僧菊之助(幸四郎)、若党に化けた南郷力丸(猿弥)は、この薄
暗さを犯罪に利用する。よその店で買った品物をトリックに万引き騒動を引き起こす。番頭
は、弁天小僧菊之助らの悪巧みにまんまと乗せられ、持っていた算盤で娘の額に傷を付けて
しまう。番頭のしでかす軽率な行為が、この場を見せ場にする。この怪我が、最後まで、弁
天小僧の、いわば「武器」になる。

正体がばれて、帯を解き、全身で伸びをし、赤い襦袢の前をはだけて、風を入れながら、下
帯姿を見せる幸四郎の弁天小僧。娘から男へ。まあ、良く演じられる場面であり、己の正体
を「知らざあ言って聞かせやしょう」という名科白を使いたいために、作ったような場面
だ。「稲瀬川の勢揃の場」でもそうだが、耳に心地よい名調子の割には、あまり内容のない
「名乗り」の科白を書きたいがために、黙阿弥は、この芝居を書いたとさえ思える。

第二場「稲瀬川勢揃の場」。この場面も、桜が満開。この場面は、舞台の絵面と役者の科白
廻しで見せる芝居。浅葱幕に隠された舞台。浅葱幕の前で、蓙(ござ)を被り、太鼓を叩き
ながら、迷子探しをする4人の人たち。実は、捕り手たちが、逃亡中の5人の白浪(盗人)
を探していたというわけ。

やがて、浅葱幕の振り落としで、桜が満開の稲瀬川の土手(実は、大川=隅田川。対岸に待
乳山が見える)。花道より「志ら浪」と書かれた傘を持った白浪五人男が出て来る。逃亡し
ようとする5人の盗人が、派手な着物を着て、なぜか、勢揃いする。花道では、弁天小僧、
忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸、日本駄右衛門の順。まず、西の桟敷席(花道の、いわゆ
る「どぶ」側)に顔を向けて、花道で勢揃いし、揃ったところで、東に向き直り、場内の観
客に顔を見せながら、互いに渡り科白を言う。

花道から本舞台への移動は、途中から、日本駄右衛門が、4人の前を横切り、一気に、本舞
台の上手に向う。残りの4人は、花道の出の順に上手から並ぶ。恐らく、花道の出は、頭領
の日本駄右衛門が、貫禄で殿(しんがり)となり、本舞台では、名乗りの先頭に立つため、
一気に上手に移動するのだ。「問われて名乗るもおこがましいが」で、日本駄右衛門(白
鸚)、次いで順に、弁天小僧(幸四郎)、忠信利平(亀鶴)。刀を腰の横では無く、斜め前
(楽屋言葉で、「気持ちの悪いところ」)に差し、ほかの人と違って附打の入らない見得を
する赤星十三郎(笑也)、女形が演じることが多い。「さて、どんじりに控(ひけ)えし
は」で、南郷力丸(猿弥)となる。

10人の捕り手たちとの立ち回り。日本駄右衛門のみ、稲瀬川の土手に上がる。ほかの4人
は、土手下のまま。それぞれ左右を捕り手に捕まれ、絵面の見得で幕。これだけの芝居が、
歌舞伎史上、屈指の人気狂言の一つになっている。
- 2019年3月15日(金) 10:44:22
19年03月歌舞伎座(昼/「女鳴神」「傀儡師」「傾城反魂香」)


猿之助の女形


「女鳴神」。初見。「女鳴神」は、立役が主役の当たり演目のうち、主役を女形に演じさせ
る、という趣向の芝居である。「女鳴神」は、鳴神上人を主役とする歌舞伎十八番の「鳴
神」を作り替えている。初演は、1696(元禄9)年、「子子子子子(ねこのこねこ」と
いう外題で、当時江戸随一といわれた荻野沢之丞により初演された。

贅言;この外題は? 日本に昔からある言葉遊びに由来。では、「子子子子子子子子子子子
子」は、?    「ねこのここねこししのここじし」。漢字で書けば、「猫の子仔猫獅子の子仔
獅子」。出題者は、嵯峨天皇。回答者は、小野篁。

もう一つ贅言;女鳴神をきっかけに、ついでに、私が観た「女◯◯」ものをいくつか記録し
ておこう。

「女戻駕」。「おんなもどりかご」と読む。 私は、16年03月歌舞伎座で観た。 江戸の
廓・吉原の俄行事を所作事(舞踊劇)で演じる。この時は、「女戻駕/俄獅子」ということ
で、所作事二題。「女戻駕」は、この時、初見。舞台は江戸・吉原大門前。大門の奥が吉原
のメインストリート。廓の俄の趣向で花道から女駕篭かきが登場する。おとき(時蔵)とお
きく(菊之助)のふたり。駕篭に乗せてきたのは奴の萬平(錦之助)。早春の夜に咲く梅の
花が薫る中で花魁道中や座敷の奴の様子を踊ってみせる。暗転、明転切り替えの場面展開で
「俄獅子」へ。

「女暫」。「おんなしばらく」と読む。私は、16年10月歌舞伎座で観た。「女暫」は、
人気演目で、よく上演される。私は、この時で、8回観ている。この演目、「暫」の主役、
鎌倉権五郎の代りに巴御前が、登場する。鎌倉権五郎の科白(所作と科白)をなぞりなが
ら、ところどころで、女性を強調するという趣向である。男の「暫」は、鶴ヶ岡八幡の社頭
が舞台、「女暫」は、京都の北野天神の社頭が舞台。「女暫」は、芝居の登場人物の名前
が、「暫」の清原武衡の代りに蒲冠者範頼などと違うが、「暫」とは、基本的な演劇構造は
同じである。

「切られお富(女与三郎)」。正式な外題は、「処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよ
こぐし)」。初演は、1864(元治元)年というから、明治維新まで、後、4年という最
幕末期。幕末の頽廃爛熟な気分を、悪婆という女人像に定着させて、後世に遺した。世情
は、さぞ、不安定だったことだろう。幕末世相を映し出すDVD的な記録効果抜群の作品。当
時、二代目河竹新七を名乗っていた、後の、黙阿弥の原作。全3幕11場の構成。黙阿弥
は、先行作品であるライバルの三代目瀬川如皐原作「切られ与三」こと「与話情浮名横櫛
(よわなさけうきなのよこぐし)」のパロディとして、幕末から明治期の名女形・三代目澤
村田之助主役を念頭に書き替ええた。悪婆(あくば)ものの代表作。
私は、14年03月国立劇場で観た。書替え狂言という魅力たっぷりの演目。時蔵初役の
「切られお富」であった。「総身の傷に色恋も薩埵(さった)峠の崖っぷち」という名科白
で知られる。

「女工藤」。これは、19年1月歌舞伎座で観た。この時の外題は、「吉例寿曽我」。「吉
例寿曽我」という外題の芝居は、何回か観ているが、「鴫立澤対面の場」、通称「女工
藤」、つまり、女形版「吉例寿曽我」は、初見。通常の「吉例寿曽我」にもいろいろパター
ンがあるようだが、例えば、「鶴ヶ岡石段」と「大磯曲輪外」の組み合わせが、馴染みがあ
る。曽我狂言の新歌舞伎だ。1900(明治33)年、東京明治座で初演。竹柴其水原作
「義重織田賜(ぎはおもきおだのたまもの)」の序幕「吉例曽我」の「石段より曲輪通い」
を元にしている。

河竹黙阿弥版もある。落語の三大噺を真似て、「国姓爺」「乳貰い」「髪結」という代で作
った噺を四代目子團次の要望で歌舞伎に仕立てた。1863(文久3)年、江戸の市村座で
初演された。外題は、「三題噺高座新作」という。髪結の藤次が見た夢の場面を「対面」に
仕立て直したのが、「女工藤」「雪の対面」という通称のある「吉例寿曽我」である。曽我
十郎・五郎の兄弟、ここでは、一万・箱王の兄弟が、父の敵の工藤祐経の代わりに現れた奥
方の梛(なぎ)の葉御前と対面する、というのがこの演目の最大の趣向である。

私が観た時には、梛の葉御前を福助が演じるという話題性があった。病気で倒れ、長い間の
休演期間を闘病で過ごし、18年9月に念願の舞台復帰を果たした福助。その福助復帰の2
回目の舞台を熱い視線でサポートしようという観客が歌舞伎座に集まっていた。

さて、「鳴神」に話を戻そう。「鳴神」は、幕末の團十郎である七代目團十郎が制定した
「歌舞伎十八番」のうち。「勧進帳」「助六」「暫」と並んで良く演じられる演目の一つに
「鳴神」も入るだろう。「鳴神」の劇的構造は、前半は、色気のある元人妻と厳格な青年上
人のおおらかなやり取り、後半の騙された、裏切られたという鳴神上人の怨念の荒事との対
比である。

修行に明け暮れ法力を身につけ、戒壇建立を条件に天皇の後継争いで、今上(きんじょう)
天皇(女帝となるはずの女性を「変成男子(へんじょうなんし)の法で男性にした」の誕生
を実現させたのにも関わらず、君子豹変すとばかりに約束を反古にされ、朝廷に恨みを持つ
エリート鳴神上人。幼いころからのエリートは、勉強ばかりしていて、頭でっかち。青春も
謳歌せずに、修行に励んで来たので、高僧に上り詰めたにもかかわらず、いまだ、女体を知
らない。童貞である。また、権力を握ったものは、それ以前の約束を無視する。権力者は、
嘘をつく。どこでも、どこの時代でも、同じらしい。まして、無菌状態で、生きて来たよう
な人は、ころっと、騙される。歌舞伎は、さすが、400年の庶民の知恵の宝庫だけに、人
間がやりそうなことは、みな、出て来る。

勅命で上人の力を封じ込め、雨を降らせようとやってきたのが、朝廷方の女スパイ(大内第
一の美女という)で、性のテクニックを知り尽した若き元人妻・雲の絶間姫という、いわば
熟れ盛りの熟女登場というわけだ。朝廷方の策士が、鳴神上人の素性を調べ、「童貞」を看
破、女色に弱いエリートと目星を付けた上での作戦だろう。

修行の場の壇上から落ちる鳴神上人。この芝居では、壇上からの落ち方が、いちばん難しい
らしい(ここで、上人役者は、精神的な堕落を表現するという)。上人は、自ら、姫を誘っ
て、酒を呑む。酩酊を見抜かれ、「つかえ」(「癪」という胸の苦しみ)の症状が起きたと
して偽の病を装う雲の絶間姫。生まれて初めて女体に触れるという鳴神上人の手を己のふく
よかな胸へ入れさせるなど、打々発止の、火花を散らした挙げ句、見事、喜悦の表情に表現
された雲の絶間姫の熟れた肉体が勝ちを占める。荒事の芝居ながら、官能的な笑いを誘う。
いつ観ても、おもしろい場面だ。

若い女体の奥深く癪を治しながら、「よいか、よいか」と別の快楽へ転げ落ちて行く橋之助
の鳴神上人。その挙げ句、「柱巻きの大見得」「後向きの見得」「不動の見得」など、怒り
まくり、暴れまくる様を上人は見せる。数々の様式美にまで昇華させた歌舞伎の美学。最後
は、花道での飛び六法(大三重の送り)にて、幕。

さて、今回の「女鳴神」の舞台に目を転じよう。ここは、大和国、龍王ケ峰岩屋の場。深山
で鳴神尼が行法に入っている。この尼僧は、松永弾正久秀の娘・泊瀬の前(孝太郎)。父親
を滅ぼした織田信長を滅ぼし、父の恨みを晴らそうとしている。そこへ、雲野絶間之助(鴈
治郎)という若侍が、訪ねて来る。小袖を掲げ、鉦鼓を打ち鳴らしながらやって来る。鳴神
尼は、弟子たちに様子を見に行かせる。雲野絶間之助は、案内されて庵へ来る。来訪の理由
を尋ねられた雲野絶間之助は、生き別れた恋人の消息が知りたいので、形見の小袖を持って
来た、という。干ばつが続いていて、小袖を濯ぐこともできない。水が流れているのは、こ
この滝壺だけなので、下から山道を登って来た、という。

さらに、雲野絶間之助は、鳴神尼に請われて、恋人との馴れ初めを話し出す。鳴神尼は、行
法中の身も忘れて馴れ初めという艶話に聞き入ってしまう。その結果、鳴神尼は、戒壇から
落ちて、気を失ってしまう。すると、雲野絶間之助は、滝壷の水を口に含み、口移しに鳴神
尼に飲ませて介抱する。やがて、気を取り戻した鳴神尼は、経緯を聞き、一角仙人の逸話を
例に引き、雲野絶間之助が、色仕掛けで行法を破ろうとしている、と推量する。それを知
り、身の潔白を明かそうと、雲野絶間之助が、滝壺に身を投げようとする。それを見て、鳴
神尼は、簡単に疑念を晴らしてしまう。さらに、雲野絶間之助は、行方知れぬ恋人のために
出家をしたいと申し出る。鳴神尼は、雲野絶間之助の剃髪の準備を弟子たちに命ずる。

鳴神尼の弟子の尼僧たちが山を降りるためにいなくなり、ふたりきりになると、鳴神尼は、
雲野絶間之助に「登美若さま」と声を掛ける。かつて夫婦約束した三好長慶の若君と思い込
んでしまったのだ。雲野絶間之助も、生き別れた恋人の名前は、泊瀬の前だと打ち明ける。
それを聞いたものだから、泊瀬の前は、雲野絶間之助をかつて許嫁だった登美若丸その人だ
と思い込んでしまう。雲野絶間之助は、振込め詐欺のように、相手の勝手な思い込みを利用
して、夫婦固めの盃を交わしてしまう。鳴神尼は、行法の秘密も問われるままに明かしてし
まう。その後、初夜を迎えるべく、ふたりは上手奥の庵へと向かう。庵の御簾が下げられ
る。御簾内のこの密室で、鳴神尼は、雲野絶間之助によって、性に目覚めさせられ、セック
スの喜びを覚えてしまう。行法を中断し、雲野絶間之助の色香に迷う。それまで抑制してい
た鳴神尼の色気も一気に溢れ出す。女形役者の魅力の見せ所である。

濃密な時間が流れる。しばらくすると、ひとり、上手の庵から出てきた雲野絶間之助は、下
手にある岩をよじ登り、岩屋のてっぺんにある祠に保管されていた松永家の名刀「雷丸」を
盗み出す。冷徹な確信犯。名刀を使って岩の上から滝壺の大注連縄を斬る。雷が鳴り、雨が
降り始める。実は、雲野絶間之助は、登美若丸と瓜二つの上、信長の命を受けて、鳴神尼を
堕落させ、その行法を破りにやって来たのだ。鳴神尼の行法は、雷丸の遺徳を利用して龍神
龍女を滝壺の内に封じ込めると共に滝壺に大注連縄を張り巡らして、封印するというものだ
った。そのため、一切雨が降らなくなり、干ばつの被害が日々広がっていた。鳴神尼は、世
の中の乱れを利用して、織田信長を討ち滅ぼし、父親の怨みを晴らそうとしていたのだ。

しかし、雲野絶間之助は、名刀雷丸も手に入れ、目的を達したので、花道から去って行く。
雨の音に気がつき、目覚めて、雲野絶間之助の真意も知った鳴神尼は、怒りを強め、花道か
ら雲野絶間之助の後を追おうとする。しかし、花道には、織田家の家臣・佐久間玄蕃盛政
(鴈治郎)という武者が「押し戻し」役として待っていて、鳴神尼の行く手を阻むのであっ
た。この場面で、押し戻しが登場するのは女鳴神の演出。


「傀儡師」は、初見。1824(文政7)年、江戸市村座で初演。三代目坂東三津五郎出
演。傀儡師は、江戸中期頃まで、町の辻々で、歌や拍子に合わせて人形を操っていた大道芸
人のこと。元々、この演目は、ひとりの演者が、いくつもの役を踊り分けるという変化舞踊
の「復新三組盞(またあたらしくみつのさかずき)」のうち、「傾城」、「雀踊」、「傀儡
師」の三変化だった、という。

幕が開くと、舞台一面を覆う浅葱幕。清元の置浄瑠璃が終わると、浅葱幕振り落しで、傀儡
師(幸四郎)が立っている。「小倉の野辺の……」で、大道芸人の様子を見せる。「淵じゃ
ごんせぬ」で、嫁入りした娘。「三人持ちし子宝」で、色男、堅物、二枚目の三兄弟。三
男・吉三の恋人の八百屋お七、恋の仲立ちをする弁長の3人の様子を見せるのが、「青物尽
くし」。ここまでは、世話もの。

続いて、時代もので、浄瑠璃姫と牛若丸。「船弁慶」の平知盛の亡霊。「馴染の弁州……」
から、弁慶や四天王の酒盛り。辻での興行が終わると、傀儡師は、次の辻を目指して移動し
て行く。


「傾城反魂香」。猿之助の女形が、見どころ。以前よく女形をやっていた猿之助だが、ここ
数年は、立役ばかりで、もう、女形はやらないのか、とがっかりしていたのだが、今月は、
たっぷり女形を見せてくれる。さて、期待通りの女形の役者ぶりを上げて見せてくれるだろ
うか。

主人公のども又は、白鸚が演じる。貫禄がありすぎて、出世前の売れない大津絵を描いてい
るような貧乏絵師に見えないのが、残念。又平の連れ合いの女房・おとくを演じるのが、我
らが澤瀉屋・市川猿之助。

今回の場の構成は、次の通り。
序幕第一場「近江国高嶋館の場」、第二場「館外竹藪の場」、二幕目「土佐将監閑居の場」
という構成である。こういう構成で観るのは、初めてだが、この構成だと、奇跡が2回起こ
る。最初に奇跡を起こすのは、狩野元信。襖に自分の血で描いた大虎が、襖から抜け出す。
いつもの場面の閑居の場で、ども又が描く自画像が手水鉢の石を抜けて出る、というだけで
は、弱い、という印象にならざるを得ない。ただし、序幕第一場の高嶋館では、閑居の場の
ような話の展開がない。だから、こちらは滅多に上演されない。戦後の上演記録を見ても、
歌舞伎座でこの構成で上演したのは、今回が初めて。主な粗筋を記録しておこう。

序幕第一場「近江国高嶋館の場」。近江国を治める大名の六角左京太夫頼賢領内、高嶋郡の
館。この館に住む頼賢息女銀杏の前(米吉)は、側室の娘なので、大名家には輿入れできぬ
が、持参金付きで嫁入りしたいと思っている。銀杏の前の意中の人は、近頃六角家に召し抱
えられた絵師の狩野元信(幸四郎)だ。しかし、元信は、なぜか、それを拒絶している。

上手襖からあらわれたのは、先祖代々のお抱え絵師・長谷部雲谷(松之助)。雲谷は、元信
を罵っている。そこへ、元信が、花道から銀杏の前に頼まれた掛け軸を持参する。雲谷が受
け取り、奥へ入る。ひとり残った元信のところへ、銀杏の前から元信をもてなすように命じ
られた、と言って、藤袴と名乗る腰元が現れる。彼女は、銀杏の前に元信を諦めさせるため
に自分と夫婦になってしまえばよいのでは、と意外な提案をする。元信も賛成し、ふたり
は、夫婦固めの盃を交わす。そこへ、下手襖から、宮内卿の局(笑三郎)が、銀杏の前の持
参金の御朱印状を持参する。さらに、藤袴は、銀杏の前本人だと打ち明ける。

そこへ、上手襖から家老の不破入道道犬(猿弥)が雲谷とともに現れ、元信と銀杏の前が、
御家横領を企んでいる、と告発する。その証拠が、先の掛け軸だと主張する。元信は、捕ら
えられ、縛り上げられる。身に覚えがないもとのぶはえ、自分の肩先を噛み裂き、その血で
中央奥の襖に虎の絵を描く。すると、奇跡が起こる。襖絵に大虎が、襖から抜け出し、家老
の道犬を噛み殺し、元信の縄目も噛み切ると、姿を消す。難を逃れた元信も、去って行く。

序幕第二場「館外竹藪の場」。館外の竹藪で、元信と離れ離れになった銀杏の前は宮内卿の
局と途方に暮れている。そこへ、元信から銀杏の前を守るようにと頼まれた、と言って、弟
子の狩野雅楽之助が花道から駆けつけてくる。雲谷と虎に噛み殺された不破道犬の息子・不
破判左衛門(廣太郎)が現れる。雅楽之助は、抵抗するが、銀杏の前は、雲谷に連れ去られ
てしまう。

二幕目、お馴染みの「土佐将監閑居の場」。絵師の家らしく、文化の香りが高い。襖には、
五言絶句の漢詩が書いてある。

「山中何所有 嶺上多白雲 只可自怡悦 不堪持寄君」。

読みくだしてみると、次のような感じか。

山中には何の有るところぞ/
嶺上に白雲多きも、ただ自ら怡悦(いえつ)すべし。持して君に寄るも堪えず。

さらに、わかりやすいように表現すると、

山の中には何があるというのか/
峰の上に白雲が次々と湧きあがってくるのを見るのは私の楽しみ。
あなたにそれをさし上げても、あなたはただ戸惑うばかり。

土佐将監(彌十郎)は、土佐派中興の祖として、土佐派絵画の実力者だったが、「仔細あっ
て先年勘気を蒙り」、目下、京の山科で、閑居している。北の方(門之助)は、夫・将監と
不遇の弟子・又平(白鸚)との間で、バランスを取りながら、ツボを外さぬ演技が要求され
る難しい役だ。この芝居では、弟子たちの画家としての実力や社会性などを判断するのは師
としての土佐将監であろう。土佐将監は専門家として、又平の技量の評価には厳しいが、生
真面目な又平の性格は買っている。又平は、絵も社会性も不器用な人なのだろう。師の又平
に対する厳しい評価と又平の不器用さの間に生じる大きな隙間を埋めて、師匠と弟子の関係
を仕切ろうとするのは世話女房のおとく(猿之助)だろう。おとくは、将監の器量を計りな
がら又平の希望をなんとか実現させたいと思っている。これらの人々の背後に位置し、それ
ぞれのバランスを見守っているのが北の方、というのが私の描くこの芝居の人間関係だ。猿
之助は、スーパー歌舞伎などに手を広げながらも、普段から、女形の体型を維持すべく、ト
レーニングにも励んでいるのではないか。後ろ姿は、特に、スリムな体型である。

今回の又平は、白鸚。正直言って、白鸚は、貫禄があり過ぎて、出世前の、大津絵を描いて
暮らしているような貧乏絵描きには見えない。この芝居は、夫婦の情愛の物語であるが、現
代風に言うなら、タレント(又平)を売り出そうとするマネージャー(おとく)の物語でも
ある。琵琶湖畔で、お土産用の大津絵を描いて、糊口を凌いでいた又平が、女房おとくの励
ましを受けても、弟弟子に抜かれて行くような人物だ。だめな絵師としての烙印を跳ね返せ
ず、自害する前に遺書のような絵を手水鉢に描く。それがなぜか、奇蹟を起こす。その結
果、又平は土佐光起という名前を貰う、という物語だ。

江戸時代には、いまよりも差別感が強かったせいか、吃る姿を笑いものにする演技が主流だ
った、という。「ども又」という外題の通称にも、そういう差別感が色濃く残っている、と
思う。吃る科白廻しについて代々の役者が工夫を重ね、さまざまな口伝が家の芸として伝え
られたことだろう。

しかし、六代目菊五郎が、この演目の近代化を図り、障害のある夫の「苦悩」、夫を思う女
房の「愛情」、それゆえ起こった「奇蹟」を描いたドラマに変貌させたという。現在、演じ
られるのは、三代目実川延若の工夫した又平の演出を基本とする。特に、妻・おとくの人間
像の作り方が、ポイントになる。

吃音者の夫を支える饒舌な妻の愛の描き方、特に、妻・おとくの人間像の作り方が、大事に
なる。先代の芝翫は「世話女房型」であった。やはり先代の雀右衛門は「母型」。菊之助、
猿之助は、世話女房型であった。菊之助は、吉右衛門お所作に対応しながら丁寧に演じてい
た。私が観た中で、ほかに印象に残るおとくは時蔵であった。時蔵は、姉さん女房型であ
り、マネージャー型でもあった。時蔵は、尾上梅幸直伝という。猿之助の女房は、まだま
だ、おとくの群像から抜け出してはいないように見受けられた。
「傾城反魂香〜山科閑居の場〜」を観るのは、17回目。私が観た又平は、8人。吉右衛門
(7)。富十郎(2)、團十郎(2)、三津五郎(2)、先代の猿之助、梅玉、巳之助、そ
して今回は、白鸚。

私が観た8人の又平のうち、吉右衛門の又平が、やはりダントツに良いのである。吉右衛門
は、ほぼ3、4年ごとに、又平を演じている。特に、又平が遺書代わりに石の手水鉢に描い
た起死回生の絵が、手水鉢を突き抜けた時の、「かかあー、抜けた!」という吉右衛門の科
白廻しは、追従を許さない。毎回工夫を重ねているのだろう。「子ども又平」、「びっくり
又平」と、同じ又平でも、心のありように即して自在に演じる吉右衛門の入魂の熱演だっ
た。吃音の科白が、特に難しい。先日、若い役者の又平を観たが、科白回しが吃音になって
いなかった。白鸚は、30年ぶりの又平。あまり演じていない役柄を洗い直す、という路線
で行くようだ。それはそれで、新しい白鸚の発掘でもあるのだろう。

私が観たおとくは、11人。芝雀時代の雀右衛門(3)、先代の雀右衛門(2)、先代の芝
翫(2)、鴈治郎時代を含めて藤十郎(2)、時蔵(2)、勘九郎時代の勘三郎、右之助
(巡業で、相手は團十郎)。魁春、壱太郎、菊之助、そして今回は、猿之助。
- 2019年3月13日(水) 17:34:12
19年03月国立劇場(小劇場)・「元禄忠臣蔵」「積恋雪関扉」


歌舞伎の小劇場公演


国立劇場小劇場でも、今年は、歌舞伎興行。「挑戦する小劇場歌舞伎」、というそうだ。若
い役者が、初役で大役に挑戦する。いわば、実験劇場。今回は、国立劇場小劇場としては、
12年ぶりの公演となる。演目は、昭和初期の新歌舞伎の名作「元禄忠臣蔵」のうち、「御
浜御殿綱豊卿」、それに、古典の名作「積恋雪関扉」。

国立劇場小劇場と歌舞伎、今回で20回目。前回は、12年前、07年3月。国立劇場開場
四十周年記念公演。演目は、四十周年記念脚本募集入選作、森山治男原作「蓮絲恋慕曼荼羅
(はちすのいとこいのまんだら)」という新作歌舞伎。

その時の主な出演は、以下の通り。
初瀬:玉三郎、照夜の前:初代右近、乳母月絹:笑三郎、豊寿丸と蓮介:段治郎、紫の前:
春猿、嘉藤太:猿弥、藤原豊成:門之助ほか。

今回の「綱豊卿」の配役は、以下の通り。
綱豊卿:扇雀、新井勘解由(白石):又五郎、冨森助右衛門:歌昇、中臈・お喜世:虎之
介、御祐筆江島:鴈之助、上臈・浦尾:扇之丞、用人・津久井九太夫:蝶十郎、局・野村:
菊史郎、局:菊三呂、中臈・お古宇:鴈洋ほか。

いつも科白も少ない腰元役などの大部屋の女形役者衆が、堂々と科白をいう場面が目立つの
が、楽しみ。これについては、別項で後述したい。

戦前昭和の新歌舞伎の巨編である真山青果作「元禄忠臣蔵」の原作は、10演目あり、「大
石最後の一日」が、二代目左團次の大石内蔵助などで、1934年2月に歌舞伎座で初演さ
れて以降、1941年11月の「泉岳寺の一日」まで、7年余に亘って書き継がれ、それぞ
れが、その都度、上演されてきた。三大歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」が、物語ならば、「元
禄忠臣蔵」は、科白をたっぷり書き込んで、事件を検証するドキュメンタリー小説だろう。
中でも、「御浜御殿綱豊卿」は、真山科白劇では、華のある場面ゆえ、おそらく「元禄忠臣
蔵」でも、最も上演回数が多いのではないだろうか。

史実の綱豊(1662−1712)は、16歳で、父親綱重の遺領25万石の徳川家甲府藩
主になる。さらに、43歳で五代将軍綱吉の養子になり、家宣と改名。その後、1709
(宝永6)年、46歳で六代将軍となり、3年あまり将軍職を務めた人物。享年50。「生
類憐みの令」で悪名を残した叔父の綱吉の後を継ぎ、間部詮房、新井白石などを重用し、前
代の弊風を改革、諸政刷新をしたが、雌伏の期間が長く、一般にはあまり知られていない。
七代将軍家継(家宣の3男、兄二人が、夭死し、父も亡くなったので、わずか4歳で将軍に
なったが、在職4年弱で、7歳で逝去。父親同様、間部詮房、新井白石の補佐を受け、子ど
もながら、「聡明仁慈」な将軍だったと伝えられる)も夭逝。将軍政治の安定は八代将軍・
吉宗まで待たねばならない。

芝居の「御浜御殿綱豊卿」では、将軍就任まで7年ある元禄15(1702)年3月(赤穂
浪士の吉良邸討ち入りまで、あと、9ヶ月)というタイミングで、綱豊(39歳)を叡智な
殿様として描いている。

御浜御殿は、当初徳川家甲府藩の別邸・甲府浜屋敷、海手屋敷などと呼ばれた。その後、綱
豊が、1709(宝永6)年、六代将軍(徳川家宣)になると、屋敷は将軍家の別邸とな
り、浜御殿、御浜御殿、浜御庭などと呼ばれた。いまの浜離宮のことである。綱豊卿の時代
は、御浜御殿ではなく、甲府「浜屋敷」であっただろう。

贅言;御浜御殿は、寛永年間には、将軍家の鷹場であった。1654(承応3)年、綱豊の
父親で甲府藩主の綱重に下賜された。綱重は、海岸を埋め立て、庭園として整備した。17
07(宝永4)年、浜屋敷は、大改修されて、海水を庭内に導き入れて、潮の干満によっ
て、景色を変える池を整備し、江戸を代表する庭園となった。


芝居の演劇空間


国立劇場には、2つの劇場がある。大劇場と小劇場。大劇場は、歌舞伎の公演などに使われ
る。客席数は、1610席。小劇場は、人形浄瑠璃の公演などに使われる。客席数は、花道
を使用しない人形浄瑠璃では、590席。花道を使用する歌舞伎では、522席。歌舞伎の
公演で比べれば、小劇場は、大劇場の3分の1のキャパシティということになる。

大劇場の舞台の大きさは、以下の通り。尺貫法である。
間口12間7寸(22・0メートル)、奥行14間4尺(26・95メートル)
廻り舞台、大セリ、中セリ、それぞれ1台(分割可能)。小セリ5台。スッポン(2分割)
が1台。下座、ちょぼ床付き。

小劇場の舞台の大きさは、以下の通り。
間口7間2尺(13・6メートル)、奥行10間3尺(19・25メートル)
廻り舞台、大セリ、中セリ、それぞれ1台(分割可能)。小セリ4台。スッポン(2分割)
が1台。文楽回し、舟底付き。

芝居にとって、演劇空間とは何か。
今回の場面構成は、次の通り。第一幕「御浜御殿松の茶屋」、第二幕「御浜御殿綱豊卿御座
の間」、「御浜御殿入側お廊下」、「御浜御殿元の御座の間」、「御浜御殿能舞台の背
面」。

「御浜御殿綱豊卿」は、空間が必要な芝居だ、と思う。今回の演目で比較してみよう。「御
浜御殿綱豊卿」では、特に横幅(上手から下手までの距離)が狭かった。特にそれを感じた
のは、第二幕の内でも、「御浜御殿元の御座の間」であった。というのは、この場面は、次
期将軍と目されていて、浅野家の再興か、家臣たちの吉良家討ち入りか、で悩んでいる綱豊
卿(扇雀)と浅野家の元家臣・冨森助右衛門(歌昇)との実際の舞台上の距離感とふたりの
論争の距離感が、二重写しになっている場面だからである。通常の国立劇場大劇場での上演
の際の距離感より、今回の小劇場での上演の際の距離感が違い過ぎる、という懸念が舞台の
間口を一瞥した途端、私にはあった。実際にその場面が展開されると、私のファーストイン
プレッションは、的中してしまった。この場面の綱豊卿と助右衛門の科白の距離感は、その
後の展開でじわじわ縮まって行く。その縮まり方こそ、この場面の眼目であった。それが、
小劇場の間口では、実現し難いのである。綱豊卿と愛妾の中臈・お喜世(虎之介)の距離
感。お喜世は、助右衛門と証文上の兄妹の関係にある。つまり、お喜世の奉公にあたって、
助右衛門は、お喜世の身元を保証する手続き上の兄になったのだ。その距離感。御座の間の
場面では、部屋の外の廊下(下手側)に座り込み、上手側に座っている綱豊卿が「近う」と
呼んでも、頑なに動こうとはしない助右衛門。綱豊卿の下手側近くに黙って、心の内を抑制
しながらじっと座っているお喜世。綱豊卿と助右衛門の間に控えているお喜世という3人の
ポイントが、この芝居の人間関係を示している。従って、3人の位置と同時に、それぞれの
距離感が大事になる。その距離感が、小劇場では、いつもの大劇場とは、違うのである。

小劇場ゆえ、「元禄忠臣蔵〜御浜御殿綱豊卿〜」は、劇場空間が、気になる演目だというこ
とが判っていただけるであろう。「御浜御殿綱豊卿御座の間」では、綱豊卿と冨森助右衛門
との距離感と科白の応酬が見どころ。この演目上演の大劇場での距離感になれた観客には、
小劇場の短い距離感は、馴染みにくいのではないか。

〈浅野家家臣にとって主君の敵〉吉良上野介・〈「昼行灯」を装いながら、真意を隠し京で
放蕩を続ける〉大石内蔵助・〈密かに敵討ちを狙う〉富森助右衛門ら江戸の赤穂浪士。そう
いう構図を知り抜き、浅野家再興を綱吉に上申できる立場にいながら、赤穂浪士らの「侍
心」の有り様を模索する綱豊(綱豊自身も、次期将軍に近い位置にいながら、いや、その所
為で、「政治」に無関心を装っている)。綱豊の知恵袋である新井白石(又五郎)、後に、
七代将軍家継の生母となる中臈・お喜世(虎之介)、お喜世の兄の富森助右衛門(歌昇)、
奥女中の最高位の大年寄になりながら、後に、「江島生島事件」を起こし、信州の高遠に流
される御祐筆・江島(鴈之助)は、お喜世を庇(かば)い立てするなど、登場人物は、多彩
で、事欠かない。江島は、後に、月光院(後のお喜世)付の老女となり、権勢を振るい、
「江島生島事件」を引き起こし、信濃高遠に流される。以前に私は、高遠の幽閉所を訪ねた
ことがある。

この演目では、「真の侍心とはなにか」と真山青果は、問いかけて来る。浅野家再興か主君
の仇討か。この二つのテーマは、並立しないと綱豊は考えているようだ。どちらか一つを選
ぶしかない。綱豊のバランス感覚は、研ぎ澄まされている。綱豊は、お家再興よりも、仇討
ちの侍心を上位に置いていたようである。キーポイントは、青果流の解釈では、「志の構造
が同じ」となる綱豊=大石内蔵助という構図だろうと思う。将軍に後継者争いに巻き込まれ
ている綱豊卿。内蔵助の苦しい心を語ることで、綱豊の真情を伺わせる、という演出。いわ
ば、二重構造の芝居だ。

赤穂浪士らの「侍心」に答えるためには、浅野家再興より浪士らによる吉良上野介の討ち取
り(仇討)が大事だと綱豊は、密かに考えている。だが、そうは言わない。江島、お喜世の
手引きで綱豊の御座所まで入ってきた富森助右衛門。助右衛門と綱豊との御座の間でのやり
取りは、双方の本音を隠しながら、それでいて、嘘はつかないという、火の出るようなやり
取りの激しい対話となる。いわば、情報戦だ。

しかし、綱豊の真意を理解し切れていない助右衛門は、妹・お喜世の命を掛けた「嘘」の情
報(能の「望月」に吉良上野介が出演する)に踊らされて、「望月」の衣装に身を固めた
「上野介」(実は、綱豊)に槍で突きかかるが、それを承知していた綱豊は、助右衛門を引
き据え、助右衛門らの不心得を諭し、綱豊の真意(それは、つまり、大石内蔵助の本望であ
り、当時の多くの人たちが、期待していた「侍心」である仇討ち志向)を改めて伝え、助右
衛門を助ける(あるいは、知将・綱豊は、こういう事態を想定してお喜世に嘘を言うように
指示していたのかもしれない)。槍で突いてかかる助右衛門と綱豊との立ち回りで、満開の
桜木を背にした綱豊に頭上から花びらが散りかかるが、この場面の「散り花」の舞台効果
は、満点。それほど、演出的には良く出来た場面であると観る度に感心する。

その後、何ごともなかったかのように沈着冷静な綱豊は、改めて、姿勢を正し、「望月」の
舞台へと繋がる廊下を上手へと颯爽と足を運びはじめる。能のスリ足の運びだ。綱豊の真意
を知り、舞台下手にひれ伏す助右衛門。上手に控える中臈や奥女中。まさに、一幅の絵とな
る秀逸の名場面である。前半は、科白劇で、見どころを抑制し、後半で、絵面的にも美しい
見せ場を一気に全開する。このラストシーンを書きたくて、真山青果は、この芝居を書いた
のでは無いかとさえ思う。「元禄忠臣蔵」で、最もドラマチックであり、絵面的にも、華麗
な舞台だから、ダントツの再演回数を誇るのも、頷けよう。


1年前。18年1月の浅草歌舞伎。「元禄忠臣蔵 〜御浜御殿綱豊卿」では、浅草歌舞伎の
座頭・松也が演じた役を今回、19年、3月の、国立劇場の舞台では、上方歌舞伎系の女形
の扇雀が、演じる。今回の国立歌舞伎の配役と浅草歌舞伎の配役を比べて見よう。

浅草歌舞伎の座頭・松也が綱豊卿を演じる。ほかの配役は、巳之助が富森助右衛門、新悟が
祐筆の江島、米吉が中臈のお喜世、これに加えて、ベテランが脇を固める。歌女之丞が上臈
の浦尾、錦之助が新井白石(通称・勘解由)ほか。

今回の「綱豊卿」の配役は、以下の通り。
綱豊卿:初役の扇雀、新井勘解由(白石):又五郎、冨森助右衛門:初役の歌昇、中臈・お
喜世:初役の虎之介、以下、大部屋役者も、初役ではないのか。御祐筆江島:鴈之助、上
臈・浦尾:扇之丞、用人・津久井九太夫:蝶十郎、局・野村:菊史郎、局:菊三呂、中臈・
お古宇:鴈洋ほか。


大部屋役者たちの活躍


鴈之助は、抜擢の御祐筆江島役。科白も多く、老け女形として存在感があり、好演であっ
た。扇之丞は、憎まれ役ながら上臈・浦尾役。これも存在感を出していた。歌舞伎座などで
も、腰元役でお馴染みの菊史郎と菊三呂は、局役。中臈、お古宇を演じた鴈洋は、綱豊卿の
女太刀持であった。老け立役の用人・津久井九太夫を演じたのは、蝶十郎。

一方、御曹司たち。中村虎之介。扇雀の長男である。これまで立ち役が多かったが、今回
は、じっくり演じる女形である。初役の中臈・お喜世。女形の鬘や衣装を付けると、顔立ち
がふっくらとして見える。従兄弟の壱太郎(伯父の鴈治郎の長男)に似ているようだ。ぱっ
ちりした目元は、父親似である。

綱豊卿と丁々発止の科白劇を演じる助右衛門は、初役の歌昇。助右衛門は、取り潰しにあっ
た地方大名(浅野家)の元家臣。綱豊卿の考え抜かれた質問や説諭に翻弄されながらも、嘆
いたり、怒ったり。綱豊卿に次ぐ重要な役回りである。歌昇の父親、又五郎は、綱豊卿の
師・新井白石役。次期将軍へのアドバイザー。

贅言1);浜遊びの余興としての「おかげ参り」(伊勢詣で)。御浜御殿の庭先に入り込ん
で来る伊勢詣でのおいぬ某という巡礼が下手奥から舞台に出て来る。上手、海側から戻って
来る綱豊卿と出会う場面が、実は、良く判らなかった。なぜ、御殿の庭先に巡礼姿のおかげ
参りが入り込めるのか。巡礼と足元が頼りない程度には酔っている綱豊卿との出会い。「巡
礼にご報謝」と、巡礼に呼びかけられて、当初は意味が解らなかった綱豊卿の生活感を、こ
の場面は描いているのだろう、ということは分かっていた。ご報謝が、寄進と気が付き、綱
豊卿は、「ぜぜ(銭)」のことかと悟る。「ぜぜというものを生まれたこのかた、持ったこ
とがないから、銭を寄進することができない、許せよ、という場面なのだ。年に一度に御浜
御殿のレクレーション「浜遊び」の余興として、おかげ参りの巡礼(実は、大奥局の小僧)
を登場させたと理解すれば、この場面は、よく判る。「抜け参りでござります」という巡礼
は、通常の伊勢詣とは別に、1705(宝永2)年に起きたおかげ参りを浜遊びの余興に取
り入れたのだろう。桜が爛漫と咲く、春。江戸湾に面した御浜御殿の庭から浜にかけて浜遊
び、磯遊びが、展開されている浜御殿の、いわば「従業員慰労の日」の一幕、ということな
のだろう。

贅言2);後日談。六代将軍家宣になった綱豊は、赤穂浪士の遺族たちが親戚に預けられて
いたのを全て許した。五代将軍綱吉の下した罪科を家宣は、自ら変更した、というわけだ。
浅野家については、内匠頭長矩の弟・長広を許し、後に旗本として御家復興させる。「元禄
忠臣蔵」に登場する綱豊は、侍心を優先し、助右衛門らが主君の仇を討ったことを褒め上
げ、さらに、後年、元家臣たちの遺族を皆、許したことになる。


「積恋雪関扉」の古怪さの魅力


「積恋雪関扉」は、7回目の拝見。江戸時代中期の天明歌舞伎(1780年代)の代表作の一
つ。1784(天明4)年、江戸桐座(控え櫓)で、初代中村仲蔵の初役、初演。舞踊劇。
古怪さ、洒脱さ、おおらかな味わいと醍醐味に特徴があるのが天明歌舞伎。「生野暮薄鈍
(きやぼ・うす・どん)」という物真似、当て振りは、初演時からほぼ、そのまま演じられ
ている、という。以下、意味と当て振りの所作。

生:純粋、全くの(当て振りは、木の物真似)
野暮:女心が解らない(矢、棒の物真似)
薄:うすのろ(差別的ではないか。臼の物真似)
鈍:鈍感(右手で「ドン」と叩く振り、次いで、足を踏んで、「ドン」)

ということで、「生野暮薄鈍」とは、全体で「全く(100パーセント)女心が解らない、
鈍感おとこ」という意味。

今回の配役は、関兵衛、実は、黒主が、菊之助。小野小町姫と墨染のふた役が、梅枝。宗貞
(後の、六歌仙のひとり、僧正遍照)が萬太郎。いずれも、若手の初役の舞台。こってりし
た歌舞伎の古典的な名作をフレッシュな役者たちが、演じる、というおもしろさ。

「積恋雪関扉」では、私が観た主な配役は、逢坂山の関守・関兵衛、実は、大伴黒主:幸四
郎(3)、吉右衛門(2)、初役の松緑。今回の菊之助も初役。小野小町姫:福助(2)、
芝翫、魁春、菊之助、七之助、今回は梅枝。墨染、実は小町桜の精:芝翫(2、このうち、
1回は、小町とのふた役)、福助(2、このうち、1回は、小町とのふた役)、菊之助(小
町とのふた役)、玉三郎。今回は、梅枝(小町とふた役)。

「積恋雪関扉」は、関兵衛(菊之助)を軸にしたふたつの芝居からできている。前半は、小
野小町姫(梅枝)と小町姫の恋人、関所を住居とする良峯少将宗貞(萬太郎)との「恋の物
語」と宗貞の弟・安貞の「仇討(実は、大伴黒主に殺されている)の話」が二重構造になっ
ている。関兵衛は、少将宗貞に雇われた関守である。後半は、かって安貞と契りを結んでい
た小町桜の精(梅枝)が、傾城・墨染に化けて関兵衛の正体を恋人殺しの下手人大伴黒主で
はないかと疑ってやって来たという話。最後には、関守の正体を暴いた上で、墨染は敵討ち
を挑む。小野小町姫と兄・宗貞は、恋人関係。小町桜の精・傾城墨染と弟・安貞も、恋人関
係。

見どころは、舞台の前半では、初演時の、古怪な味わいを残す所作事を楽しめば良いだろ
う。特に、関兵衛は、少しずつ、大伴黒主という正体を顕すような、取りこぼしをして行
く。滑稽味のある関兵衛の、底に潜む無気味な大伴黒主という、人格の二重性を如何にバラ
ンス良く見せるか、その変化を微妙に、丁寧に描いて行くことが、「関兵衛、実は、大伴黒
主」を演じる役者の工夫の仕どころであろう。こういう役は、幸四郎、吉右衛門、どちらの
持ち味が生きるか。古怪な味わいは、幸四郎の方が上だった。今回の菊之助は、当然岳父の
吉右衛門の指導を受けたことだろう。前回に松緑は、祖父や先輩方を真似ることが大事だろ
う。祖父の二代目松緑は、「弁慶と関兵衛が双璧」と言っていたらしい。

本舞台中央に桜の巨木。「小町桜」という立札がある。仁明天皇が愛した小町桜は、天皇が
亡くなった後、哀しんで墨染色の花をつけるようになった、というので、別称「墨染桜」と
なった、という。その後、小野小町姫の歌の力で、元の色を取り戻し、雪景色の中で、満開
の桜の花を咲かせている。

小町桜を伐って護摩木にすれば、謀反の大願成就と悟った「関兵衛、実は、大伴黒主」は、
小町桜を伐ろうとするが、失敗する。小町桜の精は、木の洞から飛び出し、関兵衛に逢いに
来たという触れ込みで、傾城・墨染となって、現れる。色仕掛けで関兵衛を籠絡しようとす
る。この場面を「廓話」と、通称する。廓噺に花を咲かせているうちに、関兵衛の懐中か
ら、黒主が盗んだはずに勘合の印と割符が零れ落ちる。関兵衛は、それを取り繕うように
「そっこでせい」などと掛け声をかけて突然、踊り出すと、奥へ去って行く。

「廓話」では、花魁道中で、花魁に差し掛ける長柄の傘の代わりに、関兵衛が墨染に棒を付
けた小さな傘を差し掛ける。次いで、墨染は間夫(愛人)の関兵衛を裲襠の裾に隠して忍び
込み、盃事から痴話喧嘩まで廓遊びの1日を再現する。小野小町姫は、人間の小町。小町桜
(墨染桜)の精は、桜(はな)の小町。

関兵衛の科白。関兵衛は、前半は、素面の科白で、自分で喋る。後半は、酔っ払っているの
で、自分では科白を言わない。常磐津の太夫が、役者の代わりに、科白を語る。「付け科白
(ぜりふ)」という。「うい」という「おくび」から、「ハハハハ」という笑い声まで、誇
張され、常磐津の太夫が語る。関兵衛も、太夫の科白に乗って、所作をする。「仕形舞(し
かたまい)」という。

「二子乗舟(じしじょうしゅう)」(「弟の安貞が兄の宗貞の身代わりとなって死んだ」こ
とを意味する)という血で書かれた片袖が、鷹によって、空から運ばれて来る。小町の精と
安貞との想い出の品であったことから、墨染は、小町の精としての正体を顕わし、関兵衛こ
と、大伴黒主と対抗して行く。所作ダテ。踊り(所作)のように、立ち回りのように、華や
かで、シュールな場面だ。

ふたりとも、「ぶっかえり」という定式の、「見顕わし」で、それぞれの正体を暴露して行
く。逆海老(海老反り)を披露する鴇色の女、梅枝の身体の柔軟さ。黒い衣装に大きな鉞。
大口開きの赤い舌。不気味な菊之助。江戸のエロチシズム。最後は、二段に乗っての、梅枝
の大見得、その下手でそれに対抗する菊之助の大見得で、幕となる。

墨染は、常磐津の「上調子(うわぢょうし)」という甲高い声で「恨みもあればこそ」と歌
ううちに、髪に挿した鼈甲の櫛を抜いて行く。「小町桜の精魂なり」で、梅枝もぶっかえ
り。髷を崩して、乱れ髪。薄鼠(うすねず)色の振り袖も、鴇(とき、薄いピンク)色の小
袖に。人間・墨染から精霊に戻った小町桜の精は、「狂い」という独特の動きをする。

今回、音楽は、通常通り、常磐津。常磐津は、源流が京の「宮古路」節。「宮古」→ 江戸
に伝わり、当初は「関東」節。ご政道に差し障ると「関東」の使用は禁止され、「常磐津」
となった。「常盤の緑」。「津」は、都。「江戸の都」。前回は、竹本と常磐津の掛け合
い。竹本が関兵衛で使われ、常磐津が小町と墨染で使われる。玉三郎のアイディアだった。

贅言;この芝居では、「小野小町姫」、「傾城・墨染、実は、小町桜の精」のふた役を同じ
役者が演じる場合と別々の役者が演じる場合とが、ある。今回は、梅枝のふた役。前回は、
前半で七之助が「小野小町姫」を演じ、後半は玉三郎が「傾城・墨染、実は、小町桜の精」
を演じた。

「積恋雪関扉」は、演劇空間より、ポイントが大事な芝居だろう。「積恋雪関扉」では、下
手から木戸、小町桜の巨木、逢坂山の関守小屋の3ポイントが、重要で、近くに固まってい
るので、狭さは、問題にならない。その代わり、小屋に蟄居する良峯少将宗貞を訪ねてきた
小野小町姫の梅枝、後に桜の洞から忽然と浮かび上がってきた傾城・墨染(梅枝)と関兵衛
(菊之助)とが、花道七三で踊る場面を通称「どぶ」と呼ばれる花道より下手の座席たっぷ
りと観劇した。七三の辺り。「関扉」では、目の前で、菊之助と梅枝が、何度も踊る。一緒
に観劇した連れ合いは、「菊之助と目が合った」と言って、興奮気味で合った。観劇後、ロ
ビー下手の役者の後援会受付にいた菊之助のご内儀に声を掛けて、私たちは、短い立ち話を
した。5月の歌舞伎座團菊祭の「絵本牛若丸」の牛若丸で菊之助長男・寺嶋和史(5)くん
が七代目尾上丑之助襲名披露するが、この初舞台への祝意を表しておいた。寺嶋和史初お目
見えから3年。若い歌舞伎役者の誕生である。音羽屋一家も、春爛漫へ向かわれるように祈
りたい。
- 2019年3月13日(水) 12:45:13
19年2月歌舞伎座(夜/「熊谷陣屋」「當年祝春駒」「名月八幡祭」)


珠玉の直実、6年ぶり


「熊谷陣屋」ほど、歴代の名優を映し出してきた演目はないのではないか。松竹演劇製作部
が記録し続けている「熊谷陣屋」の上演記録を見ると、ほぼ毎年、主な歌舞伎の芝居小屋で
本興行として上演されていることが判る。これに夏場の巡業を加えたら、歌舞伎で「熊谷陣
屋」を上演しない年はない、と言えるのではないか。主要都市の芝居小屋で、年に4回も上
演されている時期もあった。とにかく名作で、名演の役者が顔を出す芝居なのである。

例えば、最近では、17年4月の歌舞伎座。この年は、1月の歌舞伎座から高麗屋三大同時
襲名披露というビッグプロジェクトが動き出していた。そして、4月は、「熊谷陣屋」の上
演。現在の二代目白鸚が、九代目幸四郎として演じるのが、最後となる熊谷直実であった。

私が、歌舞伎を本格的に見始めたのは、94年4月歌舞伎座の舞台であった。この時は、
「白鸚十三回忌追善興行」の舞台を観たのが、いまのように歌舞伎を観始める最初の経験だ
ったのだ。この時の演目は、「熊谷陣屋」、新作歌舞伎の「井伊大老」、「鈴ヶ森」であっ
た。その時の「熊谷陣屋」の配役は、次の通り。

熊谷直実:幸四郎、相模:故・四代目雀右衛門(先代)、藤の方:松江時代の魁春、源義
経:故・梅幸、弥陀六:故・二代目又五郎(先代)、堤軍次:染五郎(今の十代目幸四
郎)、梶原景高:故・芦燕ほか。義経を演じた梅幸。私が観た梅幸の舞台は、これが、最初
で、最後であった。

歌舞伎の「熊谷陣屋」は、それ以来、今回で23回目の拝見となる。これまでに私が観た熊
谷直実は、圧倒的に多いのが九代目幸四郎時代の二代目白鸚で、10回拝見した。次いで、
吉右衛門(今回含め、5)、仁左衛門(2)、八十助時代の三津五郎、團十郎、松緑(仁左
衛門代役で、急遽、初役で演じた)、海老蔵、橋之助改め芝翫、染五郎改め幸四郎。


九代目幸四郎最後の直実。花道での決め科白の、科白廻し。「十六年は、一昔。夢だあ。
ああ〜、夢だああ〜〜〜」と語尾を伸ばせるだけ伸ばして、歌い上げていた。いつも通りだ
が、感慨深げで、初日から、この場面では、幸四郎は目には涙を浮かべていた。胸中にはい
ろいろな思いが駆け巡ったことだろう。その時の感動を私も共有しながら、思い出す。お内
儀の藤間紀子さんとは、ロビーで会った。彼女の、ほっこりした笑顔に幸四郎も、どれだけ
救われてきたか。容易に想像できる笑顔である。私も、ある時、「幸四郎さんの芝居を歌舞
伎座に観に来るけれど、半分は、あなたの笑顔を見に来るのだ」と、いつもと違う心境にな
っていたので、つい、言ってしまったが、私より一つ姉さんのお内儀の笑顔をいつまでも見
続けていたい。「夢だあ。ああ〜、夢だああ〜〜〜」。

しかしながら、これまで観た最高の「熊谷陣屋」は、13年4月歌舞伎座。歌舞伎座杮葺落
興行の舞台。残念ながら、最高の直実を演じたという印象を私が持っているのは、高麗屋、
幸四郎ではない。弟の播磨屋、吉右衛門。吉右衛門の直実は、肩の力を抜いて、役者吉右衛
門の存在そのものが自然に直実を作って行く。いや、なりきって行く。時代物の歌舞伎の演
じ方とは、という教科書のような演技ぶりだった。

13年4月歌舞伎座。「熊谷陣屋」は、見応えがあった。まず、配役が豪華。直実(吉右衛
門)、義経(仁左衛門)、相模(玉三郎)、藤の方(菊之助)、軍次(又五郎)、弥陀六
(歌六)、梶原景高(由次郎)など。唯一の懸念は、初役で演じた菊之助の藤の方が、綺麗
すぎたことくらい。今なら中学生くらいの年齢の敦盛の母親。相模も敦盛と同年の息子・小
次郎の母親。相模を演じた玉三郎も綺麗だが、それなりの年齢を感じさせる。菊之助は、肌
に張りがありすぎ、若々しすぎて、違和感がある。そういう意味では、菊之助以外は、適
役。この顔ぶれを見れば菊之助は、抜擢されたのだろうが、役どころの年齢に相応しい化粧
の工夫が必要ではなかったのか。

玉三郎の相模は、初めて観たが、玉三郎は、先代の雀右衛門の母情の激しさを思い出させ
て、なかなか、よかった。玉三郎は24年振りの相模。我が子・小次郎の首を持って行く場
面では、脱いだ打掛で生首を包み、恰も、生まれいでたばかりの、これから将来のある赤子
の小次郎を抱きかかえているように観えてしまった。まさに、母親の真情が溢れ出ているよ
うで、私も自分の息子の赤子時代に思いを馳せ、心が震えた。

義経を演じた仁左衛門は、さすがに貫禄があり、堂々たる「主役」(熊谷陣屋の筋立てを指
揮しているのは、じつは、義経である、というのが私の説)の義経であった。「熊谷陣屋」
の義経役者の中では、一枚上を行く義経振りであった。仁左衛門は、22年前、97年9月
大阪松竹座、孝夫時代に義経を演じている。

弥陀六を演じた歌六は、このところ、老け役で存在感を発揮しているだけに良い出来だった
と、思う。弥陀六ならぬ宗清と正体を暴かれた際に、下から見せる衣装には、普通は、「南
無阿弥陀仏」「平家一門の名前」が、書かれていて、「見顕し」を意味するという付加情報
がつく。歌六は、定石通りの扮装だったが、以前に観た富十郎は、珍しく、無地の衣装で、
すっきりしていて、それでいて、十分に真意が伝わって来る。さすが、富十郎の工夫と感心
させられたものだが、こういう「空にして充」のような芸当は、富十郎のレベルに達しない
と出来ないのだろう。

軍次を演じた又五郎は、歌昇時代から、何回観ているだろう。直実の本音も相模の真情も弁
えた上での対応。実務的な能吏振りは、板に付いている。歌昇で旧・歌舞伎座に「さよな
ら」をし、又五郎で新・歌舞伎座に戻って来た。憎まれ役で、ちょっとの間しか出て来ない
梶原景高を演じた由次郎も、味のある役者で欠かせない。

そして、今回。19年2月歌舞伎座。吉右衛門は、6年ぶりの直実である。あの感動よ、も
う一度、だ。いつまで、観続けることができるだろうか。

花道七三で、踏みとどまった直実は、袂(たもと)の中に数珠を握った手を入れると、その
まま、手を前方に突き出す。いわゆる「突き袖」という格好で、気張った緊張感を維持した
まま、吉右衛門は、ぐっと客席を見込む。そして、「熊谷陣屋」の名場面である、「十六年
は、一昔」へと流れ込んで行く。

今回の主な配役は、次の通り。直実(吉右衛門)、義経(菊之助)、相模(魁春)、藤の方
(当代雀右衛門)、軍次(当代又五郎)、弥陀六(歌六)、梶原景高(当代吉之丞)など。

今回は、相変わらず、吉右衛門は、盤石の「直実」になりきる。初役で義経を演じた菊之助
は、義父となった吉右衛門との共演だ。「総大将としての義経を若々しく勤められれば」と
語っていたが、若さに負けずに、責任を果たそうという気概が感じられた。弥陀六の歌六も
良い。渋みが増してきた。こういう味を出す役者が少なくなってきたので、歌六の舞台は今
後も楽しみだ。


「當年祝春駒」。「曽我もの」の代表作で、よく上演される「対面」の、いわば舞踊劇版。
「當年祝春駒(あたるとしいわうはるこま)」と読む。この演目は、1791(寛政3)
年、中村座で初演された。本名題(外題)は、「対面花春駒(たいめんはなのはるこま)」
ということで「対面」という文字を明記していた。「春駒売」に身をやつした曽我兄弟が、
工藤の館に入り込む。「春駒売」とは、正月に馬の頭を象った玩具(金色と銀色)のような
ものを持ち、「めでたや めでたや 春の初めの 春駒なんぞ」などと祝の言葉を様々に囃
しながら、門付けをして歩く芸人のことである。

この演目を私が観るのは、4回目。このうち、1回は、1年前、18年2月の歌舞伎座。そ
の時の外題は、「春駒祝高麗(はるこまいわいのこうらい)」で、外題に「高麗」と入って
いるように、高麗屋三代同時襲名披露の舞台を寿ぐ祝祭の演目に変化(へんげ)していた。

「曽我もの」とは、本来は曽我兄弟物語。兄弟が、親の仇として付け狙う工藤祐経に、やっ
と逢う場面を「対面」という。つまり、暗殺者・ヒットマンが、暗殺の対象となる人物に接
近する場面。歌舞伎では、「対面」というアクション場面の前に、「接近」の苦労を「所作
事」で、緊張感を抑えたまま、明るく演じる場面を挿入した。ヒットマンは、ヒットマンら
しからぬ、華やかさで、身をやつして、敵陣に、まんまと乗り込む。

舞台では、幕が開くと、無人(役者が未登場の状態)の舞台奥の雛壇に並んだ長唄連中の
「置唄」。主軸となる長唄の鳥羽屋里長に大向こうから「りちょう」と、声がかかる。舞台
中央には、大せりの大きな穴が空いている。富士の姿を中央に描いた書割は、さらに、松と
紅白梅が描かれている。やがて、工藤祐経(梅玉)が、小林朝比奈(又五郎)、さらに、両
端、上手に大磯の虎(米吉)、下手に化粧坂少将(梅丸)という綺麗どころを引き連れて、
大せりに乗って、せり上がって来る。

花道からは、曽我兄弟(十郎:錦之助、五郎:左近=松緑の長男)が登場する。前回の「春
駒祝高麗」では、ほかの演目の関係で、両花道が使えたので、まず、仮花道から小林朝比奈
(又五郎)が、登場。次いで、本花道から二人の「春駒売」に身をやつした曽我兄弟(十
郎:錦之助、五郎:芝翫)が、なんとか検問突破で登場してきた。

最初の内は、春駒の踊りを踊りながら様子を伺う兄弟だが、途中で、黒衣の持ち出して来た
赤い消し幕の後ろで、衣装の双肩を脱ぎ、赤い下着を見せて、仇への感情(赤色)を表わ
し、五郎が、工藤に接近する。まさに、「対面」を予兆させる場面となる。すでに兄弟の正
体を見破っている工藤は、兄弟に富士の狩り場の通行切手(つまり、入場券)を投げ渡し、
「(私を)切って恨みを晴らせよ」。その時には父親の仇として(君らに)討たれよう。

しかし、それは、後日の対面、ということ。「まず、それまでは……」、仇討はお預け、と
いう、つまり、結論先送り、という歌舞伎独特の、幕切れの科白となる。祝祭の場で血を見
せない、というのが江戸の美学。それぞれが絵になる静止ポーズを見せる「絵面の見得」に
て、幕。


「名月八幡祭」は、翻案劇


「名月八幡祭」は、歌舞伎座夜の部の、尾上辰之助三十三回忌追善供養狂言。辰之助は、こ
の演目を81年9月京都南座、83年6月歌舞伎座で、主役の新助を演じている。歌舞伎座
の舞台では、美代吉を玉三郎が、三次を孝夫時代の仁左衛門が、演じている。今回は、辰之
助の代わりを息子の松緑が演じ、それを玉三郎と仁左衛門が支える、という格好になってい
る。

大正期の新歌舞伎。黙阿弥原作の「八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)」
から江戸情緒を受け継ぎ、フランスの小説「マノン・レスコー」の主人公・マノンの奔放な
性格を持つ美少女のイメージを美代吉に重ねた、という。江戸情緒と近代的な大正ロマンを
併せ持つ。それが、大正新歌舞伎「名月八幡祭」の魅力だろう。

「マノン・レスコー」は、1731年刊。フランスのアベ・プレヴォーの小説であり、その
主人公の女性の名前。「騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語」という全7巻の自伝
的な長編小説の7巻目。全巻の通しタイトルは、「ある貴族の回想と冒険」。人形浄瑠璃の
全◯段の時代ものの◯段目という感じ。

騎士デ・グリューと美少女マノンとが周りを巻き込みながら破滅への道行きとなる物語。マ
ノンは寂しい荒野でデ・グリューの腕に抱かれながら死んで行く。まさに、「俺たちに明日
はない」。新助も美代吉に惚れてしまってからは、破滅の道一筋のように坂道を転げ落ちて
いった。

「名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)」は、1918(大正7)年、歌舞伎座で初演さ
れた。二代目左團次の新助、四代目澤村源之助の美代吉であった。池田大伍の原作で、池田
は、幕末期の1860(万延元)年に初演された黙阿弥の「八幡祭小望月賑(はちまんまつ
りよみやのにぎわい)」(通称「縮屋新助」「美代吉殺し」)を改作した。

「名月八幡祭」は、私は、5回目の拝見。このうち、吉右衛門の縮屋新助は、2回観てい
る。松緑は、2回目。私が観た主な配役:新助は、吉右衛門(2)、松緑(今回含め、
2)、三津五郎。美代吉は、福助(2)、芝雀時代の雀右衛門、笑也。そして、今回は、玉
三郎。三次は、歌昇(2)、錦之助、猿之助。今回は、仁左衛門。魚惣は、歌六(今回含
め、2)、富十郎、段四郎、猿弥。今回の配役はほかに、藤岡慶十郎に梅玉。魚惣の女房・
お竹に梅花ほか。

序幕第一場「深川八幡二軒茶屋松本」。下手奥が出入り口。夏の茶屋座敷の風情が良い。歌
舞伎は、こうした細部にも見るものがある。主役のひとり・深川芸者の美代吉(玉三郎)が
座敷奥から登場。粋な芸者姿。下手奥の出入り口から美代吉と恋仲の船頭の三次(仁左衛
門)が、無心(たかり)に来る。懐から手を出し、顎に当てる、にやけた三次。美代吉の評
判の悪い情夫である。間もなく始まる八幡祭で金が掛かる美代吉は、情夫に渡せる金がな
い。仕方がないので、髪に挿していた簪(かんざし)を抜いて渡す。美代吉を贔屓にしてい
る客の中間が、この様子を見とがめて騒ぐ。上手奥座敷から贔屓の客である旗本の藤岡慶十
郎(梅玉)が、松本の女将(京蔵)や幇間(玉雪)らとともに、現れる。藤岡は、美代吉の
髪に自分が贈った簪がなくなっていることに気がつくと情夫の三次に取られたか、やった
か、したのだろうと見抜き美代吉に黙って金を渡す。金を渡しながら、三次との付き合いを
注意する大人の男の貫禄を梅玉が演じる。序幕第一場は、金遣いの荒い美代吉の性格描写と
美代吉側の人間関係の説明という場面だろう。

序幕第二場「浜魚惣裏座敷」。舞台は、浜(岸辺)から堀(深川)に床を張り出した魚惣の
裏座敷。石積みの岸壁面には、水草が茂り、舞台前面には、涼しげな堀の水面が広がってい
る。下手から座敷の向こう(裏)側にも堀は通じている。上手揚げ幕も堀が通じている。亭
主の魚惣(歌六)が、女房(梅花)と酒を飲んでいる。座敷下手には、金屏風の前に敷かれ
た毛氈に角樽が、ふたつ置かれている。上手の床の間には、蓮の花が描かれた掛け軸。魚惣
の還暦の祝いなのだろう。後で、真っ赤な羽織が、披露される場面がある。舞台下手袖奥か
ら、船頭長吉(松江)だけが乗った猪旡舟が出て来て、座敷の裏側へ廻って行く。船頭が座
敷に声を掛けて行く。江戸・深川の情緒が、一気に高まる。

もうひとりの主役・越後商人の縮屋新助(松緑)が、奥の襖を開けて、登場する。中年の独
身男。出稼ぎ商売を終えて、故郷の越後に帰るので、世話になった町の顔役・魚惣に別れの
挨拶かたがた、残っている縮みの反物を売りに来たのだ。反物ふたつが売れる。魚惣は、江
戸下町のイベント・八幡祭が、間もなく始まるのに越後に帰ってしまうという新助が、理解
できない。江戸で商売をするなら、江戸の人情を知らなければ成功しないと思うからだ。新
助に祭りを観て行けと勧める。故郷に残して来た老母のことを心配する新助(母子家庭の一
人っ子)だが、世話になった魚惣の意向も無視出来ない。女房も、熱心に勧めるので、新助
も祭りを観てから帰る気になる。多少不義理になってもこのまま故郷に帰っていれば、「事
件」に巻き込まれることもなかったろうが、新助の運命は、「七」の字を踏んだかのよう
に、ここで、直角に曲がってしまう。

涼しい風が入ってくる開け放った座敷から見える堀へ、上手揚げ幕から、また、別の猪旡舟
が出て来る。舟には後ろ向きの船頭(松悟)と美代吉(玉三郎)が、乗っている。座敷に顔
を向けて挨拶をして通り過ぎる美代吉。座敷にいる新助にも気がつき、愛想良く、親しげに
声を掛けて来る。この様子を見ていた魚惣は、美代吉の背後にいる評判の悪い情夫の三次を
思い出し、新助に、「美代吉には気をつけろ、金を貸したりするな」と忠告をする。後々の
事件への「伏線」である。猪旡舟は、鉄砲洲(鉄砲洲稲荷の祭礼は、歌舞伎座周辺も、いま
も氏子である)方面に向かって行く。すでに美代吉に惚れて、商売で得た金を貸している新
助の目には、芸者の艶姿しか映っていない。舞台中央下手で手に持っていた巻紙を落とし
て、手摺から下に垂らす。惚けたような男の表情が、本舞台から花道に入って行った舟の行
方を見とれている。名場面のひとつ。花道も堀である。下手、上手、花道と、堀が三方に通
じている。「とっぷりと暮れましたなあ」と呟く新助。心象風景の科白。祭りが終わるまで
(美代吉ともっと仲良くなるまで)、江戸に残ろうと決心をした新助だが、そのツケは、ど
ういう形でまわってくるのか。田舎の「非常識」に江戸の「良識」が、警鐘を鳴らすことに
なる場面だ。

ここは舟を使った優れた演出だ。昭和の新歌舞伎「梅暦」など、これを、更に洗練させ、廻
り舞台を使って舟同士がすれ違う、似たような場面がある。舞台に奥行きが出る。

粋な深川芸者に惚れる田舎商人。吉原の傾城を見初める田舎商人という場面は、明治の新歌
舞伎「籠釣瓶花街酔醒」(かごつるべさとのゑいざめ)にもある。黙阿弥原作「八幡祭小望
月賑」では、初演時には、新助は、四代目小團次、美代吉は、岩井粂三郎、後の八代目半四
郎ほか。ユニークな持ち味の小團次の柄にはめ込んで人物造形をしている。科白も、黙阿弥
調で、傑作と言われた。文政年間に実際にあった深川芸者・巳之吉が巻き込まれた無理心中
事件を素材にしている。後に、弟子の三代目新七が、「八幡祭小望月賑」を下敷きにして、
「籠釣瓶花街酔醒」を書いている。「八幡祭小望月賑」→「籠釣瓶花街酔醒」→「名月八幡
祭」。

田舎商人とは言っても、「籠釣瓶花街酔醒」の大店の主人・次郎左衛門と反物を江戸まで担
いで来て、行商をする小商いの商人である新助とは、財力、胆力が違う。新助役者は、ここ
の違いの表現が、求められる。小心さも必要。松緑は、口跡は良いのだが、大きな声で言う
台詞廻しが一本調子で、まだ、精進が必要だ。これまでに観た新助では、吉右衛門が良かっ
た。抑制的であり、余白を感じさせる。吉右衛門は、この新歌舞伎に、古典歌舞伎の江戸世
話ものの味をたっぷりと振りかける演技をしていて、見事だ。見応えがあった。

二幕目「仲町美代吉の家」。ここが山場。数日後。深川仲町の美代吉の自宅。玄関に、祭礼
の提灯が飾ってある。座敷上手には、仏壇ではなく、稲荷。呉服屋手代が、祭り用に誂えた
衣装代を催促に来るが、美代吉(玉三郎)には、支払う金がない。普段着の着物姿の美代吉
も初々しく、美しい。美代吉の母(歌女之丞)が、手代をなんとか帰らせる。母親は美代吉
に惚れている新助に百両借りられないかなどと持ちかけるが、美代吉は、田舎の小商人から
大金は借りられないと突っぱねる。そうは言いながらも、やがて、姿を見せた新助(松緑)
に酒を勧め、愛想を売りつけ、おだてながら、借金を申し込む美代吉。この家に一緒に住ん
でも良いなどとほのめかすものだから、すっかり、舞い上がってしまう新助。美代吉が枕に
使った懐紙に移った残り香を恍惚と嗅ぐ有様。今の時代なら、完全なストーカーだ。もう、
正常な判断力を持っていない。

そこへ、金の無心に三次(仁左衛門)がやって来る。金で苦労している美代吉(玉三郎)
が、情夫の三次に愛想尽かしをする場面(本当かな、芝居じゃないのか、と疑う場面だろう
が、新助に冷静な判断は無理だ)だが、舞い上がっている新助(松緑)は、邪見に三次を帰
らせた美代吉の、続く、身の上話をすっかり信用して、三次と縁を切るなら、百両を用立て
ると約束してしまう。追い出された三次の後ろ姿に冷ややかな視線を送った後、似合わぬの
に、色男ぶってしまい、金策に出かける新助。「お騙しなさるんじゃございますまいね」と
危惧の科白を言いながらも、すっかりその気になって騙されて行く。騙し女とその気男とい
う図。金の力が描いた幻影とも知らずに……。

幇間が、藤岡からの手切れ金百両を持って現れる。なんとも、都合の良い筋立て。金の工面
の目処がつけば、田舎の小商人のことなど忘れてしまう美代吉と母親。そこへ、さっきの愛
想尽かしに頭に来た三次が、刃物を懐に呑んで、入って来て、刃物を振り回す始末。事情を
話し、三次の入り用の金を渡す美代吉。和解をし、早速、酒を飲み始めるふたり。金と情欲
の化かしあい。

「七つ下がり」という科白が出て来るが、夏の夕暮れ、いまの午後4時過ぎ。「七つ下がり
の雨と四十過ぎての道楽はやまぬ」とは、真面目に生きてきた人が中年期に入って狂い、道
楽を始めると、免疫ができていないので、泥沼に陥る、という警句。人生の盛りも、過ぎて
いる中年男・新助の心象風景でもあるだろう。その対比の場面となる。金策を終えて、戻っ
て来た新助は、ふたりのそういう光景を見せつけられる。初めて、騙されていたことを知る
愚直な新助。本心を告げ、冷たくする美代吉。この辺りが、マノンのような奔放な近代的美
少女像。玉三郎は、冷たい横顔を見せつけて、無表情である。

私は美代吉役を4人観ている。福助で2回。芝雀時代の雀右衛門、笑也。そして、今回の玉
三郎。福助は、後ろ姿も、女形としての色気が、紛々としていて、むせ返るようだった。芝
雀は、体が太め。笑也は、スリム。玉三郎は、清涼感のある色気。

ファム・ファタール(運命の女、男を破滅させる女、己も破滅する女)。美代吉(玉三郎)
も破滅型の女。酒を飲みながら、ふたりのやり取りを得意そうに見ている三次(仁左衛
門)。これまで観た三次では、歌昇時代の又五郎の小悪党ぶりに存在感があった。粋な芸者
から、はすっぱな女の本性を顕した福助も、こういう役は、緩急自在で、巧い。ふてくされ
た強情女。福助ならマノンのような非行少女的な魅力も出せた。ああ、福助の美代吉をもう
一度観たい。

江戸の「非常識」の典型カップルが、正体を見せた瞬間だ。団扇でしつこい蚊を追う三次。
蚊は、狂気後の新助の凶事を暗示しているように思える。

老母の住む故郷の土地や建物を売って、百両を工面した新助には、もう帰る家もない。故郷
喪失者。新助のことを心配して、やって来た魚惣(歌六)は、今後のことは、家で話そうと
新助を連れて帰る。「罪なことをしたねえ」。江戸の「良識」は、田舎の「非常識」男(新
助)の面倒を見ようとするが、巧く行くかどうか、というのが、この場面での、観客へのメ
ッセージ、次への伏線。

大詰「深川仲町裏河岸」。狂気の立ち回り。下手に大川端の火の番小屋。障子に「火の番」
と書いてある。簾がかかっている。上手に柳。深川八幡の大祭。深川界隈は、大賑わい。手
古舞姿の深川芸者たち、祭りの若い者たち、見物客の男女。無粋に刀を差した田舎侍。上手
から雑踏の中を美代吉の姿を探しに来た新助。気がおかしくなっている。雑踏ですれ違った
田舎侍が背に差していた刀から抜き身だけを抜き取り、下手、雑踏の中へ消えて行く新助。
頭から全身を還暦の赤尽くしの衣装に包んだ魚惣が、姿の見えない新助を心配して、探しに
来る。大勢の人出の重みで、永代橋が落ちたという話が聞こえて来る。人々は、橋の方へ駆
けつける。

上手から、手古舞姿の美代吉(玉三郎)がひとり、祭りの酒に酔いふらふらと現れる。下手
の橋袂、火の番小屋の葦簾に美代吉の手が障り、簾が倒れると、その裏側には抜き身の刀を
持った狂気の新助(松緑)がいた。雨が降り始め、雷も鳴る。

舞台は、本水となる。びしょ濡れのふたりの立ち回り。狂気の新助の死闘。酔いが邪魔し
て、逃げ惑う美代吉。濡れ場のような艶冶な殺し場。斬りつけられ美代吉は、番小屋に逃げ
込むが、追ってきた新助に斬られる。真っ赤な血飛沫が、障子を一直線に染める。いかに
も、歌舞伎の「殺し場」らしい様式美にあふれる場面。

事件に気づいた若衆たちが、新助を取り押さえる。大の字になった松緑を頭上に担ぎ上げ
て、花道揚げ幕へ向かって運んで行く。花道七三で、担がれたまま、ガバッと頭を上げた、
松緑の狂気の大笑いが、場内に響き続ける。

雨も止む。隅田川の向うには、満月が顔を出す。煌煌と光を増す満月。狂気の月(ルナティ
ック)。本水で濡れた無人の舞台の地絣に満月の影が映っている。「双面水照月」の風情。

この事件は、田舎の「非常識」(新助)が、己を突き詰め、江戸の「良識」(魚惣)と「非
常識」(奔放な悪のカップル・美代吉と三次、さらに美代吉の母)の隙間から、すとんと、
美代吉を道連れに、地獄に落っこちてしまった、という物語である。
- 2019年2月16日(土) 18:59:12
19年2月歌舞伎座(昼/「義経千本桜〜すし屋〜」「暗闇の丑松」「団子売」)


尾上辰之助三十三回忌追善狂言「すし屋」


四代目松緑を軸に父親の尾上辰之助(後に、三代目松緑遺贈)の三十三回忌追善狂言。歌舞
伎座の昼夜興行の中で、披露された。まず、昼の部は、息子の四代目松緑が、「義経千本
桜〜すし屋〜」に出演し、初役で、いがみの権太を演じた。松緑は、五代目幸四郎、五代目
菊五郎が工夫してきた江戸歌舞伎型の「いがみの権太」を継承する。五代目幸四郎は、左の
眉の上に黒子があったことから、幸四郎型を演じる役者は、左の眉の上に黒子を描く。今回
の松緑も、左の眉の上に黒子があった。今回、初役の四代目松緑は、実際には、祖父の二代
目松緑から、この方を受け継いだ七代目菊五郎、つまり当代の菊五郎に教わった通りに勤め
る、という。自分の演技を通じて、二代目松緑の「匂い」(「味」と同義だろう)を出した
い、ということだった。

「いがみの権太」の「すし屋」を観るのは、今回で、14回目。私が観た権太役者は、幸四
郎(3)、仁左衛門(3)、團十郎(2)、富十郎、三代目猿之助、我當、吉右衛門、菊五
郎、今回は、初役の松緑。

源平が争う世の中。勝者が敗者を駆逐する。時代ものの悲劇が、世話場の庶民の生活に入り
込んできて新たな悲劇を生み出す。歌舞伎狂言の「時代世話もの」に良くある作劇方法だろ
う。「義経千本桜」のうち、「木の実」、「すし屋」のいがみの権太の家族、両親を巻き込
む悲劇は、そういう形で生まれて来る。「彼(ひ)がのこと」(時代)が「我がこと」(世
話)を愁嘆場に変えてしまう。歌舞伎では、定式化された、つまり類型化された場面とし
て、殺し場(殺人)、濡れ場(情事)、愁嘆場(悲劇)、チャリ場(喜劇)などがある。い
がみの権太の家族が巻き込まれた愁嘆場とは、どういうものだろうか。

劇中で権太の両親は彼のことを「権太郎」と呼んでいた。渾名の「いがみ」とは、「ゆが
み」、つまり、歪んだ性格から付けられた。「ゆがみ」とはなにか。一筋縄では行かない性
格。いわば、「厄介な人」。だから、ドラマチックになるのだろう。

いがみの権太は、まず、「木の実」の場面から登場する。世慣れた小悪党で「置き引き」ま
がいの手口で、茶店に偶然居合わせた旅行客の小金吾、若葉内侍らの一行から金をだまし取
る。その手口:茶店の床几に置いた小金吾と同じような振り分け荷物を権太がわざと取り違
えて持って行く。残された荷物に違和感を感じた小金吾が、荷物の紐をほどいてしまい、中
身が違うことに気づいて、慌てる。そこへ戻ってきた権太が、間違えて持って行ったと謝り
ながら、紐でしばったままの小金吾の荷物を返す。そこまでは、良い。その上で、権太は、
自分の荷物の紐がほどかれているのを確認した上で、自分の荷物に入れていた20両が無く
なっていると騒ぎ出す。小金吾は、そんな馬鹿な、と抗議するが、追っ手からの逃亡中の身
であるから、若葉内侍の意向をくんで騒ぎにしたくないし、いつまでも留まっていられない
ので、泣く泣く、20両を提供せざるを得なくなる。詐欺師である。手慣れた手口から、権
太は、常習犯と思われる。そういう小悪党である。それでいて、権太は茶店で働く家族(妻
と子)への情愛を隠さない。特に、子供への情愛は深い。後に「すし屋」の大団円では、妻
子への情愛を逆転させることになるのだが、ここはそのための伏線でもある。


家族が、テーマ


「すし屋」は、家族がテーマだ。このすし屋は、勘当の身とは言え、権太の実家だから、家
族は、両親と未婚の妹がいる。両親のうち、父親は苦手だが、母親は、甘いので騙し易い。
暫く実家に来ない間に稼業のすし屋を手伝っている男(いわば、従業員の身)がいる。小悪
党の間で、この男が、なんとなく胡散臭いと権太は感じ取る。折から手に入れた人相書きを
懐に、権太は久しぶりに実家を訪ねた。

実家で働いているのは、頼りなさそうな、なよなよした男だが、妹が好意を持っていると判
った。さらに、その優男は「訳有り」と判り、父親から勘当を許してもらいたいばっかり
に、正体を見抜いた優男のために「策略」を思いつき、それを実行した。しかし、その策略
は、権太が独り勝手に進めていたので、特に父親との情報共有化を怠ったため、結局、最後
には、己の命を落としてしまうことになる。なぜ、そうなったのか。まあ、舞台を観なが
ら、その辺りは解きほぐした方が良いだろう。

「すし屋」では、前半は、弥助、実は維盛(菊之助)、お里(梅枝)の恋愛ごっこ。弥助
は、妻子持ち。お里が勝手に燃え上がる。弥助、実は維盛は、「つっころばし」、「公家の
御曹司」、「武将」など重層的な品格が必要な役だ。町娘のお里は、結婚願望の適齢期の娘
でお侠なところもあるが、初々しい。お里は、奈良の山里・下市村のすし屋の娘だが、恋愛
には積極的なタイプ。態度をはっきりさせない弥助に対してグイグイ迫る。身分と妻子持ち
を隠している弥助、実は維盛への恋情が一途である。それでいて、町娘らしさ、蓮っ葉さも
見せなければならない。弥助らの本性を知った後が、いじらしい。なかなか、魅力的な娘
だ。

今回は、上演しない前の場面で討ち死にした小金吾の首を切り取り、維盛の偽首として使っ
て維盛を助けようとするのは、権太の父親・弥左衛門(團蔵)である。この役は、私が観た
歴代の役者では、亡くなった坂東吉弥が、良かった。最近の歌舞伎は、人材難もあって、若
手の役者の登場が増えているが、吉弥のような脇で、味を出す中年・初老の世代の役者の適
役層が薄くなってきた。團蔵の存在も貴重である。
 
マザー・コンプレックスの権太は、何かと口煩い父の弥左衛門を敬遠して、父親の留守を見
計らって母親のおくら(橘太郎)に金を工面してもらいに来る。母親泣き落しの戦術。松緑
は江戸型なので、お茶を利用して、目に涙を流した風に装う。老いた母親を演じる橘太郎
は、こういう役も味がある。

弥左衛門一家が、弥助、実は維盛一家を匿っていたのでは、と梶原平三景時(芝翫)に詮議
され困っているところへ、権太(松緑)が現れ、維盛の首を撥ね若葉内侍らを捕まえてきた
と、大きな手拭で猿ぐつわをはめた若葉内侍ら(実は、権太の妻子・こせんと善太郎)維盛
一家に縄を打ち、維盛の首(実は、小金吾の首)を抱え持って、戻ってきた。

褒美に梶原平三景時が権太に渡した陣羽織(後に、褒美の金を渡す証拠の品というわけ
だ)。無事、梶原平三景時一行を騙したと思っている権太は、花道で梶原平三景時一行を送
りだす。権太は己の家族を犠牲にした大作戦を成功させたと思っている。その見返りに勝ち
取った弥助、実は維盛一家の保護。父親に報告をし、褒めてもらおうと戻ってきた権太は、
事情を知らない父親の弥左衛門に腹を刺されてしまう。刺された後、「もどり」と称して、
悪人が本心の善人に戻る場面だ。己の家族の破滅を覚悟して維盛一家を助けたという本心を
明かす権太。

死に行く権太。苦しい息のなか、「木の実」の場面で、息子の善太郎から取り上げた呼び子
(この場面の、伏線だったのだ)の笛(合図の笛)を母親に吹かせ、無事だった維盛一家を
呼び寄せる。今回の江戸型では、母のおくらが、権太から受け取った笛を持って家の外に出
て、権太の代わりに吹く。上方型では、弱々しいながら、権太自身が笛を吹く。弱々しい笛
の音が、権太の儚い命脈を示している。

松緑初役の権太だったが、松緑は、菊五郎から教わった部分を効率的な演技、型を繋ぎ合わ
せている、ように見受けられた。従って、舞台進行は、スイスイ進むが、余韻余情に乏し
い。これから松緑が、何回か権太を演じる中で、いわば演技の「糊しろ」を増やして欲し
い、と思った。


三人の捌き役・権太、弥左衛門、梶原景時


なぜこういう悲劇が起きてしまったのか。前半の小悪党権太に比べて、後半の「もどり」の
権太は、いわば、捌き役で、維盛一家をトラブルから救出する。ところが、実は、この場面
には、もうひとりの捌き役がいた。弥左衛門である。「権太くれ」(大人になってもわんぱ
く小僧)という権太しか理解していない父親は、情報不足のママ、権太を刺し殺すという形
で、処断してしまう。父親と息子の意思疎通のまずさ。現代にもあるだろう。「もどり」の
権太の実相を知って、慌てるが、もう遅い。つまり、これは、ダブルスタンダード(弥左衛
門、権太)の悲劇と言える芝居なのだ。
 
輪袈裟と数珠が仕込まれていた陣羽織の仕掛け(「内やゆかしき、内ぞゆかしき」という小
野小町の歌の一部の文字で謎を解く)を観ると、鎌倉方の梶原平三景時(芝翫)も、ここで
は、いつもの憎まれ役とは、ひと味違う役柄だと判る。知将・梶原なのだ。梶原平三景時に
は、権太一家の命を犠牲にしても、維盛の家族全員死亡という「伝説」を創造する必要があ
った。権太の「策謀」などとっくに見抜いていた上で、維盛一家を助ける。この芝居には、
さらに、もうひとりの捌き役がいたというわけだ。いつも憎まれ役の梶原平三景時を捌き役
に変えたのは、作者のひと工夫、ということだろう。

梶原のこうした意向や、権太の本心を知り、維盛も家族と別れて出家する決断をする。若葉
内侍も六代君をつれて、高雄の文覚上人のところへ行く。こちらも、家族は崩壊する。「時
代」の悲劇は、「世話」の愁嘆場を引き起こす。悲劇の連鎖だ。

家族がテーマの芝居は、全滅する家族=権太の一家、崩壊する家族=弥左衛門の一家、再出
発する家族=維盛の一家、という家族の有り様を、最後に浮き彫りにしていることが判る。
家族は、並木宗輔の永遠のテーマだろう。


余白の演出と音と光が冴える集団劇の魅力


「暗闇の丑松」。丑松は、菊五郎。この演目を私が観るは、6年ぶり、6回目の拝見。長谷
川伸原作の新歌舞伎。1934(昭和9)年6月、東京劇場で初演。主役の丑松は、六代目
菊五郎が演じた。「暗闇の丑松」は、長谷川伸が、講談の「天保六花撰」の人物「丑松」を
新たな人物像として造型して、配役の軸に据えて1931(昭和6)年に雑誌に発表した戯
曲である。都合4人を殺し、女房を自殺に追いやるという、陰惨で、暗い殺人事件の話であ
る。それでも、雑誌を読んだ六代目菊五郎は、慧眼でこの演目の魅力を見抜き、上演を熱望
したという。雑誌発表から3年後、歌舞伎化されて初演となった。配役は、料理人・丑松
(六代目菊五郎)、女房・お米(男女蔵=後の、三代目左團次)ほかだが、脇役は、達者な
役者が揃っていたらしい。

丑松は、逃亡者である。主役は、逃げ続ける。しかし、この芝居は、集団劇の要素も濃いの
で、脇の配役が大事になる。この演目は、原作が長谷川伸だが、村上元三演出とある。大道
具、舞台装置が、細部まできめ細かく気を使われているのが判る。村上は、歌舞伎の魅力を
知り尽くしている。

芝居も見応えがあった。大道具の結果、役者の導線が豊かになっている。省略と抑制が効い
た場面と大道具の妙。新歌舞伎らしい音と光の演出。達者な脇役たちの演技。それが、この
陰惨な幕末の江戸の殺人事件劇を奥行きのある豊かな芝居に磨き上げたと思う。

「序幕」のお米母のお熊(橘三郎)。お米にちょっかいを出して噛み付かれる浪人者(團
蔵)。「二幕目」の杉屋妓夫の三吉(片岡亀蔵)は、丑松の酒の相手をする。出刃包丁を持
って妓楼に暴れ込む料理人祐次(松也)。「大詰」の岡っ引(権十郎)は、料理人元締・四
郎兵衛(左團次)の女房・お今(東蔵)殺しの丑松の後を追う。下帯一つで湯屋裏を飛び回
る湯屋番頭の甚太郎(橘太郎)など、印象を残す脇役が大勢出てくる。彼らの芝居の出来具
合で、奥行き、幅、味が出て来るかどうかが決まってくると言っても過言で無いので、脇役
を含めてちょっと詳しく書き留めておきたい。今回は、配役のバランスも良かった。私が観
た主な配役は、次の通り。

丑松:菊五郎(今回含め、2)、猿之助、幸四郎、橋之助、松緑。丑松女房・お米:福助
(2)、笑也、扇雀、梅枝、今回は、時蔵。四郎兵衛:段四郎(2)、彦三郎、弥十郎、團
蔵、今回は、左團次。四郎兵衛女房・お今:萬次郎、東蔵(お熊とふた役)、秀太郎、福
助、高麗蔵、今回は、東蔵(二役含め、2)。お米の母・お熊:鐵之助(2)、東蔵、歌女
之丞、萬次郎、今回は、橘三郎。料理人・祐次:八十助時代の三津五郎、歌六、染五郎、獅
童、亀寿、今回は、松也。杉屋の妓夫・三吉:松助、寿猿、錦吾、橘太郎(2)、今回は、
片岡亀蔵。岡っ引・常松:家橘、猿十郎、友右衛門、松江、亀三郎、今回は、権十郎。湯屋
の番頭・甚太郎:橘太郎(今回含め、2)、猿四郎、蝶十郎、橋吾、咲十郎。いずれも、筋
肉美の役者が勤める。こうして複数回の経年変化を見ると、橘太郎が、器用にいろいろこな
しているのが判る。

さて、場内暗転、まさに暗闇の中で芝居は始まる。序幕「浅草鳥越の二階」。江戸時代の庶
民生活では、夜は油代節約で、この程度の灯りで過ごしていたのだろうと推測される。本舞
台は、薄暗く、誰もいない。隣家の二階、斜め前の家の二階では、それぞれ男女が、うわさ
話をしている。そういう薄暗闇で蠢く科白で、いつしか舞台は進行して行く。陰惨で、暗い
話らしい、巧い幕開きだ。

この芝居では、丑松は、都合4人を殺すのだが、殺人の現場を舞台では直接的に描かない。
「本所相生町四郎兵衛の家」で、湯屋に行った四郎兵衛(左團次)の妻・お今(東蔵)が、
丑松に胸を刺されて殺される場面を除いて、いっさい、殺し場は、直接、観客には見せな
い。東蔵のお今は、料理人元締の内儀だが、太めで、色気に欠ける。私が見たお今では、福
助、高麗蔵辺りの、後ろ姿が色っぽいように思える。

例えば、序幕「浅草鳥越の二階」では、丑松女房のお米(時蔵)の母親のお熊(橘三郎)
が、丑松(菊五郎)と別れさせ妾奉公に出させようとして、お米を何度も折檻する場面は、
薄明かりの中で見せるものの、2階に幽閉されているお米の見張り役の浪人・潮止当四郎
(團蔵)とお熊が、階下で戻って来た丑松にそれぞれ殺される場面は、音だけで表現する。
橘三郎のお熊が良い。絞りの浴衣姿に白髪の丸髷。元は遊廓の新造ッ子育ち。娘を売って、
自分の老後資金にしたいのだ。

まず、お熊に頼まれて丑松を脅迫するため、2階にいた当四郎が、まず、階下に下りていっ
て丑松に殺される。戻って来ない当四郎を不審に思い、階下に様子を見に行ったお熊も殺さ
れる。ふたりを殺して、蹌踉として2階に上がって来た丑松の出で、ふたりが殺されたこと
を観客に推量させるという、なんとも憎い演出なのだ。歌舞伎の様式化された「殺し場」
は、ここにはない。

自首しようとする丑松の思いを押しとどめて、お米は、2階から隣家の屋根伝いに逃げるこ
とを勧める。いつの間にか、舞台下手の平屋の屋根屋根の上には、真ん円い月が皓々と照り
つけている。物干し場のある窓をがらりと開けると、昼間のように明るい月の光が、丑松と
お米の姿を白々と描き出す。皓々とした月光の下、屋根伝いに地獄の暗闇への逃避行に旅立
つ破戒男女。そこへ、上手から引幕が追っ手のように迫って来る。

二幕目第一場「板橋妓楼杉屋の見世」。逃避行の末、丑松は、お米を信頼する兄貴分の料理
人元締・四郎兵衛に預けておいて、更に長い旅に出た。「山坂多い甲州へ女は連れて行かれ
ねえ」と三千歳に言ったのは、直侍、こと、片岡直次郎。しかし、誰でも、女連れの逃避行
は出来ないのだろう。丑松にとっては、それが誤算だった。久しぶりに江戸に戻って来た丑
松は、江戸の入り口のひとつ、板橋宿で宿を取る。お米は、四郎兵衛に騙されて売られ、板
橋宿の妓楼「杉屋」で女郎になっていた。

宿場の妓楼の風俗描写がリアルで、見応えがある。様々な役を演じる脇役たちの演技も、内
実を感じさせる。二幕目第二場「板橋妓楼杉屋二階引付部屋」。偶然再会した丑松にお米
は、四郎兵衛に売り飛ばされたという事実を知らせるのだが、兄貴分を信用して、女房を信
用してくれない丑松に失望して、嵐の中、妓楼裏の銀杏の木で、お米は首吊り自殺をしてし
まった。ここでも、舞台では、死の現場は見せない。

この妓楼の場面では、上手の戸外の嵐、激しい雨の降り様が、光と音と役者の演技で描かれ
るが、それが、登場人物たちの心理描写に役立っている。これも、巧みな演出だ。

大詰第一場「本所相生町四郎兵衛の家」。四郎兵衛は若い料理人を何人も抱えた料理人の元
締。舞台下手、家の前には、「相四」と書いた傘が拡げて干してある。玄関の障子には、
「相生町四郎兵衛」と看板替わり。湯屋に行って留守の四郎兵衛卓に現れた丑松の目は、狂
気に燃えているようだ。

四郎兵衛の家から湯屋への場面展開前に、江戸の物売りのひとつ、笊を両天秤に担いだ笊屋
が、笊売りの売り声をかけながら舞台下手を通りかかり、そのまま暗転という、これも、ま
た、憎い演出だった。芝居の魅力の出し方を知り尽した村上元三ならではの演出だ。

また、大詰第二場「相生町松の湯釜前」では、風呂場で起きる四郎兵衛殺人事件も直接、
「殺し場」は描かずに、殺人の前後の人の動きで表現する。いわば、「影絵(シルエッ
ト)」の殺人事件の現場を、周辺の「余白」で推測させる演出を取っている。村上元三は、
余白、余情の演出の冴える人である。本舞台奥が、上手男湯、下手女湯。江戸時代の風呂場
は、柘榴口の奥の薄暗くて、湯気が籠った空間で見通しが悪い。そういう場が、殺し場にな
っているのだから、この演出は、正解だろう。

「釜前」では、湯屋の番頭・甚太郎(橘太郎)が、下帯一つの裸同然の格好のまま、薪を燃
やし、水を埋め、桶を乾燥させ、並べて整理する。その合間に、風呂場に呼ばれたり、下手
上部に設えられた屋根裏部屋の休憩所に階段を駆け上って入ったり、縦横無尽に巧みに動き
回りながらの熱演で、湯屋裏側の釜焚きの生活がリアルに描かれる。この場面を観るだけで
も、「暗闇の丑松」は、観る価値があると思う。こっそり、四郎兵衛を殺すために、終始無
言のまま、忍び入り、忍び出て行く丑松がいる。ポイントは、甚太郎の明るさと丑松の暗さ
が、対比されないといけない。

幕切れで、湯屋の犯行現場から逃走する丑松のおぼつかない、もつれるような足取りと同調
する形で、どんつく、どんつくと鳴り響く祈祷師の法華太鼓の音。これも効果的だ。序幕か
ら大詰まで、音の効果を知り尽した新歌舞伎らしい憎い演出が光る。回向院参の男女が、そ
の前に湯屋裏を覗いて行くという伏線の設定も、心憎い。村上原図の演出は、時代に錆び付
くことがない。いつもピカピカ、光っている。


「団子売」は、舞踊劇。8回目の拝見。幕末から明治期の作品。1901(明治34)年。
大坂御霊文楽座の人形浄瑠璃の景事(けいごと)が初演という。大坂の天神祭、舞台は、天
満宮に向かう天神橋側の広小路。太鼓の音も、コンチキチと祇園祭風に聞こえる。餅屋台を
担いだ夫婦ものが花道から登場。江戸時代に町中で餅を搗いたり、丸めたりしながら団子づ
くりの実演販売をする夫婦の様子を写した「景事」という演目。江戸時代に流行したという
商標の「影勝団子」(「飛び団子」とも言った)の売り子姿が売り物。

「団子売」の女房がお臼(孝太郎)。夫が杵造(芝翫)。夫の名前は、杵造あるいは、杵
蔵、女房の名前は、お福、あるいは、お臼などいろいろ。明るい所作事。杵と臼ということ
は、ひょっとことお多福という(踊りの中でも、この二つの面を使う)、男女の和合の噺。
餅を搗くという所作は、性愛を象徴するのに合わせて、五穀豊穣、子孫繁栄不老長寿(高砂
尾上)などを唄い上げる。
- 2019年2月13日(水) 22:12:23
19年2月国立劇場(人形浄瑠璃)・第三部「鶊(ひばり)山姫捨松」「壇浦兜軍記」


「躱(かわ)し方」の芝居



国立劇場2月人形浄瑠璃興行の第三部は、虐めの「躱(かわ)し方」の演目2題である。ま
ず、「鶊(ひばり)山姫捨松」は、1740(元文5)年、大坂の豊竹座で、人形浄瑠璃と
して初演された。400年に及ぶ人形浄瑠璃・歌舞伎の歴史の中で、三大演目を書いた合作
者グループの軸となった並木宗輔が原作者となった人形浄瑠璃「鶊山姫捨松」。この演目
は、奈良・当麻寺に伝わる中将姫伝説(当麻曼荼羅の発願者とされる中将姫は、継母による
虐めを受けて、鶊山に捨てられ、曼荼羅を織って、成仏をしたという)を元に、書かれた。
並木宗輔は、権力闘争の激しかった奈良時代の称徳天皇の時代背景の中に、伝説を再構築し
直して、皇位継承を巡る権力争いとそれに伴う家庭内の対立、という二重性の世界の中で、
虐められ、責められる子ども(姫)の話として、創作した。姫と言えども、継子虐めされ
る、というわけだ。実の父母でも、我が子を虐める事件が、社会的にも問題になっている昨
今、並木宗輔の問題意識は、全く錆びついたりしていないのである。

贅言;中将姫伝説といえば、近代以降では、釈迢空(折口信夫)の『死者の書』という、幻
想小説で知られるかもしれない。


「中将姫雪責の段」


「鶊(ひばり)山姫捨松」のうち、「中将姫雪責の段」は、三段目。右大臣藤原豊成の一人
娘・中将姫と言えども、後妻・継母の岩根御前による虐めは、堪え難い。父親は、母親に
は、なにも言わない。政治的な権力は持っていても、家庭内で、発言力を持たない、無力な
父親と横暴な継母に挟まれて苦しむ子どもという構図は、現代でも見受けられる。

芝居の背景となる人間関係は、次の通り。
長屋王子は、称徳天皇の後に、実子の春日丸を皇位に着けようと企んでいて、最後は、野望
を実現させる。大弐(だいに)・藤原広嗣と春日丸の乳母という立場から右大臣藤原豊成の
後妻に入った岩根御前のふたりは、長屋王子派である。

中将姫の父親・右大臣藤原豊成は、称徳天皇派である。つまり、中将姫の「両親」は、実父
は、天皇派で、継母は、王子派と、それぞれ分かれて争っている。

中将姫に仕える「桐の谷(や)」(豊成卿の家臣・晴時の妻)は、中将姫の味方である。一
方、同じ豊成卿の家臣・景勝の妻で、同僚の「浮舟」は、岩根御前に肩入れしているらし
い。後の伏線で、前半では、「肩入れ」ぶりが強調されているので、注意。

長屋王子は、天皇を呪詛してまで、退位させようとするが、中将姫が、天皇から預かってい
る仏像(観音)が、それを妨害しているらしい。そこで、王子は、岩根御前を使って、仏像
を盗ませる(その結果か、長屋王子派、野望を実現させることになる)。岩根御前は、継子
である中将姫が、好きではない。憎んでいる。天皇の大事な仏像を「紛失」した責任を中将
姫に取らせようとする。岩根御前が、仏像を盗んだことを中将姫は、感づいているようだ
が、継母とはいえ、母親なのだから、と岩根御前のことを庇っているらしい。それも、「余
計なお世話」で、岩根御前には、気に入らない。継母は、無実の中将姫を幽閉している。し
かし、父親の豊成卿は、見て見ぬ振り、何も言わない。ある冬の寒い日、継母は、中将姫を
雪の積もる庭先に連れ出し、折檻しようとする。岩根御前は、中将姫に虚偽の白状をさせる
と言うより、己らの犯行を感づいたらしい、邪魔な継子を殺そうとしているのである。そう
いう前提を理解した上でないと、舞台でクローズアップされる「雪責め」の場面が、判りに
くいかもしれない。

竹本の「前」は、靖太夫、三味線方、錦糸。
まず、幕が開くと、藤原豊成館。中央奥上手の障子の間(仏間)から、浮舟が、登場。続い
て、下手廊下から、桐の谷(や)が、姿を見せる。桐の谷と浮舟が、中将姫と岩根御前の立
場で、いわば「代理戦争」をしている。桐の谷「また、継母が邪魔したか」。浮舟「仏のよ
うな御台様を、仮初にも継母呼ばはり」。その様子を見ていた岩根御前が、桐の谷を追い払
い、浮舟を我が部屋へ入れる。そこへ「御入り」の知らせで、やって来た大弐(だいに)・
藤原広嗣(大弐=太宰府の筆頭「次官(すけ)」(ナンバー2のポスト)に左遷され、称徳
天皇を恨んで、皇位継承に全てをかけている。いわば拗ね者)も、岩根御前の肩を持ち、姫
殺しを提案する(拗ね者の奸計)。表向きは、仏像紛失について被疑者として、調べている
うちに、中将姫を凍死させてしまったという「絵」を描いている。「割竹持つて姫をこれへ
引つ立て来れ」。

この後、竹本は、「奥」になる。千歳太夫。三味線:富助。胡弓:錦吾。「あら労しの中将
姫/七日七夜は泣き明かし明くる八日の朝の雪、我を責め苦の種となり」で、中将姫は、俯
いた「赤姫」として、上手から登場する。庭先に引きずり出された姫は、赤い着物を剥ぎ取
られ、雪の中、薄着のまま、奴たちに割竹で打たれる。追い払われながらも、下手から庭の
門口に駆けつけた桐の谷が、締め切られた門(枝折戸)の外から自分の着ていた打ち掛けを
脱いで、外から中将姫の近くへ投げ込む。岩根御前は、更に、いきり立ち、御殿から庭先に
降り立ち、自ら姫を打擲し始める。桐の谷は、枝折戸を蹴破って、止めに入る。浮舟は、岩
根御前をかばって、桐の谷に打ちかかる。またもや、ふたりの争いになる。

ふたりの争いを止めようと割って入った中将姫。彼女の急所に竹が当たってしまい、姫は、
「ウンとばかりに息絶えたり」。「姫が亡くなった」と言い立てて浮舟が、狼狽えて騒ぐ
と、継母の岩根御前も、広嗣も驚く。「豊成公へ知れぬうち、拙者はお暇」(広嗣)、「自
らも宿には居ぬふり」(岩根御前)と、ふたり揃って、逃げ出してしまう。虎の威をかる連
中の、底の浅さよ。宗輔は、そう言いたいのだろう。

ところが、ここで、どんでん返しがある。浮舟「そもじと私が仲悪うして見せたのでうまう
ま一ぱい参つた猫又婆」。中将姫「そなた衆が教えた通り死んだ振りをしてゐたが、後で知
れても大事ないかや」。ふたりの対立は、いわばフェイクニュース。浮舟、桐の谷の「共
闘」で、姫を鶊山へと隠れ、逃す作戦だったのだ。昨今流行りの親からの虐めの躱し方、一
つの回答が時空を超えて提示される。

ふたりが、中将姫を守りながら下手から逃げようとする時になって、やっと現れた中将姫の
実父・豊成卿は、春日丸に皇位が譲られた今、春日丸の父親・長屋王子に与する妻の岩根御
前を批判すれば、称徳前天皇の立場が悪くなると懸念して見て見ぬ振りをしていたのだ。豊
成卿は、改めて、ふたりに中将姫のことを託して、鶊山への隠匿を願うのであった。今更、
何を!

「親ぢやもの、子ぢやもの、心の内の悲しさは鉛の針で背筋を断ち切らるゝもかくやら
ん」。言い訳も、手前がって。うるさいだけ。なんという、ダメな父親か。

人形遣いは、中将姫が、女形遣いのベテランで人間国宝の箕助。他の人形遣いが黒紋付姿な
のに対して、ひとり違う衣装を着ている。格が違うという演出なのだろう。代理戦争をする
ふたりのうち、浮舟が、紋臣。桐の谷が、一輔。岩根御前が、簑二郎。広嗣が、清五郎。豊
成卿が、玉也。首(かしら)は、浮舟と桐の谷は、老女方。岩根御前は、八汐。中将姫は、
娘。豊成卿は、孔明。広嗣は、陀羅助。

岩根御前は、中将姫を激しく虐め抜く。行儀の良い中将姫は、それを受けながらも、静かに
苦しむ。寒さにも、打擲の痛さにも、耐える。姫と言えども、継子虐めされる。綺麗で、可
哀想なお姫様。被虐の美学のテーマとして、その後も、いろいろなメディアで描かれてき
た。


木の節の指を遣って、三種の楽器を演奏するように見せる妙味


虐めの「躱(かわ)し方」の演目2題目は、「壇浦兜軍記」。「壇浦兜軍記」は、1732
(享保17)年、大坂・竹本座で初演。文耕堂、長谷川千四の合作。翌年、歌舞伎化され
た。全五段に時代物だが、「琴責」という趣向で人気演目となり、この場面のみが、伝えら
れた。歌舞伎では、六代目歌右衛門、それを引き継いだ玉三郎が、長年、五条坂の遊君・阿
古屋を演じてきた。去年から、若手の梅枝と児太郎が玉三郎の指導を受けて、演じ始めた。
胡弓の演奏が難しいからだと言われてきた。

人形浄瑠璃「壇浦兜軍記」では、人形遣いたちは、どの人形も主遣いは皆、肩衣を付けてい
る。中でも、阿古屋を操るのは、「出遣い」で、皆、顔を見せている。阿古屋の主遣いは勘
十郎、左遣いが一輔、足遣いは、人形の足元にいる故に判定できず(主遣い以外は、とも筋
書に名前なし)。舞台は、堀川御所。源氏方笹竜胆の家紋が光る。勘十郎は、肩衣の文様も
派手で、格の違いを示す肩衣と衣装を着けている。そのほかの人形遣いは、次の通り。秩父
忠重:玉助。岩永左衛門:文司。榛沢六郎:玉翔ほか。

竹本は、阿古屋が津駒太夫、重忠が織太夫、岩永が津国太夫、榛沢が小住太夫、水奴が碩太
夫の掛け合い。三味線方は、清介、ツレ清志郎、三曲寛太郎。

この演目のテーマは、一つは「女は強し」で、平家の残党で恋人(事実上の夫)・景清の行
方を追及された阿古屋は、堀川御所禁裏守護職の知将・秩父重忠(人形遣いは玉助)の妙策
「琴責」(「琴、三味線、胡弓」の演奏ぶりで、供述を得よう)という奇抜な趣向の妙手の
狙いをくぐり抜けて、心の動揺も見せずに、景清を守り抜く。この妙手も、考えれば、判決
という、一種の「虐め」の「躱(かわ)し方」という、もう一つのテーマを隠しているかも
しれない。

まあ、それだけの場面。切場でもないのに、人形による三種の楽器の演奏ぶり(舞台から離
れた床の「末席」で寛太郎が、演奏を担当する)で、人気の場面になっている。木の節で繋
がった人形の指が滑らかに楽器を演奏しているように見せる妙味があるからだろうし、琴、
三味線、胡弓の三曲演奏の素晴らしさもあるだろう。特に、胡弓の演奏では、寛太郎の独演
会の体(てい)。勘十郎といえども、人形の木の節の指を遣っての演奏では、追いつけてい
けていないと思われる。

阿古屋は、琴の演奏では、「菜蕗(ふき)」で、懐かしい夫との馴初めを伝えながら、夫の
行方は知らないと主張する。「影といふも、月の縁。清しといふも、月の縁。かげ清き、名
のみにて、映せど、袖に宿らず……」。

重忠「シテ景清とその方が馴初めしは」と問えば、阿古屋「何事も昔となる恥づかしい物
語」で、黒地にカラフルな牡丹が描かれた打ち掛けを脱ぎ、帯を解き、細引き一つのエロチ
ックな姿になる。

阿古屋の色気に負けぬ重忠「聞き届けしが詮議は済まぬ。この上は三味線を引けい」。次い
で、三味線の演奏で、「班女」を取り上げ、「翆帳紅閨に、枕並ぶる床のうち。……、それ
ぞと問ひし人もなし」、独り寝の寂しさを表わす。

さらに、胡弓の演奏では、「相の山」「鶴の巣籠」で、「夢と覚めては跡もなし」、夫を思
う切なさを奏でる。三種の楽器の演奏の世界に没入し、知将・重忠の陥穽に陥らないように
阿古屋はしたのだろうと思う。エロチックな姿になったのは、重忠を悩ますという意図より
も、景清との寝間の思い出をかきたてる己への作戦だったのではないか。

重忠「阿古屋が拷問只今限り。景清が行方知らぬと云ふに偽りなき事見届けたり。この上に
は構ひなし」で、体を張っての抵抗で阿古屋は、無罪放免される。
権力の持つ虐めをか細き女性が吹きはらった、という場面。

贅言;寛太郎の演奏は、勘十郎の演奏場面の阿古屋の操りぶり、特に、手や指の動きは、観
客の素人目には、人間も人形も同じように見えていることだろう。

前半では、重忠の家臣・榛沢六郎(人形遣いは、玉翔)が、阿古屋を詮議するが、重忠と同
席に並ぶ岩永左衛門が、手ぬるいと決めつける。「知らぬ事は是非もなし。……、いっそ、
殺してくださんせ」と身を投げ出す阿古屋。阿古屋は、口では、そういう科白を吐くが、ど
うしてどうして、辛抱強い。「いっそ、殺して」は、人形浄瑠璃や歌舞伎の科白の常套句
で、よく耳にする。そこで、重忠は、先の「琴責」を思いつくという段取り。

阿古屋の演奏ぶりが見せ場だが、物語的には、これで終わりというそれだけの場面。実は、
今回、この演目の歌舞伎にはない人形浄瑠璃のおもしろさを発見した。岩永左衛門がおもし
ろいのだ。だから、この演目を歌舞伎で演じる場合は、岩永は、人形ぶりという、コミカル
な演出が取られる。

「琴責」の前に、岩永は「阿古屋めに水喰らはす用意用意」と呼ばわっていたが、重忠が
「玉琴、三味線、胡弓」を持って来させると、「コリヤなんぢや」と嘲弄する。それなの
に、阿古屋の演奏が次々と披露されるとその演奏に乗って阿古屋の演奏ぶりの真似をした
り、奏でられる音楽に感心して聞き入ったりする仕草をする。胡弓の演奏ぶりの真似では、
近くにある火鉢と火箸を使って夢中になって演じ出す。阿古屋の演奏をなぞるような動作を
続けて、客席から笑いを取っていた。

岩永の人形遣いは、分司。その操りは、岩永の「邪智佞奸」よりも、「虎の威を借る狐」の
滑稽ぶりを強調しているように思えて、おもしろい。人形ぶりより、人形そのものがおもし
ろい、というわけだ。

竹本の床本には、「岩永は拍子もなく調子も乗らぬ三味線の、…… 秩父は正しき本調子」
とあるばかり。拷問、陣門という、非情な場面で、この演出は楽しめる。秩父重忠を操る玉
助は、重厚な人形を使う。動きが少ない。
- 2019年2月11日(月) 13:31:34
19年2月国立劇場(人形浄瑠璃)・第二部「大経師昔暦」


「過ち」の芝居 〜「猫の恋」の果ての悲劇〜


今月の国立劇場の人形浄瑠璃興行は、「過ち」の芝居が続く。第一部の「桂川連理柵」で
は、隣同士の少女と妻帯者の中年男との、ふとした過ちによる情事とその果ての心中事件
が、扱われる。第二部の「大経師昔暦」では、浮気な夫を懲らしめようと、ちょっとした仕
掛けを作ったばっかりに、愛のない情事に巻き込まれた人妻の話。史実の密通事件を元にイ
メージを膨らませたフィクショナルな芝居。

まず、大経師事件の史実と創作を整理しておこう。事件は、1683(天和3)年に起き
た。京の四条烏丸にある朝廷御用(つまり、皇室御用達)商人の大経師(経巻や仏画などの
表装をする経師屋の元締で、毎年新しい暦を作る独占権を認められ、新年の暦は朝廷にも納
めていた)・以春の女房・おさんと手代の茂兵衛とが「密通」をしたとして、その仲立ちを
した下女のお玉とともに、三人が処刑された、という。この史実の事件を元に、三十三回忌
に因んで、1715(正徳5)年、近松門左衛門が原作を書いた。

芝居では、史実の事件の翌年、貞享新暦の頒布された1684(貞享元)年の11月1日
(新暦を売り出すのは、陰暦11月、霜月朔日(1日)という古例=決まりだったらしい。
芝居の顔見世興行が、今も、京都南座で行われるが、この顔見世は芝居界の正月、向こう1
年間、この芝居小屋では、こういう顔ぶれの役者と契約したから、観に来てね、というメッ
セージを送る。11月が、正月である、という遺訓が生きている)に事件が設定されてい
る。井原西鶴も、1686(貞享3)年に刊行した「好色五人女」で、この事件を取り上
げ、おさんは、不義に耽るふてぶてしい女性として、描いている。

これに対して、近松は、世事にうとい若女房の「意図せぬ姦通」で、罠に嵌ったような、人
違いで起きた姦通事件(妻だけが罰せられる。夫は、犯罪の対象にならず、最初から無罪、
というのが、「姦通」時代の掟であった)として、事件に巻き込まれた家族の苦悩という、
社会性を付加して描いているところに特色がある。近松の凄さ、時空を超えた現代性。

「大経師昔暦」、通称「おさん茂兵衛」は、近松門左衛門原作で、1715(正徳5)年、
大坂竹本座の初演。近松が、1684(貞享元)年の貞享新暦の頒布を軸に作った作品「賢
女手習并新暦(けんじょのてならいならびにしんごよみ)」を書いた30年後に、新暦の大
経師関連の作品として書いたので、前作と区別して、「昔暦」という外題になったと推定さ
れている。

人形浄瑠璃は、10年2月、国立劇場で観ているので、今回で2回目。歌舞伎と人形浄瑠璃
の演出の違いを書き留めておきたい。

今回の場面構成は、次の通り。「大経師内の段」、「岡崎村梅龍内の段」、「奥丹波隠れ家
の段」。

「唐猫が男猫よぶとて薄化粧」とは、「大経師内の段」竹本の語り出しの言葉。
「大経師内の段」では、中央から上手に店内(店先から座敷へと続いている)と下手、玄関
の外に、隣の2階建ての空き家(屋根続き)。新暦の頒布で忙しい店内が、描かれる。主
(おも)手代(つまり、番頭)の助右衛門が、口やかましく、皆を指揮している。店の主人
の以春(「春を以ては色香に鳴る」と床本には、伏線がある)は、未明から御所などへ献上
の暦を配り歩き、酒を飲まされた疲れが出て、帳場の隣の茶座敷の炬燵に下半身を突っ込ん
で、寝ている。茶座敷上手から、のんびりと猫を抱いて登場する若妻のおさん。「源氏物
語」で、柏木と「密通」した女三宮(「昔の女三宮」と床本にある)を連想させる、巧みな
イントロダクション。さすが、インテリ・門左衛門。

配役は、「大経師内の段」では、竹本の「中」が、希太夫、三味線方が、清丈(丈の右肩に
「、」が付く)。「奥」が、文字久太夫、藤蔵。

「岡崎村梅龍内の段」では、竹本の「中」が、睦太夫、友之助。「奥」が、呂太夫、團七。

「奥丹波隠れ家の段」では、竹本の茂兵衛と梅龍役が、三輪太夫。おさんと助右衛門が、南
都太夫。万歳と役人が、咲寿太夫。通しで、三味線方は、清友。

主な人形遣いは、おさんが、和生。お玉が、簑紫郎。助右衛門が、勘市。胃旬が、玉勢。茂
兵衛が、玉志。梅龍が、玉也。おさんの父親・岐阜屋道順が、勘壽。おさんの母が、簑一
郎。万歳が、玉誉。役人が、亀次。

主な人間関係を整理しておこう。大経師主人で、おさんの夫の以春は、隙さえあれば、下女
のお玉に「抱きついたり袖引いたり」する、セクハラ男で、日頃から「引き窓の縄を伝ふ
て」お玉の寝所へ夜這いを仕掛ける浮気者。手代の茂兵衛は、お玉に好かれているが、茂兵
衛は真面目一方の性格で、取り合わない。

店に訪ねて来た実家の母親におさんは、借金を申し込まれる。夫に相談できないおさんは、
茂兵衛に主人に内密で店の金を融通してほしいと頼む。茂兵衛は、おさんのために、主人の
印を無断で使用する。その場面が、店の主手代の助右衛門に見つかる。助右衛門の口から主
人にばれても、茂兵衛は、真相を明かさない。おさんに頼まれたとは、口が避けても言えな
い茂兵衛。男気がある。

お玉は、下女ながら、おさんに姉のように慕われている。さらに、主人の印判の無断使用
は、自分が頼んだことと窮地の茂兵衛に助け舟を出して、庇う。お玉に気がある主人の以春
と番頭格の助右衛門は、仲が悪い。助右衛門は、もてもての上、仕事もできる茂兵衛に憎し
みを募らせる。以春は、お玉との情事の邪魔となる茂兵衛を隣の空き家の2階に閉じ込める
とともに、お玉と茂兵衛の仲を疑うようになる。助右衛門も、おさんに下心があり、茂兵衛
に辛く当たる。真面目な茂兵衛は困惑する。

「大経師内の段」の役割は、「おさん・茂兵衛・お玉」対「以春・助右衛門」という関係図
を浮き彫りにさせることである。

おさんは、世間知らずの若妻。主人の以春は、二重人格の上、しみったれである。手代の茂
兵衛は、実質的に店を支えている実直な若者。下女のお玉は、気の効く下女。中年キラーで
もある。主手代(番頭)の助右衛門は、「助兵衛」の「助」の字の付いた嫌らしい人格、三
枚目の道化仇の役どころ。人形浄瑠璃は、こうした配役の性根を人形の類型化された首(か
しら)で表現する。例えば、「大経師昔暦」では、おさんは、年上の女の首である「老女方
(ふけおやま)」を使う。下女お玉は、若々しく「娘」。助右衛門は、「三枚目」。以春
は、「陀羅助」。茂兵衛は、色男の代名詞「源太」である。

お玉を庇うために、以春のお玉への夜這いを懲らしめようと、おさんは、お玉の身替わりを
買って出て、お玉の寝所で待ち構えている。ところが、茂兵衛も、窮地を救ってくれたお玉
に感謝しようと隣の空き家の2階から、屋根伝いに抜け出し、天窓(引き窓)から、お玉の
寝所に忍んで来る。「一生に一度肌をふれて、玉が思ひを晴らさせ、情けの恩を送らん」と
は、茂兵衛の科白。今回特別にセックスする代わりに感謝の気持ちを感じて欲しい、という
心。まるで、猫の恋のイメージ。この場面、2階から屋根伝いに忍び込む茂兵衛の人形は、
一人遣いで、操っているように見える。天窓を抜けて、大経師宅の母屋に入るときには、本
来の三人遣いの玉志らが、下で待っていて、茂兵衛の人形を受け取って、引き継いだ。

だが、おさんと茂兵衛は、互いに、相手を以春、お玉と思い違いをしたまま、情を通じ(セ
ックス)てしまう。「肌と肌とは合ひながら、心隔つる屏風の中(うち)、縁の始めは身の
上の、仇の始めとなりにける」。情事が、意外な展開を生む。以春の帰還の声に応じて、
「目を覚まし」て、主人を迎える助右衛門の持って来た行灯が、店先に近い下女の寝所(茶
の間の隅で、四尺屏風で区切られているだけ。ライバシーも何もない)での、おさん茂兵衛
のふたりの、あられもない姿を闇に浮かび上がらせる。

「ヤアおさん様か」 
「茂兵衛か」
「はあ」
「はあゝ」

(幕)

竹本では、珍しく、太夫の語り(語り終わりと次の語り始めは、いずれも、途中の文言で
「繋ぐ」というのが、竹本のルール)ではなく、科白で段の幕切れになる。

こうして、「密通事件」は、発覚する。この段では、人形遣いは、主遣いも含めて、黒い頭
巾をすっぽりと冠っていて、顔を出していない。今回の興行は、主遣いも前半顔出し無し、
後半から顔出し。

贅言:人形浄瑠璃では、寝ていて、「目を覚まし」ただけの助右衛門だったが、前に観た歌
舞伎では、この場面は、もっと、露骨に描いていた。再録すると……。

*もうひとり、裏手からお玉の部屋に夜這いをかけたのが、(「不意を夜討の素肌武者、玉
をねらいの夜這い星」の)助右衛門(歌六)で、彼は、屋根から天窓を開けて忍び込むが、
下帯に襦袢一枚で忍び込む際にむき出しの尻を客席に向けるなど、最近の歌舞伎では珍しい
大胆な演出を歌六は見せていた(最近の歌舞伎では、くしゃみや胴震いなど、「薄着」を強
調する程度)。歌六の意欲が知れる。お玉の部屋に近付いた助右衛門は、部屋のなかの、男
女の密事の声と音に聞き耳をたてる。やがて、店先から「旦那のお帰り」という声。慌てて
逃げ出す助右衛門。

歌舞伎では、人形浄瑠璃の「大経師内の段」を「大経師宅」の場面を細分化して、「算用場
及茶座敷」と「お玉の部屋」(天窓付き、下手隣の空き家に2階があり、母屋の天窓とは屋
根続き。さらに、後段で、舞台が、「半廻し」されると、お玉の部屋の外が、現れて来る)
を分けていた。「算用場」とは、店の帳場のこと。人形浄瑠璃の「大経師内の段」では、
「算用場」、(店先の)「お玉の部屋」、上手の(炬燵のある)「茶座敷」がひとつの舞台
になっている。

ここでの芝居の大筋は、人形浄瑠璃も歌舞伎も、ほぼ同じ。この後が、歌舞伎では、「お玉
の部屋」の外での展開となるが、人形浄瑠璃では、お玉の伯父の赤松梅龍(岡崎村在住の浪
人で、講釈師)の家の場面「岡崎村梅龍内の段」となる。梅龍宅には、「太平記講釈赤松梅
龍」の行灯が掛かっている。この段から、人形遣いの、主遣いは、顔を見せる。先に触れた
ように、おさんを遣うのは、人間国宝の和生。茂兵衛は、玉志。お玉の伯父・梅龍は、玉
也。おさんの実父・道順は、勘寿。

あの夜以来、おさんと茂兵衛が、姿を消してしまったので、ふたりの「密通」を手助けした
お玉も同罪だからと、助右衛門が、お玉を縛って、駕篭に乗せて、お玉の請け人である岡崎
村の伯父のところに護送されて来た。元武士の梅龍は、大経師といえども、町人の分際で、
お玉に「本縄」をかけたと怒りだし、助右衛門を打ち据えて、下手へ追い払う。

岡崎村へ、お玉を心配して、おさんと茂兵衛も、梅龍宅に様子を見にやって来るが外から中
(うち)を窺うだけ。梅龍は、お玉に、「おさんと茂兵衛とは、もう、逢うな」と説教をし
ているのが、外にも漏れ聞こえる。さらに、おさんの両親も、駆けつけて、ふたりに逃亡の
路銀を渡そうとする。おさんと茂兵衛は、茂兵衛の故郷、丹波の柏原に逃げ延びようと決心
する。外の物音に気づいて、梅龍宅の潜り戸を開けて出て来たお玉。月光が、映し出した3
人の影は、物干しの柱などを利用した巧みな演出で、磔にあった科人たちのように白い塀の
壁に映し出される。この段の「奥(切)」の語りは、呂大夫。

ここは、歌舞伎では、大経師宅のお玉の部屋の外の場面に展開をし、「大経師宅 裏手」。
廻り舞台が、半廻しされる。岡崎村は、出てこない。お玉の部屋の場面の奥に、屋根などが
見えていた件の白壁の蔵と物干が出て来る。滑稽な格好で、外へ外へと逃げ出す助右衛門の
姿が、消えると、あられもない格好の寝巻き姿のおさんと茂兵衛が、裏手へ飛び出して来
る。(「仇の始めの姦通(みそかごと)」「そなたは茂兵衛」「あなたはおさん様」)そこ
で、初めて、月明かりにお互いを確認し、不義密通の罪を犯したことを知るという展開。逃
避行を決意するふたりで、幕。歌舞伎の台本を見ると、

*(竹本)
二人見送る影法師、軒端に近き物干の、柱二本に月影の、壁にありあり映りしは、

ト月の光で白壁に、物干の柱におさん茂兵衛の姿が磔のように写る。

おさん  あれ二人の影が。
茂兵衛  オオ、アリャ磔に、おさん様。
おさん  茂兵衛。

ト両人慄然とする。

これに対して、人形浄瑠璃の床本では、

おさんが、両親を見送る場面で、

* (竹本)
二人見送る影法師、賤が軒端の物干しの、柱二本に月影の壁にありあり映りしは、憂き身の
果ては捕らはれて、罪科逃れぬ天の告げ(略)
玉は潜り戸開け、顔差し出だすその影の、同じく壁に映りけり

ということで、歌舞伎は、「大経師宅裏手」で、物干の2本柱を巧みに使って、月光の自然
な形で、影を作り、おさん茂兵衛のふたりの磔のイメージを強調していたのに対して、人形
浄瑠璃では、「岡崎村梅龍宅の外」で、おさん茂兵衛に、お玉を加えて、影というより、シ
ルエットで、3人の磔のイメージを強調する(プロジェクターを使ってくっきりと、という
印象であった)という違いがある。この場面は、歌舞伎の方が、情感があり、私は、好き
だ。

この演出は、原作段階からあったのだろう。名作歌舞伎全集の、江戸時代のものと思われる
挿絵にも、磔の影絵が、描かれている。江戸時代の演出ならば、蝋燭で、影絵の演出してい
たことになる。だとすれば、3人の影は、いまよりも、大きくて、風に揺らいでいたかも知
れない。

歌舞伎では、おさん茂兵衛の花道からの逃避行で、幕となるが、人形浄瑠璃は、さらに、
「奥丹波隠れ家の段」が、続く。

茂兵衛の故郷・丹波柏原の隠れ家。おさん茂兵衛が、密かに、身を隠して、暮らしている。
初春の門付芸人の万歳が、やって来る。万歳は、ここでは、キーパーソン。大経師の内儀と
して、おさんの顔を知っていたのだ。「天網恢々疎にして漏らさず」で、おさんは、逃避行
がバレてしまう。おさんは万歳に口止め料を渡すが、外出先から戻って来た茂兵衛は、すで
に、京から、我らを捕縛するために役人が来ていて、間もなく、この隠れ家にやって来ると
告げる。

役人に捕まったふたり。そこへ、お玉の伯父の梅龍が、早駕籠に乗李、お玉の首桶を下げ
て、下手から駆けつけて来る。すべての罪は、お玉にある、おさん茂兵衛に、不義は無いと
梅龍は、主張するが、お玉が、殺されてしまったので、それを証明する証人がいなくなっ
て、ふたりの無実の証明が出来ないことになる。役人「ハア、早まられた梅龍、この両人の
囚人は科の実否定まらず、京都において媒の女のその玉を証拠に詮議あらば、事の次第明ら
かに顕れ、両三人とも助かる事もあるべきものを」と、言うではないか。

歌舞伎、人形浄瑠璃とも、それぞれの思いで、原作を変えて、演出の工夫をして来たのだろ
うが、大本の設定をしたのは、近松門左衛門で、彼の作劇の見事さは、なんら、損なわれな
い。

夫の浮気を懲らしめようと、自ら仕掛けた罠に陥り、意図せぬ姦通の罪を犯すおさん。お玉
への感謝の気持ちが、おさんとの、意外な姦通に繋がる行動をとってしまった茂兵衛。おさ
んに対する同情から、姦通の仲立ちの罪に問われるお玉。皆々、善意の人たちが、結果的に
犯す罪。喜劇から、悲劇へ、奈落を一気に落ち込む人々。時空を超えて迫って来るドラマチ
ックな展開は、印象的で実に素晴しい。名作である。

さて、今月の国立劇場、第三部は、「責め」の芝居。私は、一気に1日通しで、第一部から
三部まで、国立劇場で過ごしたが、東京の人形浄瑠璃興行では、珍しく、結構、空席が目立
った、ように感じた。
- 2019年2月10日(日) 17:48:42
19年2月国立劇場(人形浄瑠璃)・第一部「桂川連理柵」


今月の国立劇場(小劇場)の人形浄瑠璃興行は、三部制。第一部「桂川連理柵(かつらがわ
れんりのしがらみ)」は、幼い聖少女と中年男の「邪恋」が引き起こす悲劇が描き出され
る。この演目を人形浄瑠璃で観るのは、今回で3回目。いずれも国立劇場で、10年09
月。15年5月。そして、今回が、19年1月、というわけだ。今回の場面構成は、10年
9月と同じで、「石部宿屋の段」「六角堂の段」「帯屋の段」「道行朧の桂川」という構
成。「石部宿屋の段」は、1968(昭和43)年に190年ぶりに復活された。15年
は、ラブフェア発端となる「石部宿の段」が省略されていたが、この場面は、必要な場面で
あろう。

「桂川連理柵」は、大人で、物わかりの良い妻と中年のダメ男の夫というカップルに、小悪
魔の、ぴちぴちした聖少女、阿呆な丁稚がからむ「四角関係」の物語とでも、言えば、判り
易いかもしれない。

1761(宝暦11)年に、京都の桂川に流れ着いた50男と10代後半の娘の遺体という
実際の出来事をもとに、人形浄瑠璃や歌舞伎が作られた。江戸期のワイドショーに登場する
ように、舞台で演じられた男女関係の「連理」(欲望)と家庭環境の「柵」(抑制)から引
き起こされた恋愛悲劇。原作者は、お染・久松もので知られる菅専助。初演は、1776
(安永5)年、大坂の豊竹此吉座の人形浄瑠璃。

まず、竹本の太夫と三味線方たち。
「石部宿屋の段」では、芳穂太夫、亘太夫。勝平、錦吾。「六角堂の段」では、お絹:希太
夫、長吉:咲寿太夫、儀兵衛:文字栄太夫。團吾。「帯屋の段」、「前」が呂勢太夫、清
治。「切」が咲太夫、燕三。「道行朧の桂川」では、大勢出てくる。お半:織太夫、長右衛
門:睦太夫。小住太夫、亘太夫、碩太夫。宗助、清馗、清公、燕二郎、清允。

主な配役と人形遣いは、次の通り。帯屋長右衛門が玉男、隣の娘・お半が清十郎、女房・お
絹が勘彌、義弟・儀兵衛が玉佳、父親・繁斎が玉輝、義母(後妻)・おとせが勘壽、長吉が
文昇。人形遣いは、前半は、三人とも全身黒ずくめの姿で登場する。

「石部宿屋の段」。まず、宿屋の場面に入る前に、街道筋の件(くだり)がある。京都の一
つ手前の石部宿。舞台は野遠見。黄色い稲穂が重たい田圃の風景、間に、緑の松が見える。
松並木の街道。伊勢参りの帰りの京都虎石町の信濃屋の一人娘・お半と遠州戻りの隣の帯屋
の養子・長右衛門が偶然出会った。一緒に帰京することになり、まずは、石部宿の旅籠・出
刃屋に同宿することになる。

書割の野遠見が上がると、出刃屋の場面。竹本は、芳穂太夫のみ残り、以後、一人語り。お
半は、18歳になっても未だに丁稚の長吉、さらに下女のりんが同行。長右衛門は、ひとり
旅。宿が一緒になったことで、お半と長右衛門の、後の悲劇が、生まれる。お半は長吉らと
同室だが、長吉がお半に言い寄るので、夜明け前、部屋を抜け出して、長右衛門の部屋に逃
げ込む。舞台では、この場面の前に出刃屋の亭主・九右衛門が、出てきて、従業員を起こ
し、朝食など朝立ちの準備を呼びかけるので、時刻が知れる。

上手、障子の間に泊まった長右衛門は、当初は、お半を子どもだと思う大人の理性で対応し
ていたが、自分の布団に潜り込んできたお半と同衾中、セックスをしてしまう。お半を探し
て起きてきた長吉は、「得ならぬ音」を聞きつけて、長右衛門の部屋の外から障子に穴を開
けて、ふたりの情事を目撃したから、さあ、大変。覗きながら、2回も、左足を逆に真上ま
で上げてしまう。怒り心頭の長吉は、長右衛門の預かり物の脇差の中身を自分の脇差とすり
替えてしまう。

「六角堂の段」では、長右衛門の妻のお絹が、お百度参り。夫婦円満を祈願に来ている。夫
の不始末の後処理にも知恵を巡らそうとする。父親の後妻の連れ子で、義弟の儀兵衛が、義
兄である長右衛門の不始末を利用して、長右衛門の追い落としを図ろうとしているのを知っ
ている。その儀兵衛がやって来て、お絹にお半の長右衛門に宛てた手紙を見せる。儀兵衛と
その母親のおとせの思惑通りにさせてしまえば、長右衛門とともに、夫婦連れということ
で、自分も、追い出されかねないという事情もあるだろう。儀兵衛は、色も欲もということ
で、お家乗っ取りとあわせて、お絹にも関係を迫ってきているのであるから、余計、何とか
せねばならないと思っている。

そこへ、隣家の信濃屋の丁稚・長吉も店の使い、とかで現れる。お絹は、長吉から石部宿の
旅籠での出来事を聞き出す。お絹は、長吉がお半は自分の女房だと言い張るように仕向け
る。お半と夫婦になりたいのなら、と知恵を授け、石部の宿の出来事は、お半と長右衛門で
はなく、長吉とであったと言いふらせば、必ず、お半と夫婦になれると諭す。さらに、ふた
りで暮らせる準備ができるようにと、支度の金まで渡す。長吉は、ころっと、その手に乗っ
てくる。すっかり、その気になって店に帰る長吉。

「帯屋の段」。そういういくつかの、伏流があって、舞台は、「帯屋の段」へ、奔流となっ
て流れ込む。典型的な、人形浄瑠璃の作劇術。「帯屋の段」では、人形遣いのうち、主遣い
が顔をみせる。帯屋長右衛門が玉男、隣の娘・お半が清十郎、女房・お絹が勘彌、義弟・儀
兵衛が玉佳、父親・繁斎が玉輝、義母(後妻)・おとせが勘壽、長吉が文昇。

店の金の行方不明と隣家の娘との不倫を盾に長右衛門を攻める儀兵衛とその母親のおとせ。
ふたりの切り札は、お半が書いた「長様参る」という手紙。キーパーソンは、長吉だが、儀
兵衛側の証人として呼び込んだ長吉は、「長様」とは、自分であり、お半とは、夫婦になる
のだと主張する。儀兵衛の戦略がつぶされる。お絹・長右衛門・お半・長吉・お絹と輪にな
って、連関する「四角関係」を巧みに利用したお絹の作戦勝ちの場面である。お絹は、頭の
良い、大人の女である上に、大局観がある。大所高所からの判断が、的確だ。

金のことは、長右衛門が店の主人なのだから、どう使おうと主人の勝手という、いまは、隠
居している舅・繁斎の裁断で、これも、決着。人形浄瑠璃では、この場面は、その後の心中
の、愁嘆場の場面を前にして、徹底的にチャリ場(笑劇)にしてしまう。その笑いは、中途
半端ではなく、おもしろい。人形ならではのパフォーマンスが、随所にある。竹本の呂勢太
夫、咲太夫のリレーで、濃密な時間が流れる。人形遣いたちの動きも、メリハリがある。

「帯屋」の後半。疲れて、店先で寝てしまう長右衛門。隣家から忍んで来たお半。寝入りば
なを起こされた長右衛門は、お半との仲を思い切ると決意を語る。兄さんの諭しを素直に聞
いた風でもあり、聞かぬ風でもあり、何やら意味ありげな様子で立ち去るお半の態度を不審
に思った長右衛門は、慌ててお半の後を追う。

お絹の良妻ぶりにも、息苦しい思いを抱いていたのであろう長右衛門は、いわば、下半身
は、別人格という、生活破綻者である。実は、長右衛門は、15年前にも芸妓と心中未遂を
図ったことがある体験者だけに、今回は純愛を貫こうという意識もくすぶっている。芸妓だ
け死なせてしまったという疾しさもある。こういう男の、こういう性格は、もう「病気」と
いうことだろう。先ほどの決意も、ものかわ、お半が死のうとしていると察知してしまう
と、自制が効かなくなる。長右衛門は、結局、お半の後を追いかけて行くことになる。お半
は、そこまで、計算して、書き置きを残し、自分の赤い鼻緒のついた下駄を帯屋の店先に脱
ぎ捨てて、裸足で、姿を消してしまう。小悪魔少女の魅力に取り付かれた中年男の末路は、
破局しかない。お半は、お半で、初めて体験した大人の男との性愛の魅力に取り付かれてい
る。性愛の伴わない恋愛なんて、いらない。性愛の終焉と共に命さえ終焉してもかまわな
い、というのが、小悪魔少女の人生観なのだろうか。

「道行朧の桂川」。宮薗節から写した竹本の道行き。この場面では、清元では、「道行思案
余(みちゆきしあんのほか)」という浄瑠璃で、道行の場面が演じられる。常磐津では、
「帯文桂川水(おびのあやかつらかわみず)」で、演じられる。今回の竹本は、お半が、織
太夫。長右衛門が、睦太夫。そのほか、全員で、5人の太夫の出演。

「道行朧の桂川」。幕が開くと、舞台は浅黄幕で覆われている。三味線の合間の、柝の音
で、振り落とされると、舞台は、薄闇の夜。下手に「桂川」という柱が立っている。上手
は、柳。正面奥の遠見は、山々迫る桂川の体。14歳の幼妻・お半を背負った長右衛門。

お半の主遣いは、清十郎。長右衛門の主遣いは、玉男。ふたりは生活破綻者の中年男と小悪
魔の身重な少女の死出の道行という、透明感のある場面を重厚に演じて行く。

長右衛門は、せめてお半とお腹の子だけでも助けたいとお半を諭すが、小さい時から隣家の
養子となった年上の長右衛門を慕って来たのだから、一緒に、死なせてくれと思いをぶつけ
て来る。律儀で分別もあるという長右衛門の上半身と生活破綻者の下半身とは、分離してい
る。さらに一度、体の関係を知ってしまったお半は、一途に男に慕情をつのらせる。性愛の
喜びを知った若い女性の匂うばかりの肢体が、清十郎の操りで、命が吹き込まれる。人形と
思われないような動きで、ぷりぷりしている小悪魔少女・お半は、色気たっぷり。玉男の長
右衛門は、聖少女について行くだけ。

ふたりを探す人々の提灯の灯りが、近づいて来る。
「見つけられじと足早に、転けつまろびつ、うしがせの、水上(みなかみ)へとぞ、急ぎ往
く」という竹本のことばと三味線の音に乗せられるように、ふたりは、蹌踉と、桂川の上流
へ。

歌舞伎なら、附け打で盛り上げる場面だが、人形浄瑠璃では、足音を重複的に叩き出して附
け打と同じ効果を上げているのが、判る。

お半は、歌舞伎の女形なら、背中を逆海老に反ってみせるポーズをとった。左手だけで、お
半を操る主遣い。下手に長右衛門、上手にお半。二手に分かれて、それぞれ、絵面の静止に
て、幕。
- 2019年2月9日(土) 15:52:16
19年1月浅草歌舞伎(第1部/「戻駕色相肩」「義賢最期」「芋掘長者」)


松也壮絶、「義賢最期」


市川海老蔵(41)が、20年5月、歌舞伎座の団菊祭で、江戸歌舞伎宗家の大名跡・市川
團十郎を十三代目として襲名する。正式名称を十三代目市川團十郎白猿とすることになっ
た、と海老蔵は言う。松竹が発表した。團十郎の俳名「白猿」をつけるのを正式名称とする
らしいが、通称は、やはり團十郎だろう。

浅草歌舞伎は、ほかの芝居小屋に比べると、女性客が多い。ロビーが狭いせいもあって、特
に、若い女性たちがグループで来ているのが目立つ。歌舞伎座の女性客は、単独で歌舞伎を
見に来ている感じの人が多い。これが、浅草と東銀座の大きな違いのように思える。


色彩美溢れる「戻駕色相肩」


「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」は、常磐津の舞踊劇。定式幕が開けられる
と、舞台一面を覆う浅黄幕。無人の舞台で、常磐津の「置(おき)浄瑠璃」。浅黄幕の振り
落としで、舞台は、菜の花畑の桜も満開という洛北・紫野に早替り。駕籠かきがふたりと駕
籠が一丁止めて、休憩している。煙草を一服。遠見には、松、柳、山の近くには、五重塔の
ある寺、二階建ての町家が続いている地域もある。まさに、四方山の景色。

駕籠かきは、赤っ面が浪花の次郎作(じろさく)、実は、石川五右衛門(歌昇)と吾妻の与
四郎(よしろう)、実は、真柴久吉(種之助)。とんでもない身元のふたりの駕篭かきが、
島原遊廓へ客を送り、遊郭からの戻り駕篭に客を乗せて紫野まで担いで来た、というわけ
だ。往復とも乗客がいるので、駕籠かきたちは機嫌も良い。

贅言;京の島原遊郭は、足利義満の時代に作られ、豊臣秀吉が公認した日本で最初の
「廓」。昔の正式名称は「西新屋敷」、という。遊郭は、6つの町(上之町、中之町、中堂
寺町、太夫町、下之町、揚屋町)で構成されていた。六条三筋町(東本願寺の北側辺り)に
あったというが、1641(寛永18)年、移転となった。その移転時の騒ぎが、「島原の
乱」のように大変だったので、「島原」と称するようになったとか、遊郭の周辺が原であっ
たことから、「島」にたとえて呼ばれたとか、などの説があるそうだが、私には真贋は判ら
ない。

この演目を私は、3回観ている。01年11月、09年5月、いずれも歌舞伎座。そして今
回19年1月、浅草歌舞伎。私が観た主な配役は、次の通り。
次郎作:左團次、松緑、今回は、歌昇。与四郎:鴈治郎時代の坂田藤十郎、菊之助、今回
は、種之助。禿・たよりは、亀鶴、尾上右近、今回は、梅丸。

一度、「女戻駕」を観たことがある。16年3月、歌舞伎座。花道から女駕籠かきが、奴さ
んを戻駕に乗せて行く。女駕籠かきは、吾妻屋の時蔵と浪花屋の菊之助。客の奴・萬平は、
錦之助。三人は、遊郭の風情をおもしろく、振りにして踊ってみせる。

さて、浅草歌舞伎。駕籠かき、一服の後、やがて、駕篭の茣蓙を上げると、駕篭の中には、
愛らしい禿・たより(梅丸)が乗っているのが判る。島原の傾城・小車太夫にお使いを頼ま
れた禿だ。駕篭かきは、浪花(上方)と吾妻(東国)の駕篭かきという設定なので、京で、
大坂と江戸の自慢をしあうという趣向。従って、駕篭かきのふたりは、舞踊劇ゆえ、江戸と
大坂の気質の違いを「踊り」で表現しなければならない。駕篭からおりてきた禿が小車太夫
のお使いだと判ると、島原の廓(くるわ)話を含めて三都の遊郭自慢を互いに語り合おうと
いう仕儀となる。それぞれが、自慢話を踊りで表現する。

まず、次郎作が大坂の新町、次いで禿が京の島原、最後に与四郎が江戸の吉原の話を聞かせ
る。「悪身(わりみ)」という、男が女の振りをする滑稽な振
りなどをまじえながら、踊る。

次郎作は小車太夫から贔屓客へ贈るように禿が言付かった羽織(黒地に「以上」という文字
が白く染め抜かれた羽織)を借りて、駕籠かきの息杖を大小の刀に見立て、「丹前六方」の
振り付けで踊る。禿は島原の様子を踊る。受けて立った吾妻の与四郎は江戸「鉄砲見世(最
下級の遊女屋)」の様子を演じる。すると、白い姉さん被りをした次郎作が、与四郎を客に
見立てて口説きにかかる。ふたりで遊女と顧客を代わる代わる踊ってみせる。羽織は、屏風
になり、羽織の紐が三味線になるなど、江戸の趣向は、どこまでも粋である。

そのうちに、興が乗り、懐から一巻の系図を落とす次郎作(五右衛門)、同じく小田家の重
宝、千鳥の香炉を落とす与四郎(久吉)。幕切れに正体を顕して、芝居の原典は、「太閤
記」の世界だと暴く、のがミソ。お互いの正体を知り、詰め寄るふたり。慌てて間に入った
禿の機転で取りあえず、この場は納まり、ふたりの大見得にて、幕。

こうして、ストーリーを紹介すると荒唐無稽で、たわいないが、背景の春爛漫の景色に、浅
葱頭巾に白塗り、水色の衣装、柿色頭巾に赤っ面、濃緑の衣装、というふたりの駕籠かきに
加えて、赤い振袖の禿という色彩美が身上の舞台。趣向の奇抜さと洒落っ気たっぷりの天明
期の歌舞伎舞踊の特色を伝える。「忠臣蔵・五段目」の定九郎を工夫したことで知られる初
代中村仲蔵らが初演。上方に修業に行っていた仲蔵が、江戸に帰って来て、上演したから
「浪花の次郎作」であり、「戻り」なのだ。

小車太夫が客に贈る羽織を届ける禿・たよりは、太夫に言付けられて駕篭に乗っていたわけ
だが、羽織を使って武士の見立てで「丹前六法」の振りを演た浪花の次郎作。その後、次郎
作と与四郎のふたりが羽織の左右の片袖に一人ずつ片方の肩がそれぞれ入る(相肩)ように
着て、いわば、「二人羽織」の趣向である。梅丸の禿が可愛らしい。


若手に伝承・「義賢最期」


今回の浅草歌舞伎の見せ場は、「義賢(よしかた)最期」だろう。「義賢最期」を観るの
は、私は7回目。若き日、仁左衛門の義賢が絶品という演目だが、体力がいる。孝夫時代を
含めて仁左衛門主演の「義賢最期」は、9回と圧倒的に多い。私も00年6月、歌舞伎座で
拝見することができた。私が観た義賢は、愛之助(3)、仁左衛門、橋之助時代の芝翫、海
老蔵、松也。

1965年、まだ無名の一役者であった仁左衛門は、当時、上演されなくなっていた上方歌
舞伎の荒事作品「義賢最期」(合作。並木宗輔ほか原作「源平布引滝」。人形浄瑠璃では、
1749年初演)を復活し、主演した。これが彼の人気に火を着けた。片岡孝夫は、一気に
スター役者の座にのし上がったという仁左衛門の出世作であり、当たり役となった。

しかし、仁左衛門は、もう演じない。仁左衛門流を継承しているのが上方では、片岡愛之
助。仁左衛門も、愛之助の舞台も拝見した。愛之助版を初めて観たのは、11年10月、新
橋演舞場。江戸歌舞伎では、03年8月歌舞伎座で先代の橋之助、さらに、2年前、17年
1月新橋演舞場で海老蔵の義賢を観たことがある。今回は、浅草歌舞伎で松也の義賢を拝
見。

義賢(松也)は、松王丸風の五十日鬘に紫の鉢巻きを左に垂らし(「病巻」)、という病身
の体(てい)で館に引きこもっている。折平が戻ったと聞いて、奥から登場する。右手に持
った刀を杖のように使っている。これも松王丸に似ている。

主な配役は、次の通り。
義賢が松也。下部折平、実は、多田蔵人が隼人。小万が新悟。九郎助が桂三。御台葵御前が
鶴松。待宵姫が梅丸。進野次郎が橋之助。矢走兵内が種之助。ほか。

義賢は、平清盛に敗れ、逃避行中に家臣に裏切られて亡くなった源義朝の弟。病のため、
「寺子屋」の松王丸そっくりの衣装、紫の鉢巻姿で出て来る。下部(奴)の折平、実は多田
蔵人は、小万の夫。行方不明だったが、こんなところに下部として忍んでいた。それに待宵
姫と恋仲でもある。下部の時は、舞台下手に控えているが、多田蔵人と正体を明かすと、義
賢とも居処替り(上座下座の交代)をする。百姓九郎助、九郎助の娘・小万、義賢の後妻、
御台・葵御前、義賢妹・待宵姫。ほかに平家方の矢走兵内と進野次郎など。

二重舞台の上手に羽のような形をした手の付いた木製の植木鉢に小松が植え込んである。さ
らに、その手前の平舞台にある手水鉢の、左上の角に斜めに線が入っている。これは、何か
あると、思っていたら、折平(隼人)が登場する場面で、義賢が折平の正体を多田蔵人行綱
と見破った上で、先ほどの植木鉢の手を利用して小松を引き抜き、庭の手水鉢に松の根っこ
を打ち付けると、手水鉢の角が欠け落ちる。これが水の陰、木の陽ということで、源氏への
思いの証となり、折平が義賢に心を開くきっかけとなるという仕組みだ。繰り返す様式。こ
ういう荒唐無稽さが歌舞伎の古怪な味である。

並木宗輔ほか原作「源平布引滝」は全五段の時代もの。「源平布引滝」のうち、今も歌舞伎
や人形浄瑠璃で上演されるのは、二段目切の「義賢最期」と三段目切の「実盛物語」。加え
て稀に、人形浄瑠璃では、三段目の「御座船」(「竹生島遊覧の段」)が上演される。

平家に降伏した義賢だが、本心は源氏再興への熱い思いがあり、平清盛から奪い返した源氏
の白旗を隠し持っている。これが折平の妻・小万(新悟)に託されることになる。旗を巡る
せめぎ合いが長い物語の一つの筋で、それゆえに、外題の「布引」は、布=旗の引き合いの
ことで、実際の地名の布引滝に引っかけているのだろう。

ここへ、清盛の上使が、白旗の詮議に来る。義賢の兄、義朝の髑髏を足蹴にしろと義賢に強
要する。ところが、本心を隠し仰せなくなった義賢は、髑髏を足蹴にできない。逆に、上使
のひとり長田太郎の頭を髑髏で叩いて、殺してしまう。しかし、もうひとりの高橋判官を取
り逃がしたため、もはやこれまでと義賢は、鉢巻きを投げ捨てるように取り去り、やがて攻
めてくる平家に備えることになる。それでも鎧を着けずに素襖大紋のまま、という。「滅び
の美学」の美意識の持ち主である。自分の命と引き替えに、葵御前(鶴松)と生まれ来る子
供(後の義仲)や白旗を託した小万たちを落ち延びさせようとする。そこへ、平家方の大
将・進野次郎(橋之助)が軍勢を引き連れて花道から出てくる。

小万の父親・九郎助(桂三)は、孫を背中合わせになるように背負い、ふたりも軍勢とやり
合う。子役も背負まれたまま、刀を振るい、節目では見得もするからおもしろい。子役を背
負った九郎助の桂三は、科白で場内を笑わせる。さらに、葵御前、小万も引き連れて、落ち
延びるからだ。「仮初めながら四人連れ。倅は背中、御台様はお腹」。お腹とは、将来生ま
れ来る義仲のことである。皆、花道から逃げて行く。悲劇的な状況なのに、この科白に場内
から笑いも起こる。そういうくすぐりがあってから、いよいよ、悲劇はクライマックスへ向
かう。

兎に角、この芝居は、まさに義賢の殺され方を見せるのが、最大の見せ場だ。屋体奥の襖
(板戸)がすべて倒れ、義賢が平家の軍勢とともに躍り出てくる。奥は、いわゆる千畳敷
だ。


「殺され方の美学」とは?


「江戸の荒事、上方の和事」というが、上方歌舞伎の「義賢最期」の荒々しさは、江戸の稚
気溢れる「荒事」の比ではない。ふたつの荒々しい場面が印象的だった。そもそも木曽先生
(きそのせんじょう)義賢は、後白河法皇から賜った源氏のシンボル「白旗」を守るため
に、大勢の平家の軍勢に対して、鎧も付けずに礼服の素襖大紋姿(水色)という、いわばシ
ルクハットにモーニング姿のようなスタイルで、戦闘服の連中と大立ち回りをするのだか
ら、凄い。その上で、大技の立ち回りがある。松也の義賢は五十日鬘など、前半は、すっき
りしないが、「遠寄せ」(攻め太鼓)の勇ましい下座音楽が場内に鳴り響き、芝居は一気に
戦闘モードへ。激しい立ち回りの場面から、松也は、グンと良くなってきた。以下、立ち回
りの見逃せない場面。

1)「戸板倒し」(あるいは、「戸襖倒し」)という立ち回りが組み込まれている。これ
は、金地に松の巨木が描かれていた3枚の戸板を「門構え」のように大部屋立役たち(敵方
の平家の軍兵)が組み、その天辺の戸板に乗せた義賢を持ち上げる。義賢は、カタカナの
「コ」の字を横にしたような戸板の上で更に立ち上がり〈天辺の戸板は、役者の重みで撓っ
ている〉見得をする。左右の複数の軍兵が、戸板を支える。義賢が立ったままの状態で、最
後、上手側にひとり残った平家の軍兵がゆっくりと戸板を横に押し出すように3枚の戸板を
全て倒すのである。義賢は、戸板に乗ったまま、横(下手側)にゆっくりと身体を移動させ
ながら、下に落ちる。エレベーターに乗っているような感じなのだろうか、違うのか。本舞
台の上でそういう体の移動をするというのは、客席から見ると5〜6メートル近い高さ(屋
根より高い)に役者の視線はあるということになる。

2)合戦らしく矢が無数に飛び、そのうちの何本かは柱などに刺さる。義賢も瀕死の重傷
だ。白旗も奪われたり、奪い返したり。後ろから敵・平家方の大将の進野次郎(橋之助)に
抱え込まれた義賢は、己の後ろにいる進野次郎ごと刀で自分を刺し貫くという凄い技を使
う。

3)ハイライトは、なんといっても、次の場面。「義賢最期」で絶命する壮絶な所作。義賢
は、二重舞台(高二重の屋体)に倒れ込んだ後、最後の力を振り絞って、手足をだらりと下
げて、瀕死の人形の体(てい)で、一旦、立ち上がる。二重舞台の中央に立つ瀕死の義賢
は、まず、右手、ついで左手と、最後は両手を左右に大きく開いて「蝙蝠(こうもり)の見
得」を見せる。その後、素襖の大紋の裾を大きく左右に拡げたままの格好で、前に真っ直ぐ
倒れ込み、「三段」(階段)に頭から突っ込むように落ち込んで行く「仏(ほとけ)倒し
(仏像が、立ったまま倒れるように見える)」(あるいは、「仏倒(ぶったお)れ」)とい
う大技を見せる。

今回も注意してみていたら、松也は、まず、顔をぶつけないように、二重舞台の床に直接腹
を当てるように倒れた。顔は、に従舞台の外に出す。その上で、階段の傾斜を利用して頭か
ら身体ごと平舞台に向けて滑り落ちて行き、息が絶える。この倒れ方は、義賢役者には、
皆、共通している。

殺され方の美学に徹している舞台だ。いずれにしても良く怪我をしないものだと毎回思う
が、階段にスプリングのような仕かけがほどこされているらしい、という説があるようだ
が、私には真贋不明。倒れ方にも、上記のようなコツがあるのは確かだろう、と思う。

「歌舞伎の芯の役が、体を使った立ち廻りをするのは珍しい。仕掛けも、コツもなく、捕り
手の皆さんを信じて動くだけ『仏倒し』を叔父仁左衛門は、『背伸びをして足の爪先をつっ
と滑らす』と教えてくださいましたが、長袴を穿いていて足先が見えないから、なかなかう
まくできません」(というのは、仁左衛門流を引き継ぐ愛之助の話)。

この見せ場は、実は、歌舞伎名作全集の台帳(台本)には、殆ど書かれていない。つまり、
上演を重ねる中、役者たちの藝の工夫で生まれて来た演出なのだろう。いつものように、殺
され方の美学を中心に論じた。若き日の仁左衛門の着眼と工夫。先代の橋之助。愛之助、海
老蔵、松也と続く、若い立役たちの藝熱心が、心地よく、これからも危険な場面を懸念なく
観ることができるように、と思う。


大正の新舞踊劇・「芋掘長者」


「芋掘長者」は、3回目の拝見。大正時代に生まれた新舞踊劇。舞踊劇と笑劇の組み合わ
せ。六代目菊五郎と七代目三津五郎のために岡村柿紅が作った。その後何回か再演された
が、1960年以降、途絶えていた。14年前の2005年5月・歌舞伎座で巳之助の父親
で、亡くなった十代目坂東三津五郎が上演音源を元に新たな振付けをして、45年ぶりに復
活上演をした。この舞台を私は観ている。この時は「六代目」が演じた芋掘藤五郎を十代目
三津五郎が演じ、七代目三津五郎が演じた治六郎を先代の橋之助(今の芝翫)が演じた。前
回は芋掘藤五郎を先代の橋之助が演じ、治六郎を三津五郎嫡男の巳之助が演じた。
この時のそのほかの配役は、息女緑御前が、七之助。今回は、新悟。兵馬が、国生(当代の
橋之助)。今回は、松也。左内が、鶴松。今回は、歌昇。後室が、秀調。今回は、歌女之
丞。腰元が、新悟。今回は、鶴松。

私が観た主な配役は、次の通り。芋掘藤五郎は、十代目三津五郎(巳之助の父)、橋之助時
代の芝翫(当代橋之助の父)、今回は、巳之助。友達治六郎は、先代の橋之助、巳之助、今
回は、当代の橋之助。

こうして、配役の変遷を見ると、芝翫が三津五郎とのコンビネーションの中で、成駒屋系と
大和屋系を軸に、中村屋系がサポートし、親子ぐるみでこの演目を大事に育てているのが判
る。

長者の松ヶ枝家息女・緑御前に恋した藤五郎が、「日本一の舞の上手」と偽って、婿選びの
舞い競べに参加し、舞の巧い、友人の治六郎の助けを借りながら、一拍遅れて、おもしろお
かしく舞ってみせて、失敗するというのが、ミソ。フェイクニュースは、破綻する、という
のがテーマ。

同じ岡村柿紅作の「茶壺」という舞踊劇が、一拍遅れて振りをまねる場面があるが、作劇の
発想は、同じだろう。十代目三津五郎は、歌舞伎役者の中では、踊りの名手だけに、どれだ
け、「下手な踊り」を見せられるか。そこにこそ、新たな笑いが生じる、と思う。この演目
では、今後の楽しみは軸になるべき巳之助が父親の背中を追って踊り上手になるかどうか。
これまでのところでは、まだまだ、精進。

芝居のオチは、踊りの下手さ加減に自ら我慢できなくなった藤五郎が、得意の芋掘りの様子
をなぞる「芋掘り踊り」を踊りだす。その結果、緑御前に舞の名手より、芋掘りの名人の藤
五郎に添いたいと言い出させる辺りは、「鰯売恋曳網」の鰯売りの猿源氏と螢火、実は丹鶴
城の姫君との恋物語に似ている。メルヘンチックな愉しい舞踊劇+笑劇。
- 2019年1月17日(木) 16:11:14
19年1月歌舞伎座(夜/「絵本太功記」「勢獅子」「松竹梅湯島掛額」)



海老蔵、團十郎襲名へ


市川海老蔵(41)が、来年(20年)5月、團菊祭の歌舞伎座で十三代目市川團十郎を襲
名する、と発表した(1月14日歌舞伎座で松竹が記者会見)。市川團十郎は、江戸歌舞伎
の宗家の名跡。記者会見で、海老蔵は、「己の命の限り、懸命に歌舞伎に生きて参りたい」
と述べた、という。合わせて、長男の勸玄(5)が、八代目新之助を襲名する。今月の海老
蔵は、新橋演舞場に出勤。


「絵本太功記 〜尼崎閑居の場〜」


今月の歌舞伎座、主殺しの下手人・吉右衛門の寡黙な科白が素晴らしい。世界の孤独を一身
に背負ったような存在感がある。「絵本太功記 〜尼崎閑居の場〜」は、時代物の典型的な
キャラクターが出揃う名演目の狂言。

私は、今回で7回目の拝見。私が観た主な配役。座頭の位取りの立役で敵役の光秀:團十郎
(3)、吉右衛門(今回含め、2)、先代の幸四郎、芝翫。團十郎の光秀は、オーラを感じ
させるような存在感があり、圧巻であった。前回、初見だった吉右衛門も、重く、グロテス
クな存在感がある。今回も期待。團十郎、吉右衛門のふたりを堪能しながら、観劇したい。

このほかの配役。立女形の妻・操:先代の雀右衛門(2)、魁春(3)、先代の芝翫、今回
は、雀右衛門。光秀に対抗する立役の久吉:歌六(今回含め、2)、宗十郎、我當、先代の
橋之助、菊五郎、錦之助。花形の光秀の息子・十次郎:染五郎時代を含む幸四郎(今回含
め、3)、新之助時代の海老蔵、勘九郎時代の勘三郎、時蔵、鴈治郎。若女形役の、十次郎
の許嫁・初菊:福助(2)、今回は米吉(2)、松江時代の魁春、菊之助、孝太郎。こうや
って自分が観た範囲の配役の変遷を見ているだけでも、時代物の若女形が大役に挑戦する機
会に恵まれていることが感じられる。老女形の光秀の母・皐月:東蔵(今回含め、3のはず
が、体調を崩し、私が観た時は、秀太郎が代役を勤めていたので、2)、秀太郎(代役含
め、3)三代目権十郎、田之助。

「絵本太功記」全十三段の人形浄瑠璃は、明智光秀が織田信長に対して謀反を起こす「本能
寺の変」の物語を基軸にしている。十段目の「尼ヶ崎閑居の場」が、良く上演され、「絵本
太功記」の「十段目」ということで、通称「太十」と呼ばれる。織田信長をだまし討ちした
後の明智光秀の苦悩を描く。劇中、織田信長は、小田春永、明智光秀は、武智光秀と名乗
る。本来は、一日一段ずつ演じられたので、「十段目」は、「十日の段」と言った、とい
う。

「絵本太功記」は、1799(寛政11)年、大坂角の芝居で、初演。原作者は、今から見
れば、無名の人たち(いずれも近松姓で、柳、湖水軒、千葉軒)で合作。この演目に限ら
ず、無名の作者たちによる合作の名作は、先行作品の有名な場面を下敷きにしている場合が
多い。見たことのある場面がいろいろ出てくる。それゆえに違和感がないという辺りが、歌
舞伎のブラックユーモア。
 
何度か書いたが、「下敷き」(今なら、著作権侵害)、例えば、今回の通称「太十」では、
まず、「尼ヶ崎閑居の場」の、尼ヶ崎庵室の十次郎の出。舞台中央正面奥の暖簾口から出て
来る十次郎、赤い衣装に紫の肩衣を着けた姿は、「本朝廿四孝」の、通称「十種香」の、武
田勝頼の出に、そっくり。衣装だけ同じで、謙信館と庵室、暖簾と襖など周りの環境が違う
というミスマッチが、余計に、観る者の違和感を感じさせて、それが、逆におもしろいか
ら、歌舞伎っていうものは、可笑しみがある。次いで、上手障子の間から出て来る初菊も、
赤姫の衣装だから、「十種香」の、八重垣姫に、さも似たり。その後、出陣のため、鎧兜に
身を固めた十次郎は、いつもの義経典型のイメージを思わせる。
 
また、「尼ヶ崎閑居の場」から、大道具(舞台)が廻って、花道七三にいた光秀が、本舞台
に戻って来て、庭先の大きな松の根っこに登り、松の大枝を持ち上げて、辺りを見回す場面
は、「ひらかな盛衰記」の、通称「逆櫓」の、「松の物見」と言われる場面のパロディだ。
 
まず、「十種香」は、1766(明和3)年に、人形浄瑠璃、大坂の竹本座で初演され、同
じ年のうちに、歌舞伎、大坂、中の芝居で、初演されている。「太十」初演の、33年前
だ。また、「ひらかな盛衰記」は、更に、古く、1739(文元4)年に、人形浄瑠璃、大
坂の竹本座で初演され、翌年、歌舞伎、大坂、角の芝居で、初演されている。「太十」初演
の、60年前だ。


主殺しの、孤独な存在感


「太十」は、主(織田信長)殺しの下手人・明智光秀(武智光秀)の芝居。夜も更けると、
主殺しの下手人が、下手奥閑居の裏側から続く竹林を通って、簑・笠で、顔や姿を隠したま
ま、無言で出てくる。「現れ出たる武智光秀」というわけだ。私は亡くなった團十郎で良く
観たが、私が観た最後の團十郎の光秀は、11年4月の新橋演舞場の舞台。團十郎は、12
年5月の大阪・松竹座でも光秀を演じ、翌年、13年2月には、この世を去ってしまう。

簑を外し、笠を避け、その笠を下に引いて顔を見せる(團蔵型を初代吉右衛門が、さらに工
夫した)と、黒い大鎧に身を固め、菱皮の鬘に白塗り、眉間に青い三日月型の傷という、髑
髏のような顔で、おどろおどろしい光秀。殺人を犯してしまった後の取り返しのつかない罪
悪感。さらに正義感ゆえ、主殺しに加えて、誤って、敵将久吉と誤って、障子越しに母も殺
してしまう。その父の正義感の犠牲になり、許嫁の初菊を残して、戦場に出向いていた息子
も死なせてしまう。愛する家族の崩壊。苦渋の人生の最期を一人残って生きなければならな
い。それは人生の老年期の孤独に通じる息苦しさかもしれない。髑髏のような顔、ほとんど
科白もない。重い、暗い、存在感。團十郎は、敵役ながら、眼光鋭く、時代物の実悪の味を
良く出していたが、それは、口跡に難のある團十郎にとって、科白が少ない無言劇に近い出
しものだった点も、團十郎の持ち味を高めた感がある。

吉右衛門の光秀は、今回で、2回目の拝見だが、重厚で見応えがある。肚が座っている感じ
だし、数少ない科白も、初代譲りの科白廻しの巧さで、いちだんと堪能出来た。團十郎には
なかった魅力だ。
 
悪いことばかりが続く悲劇の主人公光秀を團十郎は、重厚ながら、細かいところにこだわら
ない、懐の大きさで演じていた。科白よりも肚。頭を前後に大きく振るなど、浄瑠璃の人形
の動きを模したと思われる不自然な所作も、古怪な時代物の味を濃くしていて、良かった。
光秀の難しさは、いろいろ動く場面より、死んで行く母親(特に、母親の皐月は、主殺しと
いう謀反を働いた息子が許せず、自ら、久吉の身替わりを覚悟(母は覚悟)したとは言え、
過って(息子は誤解して)、息子・光秀に殺されるのだ)と敗色の濃い父親の気持ちを先取
りして、進んで戦場に行き、傷つき、その結果として、死んで行く息子・十次郎を見ながら
も、感情を抑制してじっとしているという不気味さだろう。母を殺し、息子を死なせてしま
う悲劇の源泉は、己の責任という自覚にもかかわらず、表情も変えずに、舞台中央で、眼だ
けを動かし、じっとしている不気味な男、光秀。家族を死なせ、荒野に一人残される世界。
死んで行く母、息子への思い。生き別れとなる妻、嫁への懸念。己を抑圧し続ける重圧感に
耐えている。息絶えた息子の姿に、堪らず、慟哭する父親・光秀。「大落とし」である。無
感情と感情の対比。「先代萩」の政岡の父親版というところだろう。無表情だった肚の中か
ら迸る涙の熱さを感じる。

まさに、「辛抱立役」という場面で、こういう場面は、外形的な仕どころがないだけに、肚
の藝が要求され、難しいのではないかと、いつも感じる。吉右衛門が演じても團十郎の印象
と変わらない。名優の腹藝の競演ということだろう。

花道向うより、佐藤正清(又五郎)、二重舞台の上に、上手より四天王(真柴郎党)を連れ
た真柴久吉(歌六)。正清に押し戻されて、花道七三にいる武智光秀(吉右衛門)が、「三
角形」を作ることになる。本舞台下手からは、久吉の軍兵たち。光秀は、芝居の中では、敗
者だが、芝居の主役は、吉右衛門なので、吉右衛門が、二重舞台の中央に上がり、下手の又
五郎、吉右衛門、上手の歌六と、3人は、やがて、本舞台で、斜めの一直線になる。この
後、引っ張りの見得で、幕。この辺りの、3人の線の動きは、計算されている。

團十郎同様の吉右衛門も濃厚な時代色や存在感に魅了される芝居だった。さらに、音(おん)
で発音する初代吉右衛門譲りの科白廻しを得意とする吉右衛門の科白術をひとつひとつ味わ
いながら、吉右衛門の芝居を十二分に堪能した。吉右衛門の歌舞伎座の光秀は、前回が22
年ぶり。それ以来、5年。今回の夜の部のハイライトは、やはり、吉右衛門だろう。貴重な
光秀である。


曽我物の「勢獅子」は、今回で7回目の拝見。定式幕が開くが、浅黄幕が、舞台全面を覆っ
ている。浅黄幕振り落しで、スイッチオン。本舞台に芝翫ら。下手に、常磐津連中。花道か
ら梅玉が雀右衛門、魁春を連れて現れる。新春興行らしく、梅玉の音頭で、場内の客も含め
て、「お手を拝借」。よよいの、よい。
手締めである。

主な出演は、鳶頭鶴吉(梅玉)、同じく亀吉(芝翫)。芸者お京(雀右衛門)、同じくお駒
(魁春)。鳶の者(中村福助、鷹之資、玉太郎、歌之助)、手古舞(京妙、京蔵、國久、千
壽ら)、ほか。

舞台上手は、茶店とご祭礼のお神酒所。鏡餅が飾られている。中央には、ご祭礼の門。背景
の書割には、江戸の街の商店が並ぶ。下手の積物は、剣菱の菰樽。江戸の粋と風情が、舞台
いっぱいに溢れる。

今は日枝神社の祭礼「山王祭」を舞台に映すが、元は曽我兄弟の命日、5月28日に芝居街
で催された「曽我祭」を舞台に映したという。だから、今回も鳶頭は曽我兄弟の仇討の様子
を踊ってみせる。手古舞たちの端唄模様の「クドキ」、鳶頭の「ぼうふら踊り」(身体をぼ
うふらのように浮き沈みさせる滑稽な所作の踊り)、それに、外題通りの獅子舞。福之助と
鷹之資が、器用に獅子舞を演じた。


猿之助の「松竹梅湯島掛額」


「松竹梅湯島掛額」は、4回目の拝見。荒唐無稽な世話物の世界。前半が、「吉祥院お土砂
(どしゃ)」で、後半が、「櫓のお七」。黙阿弥が、1809(文化6)年の「其往昔恋江
戸染(そのむかしこいのえどぞめ)」(福森久助原作)と1773(安永2)年の「伊達娘
恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)」(菅専助原作)とを繋ぎあわせて、1856(安
政3)年に、「松竹梅雪曙(しょうちくばいゆきのあけぼの)」という外題で、上演したと
いう。吉三郎が、曽我十郎の子という想定になるなど、この演目も本来、曽我物語の「世
界」でもある。江戸時代に実際に起きた八百屋お七の放火事件を、鎌倉時代に置き換えて上
演された。

私が観た主な配役。お七の応援団、「紅長(べんちょう)」こと、紅屋長兵衛:吉右衛門
(2)、菊五郎、今回は、初役の猿之助。お七:福助(2)、菊之助、今回は、初役の七之
助。恋人・吉三郎:田之助、時蔵、錦之助、今回は、幸四郎。お七の応援団、下女・おた
け:吉之丞、田之助、東蔵、今回は、竹三郎。吉三郎の若党十内:弥十郎、柱三、歌昇、今
回は、廣太郎。憎まれ役の釜屋武兵衛:芦燕、六代目松助、歌六、今回は、吉之丞、ほか。

歌舞伎では、数が少ない喜劇だが、2回拝見した吉右衛門の場合、サービス精神で、おもし
ろい舞台が展開する。喜劇も得意な菊五郎だったが、あまり、おもしろく無かった。特に、
「吉祥院お土砂の場」では、吉右衛門が、生真面目さと柔らかみのある、吉右衛門本来の人
柄と「紅長」の役柄(剽軽者)が、マッチ(あるいは、ミスマッチか)して自然なおかしみ
(あるいは、ミスマッチのおかしみ)を醸し出していて、楽しめたものだ。

これは、先代の吉右衛門が、悲劇の英雄を生真面目に演じて、独特の味を出していた。それ
は、その真面目な人柄のまま、喜劇を生真面目に演じて、観客を喜ばせたコツのようなもの
に通じるような気がする。初代吉右衛門が、演じるまで、三枚目の道化方の役柄であったと
いう「紅長」が、吉右衛門というブラックボックス(人柄の力)を経たことで、役柄が変わ
ってきた。前半は、今では、お七よりも紅長さんの方が、主役だろう。

菊五郎は、喜劇も得意な彼の魅力(藝の力)で「剽軽者(紅長)」を演じたため、そのあた
りの味わいに違いが出たのだろうと思う。菊五郎の場合、人情噺のなかで、滲み出るおかし
み(まさに人情喜劇)のようなときは、彼の持ち味を出すが、「紅長」の場合は、いわゆる
人情噺ではなく、「剽軽者」という、いわば「型にはまった滑稽味」ということだろうか
ら、菊五郎の持ち味とは、異なるのかも知れない。その辺りを見抜かないと、この芝居は、
おもしろくない。

今回の猿之助は、どうか。猿之助は笑いでウケを取ろうという意識が強すぎて、個々のエピ
ソードはおもしろいのだが、全体的な統一感や展開の工夫など、まとまりに欠けているよう
に見受けられ、残念であった。歌舞伎の喜劇は、なかなか難しいものだ。

また、こういう単純な芝居は、「お土砂」という呪術(清められた砂を遺体にかけると地獄
の亡者も、苦しみから逃れられる)を使って、なぜか、人も心も、ふにゃふにゃに柔らかく
するという笑いの趣向は、この芝居のハイライトのひとつになっている。後見(黒衣、黒い
頭巾を剥ぐとツルツルの坊主頭、という演出まで入っている)、ツケ打ち、幕引き(今回は
なかったが、前回まではあった)などは、「配役」に名前が載る。

この場面では、吉右衛門劇の場合、筋書に配役の載らない、歌舞伎座の案内嬢(女優)と男
の観客が花道から登場する。観客は、ホンモノのエピソードと誤解する。この演出は、「誤
解狙い」が目的なことは明白だろう。今回は、これが無かった。これは、観客側の受け取り
方も初見と2回目では、大違い。観る側の感興が、全く違う。初見では、笑えたが、2回目
では、笑い辛い、ということもあるだろう。つまり、同じ趣向では、まさに、「藝が無い」
ということだ。今回は無かった。私が観たほかの3回(吉右衛門も菊五郎も)の感想として
は、「もう、いい」という気になる、と私は前回までの劇評では書いていた。

ところが、今回は、それが無かったから、私の指摘が通ったような感じだが、無いなら無い
で、「物足りない」と思うのだから、観客心理は、いい加減なものである。特に、幕引き
は、登場させたい。この辺りの趣向は、繰り返し演じられる歌舞伎のおもしろさとも違うと
いうことで、歌舞伎の魅力を裏側から分析する、ひとつの視点になるかもしれない(もっと
も、これらの演出は、初代吉右衛門から続いているようだ)。

後半の「櫓のお七」では、お七を人形ぶりで、七之助が演じる。「松竹梅湯島掛額」では、
初役の七之助だが、「伊達娘恋緋鹿子」のお七は演じたことがあるというので、「火の見
櫓」の場面は、2回目ということになる。03年11月歌舞伎座は、菊五郎の紅長に菊之助
のお七であった。玉三郎の教えを受けたという菊之助のお七は、この若女形の最近の精進ぶ
りを伺わせる演技であったのを覚えているが、今回の七之助もそれに劣らない出来栄えだっ
た。力をつけてくる若女形たちは、見ごたえがあり、素晴らしい。

すでに触れたように、私が観たお七は、福助(2)、菊之助、七之助。
菊之助の人形ぶりは、福助の人間くささへ(人形のようだけれど、どこか、人間らしく)の
こだわりを捨てて、より、人形に徹していたのだろう。それで、絶品で、見事だったのだと
思う。今回の七之助は、この菊之助の線と同じだと思う。

「火の見櫓の場面」は、極色彩の鮮やかで、豊かな「吉祥院の場面」とは一転して、白と黒
のモノトーンの雪景色の町家の風景。赤を基調にしたお七の艶やかな衣装だけが引き立つと
いう演出。さらに、お七の所作が、倒れたのをきっかけに、人間から、「人形ぶり」(人間
ながら、人形のような、やや、ぎくしゃくした動きとなる)に変化する。この場面で使われ
る赤い消幕の色彩感覚が見事だ。黒衣が、赤い消幕で、お七と人形遣いたちを隠す。ここ
は、単純ながら、優れた演出だと、思う。場内の観客の視線を、この単純な趣向で、一点に
集中させることができるからだ。七之助の人形ぶりを堪能する。

花道七三で、七之助は、人形から、再び、血の通った役者に戻る。場内から、ほっと、息を
吐く人々の息遣いが聞こえてくる。人形遣いを演じた3人の役者たちは、客席に向かって礼
をした後、舞台下手奥へ退場した。

人形から人間への黄泉帰りを演ずるように、お七は、本舞台へ帰って行く。本舞台中央に設
けられた火の見櫓に掛かった梯子から上がる場面では、血の通ったお七も、生き生きとして
いる。櫓のてっぺんに上って太鼓を叩くお七に、(天井の葡萄棚から)霏々と降る雪が、い
つもながら、印象的だ。幕。
- 2019年1月15日(火) 11:02:49
19年1月歌舞伎座(昼/「舌出三番叟」「吉例寿曽我」「廓文章 吉田屋」「一條大蔵
譚」)


福助、復帰後2回目の舞台


初春年賀の祝祭、最初の出し物は、「舌出三番叟」。演じながら舌を出すという滑稽味が、
売り物の三番叟。今回は「再春菘種蒔(またくるはるすずなのたねまき) 舌出三番叟(し
ただしさんばそう)」という外題で演じられる。

「種蒔三番叟」は、「再春菘種蒔(またくるはるすずなのたねまき)」とあるように、
「菘」の種を蒔き、春が、再び来れば、菘は、稔ることを祈願している。初代の中村仲蔵か
ら教えられた三番叟を三代目の歌右衛門が記憶を辿りながら踊るという趣向があり、「その
昔秀鶴(ひいずるつる)の名にし負う」とか、「目出とう栄屋仲蔵を」(このくだりで舌を
出す)などという文句があるが、「秀鶴」は、仲蔵の俳号、栄屋は、仲蔵の屋号である。

「舌出三番叟」は、今回で私は5回目の拝見。外題は、「種蒔三番叟」だったり、「舌出三
番叟」だったりするが、中身は変わらない。更に、演奏も、清元、長唄、あるいは清元・長
唄の掛け合いであったりする。融通無碍。歌舞伎では、いろいろな三番叟が演じられる。今
回は、清元。

このように「三番叟もの」は、いろいろバリエーションがあるが、基本は能の「翁」。だか
ら、「かまけわざ」(人間の「まぐあい」を見て、田の神が、その気になり(=かまけてし
まい)、五穀豊穣、ひいては、廓や芝居の盛況への祈りをもたらす)という呪術である。そ
れには、必ず、「エロス」への祈り、つまり、生命尊重が秘められている。ということは、
現代では、かなり反時代的ということかもしれない。

今回は、三番叟に芝翫、千歳に魁春、という配役。黒地に松竹梅の縫い取りのある衣装を着
て、染五郎演じる三番叟は、下着は赤、足袋は、黄色、背中に鶴の絵を背負う衣装という派
手な格好で、厳かに舞い始める。「揉み出し」、「烏飛び」などを見せながら、尻餅をつい
て、滑稽に腰を擦ってみせ、観客を笑わせる。魁春演じる千歳が、華やかに、「七五三の祝
い」をゆったりと踊り継ぐ。ふたり揃って、「嫁入りの踊り」となる。ゆらゆらとふたりの
所作が連動して、と長持歌に合わせて行く。「さても見事なこがね花」と、手踊り。最後
に、三番叟が、鈴を振りながら種まきをする様を踊る。やがて、緞帳が降りて来る。


福助、「女工藤」に挑戦


「吉例寿曽我」は、何回か観ているが、「鴫立沢澤対面の場」、通称「女工藤」、つまり、
女形版「吉例寿曽我」は、初見。通常の「吉例寿曽我」にもいろいろパターンがあるようだ
が、例えば、「鶴ヶ岡石段」と「大磯曲輪外」の組み合わせが、馴染みがある。曽我狂言の
新歌舞伎だ。1900(明治33)年、東京明治座で初演。竹柴其水原作「義重織田賜(ぎ
はおもきおだのたまもの)」の序幕「吉例曽我」の「石段より曲輪通い」を元にしている。

河竹黙阿弥版もある。落語の三大噺を真似て、「国姓爺」「乳貰い」「髪結」という代で作
った噺を四代目子團次の要望で歌舞伎に仕立てた。1863(文久3)年、江戸の市村座で
初演された。外題は、「三題噺高座新作」という。髪結の藤次が見た夢の場面を「対面」に
仕立て直したのが、「女工藤」「雪の対面」という通称のある「吉例寿曽我」である。曽我
十郎・五郎の兄弟、ここでは、一万・箱王の兄弟が、父の敵の工藤祐経の代わりに現れた奥
方の梛(なぎ)の葉御前と対面する、というのがこの演目の最大の趣向である。

さらに、今回は、その梛の葉御前役を福助が演じるという話題性がある。病気で倒れ、長い
間の休演期間を闘病で過ごし、去年9月に念願の舞台復帰を果たした福助。その福助復帰の
舞台を熱い視線でサポートしようという観客が歌舞伎座に集まった。この一年、福助は、演
目を選びながら、復帰の安定化、さらに内定している七代目歌右衛門襲名に繋げたいという
熱い想いは、本人がいちばん強いだろう。

幕が開くと、舞台は、箱根権現の境内。道具幕には、雪の林の向こうに富士山が遠望され
る。腰元が4人、凧や歌舞伎役者絵の羽子板を持ち、羽子板売りと話をしている。花道から
本舞台上手へ、と駕籠の一行が通る。参詣を終えて工藤祐経の一行だ、という。羽子板売り
は、一行の様子をうかがっている。ここで得た情報を曽我兄弟に伝えようとしているらし
い。道具幕、振り落しで、場面展開。下手の杭に鴫立澤(しぎたつさわ)とある。工藤一行
が雪を避けて庵で休憩している。上手から、局宇佐美(梅花)一行、下手から局久須美(芝
のぶ)一行登場。ところへ「春駒の門付」に身を窶した曽我兄弟の箱王(芝翫)・一万(七
之助)が、花道からやってくる。「春駒の門付」とは、木製の馬の首形を携えた門付けが、
正月の家々を廻り、新春を寿ぐ行事。工藤祐経一行と聞いて、父の仇と勇み立つ兄弟。「暫
く」と声がかかる。花道からやってきた小林朝比奈の妹・舞鶴(児太郎)が兄弟を押しとど
める。「花のお江戸の歌舞伎座の初春興行…」と、笑いを狙う児太郎の科白に場内から「成
駒屋」「中村屋」の屋号とともに、笑いの反応が拡がる。

庵の御簾が上がって姿を現したのは、工藤祐経ではなく、奥方の梛の葉御前(福助)という
わけだ。夫に代わって、兄弟のために、紫の布に包まれた富士の巻狩りの入場券(通行手
形)を渡して、後日の夫と兄弟の再会を約して去って行く、というだけの話。40分程度の
芝居だが、戦後は、2年前、17年1月、秀太郎の梛の葉御前主演、大阪松竹座で上演され
ただけ。今回も前作を元に福助版としていろいろ工夫されているように見受けられた。

九代目福助は、2014年11月、七代目歌右衛門襲名が内定したが、病に倒れて、長らく
休演。去年9月、「金閣寺」の舞台で、4年10ヶ月ぶりに舞台復帰したばかり。今月は晴
れの歌舞伎座正月の舞台に立ち、万感の思いだろう。9月の舞台を観た印象では、福助は、
首は周り、言葉は明晰ながら、右半身が動かないように見受けられた。左手だけを動かして
いたからだ。また、立ち居振る舞いも不自由なのではないか。9月は、座ったままだった。
科白のやり取りも、福助だけに任せず、皆で分担していたのではないか。

今回は、御簾が上って、いきなり立ち姿が目に飛び込んできた。もちろん、合引きには、腰
をかけている。ここまでなのかな、と思いながら、私は兎に角、福助の舞台を見つめ続け
る。幾つかの科白廻し。所作。特に、手形を投げる場面は、黒衣から手渡された手形を投げ
るふりをし、曽我兄弟側が受けたふりをする。福助の演技が終了に近づくと、合引きから腰
を上げ、黒衣から事前に渡されていた短冊付きの紅梅の枝を左手ですっくと立ちあげた時に
は、びっくりした。福助はそのまま、静止のポーズ(つまり、見得)。巧くいったが、ただ
し、福助の表情は硬い。その福助を中心に据えて、上手側に警護の八幡三郎(中村福之
助)、同じく近江小藤太(松江)、下手側に曽我兄弟(芝翫、七之助)と舞鶴(児太郎)。
そこへ、舞台上手から定式幕が閉まりかかってきて、無事、閉幕し、この演目は終演。福助
は、また、一つ駒を進めたように感じられた。


幸四郎の上方味


「廓文章〜吉田屋〜」は、いわば、放蕩で勘当されたとはいえ豪商の若旦那という放蕩児と
遊女の「痴話口舌(ちわくぜつ)」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の能天気さが売
り物の、明るく、おめでたい和事。他愛ない放蕩の果ての、理屈に合わない不条理劇が、ハ
ッピーエンドで終わるという、「浪花の夢」の楽しい舞台になるという上方歌舞伎のマジッ
ク。私は今回で12回目の拝見。私が観た夕霧は、玉三郎(5)、雀右衛門(2)、福助、
魁春、壱太郎、坂田藤十郎。今回は、初役の七之助。伊左衛門は、仁左衛門(6)、坂田藤
十郎(2)、四代目鴈治郎(2)、愛之助、今回は、幸四郎。幸四郎は、上方訛りを強調し
ながら、2回目の伊左衛門挑戦である。

夕霧役者。伊左衛門一筋という夕霧の情の濃さでは、亡くなった雀右衛門。可憐さ、けなげ
さでは、玉三郎。その玉三郎に教えを請うたという七之助。初役で挑戦。七之助は、去年の
10月に「助六」の揚巻を勤めるなど、去年今年貫く棒の如きものを感じるほど、気合が入
っているように見受けられる。

「もうし伊左衛門さん、目を覚まして下さんせ。わしゃ、患うてなあ」という科白が、可憐
で、儚げで、もの寂しい。

店外から奥座敷へ。ほかの座敷に出ていて、なかなか顔を見せない夕霧に嫉妬する伊左衛
門。浄瑠璃の「むざんやな夕霧は」で、やがて、夕霧が登場。舞台中央から下手寄りの襖が
開くと、雛壇に乗った清元連中が現れる。上手の竹本連中との掛け合いになる。七之助は、
定石通り、持ち紙で観客に顔を隠したまま、舞台前面近くまで出てくる。そこで初めて、顔
を見せる。玉三郎譲りの演出。場内から、溜息が漏れる。正面を向いている。ついで、くる
りと背中を見せて、豪華な打掛を披露する。身体を斜めにして、美しい横顔を見せる。七之
助は、揚巻の時もそうだったが、このポーズが巧い。

病後らしく、抑制的な夕霧。すねて、待ちわびて、ふて寝の伊左衛門は、夕霧を邪険に扱
う。男女の情のひねくれたところ。伊左衛門の勘当を心配する余り、病気(欝の病か)にな
ったのに、何故、そんなにつれなくするのかと涙を流す夕霧。「わしゃ、患うてなあ」。そ
う,直接的に言われては、本音は夕霧恋し恋しの伊左衛門にとっては、可愛い夕霧を受け入
れざるをえない。背中合わせで、仲直りするふたり。背中で描くトライアングルは、歌舞伎
の独特の性愛表現の場面だ。官能も色濃い。この場面は、科白も少なく、それだけに私に
は、所作事のように感じられた。静謐な踊りを観ているような。

やがて、伊左衛門の勘当が許されて、藤屋から身請けの千両箱(若い衆が肩に担いで来た箱
は10あるので、1万両か)が届けられる。夕霧は、それまで着ていた打掛けから、藤屋が
持ち込んだ、紫地に藤の花が縫い取られた豪華な打掛けに着替える夕霧。めでたしめでた
し、という、筋だけ追えば、荒唐無稽な程、他愛の無い噺。冷静な姉のような夕霧、やんち
ゃな弟のような伊左衛門。伊左衛門の本質的な性格は、幸四郎も巧みに演じていた。

この演目で、吉田屋の主・喜左衛門を演じていた東蔵は、体調不良とかで、私が見ていた夜
の部の「太十」では、休演となった。皐月の代役は、秀太郎。


白鸚の47年ぶりの挑戦


「一條大蔵譚〜檜垣、奥殿〜」を観るのは、今回で15回目。私が観た大蔵卿は、吉右衛門
(6)、染五郎時代含め、幸四郎(2)、猿之助、勘三郎、菊五郎、歌昇、仁左衛門、菊之
助、白鸚。常盤御前は、魁春(今回含め、4)、時蔵(3)、先代の芝翫(2)、鴈治郎時
代の藤十郎、先代の雀右衛門、福助、芝雀時代の雀右衛門、米吉、梅枝。鬼次郎は、梅玉
(今回含め、6)、松緑(2)、菊之助(2)、歌六、仁左衛門、團十郎、松也、彦三郎。
鬼次郎女房・お京は、松江時代を含む魁春(2)、芝雀時代を含む雀右衛門(今回含め、
2)、孝太郎(今回含め、2)、宗十郎、時蔵、玉三郎、菊之助、東蔵、壱太郎、児太郎、
梅枝、尾上右近。これで判るように、大蔵卿は、吉右衛門、鬼次郎は、梅玉というイメージ
が、私には強い。今回の白鸚は、意外性が強いが、実は、47年前、六代目染五郎の時代に
帝国劇場で、初役で上演している。幸四郎の時代には、勧進帳の上演回数などを競うなど、
「遮二無二役に取り組んで」きたので、白鸚を襲名したことで「これからは気持ちも新た
に、白鸚のお芝居をお見せできたらと思い、久しく勤めていない役々を順に勉強すること
に」したという。お内儀の話では、「一度しか演じていない演目を演じてみたい」と本人は
言っている、と打ち明けてくださった。

初代以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、いつも巧い。公家としての気品、風格。常盤
御前を妻に迎え、妻の源氏再興の真意を悟られないようにと能狂言にうつつを抜かし(純粋
芸能派文化人か)阿呆な公家を装う。その滑稽さの味は、いまや第一人者。吉右衛門は、阿
呆顔と真面目顔の切り替えにメリハリがある。阿呆面の下に隠していたするどい視線を時に
送る場面も良ければ、目を細めて笑一色の阿呆面も また良し。緩急自在。珠玉の藝の流域で
あり、絶品の舞台であった、と思う。いうこともなし。ひたすら、熟成の果てを楽しむ。

「阿呆」顔は、いわば、「韜晦」、真面目顔は、「本心」、あるいは、源氏の血筋を引くゆ
えの源氏再興の「使命感」の表現であるから吉右衛門型の演出は正当だろう。金地に大波と
日の出が描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換えるなど、阿呆と真面目
の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現しなければならない大蔵卿は、さぞ難しかろ
う。しかし、それをいとも用容易にこなしているように見えるのは、長年の弛まざる努力の
賜物であろう。吉右衛門の大蔵卿は、上演ごとに進化している。

これに対して、白鸚の大蔵卿は、47年前に演じた型を優先しているようだ。今回の大蔵卿
は、竹本の演奏に合わせて、本性を明かす。「公家訛り」という独特の科白術を使う場面も
ある。何回か、観れば白鸚型も味が出てくるかもしれないが、やはり、大蔵卿は、吉右衛門
が、私は好きだ。
- 2019年1月14日(月) 12:37:43
19年1月国立劇場・通し狂言「姫路城音菊礎石」


国立劇場の通し狂言「姫路城音菊礎石(ひめじじょうおとにきくそのいしずえ)」は、姫路
城を舞台にした歌舞伎。この系統は、1705(宝永2)年、江戸市村座初演の「泰平記姫
ケ城」から始まる。そして、今回上演の原作となったのが、1779(安永8)年、大坂角
の芝居初演の「袖簿播州廻(そでにっきばんしゅうめぐり)」で、並木五瓶原作。姫路城の
天守に出現する身の丈一丈(約3メートル)の鬼女・刑部(おさかべ。または、小坂部)姫
伝説の物語。更に、「袖簿播州廻」では、刑部姫の伝説に夫婦狐の報恩譚を絡ませて、播磨
国の御家騒動を描いた。1991年3月、国立劇場で212年ぶりの復活。以来、28年経
つ。原作初演から240年。

並木五瓶は、大坂の芝居小屋の木戸番の息子。生まれた頃から、芝居味が染み込んでいる。
廻り舞台を発明した並木正三に師事、21歳の頃から、並木五八の名で、大坂の浜芝居に出
勤。後、大芝居に進出。さらに、後年は、江戸へ行く。1794(寛政6)年、冬、江戸下
り。大坂時代の作品では、「天満宮菜種御供」「金門五山桐」「けいせい黄金鯱」「けいせ
い倭荘子」「漢人韓文手管始」など、今も上演される名作を残した。今回の「袖簿播州廻」
も、大坂時代の作品。江戸時代の作品では、「五大力恋緘」など。これは、後に鶴屋南北
が、「盟三五大切」という作品に書き換えるなど、南北に影響を与えた。

今回の上演では、刑部姫の話は省略され、姫路城主の御家騒動を軸にした。御家騒動は、姫
路城主・桃井(もものい)家を舞台とする。刑部姫とは違うが、桃井家所縁の妖怪ミステリ
ーと桃井家再興に尽力する狐の報恩譚をそれに絡ませた。芝居は、91年に212年ぶりに
復活上演された時以上に整理された内容となっている、という。創作部分も多く、復活狂言
というより、新作歌舞伎に近い。合わせて、外題も「姫路城音菊礎石」に、改められた。こ
うした復活狂言に見られることだが、なかなか、当たらないと、外題を改めることが、ま
ま、あるが、この演目もその類いのようである。通して、観劇した後、その印象は強まりこ
そすれ、弱まることはなかった。

贅言; 正月興行とあって、国立劇場は、午後0時の開演を前に、午前10時半開場。開場後
開演まで、1時間半待ち。それでも、開場を前に国立劇場の周囲は、長い行列。開場後、ロ
ビーでは、菊五郎、時蔵、松緑、菊之助らによる鏡開きを始め、曲芸披露など、開幕前の正
月行事があるからだ。最初の幕間には、獅子舞も披露される。ご祝儀を獅子の口から渡し、
私も頭を噛んでもらった。

今回の場面構成は、次の通り。

序幕「曽根天満宮境内の場」。二幕目「姫路城内奥殿の場」、「同 城外濠端の場」。三幕目
「姫路城天守の場」。四幕目「舞子の浜の場」、「大蔵谷平作住居の場」、「尾上神社鐘楼
の場」。大詰「印南邸奥座敷の場」、「播磨潟浜辺の場」。

主な人間関係と配役は、次の通り。場面を追う。

序幕「曽根天満宮境内の場」。暗転の内に開幕。姫路城のシルエット。曽根天満宮境内。下
手にお休み所。上手に鳥居。紅白の梅。序幕から二幕目までは、御家騒動の前半。

時代は、足利義政将軍の治世。舞台は、播磨国。姫路城主は、桃井修理太夫(楽善)、後
室・碪(きぬた)の前(時蔵)、桃井家嫡男は、陸次郎(くがじろう。梅枝)、陸次郎には
双子の弟がいる(今回の新工夫、創作という)。弟の八重菊丸(梅枝)。梅枝が早替りで勤
める。兄の陸次郎は、廓遊びを続けている。相手は、傾城・尾上(尾上右近)。ふたりを取
り持っているのは、密かにお家乗っ取りを企んでいる桃井家・家老の印南内膳(いんなみな
いぜん。菊五郎)。嫡男を潰そうという計略らしい。乗っ取り派は、内膳の弟・大蔵(彦三
郎)、郡代の飾磨大学(片岡亀蔵)、大学は、桃井家の重宝「東雲の香炉」を盗み出し、陸
次郎の失脚を謀っている。香炉は、大学から大蔵の手に渡る。この場面は、前回はカットさ
れていたが、物語の伏線として、重要なので、今回は復活された。

二幕目「姫路城内奥殿の場」。

姫路城奥殿は、山水画、銀地に雪持ち松の図柄の襖。姫路城に将軍家の上使として、摂津国
の国主・生田兵庫之助(時蔵)が、花道より登場。郡代の飾磨大学を連れて到着する。上使
の趣意は、東雲の香炉の将軍家への献上と陸次郎の尋問である。桃井修理太夫(楽善)は、
香炉の献上は承諾するが、陸次郎への尋問は、待って欲しいと言う。上手、襖を開けて尾上
を連れた陸次郎(梅枝)が戻って来た。紫の鉢巻を病巻きに結んでいる。病身ながら責めら
れる陸次郎。花道から登場した家老の印南内膳(菊五郎)が、陸次郎の行状を釈明するが、
そこには、目論見が隠されている。陸次郎の遊興は、陰謀を企む弟の大蔵の仕業だと告発
し、大蔵を御家追放処分にし、陸次郎の将軍家への謀反は濡れ衣だとされる。しかし、将軍
家へ献上する香炉は、箱ばかりで、中身が無い。代わりに、尾上の身請け証書が入ってい
る。尾上身請けを取り計らったのは、印南内膳だったはずなのに、証書の宛名は陸次郎だっ
た。やはり、陸次郎は、内膳に謀られたのだ。逆上した陸次郎は、内膳に立ち向かおうとし
て酷い眩暈で倒れてしまう。

内膳が、手水鉢の水を陸次郎に飲ませると、気がついたので、陸次郎と父親の城主・修理太
夫は、内膳に感謝する。内膳は、上使の兵庫之助に香炉詮議の日延べを願って、許される。
この辺り、内膳(菊五郎)の「忠臣ぶり」を強調するペースで、物語は進行する。部分的に
新たに付け加えられた、という。陸次郎が詮議のための上洛の準備をしていると、突然、激
痛に襲われる。京都より帰国した桃井家重臣の古佐壁主水(松緑)が、花道より登場。主水
は陸次郎の話を聞き、手水鉢の水に疑問を感じる。手水の水を近くの万年青に掛けると、万
年青は、即座に萎れてしまう。内膳が仕込んだ毒薬の所為だ。陸次郎は、駆けつけた尾上に
ふたりの間の息子・国松の将来を頼むと息絶えてしまう。主水は、桃井家の良心とも言うべ
き人物。内膳を討とうと出掛ける。

「同 城外濠端の場」。主水は待ち伏せした内膳の駕籠に槍を突き刺すが、乗っていたのは、
修理太夫であった。内膳の策略。桃井家の忠臣・高岡源吾が駆けつけ、槍の穂先を持って、
上使・兵庫之助の許へと急ぐ。主水は、内膳に射殺され、濠へ落ちる。内膳が主殺しの主水
を成敗したことになる。ここまでが、御家騒動の前半。まんまと、本性「悪徳」の内膳のペ
ースではないか。

三幕目「姫路城天守の場」。ここは、姫路城天守に所縁の妖怪ミステリー。姫路城の場面
は、「門外」(廃城とあって、門は封印されている)、「城内」(天守へ向かう石段)、
「天守」(最上階の天守。大きな三日月が天守に掛かっている)。引き道具、セリで場面展
開。

桃井家は断絶、姫路城は廃城になっている。姫路城の天守に妖怪が出る、という噂が広まっ
ている。将軍家から来た使者・牛窓十内(権十郎)が、飾磨大学(片岡亀蔵)と一緒に城内
検分となった。花道から弓矢太郎(菊之助)登場。太郎も、妖怪退治に駆けつけ、大学と対
立する。弓矢太郎こと、実は多治見純太郎。宮本武蔵の見立てで創作された、という。

所作事仕立ての場面。今回の上演ために、振り付けと長唄が創作された。腰元お菊(梅枝)
が、太郎に言いよる。太郎はお菊の正体を男と見破る。見破られたお菊は、石段横にある空
井戸の中へ、逃げ込む。太郎は高殿に向けて矢を射る。高殿には、「刑部姫伝説」通りに、
十二単と緋の袴姿の女性が現れる。桃井家の後室・碪の前であった。中老の淡路(萬次郎)
らと一緒に天守に立て籠もっている。碪の前は、矢の家名を見て、太郎を本名の多治見純太
郎と悟り、本心を明かす。天守に妖怪出没の噂を流し、勇者を集め、双子の息子・八重菊丸
の味方を増やし、桃井家再興を図ろうとしているのだった。先に出会ったお菊こそ、八重菊
丸(梅枝)の変装であった。

大学は、碪の前の真意を聞き将軍家へ注進に向かおうとするので、純太郎は大学を討ち果た
す。大学の持っていた刀から、殺害された父親の敵が大学だったと知る。碪の前は、純太郎
を信頼して、八重菊丸の身柄を預ける。妖怪ミステリーは、虚構だった、と知れる。

四幕目「舞子の浜の場」。四幕目は、狐の家族の報恩譚。
桃井家没落から3年が経った。舞子の浜。上手に立札。「須磨寺、回向」と書いてある。舞
子の浜下手で「占所」を営む山伏崩れの男。印南大蔵(彦三郎)である。兄の内膳から追放
処分を受けたが、これも擬制。兄のために陰で働いてきた。内膳は、八重菊丸を跡目に立て
て、桃井家再興を図ろうとしている。御家再興を願う母親の碪の前も、御家乗っ取りを狙う
元家老の印南内膳も、求める夢はちがっても、夢実現の手段(八重菊丸奪還)は同じという
わけだ。

上手より、駕籠の一行。舞子の浜に近い須磨寺参詣に向かう親子連れ。桃井家の旧臣・近藤
平次兵衛(団蔵)、姉娘のお辰(菊之助)、お辰の息子・平吉(寺嶋和史、菊之助の長男)
である。平吉は、実は、陸次郎と平次兵衛の妹娘の、傾城・尾上との間に生まれた国松(若
君)である。お辰は、姫路城で殺されたはずの古佐壁主水の女房。死んだはずに主水が平作
と名を変えて、お辰の実家の平次兵衛の住居で暮らしている。一行は、下手奥へ。彼らも、
国松を守って、桃井家再興を目指している。陸次郎の双子の弟か、息子か、いずれにせよ、
どのグループも御家再興を狙っている。ここまでが、御家騒動の前半。

ここからは、狐の報恩譚。ややこしいことに、お辰にそっくりな女が子どもを連れて花道か
ら現れる。小女郎狐(菊之助)と福寿狐(寺嶋眞秀、菊之助の姉の寺島しのぶの長男)。菊
之助の早替り。遠くに住む小女郎の夫・与九郎狐に会いに行くのだ。大蔵(彦三郎)グルー
プ、平次兵衛親子連れ、狐の親子が、乱れ錯綜する場面。

贅言; 菊五郎の2人の孫、和史、眞秀の歌舞伎本興行で初めての共演が、観客向けの、正月
興行のお年玉、というところか。和史は、国立劇場出演は、去年の3月に続いて、2回目。
眞秀は、国立劇場は、初出演。

四幕目「大蔵谷平作住居の場」。下手から現れたお辰と国松は無事に帰宅。更に、下手から
福寿。舞子の浜で母親狐と逸れた福寿は、平作宅に紛れ込む。国松と福寿は、仲良くなる。
花道から、平作、こと主水(松緑)が義妹の尾上(尾上右近)を連れて帰宅する。尾上も実
家の平次兵衛宅に匿われているのだ。大祖父・平次兵衛というわけだ。主水は、義理の甥・
国松を立てて、桃井家再興を狙っている。

かつての将軍家上使・生田兵庫之助(時蔵)の家臣・久住新平(坂東亀蔵)が、花道から登
場。新平は、桃井修理太夫殺害の探索に、修理太夫の胸に刺さっていた証拠の槍先を持っ
て、主水を訪ねてくる。主水が、主殺しの真実を悟った瞬間だ。義理の甥を立てて、桃井家
再興というが、実は御家乗っ取り何ではないか、と疑っている。

印南内膳の家来・早川伴蔵(橘太郎)も、下手奥から捕方を連れて出てくる。将軍家からの
厳命と称して、国松の首を出せと命じる。グロテスクな大人は、とんでもないことを考え
る。国松の身代わりに福寿の首を差し出そうというアイディアだ。「菅原伝授手習鑑」の
「寺子屋」の場と同じ発想だ。だが、主水は、福寿の顔を見て驚く。息子の福寿狐だから
だ。実は、主水は偽者で、福寿の父親狐の与九郎だったのだ。そこへ、福寿狐の母親の小女
郎狐が、白い狐の姿で現れる。畳の床からセリを使って飛び上がって出て来る。そして、去
る。「狐忠信」と同じ趣向。久々の親子対面。小女郎狐は稲荷神の勅命を伝える。神社の鐘
を守れ。古巣へ帰れ。帰国命令である。与九郎狐は進退極まり、人間の前に正体を顕す。狐
衣装の松緑。桃井家再興のお役に立てないと断り、福寿狐と共に、古巣へ帰って行く。親子
狐は舞台下手の台に乗り、下手へと入ってしまう。与九郎狐と別れたお辰は、尾上と一緒
に、尾上の息子・国松を連れて逃げて行く。

四幕目「尾上神社鐘楼の場」。花道から現れたお辰と国松は、尾上神社へ逃げ込む。舞台中
央の巨松から本性を顕して神通力を取り戻した与九郎狐登場。下手より、大蔵ら。与九郎狐
は国松の命を狙う大蔵や伴蔵たちを追い払う。与九郎狐と大蔵ら悪徳グループとの立ち回り
が、見もの。縄跳びなどの趣向あり。

更に、与九郎狐の神通力で、忠臣を装っていた印南内膳の正体を見抜く。暴かれた内膳の本
性が、ようやく明らかにされる。桃井家所縁の人々は、内膳の悪事を暴き、香炉を取り戻
し、陸次郎の嫡男・国松を擁して改めて桃井家再興を目指す。与九郎狐、福寿狐の親子は、
再び、台に乗って、下手へ。台を引く装置の具合が悪い。さはさりながら、まあ、ここまで
が、狐の報恩譚。与九郎狐は、「芦屋道満大内鑑」の狐・葛の葉の男性版、という趣向。

大詰「印南邸奥座敷の場」。御家騒動の後半。悪は滅びる。ここは、今回の創作。
前回は、短い奥庭で、大団円だったが、今回は、ひと趣向あり。奥座敷と播磨潟の2場。再
び、御家騒動の後半。行方不明だった八重菊丸が、旧臣の高岡源吾(萬太郎)と共に、印南
内膳邸を訪れた。内膳は、八重菊丸を擁して、桃井家再興を図りたい。その後、乗っ取りの
野望を秘めている。

奥座敷の御簾が上がり、黒尽くめの衣装姿の内膳。正体を顕している。すでに盗み取ってい
た東雲の香炉を偶然手に入ったと内膳は八重菊丸に偽り、八重菊丸を跡目にして御家再興を
願おうと上洛しようと準備を始める。八重菊丸らは、兵庫之助の協力を得て、内膳邸に乗り
込んで来たのだ。差し出された香炉の真贋を確かめる。本物なら光を放つ奇瑞が起きるは
ず。ところが、偽の香炉は光らない。

この後、国立劇場の、この日の舞台では、奇妙なことが起こった。香炉が鉄砲で撃たれて、
割れて、桃の花が飛び散るはずが、仕掛けの花火が、なぜか、源吾が持つ香炉で弾けずに、
座敷の後ろの方で破裂。香炉を持ったまま、萬太郎は、苦笑いをするだけで、立ち往生、と
いうか、座り往生。御簾が上がって現れた内膳(菊五郎)が、上手く引き取って芝居を続け
る。内膳は、実は、桃井家の前の姫路城の城主・赤松家の一子教康だったのだ。赤松家を滅
ぼした桃井家に復讐し、香炉と姫路城を取り戻そうと企てていたことが判る。八重菊丸ら
は、内膳一味を成敗し、逃げた内膳を追う。

「播磨潟浜辺の場」。浅葱幕振り被せで、場面展開。桜満開。幕振り落とし。大セリ。内膳
と花四天の立ち回り。静止の状態でせり上がって来る。桃井家中一統の播磨潟の拠点。印南
内膳、こと赤松教康を追い詰める。花四天は8人。本物の香炉は、与九郎狐が、神通力で取
り戻してくれた。やがて、上手奥から菊之助ら。下手から松緑ら。9人勢揃い。上手から順
に、菊之助の多治見純太郎。彦三郎の奴灘平(桃井家の旧臣)。梅枝の桃井八重菊丸。右近
の尾上(和史の桃井国松を同伴)。中央に、菊五郎の赤松教康。時蔵の生田兵庫之助。坂東
亀蔵の久住新平。萬太郎の高岡源吾。殿(しんがり)の下手に松緑の加古川三平(桃井家の
旧臣)。桃井家は、八重菊丸の協力を得て、国松が跡目を継ぐことになった。三段に乗り、
大見得の教康。兵庫之助、桃井家の面々は、戦場での再会を約して、一旦、別れることに。
幕。

復活狂言の上演は、埋もれていた名作を掘り当て、以後、盛んに上演されるようになる演目
も無いことはないが、埋もれていることには、それなりに理由があるものだ。封建的な価値
観による抑圧、徳川幕府の御政道批判に対する規制などで埋もれていた名作は、そういう圧
力がなくなったことで復活し、芝居の力がある狂言ならば、もう埋もれなくなる。しかし、
芝居の力がない狂言ならば、当時のような圧力がなくなったとて、再び埋もれてしまうこと
になる。こういう演目の場合、後世の役者や興行主らが、いくら力を入れたとて、例えば、
し趣向を凝らして書き換えたり、外題を替えたりしても、なかなか続かないことになる。残
念ながら、「姫路城音菊礎石」は、私の中では後者のタイプの復活狂言のような印象が強
い。
- 2019年1月13日(日) 11:32:14
18年12月国立劇場・通し狂言「増補双級巴 〜石川五右衛門〜」


「葛籠背負(しょ)ったが、おかしいか。馬鹿め!」


吉右衛門が、久しぶりに、葛籠を背負って「宙乗り」をするというので、国立劇場へ観に行
った。花道七三からワイヤーで引き上げられ、花道の上を宙乗りする吉右衛門は、葛籠に当
てた腰を前後に振り、葛籠を揺らしながら、3階席のゴールに向けてじっくりと近づいてく
る。私の席からは、ほぼ真正面に接近してくる吉右衛門の顔が観える。前後に振る腰の回数
は、いかばかりであっただろうか。結構、重労働ではないか。あれを毎日、25日間も続け
るのは、大変だろう。腰を痛めるようなことはないのか、と余計な心配までしながら、観て
いた。

石川五右衛門は、義賊か、大泥棒か。秀吉信仰の強い関西では、大泥棒説、関東では、義賊
説が強いという。権力者・秀吉との対決構造から、五右衛門は、犯罪者故に、反権力者とな
るのか。歌舞伎や人形浄瑠璃で、「石川五右衛門もの」といえば、近年も上演される作品と
しては、大雑把に言えば、次のようなものだろう。

*並木宗輔作「釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)」。1737(元文2)年の人形浄
瑠璃初演、歌舞伎としての上演は、1756(宝暦6)年。

*並木五瓶作「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」。1778(安永7)年。大坂で上
演されたときの外題は、「金門五山(三)桐(きんもんごさんのきり)」で、1800(寛
政12)年、江戸での初演時に、外題が改められた。「山門」の場面での、石川五右衛門と
豊臣秀吉との出逢いの一幕は、この場面だけが、よく上演されるので、お馴染み。

*近松徳三ほか作「染競石川染(はでくらべいしかわぞめ)」。1796(寛政8)年。

*三代目瀬川如皋作「増補双級巴」。1851(嘉永4)年。本舞台を上手から下手に空中
を行く葛籠。花道七三の上で、その葛籠の中から石川五右衛門が飛び出し、さらに、葛籠を
背負った石川五右衛門の宙乗りの場面へと変換する「葛籠抜け」の演出が始まったのは、
「増補双級巴」だという。

*新作歌舞伎でも、「石川五右衛門」は、ある。09年8月新橋演舞場。海老蔵主演の新作
歌舞伎である。海老蔵が、漫画の原作者として人気のある樹林伸(きばやししん)を指名し
て、新しい石川五右衛門像を提供すべく、原作を書いてもらった。それを元に、古典歌舞伎
の味わいのある舞台にするために、川崎哲男・松岡亮が、脚本を担当、藤間勘十郎が、振付
けと演出を担当、更に奈河彰輔が、監修を担当した。

「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」というのは、誰もが知っているよ
うに、石川五右衛門の辞世の歌であると、いわれるが、五右衛門ものの芝居は、「種は尽き
まじ」というところだろう。

歌舞伎や人形浄瑠璃の「五右衛門もの」と呼ばれる演目は、最初、1685年頃には、古浄
瑠璃で語られ始めたという。近松門左衛門原作の人形浄瑠璃「傾城吉岡染」(1712
年)、並木宗輔ほかの合作の人形浄瑠璃「木下蔭狭間合戦(このしたかげはざまがっせ
ん)」などを経て、既に触れたように18世紀に上演された並木宗輔の「釜淵双級巴」をベ
ースに、並木五瓶の「金門五三桐」のほか、「艶競石川染」などがあり、これらの先行作品
を書き換えた狂言「増補双級巴 石川五右衛門」(木村円次作。四代目小團次が幕末の18
61年に初演。主に、「木下蔭狭間合戦」九段目、十段目の、通称「壬生村」と「葛籠抜
け」、それに、「釜淵双級巴」=「継子いじめ」などを繋げたもの)があり、19世紀後半
という、後の作品だけに「増補双級巴」は、筋が、整理されていて、判り易くなってきてい
る。

いずれも、「山門」や「葛籠(つづら)抜け」の、いわゆる、名場面を繰り返し演じてい
る。さらに、「白浪五人男」や「南総里見八犬伝」などでも、これらの名場面が、下敷きに
されて、そっくりな場面が、違う主人公で上演されているから、多くの観客の印象に残って
いることだろう。もうひとつ付け加えると、異色の「五右衛門もの」として、「女五右衛門
もの」がある。この系統のものでは、「けいせい浜真砂」があり、今も上演される。「けい
せい浜真砂」は、1839(天保10)年、大坂、角の芝居で二代目富十郎が出演して、初
演された。石川五右衛門を傾城の石川屋真砂路に置き換えている。

「増補双級巴 石川五右衛門」は、1999年、9月・歌舞伎座で、吉右衛門主演で私は観
ている。また、「楼門五三桐」は、2001年7月の歌舞伎座で、三代目猿之助(二代目猿
翁)、「猿之助十八番 楼門五三桐」の、通し上演で、拝見したことがある。「楼門五三桐
(さんもんごさんのきり)」の通し上演は、本興行では、戦後3回(京都・南座、国立劇
場、歌舞伎座)ある。戦後の復活上演は、1967年、猿之助の第2回「春秋会」での公演
で、外題は原作・並木五瓶の初演時の外題に忠実に「金門(きんもん)五三桐」(五三桐と
いう太閤秀吉の金紋という意味)であった。実に、190年ぶりの復活上演であった。「楼
門五三桐」は、秀吉の「朝鮮出兵」という歴史的な事実をベースに、秀吉に対する「朝鮮」
(ここでは、明)という外国の遺臣の復讐潭。秀吉に復讐するのが、遺臣の息子の石川五右
衛門(最近の表現なら中国系日本人)らというのが、基本構図。外国人による日本という
「お家」乗っ取りの物語。これに、明智光秀の遺臣の秀吉に対する復讐や豊臣家の後継者争
いも絡むという複雑なストーリー。それに、丸本物らしい、虚々実々のトリックの応酬があ
る。つまり、ナンセンス劇の極致であり、異色の「お家騒動もの」と言えるだろう。

さらに、「けいせい浜真砂」は、08年1月、歌舞伎座で観た。雀右衛門が、初役で、傾
城・石川屋真砂路を演じた。石川屋真砂路は、真柴久吉(秀吉)に討たれた武智光秀(明智
光秀)の息女。父を亡くし、苦界に身を沈めただけに、久吉に害意を抱いている。久吉の子
息を巡り、同じ傾城仲間との恋の鞘当てを演じているという趣向。久吉は、吉右衛門が、演
じた。

特に、石川五右衛門のハイライト、「葛籠抜け」では、花道の上を行く、宙乗りで、五右衛
門役者は、「葛籠背負(しょ)ったが、おかしいか。馬鹿め!」と言うが、この場面は、い
つ観ても、すかっとする。私は、これまで、吉右衛門、先代の猿之助、海老蔵で、この場面
を観ている。今回は、再び、吉右衛門。

贅言;「葛籠抜け」の仕掛けは、意外と単純らしい。葛籠が中央からふたつに割れて、それ
が後ろに回り込む。葛籠の中に入っている役者が、ラクラク入っていられるスペースは絶対
に必要。それでいて、観客には、小さな葛籠から生身の役者が出てくると、思わせなければ
ならない。葛籠を背負っている役者の両脇は、役者が入っていたスペース分の空間は、板で
隠されるようになっている。工夫のミソは、葛籠を小さく見せることだけだ、という。歌舞
伎の小道具担当の話では、この葛籠抜けでいちばん神経を使うのは、安全性の確保。宙に吊
るして使うので、宙乗り中に、万一、金具が折れたりしたら一大事。公演前には専門の業者
がレントゲンを撮ってヒビや傷など金具の内部の安全性を確認するし、公演中も毎日丁寧に
点検をするという。


石川五右衛門は、史実の人物だが、生年など含め、詳細は不明で、処刑の記録のある没年
は、1594(文禄3)年8月であり、享年は、37歳という説がある。

さて、本題へ。今回の「増補双級巴」の場面構成は次の通り。
発端「芥川の場」、序幕「壬生村次左衛門内の場」、二幕目第一場「大手並木松原の場」、
第二場「松並木行列の場」、三幕目第一場「志賀都足利別館奥御殿の場」、第二場「同 奥
庭の場」、第三場「木屋町二階の場」、大詰第一場「五右衛門隠家の場」、第二場「藤の森
明神捕物の場」。

これを筋立てで、分かりやすい標記に直すと、次のようになる。
五右衛門の物語。テーマは、家族と五右衛門。発端は、五右衛門誕生秘話。序幕は、五右衛
門の家族への復帰、再出発。二幕目。なりすまし。久吉と五右衛門の邂逅、正体露見。将軍
との闘い。三幕目。久吉(秀吉)との闘い、反権力。大詰。子が人質。逮捕・処刑へ。

吉右衛門人気で、久しぶりに国立劇場も、ほぼ満席。では、舞台ウオッチング、と行こう
か。

発端「芥川の場」。河内国芥川。雷雨の中、奥女中(京妙)が、癪(しゃく)を起こして難
儀している。通りかかったのは、石川村の百姓・次左衛門(歌六)。女中を介抱する。大名
に仕える身だが、主君の胤(たね)を宿してしまったので、奥方の嫉妬を恐れて、逃げてき
た、という。女中は大金を持っているらしい。次左衛門は、金を貸して欲しいと頼み込む
が、拒否され、懐剣を抜いた女中と揉み合ううちに殺してしまう。金も奪う。逃げる次左衛
門を追いかけるように、生まれたばかりの赤子の産声が、聞こえてくる。この赤子が、後の
五右衛門だ、という。

序幕「壬生村次左衛門内の場」。芥川の場面から、26年が経った。石川村から壬生村に移
り住んでいる。16になる娘の小冬(米吉)と、一緒に暮らしている。妻に先立たれ、目も
見えなくなっている。生活は苦しい。次左衛門には、友市という息子がいるが、13年前、
奉公先から50両を盗んで逃げたまま、行方不明、という。償えないので、娘を島原の廓に
売ることになった。

そこへ、花道より鼠衣姿の旅の僧(吉右衛門)がやってくる。僧は、兄の友市だと、名乗
る。3つの時に別れた小冬の兄だ。父親の次左衛門も戻ってくる。娘から兄の友市のことを
聞き、家族の再会を喜ぶ。

しかし、兄の盗んだ50両の精算のために廓に身売りすることのなっている小冬を廓の判人
(又之助)が、迎えに来る。友市が、妹を「売るには、及ばぬ」と言い、200両を投げ出
す。判人は、証文を返して、戻って行く。このやりとりを見ていた父親の次左衛門は、小冬
に預けてあった人相書きを持ってこさせる。我が息子の友市は、お尋ね者の五右衛門だと判
る。絶望した次左衛門は、自害をしようと小刀を持ち出す。止める小冬と五右衛門。3人で
揉み合ううちに、誤って、小冬の胸を刺してしまう。小冬は、息絶えてしまう。

次左衛門は、26年前の犯行を息子に打ち明ける。金を奪って殺した旅の女中から生まれた
のが、友市、こと五右衛門だというのだ。罪滅ぼしに我が子として育てた。父親は、懺悔を
し、五右衛門の実母の形見(笛と巻物)を見せる。一巻の系図を開いてみると、五右衛門
は、九州で滅んだ大名の大内義弘の落胤だと記してある。五右衛門の胸中に天下を狙う野心
が湧き上がってくる。そこへ、五右衛門の手下の足柄金蔵(種之助)らが、駆けつけてく
る。五右衛門は、野望を胸に、手下を連れて、悪の道へ再出発する。この場面は、70年ぶ
りの復活、という。

二幕目第一場「大手並木松原の場」。馴染みの場面。五右衛門の手下が、上手から現れた呉
羽中納言(桂三)一行を襲う。将軍への勅書を入れた葛籠を仕丁たちが担ぎ、大きな傘を差
掛けられて、公家の威厳を保っていた中納言は、賊に襲われ、身ぐるみ脱がされて半裸姿な
がら烏帽子を付けているというおかし味。勅書も奪われる。この役は、桂三がよく演じる。
5回目だそうな。「麿にも衣装」、「麿は麿でも、マロハダカ」という中納言の科白は、江
戸庶民の「権力批判」が感じられておもしろい。呉羽中納言が、花道から、ぼやきながら退
場すると、本舞台は、引き道具で、居どころ替り。場面展開。

第二場「松並木行列の場」。花道より、此下藤吉郎久吉(菊之助)を乗せた駕籠の行列が差
し掛かる。上手から、公家の一行がやってくる。舞台中央に差し掛かると久吉は、駕籠を降
りて、道端に平伏する。公家の方が身分が上と判断したのだろう。公家は、実は、五右衛門
がなりすました呉羽中納言。衣冠束帯姿も堂々としていて、久吉には目もくれない、という
感じで、歩いて通り過ぎて行く。久吉は、この公家、どこかで見た覚えがある、という仕草
をする。さらに、上手から、次左衛門が公家一行を追って出てくる。老爺は「友市」と呼び
かけながら、追ってきた。久吉は、その名を聞いて、公家の正体を悟ったようである。

三幕目第一場「志賀都足利別館奥御殿の場」。金地の襖に孔雀の絵と桐の花(久吉家紋にな
る)、本舞台上手に金地に花車が描かれた衝立。遊蕩にふける将軍・足利義輝(錦之助)
は、寵愛する傾城・芙蓉(雀右衛門)を御殿に入れ、傍に侍らせている。夫から遠ざけられ
ている御台・綾の台(東蔵)が、近習の制止を振り切って、花道から奥御殿に乗り込んでく
る。さて、一悶着か。この場面は、今回、70年ぶりに復活されたという。御台と傾城の衣
装の取り替え。御台に廓言葉を使わせたり、歌舞伎らしい遊び心のある場面。

「御勅使の御入り」の声。突然の勅使を出迎える大名たち。呉羽中納言を演じていた桂三
も、大名・六角右京として並ぶ。管領・三好長慶は、又五郎。呉羽中納言、実は、石川五右
衛門(吉右衛門)は、堂々と奥へ進み、上座にて勅使を演じる。勅書の内容は、将軍家に預
けてある太政官の御正印(みしょういん)を受け取りに来た、というもの。長慶は、猶予を
願い出る。実は、将軍家は印を紛失してしまったらしい。

勅使の饗応役に任じられたのが、長裃姿に服装を整えた此下藤吉郎久吉(菊之助)。幼なじ
みの五右衛門と久吉(豊臣秀吉)の物語。成人して、片方は天下の権力を狙う久吉、片方
は、勅使に化けた天下の盗人五右衛門となって、再会。ふたりは頬杖をついて、旧交を温め
合う。久吉は、御正印を所持していると打ち明ける。将軍家への謀反を企む管領の関係も、
窺える。幼心を取り戻したのもつかの間、ふたりは互いに争う。久吉は、3000両出すか
ら、御正印の受け取りは、諦めて引き上げろと五右衛門を諭す。拒否する五右衛門。久吉
は、運び込ませた葛籠を五右衛門に買えという。葛籠の中には、五右衛門の父親が入ってい
る。交渉上手な久吉。将軍家の家臣たちに囲まれた五右衛門は、妖術で対抗し、姿を消す。

三幕目第二場「志賀都足利別館奥庭の場」。将軍義輝と並び大名たちを尻目に、上手天井か
ら葛籠が現れて宙を飛び、下手天井に消える。暗転。花道七三の辺りから、五右衛門の「葛
籠抜け」へ。「葛籠背負(しょ)ったが、おかしいか。馬鹿め!」と、吉右衛門の大音声。
宙乗りの見せ場。

三幕目第三場「木屋町二階の場」。普通なら、「南禅寺山門の場」。浅黄幕振り落としで、
お馴染みの桜満開の南禅寺山門階上の場面へ。五右衛門が、長い煙管を吹かしている。後
は、いつもの展開。大せりで、山門が持ち上がる。山門階下には、巡礼姿の久吉。山門の朱
の柱には、久吉が、科白で言う、「石川や浜の真砂は尽きぬとも……」の歌が落書きされて
いる、などとなる場面だが、今回は、南禅寺山門の場のパロディとして、世話物風の木屋町
二階の場となる。京の木屋町の宿屋の二階。微睡んでいた五右衛門が目をさます。これまで
の出来事は、すべて五右衛門が見た夢であったという。五右衛門の夢は、どこからが夢だっ
たのか。判らない。大内義弘の御落胤という証拠を見つけ、野望を抱いたという辺りから夢
なのか。偽の勅使になったという辺りから夢なのか。

五右衛門(吉右衛門)が、長い煙管で莨を飲みながら夢を回想していると、宿屋の軒下に巡
礼がいるのに気がついた。この巡礼は、用水桶に映る五右衛門と人相書きに書かれた人物の
顔を見比べているではないか。巡礼は、此下藤吉郎(菊之助)であった。久吉「正しく盗
賊」。五右衛門は、小柄を投げる。久吉、用水桶の柄杓で、小柄を受け止め、るのは、いつ
もと同じ。久吉演じる菊之助が、「巡礼にご報謝」。悠然と久吉を見下ろす五右衛門。で、
この場面は幕。

大詰第一場「五右衛門隠家の場」。50年ぶりの復活上演。島原の廓から五右衛門が身請け
した後添えのおたき(雀右衛門)。継子の五郎市に冷たく当たっている。五右衛門が先妻に
生ませた子だ。妻には夫として、子には父親として、葛藤に苦しむ五右衛門。

日暮れ。おたきの父親(橘三郎)が、娘に金をせびりに来た。おたきが拒むと、父親は、五
右衛門の素性をばらすぞ、と脅す。「夏祭浪花鑑」の義平次を連想させるキャラクターだ。
橘三郎が好演。

継母の不義を嫌っていた五郎市は、不義の相手と間違えて、継母を障子越しに突き刺してし
まう。帰ってきた五右衛門は、五郎市を親殺しと叱り付ける。五郎市をかばう継母・おた
き。継子いじめの鬼のような継母は、実は、継子の将来を思いやって、冷たく当たっていた
のだ。五右衛門の家族は、やっと気持ちが一つになったが、おたきは、息絶えてしまう。こ
の様子を陰で見ていたおたきの父親は、五右衛門親子の罪を代官所に注進しようと駆け出そ
うとする。五右衛門は、義父を斬り捨てる。五右衛門は、おたきの亡骸に合掌して、息子を
連れて、姿を消す。

今回の「増補双級巴」は、いつもの舞台と違って、発端、序幕、大詰が整理されて、付加さ
れたことで、家族と五右衛門という色彩が濃い芝居となった。出生の秘密から始まって、壬
生村の親や妹たちとの家族、隠れ家の後妻や先妻の子との家族の物語という印象になったよ
うに思う。国崩しの大悪党・五右衛門の魅力とは違う人間・五右衛門の魅力を吉右衛門は、
出そうとしたのではないか。大悪党への道をどんどん歩む五右衛門の後姿を盲目の父親が杖
を頼りにどこまでも追いかけて行く場面も印象的だった。

第二場「藤の森明神捕物の場」。舞台、上下手に藤棚。中央に、藤の森明神の大鳥居。五右
衛門は大勢の捕り方に四方八方から追われている。息子ともはぐれてしまった。「せがれ、
やーい」。五郎市の名を叫び続けながら、息子を探す五右衛門。「蘭平物狂」の蘭平のよう
な悲哀のある呼び声。さらに、捕り方たちと五右衛門の大立ち回り。満月の月が出てくる。
暫く、立ち回りのハイライト集のような場面が続くが、立ち回りの隠し絵は、やはり、「蘭
平物狂」。二段階連続のトンボ、6人越えのトンボなどもあり、「活劇」らしい派手やかな
立ち回り。子が人質となり、五右衛門は、縄に着く覚悟をし、捕らえられてしまう。救おう
とする久吉。その情を毅然と拒む五右衛門。
- 2018年12月14日(金) 17:10:25
18年12月歌舞伎座(夜/「阿古屋」「あんまと泥棒」「傾城雪吉原」)


「阿古屋」、玉三郎から梅枝・児太郎へ


歌舞伎界の真女形の人間国宝・坂東玉三郎(68)は、自分の得意とする役柄を若手に譲
り、さらに、同じ舞台で脇役に廻る形で、共演しながら、若い世代への芸の伝承と実技指導
をしている。最近では、玉三郎(大和屋)は、10月歌舞伎座の勘九郎・七之助(中村屋)
兄弟(十八代目勘三郎の息子たち)に引き続いて、12月歌舞伎座では、「阿古屋」で、梅
枝(萬屋。時蔵の長男)、児太郎(成駒屋。福助の長男)のふたりに主役の「阿古屋」を日
替わりで譲り、指導育成に努めている。梅枝、児太郎ふたりは、初役で歌舞伎座夜の部に交
互に出演している。また、昼の部では、すでに触れたように壱太郎(成駒家。鴈治郎の長
男)は、玉三郎監修の「お染の七役」に初役で挑戦している。彼らは、いずれも1年ほど前
から楽屋や稽古場で玉三郎から指導を受けた上、今回は、主役を任され、歌舞伎座の同じ舞
台に「師弟関係」で立ちながら、真女形大先達の指導を受けている。恵まれたことだ。

12月の歌舞伎座夜の部は、「阿古屋」「あんまと泥棒」「傾城雪吉原」。このうちハイラ
イトは、なんといっても、「阿古屋」。1958年以降、六代目歌右衛門とそれを引き継い
だ玉三郎のふたりだけが、演じ続けていた「阿古屋」を今回、60年ぶりにいよいよ新たな
若手後継候補たちに伝承するのである。玉三郎自身は、普段なら演じない、立役の道化敵役
の岩永左衛門を人形振りという滑稽な演出で演じながら、若い女形たちを育成指導する、と
いうわけである。「人形振り」とは、生身の歌舞伎役者が、故意に人形浄瑠璃の人形のよう
なギクシャクした所作(動き)を見せて、観客を喜ばせる演出法である。赤っ面に太い眉毛
が、仕掛けで大きく動く。


「阿古屋」の見せ場


琴、三味線、胡弓の三曲を遊君・阿古屋自らが演奏することで知られる「壇浦兜軍記 阿古
屋」の見せ場は、通称「琴責め」と言われる。阿古屋を演じられる役者が極めて少ない古典
的な演目の義太夫狂言。六代目中村歌右衛門より教えを受け、1997年初演から20年以
上も阿古屋を勤めてきた玉三郎は、「阿古屋」の後継者を探していた。その「阿古屋」が、
いよいよ、玉三郎以外の女形によって上演される機会が来たのだ。12月歌舞伎座、夜の
部。梅枝(萬屋)と児太郎(成駒屋)が、遊君・阿古屋役に初挑戦することとなった。その
経緯について、玉三郎は、記者会見で以下のように語った。まずそれを紹介しよう。



「阿古屋」伝承


以下、配信された記者会見の記事を元に、適宜、文章を補ったり、文章表現を判りやすく直
したりしていることをお断りしておく。

玉三郎「私が(初役で)やらせていただくことになったとき、成駒屋さん(六代目歌右衛
門)は体調を崩されていて、やっとお話が伺えたという状況だったんです。(だから、今な
ら)自分で演じてみせてあげられて、かつ(演技を)見てあげられるときに受け取ってもら
いたいと思って、今回上演することを決めました。歌舞伎座でこの大役を勤めることは、梅
枝さんと児太郎さんにとって大変なことだと思うんです。なので、(夜の部の構成を)Aプ
ロ(引用者注:従来通り、玉三郎自身が阿古屋を演じる。25日間の興行のうち、14日
間)とBプロ(引用者注:若手女形のふたりが日替わりで交互に阿古屋を演じる。玉三郎
は、立役の滑稽な脇役へ回る。25日間の興行のうち、11日間)のふたつに分けて(自分
を含めて、阿古屋役を)三人で分担してやっていくことにしました」と説明する。つまり、
玉三郎は、先達として、阿古屋を演じ、ふたりの若い女形役者に手本を見せたり、ふたりに
主役を演じさせながら、自身は、脇役に廻り、リアルタイムで、若手を指導したりする、と
いう方法をとったのだ。

今年の夏頃から稽古を始めたという玉三郎は「おふたりとも特に胡弓がお上手。年齢的には
梅枝さんが歳上なのですが、楽器を前にすると梅枝さんは若い娘方という印象で、児太郎さ
んは落ち着いた雰囲気があります」と答える。また、「阿古屋を演じる上で大事なのは、ふ
たつのことが同時にできるかどうか。阿古屋の役になりきった状態で三曲をしっかりと奏で
られるか、ということですね。それから、『源平に関わってしまった傾城の心』を想像する
ことも大切。想像で役を作り、お客様に伝えるのが俳優(役者)の仕事ですから」と自身の
経験を踏まえて語るとともに、「かつての私もそうでしたが、はじめの稽古ではできていて
も、ほかの俳優(役者)さんが稽古に参加したり、(舞台が)稽古場から劇場に移ったり、
周りの状況が変わると急にうまくできなくなってしまうことがあるんです。ですが、それで
もやらないと先に進めないんです」と若いふたりに発破をかける。さらに阿古屋という難
役・大役を継承していくことにも言及し、「稽古をすれば阿古屋を演じられるチャンスがあ
ると思ってもらうことが大事。そうしないと幅が広がらなくなってしまいます。阿古屋に限
らず、どの役もそうですが、誰々でなければ勤められないという固定観念はないほうがいい
のかもしれません」と話す。

Bプロでは、玉三郎自身が立役の滑稽な脇役・岩永左衛門を、それも人形振り(人形浄瑠璃
の人形のような振り付けで動く)で演じることについて質問が出ると、玉三郎は「皆様、驚
かれたことと思います」と微笑みながら、「『蜘蛛の拍子舞』や『日本振袖始』で後シテを
経験しましたので、今回はそこまで大変ではないと思います。人形振りについては、文楽
(人形浄瑠璃)の吉田玉男さんにお話を伺おうと考えております」と答えた。その後も玉三
郎は、以前「お染の七役」を勤めた中村七之助や、今回同じ演目に初役で挑む壱太郎にも触
れ、記者会見では次代の歌舞伎界を担う若い女形たちへの期待を熱っぽく語ってくれた、と
いう。


「阿古屋」主演


「壇浦兜軍記〜阿古屋」を私が観たのは、最近では、3年前、15年10月歌舞伎座。私と
しては、この時で4回目の拝見となる。いずれも阿古屋は、玉三郎が演じた。初めて私が玉
三郎の阿古屋を観たのは、19年近く前、2000年1月、歌舞伎座であった。

玉三郎自身は、21年前、97年1月、国立劇場で初役を演じた。それ以来、今回で11回
目の出演となる。以来、玉三郎だけの阿古屋が続いてきた。孤独な阿古屋出演であった。玉
三郎だけの阿古屋はいつまで続くのか、と私は思ってきた。新しい阿古屋を演じるのは誰
か。新しい阿古屋よ、出でよ、と長い間思ってきた。その思いが、今回、やっと満たされる
ことになったのだ。私の関心のポイントは、次のようなことである。

玉三郎は、どこを若手に教えるか。若手女形は、その教えをどう受け止めるか。まず、お手
本に15年10月歌舞伎座・夜の部の「壇浦兜軍記〜阿古屋」の玉三郎の舞台を覗いておこ
う。

「壇浦兜軍記 阿古屋」は、堀川御所の問注所(評定所)の場面という、いわば法廷(お白
州)に引きずり出された阿古屋(玉三郎)は、権力におもねらず、恋人の平家方の武将・悪
七兵衛景清の所在を白状しないという強い気持ちを胸に秘めたまま、あくまでも気高く、
堂々としている。五條坂の遊君(遊女)の風格や気概を滲ませていて、玉三郎の阿古屋は、
最高であった。特に、「琴責め」と通称される、楽器を使った「音楽裁判」で、嫌疑無し、
と言い渡された時の、横を向いて、顔を上げたポーズは、愛を貫き通した女性のプライド
が、煌めいていた。あわせて、歌舞伎界の真女形の第一人者である人間国宝・玉三郎の風格
も、二重写しに見えて来たものだ。

評定所では、捌き役として、秩父庄司重忠(菊之助)が登場する。揺るぎない判決を言い渡
すことになるのは、黒地に金銀の縫い取りの入った衣装で、颯爽と登場する秩父庄司重忠。
悪七兵衛景清の詮議を任された禁裏守護の代官で、主任の立場。白塗り、生締めの典型的な
捌き役である。

その秩父と並ぶ、助役の岩永左衛門致連(亀三郎時代の彦三郎)。秩父と岩永のふたりが、
裁判官の、いわば主任と副主任。どちらが、実質的な主導権を握るかで、阿古屋の運命は決
まる。さらに、廷吏役で「遊君(ゆうくん)阿古屋」と呼び掛け、阿古屋を白州に引き出し
て来るのは、重忠の部下、榛沢六郎成清は、名題役者・功一が抜擢され演じていた。廷吏ら
しく、法廷の開始と終了で、被告の阿古屋の入りと出を先導する場面以外は、後ろに立った
まま(合引に座って)で、じっとしている、文字どおりの辛抱役であった。

赤っ面で、太い眉毛が大きく動く人形振り(役者が人形になりきったように演技をする演
出)の岩永左衛門致連は、キンキラの派手な衣装に、定式の人形の振りで、客席から笑いを
取っていた。銀地の無地の衝立をバックに、三人遣いの人形浄瑠璃と違って、足遣い不在
の、ふたりの人形遣いを引き連れている。岩永左衛門致連の上手横には、なぜか、火鉢が置
いてある。後で、理由が判る。そのほか、大勢の捕手たちは、人形浄瑠璃で、「その他大
勢」と分類される一人遣いの人形のような動きをする。


「三曲」演奏


この演目では、傾城の正装である重い衣装(「助六」の揚巻の衣装・鬘は、およそ40キロ
と言うが、阿古屋の衣装も、あまり変わらないのではないか)を着た阿古屋が、琴(箏)、
三味線(三絃)、胡弓を演奏しないといけないので、まず、3種類の楽器がこなせる役者で
ないと演じられない。胡弓を演奏できる女形が、少ないということで、長年、歌右衛門の得
意演目になっていたが、その後は、玉三郎が独占してきた。松竹の上演記録によると、19
58年から1986年まで阿古屋の配役欄には、六代目歌右衛門の名前のみが、連記されて
いる。

伊達兵庫の髷。前に締めた孔雀模様の帯(傾城の正装用の帯で、「俎板帯」、「だらり帯」
と言う)。大柄な白、赤、金の牡丹や蝶の文様が刺繍された打掛。松竹梅と霞に桜楓文様の
歌右衛門の衣装とは違う。阿古屋は、すっかり玉三郎の持ち役になっている。こういう重い
衣装を付けながら、玉三郎の所作、動きは、宇宙を遊泳しているように、重力を感じさせな
い。軽やかに、滑るように、移動するのは、さすがに、見事だ。舞台上手の竹本は、4連。
人形浄瑠璃同様に、竹本の太夫が、秩父庄司重忠、岩永左衛門、榛沢六郎成清、そして、阿
古屋の担当と分かれて語る。つまり、この演目は、いろいろ、細部に亘って、人形浄瑠璃の
パロディとなっているのである。

まず、「琴」。玉三郎の「蕗組(ふきぐみ)の唱歌(しょうが)」(かげという月の縁 清
しというも月の縁 かげ清きが名のみにてうつせど)の琴演奏に竹本の太棹の三味線が協演
する。玉三郎の琴は、爪が四角なので、関西系の「生田流」だという。「悪七兵衛景清」の
「かげきよ」の文句が歌いこまれていて、阿古屋の動揺を誘おうという作戦か。

次の「三味線」では、下手の網代塀(いつもの黒御簾とは、趣が違う)が、シャッターが上
がるように、引き上がり、菱形で、平な引台に乗った長唄と三味線のコンビが、(黒衣ふた
りに押し出されて)滑り出てくる。「翠帳紅閨に枕ならぶる床のうち」と、玉三郎の「班女
(はんじょ)」の故事を唄う三味線演奏にあわせて、細棹の三味線でサポートする。

さらに、「胡弓」。玉三郎の「望月」の胡弓演奏にあわせるのは、再び、竹本の太棹の三味
線の協演。「仇し野の露 鳥辺野の煙り」。胡弓の弓は、馬の毛で出来ているという。

岩永のハイライト場面。阿古屋の演奏に魅せられ、舞台上手横にあった火鉢を自分の前に置
き直し(黒衣がサポートする)、中の火箸で、胡弓の演奏の見立てをしてしまう岩永左衛
門。場内からは、笑いが漏れる。彼も、お役目に忠実なだけの、善人なのかもしれない。

問注所の捌きが、楽器の音色と演奏の乱れで判断するという趣向だけあって、筋立ては、阿
古屋と景清との馴初めから、別れまでのいくたてを追い掛けるという単純明快さで、判りや
すい。吉右衛門が演じた時と同じように菊之助の秩父は、問注所の三段に長袴の右足を前に
出したまま(これは、定式のポーズ)、左手で、太刀を抱え込み、阿古屋の演奏にじっと耳
を傾けるという姿勢を取り続ける。「熊谷陣屋」の直実の制札の見得を彷彿とさせるポーズ
である。


12月歌舞伎座「夜の部」の試み


さて、2018年12月4日。歌舞伎座夜の部。この日、「阿古屋」を梅枝が初めて勤め
た。1997年以降、玉三郎以外の女形が阿古屋を初めて演じたのだ。問注所のお白州に連
行されるため、花道から登場した梅枝の阿古屋は、前後を捕手たちに囲まれながらも、堂々
としているように見えた。蝶の模様が縫い取られた打ち掛けに、孔雀の豪華絢爛たる前帯
が、阿古屋の遊君としての格を示す。しかし、阿古屋役の初日とあって、かなり緊張してい
るように見受けられた。本舞台に移動した後は、平舞台に座らされて、詮議となる。恋人の
悪七兵衛景清の居処を白状せよと責め立てられる場面である。三種の楽器の演奏を強いられ
る。観客も、梅枝の初役の阿古屋の、それも初日の舞台だということを知っているので、観
客の側も緊張しているのが、伝わってくる。結果は、どうだったか。最初は、琴を演じた。
ついで、三味線を演奏した。最後は、三種の中でいちばん難しいと言われる胡弓の演奏であ
る。

梅枝は、12月の興行では、Bプロ、11日間の若手出演のうち、千秋楽までに6回、初役
で阿古屋を演じることになる。私が観た12月4日は、Bプロの初日。梅枝にとって、女形
役者としての生涯のエポックメイキングな日であっただろう。もう一人、初役で同じ体験を
したのが、児太郎で、こちらは、5回、演じる。梅枝出演の翌日、5日が、児太郎にとって
も、やはり、女形役者としての生涯のエポックメイキングな日であっただろう。ただし、私
が観劇したのは、梅枝の方のプログラムで、児太郎の方は観ていない。そういうエポックな
舞台だけに、梅枝への劇評は、きちんと書いておきたい。


「阿古屋」と梅枝


阿古屋を演じる女形の肝心要の必要条件は、ふたつあるように私は思う。一つ目は、琴、三
味線、胡弓の演奏がきちんとできるかどうか。ふたつ目は、演奏に神経が行き過ぎて、演奏
者が遊君・阿古屋になりきれなくなるようなことはないか。演奏しながら、役柄の存在感を
出すような演技も要求される。

印象論だが、私と一緒に歌舞伎座の座席を埋めた観客も、梅枝の女形の演技よりも、三曲の
演奏がきちんとできるかに神経がいっているように思えた。なぜかというと、琴、三味線、
胡弓が演じ終わるたびに、ホッとしたような空気(あるいは、ため息)のようなものが感じ
られた。その後、盛大な拍手、そして、大向こうからの声(「萬屋!」)が掛かった。ミス
がなかったと思われる演奏が、終わるたびに、この、拍手が繰り返され、時に屋号が叫ばれ
たからである。

そういうことで、私が観た舞台の範囲でしか言えないが、梅枝は、まあ、三曲の演奏のミス
もなく、初役の阿古屋を無難に勤め上げたと思う。演奏の技術的なことは、私では判断でき
ないが、梅枝の三曲では、胡弓の演奏が、いちばん巧く、次いで、三味線、私がいちばん、
ハラハラしながら聞いていたのは、ことだったような気がする。しかし、2回目、3回目と
阿古屋を勤める回数が増えてくれば、観客は、玉三郎のレベルへの芸の向上を期待するよう
になるだろう。

今回は、玉三郎が主役を譲り、本人は脇役に回って、舞台裏、舞台上と手厚く見守ってく
れ、事前の稽古を含めて長い時間をかけた指導もあり、梅枝、児太郎とも初々しくも初役に
挑んだ。ならば、壱太郎のところでも書いたように、梅枝、児太郎は、まず、玉三郎の所作
の外形を徹底的に真似ることである。先達の指導をなぞるように努めなければならない。い
ずれ、外面の真似を繰り返すうちに、内面も真似られるようになるだろう。さらに、いず
れ、梅枝、児太郎の独自性も付加され、また、梅枝、児太郎の、それぞれの違いも身につい
てくるようになるだろう。梅枝と児太郎は、同じ時期に玉三郎から、丁寧な指導を受けた同
士だということで、今は、難役に向かう、いわば「戦友」というような意識で、互いに励ま
しあいながら、ということかもしれないが、いずれ、ライバル心も芽生えてくることだろ
う。いずれにせよ、歌舞伎界の財産演目のひとつである、「阿古屋」を継承し、磨いて行く
ことが、何よりも大事である。

梅枝の阿古屋は、秩父庄司重忠(彦三郎)に、最後に「この上は、構いなし」と、無罪の判
決を言い渡される。梅枝も、阿古屋を演じ終えて、「無罪放免」という心境になっただろう
か。

最後に、梅枝と小太郎を指導した玉三郎の弁。「自分も(初演から)二十数年経って手馴れ
ていく、ということがありました。ですから、とにかくやっていきたい。やると言ってしま
わないとお稽古は進みません。三曲を弾く稽古をすれば、(誰にでも)阿古屋をやれる可能
性があるんだと思ってもらうことが大事」だ、という。
 
このところ、玉三郎だけが演じてきた阿古屋という役。玉三郎はいう。「児太郎さんは当然
のこと、(年上の)梅枝さんにも重荷だと思うので、三人で分担してやっていきましょう」
と、2つのプログラムでの公演となりました。8月に稽古して「あとは自習ね、と」。先日
から再び始まった稽古では、さっそく自習の成果が問われています。「三曲を弾くことが大
事ではあるけれども、その次は役になることを考えて、と言っています」。
 
玉三郎の話。「稽古している分にはできるのに、合奏する人が来るとがたっと(出来が)落
ちる。広いところでやる、衣裳を着る、舞台に上がる…、状況や音の関係性が変わると急に
弾けなくなるものです。これで、サワリをしたり、周りの役が来るともっと大変」。スター
トラインに立ったからこそ見えた景色は、まだまだ山あり谷あり。「自分もそうでした。初
演は頭がパンパンで舞台に出て行ったんです。でも、それをしないと先には行けない」。梅
枝と小太郎の今後の精進ぶりを期待したい。どういう変化が出てくるか。


落語のような歌舞伎


「あんまと泥棒」は、落語のような2人芝居。中車のあんまと松緑の泥棒の、話芸で聞かせ
る芝居であった。1951(昭和26)年、ラジオドラマが、初演の新作歌舞伎。原作は、
村上元三。99年8月歌舞伎座で、一度観ている。その時の配役は、泥棒が、橋之助時代の
芝翫。あんまが、歌昇時代の又五郎。ドラマの展開は、独居のあんまの夜の帰宅。空腹で寝
られないあんまのところへ、泥棒が忍んで来た。高利貸しをしているというあんまの噂を聞
きつけた泥棒が、「金を出せ」と脅す。金などない。いっそ殺してくれ。そうすれば、死ん
だ女房や子どもに会える。埒があかない。そういうやりとりが、観客の笑いを誘う。そうこ
うするうちに、夜が明けてしまう。あんまの住む長屋の連中も、そろそろ起きだしてくる。
押入れのあった位牌を亡くなったあんまの女房のものと勘違いした泥棒は、金を奪うどころ
か、あんまの身の上に同情して、金を恵んで、帰って行く。あんまは、泥棒が座っていた畳
の下から隠し貯めた金子を取り出して、金を数えながら、してやったりと笑みを浮かべる、
というオチがつく。


新作歌舞伎舞踊「傾城雪吉原」


玉三郎は、今月の歌舞伎座、夜の部では、「阿古屋」の赤っ面、岩永左衛門を演じただけ
で、玉三郎らしい、あの顔を見ることができないまま、観客を歌舞伎座から返すわけにはい
かないということで、夜の部「傾城雪吉原」という所作事を今回歌舞伎座では、初めて上演
した。

雪景色の新吉原。恋人を想い、春を待つ傾城が、玉三郎。長唄の舞踊劇。場内暗転のうち
に、緞帳が上がると、「冬ごもり思いかけぬを木の間より」の置き歌。傾城の出。「四季の
紋日は小車や」から、四季の変化が歌い込まれる。春、夏、秋。再び、冬景色。そして、緞
帳が下がってくる。
- 2018年12月12日(水) 21:27:08
18年12月歌舞伎座(昼/「幸助餅」「於染久松色読販」)


上方落語の味「幸助餅」


「幸助餅」は、今回初見。本来は、松竹新喜劇の大正時代からの演目。1915(大正4)
年12月、京都の夷谷座初演。05年1月、大阪松竹座で、当時の翫雀(当代の鴈治郎)
が、歌舞伎として初演した新作歌舞伎。歌舞伎座では、今回が初演。鴈治郎が主役の大黒屋
幸助として再演を重ねてきた演目を今回は若手の松也が主演する。松也は、今年の正月は、
若手花形歌舞伎の座頭として浅草歌舞伎に出演していた。「元禄忠臣蔵 〜御浜御殿綱豊
卿」で松也が主役の綱豊卿を演じていた。その松也が、師走の歌舞伎座では、「幸助餅」の
主役を演じる。数年前では、考えられなかったような配役ではないか。松也の実力もさるこ
とながら、歌舞伎界の中堅どころの役者衆の不足(ベテラン中堅役者の近年相次いだ逝去の
影響が痛ましい)が、こういう配役を生み出している面もある。若手たちは、厳しい修業に
耐え、歌舞伎界の期待に応えて大活躍している。この危機をなんとしても乗り越えてゆく必
要がある。

今回の主な配役。大黒屋幸助:松也。大関・雷五良吉:中車。幸助女房・おきみ:笑三郎。
妹・お袖:児太郎。女将・お柳:萬次郎。帳場・平兵衛:萬太郎、叔父・五左衛門(片岡亀
蔵)ほか。

「○○依存症」という精神的な病があるが、幸助は、いわば、相撲依存症。相撲取りに入れあ
げて身上を潰した大店・大黒屋の主人、幸助の社会復帰の物語。
相撲取りの雷(いかずち)の贔屓となり、祝儀をふんだんに配り、全財産を失った幸助のそ
の後。江戸相撲に行き、大坂を留守にしていた雷。雷は、江戸で大関に出世して、久しぶり
に大坂に戻ってきた。落ちぶれた幸助との再会。雷の愛想尽かし。幸助は、愛想尽かしを転
機として、人生行路の舵を切り直す。新しい商売の餅屋に転身。餅屋の成功。再び、雷との
再会。愛想尽かしの真意。誤解が解けて、大団円。上方落語風の人情喜劇。

今回の場面構成は、次の通り。
序幕「大坂新町九軒入口の場」、二幕目 第一場「幸助餅屋店前の場」、同 第二場「大坂
新町三ツ扇屋店先の場」。

序幕「大坂新町九軒入口の場」。場内暗転。定式幕が開く。大坂の遊郭・新町。
下手、桜並木、灯りの入った雪洞。上手、鳴門屋の店構え。華やかな花街の入口。花道か
ら、太鼓持ちに案内されたお大尽一行。賑やかにしゃべりながら、やってくる。上手から新
町三ツ扇屋の女将・お柳(萬次郎)が、店の帳場を任せている平兵衛(萬太郎)を連れて登
場。女将が探しているのは、元・餅米問屋の大黒屋主人の幸助。落ちぶれて長屋住まいにな
った幸助だが、お柳を頼りに妹のお袖を廓に奉公させるのと引き換えに30両の金を工面し
てもらったのだ。廓に出入りする人込みに紛れて幸助(松也)登場。お柳は、幸助を見つけ
ると、心を入れ替えて働くようにと諭して、店に戻って行く。

お柳の言葉を胸に刻んだのもつかの間、3年前に江戸に下った雷(中車)が花道から登場す
る。贔屓の旦那の幸助に無沙汰を詫び、江戸相撲で大関に出世したと報告する。大関になれ
たのは、幸助のお蔭だとまで言う。嬉しくなった幸助は、工面した30両のうちから、雷の
弟子の力士・夕立(廣太郎)らに祝儀を弾み、残りの全額を雷に渡してしまう。

そこへ、花道から幸助の女房・おきみ(笑三郎)と叔父の五左衛門(片岡亀蔵)が、やって
きて、そのことを知り、雷に祝儀を幸助に返してもらうようにと、説得する。幸助の申し出
を聞いた雷は、拒絶する。自分らは、人気商売、一度受けた祝儀は返さない。土俵の勝負で
返すのが礼儀だ、という。怒り心頭、雷に掴みかかる幸助。それを払いのけて立ち去る雷。
幸助の手には、雷の羽織の緒が取れて残った。「人情欠いた、この仕打ち」「おのれ、雷。
覚えておれよ!」で、幕。

二幕目第一場「幸助餅屋店前の場」。その年の暮れ。雷との一件を転機に幸助は心を入れ替
え、商売替え。店先の暖簾には、大黒屋、幸助餅、名代幸助餅などと染め抜かれている。餅
屋の主人となった幸助(松也)は、雷の羽織の緒を額にして、心の戒めにと店に飾ってい
る。店は、繁盛しているようだ。店先には、剣菱の薦被り。「美倉屋 幸助餅賛江」とあ
る。遊廓の奉公を免れた妹のお袖(児太郎)も奥から現れ、兄夫婦の店を手伝っている。花
道より、紋付姿の幸助が帰宅。そこへ、相撲の触太鼓が聞こえてくる。地獄の悪魔の声だ
と、耳を塞ぐ幸助。雷の愛想尽かしという仕打ちが、依存症治癒に効果があったらしい。

下手、奥より、雷(中車)登場。評判の幸助餅を一つ売ってくれと言う。その顔を見て、怒
りに震える幸助だが、ここは辛抱のしどころと我慢する。雷に餅を売る。雷が立ち去った
後、お袖が紫の包に気がつく。中には、30両。これを見た幸助は、金と飾ってあった羽織
の緒を持って、花道から雷の後を追って行く。さらに、女房・おきみ(笑三郎)も続く。お
袖(児太郎)は、奥へ戻る。

舞台が廻ると、同 第二場「大坂新町三ツ扇屋店先の場」へ。花道より、雷(中車)、次い
で、幸助(松也)登場。下手奥より、おきみ(笑三郎)、お袖(児太郎)らも、追いつく。
新町三ツ扇屋の奥から、お柳(萬次郎)が出てくる。幸助は、雷に金を投げつけようとする
が、お柳がそれを止め、幸助を窘める。
雷の愛想尽かしの真意を女将が解明する。新町の一件で女将が幸助に貸した30両の出処
は、雷であり、相撲の贔屓筋に幸助餅を密かに宣伝していたのも雷だと明かす。誤解が解け
て、めでたしめでたしの大団円。上方人情話のオチ。幸助が大黒屋の暖簾を再び揚げるか、
雷が横綱になるか、勝負、勝負。「よう、ご辛抱なされましたなあ」(女将の萬次郎)。


玉三郎・亀治郎・壱太郎


「於染久松色読販〜お染の七役〜」を観るのは、3回目。私が観たお染の七役は、玉三郎
(03年10月歌舞伎座、18年3月歌舞伎座。ただし、お六のみ)、亀治郎時代の猿之助
(11年2月、ル テアトル銀座。初役だった)、そして今回が初役の壱太郎。今回は、玉
三郎監修・指導で、壱太郎が初々しくも初役に挑む。ならば、壱太郎は、まず、玉三郎の所
作の外形を徹底的に真似る。先達の指導をなぞるように努める。いずれ、繰り返すうちに、
内面も真似られるようになるだろう。さらに、いずれ、壱太郎の独自性も付加され、身につ
いてくるようになるだろう。


壱太郎の話


「壱太郎の話」は、松竹・歌舞伎座の雑誌「ほうおう」から、引用。表現表記は、幾分手を
入れたが、引用はできる限り、忠実に行った。七之助が、以前に玉三郎の指導を受けて、
「於染久松色読販〜お染の七役〜」のお染を演じている。4年前の、14年1月の大阪松竹
座。私は、この時の舞台を観ていないが、玉三郎が、七役のうち、お六だけを七之助が、お
染、久松、お光の三役を演じた。七之助は、その2年前、12年1月、東京・浅草の平成中
村座で、七役を初役で勤めている。壱太郎は、七之助の舞台は観ているという。その時に
は、いずれ、「自分が務める、という意識はありませんでした」という。

「玉三郎のおじさまに教えていただいています。しっかりとお芝居があるのは、土手のお六
です。『莨屋』と強請のある『油屋』が大事だよ、科白を主体にお稽古をしてくださいまし
た」。「南北ものをということを意識してやりなさい、というのが最初の教えでした。科白
の音をとり、その上に感情を乗せるように、と言われました」。

お六を初役で演じるにあたって。「悪婆は初めてですし、啖呵を切り、強請をする芝居の経
験もありません。悪婆といえども、武家奉公していた、というのが大事だと玉三郎のおじさ
まはおっしゃいました。お芝居の裏に、お家騒動という大きな筋が通っているのをしっかり
と見せなければいけません。金を強請るのにも理由があることのおもしろさと難しさを感じ
ます」。

早替りについて。「祖父(坂田藤十郎)も『仮名手本忠臣蔵』や『大津絵道成寺』など早替
りのあるお芝居をたくさん勤めております。幼いころ、祖父がぱっぱと役を変わるのを黒衣
姿で裏から見ていて、楽しいと思いました。本人より、周囲が大変なんですよね。その中で
自分がどれだけ落ち着いて、いい意味で人に委ねて演じられるかです」。

「玉三郎のおじさまにもお六のお稽古の際、歌舞伎座を強請る気持ちでやらないと四階席ま
で届かないと言われました。科白の気持ちの込め方と歌舞伎座の隅々まで届く声。今回もふ
たつを並行しなが芝居を作らなけでばなりません」。

芸の伝承について。「おじさまご自身が財産にされてきたものを一言一句、動きのひとつひ
とつから、手取り足取り教えてくださいます。その幸せを、ほかならぬ自分が一番感じてお
りますし、しっかりとお客様に伝えていく使命も負っているのだと思います」。

03年10月、歌舞伎座で「於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)」を初め
て観た。15年前、玉三郎。「於染久松色読販」は、四代目鶴屋南北の作品。長い下積み生
活の果てに、50歳を前に、やっと立作者になった南北は、満74歳で亡くなるまでの中・
老年期こそ、彼にとっては、充実の「青春期」であったかも知れない。まあ、そういう時期
ではあっても、水ものの興行の世界だ。当たり外れもある。1年余りの不当たりの後、久し
ぶりに当てたのが、森田座初演の「於染久松色読販」であった。五代目岩井半四郎の七役
が、当たったのだ。

南北は、大坂のお染め久松の物語を江戸に移すという発想をベースに、主家の重宝探し、土
手のお六と鬼門の喜兵衛の強請が絡むが、基本は、「お染の七役」と言われるように、早替
りをテンポ良く見せるかという、単純な芝居(それゆえか、南北は、2年後、お六を軸にし
た芝居「杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)」を書き、江戸の河原崎座で上演す
る)。不当たり続きの南北が、当時、流行の早替りの演出を取り入れた捨て身の趣向が当た
ったのだろう。

今回の主な配役。お染、久松、お光、竹川、小糸、お六、貞昌の七役:壱太郎。庵崎久作:
中車。山家屋清兵衛:彦三郎。下女・おその:歌女之丞。鈴木弥忠太:猿弥。油屋太三郎:
門之助。油屋太郎七:権十郎。鬼門の喜兵衛:松緑、髪結・亀吉:坂東亀蔵。女猿回し・お
作:梅枝。船頭・長吉:松也ほか。

今回の場面構成は、次の通り。
序幕 第一場 「柳島妙見の場」、同 第二場 「橋本座敷の場」、同 第三場 「小梅莨
屋の場」、二幕目 第一場 「瓦町油屋の場」、二幕目 第二場 「瓦町油屋座敷の場」、
二幕目 第三場 「油屋裏手土蔵の場」、大詰 「向島道行の場」 浄瑠璃「心中翌の
噂」。

序幕 第一場 「柳島妙見の場」。
序幕の早替わりを紹介すると、序幕・第一場「柳島妙見の場」では、舞台上手に、妙見社の
大鳥居、妙見大菩薩の提灯など、下手に、妙見茶屋、浄瑠璃塚、松の木などという大道具の
仕立てで、参拝者が行き交う妙見社の賑わいを背景に芝居が進行する。七役役者の早替わり
を大雑把に追うと、「吹き替え(役者)」も適宜、使いながら、お染(花道から鳥居内へ)
→久松(上手揚幕から下手へ)→お光(上手より鳥居内へ)→竹川(鳥居内の下手奥から花
道揚幕へ)→小糸(花道揚幕から鳥居内へ)→貞昌(花道より駕篭で。茶屋の中へ。茶屋の
暖簾を分けて、出て来て、茶屋の前で、再び、駕篭に乗り、揚げ幕へ)→お六(下手奥より
別の駕篭で)、という具合だったのではないか(暗転中の観客席、メモの不備で、若干、不
正確かもしれないが、動線は、押さえてあるだろう)。

同 第二場 「橋本座敷の場」。第二場まで、早替わりの趣向優先である(ここでは、大雑
把に書くと、奥下手より上手障子の座敷へ久松→奥からお染→襖中央奥へ入る。暖簾の奥か
ら小糸→中央襖の奥へ。上手、障子の間の簾を上げると、障子の間に竹川)。

同 第三場 「小梅莨屋の場」。芝居らしい芝居は、序幕 第三場「小梅莨屋」の場面から
始まる。それまでは、玉三郎の場合も、亀治郎、壱太郎の場合も、七役紹介という場面が続
く。早替りなどに慣れている猿之助一座の芝居と違い、早替りのテンポなどは、玉三郎でも
「ちょっと」という場面もあったが、玉三郎は「替わる急所をしっかり押さえることが大事
だと思います。七つの役がパッと浮かび上がって見えるように。だから早替わりでなくて遅
替わりになるかもしれません」と言っていたのを思い出す。亀治郎は、澤瀉屋一門(猿之助
一座)で、早替りは、慣れている。

七役で替る役は、お染、久松、お光(「お染久松」の世界の3役)、久松の姉で奥女中・竹
川、後家の貞昌、土手のお六、芸者・小糸。それぞれの役を早替りで見せ、「悪婆」と呼ば
れるお六をじっくり見せる。従って、序幕 第三場で、お六が登場するまで、七役の役者
は、目まぐるしく替って見せる場面は、筋立てが、判りにくい。まあ、ここは、筋立てを気
にせずに、目まぐるしく替っても、役者の顔は、替らずに七役役者というところを堪能する
だけで、良いのかも知れない。

この第三場は、「悪婆」という独特の女形の型のあるお六(壱太郎)と鬼門の喜兵衛(松
緑)の夫婦の登場。実は、重宝紛失の鍵を握る男が、この喜兵衛。盗んだ重宝の刀を売り払
い、百両という金を手に入れ、すでに、使い込んでしまっていた。金の工面に思いついたの
が、質店油屋(お染の実家)に対する強請だが、これが、強請に使った「死体」が、息を吹
き返すという杜撰な強請で、化けの皮がはがれるが、喜兵衛は、意外と、泰然自若としてい
る、おもしろい男。

「小梅莨屋の場」から、「瓦町油屋の場」までの場面は、早替りもなく、じっくり芝居をす
るので、こちらもじっくり観た方が良い。人に頼まれて、自分が、重宝を盗み出して、油屋
へ質入れをし、その金を使い込んでしまい、依頼主から重宝を催促されて、質入れをした店
に、偽の「死体」で強請をかけ、それが失敗するや、質店の土蔵に盗みに入る。その挙げ
句、盗みに入った土蔵に居た久松に見つけられ、久松に斬り殺されるという、発想の単純な
小悪党でもある。

最初に玉三郎で観た時は、喜兵衛は、今は亡き團十郎であった。油屋の強請の場面では、お
六と喜兵衛の思惑の違いもあり、このあたりの、玉三郎との対比も、おもしろい。女形が、
強請の主導権を握るのも、珍しいので、おもしろく拝見した。兎に角、この芝居は、玉三郎
の早替りの妙と、團十郎、玉三郎の絡む場面というふたつの見どころを見逃さなければ、良
いだろう。発想の単純な小悪党の喜兵衛。そのあたりの人物の描き方が、團十郎は、巧い。
今回の松緑も、いろいろ小悪党は演じているが、まだ、團十郎には負けている。

二幕目 第一場 「瓦町油屋の場」。浅草の質屋・油屋。後家の、貞昌が、店を仕切ってい
るが、資金繰りが苦しいらしい。家族は、息子・多三郎、娘・お染の3人。多三郎は、柳橋
の芸者小糸と恋仲。お染は、店の丁稚・久松と恋仲。久松の姉・竹川は、奥女中で、お家の
重宝・短刀「牛王吉光(ごおうよしみつ)」を盗まれ、責任を取って、切腹した父の汚名を
そそぐために、丁稚となった久松とともに、失われた重宝・短刀と折り紙(保証書)の行方
を探している。久松には、さらに、乳(ち)兄弟で、久作(中車)というのが、親代わりに
なっていて、久作の世話で、お光を許嫁にしている。お染・久松・久作・お光は、「お染久
松の世界」そのものを踏襲している。竹川の、元の召使いの、お六は、鬼門の喜兵衛という
悪党と夫婦になり、「土手のお六」などという、「飾り」のついた名前を持つ、「悪婆」だ
が、実は、元の上司である竹川に頼まれて、探索中の重宝・短刀を買い戻す資金の調達を頼
まれている。お六と喜兵衛による強請場。歌舞伎には、いろいろな強請場がある。

二幕目 第二場 「瓦町油屋座敷の場」。最初に玉三郎で観た時は、座席の関係で、特に、
二幕目 第二場「瓦町油屋座敷の場」の場面は、大きな屏風一枚を巧みに使いながら、お
染、久松、貞昌の3役を、吹き替え役を巧みに使いながら、玉三郎がひとりで演じて行く様
がよく判って、興味深かったのを覚えている。

二幕目 第三場 「油屋裏手土蔵の場」。強請りに失敗した喜兵衛は、油屋裏手の土蔵に忍
び込む。牛王吉光の刀を盗み出そうと、実力行使に出た。土蔵の二階にいた久松に阻まれ
る。立ち回りの挙句、喜兵衛は、久松に切られてしまう。探し求めていた刀が手に入ったの
で、久松は、お染を追って、隅田川へ向かう。

大詰 「向島道行の場」 浄瑠璃「心中翌の噂」。
「向島道行の場」は、「心中翌(あした)の噂」という常磐津舞踊として、独立して、演じ
られることもある場面で、お馴染みの傘と茣蓙を使ったお六と久松の早替り。女猿廻し・お
作(梅枝)と船頭・長吉(松也)の所作。これらが、見どころ。このほか、南北作品らし
く、江戸の庶民の風俗の描写が、細かい。序幕の「柳島妙見堂」の大道具(壁などに掛かっ
た奉納額、絵馬など)なども、そういう視点で観ていると、おもしろい。歌舞伎は、細部に
宿る。

早替り最後は、お六。「なりこまや」と書いた傘を使った10人の船頭たちとの立ち回りの
後、今回の壱太郎は、お六の扮装のまま、幕切れで立周りの相手をしてくれた大部屋の役者
衆と一緒に舞台に一線に並んで座り、「昼の部は、これぎり」と、頭を下げて挨拶をした。
普通は、主役と主役格の挨拶の場面が多いので、大部屋の10人が、新鮮だった。
- 2018年12月9日(日) 17:04:01
18年12月国立劇場 (人形浄瑠璃・「鎌倉三代記」「伊達娘恋緋鹿子」)


こってり、時代もの、「鎌倉三代記」


歌舞伎の上演では、「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」という形の、「みどり(この場面だ
け)」上演が多い。だから、結末の付け方も、通しとは違う。今回は人形浄瑠璃の通し上演
なので、歌舞伎では馴染みのない場面を幾つも見ることが出来て、楽しめた。人形浄瑠璃
で、この芝居を見るのは、2回目。前回は、15年09月国立劇場。歌舞伎では、割と上演
する演目だ。記録を見たら、私は、歌舞伎では7回観ている。

「鎌倉三代記」は、史実の大坂夏の陣(1615年)を素材にした全十段の時代もの作品。
徳川幕府の意向(御政道批判にならぬよう。批判と判断されると、当時は、上演禁止とな
る)を踏まえて、鎌倉時代に時代設定を変えている。通称「鎌三」。作者不詳、という。1
781(安永10)年3月、江戸肥前座初演。

今回の人形浄瑠璃上演の場の構成は、次の通り。
「局使者の段」、「米洗ひの段」、「三浦之助母別れの段」(歌舞伎の「絹川村閑居」の
場)、「高綱物語の段」。

「鎌倉三代記」をコンパクトに紹介すると、鎌倉方=源実朝を想定(史実の徳川秀忠)の母
方の祖父・北條時政(史実の徳川家康)暗殺計画が主筋。つまり、鎌倉方は、徳川方のこ
と。京方=坂本城に立て籠る源頼家(頼家と実朝は兄弟。頼家は、史実の豊臣秀頼。つま
り、豊臣方)が城を包囲している鎌倉方の主将・北條時政を殺せと時政の娘・時姫(史実の
千姫)に指令する話。時政の娘・時姫は恋い慕った三浦之助義村の嫁になりたいと、戦場に
いる三浦之助不在中に絹川村(今の滋賀県)にある実家を訪れ、病気の義母の世話をしてい
る。

時姫が、芝居のキーパーソン。時政は、京方に行ってしまった娘の時姫を取り戻したい。一
方、京方の三浦之助義村と時姫奪還を命じられた新人の足軽・安達藤三郎、実は佐々木高綱
が、共同して時政の娘・時姫に働きかけて父親の時政を姫自身に殺させようという作戦。女
性の「恋心」を利用して、男どもの「忠義」を優先しようとする。男たちは、狡い。三浦之
助の母親も、己の命を犠牲にしてでも、時姫に父親の時政を討たせようとする。母親の「親
の論理」は、時として、男たちの論理に通底する。


時姫から見れば、三浦之助もその母親も、忠義を上位に置いているというのが判ってしま
う。しかし、時姫は、忠義より己の愛する人への恋心を優先させようと決意する。女心のし
たたかさ。封建時代に一人だけ近代人として生きることの辛さが、この芝居のテーマかもし
れない。作者不詳の芝居で、憑依した狂言作者たちの動物的な感性で、この芝居は成り立っ
ているのだろうから、近代性は、後世の私たちの勝手読みだろうが……。以後、揺るぎない
時姫の思いこそ、この芝居の軸足になっていると思う。

時政は、時姫奪還を命じた足軽・安達藤三郎に自分の刀を持たせて、父親からのメッセージ
であること、時姫にこの刀を使って、敵陣を突破して戻ってこいという、ふたつのシグナル
を届けさせる。時姫は、父親の意向にも添えないし、添うつもりもない。三浦之助たちの意
向に添って、父親を殺す気でいる。ダメなら、己の命をさしだすだけだ。あくまでも、恋の
ために殉じようとしている。

時政は、ふたりの局に時姫を迎えに行かせる。採用したばかりで得体の知れない所のある足
軽・安達藤三郎だけでは、心もとないと、信頼する富田(とんだの)六郎も時姫奪還に遣わ
せる。慎重な時政(家康)らしい、深慮遠謀だ。だが、富田六郎は正体を見破られ、佐々木
高綱に殺される。富田六郎は閑居の庭内にある井戸から出入りをしていて、高綱に槍で刺さ
れてしまう。

戦場で瀕死の重傷を負った三浦之助義村が危篤の母を見舞おうと、戦場離脱して、勝手に帰
宅する。母は、そういう息子との面談を拒絶する。三浦之助義村は、恋心を弄び、時姫に実
父殺しをそそのかす。時政の首を取れば、結婚する、というのだ。安達藤三郎、実は佐々木
高綱は、三浦之助義村の首を持って、安達藤三郎のまま、鎌倉方に戻り、隙を見て時政を討
つか、とも迷う。いや、当初の作戦通り、鎌倉方に帰した時姫に時政を殺させるか。二段構
え。その辺りが、ハッキリしないまま、三浦之助義村は、戦場に戻ることになる。実は、三
浦之助は、高綱と通じている。ふたりとも、本心は京方で、時政(家康)殺しを目論んでい
る。絹川村は、時姫争奪をめぐって、いわば、双方のスパイの最前線のようになっていた。

「鎌倉三代記」は、時代ものの中でも、特に、時代色の強い演目だ、と思う。作者の趣向と
しては、大坂夏の陣を鎌倉時代に移し替え、時姫に父親・北条時政への謀反を決意させよう
という筋書である。恋人・三浦之助義村と父親との板挟みになり、苦しむという、性根の難
しさを言葉ではなく、形で見せるのが難しいので、時姫は、「三姫」という姫の難役のひと
つと数えられて来た由縁である。男どもの戦争の論理の上に乗せられ、女の真心(純粋な恋
心)を全うしようとするのは、なかなか、難しいことだ。

こういう演目は、時代物の「かびくささ」「古臭さ」「堅苦しさ」などを逆に楽しめば良い
と思う。史実の豊臣と徳川の闘いをベースにしている。豊臣は、芝居では、京方。徳川は、
鎌倉方として、登場する。登場人物は、歴史上の人物をモデルにしている。京方の佐々木高
綱は真田幸村、三浦之助義村は木村重成、北條時政は徳川家康(今回の芝居では、実際には
出て来ない)。時姫は千姫、富田六郎は、本多忠朝など。内容が余りに史実に近すぎたの
で、徳川幕府によって、上演禁止にされたという曰く付きの演目。

私は、人形浄瑠璃で観るのは、今回が2回目。では、今回の場面から。
「局使者の段」。三浦之助の実家、病気の母が養生しているところへ、義母介護役の時姫を
迎えに、鎌倉方の局ふたりがやってくる。時姫は、買い物に出ていて、不在。ふたりの局
は、時政から時姫救出を命じられている。

「米洗ひの段」。チャリ場(笑劇)。時姫が、赤姫の衣装に襷(たすき)という格好で、買
い物から戻って来る。徳利を下げ、丸盆に四角い豆腐を載せている。姫らしからぬ格好。局
たちが、姫に鎌倉への帰還を促すが、姫は言うことを聞かない。むしろ、嬉々として、三浦
之助の嫁に相応しいようにと、健気に家事に勤しんでいる。米洗いも、そのひとつ。三浦之
助の母の看病にと近所の女房たちも見舞いを兼ねて手伝いにきている。陽気でがさつな「お
らち」が、姫の手つきを見かねて、井戸の水の汲み方から米の磨ぎ方までを教えながら、米
洗いを手伝う。悲劇の前の笑劇という、常套の場面。そこへ、安達藤三郎も現れ、自分が時
政の正式の使者だと主張し、局たちを下らせる。時政(史実の家康)は、慎重な知将。策を
いくつも巡らすタイプ。

贅言;歌舞伎では、「米洗い」の代わりに姫なのに手拭いを姉さん被りにし、行燈を持って
奥から出てくる時姫を描く。時姫の難しさは、「赤姫」という赤い衣装に身を包んだ典型的
な姫君でありながら、世話女房と二重写しにしなければならない。父親の意向と三浦之助へ
の恋心との板挟み。時姫の置かれている立場の苦しさが、テーマだからだ。それを「形」で
見せるのが、歌舞伎や人形浄瑠璃。

「三浦之助母別れの段」は、七段目。歌舞伎の「絹川村閑居」の場と同じ。歌舞伎では、こ
の場面だけが「みどり」で多く上演される。やはりハイライトの場面だからだ。三浦之助義
村は、病気の実母(人形浄瑠璃では、名前がないが、歌舞伎では、「長門」という)を心配
して戦場から戻って来たのだが、母からは、戦場離脱の公私混同と怒られ、面談を拒絶され
る。実は、三浦之助も、母のことを口実に妻となった時姫に父親・時政への謀反を決意させ
るために戻って来たという近代戦の「情報将校」並みの難しい役である。両者とも建て前を
全面に出して、本心を隠している。やがて、露見してくるが……。

人形浄瑠璃では、佐々木高綱と足軽・安達藤三郎がそっくりなことを利用して、佐々木高綱
が安達藤三郎を殺して、その首を贋の高綱の首として、時政の首実検に供する(今回の物語
は、通称「盛綱陣屋」、「近江源氏先陣館」の続編。首実検で偽首を「高綱の首」とされた
ため、本物の高綱は生き延びてここに登場するという設定に繋がる。「高綱物語」)。生き
残った佐々木高綱は、百姓・安達藤三郎に扮して、鎌倉方の陣地の出向き、足軽に採用され
る。鎌倉方の特使となり、それを証明するために時政の大事な刀を持たされ、三浦之助の実
家にやってきて時姫を「迎え(事実上の奪還)」ようと試みる、という訳だ。

佐々木高綱は、最初、足軽・安達藤三郎に化けている。閑居の庭の中にある「井戸」を介し
て、滑稽役の足軽と影の武将・佐々木高綱が入れ替わる辺りが、この狂言の独特の持ち味。

「高綱物語の段」。夜更け。庭の井戸の中から時政の忠臣・富田六郎が忍び出て来る。近所
の手伝いの女房に紛れ込んでいた藤三郎の女房・おくるが、富田六郎を迎え、家の裏口へと
案内する。鎌倉方同士という想定を崩さない。

一方、藤三郎は時姫に近づき、証拠の刀を見せながら自分が父親・時政からの正式の迎えだ
と強調する。時姫は、刀を点検した後、藤三郎に刃を向けて、申し出を拒絶する。逃げる藤
三郎。

夫を裏切れない。自害しかないと、密かに決意する。三浦之助は自分を真の夫にしたいのな
らば、時政を討てと言う。時姫は、父親の時政を討つと夫・三浦之助に約束をする。

これを蔭で窺っていた富田六郎が抜け穴の井戸から鎌倉方へ注進に走ろうとする。井戸の中
から槍を突き出して富田六郎を殺す者がいる。井戸の中から現れたのは、立派な身なりに代
わった安達藤三郎。安達藤三郎、実は、佐々木高綱が正体を顕す場面。三浦之助の母は、時
姫の槍に自ら刺され、自害する。佐々木高綱、三浦之助義村、時姫。いずれも、京方の立場
で時政殺しを狙う面々。戦さに翻弄される人々の悲劇を描く。

大道具の居どころ替りで、場面展開。閑居が上手に寄り着く。下手に松の巨木が現れる。明
け方、軍勢が動く気配。佐々木高綱は、松の木に登り、坂本城に押し寄せる鎌倉方の動きを
確認する。「逆櫓」(「ひらかな盛衰記」は、1739年初演だから、「ひらかな盛衰記」
の方が先行作品)の場面と似ている。

時姫は、夫・三浦之助義村のために、決死の父親殺しを己の使命と覚悟する。瀕死の三浦之
助義村は、戦場に戻って、戦死した後、己の首を佐々木高綱に提供すると、申し出る。佐々
木高綱は、足軽・安達藤三郎に扮したまま、三浦之助義村の首を土産に、戦果を報賞するで
あろう時政に近づき、暗殺を試みようと決意している。時姫、己と二段構えで、時政殺しを
企む。引張りの見得にて、幕。

時政の手の者が、井戸のなかの抜け道(史実の大坂城の出入りの抜け穴という伝説に基づ
く)を使うなど、時代物らしい荒唐無稽さが、かえって、おもしろい。時代物の好きな人に
は、そういう時代物独特の演出の様式をあれこれと楽しめる演目だろう。古怪な感じは、歌
舞伎よりも人形浄瑠璃の方が、深い。

「母別れの段」の竹本は、文字久太夫、三味線方は、藤蔵。「高綱物語の段」の竹本は、織
太夫、三味線方は、清介。人形遣いは、時姫:勘彌。安達藤三郎、実は、佐々木高綱:玉
志。三浦之助義村:玉助。三浦之助・母:和生。近所の女房おらち:簑一郎、藤三郎・女房
おくる、ほか。


「伊達娘恋緋鹿子」


時代ものの後は、八百屋お七が主人公の世話もの。今回の段組は、「八百屋内の段」「火の
見櫓の段」。このうち、「八百屋内の段」は、滅多に上演されない。私は、2回目。9年1
2月と今回、18年12月。早稲田大学の児玉竜一教授によると、10年に一回上演される
程度の珍しい場面だ、という。

恋愛故に、恋しい男のためならば、なんでもしちゃうという八百屋お七の物語ということ
で、筋は、判り易いし、特に、後半の場面は、人形の動きが、見物という、人形浄瑠璃入門
向けの演目である。「伊達娘恋緋鹿子」は、歌舞伎でも、お馴染みの「火の見櫓の段」が、
ハイライト。

歌舞伎では、櫓の場面は、例えば、「松竹梅湯島掛額」にも登場する。「松竹梅湯島掛額」
は、前半が、「吉祥院お土砂(どしゃ)」で、後半が、「櫓のお七」。黙阿弥が、1809
(文化6)年の「其往昔恋江戸染」(福森久助原作)と1773(安永2)年の「伊達娘恋
緋鹿子」(菅専助)とを繋ぎあわせて、1856(安政3)年に、「松竹梅雪曙」という外
題で、上演したという。その菅専助らの合作に拠る全八段構成の世話物が、この「伊達娘恋
緋鹿子」で、今回は、そのうちの「八百屋内の段」とあわせて、「火の見櫓の段」が、上演
された。

特に、「火の見櫓の段」は、主遣いが、背中から手を入れて、人形を動かす人形浄瑠璃であ
りながら、観客席に背中を見せて、お七が、火の見櫓のはしご段を上る。どうやって上るの
だろうか。

まずは、話の順番で、「八百屋内の段」から、始めなければならない。「八百屋内の段」
は、私は2回目の拝見。

「八百屋内の段」では、まず、吉三郎の物語。吉三郎は、安森源次兵衛の息子で、安森源次
兵衛は、高嶋家の家臣である。吉三郎は、吉祥院の小姓を務めている。ご存知のように、こ
こで、火事で焼け出されて避難して来た八百屋お七と知り合い、恋仲になる。これは、良く
知られている。

あまり知られていないのは、実は、吉三郎の父親の安森源次兵衛は、高嶋家の若殿・高嶋左
門之助のサポートをする御守役であったということ。その高嶋左門之助は、禁裏へ納める重
宝の「天国(あまくに)の剣」という秘剣を何者かにすり替えられてしまい、切腹をしなけ
ればならない立場だが、100日間の猶予を与えられ、秘剣探しをしていた。吉三郎の父親
の安森源次兵衛は、若殿の御守役不行き届きということで、すでに、責任を取って、切腹し
ている。悲劇の父親の無念を濯ごうと息子の吉三郎は、秘剣の在処を探り出す旅に出てい
た。剣を取り返さないと、若殿・高嶋左門之助といっしょに、これまた、切腹をしなければ
ならないと覚悟を決めている。

「八百屋内の段」に登場する吉三郎は、切羽詰まっていた。100日目の日を迎えた吉三
郎。行方の知れない秘剣のために、明日になれば死ぬ覚悟で、せめて、最期を前に、恋しい
お七に逢いたいと、雪が降っているなか、お七の父親の営む八百屋「八百九」(八百屋久兵
衛)へ、やって来る。運良く、お七と吉三郎の恋に理解をして、ふたりの仲を取り持ってく
れる奉公人の下女・お杉が、傘をさして、使いに出るのと巧くかち合った。帰って来たら、
お七に逢わせるから、縁の下に隠れて待っていらっしゃいということで、縁の下に隠れて、
お杉の帰りを待つ場面がある。

「曾根崎心中」のお初徳兵衛で、徳兵衛が、天満屋の縁の下に隠れて、座敷のやり取りを聞
いてしまう場面を思い出すシチュエーションだ。座敷では、火事で焼けた家を再建するため
に、久兵衛が金を借りたので、お七に金主の万屋武兵衛の所へ、借金の形(かた)に嫁入り
するようにと、両親から懇願される場面が、暫く続くことになる。二世を誓った恋人と別れ
られないと抵抗するお七。

縁の下で、その話を漏れ聞いてしまう吉三郎。吉三郎は、縁の下に置いていった蓑笠のなか
に、書き置きを残してお七に逢わずに帰って行く。自分は、あす、明け六つ(午前6時頃)
の鐘を合図に、死に行く身だから、お七の幸せのためにも、親孝行のためにも、親の言う通
りに嫁入りしてくれと書いたのだ。吉三郎は、己は、雪に濡れるのも厭わずに、大事な書き
置きを濡らせまいとして、蓑笠に包んで帰って行ったのである。お七は、恋しい吉三郎に逢
えなかった悲しみに狂わんばかり。秘剣のために命を落とすというのなら、自分が、秘剣を
探し出して、吉三郎の命を助けたいと思う。どこまでも、恋しい男と結ばれることだけを考
えているいじらしさ。でも、残された時間は、あまりない。「闇に礫」という竹本の文句が
あるように、闇雲に動いても、効果は上がらず、時間が浪費されるばかりだろう。さて、ど
うするか。

そこは、お芝居。深刻な状況は、逆転して、チャリ場(滑稽な場面)にしてしまう。押し入
れに隠れて寝ていた店の丁稚の弥作が、押し入れをなかから開けて、姿を見せて、「天国の
剣」なら、お嬢さんが、結婚を嫌がっている万屋武兵衛が、持っているじゃんと寝とぼけ顔
で、言うではないか。尤も、弥作は、「天ん邪鬼(「あまぐに」ならぬ、「あまんじゃ
く」)の剣」と言うのだが……。なぜ、丁稚が、そういう重要な情報を知っているのか、不
思議。どうも、武兵衛のところへ、刀を持って来た転売屋の太左衛門の話を押し入れのなか
で、居眠りしながら聞いていて、都合良く小耳に挟んだらしい。ふたりは、宵から酒を飲ん
でいて、酔っぱらっているから、隙を見つければ、武兵衛の腰に差さっている秘剣をかすめ
取れるのではないか。ならば、お嬢さんのために、お杉が盗もう、弥作が、それを手助けし
ようという作戦になる。そして、ふたりは秘剣を盗み取ることに成功する。ここまでが、
「八百屋内の段」。


人形遣いの姿が見えないのに、人形は、なぜ、はしご段を上れるのか


「火の見櫓の段」。歌舞伎の定式幕とは、逆に、上手から下手に幕が開くと、舞台は、浅黄
幕に覆われている。竹本と三味線方の紹介の口上も無く始まり、浅黄幕の振り落とし。すで
に、お七は、手紙を持ち、雪の降る中、黒塗りの火の見櫓の前に立って居る。

竹本「降り積もる、雪にはあらで恋といふ、その愛しさの心こそ、いつかは身をば崩れは
し」、(雪=往きと恋=来い)という言葉遊びをちりばめながら、「火の見櫓の段」では、
雪が降り積もるなか、江戸の町々の木戸を閉める合図となる鐘が鳴り始める。

三人遣いの人形遣いに加えて、もうひとりも協力して、4人掛かりで、お七の「浅黄と緋の
麻の葉の段鹿子」の衣装から、肌脱ぎさせて、下に着ていた緋縮緬の長襦袢を見せる。やが
て、ある決意をして、火の見櫓に近づいたお七。首を長い髪ごと、ダイナミックに前後に振
る。いよいよ、櫓のはしご段に取り付いたお七。

秘剣を盗んで来たお杉、盗まれたことに気づいてお杉を追いかける武兵衛、転売屋の太左右
衛門のグループ。弥作が、追いつき、お杉のために武兵衛の邪魔をする。奪ったり、奪われ
たりというドタバタのチャリ場。上手で弥作が秘剣を奪い取り、下手にいるお杉に投げ渡
す。この場面が決まると、客席から、盛大な拍手が起こる。

お七は、火の見櫓に上り、禁断の鐘を鳴らして、秘剣を持ったお杉に木戸を通らせると、自
分も、火の見櫓から降りて、お杉の後を追って行く。

八百屋お七は、火事で自宅が焼けて、吉祥院に避難した際に寺の小姓の吉三郎に恋をしてし
まい、借金で再建された自宅に戻った後も、吉三郎恋しさに、自宅に放火をして、捕まり、
火あぶりの刑になったという話が、流布しているが、この芝居では、吉三郎の窮地を救い、
恋しい男の命を助けるために、秘剣を見つけ出し、それを夜中じゅう(夜が明ける前)に吉
三郎に届けるために、火の見櫓の鐘を叩くという乙女の一途な恋物語の話になっていて、と
てもシンプルで判り易い。

偽りの半鐘を鳴らしたからには、お七は、火あぶりの刑になるという過酷な運命が待ってい
る。「焼き殺されても男ゆゑ、少しも厭はぬ大事ない。思ふ男に別れては所詮生きてはゐぬ
体、炭にもなれ灰ともなれ」とは、お七の決意。これも、激しい。


歌舞伎のお七は?


さて、「火の見櫓の場」の歌舞伎の舞台を思い出そう。この場面は、白と黒のモノトーンの
雪景色の町家の風景。赤を基調にしたお七の艶やかな衣装だけが引き立つという演出。さら
に、お七の所作が、倒れたのをきっかけに、役者は、人間から、「人形ぶり」(人間なが
ら、人形のような、やや、ぎくしゃくした動きとなる)に変化する。人形らしく、足を見せ
ない(歌舞伎では、三人遣いの人形浄瑠璃とは逆になり、足遣いがいない)。従って、お七
人形を遣うのは、ふたりの人形遣いということになる。もうひとりの人形遣いは、何処に居
るかというと、舞台下手に雪布で覆われた板の上に立ち、ひとりで、ひたすら足踏みをし
て、人形の足音を表現する。人形浄瑠璃の実際に足音よりも、派手で、大きくて、大分、誇
張されている。花道七三で、役者は、人形から、再び、血の通った人間に戻る。人形遣いを
演じた3人の役者たちは、客席に向かって礼をした後、舞台下手奥へ退場した。人形から人
間への「黄泉帰り」を演ずるように、役者は、本舞台へ帰って行く。本舞台中央に設けられ
た火の見櫓にはしご段から上がる場面では、役者も、生き生きとしている。櫓のてっぺんに
上った役者に、(天井の葡萄棚から)霏々と降る雪が、いつもながら、印象的だ。このよう
に、歌舞伎では、役者は、人間から、人形ぶりとなり、再び、人間に戻り、火の見櫓のはし
ご段を人間として、上って行く。


人形浄瑠璃のお七


また、人形浄瑠璃の舞台に戻ろう。ここでは、火の見櫓のはしご段に取り付いたお七の「右
手」を櫓のなかにいる別の人形遣いが、握る。それを確認した主遣いと左遣いは、人形から
離れる。足遣いのみが櫓の表側に残り、お七を下から支える。お七の人形は、体を揺すりな
がら、はしごに取り付いて上り始める。それを見届け、主遣いと左遣い、ふたりとも、櫓の
裏側へ廻って行く。そして、櫓の後ろに廻ると、お七の手と首(かしら)を操る部分を握
る。櫓のはしご段の両脇が、割れ目のある「幕」のような形になっていて、そこから、人形
の操る部分を握れるし、顔の一部も覗かせることができるように仕掛けてあるのではない
か。つまり、人形遣いが、ほとんど、姿を見せずに、人形が櫓のはしご段を上るという演出
になっている。確認した訳ではないが、櫓の裏側でも左遣いが、人形の手を持ち、徐々に引
揚げる。主遣いが、人形の首と手を操りながら、はしご段を上る人形の所作や表情を演出す
るということなのではないか。

首の動きが、激しくなることで、正規の主遣いに替わったということが推量される。櫓の上
に到達し、お七の人形遣いたちは、皆、定位置に着き、本来の操り手に戻る。そうすると、
お七は、右手で、鐘木を握り、禁断の半鐘を叩き始める。

この演出は、近代の女形遣いの名手と言われ、1962年に亡くなった吉田文五郎が、考案
したという。初演の1773年以来、200年近くは、吉田文五郎とは、違う演出で、お七
を櫓に上らせていたというわけだ。お七の人形としての動きは、ダイナミックで、表情もあ
り、感動する場面だ。

歌舞伎では、そういう芸当が出来ないので、役者は、「人形ぶり」で、操り人形の神業ぶり
を真似るとともに、入れ事として、こういう工夫をする。お七役者は、人形ぶりの途中で、
衣装の「引き抜き」という演出で、「黄八丈」から、「段鹿子」の衣装に早替りをして見せ
るのである。これはこれで、モノトーンの舞台のなかでは、効果的な演出だろう。

贅言:歌舞伎の役者は、「人形ぶり」で、人形浄瑠璃の操り人形の神業に近づこうとし、人
形浄瑠璃の人形遣いは、人形ながら、人形だけで、操られずに、動いているように工夫す
る。その、それぞれの工夫魂胆が、私には、おもしろい。
- 2018年12月9日(日) 10:23:15
18年12月国立劇場 (人形浄瑠璃鑑賞教室/「団子売」「菅原伝授手習鑑 〜寺入り・
寺子屋〜」)


鑑賞教室定番の「菅原伝授手習鑑」


さすが、歌舞伎・人形浄瑠璃の400年を超える歴史の中で、三本指に入る演目の「菅原伝
授手習鑑」だけに、国立劇場では、人形浄瑠璃鑑賞教室定番の演目と心得ているようだ。私
の20年に亘る劇評を見ると、今回の人形浄瑠璃鑑賞教室の番組、つまり、「団子売」、
「解説/文楽の魅力」、「「菅原伝授手習鑑」(「寺入りの段」「寺子屋の段」)は、13
年12月国立劇場・人形浄瑠璃鑑賞教室 (「団子売」「菅原伝授手習鑑 〜寺入り・寺子
屋〜」)と、全く同じ構成だ。5年ぶり。古典的な人形浄瑠璃や歌舞伎の代表的な演目だけ
に初心者には、判ろうが判るまいが、こういう本物を見せるに限る。本物は、その時、判ら
なくても、観客の心に染み通るからだ。何年も後になって、染み透っていた滋味が判る時が
来るかも知れない。

「菅原伝授手習鑑」は、「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」と並んで、歌舞伎・人形浄瑠璃
の史上三大演目と言われる。なかでも、「菅原伝授手習鑑」は、トップバッターの栄光に輝
く。「寺入りの段」「寺子屋の段」では、松王丸と千代の夫婦と源蔵と戸浪の夫婦が両輪を
なす。ふた組の夫婦の間で、ものごとは展開する。「寺子屋」は子ども殺しに拘わるふた組
のグロテスクな夫婦の物語なのである。一組は我が子を恩人の息子の身替わりとして殺させ
るようにしむける。子どもは、親の「道具」か。もう一組は身許も判らない他人の子を大人
の都合で身替わりとして殺してしまう。これも、子どもの人格なぞ、無視している。

一組目の夫婦は松王丸・千代。「寺入り」、つまり、寺子屋(学習塾)への入学のことだ。
先に子どもを連れて入学して来た母親(千代)と後で、「公務」(菅秀才狩り)で、出向い
てくることになる、その夫(松王丸)だ。夫は秀才の首実検役として、時の事実上の権力
者・藤原時平の手下(公務に忠実な小役人)・春藤玄蕃とともに寺子屋を訪ねて来る松王丸
である。

実は、源蔵の「心中」を除けば、物語の展開の行く末のありようを「承知」しているのは松
王丸だけで、彼が妻と計らって、自分の息子・小太郎を源蔵が殺すようにと、企んでいる。
千代は息子の死後の装束を文机のなかに用意して、入学していたし、松王丸も春藤玄蕃の手
前、源蔵に対して、「生き顔と死に顔は、相好(そうごう、顔付き、表情)が変わるから
と、贋首を出したりするな」などと、さんざん脅しを掛けながら、実は、贋首提出に向けて
密かな「助言」(フェイクニュースの勧めというメッセージ)を送っているのである。

ふた組目の夫婦は「寺子屋の経営者」である武部源蔵・戸浪である。右大臣だった菅丞相の
旧臣・武部源蔵は、芹生(せりょう)の里で寺子屋を開いている。ふたりは匿っている菅丞
相の息子・秀才の首を藤原時平方へ差し出すよう迫られている。なぜか、ちょうど「この
日」、母親に連れられて、新たに入門して来た子ども(松王丸の息子・小太郎)がいる。こ
の子は野育ちの村の子とは違って、品が有る。一眼見れば、全身から出るオーラが違うので
ある、この子を秀才の身替わりに殺して、首を権力者(藤原時平)に差し出そうかと、源蔵
は苦渋の選択を迫られているのである。妻の戸浪に話すと、「鬼になって」そうしろと言
う。こういうのを封建時代は、「良き妻」として称賛したのだろう。悩んだ挙げ句、「生き
顔と死に顔は、顔付きが変わるから、贋首を出しても大丈夫かも知れない」、「一か、八
か」(ばれたら、己も死ねば良い、相手も斬り殺してやる)と、他人(ひと)の子どもを殺
そうと決意する源蔵夫婦は「悩む人たち」では有るが、実際に小太郎殺しをする直接の下手
人であり、まさに、鬼のような、グロテスクな夫婦ではないか。

今回のポイントは、構成が、「寺入りの段」「寺子屋の段」となっていることだ。歌舞伎で
も時々は演じられないわけではないが、普段は省かれることが多いのが「寺入りの段」であ
る。右大臣だった菅丞相の旧臣・武部源蔵(人形遣い:玉也)は、芹生(せりょう)の里で
寺子屋(学習塾。読み書き指導)を開いている。源蔵・戸浪(人形遣い:文昇)の夫婦は菅
丞相の息子・秀才(人形遣い:簑悠)を密かに匿っているが、左大臣の藤原時平は執拗に秀
才を探しまわっている。芝居の場面では、見つかるのも時間の問題という切迫した状況にな
っている。この寺子屋に、なぜか、鄙には稀な品の良い母親(実は、松王丸女房の千代。人
形遣い:清十郎)が息子(小太郎。人形遣い:和馬)を連れて入門を頼みに来る。寺子屋へ
の入門なので、「寺入り」である。歌舞伎では、「寺子屋」の冒頭に次ぐ部分の演出とし
て、演じられることもあるが、滅多に演じられない。

入門お手続きを済ませると、母親は隣村まで所用を果たしに行くと子どもを預けて、そそく
さと出かけてしまう。「悪あがきせまいぞ」と、謎のような言葉を小太郎に投げかけ
て……。

今回の「寺入りの段」。竹本は、小住太夫。三味線方は、「解説/文楽の魅力」で、三味線
の解説を担当した寛太郎。さて、本編の「寺子屋の段」。「前」は、千歳太夫、三味線方
は、富助。「跡追ふ子にも引かさるゝ、振り返り、見返りて、下部」まで。

続いて、山場の「寺子屋の段」。竹本は、盆廻しで交代、「後」は、睦太夫。三味線方は、
清友。「引き連れ、急ぎ往く」で、睦太夫は語り出す。

村の「振舞(庄屋宅での饗応に参加。実は、「饗応」は偽りで、藤原時平の家来・春藤玄蕃
と松王丸に庄屋立ち会いで引き合わされて、匿っている菅秀才の首を差し出せ、という強談
判をされる)」から戻って来た源蔵(人形遣い:玉也)の顔色が蒼ざめている。しかし、戸
浪(文昇)がきょう、寺入りした新入生の小太郎を引き合わせると、「忽ち面色和らぎ」、
庄屋宅での事情を説明する。源蔵は小太郎を身替わりにして「秀才の首」だと偽って差し出
す作戦を妻に明かす。ばれたら、関係者皆殺しにしようと言う。源蔵は筆も立つが剣も立
つ。

ここへ、頃や良しとばかりに藤原時平の家来・春藤玄蕃(人形遣い:玉輝)と秀才の首の検
分役として松王丸(人形遣い:玉男)がやって来る。胸に秘策を秘めた松王丸は、玄蕃を騙
して我が子・小太郎の首を菅秀才の首と認定する。それを信じて玄蕃は小太郎の首を抱えて
帰って行く。病気療養中に特別任務を果たした松王丸も、休暇を得て、「駕篭に揺られて立
ち帰る」。

贅言:「菅原伝授手習鑑」は、人形浄瑠璃の方が先行作で、後に、歌舞伎化された。従っ
て、細部で演出が違う。人形浄瑠璃が反映していた時代、人形浄瑠璃の関係者には、プライ
ドがあった、と感じられる。例えば、「寺子屋の段」は、歌舞伎とほぼ同じだが、小太郎が
上手の奥で殺された瞬間、歌舞伎では、戸浪と松王丸が、ぶつかりあい、「無礼者め」と松
王丸が言う場面が、人形浄瑠璃には全くない。歌舞伎は、この場面のハイライトとして、演
技の気合いを、ここに込めた。「無礼者め」は、役者の工夫魂胆。歌舞伎の入れごとと知れ
る。
それでも、人形浄瑠璃に歌舞伎のような科白は無い。しかし、松王丸が着ている衣装の紋様
「雪掛け松」は、本来、人形の松王丸が着ている衣装ではなかった。歌舞伎の松王丸が着て
いて評判になり、その後、何時の時代か、人形浄瑠璃に逆輸入された。関西の人たちは、し
ぶといね。良いものは、良いという感覚が鋭かったのだろう。今に変わらぬ、上方魂。私
も、記者になって、赴任した初任地は、大阪であった。半世紀近くも前のこと。往時茫々。

「夫婦は門の戸ぴつしやり閉め……」、人形浄瑠璃の鑑賞教室とはいえ、語りの聴かせどこ
ろ、見せ場の「切場」を任せられた睦太夫が語り出す。青い肩衣が爽やかだったが、熱演の
余り、汗も拭かない。何か、いつもの睦太夫と違う印象。

贅言;実は、睦太夫は、東京の出身。22年前、大学卒業後、1996年4月、大阪の国立
文楽劇場の文楽研修生となった。東京で生まれ育った睦太夫は、「君、(東京弁に)なまっ
てるで」と先輩たちに何度も直された、という。研修修了後は、嶋大夫に入門した。嶋太夫
は、熱意の人。だみ声ながら情が熱い。顔を真っ赤にして、全身を使って語る。竹本の太夫
たちは、それを「筒一杯」と言う。持てる力をすべて出し切る全力の演じ方だ。迫力満点。
睦太夫は、嶋太夫直伝の熱演。同じ熱演派の織太夫に続いているのでは、とさえ私は思っ
た。

松王丸に見破られるのでは、と懸念した「作戦」が、思い以上に見事に成功してしまい、気
が抜けた源蔵・戸浪夫妻。そこへ、隣村での用事を済ませたという、小太郎の母親・千代
が、次いで、公務の衣装を脱ぎ、黒ずくめの衣装に着替えた松王丸が現れ、源蔵・戸浪の
「作戦」の、その前に、実は、松王丸・千代の「作戦」があったことが判るという謎解きの
場面。睦太夫は、息を短くつきながら早口で語りかけるが、これが場面の切迫感を盛り上
げ、早間に展開する真相解明に驚く源蔵・戸浪の、いわば、息の上がった興奮ぶりを印象づ
けていて効果的だった。師匠の嶋太夫譲りの語り。

息子を亡くし、泣き暮れる母親・千代。小太郎の最期を源蔵に聞き、我が子を褒める父親・
松王丸。この辺り、睦太夫の語りは、私には、師匠の嶋太夫の語りを彷彿とさせた。この場
面、私は、表情が豊かで、人形の動きより、嶋太夫の笑い、泣き、と変化する表情に目が行
きがちだった、ことを思い出す。

菅秀才は母親と再会する。恩人の妻子を交えて、グロテスクなふた組の夫婦は、一人犠牲に
なった小太郎の首の無い遺体を菅秀才の遺体と偽って野辺送りをする。騙しは、最後まで騙
し続けなければならない。舞台には、名曲の「いろは送り」が流れる。松王丸と千代の夫婦
は、歌舞伎なら、下に白無垢麻裃の死に装束を着ている(人形浄瑠璃の竹本の文句は、「哀
れや内より覚悟の用意、下に白無垢麻裃」で、歌舞伎の演出の方が、正しい)が、人形の松
王丸と千代は、一旦奥へ入って、着替えをした体で改めて出て来た。この演目も人気演目ゆ
えに、歌舞伎では、「入れごと」がいろいろあるが、ここでは省略。人形浄瑠璃が、原型に
近いのだろう。特に、豪華な網代駕籠に乗せられた小次郎の遺体を前に、白無垢姿でひとり
踊る母親・千代の踊る姿が、孤独な悲しみをヒシヒシと伝えてくる。


「団子売」は、舞踊劇


「団子売」は、幕末から明治期の、いわゆる新歌舞伎の作品。江戸時代に町中で餅を搗いた
り、丸めたりしながら団子づくりの実演販売をする夫婦の様子を写した「景事(けいご
と)」という演目。景事では、複数の太夫(今回は、4人)が、複数の三味線方(今回は、
4人)が、華やかに演奏する。人形は、舞踊を軸とした所作をする。夫婦は、女房がお臼。
夫が杵造。竹本は、夫担当の靖太夫、妻担当の咲寿太のほかにふたり、亘太夫、碩太夫。三
味線方は、團吾(だんご)、友之助、清公、清允。人形遣いは、杵造が玉翔。お臼が紋吉。

「臼と杵とは女夫(めおと)でござる。やれもさうやれやれさてな、夜がな夜ひと夜おおや
れやれな。父(とと)んが上から月夜はそこだよ。ヤレコリヤよいこの団子が出来た
ぞ……」などという詞章は、餅を搗くという所作は、性愛を象徴するのに合わせて、五穀豊
穣、子孫繁栄不老長寿(高砂尾上)などを唄い上げる。「誰に抱かせませうぞえ、お前に抱
かそぞえ」。

街の背景は、具体的には指定されていないのかもしれないが、以下は、私の推理。

大坂道頓堀北側の広場に夫婦はやってきた。夫は、天秤棒の両端の一方に臼、もう一方に材
料を入れた箱と行灯看板をぶら下げている。看板には、「とび だんご」と書かれている。
「きびだんご」のもじりだろうし、「とび」=「鳶」(鳶が鷹を産む)、「飛び」などと勢
いのあるネーミングと見受けた。広場の背景に「浜芝居」、つまり「浜」=「道頓堀」の南
側に軒を並べる芝居小屋街が見える。道頓堀の北側から南側を望んだ光景だろう。道頓堀に
は橋が架かっているが、名前は書いてないので、判らない。橋の東側(つまり、舞台下手
側)に松と高札があり、橋の西側(つまり、舞台上手側)に柳の並木が見える。橋の東西に
は茶屋と芝居小屋。小屋には、幟と櫓。幟には、歌舞伎役者らしい名前が書かれているよう
に見える。ちゃんと字を書いていないので、不明瞭だが、「中村」「坂東」「市川」などと
読めないことも無い。道頓堀のこちら側には、囗(くにがまえ)に、吉の紋を染めた暖簾の
かかる呉服屋などの商家が連なる。道頓堀の芝居小屋の向こうに連なるのも商家のようだ。
その後ろは、木々。遠景には山並が見える。
- 2018年12月8日(土) 16:28:44
18年11月国立劇場・通し狂言「名高大岡越前裁」


歌舞伎は、やはり、悪人が魅力的


「大岡裁き」で歴史に名が残る江戸南町奉行の大岡越前守忠相(1677年〜1751年)
は、「奉行(行政職と司法職を兼ねる)」としても徳川幕府中期の有能な官僚であったが、
司法職の「裁き」や防災対策など行政諸策のユニークさに注目され、明治期に入って講談の
人気者となり、俄然、史実を超えた大衆的なヒーローとなった。江戸中期といえば、「享保
の改革」を推し進める八代将軍・吉宗の時代であり、大岡越前守忠相は、1717(享保
2)年に江戸南町奉行に就任した。虚実取り混ぜた大岡像が巷間に流布された。今回の演目
「名高大岡越前裁(なもたかしおおおかさばき)」も、登場人物は、史実の人たちだが、話
としては、フィクションである。講談の大岡像は、およそ90の説話群として語られた「大
岡政談」から、再構成されたという色合いが強い。「名高大岡越前裁」は、今回の国立劇場
での上演に向けて、新たにつけられた外題で、話の筋は、1728(享保13)年に起きた
「天一坊事件」がベースになっている。歌舞伎で「天一坊事件」を扱った作品は、大岡の没
後、100年ほど経った19世紀半ばに初演されたが、明治期に入ると、人気の講談を元に
河竹黙阿弥が、1875(明治8)年1月、新富座で「扇音々大岡政談(おおぎびょうしお
おおかせいだん)」を書き下ろし、今日上演される天一坊ものの基本となった。今回の「名
高大岡越前裁」は、主人公を天一坊から大岡越前守忠相に移して、天一坊事件を描いている
と言えるだろう。

この芝居は、天一坊という悪徳坊主が、他人になりすまそうとする物語。半世紀以上昔の古
いフランス・イタリア合作映画(1960年)では、アランドロンが主演した「太陽がいっぱ
い(プランソレイユ)」(plein soleil)という映画が、なりすましの物語だった。我が青
春のアランドロン。外国映画らしく、サインを真似る練習のシーンとなりすますために殺し
た友人の遺体が、なりすましに成功した主人公が操縦するヨットにロープで引っかかってい
て浮き上がって来るというラストシーンが印象的だった。


「あんた、何者?」


「あんた、何者?」(「殺し・身代り・なりすまし」という犯罪がテーマ)。犯罪者と奉行
(裁判官)の対決。史実の人たちが登場する実録物風だが、芝居は、全くのフィクション。
通常、天一坊ものは、以下のような場面構成で上演される場合が多い。

今回の国立劇場の場面構成は、六幕九場。同じ演目ながら、これまでより、場面が多い。特
に、三幕目は珍しい。なりすましの悪党と正義の味方江戸町奉行の対決の物語は、対決、裁
きの場など、ところは変わるものの、座敷の場面が多い。お互いに座ったままで論難し合う
ので、科白劇になりがちで、場面展開に起伏を欠く。三幕目を入れることで、こうした科白
劇に「無常門」、死者、つまり死骸を出す不浄門のこと。その不浄を逆手にとって、黙阿弥
は、ブラックな笑いの場に仕立てた。チャリ場(笑劇)を入れ込んだ形となり、芝居に膨ら
みを持たせた。国立劇場の演出室の新工夫があったと言えるだろう。

物語の展開は、予定調和的。「大岡裁き」の色合いを深めている。前半は、天一坊の野望が
優勢。五幕目、大詰辺りから、勧善懲悪に向けて、大岡越前守が、盛り返す。

今回の場面構成は、以下の通り。
序幕第一場「紀州平沢村お三の住居の場」、同 第二場「紀州加田の浦の場」、二幕目「美
濃長洞常楽院本堂の場」、三幕目第一場「大岡邸奥の間の場」、同 第二場「同 無常門の
場」、同 第三場「小石川水戸家奥殿の場」、四幕目「南町奉行屋敷内広書院の場」、五幕
目「大岡邸奥の間庭先の場」、大詰「大岡役宅奥殿の場」。


これまでに観た場面構成では、どうだったか。例えば、15年5月の歌舞伎座。通し狂言
「天一坊大岡政談」の構成は、次の通り。

序幕「紀州平野村お三住居の場」、同 「紀州加太の浦の場」、二幕目「美濃国長洞常楽院本
堂の場」、三幕目「奉行屋敷内広書院の場」、四幕目「大岡邸奥の間の場」、大詰「大岡役
宅奥殿の場」。今回の「三幕目」(水戸がらみ)がそっくりない、というわけだ。

今回の主な人間関係:「越前守」対「天一坊」の対決。対決の構図は判りやすい。越前側に
は、水戸藩主の徳川綱條(つなえだ)、大岡家の家臣たち。中でも、徳川綱條は、有力な支
援者。綱條は、水戸藩の三代目藩主。水戸藩の二代目が、あの水戸光圀(叔父にあたる)、
そう、黄門さまだから、光圀から綱條へ引き継がれたことになる。光圀の養子になった。ま
た、綱條は、八代将軍が吉宗に決まる前、吉宗、綱條は、将軍候補で、横並びだったとい
う。綱條が将軍就任を辞退し、吉宗に将軍の座を譲ったと言われる。従って、大岡越前守の
意向を受けて当時病身の綱條が動いたわけだから、吉宗も無視はできない、ということにな
った。

天一坊側には、知恵者(ただし、悪知恵)山内伊賀亮。伊賀亮の作戦勝ちによる結果論とし
ての、大坂城代、京都所司代、老中、そして八代将軍・吉宗も天一坊側となる。


発端は?


序幕第一場「紀州平沢村お三の住居の場」、第二場「紀州加田の浦の場」、二幕目「美濃長
洞常楽院本堂の場」。序幕は、物語の発端。紀州の寺(観応院)の坊主・法沢は、吉宗の御
落胤(息子)が、自分と誕生日が同じながら早生し、その上、吉宗(当時は、紀州徳川家三
男・徳太郎)からの出生証明となる自筆のお墨付と証拠の短刀があることを知り、御落胤の
祖母・お三(このお三の娘・お沢が紀州徳川家の家老宅に奉公していた時、家老に養育され
ていた徳太郎の子を宿した)、観応院の師匠など関係者らを殺し、自身が将軍・吉宗のご落
胤になりすますことを企む。そのためには法沢という自分自身の足跡をも無くす、偽装工作
までする。つまり、自殺に見せかける工作をする。「殺し・身代り・なりすまし」という犯
罪を構成し、紀州から飛び出す。二幕目。美濃の常楽院では、伊賀亮に、御落胤なりすまし
を見抜かれると、正直に「偽物だ」と白状する。科白も時代から、世話に砕ける、黙阿弥得
意の演出となる。その思い切りの良さを受け止めた伊賀亮が、逆に法沢と一緒に悪事を展開
しようと、協力を申し出ることになる。チンピラ・法沢とインテリヤクザ・伊賀亮の悪の同
盟成立というわけだ。度胸と悪知恵の合体。


「転」の鍵は、副将軍の家柄の水戸家


三幕目第一場「大岡邸奥の間の場」、第二場「同 無常門の場、」、第三場「小石川水戸家
奥殿の場」は、伊賀亮の戦略で、天一坊一味は、西から江戸へ攻め上る作戦をとる。大坂城
代、京都所司代、江戸の老中(幕府高官)らから取り調べを受けるが、論客伊賀亮のお陰
で、いずれも論破し、逆に味方につける。官僚は、論破され、同意すれば、共犯意識が強ま
るから、必要以上に味方になる。今も、官僚の世界は変わらない。そして、江戸へ。大奥
へ。将軍吉宗との親子の対面近し、という状況まで近づいて行く。

天一坊の顔に悪相があるとして、一人、老中たちに対して異議を唱える大岡越前守。将軍吉
宗の親子の対面を邪魔するのかと、将軍吉宗からも叱責され、閉門の処分を下されてしま
う。それでも、信念を曲げずに、天一坊再吟味への試みに努める。謹慎処分の逆転は、なる
のか。大岡越前守のサポーター水戸藩主・徳川綱條の協力を仰ぐ。起承「転」結。大岡は、
「転」を水戸藩主・徳川綱條に頼った。


様々な座敷の場面が多い


この芝居は、いくつもの「座敷」が次々と舞台に現れる。大岡邸奥の間。小石川水戸家奥
殿。南町奉行屋敷広書院。大岡役宅奥殿など。芝居の流れと座敷・象徴的な服装の比較。座
敷とリンクして、大岡の服装の変化を見ておこう。

三幕目第一場「大岡邸奥の間の場」。職場用の、公用の裃姿。天一坊問題で将軍に諫言し
て、閉門を命じられて、帰宅した時。

三幕目第三場「小石川水戸家奥殿の場」。公用の裃姿。綱條に天一坊問題の懸念を伝えに行
った時の服装も同じ。

四幕目「南町奉行屋敷内広書院の場」。普段の継ぎ裃姿。綱條公の尽力のお陰で再吟味の運
びとなる。大岡は強気。髭の毛抜きをしたりしている。天一坊一味を奉行所の広書院に召喚
した時。まだ、容疑者扱いだ。ぞんざいな扱いだと天一坊が抗議した。

五幕目「大岡邸奥の間庭先の場」。浅葱の死装束。吉宗と天一坊の「親子」の対面を前に、
対面延期の申し出をして、10日間の猶予を得た。家臣二人を紀州に派遣して、証拠・証人
を探しに行かせたが、朗報が届かず、嫡男、連れ合いともども死装束で待っていた時。一家
心中に追い込まれたような状況。最終日の刻限も迫っている。大岡は死を覚悟している。

大詰「大岡役宅奥殿の場」。長袴の正装。大岡が再び天一坊を役宅に招いた時。天一坊を御
落胤扱いしているため、肩衣、長袴の、正装の裃姿。この場面では、奥殿は、問注所(裁き
の場)か。ただし、天一坊が偽の御落胤だという証拠は、握っている。

これらの座敷は、機能は次のような扱いだろうか。南町奉行屋敷(官邸)、大岡邸(私邸・
自宅)、大岡役宅(事務所兼居宅、いわば、公邸)


芝居の見どころ


四幕目「南町奉行屋敷内広書院の場」、五幕目「大岡邸奥の間庭先の場」、大詰「大岡役宅
奥殿の場」は、危機的状況に陥った逆境の中で、大岡が四幕目、大詰と、2回に亘って天一
坊と対決する場面が、見どころ。

まず、四幕目「南町奉行屋敷内広書院の場」。大岡越前守登場の場面。開幕は、時計の音と
ともに。科白と効果音の「時計」の音の使い方が巧い。時計は、限られた時間が刻々と過ぎ
て行く、という緊張感を表している。

やがて、奥から大岡の出。大岡と天一坊との最初の対決。仰々しい行列で堂々とした天一
坊。黒漆塗りの唐櫃(箱)。金箔の三つ葉葵の紋所に枝垂桜。唐櫃の侍、唐櫃専用の担ぎ手
が二人従っている。唐櫃には、お三から奪い取ったお墨付と短刀が入っている。河内山宗俊
(黙阿弥作「天衣紛上野初花」)の貫禄。偽物の方が仰々しいのは、世の常だ。

芝居は、ここからは天一坊の強力な援軍・山内伊賀亮と大岡との芝居になる。幼い吉宗を知
っている伊賀亮と大岡との、いわゆる「網代問答」(「網代」というのは、天一坊の乗って
いるという「網代駕籠」(飴色網代蹴出し塗り棒の乗物)のことが問題となるので、こう名
付けられたという)の場面。天皇になる可能性のある宮様(上野寛永寺在住)が網代駕籠に
乗るなら、将軍になる可能性のある天一坊が同じような駕籠に乗って、どこが悪い? 証拠の
品とともに精緻な論法が続く、網代問答で伊賀亮に言い負かされる大岡。大岡越前守対天一
坊(犯罪者)・山内伊賀亮(悪知恵者・論客)組の対決(1回目)では、大岡敗北。捜査不
十分。一旦負けた形となった大岡は、それでも猶予期間をもらい、最後の手段として、家臣
二人を紀州に派遣し、新たな証拠、証人発見を命じる。

五幕目「大岡邸奥の間庭先の場」。大岡邸奥の間。真相究明に紀州に探索に行った家臣たち
を待っている死に装束の大岡と妻・小沢、嫡男ら。猶予期間(10日間)の最終日。介錯役
の池田大助(彦三郎)がひとり芝居の体。忠臣蔵の四段目「判官切腹」の場面のパロディ。
ここでも、残された刻限が刻々と迫る。大岡も焦る。緊迫する。芝居は、時計の音を効果的
に使っている。逆転は無理か。待たせに待たせて、その挙句、家臣たちが間に合う。逆転の
証拠(片袖と風呂敷)と証人が用意できると判明。

新証拠発掘で、再吟味の結果、天一坊の正体を暴き、大岡逆転勝訴となる。立場が良くなる
と、双方とも舞台の上に立ち、悪くなった方が、平舞台に降りるので、おもしろい。


奉行って?


江戸町奉行は、旗本。御目見=将軍のいる儀式に参加できる=以上の位を持つ。旗本以上
は、「殿様」と呼ばれる。将軍は、唯一の「上様」。旗本の最高位のポストが町奉行(北町
と南町が交互に担当)。三千石程度。午前中、江戸城に登城、老中などに報告。午後、奉行
所(オフィース)に戻り、案件の決済など。江戸の町人地の司法、行政、治安維持(警察)
を担当。現在なら、裁判所長、知事、警視総監の役を一手に担う。大岡越前守は、江戸時代
中期の人。八代将軍・徳川吉宗の政治改革(享保の改革)を町奉行として支えた。出世コー
スに乗り、町奉行から寺社奉行になり、最後は1万石の大名に出世した。江戸時代に旗本か
ら大名になったのは、この人だけ。

贅言;原作では、今回の芝居同様、池田大助、吉田三五郎、家老・平石治右衛門が、役割分
担する。無常門の場面があるから、今回は原作通りに対応。01年6月歌舞伎座で観た菊五
郎の二役早替り(天一坊と池田大助)の舞台では、この3人が、全て池田大助という人格に
集約されていた。無常門の場面が省略されていたのと29年ぶりの天一坊役という菊五郎の
二役早替りという演出の趣向を尊重し、池田大助の役回りが重きを置かれる演出になったの
ではないか、と思われる。

大詰「大岡役宅奥殿の場」。最後に役宅奥殿で2度目の対決となり、正体を暴かれる天一
坊。大岡勝訴。「伽羅先代萩」の「対決」の場面に似ている。仁木弾正と天一坊のアナロジ
ー。歌舞伎に見慣れた観客なら、黙阿弥が「拝借」している先行作品を下敷きにした場面を
探しながら観ているとおもしろいかもしれない。

贅言;歌舞伎の外題(タイトル)は、普通、漢字3文字、5文字、7文字が多い。今回は、
7文字。「名高大岡越前裁(なもたかしおおおかさばき)」。馴染みがない外題。実は、今
回の興行のために新しく作った外題。黙阿弥原作の同じ芝居で馴染みがあるのは、「天一坊
大岡政談」で、これも7文字。

河竹黙阿弥は、幕末から明治期の原作者、19世紀末没。明治維新前に半世紀を生き、明治
維新後、四半世紀を生きた。

「天一坊もの」を広めたのは、講談。初代神田伯山の講釈を河竹黙阿弥が脚色、歌舞伎とし
て仕立て直したので、黙阿弥作品は、フィクション・プラス・フィクションになっている。
初演は1875(明治8)年1月東京・新富座。その時の外題は、「扇音々大岡政談(おう
ぎびょうしおおおかせいだん)」。

悪の主人公になった天一坊は、史実の人物。1728(享保13)年、南品川宿の山伏・常
楽院方に将軍・吉宗のご落胤(血筋の子息)で「源氏天一坊」と称する人物がいる、という
噂が事件発覚の発端。天一坊の騙りは、江戸町奉行の支配地外での事件であり、さらに、大
岡越前守は、この時期は町奉行ではなかったので、この事件には全く関与していない。芝居
はフィクション。実際には、関東郡代(代官)・伊奈半左衛門という役人が取り調べた。天
一坊は、1729年、獄門(死刑、晒し首)に処せられた。初代神田伯山(講釈師、生年不
詳――1873年、非業の死。盗賊に殺される)が話をおもしろくするために、庶民に人気
のある大岡越前(守)を軸にして「大岡裁き」を幾つかまとめて「大岡政談」(その一つが
「天一坊大岡政談」)として創作した。明治(1870年代)以降、講談、歌舞伎、映画な
どでは、人気の大岡越前(守)と天一坊の物語になってしまった。

贅言;私が観た01年6月歌舞伎座の配役は、豪華だった。大岡越前守(團十郎)、伊賀亮
(仁左衛門)、天一坊(菊五郎)。「天一坊大岡政談」のキーパースンは、この3人。今回
(18年)の配役とは、かなり印象が違う。大岡越前守(梅玉)、伊賀亮(彌十郎)、天一
坊(右團次)/徳川綱條(楽善)、大岡妻・小沢(魁春)。

ちなみに、明治の黙阿弥劇初演時の配役は、大岡越前守(五代目坂東彦三郎)、山内伊賀亮
(初世市川左団次)、天一坊(五代目尾上菊五郎)。

*めったに上演されない演目だけに、筋は、たわい無いが、「絵で観る講談」の世界として
堪能したい。典型的な「お家狂言」(武家のトラブルもの)味たっぷりの舞台。それだけ
に、女形の出演が少ない演目。道行も含めて、所作事(踊りの場面)がない。色恋がなく、
悪党と正義漢の対決劇。艶、華やぎに欠ける演目と言えるだろう。武張った芝居だった。
- 2018年11月18日(日) 13:58:15
18年11月歌舞伎座(夜/「楼門五三桐」「文売り」「隅田川
続俤 〜法界坊」)



色欲・金欲、人殺し、なんでもござれ! 猿之助の「法界坊」


法界坊は、色欲・金欲、人殺し、誘拐、なんでもござれ! 歌舞伎屈指の汚れ役、破天荒な、
破戒坊主を当代の猿之助が初めて演じる。最近では、二代目吉右衛門の法界坊、十八代目勘
三郎の法界坊が演じられてきた。この劇評でも、何度か書いている。その法界坊像に、猿之
助が、初役ながら、いわば「殴り込み」をかけてきた。いや、挑戦か。猿之助は、先達らの
法界坊像に何を付け加えようとしているのか。今月の歌舞伎座、夜の部の目玉演目は、「隅
田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ) 〜法界坊(ほうかいぼう)」だろう。猿之助初
役の法界坊、澤瀉屋型の「法界坊」である。私は、歌舞伎の「法界坊」は、今回含めて4回
観ている。うち、播磨屋型の吉右衛門が2回。串田版という新作歌舞伎の十八代目勘三郎、
そして、今回が、いよいよ、澤瀉屋型の猿之助に遭遇した。

実は、「法界坊」は、歴代の役者に愛された演目の一つであった。四代目市川團蔵、三代目
と四代目の中村歌右衛門、三代目坂東三津五郎、四代目中村芝翫、六代目尾上菊五郎、*初
代中村吉右衛門、*二代目市川猿之助、*十七代目中村勘三郎らの当り藝であった。それゆ
えに、それぞれの名前を引き継いだ役者たちは、家の藝として、「法界坊」を演じたがる。
例えば、*印をつけた役者の後継者では、二代目吉右衛門も4回演じている。四代目猿之助
は、今回初役で演じた。十八代目勘三郎は、勘九郎時代を含めて7回演じた。底抜けに明る
い悪人の法界坊は、誰もが持っている人間の欲望をストレートに出したがゆえの「悪人の極
み」という側面も強い。だから、役者は皆、演じたがるし、観客は皆、観たがる。

今回まで、私が3つの型の「法界坊」を見た範囲内での、途中経過の「結論」(とりあえず
の、まとめか?)を先に述べてしまうと、澤瀉屋型の「法界坊」は、古典版の播磨屋型に以
下の2つの要素を付加したという感じではないか。

法界坊の「単体」の幽霊の宙乗り。三囲土手で、法界坊だけが宙乗りをする。ただし、本舞
台の上だけで、いつもの花道上空の宙乗りではなかった。これが、澤瀉屋の型、というの
か。法界坊の宙乗りでは、二代目猿之助が得意とした。十八代目勘三郎も、本舞台の上で
「合体霊」で、宙乗りしているのを私も観たことがある。今回、当代の猿之助も「単体」の
幽霊の宙乗りには本舞台上でチャレンジしたが、合体霊の宙乗りではなかった。

野分姫の霊は、まず、種之助が演じ、途中で、猿之助に替わる、ということか。ただし、替
わった後は、合体霊となり、外見は、おくみにそっくりになる、という趣向。法界坊の霊の
方は、猿之助から合体霊となり、おくみ(尾上右近)そっくりに扮した猿之助が演じる。整
理して書いているが、それでも混乱しそう。

大喜利「双面水澤瀉(ふたおもてみずにおもだか)」の演出。ここでは、男女の「合体霊」
という二人分を一人が演じるユニークな幽霊が登場する。つまり、法界坊と野分姫の合体霊
である。合体霊は合体してしまうと、おくみにそっくりになる、という趣向だ。これも、澤
瀉屋の型という。

私が観た合体霊の比較をしておこう。

*吉右衛門の合体霊。
吉右衛門は、法界坊の衣装、法界坊の声は吉右衛門。野分姫の声は、黒衣の女形が、甲の声
で代行した。双面のときも、立役・法界坊が主軸で、女形・野分姫は、口を動かさずに(人
形浄瑠璃の人形と同じだ)、女形の黒衣に声を任せて、立役の地を滲ませながら演じてい
た。これが本来か。否か。

*勘三郎の合体霊。左半分が、顔も、衣装も法界坊。右半分は、顔も、衣装も野分姫。鬘
は、一つに繋がっている。

*猿之助の合体霊。薄暗がりの中で、背中あわせになった野分姫(種之助)と法界坊(猿之
助)が、背中合わせのまま、互いにすり足でぐるりと回ってみせた。初代市川猿翁は、亡霊
が現れる場面では、舞台上に洞(ほら)のある大きな桜の木の作り物を置き、その洞の中か
ら法界坊と野分姫の亡霊を「田楽返し」という手法で交互に見せていたというが、今回は、
これに近い演出のように見えた。「田楽返し」は、大道具のひとつで、背景の書割の一部を
切り抜き、上下または左右の中心を軸に回転させ、書割の背面を出す仕掛け。

荵売りに扮した要助とおくみ。隅田川の渡し守・おしず(雀右衛門)とともに、野分姫の菩
提を弔う。すると花道からおくみそっくりの野分姫(猿之助)が荵売りとしてやってくる。
ただし、中身は、おくみではなく、野分姫と法界坊の合体霊そのもの。霊は、野分姫と法界
坊。外見は、永楽屋の娘・おくみ。それもパワーは法界坊より野分姫の方が強いようだ。

なぜ、法界坊は、野分姫を殺した加害者でありながら、法界坊自身と野分姫の両方の霊を持
った双面の悪霊になり、それも、おくみそっくりの忍売りになって人々を悩ますのか。要助
がキーパーソンらしい。要助は野分姫から見れば、吉田松若丸。おくみから見れば、店の手
代の要助。双面(野分姫と法界坊の二重性)の悪霊は、忍売りに身をやつして、野分姫の霊
は恋敵のおくみとそっくりな格好をしている。そのおくみそっくりの霊の半分は、法界坊と
いうわけだ。合体霊は、内部で嫉妬の炎を燃やし続ける。それが、合体霊のエネルギーにな
っているようだ。

合体怨霊を吉右衛門が演じるというのが、大喜利「双面水照月〜隅田川渡しの場」(隅田川
『双面水照月』)の趣向。本物の要助とおくみに襲いかかるのは野分姫の霊だが、法界坊の
霊は、野分姫の霊に引っ張られているだけなのだろうか。野分姫に嘘をついて殺した下手
人・法界坊は、死後も被害者の野分姫に引き摺られながら漂流して行く運命なのだろうか。

吉右衛門が法界坊を演じたのを私が観た時の、おくみの配役は、次の通り。
97年、松江時代の魁春。14年、芝雀時代の雀右衛門。いずれも、歌舞伎座。

勘三郎が法界坊を演じたのを私が観た時の、おくみの配役は、05年、扇雀。やはり、歌舞
伎座。

猿之助が今回、荵売りに扮した合体霊では、ニセおくみを猿之助自身が演じる。本物のおく
みは、尾上右近。松竹の上演記録掲載の配役一覧は、便利だが、ニセおくみの配役は、載っ
ていない。普通に考えれば、法界坊役者が配役されている、ということだろう。

贅言;吉右衛門も勘三郎も、大喜利は、皆、「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」
という外題である。澤瀉屋のみ「双面水澤瀉(ふたおもてみずにおもだか)」。戦後しばら
くは、「双面荵姿絵(ふたおもてしのぶのすがたえ)」という外題で上演されることがあっ
た。それぞれ違いがあるのだろうが、今は、未調査。

澤瀉屋の演出。私の座席の関係もあるが、良く判らない部分があったように思う。法界坊と
野分姫が合体した霊は、既に述べたように、外見はおくみそっくり。ダーティな破戒僧の法
界坊と可憐な町娘を踊り分ける巧さが求められる。演奏も舞台下手の常磐津と上手の御簾内
で出語りする竹本との掛合いである。今回は、重々しい、大声の東太夫が法界坊を、優美な
常磐津連中が野分姫を分担する形で表現した。

吉右衛門の「法界坊」は、いわば、古典版。吉右衛門自身は、14年9月歌舞伎座までに4
回演じている。前回の興行時には、年齢的にも、体力的にも、最後の上演かな、という吉右
衛門(74)のつぶやきが聞こえてきた。ということは、前回が、「一世一代」(普通は、
演じ納め。演目引退)なのか、あるいは、次回、正式に「一世一代」という看板を掲げて、
演じ納めをすることがあるのかどうか。それにしても、播磨屋型の「法界坊」は、誰が引き
継ぐのか、興味深い。

私は勘三郎の「法界坊」を13年前、05年8月歌舞伎座で観ているが、これは串田和美演
出で、いわば、「串田版法界坊」、つまり新作歌舞伎版ということになる。勘三郎は、その
後、08年浅草、09年名古屋、10年大阪、12年浅草、いずれも「平成中村座」という
大仕掛けのテント小屋で、「串田版法界坊」の上演を続けて、12年12月に逝去してしま
った(初演は、平成中村座の00年11月の浅草で、その後、大阪、ニューヨークを経て、
私が観た05年歌舞伎座の納涼歌舞伎上演となる)。


これまでの印象として、「芝居の本筋から言うと、播磨屋型、吉右衛門の法界坊の方が、お
もしろかった。十七代目勘三郎の串田版、法界坊は、新作歌舞伎らしい奔放さで、勘三郎の
キャラクターに合わせ過ぎていて、おもしろいことはおもしろいが、本筋の法界坊ではない
と思った」と、私は前回の劇評で書いている。

ならば、澤瀉屋型、猿之助の法界坊は、どうであろうか。見終わった印象論で述べれば、勘
三郎とは違うが、猿之助のキャラクターに合わせているのではないか、と思う。まあ、いず
れにせよ、場面を追いながら、今回の舞台、澤瀉屋型の法界坊の宙乗りなどを観てみようで
はないか。

芝居の主筋は、京の公家・吉田家が、朝廷から預った掛軸「鯉魚の一軸」を紛失(実は、吉
田家の反対派が、盗んだ)したため、家名断絶となったことから、嫡男の松若丸がお家再興
を願い、東国に下り、江戸の道具屋・永楽屋の手代・要助(隼人)に身をやつしながら、古
物として販売されてしまったらしい「鯉魚の一軸」を探す物語だ。家宝探索という、歌舞伎
では、よくある話。

法界坊は、物語としては副筋だが、芝居では、特異なキャラクターを生かして主筋となる。
要助と恋仲の永楽屋の娘・おくみ(尾上右近)、都から許嫁の松若丸を追ってきた野分姫
(種之助)が、要助とおくみに絡んで行く。三角関係。これもよくある話。

今回の「法界坊」の場の構成は、次の通り。
序幕第一場「向島大七入口の場」同 第二場「大七座敷の場」同 第三場「向島牛の御前鳥
居前の場」同 第四場「向島三囲土手の場」大喜利「隅田川渡しの場 浄瑠璃『双面水澤
瀉』」となる。

序幕第一場「向島大七入口の場」。
「鯉魚の一軸」の現在の持ち主、大阪屋源右衛門(團蔵)が、向島の料理屋「大七」にやっ
て来た。そこへ来合わせた代官の牛島大蔵(吉之丞)と出会う。牛島大蔵は、「鯉魚の一
軸」を吉田家から盗み出した反対派の一味。要助、こと松若丸の命を狙っている。牛島の手
先になっている源右衛門は、おくみに横恋慕しており、おくみとの結婚を条件に、おくみの
母親・おらく(門之助)に掛軸を百両で譲ることにする。大七の前で、源右衛門は、おらく
に「鯉魚の一軸」を手渡す。おらくは、同行していた要助、実は松若丸(隼人)に掛軸を預
ける。おくみの気持ちを承知しているおらくは、大阪屋源右衛門に金は払っても、おくみを
嫁にやるつもりはない。

花道から法界坊(猿之助)登場。浅草聖天町に住む法界坊は、釣鐘建立の勧進をしている。
勧進で集めた金を女道楽や飲み食いに使ってしまうような生臭坊主。法界坊もおくみに横恋
慕している。大七の前で、牛島に出会う。法界坊と牛島は旧知の仲。牛島から事情を聴き、
手先となる。牛島が立ち去り、出会った永楽屋の番頭(弘太郎)を一味に引きずり込もう
と、番頭とともに、法界坊は、大七に入って行く。さらに、松若丸の行方を探す野分姫(種
之助)一行も、大七に入って行く、ということで、ここは、登場人物の紹介を兼ねた伏線案
内のような場面。

序幕第二場「大七座敷の場」。
大七で野分姫(種之助)一行は、早々と要助、こと松若丸(隼人)と再会する。「鯉魚の一
軸」の所在も判り、百両という資金繰りさえ、目処がつけば、吉田家再興も叶うと言い合
い、後日の再会を約する。

要助と野分姫のやり取りを窺っていたおくみ(尾上右近)は、嫉妬して、立腹。ふたりは痴
話喧嘩へ。要助は、以前、おくみに書いた文を投げ捨ててしまう。要助は、大事な「鯉魚の
一軸」を脇に置いたまま、痴話喧嘩に集中する。そこへ、奥から部屋に忍び込んできたのが
法界坊(猿之助)。法界坊はおくみの文を拾うとともに、要助の脇に置いてあった掛軸を盗
み取り、部屋に掛けてあった別の掛軸とすり替える。

法界坊が、忍び足で奥へ消えると、上手から部屋に忍び込んできた大阪屋源右衛門(團蔵)
が、さらに、その掛け軸と部屋の床の間に掛けてあったもう一つの掛軸と取り替える。こう
いう侵入者の動きに全く気付かずに要助とおくみの痴話喧嘩は続く、ということで、正に、
荒唐無稽な笑劇(チャリ場)。

さらに、永楽屋の番頭(弘太郎)が要助に百両を貸し、証文を書かせるが、これが、後に仕
掛けられる悪巧みの罠。番頭のおくみへの口説き。法界坊の再登場、番頭を追い出してのお
くみへの口説き、法界坊が書いた付け文の手渡しなど、笑劇の伏線が続く。おくみは法界坊
の付け文など、門の外へ投げ捨ててしまう。花道から道具屋の甚三(歌六)が登場。おくみ
が投げ捨てた法界坊の付け文を門の外で見つけて拾う。おくみの文と法界坊の付け文。小道
具は、いずれも伏線。主立った登場人物も、やっと揃う。

法界坊が、要助、おくみを連れ出し、ふたりの仲を質す。番頭は、要助に金を返せと迫る。
窮地に追い込まれる要助。甚三が仲裁に入る。法界坊が拾ったおくみの文、甚三が拾った法
界坊の付け文をすり替えて、甚三は、要助とおくみの窮地を救う。番頭の持っている要助の
証文も丁稚(市川猿)の機転で燃やしてしまい、要助は窮地を逃れる。こうして改めて粗筋
を追うと、この芝居のバタバタした笑劇の様子が良く判る。とにかく、エピソード過多の状
態が続く。

序幕第三場「向島牛の御前鳥居前の場」。
上手奥に鳥居。上手から登場した番頭は、おくみを攫おうと駕籠を用意して、待ち伏せをし
ている。鳥居奥から法界坊が現れ、番頭に盗んだ掛軸を渡す。上手からやって来たおくみを
捕え、番頭は無理矢理おくみを縛り、猿轡を噛ませ駕籠に押し込む。駕籠全体を縄で縛る。
番頭が駕籠かきを呼びに行く間に、法界坊は通りかかった道具屋の葛籠を奪い、駕籠のおく
みを葛籠に押し込み直し、駕籠には気絶している道具屋を乗せて、駕籠を縄で縛り直す。戻
って来た番頭は、道具屋も駕籠から転げ落ちたのも知らずに駕籠を担いで行く。荒唐無稽な
芝居は続く。


消えた「しめこのうさうさ」


21年前、97年9月、歌舞伎座で観た奇妙な場面が、なぜか印象に残っている。吉右衛門
の法界坊を初めて観た時だ。第三場「向島牛の御前鳥居前の場」。番頭や法界坊が駕篭を縄
で縛り、「こうしてしまえば、〆子(しめこ)のうさうさ、締めたぞ締めたぞ」と唄い出
す。「〆子(しめこ)」は、「しめた」「しめしめ」という意味で、「〆子のうさ(ぎ)」
は、「兎を絞める」という意味と掛けた地口(じぐち)。物事が、思い通りにいった時に使
う。作戦が巧く行き、「しめしめ」と喜んでいるのである。小悪党が、喜んで使いそうな地
口といえる。この「〆子のうさうさ」は、その後も、駕篭の場面で、パロディとして使わ
れ、さらに、法界坊によって、おくみの代わりに駕篭に入れられた道具屋が、駕篭から抜け
出し、置き忘れた桜餅の籠を駕篭に見立てて、この地口を使う場面さえある。番頭、法界
坊、道具屋と何回も唄われる「〆子のうさうさ」は、瑣末な場面なのだが、なんとも印象的
だったのだが……。今回は、なかったな。

序幕第四場「向島三囲土手の場」。
第三場「向島牛の御前鳥居前の場」から第四場「向島三囲土手の場」の場までで、殺される
人たちを記録しておこう。

大阪屋源右衛門は、おくみに横恋慕していて、恋敵の要助の吉田家再興も阻止するべく「鯉
魚の一軸」探索を妨害する。鳥居前。偽の掛軸ながら要助の前で、源右衛門が一軸を破るの
で逆上した要助に殺される、ということだが、実は、源右衛門は暗闇で法界坊に斬り殺され
てしまう。

野分姫は、法界坊によって、要助、こと松若丸がおくみとの恋の邪魔になるから、姫を殺し
て欲しいと頼まれたと嘘をつかれたのを真に受けて、松若丸への恨みを飲み込んだまま、三
囲土手で法界坊に殺されてしまう。

その法界坊は、自分に妨害する者を落とし込むための穴を三囲土手に掘っている。掛軸を巡
って甚三との争いとなり、法界坊は、誤って自分が落とし穴に落ちてしまう。這い上がって
来たが、掛軸を甚三に奪われたので、甚三に打ちかかるが、元中間で武道の心得もある甚三
に討たれてしまい、本格的に穴に埋められてしまう。


大喜利「隅田川渡しの場 浄瑠璃『双面水澤瀉』」。
この場面は、薄汚い法界坊を演じていた猿之助が、一転して、綺麗で可憐なおくみを演じる
というところが見せ場。たっぷりと女形・猿之助の魅力を堪能させる。一方で、話の筋は、
相変わらず判りにくい。

なぜ、法界坊は、野分姫を殺した加害者でありながら、法界坊自身と野分姫の両方の霊を持
った双面の悪霊になり、それも、おくみそっくりの忍売りになって人々を悩ますのか。

法界坊のキャラクター。明るいが殺人者というのが、法界坊の持ち味。滑稽味と小悪党。こ
のキャラクターをどう演じるか。破戒僧に留まらず、殺人鬼になってしまった法界坊であり
ながら、なぜか、三枚目風の、憎めないキャラクターになっている。

吉右衛門の法界坊。この憎めない悪人キャラクターを、どう演じるか。立役の吉右衛門は、
ひょんなことから、殺人鬼になってしまった法界坊を善人の成れの果てのように演じた。双
面のときも、立役・法界坊が主軸で、女形・野分姫は、口を動かさずに(人形浄瑠璃の人形
と同じだ)、女形の黒衣に声を任せて、立役の地を滲ませながら演じていた。これが、本筋
の双面だろうと思う。

勘三郎の法界坊。亡くなった十八代目勘三郎は、普段から立役も女形も演じる「兼ねる役
者」であるから、女形の野分姫を演じても、女形の黒衣を使っても、立役の地を滲ませるこ
とができない。むしろ、普通の女形になっている。それが、勘三郎の普通の姿であろう。ど
ちらが、良いとか悪いとかいうことではないが、これは、吉右衛門と勘三郎の持ち味の違
い。ただ、「法界坊」という芝居の本筋から見ると、吉右衛門の立役を軸としながら、法界
坊を演じ、双面でも、立役を滲ませながら、女形を演じるという趣向の方が、より古典に適
切だろうと思うだけだ。勘三郎は、「隅田川続俤」としての「法界坊」より、串田版「法界
坊」という新作歌舞伎を演じているのだから、それはそれで、勘三郎の持ち味の法界坊とい
うことだろう。

猿之助の法界坊。法界坊は薄汚い。合体霊は、法界坊と野分姫だが、見た目は、可憐な美人
おくみ。本物のおくみ(右近)と美しさを競い合う、という場面だ。

十八代目勘三郎の巧さは、明るさの表現だったろう。いまの歌舞伎役者で、勘三郎ほど、
「明るい悪」を演じるのが巧い役者は、あまりいない。特に、双面で、法界坊と野分姫の鬘
ふたつをひとつに繋げて演じる「宙乗り」は、まさに、双面。顔の左右の化粧が違うのだ。
勘三郎のキャラクターにぴったりだった。この場面は、場内が沸きに沸いたのを覚えてい
る。今回の猿之助の宙乗りは別の場面で、法界坊の幽霊だけ。長い裾を引きずった宙乗りも
中途半端であった。

法界坊の外題は、「隅田川続俤」。能の「隅田川もの」としての繋がりゆえに「続俤(ごに
ちのおもかげ)」の2文字を外題に入れ、隅田川伝説の後日談の趣向とした原作者の奈河七
五三助(しめすけ)。吉田家のお家騒動。人買いに攫われた梅若・松若兄弟と子どもを探し
て狂ってしまうほどの母親の愛情物語の梅若伝説。「法界坊」「忍ぶの惣太」「清玄桜姫」
なども、「隅田川」に絡むので、法界坊と野分姫の双面も、清玄桜姫のバリエーションとも
言える。喜劇化した清玄が、法界坊か。都から下ってくるときに野分姫が扮する「荵(しの
ぶ)売り」も、「忍ぶの惣太」と絡むし、「お染久松」の荵売り「垣衣(しのぶぐさ)恋写
絵」も絡む。下塗り、上塗り、幾度も塗り替え、自由闊達、換骨奪胎、破れたら、張り替
え。毀れたら、補強。歌舞伎の狂言作者たちの、工夫魂胆、逞しい盗作、江戸時代の歌舞伎
の根本である「模倣の精神」を見るようだ。


歌舞伎界の重鎮の「楼門五三桐」


歌舞伎座夜の部、最初の演目「楼門五三桐」は、人間国宝同士の菊五郎と吉右衛門。菊之助
の息子、寺嶋和史のおじいちゃん同士の共演でもある。一幕ものとして私が観るのは、4回
目。菊五郎、吉右衛門のコンビは、3回目。上演時間が14分の短い芝居だが、歌舞伎界の
重鎮のふたりが、役者ぶりをたっぷりと見せながら、歌舞伎の絵面としての様式美も堪能さ
せてくれる。
贅言;浅葱幕振り落しの前に、大薩摩の東武線太夫、実は、長唄の鳥羽屋三右衛門、三味線
方の杵屋五七郎で、音楽の荒事と言われる大薩摩の演奏があった。


雀右衛門の「文売り」


「文売り」を観るのは、2回目だが、前回は、22年前、1996年10月の歌舞伎座で、
文売りのお駒は、七代目芝翫だった。当代の芝翫の父親で、真女形だった。この時期、私は
まだ、劇評の記録を残していなかったので、今回が初登場である。

1820年、文政3年、江戸多摩川座初演。「花紅葉士農工商」のうち、「商」の部の舞
踊、三代目三津五郎が演じた。逢坂の関の関守の前で、士農工商の人々が、それぞれ「芸尽
くし」をして、関所を通してもらうという趣向だったという。

「文売り」は、懸想文売り。恋文に似せた祝言の文章を書いたお札を売っていたという。
「こもち山姥」の八重桐の「しゃべり」を取り入れた趣向から、八重桐同様の帽子付の鬘に
紙衣の衣装になった。清元の語りに乗って、懸想文を結いつけた紅白の花咲く梅の枝を持っ
て登場する。遊郭の遊女の様子を清元としゃべりで物語る風俗舞踊。文売り、お京は、雀右
衛門。
- 2018年11月17日(土) 13:37:22
18年11月歌舞伎座(昼/「お江戸みやげ」「素襖落」「十六夜清心」)


吉右衛門と菊五郎の共演「十六夜清心」


先代の芝翫を偲ぶ「お江戸みやげ」は、川口松太郎原作の新作歌舞伎。佳品である。196
1(昭和36)年、明治座で、初演。「お江戸みやげ」は、戦後の本興行で12回上演して
いるが、最初の3回は、十七代目勘三郎、続く6回は、先代の芝翫。当時は、すっかり芝翫
の当たり役になっていた。その後、三津五郎が2回、今回は、初役の時蔵。このうち、私は
4回目の拝見。私が観たときの主役のお辻役は、先代の芝翫(2)、三津五郎、時蔵。芝翫
の相手役のおゆうは、田之助、富十郎。三津五郎の相手役は、翫雀時代の鴈治郎、今回の時
蔵は、又五郎が相手だ。ふたりは結城の呉服行商人。おばあさんふたりで江戸へ呉服の行商
に来ている。この顔ぶれのコンビでは、芝翫、富十郎が、今も印象に残る。富十郎の、太め
のおばあさん役に何とも味があった。

私が観た娘役のお紺は、福助(2)で、これも適役。蓮っ葉で、お侠な江戸下町の娘の味を
出している。ほかにお紺は、前回は、孝太郎、今回は、尾上右近。憎まれどころの常磐津の
師匠でお紺の養母・文字辰は、澤村藤十郎、松江時代の魁春、扇雀、今回は、東蔵。憎まれ
役の味があったのは、今回の東蔵がいちばんか。

贅言;ところで、福助は、先に舞台復帰したが、来年1月歌舞伎座、「初春大歌舞伎」昼の
部、「吉例寿曽我」で、2回目の歌舞伎座復帰の舞台を勤める。いずれ時期を見て、既に
「内定」(当時、きちんと記者会見をした)している七代目歌右衛門の大名跡を継ぐことに
なるのだろう。

さて、舞台。緞帳が上がると、第一場「茶屋松ケ枝の場」。湯島天神の境内である。境内に
設えられた宮地芝居(官許の江戸三座とは、別のいわば、B級芝居小屋。「小芝居」とい
う)の御休処「松ヶ枝」。舞台上手が、宮地芝居の暖簾口。笹尾長三郎一座の芝居が掛かっ
ている。舞台上手奥が、湯島天神へ繋がっているようだ。舞台は、芝居小屋の暖簾口の外に
ある芝居茶屋「松ヶ枝」の内部。店先で、角兵衛獅子の兄弟が、弁当を使わせてもらってい
る。常磐津の師匠・文字辰(東蔵)が、茶屋の緋毛氈を掛けた床几に座っている。養女のお
紺と待ち合わせをしているが、お紺が、来ない。お紺は、宮地芝居の役者・阪東栄紫と恋仲
なのだ。文字辰は、お紺を相模屋の旦那の妾にして、安楽な生活を企んでいる。お紺を探し
に湯島天神の方に出かけて行く。

松ヶ枝の壁に掛かっている木の看板。平舞台上手側に「巡拝講中」、「三島講」、「金平月
参講」、「安中講」、「伊勢年参講」、真ん中から下手に「本石町講中」などの額が掲げて
あり、天保二年三月吉日と書かれている。ほかの額と同じように、個人名や屋号を書いた木
札が入っている。

この芝居の場面構成は、次の通り。第一場「茶屋松ケ枝の場」第二場「松ケ枝の座敷の場」
第三場「湯島天神内の場」。


第二場「松ケ枝の座敷の場」の場面では、笹尾長三郎一座の芝居の辻番付(ポスター)が廊
下に貼ってある。「楼門五三桐 笹尾座」とある。この舞台装置は、江戸の宮地芝居を活写
していて、私には興味深かった。

それはさておき、芝居の本筋へ。第一場「茶屋松ケ枝の場」。結城から江戸に出て来た呉服
行商人のお辻(時蔵)・おゆう(又五郎)が、下手奥から登場する。江戸での行商を終え
て、結城に帰る前に、ここで一休みという心づもりだ。ふたりとも、後家のおばあさんとい
う設定だが、おゆうは、稼いだ金で食べたいものを食べ、呑みたいものを呑むというのを愉
しみにしている。姉貴分のお辻は、金に几帳面で、始末屋(倹約家)である。価値観の違う
ふたりという設定が良い。ふたりは、金の遣い方で、対立しながら、そんなやりとりを楽し
んでいるようだ。そこへ、芝居小屋の暖簾口からお紺(尾上右近)が出て来る。芝居の合間
に、お紺の恋人で、笹尾座の花形・阪東栄紫(梅枝)も、出て来る。お紺と上方へ駆け落ち
して逃げるつもり。お紺を「松ヶ枝」の女中(京妙)に匿ってもらおうとしている。共演の
女形の市川紋吉(笑三郎)も、芝居を終えて出て来る。このあたりの川口松太郎のドラマツ
ルーギーは、憎いくらいに巧い。

次の芝居の始まりの囃子が聞こえて来ると、おゆうは、「幕見」をしたくなり、ふたり分の
料金八百文を芝居茶屋の女中に払い、さっさと芝居小屋に入って行く。後を追う、お辻。

第二場「松ケ枝の座敷の場」。笹尾座の花形・阪東栄紫の座敷。お紺が、舞台を終えた栄紫
の着替えを手伝っている。ここが、花形の楽屋代わりか。でも、残念ながら、そんな雰囲気
は無い。栄紫の鬘は、普通の立役の鬘に変わっている。これが、江戸の役者の地頭だろう。
田舎からの客が、栄紫に挨拶をしたいと言っているという。女中に案内されてお辻とおゆう
が、座敷に入って来る。初めて江戸の芝居の役者を観て、のぼせてしまったお辻。おゆう
が、興味のままに、座敷の奥の別の間の襖を開けると、そこは、寝間。赤い布団に、ふたつ
の枕。濃艶な室内に、慌てて、襖を閉めるおゆう。お辻は、緊張しているのか、ぼうとして
いるのか、ものに動じない。やがて、上手障子の間から、阪東栄紫が、戻って来る。座敷下
手の丸い障子の間には、内側に、行灯がついているのが判る。これも、色っぽい。

その座敷に、追われたお紺が入って来て、ついで、お紺の養母の文字辰が入って来て、お辻
にも、阪東栄紫・お紺・文字辰を巡る人間関係と問題の所在(要は、金だ!)が、判る。憎
まれどころの常磐津の師匠・文字辰は、養女のお紺の養母で、宮地芝居の役者風情に娘はや
れないという立場。お辻は栄紫・お紺の難儀の話を部屋の外で聴いてしまう。その上で、お
辻は、普段は始末屋なのに、酔った勢いも手伝って、江戸で稼いだ虎の子の13両あまりを
財布ごと差し出し、若いふたりに、上方で添い遂げるよう勧める。おゆうが止めるのも聞か
ないお辻。生まれて初めて、男に惚れて、それが、若いふたりの門出になる。そのために、
一世一代のお辻の恋心であり、散財である。これが、見せ場。暗転して、場面展開。

第三場「湯島天神内の場」。暗転から明転へ。夜が明けて、暗闇からじわじわ明るんでくる
湯島天神境内の演出がよい。石灯籠に灯りが入っている。境内上手に紅白梅。下手に白梅。
奥は、江戸の町遠見。お紺と上方へ向かう前に、最後にお辻に逢った栄紫は、着ている長襦
袢の片袖を引き裂いてお礼に渡す。文字辰のところから逃れて、上方に向かうふたりを花道
に見送るあたりのお辻は、「一本刀土俵入」の駒形茂兵衛を送るお蔦のように私には見え
る。花道七三で、去り行く阪東栄紫の後ろ姿に向けて、「大和屋」と声をかける萬屋・時
蔵。13両あまりの金と引き換えに渡された役者の片袖、それがお辻の「お江戸みやげ」と
いうわけだ。田舎のおばあさんの恋心が、江戸土産の正体だ。新作歌舞伎の佳品、というと
ころか。お辻役は、先代の芝翫を超える役者がまだ出ていない、という感じだ。


「素襖落(すおう落とし)」は、酔っ払いの話だが、酔って記憶が定かでないという場面
は、「物忘れ」の場面を思い出させる。「素襖落」は、狂言の演目を素材に1892(明治
25)年に初演された新歌舞伎。松羽目ものの舞踊劇。福地桜痴原作「襖落那須語(すおう
おとしなすものがたり)」。後に六代目菊五郎が「素襖落」という外題に改めた。

私は9回目の拝見。私が観た主な配役。私が観た太郎冠者:幸四郎時代を含む白鸚(3)、
富十郎(2)、團十郎、先代の橋之助、吉右衛門、今回は、松緑。大名某:左團次(3)、
菊五郎(2)、二代目又五郎、彦三郎、富十郎、今回は、團蔵。

この演目の見せ場は、酒の飲み方と酔い方の演技。葛桶(かずらおけ、かつらおけ。能や狂
言で用いる道具。黒漆塗円筒形の蓋付(ふたつき)桶。高さは約50センチ。黒地に金の蒔
絵(まきえ)をほどこしたものが多い。能では腰掛けとして使うことが多いが,狂言では酒
樽、茶壺などに見たてる。今回のように、蓋だけを大杯として使うことも多い)の蓋を使っ
て、大酒飲みを演じる。「勧進帳」の弁慶、「五斗三番叟」の五斗兵衛、「大杯」の馬場三
郎兵衛、「魚屋宗五郎」の宗五郎、「鳴神」の鳴神上人など、酒を飲むに連れて、酔いの深
まりを表現する演目は、歌舞伎には、結構、多い。これが、意外と難しい。これが、巧かっ
たのは、今は亡き團十郎。團十郎は、大杯で酒を飲むとき、体全体を揺するようにして飲
む。酔いが廻るにつれて、特に、身体の上下動が激しくなる。ところが、ほかの役者たち
は、これが、あまり巧く演じられない。多くの役者は、身体を左右に揺するだけだ。さら
に、科白廻しに、徐々に酔いの深まりを感じさせることも重要だ。

こちらが、年をとったせいか、今回は、酔った太郎冠者をからかって大名某らが素襖(平安
時代末期頃の男性の上衣の一種)を隠しながら、いわば「素襖リレー」をする場面で気がつ
いたことがある。あそこに素襖があるはずだと大名某らを追い回す際の太郎冠者の「記憶違
い」が、酔いの深まりではなく、高齢化による物忘れのようにも見え出したことだ。

筋は、こうだ。大名某が伊勢参宮を思い立ち、伯父も誘うと太郎冠者を使いに出した。伯父
は不在で、姫御寮が太郎冠者の旅立ちの門出を祝おうと酒でもてなす。宴が果て、太郎冠者
は、姫御寮から餞別に素襖を拝領する。大名某のところに戻るが、太郎冠者は素襖を落とし
てしまう。大名某は、素襖を自分のものにしようと、太刀持ちと連携して、「素襖リレー」
をするが、太郎冠者も、なんとか素襖を取り戻そうと、慌てて周りを探し回る、という滑稽
譚。

緞帳が上がると、松の巨木の背景(書割)。松羽目ものの定番。上手に霞幕。途中から、書
割が替わる。霞幕を外すと、竹本連中の山台。長唄の雛壇。太郎冠者は、姫御寮(笑也)に
振舞われた酒のお礼に那須の与市の扇の的を舞う。いわゆる「与市の語り」である。謡曲の
「屋島」の間狂言「那須語(なすものがたり)」を取り入れた。与市の的落し、餞別にもら
った太郎冠者の素襖落し。ふたつの落し話がミソ。酔いが深まる様子を見せながら、太郎冠
者は、舞を交えた仕方話を演じ分ける。前半のハイライトの場面。ここでは、次郎冠者(巳
之助)、三郎吾(種之助)が、姫御寮とともに、太郎冠者の舞を見るが、座っているだけな
ので、金地に蝙蝠を描いた扇子を持った太郎冠者の独壇場となる。

帰りの遅い太郎冠者(松緑)を迎えに来た主人・大名某(團蔵)や太刀持ち・鈍太郎(坂東
亀蔵)とのコミカルなやりとりが楽しめる。酔っていて、ご機嫌の太郎冠者と不機嫌な大名
某の対比。素襖を巡る3人のやりとりの妙。機嫌と不機嫌が、交互に交差することから生ま
れる笑い。自在とおかしみのバランス。


吉右衛門と菊五郎の共演「十六夜清心」


吉右衛門と菊五郎の共演のほか、今回の「十六夜清心」の見どころ、いや、聴きどころ。尾
上右近が、清元の栄寿太夫襲名後、初披露を歌舞伎座の舞台で実現。今年の2月、父親・延
寿太夫の前名である栄寿太夫を七代目として襲名した歌舞伎役者の右近。今月の歌舞伎座の
舞台で初お目見え。「十六夜清心」の浄瑠璃「梅柳中宵月(うめやなぎなかもよいづき)」
を唄った。澄んだ高い声で聞き惚れた。

第一場の「稲瀬川」の百本杭は、江戸の大川(隅田川)の川筋が曲がる所で、流れが当たる
ので、百本の杭で、防波堤を作っていた。それだけに、いろいろなものが、上流から流れ着
いたり、引っ掛かったりしたらしい。まさに、人生の定点観測の場所。舞台上手の、川の
中、板塀の向こう側で清元連中の「よそ事浄瑠璃」で、板塀は、いわば、「霞み幕」の役割
を果たし、前に倒されると、清元連中の姿が見え、板塀は、石積みの岸に早変わりする。岸
の上に清元連中が連なる。

今回で9回目。私が観た十六夜:時蔵(今回含め、4)、玉三郎(3)、芝翫、芝雀時代の
雀右衛門。清心:菊五郎(今回含め、4)、孝夫時代を含む仁左衛門(2)、八十助時代の
三津五郎、新之助時代の海老蔵。菊之助。

場の構成は、次の通り。第一場「稲瀬川百本杭の場」第二場「川中白魚船の場」
第三場「百本杭川下の場」。

十六夜は、第一場「稲瀬川百本杭の場」は、心中するまでが女上位。十六夜が主導権をとっ
ている。「一緒に死んでくだしゃんせ」と言うのは十六夜。

第一場「稲瀬川百本杭の場」では、開幕直後、本筋の劇が始まる前に、大部屋役者たちが演
じる寸劇がある。中間(荒五郎)、酒屋(吉兵衛)、町人(松太郎)が出て来て、科白入り
の小芝居をする。目的は、番付・役人替名(配役)を紹介する口上で、おもしろい場面だ。
役者は、傍役のベテランばかりで、いずれも、味のある所作、科白があるので、短いなが
ら、見落さないようにしたい。

第一場で、柔弱な清心を押しまくり、入水心中にまで持ち込む。廓から抜け出して来た十六
夜(時蔵)は、後が無いから、必死であるが、清心(菊五郎)は、優柔不断で、終始押され
気味である。ひたむきな遊女と遊び心優先で腰の定まらない優男のやりとり。

ふたりが出逢う場面。鎌倉の寺を追放され、上方へ逃れ、出家得度をしようという清心「悪
い所で、……」。十六夜「清心様! 逢いたかったわいなア〜」。菊五郎は、特に、後半で
の清心の「悪の発心」とのメリハリを考えて、余計、優柔不断ぶりを強調しているように思
われるが、巧い人物造型である。
 
しかし、歌舞伎でいえば、ここは正真正銘の「濡れ場」である。十六夜は、川端の船着き場
の岸に腰を下ろして、赤い襦袢の袖を口に銜える。背を清心に預ける。背中合わせで、寄り
掛かる。立上がって、背中合わせになり、ふたりの隙間で三角形を作る。典型的な、男女の
濡れ事の象徴的なポーズ。背中合わせで手を繋ぎ、両手を前後に引き合う。清心は上手の葦
簀張りの小屋から桶を持ち出し、中にはいっていた本水で、別れの水盃。初めて、互いに向
き合い。さらに、入水自殺へ。小さな船着き場の板敷きの前の方に出て来て、ふたりで寄り
添う。前の手を互いに合わせて、後ろの手は、握りあい、さて、ジャンプという仕草のとこ
ろへ……、浅黄幕振り被せで、入水の体。さらに、暗転。
 
暗闇の中。下座の太鼓が、柝の「つなぎ」のように響き、続ける。やがて、「知らせ」の柝
が、「チョン」となり、明転。第二場「川中白魚船の場」。稲瀬川の西河岸。いつもの、や
りとりがあって、俳諧師・白蓮(吉右衛門)の乗る白魚漁の小舟に、十六夜が助け上げられ
る。息をふきかえす十六夜。船頭は、又五郎。再び、暗転。太鼓の「つなぎ」。やがて、
「知らせ」の柝が、「チョン」となり、明転。第三場「百本杭川下の場」という展開。

清心とは、どういう人物か。女好きの気弱な男。清心は、自分の所属する鎌倉の極楽寺で起
きた公金横領事件の際、着せられた濡れ衣から、たまたま、女犯(大磯の女郎・十六夜と馴
染みになった)の罪という「別件逮捕」で、失脚した所化(坊主)である。当初は、つまら
ないことに引っかかったとばかりに、おとなしくしていた。廓を抜け出してきて、清心の子
を宿したので、心中をと誘いかける十六夜の積極性にたじろぎながらも、女に押されて心中
の片割れになってしまう気弱な男であった。

第三場「百本杭川下の場」。十六夜が命拾いしたのなら、清心も命拾い。入水心中をしたも
のの、下総・行徳生まれの「我は、海の子」の清心は、水中では、自然に身体が浮き、自然
に泳いでしまう、ということを第三場で、命拾いの理由を独白。場内には笑が滲む。死ねな
いのである。

 自分だけ助かった後も、それが疚しいため、まだ、気弱である。雨のなか、しゃくをおこし
て苦しむ十六夜の弟で寺小姓の恋塚求女(梅枝)を助ける善人・清心だが、求女の背中や腹
をさすってやるうちに、五十両の入った財布に手が触れてしまい、悪心を起こすが、直ぐに
は、悪人にはなれない性格。ひとたび、求女と別れてから、後を追い、金を奪おうとする
が、なかなか巧くは行かない。弾みで、求女の持っていた刀を奪い、首を傷つけてしまう。
致命傷ではない。
 
それでも、まだ、清心は、悪人になり切れていない。求女の懐から奪い取った財布に長い紐
がついていたのが仇になり、求女と互いに背中を向けあったまま、財布を引っ張る清心は、
知らない間に、求女の首を紐で絞める結果になっている(つまり、「過失致死」)のに、気
がつかない。やがて、求女を殺してしまったことに気づいたことから、求女の刀を腹に刺し
て自殺をしようとするが、刀の先が、ちくりと腹に触ると、「痛っつ」と、止めてしまう。
場内から笑。水で死ねないのなら、刀でと、決意したのに、これでは、自殺も出来ない。成
りゆきまかせの駄目男。
 
4回目の自殺の試みの末、雲間から現れ、川面に映る朧月を見て、「しかし、待てよ……、
人間わずか五十年……、こいつあ、めったに死なれぬわえ〜」という悪の発心となる名科白
に繋がる(適時に入る時の鐘。唄。「恋するも楽しみするもお互いに、世にあるうちと思わ
んせ、死んで花実も野暮らしい……」。このあたりの、歌舞伎の舞台と音のコンビネーショ
ンの巧さ)。清心にとって、悪への目醒めは、自我の目醒めでもあった。
 
雨が、降ったり止んだり、月が出たり、隠れたりしているようだが、これは、外題の「花街
模様(さともよう)」ならぬ清心の「心模様」を表わす演出を黙阿弥は、狙っているのだろ
うと思う。例えば、月が悪への発心という心理を形で描いて行く補助線となっている。時代
物であれ、世話物であれ、心を形にする、外形的に心理を描く。心理劇にはしない。それ
が、歌舞伎の真骨頂。

菊五郎は、前半の優柔不断な清心から、きっぱりと、変ってみせる。気弱な所化から、将来
の盗人・「鬼薊の清吉」への距離は、短い。がらっと、表情を変え、にやりと不適な笑いを
浮かべる菊五郎。菊五郎は、その辺りのコツを次のように語っていた。「いつも(観客席
の)上手を見ています。向こうで、お金持ちが遊んでいる、それを羨んで心が変わるので
す」。

恋塚求女の遺体を川の中に蹴落とした清心。そこへ、第二場の登場人物、俳諧師・白蓮(吉
右衛門)、助けられた十六夜、船頭(又五郎)が、通りかかり、清心が、船頭の持つ提灯を
たたき落して、暗闇にしたことから、「世話だんまり」へ。歌舞伎味は、ぐうんと濃くな
る。その挙げ句、花道へ逃げる清心。花道を走り去る清心に合わせて、付け打ち。一方、本
舞台に残る白蓮、十六夜、船頭の前を定式幕が、柝の刻みの音に合わせて、閉まって行く。
バタバタとチョンチョンチョンチョン。菊五郎の清心、吉右衛門の俳諧師・白蓮、実は大寺
正兵衛の遭遇の場面で、期待をもたせて、幕。コンパクトながら黙阿弥劇らしい洒落た芝居
だ。

河竹黙阿弥が生まれたのは、1816(文化13)年である。明治維新まで半世紀。歿年
は、1893年。明治維新から四半世紀。黙阿弥原作の演目は360種ほどあるという。1
年間、毎日違う演目を舞台に載せることができる勘定になる。

「花街模様薊色縫」は、1859(安政6)年の初演時には、正月狂言であったことから、
吉例の正月狂言らしく、外題を「小袖曽我薊色縫」としていて、話は、全く違うのだが、能
の「小袖曽我」のタイトルを借用したように、「曽我もの」の「世界」の色付けをしてい
た。舞台を鎌倉周辺や箱根にし、十六夜という役名も、曽我ものの登場人物である鬼王新左
衛門の女房の妹(あまり、近くは無い関係という辺りに、黙阿弥の「魂胆」が、偲ばれる)
の名前から借用している。江戸の世話ものなのに、場所が、鎌倉だから、「隅田川」も、
「稲瀬川」となっている。「小袖」から、「縫う」という連想があり、清心、後の、鬼薊清
吉の「色縫い」、つまり、色と欲を縫うようにして、図太く生きようという、鬼薊清吉の人
生観が滲み出て来るようだ。初演は、1859(安政6)年2月。明治維新まで、後、9
年。幕末の外圧を軸に日本は、内外とも騒然としていた時期であった。
- 2018年11月8日(木) 15:42:38
18年10月国立劇場・通し狂言「平家女護島」


芝翫熱演・ダイナミックな最終場面も見どころ


「平家女護島(へいけにょごのしま)」は、歌舞伎の人気狂言なので、特に、「俊寛」は、
歌舞伎座などでもよく上演される。しかし、「平家女護島」を「通し」で観る機会を得るの
は、なかなか難しい。今月の国立劇場は、国立劇場としては、23年ぶりに「平家女護島」
を通しで上演する。「平家女護島」は、軍記もの古典的作品「平家物語」の世界を題材とし
ている。近松門左衛門が1719(享保4)年に大坂・竹本座の人形浄瑠璃初演用に書き下
ろした全五段構成の時代もの。翌年には、歌舞伎でも上演された。

平安時代末期の権力者・平清盛の悪逆非道とそれに翻弄されながらも立ち向かう人々の苦悩
や戦いぶりを描いた名作。私は、歌舞伎で「平家女護島」の「通し」を観るのは、今回が初
めてだが、人形浄瑠璃では、17年2月の国立劇場小劇場が、国立劇場開場50周年記念と
して「近松名作集」と題して「平家女護島」を上演した際に初めて拝見した。その時の場の
構成は、次の通りであった。「六波羅の段」、「鬼界が島の段」、「舟路の道行より敷名の
浦の段」。

今回の歌舞伎の場面構成は、三幕四場で、以下の通り。

序幕「六波羅清盛館の場」、二幕目「鬼界ヶ島の場」、三幕目「識名の浦磯辺の場」「同 
御座船の場」。歌舞伎では、「鬼界ヶ島の場」は、通称「俊寛」として親しまれ、繰り返し
上演されてきた。俊寛も清盛も平安時代末期の実在の人物で、史実を下敷きに虚実取り混ぜ
て、平家物語をベースに近松門左衛門が劇的な世界を構築した。今回の上演は、国立劇場
が、1967(昭和42)年の上演に際して「六波羅清盛館の場」を復活、さらに1995
(平成7)年の上演で、「識名の浦の場」を復活し、今回のような「通し狂言」として再構
成した。今回は、さらに、1963(昭和38)年の歌舞伎座所演本(武智鉄二脚色)も参
照して補綴した、という。見逃せない公演だろう。


人形浄瑠璃「平家女護島」


人形浄瑠璃としての原作全五段の主な内容は、以下の通り。
初段:平家に囚われの身となった俊寛の妻・あづまやが平清盛から辱めを受ける前に自害す
る。二段目:後白河法皇対平清盛の対立という構図中で、いわゆる「鹿ケ谷の陰謀」(清盛
打倒計画)露見で、俊寛らは鬼界が島に流される。事件から3年後を描くのが「鬼界が
島」。通称「俊寛」。上演が長らく途絶えていた人形浄瑠璃「平家女護島」は、1930
(昭和5)年、まず「俊寛」が復活した。三段目:朱雀御所、巷説「吉田御殿」(大奥のよ
うな女性ばかりの居住で、「女護島」と揶揄された)に居住する常盤御前は、源氏再興の望
みを腐心する。義経の母・常盤御前は「一條大蔵譚」という演目でも、清盛を呪い殺そうと
する場面がある。1957(昭和32)年復活。四段目:悪逆非道な権力者・清盛の末路。
五段目:源氏が平家を追討する文覚上人の夢。
(注:人形浄瑠璃と歌舞伎では、「あずまや」、「東屋」、「鬼界が島」、「鬼界ヶ島」な
どと若干表記が違うが、それぞれを尊重して、表記した)

「平家女護島」という外題は、三段目「朱雀御所」由来する。竹本の語り出しが、「朱雀の
御所は女護島(にょごのしま)」とある。平清盛の愛妾となった常盤御前と侍女たち、つま
り女性のみが住む男子禁制の御殿である。牛若丸(後の義経)も、御所の出入りでは、女装
して腰元に化けている。巷説「吉田御殿」は、「吉田通れば二階から招く、しかも鹿子の振
袖で」という俗謡にもあるように、吉田御殿に住む千姫が美男と見れば屋敷に引き入れたと
いう巷説にちなみ、朱雀御所が「吉田御殿」になぞらえられた、という。

「鬼界が島」の世界は、まさに俊寛の物語。しかし、「六波羅の段」、「鬼界が島の段」、
「舟路の道行より敷名の浦の段」を通して観ていると、清盛を極度に憎々しい人物だ、とい
う印象がとても強く打ち出されていることが判る。平清盛対俊寛と俊寛を慕う人々との対
決。この対決、前半は、入道清盛の代行人・瀬尾太郎兼康と俊寛が直接ぶつかる。島の娘・
千鳥が俊寛の助勢をする(後半の伏線)。後半は、入道清盛と俊寛・東屋を父母と慕う千鳥
が直接ぶつかる。「鬼界が島」だけで千鳥を見ているとわからない千鳥の性根が見えてく
る。通しでこういう風に対決の実相を見抜いてしまうと、鬼界が島の娘・千鳥が、非常に重
要な登場人物として浮き上がってくるのではないだろうか。「鬼界が島」だけでは、原作
者・門左衛門の意図が理解できない。通しで観た人形浄瑠璃「平家女護島」の上演は、平清
盛の物語としての上演だった。その清盛に対抗する人物として、可憐な島娘という触れ込み
のスーパーガール・千鳥を門左衛門は創造したのだろう。「平家」=清盛対「女護島」=東
屋・千鳥。外題に隠された暗号は、千鳥の物語、という、この物語の本性を読み解かなけれ
ばならない。今回の歌舞伎上演も、人形浄瑠璃の、この本性の筋は、概ね踏襲しているよう
に思った。国立劇場歌舞伎の舞台に目を移そう。それにしても、客席は、ガラガラであり、
芝翫一座の熱演ぶりがもったいないような光景。役者もやりにくいのではないか。


歌舞伎通し狂言「平家女護島」


序幕「六波羅清盛館の場」。六波羅にある清盛館は、客席から見ると左右対称。黒塗りの
階、黒塗りの手摺りに柱、壁や襖は、金色。上手下手の、合わせて2枚の金地の壁画には一
番(ひとつがい)の孔雀の絵だろうか。色鮮やかな羽に赤い尾をつけた大きな鳥が画面いっ
ぱいに舞い飛んでいる。平治の乱に勝利し、覇権を握った平相国入道清盛。清盛館に俊寛の
妻・東屋(孝太郎)が、清盛の重臣・越中盛次(松江)に連行されて花道からおずおずとや
ってくる。夫の俊寛や後白河法皇の平家打倒の陰謀が発覚し、夫らが鬼界ヶ島へ流罪となっ
た後、洛中に潜んでいたが、捕まってしまったのだ。東屋は太い縄で後ろ手に縛られてい
る。花道から本舞台中央へ引っ立てられてきた。館の座敷の御簾が上がると中央に清盛(芝
翫)が座っている。金ぴかの衣装を着ている。裏切り者の俊寛を激しく憎んでいた清盛だ
が、東屋を一目見ると気に入ってしまう。好色なのだ。東屋を側女に所望するが、東屋は、
自分は俊寛の妻だと言って、清盛を拒絶する。一人残った東屋に清盛の甥の能登守教経(橋
之助)が、奥から出てきて、声をかける。東屋に「清盛の欲情に屈しもせず、貞女の道をも
立てられる方策があるのでは」と謎をかける。つまり、清盛の手が入らぬうちに自害せよ、
俊寛のために女の操を守れ、と言葉の裏に滲ませる。教経の温情あるサゼッション(封建的
だが)を理解し、俊寛への操を守り自害する東屋。「あっぱれ貞女」と、教経。東屋の首を
刎ね、介錯する教経。東屋の死を知って、清盛館に乱入したのは、俊寛の郎等・有王丸(福
之助)。怪力ゆえに清盛館の侍たちをなぎ倒す。教経は、有王丸に東屋の首を渡し、主人の
俊寛のために無駄な死は避けるべきだと諭す。有王丸は、教経の意向を受け止め涙をこらえ
て、東屋の首を確かめると、傍に首を抱えて六波羅を立ち去る。

二幕目「鬼界ヶ島の場」は、通称「俊寛」と基本的な筋は同じ。幕が開くと、浅葱幕。「元
よりこの島は、鬼界ヶ島と聞くなれば」、幕の振り落しで、舞台中央奥、下手の岩組の後ろ
から俊寛(芝翫)が出てくる。やがて、花道から若い同志たち、平判官康頼(橋吾)と丹波
少将成経(松江)、成経の許嫁となる島の娘・千鳥(新悟)が、登場。早3年間の流人暮ら
し、成経と千鳥の祝言、御赦免船の到着とその後のトラブル、つまり、成経の妻となった千
鳥の乗船問題、中でも、御赦免船に乗ってきた上使(清盛の代行者)の瀬尾太郎兼康(亀
鶴)殺し、同じく上使の丹左衛門尉基康(橋之助)の俊寛らへの情味ある対応など。お馴染
みの展開が続く。「俊寛」だけの、いわゆる「みどり上演」だと、俊寛の妻・東屋を殺した
のは瀬尾太郎だと本人自身が俊寛に教える。それゆえに、俊寛の瀬尾殺しは、妻の命を奪っ
た張本人を討つことになる。しかし、通しを観ている私たち観客は、「六波羅清盛館の場」
ですでに東屋は自ら命をたったことを知っている。

俊寛は、島の海女(海士)・千鳥と成経が夫婦の約束を交わしたことは、康頼に聞かされて
初めて知るとしても、孤島で3年間も一緒に暮らしていて、千鳥と成経が恋仲だろうという
ことは、とうに知っていたのではないか。海女としての千鳥の優秀さも知っているのではな
いか。康頼が、花道で千鳥を呼び寄せ、連れてくる。俊寛は、この場面で都に残さざるをえ
なかった妻の東屋への恋慕の情を募らせながら、成経に千鳥との馴れ初めを語らせる。ふた
りの話を聞き、感動を深める。若い男女の出会いは、容易に自分と東屋との、遠い昔の出会
いを連想させる。この芝居で、俊寛が唯一、嬉しそうな、優しい表情を見せる、和やかな場
面がしばらく続く。俊寛は、千鳥を娘のように思い、ふたりに祝言を挙げるように、と勧め
る。山の清水を酒に見立てて、盃(鮑の貝殻)を交わさせる。祝いにと瞬間が舞を舞う。そ
こへ、沖に見慣れぬ船が見えることに気が付く。

「鬼界ヶ島の場」、その幕切れの場面、地の文は別にして、原作の台本にある科白は、「お
ーい、おーい」だけなのである。まず、この「おーい」は、島流しにされた仲間だった人た
ちが、都へ向かう船に向けての言葉である。船には、孤島で苦楽を共にした仲間が乗ってい
る。島の娘・千鳥と、ついさきほど祝言を上げた若い仲間の成経がいる。そういう人たちへ
の祝福の気持ちと自らの意志とはいえ自分だけ残された悔しい気持ちを俊寛は持っている。
未練を断ち切れない。揺れる心。孤独感が募る。俊寛は、普通の、普遍的な、人間なのだ。
「思ひ切つても凡夫心」。

俊寛役者は、この場面をいく通りにも解釈をし、幕切れの最後の表情をいろいろ工夫して演
じてきた。「虚無」、「喜悦」、「悟り」などなど。初代吉右衛門系の型以降、いまでは、
この後の場面で俊寛の余情を充分に見せるような演出が定着している。どの役者も、そこが
やりがいと思って演じるので、ここが、最大の見せ場として定着している。いろいろな解釈
をする役者たちの演技を私も観てきた。

今回の芝翫は、「ひとりだけ孤島に取り残された悔しさの果ての『虚無』の表情」であっ
た。なにしろ、「おーい」「おーい」「おー」「おー」が多数発せられる。最初は観劇の記
録に残そうと、勘定をしながら芝翫の俊寛を観ていたが、本舞台、花道と移動しながら、叫
ぶ「おーい」「おー」は、数が分からなくなるほど多かった。「凡夫」俊寛の人間的な弱さ
か。「虚無」の表情を歌舞伎というより現代劇風(つまり、心理劇。肚で見せる芝居)で、
情感たっぷりに虚しさを演じていた先代の猿之助に芝翫も近いのか。十八代目勘三郎演ずる
俊寛の最後の表情も、この系統で、「虚無的」な、「無常観」が感じられた。芝翫もこの系
統だろう。汗か、涙か、芝翫の顔は、幾筋も光って見える。悟りきれない俊寛がそこにい
る。弱い人間の悔しさは近松門左衛門の原作のベースにある表情なのだ、と思う。

「俊寛」のみどり上演をしたことがある芝翫は、「島に一人残された俊寛の悲しみを(二幕
目の「鬼界ヶ島」)終演後もひきずってしまう」が、今回は、引き続き、三幕目の「識名の
浦」で、清盛を演じなければならないので、「今回は、清盛と俊寛を切り替えて、しっかり
と勤めたい」と楽屋で話している。


千鳥という娘の謎


千鳥は、鬼界ヶ島でも、ちょっとした立ち回りを見せていたが、「敷名の浦」では、実は、
大活躍することになる。

人形浄瑠璃に戻ろう。というのは、国立の、今回の歌舞伎「平家女護島」は、人形浄瑠璃に
近い。ということは、門左衛門の原作に近いのだろう。「鬼界が島に鬼は無く、鬼は都にあ
りけるぞや」と千鳥の科白。千鳥のひとり舞台の見せ場。「エエ、むごい鬼よ、鬼神よ、女
子一人乗せたとて軽い船が重らうか。人々の嘆きを見る目はないか。聞く耳は持たぬか。乗
せてたべ、ナウ乗せをれ」。都からきた鬼とは、ここでは、瀬尾太郎兼康。この科白には親
密な関係を作った男との同行を求める若い女性の叫びが素直に出ている。彼女の気持ちには
純愛しかない。この辺りは、歌舞伎も基本的に同じ。

さらに、千鳥は次のようなことを言う。「海士の身なれば一里や二里(4キロから8キロの
遠泳のこと)の海、怖いとは思はねども、……」。これは、通しでないと判らない、後の伏
線。水泳が得意ゆえ、彼女は識名の浦での大活躍となる。

次の場面。この千鳥の嘆きを聞いた俊寛は、次のようにいう。「今のを聞いたか、我が妻は
入道殿の気に違うて切られしとや。三世の契りの女房死なせ、何楽しみに我一人、京の月花
見たうもなし。二度の嘆きを見せんより、我を島に残し、代はりにおことが乗つてたべ」。
御赦免船の上使に向かって言ったはずの科白の結末部分は、千鳥に向かって言っている。俊
寛は千鳥のどの情報に反応して、自分は降りて代わりに千鳥を船に乗せる気になったのか。
千鳥のミッションは? 三幕目で、謎が解ける。

これに対して、上使の一人、瀬尾太郎は役人として、常識的なことを言う。「ヤア、梟入
(ずくにゅう)め。さやうに自由になるならば、赦し文もお使ひも詮なし。女はとても叶わ
ぬ、うぬめ乗れ」。人数ではない。赦し文通りの官僚的対応を最善とする。「梟入」とは、
僧侶などへの罵りの言葉だが、この場合は、俊寛への罵り。

これを聞いて、なぜか俊寛はブチ切れて、瀬尾に騙し寄り、瀬尾の腰刀を抜いて斬りつけ
る。ふたりの立ち回りを見ていた千鳥は何をしたか。

「千鳥耐へかね竹杖振って打ちかくる」。このような場面は歌舞伎でも演じる。だが、歌舞
伎では、十分に判らない意味が、この「行為」にはあるのではないか。つまり、千鳥の潜在
的な「戦闘力」を俊寛は、すでに感じ取ったのではないのか。超能力への期待感。

これらの疑問に対して、三幕目でいろいろ謎解きができる。

人形浄瑠璃「舟路の道行より敷名の浦の段」同様、歌舞伎には三幕目「敷名の浦磯辺の場」
「同 御座船の場」がある。人形浄瑠璃では、幕が開くと、舞台は大海原の道具幕。御赦免
船は、「鬼住む島を逃れ出で」海上をひたすら走る。道具幕振り落としで、船は潮待ちのタ
ーミナル・備後の敷名の浦(現在の広島県福山市)に着く、という演出。歌舞伎では、幕が
開くと、舞台上手に御赦免船がすでに停泊している。花道から有王丸(福之助)がやってく
る。俊寛の乗っている船を探し訪ねてきたのだ。目的の赦免船と判り、喜ぶも、俊寛が乗船
していないことを知らされ、がっかりする。御赦免船に乗っていた成経(松江)、康頼(橋
吾)のふたりが、千鳥(新悟)を「俊寛の養い娘」だと有王丸に紹介し、俊寛が島に残った
経緯を説明する。東屋を助けられなかった上、俊寛の赦免も叶わなかった。郎等でありなが
ら主従失格の自分が情けなくなり、有王丸は自害しようとする。千鳥らに引き止められる。

そこへ、清盛らが乗る御座船接近が知らされる。御赦免船に若い娘を乗せているのが、これ
から御座船でやってくる清盛に知れると大変だと丹左衛門(橋之助)の判断で、千鳥は、有
王丸とともに陸路先行することになり、花道から去って行く。御赦免船も、一旦、上手に入
る。

三幕目「御座船の場」。舞台には海原の道具幕が振り被せとなる。場面転換。やがて、幕の
振り落し。幕は、幕下に入った道具方によって下手に運ばれる。厳島神社参詣途中という清
盛一行も後白河法皇とともに御座船に乗り、敷名の浦の船着場にやって来る。舞台下手から
御座船。朱の衣装と金色の袈裟姿の清盛(芝翫)と紫の衣装と黄色の袈裟姿の後白河法皇
(東蔵)のふたりは御座船の上で並んで座っている。遅れて上手から御赦免船となる。丹左
衛門(橋之助)は御赦免船の船上から御座船の清盛に俊寛の瀬尾太郎殺しを報告し、成経、
康頼のふたりのみ連れ帰ったと伝える。清盛は、それなら、なぜ俊寛の首を討たなかったの
かと激怒する。御赦免船は、上手に戻って行く。

やがて、御座船も敷名の浦を離れ、都に向かう。清盛は同船している後白河法皇に源氏に平
家追討の院宣など出すなと怒り、法皇に入水を迫る。清盛は最初から法皇の参詣同伴にかこ
つけて、法皇殺害を狙っていたようだ。嘆き悲しむ法皇を斟酌せず、入水を躊躇する法皇を
舟べりから背を押して突き落とす。人形浄瑠璃では、この場面は、もっと過激。「両足かい
て真逆様、海へざつぷと投げ込みたり」。清盛は法皇を海に投げ込む。歌舞伎では、浪幕に
隠れてセリで下がって行く。「法皇は浮きぬ沈みぬ漂へば」という切羽詰まった状況とな
り、千鳥の出番となる。入道清盛は、沈み行く法皇を見物している。溺れる法皇。船首を上
手に向けていた御座船が、廻り舞台で180度回って、船首を下手に向ける。

「法皇入水」に気がついた千鳥が下手から抜手を切って溺れる法皇に泳ぎ寄ってくる。千鳥
は、海士なので海には滅法強い。法皇を助ける。法皇と千鳥は青い浪幕に包まれて、舞台下
手に消えてゆく。花道から駆け付けた有王丸(福之助)は千鳥(新悟)から法皇(東蔵)の
身柄を受け取ると、法皇を連れて花道から戻って行く。法皇、千鳥を隠していた浪幕が、左
右に片付けられる。有王丸は、花道で御座船の船子たちと立ち回りになる。その間に、本舞
台は、廻り舞台で場面転換。舞台中央から上手にかけて岩組、綱、碇が置かれている。本舞
台での有王丸と14人の船子の立ち回りとなる。有王丸が船子たちを花道に押し出して行
く。法皇は、有王丸に助けられて花道から逃げて行く。千鳥と船子たちの立ち回り。本舞台
は、廻り舞台で場面転換。御座船は、船首を上手に向ける。船には、清盛が載っている。浪
幕と御座船の間を千鳥が泳いでくる。

法皇が助けられたことを知り、怒り狂った清盛は、船から長い槍を使って、海中にいる千鳥
を捕まえる。御座船の引き上げられた千鳥は、自分は俊寛の養女なので、清盛は、母(東
屋)と父(俊寛)の敵だと言う。「殺されても魂は死なぬ」と、千鳥。それを聞いた清盛
は、千鳥を殺す。千鳥を演じる新悟が身体を逆海老に曲げる。柔軟でしなやかな身体。千鳥
は海に打ち捨てられてしまう。御座船は、回って、戻って、半回しとなり、船首を客席正面
に向ける。船首の先頭部分に清盛が立つ。火の玉が、舞台の左右から、ふたつ出てくる。

舞台は、一天俄かにかき曇り、薄暗くなった中で雷鳴が鳴り出す。その後も、御座船は、く
るくると、廻り出す。御座船は、廻り舞台に載って、1回り半回転し、船首を舞台上手に向
けて、やっと止まる。上手から、波の上に乗った態の東屋の亡霊(孝太郎)が、滑り寄って
くる。船尾には、千鳥の亡霊(新悟)が、張り付いている。御座船の中央には、ふたつの亡
霊に挟まれた形で清盛がいる。人形浄瑠璃の竹本の文句を借りれば、「千鳥が躯(むくろ)
より顕れ出づる瞋恚(しんい)の業火、清盛の頭の上、車輪の如く舞ひくるめく」。これで
は、さしもの清盛も苦い高笑い。「目口を張つてわななきける」、という有様。清盛は、ぶ
っかえりで炎の衣装に早替りとなる。女性(にょしょう)ふたりの業火にとりつかれ、燃え
盛る地獄の苦しみに落とし込められた清盛は、大見得を切り、壮絶な最期を暗示させる。

本来、人形浄瑠璃では、今回の歌舞伎のような御座船の場面での東屋や千鳥らの復讐の場面
は無い。この後も、千鳥は清盛を悩まし続けた上、京都に帰る。清盛館では東屋と千鳥の霊
たちが協力しあって、清盛を灼熱地獄に追い立てて、火焔の中で殺してしまうのだが、今回
の歌舞伎は、そのラストシーンを清盛館ではなく、御座船と廻り舞台を使ったダイナミック
な立ち回りに替えて上演したことになる。千鳥は、俊寛の養女として、義父母の俊寛・東屋
の仇討ち成就となる。鬼界ヶ島に残った俊寛は、養女・千鳥がかくなるほどの「武闘派」と
なることを知ってはいまい。それとも、鬼界ヶ島で彼女の本性を見抜いた上、ここまでの
「結果」(仇討ち成就)を出してくれることを予測していたのだろうか。


ふたつの熱演


それにしても、芝翫は熱演。ふたつの場面で熱演ぶりが感じられた。俊寛の鬼界ヶ島での岩
組の上での場面。悲しみの熱演。浜辺を横に移動しながら船影を追う俊寛。岩組に登れど
も、斜面を滑り落ちてしまう。岩組のてっぺん近くで掴まった松の枝が折れると枝を投げ捨
ててしまう(ほかの役者は、枝は折れたまま)。「おーい」「おーい」の絶叫が続く。遠ざ
かりゆく船影に指を広げた右手を真っ直ぐ上に挙げる。暫くすると、俊寛は次第に指を折り
始める。合わせて、手を下げ始める。最後に右手は拳に固める。そして、力なく右手を下ろ
す。右手の動きと変化が、俊寛の後悔、絶望、悲しみを表す。

人形浄瑠璃では、その場面はこうだ。歌舞伎同様に岩組に俊寛は乗る。「思ひ切つても凡夫
心、岸の高見に駆け上がり、爪立てて打ち招き、浜の真砂に伏し転び、焦がれても叫びて
も、あはれ訪(とむら)ふ人とてもなく音は鴎(かもめ)、天津雁(あまつかり)、誘ふは
己が友千鳥、一人を捨てて沖津波、幾重の袖や濡らすらん」。芝翫の絶叫と狂乱は、人形浄
瑠璃の竹本を正直に歌舞伎に移したようにも感じられる。

特に「伏し転び、焦がれても叫びても、あはれ訪(とむら)ふ人とてもなく」という人形浄
瑠璃の文句を芝翫は誠実に丁寧に所作に替えていっているように思えた。芝翫襲名後、初め
ての国立劇場出演。それだけに力が入っていた。

御座船でのダイナミックな最終場面は、芝翫も熱演しているが、廻り舞台を使った御座船の
動きが、ダイナミックで素晴らしかった。歌舞伎の大道具方の勝利。人形浄瑠璃では、実現
できない場面だろう。

この2年間に国立劇場の人形浄瑠璃と歌舞伎上演で見えて来たもの。
まず何よりも、近松門左衛門は、権力者・平清盛の極悪非道ぶりを描こうとした。「清盛
館」「敷名の浦」の場面で、そのことがよく判るだろう。清盛に果敢に対抗するのは、何と
千鳥。鬼界ヶ島では、初々しい娘だったはずだ。命を掛けて最期まで闘い抜く姿に観客は
皆、千鳥を見直したことだろう。鬼界ヶ島の場面でも、俊寛に助勢をして瀬尾太郎に向かっ
て行ったのは、この場面に通じるのだということが良く判った。「平家女護島」という外題
は、平清盛「対」女護島=常盤御前の女軍団。女護島の背後に控える後白河法皇・源氏と平
家の対立の物語、ということだ。

架空の人物・千鳥は、何のために創造されたのか。鬼界ヶ島の場面だけでは、千鳥は都から
来た若い男と相思相愛になった島育ちの純朴な娘、というイメージだが、通しで観終わる
と、彼女のイメージは修正される。原作者門左衛門から託された千鳥のミッションとは、俊
寛の清盛に対する怨念の解消だったのではないか。上使・瀬尾太郎を殺すという、新たな罪
を背負ってでも、俊寛が御赦免船にどうしても乗せたかった人物が、千鳥なのだ。千鳥の
「鬼」認識を思い出そう。「鬼界が島に鬼は無く、鬼は都にありけるぞや」。島にいない鬼
とは? 平清盛。都の鬼退治、俊寛・東屋という、千鳥にとっての、いわば「両親」の敵討
ち。

贅言;人形浄瑠璃が描写する千鳥の姿

「可愛や女子の丸裸、腰に浮け桶、手には鎌、ちひろの底の波間を分けて海松布刈る、若布
あられもない裸身に、鱧がぬら付く、鯔がこそぐる、かざみがつめる。餌かと思うて小鯛が
乳に食ひ付くやら、腰の一重が波に浸れて肌も見え透く、壺かと心得、蛸めが臍をうかが
ふ、浮きぬ沈みぬ浮世渡り、人魚の泳ぐもかくやらん」。色は浅黒いが、兵士としても有
能。スリムな体躯を持つ野性美溢れるチャーミングな娘がイメージされるのではないか。
- 2018年10月13日(土) 16:46:50
18年10月歌舞伎座(夜/「宮島のだんまり」「吉野山」「助六曲輪初花桜」)


助六を演じないまま亡くなった勘三郎


10月歌舞伎座夜の部のハイライトは、まず、「助六」である。今回、この劇評は、「助
六」から始める。今回は、仁左衛門の助六で、外題が「助六曲輪初花桜(すけろくくるわの
はつざくら)」となっている。仁左衛門が、助六を演じるのは、9年ぶり、歌舞伎座では、
仁左衛門襲名披露興行以来になるので、20年ぶりのことだ。私は、この襲名披露の歌舞伎
座の舞台を観ている。

「助六もの」(総称的に使う外題は「助六由縁江戸桜」。本来は、成田屋独自の外題)は、
今回で、私は、10回目の拝見となる。私が観た助六、実は曽我五郎は、團十郎(4)、新
之助時代を含めて、海老蔵(4)、そして、仁左衛門(今回含めて、2)。歌舞伎座の上演
記録を見ても、成田屋のふたりが圧倒的に多い。まもなく終わる平成期では、合計25回上
演のうち、團十郎が9回、新之助時代を含めて海老蔵が8回。孝夫時代を含めて仁左衛門が
6回。菊五郎、三津五郎となる。

今回の主な配役。揚巻(七之助。抜擢の初役)、意休(歌六)、助六らの母・満江(玉三
郎。初役だ)、白酒売新兵衛、助六の兄・実は曽我十郎(勘九郎)、通人の里曉(彌十
郎)、若衆の艶之丞(片岡亀蔵)、くわんぺら門兵衛(又五郎)ほか。鬘をつけた裃後見と
して松之助が支えている。

仁左衛門は、「助六をこの歳で勤められることもありがたいですし、(私としても)今回が
集大成のつもりです」と話している、という。

十八代目勘三郎は、助六を演じることなく亡くなってしまった。父親の十七代目勘三郎は、
本興行で、6回助六を演じている(上演時の外題は、「助六曲輪菊」)が、息子の十八代目
は、一度も助六を演じなかった。「助六」に出演している場合は、白酒売新兵衛、実は曽我
十郎、通人の里曉、福山かつぎなど。このうち、白酒売新兵衛、実は曽我十郎、通人の里曉
の舞台などを私は歌舞伎座で観ている。建て替えとなる歌舞伎座が、閉場になる直前。10
年4月、旧・歌舞伎座興行の最終月、「さよなら歌舞伎座」の舞台。通人の退場の花道の場
面。新・歌舞伎座開場を期待したアドリブの科白が場内で受けていたが、勘三郎は新・歌舞
伎座開場を待たずに12年12月に亡くなってしまった。歌舞伎座の建て替えによる閉場期
間は、10年5月から、13年3月末までだった。勘三郎の死から4カ月後だった。勘三郎
はいずれ、助六は自分も演じると思っていたことだろう。演じたかっただろうな。永遠に見
ることができない十八代目勘三郎の助六。

仁左衛門の話に耳を傾けよう。筋書の楽屋インタビューで仁左衛門は、「助六」を十七代目
勘三郎から学んだ、という。また、十八代目勘三郎からは、(生前)助六を「教えてほし
い」と乞われていた、ともいう。

「初演では、十七代目のおじさまに教えていただき、その後、十八代目に、自分が助六をや
る時には教えてよと言われていましたが、実現できず残念です」。私が「彼に『私より東京
の人から教わったほうがいいんじゃない?』と言ったら、『兄ちゃん(仁左衛門)に教えて
ほしいんだ』と、勘三郎は言っていた」、という。「(その実現できなかった思いを勘九郎
君につなげたい。)勘九郎君には、(今回の舞台で)私の『助六』を傍で見ていて欲しいで
すし、(大和屋さんの指導の下、)七之助君は『揚巻役者』になって欲しいと思います。
(「助六」コンビとしての)ふたりに対する期待ですね」」と語っていた、という。仁左衛
門は、今回含めて7回、助六を演じているが、このうち、今回を除く6回は、すべて玉三郎
の揚巻を相手にしている。玉三郎以外の揚巻と共演するのは、今回の七之助が初めてだ。

ならば、我々も、仁左衛門型「助六」の勘九郎・七之助兄弟への継承に期待しよう。今回、
勘九郎は、白酒売新兵衛、実は曽我五郎で出演し、仁左衛門の助六を同じ舞台の傍で見てい
る。仁左衛門を相手に揚巻を演じる弟の七之助をも見ている。勘九郎がいつの日か、こうし
た体験を踏まえて、十九代目勘三郎を襲名し、七之助の揚巻を相手に、仁左衛門・玉三郎の
指導を踏まえて、さらに勘三郎の名跡の下、助六を演じる日も来ることだろう。体調管理を
しっかりやって、元気で、その舞台を観ることができると良いな、と思っている観客も多い
ことだろう。

贅言1);成田屋の「助六」の外題は「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」
だが、仁左衛門が「助六」を上演する時は「助六曲輪初花桜(すけろくくるわのはつざく
ら)」、菊五郎が上演する時は「助六曲輪菊(すけろくくるわのももよぐさ)」、三津五郎
が上演する時は「助六桜(の)二重帯(すけろくさくらのふたえおび)」という外題を使
う。

贅言2);閑話休題で、ついでながら。稲荷鮨と海苔巻きの「助六寿司」というネーミング
は、助六よりも揚巻優先。稲荷鮨(あげ)と海苔巻き(まき)が、語源。揚巻を間接話法で
忍ばせながら、相手役の助六の名前を直接話法で表示する。この辺りが、江戸っぽい美学。

私は、今回、20年ぶりに仁左衛門の「助六曲輪初花桜」を観たわけだが、「助六由縁江戸
桜」と、「助六曲輪初花桜」が、その劇的構造を大きく異にしているわけではない。それぞ
れ、独自の外題をつけて演じている以上、家の藝としての工夫はいろいろあるのだろうが、
私の印象では、仁左衛門の「助六曲輪初花桜」は、成田屋と違って、河東節を使わずに、長
唄を使っている。仁左衛門の持つ上方味が、江戸の男伊達・助六に團十郎のオーラとは、一
味違う味付けとなっているように感じられたことなどか。仁左衛門の十七代目勘三郎への恩
返し、十八代目への友情、勘九郎・七之助兄弟への継承、歌舞伎界の歴史の断面の一つ(世
代交代)を見るような舞台だった。七之助の揚巻は、キリッとしていて良かったと思う。特
に、意休が持っていた刀が、探していた「友切丸」と判った後、三浦屋の中へ戻る意休。意
休の帰り道を襲おうと待ち伏せのために、先に花道へ消えて行く助六。花道の引っ込み。こ
れで閉幕と思って、場内は、帰り支度で、ざわつき始める。ひとり、本舞台に残った七之助
の揚巻は、舞台中央に移動した後、客席に背を向けて衣装を広げ、左斜め後方に振り向く姿
勢をとり、顔を見せながら静止のポーズをとる。暫くすると、そこへ、上手から定式幕が閉
まり始めてくる。この瞬間が、本当の「助六」の閉幕となるわけだが、席を立ち始め、わさ
わさしている観客たちは、どれだけが、この七之助の美しい姿を観ていることだろうか。


「助六」の演劇構造


「江戸桜」も「初花桜」も「菊」も、「助六」の演劇構造は、大きくは違わない。構造分
析、題して、「スケロク・オペレーション」とは、何か。それは、トリック・スター(助
六)の宝刀奪還作戦。横恋慕の三角関係。伊達男の扮装も、曽我五郎の隈取りに、この男の
性根を露見させている。

1)美男美女、悪人の「三角関係」(横恋慕)。少年(助六)・やや年上の女(揚巻)と年
寄りの大人(意休)の三角関係の物語。

江戸歌舞伎の特徴、「荒事」の代表作の一つ。江戸歌舞伎の華・荒事は、荒々しいエネルギ
ー、稚気を表現する。江戸っ子の意気を示す、江戸のスーパースター・助六は、子どもっぽ
い。餓鬼(少年)なのだ。助六の隈は、「むきみ」隈=蛤のむき身の舌に似ているので、こ
う名付けられた。実は、曽我五郎を示す。五郎も、隈取りは、むきみ隈。敵(かたき)討ち
を果たして、亡くなる英雄の隈より、助六は、やや細め。宝刀奪還という志を秘めた洒落
男・傾(かぶ)く男・伊達男。紫の鉢巻き(左巻きの病巻と違って、右巻き)などの扮装、
衣装、持ち物など、当時の江戸のオシャレの「粋(すい)」を体現している。色彩・様式美
など歌舞伎の美学が、横溢。実質的な荒事の創始者・二代目團十郎が、初めて演じたと伝え
られている。しかし、そういう華やかさのなかにも、じっと、凝視すれば、粘着質的に敵を
付け狙う曽我五郎の性根を見て取ることが出来る。

助六の所作は、「大げさ」が、売り物。稚気をいっぱい含んだ助六が、本来の助六の姿だろ
う。大人・髭の意休に対する餓鬼の助六という構図を見逃さない。間に挟むのは、助六にと
って、年上の女性(大人というより、少女に近いかも知れない。特に、意休から見れば、少
女だろう)・花魁(遊女)の揚巻。情夫(まぶ)の少年の助六に対する愛情ぶりが、真情溢
れて、「姉さんの深情け」を見落とさないように。「突っ張った少年と姉さんだが、世間的
には、少女に近い花魁というカップル」対金持ちで「年寄りの大人」の、三角関係の物語。
今風に言えば、意休のセクハラ、パワハラだろう。

2)「宝刀奪還と敵討ちの物語」。「三角関係」の裏に隠されている。

助六が、意休に喧嘩を仕掛けるのは、仇討のための「刀改め=源氏の宝刀・友切丸という刀
探し」の意図がある。助六が、曽我五郎で、白酒売が、曽我十郎という、兄弟。鬚の意休、
実は、曽我兄弟に対抗する平家の残党。友切丸を取り戻すために、助六は、三浦屋の、後の
場面で意休を殺す。意休は、歌舞伎の衣装のなかでも、特に重い衣装を着ている(実は、揚
巻の衣装も重い。40キロあるという)。それだけに、憎まれ役として、あまり動かずに、
姿勢を正し続けるだけでも、大変そう。白酒売は、助六の兄で、滑稽感を巧く出し、弟の助
六の荒事が光るように、江戸和事の味わいを出しながら、兄の曽我十郎としての気合いも、
滲ませる必要がある。「股潜り」という遊び(これも、「刀改め」作戦のひとつ)。最後
に、母親が出て来て、兄弟の「刀改め」が、たしなめられる場面があるが、まさに、叱られ
た餓鬼たちである。

3)吉原の風俗活写。「助六」は、作者不詳の名作だが、ストーリーより、舞台の見た目を
重視する芝居である。絵画的な一幕の場面が、「三浦屋格子先の場」なのである。

* 傍役たちのおかしみの味わい

見た目を重視する芝居の、多彩な傍役たちの魅力:歌舞伎の典型的な配役が、ほとんど見る
ことができるので、歌舞伎の構造が判る。白酒売の滑稽さ。意休の手下たち=滑稽な、くわ
んぺら門兵衛、朝顔仙平(当時人気のあった「朝顔煎餅」のコマーシャル。鬘や隈=朝顔を
図案化した趣向に注目)。通人(洒落の人)・里暁は、笑わせて、場内の雰囲気をやわらげ
る。特に、里暁は、アドリブ(捨て科白)の、巧拙で、舞台の出来の印象さえ異なって来る
大事な役どころ。毎回、どういうアドリブが登場するか、お見逃しなく。粋な「福山かつ
ぎ」。注文を受けて、饂飩を配達する人。吉原で暮らす町の人の代表格。若衆、あるいは、
国侍。庶民の一芝居が、おもしろい。昔は、出前に来た人を、舞台に引っ張り込んだという
エピソードも、伝えられているが、本当か。ここも、注目。若衆・艶之丞(片岡亀蔵)役
は、成田屋型では、お上りさんで、不器用な国侍の役回り。白酒売・助六の兄弟との駆け引
きにも、注目。

* 「助六」は、吉原の風俗を描く芝居

吉原という遊郭の「花魁道中」の華やかさは、ほかの演目でも、出て来る。「助六」の特徴
は、遊女屋の店先、つまり吉原という街そのものが、副主人公になっている。いろんな人た
ちが通ることで、遊郭の話だが、遊郭内にとどまらずに、店先から、周辺の地域社会が、垣
間見えるおもしろさがある。奥深さがある。新吉原の江戸町一丁目の三浦屋の店先が、貴重
な空間になる。三浦屋で働く人々、三浦屋に通う人々、三浦屋の前を通る人々、吉原で働く
人、通う人などが、出て、来る。

多様な町の人たちを演じる役者たちのそれぞれの衣装、小道具などに、300年前の江戸の
風俗が、細部に宿っている。例えば、助六の花道の出で、なくてはならないものは、大きな
蛇の目傘。傘を持たずに助六が出て来たら、芝居にならないだろう。それほど大事な傘。黒
と白のモノトーンが、なんとも粋だ。
紫の鉢巻き、黒羽二重の小袖、鮫鞘の一本差し、背中から帯に挿した尺八、印籠などは、ど
の助六も同じだろう。

このほか、助六の舞台には、提灯、染め物、塗り物、半纏、刀、煙管、珊瑚や鼈甲の櫛、笄
など、江戸趣味に溢れる小物がいろいろ登場する。歌舞伎の演目の中でも、本筋とは違う
が、地域社会が見える演目は、数が少ないので、貴重。何百年という時空を越えて、タイム
カプセルに入っている風俗情報に直に触れられるのは、「助六」の大きな特徴である。


夢の歌舞伎、歌舞伎の夢


さて、最後に十八代目勘三郎に戻ろう。捨て科白(アドリブ)をたっぷり言う時間のある通
人役の勘三郎が、6年前に言った科白。役者の気持ちだけでなく、観客の気持ちも代弁し
て、花道で言っていた科白を最後に記録しておこう。

「歌舞伎座には、思い出がいっぱい詰まっている。新しい歌舞伎座で、もっと、もっと、夢
を見せてもらいやしょう。歌舞伎座からは、さようなら」。

「さようなら」は、そのまま、十八代目の遺言になっているようで、6年経っても、悲し
い。しかし、「新しい歌舞伎座で、もっと、もっと、夢を見せてもらいやしょう」は、勘九
郎・七之助兄弟へ引き継がれている役者の思い。そして、私たち、観客の思い。夢の歌舞
伎、歌舞伎の夢。


古怪な歌舞伎味「宮島のだんまり」


「宮島のだんまり」は、今回で4回目。主な配役は、傾城・浮舟、実は盗賊・袈裟太郎:澤
村藤十郎、時蔵、福助、そして今回の扇雀。平清盛:彦三郎時代の楽善、左團次、歌六、そ
して今回の弥十郎。畠山重忠:歌昇時代の又五郎、彦三郎時代の楽善、錦之助、そして今回
は、河津三郎役の萬次郎。大江広元:正之助時代の権十郎、歌昇時代の又五郎(2)、そし
て今回は、錦之助。

「だんまり」は、江戸歌舞伎の顔見世狂言のメニューとして、安永年間(1772ー81)
に初代中村仲蔵(「仮名手本忠臣蔵」五段目の定九郎を工夫した役者)らが確立したと言わ
れる演出の形態。およそ100年後に明治維新を迎えるという時期で、幕藩体制も、低落に
向かい始めた時期という閉塞感が、滲む。

場所:山中の神社、時刻:丑の時(午前1時から3時)、登場人物:山賊、六部、巡礼な
ど、要するに得体の知れない人物、状況:暗闇のなかでの、宝物の奪い合いなどという、様
式性の強い設定で、グロテスクな化粧・衣装、凄みを込めた音楽、大間な所作などを売り物
にする。芝居の、今後の展開を予兆するような舞台、いわば、映画の予告編のようなもの。
本編は、近日公開というわけだ。また、顔見世興行とのかかわりで言えば、顔見世狂言は、
当該芝居小屋の、向う1年間の、最初の舞台として、契約した出演役者を紹介するもので、
その意味で、後に、一幕ものとして独立した「御目見得だんまり」は、顔見世独特の役割を
担い、興行の初めに、新たな座組を披露するために、一座の中核になる役者を紹介する演目
として、いわば、1年間の予告編であり、雑誌で言えば、カラフルなグラビアページの役割
を果たすと言える。

「宮島のだんまり」は、初演時の外題「増補兜軍記」が示すように、「兜軍記」の世界をベ
ースにしている。主役は、遊君・阿古屋、実は、菊王丸であった。山中を海辺の宮島・厳島
神社に設定して、一工夫している。ストーリ−は、他愛無い。10数人が、平家の巻物(一
巻)を争奪する様を、極彩色の絵巻のような「だんまり」というパントマイムで見せるとい
う趣向。今回は、13人参加。

定式幕が引かれ、開幕となるのに、浅葱幕に大海原を描いた浪幕が舞台全面を覆っている。
荒事らしく、大薩摩も幕前で、演じられる。やがて、浪幕の振り落としの後、傾城・浮舟、
実は盗賊袈裟太郎(扇雀。初役)、広元(錦之助)、三郎(萬次郎)の3人が、中央からセ
リ上がりという趣向で、舞台は、端(はな)っから古色蒼然という愉しさ。黒幕をバックに
した宮島は、真っ暗闇。やがて、舞台の上手、下手から、立役、女形、双方4人ずつ(弾正
=吉之丞、五郎=歌昇、景久=巳之助、奴団平=隼人、典侍の局=高麗蔵、祇王=種之助、
おたき=歌女之丞、照姫=鶴松)出て来て、合わせて11人による「だんまり(暗闘)」と
なる。闘いは、浮舟が所持している一巻争奪戦だが、だんまり特有の、ゆるりとした、各人
の大間な所作が、古色をさらに蒼然とさせる。特に、「蛇籠(じゃかご)」と呼ばれる独特
の動きで、複数の人たちが、前の人を引き止める心で、繋がる。これは、筒型に編んだ竹籠
に石を詰めて河川の土木工事に使う「蛇籠」の形を連想した古人が、名付けた。「蛇籠」と
いうネーミングは、竹の籠が、目合(まぐわ)う蛇体からの連想なのだろうが、古人の想像
力は、豊饒だ。そういえば、水道の「蛇口」も、あれを「蛇の口」というのも、良く考えれ
ば、凄い発想ではないか。

天紅(巻終えた手紙の天地のうち、「天」の部分を紅の付いた唇で挟むことで、キスマーク
をつける愛情表現)の「恋文」ような、一巻を取り戻した傾城・浮舟、実は盗賊・袈裟太郎
の扇雀は、妖術を使って、大きな石灯籠のなかに姿を隠す。暗闘のうちに、さらに、さら
に、悪七兵衛景清(片岡亀蔵)、平清盛(彌十郎)のふたりが加わり、総勢13人となる。
辺りで、暗闘のなか、長い赤い布が、力者の手で舞台上手から下手に拡げられて行く。平家
の赤旗である。だんまりの役者たちが、長い布を手に取って、横に繋がって行く。やがて、
舞台の背景は、黒幕が落とされて、夜が明け、宮島の朝の遠見へと変わる。彌十郎の清盛
が、三段に乗り、大見得。それにあわせて、一同、絵面の見得をするうちに、幕。

幕外、花道すっぽんから再び現れたのが、袈裟太郎として、正体を現したままの傾城・浮舟
(扇雀)。ここは、「差し出し」の面明かりを使っての出。古風な味を大事にした演出が続
く。盗賊と傾城という二重性(綯い交ぜ)を上半身と下半身で分けて演じるという難しさ
が、この役にはある。手の六法と足元の八文字が、男と女の化身の象徴だと、観客に判らせ
なければならないからだ。


「吉野山」狐の勘九郎に玉三郎の静御前


「吉野山」は、歌舞伎の3大演目のひとつ「義経千本桜」の一幕。「道行初音の旅」。男女
の道行ものをベースにしている。富本の「幾菊蝶初音道行(いつもきくちょうはつねのみち
ゆき)」を清元に改めた。軍物語の件は清元の「菊鶏関初音(きくにとりせきのはつね)」
を竹本にした。私は、今回で、23回目。

春爛漫の吉野山。舞台装置は、いつもより素直な感じ、単彩色の桜の絵。吉野山の奥にある
川連法眼や肩を目指して、義経の連れ合い静御前(玉三郎)とその護衛役の佐藤忠信、実は
源九郎狐(勘九郎)の道行の場面だ。まず、花道から静御前が、一人でやってくる。最近の
玉三郎らしからぬ、オーソドックスな出だ。静御前が義経から託された「初音の鼓」を打ち
鳴らすと、花道すっぽんから狐忠信が姿を見せる。本舞台にやってきた狐忠信に「待ちかね
た」と静御前。ちょっと、不機嫌。狐忠信は、実は、初音の鼓に用いられている鼓の皮(狐
の皮)の子どもなのだ。皮にされた親狐への慕情止み難く忠信に化けて、静御前の護衛役と
いう主従関係を装い、「鼓に付いてきた」のだった。静御前と狐忠信のふたりの踊りでは、
玉三郎の演出だろうが、いつもより、ふたりの主従関係が、くっきりと見えてくる。毅然と
した「主」としての静御前。控えめに振る舞う狐忠信。それが、一つの頂点に達するのが、
「女雛男雛」のポーズをとる場面だ。普段なら、大向こうから「ご両人」と声がかかるとこ
ろだが、玉三郎の後方にそっと近づいてきた勘九郎は、遠慮がちに狐忠信の男雛のポーズを
とった。今回は、この場面では大向こうからも、声はない。大向こうの皆さんは、さすが、
判っている。

ついで、「桃にひぞりて後ろ向き」(枯れてそった葉っぱのことを江戸時代は、「ひぞり
葉」、重心が定まらずにくねって回る独楽を「ひぞり独楽」と表現したという)では、静御
前が持つ初音の鼓に忠信がすり寄っていく場面は、ぎこちなく、まさに、ひぞり独楽のよう
に、くねくね、ギクシャクと「狐っぽい」所作を見せる。狐の本性が、顕れてしまう、とい
う感じだ。この場面、勘九郎と玉三郎は、狐と人間の違いを見せつけたように思う。

勘九郎は、狐忠信は、4回目。相手役の静御前は、亀治郎、福助、七之助、そして今回は、
初めての玉三郎。今回の配役は、ほかに、早見藤太が、己之助。

舞台中央の桜木とその手前の切り株に、旅の途中のふたりが保管してきた初音の鼓と着瀬長
(きせなが。鎧)を組み合わせて、義経の御前という態で、忠信が屋島の合戦の様子を語り
伝える。「あら物々しや夕日影」で始まる軍物語。竹本は、愛太夫と蔵太夫の2連。床の出
語り。大向こうから「待ってました」と声がかかる。待っていたのは、「軍物語」の場面と
愛太夫の出語りか。

鎌倉方の追っ手、早見藤太が大勢の花四天たちを引き連れて、現れる。滑稽な場面(チャリ
場)、「稲荷尽くし」(?)の所作ダテ、いつものコミカルな立ち回りとなる。

今回の「吉野山」は、静御前と狐忠信の関係で、くっきりとふたつの線を引いている。「主
従関係」と「狐と人間の関係」。これは、「吉野山」の原点として再確認されたように思
う。勘三郎と玉三郎。ふたりの志には、古典的な歌舞伎を活き活きとした現代の演劇として
再生しようという意識があったように思う。勘九郎・七之助の兄弟は、今回の先達たち、白
鸚、仁左衛門、玉三郎から伝えられる、こうした志を受け止めて、これからも、この課題に
取り組んでいってほしい。
- 2018年10月5日(金) 11:10:28
18年10月歌舞伎座(昼/「三人吉三巴白浪」「大江山酒呑童子」「佐倉義民伝」)


十八代目勘三郎七回忌追善


今月の歌舞伎座は、十八代目中村勘三郎の七回忌追善興行。一階ロビー下手側出入口近く
に、勘三郎の遺影が飾られていた。天才肌の歌舞伎役者十八代目勘三郎が亡くなって、早
や、6年が過ぎてしまった。57歳で亡くなり、存命だったら、今年は、63歳。本来な
ら、この6年間は勘三郎の熟成期の始まりともいうべき舞台を観ることができたはずだ。勘
三郎は、4歳で五代目勘九郎を名乗り、まずは、子役として歌舞伎界を走り始めた。子役か
ら、青年へ。若手時代、花形時代、中堅時代、そして、2005年3月、十八代目勘三郎襲
名をきっかけに始まった熟成期。どの時期も、同世代の役者たちのトップを切って走ってき
た。熟成期の始まりという芳醇な時期。生きていれば、この時期もトップを切って走り続け
ていたことだろう。そういう観客にとっても貴重な時間が流れていたに違いない。しかし、
現実は違う展開を余儀なくされた。勘三郎の遺児たち。勘九郎(36。今月末で、37)・
七之助(35)の兄弟は、消えてゆく偉大な父親の背中を見つめていた、のだろうか。勘九
郎は言う。「偉大さを感じるだけでなく、私たちも(父のように)輝く存在にならないとい
けないと思っています。私たち兄弟は、お客様と一緒に常に父が見ているという意識で演じ
ています」。また、七之助は、次のように述べている。「その存在は色あせることなく、大
きくなっていると感じます」。勘九郎・七之助の兄弟にとって、父親・勘三郎は、常にこち
らを向いて、顔を見せながら迫ってくる存在のようだ。ますます、大きくなる存在。兄弟
が、歌舞伎の魅力や難しさを実感するようになればなるほど、勘三郎は、父親として、歌舞
伎界の先達として、彼らに向かってくるのではないか。彼ら兄弟も、この6年間だけでも、
勘三郎の藝を引き継ぎつつ、勘三郎とは違う味わいも付加させながら、大きく成長してきた
ように思う。今月の歌舞伎座は、昼夜で、勘三郎と勘九郎・七之助の兄弟との藝の切磋琢磨
の、幽冥を超えた「現況」という、その新しい局面を私たちに見せてくれるのではないだろ
うか。

まず、今月、歌舞伎座に出演する十八代目勘三郎の兄貴格の役者たち。斯界の先達である。
二代目松本白鸚(76)、十五代目片岡仁左衛門(74)、五代目坂東玉三郎(68)の3
人が、勘九郎・七之助と共演する。まず、昼の部では、勘九郎・七之助の相手は、「佐倉義
民伝」の白鸚。今年の歌舞伎座出演は、1、2月連続の歌舞伎座高麗屋三代襲名披露以来、
ご無沙汰だったという白鸚。久しぶりの歌舞伎座出演で主役の宗吾を演じる白鸚を相手に、
女房・おさんを七之助が初役で演じる。勘九郎は、将軍・徳川家綱を演じる。夜の部では、
「助六曲輪初花桜」の仁左衛門と玉三郎。仁左衛門の助六を相手に、七之助は、揚巻を演じ
る。初役で、女形の大役中の大役を任せられた。玉三郎は、七之助の揚巻を指導しながら、
助六の母・満江を演じる。七之助は、仁左衛門と玉三郎という立役と女形の人間国宝の視線
を浴びながら、25日間、揚巻を演じるわけだ。千秋楽まで無事勤め上げれば、どれだけ成
長することだろう。「吉野山」の玉三郎。玉三郎は、静御前。従える狐忠信は、勘九郎が演
じる。勘太郎時代を含め、狐忠信を演じて、今回が4回目。相手役の静御前は、亀治郎時代
の猿之助、福助、七之助、そして、今回は、いよいよ玉三郎である。松竹の重役陣が、中村
屋兄弟にかける期待が、いかに大きいかが、よくわかる布陣であり、配役である、と言える
だろう。

そのほかの演目では、勘九郎は、「大江山酒呑童子」の酒呑童子。勘九郎は、この役は2回
目。今回は、先輩の扇雀、錦之助や後輩たちと共演する。七之助は、「三人吉三巴白浪」の
お嬢吉三。七之助は、この役は4回目。先輩の獅童(46)や後輩たちと共演する。「宮島
のだんまり」には、今回は、勘九郎・七之助の兄弟は出演していない。こちらに出ているの
は、扇雀、錦之助、高麗蔵、彌十郎、萬次郎、片岡亀蔵、歌女之丞、吉之丞らベテラン、歌
昇、隼人、巳之助、種之助、鶴松らの若手。


「三人吉三巴白浪」は、13回目。このうち、今回含め9回は、「大川端」の場面のみの一
幕もの。「大川端」は、正式には、「三人吉三巴白浪〜大川端庚申塚の場」。この場面は、
歌舞伎錦絵のような様式美と科白廻しで、これはこれで、いつ観ても充実感がある。この場
面の見どころは、何といっても配役。今回は、七之助のお嬢吉三、巳之助のお坊吉三、獅童
の和尚吉三という顔ぶれ。

「三人吉三」は、実は、極めて、現代的な芝居だ。3人は、田舎芝居の女形上がりゆえに女
装した盗賊のお嬢吉三、御家人(下級武士)崩れの盗賊であるお坊吉三、所化上がりの盗賊
である和尚吉三という前歴から見て、時代の閉塞感に悲鳴を上げている不良少年・青年たち
である。社会から落ちこぼれてしまい、盗みたかりで、糊口を凌ぐしかないという若者た
ち。そういう若者の「犯罪同盟」の結成式が、「大川端」の場面なのである。

黙阿弥歌舞伎では、調子の良い七五調の科白に載せて、閉塞感という暗い話をグラビア的
な、1枚の浮世絵のような場面として表現してしまうから、凄い。

義兄弟の儀式も終わり、やがて定式幕が、上手から閉まり始める。それへ向けてお坊吉三、
和尚吉三、お嬢吉三の3人が、ゆるりとした歩調で向って行く、と……、幕。若者たちは、
今、歩き始める。栄光の明日へ、あるいは破滅の明日へ向かって行くのか。

「三人吉三巴白浪〜大川端庚申塚の場」は、歌舞伎錦絵のような様式美と科白廻しで、これ
はこれで、いつ観ても充実感がある。この場面の見どころは、何といっても配役。今回は、
團菊祭ということで、お嬢吉三が菊之助、お坊吉三が海老蔵、和尚吉三が松緑。ほかに、夜
鷹のおとせが右近。

「三人吉三」は、実は、極めて、現代的な芝居だ。3人は、田舎芝居の女形上がりゆえに女
装した盗賊のお嬢吉三、御家人(下級武士)崩れの盗賊であるお坊吉三、所化上がりの盗賊
である和尚吉三という前歴から見て、時代の閉塞感に悲鳴を上げている不良少年・青年たち
である。大不況の現代に生きていれば、職に就きたくてもつけない。社会から落ちこぼれて
しまい、盗みたかりで、糊口を凌ぐしかないという若者たち。そういう若者の「犯罪同盟」
の結成式が、「大川端」の場面なのである。

「三人吉三」の「吉三」は、いわば、記号で、現代ならば、少女A=お嬢吉三、少年A=お
坊吉三、青年A=和尚吉三というように、「吉三=A」とでも、言うところ。それゆえ、3
人のAたちは、時空を超えて、現代にも通じる少年少女Aたちの青春解体という普遍的な物
語の主人公として、新たな命を吹き込まれ、少年期をテーマとした永遠の物語の世界へと飛
翔する。そういう意味でも、「三人吉三」は、「ネバーエンディングストーリー」という物
語の、グラビアページでも、あるのだと言える。


「大江山酒呑童子」は、2回目。萩原雪夫により、先代の勘三郎のために書き下ろされ、1
963(昭和38)年6月、歌舞伎座で初演された新作歌舞伎。それゆえ、幕は、緞帳が使
われる。能の「大江山」など源頼光のよる酒呑童子退治伝説が、ベースになっている。背景
は、能舞台鏡板風の巨松。上下は、竹林。舞台上手に二畳台に載せられた、小さな「館(実
は、酒呑童子の寝所)」がある。演劇構造は、「土蜘」に似ている。

前回は、十八代目勘三郎で、観た。勘三郎は、生涯で2回演じた。そのうち、1回を私は観
た。今回の出演は、勘九郎。勘九郎も、今回で2回目。幕が開くと、大江山の山中の体。
「勧進帳」の義経主従のようないでたちで、紫の衣装の源頼光(扇雀)、独武者の平井左衛
門尉保昌(錦之助)と四天王(歌昇、隼人、いてう、鶴松)の山伏姿での一行。やがて、酒
呑童子の住処、鬼ケ城を見つける。花道すっぽんから、城に戻って来た体の、酒呑童子(勘
九郎)が現れる。童子頭に、若草色の衣装を着けている少年だ。この少年が、不気味だ。少
年と大人の二重性。童子姿の少年が、にんまりしながら、酒を呑む場面が、意外と、不気味
である。一行が持参した酒は、神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)という、鬼が呑めば神通
力を失うが、人間が呑めば、精気を増すという都合の良い酒である。その酒を呑ませるとい
う約束で、一夜の宿りを乞う。酒宴を開き、舞を肴に酒を呑みあう。酩酊してくる、酔いの
表現を売り物にする演目は、多いが、これも、同根。やがて、酔いが深まった酒呑童子は、
「土蜘」のように館に姿を消してしまう。

間狂言風に、濯ぎ女の若狭(高麗蔵)、なでしこ(児太郎)、わらび(種之助)が、下手奥
からやって来る。いずれも、都から酒呑童子に勾引されて来た女たちと判る。頼光一行は、
酒呑童子を退治したら、女たちを都に送り届けようと申し出る。

やがて、館の御簾が上がると、中から、大きな朱塗りの盃で顔を隠し座ったままの酒呑童子
の登場となる。朱色の衣装。赤面(つら)。朱色尽くし。鬼神の正体が、顕現する。やが
て、毒酒の効き目もあらたかとなり、足元がおぼつかなくなる。倒される酒呑童子。紫色の
三段に上がり、大見得。緞帳が下りてくる。大筋は変わらないが、細部の演出が、違う。


白鸚と七之助の共演「佐倉義民伝」


「佐倉義民伝」は、4回目。主役の木内宗吾は、勘三郎で1回、幸四郎時代を含む白鸚で、
今回含め、3回、観ている。白鸚は、木内宗吾を演じるのは、今回で4回目というから、3
回は私も観ているというわけだ。戦後63年間で、本興行で15回目の上演ということで、
4年に1回という感じでしか演じられない演目。初めて観たのは、16年前、勘九郎時代の
勘三郎の宗吾で観て見ている。

今回の場面構成は、次の通り。序幕第一場「印旛沼渡し小屋の場」、第二場「木内宗吾内の
場」、第三場「同 裏手の場」、二幕目「東叡山直訴の場」。

序幕では、印旛沼の渡し、佐倉の木内宗吾内、同裏手へと雪のなかを舞台が廻り、モノトー
ンの場面が展開する。二幕目では、1年後の江戸・上野の寛永寺。多数の大名を連れた四代
将軍家綱の参詣の場面は、錦繍のなかで燦然と輝く朱塗りの太鼓橋である通天橋(吉祥閣と
御霊所を結ぶが、死の世界に通じる橋でもあるだろう)が、舞台上手と下手に大きく跨が
り、まさに、錦絵だ(遠見中央に、寛永寺本堂が望まれる)。やがて、宗吾は、この橋の下
に忍び寄り、橋の上を通りかかる将軍に死の直訴をすることになるのだ。雪の白さと錦繍の
紅との対比。それは、将軍直訴=死刑という時代に、故郷と愛しい家族との別れの場面を純
愛の白色(古来、日本では、白は、葬礼=タナトスと婚礼=エロスの色であった)、雪の色
の白で表わし、迫り来る死の覚悟を血の色の赤色、紅葉の紅で表わそうとしたのかも知れな
い。

「印旛沼渡し小屋の場」では、雪の舟溜まりに、小舟が舫ってある。土手には、「印旗の
渡」と書かれた柱。隣に、庚申さまの石碑を祭った祠がある。竹本は、御簾内の語り。役人
たちは、宗吾帰郷警戒する非常線を敷いている。暫くして、宗吾(白鸚)が、花道から姿を
現す。「願いのために江戸へ出て、思いのほかに日数を経、忍んで帰る故里も、去年の冬に
ひきかえて、田畑もそのまま荒れ果てて、村里ともにしんしんと、人気もおのずと絶えたる
は、多くの人も離散して、他国へ立ち退くものなるか」。この名科白で、この芝居の原点
は、すべて語られている。土手に上がる傾斜のある道で、滑って転ぶ白鸚。被っている笠の
雪が、どさりと落ちる。白鸚は、こういう芝居は、得意だ。いつもながら、思い入れたっぷ
りに熱演している。将軍への死の直訴を胸に秘め、江戸を中心に降った大雪を隠れ簑に、一
旦、江戸から故郷へ戻り、家族との永久(とわ)の暇乞いをしようとしている。

この場面は、渡し守の甚兵衛(歌六)が、肝心だ。歌六は、今回が初役だ。警戒で見回りに
来た役人には、狸寝入りをしていたと思われる甚兵衛が、恩ある宗吾の声を聞き取ると、慌
てて起き上がり、小屋の戸を開け、急いで、宗吾を中に引き入れる。小屋の中にあった竹笠
で、甚兵衛は、焚火を消す。火の灯りが洩れて役人に宗吾と知られるのを警戒してのよう
だ。この辺りに、農民の抵抗劇の色合いが、滲み出ている。やがて、禁を破り、舫いを斧で
切り離した甚兵衛は、宗吾を乗せて、舟を出す。雪下ろし、三重にて、舟は、上手へ移動す
る。ふたりを乗せた舟を隠すように霏々と降る雪。甚兵衛の命を掛けた誠意が、宗吾の人柄
を浮き上がらせる。史実では、家族と最期の別れをした宗吾を対岸に送った後、甚兵衛は入
水自殺をしたという。印旗沼の畔に甚兵衛翁の碑と供養塔が、今もある。

舞台が廻り、「木内宗吾内の場」へ。「子別れ」の場面。見せ場とあって、竹本も、床(ち
ょぼ)の上で、東太夫の出語りに替る。「渡し場」「子別れ」と続く。まず、佐倉の「木内
宗吾内の場」は、珍しく上手に屋根付きもじ張りの門がある。下手に障子屋体。いずれも、
常の大道具の位置とは、逆である。座敷では、宗吾の女房おさん(七之助)が、縫い物をし
ている。七之助は、初役。宗吾の子どもたちが、囲炉裡端で遊んでいる。長男・彦七、次
男・徳松に加えて長女・おとうもいる。さらに、障子屋体に寝ている乳飲み子も。すべて、
やがての「子別れ」の場面を濃厚に演じようという伏線だろう。

國久、千壽、玉朗、達者な傍役たちが演じる村の百姓の女房たちが、薄着で震えている。お
さんは、宗吾との婚礼のときに着た着物や男物の袴などを寒さしのぎにと女房たちにくれて
やる。後の愁嘆場の前のチャリ場(笑劇)で、客席を笑わせておく。女房たちが、帰った
後、上手から宗吾が出て来て、門内に入る。家族との久々の出逢い。宗吾が脱いだ笠から雪
が、再び、ぞろっとすべり落ちる。

女房との出逢い、目と目を見交わす、濃艶さを秘めた情愛。子どもたち一人一人との再会。
父に抱き着く子どもたち。子から父への親愛の場面。父から子への情愛。双方向の愛情が交
流しあう。白鸚は、それぞれをいつもの思い入れで、じっくりと演じて行く。子役たちも、
熱演で応える。

雪に濡れた着物を仕立て下ろしに着替える宗吾。手伝うおさんは、自分が着ていた半纏を夫
に着せかける。しかし、家族との交情もほどほどに。宗吾一家の再会は、永遠の別れのため
の暇乞いなのだ。宗吾は、下手の障子屋体の小部屋に、なにやらものを置いた。自分がいな
くなってから、おさんに見せようとした去り状(縁切り状)だろう。

いつも良く判らない登場人物が、幻の長吉。宗吾と幻の長吉(彌十郎)とのやりとり(禁令
を破って、宗吾が印旛の渡しを越えていったのを見ていた、代官所に突き出すと脅しに来た
のだ)、脛に傷を持つ身のならず者ゆえ、捕手の姿を見て、慌てて逃げ出す長吉。それを追
う捕り手は、やがて、己にも追っ手が迫って来る宗吾への危険信号でもある。捕り手に衣類
を剥ぎ取られ、半裸で場内を笑わせ、逃げたて行った長吉の、雪の上に脱ぎ捨てられた下駄
が、宗吾のあすは我が身を伺わせるという演出。幻の長吉は、悲劇の前のチャリ場(笑
劇)。そういう劇的効果を狙っただけの役回りなのだろう。

去り状をおさんに見られた宗吾は、仕方なく、本心を明かす。将軍直訴は、家族も同罪とな
るので、家族に罪が及ばぬようにと、家族大事で縁切り状を認めていたのだ。離縁してで
も、家族を救いたいという宗吾。夫婦として、いっしょに地獄に落ちたいというおさん。夫
婦の情愛。その心に突き動かされて去り状を破り捨てる宗吾。「嬉しゅうござんす」と、背
中から夫に抱き着き、喜びの涙を流す七之助も熱演。

親たちの情愛の交流を肌で感じ、子ども心にも、永遠の別れを予感してか、次々に、父親に
纏わりついて離れようとしない子どもたち。皆、巧い。「子別れ」は、歌舞伎には、多い場
面だが、3人(正確には、乳飲み子を入れて4人)の子別れは、珍しい。それだけに、こっ
てり、こってり、お涙を誘う演出が続く。役者の藝で観客を泣かせる場面。実際、客席のあ
ちこちですすり上げる声が聞こえ出す。白鸚は、こういう芝居は、自家薬籠中であろう。今
回は、効果的。泣かせに、泣かせる。特に、長男・彦七は、宗吾の合羽を掴んで放さない。
垣根を壊して、家の裏手へ廻る宗吾の動きに引っ張られてついて行く。半廻りする舞台。と
もに、半廻りして、移動する父と子。最後は、息子を突き飛ばす父親。雪は、いちだんと
霏々と降り出す。「新口村」のようだ。肉親との別れに、雪は、効果的だ。別れを隔てる雪
の壁。本舞台では、家の中から、いまや、正面を向いた裏窓の雨戸を開けて、顔を揃えたお
さんと子どもたちが泣叫ぶ。振り切って、花道を逃げるように行く宗吾。農民の反権力の芝
居というより、親子の別れの人情話の印象が強い場面だ。

二幕目「東叡山直訴の場」では、開幕すると、浅葱幕が、舞台全面を覆い隠している。幕の
両脇、上手と下手から出て来る警護の侍4人(大和ら)。警護の厳しさを強調して、再び、
幕内に引っ込むと、浅葱幕が、振り落とされて、紅葉の寛永寺の場面になる。錦繍のなかで
燦然と輝く朱塗りの太鼓橋である通天橋が、舞台の上手と下手を結ぶ。将軍・家綱(勘九
郎)が、松平伊豆守(高麗蔵)ら大名たちを引き連れて、通天橋を渡って行く。橋の下に現
れた宗吾だが、橋の高さに届かぬ直訴状を折り採った紅葉の小枝に結び付ける。しかし、還
御の際、戻って来て橋の中央、太鼓橋の最も高い所に立つ将軍に直訴状が届かぬうちに、捕
らえられてしまう。「知恵伊豆」こと、松平伊豆守が、知恵のある裁き方をする。つまり、
形式的には、直訴御法度なので、受け付けないが、直訴状の上包み(封)を投げ捨て、中味
を袂に入れて、保管するという見せ場を創る。美味しい役どころ。

この結果、佐倉城主・堀田上野之介の悪政は、将軍家に知られるところとなり、領民は救済
される。しかし、封建時代は、形式主義の時代だから、宗吾一家は、離縁をせずにいたの
で、おさんが覚悟したように乳飲み子も含めて家族全員が、皆殺しにされる。

「佐倉義民伝」は、17世紀半ばに起きた史実を基にした芝居だが、明治期の九代目團十郎
が、志向した「史劇」では無い。江戸時代の芝居、時代ものだ。明治維新まで、あと17年
という、1851(嘉永4)年、江戸・中村座で、上演された。原作は、三代目瀬川如皐。
初演時は、「東山桜荘子」(東の国の佐倉の草紙=物語というところか)という外題で、時
代ものとして、舞台も、室町時代に設定されていた。直訴の場面の演出も、幕府によって、
変更させられたという。木内宗吾は、本名、木内惣五郎だけに、「惣『五郎』」で、「五
郎」。これは、曾我兄弟の「五郎・十郎」の「五郎」と同じで、「五郎」=「御霊(ごりょ
う)」。つまり、御霊信仰。農村における凶作悪疫の厄を払う、古来の民間信仰に通じる。
この後、今では滅多の演じられないが、「問註所」の裁きの場面(「仏光寺」)、大詰で城
主の病気と宗吾一家の怨霊出現の場面(「堀田家怪異」)があり、庶民が、溜飲を下げる形
になっている。

贅言1):宗吾の故郷、佐倉藩の領地、印旛郡公津村(いまの成田市)には、没後350年
以上経ったいまも宗吾霊堂には、年間250万人を超える人が、参詣するという。私心を捨
て、公民のために、己と家族の命を犠牲にした「宗吾様」は、神様なのである。宗吾の決死
の行動は、明治の自由民権運動にも影響を与えたといわれる。明治期に全国で上演された
「佐倉義民伝」は、110回を数えるという。1901(明治34)年、足尾鉱毒事件で、
明治天皇に直訴した田中正造は、木内惣五郎を尊敬していたという。反権力の地下水脈は、
滔々と流れていたことになる。

贅言2):今回は、人情劇の色合いが濃い演出になっていたが、この芝居は、本来、「木綿
芝居」という、地味な農民の反権力の劇である。1945年の敗戦直後に、「忠臣蔵」など
切腹の場面などがある歌舞伎は、戦前の軍国主義を支えた、封建的な演劇だということで、
GHQによって、暫くの期間、禁じられたが、そういう動きのなかで、「佐倉義民伝」は、
デモクラティックな芝居として、敗戦から、わずか3ヶ月後の、11月には、東京劇場で、
上演された。早々と歌舞伎復活の一翼を担ったことになる。初代吉右衛門の宗吾、美貌の三
代目時蔵のおさん、初代吉之丞の甚兵衛、七代目幸四郎の伊豆守、後の十七代目勘三郎のも
しほの家綱などという配役であった。初演時は、磔を背負った宗吾一家の怨霊がでる演出な
どがあったという。反権力のメッセージも、より明確だったのだろう。

贅言3):「東叡山直訴の場」では、初代吉右衛門が演じる宗吾に客席からお賽銭が飛んだ
のを白鸚は覚えているという。今回は、そういう場面は、見当たらなかったと思うが、2階
ロビーに宗吾霊堂が設えられていたので、見てきた。御本尊宗吾様の入った御堂。歌舞伎座
名義で献じられたお札に、「興行安全御願御祈祷 佐倉義民伝」「興行成功御願御祈祷」、
真ん中に松本白鸚名義で献じられたお札に、「身体健全御願御祈祷 佐倉義民伝」、松竹名
義で献じられたお札に、「興行安全御願御祈祷 佐倉義民伝」「興行成功御願御祈祷」と書
いてあった。御堂の前、下に向かって花と燈明、その下に香炉、さらにその下に、賽銭箱が
置かれていた。幕間に見ていると、宗吾霊堂には、人影が途切れず、お賽銭を箱に投じ、手
をあわせる人が目立った。初代吉右衛門へのお賽銭も、宜なるかな。
- 2018年10月4日(木) 16:32:13
18年9月国立劇場(人形浄瑠璃)・第二部「夏祭浪花鑑」


通しで観る人形浄瑠璃の「夏祭浪花鑑」


人形浄瑠璃「夏祭浪花鑑」で、今回、団七を操る桐竹勘十郎は、団七のキャラクターを描く
とともに、「上方の、べたっとした暑さ」を表現したい、という。そうなのだ、この演目
は、やはり団七とともに、「夏祭」の暑さが、表現されなければならない。

「夏祭浪花鑑」は、1745(延享2)年、大坂・竹本座初演。並木千柳(宗輔)、三好松
洛、竹田小出雲の合作による全九段の世話浄瑠璃。当時実際にあった舅殺しや長町裏で初演
の前年に起きた堺の魚売りによる殺人事件などを素材に活用して、物語を再構成した。合作
3人組は、翌年から、3年続けてヒット作(「菅原伝授手習鑑」1746年、「義経千本
桜」1747年、「仮名手本忠臣蔵」1748年、というように人形浄瑠璃・歌舞伎の時代
ものの史上3大演目)を生み出すことになる。その直前の世話ものの大作が、この「夏祭浪
花鑑」。私は、歌舞伎では6回観ているが、人形浄瑠璃で観るのは、12年9月に続いて、
今回で、2回目。

今回の場立ては、次の通り。「住吉鳥居前の段」、「内本町道具屋の段」、「道行妹背の走
書(はしりがき)」、「釣船三婦内の段」、「長町裏の段」、「田島町団七内の段」。歌舞
伎では、私は観たことがない場面が、幾つかある。

歌舞伎では、「住吉鳥居前の場」、「釣船三婦内の場」、「長町裏の場」が、みどり(いわ
ば、抄録のこと)で上演されることが多いので、どうしても、歌舞伎では、義父の義平次殺
しの団七九郎兵衛が、最後まで主役となるが、今回の人形浄瑠璃では、義平次が、団七九郎
兵衛のライバルとして競い合うように見えた。題して、粗暴犯(連続殺人)・団七九郎兵衛
対常習的な知能犯(詐欺、誘拐)・義平次のバトルである。

人形浄瑠璃では、「内本町道具屋の段」で、田舎侍に扮して、騙りをする義平次が、クロー
ズアップされる。義平次は、団七女房お梶の父親だが、絶えず、団七に敵対する関係にあ
る、という因縁ぶりが浮き彫りにされる。歌舞伎では、演じられない場面は、今回で言え
ば、「内本町道具屋の段」、「道行妹背の走書(はしりがき)」、「田島町団七内の段」で
ある。

贅言;歌舞伎でも、たまには、「夏祭浪花鑑」を通しで上演することがある。例えば、14
年7月の歌舞伎座。この時の場の構成は、以下の通り。参考までに記録しておこう。

序幕第一場「お鯛茶屋の場」、第二場「住吉鳥居前の場」、二幕目第一場「難波三婦内の
場」、第二場「長町裏の場」、大詰第一場「田島町団七内の場」、第二場「同  屋根上の
場」。

さて、今回の人形浄瑠璃「道行妹背の走書(はしりがき)」では、女性にだらしない、とい
うか、モテモテ男の磯之丞の行状が強調される。道具屋の手代清七として勤めに入った磯之
丞は、店のお嬢さんと恋仲になり、逃避行の道行を演じる。「田島町団七内の段」では、義
父殺しで捕り方に追われる団七を逃す徳兵衛との、男の友情が描かれる。

歌舞伎の場合、物語の主筋は、玉島家の嫡男だが、軟弱な磯之丞と恋仲の傾城琴浦の逃避行
だけが描かれる。ただし、この主筋は、それと判れば、それで済んでしまう。追うのは、琴
浦に横恋慕する大鳥佐賀右衛門。

磯之丞と傾城琴浦の逃避行を3組の夫婦が手助けする。釣船宿を営む三婦(さぶ)と女房お
つぎ、堺の魚売り・団七九郎兵衛と女房お梶、乞食上がりで、一旦は大鳥佐賀右衛門に加担
していた一寸徳兵衛と女房お辰。

そこへ、副筋として、団七の義父・義平次が、登場する。舅の立場を利用して義平次が、琴
浦の逃避行の手助けをする振りをして、琴浦を大鳥佐賀右衛門の所に連れて行き、褒美を貰
おうとする。その挙げ句、婿と義父との喧嘩となり、弾みで、団七は、舅を殺してしまう。

ところが、人形浄瑠璃のように、「内本町道具屋の段」が加わることで、副筋の「助演」と
思えていた義平次が、主筋に躍り出て来たように思えた。義平次は、玉島家の嫡男・磯之丞
を巡る「お家騒動」を利用して、なにかとうまい汁を吸おうとする常習的な知能犯だった。
義平次の足跡を追ってみれば、それが浮き上がってくる、というわけだ。ヤクザ者の義平次
と任侠(男伊達)の団七。団七には、強さと気遣いが共存する。

「内本町道具屋の段」:手代・清七の名前で磯之丞が奉公している内本町道具屋で、田舎侍
が香炉(「浮牡丹」という銘)を探し求めて店先に来る。仲買の弥市から清七が預かった香
炉が気に入ったらしい。55両なら購入したいと言う。番頭の伝八が上客と見て侍を奥に案
内する。それを見計らったように弥市がやって来たので、清七は弥市に香炉を売ってくれる
ように頼む。金額でもめるが、清七が伝八から店の金(公金の為替)を借りて作った50両
で買い上げる。清七は、5両の利ざやを胸算用している。

やがて、店の奥から出て来た田舎侍に清七が香炉を売ろうとすると侍は、買うなどと言った
覚えはないと言い出す。あせる清七に伝八は、先ほど貸した50両を返せと迫る。50両は
既に弥市に支払っているので、無い。

この騒ぎを聞きつけて、奥から出て来た道具屋店主の孫右衛門と道具屋に魚を売りに来てい
た団七が、田舎侍の正体に気がつく。田舎侍は団七義父の義平次だったのだ。偽侍に化けた
義平次、清七に店の金を貸した番頭の伝八、仲買の弥市が組んで、「お坊ちゃま」で世間知
のない手代の清七こと、磯之丞を騙していたのだ。件の香炉は、実は、贋の香炉・浮牡丹。
贋の香炉を使って手に入れた50両は、小悪党3人で山分けする積りだ。義平次は、団七登
場では、勝ち目がないと悟り、そそくさと逃げ出す。清七こと、磯之丞と琴浦は、三婦の家
に預けられることになる。

引き道具が、上手側に引かれ、道具屋の下手に番屋が現れる。ビジネスに失敗した清七は、
夜更けに道具屋に忍び込むため戻って来て、経緯があって、番屋に入ってきた弥市を殺して
しまう。

「道行妹背の走書」:弥市を殺した清七こと、磯之丞は、お中を連れて逃げ出す。松屋町筋
から長町裏、寺町を経て、安居の森へ。清七は、武士の磯之丞に戻って、ここで書き置きを
残して切腹しようとする。そこへ三婦が現れ、暫く身を隠せという。お中に横恋慕の伝八が
追ってくる。お中は、伝八を欺き、首の吊り方を伝八に伝授させる。首を吊る真似を演じて
みせる伝八。後ろからそっと近づいた三婦が伝八の足元を払って、自死させてしまう。清七
が書いた書き置きを伝八の身近に残して、三人は逃げて行く。

ちょっと引き返して、「住吉鳥居前の段」から「釣船三婦内の段」へ。
団七は、磯之丞の恋人・琴浦に横恋慕する大鳥佐賀右衛門の家来と喧嘩をして暴行した挙げ
句、殺してしまった(傷害致死か、殺人か)という廉(かど)で牢に入れられていて、芝居
冒頭の「住吉鳥居前の段」では、団七女房お梶の主筋に当たる玉島家の尽力で出牢し、三婦
らが出迎える場面がある。解き放ちが、住吉大社の鳥居前ということだった。団七には性格
的に粗暴な部分があるのだろう。それが、「長町裏の段」では、衝動的な義父殺しに発展す
る。殺人、出獄、義父殺しとなってしまう。

「釣船三婦内の段」:田舎侍に化けてまでの犯罪。詐欺不成立で内本町道具屋から逃げ出し
た義平次は、「釣船三婦内の段」では、団七が不在なのを見抜いたように、団七に依頼され
たので、預けている琴浦を引き取りに来たと三婦の女房のおつぎを騙して、琴浦を駕篭に乗
せて、連れ去る。この後、団七と徳兵衛、三婦の3人が帰ってくる。琴浦と磯之丞が不在な
ので不審に思うと、磯之丞は、徳兵衛女房のお辰が、同道して国元に帰ることになっていて
出かけたということで不審はない。琴浦は、団七に依頼されたと言って義父の義平次が、連
れて行ったとおつぎは言う。義平次にそんな依頼をした覚えのない団七は、義平次が、ま
た、琴浦を大鳥佐賀右衛門のところへ連れて行くためにおつぎを騙したと悟り、義平次の後
を追って行くといういつもの場面が展開される。

こうして観てくると、義平次が、歌舞伎で描かれる舅の立場を利用して琴浦を連れ出しただ
けではなく、義平次は、玉島家の嫡男・磯之丞を巡る「お家騒動」を利用して、隙があれ
ば、なにかとうまい汁を吸おうとする常習的な知能犯だったことが、より明確になる。「夏
祭浪花鑑」とは、小悪党・義平次対衝動殺人鬼・団七の対決だ、ということがよく判る。

「長町裏の段」:浅黄幕の振り被せで、場面展開。「長町裏の段」は、リアルでありなが
ら、様式美にあふれる殺し場が展開される。盆が廻って。竹本の太夫は、団七が織太夫。人
形遣は、勘十郎玉女。義平次が三輪太夫。人形遣は、玉男。下手黒御簾からは、祭り囃子。
歌舞伎では、団七を視覚的にも男の美学で磨き上げるが、人形浄瑠璃では、知能犯・義平次
と粗暴犯・団七との悪知恵か暴力かという対比をより鮮明に見せてくれる。

歌舞伎では、泥の蓮池と釣瓶井戸という大道具を巧く使い、本泥、本水で、いかにも、夏の
狂言らしい凄惨ながらも、殺しの名場面となる。本泥、本水も、人形遣いの吉田文三郎が工
夫した趣向だというが、今回もそうだが、最近の人形浄瑠璃では、本水も、本泥も無し。振
り被されていた浅黄幕が、上に引揚げられる。舞台下手から繋がる土手の上には柵で囲われ
た畑。畑には、夏の野菜が実る。中央に釣瓶井戸。畑は、下手から上手へ塀の内に広がる。
上手手前には、蓮池。やがて、塀の外を通り過ぎる祭りの山車の頭が見えてくるだろう。高
津神社の夏祭り。鐘と太鼓のお囃子の音。そういう背景の中で、人形ふたりの殺しの立ち回
りが続く。倒れた義平次の身体を跨いだまま、前と後に身体をひねりながら、飛んでみせる
団七など、立ち回りは、歌舞伎も人形浄瑠璃も同じ。こちらが、原型だろうな。

背景は、黒幕から町の夜景の遠見へ。塀の外を提灯をつけた山車が通る。ただし、歌舞伎に
比べて、暗い。当然ながら、池に落ちただけで、未だ死んだ訳ではないから、やがて、蓮池
から玉男に操られる義平次が出て来る。三味線方・鶴澤清志郎の演奏。竹本無言。三味線の
音のみ。舞台では、ナレーション無しで、人形ふたりの死闘が続く。

団七も、最後は、井戸水を桶に入れて身体に掛けて洗い、帷子を着直す。そこへ、舞台下手
から出て来た祭りの神輿(4人で担ぐ)が通りかかる。この辺りは、歌舞伎も人形浄瑠璃も
同じ。

竹本の文句。最後の場面で、短く「悪い人でも舅は親、南無阿弥陀仏」。最後の語り収め、
「八丁目、指して」が、「八丁、目指して」に聞こえた。幕。

舅殺しの一瞬、団七は全身から力を抜く。そして、憎しみを込めて舅を刺し殺す。勘十郎の
話。人形遣いは、「人形に手を入れた瞬間、男でも女でも役になっている感触がある」とい
う。三人遣いが生身の一人の役者とは違う何かを発するエネルギーとなる、ともいう。

そして、舞台は、「田島町団七内の段」。人形浄瑠璃で見るのは初めて。歌舞伎では、14
年7月、歌舞伎座で一度観ている。

「田島町団七内の段」:田島町。長町からさらに東へ。今はコリアンタウンになっている鶴
橋の南東に当たる。生野区だ。殺人事件から数日後。舅殺しはまだ発覚していない。一寸徳
兵衛が旅姿で団七宅にやって来る。義平次殺しの現場、長町裏の野菜畑で雪駄を拾ったとい
う。雪駄には団七の紋がある。一緒に備中へ逃げようと誘いに来たのだ。団七は、白を切
る。怒って上手の障子の間に篭ってしまう。障子の間は、夏らしく、紙の障子では無く、簾
を張り付けてあり、涼しそうだ。いまなら、網戸か。

代わりに奥から出て来たお梶が徳兵衛の着物のほつれに気付いて、旅に出る前に繕うと持ち
掛ける。着物を脱ぎ下着姿になった徳兵衛がお梶にちょっかいをかける。お梶は徳兵衛を撥
ねつける。しかし、これを見た団七が怒り、徳兵衛と以前にかわした義兄弟の誓い(「住
吉」の場面)としてきた片袖を投げ捨てる。義兄弟解消でふたりは喧嘩を始める。そこへ、
外から三婦が駆けつけて来て、喧嘩を止める。団七は、不義をしたとして、お梶を許さず、
離縁状を突き付けてお梶と息子の市松を追い出す。

突然の離縁要求に、訳がわからないお梶に三婦が、団七の義父殺しを打ち明ける。団七とお
梶が離縁をすれば、義父殺しは、普通の殺しになり、罪が軽くなるという三婦と徳兵衛の考
えた苦肉の策だった。徳兵衛は、全て計算尽くであったことが判る。

しかし、捕方の手は迫って来た。徳兵衛は、三婦にお梶と市松を託し、やって来た捕方頭に
は、自分が団七捕縛をするので待って欲しいと持ち掛ける。

人形浄瑠璃には、珍しく、団七内の屋台が、せり下がり、屋根上の場面となる。団七宅を含
めた町内の屋根の上。団七宅の屋根にある引窓から団七は出て来る。多数の捕方たちに追わ
れて逃げて来たのだ。暫く、屋根の上での立ち回り。そこへ、徳兵衛が現れ、団七を取り押
さえるふりをして、縄の代わりに路銀の銭を輪にしたものを団七の首に掛けて、逃亡を促
す。徳兵衛の侠気が伝わって来る。男の友情に感謝しながら、団七は、屋根から飛び降り、
花道を通って逃げて行く。

贅言;ついでながら、「住吉鳥居前の段」で見えるもの。下手に石灯籠が二基。緋毛氈を掛
けた床几、立札(六月三十日大抜祭 住吉社)。中央に髪結処「碇床」の小屋。小屋には、
芝居の番付(木の板に竹本座の紋が大きく書いてある。板の上手側にある演目は、「曾根崎
心中」。大夫は、竹本筑後掾。ここまで大きな字。板の下手側に場立て案内。観音巡り道
行、太夫・竹本筑後掾、ツレ・竹本頼母、三味線・竹沢権右衛門、作・近松門左衛門とあ
る。竹本座全盛時代の顔ぶれの名前が目白押し)。そして、同じく緋毛氈を掛けた床几。立
札(六月十四日御田植祭 住吉社)。上手に石の大鳥居がある。鳥居には、「住吉社」の看
板。鳥居奥に太鼓橋が見える。全体として、住吉大社の大鳥居前の体。髪結処の贔屓から贈
られた形の大きな暖簾の図柄は、熨斗。暖簾には「碇床さん江」「ひゐきより」とある。
- 2018年9月17日(月) 13:29:06
18年9月国立劇場(人形浄瑠璃)・第一部/「良弁杉由来」「増補忠臣蔵」


「良弁杉由来」は、1887(明治20)年、大阪・彦六座で、人形浄瑠璃として、初演さ
れた。新作ながら、作者不詳の名作で、つまり、無名の座付き作者たちが、書き上げ、竹本
の太夫たちが、練り上げて、現在残されているような形で、伝えられて来た作品だろう。こ
の演目では、特に、浄瑠璃の豊竹山城少掾の名前が、残っている。私は、歌舞伎では、4回
拝見しているが、人形浄瑠璃で観るのは、8年ぶり、今回で2回目である。

「良弁杉由来」は、通し上演の場合、歌舞伎も人形浄瑠璃も、季節感の変化、場の変化(各
段に、具体的な地名が使われているのも、おもしろい)が、愉しみな舞台である。「志賀の
里」=初夏、「物狂」=春、そして、「東大寺」、「二月堂」=30年後の盛夏、というわ
けである。

今回の場面構成は、次の通り。「志賀の里の段」、「桜の宮物狂いの段」、「東大寺の
段」、「二月堂の段」。

「志賀の里の段」:「宇治は茶どころ茶は縁どころ、宇治におとらぬ志賀の里」という竹本
で、若緑の茶畑が広がる野遠見(奥に琵琶湖と対岸の山々の遠景)で、開幕。志賀の里は、
現在の滋賀県大津市。無人の舞台に竹本の文句が、響く。親子の縁が、切らせられるという
悲劇の開幕の文句は、皮肉だ。「志賀の里」は、基本的に、歌舞伎も人形浄瑠璃も、演出
は、変わらない。人形浄瑠璃の方が、強風で、酒宴の床几に掛けてあった緋毛氈が吹き飛
び、次いで、下手上空から大鷲(山鷲)が飛んで来て、光丸(みつまる)という渚の方の嫡
男を抱いていた乳母の手元から幼子が奪い去られ、足に子どもを引っ掛け、天空高々と上手
に向かってオオワシが飛んで行く場面があり、歌舞伎よりも迫力がある。顔を隠した一人遣
いの人形遣いが、宙吊りされた大鷲の足を持ち、足に繋がるワイヤーで大きな羽を動かす。
下手上空から降りてきた大鷲の脚に光丸の身体を引っ掛けると大鷲は、放され、宙吊りのま
ま、上手の上空へと飛んで行く。母親の渚の方は、「命の限り根限り、尋ねおほせでおくべ
きか」と姿形も荒々しく、大鷲の行くへの方へ「駆け行き給ふ」ということで、次への伏
線。

「桜の宮物狂いの段」:大坂の桜宮は、桜満開。花見の風俗の中で、展開される「桜の宮物
狂い」では、人形浄瑠璃の場合、花見客を目当ての花売娘やシャボン玉を売る吹玉屋が、笑
いを振りまきながら桜並木を下手から上手へと行き交う。

やがて、花見客に紛れきれない風体のおかしい老女が、桜の小枝を持ち、下手から、ヨロヨ
ロと出て来る。あれから、30年、行方不明の光丸を探して、物狂いになってしまった渚の
方の哀れな姿だ。黒かった髪も、乱れた白髪となり、長々と延び放題になっている。紫の鉢
巻きを病巻きにしている。里の子らが、狂女を囃し立てて、虐めている。私が観た歌舞伎で
は、花見の風俗描写と里の子らの弱い者いじめを別々に演じていたが、人形浄瑠璃で丁寧に
演じられて、大元は、こういう場面だったということが判る。

主な主遣いは、次の通り。渚の方は、和生(前回は文雀)。雲弥坊は、簑一郎(前回は勘
壽)。良弁僧正は、玉男(前回は和生)。

人形浄瑠璃の舞台では、下手、上手にそれぞれある小幕に挟まれた舞台、今回は川の設定で
ある。下手から移動した渚の方は、舞台上手の柳の木のところで、川面に己の顔を映す。自
分の惚けた姿を認めて、ふと、正気づく。桜の小枝を川に棄て、もう片方の手で、柳の木を
握り締める。紫の鉢巻きを取り外し、己を「浅ましや」と呟く。故郷に帰ろうと思い、下手
から川に乗り出して来た乗り合い舟(上り舟)に乗せてもらう。船中で、乗り合わせた人た
ちの噂話が、自然と聞こえて来る。「南都東大寺の良弁(ろうべん)僧正は、幼い頃、鷲に
さらわれて来た」というではないか。老女は、帰郷を止めて、南都・奈良へ向かうことにす
る。この辺りは、歌舞伎では、省略している。人形浄瑠璃では、きめ細かに演じる。

「東大寺の段」:「東大寺」は、書割のみの背景として使われる。奈良の東大寺を探し当て
て来たけれど、大寺院を前に萎縮してしまう。通りかかった伴僧(雲弥坊)に、事情を話
し、手助けをしてもらおうと訴えかけるが、乞食非人の格好では、物乞いと間違われてしま
う。必死で、幼子が鷲にさらわれた30年前の出来事を訴えて、相談に乗ってもらう。上人
の用で出かける途中で、忙しいと言いながらも、相談に乗る伴僧の雲弥坊は、良弁杉に貼紙
をするという知恵を思いつき、老女の代わりに訴えの内容も書いてやるという親切さ。ユー
モアもあり、なかなかの人柄の僧侶である。気持ちが、ほっとする場面だ。

桜宮から東大寺まで、渚の方の正気づきの場面から、船中の噂話で奈良を目指す、東大寺門
前での貼紙作戦などへ、きめ細かい展開で、「二月堂」の場面への展開が、非常に良く判
る。歌舞伎の「通し」でも、判り難い部分が、人形浄瑠璃では、実に懇切に描かれているこ
とが判る。

「二月堂の段」:「二月堂」は、大団円の場面。背景は、書割。30年、離ればなれになっ
ていた母と子が再会を果たすという話。高僧は、母を大事にした。そういう単純なストーリ
−なので、歌舞伎では、役者の藝と風格で見せる舞台だ。軸となる良弁僧正役者が、風格で
見せる場面だ。さらに、この場面では、30数人という大勢の僧や法師らが、二月堂の階上
から連綿と立体的に登場する。それでいて、舞台では、歌舞伎でも大勢の僧や法師らは、ほ
とんど背景代わりになっている。なんとも、贅沢な役者の使い方をする芝居である。これ
が、歌舞伎の演出なのだ。役者の藝と数で、勝負という訳だ。これに対して、今回の人形浄
瑠璃では、どうだったか。

良弁僧正登場を前に、供たちが、次々と姿を見せる。供奴は、離れた場所から、毛槍を投げ
あって、受け取りあって、というサーカスのような藝を見せて、観客席を沸かす。一人遣い
のツメ人形の存在感を示す見せ場が続く。ああ、これの代わりが、歌舞伎では、着飾った大
勢の僧や法師らの連綿の行列という演出なのだな、と判る。僧正と老母との再会の場面、輿
に母を載せる場面などは、歌舞伎も人形浄瑠璃も、変わらない。

竹本は、「志賀の里」では、渚の方が、睦太夫(前回は英大夫。当時は、大夫とかいた)。
「桜の宮物狂い」では、津駒太夫ら(前回は呂勢大夫ら)。「東大寺」では、靖太夫(前回
は英大夫=現在の呂太夫)。「二月堂」では、千歳太夫(前回は綱大夫)。

歌舞伎は、「二月堂」を軸となる渚の方の老女形が、良弁僧正の立役を相手に、藝と風格を
見せるという一点に向かって収斂して行くというのが、究極の姿なら、これに対して、人形
浄瑠璃は、渚の方という「女の一生」をドラマチックに、奥方、狂女、老女と、きめ細かく
描く歴史物語というのが、究極の姿だろう。

それを奥から支えるのが、竹本の語りであろう。人形浄瑠璃は、きめ細かく、奥深く、歌舞
伎は、一枚の絵の平板さ、但し、豪華な錦絵という辺りが、この芝居の落としどころとなる
のかもしれない。

贅言;竹本の文句を追って行くと、「母の慈悲」「母の恩」「恩と情の親心」という表現が
頻繁に出てくる。明治に創作された新歌舞伎は、抹香臭い文句で、少々嫌になった。


国民的な共同幻想としての「忠臣蔵」


共同幻想としての「忠臣蔵」は、いつしか、史実の赤穂諸事件(1701年から1703
年。主君の刃傷・切腹事件からを家臣たちの討ち入り・切腹事件まで)を超えて、フィクシ
ョンの「忠臣蔵」事件までになって行くことをいうが、今回は、これについては詳しくは論
じない。一例だけを書いておくと、浅野内匠頭の江戸城での吉良上野介への刃傷事件の際、
国許の赤穂にいた国家老の大石内蔵助らは、その後、主君の遺恨を雪ごうと主君の血筋でも
ないのに、主君の「敵討」を敢行する。その大石内蔵助の物語は、幕府による統制抑圧の中
でも、庶民の間で生き続け、大石内蔵助は、史実の風貌・キャラクターとは無関係に、フィ
クションの風貌・キャラクターに昇華して行く。

例えば、史実の大石内蔵助は、実名で芝居を構成することを許さない徳川幕府の「御政道」
に抑圧されて、大岸宮内(おおぎしくない)という人物になった。1747(延享4)年に
京都の中村久米太郎座で上演された「赤穂諸事件もの」の歌舞伎の演目「大矢数四十七本」
で、大岸宮内が登場した。この人物は大石内蔵助をモデルにしている。初代澤村宗十郎が演
じて大当たりをとった。

翌年、1748(寛延元)年、大坂竹本座の人形浄瑠璃で、「仮名手本忠臣蔵」が、初演さ
れた。大石内蔵助をモデルにした登場人物は、大星由良助という名前であった。これも大当
たりとなった。人形浄瑠璃の演目「仮名手本忠臣蔵」は、やがて歌舞伎でも上演されるよう
になった。1750年、江戸三座で、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」が競演され、大星由良之
助役では、初代山本京四郎、初代坂東彦三郎らに加えて、大岸役者であった澤村宗十郎も、
江戸三座の一つ、江戸・中村座で大星由良之助を演じ、当代随一と評される。大星由良之助
役者の登場である。

「仮名手本忠臣蔵」は、人形浄瑠璃で1746年初演の「菅原伝授手習鑑」、1747年初
演の「義経千本桜」と並ぶ、人形浄瑠璃・歌舞伎の三大作と言われる。並木宗輔を軸とした
人形浄瑠璃の原作者グループの3年連続のヒット作の一つである。史実の大石内蔵助は、こ
の後、フィクションの大星由良之助に成り代わって行くのである。以降の江戸時代は、大石
内蔵助は、霞んで行き、赤穂諸事件は、いつの間にか「忠臣蔵」事件として、大星由良之助
が前面に出てくる。合わせて、浅野内匠頭は、塩谷判官に、吉良上野介は、高師直として、
庶民には、記憶されて行く。大星由良之助像は、歴代の由良之助役者のイメージで練り上げ
られて行く。

幕末から明治維新へ。史実の人物を歌舞伎や人形浄瑠璃の舞台から追い出していた徳川幕府
の「御政道批判」抑圧もなくなり、明治期になって、史実ものが、当時の言葉を借りれば
「活歴もの」として、蘇った。歌舞伎界でも演劇改良運動が叫ばれ、九代目市川団十郎らが
推進役を果たした。「忠臣蔵」も、その波を被るようになり、「仮名手本忠臣蔵」に対抗し
て、やがて「元禄忠臣蔵」という演目が、新歌舞伎の旗手・真山青果という劇作家のよって
生み出された。「元禄忠臣蔵」は、1934(昭和9)年に「大石最後の一日」として初演
され、1941(昭和16)年には、「泉岳寺の一日」が初演された。全部で、10編の作
品が完成し、古典ものが全11段の「仮名手本忠臣蔵」なら、新歌舞伎は、全10編11作
の「元禄忠臣蔵」として、知られるようになった。「元禄忠臣蔵」は、その後、映画化さ
れ、長谷川一夫の大石内蔵助などが広く庶民にも知られるようになって行った。

この結果、史実の大石内蔵助は、フィクションの世界では、大岸宮内になり、大星由良之助
になり、さらに、大石内蔵助になって(戻って?)行った。この過程で、大星由良之助役の
歌舞伎役者の風貌・キャラクターが、史実の大石内蔵助の風貌・キャラクターと誤解される
ようになって行く。だから、現代の人々に「忠臣蔵」(フィクションのドラマである)の登
場人物の名前を挙げてみてくださいという問いを発すると、ほとんど誰もが、大石内蔵助の
名前を挙げるのは、江戸時代の人々は、「忠臣蔵」(フィクションのドラマである)の登場
人物の名前としては、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助の名前を挙げたことだろう。した
がって、「赤穂諸事件」は、国民的な共同幻想としての「忠臣蔵」になってしまった、とい
うことである。このテーマは、いずれきちんと述べたいと思っているが、今回は、「増補忠
臣蔵」である。国民的な共同幻想としての「忠臣蔵」は、共同幻想の果てに、原作にない場
面が、増補されて上演されるようになった。


「増補忠臣蔵」。人形浄瑠璃で観るのは、今回で3回目。「増補忠臣蔵」は、別称、「本蔵
下屋敷」は、とも言われる。私がこの演目を歌舞伎で観たのは、今年の3月、国立劇場が初
めてであった。「増補忠臣蔵」の東京での上演は、この時の国立劇場が65年ぶりというか
ら、無理もない。人形浄瑠璃では、私は過去に2回観たことがある。常打ち官許の大歌舞伎
に対抗して、寺社の境内で臨時に開催された江戸時代の宮地芝居は、近代に入っても、「小
芝居」という形で、脈々と流れていた。小芝居では良く、「増補もの」と呼ばれる「下屋敷
もの」を演じる。「増補もの」は、人気狂言にあやかろうと、柳の下の泥鰌を狙って作られ
る。「増補もの」は、そういう成り立ち方で小芝居、中芝居の舞台にかかったことが多かっ
たので、作者の名前が、あまり残されていないようだ。「増補桃山譚」、通称「地震加藤」
は、河竹黙阿弥作だけに、逆に原作を食い、「増補もの」として、歌舞伎事典にただひとつ
記載されていた。

「増補忠臣蔵」は、別称、「本蔵下屋敷」は、とも言われる。通し狂言「仮名手本忠臣蔵」
の九段目「山科閑居」場面の伏線となる状況を前もって芝居にした、後日談ならぬ、いわば
「前日談」という趣向である。1878(明治11)年、大阪・大江橋座で、「仮名手本忠
臣蔵」の七段目(一力茶屋)と八段目(道行旅路の嫁入)の間で上演するために、別途に新
作されたもの。作者不詳。

これまで舞台を拝見したのは、01年2月、14年5月、いずれも国立劇場。最初は、七代
目鶴澤寛治襲名披露の舞台。三味線方の人間国宝・竹澤団六が、七代目鶴澤寛治(当時72
歳)の襲名披露興行だった。その寛治さんが、今月(18年9月)5日、亡くなってしまっ
た。享年89。改めて、哀悼の意を表したい。

贅言;この舞台では、鶴澤寛治「口上」の後、襲名披露狂言として「増補忠臣蔵」が上演さ
れたのだった。歌舞伎の派手な襲名披露の口上は見慣れていたが、人形浄瑠璃の襲名披露の
口上を観るのは、初めてであったので、驚いた。本人は、無言でお辞儀しているだけなのだ
から。

「増補忠臣蔵」は、「仮名手本忠臣蔵」の、二、三段目(主君・桃井若狭之助と家老・加古
川本蔵)を受け継ぎ、九段目(大星由良助と加古川本蔵)に至る経緯の「隙間」を埋めよう
という作品。なぜ、加古川本蔵は、若狭之助の元を去り、娘・小浪のために、命を投げ出し
て大星由良助を助けるために山科へ行ったのか、なぜ、高家の屋敷の図面を持って行ったの
かなどを観客に説明するために作った。それだけに説明的すぎて、嘘くさい。

近代人から見れば、「仮名手本忠臣蔵」の加古川本蔵は、短気な社長・若狭之助の危機を救
う、いわば危機管理の達人なのだが、江戸の美意識から見れば、高師直側に勝手に賄賂を贈
り主君の気持ちを忖度せずに妥協した「へつらい武士」と蔑まれた。これは、武家社会の前
近代性を批判して、明治になって別の作者の手で作られた狂言。だから、新しい物語では、
若狭之助は本蔵の危機管理に感謝をし、「忠臣義臣とは汝が事。(略)ふつつり短慮止まつ
たもそちが蔭」。自分の短慮を反省するという近代性を付加している。「通し」上演の際、
七段目と九段目の間に入れて上演されたこともあると言うが、そういう演出では長続きはし
なかったようだ。単独で上演されるスタイルが定着して行った。

「本蔵下屋敷の段」では、まず、塩冶判官の刃傷事件以降、若狭之助から(主君の意向を妨
害したため)蟄居を命じられた加古川本蔵の下屋敷(そもそも、家老職の武士には、下屋敷
などない。作者の無知が滲み出る)。若狭之助の妹・三千歳姫(人形遣い:一輔、前回は簑
二郎。以下、同じ)は、塩冶判官の弟・縫之助と婚約しているが、事件関係者の縫之助と接
触せぬようにと、ここに預けられている。若狭之助の近習・伴左衛門(玉佳、前回は玉輝)
は、三千歳姫に横恋慕している。姫を手に入れようと「殿の上意」と偽り、祝言を迫って、
嫌がられている。さらに、伴左衛門は、主君・若狭之助や家老・加古川本蔵を殺し、主家乗
っ取りを謀ろうと企み、茶釜に毒を入れる。その様子を上手障子の間から覗き見る本蔵(玉
志、前回は玉也)。伴左衛門は、三千歳姫を無理に連れて行こうとして本蔵に阻止される。
伴左衛門は、逆に、へつらい武士の汚名を主君に着せたとして本蔵の不忠を責める。そうい
うところに、本蔵成敗の御錠が主君よりあり、ふたりの立場が逆転をし、近習・伴左衛門は
家老・本蔵を縛り上げ、得意満面、奥庭の座敷、主君の前へと引き立てて行く。

「前」の語り、竹本は、呂太夫、前回は千歳大夫。三味線方、前回も今回も竹澤團七。
「切」の語りは、今回は、咲太夫。三味線方は、燕三。琴は、燕二郎。前回の語りは、津駒
大夫。三味線方、鶴澤寛治。琴の演奏は、鶴澤清公であった。国立劇場昼の部は、奇しく
も、亡くなった鶴澤寛治の襲名披露所縁の演目だったことが判る。

下屋敷は、奥庭の座敷に変わる場面で、庭の遠見と襖の絵柄が、衣装の引き抜きの演出のよ
うに瞬時に替わる。下から湧き出るように座布団と脇息が出て来る。庭には、本蔵処刑のた
めの土壇場が設えられる。奥から主君・若狭之助(玉助、前回は、今は亡き紋壽)登場。一
旦、縄を掛けられ、奥庭の土壇場まで引かれた本蔵だが、彼の真意は、実は、主君には理解
されている。座敷から庭に降りた若狭之助は、本蔵に向けた刃を後ろにいる伴左衛門にむけ
直し、斬り殺す。人形は、どたっと、真後ろに倒れ込む。

後は、真意解明となり、本蔵には、高家の屋敷の図面と虚無僧の衣装(袈裟)などが若狭之
助から与えられ、「山科閑居の段」へ繋がるようにできている。

別れの段に、先ほどの三千歳姫の琴の演奏がある。三千歳姫の座る上手の障子の間、奥に
は、花車の掛け軸。この大道具だけで、若い女性らしい部屋の雰囲気が出る。本蔵は、主君
の所望を受けて、姫の琴の演奏に尺八を合わせる。主君との今生の別れの場面である。本蔵
は山科へ向かうことになる。琴の演奏者の動きに本舞台の姫を操る人形使いの手の動きが連
動している。
- 2018年9月16日(日) 17:47:45
18年9月歌舞伎座(夜/「松寿操り三番叟」「俊寛」「幽玄」)
 

初代から二代目へ継承された秀山祭は、現在の歌舞伎界の屋台骨を背負う役割をしている、
と私は思っている。今年の秀山祭・昼の部では、5年近く休演していた九代目福助の舞台復
帰というサプライズがあったが、秀山祭・夜の部の見せ場は、やはり吉右衛門渾身の「俊
寛」であろう。昼の部の「河内山」といい、夜の部の「俊寛」といい、吉右衛門や仁左衛門
と同時代で歌舞伎を鑑賞できる幸せは、稀有のものだろう。


吉右衛門渾身の「俊寛」と、その変遷


「俊寛」は、私も15回目の拝見となる。近松門左衛門原作の時代浄瑠璃で、1719(享
保4)年、大坂の竹本座で,初演された。300年近く前の作品である(いやあ、来年は初
演300年になる!)。

私がこれまでに観た俊寛は、吉右衛門(今回含め、6)、先代の幸四郎(4)、仁左衛門、
猿之助時代の猿翁、十八代目勘三郎、先代の橋之助、右近時代の右團次。松竹の上演記録に
拠ると、吉右衛門自身は、「俊寛」を本興行で15回演じている。

今回のそのほかの主な役者たち。私が観た瀬尾は、左團次(6)、段四郎(4)、富十郎、
彦三郎、團蔵、猿弥、今回は、又五郎。この憎まれ役は、左團次が群を抜く。丹左衛門は、
梅玉(4)、仁左衛門(2)、歌六(今回含め、2)、九代目宗十郎、吉右衛門、三津五
郎、先代の芝翫、富十郎、権十郎、男女蔵。千鳥では、松江時代を含む魁春(4)、福助
(3)、芝雀時代を含め雀右衛門(今回含め、3)、亀治郎時代の猿之助、孝太郎、七之
助、児太郎、笑也。

「鬼界ヶ島に鬼は無く」と千鳥の科白、後は、竹本が、引き取って、「鬼は都にありけるぞ
や」と繋がる妙味。この一句は現代にも通じる。千鳥のひとり舞台の見せ場。10年2月歌
舞伎座の七之助が初々しかった。意外や、菊之助が、一度も千鳥を演じていないようだ。今
回初めて、菊之助は、「俊寛」に初出演した。播磨屋の婿の縁かしら。その上、千鳥ではな
く、千鳥の連れ合いとなる丹波少将成経を勤める。初役である。しかし、菊之助は今回8回
目の千鳥を演じる雀右衛門の藝を間近に見ることになる。成経との恋模様、一人芝居での浜
でのクドキ、瀬尾と争う俊寛への助勢、鬼界ヶ島の海女の方言など学ぶことが多いだろう。
従って、この配役、雀右衛門の相手役には、将来の菊之助千鳥への伏線があるのではない
か。

今回で、6回目の拝見となった吉右衛門の俊寛のラストシーンは、私の解釈では、従来、
「虚無」的であった。私が初めて吉右衛門俊寛を観たのは、22年前、96年11月の歌舞
伎座であった。この虚無的な表情を、その後、吉右衛門は変えた。私が観た07年1月歌舞
伎座の舞台では、「喜悦」の表情を浮かべたのは「新演出」だったと、思う。初めて、喜悦
の「笑う俊寛」を私は、このとき、観たことになる。10年9月の新橋演舞場も、吉右衛門
は、この演出を継続していた。と思いながら観ていると、13年以降、吉右衛門俊寛は、
「喜悦」の表情を浮かべなくなってきたではないか。

13年6月、歌舞伎座の舞台で、吉右衛門は、「喜悦」の表情を浮かべなかった。13年5
月、「石切梶原」と13年6月、「俊寛」を再開場の新・歌舞伎座で演じた吉右衛門。いず
れも、新・歌舞伎座の柿落とし興行とあって、初代吉右衛門に捧げるつもりで勤めたと二代
目はいう。二代目の「俊寛」の初演は、1982年というから、当初からの俊寛最後の表情
の変遷を詳らかには、私は知らない。かつて、吉右衛門は、以下のようなことを言ってい
た。「島流しにされた人間が、妻も殺されたと聞いて、やけになり、自分だけ残る、という
ようにとらえていたこともありました」。毎回役作りの工夫をして、毎回解釈が変っても良
いだろう、と思う。工夫魂胆は、江戸時代より役者にしかできない楽しみ(あるいは苦しみ
かもしれない)だろう。楽しみにしろ、苦しみにしろ、役者冥利な話だ。

最近は、「相手の気持ちに立って許す。それを近松門左衛門が書きたかったのかなと思いつ
つやっております」とも吉右衛門は言っていた。

もっとも、幕切れの場面、原作台本にある科白は、「おーい、おーい」だけなのである。こ
の空白は、役者によって、いかようにも解釈される。

まず、この「おーい」は、島流しにされた仲間だった人たちが、都へ向かう船に向けての言
葉である。船には、孤島で苦楽を共にした仲間が乗っている。島の娘・千鳥と、ついさきほ
ど祝言を上げた仲間の成経がいる。そういう人たちへの祝福の気持ちと自分だけ残された悔
しい気持ちを俊寛は持っている。揺れる心。「思い切っても凡夫心」。思い切れない藝の工
夫。

時の権力者に睨まれ、都の妻も殺されたことを初めて知り、妻殺しを直接手掛けた男をさき
ほど殺し、嬉しさと共に、改めて重罪人となってしまった、という思い。自ら島に残ること
にした男が、叫ぶ「おーい」なのだ。「さらば」という意味も、「待ってくれ」「戻ってく
れ」という意味もある「おーい」なのだ。別離と逡巡、未練の気持ちを込めた、「最後」の
科白が、「おーい」なのだろう。吉右衛門演じる俊寛の表情、特に、「おーい」の連呼の後
に続く俊寛の表情の変化を私は舞台の最後にいつも観ている。

これは、芝居の「最後の科白」でもあるが、俊寛の「最期の科白」でも、ある。ひとりの男
の人生最期の科白。つまり、岩組に乗ったまま俊寛は、この後、どう生きるのかということ
への想像力の問題が、そこから、発生する。昔の舞台では、段切れの「幾重の袖や」の語り
にあわせて、岩組の松の枝が折れたところで、幕となった。しかし、吉右衛門系の型以降、
いまでは、この後の余白の時間に俊寛の余情を充分に見せるようになっている。

吉右衛門の俊寛を観ていると、岩組を降りた後の、俊寛の姿が見えて来た。ここで、俊寛
は、自分の人生を総括したのだと思う。愛する妻が殺されたことを知り、死を覚悟したのだ
ろう。俊寛は、岩組を降りた後、死ぬのではないか。私は、そんな気がする。これは、妻の
死に後追いをする俊寛の妻・東屋への愛の物語ではないのか。それを俊寛は、未来のある成
経と千鳥の愛の物語とも、ダブらせたのだ。そして、俊寛自身は、今後、ひとりで老いて行
く自分、ひとりで死に行く自分、もう、世界が崩壊しても良いという総括をすることができ
たことから、いわば「充実」感をも込めての呼び掛けとして「おーい」、つまり、己の人生
への、「最期」の科白としての「おーい」と叫んでいるように思える。そういう達観のもた
らした喜悦の境地。それが、ある時期までの吉右衛門の「喜悦」の俊寛ではなかったのか。

何故、そう感じるのかというと、俊寛は、清盛という時の権力者の使者=瀬尾を殺す。それ
は、清盛の代理としての瀬尾殺しだ。「夫として」、妻に対する愛情の発露として、瀬尾を
殺す。つまり、権力という制度への反逆だ。これは、重罪である。流人・俊寛は、さらに、
新たな罪を重ねたことになる。何故、罪を重ねたのか。それは、都の妻を殺されたからであ
る。つまり、俊寛は、重罪人になっても、直接、自分の妻を殺した瀬尾に対して、妻の敵を
討たない訳には行かなかったのだ。だから、これは、敵討ちの物語でもある。妻殺しの瀬尾
を殺してでも、妻と自分の身替わりとして、若い千鳥と成経には、幸せな生活をしてほしい
と思ったのだと思う。ふたりの将来の幸せな生活を夢見る。だから、これは、愛の再生の物
語でもある。そこに、虚無の果てとしての充実、それゆえに浮かぶ喜悦の表情があったので
はないか。それが、先頃までの吉右衛門の俊寛論だと思っていた。

ところが、前回(13年)と今回(18年)、吉右衛門は最後まで「喜悦」の表情を浮かべ
なかった。代わりに浮かべたのが、前回は「悟り」の表情だった。今回は何か。少なくと
も、悟りではない。

吉右衛門は、前回の俊寛について、次のように語っていた。「成経、千鳥という恋人同士の
離れがたい気持」を理解し、「自分は神の救いの船を待つのだと悟り、ああいう結果にな」
ったという。「喜悦」の向こうに「悟り」を観た吉右衛門俊寛。悪の権化清盛に対抗するべ
く俊寛が生み出した「許しの権化」としての悟り。この俊寛に私は、懐の深い「父性」を強く
感じさせた。

幕切れで、俊寛は、絶海の孤島の岩組の上で、観客席の下手方向に広がる大海原を見てい
る。遠ざかり行く船が見える。さらに、俊寛には、その船が、来世からの迎えの船に見えて
いるのかもしれない。吉右衛門は語る。「ふっと見上げた俊寛の目に救世の船が映る。天女
がその周りを舞いながら迎えにきてくれる。私の目にも見えています」。それを観客に伝え
たいと吉右衛門は言っていた。解脱か。

しかし、今回の舞台で見た俊寛は、「悟り」などには到達していないように見えた。元に戻
ったように吉右衛門俊寛は虚無的だった。そして、「虚無」の果てに「虚脱」までしてしま
ったように見えた。それとも、「魂が消えた」のか。

枝を折り、吉右衛門は上半身を岩組から落としそうにさえした。二代目吉右衛門は、初代吉
右衛門に本卦帰りしたのではないのか。二代目は、今回、初代吉右衛門の藝に、改めて、よ
り近づいたということなのだろうか。螺旋状に登る山道。

贅言;播磨屋吉右衛門は、初代が作り上げ、二代目が練り上げる。今回、竹本は、葵太夫が
通しで語った。吉右衛門は、自分が演じる全ての演目の中で、「俊寛」がいちばん好きだ、
という。今後とも、吉右衛門は俊寛を練り上げて行くことだろう。さすが、「大播磨」と声
が聞こえてきそうである。何度観ても、何かを考えさせる門左衛門原作の演目であり、吉右
衛門の演技である。

もう一つ、贅言;来月(18年10月)、国立劇場で、芝翫が、通し狂言として、「平家女
護島」(三幕四場)に出演する。この場合の場の組み立ては、次の通り。序幕「六波羅清盛
館の場」、二幕目「鬼界ヶ島の場」、三幕目「敷名の浦磯辺の場」、「 同 御座船の場」
である。さて、芝翫は、吉右衛門との違いをどう出すか、これはこれで楽しみとしたい。
 

「幽玄」・玉三郎の新作歌舞伎舞踊


玉三郎/花柳壽輔演出・振付の演目は、新作歌舞伎舞踊。能楽の「羽衣」「石橋」「道成
寺」の3作品を構成して、2017年に上演された。今回は、更に練り上げて、歌舞伎座初
演にこぎつけた。私も初見である。

世阿弥の伝書「花鏡(かきょう)」の「ことさら当藝に於いて、幽玄風体(ふうてい)第一
とせり」を目指した、という。玉三郎が3作品を選び、優美な舞踊作品となるよう構成し
た、という。かくて、外題は、「幽玄」となる。音楽は、能楽の四拍子、謡、「鼓動」の打
楽器(大小の太鼓が主体)、三味線。

「羽衣」は、漁師の白竜(歌昇ほか。分身を含め、11人)と天女の羽衣をめぐる物語。打
楽器と舞踊。能楽の小書「和合之舞」がベース。幕間の後、暗転のうちに定式幕で開幕。
「石橋」は、打楽器。獅子の精(歌昇ほか。5人)。獅子の狂いを見せる。暗転の中で転
換。「道成寺」は、紀伊の道成寺。撞鐘の供養の儀式。白拍子花子(玉三郎)と僧(8
人)、鱗四天(24人)。撞鐘ごと恋する修行僧を焼き殺した花子は、明転の後、後ジテと
して、怨霊の蛇体となって現れたが、僧侶たちの祈りに負けて、姿を消していった。


幸四郎執念の「松寿操り三番叟」


三番叟の操り人形版。幸四郎は染五郎時代からこの演目に熱心に取り組んできた。私が「操
り三番叟」そのものを観るのは、今回が8回目。このうち、染五郎時代から独自の外題の演
目は「松寿(まつのことぶき)操り三番叟」という。松本家の長寿を祈念しているネーミン
グだろう。幸四郎のこの演目の舞台を私が観るのは、今回を含め5回目となるが、幸四郎襲
名後では初めてである。

「操り三番叟」は、前半、役者の翁と千歳が登場し、後半、人形ぶりの三番叟とそれを操る
人形遣い、という演出と人形の三番叟とそれを操る人形遣いのふたりしか登場しない演出と
がある。幸四郎の「松寿操り三番叟」は、後者の演出である。

今回は、幸四郎のほかに、「後見」(実質的に人形遣いの役廻り)として吉之丞。操り人形
なので、人形遣いは天井裏にいるという想定だが……。
 
1853(嘉永6)年の初演で、初演時は、3人とも、人形ぶりであったという。いまのよ
うな演出は、五代目菊五郎の工夫で、前半は、役者の翁と千歳の、普通の「三番叟」の型、
後半は、人形箱から人形の三番叟を「後見」という人形遣いの役者が取り出し、もうひとり
の、本来の後見に手伝わせながら、人形の三番叟を操るという演出である。
 
「騙し&騙されの美学」の典型的な出し物と判る。役者が、操り人形を演じ、人形を吊す見
えない糸が、観客に見えるようになれば、騙した役者の勝ちであり、騙された観客の至福の
時間が流れる。あくまでも、役者が踊っているようにしか見えなければ、騙されない観客の
勝ち。

この演目で、肝心なのは、人形を演じる役者の頭、手先、足先の動きだろう。頭は、重心
が、糸で吊り下げられているように見えなければならない。手先、足先は、力が入ってはい
けない。糸がもつれたり、重心が狂い、片足立ちで、クルクル廻ったりしたあげく、人形は
倒れてしまう。自力では、制御不能の人形が見えてこなければならない。後見は、逆に人間
らしく、動き、人形を支える。両者の一体感が無いと駄目である。

7回目の挑戦となる染五郎は、回を重ねる毎にいろいろ工夫しているという(私は、そのう
ちの5回付き合っている)。今回は人形らしい動きもスムーズで、糸で吊り下げられてい
る、という軽みも伝わって来る。
 
幸四郎は、毎日隈取りを変えているという。三代目延若が、数多く演じ、その舞台を観た染
五郎時代の幸四郎が、人形ぶりに魅せられたというが、さらなる精進を期待したい。意思の
ない人形の空虚感、人形に徹して、空虚を目指したいという。「最初から最後まで操り人形
になりきって」という。その意気や、良し。
- 2018年9月7日(金) 20:50:52
18年9月歌舞伎座(昼/「金閣寺」「鬼揃紅葉狩」「河内山」)


福助、5年ぶりに舞台復帰


播磨屋・吉右衛門が主催する「秀山祭」も、11回目。吉右衛門への大向うは、すっかり
「大播磨」という掛け声が多くなった。存在感といい、科白廻しといい、吉右衛門には、
「大播磨」と呼ばれるに相応しい風格がある。そういう中、今回の昼の部は、「成駒屋」へ
の熱い掛け声が目立った。昼の部「祇園祭礼信仰記 〜金閣寺〜」の上演では、九代目福助
が4年10ヶ月ぶりに舞台復帰したが、福助自身はもとより、我々観衆も待ちに待った瞬間
を迎えたことになる。

9月2日午前11時、歌舞伎座初日の昼の部「金閣寺」が幕を開けた。場面は、「国崩し」
の極悪人・松永大膳(松緑)が、将軍の足利義輝を殺害し、さらに足利義輝の生母・慶寿院
尼を金閣寺最上階の部屋に幽閉しながら、権力奪取の機会を狙い、金閣寺に立て籠もってい
る。立て籠もりとはいえ、大膳は、悠々たるもの。弟の松永鬼藤太(坂東亀蔵)を相手に碁
を打っている。碁盤を挟んでいながら、大膳は、観客席正面を向いている。鬼藤太から見れ
ば、大膳は横を向いていることになる。鬼藤太は、大膳に正対している。後に尋ねてきた此
下東吉(梅玉)と碁盤を挟んで対局する際は、斜めに、つまり客席斜め下手の方に身体を向
けている。梅玉は、客席斜め上手の方に身体を向けて座る。大膳―弟の鬼藤太―正客の此下
東吉という登場人物の立場や位の関係が、こういう演出からも、窺えるのである。古典歌舞
伎のおもしろさは、こういう細部にも宿っている。

芝居の上演予定時間は、1時間37分だが、開幕から1時間26分後、慶寿院尼を救出しよ
うと、此下東吉、実は、春永の使者・真柴筑前守久吉(梅玉)が、金閣寺の下手にある桜木
をよじ登り、最上階へ忍び込む。そこの回廊から御簾を開ける。室内に幽閉されていたの
は、紫の衣装に身を包んだ慶寿院尼(福助)であった。春永(信長がモデル)の命により久
吉(秀吉がモデル)は、将軍・足利義輝の生母を救出に来たのだ。

初日の歌舞伎座は、昼の部の開演前から、場内には、福助の屋号の「成駒屋」の声がかかっ
ていたが、梅玉が最上階の回廊に立った瞬間から、福助の姿が見える前なのに「成駒屋」、
「待ってました」などの大向うの声が何度も飛び交っていた。御簾が上がると高まり続ける
掛け声に負けじと、場内からは強く、熱い拍手が鳴りやまなくなった。およそ2分間は熱い
祝福の拍手が続いたと思う。福助の科白は、以前に松竹の大谷信義会長から聞いていた通り
明瞭であった。「頭や口跡は、大丈夫なんですがね」と、2年ほど前に会長が言っていたの
を思い出す。

「未来の仏果を」や(人質からの解放の)「嬉しさよ」など3つの科白を言うたびに、満員
の観客は熱い拍手を繰り返して福助に送り、福助の舞台復帰を温かく迎えていた。「病に拠
る幽閉」からの解放を祝しているように思えた。

福助は、終始座ったまま、下半身は動かさずに竹本の浄瑠璃の文句に合わせて手ぶりと3つ
の科白で慶寿院尼の幽閉から救出される喜びを表現していた。福助自身の喜びも、当然なが
ら二重写しになっている。金閣寺最上階の窓の御簾が上がって、下がるまで、出演時間は、
およそ4分間。5年近い、地道なリハビリテーションの成果を踏まえて、科白と頭脳は明晰
と観客にきちんと印象付けた、と思われる。ただし、手ぶりは、衣の外に出した左手だけを
動かしていたし、衣の下に隠れたままの右手を上げる場面では、左手で衣の下の右手を持ち
上げていた。それほど違和感を感じさせないスムーズな動きだったので、観客の中には、気
がつかないまま感激の拍手や涙に気を取られていた人もいたことだろう、と思う。

「脳内出血による筋力低下」という当初の病名通りなら下半身は不自由なのかもしれない
が、晩年の六代目歌右衛門がそうであったように、役柄を選べば、七代目歌右衛門の舞台も
観ることができるのではないか。余裕が出てくれば、福助本来のキャラクターも滲み出てく
るだろう。「建礼門院」(平清盛の娘、安徳天皇の母。歌舞伎の「建礼門院」は、北条秀司
原作の新作歌舞伎。六代目歌右衛門が得意とした演目)なども、役柄として考えられるよう
な気がする。

ならば、詳しい事情を知らずに勝手に言うなら、5年間も待たずに、福助舞台復帰は、もっ
と早く可能だったのではないか、とも思う。まあ、それはそれとして、現実的には、できる
だけ早い機会に福助の七代目歌右衛門襲名と児太郎の十代目福助の襲名を実現させて欲し
い、と思っているのは、私だけではないだろう。九代目中村福助、1960年10月生ま
れ、来月で、58歳。ハンディを乗り越えて、役者人生を充実させて欲しい。合わせて、父
親の病苦という苦境にもめげずに地道に精進してきた息子の児太郎の十代目福助の襲名披露
舞台も観てみたい。

贅言;九代目福助は、七代目歌右衛門襲名内定後、2013年11月、襲名の準備に入って
いたが病に倒れてしまった。自身の七代目歌右衛門襲名と同時に息子の児太郎の十代目福助
襲名披露の舞台が14年3月、4月の歌舞伎座再開場の柿落とし興行以降、各地の劇場で披
露される予定で、その記者会見も13年9月に開かれていたことを私たちは忘れていない。

歌舞伎座の今月の筋書には、楽屋の話として、福助は「この5年近く、毎日のように芝居の
夢をみました。目覚めて涙したこともありました。(略)まだ万全ではないですが、見守っ
ていただけましたら幸いです」と言っている。また、福助が何度か演じた雪姫を今回初役と
して演じた児太郎も「父と同じ舞台に立たせていただけますことを心より感謝致しておりま
す」とある。成駒屋親子の同時襲名を期待したい。筋書には、「金閣寺」で共演した役者た
ちが、福助へのメッセージを載せているので、コンパクトに記録しておきたい。

まず、梅玉:「福助さんがこの舞台で復帰してくれ、一門の一人としてこんなに嬉しいこと
はありません」。幸四郎:「福助のお兄さんの復帰の舞台に出ることができて嬉しい。待っ
ていた日がやっと来た感じです」。松緑:「慶寿院尼は福助兄さん。まず何より兄さんの復
帰を、そしてその舞台でご一緒できることを心から嬉しく思います」。彌十郎:「いつ舞台
に復帰できるのかと気を揉んでいましたので、一緒の舞台に出る事が出来て本当に嬉しいで
す」。

今回の主な配役。松永大膳(松緑)、大膳弟・鬼藤太(坂東亀蔵)、此下東吉(梅玉)、狩
野直信(幸四郎)、慶寿院尼(福助)、雪姫(児太郎)、十河軍平、実は佐藤正清(彌十
郎)ほか。

なお、歌舞伎座昼の部は、成駒屋親子に焦点を合わせて書いたので、劇評はコンパクトにし
たい。


「祇園祭礼信仰記 〜金閣寺〜」、私がこの演目を観るのは、今回で10回目。これまで私
が観た雪姫は、四代目雀右衛門(2)、玉三郎(2)、当代の福助(2)、菊之助、七之
助、それに芝雀・改め五代目雀右衛門。そして今回は、児太郎が初役で挑戦した。

中でも03年10月歌舞伎座で観た四代目雀右衛門の雪姫は、「一世一代」の演技という感
じの緊張感を維持した素晴しい舞台であった。結局、四代目雀右衛門の雪姫は、この舞台が
最後だった。

雪姫(児太郎)は、最初は金閣寺に渡り廊下で繋がる上手のお堂に幽閉されている。金閣寺
では横恋慕の松永大膳(松緑)に虐められる。大膳の科白を聴いていると性的な虐待をしよ
うと姫を苛めているのが判る。やがて、大膳が持っていた刀が、名刀「倶利伽羅丸」だと知
り、大膳が父親雪村を殺した敵と判る。増々、大膳に憎しみを燃やす雪姫。大膳は、雪姫の
夫も幽閉していて、雪姫が従わないので、夫の狩野直信(幸四郎)を処刑させることにし、
引き立てさせる。

両手と上半身を縄で縛られ、その縄で桜木に繋がれていて不自由な雪姫は、引き立てられる
夫と今生の別をする場面が良い。可憐な姫の中にある人妻の色気が滲み出てくる。拒絶して
も滲み出る雪姫の官能性。夫への情愛が科白の無い表情の演技だけで演じなければならな
い。

贅言;雪姫(児太郎)は、舞台に二本ある桜木のうち、上手の木に縄で繋がれる。雪姫の所
作がスマートに見えるのは、雪姫と桜木を結ぶ、この縄がいつも弛みがないように調節され
ているからだろう。桜木の後ろに姿を隠している後見が、縄に弛みができないように、絶え
ず調整しているのが見える。もう一本の桜木は、下手にある。此下東吉(梅玉)は、桜木を
よじ登り、金閣寺の最上階に入り込む。桜木の裏には、よじ登り用の段が付いている。

雪姫は可憐な姫であり、色気を滲ませる人妻である。「鎌倉三代記」の初心な時姫が見せる
決意の果ての色気より、人妻ゆえの色気がムンムンしている感じが雪姫には必要だろう。そ
れに加えて、雪舟の孫という絵描きの血を引く、芸術家としての芯の強さもありで、難しい
役どころ。四代目雀右衛門が今も目に浮かぶ。若い児太郎の雪姫は、姫ではあっても、「色
気を滲ませる人妻」ではない。さらに今後の精進を期待したい。ほかの配役では、今回は、
松緑が良かった。最後に三段に乗って、大見得を切るのは、国崩しの極悪人。歌舞伎は、悪
のアンチ・ヒーローが軸にならないとおもしろくない。



「鬼揃紅葉狩」、私は2回目の拝見。更科の前、実は鬼女は、前回(06年9月・歌舞伎
座)は、染五郎時代の幸四郎ということで、2回とも、高麗屋。
 
「鬼揃(おにぞろい)紅葉狩」は、1960(昭和35)年4月、歌舞伎座で吉右衛門劇団
の興行として、六代目歌右衛門の更科の前、実は鬼女を軸に初演された新作歌舞伎。普通の
「紅葉狩」は、何回も拝見。主筋は、一緒だが、演出は大分違う。

舞台の大道具は、前回同様。軒先のみの大屋根を舞台天井から釣り下げている。松と紅葉、
信州・戸隠山中。屋内のようであり、屋外のようでもある。舞台上手に竹本、中央に四拍子
(囃子)、下手に常磐津。そして途中から、上手、床(ちょぼ)で、御簾を上げて大薩摩。
この際、上手の竹本、下手の常磐津には、霞幕がかけられる。大薩摩は、いつもの通り、
「幕外」(効果)という感じか。

筋立ては、基本的に「紅葉狩」を下敷きにしている。更科の前が、後ジテで、戸隠山の鬼女
になるのは、同じだが、こちらは、4人の侍女たちも角の生えた鬼女に変身するのが、ミ
ソ。鬼女となった侍女たちは、金地に赤い鱗(ウロコ)模様の着物を着ている。だから、5
人の「鬼揃」というわけだ。4人の侍女は、高麗蔵、米吉、児太郎、宗之助。後ジテの毛ぶ
りでは、高麗蔵が、赤毛。米吉、児太郎、宗之助は、いずれも茶毛。

今回の、そのほかの配役は、次の通り。平維盛に錦之助(前回は、信二郎時代の錦之助)。
従者は、廣太郎、隼人。男山八幡の末社の女神が東蔵、男神が玉太郎。

「紅葉狩」は、「豹変」がテーマである。更科姫、実は、戸隠山の鬼女への豹変が、ベース
であるが、姫の「着ぐるみ」を断ち割りそうなほど、内から飛び出そうとする鬼女の気配を
滲ませながら、幾段にも見せる、豹変の深まりが、更科姫の重要な演じどころである。観客
にしてみれば、豹変の妙が、観どころなので、見落しては、いけない。

それが、この新作歌舞伎では、曖昧であった。平板な印象が残った。その原因のひとつとし
て、多分、「紅葉狩」に出て来る腰元・岩橋(道化役)のような、チャリ(笑劇)が、持ち
込まれていなくて、一直線に豹変に向うから、奥行きがないのだという思いは今回も変わら
ない。


吉右衛門熟成の「河内山」


「天衣紛上野初花 〜河内山〜」を私が観るのは、今回で14回目。私が観た河内山宗俊
は、吉右衛門(今回含め、6)、先代の幸四郎(4)、仁左衛門(2)、團十郎、海老蔵。
御数寄屋坊主・河内山宗俊は、当代では、時代も世話も科白廻し抜群の吉右衛門で決まり、
という感じがする。

このほかの主な配役。松江出雲守(幸四郎)、家老・高木小左衛門(又五郎)、宮崎数馬
(歌昇)、腰元・浪路(米吉)、北村大膳(吉之丞)、後家・おまき(魁春)、清兵衛(歌
六)ほか。

吉右衛門の河内山は、すっかり安定している。初代は、深い人間洞察を踏まえた科白の巧さ
が持ち味だったらしい。実際の舞台を観ることが出来なかったのは、世代的な不幸である
が、どっこい、当代の吉右衛門も、熟成してきている。人間洞察の深さは当代も今も精進し
ているだろうが、科白の巧さは、当代役者の中では、ぴか一で、最近は独走気味、さらに磨
きがかかっているように思う。時として、吉右衛門に絡む役者の科白廻しの落差にがっかり
するときもある。私たちが二代目吉右衛門と同時代の観客の一人というのは、世代的な幸福
である。

悪事が露見すると、河内山の科白も、世話に砕ける。時代と世話の科白の手本のような芝居
だし、江戸っ子の魅力をたっぷり感じさせる芝居だ。度胸と金銭欲が悪党の正義感を担保し
ているのが、判る。そういう颯爽さが、この芝居の魅力だ。

「河内山」は、大向う好みの芝居だ。無理難題を仕掛ける大名相手に、金欲しさとは言え、
寛永寺門主の使僧(使者の僧侶)に化けて、度胸ひとつで、大名屋敷に町人の娘を救出に行
く。最後に、大名家の重臣・北村大膳に見破られても、真相を知られたく無い、家のことを
世間に広めたくないという大名家側の弱味(見栄やプライド)につけ込んで、堂々と突破し
てしまう。権力者、なにするものぞという痛快感がある。

悪党だが、正義漢でもある河内山の、質店・上州屋での、「日常的なたかり」と、松江出雲
守(幸四郎)の屋敷での、「非日常的なゆすり」での、科白の妙ともいえる使い分け。上州
屋では、番頭(吉三郎)の役回りが、出雲守の屋敷では、北村大膳(吉之丞)の役回りとな
ることに気がつくと、黙阿弥の隠した仕掛けが判り、芝居味が、ぐっと濃くなる。幸四郎
は、松江出雲守のような癇性の殿様のような役は巧い。

「上州屋質見世」と「松江邸」を必ず対にして、芝居を見せるのは、初代吉右衛門の工夫だ
という。

吉右衛門:「初代は、河内山がなぜ松江邸に乗り込んできたかがはっきりわかり、構想に化
けている面白さをお客様に感じていただきたいと考えて『質見世』を付けたそうです」。

吉右衛門の河内山は、最後の最後になって、屋敷の奥から出てきた松江出雲守に向かって
(実際には玄関先にいる北村大膳に向かって)「馬鹿め」と、小声で吐き捨てるように言
う。権力を笠に切る出雲守への嘲りの科白だ。花道を颯爽と引き揚げる吉右衛門。

贅言;「天衣紛上野初花」は、1881(明治14)年3月に東京の新富座で通しで、初演
された。当時の配役は、河内山=九代目團十郎、直次郎=五代目菊五郎、金子市之丞=初代
左團次。「團菊左」は、明治の名優の代名詞(大正の「菊吉」と明治の「團菊左」は、よく
比較される。「菊吉」は、六代目菊五郎、初代吉右衛門のこと)。三千歳=八代目岩井半四
郎という豪華な顔ぶれであった。
- 2018年9月5日(水) 15:35:23
18年8月歌舞伎座(3部/「盟三五大切」)


南北ワールド「忠臣蔵外伝」


「盟三五大切」は、08年11月の歌舞伎座以来10年ぶり、5回目の拝見。
「盟三五大切」は、1825(文政8)年9月、江戸・中村座初演の南北版「忠臣蔵外伝」
もの。

歌舞伎座「納涼歌舞伎(中堅、若手出演)」は、軸になっていた勘三郎、三津五郎の逝去以
来、出演役者の顔ぶれが「激変」している。今回は、新・幸四郎、猿之助、獅童が軸になっ
ているが、今月の3部制上演の出し物では、これが、数少ない見もの。

「盟三五大切」の主な配役。私がこれまで観た源五兵衛、実は、不破数右衛門:先代の幸四
郎(2)、吉右衛門、仁左衛門、そして今回が当代の新・幸四郎。このほかの主な配役。三
五郎:菊五郎(2)、勘九郎時代の勘三郎、仁左衛門、今回が獅童。三五郎女房・小万:時
蔵(3)、雀右衛門、今回が七之助。家主・弥助:左團次(3)、歌六、そして今回が中
車。八右衛門:先代の染五郎(2)、愛之助、歌昇、今回は、橋之助。菊野:芝雀時代の雀
右衛門、亀治郎時代の猿之助、孝太郎、梅枝、今回は、米吉。三五郎の父親・了心:四郎五
郎、幸右衛門、芦燕、田之助、今回は、松之助。助右衛門:東蔵(2)、幸右衛門、彦三郎
時代の楽善、今回は、錦吾ほか。

今回の場面の構成は、以下の通り。
序幕第一場「佃沖新地鼻の場」、同 第二場「深川大和町の場」、二幕目第一場「二軒茶屋
の場」、同 第二場「五人切の場」、大詰第一場「四谷鬼横町の場」、同 第二場「愛染院
門前の場」。

源五兵衛を巡る「百両」の動きと金の性格。
薩摩源五兵衛伯父・冨森助右衛門 →(軍資金の一部・助力)→ 薩摩源五兵衛、実は不破
数右衛門 →(美人局と知らずに、巻き上げられる)→ 船宿・船頭、笹野屋三五郎 
→(父親から金の無心・工面)→ 了心こと、不破数右衛門の元家臣・徳右衛門、三五郎の
実父 →(旧主のために、工面)→ 薩摩源五兵衛、実は不破数右衛門。


江戸湾佃沖の三角関係  


このうち、序幕第一場「佃沖新地鼻の場」。幕開きは、シンプルな黒幕を背景に舟の場面。
順番に3艘の舟が行き交うことになる。「佃沖新地鼻」だから、漆黒の闇のなかでの、佃沖
の江戸湾である。まず、1艘。お先の伊之助(吉之丞)という船頭と賤ヶ谷伴右衛門(片岡
亀蔵)を乗せた舟である。ふたりは、深川芸者・「妲妃(だっき)の小万」の噂をしてい
る。舟は、そのまま、舞台上手の袖に入って行く。

向う揚幕から花道を通り、別の舟が来る。小型の舟だが、中央に、緋毛氈が敷き詰められて
いる。舟先には、手持ちの、現代ならアウトドア用の行灯。緋毛氈の上には、酒の入った徳
利と煙草盆。乗っているのは、先ほどの噂の主、深川芸者・妲妃(だっき)の小万、実は、
三五郎の女房・お六(七之助)と船頭の夫・三五郎(獅童)である。妲妃とは、中国古代の
悪女伝説の一人。小万の手には、役者絵を刷り込んだ団扇が握られている。夕涼みしなが
ら、ふたりは、客から金を搾り取る相談をしているようだ。

ここで、古いことを書くようになる。13年前、05年9月、歌舞伎座の舞台では、本舞台
に舟が差し掛かると上手より、小さな樽が流れて来る。中に、沙魚(はぜ)が入っている。
いやに、リアルだったが、今回も同じ演出で、懐かしかった。というのは、10年前、08
年11月の舞台では、この小道具は省略されていたからだ。やがて、ふたりは、闇夜と密室
の舟上という状況を良いことに、緋毛氈の上で、カーセックスならぬ、シップセックスの態
(てい)。情事の場面となる。


役者の世代替り


21年前、97年10月、歌舞伎座で、初めて「盟三五大切」を観たとき、この場面は、勘
九郎時代の勘三郎と雀右衛門だったが、濃厚なラブシーンに見えた。封建時代の演出を残す
歌舞伎の舞台では、性愛の場面では、写実は、避けたがる。象徴的に、所作で、外形的に示
す場合が、多い。そういう中で、この場面は、数少ない、扇情的な性の描写がリアルになさ
れた場面だったと、思う。15年前、03年、歌舞伎座の菊五郎も、濃厚だった。菊五郎
は、時蔵の手を己の下半身に誘う。さらに、菊五郎の手は、時蔵の下半身、そして胸へと、
これまた、味が濃かった。船上の緋毛氈の上に横たわり、抱擁するふたりの姿に、女性客の
多い観客席は、息を呑んでいるように思えた。13年前、05年、歌舞伎座の仁左衛門は、
同じ時蔵を相手に、もう少し、薄味で演じていた、ように思う。女形は、立役との関係で、
演技が異なって来るのだろうか。今回の獅童と七之助も、薄味だった。舟の中に横たわって
いるだけのように見受けられた。


「美人局」発覚


この船上の情事の場面で、黒幕が、切って落とされると、月夜の江戸前。満月の明るい江戸
湾。遠く対岸のシルエットが浮かぶ。

舞台奥、上手に、第3の舟が現れる。小万と三五郎を乗せた舟にくらべると、大きさは倍ぐ
らいある。屋形のある舟だ。小万と三五郎を乗せた舟が、小型車なら、屋形のある大きな舟
は、大型車という感じだ。月夜で、明るい中、屋形の中には、やはり、緋毛氈が敷き詰めら
れていて、そこに薩摩源五兵衛(幸四郎)がゆったりと乗っている。舟先には、やはり、手
持ちの、アウトドア用の行灯。気がついたかどうか、この船には、実は、船頭は乗っていな
い。配役が省略されているのだろう。

以前に観た舞台では、この場面は、暗闇からぬうっと、薩摩源五兵衛の出、という印象が残
っている。小さな屋形舟で、闇で見えなかったが、情事に耽るふたりの舟の近くまで、いつ
の間にか、そっと、近付いていたような感じで、薩摩源五兵衛が、舟に乗っている。源五兵
衛は、陰険にも、ピーピング・トムのように、ふたりの情事を覗き見ていたのが、判るとい
う趣向だった。薩摩源五兵衛は、ゆるりと立上がって、自分の舟の舳先の方に移動する。白
地に紺絣は、の着物に、黒い絽の羽織を着ていて、颯爽としている。覗き魔の、疚しさなん
て無い。薩摩源五兵衛に気づいても、平気で愛想を振りまく小万。こういう場面になると、
女性の方が、大胆なんだろうなあ。憮然とした表情の三五郎が、気の毒になる。新・幸四郎
の薩摩源五兵衛役は、2回目。9年前、09年11月、染五郎時代に新橋演舞場で初演して
いる。新・幸四郎がどういう源五兵衛を演じてくれるか。

3艘の舟を効果的に使った演出で、歌舞伎座の舞台は、一気に、江戸時代の江戸前の海風の
世界へタイムスリップする。巧みなイントロである。このシンプルな場面だけで、観客は、
一気に南北ワールドに強引に引きずり込まれてしまうのではないか。


南北版「忠臣蔵外伝」


ところで、「盟三五大切」は、粗筋を簡単に辿ると、こうである。塩冶家の浪人・不破数右
衛門は、御用金三百両を盗まれ、その咎で浪人となり、いまでは、薩摩源五兵衛(幸四郎)
と名前を変えて市井に生きている。

数右衛門は、旧臣下の徳右衛門、いまは、出家している了心(松之助)に御用金の一部百両
の工面を頼んでいる。その一方で、深川の芸者・妲妃(だっき)の小万(七之助)に入れ揚
げている。小万は、船頭・笹野屋三五郎(獅童)の女房・お六である。三五郎は、実は、徳
右衛門の息子の千太郎で、訳あって、勘当の身であるが、父親が旧主のために金の工面をし
ていると聞き、これを用立てて、勘当を許してもらおうとしている。そのために、女房のお
六を小万と名乗らせて、芸者に出しているのだ。

その金策が、実は、源五兵衛から金を巻き上げるということから悲劇が発生することにな
る。三五郎は、源五兵衛から金を巻き上げて、父親に用立てる。父親は、その金を旧主の薩
摩源五兵衛こと、不破数右衛門に渡そうとする。そういう金の流れと人間関係の情報が、両
立していないことから、この芝居の悲劇は起こる。

源五兵衛のところへ、伯父の富森助右衛門(錦吾)が、百両の金を持って来る。この金を塩
冶義士(史実の「赤穂諸事件」の、いわゆる赤穂義士のこと)たちの頭領・大星由良之助に
届けて、仇討(高家への討ち入り)の一味に復帰せよと助言する。しかし、源五兵衛は、小
万らに騙された挙げ句、小万の身請け金の立て替えとして、百両を渡してしまう。三五郎
は、源五兵衛に小万の亭主だと名乗り(美人局)、身請け話をちゃらにし、百両をだまし取
る。

三五郎と小万こと、お六は、騙りに参加した小悪人どもと祝杯を上げたが、寝入ったところ
を、源五兵衛に襲われる。殺人鬼・源五兵衛の見せ場、殺し場である。小悪人たち5人は、
殺されるものの、三五郎、小万のふたりは、悪運強く、生き延びる。


殺人鬼、一つ目の殺し場


源五兵衛の演じる「殺し場」は、ふたつある。5人殺す場面と、2人を殺す場面。まずは、
一つ目の殺し場。

二幕目・第二場「五人切の場」。源五兵衛を騙して、百両を巻き上げたに成功して祝杯を上
げている面々がいる。処は、内びん虎蔵(廣太郎)宅である。まず、三五郎(獅童)が、2
階の座敷で、小万(七之助)との情事の果てに、乱れた蒲団の上で、けだるさを感じさせな
がら、酒を呑んでいる。小万の腕の入れ黒子「五大力」の「力」の字を、「七」と「刀」に
書き換え、さらに、「五」の前に、「三」を付け加えて、「五大力」を「三五大切」という
ことで、「源五兵衛への心中立て」の小道具のはずの「五」を「三五郎への心中立て」の
「三五」に変造してしまい、ひとり、悦に入っている。やがて、ふたりは、再び、情愛の世
界へ入るのか、障子が閉め切られる。

やがて、夜も更け、三五郎らが2階、虎蔵が、ひとり抜けて、その他4人は、1階で、寝込
むため、灯を消す。そこへ、障子の丸窓を押し破って、殺人鬼と化した源五兵衛が入って来
る。まるで、「忠臣蔵」の五段目の定九郎の出か、あるいは、「伊勢音頭恋寝刃」の10人
殺しの福岡貢の出のようだ。

だんまり(暗闘という演出)のなかで、5人殺しの殺し場が展開する。まず、衝立の後ろ
で、情事に耽った果てに寝込んだと思われるお先の伊之助(吉之丞)と芸者菊野(米吉)
は、三五郎・小万の夫婦と間違われて、殺される。伊之助の首は、斬られて衝立の上に載っ
かっている。首から下の胴体(吹き替え)は、衝立の後ろからよろめき出て座敷内で倒れ込
む。着物を掛けたままの行灯の灯で、衝立の首を確かめる源五兵衛。これは、お先の伊之助
の首。三五郎ではない。

血まみれの刀を下げたまま、2階への階段を昇る源五兵衛。しかし、三五郎・小万の夫婦
は、階下の異変を感じ取り、二階の床や羽目板を壊して、下へ逃げて座敷へ出て来る。源五
兵衛が、侵入した壊れた丸窓を利用して、さらに、外へ、花道へと逃げ出してしまう。

すれ違いで、逃げられたと知り、1階に降りて来る源五兵衛。惨劇を知らずに寝ているごろ
つき勘九郎(片岡亀蔵)、ごろつき五平(男女蔵)が、次々に血煙を上げられる。提灯を持
って、外から帰って来た虎蔵も殺される。締めて、5人殺される。

その後、三五郎・小万の夫婦が、逃げ込んだ四谷鬼横町の長屋は、かって民谷伊右衛門が住
んでいたところだ。さらに、家主の弥助(中車)は、伊右衛門の従者・土手平であったと共
に、お六の兄であったことが判る。その上、弥助は、実は、「不義士」伊右衛門と共犯で、
旧主・塩冶家の御用金三百両を盗んだ盗賊の一味であった。

かつて、この部屋には、高家に出入りしていた大工が住んでいた。この大工が隠し持ってい
た絵図面が、風の悪戯で家の中から飛んできて、三五郎と弥助に見つかる。この絵図面こ
そ、塩冶浪士たちが主君の敵と狙う高家の絵図面であった。三五郎(獅童)は、絵図面を横
取りしようとする弥助(中車)を殺した後、百両と絵図面を、戻ってきた父親の了心(松之
助)に渡す。

三五郎の父親、了心は、百両と絵図面を旧主の不破数右衛門こと、薩摩源五兵衛に渡した
が、そのことを初めて知った三五郎は、父親の旧主・不破数右衛門こと、薩摩源五兵衛の罪
の全てと己の罪を一身に被って自害し、源五兵衛には、塩冶「義士」として、主君・塩冶判
官の「敵討ち」に加わるように懇願する。源五兵衛は、件の長屋に姿を変えて潜んでいたほ
かの塩冶「義士」らとともに、高家への討ち入りに参加して行く。


殺人鬼、二つ目の殺し場


様式美の殺し場。小万(七之助)らの居所を突き止め、三五郎の留守に小万だけが残る長屋
へ粘着質の殺人鬼・源五兵衛(幸四郎)が、やはり、戻って来た。「おのれ、みどもをたば
かったな」と怒り狂い、源五兵衛が、小万と赤子を殺す。二つ目の殺し場である。一つ目の
殺し場が、「数を稼ぐ」なら、二つ目の殺し場は、もちろん、凄惨なのだけれど、様式美溢
れる殺しの立ち回りとなる。私が観たこの場面では、10年前、08年11月、歌舞伎座
の、仁左衛門の源五兵衛と時蔵の小万の舞台が印象に残る。以下、*印の部分は、その時の
劇評である。

*「お前は、鬼じゃ、鬼じゃわいなあ」という、科白とは、裏腹に、艶かしい殺し場が、展
開する。性愛は、撫でるように相手を愛撫する。仁左衛門と時蔵の殺し場は、刀で女体を撫
でこそしないが、仁左衛門の振るう刀は、性愛のように、時蔵を愛撫しているように見えた
のだ。殺しにも、「体位」があるかのごとく、ふたりは、幾つかのポーズを決めながら、
(本来の言語論理からすると、全く矛盾する表現になるが)撫でるかのように、嬲(なぶ)
りながら、仁左衛門は、時蔵を相手に、執拗に(あるいは、丹念に)刀を振るい、凄惨な殺
しの地獄に堕ちて行く。様式美溢れる修羅の世界が拡がる。

上手の障子の間にも薩摩源五兵衛は入り込み、赤子の里親・おくろ(歌女之丞)を殺す。障
子に殺し場のシルエットが映る。挙げ句、障子の間からか開けて連れ出した赤子さえも、手
を添えさせて母親の小万自身に殺させるという残忍な行為も厭わない源五兵衛。

そういう所業とは、裏腹に、エロチックな所作で、エロスとタナトスの世界を構築して行く
ように見えた。性愛と死のアナロジー。エクスタシーの極みは、死に至る快楽。セクシャル
とエロチックとは、違うということを感じさせたのが、この殺し場だった。セクシャルは、
目に見えるもの。エロチックとは、目に見えるものに刺激されて、脳が認識するばかりで、
目には見えないイマジネーションの世界。というように、区別すれば良いのだろうか。エロ
チスムとは、脳だけが、間接的に認識する感性。虚実の皮膜があると、それは、より鮮明に
感じ取れるのではないか。

雨音が響き始める。小万の切首を懐に入れて、薩摩源五兵衛(幸四郎)は、外に出る。降り
出した雨に気づいて、長屋に戻る。部屋の土間に置いてあったボロ傘を差して、再び表に出
る。花道七三で、傘を広げ、殺しの現場から、立去る色悪。

性愛の極みのような殺人。その上、切首持ち去り。なにやら、昭和の阿部定事件を思い出
す。理不尽な愛欲の果ての、男女の愛憎の極北の世界がここにもある。殺人鬼が去った後、
舞台は、中央に残された赤子の遺体があるばかりで、暫く、動きが無い。音も無い。

花道七三で、薩摩源五兵衛(幸四郎)には、スポットが当たる。ボロ傘の内に佇む幸四郎に
花道向う揚幕辺りからのスポットの光が焦点を合わせる。その影が、黒御簾の上に映し出さ
れる。幸四郎の歩みに合わせて、シルエットが次第に大きくなってくる。ああ、「先代萩」
の仁木弾正のようだ、と私は思う。この場面は、上手の障子の間から下手の花道まで、シル
エットで始まり、シルエットで終わる。

大詰第二場「愛染院門前の場」では、珍しく、「本首」のトリックが使われる。他人の女房
の首を斬り落とし、それを懐に入れて帰って来ただけでも、グロテスクなのに、源五兵衛
は、その首を机の上に飾り、お茶漬けを喰うなど、死と食(生)を併存させる辺りは、南北
の凄まじいまでのエネルギーを感じさせる。さらに、死人の首(七之助)が、口を開けて、
箸に挟んだ飯を喰おうとして、観客を驚かす。「切首」の身替わりに、七之助が、机の上
に、自分の首を出していたから、「本首」という仕掛けだ。

この場面では、棺桶代わりの四斗樽のなかから、三五郎、実は、旧主・不破数右衛門のため
に尽力している了心、こと徳右衛門の息子・千太郎が、「モドリ」という悪党の善人戻りの
演出となる。三五郎(獅童)は、己の腹に出刃包丁を突き立てて、自害を図り、棺桶の板を
バラバラに壊して、飛び出してくる。「世に迷いしたわけゆえ」と、言いながら……。ここ
の三五郎は、「忠臣蔵」の勘平切腹とダブル・イメージされる。三五郎が、勘平なら、小万
は、お軽か。

今回の獅童は、三五郎は初役だ。七之助の小万も、初役。「一途さゆえにどんどん墜ちてい
く。色気たっぷりに、あまり悪い人に見えないように演じたい」と、七之助は楽屋で語って
いる。仁左衛門と時蔵が演じた時は、殺し場が、濡れ場のように見えた。色気では、雀右衛
門や時蔵の「大人の色気」に、まだ及ばないように見受けられた。七之助は、いずれ化ける
だろう。今後の精進を期待したい。


キーパースンは、誰? 


この芝居の人間関係を整理すると、キーパースンになっているのは、三五郎の父親の了心こ
と、不破数右衛門の元家臣・徳右衛門だというのが、判る。しかし、了心が、三五郎と源五
兵衛にそれぞれの関係を告げなかったために、三五郎は、源五兵衛を罠(美人局)に嵌
(は)めて、金をだまし取り、源五兵衛は、それを恨んで殺人鬼となり、小万、こと三五郎
の女房・お六ら8人を殺してしまう。いわば、同士討ち。

薩摩源五兵衛をめぐる主な人間関係。
薩摩源五兵衛伯父・冨森助右衛門 ―― 薩摩源五兵衛、実は不破数右衛門 ―― 了心
こと、不破数右衛門の元家臣・徳右衛門 ―― 船宿・船頭、笹野屋三五郎、実は了心の息
子 ―― 三五郎女房・お六こと、芸者・妲妃の小万、源五兵衛の愛人、実は、美人局 
―― (源五兵衛)。

そういう意味では、忠臣・徳右衛門こと、了心こそ、悪行の連鎖の鍵を握っていたことにな
る。それにもかかわらず、塩冶義士、いわゆる赤穂義士のなかに、脱落した不義士どころか
大悪の真性・殺人鬼が紛れ込んでいる、というお話が浮き彫りにされる。南北の「忠臣蔵」
とは、そういう忠臣蔵なのだ。


「義士」の中の殺人鬼


「騙し、騙され、その挙げ句の悲劇」というのは、歌舞伎の作劇法のひとつである。騙され
る源五兵衛(幸四郎)は、前半では、実は、「忠臣蔵」の塩冶家の家臣・不破数右衛門で、
かつて盗賊に奪われた御用金(三百両)の一部百両を工面して、討ち入りに加わろうという
「志」を持っている。源五兵衛は、その敵討ちというミッションが、巧く行かないという屈
託感を抱く、世間知らずの武士だが、「美人局」組の、小万(七之助)らに百両を奪われ、
さらに、小万には、三五郎(獅童)という亭主がいたということで、騙されたと知った後半
は、人格が、変わってか、本来の、というか、粘着質のしつこい悪党、真性・殺人鬼になる
から、人間は怖い。世間知らずの、弱い男が、惨忍になると、破滅的なほどの惨忍さを発揮
する。源五兵衛は、破滅型の人間の闇淵の底深さを象徴しているように思える。特に、小万
に刀を握らせて、我が子を殺させるべく、トドメを刺させる場面は、「根っからの殺人
鬼」、悪鬼であることを印象付ける。赤子さえも、手を添えて、母親の小万自身に殺させ
る、という残忍さ。薩摩源五兵衛という浪人は、魔が差した、のではなく、本来彼の中に魔
物を飼っている、のではないか。

一方、騙しに成功すると、自信過剰の、「非常識人」である三五郎は、脇が甘い。そのから
くりを明かして、源五兵衛の怒りに火を着けてしまう。己より、さらに、非常識の極みに居
て、執念深い、粘着質の源五兵衛の性格を知らなかったばっかりに……。これが、後の悲劇
への元凶となるのを知っているのは、復讐の祝祭劇の司祭である南北ばかり。


「不義士」と義士のなかの殺人鬼


「四谷怪談」で、南北は、塩冶家断絶の後、浪人となった民谷伊右衛門を主人公として、
「忠臣蔵」の義士たちに対して、「不義士」として描いたが、「盟三五大切」では、義士・
不破数右衛門を主人公として、義士のなかに紛れ込んだ真性・殺人鬼を描いた。義士も不義
士も、同じ人間だ、というのが南北の人間観。

「四谷怪談」が、妾と中間の密通事件を知った旗本が、ふたりを殺して、同じ戸板の裏表に
ふたりを縛り付けて、川へ流したという実際の事件をモデルにしたように、「盟三五大切」
では、寛政6(1794)年2月大坂中の芝居で上演された並木五瓶原作「五大力恋緘」
(ごだいりきこいのふうじめ。「五大力」は、不動明王ら五大明王という仏像の総称。大
坂・曾根崎で実際に起きた源五兵衛らの5人斬り事件をモデルにした)を江戸の深川に舞台
を移して、書き換えた形で、実際の事件をネタに再活用した。

「五大力」を「(三)五大切」と、書き換え狂言として利用し、愛する男(三五郎)の名前
を埋め込んだ。それが、源五兵衛の粘着質の嫉妬心をさらに燃え上がらせることになるとも
知らずに。
- 2018年8月17日(金) 12:02:59
18年8月歌舞伎座(2部/「東海道中膝栗毛」「雨乞其角」)


当代の猿之助版「東海道中膝栗毛」を観るのは、16年8月、17年8月、今回、18年8
月、いずれも歌舞伎座で、3回目になるのだが、3回観て感じたことは、毎回、筋立てが違
う上、弥次郎兵衛・喜多八のコンビが主軸というだけの、それぞれは独自の新作歌舞伎風の
演目なので、過去の演目内容を参考にしても仕方がないのではないか。

ということで、十返舎一九原作を元に、杉原邦生構成、戸部和久脚本は同じで、異なるの
は、市川猿之助「脚本・演出」。今回は、市川猿之助「演出・脚本」となっていて、前回ま
での2回と「演出」ぶりが違うのかもしれない。猿之助の演出が、今回は優先されていると
いうことか。とりあえず、今回を新しい舞台として記録しておこう。

今回の場の構成は、以下の通り。全九場構成。第一場「相馬山大鼻寺門前の場」、第二場
「神奈川茶飯屋の場」、第三場「箱根旅籠五日月屋店先の場」、第四場「箱根旅籠五日月屋
大座敷の場」、第五場「箱根旅籠五日月屋廊下客間の場」、第六場「富士川渡しの場」、第
七場「洞穴の場」、第八場「地獄の場」、第九場「岩場の場」。

初演同然なので、粗筋もコンパクトながら記録しておこう。

第一場「相馬山大鼻寺門前の場」。弥次郎兵衛(幸四郎)の相方、喜多八(猿之助)が、歌
舞伎座で大道具のアルバイトをしていて不慮の事故で亡くなったとか。開幕前、暗転の暗闇
の中で、弥次郎兵衛の嘆きの声が聞こえる。明転すると、舞台中央に喜多八の大きな遺影が
飾られている。相馬山大鼻寺門前。遺影の上手側には、ふたつの花環。ひとつは贈り主は、
トランプ・デイビットと書いてある。もうひとつは、長屋一同。明転しても、というか、ま
すます、弥次郎兵衛の嘆きの声は大きくなる。

嘆き悲しむ弥次郎兵衛を慰める面々。困惑の態(てい)。長屋の大家(錦吾)、その女房
(宗之助)、町名主(寿猿)、歌舞伎座の舞台番(竹松、虎之介)、お園(千之助)ら。弥
次郎兵衛は、聞く耳を持たない。次いで、花道から次々と弔問客らが来る。まず、葬儀導師
の住職(門之助)、伊勢奉行の大岡伊勢守(獅童)、木挽町の監察医(七之助)、歌舞伎座
座元(中車)。「東海道中膝栗毛」の通しで出てくるコンビ・伊月梵太郎(染五郎)、五代
政之助(團子)。続いて、油屋お染(七之助)、丁稚の久松(獅童)、母の貞昌(中車)。
さらに、将軍家斉(獅童)、御台所(七之助)、老中水野忠成(中車)。花道から舞台上手
へ、また、花道へ。早替りの趣向。獅童、七之助、中車は、それぞれ5役ずつ。次々と早替
りで、出てくるのがミソという演出。

喜多八は生前の行いが悪いので、きっと地獄へ落ちるだろう。弥次郎兵衛は一緒に地獄へ行
きたい、という。伊月梵太郎と五代政之助は、喜多八の供養と極楽行きを祈念するためにお
伊勢参りに行こうと提案する。3人は、伊勢に向かうことになる。

幽霊となった喜多八(猿之助)の前に、父親の北六(獅童)、母のお照(中車)、兄の一九
七(七之助)の幽霊が現れる。先輩幽霊の3人が、地獄極楽行きの分かれ目を伝授してくれ
る。さらに、獅子堂極之助(獅童)、鬼塚波七(七之助)、暗闇の中治(中車)が引き続き
早替りで現れる。弥次郎兵衛たちの後を追ってゆく。獅子堂極之助ら怪しげな3人の後から
喜多八も追いかける。皆々、伊勢参りへ。

第二場「神奈川茶飯屋の場」。先行の弥次郎兵衛たちは一休み。茶屋娘お稲(新悟)と再
会。盗人一味から茶屋娘へ、「更生」したのだという。そう言えば、前々回(16年8月歌
舞伎座)の劇評には、「茶屋娘(新悟)は、実は、女盗賊」とあった。

それはさておき、そこへ、花魁道中の一行。赤尾太夫(猿之助)、太鼓持ち(獅童)、新造
(七之助)、遣手(中車)。弥次郎兵衛は、赤尾太夫を見初めてしまったらしい。花魁道中
も弥次郎兵衛も箱根の旅籠五日月屋へ向かう、という。さらに、怪しの3人組も後に続く。
気をもむ幽霊の喜多八(猿之助)にむく犬(弘太郎)と三毛猫(鶴松)が、話しかける。犬
猫は、幽霊の姿も見え、話もできるらしい。同伴することになる。

第三場「箱根旅籠五日月屋店先の場」。前々回(16年8月歌舞伎座)の宿泊時に幽霊騒動
のあった旅籠。当時の番頭・藤六(廣太郎)が出世して亭主となった。除霊効果で幽霊もい
なくなった、という。おかげで宿は繁盛している。皆、ここに泊まることにした。ただし、
幽霊の喜多八(猿之助)は、除霊のお札で阻まれて、宿の内へ入れない。同伴の犬猫が札を
剥がしてくれたので、入場もオーケーになる。

第四場「箱根旅籠五日月屋大座敷の場」。座敷では、女将のおさき(米吉)、赤尾太夫(猿
之助)らが、弥次郎兵衛たちを接待している。赤尾太夫を気に入った弥次郎兵衛が身請けし
たいと言い出す。そこへ、赤尾太夫の馴染み客の阿野次郎左衛門(片岡亀蔵)が現れ、身請
け話は自分の方が先だと怒り出す。獅子堂極之助ら怪しの3人組(獅童、七之助、中車)も
加わり、花魁の身勝手に不満の女将のおさき(米吉)、阿野次郎左衛門(片岡亀蔵)の5人
が、弥次郎兵衛と赤尾太夫のふたりを殺そうと謀議する始末。

前々回(16年8月歌舞伎座)の劇評。「夕食時は女役者(壱太郎ら)をあげての宴で遊
ぶ。離れに泊まっているという女役者に夜這いをかける弥次喜多」とある。本当に懲りない
面々。毎回同じようなことをしているんだ。この連中は。

第五場「箱根旅籠五日月屋廊下客間の場」。夜半、一間では、弥次郎兵衛と赤尾太夫が情事
の最中。亭主の藤六(廣太郎)、女将のおさきが廊下でぶち当たり、手燭を落とす。辺り
は、真の闇。多くの宿泊客も加わって、第五場出演者全員? というような、大規模な「だ
んまり(暗闘)」となる。花道から、舞台上手まで続くだんまりの行列。皆々、闇を探り合
う。弥次郎兵衛たち3人は、なんとか、だんまりの輪から抜け出す。

第六場「富士川渡しの場」。翌日。弥次郎兵衛たちは、富士川の渡し場へ。舟には定員六名
と書いてあるが、もう既に多数乗っている。梵太郎(染五郎)、と政之助(團子)のふたり
を先に乗せる。弥次郎兵衛と幽霊の喜多八は、次の舟に乗ることになる。地獄極楽の分かれ
目とも知らずに。

この舟には既に先客が3人いる。後ろ姿で身動きしないというのも、なんとも胡散臭い。と
思っていたら、やはり、彼らは怪しの3人組だ。3人は、実は、地獄の使者。死者たちの勝
ち。舟は、幽霊の喜多八と弥次郎兵衛を乗せて、地獄の底へ真っ逆さまに落ちて行く。

第七場「洞穴の場」。先に川を渡った梵太郎(染五郎)と政之助(團子)。幽霊の喜多八と
伴してきたむく犬、三毛猫が追いつく。鳴き立てる犬猫。様子がおかしいと気づいたふたり
は、大事に持参している薫光来の名刀を抜き放つと、犬猫の言葉が判るようになる。幽霊の
喜多八と弥次郎兵衛が、地獄に落とされたと知る。犬猫は、富士山の洞穴があの世に繋がっ
ているという伝説をふたりに教える。ふたりは、洞穴に飛び込む。

第八場「地獄の場」。地獄の閻魔庁。年に一度の地獄祭り。宴会中。閻魔大王(右團次)、
泰山府君(片岡亀蔵)、閻魔の妻(新悟)が見守る中、赤鬼(橋之助)、青鬼(中村福之
助)、黄鬼(歌之助)、大鬼(鷹之資)、中鬼(玉太郎)、小鬼(市川右近)、女歌舞鬼
(千之助)らが、舞い踊る。そこへ書記官(廣太郎)が弥次郎兵衛を追い立ててくる。閻魔
大王の御下問に弥次郎兵衛は、喜多八を追ってきたと答える。まだ、裁きを受けていない喜
多八は、閻魔庁には記載されていない。そこへ、も一人の書記官が喜多八を引き出してく
る。宴の余興に弥次郎兵衛をなぶり殺しにしようと盛り上がる。梵太郎(染五郎)と政之助
(團子)が、助けに現れる。皆、洞穴から、逆にこの世に戻る。

第九場「岩場の場」。この世に戻った弥次郎兵衛だが、頭を打っていて、大怪我、瀕死の状
態。岩場には、基督(門之助)、日光天使(染五郎)、月光天使(團子)が現れ、皆、救済
する。舞台中央で踊る基督。花道の上を宙乗りで進む4人組。弥次郎兵衛(幸四郎)、喜多
八(猿之助)、日光天使(染五郎)、月光天使(團子)の面々。めでたし、めでたしの大団
円。はちゃめちゃな大喜劇。出演する役者は多いけれど、……。何回か、うとうとしてしま
った。目が覚めたら、そこは、「……」か。猿之助の演出は、とにかく、役者が大勢出てき
て、賑やかなだけの舞台だった。

前々回(16年8月歌舞伎座)のまとめ批評。「ストリーを追うだけで、芝居としての余韻
は少ない。猿之助の演出で、染五郎、猿之助ほか澤潟屋一門が『軸になっている割には、お
もしろくなかった。演出が、もうひとつなのだろう』と、書かざるをえないのが、残念」と
ある。今回も、概ね一緒。

贅言;猿之助は、8月は、歌舞伎座近くの新橋演舞場の夜の部(午後4時半開演)で
「NARUTO ~ナルト~ 」に出演。主役は、巳之助、隼人。若い役者に主役を譲り、猿之
助演じる「うちはマダラ」役は、愛之助と交互出演。掛け持ちで、澤瀉屋も熱中症にならな
いように。


立役の総踊り


「雨乞其角」は、今回初見。1924(大正13)年、初演。1978(昭和53)年、宗
家藤間会でも素踊りで初演されたが、歌舞伎の本興行は、今回が初演、という。「雨乞其
角」という外題の意味は、江戸中期の俳人・宝井其角のエピソードに由来する。1693
(元禄6)年6月、其角が、雨乞の人々に代わって、「夕立や 田をみめぐりの 神なら
ば」という句を詠んで、献じたところ、実際に雨が降ったという。

「西も東も水無月の 雲さへ湧かぬ旱空……」。花道から其角(扇雀)の出。隅田川周辺を
歩む。

舞台は、三囲神社。隅田川の内側(つまり河川敷側)からの光景。河川敷に舟。
船頭は歌昇。其角は舟に乗り込む。堤の向こうに埋もれたように見えるのは、お馴染みの三
囲神社の鳥居。

書割などが動いて、大道具、居処替りで場面展開。舟は、大川(隅田川)に乗り出す。する
と、川の中から、大きな舟がセリ上がる。芸者(新悟、廣松)を連れて船遊びをする大尽
(彌十郎)の船と行き交う、という場面。大きな舟は廻り舞台の動きに連れて川面を廻る。
こちらの船頭は、虎之介。河川敷にあった小さな舟は、黒衣ふたりの人力で大きな船と逆方
向に廻る。やがて、二艘は横に並ぶ。

もう一つの大きなセリで、其角の弟子たち(橋之助、男寅、中村福之助、鷹之資、千之助、
玉太郎、歌之助、鶴松他)10人がセリあがってくる。そのタイミングで、大道具居処替り
で、堤の外の三囲神社へ。

神社の境内で其角を中心に10人の弟子たちが踊る。雨乞いの踊り。其角を含め、立役ばか
り11人の男踊りの輪が広がる。男ばかりの踊りは珍しい。「……神ならば 夕立を降らし
給へ」。やがて、神慮に叶って、雨が降り出す。男たちの総踊り。幕。

大川と大小の舟、廻り舞台を使った大道具のダイナミックな展開と珍しい男ばかりの踊り
が、見もの。
- 2018年8月16日(木) 17:08:40
18年8月歌舞伎座(1部/「花魁草」「龍虎」「心中月夜星野屋」)


納涼歌舞伎は、3部制


北條秀司作の新作歌舞伎は、「北條歌舞伎」と呼ばれる。「花魁草(おいらんそう)」は、
1981(昭和56)年、歌舞伎座で初演された北條秀司作・演出の新作歌舞伎。私が観る
のは、2回目。前回は、11年8月新橋演舞場で観た。この演目は、今回で、本興行、4回
目の上演である。

1855(安政2)年10月に江戸を襲った大地震の被災者の物語。明日への希望の物語に
年の離れたカップルの純愛をダブらせた構成。飛躍する年下の男と病み行く年上の女の接点
の数年間に心温まる物語があった、という趣向。短編小説の味。戦時中、ハルビン(中国東
北部)で出会った女性から作者が直に聞いた身の上話を幕末期の江戸周辺に設定し直した芝
居。

場面構成は、次の通り。
序幕第一場「中川の土手」。同 第二場「日光街道栃木宿の農家」(秋、1年後)。第二幕
第一場「日光街道栃木宿の農家」(夏、6年後)。同 第二場「巴波(うずま)川の橋の
上」。

今回と前回の主な配役は、次の通り。表示は、今回、前回。
お蝶:扇雀、福助。幸太郎:獅童(前回とも)。栃木宿の農家・米之助:幸四郎、勘太郎時
代の勘九郎。米之助の女房・お松:梅枝、芝のぶ。達磨問屋主人・五兵衛:市蔵(前回と
も)。猿若町の座元・勘左衛門:彌十郎(前回とも)。座元の妾・お八重:高麗蔵(前回と
も)。芝居茶屋の女将・お栄:萬次郎、扇雀ほか。

序幕第一場「中川の土手」。安政大地震の翌朝。舞台は、暗転。真っ暗な中で幕が開く。上
手が江戸方面。まだ燃えている。夜空が赤い。上手が日光方面。夜空は、暗い。夜明け前、
日光方面に通じる中川沿いの街道。舞台手前は、中川。奥が、日光街道の土手。薄明かりの
土手をシルエットの人々が通る。江戸からの避難民たちのようだ。段々、明るくなって行
く。河原で一夜を明かした職人が起き上がって、被災のことを話題にしながら連れだってど
こかへ行く。上手の薄の中から起き上がった青年は、江戸の芝居町、浅草の猿若町の大部屋
役者・幸太郎(獅童)。楽屋着のまま逃げて来た。楽屋口で、地震に襲われた、という。中
川の水で、喉を癒す。江戸に戻ろうとして下手の草むらで寝ていた吉原の女郎・お蝶(扇
雀)の足を踏んでしまう。こちらも部屋着姿のままで、いかにも「女郎」という格好。ふた
りとも着の身着のまま江戸から逃げて来たと判り、意気投合する。当時の江戸の芝居街と吉
原遊郭は、近間であった。

そこへ、栃木宿の百姓・米之助(幸四郎)が、下手から小舟で中川を上って来る。お蝶は、
持ち前の愛嬌で、栃木宿までと、幸太郎共々、舟に乗せてもらうことになる。前回の舞台で
は、福助が愛嬌のある遊女を演じていた。5年間、病気休演中の福助が、来月、歌舞伎座の
舞台に復帰する。お蝶は、福助には、ぴったりの役どころ。扇雀は、福助とは一味違う。

幸四郎は、滑稽味を滲ませた、人の良い百姓を演じる。獅童も、科白廻しが優しい。年上の
女性に気使いの出来る青年を演じる。登場人物が善人たちという芝居が始まる。以下、新作
歌舞伎らしく、暗転、明転で、緞帳の上げ下げで、場面展開。メモが取りにくい。

序幕第二場「日光街道栃木宿の農家」。震災から1年後の秋。日光街道近くの農家。お蝶と
幸太郎は、米之助の母屋の裏にある農具置き場をリホームした住まいを借り、ふたりで暮し
ている。幸太郎は、地元の名産品の達磨作りの内職をしている。お蝶は、幸太郎より年が上
なのを恥じて、「おば」と称している。舞台下手に赤い実を付けた柿の木。住まいの床下に
は、薪の束が仕舞われている。上手は、米之助の住む農家の裏手。物干がある。洗濯物が干
してある。農家と幸太郎らの住まいとの間に、小さい祠がある。庭先に塗った達磨や収穫し
た唐辛子が干してある。

宿場の芝居小屋「栃木座」で興行をする嵐重蔵一座が、「チンドン屋」風に、宣伝に来る。
近くの豪農の娘・お糸(新悟)が、若い幸太郎に栃木座の芝居や羽生のかさね祭りに行こう
と誘いに来たり、幸太郎に仕事を世話している江戸の達磨問屋の主人・五兵衛(市蔵)が立
ち寄ったりする。お蝶は、幸太郎に好意を寄せる豪農の娘で若いお糸に嫉妬する。幸太郎
は、お蝶の気持ちも忖度せず、貰って来た花魁草(おいらんそう)を祠の前に植える。お蝶
は、幸太郎に江戸に戻って、舞台に出たくないのかと尋ねるが、幸太郎は、お蝶とふたり
で、「ここで暮したい」と言う。年下の男への慕情を秘めながら、心の中でホッとする年上
の女。

幸太郎が仕事で外出すると、母屋の米之助が、訪ねて来て、お蝶に「祝言をして、ふたりは
正式の夫婦になれ」と勧める。お蝶は、嫉妬心から、昔裏切った男を殺したという過去を持
つ。お蝶の母親も、同じ犯罪を犯しているという。母と同じ、殺人者の血が流れていること
を怖がっていると米之助に告白するお蝶。お蝶の意外な告白に驚きながらもお蝶を慰める米
之助。米之助と入れ替わりに上手から出て来た米之助の妻・お松(梅枝)が、物干に干して
いた衣類を取り込む。前回は、お松の役を芝のぶが演じていた。脇役の中堅女形・芝のぶも
良かった。

街道では、猿楽町の芝居茶屋の女将・お栄(萬次郎)、座元の勘左衛門(弥十郎)、座元の
妾・お八重(高麗蔵)が、日光詣の帰り道に通りかかる。お栄は、幸太郎らしき男を見かけ
たと騒いでいる。立ち寄った農家が、その米之助宅。女房のお松から、見かけた男が、「幸
太郎」という名前だと聞かされて、幸太郎の帰りを待つことにする。お栄は、「まるで芝居
みたいな話だね」などと言って、場内の笑いを誘う。

帰って来た幸太郎は、「もう一度、舞台を」。座元から江戸の芝居への復帰を誘われて舞い
上がる。「旦那様」と万感を込める。傍らで話を聞いていたお蝶は、そっと奥へ引きこも
る。お蝶も一緒に江戸に戻ることになったが、お蝶は、幸太郎を江戸まで送ったら、一人で
栃木へ戻って来る決心だと米之助には話す。

過去に殺人を犯して、心を汚し、女郎の暮らしで、身を汚したゆえに、前途ある若者の人生
に汚点は付けられないと身を引く覚悟の年上の女。この場面、百姓夫婦の米之助とお松、ふ
たりの生活に馴染んでいるお蝶と幸太郎を包み込む栃木宿の雰囲気。それに対して、江戸者
の芝居茶屋の女将お栄、座元の勘左衛門と妾のお八重の一行の雰囲気の違いが、見せ場とい
う場面だ。お蝶と幸太郎ふたりの人生をゆすぶった長い一日。照明は、昼間から夕景へと照
明で時間経過を表して行く。

第二幕第一場「日光街道栃木宿の農家」。6年後の夏。序幕第二場の農家と同じ大道具だ
が、前の舞台で黄色く色づいていた木々は、いまは、緑も濃い。祠の前には、花魁草が、ピ
ンクの花を多数咲かせている。幸太郎らが住んでいた住まいには、女按摩(蝶紫)の施療場
になっている。客が、宿場の芝居小屋「栃木座」で興行する江戸の歌舞伎役者淡路屋・中村
若之助を話題にして、盛り上がっている。裃袴姿もきりりとした人気役者、若之助(獅童)
は、幸太郎の6年後の晴れ姿だ。お蝶を訪ねて、かつての住まいを訪れる。花魁草が目印
だ。米之助とお松は、幸太郎の出世振りを喜ぶが、幸太郎が逢いたいお蝶の姿が見えない。
病気の療養で、山の上の湯場に行くと言って出て行ったまま、行方不明だという。獅童は、
姉を慕うような、純朴な青年役者若之助を印象づける。

贅言;当時、関東地方には、栃木宿のように街道の宿場には、いくつか芝居小屋があったよ
うだ。高崎、甲府などの記録が残る。甲府では、亀屋与兵衛座などが知られる。亀屋座に
は、江戸の歌舞伎役者七代目市川團十郎なども訪れ、滞在した。江戸の市村座などの出し物
を先に上演し、亀屋座で当たれば、市村座でも当たるなどと言われたという。江戸の文化の
センサー役を甲府の人々はしていたのではないか。

第二幕第二場「巴波(うずま)川の橋の上」。宿場の巴波川に架かった橋の上には、歌舞伎
役者・若之助の「舟乗り込み」(舟に乗って、芝居小屋入りする)を見ようという人たち
で、ごった返している。舟乗り込みは、客席からは見えない。「淡路屋」「淡路屋」と屋号
が飛び交う。舟が通り過ぎると橋の上にいた見物人たちも、ひとりふたりと去って行く。そ
の後に、頭巾を被った女ひとりが橋の上に取り残される。頭巾を取ると、女は、病み上がり
のお蝶。お蝶は、立派になった幸太郎の姿を見て、喜び、涙を流し、幸太郎を見送る。「幸
ちゃんに逢いたい……」。お蝶は一人で屋号を叫ぶ。「淡路屋!」。暗転の中で、扇雀の泣
き声が、何時までの続くうちに、緞帳が降りてくる。幕。


「龍虎」は、3回目の拝見。前回は、4年前、8月の歌舞伎座で観ている。今回含め、3回
の配役は、次の通り。

龍が、八十助時代の三津五郎、獅童、今回は、幸四郎。虎が、染五郎時代の幸四郎、巳之
助、今回は、染五郎。

1953(昭和28)年初演の新作舞踊劇。「龍吟ずれば雲起こり、虎嘯けば風となる」(易
経)。龍虎が、天に雲を起こし、地に風を起こす。雷や風雨を呼ぶ中で、聖獣同士が相争う
様を舞踊に仕立てた。

波が逆巻く渓谷の岩場。中央の大セリで龍虎がせり上がって来る。能がかりの白装束の両
雄。頭の飾りや袴は、金は龍。銀は虎。途中、ふたりとも、黒毛の龍、代赭毛の虎。それぞ
れ隈取の「面」を活用して、早替り。勇壮な毛ぶりを披露する。背景は、海の大波へ。衣装
の引き抜きでは、通常の着物だけでなく、大口袴も同時に引き抜き、そっくり早替りとな
る。引き抜きの特別な演出。両雄は秘術を尽くして挑み合う。拮抗する力。そのため、雌雄
は、決しない。袴も白、清新な装いに変わる。背景の波も静寂へ。やがて、山頂に満月が上
って来る。そして、緞帳が下りてくる。


「心中月夜星野屋(しんじゅうつきよのほしのや)」は、古典落語「星野屋」を歌舞伎化し
た。今回が歌舞伎座初演の新作歌舞伎。落語の「星野屋」は、1698(元禄11)年、刊
行の「初音草噺大鑑(はつねぐさはなしおおかがみ)」所収の「恋の重荷にあまる知恵」と
いう一編をベースにしている、という。

今回の場面構成は、次の通り。
第一場「稽古屋塀外の場」。第二場「稽古屋座敷の場」。第三場「吾妻橋の場」。第四場
「元の稽古屋座敷の場」。

第一場「稽古屋塀外の場」。定式幕が開くと、三味線指南のおたかの家。黒板塀に見越しの
松。典型的な妾宅の佇まい。花道をやってきたのは、蔵前の青物問屋・星野屋の主人、照蔵
(中車)。稽古帰りの娘ふたりと花道で出会う。娘の潔癖感が、センサーとして師匠のおた
かと関係する中年男を感じ取り、嫌う。「虫の好かない男」などという。それを耳に挟んだ
照蔵は、素の虫愛好家の中車、というか香川照之に戻り、「俺は虫が好きなのだ」と呟き、
観客を笑わせて、上手に入る。舞台は、大道具の「煽り」などで居処代わり、場面展開。

第二場「稽古屋座敷の場」。下手より、再び、中車の照蔵が登場。家の奥から出てきたの
は、おたか(七之助)。照蔵は、女房の七回忌を済ませている。ふたりは男女の仲という関
係だが、相場に手を出し、しくじった照蔵が別れ話を切り出す。これに対して、おたかは、
手切れ金より、一緒に死のうと言って欲しいと、言う。喜ぶ照蔵。「今宵九つ(午前0
時)、吾妻橋から一緒に身投げしよう」と告げて、花道を帰って行く。中年男と心中する気
のないおたかは、母親を呼ぶ。奥から出てきた母親のお熊(獅童)。お熊は、心中するよう
に見せかけて、照蔵ひとりに身投げをさせようと、提案する。ふたりは、そのための稽古を
始める。やがて、舞台が廻る。

第三場「吾妻橋の場」。雨上がりの吾妻橋。やってきたのは、照蔵とおたか。約束通り、身
投げ心中しようという照蔵。なんやかやと身投げを避けるおたか。
ふたりの様子を見守っていたお熊が間に入り、3人が闇の中で探り合ううちに、橋の欄干に
乗っていた照蔵だけが、川の中へ。

贅言;橋の大道具は、「花魁草」の第二幕第二場「巴波(うずま)川の橋の上」の場面で使
用していたのと同じ。

第四場「元の稽古屋座敷の場」。舞台が、廻る。上手に蓙で上半身を隠した男が現れる。上
手からおたか(七之助)、自宅に戻った。花道からやってきた和泉屋藤助(片岡亀蔵)に、
照蔵の後釜紹介を依頼しようとするが、藤助は、枕元の照蔵の幽霊が現れると、不安がる。
その話を聞いたおたかは、恐れ慄く。どうしたら良いか。下手からお熊(獅童)。藤助は、
おたかに「尼になれ」と勧める。おたかは、躊躇していたが、最後には、自慢の黒髪を切る
ことになる。上手、座敷の障子の間から照蔵(中車)が姿を見せる。おたかには橋から身投
げをして見せたが、実は、下に舟を待たせていた、という。照蔵は、手切れ金(20両?)
を取り戻す。おたかは切った黒髪は、かもじで地毛ではない、と嘯く。呆れて照蔵は花道か
ら帰って行く。お熊は、手切れ金から三両掠め取った、という。おたかは、さらに自分は五
両掠め取った、ということで、どっちもどっちの騙し合い、ということでオチがつく。欲が
この世を支配する。定式幕が閉まり、幕。
- 2018年8月15日(水) 9:51:12
18年7月歌舞伎座(夜/通し狂言「源氏物語」)


海老蔵版「源氏物語」は、スーパー歌舞伎


通し狂言「源氏物語」は、新作歌舞伎。今月の歌舞伎座は、昼の部も夜の部も、早々と満
席、全席売り切れ、となった。昼の部同様、「源氏物語」としては、異例の「海老蔵宙乗り
相勤め申し候」、と謳う。「宙乗り」をキーワードに、演出は、映像も音響も駆使してのス
ーパー歌舞伎である。

歌舞伎の「源氏物語」を私が観るのは、6回目。95年9月(新作舞踊劇「夕顔の巻」)、
2000年(瀬戸内寂聴訳に基づく大薮郁子脚本)、01年(「末摘花」)、03年(「浮
舟」)、11年(「浮舟」)、18年(今井豊茂作)。このうち、11年のみ、新橋演舞
場。ほかは、すべて歌舞伎座で観た。

さらに、新之助時代を含む海老蔵の舞台で私が観たのは、00年5月歌舞伎座と今回の2回
である。18年前、00年の新之助版「源氏物語」は、まだ、新作歌舞伎の範疇だったと思
うが、今回は、澤瀉屋一門も顔負けのスーパー歌舞伎ぶりだった、と思う。

贅言;瀬戸内寂聴訳の歌舞伎版「源氏物語」は、5回上演されていて、上記のように、私が
観た2000年5月歌舞伎座(大薮郁子脚本)に続いて、01年5月歌舞伎座(瀬戸内寂聴
訳・脚本)で、続編(「須磨の巻」「明石の巻」「京の巻」)として上演されている(こち
らを私は、観ていない)。その後、瀬戸内寂聴訳・脚本版の「源氏物語」は、03年京都南
座(「須磨の巻」「明石の巻」「京の巻」)、04年名古屋御園座(「藤壺の巻」「葵・六
条御息所の巻」「朧月夜の巻」)、05年博多座(「藤壺の巻」「葵・六条御息所の巻」)
で上演された。さらに、08年京都南座では、瀬戸内寂聴訳の歌舞伎版ではなく、「源氏物
語千年記念」として、藤間勘十郎構成・振付で玉三郎の六条御息所を相手に、海老蔵の光源
氏が、所作事(舞踊劇。「五條」「夕顔の屋敷」「池のほとり」)を演じている。今回の歌
舞伎座は、今井豊茂作、藤間勘十郎演出・振付の新作歌舞伎として、全く新しいバージョン
として上演されたが、光源氏の時系列的には、00年5月(主体)、01年5月(一部)の
歌舞伎座の舞台が近いのではないか。時々比較してみよう。演出的には、何せ、「源氏物
語」に初めて宙乗りが登場するのである。

今回の主な配役。光源氏、龍王のふた役:海老蔵、春宮(とうぐう)、後に朱雀帝:坂東亀
蔵、右大臣:右團次、左大臣:家橘、頭中将:九團次、葵の上、明石の上のふた役:児太
郎、光の君、春宮、後に冷泉帝:勸玄、紫式部:萬次郎、六条御息所:雀右衛門、弘徽殿
(こきでん)女御:魁春、大命婦:東蔵、六の君こと朧月夜の君:玉朗ほか。

このうち、今回初めて登場した役は、龍王(海老蔵)、紫式部(原作者。萬次郎)、大命婦
(乳母。東蔵)。

一方、今回の舞台に役者が登場しない役は、藤壺女御(2000年は、玉三郎)、紫の上
(同じく、菊之助)。玉三郎、菊之助が演じた役どころが、今回は登場しないというのも、
海老蔵らしい演出かも知れない。

今回の場面構成は、次の通りである。今回は、発端、序幕、二幕目、大詰となっているだけ
で、幕ごとの外題は付与されていない。以下は、外題がないので、私が内容を要約して付け
たメモ。

発端;桐壺帝の第二皇子・光の君誕生と第一皇子・春宮、光の君と継母・藤壺の女御の不倫、
臣籍・光源氏となった光の君の憂鬱。序幕;桐壺帝の譲位、春宮は朱雀帝へ、新春宮は、光源
氏と継母・藤壺女御の子、光源氏と葵の上・六条御息所、葵の上の懐妊と六条御息所の嫉
妬。二幕目;光源氏と六の君、須磨への隠退。藤壺の女御の出家、桐壺院の霊と龍王。大詰;
朱雀帝とその母・弘徽殿太后(皇太后)の病、源氏の帰京、光源氏と明石の上、光源氏と藤
壺女御の子・春宮への譲位(後の冷泉帝)と光源氏の太政大臣就任。

今回の海老蔵版「源氏物語」の主な特徴は、龍王役も勤める海老蔵の宙乗り、音響や映像を
駆使したスーパー歌舞伎ばりの演出。能、オペラの演出の付加など新機軸が、確かに見どこ
ろの一つだろう。それを期待して 歌舞伎座に足を運ぶ観客もいるのだろう。

中でも、キーポイントになるのは、海老蔵の宙乗りへの拘りだろう、と思う。というのは、
昼夜ともに宙乗りの演出を挿入させている。まず、昼の部の「三國無雙瓢箪久(さんごくむ
そうひさごのめでたや)」の序幕第一場「西遊記(夢の場)」を特設してまで、孫悟空(海
老蔵)の宙乗りの場面を挿入している。次いで、夜の部では、二幕目で、桐壺院の霊の光源
氏の守護という請願を受けた八大龍王(海老蔵)が源氏の君の許へと飛翔、つまり宙乗りし
て行く場面がある。背景は、舞台の間口を超えた大波の海原の映像である。

荒々しくうねる波のCG映像をバックに海老蔵が宙乗り。今回の「源氏物語」では、最新の
プロジェクションマッピングの技術を活用した斬新な映像と音響が披露される。

光源氏(海老蔵)は、勢力争いで第一皇子派の右大臣らに追放され、わが子と離れて暮らす
ことになる。孤独や悲しみ、心に闇を抱えた源氏の君を守護するため、龍王(海老蔵のふた
役)が登場するという設定だ。

大波の映像は、舞台前方に張られた紗幕(しゃまく。緞帳で、上下に開閉する)から舞台の
間口を超えて、劇場天井の一部まで大きく映し出される。大波がダイナミックに形を変えて
行く。

龍王に扮した海老蔵は青い隈取、青い髪。海老蔵にはセンサーが取り付けられていて、海老
蔵の動きを読み取り、それに合わせて映像が変わって行く。波のほかにも桜や紅葉、雪など
四季の移り変わりなども映像で見せる。

能の演出では、発端・序幕では、翁の面だろうか、面を付けた桐壺帝、般若面の六条御息所
の怨霊、女面(泥眼)の六条御息所の生霊(いきすだま)、直面(ひためん)、面を付けな
いで上半分は、素顔、長い髭で顔の下半分を覆っている世継の翁などが、登場する。能楽師
たちが活躍する。世継の翁は、結構科白も多い。序幕の「葵の上」絡みの場面は、面など能
の「葵上」の演出をベースにしているだろう。二幕目では、桐壺帝、龍神、龍女、世継の
翁。大詰では、桐壺帝、世継の翁。それぞれ、人間の領域を超えた場面で、能の世界として
描き出される。能楽の演者は、複数が公演日により入れ替わる、というが、その日の出演者
は、2階のロビーの告知板に掲示されている。それには、筋書には明記されていない白龍王
という役名もある。歌舞伎座というか、松竹の現場優先主義がうかがえる。

オペラの演出では、随所に闇の精霊と光の精霊が基本的にペアで登場する。闇の精霊は、ア
ンソニー・ロス・コスタンツォ、黒い衣装。光の精霊は、ザッカリー・ワイルダー、白い衣
装。ふたりは、光源氏の深層心理の部分の心象、心の内に抱える闇や葛藤を表現する。アン
ソニー・ロス・コスタンツォは、女性歌手のような声を出すカウンターテナー の音域(女性
声域のアルトに相当する)。ザッカリー・ワイルダーは、テノール(男性の声域のバスより
高く、女性の声域のアルトより低い)。

歌舞伎、オペラ、能の演出。緞帳、廻り舞台、セリ、花道、スッポンなども活用。歌舞伎、
能、オペラ混合の海老蔵版「源氏物語」なので、舞台展開を追いながら、各場面の見どころ
を記録しておこう。

発端; 暗転のうちに緞帳が上がり、明転すると開幕という演出は、新作歌舞伎に多い。花道
スッポンから紫式部(萬次郎)が登場。書き始めた源氏物語について原作者が解説をする。
それによると、桐壺帝の寵愛を受けた桐壺更衣は、第二皇子を産んだ。光の君(後の光源
氏)の母親である。桐壺帝には、第一皇子の春宮がいる。春宮、つまり皇太子である。春宮
の母親は、弘徽殿女御である。この物語は、第一皇子(後の朱雀帝)派と第二皇子(光源
氏)派の派閥争いの物語でもある。弘徽殿女御は、桐壺更衣を妬み、それを苦にした桐壺更
衣は、病を得て、亡くなってしまう。桐壺帝は、更衣の遺児・光の君をさらに寵愛する。第
一皇子派は、第二皇子派に取って代わられることを警戒している。桐壺帝の后群には藤壺女
御もいる。藤壺女御は、母親の桐壺更衣によく似ているので、光の君は、思慕の果てに、藤
壺女御と関係を持ってしまう。知ってか知らずか、桐壺帝は、光の君を臣籍に落とし、源氏
の姓を与え、源氏の君とする。父親に見放されたと思う光源氏は、心に闇を抱えるようにな
る。紫式部が退場すると、舞台上手のスポットの中で、闇の精霊を演じるカウンターテナー
の、女性の声と聴き紛うほどの高い澄んだ声の、黒い衣装の男性オペラ歌手アンソニー・ロ
ス・コスタンツォが英語の歌詞を歌い上げる。In Darkness Let Me Dwell. 海老蔵の源氏
の君は、18年前の新之助の源氏の君同様、紗の幕の向こう、薄闇に後ろ姿のまま、舞台中
央にせり上がって来た。一筋のスポットの光の中に白い衣装の光の君が浮き上がる。演出を
変えていない。背景は竹林。印象的な開幕のシーンだ。

贅言;桐壺帝は、架空の人物で、本来別の名前の天皇だったが、桐壺更衣にご執心する余り、
桐壺帝と名付けられたという。醍醐天皇をモデルにしている、という説がある。

序幕; 桐壺帝は第一皇子に譲位し、第一皇子の春宮(坂東亀蔵)は朱雀帝となる。朱雀帝の
母親・弘徽殿女御(魁春)は、皇太后になる。新しい春宮は、藤壺中宮が産んだ皇子が引き
継ぐ。つまり、光源氏の息子が新しい皇太子になる。源氏の君は父親・桐壺帝への複雑な思
い、藤壺中宮への思慕の間で苦悩する。源氏の君(海老蔵)は、葵の上(児太郎)を妻とし
て迎えたが、幼い葵の上は、夫婦の情愛を育めない。源氏の君は、その空隙を埋めるため
に、六条御息所(雀右衛門)と関係を持つ。葵の上は、やがて懐妊。源氏の君の子をなす。
嫉妬にたける六条御息所は、生霊となって、葵の上を取り殺す。

二幕目;葵の上を亡くした源氏の君は、弘徽殿太后の妹と知らずに六の君(玉朗、抜擢!)と
関係してしまう。第一皇子派は、源氏の君の追放を画策し始める。その動きを察知し、源氏
の君は、自ら須磨への退隠を決意する。藤壺中宮は、出家してしまう。新しい春宮を息子と
呼べないまま、源氏の君は、須磨へ向かう。不如意な息子の源氏の君を懸念した桐壺院の霊
は、龍神に源氏の君の守護を祈願する。八大龍王(海老蔵)は、その願いを受け止めて、源
氏の君のいる須磨へと飛翔する。

大詰;朱雀帝とその母親の弘徽殿太后は、病を得た。「兄弟手を携え」という亡き父親、桐壺
院の遺言に反した報いと悟った朱雀帝は、源氏の君を帰京させることにした。それに合わせ
て源氏の君の息子である春宮(勸玄。名目上は、桐壺帝と藤壺中宮の子)への譲位を朱雀帝
は決意する。源氏の君は、須磨明石で、明石の上と関係を持ち、姫君に恵まれた。明石の上
(児太郎)と別れ、姫君を連れて、都へ戻る源氏の君。親子の別れの辛さを改めて痛感す
る。源氏の君の帰京を出迎える朱雀帝(坂東亀蔵)一行。この後、源氏の君は、息子の冷泉
帝の即位に合わせて、太政大臣となり、新帝を助けることになる。

つまり、源氏の君は、父親の目を盗んで中宮(天皇の后)の一人である藤壺女御(実母の面
影がある)と無理に関係を結び、桐壺帝の第十皇子(実は、光源氏の息子)が、後に冷泉帝
になることで、新帝の事実上の実父となり、さらに太政大臣(朝廷の最高職)になること
で、自身も実際に権力を上り詰めることになる。

贅言;18年前、私は次のように書いている。
*	新之助の「光源氏」は、 多分この人がこれをやってしまったので、もう当分ほかの人
では「光源氏」が、できないのではないか。「光源氏」とは、この新之助のような顔をし、
声をしていたのではないか、と納得させるようなリアリティがある。写真で見る十一代目團
十郎より、良さそうな気がする。
*	新之助は、なかなか演技派。今回の光源氏で、この人は、完全に「大化け」し たので
はないか。「水も下たる」、「光り輝く」、「匂うような」という常套句の褒め言葉が、霞
んでいる。それほど、新之助は、光源氏になりきっている。
*	(祖父の十一代目團十郎・前名九代目)海老蔵は、戦後の新しい時代を象徴する歌舞
伎役者の「華」になった。そういう、この「時代」独特のものがもたらした感動は、今回の
「源氏物語」には、ないかもしれない。しかし、新しい歌舞伎役者の「華」が、それも「大
輪」の予兆を、感じさせながら登場したことには、 間違いがないだろう。 新之助は、まだ
まだ未熟だし、これから精進する課題はたくさんあると、思うが、精進の土台となる「華」
は、「三之助」のなかでも、いちばんしっかりしている。

注を入れると、ここで書いている「三之助」とは、18年前の丑之助(当代の松緑)、新之
助(当代の海老蔵、いずれ、團十郎へ)、菊之助(当代)の3人である。新之助は、既に十
一代目海老蔵となり、今や、次期十三代目團十郎襲名を噂されている。18年前の私の予言
は、こうして読み直すと、ほとんど修正が不要と思われるが、いかがであろうか。歌舞伎界
は、今、新しい世代への転換点に立っていると言えるだろう。
- 2018年7月25日(水) 12:45:34
18年7月歌舞伎座(昼/通し狂言「三國無雙瓢箪久」)


歌舞伎座は海老蔵の「宙乗り」二題


通し狂言「三國無雙瓢箪久 〜出世太閤記〜」は、初見。7月の歌舞伎座は、早々と満席、
全席売り切れの盛況。海老蔵人気だろうし、夜の部の「源氏物語」人気でもあるだろう。看
板にも「海老蔵宙乗り相勤め申し候」、と謳う。宙乗りの演出が、海老蔵芝居のセールスポ
イントの一つになっているのではないか。実力は別として、歌舞伎役者の人気では、海老蔵
がダントツだろう。

海老蔵は、今回、息子の勸玄とともに昼夜通しで出演している。夜の部の「源氏物語」を起
爆剤として、昼夜とも早々と売り切れ状態を作り上げ、その勢いも借りて松竹を満足させた
結果を踏まえて、来年4月以降の興行で、十三代目團十郎を襲名し、合わせて息子の八代目
新之助襲名を披露するのではないかという情報がある。これは、いずれ、松竹が正式に発表
することだろう。

海老蔵の出世の前に、まずは、今月の演目「出世太閤記」について、記録しておこう。私が
この演目を観るのは、今回が初めて。というのも、今回の作品は、「三國無雙瓢箪久(さん
ごくむそうひさごのめでたや)」という古くからの外題を掲げているものの、過去の「太閤
記もの」をベースに再構成した、事実上の新作歌舞伎だからだ。

まず、今回の場面構成は、次の通り。
序幕第一場「西遊記(夢の場)」、第二場「本能寺の場」、第三場「備中高松城外、秀吉陣
中の場」。二幕目第一場「小栗栖竹藪の場」、第二場「近江湖水の場」、第三場「松下嘉兵
衛住家の場」。大詰第一場「大徳寺焼香の場」、第二場「同 奥庭の場」。

次に、今回の主な配役は、以下の通り。羽柴秀吉と孫悟空のふた役:海老蔵、明智光秀と明
智左馬之助のふた役:獅童、松下嘉兵衛と柴田勝家のふた役:右團次、秀吉女房・八重:児
太郎、三法師:堀越勸玄、光秀妻・皐月:雀右衛門、嘉兵衛妻・呉竹:東蔵ほか。

初見なので、コンパクトながら粗筋も含めて記録しておこう。
序幕第一場。これは、本来の出世太閤記とは、関係が無い。海老蔵の宙乗りの場面を挿入す
るためのアイディア。また、松竹の山田洋次監督作品「男はつらいよ」シリーズで、しばし
ば用いられた映画冒頭のシーン、渥美清扮するフーテンの寅こと、車寅次郎の「夢の場」演
出のモノマネだろう。映画も芝居も松竹に権利ありだから、問題がない、ということだろ
う。芝居の前に、まず、花道スッポンから羽織袴姿の素顔の海老蔵が登場。国立の歌舞伎鑑
賞教室のように、演目の説明をする。定式幕が開いた舞台は、西日本を主とした当時の地図
を描いた道具幕が掛かっている。海老蔵は、この芝居は、豊臣秀吉の出世物語を通しで見せ
る、などと説明し、愛嬌を振りまく。説明を終えると、海老蔵は、スッポンから退場。定式
幕が閉まる。

再び、定式幕が開くと、そこは、唐土(今の中国)のとある山中。紅少娥(べにしょうが)
閣という御殿がある。背景には峨々たる深山が見える。標高も高い。三蔵法師(齊入)が、
猪八戒(九團次)、沙悟浄(亀鶴)をお供に従えて、天竺に向かっている。その途中、一行
は妖怪の金毛九尾狐に襲われ、法師が連れ去られてしまった。法師は、紅少娥、実は金毛九
尾狐(萬次郎)とともにセリ下がって行く。代わりに、女剣士たちがセリ上がってくる。猪
八戒と沙悟浄は、金毛九尾狐の眷族の女剣士張張(芝のぶ)、同じく薔薇薔薇(猿紫)と闘
うが、劣勢である。そこへ花道から現れたのは、孫悟空(海老蔵)である。本舞台に走り込
んできた孫悟空は、女剣士たちと立ち回りになる。女剣士たちを追い散らすと、通力による
飛翔術、つまり宙乗りで三蔵法師の救出に向かう。雲の道具幕振り被せ、孫悟空の宙乗り、
海老蔵三階席に特設された宙乗りの出口へ。場内暗転(あんてん)、やがて、明転(あかて
ん)で、第二場「本能寺の場」へ場面展開。ここまでは、寅さんの夢ならぬ森蘭丸の夢。孫
悟空→ 猿→ サル→ 秀吉という連想の演出。

序幕第二場。中国攻めに向かう途中の織田信長一行。信長が逗留しているのは、京の本能
寺。蓮の花の襖絵。衝立にも蓮の花。本舞台では、一筋隈の化粧をした森蘭丸(廣松)が、
西遊記で活躍する孫悟空の夢を見ていた。そこへ、蘭丸の弟の力丸(福太郎)が、花道から
慌ただしく駆け込んで来る。謀反を起こした明智光秀(獅童)が本能寺に攻めてきたと伝え
る。やがて、紫尽くめの裃上下の衣装に桔梗の紋、眉間に三日月の刀疵という光秀が入って
くる。「伽羅先代萩」の仁木弾正の雰囲気。信長が寝所に火を掛け、自害したと伝えられる
と、森兄弟に斬りつけ、一人高笑いをする。定式幕が閉まる。このあと、幕ごとの場面の繋
ぎには、録音した海老蔵の声で解説が入る。

序幕第三場。まず、城外。城内に籠城する毛利軍。秀吉軍は、水攻め戦法。長期戦に備え、
さらに陣中の士気を維持するために、知恵者秀吉らしくロジスティック対策。兵士たちのた
めに寿司屋、小料理屋などケイタリングの店が城外の陣中に並ぶ。秀吉(海老蔵)は、小料
理屋で魚を捌いている。舞台下手には、小屋。「おとし咄 浮世物語 御伽亭」という看板が
掛かっている。小屋の前に曽呂利新左衛門(新蔵)ら。そこへ、花道から旅の猿廻し、実は
明智光秀の家臣・明智左馬之助(獅童)と女髪結い、実は秀吉の女房・八重(児太郎)がや
って来る。八重は、松下嘉兵衛の娘で、秀吉が藤吉と名乗って嘉兵衛に奉公していた時代の
恋人。秀吉は、嘉兵衛の使いで出かけたまま行方不明になっているので、秀吉の子を宿した
身で家出をした八重が夫を探しに来たのだ。備中高松で、ようやく秀吉と再会。旅の途中で
産み落とした息子は行方不明(これは、伏線)。喜びもつかの間、旅の苦労や子を見失った
悲しみで、八重は癇癪を起こす。小料理屋の皿や小鉢を秀吉に向かって投げつけると、猿廻
しの眉間に当たってしまう。秀吉が猿廻しに声をかけると、猿廻しは何故か、秀吉に刃向か
う。立ち回りとなる。猿廻しは、明智光秀の家臣・明智左馬之助と判る。光秀の謀反を聞
き、秀吉は京へと引き返す決断をする。幕の振り落としで、秀吉方の軍兵が姿を見せる。

二幕目第一場。山の遠見。京の山崎で秀吉軍に敗れた明智軍は、小栗栖村に落ち延びる。小
栗栖村の百姓たちは、褒美の金を目当てに落ち武者狩りをしている。光秀の息子・明智重次
郎(市川福之助)が見つけられてしまうが、郎党の村越伍助(市蔵)の機転で伍助の背負う
鎧櫃に隠れて、逃れる。加藤清正(坂東亀蔵)も、ふたりの後を追う。遅れてやってきた光
秀(獅童)は、馬上にいて百姓の長兵衛(九團次)の竹槍で突かれてしまい、最期は覚悟の
自害をして果てる。栄華の夢覚めし。獅童の吹き替え。さらに、花道より左馬之助(獅童の
ふた役)が駆けつけ、主君の最期を確認すると眉間の傷を奇貨として、自らが光秀になりか
わり、時機を待って、秀吉に攻め入る覚悟を決める。

一方、花道より光秀の妻・皐月(雀右衛門)も、初陣の重次郎を心配してやって来る。「熊
谷陣屋」の熊谷小次郎の母・相模と同じだ。百姓たちに襲われるが、上手から現れた八重の
父親・松下嘉兵衛(右團次)に助けられる。日が暮れて、だんまりの演出。雀右衛門(皐
月)、右團次(嘉兵衛)、市蔵(伍助)、坂東亀蔵(清正)、ふたりは上手から参加。九團
次(長兵衛)も加わり、皆で探り合う。小屋から出て来た秀吉(海老蔵)も、だんまりに参
加し、落ちていた重次郎の守袋を拾うことになる。幕。

二幕目第二場。幕が開くと、青々とした海原の道具幕。光秀の鎧陣羽織を着て、大鹿毛に乗
った左馬之助(獅童)が、花道から現れる。左馬之助は、舞台上手、坂本城を目指して琵琶
湖の湖水の上を渡って行く。青々とした浪幕の内を闊歩する獅童。見得にて幕。

二幕目第三場。松下嘉兵衛は、かつては藤吉(当時の秀吉)の雇主。今は、光秀方。秀吉方
の捕手頭が嘉兵衛宅を訪れる。応対する嘉兵衛の妻・呉竹(東蔵)。百姓の畑作(家橘)
が、光秀討ち死にを知らせる。呉竹は、奥に光秀の妻・皐月を匿っている。

嘉兵衛(右團次)が勘当した娘の八重がやって来る。八重は、藤吉こと秀吉の女房。奥から
現れた嘉兵衛は、八重に取り合わない。秀吉が藤吉と知れても、年季証文を残したままの秀
吉は、まだ自分の家来だと言い張る。そこへ、奴姿の秀吉(海老蔵)が花道から現れ、かつ
ての主、嘉兵衛に平身低頭する。下手から鎧櫃を背負った伍助(市蔵)を呼び込み、鎧櫃の
中から明智の嫡男・重次郎を差し出す。驚く皐月(雀右衛門)。嘉兵衛は、年季証文を秀吉
に返す。皐月は、秀吉を討とうとするが、秀吉は皐月と重次郎を庇う。秀吉が先に拾ってい
た守袋を見た八重は、12年前、生き別れた息子の物だと証言する。つまり、重次郎は、秀
吉と八重の子であったのを光秀と皐月が育ててきたことが判明する。しかし、重次郎は、光
秀の子として死にたいと、育ての親・光秀の討死に殉じて、後追い自害をする。秀吉は信長
の意志を継ぎ天下統一を目指すことを誓う。幕。

大詰第一場。信長の四十九日。大徳寺で法要。後継者を巡って争う大紋姿の家臣たち。焼香
の順番で揉めている。老臣の柴田勝家(右團次)が宥めている。前田利家(友右衛門)が現
れ、法要の施主は信長の孫の三法師だと秀吉の意向を告げる。御簾が上がると、衣冠を整え
た秀吉(海老蔵)と三法師(勸玄)が、奥から現れる。秀吉は朝廷の勅諚を取り出し、織田
家の後継は三法師であり、合わせて、自らも中将に任じられたと告知する。不満の勝家を利
家が押さえ込み、三法師の後見人は秀吉だと認めさせる。

大詰第二場。幕外、大徳寺の外には明智の残党が集まっている。幕が開くと、大徳寺奥庭。
秀吉(海老蔵)が石橋の上で残党たちに囲まれている。立ち回りとなり、左馬之助(獅童)
も花道から現れ、本舞台で左馬之助と秀吉の一騎打ちへ。秀吉は、光秀を討ったのは、戦乱
を終わらせて、天下泰平を実現させるためだ、と主張し、左馬之助に恨みを晴らせと説き伏
せる。これを聞き入れ、手を取り合う秀吉と左馬之助。「なにはともあれ、こんにちはこれ
ぎり」。プロジェクションマッピングで、場内では、舞台間口より大きな虹が映し出され
る。大団円。
- 2018年7月25日(水) 11:56:14
18年7月国立劇場(「日本振袖始」)


「大蛇退治」からギリシャ神話へ


「日本振袖始 〜八岐大蛇と素戔嗚尊〜」は、歌舞伎では5回目の拝見。98年6月、08
年9月、11年11月、14年3月、そして今回である。ただし、前回は、「日本振袖
始 〜大蛇退治〜」という外題だった。今回の主な配役。岩長姫(いわながひめ)、実は、
八岐大蛇(やまたのおろち)に初役の時蔵。稲田姫は、彌十郎の長男、新悟。素戔嗚尊(す
さのおのみこと)は、時蔵の弟・錦之助。

この演目は、1718(享保3)年2月、大坂の竹本座で初演された近松門左衛門原作の時
代物人形浄瑠璃をベースに、1971(昭和46)年12月、国立劇場で戸部銀作脚色・演
出で31年ぶりに復活し、六代目歌右衛門が初演した。歌右衛門は1984年5月の歌舞伎
座でも再演しているが、その後、先代の芝翫、玉三郎、魁春が演じている。特に、玉三郎
は、真女形として、歌右衛門の後継者を目指そうという思いが強いだろうから、再演ごとに
「素戔嗚尊の大蛇退治」というテーマに収斂するように、新たな振付けを工夫しては、定期
的に上演している、という。私は、岩長姫、実は、八岐大蛇を演じる玉三郎を3回観てい
る。

江戸期の上演は、「大蛇退治」伝説の場面(「簸(ひ)の川」)のみを再演されることが多
かった、というが、戦前は、1940(昭和15)年を最後に大劇場での上演は途絶えてし
まった。

私が観た岩長姫、実は、八岐大蛇:玉三郎(3)、魁春、今回は、初役の時蔵。稲田姫:芝
雀時代の雀右衛門、福助(長らく病気休演中だったが、9月の歌舞伎座秀山祭の舞台で復帰
する、という。福助の舞台復帰といずれかの時に「内定中」の七代目歌右衛門襲名を実現し
てほしい)、梅丸、米吉、今回は、新悟。素戔嗚尊:左團次、染五郎、梅玉、勘九郎、今回
は、錦之助。

贅言;因みに、人形浄瑠璃では、12年2月、国立劇場(小劇場)で、初見で観ている。八
岐大蛇の人形が印象に残る。大蛇の人形は石見神楽をモデルにしたという。頭に茶色の角を
はやし、緑地と赤地に金の鱗が描かれた4体の大蛇が、八岐大蛇を表わす。1体の大蛇に
は、体内に入って頭を遣う人と胴を遣う人で構成される。二人遣い。見せ場では、胴の部分
にふたりの人形遣いが入って、動きを複雑にしていた。三人遣い。

出雲国簸(ひ)の川川上に生息する八岐大蛇の生贄とされた稲田姫を素戔嗚尊が助けるとい
う日本神話が素材。八岐大蛇は、化身も醜女の岩長姫で、この醜女が美女たちに逆恨みの気
持ちを抱いて、毎年美女を喰い殺すという伝説である。

「山おろし」の下座音楽(太鼓)の音に、開幕の柝の音が重なって、定式幕が開くと、そこ
は、簸(ひ)の川川上。川上は、鬱蒼とした深山の体。舞台中央から下手にかけて、程よ
く、8つの甕(かめ。毒酒が入っている)が置かれている。上手寄りには、生贄を待機させ
る高棚(荒木の柱を使った小屋掛けの建物)がある。高棚の御簾が上がると、ここに薄いピ
ンク地無垢の振り袖に白色帯を付けた、死に装束を身にまとった稲田姫(新悟)が細い腰の
後姿で、心細げに佇んでいる。稲田姫は、今回の八岐大蛇の人身御供にされたのだ。心細さ
に、父よ、母よと叫べども、父よの声には、「谷の声」(こだま)が戻るだけ、母よの声に
は、「松の風」が轟々と鳴るばかり。しばらくは、本舞台には、稲田姫ひとり。人身御供の
身の上や置かれている状況、儚げな姫の気持ちなどをひとりで観客に伝えなければならない
場面だ。上手の雛壇には、竹本連中。葵大夫ら4連。

花道七三の「すっぽん」から赤姫の扮装に黒い帯、白布に黒雲模様の「被衣(かつぎ)」で
上半身を隠した何者かが上がって来る。「被衣」とは、平安時代以降、公家や武家の女性が
外出時に頭からかぶって用いた単 (ひとえ) 。 竹本:「姿は女、心は鬼」。岩長姫(時蔵)
の登場。赤姫だが、瀧夜叉姫のような不気味さが滲み出る。花道七三から本舞台へ移動し、
見つけた甕の酒を貪欲に飲み漁る岩長姫。酒が好きなのだ。酔いを深めながら岩長姫が踊る
のが、「八雲猩々(やくもしょうじょう)」。「姿は一つ。影は二つ、三つ、四つ、五つ、
七つ、八岐大蛇が魂、八つの甕に八つの形」。金と銀の裏表の扇子、岩長姫が持つ扇子が赤
い地に金の模様の扇子に替わる。八岐大蛇の酔いが深まったのだろう。岩長姫が覗き込む甕
の内側から光が発され、時蔵演じる姫の顔が白じろと浮き上がる。甕の中の酒に映った岩長
姫の顔か、と想像する。

やがて、最大の見せ場へ。八岐大蛇の化身で、醜女の赤姫とはいえ、若い女性(岩長姫)
が、生贄の若い女性(稲田姫)を呑み込もうとする、妖しくも、エロチックな場面へと展開
して行く。岩長姫は、裂けた口(後見が渡した小道具を時蔵が口にくわえた)を大きく裂け
て、稲田姫を呑み込もうとする。それに合わせるように高棚の御簾が下がってくる。

贅言;前回の玉三郎の演出では、こうであった。
稲田姫を呑み込もうと岩長姫が迫って来る。それを避けようと逆海老に反り返る稲田姫。被
衣を頭から被った玉三郎の岩長姫は、稲田姫の体の上に、のしかかってゆく。セクシャルな
所作である。若い女性(にょしょう)の裸身を呑み込もうとする八岐大蛇の姿が、鬼女と二
重写しに見える。その瞬間。それに合わせるように高棚は、地下に沈んで行く。レズビアン
の極地のような、輝かしい性愛の場面が、一瞬のうちに立ち消える。

舞台上手の竹本連中の山台が霞幕で覆われる。無人の舞台。半分幕が閉まった、という感じ
か。下手奥から大薩摩連中の登場。音楽の荒事。東武線大夫、三味線方は、杵屋五七郎。
「それ、ここに出雲の簸(ひ)の川は、いずれのたくみか山また山」。大薩摩の文句は、深
山ぶりを盛んに強調する。大薩摩が終わると、霞幕が除(よ)けられ再び、先ほどの竹本連
中。花道より素戔嗚尊(錦之助)登場。自分のミスで岩長姫に奪われた十握(とつか)の宝
剣を探す旅の途上。恋仲になった稲田姫の災難を聞きつけてきたお助けマンである。

素戔嗚尊に対抗するのは、岩長姫。高棚の御簾が上がると、岩長姫は既に鬼女に変わってい
る(本性を現した)。黒地に金の鱗模様。4本の金色の角を生やし、不気味さ、冷血ぶりを
現す青い隈取りの化粧をした鬼女が登場する。豊かな黒髪にも、白髪が混ざっている。

贅言;前回の玉三郎の演出では、こうであった。
高棚から赤い袴の巫女姿で、白地に黒雲模様の被衣で頭を隠し、4本の金色の角を生やした
鬼女(玉三郎)が登場する。ぶっかえりで、衣装を替えると、金地に黒い鱗模様となり八岐
大蛇へ。まさに大蛇の体(てい)。つまり、再登場では、まだ、岩長姫の姿。途中から、ぶ
っ帰りで本性を現すのが、玉三郎演出。

高棚の奥や舞台上手奥から、さらに、八岐大蛇の分身(皆、時蔵と全く同じ扮装)の7人が
飛び出して来る。時蔵を含めて、八岐大蛇は、8つの身に変じている。八岐大蛇が、いよい
よ、正体を顕したのだ。8つの身は、分身でもあり、また、大蛇の全身でもある。所作で8
人は繋がって、一つの蛇体になってみせたり、8つに分裂してみせたりしながら、大蛇の大
きさをダイナミックに表現する。八岐大蛇は果敢に素戔嗚尊(錦之助)に立ち向う。立回り
では、互角の戦いが続く。錦之助の立ち回りも、要所要所で静止像を決める。ここは、玉三
郎と同じ演出。

八岐大蛇の腹を中から「草薙剣」(「羽々斬(はばきり)の剣」)で突き破って、出て来た
体(てい)で、稲田姫(米吉)が時蔵の背後から姿を見せる。

「草薙剣」(「羽々斬の剣」)と八岐大蛇から取り戻した「十握(とつか)の宝剣」の2刀
を素戔嗚尊(錦之助)に手渡す稲田姫(新悟)。ふたつの剣を持った素戔嗚尊は、八岐大蛇
を退治する。舞台下手から上手に向けて、稲田姫、素戔嗚尊、八岐大蛇(舞台下手から逆立
ちの分身、逆L字形になる分身たち、舞台上手に立ち上がる時蔵)へと8つの分身は一つに
連なる。時蔵は、二段に乗り、大見得。それが、蛇体として連鎖して見えて来ると、全員で
引張りの見得となり、幕。

八岐大蛇伝説は、出雲国の谷間を流れ下り、しばしば氾濫を起こした斐伊(ひい)川(舞台
では、「簸(ひ)の川」)の複雑な蛇行ぶりが、八岐大蛇という架空の猛獣を生んだ。素戔
嗚尊が稲田姫を救ったということは、治山治水の能力のある権力者が、斐伊川周辺の稲(農
業)を守ったという解釈も成り立つ。

また、斐伊川沿岸には、「荒神谷(こうじんだに)遺跡」があり、先年、358本の銅剣な
ど多数の青銅器が見つかっている。古代から、この辺りは砂鉄の産地だった、とも言われ
る。八岐大蛇=製鉄集団の神、という見方もある。素戔嗚尊は、八岐大蛇から草薙剣(くさ
なぎのつるぎ。日本武尊(やまとたける)が、使ったという剣。元々は、「天尊降臨(てん
そんこうりん)」の際に、天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に与えた、という)
を奪い返すことで、これらの集団を支配下に置いた、という伝説も産む。

贅言;草薙剣(天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)に改称される)=神剣、八尺瓊勾玉
(やさかにのまがたま)=神璽(しんじ)、八咫鏡(やたのかがみ)=神鏡。以上をいわゆ
る「三種の神器」という。天皇家は、代々これを引き継いでいることになっている。

「大蛇退治」から「八岐大蛇と素戔嗚尊」へ。定期的に生贄(若い女体)を求める架空の猛
獣(蛇、龍など)=八岐大蛇(岩長姫)を勇者(素戔嗚尊)が退治し、生贄の若い娘(稲田
姫)を救い出し、その娘と結婚する、という伝説。この伝説は、ギリシャ神話の「ペルセウ
ス・アンドロメダ神話」というジャンルに入るという(中川俊宏武蔵野音楽大学教授)。

1971年12月、国立劇場で戸部銀作脚色・演出で六代目歌右衛門が初演した。歌右衛門
は1984年5月の歌舞伎座でも再演。その後、先代の芝翫、玉三郎、魁春、そして、今回
は時蔵が演じ、演出を洗練させてきた演目である。特に、玉三郎の工夫が光る。「大蛇退
治」からギリシャ神話へ。さらに、将来、新たな役者が、磨きをかけるようになるかもしれ
ない。
- 2018年7月6日(金) 10:28:37
18年6月歌舞伎座(夜/「夏祭浪花鑑」「巷談宵宮雨」)


播磨屋の工夫 吉右衛門の「団七」


「夏祭浪花鑑」の団七といえば、最近では、6年前に亡くなった十八代目勘三郎が、海外公
演やシアターコクーン、平成中村座で、繰り返し、熱心に上演活動を繰り広げてきたので、
勘三郎の当たり役というイメージが強い。勘九郎、勘三郎と通して、本興行で、12回演じ
ている。私は、「夏祭浪花鑑」という演目を6回観ている。私が観た団七は、吉右衛門(今
回含め、2)、海老蔵(2)、先代の猿之助、幸四郎である。ご覧のように、亡くなった勘
三郎の舞台は、実は、一度も観ていない。勘三郎は、88年9月、歌舞伎座で五代目勘九郎
時代に団七を演じているが、歌舞伎座では、勘三郎襲名後、一度も出演しないまま、亡くな
ってしまったのである。

「夏祭浪花鑑」は、1745(延享元)年、大坂の竹本座で初演。人形浄瑠璃・歌舞伎狂言
作者のゴールデンコンビ、並木千柳(宗輔)、三好松洛を軸にした合作。世話ものの名作で
ある。並木宗輔は、6年後、1751年に没してしまう。全九段の世話浄瑠璃は、当時実際
にあった舅殺しや長町裏で、初演の前年に起きた堺の魚売りの殺人事件などを素材に活用し
て、物語を再構成している。

私が「夏祭浪花鑑」を初めて観たのは、97年7月、歌舞伎座で、澤潟屋一門の舞台。元気
だった猿之助が、団七を演じた。その後、「夏祭浪花鑑」は、99年6月、09年7月、い
ずれも歌舞伎座で観た。11年6月、新橋演舞場、14年7月、それに今回、いずれも歌舞
伎座。以上、6回。

団七を除くと、私が観た主な配役。徳兵衛:右近時代の右團次、梅玉、獅童、仁左衛門、猿
弥、今回は、錦之助。三婦:歌六(今回含め、3)、富十郎、市蔵(猿弥休演で、代役)、
左團次。義平次:段四郎(2)、幸右衛門、市蔵、中車、今回は、橘三郎。徳兵衛女房お
辰:笑三郎、先代の雀右衛門、勘太郎時代の勘九郎、福助、玉三郎、今回は、雀右衛門。団
七女房お梶:門之助、松江時代の魁春、笑三郎、芝雀時代の雀右衛門、上村吉弥、今回は、
菊之助。三婦女房おつぎ:右之助時代含め齋入(2)、竹三郎、鉄之助、芝喜松時代の梅
花、今回は、東蔵。磯之丞:笑也(2)、友右衛門、錦之助、門之助、今回は、種之助。傾
城琴浦:春猿(2)、高麗蔵、孝太郎、尾上右近、今回は、米吉など。

こうして、横並びで見ると、団七と義父(団七女房お梶の父親)・義平次が軸になり、兄貴
分の三婦、徳兵衛女房お辰が、見せ場があるという配役だということが判る。今回の舞台を
再現しながら、海外でも、若い人たちにも人気の演目は、どういう筋立てかと言うと……。

物語の主筋は、玉島家の嫡男だが、軟弱な磯之丞と恋仲の傾城琴浦の逃避行である。ただ
し、この主筋は、それと判れば、それで済んでしまう。追うのは、琴浦に横恋慕する大島佐
賀右衛門。佐賀右衛門は、結構、キーパースン。脇役ながら、物語の節目に影響を及ぼす。

若いふたりの逃避行を3組の夫婦が手助けする。釣船宿を営む三婦(さぶ)と女房おつぎ、
堺の魚売り・団七と女房お梶、乞食上がりで、大島佐賀右衛門に加担していた徳兵衛と女房
お辰。そこへ、副筋として、団七の舅の義平次が、絡む。舅の義平次が、琴浦の逃避行の手
助けをする振りをして、琴浦を「誘拐」し大島佐賀右衛門の所に連れて行き、褒美を貰おう
とする。その挙げ句、婿と義父との喧嘩となり、弾みで、団七は舅を殺してしまう。

陰惨な話ではあるが、殺し場も含めて、役者たちの衣装美も見どころ。総身の刺青に真っ赤
な下帯の裸体姿の団七。全身茶色の泥だらけになる義平次。女形たちの彩り鮮やかな衣装の
数々。

序幕「住吉鳥居前の場」は、中央から上手に石の大鳥居がある。鳥居には、「住吉社」の看
板。髪結処「碇床」の小屋が、舞台下手半分を占める。全体として、住吉大社の大鳥居前の
体。

髪結処の贔屓から贈られた長く大きな暖簾には、吉右衛門主演とあって、暖簾中央には吉右
衛門家の「揚羽蝶」の紋が染め抜かれている。図柄は、熨斗。暖簾の上手に「ひゐきよ
り」、下手に「碇床さん江」とある。

髪結処の上手側に「七月三十日 大祓 當社」、下手側に「七月十五日より二十五日まで 
開帳 天王寺」の立て看板がある(後に、「小道具」として、使われる)。髪結処の暖簾の
上手裏には、見えないが芝居番付(後に、これも「小道具」として、使われる)が張ってあ
る。歌舞伎には、このように、細部に凝った仕掛けが、「遊び」も含めて、仕込まれている
ことが多い。

団七(吉右衛門)は、堺の魚売りだが、大島佐賀右衛門(吉之丞)家の中間との喧嘩沙汰
で、中間を死なせてしまい投獄されていた。団七女房お梶(菊之助)の主筋に当たる玉島家
の配慮で減刑され、出牢が許された。解き放ちが、住吉大社の鳥居前ということだ。まず、
花道から、そのお梶が、子の市松(寺嶋和史、菊之助の長男)を連れて、兄貴分で老侠客の
釣船の主・三婦(歌六)と一緒に、団七を迎えに来た。三婦は、右の耳に飾りのようにし
て、数珠を掛けている。喧嘩早い性格を戒めるおまじないだ。お梶は、予定より早く来過ぎ
たので、市松と一緒に大社にお参りに行く。

そこへ、上手から駕篭が到着。玉島磯之丞(種之助)が、降りて来たが、和事ののっぺりし
た色男の扮装。磯之丞が、法外な駕篭代を巻き上げられそうになっているのを見て、三婦は
男気を出して磯之丞を助けて、駕篭かき(「こっぱの権」と「なまこの八」のふたり)を懲
らしめ、磯之丞に立寄先として「釣船・三婦」を紹介する。磯之丞は、花道から、退場。

その後、三婦は、碇床に入り、団七の解き放ちを待つ。暫くして、むさ苦しい囚人姿で、上
手から役人に連れられて来たのが、団七(吉右衛門)。出迎えた三婦に招き入れられて、碇
床に入る。着替えと髪を結い直すためだ。着替えで、肝心の下帯を忘れて来たという三婦
が、碇床の下剃三吉(松江)に、自分の締めている赤い下帯を外して渡すというチャリ場
(笑劇)があるが、これは、後の伏線となるから、覚えておくとおもしろい。

三婦は、花道から退場。先に行かせた磯之丞の後を追い自宅へ向かう。続いて、上手奥から
鳥居の下を潜って、傾城琴浦(米吉)が、恋人の磯之丞の行方を訊ねて来る。続いて、琴浦
に横恋慕の大島佐賀右衛門が、琴浦を追いかけて来て、琴浦にしつこく言い寄る。

そこへ、髪結処から出て来たのが団七。団七は、青々と月代を剃り上げて、「首抜き」とい
う首から肩にかけて、大きな揚羽蝶の紋を染め抜いた白地の浴衣を着ていて、とても、すっ
きりしている。裾前には、「播磨屋」と屋号が染め抜かれている。琴浦を助け、磯之丞の立
寄先に向かわせる。

この際、団七は、佐賀右衛門を懲らしめる所作で、佐賀右衛門の身体を使って(ボディ・ラ
ンゲージ)、琴浦に磯之丞の立寄先(釣船・三婦)の道順の案内をする。「黒塀、松の木、
石地蔵、石橋」などと形態模写をさせる。「先代萩」の「花水橋の場」の趣向と同じだ。
「逃げれば、追う」の、ロード・ムービングの展開である。

団七も、琴浦に続こうとすると、鳥居下から佐賀右衛門に加担する徳兵衛(錦之助)が、先
ほどの「こっぱの権」と「なまこの八」を連れて、琴浦を返せと追ってくるので、団七と徳
兵衛の間で、喧嘩になる。髪結処の左右にあった先ほどの立て看板が、引き抜かれて、ふた
りの立ち回りの小道具として使われる。そこへ戻って来たお梶が、暖簾の後ろにかけてあっ
た芝居番付を小道具に使って、仲裁する。留め女の役どころ。団七の喧嘩相手が、徳兵衛と
知り、驚くお梶。実は、乞食の身に落ちていた徳兵衛を助けたことがあるのだ。恩あるお梶
とその夫の団七と知って、平謝りに詫びて、徳兵衛は女房お辰との関係で、同じく主筋の玉
島家の磯之丞のために役立ちたいと言う。皆、釣船・三婦(磯之丞の立寄先)へと急ぐこと
になった。玉島家をキーワードに団七組の人間関係のネットワークができる。ここからこぼ
れるのは、佐賀右衛門に加担する義平次だけだ。

二幕目「三婦内の場」。店先に献燈と書かれた提灯がぶら下がっている。祭り気分をもり立
てる。今では、磯之丞(種之助)は、ここに匿われている。磯之丞と琴浦(米吉)が、店先
の座敷で痴話喧嘩をしている。三婦(歌六)が戻って来て、女房のおつぎ(東蔵)に逃避行
中のふたりのことを注意して、ふたりを奥へ隠す。

花道から徳兵衛女房お辰(雀右衛門)が訪ねて来る。徳兵衛の故郷に戻るので、挨拶に来た
のだ。これを聞いた三婦女房おつぎが、お辰にとっても、主筋に当たる玉島家の磯之丞を預
けようと持ちかけるが、外から戻って来た三婦は、男が立たないと叱る。女ながら男気のあ
るお辰は、怒る。三婦は、美貌のお辰が、色気がありすぎるので、徳兵衛のためにも、磯之
丞が、お辰と間違いを起こすことを懸念したのだ。「あんたの顔に色気があるゆえ」と言い
放つ。

お辰は、黒地の帷子(かたびら)に白献上の帯という粋な着物姿で、さらに、傾城や女郎の
役のように、右襟を折り込み、裏地の水色を見せるような着物の着方をしているから、やは
り、色っぽい女という設定だ。三婦の言い分を聞いたお辰は、それを聞いちゃ、女が立たな
いと、店にあった熱い鉄弓(てっきゅう・魚を焼く道具。大坂の夏祭りには、鯵の焼き物
が、祭りの食べ物として定番であったが、火鉢の鉄弓で鯵を焼いて調理した)を頬に押し当
てて、火傷を作り、「これでも色気がござんすかえ」という鉄火女である。びっくりした三
婦は、お辰の気性を評して「なぜに男に生まれてこなっかったのか」と呟くが、今なら、セ
クハラ発言になりかねない。結局、三婦は、お辰に磯之丞を預けることにした。三婦は、花
道へ。しつこい佐賀右衛門を懲らしめに出かけて行く。

おつぎが、お辰の行為を夫の徳兵衛が、責めるのではと心配すると、お辰は、「こちの人の
好くのはここ(顔を指差す)じゃない、ここ(胸・心を差す)じゃわいなア」と胸を叩く所
に、お辰の心意気が現される。ここまでが、芝居の前半である。この科白を言うお辰役者の
うちでは、福助、玉三郎が、小股が切れ上がった色気を滲ませながらも、気っ風の良い科白
廻しで、今も印象に残っている。

お辰に連れられて磯之丞が去ると団七の女房お梶の父親の義平次が、花道から現れる。婿の
団七に琴浦を預かるようにと頼まれたと嘘を言って、駕篭を伴って来た。義平次は深編み笠
を被ったままで顔を見せない。応対した三婦女房おつぎは騙されて、佐賀右衛門に加担する
義平次に琴浦を引き渡してしまう。義平次は駕篭と共に花道から、急いで退場。

贅言;以前にこの芝居を観た時、義平次を演じる猿弥休演で、市蔵が、三婦と義平次のふた
役を演じた。団七の女房お梶の父親の義平次は、婿の団七に琴浦を預かるようにと頼まれた
と嘘を言って、駕篭を伴って来る。応対した三婦女房おつぎは、騙されて、義平次に琴浦を
引き渡してしまうという場面だが、義平次は、深編み笠を被ったままで対応していたので、
ふた役の時間稼ぎで、吹き替えの役者が、市蔵の代わりに義平次を演じているのかと思って
いたが、今回の橘三郎も、以前の中車、段四郎も、深編み笠で顔を隠したまま、演じていた
ので、ここは、こういう演出をするのが代々の藝なのだろう。

やがて、花道から、三婦が団七(吉右衛門)、徳兵衛(錦之助)を伴って、戻って来る。花
道から本舞台に入って来る団七は、柿色の「団七縞」と呼ばれる格子縞の帷子(かたびら・
浴衣)の麻の単衣を着ている。徳兵衛は、色違いの藍色の同じ衣装を着ている(人形浄瑠璃
の衣装で、人形遣の吉田文三郎が考案したという)。二人とも、衣装の色に合わせた同色の
扇子を持っている。洒落た美意識。酒を飲むために奥に向かった三婦と徳兵衛。

店先に残った団七は、三婦女房のおつぎから琴浦の話を聞いて、義平次によって、琴浦が勾
引(かどわか)されたことを知ると、血相を変えて、花道から義平次と駕篭の後を追って行
く。

若いふたりの逃避行。団七組の3組の夫婦がサポートしていた。磯之丞は、お辰が無事に連
れ出したが、琴浦は、騙されて、佐賀右衛門組の義平次に勾引されてしまった。ここまで
が、大詰のための伏線。

大詰「長町裏の場」。縄をかけた駕篭とともに逃げる義父の義平次(橘三郎)らに花道辺り
で追いついた婿の団七九郎兵衛(吉右衛門)。団七と義平次が喧嘩になり、最後は、リアル
でありながら、様式美にあふれる殺し場が展開される。「九郎兵衛の男が立ちませんのじ
ゃ」。「そんな顔をして親を睨むとヒラメになる」。最初、ねちねちと団七をいじめる義平
次とそれにひたすら耐える団七の姿が描かれる。尻を捲って悪たれをつく義平次。橘三郎は
顔から脚、尻まで不気味に茶色だ。

5回目の団七役の吉右衛門。役作りは養父の初代吉右衛門から受け継ぎ、実父の初代白鸚に
教わったという。あくまでも魚屋で、侠客に見えてはいけないという伝承。主筋の玉島家に
恩義を感じ、舅の義平次にも恩義を感じている。恩義と恩義の板挟みに苦しむ。眉間を割ら
れて腹を立て、義平次に抜かれた刀を奪い返して、争ううちに、弾みで舅を斬ってしまう。
そういう殺し場だけに、様式美の殺しの手順を踏むことになる。

泥の蓮池と釣瓶井戸という大道具を巧く使い、本泥、本水で、いかにも、夏の狂言らしい凄
惨ながらも、殺しの名場面となる(本泥、本水も、人形遣の吉田文三郎が工夫した趣向だと
いう)。団七は、帷子も脱いで、赤い下帯一つになる(碇床の場面の、例の下帯である)。
白塗りの裸体には、全身の刺青が残酷なまでに美しい。吉右衛門の肉体が、少し太め過ぎる
のが、残念。

元々全身茶色かった義平次は、蓮池に落ちて、頭のてっぺんからつま先まで、泥だらけにな
り、くぼんだ目の辺りだけが、少し白っぽい。ほかの日の舞台写真を見ると、ここまで、泥
だらけになっていない。この日に限らず、橘三郎は熱演である。

舞台下手の坂を上ると、土手の上には柵で囲われた畑。畑には、夏の野菜が実る。畑は、下
手から上手へ塀の内に広がる。塀の外を通り過ぎる祭りの山車の頭が見える。高津神社の夏
祭り。鐘と太鼓のお囃子の音。そういう背景の中で、泥まみれになりながら、殺し場の、ふ
たりの立ち回りが続く。「親殺し」と大声で叫ぶ義平次。「ひとが聞いたらホンマにしま
す」と押し殺して注意する団七。殺しの中にも、笑いを滲ませる科白廻し。倒れた義平次の
身体を跨いだまま、前と後にと身体をひねりながら、2回飛んでみせる団七の吉右衛門。橘
三郎は、吉右衛門の太めの体が身体を跨ぐのが怖くはないのか。弾みで、殺されてしまう義
平次は、泥の蓮池に蹴落とされてしまう。

団七も、最後は、井戸水を桶に4杯も掛けて、身体を洗い、帷子を着直す。そこへ、舞台上
手から、祭りの神輿が通りかかる。そのお囃子にあわせながら、神輿連中の手拭いを後ろか
ら抜き取り、それを使って顔を隠す団七。さらに、団七は、神輿連中に紛れて、現場なら逃
げて行く筈である。ところが、身繕いに手間取ったのか、初めからそういう演技なのか、吉
右衛門は、「紛れず」に、神輿連中が、花道から姿を消してから、やっと後を追って行く。
ほかの団七役者が演じるように、ここは、神輿連中に「紛れて」一緒に付いて行く演出の方
が、お囃子の高まりと絡まって、緊迫感があって良い、と前回の舞台を観て思っていたが、
今回は違う印象を持った。吉右衛門の、このズレた「間」がなんとも良いのである。恩義と
恩義の板挟み。弾みとはいえ、義理の父親を殺してしまった罪悪感。「悪い人でも舅は、
親」「親父殿、許して下され」。そういう思いが、後始末に手間取る団七の所作に出ている
ではないか。私が観た4人の団七(先代の猿之助、吉右衛門、先代の幸四郎、海老蔵)のう
ち、吉右衛門の団七だけの、この「間」は、役者の工夫魂胆か。初代吉右衛門、あるいは、
八代目幸四郎の工夫を受け継いでいるのだろうか。荒唐無稽な筋立てを、歌舞伎の様式美と
役者の工夫で、一気に観客を引っ張ってしまう。並木宗輔の芝居は、そういう芝居だ。


昭和の新歌舞伎「巷談宵宮雨」の抑うつ感


「巷談宵宮雨(こうだんよみやのあめ)」は、初見なので、粗筋もコンパクトながら、記録
しておきたい。宇野信夫作の新歌舞伎。1935(昭和10)年9月、歌舞伎座で初演。六
代目菊五郎主演。江戸の深川八幡の祭礼。前々日から宵宮(例祭の前夜の小祭り)にかけて
の物語。初演の5ヶ月後、1936年2月26日。いわゆる「二・二六事件」が起こる。雪
の降る26日から29日にかけて、陸軍の青年将校らが1500人弱の兵士を率いて政権首
脳らを襲撃し、帝都でクーデター事件を起こす。敗戦まで、後、10年。そういう時代背景
も、芝居の舞台裏から垣間見えてくるように思える。

今回の場の組み立ては、次の通り。
序幕「深川黒江町寺門前虎鰒の太十宅」、「早桶屋徳兵衛宅」、「虎鰒の太十宅」、二幕目
「虎鰒の太十宅(夜)」、「同(朝)」、「早桶屋徳兵衛宅」、大詰「虎鰒の太十宅」、
「深川丸太橋」。

主な配役は、次の通り。
元妙蓮寺住職・龍達は、芝翫。龍達むすめ・おとらは、児太郎。虎鰒の太十は、松緑。太十
女房・おいちは、雀右衛門。隣家の早桶屋・徳兵衛は、松江、徳兵衛女房・おとまは、梅
花。鼠取薬売・勝蔵は、橘太郎ほか。

序幕「深川黒江町寺門前虎鰒の太十宅」。舞台の時代設定の文政年間というと、1818年
から31年まで。この年間の主な出来事。1823年、シーボルト来日。1825年、幕府
が異国船打払令を出す。日本列島に外圧が忍び寄る。1828年、シーボルト事件発覚。1
829年、シーボルト「離日」(国外追放)。1830年、お蔭参り流行。明治維新まで、
ざっと半世紀しかない。「幕末」の抑うつ感が忍び寄っているか、もう、滲み出し始めた
か。そういう時代の市井の貧しい生活。深川黒江町寺門前。現在の東京・江東区、門前仲町
1丁目、福住1丁目、永代2丁目の辺り。幕が開くと、舞台の大道具は、いつもの歌舞伎よ
り、リアルに出来ている。新歌舞伎らしい。

序幕「虎鰒の太十宅」。江戸下町の佇まい。太十宅の周りには、溝というか、疎水という
か、水の流れが家を巡り囲っている。家の外、舞台下手に柳の木、小ぶりな釣瓶井戸。座敷
下手の一郭に線香売り場。寺門前の小商い。隣家は早桶屋。太十の女房・おいち(雀右衛
門)が、縫い物をしながら、店番をし、訪ねてきた医者・久庵のところの婆や・おきち(京
妙)と話し込んでいる。太十の頼みで久庵の妾奉公に世話をした龍達の娘・おとらが、ま
た、逃げ出したという。若い生娘に老医師の妾になるよう仕向けるのは、可哀想だろう。だ
から、月に一度は逃げ出している、という。座敷上手の屏風の陰で鼾をかいて寝ているの
は、その娘の父親で太十の伯父の龍達(芝翫)だ。女癖の悪い伯父は、芝金杉にある寺の後
家と良い仲になり、そのまま、その寺の住職に収まった。その後、伯父が別の女に生ませた
娘のおとらを引き取って、妾奉公に出したのが、甥の太十というわけだ。養家に逃げ戻って
いるのでは、と訪ねてきたのだが、おとらはいない。

おきちが帰ると、暫くして太十(松緑)が、鯰釣りから戻ってくる。龍達の悪口を言うおい
ちを宥める。どうも、大金を持っているらしい龍達の世話をし、いずれの日にか、その大金
のおこぼれに与ろうという魂胆らしい。龍達が目を覚ます。隣の早桶屋の女房・おとま(梅
花)がやってきて、太十におとらが来ていると、こっそり告げる。舞台が、「回る」。同じ
路地沿いの隣家の大道具が、回ってくる。隣家は座敷の上手に早桶作りの仕事場。隣家の下
手にも疎水、小さな橋がかかっている。低地に街が広がっている。

同「早桶屋徳兵衛宅」。早桶屋の徳兵衛(松江)は仕事場にいるが、怠け者のようで、仕事
がはかどらない。おとまは、逃げてきたおとら(児太郎)を気遣いながら奉公先に戻るよう
にと意見をするが、おとらは、身投げをする覚悟で家出してきた、という。老人にセックス
を強要される妾奉公に、つくづく、嫌気がさしているのだろう。明後日に控えた深川八幡の
祭礼を見てから死のうと思っていると、こちらも、若い娘らしく、いい加減。太十がもう暫
く辛抱しろと説得すると、おとらは、おじさんに相談しても無駄だとばかりに、諦めて花道
から帰って行く。何処へ行くのか。太十やおとまが、心配そうに見送る。舞台が「戻る」
(つまり、舞台は先ほどと反対方向に回る)。

同「虎鰒の太十宅」。回る舞台に乗ったまま、太十が家に戻ると、龍達が、金杉の寺の座敷
前庭に百両の金を埋めてあるから、掘り出してきてほしいと頼み込んでくる。その一方で、
太十が金を掘り出して、持ち逃げすることも龍達は心配している。食えない伯父だ。暗転の
中、定式幕が閉まる。

二幕目「虎鰒の太十宅(夜)」。定式幕が開く。時刻は、夜。行灯、寝間の蚊帳。昼間、龍
達の告白を聞いた、その晩のことである。太十宅の蚊帳の中では、金杉まで金を掘り出しに
行った太十の帰りを龍達が待っている。無事に百両の金を持ち帰った太十は、骨折り賃に半
分か三十両はもらえるのではないかと、女房のおいちと狸の皮算用をしている。蚊帳から出
てきた龍達は、口で礼を言うばかりで、金を抱えて、蚊帳に戻ってしまう。幕。

同「同(朝)」。幕が開く。その翌朝。痺れを切らした太十が龍達に談判すると、龍達が太
十に差し出したのは、二両だった。龍達親子を引き取って生活の面倒を見ているのだから、
三十両は貰いたいと、はっきり言うが、龍達は太十の厄介になるのは、御免だと啖呵を切る
始末。ふたりの争う物音を聞きつけた隣家の女房おとまが、太十を家に連れて行く。再び、
舞台が、「回る」。

同「早桶屋徳兵衛宅」。おとまの亭主の徳兵衛は、仕事場で居眠りをしている。亭主のグウ
タラぶりに切れた女房は、普段から用意してあった荷物を背負って、家を出て行く。下手の
疎水の小さな橋を渡って、街へ飛び出して行く。後を追う徳兵衛宅。代わりに橋を渡って、
この路地に入ってきたのは、鼠取り「石見銀山」薬売りの勝蔵(橘太郎)だ。持っている幟
には、「石見銀山 江戸馬喰町」などとある。旧知の勝蔵だが、「ヨイヨイ」(病気で手足
が麻痺したり、口がもつれたりする症状の俗称。今では、差別語、死語の類)になったの
で、この商売に替えた、という。勝蔵を無人の徳兵衛宅に上げた太十は、勝蔵から毒薬を分
けて貰う。太十の胸中には、龍達殺しの悪心が芽生えている。再び、舞台が「戻る」。

大詰「虎鰒の太十宅」。その晩。深川八幡祭礼の宵宮。祭囃子が聞こえる。宵宮とあって、
太十とおいち夫婦、伯父の龍達が和気藹々と鯰鍋を囲んで夕食中。晩酌もある。しかし、機
嫌良く、舌鼓を打っていた龍達の様子が急変し、蚊帳の中に転がり込む。「薬が効いた」
と、太十。龍達を蚊帳から引き出し、相好が変わった龍達の首を絞めて、トドメを刺す。太
十は龍達の遺体を葛篭に詰めて、荷車に載せて捨てに行く。後始末をしているおいちの前
に、龍達だけが戻ってくる。おとらに会いたいと言い、蚊帳に潜り込む。

龍達の遺体を捨てて、戻ってきた太十においちは、龍達が蚊帳の中にいると告げるが、太十
は、取り合わない。蚊帳の中ばかりでなく、薄暗い舞台のあちこちに「出現」する龍達の幻
影。幽霊だろう。亭主に相手にされないまま、女房は伯父に詫びるが、おいちは、やがて、
強い力で、蚊帳の中に引き込まれてしまう。荷車を片付けて戻ってきた太十が蚊帳の中を覗
くと、女房が死んでいる。驚く太十の元へ、家出したはずの隣家の女房が、おとらの身投げ
を知らせに来る。その川は、太十が龍達の遺体を投げ捨てた場所であった。暗転、幕。

同「深川丸太橋」。暗転のまま、幕が開く。雨が、そぼ降る深川の丸太橋。舞台上手に、橋
の欄干。下手は、橋詰。大勢の人だかり。おとらの遺体には、ムシロがかけられている。お
とらの頭の辺りに人の影がある。姿、背格好から龍達らしい。花道下手から駆けつけてきた
太十は、おとらの遺体を改める間もなく、龍達の幽霊に気づき、上手に慌てて逃げようとす
るが、橋の欄干から、川の中へ落ちてしまう。その水面をじっと見る龍達。おとらの遺体を
囲んでいた人々も立ち去って行く。緞帳が下りてくる。主役の芝翫は、蚊帳から出たり入っ
たり、という芝居。

舞台に残る抑うつ感は、初演の数ヶ月後に起きた二・二六事件、その後、軍部や政治家の狂
奔(何よりも、それを支えた日本国民たち)に引きずられて、1945年の敗戦に向けて、
坂道を転げ落ちて行く日本という国家が帯び始めた荒涼たる世相と同根だったのだろう、と
思う。
- 2018年6月9日(土) 15:44:35
18年6月歌舞伎座(昼/「三笠山御殿」「文屋」「野晒悟助」)


「疑着の相」の難しさ


「妹背山婦女庭訓」は、史実の大化の改新をベースにしている。大化の改新の主筋は、権力
争い。眼病を患い目が不自由になり、政治をつかさどれない天皇の代わりの権力代行者を目
指すのが、藤原鎌足と蘇我蝦夷、さらに、父親・蝦夷を欺こうという蝦夷の息子・入鹿の野
心が、父親を凌ごうとしている。初演は、1771(明和8)年1月の大坂・竹本座。原作
は、近松半二らによる合作である。

今回は、「妹背山婦女庭訓 〜三笠山御殿〜」。「三笠山御殿」だけのみどり上演。この物
語は、1)権力争い(蘇我入鹿と藤原鎌足)とそれに巻き込まれた町娘・お三輪の悲劇、
2)お三輪と烏帽子折・求女(実は、鎌足の息子・藤原淡海=不比等)と橘姫(蘇我入鹿の
妹)の三角関係が生み出す悲恋物語が、交互に織りなす。男の争いと女の争いが、背中合わ
せで主軸となる(お三輪は、犠牲になり、橘姫は、後に淡海と結婚することになる)。「三
笠山御殿」を観るのは、7回目。

今回の主な配役は、次の通り。お三輪は、時蔵。漁師鱶七、実は、金輪五郎今国は、松緑、
烏帽子折求女、実は、藤原淡海は、松也。入鹿妹・橘姫は、新悟。豆腐買・おむらは、芝
翫。蘇我入鹿は、楽善ほか。

新築披露の三笠御殿。蘇我入鹿(楽善)は、父を凌ぎ、政敵の鎌足を凌ごうと、すでに、帝
のように振る舞っている。ほとんど酒乱のように酒浸りの日々。

花道より、「撥鬢(ばちびん)頭の大男」鱶七(松緑)登場。鱶七は、主の鎌足の「降伏」
を伝え、「臣下に属するの印」という、降伏、つまり白旗の使者だが、上使らしくない漁師
の扮装だが、長袴姿。入鹿への献上の酒を毒味と称して、勝手に自分で飲んでしまったり、
通俗的な科白廻しで、鎌足を「鎌どん」と呼んだりして、傍若無人な無頼振り。型破りな上
使である。豪快さと滑稽さが、要求される。演じた松緑曰く。「得体の知れない異分子の古
怪さが魅力的」。
 
入鹿に不審がられ、人質として留め置かれる鱶七だが、剛胆。御殿お座敷に上がって一寝入
りしようとしたところに床下から入鹿の家臣に槍を突き出されても平気。差し出された4本
の槍のうち、2本を頭に巻いていた手ぬぐいで結びつけ、「ひぢ枕」にして寝てしまう。官
女たちに色仕掛けで迫られても、軽くあしらう。官女たちの差出した酒も毒と見抜いて、捨
ててしまう。「ハレヤレきつひ用心」と、嘯くだけ。鱶七は、江戸荒事の扮装、科白、動作
で闊歩する。入鹿対鎌足(代理の鱶七)の「戦闘」も、コミカルに描かれる。 
 
花道から橘姫(新悟)が、被衣を被った赤姫姿で三笠御殿に帰って来る。上手から出て来た
官女たちが枝折り戸を開けて、迎えたので入鹿の妹・橘姫だったことが判る。官女が姫の袖
についている赤い糸を手繰り寄せると黒地に露芝模様の衣装の求女が花道から現れる。求女
も姫の正体を知る。姫も求女の正体を知る。ばれた男女のうち、添えぬなら女は自分を殺し
て欲しいと男に頼む。男は、自分と夫婦になりたいのならば、兄の入鹿が持っている三種の
神器のひとつ、十握(とつか)の剣を盗み出せと唆す。「恩にも恋は代へられず。恋にも恩
は捨てられぬ」。
 
恋争いも権力争いには負ける。「第一は天子のため」と橘姫も覚悟を決める。求女は、橘姫
の正体を疑い、恋人になろうとしたスパイなのだった。単なる優男ではなかった。したたか
な精神の持ち主、有能なスパイであった。有能なスパイの狙いが当たったというわけ。「た
とへ死んでも夫婦ぢやと仰つて下さりませ」と橘姫。「尽未来際(じんみらいざい)かはら
ぬ夫婦」と求女。姫は、スパイの手下になる。その後、ふたりは結婚することになる。
 
求女に付けていた恋の、白い糸が切れて迷子になったお三輪が辿り着いたのは、「不思議の
国」の金の御殿。お三輪は娘らしく、若草色の衣装である。「金殿(ゴールデンパレス)」
という上方風の御殿。花道からお三輪登場。玉三郎が演じた時は、観客席から、ジワが起こ
ったが、時蔵では、それはない。通しならば、橘姫、求女の正体は、前の段では、明かされ
ていないので、この段になって、観客にも、やっと判るという趣向。

まず、悲劇の前の笑劇(チャリ)という作劇術の定式通りで、「豆腐買い」の場面。上手奥
より「豆腐買  おむら」(芝翫)が登場する。被衣を被り豆腐箱掲げて使いに行くお端女。
ベテラン役者の「ごちそう」の役どころ。嫉妬に狂い、判断力を摩耗させるお三輪。タイム
トリップする迷路で出逢った豆腐買いは、所詮、不思議の国の通行人にすぎない。なんの助
力もしてくれぬ。

糸の切れた苧環は、「糸の切れた凧」同様、タイムトリップする異次元の迷路では、迷うば
かり。これも豆腐買同様に役に立たなかった。時空の果てに置き去りにされたお三輪には、
もう、リアルな世界への復帰はない。おむすびころりん、鼠の国も同然。後戻りできない状
況で、前途には過酷な運命が待ち構えているばかり。
 
御簾が上がった御殿の長廊下へ上がり込んで侵入してきた異星人・「見慣れぬ女子」のお三
輪を金殿の官女たちは、よってたかって虐める。御殿を守る女性防衛隊としては、常識的な
対応なのだろう。まして、異物は「恨み色なる紫の/由縁の女とはや悟り、『なぶつてや
ろ』と目引き、袖引き」。それは、町娘への「虐め」という形で、表現される。「道行恋苧
環」では姫に対抗して強気の町娘だったお三輪は、ここでは、虐められっ子にされてしま
う。
 
官女たちは、魔女のように、可憐な少女アリス=お三輪を虐め抜く。「オオめでとう哀れに
出来ました」と官女たち。虐めが対照的に、お三輪の可憐さを浮き立たせる。言葉の魔力
は、悲劇と喜劇を綯い交ぜにしながら、確乎とした悲劇のファンタジーの世界、「不思議の
国」を形成して行く。
 
官女たちのお三輪虐めは、エスカレートするばかり。「馬子唄」を唄えと強要される。「涙
にしぶる振袖は、鞭よ、手綱よ、立ち上がり」「竹にサ雀はナア、品よくとまるナ、とめて
サとまらぬナ、色の道かいなアアヨ」。だから、この段の通称を「竹に雀」という。悲劇故
に、「竹に雀」という穏やかな通称外題を付ける、江戸人のセンス。官女に胸を突かれて気
絶するお三輪。下座音楽の「独吟(めりやす)」。お三輪が気を取り戻し、花道から「現
世」へ帰りかけるが、花道七三で、御殿奥から婚礼を祝う声が聞こえてくると、「疑着の
相」が現れる。嫉妬の果てに躁転したのだ。この辺りは、六代目歌右衛門から伝えられた型
通りに演じる役者が多い。今回演じた時蔵は、六代目歌右衛門に教わった、という。直伝
だ。「疑着の相」は「ただ嫉妬が凝り固まった形相ではなく、もっと深いものがあると思い
ます」とは、時蔵の弁。「義太夫狂言の難しさ」(時蔵)とも、いう。
 
この後、原作者の近松半二は「官女たちのお三輪虐め」を「鱶七によるお三輪殺し」の場面
へと繋ぐ。官女たちに虐め抜かれた果てに、お三輪(時蔵)は、恋しい求女、実は、藤原鎌
足の息子・淡海(松也)の、政敵・蘇我入鹿征伐のためにと鎌足の家臣・鱶七、実は、金輪
五郎(松緑)の「氷の刃」に刺されてしまう。「一念の生きかはり死にかはり、付きまとう
てこの怨み晴らさいで置こうか」という、「四谷怪談」のお岩張りの怨念を溜め込むお三輪
だが、金輪五郎に行き違う隙に脇腹を刺され、瀕死となりながら、その血が藤原淡海のため
に、役立つと鱶七から説得され、「女悦べ。それでこそ天晴れ高家の北の方」と、(娘の生
き血を笛に塗り、その笛を吹きたい。その音を聞けば入鹿は正体を失うはず)金輪のリップ
サービス。それならばと命を預けるお三輪。恋する人のために死んでも嬉しい娘心を強調
し、半二も観客の血涙を絞りとろうとする。
 
「疑着の相ある女の生血」が役立つと、半二は、かなり無理なおとしまえを付ける。死んで
行くお三輪の悲劇が、お三輪の恋しい人である淡海の権力闘争を助けるということになる。
最後まで、筋立てには、無理があるが、劇的空間は、揺るぎを見せずに見事着地してしま
う。

「三笠山御殿」を幾つかの場面に分解して解析してみよう(以下は、前回書いた解析表。参
考までに再掲載)。

「入鹿と鱶七」:鱶七は、荒事定式の、衣装(大柄の格子縞の裃、長袴、縦縞の着付)に、
撥鬢頭に、隈取りに、「ごんす」「なんのこんた、やっとこなア」などの科白回しにと、荒
事の魅力をたっぷり盛り込む。首に巻いていた水玉の手拭いも、荒事用の大きなもの。後
に、鉢巻きをする際、黒衣から、さりげなく、普通サイズを受け取っていた。二本太刀の大
太刀は、朱塗りの鞘に緑の大房。太刀の柄には、大きな徳利をぶら下げている。腰の後ろに
差した朱色の革製の煙草入れも大型。鬘の元結も何本も束ねた大きな紐を使ってる。上から
下まで、すべてに、大柄な荒事意識が行き届いている扮装。
 
「鱶七と官女」:蘇我入鹿との対決の後、床下から差し掛けられた槍2本と鉢巻きにしてい
た手拭いで、Xの字になるように縛り上げる剛毅な鱶七。槍を枕に寝てしまう。歌舞伎十八
番のひとつ「矢の根」の夢見の場面との類似を感じる。立役の官女たちとのやりとりも、官
女たちをおおらかにやりこめる。これは、後の舞台、「官女たちのお三輪虐め」への伏線だ
ろう。
 
二重舞台の三笠山御殿は、近松半二得意のシンメトリー。高足の二重欄干、御殿の柱、高欄
階(きざはし)、も黒塗り。人形浄瑠璃なら、「金殿」という上方風の御殿に、「浪波の浦
の鱶七」は、江戸荒事の扮装、科白、動作で闊歩する。この場面、そういう一枚の絵。人形
浄瑠璃なら、「鱶七上使の段」と、そのものずばりのネーミングになっている。
 
「求女と橘姫と官女」:橘姫が、被衣を被ったままお忍び姿で戻って来る。出迎える官女た
ち。その一人が、姫の振袖の袂についている赤い糸を手繰ると、求女が登場。姫様の恋人だ
と官女たちが喜ぶ。やっと、求女が姫の正体、つまり、政敵の入鹿の妹・橘姫と知る場面
だ。「苧環」を搦めた美男美女の錦絵風。自分との結婚の条件として、兄・入鹿が隠し持っ
ている「十握(とつか)の御剣(みつるぎ)」(三種の神器のひとつ)を盗み出すよう姫を
そそのかす求女、じつは、藤原淡海(入鹿と敵対する藤原鎌足の息子)の強かさ。ただの美
男ではないという求女。人形浄瑠璃なら、「姫戻りの段」と、こちらも、判りやすい。
 
「お三輪と豆腐買」:悲劇の前の笑劇という、定式の作劇術。風俗絵風。豆腐買は、「ごち
そう」の役どころ。「不思議の国のアリス」のように「御殿」=「不思議の国」を迷い、彷
徨するお三輪=アリスにとって、豆腐買は、敵か味方か。迷路で出逢った、別次元の通行人
にすぎないか。白い苧環は、お三輪=アリスにとって、魔法の杖だったはずだが、糸の切れ
た苧環は、「糸の切れた凧」同様、迷路では、役に立たない。
 
「官女たちのお三輪虐め」:「道行恋苧環」の強気の町娘・お三輪は、ここでは、虐められ
っ子。この場面が、「三笠山御殿」では、本編中の本編だろう。8人の立役のおじさん役者
たちが、魔女のように、可憐な少女アリス=お三輪に対して、如何に憎々しく演じることが
できるか。それが、対照的に、お三輪の可憐さを浮き立たせる。お三輪も、ここで虐め抜か
れることで、「疑着の相のお三輪」の、女形としての「カゲキ度」をいちだんと高めるとい
う構図。
 
上手、奧からは、求女と橘姫の婚礼の準備の進ちゃくをせかせるように、効果的な音が、続
く。1)ドン、2)チン、チン、チン、3)ドン、ドン、ドン、4)とん、とん、とん。こ
れが、規則的に繰り返される。下手、黒御簾からは、三味線と笛の音。舞台では、次第に高
まる緊張。官女たちの虐めもエスカレートする。さりげない効果音的な演奏が、場を引き立
てる。音と絵のシンフォニー。
 
「疑着の相のお三輪」:「官女たちのお三輪虐め」→「鱶七とお三輪」というふたつの場面
を繋ぐ、ブラックボックス。強いお三輪の復活。しかし、ひとたび、弱さを見せたお三輪
は、「道行恋苧環」のようには、強さを維持できない。次の悲劇を暗示している。時蔵の表
情の変化を双眼鏡で追いかけたが、疑着の相への変化は、見て取れず。今回、本興行5回目
のお三輪を演じる時蔵でも、なかなか、出せない味。
 
「鱶七とお三輪」:求女、じつは、藤原淡海の、政敵・入鹿征伐のために鱶七、実は、金輪
五郎今国(藤原鎌足の家臣)に命を預けるお三輪。疑着の相の女の血が役立つと、死んで行
くお三輪の悲劇が、正義の味方・淡海を助けるという大団円。瓦灯口の定式幕が、取り払わ
れると、奧に畳千帖の遠見(これが、「弁慶上使」のものと同じで、手前上下の襖が、銀地
に竹林。奧手前の開かれた襖が、銀地に桜。奧中央の襖が、金地に松。悲劇を豪華絢爛の、
きんきらきんの極彩色で舞台を飾って、歌舞伎の「カゲキ度」も、いちだんと高まる。亡く
なったお三輪の遺体が平舞台、中央上手寄り。黒幕を持ち出した黒衣が、時蔵を隠し、お三
輪の遺体を素早く消し去る。二重舞台中央では、豪華な馬簾の付いた伊達四天姿に替わった
鱶七と12人の花四天とが、対峙し、さあ、これからの立ち回りの始まり、という形になっ
たところで、定式幕が上手から迫って来て、幕。


菊之助の文屋


変化舞踊の「六歌仙容彩」の内の「文屋」。「才気煥発」という「文屋」。下手から、文屋康
秀(菊之助)が登場。無人の御殿に忍び込んできた色好みの公家。上手より、菊市郎ら8人
の官女ら登場。立役たちの官女である。この公家も、小町狙い。官女らに見とがめられる。
中央御簾うちには、和歌を案じている小町が奥にいるという想定であるから、小町は、姿を
見せない。宮中の「歌合わせ」の体。やがて、文屋と官女の「恋尽くし」のコミカルな拍子
事(問答)。問答に勝ち、文屋は官女たちを振り切って、小町のいる奥の御殿目指して、上
手から、忍び入る。いつものことだが、官女を演じる立役たちが、弱い。菊之助の文屋は、
ユーモラスで、なかなかよろしい。5月の歌舞伎座で「喜撰」を踊り、今月は、「文屋」と
いうことで、「六歌仙容彩」をふた月続けて、歌舞伎座で踊る。実父の菊五郎、義父の吉右
衛門というバックボーンに支えられながら、菊之助は、着実に藝域を広げているように見え
る。


菊五郎一座の大立ち回り


「酔菩提悟道野晒 〜野晒悟助〜」は、2回目。前回は、20年前、1998年10月、歌
舞伎座で観ているが、まだ、パソコンに記録を残していなかったので、今回が初出となる。
粗筋を含めて、きちんと記録しておこう。

「酔菩提悟道野晒(すいぼだいごどうののざらし)」は、河竹黙阿弥作。幕末、1865
(元治2)年1月、初演。八代目市村家橘(後の、五代目菊五郎)が、主役の野晒悟助(の
ざらしごすけ)を演じた。舞台は、大坂だが、黙阿弥は江戸前の芝居に仕立てている。

今回の主な配役は、次の通り。
野晒悟助は、菊五郎。提婆仁三郎は、左團次。六字南無右衛門は、団蔵。浮世戸平は、菊之
助。後家香晒は、東蔵。小田井は、米吉。お賤は、児太郎。忠蔵は、権十郎。詫助は、家橘
ほか。

今回の場面構成は、次の通り。
序幕 第一場「摂州住吉鳥居前の場」、第二場「同 境内の場」。二幕目「千日前悟助内の
場」。返し「四天王寺山門の場」。

序幕 第一場「摂州住吉鳥居前の場」。上手に「住吉社」の鳥居。下手に御休処。白酒が名
物らしい。松と桜。中央に灯台がある。遠景は、海。花道からやってきた提婆仁三郎(だい
ばのにさぶろう)の子分たちが鳥居前で狼藉三昧。白酒をただ飲みした上、白酒売を引き立
てて上手、境内へ入って行く。花道から無人の御休処にやってきたのは、土器売の詫助(家
橘)と遅れて弁当を届けに来た娘のお賤(児太郎)。さらに、花道からは、堺の大店・扇屋
の娘・小田井(米吉)、下女のお牧(橘太郎)、丁稚ら一行が、参詣に来る。丁稚が、お賤
のみすぼらしい格好をけなしながら、一行は鳥居から境内へ入って行く。商売物の土器を並
べ終えると、詫助は娘が持ってきてくれた弁当を食べ始める。そこへ、上手から戻ってきた
提婆組の子分たちが詫助に小田井らの行方を聞くが、詫助の応対が気にくわないと、土器を
壊すなど乱暴して逃げて行く。

そこへ、花道からやってきたのは、野晒悟助(菊五郎)。白地に卒塔婆と頭蓋骨、髑髏(さ
れこうべ)という絵柄の衣装。背中の帯に助六ばりに尺八を差している。困り果てた詫助の
話を聞き、損害代にと1両を差し出す。お賤は、颯爽とした悟助に惚れてしまったらしい。
弱きを助ける男伊達。大坂舞台の江戸前の世話もの。

同 第二場「同 境内の場」。舞台が回って。住吉神社の境内。中央奥に社。手前に、入江
か、池か。橋が架かっている。上手に、茶店。障子が閉まっている。境内では、参詣に来た
小田井たちが提婆組の子分たちに絡まれて、困っている。下手奥から現れた悟助が子分たち
を追い払い、小田井たちの難儀を救う。小田井は、颯爽とした悟助に惚れてしまったらし
い。弱きを助ける男伊達。小田井一行を見送る。悟助が行きかけると、茶店の障子が開き、
中から浮世戸平(菊之助)が、呼びかける。悟助の行為に感服したので、一献酌み交わそう
と誘うが、悟助は、素気無く断ってしまう。悟助の態度に浮世戸平は立腹する。あわや、立
ち回りというところへ、下手奥から現れた六字南無右衛門(團蔵)が、ふたりの間に入っ
て、留男。「山さえ笑う春の空……さっぱりと水に流して…」。おかげで仲裁成立。こうい
う展開では、先が思いやられる。

二幕目「千日前悟助内の場」。大坂日本橋(にっぽんばし)の橋詰。葬儀に用いる道具屋・
輿(こし)屋。親から受け継いだ家業の主というのが、悟助の本来の姿。侠客との二枚看
板。ここへ、小田井が継母(扇屋の後家)・香晒(かざらし・東蔵)を伴って、きのうの難
儀救済のお礼を言いに来る。鰹節と酒樽を差し出し、これを縁に、娘を嫁にしてほしい、と
願い出る。悟助は、自分は一休禅師の弟子なので、出家同然、嫁をもらう気はないと拒絶す
る。扇屋下女のお牧の悪知恵で、母娘とも狂言自殺の真似をしたので、悟助は、仕方なく、
祝言を約束する。悟助子分の忠蔵(権十郎)が、手回し良く、盃事の支度を調えて、奥から
現れる。早速、仮祝言を終えてしまう。

さらに、詫助と娘のお賤もやってきて、きのうのお礼と合わせて、結婚の申込み。だが、後
の祭り。早い者勝ち。モテモテの悟助。娘を不憫に思う詫助は、半月代わりで、二人の娘を
女房にするというのは?と、妥協案を出す始末。この辺りは、すっかり落語調。後に残った
娘は、小田井だが、暗くなっても行灯も点けられない。大店育ちの娘は、嫁になれるのか。

その夜。提婆仁三郎(左團次)が、子分たちを連れて仕返しにやってくる。本来なら、命を
もらうところだが、百両出せと脅す。金もないし、きょうは母親の命日だから、明日まで待
ってくれと頼むが、提婆仁三郎と子分たちは、悟助を散々打擲し、悟助の額に傷を負わせ
て、帰って行く。これらの様子を最前から門口で窺っていたのが、詫助。娘のお賤を身売り
し、百両の金を作ってきたので受け取ってほしいと申し出る。外から戻ってきた忠蔵による
と、仁三郎たちは、悟助を懲らしめたと大声で言い放ちながら、四天王寺に向かっていった
というではないか。これを聞いて、怒った悟助は、母親の命日も過ぎたし、侘助から百両を
受け取ると、四天王寺に向かおうとする。家の前に出ると、悟助を呼び止める声がする。家
の前に止められた駕籠の垂れを詫助が開けると、駕籠の中には、お賤がいるのが判る。幕切
れの本舞台には、下手から悟助の菊五郎、詫助の家橘、駕籠の中にお賤の児太郎、悟助内に
は、忠蔵の権十郎、小田井の米吉。悟助はお賤の志に感謝しながら、四天王寺へ。いずれも
静止するところへ、幕が迫る。

返し「四天王寺山門の場」。前の場は、幕を閉めて、道具変換。返し幕で、開幕すると、浅
葱幕。浅葱幕振り落しで、そこは四天王寺山門の普請の場面。舞台上手に「天王寺普請小
屋」という杭が立っている。山門の前に大仕掛けの普請場の体の大道具。足場が組まれてい
る。菊五郎一座お得意の大立ち回りの始まり。軸は提婆仁三郎(左團次)と野晒悟助(菊五
郎)との対決だが、音羽屋と書かれた唐傘の小道具を20人の大部屋の立役たちに持たせ
て、男たちの群舞という立ち回りの素晴らしさを見せつける。傘を開いたままでトンボを切
るなど。菊五郎は、この場面のチャンバラがやりたくて、時々、この演目を上演するのか
な、と思う。菊五郎は25年前に国立劇場で、初演。ついで、5年後に、歌舞伎座で再演。
この舞台を私も観た。そして、今回は、それ以来ということで、20年ぶり。
- 2018年6月8日(金) 16:46:59
18年5月歌舞伎座(夜/「弁天娘女男白浪」「鬼一法眼三略絵巻〜菊畑」「喜撰」)


菊之助の新境地「喜撰」への挑戦


今年の團菊祭は、昼の部が、海老蔵と菊之助の「鳴神」。夜の部は、当代の歌舞伎役者で
は、当代随一の世話物役者、菊五郎の「弁天娘女男白浪」。つまり、弁天小僧だ。

今回の場面構成は、次の通り。序幕第一場「雪の下浜松屋の場」、第二場「稲瀬川勢揃の
場」。二幕目第一場「極楽寺屋根立腹の場」、第二場「同 山門の場」、第三場「滑川土橋
の場」。

私は、今回で9回目の拝見。うち、それなりの「通し」で観たのは、今回含めて、6回目。
「それなり」というのは、今回のような3つの場が、付加される場合と、さらに、「花見」
「神輿ヶ嶽」「谷間」「蔵前」まで追加される「通し」があるからだ。

私が、「通し」で観た6回の主な配役は、以下の通り。

弁天小僧:勘九郎時代の勘三郎(2)、菊五郎(今回含めて、3)、菊之助。日本駄右衛
門:富十郎、仁左衛門、團十郎、吉右衛門、染五郎時代の幸四郎、今回の海老蔵。南郷力
丸:左團次(今回含めて、3)、八十助時代含めて三津五郎(2)、松緑。忠信利平:三津
五郎(2)、橋之助、信二郎、亀三郎時代の彦三郎、今回の松緑。赤星十三郎:福助
(2)、時蔵(2)。七之助、菊之助。浜松屋幸兵衛:団蔵(今回含め、2)、三代目権十
郎、弥十郎、東蔵、彦三郎時代の楽善。鳶頭:彦三郎、市蔵、梅玉、幸四郎、亀寿時代の坂
東亀蔵、今回の松也。青砥左衛門:勘九郎時代の勘三郎(2、つまり、弁天小僧とふた役早
替り)、梅玉(今回含め、2)、富十郎、菊之助。

「極楽寺屋根立腹の場」の「がんどう返し」や、「同 山門の場」、「滑川土橋の場」など
の「大せり」連動を使った大道具の転換など、歌舞伎の演劇空間のダイナミックさを見せつ
ける場面が続き、歌舞伎の初心者でも、すぐに楽しめる人気演目の配役の変遷を見ている
と、今の歌舞伎界が急速に世代交代が進んでいることが窺えるだろう。

序幕第一場「雪の下浜松屋の場」。番頭・与九郎を演じる橘太郎が、達者なところを見せ
る。彼の出来は、この場面を左右すると言っても過言ではない。貴重なキャラクターだ。舞
台では、店の者が上手下手に行灯を持って来るので、時刻は、すでに、夕方と判る。詐欺を
働こうと娘に化けた弁天小僧菊之助(菊五郎)、若党に化けた南郷力丸(左團次)は、この
薄暗さを犯罪に利用する。よその店で買った品物をトリックに万引き騒動を引き起こす。番
頭は、弁天小僧菊之助らの悪巧みにまんまと乗せられ、持っていた算盤で娘の額に傷を付け
てしまう。番頭のしでかす軽率な行為が、この場を見せ場にする。この怪我が、最後まで、
弁天小僧の、いわば「武器」になる。

正体がばれて、帯を解き、全身で伸びをし、赤い襦袢の前をはだけて、風を入れながら、下
帯姿を見せる菊五郎の弁天小僧。娘から男へ。まあ、良く演じられる場面であり、己の正体
を「知らざあ言って聞かせやしょう」という名科白を使いたいために、作ったような場面
だ。「稲瀬川の勢揃の場」でもそうだが、耳に心地よい名調子の割には、あまり内容のない
「名乗り」の科白を書きたいがために、黙阿弥は、この芝居を書いたとさえ思える。

序幕第二場「稲瀬川勢揃の場」も、桜が満開。この場面は、舞台の絵面と役者の科白廻しで
見せる芝居。浅葱幕に隠された舞台。浅葱幕の前で、蓙(ござ)を被り、太鼓を叩きなが
ら、迷子探しをする4人の人たち。実は、捕り手たちが、逃亡中の5人の白浪(盗人)を探
していたというわけ。

やがて、浅葱幕の振り落としで、桜が満開の稲瀬川の土手(実は、大川=隅田川。対岸に待
父山が見える)。花道より「志ら浪」と書かれた傘を持った白浪五人男が出て来る。逃亡し
ようとする5人の盗人が、派手な着物を着て、なぜか、勢揃いする。花道では、弁天小僧、
忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸、日本駄右衛門の順。まず、西の桟敷席(花道の、いわゆ
る「どぶ」側)に顔を向けて、花道で勢揃いし、揃ったところで、東に向き直り、場内の観
客に顔を見せながら、互いに渡り科白を言う。

花道から本舞台への移動は、途中から、日本駄右衛門が、4人の前を横切り、一気に、本舞
台の上手に向う。残りの4人は、花道の出の順に上手から並ぶ。恐らく、花道の出は、頭領
の日本駄右衛門が、貫禄で殿(しんがり)となり、本舞台では、名乗りの先頭に立つため、
一気に上手に移動するのだ。「問われて名乗るもおこがましいが」で、日本駄右衛門(海老
蔵)、次いで順に、弁天小僧(菊五郎)、忠信利平(松緑)。刀を腰の横では無く、斜め前
(楽屋言葉で、「気持ちの悪いところ」)に差し、ほかの人と違って附打の入らない見得を
する赤星十三郎(菊之助)、女形が演じることが多い。「さて、どんじりに控(ひけ)えし
は」で、南郷力丸(左團次)となる。

10人の捕り手たちとの立ち回り。日本駄右衛門のみ、稲瀬川の土手に上がる。ほかの4人
は、土手下のまま。それぞれ左右を捕り手に捕まれ、絵面の見得で幕。これだけの芝居が、
歌舞伎史上、屈指の人気狂言の一つになっている。

二幕目第一場「極楽寺屋根立腹の場」。大屋根の上で弁天小僧菊之助が、立ったまま、切腹
する。まず、開幕すると、またも、浅葱幕。そして、幕の振り落としで、極楽寺の大屋根の
上での弁天小僧(菊五郎)と22人の捕り手たちとの大立ち回り。菊五郎は、こういうチャ
ンバラが、本当に好きだ。菊五郎と大部屋の役者衆の息は、合っている。

大屋根の急な上部に仕掛けられた2ケ所の足場(下手は、瓦2つのところ、上手は、瓦3つ
のところ)に乗りあげる菊五郎。極楽寺屋根の下、屋根を囲むように設えられた霞み幕は、
「雲より高い」大屋根のイメージであると共に、屋根から落下する捕り手たちの「退場」を
隠す役目も負っている。その挙げ句、覚悟を決めた弁天小僧の切腹。大立ち回りの末に立っ
たまま切腹する「立腹(たちばら)」の場面が、見どころ。大屋根の瀕死の弁天小僧を乗せ
たまま、「がんどう返し」というダイナミックな道具替りで場面展開。返された大屋根の下
から、のどかな春の極楽寺境内の遠見の書き割りが現われる。

「がんどう返し」が終わると、「極楽寺山門の場」。ここも、桜が、満開。その下から、極
楽寺の山門がせり上がり、山門には、日本駄右衛門(海老蔵)がいる。山門では、駄右衛門
手下に化けた青砥配下の者(つまり、潜り込んで居たスパイ)が、駄右衛門に斬り掛かる。
やがて、更に駄右衛門を乗せたまま、山門が再びせり上がり、奈落からせり上がって来た山
門下の滑川に架かる石橋の上には、青砥左衛門(梅玉)が、家臣(秀調、権十郎)を従え
て、駄右衛門を追い詰める。石橋は、引き道具で位置を換える(黒衣が押す)。大詰の、こ
うした畳みかけるような大道具の連続した展開は、初めて観た人なら、感動するだろう。

「浜松屋」を主とした上演(つまり、「弁天小僧」だ)回数は、黙阿弥もののなかでも、人
気ナンバーワンと言われる。それは、ひとえに、初演時に、五代目菊五郎の明るさを打ち出
すために、歌舞伎の絵画美に徹した舞台構成を黙阿弥が考えだしたからであろう。


「鬼一法眼三略絵巻〜菊畑」。通称は「菊畑」。この演目は、文耕堂らが合作した全五段の
時代浄瑠璃「鬼一法眼三略巻」の三段目。私は、9回目の拝見。歌舞伎の典型的な役どころ
が揃うので、みどり(独立した上演形式)で、良く上演される。
 
主な配役。智恵内、実は、鬼三太:吉右衛門(2)、松緑(今回含め、2)富十郎、團十
郎、(2000年9月歌舞伎座の橋之助を観ていない)、仁左衛門、幸四郎、又五郎。虎
蔵、実は、牛若丸:芝翫(2)、勘九郎時代の勘三郎、(梅玉は、観ていない)、菊五郎、
染五郎、信二郎、改め、錦之助、梅玉、染五郎、今回は、初役の時蔵。鬼一法眼:羽左衛門
の代役を含め富十郎(3)、富十郎の代役を含め左團次(2)、権十郎、吉右衛門、歌六、
今回は、初役の団蔵。鬼一法眼がいちばん似合いそうな羽左衛門の舞台を休演で見逃してし
まったのが、残念。皆鶴姫は、芝雀(2)、時蔵(2)雀右衛門、菊之助、福助、米吉、今
回は、初役の児太郎。憎まれ役の湛海:正之助時代の権十郎(2)、歌昇(2)、彦三郎時
代の楽善、段四郎、歌六、歌昇時代の又五郎、今回は、初役の坂東亀蔵。

幕が開くと、浅葱幕。置き浄瑠璃で、幕の振り落とし。「音羽屋」の掛け声。舞台中央、松
緑の智恵内、実は、鬼三太が、床几に腰掛けている。体制派の奴たちが、智恵内を虐める
が、智恵内も、負けていない。花道は、中庭の想定、七三に木戸があり、ここから本舞台
は、奥庭で、通称「菊畑」。鬼一法眼とともに、花道を通って、木戸を開けて奥庭に入って
来る10人の腰元。芝のぶが筆頭腰元で、花道は先頭、本舞台では、殿(しんがり)という立
ち位置で、科白も多い。
 
「菊畑」は、源平の時代に敵味方に別れた兄弟の悲劇の物語という通俗さが、歌舞伎の命。
鬼一息女の皆鶴姫(児太郎)の供をしていた虎蔵、実は、牛若丸(時蔵)が、姫より先に帰
って来る。それを鬼一(団蔵)が責める。

鬼一は、知恵内に虎蔵を杖で打たせようとする。以前にも書いているように、ここは、「裏
返し勧進帳」という趣向。鬼一は、知恵内(鬼三太)に虎蔵(牛若丸)を杖で打たせようと
するが、ここは、「勧進帳」で弁慶が義経を打擲したのと違って、鬼三太は、牛若丸を討つ
ことが出来ず苦境に落ち込む。戻って来た皆鶴姫がふたりの正体に気付いていて、急場を救
う。鬼一は、鬼三太や牛若丸には、肚を見せないが、観客には、肚を感じさせなければなら
ない。鬼一が退場した後、牛若丸は鬼三太を叱る。

知恵内、実は、鬼三太は、鬼一法眼の末弟である。兄の鬼一法眼は、平家方。弟の鬼三太
は、源氏方という構図。それぞれの真意をさぐり合う兄弟。さらに、鬼三太と牛若丸の主従
は、鬼一法眼が隠し持つ三略巻(虎の巻)を手に入れようと相談する。当初の作戦変更の結
果、牛若丸らは皆鶴姫の案内で鬼一法眼と直談判をし、虎の巻を譲り受けようということに
なる。3人の引張りの見得で、閉幕。

病気療養中の鬼一法眼には、2つの出方がある。ひとつは、療養している奥座敷から、とい
うことで、上手から登場する。今回は、10人の腰元一行を引き連れて、華やかに花道から
登場した。お陰で芝のぶの舞台を観ることができた。


菊之助の「喜撰」


菊之助が、積極的に芸域を広げている。音羽屋の御曹司は、播磨屋の令嬢と結婚し、子宝に
も恵まれ、義父から藝の伝承も託され、父親の菊五郎以上に歌舞伎役者としての芸域を広げ
ている。今月の團菊祭では、昼の部で、濃艶な雲絶間姫を演じたかと思うと、夜の部では、
滑稽味のある喜撰を初役で演じている。

「喜撰」は、10回目の拝見。「喜撰」は、「六歌仙容彩」という「変化(へんげ)舞踊」
として「河内山」の原作「天保六花撰」と同じ時代、天保2年3月、江戸の中村座で初演さ
れた。清元と長唄の掛け合い。小町、茶汲女を相手に、業平、遍照、喜撰、康秀、黒主の5
役を一人の役者が演じるというのが、原型の演出であったが、いまでは、それぞれが独立し
た演目として演じられる。今回の「喜撰」では、初役の菊之助と小町見立ての時蔵のお梶と
いう配役。

私が観た喜撰法師は、5人。三津五郎(4)、富十郎(3)、勘三郎、菊五郎、今回初役の
菊之助。富十郎の喜撰には、味わいがあり、三津五郎の喜撰には、踊りの巧さがあり、勘三
郎や菊五郎の喜撰には、おかしみがあった。今回の菊之助は、洒脱。スマートな滑稽味とで
も言おうか。お梶は、7人。時蔵(今回含め、3)、玉三郎(2)、九代目宗十郎、福助、
先代の雀右衛門、勘三郎、芝雀時代の雀右衛門。

「喜撰」は、小道具の使い方が巧い舞踊だ。「我が庵は芝居の辰巳常盤町」(喜撰法師の作
と言われる「我が庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人は言うなり」のパロディ)の清
元(連中は、いつもの上手ではなく下手に座っている)の置き浄瑠璃の後、花道から瓢箪を
掲げた桜の小枝を肩に担いで喜撰(菊之助)が登場する。頭は剃り跡も青々している。鼻の
下の髭の剃り跡も青い。これが、喜撰法師をひょうきんに見せている。やがて、上手奥から
茶屋女のお梶(時蔵)が、登場し、二人の連れ舞いとなる。

小道具は、桜の小枝、手拭、緋縮緬の前掛け、櫻の小槍、金の縁取りの扇子、長柄の傘など
が、効果的に使われる。中でも、緋縮緬の前掛けが、官能的に見える。というのも、緋縮緬
の前掛けは、昔の女性の下着の赤い腰巻きのミニチュア版に見えるからだ。お梶は、これを
使って喜撰の頭に被せたり顔を隠したりするが、痴話のやり取りをする若い男女が、性愛の
合間に、赤い下着を使っているエロチックな遊びをしているように見える。

所化たちとの絡みでも、桜の小槍、金の縁取りの扇子、長柄の傘などが、効果的に使われ
る。

喜撰は、花道の出が難しい。立役と女形の間で踊るという。歩き方も、片足をやや内輪にす
る。この場面、亡くなった三津五郎の踊りは、軸がぶれず、身体の切れも、良かった。三津
五郎は、八十助時代を含め、6回演じたが、生きながらえていれば、さらに演じ続けたこと
だろう。

菊之助は、芸域を広げようとしている。女形、若衆(二枚目)などの持ち味を深めるととも
に、一条大蔵卿や今回の喜撰などのように、初役で、滑稽味の表現にチャレンジしている。
兼ねる役者を目指す菊之助の精進ぶりを今後とも見守りたい。
- 2018年5月17日(木) 13:35:48
18年5月歌舞伎座(昼/「雷神不動北山桜」「女伊達」)
 

海老蔵と菊之助の「團菊祭」


今年の團菊祭は、成田屋は海老蔵を軸に、音羽屋は菊五郎を軸としながら、軸足を菊之助へ
移譲するという試みも滲み出ているようだ。

まず、「口上」。開幕すると、金地の襖に青い三枡の紋どころ。海老蔵が伏している、顔を
上げると上手、下手、正面に顔を向けて挨拶。続いて、口上となる。先祖の二代目團十郎の
生誕三百年、父親の十二代目團十郎の五年祭の紹介。初代團十郎は、子宝に恵まれず、成田
山新勝寺の不動明王に子授け祈願をし、待望の長男を得た。長男は、後世の二代目團十郎に
なったなど。金地の襖の上部に飾られた通し狂言「雷神不動北山桜」の5枚の舞台写真を使
って、あらすじも紹介。写真は、上手から順に、鳴神上人、安倍清行、不動明王、粂寺弾
正、早雲王子。早雲王子のことは、「どんな時代にも悪い奴はおりましてね」と紹介。5人
をひとりで演じるので、いつもの数倍のご声援をお願いしたいなどと挨拶した後、緋毛氈に
座ったまま、セリに乗って、奈落へと下がって行く。

通し狂言「雷神不動北山桜」は、「毛抜」と「鳴神」を軸にした上演だが、こういう通し狂
言として「雷神」を観るのは2回目。前回は、14年12月歌舞伎座。今回は、二代目團十
郎生誕三百三十年、十二代目團十郎五年祭と銘打って、昼の部冒頭に海老蔵の「口上」があ
り、さらに「序幕」の前に、「発端」が付くので、前回と幾分違う演出なのだろう。

1742(寛保2)年、大坂で初演された安田蛙文(あぶん)らの合作「雷神(なるかみ)不
動北山桜」(全五段の時代もの)が原作。現在も良く上演される「毛抜」は、三幕目の場面
で、四幕目が、「鳴神」。二代目、四代目、五代目の團十郎が引き継ぎ、これは、90年後
の1832(天保3)年、七代目團十郎によって、歌舞伎十八番に選定され、「毛抜」に生
まれ変わった(團十郎型)。しかし七代目亡き後、長らく上演されなかった。「鳴神」も、
歌舞伎十八番に選定された。

今回の場面構成は、次の通り。
発端「深草山山中の場」。序幕「大内の場」。二幕目「小野春道館の場」。三幕目第一場
「木の島明神境内の場」、同 第二場「北山岩屋の場」。大詰第一場「大内塀外の場」、
同 第二場「朱雀門王子最期の場」、同 第三場「不動明王降臨の場」。

因みに、前回の場面構成は、次の通り。
序幕第一場「神泉苑の場」、同 第二場「大内の場」。二幕目「小野春道館の場」。三幕目
第一場「木の島明神境内の場」、同 第二場「北山岩屋の場」。大詰第一場「大内塀外の
場」、同 第二場「朱雀門王子最期の場」、同 第三場「不動明王降臨の場」。

要するに、前回の序幕第一場「神泉苑の場」が、今回は発端「深草山山中の場」に変わって
いるが、二幕目以降の場面構成は、前回も今回も同じ。

前回の序幕第一場「神泉苑の場」は次の通り。「忠臣蔵」の大序の真似で、大薩摩の床(チ
ョボ)での出語りの間、役者は人形のように目を瞑ったままで動かない。やがて、一同一斉
に覚醒し、動き始める。陽成天皇は、女子として生まれる身であったが、鳴神上人の変成男
子(へんじょうなんし)の行法により、男子となって生まれたという。性同一性障碍者とい
うわけか。陽成天皇の異母兄の早雲王子(はやくものおうじ)が皇位に就けば天下が乱れる
ことになると陰陽博士が占ったからだ。

海老蔵は早雲王子を演じる。旱魃に苦しむ日本のために神泉苑に参籠して早雲王子が雨乞い
をしていた。山上官蔵(新蔵)らが出迎える。きょうは満願の日。小野家の執権八剣玄蕃
(やつるぎげんば)とその子息の数馬(道行。現在の九團次)を召し出し、褒美の品(蝶花
形の櫛笄と唐来ものの磁石)を与える。この辺りまで、「忠臣蔵」の大序の「兜改め」に雰
囲気が似ている。花道から文屋豊秀(愛之助)がやって来る。雨乞いに来たという。官蔵ら
が後手ぶりを嘲笑する。旱魃は鳴神上人の行法の所為なので、鳴神を追放したという。豊秀
は反感を抱くが黙っている。階段を降りて、平舞台から花道を通って早雲王子一行が去って
行く。以上が、前回。

今回の主な配役は、鳴神上人、粂寺弾正、早雲王子、安倍清行、不動明王の5役が、海老
蔵。雲の絶間姫が、菊之助。秦民部が、彦三郎、秦秀太郎が児太郎。
文屋豊秀が、松也。関白基経が、錦之助。小松原中納言が、家橘。小野春道が、友右衛門、
小野春風が、廣松で、矜琨羯羅(こんがら)童子と二役。腰元巻絹が、雀右衛門。八剣玄蕃
が、團蔵。八剣数馬が、九團次で、制多迦(せいたか)童子と二役。小原万兵衛、実は石原
瀬平が、市蔵で、黒雲坊と二役。白雲坊が、齋入ほか。

暗転後、薄闇の中、発端「深草山山中の場」。雨の降る夜更け。早雲王子の家臣たちが朝廷
に仕える仕丁たちと立ち回りを演じている。家臣の石原瀬平(市蔵)、八剣数馬(九團
次)。天下を狙う早雲王子(海老蔵)の旗揚げ(クーデター)だ。王子を演じる海老蔵は、
舞台中ほどの中セリで上がってくる。折りから、雷鳴。鳴神上人が朝廷を困らせようと、龍
神を滝に封じ込めた。これ以降、雨を降らせない、という合図でもあり、早雲王子のクーデ
ターへの着手の合図でもある。家臣の石原瀬平(市蔵)、八剣数馬(九團次)らは、思い通
りにクーデターが動き出したのを喜ぶ。早雲王子は、二人に褒美の品(蝶花形の櫛笄と唐来
ものの磁石)を与える。定式幕が閉まる。

序幕「大内の場」。旱魃に苦しむ百姓たちが大内へ雨乞いをしてくれるようにと、朝廷に直
訴に行く。百姓たちは舞台下手に集まり、下手から花道を通って向う揚幕へ入って行く。幕
が開くと、大内の場。改めて、花道から押しかけてきた百姓たち。大内の黒塗りの御殿の御
簾が上がると、関白の基経(錦之助)、小野春道(友右衛門)、小松原中納言(家橘)、文
屋豊秀(松也)が様々な雨乞い策をしてきたと百姓たちに説明をする。御簾内の背景は、能
の舞台のような松の巨木の絵。

そこへ安倍清行(海老蔵)が、白い狩衣という公家の衣装に黒い烏帽子を被った姿で家臣の
紀定義(新十郎)に案内されて花道をやってくる。白塗りの公家顔で、おっとりというか、
ぼうっとしているというか、清行は、手ごたえがない、いかにも頼りないという感じで登
場。「若う見えても百を超えているので、力にならない」などと家臣が百姓たちに言う。清
行は旱魃の原因を占うよう朝廷から要請された。清行は百歳を超えたが、今も好色で、女の
こと以外は、気が乗らないようで、「女は、どこにいる」などと言いながら、舞台下手、大
内の奥に引っ込んでしまう。

百姓たちは、直訴を進めてくれた早雲王子(海老蔵)に合わせて欲しいと願うと、王子が雨
笠、簑姿で、手に鎌を持ち、舞台上手から現れ、百姓たちに思いやりのあることを言う一方
で、旱魃対策について、関白の基経責任を追及し、参内を禁じる命令を発する。早雲王子
(海老蔵)は、百姓たちを連れて、花道から向う揚幕へ退場して行く。御殿の御簾も下が
る。

小野家の腰元小磯(玉朗)が雨乞いに効果のある重宝の短冊を持ち、参内してきた。御殿の
御簾は下がったまま。小野春道が取り寄せた短冊を届けに来たのだ。御簾の下手奥から安倍
清行(海老蔵)が現れ、小磯を口説き始める。小磯は上手から御簾内へ逃げ込む。小磯の声
が聞こえ、小磯を追って御簾内に入ろうとして追い出された清行は、観客席には、後ろ姿し
か見せない。清行は吹き替え役者に代わっている。清行は、吹き替え役者が後ろ向きのまま
演じて時間を稼ぐ、という場面だ。なぜか、清行は突然気絶する。代わって、御簾内から姿
を見せたのは、早雲王子に早替りした海老蔵、というわけだ。王子は、鎌で小磯を殺してし
まう。早雲王子の家臣・石原瀬平(市蔵)と山上官蔵(新蔵)が現れ、小磯から短冊と手紙
を奪う。小磯は、小野春道の嫡男・春風と恋仲なのだった。手紙は、春風が小磯に宛てたも
の。石原は、短冊を王子に渡し、手紙を自ら持ち、小磯の兄になりすまして、小野家の館へ
向かうという。清行を探しに来た豊秀(松也)が早雲王子らの悪事の一端を知るが何もでき
ない。早雲王子(海老蔵)は豊秀を嘲笑う。序幕は、早雲王子の物語。

二幕目「小野春道館の場」。二幕目は、歌舞伎十八番の、いわゆる「毛抜」。三幕目第二場
は、同じく歌舞伎十八番の、いわゆる「鳴神」。いずれも、独立(「みどり」)して上演さ
れることが多い。は、今回は海老蔵が5役(鳴神上人、粂寺弾正、不動明王、早雲王子、安
倍清行)を演じ分けている。

海老蔵がこういう形の通しで上演するのは、今回で6回目。歌舞伎座では前回、初演で、今
回で2回目。私は、歌舞伎座上演の、この2回は、いずれも拝見。「毛抜」、「鳴神」は何
回も「みどり」(独立上演)で観ているので馴染みはあるが、こうして「通し」で観るとみ
どりで上演される場面の洗練さと馴染みのない場面の落差に気付かざるを得ないが、これは
仕方がないことだろう。

海老蔵は父親の十二代目團十郎そっくりになることを志向する。科白がこもる團十郎の口跡
の悪さは、海老蔵にはないが、成田屋特製の「睨み」も随所に交える。海老蔵は前回より、
見応えがある。

二幕目「小野春道館の場」は、歌舞伎十八番に選定された「毛抜」と同じ芝居である。豊秀
の使者・家老の粂寺弾正(海老蔵)が登場する。小野春道館では、小野家を支える家老の秦
民部(彦三郎)、弟の秀太郎(児太郎)、同じく家老ながら、重宝の短冊(先祖の小野小町
直筆)行方不明の責任について八剣玄蕃(團蔵)、息子の数馬(九團次)が、管理責任者の
民部を責めている。そもそも短冊紛失は、春道(友右衛門)の息子・春風(廣松)の仕業ら
しい。春風は短冊を恋仲の小磯に預けてあった。小磯をそれを届けに来て、早雲王子に殺さ
れてしまった。
 
花道から文屋豊秀家の家老・粂寺弾正(海老蔵)登場。弾正は、春道の息女・錦の前(梅
丸)と自分の主人文屋豊秀(松也)の婚儀のことで文屋家の使者として小野家を訪れたの
だ。
 
御殿奥より、春道の息女・錦の前登場したが、彼女は室内なのに、薄衣を頭に被っている。
わけのわからない「奇病」にかかっているということで、予定されていた婚儀が遅れている
という。
 
粂寺弾正の人気の秘密は、颯爽とした捌き役でありながら、煙草盆を持って来た若衆姿の家
老の弟・秀太郎(児太郎)や上手襖を開けてお茶を持って接待に出て来た美形の腰元・巻絹
(雀右衛門)にセクハラと非難されるような、ちょっかいを出しては、二度も振られてい
る。
 
それでいながら、観客席に向かって平気で「近頃面目次第もござりません」、「またしても
面目次第もござりません」と弾正が謝る場面もあり相手が若くて美しければ、男でも女で
も、良いというのか、あるいは、秘められた「役目」(お家騒動の解決)を糊塗するため
に、豪放磊落ぶりを装っているのか、真実、人間味や愛嬌のある、明るく、大らかな人柄な
のか。歌舞伎の演目では、数少ない喜劇調の芝居のひとつである。
 
小野春道家の乗っ取りを企む悪方の家老・八剣玄蕃(團蔵)の策謀が進むなか、錦の前と文
屋豊秀の婚儀が調った。しかし、錦の前の奇病発症で、輿入れが延期となった。その問題を
解決すべく、春道館に乗り込んできた粂寺弾正が、待たされている間に、持って来た毛抜で
鬚(あごひげ)を抜いていると、手を離した隙に、鉄製の毛抜が、ひとりでに立ち上がり、
「踊り」出す。不思議に思いながら、次に煙草を吸おうとして、銀の煙管を置くと、こちら
は、変化なし。次に、小柄(こづか。刀の鞘に添えてある小刀)を取り出すと、刃物だか
ら、こちらも、ひとりでに立つ。いずれも、後見の持つ差し金の先に付けられた「大きな毛
抜と小柄」が、舞台で「踊る」ように動く。鉄と銀の違いは、何か。弾正の理科教室の感
じ。お家騒動の陰謀を見抜き、仕掛けのカラクリを理解した粂寺弾正は、座敷の長押に掛け
てあった槍を取り出すと、天井の一廓を突き刺す。磁石(いつもの「毛抜」の時のような方
角を測る磁石ではなく、唐来ものの長方形の磁石)を持った忍び衣装の曲者が天井から落ち
て来る。先に早雲王子から家臣に渡された褒美の品、蝶花形の櫛笄と唐来ものの磁石の組み
合わせが、姫の奇病のカラクリであったと判る。弾正は、春道から祝儀にと刀を授けられ
る。その刀で弾正は、悪巧みの張本人、家老・八剣玄蕃(團蔵)を成敗する。

腰元小磯の兄になりすました百姓姿の小原万兵衛、実は、早雲王子の家臣・石原瀬平(市
蔵)が成りすましている。石原が花道からやって来て、小磯が春風の子を身籠ったが、難産
の末に死んだ、生き返らせてくれと言う。弾正は万兵衛の意向を受けて、亡くなった小磯を
娑婆へ返せと閻魔大王に依頼する内容の書状を書いたので、地獄の閻魔大王に届けて欲しい
と万兵衛に頼む茶目っ気もある。地獄行きは御免だと、万兵衛が逃げ出そうとするが、手裏
剣で万兵衛を討ち取るなど、武道の腕も確かな知恵者のようだ。見事に捌き役を果たし、花
道から退場する弾正。幕外の引っ込みが弾正を演じる海老蔵の退場に花を添える。「いずれ
も様のお陰にて、何とか勤めましてござりまする」。二幕目は、粂寺弾正の物語。

三幕目第一場「木の島明神境内の場」。繋ぎの場面。舞台の背景は境内の書割りだけ。白木
の鳥居が見える。安倍清行が行方不明になった、という。上手から家臣らが探している。雨
乞いで豊秀(松也)が、上手から木の島明神へやって来た。下手から現れた巫女たちが雨乞
いの神楽を始めながら、舞台を横切り、上手へ移動する。豊秀は、紀定義とともに清行を探
す。二人は、舞台上手から、客席の通路に降りて、清行を探すというということで、場内の
笑いを取る。やがて、行方不明だった陰陽博士の安倍清行(海老蔵)が花道すっぽんから姿
を現す。清行は旱魃の原因を念力で解き明かす。早雲王子の陰謀説だと言う。豊秀は鳴神上
人が行法で龍神を閉じ込めているから旱魃になった、行法を破るために、雲の絶間姫を使者
(有能なスパイ)として遣わせという清行のアドヴァイスを大内に伝えるべく戻って行く。

三幕目第二場「北山岩屋の場」。ここは、鳴神上人(海老蔵)の物語。床では、大薩摩の出
語り。修行に明け暮れ法力を身につけ、戒壇建立を条件に天皇の後継争いで、陽成天皇(女
帝となるはずの女性を「変成男子(へんじょうなんし)の法で男性にした」の誕生を実現さ
せたのにも関わらず、君子豹変すとばかりに約束を反古にされ、朝廷に恨みを持つエリート
の鳴神上人。幼いころからのエリートは、勉強ばかりしていて、頭でっかち。青春も謳歌せ
ずに、修行に励んで来たので、高僧に上り詰めたにもかかわらず、いまだ、女体を知らな
い。童貞である。また、権力を握った者は、得てして、それ以前の約束を平気で無視する。
権力者は、嘘をつく。嘘に嘘を重ねて、窮地に落ち込むまで、あるいは、窮地に落ち込んで
も、嘘を重ねる。今の世も変わらない。どこでも、どこの時代でも、同じらしい。まして、
無菌状態で、生きて来たような人は、ころっと、騙される。歌舞伎は、さすが、400年の
庶民の知恵の宝庫だけに、人間がやりそうなことは、みな、舞台に出て来る。
 
勅命で鳴神上人の力を封じ込め、雨を降らせようと花道からやってきたのが、朝廷方の女ス
パイ(大内第一の美女という)で、性のテクニックを知り尽した若き元人妻・雲の絶間姫
(菊之助)という、いわば熟れ盛りの熟女登場というわけだ。鳴神上人の籠る岩屋の御簾を
上げさせた上、菊之助は、鳴神上人ばかりでなく、観客たちも魅了しようと、花道七三でゆ
るりと一回りして美貌を見せつける。朝廷方の策士が、鳴神上人の素性を調べ、「童貞」を
看破、女色に弱いエリートと目星を付けた上での作戦なのだろう。
 
女性(にょしょう)魔力に負けて、破戒の末、修行の場の壇上から落ちる鳴神上人。この芝
居では、壇上からの落ち方が、いちばん難しいらしい(ここで、上人役者は、上人の精神的
な堕落を表現するという)。上人は、姫に誘われて、仮祝言ということで酒を呑まされる。
酒の呑み方も知らない上人は、子供の手をひねられるように、雲の絶間姫に手玉に取られ
る。酩酊を見抜かれ、利用される。姫は、気が強いようだ。「つかえ」(「癪」という胸の
苦しみ)の症状が起きたとして偽の病を装う濃艶な雲の絶間姫。懐の肌身を摩れと強要す
る。生まれて初めて女体に触れるという鳴神上人の手を己のふくよかな胸へ導き、乳房や乳
首を触らせるなど、打々発止の、火花を散らした挙げ句、見事、二人の喜悦の表情に表現さ
れたように、雲の絶間姫の熟れた肉体が勝ちを占める。己の体を張ったスパイは強い。荒事
の芝居ながら、官能的な笑いを誘う。菊之助が綺麗で、悩殺される。悩殺されるのは、鳴神
上人だけではない。観客も魅了される。前回の玉三郎も濃艶だったけれど、菊之助も濃艶
だ。それにしても、いつ観ても、おもしろい場面だ。
 
菊之助の雲の絶間姫は官能的。一方、海老蔵の鳴神上人は、演技が安定していて、生まれて
初めて触れた女体の官能に酔いしれる弱きエリートの様が、実感できた。若い女体の奥深く
癪を治しながら、「よいか、よいか」と別の快楽へ転げ落ちて行く海老蔵の鳴神上人。ポッ
キリと折れたエリートは、女スパイの思うまま。

その挙げ句、「柱巻きの大見得」「後向きの見得」、「不動の見得」など、一旦、切れたら
収拾がつかない破天荒ぶり。怒りまくり、暴れまくる様を海老蔵の上人は見せる。数々の様
式美にまで昇華させた歌舞伎の美学。最後は、花道を去った雲の絶間姫を追って、雷神が空
を飛ぶように、海老蔵は花道を「飛び六法」(大三重の送り)で去って行った。

大詰第一場「大内塀外の場」。大内の網代塀。雲の絶間姫のスパイ活動成功のお陰で、雨が
降り出した。関白の基経(錦之助)も喜んでいる。下手より豊秀(松也)が雲の絶間姫の活
躍や早雲王子の陰謀を記した訴状を持ってやって来た。基経は、これをそのまま、大内へ奏
上しようと御所へ向かう。上手より早雲王子派の山上官蔵(新蔵)が家臣を引き連れてやっ
て来る。狂瀾の鳴神上人を殺してきたという。山上は、小野春道館へ向かおうとする豊秀に
も斬りかかる。王子の即位の邪魔立てをするなというのだ。豊秀は、官蔵たちを追って行
く。

大詰第二場「朱雀門王子最期の場」。塀外の場面にあった網代塀が引き道具で上手と下手に
分かれて仕舞い込まれる。舞台下から大道具のせり上がり。朱塗りの朱雀門。すべての陰謀
が露見した早雲王子(海老蔵)は朱雀門に立て籠もっている。追っ手の四天たちと早雲王子
の立ち回りとなる。梯子を使った立ち回りは、「蘭平物狂」を思わせる。梯子で、三升の家
紋が描かれる。花道七三の辺りで大梯子に乗る海老蔵。梯子の上で、衣装のぶっかえりを済
ませる海老蔵。そのまま、ゆっくりと傾く大梯子。海老蔵を梯子に乗せたまま、本舞台中央
に移動する四天たち。王子は梯子から朱雀門の屋根に移る。早雲王子の行状を嗜める声が天
から響いて来る。不動明王の登場。明王の霊力には早雲王子も敵わない。

舞台は、暗転し、青い煙幕が舞台全面を覆う。この状態が暫く続く。時間稼ぎ。やがて、青
から赤へ。

大詰第三場「不動明王降臨の場」。紅蓮の炎を背景に不動明王(海老蔵)が現れる。制多迦
(せいたか)童子(九團次)、矜琨羯羅(こんがら)童子(廣松)を両脇に従えている。不
動明王の隈取をした海老蔵は、脚も浮いている。宙吊りになっている。真っ赤な照明と激し
い音響効果。もう、これは歌舞伎ではない。早雲王子の悪心を根絶し、鳴神の執心を沈め、
悪行は虚空へ姿を消して行く。森羅万象を正す不動明王のご利益や、いかに。


男伊達・助六賛歌の「女伊達」


「女伊達」。伊達男の助六に惚れた女性の伊達ぶりがテーマ。私は7回目の拝見。舞台中央
の雛壇。前に四拍子、後ろに、長唄連中。私が観たのは、菊五郎(3)、芝翫(2)、そし
て今回含め時蔵(2)。

1958(昭和33)年にこの演目を初演したのが、福助時代の芝翫。下駄を履いての所作
と裸足になっての立ち回りが入り交じったような江戸前の魅力たっぷりな舞踊劇。元々は、
大坂の新町が、舞台だったのを芝翫が新吉原に移し替えた。「難波名とりの女子たち」とい
うクドキの文句に名残りが遺る。江戸を象徴する女伊達の「木崎のお光」に喧嘩を売り、対
抗するふたりの男伊達(種之助、橋之助)は、上方を象徴する。ふたりの名前は、「中之嶋
鳴平」(種之助)と「淀川の千蔵」(橋之助)ということで上方風が遺る。

二人の若い男伊達たちは、助六の足元にも及ばないと女伊達は、退ける。腰の背に尺八を差
し込んだ女伊達は、「女助六」であるという。だから、長唄も、「助六」の原曲だという。
「だんべ」言葉は、荒事独特の言葉である。「花の吾妻や 心も吉原 助六流の男伊達」な
ど、伊達もののロールモデル・助六を女形で見せる趣向。「丹前振り」という所作も、荒事
の所作。途中、男伊達の二人が持った二つの傘の陰を利用して、引き抜きで、衣装を替える
時蔵。黒地(上半身は無地、袖と下半身は、カルタのような市松模様)から、明るいクリー
ム色の衣装に、鮮やかに変身する。女形ならではの、華やかさ。

傘を持った若い者10人との立ち回り。所作事(舞踊劇)の立ち回り、ゆえに、「所作立
て」という。傘と床几を巧みに使って、華やかに。

幕切れは、時蔵が、「二段(女形用)」に乗る。その両脇に、男伊達の二人。後ろには、傘
を開いて、山形に展開して、華やかさを添える若い者たち。「女伊達らに」、文字どおり、
「伊達(粋、ダンディズム)」を主張した「女伊達」であった。
- 2018年5月16日(水) 21:41:58
18年05月国立劇場(人形浄瑠璃)・第二部「彦山権現誓助剣」


崩壊した家族を改めて再構成する物語


「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」は、「伊賀越道中双六」と同じ
ようなロードムービー。敵討ちのために遺族が諸国を転々と漂流する物語。

「彦山権現誓助剣」を人形浄瑠璃で観るのは、私は今回で2回目。1回目は、12年02月
国立劇場(人形浄瑠璃)で、その時の段の組み方は、次の通りであった。「杉坂墓所の
段」、「毛谷村の段」、「立浪館仇討の段」。歌舞伎では、昭和期以降、見せ場の「毛谷村
の場」だけを上演することが多い。従って、この時の人形浄瑠璃は、「毛谷村」の場面を軸
にしながら、その前後の場面を見せてくれて、とても興味深かった。主役の六助ら悔しい思
いをした「毛谷村の段」の鬱憤を晴らす「立浪館仇討の段」まで上演されて、段組みは、い
わば、敵討ち物語の「結末」を理解させるという印象だった。国立劇場では、この公演の1
2年前の2000年12月には、「須磨浦の段」、「瓢箪棚の段」、「杉坂墓所の段」、
「毛谷村の段」という段組みで、「彦山権現誓助剣」を上演しているが、私は残念ながら、
観ていない。今回は、その時と同じ段組みで上演される。「須磨浦の段」、「瓢箪棚の
段」、「杉坂墓所の段」、「毛谷村の段」は、全十一段の時代物の六段目から九段目にあた
る。この段組みだと、敵討ち物語の「原因」にまで遡って、理解させるという印象になる。
つまり、いわば、古い家族の崩壊、メンバーを再構成する新しい家族の誕生の物語を辿ると
言えるだろうと思う。私は、今回、「須磨浦の段」と「瓢箪棚の段」は、初見なので、特に
興味深く拝見した。そこで、今回も、これまでの私の劇評と重複しないようにしながら、初
見の舞台は、粗筋も含めて少し詳しく記録しておきたい。


月の名所も事件現場


「須磨浦の段」は、今の兵庫県の須磨の浦が舞台。「須磨明石」と言えば、源氏物語でも知
られる月の名所。「見て明かしたや須磨の月」と太夫が語るように、官能的な夜を夜明けま
で過ごしたいほどの魅力がある。在原業平や光源氏の事跡も伝わる。芝居では、夜の須磨の
浦。月こそ見えないけれど、海上に見えるのは淡路島の島影。浜には、「精霊祭る高灯
籠」。上手より、吉岡一味斎の娘たち(お園とお菊)のうち、妹のお菊が長男の幼い弥三松
(やそまつ)と奴(若党)の友平(ともへい)とともに姿を現す。周防(現在の山口県東
部)で闇討ち(それも、剣では勝てないと、卑怯にも鉄砲で撃った)に遭った父親・吉岡一
味斎の敵(かたき)を見つけようと吉岡家の姉妹は二手に分かれて、長門(現在の山口県)
から東へと敵討ちの旅に出ている。母親も旅立つ。

「精霊祭る高灯籠」は、盂蘭盆会に先祖を供養する灯り。息子の懇望に応えて母親のお菊
は、高灯籠の代わりに「馬提灯」に火を入れて、海岸の松の木に吊るす。供の友平が駕籠を
頼みに行く間、間の悪いことに、そこへ、父親の吉岡一味斎を卑怯にも暗殺して逃走した京
極内匠(きょうごくたくみ)が、上手から現れ、煙草の火を借りに来る。人形の内匠は、首
(かしら)は、文七で、衣装は、黒羽二重に白献上の帯。朱鞘の大小の掴み差しという、
「忠臣蔵」の定九郎もどきの格好をしている。足元は、高下駄。相手が敵(かたき)と知れ
たお菊は、慌てて提灯を消す。合わせて、息子を友平が背負ってきた葛篭に入れて、匿う。
内匠も、女が、かつて横恋慕したお菊だと判り、父親殺しの下手人なのに、嫌らしく言い寄
ってくる。隙を見て内匠に斬りかかるお菊だが、返り討ちに遭い、なぶり殺されてしまう。
お菊の遺体の裾を捲ったりして、セクハラ行為もした挙句、内匠は謡曲を口ずさみながら、
逃げて行く。戻ってきて、凶事を知った友平は嘆くが、後の祭り。幸い、葛篭に匿われてい
た弥三松は、無事だった。現場に落ちていた守り袋には、「永禄九年五月十日」と書かれた
臍の緒書きが入っていた。犯人が落とした唯一の手がかり。幼い弥三松では、内匠が犯人だ
と伝えようもない。同じ犯人によって、祖父と母が殺されたわけだが、残された者は知る由
も無い。

「須磨の浦の段」。太夫は、お菊が、美声の三輪太夫。内匠が、睦太夫。友平が、小住太
夫。弥三松が、イケメンの咲寿太夫。三味線方は、清友。


瓢箪棚の決闘


「瓢箪棚の段」の舞台は、明智光秀の遭難の地、小栗栖(おぐるす)。今の京都市伏見区。
本能寺の変で織田信長を暗殺した明智光秀。その後、竹槍で殺され、自刃したという明智伝
説が絡む。土地には「明智薮」「明智塚」などが伝え遺るという。幕が開くと、小栗栖街
道。内匠は、「四三(しそう)の胴八(どうはち)」とあだ名される小悪党に身を窶してい
る。小栗栖街道の道端に座り込み、独楽を使った小博打で、通行人から小銭を巻き上げてい
る。ここは、小博打も似合う街娼の地でもある。惣嫁(そうか)とか夜発(やはつ)と呼ば
れる街娼たちも商売に出向くため、街道にやってくる。この辺りは、芝居の定式の演出、悲
劇の前の、チャリ(笑劇)場というところ。老いた若党の佐五平(さごへい)が、街娼たち
に金を渡して、宿所に帰したところで、幕。盆回し。

短い幕間の後、定式幕が開くと、黒幕の背景に、瓢箪棚の場面。棚には、瓢箪(竹本は、
「夕顔」と語るが、ここは秀吉がらみで、やはり「瓢箪」)が、暗闇の中、下手から先ほど
の若党に付き添われて駕籠が瓢箪棚に着く。駕籠から降りてきたのは、妙齢の女性。お園
だ。惣嫁たちと同じような扮装で、辻に立つ。「夜発立君の姿にやつし」。

上手から紫の衣装を着た「助六」の通人風の「青侍」が来ると、お園は侍に近づき、声をか
ける。お園は、父親殺しの敵討ちのために惣嫁姿に身を窶して、内匠の行方を探しているの
だ。ついで、「いたち川」という相撲取りがやってくる。馬に乗った立派な「西国武士」も
通りかかる。西国武士は、轟伝五右衛門と言い、お園の出自を知っている。以前に一味斎に
剣の指南を受けたという。幼い頃のお園を見知っているという。敵を探しているというお園
の事情を察知した西国武士は、関所を通れる往来札をお園に手渡す。

贅言;この西国武士の轟伝五右衛門は、「毛谷村の段」に続く「立浪館仇討の段」で再び登
場する。豊前の国主・立浪家の館。駆け込んで来た六助が、微塵弾正との再試合を申し込む
が、弾正は相手にしない。事情を悟り、一味斎の敵討ちを願い出た六助を許すのが、立浪家
執権の轟伝五右衛門だ。だまし討ちを試みる微塵弾正をあしらい、さらに同道した一味斎遺
族らにも敵討ちをさせて、本懐を遂げさせる。そういう役回りで、「瓢箪棚の段」では、後
の伏線となるための登場である。

そこへ、もう一人の若党・友平が、下手から追いついてきて、凶事を伝えることになる。妹
のお菊が須磨の浦で何者かに殺されたと知らされる。嘆くお園の姿を見て、責任を感じてい
た友平は、お園に凶事を伝え終わると、切腹してしまう。友平の血が瓢箪棚の上手にある池
に流れ込むと、池の水が騒ぎ出す。池から水しぶきが盛んに上がる。棒状の水玉の道具「水
気」を使う。お園の懐にしまわれていた真柴久吉所縁の「千鳥の香炉」も鳴き声を出し始め
る。

一方、下手より内匠は、明智光秀の亡魂に引かれて瓢箪棚の池にやってくる。この池は、光
秀の首を洗った池だったのだ。光秀の亡魂は、姿は見えねど、内匠に己は光秀の遺児だと告
げる。小田家の重宝「蛙丸」という名剣も池に沈められているという。

内匠が「蛙丸」を引き上げる場面から、その後の立ち回りへ。竹本の三味線は、ツレを加え
て、2連になる。「蛙丸」を手に入れた内匠は、瓢箪棚の前で、お園と遭遇し、立ち回りと
なる。お互いが何者とも知らぬまま、お園と内匠は、刀を合わせる。

「蛙丸」が、瓢箪の棚の上に投げあげられたことから、二人は、瓢箪の棚の上に上がってか
らも立ち回りとなる。この辺りから、夜が明け始める。背景は、山の遠見。薄暮の中の戦
い。3人遣いの人形が二体とも棚の上に上がる。

さらに、辺りは明るくなる。「蛙丸」を先に見つけた内匠は、立ち回りの末、お園の刀を折
り斬る。刀を折られたお園は、鎖鎌を取り出し、これで抵抗する。分銅を結びつけた鎖をブ
ンブン回すお園。一味斎の娘の、堂々の女武道ぶり。

内匠を操る主遣いの玉志は、人形を遣ったまま、人形とともに瓢箪の棚から飛び降りる場面
もある。人形浄瑠璃の舞台は、船底のようになっているから、棚から舞台の床まで、どのく
らいの高さになるのだろうか。3メートルくらいか。「稲妻剣の雷光、ひらりと飛んで遠近
の、霧に紛るる曲者を/逃がさじものと一足に、飛んでおりしも冴え渡る、/月の光を力に
て、」。竹本の言辞と違って、舞台は夜明けのような気がする。

「瓢箪棚の段」。「中」が、希太夫、寛太郎。「奥」が、津駒太夫、藤蔵、ツレが、清公。
「中」は、小栗栖街道。「奥」は、瓢箪棚。特に、立ち回りを含めた愁嘆場を語る津駒太夫
のダミ声が、なんとも場に実感を与える。

「杉坂墓所(はかしょ)の段」。杉坂は、現在の九州・大分、彦山の麓、毛谷村にある。幕
が開くと、峠の遠見。遠く雪山も見える。草深い山奥。六助が亡き母の墓前で手を合わせて
いる。この墓は、囲いと屋根がある。墓標には、「春峰玉月信女」という戒名が読み取れ
る。母を亡くしたばかりの六助は、独り住いの毛谷村から坂を登り、毎日、母の墓前を訪れ
ている。母への情愛が濃いのだろう。人形遣いは、玉男。後ろ向きのまま、動かない。六助
の母への強い思いが背中に滲み出ている。開幕後、暫くは、後ろ姿のままという演出も珍し
い。

時代は、真柴久吉(豊臣秀吉)の朝鮮出兵前夜という落着かないご時世。老女を背負った浪
人が通りかかる。六助の名前を確かめた浪人は、「毛谷村の六助に勝った者は、召し抱え
る」という豊前国主の高札を読んだ、という。老母を安楽に暮らさせたいので、勝負に負け
て欲しいと、意外なことを告げる。母親を亡くしたばかりの六助は、微塵弾正(みじんだん
じょう)という浪人(実は、京極内匠という男で、六助の師匠だった吉岡一味斎を芸州で闇
討ちにしている。一味斎の妻・お幸、姉娘・お園、妹娘・お菊=京極内匠に須磨の浦で返り
討ちに遭ってしまう、お菊の息子・弥三松=やそまつ=は、それぞれ敵討の旅に出ているが
合流していない)の率直な孝行心に感じ入り、承諾し別れる。内匠は、六助の母への情愛を
悪用していたことが、後に判明する。

六助が、水を汲みに行った隙に一味斎の老いた若党・佐五平が、弥三松を連れて通りかか
る。だが、ふたりを追って来た京極内匠一味の門脇儀平らに若党は斬られてしまう。戻って
来た六助が、京極内匠一味を追い払うが、物陰に隠れていた弥三松を残して、若党は死んで
しまう。六助は、弥三松を連れて毛谷村の自宅へ戻ることにする。

この段、「口」の太夫は、亘太夫。三味線方は、錦吾。「奥」は、靖太夫、錦糸。


家族復活へ


「毛谷村の段」。主役の六助は、百姓ながら、剣術の名人である。白囃子の鳴り物で幕が開
くと、六助と微塵弾正、実は、京極内匠が、既に立ち会っている。六助宅の横に、高札があ
り、「六助に勝ったら、五百石で召し抱える 領主」という趣旨が書かれている。領主は、
豊前小倉藩主。

先頃、実母を亡くしたばかりの六助は、病身の老母に仕官姿を見せたいという微塵弾正の情
にほだされて「八百長」の約束ができている。真面目な六助は、微塵弾正に勝ちを譲る。睦
太夫が、語り始めるのは、ここからだ。にもかかわらず、偽りの勝ちを占め、立ち会いの領
主の家臣とともに去る際、微塵弾正は、急に態度を変えて、六助の眉間を割って、横柄な感
じで出かけて行く。嘘つきは、嘘を重ねる。六助は、母親への孝行を忘れてくれるなと、鷹
揚に送り出すという人の良さを見せる。

六助は、弥三松の名前も聞き出していないので、師匠の娘・お菊の遺児だと知らないまま、
弥三松の小袖を門口に干す。その小袖を見て老女が、宿を乞うので、奥で休息するように言
う。さらに、小袖を見て虚無僧姿の女性が訪ねて来る。弥三松は、この女性を見て、「伯母
さま」と呼びかける。女性は、弥三松の母・お菊の姉のお園だった。杉坂での弥三松との出
会いを六助がお園に話すと、お園は、自分は、六助の女房だと言う。すでにお園と六助は、
お互いに直接は面識がなかったが、許婚の間柄だったのだ。お園が、これまでの経緯を話し
ていると、奥から出て来た老女は、お園の母と判り、吉岡一味斎の遺族は、ここで結集。敵
討ちの旅に出て、バラバラになっていた人たちが、一つになった。遺族は、改めて、頼もし
い六助に京極内匠を討つことを依頼する(弟子が、師匠の奥方や娘を知らなかったというの
も、荒唐無稽だが、目を瞑ろう)。

そこへ、村人が老女の遺体を運んで来る。仲間の斧右衛門の母親の遺体だという。変わり果
てた老女は、六助が感じ入った孝行心のある浪人・微塵弾正の「母」だったと判り、怒る六
助。お幸が、浪人の人相風体を尋ねると、京極内匠とそっくりではないか。微塵弾正、実
は、京極内匠という絡繰(からくり)を知った六助は、御前試合で意趣返しをし、さらに一
味斎の遺族たちに敵討をさせると誓う。身なりを整えた六助にお園は、舞台下手の紅梅の一
枝を、お幸は、上手の白い椿の一枝を差し出し、六助の武運を祈る。一同は、御前試合の行
われる小倉に向けて出発する。

この段、「中」は、睦太夫、喜一朗、改め勝平。「奥」は、千歳太夫、富助。

母を亡くして独り身になった六助の元に、まず、老婆が母としてやってくる。ついで、女
房。女房の妹の遺児として、息子もやってくる。「毛谷村」は、いったん崩壊した家族が、
改めて、再構成され、敵討ちという共通の目標を持つことで結束し、家族復活を目指す物語
だろう。今回の公演の段組みを見ると、敵討ちの物語の上に、家族復活の物語がより骨太に
浮き彫りにされてくるように思われる。

贅言;いちばん辛い思いをしているのは、幼い子ではないか。悲劇は、弱者に重くのしかか
るものだ。弥三松は、祖父の一味斎、母のお菊、世話役の若党ふたりを亡くしている。今回
の舞台には出てこないが、父親の衣川弥三郎も、お菊とともに出た敵討ちの旅の空で、亡く
なってしまったのか。国許で後事を担当しているか(まだ、未調査)。弥三郎の嫡男だか
ら、弥三松。幼子は、何度も死と隣り合わせになりながら、生きながらえる。原作の合作
者・梅野下風、近松保蔵らの家族復活のシンボルは、弥三松かもしれない。

実際の家族復活の軸になるのは、女武道のお園。二十歳過ぎての未婚の女性。眉も剃ってい
ない、鉄漿(かね)もつけていない。人形浄瑠璃では、「老女方(ふけおやま)」の首(か
しら)に書き眉で、一味違う未通女の色気を滲ませている。
- 2018年5月15日(火) 10:47:32
18年05月国立劇場(人形浄瑠璃)・第一部「本朝廿四孝」「口上」「義経千本桜」


五代目吉田玉助襲名披露の舞台


五代目吉田玉助の襲名披露の演目は、「本朝廿四孝」のうち、「勘助住家の段」で、山本勘
助家の長男・横蔵を操る。今回の段組みは、次の通り。「桔梗原の段」、「景勝下駄の
段」、「勘助住家の段」。「桔梗原の段」と「景勝下駄の段」の間に、襲名披露「口上」の
舞台が設定されている。玉助襲名をコアに劇評をまとめた。

「本朝廿四孝」は、近松半二、三好松洛らの原作で、全五段構成の時代物。1766(明和
3)年、大坂竹本座で、初演。今回の上演は、全五段のうち、「三段目」の山本勘助誕生物
語が上演される。「桔梗原の段」の「口」は、竹本が芳穂太夫、三味線方が、團吾、「奥」
が、文字久太夫、團七というコンビ。

「桔梗原の段」。越後の長尾方の執権(越名弾正)・妻入江。甲斐の武田方の執権(高坂弾
正)・妻唐織という、執権の奥方同士の争いから、武田方の軍師として有名な「山本勘助」
の名札を付けた捨て子の保護争い(唐織の発案で、赤子が、どちらの乳を飲むかで、決着を
つけようという争いなので、これも、パロディで、通称「乳争い」という)となる。

開幕すると、本舞台中央に「榜示杭(標)」があり、上手側に「越後之国」、下手側に、
「甲斐之国」と書いてある。桔梗原の遠景に山々、高山は、雪を冠っているのが見える。下
手より、甲斐の武田方・高坂家の奴ふたり(それぞれ、一人遣い)が、国境周辺で、秣(ま
ぐさ)を刈り始める。上手からも、越後の長尾方・越名家の奴ふたりが、秣を刈ろうとやっ
てくるが、自領に入り込んで、秣を刈っている高坂家の奴を見つけ、争いとなる。さらに、
両家の奥方が出て来て、奴同士の喧嘩が、奥方同士の喧嘩に発展することで、甲斐領の武田
家と越後領の長尾家、それぞれの執権同士(高坂家と越名家)の対立が、浮かび上がってく
るという趣向だ。上手下手と、左右対称を重視しながら、奴同士、奥方同士、執権同士とい
うように、同じ身分のものたちが、等しく出て来て、芝居をする。

一旦両家の人たちが引っ込んだ後、数え年で、3歳というから、満年齢なら、1歳半くらい
の、実子の峰松をなぜか、父親の慈悲蔵が捨てに来る。捨てた場所が「榜示杭」の前、高坂
家の奴が、都合良く、置いて帰った秣狩りの籠の中。さらに、捨子につけた札に軍師「山本
勘助」の名があることから、慈悲蔵が去った後、再び、両家の人たちが、戻ってきて、今度
は、勘助所縁の赤子をめぐって、武田家と長尾家の執権同士を巻き込んでの、対立となる。

ふたりの執権は、いずれも、名を弾正というが、越後側の越名は、槍が得意で、「槍弾
正」。甲斐側の高坂は、平和主義者で、逃げが得意な「逃げ弾正」という。再び登場した奥
方同士の争いは、先ほど触れたように、通称「乳争い」。空腹で泣く赤子に乳を飲ませよう
とする。赤子が、乳を飲みつく方が、勝ち。ところが、赤子は、双方の乳を飲まないで、泣
きわめき続ける。そこで、赤子の泣き止んだ方が勝ちとなり、越名家側は、入江と弾正が、
ふたりで、赤子の機嫌を取ろうとするが、赤子は泣き止まない。高坂家の唐織が、抱いて、
泣き止ましたというので、高坂家が勝った、ということで、高坂家の面々が、引揚げて行
く。

桔梗原の場面では、慈悲蔵の出入りの場面以外は、両者の登場人物の数、役どころ、衣裳な
ど、すべて、左右の釣り合いが取れていて、よきところにて、対称の妙を発揮する、という
体。人形の首(かしら)も、奴は、皆同じ。高坂家の妻・唐織は「老女形」(歌舞伎なら、
「片はずし」の役どころ)、越名家の妻・入り江は、「八汐」(先代萩の、あの敵役の「八
汐」である)。執権同士では、高坂弾正が、「孔明」(辛抱立役の首)で、越名弾正が、
「金時」(太い眉毛の厳つい首)。越名家の首である、「八汐」も「金時」も、怖い顔のつ
くりなので、これでは、ふたりで、あやしても、赤子が泣き止む筈がない。

この争いは、要するに、「山本勘助」という軍師の息子たち、山本家の長男・横蔵と次男・
慈悲蔵を甲斐の武田家と越後の長尾家が、奪い合うという話が、究極の目的なのだが、それ
は、追々明らかになって来るという趣向だ。いわば、「川中島」だ。この大きな流れを承知
していないと、複雑な筋、「実は、実は、」という二重、三重の、人格を持った主たる登場
人物に惑わされ、理解が未消化のママ、引き回されて、何がなんだか判らなくなる恐れがあ
る。大きな流れを承知しておき、後は、場面場面を楽しむというのが、半二劇を楽しむコツ
だろうと思う。

「三段目」の見せ場は、続く「景勝下駄の段」、「勘助住家の段」。このうち、いわゆる、
通称「筍掘り」(三段目全体を総称して、「筍掘り」とも言う)とも言われる場面は、実
は、山本勘助の未亡人・越路が我が子の兄弟に仕掛けた、兵書(軍法奥義の書)探し、二代
目「勘助襲名」決定のための策略。横蔵・慈悲蔵の兄弟が、敵味方に分かれて、母への孝行
と主への忠義を競い合う。「筍掘り」などという通称でも判るように、この対立も、パロデ
ィの工夫が、趣向となっている。

全五段構成では、日本の戦国時代(15世紀後半から16世紀後半)のうち、武田信玄と長
尾謙信の争いがテーマで、サスペンス仕立てのポリティカル・ファンタジー=足利将軍(義
晴)の暗殺事件があり、将軍家を守るために、長尾謙信と武田信玄が、不和を装い、嫡男の
身替わりを立てようとするなどした上で、偽装の争いを仕掛け、将軍暗殺の真犯人(斎藤道
三)あぶり出しを狙う作戦の物語。主な人物の行動には、二重三重の裏があるので、筋は、
複雑怪奇。簡単には、説明し難い。外題は、中国の「廿四孝」のもじりで、中国の古書「廿
四孝」の故事が、エピソードとして、随所に埋め込まれている。

「本朝廿四孝」全五段の対立の構図を見ておくと、大将・武田信玄対長尾謙信、嫡男・武田
勝頼対長尾景勝、横蔵(後に、二代目山本勘助)対慈悲蔵(実は、直江山城之助)の兄弟、
謙信息女の八重垣姫対腰元、実は、斎藤道三の息女濡衣で、それに加えて、嫡男のそれぞれ
についての身替わり話の対比など、複雑な筋が難点ながら、大衆受けする華やかさもあり、
半二劇の中では、「近江源氏先陣館」、「妹背山婦女庭訓」などの作品とならんで、「本朝
廿四孝」は、現代まで、上演頻度は高い。

近松半二の父親は、竹本座の文藝顧問、近松門左衛門と親交あり。半二は、青年時代は、放
蕩生活を送ったといわれるが、二代目竹田出雲に弟子入りした。近松にも私淑し、近松姓を
名乗った。半二は、時代物を得意とし、作風は、重厚で、変化に富み、それゆえに、複雑な
技巧を凝らした筋構成が多い。舞台装置は、視覚面を重視し、左右対称の大道具など、斬新
で、印象的な舞台を作り上げる。筋や登場人物も、対比を好む。

さて、「景勝下駄の段」。慈悲蔵と横蔵の対比が、ここからの見せ場。当初は、愚兄賢弟と
いう見立て。兄の横蔵は、樵、男やもめでありながら、どこかから連れて来た次郎吉という
赤子(実は、将軍・足利義晴の嫡男、松寿君)を育てている。荒くれ、弟・慈悲蔵の女房・
お種に懸想するような横道者(今、流行りのセクハラ男か)だが、実は、深慮遠謀の人。後
に武田方の軍師・山本勘助(いわゆる、史上の勘助。架空の人物説もある)になる人物。慈
悲蔵は、お種との間に、実子・峰松という赤子がいる。母親や兄への孝養が厚い。慈悲蔵
は、横蔵の意向を踏まえた母親の命令に従い、孝行のためと割り切って、桔梗原の国境で、
我が子・峰松(最後は、殺されてしまう)を棄ててまで、お種に兄の子・次郎吉を育てさせ
ている。横蔵が連れて来た次郎吉は、実は、自分の子ではなく、足利将軍家の若君である。
産後の肥立ちが悪く、なくなってしまった賤の方(足利義晴の奥方)の意向を引き継いで、
若君を匿いながら、育てている、というわけである。その対比を際立たせる「触媒」の役を
するのが、兄弟の母親で、歌舞伎なら、いわゆる「三婆」と呼ばれる老け女形の難しい役ど
ころの一人・勘助の母が、キーパーソン。母親は、夫の勘助という名前をふたりの息子のど
ちらに継がせるか、悩んでいる。

贅言;人形浄瑠璃では、当初、勘助の母親には、名前がなかったが、歌舞伎化されて、母親
の役が重くなり、越路、深雪などの名が付き、逆に、人形浄瑠璃でも、その名が使われるよ
うになったという。首は、「婆」。

いろいろ策を労する女軍師の越路(今回の国立劇場の筋書では、「勘助の母」としか書いて
いないが、ここでは、「越路」と表記しよう)。慈悲蔵とのやり取りで、勢い余って、自分
が履いていた黒塗りの下駄を飛ばしてしまう(足のない女役の人形なのに、なぜか、下駄を
履いている)。その下駄を拾ったのが、越後・長尾家の嫡男・景勝。越路の息子たちのう
ち、兄の横蔵を召し抱えたいとやって来たのだ。実は、横蔵の顔が、景勝にそっくりだった
ことから、影武者に使いたかった、というわけだ。この場面から、この段は、通称「景勝下
駄の段」という。元から長尾家側へ真情を寄せる越路は、景勝の申し出を快諾したが……。

「景勝下駄の段」を含めて、大きく見れば、ここは、基本的に「勘助住家」という舞台。人
形浄瑠璃の「勘助住家」の長い舞台を分けた、各段の通称を並べてみると、「景勝下駄」、
「八寒地獄(寒さに関わる8つの地獄という意味)」、「筍掘り」(あるいは、「竹の
子」、さらに、「炬燵櫓」)、「勘助物語」などとなる。通称がたくさんつくということ
は、この難解な芝居が、段ごとに、いかに、江戸の大衆に愛されたかが窺われる。

この後、より複雑な構成の舞台に入るので、ここからは、舞台という「空間」を追っかける
より、主な登場人物を整理し、「時系列的」に見た方が、理解し易いと思われる。

横蔵:兄。先代の山本勘助の遺児で、越路の息子。景勝に良く似ている横蔵は、長尾景勝の
身替わり(影武者)としてスカウトされようとしている。実は、景勝は、自分の身替わりに
横蔵に切腹をさせようと目論んでいる、つまり、長尾景勝が、欲しいのは、横蔵の身柄とい
うより、自分に良く似ている横蔵の生首が欲しいのだ(景勝と横蔵、ふたりの首は、「文
七」という悲劇の主人公に用いられる首で、顔が似ているのだから、同じ首が登場しても、
おかしくはない)。

母の越路も、弟の慈悲蔵(因に、「検非違使(けんびし)」という首で、眉目秀麗の主役級
の首)も、実は、長尾方の家来(直江山城之助)ということが、やがて知れる。実際に勘助
住家を長尾景勝の軍兵(舞台には登場しない)に包囲された横蔵は、自ら、景勝が持ち込ん
だ「腹切り刀」を取り上げ、己の目を抉り出し、人相を変えてしまい、景勝の身替わりとし
てのメリットを無くして、長尾方の申し出を拒否する。こうして横蔵は、父・山本勘助の名
を二代目として引き継ぎ、足利将軍家側を支えることを約束していた武田方へ連なることを
表明する。

後に、武田方の軍師・二代目山本勘助となる横蔵は、信玄の臣下・高坂昌信の記述の体を取
って書かれた信玄・勝頼の軍法などをまとめた、甲州流の軍学書である「甲陽軍艦」に出て
来る山本勘助(川中島の合戦で戦死と伝えられる)は、独眼雙脚であるので、この芝居の二
代目勘助も、左足を怪我し、右目を自ら傷つけなどして、父同様に、独眼雙脚となったとい
う通俗日本史的な知識を元にしたエピソードを原作者は、周到に添えている。

慈悲蔵:弟。やはり山本勘助の遺児で、越路の息子。実は、母の越路と計らって、すでに、
長尾方の家臣・直江山城之助になっている。「直江氏」は、実は、母の出身家系。母と協力
をして、横蔵を長尾方に付けさせようとするのは、実は、慈悲蔵である。そういう非情な面
も持っている有能な武士である。結局、「山本氏」の父の名「勘助」を受け継いだ横蔵の計
らいで、兵書の方は、慈悲蔵が、譲り受ける。戦国の世、兄弟は、武田方と長尾方、敵味方
に分かれることになる。

越路:先代の山本勘助の妻。横蔵・慈悲蔵兄弟の母親。先代の山本勘助亡き後、自ら、暫定
的に「勘助」の名を引き継いで(あるいは、預かって)いる。長尾家領地の「直江氏」の出
身ということで、慈悲蔵、実は、直江山城之助と共に、長尾方に組みしている。その代わり
として、表向き、慈悲蔵に辛く当たり、逆に、横蔵を甘やかし、増長させるが、後に、態度
を豹変させる。越路は、結構、冷酷で、横蔵に切腹を迫ったりするという、強い母である。

お種:慈悲蔵の女房(実は、将軍足利家の腰元・八つ橋、その時期に、慈悲蔵と恋仲=不義
の仲になった。首は、唐織と同じ、「老女形」ということで、女形としては重い役どころ)
は、知らぬこととは言いながら、我が子・峰松を夫の慈悲蔵に捨て子にされてしまう。さら
に、武田方の唐織が、慈悲蔵を武田方に付けさせようとして、雪の戸外に峰松を置き去りに
して行く。極寒の中、我が子の命が危険に晒される場面。お種の独演の名場面で、通称「八
寒(はつかん)地獄」という。

竹本の「外に泣く声八寒地獄」で、戸外の木戸の傍で、盥に入れられ、笠をかぶせられただ
けという格好で、寒さに震える峰松(一人遣いの人形)と室内で泣きわめく横蔵が連れて来
た養子の次郎吉(実は、足利将軍家の嫡男だが、人形としては、小道具に近い)という、ふ
たりの赤子の間で、母性を引き裂かれ、葛藤に苦しむ。慈悲蔵が、腰下げの紐鐉(ひもかき
がね。紐で作った掛金の一種)で、「錠の代わりの真結び」で結んでしまい、木戸が開かな
い。外からの峰松の鳴き声にいたたまれず、座敷から庭の雪の中に、素足で、飛び降りて来
るお種。その果てに、お種は、格子戸(木戸)を破り抜き、髪をさばき、「砕けよ破(わ)
れよの念力」にと、女の念力を見せつける。歌舞伎なら、雀右衛門の役どころ。

そういうことを踏まえた上で、舞台の「勘助住家の段」を観たい。前半は、大道具の居どこ
ろ替りで、大道具が上から降りてきて、住家裏手、雪の竹林へ。筍掘りに向かう慈悲蔵を軸
に、竹やぶでの、鍬(くわ)を持った慈悲蔵と鋤(すき)を持った横蔵の争い(殺陣、立ち
回り)は、静止した形を重視し、様式美を強調した所作が続く、ハイライトの場面。季節外
れの「筍掘り」は、実は、越路が仕掛けた、兵書探しのための謎掛け。ある筈のない冬の筍
掘りに見立てて、雪の中に埋められていた兵書(軍法奥義の書)争奪の争い。だが、これ
も、人形浄瑠璃では、実は、埋められていたのは、兵書ではなく、「源氏の白旗」という趣
向。埋めていたのは、横蔵ということで、この立ち回りは、横蔵が、慈悲蔵の「筍掘り」を
邪魔するための立ち回りであったと、判る。兵書は、一間(つまり、上手の障子の間)に母
の越路が、隠していたのであり、横蔵の勘助襲名のための策だったことが判って来る。

この後、竹林は、再び、引き道具の早替わりで、「勘助住家」に戻るが、漢詩が書かれた襖
のある、武家風の奥座敷の「住家」に変わっている。そこに登場した老母・越路が、ふたり
の喧嘩に割って入る。

贅言;勘助宅の漢詩をウオッチング。襖に書かれた五言排律(5言12句)の漢詩の一部に
「岷江初濫觴入楚乃無底」という表現があった。実は、舞台では、「口偏に民」、「江」が
「山」になっていたが、後は、全く同じ。これは、源氏物語の中世以後の注釈書に出てくる
表記で、当時の儒学者のこじつけというが……。源氏物語ゆかりならば、勘助の趣味という
より、越路の趣味か。

慈悲蔵を下がらせた後、越路は、これまでの態度を一変させて、横蔵に景勝の影武者になる
よう迫る。長尾景勝が、主従の証として置いて行ったのは、白装束と九寸五分の刀、つま
り、腹切り刀だった。影武者どころか、切腹をして、景勝似の生首(身代わりの生首)を差
し出せと、非情な母は言うのだった。

越路と慈悲蔵、実は、長尾家の家来・直江山城之助は、元から長尾方の陣営。足利将軍の若
君を保護する横蔵は、足利方に連なる武田方なので、これを拒否し、己の右目を抉り、人相
を変えて、景勝の身替わりになるのは無理という状況を作るほどの剛の者だった。

その器量を評価して、母の越路は、夫・勘助の名跡と兵書を横蔵に譲ろうとする。横蔵は、
勘助の名跡を二代目として引き継ぐことは承諾するが、兵書は、弟の慈悲蔵に譲る、とい
う。横蔵は、すでに、武田信玄の命で、足利将軍家の世継ぎの若君(松寿君)を我が子・次
郎吉として、匿い育てていたことを告白する。横蔵は、「ぶっかえり」という早替りで、衣
装を赤地錦となり、白旗の旗竿代わりに住家の庭の上手にある竹を切り取るなどして、いく
つかの見得を連発し、最後は、赤地錦を拡げての大見得で決まる。三人遣いの人形も、「ぶ
っかえり」では、遊軍の人形遣いも段取りに参加して、四人遣い。大団円では、バタバタと
いう感じで、「実は、実は、」が、連発されるので、観客は、混乱しがちだが、舞台は全員
静止のポーズをとり、閉幕。

ところで、人形浄瑠璃では、人形そのもの、人形、竹本、三味線のそれぞれの担当者、舞台
全体というように、見るものが多い。基本は、人形の動きを軸として観るわけだが、人形の
動きだけでなく、人形遣いの表情・動きを観ることも愉しみの一つだ。今回は、慈悲蔵:玉
男。横蔵:五代目襲名の玉助。勘助母・越路:勘十郎と簑助のダブルキャスト、前半と後半
で分担。慈悲蔵女房・お種:和生などに注目した。

横蔵を操る新・玉助は、東京での襲名披露初日とあって、緊張とした表情で、終盤、派手に
動き回る横蔵を骨太に操る。慈悲蔵を扱った玉男は、「後ろ振り」が、おもしろかった。玉
男は、右手を引っ込めて、袂に隠し、左手だけで、人形を支え、首を操る形で、慈悲蔵の背
を反らせて、後ろに振り向かせる。前回は、勘十郎で観た。

老婆・越路を扱う勘十郎は、夫の名前を暫くとはいえ受け継ぐ策略家の女軍師でもある老母
を非情ながら、じっくり描く。漢詩の襖のある奥座敷から登場する簑助の越路は、非情な中
に慈愛を滲ませている。慈悲蔵女房・お種の和生は、幼子たちに引き裂かれる母情を懇切に
表現している。

さらに、竹本の大夫の動きを観る。熱演型、冷静型などいろいろで、表情など語りぶりを観
るのも興味深い。今回は、「桔梗原の段」では、芳穂太夫と文字久太夫。「景勝下駄の段」
では、織太夫、寛治のコンビ。「勘助住家の段」の「前」では、呂太夫、清介。「後」で
は、呂勢太夫、清治。

観客としては、時々、舞台全体を眺望するなど、自分の関心に従って、角度を変えながら観
るのが、「重層的」な演劇である人形浄瑠璃を「総合的」に楽しむコツ。

人形浄瑠璃は、人物名や衣装は違うが、顔を見ると全く同じだと判る。役柄の性根に合わせ
て、首(かしら)を選ぶ。操り人形の動きと竹本(ナレーション)で、心理描写を深めるこ
とで、同じ顔でも、苦にならない。ひとつの表情が、固定している人形の筈なのに、角度や
陰りによって、様々な表情が伝わって来る不思議さが、人形浄瑠璃の魅力である。だから、
人形浄瑠璃は、ある意味では、歌舞伎より、演劇的に奥深く(つまり、難しく)、また、演
じるのが、生身の役者(人間)ではなく、「超人的な」人形だから、襞深くまでドラマチッ
クに表現ができる。つまり、人形浄瑠璃は、「内」も、重視する。人形遣いの持ち味は、勿
論あるが、生身の役者が登場する歌舞伎ほど、生々しくない。心理劇として、人形浄瑠璃の
方が、より、大人向けと言えるだろう。

人形は、人間にそっくりな動きをするのではなく、人形ならではの動きをする。時には、人
間なら不自然と思える動きも人形らしく動くことで、人間よりもリアルに心理描写が出来る
というのも、不思議ではないような気がする。

その秘訣の一つに「チョイの糸」という仕掛けがある。首の中に仕込まれる「ノドギ」
(喉、首=くび)と首(かしら)の後ろを鯨のヒゲでむすんだ先につく糸。主遣いは、手板
(操作板)を下から支え持つ左手の薬指と小指に、この糸を引っ掛けている。人形遣いが、
緊張したり、ゆるんだりすると、微妙に動く。人形遣いの息使いによって人形も息を呑んだ
り吐いたりする。人形が生きているように見える。活発に動く時より、こうした微妙な動き
の方が、存在感があるという不思議さ。


「口上」は、吉田幸助が五代目吉田玉助を襲名披露する舞台。緞帳が上がると、人形遣い1
2人が、ピンクの派手な肩衣姿で伏したまま勢揃いしている。前列下手に座った簑二郎が進
行を仕切る。前列は、簑二郎の上手へ、順番に。玉男、和生、幸助改め、玉助、簑助(人形
部座頭)、勘十郎と並ぶ。後列は、同じく下手から上手へ。玉佳、玉輝、玉也、玉志、玉
勢、玉誉。21日からは、玉翔も下手に列席する。歌舞伎役者の襲名披露の舞台のように、
プライベートなエピソードを紹介して場内を笑わせる場面は少ない。口上を述べたのは、玉
男、和生、勘十郎。本人の玉助と座頭の簑助は、黙っている。


「義経千本桜・道行初音旅」は、楽しい


歌舞伎の演出。幕開きの、置き(序奏)浄瑠璃、無人の舞台は、吉野山全山満開の桜が爛漫
と咲き誇り、「花のほかにも、花ばかり」、という感じである。花道から静御前が、赤姫姿
で登場する。赤い鼻緒の草履に、白足袋。やがて、静御前が、初音の鼓を打ち鳴らすと、花
道・スッポンから忠信登場。黒地に源氏車の図案を縫い込んだ衣装、草鞋に、黒足袋。

義経の御着長(鎧)と義経の顔に見立てた鼓を桜の木の下に置いて、ふたりの舞い。九州行
きに失敗をした義経は、吉野山にいる。静御前と忠信の義経への思い。さらに、忠信は、源
平の闘いで亡くなった兄継信への思い。

「かかるところへ、逸見藤太」で、後に大勢の花四天を引き連れて、登場する藤太は、赤い
陣羽織に黄色い水玉の足袋。静御前と忠信の道行きを邪魔する所作ダテを見せる。というの
が、歌舞伎の典型的な演出だろう。

人形浄瑠璃の「道行初音旅」を観るのは、2回目。忠信、実は、源九郎狐を操るのは、勘十
郎、静御前を操るのは、清十郎。前回は、勘十郎と簑助という師弟コンビ。

まず、幕が開くと、舞台は、桜満開の吉野山。舞台中央に桜の木。歌舞伎と見まごうように
全員が華やかな肩衣姿。舞台正面後列には、定位置を離れた太夫たち。咲太夫を軸に、9人
の太夫たちが並ぶ。静御前が咲太夫、狐忠信が、織太夫。ほかは、ツレ。前列は、燕三を軸
に、9人の三味線方。

「恋と忠義はいづれが重い、かけて思ひははかりなや。忠と信の武士に君が情けと預けら
れ、静かに忍ぶ都をば後に見捨てて旅たちて」で、始まる竹本。下手から、肩衣姿の清十郎
が操る静御前登場。上手の桜満開に「窓」が開いて、白狐が顔を出す。やがて、消える。下
手より、遅れて、白い肩衣姿の勘十郎が操る白狐。主人になつく犬のような仕草をする白
狐。首長の狐の頭と胴に手を入れて巧みに動物の所作を演じる勘十郎。耳の動き、目の動き
など。狐の姿は、静御前には、見えていない様子。やがて、白狐は、舞台中央の桜木の陰の
ブッシュに姿を消す。狐が飛び込む。ブッシュの外に出ている尻尾を狐は、いつまでも、振
っていると思ったら、時間稼ぎ。暫くして、舞台下手、三味線方の足元辺りから、早替りの
勘十郎が狐忠信とともに登場する。勘十郎も忠信も早替り。狐忠信は、お馴染みの黒い衣装
に義経の御着長(鎧)を背負って、飛び出して来る。竹本「谷の鶯な、初音の鼓…きごう、
遅ればせなる忠信が旅姿。背(せな)に風呂敷をしかと背たら負うて」。この辺りまでは、
前回と違う、今回の演出の新工夫。

後は、歌舞伎の演出と同じような感じで、所作事の舞台は進む。清十郎の操る静御前の動き
は、実に、名前の通り、静かだ。一方、勘十郎が操る狐忠信の動きは、ダイナミックで、メ
リハリが利いている。

忠信の扇子は、裏表とも、黒地に赤丸。静御前の扇子は、無地の金と銀。この扇子が、上手
の清十郎から、下手の勘十郎に投げられる。安定した飛行で、扇子が飛び、受け止められ
る。柔らかい所作のなかで、ダイナミックな動きが、違和感なく、紛れ込んでいる。場内か
らは、思わず、拍手。

贅言;歌舞伎の、「かかるところへ、逸見藤太」は、人形浄瑠璃では、場面がなかった。
- 2018年5月13日(日) 15:21:39
18年4月歌舞伎座(夜/通し狂言「絵本合法衢」)



悪の花が、大輪で開く



「絵本合邦衢」は、1810(文化7)年、江戸の市村屋で初演された。1804(文化
元)年の「天竺徳兵衛韓噺」の成功以降、成熟期に入った四代目鶴屋南北らが、合作で書き
下ろした。当時の南北劇の常連、五代目松本幸四郎、二代目尾上松助(後の、三代目尾上菊
五郎)、三代目坂東三津五郎、五代目岩井半四郎らが、出演した。五代目松本幸四郎のキャ
ラクターが、南北に、史実からモデルにした大学之助という暴君のほかに、立場(たてば)
の太平次という、飛脚上がりの市井の無頼を、瓜二つの登場人物という設定で発想させた。

私がこの演目を観るのは、今回で3回目。しかし、仁左衛門は、今回の上演を「一世一
代」、つまり、演じ納めにするという。

勧善懲悪が、当時のモラルだったが、それに縛られない自由な人間の魔性、それは、悪とい
うものをこれまでとは違う発想で見るという南北ならでは、発想が無ければ、誰も気がつか
ない視点であっただろう。それは、また、文化文政期の爛熟の世相を作り上げていた、社会
の底辺に生きる大衆のエネルギーを見抜いた南北の卓見であっただろう。頭で感知しようと
する知識人には、気がつかないが、肌で感知する大衆には、日常的に馴染んでいる視点であ
った。それを同じ大衆と通底する市井の劇作家・南北は、汲み上げて、狂言に結実させたと
言えるだろう。

「絵本合邦衢」は、1656(明暦2)年、加賀前田家一門の前田大学之助という殿様が、
高橋清左衛門を殺め、後に、弟の高橋作右衛門に仇討されたという、実際にあった事件を素
材にし、演劇的な悪を純化させるという発想で、瓜二つの人物(殺人鬼、左枝=さえだ=大
学之助。返り討ちを請け負った、いわば、配下の、小悪党、立場の太平次)を作り、物語に
ダイナミズムを持ち込んだ。悪の力の増殖装置。今回の南北の最大の仕掛けは、別の人格な
がら、瓜二つの人物という発想をしたことだろう。

通常の仇討物語とは違って、仇討を狙う側が、次々と返り討ちに遭うという異常な物語であ
る。悪知恵は、悪人ほど、働く。そういう連中が、連戦連勝の場面が、相次ぐという芝居。
物語が展開しても、正義の秩序は、なかなか、恢復しない。悪は、悪運強く、暴れまくる。
極悪の痛快ささえ、観客には、感じられる。

文化文政期から、幕末期まで、再演が重ねられたが、明治期に入ると、文明開化を標榜する
高尚趣味の陰に追いやられ、血なまぐさい、この演目は上演されなくなった。息を復活した
のは、大正ロマンの時期(1926年)。戦前戦中期は、再び、陰に追いやられ、二度目の
復活は、1965(昭和40)年であった。最近では、仁左衛門が、再演を続けてきた。


時代物の序幕。第一場「多賀家水門口の場」。暗転の中で開幕すると、早速、殺し場。中間
が、多賀家の中間の首を絞めている。水門口が開き、左枝大学之助に命じられて多賀家の重
宝「霊亀の香炉」を盗み出した関口多九郎(権十郎)が出て来る。外にいた中間に重宝を持
って行かせようとすると、大きな用水桶の陰から、深編笠を被って現れた武士、実は、左枝
大学之助(仁左衛門)だ。悪は、隠れるのが巧い。大学之助は、口封じのために、無造作
に、いとも簡単に中間を斬り捨てる。重宝は、関口多九郎自身が持って行けと、命じる。人
頼みにするなと叱る。再び、用水桶の陰に隠れる大学之助。花道から、多賀家の忠臣・高橋
瀬左衛門(彌十郎)が、中間を連れて、やって来る。暗闇の中、中間は、地面に倒れている
遺体の足が当たったのをきっかけに、ふたりの遺体を発見する。用水桶の陰から再び、現れ
た大学之助は、後ろから、中間を斬り捨てる。辻斬りのように、躊躇なしで殺人を犯す。序
幕第一場だけで、3人が殺される。うち、ふたりは大学之助が殺した。暗闇の中、深編笠を
被ったまま、花道へ移動する大学之助。花道七三で、大学之助は、闇ながら不審な雰囲気を
感じている瀬左衛門に向けて小柄を投げ打つ。飛んできた小柄を受け止める瀬左衛門。舞台
中央に佇んでいる瀬左衛門を残し、幕が上手から閉まり始める。幕外の花道七三で、武士
は、深編笠を取る。ここで初めて、仁左衛門は、観客に顔を見せる。白塗りの二枚目。ぞっ
とするような美しさ。エロスとタナトス。死に裏打ちされたエロチックな美しさ。持ってい
る深編笠が大きな所為か、大輪の「悪の華」が開いたような印象を与える。幕外の引っ込み
となり、大学之助は、悠然と、殺しの現場を去って行く。こういう感じで、大学之助はいと
も無造作に人を殺して行く。これが、今回の南北劇の通奏低音となる。

贅言;3月の歌舞伎座では、27日まで、仁左衛門と玉三郎が出演していた。同じ花道七三
で「神田祭」のラストシーン。鳶頭を演じる仁左衛門と芸者を演じる玉三郎が頬を寄せんば
かりに寄り添う場面も、色っぽかったが、こちらは、セクシャル、官能的な美しさだった。
花道七三のスポットが、3月27日(千秋楽)と4月2日(初日)で、天国と地獄の格差が
生じる。

序幕第二場「多賀領鷹野の場」。山々の見える、野遠見。舞台下手に、「多賀領 高橋瀬左
衛門 支配地」と書かれた立杭がある。国境。下手奥に、2基の藁ボッチ。鳴子も見える。
実りの秋。舞台中央に庚申の石碑。上手に、2本の松。舞台中央では、領民の百姓たちが、
雑草を刈った後の小休止中で、お茶を飲んでいる。花道より、京の道具商「田代屋」の養
女・お亀(孝太郎)と養子の与兵衛、実は、高橋瀬左衛門の末弟・孫三郎(錦之助)が、お
亀の実家に行く旅の途中である。鷹狩りの途中で、秘蔵の鷹(小霞)を見失った大学之助一
行が、無断で他領に踏み込んで来る。大学之助は、黒羽織の華麗な着付けに、高価な鹿革の
袴を付けている。狩りの帽子、弓、槍、折畳みの椅子、長持ちなどを家来に持たせている。
家来たちの態度も、横柄である。殿様でありながら、統治能力を欠き、私利私欲を行動原理
とする権力者・大学之助は、癇癖で、育ちも毛並みも良いが、人格的に問題のある人間の冷
酷さが滲んでいる。こういう権力者は、時空を超えて、いつの時代にも現れるらしい。大学
之助は、早速、お亀に目をつけ、その場でいきなり妾になれと申し入れる有様、大学之助
は、人殺しという暴力も平気なら、女好きで、性欲も強いのだろう、ということが判る。歌
舞伎で、「国崩し」と呼ばれる、アンチ・スーパー・ヒーローを極端化させた人物造形であ
る。

そこへ、花道より、通りかかった領地の地頭(支配役)の高橋瀬左衛門が、与兵衛、実は、
瀬左衛門末弟の孫三郎とお亀を助ける。大学之助の鷹は、地元の百姓と子供・里松が、見つ
けるが、百姓と子どもが、お互いに引き合ううちに、鷹を死なせてしまう。それを怒った大
学之助は、俄に形相を変えて無造作に里松を斬り殺してしまう。子殺しも平気らしい。激躁
になると、欲望以外何も弁えないように見える。殺された里松は、お亀の実父・佐五右衛門
(團蔵)と後添えの間に出来た弟だった。悲劇の子どもを載せて大道具(舞台)は、暗転の
うち、鷹揚に廻る。

序幕第三場「多賀家陣屋の場」。陣屋では、瀬左衛門と瀬左衛門の末弟・孫三郎こと、与兵
衛、与兵衛の許婚・お亀が、顔を揃えている。大学之助の顔が、店に出入りしている立場の
太平次という男にそっくりだと噂している。後のための、伏線である。瀬左衛門は、道具商
の弟に主家から盗まれた重宝の「霊亀の香炉」の探索を依頼する。瀬左衛門は、先日、暗闇
で受け止めた小柄が、主筋の大学之助のものではないかと疑っている。花道から、大学之助
一行が、板に里松の遺体を載せてやって来る。他領ながら、ずかずかと入り込み、子どもの
親を詮索するためだ。土足で平気に座敷にも上がり込んでくる。大学之助の服装は、いつも
おしゃれである。但し、座敷に入り込んでも土足のまま。傍若無人。

瀬左衛門は、主家の、もうひとつの重宝「菅家の一軸」の件で、大学之助を諌めるが、諌言
を受けた風を装おっていた大学之助は、隙を見て瀬左衛門(吹き替えになっている)を背後
から槍で突き、殺す。さらに、瀬左衛門殺しの濡れ衣を着せるために、同行していた配下を
も、殺す。大学之助の殺しは、ここまでで、5人。こういう行動を見ていると、大学之助の
殺人は、ある目的の元にかなり計画的に進められているのが、伺える。計画的な殺人をルー
ティンワークのようにこなす辺りが、不気味だ。

瀬左衛門の次弟の弥十郎(彌十郎)が、早替わりで上手から、やって来る。自分の配下が、
瀬左衛門を殺したので、自分が、配下を誅殺したと大学之助は嘘を言う。フェイクニュー
ズ。だが、弥十郎は、簡単には騙されない。不審に思う。その不審を払うのは、幕切れの場
面だ。南北の鋭さは、ここにこそある。

大学之助という殿様は、なんとも、無造作に人を殺す。そういう虚無的な人間を序幕では、
仁左衛門は、悪のスケールの大きさを示すように、ほとんど表情を変えずに演じているよう
に見える。悪役の色気もある。幕外の花道七三まで、深編笠を被り続ける。声は聞こえど、
姿が見えない仁左衛門。観客を焦らせるだけ焦らした後、初めて大きな笠を取り、顔を見せ
るという演出が成功している。一気に、悪の華が開くという印象になる。それが、なんとも
凄まじく、存在感がある。

世話物の二幕目。第一場「四条河原の場」。南北の持ち味は、世話物。二幕目から三幕目
が、この芝居の見どころである。幕が開くと、舞台下手にむしろ掛けの見世物小屋。「ろく
ろ首」「蛇をんな」「大いたち」などの看板が掲げられている。隣には、見せ物見物客を当
て込んだお休み処の茶店がある。その隣に、柳の木。背景は、山と四条大橋の遠見。中央
に、蒲鉾型の乞食小屋風のむしろ掛け。上手は、橋詰の石段。この石段は、後に、仁左衛門
演じる、侍上がりの色悪・立場の太平次が現れることになる。この瞬間で大学之助と太平次
の顔は似ているが、全くの別人をふた役で演じるという、この芝居のポイントの度合いが測
られるだろう、と思う。

ここで登場する人間関係を整理しておこう。京の道具商「田代屋」に出入りする太平次(仁
左衛門)は、血も繋がっていないのに大学之助にそっくり。大学之助の手下という小悪党。
茶店で働いている太平次女房お道(吉弥)が、下手の見世物小屋から現れる。中央の乞食小
屋風のむしろ掛けを揚げると、太平次に懸想するうんざりお松(時蔵)の登場。お松は、1
4歳で勘当されて家出をし、25歳になるまでに、亭主を16人持ったという豪の者、色香
十分な見世物小屋の頭分。つまり、この三角関係を太平次は、利用する。田代屋の番頭(松
之助)は、太平次側のスパイで、お松から、毒蛇の血を仕入れる。この毒で、店の養子であ
る与兵衛(瀬左衛門の末弟・孫三郎)を殺して、お亀と世帯を持ちたいと番頭は妄想してい
る。大学之助から預かった重宝の香炉を勝手に、質入れしてしまった関口多九郎(権十郎)
も、香炉を取り戻したいと思っている。太平次は、お松に田代屋へ強請に行かせる。陰に隠
れた大悪、ちょこまか悪さをする小悪たちが、それぞれ、勝手に悪だくみをしているのが、
判る。舞台は、暗転のうち、廻る。

第二場「今出川道具屋の場」。つまり、京の「田代屋」の店先。大店である。店奥の帳場に
は、大福帳と売掛帳がある。花道から、お亀の実父・佐五右衛門(團蔵)が、登場し、店に
入る。次いで、うんざりお松(時蔵)が、下手から、単身、田代屋に乗り込んで来る。応対
するのは、与兵衛とお亀の養母で、後家の店主・おりよ(萬次郎)。太平次(仁左衛門)
は、外で待っている。お松は、おりよを相手に、与兵衛との密通をでっちあげ、偽の起請を
持ち込み、強請り始める。外出中の与兵衛の替わりにお亀(孝太郎)を連れ去ろうとする。
出来レースの店の番頭(松之助)が、素知らぬ顔をして仲介に入り、お亀を連れ出さない替
わりに、件の香炉を渡したらとおりよに「悪」助言をする。下手袖から出て来て、外で様子
を窺っていた太平次も、店内に入って来る。兄の仇討をするために、養家に迷惑をかけない
ように、勘当を願っている与兵衛(錦之助)が、花道より、戻って来る。与兵衛の思惑を承
知しているおりよは、わざと与兵衛とお亀を勘当にする。おりよは、ふたりに「霊亀の香
炉」を持たせる。ふたりは、花道を遠ざかって行く。おりよは、番頭が持ち込んでいた毒酒
を奥から持ってきた太平次が勧めるままに、飲んでしまい、やがて苦しみ出す。おりよにと
どめを刺し、お松と共に、おりよの金を奪って花道から逃げる太平次。倒れたおりよを乗せ
たまま、舞台は廻る。本舞台暗転。太平次とお松は、花道をゆっくりと揚幕に向って歩む
が、そのまま、向う揚幕に入りはしない。花道半ば、途中から、くるりと向きを変えて、ふ
たりは花道を逆戻りして、本舞台に入ると、そこは、妙覚寺裏手の墓場へと場面展開が済ん
でいる、という趣向だ。原作では、「沼津」(「伊賀越道中双六」の「沼津」)のように、
本舞台から客席に下りて、間の通路の歩き、花道から戻って来るという演出だったそうだ
が、花道逆戻り、という演出も、おもしろいと思った。

第三場「妙覚寺裏手の場」。薄暗い。下手に大きな柳の木がある墓場。中央に古井戸。上手
は、土塀。土塀の後ろに、細いが大きな三日月が出ている。しつこいお松に嫌気のさした太
平次は、水を汲む隙を見て、お松を釣瓶の縄で首を絞めて殺し、古井戸に投げ込む。まず、
遺体をゆっくりと投げ落とす。次いで、首を絞めた井戸の綱を落とす。最後に、おまつが脱
ぎ捨てた派手な半纏をゆっくりと吊り下げるようにしながら落とす。やがて、瀬左衛門の次
弟の弥十郎(彌十郎)と妻の皐月(時蔵)の夫婦が、下手から通りかかる。つまり、ここ
は、時蔵の早替わりが、見せ場。太平次のゆるりとした一連の所作は、時蔵の早替りのため
の時間稼ぎだった、ということが判る。さらに、勘当されて逃避行中の与兵衛とお亀のカッ
プルも、上手からやって来て、太平次を軸に5人で「世話だんまり」となる。暗闇の中での
「暗闘(だんまり)」という場面。歌舞伎独特の演出。次の場面、世話物第2弾「三幕目」
への転換(つなぎ)の場面だが、この辺りの演出は、最近の入れ事という。確かに、皐月の
登場タイミングが唐突な感じがする。

二幕目では、時蔵の悪女振りが、魅力的。うんざりお松は、悪婆と呼ばれるキャラクターだ
が、時蔵は、官能的で、古風な風貌も幸いして、好演。太平次役の仁左衛門は、重々しい大
学之助とがらりと変わり、軽妙に、愛嬌もある小悪党というイメージで、太平次を演じてい
る。元は、武士という感じが弱いか。いがみの権太風になりすぎている嫌いはある。


暗転の中で開幕する三幕目も、世話物。新たに、追加参加する人間関係を見ておこう。第一
場「和州倉狩(くらがり)峠」。名前通りの暗闇峠。背景は黒幕のみ。下手に「倉狩峠」の
木杭だけがあるシンプルな舞台。駕篭かき、雲助、飛脚、それに与兵衛とお亀の行方を追う
大学之助・家臣の島本段平(當十郎)などが居る。島本段平は、駕篭に乗り、上手へ入る。
黒幕振り落しで、場面転換。第二場「倉狩峠一つ家の場」が、三幕目のメイン。薄暗い。峠
の一軒家。花道の出入りが多い。お亀に執心の大学之助に命じられて、与兵衛とお亀の行方
を追う家臣の島本段平を乗せた駕篭が、下手から現れて、一軒家の表に着けられる。

峠の一つ家は、「立場(たてば)」だ。立場とは街道や峠を行く旅人が、人馬を替えたり、
貨客を送り継いだりする宿駅のことである。簡易な旅宿を兼ねた茶屋だ。舞台下手には、
「立場茶屋」の木杭がある。舞台中央の、一つ家の障子には、「丸に太」という紋が、書き
込まれている。「立場の太平次」とは、この宿駅を営む所からの渾名であろう。表も裏も悪
殿様の大学之助と顔こそ、瓜二つとはいえ、太平次は、表向きは、立場の主として善人面を
しているが、裏は、大学之助同様の悪人ということで、より根性の悪い男である。典型的な
小悪党である。この一つ家に、お亀の妹のお米(梅丸)が、滞在している。高橋瀬左衛門配
下で、夫の孫七(坂東亀蔵)とはぐれて困っている所を親切そうな太平次に助けられて、連
れて来られた。太平次は、お米を売り飛ばして、稼ごうとしている。さらに、孫七が、敵対
する高橋瀬左衛門配下と知って、見つけ次第、殺そうという心づもりである。現れた段平を
太平次は、奥に通す。

太平次の女房・お道(吉弥)は、太平次とは、異なる。花道から与兵衛とお亀を連れて、立
場に案内して来る。道中で、持病の癪に冒された与兵衛。路銀を追い剥ぎに奪われてしま
い、困っているふたりに太平次は、お亀を大学之助の妾に世話してあげると持ちかける。段
平が、支度金50両を用意している。仇討を果たすためには、敵に近づかなければならない
と苦渋の選択をして、妾奉公を承知するお亀と与兵衛。お亀が、駕篭に乗せられて去ると、
太平次は、与兵衛の持っている「霊亀の香炉」を取り上げようとして、拒まれる。さらに、
大学之助の息のかかった峠の飛脚や雲助らが、与兵衛を襲う。与兵衛の手助けをする振りを
しながら、太平次は与兵衛の脚を鉈で切りつける。「摂州合法辻」の脚の不自由な俊徳丸の
パロディであろう。太平次は与兵衛に逃げろと言って、峠の古宮へ行かせる。足を庇って右
手で杖を突き、左手に提灯を持たされた与兵衛は、大事な香炉を何処に隠し持っているのだ
ろうか。太平次は、与兵衛殺害の現場を己の営む「立場」でなく、「古宮」に移そうという
企みがある。

お米は、縛られて2階に押し込められる。お道は、与兵衛を助けようと古宮に向かう。お米
を探していた孫七が、花道から立場にやって来る。太平次は、お米を連れて来ると孫七を騙
して、出かけている。その隙をついて、お米を助け出す孫七。

第三場「倉狩峠古宮の場」。舞台が、鷹揚に廻る。舞台下手に、「倉狩峠」の木杭。中央上
手寄りに、古宮。与兵衛を殺そうとやって来た太平次が、古宮の戸を開けると、すでに、与
兵衛を逃がしたお道が居るが、それに気付かず、太平次は女房に斬りつける。お道は、太平
次と飛脚に相打ちで殺されてしまう。殺されるお道は、善人だけに、殺される哀れさが欲し
い。吉弥は元が腰元という感じが弱い。刀を担いだ太平次が、花道を引っ込む。七三で腰を
かがめる太平次のポーズが、見せ場の一つになっている。

第四場「元の一つ家の場」。舞台が、逆に、廻って、戻る。孫七・お米夫婦を殺しに戻って
来た太平次は、孫七に向かう。暗闇で、孫七は、誤って、お米を斬ってしまう、孫七も、太
平次に殺されてしまう。さらにお米にとどめを刺す太平次。嬲り殺しにされる夫婦。悪びれ
ずに、平気で、人殺しを続ける太平次。善人面と性根の悪さの共存が醸し出す、ユーモラス
でさえある殺し場は、仁左衛門歌舞伎の新しい魅力だろう。悪党を乗りに乗った芸域に引き
上げた仁左衛門が、軽妙な演技で演じて行く。

「先代萩」の八汐に続く、悪役、憎まれ役であるが、悪とはいえ、スーパーマンの造形は、
仁左衛門の芸域を拡げる悪の華が咲き競っているように思う。この三幕目の第二場、第三
場、第四場という、廻り舞台の往復が、今回の世話場のハイライト。

三幕目では、仁左衛門の太平次ぶりが、ポイント。大学之助との違いをどう描くか。仁左衛
門は、「絵本合邦衢」のふた役の演技で、頭一つ飛び出した、ということだろう。「一世一
代」ということで、この演目、今月の上演で仁左衛門の出演が終わってしまうのは、なんと
も惜しい。残念である。

暗転のうち、定式幕が開くと、大詰第一場「合法庵室の場」。二幕目、三幕目と続いた世話
物に時代物が入り込んで来る。ここからは、世話物の太平次とダブらせながら時代物の大学
之助をひとつの頂点とするふたつの三角関係を押さえると、理解し易い。1)大きな三角関
係は、殺人鬼の悪殿様・大学之助(仁左衛門)に対する合法、実は、高橋瀬左衛門の次弟で
弥十郎(彌十郎)と妻・皐月(時蔵)の夫婦が作る。その内側にイメージする、2)小さな
三角関係は、殺人鬼の悪殿様・大学之助に対する与兵衛(錦之助)とお亀(孝太郎)のカッ
プルが作る。合法庵室にいるのは、弥十郎と末弟の与兵衛だが、養子に出た与兵衛を兄の弥
十郎は、この場面まで顔を知らないという設定だ。

支度金をもらい、大学之助のところに妾奉公に行ったお亀は、既に、逆らった挙句、大学之
助によって殺されてしまっている。肉体は、大学之助に従わざるを得ないとしても、心は、
大学之助の意に添わなかっただろう。そういう心の動きには、敏感な大学之助だったろう
し、あるいは、仇討を焦り、逆に、返り討ちにあったのだ。

薄暗い中、お亀は、死霊となって与兵衛の夢枕に立ち、悔しさを訴えて消える。明転。病気
の上に、太平次に鉈で切られた脚が不自由な与兵衛の前に、大学之助一行が、舞台下手から
豪華な駕篭に乗って現れる。大学之助は得意げに重宝のふたつとも入手していることやお亀
の最期を告げる。おしゃれな格好をした大学之助は、この場面でも、土足で庵室に上がり込
んでくる。与兵衛は、大学之助に切腹させられてしまう。大笑いの声を響かせながら、再
び、駕篭に乗って下手に入る大学之助。性悪な人間が、権力の座につくと、こういう行動を
するのか、というのが、「暴力装置」と化した大学之助という殿様の姿だ。

花道から合法、実は、高橋瀬左衛門の次弟で弥十郎が戻って来る。留守中の出来事を与兵衛
から聞く。苦しい息の下で、弥十郎に告げる与兵衛の言葉に、弥十郎は、ふたりが、同じ、
仇討を狙う兄弟だったことを初めて知る。場面としては、登場しないが冷徹な大学之助が、
用済みの太平次の殺害を配下に命じるというのは、原作にはない新演出らしい。仇討のすべ
ての構造(ふたつの三角形)を理解した弥十郎は、舞台下手から現れた妻の皐月と共に、花
道から大学之助を求めて追って行く。本舞台は、死にゆく与兵衛の頭上から浅黄幕が振り被
せとなり、次なる場面展開へ。

第二場「閻魔堂の場」。浅黄幕が振り落とされると、舞台中央には、巨大な赤い閻魔像。下
手に、「合法ヶ辻 閻魔 建立」の木杭。舞台上手と下手に松並木。舞台下手袖からやって
きた大学之助一行の行列を襲おうと弥十郎と皐月の夫婦が、花道から近づいて来る。夫婦
は、配下を追い払った後、行列の駕篭に近づき刀を駕篭の中に差し込むが、駕篭に載せてい
たのは、鎧のみ。大学之助は、いなかった。悪は隠れている。

仇討に失敗したとして、弥十郎と皐月は、観客席に背を向けて自害してしまう。すると、巨
大な閻魔像の後ろから、不適な笑いを浮かべて、大学之助が姿を表す。ここでも土足のまま
だ。背景の黒幕が落ち、山と松の遠見となる。偽りの自害を演じていた夫婦は、近づいて来
た大学之助に斬り掛かり、なんとか、仇討を果たす。閻魔堂に上がった弥十郎は素足、皐月
は白足袋。斬りつけられた大学之助は、乱れ苦しみ、倒れる。兄の高橋瀬左衛門が刺された
槍先を持ち込んでいた弥十郎は、槍先で、大学之助にとどめを刺す。

芝居を終えて、大学之助を演じた仁左衛門はムックリと起き上がる。仁左衛門を軸に、彌十
郎、時蔵と並んで座り、「東西東西、まず、こんにちは、これぎり」の口上を言う。

大学之助に返り討ちに遭った人々や濡れ衣を着せられて殺された人々、太平次に殺された
人々など、実に、多く人たちが犠牲になった物語も、やっと、大本の殺人鬼がしとめられ
て、幕となった。正義の秩序の恢復は、善人の側(弥十郎と皐月)の、自害の偽装という姦
智で、最後の最後に、実現できた。幕切れは、時代に戻っていて、この演目の大きさを感じ
た。

最後に全体を通しての役者評

「絵本合邦衢」、5回目の主役を演じる仁左衛門は、瓜二つという想定ながら、主家横領を
狙う謀反人(国崩し)で、「血も涙も無い」徹底的に冷徹一筋な殿様・大学之助と善人面と
悪党の対比が魅力の、飛脚上がりの立場の主、市井の小悪党(殺人請け負い人でもある)・
太平次を見事に演じ分けたと思う。「一世一代」という。要するに、仁左衛門は今月の主演
で、「絵本合邦衢」を演じ収めるというのだ。

この演じ分けは、武士と町人というだけに留まらず、言葉、身のこなし、氏素性から来る雰
囲気、人柄など、全く、違う人物を感じさせなければならない。それでいて、両人とも、仁
左衛門独特の悪の魅力で、彩られている。大学之助は、どんどん、善人たちを返り討ちにし
てしまうし、幼い子どもでも、容赦なく殺してしまう。殺人に快楽さえ感じるほど、人格が
壊れてしまっている、殺人鬼の名前通りの人物だ。

太平次は、大学之助から返り討ちを請け負った殺し屋と立場の主という、二つの顔を使い分
ける。武家上がりの太平次には、金の力で、再び、武士に戻りたいという気持ちが強かった
のだろうが、その辺りは、ちょっと弱かった。その挙げ句、用済みとなれば、大学之助の配
下に殺される運命が待っている。いずれにせよ、仁左衛門が、演じ分ける二人の人物は、悪
をベースにしながら、社会的な規範に捕われずに行動できるスーパーマン的な魅力を感じさ
せる。

太平次に付き合う、蛇をんなこと、うんざりお松と弥十郎を補佐する妻・皐月を演じ分けた
時蔵。特に、うんざりお松は、美人ながら、封建的な身分社会では、人外に置かれた女性
だ。惚れた男のためには、罪を犯すのも厭わない。その挙げ句、惚れた男に絞め殺されてし
まう。太平次とのコンビでは、ユーモラスな雰囲気を出すことも要求される。

時代物の部分だけの出演では、お家騒動の中で、だまし討ちされた高橋瀬左衛門と次弟の弥
十郎は、彌十郎のふた役。仁左衛門、時蔵、彌十郎は、それぞれ、ふた役を演じた。ふた役
の演じ分けの難しさ。

重要な脇役カップルの与兵衛、こと末弟の孫三郎(錦之助)とお亀(孝太郎)。
お亀の妹・お米(梅丸)と孫七(坂東亀蔵)の夫婦。さらに、悪と善、非日常と日常、とい
う南北の世界を結んだのが、善良で働き者、太平次女房・お道(吉弥)なども印象に残っ
た。
- 2018年4月13日(金) 15:55:43
18年4月歌舞伎座(昼/「西郷と勝」「裏表先代萩」)


「裏表先代萩」のおもしろさ


「西郷と勝」は、真山青果原作の新作歌舞伎の一部である。本来、真山青果原作は、総タイ
トル「江戸城総攻」という3部作の演目で、大正から昭和初期に、およそ8年をかけて完成
させた新作歌舞伎である。『江戸城総攻』(第一部「江戸城総攻」、第二部「慶喜命乞」、
第三部「将軍江戸を去る」)。

1926(大正15)年初演の第一部「江戸城総攻」(勝海舟が、山岡鉄太郎を使者に立て
て、江戸城総攻めを目指して東海道駿府まで進んで来た征東軍の西郷隆盛に徳川慶喜の命乞
いに行かせる)、1933(昭和8)年初演の第二部「慶喜命乞」(山岡が、西郷に会い、
慶喜の助命の誓約を取り付ける)、そして1934(昭和9)年初演の第三部「将軍江戸を
去る」(勝海舟が、江戸薩摩屋敷で、西郷隆盛に会い、江戸城の無血明け渡しが実現する)
という構成である。江戸城の明け渡しという史実を軸に、登場人物たちの有り様(よう)を
描いている。いずれも、初演時は、二代目左團次を軸にして、上演された。

歌舞伎では、必ずしも、原作通り演出されず、例えば、第一部の「江戸城総攻」では、「そ
の1 麹町半蔵門を望むお濠端」、「その2 江戸薩摩屋敷」という構成で、青果3部作
の、第一部の第一幕第二場と第三部の第一幕(「江戸薩摩屋敷」では、西郷吉之助と勝安房
守が江戸城の無血開城を巡って会談する場面である)が、上演されることが多い。今回も基
本は、これに従っているが、「明治百五十年」記念として、より西郷と勝という二人に焦点
を合わせた芝居にしている。NHKの大河ドラマ「西郷どん」との相乗効果を狙ったのかどう
か。

そもそも、2018年とは、1868年から150年ということだが、これを新国家建設の
明治維新を起点とするか、徳川幕府崩壊を起点とするかで、趣が変わってくるだろう。新国
家建設の末路は、日本近代史が示す通り。1945年の敗戦に繋がる。徳川崩壊150年を
起点とすると、フィクションとしては、崩壊後の日本像として、いろいろなロマンが描ける
ような気がする。

贅言;新作歌舞伎なので、古典的な歌舞伎の演出と異なる部分が幾つかある。幕は、緞帳。
このほか、例えば録音された効果音を積極的に使う。汽笛(あるいは 砲声か)、水音、馬の
蹄の音、銃声、小鳥、官軍の進軍の音などもあった。

今回の舞台は、「その1 麹町半蔵門を望むお濠端」、「その2 江戸薩摩屋敷」で構成さ
れている。「その1 麹町半蔵門を望むお濠端」は、いまの 国立劇場のあたりだろう。その
1とその2の、間には、なんと「数日後の江戸薩摩屋敷」という字幕が、スライドで上映さ
れるという、この「歌舞伎離れ」ぶり。江戸薩摩屋敷は、いまのJR田町駅近くだろう。

今回の配役は、以下の通り。西郷吉之助(隆盛)は、松緑。勝麟太郎(海舟)は、錦之助。
山岡鉄太郎は、彦三郎。中村半次郎は、(坂東)亀蔵。村田新八は、松江ほか。

さて、今回の舞台。「その1 麹町半蔵門を望むお濠端」の場面は、幕府側の重臣、勝の慎
重なやり方を生ぬるいと考える若い幕臣の血気が描かれる。濠端を通りかかった勝が若い幕
臣に銃で撃たれる。幸い傷は、かすり傷。ここへ駕籠に乗った山岡鉄太郎が通りかかる。山
岡は、駿府(今の静岡県)まで進軍してきた官軍の参謀西郷のもとに使者に立つよう勝から
依頼される。山岡鉄太郎は、「無刀」主義(身一つ)で徳川慶喜の命乞いを西郷に頼むとい
う。勝は、イギリスの公使に直談判で慶喜の亡命を取り付けたという。勝は山岡を見送る。

「その2 江戸薩摩屋敷」。1868(慶応4)年の江戸・芝の薩摩屋敷が舞台。江戸薩摩
屋敷は、前年、幕府側による焼き討ちにあい、一部が焼けただれ、壊された跡がいまも残っ
ている。屋根瓦、壁、襖、塀、蔵の白壁、庭の燈籠が、壊れたりしている。庭先からは、江
戸湾が遠望され、軍艦2隻が、停泊しているのが、見える。あす、官軍は、江戸城総攻めを
計画し、その準備に追われている。ここのハイライトは、幕府の海軍奉行・勝麟太郎が、官
軍の参謀筆頭の西郷吉之助に面談に来る場面だ。皆、当時なりの洋装で、靴を履いている。

勝の面談の要旨は、慶喜の命と江戸の土地の保全。官軍の建前は、慶喜切腹と前の将軍に嫁
いだ宮家の皇女和宮の保護である。西郷は、勝から、徳川家は、天皇の臣下であることを再
確認し、江戸城を引き渡すことを認めれば、あすの総攻めを中止すると約束をする。列強各
国が日本列島を取り巻く中で、官軍と幕府軍が、江戸城の明け渡しを巡って、戦争になれ
ば、江戸は火の海になり、江戸に住む庶民も犠牲になるばかりでなく、まさに、日本は、
「内乱」状態に陥り、そこにつけ込む列強に拠って、国が蹂躙されるのではないかという危
機感が、両者の合意の根底にはある。「天下を動かす勢い」は、那辺にあるかを探る物語。

この場面、西郷は、薩摩弁でまくしたてる。勝は、寡黙で、腹芸で対抗する。徳川家は、天
皇の臣下であることを勝に改めて、認めさせるが、松緑が演じる西郷は、雄弁である。錦之
助の演じる勝麟太郎は、腹芸を隠して、「もちろーん」と大声で答える。西郷は、「実に戦
争ほど、残酷なものはごわせんなあ」などと、持論を展開する。ここでは、西郷役者が、主
役である。勝「日本は内乱の危機を免れた」。緞帳が下りてきて、幕。

贅言;この薩摩屋敷は、いまのJR田町駅近くの戸板女子短大のある地区ということで、庭
の向こう側には、江戸湾が見え、軍艦も浮かんでいる。汽笛(時代の激変を告げる)は、こ
れか。

いずれにせよ、花道を一度も使わず、額縁芝居に徹していた。新派より歌舞伎離れをしてい
る演出。そもそも、真山青果劇の特徴は、科白劇である。松緑が初役で演じる西郷は、薩摩
弁でまくしたてる。同じく初役の錦之助の勝は、寡黙で、腹の芸。その対照の妙が、この科
白劇の特徴だろう。


「裏表先代萩」という演目の立ち位置


通し狂言「裏表先代萩」は、戦後、5回上演されている。私が観るのは、2回目。前回は、
十八代目勘三郎の主演で観ている。11年前、07年8月、歌舞伎座。当代菊五郎は、この
演目を2回演じているが、私が見るのは、今回が初見である。

歌舞伎の演出に、「テレコ」というのがあるが、異なる筋の脚本を交互に展開して上演する
ことをいう。今回の「裏表先代萩」の場面構成は、以下の通り。
序幕「大場道益宅の場」、二幕目第一場「足利家御殿の場」、第二場「同 床下の場」、大
詰第一場「問註所小助対決の場」、大詰第二場「控所仁木刃傷の場。

「裏表」で言えば、「表」が、「伽羅先代萩」で、「足利家御殿」「同床下」「仁木刃傷」
の場面が、演じられる。一方、「裏」では、「大場道益宅」「問註所小助対決」の場面が、
演じられる。典型的なテレコ上演である。表と裏は、「問註所」で、何故かクロスする。

「伽羅先代萩」では、「御殿」「床下」「対決」「刃傷」とある。つまり、「対決」が、
「問註所」ということだ。「伽羅先代萩」では、「問註所」での、足利家乗っ取りを企む仁
木弾正とそれを阻止しようとする渡辺外記左衛門の「お家騒動」の対決を細川勝元が颯爽と
裁くが、「裏表先代萩」では、道益殺しの下手人裁定を巡る小助とお竹の対決を細川勝元の
家臣である倉橋弥十郎が、「町奉行」として颯爽と裁く。つまり、「問註所」が、ボルトと
ナットで止められて、表の「伽羅先代萩」のお家騒動と裏の「大場道益殺人事件」が、「テ
レコ上演」されるというわけだ。道益は、足利家の若君・鶴千代毒殺という陰謀のために、
毒薬を調合した医者という設定だ(「伽羅先代萩」でも、名前だけ出てくるが、舞台に登場
はしない)。更に言えば、「表」が、時代狂言で、「裏」が、江戸世話狂言という趣向なの
だということが判る。仕掛人は、三代目菊五郎の「仁木を世話物でやりたい」という希望を
受け止めて、四代目南北が、1820(文政3)年に書いた「桜舞台幕伊達染(さくらぶた
いまくのだてぞめ)」で、小助が登場した。さらに、河竹黙阿弥が、先行作品に手を加え
て、1868(慶應4)年、幕末も、どん詰まりの年に「梅照葉錦伊達織(うめもみじにし
きのだており)」という外題で書き換え、上演された。

通し狂言「裏表先代萩」は、松竹の資料によれば、戦後では、今回が、5回目の上演であ
る。主役の小助を演じたのは、二代目猿之助、後の初代猿翁、つまり、当代の猿之助の祖父
である。続いて、十七代目勘三郎、当代の菊五郎(今回含め、2)、さらに、亡くなった十
八代目勘三郎となる。三代目猿之助が、演じても良さそうな演目だが、何故か、演じないま
まになってしまった。いずれ、当代、つまり四代目が演じるだろうか。十八代目勘三郎は、
前回の菊五郎同様に、小助、政岡、弾正の3役をひとりで演じる。十七代目勘三郎は、小
助、弾正のふた役を演じたが、政岡は、芝翫が演じている(十七代目勘三郎は、憎まれ役の
八汐を演じている)。今回の菊五郎は、小助、弾正のふた役のみ。政岡は、時蔵が演じる。

定式幕が、開く。序幕の「大場道益宅」では、団蔵が、道益を演じるが、道益は、管領・山
名宗全(因に、奥方は、「御殿」に登場する栄御前である)邸にも出入りを許された名医。
従って、居宅も、立派。玄関に、山水画の衝立があり、いわば、今なら、「診察室」に当る
部屋には、七言絶句を模様にした襖があり、薬箪笥、薬の材料を入れていると思われる袋の
数々。薬研(やげん)も、2基あるという辺りに、その辺を滲ませている。

舞台下手、家の前には、井戸があり、門には、丸に井の紋が、描かれている。道益(団蔵)
は、名医ながら、俗物で、下駄屋の下女・お竹(孝太郎)と情を通じたくて仕方がないとい
う、セクハラ親父でもあるのだ。お竹は、下駄屋の若旦那に惚れていて、ということで、ま
さに、下世話な世話物だ。道益の下男が、小助(菊五郎)であり、ここは、いちばん、小助
こそ、澤瀉屋の嵌(はまり)り役ともいうべきイメージの人物なのだろう。道益は、小助を
連れて帰って来た弟の宗益(権十郎)と足利家の陰謀(若君毒殺)の相談をしていて、20
0両という足利家の刻印の入った小判の包みの受け渡しをしていると、それを小助に見られ
てしまった。これが切っかけで、悪事の200両の横取りを企む小助によって、道益は、殺
されてしまう。

甥が使い込んだ金を返さなければ、と父親から頼まれて、2両の工面が必要
になったお竹が、夕方(行灯に灯が入り、時間経過が分かる)、再び、道益宅に現れると、
小助は、お竹にその旨の手紙を書かせる。小助はなにか、よからぬ企みをしているようだ。
小助は外出する。小竹は小助の企みに気づかない。書いた手紙を持ち、寝間に入り込んでき
たお竹は道益に掴まる。酔いから醒めた道益が、お竹の手紙を読み、2両を貸し与える代り
にと、お竹に抱き着く始末。なんとも、どうしようもない、スケベ親父。お竹の手紙は、後
に問註所での裁きの証拠に提出されるということで、まさに、罠に嵌ったことになるが、お
竹は、そういうことは、露ほどにも思っていない。嫌なものは嫌。好きな女に金だけ貸し与
えて、逃げられて、ざまのない道益をその後、襲ったのは小助である。

贅言;この場面、亡くなった十八代目勘三郎の小助は、薬缶から、盆に水を入れて、和紙を
濡らして、顔に貼付け、鼻の穴だけ空ける。手拭で頬被り。いまなら、ストッキングを被っ
た強盗のスタイルというところか。盆の水を鏡替りにして、顔を写し、人相が、ばれないか
を確認している、忍び込む障子の間では、敷居に水を掛けて、すべりを良くするなど、勘三
郎の藝は、細かく、小悪党の行状を叮嚀に演じていた。今回は、こういう演出はなかった。
初めから、「堂々と」道益殺しを実行する。

金を脅し取ろうと、小助登場。小助は道益の持っていた薬研包丁を逆に奪い取って道益の腹
を刺して殺し、198両を奪いさる。芝居では、「濡れ手に粟の二百両」で、200両と言
っている。このまま、逃げては、疑われると、小悪党は、悪知恵が沸き上がり、奪われた片
袖を取り戻して仕舞うと、そのまま、道益宅の奥に居残る。

贅言;前回の勘三郎は、金を奪った後の、この場面で、自分の破れた片袖に包んだ大金を床
下に隠す。しかし、「天網恢恢疎にして漏らさず」で、大金は、床下の犬に奪われる。犬
は、包みを近くにあったお竹の父親の花売りの花籠(天秤(びん)棒で担ぐ)に隠す。この
辺りは、「表」の「床下」のパロディなのだろう(犬が銜えた金包み、鼠が銜えた連判
状)。道益を殺して、遺体を置いたまま、買い物から戻って来たような振りをして、帰宅し
て奥に下がり、道益の遺体を発見した弟の宗益に初めて驚いてみせる小助であった。その
後、床下から金を持ち出そうとしたが、金が、無くなっているのに気づく。しかし、後の祭
り。という展開であった。今回は、こうして、今回の菊五郎と前回の勘三郎の舞台を比較し
てみると、勘三郎が、いかに細かな工夫を重ねているかがよく判る。ひとまず、幕。

二幕目「御殿」(第一場「足利家御殿の場」)、「床下」(第二場「同 床下の場」)は、
「表」の通りに演じられる。しばらく無人の舞台に愛太夫の美声が響く。置浄瑠璃。やが
て、御殿の御簾が上がると、政岡を演じる時蔵が立っている。子役の若君・鶴千代は、亀三
郎(彦三郎の長男)。政岡の息子・千松も子役。「伽羅先代萩」で観て来た政岡は、いわば
立女形格の女形しか演じない。時蔵も、「裏表先代萩」ながら、政岡を演じるのは、初役だ
ろう。上手から八汐一行。憎まれ役の八汐を演じるのは、彌十郎。これも初役だろう。花道
から栄御前一行。栄御前は、萬次郎。「伊達の十役」で栄御前を演じたことがあるという。
八汐による千松虐殺の場面で、扇子越しに政岡の挙動を凝視し続ける栄御前。「八汐あっぱ
れ」と言う。

オーソドックスな「伽羅先代萩」での配役を本格的に演じることになるだろう役者たちが、
その前に重要な役どころとしてデビューするのが「裏表先代萩」という演目の立ち位置なの
だろう。因みに、「裏表先代萩」で、政岡を演じたのは、七代目芝翫、菊五郎、十八代目勘
三郎、今回の時蔵、という顔ぶれ。皆々、引っ張りの見得で静止したところへ、御簾が下が
り始め、御殿の床がせり上がってくる。場面展開。

続く、「床下」。これも「表」の通りに演じられる。今回は、荒獅子男之助に彦三郎、仁木
弾正は、菊五郎。大鼠を取り逃がす男之助。スッポンから現れた後、花道をあたかも雲の上
を滑るようにゆるりと逃げて行く弾正。いつも、そう思うのだが、本舞台から遠ざかるに連
れて、向こう揚幕から差し込むライトの光が、引幕に弾正の影を映すが、これが、大入道の
ように大きくなって行く不気味さ。やがて、大きな弾正の頭の影が、引幕に大写しになる。
これぞ、幻術。

大詰第一場「問註所小助対決の場」。世話物の対決。高足(たかあし、二重舞台のひとつ、
2尺8寸、つまり、約84センチあり、陣屋などの床に使われる)の座敷、中央に裁き役が
座り、上手に目安方(書記役)の侍が控えている。白州に跪く証言の関係者。黒羽織姿の同
心ふたり。上手の出入り口からお竹(孝太郎)登場。縛られている。やがて、下手の出入り
口から小助(菊五郎)登場。奪った金で小間物屋を営んでいる小助とお竹が、対決をするこ
とになる。裁判長に当たる吟味役は、横井角左衛門(齊入)だが、横井は、足利家の乗っ取
りを企む山名宗全派。小助からの賄賂もたっぷりもらっているようだ。初めから、結論あり
きで、お竹を断罪しようと、お竹の書いた手紙などを証拠採用している。身に憶えのないお
竹は、否定するが、聞き届けてくれない。ここで座敷奥より登場するのが、もうひとりの裁
き役で、細川勝元の家臣、倉橋弥十郎(松緑)。近習を連れている。町方の事件を裁くの
で、「表」のように、細川勝元に捌き役を任せられない。倉橋は颯爽と次々に証拠を出して
名奉行ぶりを演じる。

小助の小悪党と実直なお竹の対決。窮地に追い込まれているお竹。倉橋は、犯行時、行灯に
架けられていた渋紙を取り出す。紙には、多数の足跡が残されていた。小助に足跡との照合
をさせようとする。それまで余裕たっぷりだった小助も動揺する。さらに血潮の付いた襦袢
の片袖。小助が着ていた襦袢には、片袖が無かった。お竹が、道益から借りた小判に刻まれ
ていた足利家の極印も動かぬ証拠。小助の小判にも極印あり。これだけ証拠が揃えば、小助
は、有罪。さまざまな証拠を突き付けられ、「さあ、それは」ばかりを繰り返していた小助
は、倉橋弥十郎にやり込められ、その挙げ句、「恐れ入ったか」「恐れ入ったもんだ」とな
っての、一件落着で、「時計」の音。歌舞伎味が沸き上がる。道益の弟の宗益(権十郎)
も、200両の出どころと若君暗殺の毒薬作りを暴かれてしまう。幕。

大詰第二場「控所仁木刃傷の場」。「国崩し」の極悪人・仁木弾正を菊五郎がたっぷり見せ
てくれる。今回は、まず、次の間か。無地で茶色に、黒い縁取りのある板戸の部屋。一人、
肩衣をつけた渡辺外記左衛門(東蔵)が下手より入り、中央の小机の前に控える。そこへ、
上手から、肩衣なしの弾正(菊五郎)が、そっと入ってくる。外記左衛門に斬りつける弾
正。下手に逃げる外記左衛門。追う弾正。大道具が回る。

続いて、いつもの銀地に荒波の模様の襖と銀地に竜神の絵柄の衝立のある部屋へ。廻り舞台
で、展開して見せる。足利家の家督相続を巡る評定の結果を待つ場面と弾正刃傷の立ち回り
となる。

「刃傷」では、渡辺外記左衛門(東蔵)が、弾正に腹を刺されて瀕死の重傷を負いながら、
奮闘振りを見せる熱演が印象に残る。仁木弾正は、仇を討たれて、死ぬ。最後に登場する細
川勝元(錦之助)は、裏と表を締めくくる。「テレコ」狂言は、これにて、拍子幕。

贅言:それにしても、重症で、苦しそうな外記左衛門に、勝元は、

「痛手を屈せぬ健気な振舞い。悪人滅びて、鶴千代の家は万代、不易の門出、めでとう寿祝
うて立ちゃれ」ト謡になり、(略)

勝元、外記、交互に一節謡い、「めでたい、めでたい」というのは、いかにも、古怪な感じ
(瀕死の怪我人に、なにをさせているのか)が、いつも、残る。昼の部は、空席が目立った
が、「裏表先代萩」は、もっと見られても良い演目ではないのか。最後に菊五郎の小助と仁
木弾正のふた役は、世話物役者だけに小助に味があった。
- 2018年4月13日(金) 15:36:00
「戦死」した青年詩人と 
不登校の現代高校生の魂が時空を超えて響き合う 
               〜青年劇場公演「きみはいくさに征ったけれど」 


学徒出陣で、映画監督になる夢を断たれた天性の青年詩人が、戦死した。凍えた蛾みたい
に。1945年のことだった。 


「冬に死す」 
蛾が/静かに障子の桟(さん)からおちたよ/死んだんだね 

なにもしなかったぼくは/こうして/なにもせずに/死んでゆくよ/ひとりで/生殖もしな
かったの/寒くってね 

なんにもしたくなかったの/死んでゆくよ/ひとりで 

なんにもしなかったから/ひとは すぐぼくのことを/忘れてしまうだろう/ 
いいの ぼくは/死んでゆくよ/ひとりで 

こごえた蛾みたいに 

(「竹内浩三全作品集 日本が見えない 全1巻」藤原書店刊より) 


竹内浩三という詩人 


竹内浩三という青年がいた。知る人ぞ知る詩人。1921年から45年まで生き、24歳で亡くな
った。「なにもしなかったぼくは/こうして/なにもせずに/死んでゆくよ/ひとりで」と
いう詩片を遺して。 

裕福な商店の長男に生まれた竹内浩三は、1942(昭和17)年9月、日本大学専門部映画科
を半年間繰り上げて、卒業(1941年10月公布の勅令第924号に拠る)。在学中、伊丹万作
の知遇を得る。卒業の翌月(昭和17年10月)、三重県の中部第三十八部隊に入営。いわゆる
学徒出陣(神宮外苑で出陣式を催した日本人の「学徒出陣」は、1943年)だろう。その
後、滑空部隊(グライダー)、挺進連隊(落下傘部隊)などを経ている。 

この間、1944年1月から7月まで「筑波日記」に戦場生活などについて書いている。竹内浩
三は、持っていた宮沢賢治の詩集の中をくり抜き、そこに二冊の手帳(日記)をはめ込んで
姉のこうさんに密かに送った。姉は、両親を早く亡くした浩三の親代わりだった。出征前日
に撮影された浩三と姉、姪たちの写真が遺されている。 


その後、フィリピンへ。出征の3年後、1945(昭和20)年4月9日、「陸軍上等兵竹内浩
三、比島バギオ北方一〇五二高地方面の戦闘に於いて戦死」したという(1947年、三重県
庁公報)。「比島バギオ」とは、フィリピンのルソン島である。竹内浩三が所属した挺進第
5連隊歩兵大隊は、戦場にパラシュート(落下傘)などで降下し地上の戦闘に参加してい
た。 

戦死公報は、遺族に、竹内浩三の消息をこう伝えたが、姉の元に届いた箱は「空っぽだっ
た」という。国は何にも送ってこなかった。だから、厳密には、生死不明ということなのだ
ろう。 

贅言;ルソン島の戦いは、1945年から敗戦まで続いた。日本軍の司令官は、山下奉文大
将。挺進兵(空挺兵)・竹内浩三も、この戦さに投入され、空に散ったか、地に散ったか。
制空権をアメリカに奪われた日本軍。地上戦でも趨勢は見えてきて、劣勢となった残存兵た
ちは山岳地帯に逃れ、飢餓と戦いながら、消耗しつつ敗戦を迎えた。このうち、挺進工兵隊
の主力は挺進集団と離れてルソン島のバギオ付近で戦闘した、という。1945年4月9日、
竹内浩三は敵陣への切込隊の一員として出陣し、行方不明となったという。 


「きみはいくさに征ったけれど」 


その竹内浩三を主人公にした芝居「きみはいくさに征ったけれど」(大西弘記・作、関根信
一・演出)が3月13日から18日まで、東京・新宿の紀伊國屋サザンシアター
TAKASHIMAYA」で秋田雨雀・土方与志記念青年劇場の118回公演として上演された。年
内、12月以降、東海関東ほかでも順次公演される予定という。 

芝居のタイトル「きみはいくさに征ったけれど」は、竹内浩三の詩「ぼくもいくさに征くの
だけれど」に依拠していることは、容易に知れる。 

「ぼくもいくさに征くのだけれど」 
街はいくさがたりであふれ/どこへいっても征くはなし かったはなし/三ケ月もたてばぼ
くも征くのだけれど/だけど こうしてぼんやりしている 
  
ぼくがいくさに征ったなら/一体ぼくはなにするだろう てがらたてるかな 
  
だれもかれもおとこならみんな征く/ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど 
  
なんにもできず/蝶をとったり 子供とあそんだり/うっかりしていて戦死するかしら 
  
そんなまぬけなぼくなので/どうか人なみにいくさができますよう/成田山に願かけた 

(竹内浩三「骨のうたう(抄)」日本ペンクラブ電子文藝館より) 


青年劇場の芝居は、まず、冒頭、不登校の高校生(来生宮斗、2年生)がマンションの屋上
から飛び降りようとしている場面から始まる。手には、竹内浩三の本を持っている。愛読書
らしい。そこへ、訛りのきつい伊勢弁の青年が現れる。「なんしとん?」。 

今時の青年としては、服装も? 日大の徽章をつけた学帽をかぶり、白いワイシャツに黒ズ
ボンという格好だ。振る舞いや言動も何か奇妙なというか、風変わりな青年。 

これは、どうやら、伝えられる竹内浩三のイメージを尊重する演出らしい。浩三は、特大の
頭に型通りの帽子をかぶり、だらしなく巻ゲートルをつけて地元中学へ通学していた、とい
う。学校の勉強は全くしないが、頭は悪くなく、成績はまずまず。陽気でお人好し。厳粛さ
になじめず、教練の時に「気をつけ」がかかっても突拍子に笑いだした。ひどい吃音。運動
は苦手だった、という。竹内浩三を演じたのは矢野貴大。大阪出身で、伊勢弁の科白も楽し
んでいるようだ。 

舞台の青年は、どうやら高校生の飛び降りを阻止しようとしているらしい。高校生と青年の
やりとりで、青年が70年以上前、1945年に戦死したとされている竹内浩三だ、と次第に判
って来る。マンションから飛び降りようという高校生の緊迫感は、テンポも喋りも風変わり
な青年によって削がれてしまう。 

夏休み。来生宮斗は、母親(来生祥子)に頼まれて祖母(来生芳恵)が暮らす伊勢へ向かう
ことになる。暫く、祖母と暮らすためだ。その車中にも、風変わりな青年・竹内浩三が現れ
る。車中で青年に声をかけられて驚く宮斗。青年は、伊勢出身の「竹内浩三」と名乗り、自
分は幽霊だ、という。伊勢への旅で出会った伊勢出身の若い女性・藤原紗希。 

宮斗は、伊勢の祖母宅で暮らすようになる。自殺念慮のあった宮斗だが、奇妙な兄貴のよう
な竹内浩三、地元の藤原紗希、藤原紗希の両親(藤原泰三、信代)、それに、藤原紗希の恋
人(同棲していた)は、宮斗の高校の担任教師・磯部賢一だったのだが、磯部は、生徒指導
のまずさから宮斗を抑うつ状態に追い込んでいたこと、藤原紗希から別居を迫られているこ
となどが判る。このほか、竹内浩三の好きな人、おケイさん。竹内浩三の姉、宮斗の父親・
来生宮彦。こうして、伊勢おける宮斗の周辺の人々との関係解明が、宮斗の精神状態を少し
ずつ解きほぐして行くことになる。 

なぜか、宮斗の節目節目に現れる竹内浩三。「生きることは楽しいね/ほんとに私は生きて
いる」(竹内浩三の詩「三ツ星さん」より)。冗談を言い、「ここは、笑うとこやんか」な
どと、緊迫感ではちきれそうだった宮斗の精神状態に伊勢弁のユーモアが沁み通り、余白を
作って行く。そして、自分は、幽霊などではなく、宮斗が読んでいる竹内浩三の本から宮斗
自身がイメージして作り上げた幻像だと言う。宮斗は、マンションから一人で飛び降りて、
「ひょんと死ぬる」ことをやめようと思う。「だれもいないところで/ひょんと死ぬる」こ
とをやめようと思う。「ひょんと死ぬる」な。な。青年たちよ。 


「骨のうたう」(抄) 
戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ/遠い他国で ひょんと死ぬるや/ 
だまって だれもいないところで/ひょんと死ぬるや/ふるさとの風や/ 
こいびとの眼や/ひょんと消ゆるや/国のため/大君のため/死んでしまうや/その心や 

(竹内浩三「骨のうたう(抄)」日本ペンクラブ電子文藝館より) 


青年劇場の舞台では、高校2年生・来生宮斗は、現代を生きる竹内浩三だ。青年・竹内浩三
は、来生宮斗のうちに復活した。復活した竹内浩三は、来生宮斗として、生き直して行くの
だろう。輪廻転生。「戦死」した青年詩人・竹内浩三と不登校の現代高校生・来生宮斗の魂
が時空を超えて響き合う。 


青年・竹内浩三が、いま、生きていたら 


安倍政権が、日本社会をいびつに歪めてしまったと私は思っている。このところの安倍政治
の暴走ぶりを見れば、竹内浩三も怒るだろう。若い人たちの生活に政権の悪政はもろにぶつ
かって行く。現代の人口減の原因のひとつに、若い人たちが結婚しなくなった、いや、でき
なくなった、という事情がある。結婚しても、安心して子どもが産めなくなったので、人口
が減ってきた。 

メールマガジン「オルタ」171号の論文を引用する。元共同通信編集委員の栗原猛「20〜
30代の既婚者を年収で見ると、300万円以上は20〜30%だが、300万円未満では10%を切
る。30代の男性の既婚率は、正規社員は60%だが、非正規社員は30%と低い。安倍政権は
働きながら子供を産める環境づくりに取り組んでいるが、その前の段階にある結婚したくと
も結婚に踏み切れない『300万円』ラインの男女への取り組みも必要だ。このような格差が
固定化されると、社会不安を生むきっかけになりがちである」と分析している。 

竹内浩三の詩片が突き刺さってくる。 

「なにもしなかったぼくは/こうして/なにもせずに/死んでゆくよ/ひとりで/生殖もし
なかったの/寒くってね」(竹内浩三の詩「「冬に死す」より」 

竹内浩三よ、生殖をしよう。生殖をして、大事な命の連鎖を好きな女の子に託そう。暖かい
よ。生殖って。そして、生まれ出ずる生命を二人で育もう。生きることは楽しいよ。でも、
生活は苦しいよ。結婚もできない。生殖もできない。浩三さん、新しい生命など生み出せな
いよ。浩三さんの苦しみが判るよ。 

「演習 一」 
ずぶぬれの機銃分隊であった/ぼくの戦帽は小さすぎてすぐおちそうになった/ぼくだけあ
ごひもをしめておった/きりりと勇ましいであろうと考えた/いくつもいくつも膝まで水の
ある濠があった/ぼくはそれが気に入って/びちゃびちゃとびこんだ/まわり路までしてと
びこみにいった/泥水や雑草を手でかきむしった/内臓がとびちるほどの息づかいであった
/白いりんどうの花が 
狂気のようにゆれておった 

ぼくは草の上を氷河のように匍匐(ほふく)しておった/白いりんどうの花が/狂気のよう
にゆれておった/白いりんどうの花に顔を押しつけて/息をひそめて/ぼくは/切に望郷し
ておった 

(竹内浩三「骨のうたう(抄)」日本ペンクラブ電子文藝館より) 

特大の頭に兵隊の「戦帽」は小さすぎてすぐおちそうになっても、戦場でも、最期まで詩
を、文を書き続けていた、という竹内浩三。天空から押さえつけられるような鬱屈した思い
を抱きながら、生きてきたであろう竹内浩三。彼の残した詩片が、この世の居場所を失い、
この世から消えたいと自殺念慮にかられていた高校生の生命を救う。きみは死にたいと言っ
たけれど。「ほんとに私は生きている」(竹内浩三の詩「三ツ星さん」より)。 
- 2018年3月25日(日) 16:29:42
18年3月歌舞伎座(夜/「於染久松色読販」「神田祭」「滝の白糸」)


人間国宝の二人、仁・玉コンビ


夜の部の歌舞伎座は、玉三郎と仁左衛門を軸に展開する。前半は、若い役者たちに向けた、
人間国宝のベテラン二人の、いわばロールモデル演技。演目はふたつ。「於染久松色読販
(おそめひさまつうきなのよみうり)」、「神田祭」。このうち「於染久松色読販」を観る
のは、2回目。前回は、15年前、03年10月、歌舞伎座であった。南北原作の作品。長
い下積み生活の果てに、50歳を前に、やっと立て作者になった南北は、満74歳で亡くな
るまでの中年期こそ、彼にとっては、充実の「青春期」であったかも知れない。まあ、そう
いう時期ではあっても、水ものの興行の世界だ。当たり外れもある。1年余りの不当たりの
後、久しぶりに当てたのが、森田座上演の「於染久松色読販」であった。五代目岩井半四郎
の七役早替りが、当たったのだった。

大坂のお染め久松の物語を江戸に移すという発想をベースに、主家の重宝探し、土手のお六
と鬼門の喜兵衛の強請が絡む。しかし、基本は、「お染の七役」と言われるように、女形の
早替りをテンポ良く見せるという、単純な芝居(それゆえか、南北は、2年後、本格的にお
六を軸にした芝居「杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)」を書き、江戸の河原崎座で
上演する)。不当たり続きの南北が、当時、流行の早替りの演出を取り入れた捨て身の趣向
が当たったのだろう。

前回は、「新版お染の七役」というサブタイトル付で上演したように、7つの場面で構成さ
れていた。玉三郎が、「早替り」で替る役は、お染、久松、お光(「お染久松」の世界の3
役)、久松の姉で奥女中・竹川、後家の貞昌、土手のお六、芸者小糸。それぞれの役を早替
りで見せ、特に「悪婆(あくば)」と呼ばれる独特のキャラクターのお六をじっくり見せ
る、という趣向だった。早替りなどに慣れている澤瀉屋一門、先代の猿之助一座の芝居と違
い、早替りのテンポなどは、「ちょっと」という場面もあったが、玉三郎は「替わる急所を
しっかり押さえることが大事だと思います。七つの役がパッと浮かび上がって見えるよう
に。だから早替わりでなくて遅替わりになるかもしれません」と言っているから、そこは、
承知の上のようだったが、今回は、早替りのない演出となった。


同じ演目が「早替り」ものから小悪党の滑稽噺へ


今回は、序幕「小梅莨屋の場」と第二幕「瓦町油屋の場」のふたつの場面だけの上演だ。私
が観た前回の配役は、お六:玉三郎、喜兵衛:團十郎。今回は、お六:玉三郎、喜兵衛:仁
左衛門。前回の團十郎の喜兵衛も悪くはなかったが、今回は、この配役の妙で、息の合った
コンビネーションのよさに加えて仁左衛門の巧さもあり、45分程度の短い芝居が、逆に効
果的でとても印象に残った。

「悪婆」という独特の女形の型(毒婦。悪事を働く中年女という設定)のあるお六(玉三
郎)と元・中間で、今では「鬼門」というニックネームのついた喜兵衛(仁左衛門)の夫婦
(駆け落ちした男女)が登場する。芝居の背景になっている千葉家のお家騒動の元となった
重宝の刀紛失の鍵を握る男が、実は、この喜兵衛。盗んだ重宝を売り払い、百両という金を
手に入れ、すでに、使い込んでしまっていた。金の工面に思いついたのが、質店油屋(お染
の実家)に対する強請だが、これが、強請に使った「遺体」が、途中で、息を吹き返すとい
う杜撰な強請で、化けの皮がはがれるが、喜兵衛は、意外と、泰然自若としている、おもし
ろい男。

その場面を前に、まず、場内暗転。その中で、定式幕が、ザーという音を立てて舞台上手に
向かって開いてゆく。序幕「小梅莨屋の場」。「非人の市」という男が、河豚の毒にあたっ
て死んだという男の遺体を入れた棺桶をお六の営む莨屋に預けて行く。これと入れ違いにな
るように戻ってきたのが、「鬼門の喜兵衛」(仁左衛門)。折から莨を買いに来たのが、嫁
菜売りの久作(橘三郎)。来合せた髪結の亀吉(坂東亀蔵)に久作が、その日の「災難」の
話をする。災難とは、こうだ。油屋の手代九助と喧嘩になり、久作は額に傷を負わされたと
いう。そこへ通りかかったのが油屋の娘・お染との婚儀が取り沙汰されている山家屋の清兵
衛が、詫び代として、膏薬代と袷の着物を久作に渡した、という。その袷の直しを久作はお
六に頼んで、亀吉と共に立ち去る。久作の話を聞いていた喜兵衛が油屋への強請を思いつい
た、というわけだ。棺桶の遺体を利用して、久作の災難のその後をでっち上げ、油屋を強請
ろうと思いつき、お六も協力することになった。

この場面で、喜兵衛は、棺桶の遺体を取り出し、遺体の帯を解く。後で、遺体を駕籠に乗せ
て油屋に向かうことになるが、棺桶と遺体に絡む場面が、どうという場面でもないのだが、
最後に喜兵衛が棺桶の上に座り込む(昔の舞台の名場面写真が残っている見せ場)まで、所
作といい、幾度かの静止のポーズといい、歌舞伎の様式美で節々を決めた仁左衛門の演技が
なんとも決まっていて見ごたえがあった。歌舞伎の美学は、所作と静止ポーズを繋ぐ様式美
にこそある、と改めて思う。

この男・危険につき、注意! 15年前、喜兵衛を演じた團十郎もさることながら、今回の
仁左衛門も、存在感のある小悪党を過不足なく演じている。それを受ける玉三郎の芝居も、
肩に力が入っておらず、さらに味があり、「小梅莨屋の場」から、「瓦町油屋の場」までの
場面は、なんとも、印象的だった。他人(ひと)に頼まれて、自分が、重宝を盗み出して、
質店油屋へ質入れをし、その金を使い込んでしまい、依頼主から重宝を催促されて、質入れ
をした油屋に、平気で乗り込み、偽の「死体」で強請をかけ、しかもそれが失敗して、遺体
を運んだ駕籠を女房と二人で担いで逃げ帰ってゆくという、なんともしまらない話が、すこ
ぶるおもしろいのだ。

今回は、お六を前棒に、自分を後棒にして誰も乗せていない、空の駕籠を担いで逃げ帰って
きたが、本来は、この後、「油屋裏手土蔵」の場面で、喜兵衛は質店油屋の裏にある土蔵に
盗みに入る。その挙げ句、盗みに入った土蔵に居た久松(千葉家家臣で重宝紛失の責任を取
って切腹した石津九之進の息子。家名再興のために重宝の刀と折紙=鑑定書を詮議してい
る。そのために、油屋に丁稚奉公している)に見つけられ、久松に斬り殺されるという、発
想の単純な小悪党でもある。そのあたりの人物の描き方が、前回の團十郎も巧かったし、今
回の仁左衛門も巧い。

第二幕「瓦町油屋の場」。その翌日。油屋の店先に現れたお六は、久作から預かった袷の着
物を取り出す。きのう、怪我をした嫁菜売りは、自分の弟だが、傷が元で死んでしまった、
と偽り、金をせびる。お六は、外で待機していた夫の喜兵衛を呼び込み、遺体を乗せた駕籠
も運び込ませ、店内に遺体を放り出させる。

贅言;油屋に持ち込まれた袷の着物は、山家屋清兵衛が久作に渡したものかどうか、番頭
(千次郎)や丁稚らがチェックする場面で、「そだねー」という捨て科白(アドリブ)を言
って、場内の笑いを取っていた。歌舞伎は、時々、こういう捨て科白を入れ込むことがあ
る。

油屋の強請の場面では、お六と喜兵衛の間で思惑の違いもあり、この辺りの、玉三郎と仁左
衛門の対比も、おもしろい。遺体は、息を吹き返すし、死んだはずの久作が、きのうの礼を
言いにやってくるし、ということで、強請はチョンとなる。女形が、強請の主導権を握るの
も、珍しい。前回の見どころは、「早替り」と玉三郎と團十郎の「掛け合い」の二本立てだ
ったが、今回は、玉三郎と仁左衛門の小悪党夫婦の掛け合う滑稽噺というコンセプトに一つ
に巧くまとまっていて、判りやすく見ごたえがあった。


仁・玉の「神田祭」を堪能


「神田祭」としては、4回目の拝見。このうち、今回を含め、3回は孝夫時代を含む仁左衛
門と玉三郎のコンビ。江戸の祭は、神田明神の「神田祭」と赤坂・日枝神社の「山王祭」が
ある。このうち、「神田祭」の情景を描いたのが、舞踊の「神田祭」。本外題を「〆能色相
図(しめろやれいろのかけごえ)」という。1839(天保9)年、江戸の河原崎座で初
演。私が観た3年前、15年2月の歌舞伎座では、菊五郎の鯔背な鳶頭と時蔵を始めとした
芸者衆(時蔵、芝雀時代の雀右衛門、高麗蔵、梅枝、児太郎)、さらに大勢の手古舞(京
妙、梅之助、京蔵、菊史郎、芝のぶ、春花、蔦乃助、玉朗)や若い者が絡んで、明るく賑や
かに江戸の祭を活写していた。今回は、若い者との絡みの場面はあるものの、鳶頭(仁左衛
門)と芸者(玉三郎)の二人をじっくり見せる。

贅言;「山王祭」の方は、通称「お祭り」、あるいは、清元の出だしの文句から「申酉(さ
るとり)」。本外題を「再茲歌舞伎花轢(またここにかぶきのはなだし)」。歌舞伎には、
「お祭り」、「勢(きおい)獅子」(最後に、獅子舞が出てくる)、「神田祭」など同工異
曲の演目があるので、紛らわしい。

贅言;今回の歌舞伎座のチラシでも、当初は、「お祭り」という外題が印刷されていた。途
中から、「神田祭」。いずれも出演は、鳶頭:仁左衛門、芸者:玉三郎。

前回の趣向は、祭の曳きもの、練りものなどによる行列「附け祭」のうち、「大鯰と要石」
の神輿を登場させる。鯰を鎮め、地震を防ごうと祈願する。要石に鳶頭自身を見立てて、神
輿の上に乗り、大鯰の頭を踏み、天下太平を願う場面があったが、今回はシンプル。緋毛氈
をかけた床几に鳶頭が座り、その床几ごと若い者が鳶頭を持ち上げる場面は、前回の神輿の
代わりか、これは、初めて見たと思う。

私の印象に残るのは、仁左衛門の長い病気回復からの復帰の舞台で、鳶頭に扮した当時の孝
夫に、大向こうから「待ってました」と声がかかり、「待っていたとは、ありがてい」と孝
夫が科白で客席に返す場面だ。答える声に、健康を取り戻した役者の喜びが、溢れていたの
を思い出す。24年前の94年1月の歌舞伎座であった。この時は、「お祭り」(山王祭)
の舞台だった。この演目を観るたびに私はこの場面を思い出す。

今回印象に残ったこと。幕が開くと、舞台全面を浅葱幕が覆っている。浅葱幕振り落とし
で、舞台中央に仁左衛門の鳶頭。若い者二人との絡み。下手に剣菱の積みもの。やがて、花
道から玉三郎の芸者登場。本舞台の仁左衛門は、親しい芸者を見つけて、「おう」と手を挙
げる。役を演じているというのではなく、鳶頭になりきって知り合いの芸者を見つけて破顔
している、という感じそのまま。もう、それだけで、観客の気持ちを掴んでしまう。鳶頭と
芸者の踊り。若い者との立ち回りの絡み。

最後に花道の演出。二人は、もつれ合うように花道を去る場面。大向こうからは、「松嶋
屋」「大和屋」「ご両人」の掛け声。それに応えるように、花道七三で、イチャイチャする
二人。玉三郎の演じる芸者の頬に仁左衛門の鳶頭が唇をつけんばかりに接近する。あわや接
吻か、という場面で、仁左衛門が周辺の視線に気がついた、という体で、照れ笑い、苦笑
い。花道周辺の上手、下手の観客にそれぞれ詫びる仕草でお辞儀をしながら愛想笑いをす
る、という場面があり、ベテランの立役と女形の藝の滋味のようなものを感じた。巧いね。
この味は、この二人以外には、なかなか出せないのではないか。


玉三郎演出の「滝の白糸」


「滝の白糸」は、今回、初見。これは、玉三郎演出でも、やはり、新派の舞台に近い。泉鏡
花が1894(明治27)年に発表した初期の短編小説「義血侠血(ぎけつきょうけつ)」
が原作。1895年、東京駒形浅草座で「滝の白糸」という外題で初演された。川上音二郎
の村越欣弥、藤沢浅二郎の白糸ほか。1933(昭和8)年、東京劇場で、花柳章太郎が初
役で白糸を演じた際、初めて水芸の場面が取り入れられた。これ以降、この場面が見せ場の
一つになった。
花柳章太郎、初代水谷八重子が白糸を演じ続け、新派の人気狂言になった。坂東玉三郎も演
じたが、今回は、玉三郎は演出に回り、尾上松也の村越欣弥、壱太郎の白糸という、浅草歌
舞伎のノリのフレッシュな顔ぶれで、歌舞伎界は、花形以前の若手役者を多数使って、藝の
伝承と研修を図る。歌舞伎界の将来を気にかける玉三郎らしい英断だと思う。

今回の主な配役は、次の通り。
滝の白糸が壱太郎、村越欣弥が松也、春平が歌六、南京寅吉が彦三郎、松三郎が坂東亀蔵、
お辰が歌女之丞、桔梗が米吉、撫子が玉朗、裁判長が吉之丞ほか。

今回の場面構成は、次の通り。
第一幕「石動棒端の茶屋」、第二幕第一場「水芸の舞台」、第二場「卯辰橋」、第三幕第一
場「場末の楽屋」、第二場「金沢兼六公園」、第三場「それに続く桐田邸」、第四幕第一場
「数年後の石動茶屋」、第二場「金沢の法廷」。

初見なので、コンパクトながら、あらすじも記録しておこう。
「緞帳」が上がると、第一幕「石動棒端の茶屋」。石動は、現在の富山県小矢部市石動町。
現在の石動駅は、あいの風とやま鉄道線の駅。小矢部市を代表する駅で、富山県内の鉄道駅
で最も西に位置する、という。1898 (明治31)年、北陸本線金沢 - 高岡間の開業と
同時に石動駅が開設された。富山県の西の玄関口として発展した。

贅言;泉鏡花の原作「義血侠血(ぎけつきょうけつ)」(ここでの表記は新字新仮名にし
た)では、

「越中高岡より倶利伽羅下(くりからじた。倶利伽羅峠の下)の建場なる石動(いするぎ)
まで、四里八町(ざっと17キロ)が間を定時発の乗り合い馬車あり」と書いている。


この芝居は、それ以前の乗合馬車の時代の石動が描かれる。元々、北陸道の倶利伽羅(くり
から)峠の麓の宿場町。また、明治中頃までは小矢部川の河港としても栄えた。棒端とは、
宿場・宿駅の外れ(出入り口)。芝居で設定された、この時代は、乗り合い馬車の停車場。
停車場にある茶屋(建場茶屋)は、今で言えば、ターミナルの待合室という感じ。茶屋に
は、老婆が宿駅(建場=江戸時代、街道筋で人足が駕籠や馬を止めて休息した所。明治以
後、人力車や乗合馬車などの集合所・発着所となった )を利用する旅人たちの世話役として
働いている。守若が老婆を演じているが、存在感があって、なかなかよろしい。

茶屋は大部分が土間で床几が置いてあり、待合室という雰囲気が伝わって来る。上手に別間
があり、今は、青い蚊帳の中で誰かが寝ている。蚊帳の外には、手鏡、団扇、衣装入れなど
が置かれている。富山の薬売りが二人で入ってくる。水芸(みずげい)一座の一行を出迎え
に来た太夫元(芝居興行の責任者)の青柳太吉(秀調)と水芸一座の先乗り新助(千次郎)
も入ってくる。別の間に寝ていたのは、水芸一座の太夫(スター)・滝の白糸(壱太郎)だ
った。白糸は、馬丁の「欣さん」と呼ばれる男に横抱きされて、ここまで運び込まれたなど
と話す。

贅言;鏡花の原作では、オープニングのハイライト場面として、乗合馬車の御者の「金さ
ん」が、商売敵の人力車と競争し、途中で、2頭立ての乗合馬車を停めて、馬車の1頭の馬
に白糸を横抱きに乗せて、石動まで走ってきた、という場面が描かれている。

茶屋に遅れて到着したのは、水芸一座の男衆・松三郎(坂東亀蔵)、水芸仲間の桔梗(米
吉)、お辰(歌女之丞)、白糸の弟子・尾花ほか(右若ほか)、座頭の春平(歌六)で、春
平は、白糸の話を聞くと軽率な行動だと咎める。白糸たちが出て行くと入れ違いに出刃打ち
芸人・南京寅吉(彦三郎)一座が到着する。

新派劇なのに、閉幕は、「定式幕」が上手から下手に向かって閉まってゆく。馬の展開の際
の開閉幕は、定式幕が多用される。玉三郎の歌舞伎演出の始まり。第一幕を見た限りでは、
これは完全に新派劇。役者が皆、歌舞伎役者というところは、歌舞伎劇。私の関心は、歌舞
伎味がどこまで出せるか、にある。

第二幕第一場「水芸の舞台」。下手から定式幕の外に口上役の松三郎(坂東亀蔵)が出てく
る。「東西、これからお目通りに控えさせましたるは、当座の太夫滝の白糸にござります
る」などと言った後、下手から幕内に戻ると、定式幕が開き始める。開幕すると、そこは全
て水芸の本舞台。太鼓橋の上、中央に白糸太夫(壱太郎)、両脇に桔梗、尾花ら6人が並
ぶ。刀や扇子などの小道具から細い水を噴き上げさせる。

贅言;水芸とは、徳川時代から続く水を用いた一種の手品芸。演芸場などの演目にもなって
いる。「水からくり」と呼ばれる。舞台裏や足元などで手押し(あるいは足でペダルを踏
み)ポンプを押し、衣装の下などに蜘蛛の巣のように張り巡らせた細い導水管を通して水を
送り出す。現在も日本的なマジック(手妻)として受け継がれている。水芸をたっぷり見せ
る場面だが、壱太郎らも、なんとか無事に芸の披露を終えた、ところで、定式幕が閉まる。
第二幕第一場は、歌舞伎座が水芸の芝居小屋になった、という想定。

第二場「卯辰橋」。暗転の中、定式幕が開く。夜も更けた。浅野川にかかる卯辰橋(卯辰山
の表玄関に位置する橋、天神橋)の橋詰に姿を現したのは、白糸太夫(壱太郎)。真っ赤な
ものを羽織っている。暗闇の中でも目立つ。舞台上手の橋場から白糸は河原へと降りる。川
べりに舫っている小舟の中で寝ているのは、村越欣弥(松也)だ。目を凝らした白糸は、男
が「欣さん」だと判じる。この芝居の主役のカップルの再会の場面。目を覚ました男は、身
の上話をする。元金沢藩の家臣の息子。父を亡くし、学校を中退し、母親を養うために馬丁
をしているが、学問を志す気持ちは捨てていないという。男の話を聞いて、白糸は、学資援
助を申し出る。二人は、やっと、本名を告げ合う。

第三幕第一場「場末の楽屋」。3年後。金沢の福助座。ドサ廻りの芸人たちの姿が描かれ
る。滝の白糸一座と南京寅吉一座が出演している。二つの一座は、仲たがいしているよう
だ。白糸一座と南京一座の楽屋は、廊下を挟んで向かい合っている。両一座の間でトラブル
がいずれは暴発しかねない。一方、白糸が金の工面に苦労しているのは、欣弥への援助のた
めらしい。戻ってきた寅吉が
白糸一座の楽屋の出入り口の近くで、盗み聞きしている。

第二場「金沢兼六公園」。白糸一座の桔梗(米吉)と南京一座の撫子(玉朗)が、下手から
夜も更けた兼六公園にやってきた。寅吉らにいじめられているので、南京一座から抜けたい
という撫子をなだめて、小屋へ連れ帰る桔梗。入れ違いに上手から公園に現れたのは、南京
寅吉ら一座の3人。白糸を待ち伏せし、やがて現れた白糸に襲いかかると、白糸が欣弥のた
めに借金した百円を奪い取って、花道から逃げてしまう。犯人が寅吉らだと悟った白糸は寅
吉からちぎり取った寅吉の片袖と寅吉が投げつけてきた出刃を手にして、薄暗闇の中、茫然
と花道に向かう。暗転で、廻り舞台が、静かに廻る。

第三場「それに続く桐田邸」。兼六公園に近い高利貸しの桐田老人の屋敷。花道から本舞台
に戻ってきた白糸。桐田邸の内部に薄明かりがある。「助けてください」などと言いなが
ら、白糸は、鍵のかかっていない邸内に入り込む。裏木戸から出てきた老人とともに邸内に
姿を消す。屋敷内から「泥棒、人殺し」などという老人の声の後、茫然自失の白糸が中から
出てくる。手には出刃包丁が握られている。

贅言;芝居では、桐田老人を殺すだけだが、鏡花の原作では、白糸は、老人夫婦二人を殺
し、特に、妻には、姿を見られていて、犯人は女と判ってしまうので、殺したことになって
いる。

第四幕第一場「数年後の石動茶屋」。事件から数年後(原作では、事件から数ヶ月後)。茶
屋の女将(京蔵)は、代替わりで、若返っている。茶屋には、様々な人々が出入りする。水
芸一座のほかでは、猿回し、行商の男、三味線弾き、巡査、祭文語り、娘軽業、俥夫、巡
礼、郵便配達夫。玉三郎演出は、江戸の南北ばりに庶民の姿を描こうとしているようだ。お
もしろい。

桐田老人を殺めた疑いで、寅吉らが捕まった。殺人現場には寅吉の出刃と片袖が落ちてい
た、という。水芸一座は馬車を待っている。それでも、事件の翌朝、白糸が東京の欣弥に手
紙とともに為替を送っているので、白糸も警察に事情を聞かれたのだ。茶屋で馬車を待つ白
糸を訪ねてきた巡査は、白糸を裁判所に同行させる。一座の一行も出発する。これと入れ違
うように欣弥(松也)が母のおえつ(吉弥)とともに茶屋に現れる。通りかかった郵便配達
夫(寿治郎)は、渡された名刺から欣弥が、金沢裁判所に赴任する検事代理と知る。定式幕
が閉まる。

第二場「金沢の法廷」。定式幕が開くと、法廷。中央の裁判長(吉之丞)が、審理を進め
る。舞台上手側は、傍聴席のようだ。法廷内には、被告の寅吉(彦三郎)のほか、証人の春
平(歌六)、白糸(壱太郎)にも続けて喚問する。白糸は、金を送った相手への想いを交え
ながら、寅吉たちに金を奪われていないと答える。(金を奪われていないから、自分は他人
を殺して金を奪う必要などない。)これを聞いた裁判長は白糸に退廷を促す。しかし、検事
の欣弥が白糸への尋問を要求する。欣弥は真実のみを語って欲しいと白糸に説く。白糸は、
終に、寅吉らに金を奪われたと話し出す。欣弥は、白糸の起訴を裁判長に申し出ると、退廷
してゆく。この間、壱太郎の白糸は、終始、客席には立ったままの後ろ姿しか見せていなか
ったように思える。古い写真を見ると、白糸は観客に横顔を見せたりしている。欣弥の言葉
を聞き、泣き崩れる白糸。抱き起こされ、こちらを向いた白糸は舌を噛んで自害している。
法廷外から銃声が聞こえる。献身的に援助してくれた白糸を死なせた責任を感じて欣弥が自
害したのだ。この場面は、玉三郎演出。

終演となり、最後は、「緞帳」が下りてくる。新派劇「滝の白糸」の初めての歌舞伎劇化し
た舞台は、その心意気は興味深かったが、歌舞伎味は、もう一つだったように思う。後半の
部分は、原作とはかなり違う。今後の歌舞伎再演を期待したい。

贅言;泉鏡花の原作「義血侠血(ぎけつきょうけつ)」では、最後の場面は、次のようにな
っている。

 「これに次ぎて白糸はむぞうさにその重罪をも白状したりき。裁判長は直ちに訊問を中止
して、即刻この日の公判を終われり。検事代理村越欣弥は私情の眼を掩(おお)いてつぶさ
に白糸の罪状を取り調べ、大恩の上に大恩を累(かさ)ねたる至大の恩人をば、殺人犯とし
て起訴したりしなり。さるほどに予審終わり、公判開きて、裁判長は検事代理の請求は是な
りとして、渠に死刑を宣告せり。
 一生他人たるまじと契りたる村越欣弥は、ついに幽明を隔てて、永く恩人と相見るべから
ざるを憂いて、宣告の夕べ寓居の二階に自殺してけり」。
- 2018年3月12日(月) 10:20:03
18年3月歌舞伎座(昼/「国性爺合戦」「男女道成寺」「芝浜革財布」)


四代目雀右衛門追善供養の「道成寺」


3月の歌舞伎座は、1〜2月の高麗屋三代同時襲名の華やかな舞台が無事大団円となり、い
わば普通の興行月になった。とはいうものの、2月23日が四代目雀右衛門の命日だったこ
とから、3月の舞台で、雀右衛門七回忌の追善狂言として、「男女道成寺」が上演された。
まず、この演目から書いておこう。

「男女道成寺」は、6回目の拝見。幕が開くと、太めの紅白の横縞の幕を背景に、舞台中央
に大きな鐘が宙づりになっている。この幕が上がると、やがて、背景は、紀州道成寺の遠景
で、「花のほかには松ばかり」という満開の桜の景色となる。下手に桜木。「鐘供養當山」
の立札。その昔、恋に破れた清姫の怨念で、焼き尽くされた鐘が、再興されたのだ。
 
私が観たのは、初めが、94年5月、丑之助時代の菊之助と菊五郎の親子。丑之助が、花子
で、菊五郎が桜子、実は左近。以下、配役の順番は同じ。次いで、04年9月、福助、橋之
助時代の芝翫の兄弟。07年4月、勘三郎(十八代目)、仁左衛門(十五代目)。いずれ
も、歌舞伎座で、拝見。11年4月、新橋演舞場で菊之助と松緑。16年5月、歌舞伎座で
菊之助と海老蔵。6回目の今回は、当代、五代目の雀右衛門と松緑。

この演目は、「二人道成寺」のように、花子、桜子のふたりの白拍子として登場するが、途
中で、桜子の方が、実は、といって、狂言師・左近として正体を顕わすところにミソがあ
る。「二人道成寺」では、桜子は花子のいわば「影武者」的な存在。「男女道成寺」では、
桜子は、左近がなりすました白拍子だが、なぜそういうことをするのかは、不明。松緑の桜
子は、目がぱっちりしていて可愛らしい。なかなか、松緑の女形姿など拝む機会がないの
で、これはこれでおもしろかった。左近は正体がバレても、寺側の所化たちから特にとがめ
立てもされずに、引き続き舞い続けるように所望される始末。以後は、若い女性の花子の舞
いと若い男性の左近の舞の対比の妙味を見せる演目となる。「二人道成寺」とは、一味違っ
てくるという趣向だ。

もっとも、所化たちも、鐘供養に酒や肴をこっそりと持ち込んでいるので、行楽気分である
ことも否めない。女人禁制の道成寺とあって、本来なら禁じられている女性が鐘供養の鐘を
拝み、奉納の舞を舞うことで、入場が許されただけに、女子が男性だったとなれば、禁制の
度合いがかえって弱くなるとでも、思っているかもしれない。

その後の展開は、基本的に、「道成寺もの」の定番に似ている。真女形の雀右衛門は、さす
がに、女形らしい体の動きを滲ませつつ、安定した踊り。やがて、左近の正体露見で、ま
ず、所化に囲まれて、頭のみ、野郎頭とし、つまり、桜子の鬘を取り、左近の地頭という形
(なり)の鬘となった後、松緑もコミカルに対応。

松緑は衣装を替えて、すっきりと再登場する。若い二枚目となる。花子は、いつもの「道成
寺もの」同様に、引き抜き含めて、何度も衣装を替える。華も実もある花子であった。「京
屋!」。屋号の掛け声が、大向うから仕切りに掛かる。

今回は、冒頭、所化が本舞台に集合したところへ、上手から明石坊(友右衛門)が、登場し
て、一芝居の後、「劇中口上」の演出で、先代雀右衛門の「京屋」の長男としての大谷友右
衛門として父親の七回忌追善狂言を次男の当代雀右衛門を軸に上演することを観客に伝える
場面があった。

大団円。三味線の早弾き。鐘が、落ちて来て、花子(雀右衛門)は、鐘の上に上がって蛇体
(赤地に金の鱗模様の衣装)の清姫の霊として正体を顕して、大見得。左近(松緑)は、同
じく、蛇体(黒地に金の鱗模様の衣装)の正体を顕して、平舞台鐘の下手に立ち、同じく大
見得。二人合わせて、清姫の亡霊だったとわかる。一体の清姫の亡霊が、観客や所化には、
二重に見える、という趣向。

追善供養に参加した所化たちの名前を記録しておこう。
歌昇、竹松、壱太郎、廣太郎、米吉、橋之助、男寅、(中村)福之助ほかで、総勢16人。


上方の役者・愛之助が江戸歌舞伎の荒事に初役で挑戦


「国性爺(こくせんや)合戦」は、徳川幕府の鎖国時代に育まれた歌舞伎では珍しい国際も
のの芝居。私は、今回で、5回目の観劇となる。いつも場面構成が、微妙に違う。

初めて見たのは、98年12月、歌舞伎座であった。この時観た猿之助一座の舞台は、人形
浄瑠璃の全五段をすべて見せたので、いかにも、「戦史」という印象であった。歌舞伎の場
面構成は、「大明御殿」から「南京城」まで、16場面だった。03年4月、歌舞伎座は、
場面が整理され、コンパクトになっている。平戸海岸、千里ケ竹、獅子ケ城楼門、甘輝館、
紅流し、元の甘輝館。つまり、「平戸海岸」から「元の甘輝館」まで、6場面。10年11
月、国立劇場は、「大明御殿」から「元の甘輝館」まで、7場面。12年10月、新橋演舞
場は、「楼門」から「元の甘輝館」まで、4場面。そして、今回は、前回の新橋演舞場同
様、4場面という構成。つまり、「楼門」、「甘輝館」、「紅流し」、「元の甘輝館」とな
る。

「国性爺合戦」は、もともと、17世紀の中国の歴史、「抗清復明」の戦いと呼ばれた明国
再興のために清国に抗戦した歴史、なかでも、史実の人物、日明混血の鄭成功(前名、和藤
内)の物語を題材にしている。史実の鄭成功は、「国姓爺(こくせんや)」と呼ばれた。鄭
成功は、清に敗れた後、台湾を攻略し、そこを活動の拠点にした。

近松門左衛門は、「明清闘記」という日本の書物を下敷きに、「国性爺合戦」を書いたとい
うから、これは、まさに、国際的な「戦記」である。1715(正徳5)年、竹本座で初演
された近松門左衛門原作の人形浄瑠璃は、全五段構成。韃靼(だったん)に滅ぼされた明の
再興を願う和藤内(後に、鄭成功)は、姉(父親の先妻の娘)の錦祥女が、甘輝将軍に嫁い
でいるという縁を利用するため、大陸に渡る。韃靼に従っている甘輝将軍に対して、義弟の
和藤内が、日明混血という立場を生かして、実の父母(父親の後妻)とともに韃靼征伐への
旗揚げ協力を要請に行くという物語である。

老一官(東蔵)は、その昔、明の官僚だったが、日本に密航し、日本人の妻・渚(秀太郎)
と結婚し、長男・和藤内(愛之助)を生んだ。明滅亡の危機という情報を得て、明再興のた
め家族を連れて、祖国に戻る。頼るのは、老一官の先妻の子どもで、長女にあたる錦祥女
(扇雀)。錦祥女が明の将軍・甘輝(芝翫)の夫人になっているからだ。権力者の妻になっ
ている娘を頼って帰国したある在日中国人一家の前に待っているのは、どんな物語か、とい
うところで、歌舞伎の幕が開く。

贅言;韃靼とは、本来モンゴル系の遊牧部族タタールを指した中国側の呼称。タタール部は
11〜12世紀においては、モンゴル族の中でも多数を占めていたという。その後、12世
紀末〜13世紀初め,モンゴル部にチンギス・ハーンが出現し,モンゴル帝国が出現するに
及んでタタール部の力は衰えていった。

「戦記もの」ながら、見どころは、和藤内から見て、実母の渚と腹違いの姉の錦祥女とい
う、義理の母娘が、重要なポイントになる、というのがおもしろい。

私が観た和藤内は、猿之助、吉右衛門、團十郎、松緑、そして、今回が愛之助。このほかの
配役は、錦祥女が、玉三郎、雀右衛門、藤十郎、芝雀時代の当代、五代目雀右衛門、そして
今回が、扇雀。甘輝が、梅玉(2)、段四郎、富十郎(病気休演の仁左衛門の代役)、そし
て、今回が芝翫。父・老一官が、左團次(3)。歌六、そして今回が東蔵。母・渚が、秀太
郎(今回含め、2)、九代目宗十郎、田之助、東蔵。東蔵は、父・老一官も母・渚も演じて
いるのですね。今回は、顔つきが痩せていて、彌十郎が演じているのかと見間違えた。科白
を言う口跡も似て聞こえたから、不思議だ。

今回は、みどり上演で、序幕「獅子ヶ城楼門の場」、第二幕第一場「獅子ヶ城内甘輝館(か
んきやかた)の場」、第二場「同 紅流しの場」、第三場「同 元の甘輝館の場」という場
面構成。ここが、「国性爺合戦」で、いちばんの見どころとして、演じられる。軍師・和藤
内は、老いた両親を連れての登場である。ファミリーで戦争へ行くという発想も、衝撃的で
あるし、非日常的なものがある。戦のなかで翻弄されるふたつの家族の物語。和藤内一家と
和藤内の義理の姉・錦祥女(扇雀)、そして錦祥女の夫・甘輝(芝翫)の夫婦が、物語の軸
になる。

まず、序幕「獅子ヶ城楼門の場」では、和藤内が、金の獅子頭が飾られている楼門の外から
城内に呼び掛け、甘輝ヘの面会を求めるが、断られる。この後、和藤内は、暫くは、あま
り、仕どころが無い。

次に、老一官が、娘の錦祥女に逢いたいと申し出る。やがて、楼門の上に錦祥女が現れ、
「親子の対面」となるが、親子の証拠を改めるという場面である。幼い娘に残した父の絵姿
と見比べながら、楼門の上から、月の光を受けて、鏡を使って父親を確かめる娘。楼門の上
と下という立体的な「対面」も、劇的な趣向が良い。

父と娘と、お互いに本物と知れても、戦時下のことゆえ、異国人の家族は、城内に入れるな
という韃靼王の命令で、入場厳禁という。

そこで、母・渚の仕どころとなる。縄を打たれ、縄付きの人質になるから、義母(渚)を城
内に入れてほしいと義理の娘(錦祥女)に頼む。渚は、いわば、全権大使の役どころ。それ
は、聞き入れられる。和藤内らは、甘輝の面会の是非の判断は、化粧殿(けわいでん)の鑓
水(やりみず)に流す「紅白」の合図(紅=是か、白粉=非か。後の「紅流し」の場面に繋
がる)を決めて、両手を後ろ手に縛られた渚を城内に引き入れる。

第二幕第一場「同 甘輝館の場」。甘輝は、芝翫。だが、この場面の主役は、女形たちであ
る。和藤内の母・渚(秀太郎)。甘輝の妻・錦祥女(扇雀)。特に渚は大活躍することにな
る。

夫婦の縁で、義弟の味方をしては、将軍としての体面が保てない。和藤内に味方するために
は、妻の錦祥女を殺さなければ韃靼王に対して面目が立たないと、甘輝が、錦祥女に刀を向
ける場面では、両手を縄で後ろ手に縛られていて不自由な渚が、口を使って、ふたりの袖を
それぞれに引き、諌める場面が、良い。夫・老一官の先妻の娘への、継母の情愛が迸って来
るのが判る。互いの立場を慮る真情は、いまにも通じる。「口にくわえて唐猫(からねこ)
の、ねぐらを換ゆるごとくにて」という竹本の語りがあるように、「唐猫のくだり」という
名場面だ。夫の面目を立て、父と義弟のために、喜んで命を捨てるという錦祥女。継母とし
ては、義理の娘の命を犠牲にするわけにはいかない、一緒に死ぬという渚。家族の情愛、特
に、母性愛の見せ場だ。

歌舞伎の「三婆」は、通説では、「盛綱陣屋」の「微妙」、「菅原伝授手習鑑」の「覚
寿」、「廿四孝」の「越路」だが、「越路」の代わりに、「国性爺合戦」の「渚」を入れる
説もある。それほど重要な役なのに、近松の原作には、母の名前が無かった。それで、歌舞
伎では、「渚」という可憐な名前がついた。初役ながら、前回に続いて2回目の渚を秀太郎
は熱演で応えてくれた。

「甘輝館」の御殿の壁は、緑地に金のアンモナイトの図柄。御殿から鑓水に架かる小さな橋
で繋がる上手の化粧殿は、紫の帳(とばり)が、垂れ下がっている。いずれの緞帳も、蝦夷
錦という。ここで、錦祥女は、左胸に抱えた瑠璃の紅鉢から、紅を流すのだが、実は、これ
は、紅では無く、自分の左胸(つまり、心臓)を刺した血であるが、赤布で表現される「紅
流し」は、まだ、観客には、底を明かさない。だが、甘輝が、渚を和藤内の元へ送り返そう
と言ったとき、錦祥女は、白糊(おしろい)流しと紅流しの合図があるから、それを見て和
藤内が母を迎えに来ると答えるが、このときは、もう、錦祥女は、瀕死への坂を転がり始め
ている。紅布は、水布の上に載せられ、上手へと移動して行く。

場面展開となり、御殿の大道具のうち、化粧殿は、舞台上手に、御殿や石垣は、舞台下手
に、それぞれ引き込まれる。引き道具の石橋が、奥から押し出されてきた後、さらに、舞台
前方へと押し出されて来る(大道具の「押し出し」は、九代目團十郎以降の演出という)。

第二幕第二場「同 紅流しの場」。橋の上には、紫地木綿に白い碇綱が染め抜かれた衣装の
和藤内がいる。右手に持った竹の小笠で顔を隠している。左手には、松明。背には、化粧簑
を着けている。舞台のさらに奥は、川の上流の体。下手は、城壁の塀。城内は、たちまちに
して、城外に早替り。

「赤白(しゃくびゃく)ふたつの川水に、心をつけて水の面」というのが竹本の文句。橋の
下の水の流れを注視している。やがて、紅(赤い布)が、流れて来る。「南無三、紅が流る
るワ」で、顔を見せると、和藤内の隈が、前半の場面の一本隈から筋隈(二本隈)に変わっ
ている。怒りに燃えて、顔に浮き出る血管が、増えていることになる。人質の母を助けよう
と急ぐ和藤内。それを阻止しようとする下官たち。和藤内は、下官たちとの立ち回りの末
に、黒衣が、黒幕で包んで持って来た下官の胴人形を下官たちの群れに投げ入れる。最後、
愛之助は「両手」を拡げた、飛び六法で花道の引っ込みとなる(「楼門」では、通常、「片
手」の、飛び六法で引っ込む)。

贅言;「飛び六法」は、歌舞伎では、「勧進帳」の弁慶の引っ込み、「車引」の梅王丸の引
っ込み、そして、「国性爺合戦」の和藤内の引っ込みだけで、演じられる。

石橋などの大道具が、先ほどの手順の逆で、奥へ引き込まれ、上下手の道具が、再び、押し
出されて、第二幕第三場「同 元の甘輝館」の場面へ。巧みな場面展開である。

甘輝館へ乗り込んだ和藤内は、母・渚を助け、縄を解く。甘輝と対決しようとする和藤内。
ここが見せ場の一つ。和藤内の元禄見得対甘輝の関羽見得。ハイライトの場面。そこへ、上
手の一間から錦祥女が出て来る。瀕死の錦祥女。命を掛けた妻の行動に和藤内への助力を約
束する甘輝は、さらに、和藤内を上座に座らせ、和藤内に名前を「鄭成功」と改めるように
勧める。甘輝・鄭成功の連繋に拠る韃靼征伐、明国の再興を目指すという旗揚げ。その一部
始終を認めた渚は、義理の娘同様の志で自死する。韃靼王を渚と錦祥女の仇とするために。
和藤内にとっての母と姉。甘輝にとっての妻と義母。ふたりの女性の命を犠牲にしての、男
たちの大団円。女たちが、物語の主軸になると、和藤内は、仕どころが無くなる。和藤内の
荒事芝居より、女形たちの情愛芝居の勝ち。

もともと「戦史」を下敷きにしている狂言だけに、ナショナリズム的な言辞が多い科白回し
だが、男たちの勇壮な戦への誘いのなかで、女たちは、死という形で、家族の絆を深めて行
く。和藤内=渚=錦祥女(=甘輝)。軸に位置するのは、渚である。「国性爺合戦」は、影
の多い狂言で、表面的な言辞と深層的な味わいが、共存している。この狂言、別の光を当て
れば、また、違って見えて来るはずだ。私は、戦の影を「荒事」演出に注目しながら、拝見
した。荒事演出を除けば、物語は、立ち役より、女形の方が、おもしろい。

舞台下手寄りで、両腕をぶっちがえにして、じっとしている和藤内。関節が抜けるほど苦し
いという。

「荒事の基本を学んだ」という愛之助初役の和藤内は、熱演だったけれど、女形たちの芝居
が印象に残った。


圓朝の人情噺「芝浜革財布」


「芝浜革財布」は、落語家三遊亭圓朝の人情噺を歌舞伎化したもの。この芝居は、軸になる
政五郎一家だけでなく、脇の役者衆が、江戸の庶民を、いかに、生き生きと演じるかに懸か
っている。拝見するのは、今回で5回目。私が観た政五郎は、菊五郎(4)、そして今回
は、初役の芝翫。政五郎女房のおたつは、松江時代を含む魁春(3)、時蔵、そして今回
は、やはり初役の孝太郎。

「芝浜革財布」は、夜明け前の芝浜(芝金杉海岸)の暗い海辺から始まる。真っ暗な場内、
暗闇のなかで、ぼうと赤い煙草の火がついたりするが、今回は、いきなり、くしゃみ。菊五
郎の演出を引き継いだのだろう。菊五郎は、この辺りは、巧い。朝焼けの海で、財布を拾う
政五郎(芝翫)。汚い財布に大金が入っていたので、慌てて、家に駆けて帰る。ドンチャン
騒ぎ。酔っぱらって、喧嘩。宴会の場面が、江戸の庶民像をリアルに描いて行く。寝込ん
で、目覚めると、財布を拾ったところは、夢で、ドンチャン騒ぎで、仲間に奢ったのは、現
実と女房のおたつ(孝太郎)に聞かされ、がっかりする政五郎。ぐうたらな生活を改め、真
面目に働いて、3年後の大晦日。実は、あれは、現実で、拾得物をお上に届けていたが、物
主不詳で、大金の所有権が、正式に政五郎になったという女房。偉い女房にぐうたら亭主も
改心という物語。めでたしめでたし。

芝翫は、時代物の時の科白廻しと違って、自然な無理のない発声で聞きやすかった。初役の
割には、きめ細かな演技を積み重ねていて、なかなか、よかった。

ほかの役者では、姪のお君を男寅が演じていたが、彼の女形も可愛らしい。政五郎の友人た
ちでは、大工の勘太郎(彌十郎)、左官の梅吉(松江)、錺屋金太(橋之助)、桶屋吉五郎
(中村福之助)など。ほかに納豆売り(松之助)、金貸おかね(梅花)、大家長兵衛(橘三
郎)、丁稚長吉(愛三朗、愛之助の部屋子から役者に。今回披露)。リアルの江戸の庶民像
が、浮かび上がって来る。

今月の歌舞伎座は、初役に挑戦が多い。玉三郎も後継作りに熱心に取り組んでいるようだ。
- 2018年3月10日(土) 17:08:22
18年3月国立劇場 (「増補忠臣蔵」「梅雨小袖昔八丈」)


菊之助初役の髪結新三


弥生の奥立劇場は、鴈治郎と菊之助のジョイント興行。鴈治郎は、「増補忠臣蔵」に出演。
菊之助は、「梅雨小袖昔八丈」に出演。

「増補忠臣蔵」は、別称、「本蔵下屋敷」は、とも言われる。私がこの演目を歌舞伎で観る
のは、今回が初めて。人形浄瑠璃では、2回観たことがある。「本蔵下屋敷」は、本来は、
「小芝居」の演目。常打ち官許の大(おお)歌舞伎に対抗して、寺社の境内で臨時に開催さ
れた江戸時代の宮地芝居は、近代に入っても、「小芝居」という形で、脈々と流れていた。
小芝居では良く、「増補もの」と呼ばれる「下屋敷もの」を演じる。

例えば、「増補菅原伝授手習鑑 松王下屋敷」。本編の「菅原伝授手習鑑」の五段目「寺子
屋」の前の場面という想定で、後世に加筆されたもの。「増補もの」は、人気狂言にあやか
ろうと、別の作者によって勝手に付け加えられた場面。これだけを独立して演じることが多
い。新しい狂言作りに苦慮した無名作者たちが、柳の下の泥鰌を狙って作ったようだ。「増
補もの」は、そういう成り立ち方ゆえ、小芝居、中芝居の舞台にかかったことが多かったの
で、作者の名前が、あまり残されていないことが多い。その数少ない貴重な演目のうち、
「増補桃山譚」、通称「地震加藤」は、河竹黙阿弥作だけに、逆に原作を食い、「増補も
の」として、歌舞伎事典にただひとつ記載されていた。九代目市川團十郎が制定した新歌舞
伎十八番のひとつとして残った。

今回国立劇場という大歌舞伎で上演された「増補忠臣蔵 本蔵下屋敷」は、鴈治郎初役の上
演だ。代々の鴈治郎が本編の「仮名手本忠臣蔵」で演じた若狭之助が登場する芝居というこ
とで、当代の鴈治郎が挑戦したという。従って、大歌舞伎では滅多に上演されない演目が国
立劇場で観ることができる、というのが、今回の興行のミソである。

「本蔵下屋敷」は、通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の九段目「山科閑居」場面の伏線となる状
況を芝居に仕立てられた。「仮名手本忠臣蔵」の、二、三段目「松切り」「進物場」(主
君・桃井若狭之助と家老・加古川本蔵が登場)の後日談という設定で、九段目「山科閑居」
(大星由良助と加古川本蔵が登場)に至る経緯の「隙間」を埋めようという作品。1878
(明治11)年、大阪大江橋座で、「仮名手本忠臣蔵」の七段目(「一力茶屋」)と八段目
(「道行旅路の嫁入」)の間で上演するために、別途に新作された。作者不詳。

なぜ、加古川本蔵は、若狭之助の元を去り、娘・小浪のために、命を投げ出して大星由良助
を助けるために山科へ行ったのか、なぜ、本草が高家の屋敷の図面を持って行ったのかなど
を観客に説明するために作った。説明的な話なので、なんとも説明「過剰」と思われる場面
が、随所にある。演出も若干くどい。

近代人から見れば、「仮名手本忠臣蔵」の加古川本蔵は、短気な社長・若狭之助の危機を救
う、いわば危機管理の達人なのだが、江戸の美意識から見れば、高師直側に妥協した「へつ
らい武士」と蔑まれた。武家社会の前近代性を批判して、明治になって別の作者の手で作ら
れた狂言。だから、新しい物語では、若狭之助は本蔵の危機管理に感謝をし、最後の場面で
「忠臣義臣とは汝が事。(略)ふつつり短慮止まつたもそちが蔭」。自分の短慮を反省する
という近代性を付加している。「通し」上演の際、七段目と九段目の間に入れて上演された
こともあると言うが、どの程度、七段目と八段目の間で上演されたものか。長続きはしなか
ったようだ。その後は、精々独立した狂言として上演されたのではないか。すでに触れたよ
うに、私は、人形浄瑠璃の出しものとしてこそ、2回観ているが、歌舞伎で観るのは、今回
が初めて、という辺りの事情とも通底するのかもしれない。

「本蔵下屋敷」の今回の場面構成は、次の通り。
第一場「加古川家下屋敷茶の間の場」、第二場「同 奥書院の場」。

第一場「加古川家下屋敷茶の間の場」。塩冶判官の刃傷事件以降、若狭之助から(主君の意
向を妨害したため)蟄居を命じられた加古川本蔵の下屋敷。若狭之助の妹・三千歳姫(梅
枝)は、塩冶判官の弟・縫之助と婚約しているが、事件の影響で婚礼は延期。事件関係者の
縫之助と接触せぬようにと、加古川家下屋敷に預けられている。本蔵成敗ということで主
君・若狭之助がお忍びで本蔵の屋敷を訪ねてきた。主君の伴をしてきた若狭之助の近習・伴
左衛門(橘太郎)は、三千歳姫に横恋慕している。姫を手に入れようと「殿の上意」と偽
り、祝言を迫って、姫からは嫌がられている。さらに、伴左衛門は、主君・若狭之助や家
老・加古川本蔵を殺し、主家乗っ取りを謀ろうと仲間と企み、茶釜に毒を入れる。その様子
を下手、廊下を挟んで茶の間の向かいの部屋から覗き見る本蔵(團蔵)。廊下の奥には、紅
葉の奥庭が見える。

伴左衛門は、三千歳姫を無理に連れて行こうとして本蔵に阻止される。伴左衛門は、逆に、
へつらい武士の汚名を主君に着せたとして本蔵の不忠を責める。そういうところに、本蔵成
敗の御錠が奥に待機していた主君よりあり、ふたりの立場が逆転となり、近習・伴左衛門は
家老・本蔵を縛り上げ、得意満面、奥庭の座敷にいる主君の前へと引き立てて行く。皆、舞
台下手奥へ入る。舞台が廻り始める。

第二場「同 奥書院の場」。奴らによって、奥庭に土壇場が設定される。そこへ、下手奥よ
り本蔵が引き連れられて来る。銀二の襖を開けて奥から主君・若狭之助(鴈治郎)が登場す
る。一旦、縄を掛けられ、奥庭の土壇場まで引かれた本蔵だが、彼の真意は、実は、主君に
はすでに理解されている。座敷から庭に降りた若狭之助は、本蔵に向けた刃を伴左衛門にむ
け直し、御家乗っ取りを企む悪人を斬り殺す。若狭之助は、本蔵に永の暇を告げる。

後は、真意解明となり、本蔵には、高家の屋敷の図面と虚無僧の衣装(袈裟)などが若狭之
助から与えられ、「仮名手本忠臣蔵」本編の九段目「山科閑居のば」へ繋がるようにできて
いる。行灯に灯が入る。

大星由良之助らがいる山科へ行けば、本蔵は死ぬことになるだろう。自分の命と引き換え
に、娘の小浪を由良之助の嫡男・力弥に約束通り、嫁がせたいと思っているだろう。若狭之
助は言う。「未来で忠義を尽くしてくれよ」。本蔵の命令で、茶坊主が毒薬入りに茶釜を運
び入れる。本蔵が茶の湯を上手庭先の鉢植えに注ぐと、葉が俄かに萎れ出す。伴左衛門の悪
たくみが暴かれる。主従の別れの場面では、上手障子の間が開かれて、三千歳姫の琴の演奏
がある。三千歳姫の座る障子の間、奥には、花車の掛け軸。この大道具だけで、若い女性ら
しい部屋の雰囲気が出る。若狭之助は、手燭を掲げて、本蔵の顔を何回も凝視する。25年
間の忠義を感謝する。三千歳姫も本蔵との別れを惜しむ。主君らとの今生の別れの場面であ
る。この後、舞台は、半廻しとなり、本蔵は花道から山科へ向かうことになる。

増補ものの特色かもしれないが、これでもかこれでもかと、強調する演出のくどさが感じら
れる。この後、観た黙阿弥原作の「梅雨小袖昔八丈」の科白と比べると筆力に劣るのが判
る。印象に残る科白が少ないか、あるいは、紋切り型の科白が多いのでは、と感じられる。


菊之助と松緑、二人の髪結新三


15年10月歌舞伎座で、黙阿弥原作の通称「髪結新三」こと、「梅雨小袖昔八丈」を観
た。世話ものの「髪結新三」は、同じく市井の人々を描いた「幡随長兵衛」同様に、明治に
入ってから、黙阿弥が五代目菊五郎のために書き上げた江戸人情噺である。「髪結新三」
は、前半は、颯爽とした髪結職人の姿、小悪党の性根を描く。後半は、小悪党ながら、底に
は、お人好しの面がある、滑稽な新三を描く。この新三の対照的な人間像こそ、この芝居の
面白さだろう。「髪結新三」は、「幡随長兵衛」の上演より、8年早い、1873(明治
6)年に、中村座で初演された。「幡随長兵衛」は、男気を結晶化させるような人物を描い
た。

明治期に入って上演された「髪結新三」には、初演した五代目菊五郎がその後上演を重ねた
工夫が色々残っている。六代目、そして当代の七代目菊五郎が、それに磨きをかけてきた。
今回初役で「髪結新三」に挑む菊之助には、それら音羽屋の先人たちの藝を引き継ごうとい
う熱意が感じられた。一方、六代目の指導のもと戦後になって、新三を継承したのは、十七
代目勘三郎と二代目松緑であった。

15年10月歌舞伎座で、「髪結新三」を演じたのは、二代目松緑の孫、当代の四代目松緑
であった。初役の髪結新三に挑戦したのである。今回の国立劇場では、菊五郎の嫡男・菊之
助が、やはり、初役で髪結新三に挑戦した。

松緑系統の髪結新三と菊五郎系統の髪結新三。それを今後演じるのが、松緑と菊之助。お互
いに、どう競い合って、それぞれの味わいを作り上げてゆくだろうか。そういえば、ここの
劇評では、先に、「一條大蔵譚」で、染五郎と菊之助を取り上げたことがある。幸四郎にな
った染五郎が襲名披露興行の大事な演目のひとつに高麗屋系統の演目ではない「一條大蔵
譚」を取り上げ、義父の吉右衛門から手ほどきを受け、初演したと伝えた。菊之助は、今
回、生世話物の「髪結新三」を松緑に遅れること3年で初役に挑戦した。こういう辺りに、
私は、菊之助の「兼ねる役者」に向けた意欲を感じて、非常に興味深いと思っている。

今回の劇評は、その辺りにこだわって書いてみようと、思う。
さて、今回の主な配役は、菊之助の髪結新三、梅枝の白子屋手代・忠七、梅丸の白子屋娘・
お熊、萬次郎の白子屋後家、亀蔵の家主・長兵衛、橘太郎の家主女房、権十郎の加賀屋藤兵
衛、咲十郎の肴売り新吉など。菊之助を軸に脇は、ベテラン、中堅に加えて若手が固めてい
て、今後精進してゆく菊之助の初役にとって、順当である。

前回の主な配役は、松緑の髪結新三、時蔵の白子屋手代・忠七、梅枝の白子屋娘・お熊、秀
太郎の白子屋後家、左團次の家主・長兵衛、右之助の家主女房、仁左衛門の加賀屋藤兵衛、
菊五郎の肴売り新吉など。こちらの方が、脇に回った配役が豪華だ。二代目松緑の二十七回
忌追善興行ということで、人間国宝の大物役者たちが脇に廻ってくれたからだ。果たして、
良かったのか、どうか。

私がこれまでに観た新三は、合わせて12回。幸四郎(3)、菊五郎(3)、勘九郎時代を
含め勘三郎(2)、三津五郎、橋之助、松緑、今回が菊之助。橋之助、松緑、菊之助辺り
が、あるいは、染五郎なども加わって、新たな髪結新三の人間像を描く競争で角突き合わせ
るようになるだろう。今後の舞台がとのしみだ。

このほか、後半の芝居をおもしろくさせるのは、深川富吉町の面々。まず、老獪な家主の長
兵衛は、弥十郎(4)、三津五郎(2)、左團次(2)團十郎、富十郎、團蔵。今回は、亀
蔵。家主の女房お角(かく)は、萬次郎(3)、鶴蔵(2)、亀蔵(2)、右之助(2)、
市蔵、鐵之助、今回が橘太郎。こうして、改めて、特に、お角を演じた役者の顔ぶれを見る
と、皆、癖があり、それゆえに味のある婆さんばかりで、この芝居の幅と奥行きを感じる。

前半の役どころでは、ほかに白子屋手代の忠七、娘のお熊、下剃勝奴、弥太五郎源七辺りが
印象に残る。今回の配役で言えば、白子屋手代の忠七を演じた梅枝、娘のお熊(梅丸)、下
剃勝奴(萬太郎)、弥太五郎源七(團蔵)。特に、女形の多い梅枝の手代役は、興味深かっ
た。下剃勝奴は、将来の新三役者。精々、先輩の新三像を真似る引き出しを増やしておくと
良い。

私は、この芝居では、中でも当代の菊五郎の新三が好きだ。亡くなった十八代目勘三郎は、
菊五郎に比べて、科白を謳い上げてしまう。このところ世話ものに意欲を燃やす幸四郎が、
世話もの役者の菊五郎と亡き勘三郎の間に、入り込んで来たという印象だ。幸四郎は、時代
ものの場合、演技過多で、私の評価を下げるのだが、なぜか、世話ものは、肩に力が入りす
ぎない所為か、世話ものというより、近代的な「市井もの」ということからか、幸四郎も、
菊五郎の新三に負けていないというのが、おもしろい。菊五郎は、この演目の後継のひとり
松緑に前回は、追善興行ということで、主役を譲った。そして、自分は、ご馳走役の肴売り
新吉で登場。もちろん、初役。私が観たのは、初日だった所為か、ちょっと、もたもたして
いたが、帰って場内の笑いを誘っていた。菊五郎の新吉は、松緑の新三を食っていたかもし
れない。新三に初鰹を食わせて、自分は、松緑を食っていたような気がする。

今回もそうだったが、序幕の白子屋見世先での新三の登場は、菊五郎型では、舞台下手から
出て来る。髪結の小道具を下げた「帳場廻り(店を持たず、出張専門)」の髪結職人。十八
代目勘三郎は12年5月の平成中村座の最終演で、黙阿弥の原作通りに花道から登場したと
いう。花道の出と下手からの出では、芝居の間が違う。余白が違う。12年12月、勘三郎
は逝去してしまう。いまは亡き勘三郎の歌舞伎の原点回帰の心意気や良し。勘三郎型の新三
を観てみたいものだ。当代勘九郎まで待たなければならないか。

この芝居のおもしろさは、舞台という空間がすっぽりと江戸行きのタイムカプセルに入って
いることか。黙阿弥は、当時の江戸の季節感をふんだんに盛り込んだ。梅雨の長雨。永代
橋。雨のなかでの立ち回り。梅雨の晴れ間。深川の長屋。初鰹売り。朝湯帰りの浴衣姿。
旧・江戸っ子の代表としての、町の顔役、長屋の世慣れた大家夫婦。新参者、つまりニュー
カマーの渡りの髪結職人。深川閻魔堂橋と担ぎの立ち食い蕎麦屋などなど。主筋の陰惨な話
の傍らで、この舞台は江戸下町の風物詩であり、庶民の人情生態を活写した世話ものになっ
ている。もともとは、1727(享保12)年に婿殺し(手代と密通し、婿を殺す)で死罪
になった「白子屋お熊」らの事件という実話。大岡政談(大岡越前守忠相の判決記録を元に
した話)のひとつ、「白子屋政談」の事件帖を素材とした。

絡む主人公は、上総生まれの新住民ながら、「江戸っ子」を気取る、ならず者の入れ墨新三
(「上総無宿の入れ墨新三」という啖呵を切る場面がある)。入れ墨は、犯罪者の印とし
て、左腕に線彫りが入っている。深川富吉町の裏長屋住まい。廻り(出張専門)の髪結職
人。立ち回るのは、日本橋、新材木町の材木問屋。江戸の中心地(ダウンタウン)の老舗
だ。老舗に出入りする地方出のニューカマー、新・江戸っ子が、旧・江戸っ子に対抗する、
という図式の話でもある。

ここは、落語の世界。特に後半の「二幕目」の深川富吉町の「新三内」と「家主長兵衛内」
の場面が、おもしろい。前半では、強迫男として悪(わる)を演じるが、後半では、婦女か
どわかしの小悪党ぶりを入れ込みながら、滑稽な持ち味を滲ませる。切れ味の良い科白劇
は、黙阿弥劇そのものだが、おかしみは、落語的だ。世話もののなかでも、「生世話もの」
という現代劇。科白廻しはリアルが良い。生世話ものとは、当時の東京言葉を使った「飛ん
でる芝居」のこと。その典型が、家主の長兵衛と新三のやりとりの妙。この科白劇の白眉。
あわせて、家主夫婦の会話。この芝居が、基本的に笑劇だというのは、家主夫婦の出来具合
に掛かっている。

二幕目が終ると、いつも芝居が終ったような感じになるのだが、勧善懲悪ものの芝居なの
で、新三(菊之助)が、旧・江戸っ子の代表である町の顔役・弥太五郎源七(團蔵)という
親分に殺されて、初めて幕となる。まだまだ、この時代では、新・江戸っ子が、旧・江戸っ
子に、最後は殺されてしまう、という方が、観客の常識にかなったのだろう。

大詰の「深川閻魔堂橋の場」を観ないといけない。通常は、途中で立回りを止めて、舞台中
央に座り込んだ新三と源七の二人が声をそろえて、「東西、まず、こんにちは、これぎり」
で、お辞儀をしてから、閉幕となるのだ。前回は、幕が閉まりかかっても、ふたりでチャン
バラをしていた。新三を殺した源七が、後に大岡裁きを受けることになるからだ。

松緑と菊之助。前回の松緑の新三の出来が、いまひとつで、私には、物足りなかった。なま
じ、偉大な二代目松緑の二十七回忌追善興行で、人間国宝の大物役者たちが脇に廻ってくれ
たが故に、当代の松緑は、貫禄負けがしていて、チンピラ新三のような印象が最後まで残っ
てしまった。菊之助は、そういう意味では、バランスのとれた脇役たちに囲まれて、背伸び
気味ながらも、生き生きと新三を演じていたようだ。美男が演じる小悪党の魅力。いずれに
せよ、菊之助や松緑、染五郎らの、中堅歌舞伎役者グループは、今後とも互いに精進しなが
ら、歌舞伎界を背負ってゆくことになる。

「髪結新三」は、上総から江戸の出てきたニューカマー青年の営利誘拐の物語。上総(今の
千葉県)という江戸近郊から出てきた青年・髪結「新」三。ちょと、ここで引用するには、
場違いな本かもしれないが、半藤一利・保阪正康『そして、メディアは日本を戦争に導い
た』という対談本がある。この中で、保阪正康は、こういう発言をしている。国民皆兵とな
った明治の軍隊(幕末から明治初期、各藩には、自前の軍隊=武士があったが、天皇の軍隊
はなかった)について、「戦場やその周辺で問われるべき行為に走るのは、東京など大都会
周辺部の出身であることが多いというんですよ。逆に、うんと田舎の舞台も総じておとなし
い。都会周辺部には、ある種のコンプレックスがあるんではないかという気もします」。こ
れに答えて、半藤一利は、「完全に貧しい人たちはコンプレックスを持たない。ところが、
都会に近い田舎だとコンプレックスを持つんだよね。不思議なもんです」(半藤一利・保阪
正康『そして、メディアは日本を戦争に導いた』)と受けている。この説が正しいと仮定す
ると、江戸(都会)周辺部出身の「上総無宿」(人別帳から除籍された)の前科者・髪結新
三は、コンプレックスを持った小悪党の青年として、新たに徴兵された明治の兵隊に通じる
メンタリティを持っているのかもしれない。

黙阿弥が「恋娘」から「小悪党」に主人公を変えたことで、江戸の大店のお嬢さんの「情痴
の果ての事件」は、江戸から東京に変わったばかりの大都会の社会構造の不安定さが、より
明瞭になったような「社会的な事件」へと見事に変貌したように思える。黙阿弥の卓見が、
ここにはある。
- 2018年3月8日(木) 15:08:42
18年02月国立劇場(人形浄瑠璃)・第一部「心中宵庚申」


「心中宵庚申」、近松最後の世話浄瑠璃


初見の「心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)」を楽しむ。この演目は、歌舞伎でも私
は、まだ観たことがない。原作は、近松門左衛門。近松は、1653(承応2)年生まれ・
1725(享保9)年没。72歳。晩年の近松の作品群。「心中天網島」(1720年)、
「女殺油地獄」(1721年)、「心中宵庚申」(1722年)。近松の世話浄瑠璃は、こ
の「心中宵庚申」が最後となる。この年、近松劇の初演後、徳川幕府は心中を「相対死(あ
いたいじに)」と呼び、「事件」として禁じた。

「相対死」は、恋愛関係にある男女が、お互いに合意のもと、心中(自殺)することをい
う。「情死」ともいった。「心中」という字は、「忠」の字と同じように、「心」と「中」
から構成されているので、封建道徳の要である「忠」を重んじ、「心中」の使用を禁止し
た。代わりに使われたのが「相対死」という言葉であった。幕府は、心中した者を「不義密
通」の犯罪者とし、亡くなった場合、「遺骸取捨」とし、葬儀・埋葬を禁じた。一方が生き
残った場合は、生き残った者を死罪として処刑した。二人とも生き残った場合には、差別さ
れた身分である「非人」に落とされた。その結果、「心中もの」は、芝居や浄瑠璃で取り上
げることも禁じられた。近松の「心中宵庚申」は、徳川時代の心中ものとしても最後の作品
であった。

では、近松の「心中宵庚申」とは、どういう芝居だったか。実は、史実の事件がベースにな
っている。1722(享保7)年、旧暦の4月6日、大坂生玉(いくだま)馬場先の生玉神
社境内に設けられた東大寺大仏殿の勧進所(布教を進めたり、寄付を受け付けたりする)
で、八百屋の半兵衛と女房の千代という夫婦が、心中事件を引き起こした。巷間で話題にな
ったことから、大坂豊竹座では、紀海音原作の「心中二ツ腹帯」という狂言が上演され(上
演日不明)、大坂竹本座では、4月22日から近松原作の「心中宵庚申」が上演された。事
件から、わずか16日後のことであった。近松は、作劇にあたって、実説と異なる設定とし
たことから「封建社会における家族のあり方」というようなテーマの芝居となった。その結
果、「親子の在り方(実家、養家、嫁ぎ先、実の親、嫁と姑など)とは? 」というような
現代にも通じる普遍的な内容の芝居となった。

今回の構成は、「上田村の段」「八百屋の段」「道行思ひの短夜」である。初見なので、粗
筋も含めて記録しておこう。


「上田村の段」。上田村(現在の京都府相楽郡精華町植田)の大百姓・島田平右衛門宅。
「家富みて、庄屋に並ぶ萱屋根も内暖かに」と、竹本も島田家の裕福ぶりを紹介する。長
女・おかるの婿が跡取りで、この家には懸念はない。病身の平右衛門の気がかりは、次女の
千代。2度の結婚に失敗し(最初は、夫の破産、2度目は、死別)、3度目の嫁入りを大坂
の八百屋にしたのに、なぜか、実家に戻されてきてしまった。娘の突然の里帰りに平右衛門
も姉のおかるも戸惑う。所用(実父の十七回忌、墓参り)で遠州・浜松に行った帰途、千代
の実家に立ち寄った夫の半兵衛も、実家に千代が戻されていると知って、驚くばかり。次第
に事情が飲み込めた半兵衛は、この離縁話は、養母の仕業(「姑去り」)と悟る。武家出身
で義理堅い半兵衛は、千代の実家に申し開きができないと責任を感じ自害しようとするが、
養母への面当てのような自害も不幸になるだけと平右衛門に諭されて、思いとどまる。生ま
れ変わっても自分と千代は夫婦だと誓い、千代を連れて大坂に帰ることになる。半兵衛は、
千代を生涯大事にすると義父に誓った形となる。平右衛門は、千代に2度と戻らぬようにと
約束をさせ、水盃で別れの決意を固め、二人を送り出す。幸せになって、実家に戻ってくる
な、というのだろうが、生きて帰ってくるな、というようにも取れる。これは、その後の展
開の伏線か。

姉のおかるに門火(かどび)を焚かせて、平右衛門は、…。竹本:「灰になつても、帰る
な」と、その一言をこの世の名残/留まる名残/行く名残、永き名残と」。

この段の太夫は、文字久太夫、三味線方は、藤蔵。主な人形遣いは、姉のおかる:清十郎。
女房の千代:勘十郎。島田平右衛門:玉也。半兵衛:玉男ほか。


「八百屋の段」。大坂新靱油掛町の八百屋。主人の伊右衛門は、養子の半兵衛に商売を任せ
て、信心(竹本:「大坂中の寺狂ひ」)に打ち込んでいる。商売は養子の才覚もあり、順調
である。「二十二の歳からご面倒に預かり、一人の甥御を差し置き、家屋敷商売とも私へお
譲りなさるゝご厚恩、肝にこたへて仇にも存ぜぬ」とは、半兵衛の弁。身代を養子に譲り、
店と家内の世話を仕切っているのは、伊右衛門女房(名前が不明)で、半兵衛の養母。

「夏も来て、青物見世に水乾く」で、舞台下手の八百屋の店先には、かぼちゃ、大根、人
参、ごぼう、青菜などが並べられている。半兵衛が上田村から連れ帰った千代は、義母の居
る八百屋には戻らず、2キロほど離れた従兄弟の山城屋(常盤町)に預けられている。いず
れ機会を見て養母に取りなそうという作戦だ。この間、二人は、養母(義母)に内緒で会っ
ている。半兵衛の気弱さが、気がかり。養母の甥にあたる手代の太兵衛が千代からの伝言を
半兵衛に知らせに帰ってくる。半兵衛は、千代に会いに行こうとするが、太兵衛は、養母に
も、事実を知らせているので、養母は、半兵衛夫婦の動きはお見通しなのだ。「間がな隙が
な女夫こつてり、おれが知らいでおこかいの」、「母殺すか女房去るか。それからはそちの
勝手次第」(養母)。

養母は、なぜか、千代には辛く当たるが、有能な養子には、一目置いているようだ…。親の
気に入らぬ女房を大事にするのは、親不孝者と半兵衛を譏る。うるさい女房(母親)には、
口出ししないと、伊右衛門(父親)は、知らぬ顔で信心の集まりに出かけてしまう。信心の
集まりには、伊右衛門夫婦二人に声がかかっている。

養母が苦手(?)の半兵衛も、強く逆らえず、「千代を呼び戻して、自分から離縁を言い渡
す」と言ってしまう。養母は、それが嘘なら自分は自害すると半兵衛を脅し、伊右衛門の後
を追って、集まりに出かけて行く。半兵衛は、ここでは、養母に良い顔を見せて、千代を追
い出すと誓ってしまう。半兵衛は、商才もあり、武家出身らしい判断力もあるのに、なぜ
か、姑から嫁を巧く守れない。「武家出身の半兵衛の能力は、男性原理の武家社会では水を
得た魚のように働く。ところが、町人社会の、女性が支配する家庭の中では、まったく機能
しない」(児玉竜一)


今宵は、「庚申待」の宵。眠ってしまうと短命になる、というので、皆、徹夜をする慣わ
し。いつもと違って、街も人通りが多い。養母と入れ違いに千代が戻ってくる。養母が山城
屋に立ち寄り、千代に八百屋に戻るようにと声をかけてくれたと、喜んでいる。素直で無邪
気で人を疑わない性格の嫁(千代)。万事に細かい上に、自分で仕切りたがる姑。もう、理
由なく、「馬が合わない」という典型的な二人の不幸。

夫の半兵衛から切り出されたのは、意外にも離縁話だった。驚く妻に半兵衛は、かねての覚
悟通り心中しようと持ちかける。半兵衛から千代に直に離縁を申し出れば、嫁となさぬ仲の
養母も世間から非難されないし、心中すれば、千代の父親・平右衛門に誓った生涯千代と添
い遂げるという約束も果たせる、というのだ。あちらこちらの義理にも叶う。半兵衛の親孝
行の道さえ立てば、心残りはないと千代自身も覚悟を決める。竹本:「こなさんの孝行の、
道さへ立てばわしも心は残らぬ」(千代)。この健気さが、義母には気に入らなかったのだ
ろう。封建時代の義理とか孝行とか、倫理観は、こういうものなのか。

竹本:「人には合ひ縁奇縁、血を分けた親子でも仲の悪いがあるもの。乗合舟の見ず知らず
にも可愛らしいと思ふ人もある。人界の習はし、かうしたもの」。そういう言葉を近松は浄
瑠璃に書きつける。情味への理解もある。

機嫌よく戻ってきた養母の前で、半兵衛から千代に離縁が言い渡され、千代は店から追い出
される。やがて、日も暮れる頃、死装束や赤い毛氈(心中の時の「紅の蓮」)、脇差を持ち
出した半兵衛は、外にいた千代を連れて、養家の八百屋を立ち去る。竹本:「今宵は五日宵
庚申、女夫連れでこの家を去る、と思へばよいわいの」(半兵衛)/「ヲゝほんにさうぢ
や」(千代)。

この段の太夫は、千歳太夫。三味線方は、富助。主な人形遣いは、伊右衛門女房(養母):
文司。甥の太兵衛:玉誉。伊右衛門:簑一郎ほか。


「道行思ひの短夜」。死出の道行。千代半兵衛は、旧暦四月五日、庚申参りの人々に紛れ
て、人込みの中を生玉神社(現在の生國魂神社。大阪市天王寺区生玉町)にある東大寺大仏
殿再建のための勧進所まで、3・8キロを歩いて辿り着く。半兵衛は、身の不運を嘆き、道
連れとなる千代をふびんに思う。千代の実家の義父・平右衛門や義姉・おかるにも身重の千
代を道連れにすることを詫びる。千代も夫の突きつける脇差を目の前に、生まれずに死に行
くお腹の子ども思って、涙を流す。「この子の回向してやりたい」。

「宵庚申」は、庚申(かのえさる)の日の夜をいう。徳川時代、この夜には人間の身体の中
にいる「三尸(さんし)の虫」が、天帝(閻魔大王)にその人の日頃の悪事を告げにいくと
いう迷信があった。それを防ぐために、信心深い人たちは、夜通し起きて勤行したり、お喋
りをしたりして、虫が動き出すのを抑えながら過ごしたという。

そういう夜も、既に夜明けに近い時間帯(午前5時)。追い詰められた夫婦ものが、女房の
お腹の子を道連れに心中をしてしまった。半兵衛は、脇差で千代を刺し、辞世の句を詠むと
自分も武家出身らしく、切腹して果てる。白装束も痛々しく、女房の遺体の上に夫も体を重
ねるようにして、息絶える。「女夫になつてゐる所を、見立てゝ死んで下さんせ」とは、女
房・千代のせめてもの願い。

贅言;大阪下寺町銀山寺の過去帳に、「油掛町八百ヤ半兵へ妻/山城上田村平右衛門妹」と
いう記述があり、合わせて、「離身童子」という戒名もあったという。誰か、千代の身内の
者か。千代の意思を代弁してくれたのだろう。胎児は、戒名という形で、胎内のまま生を終
えたが、時空一瞬の存在として記録されているのだろう。

「古(いにしへ)を捨てばや義理と思ふまじ、朽ちても消えぬ名こそ惜しけれ」(半兵衛の
辞世)。


これまで築いてきた生活を捨てて、自分が死んでも残る「名目」(親孝行)を大事にしよ
う、という意味か。結局、半兵衛の親孝行のしわ寄せは、女房の千代とその腹の子に押し付
けられる。「男」(武士)の矜持は、「女子ども」を犠牲にするのは、封建道徳の慣いか。
「義理」に縛られた果ての、夫婦の心中事件。当時の心中ものの狂言の中でも、夫婦が心中
するというのは、珍しかっただろう。

この段の太夫は、千代:三輪太夫。半兵衛:芳穂太夫。希太夫。文字栄太夫。三味線方は、
團七ほか。

半兵衛は、元、遠州・浜松の武家の息子。大坂の八百屋に養子に入った。義理堅い上、熱心
な行商で成果を上げ、店も繁盛し、金融業にも手を出すようになる。商才もあったのだろ
う。養家の家業を立派に盛り立てた。

「上田村の段」でも千代の離縁に立腹する平右衛門に、半兵衛は、「親父様に番(つが)ひ
し詞、違へぬ武士の性根を見せる。見て疑ひを晴れ給へ」と脇差を抜いて切腹しようとする
場面があったが、半兵衛には短慮なところがあったのかもしれない。この時は、千代の父親
の島田平右衛門に意見されて思いとどまったが、今回は、平右衛門のような存在が近くにお
らず、短慮を戒めるブレーキは効かず、夫婦ものは、彼岸へと旅立ってしまった。

この狂言は、御政道に従って、徳川時代は、初演後の上演は絶えたが、1920(大正9)
年、当時の二代目つばめ太夫、後の八代目綱太夫が勉強会で、「上田村の段」を習得し、1
965(昭和40)年10月、三味線方の十代目弥七の演奏、人形入りで、テレビ放送され
た。同じ年の11月、大阪朝日座で、「八百屋の段」「道行思ひの短夜」も復活し、合わせ
て上演された。以後、「心中宵庚申」は、「上田村の段」「八百屋の段」「道行思ひの短
夜」という構成で上演されるようになったという。
- 2018年2月18日(日) 17:00:28
18年02月国立劇場(人形浄瑠璃)・第二部/「花競四季寿」「口上」「摂州合邦辻」)


2月の国立劇場は、襲名披露興行である。豊竹咲甫太夫が、六代目竹本織太夫を襲名するこ
とになった。咲太夫の父親、綱太夫の五十回忌追善も兼ねる。1月の大阪の国立文楽劇場に
続いて、東京の国立劇場で襲名披露興行が2月10日から行われている。三部制の興行で、
第二部で口上と追善・襲名披露狂言「摂州合邦辻」があるので、観に行った。第二部の構成
は、「花競四季寿」「口上」「摂州合邦辻」となっている。

「花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)」は、今回二度目の拝見だが、初めて観た時
は、四季を表す四変化の景事(所作事)、つまり4つの舞踊であった。本来は、「万才」、
「海女」、「関寺小町」、「鷺娘」である。今回は、
襲名披露狂言の「摂州合邦辻」上演の前に、祝儀演目として「花競四季寿」を掲げたのだろ
う。「口上」の時間(10分間)を生み出すために「花競四季寿」を削っている。その結
果、今回の上演は、「万才」と「鷺娘」で構成された。

「万才」では、舞台は、京の町屋の遠見。広場に面した店々の暖簾は、山一の紋、笹、ひょ
うたん、松葉などが、図案化され、染め抜かれている。白壁の蔵の向うに、山々が見える。
中央奥に五重塔も覗く。

「万才」は、春。下手より、太夫と才蔵が現れる。初春を言祝ぎ、商売繁昌を願う万才の太
夫(紅白の梅の枝を頭に挿し、紫の衣装)と才蔵(緑の衣装)が、新春の街々に「めでた
さ」を門付して行く光景を描く。人形遣いは、太夫が玉勢い、才蔵が紋臣。

(暗転後、明転)「鷺娘」は、冬。一面の雪景色。舞台は、雪の湖。上手に柳。遠景の五重
塔も、雪景色の中に凍えている。上手より、綿帽子を冠った白無垢の鷺娘登場。娘は、実は
鷺の精。手にする蛇の目傘に、春の訪れを願う。人形遣いは、文昇。

しかし、竹本の歌詞は、長唄とは、違う。「しのぶ山、口説(くぜつ)の種の、恋風が吹け
ども傘に雪もつて積もる思ひはなほも幾重か重なる思ひ」。

歌舞伎の舞台上手の雛壇には、長唄連中(下から、四拍子、三味線方、唄方)。まず、置
唄。「妄執の雲晴れやらぬ朧夜の恋に迷いし我が心」。

歌舞伎同様、人形浄瑠璃でも、途中で、人形の衣装の早替わりがあった。人形の着ている衣
装が、左右に二分され、白い衣装が一瞬のうちにピンクの衣装に替わった。一種の「引き抜
き」という衣装替えの演出だろう。以前見た時は、傘で隠したまま、人形を舞台の底に、一
旦沈めて、白無垢の衣装を薄い紅色の衣装に替えてみせたから、だいぶ感じが違ってきた。

歌舞伎では、瀕死の鷺という玉三郎の工夫したラストの演出が多くなっているが、人形浄瑠
璃の「鷺娘」は、この所作事の「原型」を見せてもらったという印象で、春を待つ鷺娘の思
いを、明るく、演じる。

この演目に登場した太夫たちは、睦太夫、津国太夫、小住太夫、碩太夫。筋書に掲載されて
いた始太夫は、急な病歿で、逝去。心から哀悼の意を表する。三味線方は、喜一朗ほか。


襲名披露「口上」


舞台には、太夫ばかり二人だけ。咲太夫と咲甫太夫改め、六代目織太夫。綱太夫の遺影が真
ん中に飾られている。口上は、咲太夫が一人で述べる。まず、追善。八代目綱太夫につい
て。次いで、襲名披露。「まだまだ芸道未熟ではございますが、由緒ある名跡が途絶えるこ
とも残念であり、復活することといたしました」。織太夫は、師匠の下手側に離れて座り、
終始無言で、頭を下げている。4月の誕生日を迎えて43歳。まだまだ、伸び代(しろ)が
ある実力派の太夫だ。今後の精進を期待したい。この日は、第一部と第二部を続けてみたの
で、場内の入れ替えの際、ロビーに出ていたら、織太夫がいたので、襲名の祝言を直接伝え
た。以前にもある賞の授賞式のパーティで会ったことがあるからだが、そのことを付け加え
たら覚えていた。

さて、襲名披露狂言は「摂州合邦辻」。人形浄瑠璃で観るのは、私は、今回で2回目。5年
前に観ている。


襲名披露狂言は「摂州合邦辻」


「摂州合邦辻」は、1773(安永2)年、大坂北堀江座で初演された時代もの。原作は、
菅専助、若竹笛躬(ふえみ)の合作。若竹笛躬は、人形遣い出身の狂言作者。「三十三間堂
棟由来」などの合作者の一人だが、生年没年不詳で、歴史上は、いわば無名の作者群の一人
だ。菅専助は、太夫出身の狂言作者で、八百屋お七の「伊達娘恋緋鹿子」、お半長右衛門の
「桂川連理柵」の合作者の一人であるが、こちらだって余り良く判らない。

贅言;歌舞伎では、一度、通しで観たことがある。その時の幕構成は、序幕「住吉神社境内
の場」、二幕目「高安館の場」、「同 庭先の場」、三幕目「天王寺万代池の場」、大詰
「合邦庵室の場」であった。歌舞伎でも人形浄瑠璃でも、よく演じられるのは、大詰の「合
邦庵室の場」のみの、「みどり」上演である。

主筋は、俊徳丸と次郎丸(腹違いの兄)が、高安家の家督争いをしているという御家騒動も
の。弟の俊徳丸が後継者に選ばれたことが発端だ。それに絡めて、城主の後妻の若い玉手御
前が、歳の余り違わない義理の息子の俊徳丸に懸想をし、毒酒を呑ませて恋慕を迫ろうとい
う生臭い話だが、筋の結末に逆転が用意されている。俊徳丸は、御家騒動から逃れたいと、
家督を兄の次郎丸に譲ると置き手紙をして、合わせて玉手御前の恋情からも逃れようと、家
出をしてしまう。俊徳丸の許婚の浅香姫も一緒だ。玉手御前は、俊徳丸らの後を追う。今回
の芝居の場面には登場しないが、浅香姫に横恋慕の次郎丸一行も後を追っている。この後
が、今回の芝居だ。

さて、「合邦庵室の段」。この段の太夫は、「中」が、南都太夫、三味線方が清馗。「切」
が、咲太夫、三味線方が、清治。「後」が、襲名披露の主役、織太夫、三味線方が、燕三。
人形遣いは、以下の通り。合邦道心(玉手御前の父親):和生。合邦女房:勘壽。玉手御
前:勘十郎。奴・入平:玉佳。浅香姫:簑二郎。俊徳丸:一輔。

大坂天王寺西門にある合邦道心の庵室。合邦庵室の下手には、閻魔堂建立の勧進の幟をつけ
た道具が置かれている。合邦庵室では、道心の妻が、講中の人たちを招いて、玉手御前こ
と、合邦夫婦の娘・辻が、高安家嫡男の俊徳丸に道ならぬ恋をしかけ、殺されたと思ってい
るので、亡き娘の回向をしてもらっている。やがて、講中も、帰る。合邦も現れ、妻に気づ
かれないように、香を焚く。父親も、娘の身を心配しているのだ。夜も更け、人目を忍ん
で、玉手御前がやって来る。俊徳丸と浅香姫が、合邦庵室に匿われ、保護されていると知っ
て、訪ねて来たのだ。どこまでも、恋に一途な玉手御前だ。

歌舞伎では、役者の工夫で、顔を隠す頭巾を付けずに、引きちぎった片袖を頭巾代わりにし
て玉手御前が花道から出て来る。花道の長い歩みが歌舞伎の見せ場だ。

竹本:「いとしん/しんたる夜の道、恋の道には暗からねども、気は烏羽玉の玉手御前、俊
徳丸の御行衛(方)、尋ねかねつつ人目をも、忍び兼ねたる頬冠り包み隠せし」とあるよう
に、暗い夜道を烏の羽のような暗い気持ちで黒い衣装、黒いお高祖頭巾姿で、人目を忍ん
で、そっと実家を訪ねてくる。人形浄瑠璃では、引きちぎった片袖ではなく、ちゃんとした
黒いお高祖頭巾を被っていた。下手の小幕から庵室の出入り口までは、短い。黒一色の中に
玉手御前の白い顔が小さく浮かび印象的だ。人形の小さい顔からは、狂気など感じ取れな
い。

歌舞伎では、先代の芝翫が演じた玉手御前が印象深い。花道の出を控えた鳥屋(とや)のう
ちから、早々と狂気を演じていた場面を花道下手の通称「どぶ」の席で観たことがある。鳥
屋とは、花道の向こう揚幕の内側にある空間である。観客の目にほとんど触れない場で、狂
気を演じていた芝翫の凄さを今も思う。

「母様(かかさん)母様ここ明(開)けて」と外から呼ぶ玉手御前、こと、娘の辻。庵室内
に居る母親は、娘に逢いたい。父親は、「わりやまだ死なぬか、殺さりやせぬか」、不義の
娘の顔も見たくない。義理と道理の板挟み。

合邦道心は実は親の跡目を継いで、一旦は大名になった武士だが、讒言されて落ちぶれて、
坊主になり、閻魔堂建立の勧進活動をしている頑固な老人だ。大名の血を引くというプライ
ドがあるだけに気難しい。娘が、人の道を外したということが、無念でならない。継母が、
お家の嫡男に恋情を抱くなどけしからんと、玉手御前の行跡を本心から怒っている。江戸時
代の義理を重んじる元武家の真情を出すのか、どんなになっても、我が子は可愛い、娘を労
る父親の気持ちを優先するのか。その辺りが、合邦道心の仕どころだろう。娘を幽霊と断じ
て、母親は、娘を家の中に入れる。母親は、娘に対する一途な愛を通し続ける。恋ならば、
死を。恋を捨てて出家して尼になるなら、命乞いを。

この物語は、「狂気」の物語のはずであった。義理の母・玉手御前が、先妻の息子に抱く恋
情も狂気なら、父・合邦道心が玉手御前こと、娘の辻を殺すのも狂気だ。玉手御前は、後妻
とは言え、20代の若い女性、夫となった父親より、ほぼ同年齢の息子にひかれるのも無理
は無い。むしろ自然だろう。人形浄瑠璃の玉手御前からは、狂気が感じられない。それは、
是か非か。

玉手御前は、この場面で「口説き」という女形の長科白を2回言う。1回目は、娘として、
母親への告白、2回目は、恋する母・女として、奥から出てきた俊徳丸・浅香姫のふたりへ
の嫉妬心を反省も無く、語る場面だが、いずれも、本心を隠しているという二重性のある難
しい科白だ。荒唐無稽が多重性を帯びてくる。「嫉妬の乱行」。人形の方は、玉手御前も浅
香姫も気が強く、俊徳丸と相手の女(玉手も浅香も)の間に割り込み、割り込み、邪魔立て
をする場面を繰り返す。

玉手御前という「母」と辻という「娘」の二重性という「狂気の装い」に対して、父親とし
ての合邦道心の怒りが爆発し、娘を殺そうという「狂気」に突き動かされて、娘に斬り付け
る。その挙げ句の玉手御前の「もどり」(再び、「娘」への戻りでもある)があって、手負
いの身体で、玉手御前は「正気」の本心を明かす、という趣向。荒唐無稽が多重性を帯びて
くる。貞女の鑑。

最後の場面、玉手御前の告白だが、いつ観てもなかなか内容が腑に落ちない。父親に斬りつ
けられて、玉手御前が、実は、俊徳丸に毒酒を飲ませたのは、次郎丸の家督乗っ取りの悪だ
くみを知ったので、ふたりの義理ある息子たちを助けようとして、仕組んだことだという。

「継子二人の命をば、我が身一つに引き受けて、不義者と言われ悪人になつて身を果たす
が、継子大切、夫の御恩、せめて報ずる百分一」。

この告白は、いかに、荒唐無稽が魅力という歌舞伎でも、余りにリアリティが、ない。まし
て、俊徳丸の後を追ったのも、治療法を教えて、俊徳丸を本復させるためだというのは、取
って付けたような話だ。寅年、寅の月、寅の日、寅の時生まれの女の肝臓の生き血を毒酒に
使った鮑の杯に入れて飲めば、本復というのは、いかにも、頭でっかちで、荒唐無稽な理屈
だ。それが、玉手御前の真意で、それに、皆が感心して、貞女とあがめるというのは、江戸
時代の人の感覚だろう。だが、この荒唐無稽さが、歌舞伎の魅力であることも、また、事実
だ。「コレ申し父様(ととさん)いな、何と疑ひは晴れましてござんすかえ」という玉手御
前の科白。1748年、25年前の大坂・竹本座で初演された芝居の科白に似ている。狂言
作者たちは、先行作品の名場面の科白を勝手に下敷きにする。「仮名手本忠臣蔵」。こちら
は、勘平と義理の母親の間で交わされる。

織太夫の語りは、勢いがある。襲名披露で張り切っているのが判る。聞き応えがあった。

「摂州合邦辻」という荒唐無稽なばかりの芝居が、今回は、前回より鮮明に見えてきた。荒
唐無稽ゆえに、論理や倫理を超えて、逆説的なもの(夾雑物)が多重的に存在するのが、か
えって、「摂州合邦辻」という古怪な芝居の魅力なのだろう、という印象である。抹香臭い
科白も数々。「臨終正念未来成仏」。歌舞伎、人形浄瑠璃は、江戸時代のヴィジュアルなマ
スメディア。苦労人の作者たちは、土地柄や地域のピーアールも、忘れない。「仏法最初の
天王寺、西門通り一筋に、玉手の水や合邦が辻と、古跡を留(とど)めけり」

「摂州合邦辻」という芝居を見るに付けて、折口信夫を思い出す。この芝居の基底を見事に
言い当てていると思う。折口信夫の「玉手御前の恋」という作品だ。

「一体浄瑠璃作者などは、唯ひとり近松は別であるが、あとは誰も彼も、さのみ高い才能を
持つた人とは思はれぬのが多い。人がらの事は、一口に言つてはわるいが、教養について
は、どう見てもありそうでない。(略)さう言ふ連衆が、段々書いている中に、珍しい事件
を書き上げ、更に、非常に戯曲的に効果の深い性格を発見して来る。論より証拠、此合邦の
作者など、菅専助にしても、若竹笛躬にしても、凡庸きはまる作者で、熟練だけで書いてい
る、何の『とりえ』(原文では、傍点)もない作者だが、しかもこの浄瑠璃で、玉手御前と
言ふ人の性格をこれ程に書いている。前の段のあたりまでは、まだごく平凡な性格しか書け
ていないのに、此段へ来て、俄然として玉手御前の性格が昇って来る。此は、凡庸の人にで
も、文学の魂が憑いて来ると言つたらよいのだろうか。

併し事実はさう神秘的に考える事はない。平凡に言ふと、浄瑠璃作者の戯曲を書く態度は、
類型を重ねて行く事であつた。彼等が出来る最正しい態度は、類型の上に類型を積んで行く
事であつた。我々から言へば、最いけない態度であると思つている事であるのに、彼等は、
昔の人の書いた型の上に、自分達の書くものを、重ねて行った。それが彼等の文章道に於け
る道徳であつた」。

さらに、折口は書く。「次の人がその類型の上に、その類型に拠つて書くので、たとひ作者
がつまらぬ人でも、其類型の上にかさねて行くと、前のものの権威を尊重して書く為に新し
いものは前のものよりも、一段も二段も上のものになる事が多い」と。必ずしも、類型の上
に、類型を重ねれば、良いものができるとは思えないが、ひょんなことから、そういうもの
が突然変異のように現れる可能性はあるだろう。「併し作者が凡庸である場合には、却つ
て、すこしづつ(ママ)よくなる事もある。玉手御前の場合は、おそらく、それであつたと
思はれる」と折口は、推論する。

つまり、無名の狂言作者たちの職人芸で、先達の教えを守り、いわば先達の作品を下敷きに
し、そっくりに手法を守ることが、時として、こういう「連鎖と断絶」あるいは「蓄積と飛
躍」のような効果を生み出すことを知っているのである。そういう幸福な作品が、「摂州合
邦辻」の「合邦庵室の場」であろう。こういう類型の上塗りという浄瑠璃や歌舞伎の特性を
主張する折口の文章には、説得力がある。

人形浄瑠璃の舞台は、大団円。庵室の外に導師の役の合邦道心(玉手御前の父親)が鐘と撞
木。座敷には、下手側から奴・入平、道心女房(玉手御前の母親)その手前に息絶えた玉手
御前(道心夫婦の娘・辻)、上手側に俊徳丸と許嫁の浅香姫という位置関係。幕。

玉手御前の恋は、狂気の果ての不倫の恋か、正気が企てた偽りの恋か、いやいや、一途に恋
情をぶつける真実の恋か。今回も、判らない。判らないということが「逆効果」で、余韻を
残しながら観客を帰途につかせるのではないだろうか。
- 2018年2月17日(土) 11:50:07
18年02月国立劇場(人形浄瑠璃)・第三部「女殺油地獄」


近松門左衛門原作の「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」。国立劇場・第三部は
初日に拝見。

今回は、「豊島屋(てしまや)逮夜(たいや)の段」まで上演する。今回の場割は、以下の
通り。「徳庵堤の段」「河内屋内の段」「豊島屋油店(あぶらみせ)の段」「同 逮夜の
段」。私は、「女殺油地獄」の人形浄瑠璃を見るのは、今回で3回目だが、「逮夜の段」を
観るのは初めて。

「女殺油地獄」は、江戸時代に実際に起きた事件をモデルに近松が仕組んだと言われる江戸
の人形浄瑠璃。史実かどうかは、確証がないらしい。近松お得意の「心中もの」ではなく、
ただただ無軌道な、放蕩無頼の、23歳の青年が暴走の果てに、近所の、商売仲間の、姉の
ように優しく気遣ってくれる、若い人妻(27歳)を、借金を断られたからということだけ
で、殺してしまうという芝居。この惨劇は「心中もの」のような、色香もなかったので、初
演時は、大衆受けがせず、1721(享保6)年、旧暦の7月、人形浄瑠璃の竹本座でたっ
た1回限り公演されただけで、その後、人形浄瑠璃では、上演されなかった。

明治の末年になって、復活狂言として、歌舞伎化されたという演目で、人形浄瑠璃として
は、230年以上も後の、1952(昭和27)年11月、八代目竹本綱大夫、三味線方の
十代目竹澤弥七が、新しく作曲した「豊島屋(てしまや)油店の段」を復活。人形を操らな
い、素浄瑠璃として、NHKのラジオ放送で演じるまで、上演されなかったという、曰く付
きのものである。人形浄瑠璃としては、1962(昭和37)年4月、大阪の道頓堀文楽座
で、「徳庵堤の段」と「河内屋内の段」の通しが、野澤松之輔作曲で復活上演された。大詰
の「豊島屋逮夜の段」は、1982(昭和57)2月、復活上演された。

一説によると、加害者の青年・与兵衛も、被害者の若妻・お吉も、油屋の株仲間であり、当
時の大坂の油屋は、全国的な販売網を持っていて、大坂では、堂島の米商人に次ぐ勢いのあ
る経済組織だったことから、事件の残忍さ故に、油屋の業界から、何らかの圧力があり(つ
まり、「オイルマネー」からの圧力)、再演を禁じられたのではないか、というが、真相は
判らない。

昨今の無軌道な、没道義的な青年らの犯罪は、時代相を反映しているところもあり、一概に
は、同断するようなことは言えないだろうが、現代的な解釈をしたくなるような演目だろ
う。そういう意味では、近代性の強い劇ゆえに、江戸時代は、人形浄瑠璃での続演もなく、
歌舞伎としでの再演もなく、観客が、この芝居を観るためには、近代まで、待たねばならな
かった。それでいて、近代では、受け入れられることが判ると、「女殺油地獄」は、青年の
無頼、放蕩ぶりを描く「徳庵堤の段」、家族の内幕を描く「河内屋内の段」、そして、ハイ
ライトの、殺し場を描く「豊島屋油店の段」が、盛んに上演されるようになり、今では、人
形浄瑠璃では、チケットの入手しにくい、人気の演目になっている。

「徳庵堤の段」は、野崎参りの街道が、描かれる。「新版歌祭文」の、「野崎村」は、歌舞
伎では、両花道を使って、舟で大坂の戻るお染(本花道)と土手道を駕篭で戻る久松(仮花
道)の場面が、有名だが、野崎参りでは、土手道を歩いて参詣する人と川を舟で行く人との
間で、互いにののしり合うという風習(勝ち負けが一年の運試し)があったという。近松原
作の床本では、こう描写される。

「(卯月半ば…)まだ肌寒き川風を、酒にしのぎてそゝり往く、野崎参りの屋形船、徒歩路
(かちじ)ひろふも諸共に、開帳参りの賑はしや」

つまり、現代ならバスで、宴会しながら行く人、グループで歩いて行く人、こもごもで、車
ならぬ、屋形船で酒を酌み交わしながら往く人たちと歩いて行く人たち同士の間で、賑やか
に喧嘩をしながら、参詣するというところだろう。

「女殺油地獄」では、下手小幕から出てきたのは徒歩組。大坂本天満町の油屋・豊島屋の内
儀、お吉とその娘、遅れてくるのが夫の七左衛門。それとは別に、豊島屋の同業で近所の河
内屋の息子・与兵衛(23歳、親掛かり)とその無頼仲間のふたりの3人組など。ただし、
この3人組は、4月半ばの肌寒さを酒で凌ごうと、5升樽を「坊主持ち」ということで、交
代で持ちながら、また、酒を飲んでは、歩くを繰り返しながら、次第に深まる酔いととも
に、歩いてくる。

一方、船組は、上手から登場。与兵衛馴染みの遊女・小菊一行だが、小菊は、与兵衛からの
野崎参りの誘いを断り、会津から来たお大尽らと船でお参りを済ませたので、早(はや)、
大坂に戻る途中。徳庵堤で、待ち受けていた与兵衛一行と遭遇し、酒に酔っているお大尽
は、与兵衛らとつかみ合いの喧嘩になる。まさに、野崎参りの風習を巧みにいかして、近松
は喧嘩場を構成する。この喧嘩の場面が、実に、おもしろい。歌舞伎では、喧嘩は、立ち回
りと言って、一種の踊り、所作事で、様式化しているが、人形浄瑠璃は、殴る、蹴る、踏ん
づけるなど、極めてリアルな動きを見せる。特に、三人遣いのうち、脚遣いが、「張り切っ
て」、鋭く、素早い脚の動きを見せるので、おもしろい。滑稽でありながら、緊迫感があ
り、観客の笑いを誘う。その挙げ句、着ている羽織を脱いで相手の頭に被せて視界を遮り、
頭などを叩きのめす。この場合、主遣いは、人形の右袂に入れてある右手を一旦、抜き抜い
て、羽織を脱ぎ、素早く、右手を人形の右袂に入れ直して、人形を操り続ける。

実際の野崎参りでも、当時の庶民は、一種のレクレーション、あるいは、日頃のストレス解
消の、リクレーション(再創造)の場として、羽目を外していただろうと容易に想像される
ような作劇術だ。

酔っぱらい同士の、恋の鞘当ては、泥の投げ合いの果て、やはり、馬に乗って参詣に通りか
かった高槻家の御代参、小栗八弥の袴に与兵衛の投げた泥つぶてを当ててしまう。無礼者、
手討ちにしてくれる、という場面になり、手討ちにすると近づいてきた小栗の家臣で徒士頭
は、なんと、与兵衛の伯父・山本森右衛門。伯父の進退にも影響を与える「事件」になって
しまう。その場で、手討ちにしようという森右衛門だが、主人の小栗八弥は、「血を見れば
御代参叶わず」と、参詣の前に、血を流すのは、良くないという、なんとも、忝い言葉で、
諭すだけで済ましてくれる。伯父は、帰りには、「首を討つ」と目で言って、甥を命拾いさ
せる。しかし、見栄っ張りで、小心の与兵衛は、狼狽えてしまい、参詣から戻ってきたお吉
に助けを求める。

この「徳庵堤の段」は、竹本の分担は、次の通り。靖太夫が与兵衛、希太夫がお吉・小菊、
小住太夫が七左衛門・森右衛門・大尽蝋丸、亘太夫が小栗八弥・弥五郎、碩太夫がお清・貨
車。5人の太夫が10人の人形を分担して、声を使い分ける。以前に観た時は、竹本三輪太
夫以下9人が、役割分担で演じ分けていた。人形たちの声音も、さまざま、大夫たちのダイ
ナミックな入れ替わりもあり、舞台に登場する人形遣いの数も多く、見応えがあった。それ
に比べると今回は、半舷体制か。当然のことながら、人形遣いは、歌舞伎のように一人で何
役も兼ねるわけには行かず、多数出演する。しかし、三味線方は、錦糸が、たった一人で対
応する。

家族の内幕を描く「河内屋内の段」は、「文楽まわし」(盆まわし)を使って、前半の
(口)と、後半の(奥)が、それぞれ竹本のひとり語りで演じられる。今回、口は、咲寿太
夫、三味線方は、團吾。奥は、津駒太夫、三味線方は、清友。ひとりひとりの人物造形を丹
念に太夫が描き分けて行く。特に、津駒太夫は、継父の徳兵衛の声をベースにして語ってい
るように見受けられた。

河内屋主人の徳兵衛は、先代の徳兵衛が亡くなった後、店の使用人の立場から、未亡人と結
婚したので、先夫の息子である与兵衛には、幼児期、「ぼんさま」と呼んでいただけに、父
親になっても、やはり、遠慮がある。与兵衛の母親のお沢は、武家出身で、武家の倫理・道
徳を持ち続けている上、商売を切り盛りし、家族を大事にしてくれる後添えの徳兵衛に感謝
している。それだけに、先夫の息子の無軌道ぶりには、実母として、必要以上にきつくあた
るが、心底では、実の息子が可愛くて、なんとか、更生させたいと思っている。このほか、
分家して、油屋として別に店を持ち、独立している長男として、与兵衛の実兄の太兵衛がい
る。徳兵衛とは、株仲間。つまり、同業の組合員。家内には、与兵衛とは、「種違い」(異
父姉妹)の未婚の妹・おかちがいる。徳兵衛とお沢の間にできた娘。河内屋では、与兵衛
に、まじめになってもらおうと妹に婿を取り、商売を継がそうと偽る作戦を取り、与兵衛の
奮起を期待するが、これが、逆効果となり、与兵衛は、荒れに荒れて、家族全員を敵に回し
て、大立ち回り。実母にも、義妹にも、殴り掛かる始末。おとなしく己を押さえていた義父
も、とうとう、義理の息子を打ち据える。その挙げ句、実母の勘当の声を背に受けて、臍を
曲げた与兵衛は、家出をしてしまう。その後ろ姿が、先代に似ていると、徳兵衛は、よけい
心痛を重ねる事になる。下手の小幕の中に消えた与兵衛の姿は、見えないが、徳兵衛の義理
の息子を案じる気持ちが観客にも伝わり、先代に似ているという与兵衛の後ろ姿が、目に浮
かんでくる。

与兵衛には、屈託がある。父親が亡くなった後、母親が、店の使用人を継父「徳兵衛」とし
て、夫にし、河内屋の主人にしてしまい、さらに、種違いの妹に婿を取り、次代の店主とし
て河内屋を継がせようとしていると疑っているからだ。こういう屈託は、時代を超えて、普
遍的で、どこにでもある。

与兵衛の首を扱う玉男は、「チョイの糸」:首(カシラ)の中に仕込まれる「ノドギ」
(喉、首)とカシラの後ろを鯨のヒゲでむすんだ先につく糸を動かす。主遣いは、手板(操
作板)を下から支え持つ左手の薬指と小指に、この糸を引っ掛けている。人形遣いが、緊張
したり、ゆるんだりすると、人形も微妙に動く。

無表情を装っている主遣いも、人形より抑圧しているものの、表情が変化する。変化する人
形遣いの息使いによって、人形も息を呑んだり、吐いたりする。だから、人形が生きている
ように見える。活発に動く時より、こうした微妙な動きの方が、存在感があるという不思議
さ。

この演目最大の見せ場。殺し場を描く「豊島屋油店の段」。呂太夫のひとり語り。大向こう
から、「呂太夫」と声がかかる。三味線方は、清介。

端午の節句に、3人の娘しかいない豊島屋では、娘の髪を梳る櫛が、折れたり、節季の集金
から一旦帰宅した主人が、また、他へ集金に出かける前に、食事代わりに飲む酒を「立ち
酒」(野辺送りの風習の飲み方)をしたりするので、内儀のお吉は、不吉がる。この不吉さ
は、その後に展開する悲劇を暗示する伏線となる。

27歳のお吉の首(カシラ)は、眉を剃った「老女方」という顔を使っている。口には、着
物の袖を銜える事ができるように針が刺してある。この顔が、不吉がるときには、色っぽく
見えた。タナトスに裏打ちされたエロスか。因に、与兵衛の母・お沢は、「婆」。妹のおか
ちと遊女・小菊は、いずれも「娘」。似たように見える3種類の女の首が、女性の深淵を覗
かせる。

5月5日。端午の節句。節季とあって、借金の精算を迫られた与兵衛は、近所の優しい、人
妻の豊島屋の内儀・お吉を頼って、金を借りようとやってくる。初夏なのに、金のない与兵
衛は、冬物の着物を着ている。身の周りには、凝りたい年頃。それもあって、優しい内儀の
いる店に入りそびれていると、河内屋の提灯が近づいているのに気づき、物陰に隠れる。や
ってきたのは、義父の徳兵衛で、不逞の息子が慕っている株仲間の内儀を通じて息子へ金を
渡してもらおうという魂胆なのだ。さらに、もうひとり、豊島屋にやってくる。今度は、実
母のお沢。結局、お沢も、徳兵衛と同じ魂胆。不逞ながらも、息子は、息子。義理の関係も
実の関係も、子に対する親には、無関係。ふたりの老夫婦の心根を理解した内儀のお吉は、
「ここに捨てゝ置かしやんせ。わしが誰ぞよさそうな人に拾はせましよ」と、与兵衛への橋
渡しを請け負ってくれる。慈愛に満ちた親たちや優しい近所の内儀の気持ちが、こちらにも
沁みてきて身につまされる。

与兵衛の父母の役割は、社会を現に支えている普通の大人たちの常識では、対応できないよ
うな、親馬鹿の果ての、慈愛に満ちた、無限広大な世界を作り上げているように見受けられ
る。これも、共同幻想の世界なのだが、それが、奇妙に、歪んだ与兵衛の心象が築いている
砂上の楼閣のようなグロテスクな世界とバランスが取れているように見える。その対象の妙
が、「女殺油地獄」の近代性を裏付けている。

与兵衛の義父・徳兵衛は、店の使用人から先の主人で、与兵衛の実父の死後、継父になった
という屈折感がある。実際、そういう家庭環境への不満が、与兵衛に屈託を抱かせて、愚連
(ぐれ)させている。つまり、義理の息子を甘やかしている。気が弱いながら、そういう自
覚があり、手に余る与兵衛が、妻であり、与兵衛の実母であるお沢らに家庭内暴力を振るう
様を見て徳兵衛は、義理の息子を店から追い出すが、追い出した後、与兵衛の姿が、恩のあ
る先の主人にそっくりだと悔やむような実直な男だ。お沢も、いまの夫に気兼ねしつつ、ダ
メな息子を見放せない。夫に隠れて、追い出す息子を見送るが、「ダメな子ほど、可愛い」
と言われる世間智の説得力を老夫婦が、十二分に見せつける。

そういう、ふたつの、ある意味では、「非常識な世界」に対して、お吉の夫・七左衛門は、
ちょいとしか出てこない傍役ながら、ふたつの世界の間にある、幻想ではない、大人の常識
の世界があることを観客に思い出させる。出番は、控えめだが、仕事、仕事に追われる男の
慌ただしさと堅固さを、主人「不在がち」による豊島屋の危うさを、要所要所で、示してい
た。

一部始終を家の外で聞いていた与兵衛が、入ってくると、お吉は、与兵衛に金を渡すが、既
に「事情」を承知している与兵衛は、驚かないばかりか、さらに、金を貸せと迫る始末。与
兵衛を甘やかしたくない、更生させたいと姉のような気持ちのお吉が、与兵衛の申し入れを
断ると、「不義になつて貸して下され」と、男女の仲になって、情愛からみで金を貸せとお
吉の膝に触れながら、迫る悪道者。「くどいくどい」と相手にしないお吉。「女子と思ふて
なぶらしやると、声立てて喚くぞや」。

あきらめて、与兵衛は、ならば商品の油を貸してくれと頼む。商品の貸し借りは、株仲間の
常道故、それには応じましょうと油を樽に詰めていると背後に回った与兵衛が、懐から脇差
しを取り出し、お吉に刺しかかる。

ここからが、見せ場。油まみれの殺し場。ふたりの立ち回りで、店に置いてあった油樽が
次々に倒れる。油が、店内に広がり始める。逃げるお吉。追う与兵衛。油で、足元が滑る。
舞台中央から、下手に一気に滑る与兵衛。命乞いをするお吉を追いながら、何度も滑る。舞
台中央から、下手に一気に滑る。主遣いの玉男ら3人の人形遣いたちは、一気に移動する。
脚遣いは、巧みに人形の前後を入れ替わる。横になって、人形を操る人形遣いたち。そのダ
イナミックな動きが、殺し場の、迫力を盛り上げる。脚も、足首もない女の人形も、脚遣い
は、着物の裾を巧みに遣い、迫力をそがない。歌舞伎役者では、演じきれないような、ダイ
ナミックな動きは、人形浄瑠璃でしか、表現できない。この場面、以前は勘十郎の主遣いで
観たが、今回の玉男より、動きがダイナミックだったと記憶している。

遂に、事切れたお吉をよそに、上手、奥の寝間の蚊帳のなかで、息をひそめて、震えている
であろう3人の娘たちのことにも気を止めず、与兵衛は、座敷に上がり込み、お吉から奪っ
た鍵を使って、戸棚を開け、そこから「銀」(銀本位制は、大坂の通貨)を盗んで、闇に消
えて行く。閉幕。

贅言:歌舞伎のためにも、一言。歌舞伎では、殺し場で、店先にある油の入った樽が次々に
倒され、なかの油が、実際に、舞台一面に流れ出る。座敷にも逃げるお吉を追って、与兵衛
は、油まみれのままにじり寄る。ふたりの衣裳も「油まみれ」に見える。人形浄瑠璃でも、
油の樽は、なぎ倒されるが、舞台の「船」と呼ばれる下に落ちてしまうので、樽も見えな
い、油も見えない。それは、観客の想像力に任せるしかない。

不条理劇を象徴する、見事な場面が、延々と展開する。お吉を殺した後、花道に掛かるポイ
ントで、惚けたような表情の与兵衛は、余韻を残すが、人形浄瑠璃では、下手の小幕から、
舞台の袖にすぐに引っ込んでしまうので、そういう余韻はない。

贅言;歌舞伎は、花道も、「油まみれ」だ。閉幕後、何人もの観客が、道具方がモップで掃
除を始めた花道まで来て、板を汚した「油」を点検していた。私も、もちろん、触ってみた
が、外見上「ぬるぬるして見えた」ものは、意外とサラッとしていて、粘着力のない液体だ
った。布海苔を油のように見せているという。

さて、近松原作では、ここでは終わらない。
今回の人形浄瑠璃も、終わらない。「豊島屋逮夜(たいや)の段」となる。竹本は、呂勢太
夫。三味線方は、宗助。咲甫太夫は、織太夫を襲名した。呂勢太夫も、いずれ、大きな名前
を襲名するだろう。

与兵衛の所為で、浪人に身を落とした伯父の山本森右衛門は、状況からお吉殺しは、与兵衛
の仕業と疑い、与兵衛を探す。新町、曾根崎と遊郭に逃げ込んだ与兵衛の跡を追う。お吉の
三十五日の法要の日、与兵衛は、自分への嫌疑の目をそらそうと豊島屋に自ら現れる。「気
の毒千万、(犯人も)追つ付け知れましよと」嘯く。居間の梁を通った鼠が、血染めの割付
(割勘の書付)を落とすと、それは、与兵衛の筆跡であったことから、疑われ、森右衛門に
も追い詰められ、遂には、犯行を自白させられる。

竹本:「与兵衛覚悟の大音上げ『一生不孝、放埓の我なれども、(略)思へば二十年来の不
孝無法の悪業がが、魔王となって与兵衛が一心の眼を眩まし、お吉殺し、金を取り紙は、河
内屋与兵衛、仇も敵も一つ悲願、南無阿弥陀仏』
後手に縛られて、引っ立てられる。最後は、千日前にあった処刑場で、処刑された。幕。

借金で親に迷惑をかけたくなかったばかりに、親身の姉のような人妻に借金を申し仕込み、
断られると、逆上して、殺してしまうという短絡な青年。盗んだ金で遊女と遊び、法要の様
子を伺おうと被害者宅に平然と顔を出す無神経さ。そういう、「俺たちに明日はない」とい
う映画を地で行くような、無軌道不逞な青年像を、例え、実際の事件にヒントを得たとはい
え、およそ290年も前の、1721年に舞台にかけたものの、当時の社会から拒絶された
近代的な演劇「女殺油地獄」は、今、人形浄瑠璃の人気演目として、受け入れられている。
近松門左衛門、歴史の時空に早く来すぎたのかもしれない。

その秘密は? ここで、コンパクトながら、私見を述べてみたい。河内屋の人間関係を見た
ときに気がついたのだが、油屋「河内屋」という商家には、武家の矢が刺さっている。お沢
という母親が、それだ。お沢は、兄が、山本森右衛門で、高槻藩の家臣小栗八弥の徒士頭で
あった。今回の舞台では、森右衛門の出番は少ないが、その後の「女殺油地獄」の展開を見
ると、結構重要な役どころを担っている。このお沢と森右衛門の系譜は、意外と重要な気が
する。つまり、原作者の近松門左衛門が、武家出身の狂言作者だという事は知られている
が、それを思い出していただきたい。商家の事件をリアルに見る視点が、ここには、ある。
母親のお沢は、不逞に実の息子と後添えの誠実な夫、息子の義理の父に挟まれて、苦しみな
がらも、矜持を持って、息子と夫に対応しているが、作戦とは言いながら、安宅の関で、弁
慶が、義経を杖で打ち据えるように、朸(おうこ)と呼ばれる油桶を担ぐ天秤棒で、
「エヽ、モ、きりきり失せう」と与兵衛を家から突き出す。「越ゆる敷居も細溝も、親子別
れの涙川」。実の母子の別れ。武家出身のお沢は、近松の代理人。実の息子が引き起こす商
家のスキャンダルをリアルに抉り出す。豊島屋で、お吉と徳兵衛の前で、不覚にも、懐から
落とした粽と金子という本音以外は、武家出身という、外からの視点で商家の内部を見てい
る。つまり、外と内の視点を併せ持っている、唯一の人が、お沢ではないか。与兵衛は、最
後は、実母・お沢の兄の森右衛門に引導を渡されてしまう。

ある問題について、外と内の視点を持ち、「内」、つまり、情報の送り手という取材対象か
ら情報を取材し、「外」、つまり、情報の受け手に、それを判りやすく伝える。いわば、外
と内の境界に立ち、情報を判りやすく伝える人、それが、マージナルマンという立場を必要
とする、ジャーナリストのあるべき姿なのだと思う。それは、私も、そうなのだが、まさし
く、ジャーナリストの視点なのである。

「心中天網島」(1720年)、「女殺油地獄」(1721年)、「心中宵庚申」(172
2年)。近松は1724年には、没。当時は、近松の「心中もの」が、艶のある大衆上のす
る作品として、ヒットしているなかで、あえて、晩年の老いを感じながら、「心中もの」で
はない「女殺油地獄」という作品を書き、生きているうちに、再演の機会に恵まれなかった
近松門左衛門は、まさに、「心中もの」の人気の劇作家としてではなく、気鋭のジャーナリ
ストの視点で、与兵衛という、近代的な犯罪者に通じる青年像を描き上げ、同時代ではな
く、何百年後の、見知らぬ現代社会に向けてメッセージを送り込んできたのではないだろう
か。

「心中宵庚申」(1722年)も、今回、国立劇場の人形浄瑠璃で、初めて観たが、それに
ついては、第一部の劇評として書いてみたい。

最後に、大勢出演する人形遣いのうち、主な人たちを記録しておこう。
お吉:和生。与兵衛:玉男、天王寺屋・小菊:清五郎、馬に乗った高槻家の御代参・小栗八
弥:簑太郎、その随行で与兵衛の伯父・森右衛門:玉輝、豊島屋・七左衛門:玉志、河内
屋・徳兵衛:玉也、河内屋女房・お沢:勘彌、与兵衛の兄・太兵衛:幸助、稲荷法印:簑紫
郎、与兵衛の妹・おかち:簑助、綿屋・小兵衛:玉誉ほか。
- 2018年2月16日(金) 17:34:04
18年2月歌舞伎座(夜/「熊谷陣屋」「寿三代歌舞伎賑」「祇園一力茶屋の場」)


新・幸四郎の襲名披露演目は、高麗屋所縁の「熊谷陣屋」


新・幸四郎の襲名披露演目は「熊谷陣屋」というのは、高麗屋としては、極めて全うな選択
だろう。主役の熊谷直実は、染五郎改め、幸四郎である。「熊谷陣屋」を観るのは、今回
で、22回目。私が観た直実では、圧倒的に多いのが九代目幸四郎(10)。吉右衛門
(4)、仁左衛門(2)、八十助時代の三津五郎、團十郎、松緑、海老蔵、橋之助改め・芝
翫、そして今回が染五郎改め・十代目幸四郎。これは、初見となる。だから、私の直実像
は、九代目幸四郎によって、作られている。新・幸四郎の誕生で、直実像が今後どう変化し
てゆくか、楽しみだ。今回の劇評は、この点にだけ、こだわって書いておこう。比較する役
者は、九代目、十代目幸四郎と吉右衛門の3人だ。まず、九代目から。

17年4月歌舞伎座。九代目幸四郎は、幸四郎名では最後の直実を演じた。幸四郎の今回の
決め科白の、科白廻し。「十六年は、一昔。夢だあ。ああ〜、夢だああ〜〜〜」と語尾を伸
ばせるだけ伸ばして、歌い上げていた。いつも通りだが、感慨深げで、初日から、目には涙
を浮かべていた。胸中にはいろいろな思いが駆け巡ったことだろう。1981年11月歌舞
伎座、初役で直実を演じて以来、36年、つまり、ふた昔以上前から演じてきた直実役者の
数々の舞台に改めて感謝したい。もっとも、まだまだ、白鸚名で直実を演じることもあるだ
ろう。

さて、今回の三代同時襲名披露の舞台。定式幕で開幕。8年前に初役で演じ、今回は、3回
目となる新・幸四郎の直実はどうか。私は、染五郎時代の直実を残念ながら、一度も観てい
ない。新・幸四郎は、中年というよりも細面の好男子ゆえに、青年のイメージが今も強い。
若々しすぎて、直実としては、残念ながら違和感がある。それは、幸四郎が直実を演じる時
には、暫くは、マイナスに働き続けるのではないか。直実としての存在感が感じられないか
らだ。風格、貫禄含めて、中年武士になりきっていない嫌いがある。藝の力か、年齢か、い
ずれ、そういう懸念を払拭する時が来るだろうが、当面は難しいかもしれない。「十六年
は、一昔。夢だあ。ああ、夢だあー」という決め科白も、父親がこってりとした味で言って
いたのが私の耳にコビリ付いている。新・幸四郎の科白は、九代目に比べると淡白である。
私が観た日には、目にも涙が浮かんでいるようには、見えなかった。淡白が悪いわけではな
いが、何か、違う。それを説明するためには、吉右衛門の直実を観ると良いかもしれない。

これまで私が観た最高の「熊谷陣屋」は、13年4月歌舞伎座。歌舞伎座杮葺落興行の舞
台。残念ながら、最高の直実を演じたという印象を私が持っている役者は、九代目幸四郎で
はなかった。弟の吉右衛門。吉右衛門の直実は、肩の力を抜いて、役者吉右衛門の存在その
ものが自然に直実を作って行く。時代物の歌舞伎の演じ方という教科書のような演技ぶりだ
った。「存在そのものが自然に直実を作って行く」。新・幸四郎の存在感に拘る私の批評の
原点は、ここにある。

ほかの役者評も少しだけ書いておこう。義経を演じた菊五郎は、さすがに貫禄があり、堂々
たる「主役」(「熊谷陣屋」の筋立てを裏で指揮しているのは、実は、義経である、という
のが私の説)の義経であった。菊五郎が義経を演じるのは、今回で11回目。「熊谷陣屋」
の義経役者では、一枚上を行く義経振りである。このほか、私が観た「熊谷陣屋」の義経で
は、仁左衛門の義経も颯爽としていて良かった。


「寿三代歌舞伎賑〜木挽芝居前」と劇中「口上」


「寿三代歌舞伎賑(ことほぐさんだいかぶきのにぎわい)〜木挽芝居前」は、新作歌舞伎。
芝居小屋の前で、出演する役者が興行の成功や歌舞伎の繁栄、観客の多幸・健勝を祈願する
という、徳川時代から始まった歌舞伎の演出方法。原型を元に、興行に合わせた趣向で上演
される。したがって、「芝居前」では、可能な限り、多くの歌舞伎役者を集める。集まった
役者が、ほかの演目にも出演するので、既に述べてきたように、配役がいつもより豪華版に
なる。

高麗屋三代。幸四郎改め、白鸚。染五郎改め、幸四郎。金太郎改め、染五郎。この3人が軸
になるが、今月集った主な役者は次の通り。筋書きの順番で記録しておこう。

菊五郎、仁左衛門、玉三郎、左團次、又五郎、鴈治郎、錦之助、松緑、海老蔵、彌十郎、芝
翫、歌六、魁春、時蔵、雀右衛門、孝太郎、梅枝、高麗蔵、友右衛門、東蔵、秀太郎、猿之
助、楽善、我當、梅玉、吉右衛門、藤十郎。高麗屋三代を入れて、30人という豪華な顔ぶ
れだ。

「木挽町芝居前」は、今井豊茂の新作で、一幕もの。芝居小屋の前という想定で、出演する
役者が顔を揃えて、興行の成功などを願う祝祭的な演目。

高麗屋三代同時襲名披露興行とあって、有力な役者衆が勢揃いする「木挽町芝居前」の開幕
前、閉幕後の幕間では、ロビーは、梨園のお内儀たちで賑わった。皆、正装の着物姿で、常
連客に愛想を振りまいていた。特に、高麗屋のお内儀(二代目白鸚夫人)など、役者衆の美
しいお連れ合いたちがロビーのあちこちで後援会の顧客やファンたちに囲まれていて、華や
かな人の花が開いていた。私は、ロビーで見かければ、可能な限り、高麗屋のお内儀には、
挨拶をして、短い雑談をするのを楽しみにしているのだが、今回は、初日にお見かけしたも
のの近づかずに失礼をした。ほかの高麗屋ファンに譲ったのだ。

客席に入ると、本舞台には、草間彌生のデザインの祝幕(個人寄贈)が飾ってある。やが
て、「木挽町芝居前」の開幕。その前に場内がフェードアウト。真っ暗に暗転して、明転。
本舞台が一気に明るくなると、そこは木挽町芝居前。徳川時代の芝居小屋には、歌舞伎座の
紋を染め抜いた暖簾が上下2箇所に下がっている。櫓が立ち、三代同時襲名披露「二月大歌
舞伎」の演目(今月の演目をそのままに)を知らせる看板や絵看板も掲げられ、木戸には、
「大入」「客留」などの張り出し、下手に積み物もある。

襲名披露興行の賑わいを見ようと、大勢の鳶の者と手古舞姿の芸者衆が繰り出している。江
戸・木挽町の芝居小屋の前は、高麗屋一門の役者衆(錦吾ら)が、既に控えている。小屋の
表方(廣太郎)も。本舞台下手の床几には、町年寄の二引屋(我當)、町火消の組頭(楽
善)が既に座って待っている。我當は、すっかり痩せてしまっている。3年前に比べても、
痩せておられるようだ。顔が一回り小さくなったような気がする。でも、科白はきちんと聞
こえた。やはり、役者だ。目もご不自由と聞くが、お大事に。

芝居茶屋松嶋屋の亭主(仁左衛門)が集まった人たちに礼を言い、高麗屋三代を呼び込む。
本花道から高麗屋三代が、高麗屋番頭(猿之助)を伴って登場。猿之助の影が薄いのが気に
なった。怪我は、全治したのか。闊達な役者としての復活を期待したい。芝居小屋の中か
ら、座元の音羽屋(菊五郎)、太夫元の播磨屋(吉右衛門)、吉原山城屋の抱え芸者(藤十
郎)が、姿を現わす。吉右衛門が、何やら、夜の部は、控えめになっていやしないだろう
か。

両花道からは、江戸で名高い男伊達と女伊達が登場する。下手の本花道からは男伊達(左團
次、又五郎、鴈治郎、錦之助、松緑、海老蔵、彌十郎、芝翫、歌六)は9人、上手の仮花道
からは女伊達(魁春、時蔵、雀右衛門、孝太郎、梅枝、高麗蔵、友右衛門、東蔵、秀太郎)
も同じく9人。両花道から、そろいの衣装の面々が、交互に順番に祝意を述べ、ツラネを披
露する。

彼らが本舞台に上がると、本花道からは、茶屋女房・お玉(玉三郎)が江戸奉行・中村高砂
守(梅玉)を案内して現れる。襲名披露を聞きつけたという将軍の代行で、祝儀に厄除けの
金の御幣を持参したという。

高麗屋三代は小屋へ入り、小屋の本舞台から襲名披露の口上を言うことになり、中へと案内
されて行く。芝居小屋前に残った面々は、舞台の支度が整うまで、一同揃って祝いの盃を重
ねようというのが本来の場面だが、初日とあって、その手順を言い出す役者がいなくて、暫
く、皆々が顔を合わせて立ち尽くしたまま、奇妙な間が空くという、珍しい場面があった。
特に、菊五郎と藤十郎が顔を見合わせているだけで、ストップモーション。皆、苦笑い。観
客は喜んでいた。

誰かの音頭で皆、小屋に入って行く。吉右衛門だったか、仁左衛門だったかな。

床几に座ったまま手持ち無沙汰だった我當も付き人(倅の進之介だろうか。判別できなかっ
た。進之介の名前は、筋書にもなし)と黒衣の二人に左右を抱えられるようにして退場して
いった。ほとんど歩いていない。両脇から抱え上げられているように見えた。

芝居小屋入口の大道具(引道具など)が場面転換。替わりに、芝居小屋の中の「本舞台」も
大せりでせり上がってくる。「本舞台」の襖には、高麗屋の三つの家紋(四つ花菱、浮線
蝶、三つ銀杏)が描かれている。その前には、別のせり穴が開いている。やがて、東西声が
聞こえ、せりに乗って、高麗屋三代が上がってくる。上手より二代目白鸚、十代目幸四郎、
八代目染五郎の順に座っている。白鸚と幸四郎は、柿色の肩衣に浮線蝶の紋。染五郎は、三
つ銀杏の紋。鬘の髷は、3人とも鉞(まさかり)。

「口上をもって、申し上げ奉りまする」。口上は、白鸚が取り仕切って始める。「高麗屋
は、初代より320年……」などなど。幸四郎、染五郎も含めた詳細な口上内容は、省略に
て、失礼。口上が終わると、祝幕が閉まって来る。

こういう趣向の舞台は、05年5月、歌舞伎座で、勘九郎が十八代目勘三郎を襲名した際
に、「弥栄芝居賑〜中村座芝居前〜」という外題の一幕もので観たことがある。また、15
年4月、歌舞伎座で、翫雀が四代目鴈治郎を襲名した際にも、「成駒家歌舞伎賑」という外
題の一幕もので観たことがある。演目の骨格は、いずれも、今回とほぼ同じだが、勘三郎だ
けは、両花道の男伊達、女伊達が、それぞれ10人といちばん多かった。この時、両花道の
うち、本花道を埋める男伊達に菊五郎、三津五郎、橋之助、染五郎、松緑、海老蔵、獅童、
弥十郎、左團次、梅玉の順で、10人、仮花道を埋める女伊達に玉三郎、時蔵、福助、扇
雀、孝太郎、菊之助、亀治郎、芝雀、魁春、秀太郎の順で、10人という華やかな舞台を演
出。いずれも、名前は、当時のままで記載。

「弥栄芝居賑〜中村座芝居前〜」は、川尻清潭作の祝典劇で、1950(昭和25)年1月
の歌舞伎座、十七代目勘三郎襲名披露興行で、「顔揃櫓前賑」という外題で上演された演目
(新作歌舞伎)で、実質的に「口上」の趣向を凝らして見せるという愉しい発想。その後
も、軸になる役者により、さまざまな外題で、演じられてきた。


新・白鸚、新・染五郎の襲名披露演目は、「祇園一力茶屋の場」


これは、見ごたえがあった。由良之助は幸四郎改め、白鸚、力弥は金太郎改め、染五郎。二
人の襲名披露演目は、「仮名手本忠臣蔵」の「七段目」である「祇園一力茶屋の場」。新・
染五郎は、科白をとちらずにゆるりと演じていた。12歳、中学1年生。先が楽しみだ。こ
の場面の見せ場は、お軽を軸に由良之助と平右衛門が、それぞれ絡む場面だ。今月、私も初
日に、玉三郎(お軽)と仁左衛門(平右衛門)、そして二代目白鸚(由良之助)で観た。こ
の配役で、七段目を演じるのは、38年ぶりだという。1980年3月、歌舞伎座。当時の
染五郎(現在の二代目白鸚)と孝夫(現在の十五代目仁左衛門)が、由良之助と平右衛門を
交互に演じ、玉三郎のお軽が、二人に対応した、という舞台だった。今月の、この場面は、
高麗屋襲名披露という時空を超えて、歌舞伎史に記憶される舞台だろう。皆さん、お見逃し
なく。

襲名披露の祝幕が定式幕に上手から押されるようにして、閉幕。「七段目(通称「一力茶
屋」、あるいは、「茶屋場」)」は、いつも通り、定式幕開幕で始まる。

七段目は、二つの芝居が合体。由良之助とお軽。平右衛門とお軽。最後に流れは一つにな
る。京の華やかな茶屋が舞台。忠臣蔵で最も華やかな場面。由良之助(二代目白鸚)は、敵
討ち資金を遊興費に流用して茶屋遊び。咎める塩冶派の元家臣・「三人侍」(友右衛門、彌
十郎、松江)を足軽の寺岡平右衛門(仁左衛門)が案内して茶屋まで出向いてくる。塩冶家
の元家老(現役時代は、由良之助も九太夫も家老として二人は同格だった。つまり、重
臣)・斧九太夫(錦吾)には、由良之助も生臭いものを食べてみせたり、赤錆びた刀を放置
したりして、ごまかす。「韜晦の遊興」ではないかと疑う「寝返り派」の九太夫や敵方の鷺
坂伴内(高麗五郎)らスパイたちを騙す。味方も敵も騙す。精緻な虚偽の遊興で敵討ちの本
心を隠す。

前半の見せ場は、密書読みの「トライアングル」。由良之助(白鸚)が力弥(新・染五郎)
の届けた密書を見る場面。座敷(二重舞台)の縁側、手水のところ(上手側)の灯で文を読
む由良之助。さらに上手の隣座敷の2階(二重舞台より幾分高い)から由良之助の読む文を
手鏡(拡大鏡ではない)に写して(?)、興味半分に覗き読みする遊女・お軽(玉三郎)。
座敷の縁の下(平舞台)から由良之助の読む手紙を盗み見る斧九太夫(錦吾)。ここは、お
軽と由良之助の物語。

裏切り者は、後に殺されることになる。お軽・平右衛門の父親・与市兵衛は斧九太夫の息
子・定九郎に殺された(五段目)。茶屋場で出会った二人は与市兵衛の敵討ちを果たしたこ
とになる。悲劇の兄妹。兄は、討ち入りに47人目の浪士として参加する道が開ける。ここ
は、お軽と平右衛門の兄妹の物語。妹・お軽の今後は? 男たちの歴史では、女たちは、き
ちんと記録されずに歴史の闇に落ちて行く。

贅言;斧九太夫と鷺坂伴内の駕籠を挟んでのやり取りは、三段目「門前」の「進物場」のパ
ロディ。大きな石がかごの中にあるのに気がついた駕籠かきも交えて、駕籠かき:「おー
い」、鷺坂:「しー」、というのは、親父レベルのダジャレ。抜擢で、鷺坂伴内を演じた高
麗五郎が熱演していた。科白も多く、高麗五郎の存在感が、ぐんと増したように感じた。

由良之助の「遊興(韜晦)」の意味。七段目、京の祇園での由良之助の遊興は韜晦。高家一
派を欺くための偽装である。興味本位で密書を覗き見たばっかりに偽装が漏れそうになるこ
とを恐れた由良之助にお軽は殺されそうになる。お軽らの真意が由良之助にも伝わり、お軽
は許され、平右衛門は勘平の代わりに足軽としてただ一人主君の敵討ち同盟に加えられる
(史実の寺坂吉右衛門は、大石内蔵助から事件後の後処理のため遺族間の連絡員、世話役と
いう密命を託されたと言われ、遺族の面倒を見ながら83歳まで生き延びた。江戸のほか仙
台にも墓がある)。「七段目」の最後に、由良之助の本心が滲み出てくる。主筋は、由良之
助や平右衛門ら男たちのプライドのドラマだが、脇筋では、お軽の女の心情のドラマ。「仮
名手本忠臣蔵」も、「八段目」道行旅路の嫁入、「九段目」雪転(こか)し・山科閑居とい
う「女たちの忠臣蔵」ともいうべき場面へ盛り上がる。そして、「十一段目」の討ち入り、
男たちのドラマが、大団円を迎える。以下、まとめて、贅言。

贅言1);歌舞伎の道具の木戸は、いつもは刺身のつまのように扱われ、開幕当初は舞台や
花道に出ていても、一芝居が終わると間もなく、大道具方が出てきて、片付けられてしまう
ことがほとんどだ。それが、七段目では、木戸が割と活躍するからおもしろい。

花道、いつものところに粗末な木戸。まず、仁左衛門の足軽・平右衛門の案内で、通称「三
人侍」が通る場面がある。次に、茶屋の座敷で酔って眠り込んだ「風」の由良之助が、息子
の力弥がやってきたのを知り、周りを警戒しながら起きてきて、花道の木戸まで出向き、息
子から主君の妻(顔世御前)の密書を預かる場面もある。茶屋で妹のお軽と出会い、由良之
助とお軽との経緯を知り、機密を知ったお軽を殺めようとする場面で、花道木戸までお軽が
逃げる場面もある。ということで、木戸が花道に根が生えたように残って、活躍する。

贅言2);仲居たちによる「見立て遊び」。大部屋の女形たちが集団で出てくる。筋書に名
前が載っている仲居は、12人。名前もない仲居は、6人。大部屋の立役たちが演じる太鼓
持ちは、10人。全員名前がある。彼らが、逮夜の晩に九太夫や由良之助を相手に「見立
て」という遊びをしてみせる。通称「蛸肴」という場面。科白のほとんどない役が多い大部
屋役者にとって、この場面は、台本にない、即興の科白を言える貴重なチャンスなのだ。こ
の日の仲居(誰か判別できず)の一人は、高麗屋三代の同時襲名披露に引っ掛けて見立てを
した。太鼓持ちたちは、複数でチームを組み、座敷にあった蝋燭と持ち込んだ赤い布をうま
く使って、オリンピックの聖火台を見立てて、場内の笑いを取っていた。


贅言3);「七段目」とはいえ、前後が絡むので、初心の人には、判り辛いだろうから、全
体を見通せるように再録しておこう。16年11月、国立劇場の舞台がよかろう。「完全通
し」と銘打った「仮名手本忠臣蔵」全十一段の場割は、以下の通り。

大 序:兜改め。
二段目:力弥使者・松切り。
三段目:進物場(門前)・喧嘩場(刃傷)・裏門。
四段目:花献上・判官切腹(せっぷく)・城明渡し。
浄瑠璃:道行旅路の花聟。
五段目:鉄砲渡し・二つ玉。
六段目:勘平腹切(はらきり)。
七段目:祇園一力(茶屋場)。
八段目:道行旅路の嫁入。
九段目:雪転(こか)し・山科閑居。
十段目:天川屋。
十一段目:討入(実録風)・広間・奥庭泉水・本懐焼香・引揚。
- 2018年2月4日(日) 16:32:40
18年2月歌舞伎座(昼/「春駒祝高麗」「一條大蔵譚」「暫」「井伊大老」)


「大大歌舞伎」は、歌舞伎のカーニバル


18年1月から続く高麗屋三代同時襲名披露興行も2月の初日を迎えたので、東京地方も夜
には雪が降るという天候の中、夜の帰宅の足が乱れても対応できるようにと、いつもより、
重装備の服装で歌舞伎座に行った。今月の「大歌舞伎」は、いわば、毎月の大歌舞伎と違っ
て、襲名披露興行で集まった豪華な役者衆、主役、ベテラン、中堅クラスの役者が30人以
上出演という、つまり、文字通りの「大大歌舞伎」で贅沢な配役を実現することができた。
「大大歌舞伎」に集う歌舞伎役者たち。まるで、これは、歌舞伎のカーニバル(祝祭)であ
ろう。

高麗屋、我が世の春の感じがするが、そういう感じに流されることをいちばん引き締めてい
るように見受けられる役者たちがいる。その役者は、九代目幸四郎に別れを告げて二代目白
鸚を名乗った。もう一人、十代目幸四郎は、幸四郎はいつの世も一人だけだと宣言し、
「代々」という呼称を抜いて連綿と続く幸四郎の足跡を引き継いだ。自分がやらねば、とい
う覚悟なのだろう。

今月の演目は、高麗屋三代を軸とした襲名披露演目、ゲスト出演の主役を軸にした演目、襲
名披露興行らしく祝儀を表明する演目と、ざっと3つのグループに分けられるので、おいお
い、演目に即して説明をして行きたい。

今月の歌舞伎座は、夜の部の休演日多い。1日の初日から千秋楽の25日までの25日間
で、合計12日が休演日だ。その代わり、空席なしという日も数回ある。どういう事情か
は、説明もないようなので、判らない。また、夜の部の出演者のうち、「仮名手本忠臣蔵〜
祇園一力茶屋の場(七段目)」では、寺岡平右衛門とお軽が、日替わりで交替という演出
だ。つまり、奇数日は、熟成派の役者衆。玉三郎(お軽)と仁左衛門(平右衛門)。私も初
日に、玉三郎(お軽)と仁左衛門(平右衛門)、そして二代目白鸚(由良之助)で観た。こ
の配役で、七段目を演じるのは、38年ぶりだという。1980年3月、歌舞伎座。当時の
染五郎(現在の二代目白鸚)と孝夫(現在の十五代目仁左衛門)が、由良之助と平右衛門を
交互に演じ、玉三郎のお軽が、二人に対応した、という舞台だった。

今回の偶数日は、若手の役者衆。菊之助(お軽)と海老蔵(平右衛門)というわけだ。ま
だ、観る機会がない。歌舞伎座以外で今月、歌舞伎を上演しているのは、福岡・博多座の
「二月花形歌舞伎」だけで、配役を見ると、花形若手の中村勘九郎・七之助の中村屋兄弟、
中村児太郎、尾上松也以下の浅草歌舞伎の面々の一部という若手・最若手たちに、中村扇雀
らベテランが配役のバランスをとる、という苦心の工夫が滲み出てくる。新橋演舞場や大阪
松竹座は、上演期間を短くして、さらに歌舞伎以外の演目を上演している。いかに、今月の
歌舞伎界は、ベテラン、中堅を厚めに、若手も含めて、役者衆が歌舞伎座に集められて、歌
舞伎座「1強」体制になっていることか。

高麗屋祝祭。それだけに、今月の歌舞伎座は、いつもより贅沢な配役で芝居を楽しめる、と
いうことになる。役者祝祭。観客祝祭。どういう配役が妙味かは、昼の部、夜の部で、個別
に論じよう。全国の歌舞伎の芝居小屋は、4月以降なら、高麗屋の襲名披露興行を楽しめ
る。例えば、当面で言えば、4月は、名古屋御園座、6月は、博多座、7月は大阪松竹座と
いう具合だ。後半以降は、また、別途。さて、この劇評は、昼の部だ。本筋に戻ろう。


「春駒祝高麗(はるこまいわいのこうらい)」は、初見。「曽我もの」の代表作で、よく上
演される「対面」の、いわば舞踊劇版。今回は、外題に「高麗」と入っているように、高麗
屋三代同時襲名披露の舞台を寿ぐ祝祭の演目に変化(へんげ)している。「曽我もの」と
は、本来は曽我兄弟物語。兄弟が、親の仇として付け狙う工藤祐経に、やっと逢う場面を
「対面」という。つまり、暗殺者・ヒットマンが、暗殺の対象となる人物に接近する場面。
歌舞伎では、「対面」というアクション場面の前に、「接近」の苦労を「所作事」で、緊張
感を抑えたまま、明るく演じる場面を挿入した。ヒットマンは、ヒットマンらしからぬ、華
やかさで、身をやつして、敵陣に、まんまと乗り込む。元々は、「當年祝春駒(あたるとし
いわうはるこま)」という演目で1791(寛政3)年、中村座で初演された。本名題(外
題)は、「対面花春駒(たいめんはなのはるこま)」ということで「対面」を明記してい
た。「春駒売」に身をやつした曽我兄弟が、工藤の館に入り込む。「春駒売」とは、正月に
馬の頭を象った玩具(金色と銀色)のようなものを持ち、「めでたや めでたや 春の初め
の 春駒なんぞ」などと祝の言葉を様々に囃しながら、門付けをして歩く芸人のことであ
る。

舞台では、幕が開くと、無人(役者が未登場の状態)の舞台奥の雛壇に並んだ長唄連中の
「置唄」。主軸となる長唄の鳥羽屋三右衛門に大向こうから声がかかる。舞台中央には、大
せりの大きな穴が空いている。富士の姿を中央に描いた書割は、さらに、松と紅白梅が描か
れている。やがて、工藤祐経(梅玉)が、脇に、大磯の虎(梅枝)、化粧坂少将(米吉)、
喜瀬川亀鶴(梅丸)という綺麗どころを引き連れて、大せりに乗って、せり上がって来る。
今回は、両花道を使っているので、まず、仮花道から小林朝比奈(又五郎)が、登場。次い
で、本花道から二人の「春駒売」に身をやつした曽我兄弟(十郎:錦之助、五郎:芝翫)
が、なんとか検問突破で登場する。最初の内は、春駒の踊りを踊りながら様子を伺う兄弟だ
が、途中で、黒衣の持ち出して来た赤い消し幕の後ろで、衣装の双肩を脱ぎ、赤い下着を見
せて、仇への感情(赤色)を表わし、五郎が、工藤に接近する。まさに、「対面」を予兆さ
せる場面となる。すでに兄弟の正体を見破っている工藤は、兄弟に富士の狩り場の通行切手
(つまり、入場券)を投げ渡し、「(私を)切って恨みを晴らせよ」。その時には父親の仇
として(君らに)討たれよう。

しかし、後日の対面。「まず、それまでは・・・」、仇討はお預け、という、つまり、結論
先送り、という歌舞伎独特の、幕切れの科白となる。祝祭の場で血を見せない、という美
学。それぞれが絵になる静止ポーズを見せる「絵面の見得」で、幕。同趣旨の演目では、
「當年祝春駒」という外題で、過去に2回観たことがある。


高麗屋が「一條大蔵譚」を上演するという意味


昼の部の襲名披露演目は、なんと「一條大蔵譚」! 染五郎、改め幸四郎が、主演。高麗屋
筋ではほとんど上演しない演目「一條大蔵譚」への新・幸四郎の挑戦ということである。十
代目幸四郎は、高麗屋演目を軸に歌舞伎の継承と隆盛に挑戦するという趣旨のことを度々明
言している。その第一弾が、叔父の播磨屋・中村吉右衛門の至藝演目「一條大蔵譚」への挑
戦となったのだろう。染五郎時代を含めて、2回目。新・幸四郎としては、初の挑戦とな
る。

本人は、明言していないが、胸底には、吉右衛門の娘の連れ合いになった尾上菊之助が、菊
五郎以外、尾上筋ではあまり上演しなかった「一條大蔵譚」にも、吉右衛門の娘の連れ合い
という立場を活用して播磨屋筋の演出を積極的に取り入れて(つまり、吉右衛門の指導を受
けて)上演し始めたことへのライバル心もあるのではないか、と推測できそうな気もする
が、判らない。菊之助は、去年、2017年7月、国立劇場(歌舞伎鑑賞教室)で大蔵卿を
初役で演じている。半年遅れで、新・幸四郎として初めて、演じる、ただし、染五郎時代に
叔父の吉右衛門の指導を受けて、既に初演しているので、事実上、2回目の出演。つまり、
菊之助も幸四郎も、それぞれにとって、義父、叔父という立場の吉右衛門の藝を継承しよう
としているのである。観客の私たちとしては、菊之助、染五郎の今後の精進で、吉右衛門の
至藝演目のひとつでもある「一條大蔵譚」をこれからも楽しめるという観客冥利を味わうこ
とができるというものだろう。

菊之助の大蔵卿が、「国立劇場の歌舞伎鑑賞教室」という、やや控えめな舞台だったのに対
して、七代目染五郎は、新・幸四郎の襲名披露という、大舞台で上演するという。その鼻息
の荒さを感じるのは、私だけではないだろう。

通称「一條大蔵譚」は、人形浄瑠璃「鬼一法眼三略巻」は、1731(享保16)年、大
坂・竹本座で人形浄瑠璃として初演された。文耕堂らが合作した全五段の時代浄瑠璃の「四
段目」に当たる。保元・平治の乱を経て、平家全盛となった世の中で、源氏の再興を目指す
牛若(後の義経)系統の人々の苦難を描いた。我が世の春を謳歌する平清盛に対峙する弱者
の物語。一條大蔵卿長成は史実の人物で、藤原氏の流れを汲む貴族だが、この芝居では、フ
ィクションが付け加えられ、元は源氏の血筋の公家として描かれる。平家対隠れ源氏。いわ
ば「1強」対多弱という構図。権力を独り占めする強者・清盛に対抗するには、政治には興
味を示さず、芸能(能や舞など)に「うつつを抜かす」安全な人物を装って、時代の流れが
変わるまで待とうという姿勢の人物として描かれる。

「一條大蔵譚」の今回の場割は、序幕「檜垣茶屋の場」(緑豊かで、敷地内の建物など見え
ない広大な京都御所の公卿門。その門前にある茶屋という設定。鬼次郎・お京の二人が御所
見物に紛れて接近してくる)、大詰「大蔵館奥殿(おくでん)の場」(御所の周辺には多く
の公家屋敷があるが、大蔵館もその一つ。奥殿は大蔵卿や、今はその妻になっている常盤御
前が居住しているプライベートゾーンという設定。鬼次郎が大蔵館に先に潜り込んだお京の
手引きで忍び込んできた)という構成である。

「一條大蔵譚」は、本来、吉岡鬼次郎の物語なのだが、主人公の鬼次郎と芝居の脇の人物・
大蔵卿が、キャラクターのおもしろさ故に、主と脇が、「逆転」してしまい、現在上演され
るような大蔵卿を軸とする演出が定着してきた。特に一條大蔵卿役を得意とした初代吉右衛
門の功績が大きい。それを二代目吉右衛門が、自家薬籠中として熟成してきた。ゆえに、播
磨屋至藝の演目になっている。

「一條大蔵譚〜檜垣、奥殿〜」を観るのは、今回で14回目。私が観た大蔵卿は、吉右衛門
(6)、染五郎時代を含めて、新・幸四郎(今回含め、2)、先代の猿之助、勘九郎改め、
勘三郎、菊五郎、歌昇時代の又五郎、仁左衛門、菊之助。そして既に述べたように、今回、
染五郎時代を含め、2回目の新・幸四郎は、「大舞台」の襲名披露演目として改めて挑戦し
た。常盤御前は、魁春(3)、時蔵(今回含め、3)、先代の芝翫(2)、鴈治郎時代の藤
十郎、先代の雀右衛門、福助、芝雀時代の雀右衛門、米吉、梅枝。鬼次郎は、梅玉(5)、
菊之助(2)、松緑(今回含め、2)、歌六、仁左衛門、團十郎、松也、当代の彦三郎。鬼
次郎女房・お京は、松江時代を含む魁春(2)、孝太郎(今回含め、2)、宗十郎、時蔵、
玉三郎、菊之助、東蔵、壱太郎、芝雀時代の雀右衛門、児太郎、梅枝、尾上右近。

これで判るように、大蔵卿は、吉右衛門、鬼次郎は、梅玉というイメージが、私には強い。
吉右衛門(一條大蔵卿)と梅玉(鬼次郎)を軸として上演する時代が続いた。ふたりのキャ
ラクターが、充分生かされて、見慣れた演目は、馴染みの役者の滋味で、「ことことと」煮
込まれている。そこへ、菊之助と新・幸四郎が、音羽屋、高麗屋の「殻」から飛び出し、播
磨屋の「型」を学ぼうというのだから、この二人のうち、どちらかが「一條大蔵譚」を演じ
る舞台は、今後、目を離せないのではないか。

初代以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、いつも巧い。公家としての気品、風格。常盤
御前を妻に迎え、妻の源氏再興の真意を悟られないようにと能狂言にうつつを抜かし(純粋
芸能派文化人か)阿呆な公家を装う。その滑稽さの味は、いまや第一人者。吉右衛門は、阿
呆顔と真面目顔の切り替えにメリハリがある。阿呆面の下に隠していたするどい視線を時に
送る場面も良ければ、目を細めて笑一色の阿呆面もまた良し。緩急自在。珠玉の藝の流域で
あり、絶品の舞台であった、と思う。いうこともなし。ひたすら、さらなる熟成の果てを楽
しむ。

菊之助の大蔵卿は、さすがに熟成の吉右衛門の藝には及ばない。吉右衛門の藝とは違うが、
その違いの中には、吉右衛門にはないフレッシュさがある。大蔵卿の愛嬌に加えて、菊之助
のキャラクターの可愛らしさもあるからだ。

新・幸四郎の大蔵卿も、吉右衛門とは一味違う。私の印象では、存在感がまだまだ違うよう
だ。しかし、新・幸四郎は、滑稽な役に味がある。二枚目より良い。滋味のある滑稽さは、
吉右衛門とも菊之助とも違う幸四郎の味になりそうだ。

今後も、二人とも、吉右衛門に改めて指導を受けることもあるかもしれないが、吉右衛門の
藝に似せる(近づける)よう精進をしながら、そこから飛び立つ修業もしてほしい、と思
う。

「阿呆」顔は、いわば、「韜晦」、真面目顔は、「本心」、あるいは、源氏の血筋を引くゆ
えの源氏再興の「使命感」の表現であるから吉右衛門型の演出は正当だろう。当代の吉右衛
門が金地に大波と日の出が描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換えるな
ど、阿呆と真面目の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現する。こうしなければなら
ない大蔵卿は、さぞ難しかろう、と思う。しかし、それをいとも容易にこなしているように
見える吉右衛門の藝は、長年の弛まざる努力の賜物であろう。菊之助に続いて、新・幸四郎
も、今、その熟成の藝を見せる義父、叔父の後ろ姿をそれぞれの違った目で見ながら、長い
旅に踏み出したと言えるのではないか。

贅言;ロビーで山川静夫さんに会い、挨拶をした。かつての職場の先輩。大向こうのお仲間
と一緒だった。大向こうの山川さんは、いつも決まった場所に「立ち放し」の姿勢ながら、
時々声を発しているが、今回の「一條大蔵譚」では、この演目の開幕前に、いつもの定位置
から私の後ろの席に移動してこられた。お仲間で求めた座席だったかもしれないが、その席
で、幕切れ前の、極めて良いタイミングで、新・幸四郎に「十代目」と一言だけ、大きな声
をかけていた。その声は、私にも、とても印象に残った。


ゲスト演目・「暫」と「井伊大老」


歌舞伎十八番の内、「暫」を観るのは5回目。歌舞伎の典型的な祝祭劇。今回の主演は、市
川海老蔵。私が観た5回の配役を記録すると次のようになる。鎌倉権五郎(暫):海老蔵
(今回含め、3)、團十郎(2)。清原武衡(ウケ):左團次(今回含め、2)、九代目三
津五郎、富十郎、段四郎。震斎(鯰):八十助時代を含めて、十代目三津五郎(3)、翫雀
時代含めて、鴈治郎(今回含め、2)。照葉(女鯰):時蔵(2)、扇雀、福助、今回は、
孝太郎。桂の前:門之助(2)、右之助時代の齋入、芝雀時代の雀右衛門、今回は、最若手
グループの一人、尾上右近。加茂次郎(太刀下):友右衛門(今回含め、3)、秀調、先代
の芝翫。成田五郎(腹出し):権十郎(2)、松助(松也の父)、左團次、今回は、右團
次。局常盤木:右之助時代含めて、齋入(今回含め、3)、玉之助、東蔵。

幕が開くと、塀外。上手には、霞幕が、大薩摩連中を隠している。紅白の毛槍を持った奴た
ちが、花道から現れて、舞台を横切り、上手の奥の、袖に入って行く。霞幕が、取り除かれ
ると、山台に乗った大薩摩連中。暫く、無人の舞台で、大薩摩連中の演奏。やがて、塀は、
舞台上下手に、つまり左右に開いて行く。早春の鎌倉鶴ケ岡八幡宮境内。いつもの連中が、
舞台に立ち並んでいる。

「暫」は、祭祀劇であり、記号の演劇だ。江戸時代には、幕末までの1世紀余りに渡って、
「暫」は、旧暦の11月に「顔見世興行」のシンボルとして、演じられた演目であった。同
じ演目ゆえに、毎年、趣向を変えて演じられた。その結果、役どころは、変わらないが、役
名が、変動した。江戸の人々は、役柄を重視し、役柄、姿、動作などから、主な役どころに
は、「暫」「ウケ」「鯰」などの通称をつけて、理解を助けたのである。先の主な配役一覧
で、役名の後に、括弧で記入したのは、役の通称だが、極めてユニークな記号になっている
と思う。

例えば、主役の鎌倉権五郎の「暫」は、向う揚幕の、鳥屋のうちから、「暫く」、と声をか
けて、暫くしてから花道に出てくるから、「暫」と呼ばれた。清原武衡の「ウケ」は、その
「暫く」を受けて立つ敵役だから、「ウケ」となる。鹿島入道震斎の「鯰」は、「震災」の
ことであり、化粧などが、「鯰」だからだろうし、照葉の「女鯰」は、「鯰」に付き従って
いる女性だからだろう。

「太刀下」は、鎌倉権五郎が、振るう大太刀の下で、あわや、首が飛びそうになるからだ。
後から出てくる成田五郎を含めて、東金太郎、足柄左衛門、荏原八郎、埴生五郎の5人は、
「腹出し」と呼ばれるが、これも「腹を出した赤っ面」という扮装を見れば、良く判るネー
ミングだ。また、道化方、若衆、女形、敵役など歌舞伎の主な役柄が出揃うという意味で
も、初心者にも判りやすい演目だ。

鎌倉権五郎(海老蔵)の花道七三への登場で、大薩摩は、暫く、姿を隠すために、再び、霞
幕に覆われる。鎌倉権五郎は、花道七三でのツラネ(荒事の主役が述べる長科白)で、役柄
と役者自身の自己主張をする。演奏より、「ツラネ」という科白術が、見せ場、聞かせどこ
ろ、という演出の強調であろう。

やがて、海老蔵は、本舞台正面へ。大きな力紙を附けた五本車鬢という鬘、紅の筋隈、市川
團十郎家の色、柿色の素襖には、家紋の三升が染め抜かれている。後ろ向きで、いくつもの
衣装の肩を脱ぎ、前向きになると、大見得。大振りの衣装に助けられて海老蔵は、いちだん
と、大きく見える。私が観た鎌倉権五郎は、回数で海老蔵が團十郎を超えた。鬼籍の父親
は、もう、息子を超えられない。海老蔵の鎌倉権五郎を私は、今後も見続けて行くだろう。

「暫」は、歌舞伎の配役が、類型化されて、衣装や扮装、化粧などという歌舞伎の演目を越
えて共通する様式性でバランスを採り、それに伴い、「大同小異」という人物の普遍性を主
張するという演劇としての歌舞伎の特性を判り易く示す象徴的な演目だと思う。江戸歌舞伎
を代表する荒事の演目であり、勇壮な荒事の特徴の、花道の出、愛嬌、力感、科白廻し(主
役の科白のほか、主役の動作に添える、仕丁たちの「ありゃー、こりゃー」という化粧声な
ども)、衣装、隈取り、力紙をつけた鬘、大太刀などの小道具、全体の扮装、「元禄見得」
など、いくつかの見得、引っ込みの六法まで、團十郎家代々の荒事のエキスを見せつける。
歌舞伎入門、あるいは,江戸歌舞伎の荒事入門に相応しい演目だろう。

源義家家来の小金丸(彦三郎)が、行方不明だった源氏の重宝・雷丸という剣を持って登場
するのを合図に、霞幕が、片付けられ、大薩摩連中が、再登場する。

権五郎が、加茂次郎に源氏の重宝を手渡し、一行を「太刀下」の状況から逃れさせる。大太
刀を肩に担いで、権五郎は、悠然と花道から立ち去る。格好良い英雄の典型的な後ろ姿だ。


「井伊大老」は、播磨屋の大御所。吉右衛門主演。主役の大老・井伊直弼を演じる。相手役
のお静の方は、雀右衛門。この演目は、今回で7回目の拝見。実は、94年4月歌舞伎座、
白鸚十三回忌追善興行の舞台を観たのが、いまのように歌舞伎を観始める最初だった。この
時の演目のひとつが、「井伊大老」であった。

それ以来、私が観た主な配役。井伊大老は、吉右衛門(今回含めて、5)、九代目幸四郎
(2)。お静の方は、先代の雀右衛門(2)、芝雀時代を含めて、雀右衛門(今回含め、
2)、歌右衛門、魁春、玉三郎。96年4月の歌舞伎座の舞台でお静の方を演じた歌右衛門
は、この月の舞台では、途中から、病気休演で、雀右衛門が、代役を勤めているが、私は、
病気休演前に、無事六代目歌右衛門最後の、お静の方の舞台を拝見することができた。

「井伊大老」は、北條秀司作の新作歌舞伎で、1956(昭和31)年、明治座で初演され
た。新国劇としての初演は、それより、3年前の1953(昭和28)年、京都南座。歌舞
伎としての初演は、井伊大老は、当時の八代目幸四郎(後の初代白鸚)、お静の方は、六代
目歌右衛門であった。初演以降、お静の方は、六代目歌右衛門の、井伊大老は、八代目幸四
郎の、当り役になった。北條秀司の芝居は、科白劇。1981年11月、歌舞伎座で、八代
目幸四郎は、九代目を息子の幸四郎(今回二代目白鸚襲名)に譲り、初代白鸚襲名披露(あ
わせて、九代目幸四郎、七代目染五郎襲名披露。最初の三代同時襲名披露であった)の舞台
途中で倒れ休演、翌82年1月、不帰の人となった。その時の代役は、当代の吉右衛門。吉
右衛門は、以来、何回も井伊直弼を演じている。従って、白鸚を彷彿とさせる科白廻しであ
る。当代幸四郎の井伊直弼も、私は観ている。

安政の大獄=1858(安政5)年から59(安政6年)にかけて、井伊大老が、尊王攘夷
の志士らを弾圧し、吉田松陰、梅田雲浜、橋本左内らを投獄、処刑した=以来、政情不安に
なり、挙げ句、1860(安政7)年、旧暦の3月3日の「桜田門外の変」で、井伊大老
は、水戸浪士らによって襲撃され、暗殺される。

今回の歌舞伎の場割は、第一幕「井伊大老上屋敷奥書院」と第二幕「井伊家下屋敷お静の方
居室」(1年後)のみどり上演。つまり、「桜田門外の変」の前日、3月2日の、井伊家下
屋敷での、井伊大老と側室のお静の方の、しっとりとした最後の語らいの時間を見せ場に描
く。

第一幕「井伊大老上屋敷奥書院」。1859(安政6)年の初冬。井伊大老邸の奥書院の場
では、正室の昌子の方(高麗蔵)を軸にしながら、安政の大獄の時代状況が簡潔に説明され
る。書院の上手は、物見の間か。いまなら、バルコニーのような役割の部屋。上手奥に江戸
の下町方向が見渡される。火事か。世情不安。暗夜に帚星が見えた。井伊大老が、いつ水戸
浪士に襲われるかもしれないと昌子の方は不安がっている。井伊大老の身辺にも、危うきこ
とが忍び寄っている、という予兆。

第二幕「井伊家下屋敷お静の方居室」。1860(安政7)年3月2日。去年亡くなった鶴
姫の命日。井伊大老と側室のお静の方の間に生まれた娘。仙英禅師(歌六)が、お静の方
(雀右衛門)、老女・雲の井(歌女之丞)らと共に、姫の菩提を弔っている。

仙英禅師が去り、井伊直弼(吉右衛門)が来る。迫りくる死を覚悟する大老・井伊直弼。出
迎えたお静の方。青春時代から直弼と付き合ってきたお静の方の、しっとりとした語らい
は、心を許しあう、それも大人の男女の、極めてエロチックともいえる、濃密で、良い場面
である。ここで言うエロチックとは、性愛と言うよりも、大人の男と女、死という永遠の別
れを前にした、若い頃から長い時間を共有して来た果てのカップル、「晩年の生」の最期の
輝きとも言えそうな、しっとりした対話のことである。「あの日のことを覚えているか」と
井伊直弼。「忘れるものですか」とお静の方。聞き様によっては、とてもエロチックに聞こ
えるではないか。

「夫婦は、二世」という信仰が生きていた封建時代。井伊直弼も、正室より、若い頃から付
き合って来た側室のお静の方との「男女関係」をこそ、真の夫婦関係として重視していた。
エロスとタナトス。文字どおり、迫り来る死に裏打ちされた生の会話である。それを北條秀
司は、下屋敷の壷庭に咲いた桃の花に降り掛かる白い雪で描き出した。桃色の花の上に被さ
るように降り積もる白い雪。桃色と白色のイマジネーション。最大の見せ場。

居室奥正面の襖が開かれると、朱色の毛氈が敷き詰められた明るい雛壇が見える。幼くして
亡くなった娘を悼む雛祭り。暖かそうな春の灯り。雛壇では、上手に内裏雛が飾られてい
る。ふたりの静かな時間の流れのままに、各段に置かれた雪洞が、何時の間にか、消されて
行く。

また、雪は、井伊直弼に故郷の伊吹山を思い起こさせ、望郷の念を抱かせる。大老を辞め
て、お静らと過ごした彦根の青春の日々に戻りたいという、井伊直弼の絶叫が耳に残る。老
いと共に迫る死の予感から、直弼は、青春の日々を走馬灯のように思いめぐらす。第二幕の
科白劇が、圧巻。吉右衛門と雀右衛門のしっとりとした会話のやり取りを味わいつくした。

贅言;舞台で「雪が降り出した」「本降りになった」などという科白を聞きながら、この夜
の東京地方の雪の予報が気にもなった。歌舞伎座の外から帰途の帰りの足までが気になった
わけが、なんとか、メトロが動いているうちに帰宅できた。
- 2018年2月3日(土) 17:52:02
18年1月新橋演舞場(夜/新作歌舞伎 通し狂言「日本むかし話」)


連作から生まれた新作歌舞伎


「日本むかし話」は、宮沢章夫原作(脚本)、宮本亜門演出、市川海老蔵主演の新作歌舞伎。
「新作」歌舞伎とは、戦後生まれの歌舞伎のこと。そうでない歌舞伎は、江戸時代に生まれ
た「古典」歌舞伎と明治維新以降戦前までに上演された「新」歌舞伎という3つのグループ
に大きく分けられる。


新作歌舞伎通し狂言「日本むかし話」は、どのようにして歌舞伎化されたか


2013年8月、渋谷のシアターコクーンで市川海老蔵自主上演「AB KAI」の第一回公演
がなされた。テーマは、昔話の「花咲爺さん」をベースにした「疾風如白狗怒涛之花咲爺物
語。」であった。2015年には、自主上演の第三回公演では、昔話の「浦島太郎」をベー
スにした「竜宮物語」、さらに、「桃太郎」をベースにした「桃太郎鬼ヶ島外伝」と続く。
いずれも、発想は同じで、よく知られている昔話をベースに現代社会と世相へメッセージを
送ろうという作品であった。今回は、「花咲爺さん」「浦島太郎」「桃太郎」という、それ
なりに独立した作品に加えて、「一寸法師」「竹取物語」のふたつを加え、前段5話とし、
先行3作品に登場した「鬼石」を縦軸とする物語として、通し狂言「日本むかし話」として
上演した。通し上演は、今回が初演である。通し狂言という形にしたのは、そういう事情で
あった。

この演目の場割は、次の通り。
序幕「プロローグ むかし話」、序章「或る星の黄昏」、第一章「竜宮物語」、第二章「桃太
郎鬼ヶ島外伝」、二幕目第三章「竹取」、第四章「疾風如白狗怒濤之花咲爺物語。」、大詰
第五章「一寸法師」、第六章「かぐや姫」。

序幕「プロローグ むかし話」。お婆さん(梅花)が、なかなか寝付かない子どものために昔話
を聞かせることにした。物語は 不思議な石の話。或る星から物語は始まる。

序章「或る星の黄昏」。
不思議な石がある或る星。石のお陰で誰もが幸せに暮らしていた。或る星の大王(友右衛門)
は、后(吉弥)とともに幸せに暮らしていた。石とは、平和憲法。大王夫妻は天皇夫妻、とい
うように私には直ぐにイメージされてしまうが、原作者の思いとは違うかもしれない。夫妻
の間に子が生まれたので宴を開いている。大王の弟・盤面(いわつら)大臣(九團次)が来て、
石を投げ捨ててしまう。或る星の平和を維持していたのは石の力ではなく、自分の功績だと
主張して、大王を殺す。そして自分が大王になる。逃れた后は、生まれた我が子に行方不明
の石の探索を命じる。

第一章「竜宮物語」。
不思議な石は地球に辿り着く。日本に近い海底の竜宮城。城主の乙姫(笑也)は、臥せってい
る。乙姫は陸の男の生き肝を食べなければ、生きられないという体質なのだ。そこへ、大き
な音とともに、不思議な石が落ちてくる。

浦島太郎(右團次)が、亀吉に連れられてやって来る。乙姫に会い、酒を酌み交わすうちに二
人は恋仲になる。太郎の生き肝を食べることを断念した乙姫は太郎を地上へ送り返す。生き
肝を食べなかった乙姫の体は朽ち始める。滅びの舞を舞う竜宮城を後に石は海面へと上って
行く。

第二章「桃太郎鬼ヶ島外伝」。
鬼ヶ島。5人の男鬼たちとおばば鬼(女鬼)が住む。鬼石と呼ばれる不思議な石がある。桃太
郎がやって来る。黒鬼(九團次)、緑鬼(市蔵)、青鬼(右團次)、赤鬼(海老蔵)、黄鬼(弘太郎)た
ちは、どうすべきか。鬼たちは、桃太郎と争わずに、島を守る手段はないかと相談するが、
良い知恵は浮かばず、鬼石に祈るばかり。不甲斐ない鬼たちに怒った赤鬼は石を海に投げ捨
てて、島を出て行く、と言う。見た目が違うという理由で鬼を退治しようとする人間をなじ
る。自分たちの島を守ろうと鬼たちは桃太郎に戦いを挑むが、退治されてしまう。

二幕目第三章「竹取」。
或る星の后の娘(堀越麗か)が天の川に乗って地球にやって来た。竹林の中で動物たちに守ら
れている。竹取の翁(家橘)ががやって来ると竹林の中から娘が現れる。翁の飼い犬・シロ(海
老蔵)が伺うと、娘はかぐや姫だと答える。翁はかぐや姫を守ることにする。

第四章「花咲爺物語」。
深い森の中白犬が兵士たちに追われている。白犬は怪我をするが、逃げ延びる。
村の畑。正造爺(右團次)が畑を耕している。畑では芽が出ない。秋の収穫も覚束ない。女房
のセツ婆が握った握り飯を食べようとする。そこへ怪我をした白犬があらわれる。正造爺は
白犬を介抱して家に連れ帰る。様子を見ていた一蔵(市蔵)と二太郎(九團次)が、残された握
り飯を食べようとすると、村一番の強欲者 の得松 爺(獅童)が現れて握り飯を横取りする。

白犬(海老蔵)は、正造爺の女房のセツ婆(笑三郎)が 迎えると、突然、喋り始める。驚いた老
夫婦は白犬をシロと名付けて息子として育てることにした。1年が過ぎた。村の畑は、今年
も芽が出ない。得松爺が庄屋を連れて訪ねて来た。シロの行方を尋ねる。鬼退治をした桃太
郎は鬼ヶ島から鬼石を盗んだ悪人で、その家来の白犬が石を隠して、この辺りに潜んでい
る、というのだ。川へ水汲みにやって来たシロと正造爺の前を一寸法師が流れて行く。セツ
婆がシロたちを探しに来る。シロから桃太郎との経緯を聞き、悪いのは桃太郎ではなく、鬼
石を奪おうとしている村人たちだと判る。そこで、老夫婦はシロを赤く塗り、赤犬のアカと
して匿う。

アカが、隠していた石を掘り出し、石に向かって「ここ掘れワンワン」というと、金銀が湧
き出す。それを見た得松爺が、鬼石を奪いアカに呪文を唱えさせるが、出て来たのは魔物た
ち。得松爺は魔物に惑わされて死んでしまう。

贅言;シロ(海老蔵)は、宙乗りを披露する。「枯れ木に花を咲かせましょう」と言いながら、
花びらを振りまく。場内は、桜吹雪で薄い紅に染まる。かぐや姫(児太郎)も、月への帰還時
に本舞台のままながら、宙乗りを披露する。

大詰第五章「一寸法師」。
京の三条宰相殿。都へやって来た一寸法師(鷹之資)は、宰相殿に仕える。ここは、舞踊劇。
姫君に恋した一寸法師は、夜、姫の部屋に忍び込む。小さい一寸法師は、姫に踏まれそうに
なる。ゴキブリが出て来る。一寸法師の一途な恋心は姫にも通じる。姫の大きな掌が上手に
現れ、一寸法師をたのしいきぶんにさせる。

第六章「かぐや姫」。
かぐや姫の屋敷。美しく成長した姫。石作皇子(市蔵)、右大臣阿部御主人(廣松)、車持皇子
(弘太郎)、中納言石上麿(市川福太郎)の貴公子4人が、かぐや姫への求婚にやって来た。不
在の貴公子重信ノ尊は、海に漕ぎ出し行方不明になっているという。かぐや姫(児太郎)は、
4人の貴公子の申し出に良い返事をしない。持ってきた品物も拒否する。かぐや姫のおかげ
で贅沢三昧の生活をするようになった竹取翁夫婦は、かぐや姫に結婚を勧めるが、姫は断
る。

やがて、やつれ果てた重信ノ尊(海老蔵)が現れ、姫が望む品を探し出せなかったと詫びる。
素直な尊の姿に感じ入ったかぐや姫は、自分が望む品は鬼石だと告白する。

鬼石は、シロの力で魔物を生み出す石となり、蛭ヶ谷に打ち捨てられ、石の周囲は魔物で溢
れているという。尊は蛭ヶ谷へ向かう。尊は魔物の王・悪鬼王(九團次)に立ち向かう。魔力
にまけそうになっていると、後を追ってきたかぐや姫が尊の勇気と自分の守り刀の威徳を合
わせれば、どんな魔物でも倒せるという。二人は心を合わせて悪鬼王を倒す。二人の思いが
結ばれた時、皮肉にもかぐや姫の旅立ちを告げる赤い星が流れる。

幕切れに、梅花に連れられた子供たちが現れ、子供たちと一緒に観客はむかし話を聞かされ
ていた、という演出であった。

主な配役は、海老蔵:赤鬼、シロ、重信ノ尊。右團次:浦島太郎、青鬼、正造爺。笑三郎:セツ
婆。獅童:得松爺。友右衛門:大王。吉弥:后。児太郎:かぐや姫。笑也:乙姫。堀越麗禾:幼少か
ぐや姫。鷹之資:一寸法師。家橘:竹取の翁。齋入 :竹取の女房、おばば鬼。市蔵:緑鬼、一
蔵、石作皇子。九團次:盤面大臣、黒鬼、二太郎、悪鬼王。弘太郎:亀吉、黄鬼、車持皇子。
廣松:潮女、阿部御主人。梅花:お婆さん。

序章の不思議な石の存在が、おもしろいと思って見ていたら、途中で、「鬼石」になり、金
銀ザクザクまでは存在感があったが、魔の石になった後は、有耶無耶になってしまったよう
だ。大団円には出てこない。残念。それとともに、御伽噺の連作で作り上げた新作歌舞伎
も、幻影が醒めてしまったような気がした。先行作品の3作品と比べて、今回追加した2作
品の完成度というか熟成度というか、かなりの段差があるように感じた。

新作歌舞伎であり、通し狂言への挑戦という、その初演の舞台だったので、粗筋を含めて記
録した。
- 2018年1月25日(木) 18:48:12
18年1月新橋演舞場(昼/「天竺徳兵衛韓噺」「口上」「鎌倉八幡宮静の法楽舞」)


獅童の「天竺徳兵衛韓噺」


肺腺がんなどの病気を克服した中村獅童は、去年の11月巡業公演で舞台復帰。さらに、1
8年1月は、東京の新橋演舞場で、久しぶりの本格的な歌舞伎上演ということで、私も彼の
元気な舞台姿を見たいと思い、早速、新橋演舞場に足を運んだ。演目は、「天竺徳兵衛韓
噺」で、獅童の歌舞伎役者人生で初めて、という宙乗りも披露するという。市川海老蔵の友
情で、本格的な主役を初めて演じる獅童。張り切るのは良いけれど、大病を克服したばかり
なのに、無理して大丈夫なのかな。そういうあたりが、獅童の無茶苦茶なところ、などと言
われなければ良いがなあ、と思う。

さて、「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべいいこくばなし)」。天竺徳兵衛は、近世初期の
史実にある実在の人物である。播磨国加古郡高砂(現在の兵庫県高砂市)の生まれと言われ
る。徳川時代の初期、鎖国になる前に朱印船(当時の貿易船)に乗り込んで、いまのベトナ
ム・タイなどへ2度渡航している。角倉了以の書記役という立場であった。現在なら一流商
社の幹部社員というところだろうか。この場合、徳兵衛のニックネームにもなっている「天
竺」とは、インドの旧名だが、今のインドと重なっているわけではなく、タイだという。徳
兵衛は、晩年にこの渡航体験や訪れた国の風俗などを記録して長崎奉行に提出したので、こ
れをもとに「天竺渡海物語」や「天竺徳兵衛物語」が広く流布された、という。徳川時代の
人たちは、興味を持ってこの人物をモデルに取り上げた。その後、幕府によって鎖国政策が
とられたこともあって、人形浄瑠璃や歌舞伎で、「海外」へのイメージを膨らませ、いまの
ようなイメージの徳兵衛を育ててきたのだろう。

徳兵衛を主人公にした最初の歌舞伎は、1757(宝暦7)年、大坂大松百助座で初演され
た並木正三原作の「天竺徳兵衛聞書往来」であった。蝦蟇の妖術を使う徳兵衛の誕生であっ
た。以来、「天竺徳兵衛もの」が、歌舞伎や人形浄瑠璃で演じられた。この系統の決定版と
して、1804(文化元)年、江戸河原崎座で初演されたのが、鶴屋南北原作の「天竺徳兵
衛韓噺」であった。初代尾上松助が演じた天竺徳兵衛は、天下を狙う大悪人とされた。趣向
に富んだストーリー。衣装や道具の新工夫。早替り。松助の出世作となった。今回の上演
は、これをベースに再構成し、新たな台本を作ったという。天竺徳兵衛ものでは、19年
前、1999年10月、国立劇場で、菊五郎主演の「音菊天竺徳兵衛」を観たlことがあるの
で、今回は2回目の拝見。菊五郎演出と今回の演出は大分違う。ほぼ初見のような感じなの
で、粗筋も含めて気がついたことは記録しておく。

贅言;当時の、日本はどうだったのか。鎖国時代に入ってから嵐に見舞われ難破事故にあい、
外国へ漂流した人たちは、実は、かなりいる。浜田彦蔵も、そのひとりだ。彼はアメリカに
辿り着き、向こうの学校は入り、幕末の開国時に帰国、アメリカの日本領事館の通訳になっ
た、という経歴の持ち主。しかし、攘夷派の志士に命を狙われ、再び渡米し、南北戦争に遭
遇し、再度帰国、横浜で貿易の仕事をしたり、英字新聞を翻訳した新聞を発行したりして、
明治30年代まで生きる。なかなか、世の中が見えている人のようだ。それゆえ、「アメリ
カ彦 蔵」とあだ名された、という。「天竺徳兵衛」も「アメリカ彦蔵」も外国の地名を冠し
た通り名で呼ばれるほど知られた人物だが、一方は、劇中人物として 「妖術使い」になり、
いまも歌舞伎や人形浄瑠璃の世界で生きているし、一方は「米語使い」になり、 激動の幕末
から明治中期まで生き延びた。


「天竺徳兵衛韓噺」獅童宙乗り相勤め申し候


「天竺徳兵衛韓噺」は、鶴屋南北原作で、筋が入り組んでいるので、粗筋紹介は敬遠をし、
各場面の概要のみを記録しておこう。

今回の場割は、次の通り。
序幕第一場「吉岡宗観邸奥座敷の場」、同 第二場「同 水門の場」、二幕目第一場「梅津
掃部屋敷奥殿の場」、同 第二場「同 土蔵前の場」、大詰「大清寺仙人閣の場」。

序幕第一場「吉岡宗観邸奥座敷の場」。奥座敷には、下手側に蝦蟇の絵が描かれた衝立があ
る。座敷の外、舞台の左右に「黒い竹」の竹林がある。なにやら怪しげ。仕掛けが隠されて
いるのだろう。見落とさないようにしたい。吉岡宗観(左團次)の主君・佐々木桂之介(友
右衛門)は、将軍家の重宝・浪切丸を盗まれ、詮議が果たせないまま、吉岡邸でくすぶって
いる。佐々木桂之介と恋仲の銀杏の前(梅津掃部の妹)に横恋慕する山名時五郎の讒言で不義
の汚名を着せられている。奥の間より桂之介が、宗観の妻・夕浪(吉弥)を伴っている。花道
より、赤姫姿の銀杏の前(児太郎)登場。皆で、浪切丸の詮議ができない責任を取って桂之介
は、切腹を覚悟していると告げたので、銀杏の前も嘆く。舞台下手より現れた男がいる。山
名時五郎の意向を受けた蛇遣いの段八(新十郎)で、段八は、持ってきた蛇を座敷にぶちま
け、花道から銀杏の前を連れて去ろうとする。花道から現れた天竺徳兵衛(獅童)が銀杏の前
を救う。徳兵衛はのいでたちは、アイヌ文様の衣装、太い格子柄の上着、首に手拭いを巻
き、右手に刀を持っている。全て船頭のいでたちと知れる。徳兵衛と庄屋は、二重舞台の座
敷前の平舞台に座った。海外から帰国の報告に来たと同伴した庄屋が徳兵衛のことを座敷の
桂之介や夕浪に紹介する。座敷前に茣蓙が敷かれる。徳兵衛は、そこへ座り直す。「早く国
許へ帰りたい」と、徳兵衛。それなら海外での体験談を話せという。庄屋に聞かせるスタイ
ル(つまり、対談形式)で、徳兵衛は、話し始める。

贅言;「中国に渡ったら、カルタやら、トランプやらという人の中国訪問と重なり、私らには
食べ物が十分に出してもらえず、飲まず食わずで、病気になった。天竺で病も平癒して、新
橋演舞場で初春の舞台に立てるようになった」。観客席から温かい拍手が盛り上がる。さら
に、「可愛い息子も生まれた」と報告すると、テレビなどで獅童の近況を知っている観客た
ちは、再び、温かい拍手を送る。徳兵衛の体験談というより、これは、獅童の、一種の「劇
中口上」のバリエーションだと思いながら、私は聴いていた。

桂之介らは、奥へ退場する。徳兵衛のみ、舞台に残る。舞台上手には、開幕時から、なにや
ら置いてある。先に紹介した座敷の衝立も気になる。蛙が頻りに鳴き出す。最前、段八が放
り投げて行った蛇が上手の黒竹を登り始める。途中で蛇の体が切れてしまう。吉岡宗観(右
團次)が奥から出て来る。徳兵衛は、吉岡の顔に死相が出ていて、今日中に命を落とすと警
告する。そこへ、将軍家の上使来訪が告げられる。上使には吉岡のみ立ち会う。徳兵衛は奥
へ。やがて、上使として現れたのは、白塗りの梅津掃部(九團次)と赤っ面の山名時五郎
(弘太郎)の二人。二人は浪切丸の詮議について吉岡を詰問する。夕浪が三宝に小刀を載せ
て、宗観に届ける。徳兵衛が死相が出ていると警告した吉岡宗観は詰問に答える代わりに小
刀で切腹する。夕浪と最期の別れがしたいという吉岡の意向を聞き、梅津らは、座を立つ。

吉岡は徳兵衛を呼び出す。死に瀕した吉岡宗観が、実は明国(大雑把に言えば、今の中国)
の旧臣木曽官、明国再興を志して、来日して足利将軍に近づき、時節を窺っていた、と打ち
明ける。さらに、徳兵衛が、吉岡宗観の、実の息子の大日丸(夕浪との間に生まれた)という
素性が明らかになり、父親の志を受け継ぐと約束するので、宗観は息子の徳兵衛に蝦蟇の妖
術を授ける。実の親子の対面と「術譲り」(術伝授)の場面が見せ場となる。「ナムサッタル
マ、グンダリギャ、シュゴセイテン、ハライソハライソ」という呪文を伝授する。衝立の蝦
蟇の絵を内側から破って、大蝦蟇が登場する。舞台上手にあったものは、蝦蟇の姿に変わ
る。ただし、この術は、年月、日、時刻が巳の揃う生まれの女子の生き血で破られてしまう
から注意という。この様子を見ていた夕浪が奥にいる梅津に告げに行くというので、徳兵衛
は夕浪に斬りつける。徳兵衛は、実母を殺したことになる。これは、実母の謀で、徳兵衛の
決心を試したのだという。吉岡夫婦の夫婦(めおと)心中か。さらに、徳兵衛が上手の黒竹を
斬ると、竹の中から行方不明だった浪切丸が出て来た。徳兵衛は、両親の介錯をした後、宗
観の切り首を抱え、譲られたばかりの妖術を使って姿を消す。

第二場「同 水門の場」。吉岡宗観邸の奥座敷が大セリで奈落に沈むと吉岡邸の大屋根。巨
大な蝦蟇(蝦蟇は、大中小と、3種類使われていた)の上に乗った徳兵衛。平舞台に上使の二
人と花四天(捕手)たち。舞台が回って、吉岡邸裏手にある水門の場面となる。水門が開いて
大蝦蟇が再び姿を見せる。天竺徳兵衛の妖術であった。花四天たちと徳兵衛の立ち回りが見
せ場。立ち回りの後、幕。幕外の引っ込みへ。獅童は蝦蟇役者の下から現れたように見え
た。切り首を口に咥えた徳兵衛は、花道へ。獅童は、六法で向こう揚幕へ飛び込んで行く。
特に、この場面の展開の演出は、19年前の音羽屋型といろいろ違うようだ。

二幕目第一場「梅津掃部屋敷奥殿の場」。梅津掃部屋敷。奥殿の階段の途中から庭は、泉水
(池)になっている。変な作りの奥殿だ。奥方の葛城が、大伽藍を建立し、様々な供物を屋敷
から伽藍に運び込んでいる。花道より将軍の上使・細川修理之助政元(右團次)が長袴の足
元を捌きながら登場。いろいろ噂のある梅津掃部屋敷の様子を偵察に来たのだ。大日丸(徳
兵衛)の蝦蟇の妖術が世上を騒がせている。浪切丸の詮議が叶わないのに、梅津掃部が桂之
介を匿っているのではないか。掃部の妻・葛城が謀反を企んでいるのでは。上使は掃部を問
い詰める。掃部は上使に根も葉もないことだ、と弁明する。

そこへ、徳兵衛が座頭の徳市(獅童)に化けて、銀杏の前の慰めのためにと、木琴の演奏を
披露したいとやってくる。唐から渡って来た、つまり舶来の珍しい楽器の音を姫に聞かせた
いという触れ込みである。しかし、唐来物なら、徳兵衛を知らないか、と掃部に尋ねられ、
正体がばれそうになり、徳兵衛は、座敷の前の泉水に飛び込んで逃げる。

勅使来訪の告知。獅童は勅使の桜町中納言義照に早替りして、登場。吹き替えをうまく使っ
ている。上使(右團次)も勅使を出迎える。勅使・中納言(獅童)も浪切丸の詮議にきたのだと
いう。勅使は行方不明の刀の代わりに銀杏の前を預けるようにと言う。偽勅使の正体もば
れ、ぶっかえりとなり、徳兵衛だと正体を現し、姿を消す。浅葱幕の振り被せと振り落とし
で場面展開。第二場へ。

贅言;獅童の役者人生で初めての宙乗り。歌舞伎役者だった父親が上の役者と喧嘩をして役
者廃業、役者復活を夢見る母親に尻を叩かれ、歌舞伎にしがみつき、とうとう若手の人気役
者にせり上がってきた獅童。若い頃下積み扱いされて苦労をしてきたので、主役が演じる宙
乗りには縁が遠かったというあたりがその理由だろう、と思う。

第二場「同 土蔵前の場」。土蔵から梅津掃部の奥方・葛城の命を受けたという奴の鹿蔵
(松江)が伽藍に寄進すると称して、荷車で品々を運び出そうとしているが、槍などが含ま
れている。そこへ大蝦蟇が塀を破って姿を現わす。侍たちと大蝦蟇の立ち回り。蝦蟇はセリ
下がって消える。荷車の葛籠が中空に浮かび上がる。徳兵衛(獅童)の仕業だ。葛籠抜け
で、獅童の徳兵衛が姿を見せる。背負った葛籠に銀杏の前(児太郎)を閉じ込めている。つ
づらから徳兵衛は、「葛籠抜け」の宙乗りを見せて、姿を消す。徳兵衛の衣装に身を固めた
獅童は、「葛籠背負ったが、おかしいか」という決め科白を言う。

贅言;獅童は、本格的な主役は、初めてと言い、宙乗りも初めてという。そうかな、という印
象だが、下積みからのしてきた役者の実感なのだから、そういうことなのだろう。歌舞伎の
歴史の中では、そういう体験を踏まえて歴史に残る盟友となった役者も多いのだから、獅童
の今後の健闘を期待したい。

大詰「大清寺仙人閣の場」。鹿蔵(松江)たちが仙人閣に荷物を運び込んでいる。花道から戻
ってきた葛城(笑也)が積んできた秋草を蝦蟇仙人の画像に供えると、大蛇が姿を現わす。
鹿蔵が大蛇を斬ろうとすると葛城が窘めて、一間に入る。入れ違いに銀杏の前(児太郎)をさ
らってきた徳兵衛が現れる。重宝・浪切丸を渡すから、自分の意に従えと銀杏の前を宥めす
かす。再び現れた葛城が徳兵衛への恋の証と自分の小指を切り落とす。竦む徳兵衛。葛城
は、巳の揃う生まれとわかる。葛城は、実は、清国の重臣・八旗将軍蘇任の娘だった。葛城
は、徳兵衛が吉岡宗観、実は明国の旧臣木曽官の息子の大日丸と断じる。鹿蔵も実は、清国
の廷臣・王魏祝だった。立ち回りとなりそうになる。あわや、国際紛争か。

そこへ、将軍足利義政(海老蔵)が花道から現れる。
鹿蔵、実は清国廷臣(松江)、梅津掃部(九團次)、細川修理之助(右團次)、徳兵衛、実は木曽官
一子大日丸(獅童)、足利義政(海老蔵)、佐々木桂之介(友右衛門)、銀杏の前(児太郎)が、本舞
台最前線に並ぶ。主役の獅童が、本舞台中央に。「方々さらば」。将軍の言葉に従い、一
堂、後日の再会という、歌舞伎の荒唐無稽な大団円で、幕。結末は、先送り。

「天竺徳兵衛」の歌舞伎で、おもしろいのは外連(ケレン)である。もともと日中(明) 混
血の徳兵衛は、蝦蟇の妖術を使う「国崩し」の極悪人という荒唐無稽 な物語であるだけに、
ケレン向きの演目。

右團次の時代の科白に味がある。獅童も含めて、今の歌舞伎役者の若手は、こういう科白の
味は出せない人が多いだけに、違いが良く判る。獅童が元気で良かったが、少し痩せたのか
な。顔付きの線が鋭くなり、目つきがきつくなったように見えた。


成田屋の専売特許。海老蔵の「にらみ」


「口上」。市川海老蔵「にらみ」相勤め申し候。海老蔵の新年の挨拶とともに成田屋所縁の
「にらみ」を披露する。


「鎌倉八幡宮静の法楽舞」。明治期に「劇聖」と称えられた九代目市川團十郎生誕百八十年
を記念して上演された。もちろん初見。1885(明治18)年以来の復活上演。明治座の
前身・東京千歳座会場記念で初演された、という。河竹黙阿弥原作。本名題は「千歳曽我源
氏礎」。一番め六立目が、「静法楽舞」。初演時は、九代目團十郎が静御前一役で演じた。
九代目が選定した「新歌舞伎十八番の内」の一つ。

今回は海老蔵が演じるが、変化舞踊の要素もあり、海老蔵は、7役早替り。
静御前、義経、老女、白蔵主(はくぞうす)、油坊主、三途川の船頭、化生。ほかに、従僧
方便坊(九團次)、同じく普聞坊(廣松)、姑獲鳥(笑三郎)、蛇骨婆(吉弥)、忍性上人
(右團次)ほか。

物の怪の出る荒れ寺。次々に現れる物の怪らを法力で鎮める。狂乱の静御前と幻の義経。祈
りあげる忍性上人と弟子の従僧たち。

音楽も、河東節、常磐津、清元、竹本、長唄に箏曲が加わる五重奏の珍しい舞踊劇。
- 2018年1月25日(木) 18:25:28
18年1月浅草歌舞伎(第1部/「義経千本桜 〜鳥居前」「元禄忠臣蔵 〜御浜御殿綱豊
卿」)


「義経千本桜 〜鳥居前」


「義経千本桜」のうち、「序幕」の「鳥居前」は、今回で13回目。最若手の歌舞伎役者た
ちによる上演なので、配役は、ぐっとフレッシュ。今回の主な配役は、狐・忠信(隼人)、
義経(種之助)、静御前(梅丸)、弁慶(歌昇)、逸見藤太(巳之助)ほか。去年の1月
は、「義経千本桜」大詰の「川連法眼館」が、30歳代の松也を除けば、20代がほとんど
という役者衆で頑張る新春浅草歌舞伎の浅草公会堂で上演されていたのを思い出した。

さて、今月の「鳥居前」。幕が開くと、舞台は、浅黄幕が全面を覆っている。置き浄瑠璃の
後、幕の振り落とし。舞台には、義経(種之助)と四天王。「鳥居前」は、女性を残して旅
立つ男たちの物語だ。兄の頼朝から「謀叛あり」と嫌疑を持たれた義経は、義経を討てと命
じられた土佐坊が、義経の住む京の堀川御所に攻め立てて来た時、騒ぎを鎮めたかったのに
忠臣・武蔵坊弁慶が、土佐坊を逆に討取ってしまったので、京に留まることができなくなっ
てしまった。逃避行の入らざるを得なかった義経一行は、伏見稲荷に道中の無事を祈願する
ために参詣する。そこへ、花道から、赤姫姿で、義経の愛人である静御前(梅丸)が、一緒
に連れて行って欲しいと追いかけてくる。しかし、鳥居前で、「女に長旅は、無理だ」と義
経は、静御前に帰るよう諭す。

同じく、花道から武蔵坊弁慶(歌昇)も遅れてやってくる。義経は、お前の所為で都落ちと
なったと軍扇で弁慶を叩く。「ええ、無念、口惜しやなぁ」、叩かれて泣く弁慶。静御前
が、これを取りなしてくれたので、「以後は、きっと慎みおろう」と、弁慶は、義経一行に
同行することを許される。義経も、自分の形見にと初音の鼓を静御前に与えるが、片岡八郎
が「鼓の調べ緒」を使って鼓と一緒に静御前を鳥居前の梅の木に縛り付けて(調べ緒とい
う、この優雅さ)、一行は舞台上手の伏見稲荷の境内に入って行ってしまう。

やがて、花道から頼朝方の追っ手である逸見藤太(巳之助)が、本身の槍を持った花四天の
手勢を連れて現れて、静御前にセクハラ行為。さらに、故郷に帰っていた筈の義経の家臣・
佐藤忠信(隼人。実は、狐忠信)が花道から現れる。花道の出ばかりが続く。花四天たちを
追い払う立ち回りで、忠信は静御前を救出する。藤太は、忠信に踏み殺されて、目が飛び出
す。みどり上演なので、ここで、藤太は最期となる。

そこへ、伏見稲荷での祈願を終えた義経一行が上手から戻って来る。静御前を救った褒美と
して、忠信に「源九郎義経」という名前を与え、「後代に残すべし」と言う。さらに着用し
ていた鎧を与え、静御前を都まで連れ帰って欲しいと頼む。実は、佐藤忠信は、本物の佐藤
忠信ではなく、初音の鼓の革に使われた狐夫婦の息子が、化けていた(鼓と狐の関係は、孤
独な義経の境遇の象徴である)。静御前との道行を前に、超能力で本性を覗かせる狐忠信
が、静御前を花道先行させた後、「狐六方」で引っ込むところで、「鳥居前」は、幕。

若い役者衆が、基本に忠実に、科白もハキハキとしゃべるので、いつもの芝居よりもくっき
りと伝わってくる。観客席は、中年から上の女性の姿が目立つ。浅草歌舞伎は、歌舞伎役者
のアイドル的な舞台という受け止め方なのかもしれない。


仁左衛門を彷彿とさせる松也の科白廻し


「元禄忠臣蔵 〜御浜御殿綱豊卿」では、浅草歌舞伎の座頭・松也が綱豊卿を演じる。ほか
の配役は、巳之助が富盛助右衛門、新悟が祐筆の江島、米吉が中臈のお喜世、これに加え
て、ベテランが脇を固める。歌女之丞が上臈の浦尾、錦之助が新井白石(通称・勘解由)ほ
か。

昭和の新歌舞伎の巨編である真山青果作「元禄忠臣蔵」の原作は、10演目あり、「大石最
後の一日」が、二代目左團次の大石内蔵助などで、1934年2月に歌舞伎座で初演されて
以降、1941年11月の「泉岳寺の一日」まで、7年余に亘って書き継がれ、それぞれ
が、その都度、上演されてきた。三大歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」が、物語ならば、「元禄
忠臣蔵」は、科白をたっぷり書き込んで、事件を検証するドキュメンタリー小説だろう。
「御浜御殿綱豊卿」は、真山科白劇では、華のある場面ゆえ、おそらく「元禄忠臣蔵」で
も、最も上演回数が多いのではないだろうか。

史実の綱豊(1662−1712)は、16歳で、25万石の徳川家甲府藩主になる。さら
に、43歳で五代将軍綱吉の養子になり、家宣と改名。その後、1709年、46歳で六代
将軍となり、3年あまり将軍職を務めた人物。享年50歳。「生類憐みの令」で悪名を残し
た綱吉の後を継ぎ、間部詮房、新井白石などを重用し、前代の弊風を改革、諸政刷新をした
が、雌伏の期間が長く、一般にはあまり知られていない。七代将軍家継(家宣の3男、兄二
人が、夭死し、父も亡くなったので、わずか4歳で将軍になったが、在職4年弱で、7歳で
逝去。父親同様、間部詮房、新井白石の補佐を受け、子どもながら、「聡明仁慈」な将軍だ
ったと伝えられる)も夭逝。将軍政治の安定は八代将軍・吉宗まで待たねばならない。

「御浜御殿綱豊卿」では、将軍就任まで7年ある元禄15(1702)年3月(赤穂浪士の
吉良邸討ち入りまで、あと、9ヶ月)というタイミングで、綱豊(39歳)を叡智な殿様と
して描いている。御浜御殿とは、徳川家甲府藩の別邸・浜御殿、浜手屋敷で、いまの浜離宮
のことである。

〈浅野家家臣にとって主君の敵〉吉良上野介・〈「昼行灯」を装いながら、真意を隠し京で
放蕩を続ける〉大石内蔵助・〈密かに敵討ちを狙う〉富森助右衛門ら江戸の赤穂浪士。そう
いう構図を知り抜き、浅野家再興を綱吉に上申できる立場にいながら、赤穂浪士らの「侍
心」の有り様を模索する綱豊(松也。綱豊自身も、次期将軍に近い位置にいながら、いや、
その所為で、「政治」に無関心を装っている)。綱豊の知恵袋である新井白石(錦之助)、
後に、七代将軍家継の生母となる中臈・お喜世(米吉)、お喜世の兄の富森助右衛門(巳之
助)、奥女中の最高位の大年寄になりながら、後に、「江島生島事件」を起こし、信州の高
遠に流される祐筆・江島(新悟)は、お喜世を庇(かば)い立てするなど、登場人物は、多
彩で、事欠かない。

この演目では、「真の侍心とはなにか」と真山青果は、問いかけて来る。浅野家再興か主君
の仇討か。この二つのテーマは、並立しないと綱豊は考えているようだ。どちらか一つを選
ぶしかない。綱豊のバランス感覚は、研ぎ澄まされている。キーポイントは、青果流の解釈
では、「志の構造が同じ」となる綱豊=大石内蔵助という構図だろうと思う。内蔵助の心を
語ることで、綱豊の真情を伺わせる。いわば、二重構造の芝居だ。

赤穂浪士らの「侍心」に答えるためには、浅野家再興より浪士らによる吉良上野介の討ち取
り(仇討)が大事だと綱豊(松也)は、密かに考えている。だが、そうは言わない。江島、
お喜世の手引きで綱豊の御座所まで入ってきた富森助右衛門(巳之助)。助右衛門と綱豊と
の御座の間でのやり取りは、双方の本音を隠しながら、それでいて、嘘はつかないという、
火の出るようなやり取りの激しい対話となる。いわば、情報戦だ。

しかし、綱豊の真意を理解し切れていない助右衛門は、妹・お喜世の命を掛けた「嘘」の情
報(能の「望月」に吉良上野介が出演する)に踊らされて、「望月」の衣装に身を固めた
「上野介」(実は、綱豊)に槍で突きかかるが、それを承知していた綱豊は、助右衛門を引
き据え、助右衛門らの不心得を諭し、綱豊の真意(それは、つまり、大石内蔵助の本望であ
り、当時の多くの人たちが、期待していた「侍心」である)を改めて伝え、助右衛門を助け
る(あるいは、知将・綱豊は、こういう事態を想定してお喜世に嘘を言うように指示してい
たのかもしれない)。槍で突いてかかる助右衛門と綱豊との立ち回りで、満開の桜木を背に
した綱豊に頭上から花びらが散りかかるが、この場面の「散り花」の舞台効果は、満点。そ
れほど、良く出来た場面であると観る度に感心する。

その後、何ごともなかったかのように沈着冷静な綱豊は、改めて、姿勢を正し、「望月」の
舞台へと繋がる廊下を上手へと颯爽と足を運びはじめる。能のスリ足の運びだ。綱豊の真意
を知り、舞台下手にひれ伏す助右衛門。上手に控える中臈や奥女中。まさに、一幅の絵とな
る秀逸の名場面である。前半は、科白劇で、見どころを抑制し、後半で、絵面的にも美しい
見せ場を一気に全開する。このラストシーンを書きたくて、真山青果は、この芝居を書いた
のでは無いかとさえ思う。「元禄忠臣蔵」で、最もドラマチックであり、絵面的にも、華麗
な舞台だから、ダントツの再演回数を誇るのも、頷けよう。松也の綱豊は、特に科白廻しが
仁左衛門そっくりに聞こえたりする。松也は、仁左衛門を目標に綱豊の役作りをしているの
ではないか。尾上松也は、二代目。初代は、叔父の大谷桂三。父親は、六代目尾上松助。脇
役として味のある役者だった。20歳の時に松也は父親を失ったが、今、誰に師事して指導
を受けているのか。華があり、口跡も良い。声がよく響く。次代を担う若手の歌舞伎役者の
一人であることは間違いない。

松也が、15年から加わった新春浅草歌舞伎では、4年目を迎え、座頭としての風格が一段
と上がったようである。盟友の巳之助が難しい助右衛門役をきちんとこなしている。米吉の
お喜世が可愛らしい。新悟の江島は、綱豊の秘書役として、有能ぶりを発揮している。若い
役者たちに十分に精進させるために、脇に回った歌女之丞、錦之助が、いぶし銀の色合い
だ。

午後2時過ぎには、第1部の舞台も、はねてしまい、外に出ると、青空の下、正月の浅草の
賑わいが今や酣である。
- 2018年1月17日(水) 12:09:12
18年1月歌舞伎座(夜/「双蝶々曲輪日記 〜角力場」「口上」「勧進帳」「相生獅
子」・「三人形」)


襲名披露演目は、「勧進帳」


正月の歌舞伎座。場内は、いつもより華やぎがある。ロビーや観客席には、和服姿の女性も
目立つ。本舞台には「祝幕」が掛かっている。幕の下手に、二代目白鸚、十代目松本幸四
郎、八代目市川染五郎(それぞれ丈江と敬称)襲名披露の高麗屋3人の名前が赤く染め抜か
れている。絵柄は、幕の下部に青っぽい海が見える、海岸沿いの松並み木。三保の松原
か? 背景の空は、夜明けか夕景か、赤っぽい。幕の上手奥に白いシルエットの富士山が描
かれている。富士の下手に高麗屋関連の家紋が3つ、寄り添うように並んでいる。高麗屋の
四つ花菱、白鸚と幸四郎の浮線蝶(ふせんちょう)、染五郎の三つ銀杏。祝幕は全体とし
て、松並み木から富士見という趣き。スポンサーは、三井不動産。

まず、襲名披露興行のハイライト、「口上」から記録しておこうか。

祝幕が定式幕同様に下手から上手へとゆっくり開いた。本舞台いっぱいの襖には、青い波模
様の地に多数の千鳥が飛んでいる。中央に四つ花菱、上手に浮線蝶、下手に三つ銀杏の紋。
「口上」では、間口(横幅)27・6メートル(91尺)の歌舞伎座の広い本舞台に22人
の幹部役者が並んだ。壮観な眺めに場内からどよめきが起き、喝采が暫く続いた。ピンク、
グリーン、クリームなども混じって、色とりどりの肩衣袴の裃姿。胸高な袴、頭に紫の帽子
をつけた女形姿は、4人。後は、野郎頭の鬘が並ぶ。このうち、高麗屋の3人と高島屋市川
左團次の4人が、鉞(まさかり)の髷、という市川團十郎宗家独特のスタイル。いずれも柿
色の肩衣袴という宗家の裃姿。中央に歌舞伎役者の最長老・坂田藤十郎が陣取る。その下手
に、今回襲名披露をする高麗屋三代が並ぶ。藤十郎の下手から順に、幸四郎、改め白鸚、染
五郎、改め幸四郎、金太郎、改め染五郎と列座する。藤十郎が口上の総指揮を執る。「あけ
ましておめでとうございます。坂田藤十郎にございます。かくも賑々しくご来場を賜り、あ
つくあつく御礼を申し上げる次第でござりまする」と、新年の挨拶をした後、藤十郎は、高
麗屋3人の襲名披露の基本情報を懐から取り出した紙を見ながら、ゆっくりきっちりと紹介
する。藤十郎から、上手へ順番にいよいよ口上が始まる。

以下は、観客席で私が聞き取った範囲、さらにメモが取れた範囲で、役者衆の口上の内容を
記録しておく。決まり切った祝意は、言葉通りには記録していない。 

魁春は、「高麗屋さんには世話になった。高麗屋さんの繁栄を祈りたい」。
歌六は、「37年ぶりに、再び、三代同時襲名をすることにお祝いの意を表したい」。
扇雀は、「高麗屋一門の今後の隆盛を祈りたい」。
愛之助は、「幸四郎さんとは同世代」。それぞれのエピソードなどを紹介する。
七之助は、「心よりお祝い申し上げる次第でございまする」。
孝太郎は、「高麗屋さんには、お世話になった。妹の松たか子さんとは、ドラマで夫婦役を
演じたことがある」。
又五郎は、襲名への祝意を述べた。
左團次は、「市川、左團次でございます」と、大声を張り上げただけで、場内の笑いを誘っ
ている。「高麗屋の皆さんが壮健で、襲名を迎えることができた。まことに喜ばしい(贅
言;本当にそうだ。襲名が内定しても、襲名興行が開けなければ、襲名にはならない!)。
歌舞伎や踊りの稽古を一緒にした」この後の、私のメモの字が読みにくくて、判読不明。
上手最左翼は、吉右衛門である。吉右衛門は、二代目白鸚の弟であり、十代目幸四郎の叔父
である。「夜の部で、『勧進帳』の富樫を演じる。高麗屋一門の繁栄を祈念する」。
吉右衛門の口上が終わると、順番は、下手に飛ぶ。下手最右翼は、梅玉、上手へ順に口上が
続く。
梅玉は、「幸四郎さんこと、二代目白鸚さんは、1100回以上も『勧進帳』の弁慶を演じ
たが、私は、幸四郎さんの弁慶を相手に、富樫や義経を485回も勤めた。新幸四郎さんの
歌舞伎にかける精神には感心する。新染五郎さんは10年前、2歳の初舞台もお付き合いし
た」。
東蔵は、新幸四郎の子どもの頃の年賀はがきのエピソードを紹介して、高麗屋への祝意を述
べた。新染五郎は、大きな役者になるだろう。新白鸚は、ずうっと、歌舞伎界の「級長」の
ような存在だったなどと、それぞれの人となりを紹介した。
鴈治郎は、「新幸四郎さんは、何が出てくるかわからない、という魅力がある」。
彌十郎は、「新白鸚さんは大恩人。新幸四郎さんは、一緒に精進してきた。新染五郎さん
は、芝居大好き。私も歌舞伎役者としては、大柄な方だが、新染五郎さんは、今、身長もぐ
んぐん伸びている。大きな役者になるだろう」。
高麗蔵は、「高麗屋一門の仲間として、祝意を申し上げる」。
勘九郎は、三代同時襲名への祝意を伝えた。
芝翫は、「新幸四郎さんとは、子供の頃から知り合い。今後の活躍を期待したい」。
雀右衛門は、祝意を伝える。
秀太郎は、高麗屋三代同時襲名に祝意を述べる。

いよいよ高麗屋の口上である。幸四郎、改め白鸚、染五郎、改め幸四郎、金太郎、改め染五
郎。藤十郎の紹介を改めて受けた二代目白鸚がまず名乗りを上げる。「3人そろってのご披
露がこのように再び盛大に行われますこと、私はもとより、泉下の父もさぞ喜んでいること
と存じます。これもひとえにご列座の皆様、関係各位、とりわけ客席のいずれも様方のご贔
屓の賜物と厚く厚く御礼を申し上げまする次第に存じまする」と、ゆっくりとした調子で観
客席の隅々まで見渡しながら礼を述べた。

ついで、十代目幸四郎は歌舞伎座百三十年という節目を控えての襲名披露に感謝し、「私、
まだ芸道未熟、不鍛錬ではございまするが、自分の勤めております歌舞伎が、歌舞伎のため
の力となることを信じまして、天に向かって舞台に立ち続ける所存にござりまする」と力強
く述べた。八代目染五郎は「『勧進帳』の義経という身に余る大役を勤められますること、
この上ない喜びにござります。この後はなおいっそう芸道に精進いたしまする」と述べた。
3人ともが観客にご贔屓、ご支援を願って場内から熱い拍手を浴びていた。最後に、藤十郎
が仕切り終わって、22人の口上は全て終わる。全員で、観客席の上手、下手、正面に視線
を巡らしてお辞儀をして終了。これで、25分。

贅言;口上に列座する役者衆の顔ぶれを見れば、当然澤瀉屋の猿之助がいてしかるべきだろ
うに、猿之助の姿が、見えないのが寂しい。「寺子屋」では、涎くりの与太郎という、滑稽
なちょい役のみ。去年の10月上旬、猿之助が新橋演舞場の舞台、本番中に、左腕骨折。全
治6ヶ月の大怪我。昼の部の「寺子屋」で涎くりの与太郎を滑稽に演じ、観客の温かい拍手
を浴びていて、元気そうだったけれど、怪我から3ヶ月では、まだ、本格的な舞台活動はで
きないのだろうか。それにしても、怪我から2ヶ月の時点での配役は、どういう判断だった
のだろうか。3ヶ月の時点で、配役変更。


「勧進帳」、幸四郎と染五郎対吉右衛門


「何のために歌舞伎役者になったかといえば、弁慶への憧れがあったから」と染五郎時代の
幸四郎は語った。私が「勧進帳」を観るのは、数えてみたら、今回が29回目となる。私が
これまで観た主な配役を記録しておこう。弁慶:幸四郎時代を含め二代目白鸚(8)、團十
郎(7)、吉右衛門(5)、海老蔵(3)、染五郎時代を含め十代目幸四郎(今回含め、
2)、三代目猿之助、八十助時代の三津五郎、辰之助、改め松緑、仁左衛門。冨樫:菊五郎
(7)、富十郎(3)、梅玉(3)、幸四郎(2)、勘九郎(2)、吉右衛門(2)、團十
郎(2)、新之助、改めとその後の海老蔵(2)、先代の猿之助、松緑、愛之助、菊之助、
染五郎時代の幸四郎、そして今回は、吉右衛門。義経:梅玉(6)、先代の雀右衛門
(3)、染五郎時代の幸四郎(3)、藤十郎(3)、菊五郎(2)、福助(2)、先代の芝
翫(2)、富十郎、玉三郎、勘三郎、孝太郎、芝雀時代の雀右衛門、吉右衛門、松緑、そし
て今回は、金太郎、改め八代目染五郎。

14年11月歌舞伎座、夜の部。染五郎が「勧進帳」の弁慶初役に挑戦した。
1月8日に45歳になった染五郎、改め十代目幸四郎。75歳になる父親、九代目幸四郎の
勧進帳の「弁慶千回以上出演」に向けてスタートしたことになると良いのだが、計算上は向
こう30年で、後950回(1ヶ月25回、今月の千秋楽で、合計50回)を演じなければ
ならない。1年に1興行を上演しても、30年では、750回。さらに200回は、年に2
興行上演する必要がある。8年はかかる。いかに、「弁慶千回以上出演」という記録が、大
変なものか判る、ということだろう。幸四郎曰く、弁慶は、幼い頃からの憧れの役だったと
いう。是非とも精進してほしい。

染五郎の何が、弁慶を演じることを阻害していたかというと科白廻しだろう。團十郎が若い
ころから口跡の悪さに苦しんできたことは良く知られている。肚声を出せない、声が口腔内
で籠るというハンディキャップを克服しようとした。晩年は、若いころに比べて大分改善さ
れてきたが、やはり、クリアな発声が出来る役者に比べると聴きにくいことがあった、と思
う。それでも、團十郎は、1968(43)年5月、大阪新歌舞伎座で、21歳の新之助時
代(新之助、辰之助、菊之助の、いわゆる「三之助」時代であった。この舞台では、新之助
の弁慶、辰之助の富樫、菊之助の義経)から弁慶を演じ始めた。以来、三之助ブームにも便
乗して、海老蔵、辰之助に混じって吉右衛門も入り、3役日替り交替という演出で3回演じ
ている。その後は、十二代目團十郎襲名を挟んで、普通の演出できちんと弁慶を演じてき
た。本興行で、30数興行は舞台に立った筈だ。役者は、一興行25日の舞台で命を懸けて
「研鑚」もするものだろう。染五郎は、横隔膜を使う肚声が出せなくて、喉に頼る、いわゆ
る喉声になってしまう、という。肚声は豊かで、通りも良く、遠くまで広がって、響いて行
く。これに対して、喉声は、通りが悪く、響いて行かない。しかし、苦労の果てに弁慶役の
チャンスを掴んだ染五郎よ。先人たち、父親・幸四郎、叔父・吉右衛門、今は亡き團十郎の
歩んだ道を追いかけて行けば良いのではないか。

それだけに、今回、私は幸四郎の「弁慶声」に最大の関心を寄せて、舞台を拝見、いや拝聴
した。どうであったか。前回と違って、結果的には、幸四郎の声は、3階席にも響いてき
た。一所懸命、声を振り上げているのが判る。叔父・吉右衛門の富樫が、それを静かに受け
止める。

しかし、吉右衛門の富樫とのやりとりで、気がついたことは、吉右衛門の科白廻しは調子に
起伏があり、快く聞こえてくる。それに対して、幸四郎の科白廻しは調子がフラットで、起
伏がない、ということであった。新しい幸四郎の弁慶が、高麗屋代々の弁慶らしく育って行
くためには、まだまだ課題があるだろうが、十代目幸四郎が、十代目を取り払ってでも、幸
四郎の列に連なって行くのを今後とも、同時代人として同伴して舞台を観て行きたいと思
う。

染五郎の弁慶は、声の課題を除けば、所作、静止ポーズとも無難であった。弁慶千回役者の
九代目幸四郎は、「息子の染五郎に弁慶をやらせることが父親としての夢だった」という。
今回2回目の「夢が叶」ったというわけだが、今後は、新幸四郎は高麗屋一門の軸とならな
ければならない。その一つのメルクマールが、高麗屋代々の弁慶像に近づくことである。父
親・二代目白鸚の指導を受けて精進に励み、観客の期待に応えて欲しい。口跡問題は、今後
も苦しむ時があるかもしれないが、目の前には、九代目幸四郎と共に十二代目團十郎という
ふたりの先人の軌跡もある。まずは、そこをきちんと歩み続けることが必要だろう。

12年10月新橋演舞場の舞台を思い出す。九代目幸四郎と今は亡き團十郎が、昼夜で弁慶
役を替えて、「競演」するという試みがあった。で、私が感じたことは、幸四郎の弁慶は、
先人たちの藝を引き継ごうと、いわば「実線」で丁寧に絵を描いているということだと思っ
た。科白廻し、所作、静止ポーズに神経を使っているのが判る。

一方、團十郎の弁慶は、この人生来の口跡の悪さもあり、細かなところまで丁寧に描写する
というより、弁慶という人間を丸掴みして、その存在感そのものを再現することに力を注い
でいるように思えた。弁慶の衣装は、幸四郎も團十郎も同じに見えたが、富樫の衣装は、幸
四郎と團十郎では、衣装に描かれた鶴の紋様が大分違う。

「勧進帳」は、安宅の関の関守という地方役人の富樫と主従で偽山伏に身をやつして逃避行
をしている義経一行(ただし、逃避行実践の部隊長は弁慶)の闘いである。

偽山伏を検問する際の山伏問答がおもしろい。

富樫:山伏は、なぜ、「武装」しているのか。
弁慶:山道を踏み開き、害獣や毒蛇を退治する。難行苦行で悪霊亡霊を成仏させる。
富樫:「兜巾(ときん)」を付けている訳は。
弁慶:「兜巾」と「篠掛(すずかけ)」は、武士の甲冑と同じ。腰に利剣、手に金剛杖。
富樫:(そういう)山伏の出で立ちは?
弁慶:不動明王のお姿をかたどっている。

丁々発止の果てに、富樫は偽山伏の一行が義経一行だと確信するが、弁慶の主従優先の男気
を意に感じ、逃避行を許す、という芝居である。「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深
い。名曲、名舞踊、名ドラマ、と芝居のエキスの全てが揃っている。さらに、配役の妙味
が、勧進帳の味を拡げる。それぞれの趣向で、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあき
ないのは、当然だろう。舞踊劇ゆえ、開幕は緞帳が上がり、閉幕は、定式幕が閉まる。そし
て、義経一行が逃避し尽くした後、弁慶の幕外の引っ込み。飛び六方という独特の「走り
方」になる。


愛之助アワー、「双蝶々曲輪日記 〜角力場」


猿之助の配役変更で、代役の愛之助がふた役で活躍。猿之助がいない。

「双蝶々曲輪日記〜角力場」は、8回目。この場面は、基本的に喜劇である。確執とチャリ
(笑劇)場が見せ場。濡髪(橋之助)、与五郎と放駒(愛之助のふた役)。歌舞伎では「角
力小屋の場」(あるいは、「角力場」)。人形浄瑠璃では「堀江相撲場の段」。基本的に同
じ場面だ。歌舞伎が、役者の魅力を十分に引き出そうと、人形浄瑠璃より独自に演出を膨ら
ませているのが、ポイント。歌舞伎の入れごと、という。特に、与五郎という若旦那。「つ
っころばし」という上方歌舞伎独特の人物造形が、見どころ。これは、愛之助のはまり役。
関西育ちなので、大阪弁の科白を活き活きとした調子で使っていた。

舞台上手には、角力の小屋掛けで、力士への贔屓筋からの幟がはためく。舞台下手には「出
茶屋」。与五郎と恋仲の新町遊廓藤屋の遊女・吾妻(七之助)が上手から登場。与五郎(愛
之助)が、茶屋から出て来る。濡髪と逢う用事があると与五郎が言うので、吾妻は、後刻の
約束をして、立ち去る。角力小屋の中は見せないが、入り口から見える範囲は、「黒山」の
人だかりの雰囲気(昔は、小屋を観音開きにして、内部の取り組みの場面を見せる演出もあ
ったという)。いまは、声や音だけで処理。木戸口の大入りのビラ。与五郎は小屋の知り合
いに入れてもらう。見物客が入ってしまうと、木戸の若い者が「客留(満員の意味)」のビ
ラを張り、木戸を閉める。江戸時代の上方(大坂・高麗橋のたもと)の相撲風情が楽しめる
趣向だ。結びの一番(濡髪対放駒)は、「本日の打止め」との口上。軍配が返った雰囲気が
伝わって来たと思ったら、「あっさり」(これが、伏線)、放駒の勝ち名乗り。取り組みが
終わり、打止めで、仕出しの見物客が、「長吉勝った、長吉勝った」と囃しながら、木戸か
らゾロゾロと出てくる。

次いで、木戸から放駒長吉や濡髪長五郎の出がある。放駒役は、愛之助。次に、木戸から出
てくる濡髪長五郎役は、橋之助。相撲取りらしく、身体を大きく見せるために(と言うのは
濡髪の木戸の出は、昔から押し出しの立派さを強調するため、役者などが工夫を重ねるポイ
ントになっている)、歯の高い駒下駄を履いている。木戸から扇子を持った手が見えるが、
上半身はあまり見えない。黒い衣装に横綱の四手(しで)の模様、ふたりが舞台で並ぶと濡
髪の大きさが目立つ。橋之助は、身長が1メートル78センチと大柄なので、大男役は似合
っている。地元推薦の放駒(愛之助)は、丁稚上がりの素人相撲取りで、歩き方もちょこち
ょこ歩き、話し方も、町言葉。純粋の相撲取りの濡髪との対比は、鮮明。

小屋の前での濡髪と放駒のやりとり。土俵上で展開された「はずの」取り組みを再現する場
面では、勝負にわざと負けた上で、後から頼みごとをする濡髪のやり方の狡さに怒る放駒の
言い分が正当で、怒りは尤もであると、思う。八百長相撲を仕掛けた濡髪のやり方に怒る放
駒の座っている床几を蹴倒す濡髪の乱暴さ。「通し」(後の「引窓」では、殺人者として実
母の再婚先に逃げて来る濡髪の姿が描かれる)ではなく、「角力場」だけを見ていると、い
くら濡髪を立派だと褒めても、仇役の雰囲気が滲む。それでも、ここも、笑劇ベースが必要
だろう。

上方での相撲興行は、1702(元禄15)年、大坂の南堀江(難波の西)で勧進興行が催
されたのが発祥と言われる(南堀江公園には、「大坂勧進相撲発祥の地」という幟が立って
いるという。江戸・東京と大坂・大阪では、昭和初期まで相撲興行がふたつに分れてい
た)。「堀江」は、相撲所縁の地。

若旦那・与五郎(愛之助)は、「ちょっと突けば、転びそうな柔弱な優男、ぼうとした、と
ぼけた若旦那」、濡事師(おんなたらし)である。吾妻の身請けに絡み、勝手に勝を譲った
濡髪長五郎に怒りをぶつける放駒長吉の物語となる。力士が八百長相撲で勝を譲られたとな
れば、放駒が怒るのは当然、ふたりは喧嘩別れをする。歌舞伎では、湯呑茶碗を握り潰す濡
髪。握り潰せない放駒。プロとアマの力の差を見せつける濡髪の態度にも、ますます怒りを
強める放駒。濡髪長五郎と放駒長吉の物語だから、「双蝶々(長・長)」で、「ふたつちょう
ちょう」なのである。「曲輪日記」は、「曲輪」、遊廓。遊女の吾妻らに関わるということ
だ。

吾妻らのいる藤屋のある大坂・新町遊廓は、江戸の吉原、京の島原と並んで、日本の三大遊
廓の一つ。いまの大阪市西区新町の辺り。西国街道の山崎宿出身の与五郎、京街道の八幡宿
出身の与兵衛たち若者はそういう地理的、歴史的背景の地域(大都会の郊外)で生まれ育
ち、大都会の大坂に出て、新町遊廓や清水観音近くの料亭で遊女と遊んだり、堀江の角力小
屋で遊び、力士を贔屓にしたりしていたのだろう。この芝居の背景には、そういう事情が隠
されている与五郎と放駒のふた役は以前に2回観た染五郎が巧かった。今回の愛之助も巧
い。「つっころばし」の与五郎は、濡髪から肩を叩かれると、崩れ落ちる。「なんじゃい、
なんじゃい、なんじゃい」。与五郎の弱さが、濡髪の強さを浮かび上がらせる。

茶屋の亭主とふたりで長五郎の大きな褞袍(どてら)を着て花道から引っ込んだ後、長五郎
に呼び出されたという設定の放駒になって、花道から再び登場し、長五郎の所へ駆けつける
など、チャリ場で奮闘中。放駒と与五郎の早替りのための動線の設定もこなれている。


「相生獅子」・「三人形」は、舞踊劇二題


「相生獅子」は、今回で4回目の拝見。1734(享保19)年、江戸の中村座で初演。初
代瀬川菊之丞出演。「石橋もの」の系譜。江戸時代の長唄舞踊で、「男獅子女獅子のあなた
へひらり」という文句から、相生と名付けられた。本外題は、「風流相生獅子」。女ふたり
ながら、男女の恋愛模様を描く。初代の瀬川菊之丞が初演。一人で踊ったり、ふたりで踊っ
たり、また、そのふたりが、傾城だったり、姫だったりする。

今回は、姫ふたりで、扇雀と孝太郎。舞台は、クリーム地に紅白の牡丹が描かれた襖が、上
下手にそれぞれ開くと、雛壇に乗った長唄連中登場。さらに、この雛壇が上下手に開くと、
奥からふたりの姫が、二畳台に乗ったまま押し出されて来る。裃後見(鬘無し)と黒衣が押
している。それぞれ、紅と白(クリーム色)の衣装、黒地に牡丹模様の帯。紅の姫が孝太
郎、白の姫が扇雀。

前半、房の付いた金地(表)と銀地(裏)の扇子を持つ。次いで、紅白の「手獅子」(扇子
を利用した獅子頭)。さらに、金地に赤い模様の2本の扇子「二枚扇」へ。ふたりの姫が、
花や蝶に戯れる獅子の様子を四季とともに描く。「手獅子」を「獅子頭」にして「石橋も
の」の定番を演じ、後見の操る差金の蝶を追って花道から引っ込む。

後半、花道から現れたふたりは、紅白の長い毛に鈴のついた「扇獅子」を頭に載せて、前半
の紅と白の衣装を両肩脱ぎにし、裾を引いた姿。下は、いずれもピンクの衣装。金地に紅白
の牡丹が描かれた扇子。紅白の牡丹の枝を持っている。それぞれ、紅白で、対比的。「獅子
の狂い」女形の髪洗いは、獅子らしい力強さとともに、姫らしい艶やかさ、華やかさを滲ま
せる。

「三(みつ)人形」を観るのは、今回で2回目。浄瑠璃は、常磐津。幕が開くと、人形の箱
が並んでいる。上手側から、柿色の若衆、萌黄色の奴、浅黄色の傾城の暖簾が箱には掛かっ
ている。箱の中から人形が出て来る。人形ぶりもなく、いきなり生身。若衆は、鴈治郎。奴
は、又五郎。傾城は、雀右衛門。人形が出て来ると、場所は夕暮れの吉原に変わる。魂が入
った人形が踊り出す。見どころは、 花道で若衆と奴が「丹前六方」という独特の歩き方を交
えて踊ってみせる。そこへ、傾城が加わり、いちだんと踊りが華やかになる。若衆の大尽舞
い。傾城は、拳酒(けんざけ)という酒の飲み比べの遊びを披露する。奴は、足拍子。

「さんさ時雨(しぐれ)か、茅野(かやや)の雨に……」。3人揃って、「さんさ時雨」を
華やかに踊るうちに、遊里の灯火は、ますます、煌めく。
- 2018年1月13日(土) 16:32:18
18年1月歌舞伎座(昼/「箱根霊験誓仇討」「七福神」「菅原伝授手習鑑 〜車引、寺子
屋」)


二人の松王丸 白鸚対幸四郎


正月の歌舞伎座。松の内も、いつものの混雑に加えて、異常な混みよう、であった。歌舞伎
座地下の売店の賑わいは、まあ、「正月」のうち、と思えた。歌舞伎座内部の入ると、ロビ
ーの賑わい。開演の30分前の入場なので、ここでの賑わいに異常感はない。場内客席は、
ほとんどが指定席なので静謐である。ほぼ満席の入りと見た。しかし、普段は、トイレか、
弁当のカスを捨てに行くくらいで、ロビーの売店などにはいかないのだが、今回は、高麗屋
の三代同時襲名披露の記念品でも見てみようと、幕間にロビーの売店や廊下に出てみて驚い
た。凄い人の波なのである。正月の賑わいに加えて、高麗屋祝祭のムードが盛りかがってい
るのだろうか。

2017年師走から18年正月にかけて、メディアでは、新聞もテレビも、特に、テレビは
芸能も報道も、あちこちで歌舞伎の高麗屋の三代同時襲名披露の話題を伝えていたので、歌
舞伎に関心のない人たちの目にも止まったかもしれない。史上2回目。37年ぶりの三代同
時襲名披露興行である。父・松本幸四郎、息子・市川染五郎、孫・松本金太郎の三世代が、
「出世魚」のように、新しい名跡に名を変えてゆく。幸四郎は、二代目松本白鸚に、染五郎
は、十代目松本幸四郎に、金太郎は八代目市川染五郎に、18年1月の舞台から、それぞれ
名前を変えたのだ。

今年の正月、歌舞伎座は、向こう3年は続く、高麗屋の37年ぶりの三代同時襲名披露興行
の開始月なのだ。何より、高麗屋三代、つまり、松本幸四郎、市川染五郎、松本金太郎のマ
スメディアでの露出度が凄い。特に、民放テレビ。節目節目のニュース対応をする報道系の
メディアに加えて、芸能系のメディア、情報系番組というテレビでの高麗屋三代の露出度
は、印象的には連日のように思えたほどだ。
檜舞台での正式な襲名披露は、18年1月から2月にかけて、歌舞伎座を2ヶ月独占して興
行が開始された。それほど、高麗屋は、現在の歌舞伎界の屋台骨を背負っている大名跡の一
つということだろう、と思う。以後、高麗屋の襲名披露興行は、1年をかけて全国の主要な
劇場、京都の南座、大阪松竹座、名古屋の御園座、福岡の博多座で巡演される予定だろう。
そして、通常、さらに19年から20年(オリンピックイヤー)は、通常なら全国を3つの
コースに分けている「巡業コース」でも順次、襲名披露をすることになるのではないか。つ
まり、18年から20年まで3年がかりで高麗屋襲名披露興行、いわゆる「御当地初御目見
得」という舞台が各地で続くことになる、と思われる。

前説が長くなったが、さて、1月の歌舞伎座の舞台や、いかに。
昼の部の見どころは、「菅原伝授手習鑑」のうち、「車引」「寺子屋」で、十代目幸四郎、
二代目白鸚が演じる二人の松王丸であろう。親子とはいえ、歌舞伎役者としては、互いにラ
イバル、という二人。


「車引」は、いわば、グラビア写真。今回で、14回目の拝見。菅丞相派の梅王丸(勘九
郎)、松王丸(幸四郎)、桜丸(七之助)の3兄弟と政敵・菅丞相を追放して、我が世の春
を謳歌している藤原時平(彌十郎)との対決、という一場面が、「車引」。歌舞伎の魅力の
エッセンスを結晶させたような、様式美を強調して一枚の錦絵のような場面が出現する。ま
あ、ここは、それだけでも名場面となる。

梅王丸が、花道から登場し、上手揚げ幕から登場した桜丸と舞台中央で落ち合い、居所を入
れ替わり、深編み笠を取って同時に顔を見せる。「片寄れ、片寄れ」と、藤原時平一行の先
触れの金棒引(亀鶴)が上手から現れる。先触の情報から、藤原時平の吉田神社参籠を知る
ふたり。慌てて花道から吉田神社社頭へ急ぐことになる。ここで、舞台背景の塀が左右に開
き、場面展開。吉田神社社頭の場面へ。再び花道から現れたふたりは本舞台へ。

「車引」は、左遷が決まった右大臣・菅原道真の臣の梅王丸と弟の桜丸が、左大臣・藤原時
平の吉田神社参籠を知り、時平の乗った牛車を停めるという、ストーリーらしいストーリー
もない、何と言うこともない場面の芝居だ。しかし、この演目は、「対面」などと同じで、
歌舞伎の持つ色彩感覚、洗練された様式美など、目で見て愉しい、大らかな歌舞伎味たっぷ
りの上等な芝居である。若々しい役者たちによる「動く錦絵」のような、視覚的に華やかな
舞台。そのシンプルさが、人気の秘密。上演頻度も高い。

花形役者たちの演技も、もっぱら顔見世。若いだけあって、皆、テキパキしていた。染五郎
は、十代目幸四郎を襲名することで、今後はこれまでの花形役者から中堅の役者へと脱皮す
ることだろう。そういう意味で、「車引」の松王丸を演じるのは、幸四郎への「昇格」襲名
の披露としては、演目的には物足りないかもしれない。むしろ、染五郎を息子の金太郎に譲
った、惜別の興行のような気がする。それと合わせて、九代目幸四郎に「寺子屋」の松王丸
を演じさせて、華をもたせた、ということか。そういう意味では、「車引」の松王丸は、
「寺子屋」の松王丸と一対になったものとして評価しなければならないかもしれない。いず
れにせよ、「花」は、世阿弥の言う「時分の花」のこと。年齢、実力、華やぎなど、ピカピ
カしている状態。花形役者は、若手の幹部。染五郎という名跡は、花形クラス。幸四郎とい
う名跡は、中堅からベテランクラス、ということになるから、やはり、幸四郎襲名披露とい
うより、染五郎惜別の舞台だったかもしれない。いずれ、内面も含めて、幸四郎が滲み出て
くるようになるだろう。


では、二代目白鸚の「寺子屋」松王丸の舞台を観てみよう。
まず、今回の主な配役は、松王丸:二代目白鸚。千代:魁春。源蔵:梅玉。戸浪:雀右衛
門。園生の前:藤十郎。玄蕃:左團次。

歌舞伎の時代物の古典で、上演頻度が高い「寺子屋」。私は、23回目の拝見。初代吉右衛
門が得意とした演目であることから「寺子屋」というと、当代でも吉右衛門の舞台が目に浮
かぶ。源蔵と松王丸。どっちが難しいか。この芝居は、子どもの無い夫婦(源蔵と戸浪)
が、子どものある夫婦(松王丸と千代)の差出す他人の子どもを大人の都合のために殺さな
ければならない、という苦渋がテーマ。松王丸と千代の夫婦と源蔵と戸浪の夫婦が、芝居の
両輪をなす。ふた組の夫婦の間で、ものごとは、展開する。「寺子屋」は、「子殺し」に拘
わるふた組のグロテスクな夫婦の物語なのである。
1組目の夫婦は、武部源蔵・戸浪である。匿っている菅丞相の息子・秀才の首を藤原時平方
へ差し出すよう迫られている。なぜか、ちょうど、「この日」、母親に連れられて、新たに
入学して来た子供(松王丸の息子・小太郎)がいる。この子は、野育ちの村の子とは違っ
て、品が有る。この子を秀才の身替わりに殺して、首を権力者に差し出そうかと、源蔵は、
苦渋の選択を迫られているのである。妻の戸浪に話すと、「鬼になって」そうしろと言う。
悩んだ挙げ句、「生き顔と死に顔は、顔付きが変わるから、贋首を出しても大丈夫かも知れ
ない」、「一か、八か」(ばれたら、己も死ねば良い)と、他人(ひと)の子供を殺そうと
決意する源蔵夫婦は、「悩む人たち」では有るが、実際に、小太郎殺しをする直接の下手人
であり、まさに、鬼のような、グロテスクな夫婦ではないか。

2組目の夫婦は、松王丸・千代。もうひと組の、グロテスクな夫婦として、登場する。先に
子どもを連れて、入学して来た母親(千代)とその夫だ。夫は、秀才の首実検役として、藤
原時平の手下・春藤玄蕃とともに、寺子屋を訪ねて来る松王丸である。

実は、源蔵の「心中」を除けば、物語の展開の行く末のありようを「承知」しているのは、
松王丸で、彼が、妻と計らって、自分の息子・小太郎を源蔵が、殺すよう企んでいる。千代
は、息子の死後の装束を文机のなかに、用意して、入学していたし、松王丸も、春藤玄蕃の
手前、源蔵に対して、「生き顔と死に顔は、相好(そうごう、顔付き、表情)が変わるから
と、贋首を出したりするな」などと、さんざん脅しを掛けながら、実は、贋首提出に向け
て、密かな「助言」(メッセージ)を送っている。

源蔵の方が、屈折度が高いのか、恩人のために確信犯的に我が子を犠牲にする松王丸の方
が、屈折度が高いのか。その辺りに、源蔵役者のやりがいがあるかもしれないし、初代吉右
衛門は、そこに気がつき、源蔵を演じる場合の、役づくりの工夫を重ねていたかもしれな
い。初代は、戦後だけでも、松王丸を5回演じ、源蔵を4回演じた。二代目吉右衛門も、初
代に劣らず役づくりに工夫する人で、松王丸を10回演じ、源蔵を9回演じている。

今回は、幸四郎が松王丸を演じ、梅玉が源蔵を演じる。二代目白鸚は、幸四郎時代に松王丸
を演じたのは、12回。通算13回目の今回は、白鸚としては、初舞台だ。このうち、私は
今回を含めて8回目の拝見となる。幸四郎の時代物の特徴は科白廻しが、サインペンで書い
たような感じで、隅々までくっきりとしているということだろう。所作では、園生の前を笛
で呼び出す場面で玄関の外を出て客席に後ろ姿を見せ、背に廻した刀を横にしてポーズをと
る場面が、ややオーバーアクション。これが、吉右衛門になると無用な肩の力を抜いている
から鉛筆で書いたような柔らかさがある。兄弟ながら、この科白廻しの持ち味の差は、それ
ぞれとはいえ、大きなものがある。

幕切れに近い場面。平舞台下手から順に、小太郎の遺体を入れた駕篭、白無垢の喪服姿の松
王丸夫妻(白鸚、魁春)、二重舞台の上に園生の前(藤十郎)と若君・菅秀才、平舞台上手
に源蔵夫妻(梅玉、雀右衛門)。引張りの見得で皆々静止したところへ、上手から定式幕が
悲しみを覆い隠すように被さって来る。

今回の「車引」が十代目幸四郎を軸にした花形役者の顔見世なら、「寺子屋」は、二代目白
鸚を軸とした中堅実力派ベテラン役者の顔見世であった。白鸚対幸四郎の藝比べ。今回の舞
台では、まだまだ、白鸚の方が一枚上という印象であった。観客も正直で、白鸚への熱い拍
手が印象に残った。


猿之助の配役変更は?


私は、初見の「箱根霊験誓仇討」。手元に、二つのチラシがある。松竹が発行配布している
例のものだ。12月に入手したチラシには、昼の部「箱根霊験誓仇討」として、飯沼勝五郎
は猿之助、憎まれ役の滝口上野は勘九郎、飯沼女房の初花は七之助、飯沼の奴・筆助は愛之
助、飯沼の母親・早蕨は秀太郎とあったが、正月の観劇の際、入手したチラシには、飯沼勝
五郎は勘九郎、憎まれ役の滝口上野と飯沼の奴・筆助は愛之助のふた役。猿之助の名前が消
えている。飯沼女房の初花は七之助、飯沼の母親・早蕨の秀太郎は、変わらず。何かの事情
で、猿之助の配役変更があり、愛之助が代役を勤めているということだろう。
猿之助の配役変更は? 夜の部で、まとめて考えてみたい。

この演目は、七之助が演じる飯沼女房の初花が軸となる。今回の場割(場面の構成)は、
「箱根山中施行の場」と「同 白滝の場」の二つの場面。初見なので、粗筋もコンパクトに
記録しておこう。

豊臣秀吉が桃山城を築城していた頃。城普請小頭の飯沼三平と佐藤剛助の間で諍いが起こっ
た。剛助が三平を闇討ちして、出奔した。滝口上野と名前を変えて、北条氏政を頼って、逃
げ込んだ。三平の弟・飯沼勝五郎が兄の仇討ちに出たが、奥州を彷徨ううちに足腰が立たな
くなってしまった。同伴するのは、女房の初花、三平の下僕であった奴の筆助。それ以降
が、今回の舞台で演じられる。

「箱根山中施行の場」。差別語が出てくるが、芝居の中で使われる歴史的な表現なので、こ
こでは、そのままとする。箱根山中の阿弥陀寺。北条時政五百年忌の法要が営まれている。
花道からは、勝五郎(勘九郎)を乗せた「いざり車」を初花(七之助)が曳いて出てくる。
上手から出てきたのは振る舞い酒に酔った非人たちだが、やがて、地面で寝てしまう。通称
「月の輪の熊」という非人が起き出す。奴の筆助(愛之助)だった。滝口上野を探っていた
のだ。勝五郎夫婦と打ち合わせをしたあと、大磯の宿へ向かう。勝五郎と初花の仇探しの苦
労の嘆き。

寺の障子が開くと、座敷には滝口上野(愛之助)。阿弥陀寺の施行は、夫婦を誘い出す計略
だった。上野は初花に横恋慕をしていて、足腰の不自由な勝五郎を嘲笑い、初花の身柄を渡
せと迫る。既に捕らえられていた初花の母親・早蕨(秀太郎)が引き出され、なおも強要す
る。初花は夫と母の命と引き換えに、上野に従うことを承諾する。

初花は、もはや、亡き者と諦めた勝五郎と早蕨が、念仏を唱えていると、初花が忽然と姿を
現す。夫の病が治るようにと箱根権現に百日の願をかけていた、きょうが満願の日である
と、初花は明かす。行に入るために初花は、一人白糸の大滝へと向かう。荒唐無稽で、都合
の良い物語が展開される。

「箱根山中白滝の場」。大滝にたどり着いた初花は、念仏を唱えて、滝壺に飛び込む。勝五
郎と早蕨も滝にやってきて祈ると、勝五郎の足が立つようになる。そこへ、筆助が戻ってき
て、初花の最期を告げる。上野を討とうとした初花が返り討ちにあった、という。先ほど姿
を見せた初花は、霊魂であったのかと涙する。足腰が立つようになった勝五郎は、筆助を伴
い、上野を討ちに箱根の絶所へ向かう。初花が、絶えず積極的で、キーパースンの役割を全
うしていることが判る。まあ、それだけの話。


「七福神」は、舞踊劇。歌舞伎では初見。人形浄瑠璃では観たことがある。舞台は、海原。
海が左右に割れると、船が浮かんでいる。船には、船には七福神が乗っている。恵比寿:又
五郎、弁財天:扇雀、寿老人:彌十郎、福禄寿:門之助、布袋:高麗蔵、毘沙門:芝翫、大
黒天:鴈治郎。

長唄、義太夫などの「七福神」をベースに新年と高麗屋襲名披露を寿ぐ祝儀の演目として、
新作された。趣向は、七福神が御酒を嗜みながら、それぞれ、隠し芸を披露するというも
の。七福神の祝賀会のような演目。門之助以外は、皆、夜の部の「口上」に列座した。
- 2018年1月9日(火) 10:09:00
18年1月国立劇場 (通し狂言「世界花小栗判官」)


新田義貞の末裔対足利将軍家のバトル


まず、この芝居の構図を大雑把に理解しておこう。
「世界花小栗判官」は、先行作品の「姫競双葉絵草紙(ひめくらべふたばえぞうし)」を下
敷きにした、いわば改訂版。

俗に「小栗判官・照手姫」と言われるように、この二人を中心にした物語は、
軍紀物「鎌倉大草紙」(室町時代末期の成立と推定されている)に記録されている鎌倉公方
家と管領・上杉家との闘争のなかで滅んだ小栗家の悲劇の歴史が発端になっている。

普通、「小栗判官」では、基本は兄の横山郡司(常陸国領主)家の乗っ取りを企む弟・横山
大膳(相模国領主)の仕掛けるお家騒動の物語である。横山大膳と息子たちは、横山郡司の
暗殺と息女・照手姫(許婚が小栗判官)の連れ去り、管領家から預かりの重宝の盗み出しを
企み、そして実行する。大膳館に幽閉される照手姫。管領家の上使として、大膳館に乗り込
んでくるのが小栗判官。彼は、公私ともに許婚の照手姫の行方を詮議している。追いつ追わ
れつの展開で、いつしか判官とともに漂泊する照手姫が、実は、キーパーソンだから、彼女
の追跡をしておくことが大事だ。

今回は、これに盗賊の頭目・風間八郎が足利将軍家に対抗するという話にして、スケールを
大きくしているのが特徴だろう。

恨みを持つ小栗家の「御霊」の跳梁を鎮めるという、「御霊信仰」の価値観、つまり、これ
は「曾我物語」や、後の「忠臣蔵」などにも通じる日本人の価値観の歴史に繋がる。神明社
に仕える巫女の御霊鎮めの語りが、中世の口承文藝(つまり、語りの藝)として、やがて各
地を漂泊しながら語る説教の徒たちの生活手段のツールのひとつ(出し物)となっていっ
た。そういう様々な「語り物」として、様々な「小栗判官」にからむエピソードが「語ら
れ」、あるいは、「騙られ」(つまり、フィクション)しているうちに、荒唐無稽な物語と
しての豊潤さを持ち、神話性を深めて行く。

そういう各地の伝承が、やがて合体し、付加と整理を経て、近世初頭の「説教節」としての
「小栗判官」物語として、文字化され、「英雄叙事詩」のひとつとして記録されていったの
だろう。さらに、「説教節」が人形劇の形でも演じられたことから、「別の人形劇」でもあ
る「人形浄瑠璃」にも生かされ、やがて近松門左衛門の「当流(とうりゅう)小栗判官」や
文耕堂の「小栗判官車街道(くるまかいどう)」が作られ、歌舞伎の「姫競双葉絵草紙」に
もなったと、物の本では、説明している。

そうだとすれば、「小栗判官」物語は、テキストとしての歌舞伎台本の、ルーツのひとつと
して、歌舞伎の「世界」を構成するようになるのは、当たり前かも知れない。「姫競双葉絵
草紙」は、記録によると1800(寛政12)年、様々な「小栗判官」物語の集大成とし
て、大坂で上演されたという。その後も、上方では人形浄瑠璃の「小栗判官車街道」の物語
をも取込みながら、初春芝居の定番として、明治前半まで盛んに上演されたという。

江戸歌舞伎では「曾我物語」が、同じように初春芝居の定番として盛んに上演されていた。
つまり、東西の歌舞伎小屋にとって、向こう一年の穢れなき評判を祈る出し物として、ある
いは観客としての庶民にとっても、無病息災・家内安全を祈願する芝居として(つまりは、
「御霊信仰」)、人気の演目であったわけだ。

今回の場割(場面構成)は、次の通り。
発端(京)「室町御所塀外の場」、序幕〈春〉(相模)「鎌倉扇ヶ谷横山館奥庭の場」
「同 奥御殿の場」「江の島沖の場」、二幕目〈夏〉(近江)「堅田浦浪七内の場」「同 
湖水檀風の場」、三幕目〈秋〉(美濃)「青墓宿宝光院境内の場」、「同 万屋湯殿の場」
「同 奥座敷の場」、大詰〈冬〉(紀伊)「熊野那智山の場」。

主な配役は、盗賊の風間八郎(菊五郎)、小栗郡領兼重(楽善)、奴三千助(萬太郎)足利
の執権・細川政元(時蔵)、小栗判官(菊之助)、照手姫(右近)、横山大膳(團蔵)、横
山次郎秀春(彦三郎)、照手姫付の局(秀調)、小栗家の旧臣、漁師浪七、実は美戸小次郎
(松緑)、浪七の女房・小藤(梅枝)、照手姫の元乳母で万屋後家・お槙(時蔵)、万屋の
娘・お駒(梅枝)、万屋女中頭・お熊(萬次郎)、万屋下男不寝兵衛(権十郎)、横山太郎
秀国(松緑)、太郎の妻・浅香(梅枝)、鬼瓦の胴八(片岡亀蔵)、膳所の四郎蔵(坂東亀
蔵)、瀬田の橋蔵(橘太郎)ほか。

粗筋は、入り組んでいるので、人間関係を軸にまとめ、大掴みに理解して行こう。

まず、時代状況。時は、室町時代。三代将軍・足利義満の治世。将軍の政治権力を盗賊が奪
おうというのが、大状況。

京の室町御所の塀外の場。
足利将軍が住む室町御所に盗賊が忍び込み、足利将軍家の重宝「勝鬨の轡」を盗み出すな
ど、この盗賊は将軍家に対抗し、最終的には天下(政治権力)を盗もうとしているようであ
る。

盗賊は、風間八郎(菊五郎)とその手下の膳所の四郎蔵(坂東亀蔵)ら。足利家譜代の家
臣・小栗郡領兼重(楽善)が奴の三千助(萬太郎)と共に警備に当たっている。小栗郡領兼
重は、この芝居の主役小栗判官の実父である。御所の宝蔵付近の塀外で盗賊一味と遭遇、兼
重は八郎に斬り殺されてしまう。その直後に現場を通りかかった深編笠の侍は、足利幕府の
執権・細川修理大夫(しゅりのたいふ)政元(時蔵)であった。こうして、盗賊対権力の対
立の構図は、舞台の展開に従って、風間八郎一味対細川政元、小栗判官、判官の許嫁・照手
姫(足利の鎌倉執権で、不慮の死を遂げた名武左衛門の息女。尾上右近)、漁師浪七、実は
小栗家旧臣・美戸小次郎(松緑)という主軸が浮き上がってくる。

序幕〈春〉(相模)では、鎌倉扇ヶ谷横山館の奥庭と奥御殿で、足利側も、決して一枚岩で
はないことが描かれる。主人公の小栗判官は、照手姫との祝言を控えている身だが、姫が
「保護」という名の幽閉されている横山館へ。新築なったばかりの横山館の、この場面で初
めて判官が颯爽と登場する。判官は、関東探題・横山大膳久国の疑惑を解明する上使役であ
る。大膳らの策略で、横山館で飼っている名馬「鬼鹿毛(おにかげ)」が突然暴れ出した。
足利の関東探題・横山大膳(鎌倉執権の名武左衛門の弟。團蔵)は、小栗判官を殺し、次男
の次郎秀春(彦三郎)を照手姫と結婚させ、名武の所領を含む関東一円を掌握しようという
野望を持っている。

奥庭で暴れ馬を制し、馬が後足で、碁盤の上に乗り、上半身を高々と持ち上げる「碁盤乗
り」という見せ場を演じる。実は、判官は、将軍からの内命で横山家の不穏な噂を探りに来
たのだ。

贅言;この場面のでてくる馬が、いつもの馬の脚と違うように見えた。胴が長く直線的で、
馬の胴の中に、何か仕掛けをしているようにみえたが、謎解きはできない。前脚の役者と後
ろ足の役者が、離れているので、いつものやり方とは違うことは確かだ。以前に見た「小栗
判官譚〜姫競双葉絵草紙〜」の上演では、碁盤乗りはなかったが、馬場で馬の上半身を高々
と持ち上げて立つ場面では、ワイヤーで馬の上半身、つまり、前脚の役者を、いわば、「宙
乗り」させる仕組みになっていたのを覚えている。

さて、今回の舞台。
そこへ、偽の上使・細川政元が現れる。足利将軍家の重宝「水清丸の剣」を帝に献上するの
で返却せよ、という。その上で、足利への「謀反」の企みへの協力を横山大膳に持ちかけ
る。それを聞いて喜んだ大膳は「江の島の沖の海底に剣を隠した」と告白してしまう。偽の
上使・細川政元は、剣目当ての風間八郎だった。偽の上使は、謀反などの罪だとして、横山
親子に斬りつける。新築の祝いに呼ばれていて、そこに居合わせた白拍子の漣が、突然「上
使」と叫ぶ。実は、漣こそ、女装していた本物の細川政元であった。本物に追及されても、
悠々と権力奪取の野望を明かして、八郎は妖術を使って、花道のスッポンから退散してゆ
く。政元の許可を得た小栗判官は、江の島沖へと向かう。

江の島沖の海底に怪しい光を見つけた判官らは、宝剣を入手しようとするが、すでに剣を手
にしていた八郎が海上に現れ、判官らを嘲笑い、海の上から消えて行く。盗賊の風間八郎
は、この時点で、足利将軍家の重宝・「勝鬨の轡」と「水清丸の剣」を手に入れたことにな
る。

二幕目〈夏〉(近江)では、近江国堅田の漁師浪七、実は小栗家旧臣・美戸小次郎(松緑)
の物語となる。松緑が軸となる。物語の中の脇筋。入れ子構造の芝居。時代ものの中の世話
もの。浪七と女房の小藤(梅枝)、小藤の兄・鬼瓦の胴八(片岡亀蔵)。胴八が悪事仲間の
膳所の四郎蔵を通じて盗賊の風間八郎に繋がる。浪七は、小栗家旧臣・美戸小次郎なので、
小栗判官とは繋がっている。照手姫は、浪七宅の床下に匿われていた。浪七・小藤の夫婦対
兄の胴八・四郎蔵の対立は、小栗判官対風間八郎の対立の、いわば代理戦。瀬田の唐橋なら
ぬ橋蔵が、滑稽な道化役で絡み、次の修羅場の前のチャリ(笑劇)の場面となる。胴八は床
下の照手姫を見つけ出し、葛籠に入れて、担ぎ出す。行先は、八郎のところだ。

「堅田浦湖水檀風の場」は、修羅場。「蘭平物狂」に匹敵するようなダイナミックな大立回
りが展開される。道八に頼まれて邪魔立てをする漁師軍団と浪七(松緑)の対決。はしご、
櫂、漁網を使って、殺陣が展開される。照手姫が押し込まれた葛篭を乗せた舟を戻そうと己
の命を懸ける浪七の執念で、姫を取り戻し、道八を成敗する。代償は浪七の死。

贅言;胴八を乗せ、姫を入れた葛籠を載せた船が舞台下手から花道を通り、また、後ろ向き
のまま逆戻りする。船のなかには、人が腹這いになって入っていて船の前に作られた小窓か
ら前を見て、船を操縦するはずだが、後ろ向きに船をバックさせるのは、大変だろう。

三幕目〈秋〉(美濃)は、女形の時蔵と梅枝が軸となる。お駒の恋。物語の中の脇筋。この
場面も入れ子構造の芝居。「青墓宿(あおはかのしゅく)宝光院境内の場」。足利将軍家の
重宝を求めて流浪する小栗判官(菊之助)。地元の長者・万屋に轡があるというので訪ねる
ところだが、宝光院境内で無頼の浪人に絡まれて難儀していた万屋の後家お槙(時蔵)と娘
のお駒(梅枝)を偶然助ける。轡が見たいというと、喜んで案内してくれる。娘は、美男の
小栗判官に一目惚れ。

「青墓宿万屋湯殿の場」、「同 奥座敷の場」。小栗判官は身元を隠したまま、万屋に婿入
りすることになる。下女として万屋で働いている小萩(右近)は、実は、照手姫。流浪の果
てに、人買いに捕まり、売られたのだ。水汲み、罐焚きなど湯殿の支度をする小萩は、婿と
なる判官と出会う。お駒は、二人の仲を気づかない。お槙は、元は照手姫の乳母。判官が、
婿入りの動機は、轡の鑑定だったというし、お槙は照手姫の行方を探索してくれる婿を探し
ていたと本音を告げる。蚊帳の外に置かれていたのは、娘のお駒ばかり。嫉妬の念に燃える
お駒は、判官の顔を醜くしてしまう。足腰も立たなくなる。身毒丸の世界。

大詰〈冬〉(紀伊)は、大団円の「熊野那智山の場」。足利家の重宝を手に入れ、天下転覆
の機会をうかがっている盗賊の風間八郎の住処(山塞)。小栗家の奴・三千助(萬太郎)
が、烏の勘八という変名で盗賊一味に潜り込んでいる。さらに、流浪の判官(菊之助)と照
手姫(右近)が山中に迷い込んでくる。足腰の不自由な判官を車に乗せて、照手姫が綱を曳
いている。蘭奢待の香りで、山塞が八郎の住処だと知る。二人が山中に迷い込んでいること
を知っていた八郎は、二人を待ち伏せしていたと告げる。足腰の不自由な判官は、八郎の手
下たちに山塞裏の川に投げ込まれてしまう。照手姫は、庭の梅の木に括り付けられる。熊野
権現の使いの烏と三千助に助けられる。投げ込まれた川から那智の滝壺に流れ込んだ判官
は、熊野権現の霊気と滝の底に隠されていた足利将軍家の重宝二つも手に入れて、蘇生し
た。

舞台では、二重舞台の隠れ家の縁側が引っ込むと、屋体は、セリ下がり始める。下がってき
た舞台中央には、熊野那智山の滝壺。蘇生した小栗判官がいる。

そこへ現れた八郎と判官の対決。八郎は、実は、新田義貞の末裔、源九郎義久で、足利将軍
家に復讐を企てていると明かす。詰め寄る両者を止めたのは、細川政元(時蔵)。ほかに、
横山家の嫡男太郎秀国(松緑)、妻の浅香(梅枝)、細川の家臣・櫻井新吾(彦三郎)、七
里源内(坂東亀蔵)が、登場。来るべき戦場での再会を約束し、ひとまず別れることに、と
いう歌舞伎の常套の大団円で、閉幕。

「小栗判官譚(おぐりはんがんものがたり)〜姫競双葉絵草紙(ひめくらべふたばえぞう
し)〜」)は、2000年10月、国立劇場で観た。澤瀉屋一門の出し物「當世流小栗判官
(とうりゅうおぐりはんがん)」は、2011年10月、新橋演舞場 花形歌舞伎で観た。
この演目は、さらに14年前に遡り、1997年7月、歌舞伎座で観た。これは先代の猿之
助主演では、最後の舞台になっている。つまり、今回の「世界花(せかいのはな)小栗判
官」は、「小栗もの」という括りでは、4回目ということになる。ただし、「當世流小栗判
官」と「小栗判官譚〜姫競双葉絵草紙〜」は、別の演目である。しかし、「世界花(せかい
のはな)小栗判官」は、「小栗判官譚〜姫競双葉絵草紙〜」の改訂版ということで、同じ演
目であり、しかも、今回の上演にあたり、外題を変えている、という事情があることは、知
っておいたほうが良いと思う。

菊五郎の出番が少ない。発端と序幕、大詰。二幕目、副筋の松緑の浪七の物語と立ち回りが
印象に残る。三幕目、青墓宿の万屋の場面、若い娘の嫉妬。梅枝(お駒)と右近(照手姫)
の対立。大詰は、大道具も見もの。
- 2018年1月5日(金) 18:32:51
17年12月国立劇場 (人形浄瑠璃・「ひらかな盛衰記」)


じっくり味わう「ひらかな盛衰記」


「ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)」は、源平合戦の木曽義仲討ち死に描いた時代物
の人形浄瑠璃。「ひらかな」と書いて、「ひらがな」と読む。文耕堂ほかの合作。1739
(元文4)年、人形浄瑠璃の大坂竹本座で初演。「ひらかな」とは、「源平盛衰記(げんぺ
いじょうすいき)」を庶民が、「ひらかな」を読むように、分かりやすく作り替えたという
意味が込められている。江戸庶民に馴染みのある通俗日本史解説という趣向だ。平家と木曽
義仲残党、それに源氏の三つ巴の対立抗争の時代。全五段の時代浄瑠璃の三段目が、通称
「逆櫓(さかろ)」で、良く上演される。今回は、「逆櫓の段」の前に、普段余り上演され
ない「大津宿屋の段」「笹引の段」が上演され、「三段目」全体が、丁寧に演じられる。さ
らに、加えて「初段」中(なか)の「義仲館の段」が珍しく上演され、義仲の御台所の山吹
御前と一子駒若君の逃避行の発端が描かれる。

「ひらかな盛衰記」は、人形浄瑠璃では3回目。今回は、五段構成。このうち、「義仲館の
段」は、私は初見。この段が上演されるのは、1988(昭和63)年以来、29年ぶり。
「大津宿屋の段」、「笹引の段」を観るのは2回目。「松右衛門内の段」、「逆櫓の段」
は、3回目。

「義仲館の段」。京にある木曽義仲の館。御所から戻ってきた義仲は、朝敵とみなされ、さ
らに頼朝に義仲追討の宣旨が下された、と自らの苦衷を妻の山吹御前らに伝える。義仲の愛
妾・巴御前が鎧姿で馬に乗って駆けつける。宇治の戦いで、味方が敗れたという。義仲は山
吹御前と駒若君を腰元のお筆に託し、巴御前とともに粟津の戦場へ向かう。(山吹御前と駒
若君は、お筆の父親・鎌田隼人の元に匿われていたが、鎌倉方に気づかれ、皆で、逃避行に
入る。)

義太夫は、義仲が始太夫、巴御前が、南都太夫、山吹御前が、希太夫、お筆が亘太夫。三味
線方が、團吾。人形遣いは、お筆が、勘彌、山吹御前が、清五郎、駒若君が、勘介、義仲
が、玉佳、巴御前が、一輔。

「三段目」全体は、旅先で源平の争いに巻き込まれ、孫の槌松(つちまつ)と義仲の一子・
駒若君を取り違えて連れてきてしまった松右衛門、実は、樋口次郎と義父・権四郎に加え
て、槌松として育てられている駒若君のことを聞き付け、駒若君を引き取りに来た腰元・お
筆の3人が、キーパーソン。

「三段目」のうち、「大津宿屋の段」では、舞台は、左右対称。真ん中に暖簾を下げた宿屋
「清水屋」の出入口。出入口の廊下の左右に部屋がある。上手の部屋は、下手の部屋より、
やや広い。この部屋に泊まるのは、山吹御前・若君の駒若君に同行したお筆、お筆の父親・
鎌田隼人ら義仲残党一行。下手の部屋に入るのは、三井寺参詣の旅の帰途に大津の宿で初め
て同宿した摂津国福島(大坂)の船頭・権四郎一行(権四郎、娘のおよし、孫の槌松)。た
またま同宿したことで、権四郎一行が、悲劇に巻き込まれる。

義仲残党一行が、梶原の家臣・番場忠太らに取り囲まれた夜中の残党狩りの混乱のなか、権
四郎一行のうち、年齢3歳(「乳飲子」という言葉も出てくる。数え年の2歳。実年齢は1
歳とちょっとくらいか)で同じ年という、孫の槌松が、駒若君と間違えられて義仲残党一行
に紛れて連れ去られてしまう。

この場面のおもしろさは、昔の宿屋の情景が生き生きと描かれること。隣室でむずかる駒若
君の声(「何の頑是も泣き出だす駒若君のやんちや声」)を「襖一重」に聞きつけて、同じ
ような年齢の孫のいる権四郎が、大津でお土産に買った大津絵を一枚「童(わらべ)すか
し」(幼子の機嫌取り)に、とプレゼントする場面などは、「大津宿屋」の場面を省略し、
「逆櫓」で、過去の出来事だけをお筆に物語らせる演出では、楽しめない。安宿で、費用が
かかる行灯の油代を倹約するため、「両方兼ねたこの行灯」(左右の部屋で油代割り勘)
が、その後の展開の伏線。

夜中の残党狩りの詮議で混乱が起きる。大人たちが寝込んだ後、目が覚めてしまい、それぞ
れの部屋を出て廊下で一緒に遊んでいた駒若君と槌松。二人は、件の行灯を引っ張り合っ
て、「こなたが引けばあなたも引き突き戻せば押し返し」で、遊んでいたのだが、「土器
(かわらけ)揺り込み、行灯ばつたり真つ暗闇」。灯りが消えた、暗闇の中で、それぞれの
一行は、「危ふさ怖さも暗紛れ」となり、子どもを取り違えて、連れて行ってしまう。

義太夫は、靖太夫、三味線方は、錦糸。ツレは、清允。

「笹引の段」は、宿屋の大道具が上がって場面展開となると、そこは宿屋の裏手。田畑を隔
ての大藪。「風も烈しき夜半の空、星さへ雲に覆はれて、道もあやなく物凄き」。暗闇の
中、上手奥から若君(実は、槌松)を抱いたお筆は、山吹御前の手を引き連れて、薮まで逃
げて来る。そこへ追っ手が現れ、お筆と立ち回りになる。逃げる追っ手を舞台下手へ追いか
けるお筆。山吹御前と若君が舞台に残される。上手から、お筆の父親・隼人と番場忠太が斬
り結びながら現れる。隼人は、忠太に討たれてしまう。忠太は、さらに山吹御前と若君にも
襲いかかる。若君は、忠太によって、なんと、首を刎ねられてしまう。お筆が戻って来る
が、父親の隼人と若君の死を知り、愕然とする。

しかし、暗闇の中、若君の遺体に触れると「笈摺(おいずる)=巡拝の際に着る袖のない法
被」の手触り。これは、若君の遺体ではない、とお筆は気がつく(夢中で、抱いて逃げて来
たので、それまでは気がつかなかったのか?)。宿で隣り合った一行の孫と取り違えていた
ことを初めて知る。お筆が、殺されたのは若君ではない、と山吹御前に伝えるが、安堵して
緊張感が緩んだのか、山吹御前は、息絶えてしまう。

お筆は、父親の敵を討つとともに若君探索を決意しながら、薮にある笹竹を切り取り、竹を
橇(あるいは、御所車の見立てか)のようにして、山吹御前の遺体を笹竹に載せて、曳いて
行く。この場面は、歌舞伎では上演されない。人形浄瑠璃独特の演出だ。静謐な場面で、こ
こは、ひとりで取り残されたお筆の悲哀が静かに豊かに描かれる。

義太夫は、咲甫太夫。三味線方は、清友。人形遣いは、山吹御前一行では、お筆の勘彌ほ
か。権四郎一行では、権四郎の玉也、およしの文昇ほか。権四郎は、「六十路に色黒き達者
作りの老人」で、還暦過ぎのお年寄り。宿屋亭主が、亀次。鎌田隼人が、文司。番場忠太
が、玉勢。

ここで、一旦、幕。幕間は、25分。

「松右衛門内より逆櫓の段」では、いつもの展開。まずは、「松右衛門内の段」。屋敷の下
手に松の枝が見える。後の伏線。「松右衛門内の段」の「中」の義太夫は、芳穂太夫、三味
線方は、野澤喜一朗。人形遣いは、新たに登場した松右衛門、実は、樋口次郎が、幸助。畠
山重忠が、玉輝。

通称「茶呑話」の場面では、田舎の船頭宅で、近所の人たちが「お茶参れ」で招かれて、槌
松の父親の三回忌(没後2年)。槌松が、巡礼に行く前は、「色黒に肥え太りて、年より背
も大柄」だったのに、戻って来たら、「顔もすまひも変わつて、背も低う弱弱と」なり、
「面妖な事」と噂すれば、権四郎は、「ありや前の槌松ぢやござらぬ」と、呑気に「悲劇の
真相」が語られる。「奥」は、盆回しで呂太夫と清介。呂太夫に大向こうから、声がかか
る。

騒ぎから逃れて生きのびた権四郎、およし、それに「取り違え子」の駒若君。自宅に戻った
権四郎は、駒若君を孫の代わりに育て、娘およしを再婚させる。婿入りし、松右衛門の名前
を引き継いだ二代目の夫は、樋口次郎兼光(木曽義仲残党。四天王のひとり。巴御前の兄)
であるが、正体を明かさないまま駒若君を陰ながら守る。そのために、入り婿になった。松
右衛門、実は、樋口次郎兼光は、権四郎に家伝の船の操縦法である「逆櫓」の術を取得す
る。お筆が、槌松の笈摺に書かれていた所書きを頼りに訪ねてくる。

「光を添へぬらん 妻恋ふ鹿の果てならで」。お筆は、槌松の死を伝えるとともに、駒若君
を取り戻そうという魂胆だ。経緯を語るお筆は、大津の宿の出来事を明かす。槌松の死、駒
若君の生が対比される。お筆はやましさを隠しきれない。

お筆が現れると、樋口次郎は、身元を顕し、源氏への復讐の真意を明かす。駒若君を小脇に
抱き上げ、「権四郎、頭が高い」と宣言する。しかし、計画の裏をかかれ、樋口次郎は、源
氏方の畠山重忠に取り囲まれてしまう。樋口を訴人したのは実は、権四郎の機転で、駒若君
は、孫の槌松として、源氏の手から逃れることができるという展開。

舞台は、松右衛門を軸に展開するが、実は、歌舞伎であれ、人形浄瑠璃であれ、キーパーソ
ンは、権四郎である。権四郎の駒若君に対する愛憎は、複雑なものがある。駒若君のため
に、実の孫の槌松は殺されている。一度は、駒若君を返せと言って来たお筆の態度に対し
て、怒りを覚え、駒若君を殺そうとさえ思った。若君が、「朝日将軍義仲公のお公達駒若
君」と告げられると、樋口の意向に従う気になる。にもかかわらず、子供の命というものを
大切に思い、最後は、自分の機転で、「よその子供」である若君を自分の孫だと主張して助
けようとする。愛憎を超えて、幼い子供を守ろうと権四郎は、源氏方の追尾から駒若君を助
けるために、畠山重忠に訴え出て、自ら、再び駒若君を槌松と思い込むことで、将来のある
駒若君の命を守ろうという作戦だ。

そこには、樋口のような「忠義心」があるわけではない。権四郎には、孫と同様な若君とい
えど、「子供」の命に対する、封建時代を超えた愛の普遍性があるのだと思う。

義太夫が呂太夫から睦太夫へ、三味線方が鶴澤燕三へ、と盆回しで、替わると、「逆櫓の
段」。睦太夫は、大きくゆったりと語り出す。

松右衛門宅の裏は、海。船中の場面への展開は、海原の道具幕が、振り被せとなる。下手か
ら舟に乗った松右衛門ら4人登場。松右衛門のほか、船頭らが「逆櫓」の稽古をしている。
松右衛門が、船頭らに教えている。今回は、船中の立ち回り(教えを請う筈の船頭らは、隙
を見て、松右衛門に襲いかかる)の場面はなく、再び、下手に戻る。道具幕振り落しで浜辺
(松右衛門宅の裏)の場面に戻る。海原の背景。松も、中央に移動して来る。上手に松右衛
門宅の裏が見える。浜辺に戻って両者の争いとなる。

人形浄瑠璃では、余り見せない場面で、今回は上演する見せ場は、樋口の「物見」。遠寄せ
の陣太鼓を受けて、樋口次郎は、舞台中央の大きな松に登り、大枝を乗り越え、その上にあ
る別の大枝を持ち上げての物見をする。遠寄せの陣太鼓は、樋口を捕らえる軍勢の攻めよる
合図だった。

権四郎が若君を連れていながら、若君の正体は隠し、代りに松右衛門の正体を樋口次郎だと
ばらすことで、畠山重忠に訴人する効果を上げる。

捨て身で、駒若君を救うという奇襲戦法に出たのだ。樋口次郎危うし、被害を最小限度にと
どめて、と思っての権四郎の機転が、槌松・駒若君の、いわば二重性を利用して、「娘と前
夫の間にできた子・槌松」を孫だと強調して、駒若君を救うことになる。子供の取り違え
を、「逆櫓」ならぬ、「逆手」にとって若君を救うという作戦である。樋口も、権四郎の真
意を知り、かえって、義父への感謝の念を強くして、己の死を了解するという場面だ。「父
と言わずに暇乞ひ」と樋口。駒若君は、「『樋口樋口、樋口さらば』と幼子の誰れ教へねど
呼子鳥」。

武士にできなかったことを、実の孫を犠牲にしながら、さらに、その恨みを消しながら、一
庶民の権四郎が成し遂げる。そうと知って、納得して、おとなしく縄に付く樋口次郎。事情
を知っていながら、権四郎の思い通りにさせる畠山重忠。

そういう封建時代に、封建制度の重圧に押しつけられてきた江戸の庶民の、大向こう受けす
るような芝居が、この「逆櫓」の場面なのだ。人形浄瑠璃や歌舞伎に多い「子殺し」という
舞台が連綿と続く歌舞伎・人形浄瑠璃の世界の中で、権四郎のような人物に出会うと、私は
ほっとする。きっと、江戸の庶民たちも、こういう武家社会の道徳律には、従いながらも、
反発していたのだろう。この芝居は、じっくり味わいたい、といつも思う。
- 2017年12月20日(水) 7:50:19
17年12月国立劇場 (人形浄瑠璃鑑賞教室・「日高川入相花王」「傾城恋飛脚」)


「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」。人形浄瑠璃で観るのは、今回で3回
目。道成寺伝説の背景に藤原純友の「天慶の乱」を使って、近松半二、竹田小出雲らが合作
した。私が最初に観た09年5月国立劇場では、原作の四段目に当たる「真那古庄司館(ま
なごのしょうじやかた)の段」と「渡し場の段」を観たが、14年09月国立劇場と今回
は、「渡し場の段」のみの上演。30分足らずの上演で、僧の安珍が婚約者の女性と二人で
道成寺に向かったと知った清姫が、嫉妬に燃え盛るままに二人の後を追いかけるという場
面。

月影を頼りに日高川の渡し場までやってきた清姫は、夜半とあって、川の中の船で仮眠を取
っている渡し守に船に乗せてほしいと頼み込むが、後から来る娘を渡さないでほしいとお金
を渡されて頼まれている渡し守は、断固として拒絶する。

嘆き悲しみ、嫉妬から、怒りへとテンションを上げてしまった清姫は、「我は蛇体となりし
よな」「恨みを言うて言ひ破り、取り殺さいでおかうか」「ざんぶとこそは飛び入つたり」
ということで、清姫は大蛇の姿に変わり、川を泳ぎきって対岸に渡ってしまう。

「渡し場の段」は、日高川。舞台下手は、高めの土手。杭に「日高川」と書かれている。
「安珍さまいなう」と呼び掛けながら、逃げた安珍を追って来た清姫。舞台中央より上手
側、川の中に舫っている渡し船。夜半とて、船頭は、船の中で寝ている。向こう岸に渡して
欲しいと清姫が頼むが、寝ているところを起こされて、機嫌の悪い赤っ面の船頭は、要求を
拒む。

二人の問答から、清姫のくどきになる。余計に嫉妬心を燃え立たせる清姫。顔が二つに裂け
るように見える。口が耳元から大きく割れる。目も変わる。角も生える。狂乱の目。そし
て、また、元の清姫に戻る。

姫の異変を見てとった船頭を乗せた船は、上手に逃げる。それを追うように、清姫は、川へ
飛び込む。波幕が舞台の下部を覆うと、人形遣いの主遣いの簑紫郎は、清姫の人形を川の中
へ放り投げるように手から外し、自身は、しゃがんで姿を隠す。一旦、人形の魂を抜く形に
なる。清姫の人形は、沈む。左遣い、足遣いとともに。

土手の大道具は、下手に引き入れられる。船は、上手に引き入れられる。日高川の真ん中
で、川の浪布が舞台のほぼ前面を覆い、中に人が入っていて、上下に激しく動かす。濁流で
ある。
 
浪布のなかで、川の中に降りて来た主遣いら人形遣いが、清姫に命を吹き込む。魂が入っ
て、姫から大蛇に変身した清姫。鬼になったり、蛇になったり、角が生えたり、毛が生えた
り、一瞬で、娘が鬼に変化する「ガブ」という首(かしら)が使われている。人形遣いの簑
紫郎は、銀箔の鱗形の模様の衣装の大蛇と赤姫の衣装の清姫の人形2体を巧く使い分ける。
元々、人間の化身である人形が、人間らしさを超越し、魔神のような超能力を持つ大蛇に変
身して行くスペクタクルが、日高川の流れの中で展開される。姫のほどけた帯が、蛇の尻尾
に見立てられる。水に潜り、浮き上がり、再び、泳いで行く。清姫から、大蛇へ、そして、
再び、清姫へ。娘の恋の執念、恐ろしや。やがて、土手が、上手から現れる。対岸に辿り着
き、岸辺に生えた柳の木に抱き付き、清姫の見得となる。
 
それと同時に、日高川の夜が明ける。舞台の背景は、黒幕から、遠い山々も含めて、桜も満
開の日高川の遠景。自然は、のどかであるが、人事は、壮絶。清姫は、安珍が逃げ込んだと
思われる道成寺目指して、さらに、追いかける。粘着質の姫君は、めらめらと嫉妬心を燃や
し続けている。
 
人形遣いは、清姫は、簑紫郎。船頭は、文哉。竹本は、清姫が、芳穂太夫、船頭が、靖太
夫。ほかに、咲寿太夫、亘太夫、碩太夫。三味線方は、清丈、友之助、清公、錦吾、清允と
多数。使われる首は、清姫が、娘と角出しのカブ。船頭は、三枚目、という滑稽なもの。

贅言:この演目(渡し場)を歌舞伎で観たのは、05年10月歌舞伎座。歌舞伎では、清姫
役の坂東玉三郎が、全編、人形振り(役者が、人形浄瑠璃の人形に似せた動きをし、科白
は、竹本が語る)で演じきり、愉しく拝見。主な役者が3人しか出ない芝居で、玉三郎の相
手をする道化の船頭も、全編人形振りで演じる。極めて珍しい演出の出し物であった。演じ
るのは、坂東薪車(現在の四代目市川九團次)。もう一人の役者は、菊之助。清姫の人形を
操る主遣い(人形遣い)の役である。ほかに、後見のような人形遣い役に5人が出演。清姫
の人形遣いは、主遣いの菊之助のほかに、ふたりが付き、ちゃんと三人遣いになっている。
船頭の人形遣いは、ふたりであった。残りの一人は、舞台下手に立ち、足を踏みならして、
足音を演じていた。嫉妬に燃える若い女の「激情」を、激情ゆえに、人形の、ややぎくしゃ
くした動きで表現するという歌舞伎演出の逆説が、おもしろい発想だと思った。ここは、下
手な人形遣いが操る人形の動きを真似、「人形の振りの欠点を振りにする」と、人形らしく
見えるというのが、三代目雀右衛門の藝談だと言うから、おもしろい。確かに本物の人形遣
いは、人形を生きているように扱う。気持は、人形と一体化しているのが、その表情を見れ
ば良く判る。

人形浄瑠璃では、操る人形を生きている人間らしく、いかに見せるかに腐心する。歌舞伎の
人形振りでは、役者の所作をいかに人形らしく、不自然に見せるか、工夫する。人形は、超
人が空を飛ぶように川の中を泳ぐ。役者は、そういう泳ぎ方はできない。それぞれの間(あ
わい)を埋めるように、人形遣いも役者も、「対岸」から攻め寄せ合っているように見え
る。


「文楽鑑賞教室」ということで、間に、「文楽の魅力」という解説コーナーがある。希太夫
(太夫)、勘太郎(三味線)、玉誉(人形)が、それぞれ、初歩的なことを解説する。


「傾城恋飛脚」では、17年2月が、「冥途の飛脚」で、今月(12月)が、「傾城恋飛
脚」。いつものように、1年かけて、「通し」上演となる。

この演目、人形浄瑠璃では、現在、二つの上演形態がある。

1)「冥途の飛脚」(淡路町の段、封印切の段、相合かご)。
2)「傾城恋飛脚」(新口村の段)

これが、歌舞伎では、「恋飛脚大和往来」として、二幕もの。封印切の場、新口村の場、と
して、通し、あるいは、みどりで上演される。

「傾城恋飛脚」(新口村の段)を人形浄瑠璃で私が観るのは、今回で、4回目。11年1
月、大阪文楽劇場、11年5月国立劇場、12年12月国立劇場、そして今回。

贅言;12年12月国立劇場の上演途中、東京で震度4の地震があり、一時舞台中断、再開
したことがあった。M7・3。三陸沖が震源地。国立劇場では、暫く上演を続けた1、2分
後、一旦、幕を閉めて、8、9分間くらい中断。義太夫の文字久大夫(当時は、「大夫」。
今は、「太夫」)が、落着いた声で、「そのまま座っていて下さい」という。太夫も三味線
方も、床に座ったまま、待機。5時28分再開。文字久太夫が、先ほど、一度語った場面を
なぞるように語り出す。竹本:「涙の隙に巾着より、金一包み取り出だし」で、静止して待
っていた孫右衛門(玉也が遣う)と梅川(清十郎が遣う)が、動き出す。中断した後の場面
が描き出され、語り継がれ、「平沙(へいさ)の善知鳥(うとう)血の涙、長き親子の別れ
には、やすかたならで安き気も、涙々の浮世なり」(幕)。午後5時40分頃の終演であっ
た。

世話もの人形浄瑠璃「冥途の飛脚」は、近松門左衛門原作で、1711(正徳元)年、大
坂・竹本座初演と伝えられる。当時は、「新いろは物語」の切浄瑠璃。詳細不明。これを菅
専助・若竹笛躬の合作で改作した人形浄瑠璃「けいせい恋飛脚」(1773年)は、いつも
歌舞伎などで観ている歌舞伎の「恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい、こいのた
よりやまとおうらい)」(1757年初演、詳細不明? 1796年初演、詳細判明)の原
作。

「口」:竹本小住太夫、三味線は清公。「前」:豊竹呂勢太夫、三味線は燕三。「後」:竹
本千歳太夫、三味線は富助。
人形遣いは、忠兵衛が、簑二郎。梅川が、清十郎。孫右衛門が、玉男ほか。首(かしら)
は、忠兵衛が、源太。梅川が、娘。孫右衛門が、定之進ほか。

舞台は、百姓家。歌舞伎では、百姓家の屋体は外形だけだが、人形浄瑠璃では、座敷内部
と、上手に障子の間がある。舞台下手の屋外に、「新口村」の道標。竹本では、「節季候
(せきぞろ)」の風俗が描写される。「節季候だい、節季候だい、だいだいは節季候、おめ
でたいは節季候…」。年の瀬の門付け、節季候が集落の家々を回り、新年の祝言を述べて、
米や銭をもらい歩く。節季候という大道芸人。古着、古道具を買い歩く、古手買(ふるてか
い)、さらに、「同行二人」の巡礼も、百姓家の門口に立ち、火を借りたいと申し出て、断
られると内部を「きょろきょろねめ回し」て、家内を覗き込んで行く。

「薄尾花はなけれども」は、「冥途の飛脚」の「道行相合かご」での義太夫の文句。「世を
忍ぶ身の後や先」。梅川忠兵衛の登場の合図。新口村は、雪景色。まず、小幕より忠兵衛登
場。やや、間があって、梅川登場。「人目を包む頬かぶり、隠せど色香梅川が馴れぬ旅路を
忠兵衛が、労はる身さえ雪風に凍える手先懐に暖められつ暖めつ、……」

死出の道行の果てに、新口村まで、逃げて来た梅川・忠兵衛の登場。「比翼」という揃いの
黒い衣装、裾に梅の枝の模様が描かれている(但し、裏地は、梅川は、桃色、忠兵衛は、水
色)。衣装が派手なだけに、かえって、寒そうに感じる。互いに抱き合う形の美しさ。ふた
りが頼って来た百姓家は、実家ではなく、「親たちの家来も同然」という忠三郎宅。忠三郎
不在で、女房から、大坂での事件を聞かされ、身許を明かせないまま、「年籠りの参宮」
と、ごまかし、忠三郎を呼んで欲しいと女房に使いを頼む。

家の中に入った二人は、上手の障子の間、「反古障子を細目にあけ」て、吹雪の畠道を通る
人々の中に、老父・孫右衛門がいないかを見守る。桶の口の水右衛門、伝が婆、置頭巾、弦
掛の藤治兵衛、針立の道庵など、忠兵衛顔見知りの村の面々が、寺に法話を聞きに行く情景
が描かれる。忠兵衛は、梅川に、得意げに、人物寸評をする。ここは、歌舞伎では、あまり
やらない場面。さまざまな人形が登場するのも、おもしろい。先ほどの怪しい巡礼姿の男
(実は、八右衛門)が、家内を窺っている。

それと気づかず、忠兵衛「アレアレあそこへ見えるが親父様」で、孫右衛門登場。「せめて
よそながらお顔なりとも拝もうと」と、忠兵衛は、梅川に、遠目ながら、老父を紹介する。
忠兵衛「これが今生のお暇乞」、梅川「お顔の見初めの見納め。コレ申し私は嫁でござんす
る」。

百姓家に近づいてきた孫右衛門は、雪道に転んで、高足駄の鼻緒が切れる。あわてて、家か
ら飛び出す梅川。家の中に招き入れ、忠兵衛の代りに、「嫁の」梅川が、座敷にあげた父親
の面倒を見る。初見ながら、「嫁の梅川」と悟る孫右衛門。目隠し、「めんない千鳥」とい
う、梅川の機転で、再会を果たす忠兵衛と孫右衛門。ここは、歌舞伎も同様。巡礼に化けて
いた八右衛門の知らせで、近づいて来る追っ手の声を聞き、孫右衛門は、忠兵衛と梅川をよ
そで捕まれと逃がそうと、百姓家裏の抜け道を教える。家の奥に逃れる二人。

歌舞伎では、やがて、百姓家の屋体が、上手と下手に、二つに割れて行く。舞台は、竹林越
しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見に替わる。だが、人形浄瑠璃では、百姓家
暫くそのまま。傘をさして外に出た孫右衛門。暫くあって、百姓家の屋体全体が、下手に、
引き道具。半分ほど、下手に隠れたところで止まると、上手に竹林越しの御所(ごぜ)街道
と雪山の嶺が連なる雪遠見が、現れる。逃げて行く忠兵衛と梅川の姿は、もう見えない。歌
舞伎では、梅川忠兵衛の雪の逃避行をじっくり見せる。

歌舞伎では、この場面では、カップルの役者が、そのまま逃げて行くか、子役の遠見を使っ
て、遠く、小さくなって行くカップルの姿を描き出す。遠去かり行く息子と嫁を孫左衛門に
見送りさせる。歌舞伎では舞台全体が、真っ白になるほど、霏々と降る雪。しかし、人形浄
瑠璃では、それほど、雪を降らせずに、むしろ、たった一人で舞台に取り残される老父の孤
独感を描いているように見受けられた。説明的な歌舞伎の演出に比べて、人形浄瑠璃では、
傘をつぼめて、顔を隠して、「長き親子の別れ」に対する見えない老父の情をくっきりと観
客に印象づける。余白が、想像力を刺激する。情を伝える人形浄瑠璃、姿を見せる歌舞伎。
総じて、この演目では、歌舞伎の方が、ビジュアル度(絵面)が高いと思った。
- 2017年12月19日(火) 16:28:24
17年12月国立劇場 (「今様三番三」「隅田春妓女容」)


養父・実父の芸を受け継ぐ! 吉右衛門の「梅の由兵衛」


「今様三番三(いまようさんばそう)」。初見。「三番叟もの」の一つ。「布晒し」(「近
江のお兼」など大力の女形を強調する踊りの演目)のバリエーションでもある。三番叟と布
晒しを組み合わせ、女形が舞う、という趣向。定式幕が開くと、舞台は浅葱幕で覆われてい
る。源氏方の若武者、佐々木小太郎(歌昇)、結城三郎(種之助)が、幕の両脇から出てく
る。源氏代々の崇敬を受ける箱根権現に奉納されていた源氏の白旗が紛失となった。何者か
に盗まれたらしいので、二人は探索を命じられた、という。「それ東海に名も高き箱根の山
の頂は…」。大薩摩の演奏の後、浅葱幕が振り落とされると、舞台の下手から中央に富士山
と芦ノ湖。上手に湖畔の箱根権現、古木の杉林。烏帽子に素襖を着けた曽我の二の宮、実
は、如月姫(雀右衛門)が先ほどの若武者とともに、舞台中央にせり上がってくる。右手に
三番叟でお馴染みの鈴を持ち、左手に桶と白旗のようなものを持っている。素性を怪しまれ
た二の宮は、権現に舞を奉納するのだと言い、祝言曲の三番叟を舞い始める。「おおさえお
さえ、喜びありや…」。前半は、三番叟のパロディ。

二の宮は舞っているうちに隠し持っていた白旗を落としてしまい、それを見つけた若武者た
ちは二の宮を問い詰めることになる。二の宮は平家方の大将・平忠度の娘の如月姫と正体を
明かし、盗み取った源氏の白旗を使って、「布晒し」のように勢いよく揺すり振って、若武
者らが呼び寄せた軍兵たちを翻弄し、対抗する、という演目。「布晒し」では、普通、白布
の長さは1丈2尺(およそ3・6メートル)もある。源氏の白旗も、同じくらいの長さか。
晒し布を舞台の床に着けないように揺すり続ける新体操のような演技。女武道ぶりを強調す
る。雀右衛門の所作は、安定感があった。


39年ぶりの上演 初役で挑戦「梅の由兵衛」


「隅田春妓女容(すだのはるげいしゃかたぎ)」は、初見。通称「梅の由兵衛」。国立劇場
での上演は、39年ぶり。1978年9月の国立劇場では、由兵衛は、九代目宗十郎が演じ
た。戦後の上演記録では、1948年、帝国劇場で初代吉右衛門が、1954年、名古屋御
園座、1960年、明治座で、八代目幸四郎(初代白鸚)が、それぞれ、由兵衛を演じただ
けで、今回の吉右衛門で、4回目である。当代の吉右衛門にとって、初代吉右衛門は、養
父、八代目幸四郎は、実父。吉右衛門は今回初役で、所縁深い由兵衛に挑戦したわけだ。

「隅田春妓女容」は、並木五瓶原作で、1796(寛政8)年1月、江戸桐座で初演され
た。梅の由兵衛には、史実のモデルがいる。大坂に実在した渋売り商人の梅渋吉兵衛という
人物をモデルにしている、という。吉兵衛は、両替商を訪れては板銀(いたがね、銀の延
板)をすり替える常習犯で、「板替(いたがえ)の吉兵衛」と通称されたという。さらに、
百両を持っていた丁稚を殺して金を奪ったという。武士を軸にした世話もの。

この演目では、舞台を江戸に移し、丁稚の長吉殺しと侠客・由兵衛という想定が、芝居の基
本構造となっている。加えて、「小さん金五郎の世界」が副筋として絡み込まれている。
「小さん金五郎」とは、大坂の「額(がく)風呂」の湯女(ゆな)・小さんと歌舞伎役者の金屋
金五郎の情話。場割通りに筋を追ってゆくとわかりにくいので、簡単な粗筋と背景を書いて
おこう。

1)時代もの。

芸者(由兵衛の恩人・三島隼人の娘)の身請け金・百両と盗まれた千葉家(由兵衛が以前仕
えていた奉公先)の家宝の色紙(「菅家手向山の歌」という)をめぐる物語。家宝の色紙を
盗み出したのは千葉家の家臣・曽根伴五郎(桂三)。伴五郎は、千葉家の元中間で、現在は
通称「土手のどび六」(又五郎)に色紙を売り払わせて、その金(百両)で横恋慕中の芸
者・「額(がく)の小三」(雀右衛門)を身請けしたいと思っている。色紙は、源兵衛堀の
侠客・源兵衛(歌六)に売り払うという約束になっているという。

由兵衛(吉右衛門)は、千葉家の重臣・三島隼人の家臣。昔、若気の至りで起こした喧嘩で
窮地に陥った際、隼人に救われたことがある。それ以来、短気を戒めようと、「するが堪
忍、ならぬ堪忍」と書き記した頭巾をかぶったまま生活している。その隼人が保管の責任者
になっていたのが、千葉家の家宝の色紙(「菅家手向山の歌」という)であり、芸者の「額
(がく)の小三」は、隼人の娘である。小三は、金谷金五郎(錦之助)と恋仲になり、駆け
落ちをして、隠れ住んでいる。こういう事情で、由兵衛は、色紙を取り戻し、小三と金五郎
を帰参させて、正式に結婚させようと望んでいる。

贅言;由兵衛が被っている頭巾は、通称、宗十郎頭巾と呼ばれる。宗十郎頭巾とは、由兵衛を
演じた初代澤村宗十郎が主人公の男伊達ぶりを強調するために考案した頭巾。判りやすく言
えば、大佛次郎原作の小説で、映画にもなった鞍馬天狗が被っている頭巾も同じ。

2)世話もの。

時代ものの中の世話場。
米屋の関係。勘十郎が由兵衛に渡した金の出処は、蔵前の米屋・和泉屋の主人の佐次兵衛だ
った。佐次兵衛は勘十郎の伯父。この米屋に丁稚奉公しているのが長吉で、由兵衛の女房・
小梅の弟、浅次郎。義理の兄にあたる由兵衛には、まだ会ったことがない。米屋の娘のお君
とは恋仲である。米屋には、ほかに長五郎という居候がいる。佐次兵衛の亡くなった女房の
甥。長五郎は、相撲取り志向で、米屋の娘に横恋慕している。店の金百両を盗み、米屋の娘
と駆け落ちしようと企んでいる。

3)主な人間関係。
以上の簡単な粗筋紹介に加えて、登場人物の人間関係を判りやすく整理しておこう。合わせ
て、主な配役も。

伴五郎一派:伴五郎(千葉家家臣、桂三)、どび六(元は、中間の十平次、又五郎)、侠客
の源兵衛(歌六)。

由兵衛関係:由兵衛(吉右衛門)、千葉家重臣:三島隼人(舞台には登場しない)。芸者・
小三(隼人の娘、雀右衛門)と恋仲の金五郎(錦之助)。隼人と所縁のある勘十郎(東
蔵)。由兵衛の女房・小梅(菊之助)、小梅の弟、由兵衛には義弟となる丁稚の長吉(由兵
衛は顔を知らない、菊之助の二役)。

米屋関係:長吉(菊之助)、長五郎(歌昇)。米屋の娘・お君(米吉)、米屋主人・佐次兵
衛(橘三郎)。

そのほか:医者・三里久庵(吉之丞)。芸者・小糸(種之助)。

今回の場割(場面構成)は、次の通り。
序幕「柳島妙見堂の場」「同 橋本座敷の場」「同 入口塀外の場」。二幕目「蔵前米屋店
先の場」「同 塀外の場」「同 奥座敷の場」「本所大川端の場」。大詰「梅堀由兵衛内の
場」「同 仕返しの場」。

この演目は、先行作品のパロディの場面が、目立つので、気がついた点を指摘しておきた
い。

4)パロディ。

序幕「柳島妙見堂の場」では、小三・金五郎は、額風呂の湯女(ゆな)小さんと歌舞伎役者金
屋金五郎の世界。同時に、「夏祭浪花鏡」の琴浦・磯之丞の世界でもある。恋の逃避行。
「夏祭浪花鏡」関連では、由兵衛は、団七九郎兵衛と似ている。

二幕目「蔵前米屋店先の場」「同 塀外の場」「同 奥座敷の場」では、長吉と延紙長五郎
がでてくるが、この二人は「双蝶々曲輪日記」に出てくる米屋の息子・放駒の長吉と相撲取
りの濡髪長五郎の、堂々たるパクリである。

「同 奥座敷の場」では、二十三夜待ち。江戸時代から二十三夜待ちの月は、阿弥陀如来脇
に侍り、知恵を司る勢至菩薩の化身と言われた。二十三夜に勢至菩薩に念じれば、験が良い
とされ、仲間でより集って飲食を楽しみながら月の出を待った、という。

「ひらかな盛衰記」の四段目「梅ヶ枝無間の鐘の段」のエピソードを借用し、隣家から聞こ
えてくる余所事浄瑠璃として演奏を活用し、四段目の梅ヶ枝のように手水鉢を鐘になぞらえ
て叩き、大金が手に入るようにと願う場面がある。

5)役者論(メモ)。

吉右衛門の演技で気になったことがある。序幕の「柳島妙見堂の場」で、花道から頭巾をか
ぶって出て来る時の足の運びに力がないように感じたが、私だけだろうか。独特の科白回し
は、さすが迫力があるが、初日から5日目というのに、科白が十分に入っていないようにも
聞こえた。初役とはいえ、これまでには、なかったことではないか。

歌六は、播磨屋一門の総師・吉右衛門を支えながら、脇を固める。渋い脇の演技が光る。

又五郎も、歌六とともに脇を固める。二人とも安定している。安心して観劇。

東蔵は、播磨屋一門の外から、脇を固める。渋い演技。

菊之助は、音羽屋の長男に加えて、播磨屋の娘婿として、演技の幅と安定感が出てきた。

米吉は、歌六の長男。若い女形は、細面の役者が多い中で、ふっくらとした味わいが良い。

種之助は、珍しく女形も演じて見せて、新しい魅力が加わった。

錦之助は、播磨屋と縁がある萬屋系統で、播磨屋一門の上演では常連。

雀右衛門は、女形に中堅として、脇を固めていた。

6)クライマックスと見せ場。

この演目の最大の見せ場は、何と言ってもクライマックスの大詰「梅堀由兵衛内の場」。前
夜自宅に帰宅した由兵衛の挙動がおかしいと気づいた女房の小梅。丁稚殺しを隠す由兵衛。
さらに、殺された丁稚が、小梅の実弟で、殺しの下手人は由兵衛と小梅に判る、という場
面。

その前に、見逃せない場面がいくつかある。クライマックス前の、見せ場では、以下のよう
なものか。

二幕目「蔵前米屋 塀外の場」は、菊之助の早替り。長吉と姉の小梅を菊之助が二役で演じ
る。米屋の塀外にいる小梅と米屋の二階座敷での長吉・長五郎の立ち回り。長吉、小梅の吹
き替え役者も使って、菊之助が一人で二役をこなしているように見えるから不思議だ。二階
座敷の長吉の吹き替え役者は後ろ姿か横顔しか見せないが、塀外の小梅は、後ろ姿か横顔し
か見せないが、科白は堂々という。女形独特の「甲(かん)の声」という発声方法に利があ
り、菊之助の声も吹き替え役者の声も、そう違わないように聞こえるという効果があるよう
だ。

「本所大川端の場」は、殺し場。恩になった三島隼人のために大金を用意したい由兵衛が金
の工面ができないまま、大川端を歩いている。米屋の長五郎に追われた丁稚・長吉が差し掛
かる。長五郎を追い払う由兵衛。二人の初めての出会いが、そのまま悲劇の始まりとなる。
互いに相手が誰かを知らないまま、義理の兄弟の間で、殺人事件が発生する。姉の夫の義理
の兄のために必要な金を工面した義弟は、姉に金を届けようとしている。その張本人の義兄
は、義弟と知らずにその金を奪う。

大団円。仕返しの場。由兵衛の吉右衛門と源兵衛の歌六の立ち回り。花道から、金五郎の錦
之助、小三の雀右衛門、小梅の菊之助がやってくる。立ち回りを中断して、錦之助、菊之
助、吉右衛門、雀右衛門、歌六の5人が、本舞台に座り込み、こんにちは これぎり」と挨
拶。定式幕が上手側から閉まってくる。幕。
- 2017年12月18日(月) 17:31:46
17年12月歌舞伎座(第三部/「瞼の母」「楊貴妃」)


玉三郎と中車が軸となる第三部


「瞼の母」は、初見。小説家・長谷川伸が原作を書いた世話もの。1930(昭和5)年、
東京・明治座で初演された。今回の配役は、番場の忠太郎は、市川中車が初役で勤める。幼
い頃生き別れた母親のおはまは、玉三郎である。玉三郎は、5年前、大阪松竹座で既に演じ
ている。この時の忠太郎は、勘九郎が演じた。

贅言;「瞼の母」では、主役の番場の忠太郎だが、「ひらかな盛衰記」で、鎌倉方の梶原派
の手先で、「番場の忠太」という人物が大津の宿の詮議で多数の捕手を引き連れて登場す
る。長谷川は、世話物の主役の名前をこの演目から発想したのだろうか。

今回の場割(場面構成)は、次の通り。序幕「金町瓦焼の家」、大詰第一場「夏の夜の
街」、同 第二場「柳橋水熊横丁」、同 第三場「おはまの居間」、同 第四場「荒川土
手」。長谷川伸の「母恋いもの」は、長谷川の実体験(幼い時に母親と生き別れた)を基に
して、いくつものバリエーションのある作品を残している。

暗転のうちに緞帳が上がる。序幕「金町瓦焼の家」。江戸時代の末期。つまり、幕末。武蔵
国金町。今の葛飾の金町だろう。瓦職人の家。番場の忠太郎の弟分・半次郎(彦三郎)の実
家。子供たちが、庭先で鬼ごっこをしている。「もう、いいかい」「まあだだよ」。そこへ
博徒の風体の二人が乗り込んできて、子供たちを蹴散らす。半次郎の妹のおぬい(児太郎)
が、気強く二人に応対し、兄は不在と突っぱねる。屋敷内に隠している半次郎を堅気に戻そ
うと必死だ。戻ってきた母親のおむら(萬次郎)も同じ気持ちだ。忠太郎(中車)も半次郎
を訪ねてくるが、おむららは、忠太郎も追い返す。戻ってきた博徒らを叩き切った忠太郎、
なんとか堅気に戻る道を歩き始めた半次郎。半次郎の母親に慕情を感じる忠太郎。「江州阪
田(ごうしゅうさかた)の郡、番場(ばんば)の生まれの忠太郎」と名乗る。

贅言;醒ケ井(さめがい)宿(中山道の61番目の宿場)。磨針(すりはり)峠。番場宿
(中山道の62番目の宿場)。今の滋賀県米原市番場。中山道の東海道との分岐点の近くに
ある小さな宿場町だった。琵琶湖の水運を利用すれば、京への近道。新歌舞伎ながら定式幕
が閉まる。序幕は、次の舞台展開への伏線を敷いて、舞台暗転。

大詰第一場「夏の夜の街」。暗転のうちに、開幕。夏の夜の江戸の街。江戸に出てきて、実
母を探す忠太郎。路傍で三味線を弾き、わずかな銭を恵んでもらっている老婆、夜鷹のおと
ら(歌女之丞)である。老婆に母親を感じ、銭を恵む忠太郎。一旦、暗転。暗闇の中で、再
び、緞帳が上がる。

同 第二場「柳橋水熊横丁」。1年後。柳橋の料理茶屋「水熊」。台所口。板前の善三郎
(坂東亀蔵)と無頼漢の素盲の金吾郎(権十郎)のやりとり。洗い方の藤八、夜鷹のおと
ら、出前持、魚屋など。通りかかる芸者二人。一人は、三吉(芝のぶ)。江戸の料理屋の裏
口が活写される。おとらが、忠太郎に重要な情報をもたらす。水熊の女将(後家)・おはま
が、昔、江州においてきた息子を思い、泣き暮らしていた、という。この話を聞いた忠太郎
はおはまに会おうと決心する。暗転、緞帳下がる。

同 第三場「おはまの居間」。下手に廊下。のれん、階段、剣菱の菰。上手に座敷。屏風、
行灯、障子、箪笥、神棚、床の間に掛け軸。華やいだ室内だ。女手ひとつで娘のお登世(梅
枝)を育て、店を切り盛りしているおはま(玉三郎)。おはまに会いたいと訪ねてきた男が
いるというので、会うことにする。一人娘を守るために男を追い返す魂胆でいる。男は、忠
太郎。瞼に見た母親との対面。「30年前、江州の番場にいた5歳の忠太郎という男の子を
知っているか」。忠太郎という息子はいたが、9歳の時、流行り病で亡くなった、というお
はま。切々と母への慕情を訴える忠太郎。時折、「おっかさん」と躙り寄る忠太郎。金目当
てだろうと勘ぐる実母。実母に会ったら、百両を渡そうと思っていたと金を見せて、慕情を
再び訴える忠太郎。「なぜ、堅気になっていてくれなかったのか」。堅気で訪ねてこなかっ
たと息子を責める実母。だが、おはまは最後まで頑なな態度に終始する。瞼を閉じると浮か
んできた実母像は、おはまに会ったら消えてしまった、と怒る忠太郎。時空を超えて存在す
るのは、幻視の母親像だ。「瞼の母」最大の見せ場。玉三郎と中車の科白の応酬が続く。父
親・三代目猿之助との長き別れの実体験者・中車は、自分の「父恋し」の物語と芝居の「母
恋し」の物語は、ダブルっているのだろう。そういう事情で、人生の途中から歌舞伎役者に
なった中車だが、歌舞伎以外の役者ならキャリア充分、さらに、歌舞伎らしい様式美などが
要求されない新歌舞伎の演目ゆえに、あるいは新歌舞伎とは言え、生き生きと忠太郎を演じ
ている。怒った忠太郎は、戻ってきた実の妹のお登世と廊下ですれ違いながら、そのまま、
飛び出してゆく。2012年の歌舞伎役者デビューから5年。様式美の強い演目や舞踊劇で
なければ、中車は歌舞伎の舞台も板についてきたようだ。

同 第四場「荒川土手」。水熊に入り婿を狙う金五郎(権十郎)、雇われた浪人者(市
蔵)、待ち伏せされた忠太郎は花道からやってきた。立ち回りの末、浪人者を斬り捨てる。
一旦下手に姿を消すと、おはまとお登世が上手から、忠太郎を探しに来る。「忠太郎」「忠
太郎兄さん」と呼びかけながら、花道に入ってゆく母と妹。忠太郎は、姿を見せずに、やり
過ごす。戻ってきた金五郎を斬り捨てると、無頼の忠太郎は、何処へともなく去ってゆく。

どこへ行っても、後悔するぞ、忠太郎。戻れ、実の母の元に戻れ。長谷川伸の嘆きが聞こえ
てくる。


玉三郎の京劇風「楊貴妃」


新作歌舞伎の舞踊劇「楊貴妃」も、私は初見。11年07月新橋演舞場の新作歌舞伎で、大
佛次郎原作の「楊貴妃」(1951(昭和26)年6月、新派新劇合同公演として歌舞伎座
で、初演された。歌舞伎役者だけで上演されたのは、2年後の、1953(昭和28)年7
月であった)を観たことがあるが、全く別の演目。舞踊劇「楊貴妃」は、夢枕獏原作で、主
演は、いつも玉三郎。初演は、1991年5月、MOA美術館。特別舞踊公演であった。歌
舞伎座の舞台に初めて乗ったのは、96年6月。楊貴妃の相手役の方士は、羽左衛門であっ
た。歌舞伎座上演は、今回が2回目。楊貴妃の相手役の方士は、中車が勤める。

原作者の夢枕獏は、能の「楊貴妃」をベースに作詞をしたという。中国は唐の時代、九代皇
帝玄宗は美女・楊貴妃を寵愛していた。しかし、朝廷に仕える節度使(辺境警備の司令官、
行政権も持たされている地方権力者)の安禄山らの「反乱」で国が乱れ、その原因は楊貴妃
だと断じられて、楊貴妃が殺されてしまう。中唐の詩人・白居易は「長恨歌」を作り、玄宗
皇帝と楊貴妃の愛と悲しみを綴った。これが、日本にも伝わり、能の「楊貴妃」ができた。

楊貴妃を演じた玉三郎は、化粧も衣装も、中国の演劇「京劇」調で、エキゾチックに舞う。
演奏は、長唄の杵屋勝四郎はじめ5人、箏曲7人、胡弓、尺八という布陣。歌と琴の合奏が
幻想的。暗転の薄暗い中で無人の舞台に男性の澄んだ声が響く。舞台が明るくなると、幾重
かの真っ白いカーテンで、舞台は霧に覆われているように見える。花道七三「すっぽん」か
ら、老いた方士(中車)がせり上がってきて、花道から本舞台へとゆっくり移動する。この
距離は、此岸から彼岸へ、という時空。方士は、今は亡き楊貴妃のことが忘れられない玄宗
皇帝に代わって、会得した戦術で楊貴妃の魂のありかを探り当てようと蓬莱山の仙宮へとや
ってきた。舞台中央を奥へ進むと白い霧が晴れるように真っ白いカーテンが左右に開けてゆ
く。あの世へのタイムトンネル。奥の奥に魂から現の身に成り代わった楊貴妃(玉三郎)
は、生前通りの美しさだ。玉三郎は京劇の女形の化粧である。衣装は、白地に金の縫い取
り。長い黒髪。豪華な宝石の髪飾り。白塗りの足元は素足か。方士は、目に見えてきた楊貴
妃を認めると御玉章(皇帝からの書状)を手渡す。役割は皇帝の使者である。「あらなつか
しのいにしへやな…」。舞踊劇とはいえ、中車は、歩いて、やがて、陶製の椅子に腰掛け
て、ということで、踊りらしい踊りはない。玉三郎は、得意の舞踊を十二分に披露する。玄
宗皇帝作の「霓裳羽衣(げいしょううい)の曲」に合わせて二枚の扇(金地に紅白の牡丹が
描かれている)を用いて、舞い踊る。「生者必滅 会者定離/黒髪の長き別れやさす袖の/
そよや霓裳羽衣の曲」。皇帝との愛の日々、七夕の夜を思い出す。「天に在りては比翼の鳥
とならん 地に在りては連理の枝とならん」。皇帝との思い出の釵(かんざし)を抜き、方
士に手渡す。死者と生者。本来、交わりえない者たち。かつて共有した時間も空間も、戻っ
てこない。死者の魂と交流した方士(中車)は、花見七三「すっぽん」から下山してゆく。
楊貴妃の玉三郎は、舞台中央を音もなく後ろ向きにずり下がってゆく。白いカーテンが白い
霧のように左右から近づいてくる。楊貴妃が魂の在りどころに戻ると緞帳が降り始め、場内
暗転となるうちに、幕となる。愛しい昔の時空。死者と生者の間で共有できるものなどな
い。玄宗皇帝がプレゼントしてくれた幻想の30分ほどの天空の舞であった。玉三郎は楊貴
妃という幻視を観客に与え、やがて、明転。

そこには、何もない。空漠が残るのみ。やがて、観客も喪失の悲しみに包まれるだろう。
- 2017年12月18日(月) 12:46:09
17年12月歌舞伎座(第二部/「らくだ」「蘭平物狂」)


愛之助の上方落語版「らくだ」


「らくだ」は、4回目の拝見。2000年11月、歌舞伎座。2008年8月の歌舞伎座。
2017年9月、歌舞伎座。そして今回。主役の久六は、菊五郎、十八代目勘三郎、染五郎
で観てきた。今回の久六は、中車。

この芝居は、上方生まれの「らくだの葬礼」、つまり上方落語を江戸落語に直したのが原
作。三代目小さん。それをさらに、岡鬼太郎(作家、歌舞伎批評家)が、劇化した。江戸下
町の裏長屋での人情噺。1928(昭和3)年、初代吉右衛門の久六で、東京・本郷座初演
の新歌舞伎。

しかし、元々は、上方落語。明治から大正にかけて活躍した四代目桂文吾という落語家が初
演した。大変な大酒飲みで、晩年は酒のために体を壊して、口座に上がれなくなった、とい
う。晩年得意としたのが「らくだ」だという。

歌舞伎化された「らくだ」は、松竹の上演台本を見ると、岡鬼太郎作という演目が、16本
ある。初代桂文枝口述(堀川哲脚色、あるいは脚本)という演目が、7本ある。今回の上演
は、後者の方である。

私は、この演目を観るのは、4回目だが、上方落語版は、今回が初めて。江戸落語では、登
場人物のうち、半次が「やたけたの熊五郎」に、駱駝の馬太郎が「らくだの宇之助」になっ
ている。江戸落語版にでてくる半次の妹・おやすは、上方落語版には、出てこない。話の展
開は、ほぼ同じ。

この演目は、本当は、最初から死んでいる駱駝の馬太郎が主役ではないのか。私が観た馬太
郎は、亀蔵(今回含め、2)、團蔵、亀寿である。半次は、八十助時代を含む三津五郎
(2)、松緑、今回は、熊五郎という名で、愛之助が演じる。久六は、菊五郎、勘三郎、染
五郎、今回は中車。家主は、左團次、市蔵、歌六、今回は、橘太郎。家主女房は、秀調、弥
十郎、東蔵、今回は松之助。ちなみに、これまで観た半次の妹・おやすは、菊之助、松也、
米吉であった。


らくだの宇之助(亀蔵)が河豚にあたって死んだ。遊び仲間のやたけたの熊五郎(愛之助)
が、紙屑買いの久六(中車)を脅して、葬礼の準備をさせる。大阪生まれの愛之助は、生き
生きと大阪弁で科白を言っている。きっちりとした科白回しだ。それに比べると、中車の大
阪弁は、弱いし、声も抑制的。自信がない時、人は声が小さくなるという。中車は、大阪弁
に苦手意識があるのかな。葬礼の費用を出し渋る家主に酒などを出させようと、家主(橘太
郎、家主女房・松之助)のところへ宇之助の遺体を久六に背負わせて運び入れ、「かんかん
のう」という踊りを遺体に踊らせて、思い通り、家主に酒を負担させる。

家主夫婦は、突然室内に遺体を持ち込まれて、「かんかんのう」まで踊られるという、「悲
劇的な」状況なのだが、客席から見ると、これが「悲劇的」ならぬ「喜劇的」な状況のわけ
だ。場内には、笑い声が広がる。

歌舞伎には、数少ない滑稽噺。元が落語だけに、「落ち」がある。おとなしく熊五郎の言う
ままに手足となって動いていた久六が、酒が入るに連れて人が変わるという、一種の酒乱。
やがて熊五郎を顎で使うようになる。この逆転劇が、笑いを誘う。

遺体を演じる亀蔵も、おとなしくしていたのは最初のうちだけで、あとは久六に操られて、
「かんかんのう」を踊るうちに、久六の手からも、「自立して」踊り始める。これも、逆転
劇。


松緑最後となるか、「蘭平物狂」


「蘭平物狂」は、1752(宝暦2)年、大坂豊竹座で初演された。人形浄瑠璃「倭仮名在
原系図」は、全五段の時代もの。「蘭平物狂」は、その四段目に当る。現在も上演されるの
は、この場面だけだ。第一場「在原行平館の場」、第二場「同  奥庭の場」という構成。

第一場「在原行平館の場」が、元々、芝居として弱い。曲者退治に行く蘭平の息子・繁蔵に
対する、親馬鹿ぶりも滲ませてながら心配性の父親の情愛描写。次に、刃を見ると「物狂
い」になるという蘭平の「奇病」(実は、仮病)ぶりの二つが、前半の見せ場となる程度。
退屈な場面だ。

第二場「同 奥庭の場」は、1953(昭和28)年に二代目松緑が、埋もれていた時代浄
瑠璃を復活上演した際に、殺陣師の坂東八重之助が考案した大小の竹梯子を使っての苦心の
大立ち回りが、見せ場で、これは、戦後の歌舞伎の立ち回りの殺陣として、トップクラスの
優れたものだろう。従って、この演目は芝居というより、ダイナミックな大立ち回りを楽し
むものといえるだろう。

「蘭平物狂」は、7回目の拝見。今回の松緑は辰之助時代を含めて4回。三津五郎が、八十
助時代を含めて3回。戦後の上演記録を観ても、松緑の復活上演など、先々代、先代を含め
て、松緑と三津五郎の系統の得意な演目になっている。ほかの役者では、先代の(八代目)
幸四郎、市川右近がいるだけだ。

「在原行平館の場」は、「伊勢物語」の在原行平の逸話がベースになっている。「松風村
雨」姉妹との恋物語。行平(愛之助)が、須磨に隠棲した際に、地元の海女の松風と契った
が、都に戻った後も、松風のことが忘れられず、恋の病に陥っている。奥方の水無瀬御前
(児太郎)の意向を受けて奴・蘭平(実は、伴義雄。松緑)は、与茂作(実は、大江音人。
坂東亀蔵)の女房で、松風に良く似たおりく(実は、音人妻明石。新悟)を連れて来て、お
りくを松風に、与茂作を松風の兄にと、それぞれ偽らせて、行平に目通りさせる。騙しの場
面だ。実は、この芝居、騙しあいの連続劇なのだ。

蘭平、実は、伴義雄は、刀の刃を見ると物狂いになるという奇病があると偽ることから、外
題は、「蘭平物狂」と通称される。行平の前では、刀の刃を見て物狂いになる蘭平だが、与
茂作との立回りでは、物狂いにならないばかりか、与茂作の持っていた刀が、「天国(あま
くに)」の名刀だったことから、与茂作は、実は、弟の伴義澄と見抜き、自分は、実は、兄
の伴義雄だと名乗る。二人の父親・伴実澄の仇である行平をともに倒そうと誓いあうが、実
は、与茂作は、小野篁(おののたかむら)の家臣・大江音人で、禁裏の重宝を探索する、い
わば、隠密のような人物で、おりくは、音人の妻の明石であり、行平の恋の病も、仮病で、
全ては、蘭平を伴義雄ではないかと疑った行平一派の策略で、見事、蘭平は、その罠にはま
って正体を顕わしてしまい、行平方の大勢の捕り手に囲まれて、大立ち回りとなるという仕
儀なのだ。そして、この大立ち回りを見せるのが、この芝居のハイライト。そういう騙しの
連続の芝居が、ダイナミックな大立ち回りで飾り立てられているという構図になっているだ
けの芝居なのだ。

それにしても、「大部屋役者」(「三階さん」とも呼ばれる)たちが、いわば、主役と同格
になる大立ち回りは、いつものことながら、迫力があり、見応えがあった。7人が伏せて横
に並ぶ。その上を助走してきた勢いで飛び越える。松緑も、「三階さん」並みとまでは行か
ないが、横にした梯子に座ったまま、半回転(逆吊りになる)を繰り返し、一回転してみせ
る、横にした梯子に立ち上がったまま、エレベーターに乗せられたような感じで持ち上が
り、井戸の屋根に飛び移るなど、かなりダイナミックに立ち回りをする。花道七三に立ち上
げられる大梯子の上での、出初め式まがいの大技ほか、井戸の屋根、石灯籠などの大道具を
活用したトンボのバリエーション、大小の梯子を使って、飛んだり撥ねたりする大立ち回り
は、この演目の、もうひとつの主役と言って良いだろう。「蘭平物狂」を本興行で7回目と
いう最多記録を持つ松緑は「自分としてはこれを最後の蘭平にするつもりで、毎日が千秋楽
と思って臨みます」と話していた。松緑の「蘭平物狂」が見られなくなるのは、寂しい。誰
か、後継を育成しているのだろうか。
- 2017年12月17日(日) 20:45:59
17年12月歌舞伎座(第一部/「実盛物語」「土蜘」)


師走の歌舞伎座の歌舞伎興行は、以前なら、澤瀉屋一門が勢ぞろいしていたものだ。しか
し、澤瀉屋歌舞伎を引っ張ってきた頭領の三代目猿之助は病気とその後遺症で舞台から遠ざ
かって久しい。四代目猿之助は、新橋演舞場で興行中に、セリに衣装を引っ掛けて引きずら
れて腕に怪我(骨折)をしてしまい尾上右近を代役に立てるということになった。将来を嘱
望された立役の段治郎と女形の春猿は、新派へと新天地を求めた。澤瀉屋歌舞伎の常連だっ
たのは、今月の歌舞伎座では、笑三郎、門之助くらいか。

「実盛物語」を観るのは、11回目になる。今回の愛之助の実盛は、初めて拝見する。愛之
助は、去年、京都・先斗町の歌舞練場で実盛初役を終えたというが、本興行ではないのでは
ないか。私が観た斎藤実盛は、仁左衛門(2)、菊五郎(2)、吉右衛門、富十郎、勘九郎
時代の勘三郎、新之助時代の海老蔵、團十郎、染五郎。そして、今回は、愛之助。

中でも、2回観た仁左衛門の実盛は、颯爽としていて、華があって、見栄えがした。科白の
緩急、表情の豊かさ、竹本の糸に乗る動きなど堪能した。初役の時、愛之助は、仁左衛門に
教わった、という。確かに愛之助は、口跡も仁左衛門に似ている時があるが、今回はどうだ
ろうか。菊五郎、吉右衛門も、安定感があった。

実盛物語の見せ場の一つは、幕外の引っ込みだろう。馬に乗った実盛が花道七三で扇子を掲
げて、静止。けっこうな高さがあると思うが、愛之助は、臆せず堂々としていて、なかなか
良かった。なぜ、こういうことを書いたかというと、4年前の国立劇場のある舞台を思い出
したからだ。

13年10月の国立劇場では、「一谷嫩軍記」の「組打」が上演された時、松本幸四郎が演
じる熊谷次郎直実が、花道から落馬したということがあった。私は、この事故より前に観に
行っていたので、通常の舞台を観ている。国立劇場では、直実の花道出入りの場面は、翌日
から演出を変えた。直実の退場は、花道を通らず、舞台下手から馬に乗って退場するように
したという。転落の原因は、幸四郎にはなく、馬の脚役者のうち、前脚役者がよろけたから
だ。幸四郎は胴体にしがみついたが、バランスを崩して、花道から客席まで落ちる。客席
は、悲鳴とざわめきが続いた。落下した高さは、花道の高さも含めて約2・5〜3メートル
とみられる。鎧兜、衣装と自分の体重で幸四郎の重さは約100キロあったという。よく
ぞ、怪我をされなかったものだ。歌舞伎界のためにも高麗屋の強運に感謝したい。そこで、
ちょっと横道。

その幸四郎が、来月、2018年1月の歌舞伎座の舞台から、二代目白鸚を名乗る。新しい
十代目幸四郎は、染五郎が名乗る。先日、東京の帝国ホテルの孔雀の間で開かれた高麗屋三
代同時襲名披露の祝賀会に私も出席して、会場内の、いわば「お練り」の際、幸四郎、染五
郎のお二人に直接祝意を述べてきたが、37年ぶりの三代同時襲名披露は、歌舞伎史上でも
珍しいことだから、歌舞伎ファンは、皆、ご同慶の至りだろう。前回の高麗屋三代同時襲名
(初代白鸚、九代目幸四郎、七代目染五郎)は、1981年であった。

今回の祝賀会の席上、挨拶に立った染五郎は、「幸四郎は一人です」と、宣言していたの
が、とても印象に残っている。代々の幸四郎は、来月、10人目が生まれるが、代々は、時
空的には、絶えず、一人しかいないということである。
十代目幸四郎は、九代目の背中を見て己を育んできたが、これからは、自分では見えない己
の背中にも気を配って、十代目を育んでいかなければならないというわけだ。十代目の精進
を今後とも期待し、応援して歌舞伎を楽しみたい。

贅言の贅言;折角だから、「市川」染五郎から「松本」幸四郎への系譜を整理しておこう。実
は、松本幸四郎と市川團十郎の系譜の方が興味深いので、こちらも。いずれにせよ、18年
1月、2月の歌舞伎座での高麗屋三代同時襲名の劇評の際に改めて詳しく書くことにして、
ここでは、以下のように、系譜のみをコンパクトにスケッチするだけに留めておきたい。

1)市川染五郎の系譜

初代「市川」染五郎→二代目市川高麗蔵→四代目「松本」幸四郎。

二代目、三代目の市川染五郎は、その後、大きな名跡は継がなかった。

四代目:(初代)「市川」金太郎→四代目市川染五郎→八代目市川高麗蔵→七代目松本幸四
郎。(四日市出身)
四代目市川染五郎から高麗蔵を経て松本幸四郎へという襲名の流れができたか。初代市川染
五郎の襲名歴が雛型になっているか。

五代目:四代目市川染五郎の次男。五代目市川染五郎→八代目松本幸四郎→初代松本白鸚。
1981年。初めての三代同時襲名。五代目市川染五郎以降は、高麗蔵名義が、松本幸四郎
襲名の流れから外れる?

六代目:五代目市川染五郎の長男。二代目「松本」金太郎→六代目市川染五郎→九代目松本
幸四郎→二代目松本白鸚(18年1月襲名予定)。二度目の三代同時襲名。

七代目:六代目市川染五郎の長男。三代目松本金太郎→七代目市川染五郎→十代目松本幸四
郎(同じく予定)

八代目:七代目市川染五郎の長男。四代目松本金太郎→八代目市川染五郎(同じく予定)。

2)松本幸四郎の系譜。初代からざっと300年が経つ。

初代松本幸四郎。市川團十郎の門人。弟子筋という。松本小四郎から幸四郎へ。

二代目松本幸四郎→四代目市川團十郎→二代目松本幸四郎→三代目市川海老蔵。初代松本幸
四郎の養子であるが、二代目市川團十郎の実子ともいう。市川團十郎の弟子の松本幸四郎だ
が、二代目松本幸四郎は、市川宗家一門の役者の中で、存在感を 増したことだろう。

三代目松本幸四郎→五代目市川團十郎→市川蝦蔵。二代目の実子。この当時は、松本幸四郎
から市川團十郎襲名への流れもあった。

四代目松本幸四郎。初代市川染五郎。二代目市川高麗蔵を経て、松本幸四郎襲名。この人か
ら市川から松本幸四郎へという流れに独自性を強めたように思われる。ただし、市川宗家の
名字を大事にして、市川染五郎を通過して、松本幸四郎襲名へと名乗るプロセスを大事にし
たのではないか。

五代目松本幸四郎。四代目松本幸四郎の実子。三代目市川高麗蔵から襲名。「鼻高幸四郎」
の愛称があった。

六代目松本幸四郎。五代目松本幸四郎の実子。五代目市川高麗蔵から襲名。

七代目松本幸四郎。(四日市出身)
四代目市川染五郎、八代目市川高麗蔵から襲名。十一代目市川團十郎(長男)、八代目松本幸
四郎(次男)、二代目尾上松緑(三男)の実父。

八代目松本幸四郎。七代目松本幸四郎の次男。初代松本白鸚。五代目市川染五郎から直接襲
名。高麗蔵襲名を経ない。

九代目松本幸四郎。八代目松本幸四郎の長男。次男は、中村吉右衛門。18年1月の歌舞伎
座公演以降、二代目松本白鸚(予定)。六代目市川染五郎から襲名。
十二代目市川團十郎が病没し、十三代目市川團十郎という名跡が空席となっている中で、歌
舞伎界での松本幸四郎の存在感は大きくなったのではないか。市川團十郎宗家との代々の所
縁からすれば、この時期、團十郎の不在を埋められるのは、九代目松本幸四郎は実力的にも
相応わしいように思える。

十代目松本幸四郎(予定)。九代目松本幸四郎の長男。七代目市川染五郎から襲名。松本幸四
郎という名跡が若返ったことで、幸四郎という名跡も中堅役者グループの中に戻り、改め
て、同世代の中堅役者の一人として新たな魅力を身につけて改めて頭角を現してくるのを期
待したい。

さて、この劇評の本筋。今月の演目「実盛物語」の愛之助である。愛之助は、伯父の仁左衛
門に指導を受けたというだけに、目を瞑って、彼の科白回しを聞いていると、そこからは、
時々、仁左衛門の顔が浮かんでくることがある。まず、仁左衛門そっくりに演じることが、
彼の当面の目標だろう。

「実盛物語」は、並木宗輔ほかによる合作「源平布引滝」の三段目に当る。源平の争いが続
く中、平治の乱に敗れた源義朝の弟・木曾義賢の妻・葵御前(笑三郎)は、懐妊中の身で、
琵琶湖畔の百姓・九郎助(松之助)宅に匿われているが、葵御前のことを訴え出る者があ
り、平家方の斉藤別当実盛(愛之助)と瀬尾十郎(片岡亀蔵)が、詮議に赴いて来た。厳格
に調べを進めようとする瀬尾十郎と源氏の恩を忘れずに、葵御前をなんとか見逃そうとする
斉藤別当実盛の対比が、芝居の縦軸となる。こういう配役を見ても、いまの歌舞伎界は、中
堅どころが不足していることが判る。九郎助を演じた松之助は、脇役のベテランで、味を出
している。ほかの役者は、主役の愛之助を含めて、従来の中堅役者から見れば、粒が小さ
い、という印象が拭えなかった。

この狂言の本質は、「SF漫画風の喜劇」である。主人公は、実盛ではなく、太郎吉(後
の、手塚太郎)であり、実盛は、まさに、「物語」とあるように、ものを語る人、つまり、
ナレーター兼歴史の証人という役回りである。

ここでは、「平家物語」の逸話にある「実盛が白髪を染めて出陣した」ことの解明が、時空
を超えて、試みられている。母の小万(門之助)が実盛に右腕を切り取られて、亡くなった
と知った太郎吉は、幼いながらも、母親の仇を取ろうと実盛に詰め寄る。実盛は、将来の戦
場で、手塚太郎に討たれようと約束する。そういう眼で見ると、歴史の将来を予言する「実
盛物語」は、まさに、SF漫画風の喜劇ということになる。小万が、実は、百姓・九郎助と
小よし夫婦の娘ではなく、瀬尾十郎の娘であり、太郎吉は、瀬尾にとって、「孫」に当たる
という「真相」も、漫画的である。

贅言;孫・太郎吉の手柄にと瀬尾十郎が事実上自害する場面で、死への瞬間を前回見た瀬尾
役者の亀鶴が、その場で「トンボ」を返ってみせたのには、驚いた。この時まで、こういう
死の場面を観たことがなかったからだ。今回の片岡亀蔵も同じように演じてくれた。これ
は、「平馬(へいま)返り」(片膝で前方にトンボを返って一瞬で首が飛んだようだ見せる
演出)という。御曹司育ちでなく、若い頃は、トンボも切るような修行をした役者たちがこ
ういう場面で力を見せてくれる、というのは実に良い感じがした。


中堅若手の「土蜘」


「新古演劇十種」のうち「土蜘」は、8回目の拝見。「新古演劇十種」とは、五代目菊五郎
が、尾上家の得意な演目10種を集めたもの。團十郎家の「歌舞伎十八番」と同じ趣向。能
の「土蜘」をベースに明治期の黙阿弥が五代目菊五郎のために作った舞踊劇。1881(明
治14)年、新富座で初演。黙阿弥の作劇術の幅の広さを伺わせる作品。

この演目は、日本六十余州を魔界に変えようという悪魔・土蜘対王城の警護の責任者・源頼
光とのバトルという、なにやら、コンピューターゲームや漫画にありそうな、現代的な、そ
れでいて荒唐無稽なテーマの荒事劇。「凄み」がキーポイント。

私が観た主役の僧・智籌(ちちゅう)、実は、土蜘の精は、合わせて7人。菊五郎(2)、
孝夫時代の仁左衛門、團十郎、吉右衛門、襲名披露の演目に選んだ勘九郎、橋之助。そし
て、今回は松緑。尾上家の「家の芸」という割には、私が観た8回では、音羽屋系は菊五郎
と今回の松緑の2人で3回と控えめ。

前半(前シテ)。病が癒えたばかりの源頼光(彦三郎)が見舞いに来た平井保昌(團蔵)と
対面する。頼光の太刀持・音若は、松緑の長男、左近が勤める。保昌が引っ込むと、侍女の
胡蝶(梅枝)が、薬を持って出て来る。暫く外出が出来なかった頼光は、胡蝶に都の紅葉の
状態を尋ねる。

「その名高尾の山紅葉 暮るるも しらで 日ぐらしの……」。舞に合わせて、あちこちの
紅葉情報を物語る胡蝶。穏やかな秋の日が暮れて行く。やがて、夜も更け、闇が辺りを敷き
詰める頃あい、頼光は、俄に癪が起こり、苦しみはじめる。

そこを図ったように、比叡山の学僧と称する僧・智籌(松緑)の出となる。花道のフットラ
イトも付けずに、音も無く、不気味に、できるだけ、観客に気づかれずに、花道七三まで行
かねばならない。智籌は、頼光の病気を伝え聞き、祈祷にやって来たと言う。隙があらば頼
光に近づこうとする智籌の影を見て、異形のものを覚った頼光太刀持ちの音若が、声も鋭く
智籌を制止し、睡魔に襲われていた頼光を覚醒させる。左近が好演。口跡も良く、科白もし
っかりしている。

正体を暴かれて、二畳台に乗り、数珠を口に当てて、「畜生口の見得」をする松緑の智籌。
本性の顕現。「千筋の糸(蜘蛛の糸)」を投げ捨てるなど魔性を暴露しながらの立ち回り。
金剛流秘伝の魔術の糸だが、絵になる場面が続く。私が見ていた時で、一度だけ、右手で
「千筋の糸(蜘蛛の糸)」を投げようとしたが、なかなか飛び出てこず、3回ほど同じ所作
を繰り返した後、やっと糸が飛び出た。

その後、頼光襲撃に失敗した智籌は無念の思いを抱いたまま花道へ。花道スッポンから一旦
退場。

間(あい)狂言。初演時には無く、再演時から追加された。四拍子の人たち7人が、それま
で正面を向いていたのに、下手側の太鼓など2人は上手を向き、上手側の残りの5人は下手
を向いた。間狂言の間は、こういう形で演奏していた。間狂言が終わると、元のように全員
が正面、客席を見るように座り直していた。

この間狂言は、能の「石神」をベースにしたもの。下手より番卒の太郎(権十郎)、次郎
(片岡亀蔵)、藤内(坂東亀蔵)。花道より巫子の榊(新悟)の登場。石神、実は小姓四郎
吾は、彦三郎の息子、亀三郎の出演。この間に、松緑は、後シテのための化粧を施し、衣装
をつけていることだろう。そして、下手の鏡の間で、「引き回(ひきまわし。蜘蛛の巣の張
った「古塚」を擬している作り物)」の中には入るだろう。

後半(後シテ)。二畳台を上手から中央へ移す。下手から「引き回」を後見たちがそろりそ
ろりと運んで来る。中にいる松緑は足元を見せないように中央の二畳台まで移動し、台に乗
らなければならない。身動きできず、不自由だろうし、見えにくい、歩きにくい。紙で出来
た蜘蛛の巣を破ってもいけない。後で、一気に破ってみせなければならないからだ。気を使
う場面だ。やがて、保昌(團蔵)らが古塚を暴くと、中から、茶の隈取りをした土蜘の精
(松緑)が現れ出て来る。松緑は無事、紙の蜘蛛の巣を破って、飛び出して来た。

千筋の糸を何回も、何回も(私が数えたところでは、前半と後半で、8回)まき散らす土蜘
の精。頼光の四天王(松江、萬太郎、橘太郎、弘太郎)や軍兵との立ち回り。歌舞伎の様式
美溢れる古怪で、豪快な立回りである。能と歌舞伎のおもしろさをミックスした明治期の黙
阿弥が作った松羽目舞踊の大曲。この演目の配役は、中堅、若手なりにバランスが取れてい
たように思う。
- 2017年12月16日(土) 22:10:43
17年11月歌舞伎座(夜/「仮名手本忠臣蔵〜五、六段目」「新口村」「大石最後の一
日」)


顔見世月の豪華な配役:吉右衛門、菊五郎、仁左衛門、藤十郎、幸四郎


今月の歌舞伎座は、顔見世月の豪華な配役ということで、昼の部の吉右衛門、菊五郎に続
き、夜の部は、仁左衛門、藤十郎、幸四郎。しかも、幸四郎は、最後の幸四郎として、この
一月を勤めている。師走を超えて、新年の正月ともなれば、幸四郎という名跡は、十代目と
して息子の染五郎に譲り渡される。本人は、父親の晩年の名前を受け継ぎ、二代目白鸚を名
乗る。染五郎の名前は、息子の金太郎が、八代目として継承する。歌舞伎座の新年1、2月
は、高麗屋三代の一世一代、どころか、三世三代同時の大襲名披露興行の展開となる。高麗
屋は、1981年、初代白鸚、九代目幸四郎、七代目染五郎と、歌舞伎界で初めてと言われ
る親子孫三代の同時襲名披露をしていて、今回は、これに続く慶賀である。2018年は、
歌舞伎座開場130年目(歌舞伎座は、1889年開場)へ繋がる年でもある。


仁左衛門が演じる勘平の「鬱」


「仮名手本忠臣蔵〜五、六段目」は、上方歌舞伎の味を滲み出す仁左衛門の主演である。仁
左衛門の勘平を観るのは、私は2回目。06年10月・歌舞伎座で、「仮名手本忠臣蔵〜五
段目、六段目」を同じく仁左衛門で観ている。11年前との違いは、なに?

今年の10月は、国立劇場公演、鶴屋南北原作「霊験亀山鉾」で、仁左衛門は、敵討ちの返
り討ちを繰り返す極悪人、藤田水右衛門と小悪党の古手屋八郎兵衛、実は、隠亡の八郎兵衛
の二役を演じた。「純粋悪」を抽出するような芝居であった。そして、11月は、歌舞伎座
の「仮名手本忠臣蔵〜五段目、六段目」の勘平」を演じ、義父殺しの不安で鬱状態になって
いる様を見せる。仁左衛門の演じる「鬱」とは、10月の25日間、同じ人物、それも返り
討ちを平気で繰り返すような役柄を毎日演じていて、かなりストレスが溜まったのではない
か、という私の推測である。11年前の06年10月の前月、つまり、9月の歌舞伎座は、
秀山祭だから、吉右衛門の出演月。従って、仁左衛門は歌舞伎座には出ていない。ほかの劇
場の出演状況は、今ここでは判らないが、勘平を演じる前の月に多分、今回のような極悪人
を演じてはいなかっただろう。だとすれば、仁左衛門の勘平の鬱の演技は、11年前と今回
では大きく違うのではないか、とだけ指摘しておこう。極悪人への反動? として、鬱の演
技が深まる、ということにならないのか。

仁左衛門は、当代の歌舞伎役者の中でも、特に安定した演技力を持ち、更に、華のある役者
である。私の好みでいえば、立役では、順不同ながら、現役では、仁左衛門、吉右衛門、菊
五郎、幸四郎あたり、残念ながら近年、亡くなってしまった人では、團十郎、富十郎、勘三
郎あたりである。また、女形では、玉三郎、藤十郎(鴈治郎時代を含む)、時蔵あたり、こ
ちらも、残念ながら近年、亡くなってしまった人では、雀右衛門、芝翫あたり。

立役の中でも、仁左衛門は、華があるが、吉右衛門は、情味がある。團十郎は、素顔を拝見
したことがあるが、オーラがあった。勘三郎は、滑稽味、温かみがあったなど、それぞれ、
持ち味に違いがある。その、華のある立役が、勘平を演じる。仁左衛門歌舞伎である。

早野勘平は、いくつかの実在の赤穂所縁の人物をモデルにして、造型されているという。赤
穂浪士の盟約に参加しながら、仕官をすすめる父親との板挟みで、自殺した「萱野三平」。
「勘平」という名前は、「横川勘平」から借用した。遊女と心中した「橋本平左衛門」のイ
メージも、利用した。さらに、内匠頭の近習・磯貝十郎左衛門(昭和初期の新歌舞伎「元禄
忠臣蔵」の「大石最後の一日」に出てくる。今月の夜の部では、染五郎が演じる)のイメー
ジも重なる。「仮名手本忠臣蔵」の先行作品の数々で、似たような役どころで登場する人物
の、役名を辿れば、「橋本平内」「吉野勘平」「早野勘平」などと知れる。

早野勘平は、「仮名手本忠臣蔵」三段目の「足利館」で登場する。腰元・おかると逢引し、
茶屋(いまなら、ラブホテルか)へ。「足利館殿中松の間の場」での刃傷事件を挟んで、
「足利館裏門の場」では、足利館の館内から喧噪が聞こえる中、勤務放棄の逢引から急いで
戻った勘平(竹本:走り帰って裏御門、砕けよ破(わ)れよと打ち叩き、大音声)は、狼狽
えて、「主人一所懸命の場に有り合わさず」「武士は廃ったわやい」と「切腹せんとする」
が、おかるに「その狼狽武士には誰がした。皆私が」と諌められ、その場での切腹を思いと
どまって来ただけで、おかるの実家に落ち着いてからも、自刃志向を秘めたままで、不安定
な精神状態にある。それが勘平の「鬱」の中身である。

そして、「忠臣蔵・勘平編」が、「五段目、六段目」である。斧定九郎(染五郎)という、
もう一人の魅力的な傍役を線香花火のごとく効果的に登場させるなど、歌舞伎の美意識を重
視した場面展開となる。定九郎が、初代中村仲蔵の工夫魂胆で、今のような黒のイメージを
強調した扮装(「五十日」の鬘、斧のぶっちがいの五つ紋の黒小袖の単衣、博多献上の帯、
尻端折りに、蝋色黒柄の大小落し差し、全身白塗り)で登場するなら、主役を張り、長丁場
を仕切る勘平(仁左衛門)は、「五段目」で、格子柄の着付けに蓑を付けた猟師姿で登場
し、「六段目」では、帰宅した後、鮮やかな浅葱色の紋服に着替えるなど、地味、派手の対
照の美で、観客を魅了する。勘平の鉄砲で討たれた定九郎が、口に含んだ血袋を噛み切っ
て、口から血を流し、白塗の右足に血を垂らすなら、切腹をした勘平は、「色に耽ったばっ
かりに、大事の場所にも居り合わさず」(三代目菊五郎の「入れ事」)と言いながら、血の
手形を右頬に付ける。仁左衛門は、そういう「江戸型」(五代目菊五郎が完成させた)をベ
ースに、細部(例えば、着替えの段取りなど)では、上方型を織りまぜて、松嶋屋の味を滲
み出させている。「私の勘平は大体が十五代目(市村羽左衛門)さんの型ですが、上方の義
太夫狂言の雰囲気を出すようにしています」(歌舞伎座筋書より)、と仁左衛門は語る。染
五郎の定九郎は、本興行では、今回が、初役。

「仮名手本忠臣蔵〜五段目、六段目」は、また、ミステリー小説のような趣がある。おかる
(孝太郎)の父親・与市兵衛(山左衛門)が、定九郎に殺され、懐の五十両の入った縞の財
布が盗まれるが、勘平は、雨の降る暗闇の中、猪と間違えて定九郎を撃ち殺し(義父の仇を
討ち)、懐の五十両の入った縞の財布を盗む(取り戻す)。その二重性は、舞台を観ている
観客には、判るものの、舞台では、前半、表向きの展開で終始し、勘平切腹まで行き、後
半、与市兵衛の遺体を改めた千崎弥五郎(彦三郎)が、致命傷は刀傷と判定し、勘平の冤罪
が晴れるという仕掛けになっている。こうした展開の中、仁左衛門の勘平は、徐々にではあ
るが、三段目で、心底に芽生えた「自刃志向=滅びの美学」に絡め取られて、鬱々としなが
ら滅んで行くのである。

こういう主人公の「滅びの美学」を際立たせているのが、実は、18世紀半ばの初演の頃
は、まさに、名もない老女であったおかや(上村吉弥)の役廻りなのである。与市兵衛の女
房、おかるの母の、この老女は、本文では、名無しであったという。以前は、「お宮」と言
ったそうだが、明治以降、「金色夜叉」の「お宮」に遠慮をして、「おかるの母→おかや」
という連想で、「おかや」になったらしい。だが、このおかやは、滅びの美学の対極にあ
り、実に生々しい存在だ。夫・勘平を助けるため、遊廓に売られて行く娘・おかるとの別れ
を悲しむ。殺されて、遺体となって運ばれて来た夫・与市兵衛の死を歎く。夫が、婿・勘平
に殺された可能性が濃くなると、勘平を激しく攻める。義理の息子でも血が繋がっていない
からなのか、本当に激しく攻める。日頃から、気に入らない婿だと思っていたのだろう。そ
のくせ、勘平の冤罪が晴れると、死に行く勘平を後ろから抱きかかえ、勘平の両手を合掌さ
せ、「愁いの思入れ、勘平落ち入る」で、幕まで引っ張るのである。夫と娘と娘婿の4人家
族という与市兵衛の家庭は、百姓の家に、百五十石の侍の婿が来たことから、実は、悲劇が
始まっている。身分違いを意識して、義理の父母と意志が充分に疎通しない。そういう基盤
の上に悲劇が襲いかかる。悲劇の大波で、夫と婿が死に、娘は、身売りされて出て行ってし
まい、そして、老母は、一人、取り残されてしまう。もう、若くもない。途方に暮れる暇も
なく、皆を見送る。それでいて、おかやの強かな、生々しい情動が、絶えず、勘平の「滅び
の美学」を際立たせているというのが、判る。むずかしい役だ。上方歌舞伎の系統の三吉
屋・上村吉弥は、本来美形の女形である。その美貌を老け女形に塗り込めて、難しい役をつ
つがなく演じていたと思う。むずかしい役を無難にこなしていて、脇役の女形として、この
人の着実な成長ぶりをうかがわせる。

贅言;「六段目」で、女形陣で重要なのは、おかるではなく、おかるの母であり、与市兵衛
の妻であるおかやではないか、というのは私の以前からの持論である。勘平に切腹を決意さ
せるのは、与市兵衛を殺したのは、勘平ではないかと疑い、勘平を激しく攻め立てたおかや
のせいである。そういう他人(勘平は、娘婿という他人である)の人生に死という決定的な
行為をさせるエネルギーが、おかやの演技から迸らないと、この場面の芝居は成り立たな
い。「六段目」では、おかやには、勘平に匹敵する芝居が要求されると思う。「お疑いは、
晴れましたか」という末期の勘平が言う科白は、おかやに対して言うのである。そう思っ
て、何回もこの場面を見てきたが、今回の仁左衛門は、元家中の同志、千崎弥五郎と不破数
右衛門の二人に向かって、「ご両者、お疑いは、晴れましたか」と明確にそう問いかけてい
たが、ここは、やはり、いちばん疑り深かったおかやに向かって言うべきだろう、と思う
が、いかがであろうか。

さて、最後に役者論を付け加えよう。仁左衛門は、叮嚀な勘平であった。科白は、「五十
両」の一言しかない染五郎の定九郎も、先人たちが洗練して来た黒の美学をきちんと受け継
いで、凄みの効いた味があった。歌舞伎座では、初演という孝太郎のおかるは、父親の仁左
衛門と息もピッタリ。仁左衛門との呼吸も充分マッチさせて情愛を滲ませる。二人は、夫婦
であって、夫婦ではない。つまり、恋人以上女房以前。初々しい男女の仲。おかるの身を引
き取りに来た一文字屋お才を演じた松嶋屋次男の秀太郎(仁左衛門は、松嶋屋三男)。「私
はいつも上方の女として、それなりの上方訛りでやらせていただいています。あくまでも京
のおかみさんらしい雰囲気で」(歌舞伎座筋書より)、と秀太郎は語る。お才と同行して来
た判人(女衒)の源六役の松之助は、いつも通りの熱演で、脇役としての存在感があった。
脇には、こういう役者が欠かせない。勘平切腹という悲劇の前の、笑劇(ちゃり)という対
比の演出を際立たせていた。


「新口村」の忠兵衛、静止画のような坂田藤十郎


「恋飛脚大和往来 新口村」は、私は8回目の拝見。そのうち、3回は、孝雄時代を含め仁
左衛門が、忠兵衛と父親の孫右衛門の早替りという趣向であった。藤十郎の忠兵衛は、今回
含めて、3回。ほかに、染五郎、愛之助。梅川は、孝太郎(2)、玉三郎、雀右衛門、時
蔵、福助、壱太郎、そして今回は、扇雀。孫右衛門は、仁左衛門(4、内、早替りは3)、
歌六(今回含め、2)、我當、橘三郎。

花道には、白い雪布が敷き詰められている。定式幕が開くと、まず、浅葱幕が、舞台を覆っ
ている。振り落としで、「新口村」となる。本舞台中央に、ご両人。梅川忠兵衛の二人。茣
蓙で人目と雪を遮って、立っている。背景は、密集した林の枝に雪がみっちりと積もってい
る。いつもより、山深い地に来たように見える。

この場面、ずうっと雪が降り続いているのを忘れてはいけない。梅川が、「三日なと女房に
して、こちの人よと」請願した希望の地、忠兵衛の父親が住む在所である。忠兵衛の知り合
いの百姓・忠三郎の家の前。雪の中、一枚の茣蓙で上半身を隠しただけの、男女が立ってい
る。黒御簾からは、どおん、どおんと、大間に太鼓の音が聞こえて来る。雪音だ。天井から
雪が降って来る。

ふたりの上半身は見えないが、「比翼」という揃いの黒い衣装の下半身、裾に梅の枝の模様
が描かれている(但し、裏地は、梅川は、桃色、忠兵衛は、水色)。衣装が派手なだけに、
かえって、寒そうに感じる。やがて、茣蓙が開かれると、梅川(扇雀)と忠兵衛(藤十
郎)。絵に描いたような美男美女。二人とも「道行」の定式どおりに、雪の中にもかかわら
ず、素足だ。足は、冷えきっていて、ちぎれそうなことだろう。茣蓙を二つ折り、また、二
つ折りと鷹揚に、二人で、叮嚀に畳み、百姓屋の納屋にしまい込む。梅川の裾の雪を払い、
凍えて冷たくなった梅川の手を忠兵衛が息で暖め、己の懐に入れ込んで温める。忠兵衛を直
接知らない百姓家の女房(鴈成)に声を掛け、不在の夫・忠三郎を迎えに行ってもらう。家
の中に入る二人。

贅言;家の中に入るまで、扇雀の梅川は動きがあるが、藤十郎の演じる忠兵衛は、ほとんど
動かない。静止画のような場面が、何度か繰り返される。なぜだろう? 他の役者が演じる
忠兵衛でも同じだっただろうか。いや違う、と思う。そういえば、9月の歌舞伎座、「道
行 旅路の嫁入」で、藤十郎が戸無瀬を演じた時も、藤十郎は、静止画のように止まってい
る場面が目につき、動きが鈍かったのではなかったか。

「道行 旅路の嫁入」。幕が開くと、舞台は、全面松林。人影はない。上手に竹本と三味線
が4連。暫く、舞台無人で演奏。松林の大道具が、左右に引かれると、舞台中央には富士
山。「セリ」に乗って、紫の衣装の道中着をまとった戸無瀬(藤十郎)とピンクの衣装の小
浪(壱太郎)が上がってくる。藤十郎は、セリに乗って本舞台に上がってきたのだった。そ
の後の藤十郎の足の運びも、鈍かったのを覚えている。静止画のようなポーズをとる場面
が、目に付いた。何か、共通する原因があるのかどうか。

「新口村」。やがて、花道から歌六の孫右衛門登場。逃避行の梅川・忠兵衛は、直接、孫右
衛門に声を掛けたくても掛けられない。百姓家の窓から顔を出す二人。ところが、本舞台ま
で来た孫右衛門は、雪道に転んで下駄の鼻緒が切れる。あわてて飛び出す梅川。見慣れぬ美
女が、懇切に世話をするので、息子の封印切り事件を知っている父親は女が息子と逃げてい
る梅川と悟る。忠兵衛の代りに、「嫁の」梅川が父親の面倒を見る。梅川と孫右衛門のやり
とりを家の中から障子を開けたり、締めたりしながら、様子を窺うことで、父親を目前にし
て落ち着かない忠兵衛の心理が浮かび上がる。寺に寄進する予定だった金を「嫁」に逃走資
金として渡す義理の父親。

「めんない千鳥」(江戸時代の子供の遊び。目隠しをした「鬼ごっこ」のこと)で、目隠し
を使って、梅川は、外に飛び出した忠兵衛と孫右衛門を会わせる。目隠しも梅川が外してあ
げて、親子の対面。家の裏から逃げよと父親が言う。二人が百姓家の中に改めて入ると、や
がて、雪深い林の書割がふたつに割れて、
舞台下手に雪の遠見と街道が透けて見える。いつもなら、百姓家の屋体は、物置ごと舞台上
手に引き込まれるが、今回は、こういう趣向だったから、百姓家の周りが雪深い密集した林
だったのだと判る。

舞台は次へ、展開。百姓家の横側、竹林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見
に替わる。黒衣に替わって、白い衣装の雪衣(ゆきご)が、舞台奥からすばやく出て来て、
本舞台に残った道具(孫右衛門が使っていた茣蓙と椅子)を片付ける。逃げて行く梅川・忠
兵衛は、上手奥から再び姿を現す。子役の遠見を使わず、扇雀と藤十郎のまま。霏々と降る
雪。雪音を表す「雪おろし」という太鼓が、どんどんどんどんと、鳴り続ける。さらに、時
の鐘も加わる。憂い三重。竹林の向こうを通って、舞台上手から下手へ進んだ後、下手から
上手へスロープを上がってさらに奥へ行く二人。白黒、モノトーンの世界に雪が降り続く。
孫右衛門がよろけると、木の上に積もっていた雪が落ちる。孫右衛門も、鼻緒の切れた下駄
を梅川に紙縒りで応急措置をしてもらったが、結局履かずに素足のまま。逃げる方も逃がす
方も、素足で我慢。

藤十郎は、梅川も忠兵衛も演じて来た。今回は、息子の扇雀の梅川と初共演。扇雀も、「新
口村」の梅川は、初役だという。歌六の孫右衛門役は、2回目。上演時間は、1時間あま
り。


「大石最後の一日」、幸四郎最後の「一月」


「大石最後の一日」は、生真面目な科白劇。ほとんど男ばかりのドラマである。私は今回
で、7回目の拝見。私が観た大石内蔵助は、今回含めて、幸四郎で5回、吉右衛門で2回観
ている。磯貝十郎左衛門は、信二郎時代も含めて錦之助(3)。染五郎(今回含め、3)。
歌昇時代の又五郎。相手役のおみのは、孝太郎(2)、芝雀時代の雀右衛門(2)、時蔵、
福助、そして今回は、児太郎(病気休演中の福助の長男)。芝居は、真山青果の緻密な科白
劇。

暗転で開幕。緞帳が上がると「芝高輪細川家中屋敷下の間」。新歌舞伎らしく緞帳の下げ、
上げで、場面展開。「同 詰番詰所」。暗転、明転で、「同 大書院」「同 元の詰番詰
所」という構成。

吉良邸への討ち入りから、一月半ほど経った、元禄十六年二月四日。江戸の細川家には、大
石内蔵助ら17人が、預けられ、幕府の沙汰を待つ日々を過ごしている。身の処し方は、公
義に預けているので、執行猶予の、モラトリアムな時間を過ごしている。下の間と廊下の境
となる障子に人の影が映っている。廊下をうろついている。やがて、障子を開けて、下の間
に入って来る。幸四郎の大石内蔵助。

浪士たちが着ている鼠色の無地の着物と帯は、恰も、「囚人服」のような味気なさ。ほかの
浪士たちが、綺麗に月代を剃っているのに、大石内蔵助(幸四郎)だけは、「伸びた月代」
である。皆のことに気を配り、世間に気を配り、幕府に気を配るリーダーの真情と苦労が、
あの「伸びた月代」だけでも、うかがい知れる。幕府の上使・荒木十左衛門(仁左衛門)か
ら切腹の沙汰が下るという告知を受けるとともに、さらに、浅野内匠頭切腹の際には、お咎
め無しだった吉良上野介側も、息子の流刑とお家断絶の情報も、役目を離れて、上使からも
たらされる。大石内蔵助は、「ご一同様、長い月日でござりましたなー」と同志たちへ。ま
た、上使の荒木十左衛門には、「日本晴れの心地(ここち)でござりまする」と、思い入れ
たっぷりの科白をきっぱりと言う。

この芝居は、どういう人生を送って来ようと、誰にでも、必ず訪れる「人生最後の一日」の
過ごし方、という普遍的なテーマが隠されているように思う。例えば、癌を宣言され、残さ
れた時間をどう使うか。あす、自殺しようと決心した人は、最後の一日をどう過ごすのか。
つまり、人間は、どういう人生を送り、どういう最後の日を迎えるか。原作者の真山青果
は、それを「初一念」という言葉で表わす。それは、大石内蔵助の最後の日であるととも
に、ほかの浪士たちにとっても、最後の日である。さらに、芝居は、死に行く若い浪士、磯
貝十郎左衛門(染五郎)とおみの(児太郎)の恋の「総括」を絡めて描いて行く。

その一日を、最後の一日と思わずに、恋しい未来の夫の真情をはかりたいと若い女が、小姓
姿で、細川家に忍んで来る。吉良邸内偵中の磯貝十郎左衛門と知り合い、婚約したおみので
ある。おみのは、その一徹な気性から細川家を浪人した乙女田杢之進のひとり娘であった。
結納の当日、姿を消した十郎左衛門にとって、自分との婚約は、内偵中の、「大志」のため
に利用した策略だったのか、それとも、ひとりの女性への真情だったのか。思い迷う娘は、
男心を確かめたくなったのである。大石内蔵助は、男の心を確かめようとする、そういう女
心を嫌い、また、若い十郎左衛門に心の迷いを起こさせないようにと、おみのを十郎左衛門
に逢わせることを、一度は、拒絶する。小姓が若衆ではなく、女だと内蔵助に見抜かれた
後、一瞬にして、歌舞伎の女形の演じる「女」に変貌する場面が、見応えがある、と思う。

「偽りを誠に返す」というおみのの言葉に感じ入った大石内蔵助の計らいで、「夫」・磯貝
十郎左衛門との対面を果たし、男の真情を察知した「妻」・おみのは、お沙汰が下り、切腹
の場へ出向く「夫」に先立ち、自害して果てる。女の心情が哀しい。

これは一種の殉死であろう。男女の相対死は、やはり、ともに死ななければならない。おみ
のと十郎左衛門の死は、十郎左衛門の死に殉ずるおみのの「殉死」という解釈が、正しいだ
ろう。つまり、青果は、大石内蔵助らが、侍の心で、殉死したと考えたように、それへの伏
線として、おみのの十郎左衛門への「殉死」を印象づけることで、大義の忠臣たちの「殉
死」を際立たせたのではないか。「仮名手本忠臣蔵」に、おかる勘平のものがたりがあるよ
うに、「元禄忠臣蔵」には、おみの十郎左衛門のものがたりがある。「大石最後の一日」
は、1934(昭和9)年2月に歌舞伎座で初演されている。戦時色に染まっていない訳が
ない。

やがて、大石内蔵助たちは、自害の場となる細川家の庭に設えられた「仮屋」へと花道を歩
んで行く。薄暗い花道横は、黄泉の国への回路であった。

贅言;ところで、冒頭触れたことを再述しておきたい。今回の幸四郎の大石内蔵助役は、九
代目幸四郎という名前で演じる最後である。11月25日(土)、夜の部の最終演目「大石
最後の一日」は、「幸四郎最後の一日」でもある。2018年1月から、幸四郎という名跡
は、十代目として染五郎に代わる。当代の幸四郎は、二代目白鸚となる。一行の最後に、大
石内蔵助を演じる九代目幸四郎は万感を込めて花道をゆっくりと歩いて行くことだろう。
- 2017年11月9日(木) 14:15:05
17年11月歌舞伎座(昼/「鯉つかみ」「奥州安達原」「雪暮夜入谷畦道」)


「染五郎本水にて立ち廻り相勤め申し候」(「鯉つかみ」)



「湧昇水鯉滝(わきのぼるみずにこいたき) 鯉つかみ」は、初見だが、似たような芝居を
今年の1月に新橋演舞場(昼)で観た。「雙生(ふたご)隅田川」。この演目は、この時、
初見だった。「鯉つかみ」と「雙生隅田川」は、ストーリーも登場人物も別の物語だが、ラ
ストの場面だけ、同じ趣向である。「雙生隅田川」(近松門左衛門原作、1720(享保
5)年、大坂・竹本座初演)から趣向を借用した「鯉つかみ」は、156年後の1876
(明治9)年、大阪道頓堀の角の芝居で、初代右團次主演で初演された新歌舞伎だった。
「鯉つかみ」とは、鯉の精と戦う、いわば「鯉退治」という趣向の演目の総称だという。本
水を使い、暑気払い向けの趣向が受けて、「夏芝居」の演出法の一つとして、人気を呼ん
だ。

澤瀉屋一門の中堅どころの市川右近が、今年1月、上方の名跡、三代目右團次を継ぎ、一門
との距離感が若干変わる。屋号は、高島屋。合わせて、6歳の息子が二代目右近を継ぐこと
になり、初舞台を披露したのだった。三代目市川右團次、81年ぶりの右團次復活である。
初代右團次は、幕末期、河竹黙阿弥と組んで独自の舞台を見せた四代目小團次の実子。二代
目右團次は、養子。二人とも、葛籠抜けの「石川五右衛門」や早替りの「鯉つかみ」などケ
レン(外連)や仕掛けのおもしろさを見せる狂言を得意とした。二代目右團次は、「鯉つか
み」を1914(大正3)年、東京・本郷座で上演している。二代目右團次、最後の上演で
あった。

贅言;往年の時代劇映画のスターになった市川右太衛門は、二代目右團次の弟子で、右太衛
門の歌舞伎役者名は、市川右一、屋号は高島屋であった。生前に一度、市ヶ谷の自宅まで取
材に伺ったことがある。

その二代目右團次が得意とした早替りの「鯉つかみ」を高麗屋の染五郎が演じる。戦後の上
演記録を見ると、この演目が、歌舞伎座で上演されるのは、今回が初めて。今回の場割り
は、次の通り。第一場「市女ケ原蛍狩りの場」、第二場「竹生島沖洲の場」、第三場「釣家
下館の場」、第四場「大津布引の滝鯉退治の場」。絵葉書のような芝居だ。

主な登場人物は、滝窓志賀之助、実は鯉の精と本物の滝窓志賀之助を染五郎が二役で演じ
る。釣家息女・小桜姫(児太郎)、奴・浮平、実は鯉の精の眷属・蟹丸(廣太郎)、釣家家
老・篠村公光(友右衛門)、篠村妻・呉竹(高麗蔵)ほか。初見なので、あらすじを記録し
ておくが、志賀之助と小桜姫が恋仲。その小桜姫が乗った小舟が琵琶湖で流されてしまう。
竹生島沖で、小桜姫は滝窓志賀之助、実は鯉の精に助けられる。二人は、結ばれる。釣家で
は、無事に帰ってきた二人に祝言を挙げさせる。そこへ、本物の滝窓志賀之助が紛失してい
た家宝の龍神丸を探し出して、持ち帰ってきた。二人の滝窓志賀之助を巡る混乱。染五郎が
本物と偽物の志賀之助を早替わりしてみせるのが見せ場となる。染五郎と体型がよく似た役
者が吹き替え役として活躍する。染五郎→吹き替え(松竹発行の筋書きに名前は掲載されな
い)→染五郎が、本物の志賀之助になったり、偽物の志賀之助になったり、鯉の精になった
り、めまぐるしく替わる場面が、続くことになる。

志賀之助→(愛情)→小桜姫→(虚偽の愛情)→偽の志賀之助=鯉の精→(憎悪)→志賀
之助、という愛情と憎悪の不連続な連鎖が、基本サークルとなる。鯉の精は、先祖が釣家に
滅ぼされたとかで、恨みを抱いて釣家を滅ぼそうとしている。鯉の精は、小桜姫と龍神丸を
飲み込んで、逃げて行く。志賀之助は、大津布引の滝にある鯉の隠れ家(住処)へ向かい、
激しい立ち回りの末に、鯉の精を退治し、小桜姫を救出し、龍神丸を取り戻すというだけの
話である。

第一場「市女ケ原蛍狩りの場」は、暗転のうちに開幕。新歌舞伎らしい幕開け。琵琶湖畔の
市女ケ原。蛍狩りに興ずる釣家の腰元たちと家老の篠村妻・呉竹(高麗蔵)ら。薄暗い舞台
いっぱいに蛍火が幻想的に点滅する。花道を、小桜姫(児太郎)を乗せた小舟が通って行
く。道具幕振りかぶせで、場面展開。

第二場「竹生島沖洲の場」は、その幕が振り落とされて、小桜姫と滝窓志賀之助、実は鯉の
精(染五郎)のラブシーン。大道具せり上がりで、場面展開。

第三場「釣家下館の場」。家老の篠村(友右衛門)と妻の呉竹(高麗蔵)、小桜姫と滝窓志
賀之助、実は鯉の精。二人の祝言。館上手の障子の間での影による性愛場面、鯉の本性見顕
しなど。障子は、動画の格好のスクリーンになっている。古典歌舞伎を真似た演出の中に、
最新の技術が生きている。本物の滝窓志賀之助の帰宅。それに伴うトラブル。

第四場「大津布引の滝鯉退治の場」。滝窓志賀之助の鯉退治という立ち回りと早替わりのハ
イライト。廻る舞台が、本水を使いながら、滝壺が現れてくる。ドライアイスや本水を使っ
て、志賀之助と鯉、さらに鯉の精との大立ち回りが、滝の中で繰り広げられる。「染五郎本
水にて立ち廻り相勤め申し候」という次第。染五郎は、本舞台で上手から下手に移動する
「宙乗り」も披露。


「奥州安達原」重厚な吉右衛門「貞任」


「奥州安達原」のうち、よく上演されるのは、三段目「環宮明御殿の場」、通称「袖萩祭
文」で、これは、安倍貞任役、猿之助主演で、99年12月、歌舞伎座で拝見。16年前、
01年1月には、国立劇場で、「奥州外ヶ浜の場」、「善知鳥文治住家の場」、「環宮明御
殿の場」を通しで観た。吉右衛門の主演(萩袖と貞任の二役)であった。通しで観ると、良
く判るのだが、平安時代末期に奥州に、もうひとつの国をつくっていた安倍一族の物語。
「西の国・日本」から見れば、「俘囚の反乱」で、日本史では「前九年の役」と呼ばれた史
実を下敷きにしながら、そこは荒唐無稽が売り物の人形浄瑠璃の世界。史実よりも半二ら作
者の感性の赴くまま、換骨奪胎に自由に作り上げられる「物語の世界」。吉右衛門では、0
6年1月、歌舞伎座で、みどりの「奥州安達原」を観ている。「奥州安達原」は、今回で4
回目。私が観た安倍貞任を演じたのは、吉右衛門で3回、先代猿之助で1回であった。

さて、通称「袖萩祭文」(女の世界)、「環宮明御殿の場」(男の世界)。原作者近松半二
の舞台らしさが出てくる。上手、下手の舞台が対照的に作られている。下手は「白の世
界」、女の世界。上手は「黒の世界」、男の世界。下手は、白い雪布と雪の世界(贅言:舞
台天井の葡萄棚から落される四角い紙の雪片は、真直ぐには、落ちて来ないで、複雑な動き
をしながら、さまざまなコースを通って、落ちて来る様が、おもしろい。舞台と天井の隙間
に張り巡らされる黒い「一文字幕」には、雪片が、くっついていたりする。宙で停まった雪
片というシュールな世界も現出する)。上手は、上方風の黒い屋体(黒い柱、黒い手すり、
黒い階段)。

安倍貞任の妻・袖萩(雀右衛門)は、花道から本舞台に上がっても下手の木戸の外だけで終
始演技をする。芝居の前半は、袖萩の世界。つまり、女性が苦労する話。袖萩の悲劇的な要
素を、増幅するのが娘のお君。袖萩の祭文の語りとお君の踊り、さらに霏々と降り続く雪
が、愁嘆場の悲しみを盛り上げる。ここも、「お涙頂戴」の見せ場。白い雪の世界は、悲劇
の女性の世界。雪衣(ゆきご。普通なら、黒衣)も、こちらだけ登場する。上手木戸のうち
には、いつもの黒衣登場という、対照的な演出である。但し、後半、吉右衛門演じる安倍貞
任が、上手から下手へ出張ってきたときは、黒衣も付いて来たから、「厳密では無いらし
い」という風に、11年前、06年に見たときは思ったのだが、黒衣は役者に担当としてつ
くのかもしれないと、今回は思った。

普通は、袖萩が自害した後、安倍貞任登場となるので、ここは、先代の猿之助や当代の猿之
助がやるように、袖萩から安倍貞任へと、二役早替りの役どころでもある。私が観た16年
前、国立劇場の「通し」の時は、吉右衛門も二役をやっていた。

二役を別々に演じることが増えてきたことで、前半の女の愁嘆場と後半の男たちの対決の場
のメリハリが、いちだんとくっきりした。

贅言;前回の国立劇場の舞台では、吉右衛門の袖萩を観たが、三味線も含めて、袖萩の演技
は、先の猿之助の方が上だった。猿之助は、兼ねる役者だった。やはり、吉右衛門は立役の
役者だ。

後半、中納言、実は貞任(吉右衛門)は、今度は舞台中央から上手で「黒の世界」、「男の
世界」を貞任への「ぶっかえり」(正体を見破られて、衣装も黒=中納言から、白=貞任、
再び黒=中納言へと変化する)や、左手片手だけで刀を抜くことも含めて、武張って演じて
いた。又五郎の演じる弟・宗任(贅言:上手から最初に登場したときは、太い縄で縛られて
いる。その縄を舞台中央上手寄りに据えられていた石の手水の角で擦り切る。歌舞伎は、舞
台に置かれた大道具も、必ず、何かの役割を与えられている)も加わり、錦之助の八幡太郎
義家と対決する。雄壮な場面は、豊かで、大らかで、時代物の丸本歌舞伎の醍醐味が、いか
んなく発揮される。吉右衛門の演技は、スケールが大きく、独特の味わいがある。

「白の世界」と「黒の世界」を結ぶのが、袖萩の父母、特に、母親の浜夕(東蔵)だ。父親
の直方は、歌六が演じた。


「雪暮夜入谷畦道」きめ細かい菊五郎「直侍」


「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」は河竹黙阿弥原作の通し狂言「天衣
紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」の副筋の物語。「天衣紛上野初花」初演の
7年前。黙阿弥が最初に上演したのは、実は、1874(明治7)年で、その時の外題は、
「雲上野三衣策前(くものうえのさんえのさくまえ)」であった。この時は、河内山を軸に
した物語。直次郎は、登場していない。外題が今のように改められた1881年になって、
三千歳・直侍(直次郎)の物語が付け加えられた。そういう経緯もあって、「てれこ」構造
の出し物になった。ここで言う「てれこ」とは、「河内山」の筋の物語と「三千歳・直侍」
の筋の物語を、交互に展開上演する演出形式をいう。歌舞伎の演出用語なのだが、語源は、
不明。日本語の日常語としても、使うが、意味は、「あべこべ」「食い違い」「交互」な
ど。明治期の作でも、テーマは、江戸の世話物である。

こうして、「天衣紛上野初花」は、1881(明治14)年3月に東京・新富座で初演され
た。当時の配役は、河内山=九代目團十郎、直次郎=五代目菊五郎、金子市之丞=初代左團
次。「團菊左」は、明治の名優の代名詞。加えて、三千歳=八代目岩井半四郎という豪華な
顔ぶれ。

「雪暮夜入谷畦道」は、幕が開くと、雪景色の「蕎麦屋」の場面。モノトーンの世界。「入
谷蕎麦屋の場」は、写実的で、場末の蕎麦屋の侘びしさ、貧しさ、雪の夜の底寒さが、たっ
ぷりと観客のなかに染み込ませておかなければならない。ここには、「聞きどころ」の音が
ある。開幕前から聞こえて来る「ドーン、ドーン」と大間(ゆっくり)に鳴る太鼓の音。こ
れは、雪音なのだ。自然の雪は、音がしないのに、歌舞伎の雪は、大きな音がする。それで
いて、不思議ではない。むしろ、歌舞伎から、雪の音が無くなったら、物足りない。この芝
居では、雪の音は、最後まで、重要。直侍の「通奏低音」である。

幕が開くと、春の寒さに、降る雨も、いつしか、雪に変わる夕暮れ、という設定。雪のな
か、一刻も早い、逃亡の気持ちを高めながら、その前に、機会があれば、恋人の三千歳に、
一目逢い、別れの言葉を懸けて行きたい直次郎が、花道を歩いてくる。五代目菊五郎が細か
く工夫した直次郎の所作の手順が、基本だ。薄闇のなか、それでも足らずに、「逃亡者」
は、手拭で頬被りをして、顔を隠し、傘をさしている。下駄にまとわり付く雪が、気にな
る。舞台下手に降る雪。白い雪布が敷き詰められた花道には、「ドーン、ドーン」という太
鼓の音ばかり。降る雪を示すものは、音しかない。雪の音階は、「七三」で直次郎の科白に
なると弱くなる。強から弱へ、変化する。辺りの様子を窺いながら、「逃亡者」は、花道か
ら本舞台へ。蕎麦屋の前で、傘で地面を叩き、傘の上に載った雪を払い落して、店に入る。
店内では、太鼓の音が消えてしまう。雪が激しく降る時は、「ドドドド」いう音に変わる。

雪の蕎麦屋の場面だが、直次郎は着物の尻をはしょり、素足に下駄ばき、無造作が無頼らし
い振る舞い。今回の菊五郎の工夫は、下駄の歯についた雪を落とすのに、下駄を履いたまま
の足を店内の土間に執拗に叩いていた。座敷に上がり、まず、股火鉢で観客を笑わせる。さ
らに、一杯、熱い酒を身体に注ぎ込みたい。蕎麦と酒は、江戸の食通の定番の一つ。しか
し、燗をするのにも、幾分、時間がかかる。やっと来た燗徳利、御猪口に酒を入れるが、な
ぜか、ゴミが浮いている。文句も言わずに、それを箸でよける直次郎。名作歌舞伎全集で
は、直次郎と蕎麦屋亭主との硯の貸し借りでは「筆には首がない」と、蕎麦屋に言わせてい
るが、「直侍」は、筆の首を口にくわえると、筆の首が取れてしまったように演技をし、代
わりに取り出した楊子の先を噛んで、これに硯の墨をつけて、三千歳への手紙を書く(これ
から、逢いに行くから、木戸を開けておけとでも書いているのだろう)。直次郎が、蕎麦屋
から、外に出ると、再び、「ドーン、ドーン」という太鼓の音が、また、聞こえ出す。舞台
が廻る。太鼓の音が、一段と大きくなる。「半廻し」(90度)で廻る舞台の上で、大道具
方は、蕎麦屋の店の中に四角く敷いていた、地絣を取り片付ける。舞台は、蕎麦屋の横の道
へ、変わる。ここで、直次郎は、二人の顔見知りとやりとりをする。一人には蕎麦屋の店の
中で逢ったが、蕎麦屋の主人たちに関係を知られたくない按摩の丈賀、そして、店の外で出
会ったのが弟分の暗闇の丑松である。丈賀には、三千歳への手紙を託す。次の場面、兄貴を
見限って自分だけ助かろうと、裏切りを決意する丑松の動きや科白に注目。

直次郎は、入谷の蕎麦屋へ向かうときと、同じく入谷の大口屋寮に向かうときと2回雪の花
道を歩く。まず、直侍のさす傘に積んだ雪の量が違う、ように見える。大口寮の木戸の屋根
に降り積もった雪の量が違う。直次郎が門に当たったはずみで屋根を滑り落ちて来る雪の量
が違う。そこで表わされているように傘同様に花道の雪の量も違う。ここは、雪布が敷き詰
められているだけだから、客席から見た目では、積雪量は判らないが、そこは、藝。傘の雪
の量の違いを花道にも当てはめて、歩く動作で、雪の量の違いを表現しなければならない。
蕎麦屋のときより、時間も経ち、雪も降り積もっていて、深くなっていることを観客に判ら
せなければならない。

舞台に降る雪と花道に降る雪。舞台に降る雪はあるが、花道に降る雪はない。つまり、本舞
台の上には、「葡萄棚」という装置があり、いくつもの「雪籠」が吊ってある。このなかに
入れた四角い(昔は、三角だった)紙の雪が、降ってくるが、花道の上には、雪籠なぞ、な
い。だから、実際には、花道では雪は降らない。本舞台にチラチラ降る雪で、花道にも、雪
が降っているように見せなければならない。役者の演技と雪音で、降る雪を観客に想像させ
なければならないということだ。

後半の見どころ。入谷の出養生先で患うている三千歳(時蔵)が登場する「大口屋寮」。白
い襖、若緑色で描かれた柳や草。座敷には、朱の丸行灯が置かれている。掛け軸に描かれた
赤い花。白、緑、赤の点描が、蕎麦屋から続く外の雪景色に対する春の訪れと奥から出てく
るであろう若い女郎の療養する家が大口屋寮である事をうかがわせる。

ここの濡れ場(情事の場面)が、幻想的で、最高である。「色模様」=歌舞伎の性愛描写の
仕方:これは、黙阿弥版ポルノグラフィーである。この世の片隅で、互いの人生を慰めあう
ような小さな恋。逢えば、切ない二人はすぐにも性愛に耽りたくなるだろう。だが、歌舞伎
の舞台では、性愛を露骨に描くことはない。江戸時代にも幕府が、たびたび厳しく取り締ま
った。「大口屋寮」では、ふたりの「性愛」の場面は、セックスを直接的には描かないで、
様式美の積み重ねという、いわば、別の形で、立ち居ふるまう二人の所作で表現をする。そ
れは、立ったまま、背中合わせになりながら、互いに手を握りあったり、直次郎に寄り添い
ながら、三千歳が右肩から着物をずらしたりする。じっと、見つめあう二人。座り込み、客
席に後ろ姿を見せる三千歳、立ったまま、左肩を引いて反り身で、直次郎の方に振り返る三
千歳。髪を整えた後に、珊瑚の朱色の簪を落とす三千歳などの姿。両手を繋ぎあう二人。正
面から抱き合う二人。三千歳の背中を懐に入れるように抱く直次郎。起請文(ラブレター)
ごと三千歳の胸に手を入れる直次郎。こより、煙管、火箸などの、小道具の使い方で、濃密
な性愛の流れを感じさせる演出の巧さ。

障子などは、開け放ったままである。それでも、そこは、性愛の「密室」。観客に舞台を観
せるためにも、空間は、解放されていなければならないし、追っ手を気にする逃亡者の心理
からみても、見通しは、良くなければならない。いつ、捕り方が、踏み込んで来ないとも限
らないからだ。

それは、また、雪のなかにも拘らず、素肌の下半身に、着物を端折った姿で歩く直次郎、二
重の屋体の部屋の上下の障子を開け放したままの、逢瀬の場面などに共通する、「粋の美
学」、いや「意気地の美学」か。「開かれた密室」のエロス。間接的に描かれる性愛。逆手
に取る歌舞伎独特の演出だ。「歌舞伎の美学」。間接的な表現こそ、直接的な表現より、エ
ロスの度合いが、濃くなるから不思議だ。「余白の美学」。

時蔵の色気の表出の演技が濃厚だ。患うことで性欲が昂進する場合もあるのかもしれない、
と思わせる。色男・直次郎を演じる菊五郎も、直次郎になりきっているように見える。時蔵
と菊五郎。こういう役は巧い。今、最高レベルの三千歳直次郎だろう。

しかし、患う三千歳の「連れて行って」(それが駄目ならば、)「殺してから逃げて」とい
う科白。寮番・喜兵衛(秀調)が、一緒に「甲州へ逃げなさい」と勧めるが……。直次郎
は、「山坂多い甲州へ、女を連れちゃ行かれねぇーや」、と言う。直次郎は「行かれねえ
ー」ときっぱり言う科白が多いと思っていたが、この日の菊五郎は、「行かれねぇーや」と
言っていた。この科白回しだと、連れて行きたいのは山々だが、現実には、「行かれない
な」と諦め、自分に言い聞かせているように聞こえた。

「ドーン、ドーン」という大間に鳴る太鼓の雪音が、再び、高まる。雪音は、直次郎の胸の
動悸にもなって、切羽詰まって聞こえて来るようだ。観客を含めて、皆の切迫感が、いちだ
んと高まる。音のクローズアップは、心理のクローズアップでもある。丑松の密告で、寮内
に入り込んで来た捕り方に背中から羽交い締めにされた直次郎の決め科白。「三千歳。……
もう此の世じゃ、逢わねぇぞ」。ここは、この日の菊五郎も、きっぱりと言っていた。追手
の捕り方を振り切って、庭の垣根をぶちこわして直次郎は花道から逃げて行く。三千歳「直
さん……」。逃げおおせないかもしれない、そういう不安が滲む。

二人の別れの言葉は、短い。「此の世じゃ、逢わねぇぞ」が、いい。(あの世なら、逢える
かもしれない)。この科白、菊五郎は、きっちりと言っていたのが胸に染み入る。

結局、三千歳は、この後も、直次郎には逢えなかった。二人にとって、今生の別れとなっ
た。

吉例顔見世月の歌舞伎座。昼の部の吉右衛門と菊五郎というふたりの人間国宝は、名作の演
目を、一人は重厚に、一人はきめ細かく、それぞれの持ち味を生かしながら、きっちりと演
じていたように思う。今月の歌舞伎座は、豪華な配役が目を引く。昼の部と夜の部を合わせ
ると、重量級は、吉右衛門、菊五郎、仁左衛門、藤十郎、幸四郎と5人。
- 2017年11月6日(月) 16:26:22
17年11月国立劇場 (「坂崎出羽守」「沓掛時次郎」)


大正昭和初期の「新」歌舞伎二題


今回観るのは大正時代に初演された新歌舞伎の時代もの。武士の社会を描いた「坂崎出羽
守」。昭和初期の新歌舞伎の世話もの。庶民の社会を描いた「沓掛時次郎」。二つとも、私
は初見。新歌舞伎は、当初は、原作者が贔屓の役者の魅力を引き出す新作をということで書
かれたものが多い。例えば、「坂崎出羽守」は、小説家の山本有三が、六代目菊五郎のため
に書き下ろし、1921(大正10)年9月、東京の市村座で初演された。六代目菊五郎
は、古典歌舞伎では表現されない心理描写を試み、写実的な演技で、当時の観客を魅了し
た、という。「沓掛時次郎」は、小説家の長谷川伸が書き、明治期以降生まれた「新国劇」
という演劇改良運動の流れの中で、沢田正二郎によって、1928(昭和3)年12月、初
演された。さらに、歌舞伎の十五代目羽左衛門によって、1934(昭和9)年7月、歌舞
伎座で初演された。人気役者の古典歌舞伎では出にくい魅力を引き出そうというのが、どの
原作者に取っても共通するモチベーションだったことだろう。従って、新歌舞伎は、古典歌
舞伎の作品とは一味違う。その後の再演の中で、原作者も亡くなり、初演した役者も亡くな
ったりしてきても、良い演目は、新たな役者たちの工夫で時空を超えて生き残ってくる。そ
ういう新歌舞伎の作品もあるだろう。

新歌舞伎は、原作者も役者も、何よりも新しい芝居を作ろうというチャレンジ精神があっ
た。その一方で、歌舞伎役者が演じる芝居だけに古典歌舞伎の味も大事にし、ほかのジャン
ルの演劇との違いを滲ませようともしているだろう。そういう魅力のあれこれを見つけ出す
のも、おもしろい。どういう工夫や違いがあるか、おいおい解析を試みてみよう。私は、今
回の二演目はいずれも初見。初見ならではの視点もあるかもしれない。


松緑の音羽屋系が代々磨いてきた「坂崎出羽守」


山本有三原作の新歌舞伎「坂崎出羽守」四幕。科白劇である。六代目菊五郎が初演した「坂
崎出羽守」は、二代目尾上松緑、初代尾上辰之助(後に、三代目松緑を追贈された)、そし
て、当代の、四代目松緑が引き継ぐ。この三代は、祖父、父、そして息子と繋がる。当代
は、今回、初役で坂崎に挑む。36年ぶりの上演である。

徳川時代開幕を告げた戦国時代最後の内戦・大坂夏の陣で燃え盛る大坂城から徳川家康の要
請に応えて、孫の千姫(家康の子・秀忠の娘で、家康の孫に当たる)を救出した武将・坂崎
出羽守は、顔に大火傷を負う。醜いと千姫に嫌われ、家康にも裏切られ、遂に異常な行動に
出る。武骨一辺倒だった武将の恋の破局の物語。千姫、出羽守とも、史実がどうなっている
かは、諸説があるので、私にはよく判らないが、千姫をめぐって、出羽守が事件を起こした
ことは事実だ。原作者の山本有三は、小説家らしい想像力を巡らして、この狂言を書いたの
で、芝居見物としては、原作者の意向を優先して、芝居の展開そのものを楽しむことにしよ
う。

今回の場割り(場面構成)は、以下の通り。
第一幕「茶臼山家康本陣」、第二幕「宮の渡し船中」、第三幕(一)「駿府城内茶座敷」、
第三幕(二)「同 表座敷の一室」、第四幕「牛込坂崎江戸邸内成正の居間」。

主な登場人物と配役は、以下の通り。徳川家康(梅玉)、千姫(梅枝)、坂崎出羽守(松
緑)、金地院崇伝(左團次)、本多忠刻(坂東亀蔵)ほか。

「坂崎出羽守」は、今回、初見なので、あらすじもコンパクトに記録しておこう。
第一幕「茶臼山家康本陣」。前年の「大坂冬の陣」から中断を挟んで1615(元和元)
年、「大坂夏の陣」となった。徳川家康は、大坂の茶臼山に本陣(戦場で大将のいる本営)
を構えている。茶臼山は、大坂の地名で、形状が茶の湯で使う「茶臼」に似ている(「茶臼
山」は、富士山のような末広がりの形の山や地形のことをいう、いわば普通名詞。山の名前
としては、全国に200以上もあるという)。本舞台中央に二つの鎧櫃を並べ、その上に天
板を載せて、仮のテーブルを作っている。そこに地図を広げ、本多正純(権十郎)が陣頭指
揮を取っている。その上手側には、大きな木があり、物見が枝の上に座り込み、離れた戦場
の状況をウォッチングしつつ、本多正純ら参謀たちに知らせている。本陣と戦場の大坂城と
の間を伝令たちが盛んに行き交っている。戦況を聞いていると、どうやら、徳川方が優勢の
ようである。下手から鎧の上に母衣(ほろ)を背負った坂崎出羽守(松緑)が、本陣に入っ
てくるが、どうも、表情が冴えない。どうやら、未だに戦功を上げていないらしい。

優勢と聞いて上手御座所から徳川家康(梅玉)とそのブレーン・金地院崇伝(こんちいん 
すうでん。左團次)らが登場する。家康は、「勝ち戦」の予兆には、満足しているが、何か
懸念があるらしい。大坂城には豊臣秀頼に嫁した孫娘の千姫がいるからだ。大坂城落城とな
れば、千姫の安否もおぼつかなくなる。

大坂夏の陣で、大坂城が炎上し落城寸前の折、家康の「千姫を助け出したものに、千姫を与
える!」という言葉(実は虚言)を受けて、勝ち戦の中で、何の功績も残していなかった坂
崎出羽守は、これこそ、残された「手柄」とばかりに飛びつき、勇猛にも燃え盛る大坂城の
中へ飛び込む。そして、命を懸けて千姫を救い出すことになる。

以後、千姫との結婚を執拗に拘り続けるようになるのだが、後の場面では、狸親父の家康
は、千姫が坂崎を嫌うことからのらくらとして、約束を実行する気配がないことが描かれ
る。

第二幕「宮の渡し船中」。「宮の渡し」とは、東海道五十三次(宿場)の桑名(現在の三重
県桑名市)宿と宮(現在の名古屋市熱田区)宿を結ぶ海路。「七里の渡し」ともいう。7里
=およそ28キロ。本舞台いっぱいに船の大道具。それも、船の半分から後ろ、鞆の部分を
「船中」として使用している。花道七三にある「すっぽん」は、花道の床から花道下の奈落
まで、客席からは見えないが、階段の大道具となっている。船中には、葵の紋などを染め抜
いた幟がはためいている。海風に幟が舞台奥に向かって揺すられている。その背景には、青
い海原が広がっている。この場面での主な登場人物は、坂崎出羽守(松緑)、その忠臣・源
六郎(歌昇)、坂崎家の家老・三宅惣兵衛(橘太郎)、千姫(梅枝)、その乳母・刑部の局
(萬次郎)、本多平八郎忠刻(坂東亀蔵)ほか。

千姫を駿府城(現在の静岡市。江戸に幕府を開く前の徳川家康の居城)に送る。警護の責任
者は無骨な坂崎出羽守。ただし、宮の渡しは、桑名藩の管轄。海路部分のみの管理者として
船に乗り込んでいた桑名藩主の嫡男・本多平八郎忠刻(ただとき)を千姫が見初める。本多
忠刻は、美男な上、文部両道で、聡明、機転が利き有能。坂崎は、無骨で不器用なくせに、
嫉妬心を燃やす。

第三幕(一)「駿府城内茶座敷」。家康は、坂崎出羽守に千姫を嫁がせようとしたが、千姫
は、千姫を救い出した際に坂崎が負った大やけどの醜い顔を怖がって、命の恩人ながら坂崎
に嫁ぐのを嫌がり、坂崎と逢おうともしなかった。出羽守の無骨で傲慢、ひねくれた性格も
嫌った。宮の渡しの船中で本多忠刻を見初めたとも告白する。祖父の強引な政略結婚をも批
判する。家康も孫娘には手をこまねく。この場面は、科白劇となる。家康は、千姫に手を焼
き、ブレーンで策士の金地院崇伝に知恵を借りることにする。崇伝は、臨済宗の僧侶。幕府
の法律の立案・外交・宗教などの政策の相談役を引き受け、「黒衣(こくい)の宰相」と呼
ばれた。日本史上、この異名を持つ僧侶は複数人いるが、金地院崇伝も、その一人。

第三幕(二)「 同 表座敷の一室」。坂崎出羽守が家康を訪ねてくるが、家康は仮病を使
い、面会を拒み、代わりに金地院崇伝に対応を委ねる。崇伝は、千姫が夫だった秀頼の菩提
を弔うために尼になり、仏門に入る(虚言)ので、結婚はできない、諦めろと坂崎に告げ
る。出羽守は、本当に誰とも結婚しないのかと執拗に念を押した後、千姫を諦める決意をす
る。この場面も科白劇。

第四幕「牛込坂崎江戸邸内成正の居間」。元和2(1616)年、やがて、家康が亡くな
り、この約束は反故同然となり、千姫は自らが見初めた美男の本多忠刻に嫁いで行くことに
なった、という。忠臣・源六郎(歌昇)は、主君・坂崎出羽守成正に血書で、千姫強奪を訴
えるが、それは、立場上できない出羽守を余計に怒らせるばかりだ。出羽守も本心は強奪し
たいと思っているので、そのイライラを家臣たちに当たり散らす始末。出羽守の居室。小姓
の酌で酒を煽り、次第に分別を無くして行く。居室の障子を開けさせると、暗闇の中、遠方
に仰々しい提灯を多数ぶら下げた行列が通るのが見える。それは千姫の輿入れの一行だと出
羽守も察する。千姫一行は、これ見よがしに坂崎の屋敷の前を通って輿入れをしようとして
いる、という。これを知り、面目を潰された坂崎は、室内の長押(なげし)に掛けてあった
槍を手に取ると、外へ飛び出して行く。その行列を襲って千姫を奪おうとしたのだ。主君の
後を追った大勢の家臣たちに阻まれて暴挙は失敗するが、行列の提灯が、一時、乱れたのが
見えたから、未遂ながら「事件」は千姫側にも知られてしまった。その後は、乱れもなく、
暗闇の中を提灯の行列が進む。坂崎の屋敷の向かいを本多忠刻家に輿入れする千姫を乗せた
駕籠が無事に通って行ったのだろう。

この事件について、坂崎の友人の柳生但馬守が「出羽守乱心」という措置で、武士の面目
(プライド)と坂崎家の家督相続を保たせようとしたが、坂崎は「乱心のために、行列を襲
おうとした訳ではない。せめて武士の一分(いちぶん)を立てたいだけだ」、正気の人間と
して死にたい、と幕切れ直前の場面で叫ぶことになる。1616年没。生年不明。「千姫事
件」を起こした時に何歳だったのか、諸説ある。

その後、松緑は、舞台中央で、一旦、観客席に向かって進んでくるが、途中で、ユーターン
して観客席に背を向けた後、後ろ姿のまま、その場に座り込む。出羽守が刀を前方に捧げ持
ち、武士の作法に則り切腹しようとするポーズとなったところへ、緞帳の幕が下りてきて、
閉幕となった。

坂崎出羽守の屈辱と武士の一分(プライド)対千姫の政略結婚拒否という娘の意思。権力者
の虚言が、青年武士の人生をいかに狂わせたか。フェイクニューズの怖さは、現代にも通じ
る。この芝居のテーマは、そういうことであろうか。

登場人物たちの、それぞれの行動原理。
坂崎:無骨で傲慢、意地っ張り。性格も悪いが、家康に二度騙される。ひねくれた性格にも
問題があるが、武士(もののふ)のプライドもある。武士の一分(いちぶん)=山田洋次監
督作品「武士の一分」(藤沢周平原作)という映画もあるが、「武士の一分」とは、武士と
して命をかけても守らなければならない面目、名誉のこと。
家康:権力者のご都合主義。
千姫:美男子好き。坂崎の性格を嫌った。政略結婚批判、個人意識の目覚めも見受けられ、
近代的ですらある。若い女性として当たり前の対応。
崇伝:戦略家の「浅」知恵。家康も代理の崇伝に任せるとはずるい。
忠刻:美男子で聡明、若大将という感じ、千姫でなくても、女性に好まれるだろう。史実で
は、千姫と忠刻は、1616年に結婚するが、10年後の、1626年、忠刻は病死する。
千姫は長生きをし、さらに40年後、1666(寛文6)年に没する。

坂崎出羽守直盛は、宇喜多忠家の長男。従弟の宇喜多秀家に仕えたが、拘る性格で、秀家と
意見が合わず、仲裁にあたった徳川家康に預けられる。その後、関が原合戦の時には家康に
認められ、東軍につく。後年、西軍の宇喜多の名を捨て、坂崎を名乗った。こうしてみてく
ると、出羽守は、かなり、「厄介な人」だったのではないか。松緑は、その辺りは熱演して
いたように思う。


梅玉、初役の「沓掛時次郎」


長谷川伸原作の新作歌舞伎「沓掛時次郎」三幕。何回も映画化された若いやくざ者(博徒)
のシノギ(生活)と慕情の人情話。やくざ(博徒)の渡世の義理で、縄張り争いの助っ人と
なり、斬った男の妻子を連れて放浪の旅に出る時次郎。旅の途中で時次郎に愛情を抱きなが
ら病死した女。女から託された男の子を連れて、時次郎は、やくざから身を洗う旅を続け
る。主な登場人物:沓掛時次郎(梅玉)、三蔵(松緑)、おきぬ(魁春)、太郎吉(左近。
松緑の息子)、安兵衛(橘太郎)、安兵衛女房・おろく(歌女之丞)。

場割り(場面構成)は、次の通り。秋から、冬、春へ。序幕(一)「博徒六ッ田三蔵の家の
中」、同(二)「三蔵の家の外」、同(三)「再び家の中」、同(四)「再び家の外」、同
(五)「三たび家の中」。二幕目「中仙道熊谷宿裏通り」、大詰(一)熊谷宿安泊り」、同
(二)「喧嘩場より遠からぬ路傍」、同(三)「元の安泊り」、同(四)「宿外れの路
傍」。

この演目も初見なので、あらすじをコンパクトに記録しておこう。
序幕(一)「博徒六ッ田三蔵の家の中」。暗転のうちに、緞帳が上がると、薄暗い闇の中に
貧しい民家が浮かぶ。秋の下総。博徒六ッ田三蔵(松緑)と女房のおきぬ(魁春)、息子の
太郎吉(左近)が、荷造りを急いでいる。博徒同士の喧嘩(縄張り争い)から逃げてきた三
蔵が、襲われる前に、と夜逃げの準備をしている。舞台が回る。

同(二)「三蔵の家の外」。相手の博徒三人(松江、坂東亀蔵、菊市郎)が三蔵の家の外で
待ち伏せをしている。四人目の男。旅人の時次郎(梅玉)も一宿一飯の義理もあり応援でつ
いてきた。時次郎は、一匹狼、さすらいのギャンブラー。舞台が戻る。

同(三)「再び家の中」。夜逃げの準備が整い、三蔵は外の様子を伺う。やがて、雨戸を叩
く音。博徒たちが戸を蹴破って、侵入してきた。チャンバラになる。抵抗する三蔵。舞台が
回る。

同(四)「再び家の外」。三蔵の抵抗で、怪我をした仲間が出たので、博徒たちは逃げ帰っ
てきた。時次郎が三蔵と一騎打ちを呼びかける。時次郎が家から出てきて、一騎打ちとなっ
た三蔵を斬る。舞台が戻る。新歌舞伎ながら、回り舞台を十二分に活用する。

同(五)「三たび家の中」。勢いを取り戻した博徒たちが家の中へ入り、母子を追い立て
る。「女子どもに何をしやがる」と時次郎は怒り、博徒たちに立ち向かい一人を叩き斬る。
母子を逃す。

二幕目「中仙道熊谷宿裏通り」。暗転から明転へ。雪の熊谷宿。去年の秋に下総を出てか
ら、時次郎とおきぬ・太郎吉の母子と旅を続けている。熊谷宿の裏通り。川に橋が架かって
いる。貧しい町を門付の三味線を弾きながら流しているおきぬ。時次郎は、博徒をやめて門
付の一員となり、「小諸追分」を歌っている。おきぬは、三蔵の子を宿していて、身重だ。
流れ者の時次郎と一緒に旅をするうちに母子は時次郎へ家族のような情愛を抱くようになっ
た。

大詰(一)「熊谷宿安泊り」。春、庭には菜の花と桜。桜の花もほころび始めた。時次郎と
母子が身を寄せている安宿。下総から時次郎を追ってきた博徒二人が姿を見せる。安宿の宿
泊者の改めにきたが、宿の女房(歌女之丞)が追い払う。歌女之丞がいい味を出している。
三蔵の最後を見届けた時次郎は、母子のために博徒生活から足を洗おうと決意するが、その
ためにも金が欲しい。その金を稼ぐために時次郎は、一度は捨てた刀を再度手にとって、も
う一度だけと草鞋(わらじ)を脱いだ八丁徳一家の一宿一飯の義理を果たすべく、やくざ者
の出入り(抗争、縄張り争い)の助っ人となる決意をする。助っ人代は、一両だ。

同(二)「喧嘩場より遠からぬ路傍」。博徒同士の喧嘩場が近い。時次郎から一両を預かっ
た安兵衛は自分が経営する安泊りへ戻ろうとしている。おきぬに金を渡して安心してお産を
させたい。しかし、八丁徳(楽膳)と敵対する博徒たちに阻まれて通り抜けができないでい
る。下手から現れた時次郎が安兵衛を助ける。

同(三)「元の安泊り」。菜の花が咲き乱れ、桜も満開である。数日の差で春が酣となって
きた。喧嘩場から無事に急いで戻った時次郎だが、おきぬはお産がうまくいかず、既になく
なっていた。死に目に間に合わなかった。初七日を終え、太郎吉を引き取って太郎吉の祖父
のいる遠州(現在の静岡県)へ向かうことにする。博徒稼業をやめ、百姓になるつもりだ。

同(四)「宿外れの路傍」。親子のように見える二人連れ。時次郎と太郎吉。時次郎は、丸
腰。太郎吉はおきぬの骨を収めた骨箱を置き、路傍の地蔵さんに和讃を聞かせている。下総
から追ってきた博徒二人が下手から現れる。しつこくつきまとう二人。時次郎は奪った刀で
男たちを斬ろうとするが太郎吉が必死で止める。時次郎は男を殺すことを思いとどまり、叩
きのめすだけ。今度こそやくざの足を洗う。時次郎と太郎吉は、父子のように連れ立って、
花道から旅立って行く。

「沓掛時次郎」は、博徒というアウトローと貧しい母子の間に流れる慕情がテーマ。疑似家
族の物語。長谷川伸の母恋いもの。長谷川伸にとって幼い時に生き別れた母しか母はいな
い。太郎吉は作者を投影。時次郎の、男の純情。おきぬは純愛。太郎吉の慕情。博徒の渡世
の義理と世俗の人情。日本の古くからの価値観。太郎吉には、長谷川伸の自画像が写し取ら
れている。時次郎は、強いが純情男。渥美清が演じた映画「男はつらいよ」の主役・車寅次
郎の源流のような位置に立っているように思えた。

贅言;やくざ者・博徒=無宿者たちのやくざには、無宿=戸籍もないし、苗字もない。地名
を冠して、名乗っている。やくざとは、サイコロ賭博で、8(やっつ)9(く)3(ざ)と
出ると、足し算で、20となり、一桁の位がゼロになってしまうので、賭博ルールでは無価
値の数字となる。己らは、地域社会で無用の存在、無価値者だという自重を込めて、893
=やくざ、と呼んだ、という説がある。やくざは、無宿者、地域社会からはみ出した者であ
る。やくざの親分になるような者は、それなりに人望や財力がなければ、子分たちもついて
こないので、庄屋の息子のうち、家督を継いだ長男以外の者たちが無宿者ながら親分にのし
上がった。農民、百姓も長男は家を継ぎ農業をやったが、長男以外の者たちは、無宿者とし
て親分たちの手下になった。

さて、国立劇場では珍しい新歌舞伎二題の上演だったが、気がついたことを書き留めておき
たい。

1)今回の新歌舞伎が、古典歌舞伎とは違う点。

★歌舞伎のシンボルである定式幕を全く使わなかった。緞帳を上げ下げして、開幕閉幕と
し、途中の場面展開は、暗転の中で緞帳を使い、場面展開。緞帳が上がり明転すると、次の
場面になっている、という繋ぎ方が多かった。

★「坂崎出羽守」:白鳥の鳴き声、モズの鳴き声など鳥の声などは、鳥笛を使っているのだ
ろうが、印象的な鳴き方で登場人物の心理描写の効果も伺えた。波の音、雨の音などは、歌
舞伎独特の下座音楽ではなく、擬音か。戦場の爆撃の音などは録音した音かもしれない。い
ずれにせよ、効果音は、効率的に、多様的に使われていたようで、古典歌舞伎の演出とは一
味違うように思えた。

2)今回の新歌舞伎も、古典歌舞伎同様、歌舞伎の芝居小屋としての機能を生かしていた。

★「沓掛時次郎」:既に触れたように、回り舞台で「半回し」(90度)を積極的に活用
し、序幕の場面展開のテンポアップに効果を上げていた。

★「坂崎出羽守」:宮の渡しの船中では、大型の和船が舞台いっぱいに使われていたが、大
道具は、和船を横に輪切りにしたような装置で、私たちの観客席をも見事、船中に載せてい
た。花道「すっぽん」の空間を利用して、甲板と船底の出入り口とし、大型船の立体感を出
すことに成功していた。第二幕の幕切れ近くで、船が目的地に着船したという想定で、大き
な本帆(主たる帆)を引き下ろすと、鞆の部分で二人きりの時間を楽しんでいた千姫と忠刻
の姿が、出羽守だけでなく、観客の目にも晒されるが、ここは印象の残る場面になった、と
思う。
- 2017年11月6日(月) 15:57:56
17年10月国立劇場 (通し狂言「霊験亀山鉾」)


「霊験亀山鉾」は、返り討ちの連鎖、という芝居


北朝鮮の金正恩委員長の弾道ミサイル発射(ミサイルの性能をアメリカに誇示する「演習」
だろうけれど…)とこれに反発するアメリカのトランプ大統領の挑発発言(金委員長を「ロ
ケットボーイ」などと揶揄する)は、どっちもどっちで国家指導者として両者の拙劣な資質
を示している。まさに、「返り討ちにしてくれるわ」という歌舞伎の色悪役者の科白もどき
の応酬ではないのか。双方の対応は、「暴力の連鎖」が続いているように思える。ただし、
核兵器誇示の応酬の連鎖は、ボタンの押し違いで、核戦争にでもなれば、勝者も敗者もいな
い。人類の破滅、世界の破滅が待っているだけだろう。そんな悲惨な悪の連鎖の原型は、1
822(文政5)年初演の鶴屋南北原作「霊験亀山鉾」でも描かれているような既視感が私
にはある。

200年前の狂言作者・鶴屋南北は、「暴力の連鎖」をどのように描いていたのか。「霊験
亀山鉾」を私は今回の国立劇場公演で2回目の拝見となる。前回は、2002年10月、国
立劇場で観ている。主役は、今回同様、仁左衛門である。鶴屋南北原作「霊験亀山鉾」は、
めったに上演されない。仁左衛門も15年ぶりの舞台。前回の私の劇評を見ると、筋立てや
配役、特に重複する配役に、いわゆる「ダメ」を出しているのが、判る。今回は、その辺り
を含めて、いかに改善されたかどうかを見つめてみたい。

「敵討ち」を狙いながら、「返り討ち」にあい続け、その悲劇の繰り返しの果てに、やっと
「敵討ち」を成功させて、物語は大団円になるのだが、成功しても残る虚しさ。それは、敵
を討つという人間の行為の虚しさなのだろう。人類の歴史は、形を変えながら、同じ過ちを
繰り返していることを示している。それでも、同じ過ちを繰り返し続けるのだろうか。いず
れにせよ、南北の、この狂言は人間の持つ本源的なおろかさを描いているように思う。やは
り、南北は凄い。

贅言;主役を演じたのは、五代目幸四郎。左の眉上に大きなホクロがある江戸時代の人気役
者。今回の仁左衛門もホクロを描いていた。

今回の場割(場面構成)は、次の通り。

序幕第一場「甲州石和宿棒鼻の場」第二場「同 石和河原仇討の場」第三場「播州明石網町
機屋の場」。二幕目第一場「駿州弥勒町丹波屋の場」第二場「同 安倍川返り討の場」第三
場「同 中島村入口の場」第四場「同 焼場の場」。三幕目「播州明石網町機屋の場」。大
詰「勢州亀山祭敵討の場」。

私が観た前回の芝居と大きく違うのは、原作の九幕目「馬渕縄手の場」が省略されたこと
だ。水右衛門の父・藤田卜庵は、返り討ちの連鎖という悪に、自らの命を犠牲にして終止符
を打たせるきっかけを創るというのが前回の「馬渕縄手の場」の話だった。というのは、息
子・水右衛門の悪行の連鎖を食い止めようと、石井右内を闇討ちにしたのは、息子ではなく
自分だと言い張り、石井下部・袖介にわざと討たれ、息子・水右衛門から預っていた「鵜の
丸の一巻」という神陰流の秘書(極意書)を手渡す(ただし、本物ではなく、卜庵が筆写し
たものだと大詰で判る)。この結果、両者の関係は、「敵討ちと返り討ち」から「相敵(あ
いがたき)」という封建時代の価値観では、「対等」(お互い様)の関係に変わる。そうい
うターニングポイントを創るのが、藤田卜庵なのであるが、今回は、その部分は省略されて
いた。したがって、今回は、悪の連鎖は、大詰まで続くことになる。藤田卜庵の登場は、今
回、序幕第一場「甲州石和宿棒鼻の場」で息子の下部・伴介から「鵜の丸の一巻」を預かる
という場面だけが描かれる。この一巻は、大詰「勢州亀山祭敵討の場」で、登場する水右衛
門と石井下部・袖介との間で真贋論争となるなど重要な小道具である。前回は、仁左衛門が
三役の一つとして藤田卜庵を演じていた。今回は、仁左衛門が演じるのではなく、松之助と
いう脇役で達者な役者が好演していた。

さて、今回の主な配役は、次の通り。
藤田水右衛門と古手屋八郎兵衛、実は、隠亡の八郎兵衛の二役は、仁左衛門。闇討ちされた
遠州浜名家中の石井右内の養子・源之丞は、錦之助。源之丞の女房・お松は、孝太郎。源之
丞の実母・貞林尼は、秀太郎。実父の播州明石家中の石井源蔵(本家)は亡くなっている。
源之丞の愛人の芸者・おつまは、雀右衛門。石井右内の若党・轟金六は、歌昇。水右衛門の
父親・藤田卜庵と縮商人・才兵衛の二役は、松之助。源之丞の叔父・石井兵介と源之丞の下
部・袖介(お松の兄)の二役は、又五郎。卜庵と親しい敵討ちの検使役・掛塚官兵衛とお松
の父親・仏作介の二役は、彌十郎。石井右内と師弟関係にある縁戚で、捌き役となる亀山家
の重臣・大岸頼母は、歌六。その息子の主税は、橋之助。卜庵と親しい駿州の揚屋(遊女を
呼んで遊ぶ店)の丹波屋女将・おりきは、上村吉弥ほか。

序幕第一場「甲州石和宿棒鼻の場」。舞台は、甲州・石和(甲州=甲斐、石和=今の山梨県
笛吹市)宿棒鼻(宿駅のはずれ)の国境(くにざかい)から始まる。人通りが多い。舞台中
央から幾分下手寄りに、杭が建っている。杭の下手側には、「従是鵜飼石領」、上手側には
「従是西代官支配所石和宿」とある。ということは、遠景の山々は、南側の御坂山地だろ
う。石和からは、富士山は見えにくいから、この書き割りには、富士山が描かれてはいな
い。町人たちは、「石和河原」で行われようとしている敵討ちの噂をしている。石和河原と
は、笛吹川の河川敷だろう。舞台上手(ということは、甲府方面)から甲州道中を歩いてき
た藤田卜(ぼく)庵(松之助)は、息子の藤田水右衛門の下部(しもべ)・伴助(仁三郎)
と出会い、重宝の「鵜の丸の一巻」(水右衛門が右内から奪ったもの)を預かることにな
る。

贅言;一巻は鵜戸権現の白蛇が守護する神陰流の「秘書(極意書)」ということで、卜庵が
見分のために、一巻を紐解くと、二匹の白蛇が登場し、あたりが危うい雰囲気になる。一巻
を閉じると、元の現実世界に戻る。南北らしい、おどろおどろしい場面だ。

舞台が回ると、第二場「同 石和河原仇討の場」。遠州(遠江、今の静岡県から愛知県にか
けて)浜名家中の武士で、兄・右内が闇討ちにあい、重宝の一巻が奪われたという石井兵介
(又五郎)が、敵と目する藤田水右衛門(仁左衛門)と立ち会おうとしている。竹矢来に囲
まれている。敵討検使役の掛塚官兵衛(彌十郎)は、水右衛門の父親・卜庵と親しい。兄の
闇討ちの証拠として、ちぎれた黒い片袖を提出するが官兵衛は取り合わない。実は、官兵衛
をも抱き込み、果たし合いの前に、酌み交わす水盃に毒(藤竹伝来の秘薬)を入れさせた水
右衛門の謀(はかりごと)で、兵介は、敢え無く返り討ちにあってしまう。兵介が吐血して
苦しむ様を楽しみながら、色悪・水右衛門は、斬り掛かる。まさに、『水』右衛門らしい名
に「恥じない」謀で、これゆえに、南北は、色悪の主人公に水右衛門という名前を与えたの
かも知れない。兵介は、随行していた兄・石井右内の若党・轟金六(歌昇)に右内の養子の
源之丞に「後を託す」と伝えてくれと遺言し、息絶える。幕。

第三場「播州明石網町機屋の場」。幕の前で、下げ売り(瓦版売り)が二人、瓦版を売りな
がら、花道へ入って行く。

贅言;「下げ」とは、事件を速報する刷り物。今の新聞。

幕が開くと、播州明石(播州=播磨、今の兵庫県明石市)の機屋。機屋は、源之丞の実家。
源之丞は闇討ちに遭って亡くなった石井右内家(遠州浜名)に養子に出された。実家では、
不義の関係から妻となったお松(孝太郎)と腰の立たない長男の源次郎らが暮らしている。
源次郎の誕生日とあって、源之丞(錦之助)と源之丞の乳母・おなみ(梅花)が一緒に花道
をやってくる。おなみは、本家・石井源蔵(播州明石)への出入りができにくい源之丞夫婦
のために何かと気を使ってくれる。父親の源蔵も、源之丞の兄・六之進も、既に亡くなって
いる。本来なら、源之丞が家督を継ぐはずだが、養子に出されている。源之丞の実母・貞林
尼(本家に居住)との間にも立ち、おなみはこの日も源之丞へ実母から預かった金を持って
きてくれた、ということで、源之丞をめぐる人間関係などが判る。

前回は、仁左衛門が、三役(水右衛門、八郎兵衛、卜庵)、染五郎も三役(源之丞、香具
屋・弥兵衛、下部・袖介)を演じるなど軸になる配役に近い重要人物の演じ分けが難しく、
観ていて、筋が混乱して来る嫌いがあったが、今回は、すっきりと改善されていた。序幕
は、この芝居の大きな柱建てと経緯、主な人間関係の整理、というような役割を果たす。源
之丞とお松の心配は、養父・右内の敵討ちに出かけた叔父・兵介の音信が全くないこと。源
之丞は、手許にある実父から下された「千寿院力王の刀」と養父から渡された「仁王三郎の
脇差」を持ち、明日には、出立して敵討ちの旅に出なければならない。

夕刻、機屋に現れた下げ売りから、「下げ」を買い求めて、読んでみると、音信不通の叔
父・兵介が、石和宿で返り討ちにあって、亡くなったと書いてある。闇討ちの主による返り
討ち。この芝居では、繰り返される敵討ちが、ことごとく返り討ちにあう。いわば、「返り
討ちの連鎖」。思わず、呆然とする二人。幕。

二幕目第一場「駿州弥勒町丹波屋の場」。曽我祭で活気付く駿州(駿河、今の静岡県)弥勒
町。揚屋の丹波屋。女将がおりき(吉弥)。客の官兵衛(彌十郎)は、岡惚れする芸者・お
つま(雀右衛門)が一向に姿を見せないので、苛ついている。おつまが、若い芸者衆と香具
屋弥兵衛、実は源之丞(錦之助)を従えて、花道からやってくる。香具屋弥兵衛と名乗り、
廓の情報で敵討ちの相手を探そうという源之丞だったが、おつまと愛人関係の深い仲にな
り、胤まで宿してしまった。おつまも敵討ちの手助けをしたいと念じている。序幕第二場で
水右衛門の顔を知っている若党の金六が現れ、おつまに水右衛門の似顔絵を描いた団扇を手
渡す。役者の片岡仁左衛門に似た顔だと言って、観客席を笑わす。おりきは、藤田卜庵に頼
まれて水右衛門を匿っているのだ。水右衛門には、父親卜庵の下支えがあちこちにあるのが
判る。

そこへ、似顔絵そっくりの男が現れた。官兵衛同様に、おつまを身請けしたいという、古手
屋八郎兵衛(仁左衛門)である。飛脚が、水右衛門宛にと、卜庵からの書状と二十両を届け
に来るが、水右衛門と間違えて、八郎兵衛に渡してしまう。八郎兵衛はこの金子をおつまの
身請けの手付けにする。団扇の似顔絵を見たおつまも八郎兵衛を水右衛門と思い込み、弥兵
衛に化けていた源之丞に(偽の)愛想尽かしをする。源之丞は女将のおりきからも追い出さ
れる。おつまは勘違いをしたまま八郎兵衛の素性を探るため、八郎兵衛を上手の蚊帳の吊ら
れた間(「濡れ場」を想像させる)に誘おうとする。おつまは落ちていた水右衛門宛の書状
に気づき、これを読む。その様子を丹波屋の二階座敷から覗き見した男がいるのに気づく。
おつまが覗いていた鏡台の鏡に映った男の顔。男は、水右衛門だとおつまが気づき、八郎兵
衛を拒絶する。この場面は、二階の水右衛門と一階の蚊帳の間の八郎兵衛。いずれも仁左衛
門が演じる早替りが鮮やか。

心変わりしたおつまの態度に怒る八郎兵衛だが、呼びに来た所化の光月とともに、八郎兵衛
は、しぶしぶ店を出て行く。おつまは、事の成り行きを源之丞に知らせようと手紙を書く。

贅言;この手紙の用紙は「天紅」という手紙の天地の「天」の方に口紅がつけられた艶冶な
もの。遊女らがよく使う。

そこへ源之丞が戻ってくる。おつまは、事情を話し、拾った書状を示し、源之丞の誤解を解
く。書状によると、水右衛門は安倍川原まで立ち退くらしい。しかし、これは、八郎兵衛が
わざと落とした偽物の書状であった。源之丞を安倍川に誘い出す罠だったが、それと知らず
に、源之丞は敵を目指して、馳せて行く。それを見送るおつま。「堅固でいろよ」、
「あ〜〜い」。今生の別れとなる。「駿州弥勒町丹波屋の場」は、「殺し場」の前の「チャ
リ場(笑劇)」ということが判る。

第二場「同 安倍川返り討の場」。安倍川では、官兵衛と藤田下部・伴介(仁三郎)が、源
之丞を騙し討ちにしようと待ち伏せしている。先ほど丹波屋を訪れた飛脚は、実は伴介で、
書状も源之丞をおびき出す内容の偽物だった。水右衛門は香具屋弥兵衛の正体を源之丞と見
抜いていたのだ。八郎兵衛も水右衛門の一味だったというわけで、「出来レース」というこ
とだ。堤の土橋の傍らには、落とし穴も仕掛けてある。悪党らは、皆、藪の陰に隠れ忍ぶ。

源之丞と金六がやってくると、水右衛門が暗闇から現れ、加勢の悪党らも襲いかかる。落と
し穴に落ちた源之丞は抵抗虚しく、水右衛門に斬り苛まれてしまう。石井下部の袖介(又五
郎)が通りかかり、源之丞と金六の遺体に気づく。息絶える前に金六が、水右衛門の騙し討
ちにやられたと告げる。袖介が源之丞の保持していた「千寿院力王の刀」と「仁王三郎の脇
差」を手にするところへ、水右衛門が横取りを企み、提灯を打ち落とす。辺りは真の暗闇と
なり、歌舞伎特有の演出である「だんまり」へ。勢州(伊勢、今の三重県など)亀山家の重
臣・大岸頼母(歌六)が偶然通りかかったという想定で「だんまり」に参加。水右衛門(仁
左衛門)、袖介(又五郎)、おつま(雀右衛門)、おりき(吉弥)。「千寿院力王の刀」と
「仁王三郎の脇差」を5人で奪い合う、という「だんまり」となる。結局、脇差は、おつま
の手に渡る。幕。

明転で、開幕。第三場「同 中島村入口の場」。立て看が3本立っているが、内容不明。花
道から焼き場に通じる中島村入口の街道に白布をかけた棺桶が担ぎ込まれる。付き添いは、
おりき。棺内には、水右衛門が潜んでいる。ほとぼりが冷めるまで、身を隠すつもりだ。下
手から、もう一つ、打敷(白布)を掛けた別の棺桶も担ぎ込まれる。村人たちが大勢やって
きて、村に狼が出たと騒いでいる。騒ぎに取り乱されて、棺桶が取り違えられる。これも、
よくあるチャリ場の演出である。死人が入っている棺桶。生きたまま隠れている水右衛門が
潜んでいる棺桶。水右衛門の棺が、おりきを残して先に焼き場へ向かってしまった。こちら
の棺は、焼かれたら大変と、慌てて後を追うおりき。幕。

第四場「同 焼場の場」。おつま(雀右衛門)が源之丞の供養をしている。だが、棺桶の中
には水右衛門が潜んでいる。いざ火葬に、と現れたのは、隠亡の八郎兵衛(仁左衛門)だっ
た。水右衛門の一味だと正体を明かした八郎兵衛は、おつまに騙されたと怒り、出刃で襲い
かかる。これに対して、おつまは「仁王三郎の脇差」を使って八郎兵衛を斬り倒す。さら
に、おりき(吉弥)が現れ、おつまを襲う。おつまはおりきも斬り倒す。すると、棺桶が内
側から弾け飛ぶように板が破れ散って、水右衛門が中から飛び出してきた。水右衛門はおつ
まとお腹の子どもを殺す。水右衛門は石井家の縁者を何人殺したかと数えて、「返り討ちし
て、高笑い」とは、悪ふざけ。水右衛門を相手に、石井の一統、闇討ちされた右内の弟・兵
介、右内の養子・源之丞、石井家の若頭・金六、源之丞の愛人・芸者のおつまなどが水右衛
門を相手に敵討ちに挑むが、ことごとく返り討ちにあった、ということだ。返り討ちに成功
し、得意満面の水右衛門は、懐紙で刀の血を拭い、まとまったままの懐紙を宙高く撒き散ら
す。連鎖するであろう返り討ちへの宣戦布告に見える。

この「焼場の場」は、舞台下手寄りに「火」を使う焼場の小屋があり、中央に巻きを積んだ
上に棺桶が載っかっている。上手側に釣瓶井戸がある。再び、仁左衛門の早替りが見せ場と
なる。八郎兵衛が、源之丞の敵(かたき)とおつま(芝雀)に斬られ、井戸に落ちる。と間
もなく、焼場の薪の上に据えられた棺桶の中から水右衛門が、登場するという仕掛けだ。薪
の火も燃え上流。立ち回りが、雷雨のなかで行われ、この場面は、水を使った「本雨」(舞
台は、本水のカーテンとなる)も登場する。炎と雨。なかなか、見応えがあった。雨が止む
と、背景の夜空に三日月が昇っている。幕。

三幕目「播州明石網町機屋の場」。世話場。再び、播州明石の機屋。源之丞の実家。お松
(孝太郎)は、二人の子どものうち、次男の半次郎を亡くし、腰の立たない長男の源次郎の
病気が治る目処は立たない。縮商人の才兵衛(松之助)が慰めてくれる。機織りの品も高く
買ってくれた。お松は父親の仏作介(彌十郎)と共に、こんな時に兄の袖介(又五郎)がい
てくれたら心強いのにと嘆く。

源之丞の実母・貞林尼(秀太郎)が豪華な駕籠に乗って訪ねてきた。疎遠にしてきたことを
お松に詫びて、源之丞と祝言させるという。喜ぶお松だが、源之丞の姿が見えない。訝るお
松の前に、貞林尼は源之丞の位牌を差し出す。源之丞が返り討ちにあったと伝える。泣き崩
れるお松。貞林尼は孫の源次郎に仇を討たせたいと言う。源之丞の形見となった「千寿院力
王の刀」を持って現れたのは、貞林尼の一行に混じっていた兄の袖介であった。源次郎の奇
病を治すには、人間の肝臓の生き血が必要だと貞林尼は言う。彼女は、己の肝臓に懐剣を突
き刺し、生き血を絞り、孫に飲ませる。源次郎は、スックと立ち上がり、五体に生気が満ち
溢れた。源次郎の姿を見て、貞林尼は安心して息をひきとる。幕。

大詰「勢州亀山祭敵討の場」。定式幕が開くと同時に町屋の風景を描いた道具幕が閉まって
行く。道具幕は、城下の街角らしく、松嶋屋、伊勢屋の屋号が染め抜かれた暖簾を吊るした
商家が俯瞰されている。亀山曽我八幡宮の祭礼。花道より、祭りの行列。赤い下帯に白い足
袋姿の若い衆が10人。派手やかに花道から本舞台を上手に向かい、幕内へと一人ずつ入っ
て行く。道具幕が振り落しとなり、遠く天守閣が見える外堀端。亀山家の重臣・大岸頼母
(歌六)と主税(橋之助)親子ほか家臣一同が居並ぶ。城主上覧。豪華な駕籠が駐めてあ
る。下手より、裃姿に衣を正した岩淵万五郎と名乗る武士が現れ、「鵜の丸の一巻」を駕籠
の中の若君に献上したいと申し出る。ついで、花道より、親が書き写した一巻は偽物で、本
物の一巻は我にありと声を上げた武士がいる。赤堀源五右衛門と名乗った。主税は、赤堀か
ら受け取った本物の一巻を駕籠の中に献上した。駕籠の戸を開けて現れたのは、白衣の敵討
ち装束に身を固めた源次郎と「千寿院力王の刀」を手にして同じく白装束に身を固めたお松
であった。岩淵万五郎と名乗る武士は、お松の兄・袖介であった。袖介は、藤田卜庵を倒し
て、卜庵が書き写したという、偽の一巻を奪ったのである。卜庵を親という源五右衛門は、
卜庵の息子・水右衛門に相違ない、という三段論法で頼母が花道の武士に詰め寄る。頼母の
作戦勝ちで、水右衛門は自ら名乗り出てきたことになる。まんまと嵌められた水右衛門は、
黒羽織の下に「伽羅先代萩」の敵役・仁木弾正によく似た衣装のまま、無念の形相で石井家
の面々に向かって行く。今度は、返り討ちが難しそうな状況だ。絶体絶命の水右衛門。堀の
向こうの道路を祭りの行列が通過して行く。浮きたつ祭囃子が響き渡る中で、水右衛門は源
次郎の刀に刺され、石井家面々も、やっと本懐を遂げ、敵討ちという暴力の連鎖に終止符を
打つことになる。「あっぱれ、めでたいぞ」と頼母。

舞台で息絶えていた仁左衛門もムックと起き上がり、歌六らとともに客席に向かって一礼。
「こんにちは、これぎり」の終演を宣言して、幕となる。前回と違って、今回は、登場人物
と筋立てをスッキリさせていると思った。

仁左衛門は、小悪党=八郎兵衛と大悪党=水右衛門の演じ分けが大事。悪の象徴のように、
南北は、水右衛門を描きたかったのではなかったか。おつまとの色模様もある八郎兵衛は、
「色悪」でも良いが(「おつま八郎兵衛」もの系)、徹底して返り討ちを繰り返す水右衛門
は、極悪の「国崩し」を滲ませる必要があるのではないか。

贅言;「おつま八郎兵衛」ものとは、古手屋(古着屋)・八郎兵衛が女房・おつまに偽りの
愛想尽かしをされ、女房を殺してしまうが、後で彼女の本心を知って自害するという事件が
元禄年間に大坂であった、という。このキャラクターを南北は、この狂言の世話場に巧みに
生かしている。この芝居は、筋立てから見ると、大歌舞伎というより、小芝居向けの演目だ
ろう。それだけに、色悪の水右衛門、八郎兵衛は、どぎつく演じないと、この南北劇の趣向
が生きてこないと思う。本筋が、返り討ちの連鎖なのに、副筋の人物、八郎兵衛【=水右衛
門側】とおつま【=石井家側】の世話場が、劇中から浮かび上がり、この部分は、「おつ
ま・八郎兵衛」ものとなる。敵討ちの本筋に付加した副筋として「中島村焼場の場」などが
伝えられて来たのは、そういう小芝居的な味付けが、長く行われて来たことの証左ではない
かと思う。

南北の趣向は、「おつま・八郎兵衛」ものばかりではなく、順序不同ながら、丹波屋の場=
「伊勢音頭恋寝刃」、「双蝶々曲輪日記〜引き窓〜」、「忠臣蔵〜一力茶屋〜」、「恋飛脚
大和往来〜封印切〜」、安倍川の場=「四谷怪談〜隠亡堀のだんまり〜」、機屋の場=「摂
州合邦辻」、亀山祭の場=「夏祭浪花鑑」、「伽羅先代萩」など先行作品の断片(つまり、
観客に馴染みのある見せ場)の数々を下敷きにしているな、と私は思う。南北らしい独自の
趣向は、二幕目第四場「駿州中島村焼場の場」で、棺桶が内側から破れ、桶の板が弾き飛
び、中から水右衛門が、すっくと立ち上がってくる場面。お気に入りらしく、5年後、「盟
三五大切」でも、使っている。

亀山の敵討ちは、旧暦の元禄14(1701)年5月に、実際にあった話である。この年の
3月には、江戸城松の廊下での刃傷事件があり、翌年の12月には、赤穂浪士の討ち入りが
あるわけだから、「忠臣蔵」の基本構造を形づくる二つの事件の間で実際にあった亀山の敵
討ちは、兄弟による苦節28年余での大願成就ということもあって、曾我もの、忠臣蔵もの
との関連で芝居に仕立てられて来た。史実の敵討ちの方も、「元禄曽我」と称えられ、当時
の庶民に喝采で迎えられたという。従って、劇中でも、二幕目第一場「駿州弥勒町丹波屋の
場」。「曽我祭」で活気付く駿州の丹波屋。大詰「勢州亀山祭敵討の場」。「亀山祭」も
「亀山曽我八幡宮」所縁の祭り、という想定。やはり、「曽我」ものである。
- 2017年10月22日(日) 16:42:03
17年10月歌舞伎座(夜/「沓手鳥孤城落月」「漢人韓文手管始」「秋の色種」)


玉三郎初役の淀の方/「狂うひと」


「沓手鳥孤城落月」は、7回目。坪内逍遥原作の新歌舞伎の外題は、「ほととぎすこじょう
のらくげつ」と読む。1905(明治38)年、大阪角座で初演。同じく坪内逍遥原作の新
歌舞伎「桐一葉」の続編。新史劇、と言われる。私は、かろうじて、22年前、95年4月
歌舞伎座で六代目歌右衛門の最後の淀の方を観ている。この月、歌右衛門は体調を崩して途
中休演となり、先代の雀右衛門が代役を勤めた。私が観た淀の方は、歌右衛門、先代の雀右
衛門(代役ではない時)、先代の芝翫(4)、全て故人だ。前回、6年前、11年09月新
橋演舞場は、七代目芝翫最後の淀の方の舞台だった。この月、初日に出演した芝翫は、体調
不調で、2日目から休演。福助が代演した。その福助も七代目歌右衛門襲名を控えて、4年
前、2013年11月体調を崩し休演。その後、長期に休演が続いている。

そして今回は、ついに初役の玉三郎の淀の方を観ることになった。感慨が新たになる、とい
うものだろう。玉三郎の淀の方は、「奥殿」から始まり、「場内二の丸」「糒庫(ほしいぐ
ら)」の3場面構成で、私は、「奥殿」は、今回が初見である。通常は、「乱戦」「糒庫」
の2場面構成という演出が多い。さすが玉三郎らしく、今回、「奥殿」から芝居を始めるこ
とで、晩年の苦境続きの淀の方が、「狂うひと」「呆けるひと」という意味合いが、より鮮
明に印象付けられていて、玉三郎淀の方がくっきりと浮き彫りにされたと、思う。見ごたえ
があった。「奥殿」の上演は、19年ぶり。

淀の方と秀頼は、今回も、「認知症の母親と息子」というように置き換えて観えて来た。老
母と自分の現況を思い、なんとも、現代的なテーマの芝居で、身につまされてくる、という
人も多いのではと思われる。それほど、玉三郎の狂う、あるいは呆ける老女はリアルであっ
た。

まず、今回初見の序幕「大阪場内奥殿の場」。「大坂冬の陣」(歌舞伎座の筋書きは「大
阪」を使っているが、ここでは「大坂」を使う)を経て、一旦講和を結んだ徳川と豊臣だっ
たが、家康が、これを破棄し、大坂城を取り囲んだ。大坂方の主な武将は討死となり、大坂
城は風前の灯火という状態。小車の局(徳松)や婢女のお松に身をやつした常磐木(児太
郎)ら徳川方ながら、密かに潜り込んでいた女たちは、政略結婚で、豊臣秀頼の正室となっ
ている千姫(家康の孫娘、米吉)を場外に逃がそうとしている。そこへ秀頼の母親の淀の方
が現れる。淀の方の姿を認め、懐刀を抜いて斬りかかる小車の局。淀の方は薙刀で小車の局
を斬り下げる。逃げようとしていた千姫を捕まえる。駆けつけた饗庭の局(梅枝)や梶の葉
の局(玉朗)が、常磐木を取り押さえる。淀の方は、怒り心頭。淀の方は常磐木が真相を白
状するまでの拷問を局らに命じる。淀の方を非難し、舌を噛み切って自害する常磐木。豊臣
家を滅亡へ導く元凶は千姫だと淀の方は責めさいなむ。これを見て正栄尼(萬次郎)が、淀
の方を宥めようとするが、淀の方は千姫を打擲しようとする。気位の高い、まだ、正気の淀
の方だが、狂気、錯乱の気配が次第に忍び寄っているように見える。

女たちの争いの中へ、大野修理亮治長(松也)が姿を見せる。徳川の軍勢が間近に迫ってき
たと告げ、淀の方に天守台に向かうようにと促す。梶の葉の局は千姫の手をとって行こうと
するが、気がついた淀の方は、その袂を掴み、逃すまいとする。淀の方の怒りや執着ぶり、
執念深さは、まさに鬼気迫る。もう、正気と言えまい。そういう淀の方を玉三郎は丹念に演
じる。

二幕目第一場「場内二の丸の場」。既に大坂城内には徳川の軍勢が侵入した。大坂方の将兵
は、浮き足立っている。大坂城内の大台所に包丁頭として入り込んでいた徳川方の大住与左
衛門(坂東亀蔵)は、大台所へ火を点けた上、千姫を救い出そうと、姫を探している。そこ
へ、被衣を掲げた千姫の手を引いて梶の葉の局がやってくる。場外への道案内を申し出る与
左衛門。梶の葉の局、千姫も花道から場外へと逃げて行く。

この場面も初見。通常は、「二の丸乱戦の場」、通称「乱戦」として設定される。第二場の
降伏への背景説明として描かれる戦闘の場面で、まさに「活劇」である。若い裸武者が立ち
回りの後、鉄砲で撃たれ、城門の石段を下帯一つの裸姿で、一気に転げ落ちるという壮絶さ
と裸ゆえの滑稽味という、ふたつの役割を担わされている難しい役どころだ。今回は、この
場面はない。玉三郎の説明では、この場面は、後から増補されたものなので、今回、省略し
たという。確かに、いわゆる外連(けれん)味のある場面だ。見せ場としての立ち回りよ
り、千姫が逃げる、という印象を強める場面に戻したということだ。

二幕目第二場「城内山里糒庫階上の場」、通称「糒庫」。戦場となった大坂城の「糒庫」
は、現代的な家庭劇の場(例えば、茶の間、あるいはリビングルーム)に転じても、おかし
くないから不思議だ。「いかなる恥辱も母上にはかえられぬ」ということで、認知症の老母
をかばい、大将として降伏を決断する心は、同じ境遇にいる我らが同年代には、時空を超え
て普遍的な意味を伝えてくれる。

それだけに、淀の方の芝居では、狂気と正気の間を彷徨う淀の方をいかに迫力あるように演
じるかがポイントだろう。自尊心の果てに狂気に見舞われた淀の方(歌右衛門や雀右衛門の
狂気は、そういう感じだった)も、芝翫の場合、長期の時間の流れの中で、認知症になって
行った老母の様子が、いっそう、味のある芝翫独特の表情で演じていた。芝翫の「狂気」の
演技としては、淀の方の狂気にとどまらずに、「摂州合邦辻」の玉手御前、「隅田川」の班
女にも共通する狂気の表現の積み重ねの成果でもあると思うが、玉三郎の狂気の演技は、い
かがなものになるであろうか。期待して観た。今回の玉三郎は、「奥殿」から淀の方を演じ
ることで、「自尊心の果ての、呆けと狂気」に戻ったように見受けられた。「狂うひと」
「呆けるひと」を玉三郎は、「狂乱ではなく錯乱」と主張している。「戦乱の世に生まれた
女の、人生の矛盾が集約」された場面だという。ならば、老いの果ての、「狂うひと」「呆
けるひと」という私の印象も的外れではあるまい。

このほかの主な配役では、秀頼を演じたのは、初役の七之助。大野修理亮が、初役の松也。
氏家内膳が、初役の彦三郎、大住与左衛門が、初役の坂東亀蔵。千姫が、初役の米吉。饗庭
の局が、初役の梅枝など。玉三郎は、自身でも初役に挑み芸域を広げるとともに、後継育
成、世代交代を考えたフレッシュな配役で固めた、と思われる。



上方成駒屋の演目「漢人韓文手管始」


「漢人韓文手管始(かんじんかんもんてくだのはじまり) 唐人話」は、初見。1767
(明和4)年、並木正三原作「世話料理鱸包丁(せわりょうりすずきのほうちょう)」が初
演だが、史実(1764年、朝鮮通信使の随員が、大坂で対馬藩の通辞に殺される事件があ
った)に近い内容で興行差し止め。1789(寛政元)年、並木五瓶原作「韓人漢文手管
始」(外題の字が「漢人韓文」ではなく、「韓人漢文」になっている。読みは同じ)を経
て、これの書き換えが残された。江戸歌舞伎の台本と上方歌舞伎の台本と二系統が残されて
いる。近代では、1913(大正2)年、東京の本郷座で、「長崎土産唐人話」で、上演ほ
か。最近では、1994(平成6)年、木村錦花改修版を元に歌舞伎座で上演された。伝七
が三代目鴈治郎の時代の坂田藤十郎、典蔵が五代目富十郎、傾城高尾が時蔵ほかであった。

鴈治郎が演じる伝七のキャラクターは、上方歌舞伎の「ぴんとこな」、和事味をにじませた
二枚目。芝翫が演じる典蔵のキャラクターは、肝の強さを感じさせる立敵。高麗蔵が演じる
和泉之助のキャラクターは、「つっころばし」、柔らかみと滑稽みを併せ持つ。江戸歌舞伎
とは一味違う独特の上方味の出し方をそれぞれの役者は工夫する。

場面の構成は、次の通り。
序幕第一場「長崎客寄合町千歳屋庭口の場」第二場「同 客間の場」第三場「元の千歳屋庭
口の場」。二幕目第一場「国分寺客殿の場」第二場「同 奥庭の場」。今回、初見なので、
あらすじも記録しておきたい。

序幕第一場「長崎客寄合町千歳屋庭口の場」。花街の妓楼千歳屋の庭。舞台上手に千歳屋の
出入り口。下手には、浜に通じる唐風の門がある。舞台中央に朱塗りの東屋。上手から出て
きた千歳屋女房のお才(友右衛門)が、唐から来た外交団の正使・呉才官(片岡亀蔵)、副
使・珍花慶(橘太郎)に付き添って浜遊びに出かけていた大通辞の幸才典蔵(芝翫)、下役
の須藤丹平(中村福之助)らを迎える。一行は、花道から登場。傾城・高尾(七之助)と名
山(米吉)も付き添うはずだったのが、名山急病ということで同行しなかったので呉才官は
不興である。

皆が店に戻ったが、高尾は庭に残る。相良家家老の十木(つづき)伝七を待つのだ。実は、
二人は2年前から恋仲である。高尾が妹同様に可愛がる名山は、相良家の若殿・和泉之助と
恋仲である。十木伝七は、二つの問題を抱えていて、頭が痛い。一つは、和泉之助から、名
山身受けに必要な三百両の工面を頼まれているが、国元からの送金がない。もう一つは、相
良家の重宝・菊一文字の槍の穂先を唐使に献上するよう将軍家から言付かっているが、槍の
穂先は、目下、所在不明。

高尾は、花道から現れた伝七(鴈治郎)の武士としての覚悟を察し、伝七と運命を共にする
気になる。高尾が店に戻ると金貸しの手代が高尾の借金を取り立てに来る。伝七が口利きし
た借金だ。伝七は返済猶予を申し出るが、争いになる。そこへ典蔵が現れ、借金の返済の肩
代わりを申し出てくれる。実は、典蔵は、高尾に恋慕しており、伝七に橋渡しをして欲しい
のだ。それを知らない伝七は、自分が抱えている問題(菊一文字を唐使に献上、名山の身受
け金用立て)の便宜を図って欲しいと典蔵に願い出る。腹に一物の典蔵は、聞き届けると言
う。代わりに、高尾への橋渡しをと打ち明ける。途方にくれる伝七。この芝居の「問題の所
在」が、ここで観客に知らされる、というわけだ。というところで、舞台は、鷹揚に回る。

第二場「同 客間の場」。女房のお才が、名山(米吉)に呉才官への身受けを諭している。
仲居のお千代(芝のぶ)がいる。私は、芝のぶのファン。現れた典蔵(芝翫)も口添えをす
るので、名山は仕方なく座敷へ向かう。高尾(七之助)が現れ、和泉之助の名山身受け金を
典蔵が引き受けたと聞き、伝七との恋仲を告げ、自分も伝七と添わせて欲しいと願う。これ
を聞いた典蔵は伝七への遺恨の念を抱くようになる。回り舞台は逆回りで、戻る。

第三場「元の千歳屋庭口の場」。名山身受けが決まり、相良和泉之助(高麗蔵)は、太鼓持
ちの長八(竹松)、善六(廣太郎)を伴い、名山との逢瀬を楽しんでいる。奴の光平(松
也)が駆けつけ、菊一文字の所在が判ったが、急遽、献上品の内見が決まったと伝える。案
じた和泉之助が伝七を呼び出し、事情を聞くと、すべて伝蔵が良いように計らってくれるか
ら、内見会場の国分寺へ偽の菊一文字を持って行くようにと答える。幕。

二幕目第一場「国分寺客殿の場」。客殿中央の壇上に唐服姿の典蔵が控えている。参集した
大名たちは、献上品を披露する。遅れてやってきた和泉之助も偽の菊一文字を差し出す。こ
れを検めた典蔵は、「真っ赤な偽物」と断じて、和泉之助に恥をかかせる。横恋慕男の意趣
返し。伝七も駆けつけてくるが、遺恨の念を持つ典蔵は、さらさら、取り合わない。

名山を伴った呉才官(片岡亀蔵)が現れ、正使の権限で、病気の副使・珍花慶に代わり、典
蔵を副使名代にしたと告げる。名山も身受けをして同伴帰国することになったという。一同
は狼狽する伝七を尻目に退場してしまう。事の経緯が納得できない伝七だが、賢い家臣の
奴・光平に諭される。そこへ現れた高尾から彼女と典蔵とのやりとりを聞かされて、合点が
行く。伝七は典蔵の後を追う。幕。

第二場「同 奥庭の場」。舞台中央に朱塗りの渡り廊下。「伊勢音頭恋寝刃」の殺しの場面
のパロディか? まず、花道から典蔵。ついで、下手から伝七。伝七は典蔵に追いつき、高
尾との間を取り持つからと訴えるが、典蔵は相手にせず、相良家は断絶だと伝七を罵倒す
る。耐えかねた伝七は、持っていた槍の穂先で典蔵を殺す。典蔵は、舞台上手に倒れこむ。
下手から、再び現れた光平(松也)は、所在の判った菊一文字を取り戻しに行こうと伝七に
勧めるとともに、典蔵殺しの罪は自分が背負うと申し出る。幕。幕外のひっこみで、終演。


玉三郎の「秋の色種」


「秋の色種」は、舞踊劇。1845(弘化2)年、盛岡藩主南部利済の江戸屋敷の新築祝い
に初めて披露されたという。南部候が漢文混じりで作詞したのに十代目杵屋六左衛門が曲を
つけたという。

玉三郎は、去年の秋、熊本の八千代座で初めて踊っている。歌舞伎座では初演。私も初見。
花道から出てきた玉三郎に大向こうから声がかかる。「待ってました」。玉三郎は紫の衣装
で裾模様は、桔梗の花など。「秋草の 吾妻の野辺の荵草……」。秋の風情を眺めながら踊
るのは女(玉三郎)。「うけら紫葛雄花 共寝の夜半に萩の葉の……」。続いて、女たち
(梅枝、児太郎)も花道から登場して、加わる。三人の踊り。秋の花々。虫の声。自らの
恋。「夢は巫山(ふざん。中国の山)の雲の曲……」。玉三郎は、一旦、上手に引っ込む。
残った女たち(梅枝、児太郎)は琴を弾く。「清掻(すがが)く琴の爪調べ……」。恋人と
の逢瀬。春の桜、秋の月、冬の雪。玉三郎再登場。三人の踊り。「常盤堅磐(ときわかき
わ)の松の色 いく十返りの花にうたわん」。三人の女たちは、花道から退場。無人の舞台
に緞帳が降りてくる。

玉三郎は、相手役として若い立役を抜擢し、育成するとともに、若い女形とともに出演する
ことで有能な若い女形を発掘し、育てようとしているように見受けられる。自身の芸道研鑽
とともに、歌舞伎界全体を見回しながら、立役、女形の若手育成に余念がないような気がす
る。
- 2017年10月17日(火) 14:08:48
17年10月歌舞伎座(昼/新作歌舞伎「マハーバーラタ戦記」)


「極付印度伝 マハーバーラタ戦記」は、初演の新作歌舞伎。日印友好交流記念という。世
界三大叙事詩の一つ、「マハーバーラタ」を元に初めて歌舞伎化された。新作歌舞伎なが
ら、歌舞伎の定式の演出を可能な限り踏襲する。それでいながら、照明、音響などの効果
は、現代の技術をフルに使う。時に、澤瀉屋風の、つまり三代目猿之助風の、スーパー歌舞
伎演出も取り入れている、というのが、全体を見終わった後の私の印象であった。

今回の場割り(場面構成)は、以下の通り。
序幕第一場「神々の場所」第二場「ガンジスの川岸」第三場「迦楼奈(かるな)の家」第四
場「五王子の宮殿」第五場「修験者の庵」第六場「競技場」第七場「祭りの町の別邸」。二
幕目第一場「パンチャーラ国」第二場「鶴妖朶(づるようだ)王女の屋敷の庭」第三場「鶴
妖朶の屋敷」第四場「密林」第五場「ガンジス川のほとり」。大詰第一場「象の国の陣営」
第二場「開戦」第三場「バガバッド・ギーター」第四場「迦楼奈と汲手(くんてぃ)姫」第
五場「戦場」。

主な出演は、神々の世界では、大黒天(楽膳)、梵天(松也)、帝釈天(鴈治郎)、那羅延
天(ならえんてん。菊五郎)、太陽神(左團次)、シヴァ神(菊之助)、多聞天(彦三
郎)。以下、注意! 人間界の配役については、読みにくいので漢字の名前をカタカナ書き
とする。太陽神、次いで、帝釈天と契って子をなした汲手姫(くんてぃ。若い頃:梅枝、そ
の後:時蔵)、姫と太陽神の子・迦楼奈(かるな。菊之助)、迦楼奈の育ての父親(秀
調)、母親(萬次郎)。迦楼奈の師匠となる修験者(権十郎)。那羅延天(ならえんてん)
の化身・仙人「クリシュナ」(菊五郎)。王権争いをする百人兄弟グループの長女・鶴妖朶
王女(づるようだ。七之助)、弟の王子「ドウフシャサナ」(片岡亀蔵)。対立する五王子
の長男「ユリシュラ」王子(彦三郎)、次男「ビーマ」王子(坂東亀蔵)、三男「アルジュ
ラ」王子、実は汲手姫と帝釈天の子、つまり、迦楼奈の異父弟(松也)、四男「なくら」王
子(萬太郎)、双子となる五男「さはでば」王子(種之助)。三男「アルジュラ」王子と婚
約したパンチャーラ国の「ドルハタビ」姫(児太郎)、その父親・国王の「ドルハタ」王
(團蔵)。次男「ビーマ」王子と契った森の魔物の娘「シキンビ」(梅枝)、「ビーマ」王
子と「シキンビ」の子・「ガトウキチャ」(萬太郎)、「シキンビ」の兄「シキンバ」(菊
市郎)ほか。

初演なので、コンパクトながら、あらすじを書いておこう。
序幕第一場「神々の場所」。両花道の演出。場内暗転の中で、定式幕が、ゆっくりと小刻み
に開き始める。歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の幕開きのようだ。ガンジス川の源流、ヒマラ
ヤ山中の雲の上が神々の場所。舞台はお堂の中のようである。全身が金箔のような神々。後
光もきんきら。那羅延天(菊五郎)、シヴァ神(菊之助)、梵天(松也)、大黒天(楽膳)
ら神々が居並び、微睡んでいる。さらに、「仮名手本忠臣蔵」の「大序」の幕あきのような
演出は続く。神々は床の出語りという伝統的な演出の竹本の語りに合わせて、一人ずつ目覚
め始める。まず、シヴァ神。彼は「この世の終わりが始まる」と宣言する。人間が始める戦
争により世界が滅ぶという。本花道より顔が砥粉塗りの太陽神(左團次)が現れ、世界の終
わりを止めたいという。これが、この芝居のテーマだ。象の国の汲手姫との間に子をもうけ
れば、その子が人間たちの争いを止めるという。仮花道から現れた顔が白塗りの軍神・帝釈
天(鴈治郎)は、圧倒的な武力を持った者が力で世界を支配しない限り、争いは止まないと
いう。いわば、アメリカのトランプ大統領のようなことをいう神様だ。自分が汲手姫との間
に子をなすという。神々と姫の三角関係に、神々のなした子どもたち、異父兄弟の争いが重
なる。長老の那羅延天は、汲手姫にまず、太陽神の子をなし、それがうまくいかなければ、
次に、帝釈天の子をなせという。舞台は回る。

同 第二場「ガンジスの川岸」。険しい山々。ガンジス川上流の岸辺。花道から現れた赤姫
の衣装を身にまとった若い汲手姫(梅枝)が、舞台下手にて、お告げに従って太陽神との奇
跡を願うと、上手の川面には、雲に乗った太陽神が現れて、汲手姫は身ごもる。処女懐胎で
ある。生まれ出た赤ん坊の耳には、輝く耳飾りが付いている。恋愛もセックスもしたことが
ない姫は、怖くなって、赤ん坊を川へ流してしまう。やがて、定式幕で閉幕。歌舞伎の「妹
背山」の舞台下手側にある妹山の後室定高の娘・雛鳥がお雛さまを吉野川に流すシーンを思
い浮かべた。

同 第三場「迦楼奈(かるな)の家」。16年後。汲手姫が流した赤ん坊(姫と太陽神の間
に生まれた子)は、迦楼奈という名の青年になっている。育ての親は、御者夫婦(父が秀
調、母が萬次郎)。舞台上手に設定されたパーカッションの演奏に合わせて、暴れ馬が一芝
居。花道から現れたのは、その迦楼奈(菊之助)。暴れ馬を放った矢一本で鎮めてしまう。
おとなしくなった馬は花道から退場。ついで、花道すっぽん(独特の小さなセリ)に不意に
現れた太陽神が、人間たちの戦乱を止めることが青年の使命だと諭す。耳飾りがある限り青
年は不死身だ、と言われ、迦楼奈は戦士になる決意をする。戦うために故郷を出て行く息子
に母は、青年の出自の真相を告げる。パーカッションの演奏に合わせて舞台が回る。伝統の
回り舞台と現代のパーカッションの演奏が不思議ではないところが、おもしろい。

同 第四場「五王子の宮殿」。名君のパーンドゥ王が治める象の国には、5人の王子(双子
を含む)がいた。王子たちの母は、汲手姫(時蔵)だが、4人の父親は皆違う。五王子は、
歌舞伎の「白浪五人男」を連想させる。このうち、帝釈天との間に生まれたのが、三男「ア
ルジュラ」王子。パーンドゥ王は、呪いでセックスが出来なくされていた。その王が亡くな
り、王位継承がお家騒動となる。パーンドゥ王の兄の子供たち(「百人兄弟」という)のう
ち、鶴妖朶王女(づるようだ。七之助)と弟の王子「ドウフシャサナ」(片岡亀蔵)もお家
騒動に加わり、五王子たちと対立する。パーカッションの演奏に乗り、二人の姉弟は、花道
から現れた。後継者は、武芸の力量で決めようということになった。舞台中央の宮殿の御簾
が降り、二人は、両花道から退場する。パーカッションを除けば、芝居は伝統的な演出を踏
襲している。

同 第五場「修験者の庵」。修験者(権十郎)の下で弓の修業に励んでいた迦楼奈(菊之
助)は、身分を偽っていたことが発覚し、破門されてしまう。師匠を怒らせたことから、師
匠の修験者に呪いをかけられてしまう。舞台展開は、引き道具に書割。修験者は、舞台下手
へ退場。森をさまよっていた迦楼奈は出会った行者(團蔵)にも聖なる牛を殺したとして、
呪いをかけられる。行者は仮花道から退場。花道すっぽんから太陽神が現れ、自分が迦楼奈
の父親だと告げる。太陽神は、力で人の世を支配しようとする「アルジュラ」王子を止める
のは、お前しかいないと迦楼奈の背中を押す。迦楼奈も仮花道から退場。幕。
同 第六場「競技場」。武芸大会の競技場。幕が開くと、舞台中央に御座所。那羅延天の化
身・仙人「クリシュナ」(菊五郎)、迦楼奈の実母・汲手姫(時蔵)らが上手より現れる。
御座所へ。五王子、鶴妖朶王女と弟の王子「ドウフシャサナ」のほか、上下手の見物席に庶
民らも入り、全員が見守る中、本戦に残った迦楼奈と「アルジュラ」王子の対決の時を迎え
た。両花道から弓の的が登場、舞台中央に停止する。力量伯仲、激闘の末、勝負がつかな
い。仙人は、勝者を決めずに試合終了とする。町中の絵が描かれた道具幕振りかぶせで、
幕。

同 第七場「祭りの町の別邸」。祭りの町、ヴァラナヴァタ。両花道から踊る人々。本舞台
上・下手から遊女の舞踊団(しのぶら女形たち)登場。町には鶴妖朶王女と弟の「ドウフシ
ャサナ」王子の別邸がある。五王子を招いてもてなす。別邸で火事が起こり、たちまち炎
上。炎に包まれる別邸。大道具がセリ下がる。逃げ遅れる五王子たち。幕。

二幕目第一場「パンチャーラ国」。美女の誉れが高いパンチャーラ国の「ドルハタビ」姫
(児太郎)は、五王子の一人、「アルジュラ」王子と婚約していたが、五王子は火事で死ん
だということで、改めて婿選びをすることになった。宮殿の広場に婿候補たちが集められ
た。象に乗って上手より「ドルハタビ」姫登場。パンチャーラ国の国王の「ドルハタ」王
(團蔵)と「ドルハタビ」姫は、婿候補たちの前に立った。多数の候補たちは、皆、仮面を
つけている。王の問いに答えられた者が婿になれると呼びかけた。3人が残った。仮面をと
ると、3人とは、迦楼奈(菊之助)、鶴妖朶(づるようだ。七之助)、「アルジュラ」王子
(松也)であった。「アルジュラ」王子が自分たちを焼き殺そうとしたのは、鶴妖朶だと訴
えたため、「ドルハタ」国王は、鶴妖朶と迦楼奈を追放した。二人は、下手から退場。「ド
ルハタビ」姫と「アルジュラ」王子は、婚礼の儀に向かった。舞台は回る。

同 第二場「鶴妖朶王女の屋敷の庭」。パンチャーラ国で受けた恥辱を雪(すす)ごうと、
花道より現れた「ドウフシャサナ」王子は、サイコロ賭博で五王子の財産を取り上げようと
提案する。サイコロの目を自在に操れる特技があるという。婚礼を祝う余興として、サイコ
ロ賭博をすることになった。幕。

同 第三場「鶴妖朶の屋敷」。鶴妖朶は、五王子を屋敷に招き、サイコロ賭博で饗応する。
五王子の長男・「ユリシュラ」王子(彦三郎)は、負け続け、すべてを失う。鶴妖朶は、五
王子と「ドルハタビ」姫が向こう12年の間、森をさまよって暮らすことなどを条件に彼ら
を追放する。幕。

同 第四場「密林」。五王子の次男「ビーマ」王子(坂東亀蔵)も一人で森をさまよってい
る。新作歌舞伎らしくスポットを使う演出。森の魔物の娘「シキンビ」(梅枝)がせり上が
りで現れ、伝統のぶっかえりの演出で本心顕しの末、王子への恋心を告げる。次いで、「シ
キンビ」の兄「シキンバ」(菊市郎)が「鏡獅子」を連想させる衣装で現れ、「ビーマ」王
子を食おうとする。「ビーマ」王子と「シキンビ」は力を合わせて、「シキンバ」を討ち取
る。兄は本舞台奥に消え去る。「ビーマ」王子と「シキンビ」は結ばれ、子をなすが、ほか
の兄弟と合流する「ビーマ」王子は森の外へ出なければならない。「シキンビ」は森の中で
暮らすことしかできない。二人は、13年後の再会を約して、別れる。幕。

同 第五場「ガンジス川のほとり」。舞台下手、川のほとりで修行を続ける迦楼奈(かる
な。菊之助)に通りかかった旅の僧(鴈治郎)が象の国の現況を伝える。五王子が追放さ
れ、鶴妖朶(づるようだ。七之助)の治世になってから乱れている、という。13年経った
ら、鶴妖朶を倒してほしいという民の声があふれている、という。これから断食の行に入る
ので、迦楼奈の耳につけている耳飾りを施してほしい、と願う。躊躇したものの最も大事な
はずの耳飾りを渡すと、パーカッション演奏で、旅の僧は、たちまち正体を顕し、帝釈天の
姿となり、迦楼奈を咎める。苦行僧に求められれば、なんであれ、差し出すのが、自分の法
であると、答えると、帝釈天は、迦楼奈にこの世で最強の武器「シャクティ」を授ける。一
撃でなんでも壊すことができるが、一度しか使えない、という。幕。

大詰第一場「象の国の陣営」。暗転の中、開幕。スポットを使う演出。五王子追放から、丸
13年が経った。明日からは、五王子軍も象の国と戦えるようになる。蛇の紋を染めた幔幕
の陣営は鶴妖朶軍。鶴妖朶軍では、弟の「ドウフシャサナ」王子が、明日を前に、夜襲を仕
掛けよと姉に進言する。迦楼奈の援軍を待っている鶴妖朶は聞き入れない。空が白み始め
た。舞台下手からやってきた迦楼奈とともに、鶴妖朶は、出陣して行く。

同 第二場「開戦」。夜が明け、五王子軍と鶴妖朶軍の戦いが始まる。本花道に五王子た
ち。仮花道に鶴妖朶たちと迦楼奈。回り舞台が回ったり、戻ったり、さらに細長い花道も加
えての立ち回り。劇場空間を活用しながらテンポよく戦場の場面を描く。戦国の屏風絵展
開。パーカッション。両軍の大きな旗が舞台を縦横に移動する。どこかで見た光景。澤瀉屋
のスーパー歌舞伎「三国志」の演出そっくり。両花道から馬が曳く戦車が登場する。舞台を
くるくる回る戦車。

同 第三場「バガバッド・ギーター」。戦いを前に、五王子の一人、「アルジュラ」王子
(松也)が躊躇している。花道すっぽんからせり上がってきた那羅延天(ならえんてん)の
化身・仙人「クリシュナ」(菊五郎)が諭す。人間の肉体は滅んでも「我(が)」は、滅ば
ない。戦士は戦士としての義務を果たせ。義務とは、勝利という結果ではなく、ひたすら戦
うということだ。「アルジュラ」王子は迷いを捨て戦場へ赴く。

同 第四場「迦楼奈と汲手姫」。汲手姫(時蔵)が、戦場の迦楼奈(菊之助)を訪れ、「ア
ルジュラ」王子と争うのを止めてほしいと懇願する。母・汲手姫は、父親の違う兄弟の争い
を止めたいのだ。太陽神の子・迦楼奈。帝釈天の子・「アルジュラ」王子。だが、迦楼奈は
それを拒む。汲手姫は、迦楼奈の母親だと名乗りだせないまま、去って行く。

同 第五場「戦場」。戦が始まる。迦楼奈は、「ビーマ」王子と森の魔物の娘「シキンビ」
の子・「ガトウキチャ」(萬太郎)に追い詰められて、最強の武器「シャクティ」を使って
しまう。鶴妖朶(七之助)は、「ビーマ」王子に討たれてしまう。異父兄弟、迦楼奈と「ア
ルジュラ」王子の争い。結局、弟の「アルジュラ」王子が勝ちを収めるが、二人は互いの係
累としての真相を知り、和解する。

暗転の中、舞台が回って、さらに、舞台中央にせり上がってきたのは神々たち。那羅延天
(ならえんてん。菊五郎)、シヴァ神(菊之助)、梵天(松也)、太陽神(左團次)、帝釈
天(鴈治郎)、多聞天(彦三郎)ら神々は、人間たちの戦いとその後を眺めていた。人間の
世を滅ぼすことを留まり、暫くは、人間に任せてみようということになった。神々は、再
び、微睡む。最後は、新作歌舞伎らしく、緞帳で幕。カーテンコールがあり、一回だけ幕が
上がって、終演。

芝居は、神々の三角関係とそれを反映した人間たちのお家騒動の果ての戦争。演出は、照
明、音響、音楽などは新作歌舞伎流。随所に古典歌舞伎の伝統的演出も顔を出す。新旧の歌
舞伎の演出をふんだんに盛り込んでいる。菊五郎劇団の挑戦心。劇団の座長役も菊五郎から
息子の菊之助へと重心を移動させたようだ。こういう演出の歌舞伎、好きか嫌いかは、観客
の気持ち次第。まあ、そういうところだろうか。
- 2017年10月15日(日) 17:58:56
17年09月国立劇場(人形浄瑠璃)(第二部/「玉藻前曦袂」)
 

9月国立劇場、外連の人形浄瑠璃/妖しい「金毛九尾狐」が暗躍する


「玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)」は、初見。浪岡橘平、浅田一鳥、安田蛙桂
の合作。全五段の時代もの。1751(寛延4)年、大坂豊竹座で初演。外題の角書は、
「那須野狩人/那須野猟師」とある。半世紀後、近松梅枝軒らが改作し、1806(文化
3)年、大坂御霊宮境内の鶴沢伊之助座で初演されたものが現行の曲。こちらには、「絵本
/増補」という角書がある「玉藻前曦袂」。

天竺(インド)、唐土(中国)、日本を暗躍した金毛九尾(きんもうきゅうび)の妖狐(よ
うこ)に乗っ取られたという玉藻前(たまものまえ)の伝説をベースに、天皇の兄・薄雲
(うすぐも)皇子の謀反を絡めて、ストーリーを展開している。三段目切(きり)の鷲塚金
藤次の悲劇を描く「道春館の段」がみどりで上演されることがあるが、今回は通し狂言とし
て、上演された。人形浄瑠璃としては珍しい外連(けれん)ものである。

浅田一鳥は、「播州皿屋鋪」などの合作者として名前が残っている。浪岡橘平、安田蛙桂ら
は、並木宗輔らと合作したグループやその周辺にいた合作の狂言作者のようであるが、人物
などの詳細は、不明。江戸歌舞伎では、鶴屋南北を立作者として、1807(文化4)年、
「三国妖婦伝」、「玉藻前御園公服」などの書き換え狂言が作られた。外連味が好まれた時
代もあり、人形浄瑠璃「玉藻前曦袂」も、幕末から明治にかけては、ピクチャレスク浄瑠璃
の代表作として、繰り返し上演されたが、1934(昭和9)年を最後に、戦中は上演が途
絶えていた。戦後、1974(昭和49)年、国立劇場で、40年ぶりに日本編を上演し
た。

1982(昭和57)年、初段、二段を復活して、通し狂言として上演した。2015年、
大阪の国立文楽劇場で、日本編が上演され、今回の東京公演に繋がった。人形浄瑠璃の名作
という本道からは外れているが、見た目本位というものの外連味に観る側の好き嫌いはある
ものの、珍奇ながら、見た目は華やかな演目ではあるので、いつもの観劇とは違った楽しみ
方ができる。

今回の場割(場の構成)は、次の通り。
「清水寺の段」、「道春館の段」、「神泉苑の段」、「廊下の段」、「訴訟の段」、「祈り
の段」、「化粧殺生石(けわいせっしょうせき)」。全五段のうち、三段目、四段目、五段
目で構成という、「半通し」上演。

初見なので、コンパクトながら各段の筋書きを記録しておこう。
「清水寺の段」。「禹湯(うとう)おのれを罪して興桀(こうけつ)す、紂(ちゅう)人を
罪して身を滅ぼす……」。竹本は、薄雲皇子が津国太夫、采女之助が文字栄太夫、桂姫が咲
寿太夫ほか。

贅言;「清水寺の段」冒頭の語り出し。「禹」と「湯」は人名。古代中国の名君で王朝を
「興」した人物、「桀」と「紂」は、暴君で王朝を「滅」ぼした人物として伝えられてい
る。「禹湯(うとう)己を罪して興す、桀紂((けつちゅう)人を罪して身を滅ぼす……)
が正しいのでは? 江戸の狂言作者さん。

登場人物や状況設定の説明をする段。薄雲皇子が清水寺に参籠に来た。弟の鳥羽天皇に皇位
を取られた兄の薄雲皇子は謀反の企て(天皇家のお家騒動)をしている。謀反実行の障害と
なっていた右大臣・藤原道春亡き後、道春の元から盗まれた「獅子王の剣」の由来が語られ
る。皇子が横恋慕する道春の息女・桂姫、姫が恋狂いの相手・采女之助との三角関係も明ら
かにされる。さらに、桂姫も参詣に来る。陰陽師安倍泰成の弟、采女之助も来合わせる。姫
は采女之助に恋しているが、采女之助の方は、つれない。

お家騒動と色恋沙汰、というよくある話が、劇的構造になっている。薄雲皇子は、鷲塚金藤
次に道春館に行き、桂姫が今も従わないようなら、首を打つようにと命じる。

贅言;今月は、歌舞伎座の夜の部で、「再桜遇清水」が上演された。序幕は「新清水花見の
場」で、基本的には、清水寺の場面。大道具が、人形浄瑠璃は、下手から滝、五重塔の遠
景、張り出した舞台の順であった。歌舞伎の方は、上手から滝、中央に張り出した舞台の順
であった。

「道春館の段」。「思ひ寝の、夢の間の、枕に契る明け方や……」。この段だけは、みどり
で上演されてきた。竹本は、「中」が希太夫、三味線方が寛太郎。「奥」が千歳太夫、三味
線方が富助。

道春館は、左右がシンメトリ。館にいる道春の後室・萩の方を薄雲皇子の使者として訪ねて
きたのは鷲塚金藤次。金藤次は、獅子王の剣か、薄雲皇子に靡(なび)かない桂姫の首か、
どちらかを差し出せと薄雲皇子の無理難題な要請を伝えに来た。剣が盗まれている以上、要
請に応えるためには、桂姫の首を差し出すしかない。萩の方は、桂姫の出自を語った後、桂
姫と妹の初花姫に双六(すごろく)で勝負させ、負けた方の首を差し出すという条件を金藤
次に提案する。姉思いの初花姫は、桂姫に負けるように勝負を進める。萩の方、初花姫の思
惑通りに妹姫が負けるが、金藤次は最初から勝負の結果など尊重する気は無かったようで、
勝負に勝った桂姫の首を切り落としてしまう。皇子の意向に背く者には、容赦しない、と言
い放つが……。衝立の陰で、様子を伺っていた采女之助が飛び出してきて、金藤次の脇腹に
刀をつきれると、

実は……と、金藤次が真実を話し出す。桂姫は、若い頃、無職だった金藤次が清水寺近くの
神社に捨てた娘だ、と告白する。仕官する条件として薄雲皇子から獅子王の剣を盗み出すよ
う唆(そそのか)され、実行したことも告白する。金藤次は、獅子王の剣が薄雲皇子の館に
あると明かした上、自分が殺した実の娘の首を手に泣き崩れる。つまり、悪人の善人への
「モドリ」という定式の演劇術の展開である。

そういう愁嘆場へ、勅使の中納言重之卿がやってくる。先日の歌合で、初花姫が詠んだ歌を
鳥羽天皇が高く評価し、初花姫に玉藻前と名を改めた上で、宮中に仕えよと伝えに来たの
だ。恋人の桂姫を亡くした采女之助は獅子王の剣を奪い返すために、桂姫の首を携えて、薄
雲皇子の館へ向かう。

ここまでの人形遣いは、薄雲皇子が玉也。桂姫が簑二郎。采女之助が幸助。初花姫、後に、
玉藻前が文昇。後室・萩の方が和生。金藤次が玉男。中納言重之卿が亀次ほか。

贅言;そういえば、和生は、今年、今の人形遣いでは二人目となる人間国宝に指定された。
第一部の「生写朝顔話」の「浜松小屋の段」の場面では、人間国宝の先輩・簑助との女形人
形の共演であった。和生が、乳母・浅香、簑助が朝顔であった。簑助の芸については、第一
部劇評で触れている。

「神泉苑の段」。「平安城の大内裏、築地の内に散り敷ける……」。竹本は、「口」が咲寿
太夫、三味線方が龍爾、改め友之助。「奥」が咲甫太夫、三味線方が清介。
仕丁たちが落ち葉の掃除をしていると、薄暗くなり、一陣の風とともに、黒雲が下手の空を
覆う。金毛九尾の狐が現れ、築地塀を越えて、神泉苑の方へ飛び去って行く。すると、大道
具が引き道具で場面展開。御殿へ。書割は天井に向けて引き上げられる。

神泉苑に隣接する御殿には、初花姫がいる。初花姫は、帝の意向を受けて、名を玉藻前と改
めて、入内(じゅだい)したのである。鳥羽天皇の寵愛を受けながらも、亡き姉を思い、嘆
いている。そこへ先ほどの妖狐・九尾の狐が現れ、玉藻前を食い殺す。狐を操る勘十郎は、
キンキラの白い肩衣をつけている。以後の玉藻前は、姿こそ玉藻前ながら、本性は妖狐であ
る。玉藻前は天皇の寵愛を受けるが、本性の妖狐は悪事を企む。妖狐が化けた玉藻前は、薄
雲皇子に呼び止められ、口説かれた挙句、帝への謀反を打ち明けられると、本性を語った上
で、皇子と結託して、日本を魔界にしようと企てることになる。そのためには、天皇家が保
管している八咫(やた)の鏡を汚し、邪魔な獅子王の剣を取り除けば良いのだと皇子を唆
(そそのか)す。

この段の見どころは、妖狐と玉藻前の首(かしら)を瞬時に差し替える仕掛けである。この
特殊な首は、2種類ある。一つは、「両面(りょうめん)」で、首(かしら)の前と後ろに
娘と狐の顔がそれぞれついている。玉藻前には、娘面に黒髪の鬘、妖狐には、狐面に白髪の
鬘である。「玉藻前曦袂」専用の首である。狐が玉藻前に化けた、という想定である。髪を
裁くと同時に狐から娘へ、娘から狐へと変わるのである。もう一つは、「双面(ふたおも
て)」で、鬘と顔の間に狐面を仕込んでいて、髪を整えた「娘」の首(かしら)に狐面が覆
い被さる仕掛けになっている。玉藻前が、何かの拍子に狐の本性を顕したという想定であ
る。例えば、薄雲皇子と密談中に娘面の上に本性の狐面が出る、というような場面で使われ
る。再び、書割が上がり、大道具が引き道具となり、場面展開。御殿の長い廊下へ。廊下の
背景は奥庭。

「廊下の段」。「伴ひ行く/金瓊(きんけい)の床の前には遥かに千歳の松を契り……」。
竹本が、始太夫、三味線方が清志郎。鳥羽天皇の寵愛を一身に受ける玉藻前(実は、九尾の
狐)に対して、上揩スちは天皇の寵愛を奪われたことで恨みを募らせている。天皇の居住区
の奥に通じる廊下では、上揩スちが皇后の美福門院も仲間に引き入れて、玉藻前を暗殺しよ
うと、待ち伏せしている。風が吹き、灯火が消えた暗闇の中、通りかかった玉藻前を刺そう
とすると、妖力を示すかのように玉藻前の全身からは、光を放ち、玉藻前は、闇の中に怪し
く浮かび上がる。

ここまでの人形遣いは、薄雲皇子が玉也。玉藻前が文昇。妖狐が変身した玉藻前が勘十郎、
美福門院が清五郎ほか。「廊下の段」から「訴訟の段」の間は、今回の上演では、省略され
ている。傾城亀菊の出自の物語が抜いてある。

「訴訟の段」。「李延年が唐詩に、北方に佳人あり絶世にして独立す、一たび顧みれば人の
城を傾け、再び顧みれば人の国を傾くるとかや、……」。竹本が、睦太夫、三味線方が喜一
朗。チャリ場である。

鳥羽天皇の兄・薄雲皇子の寵愛を受ける傾城の亀菊。酒色に溺れて、政務を怠る薄雲皇子の
代わりに傾城が訴訟を裁くという政治権力を発揮する場面で、観客を笑わせる趣向である。
政治へのパロディ。亀菊は、持兼の宰相と内侍の局の金の貸し借りや下女・お末(お多福の
首)と右大弁の色恋沙汰を見事に裁いてみせる。その際、皇子から重宝の八咫(やた)の鏡
を預かる。

「祈りの段」。「散らして出でて行く/程なく後へ入り来る……」。竹本が、文字久太夫、
三味線方が宗助。「訴訟の段」の続き。玉藻前の不審を訴え出ていて、裁きの場にやってき
た安倍泰成。泰成は、玉藻前の姿をした妖狐と直接対決することになる。鳥羽天皇の病は、
妖魔の仕業、玉藻前こそ、その妖魔だと泰成は断じる。妖魔の正体は、金毛九尾の狐。

安倍泰成は、鳥羽天皇の御悩平癒の祈祷を行う。玉藻前に弊取(へいとり)役を務めさせ
る。亀菊が一人になると采女之助が姿を見せる。采女之助は、亀菊から八咫(やた)の鏡を
受け取る。亀菊の裏切りを知った薄雲皇子は亀菊に怒りの刃を向ける。亀菊は出自を語り、
皇子を諌めるが、息絶えてしまう。「情け容赦も荒気の皇子、非道の刃に/はかなくもこの
世の息は絶えにけり」。弊取役の玉藻前は泰成に獅子王の剣を突きつけられた途端、剣の威
徳で、妖狐の正体が顕れてしまう。妖狐は、宙に飛び(人形遣いの勘十郎が人形とともに宙
乗りとなり舞台上手へ)、那須野が原へと逃げ去って行く。薄雲皇子も流罪を言い渡され、
「四国の地へ遠流なせよとの勅令」で、謀反も失敗に終わって、めでたしめでたし。

ここまでの人形遣いは、薄雲皇子が玉也。傾城亀菊が勘彌。玉藻前、実は妖狐が勘十郎、采
女之助が幸助、安倍泰成が玉輝、右大弁が玉勢ほか。

「化粧殺生石」。「昔は雲の上掾iうえわらわ)、今魂は天下がる鄙に残りて悪念の、その
妄執の晴れやらぬ、恨みは石に留まりて、……」。竹本が、咲甫太夫、睦太夫、始太夫、小
住太夫、亘太夫、三味線方は、藤蔵、清馗、寛太郎、清公、燕二郎。人形遣いは、勘十郎の
独り舞台。那須野が原へ逃げた妖狐は、追っ手に討たれて殺生石にさせられてしまう。霊魂
になった妖狐は、様々な姿に化けて踊り騒ぐ。勘十郎は、再び、キンキラの白い肩衣袴姿
で、せり上がりで登場。座頭→(在所)娘→(背景も雲)雷→(祭礼姿の)いなせな男→狐
→夜鷹→女郎(おたふく)→奴、という七役早替り。この場面は、妖狐遣いの勘十郎が一人
で人形たちの早替りを見せてくれる。変化(へんげ)の場面を暗くして、観客からは見えに
くくする演出もあるというが、勘十郎は、明るい中で替えて見せた。その代わり、替り目の
演出をいろいろ工夫した、という。まあ、歌舞伎のように役者自身の早替り(着せ替えなど
がある)とは違って、7体の人形を取り替えてみせるわけだから、大分違う。一部、勘十郎
の衣装の引き抜きなどもある。通称「七化(ななば)け」という。人形浄瑠璃では、絶えて
いた場面だが、淡路人形芝居の演出を参考に復活させたものだ、という。国立劇場では、1
974(昭和49)年以来の上演である。

大団円では、殺生石のてっぺんに乗った金毛九尾の狐は、最後に十二単(ひとえ)姿を見せ
て、玉藻前と妖狐の変わり目を首(かしら)で見せる。この際の首は、「双面」である。玉
藻前の専用首は、1974年上演に際して大江巳之助が新たに作ったものである。
- 2017年9月18日(月) 16:53:34
17年09月国立劇場(人形浄瑠璃)(第一部/「生写朝顔話」)
 

「写生朝顔話」を人形浄瑠璃で観るのは2回目。前回は11年05月国立劇場小劇場公演。
「段割(段の構成)」は、「明石浦船別れの段」「宿屋の段」「大井川の段」であった。今
回は、このほかに3つの段がつく。「宇治川蛍狩りの段」、「浜松小屋の段」、それに「嶋
田宿笑い薬の段」である。今回同様の段割で上演されたのは、19年前の、98年9月以
来。

講釈師・司馬芝叟(しばしそう。詳細不明)の長咄(人情話)「朝顔日記」を元に作られ
た。話の構造は、荒唐無稽で、筋もシンプルだ。これも、先行作品をいくつか、下敷きにし
ている。「絵本太功記」同様の、無名の作者による憑依の作劇に近いのではないか。歌舞伎
としての初演は、1813(文化10)年で、人形浄瑠璃としての初演は、1832(天保
3)年、大坂・稲荷社内竹本木々大夫座というから、宮地芝居の系統の演目だろう。山田案
山子(詳細不明)脚色という。

後の儒学者熊沢蕃山がモデルという宮城阿曽次郎と岸戸藩家老・秋月弓之助の息女・深雪と
のすれ違いのラブロマンス(まるで、先の戦後直後の社会を風靡した菊田一夫原作のラジオ
ドラマ「君の名は」のようにすれ違う)と西国大名大内家のお家騒動を背景にした物語だ
が、専ら、ラブロマンスの場面が、深雪の視点で描かれる。

「宇治川蛍狩りの段」。「武士(もののふ)の、八十宇治川と名に流れ、底の濁りも夏川
や、……」。竹本は、「中」が小住太夫、三味線方が、錦吾。「奥」が三輪太夫、三味線方
が、清友。人形遣いの玉男らは、夏らしく白い着付け姿。

京都に上って儒学を学んでいる西国大名大内家(当時の周防、現在の山口県)家臣宮城阿曽
次郎(人形遣いは玉男)は、ある日、僧月心に誘われて、宇治川の蛍狩りにやってきた。蛍
が飛び交う清涼感あふれる夏の夜。阿曽次郎は、風雅にも歌を読むが、歌を書いた短冊が風
に奪われ、宇治川に舫ってあった御座船の中に飛んで行ってしまった。船の御座の内には、
芸州(現在の広島県西部)岸戸家の家老・秋月弓之助の息女・深雪(後の、朝顔)と深雪
(人形遣いは一輔)の乳母・浅香(人形遣いは和生)の二人がいて、短冊を拾う。深雪らは
短冊の主を探そうと御座船の障子を開けるが、酔いどれの浪人もの二人が深雪らに絡む。浪
人ものを追い払う阿曽次郎。深雪は阿曽次郎に恋心を抱く。二人は、浅香の手引きもあっ
て、船に乗り込み、盃を交わす。浅香が気を利かせて、席をはずすと、ラブシーンとなる。
深雪は最初からイケイケの気分。深雪は金地に朝顔が描かれた女扇を取り出し、阿曽次郎に
朝顔の歌を書いてもらう。

そこへ阿曽次郎方の奴・鹿内が国許の伯父・駒沢了庵からの急ぎの書状を携えて阿曽次郎を
探しに来た。その書状には、駒沢家の家督を継ぎ、鎌倉(事実上、江戸のこと)で遊興に耽
る主君大内義興に諫言せよとあった。取りすがって引き止める深雪を残して立ち去って行
く。最初の別れ。

「明石浦船別れの段」。「わだつみの浪の面照る月影も……」。竹本は、津駒太夫、三味線
方が、寛治。琴が、燕二郎。「わだつみの浪の面照る月影も」。明石浦の海原、丸い月が照
っている。舞台中央に、大きな船。秋月弓之助一行の帰国船。西へ向かうため、風待ちをし
ている。船の横腹に障子の窓。障子には、雷の絵。下手より、小舟に乗った宮城阿曽次郎登
場。人形遣いは、主遣いも、顔を隠している。障子の内では、深雪が、琴を演奏している。
「露の干ぬ間の朝顔を、照らす日影のつれなきに」。歌の文句は、阿曽次郎が、宇治の蛍狩
りの際、女扇に書いて深雪に与えた朝顔の歌。訝しんでいると、障子の窓が開き、家族とと
もに、お家騒動で急遽、父親らと共に国元の芸州へ帰る予定だという恋人の深雪が顔を見せ
た。深雪が、喜んで小舟に乗り移って来る。事情を聞いた上で、阿曽次郎と深雪のラブシー
ンとなる。「ひつたり抱だき月の夜の、影も隔てぬ比翼鳥、離れがたき風情なり」。小舟の
船頭は、照れくさそう。同道したいという深雪。それを許す阿曽次郎。しかし、家族へ書き
置きを残そうと、一度、船に戻る深雪。これが判断ミス。風が吹き始め、船は、そのまま出
て行ってしまう。「こはなんとせん、かとせん」。小舟に戻れない深雪は、船の上から、朝
顔の歌を書いた扇を小舟に投げ込む。「後しら浪の隔ての船、つながぬ縁ぞ」。深雪、二度
目の別れ。

「浜松小屋の段」。「げにや思ふ事、ままならぬこそ浮世とは、誰が古の託ち言。……」。
竹本は、呂勢太夫、三味線方が、清治。阿曽次郎を探し出そうと秋月家を飛び出し、艱難辛
苦の旅の果て、目を泣き潰してしまった。今は、東海道は浜松の、街道筋の乞食小屋に住ま
いし、三味線を弾いて露命を繋いでいる。深雪と別れ別れになっている乳母の浅香も巡礼と
なって諸国を回り、深雪の行方を追っている。浅香は街道で出会った盲目の女が深雪ではな
いかと、言葉をかけるが、深雪は落ちぶれた身を恥じて、名乗らず、その娘は身投げをして
亡くなったと嘘をつき、小屋に引きこもってしまう。浅香は既に亡くなった深雪の母の臨終
の様子をひとりごとで小屋の外から女に聞かせた後、立ち去る。小屋の中でこれを聞き、泣
き崩れる深雪。そっと引き返していた浅香は小屋の外から深雪の様子を窺っていた。やっ
と、二人は再会し、心の内を打ち明ける。

そこへ、人買いの輪抜(わなぬけ)吉兵衛が通りかかり、美形の盲目女を無理やり連れ去ろ
うとする。浅香は、仕込み刀を抜いて吉兵衛と立ち回りになり、吉兵衛を討ち果たすが、自
分も深手を負ってしまう。浅香は、深雪に守り刀を渡し、嶋田宿の古部三郎兵衛という男を
訪ねるように勧める。古部は自分の父親だと告げると、力尽きてしまう。浅香との別れ。

ここまでの主な人形遣いは、阿曽次郎が玉男、月心が簑一郎、深雪が一輔、浅香が和生、
奴・鹿内が簑太郎、浜松小屋の朝顔が箕助、輪抜吉兵衛が玉佳ほか。箕助の扱う朝顔が凄
い。朝顔は命を吹き込まれた娘のように動き、箕助は、ただただ、心配そうに娘を見守って
いるだけ。時には、娘の過酷な人生を思い、オロオロ、時には、一緒に悲しむ。そういう感
じで、箕助は父親のような表情で、朝顔の少し後ろをついて回っているだけのように見え
る。

「嶋田宿笑い薬の段」。「行く空の/雲の足より雲助が足並み早き東海道。……」。竹本の
「口」は、芳穂太夫、三味線方は、清丈(肩に「丶」が付く。「奥」は咲太夫。切り場を呂
太夫に譲る。体調が悪いのだろう)、三味線方は、燕三。悲劇の中のチャリ(笑)場。笑わ
せどころ。伯父の駒沢家に養子に入り、阿曽次郎は名前を駒沢次郎左衛門と改めている。主
君大内義興に諫言をしたら、主君は本心を取り戻してくれた。お国帰りをすることになった
主君一行の先ぶれとして次郎左衛門は岩代多喜太とともに嶋田宿の常宿の戎屋に逗留してい
る。岩代は主君に遊興を勧めて、お家乗っ取りを企んだ悪家老の山岡玄蕃らの一味。隙あら
ば、次郎左衛門を亡き者にしようと企んでいる。親しい医師の萩の祐仙が訪ねてきたので、
祐仙に痺れ薬を処方させる。この薬を湯に入れて、薄茶を次郎左衛門に飲ませて、殺害しよ
うと企てた。それを立ち聞きした戎屋主人の徳右衛門は、祐仙の隙を見て、茶の湯を取り替
えてしまう。代わりに笑い薬を入れる。

外出先から戻った次郎左衛門に岩代らが茶を勧めるが、徳右衛門は機転を利かし、毒味をし
ろという。祐仙は、解毒剤を持っていたので、それを飲んでから茶を飲むと、突然、笑い出
し、笑いが止まらなくなる。毒薬の痺れ薬には解毒剤も効くが、笑い薬では解毒剤も効かな
い、というのが落ち。悪巧みも失敗、という顛末。

「宿屋の段」。「入りにけり/いづくにも暫しは旅と綴りけん、……」。竹本の「切」場の
語りは、呂大夫。三味線方は、團七。琴は、清公。

舞台は、下手から、階段、控えの部屋、床の間、部屋の体。人形遣いは、顔を出している。
駒沢次郎左衛門、こと、阿曽次郎の主遣いは、玉男、朝顔、こと、深雪の主遣いは、清十
郎。

今は、駒沢次郎左衛門と名を変えた阿曽次郎は、島田宿の宿屋・戎屋で、衝立の歌に目を留
める。お家横領を企む悪家老一味の岩代多喜太と、故あって、同道している。岩代は、駒沢
を毒殺しようとしているので、油断がならない。

衝立には、深雪と自分しか知らない、あの「朝顔の歌」が、書いてある。宿の亭主に問う
と、流浪の果て、盲目となり、島田宿に流れ着いた朝顔という女が、書いたという。朝顔
は、深雪ではないかと思った次郎左衛門は、女を呼び寄せさせる。「もし云い交はせしわが
妻か」。そこへ、折悪しく、岩代も、戻って来る。杖を頼りに歩く瞽女、盲目の女は、やは
り、深雪だった。探しあぐねた恋人が、目の前にいるのも気づかず、琴を弾き、歌を歌い、
鳥目を戴く稼業の朝顔。「露の干ぬ間の朝顔を、照らす日影のつれなきに、哀れひとむら雨
のはらはらと降れかし」。

朝顔の琴演奏と床の琴演奏を比較すると、手の動きは、違うのだから、人形に託する琴の演
奏振りは、フィクションなのだが、人形の身体の動き、手の動き、全体的な柔らかさなどか
ら、いかにも、人形の朝顔が、本当に、琴を演奏しているように見えるから、不思議だ。

岩代に要請されて身の上話も披露させられる。中国地方の生まれで、「様子あつての都の住
居。ひと年宇治の蛍狩りに焦がれ初めたる恋人と」別れてしまい、「身の終はりさへ定めな
く恋し恋しに目を泣き潰し」などと語る朝顔は、やはり深雪だった。だが、駒沢は、岩代の
手前、朝顔に「阿曽次郎」だと名乗れない。「もしその夫が聞くならば、さぞ、満足に思ふ
であらう」というのが、精一杯。阿曽次郎の声を忘れてしまったのか、深雪よ。三度目の恋
人との別れ。

岩代が、部屋に戻ったので、朝顔、こと、深雪を呼び戻して欲しいと頼むが、深雪は、すで
に清水へ向けて宿を立ち去っていた。一筆書いた扇と金子、眼病が治る秘法の目薬を亭主の
徳右衛門に頼む駒沢次郎左衛門、こと、阿曽次郎。すれ違いのラブロマンス。「マ、よくよ
く縁の」と、残念がる。

駒沢次郎左衛門と岩代多喜太が、夜明け前に旅立つと、深雪が戻って来る。扇に書かれた絵
と文字(「金地に一輪朝顔。露の干ぬ間が書いてある。裏に、『宮城阿曽次郎こと、駒沢次
郎左衛門』とかいてあるぞや」)で、駒沢次郎左衛門が、阿曽次郎と知る深雪。「エエ、知
らなんだ」。「年月尋ぬる夫でござんすわいなあ」。夜の明けぬ暗い夜道、降り始めた雨も
厭わず、「たとへ死んでも厭ひはせぬ」。激しい情愛の濃い、意志も強い女性。後を追う深
雪。

この段、人形遣いは、朝顔、こと、深雪は、清十郎。駒沢次郎左衛門、こと、阿曽次郎は、
玉男。徳右衛門は、勘壽。

「大井川の段」。「追うて行く/名に高き街道一の大井川……」。引き道具と書割が上に移
動して、場面展開。下手側から、柳、大井川の道標(前回は、人足たちの担ぐ輿に乗り、駒
沢次郎左衛門と岩代多喜太葉、大井川を渡る、という場面があった。)「夫を慕ふ念力に、
道の難所も見えぬ目も厭わぬ深雪」。遅れて、下田から朝顔(深雪)が、岸辺にたどり着く
と、夫らは、川を渡ったものの、「俄の大水」で、朝顔の番から川止めになってしまう。柱
巻きのポーズで、悔しがる。悲嘆にくれる深雪を助ける秋月家の奴・関助と宿の亭主・徳右
衛門が下手から、さらに遅れて現れる。

この徳右衛門が、実は、古部三郎兵衛だった。幼いころから深雪を育ててくれた乳母の浅香
の父親だ。古部三郎兵衛は、甲子の年の生まれで、この年の「男子の生血」と駒沢次郎左衛
門から託された目薬を調合すると眼病は治るという。おのれの腹に短刀を刺した三郎兵衛の
血で調合した薬を飲んだ深雪の目は、見えるようになる。命を投げ出した乳母の父親に感謝
し、「わが夫の情けにあまる賜物」に感謝する深雪。「露の干ぬ間の朝顔も、山田の恵みい
や増さる、茂れる朝顔物語、末の世までも著し」。

阿曽次郎への再会に気持ちを高ぶらせる深雪。「絵本太功記」の悲劇の家族は、潰された
が、「生写朝顔話」の悲劇の夫婦は、やっと、ハピーな大団円が待っている予感、余韻で、
幕。大井川の川止めも、天気が回復すれば解除される。後日談。遅れて後を追った朝顔こ
と、深雪は次郎左衛門に追いつき、やっと、再会を果たす。

朝顔こと、深雪は、芸州(現在の広島県西部)を出て、宇治で阿曽次郎と出会う。宇治か
ら、芸州へ帰るために、一旦西へ。明石で再び阿曽次郎と会ったのに、風に引き裂かれる。
明石から、阿曽次郎を追って、再び東へ。浜松から大井川を渡って、嶋田(大井川の左岸、
つまり江戸側)、また、次郎左衛門を追って、西へ、大井川の川止めに遭うという動き。

ここまでの主な人形遣いは、戎屋徳右衛門が勘壽、萩の祐仙が勘十郎、岩代多喜太が玉志、
駒沢次郎左衛門が玉男、宿屋、大井川の朝顔が清十郎、奴・関助が文司、下女・お鍋が紋
臣、小よしが玉彦ほか。勘十郎が萩の祐仙をコミカルに、メリハリをつけて操っている。

贅言;先行作品の下敷き振りをチェックしてみよう。下敷きにしている先行作品は、主なも
ので、4つある。「生写朝顔話」の舞台の場面順で見ると、まず、1832年、初演の「生
写朝顔話」より、100年前の、1732(享保17)年に、人形浄瑠璃の大坂・竹本座で
初演された「壇浦兜軍記」の「阿古屋琴責の段」。舞台で琴を弾く場面がある。琴の演奏を
通して、自分の心情を語る。次に、70年前の、1762(宝暦12)年に、人形浄瑠璃の
大坂・竹本座で初演された「奥州安達原」の「袖萩祭文の段」。目を泣きつぶし盲目となっ
た袖萩が、祭文にことよせて身の上を語る場面がある。さらに、90年前の、1742(寛
保2)年に、人形浄瑠璃の大坂・豊竹座で初演された「道成寺現在蛇鱗」(安珍清姫伝説)
の「日高川の段」。恋しい男を追って、川を渡る場面がある。もうひとつ、59年前の、1
773(安永2)年に、人形浄瑠璃の大坂北堀江市ノ側芝居で初演された「摂州合邦辻」の
盲目の俊徳丸に横恋慕していた継母の玉手御前が、寅年の年月日刻の揃った自分の血を俊徳
丸に飲ませれば業病も直るという場面がある。

人形の首(かしら)で特徴があるのは、深雪では、よく見かける「娘」の首だが、盲目にな
った朝顔では、「ねむりの娘」という。目が違う。萩の祐仙は、三枚目の首のひとつ、大き
な眉や口が動く。
- 2017年9月17日(日) 18:06:06
17年9月歌舞伎座(夜/「ひらかな盛衰記〜逆櫓」「再桜遇清水」)


秀山祭の新作歌舞伎


秀山祭夜の部。「ひらかな盛衰記〜逆櫓〜」は、私は、7回目の拝見となる。江戸庶民に馴
染みのある通俗日本史解説という趣向の芝居だ。平家と木曽義仲残党、それに源氏の三つ巴
の対立抗争の時代。全五段の時代浄瑠璃の三段目が、通称「逆櫓(さかろ)」といい、歌舞
伎では、良く上演される。私が観た樋口次郎は、幸四郎(3)、吉右衛門(今回含め、
3)、そして橋之助。初代吉右衛門の当たり役だっただけに、吉右衛門の娘の子どもたちで
ある、幸四郎、吉右衛門がよく演じる。

この芝居で、軸となるのは、松右衛門、実は樋口次郎兼光とともに松右衛門の義父となる権
四郎だろう。私が観た権四郎は、左團次(2)、歌六(今回含め、2)、又五郎、段四郎、
そして弥十郎。かっては、松右衛門も演じたことがある初代吉右衛門も権四郎を良く演じ
た。その方が正解だろうと私は思う。八代目三津五郎、三代目権十郎も良く演じた、という
記録がある。

当代の樋口役者の幸四郎、吉右衛門とも、母方の祖父という所縁の初代吉右衛門の当たり狂
言とあって、気の入った演技で、いつも臨む。今回も吉右衛門渾身の樋口であった。10年
目の秀山祭の白眉となった演目。

時は、平安末期。清盛が死去した後の平家。木曽義仲上洛。平家は西国へ落ちる。義仲も源
頼朝に敗れ、討ち死にした。有為転変の世の中。

船頭に身をやつしている松右衛門、実は樋口次郎兼光(木曽義仲残党)で、亡くなった主人
木曽義仲の仇として義経を討とうとしている。樋口次郎は、歌舞伎でいうところの「やつし
事」。「やつし事」のポイントは、仮の姿から本性を顕わすくだりだ。
 
第一場「福嶋船頭松右衛門内の場」。旅先で源平の争いに巻き込まれ、孫の槌松(つちま
つ)と義仲の一子・駒若丸を取り違えて連れてきてしまった松右衛門(吉右衛門)の義父・
権四郎(歌六)。槌松として育てられている駒若丸のことを聞き付け、駒若丸を引き取りに
来た腰元・お筆(雀右衛門)は、槌松が、駒若丸の身替わりに殺されたことを告げる悲劇の
使者でもあった。それを受けて、松右衛門、実は樋口次郎が絡む場面が、第一場後半の見せ
場となる。
 
樋口:「ハテ、是非もなし。この上は我が名を語り、仔細を明かした上の事。(駒若丸をお筆
に抱かせ、上手へやり、門口(木戸)をあけて、半身を木戸の外に乗り出して、周辺に敵は
いないかを見定めるため表を窺いながら)権四郎、頭(ず)が高い。イヤサ、頭(かしら)
が高い。天地に轟く鳴るいかずちの如く、御姿は見奉らずとも、さだめて音にも聞きつら
ん、これこそ朝日将軍、義仲公の御公達駒若君、かく申す某(それがし)は、樋口の次郎兼
光なるわ」。

吉右衛門の科白廻しは、メリハリがあり、聴き応えがある。立役の名場面のひとつだが、松
右衛門2度目の出で、上手障子を開けると、衣裳を変えて、顔に隈を入れている。すでに、
樋口次郎の形、心なのだ。そして、やがて、顔つきも声音も変わって、科白廻しも世話から
時代に変わって、メリハリをつける。また、世話に戻る。歌舞伎役者には、堪えられない科
白廻しが続く場面だ。こういう科白廻しは、吉右衛門が巧い。

権四郎役が実は難しい。権四郎は、現役を聟の松右衛門に譲って、孫と暮らしている。駒若
丸の身替りに殺された槌松、愛憎渦巻く中、駒若丸を我が孫として、育てて行こうとする祖
父の権四郎は、複雑な事情のキーマンとなるだけに、難役である。

何より大事なのが、権四郎の駒若丸に対する愛憎の変遷を的確に出すことだと思う。権四郎
の気持ちは複雑なものがある。駒若丸のために、実の孫の槌松は殺されている。一度は、駒
若丸を返せと言って来たお筆の態度に対して、怒りを覚え、孫が身代わりになった故、駒若
丸を殺そうとさえ思った。にもかかわらず、子供の命というものを大切に思い、最後は、自
分の機転で、「よその子供」である若君を助ける。愛憎を超えて、幼い子どもを守ろうと権
四郎は、源氏方の追尾から駒若丸を助けるために、畠山重忠(左團次)に訴え出て、自ら、
再び駒若丸を槌松と思い込むことで、駒若丸の命を守る。

そこには、樋口のような「忠義心」があるわけではない。権四郎には、孫と同様な若君とい
えど、「子ども」の命に対する、封建時代を超えた愛の普遍性があるのだと思う。そういう
器の大きさが、権四郎役者は、表現しなければならないと思う。

そういう権四郎の気持ちを理解して、樋口は若君を守るために、何も言わずに死んで行こう
とするのである。当代吉右衛門も、いずれ、権四郎を演んじてはくれないか。

私は左團次、又五郎、歌六、段四郎、弥十郎と、5人の権四郎役者を見たが、これがなかな
か難しいのである。歌六の権四郎は、今回と08年9月の歌舞伎座の2回観ているが、いぶ
し銀のごとき演技で、見応えがあった。さまざまな脇の老け役で、このところ滋味を出して
いる歌六は、難役権四郎なのに、過不足なく演じていて、良い権四郎になっていた。以前観
た左團次の権四郎が、力が入りすぎていて、ややオーバーな演技になっていた。権四郎役者
は「鼻拍子」という、漁師、船頭、馬子の役者独特の高い声を出す工夫が必要という。

女形では、お筆(雀右衛門)も、女武道で、科白にもあるとおり「女のかいがいしく、後々
まで御先途を見届ける神妙さ」という賢い女性である。雀右衛門は過不足なく演じていた。

今回の見せ場は、第二場「福嶋船頭松右衛門内裏手船中の場」では、浅葱幕の振り落とし
で、船中の場面となるが、これを、今回は、久しぶりに子どもの「遠見」(登場人物を全員
子どもが演じる)という演出で見せてくれた。「逆櫓」(櫓を逆に立てて、船を後退させる
方法)の練習の場面から、松右衛門と船頭らの立ち回りの場面となる。

第三場「福嶋船頭松右衛門内逆櫓の松の場」。櫓を持った24人の船頭たちが、樋口次郎相
手に演じる大立ち回りは、迫力充分。樋口を真ん中、船頭の背中に乗せて、それを取り囲む
ように、手に持った櫓で、大きな船の形を本舞台一杯に描く。マスゲームのようだ。殺陣師
の冴え、洗練された美意識が、ここにはある。それだけに、大部屋役者の船頭たちの立ち回
りにも力が入っている。

見せ場は、遠寄せの陣太鼓を受けて、樋口次郎は、大きな松に登り、大枝を持ち上げての物
見、という名場面。

遠寄せの陣太鼓は、樋口を捕らえる軍勢の攻めよる合図だった。権四郎が若君を連れていな
がら、若君の正体は隠し、代りに松右衛門の正体を樋口次郎だとばらすことで、畠山重忠に
訴人する。捨て身で、駒若丸を救うという奇襲戦法に出たのだ。樋口次郎危うし、被害を最
小限度にとどめてと思っての権四郎の機転が、槌松・駒若丸の、いわば二重性を利用して、
「娘と前夫の間にできた子・槌松」を強調して、駒若丸を救うことになる。子どもの取り違
えを、「逆櫓」ならぬ、「逆手」にとって若君を救うという作戦である。樋口も、権四郎の
真意を知り、かえって、義父への感謝の念を強くして、己の死を了解するという場面だ。
 
武士にできなかったことを、実の孫を犠牲にしながら、さらに、その恨みを消しながら、一
庶民の権四郎が成し遂げる。そうと知って、納得して、おとなしく縄に付く樋口次郎。事情
を知っていながら、権四郎の思い通りにさせる畠山重忠。それぞれの器量の大きさを見せる
場面が続く。


初代から二代目、新しい秀山祭へ


「再桜遇清水」は、初見。歌舞伎座初演である。「さいかいざくらみそめのきよみず」と読
む。初代吉右衛門とは関係のない新作歌舞伎である。原作が松貫四。当代吉右衛門のペンネ
ームである。つまり、今年の秀山祭は、10年目を迎え、新たな段階に入ったと言える。初
代の吉右衛門を顕彰し、藝を引き継ぐというだけでなく、当代の吉右衛門を引き継ぐという
意味合いを込め始めたということだろう。その新たな役割を吉右衛門は甥の染五郎に託し
た。染五郎は、吉右衛門の兄の九代目幸四郎の息子であり、来年1月には、十代目幸四郎の
名跡を襲名する。そういうポジションでの染五郎の舞台であるということを覚えておいた方
が良いと思う。

今回の配役。清水法師清玄(せいげん)が染五郎。染五郎は、奴・浪平との二役。桜姫は雀
右衛門。千葉之助清玄(きよはる)は錦之助。山路は魁春。奴・磯平は歌昇ほか。

場割り。つまり、今回の場の構成は、次の通り。
序幕「新清水花見の場」、二幕目「雪の下桂庵宿の場」、大詰「六浦庵室の場」。「清玄桜
姫もの」の系統の芝居。1793(寛政5)年、江戸中村座初演の「遇曽我中村」をベース
に当代吉右衛門が筆を加えて書き換えた、いわゆる「書き換え狂言」という新作歌舞伎。1
985(昭和60)年、吉右衛門主演で、大阪の中座で初演。今回は、吉右衛門が演じた清
水法師清玄と奴・浪平の二役を染五郎が初役で演じる。

序幕「新清水花見の場」。満開の桜。源頼朝の厄除け祈願で御刀「薄縁(うすべり)」を奉
納する儀式が催される。「薄縁」は盗まれ、行方不明になる。恋仲の千葉之助清玄と桜姫が
桜姫に横恋慕する荏柄平太胤長(えがらのへいだたねなが。桂三)の悪巧みで、不義の罪に
陥ちいられそうになる。清玄(きよはる)と清玄(せいげん)という同名異称を利用して、
不義の罪は、清水法師清玄(染五郎)に着せられ、法師は破戒堕落の罪で、追放されてしま
う。桜姫は、自殺を企て、傘を広げて、新清水の舞台から飛び降りようとすると、浅葱幕の
振り被せとなる。傘のみ宙乗り。やがて、幕の振り落しで、桜姫は新清水舞台下にいた法師
清玄(せいげん)に助けられたことが判る。法師は桜姫に言い寄る。そこへ、うまく逃れた
千葉之助清玄(きよはる)らが現れ、法師清玄(せいげん)を新清水の滝壺に突き落とし、
桜姫を助ける。執念深い法師は滝壺から這い上がり、桜姫の後を追う。

二幕目「雪の下桂庵宿の場」。桂庵宿、つまり、口入屋(職業紹介所)家業を営む雀屋惣兵
衛(吉三郎)の婿・小五郎兵衛に身を窶した奴・浪平(染五郎)は、荏柄平太胤長の悪巧み
を逆用して、千葉之助清玄(錦之助)と桜姫(雀右衛門)を救おうとする。桜姫ら善人方と
胤長ら悪人方の思惑が展開する。善人方の小五郎兵衛は千葉之助清玄を匿っている。同じく
善人方の奴・磯平(歌昇)が葛籠を担いで訪ねてくる。葛籠の中には、桜姫が身を潜めてい
る。恋仲の千葉之助清玄と再会を果たし、店の戸棚の中へ二人で身を隠す。胤長ら悪人方の
大藤内成景(吉之丞)が、捕手を連れて現れる。磯平は桜姫と千葉之助清玄を逃がそうとす
る。それを助けようと、浪平は、大藤内成景を斬り捨てる。すると、夜明け前なのに、鶏が
鳴き、浪平が使った刀こそ、行方不明の「薄縁」であった。御刀は千葉之助清玄に渡され、
桜姫は、磯平が守ることになったが、だんまりとなり、雀屋惣兵衛は桜姫を再び、葛籠の中
に入れて、逃げて行くと、新作歌舞伎らしからぬ定式幕にて場面展開。

大詰「六浦庵室の場」。薄暗い中で、芝居が進行する。破戒堕落の果てに逃散してきた元法
師の清玄(染五郎)。零落の末、病人となったが桜姫への思いを抱き続けている。苦しむ清
玄を介抱するためやってきた富岡の後室(京妙)が新清水に50両納めに行くと聞いて起こ
したのが悪心。後室を殺して金をせしめる。小姓の妙寿(米吉)、妙喜(児太郎)に後室の
遺体を庵室の隣の池に投げ入れさせる。これ以上の悪事はごめんだと、二人も池に身を投げ
る。気にも留めない元法師・清玄は桜姫の着物の片袖を抱きしめて、身悶えしている。折か
ら、やってきた雀屋惣兵衛は、背負ってきた葛籠を預けると立ち去ってしまう。元法師・清
玄が葛籠の中を改めようと蓋を開けると、そこには、桜姫がいた。姿を見て、恋心を燃え上
がらせた元法師・清玄は桜姫への思い果たそうとする。そこへ駆けつけた磯平に斬られ、元
法師・清玄は命を落としてしまう。さらに駆けつけた千葉之助清玄が御刀で斬りつける。怨
霊になった清玄は、舞台中央で、宙乗り。千葉之助清玄の持つ宝剣「薄縁」の威徳には抗え
ないながら、中空を彷徨い続ける。執念を捨てない元法師・清玄は、桜姫を追い続ける。ま
るで、執念深い元法師・清玄は、「東海道四谷怪談」のお岩のようである。

これは清玄版「お岩物語」であろう。女・お岩の執念を男・清玄で描こうとしたのだと思
う。歌舞伎の様式美を重視した古典的な演出が、随所に光る。しかし、初代吉右衛門のよう
な風格のある芝居にはなっていない。何より染五郎では、吉右衛門の科白廻しに比べられな
い。腹からの発声、という関門が、染五郎の前には、ある。

来年の秀山祭は、どうなるのであろうか。吉右衛門が軸となり、初代の吉右衛門を顕彰し、
藝を引き継ぐという大きな柱は、不変だろうが、当代の吉右衛門の藝を引き継ぐという意味
合いはさらに強まるだろう。誰が継ぐのか。十代目松本幸四郎となった染五郎、娘婿の菊之
助の二人を「後継」候補とすることだろう。菊之助は、やはり八代目菊五郎の有力な候補だ
ろう。娘ばかりに恵まれた吉右衛門には、幸い男の孫がいる。菊之助の子ども。将来の吉右
衛門候補だろうが、いつになることやら。そういう有象無象に想いを馳せると、頭の中は、
もやもやしてくる。

新秀山祭の評価は、今年だけでは定まらない。来年9月で、11年目に入る新秀山祭以降
は、今後の変化への兆しも含めて楽しみである。
- 2017年9月17日(日) 11:24:49
17年9月歌舞伎座(昼/「毛谷村」「道行旅路の嫁入」「幡随長兵衛」)


10回目の秀山祭


「彦山権現誓助劔〜毛谷村」は、今回の拝見で9回目。去年の4月歌舞伎座で、毛谷村の前
の部分「杉坂墓所」の場面を見せてもらったが、普通は、お馴染みの「毛谷村」だけが一幕
で演じられる。今回もそうだ。主な配役は、六助が染五郎。女房となるお園が菊之助。敵役
の微塵弾正が又五郎。お園の母・お幸が上村吉弥ほか。

時代は、真柴久吉(豊臣秀吉)の朝鮮出兵前夜という落着かないご時世。主役の六助は、百
姓ながら、剣術の名人である。宮本武蔵がモデルという説もある。豊前国主は六助を召し抱
えたくて仕方がないが、六助が固辞している。六助に勝った者を召し抱えるという高札を立
てて告知している。

幕が開くと、六助と微塵弾正、実は、京極内匠が、立ち会っている。先頃、実母を亡くした
ばかりの六助は、病身の老母に仕官姿を見せたいという微塵弾正の情にほだされて「八百
長」の約束をしている。適当なところで、微塵弾正の合図を受け入れ、六助は微塵弾正に勝
ちを譲る。にもかかわらず、偽りの勝ちを占め、立ち会いの豊前国主の家臣とともに去る
際、微塵弾正は、急に態度を変えて、六助の眉間をわざと扇子の柄で割って傷をつけ、出か
けて行く。こういう性格の悪い人って、今もいるね。しかし、六助は、母親への孝行を忘れ
てくれるなと、鷹揚に弾正を送り出す人の良さを見せる。こういう人の良さは、染五郎の持
ち味かもしれない。

人の良さと言えば、六助は、弥三松(やそまつ)という幼児を名前も知らぬまま、ゆえあっ
て、預かって、育てている。弥三松の小袖を門口に干している。その小袖を見て、まず老女
が、宿を乞うので、奥で休息するように言う。さらに、小袖を見て虚無僧が訪ねて来る。こ
れが、実は女性。弥三松は、この女性を見て、「伯母さま」と呼びかける。女性は、弥三松
の母・お菊の姉のお園だった。今回は上演しない前の場面、杉坂での弥三松との出会いを六
助がお園に話すと、お園は、自分は、「六助の女房になるのだ」と言う。お園と六助は、お
互いに直接は面識がなかったが、幼い頃から許婚の間柄だった、というのだ。お園が、これ
までの経緯を話していると、奥から出て来た老女は、お園の母と判り、いずれも六助の師匠
の吉岡一味斎ゆかりの遺族だった。一味斎は、京極内匠に闇討ちに遭って、殺されている。
遺族たちは、改めて、六助に聟となって、つまり、お園と正式に結婚をし、敵討ファミリー
の一員となり、京極内匠を討つことを依頼する(弟子が、師匠の奥方や娘を知らなかったと
いうのも、荒唐無稽だが、目を瞑ろう)。

そこへ、村人が老女の遺体を運んで来る。仲間の斧右衛門の母親の遺体だという。変わり果
てた老女は、六助が感じ入った孝行心のある浪人・微塵弾正の「母」だと前の場面で騙され
ていたと判り、さすがの人の良さも突き抜けて、怒る六助。お幸が、浪人の人相風体を尋ね
ると、微塵弾正という男は京極内匠とそっくりではないか。微塵弾正、実は、京極内匠とい
う絡繰りを知った六助は、勝ちを譲ったのを後悔し、来る御前試合では意趣返しをし、さら
に一味斎遺族に敵討をさせると誓う。剣の実力は、抜群ながら、人に優しく、悪に厳しく、
そういう人物が六助である。身なりを整えた六助にお園は、舞台下手の紅梅の一枝を、お幸
は、上手の白い椿の一枝を、それぞれ差し出し、六助の武運を祈る。一同は、御前試合の行
われる小倉に向けて出発することになる。この役は、人の善さのなかに剣豪の鋭さも感じさ
せなければならない。

というだけの芝居なのだが、人の良い剣豪・六助と「女武道」と言われる、力持ちで、剣の
腕前もある、スーパーウーマンのお園というカップルの面白さで、この演目は、よく上演さ
れるのである。お園は、吉右衛門の娘婿でもある菊之助がさわやかに演じていた。剣豪六助
を相手に女武道としての武張った所作、相手が許婚の六助と判り、急に女性らしさを強調し
だす辺りの緩急がミソ。初めて訪ねて旅先でお園に絡む忍び(音蔵)との立ち回りの場面
が、割と長めにあるが、これは、お園の女武道ぶりを観客に印象づけるためだけの場面だろ
う。

こういう人物造形の所為か、六助を当たり役の一つとしたのが名優・初代吉右衛門。当代吉
右衛門も、初代からこの役を受け継ぎ、家の芸の役づくりの熟成に努力している。そして、
今回は、甥である高麗屋の若旦那・染五郎に家の芸を引き継ぐ意図があるのだろう。秀山祭
という初代吉右衛門の俳名を冠した今月の興行で染五郎を指導した。染五郎は、来年の1月
の歌舞伎座で十代目松本幸四郎を襲名披露する。染五郎の父親の九代目幸四郎は、吉右衛門
の兄である。九代目幸四郎は、父親の八代目幸四郎の最後の名であった白鴎を二代目として
襲名する。そういう位置付けの「毛谷村」の舞台であった。染五郎が六助を演じるのは、今
回で3回目。初役の際に当代吉右衛門の指導を受け、科白廻しを徹底して仕込まれたとい
う。

ミステリーじみた仕立ての話だが、解き明かされれば単純な話。人形浄瑠璃原作は、178
6(天明6)年の初演で、作者は、梅野下風、近松保蔵という、今では、あまり知られてい
ない人たちである。全十一段の時代物。お馴染みの「毛谷村」は、九段目。狂言作者は、有
名な人が当り狂言を残すばかりでなく、無名な人たちも、著作権などない時代だから、先行
作品を下敷きにして、良いところ取りで、筆が走り、あるいは、筆が滑り、しながら、新し
い作品を編み出しているうちに、神が憑依したような状態になり、当たり狂言を生み出すこ
とがある。「毛谷村」も、そのひとつで、さまざまな先行作品の演出を下敷きにしながら、
庭に咲いている梅や椿の小枝を巧みに使って、色彩や形などを重視した、様式美を重視した
歌舞伎らしい演出となる。その上、敵味方のくっきりした、判り易い筋立てゆえか、人形浄
瑠璃の上演史上では、「妹背山」以来の大当たりをとった狂言だ、という。

私が観た毛谷村のファミリーの配役。六助:吉右衛門(3)、團十郎、梅玉、愛之助、菊五
郎、仁左衛門、今回は染五郎。仁左衛門は東京では初演。お園:時蔵(3)、鴈治郎時代の
藤十郎、芝翫、福助、壱太郎、孝太郎、今回は菊之助。お幸:東蔵(3)、先代の吉之丞
(2)、上村吉弥(今回含め、2)、又五郎、歌江。


「道行旅路の嫁入」

5回目の拝見。「仮名手本忠臣蔵」八段目の「道行旅路の嫁入」は、所作事(舞踊劇)。歌
舞伎・人形浄瑠璃の三大道行の一つ、と言われる。三大道行とは、「義経千本桜」の「道行
初音旅(はつねのたび)」、「妹背山婦女庭訓」の「道行恋苧環(こいのおだまき)」、そ
して、この「道行旅路の嫁入」。「仮名手本忠臣蔵」の、もう一つの「道行旅路花聟」は、
後世、三段目の「裏門」を所作事に作り変えたもので、「道行初音旅」の影響を受けてい
る。今回は、一幕もので、戸無瀬と小浪の義理の母娘の旅に、奴が絡むパターン。このバー
ジョンを見るのは、3回目。私が観た戸無瀬は、先代の芝翫(2)、玉三郎、魁春、そして
今回は、貴重な藤十郎。小浪は、勘太郎時代の勘九郎(2)、福助、児太郎、そして今回
は、藤十郎の孫・壱太郎。奴は、翫雀時代の鴈治郎、橋之助時代の当代芝翫、そして今回
は、隼人。

幕が開くと、舞台は、全面松林。人影はない。上手に竹本と三味線が4連。暫く、舞台無人
で演奏。松林の大道具が、左右に惹かれると、舞台中央には富士山。セリに乗って、紫の衣
装の道中着をまとった戸無瀬(藤十郎)とピンクの衣装の小浪(壱太郎)が上がってくる。
塩冶判官の刃傷事件以降、「結納(たのみ)もとらず、そのままに」放置されている小浪の
婚約の行く末を義母の戸無瀬は心配している。ふたりは小浪の許嫁・大星力弥、その両親・
由良之助、お石ら一家が隠れ住む「山科閑居」に強引に押しかけようとしている。鎌倉から
京の山科へ。当初の約束通り、嫁入をしようと東海道の富士山付近を急いでいる。

浄瑠璃の文句に「薩埵(さつた)峠にさしかかり、見返れば、富士の煙の空に消え」とあ
る。薩埵峠は、東海道の由比宿と興津宿の間にある峠(現在の静岡市清水区)を歩いている
と判る。この後も、浄瑠璃の文句には、鞠子川、大井川などと地名がたくさん出てくる。そ
れに合わせて、節目では、背景も替わる。遠くに海。三保の松原に続く松並木を婚礼の行列
が通る。事件がなければ、小浪にも、あのような嫁入り行列をさせてやれたのにと、義母は
思う。藤十郎は、足の運びがぎこちなく見えたが、心配だ。後見たちは、鬘をつけ、紋付き
袴姿で、様式美の強い場面と判る。富士山が上手に引っ込み、松並木が遠望された堤も下手
に引っ込む。上手に城が見える。「駿河の府中」か。背景の遠見が引き続き下手に移動し、
二人が西へ進んでいると知れる。

折からそこへ、上手から奴の可内(べくない。隼人)が近寄ってくる。二人は舞台下手に身
を寄せる。気鬱そうな二人連れを見て、奴は、滑稽な手踊りを披露して、二人の心を和ませ
る。隼人は、誰からも喜ばれる全くご馳走の配役で、踊り終わると、戸無瀬らが下手より再
登場。奴は、花道を先に行ってしまった主人を追ってゆく。

やがて、その城も下手に見えなくなり、背景は琵琶湖に替わる。湖上に突き出た堂は、満月
寺の浮御堂。浄瑠璃「やがて大津や三井寺の麓を越えて山科へ程なき里へ」で、小浪と戸無
瀬の二人は本舞台から花道へと、踏み出す。やがて、幕外の引っ込み。母娘二人旅も、間も
無く終わる。ゆるりゆるりと藤十郎が行く。孫の壱太郎が続く。

「旅路の嫁入」は母子の二人旅。義理の母が実母以上に気遣いをし、義理の娘の意思を優先
させて、破談になりかけている婚約話を成就させようと鎌倉から京の山科に向けて道中を急
いでいる。人形浄瑠璃では、季節は、晩秋(富士山の雪も深い。野山や田畑は茶色)であっ
たが、歌舞伎の背景は、緑一色で、富士山の雪も、そんなに深くない。野辺も緑。早春か。
季節感をぼやかしているようだ。時間は昼間。背景の変化もいろいろ工夫されている。


「極付 幡随長兵衛 公平法問諍」


「極付 幡随長兵衛 公平法問諍」は、10回目の拝見。私が観た長兵衛は、吉右衛門(今
回含め、4)、團十郎(2)、海老蔵(2)橋之助時代含め当代の芝翫(2)。悪役の旗本
白柄(しらつか)組の元締め・水野十郎左衛門は、菊五郎(4)、八十助時代の三津五郎、
幸四郎、富十郎、仁左衛門、愛之助、今回は、染五郎。長兵衛女房・お時は、時蔵(2)、
松江時代を含む魁春(今回含め、2)、先代の芝翫、福助、玉三郎、坂田藤十郎、孝太郎、
当代の雀右衛門。

この芝居は、村山座(後の市村座のこと)という劇中劇の芝居小屋の場面が、売り物。破風
屋根の能舞台のような舞台である。下手に舞台番。上手に付け打ち。観客席までをも、「大
道具」として利用していて、奥行きのある立体的な演劇空間をつくり出していて、ユニー
ク。阿国歌舞伎の舞台に例えれば、名古屋山三のように客席の間の通路をくぐり抜けてか
ら、舞台に上がる長兵衛。いつにも増して、舞台と客席の一体感が強調されるので、初見の
観客を喜ばせる演出だ。

1881(明治14)年、黙阿弥原作、九代目團十郎主演で、初演された時には、こういう
構想は無かった。原作では、芝居小屋ではなく、角力場だった。地方での興行としては、歌
舞伎も相撲も、同じ興行主が仕切っていたケースもあるから、角力場でのトラブルでも筋と
しては成り立つだろう。また、相撲は、「勧進相撲」と呼ばれ、当時は年に2回10日間興
行された。財政難の寺社を支援することが困難になった幕府が勧進(寺社への寄進)のため
の相撲興行を認めていた。いわば、幕府後援というわけだ。一方、歌舞伎は、「悪所」(庶
民の不満の捌け口)であり、時には、幕府の「御政道」や封建道徳などを批判したりするか
ら、幕府も目を光らせている。この場面が、善所の「角力場」から、悪所の「芝居小屋」に
替わった意味は、思っている以上に大きいのかもしれない。

10年後、1891(明治24)年、歌舞伎座。同じく九代目團十郎主演で、黙阿弥の弟
子・三代目新七に増補させて以来、この演出が追加され、定着した。明治も半ば、徳川幕府
時代への御政道批判も、緩やかになってきたことだろう。三代目新七のアイディアは、不滅
の価値を持つ。幕ひき、附打、木戸番(これらは形を変えて、今も、居る)、出方(大正時
代の芝居小屋までは、居たというが、場内案内として形を変えて、今も、居る)、火縄売
(煙草点火用の火縄を売った。1872=明治5=年に廃止された)、舞台番など、古い時
代の芝居小屋の裏方の様子が偲ばれるのも、愉しい。歌舞伎は、タイムカプセルの典型のよ
うな演目。

タイムカプセルといえば、花川戸長兵衛内では、積物の提供者の品書き。二重舞台の上手に
「三社大権現」という掛け軸があり、下手二重舞台の入り口には、祭礼の提灯。玄関の障子
に大きく「幡」と「随」の2文字。明治14(1881)年に河竹黙阿弥が江戸の下町の初
夏を鮮やかに描く。水野邸の奥庭には、池を挟んだ上手と下手に立派な藤棚がある。歌舞伎
の舞台には、いろいろな情報が埋まっている。観る側が、どれだけ掘り出せるか、というの
も観る楽しみ。

劇中劇の「公平法問諍(きんぴら ほうもんあらそい) 大薩摩連中」という看板を掲げた
狂言の工夫は、世話もの歌舞伎の中で、時代もの歌舞伎を観ることになり、鮮烈な印象を受
ける。歌舞伎初心の向きには、江戸時代の芝居小屋の雰囲気が、伝えられ、芝居の本筋の陰
惨さを掬ってくれるので、楽しいだろう。

秀山祭は、先代の吉右衛門の芸を伝承する当代の吉右衛門の舞台。今回も吉右衛門が演じる
長兵衛は、秀逸。秀山祭に相応しい出来上がり。吉右衛門が町奴という、町の「ちんぴら集
団」の親玉なら、甥の染五郎が演じる白柄組の元締め・水野十郎左衛門も、旗本奴で、下級
武士の「暴力集団」ということで、いわば、町人と下級武士を代表する「暴力団幹部」の、
実録抗争事件である。特に、水野十郎左衛門は悪役で、長兵衛をだまし討ちにする芝居。1
7世紀半ばに実際に起こった史実の話を脚色した生世話ものの芝居。

「人は一代(でえ)、名は末代(でえ)」という、男の滅びの美学に裏打ちされた町奴・幡
随長兵衛の、愚直なまでの死を覚悟した男気をひたすら引き立て、観客に見せつけ、武士階
級に日頃から抱いている町人層の、恨みつらみを解毒する作用を持つ芝居で、江戸や明治の
庶民には、もてはやされただろう。幡随長兵衛の、命を懸けた「滅びの美学」に対して、水
野十郎左衛門側は、なりふりかまわぬ私怨を貫く「仁義なき戦い」ぶりで、「殺すには惜し
い男だ」と長兵衛の男気を褒めながらも殺す、そのずる賢さが、幡随長兵衛の男気を、いや
が上にも、逆に盛りたてるという、演出である。だから、外題で、作者自らが名乗る「極
付」とは、誰にも文句を言わせない、男気を強調する戦略である。長兵衛一家の若い者も、
水野十郎左衛門の家中や友人も皆、偏に、長兵衛を浮き彫りにする背景画に過ぎない。策略
の果てに湯殿が、殺し場になる。陰惨な殺し場さえ、美学にしてしまう歌舞伎の様式美の世
界が展開される。1960年代から70年代に流行した高倉健らが主演した東映のヤクザ映
画の美学の源流はここにある。

しかし、「男気」は、なにも、暴力団の専売特許では無い。江戸の庶民も、憧れた美意識の
一つだったから、もてはやされたのだろう。そこに目を付けた黙阿弥の脚本家としての鋭
さ、初演した九代目團十郎の役者としてのセンスの良さが、暴力団同志の抗争事件を日本人
に「語り継がれる物語」に転化した。
- 2017年9月14日(木) 21:27:06
17年8月歌舞伎座(3部/「野田版 桜の森の満開の下」)


人間の世界と鬼の世界を繋ぐ道に、避けて通れないスポットとして「桜の森」がある、とい
う。桜の森を通り抜けて、人間の世界が鬼の世界を侵略する。満開の桜の下で、人間たち
は、醜い争いをする。


坂口安吾の場合


「桜の森の満開の下」という坂口安吾の短編小説がある。これが、今回歌舞伎化された演目
「野田版 桜の森の満開の下」の原作の一つになった。安吾の発想の原点は、1953年に
雑誌に発表した「桜の花ざかり」というエッセイである。このエッセイでは、次のようなこ
とが書かれている。

「三月十日の初の大空襲に十万ちかい人が死んで、その死者を一時上野の山に集めて焼いた
りした。まもなくその上野の山にやっぱり桜の花がさいて、しかしそこには緋のモーセンも
茶店もなければ、人通りもありゃしない。ただもう桜の花ざかりを野ッ原と同じように風が
ヒョウヒョウと吹いていただけである。そして花ビラが散っていた。我々は桜の森に花がさ
けば、いつも賑やかな花見の風景を考えなれている。そのときの桜の花は陽気千万で、夜桜
などと電燈で照して人が集れば、これはまたなまめかしいものである。けれども花見の人の
一人もいない満開の桜の森というものは、情緒などはどこにもなく、およそ人間の気と絶縁
した冷たさがみなぎっていて、ふと気がつくと、にわかに逃げだしたくなるような静寂がは
りつめているのであった。ある謡曲に子を失って発狂した母が子をたずねて旅にでて、満開
の桜の下でわが子の幻を見て狂い死する物語があるが、まさに花見の人の姿のない桜の花ざ
かりの下というものは、その物語にふさわしい狂的な冷たさがみなぎっているような感にう
たれた」。

この文章で安吾の「桜の森」には、戦死者の遺体の山があったのが判る。「人の一人もいな
い」黒焦げの遺体だらけの「満開の桜の森」を凝視した安吾は、桜の森の下に「にわかに逃
げだしたくなるような静寂がはりつめている」さまを感じ取ってしまった。

ここで取り上げている「ある謡曲」とは、「隅田川」であろう。人買いに連れ去られたわが
子・梅若を探しているうちに発狂した母親で吉田少将惟房卿の妻・花御前のことであろう。
上記で安吾が概略を書いているようにこの謡曲は「梅若伝説」を元にしている。この謡曲に
限らず日本人の美意識では、桜の木の下には、このような死生観が漂っている。

例えば、西行法師伝説。西行の歌。「願はくは花のもとにて春死なむその如月の望月の頃」
というのが有名だろう。如月(きさらぎ)とは、旧暦の2月の旧名。「望月」とは、月半
ば。今なら、3月半ば頃か。西行が亡くなったのは、旧暦の1190年2月16日だと知ら
れている。つまり、12世紀の末。西行の伝記物語である「西行物語」は13世紀半ばまで
には成立していたと言われている。亡くなってから、50、60年後に書かれていると見ら
れる。

ならば、ここで歌っている「花」とは、梅だろうか、桜だろうか。当時の桜は、もちろん江
戸時代の中期から末期に開発された新品種の桜、ソメイヨシノ(エドヒガン系統とオオシマ
ザクラを掛け合わせた。場所にもよるが、例年の気候なら3月下旬から4月に咲く)ではな
い。ならば、桜はまだ早いから、梅だというのか。そういう説もある。いや、この頃の桜は
早めに咲くエドヒガンであっただろうから、如月半ばでも咲いていただろう。エドヒガン
は、普通、3月半ばから下旬に咲く。西行の歌には、「花のもとにて春死なむ」と、「春」
を強調しているため、「散りしきる花の下で美しい花びらに埋もれるようにして死にたい」
というイメージにもなる。日本人の多くは、ここの「花」を桜と理解している人が多いだろ
う。その方が、花と死をイメージする際の日本人の美意識としてマッチしているということ
なのだろうが、「散る桜残る桜も散る桜」(良寛和尚の辞世の句)である。

贅言;この句は、子ども好きの良寛が示した無常の死生観だが、これも戦前の日本では軍国
主義の下で、「散華(さんげ)」という表現に収斂されて行く。本来は、仏に供養するため
花をまき散らすという意味。特に、法会(ほうえ)で、読経しながら列を作って歩き、蓮(は
す)の花びらにかたどった紙をまき散らすことを言う。それが「花と散る」という意味にな
り、戦死を美化する表現にもなった。特攻隊という戦闘機で敵の軍艦に突っ込み、死んで行
く行為。しかし、そういうイメージは、明治以降の国家主義的近代化や軍国主義の推進の中
で、意図的に作られてきたイメージだろう。

桜の美と死には、そういう密接なイメージがあるならば、忘れてはいけない人と作品に梶井
基次郎がいる。そして、その作品は、「桜の樹の下には」である。1928年に雑誌に発表
された。冒頭の部分は、次のようになっている。

「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。何故
って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさ
が信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の
樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ」。

そして、坂口安吾の「桜の森の満開の下」である。今回の演目の原作に一つである。194
7年に雑誌に発表された。以下の文章に登場する彼とは、山賊のことである。安吾が描く
「桜の森」のイメージが伝わってくる。原文を何箇所か、抜粋しておこう。

「大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜
の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思い
こんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、
さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来か
かり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して」

「桜の森は満開でした。一足ふみこむとき、彼は女の苦笑を思いだしました。それは今まで
に覚えのない鋭さで頭を斬りました。それだけでもう彼は混乱していました。花の下の冷め
たさは涯のない四方からドッと押し寄せてきました。彼の身体は忽(たちま)ちその風に吹
きさらされて透明になり、四方の風はゴウゴウと吹き通り、すでに風だけがはりつめている
のでした。彼の声のみが叫びました。彼は走りました。何という虚空でしょう。彼は泣き、
祈り、もがき、ただ逃げ去ろうとしていました」

「男は満開の花の下へ歩きこみました。あたりはひっそりと、だんだん冷めたくなるようで
した。彼はふと女の手が冷めたくなっているのに気がつきました。俄(にわか)に不安にな
りました。とっさに彼は分りました。女が鬼であることを。突然どッという冷めたい風が花
の下の四方の涯から吹きよせていました。男の背中にしがみついているのは、全身が紫色の
顔の大きな老婆でした。その口は耳までさけ、ちぢくれた髪の毛は緑でした。男は走りまし
た。振り落そうとしました。鬼の手に力がこもり彼の喉にくいこみました。彼の目は見えな
くなろうとしました。彼は夢中でした。全身の力をこめて鬼の手をゆるめました。その手の
隙間から首をぬくと、背中をすべって、どさりと鬼は落ちました。今度は彼が鬼に組みつく
番でした。鬼の首をしめました。そして彼がふと気付いたとき、彼は全身の力をこめて女の
首をしめつけ、そして女はすでに息絶えていました」

「桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。あるいは「孤独」というものであった
かも知れません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独
自体でありました。彼は始めて四方を見廻しました。頭上に花がありました。その下にひっ
そりと無限の虚空がみちていました。ひそひそと花が降ります。それだけのことです。外に
は何の秘密もないのでした」

安吾の「桜の森」のイメージは、冒頭に引用したエッセイ「桜の花ざかり」、今回歌舞伎化
された演目の原作の一つ「桜の森の満開の下」を合わせ読むと、孤独と合わせて、戦争死に
よる遺体の山、というものが、「桜の森」の下にうずくまっているように見える。西行や梶
井基次郎の死全般というのとは違っているように思える。

安吾の「桜の森」のイメージは、第三者によって映像化されたことがある。1975年に篠
田正浩が映画作品として映像化した。この映画は、タイトルもズバリ「桜の森の満開の下」
という。安吾の原作「桜の森の満開の下」を主筋に描いている。映画は、当時の花見の実写
映像で始まり、過去へさかのぼる。特に、盗(山)賊(若山富三郎)の男に最後には殺され
るのだが、峠越えの道中で連れ合いを殺され、盗(山)賊に連れ去られた女の、その後の生
き様、欲望の深さ、人間の業の怖さなどを表現した岩下志麻の存在感が、今も印象に残る。

「桜の森」のイメージは、さらに野田秀樹に受け継がれ、今回歌舞伎化されて大きく花開い
たことになる。安吾は、「堕落論」(1946年、雑誌に発表)を書き、戦前の軍国主義に
抑圧された「生活様式」から「堕落」することを勧め、戦後のアメリカ化された「ウェイ
ズ・オブ・ライフ」に早く馴染むようにと説いた。「堕ちる道を堕ちきることによって、自
分自身を発見し、救わなければならない」。つまり、「堕ちよ、生きよ」の勧めである。有
名な冒頭部分を引用しておこう。

「半年のうちに世相は変った。醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は。大君のへにこ
そ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋(やみや)と
なる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送
った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌(いはい)にぬかずくことも事務的になるばかり
であろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのでは
ない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ」。

「野田版 桜の森の満開の下」の構造を理解するために、安吾の雑誌への作品発表年次を整
理しておこう。

1946年「堕落論」
1947年「桜の森の満開の下」
1951年「飛騨・高山の抹殺」(―安吾の新日本地理・中部の巻―)
1952年「夜長姫と耳男」
1953年「桜の花ざかり」

この期間が、1945年9月から1952年4月までの連合国軍の日本占領時期とほぼ重な
ることに留意した方が良いかもしれない。安吾の戦後論は、被占領論でもあったとも言え
る。「桜の森の満開」とは、占領軍の治世下のことであったかもしれない。従って、安吾の
小説「桜の森の満開の下」には、死や孤独とともに反戦意識(戦前の死生観とは、真逆であ
る)が芽生えている。

ならば、野田秀樹の場合は、どうだろうか。

贅言;確かに、桜の木の下には、物理的にも死のイメージが漂う。桜の木の下には、雑草も
生えないからだろう。それは、実は、桜の木から分泌される「クマリン(桜餅の匂いの元に
なる芳香剤であり、殺鼠剤の原料にもなる)」という物質が草を枯らす作用があるからなの
だ。


野田秀樹の場合


野田秀樹の「野田版 桜の森の満開の下」は、安吾の原作「桜の森の満開の下」(1947
年、雑誌に発表)と「夜長姫と耳男」(1952年、雑誌に発表年雑誌に発表)という2作
品のうち、主役のキャラクターたちの主筋は、「夜長姫と耳男」から構築し、夜長姫と山賊
に連れ去られた女を同一化することで、二つの物語を合体させている。それに加えて、時代
を天智天皇の治世の末期に据えて、壬申の乱、さらに「夜長姫と耳男」の舞台となった飛騨
地方に伝わる「飛騨王朝」伝説まで歴史的背景を仮託し演劇的な重厚さを補強している。安
吾は、「夜長姫と耳男」の発表の前年の1951年に雑誌に連載していた「安吾新日本地
理」で、「飛騨・高山の抹殺―安吾の新日本地理・中部の巻―」というのを書いている。こ
の中で、安吾は、古代日本史において飛騨の地がことごとく無視されていること自体が、逆
にこの地が天皇の始祖の地であり、まぼろしの「飛騨王朝」が存在したことを示すものでは
ないかと推理している、という。さて、そろそろ、歌舞伎座の舞台をのぞこうか。

「野田版 桜の森の満開の下」のキーパースンは、次のように図式化すると判りやすい。耳
男(師匠の代理となる飛騨の匠から、真の飛騨の匠へ)と夜長姫(ヒダの王家の姉娘。二人
とも「夜長姫と耳男」)=女(実は、女こそ鬼だった)と山賊(二人とも「桜の森の満開の
下」)。主な配役は、夜長姫(ヒダの王家=幻の飛騨王朝、の姉娘。七之助)、耳男(勘九
郎)、マナコ(山賊。猿弥)、オオアマノ皇子(大海人皇子、後の天武天皇=天武の大王。
染五郎)、ヒダの王(幻の飛騨王朝の王。扇雀)、早寝姫(ヒダの王の妹娘。梅枝)、エン
マ(閻魔。彌十郎)ほか。

今回の場の構成は次の通り。

第一幕
(1)	桜の森の入り口で、耳男が鬼女と
(2)	耳男タクミに、巧みに化ける
(3)	山賊マナコ、タクミに化ける
(4)	ヒダの王家、夜長姫との出会い
(5)	鬼による耳供養
(6)	タクミに化けていたオオアマ
(7)	夜長姫、耳男の二つ目の耳も切る
(8)	オオアマの陰謀
(9)	夜長姫と耳男、蛇の部屋
(10)夜長姫と耳男、甍の上
(11)夜長姫と耳男、古代の遊園地
(12)早寝姫の死
(13)夜長姫の十六の正月
第二幕
(14)壬申の乱明けて
(15)オオアマ、新しきミカドとなる
(16)落日のヒダの王家、牢獄での陰謀
(17)制作中の大仏の前で耳男が
(18)大仏の開眼式で
(19)鬼狩りで
(20)桜の森の満開の下

この芝居は、20もの場面展開がある。夜長姫を軸にして言うならば、13歳から16歳ま
で。ヒダ王家の娘時代から天武天皇の后時代まで。輻輳するので、今回は、大雑把なあらす
じのみを記録しておきたい。

野田版では、天皇家のお家騒動と飛騨地方にあったと伝えられる「ヒダの王家」の二つのお
家騒動がないまぜになって、芝居の基調になっている。
世界は、まだ、人間の世界と鬼の世界が共存していた、という。人間の世界(ヒダ)と鬼の
世界を繋ぐ道に、避けて通れないスポットとして「桜の森」がある。桜の森を通じて、人間
の世界が鬼の世界を侵略する。

第一幕:
ヒダの匠のうち、3人の名人がヒダの王に召し出された。赤名人(片岡亀蔵)は、耳男(み
みお。20歳。勘九郎)の師匠。桜の森を通らなければならないと恐れ慄き狂ったようにな
り、止めるはずみで耳男(左右の耳がウサギのように異常に大きい!)に鑿で刺されて死ん
でしまう。耳男が生前の師匠の推薦もあり、赤名人の代わりになる。青名人(吉之丞)は、
山賊のマナコ(猿弥)に殺される。こちらはマナコが青名人になりすます。ヒダの王家に行
くと、オオアマ(染五郎)という名前の名人が既に到着している。
オオアマは野田版独自の登場人物。3人の名人が揃ったというので、ヒダの王(扇雀)は、
娘姉妹を紹介する。姉娘が夜長姫(七之助)で13歳、妹娘が早寝姫(梅枝)。娘たちの守
護仏として弥勒像を彫って欲しいとヒダの王は、名人たちに依頼する。期間は、向こう3年
間。一番出来栄えの良い仏像を彫った匠には、奴隷のエナコ(芝のぶ)を褒美として与える
という。夜長姫は、童顔の姫なのだが、性格はきつい。夜長姫とエナコが耳男の大きな耳を
からかった上、近づいてきたエナコによって耳男の大きな左耳が切り落とされてしまう。ふ
たりの仕打ちに怒った耳男は、仏像の替わりに呪いを込めてバケモノを彫り始める。匠では
ないマナコは、いずれ来るだろう「謀反の戦い」に備えて、刀を作ることにした。オオアマ
は、早寝姫に恋慕されたのを利用して、天智天皇の崩御に備えて、ヒダの王の重宝である鬼
退治の巻物を盗み出すようにと姫をそそのかす。歌舞伎によくある話だ。

耳男が蛇の血をかけて彫り上げたバケモノが第一位に選ばれる。3年が経った頃、天智天皇
崩御の知らせが届く。オオアマの正体を知り、謀反への協力を拒絶した早寝姫も亡くなる。

第二幕:
オオアマは、大願成就で、天武天皇(天武の大王)になる。ヒダの王家の女帝を狙う夜長姫
は、天武天皇に迎えられて后になっている。耳男はヒダの匠の名人になっている。名人にな
った耳男は、天武の大王の造営する大仏に夜長姫の顔を彫れと命じられる。

天武の大王は、鬼の国へ攻めこもうとしている。鬼の国の鬼門を鳥居に替える仏教を広め
る。大仏開眼式の準備をする。天武の大王に逆らったマナコは捕らえられて牢獄に入れられ
る。牢獄には、ヒダの王も幽閉されている。ヒダの王は、大仏の首を落とせば、世はヒダの
王家の支配下になると、獄中仲間になったマナコをそそのかす。そして迎えた大仏の開眼
式。どこからか現れたマナコは大仏の首を切り落とす。

ドサクサの中で、耳男は、耳男への恋慕を告げた夜長姫を連れて、桜の森へ向かう。それを
知って後を追う天武の大王と家臣ら。桜の森では、眠りから覚めた鬼女たちも戦に加わる。
夜長姫は、戦場の様を桜の上から見ていたが……、耳男に胸を刺されて殺されてしまう。夜
長姫は、そうされるのをあらかじめ知っていたように、「サヨナラの挨拶をして、それから
殺して下さるものよ」と、言う。耳男に抱きかかえられたまま、夜長姫は息絶える。耳男役
の勘九郎は、夜長姫役の七之助を消し幕とともに桜の森に降り積もった桜の花びらの中へと
隠してしまう。

「野田版 桜の森の満開の下」の幕切れの場面の舞台は、どうなったか。歌舞伎座の広い舞
台、消し幕を使った歌舞伎定式の所作、荘厳に響き渡る音楽、なかなか良いエンディング
で、初日には、カーテンコールとなった(私のカウントでは、4回はあった)。

以下は、坂口安吾の原作「夜長姫と耳男」のエンディングから引用してみる。野田は、かな
り誠実に安吾の想定したエンディングの思いを尊重しているのが判る。

「それをきいているうちにオレの心が変った。このヒメを殺さなければ、チャチな人間世界
はもたないのだとオレは思った。
 ヒメは無心に野良を見つめていた。新しいキリキリ舞いを探しているのかも知れなかっ
た。なんて可憐なヒメだろうとオレは思った。そして、心がきまると、オレはフシギにため
らわなかった。むしろ強い力がオレを押すように思われた。
 オレはヒメに歩み寄ると、オレの左手をヒメの左の肩にかけ、だきすくめて、右手のキリ
を胸にうちこんだ。オレの肩はハアハアと大きな波をうっていたが、ヒメは目をあけてニッ
コリ笑った。
「サヨナラの挨拶をして、それから殺して下さるものよ。私もサヨナラの挨拶をして、胸を
突き刺していただいたのに」
 ヒメのツブラな瞳はオレに絶えず、笑みかけていた。
 オレはヒメの言う通りだと思った。オレも挨拶がしたかったし、せめてお詫びの一言も叫
んでからヒメを刺すつもりであったが、やっぱりのぼせて、何も言うことができないうちに
ヒメを刺してしまったのだ。今さら何を言えよう。オレの目に不覚の涙があふれた。
 するとヒメはオレの手をとり、ニッコリとささやいた。
「好きなものは咒(のろ)うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメ
なのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を
吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして……」
 ヒメの目が笑って、とじた。
 オレはヒメを抱いたまま気を失って倒れてしまった」。

安吾は「桜の森の満開の下」では、女の欲望に付き合ってきた山賊が、満開の桜の木の下
で、鬼の正体を現した女を殺した後、一人だけ生き残った人間・山賊の孤独を描いた。「夜
長姫と耳男」では、蛇を愛でるが、クニの民=人間世界を軽視する夜長姫を描いた。それゆ
えに、危機感を抱いた耳男は姫を殺すのである。野田版に登場する壬申の乱関連のオオアマ
や早寝姫などは安吾版には出てこない。

野田版の特徴の一つは、安吾の反戦意識を芝居の中で、より明確にしたことだろう、と思
う。そのポイントを幾つか挙げてみたい。

例えば、ヒダの匠3人の名人の違い;
安吾版:青ガサ、フル釜(父親に推薦された代理で、息子の小(チイサ)釜)、師匠(師匠
に推薦された代理で、弟子の耳男)。あくまでも3人の匠の技量争い。
野田版:オオアマ(オオアマノ皇子=大海人皇子、後の天武の大王=天武天皇)、青名人
(山賊に殺されて、その山賊のマナコが名人になりすます)、赤名人(誤って死亡させてし
まい、耳男が代行する)。オオアマは、野田版独自の人物。従って、第二幕の壬申の乱の物
語は、野田流の展開となる。
野田版では、安吾版にはなかった「政治」が介入する。政治は、戦争をもたらす。

安吾は、占領期の著作の中で、反戦を色濃くにじませた。それに裏打ちされた安吾版の独自
の死生観を野田秀樹は、オオアマという政治的な人物、後の天武天皇という権力者を独創的
に登場させることで、鮮明にしたように思う。野田版の「戦時色」は、物語の大団円を鬼の
世界と人間の世界の戦いとして描いたことだろう。幕開きの暗闇の「桜の森」で眠りから覚
めてうごめく鬼女たち。鬼の世界に攻め込んだ天武の大王軍は、鬼門を破壊し、代わりに鳥
居を建てる。鬼の世界を「侵略」した果ての、マインドコントロールに人間世界の仏教を利
用しようとした。鳥居の奥には、権力の象徴として大仏を建立する。そして、新しい国を建
設する。大仏開眼式は、戦勝国の新秩序づくりの象徴だろう。安吾が「桜の森の満開の下」
で描いたのは、鬼女の正体を顕した女を殺す場面と「夜長姫と耳男」で描いた夜長姫を殺す
場面であった。安吾は「女」の魔性(鬼)を殺した。野田秀樹は、耳男に夜長姫を殺させる
が、これは、山賊の女殺しとは違うだろう。野田版の夜長姫は、天武の大王(オオアマ)の
皇后になっている。耳男が桜の森の場面で殺したのは、夜長姫ではなく、皇后である。野田
版で耳男は、皇后暗殺の大悪人となった、ということであろう。それにしては、この殺しの
場面は、荘厳で美しすぎる。野田美学の華が散る。

贅言;野田秀樹は、1989年初演で、当時、自ら主宰していた劇団夢の遊眠社に「桜の森
の満開の下」を書き下ろした。その時のタイトルは、「贋作・桜の森の満開の下」。日本史
の中に偽の歴史を持ち込んで、夢の中のように自由に浮遊する。あの荘厳なエンディング。
まさに「贋作」というタイトルこそが相応しい、と改めて思う。
- 2017年8月13日(日) 13:59:15
17年8月歌舞伎座(2部/「修禅寺物語」「歌舞伎座捕物帖」)


夜叉王が問いかける。「藝とは何か」


「修禅寺物語」は、今回で4回目の拝見。04年7月の歌舞伎座、09年12月の国立劇
場、14年07月歌舞伎座で観ている。「修禅寺物語」は、畢竟、「藝とは、なにか」をテ
ーマにしたメッセ−ジ性の明確な芝居だ。1911(明治44)年5月、二代目左團次の主
演で初演。岡本綺堂作の明治期の新歌舞伎だが、早々と大正歌舞伎のテイストが感じられ
る。源頼朝の長男で、非業の死を遂げた頼家の事件という史実を軸に伊豆に遺されていた
「頼家の面」を元に想像力を膨らませてでき上がったフィクションである。

今回は初代板東好太郎三十七回忌/二代目板東吉弥十三回忌追善狂言として、上演された。
満を持して彌十郎が主役を演じる。私が観た主な配役。夜叉王:歌六、吉右衛門、中車、今
回は彌十郎が初役で挑む。夜叉王の娘たちのうち、姉の桂:笑三郎(2)、芝雀、今回は猿之
助。妹の楓:春猿(2)、高麗蔵、今回は、彌十郎の息子、新悟が初役で演じる。楓の夫で夜
叉王の弟子・春彦:猿弥、段四郎、亀鶴、今回は巳之助が初役で演じる。頼家:門之助、錦
之助、月乃助、今回は勘九郎が初役で演じる。
 
新歌舞伎ゆえに緞帳が上がると、開幕。舞台では、第一場「修禅寺村夜叉王住家の場」とい
う最初の場面早々から、面作師・夜叉王(彌十郎)の姉娘桂(猿之助)と妹娘楓の夫で、夜
叉王の弟子・春彦(巳之助)との間で、「職人藝とはなにか」という論争が仕組まれるな
ど、きちんと応酬される科白劇の中で「職人藝」というテーマが、くっきりと浮き彫りにさ
れて来る。
 
自分の繪姿を元に自分の顔に似せた面を夜叉王に作れという注文を出していた源頼家(勘九
郎)が、修禅寺の僧(秀調)に案内されて花道から登場する。家臣の下田五郎(萬太郎)を
伴っている。半年前に注文した面が、いつまで待ってもでき上がって来ないと癇癪を起こし
た「幽閉された権力者」・頼家が、権力尽くで、夜叉王に詰め寄る場面が、第一場の大きな
山場となる。
 
夜叉王は、この半年間、精魂込めて頼家の面を幾つも作るが、いつも、死相とか恨みとか
が、面に込められてしまい、これでは未完成で納得が行かないと困窮していたのだ。この謎
が、最後で明かされるが、この時は誰も気づいていない。そういう職人藝の直感を尊重しな
い頼家は、いら立ちを募らせて夜叉王を斬ろうとする。その有り様を見て、職人藝を認めな
い(というか、言動から、職人を馬鹿にしている)、都への憧れ、上昇志向の強いギャルの
ような姉の桂が、無知ゆえに、勝手に夜叉王が打ち上げたばかりの面を頼家に手渡してしま
う。(死相などの)懸念を表明する夜叉王を無視し、文字通り、上っ面の己の「面」が気に
入った頼家は、見初めた桂をも連れて、ともども、御座所に帰って行く。
 
こういう芸術を判らない権力者の手に、ふがいないと思い込んでいる面が渡ってしまい、歴
史に残されるならば、もう、生涯面を打たないと歎く夜叉王。「ものを見る眼」の有無が、
藝にとって、最も大事だというメッセージが、この場面から伝わって来る。

第二場「修禅寺村桂川辺虎溪橋の場」。御座所へ向かう桂と頼家の束の間のランデブー。亡
くなった愛妾の名前「若狭の局」という名前を桂に与えると、(女にだらしがないのだろう
と思われる)頼家は軽々に言う。月が雲に隠れ、辺りが暗くなる。頼家に忍び寄る軍兵た
ち。敵対する北条方の金窪兵衛(片岡亀蔵)が現れる。暗殺者がきたのではないかと警戒す
る頼家。立ち去る頼家と桂。御座所への夜討ちを命じる金窪兵衛。木陰で様子を窺っていた
春彦が、通りかかった下田五郎に変事の予兆を伝えると軍兵たちが討ちかかって来る。
 
第三場「元の夜叉王住家の場」。やがて、頼家が、北条方の闇討ちに遭い亡くなる。父親の
作った面を付けて、頼家の影武者役を務め、瀕死の怪我を負った桂が戻って来る。頼家死亡
の知らせを聞いて、なぜか、歓喜する夜叉王。死相などが浮き出て、納得の行かない面しか
打てなかったのは、自分の藝が拙かったのではなく、頼家の運命を示唆させた自分の藝の力
の確かさのなせる業だと得心したからだ。
 
頼家の影武者役として頼家の衣装を付けて、襲撃の眼を欺いて逃げて来た瀕死の娘・桂の死
相が深まる顔をほつれ毛を除けて、スケッチまでする夜叉王の、鬼気迫る職人魂こそ、「藝
とはなにか」をテーマに掲げた岡本綺堂劇の回答がある。
 
藝とは、己の直感を大事にして、ひたすら、雑念を排除する。その末に沸き上がって来るも
のをのみをつくり出す。具象化する行為である。……、これが、正解。

夜叉王住家の庭先の姉娘が亡くなろうとしている実生活の時間の流れと住家の座敷で自分の
作った頼家の面をひたすら見続けて、喜悦の表情を浮かべ続ける本望を果たした職人の時間
の流れという、ふたつの時間の流れを見極めることが、この場面のポイントだろう。庭先の
瀕死の娘を全く顧みず、座敷で頼家の死相を表現し切った面を見詰め、忘我の表情の夜叉王
を演じる彌十郎。

 一方では、桂にポイントを絞ってみれば、山家育ちの若い娘が、飛躍を夢見た物語でもあ
る。影武者の役割を果たして、実家にたどり着き、家族の前で、「私は、お局さまじゃー」
と告げる。それが「本望」であったと主張する死の場面では、桂の本望と夜叉王の本望の、
ふたつの確信的な意志が、くっきりと浮かび上がって来る。
 
私が観た4人の夜叉王。2回目に観た吉右衛門の夜叉王は、やはり充実。初めて観た歌六の
時とは違って、岡本綺堂がイメージした職人像を演じきったという印象が残った。前回の中
車も、それに近い。こういう役は、彼も巧い。今回の彌十郎も、家の芸の意気込みが伝わっ
てくる。「修禅寺物語」は、メッセージ性のはっきりした劇であり、そのメッセージを体現
した、それぞれの登場人物の性格描写をくっきりと演じなければならない芝居である。こう
いう新歌舞伎の演目は、中車も彌十郎も持ち役になって行くのではないか。

大正歌舞伎のテイストを感じさせる新歌舞伎の後、どたばた喜劇の味がする平成の新作歌舞
伎を観ることになる。


弥次喜多は、ドタバタの新作歌舞伎


「歌舞伎座捕物帖(こびきちょうなぞときばなし)」は、「東海道中膝栗毛」という角書き
がついていて、「十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)原作より」と一応なっているが、主
人公のコンビの「弥次喜多」を借用しているだけで、ドラマの中身は、全くの新作歌舞伎で
ある。戸部和久脚本/市川猿之助脚本・演出。

新作「東海道中膝栗毛」は、染五郎の弥次郎兵衛と猿之助の喜多八を軸に去年8月歌舞伎座
で上演されている。この新作「東海道中膝栗毛」は、戦後、木村錦花原作で演じられた新作
「東海道中膝栗毛」とは違う。

木村錦花の新作「東海道中膝栗毛」は、12年前、05年9月の歌舞伎座で、一度だけ観た
ことがある。富十郎の弥次郎兵衛と吉右衛門の喜多八であった。その時の劇評を以下に再録
しておこう。


木村錦花原作版「東海道中膝栗毛」から


*「東海道中膝栗毛」は、吉右衛門、富十郎という藝達者が、軸になっている割には、おも
しろくなかった。演出が、もうひとつなのだろう。従って、今回の劇評は、メモからスケッ
チ風に、以下のような部分の指摘をするだけで留めておきたい。「第四場 喜多八の部屋」
は、吉右衛門の喜多八に按摩の吉之助が、「宇都屋峠」で殺された文弥のノリという趣向だ
が、この趣向が、あまり生きていない。幽霊だけに「生きていない」では、洒落にもならな
いだろう。

「第五場 箱根山中」では、雲助の場面は、「鈴ヶ森」風。さらに、「仮名手本忠臣蔵」の
五段目ばりに、猪が出て来る。出演者による、だんまりがあり、逃げる弥次郎兵衛(富十
郎)をしつこく追い掛ける猪。幕切れまで、追い掛ける猪と逃げる富十郎。富十郎のサービ
ス精神のなせる業(わざ)と観た。

「第六場 三島宿」歌江の演じる梓巫女細木庵妙珍は、まさに、化粧も仕草も、細木数子の
真似である。無愛想な妙珍の弟子お強を京蔵が演じる。歌江の妙珍は、十三代目仁左衛門、
十七代目勘三郎、六代目歌右衛門の声色を使い観客を笑わせ、嬉しがらせる。大受けだっ
た。それほど、巧い。まるで、「俳優祭」のノリだ。

「第七場 大井川島田宿」「第八場 大井川川中の水中」では、翫雀が喜劇味を振りまく。
特に、富十郎との水中かっぽれは、笑わせる。翫雀は、人足「駒代わりの関助」である。翫
雀は、「第五場 箱根山中」でも、仇として付けねらわれる赤堀伊右衛門(歌昇)に似た深
編笠の浪人「団子鼻之丞」で、場内を笑わせていた。

時空を越えて、現代を紛れ込ませる「第九場」。かつては、「企業爆破事件」(75年)、
「ロッキード事件」(76年)など、時局ものをテーマにした場面。今回は、「尾張地球
博」だった。マンモスの牙など出てきたが、これが、おもしろくなかった。

この芝居は、今回のように、窮策を踏まえながらの演出では無く、野田秀樹など新しい脚
本、演出でやったらおもしろくなりそう。舞台展開のテンポアップ、特に大道具の工夫は、
最小限、必要だろうと、思った。→ 野田版の出し物は、第3部。


猿之助演出の「膝栗毛」


戸部和久脚本/市川猿之助脚本・演出による新作「東海道中膝栗毛」は、新しい弥次喜多も
ののシリーズと言えるだろう。去年の出し物はまだしも、今年の出し物は、「膝栗毛もの」
を標榜しながら、ロールゲームのように、あちこちに移動する(道中をする)こともしな
い。定点観察もの、としか言いようがない。定点とはどこか。それは、筋書を見れば判ろう
というものである。

さて、その場の構成は、以下の通り。第一場「木挽町歌舞伎座前の場」第二場「歌舞伎座舞
台稽古の場」第三場「歌舞伎座伊之助楽屋の場」第四場「歌舞伎座楽屋廊下の場」第五場
「歌舞伎座綾人楽屋の場」第六場「歌舞伎座座元釜桐座衛門部屋の場」第七場「歌舞伎座楽
屋口の場」第八場「歌舞伎座初日舞台の場」第九場「歌舞伎座捜査の場」第十場「歌舞伎座
再現検証の場」第十一場「歌舞伎座暗闘の場」第十二場「どっちを取り調べまSHOWの
場」第十三場「歌舞伎座綾人楽屋再現謎解きの場」第十四場「宙乗りの場」。

この場の構成にないのが、開幕の場面。定式幕が上手の幕だまりに片付けられると、舞台日
は、黒白黒につなぎ合わされた道具幕が、まるで幕振り落しの演出に使われる浅葱幕のよう
に舞台全面を覆っている。舞台が暗くなり、黒白黒の幕の白い部分に青空を背景にした富士
山が浮かび上がってくる。富士山の手前には、雲海。松竹映画のオープニングの映像であ
る。場内から、笑いが漏れる。つまり、黒白黒の道具幕の白い部分は、映画会社らしい松竹
のスクリーン(銀幕)だった、というわけだ。そこに映し出される映像は、去年8月の歌舞
伎座舞台を撮影した新作「東海道中膝栗毛」のダイジェスト版だった。ナレーションの声
は、勘九郎か。

そして、場内が明るくなると今回の開幕は、宙乗りのゴールから。3階の8列目12番とい
う席にいた私の耳には、宙乗りゴールの臨時の鳥屋(とや)の中から、複数の男性の低い話
し声が聞こえてきた。12番の隣に11番があるが、10番から下手側は、今回は、客席と
して使用しない。この声はなんだろうと訝りながら本舞台やら花道やらに目をやっている
と、鳥屋の話し声が止み、宙乗り用の向う揚幕が開け始められたような気配があり、宙乗り
のロープが、緊迫感を示すと、傘をさした二人の役者が私の眼の前に飛び出してきた。弥次
喜多こと、染五郎・猿之助の二人だった。ロープで吊るされながら二人は、宙乗りならぬ、
これでは、「宙降り」ではないか!宙を上って行く普段の宙乗りよりより、この宙降りの方
が、重心が下になるだけに怖いのではないか。そう思って、二人の宙乗りを見下ろしている
うちに、二人は花道に着地したようで、無事舞台に生還した。去年、伊勢の花火で打ち上げ
られた二人は歌舞伎座の宙乗りで降りてきたことになる。二人を迎えるために本舞台下手か
ら大道具棟梁(勘九郎)が登場した。弥次喜多は、歌舞伎座で大道具のアルバイトをしてい
たので、去年の旅から職場復帰したことになる。舞台番の虎吉(虎之介)も迎えに出る。花
道からは、弥次喜多の去年からの旅の友・梵太郎(金太郎)と政之助(團子)の二人もやっ
てきた。4人の旅は続いていたということか。

さて、今回の舞台は、場も多数、登場人物も多数、その上、筋は入り組んでいる。それを紹
介してもあまり意味がないだろうから、初めに大雑把なあらすじを抑えておこう。それは、
こうである。

歌舞伎座は、明日初日。演目は、「義経千本桜」。見せ場は、「四の切」の静御前と狐忠
信。静御前は、瀬之川伊之助(巳之助)、忠信は、芳沢綾人(隼人)。江戸歌舞伎の人気を
二分するライバルで、仲が悪い。歌舞伎座の舞台稽古は、初日の前々日と前日に行う。きょ
うは、前日なので、舞台稽古の総仕上げ。大道具のアルバイトに戻った弥次喜多の二人。梵
太郎と政之助も舞台稽古の見物を許される。「四の切」では役者の科白がかみ合わない。綾
人に忠信の役をおとなしく譲ったはずの伊之助は、腹に含むものがあるらしい。綾人も忠信
の出の仕掛け(例の階段の仕掛けが観客席に披露されてしまうので、ここは見せ場)
が不具合で、何度もやり直す。この騒ぎの中、綾人の弟子(宗之助)が、倒れてしまう。騒
ぎを聞きつけた奉行所の定廻り同心ら(片岡亀蔵、猿弥、廣太郎)が駆けつけてくる。綾人
も体調がおかしくなる。伊之助は、綾人の弟子に演目を変えるよう座元に談判して欲しいと
頼まれる。綾人の楽屋では、綾人の弟子は、実は、殺された可能性があり、それも綾人と間
違われて殺されたのだという噂で持ちきりだ。役人は、座元を部屋に訪ねる。だが、座元
(中車)は初日を前に奇妙な噂を立てないでくれと怒り出す。

贅言;この座元は、名前を「釜(かま)・桐座衛門(きりざえもん)」という。江戸時代の
控え櫓の一つ「桐座」と「蟷螂(かまきり)」を引っ掛けている。知る人ぞ知る中車の昆虫
好きも、もちろん入っていることだろう。座元の部屋の入口に掛かっていた暖簾には蟷螂の
形を図案化した紋が入っていた。

その座元の女房(児太郎)が戻ってくる。女房は若い役者(新悟)といい仲になっている。
歌舞伎座の楽屋口の外では、歌舞伎座で殺人事件が起きたと言い立てて瓦版を売っている。
大道具のアルバイト・弥次喜多の二人が初日の昼の部が終わって、一休みと楽屋口に出てく
る。ここは、全十四場のうち、第七場「歌舞伎座楽屋口の場」。そういえば、主役のはずの
このコンビは、影が薄くなっていたなあ。どこにいたんだろう。もう、芝居は半分も進んだ
勘定になるのではないのか。

第八場「歌舞伎座初日舞台の場」。綾人休演で、伊之助は、忠信役に回り、静御前は、ベテ
ランの老女形の為三郎(竹三郎)が代役を勤めている。静御前を演じるのは、科白では50
年ぶりと言っている。杖をついたままだったり、衝立に寄りかかったり、している。為三郎
が泡を吹いて倒れた。欄間抜けをするはずの伊之助は首に縄を巻きつけ、首吊り状態で、天
井から吊り下がってくる。慌てて、幕を閉める。休演となった歌舞伎座では、役人らによる
現場検証が始まった。

この検証の場面で、欄間抜けの大道具の仕掛けが、舞台で披露されて、観客にも見せられ
る。検証には、さらに監察医の女医(七之助)も参加。綾人の弟子は、毒によるショックか
ら持病を悪化させて死んだ、という。伊之助は、首吊り状態となり、首の骨を骨折して死亡
した。為三郎は、肩口に針で刺されたような痕があったが死因は不明で要調査という。弥次
喜多にも嫌疑がかかるが、梵太郎(金太郎)と政之助(團子)がとりあえず、割って入る。
夜更けに、現場再現をする梵太郎と政之助らの調査から、怪しい人物が浮かび上がる。それ
は、座元の女房(児太郎)か、綾人の弟子(弘太郎)か。天照大神(笑也)が現れて、一件
落着。綾人も政之助持参の家伝の秘薬で体調回復。狐忠信を演じることになる。「四の切」
の幕切れ近く、綾人は花道七三で宙乗りの準備をする。弥次喜多は、荒法師の格好をして、
宙乗りの準備をするグループに入っている。宙乗りの準備が整った! 吊り上げられてきた
のは、何ち弥次喜多。開幕で宙乗りで降りてきたコンビは、再び宙乗りで、向こう揚幕の
上、三階席に臨時に特設された宙乗り用の揚幕に吸い込まれて行く。私は、また、3回席の
8列12番の席で、今度は、私に向かうように上がって、迫ってくる染五郎と猿之助をしっ
かりと見つめた。

演技論も、役者論も、なし。その代わり、大道具論としては、おもしろかったと思う。全部
で14の場面が、定式幕、回り舞台と引き道具(車の付いた大道具)、煽り(あおり。外側
から内側へ、上から下へ、煽ることで大道具方は、顔を客席側に向けないで済む)などでタ
イミングよく、要領よく、テキパキと場面展開される。観ていて、ワクワクした。ドタバタ
喜劇味の新作歌舞伎は、夏の暑さを吹き飛ばして、おもしろかった、とだけ記録しておこ
う。それにしても、染五郎と猿之助は、本当には歌舞伎座のどこにいたのかな。大道具のア
ルバイトだから、裏方の裏方で見えないところをいろいろ支えていたのだろう。ご苦労さ
ん!!
- 2017年8月10日(木) 20:41:04
17年8月・歌舞伎座 (1部/「刺青奇偶」「玉兎・団子売」)


新歌舞伎の世話物も世代交代


長谷川伸原作の新歌舞伎「刺青奇偶」を観るのは、3回目。外題は、「いれずみちょうは
ん」と読む。「奇偶」は、さいころ博打の奇数(半)・偶数(丁)の意味である。「刺青奇
偶」には、実は、思い入れがある。というのは、私が、35年間住んでいる地域の、江戸時
代が舞台となっているからである。市川市の行徳地区。十二代目團十郎の母親、つまり、十
一代目團十郎の連れ合いの出身地の行徳である。宮尾登美子が「きのね(柝の音)」という
小説にこの女性のことを書いている。

「刺青奇偶」は、1932(昭和7)年6月、歌舞伎座初演。その時の配役では、半太郎を
六代目菊五郎(歌舞伎を洗練した)が演じた。お仲は、美貌ゆえに本名を入れて「慶ちゃん
福助」と愛称された五代目福助。裁き役の侠客・政五郎は、伝説の立役・十五代目羽左衛
門。

私が見た主な配役は、次の通り。半太郎:勘九郎時代含め勘三郎(2)、今回は、中車。初
役である。お仲:玉三郎(2)、今回は、七之助。初役である。政五郎:仁左衛門(2)、
今回は、染五郎である。これも、初役。今回の特徴は、玉三郎が演出側に回っていることで
あるが、勘三郎、玉三郎、仁左衛門と比べると、器が小さくなっていると思われるのは仕方
がないだろう。世代交代
途上の典型的なケース。

場の構成は、次の通り。序幕第一場「下総行徳の船場の場」、同じく第二場「同 水際の
場」、第三場「破ら家の場」。二幕目第一場「品川の家の場」、同じく第二場「六地蔵の桜
の場」。

序幕第三場の「破ら家の場」の「破(あば)ら家」とは、半太郎の「家」のことだから、序
幕はすべて、行徳の体である。第一場は、薄暗い場面で始まる。夜だろうなあ。今も当時の
常夜燈が保存されている江戸川縁(べり)の行徳の船着場が舞台(常夜燈のある船着場は、
今も江戸情緒を伝えている)。常夜燈に灯りが入っている。船便で着いたばかりなのか、江
戸の酌婦の店から逃げて来た女・お仲(七之助)が舞台中央下手寄りの奥から現れる。次い
で、江戸深川の生れだが、博打による喧嘩沙汰で、江戸を追われ、堅気から博打うちになっ
てしまった手取り(深川佐賀町「手取橋」際(きわ)の生まれなので)の半太郎(中車)も
姿を見せる。二人の出会いは、江戸の日本橋と下総の行徳を結ぶ船便(大川=隅田川、小名
木川、中川、江戸川を経由する)の船着場の近くである。今風に言えば、ターミナルでのさ
りげない出会い。同じターミナルで半太郎の姿を見かけて、追ってきたのは、荒木田の熊介
(猿弥)。二人は女のことで小競り合いになり、半太郎が、身を交わした隙に、川に落ちる
熊介。熊介など、半太郎は、助けない。その直後に、似たような水音がしたのを聞き付けた
半太郎が、そちらを見ると、(女が溺れている)。

第二場も舞台は薄暗い。ここは、その女、つまり、お仲を江戸川の水際で助け上げた場面と
なる。酌婦の身からは、逃れたものの、先行き不安で、自棄になり、身投げをしたお仲。助
け上げた上に、自分の金を財布ぐるみ女に手渡す半太郎。男は、皆、女の体が目当てという
「処世術」が身についているお仲は「お礼」替わりにと、半太郎にしなだれ掛かる。「(莫
迦にするねえ!)娑婆の男を見直せ」と男気を見せる半太郎。お仲は、そんな半太郎に惚れ
てしまう。

贅言:船場の場面では、半太郎が、己が追放された(所払いにでも、なっているのだろう
か。実は、その後の展開で、半太郎は、武州狭山で、3人に怪我をさせて逃げていることが
判る。江戸に帰れば、追っ手に捕まるのである)江戸を懐かしむ場面で、半太郎は、船場の
杭に頬杖を突いて、舞台上手の空(江戸の空)を睨む。前回上演時に、当初、杭の高さが足
りず、勘九郎の勘三郎は頬杖が突けず、六代目菊五郎の舞台写真で確かめて、杭の高さを高
くしたという。初めてこの場面を観たときも、そう思ったのだが、半太郎は、杭に頬杖を突
いて、舞台上手の空を睨む場面の不思議。半太郎の立つ足元が、行徳なら、下手が、西で、
上手は、東。つまり、江戸方面は、下手で、下総の船橋方面が、上手なのだ。知らない人に
は、芝居を観ていれば、上手が、江戸と思うだろうが、地元の人間は、江戸とは、反対側の
空を睨んで、懐かしがる半太郎に、どうしても、腑に落ちない気持ちを抱く。ここは、大道
具の「杭」だけの問題で、半太郎が、杭に頬杖を突いて、舞台下手を向いて、つまり、正し
い江戸の空を睨んでも、なんら、支障は無いと思うのだけれど、江戸は、やはり、「上手」
でなければいけないのだろうか。主役が、舞台下手を向いては、杭(悔い)が残るのだろう
か(笑)。

第三場の「破ら家の場」も薄暗い。ここは、半太郎の逃避行の隠れ家。荒木田の熊介が子分
を連れて半太郎を追ってきた。熊介を追い払う。お仲が半太郎の後を追ってここへくる。逃
支度をする半太郎に自分も連れて逃げてくれ、と頼む。逃げ出した二人。そこへ、半太郎の
居場所を探し当てた母親・おさく(梅花)が、従弟の太郎吉(萬太郎)を連れて訪ねてきた
が、一足違いで会えなかった。 

やっと、舞台が明るくなったのが二幕目。二幕目第一場は「品川の家の場」で、江戸に入れ
ない半太郎とお仲は、あれから、2年後、江戸を挟んで下総と反対側の南品川(御朱引=府
内の外)に隠れ住んでいる。下手奥に江戸湾が見えるから、海も近いのだろう。下手が、江
戸方面か。恋女房となったお仲は、重篤な病気に侵されているらしい。半太郎とお仲の面倒
を見ているのが、近所に住む女房・おたけ(芝のぶ)。留守の半太郎に変って往診に来た医
者の立会いをして、帰宅した半太郎に医者に見立てを告げる。先の長く無いお仲は、請願を
して、半太郎の右腕に、博打封じの「さいころの刺青」を彫る。これを見る度に、死んだ女
房が博打はいけないと言っていたことを思い出して欲しいと言う。半太郎は、博打を止める
から、病気を治して欲しいと咽び泣く。つまり、外題の「刺青奇偶」とは、愛妻からの、戒
めのメッセージなのだ。

第二場「六地蔵の桜の場」。半太郎を探して出会えなかった両親(錦吾、梅花)が回国巡礼
の旅から虚しく戻ってきた。二人が江戸方面の下手に姿を消すと、上手から半太郎がフラフ
ラとなって現れる。賭場を荒らしたとして、ヤクザに打ち据えられた半太郎は倒れ込んでし
まう。死に行く恋女房に良い思いをさせて、あの世に送りたいと、半太郎は、単細胞の思い
で賭場に行き、案の定、へまをしてしまう。だが、賭場の主・侠客、鮫の政五郎(染五郎)
は、賭場荒らしの半太郎をとがめずに、子分になれと勧めた上で、何故、そういうことをし
でかしたかと聞くのである。以前に観た政五郎はいずれも仁左衛門が演じていて貫禄があっ
たが、染五郎では、まだ、無理なようだ。舞台に出てきただけで、親分としての器量の違い
が見えてしまう。

「日本一好きなのが、女房で、二番目に好きなのが、博打だ」と言う半太郎。恋女房への愛
情と博打への欲望の葛藤が、半太郎には、ある。すべては、瀕死のお仲のためと知った裁き
役の政五郎は、半太郎を許す。最後の博打(持っているサイコロと地蔵の前にあった茶碗で
行う博打という辺りが、庶民的)を誘って、勝金として、半太郎に自分の有り金のすべてを
渡す政五郎。それを持って、恋女房の許へと花道を急ぐ半太郎。

江戸の下層社会の人情噺。いかにも、勘三郎好みの芝居である。中車では、やや陰気で、亡
くなった勘三郎の明るさが滲み出てこない恨みがある。博打好きな男だが、それを除けば、
真情溢れる女房思いの男でもある半太郎。故郷の江戸深川に帰りたくても帰れない。山田洋
次監督が描いた「フーテンの寅」のような男だ。

下等の酌婦に身を落としたこともあるお仲。純情無垢な恋女房の情愛をたっぷり演じた玉三
郎に比べると、七之助は、まだ器が小さい。鯔背な、裁き役の政五郎親分を演じる仁左衛門
に比べてしまうと染五郎も可哀想な気がするのは、私だけか。先々代、先代の(というか、
亡くなった)勘三郎が親子二代の当り役とした人情噺は、まだまだ、枠の大きさには、ほど
遠い。半太郎役には、いずれ、当代の勘九郎も挑戦することになるだろう。


「玉兎・団子売」は餅搗きで繋ぐ


「玉兎(たまうさぎ)」は、1820(文政3)年、江戸中村座で初演。三代目坂東三津五
郎の変化舞踊「月雪花名残文台」の一景「玉兎月影勝(たまうさぎつきのかげかつ)」。私
は、初見。月の中でうさぎが杵と臼で餅を搗く。その兎が大きな満月から杵を抱えて飛び出
してきて、江戸の巷で餅を搗くという趣向。臼は、後見が用意してくれる。変化舞踊の文句
には、「実に楽天が唐歌に つらねし秋の名にしおう三五夜中新月の 中に餅つく玉兎 餅じ
ゃござらぬ望月の月の影勝 飛び団子」とある。今回は、勘太郎(6歳)が初役で挑む。歌
舞伎役者の子は、幼い頃から、大劇場の大舞台を一人で任されて、度胸をつけるのだろう。
また、観客からの拍手という快楽も味わう。赤い下帯のような下りに袖なしを着た餅つき職
人の衣装で、踊る。大勢の前で、裸同然の格好。羞恥心も脱ぎ捨てて。勘太郎は、まあ、な
んとか踊り終えた。暗転と明転で、「所作事二題」の後半へと繋ぐ。

「団子売」は、舞踊劇。7回目の拝見。幕末から明治期の作品。1901(明治34)年。
大坂御霊文楽座の人形浄瑠璃の景事(けいごと)が初演という。大坂の天神祭、舞台は、天
満宮に向かう天神橋側の広小路。太鼓の音も、コンチキチと祇園祭風に聞こえる。餅屋台を
担いだ夫婦ものが花道から登場。江戸時代に町中で餅を搗いたり、丸めたりしながら団子づ
くりの実演販売をする夫婦の様子を写した「景事」という演目。江戸時代に流行したという
商標の「影勝団子」(「飛び団子」とも言った)の売り子姿が売り物。「影勝」とは、先の
「玉兎月影勝」と同じ。

「団子売」の女房がお福(猿之助)。夫が杵造(勘九郎)。夫の名前は、杵造あるいは、杵
蔵、女房の名前は、お福、あるいは、お臼。明るい所作事。杵と臼ということは、ひょっと
ことお多福という(踊りの中でも、この二つの面を使う)、男女の和合の噺。餅を搗くとい
う所作は、性愛を象徴するのに合わせて、五穀豊穣、子孫繁栄不老長寿(高砂尾上)などを
唄い上げる。
- 2017年8月10日(木) 14:24:07
17年7月歌舞伎座(夜/通し狂言「駄右衛門花御所異聞」)


海老蔵主演の復活狂言新作歌舞伎


「駄右衛門花御所異聞(だえもんはなのごしょいぶん)」は、本来の外題は、「秋葉権現廻
船語(あきばごんげんかいせんばなし)」で、1761(宝暦11)年、竹田治蔵原作、大
坂・中の芝居で初演。今回の上演は、復活上演であり、実質的に新作歌舞伎の上演でもあ
る。竹田治蔵は、二代目竹田出雲の弟子。人形浄瑠璃の作者から歌舞伎作者に転じた。歌舞
伎の大道具の大仕掛けの「がんどう返し」を考案したとも伝えられる。


日本駄右衛門とは


時は室町時代。東山幕府とは、史実の足利幕府をモデルにしている。主人公の駄右衛門と
は、日本駄右衛門のこと。後の河竹黙阿弥原作「白浪五人男」にも登場するので、歌舞伎で
はよく知られている。江戸時代中期の史実の人物、通称・日本左衞門がモデル。本名は浜島
庄兵衛と伝えられる尾張藩士の息子。つまり武士階級出身という大盗賊。悪知恵の発達した
人物だったのだろう。200人の手下を抱え、遠江国見附宿(現在の静岡県磐田市)を根城
に東海道の各地を荒らし回ったと言われる。悪事を重ねた末の最後は、自首して、獄門(晒
し首)に処せられたという。

「駄右衛門花御所異聞」、という芝居

「駄右衛門花御所異聞」は、「秋葉権現廻船語」という復活狂言であり、当代の演出満載の
新作歌舞伎でもある。復活狂言として、先行作の古風な骨格を利用しながら、現代風の演出
もふんだんに盛り込む。月本家のお家転覆から日本六十四州の天下取りを狙う大悪党日本駄
右衛門を演じる海老蔵は、日本駄右衛門を軸に、駄右衛門が変装して偽の上使に化けるほ
か、月本家を守る家老・玉島逸当の弟の幸兵衛にも早替りをし、月本家を守る側に回る。さ
らに、時の氏神となり、月本家に味方する秋葉大権現にも、早替わるなど、活躍する場面が
多い。芝居の舞台は、遠州の各地と京都。

「駄右衛門花御所異聞」の場の構成は、次の通り。

場内暗転。暗闇の中、開幕すると舞台全面が浅葱幕で覆われている。廓の若い者や月本家の
家臣らが人探しをしている。浅葱幕振り落としで、月本家の当主の弟・始之助(巳之助)と
傾城の花月(新悟)の道行の場面。月本城下、松原を背景とした浜辺。東山将軍家の息女と
巳之助の縁談話が起こり、これを嫌った始野助が花月を誘い出して駆け落ちをした、という
のが「発端」の場面だ。

発端「遠州月本城下浜辺松原の場」。序幕「遠州月本館の場」。二幕目第一場「遠州大井川
の場」、第二場「遠州無間山お才茶屋の場」、第三場「遠州秋葉大権現の場」。大詰第一場
「都東山御殿の場」、第二場「同 奥庭の場」、第三場「元の御殿の場」。

粗筋は入り組んでいて、複雑なので紹介を控えるが、月本家という大名家のお家騒動の国崩
し(お家乗っ取り)側に盗賊の駄右衛門一味が協力して絡む。月本家側は、家中の乗っ取り
派と対峙しながら、駄右衛門一味と対応する、というのが基本構図。そこで登場人物の分類
をすることで、粗筋の理解を助けたい。

「駄右衛門花御所異聞」、芝居の人間関係と主な配役

月本家内部の対立。月本家は、当主が月本円秋(右團次)。円秋の妻が、松が枝(笑三
郎)。円秋の弟が、月本始之助(巳之助)で、これも遊興狂いで、傾城花月(新悟)を後に
側室とする。始之助には政略結婚の相手となる東山将軍家の息女・三津姫(児太郎)との間
に婚姻話が持ち上がっている。当主の叔父・月本祐明(男女蔵)は、駄右衛門の手を借りて
月本家のお家乗っ取りを企てている。

月本家の家老・玉島逸当(中車)は、お家大事と主君に仕えている。遊興ゆえに御用金(公
金)に手をつけてしまい兄の玉島逸当に勘当された弟の幸兵衛(海老蔵)がいる。幸兵衛の
妻が、お才(児太郎)。このお才が、実は、駄右衛門の子分の「奴のお才」でもある。ま
た、月本祐明の側室にもなっている、というとんでもない女である。お才には長六(九團
次)というゴロツキの兄がいる。

月本家の家臣のうち、当主・円秋の世話をする諸士頭の馬淵十太夫(市蔵)、月本家家老職
の玉島逸当家の家臣では奴・浪平(亀鶴)。いずれも当主の味方である。

駄右衛門一味。大盗賊・日本駄右衛門(海老蔵)は、東山将軍家に滅ぼされた楠正成の末裔
で、東山家に害意を抱いている。また、月本家のお家騒動に乗じて、月本家の家宝である紀
貫之自筆の古今集と三尺棒(権現由来の三尺坊にちなんだ命名か)を盗んだ。三尺棒は、
元々、秋葉大権現所縁のもので、駄右衛門は、この三尺棒を利用して死者を蘇らせて手下と
して操る秘術(蘇生の秘術)を使い、天下取りを狙う。まず、駄右衛門は、月本家の当主の
叔父でお家乗っ取り派の首魁・月本祐明に協力して月本家の乗っ取りを図る。最後には、祐
明を裏切り、殺す。一味の手下は200人と言われる。主な手下は、奴のお才(児太郎)、
早飛(はやとび。弘太郎)。

東山将軍家。将軍は、東山義政(右之助改め、二代目齊入)。その息女・三津姫(児太
郎)。遊興に耽る義政に諌言するなど義政をしのぎ、将軍家で実権を振るう執権・細川勝元
(中車)。

秋葉大権現(海老蔵)は、火伏せの神。神の使いの白狐(勸玄)。遠州秋葉山本宮秋葉神社
は、「今の根本」と呼ばれ、現在の浜松市の奥にある。越後(今の新潟)の秋葉三尺坊大権
現は、「古来の根本」と呼ばれる。秋葉権現は、秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏
習合の神である。三尺坊は、白狐に乗って自在に空を飛ぶ天狗とのこと。東京の秋葉原は、
明治の大火の後、秋葉神社を勧請し、延焼防止の火除け地として秋葉ノ原を作ったことか
ら、地名となった。月本家とも所縁のある秋葉大権現は、月本家当主の願いを聞き届けて、
宿敵・駄右衛門懲罰のために、白狐とともに空を飛び去る。

「駄右衛門花御所異聞」、芝居の構図

この芝居の構図を分析してみると、三つの縦糸(流れ)と二つの横糸(堰き止め)があるこ
とが判る。

縦糸は以下の通り。
1)月本家のお家騒動:当主・月本円秋とお家横領を狙う叔父の月本祐明の争い。親族間の
覇権争い。
2)月本円秋の弟・始之助と傾城花月の恋の逃避行。
3)月本家のお家騒動に乗っかり、まず、月本家の祐明と協力してお家乗っ取りを図り(挙
句、駄右衛門は祐明をも裏切る)、次いで、東山将軍家の乗っ取り、つまり、日本六十四
州、国崩し・国盗り・天下取りを狙う日本駄右衛門の野望。

横糸は以下の通り。縦糸の流れを堰き止める。
1)秋葉大権現の登場。月本家の願いを入れて、駄右衛門による国崩しの阻止を図る。
2)東山将軍家の弥栄。細川勝元による駄右衛門の放免。

復活狂言の悪の華を現代風の大輪に咲かせられるか

劇評をコンパクトに書いておこう。
「駄右衛門花御所異聞」は、「秋葉権現廻船語」のおよそ250年ぶりの復活狂言というこ
とだが、実質的には、当代風に仕立て直した新作歌舞伎と言えるだろう。現代版合作の試
み。合作に参加したのは、織田紘二、石川耕士、川崎哲男、藤間勘十郎。合作のポイント。
1761(宝暦11)年の大坂中の芝居で上演された時の台帳の写し(「歌舞伎台帳集成」
所収)が東大に保管されていた。桜田治助作の書き換え狂言「秋葉霊験道中噺(あきばれい
げんどうちゅうばなし)」(「日本戯曲全集」所収)の廓の場(世話場)を参考にしたなど
など、現代の合作者を刺激したらしい。この演目は、明治期までは、盛んに上演されていた
という。その後は、なぜ廃れたのか。

下敷きにしたとみられる狂言の場面。私が気付いた辺りを列挙すると、以下のようなところ
か。

発端「遠州月本城下浜辺松原の場」。「仮名手本忠臣蔵」の「道行 旅路の花聟」を下敷き
にしている。月本家の家老・玉島逸当の弟、幸兵衛(海老蔵)と駄右衛門(海老蔵)の早替
り。吹き替え役者を巧みに使う。

序幕「遠州月本館の場」。お家の重宝紛失の責任を取って、偽の上使に切腹を迫られる月本
家当主の円秋の切腹場面は、「仮名手本忠臣蔵」の四段目「塩冶判官の切腹の段」のパロデ
ィ。当主の円秋が、弟の始之助に家老の玉島逸当の到着を催促する場面。「未だ参上仕
り……ません」と言わせる。偽の上使の大館亘理(海老蔵)は、正体がバレた後の科白で
「動くな、動くな。動くなと言っても動いてみせるわ」と不敵に笑う。「東海道四谷怪談」
の隠亡堀の場面、直助の科白。「首が飛んでも動いてみせるわ」のパロディだろう。

二幕目第一場「遠州大井川の場」。始之助と花月を追う捕手頭・轟伝蔵と捕手たちとの立ち
回りは、「仮名手本忠臣蔵」の「道行 旅路の花聟」や「義経千本桜」の「道行 初音旅」
のパロディ。

第二場「遠州無間山お才茶屋の場」。世話場の廓の茶屋。基本的に「仮名手本忠臣蔵」の七
段目「一力茶屋の段」を彷彿とさせる。山伏姿で茶屋に一夜の宿りを求めてきた玉島幸兵衛
は、女房のお才と奇遇する。女房が廓の遊女になって金を稼いでいることを知り、御用金横
領で逃げ回っている幸兵衛は、「持つべきものは女房だな」などと、「菅原伝授手習鑑」の
寺子屋の段の松王丸の科白(「持つべきものは子でござる」)を真似る。幸兵衛の階段落
ち。吹き替えは?

第三場「遠州秋葉大権現の場」。曲技団のような火の精のアクロバティックな踊り。海老蔵
と勸玄の宙乗り。

大詰第一場「都東山御殿の場」。「祇園祭礼信仰記」の金閣寺を連想した。囲碁の代わりに
衝立を使った福引きという勝負事。一力茶屋の「見立て」のパロディ。腰元姿の右若が、ハ
ンバーガーを引き当てて、「何と言っても、エビがいちばん」と海老蔵のコマーシャル。

第二場「同 奥庭の場」。回り舞台で場面転換。また、逆回りで、戻る。第三場「元の御殿
の場」。秋葉大権現の加護で駄右衛門の野望も潰えて、日本六十四州めでたしめでたしの大
団円にて、幕。

役者評では、主役の海老蔵に触れないわけにはいかない。海老蔵は、この新作歌舞伎の上演
の稽古と平行して愛妻(小林麻央)の看取りという壮絶な体験を経て、舞台に上がった。一
時、アルコール依存症と言われるほど荒んだ生活に陥っていたと言われる。それを愛妻の愛
情や授かった二人の子ども(娘と息子)にも救われて、役者としての生命を取り戻したと言
えるだろう。海老蔵の藝は、父親の團十郎を亡くしたことから、歌舞伎界では舵を失った難
破船になりかねない状況にも追い込まれたことだろう。今回は、息子の勸玄が秋葉大権現に
扮した父親に抱かれて、白狐役として、宙乗りをしているように見えるが、これは逆で、海
老蔵がお守り代わりの息子に助けられて、愛妻追悼の中空に浮き上がるエネルギーをもらっ
ているように私には見えた。宙乗りの勸玄は、ニコニコ微笑みながら、観客に手を振って愛
想を振りまいていた。

児太郎が重要な役どころを演じていた。お才は、幸兵衛の女房、月本祐明の後室、駄右衛門
花御所一味の手下・奴のお才が、歌舞伎独特の「実は」なしに、そのまま三人の役をこなし
ているのも、新作歌舞伎らしい荒唐無稽さ。話の副筋としてストーリーを引っ張って行くは
ずの巳之助(月本家の当主の弟、始之助。月本家のナンバー2だろう)と新悟(傾城花月)
の恋の逃避行を敢行する、道行コンビの存在感が薄い。

幕切れの顔揃えでは、東山将軍家の執権・細川勝元の中車。大盗賊・日本駄右衛門の海老
蔵。将軍・東山義政の右之助改め、二代目齊入(さいにゅう)。その息女・三津姫の児太
郎。月本家の当主・月本円秋の右團次。円秋の弟・始之助の巳之助。大団円は、海老蔵が緋
色の布の三段に乗って大見得、睨み。そこへ、桜吹雪が降りかかる。

哀しみを乗り越えて

海老蔵は、2013年2月に父親の十二代目團十郎を亡くしている。團十郎家は江戸歌舞伎
の宗家である。松竹としては、團十郎という唯一無二の大名跡をいつまでも空位にしておく
わけにはいかないだろう。そこで、私の推測。海老蔵は、息子の勸玄が新之助を名乗るとき
に、自身も十三代目團十郎を襲名しようと考えているかもしれない。だとすれば、3年後、
2020年、東京オリンピックの年に江戸歌舞伎の宗家の襲名披露興行か。團十郎没後、7
年。日本の歌舞伎界を両肩で支える松竹なら、当然、考えそうなことだろう。来年あたり、
公表するかもしれない。哀しみを乗り越えて、團十郎が行く。観客も老いを乗り越えて、晴
れの舞台を観たいものだ。
- 2017年7月18日(火) 9:22:56
17年7月歌舞伎座(昼/「矢の根」「加賀鳶」「連獅子」)


馴染みの演目に若手の役者が挑戦


「矢の根」。9回目の拝見。右團次が挑戦。市川宗家の家の藝「歌舞伎十八番」の演目なの
で、舞台上手に「歌舞伎十八番のうち 矢の根」、下手には「五郎時致 市川右團次相勤め
申し候」の看板がかかっている。右團次襲名後、最初の「矢の根」を観る。右近時代最後の
「矢の根」は、2年前、明治座で初役上演しているが、私は観ていない。右團次は右近時代
を含めて、通算2回目の上演。

舞台上手の白梅、下手に紅梅(紅白の位置は、定式)。大薩摩の置き浄瑠璃。正面、二重の
三方市松の揚障子が、「よせの合方」で上がる。若さを強調する車鬢、筋隈に、仁王襷、厚
綿の着付けの両肩を脱いだ五郎が炬燵櫓に「合引」を載せて、その上に腰を掛けている。曽
我五郎は15歳の少年という想定。歌舞伎らしい様式美と荒事の勢いが大事。科白は正月の
食膳のつらね。七福神をこき下ろす悪態(悪口を言う)と科白の掛け合い。2連の大薩摩連
中が、舞台上手の山台に乗っている。

さて、これまで私が観た曽我五郎は、三津五郎(3)、松緑(2)、橋之助、羽左衛門病気
休演代理の彦三郎、男女蔵、そして今回は、右團次。右團次自身が矢の根を演じるのは2回
目だが、私が観るのは初めて。右團次の科白回しは、師匠の二代目猿翁譲り。所作もテキパ
キとしていてメリハリがある。曽我十郎は、前回の明治座同様澤瀉屋一門の女形・笑也が勤
める。

筋は単純である。廻り廊下を持った能の舞台のような、作業場のような板敷きの御殿で、五
郎(右團次)が矢の根(矢の一先端にある鉄製の鏃)を黒塗りの桶に入れた四角い研ぎ石で
研いでいる。室内には、矢の根が10数本立てかけてある。下手より、大薩摩の家元・主膳
太夫(九團次)が五郎の所へ年始に来る。土産に持って来た宝船の絵で五郎が初夢を見て、
兄の曽我十郎(笑也)が敵の工藤家にとらわれていることを知り、通りかかった大根売りの
馬士(弘太郎)の馬を奪って兄を助けに行くというだけの話。

「馬は大根春商(あきない)」という語り。大根売りの馬子から、背に載せていた二束(数
本ずつ)の大根を叩き落として、取り上げた裸馬に股がり、馬の引き綱を手綱代わりに、大
根を鞭代わりにして、荷の大根を縛っていた縄を鐙替わり(縄を足の親指だけで挟んでい
る)に、馬に乗ったまま花道を走り去る。


海老蔵初役の「道玄」


「盲長屋梅加賀鳶」は、11回目の拝見。今回は、海老蔵が梅吉と道玄のふた役に初役で挑
戦する。若手では、道玄女房・おせつに笑三郎、お朝に児太郎など。「木戸前の場」の鳶の
勢揃いのうちでは、立役で、己之助、亀鶴、廣松、男寅らが、左団次、中車らの列に並ぶ。

この芝居は、河竹黙阿弥の原作で、本来は、「加賀鳶」の梅吉(道玄とふた役早替わり)を
軸にした物語と窓のない加賀候の長屋「盲長屋」にひっかけて、盲人の按摩(実際は、贋の
盲人だが)の道玄らが住む本郷菊坂の裏長屋「盲長屋」の物語という、ふたつの違った物語
が、同時期に別々に進行する、いわゆる「てれこ」構造の展開がミソ。しかし、最近では、
序幕の加賀鳶の「勢揃い」(「加賀鳶」の方は、「本郷通町木戸前の場」という、雑誌なら
ば、巻頭グラビアのような形で、多数の鳶たちに扮した役者が勢ぞろいして、七五調の「ツ
ラネ」という独特の科白廻しを聞かせてみせるという場面のみが、上演される)を見せた
後、加賀鳶の松蔵(中車)が、道玄(海老蔵)の殺人現場である「御茶の水土手際」(薄暗
い)でのすれ違い、「竹町質見世」(明るい)の「伊勢屋」の店頭での強請の道玄との丁々
発止の末に、道玄の犯行(強盗殺人と強請)を暴くという接点で、ふたつの物語を結び付け
るだけで、主筋は、専ら道玄の物語に収斂させている。

道玄は、偽の盲で、按摩だが、殺しもすれば、盗みもする、不倫の果てに、女房にドメステ
ィク・バイオレンスを振るうし、女房の姪をネタに姪の奉公先に強請にも行こうという、典
型的な小悪党。それでいて、可笑し味も滲ませる人柄。悪党と道化が、共存しているのが、
道玄の持ち味の筈だ。

初演した五代目菊五郎は、小悪党を強調していたという。六代目菊五郎になって、悪党と道
化の二重性に役柄を膨らませる工夫をしたという。現在の観客の眼から見れば、六代目の工
夫(ダブルイメージ)が正解だろうと思う。偽の盲で、按摩、小悪党、可笑し味も滲ませる
人柄。

私が観た梅吉と道玄のふた役は、幸四郎(4)、富十郎(2)、菊五郎(2)、猿之助、團
十郎。そして今回は、團十郎の息子の海老蔵。「父の残した成田屋の形を体現できるよう」
取り組みたいと海老蔵は挑戦の心意気を述べる。

印象に残る道玄役では、團十郎が普段から剃っている頭と生来の大きな目玉の効用があり、
よかった。今回の海老蔵も頭と目玉は、父親そっくり。その辺りは意識して真似ているよう
に見えた。最初にこの演目を観た富十郎も、大詰第二場の「加州候表門の場」が、印象に残
る。菊五郎も、こういう役は巧いが、大詰の場面は、富十郎に叶わない。私が見た道玄で
は、小悪党の凄み、狡さと滑稽さをバランス良く両立させて、ピカイチだったのは、富十郎
であった。父親・團十郎の背を追って行く海老蔵の今後の精進が楽しみだ。

海老蔵は、息子の勸玄が新之助を名乗るときに、自身も十三代目團十郎を襲名しようと考え
ているかもしれない。だとすれば、3年後、2020年、東京オリンピックの年に江戸歌舞
伎の宗家の襲名披露興行か。松竹なら、考えそうなことだろう。来年あたり、公表するかも
しれない。

歌舞伎座の筋書を見ていたら、四代目梅花(二代目中村芝喜松から幹部昇進で16年10月
襲名)の後の、三代目中村芝喜松という役者が、「今月の出演俳優」一覧の中、名題下のと
ころに顔写真が載っていた。目の辺りが、四代目梅花(二代目中村芝喜松)に似ているよう
に見える。昼の部「加賀鳶」では、序幕「木戸前の場」で、町人(女)の一人として、夜の
部「駄右衛門」の序幕「月本館の場」で、諸士の一人として、出ている。


哀しみを抱きしめて、「連獅子」を舞う


「連獅子」は、河竹黙阿弥作詞の長唄舞踊で、1872(明治)5年、東京の村山座で初演
された新歌舞伎である。私は、13回目の拝見。

「連獅子」は、親子、兄弟、伯父甥などのコンビで踊る。上演記録を見れば、何らかの縁が
あるコンビで上演することが多いのが判るだろう。今回は、海老蔵と巳之助。成田屋と大和
屋。縁がない。共通点は、ふたりとも若くして父親を亡くしていることだ。

「連獅子」では、親子で演じるパターンがある。それぞれの親子「連獅子」は、観る側も愉
しみである。立役の役者が、親子で、「連獅子」を踊るのは、息子の成長を図るメルクマー
ルになるだろうから、親子で演じられる年齢に息子が到達するのを、皆、待ち望んでいるだ
ろう。

私が観た「連獅子」の親子。高麗屋親子(4)、中村屋親子(3。ただし、2回は、「三人
連獅子」であった。当面は、中村屋にしかできない貴重な「三人連獅子」だろう。と思って
いたら、何と父親の勘三郎が亡くなってしまい、中村屋は、暫くは兄弟の連獅子しかできな
くなった)。菊五郎のように、息子の菊之助が女形では、連獅子を演じられない。あるい
は、演じ難い(実際に、本興行の上演記録を見ても、菊五郎は、「連獅子」を踊っていな
い)。しかし、松嶋屋親子では、仁左衛門は、女形の息子・孝太郎と、「連獅子」を踊って
いる。仁左衛門は、孫の千之助とも踊っている。私は、祖父と孫、このコンビの舞台を2回
観た。特に、親子では、幸四郎、染五郎の高麗屋親子の連獅子は、当代ではいちばん安定し
ている、と思う。

成田屋親子は、歌舞伎座では、上演していないので、私が観た團十郎は、松緑と踊っていた
のを観た。03年10月の歌舞伎座であった。海老蔵が、前名の新之助時代に團十郎と踊っ
た舞台は、02年の松竹座(大阪)、93年の御園座(名古屋)、89年歌舞伎座と3回あ
るが、新之助、改め、海老蔵襲名後は、團十郎と踊っていない。以後、大病をした團十郎
は、体力のいる「連獅子」を踊っていなかった。團十郎と海老蔵の「連獅子」を観てみたい
が、團十郎・海老蔵の「連獅子」は実現しないまま、団十郎が逝去。もう望むべくもない。

澤潟屋は、親子ではなく、伯父と甥(当時の猿之助と亀治郎)で、私も、2回観ているが、
演目の中身から言っても、やはり、親子の共演は、演じる方も、観る方も、感慨深いものが
ある。

間狂言(あいきょうげん)の「宗論」(市蔵と男女蔵)の後、後ジテの場面。白毛の親獅子
の精(海老蔵)、赤毛の仔獅子の精(巳之助)の登場。親獅子が、花道から本舞台に続く辺
りに達したのを確認して、仔獅子は、花道揚げ幕を出てくる。親獅子が、本舞台に設えられ
た「二畳」の台(赤に、緑の縁取りがある)に上がる頃、仔獅子は、花道七三に到着する。

連獅子は、むき身の隈取り、長い毛を左右に降る「髪洗い」、ダイナミックに回転させる
「巴」、毛を舞台に叩き付ける「菖蒲叩き」など。体力のいる演目だ。獅子の座で、両手を
拡げて、肩を上げる親獅子に、緞帳の幕が下りてくる。

歌舞伎役者の親子は非情だ。若い者が、精進の果てに未熟さを乗り越えれば、親は、やが
て、追い越される。また、連獅子の所作は、体力の勝負であろう。若さが有利。年齢の違い
と藝の違いが出て来る。いずれ、さらに、何かが、付け加わり、積み上げられ、若い役者
は、一人前になって行くのだろう。親は熟成するが、体力は衰えて行く。そういう目で見れ
ば、代々続く役者の家系では、やがて、谷に落されるのは、仔獅子では無く、親獅子ではな
いかという思いがする。
- 2017年7月17日(月) 10:58:21
17年7月国立劇場 (鑑賞教室・「一條大蔵譚」)


歌舞伎が教える「1強」との対峙の仕方


通称「一條大蔵譚」は、人形浄瑠璃「鬼一法眼三略巻」(1731(享保16)年、大坂・
竹本座で人形浄瑠璃として初演された。文耕堂らが合作した全五段の時代浄瑠璃)の「四段
目」に当たる。保元・平治の乱を経て、平家全盛となった世の中で、源氏の再興を目指す牛
若(後の義経)系統の人々の苦難を描いた。我が世の春を謳歌する平清盛に対峙する弱者の
物語。一條大蔵卿長成は史実の人物で、藤原氏の流れを汲む貴族だが、この芝居では、フィ
クションが付け加えられ、元は源氏の血筋の公家として描かれる。平家対隠れ源氏。いわば
「1強」対多弱という構図。権力を独り占めする強者・清盛に対抗するには、政治には興味
を示さず、芸能(能や舞など)に「うつつを抜かす」安全な人物を装って、時代の流れが変
わるまで待とうという姿勢の人物として描かれる。安倍政権対弱小野党(どの政党かは不
問)と似た状況だが、安倍政権の1強にも陰りが見えてきた今の政治状況を重ねてみるとお
もしろいかもしれないが、それはそれ、これはこれ。芝居は、芝居。

通常、「一條大蔵譚」は「檜垣茶屋の場」(緑豊かで、敷地内の建物など見えない広大な京
都御所の公卿門。その門前にある茶屋という設定。鬼次郎・お京の二人が御所見物に紛れて
接近してくる)、「大蔵館奥殿(おくでん)の場」(御所の周辺には多くの公家屋敷がある
が、大蔵館もその一つ。奥殿は大蔵卿や、今はその妻になっている常盤御前が居住している
プライベートゾーンという設定。鬼次郎が大蔵館に先に潜り込んだお京の手引きで忍び込ん
できた)という構成で上演される。

5年前、12年12月国立劇場で、歌舞伎「鬼一法眼三略巻」のいわば、半通し狂言(序幕
「六波羅清盛館の場」、二幕目「今出川鬼一法眼館菊畑の場」、三幕目「檜垣茶屋の場」、
大詰「大蔵館奥殿の場」)として観たことがあるが、おもしろかった。「清盛館」を「序
幕」として上演したが、これは43年ぶりの上演だった。「二幕目」の、通称「菊畑」も、
独立して上演されることが多い。本来、人形浄瑠璃の「四段目」、通称「一條大蔵譚」は、
吉岡鬼次郎の物語なのだが、主人公の鬼次郎と芝居の脇の人物・大蔵卿が、キャラクターの
おもしろさ故に、主と脇が、「逆転」してしまい、現在上演されるような大蔵卿を軸とする
演出が定着してきた。特に一條大蔵卿役を得意とした初代吉右衛門の功績が大きい。それを
二代目吉右衛門が、自家薬籠中として熟成している。さらに、その娘婿の菊之助が、これを
継承しようとしている。

「一條大蔵譚〜檜垣、奥殿〜」を観るのは、今回で13回目。私が観た大蔵卿は、吉右衛門
(6)、猿之助、勘三郎、菊五郎、染五郎。歌昇時代の又五郎、仁左衛門、そして今回は、
初役の菊之助。常盤御前は、魁春(3)、芝翫(2)、時蔵(2)、鴈治郎時代の藤十郎、
先代の雀右衛門、福助、芝雀時代の雀右衛門、米吉、そして今回は、梅枝。鬼次郎は、梅玉
(5)、菊之助(2)、歌六、仁左衛門、團十郎、松緑、松也、そして今回は、彦三郎。鬼
次郎女房・お京は、松江時代を含む魁春(2)、宗十郎、時蔵、玉三郎、菊之助、東蔵、壱
太郎、芝雀時代の雀右衛門、児太郎、孝太郎、梅枝、そして今回は、尾上右近。

これで判るように、大蔵卿は、吉右衛門、鬼次郎は、梅玉というイメージが、私には強い。
吉右衛門(一條大蔵卿)と梅玉(鬼次郎)を軸としている時代が続いた。ふたりのキャラク
ターが、充分生かされて、見慣れた演目は、馴染みの役者の滋味で、「ことことと」煮込ま
れている。「鍋料理」のような演目だ。

11ヶ月前の16年9月の歌舞伎座では、吉右衛門が大蔵卿を演じた。その時の劇評に私
は、次のような見出しをつけた。「吉右衛門の珠玉の藝、絶品の大蔵卿」。そして、その
時、菊之助は、脇の鬼次郎を演じたが、その時の劇評で私は菊之助のことに触れている。以
下、再録。

「菊之助は吉右衛門の娘婿になってから音羽屋型ではない演目や立役にも積極的に挑戦して
いる。今回は、鬼次郎2回目。義父の藝を舞台間近で見続け、いずれは大蔵卿にも挑戦する
日が来ることだろう。吉右衛門の大蔵卿は、上演ごとに進化している。菊之助が将来、どう
いう大蔵卿を見せてくれるか、楽しみである」と書いた。

そのチャンスが、早くも今回である。菊之助は、鬼次郎女房・お京を1回演じ、鬼次郎を2
回演じた上で、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室で、初役の一條大蔵卿に挑戦したのが、今回の舞
台である。私の印象では、菊之助のキャラクターと吉右衛門の藝の合体した一條大蔵卿の始
まりではないか、と思った。新しい一條大蔵卿の誕生に立ち会えたという喜びがフツフツと
湧き上がってきた。


菊之助のキャラクターと吉右衛門の藝の合体


菊之助の一條大蔵卿初役に合わせて、周りを固める脇役たちも若返った。大蔵卿の妻・常盤
御前が梅枝、源氏方の鬼次郎が彦三郎、その妻・お京が尾上右近という配役。憎まれ役の八
剣勘解由が菊市郎、その妻・鳴瀬が菊三呂。この二人は抜てきの配役。いつもより科白も多
い。熱演。竹本も愛太夫を軸に若々しい。

初代以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、いつも巧い。公家としての気品、風格。常盤
御前を妻に迎え、妻の源氏再興の真意を悟られないようにと能狂言にうつつを抜かし(純粋
芸能派文化人か)阿呆な公家を装う。その滑稽さの味は、いまや第一人者。吉右衛門は、阿
呆顔と真面目顔の切り替えにメリハリがある。阿呆面の下に隠していたするどい視線を時に
送る場面も良ければ、目を細めて笑一色の阿呆面もまた良し。緩急自在。珠玉の藝の流域で
あり、絶品の舞台であった、と思う。いうこともなし。ひたすら、熟成の果てを楽しむ。

菊之助の大蔵卿は、指導を受けた吉右衛門に似ているが、さすがに熟成の吉右衛門の藝には
及ばない。吉右衛門の藝とは違うが。その違いの中には、吉右衛門にはないフレッシュさが
ある。大蔵卿の愛嬌に加えて、菊之助のキャラクターの可愛らしさもあるのだ。

「阿呆」顔は、いわば、「韜晦」、真面目顔は、「本心」、あるいは、源氏の血筋を引くゆ
えの源氏再興の「使命感」の表現であるから吉右衛門型の演出は正当だろう。当代の吉右衛
門が金地に大波と日の出が描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換えるな
ど、阿呆と真面目の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現する。こうしなければなら
ない大蔵卿は、さぞ難しかろう、と思う。しかし、それをいとも容易にこなしているように
見える吉右衛門の藝は、長年の弛まざる努力の賜物であろう。菊之助は、今、その熟成の藝
を見せる義父の後ろ姿を見ながら、長い旅に踏み出したと言えるだろう。

常盤御前を演じた梅枝についても書いておこう。奥殿の御簾が上がると、中には、常盤御前
(梅枝)がいる。常磐御前も、清盛に敗れた源義朝の元愛妾で、義朝との間に授かった牛若
(後の義経)らの母である。彼女も平家への復讐心という本心を胸底に秘めながら、平清盛
の愛妾になった後、さらに、公家の大蔵卿と再婚している。この芝居でも、大蔵館奥殿で楊
弓の遊びに興じているが、実は、これも韜晦。遊びの楊弓の的(黒地に金の的が3つ描かれ
ている)の裏に隠された平清盛の絵姿で、真情(平家調伏の偽装行為)が判明する仕掛けに
なっている。常磐御前は、ほとんどが座ったまま。動きが少ないが、肚で芝居の進行に乗っ
ていかなければならないので、大変だ。御前としての格と存在感を動かずに演じなければな
らない。

この役は、魁春でよく観たが、このところ、魁春は時々、六代目歌右衛門そっくりに見える
ことがある。今回は、若い梅枝が勤めた。九代目を襲名したばかりの彦三郎の鬼次郎、尾上
右近のお京も存在感があった。今回の芝居で唯一の憎まれ役の勘解由を演じた菊市郎。「死
んでも、褒美の金が欲しい」も、印象に残る科白。「死んでも、やはり、権力が欲しい」と
は、歴史上の強者たちの実感なのだろう。
- 2017年7月8日(土) 12:02:12
17年6月歌舞伎座(夜/「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」「曽我綉侠御所染〜御所五郎
蔵〜」「一本刀土俵入」)


「五郎蔵」・鮮やかな歌舞伎の様式美


昼の部劇評でも冒頭に触れたように、今月の歌舞伎座は、初役で演じる役者が多いが、夜の
部の「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」では、藤三郎の女房・おくる(門之助)、三浦之助(松
也)が初役である。ふたりを除く今回の主な配役は、幸四郎が、安達藤三郎、実は京方の
佐々木高綱、雀右衛門が鎌倉(北条)方の時姫、秀太郎が京方の三浦之助の母・長門。以下
は、鎌倉方の諜報部員で吉弥が阿波の局、宗之助が讃岐の局、桂三が諜報グループのキャッ
プ・富田六郎ということで、それぞれ馴染みの役を演じている。

「鎌倉三代記」は、父をも殺す覚悟の積極的な時姫の官能性が見どころ。「鎌倉三代記」の
登場人物は、歴史上の人物をモデルにしている。佐々木高綱は真田幸村、時姫は千姫、三浦
之助は木村重成、北條時政は徳川家康。内容が余りに史実に近すぎたので、徳川幕府によっ
て、上演禁止にされたという曰く付きの演目。時代ものの中でも、特に時代色の強い演目
だ。絹川村閑居の場の主人公は、時姫。三浦之助の女房を自認し、三浦之助の留守中に、病
気療養中の三浦之助の母・長門の看護と称して長門が閑居する絹川村に入り込んでいる。そ
のため、時姫救出(奪還)を目指して、時姫の父親・北條時政からの指示で、鎌倉方の諜報
部員が多数入り込んできている。絹川村は、時姫争奪をめぐって、いわば、双方のスパイの
最前線のようになっている。

「鎌倉三代記」を私が観るのは、7回目。私が観た時姫は、芝雀の父親・四代目雀右衛門
(3)、五代目雀右衛門(今回含め、2)、福助、魁春。時姫は、歌舞伎の「3姫」のひと
つと呼ばれた名作。因みに六代目歌右衛門は、本興行で6回演じた。四代目雀右衛門は、友
右衛門時代も含めて8回演じている。

「絹川村閑居」の場面では、時姫は姫なのに手拭いを姉さん被りにし、行燈を持って奥から
出てくる。時姫の難しさは、「赤姫」という赤い衣装に身を包んだ典型的な姫君でありなが
ら、世話型のそれも、情愛溢れる押し掛け女房とを形で二重写しにしなければならない。

京方の夫・三浦之助(豊臣方の木村重成)に言われて時姫(千姫)に父親・北条時政(徳川
家康)への謀反を決意させるという筋書の物語。押し掛け女房の時姫は、夫・三浦之助と父
親・北条時政との板挟みになり、苦しみながらも、夫への情愛が強く、父親殺しを決意す
る。この性根の難しさを言葉ではなく、四代目雀右衛門のように形で見せるのが難しいの
で、「三姫」という姫の難役のひとつと数えられて来た由縁である。

三浦之助(松也)は、病気療養中の母・長門(秀太郎)を心配して戦場から戻って来たのだ
が、母からは、「敵前逃亡」とばかりに拒絶される。実は、三浦之助も、母見舞いを口実に
しながら、押し掛け女房・時姫に敵方の首領である父親・北条時政を討つことを決意させる
ために戻って来たという難しい役。

戦場で傷ついたまま帰還し、木戸の外で気を失ってしまう三浦之助。その三浦之助を介抱す
るために気付けの水を口移しに夫に飲ませる、という当時なら果敢としか言いようのない蛮
勇を奮う時姫(雀右衛門)。この果敢な所作が後の父親殺しを決意するほどの夫への情愛へ
と結びついているのだと思う。この情愛の迸りは、官能的である。父をも殺す覚悟の積極的
な時姫の官能性に私は注目する。

幸四郎が演じた安達藤三郎は、実は京方の佐々木高綱で、高綱にそっくりなことから起用さ
れた。幸四郎は、前半は藤三郎を演じ、後半は、み顕した高綱を演じる。この対比も見どこ
ろ。松也の三浦之助は、口跡も良く、姿も凛々しく、なかなか良い若武者姿で、印象に残
る。


「曽我綉侠御所染」の魅力


仁左衛門の「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)〜御所五郎蔵〜」は、今月
の歌舞伎座では、いちばん見応えがあった。「御所五郎蔵」という芝居そのものは、武士を
やめて伊達者になった五郎蔵という男が、金の工面で縁切りを偽装した愛人の傾城・皐月の
真意を悟らず、愛人殺しと三角関係と思い込んだ相手方の土右衛門に復讐をしようとして、
誤った殺人事件を引き起こし、自滅してゆくというだけの話。それが、序幕の両花道を使っ
た五郎蔵と土右衛門の出会い・鞘当てから、二幕目の縁切り、廻り舞台で場面転換した後の
艶冶な殺し場へと歌舞伎の様式美をふんだんに盛り込んだ演出に加えて主役の仁左衛門の口
跡、所作などを含めて見応えがある。

「御所五郎蔵」は、私は10回目の拝見。私が観た五郎蔵は、菊五郎(4)、仁左衛門(今
回含め、3)、團十郎、 梅玉、染五郎。今回の主な配役は、御所五郎蔵が仁左衛門、傾城・
皐月が雀右衛門、星影土右衛門が左團次、甲屋与五郎が歌六、傾城・逢州が米吉、五郎蔵の
子分たちが、男女蔵、歌昇、巳之助、種之助、吉之丞、存在感のある脇役の花形屋吾助の松
之助ほか。このうち、主な初役は、甲屋与五郎(歌六)、傾城・逢州(米吉)で、播磨屋の
親子たち。

「曽我綉侠御所染」は、幕末期の異能役者・市川小團次のために、河竹黙阿弥が書いた六幕
物の時代世話狂言。動く錦絵(無惨絵)ということで、絵になる舞台を意識した演出が洗練
されている。役者のキャラクター(にん)で見せる芝居である。

今回の「御所五郎蔵」の場構成は次の通り。序幕「五條坂仲之町甲屋の場」、通称「出会
い」。二幕目第一場「五條坂甲屋奥座敷の場」、通称「縁切、愛想づかし」。第二場「五條
坂廓内夜更けの場」、通称「逢州殺し」。この三場は、良く上演される。

序幕「五條坂仲之町甲屋の場」は、まず、按摩のひょろ市、台屋佐郎八とトラブルの場面か
ら始まった。甲屋の若い者喜助の留め男の場面は、後に出て来る本番のパロディだろう。本
番は、また、「鞘当」という狂言のパロディ。ということで、二重に遊んでいるのが愉し
い。対立するグループの出会いの場面だ。
今回は久しぶりの両花道の使用で、なかなか、良かった。

黒(星影土右衛門=左團次)と白(御所五郎蔵=仁左衛門)の衣装の対照。ツラネ、渡り科
白など、いつもの演出で、科白廻しの妙。洗練された舞台の魅力。颯爽とした男伊達・五郎
蔵一派。剣術指南で多くの門弟を抱え、懐も裕福な星影土右衛門一派。五郎蔵女房の傾城・
皐月に廓でも、横恋慕しながら、かつてはなかった金の力で、今回は、何とかしようという
下心のある土右衛門とそれに対抗する元武士のプライドを持つ五郎蔵。そこへ、割って入っ
たのが、五條坂の「留め男」の甲屋与五郎(歌六)の登場という歌舞伎定式の芝居。様式美
と配役の妙のみで魅せる芝居。

二幕目第一場「甲屋奥座敷の場」。俗悪な、金と情慾の世界。皐月を挟んで金の力を誇示す
る土右衛門(左團次)と金も無く、工夫も無く、意地だけが強い五郎蔵(仁左衛門)の対
立。歌舞伎に良く描かれる「縁切り」の場面。五郎蔵女房と傾城という二重性のなかで、心
を偽り、「愛想づかし」で、金になびいてみせ、苦しい状況のなかで、とりあえず、二百両
という金を確保しようとする健気な傾城皐月(雀右衛門)。実務もだめ、危機管理もできな
い、ただただ、プライドが高く意地を張るだけという駄目男・五郎蔵、剣術指南の経営者と
して成功している金の信奉者・土右衛門という三者三様は、歌舞伎や人形浄瑠璃で良く見か
ける場面。馴染みの役者の見慣れた場面。ここも、判っていても、また、観てしまうという
歌舞伎の様式美の魔力。

「晦日に月が出る廓(さと)も、闇があるから覚えていろ」。花道七三で啖呵ばかりが勇ま
しい御所五郎蔵が退場すると、奥座敷の皐月を乗せたまま、大道具が廻る。
 
二幕目第二場「廓内夜更けの場」。傾城皐月の助っ人を名乗り出る傾城逢州(米吉)が、実
は、人違いで(癪を起こしたという皐月の身替わりになって、皐月の打掛を着たばっかり
に)五郎蔵に殺されてしまう。駄目男とはいえ、五郎蔵の、怒りに燃えた男の表情が、見物
(みもの)という辺りが、この演目のいつもの見どころ。口跡といい、所作といい、艶冶な
殺し場が出現をし、仁左衛門の男の色気が魅力的な見せ場だ。
 
皐月の紋の入った箱提灯を持たせ、自らも皐月の打ち掛けを羽織った逢州と土右衛門の一行
に物陰から飛び出して斬り付ける五郎蔵。妖術を使って逃げ延びる土右衛門と敢え無く殺さ
れる逢州。逢州が、懐から飛ばす懐紙の束から崩れ散る紙々。皐月の打ち掛けを挟んでの逢
州と五郎蔵の絵画的で、「だんまり」のような静かな立ち回り。濡れ場と見まごう艶冶な殺
し場。官能的なまでの生と死が交錯する。特に、死を美化する華麗な様式美の演出も、いつ
もの通り。
 
馴染みのある演目を贔屓の役者たちが、改めて、なぞり返す。手垢にまみれて見えるか、磨
き抜かれて、光って見えるか。その結果は、役者次第という、演ずる者には怖い場面だろ
う。先達の藝を継承し、未来に残して行く。燻し銀のごとく、鈍く光る歌舞伎のおもしろさ
は、同じ演目が、役者が変われば、いつも、違った顔を見せるということだ。


「一本刀土俵入」の大道具


「一本刀土俵入」は、今回で7回目の拝見。「一本刀土俵入」は、1931(昭和6)年、
東京劇場初演の新歌舞伎。六代目菊五郎が駒形茂兵衛、五代目福助がお蔦を演じた。私が観
た駒形茂兵衛は、幸四郎(今回含めて、4)、吉右衛門、先代の猿之助、勘九郎時代の勘三
郎。お蔦は、芝翫(2)、先代の雀右衛門、時蔵、福助、魁春、今回は猿之助。猿之助は、
2回目の出演という。勘九郎時代の勘三郎の茂兵衛が私には印象に残るが、最近は、幸四郎
の茂兵衛にも馴染んできた。

今回の主な配役は、幸四郎が茂兵衛、猿之助がお蔦、松緑がお蔦の夫で、船印彫師(だしぼ
りし)・辰三郎、歌六がやくざの親分・儀十、松也がその子分・根吉。ほかに巳之助、猿
弥、笑三郎、市川右近、寿猿、錦吾、桂三、由次郎など。「一本刀土俵入」での初役は、辰
三郎を演じる松緑、根吉を演じる松也。

この芝居は、いつ観ても、仕出しの登場人物たちの多様さが描き出す江戸の庶民の、いわ
ば、「生活のリアリティ」を味わうことが楽しみだと、思っている。まるで、江戸時代へタ
イムスリップし、街道の賑わいになかに身を置くような、ワクワク感に包まれるからだ。

序幕の第一場「取手の宿」、第二場「利根の渡し」の場面に登場する人物たちをアトランダ
ムに列挙してみよう。町人の夫婦、やくざ者、遊人、宿の従業員(帳附け、料理人、洗い場
の若い者、酌婦)、土地の人(宿場町の在の人たち)、村の庄屋、隠居、職人、飛脚、博
労、飴屋、旅商人と手代、新内語りの男女、六部、子守娘、渡しの船頭、比丘尼、釣師、鰻
掻き、取的、角兵衛獅子と親方。角兵衛獅子は、藝を披露してくれる。親方は、太鼓の音を
聞かせてくれるが、江戸の音も、もっと、聞いてみたい気がする。第一場に登場する安孫子
屋酌婦・お松を演じる小山三は、酔っぱらった声に独特の味があって好演だった。15年1
月、歌舞伎座の舞台を観たが、この年の4月に94歳で逝去した。亡くなる1年前の14年
3月、帝国ホテルで開かれたある賞の受賞パーティでご一緒した際、話をしたことがある。
地の話し方は女性ぽい口調で、優しい話し方をされる人だった。気遣いの人だった、と感じ
た。十八代目勘三郎の生涯の乳人のような存在だったのだろう。私は小山三の最期の舞台を
観たことになる。今回、この役は、笑三郎が演じていたが、群像劇の中で、キラリと光った
小山三の存在感を身につけるには、まだまだ、時間が必要だろう。

上州勢多郡駒形村の農民出身の茂兵衛に対する、越中富山から「南へ六里、山の中さ」と言
い、声を低めて唄い出した小原節から「風の盆」で知られる八尾(やつお)の出身と判るお
蔦。お互いに旅の空ですれ違う男女の出逢いの遣る瀬無さ。

舞台(特に大道具)の工夫も、また、ウオッチングの愉しみである。取手宿の安孫子屋の漆
喰の戸袋。いまも、古い街道筋の面影の残る旧家などに残っているのを見かけるレリーフの
漆喰の文様(上手側が朝日、下手側が鶴)。宿の裏手の釣瓶井戸で、空腹の駒形茂兵衛が、
水を所望し、釣瓶を使う場面がある。鶴瓶は長い棒の片方に石が縄で結い付けてある。もう
片方は、縄で桶を井戸の中に垂らし、水が汲めるようにしてある。これがなんとも長閑な秋
の田舎の宿場町の雰囲気を盛り上げる。

利根の渡しの場面では、土手の向うにある船の姿が見えないのも良い。船の見えない船着き
場という大道具は、余韻を感じさせる。江戸方面に通じる向こう岸は舞台の上手側か。逆
に、大詰第一場「布施の川べり」の場面では、舞台上手半分を湿る造船中の船が、作業場の
空間密度を高める。

大道具の秀逸は、お蔦の家を廻り舞台で裏表を見せて、軒の大きな山桜を印象的に出現させ
るという演出だ。大詰第三場「軒の山桜」。自然と人為との対比。秋の宿場町。安孫子屋で
の茂兵衛とお蔦の出会いから10年の歳月が流れた。春の一軒家。洗練された大道具の楽し
みも、歌舞伎の魅力のひとつ。こういう洗練された大道具を背景に横綱を諦めて博徒になっ
た茂兵衛の決め科白も生かされる。「しがない横綱の土俵入りでござんす」。立ちすくむ茂
兵衛に新歌舞伎らしく緞帳が降りて来る。途中の場の切り替えには、定式幕を使っていた。

この芝居のテーマは、「送り、送られ」の二重奏。序幕では、無一文の取的・駒形茂兵衛
(幸四郎)が、酌婦のお蔦(猿之助)に情を掛けられ、江戸への道を、何度も後ろを振り返
りながら行く。安孫子屋の2階から見送るお蔦。大詰では、いかさま博打に手をだし、やく
ざ者に追われる「船印彫師(だしぼりし)」の辰三郎(松緑)と家族のお蔦と娘のお君(市
川右近)を送り出すのは、駒形茂兵衛だ。送られる者と送る者の逆転は、人生そのもの。そ
れは、極端に言えば、「死なれて、死なせて」という生き死にの、送り、送られという人生
を象徴しているように見える。
- 2017年6月18日(日) 14:47:40
17年6月歌舞伎座(昼/「名月八幡祭」「浮世風呂」「御所桜堀川夜討〜弁慶上使」)


世代交代へ向けて、「初役多し」の舞台


今月の歌舞伎座は、中堅も若手も初役で勤める役者が多い。若手は、日ごろの精進が評価さ
れて抜擢でご同慶の至り。特に、米吉と松也が良い(夜の部でまとめて記したい)。中堅・
ベテランは臨機応変。さすが、大幹部は、少ない。初役の主な役者は、以下の通り。昼の部
の「名月八幡祭」では、縮屋新助(松緑)、芸者・美代吉(笑也)、船頭・三次(猿之
助)、魚惣(猿弥)、魚惣の女房・お竹(竹三郎)、藤岡慶十郎(坂東亀蔵)。「浮世風
呂」では、なめくじ(種之助)。「弁慶上使」では、乳人・侍従の妻・花の井(高麗蔵)、
しのぶの母・おわさ(雀右衛門)、腰元・しのぶ、義経の正室・卿の君のふた役(米吉)。
夜の部の「鎌倉三代記」では、藤三郎の女房・おくる(門之助)、三浦之助(松也)。「御
所五郎蔵」では、甲屋与五郎(歌六)、傾城・逢州(米吉)。「一本刀土俵入」では、船印
彫師(だしぼりし)・辰三郎(松緑)、ヤクザの子分・根吉(松也)。こうして列挙してみ
ると、ここ数年の大幹部の逝去で、役者の世代応対が進んでいるのが判る。

贅言;「船印彫師(だしほりし、あるいは、だしぼりし)」という職業だが、これが判らな
い。字面で見当をつけると、船板に刻む紋か何かを彫るのが仕事かと思うが、よく判らな
い。初めてこの芝居を観たときからいろいろ調べてみたが、判らない。

「名月八幡祭」は、大正期の新歌舞伎。黙阿弥原作の「八幡祭小望月賑(はちまんまつりよ
みやのにぎわい)」から江戸情緒を受け継ぎ、フランスの小説「マノン・レスコー」の主人
公・マノンの奔放な性格を持つ美少女のイメージを美代吉に重ねたという。江戸情緒と近代
的な大正ロマンを併せ持つ。それが、大正新歌舞伎「名月八幡祭」の魅力だろう。

「名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)」は、1918(大正7)年、歌舞伎座で初演さ
れた。二代目左團次の新助、四代目澤村源之助の美代吉であった。池田大伍の原作で、池田
は、幕末期の1860(万延元)年に初演された黙阿弥の「八幡祭小望月賑(はちまんまつ
りよみやのにぎわい)」(通称「縮屋新助」「美代吉殺し」)を改作した。

「名月八幡祭」は、私は、4回目の拝見。このうち、吉右衛門の縮屋新助は、2回観てい
る。今回が、初役の松緑。私が観た主な配役:新助は、吉右衛門(2)、三津五郎、松緑。
美代吉は、福助(2)、芝雀時代の雀右衛門。そして、今回は、初役の笑也。三次は、歌昇
(2)、錦之助、今回は、猿之助。魚惣は、富十郎、段四郎、歌六、今回は、初役の猿弥。
今回の配役はほかに、藤岡慶十郎に坂東亀蔵、魚惣の女房・お竹に竹三郎。

「マノン・レスコー」は、1731年刊。フランスのアベ・プレヴォーの小説であり、その
主人公の女性の名前。「騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語」という全7巻の自伝
的な長編小説の7巻目。全巻の通しタイトルは、「ある貴族の回想と冒険」。人形浄瑠璃の
全◯段の時代ものの◯段目という感じ。

騎士デ・グリューと美少女マノンとが周りを巻き込みながら破滅への道行きとなる物語。マ
ノンは寂しい荒野でデ・グリューの腕に抱かれながら死んで行く。「俺たちに明日はな
い」。

序幕第一場「深川八幡二軒茶屋松本」。下手奥が出入り口。夏の茶屋座敷の風情が良い。歌
舞伎は、こうした細部にも見るものがある。主役のひとり・深川芸者の美代吉(笑也)が座
敷奥から登場。粋な芸者姿。下手奥の出入り口から美代吉と恋仲の船頭の三次(猿之助)
が、無心に来る。美代吉の評判の悪い情夫である。間もなく始まる八幡祭で金が掛かる美代
吉は、情夫に渡せる金がない。仕方がないので、簪を抜いて渡す。美代吉を贔屓にしている
客の中間が、この様子を見とがめて騒ぐ。上手奥座敷から贔屓の客である旗本の藤岡慶十郎
(坂東亀蔵)が、松本の女将(段之)や幇間(吉三郎)らとともに、現れる。藤岡は、美代
吉の髪に自分が贈ったかんざしがなくなっていることに気がつくと情夫の三次に取られた
か、やったか、したのだろうと見抜き美代吉に黙って金を渡す。金を渡しながら、三次との
付き合いを注意する大人の男の貫禄を亀蔵が演じる。序幕第一場は、金遣いの荒い美代吉の
性格描写と美代吉側の人間関係の説明だろう。

序幕第二場「浜魚惣裏座敷」。舞台は、浜(岸辺)から堀(深川)に床を張り出した魚惣の
裏座敷。石積みの岸壁面には、水草が茂り、舞台前面には、涼しげな堀の水面が広がってい
る。下手から座敷の向こう側にも堀は通じている。上手揚げ幕も堀が通じている。亭主の魚
惣(猿弥)が、女房(竹三郎)と酒を飲んでいる。座敷下手には、金屏風の前に敷かれた毛
氈に角樽が、ふたつ置かれている。上手の床の間には、蓮の花が描かれた掛け軸。魚惣の還
暦の祝いなのだろう。後で、真っ赤な羽織が、披露される場面がある。舞台下手袖奥から、
船頭だけが乗った猪旡舟が出て来て、座敷の裏側へ廻って行く。船頭が座敷に声を掛けて行
く。江戸・深川の情緒が、一気に高まる。

もうひとりの主役・越後商人の縮屋新助(松緑)が、奥の襖を開けて、登場する。中年の独
身男。出稼ぎ商売を終えて、故郷の越後に帰るので、世話になった町の顔役・魚惣に別れの
挨拶かたがた、残っている縮みの反物を売りに来たのだ。反物ふたつが売れる。魚惣は、江
戸下町のイベント・八幡祭が、間もなく始まるのに越後に帰ってしまうという新助が、理解
できない。江戸で商売をするなら、江戸の人情を知らなければ成功しないと思うからだ。新
助に祭りを観て行けと勧める。故郷に残して来た老母のことを心配する新助(母子家庭の一
人っ子)だが、世話になった魚惣の意向も無視出来ない。女房も、熱心に勧めるので、新助
も祭りを観てから帰る気になる。多少不義理になってもこのまま故郷に帰っていれば、事件
に巻き込まれることもなかったろうが、新助の運命は、「七」の字を踏んだかのように、こ
こで、直角に曲がってしまう。

涼しい風が入ってくる開け放った座敷から見える堀へ、上手揚げ幕から、また、別の猪旡舟
が出て来る。舟には後ろ向きの船頭と美代吉(笑也)が、乗っている。座敷に顔を向けて挨
拶をして通り過ぎる美代吉。座敷にいる新助にも気がつき、愛想良く、親しげに声を掛けて
来る。この様子を見ていた魚惣は、美代吉の背後にいる評判の悪い情夫の三次を思い出し、
新助に、「美代吉には気をつけろ、金を貸したりするな」と忠告をする。後々の事件への
「伏線」である。猪旡舟は、鉄砲洲(鉄砲洲稲荷の祭礼は、歌舞伎座周辺も、いまも氏子で
ある)方面に向かって行く。すでに美代吉に惚れて、商売で得た金を貸している新助の目に
は、芸者の艶姿しか映っていない。手に持っていた巻紙を落として、手摺から下に垂らす。
惚けたような男の表情が、本舞台から花道に入って行った舟の行方を見とれている。花道も
堀である。下手、上手、花道と、堀が三方に通じている。「とっぷりと暮れましたなあ」と
呟く新助。心象風景の科白。祭りが終わるまで(美代吉ともっと仲良くなるまで)、江戸に
残ろうと決心をした新助だが、そのツケは、どういう形でまわってくるのか。田舎の「非常
識」に江戸の「良識」が、警鐘を鳴らすことになる場面だ。

ここは舟を使った優れた演出だ。昭和の新歌舞伎「梅暦」など、これを、更に洗練させ、廻
り舞台を使って舟同士がすれ違う、似たような場面がある。

粋な深川芸者に惚れる田舎商人。吉原の傾城を見初める田舎商人という場面は、明治の新歌
舞伎「籠釣瓶花街酔醒」(かごつるべさとのゑいざめ)にもある。黙阿弥原作「八幡祭小望
月賑」では、初演時には、新助は、四代目小團次、美代吉は、岩井粂三郎、後の八代目半四
郎ほか。ユニークな持ち味の小團次の柄にはめ込んで人物造形をしている。科白も、黙阿弥
調で、傑作と言われた。文政年間に実際にあった深川芸者・巳之吉が巻き込まれた無理心中
事件を素材にしている。後に、弟子の三代目新七が、「八幡祭小望月賑」を下敷きにして、
「籠釣瓶花街酔醒」を書いている。「八幡祭小望月賑」→「籠釣瓶花街酔醒」→「名月八幡
祭」。

田舎商人とは言っても、「籠釣瓶花街酔醒」の大店の主人・次郎左衛門と反物を江戸まで担
いで来て、行商をする小商いの商人である新助とは、財力、胆力が違う。新助役者は、ここ
の違いの表現が、求められる。小心さも必要。初役の松緑は、まだ、精進が必要だ。これま
でに観た新助では、吉右衛門が良かった。吉右衛門は、この新歌舞伎に、古典歌舞伎の江戸
世話ものの味をたっぷりと振りかける演技をしていて、見事だ。見応えがあった。

二幕目「仲町美代吉の家」。ここが山場。数日後。深川仲町の美代吉の自宅。玄関に、祭礼
の提灯が飾ってある。座敷上手には、仏壇ではなく、稲荷。呉服屋手代が、祭り用に誂えた
衣装代を催促に来るが、美代吉(笑也)には、支払う金がない。普段着の着物姿の美代吉も
美しい。美代吉の母(辰緑)が、手代をなんとか帰らせる。母親は美代吉に惚れている新助
に百両借りられないかなどと持ちかけるが、美代吉は、田舎の小商人から大金は借りられな
いと突っぱねる。そうは言いながらも、やがて、姿を見せた新助(松緑)に酒を勧め、愛想
を売りつけ、おだてながら、借金を申し込む美代吉。一緒に住んでも良いなどとほのめかす
ものだから、すっかり、舞い上がってしまう新助。美代吉が枕に使った懐紙に移った残り香
を恍惚と嗅ぐ有様。もう、正常な判断力を持っていない。

そこへ、金の無心に三次(猿之助)がやって来る。金で苦労している美代吉が、情夫の三次
に愛想尽かしをする場面(本当かな、芝居じゃないのか、と疑う場面だろうが、新助に冷静
な判断は無理だ)だが、舞い上がっている新助は、邪見に三次を帰らせた美代吉の、続く身
の上話をすっかり信用して、三次と縁を切るなら、百両を用立てると約束してしまう。追い
出された三次の後ろ姿に冷ややかな視線を送った後、似合わぬのに、色男ぶってしまい、金
策に出かける新助。「お騙しなさるんじゃございますまいね」と危惧の科白を言いながらも
騙されて行く。騙し女とその気男という図。金の力が描いた幻影とも知らずに。

幇間が、藤岡からの手切れ金百両を持って現れる。なんとも、都合の良い筋立て。金の工面
の目処がつけば、田舎の小商人のことなど忘れてしまう美代吉と母親。そこへ、さっきの愛
想尽かしに頭に来た三次が、刃物を懐に呑んで、入って来て、刃物を振り回す始末。事情を
話し、三次の入り用の金を渡す美代吉。和解をし、早速、酒を飲み始めるふたり。金と情欲
の化かしあい。

「七つ下がり」という科白が出て来るが、夏の夕暮れ、いまの午後4時過ぎ。「七つ下がり
の雨と四十過ぎての道楽はやまぬ」とは、真面目に生きてきた人が中年期に入って狂い、道
楽を始めると、免疫ができていないので、泥沼に陥る、と云う警句。人生の盛りも、過ぎて
いる中年男・新助の心象風景でもあるだろう。その対比の場面となる。金策を終えて、戻っ
て来た新助は、ふたりのそういう光景を見せつけられる。初めて、騙されていたことを知る
愚直な新助。本心を告げ、冷たくする美代吉。この辺りが、マノンのような奔放な近代的美
少女像。笑也は、冷たい横顔を見せつけて、無表情である。

私は美代吉役を3人観ている。福助で2回。芝雀時代の雀右衛門、そして、今回の笑也。舞
台復帰が叶わない福助は、後ろ姿も、女形としての色気が、紛々としていて、むせ返るよう
だった。芝雀は、体が太め。笑也は、スリム。笑也が何よりも良かったのは、仲違いした時
の三次、あるいは本質的に見せた新助への冷たさ。

ファム・ファタール(運命の女、男を破滅させる女、己も破滅する女)美代吉も破滅型の
女。酒を飲みながら、ふたりのやり取りを得意そうに見ている三次。猿之助の小悪党ぶりは
弱い。これまで観た三次では、歌昇時代の又五郎の小悪党ぶりに存在感があった。粋な芸者
から、はすっぱな女の本性を顕した福助も、こういう役は、緩急自在で、巧い。ふてくされ
た強情女。福助ならマノンのような非行少女的な魅力も出せた。ああ、福助の美代吉をもう
一度観たい。

江戸の「非常識」の典型カップルが、正体を見せた瞬間だ。団扇でしつこい蚊を追う三次。
蚊は、狂気後の新助の凶事を暗示しているように思える。

老母の住む故郷の土地や建物を売って、百両を工面した新助には、もう帰る家もない。故郷
喪失者。新助のことを心配して、やって来た魚惣(猿弥)は、今後のことは、家で話そうと
新助を連れて帰る。「罪なことをしたねえ」。江戸の「良識」は、田舎の「非常識」男(新
助)の面倒を見ようとするが、巧く行くかどうか、というのが、この場面での、観客へのメ
ッセージ、次への伏線。

大詰「深川仲町裏河岸」。狂気の立ち回り。下手に大川端の火の番小屋。障子に「火の番」
と書いてある。簾がかかっている。上手に柳。深川八幡の大祭。深川界隈は、大賑わい。手
古舞姿の深川芸者たち、祭りの若い者たち、見物客の男女。無粋に刀を差した田舎侍。上手
から雑踏の中を美代吉の姿を探しに来た新助。気がおかしくなっている。雑踏ですれ違った
田舎侍が背に差していた刀から抜き身だけを抜き取り、下手、雑踏の中へ消えて行く新助。
頭から全身を還暦の赤尽くしの衣装に包んだ魚惣が、姿の見えない新助を心配して、探しに
来る。大勢の人出の重みで、永代橋が落ちたという話が聞こえて来る。人々は、橋の方へ駆
けつける。

上手から、手古舞姿の美代吉がひとり、祭りの酒に酔いふらふらと現れる。下手の橋袂、火
の番小屋の葦簾に美代吉の手が障り簾が倒れると、その裏側には抜き身の刀を持った狂気の
新助がいた。雨が降り始め、雷も鳴る。

舞台は、本水となる。びしょ濡れのふたりの立ち回り。狂気の新助の死闘。酔いが邪魔し
て、逃げ惑う美代吉。濡れ場のような艶冶な殺し場。斬りつけられ美代吉は、番小屋に逃げ
込むが、追ってきた新助に斬られる。真っ赤な血飛沫が、障子を一直線に染める。

事件に気づいた若衆たちが、新助を取り押さえる。大の字になった松緑を頭上に担ぎ上げ
て、花道揚げ幕へ向かって運んで行く。狂気の笑いが響き続ける。

雨も止む。隅田川の向うには、満月が顔を出す。煌煌と光を増す満月。狂気の月(ルナティ
ック)。本水で濡れた無人の舞台の地絣に満月の影が映っている。「双面水照月」の風情。

この事件は、田舎の「非常識」(新助)が、己を突き詰め、江戸の「良識」(魚惣)と「非
常識」(奔放な悪のカップル・美代吉と三次、さらに美代吉の母)の隙間から、すとんと、
美代吉を道連れに、地獄に落っこちた! という物語。

「浮世風呂」は、2回目の拝見。1937(昭和12)年初演の新歌舞伎。暗転、緞帳が上
がり、開幕。上手の風呂場の格子窓から朝日が射し始め、徐々に舞台が明るくなる。大きな
浴槽のある風呂場に赤い下帯と白地に紺の模様を染め抜いた半纏(襟に「喜のし湯」の文字
を染め込む)という裸同然の三助・政吉(猿之助)。全身白粉塗り。朝湯の客のために、早
朝から準備中。猿之助は、舞踊の「うかれ坊主」同様に、男の色気を売る。「喜のし湯」
は、猿之助の本名「喜熨斗」から。「湯舟の逆櫓」など江戸時代の風呂屋の風俗を見せる。
風呂場の風景画は、波頭が立つ海の絵。白い波頭を「兎が走る」と兎に例えるが、まさに、
海の上を走る4頭の兎たち。三助とは、罐焚き、湯加減調整、番台の三つをこなした。

私が前回観たのは、2001年12月歌舞伎座。先代の猿之助と亀治郎、つまり当代の猿之
助の共演。今回は、世代がぐるりと変わって、猿之助と萬屋の次男・種之助。

「なめくじ」という名の悪婆(種之助)が、「お富」のような、あの馬の尻尾のような、悪
婆定式の髪型に、頭に銀色の角のある「なめくじ」の飾りを付けて登場。上がオレンジ、下
が灰色のぼかし衣装に、いくつもの「なめくじ」という、ひらがなの字を、上は灰色、下は
オレンジで染めた衣装である。体の真ん中で、濃いオレンジの帯が、アクセントになってい
る。前回、なめくじは、花道スッポンから登場したが、今回は、本舞台上手奥側のセリで登
場。色仕掛けの「くどき」で三助に迫るが、相手にされず、塩を撒かれ、スッポンから消え
て行く。芝居の吹き寄せの仕方噺で、ひとりで、踊り惚けている三助に、やがて若い者の立
ち回りが、絡んで来る「所作立て」。二代目猿之助が、初演した所作事の新歌舞伎。二代目
のときは、「なめくじ」は、着ぐるみだったとい
う。種之助の女形は、初めて観たと思うが、かわいらしくてなかなか良かった。今後は、萬
屋の若い世代の女形は長男の梅枝と決めつけずに、次男の種之助にも女形に挑戦し続けてほ
しい。


吉右衛門の弁慶


「御所桜堀川夜討〜弁慶上使」は。6回目の拝見。弁慶は、團十郎(2)、吉右衛門(今回
含め、2)、羽左衛門、橋之助時代の芝翫。おわさは、芝翫(3)、鴈治郎時代の藤十郎、
福助、今回は、雀右衛門。卿の君としのぶは、芝雀時代の雀右衛門、勘太郎、七之助、扇
雀、新悟、今回は米吉。

「御所桜堀河夜討」は、全五段の人形浄瑠璃で、源義経が、平時忠の娘・卿の君を正室にし
たためにおこる悲劇。堀河御所にいる義経を頼朝の命令で夜討するというのが全段の話。
「弁慶上使」は、三段目の切で、懐妊し乳人侍従太郎の館に預けられている卿の君の首を弁
慶が頼朝の使者として取りに来る。しかし、弁慶も含めた謀で卿の君の首の偽ものを持ち帰
る。偽ものの首を提供するのが、腰元のしのぶであり、たまたま娘に逢いに来たしのぶの母
親、おわさが、実は、17年前、若き日の弁慶と契り、しのぶが生まれたということが判明
する。判明したとたん、娘は、父の手で殺されるということで、散り散りになっていた弁慶
一家の出会いと崩壊という「ある家族」の悲劇の物語でもある。四段目に「藤弥太物語」が
あり、「御所桜堀河夜討」では、このふたつの物語が伝えられた。

今回の主な配役は、弁慶が吉右衛門、おわさが雀右衛門、乳人侍従太郎が又五郎、卿の君と
腰元・しのぶのふた役が米吉、侍従の妻が高麗蔵。幕が開くと、侍従太郎の館。座敷は、中
央奥、銀地に火焔太鼓とお幕の絵柄の襖。太鼓をよく観ると、太鼓は、三つ巴の絵柄だ。上
下(かみしも)の襖は、金地に花の丸。下手に、花車の絵柄の衝立。ここが、後に、しのぶ
の処断の場となるなどと、観客は、まだ、誰も思っても、いないだろう。米吉は、義経の正
室・卿の君とおわさと弁慶の娘で腰元のしのぶへの早替わりをするので、上手の障子屋体
で、威儀を正した弁慶と観客にお目見えをしただけで、早々と姿を消す。

烏帽子、いが栗に車鬢、鳥居隈、黒の大紋、長袴の下に女物の濃紅の襦袢(重要な襦袢)、
赤の手甲。吉右衛門の弁慶は、花道の登場から堂々と登場。出迎えの侍従太郎(又五郎)と
妻・花の井(高麗蔵)。弁慶らは、上使の趣を奥で話し合うため引っ込む。

おわさは、まず、しのぶの母親として登場する。母と娘の久方の語らい。奥から戻って来た
侍従太郎からしのぶを卿の君の身代わりにと求められると、娘は、主のためと、承知する
が、母は、それを拒否する。おわさは、仕方噺で、「くどき」の場面。17年の、自分の娘
の父親探しの経緯を話す。

名科白が飛び出す。「母親ばかりで出来る子が、三千世界にあろうかやい」。母親の強さ、
気丈さ。その展開のなかで、襦袢の濃紅の片振袖を証拠として示す。筆、硯、孔雀の羽をあ
しらった稚児の衣装。実は、それが、鬼若丸と名乗っていたころの、若き日の弁慶のもので
あった。それでも、姫様大事という侍従太郎は、しのぶを追う。おわさは、娘を逃がそうと
するが、正面奥の襖の蔭から父親の弁慶に刺される。懐紙で、太刀を拭き上げる見得。

名乗る弁慶。若き日の恋を語り、いまも着込んでいる濃紅の襦袢を示し、しのぶの父親だと
明かす。親子の証は、お家大事の前には、二の次なのだ。「子ゆえに親は名をあげる」。心
を鬼にして、我が娘を殺し、泣く弁慶。吉右衛門の弁慶は、様式美の演技を丹念に積み重ね
て行く。

濃紅の襦袢の片袖という小道具が、効いている。名場面のひとつ。おわさは、懐古の魔力で
母親から若い女の表情に変わる。下手に倒れ伏すしのぶ。中央におわさ。上手に弁慶。青春
の日の娘の気持ちと現在の母親の気持ちとの間で、揺れるおわさ。歌舞伎は、舞台の上手と
下手の空間を精一杯使って、三者の心の有り様をビジュアルに見せつける。この間舞台中央
に立ったまま(実際は、合引に座っている)じっとしている吉右衛門の弁慶。肚で演技。緊
張感は、科白を言っている時と同じレベルを保ち続ける。「三十余年の溜め涙」。大落し
で、大泣きする弁慶。大紋の衣装の袖を広げて、顔を隠して泣く。

ひとりになり、生の母親の感情を咎められない状況になって、初めて母をむき出しにした
「伽羅先代萩」の政岡のように、弁慶にも父親の情愛が迸る場面だ。伝説の泣かぬ弁慶は、
歌舞伎の舞台では、「弁慶上使」と「勧進帳」で泣く。この辺りの演技では、羽左衛門の弁
慶に味があった。父親の情の表出の演技は、巧かったと思う。羽左衛門の仁の重さか。吉右
衛門も良い。

時計が、八つの時刻を告げる。母・おわさの抵抗も空しく、銀色の襖と衝立の間で、侍従に
首を斬り取られるしのぶ。しのぶの首は、紅の布で包まれる。武士の論理のためと偽首に真
実味を付加するために、可愛がっていた腰元のしのぶの首を取った侍従太郎は、自らも切腹
する。偽首を鎌倉方への保証とするため、自分も首を差し出す作戦なのだ。太郎の首は、白
い布で包まれる。源平の紅白合戦という定式の色彩感覚。江戸の人たちは、こだわってい
る。

門の外にいる梶原景時の配下の軍兵たちに聞こえるように、首を討ち取ったことを大音声で
告げる弁慶。紅白の首を両脇に抱えた弁慶が、花道から出て行く。娘を失った母・おわさと
夫を失った妻・花の井がふたつの首を追おうとするが、女たちには、見送るしか、すべはな
い。ふたつの別れ。男と女の世界を引きちぎるように遠寄せの太鼓の音が、場内に鳴り響
く。花道での弁慶は、紅の首に頬を寄せて、再び、泣く。父親の情が迸る。
- 2017年6月17日(土) 17:27:01
17年06月国立劇場 (鑑賞教室・「毛抜」)


錦之助の弾正


高校生たちと一緒に鑑賞する歌舞伎教室。「毛抜」主役の粂寺弾正役は、錦之助。錦之助長
男の隼人が、歌舞伎教室恒例の「歌舞伎のみかた」コーナーを担当し、30分間ほど、歌舞
伎入門的な説明と「毛抜」の見どころの解説をした。隼人は、本舞台では、小野春道家の家
老の一人、秦民部(秀調)の弟・秀太郎を演じた。秦民部・秀太郎兄弟に対立するもう一人
の家老・八剣玄蕃は、九代目彦三郎、その息子・数馬は大谷廣太郎が演じる。小野館の主・
春道は、廣太郎の父親・友右衛門が演じた。小野春道の息子・春風は、尾上右近。小野家の
姫・錦の前は、中村梅丸。腰元・巻絹は、孝太郎。小野家の腰元で春風の子を宿したが難産
で亡くなったという小磯の兄で、小野館に妹の死についてクレームをつけに乗り込んで来た
小原万兵衛をベテランの橘三郎が演じた。以上が今回の主な配役。

1742(寛保2)年、大坂で初演された安田蛙文(あぶん)らの合作「雷神不動北山桜」
(全五段の時代もの)が原作。「毛抜」は、三幕目の場面(因に、四幕目が、「鳴神」)。
二代目、四代目、五代目の團十郎が引き継ぎ、これは、90年後の1832(天保3)年、
七代目團十郎によって、歌舞伎十八番に選定され、「毛抜」に生まれ変わった(團十郎
型)。しかし七代目亡き後、長らく上演されなかった。更に、80年近く経った1909
(明治42)年、二代目市川左團次が、復活上演し、さらに、明治の「劇聖」十一代目團十
郎が、磨きを懸けた。その際、左團次は、いま上演されるような演出の工夫を凝らしたとい
う(左團次型と呼ばれる)。粂寺弾正の推理ぶりを表わす「腹這い」「後ろ向きで座り込
み、天井を睨む」など5種類の見得もおもしろい。これも二代目左團次の工夫という。以
来、上演回数は多い。

左團次型の一部だけに触れておくと、舞台の大道具の想定が違う。團十郎型では、舞台は、
全面的に小野春道館の座敷内。左團次型では、下手に館外の部分があり、花道から繋がると
ころは柴垣と松の木があり、平舞台下手には、枝折り戸(いわば、館の玄関)がある。左團
次型では、花道(路上)から家来や奴などの供を連れて訪ねて来る。持ってきた槍も松の木
に立てかける。團十郎型では、粂寺弾正はすでに館内に入っていて(玄関は、向う揚幕の内
にあるという想定)、花道(廊下)から近習は連れて来るが、奴は、登場しない。近習だけ
が付き添うなど。天井裏に隠れた曲者胎児の場面で使う槍も室内の鴨居に予め掛けてあった
ものを使っていた。今回も、錦之助は舞台大道具については、團十郎型で、弾正の見得は左
團次型で演じていた。いわば、折衷型。

この物語は、ベースは、小野家のお家騒動。天下の歌人・小野小町を祖先に戴く小野家。当
代の主で、おっとりしている小野春道と好色な春風という親子に対して、家老の八剣玄蕃・
数馬の親子を軸にしたお家乗っ取り派が暗躍している。もう一人の家老・秦民部・秀太郎兄
弟は、小野家の家宝「ことわりやの短冊」を保管する役を仰せつかっている。悪家老・八剣
派の陰謀を阻止しようとしているが、短冊を紛失してしまった。悪賢さは八剣が一枚上手。
この短冊は小野小町の直筆で、小町作の歌を記したもの。日照りの折には、雨を降らせる力
を持っていると伝えられてきた。

芝居の主役の粂寺弾正の立場はというと、小野家のお家騒動には、いわば第三者。小野春道
家の乗っ取りを企む家老・八剣玄蕃の策謀が進むなか、小野家の姫・錦の前と文屋豊秀の婚
儀が調った。しかし、錦の前の奇病発症で、輿入れが延期となり、文屋家の家老・粂寺弾正
が、事情聴取と延期解除の対策を命じられて小野館に乗込んで来る。「毛抜」は、幕末期の
七代目團十郎が定めた「歌舞伎十八番」のうちの一演目なので、本舞台の上下の柱には、看
板が掛っている。上手の看板には、「歌舞伎十八番のうち 毛抜 一幕」とあり、下手の看
板には、「中村錦之助が相勤め申し候」と主演者の名前が書いてある。今回の舞台の大道具
は、小野館だけとなっている。これは、既に述べたように團十郎型。わざわざ、こう書いた
のは、小野館の周辺まで、本舞台で設定している演出もあるからだ。そちらは、左團次型。

例えば、16年11月歌舞伎座の舞台の大道具は、小野館の周辺まで含んでいて、シュール
であった。弾正が登場した時点では、下手屋外に松の木。館の座敷の下手に木戸。ここはす
べて屋外。座敷の上手平舞台に衝立。ここは屋内。大道具方によって木戸が片付けられると
下手の屋外がのして来る。座敷前は地面となる。上手の衝立が、いわば「のして来る」と、
座敷前は座敷の延長となる。屋外平舞台にある松の木も槍置きとなる。このシュールさに、
ほとんどの観客は気がついていないだろう。今回の舞台は、こういうシュールさはなく基本
的にすべて館内。冒頭の数馬と秀太郎の立会いの場面のみ、屋外か。でも、立会いが小野春
道の命で中止になると、舞台はすべて屋内となっていた。

錦の前のお出ましを待たされている間に、粂寺弾正が、持って来た毛抜で鬚(あごひげ)を
抜いていると、手を離した隙に、鉄製の毛抜が、ひとりでに立ち上がる。不思議に思いなが
ら、次に煙草を吸おうとして、銀の煙管を置くと、こちらは、変化なし。次に、小柄(こづ
か)を取り出すと、これも鉄製の刃物だから、こちらも、ひとりでに立つ。いずれも、後見
の持つ差し金の先に付けられた「大きな毛抜と小柄」が、舞台で踊るように動く。まあ、そ
ういう「実験」を経て、弾正は、鉄と磁石という「科学知識」に思い至り、錦の前の奇病
も、髪に差している鉄製の櫛笄(くしこうがい)が原因と推理し、これを取り外すと「奇
病」も治まる、という次第。天井裏に、大きな磁石(実際は、羅針盤という荒唐無稽さ)を
持った曲者が隠れ潜んでいたのを槍で退治する。そして、悪家老のお家乗っ取りの策謀の全
貌を解き明かし、お家騒動も治まるという、すべからく荒唐無稽なお話。

この間、弾正は様々な知識を持ち、判断量も鋭い頭脳明晰な捌き役として、真面目に推理ば
かりをしていたわけではない。弾正の接待役に出てきた秦秀太郎の美青年ぶりに迷い、乗馬
の稽古と称して若衆の体を触って、毛嫌いされる。続いてお茶を持って出てきた腰元の巻絹
の美貌にも迷って、抱きつくという、セクハラ親父。巻絹も嫌がって、逃げてしまう。男で
も女でも性欲を満たせば、どちらでも良いのか、と言われそう。無様な様を二度ほど観客に
見られたと悟り、客席に向かって、「面目次第もござりませぬ」と厚顔にも陳謝して平気な
顔をしている愛嬌者というのが、この弾正のキャラクター。この滑稽さが弾正の人間味にな
っているところが、この演目のおもしろいところか。

今回、12年ぶりに弾正を演じたという錦之助は、初回時は、十二代目團十郎から手ほどき
を受けたというから、この時は、團十郎型だったのだろう。錦之助は、萬屋・時蔵の弟。こ
れまでも持ち味は、和事味を滲ませた二枚目役が多く、若衆など柔らか味のある役どころを
得意としたが、今年で57歳。9月になれば、58歳。悪役も演じてきてはいるが、そろそ
ろ立役として実事などで存在感を強めていかなければならない年齢だろう。ベテラン、中堅
の逝去の溝を埋めるべく、自身も意欲を燃やし、後継の若手を引っ張って行かなければなら
ない立場だろう。錦之助のキャラクターが弾正のキャラクターを今回際立たせたか、という
と、残念ながら、そこまでは達していなかったのではないか。役者としての新たな地平をど
のようにして切り開いて行くのか、今後の精進ぶりを見守って行きたい。

最後に、そのほかの役者の寸評を記録しておこう。
お家乗っ取りを企む家老の八剣玄蕃を演じた彦三郎は、先月歌舞伎座の團菊祭で九代目襲名
披露したばかり。まだ、襲名披露興行の余熱がある、というか、今月の国立劇場を含めて、
これから各地で襲名披露興行を続けて行く勢いが感じられる。功績も良いし、父親の八代目
を乗り越えて行くだろう。その先にある祖父の十七代目市村羽左衛門に近づいて、可能なら
ば十八代目を目指してほしい。もう一人の家老・秦民部を演じた秀調や小野家の主・春道を
演じた友右衛門は脇を固める。女形で軸となった孝太郎は、腰元・巻絹。小野家の姫・錦の
前は、中村梅丸がかわいらしく演じた。若手の立役では、秦民部の弟・秀太郎を演じた隼
人、八剣玄蕃の息子・数馬を演じた廣太郎。小野春道の息子・春風を演じた尾上右近であっ
た。
- 2017年6月17日(土) 14:04:15
17年05月国立劇場(人形浄瑠璃/「加賀見山旧錦絵」)


「加賀見山廓写本」と「加賀見山旧錦絵」


国立劇場・人形浄瑠璃第2部は、第1部の呂太夫襲名披露の舞台とは別で、普通の東京公演
であった。

「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」は、歌舞伎では何度も観ているが人
形浄瑠璃で見るのは初めて。今回の段構成は、次の通り。「筑摩(つくま)川の段」「又助
住家の段」「草履打の段」「廊下の段」「長局の段」「奥庭の段」。このうち、「筑摩川の
段」「又助住家の段」は、歌舞伎でもあまり上演されず、私は今回初見。その他の段の歌舞
伎化されたものは、観ている。 

「加賀見山旧錦絵」は、容楊黛(ようようたい)という、中国人のような名前の狂言作者
(本職は医者ともいう)の原作で、1724(享保9)年に江戸虎の門の松平周防守邸で起
きた事件(召使による局の仇討ち事件)をベースに、舞台を「加賀騒動」というお家騒動も
の仕立てにして、1782(天明2)年、江戸の薩摩外記座で、人形浄瑠璃として初演され
た。容楊黛は、平凡社の「歌舞伎事典」にも、略歴すら載っていないが、どういう人なのだ
ろうか。「加賀見山旧錦絵」は、本来全十一段の大作で、歌舞伎などで良く上演される「試
合」から「奥庭」までは、いわゆる「女忠臣蔵」と言われる六、七段目を軸にしているに過
ぎない。だから、外題の「加賀見山旧錦絵」は、この芝居だけを見ていても良く判らない。

「加賀見山」の「加賀」は、いわゆる「加賀騒動」の想定だから、判るが、「旧錦絵(こき
ょうのにしきえ)」は、判らない。「加賀見山」は、「加賀見山再岩藤(かがみやまごにち
のいわふじ)」(通称、「骨寄せの岩藤」)という幕末、1860(万延元)年、河竹黙阿
弥によって、加賀見山ものの後日談という趣向で、続編が書かれているから、余計に、「加
賀見山」という名前が、印象深くなってしまったが、本来は、「鏡山」とも書く。「鏡山」
は、尾上の仇を打ち、召使のお初が中老として二代目尾上になる(これは、「奥庭」の場面
で、明らかになる)が、その後、お初、こと二代目尾上が、九段目で、故郷の江州(ごうし
ゅう・近江、いまの滋賀県)鏡山の実家を訪ねるという場面があり、まさに、召使お初が、
故郷に錦を飾るから、「鏡山旧錦絵」というわけだ。

贅言;「中老」とは、武家社会では、本来、家老格という大役の家臣の職位。江戸時代に
は、将軍家の大奥に仕えた奥女中の職位にも用いられ、上掾A年寄などに次ぐ職位に使用さ
れた呼称。「中臈」とも書く。

「筑摩川の段」「又助住家の段」は、1780(安永9)年、大坂藤川座で初演された奈河
亀輔ら原作の歌舞伎「加賀見山廓写本(かがみやまさとのさきがき)
」を人形浄瑠璃化した中村魚眼原作「加賀見山廓写本」が1796(寛政8)年、大坂道頓
堀芝居で初演され、人気を呼んだ鳥井又助物語の部分。1824(天保5)年、御霊社内で
の上演では、「廓写本」と「旧錦絵」の筋を合わせて構成された。著作権などない時代なの
で、人気を呼んだ場面は再活用する。その結果、男たちのお家騒動と女たちの仇討ち事件
が、加賀騒動という虚構の中で合体した形になった。今回上演の筋立ては、これをベースに
している。

今回初見の前半(「廓写本」)が特に楽しんで舞台を見たので、粗筋も含めて、きちんと記
録しておきたい。

「筑摩川の段」では、お家騒動の発端となる事件、というか、事故が描かれる。「多賀家」
では、家老の蟹江一角と局の岩藤らがお家横領を企んでいる。中老の尾上や谷沢求馬(もと
め)ら多賀家忠臣の追い落としを狙っている。求馬は、一角の陰謀にはまり、多賀家の重宝
「菅家(かんけ)の一軸」を紛失してしまい浪人となり、忠僕の鳥井又助の住家に身を寄せ
ている。又助は一角を討つことで求馬の帰参を図ろうとしている。そういう中で、悲劇が起
きる。

「筑摩川の段」。語りは、亘太夫。三味線方は、燕二郎。舞台の上手は、春雨で増水した筑
摩(つくま)川。舞台中央、堤防の杭に「筑摩川」と書いてある。下手より、裸の武者が現
れる。武者は、刀のみを帯びて、上手の川へ飛び込む。さらに、下手から馬に乗った武家ふ
たり(近習の山左衛門、殿様の多賀大領)が出てくる。馬に乗ったまま、上手の川の中に乗
り入れる。そこで、舞台展開。川中の場面へ。中央に大きな岩があるだけ。川は大雨で流量
が増えて、荒れている。上手より、裸武者が泳ぎでてくる。川中の大岩に上って、待ち伏せ
をするようだ。二頭の馬に乗った武家も川中を進んでくる。裸武者は、先頭の馬をやり過ご
した後、水中に隠れ、二頭目の馬に乗った武家に襲いかかる。武家を討ち倒す。無人の馬が
下手へ入って行く。裸武者は、岩の上に上がり、仁王立ちとなり、(一角の)暗殺成功に雄
叫びをあげる。「主人の鬱憤、蟹江一角、思ひ知つたか、アアラ心地よやな、ムムハハムム
ハハムムハハアハハハハ」。

実は、この裸武者が鳥井又助で、又助は、お家黄龍派の奸臣・望月源蔵に騙されて、二頭の
馬の内、後ろの馬に乗った武家を家老の蟹江一角と思い込んだまま討ち果たしてしまう。実
は、討ち果たされた武家こそ多賀家の殿様・多賀大領であった。

「又助住家の段」。「中」の語りは、咲甫太夫。三味線方は、清志郎。「奥」は、
呂勢太夫と宗助。舞台は「事故」から5年後の又助住家。田舎の侘び住い。又助の主人・求
馬が紛失した「菅家の一軸」が質入れしてあることを見つけた又助は、村から預かった公金
で質受けしてしまう。それを知った又助の女房・お大は、夫・又助に内緒で鏡山(江州=ご
うしゅう・近江、いまの滋賀県)の遊郭に身売りすることを決意する。折からやってきた鏡
山廓の駿河屋亭主・才兵衛に百両で身売りする話を勝手に進める。戻ってきた又助には、心
にもない愛想尽かしをする。怒った又助は、お大に三行半を突きつける。

そこへ、庄屋の次郎作がやってきて、又助に預けておいた百両を戻せという。困った又助に
hy九両を差し出すお大。住家の表には身売りされるお大を乗せる駕籠が待っている。駕籠が
出て行く。母恋しさに泣くのは、息子の又吉。「止むるも涙/行く涙、…」。又助は、お大
の本心と事情を知る。盆回しで、「中」から「奥」へ、竹本の演者が変わる。

盆が回って、出てきた呂勢太夫「泣く泣く揺られ行く」。
日暮れどき。暮れ六。又助宅に深編笠の武家姿。多賀家の重臣・安田庄司が訪ねて来る。5
年前、大領暗殺事件の時、筑摩川で見つかった刀を殿様暗殺の証拠として詮議に来たのだ。
刀は、求馬が又助に授けたものだったので、求馬→又助と辿って来たのだ。一角を暗殺した
が、大領暗殺は承知していない又助は、求馬に「菅家の一軸」を差し出すように促す。求馬
は庄司の話を聞き、又助の殿様殺しを悟り、又助を折檻する。幼い又吉は父親を庇おうとす
る。妻を身売りし、自分も殿様殺しの大罪を犯してしまった又助は、幼い又吉だけをこの世
に残せないと自ら殺してしまう。又助は、求馬に刺されてしまう。又助は、望月源蔵に騙さ
れたと真相を語る。住家の門口にそっと戻ってきたお大は、それを聞き、親子で死のうと自
分の喉元に刀を突き立てる。かくして、又助ファミリーは一家心中で果ててしまう。事情を
知った庄司の計らいで、求馬は多賀家への帰参が叶うことになる。又助一家の悲劇の段。

ここまで、前半の場面の主な人形遣いは、次の通り。
又助は玉志。多賀大領は勘市。近習山左衛門は勘次郎。又助女房・お大は清十郎。倅・又吉
は和馬。村人の、歩きの太郎作は亀次。廓の亭主・才兵衛は玉佳。求馬は勘彌。庄屋・治郎
作は簑一郎。多賀家の重臣(家老)・安田庄司は文昇。

「草履打の段」。ここからは、「旧錦絵」。語りは、岩藤が津駒太夫、尾上が睦太夫、善六
が希太夫、腰元が咲寿太夫と小住太夫。三味線方は、寛治。幕が開くと、紅白の横縞の幕が
舞台全面を覆っている。暫く無人。幕の振り落しで、鶴岡八幡宮。長い石段を挟んで、上手
側に局の岩藤一行の人形たち。下手側に中老の尾上一行の人形たち。雛壇のような鮮やかな
印象。ふた組の参詣を終えたところか。この場面が、一幅の絵のよう、対称的な造形で美し
い。

そこへ御用商人の善六が岩藤に金を持ってきた。岩藤は自分では受け取らず、むさ苦しいも
のは召使に渡せという。武家出身の岩藤は、町人は卑しいものと町人出身の尾上を皮肉る。
耐える尾上。ここからは、陰湿な虐め劇となる。喧嘩を仕掛けようとする岩藤は、尾上に砂
に汚れた草履を拭くようにと命じる。当惑する尾上の頭などを岩藤は草履で叩く。それでも
耐えた尾上は、草履をお守りとして、もらい受けたいとまで言う。岩藤は、業を煮やして立
ち去る。後に残った尾上は号泣する。「女忠臣蔵」と言われる「加賀見山」だが、この辺り
の尾上は、「伽羅先代萩」の乳人・政岡と八汐の抗争のように見えてきた。

「廊下の段」。語りは、咲甫太夫。三味線方は、團七。その翌日。館では、腰元たちが、き
のうの草履打ち事件のことをひそひそ話している。通りかかった尾上の召使・お初の耳にも
噂を入れ、岩藤を譏る。聞きとがめた岩藤は腰元たちを追い払い、お初が噂の元と決めつけ
て、打擲する。

そこへお城から使者が到着する。使者は、弾正。岩藤とともにお家横領を企む張本人だ。岩
藤にとっては、企みの密書を落とし、尾上に拾われたことも気がかりだ。きのうからの尾上
虐めも尾上追い落としで、お家横領を成し遂げたいばかりなのだ。途中から、大道具の居処
替りで、長局へ。

「長局の段」。語りは、千歳太夫。三味線方は、富助。お初は、廊下の下手にある衝立の陰
に隠れていて、弾正と岩藤のお家横領の話を聞いてしまった。長局とは、尾上の居室。奥御
殿から尾上も戻ってくる。恥辱に耐えることで体調を崩してしまったようだ。お初は、甲斐
甲斐しく尾上の世話をする。お初は、浄瑠璃の「忠臣蔵」の話を尾上にする。この辺りのや
り取りは、まさに忠臣蔵そのものが話題になっている。お初は、忠臣蔵を持ち出して、尾上
の気持ちを諌める。

尾上は、遺恨の草履と書き上げた文を文箱に入れて尾上の実家に届けるようにお初に命じ
る。胸騒ぎがするお初は、きょう実家におつかいに行くことに抵抗するが、許されない。尾
上は、岩藤への抗議の自死を心に秘めている。尾上の悲劇は、弾正と岩藤らのお家横領の企
てに知らず知らずのうちに巻き込まれてしまったことによる。

一旦は、館の外に出たお初だが、歌舞伎でいう「塀外烏啼の場」で、不吉な烏の泣き声で不
安が絶頂に達し、主人の御用の文箱だが、中に入っていた書置きを見てしまう。慌てて、再
び、尾上の部屋へ戻ると、仏壇の前に倒れている尾上の遺体を発見する。全てを悟ったお初
は、尾上恨みの草履と尾上の懐剣、岩藤の密書などを持って、奥の間へ駆け込んで行く。

「奥庭の段」。語りは、岩藤が始太夫、お初が希太夫、庄司が津國太夫、忍びが亘太夫。三
味線方は、喜一朗。下手からやってきたお初は奥御殿の庭先に潜む。下手から、忍びの当馬
がやって来ると箱を埋める。合図の笛を吹く。上手から黒い衣装の岩藤が現れる。褒美をや
ると言われた忍びが岩藤に近づくと、岩藤は騙し打ちで忍びを殺してしまう。

それらをも届けたお初が現れ、岩藤を引き止める。とぼける岩藤。お初は、尾上遺恨の草履
を突きつけ、「主人の敵、お家の仇」と岩藤に尾上の懐剣で斬りつける。武道の心得のある
武家育ちのお初は、岩藤を討ち果たし、尾上の恨みを果たす。お家騒動にも決着の端緒を開
く。

騒ぎを聞きつけて現れた多賀家の重臣・安田庄司にお初は尾上の書置きを渡す。尾上の敵打
ち、多賀家の仇打ちを果たし、お家横領を未然に防いだとして、お初の忠節を褒め称え、お
初を中老尾上の二代目になるようにと申し渡す。安田庄司は、お家の重臣として、前半では
谷沢求馬の帰参を許し、後半では、お初を中老二代目尾上にとりたてている。庄司がキーパ
ースンとなって、ここで、「加賀見山廓写本」と「加賀見山旧錦絵」は、ひとつの全体の物
語として、多賀家のお家騒動も解決したことになり、めでたしめでたしとなる。

後半の場面の主な人形遣いは、次の通り。
中老・尾上は和生。局・岩藤は玉男。鷲の善六は紋秀。腰元・お仲は玉勢。同じくお冬は玉
誉。召使・お初は勘十郎。伯父弾正は玉輝。忍びの当馬は紋吉。多賀家の重臣(家老)・安
田庄司は文昇。

又助は玉志。多賀大領は勘市。近習山左衛門は勘次郎。又助女房・お大は清十郎。倅・又吉
は和馬。村人の、歩きの太郎作は亀次。廓の亭主・才兵衛は玉佳。求馬は勘彌。庄屋・治郎
作は簑一郎。多賀家の重臣(家老)・安田庄司は文昇。
- 2017年5月26日(金) 17:09:50
17年05月国立劇場(人形浄瑠璃/「菅原伝授手習鑑」)
 

河内国佐太村は、梅王丸、松王丸、桜丸の実父・四郎九郎が預かる菅丞相の下屋敷。四郎九
郎(しろくろう)は古稀(数えの70歳)を迎えて、主人の菅丞相より白太夫という名前を
授けられて改名した。その古稀の祝い(賀の祝い)が老父独居のこの家で行われることにな
った。

贅言;「古稀」の原典は、中国の詩人・杜甫の七言律詩「曲江」(同じ題の詩が二つあ
る)。7文字、8行で構成。以下は、その部分。

「… 毎日江頭盡酔帰/酒債尋常行処有/人生七十古来稀 …」

通称、「佐太村」、あるいは「賀の祝い」という場面は、「茶筅酒の段」「喧嘩の段」「訴
訟の段」「桜丸切腹の段」として今回は上演された。

まず、「茶筅酒の段」では、四郎九郎(「シロ・クロ」。竹本に「白黒まんだらかいは、掃
き溜めへほつて退け」という文句が出て来る。古稀の祝いをきっかけに、菅丞相より名前を
もらい、これまでの四郎九郎という名前はごみ捨て場に捨てて、白太夫(人形遣いは玉也)
となる、という意味である。語りは、芳穂太夫。三味線方は、清友。祝いに訪れた近隣の百
姓・十作(人形遣いは勘市)が、鍬を足で蹴飛ばして肩に担ぎ上げる仕草の農民振りが客席
を笑わせる。白太夫は、十作に茶筅酒をふるまう。この場面は、歌舞伎でも、たまに上演す
る。

歌舞伎とは違って、三つ子の嫁たちの衣装が、みな、鶸(ひわ)色だったが、裾模様の絵柄
が、梅(梅王丸女房・春、人形遣いは一輔)、松(松王丸女房・千代、人形遣いは勘十
郎)、桜(桜丸女房・八重、人形遣いは簑二郎)とそれぞれの連れ合いに合わせていた。桜
丸女房・八重のみ、「娘」の頭に、赤い襦袢に朱色模様の帯。ほかのふたりは、「老女形」
に黒い帯。女房たちが早めに白太夫の祝いの準備を手伝いに来た、という場面。「茶筅酒」
というのは、餅に茶筅という道具を使って酒をふりかけので、茶筅酒という。本来なら、長
寿の祝いの古稀なので、派手に酒をふるまうのだが、主人の太宰府への流罪というのに遠慮
をしたのだ。古稀と酒は、杜甫の漢詩の時代から縁がある。祝いの準備が整っても、三つ子
の兄弟は、誰も現れない。

「喧嘩の段」。語りは、咲寿太夫。三味線方は、龍璽。やっと、三つ子のうち、長男の梅王
丸(人形遣いは幸助)と次男の松王丸(人形遣いは玉男)が現れる。梅王丸は、菅丞相に仕
える舎人。松王丸は、菅丞相に敵対する藤原時平の舎人。菅丞相は時平の陰謀によって、流
罪とされたのだ。ふたりは、兄弟ながら、主人同士が敵対する身。先日も喧嘩をしたばか
り。きょうも顔を見合わせば、喧嘩となる。喧嘩の場面は、歌舞伎が、子どもみたいな、つ
まり稚戯のような取っ組み合いの場面になっているのと比べて、人形浄瑠璃は、まさに、喧
嘩であった。その挙句、主人の菅丞相が好み、白太夫が菅丞相の下屋敷で大事に育てていた
梅、松、桜と植えてある庭木のうち、歌舞伎なら、桜の小枝を折ってしまう場面で、人形浄
瑠璃では、桜の立ち木そのものを折り倒してしまう。「土際四五寸残る」と竹本にもある。
また、歌舞伎では、荒事の演出らしく、ふたりが、稚児っぽく、「おいらは知らぬ」「おい
らは知らぬ」と互いに言い合うが、人形浄瑠璃には、そういう科白は、ない。歌舞伎の洒落
っ気だろうが、竹本では、語りにくい科白でもある。

「訴訟の段」。語りは、靖太夫。三味線方は、錦糸。氏神詣でから戻った父親の白太夫に梅
王丸と松王丸の兄弟は、父親への願いの書付(訴状)を提出する。白太夫は、配流される菅
丞相の旅の供を願う梅王丸の申し出は退け、菅丞相の御台所と息子の菅秀才を探し出せと命
じる。松王丸の申し出た勘当は認める、という判断を示す。いずれにせよ、白太夫は、ふた
組の夫婦を追い出す。
 
「桜丸切腹の段」。語りは、文字久太夫。桜丸は、実は早くからここへ来ていたのだ。納戸
口の暖簾を分けて黒い衣装で静かに登場する。死を覚悟している。菅丞相流罪の責任をとっ
て、自害するつもりなのだ。泣いて引き止める女房の八重。陰に籠った役作りが難しい。納
戸口の暖簾を分けて、奥から座敷きへ登場する瞬間の表現が大事だ、という。大筋は、歌舞
伎と同じ演出。白太夫が鉦を鳴らし念仏を唱えるうちに、桜丸は切腹してしまう。後を追お
うとする八重を家の裏に潜んで様子を見ていた長男の梅王丸夫婦が止める。後のことを長男
夫婦に任せ、白太夫は、菅丞相を追って、配流の旅に同行すべく出て行く。

「口上」は、英太夫改め六代目呂太夫襲名披露である。列は、2列。前列には、呂太夫を真
ん中に座らせ、下手から呂勢太夫、津駒太夫。そして、呂太夫。その上手側へ、三味線方の
清治。人形遣いの勘十郎が順に並ぶ。5人である。

下手端に座る呂勢太夫の仕切りで進行。津駒太夫は、英太夫改め、呂太夫は自分よりふたつ
年上、「雄(ゆう)ちゃん、雄(ゆう)ちゃん」として本名で呼び、親しんだ。祖父が十代
目若太夫(前名、三代目呂太夫)、父が五代目呂太夫という「雄ちゃんは、血統書付きの若
者だったが、人柄も良く、気さくであった」と紹介してくれた。

三味線方の清治は、「五代目は美男で、文楽(人形浄瑠璃)界には似合わないハンサムボー
イだったが、当代は、愛嬌があり、文楽(人形浄瑠璃)界には誠に似つかわしい人だと、場
内を笑わせる。(六代目は)春子太夫、越路太夫のもとで指導を受けたので、今後、さらに
大きな花、立派な花を咲かせてくれるだろう」と挨拶した。

人形遣いの勘十郎は、入門や初舞台が一緒、海外公演も一緒だったと披露した。「イパネマ
では、満遍なく日焼けをしていた」。ますます、大きく飛躍してほしい。

後列にも5人。下手側から、亘太夫。上手へ順に、三味線方の藤蔵、三輪太夫、千歳太夫、
希太夫。ただし、後列は、座っているだけで、口上は、無しであった。

口上の後は、幕間を挟んで、「寺入りの段」。語りは、呂勢太夫。三味線方は、清治。「寺
入り」の場面は、歌舞伎でも偶には演じられるが、普段は省かれることが多い。人形浄瑠璃
でも上演は珍しい。「寺入り」とは、寺子屋への入門の場面である。右大臣だった菅丞相の
旧臣・武部源蔵は、浪人となり、芹生(せりょう)の里で寺子屋を開いている。源蔵(人形
遣いは和生)と戸浪(人形遣いは勘寿)の夫婦は菅丞相の息子・秀才(人形遣いは勘介)を
密かに匿っているが、左大臣の藤原時平は執拗に秀才を探しまわっている。芝居の場面で
は、見つかるのも時間の問題という切迫した状況になっている。この寺子屋に、なぜか、鄙
には稀な品の良い母親(実は、松王丸女房の千代。人形遣いは勘十郎)が息子(小太郎。人
形遣いは勘十郎の息子・簑太郎)を連れて入門(寺入り)を頼みに来る。歌舞伎では、「寺
子屋」の冒頭の習字独習に次ぐ部分の演出として、演じられることがある。

入門の手続きを済ませると、母親は「隣村まで所用を果たしに行く」と告げて、子どもを預
けて、そそくさと出かけてしまう。「悪あがきせまいぞ」と、謎のような言葉を小太郎に投
げかけて……。竹本の語り。「跡追ふ子にも引かさるゝ、振り返り、見返りて、下部(しも
べ)」まで。

「寺子屋の段」。前半の「前」。今月のハイライト、襲名披露の演目で、語りは六代目呂太
夫。三味線方は、清介。「引き連れ、急ぎ行く」で呂太夫としての第一声となる。小太郎の
死、首実検がこの段の山場。

贅言;「寺子屋の段」は、歌舞伎とほぼ同じだが、小太郎が殺された瞬間、歌舞伎では、戸
浪と松王丸が、ぶつかりあい、「無礼者め」と松王丸が言う場面が、人形浄瑠璃にはない。
歌舞伎は、この場面のハイライトとして、演技の気合いを、ここに込めた。「無礼者め」
は、役者の工夫魂胆。歌舞伎の入れごとと知れる。

村の「振舞(庄屋宅での饗応に参加。実は、「饗応」は仕掛けられた虚偽で、藤原時平の家
来・春藤玄蕃と松王丸に庄屋立ち会いで引き合わされて、匿っている菅秀才の首を差し出
せ、という強談判をされる)」から戻って来た源蔵の顔色が蒼ざめている。しかし、戸浪
が、きょう寺入りした新入生の小太郎を引き合わせると、「忽ち面色和らぎ」、庄屋宅での
事情を妻に説明する。源蔵は、小太郎を身替わりにして「秀才の首」だと偽って差し出す作
戦を妻に明かす。ばれたら、関係者を皆殺しにしようと言う。源蔵は筆も立つが剣も立つ。

ここへ、頃や良しとばかりに藤原時平の家来・春藤玄蕃と秀才の首の検分役として松王丸が
やって来る。松王丸だけ、駕籠に乗っている。胸に秘策を秘めた松王丸は、玄蕃を騙して我
が子・小太郎の首を菅秀才の首と「認定」する。それを信じて玄蕃は小太郎の首を抱えて帰
って行く。病気療養中に特別任務を果たした松王丸も「立ち帰る」。

呂太夫の語りは、「玄蕃は館へ/松王は、駕籠に揺られて立ち帰る」まで。盆回しで咲太
夫。後半が、「切」。「夫婦は門の戸ぴつしやり閉め……」からが咲太夫の語りへ繋ぐ。三
味線方は、燕三。

懸念した「作戦」が、思い以上に見事に成功してしまい、気が抜けた源蔵・戸浪の夫婦。そ
こへ、隣村での用事を済ませた小太郎の母親・千代が、次いで、松王丸が現れ、源蔵・戸浪
夫婦の思いつき的「作戦」の前に、松王丸・千代夫婦の確信犯的「作戦」があったことが判
るという謎解きの場面。結果的に、4人は、今、流行りの「共謀罪」となる。息子を亡くし
泣き暮れる千代。小太郎の最期を源蔵に聞き、我が子を褒める松王丸。

「寺子屋」では、松王丸と千代の夫婦と源蔵と戸浪の夫婦が両輪をなす。ふた組の夫婦の間
で、ものごとは展開する。「寺子屋」は子ども殺しに拘わるふた組のグロテスクな夫婦の物
語なのである。一組は我が子を恩人の息子の身替わりとして殺させるようにしむける。もう
一組は身許も判らない他人の子を大人の都合で身替わりとして殺してしまう。

一組目の夫婦は松王丸・千代。先に子どもを連れて入学して来た母親(千代)とその夫だ。
夫は秀才の首実検役として、藤原時平の手下・春藤玄蕃(人形遣いは文司)とともに寺子屋
を訪ねて来る松王丸である。

実は、源蔵の「心中」(内心の自由)を除けば、物語の展開の行く末のありようを「承知」
しているのは松王丸で、彼が妻と計らって、自分の息子・小太郎を源蔵が殺すように企んで
いる。千代は息子の死後の装束を文机のなかに用意して、入学していたし、松王丸も春藤玄
蕃の手前、源蔵に対して、「生き顔と死に顔は、相好(そうごう、顔付き、表情)が変わる
からと、贋首を出したりするな」などと、さんざん脅しを掛けながら、実は、贋首提出に向
けて密かな「助言」(メッセージ)を送っているのである。共謀を仕向けている。

ふた組目の夫婦は武部源蔵・戸浪である。匿っている菅丞相の息子・秀才の首を藤原時平方
へ差し出すよう迫られている。なぜか、ちょうど「この日」、母親に連れられて、新たに入
門して来た子供(松王丸の息子・小太郎)がいる。この子は野育ちの村の子とは違って、品
が有る。この子を秀才の身替わりに殺して、首を権力者に差し出そうかと、源蔵は苦渋の選
択を迫られているのである。妻の戸浪に話すと、「鬼になって」そうしろと、妻も言う。悩
んだ挙げ句、「生き顔と死に顔は、顔付きが変わるから、贋首を出しても大丈夫かも知れな
い」、「一か、八か」(ばれたら、己も死ねば良い、相手も斬り殺してやる)と、他人(ひ
と)の子供を殺そうと決意する源蔵夫婦は「悩む人たち」では有るが、実際に小太郎殺しを
する直接の下手人であり、まさに、鬼のような、グロテスクな夫婦ではないか。

その甲斐あって、菅秀才は母親と再会する。恩人の妻子を交えて、グロテスクなふた組の夫
婦は、一人犠牲になった小太郎の首の無い遺体を菅秀才の遺体と偽って野辺送りをする。舞
台には、名曲の「いろは送り」が流れる。松王丸と千代の夫婦は、歌舞伎なら、下に白無垢
麻裃の死に装束を着ている(人形浄瑠璃の竹本の文句は、「哀れや内より覚悟の用意、下に
白無垢麻裃」で、納戸口の奥から着替えが済んだ白無垢姿で出てくる。ここは歌舞伎の演出
の方が、正しい)が、人形の松王丸と千代は、一旦奥へ入って、着替えをした体で改めた衣
装で出て来る。この演目も人気演目ゆえに、歌舞伎では、「入れごと」がいろいろあるが、
それの解説はここでは省略。人形浄瑠璃の方が、初期の原型に近い演出なのだろう。

贅言:「菅原伝授手習鑑」は、人形浄瑠璃が先行作で、後に、歌舞伎化された。歌舞伎・人
形浄瑠璃の交流の例としては、例えば……。松王丸が着ている衣装の紋様「雪掛け松」は、
本来、人形の松王丸が着ている衣装ではなかったが、歌舞伎の松王丸が着ていて評判にな
り、その後、何時の時代か、人形浄瑠璃に「逆輸入」された。
- 2017年5月25日(木) 11:37:48
17年5月歌舞伎座(夜/「寿曽我対面」「伽羅先代萩」「四変化 弥生の花 浅草祭」)


30歳代で2回目、菊之助の政岡


「寿曽我対面」は、今回で12回目の拝見。曽我兄弟が宿敵と「対面」するだけの芝居「寿
曽我対面」は、大願成就の予約切符を発行することで、江戸っ子の正月用の祝典劇となっ
た。今回は坂東家の襲名披露を寿ぐ祝典劇という位置づけだろう。人気の演目だった曽我兄
弟の「対面」ものは、河竹黙阿弥の手によって、1885(明治18)年、「寿」を冠する
「寿曽我対面」として集大成された。黙阿弥の集大成のポイントは、「寿曽我対面」の主役
を曽我兄弟よりも、「宿敵」の工藤祐経としたことにある。仇と狙う曽我兄弟との対面を許
し、後の、富士の裾野で催される巻狩の場での再会を約し、巻狩の総奉行を勤める工藤祐経
は狩り場の通行に必要な「切手」(切符)を紫の布で包んだまま兄弟に投げ渡す。その場
で、兄弟の父親の仇として討たれようという意味だ。情理を理解し、度量も大きく、太っ腹
で、「敵ながら、天晴れ」という工藤祐経の「大人」の行動様式に、曽我兄弟という「子ど
も」を対比させたことが受けて、日本人は、長いこと拍手喝采を続けたのだろう。それだけ
に、この芝居では工藤祐経の出来具合が大事なポイントになるので注目しよう。

坂東彦三郎らの襲名披露の祝幕が開くと、舞台は浅黄幕に被われている。浅黄幕振り落とし
で、工藤祐経館。館内は金地の襖に青い工藤家の家紋で埋め尽くされている。富士の裾野で
催される巻狩りの総奉行に任じられた祐経の就任を祝うために館には並び大名(10人)を
演じる名題役者たちが集う。座敷には、工藤祐経(菊五郎)のほか、大磯の虎(萬次郎)、
化粧坂少将(梅枝)という傾城たち。梶原平次景高(橘太郎)、梶原平三景時(家橘)、小
林朝比奈(初代楽善鴈)がいる。このほか、工藤祐経の側近である近江小藤太(三代目坂東
亀蔵)、八幡三郎(松也)、秦野四郎(竹松)。

花道から。曽我兄弟の家臣の鬼王新左衛門(権十郎)が、家臣の亀丸(六代目亀三郎)を連
れて、行方不明だった源氏の重宝・友切丸を持参する。

小林朝比奈の懇請で、やがて、曽我兄弟の入場が許され、十郎(時蔵)と五郎(九代目彦三
郎)の兄弟と工藤祐経(菊五郎)との対面となる。兄弟が祐経に「親の仇」などと揉めてい
る。

「対面」の魅力は、色彩豊かな絵のような舞台と、登場人物の華麗な衣装と長々と続く渡り
科白、背景代わりの並び大名の化粧声(10人の大名が5人ひと組で、「ありゃーおりゃ
ー」と交互に声を出す)など歌舞伎独特の舞台構成と演出で、短編ながら、十二分に観客を
魅了する特性を持っているからだと、思う。

私が観た工藤祐経は、富十郎(2)、團十郎(2)、三津五郎、幸四郎、吉右衛門、海老
蔵、仁左衛門、梅玉、橋之助時代の芝翫。今回は、なんと、初役の菊五郎。座頭級の役者が
目白押し。中堅だった今は亡き三津五郎、芝翫襲名を控えて新しい中堅世代に入ることにな
る橋之助、さらに海老蔵なども小さく見える顔ぶれ。若手の海老蔵がまじっているのは、
「対面」が團十郎家の歌舞伎十八番の一つという特殊性のゆえだろう。高座に座り込み、一
睨みで曽我兄弟の正体を見抜く眼力を発揮すると観客に思わせるのが、工藤祐経役者。

曽我十郎は、菊之助(3)、梅玉(2)、菊五郎(2)、橋之助、壱太郎、孝太郎、勘九
郎。今回は時蔵。

五郎は、三津五郎(3)、海老蔵(2)、我當、團十郎、吉右衛門、松也、橋之助、松緑。
今回は九代目彦三郎。

「寿曽我対面」では、工藤祐経に次ぐのが曽我五郎だろう。彦三郎の家系では、戦後の松竹
の上演記録を見ると、以下のようである。十六代目羽左衛門が、戦後直後の1947年2
月、東京劇場で、家橘改め、十六代目襲名披露時を含めて2回演じている。次いで、今回襲
名した初代楽善が1966年2月、東横ホールで、八代目薪水で、さらに1974年10
月、名古屋御園座で、二代目亀蔵で、1986年4月、大阪新歌舞伎座で、八代目彦三郎と
して、3回目の曽我五郎を演じている。家系では、戦後、5回演じている。曽我兄弟では、
楽善は、兄の十郎を二代目亀蔵として一度だけ演じている。1973年5月、大阪新歌舞伎
座であった。

主役の敵役・工藤祐経役は、十七代目羽左衛門がその貫禄風格から得意とし、11回演じて
いるが、坂東家でこれを演じたのは、坂東3兄弟の末弟、河原崎権十郎が1974年10
月、名古屋御園座で演じている。この舞台では、先に紹介したように、長男の二代目亀蔵が
曽我五郎を次男の萬次郎が曽我十郎を演じている。

いつもの「さらばさらば」の科白の後に、今回は「劇中にて襲名口上申し上げ候」というこ
とで、彦三郎家三代の襲名披露口上があった。劇中の襲名口上は、普通の口上のように舞台
を改めて設定し、役者が正装して、襲名披露をする役者や家を称え 、時に、役者個人の私事
も暴露というと大げさだが、披瀝するユーモアも交えて和やかに観客のご贔屓を切望する口
上を述べ合うのではなく、芝居の衣装のまま、芝居をやめて、あるいは芝居を終えて、舞台
に座り込み、正座をして観客に向かい合って、襲名への祝辞の口上を述べるやり方を言う。
正式の口上では、出演者全員の中から選出されるが、劇中口上では、その芝居に出演してい
た役者の中から選出される。

劇中襲名口上

今回は、音羽屋一門を代表して、尾上菊五郎が仕切った。舞台では、菊五郎が中心に座る。
上手に順番に中村梅枝(時蔵長男)、市村竹松(坂東家次男の市村萬次郎長男)、上手最右
翼が尾上松也(尾上松助の遺児)。下手最左翼に河原崎権十郎(坂東家の三男)、初舞台の
六代目坂東亀三郎(九代目彦三郎長男)、以下、襲名披露の3人。初代坂東楽善(前名・八
代目彦三郎)、九代目坂東彦三郎(元の、五代目亀三郎)、三代目坂東亀蔵(前名・亀
寿)、中村時蔵。市村羽左衛門家所縁の家橘、橘太郎は、列座していない。市村家の系統
は、萬次郎と竹松親子のみ。坂東家の系統は、襲名する4人。尾上家の系統は、菊五郎、松
也。坂東彦三郎家は、現在の屋号が菊五郎と同じ「音羽屋」だが、初代から三代目までは、
萬屋だった。それで、萬屋系統の時蔵、梅枝も口上に列座している。

口上の最後は、六代目亀三郎。4歳である。菊之助の長男・寺嶋和史(去年、初御目見
得)、寺島しのぶの長男・寺嶋眞秀(初御目見得)、新しい彦三郎の長男・六代目亀三郎
(初舞台)、皆いずれも、今年4歳になるか、あるいは、なった。「初御目見得」では、本
名を名乗り、歌舞伎役者として足を踏み出してはいない。「海のものとも山のものとも判ら
ない」けれど「いずれひとかどの役者になりますよう」というのが、幼い子どもの初御目見
得や初舞台(役者名が初めてつく)の常套句だが、3人の役者の卵が、将来ひとかどの歌舞
伎役者になる舞台を私は、見ることができないかもしれない。その亀三郎の初舞台の口上。
「亀三郎でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます」。

各自の祝辞で、気がついたのは、普通の口上の時のようなユーモラスな私事披露の話題はな
く、「坂東家」という言葉がキーワードとして頻出し、「坂東家の繁栄」「三代の襲名」
「名を穢さぬように」精進します、という、いわば紋切り型の口上が目立ったことだ。十五
代目市村羽左衛門に象徴される市村家(実の祖父は十七代目羽左衛門。十七代目以降、重鎮
となる役者が出ていない)、坂東彦三郎家も同様。六代目尾上菊五郎の弟(五代目菊五郎の
孫)の六代目彦三郎も、その息子の十七代目羽左衛門で止まっている。七代目尾上菊五郎の
一座の名脇役として終わろうとしている初代楽善(八代目彦三郎)。坂東家の閉塞感を吹き
払う期待が九代目彦三郎の両肩にはのしかかっている。あるいは弟の三代目亀蔵も兄と一緒
に閉塞感吹き払いに力を発揮するかもしれない。それを期待したい。

昼の部でも触れたが、なぜ、團菊祭で坂東彦三郎三代襲名披露をするのか。坂東彦三郎一家
の屋号は、「音羽屋」。普通、坂東家の屋号は、坂東玉三郎や坂東三津五郎(今は、息子の
巳之助)、坂東秀調がそうであるように、「大和屋」ではないのか。大和屋は、初代三津五
郎に因む。坂東彦三郎を取り囲む家系は、実は、3つある。江戸三座の市村座の座元、市村
羽左衛門の系統。新しく襲名をした九代目彦三郎の祖父は、十七代目市村羽左衛門。つま
り、どの役者でも似たり寄ったりで、実際の血筋が繋がっているかどうかは別としても、市
村羽左衛門家は江戸歌舞伎の名望家のひとつなのだ。羽左衛門といえば、華のある藝で一世
を風靡した戦前の立役、外国人の血が混じっている十五代目が歴史に燦然と輝くが、私もい
ぶし銀のごとき演技を堪能した大正生まれの十七代目も素晴らしい役者だった。屋号は、
「橘屋」。間に挟まった十六代目羽左衛門は十五代目の養子として迎えられたが、歌舞伎役
者としては脂がのる前、48歳の若さで亡くなってしまった。今では、歌舞伎通の間でもあ
まり話題にならないのではないか。十七代目羽左衛門は六代目坂東彦三郎(六代目菊五郎の
弟)の長男(つまり、五代目菊五郎の孫、六代目菊五郎の甥)であり、十六代目羽左衛門の
養子となった。

六代目坂東彦三郎は、五代目尾上菊五郎の次男、六代目尾上栄三郎。六代目尾上菊五郎の弟
ということで、坂東彦三郎家の周りには、市村羽左衛門家、尾上菊五郎家が極めて近しい関
係になっている。團菊祭での坂東彦三郎家三代襲名というのは、菊五郎一座の軒先を借りて
というような軽い関係ではなく、これら家系の中軸に近い位置にいるようである。


菊之助の政岡、海老蔵の弾正


今回の「伽羅先代萩」は、御殿(奥殿)、床下、対決、刃傷。15回目。ただし、前回、1
5年9月歌舞伎座・秀山祭、夜の部の「伽羅先代萩」は、「花水橋」「竹の間」/「御殿
(奥殿)」「床下」「対決」「刃傷」だった。前回は、政岡を演じる玉三郎が目玉だった。
今回は、菊之助の政岡である。

1)ドラマとしての構成。「御殿(奥殿)」は、女たちの対決。「床下」は、場面展開とし
て卓越した繋となる。長く続いた伊達家仙台藩のお家騒動の史実に照らせば、「床下」は、
公儀の門註所へ向かってタイムスリップのための装置、というのが私の個人的な見解。続
く、「対決」と「刃傷」は、男たちの対決。前半は、子どもたちを除けば、女だけのドラ
マ。後半は、男たちのドラマ。

2)演出としての構成。「伽羅先代萩」は、いわば、歌舞伎の「見本帳」でもある。「花水
橋」は、江戸歌舞伎の和事の味。「竹の間」は、科白劇。「御殿(奥殿)」は、丸本物の
味。竹本の浄瑠璃芝居。「床下」は、再び、江戸歌舞伎のうちの、荒事の味。「対決」と
「刃傷」は、実録歌舞伎風。一日の歌舞伎小屋の狂言立て(番組表)の演出の見本のような
趣向の構造である。そういう意味では、歌舞伎の三大演目(「菅原伝授手習鑑」、「義経千
本桜」、「仮名手本忠臣蔵」)に準ずる代表的な名作だ。

まず、女たちの対決。政岡と八汐の対決をクローズアップする。「御殿」は、通称「飯(ま
ま)炊き」と言われるように、八汐らが若君・鶴千代の毒殺を企てて、つまり、テロ行為を
実践したが、未遂に終わる話。動きが多く、ビジュアルな演出が出来る。今回は、飯炊きの
場面そのものはない。飯炊きに使用されたお茶の道具のみが部屋に残されているが、気づい
た人と気づいていない人がいたことだろう。

私が観た政岡は、9人。上演期日順に並べると次のようになる。玉三郎、先代の雀右衛門、
福助、菊五郎、玉三郎、菊五郎、坂田藤十郎、菊五郎、(勘三郎)、玉三郎、魁春、坂田藤
十郎、扇雀(竹の間)/坂田藤十郎(御殿)、玉三郎、菊之助。(勘三郎)という表記は、
「裏表先代萩」の政岡を演じた十八代目勘三郎のこと。つまり、勘三郎は、「伽羅先代萩」
の政岡を演じないまま、亡くなってしまった、ということだ。扇雀(竹の間)/坂田藤十郎
(御殿)という表記は、場面で配役を分けたことを示す。以上、まとめると、玉三郎が
(4)。菊五郎(3)。藤十郎(3)。先代の雀右衛門、福助、魁春、扇雀、今回の菊之助
/勘三郎。

9人の役者の政岡を観ていることになるが、政岡役者は、立女形(たておやま)の極地の演
目を演じるという位置づけになるので、誰でも演じられるわけではない。政岡を演じるケー
スとしては、大まかに言って、ふたつある。

政岡を演じるということは、立女形として定評のある限られた役者が演じるか、女形として
精進を重ねてきた真女形役者が、立女形への道を目指して、登龍門として挑戦するために演
じるか。

私が観た政岡役者でいちばん印象に残るのは、やはり、真女形のふたり。ひとりは1回しか
観ていない雀右衛門だ。雀右衛門は、全体を通じて、母親の情愛の表出が巧い。次いで、も
うひとりは4回の玉三郎。特に、半ばからの切り替え、母親の激情の迸りの場面が巧い。前
回も、我が子千松の亡がらの周りをおろおろと二度も三度も逡巡し手を出せずにいる様を描
くのは、母性のなせる業だ。回数ばかりが、重要とは言えないのが、歌舞伎のおもしろさ
だ。雀右衛門亡き後、玉三郎の政岡を堪能するのが、この芝居への敬意であろうとさえ感じ
る。

菊五郎は、真女形ではなく、立役も女形も演じる兼ねる役者。菊五郎より真女形おの度合い
が高い菊之助へバトンタッチされた政岡は、今後菊之助の精進次第で、玉三郎へ接近して行
くことだろう。坂田藤十郎は、上方演出の先代萩を上演するので、これまた、ちょいと違
う。

「御殿」での政岡は、前半では、幼君を守る「官僚」(乳人は、警護を含めた御守役、養育
担当、帝王学の師匠などの役割)としての一面を強調し、後半は、千松の「実母」としての
一面とを強調する。政岡は、有能な官僚と母親の情愛の「切り替え」をどれだけ印象的に演
じるかが大事だろうと思う。

玉三郎は、95年の政岡初演以来、近代の真女形の最高峰・六代目歌右衛門の指導を受けて
演じて来たし、歌右衛門が亡くなってからは、工夫魂胆で、さらに、精進を重ねて来た。こ
れまで5回の上演してきた。私が観ていない04年11月の大阪松竹座の舞台を除いて、玉
三郎の歌舞伎座での上演は、私は全て観てきたことになる。

「御殿」では、若君暗殺派のトップ、栄御前が消えると、玉三郎の政岡は、途端に表情が崩
れ、我が子・千松を殺された母の激情が迸る。母は、腰が抜けて、なかなか,立てない。や
っと立ち上がって、舞台中央に移動する。誰もいなくなった奥殿には、千松の遺体が横たわ
っている。堪えに堪えていた母の愛情が、政岡を突き動かす名場面である。何をして良いか
判らずにうろうろしている。いつものようにすぐには、脱いだ打ち掛けを千松の遺体に掛け
にはいかない政岡。打ち掛けを脱いだ後の、真っ赤な衣装は、我が子を救えなかった母親の
血の叫びを現しているのだろう。

今回の菊之助は、前半は有能な女性官僚、乳人(母)に徹していて、我が子が目の前で殺さ
れるのを見ても表情を変えず、ほとんど無表情で演じていた。栄御前が騙されたように。そ
れに比べると、後半の母親・政岡の演技が、まだ弱いのではないか。初回の新橋演舞場の菊
之助は観ていない。

菊之助が30歳代で2回演じる政岡。菊五郎がこれまでの最後に演じた政岡は、11年前、
06年11月の歌舞伎座であった。菊之助が初めて政岡を演じたのは、08年11月の新橋
演舞場であった。今回と同じ、海老蔵の弾正。愛之助の八汐。菊之助は31歳であった。あ
れから9年、菊之助は、都合2回目で、今回初めて歌舞伎座で政岡を演じる。私は今回が初
見。既に触れてきたように、現在最高の真女形・玉三郎は15年9月の歌舞伎座で政岡を演
じた。この舞台には、菊之助も沖の井役で出演し、玉三郎の政岡を面前で見ている。上演記
録をじっと睨むと、菊之助は、というか菊五郎・音羽屋一門は、周到に準備をして菊之助に
政岡を演じさせていることが窺える。

涙とともに、ほとばしる母情と科白。「三千世界に子を持った親の心は皆ひとつ」という
「くどき」の名台詞に、「胴欲非道な母親がまたと一人あるものか」と竹本が、追い掛け、
畳み掛け、観客の涙を搾り取る。政岡の、ほとばしる母の愛情は、「熊谷陣屋」の直実の、
抑制的な父の愛情とともに、歌舞伎や人形浄瑠璃の、親の愛情の表出の場面としては、双璧
だろうと思っている。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。八汐は、ある意味で、冷徹なテ
ロリストである。そこの、性根を持たないと、八汐は演じられない。千松を刺し貫き、「お
家を思う八汐の忠義」と言い放つ八汐。最後は、政岡に斬り掛かり、逆に、殺されてしま
う。自爆型のテロリストなのだ。

私が観た八汐は、8人。孝夫時代を含めて仁左衛門(4)、梅玉(3)、團十郎(2)、歌
六(今回含め、2)、(勘九郎時代の勘三郎)、段四郎、扇雀、勘雀時代の鴈治郎。

今回、八汐を演じる歌六は、2回目。ただし、「伊達の十役」でも、八汐を演じている。初
回、15年9月の歌舞伎座の相手役、政岡は玉三郎であった。2回目の八汐の相手役は菊之
助である。歌六は玉三郎と菊之助の政岡を比較するようなことは言っていないが、ベテラン
の歌舞伎役者として、感じるところはあるだろう。また、菊之助も歌六が感じていること
は、無言であっても、肌で判るに違いない、と思う。それが、どういう形で演技に繋がって
行くか。菊之助は、今後、玉三郎に次ぐ立女形として、30年から40年も精進を重ねなが
ら、熟成に向けて政岡を演じてくれるのではないか。

つまり、こちらは、8人の役者の八汐を観ている。八汐で印象に残るのは、何といっても、
仁左衛門。歌六は前回同様、今回も憎まれ役に徹していて、なかなか良かったと思う。

八汐は、性根から悪人という女性で、最初は、正義面をしているが、だんだん、化けの皮を
剥がされて行くに従い、そういう不敵な本性を顕わして行くというプロセスを表現する演技
が、できなければならない。「憎まれ役」の凄みが、徐々に出て来るのではなく、最初か
ら、「悪役」になってしまう役者が多い。悪役と憎まれ役は、似ているようだが、違うだろ
う。悪役は、善玉、悪玉と比較されるように、最初から悪役である。ところが、憎まれ役
は、他者との関係のなかで、憎まれて「行く」という、プロセスが、伝わらなければ、憎ま
れ役には、なれないという宿命を持つ。そのあたりの違いが判らないと、憎まれ役は、演じ
られない。これが、意外と判っていない。私が観た八汐の中で、このプロセスをきちんと表
現できたのは、仁左衛門の演技であった。つまり、八汐は、政岡のような「切り替え」の妙
味ではなく、正義面から憎まれ役に「脱皮」してみせるところが大事だろうと思う。

そういう意味では、いずれ、玉三郎の八汐役者ぶりも観てみたい、と思っている。その場合
に政岡を演じるのは、菊之助辺りが宜しいのではないだろうか。菊之助の政岡対玉三郎の八
汐も、良いだろうなあ。仁左衛門の八汐を超えそうな気がする。

既に述べてきたように、前半は、政岡、八汐の「女の戦い」だが、後半は、「男の戦い」。
それを繋ぐ場面が、「床下」。大鼠、こと仁木弾正対荒獅子男之助。海老蔵と松緑。

この場面の配役は、仁木弾正に海老蔵。荒獅子男之助に松緑。科白を言うのは、荒獅子男之
助のみ。海老蔵は、無言のまま、「すっぽん」の出から花道の引っ込みまで、ユラユラと歩
んで行く。

私が観た仁木弾正は、9人で、次の通り。幸四郎(4)、團十郎(2)、仁左衛門(2)、
吉右衛門(2)、富十郎、八十助時代の三津五郎、(勘九郎時代の勘三郎)、橋之助。今回
は海老蔵。(勘三郎)という表記は、「裏表先代萩」の仁木弾正をふた役で演じた十八代目
勘三郎のこと。海老蔵は、今回で2回目の弾正を演じた。

海老蔵は、「床下」の後、「対決」と「刃傷」と、「国崩し」の極悪人・仁木弾正をたっぷ
り見せてくれる。対決するのは、渡辺外記左衛門(市蔵)で、それを支援する細川勝元(梅
玉)。颯爽の裁き役は、以前観た仁左衛門が、爽やかに充実の舞台を披露していた。海老蔵
は口跡も良く、睨みを含めて憎々しげな弾正を演じてくれた。前回の弾正は、吉右衛門なの
で、これには及ばない。吉右衛門は、抜群の科白回しで、狂気の弾正ぶりを見せてくれた。
吉右衛門の悪役ぶりは、持ち味の人の良さを押さえ込んでいて、抑制的で、良かった。

仁木弾正と八汐というお家乗っ取りを企む悪役の兄と妹の共通性は、憎まれ役+「ずるさ」
だろう。ふたりの悪役ぶりは、皆が演じるところだが、それだけでは足りない。八汐のとこ
ろでも触れたように「ずるさ」の表現が必要だ。仁木弾正の「ずるさ」はどう表現されてい
るか、というと、それは、細川勝元が仁木弾正に鶴千代の家督相続の願書を書かせる場面で
発覚する。自筆の願書と押印を不承不承に終える。実印を押す場面で躊躇した仁木弾正は細
川勝元の目を盗むようにして自分の髪の毛を抜き、これを用いて実印に引目を入れて捺印す
る。引目を入れるというのは印形を意図的に変える、ということだ。この動作をする時の仁
木弾正の「ずるさ」(細川勝元の心証形成)と仁木弾正の筆跡鑑定(問題の密書との比較)
を経て、細川勝元は仁木弾正の謀略の真相を見抜くことになる。父親の團十郎を目指して、
海老蔵の弾正は、今後の精進が楽しみだ。


「四変化 弥生の花 浅草祭」は、「三社祭」は、ときどき拝見するが、早替りの「四変
化」では、今回が2回目。暗闇のなかで開幕。黒御簾からは、「鐘は上野か浅草か・・・」
の唄にあわせて、舞台、明転。浅草の海に松と幔幕。高欄を巡らした山車の踊り屋台の上に
は、山車人形の武内宿禰(松緑)と神功皇后(坂東亀蔵)が踊る。屋台は、やがて舟に替わ
る。背景は幔幕が片付けられて、大海原。

山車人形も漁師の浜成(亀蔵)と武成(松緑)に早替りして、お馴染みの「三社祭」への舞
台転換。さらに、背景も宮戸川(隅田川のこと)へ。向こう岸に筑波山、水玉模様の手拭を
巧みに使って、

おかめ、ひょっとこの振り、さらに、いつものように、善玉(亀蔵)、悪玉(松緑)がとり
つく場面がある。いつもと違うのは、悪玉を残して、善玉だけが舟を漕ぎ出して上手に入る
と、やがて通人(亀蔵)に替って再登場。

その際、常盤津の山台が後ろから黒衣に押されて下手に入る。替りに清元の山台が同じよう
にして上手から出てくる。次の場面展開では、常盤津の山台が、再び、下手から押されて出
てくる、というように浄瑠璃、三味線方も早替り。最後は、長唄。悪玉(松緑)は、やが
て、すっぽんから消える。妖怪変化の類ということか。やがて、野暮ったい国侍(松緑)が
花道から登場する。

浅黄幕の振りかぶせで、場面展開。幕の外にはみ出す両脇の見切りは、雪山に牡丹。「石橋
の場」だ。大薩摩があり、やがて、浅黄幕の振り落としで、場面展開。一瞬にして、雪山に
牡丹の光景が、舞台前面に広がる。紅白の獅子の精に扮した二人(松緑と亀蔵)が、舞台中
央にせり上がって来る。紅獅子は、亀蔵、白獅子は、松緑。きびきびした力漲る所作。はつ
らつとした若さが感じられる。
- 2017年5月13日(土) 15:27:11
17年5月歌舞伎座(昼/「梶原平三誉石切」「吉野山」「魚屋宗五郎」)


様変わりしてきた「團菊祭」  


歌舞伎座5月恒例の團菊祭である。「團菊祭」とは、徳川幕藩体制の下で育ってきた歌舞伎
が明治期の近代化路線の大波の中で危機に瀕したときに、歌舞伎の近代化に果敢に取り組ん
だ、九代目團十郎と五代目菊五郎に因んで、戦前の1936(昭和11)年、両雄の功績を
顕彰しながら歌舞伎の活性化を目指すという目的で第一回團菊祭が始まった。彫刻家・朝倉
文夫作の團菊ふたりの胸像が歌舞伎座に飾られたのを記念して始まった、という。

第一回團菊祭に出演したのは、五代目歌右衛門、七代目幸四郎、十五代目羽左衛門、六代目
菊五郎、初代吉右衛門など、夢のような顔ぶれであった。團菊祭が開かれた1936年と言
えば、陸軍の青年将校らが2月にクーデターを起こし、クーデターは未遂に終わったが、事
件は、2・26事件として記録された。翌1937年は、日中戦争に突入し、日本は194
5年の敗戦まで、国民生活を圧迫する戦争の時代が続くことになる。

坂道を転げ落ちるように軍国主義化に傾斜する世相にもまれながら、團菊祭は途中中断もあ
った。戦時色が強まり1944(昭和19)年に歌舞伎座が休座するまで團菊祭はなんとか
続いたが、その後、中断。戦災で歌舞伎座が消失したため、東劇で開かれたこともある。さ
らに、戦後のGHQによる歌舞伎への危惧(江戸時代の封建的な芝居で、軍国主義を鼓舞し
たのではないか。特に「忠臣蔵」などの仇討ちものは危険視しされた)にもめげず、歌舞伎
座が戦災復興の傷を癒し新築再開場した後、1958(昭和33)年に15年ぶりに團菊祭
は復活した。当時は劇団制だったので、菊五郎劇団に海老蔵(当時)が出演する形だった。
2013年2月に十二代目團十郎が逝去するまでのような形で團菊祭が復活したのは、19
77(昭和52)年であった。1985(昭和60)年、十二代目として團十郎が復活し
た。その後、成田屋十二代目、音羽屋七代目の二枚看板が主軸となって、歌舞伎座で30年
近く團菊祭は興行されてきた。最近では歌舞伎座が建て替えられることになり、この期間
中、大阪の松竹座で團菊祭が開かれたこともある。2013年5月には、新歌舞伎座再開場
の特別興行が続き、團菊祭はなかった。

こうした幾たびかの中断期を含めて團菊祭は断続的に継続され、今年、2017年は團菊祭
の第一回の年から数えて81年目を迎えた。3年前、2014年5月、新歌舞伎座再開場後
初めての團菊祭が復活した。菊五郎は、昼の部で「魚屋宗五郎」、夜の部で「極付幡随長兵
衛」の主役を演じたが、菊五郎が昼夜軸になって演じる舞台は、これが最後になった。20
15年は、昼の部で「天一坊大岡政談」に出演したが、主役の天一坊を菊之助に譲り、菊五
郎は大岡越前守に廻る。夜の部では、「神明恵和合取組 め組の喧嘩」の鳶・辰五郎を演じ
た。菊五郎世話ものの一つである。音羽屋の中でも、主役は菊五郎から菊之助に移行を始め
ている。さらに、團十郎亡き後の海老蔵は、團菊祭でも影が薄い。1958(昭和33)年
に15年ぶりに復活した團菊祭を観たわけではないが……。当時は劇団制だったので、菊五
郎劇団に当時の海老蔵(後の十一代目團十郎)が「出演」する形だったが、現在の團菊祭で
は、海老蔵の立ち位置はこれに近いのではないか。

今年の團菊祭では、菊之助は昼の部で、「梶原平三誉石切」のごちそう役、奴・菊平、「吉
野山」では、海老蔵を相手に静御前、夜の部では、「伽羅先代萩」の立女形の重要な役どこ
ろの乳人・政岡を演じる。これに対して、海老蔵は、昼の部で、「吉野山」の狐・忠信、夜
の部で、「伽羅先代萩」の「国崩し」という藩政転覆を狙う敵役の役どころの仁木弾正を演
じる。

菊之助は現在の歌舞伎界の大黒柱となっている吉右衛門の娘と結婚したことで藝の上で「父
親という師匠」をふたり持った。歌舞伎役者として最高の環境を持ったことになる。従来の
音羽屋の家の藝に加えて、播磨屋の藝を継承することになった。立役などに芸域を広げ、女
形も藝を深めるチャンスが増えたと思う。いずれ、今の七代目菊五郎とは一味違う新しい八
代目菊五郎を作り出さなければいけない。否、既に、その目標に向かって着実に進んでいる
ように見える。海老蔵も若くして父親の團十郎を亡くした。十三代目團十郎を襲名するのを
急ぐよりも、團十郎襲名にあまり拘らなかった偉大な祖父を目標に今の、十一代目海老蔵と
いう名跡を長く勤める方が良いかもしれない。

さて、舞台では……。今回の「吉野山」だが、静御前が花道から登場という定式の演出を取
らなかった。定式幕が開くと、吉野山山中、桜満開の広場が出現する。竹本連中の語りで無
人の舞台が暫く続く。やがて、満開の桜の書き割りが左右に開く。舞台中央に桜の巨木。そ
の下手側は、吉野川。「妹背山婦女庭訓」の「吉野川」そっくりにこしらえた川が流れてい
る。川中の段差があるところでは、水流が急になって、「廻っている」。桜の巨木から上手
側は、九十九(つづら)折りの坂道。上手遠方に吉野山が望まれる。

静御前(菊之助)の出は、その巨木の後ろから、という新演出。これでは、まるで、「積恋
雪関扉」の遊女・薄墨のように立ち現れる。桜木は小町桜か。ならば、薄墨の口説く相手は
謀反の首魁・黒主か。否、ここは吉野山hの旅に同伴する忠臣の狐忠信のはず。謀反の首魁
は、夜の部「伽羅先代萩」の仁木弾正ではないのか。

狐・忠信(海老蔵)の出は、定式通り、花道スッポンから。後は、基本的にいつもの「吉野
山」。歌舞伎、人形浄瑠璃の三大道行のひとつ、「道行初音旅」。今回の逸見藤太は、男女
蔵が演じた。「吉野山」22回目の拝見で、こういう道具と演出は初めてだと思うので、コ
ンパクトながら記録しておく。


九代目彦三郎の可能性


昼の部のハイライトは、坂東彦三郎三代襲名披露。歌舞伎座の場内に入ると、祝幕が目に飛
び込んでくる。襲名披露などの祝い事に際し、贔屓筋から贈られるひと張りの幕。襲名披露
興行の劇場で使われる。今回の祝幕は、茶色地。真ん中の上部に坂東彦三郎家の家紋「鶴の
丸」が濃い茶色で染め抜かれている。日本航空のマークに似ている。幕の上手に「のし(熨
斗)」。下手に4人の役者名が連記される。各自の名前の下に「丈江」を付けて、初代坂東
楽善、九代目坂東彦三郎、三代目坂東亀蔵、六代目坂東亀三郎、とある。幕の下手下の端か
ら時計回りに旋回飛翔する鶴の群れ。数えると7羽のようだ。幕の地には何羽かの鶴の影が
写っている。影は4羽か。幕の上手には、地上の松とゆったりと歪曲して流れる川がある。
幕を提供した後贔屓筋は、「株式会社西原衛生工業所」と明記されていた。給排水衛生、消
火、水処理、空調換気設備の整備などの事業をする会社、ということだ。水の活用を通じて
社会に貢献する、というのが社是らしい。川は、水のシンボル。六代目亀三郎(4歳)は、
夜の部「曽我対面」で劇中襲名披露で、「初舞台」として紹介される。

襲名披露の演目「梶原平三誉石切」では新しい彦三郎が主役。九代目となる。なぜ、團菊祭
で坂東彦三郎三代襲名披露をするのか。坂東彦三郎一家の屋号は、「音羽屋」。普通、坂東
家の屋号は、坂東玉三郎や坂東三津五郎(今は、息子の巳之助)、坂東秀調がそうであるよ
うに、「大和屋」ではないのか。大和屋は、初代三津五郎に因む。坂東彦三郎を取り囲む家
系は、実は、3つある。江戸三座の市村座の座元、市村羽左衛門の系統。新しく襲名をした
九代目彦三郎の祖父は、十七代目市村羽左衛門。つまり、どの役者でも似たり寄ったりで、
実際の血筋が繋がっているかどうかは別としても、市村羽左衛門家は江戸歌舞伎の名望家の
ひとつなのだ。羽左衛門といえば、華のある藝で一世を風靡した戦前の立役、外国人の血が
混じっている十五代目が歴史に燦然と輝くが、私もいぶし銀のごとき演技を堪能した大正生
まれの十七代目も素晴らしい役者だった。屋号は、「橘屋」。間に挟まった十六代目羽左衛
門は十五代目の養子として迎えられたが、歌舞伎役者としては脂がのる前、48歳の若さで
亡くなってしまった。今では、歌舞伎通の間でもあまり話題にならないのではないか。十七
代目羽左衛門は六代目坂東彦三郎(六代目菊五郎の弟)の長男(つまり、五代目菊五郎の
孫、六代目菊五郎の甥)であり、十六代目羽左衛門の養子となった。

六代目坂東彦三郎は、五代目尾上菊五郎の次男、六代目尾上栄三郎。六代目尾上菊五郎の弟
ということで、坂東彦三郎家の周りには、市村羽左衛門家、尾上菊五郎家が極めて近しい関
係になっている。團菊祭での坂東彦三郎家三代襲名というのは、菊五郎一座の軒先を借りて
というような軽い関係ではなく、これら家系の中軸に近い位置にいるようであるが、それに
ついては、夜の部の「寿曽我対面」の芝居で、「劇中襲名口上」という坂東彦三郎家の襲名
に絡む場面があるので、それの劇評に関連して改めて述べることにしよう。

では、劇評は舞台に戻って、「梶原平三誉石切」について書くとしよう。「梶原平三誉石
切」は、今回で17回目の拝見。私がこれまでに見た梶原平三役は、6人いる。幸四郎
(5)、吉右衛門(5)、富十郎(3)、仁左衛門(2。1回は、巡業興行)、團十郎、そ
して今回は、初役の彦三郎。この顔ぶれを見ると、九代目彦三郎が初々しい。

「石切」の場面には、型が3つある。初代吉右衛門型、初代鴈治郎型、十五代目羽左衛門
型。その違いは、石づくりの手水鉢を斬るとき、客席に後ろ姿を見せるのが吉右衛門型で、
鴈治郎型は、客席に前を見せるが、場所が鶴ヶ岡八幡ではなく、鎌倉星合寺。羽左衛門型
は、六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、手水鉢の水にふたりの影を映し
た上で、鉢を斬る場面を前向きで見せた後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出してく
る。桃太郎のようだと批判された。

幸四郎、吉右衛門のふたりは、母方の祖父という家系から言っても初代吉右衛門型であっ
た。富十郎は、上方歌舞伎の系統して、初代鴈治郎型だったが、場所は鶴ヶ岡八幡であっ
た。仁左衛門と團十郎は、十五代目羽左衛門型で、手水鉢の向うから飛び出してきた。今回
の彦三郎は、当然ながら、十五代目羽左衛門型であった。型通りに地道に丁寧に演じてい
た。先代の派手さは望むべくもなかろうが、どこまで十五代目に迫るか。今後の彦三郎の梶
原平三の精進ぶりが楽しみだ。

坂東彦三郎の系統の役者で「梶原平三誉石切」の主役を演じたのは、松竹演劇制作部作成の
上演記録を見ると以下のようになる。彦三郎改め、十七代目羽左衛門が、1955年10月
の襲名披露の舞台で歌舞伎座、同年11月の大阪歌舞伎座、1961年3月の歌舞伎座、1
988年4月の大阪新歌舞伎座で、それぞれ演じている。4回。また、今回、初代楽善にな
った十七代目の長男が、薪水の時代の1965年6月に東横ホールで、1972年5月に薪
水改め、二代目亀蔵の襲名披露の舞台で演じている。2回。こういう記録をチェックして行
くと、亀三郎改め、九代目彦三郎の襲名披露の舞台で、独特の華があった十五代目羽左衛門
型の梶原平三に初役で挑戦する意味が判るというものだ。

新しく九代目を襲名した彦三郎の可能性を感じたので、記録しておきたい。九代目彦三郎、
前名・亀三郎や弟の亀寿は、父親の八代目彦三郎が歴史のある名望家の家系なのに、病気で
舞台から遠ざかったこともあり、脇役の地味な役柄が多かったので、私の劇評でも、たまに
触れられるくらいで、劇評の主役になることはほとんどなかった。だから、私もあまり耳目
をそばだてて彼らの科白を注意深く聞いてこなかったり、演技を注意深く見守ったりしてい
ない嫌いがあったので、私が長年蓄積してきた劇評群にもあまり記述がない。ほかの劇評家
連中も同じかもしれないし、違うかもしれない。

今回主役を初役で演じる九代目彦三郎科白廻しがすこぶる良いのである。17回も聞いてき
た5人の梶原平三役者では、聞き逃していたような科白も、くっきりと聞こえてきたのであ
る。つまり、新・彦三郎は、極めて口跡が良いことに改めて気がついたのだ。演技の方は、
祖先の十五代目羽左衛門が工夫魂胆した「羽左衛門型」を萎縮することなく伸び伸びと演じ
ているかといえば、そうではなく、やや、小粒であった。肉体的にもこの人は小柄なのでは
ないのか。だから、見栄えも、演技も、今回は、小さく見えた。目で見る梶原平三はほかの
役者に比べて小さい。ところが、耳で聞く梶原平三は、くっきりと大きいのである。これ
は、この人が、今までのような脇役で味があるという持ち味とは別に、主役を演じる場合に
は、科白の良さに合わせて、伸び伸びと演じるようになると「化けて」(飛躍する!)くる
のではないか、という予感がしたのである。

彦三郎改め、初代坂東楽善は、いつもの大場三郎、弟の亀寿改め、三代目坂東亀蔵も、いつ
もの俣野五郎。特筆すべきは、梶原平三の試し斬りの「素材」とされる剣菱呑助。松緑が演
じた。いつもの科白と趣向を変えて、坂東家の襲名披露の祝辞を織り込んだ内容で、なかな
か良かった。

このほか、刀を娘のために売りに来た六郎太夫は団蔵。娘・梢は尾上右近など。


「魚屋宗五郎」菊五郎一流の芝居


「魚屋宗五郎」今回で、14回目。このうち、通し(この場合の外題は、「新皿屋舗月雨暈
(しんさらやしきつきのあまがさ)」)で観たのは2回。09年3月国立劇場(宗五郎は松
緑)。13年2月日生劇場(同じく幸四郎)。菊五郎で観るのは、いつも「みどり」で、今
回が5回目。世話場のみ演じる。酒を飲み、酔いが深まり、我を忘れて失態を繰り返し、酔
いが覚めて、自己嫌悪に陥る。そういう酔っ払いの生態を丁寧に見せる世話場の芝居だ。

五代目菊五郎が練り上げ、六代目菊五郎が完成したという、酔いの深まりの演技は緻密だ。
演出的には、計算をしている訳だが、舞台を観ている観客には、演技ではなく、本当に酔っ
ぱらって行くように感じさせることが必要だ。まさに、生世話ものの真髄を示す場面だ。菊
五郎は、初演時、二代目松緑から直伝された際、「計算して飲んでいるから、おもしろくな
いよ」と注意されたと言う。役者の動き、合方(音楽)の合わせ方、小道具の使い方など、
あらゆることが、本当は計算されている。この場面は、酒飲みの動作が、早間の三味線と連
動しなければならない。消しゴムを使うように、一旦組み上げた計算式を消してしまう。そ
の結果、芝居は洗練されて行く。

贅言;それを知っている大向うは、菊五郎が、茶碗、片口、角樽などに自分の方から口を近
づけて行くと、すかさず、「音羽屋」、「わや」などと声を掛ける。大向うまで、計算式に
入っている。

この場面で、宗五郎の酔いを際立たせるのは、宗五郎役者の演技だけでは駄目だ。脇役を含
め演技と音楽が連携しているのが求められる。出演者のチームプレーが、巧く行けば、この
場面は、宗五郎の酔いの哀しみと深まりを観客にくっきりと見せられる。以前に菊五郎が言
っていたが、「周りで酔っぱらった風にしてくれるので、やりやすいんですよ」というよう
に、ここは、チームワークの演技が必要だ。この演目が菊五郎劇団の財産たる由縁だ。宗五
郎女房のおはま役では、今回で5回目の拝見となる時蔵が、全て自然な感じで断然良いと思
っている。生活の匂いを感じさせる地味な化粧。時蔵は、色気のある女形も良いが、生活臭
のある女房のおかしみも良い。

脇役で大事なのが、小奴・三吉である。三吉は、正之助時代含めて、権十郎(今回含め、
3)、松緑(2)、染五郎(2)、十蔵時代の市蔵、獅童、勘太郎、亀寿、亀鶴、橘太郎、
宗生時代の福之助と10人を観ている。当代の松緑も、こういう役は巧い。

今回の話題は、菊五郎の孫、寺島しのぶの長男、寺嶋眞秀(まほろ)4歳が、幼いながら、
歌舞伎役者志向で「初御目見え」となった。テレビなどで事前に煽るのと父親がフランス人
のアートディレクターということで、十五代目羽左衛門同様の混血の歌舞伎役者誕生かとい
う話題性もあり、大人気。初御目見えの舞台は、祖父の菊五郎が主演している「魚屋宗五
郎」で、宗五郎宅に酒のオケを届けにくる丁稚の役。専門家の発声練習も受けての初演とあ
って、科白廻しも堂々としていて、明瞭でなかなか良い。向こう揚幕を出てくるあたりか
ら、場内はざわつき始め、拍手も重なる。「ごめんくださいまし」「美しいお女中さんから
のおつかいものです」ほか科白を言うたびに拍手、歓声。「おやかましゅうございました」
で、花道に戻る。花道途中で出会った酒樽の贈り主に美しいお女中こと、殺された宗五郎の
妹・お蔦の同僚で磯部家の召使・おなぎ(梅枝)と行き合うと、「毎度ありがとうございま
す」など10ほどの科白を三吉(権十郎)らとやりあう。場内からは、「よくできました」
と声がかかり、笑いが広がる。

フランス混血のハーフの歌舞伎役者として大成すれば、十五代目羽左衛門のように異色な歌
舞伎役者になるかもしれない。昼・夜の部の入れ替えで、ごった返すロビーでは、入口横の
音羽屋後援会の受付け付近で、寺島しのぶと富司純子が着物姿で観客への挨拶に立ってい
て、華やかな賑わいを見せていた。因みに、去年の團菊祭では、「勢獅子音羽花籠」で、菊
之助の長男・寺嶋和史の初御目見得があった。当時2歳半。和史は、今年の11月に4歳に
なる。菊五郎と吉右衛門双方の孫である。
- 2017年5月8日(月) 12:11:18
17年4月歌舞伎座(夜/「傾城反魂香」「桂川連理柵」「奴道成寺」)


夜の部も、初役に挑む(2):「傾城反魂香」〜菊之助。


「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)〜山科閑居の場〜」。岳父・吉右衛門の胸を借りて
初役に挑戦することができる菊之助は、昼の部の染五郎や猿之助とは大違いだ。「伊勢音頭
恋寝刃」では、軸になるふたりとも初役で、先輩がいない。「傾城反魂香」は、軸に吉右衛
門がどっしりと控えていた。元気そうだったので、安心した。菊之助の至福が見て取れる。
役者菊之助の至福は、また、観客である私たちの至福でもある。染五郎は、「熊谷陣屋」で
父親幸四郎の直実を良い常役として見守ることはできるが、菊之助のように、胸を借りる役
柄ではない。猿之助も「熊谷陣屋」では、直実の妻・相模として高麗屋の胸を借りて演技を
することができる。

「傾城反魂香〜山科閑居の場〜」の場面は、お馴染みの土佐将監の「山科閑居の場」。絵師
の家らしく、文化の香りが高い。襖には、五言絶句の漢詩が書いてある。

「山中何所有 嶺上多白雲 只可自怡悦 不堪持寄君」。

読みくだしてみると、次のような感じか。

山中には何の有るところぞ/
嶺上に白雲多きも、ただ自ら怡悦(いえつ)すべし。持して君に寄るも堪えず。

さらに、わかりやすいように表現すると、

山の中には何があるというのか/
峰の上に白雲が次々と湧きあがってくるのを見るのは私の楽しみ。
あなたにそれをさし上げても、あなたはただ戸惑うばかり。

土佐将監は、山間部に閑居することを楽しんでいるのだろうか。土佐将監(歌六)は、土佐
派中興の祖として、土佐派絵画の実力者だったが、「仔細あって先年勘気を蒙り」、目下、
京の山科で、閑居している。北の方(東蔵)は、夫・将監と不遇の弟子・又平(吉右衛門)
との間で、バランスを取りながら、ツボを外さぬ演技が要求される難しい役だ。この芝居で
は、弟子たちの画家としての実力や社会性などを判断するのは師としての土佐将監であろ
う。土佐将監は専門家として、又平の技量の評価には厳しいが、生真面目な又平の性格は買
っている。又平は、絵も社会性も不器用な人なのだろう。師の又平に対する厳しい評価と又
平の不器用さの間に生じる大きな隙間を埋めて、師匠と弟子の関係を仕切ろうとするのは世
話女房のおとく(菊之助)だろう。おとくは、将監の器量を計りながら又平の希望をなんと
か実現させたいと思っている。これらの人々の背後に位置し、それぞれのバランスを見守っ
ているのが北の方、というのが私の描くこの芝居の人間関係だ。

この芝居は、夫婦の情愛の物語であるが、現代風に言うなら、タレント(又平)を売り出そ
うとするマネージャー(おとく)の物語でもある。琵琶湖畔で、お土産用の大津絵を描い
て、糊口を凌いでいた又平が、女房おとくの励ましを受けても、弟弟子に抜かれて行くよう
な人物だ。だめな絵師としての烙印を跳ね返せず、自害する前に遺書のような絵を手水鉢に
描く。それがなぜか、奇蹟を起こす。その結果、又平は土佐光起という名前を貰う、という
物語だ。

江戸時代には、いまよりも差別感が強かったせいか、吃る姿を笑いものにする演技が主流だ
ったという。「ども又」という外題の通称にも、そういう差別感が色濃く残っている、と思
う。吃る科白廻しについて代々の役者が工夫を重ね、さまざまな口伝が家の芸として伝えら
れたことだろう。

しかし、六代目菊五郎が、この演目の近代化を図り、障害のある夫の「苦悩」、夫を思う女
房の「愛情」、それゆえ起こった「奇蹟」を描いたドラマに変貌させたという。現在、演じ
られるのは、三代目実川延若の工夫した又平の演出を基本とする。特に、妻・おとくの人間
像の作り方が、ポイントになる。

「傾城反魂香〜山科閑居の場〜」を観るのは、16回目。私が観た又平は、吉右衛門(今回
含め、7)。富十郎(2)、團十郎(2)、三津五郎(2)、先代の猿之助、梅玉、巳之
助。

私が観た7人の又平のうち、吉右衛門の又平が、やはりダントツに良いのである。吉右衛門
は、ほぼ3、4年ごとに、又平を演じている。特に、又平が遺書代わりに石の手水鉢に描い
た起死回生の絵が、手水鉢を突き抜けた時の、「かかあー、抜けた!」という吉右衛門の科
白廻しは、追従を許さない。毎回工夫を重ねているのだろう。「子ども又平」、「びっくり
又平」と、同じ又平でも、心のありように即して自在に演じる吉右衛門の入魂の熱演だっ
た。吃音の科白が、特に難しい。先日、若い役者の又平を観たが、科白回しが吃音になって
いなかった。

私が観たおとくは、芝雀(3)、雀右衛門(2)、先代の芝翫(2)、鴈治郎時代を含めて
藤十郎(2)、時蔵(2)、勘九郎時代の勘三郎、右之助(巡業で、相手は團十郎)。魁
春、壱太郎、そして今回は、菊之助。

おとくを初役で演じる菊之助は、そういう岳父・吉右衛門の演じる又平に全身でぶつかって
行く。吃音者の夫を支える饒舌な妻の愛の描き方、特に、妻・おとくの人間像の作り方が、
大事になる。先代の芝翫は「世話女房型」であった。やはり先代の雀右衛門は「母型」。今
回の菊之助は、世話女房型であった。菊之助は、吉右衛門お所作に対応しながら丁寧に演じ
ていた。私が観た中で、ほかに印象に残るおとくは時蔵であった。時蔵は、姉さん女房型で
あり、マネージャー型でもあった。時蔵は、尾上梅幸直伝という。

このほかの配役では、雅楽之助が又五郎。修理之助が錦之助。錦之助には3月末、ある賞の
授賞式のパーティで逢ったので、少し話をした。ベテランの役者たちの逝去が相次いだ歌舞
伎界では、中堅の役者が本来の役割に加えて、ベテランの分も底上げして踏ん張らないとい
けない時期が当分続く。大名跡の継承も、これからこの世代の重要な仕事である。体調管理
をきちんとやって、お元気でご活躍くださいと伝えた。


お半・長右衛門、祖父と孫の共演


「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)〜帯屋〜」を観るのは、2回目である。上方
歌舞伎の演目なので、東京ではあまり上演されないという事情が大きいが、私が観た前回と
いうのは、17年前、2000年2月歌舞伎座であった。私の劇評集では、17年前の歌舞
伎座の劇評は記録が無い(いろいろ印象には残っているが)ので、今回、少し詳しく記録し
ておきたい。

因みに、2000年2月歌舞伎座の配役だけ記録しておこう。長右衛門:吉右衛門。お半・
長吉のふた役:鴈治郎時代の藤十郎。お絹:先代の雀右衛門。繁斎:又五郎。おとせ:竹三
郎。儀兵衛:坂東吉弥。

今回の配役は、以下の通り。
長右衛門:藤十郎。お半と長吉:壱太郎。お絹:扇雀。繁斎:寿治郎。おとせ:上村吉弥。
儀兵衛:染五郎。

まず、今回の見どころは、壱太郎が剽軽な丁稚の長吉と、可愛らしい隣家の娘・お半のふた
役を演じることだ。それも、祖父の藤十郎が演じる長右衛門との共演である。この共演は、
今回で2回目。

この物語は、史実の事件をベースにしている。1761(宝暦11)年4月、京の柳馬場の
「信濃屋」(呉服屋か)の娘・お半(満13歳)が、隣家の呉服商・「帯屋」主人・長右衛
門(満45歳)とともに、桂川の中で、心中の遺体で見つかるという事件があった。

幕が開くと舞台は、京の押小路筋虎石町。呉服屋が軒を連ねる町。上手が帯屋の店先、帳場
がある。大福帳、仕入れ帳が掛かっている。下手は信濃屋の店先で、信濃屋と大きく染め抜
いた暖簾だけが見える(信濃屋が柳馬場、帯屋が押小路筋虎石町ということで、町内が違う
ようだが、隣家同士である)。

帯屋は、5歳で養子に来た長右衛門(藤十郎)が家督を譲り受けて、女房のお絹(扇雀)と
店を切り盛りしている。隠居した養父の繁斎(寿治郎)は、先妻を亡くした後、店の奉公
人・おとせ(上村吉弥)を後添えに迎えた。おとせには、連れ子の儀兵衛(染五郎)がいる
ので、なんとか、義理の息子・長右衛門を追い出して実子の儀兵衛に店を切り盛りさせたい
と狙っている。長右衛門は辛抱立役(ここでは律儀な働き者)の役柄だから、本来弱点は少
ないはずだ。継母と義弟が長右衛門苛め(金と女に弱点を見つけたらしい)をするが、養父
は、念仏三昧の生活を送っていて、後妻の養子苛めを見て見ぬ振り(文句を言って、家庭に
波風を立てるくらいなら、黙っていようというタイプらしい)をしているようである。

長右衛門は、先日、商用で遠州へ赴いた帰途、伊勢参り帰りの町内の連中一行と石部の宿
(現在の滋賀県湖南市。東海道五十三次の51番目の宿場。旅の終わり近くで、律儀な男に
魔が差した)で偶然同宿した。この一行に信濃屋の娘・お半と丁稚の長吉がいた。長吉は日
頃からお半に横恋慕していて、宿でもお半を追い回したので、お半は長右衛門の部屋に逃げ
込んできた。長吉からお半を守るために自分の布団の中にお半を匿った夜、長右衛門とお半
は、男女の仲になってしまったのだ。さらに、この夜限りの契りでお半は妊娠したらしい。
親子(年齢差は32歳)ほども違う優男と懇ろになった少女は大人の男の優しさ(気弱さ
か)に夢中になる。「長さま参る お半より」という恋文も儀兵衛の手に入り、長右衛門
は、使途不明の金(訳あって、他人に融通しているが、言えない)と女性問題(女癖は元々
問題があったようだ)で継母と義弟に責め立てられる。その挙句、窮地に陥った長右衛門と
お半は、その夜、死出の旅路へとばかりに、桂川へと出向いて行くことになる。お半の方
が、積極的。

壱太郎は、前半は、剽軽でちょっと頭の足らないらしい丁稚の長吉を演じる。後半は、美し
い信濃屋の娘に変身する。壱太郎が長吉・お半のふた役を演じるのは去年1月の大阪松竹座
以来、2回目である。祖父の藤十郎の演じる長右衛門とのラブシーンでは、ふたりが抱き合
うタイミングが、ちょっとぎこちなかった(祖父に言われた形になるのに、ワンクッション
無駄な動きがあったように見受けられた)。藤十郎が健在のうちに、何回か上演を重ねて、
巧くなって欲しい。

藤十郎が長右衛門を演じるのは1995年以来、3回目。それ以前は、主に長吉・お半のふ
た役を演じていた。扇雀、鴈治郎、藤十郎と名前を変えながら、1966年から2000年
2月までふた役を演じ続けてきた。

脱ぎ捨てた黒塗りの下駄と書置きを帯屋の店先に残して、お半は素足で桂川へ向かったのに
気がついた長右衛門は、一緒に死のうとお半の後を追って、花道から向こう揚幕へと歩み出
す。そこへ上手から定式幕が閉まり始める。念仏三昧の繁斎の唱える「なんまいだあ」が哀
しく大きく響くうちに、閉幕。

上方歌舞伎の味わい濃厚な和事の世話ものを堪能したが、染五郎の上方弁が、とってつけた
ようで、いまひとつであった。本人も楽屋噺で「出演の話に驚いた」と語っている。「この
演目は上方の役者さんで、というイメージがありました。上方訛りのセリフなど、山城屋さ
んに見ていただいて勤めます」と言っていた。それは、そうだろう。


「奴道成寺」の猿之助、一回り小さくなった?


「奴道成寺」は、今回で7回目の拝見。このうち、十代目三津五郎は、八十助時代を含め、
私は4回観ている。ほかに三代目猿之助(二代目猿翁)、松緑。そして、今回が四代目猿之
助。猿之助は、14年前、03年1月の浅草歌舞伎で初役で演じている。今回が2回目。先
代の猿之助もよく演じたが、いまは亡き三津五郎も八十助時代からよく演じた。踊りの名
手、三津五郎が、やはり巧かった。体が動くし、軸が安定している。亡くなってしまい残
念。

「奴道成寺」は、1829(文政12)年、江戸の中村座で初演された「金幣猿島郡(きん
のざいさるしまだいり)」の大切(おおぎり)所作事、通称「双面(ふたおもて)道成寺」
という「道成寺思恋曲者(どうじょうじこいはくせもの)」がルーツ。基本的骨格は、道成
寺もの。

狂言師左近が、白拍子花子に扮して、鐘供養に訪れるが、踊っているうちに、烏帽子がはね
て、野郎頭がむき出しになり、ばれてしまう。所化たちの所望で、左近は、正式に踊り出
す。下手の常磐津と舞台奥の長唄の掛け合いなどもあり、盛り上がる。クライマックスの
「恋の手習い」では、左近が、「お多福(傾城)」、「お大尽」、「ひょっとこ(太鼓
持)」という3種類の面を巧みに使い分けながら、廓の風情を演じてみせる。いわば、身体
で喋る踊り。「山尽くし」では、花四天と左近がからむ所作ダテとなる。

この踊りは、演者も大変だろうが、面を間違えずに師匠に渡す弟子の後見役も大変だ。今回
の後見役は、段之と段一郎だが、どちらが面を渡す役をやっていたか。

所化は、尾上右近、種之助、米吉、隼人、男寅、龍生、弘太郎、猿四郎、笑野、右若、猿
紫、蔦之助、喜猿、折乃助、吉太朗。15人。このうち、初代龍生(りゅうせい)は、大谷
桂三の息子で、今回が初舞台披露。

贅言;ところで、
当代の猿之助は、歌舞伎座の改築前後(2010年5月から閉場。2013年4月再開
場)、暫く歌舞伎座への出演が少なかったが(2008年9月の歌舞伎座出演の後、201
5年1月の歌舞伎座出演まで、6年あまり、歌舞伎座にはまったく出演していなかった)、
このところ良く出演するようになったが、何か事情が変わったのだろうか。私には事情の変
化は判らないが、噂は噂として、外形的に分かることだけ記録しておく。

歌舞伎座閉場中の2012年6月7月の四代目猿之助襲名披露の舞台は、新橋演舞場だった
のは、当然として、杮落とし後の歌舞伎座への初出演は、再開場から1年9ヶ月後の15年
1月「黒塚」であった。その後の出演は、15年7月。16年6月。16年7月。16年8
月。17年4月。この先の予定では、17年6月。四代目猿之助は、2002年から201
2年まで、「亀治郎の会」を主催、2003年、父親の段四郎とともに、澤瀉屋一門を離脱
していた。一門への復帰は、四代目襲名の時。襲名披露時の興行は、「初代市川猿翁三代市
川段四郎五十回忌追善興行」において四代目市川猿之助襲名披露というものであった。

08年10月以降、14年12月までは、歌舞伎座出演はゼロ。東京での出演は新橋演舞場
ほか。15年以降の歌舞伎座出演は、15年が2回。16年が3回。17年はとりあえず6
月までに2回が見込まれる。急に出演するようになったのは、なぜ?

この間、スーパー歌舞伎U(セカンド)としては、2014年3月の「空ヲ刻ム者」201
5年10月11月の「ワンピース」も新橋演舞場ほか地方の劇場での巡演だった。主役は、
四代目猿之助としても、主役に次ぐ重要な相手役は四代目好みの外部の俳優(歌舞伎役者で
はない。例えば、佐々木蔵之介ほか)たちが占めることが多い。

澤瀉屋一門は、どうなっているのか。
三代目猿之助健在のころは、7月と12月の歌舞伎座は、澤瀉屋一門の興行専用だった。三
代目の病気休演が長引くうちに、そういう特権は剥奪された。玉三郎や海老蔵が絡み出した
時期もある。四代目襲名も歌舞伎座閉場中だから新橋演舞場出演で、仕方がなかったとして
も、その後の一門の歌舞伎座興行は全くなくなり、一門の花形役者たちも何人かが去って行
った。

去って行ったか、去って行ったのではないかと思われる役者は、例えば、一時は玉三郎の相
手役に抜擢された澤瀉屋の立役のホープのひとり段治郎は、怪我での休演・復帰後、201
1年、二代目月乃助を襲名したが、その後、2016年、歌舞伎界を去り、新派へ転籍。1
6年9月、二代目喜多村緑郎襲名した。

澤瀉屋一門の女形のホープのひとり、二代目春猿も2017年、歌舞伎界を去り、新派へ転
籍した。河合雪之丞襲名。いずれ、花柳章太郎襲名か、という噂もあるようだ。このほか、
すでに新派へ行った役者。主な役者ではないが、笑三 → 河合誠三郎。猿若 → 河合穂
積。猿珠 → 河合宥季。

段四郎の長男亀治郎の四代目猿之助襲名以前は、澤瀉屋一門の次世代を担うホープとして注
目されていた市川右近は、四代目猿之助襲名や香川照之の市川中車襲名には、複雑な思いが
あったのだろう。右近は17年1月新橋演舞場で三代目右團次を襲名披露し、屋号も澤瀉屋
から高嶋屋に変わった。事実上の独立と言われている。直弟子も連れて行った。例えば、甲
府出身の喜昇は名題役者になって、名前も右若と改めた。右近には三代目猿之助の長男で俳
優の香川照之の歌舞伎界入り後に対する不満が燻ぶっていたとも言われる。

香川照之こと市川中車が、澤瀉屋一門を牛耳る会社を設立し、三代目猿之助(二代目猿翁)
とともに代表取締役社長になった。四代目猿之助は、この会屋には属していない。我が道を
行く四代目猿之助は、一門を牽引するリーダーには向かないのだろう。古くからいる一門の
有能な役者たちは、一門の中に居場所がなくなってきたのかもしれない。今、一門の残って
いる主な役者は、猿弥、弘太郎、猿四郎ほか=立役。笑也、笑三郎ほか=女形。

澤瀉屋一門。噂通りなら、いろいろありそう。四代目猿之助は、一門(今月の歌舞伎座筋書
の「今月の出演俳優」一覧には、一門、あるいは、澤瀉屋系の役者は、名題まででも、15
人出演している)として、あるいは少数の役者を連れて、歌舞伎座に出るようになった。そ
ういう目で猿之助をじっと見つめてみると、印象的には、猿之助は、以前に比べて一回り身
体が小さくなったような気がして、気にかかる。私は、当代猿之助の女形が好きだ。今回
は、憎まれ役の仲居・万野、直実の妻・相模を観ることができたけれど、以前のようなオー
ラが猿之助から感じられないのが寂しい。
- 2017年4月10日(月) 9:28:09
17年4月歌舞伎座(昼/「醍醐の花見」「伊勢音頭恋寝刃」「一谷嫰軍記」)


初役に挑む(1)「『伊勢音頭恋寝刃』〜染五郎と猿之助」


今月の歌舞伎座は、昼夜で共通するものがある。それは、中堅の役者たちが初役に挑むとい
うことだ。まず、昼の部では、初役に挑む(1)として、「『伊勢音頭恋寝刃』〜染五郎と
猿之助」というタイトルをつけてみた。「油屋」「奥庭」の場面で、染五郎と猿之助が、そ
れぞれ初役の福岡貢と油屋の仲居・万野を演じるからだ。今回の劇評では、「醍醐の花見」
を後回しにして、「伊勢音頭恋寝刃」から書き始めたい。

「伊勢音頭恋寝刃」。「寝刃」とは、切れ味の鈍くなった刀の刃を研ぐ、という意味から転
じて、こっそりと悪事を企む、という意味がある。原作者は、並木五瓶が江戸に下った後、
京大坂で活躍した上方歌舞伎の作者近松徳三ほか。上方歌舞伎の世話物狂言。近松徳三とい
う人は、筆名から見て、近松門左衛門の門下と思われるが、詳しい人物像は判らない。「伊
勢音頭恋寝刃」は、実際に伊勢の古市(ふるいち)遊廓で起きた地元の医師による殺人事件
を題材にしている。

1796(寛政8)年5月、伊勢国(現在の三重県東部)古市の遊廓「油屋」で、地元の医
師が事件を引き起こした。医師の相手をしていた遊女がほかの座敷に移動したのを怒り、医
師は遊廓にいた9人を殺したという。事件の2日後、本人も自害した。そういう事件であ
る。この狂言を書いた作者は、3日間で書き上げたと伝えられている。事件後、およそ2ヶ
月、急ごしらえで作り上げられ、歌舞伎として同年7月、大坂・藤川八蔵座(角の芝居)で
初演された。ばたばたと上演された歌舞伎だけに、戯曲としてはいろいろ無理がある。まさ
に江戸時代のテレビのワイドショー的な演出である。

物語の基本は、お家騒動。阿波国家老職・今田家の家宝の「青江下坂(あおえしもさか)」
という名刀がお家への謀叛を企てる蜂須賀大学一味の陰謀に引っかかった今田家の嫡男・今
田万次郎(秀太郎)の手を経て質入れされてしまう。さらに同じ一味の計略で、刀の「折紙
(鑑定書)」も、偽物にすり替えられてしまう。家宝は、刀と折紙がセットになって初めて
価値を生む。

伊勢の御師(通常「おし」、または、「おんし」。特定の寺社に所属して、その寺社へ参詣
客を案内したり、宿泊の世話をしたり、祈祷をしたりする者。伊勢神宮の場合は、「おん
し」と呼んだ。御師たちは寺社近くの街道沿いに集住し、御師町を形成した)である福岡孫
太夫の養子・貢(みつぎ。染五郎)は、実家が今田家の家来筋という縁で刀と折紙の探索を
引き受ける。

今回の歌舞伎座では珍しく序幕が上演された。序幕「野道追駆けの場」、同「野道地蔵前の
場」、同「伊勢二見ケ浦の場」。この場面は、歌舞伎座としては、22年ぶりの上演だが
(ほかの劇場では上演)、私は、1年半ほど前、15年10月国立劇場で、通し狂言「伊勢
音頭恋寝刃」の一部として観ている。国立劇場の場の構成は、以下の通り。

序幕第一場「伊勢街道相の山の場」、第二場「妙見町宿屋の場」、第三場「野道追駆けの
場」、第四場「野原地蔵前の場」、第五場「二見ケ浦の場」、二幕目「御師福岡孫太夫内
太々講(だいだいこう)の場」、大詰第一場「古市油屋店先の場」、第二場「同 奥庭の
場」。つまり、通常「みどり」で上演されるのは、「大詰」だけということがわかる。貢
は、梅玉が演じ、万野は、魁春が演じた。兄弟の出演である。

さて、今回は、序幕「追駆け」、「地蔵前」、「二見ケ浦」。二幕目「古市油屋店先の
場」、「同 奥庭の場」という構成である。序幕では、スピーディな場面展開で、十人殺し
の殺人鬼の発生までの背景を描いて行く。二幕目は、残虐な連続殺人ということで、悲劇の
前の喜劇という演出の常套手段の場面となる。

序幕「野道追駆けの場」。お家乗っ取りを企てる蜂須賀大学の一派の杉山大蔵(橘三郎)、
桑原丈四郎(橘太郎)のふたりは、古市の遊郭「油屋」に滞在している徳島岩次に大学から
の密書を届けるらしい。それを窺い知った今田万次郎派の奴・林平(隼人)が密書を奪おう
とふたりを花道へ追いかける。背景の書割が引き上げられて場面展開。「野原地蔵前の場」
が現れる。逃げるふたりは下手から姿を見せるが、上手は行き止まり。必死で逃げる杉山大
蔵は、逃げ場に窮して、舞台下手の釣瓶井戸の中に潜り込む。桑原丈四郎も、野原の地蔵の
笠を奪って自分で被り、地蔵を移動させ、代わりに自分が立ち尽くして、追いかけてきた林
平をやり過ごそうとするが、見つかってしまい、さらに逃亡劇は続く。浅葱幕の振り被せで
場面展開。幕の振り落としで、「伊勢二見ケ浦の場」。伊勢の名所、夫婦岩で知られる二見
ケ浦。杉山大蔵、桑原丈四郎に追いついた林平は、貢、万次郎ともここで合流。密書を奪い
取る場面が歌舞伎独特の演出の「だんまり」(暗闘の沈黙劇)で描かれる。千切れた密書も
ひとつになったが、夜明け前の暗闇では字が読めない。手元に明りもない。やがて、注連縄
で結ばれた夫婦岩の向こう二見ケ浦に大きな朝日が昇る。夜明けの光で、貢は密書を読むこ
とが出来た。というだけの、笑劇の仕立ての逃亡劇。

二幕目「古市油屋店先の場」。古市の遊廓「油屋」を訪れた福岡貢(染五郎)が、徳島岩次
(由次郎)一味と気脈を通じた仲居の万野(猿之助)の嫌がらせを受ける。岩次が隠し持っ
ている「折紙(鑑定書)」を取り上げるために、嘘の縁切り場面を演じる貢の恋人・お紺
(梅枝)との絡みなどを経て、油屋の料理人・喜助(松也。元は貢の家来筋の侍出身)がす
り替えてくれた家宝の「名刀」が、いつの間にか、人殺しの「妖刀」になっている、という
荒唐無稽さ。狂気の果てに十人殺し(万野殺しからスタートする)へなだれ込んで行く貢の
姿を描く。

「同 奥庭の場」。上手の座敷と下手の離れを繋ぎ、奥庭を大きく跨ぐ渡り廊下。そこで伊
勢音頭を踊る20人の女たち(いつもより、多いのでは?)。惨劇の中の華やかな場面。上
手の丸い障子を蹴破って、狂気の殺人鬼と化した貢(染五郎)が斬りつけた本来無関係の遊
廓の客たちを追って登場する。殺しの場面は、渡り廊下、階段を下りて庭へ、本舞台から花
道へ、と執拗に続く。上手から逃げてきた寝間着姿のお紺(梅枝)に突き当たり、水を飲
み、正気に返る貢。人殺しの刀が、家宝の「青江下坂」だと駆けつけた喜助(松也)に教え
られる。虚偽の愛想尽かしをしていたと明かすお紺が徳島岩次から騙し取った「折紙」も貢
の手に入った。ふたつ揃ったので、主筋の若君・今田万次郎に届けに行かなければならな
い、と考える冷静さを取り戻した貢は、お咎めもなく、主家の若君の下へと花道を急ぎ行
く、ということで、幕。

役者論を少し。今回、福岡貢を初役で演じた染五郎は、仁左衛門の指導を受けたという。こ
の芝居は、上方歌舞伎の典型的な人物造型が、実は、見どころなのだ。それを象徴的に言お
うとすれば、「つっころばし」と「ぴんとこな」ということになる。今回の芝居に登場する
「つっころばし」は、今田家の嫡男・今田万次郎である。女形の秀太郎が演じた。一方、
「ぴんとこな」は、伊勢の御師・福岡貢である。今回、染五郎が演じた。

「つっころばし」と「ぴんとこな」は、いずれも上方味の和事の立役の人物造型。「つっこ
ろばし」は、「ちょっと肩などを突つくと転んでしまいそうな、柔弱な容姿からついた名
称。立ち姿、歩き方、科白廻しなどにも男ながら女形のような色気が要求される。痴呆的な
ほど、遊女との恋にぼうっとはまり込んでいるような、いかにも生活力とは無縁なような、
年若い優男。濡事(官能的な演技)師、女たらし、と言えば判り易いか。今回、女形の秀太
郎が演じたのが今田万次郎。このほかでは、「野崎村」の久松、「夏祭浪花鑑」の磯之丞、
「双蝶々曲輪日記」の与五郎などが、「上方」和事の典型的な「つっころばし」となる。

これに対して、染五郎が初役で演じた「ぴんとこな」は、同じ濡事師、女たらしの要素を残
しながら、一種の強さを持っている。「ぴんとこな」の「ぴん」は、「ひんとする(きっと
なる)」ではないか、という説がある。元禄期には、「手強さのある若女形」が、「ひんと
こな」と呼ばれたことがあるというが、次第に、立役の和事系統の人物類型として定着して
きた、という。柔らかな色気を滲ませながら、「つっころばし」のような女方っぽい色気に
ならずに、立役的な手強さを感じさせなければならない、という。優男とは違う二枚目、と
いうことだろう。役づくりは、「江戸」和事の中で洗練されてきた。「伊勢音頭恋寝刃」の
福岡貢のほかには、「心中天の網島」の治兵衛などが、「ぴんとこな」である。

私が観た歌舞伎の「伊勢音頭恋寝刃」は、今回で9回目。私が観た福岡貢は、仁左衛門
(3)、團十郎(2)、三津五郎、勘九郎時代の勘三郎、梅玉、そして、今回が染五郎。颯
爽とした二枚目ぶりを強調した仁左衛門の貢が印象に残る。特に、染五郎の科白回しは、仁
左衛門に及ばない。

もうひとり、猿之助が初役で演じた仲居の万野。猿之助は、「生の舞台に触れたことはな
い」という。今回は、秀太郎に指導を受けたという。

初役のふたりとも、まだまだ、線が細い。染五郎も来年1月には、十代目幸四郎を襲名す
る。猿之助も澤瀉屋一門のリーダーとして四代目猿之助の名前をすでに襲名している。歌舞
伎界の中堅どころとして、将来を背負っていかなければならない役者だ。玉三郎、魁春、福
助、勘三郎、芝翫、菊五郎など私が観た万野役者と見比べると、まだまだ、という感じがす
る。ふたりの中堅役者の今後の精進を期待したい。


九代目幸四郎名では最後の直実


私が、歌舞伎を本格的に見始めたのは、94年4月歌舞伎座であった。「白鸚十三回忌追善
興行」の舞台を観たのが、いまのように歌舞伎を観始める最初だったのだ。この時の演目
は、「熊谷陣屋」、新作歌舞伎の「井伊大老」、「鈴ヶ森」であった。その時の配役は、次
の通り。

熊谷直実:幸四郎、相模:故・四代目雀右衛門(先代)、藤の方:松江時代の魁春、源義
経:故・梅幸、弥陀六:故・二代目又五郎(先代)、堤軍次:染五郎、梶原景高:故・芦燕
ほか。


歌舞伎の「熊谷陣屋」は、それ以来、今回で21回目の拝見となる。私が観た熊谷直実は、
今回を含め圧倒的に多いのが幸四郎で(10)。吉右衛門(4)、仁左衛門(2)、八十助
時代の三津五郎、團十郎、松緑(仁左衛門代役で、急遽、初役で演じた)、海老蔵、橋之助
改め芝翫。幸四郎は、来年1月歌舞伎座で、二代目白鸚を襲名する予定なので、九代目幸四
郎として直実を演じるのは、今回が最後になるだろう。十代目幸四郎は、染五郎が襲名する
ことになる。

幸四郎の今回の決め科白の、科白廻し。「十六年は、一昔。夢だあ。ああ〜、夢だあ
あ〜〜〜」と語尾を伸ばせるだけ伸ばして、歌い上げていた。いつも通りだが、感慨深げ
で、初日から、目には涙を浮かべていた。胸中にはいろいろな思いが駆け巡ったことだろ
う。感謝。

しかしながら、これまで観た最高の「熊谷陣屋」は、13年4月歌舞伎座。歌舞伎座杮葺落
興行の舞台。残念ながら、最高の直実を演じたという印象を私が持っているのは、幸四郎で
はない。弟の吉右衛門。吉右衛門の直実は、肩の力を抜いて、役者吉右衛門の存在そのもの
が自然に直実を作って行く。時代物の歌舞伎の演じ方という教科書のような演技ぶりだっ
た。


「醍醐の花見」。大正歌舞伎。1921(大正10)年5月初演。歌舞伎で上演するのは、今
回が初めて。新しい脚本による新演出。1598(慶長3)年の京都・醍醐寺で催された秀
吉主催の花見という史実を歌舞伎化した。

醍醐寺三宝院の庭。桜が満開。秀吉の正室・北の政所(扇雀)、淀殿(壱太郎)、淀君にラ
イバル心を燃やす松の丸殿(笑也)三條殿(尾上右近)などの側室たちが醍醐寺門跡の義演
(門之助)の歓待を受けている。この場面は、淀殿と松の丸殿の嫉妬心から来る鞘当てが見
どころ。北の政所の盃を受ける順番をめぐって争いとなったところをとりなしたのが前田利
家の正室のまつ(笑三郎)であった。

花道より秀吉(鴈治郎)一行。大野治長(歌昇)、治房(種之助)の兄弟、御伽衆の曽呂利
新左衛門(萬太郎)らが同行してくる。秀吉も花見の席に落ち着く。暫く花見の宴。

祈祷が始まるというので、秀吉を残して、皆、上手奥へ。暫くすると、石田三成を待つ秀吉
の周りに妖気が漂い始める。舞台暗転。上手奥に秀吉に切腹を命じられて自害した秀次(松
也)の霊が現れて、秀吉を苦しめる。そこへ、三成(右團次)が花道から駆けつけ、さらに
上手から義演も駆けつけ、秀次の霊を退散させる。
- 2017年4月8日(土) 18:39:23
17年3月歌舞伎座(夜/「引窓」「けいせい浜真砂」「助六由縁江戸桜」)


幸四郎、17年ぶりの南与兵衛


「双蝶々曲輪日記」は、並木宗輔が、千柳の名前で、二代目竹田出雲、三好松洛という三大
歌舞伎の合作者トリオで「仮名手本忠臣蔵」上演の翌年(1749年)の夏に初演されてい
る。「濡紙長五郎」という実在の相撲取りが、武士を殺した罪で捕らえられたという史実の
事件をもとにした先行作品を下敷きにして作られた狂言だという。本来の物語は、「無軌道
な若者たち〜江戸版『俺たちに明日はない』〜」という内容だ。全九段の世話浄瑠璃で、い
までは、二段目の「角力場」や八段目の「引窓」が良く上演されるが、「引窓」は、江戸時
代には、あまり上演されなかった。

今回は、幸四郎が濡髪長五郎の実母で、自分にとっては継母に当たるお幸の義理の息子であ
る南与兵衛、後に、南方十次兵衛を演じる。町人である南与兵衛、後に、武士の身分に取り
立てられたばかりの南方十次兵衛という二重性のある人物を演じるのは、17年ぶり、とい
う。前回の舞台も観ているので、私は幸四郎の南与兵衛は2回目。殺人犯の逃亡者となって
しまった濡髪長五郎の逃亡を幇助する、というドラマだ。播磨屋の祖父・初代吉右衛門の磨
き上げた「型」を実父の初代白鴎を通じて受け継いだ、という。幸四郎は来年の一月、歌舞
伎座の高麗屋三代襲名披露興行で、二代目白鴎を襲名し、幸四郎の名跡は、息子の染五郎に
十代目として譲り渡すことになっている。

京の南部、淀川に面した八幡の里(京)に住む町人の南与兵衛は、領主の交代に伴い、父親
の代まで勤めて来て、父親の死後,空席となっていた郷代官(ごうだいかん)を世襲するこ
とが認められて、名前も武士らしく南方十次兵衛という代々の名前を襲名することになっ
た。

郷代官(ごうだいかん)とは、どういうポストか。江戸時代の藩の村方支配は、郡(こお
り)奉行・地方役(じかたやく)・郷代官・村役人というシステムになっていた。郷代官
は、在郷の代官で、複数の村の民政(役場)業務や治安(警察)業務を請け負って直接担当
していたようだ。幸四郎は、楽屋でこう語っている。「世話がかった科白廻しもある時代世
話形式で、両方の要素が必要な大変難しい役です」。

「引窓」は、大筋、歌舞伎も人形浄瑠璃も同じだが、与兵衛が、郷代官に任命された様子を
仕方話で演じる場面は、歌舞伎の入れごと(人形浄瑠璃にはない新工夫)。与兵衛が、家族
らとのやり取りの中で、町人(南与兵衛)と武士(南方十次兵衛)を世話(町人)と時代
(武士)の科白も含めて演じ分けるのも見どころ。

武骨な武士と人情家の町人。二つの要素を込めて歌舞伎劇にしたてる。役づくりには、時代
がかった科白と世話がかった科白の使い分け。人間味の演じ分け。
それでも幸四郎の役づくりのベースは、町人・南与兵衛だろう。

さらに、「引き窓」という屋根に特設された、明かり取りの開閉式の「天窓」構造がもたら
す月光の調整、光と影。それぞれの対比が、時代世話、というキーワードに象徴されるよう
に、逃亡劇のシチュエーションで南与兵衛と南方十次兵衛を演じ分けるところが見どころと
なる。

「引窓」は、すでに触れたように江戸時代には、あまり上演されなかった。「角力場」、
「米屋」の二幕が良く上演された。心理劇という近代性を持っていたため、いわば、早く来
過ぎた芝居というわけだ。長らく演じられなかった場面だが、1896(明治29)年に初
代鴈治郎によって復活上演され、1926(大正15)年には、初代吉右衛門によって工夫
を重ねられて、いま、上演されるような形に洗練された。私が「引窓」を観るのは、今回で
11回目。郷代官の任命式を終えて帰宅した。芝居の舞台は、その晩の話である。

恩人の息子・与五郎を助けようとして、侍を殺してしまい、逃げて来た長五郎。難波(大
坂)から八幡(京都)は、北東に直線距離で30キロから40キロぐらいか。長五郎は、継
母の息子だったと判り、長五郎を逃がす。実は、南与兵衛は、以前に親友の与五郎のため
に、幇間を殺している。長五郎も、郷左衛門という侍の身請けを嫌う与五郎の恋人・吾妻
(大坂・新町遊廓の遊女)と与五郎を助けようとして、郷左衛門を殺して逃げてきたのだ。
幇間殺しの与兵衛はお咎め無し。侍殺しの長五郎は、人相書きが回り、追手がかかる。母
は、実子の長五郎を淀川に面した二階の障子の間に匿う。永遠に変わらない母の愛。二階の
窓には、月見の団子と薄が飾られている。

与兵衛が、父親の職位と名前を引き継いで十次兵衛に生まれ変わった日の夜半から未明、義
理の弟の長五郎が逃げ切り、「生まれ変われ」という願いを込めて、逃亡の手伝いをするこ
とになる。石清水八幡宮の「放生会」(ほうじょうえ。殺生を戒めるために、生き物を放し
てやる儀式)の日。与兵衛らは、義理の弟を生かすために、逃がす。「引窓」とは、そうい
う芝居である。

今回の主な配役;南与兵衛、後に、南方十次兵衛が幸四郎、濡髪長五郎が彌十郎、女房・お
早が魁春、母・お幸が右之助ほか。

私が観た南与兵衛、後に、南方十次兵衛は、幸四郎(今回含め、2)、染五郎(2)、勘九
郎時代の勘三郎、鴈治郎時代の坂田藤十郎、富十郎、菊五郎、吉右衛門、三津五郎、梅玉
(仁左衛門休演の代役)。すでに勘三郎、富十郎、三津五郎が亡くなっている。

幸四郎の演技は、狙い通り、人間味のある南与兵衛、後に、南方十次兵衛であった。女房と
義母という、ふたりの女性の情愛を理解し、己の人を殺したことのある体験もにじませなが
ら、義理の弟で、友人のために人を殺して逃げて来た長五郎をさらに逃がすことにする。
母・お幸は「俺ばかりか嫁の志。与兵衛の情けまで無にしをるか罰当たりめ。…(略)…コ
リヤヤイ。死ぬるばかりが男ではないぞよ」と、皆に支えられて、生き延びよと実子の長五
郎を叱咤する。
肉襦袢を着込み大きな体に見せた彌十郎の長五郎と小さなおばあちゃんになった右之助が絡
む芝居は、体の大小の対比も含めて見ごたえがあった。2回目という右之助の老母の演技が
いぶし銀の光。それにしても右之助のような役柄を演じられる女形が少なくなったのを改め
て実感した。

義理の兄の南方十次兵衛が義理の弟の長五郎に逃走ルートを教えるときの科白。室内では、
「河内へ越ゆる抜け道は、狐川を左に取り、右へ渡つて山越えに、右へ渡つて山越え
に…」。その後、南方十次兵衛は、外に出ると、声を張り上げて、「長五郎はいずれにある
や」と、聞こえよがしに大声を出す。
 
南与兵衛、後に、南方十次兵衛の幸四郎、濡髪長五郎の彌十郎、女房・お早の魁春、母・お
幸の右之助。悲劇に直面した家族の物語は、密度が高い。


極彩色の錦絵2題


夜の部、残りの2演目は、芝居の上演時間は「けいせい浜真砂」が10分、「助六由縁江戸
桜」が2時間4分と大きな開きこそあれ、本質的には、極彩色の錦絵2題というところだろ
う。

「けいせい浜真砂」は、2回目の拝見。前回は、9年前、08年1月歌舞伎座の舞台であっ
た。

1839(天保10)年、大坂、角の芝居で二代目富十郎が出演して、初演された。立役が
主役の舞台を女形に書き換えたものは、多数の作品があるが、今回は「女五右衛門」で、石
川五右衛門を傾城の石川屋真砂路に置き換えた。

桜が満開の南禅寺山門が舞台。幕が開くと、舞台一面、浅葱幕で覆われていて、上手、幕外
の山台に大薩摩(長唄の荒事演出。普通は、幕外に立って演じるので、山台は、珍しい)の
ふたりによる置唄となる。「九重の桜の匂う山門の・・・」で、2連の三味線が早間になる
と、浅葱幕の振り落としで、舞台は、一気に華やかになる。山門の大道具の、2階に、こと
しの大晦日で86歳になる山城屋・坂田藤十郎。2回目の真砂路役である。前回は、87歳
の雀右衛門(その年の8月で88歳、米寿を迎える年の正月)が初役の傾城姿で、立ってい
た(もちろん「合引」には座っていただろう)。

藤十郎の真砂路は銀の長煙管を持ちながら、「絶景かな、絶景かな……」。石川屋真砂路
は、真柴久吉に討たれた武智光秀の息女。父を亡くし、苦界に身を沈めただけに、久吉に害
意を抱いている。久吉の子息を巡り、同じ傾城仲間との恋の鞘当てを演じているという趣
向。やがて、大道具の朱塗りの山門が、大ぜりでせり上がり、中央せりからは、久吉(仁左
衛門)が、上がって来る。山門下を通りかかったという体。

「石川や 浜の真砂は尽きるとも」と久吉。不審顔の真砂路。「実に恋草の種は尽きまじ」
と下の句を続ける久吉。妖しい奴と、簪を抜き取り、手裏剣代わりに投げる真砂路。手に持
っていた柄杓で、これを受け止めると、「巡礼にご報謝」と言う久吉。

一枚の、動く錦絵のような舞台。10分ほどの舞台だが、動きの少ない役ながら、風格のあ
る藤十郎、仁左衛門であった。この演目は、戦後の上演は、今回で4回目。六代目歌右衛門
と十三代目仁左衛門。三代目鴈治郎時代の藤十郎と梅玉。四代目雀右衛門と二代目吉右衛
門。


海老蔵の助六


舞台は、恒例の口上から始まる。今回の口上役は、市川右近から今春、三代目を襲名したば
かりの右團次。河東節開曲三百年記念、ということで、正面御簾内の河東節十寸見会御連中
を紹介して、下手に引っ込む。

「助六由縁江戸桜」も「けいせい浜真砂」に比べると上演時間は12倍以上と長いが、こち
らも本質的には極彩色の錦絵。「助六由縁江戸桜」は、江戸の繁華街・新吉原の春の風俗を
描く。主役は、助六のように見えるが、実は、吉原という町、あるいは、街角を通る人々だ
と、私は思う。それも、三浦屋の前から、街頭生中継、つまりライブ放送という図。

吉原では、毎年、桜の季節になると江戸・染井の里から染井吉野を移植して、期間限定の桜
並木を町内に作り上げた、という。映画やテレビのセットのようだ。昔の歌舞伎の演出で
は、舞台だけでなく、芝居小屋の周りの街並にも、場内にも、桜の木を多数、植え込んだら
しい。そうして、芝居小屋全体、芝居町全体を、恰も、吉原と錯覚させるようにした、とい
う。

そういう江戸の祝祭劇が、「助六由縁江戸桜」なのだろう。従って、この舞台に登場する人
たちは、吉原内外で働く人たちや客なども、それぞれ、重要な役回りを果たす。「助六」
は、群衆劇だ。

「助六由縁江戸桜」は、今回で、9回目の拝見。私が観た助六は、團十郎(4)、新之助時
代を含めて、海老蔵(今回含めて、4回)、そして、仁左衛門。助六は、刀探しの旅に出て
いる。繁華街の吉原で道行く侍たちに喧嘩を売り付け、お金持ちの髭の意休ほかにも国侍、
奴、通人(刀など持っていない)など、相手が持っている剣を抜かせて、探している源氏の
宝刀・友切丸かどうか、見定めている。

それが主筋だ。雨の中、帰宅した「渡海屋」の銀平と違って、雨でもないのに蛇の目傘をさ
して、桐柾の下駄を履いて、吉原を闊歩する助六と揚巻との恋は、サブストーリー。その意
休は、左團次(今回含め、7)、彦三郎(左團次病気休演で代役)、富十郎。仁左衛門の助
六に対して富十郎の意休だった。つまり、團十郎、海老蔵親子の助六には、いつも左團次が
意休を演じていた筈だったが、一度だけ、病気休演で彦三郎の意休を観たわけだ。当り役と
なっている左團次の意休、歌舞伎の衣装のなかでも、最も重い衣装を着ている、という。左
團次は床几に座っているだけのように見えるが、大変な重労働だ。

贅言;成田屋と高島屋の「助六」ではない舞台。仁左衛門の助六と富十郎の意休は、結構面
白かった。98年2月歌舞伎座、孝夫改め、仁左衛門襲名披露の舞台。いわば、上方版「助
六」。本来の助六かもしれないが、劇評の記録を残していない。

海老蔵の助六は、2000年の正月、新橋演舞場で初めて観た。次には、04年6月、海老
蔵襲名披露の歌舞伎座で観た。13年6月、十二代目團十郎に捧ぐ、歌舞伎座で観た。そし
て今回は、歌舞伎座で、河東節開曲三百年記念の舞台であった。

まず、2000年1月の劇評から(新橋演舞場):新之助(当時)時代の海老蔵。初役であ
る。青年新之助の「助六」を観ていて、劇中の助六も、このくらいの年の想定なのだろうな
あ、という感じが強くした。新之助の演技もきっぱりとしていて良かったと思う。ただ、科
白廻しが現代劇ぽい部分が、「ままあり」なので、気になったが、これはこれで『新之助
味』とも言えるような気がする。いずれ、助六は市川家の家の芸だけに、これからも何度
か、海老蔵、團十郎と襲名ごとに、新しい工夫を重ねた役作りを新之助が見せてくれること
だろうと期待する。

次に、04年6月の劇評から(歌舞伎座):海老蔵2回目。まさに、海老蔵襲名披露興行で
の、「助六」の登場なのだ。海老蔵は、自信たっぷりに「助六」を演じていて、その点は、
観ていても、気持ちが良い。大向こうからは、「日本一」などという声もかかっていた。た
だし、今回も、科白廻しが現代劇ぽい部分が、やはり「ままあり」で、私は、興醒めだっ
た。特に、傾城たちから多数の煙管を受け取り、髭の意休(左團次)をやり込める場面で
の、科白が、歌舞伎になっていない。そこだけ、歌舞伎のメッキが剥げた現代劇のような感
じで、「新之助」なら、まだまだ、これからだからと許せた部分も、今回の「海老蔵」襲名
では、そうはいかないという感じがした。歌舞伎の科白とは、どうあるべきかが、海老蔵の
課題になりそう。

13年6月の劇評から(歌舞伎座):この年、海老蔵の助六は、当初は、予定されていなか
った。海老蔵は、「福山かつぎ」役が当てられていた。主役の助六は、父親の團十郎が予定
されていた。しかし、この年、13年2月に急逝した十二代目に替わり、海老蔵が助六を演
じた。私が、「難儀」と判断していた科白廻しは、良くなっていた。江戸のスーパースタ
ー・助六は、子どもっぽい。餓鬼なのだ。大声を出す子どもの声は、籠らないのでは無い
か。花道含めて、助六の所作は、メリハリがある。若さが湧出している。江戸歌舞伎の華・
荒事は、稚気を表現する。そういう意味で、助六は、まさに、荒事の象徴だ。こういうあた
りは、父團十郎より、海老蔵の方が口跡も良いから、所作や科白廻しが巧くなれば、今後、
助六の持ち味を、もっと、遠くまで拡げてくれるかも知れない。その場合、「助六」におい
ては、海老蔵は、父親の團十郎を追い抜いて行くだろう。

そして、今回。17年3月の劇評から(歌舞伎座):連れ合いの癌闘病という苦境の中、海
老蔵は自信たっぷりの助六を披露してくれた。科白廻しも何がなくなった。「助六」ではな
いが、吉右衛門が團十郎に代わって歌舞伎について、海老蔵を厳しく指導しているのかもし
れない。幸四郎は「助六」を演じたことがあるが、吉右衛門はなさそうだ。揚巻は五代目雀
右衛門。今月は、国立劇場と掛け持ちである。国立劇場では、「伊賀越道中双六(岡崎)」
の唐木政右衛門(吉右衛門)の妻・お谷を演じる。悲劇のヒロインで地味なお谷と助六の恋
人・揚巻を毎日演じている。海老蔵は「助六」を演じ始めて17年になる。この間、新之助
時代の助六初役の新橋演舞場、海老蔵襲名披露の歌舞伎座、襲名披露の巡業で名古屋御園
座、京都南座、博多座、2回目の新橋演舞場、團十郎の代役としての歌舞伎座、3回目の歌
舞伎座で、都合8回の上演となる。

今回の主な配役。助六:海老蔵、揚巻:雀右衛門、意休:左團次、白酒売:菊五郎、白玉:
梅枝、くわんぺら門兵衛:歌六、朝顔仙平:男女蔵、福山かつ
ぎ:巳之助、通人里暁:亀三郎、曽我満江:秀太郎、口上:右團次ほか。


贅言;10年4月の旧・歌舞伎座さよなら興行の最終月の「助六」。私が観た最後の團十郎
の助六の舞台(團十郎は、この後、翌11年10月、名古屋御園座で最後の「助六」を演じ
ている)。捨て科白(アドリブ)をたっぷり言う時間のある通人役を演じた勘三郎の科白
が、役者に気持ちだけでなく、観客の気持ちも代弁していて印象に残った。

「歌舞伎座には、思い出がいっぱい詰まっている。新しい歌舞伎座で、もっと、もっと、夢
を見せてもらいやしょう。歌舞伎座からは、さようなら」。

新しい歌舞伎座で、もっと、もっと夢を見ようとしていた團十郎と勘三郎は、「歌舞伎座か
らは、さようなら」ではなく、この世から「さようなら」をしてしまった。改めて、二人に
合掌。
- 2017年3月16日(木) 17:27:29
17年3月歌舞伎座(昼/「明君行状記」「義経千本桜 〜渡海屋、大物浦」「神楽諷雲井
曲鞠〜どんつく」)


仁左衛門の知盛の魅力


渡海屋銀平、実は、平知盛。捌き役の銀平は、途中から平家の貴人・知盛に衣装も品格も、
変身するのが、見どころ。「船問屋の主人・銀平としての男気」、「本来の知盛として、知
勇兼備の大将」、「大将も戦に敗れ重傷を負った鬼気迫る姿」、「最期の悲哀、壮絶さ」を
知盛役者は演じることになるだろう。

ホワイトな逆ユートピア。
「渡海屋」宿改めがあったので危惧を感じた義経一行は、降り続く雨をついて急いで旅立
つ。一行がなんとか船出をしてしまい、日も暮れて来た。障子が開くと、知盛が本性を顕す
場面。銀烏帽子に白糸緘の鎧、白柄の長刀(鞘も白い毛皮製)、白い毛皮の沓という白と銀
のみの華麗な鎧衣装で身を固めた銀平(銀色の平家)、実は、知盛の登場となる。知盛は、
「船弁慶」の後ジテ(知盛亡霊)に似た衣装を着ているので、下座音楽では、謡曲の「船弁
慶」が唄われる。白銀に輝くばかりの歌舞伎の美学。亡霊のイメージだが、衣装も品格も銀
平から知盛に替わるので、ここは、怨霊ながら「生きている知盛」という想定である。

そこへ平家方、白装束の亡霊姿の配下たちが駆けつける。大将から家来まで全て白ずくめの
知盛一行の方が、死出の旅路に出る主従のイメージで迫っているように見える。皆、「生き
ている怨霊たち」である。白い衣装が、韓国や日本では、「喪服」だというセンスが良く判
る場面だ。

大物浦の岩組の場面では、純無垢だった華麗な衣装は、悲惨な衣装に替わっている。手負い
となり、先ほどの華麗な白銀の衣装をあちこち真っ赤な血に染めて、向う揚幕、花道の向う
から、逃れて来た知盛。隈取りをした顔も血に染まっている。白銀から紅の血へ。

安徳帝の行方を探し大物浦までやって来た知盛は最期を覚った。舞台上手から義経一行が現
れる。従う四天王、安徳帝を抱きかかえた鎧武者がもう一人。さらに義経に助けられた典侍
の局も続く。知盛の忠義に感謝をしながらも義経の情けを仇に思うなと諭す幼い安徳帝。権
力者は、変わり身が早い。知盛は「壇ノ浦での平家の滅亡のありさまも、元はといえば父清
盛の、(外戚の望みあるによって、姫宮を御男宮と言いふらし、権威をもって御位につ
け)、天道をあざむく横暴が、つもりつもって一門我子の身に報いたのか」と嘆く。権力者
の横暴も、その因果が報った果ての滅亡も、この世で見るべきものは見たとして、知盛は
粛々と死に臨む。というか、元々知盛は、義経に一矢を報いたいとして、恨みをエネルギー
にして甦ってきた「死せる怨霊」であったわけだから、義経に安徳帝の今後を任せて、恨み
を解消してしまえば、安心立命の境地で、元の死の世界へ戻って逝くことができるのであ
る。

「義経千本桜 〜渡海屋、大物浦」の知盛を仁左衛門が演じるのは、今回で4回目。歌舞伎
座で初役を演じたのは、13年前、2004年4月であった。私が仁左衛門の知盛を観るの
は、その時と今回で2回目。いずれも歌舞伎座であった。仁左衛門の知盛役での歌舞伎座出
演は今回まで2回しかない。ほかは大阪松竹座と平成中村座。現在まででは、これだけであ
る。

仁左衛門の知盛を観る楽しみは、彼独自の工夫を見せてくれる、ということだ。楽屋で、
「私の型を作らせていただきました」と、仁左衛門は語る。仁左衛門の工夫の例。幾つか書
き留めておきたい。「大物浦」で仁左衛門の知盛は、胸に刺さっていた矢を引き抜き、血ま
みれの矢を真っ赤になった口で舐めるという場面がある。13年前の前回同様の演出を維持
していた。「大物浦」で源氏方と壮絶な戦いをする知盛の姿は、理不尽な状況のなかで、必
死に抵抗する武将の意地が感じられる、と思う。

仁左衛門の知盛の科白廻しも新鮮に聞こえる。仁左衛門は上方訛りで知盛の科白を言う。
「渡海屋」の場面での颯爽とした銀平、「大物浦」の場面での品格を感じさせる知盛。仁左
衛門は、仁左衛門が演じるというだけで、役柄が輝いて見える。得な人だ。

通称「碇知盛」。最大の見せ場。岩組の上で、碇の綱を身に巻き付け、綱の結び目を3回作
る。重そうな碇を持ち上げて、海に投げ込む。綱の長さ、海の深さを感じさせる間の作り
方。綱に引っ張られるようにして、後ろ向きのまま、落ちて行く、「背ギバ」と呼ばれる荒
技の演技。知盛が、入水する場面は、立役の藝の力が必要。ここは、滅びの美学。「義賢最
期」をベースに荒技の演技を積み重ねて来た仁左衛門ならではの、重厚な「知盛最期」であ
る。仁左衛門は、この場面、風格のある演技で、たっぷり、リアルに見せる。仁左衛門、7
3歳。いつまで、この荒技を演じられるだろうか。役者として、「旬の味」を観客に堪能さ
せる上に、独自の創意工夫の努力を欠かさない仁左衛門。

岩組の後ろでは、複数の水衣(みずご)姿の後見が、「背ギバ」の仁左衛門を拡げたネット
で受け止め、支えようとしている。ネットについた二つずつの輪っかに複数の水衣がそれぞ
れの両腕を通し、腕の所で墜落の衝撃と役者の体重に応えようということだ。

「義経千本桜」は、1747(延享4)年、全五段の人形浄瑠璃として、大坂竹本座で初
演。原作は、竹田出雲、並木宗輔、三好松洛で、歌舞伎・人形浄瑠璃三大名作のひとつ、と
いう馴染みのある演目。何回観たことだろう。松竹の上演記録を見ながら、数えてみた。こ
のうち、平知盛を主軸とする物語「渡海屋、大物浦」の場面だけでも、私が観るのは、今回
で13回目となる。

私が観た渡海屋銀平、実は、平知盛では、吉右衛門(4)、仁左衛門(今回含め、2)、團
十郎、三代目猿之助、幸四郎、海老蔵、松緑、菊之助、染五郎。

私が観たこのほかの配役。女房お柳、実は、典侍の局:魁春(2)、芝翫(2)、雀右衛
門、宗十郎、福助、藤十郎、玉三郎、芝雀、梅枝、猿之助、今回は初役の時蔵。松竹の戦後
の上演記録を見ると時蔵がこの役を演じたという記録はない。(今回」「玉三郎さんにお伺
いし…」と、語っている。義経:梅玉(今回含め、5)、松也(2)、亡くなった(八十助
時代の)十代目三津五郎(巳之助の父親)、門之助、福助、友右衛門、亡くなった富十郎、
萬太郎。弁慶:團蔵(5)、段四郎(2)、左團次(2)、歌六、菊市郎、猿弥、今回は弥
十郎。相模五郎:歌六(3)、歌昇時代含めて又五郎(2)、亀三郎(2)、九代目三津五
郎、亡くなった十代目三津五郎、亡くなった(勘九郎時代の)勘三郎、権十郎、右近、今回
は巳之助。入江丹蔵:歌昇(2)、信二郎時代含めて錦之助(2)、猿弥(今回含め、
2)、亡くなった松助(松也の父親)、亡くなった十代目三津五郎、高麗蔵、市蔵、亀寿、
右近、亀鶴。

すでに述べた仁左衛門の知盛論のほかに私の気がついた点を少し記録しておこう。

西国への渡航を望んでいる義経一行は、大物浦の船問屋・渡海屋で天気の回復を待ってい
る。悪天候が続いている。雨も上がらない。義経詮議のため北条家の家臣の鎌倉武士たち、
実は、知盛方の相模五郎(巳之助)と入江丹蔵(猿弥)が、宿改めに来る。雨に濡れた風体
で座敷に上がってくる。主人の銀平が不在で、内儀のお柳(時蔵)が応対する。ふたりは、
黒足袋に黒い鼻緒のわらじのような履物で、土足のまま座敷に上がってきた上に、女房しか
いないと見てか、傍若無人な態度を取る。この場面、芝居では、そういうようには描かれて
いないが、座敷は、泥だらけになっているのではないか、と私は思う。やがて、銀平(仁左
衛門)帰宅。蛇の目傘を差し下駄を履いている。玄関の木戸内に傘を置き、下駄を脱ぐ。や
はり、外は雨が降り続いているのだ。

銀平・娘お安、実は安徳帝を二代目市川右近が演じる。右近が安徳帝を演じるのは、2回
目。初代右近の長男・竹田タケル(本名)として、去年6月、歌舞伎座で初お目見得した際
に演じているからである。この時、6歳の幼稚園年長組。今年1月、新橋演舞場では、父親
の先代右近が三代目市川右團次を襲名したのに合わせて二代目市川右近として、初舞台を踏
んだ。今後は二代目市川右近として役者人生を歩んで行くだろう。彼は4月から小学生にな
る。


科白劇「明君行状記」


「明君行状記」は、科白劇が得意の真山青果の新作歌舞伎。1926(大正15)年、に発
表され、1937(昭和12)年、戦時色が強まる中で、東京劇場で初演された。二代目猿
之助(後の初代猿翁)が、主役の青地善左衛門を演じた。私は、今回で2回目の拝見だが、
16年前の初回の時と同じ疑問が解消されず、今回もよく判らない。岡山藩主・池田光政と
家臣の青地善左衛門の物語。

「元禄忠臣蔵」「江戸城総攻」「頼朝の死」など、いくつかの青果劇を観て来た。青果劇
は、総じて、科白劇であり、科白のやり取りの丁々発止が、魅力である。今回の「明君行状
記」も同様である。

新作歌舞伎だけに、緞帳が上がると、一瞬、静止画の舞台となり、暫くして権十郎の磯村甚
太夫が科白を言いはじめる。

第一場「青地善左衛門の家」。善左衛門の妻・ぬい(高麗蔵)、弟・大五郎(萬太郎)が、
叔父・磯村甚太夫(権十郎)の叱責を聞いている。狩りには許可がいる藩のお鷹場で、許可
なく鉄砲で雁を仕留めてしまった善左衛門。このままでは、極刑を免れない。家族親戚集ま
っても善後策に埒があかない。そのことを心配して、幼友達で従兄弟の筒井三之允(松江)
も訪ねて来るが、殿様の意向をたずさえて来たと知ると善左衛門は喧嘩別れをしてしまう。

ここでは、無許可で藩のお鷹場で狩りをした上、お鷹場の役人を無礼討ちにした青地善左衛
門の行動の真意がテーマとなる。お鷹場のエリアを勘違いした過失なのか。供をしていた若
党も主人同様に勘違いして、火のついた火縄銃を主人に手渡してしまったのか。あるいは、
善左衛門の確信犯なのか。なら、動機は何か。幼い頃から善左衛門を慈しんだ主君の池田光
政はなんとか善左衛門の命を救いたいと思っているようであるが、善左衛門は、主君の明君
ぶりを試したいと思っているらしい。私は、この動機付けが前回も今回も判らなかった。

第二場「岡山城内池田光政の居間」。殿様の直の裁断を求める善左衛門の真意を図りかねて
いる光政。若党自害の報に接し、善左衛門救済策を思いついたという光政は高笑いをする。

第三場「城内書院の間」。岡山城内の書院の間。幕が開くと「時計」の音を効果的に使って
いる。時計の音は、光政と善左衛門の「対決」の場面でも効果的だ。論争の果てに、証人と
なる若党・林助(橘太郎)の死を利用して、死人に口無しで、証言を得られないから、「疑
わしきは、罰せず」という結論を導き出す光政の「情」をベースにした「理」の主張に負け
を認める善左衛門。多分、青果は、ここをポイントにしたいのだろう。光政はやはり明君だ
という結論が出て、「一件落着」となる。この場面では、太鼓の音を使う。このあたりは、
歌舞伎の音遣いの巧さを感じる。その他の配役では、光政の側近・山内権左衛門を團蔵が演
じる。

梅玉の光政、亀三郎の善左衛門。名君の誉れ高い光政の、その名君ぶりに疑惑を抱く青年・
善左衛門が、一命に代えても殿様の本心を知りたいという動機付けが、良く判らなかった。
御禁制の鷹場で、過って鉄砲を撃ったというアクシデントは判るが、そういうアクシデント
を「切っ掛けに」、上記のような殿様の本心を知りたい、という動機が生まれたというとこ
ろが、判りにくい。本心で生きていない(であろう)大人と本心で生きたいと思う青年の、
人生の価値観を巡る論争という普遍的なテーマであろうか。あるいは、これは、番町皿屋敷
ものの腰元・お菊の物語の侍版か。信頼すべき人を信じきれない人の悩み。情をベースにし
た光政と不利と知りながら、理を主張する善左衛門。論争のやり取りの部分は、良く判る
が、その論争の入り口にあたる動機付けが弱い戯曲だと思った。

亀三郎の彦三郎襲名に向けてスタートが切られた、という感じ。坂東亀三郎は、5月の歌舞
伎座で、九代目坂東彦三郎を襲名披露する。父親の現彦三郎が初代楽善を名乗り、弟の亀寿
が三代目坂東亀蔵を襲名する。亀蔵は、すでに松島屋・片岡亀蔵がいる。亀三郎の六代目は
亀三郎長男の侑汰(ゆうた)が、初舞台で襲名する。


追善狂言も祝典劇


「神楽諷雲井曲鞠〜どんつく」。十代目三津五郎三回忌追善狂言。「どんつく」は、3回目
の拝見。江戸の大道芸の動く風俗絵巻。三津五郎の持ちネタ。前回観たのは7年前、10年
10月、新橋演舞場。その時の外題には、七代目、八代目、九代目の三津五郎追善狂言と角
書きがついていた。今回は、十代目の「三回忌追善狂言」とある。三津五郎代々が、引き継
ぐ踊り絵巻というわけだ。

定式幕が引かれると、浅葱幕が、舞台を隠している。勢揃いの役者衆の登場をいっぺんで見
せようという趣向。舞台は、亀戸天神の境内。中之島を繋ぐ太鼓橋がふたつある池のほとり
に、床几を半円形に並べて、半円の中心にいる太神楽と荷持、太鼓打を除いて、12人が座
っている。

巳之助を軸に松緑、海老蔵、亀寿、新悟、尾上右近、秀調、彌十郎、團蔵、時蔵、魁春、彦
三郎、菊五郎。顔見せ勢揃い、いわば、科白と踊りのある「だんまり」という趣向。まあ、
そういう趣向が先走りした演目で、思ったほど、おもしろい演目では無い。

太神楽(だいかぐら)の荷持(にもち)「どんつく」とは、鈍な男の意味、太鼓の擬音で、
「どん」と「つく」。太神楽の親方のアシスタントという役回りか。「丸一」の紋が入った
大道芸の「太神楽」が、披露される。松緑が、器用に手妻「まがい」(凄い、というほどで
はない)の藝を見せて、太神楽の親方・鶴太夫を演じていた。親方は、江戸っ子で、粋。田
舎者「どんつく」を演じる巳之助との対比。

白酒売の魁春は、白酒の言い立てを始める。太鼓持の秀調、彌十郎のふたりは、見物に廻っ
ている。後に、藝を披露する。門礼者(かどれいじゃ。正月に祝辞だけを玄関先で述べて、
辞する人)の彦三郎、田舎侍の團蔵、それに、子守の尾上右近。座っている床几から、半円
の中心へ出たり入ったりしながら、陽気で、賑やかで、滑稽な風俗舞踊を披露する。「どん
つく」が音頭をとって始めた田舎踊りは、皆も加わり、さらに、調子も、早間の踊りとな
る。「どんつくどんつくどどんがどん」。

大工の菊五郎と芸者の時蔵は、いわば、カップル。「いい仲」同士と見受けられる。後ろ姿
で、待機していた「どんつく」は、いい仲の間に入り込み、おたふくの面を利用した踊りな
ども披露する。面を取った「どんつく」と鶴太夫の赤尽くし、黒尽くしの軽妙な踊りから、
皆の総踊りとなる。追善狂言も祝典劇、ということか。巳之助は十一代目三津五郎を目指し
て精進が続く。
- 2017年3月15日(水) 10:27:04
17年3月国立劇場 (「伊賀越道中双六 (岡崎)」)


吉右衛門の「政右衛門」


14年12月国立劇場で、「伊賀越道中双六(岡崎)」を初めて観た。今回で2回目。国立
劇場では、その前年、13年11月に「伊賀越道中双六(沼津)」を上演した。両年にまた
がる通しである。「伊賀越道中双六」は、史実の荒木又右衛門が助太刀をした敵討ちを主軸
とした話だが、荒木又右衛門をモデルにした唐木政右衛門の物語を追うのは、「岡崎」編の
方で、「沼津」編は、別の副筋の物語となるが、こちらの方が世話物として質が高く、よく
上演される。「岡崎」は滅多に上演されない。14年の歌舞伎での「岡崎」上演は、197
0(昭和45)年9月の国立劇場以来の44年ぶりということであった。吉右衛門が政右衛
門を演じ、非常に好評であったので、2年3ヶ月ぶりに、17年3月に再演となった、とい
う次第である。細部ではいろいろ違っているので、この劇評では、前回との比較を軸にコン
パクトにまとめたい。

「通し狂言 伊賀越道中双六」は、近松半二らの合作狂言。1783(天明3)年4月、大
坂竹本座(人形浄瑠璃)で初演された。歌舞伎は同年9月、大坂中の芝居で上演。原作は全
十段の時代もの。近松半二の絶筆、最後の作品となった。

全段の構成は、人形浄瑠璃「通し」(13年9月の国立小劇場の場合)を参考に紹介すると
良いだろう。「(鎌倉)和田行家(ゆきえ)屋敷の段」「円覚寺の段」。「(大和郡山)唐
木政右衛門屋敷の段」「(大和郡山)誉田(こんだ)家大広間の段」「沼津里の段」「平作
内の段」「千本松原の段」。「藤川新関の段 引抜き 寿柱立万歳」「竹藪の段」「岡崎の
段」「伏見北国屋の段」「伊賀上野敵討の段」。

これが、14年、前回の歌舞伎「半通し」(五幕六場)では、序幕「相州鎌倉和田行家屋敷
の場」、二幕目「大和郡山誉田家城中の場」、三幕目「三州藤川新関の場」、同「裏手竹藪
の場」、四幕目「三州岡崎山田幸兵衛住家の場」、大詰「伊賀上野敵討の場」として上演さ
れた。

今回は、同じ「半通し」(五幕七場)で、序幕「相州鎌倉和田行家屋敷の場」、二幕目「相
州鎌倉円覚寺方丈の場」、同「門外の場」、三幕目「三州藤川新関の場」、同「裏手竹藪の
場」、四幕目「三州岡崎山田幸兵衛住家の場」、大詰「伊賀上野敵討の場」となる。つま
り、前回の二幕目「大和郡山誉田家城中の場」と今回の二幕目「相州鎌倉円覚寺方丈の場」
同「門外の場」が、差し替えられたのである。この差し替えで、いちばんの違いは、「岡
崎」編、主役の政右衛門(吉右衛門)の出(登場)がこの場面まで全く無く、休憩(幕間、
30分)後の三幕目「三州藤川新関の場」の途中で、やっと、花道から登場となることであ
ろう。これについては、後ほど述べてみたい。

この敵討物語には史実がある。荒木又右衛門が助太刀をして、通俗日本史で、俗に「36人
切り」と誇張されている伊賀上野鍵屋辻(かぎやつじ)の敵(かたき)討が1634(寛永
11)年旧暦の11月に実際にあった。ただし、荒木又右衛門が実際に斬ったのは、ふたり
だったという。

ベースとなる史実の敵討は、「日本三大敵討」(1・曽我兄弟の敵討=父、2・赤穂事件、
つまり「忠臣蔵」の敵討=主君。3・伊賀上野鍵屋辻の敵討。いずれも、歌舞伎、人形浄瑠
璃になっている)の一つと言われる。渡辺数馬が荒木又右衛門という助っ人(姻戚関係)の
剣客に助けられて敵討を果たしたことで有名になった。「伊賀上野の敵討」を軸に、東海道
などを鎌倉(事実上は江戸)から沼津、岡崎、京都、伊賀上野まで「双六」(一種のツア
ー・ゲーム)のように、西へ西へと旅をするので、こういう外題となった。事件から150
年後の芝居。荒木又右衛門をモデルにした「唐木政右衛門」が主役。渡辺数馬をモデルにし
たのは、「和田志津馬」。

私が観た主な配役;政右衛門:吉右衛門(2)、志津馬:菊之助(2)、政右衛門の妻・お
谷:芝雀時代を含め雀右衛門(2)、志津馬の父・行家:橘三郎(2)、幸兵衛:歌六
(2)、幸兵衛の娘・お袖:米吉(2)、幸兵衛の女房・おつや:東蔵(2)、前回、誉田
大内記/今回、丹右衛門、奴・助平のふた役:又五郎(2)、敵役の股五郎:錦之助(2)
ほか。

序幕「相州鎌倉和田行家屋敷の場」。事件の発端。和田行家屋敷。座敷には山水画の襖、衝
立、丸い行灯、脇息、掛け軸、刀箱などがある。ここでの見せ場は、沢井股五郎(上杉家家
臣・錦之助)による和田行家(上杉家家老・橘三郎)殺しである。沢井股五郎は、行家を殺
して、和田家の家宝の刀「正宗」を盗もうとするが、丹右衛門の策略で刀箱には刀はなく、
丹右衛門の預かり証のみ。そこへ丹右衛門がやってきたので、股五郎は刀を盗めないまま、
逃走する。

歌舞伎では、86年ぶりの復活、円覚寺

二幕目「相州鎌倉円覚寺方丈の場」、同「門外の場」。この場面は、歌舞伎では、86年ぶ
りの復活という(私は、人形浄瑠璃では診ている)。「相州鎌倉円覚寺方丈の場」では、逃
走した股五郎のその後が描かれる。股五郎は親戚の将軍家譜代の澤井城五郎(吉之丞)に匿
われ、円覚寺に身を潜めている。寺内に飾られただるまの掛け軸が印象的。城五郎は、又五
郎の身柄と引き換えに「正宗」を入手したいと企み、上杉家に使者を出す。やってきた使者
が丹右衛門(又五郎)である。正宗を持参している。城五郎に刀を渡し、丹右衛門は縄を打
たれた股五郎(錦之助)の身柄を受け取る。舞台が回って、続く「門外の場」では、外に出
た丹右衛門に矢が仕掛けられ、舞台上手下手から城五郎方の追っ手が一斉に襲いかかる。多
勢に無勢で、やがて深手を負った丹右衛門は股五郎を奪われてしまう。股五郎は鎌倉から落
ち延びることになる。花道から志津馬(菊之助)や政右衛門の妻・お谷(雀右衛門)らが駆
けつけるが、すでに遅し。丹右衛門は、お谷の連れ合いの剣豪・政右衛門に助力を頼むよう
に進言し、和田家嫡男の志津馬に行家の敵討ちをするようにと言い遺して、息絶える。

贅言;差し替えられた前回の二幕目「大和郡山誉田家城中の場」、通称「奉書(ほうしょ)
試合」では、郡山藩主・誉田大内記(こんだだいないき)の前で、誉田家への仕官が決まっ
た唐木政右衛門(吉右衛門)が、誉田家剣術指南番の桜田林左衛門との御前試合に臨むな
ど、早めに主役の政右衛門を登場させた。
三幕目「三州藤川新関の場」。ここは、後の悲劇を強調するためのチャリ場(笑劇)。鬱陶
しい敵討物語のなかで、笑いを誘う場面。人形浄瑠璃では、「藤川新関の段 引抜き 寿柱
立万歳」、通称「遠眼鏡」という。

関所前の茶屋の娘・お袖(米吉)。花道から若い侍。通行手形(切手)が無いまま、関所の
前で逡巡する志津馬(菊之助)であった。さらに花道から通りかかった沢井家の家来、飛脚
の奴・助平(又五郎)が、この場面での主要な登場人物となる。

「茶の字尽し」の奴の科白が、知られている。「ちゃはちゃはと茶々入れまい。コレ茶々、
茶屋のお娘。そ様の姿は一もりで、……」。チャリ場を引っ張って行くのは、美男の志津馬
に一目惚れして、逆上(のぼ)せているお袖と奴・助平(すけへい)。米吉は、ぽっちゃり
とした色気を滲ませた茶屋娘であり、四幕目の主要人物の一人、山田幸兵衛の娘であるお袖
を前回にも増して好演。

小道具の遠眼鏡は、関所破り対策用、つまり監視望遠鏡。今なら、国境警備隊のレーダーに
匹敵するかもしれない。それをお袖の機転で、奴に望遠鏡を覗かせる。奴に自分の馴染みの
情婦の座敷を覗き見させて、志津馬や自分への注意を外させる。

贅言;遠眼鏡で観ているものを「引抜き」という、人形浄瑠璃の舞台では、街角や街の遠見
が描かれた道具幕が、振り被せとなる。遠眼鏡で覗ける光景。やがて、「寿柱立万歳」とい
うことで、三河万歳のふたりが、レンズの向こうに見え出す。やがて、元の関所に戻るなど
と手が込んだ演出をする。

歌舞伎では、奴・助平のしゃべりだけで、引っ張る。前幕で実直な丹右衛門を演じていた又
五郎は、一転して剽軽な奴・助平を熱演。遠眼鏡を覗きながら場内を笑わせる。

その間に、志津馬は、茶屋の床几に置かれたままになっている奴持参の状箱の中身を改め、
手紙(山田幸兵衛宛)を盗む。一方、望遠鏡に夢中の奴の胸元から抜き出した手形を恋する
お袖は志津馬にそっと手渡す。その後、手形を無くしたことに気づいた奴・助平。前の宿場
に置き忘れたのかと勝手に誤解して戻って行く。

雪が降り出す。紙の雪とともに、「ドーンドーン」と、雪音を表わす下座の太鼓の音が大き
くなる。お袖の手引きで志津馬は、相合傘という気楽さを装い、関所を通り抜け、お袖の自
宅がある次の宿場の岡崎へ向かう。

暫くして、花道より股五郎(錦之助)を駕籠に乗せた一行がやってくる。駕籠の中に姿を隠
した股五郎は家来と一緒に早々に関所を通る。やがて、入相の鐘。時刻となり、関所の門が
閉められる。

花道からもうひとり。裁着袴に、簑、笠を付けた侍。一行の後ろ姿を見つけて追ってきたの
だが、遅れてきたので閉門に間に合わず、閉め出されてしまった政右衛門(吉右衛門)であ
る。敵討の逃亡組と追っ手組が、関所というポイントですれ違う。政右衛門は関所の周りを
調べ、抜け道を探す。

前の宿場まで手形を探しに行ったが、どうやら手ぶらで戻ってきた奴・助平も花道から現れ
る。不審な動きをする政右衛門の様子を窺う。関所傍の竹藪から入り込む政右衛門の行動を
真似て、助平も、竹藪に入り込む。ひと際、雪が降り出す。大道具が廻り、裏手の雪の竹藪
へ。

同「裏手竹藪の場」。政右衛門の関所破りの場面。鳴子が張り巡らせられた雪の竹藪。上手
奥から吉右衛門。竹藪の中央から政右衛門(吉右衛門)が、現れる。下手から巡回して来る
関所の役人が関所破りを見つけ、捕えようとするが逃げられる。奪った御用提灯を手に政右
衛門は暮れなずむ花道へと逃げ込む。遅れて出てきた奴・助平は不注意にも鳴子をならせて
しまい、役人たちとの立ち回り、となる。ゆったりした「だんまり」へ。奴の解けた帯で、
縄跳びのシーンも。やがて、雪も止み、月が出て……。「鈴ヶ森」もどきの演出のうちに、
喜劇仕立ての立ち回りは、やがて幕。

四幕目「三州岡崎山田幸兵衛住家の場」。通称、「岡崎」。今回の最大の見せ場である。

贅言;本舞台の雪布の敷き方がおもしい。下手、木戸の外は雪布。木戸の内は地擦り、ただ
し、廻り舞台の曲線の外は雪布。座敷上手縁側の橋の外からは雪布。

雪の岡崎は、宿外れのお袖の実家・山田幸兵衛家。「伊賀越道中双六」の見せ場としては、
「沼津」に次ぐ場面。「沼津」が、非常の状況下での親子の「情愛」を強調する場面なら、
こちら「岡崎」は、同じく非常の状況下での親子や夫婦の「非情」を強調する場面。この違
いは、剣豪たる政右衛門のキャラクターが大きい。

剣豪・政右衛門の非情ぶりを吉右衛門は、いぶし銀のような渋い演技で演じる。お袖の父で
政右衛門の師匠・山田幸兵衛(歌六)が、「沼津」の平作同格の役回り。歌六は良い味を出
している。

花道から相合傘の道行気取りでお袖(米吉)、志津馬(菊之助)のふたりが、やって来る。
見知らぬ若い男を連れてきた娘を母親のおつや(東蔵)が咎める。室内には、煙草の葉が多
数干してある。山田幸兵衛は、関所の下役人だが、薄給ゆえ、いろいろ副業で生計を立てて
いるのだ。お袖は、去年まで鎌倉の沢井家で腰元奉公していて、顔を知らないながら股五郎
が許婚なのだが、嫌っている。娘の許婚の縁があり、幸兵衛は、事情を知らないまま、沢井
家側についている。暇を取って、実家に戻ってきたお袖は、藤川関所の向こう側の茶屋で働
いている。

ふたりは、障子の間へ。志津馬は、盗んだ手紙の内容を使い、「股五郎」を名乗り、山田幸
兵衛を訪ねてきたと偽り、手紙を見せる。股五郎が美男と知り、お袖も喜ぶ。志津馬は、幸
兵衛ら両親からも歓待を受ける。

舞台は、「半廻し」になり、山田家の横側。竹本の「盆」も廻り、葵太夫登場。見せ場が続
く。花道から関所破りで逃げて来た政右衛門。持ってきた刀を雪の中に埋め、丸腰を装う。
追っ手の役人と政右衛門との立ち回り。素手でも役人に負けない政右衛門の力量をはかって
いた幸兵衛は、関所の役人の特権を生かして政右衛門の急場を救う。「然らばあ〜」という
吉右衛門の科白廻しが、声の質といい、抑揚といい、短いながら、絶品。

屋内へ案内する幸兵衛。大道具が廻って、元の住家の場へ戻る。やがて、ふたりは、じっく
り対面。持ち込んだ遠州行灯がふたりの顔を照らす。使う柔術の筋や面影から、幸兵衛は男
がかつての師弟だと見抜く。政右衛門は、幼名・庄太郎の時代に幸兵衛から指導を受けたこ
とがあった。しかし、庄太郎は現在の名前である政右衛門とは明かさない。政右衛門は、関
所の下役人でもある幸兵衛に隣室の障子の間で休んでいる股五郎(実は、志津馬)への助勢
を頼まれて、真意を隠したまま承諾する。

「岡崎」のハイライト。通称、「莨切り」の場面。妻のお谷(雀右衛門)が、乳飲み子を抱
いて、政右衛門を探してやって来る。子は、政右衛門の嫡男。初めての子を夫に一目見せた
いという執念だけで、政右衛門の後を追ってきたお谷。茣蓙を雪除けにした巡礼姿。片手に
乳飲み子を抱え、杖と茣蓙しか持っていない。降り積もる雪、募る寒さの中で、行き倒れ寸
前という、衰えよう。山田家の木戸の外に倒れ込む。夜回りの時六(吉之丞)は、巡礼を追
い払おうとする。室内では、外出中の師匠の代わりに山田家の副業である煙草の葉切りを手
伝う政右衛門。糸繰り車を回す東蔵のおつや。政右衛門は、外の見える蔀戸を開けて、倒れ
込んだ巡礼が妻のお谷と知りながら、無視をする。おつやにも追い払えと忠告する。蔀戸も
閉めてしまう。木戸の外は、雪音の太鼓も高くなる。雪も霏霏と降り出す。「奥州安達原」
の「萩袖」のような場面。幸兵衛が戻ってくる。

見るに見かねて、おつやは乳飲み子を室内に引き取り、暖を与える。赤子の身元を明かす書
き付けをおつやが見つける。「唐木政右衛門倅」と書いてある。幸兵衛は政右衛門と敵対関
係にある股五郎らにとって貴重な人質になると喜ぶが、庄太郎、実は、政右衛門は、乳飲み
子を人質に取るなど卑怯だと、己の身元を隠すために、なんと、早々と我が子を殺して、土
間に投げ捨ててしまう。敵討のために子や妻を犠牲にする剣豪・政右衛門の非情ぶりを強調
する場面だが、我が子を殺す際の政右衛門の涙を見逃さなかった師匠の幸兵衛に正体を見抜
かれてしまう。政右衛門と贋の股五郎(志津馬)の出会い、志津馬を諦め尼になる幸兵衛の
娘・お袖など。それぞれの胸中をうかがわせる。志津馬こと、娘の許婚の股五郎、昔日の愛
弟子の政右衛門の間で、義理と情愛の葛藤に苦しむが、すべてを知った幸兵衛は、弟子の政
右衛門と志津馬に味方することにし、先に関所を通過した本物の股五郎の行方を教える。敵
討がテーマの時代ものに、家族というテーマの世話ものが、いわば、「入れ子構造」になっ
ている。ここは、「沼津」も同じ。

弟子に対する師匠の温情をよそに、門口から駆けつけたお谷は、夫の政右衛門に再会したも
のの、夫に見せたかった我が子は、夫の手にかかり殺されてしまった、と覚る。この場面
は、敵討成就のために生まれた家族の様々な悲劇がテーマ。政右衛門は剣豪かもしれない
が、人物的には、師匠の幸兵衛の品格には叶わない、という場面でもある。歌六の抑制的な
演技が良い。絶えず、苦渋を滲ませたような吉右衛門の表情も良い。悲劇の母親・お谷を演
じた雀右衛門も渋い。雀右衛門は、今月は、歌舞伎座と掛け持ち。国立劇場終演後、木挽町
へ。歌舞伎座、夜の部では、「助六」の華やかな恋人・揚巻を演じている。まあ、それはさ
ておくことにしよう。幸兵衛女房・おつやは、脇の名優・東蔵など、前回同様の顔ぶれで
「吉右衛門一座」は、じっくりと見せ場を演じる。
 
大詰「伊賀上野敵討の場」。伊賀上野鍵屋辻。上手に茶屋「かぎや」。店の障子に「居酒」
と大書してある。舞台下手にある道標の杭に「是より金殿寺」とある。道標の下手側に奉行
所の「定」書が4枚ある。「定」の詳細不明。前回は絵馬飾り。背景の書割は、街道筋の松
並木。この背景は、敵討の進展により、引き道具(茶屋、杭などが引っ込む)と書割の更新
(松並木へ)、さらに廻り舞台で、伊賀上野城へと、3つの場面に早替わり。茶屋 → 松
並木 → 伊賀上野城が望める堀端。前回の国立劇場では、道標の杭は「みぎいせみち ひ
だりうえの」とあった。今回は、無し。

前回は、花道から現れた政右衛門、志津馬らが、股五郎一行を待ち受けるため、茶代を払
い、一旦茶屋に潜んだが、今回は、いきなり、茶屋内から飛び出してきた。前回は、花道か
ら女乗物(駕篭)の一行が、やって来た。女乗物にカモフラージュした駕篭には、実は、股
五郎が前回は乗っていたのだ。どこまでもずるい奴。今回は、股五郎(錦之助)も含め、一
行は徒歩であった。そこへ、茶屋内から白無垢姿の志津馬(菊之助)、黒い衣装の政右衛門
(吉右衛門)ら総勢4人が、名乗りを上げて登場、敵討の立ち回りとなる(場面転換は、引
き道具、廻り舞台へと繋ぐ)。

助太刀の政右衛門は、股五郎一行の供侍を次々に、斬り倒して行く。やがて、長い槍を得意
とする股五郎と剣で立ち向かう志津馬の一騎討ち。なかなか、勝負が付かない。供侍たちを
斬り捨てて、追い付いて来た助っ人の剣豪・政右衛門が、志津馬を励ますうちに、志津馬
が、股五郎を討ち取り、奪われたままだった家宝の刀「正宗」も股五郎の腰から抜き取り、
「めでたい、めでたい」で、幕。ここは、敵討物語の見せ場だが、10分間の芝居。なんだ
か、「仮名手本忠臣蔵」の十一段目「討ち入り」の場みたいな実録風の演出であった。

贅言;現在歌舞伎界の屋台骨を背負っている吉右衛門の年齢が、今回、初めて気になった。
吉右衛門は今年の5月で、73歳。立ち回りの場面以外では、気にならなかったが、立ち回
りの場面で、上手奥から本舞台に駆け足で出てくる場面で、若い役者に比べて足のもたつき
気味だったのが気になった。この場面だけか。吉右衛門も肉体的に衰えたのか。そんなこと
はないだろう。まだ、若々しい。でも、吉右衛門は、「共演の若い駿馬の皆さんに負けない
よう、楽日まで元気に駆け抜けたいですね」と、楽屋内で言っているが、何か気になる言葉
ではないか。

それに、さらに穿った見方をすれば、前回の二幕目「大和郡山誉田家城中の場」で颯爽と登
場した主役の政右衛門が、今回は、幕間(30分)後の三幕目「三州藤川新関の場」の途中
で、やっと、花道から登場というのも、出演時間を減らす手立て、というようなことだろう
か。いずれにせよ、歌舞伎の役者衆は、ここ数年、過重な負担がかかっていやしないか。ど
なたも体調管理に気をつけて、いつまでも元気で活躍していただきたい、と祈ること切であ
る。

娘婿の菊之助は、「(国立)劇場ロビーに飾られた平櫛田中さんの彫刻『鏡獅子』(モデル
は六代目尾上菊五郎)から、『一生修業だぞ』と戒められています」と語っている。いずれ
来るであろう世代交代(父親の七代目菊五郎、義父の吉右衛門を意識しているか)への覚悟
であろうか。

贅言;さて、気分を変えて。少し触れましたが、気がついてますか。
今回、国立劇場と歌舞伎座を掛け持ちの役者は、私が気がついただけでも、5人いる。国立
劇場の四幕目「山田幸兵衛住家の場」という「岡崎」の見せ場に登場する山田幸兵衛役の歌
六は、歌舞伎座では、「助六」の、道化役の一人、くわんぺら門兵衛役で出ている。国立劇
場の二幕目「円覚寺門外の場」や四幕目「山田幸兵衛住家の場」に登場する政右衛門の妻・
お谷役で出演している雀右衛門は、歌舞伎座では、「助六」の恋人役の華やかな揚巻役で出
ている。あの衣装や鬘、櫛、笄などの重さは、およそ40キロという。国立劇場の序幕「行
家屋敷の場」に登場する行家妻・柴垣役の京妙は、歌舞伎座では、「助六」の揚巻付番新・
巻絹を演じた。同じく腰元・玉木役の京紫は、「助六」の揚巻付振袖新造・咲野を演じてい
る。さて、もう一人。国立劇場の同じく序幕登場の腰元・沢野役の京蔵は、歌舞伎座筋書き
の顔写真のみだから、舞台出演ではなく、雀右衛門の後見役を観客から見えないところ、つ
まり、楽屋などで勤めているのだろう、と推察する。衣装の着脱、その順番なども、完璧に
判っているお弟子さんでないと手助けにならないだろうな。
- 2017年3月12日(日) 16:59:47
17年02月国立劇場・人形浄瑠璃第3部(「梅川忠兵衛/冥途の飛脚」)


改作前の梅川忠兵衛


国立劇場開場50年記念人形浄瑠璃公演の第三部は、「梅川忠兵衛/冥途の飛脚」で、場の
構成は、「淡路町の段」、「封印切の段」、「道行相合かご」。今回で、2回目。

世話もの人形浄瑠璃「冥途の飛脚」は、近松門左衛門原作で、1711(正徳元)年、大
坂・竹本座初演と伝えられる。当時は、「新いろは物語」の切浄瑠璃。詳細不明。これを菅
専助・若竹笛躬の合作で改作した人形浄瑠璃「けいせい恋飛脚」(1773年)は、いつも
歌舞伎などで観ている歌舞伎の「恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい、こいのた
よりやまとおうらい)」(1757年初演、詳細不明? 1796年初演、詳細判明)の原
作。

整理しておくと、人形浄瑠璃では、現在、二つの上演形態がある。
1)「冥途の飛脚」(淡路町の段、封印切の段、相合かご)。
2)「傾城恋飛脚」(新口村の段)
→ これが、歌舞伎では、「恋飛脚大和往来」(二幕もの。封印切の場、新口村の場、とし
て、通し、あるいは、みどりで上演)

今回の上演は、お馴染みの「封印切の段」を挟んで、歌舞伎では上演されたのを私は観たこ
とがない「淡路町の段」と「道行相合かご」が、前後につくという構成。この構成の人形浄
瑠璃「冥途の飛脚」は、前回、12年9月国立劇場で拝見。

このほか、人形浄瑠璃では、「冥途の飛脚」の続きとなる「傾城恋飛脚」(「新口村の
段」)を私は3回観ている。11年1月、大阪文楽劇場、11年5月国立劇場、12年12
月国立劇場。

贅言;12年12月国立劇場の上演途中、東京で震度4の地震があり、一時舞台中断、再開
したことがあった。M7・3。三陸沖が震源地。国立劇場では、暫く上演を続けた1、2分
後、一旦、幕を閉めて、8、9分間くらい中断。竹本の文字久大夫が、落着いた声で、「そ
のまま座っていて下さい」という。太夫も三味線方も、床に座ったまま、待機。5時28分
再開。文字久太夫が、先ほど、一度語った場面をなぞるように語り出す。竹本:「涙の隙に
巾着より、金一包み取り出だし」で、静止して待っていた孫右衛門(玉也が遣う)と梅川
(清十郎が遣う)が、動き出す。中断した後の場面が描き出され、語り継がれ、「平沙の善
知鳥値の涙、長き親子の別れには、やすかたならで安き気も、涙々の浮世なり」(幕)。午
後5時40分頃の終演であった。

八右衛門と忠兵衛の友情

特に、改作前の忠兵衛と八右衛門の関係を描いた「淡路町の段」「封印切の段」では、ふた
りの商人として、八右衛門の有能さと忠兵衛の無能さを浮き彫りにする近松門左衛門の視点
が描かれていて歌舞伎とはひと味違って、おもしろかった。つまり、歌舞伎と違って、八右
衛門は商人仲間として、商人失格にならぬよう、忠兵衛への友情を持ち続けてくれている。
当時の商家の内情描写もおもしろい。

改作後は、「商人仲間」の八右衛門と忠兵衛のふたりは、梅川を巡る「恋のライバル」とし
て描かれるようになり、改作者は、忠兵衛に滅びて行く男の美学を集中したあまり、八右衛
門の人間像を対照的に、より敵(かたき)役の色彩を強められてしまった嫌いがある。商人
同士として見れば男気のある八右衛門は、5年ぶりで、とても新鮮に見えた。その印象は、
今回も変わらない。

贅言;まず、近松門左衛門原作「冥途の飛脚」の「冥途」と「冥土」の違いは? 近松門左
衛門が使っている「冥途」とは、広辞苑によれば、冥途=死者の霊魂が迷い行く道とある。
そして、「冥土」は、どう違うかと言うと、冥土=死者の霊魂が行き着いた暗黒の世界。近
松は、恋の果て人生を破滅させた若いふたりが「迷い行く道」の途上を描いたのであって、
迷いついたゴールである「暗黒の世界」を描いたのではないのであろう。

「淡路町の段」を観る。竹本は、口が松香太夫病気休演で、咲甫太夫代行。奥が、呂勢太
夫。脂ののった中堅二人の熱演、競演。国立劇場(小劇場)の筋書には、前回は、「冥途の
飛脚」のための地図がついていた。今回は無し。養子の忠兵衛が養父の没後引き継いだ飛脚
屋の亀屋のある「淡路町(あわじまち)」は、地図の上では、「淡路丁」とある。

亀屋の経営者になった忠兵衛は、「飛脚屋の鑑」の亀屋が自慢の、後家となった養母・妙閑
の指導も良かったこともあって、「商ひ巧者」、忠兵衛の経営の舵取りは、順調であった。
淡路丁は、堂島川に掛かる天神橋の下流に流れ込む堀の入り口から数えて、幾つ目か、思案
橋西詰近くにある。店も賑わっている。馬が荷を載せて到着。荷を肩に担いで暖簾の内へ運
び込む従業員の動きもリアルである。

亀屋は、店先に紺地に亀屋と白く染め抜いた暖簾を掲げている。暖簾には「飛脚」、「為
替」も白く染め抜かれている。舞台下手が、店先の外。荷扱の作業場でもある。中央から上
手の奥の「二重舞台」が、店内。手前の「平舞台」が、店先。内外とも客とのやり取りをす
る場だ。番頭が座っている帳場の後ろに売掛帳、仕入帳、大福帳が掛けてある。

「鼻紙びんびんと使ふ者は曲者ぢゃ」という養母・妙閑の科白が聞こえて来た。上手障子の
間から出て来た。養母の科白は続く。(忠兵衛も)「延(のべ)紙(注:小型の杉原紙。廓
などで使う高価な鼻紙。セックスの後処理に使う。遊蕩の象徴)三折づつ入れて出て、なに
ほど鼻をかむやら戻りには一枚も残らぬ、……、あのやうに鼻かんでは、どこぞで病も出ま
せう」と放蕩ぶりを皮肉る。

盆廻しで、咲甫太夫、三味線方・清友から呂勢太夫、三味線方・清治のペアへ。堅実に飛脚
屋を経営していた亀屋忠兵衛だったが、新町遊廓に馴染み、つまり梅川と恋仲になって、転
落し始める。江戸から届く筈の金300両が届いていないと亀屋出入りの堂島に蔵屋敷のあ
る侍が苦情を言いに来る。侍は、暖簾のところを出入りする。ビジネス仲間で親友の八右衛
門も、10日も前に届いている筈の江戸からの為替金50両を受け取っていないと文句を言
いに来る始末。外出先から戻って来た忠兵衛は、店先で見かけた八右衛門に50両は、梅川
のために使ってしまったが、後で返すと泣きつく。それを許す八右衛門。忠兵衛の母親・妙
閑に呼び止められても、男の友情で、忠兵衛の肩を持ち、母親を騙すのに一役買ってくれ
る。

夜も更けた頃、江戸からの300両が届く。昼間、蔵屋敷の侍から催促されていた金なので
自ら急いで届けようという忠兵衛。店の者には「夜食しまふてはや寝よ」と気遣いの言葉を
残して、堂島の蔵屋敷へ届けに出たが、途中の西横堀で、行き先を南へ、堂島から梅川の居
る新町に変えてしまう。

色恋の前に自制心をなくしている。「心は北へ往く往くと、思ひながらも身は南、西横堀を
うかうかと」。「米屋町」「キツネ小路」「氏神(坐摩神社)」など実際にある地名を織り
込んで歌い上げる。「よね=妓・女郎→梅川」。「狐化かすか南無三宝」。「梅川が用あつ
て氏神のお誘い」。「行て退けうか措いてくれうか」と、迷い抜く場面。

この辺りは、亀屋の大道具が、上に引揚げられ、白壁の蔵、材木問屋、すべて二階建ての町
家の遠見となり、さらに、引き道具で背景を動かして、効果的。亀屋店先から下手小幕へ入
った忠兵衛は、道具が変わると、やがて、上手小幕から出て来て、町屋の筋を歩いて行く。

「いや大事、この銀(かね)持つては使ひたかろう、おいてくれうか、いてのけうか、イヤ
やつぱりおいてくれうか、いてのけうか、エエイ行きもせい」。

分別を失った忠兵衛は、自ずと着ている羽織を落としても気がつかない。「羽織落とし」と
いう見せ場。下手から現れた野良犬に吠えつかれる忠兵衛。「一度は思案、二度は不思案、
三度飛脚。戻れば合わせて六道の冥途の飛脚と」で、豊竹呂勢太夫は、語り納め。

贅言;「三度飛脚」とは、東海道の江戸と大坂間を毎月三度飛脚が往復した。当初は、武家
の家来が、後に、町飛脚が往来した。

「封印切の段」。竹本千歳太夫、三味線方・豊澤富助のペア登場。千歳太夫の第一声。「え
いえいえい烏がな烏がな、浮気烏が月夜も闇も、首尾を求めてな逢はう逢はうとさ(あほう
あほうとさ)」。

「封印切の段」は、歌舞伎でもお馴染みだが、八右衛門の描き方が違う。忠兵衛は、恋狂い
以後、ビジネスマンとしてだめ男、馬鹿男となってしまっている。いわば、破滅型。八右衛
門は、ビジネスマンとして常識人である。忠兵衛への友情も持っている。恋狂いの忠兵衛を
諌め、破滅を予防しようとする。その対比が、歌舞伎との違い。改作は、芝居自体を恋物語
に軸足を移し、忠兵衛の悲劇性を高めるために、八右衛門を敵(かたき)役に改悪してい
る。

新町遊廓。佐渡嶋町筋、越後町筋、瓢箪町筋の三筋五町の遊廓。佐渡屋町の越後屋(女主人
=あるじ=とて、立ち寄る女郎=よね=も気兼ねせず)が、梅川身請けのために後の封印切
(公金横領)の舞台となる。大筋の展開は、歌舞伎と同じだが、梅川身請けの金を忠兵衛は
用意できないからと八右衛門は、店側に予防線を張る。忠兵衛が大罪を犯さぬよう「店に寄
せ付けるな」と、憎まれ役を買って出ている。しかし、恋狂いの忠兵衛には、これが気に入
らない。親友の本心を悟らず、恥をかかされたと思い込む。もう、商道徳に気を配る注意力
はなくなっている。思い込み、勘違い、さらに意地張り。こうなったら、元はいくら優秀な
商人だったとして、もう、判断力無し。忠兵衛は八右衛門の男の友情による制止も聞かず、
堂島の蔵屋敷に届けるべき公金を横領したにもかかわらず、養子に来たときの持参金(敷
銀)と偽り、梅川身請け金として支払ってしまう。金を節分の豆まきのように投げ合い、拾
い合い、投げ合いするふたり(悲劇の中の笑劇=チャリ場=)。最後に八右衛門は、匙を投
げてしまう。呆れながらも「梅川殿、よい男持つてお仕合はせ」と皮肉を言って、帰ってし
まう。

贅言;「封印」は、江戸幕府の御金(おんきん)改役で金座の責任者・後藤家が封印した小
判の包みのこと。「後藤包み」という。公金は、100両単位で「後藤包み」だったから、
忠兵衛が封印を切ったのは、この「後藤包み」を破ったということだろう。小判投げ合いの
場面は、複数の紐で結ばれた複数の小判を黒衣が振り回す形で、表現していた。

誰もいなくなってから梅川に真相を話し、「地獄の上の一足飛び、飛んでたもや」で、故郷
新口村に向けて、逃避行。新町遊廓の西の大門の南にある「砂場」。「果ては砂場を打過
て、後は野となれ大和路や足に、任せて」で、熱演の千歳太夫の語り納め。

贅言;地図では、亀屋のある淡路丁から見ると、北に堂島(為替を届けるべき蔵屋敷)。南
西に新町遊廓(梅川が居る)、途中の道筋に行きつ戻りつ思案した西横堀。死出の道行きの
スタート地点の新町遊廓西大門南の砂場。竹本の「砂場を打過(うちすぎ)て」は、砂場と
いう場所を通過してという意味だが、金銀を砂の如くまき散らして、借金やら身請け金をば
らまいて転落して行く忠兵衛の姿が、凝視されている。ここにあった蕎麦屋が、「砂場」の
屋号で知られる。

歌舞伎では、雪の「新口村」へ、場面展開するところだが、人形浄瑠璃では、「道行相合か
ご」へ。浅葱幕。置き浄瑠璃。柝で幕振り落し。畑の野遠見。無人である。笹原薄原。「空
に霙のひと曇り、霰交じりに吹く木の葉」。晩秋。下手から駕篭が出て来る。駕籠かきが駕
籠の小窓を開けて中を覗くが、中は客席からは見えない。やがて、梅川、そして、忠兵衛の
ふたりが駕篭から下りて来る。駕篭を下手に帰して、ふたりは晩秋の道行。「里の裏道畦道
へ、こちへこちへ」。これで夫婦になれたと梅川。「京の六条数珠屋町」一目母親にあって
死にたい。忠兵衛は、梅川を「嫁ぢや」と新口村の父親に紹介したい。ふたりは、上手へ。
新口村目指して逃避行。背景が引き道具で下手に引き込まれる。上手に案山子が現れる。
「往くは恋故捨つる世や哀れはかなき」。ここは、竹本が、梅川:竹本文字久太夫、忠兵
衛:豊竹睦大夫ほか総勢5人。三味線方は、竹澤團七ら5人。

主な人形遣いは、妙閑(文昇)、忠兵衛(玉男)、八右衛門(簑二郎)、梅川(清十郎)。

贅言:道行は、雪が霏霏と降る新口村の場面が、やはり美しい。駕籠の場面で、男女二体の
人形が一緒に乗っていたのを見たような記憶があるが、それが「相合かご」の場面かと思っ
ていたが、前回の劇評にも書いていないので、不確かだ。女形が駕籠に乗る場面では、「関
取千両幟」のおとわが駕籠に乗っていて、窓から顔を出す場面は、私の劇評にもある。金二
百両。贔屓より。と、己を身売りし、夫の相撲取りの賞金にする。「駕篭の後ろで、簑助が
おとわを操る。駕篭の小窓から顔だけを出しているおとわの淋しさ」などと書いている。も
う一つは、「仮名手本忠臣蔵」の六段目「身売りの段」で、おかるが駕籠に乗せられて売ら
れて行く場面。庶民の女たちが駕籠に乗るのは、身売りのときくらいしかないのかもしれな
い。
- 2017年2月18日(土) 18:31:32
17年02月国立劇場・人形浄瑠璃第2部(「曽根崎心中」)


人気、満席の「曽根崎心中」


国立劇場開場50年記念公園の第二部は、「曽根崎心中」で、場の構成は、お馴染みの「生
玉社前の段」、「天満屋の段」、「天神森の段」。歌舞伎では、「生玉神社境内」、「北新
地天満屋」、「曾根崎の森」と、タイトルは変わるが、芝居の中身は、ほぼ同じ。「曽根崎
心中」を人形浄瑠璃で観るのは、今回で5回目。10年2月、11年12月、13年5月、
16年5月、そして、今回。

「曾根崎心中」は、1703(元禄16)年5月、史実の事件を元に書かれた近松門左衛門
原作で、大坂竹本座で初演された。事件は、上演の1ヶ月前、4月に起きた。大坂北新地天
満屋の遊女・お初と大坂内本町の醤油問屋平野屋の手代・徳兵衛が、大坂梅田曾根崎露天神
の森で心中したという。歌舞伎の台本を書いていた近松が、人形浄瑠璃のために初めて書い
た世話浄瑠璃の第1作である。

歌舞伎の台本は、宇野信夫が戦後に脚色、復活したもの。1953年、新橋演舞場。21歳
の二代目扇雀(当代の坂田藤十郎)が初演で、好評を博し、扇雀ブームを巻き起こした。そ
のブームにあやかろうと、人形浄瑠璃では、2年後、1955(昭和30)年1月、野澤松
之輔の脚色・作曲で、復活され、現在まで、上演を重ねている。

歌舞伎では、死の道行きでは、スポットライトを使うほか、暗転、暗い中での、2回の廻り
舞台、閉幕は、緞帳が降りてくるという歌舞伎らしからぬ新演出で見せる。まさに、宇野演
出の、新作歌舞伎とも言うべき「近松劇」である。それに比べると、人形浄瑠璃は、オーソ
ドックスな演出を守っている。

「生玉社前の段」。丘の上の生玉神社らしく、山々を見通せる遠景という設定で、開放感が
ある。遠景の手前の藤棚も下手だけ、舞台中央には、石灯籠、上手は、「はすめし」が売り
物の茶屋の入り口。歌舞伎では、徳兵衛を見かけた藤十郎のお初が茶屋の暖簾をかき分けて
飛び出して来るが、人形浄瑠璃では、お初は、茶屋の格子内で姿を見せ、むしろ、徳兵衛
が、茶屋の中へ入って行く。

伯父の店で働く徳兵衛は、得意先回りの途中で、境内に立ち寄った。徳兵衛とお初のやり取
り。伯父から徳兵衛に持ちかけられた縁談の持参金を、窮状を訴える友人の九平次に貸した
ら騙し取られてしまったということで、後の事件への伏線が描かれる。今回は、桐竹勘十郎
が、お初を操り、吉田玉男が徳兵衛を操る。竹本は、文字久太夫。

「天満屋の段」。徳兵衛のことを案じて、ふさぎ込んでいるお初。顔を隠し、編み笠姿でや
ってきた徳兵衛。お初は、徳兵衛を店の誰にも見つからぬように、打ち掛けの下に隠して、
店内に連れ込む。徳兵衛は、縁の下に隠れ込む。三人遣いの人形も縁の下の狭い空間に入り
込めるのは、主遣いの玉男のみ。足遣い、左遣いとも、一旦、姿を消す。

やがて、酔っぱらってやって来た九平次は、得意げに、徳兵衛の悪口を言い立てる。縁の下
で、怒り出す徳兵衛をお初は、足の先で、押し鎮める。人形浄瑠璃の女形は、足が無く、着
物の裾で足を演じるのだが、この場面だけは、特別に、足(右足のみ)を出して、操る。縁
の端に座り込み、店の者や九平次を相手にしながら、時々、独り言を装って、縁の下の徳兵
衛に話しかけたり、足先で、合図したりするお初。心中の約束も、ここで、果たす。

「独り言になぞらへて、足で問へば
下には頷き、足首とつて咽喉笛撫で、『自害する』とぞ知らせける」。

「曾根崎心中」の最高の見せ場である。

九平次も去り、店の者も、寝静まり、いよいよ、暗闇の中、心中決行の現場へと出向くお初
と徳兵衛。天満屋の下女との絡みが、悲劇の前の喜劇。チャリ場である。明かりを付けよう
と、火打石を打つ下女の動作に合わせて、

「『丁』と打てば そつと明け 『かちかち』打てば そろそろ明け、合はせ合はせて身を
縮め、袖と袖とを槙の戸や、虎の尾を踏む心地して」、

店先の車戸を開ける徳兵衛とお初。緊迫感が、高まる。ここも、名場面だ。竹本の「切」の
語りは、現在の太夫の中では、最高位の豊竹咲太夫である。

人形浄瑠璃では、下手の小幕の中へ、徳兵衛に引っ張られるようにお初が続いて、幕。これ
が、歌舞伎では、花道七三で、戦後の歌舞伎に衝撃を与えた、当時の21歳の二代目扇雀の
お初、実父の鴈治郎の徳兵衛の居処替り。咄嗟の演技から生まれた瞬発力のある演出で、お
初が、徳兵衛を引っ張って、積極的に先行して死にに行く、道行きの新鮮さ。歌舞伎の演出
は、以後、どの役者が演じても、これが踏襲されている。

花道の出から「曾根崎の森」へ直結する歌舞伎と違って、人形浄瑠璃では、手拭いで顔を隠
したお初と編み笠姿の徳兵衛は、舞台下手の小幕を開けて登場。

「此の世の名残り夜も名残り」という近松原作の古風な竹本の語りで始まる「天神森の段」
では、ふたりの歩みに被さる鐘の音、「数ふれば暁の、七ツの時が六つ鳴りて、残る一つ今
生の、鐘の響きの聞き納め」(午前4時)。背景の書割の夜空の上手に輝く女夫(めおと)
星、「北斗は冴えて影うつる星の妹背の天の河」。

まず、梅田の橋を渡る。ふたりの周りに出現する人魂。怖がるお初に、「まさしくそなたと
わしの魂」と諭す徳兵衛。人形浄瑠璃では、徳兵衛が、お初をリードする。数えで、25歳
の徳兵衛と19歳のお初。ふたりとも、厄年だ。

竹本の大夫たちは、お初の津駒太夫、徳兵衛の咲甫太夫のほか、芳穂太夫、亘太夫の、あわ
せて4人で対応。独唱したり、合唱したり、起伏のある、メリハリのある語りが、緩急自在
で、聞き応えがある。三味線方は、人間国宝の鶴澤寛治ら4人。

梅田の橋が、引き道具で、下手へ引っ込む。ふたりも、一旦は上手に入る。背景の夜空が、
しらじらと明けて来て、女夫星も消える頃、お初徳兵衛のふたりが、上手から再登場する。
背景の木々も、居処替わりで、「天神森」へ。

冥途の両親にお初を嫁だと紹介すると話す徳兵衛。この世に残す両親を気遣うお初。お初に
覚悟を促す徳兵衛。打ち掛けを脱ぐと、下は死に装束のお初は、「早う殺して殺して」と言
う。死に装束ながら、お初の締めた赤い帯が、若い女性らしい。お初の帯をふたつに裂い
て、結ぶ。結ばれた帯で、ふたりの体をしっかりと繋ぐふたり。

前回観た時は、まず、徳兵衛は、脇差しでお初の胸を刺して殺すと、自分の首をかき斬っ
て……。お初の体の上に、抱き合うように、倒れ込む徳兵衛。重なったふたりの遺体に、幕
が閉まる、という演出だったが、今回は、徳兵衛がお初に脇差しを向けたところで、幕が下
手から迫ってくる。この演出は、歌舞伎ではお馴染みだが、人形浄瑠璃では初見だった。

咲太夫の話。「『曽根崎』の道行は、外国で上演したから、完全に変わりましたね。徳兵衛
がお初を刺して、あと喉を切って、あの振りは初めはなかったわけですから」。今回は、前
の演出を優先したことになる。
人形浄瑠璃では、竹本「寺の念仏の切回向」とあり、独唱と合唱で、「南無阿弥陀仏」を、
4回繰り返した後、「南無阿弥陀仏を迎へにて、哀れこの世の暇乞ひ。長き夢路を曾根崎
の、森の雫と散りにけり」と、幕切れは抹香臭い、古怪な味を保っている。いつ聞いても、
「南無阿弥陀仏」の合唱の声が哀しい。お初は、九平次に大金を騙しとられた徳兵衛に同情
して、死んで行く。お初は、観音様のような慈悲の心で、徳兵衛の心を包んで行く。

歌舞伎でも、人形浄瑠璃でも、初演以降、現在までほとんど上演されないのが、「曾根崎心
中」の序、「大坂三十三ヶ所観音廻り」。「観音廻り」は、大坂の33ヶ所の「札所廻り」
のことで、西国33ヶ所廻りの替わりに廻れば、同じような効用があるという。つまり、大
願成就、浄土に行けるというわけだ。田舎のお大尽に連れられて観音廻りをさせられてとい
うことで、いわば、「大坂観光」のガイドを兼ねて、お初はおつきあいをする。「観音廻
り」を終えて、夕暮れ。生玉(生國魂)神社でひとやすみというのが、今、最初に上演され
る「生玉社境内」の場面だ。従って、お初には、「衆生済度(しゅじょうさいど)」を願う
観世音菩薩がイメージされているという。「衆生済度」は、仏教の用語。辞書に拠ると、
「衆生」は、生きとし生けるもの。人間を含むすべての生きもの。「済度」は迷う衆生を悟
りの境地に導くということ。つまり、お初は、今や、大阪では、「お初天神」ということ
で、神さま仏さまの存在になっているが、これは、実は正解で、お初は、近松の原作の時か
ら、「観音廻り」から「曾根崎の森」の心中に至る過程で、「観音さま」になって行く物語
という性格があるという見方もできる。お初は、死を全く恐れていない。

今回の主な人形遣いは、次の通り。徳兵衛:玉男、お初:勘十郎、九平次:玉輝ほか。
- 2017年2月18日(土) 17:43:29
17年02月国立劇場・人形浄瑠璃第1部(「平家女護島」)


2月の国立劇場小劇場は、国立劇場開場50周年記念で、「近松名作集」と題して、三部制
で上演した。第一部は、「平家女護島(へいけにょごのしま)」。場の構成は、次の通り。
「六波羅の段」、「鬼界が島の段」、「舟路の道行より敷名の浦の段」。第二部は、「曽根
崎心中」で、お馴染みの「生玉社前の段」、「天満屋の段」、「天神森の段」。第三部は、
「梅川忠兵衛冥途の飛脚」で、「淡路町の段」、「封印切の段」、「道行相合かご」という
構成。


俊寛物語から清盛物語へ


まず、第一部の「平家女護島」。「平家女護島」を人形浄瑠璃で見るのは初めて。人形浄瑠
璃としては、原作は全五段の作品。1719(享保4)年、大坂・竹本座初演。主な内容
は、以下の通り。初段:平家に囚われの身となった俊寛の妻・あづまやが平清盛から辱めを
受ける前に自害する。二段目:後白河法皇対平清盛の対立という構図中で、いわゆる「鹿ケ
谷の陰謀」(清盛打倒計画)露見で、俊寛らが鬼界が島に流されて、3年後を描く。通称
「俊寛」。上演が長らく途絶えていた人形浄瑠璃「平家女護島」は、1930(昭和5)年
「俊寛」が復活。三段目:朱雀御所、巷説「吉田御殿」(大奥のような女性ばかりの居住
で、「女護島」と揶揄された)に居住する常盤御前は、源氏再興の望みを腐心する。義経の
母・常盤御前は「一條大蔵譚」という演目でも、清盛を呪い殺そうとする場面がある。19
57(昭和32)年復活。四段目:悪逆非道な権力者・清盛の末路。五段目:源氏が平家を
追討する文覚上人の夢。

「平家女護島」という外題は、三段目「朱雀御所」由来する。竹本の語り出しが、「朱雀の
御所は女護島(にょごのしま)」とある。平清盛の愛妾となった常盤御前と侍女たち、つま
り女性のみが住む男子禁制の御殿である。江戸時代の大奥と同じようなものだったのだろう
か。牛若丸(後の義経)も、御所の出入りでは、女装して腰元に化けている。巷説「吉田御
殿」は、「吉田通れば二階から招く、しかも鹿子の振袖で」という俗謡にもあるように、吉
田御殿に住む千姫が美男と見れば屋敷に引きれたという巷説にちなみ、朱雀御所がなぞらえ
られた、という。しかし、それだけだろうか。「平家女護島」という外題には、「平家」対
「女護島」(本心は反平家の常盤御前女軍団)という意味を隠しているのではないのか。今
回上演される半通しの芝居では、常盤軍団の先兵は、鬼界が島に登場する架空の人物、つま
り近松門左衛門が創造した人物、島育ちの野生的な娘、鬼界が島育ちを「自称する」千鳥な
のではないのか、という仮説を立てて論評してみたい。

平家物語から作られた能「俊寛」も含めて、さらに歌舞伎化した。歌舞伎では、二段目にあ
たる「鬼界が島」(通称、「俊寛」)しか上演されない。「俊寛」は、これまでに私は14
回も観ている演目だ。今回の上演では、歌舞伎では上演しない「六波羅の段」(初段の一
部)、「舟路の道行より敷名の浦の段」(四段目の一部)が付く。この場面は、まったくの
初見。こうして「半通し」で観ると、「鬼界が島の段」だけを観ている時と、この物語が違
って見えてくる。「鬼界が島」の世界は、まさに俊寛の物語。しかし、「六波羅の段」、
「鬼界が島の段」、「舟路の道行より敷名の浦の段」を通して観ていると、憎々しい人物の
印象がとても強く打ち出されていることが判る。今回の上演は、平清盛の物語としての上演
なのだ。その清盛に対抗する人物として、可憐な島娘という触れ込みの千鳥を門左衛門は創
造したのではないか。その辺りを今回は書いてみたい。もとより、「鬼界が島」も人形浄瑠
璃は歌舞伎とはいろいろ演出が違う。そういうことも含めて、大変おもしろく拝見した。初
見なので、筋書きも含めて、記録しておきたい。

贅言;鬼界が島は、今の「硫黄島」(鹿児島県鹿児島郡)が有力という説がある。鹿児島に
は、「喜界島」(鹿児島県大島郡)もあり、こちらという説もある。

「六波羅の段」の「六波羅」とは、清盛の館のこと。館の座敷下手に俊寛の妻・あづまやが
いる。配流中の夫・俊寛を思い煩い、抑うつ状態のあづまや。彼女に横恋慕する清盛は、上
揩フ踊りを見せたりして、機嫌を取ろうとする。そこへ能登守教経が童(わっぱの)菊王を
連れて現れる。清盛の意向にも背かず、俊寛への操を保つ方法があるとあづまやに暗示す
る。つまり、清盛の手が入らぬうちに自害せよ、俊寛のために女の操を守れ、と言葉の裏に
滲ませる。あづまやは、それを察して、感謝しながら自害する。教経は、すかさず、「でか
した」と讃え、あづまやの首を刎ねる。

教経が渡り廊下を上手に進む。障子が開くと、清盛の「亭(ちん)」つまり、御座する居
室。清盛本人もいる。教経はあづまやを「口説いた」、と清盛に報告し、「恋の仲立ちの名
将」と清盛を喜ばせたのもつかの間、切り首を見せる。あづまやを事実上奪われて、怒る清
盛。教経は、清盛公は彼女の顔に惚れたのだから、顔以外は無用だろうと言上する。強烈な
皮肉。欲望を絶たれ憮然となる清盛。

そこへ、俊寛の家来・有王丸があづまや自害を聞きつけて、六波羅に乱入して来る。怪力ゆ
えに侍たちをなぎ倒す。菊王との一騎打ちとなる。互角の力比べ。ここで犬死するより、主
人・俊寛の身を思えと諭す教経。有王丸は、教経の意向を受け止め涙をこらえて、六波羅を
立ち去る。

この段、竹本の語りは、豊竹靖太夫、三味線方は、野澤錦糸。主な人形遣いは、あづまや
は、一輔、能登守教経は、玉佳、菊王は、玉翔、平清盛は、幸助、有王丸は、玉勢ほか。

「鬼界が島の段」は、歌舞伎の「俊寛」と基本的な筋は同じ。道具が違う。下手に岩場があ
るが、それ以外は、大海原が見えるだけ。浜には、歌舞伎のような小屋掛はない。開放感が
ある。

上手から俊寛がやってくる。歌舞伎は、俊寛の出は下手からである。若い同志たち、平判官
康頼と丹波少将成経、成経の許嫁となる島の娘(竹本「桐島の漁夫が娘」)・千鳥たちとの
3年間の流人暮らし、成経と千鳥の祝言、御赦免船の到着とその後のトラブル(成経の妻と
なった千鳥の乗船問題、中でも、上使の瀬尾太郎殺し)など、お馴染みの展開が続く。ただ
し、歌舞伎では俊寛の妻・あづまやを殺したのは瀬尾太郎だと本人が言う。それゆえに、俊
寛の瀬尾殺しは、妻の仇の張本人を討つことになる。人形浄瑠璃では、「六波羅の段」で見
たように、あづまやは自害したという。それゆえに、俊寛の瀬尾殺しは、妻のいない都に絶
望して、若いカップルに船の席を譲り、それを阻害した瀬尾を殺すことになる。邪魔者征伐
であるし、あるいは、俊寛は、清盛という時の権力者の使者=瀬尾を殺すことになる。それ
は、つまり、清盛の代理としての瀬尾殺しだ。

贅言;竹本の語りの文句に耳をそばだててみた。歌舞伎では味わえないエロティシズムが、滲
み出てきたので、書き留めておこう。定式の悲劇の前の笑劇という演出スタイルだろうか。

「可愛や女子の丸裸、腰に浮け桶、手には鎌、ちひろの底の波間を分けて海松布刈る、若布
あられもない裸身に、鱧がぬら付く、鯔がこそぐる、かざみがつめる。餌かと思うて小鯛が
乳に食ひ付くやら、腰の一重が波に浸れて肌も見え透く、壺かと心得、蛸めが臍をうかが
ふ、浮きぬ沈みぬ浮世渡り、人魚の泳ぐもかくやらん」。色は浅黒いが、スリムな体躯を持
つ野性美溢れるチャーミングな娘がイメージされる。

人形浄瑠璃の謎(1)「思ひ切つても凡夫心」

歌舞伎では、俊寛を演じる役者は、極論をすれば、幕切れの場面をどう演じるかという一点
勝負だ、と私は思う。その幕切れの場面、台本にある科白は、「おーい、おーい」だけなの
である。まず、この「おーい」は、島流しにされた仲間だった人たちが、都へ向かう船に向
けての言葉である。船には、孤島で苦楽を共にした仲間が乗っている。島の娘・千鳥と、つ
いさきほど祝言を上げた若い仲間の成経がいる。そういう人たちへの祝福の気持ちと自らの
意志とはいえ自分だけ残された悔しい気持ちを俊寛は持っている。揺れる心。「思ひ切つて
も凡夫心」なのだ。

俊寛役者は、この場面をいく通りにも解釈をし、幕切れの最後の表情をいろいろ工夫して演
じてきた。「虚無」、「喜悦」、「悟り」などなど。初代吉右衛門系の型以降、いまでは、
この後の場面で俊寛の余情を充分に見せるような演出が定着している。どの役者も、そこが
やりがいと思って演じるので、ここが、最大の見せ場として定着している。

なんどか書いているが、俊寛役者の幕切れの表情三態をまとめておこう。

(1)「ひとりだけ孤島に取り残された悔しさの果ての『虚無』の表情」:「凡夫」俊寛の
人間的な弱さの演技で終る役者が多い。「虚無」の表情を歌舞伎というより現代劇風(つま
り、心理劇。肚で見せる芝居)で、情感たっぷりに虚しさを演じていた猿之助。十八代目勘
三郎演ずる俊寛の最後の表情も、この系統で、「虚無的」な、「無常観」が感じられた。弱
い人間の悔しさは近松原作のベースにある表情であろう。

(2)「若いカップルのこれからの人生のために喜ぶ『喜悦・歓喜』の表情」:身替わりを
決意して、望む通りになったのだからと「歓喜」の表情で終る役者もいる。私は生の舞台を
観ていないが、前進座の、歌舞伎役者・故中村翫右衛門、十三代目仁左衛門が、良く知られ
る。当代の吉右衛門は、従来、虚無的であったのを変えて、最近の、07年1月歌舞伎座の
舞台では、「喜悦」の表情を浮かべた「新演出」だった。初めて、喜悦の「笑う俊寛」を私
は、この時、観たことになる。「相手の気持ちに立って許す。それを近松門左衛門が書きた
かったのかなと思いつつやっております」というのが、最近の吉右衛門である。

(3)「一緒に苦楽を共にして来た仲間たちが去ってしまった後の虚無感、孤独感、そして
無常観やそれを経ての『悟り』の表情」:苦悩と絶望に力が入っているのが幸四郎。能の、
「翁」面のような、虚無的な表情を強調した仁左衛門。仁左衛門は「悟り」のような、「無
常観」のようなものを、そういう表情で演じて見せた。

歌舞伎では、俊寛の幕切れの表情を各役者も工夫を重ねてきた。時の権力者に睨まれ、都の
妻が殺されたこと(歌舞伎では、瀬尾太郎に殺されたことになっている)を初めて知り、妻
殺しを直接手掛けた男(使者の一人瀬尾太郎)を先ほど殺し、改めて重罪人となって、島に
残ることにした男が、叫ぶ「おーい」なのだ。「さらば」という意味も、「待ってくれ」
「戻ってくれ」という意味もある「おーい」なのだ。別離と逡巡、未練の気持ちを込めた、
「最後」の科白が、「おーい」なのだろう。俊寛を演じる役者の表情、特に、「おーい」の
連呼の後に続く俊寛の表情の変化を私はいつも観ている。

人形浄瑠璃では、その場面はこうだ。歌舞伎同様に岩組に俊寛は乗る。「思ひ切つても凡夫
心、岸の高見に駆け上がり、爪立てて打ち招き、浜の真砂に伏し転び、焦がれても叫びて
も、あはれ訪(とむら)ふ人とてもなく音は鴎(かもめ)、天津雁(あまつかり)、誘ふは
己が友千鳥、一人を捨てて沖津波、幾重の袖や濡らすらん」。岩組は、歌舞伎の大道具のよ
うに廻り、俊寛は客席に正面を向く。俊寛の首(かしら)は、本来、人形ゆえ、生きた役者
のようには表情を変えないはずなのに、「思ひ切つても凡夫心」の表情に見えてくる。使者
の瀬尾太郎殺しは、歌舞伎のように妻殺しの仇討ちではないことを私たちは知っている。俊
寛も、妻のいない都へ帰っても虚しいと思うようになっている。自分の代わりに千鳥を船に
乗せてやってほしいと願う。それを拒否、邪魔をする瀬尾太郎に憎しみを抱くようになる。
人形浄瑠璃の「思ひ切つても凡夫心」は、思い切って瀬尾太郎殺しを実行したけれど、やは
り、一人だけ島に居続けるのは悔いが残るということなのだろうか。

この段、竹本の語りは、豊竹英太夫。三味線方は、鶴澤清介。主な人形遣いは、俊寛が、和
生、康則が玉志、成経が、勘彌、千鳥が、箕助、瀬尾太郎が、玉也、丹左衛門が、勘壽ほ
か。

人形浄瑠璃の謎(2)千鳥という女性。

千鳥は、鬼界が島でも、ちょっとした立ち回りを見せていたが「敷名の浦の段」では、実
は、大活躍する。

「鬼界が島に鬼は無く、鬼は都にありけるぞや」と千鳥の科白。千鳥のひとり舞台の見せ
場。「エエ、むごい鬼よ、鬼神よ、女子一人乗せたとて軽い船が重らうか。人々の嘆きを見
る目はないか。聞く耳は持たぬか。乗せてたべ、ナウ乗せをれ」。この科白には親密な関係
を作った男との同行を求める若い女性の叫びが素直に出ている。気持ちには純愛しかない。

さらに、千鳥は次のようなことを言う。「海士の身なれば一里や二里(4キロから8キロの
遠泳のこと)の海、怖いとは思はねども、……」。これは何?

次の場面。この千鳥の嘆きを聞いた俊寛は、次のようにいう。「今のを聞いたか、我が妻は
入道殿の気に違うて切られしとや。三世の契りの女房死なせ、何楽しみに我一人、京の月花
見たうもなし。二度の嘆きを見せんより、我を島に残し、代はりにおことが乗つてたべ」。
御赦免船の上使に向かって言ったはずの科白の結末部分は、千鳥に向かって言っている。俊
寛は千鳥のどの情報に反応して、自分は降りて代わりに千鳥を船に乗せる気になったのか。

これに対して、上使の一人、瀬尾太郎は役人として、常識的なことを言う。「ヤア、梟入
(ずくにゅう)め。さやうに自由になるならば、赦し文もお使ひも詮なし。女はとても叶わ
ぬ、うぬめ乗れ」。人数ではない。赦し文通りの官僚的対応を最善とする。「梟入」とは、
僧侶などへの罵りの言葉だが、この場合は、俊寛への罵り。

これを聞いて、なぜか俊寛はブチ切れて、瀬尾に騙し寄り、瀬尾の腰刀を抜いて斬りつけ
る。二人の立ち回りを見ていた千鳥は何をしたか。

「千鳥耐へかね竹杖振って打ちかくる」。このような場面は歌舞伎でも演じる。だが、歌舞
伎では、判らない意味が、この「行為」にはあるのではないか。つまり、千鳥の「戦闘力」
を俊寛は感じ取ったのではないのか。

千鳥は海育ちだが、判らない部分がある。「 山のもの」とも「海のもの」とも判らないと
は、大人になってどういう人間になるか判らない子どもの例えとして、良く言うが、これは
こういうことだろう。人間にならずに山のもの:天狗、海のもの:鬼になる可能性がある、と
いうことだろう。超能力への期待感。

これらの疑問に対して、「舟路の道行より敷名の浦の段」では、いろいろ謎解きができる。

「舟路の道行より敷名の浦の段」。舞台は大海原の道具幕。御赦免船は、「鬼住む島を逃れ
出で」海上をひたすら走る。道具幕振り落としで、船は潮待ちのターミナル・備後の敷名の
浦(現在の広島県福山市)に着く。舞台上手に御赦免船が現れる。下手の船着場では俊寛が
乗っているものと思って迎えに来た有王丸が待ち兼ねている。俊寛がいないことを知り、有
王丸は自害しようとする。千鳥は船から飛び降り、それを止める。「俊寛の養い娘」だと御
赦免船に乗っていた成経、康頼の二人は千鳥を有王丸に紹介する。千鳥は、俊寛の養子で、
清盛は、母(あづまや)の敵、父(俊寛)の敵とさえ言う。海士なので海には滅法強い。御
赦免船から飛び降りた後も、容易く船着場に辿り着く。

折から敷名の浦には、厳島神社参詣途中の清盛一行も後白河法皇とともに接近中で、敷名の
浦の船着場に御座船でやって来る、という知らせが入る。御赦免船の唯一の上使となってい
た丹左衛門は御赦免船に女が乗っていたと清盛に知れるとまずいと思い、千鳥を有王丸に預
けて、舞台上手の芦陰に彼女を隠す。

やがて、御座船接岸。舞台は、下手に御座船。上手に御赦免船となる。丹左衛門は船上から
清盛に俊寛の瀬尾太郎殺しを報告し、成経、康頼の二人のみ連れ帰ったと伝える。清盛は、
それなら、なぜ俊寛の首を討たなかったのかと激怒する。

御座船が敷名の浦を離れ、都に向かう。清盛は同船している後白河法皇に源氏に平家追討の
院宣など出すなと怒り、法皇に入水を迫る。清盛は最初から法皇の参詣同伴にかこつけて、
法皇殺害を狙っていたようだ。嘆き悲しむ法皇を斟酌せず、竹本「両足かいて真逆様、海へ
ざつぷと投げ込みたり」。清盛は法皇を海に投げ込む。「法皇は浮きぬ沈みぬ漂へば」とい
う切羽詰まった状況となり、女戦士・千鳥の出番となる。

「法皇入水」を芦陰から見ていた千鳥が飛び出してきて、海に強い海士らしく、果敢に海に
飛び込み、法皇を助け上げる。有王丸は千鳥から法皇の身柄を受け取ると、法皇を連れて上
手へ逃げてしまう。怒った清盛は船から「長熊手追つ取りのべ、「誰に頼まれ憎い海士め、
引き裂いてくりやうか」と、千鳥を捕まえると殺してしまう。「殺されても魂は死なぬ」
と、千鳥。自爆テロの女戦士のように揺るぎがない。

竹本「千鳥が躯(むくろ)より顕れ出づる瞋恚(しんい)の業火、清盛の頭の上、車輪の如
く舞ひくるめく」。これでは、さしもの清盛も「目口を張つてわななきける」、という有
様。

今回の上演にはない場面だが、この後も、千鳥は清盛を悩まし続け、清盛館ではあづまやと
千鳥の霊が協力して、清盛を灼熱地獄に追い立てて、殺してしまう。俊寛の養子として、義
父母の俊寛・あづまやの敵討ち成就。鬼界が島に残った俊寛は、千鳥が武闘派と見抜いた
時、ここまでの結果を予測していたのだろうか。

この段、竹本の語りは、清盛が、咲甫太夫、丹左衛門が、三輪太夫、有王丸が、津國太夫、
千鳥が、南都太夫、法皇が、始太夫ほか。三味線方は、鶴澤藤蔵、野澤喜一朗、鶴澤清馗ほ
か。主な人形遣いは、千鳥が、簑紫郎、後白河法皇が、文司ほか。

清盛物語と千鳥論

今回の「半通し」上演で見えて来たものを列挙してみると、以下のようになる。権力者・平
清盛の極悪非道ぶりが描かれる。「六波羅」「敷名の浦」の場面で、よくわかる。清盛に果
敢に対抗するのは、何と千鳥。命を掛けて最期まで闘い抜く姿に観客は皆、千鳥を見直した
ことだろう。鬼界が島の場面でも、俊寛に助勢をして瀬尾太郎に向かって行ったのは、この
場面に通じるのだということが良く判った。「平家女護島」という外題は、平清盛「対」女
護島=常盤御前の女軍団。女護島の背後に控える後白河法皇、源氏の対立の物語、というこ
とだ。

架空の人物千鳥は、何のために創造されたのか。
鬼界が島の場面だけでは、千鳥は都から来た若い男と相思相愛になった島育ちの純朴な娘、
というイメージ(島尾敏雄の「死の棘」のミホのようなイメージの女性か)だが、……。

千鳥のミッションは、俊寛の怨念の実行だったのではないか。上使・瀬尾太郎を殺すとい
う、新たな罪を背負ってでも、俊寛が御赦免船にどうしても乗せたかった人物が、千鳥なの
だ。千鳥の「鬼」認識を思い出そう。「鬼界が島に鬼は無く、鬼は都にありけるぞや」。島
にいない鬼とは? 平清盛。都の鬼退治、あづまやの敵討ちも兼ねて、俊寛は千鳥の能力、
つまり、千鳥の戦闘力に託したのではないか。というのは、あまりにも穿ち過ぎか。

そもそも、敷名の浦での御赦免船と御座船の出会いなど、偶然すぎやしないか?
いや、潮待ちなのだから、同じ時期に瀬戸内海に航海に出ているのなら、ここで出会う可能
性は高いのか。まあ、妄想は、どんどんたくましくなるが、いくら、近松門左衛門の持論
「虚実皮膜の論」であっても、都合が良過ぎる嫌いがあるのではないか。ということで、こ
んにちは、これぎり。
- 2017年2月18日(土) 17:35:30
17年2月歌舞伎座(夜/「門出二人桃太郎」「絵本太功記」「梅ごよみ」)


中村屋御曹司初舞台の演目


「門出二人桃太郎」は、初見。外題は、「門出二人(かどんでふたり)桃太郎」と読む。3
0年前、1987(昭和62)年、1月歌舞伎座で、当時の二代目勘太郎(当代の勘九郎)
と二代目七之助の兄弟が、襲名初舞台で初演した。中村屋の御曹司の初舞台用の演目。ベー
スは、桃太郎の鬼退治という昔話を歌舞伎化している。

まず、勘九郎、七之助兄弟の父親、十八代目勘三郎が、「昔噺桃太郎」で五代目勘九郎初舞
台を踏んだのが、1959(昭和34)年4月歌舞伎座であった。その時には、十七代目勘
三郎が、鬼の総大将役を演じた。次いで、1987(昭和62)年1月歌舞伎座が、先の述
べたように、「門出二人桃太郎」であった。

その時の配役は以下の通り。
兄の桃太郎:二代目勘太郎時代の勘九郎、弟の桃太郎:七之助、お婆さん:七代目芝翫、お
爺さん:十七代目勘三郎、父親の勘作と鬼の総大将:勘九郎時代の十八代目勘三郎、母親の
お栄:五代目児太郎時代の福助、犬彦:幸四郎、猿彦:八代目福助時代の梅玉、雉彦:沢村
藤十郎、庄屋の妻・お歌:六代目歌右衛門、吉備津神社の巫女・音羽:七代目梅幸、庄屋・
松右衛門:十三代目仁左衛門。

今回の配役は以下の通り。
兄の桃太郎:三代目勘太郎、弟の桃太郎:二代目長三郎、お婆さん:時蔵、お爺さん:八代
目芝翫、父親の勘作と鬼の総大将:六代目勘九郎、母親のお鶴:七之助、犬彦:染五郎、猿
彦:松緑、雉彦:菊之助、庄屋の妻・お京:雀右衛門、吉備津神社の巫女・お春:魁春、庄
屋・高砂:梅玉、吉備津神社の神主・音羽:菊五郎。

今回の場の構成は、第一場「桃太郎どんぶりこ」、第二場「二人桃太郎」、第三場「門出桃
太郎」、第四場「桃太郎勝どき」。

劇中口上は、菊五郎が仕切る。上手へ順に。魁春、彌十郎、雀右衛門、上手
最右翼は、梅玉。飛んで、下手最左翼は、染五郎。上手へ順に。松緑、菊之助、時蔵、芝
翫、長三郎、勘太郎、七之助、勘九郎の順。

菊五郎が、「長い長い役者人生です。末長くよろしくお引き立てを」と挨拶。魁春は、「お
爺様、お父様のような役者になってほしい」。彌十郎は、「中村屋代々の初舞台の向上の列
に並べて、感無量」。梅玉は、「中村屋の一層の繁栄を祈る」などなど。最後に、父親の勘
九郎が、「海のものとも山のものとも判らないが」と自分も初舞台で言われたような挨拶を
交えた後、「父・勘三郎のような役者になってほしい」と挨拶した。最後に、長三郎も勘九
郎も、襲名した名前を名乗った上で、「どうぞ、よろしくお願いします」と頭を下げた。

絶海の孤島。鬼が島。桃太郎が侵略した島だ。「門出二人桃太郎」は、桃太郎の鬼退治とい
う昔噺をベースにしていることは、誰もが承知している。歌舞伎好きには中村屋の御曹司の
初舞台の演目としても知られているだろう。就学期前に子ども役者が役者の卵として、「海
のものとも山のものともつかない」段階で、将来を期待される歌舞伎役者として、梨園に、
いわば住民登録するようなものだ。

芥川龍之介の短編に「桃太郎」という作品がある。その中に、次のようなくだりがある。

「鬼は熱帯的風景の中に琴を弾いたり踊りを踊つたり、古代の詩人の詩を歌つたり、頗(す
こぶ)る安穏に暮らしてゐた。その又鬼の妻や娘も機(はた)を織つたり、酒を醸(かも)
したり、蘭の花束を拵(こしら)へたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしてゐ
た。殊にもう髪の白い、牙の脱けた鬼の母はいつも孫の守りをしながら、我々人間の恐ろし
さを話して聞かせなどしてゐたものである――。『お前たちも悪戯(いたづら)をすると、
人間の島へやつてしまふよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子のやうに、きつと殺
されてしまふのだからね。え、人間といふものかい? 人間といふものは角の生えない、生
白い顔や手足をした、何ともいはれず気味の悪いものだよ。おまけに又人間の女と来た日に
は、その生白い顔や手足へ一面に鉛の粉をなすつてゐるのだよ。それだけならばまだ好いの
だがね。男でも女でも同じやうに、嘘はいふし、慾は深いし、焼餅は焼くし、己惚(うぬぼ
れ)は強いし、仲間同志殺し合ふし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけやうのない毛
だものなのだよ……』」。

「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取つた鬼の子供に宝物の車を引かせながら、
得々と故郷へ凱旋した。――これだけはもう日本中の子供のとうに知つてゐる話である。し
かし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送つた訳ではない。鬼の子供は一人前になると番人の雉
を噛み殺した上、忽ち鬼が島へ逐電した。のみならず鬼が島に生き残つた鬼は時々海を渡つ
て来ては、桃太郎の屋形へ火をつけたり、桃太郎の寝首をかゝうとした。何でも猿の殺され
たのは人違ひだつたらしいといふ噂である。桃太郎はかういふ重ね重ねの不幸に嘆息を洩ら
さずにはゐられなかつた。
 『どうも鬼といふものの執念の深いのには困つたものだ。』
 『やつと命を助けて頂いた御主人の大恩さへ忘れるとは怪しからぬ奴等でございます。』
 犬も桃太郎の渋面を見ると、口惜(くや)しさうにいつも唸つたものである。
 その間も寂しい鬼が島の磯には、美しい熱帯の月明りを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島
の独立を計画する為、椰子の実に爆弾を仕こんでゐた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさ
へ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しさうに茶碗ほどの目の玉を赫(かがや)かせながら、
……」。


「絵本太功記」は、今回で、6回目。時代物の典型的なキャラクターが出揃う名演目の狂
言。私が観た主な配役。座頭の位取りの立役で敵役の光秀:團十郎(3)、幸四郎、吉右衛
門。今回は、襲名したばかりの八代目芝翫。立女形の妻・操:魁春(今回含め、3)、雀右衛
門(2)、先代の芝翫(パパ芝翫)。光秀に対抗する立役の久吉:宗十郎、我當、橋之助時
代の八代目芝翫、菊五郎、歌六、今回は錦之助。花形の光秀の息子・十次郎:染五郎(2)、
新之助時代の海老蔵、勘九郎時代の勘三郎、時蔵。今回は、鴈治郎。若女形役の、十次郎の
許嫁・初菊:福助(2)、松江時代の魁春、菊之助、抜擢で初役の米吉、今回は孝太郎。老
女形の光秀の母・皐月:東蔵(2)、秀太郎(今回含め、2)、権十郎、田之助。

「絵本太功記」は、「尼ヶ崎閑居の場」。全十三段の人形浄瑠璃は、明智光秀が織田信長に
対して謀反を起こす「本能寺の変」の物語を基軸にしている。十段目の「尼ヶ崎閑居の場」
が、良く上演され、「絵本太功記」の「十段目」ということで、通称「太十」と呼ばれる。

1799(寛政11)年、大坂角の芝居で、初演。原作者は、今から見れば、無名の人たち
で、合作。無名の作者たちによる合作の名作は、先行作品の有名な場面を下敷きにしている
場合が多い。
 
下敷き、例えば、今回の通称「太十」では、まず、「尼ヶ崎閑居の場」の、尼ヶ崎庵室の十
次郎の出。舞台中央正面奥の暖簾口から出て来る十次郎、赤い衣装に紫の肩衣を着けた姿
は、「本朝廿四孝」の、通称「十種香」の、武田勝頼の出に、そっくり。衣装だけ同じで、
謙信館と庵室、暖簾と襖など周りの環境が違うというミスマッチが、余計に、観る者の違和
感を感じさせて、それが、逆におもしろいから、歌舞伎っていうものは、可笑しみがある。
次いで、上手障子の間から出て来る初菊も、赤姫の衣装だから、「十種香」の、八重垣姫
に、さも似たり。その後、出陣のため、鎧兜に身を固めた十次郎は、いつもの義経典型のイ
メージを思わせる。
 
また、「尼ヶ崎閑居の場」から、大道具(舞台)が廻って、花道七三にいた光秀が、本舞台
に戻って来て、庭先の大きな松の根っこに登り、松の大枝を持ち上げて、辺りを見回す場面
は、「ひらかな盛衰記」の、通称「逆櫓」の、「松の物見」と言われる場面のパロディだ。
 
まず、「十種香」は、1766(明和3)年に、人形浄瑠璃、大坂の竹本座で初演され、同
じ年のうちに、歌舞伎、大坂、中の芝居で、初演されている。「太十」初演の、33年前
だ。また、「ひらかな盛衰記」は、更に、古く、1739(文元4)年に、人形浄瑠璃、大
坂の竹本座で初演され、翌年、歌舞伎、大坂、角の芝居で、初演されている。「太十」初演
の、60年前だ。

ところで、「太十」の見どころは、ふたつある。前半が、十次郎と初菊の恋模様、後半が、
光秀と久吉の拮抗。特に、光秀の謀反(主殺し)を諌めようと久吉の身替わりになって息子の
光秀に竹槍で刺される母の皐月の場面などという、いくつかの見せ場がある。皐月は、瀕死
の重傷のまま、孫の十次郎と一緒に、息を引き取るタイミングまで、じっとしている場面が
長いので、これも辛かろうと、思う。戦争に巻き込まれた家族の悲劇が、それぞれの立場で
描かれる。
 
まあ、そうは言っても、「太十」は、光秀の芝居。夜も更けると、下手奥竹林より、簑・笠
で、顔や姿を隠した「現れ出たる武智光秀」。私は亡くなった團十郎で良く観た。私が観た
最後の團十郎の光秀は、11年4月の新橋演舞場の舞台。團十郎は、12年5月の大阪・松
竹座でも光秀を演じ、翌年、13年2月には、この世を去ってしまう。

簑を外し、笠を上によけると、大鎧に身を固め、菱皮の鬘に白塗り、眉間に青い三日月型の
傷という、髑髏のような顔で、おどろおどろしい光秀。正義感ゆえ、主殺しに加えて、誤っ
て、母も殺す。父の正義感の犠牲になる息子も死なせてしまう。苦渋の人生の最期を演じな
ければならない。團十郎は、敵役ながら、眼光鋭く、時代物の実悪の味を良く出していた
が、それは、口跡に難のある團十郎にとって、科白が少ない無言劇に近い出しものだった点
も、團十郎の持ち味を高めた感がある。

吉右衛門の光秀も重厚で見応えがある。肚が座っている感じだし、数少ない科白も、初代譲
りの科白廻しの巧さで、いちだんと堪能出来た。團十郎にはなかった魅力だ。
 
悪いことばかりが続く悲劇の主人公光秀を團十郎は、重厚ながら、細かいところにこだわら
ない、懐の大きさで演じていた。科白よりも肚。頭を前後に大きく振るなど、浄瑠璃の人形
の動きを模したと思われる不自然な所作も、古怪な時代物の味を濃くしていて、良かった。
光秀の難しさは、いろいろ動く場面より、死んで行く母親(特に、母親の皐月は、自ら、久
吉の身替わりを覚悟したとは言え、過って、息子・光秀に殺されるのだ)と敗色の濃い父親
の気持ちを先取りして、死んで行く息子・十次郎を見ながらも、感情を抑制してじっとして
いるという不気味さだろう。母を殺し、息子を死なせてしまう悲劇の源泉は、己の責任とい
う自覚にもかかわらず、表情も変えずに、舞台中央で、眼だけを動かし、じっとしている不
気味な男、光秀。己を抑圧し続ける重圧感に耐えている。息絶えた息子の姿に、堪らず、慟
哭する父親・光秀。無感情と感情の対比。「先代萩」の政岡の父親版というところだろう。
無表情だった肚の中から迸る涙の熱さを感じる。

まさに、「辛抱立役」という場面で、こういう場面は、外形的な仕どころがないだけに、肚
の藝が要求され、難しいのではないかと、いつも感じる。吉右衛門が演じても團十郎の印象
と変わらない。名優の腹芸の競演という感じ。
 
この場面では、下手側の平舞台に初菊と傍で倒れ込んでいる十次郎のカップルがいる。中
央、二重舞台の上に光秀、二重舞台の上手側に光秀の妻で、十次郎の母・操と傍で倒れ込ん
でいる光秀の母・皐月が居る。いずれも、ほかが芝居をしているときは、固まったように、
動かない。

十次郎が、父の光秀を気遣う科白を言う。やがて、初菊に見守られながら、息を引き取る。
息子の死にも、無表情の光秀。次いで、十次郎と初菊の芝居の最中は、固まったように、動
かずに居た操と皐月が、芝居を始める。十次郎の孝行心を聞き、光秀を非難していた皐月は
操の介護も空しく、息絶える。操と初菊が、泣き崩れる中、「さすが勇気の光秀も」、初め
て「こらえかねて、はらはらと」涙を流す。竹本の「大落とし」。團十郎を偲びながら吉右
衛門の大きさも堪能した。團十郎、幸四郎、吉右衛門と観てきていると、今回が二回目とい
う芝翫の光秀は、ちょっと、という気がする。今後の八代目の磨き具合が楽しみである。
 
段切れで、向う揚げ幕の中から、遠寄せの陣太鼓の音(この遠寄せの音は、役者の演技のき
っかけとして、何度も、使われるが、効果的だ)。光秀は、一旦、花道七三へ行き、舞台が
廻って、再び、本舞台に戻り、「物見の松」という松の巨木の根っこに登る。戦場の大局を
知り、死を覚悟する光秀。もう一度、花道七三に行く。その隙に大道具は、元に戻ってい
る。
 
花道向うより、佐藤正清、二重舞台の上に、上手より四天王(真柴郎党)を連れた真柴久
吉。正清に押し戻されて、花道七三にいる武智光秀が、「三角形」を作ることになる。本舞
台下手からは、久吉の軍兵たち。光秀は、芝居の中では、敗者だが、芝居の主役は、光秀。
二重舞台の中央に上がり、下手の正清、光秀、上手の久吉の3人は、やがて、本舞台で、斜
めの一直線になる。この後、引っ張りの見得で、幕。「太十」は、濃厚な時代色に魅了され
る芝居だ。さらに、科白が多くない芝居で、口跡に難があっても難が目立たない芝居を得意
とする團十郎の印象が今も強い。


玉三郎・先代勘九郎コンビから菊之助・当代勘九郎コンビへ


「梅ごよみ」は、粋の構造のような芝居だ。玉三郎が、仇吉を演じるようになってから、こ
の役は、玉三郎以外には演じなかった。今回、12年余ぶりに、初めて菊之助が演じることに
なった。「梅ごよみ」は、今回で、4回目。3回とも、深川芸者のうち、仇吉は、玉三郎、
丹次郎を巡る恋の鞘当ての相手の米八(丹次郎の面倒を見ている)は、勘九郎時代の勘三郎
ということで、もう、このふたりは、仇吉、米八になりきっているように見える。まさに、
「梅ごよみ」では、ゴールデンコンビだろう。それが、仇吉が玉三郎から菊之助に替わり、
勘九郎時代の勘三郎亡き後、長男の当代勘九郎が米八(を演じる。世代交代の舞台となっ
た。そこが今回の観劇のポイントだろう。お家騒動の元の、お宝(茶入)探しを副筋にしな
がら、ふたりの恋の鞘当ての物語。

結局は、ふたりの芸者を手玉に取り、大店の若い娘で、金もあり、若さもありというお蝶と
結ばれる色男の丹次郎は、これまで、孝夫時代の仁左衛門、團十郎と観て来て、前回は、大
抜てきの段治郎(その後、新派へ行ってしまった。新派の大名跡・喜多村緑郎を名乗る)、
今回は、初役の染五郎。

序幕の第一場「向島三囲堤上の場」と第二場「隅田川川中の場」は、主要な登場人物の、い
わば、顔見せの場面だが、大道具の仕掛けが、ダイナミックで、堤での船の乗り降りの後、
堤が、上手下手にふたつに割れて、舞台の袖に引き込むと、廻り舞台を使っての、2艘の船
のすれ違う場面となる(昔は、「蛇の目廻し」という演出ができるように、廻り舞台が二重
になっていて、ふたつの廻り舞台が、それぞれ逆に廻ることができる小屋もあった)。歌舞
伎座の上の方の座席で、この場面を観ていると、青い川面に浮かぶ屋形船の方は廻り舞台の
奥で待機しているので、なんだか、青い宇宙に浮いているように見えた。

船の屋形のなかから出て来た仇吉(菊之助)が、丹次郎(染五郎)を見初め、花道を行く船
を見送りながら、舞台中央に廻って来た屋形船の上で艶やかな立ち姿を見せる。「いい男だ
ねえ……」と言いながら、船端から足を踏み外す場面で、柝が入る。何度観ても、この場面
は、見せ場である。

二幕目は、深川尾花屋の入り口と奥座敷(道具は、鷹揚に廻る)。お家騒動の仇役らの内緒
話を立ち聞く仇吉、奥座敷では、仇吉と丹次郎のいる座敷に乗込んで来る米八。深川芸者の
意地の突っ張りあいが、最大の見せ場。玉三郎と勘九郎の打々発止の科白のやりとりが、見
もの、聞きもの。丹次郎に羽織を誂え、それを着せる場面では、まず、畳紙(たとう)か
ら、羽織を取り出した菊之助は、玉三郎同様にまず、畳紙を折り畳んで、片付けた。羽織の
仕付け糸を取り、それから、丹次郎の背中に廻り、羽織を着せ掛ける。昔の日本女性の奥ゆ
かしい所作が匂って来る。こういう場面では、ふたりの立ち姿が美しい。愛らしい仇吉。颯
爽とした丹治郎。舞台上手は、「よそごと浄瑠璃」で、清元。艶っぽい歌詞に、「私たちの
ことを語ってくれているよう」と言うふたり。

やがて、米吉が乗込んで来て、折角の羽織を庭に放り投げ、下駄で、踏みにじる。仇吉と米
八の喧嘩になる。深川芸者は、男名前で、気風が良い。羽織を愛用していたところから、
「羽織芸者」とも言う。そういう深川芸者同士の喧嘩の小道具に羽織を使うところが憎い演
出。

「ちょいとばかり、ここがいいからってね……」と自分の顔を指差しながら言う米八。「私
は、ここばかりじゃないよ」と言い返す仇吉。人気芸者同士の意地の張り合い。実力派役者
同士の、熟成のやりとり。こっそり逃げ出す丹治郎の優しさ、気弱さ。

三幕目第一場「深川中裏丹次郎内の場」、第二場「深川松本離れ座敷の場」。相変わらずの
恋の鞘当て。芸者仲間の政次(歌女之丞)に嘘を教えられたにもかかわらず、頭に血が上っ
ている米八(勘九郎)は、仇吉(菊之助)と丹次郎(染五郎)の座敷と勘違いして、確かめ
もせず、駆け付けた離れ座敷内へ、駒下駄を投げ込む。しかし、障子が開くと、座敷に仇吉
はいたものの、丹次郎はいない。仇吉の相手は、茶入を隠し持っている古鳥左文太(亀
鶴)。米八に替って、詫びるお蝶(児太郎)。年下のお蝶の方がしっかりしている(これ
は、大団円への伏線だろう)。仇吉と米八は、「鏡山旧錦絵」の「草履打」の場面を真似た
「駒下駄打」の場面を演じる。

仇吉、米八、お蝶、政次らを観ていると、タイムスリップしたように、10代から20代の
江戸の町娘らの姿が浮かび上がって来る。米八は、姐御格で、20代の年増か。後は、10
代のお茶ピー娘たち。副筋のお家騒動、お宝探しは、千葉半次郎(萬太郎)と千葉藤兵衛
(歌六)。もめ事の捌き役として、節目節目に登場する歌六は、貫禄がある。

第三場「深川仲町裏河岸の場」は、浅葱幕の「振り被せ」、「振り落とし」で、場面展開。
仲之橋が、舞台中央に設えてある(「仲町」は、いまの「門前仲町」だろう)。雨のなか、
傘と刃物を振りかざしての仇吉と米八の争いもここまで。お宝の茶入も半次郎の手に取り戻
し、恋の鞘当ても、丹次郎が、お蝶と納まり、仇吉と米八は、ふたりとも振られてしまう。
ふたり揃って、「しらけるねえーー」。で、幕。菊之助と勘九郎のコンビには、さらに磨き
をかけてもらいたい。次回以降が楽しみだ。
- 2017年2月10日(金) 18:21:55
17年2月歌舞伎座(昼/「猿若江戸の初櫓」「大商蛭子島」「四千両小判梅葉」「扇獅
子」)


「猿若祭」、中村屋の威勢を見せる


今月の歌舞伎座は、江戸歌舞伎三百九十年を祝って、「猿若祭」である。393年前、16
24(寛永元)年、初代猿若勘三郎が江戸の中橋南地(現在の京橋の一角)に猿若座の櫓を
上げた、という。これを記念しての「猿若祭」。今も現在地には、石碑がある。

それにしても、出演する役者の数が、なんと多いことか。歌舞伎座のチラシには、いつもの
ような顔写真がなく、各演目ごとにずらりと名前だけが黒々とした字で並んでいる。

「猿若祭」の夜の部では、「門出二人桃太郎」で、勘九郎の二人の子供たちが、三代目勘太
郎と二代目長三郎を襲名し、初舞台を演じる。長男の三代目勘太郎は、本名の七緒八(なお
や、5歳。2月22日に6歳。4月から小学生)としては、13年4月歌舞伎座再開場の杮
落しの舞台に2歳で初お目見えをしている。私も初お目見えの舞台を観ているが、次男の二
代目長三郎は、本名の哲之(のりゆき、3歳、5月22日に4歳)としては、初お目見えは
していなっかたのではないのか。二人の初舞台の様子は、「劇中口上」の場面も含めて、夜
の部の劇評で書きたい。昼の部は、上演の順番とは異なり、初見の「大商蛭子島」、「四千
両小判梅葉」、「猿若江戸の初櫓」、「扇獅子」の順で書いておきたい。


天明歌舞伎の「大商蛭子島」


「大商蛭子島(おおあきないひるがこじま)」。「大商蛭子島」は、初見なので、筋書きも
含めて、記録しておこう。400年を超える歌舞伎には、幾つかの隆盛期がある。1760
年頃から1800年頃までの約40年間の歌舞伎は、「天明歌舞伎」と総称される。天明期
は歌舞伎に限らず、江戸の庶民文化が最高潮に達した時期と言われる。その時代の演目のひ
とつが「大商蛭子島」であるが、戦後70年間では、あまり上演されていない。歌舞伎座で
の180年ぶりの復活上演を含めて、二代目松緑が歌舞伎座と国立劇場で、それぞれ1回ず
つ演じた。当代の松緑も、祖父の意志を継いで今回初役で取り組む。48年ぶりの上演。
「大商蛭子島」は1784(天明4)年、江戸の中村座で初演された。原作は初代の桜田治
助。

戦後の復活上演では、源頼朝が平家追討の旗揚げをするまでの経緯を軸に二番目の世話狂言
を前面に押し出し、頼朝、辰姫、文覚上人などの物語とした。場の構成は、第一場「正木幸
左衛門内の場」「第二場「源氏旗揚げの場」となっている。舞台上手に、外題「大商蛭子
島」の看板。下手に第一場では「正木幸左衛門内」。第二場では「源氏旗揚げ」。

第一場「正木幸左衛門内の場」。雪景色。正木幸左衛門(松緑)は伊豆の蛭子島で手習いの
師匠をしている。手習所経営で身過ぎ世過ぎをしている、と装っているのだろう。なぜか、
手習い子たちは、振袖姿の娘たちばかりだ。38年前、1746年初演の人気演目、「菅原
伝授手習鑑」の「寺子屋」のパロディなのだろう。男の子たちの寺子屋、女の子たちの手習
所。律儀な武部源蔵と戸浪夫婦、好色な正木幸左衛門と悋気のおふじ夫婦という対比なのだ
ろう。

おふじ(時蔵)は、激しい悋気の持ち主。一方、幸左衛門は浮気性。夫婦の間では、嫉妬劇
が再三演じられる。雪の花道をやってきたのは、振袖姿のおます(七之助)とお供の清滝
(児太郎)、途中で出会ったので荷物持ち役を買って出た幸左衛門宅の下男・六助(亀
寿)。おますは、実は、北条時政の娘・政子の前。清滝は、鎌田兵衛正清の娘。つまり、入
塾希望の一行。幸左衛門が不在とあって、嫉妬深いおふじは、独断で入塾を拒否する。怒っ
て帰ろうとする清滝とおます。外へ出たところに幸左衛門が帰宅し、二人に藪陰の物置で暫
く待てと匿う。寒い雪の中だということを記憶にとどめておこう。

手習いの師匠として自宅に戻った幸左衛門(松緑)は、手習い子のギャル達に書き方を教え
始めるが、若い娘の手や肩など体に触ったり、しなだれかかったりする。セクハラ親父だ。
これを見ておふじは、嫉妬に狂う。夫婦喧嘩になる。いつものことらしい。

手習い子たちが帰ると、乞食坊主の清左衛門坊主(勘九郎)がやってきて、一晩泊めて欲し
いというので、幸左衛門とおふじは坊主を泊めることにするが、なぜか、坊主は髑髏を取り
出し、源頼朝の父親・源義朝の首だと打ち明ける。

家主の弥次兵衛、実は源氏方の元家臣で、義朝を討った裏切り者の長田太郎(團蔵)が、や
ってくる。六助も、実は、猿島平太(亀寿)で、ともに源頼朝の行方を捜している、とい
う。二人によれば、伊豆の蛭小島に流された頼朝は、伊藤入道の娘・辰姫と懇ろになり、そ
の上、北条時政の娘・政子とも恋仲になっているという。頼朝は、かなりのプレーボーイら
しい。六助に迎えられて寒さに耐えかねていたおますと清滝が家の中に招じ入れられる。実
は、実は、が続くが、おますは、実は、政子であり、清滝は義朝の忠臣・鎌田正清の娘だっ
た。ここまでは、多くが本性を隠しての、いわば仮面劇。以下は、次第に本性を顕わし始め
る、という作劇術と見た。

原作を書いた初代の桜田治助は、1734年生まれ〜1806年没。1769
(明和6)年、四代目市川團十郎の立作者に抜擢される。今も時々上演される演目では、
「御摂勧進帳(ごぞんじかんじんちょう)」などがある。作風は、「病的なほどの極端な穴
狙いで、穿ちによる新しさを追求し、明るさのなかにも翳りのある作風が天明期の江戸で圧
倒的な共感を呼んだ」(古井戸秀夫)という。

アイデアマンなのだろうが、「穴」と言い、「穿ち」と言い、「一点突破全面展開」のよう
な窮屈さを感じる。今回の演目でも、前半は、仮の姿をしている登場人物が、実は、実は、
で本性を顕わし、後半で本性の芝居を展開する、というので、初めてこの演目を観た観客に
は、判りにくい。前半では、混乱しがちだろう。さて、舞台に目を凝らそう。

おます、実は北条時政の娘・政子は、本性を顕わし、北条家の重宝・三鱗の軍印(幟)を取
り出す。だんまりとなり、おますは暗闇の中、頼朝と勘違いして、清左衛門坊主に大事な軍
印を手渡してしまう。幸左衛門は、実は、頼朝なのだが、おますと清滝を奥へ誘った後、幸
左衛門は清左衛門坊主に軍印(三鱗)を渡すように求める。清左衛門坊主は先ほどの髑髏で
幸左衛門を打ち据え、本心(つまり正体=自分は頼朝)を明かせと迫る。見ていても、人間
関係が混乱して、判らなくなりそう。

嫉妬深いおふじ、こと辰姫(時蔵)は、平家方の伊藤入道の娘だが、源氏再興の旗揚げのた
めに幸左衛門は、実は、頼朝(松緑)におます、こと北条時政の娘・政子(七之助)と夫婦
になれと願う。頼朝は、辰姫に三鱗の軍印を預け、政子との祝言に臨むことになる。

それでいて、おふじから辰姫に本性を顕わしても、辰姫は頼朝への悋気を持ち続ける始末。
舞台上手の2階で祝言を挙げて、お互いに睦み合う頼朝と政子の気配を感じながら座敷で黒
髪を梳く辰姫は、次第次第に嫉妬心を募らせてしまう。この場面は、今も初演時の長唄「黒
髪」が演奏され、見せ場となる。悋気の果てに頼朝らがいる2階に押し入ろうと向かうが、
そこに現れた乞食坊主の清左衛門坊主(勘九郎)が、祈りで辰姫の邪心を追い払う。辰姫は
正気に戻る。清左衛門坊主に促されて軍印を北条家に届ける役を引き受けることになる。

贅言;三鱗の軍印の移動を記録しておくと、軍印は、おます、実は、北条時政の娘・政子か
ら、だんまりの中で、乞食坊主の清左衛門坊主に誤って手渡され、坊主から本性を顕わさな
い幸左衛門、実は、頼朝に投げつけられ、頼朝から政子との祝言を許した感謝の印に辰姫に
預けられていた。辰姫は、軍印を北条家に返しに行く。

この後、清左衛門坊主は、実は、自分は文覚上人だと本性を顕わし、後白河上皇からの平家
追討の院宣を取り出し、頼朝に本心を明かすように、再び迫ることになる。やっと、幸左衛
門は、実は、頼朝だと正体を顕わし、平家を討つと本心を告げる。この様子を見ていた下男
の六助、実は、平家方の間者・猿島平太(亀寿)が、ご注進に向かおうとするが頼朝に仕留
められる。ついで、家主、実は長田太郎(團蔵)が、頼朝に討ちかかるが、それを遮る政子
と頼朝が力を合わせて、義朝(頼朝の父親)の仇を討つことになる。

「第二場「源氏旗揚げの場」。雪景色の海原。遠くに富士山が見える。北条家に三鱗の軍印
を届けた辰姫からことの次第を聞いた北条時政(勘九郎)は、熊谷直実(竹松)、畠山重忠
(廣太郎)、佐々木高綱(男寅)、三浦義澄(福之助)ら東国の武将を引き連れて、花道か
ら頼朝支援に現れる。下手に三鱗の家紋の入った高提灯が掲げられる。これを受けて、源頼
朝は、平家討伐の旗揚げを宣言し、出陣となる。水平線には、大きな日の出。


男たちの群像劇


「四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)」を観るのは、今回で、3回目。いず
れも主役の富蔵は菊五郎が演じている。前回は、5年前、12年11月新橋演舞場。この芝
居は、囚人という男たちの群像劇である。

河竹黙阿弥が江戸城の御金蔵破りという幕末の1855(安政2)年に実際に起きた事件を
素材に、30年後の1885(明治18)年に東京の千歳座で初演した実録風の新歌舞伎作
品。当時の風俗資料を活写する芝居。初演時、五代目菊五郎、七代目市川団蔵を軸に配役さ
れた。

河竹黙阿弥は、この事件を2回劇化していて、最初の作品は、事件の4年後、1859(安
政6)年、通称「十六夜清心」、「花街模様薊色縫(さともようあざみのいろぬい)」とし
て、場所、登場人物を変えた古典歌舞伎の手法で初演した(こちらの方が、今も、時々、上
演される)。しかし、幕府からは上演禁止の憂き目にあう。幕末の黒船来航、安政大地震な
ど不安な世相を踏まえて上演された先行作品として、「十六夜清心」の方が、歌舞伎作品と
しての質は高い。明治期に入って、徳川幕府という重しも消えたので、趣向も変えて、再度
挑戦したのが「四千両小判梅葉」。黙阿弥69歳、数えで70歳、古希の作品。さて、「四
千両小判梅葉」は、というと……。

序幕第一場「四谷見附外の場」。江戸城の四谷見附門外。堀端、橋の付け根に、おでんと燗
酒を扱う屋台が出ている。「名物甘辛おでん燗酒」の看板を兼ねた四角い行灯。行灯の横に
は、「あ満利や」という字が読めた。「あまりや」だろう。

賭場から帰る屋敷勤めの中間(ちゅうげん)相手の小商いだ。店主の富蔵(菊五郎)の近く
で、駕篭から降りたのは富蔵の旧主の息子・藤岡藤十郎(梅玉)。恋敵の伊丹屋の若旦那徳
太郎(錦之助)の掛け取り金100両を奪い取ろうと暗がりで待ち伏せする心づもりだ。富
蔵に見咎められ、魂胆も見抜かれ、「どうせ悪事をするなら、大きな仕事をしよう」と、富
蔵は堀の向こうにある江戸城を指差し、御金蔵破りを唆す。主犯は、町人の富蔵、従犯は、
武士の藤十郎というのも、両者の力関係を表している。

序幕第二場「牛込寺門前藤岡内の場」。富蔵と藤十郎が、御金蔵を破り、4000両を盗み
出して、重い千両箱を背負って藤岡宅へ戻って来た。千両箱を前に、度胸のない藤十郎の小
心から仲違いするが、藤十郎が謝って関係修復。ふたりは千両箱を寝間の床下に埋める。

二幕目「中仙道熊谷土手の場」。一面の雪景色。その後、富蔵は、300両を懐に母親に会
うため向った金沢で捕縛され、唐丸籠に乗せられて江戸送りとなった。雪の野遠見の熊谷土
手。土地の親分・生馬の眼八(いきうまのがんぱち・團蔵)が、富蔵の女房に横恋慕して振
られた意趣返しで、八州同心浜田左内(彦三郎)に願って唐丸籠を止めさせ、籠の中の富蔵
に面会をし、罵倒する。ついで、熊谷宿でうどん屋を営む別れた女房のおさよ(時蔵)が、
娘のお民と舅の六兵衛(東蔵)を連れて、面会に来る。温情を見せる浜田左内の計らいで、
面会が許される。親子別れの「愁嘆場」が、この芝居の見せ場。やがて、唐丸籠は、雪の降
る中、本舞台から雪布を敷き詰めた花道へと去って行く。いつまでも見送るおさよたち。霏
霏と降る雪。

三幕目第一場「伝馬町西大牢の場」。歌舞伎では珍しい大牢の場面。初演時から評判になっ
たという。五代目菊五郎は、代言人(弁護士)出身で千歳座経営に関わった人物から江戸時
代の牢屋に関する資料を提供してもらい、黙阿弥に活用させて、リアルな牢中を再現させた
のだ、という。もう一つの説では、千歳座の代表・田村成義や養父の二人が小伝馬町の牢屋
敷に関係していた、という。従って、牢内での囚人たちのしきたり描写も、実録風で細か
い。多数の畳を重ねた上に座る牢名主(左團次)、役付の囚人たち(歌六、権十郎、亀三
郎、亀寿、由次郎ら)は、役割分担している。

富蔵も、二番役で牢名主の秘書役的な存在で、巧く立ち回っている。新入りの審査。入牢持
参金(蔓・つる)の有無で、牢内の待遇を決めるのだ。熊谷無宿勘八と名乗って入牢して来
たのは、あの眼八(團蔵)だったので、きめ板という攻め道具で、遺恨をはらす富蔵。浅草
無宿、才次郎(松緑)、掏摸の寺島無宿、長太郎(菊之助)。牢内とあって、ほかの囚人た
ちは無駄口を利かないから、菊五郎の科白ばかりが多い。「なにしろ科白が多く、衣装は五
度も替える忙しさ」とは、菊五郎の弁。そういう牢内風景が描き出される。

三幕目第二場「牢屋敷言渡しの場」。舞台中央、牢屋敷内の閻魔堂前に引き出された富蔵と
藤十郎のふたりは、石出帯刀(秀調)、黒川隼人(松江)らによって、磔の刑に処すると判
決を言い渡される。上手の牢内の囚人たちが念仏の題目を唱える中、仕置き場へ向う場面
で、幕。

ということで、戦後13回目の興行の舞台は終わる。戦後、富蔵役は、代々の菊五郎のほ
か、二代目松緑(5回)、十七代目勘三郎(3回)が演じた。当代の菊五郎は、4回目。私
は、そのうちの3回を観たことになる。男たちの群像劇で、モノクロの世界。華やかな場面
は全くなく、女形の出演も時蔵のみ、それも、庶民の女房の扮装だけなので、歌舞伎らしい
華やかさには欠ける芝居だ。時折、菊五郎がコミカルに演じて、場内を笑わせる程度。


中村屋節目の演目、「猿若江戸の初櫓」


「猿若江戸の初櫓」は、2回目の拝見。私が観た前回は、12年前、05年3月・歌舞伎
座。4年余前、12年12月に亡くなった十八代目勘三郎の襲名披露興行の舞台だった。4
年後の十八代目の逝去など、誰も夢にも見ていなかった。十八代目は7年余の襲名であっ
た。存命ならば、孫たちの初舞台をどんなに喜んだことか。あの明るいキャラクターが、孫
たちの初舞台の場に不在ということが、どれだけ観客の欠如感を大きくしていることか。

「猿若江戸の初櫓」には、初代猿若勘三郎が登場する。1987(昭和62)年1月の歌舞
伎座で、江戸歌舞伎360年を記念した「猿若祭」の記念演目が初演。以来、30年で、3
90年というわけだ。田中青滋原作の新作舞踊劇。「助六由縁江戸桜」で本舞台奥の御簾内
で語られる、お馴染みの河東節は、「十寸見(ますみ)会」の面々が、出演費用自腹で演じ
ているが、田中青滋は、十寸見会事務局長・田中達男氏の父親である。この「猿若江戸の初
櫓」では、史実にフィクションを巧みに紛れ込ませて、猿若初代のエピソードを舞踊化して
いる。初演時は、猿若を勘九郎時代の勘三郎が演じ、福富屋を延若、福富屋女房・ふくを松
江時代の魁春、板倉勝重を福助時代の梅玉、阿国を児太郎時代の福助が演じた。今回は、猿
若:勘九郎、阿国:七之助、江戸・京橋の材木商の福富屋:鴈治郎、福富屋の女房・ふく:
萬次郎、奉行・板倉勝重:彌十郎など。

猿若は、阿国歌舞伎時代の道化役で、滑稽藝が売り物。初代の中村勘三郎も当初は、猿若勘
三郎と名乗っていたように、滑稽藝=猿若藝は、初代の勘三郎の時代から、持ち味の一つ。
芝居では、史実にはないが、阿国歌舞伎の一行として、江戸入りした猿若の機転で、京橋の
福富屋の難儀(鶴が飛び交い、松が栄え、不滅の滝が落ちている「蓬来山」=中国の伝説に
ある不老不死の島にある霊山=の置き物が、曳き車に載せられたまま大名も通る道路の傍で
立ち往生している)を救い、それを聞き及んだ奉行の板倉勝重(史実では、初代の江戸町奉
行を勤め、後に京都所司代=徳川幕府の京都の出先機関の長で2万石の大名となる)が、褒
美替わりに、日本橋中橋に猿若座の櫓を揚げることを認めたという物語を作り上げている。

舞台は、江戸日本橋。背景は、富士山の遠見と江戸城。舞台上下に松林。花道は京へ続く
道。花道から阿国と猿若がやってくる。本舞台中央に曳き車が立ち往生している。上手より
福富屋夫婦が現れる。難儀を聞き、助力を申し出る猿若。一座の若衆たち(宗之助、児太
郎、橋之助、福之助、吉之丞、鶴松)を花道から呼び寄せる。猿若は、車を曳いて行くよう
に、と言う。

前回は、七之助がタクシー運転手とトラブルを起こし、不祥事の責任を取らされて、降板。
福助が急遽、登板となった。やっと、七之助の阿国を歌舞伎座で観ることができた。勘九郎
は、科白廻しが勘三郎にそっくり。

贅言1);京都所司代の板倉勝重が、猿若に洛中での芝居小屋建設と歌舞伎上演の許可を出
したとあるが、これは、所司代による洛中の芸能支配であり、税の徴集である、という趣旨
のことが、東郷隆「猿若の舞 初代勘三郎」に書かれている。それを江戸の話に置き換えた
か。いずれにせよ、芝居小屋の許認可の実相は、そういうことであり、決して、御褒美とい
うようなものではなかったのではないか。もっとも、時の権力者とのかかわりを強調するの
が、初代の経歴の特徴というから、そういう演出も仕方がないのか・・・。

贅言2);2階ロビーの展示コーナーの入口に飾られた「猿若人形」は、中村家に初代以来
から300有余年(ただし、血筋は違う。今の中村屋は、初代中村歌六から)も伝えられて
来たというもの。猿若勘三郎が扮するシテ「猿若」と杵屋勘五郎の扮するワキ「杵屋何某と
申す大名」の舞台姿の二人立て人形である。このうち、猿若の扮装は、昼の部の「猿若江戸
の初櫓」で、猿若を演じ、猿若舞を舞う勘九郎が、そっくりそのままの出立ちで舞台を勤め
る。つまり、こうだ。紅絹(もみ)の長手拭の頬かむり(手拭の頭のあたりに鶴の絵柄)、
着付けは、表赤地、裏浅葱。立浪模様の長着をあづまからげに着て、黒絹表、紅絹裏の露芝
の模様入り袖無し羽織に、紅絹の、丸くて太い総角(あげまき)紐を帯替わりに締めてい
る。紐の先を右手に持ち、くるくる廻しながら、声色や仕方話をする。当代勘九郎は、勘太
郎時代を含め、本興行で4回目の出演。勘九郎襲名後では、今回が初めて。


「扇獅子」も初見。舞踊劇「扇獅子」は、本外題を「扇獅子富貴の英」という。
1897(明治30)年、初演の新歌舞伎。日本橋の芸者衆の会のために作られた。作詞は
書家の永井素岳。日本橋の四季の風景と風物を描いた。

鳶頭(梅玉)、芸者(雀右衛門)のペアお踊りに、8人の若い者の立ち回りが絡む。浅葱幕
が振り落としになると、芸者が三囲神社の御祭礼に参加している。書割が舞台の上下に引か
れると、石橋に乗った鳶頭がせり上がってくる。上りきると石橋が引き道具で、前に出てく
る。石橋の上手には、太陽の山車、下手には、今年の干支の鶏の山車。紅白の牡丹の花が咲
いている。鳶頭と芸者は、金地の扇を獅子頭に見立てて、狂った獅子が牡丹に戯れる様子を
見せて、幕。
- 2017年2月6日(月) 11:54:46
17年1月国立劇場 (通し狂言「しらぬい譚」)


まつろわぬものたちへの仕打ち


江戸時代の絵入り長編読み物「合巻(ごうかん)」を歌舞伎化した演目。1849(嘉永
2)年から1885(明治18)に掛けて、36年間に亘って複数の人によって書き継がれ
てきた。物語のベースは、通俗日本史的な知識だが、江戸時代初期の史実にある筑前黒田家
の御家騒動である。それに加えて、怪猫退治、島原・天草の乱のエピソードも盛り込まれて
いる。御家騒動、切支丹弾圧、化け猫(怪猫)退治、自然破壊への抗議。

「しらぬい譚(ものがたり)」は、初見。「しらぬい譚」は、1853(嘉永6)年に河竹
黙阿弥が脚色して「志らぬひ譚(ものがたり)」として河原崎座で初演された。大当たりと
なり、以後再演、同系統のものの続演された。さらに、明治中期になると、「しらぬい」も
のは黙阿弥原作か、早替りや宙乗りなど外連(けれん)味を得意とした初代市川右團次のた
めに勝彦助(後に、三代目諺蔵)が脚色した「四季模様白縫譚」(明治7年大坂角の芝居初
演)か、どちらかしか、上演されなくなった、という。

国立劇場では、1977(昭和52)年に黙阿弥原作の方を76年ぶりに復活上演した。今
回は、これを元に、「換骨奪胎」して、独自の新作歌舞伎として初演した。

今回の筋は、筑前(今の福岡)の黒田家をモデルにした、という菊地家の御家騒動。菊地家
に滅ぼされた、という設定の大友宗麟家の残党が御家再興と菊地家への復讐を狙う。菊地家
側は、主君の貞行、忠臣の鳥山豊後之助と秋作の親子、鳥山家の乳母・秋篠。菊地家家老の
大友刑部ら菊地家復讐を企む大友宗麟家側は、兄の宗麟を裏切って菊地家側に寝返った刑部
(復讐というより御家横領か)のほかに大友家の息女・若菜姫などが対峙する。

贅言;史実の大友宗麟はキリシタン(切支丹)大名。最盛期には九州六ヶ国を支配して版図
を拡げた。しかし大望の「キリシタン王国」建設を間近に控えて薩摩の島津義久に敗れた。
その島津義久も豊臣秀吉の九州征伐を受けて降伏し、ともに、豊臣秀吉傘下の一大名までに
版図を縮小した。世は戦国時代であった。大友家と菊地家(黒田家)の争いという設定は、
フィクションである。荒唐無稽。黒田家の御家騒動は、江戸時代初期の話。通俗日本史で三
大御家騒動といわれる黒田騒動(栗山大膳など)のイメージを利用している。

今回の場の組み立ては次の通り。
発端「若菜姫術譲りの場」。序幕「(筑前)博多柳町独鈷屋の場」。二幕目第一場「(筑
前)博多菊地館の場」、第二場「同   奥庭」。三幕目「(筑前)博多鳥山邸奥座敷の場」。
四幕目第一場「(京)錦天満宮鳥居前の場」、第二場(京)室町御所の場」。大詰「(肥
前)島原の塞の場」。

主な配役では、菊地家側は、主君・菊地貞行(亀三郎)、執権・鳥山豊後之助(菊五郎)、
その子息・鳥山秋作(松緑)、鳥山家の乳母・秋篠(時蔵)。鳥山家家臣・龍川小文治(亀
寿)、秋作許嫁・照葉(梅枝)。対する大友家側は、大友刑部(亀蔵)、大友若菜姫(菊之
助)。

発端「若菜姫術譲りの場」。
時は室町時代。足利義輝将軍の治世。筑前鐘の岬沖。釣鐘が沈んでいる。舞台は天地左右と
も海の中。青い光の中で不気味な不知火(怪火)が浮遊している。舞台中央に天から綱が降
りて来る。海女のすずしろ(菊之助)が綱に掴まっている。海底の鐘を引き上げるための綱
を結ぼうとしている。釣り上げに成功したら藩主・菊地貞行から褒美が出るのだ。

海底に着いたと思ったら、そこは錦が嶽の山中だった。紗の幕と書割で幻想的な海底と現実
的な山中を仕分けた巧い演出。気を失ったすずしろに土蜘蛛の精(彦三郎)が語りかける。
すずしろは大友宗麟の忘れ形見の若菜姫だという。およそ20年前に大友宗麟家が菊地政行
に滅ぼされた。大友家の重宝の釣鐘を守るために海底に沈めたのだという。造船のために山
の大木を切り出す菊地家は土蜘蛛にとっても怨敵だという。年老いた土蜘蛛の精は菊地家へ
の復讐成就のために大友家の遺児・若菜姫に妖術を授ける。ただし、この妖術は菊地家の重
宝・花形の鏡に照らされると破れてしまうという弱点があることを忠告して死んでしまう。


序幕「(筑前)博多柳町独鈷屋の場」。
博多柳町の遊郭にある「独鈷屋」では、筑前の藩主・菊地貞行(亀三郎)が家老の大友刑部
(亀蔵)ほか家来を従えて遊興に耽っている。家老の勧めで傾城の綾機(あやはた。尾上右
近)に入れ揚げている。刑部は大友宗麟の弟。兄を裏切って菊地家に寝返った。今では家老
に取り立てられている。

譜代の家臣で菊地家の執権・鳥山豊後之助の子息秋作(あきさく。松緑)が座敷まで主君に
諫言をしに来た。刑部が反論をし、主君も機嫌を損ねる。そこへ独鈷屋の亭主(権十郎)が
七草四郎(ななくさしろう。菊之助)という美青年を連れてくる。四郎は菊地家への仕官を
申し出、秋作との立ちあいの末、わざと負けるが、仕官が叶う。不審を感じた秋作が主君に
質すが、かえって、蟄居を命じられてしまう。正論派は、どこでも嫌われる。


二幕目第一場「(筑前)博多菊地館の場」。
館の座敷。金地に家紋の襖。貞行は四郎を寵愛し、家老にまでとりたてる。将軍家から書状
が届いた。足利将軍の息女・狛姫(こまひめ)が怪猫にとりつかれたので、菊池家の重宝・
花形の鏡で退治せよ、ということであった。花道から鏡を保管していた執権の豊後之助(菊
五郎)が鏡を三方に載せて持参した。豊後之助は、菊池家の政道の中枢にいたが、正論派ゆ
えに子息の秋作ともども主君の不興を買って、今では閉塞同然となっている。

足利将軍のいる室町御所に鏡を誰が届けるかで議論になったが、四郎が届けることになる。
四郎はなぜか、鏡改めを拒み、刑部が鏡を持ち、京へ向かうことになる。二人は花道へ。二
人退去を確認して、主君への諫言として、豊後之助は刑部と四郎の追放を進言する。二人は
菊地家に仇なすだろうというのだ。豊後之助は先代主君の政行の兜を持参していて、その威
光を借りて主君貞行を説得する。貞行は秋作の蟄居を取り消す。奥より出てきた秋作に御所
への新たな使者となることを命じ、将軍家依頼の怪猫退治を申しつける。


同    第二場「同   奥庭」。
刑部が四郎に菊地家横領の本望を打ち明けると、四郎は刑部の隙を見て斬りかかる。四郎は
大友家の遺児・若菜姫が男装していたのだ。叔父の刑部は姫の父・宗麟を裏切っていた。若
菜姫は、即座に花形の鏡を叩き割った。土蜘蛛の妖術の妨げになる鏡を割って、自由に妖術
を使い、菊地家を滅亡させる目的で四郎に扮して菊地家に入り込んでいたのだった。しか
し、割った鏡は偽物であった。立ち回りとなり、秋作は蜘蛛の糸(白と赤の糸がある)を使
った若菜姫の妖術で毒(赤の糸)にやられてしまう、若菜姫は、ちょっと変わった「宙乗
り」で天空へと逃げて行く。菊之助は、赤姫姿のまま、国立劇場の客席の上を斜め、つまり
筋交(すじか)いに飛ぶ、宙乗りで花道七三から三階上手奥の客席の上を通り、消えて行っ
た。この場面、薄暗い場内で、花道七三に尺八の演奏者が立ち、御簾を上げた竹本の床で三
味線方が長唄の演奏をする、という演出。尺八と三味線の演奏にスポットライトが当たって
いて、幻想的ですらあった。


三幕目「(筑前)博多鳥山邸奥座敷の場」。
土蜘蛛の毒にやられた秋作は、重篤である。上手障子の間から出てきた医者(秀調)も手の
施しようがない、という。看護をしているのは乳母の秋篠(時蔵)である。自分以外を秋作
に近づけず、秋作に惚れているとさえ言い出す始末。秋篠の息子・小文治(亀寿)は主筋に
道ならぬ振る舞いをする母親を遠ざける。

秋作の許嫁・照葉(梅枝)が花道から忍んで来た。ピンク色の振袖を着ている。秋作は紫の
鉢巻、左に鉢巻を垂らしている。病巻き。秋作は毒で面体が変わり果てた自分を見ても、一
生添い遂げるという照葉に室町御所への同行を依頼する。これを奥で聞いていた秋篠は、恋
に狂い、照葉に斬りかかる。無法者と成り果てた母を見限った小文治は秋篠に刀を突き刺
す。母の始末をした後、自分も後追いする覚悟である。

奥から豊後之助が出てくる。日頃の秋篠を信頼する豊後之助は彼女に真意を尋ねる。秋篠は
信心する聖(しょう)観音のお告げの内容を苦しい息の下で語る。酉の年月日時揃った女性
の肝臓の生き血を飲めば、秋作は平癒する、というのである。「摂州合邦辻」の玉手御前の
エピソードをそのまま盗用(登用?)している。酉の年月日時揃っている、という秋篠は、
自ら刀を抉り、生き血を柄杓に入れて、秋作に飲ませる。すると、秋作の面体は元どおりに
なり、重篤な体調も回復する。荒唐無稽なおもしろさ。豊後之助から本物の花形の鏡を受け
取り、秋作は京へ向かう。秋篠は己の命を犠牲にして主家に奉公できたことを喜びながら死
に絶える。


四幕目第一場「(京)錦天満宮鳥居前の場」。
京の錦天満宮鳥居前の蕎麦屋「正月屋」。下手が蕎麦屋。上手が鳥居。店の主人・正吉、実
は、菊地家家臣・雪岡多太夫(團蔵)。娘のお照、実は、照葉(梅枝)。店の手代・六蔵、
実は、雪岡家家臣・鷲津六郎(萬太郎)。主人・正吉の小唄の師匠・稽古屋のお春(菊之
助)らが登場する。

下手から出てきたお春に扮した菊之助が芝居を止めて、客席の観客に向かって、「いずれも
さまも明けましておめでとうごりまする」と挨拶をし、愛嬌を振りまく。照葉が同行してき
た秋作は室町御所に詰めて、怪猫退治に備えている。照葉らは、皆、変装して蕎麦屋を営み
ながら、秋作のサポートをしている。

やがて、隙を見てお春が妖術の呪文を唱えて、お照に化ける。お照が二人いる状況となる。
お春は若菜姫で、妖術を使って、お照に化けたのであった。秋作が所持している本物の花形
の鏡を気にしている。妖術が破られてしまう恐れがあるからである。

「正月屋」の店内から、謎の参詣人(亀蔵)が、キンキラの洋服を着て、中年男・ピコ太郎
のモノマネをしながら、現れる(場内盛り上がる)。ピコ太郎お得意の「ペンパイナッポー
アッポーペン」を真似て、お照が二人いることから、「お照とお照でテルテル坊主」などと
ピコ太郎風のセリフと仕草で場内を笑いで沸かすと、上手の鳥居くぐって錦天満宮の境内へ
と姿を消して行く。

若菜姫は秋作から花形の鏡を奪おうとするが、失敗する。隙を見て花道スッポンより姿を消
す。彼女が残した言葉から、秋作は室町御所の怪猫と若菜姫らとの繋がりを悟り、室町御所
へと、急いで戻る。


同   第二場(京)室町御所の場」。
怪猫の祟りに悩まされている狛姫(尾上右近)が平癒した。姫の介護をしていた老女の南木
(なぎ。萬次郎)、家臣の三原要人(みはらかなめ。竹松)もホッとしたが、姫が御簾のあ
る御所の寝所に入ると、突然、雷が鳴り出し、激しい雷雨となった。老女の南木らも避難。
狛姫の姿を借りて天井裏に現れたのは若狭国多田岳の山猫の精(右近)であった。御所造営
のため棲家の森を切り崩した足利将軍家に復讐し始めたのだ。発端で出てきた土蜘蛛の精と
同じである。奥から出てきたのは南木(後ろ姿。顔を見せない。吹き替え)と思われる。

秋作が花形の鏡を手に花道から御所に戻る。若菜姫と手を組んでいるとみられる怪猫は、こ
れで退治できると思ったら、意外や、その揚力は手強い。老女の南木を自由自在に操ってみ
せる。この場面が、私には大きな見せ場と思えた。

老女の南木(吹き替えなので、誰が演じているか判らないが、外連(けれん)味たっぷりの
所作ができる身の軽さから、トンボを切ったりすることも可能な大部屋の若い役者で、しか
も女形だろう)は、怪猫の妖力のままに、勝手次第、いいように翻弄「される」(ように見
せる)。この翻弄されぶりが、実に見応えがあった。操られる操り人形のようだ。是非とも
国立劇場賞をあげてほしい。

床下などから猫四天も12匹登場し、秋作と大立ち回りとなる。屋体崩しで、御所も潰れ、
大猫も登場。秋作もたじたじとなり、鏡も奪われてしまう。

雪岡多太夫が家伝来の白銀の槍を持って、助太刀に来る。その槍で秋作はやっと怪猫を退治
することができ、花形の鏡も取り戻す。怪猫も退散。御所の屋体も元に戻る。秋作は若菜姫
を求めて、新たな旅立ちへ向かう。松緑が白銀の槍を持って、花道を飛び六方で向う揚幕へ
飛び込んで行く。


大詰「(肥前)島原の塞の場」。
大友若菜姫は海に囲まれた島原の要塞(洞窟を利用して構築)に隠れていた。玄海灘右衛門
(権十郎)ら海賊たちを引き入れて菊地軍に対峙していた。しかし、海賊の一味に変装して
島原に入り込んでいた菊地家側の小文治が若菜姫の一軍の中に味方を引き入れてきた。両軍
激戦。岩組の要塞は、引き道具で、上手側に移動する。下手に海辺の遠見が広がってくる。
大海原が見えるようになる。

劇場天井奥から菊之助、再びの宙乗り(先ほどの宙乗りの逆コースとなる)で、花道七三へ
と飛翔する。再び現れた若菜姫は、中空から土蜘蛛の妖術で抵抗する。雲の妖術で本舞台に
は、大きな浪布を使って、うねりが作られる。ダイナミックな大波。やがて、術が破られ、
波が割れて本舞台に洲ができる。花形の鏡を持った豊後之助(菊五郎)の登場である。花形
の鏡の力で若菜姫の妖術も破られてしまった。若菜姫の敗北。

さて、大団円。本舞台には、鳥山豊後之助(菊五郎)、鳥山秋作(松緑)、菊地貞行(亀三
郎)、菊地貞親(左近)、雪岡多太夫(團蔵)、将軍足利義輝(時蔵)、足利狛姫(右
近)、雪岡照葉(梅枝)、鷲津六郎(萬太郎)、龍川小文治(亀寿)など10人が出揃う。
菊地家の嫡男・貞親が元大友家の所領豊後国を大友家に返すと申し出る。それを受けた将軍
義輝は大友家の再興と所領安堵を約束する。その上で、両家の雌雄を決するべきだと裁定す
る。若菜姫もとりあえず、安堵の様子。皆々、天下太平、国土安穏を寿ぐ。若菜姫は赤い二
段に乗り、皆々とともに、引っ張りの見得となる。荒唐無稽なまま、こんにちはこれぎり、
閉幕となる。


まとめ;「しらぬい譚」の3つの柱は、以下の通り。

1)権力抗争:菊地家の御家騒動。藩主・菊地貞行対家老・大友刑部(福岡藩黒岳の御家横
領騒動。栗山大膳がモデルか)。
2)抵抗・1:菊地家に対する大友家の遺児・若菜姫の復讐。土蜘蛛から授けられた妖術
(蜘蛛の糸ほか、飛翔術=宙乗り。いわばゲリラ戦)を使う。
3)抵抗・2:土蜘蛛(対菊地家)も、怪猫(対足利将軍家)も、大規模な自然破壊に対す
る抵抗だ、という。

表の芝居は、権力側の勝利となる。御家横領を企む家老を懲らしめる=仕置き(勧善懲悪の
装い)。

裏の流れは、まつろわぬものたち(大友家の若菜姫、土蜘蛛の精 → 対菊地家、怪猫 
→ 対足利将軍家)の抵抗(妖術など、超能力)、という形での御政道批判がある。七草四
郎は、若菜姫が利用した姿。「島原の乱」の天草四郎ではない。

土蜘蛛、土人論。土(つち)=土地=領地をめぐる争いこそ、戦の本質。敵対するもの、ま
つろわぬものは、皆、敵。敵はこれまで生きてきた領地を守ろうとする。当然だ。だから、
抵抗するのである。領地とは、土地、土地は、土、そこの民は、土(つち)の人。土人(ど
じん)、あるいは、もっと侮蔑して土蜘蛛(つちぐも)=土に拘(こだわ)る虫ケラ、とい
う発想があるのではないか。しかし、その土地に拘るとは、そこで生き続けるということだ
ろう。沖縄・高江のヘリパッド計画の現場で抵抗する住民や市民を侮蔑した機動隊の警察官
の言動(「土人」発言)の源泉も、この辺りから流れ来ているのではないか。まつろわぬも
のへの蔑視、憎悪。異常な長期勾留が続く沖縄平和運動センターの山城博治議長は病身とい
う。まつろわぬものへの蔑視という人権無視がなければ、いくら権力側とはいえ、普通は、
こういうことはできないはずだ。山城さんへの不当な勾留は、土人発言と同根である。

歌舞伎や能では、「土蜘(つちぐも)」という演目もある。室町時代末期に作られたという
鬼退治の物語。鬼、天狗、土蜘蛛などの「怪物」は、皆、人外の、まつろわぬもの。まつろ
わぬものは退治(仕置き)される。背景にあるのは、中国の「王土王民思想」。つまり、地
上にある土地は天命を受けた王のもの(王土)であり、そこに住む全ての人民は王が支配す
る民(王民)である、という。

幕末期、明治維新まで15年という時期。御政道批判は、徳川幕府から許されないため、そ
のままでは、上演禁止になる恐れがある。表の芝居(まつろわぬものたちへの仕置き)の裏
に流れる「まつろわぬものたちの抵抗」の物語が、私には透けて見える。
- 2017年1月20日(金) 18:05:29
17年1月歌舞伎座(夜/「井伊大老」「越後獅子」「傾城」「松浦の太鼓」)


玉三郎のお静の方、しっとりと


「井伊大老」は、北條秀司作の新作歌舞伎で、1956(昭和31)年、明治座で初演され
た。新歌舞伎は、明治以降戦前までの作品。新作歌舞伎は、戦後の作品。新国劇としての初
演は、それより、3年早く、1953(昭和28)年、京都南座。

歌舞伎としての初演は、井伊大老:当時の八代目幸四郎(後の初代白鸚)、お静の方:六代
目歌右衛門であった。初演以降、お静の方は、六代目歌右衛門の、井伊大老は、八代目幸四
郎の、当り役になった。北條秀司の芝居は、科白劇。1981年、八代目幸四郎は、九代目
を、いまの幸四郎に譲り、初代白鸚襲名披露(あわせて、九代目幸四郎、七代目染五郎襲名
披露)の舞台途中で不帰の人となった。代役は、当代の吉右衛門。吉右衛門は、以来、何回
も井伊直弼を演じている。従って、白鸚を彷彿とさせる科白廻しである。当代幸四郎の井伊
直弼も、私は観ている。

「井伊大老」は、6回目の拝見。初めて観たのが、94年4月、歌舞伎座の舞台。白鸚十三
回忌追善興行。次いで、2年後、96年4月歌舞伎座。その8年後、04年10月、歌舞伎
座。白鸚二十三回忌追善興行であった。この3回の場の構成は、「井伊大老邸の奥書院」、
「濠端」、「元の奥書院」、「お静の方居室」の4場であった。4回目が、さらに2年後
の、06年4月、歌舞伎座。歌右衛門五年祭興行であった。この時は、「お静の方居室」だ
けのみどり上演であった。お静の方を当り役とした歌右衛門にとっては、「お静の方居室」
こそが、「井伊大老」という新作歌舞伎(北條秀司原作)の精髄というわけだろう。5回目
が8年後の14年11月歌舞伎座(この時は、第二幕第二場「桜田門外」が上演された)。
そして、3年後の6回目、今回の歌舞伎座と続く。

私が観た主な配役。井伊大老:吉右衛門(4)、幸四郎(今回含めて、2)。お静の方:先代
の雀右衛門(2)、歌右衛門、魁春、芝雀時代の当代雀右衛門、そして今回は待望の玉三
郎。私は初めて拝見する。玉三郎自身は2回目。96年4月の歌舞伎座の舞台でお静の方を
演じた歌右衛門は、この月の舞台では、途中から、病気休演で、先代、つまり四代目雀右衛
門が、代役を勤めているが、私は、病気休演前に、無事歌右衛門最後のお静の方の舞台を拝
見することができた。私にとっては、歴史的な舞台となった。

贅言;来年正月、歌舞伎座で二代目白鸚、十代目幸四郎、八代目染五郎襲名披露がある。三
世代同時襲名という慶事である。つつがなく、襲名が披露され、襲名後のそれぞれの舞台を
末長く観て行きたい。

安政の大獄=1858(安政5)年から59(安政6年)にかけて、井伊大老が、尊王攘夷
の志士らを弾圧し、吉田松陰、梅田雲浜、橋本左内らを投獄、処刑した=以来、政情不安に
なり、挙げ句、1860(安政7)年、旧暦の3月3日の「桜田門外の変」で、井伊大老
は、水戸浪士らによって襲撃され、暗殺される。歌舞伎の舞台は、「桜田門外の変」の前
日、3月2日の、井伊家下屋敷での、井伊大老と側室のお静の方の、しっとりとした語らい
の時間を軸に描く。従って、芝居のテーマは、「迫りくる死の影」。

今回の場の構成。第一幕第一場「井伊大老邸の奥書院」、同 第二場「桜田門に近い暗い濠
端」、同 第三場「元の奥書院」、第二幕「井伊家下屋敷お静の方居室」。

第一幕第一場「井伊大老邸の奥書院」。
1859(安政6)年の初冬。雪が積もった庭。井伊大老邸の奥書院の場では、正室の昌子
の方(雀右衛門)を軸にしながら、安政の大獄の時代状況が簡潔に説明される。書院の上手
は、物見の間か。いまなら、バルコニーのような役割の部屋。上手奥に江戸の下町方向が見
渡される。火事か。世情不安。暗夜に帚星が見えた。井伊大老と側室のお静の方の間には、
鶴姫がいるが病弱であり、あすをも知れぬ容態である。井伊大老の身辺にも、危うきことが
忍び寄っている、という予兆。

第一幕第二場「桜田門に近い暗い濠端」。
江戸城の濠端では、駕籠に乗った井伊大老(幸四郎)を襲撃しようとして、失敗し捕縛され
た幼馴染みの水無部六臣(愛之助)と井伊大老との激論が描かれる。大政奉還を主張する水
無部六臣。国内外の窮状を吐露する井伊大老。

第一幕第三場「元の奥書院」。
井伊大老が、屋敷へ戻る。鶴姫危篤の報が下屋敷から届く。井伊大老のブレーン・長野主膳
(染五郎)らが現れ、反対派を果断に断罪する政策を持ち上げるが、大老は内心不快であ
る。水無部六臣切腹の報と共に遺書が届く。命を懸けて反対派の青年たちの減刑を訴えてい
る。主膳は従来通りの強行策の堅持を主張する。鶴姫の訃報も届く。井伊大老を取り巻く、
公私の事情が説明される。長野主膳は井伊大老とは下積み時代からの友。女の静の方と男の
長野主膳。大老・井伊直弼の心許せる人間関係が、歴史の歯車に引きちぎられて行く。

第二幕「井伊家下屋敷お静の方居室」。
数ヶ月後。翌、1860(安政7)年3月2日。「桜田門外の変」の前日の物語。去年亡く
なった鶴姫の命日。井伊大老と側室のお静の方の間に生まれた娘。仙英禅師(歌六)が、お
静の方(玉三郎)、老女・雲の井(吉弥)らと共に、姫の菩提を弔っている。

「一期一会」という文字を古い笠に書き残して仙英禅師が去り、井伊直弼が来る。迫りくる
死を覚悟する大老・井伊直弼。出迎えたお静の方。埋木舎の思い出。青春時代から直弼と付
き合ってきたお静の方の、しっとりとした語らいは、心を許しあう、それも大人の男女の、
極めてエロチックともいえる、濃密で、良い場面である。ここで言うエロチックとは、性愛
と言うよりも、大人の男と女、死という永遠の別れを前にした、若い頃から長い時間を共有
して来た果てのカップル、「晩年の生」の最期の輝きとも言えそうな、しっとりした対話の
ことである。ただし、科白廻しは、玉三郎はしっとりしているが、幸四郎は、声が大きすぎ
る。もう少し、情愛の滲みが欲しい。

「夫婦は、二世」という信仰が生きていた封建時代。井伊直弼も、正室より、若い頃から付
き合って来た側室のお静の方との「男女関係」をこそ、真の夫婦関係として重視していた。
エロスとタナトス。文字どおり、迫り来る死に裏打ちされた生の会話である。それを北條秀
司は、下屋敷の壷庭に咲いた桃の花に降り掛かる白い雪で描き出した。桃色の花の上に被さ
るように降り積もる白い雪。桃色と白色のイマジネーション。

居室奥正面の襖が開かれると、朱色の毛氈が敷き詰められた明るい雛壇が見える。幼くして
亡くなった娘を悼む雛祭り。暖かそうな春の灯り。雛壇では、上手に内裏雛が飾られてい
る。ふたりの静かな時間の流れのままに、各段に置かれた雪洞が、何時の間にか、ひとつず
つ下の段から消されて行く。ほの赤かった雛壇も、迫りくる死へ向かっているように、薄闇
に沈みはじめる。照明を駆使した新作歌舞伎ならでは、の味。

また、明日に降り続く雪は、井伊直弼に故郷の伊吹山を思い起こさせ、望郷の念を抱かせ
る。大老を辞めて、お静らと過ごした彦根の青春の日々に戻りたいという、井伊直弼の絶叫
が耳に残る。老いと共に迫る死の予感から、直弼は青春の日々を走馬灯のように思いめぐら
す。

通して観ていると、北條歌舞伎は、男たちの事件を描いているのが良く判る。しかし、この
芝居には、実は、もうひとつのテーマがある。それは、お静の方に具現されるように、「本
当の女人とは、どういう女性か」「大人の愛とは」というのが、北條秀司の隠したテーマだ
と思う。従って、この芝居は、「井伊大老」という外題にはなっているが、「お静の方」と
いう、双面の芝居という隠し味もある、と思う。それほど、お静の方は、魅力的な女性とし
て、描き出されている。六代目歌右衛門が、生前は、ほぼ独占していた役だ。歌舞伎界の
「女帝」と噂された人らしいエピソードだ。歌右衛門以外でお静の方を演じたのは、玉三
郎、四代目雀右衛門くらい。没後、歌右衛門養子の魁春、雀右衛門長男の五代目雀右衛門が
藝を継承しようとしている。


五代目富十郎七回忌追善


次いで。所作事2題。「越後獅子」と「傾城」。五代目富十郎七回忌追善狂言とある。「越
後獅子」は、江戸の日本橋が舞台。本舞台の真ん中が日本橋川。客席は日本橋川の中にあ
る。書割で奥に、江戸城と富士山が見える。日本橋川右岸、下手に、商家群。遠くに火の見
櫓。左岸、上手に白壁の蔵群。下手手前に竹の置き場がある。上手の川端に柳の木。花道か
ら角兵衛獅子(鷹之資)がやってくる。越後月潟村の出身。越後の名物を織り込んだ踊りを
披露する。浜歌、手踊、獅子の舞、最後に披露する布晒しは、角兵衛獅子の家の藝。細布を
波に見立てて、振り廻す。富十郎の振りを思い出して偲ぶ。


「傾城」は、玉三郎が踊る。初見。暗転から始まる。舞台以外は、暗いまま。江戸の吉原が
舞台。明かりがつくと傾城(玉三郎)を軸にした花魁道中がゆるりと繰り広げられている。
お馴染みの仲之町。玉三郎の新工夫。

再び、暗転。次に明かりがつくと、廓の中の座敷。金地銀地の襖は花の柄。吉原の春夏秋冬
を盛り込んだ文句に合わせて踊りながら、傾城の舞は、己の恋心を舞ってゆく。例えば、
春。傾城と二頭の蝶。蝶は貢献が差金で操る。傾城は、紫地に金色で縫い取った大きな孔雀
の柄を背負った裲襠(うちかけ)を羽織っている。上手の衣桁には、別の裲襠が掛かってい
る。傾城の部屋か。手に持っている天紅の手紙は、傾城の恋文だろう。玉三郎は、黒地の裲
襠に着替えると、お得意の左斜めを向いた後ろ姿で、背骨を斜めの方向に傾けて、静止のポ
ーズを取る。やがて、緞帳が下りてくる。


染五郎と愛之助で世代交代含み


「松浦の太鼓」は、初代吉右衛門の当り役を集めた「秀山十種」の演目なので、例えば平成
に入って本興行で15回上演されたうち、吉右衛門は10回,松浦侯を演じている。ほか
は、勘三郎が2回、仁左衛門が孝夫時代を含めて、2回。当代の幸四郎は演じていない。今
回は染五郎が演じる。本興行の上演記録にはない。私は、「松浦の太鼓」を観るのは今回含
めて7回目となる。私が観た松浦侯は、吉右衛門(4)、勘三郎、仁左衛門、そして今回は
染五郎。染五郎と愛之助を軸に世代交代をにじませながらの上演であろう。

贅言;愛之助は、今興行では、4演目に出演をし、すべて初役だ。染五郎も4演目に出演。

1856(安政3)年、三代目瀬川如皐と三代目桜田治助の合作による原作で初演された
「新台いろは書初」のうちの一幕を、1878(明治11)年に、いまのような形に「改
作」されたというから、新・歌舞伎の部類に入れてもよいだろう。時代がかった科白が、し
ばしば、「世話」になる。「年の瀬や水の流れと人の身は」という上の句に「明日待たるる
その宝船」という下の句をつけた謎を解く話。「忠臣蔵外伝」のひとつ。判りやすい笑劇で
ある。

雪の町遠見。大川にかかった両国橋。開幕すると、雪に足を取られないようにと、注意しな
がら、上手から町人ふたりが、両国橋を渡って来る。両国橋の袂には、柳の木とよしず張り
の無人の休憩所がある。立て札が、2本立っている。以前は、「二月十五日 常楽会 回向
院」「十二月廿日 千部 長泉寺」という立札2枚が、立っていたが、最近では、「十二月
廿日 開帳 長泉寺」「十二月廿日 開帳 弘福寺」という立札が、立っている。前回も今
回も、同様であった。

次には、すす払いの笹竹を売り歩く大高源吾(愛之助)が、売り声をあげながら上手から両
国橋を渡って来る。花道からは、傘をさした俳人の宝井其角(左團次)が、やって来る。こ
の場面も、舞台は、一枚の風景浮世絵のように見える。

吉良邸の隣に屋敷を構える、赤穂贔屓の松浦の殿様・松浦鎮信が主人公。人は、良いのだ
が、余り名君とは、言い兼ねるような殿様だ。しかし、愛嬌がある。風格と教養もある。吉
右衛門の松浦侯は、吉右衛門本来の人の良さが滲み出ていて、そこが強調されていて、おも
しろい。染五郎は、ユーモアのある松浦候を演じているが、この殿様独特の人間的な深みを
感じさせない。今後の課題だと思われる。

初代吉右衛門の当り藝で、その後は、先代の勘三郎も当り藝にした。「松浦の太鼓」は、討
ち入りの合図に赤穂浪士が叩く太鼓の音(客席の後ろ、向う揚幕の鳥屋から聞こえて来る)
を隣家で聞き、指を折って数えながら、それが山鹿流の陣太鼓と松浦侯が判断し、討ち入り
が始まったと悟る場面が、見どころである。剃刀のような鋭さとは違うが、鋭い人でもあ
る。

愛之助が演じた大高源吾は、前半は、町人に身をやつし、後半は、無事に討ち入りを果たし
た赤穂義士の一人ということで、メリハリのある役どころで、ご馳走な役である。米吉が演
じたお縫は、松浦侯の感情の起伏に翻弄されるばかりで、しどころの難しい役。私が観たお
縫は、松江時代の魁春、玉三郎、孝太郎、勘太郎時代の勘九郎、芝雀時代の雀右衛門、米
吉、そして今回は、壱太郎。壱太郎は、今月は、浅草歌舞伎と掛け持ち。宝井其角は、お縫
と松浦侯の間に入り、憎めない愛嬌のある殿様を相手に、大人の賢さを発揮して、抜かりな
く駆け引きをするという、結構、難しい役であるが、左團次は適役だろう。前回は、歌六が
演じたが、このところ、いぶし銀の輝きと独自の味を出し始めた歌六も良かった。播磨屋一
門の重鎮として、貫禄を滲ませてきた。
- 2017年1月18日(水) 21:44:20
17年1月歌舞伎座(昼/「将軍江戸を去る」「大津絵道成寺」「沼津」)


老舗の歌舞伎


正月の東京歌舞伎は、4座で上演している。浅草歌舞伎、国立劇場、歌舞伎座、新橋演舞場
である。歌舞伎座は、老舗の本店らしい配役を確保して、ブランドを見せつける。昼の部で
は、吉右衛門と歌六のコンビの「沼津」が絶品だろう。国立劇場は恒例の菊五郎一座で、独
自の道を行く。新橋演舞場は、澤瀉屋一門のホープだった右近が、関西歌舞伎の名跡右團次
を三代目として継承、襲名披露する。華やかな舞台を展開している。かわいそうなのは、浅
草歌舞伎で、軸になる御曹司の若手役者は4人きり。松也、巳之助、隼人、壱太郎である。
壱太郎は歌舞伎座との掛け持ち、梅玉部屋子の梅丸が、准御曹司扱いで助っ人する。今月の
浅草歌舞伎は配役難ではないのか。浅草歌舞伎座頭3年目の松也が頑張って、少数精鋭の浅
草歌舞伎を引っ張っている。

歌舞伎座は、昼の部は、吉右衛門・歌六の「沼津」。染五郎・愛之助の「将軍江戸を去る」
で、世話ものの名品、大政奉還百五十年記念として新歌舞伎の名作と、品揃えを誇ってい
る。夜の部も同じ傾向で、幸四郎・玉三郎の「井伊大老」。染五郎・愛之助の「松浦の太
鼓」で、新歌舞伎の名作、幕末期の時代もの名品を揃えている。来年正月の歌舞伎座の舞台
で十代目松本幸四郎を襲名する染五郎のプレ襲名のスタートであろう。「将軍江戸を去る」
の徳川慶喜も「松浦の太鼓」の松浦鎮信も、将軍、殿様としての品格が要求される。染五郎
は、この一年でこの課題に見事な答えを出して欲しい。詳しくは、昼の部、夜の部でそれぞ
れ論じたい。まずは、昼の部から。


染五郎の「将軍」像


真山青果原作「将軍江戸を去る」を観るのは、6回目。科白劇の新歌舞伎作品。古典作品で
はないので、定式幕を引くのではなく、緞帳が上り下がりする。

第一場「上野彰義隊の場」は、上野の山に立てこもり、血気に逸る彰義隊の面々と無血開城
を目指す山岡鉄太郎(愛之助)や山岡を支援する高橋伊勢守(又五郎)らとの対立を描く。

第二場「上野大慈院の場」は、江戸・上野にある大慈院の一室で、恭順、謹慎の姿勢を示し
ている慶喜(染五郎)の姿を紹介する。慶喜は、明朝、江戸を去り、水戸へ退隠する手筈な
のだが、慶喜の心が揺れているのを心配して、やがて、無血開城派の高橋伊勢守(又五
郎)、山岡鉄太郎(愛之助)が、命をかけて、開城を勧めにやって来るという場面である。
鶯の鳴き声が、効果的に挿入される。政権や軍部が戦争への坂道を転げ落ち始めた時期に、
「戦争ほど残酷なものはございません」などという科白を挟み込み、真山青果は性根を示し
ている、と言えるだろう。

慶喜の外面的には見えない心理の揺れを、夕闇の中、月光に照らされて白く浮かぶ舞台上手
の桜木で、うかがわせるという趣向。人事と自然の対照。だが、実は、原作の脚本には、こ
の桜木の指定は無いという。だとすれば、何処かの時点で、代々の慶喜役者のだれかが、思
いついて、桜木を置かせ、以降、定式の演出として、受け継がれてきたのかも知れない。

尊王と勤皇の違いなどを論じる「勤王の大義」論議は、真山青果らしい科白劇である。上手
の一室で、心のざわめきを抑えながら読書をする慶喜。前半では、夜半に訪ねて来た山岡の
姿は、舞台下手の障子に映る影と声ばかりで演出される。慶喜の科白。「将軍も裸になりた
い時があるのーだ」。「のーだ」という語尾をつけた科白は、押し付けがましくて、損をし
ている。それも何回も繰り返される。真山青果の原作から、そのままの科白だろうか。

第三場「千住の大橋の場」は、まだ、夜明け前。舞台も薄暗い。花道を来る将軍一行の先触
れの侍が持つ提灯だけが明るい。幕府崩壊の暗暁と明治維新の夜明けを繋ぐ場面だろう。短
いが、「将軍江戸を去る」のハイライトの場面。揺れていた慶喜の心も、退隠で固まり、
「千住大橋の袂まで」御朱引内という江戸の地を去る。駆けつけて来た山岡鉄太郎が、千住
大橋に慶喜の足が掛かると、そこが、江戸の際涯(最果て、最後の地)だと注意を喚起する
場面が、見せ場となる。その指摘を踏まえて、暫く江戸の地の側にとどまる最後の将軍。

さらに、それを受けて、「江戸の地よ、江戸の人よ、さらば……」という慶喜の科白に象徴
される278年の幕政の終焉。「天正十八(1590)年八月朔日(ついたち)、徳川家康
江戸城に入り、慶應四(1868)年四月十一日、徳川慶喜江戸の地を退く」。染五郎の科
白は、明治期の劇聖と呼ばれた九代目團十郎が考案した「唄うような科白のリズム」を伝承
しているという(二代目左團次、十一代目團十郎、三代目寿海などが伝えて来たとされる。
大正、昭和の作品=「江戸城総攻」3部作=を1903年に亡くなっている九代目團十郎は
勿論演じていない)。

私が観た慶喜役者は、團十郎(2)、梅玉、三津五郎、吉右衛門。そして、今回が染五郎。
同じく、山岡鉄太郎役者は、五代目富十郎、勘九郎時代の勘三郎、橋之助、染五郎、中車、
そして、今回の愛之助。

真山青果原作は、「江戸城総攻」という3部作で、大正から昭和初期に、およそ8年をかけ
て完成させた新作歌舞伎である。1926(大正15)年初演の第一部「江戸城総攻」(勝
海舟が、山岡鉄太郎を使者に立てて、江戸城総攻めを目指して東海道駿府まで進んで来た征
東軍の西郷隆盛に徳川慶喜の命乞いに行かせる)、1933(昭和8)年初演の第二部「慶
喜命乞」(山岡が、西郷に会い、慶喜の助命の誓約を取り付ける)、そして1934(昭和
9)年初演の第三部「将軍江戸を去る」(勝海舟が、江戸薩摩屋敷で、西郷隆盛に会い、江
戸城の無血明け渡しが実現する)という構成である。江戸城の明け渡しという史実を軸に、
登場人物たちの有り様(よう)を描いている。いずれも、初演時は、二代目左團次を軸にし
て、上演された。例えば、第三部では、左團次が、西郷吉之助と徳川慶喜の二役を演じた。

歌舞伎では、必ずしも、原作通り演出されず、例えば、第一部の「江戸城総攻」では、「そ
の1 麹町半蔵門を望むお濠端」、「その2 江戸薩摩屋敷」という構成で、青果3部作
の、第一部の第一幕と第三部の第一幕(「江戸薩摩屋敷」では、西郷吉之助と勝安房守が江
戸城の無血開城を巡って会談する場面である)が、上演されることが多い。従って、第三部
「将軍江戸を去る」は、一般に、第二幕「上野彰義隊」から上演される。これは、慶喜をク
ローズアップしようという演出で、演出担当は、真山青果の娘、真山美保である。今回も、
第一場「上野彰義隊の場」、第二場「上野大慈院の場」、「千住の大橋の場」という構成で
ある。

この芝居では、「生まれいずる日本」とか、「新しい日本」とかいう科白が、何回か登場す
る。大正から昭和初期の時代に、このままの科白が舞台で使われたのだろうか。実際の日本
は、「将軍江戸を去る」が、1934(昭和9)年に初演された2年後、1936(昭和1
1)年2月には、「二二六事件」が発生し、軍部の政治支配が強まって行き、1945(昭
和20)年の敗戦に向けて、「古い日本」は、国際連盟から脱退するなど、国際社会のなか
で転げ落ちて行く。「新しい日本」が、誕生するのは、この芝居が初演されてから、10年
余も待たなければならない。真山青果は、そういう時世をどう見て、こういう科白を書き付
けたのだろうか。今の世相と絡めて、考えさせられる芝居である。

半藤一利が指摘するように、「国家の危険な歩みに対して、警鐘を鳴らしたのかもしれな
い」。あるいは、軍部も、(英米)列強による日本の蹂躙の危機に抵抗するという方にウエ
イトを置いて、枢軸側として、これらの科白を良しとしたのだろうか。「勤王の大義」に、
天皇主義の軍部も許容したのだろうか。これらの科白は、素直に聞けば、ベースにあるの
は、「新しい日本宣言」であろう。したたかな、壮年期の青果劇の科白廻しは、時代をかい
くぐっても、錆び付かなかったということであろうか。


愛之助五変化


「大津絵道成寺 愛之助五変化」。「大津絵道成寺」は、2回目。前回は、坂田藤十郎。大
津絵というのは、元々は、滋賀県大津の三井寺(みいでら)付近で売られた、土地の名産品
だった仏教画。無名の工人(通称「吃又」の芝居でも、大津絵を描いて糊口を凌ぐという件
(くだり)があった)の手で、絵の巧さよりも、おもしろさを追求して、絵柄や図案のバリ
エーションが、どんどん増えて行った。大津絵は大衆化するに連れて、当初の宗教色が薄れ
て行き、独特のタッチで描かれた、ちょっとおもしろい、子どものお土産用の絵というニュ
アンスになった。荒唐無稽で、シュールな感じもするが、そういうところは、歌舞伎味にも
通じる。

「大津絵道成寺」は、この大津絵をモチーフに次々衣装を変えながら踊る変化舞踊。「大津
絵もの」と呼ばれる所作事のひとつ。舞台上手の柱に「大津絵道成寺」、下手の柱に「片岡
愛之助五役早替わりにて相勤め申し候」と書いた看板が掛かっている。大津絵の中の人物や
動物が、絵から抜け出して、踊るという趣向。

「大津絵道成寺」は、河竹黙阿弥作詞の「名大津画劇交張(なにおおつえりようざのまぜは
り)」で、1871(明治4)年、守田座・市村座の合同興行で、初演された。「京鹿子娘
道成寺」を下敷きにしているが、清姫の安珍に対する恋の怨念がある「京鹿子娘道成寺」
の、いわば、重構造の舞踊劇に比べると、三井寺の鐘供養のお祝いに、大津絵のキャラクタ
ーとして知られる、さまざまな人物を登場させて、「変化」のバリエーションを増やすとい
うやり方の舞踊で、単純な構造の上、ちょっと、落ち着きが無い。女形の舞踊劇の「勧進
帳」とも言うべき大曲「京鹿子娘道成寺」と比べるのは、酷かもしれないが、まあ、敢え
て、比べると、それは、ちょうど、江戸時代の高級化していった「錦絵」と、庶民の、子ど
も用の、お土産的な位置づけの「大津絵」という比喩が、適切かもしれない。

大津は、江戸から、琵琶湖の周囲を廻って、京に上ろうとしたら、通る街道筋で、旅の客が
多い土地柄だけに、大津絵は、大津ブランドの、安価な「お土産品」的色彩が濃くなった。
江戸時代の庶民には、「大津絵」はかなり馴染みが深いもので、どの家にも、一枚くらい
は、「大津絵」があり、屏風の破れたところなどに貼ってあったりした。歌舞伎の舞台に
も、まさに、そういう使い方で、衝立に張ってあったりする。舞踊劇の「藤娘」は、大津絵
のなかでも、著名なキャラクターの藤娘がモデルになった演目である。

「道成寺もの」らしく、幕が開くと、紅白の段幕、大きな釣り鐘。花道から、「聞いたか坊
主」同様に、「聞いたか、聞いたか」という科白とともに、外方(げほう。吉之丞)と4人
の唐子たち(女形)、それになぜか末尾に鯰がいる一行が登場する。鐘供養と、花見。大津
絵のキャラクターの雷や鬼に供養の庭を荒らされぬよう禁制にしたと噂している。鬼は、手
足の指が、3本しか無い。「一枝を切らば一指を伐るべし」と掟の札を建てたと外方。「熊
谷陣屋」の科白が出て来る。一行が、本舞台に勢揃いすると、道具方が、下手より、枝折戸
を持って出て来る。

ドロドロで、大津絵から抜け出して来た藤娘(愛之助)が、花道のスッポンから現れる赤地
に大きな藤の花が描かれている。黒塗りの笠を被り、藤の小枝を持っている。藤娘も、本舞
台へ、「弁慶の鐘供養があるというので、拝ませてほしい」という。枝折戸を挟んで、外方
一行とやり合う。人間か、鬼か。指が、5本あれば、通すが、3本ならば、通さないなどと
問答。

唐子たちの「きなこ餅、きなこ餅」で、「きな(来な)こ(こっちへ)」というわけで、唐
子が枝折戸を開けて、三井寺の境内に娘を入れてくれる。藤娘が入ると、枝折戸は、道具方
が、さっさと、片付けてしまう。役者を助ける後見たちは、野郎頭の鬘をつけているが、紋
付に袴。裃は、無し。

段幕が上がると、正面雛壇に長唄連中。下手は、常磐津連中。上手は、外方、鯰と緋毛氈の
上に、唐子たち。舞台中央の背景は、琵琶湖の遠見となる。「鐘供養 當山」の立て札。上
手下手には、桜の中に松。

愛之助の早替わりの様子を示すと、……。長唄「花の外には松ばかり……」。
ひと差し舞った藤娘は、風音(ドロドロ)で、正面中央の桜の木のところで、盆廻しに乗っ
たように廻って、桜木の陰に、消える。やがて、下手より白い鷹が飛んで来る。黒衣が差し
金で操っている。皆で、鷹を捕らえようとしながら、上手へ。

花道より、紫色の衣装を着た若衆姿の鷹匠が、やって来る。鷹匠は、鷹を追って、附け打ち
にあわせて、上手へ。上手より、斑模様の衣装を着た犬(種之助)登場。犬と交代。暫く犬
も一働き。

続いて、上手常磐津の山大の後ろから愛之助早替わりの座頭が飛び出し山台をまたぐように
して降りてくる。座頭と犬の絡みの後、座頭は、下手御簾内の中へ、狐忠信のように、飛び
込んで行く。

犬の振りの後、上手より、藤十郎早替わりの藤娘。藤色の衣装に替わり、藤の花の簪を付け
ている。長唄「恋の手習いつい見習いて、誰に見しょとて紅鉄漿つきょぞ、みんな主への心
中立て……」。長唄、常磐津のかけあい。雷(太鼓の音)が鳴り、藤娘は、下手に入る。

花道から、船頭が登場。傘を差して、首抜きの衣装、顔を隠している。顔だけ見せた藤娘の
愛之助が茣蓙(ござ)で上半身と布で髪を隠したまま、花道七三で、歌舞伎独特の定式の早
替わりで傘を差した船頭姿(吹き替え)と入れ替わる。本舞台に上がると傘を置いて、船頭
は上手へ。すぐに出てきた船頭は暫く後ろ姿のまま舞台で踊っている。その後、下手へ。同
じ傘を持った愛之助早替わりの船頭が上手から出て来て、顔を見せる。花道に登場したの
は、吹き替えだった、と判る。

また、雷の音。上手より、外方、鯰、唐子の一行。入れ違いに、船頭は、上手へ消える。雨
と雷に祟られた花見。一行は、しんどそうに花道へ入る。

上手より、早替わりで藤娘になった愛之助登場。クリーム色の衣装に、藤の花笠。長唄「面
白の四季の眺めや、三国一の富士の山……」で、山尽くし。途中で、衣装引き抜き。青地の
衣装。鈴太鼓を持つ。長唄「園に色よく……」。やがて、鐘の方を気にし出したら、藤娘
は、鐘の下に立ち、鐘の中に入る。鐘の後ろに、紅白の幕。とにかく、早替わりの連続。め
まぐるしいほど。

三つ太鼓で、花道より、弁慶(歌昇)と8人の槍奴らが登場。坊主鬘に縄の鉢巻き。厚綿の
どてら。七つ道具を入れた駕篭を背負い、槍持ちの大勢の奴を従えている。槍奴たちによる
近江八景の「トウづくし」で、時事ネタも入れ込んで客席から笑いを誘う。

弁慶供養の三井寺の鐘が、家鳴りを生じて落ちたという。弁慶の祈りと奴たちの綱引きで、
化粧声のうちに、鐘が、再び持ち上がると、鐘の中から藤娘の、後ジテ、大津絵の鬼(愛之
助)黒い衣装にきんきらの被衣を冠って現れる。奴たちと立ち回りで、下手へ。

押戻しの鳴物。花道から、矢の根五郎(染五郎)が、大津絵の拵えで、鏑矢を持って、登
場。花道七三で、鬼を止める。鬼は、五郎と弁慶に挟まれる。鬼は、右手に撞木、左手の奉
賀帳。五つ頭の見得。鬼は本舞台へ押し戻される。五郎と鬼の対抗。

片シャギリ。槍奴の化粧声。上手から、五郎(染五郎)、鬼(愛之助)、弁慶(歌昇)。や
がて、鬼は、二段に上がり、腕を左右に拡げて、柝の頭。打上げの見得。まあ、ケレンの舞
踊劇。本場の「京鹿子娘道成寺」には、及ばない。


絶品の吉右衛門と歌六のコンビ


「伊賀越道中双六〜沼津〜」は、基本的に敵(かたき)討ちの物語で、生き別れのままの家
族が、知らず知らずに敵と味方に分かれているという悲劇だが、それよりも、伏流として、
行方の判らなかった実の親子の出会いと、親子の名乗りの直後の死別、その父と子の情愛
(特に、父親の情が濃い)という場面があり、これが、時空を超えて、いまも、観客の胸に
迫って来る演目である。ベースとなる敵討ちは、史実にある、日本三大敵討ちの一つと言わ
れる、荒木又右衛門の「伊賀上野鍵屋辻の仇(あだ)討」のことである。1783(天明
3)年、大坂竹本座での初演。近松半二の最後の作品。伊賀上野の仇(あだ)討」を軸に、
東海道を「双六」のように、西へ西へと旅をするので、こういう外題となった。

「沼津」は、くだけた「世話」場で、上方味の科白のやりとりで、客席を和ませる。志津馬
の仇の沢井家に出入りしている商人・呉服屋十兵衛(吉右衛門)と怪我をした志津馬を介抱
する、かつての傾城・瀬川こと、お米(雀右衛門)の父親・雲助の平作(歌六)が、たっぷ
り、上方歌舞伎を演じてくれる。特に、歌六は老人の腰つき、足取りなど、細かな藝を積み
重ねるようにしながら熱演していた。

十兵衛は、実は、養子に出した平作の息子の平三郎ということだが、前半は、小金を持った
旅の途中の商人としがない雲助(荷物持ち)という関係で、途中から、親子だと言うことが
判っても、「敵同士の関係」ということから、お互いに、親子の名乗りが出来ないまま、芝
居が、進行する。行方の判らなかった実の親子の出会いと、親子の名乗りをした直後の死別
(自害)、その父と子の情愛(特に、父親の情が濃い)という場面では、平作役者は、娘の
恋人・志津馬のために、仇の股五郎の居所を聞き出すために、己の命を懸けてまで、誠実で
あろうとする。

十兵衛は、そういう命を懸けた平作の行為に父親の娘への情愛を悟り(自分の妹への情愛も
自覚し)、沢井家に出入りする商人でありながら、薮陰にいる妹のお米らにも聞こえるよう
に股五郎の行く先を教える。雨降りの場面。死に行く父親に笠を差しかけながら息子は、き
っぱりと言う。(股五郎が)「落ち着く先は、九州相良あ」。

最後は、親子の情愛が勝り、「親子一世の逢い初めの逢い納め」で、親子の名乗り。父は死
に、兄は渡世を裏切り、妹は兄に詫びる。3人合掌のうちに、幕。「七十になって雲助が、
肩にかなわぬ重荷を持」ったが故に、別れ別れだった親子の名乗り。古風な人情噺の大団
円。

この平作役者が、昨今の歌舞伎界では、実は、人材不足である。私が観た「沼津」は、6
回。平作は、歌六(今回含め、2)、富十郎、勘九郎時代の勘三郎、我當、翫雀。因みに、
十兵衛は、吉右衛門(今回含め、3)、鴈治郎時代を含め藤十郎(2)、仁左衛門。十兵衛
は、上方訛りの科白廻しで仁左衛門がダントツ。平作は、やはり上方訛りの科白廻しで、我
當が断然良い。ただし、私は残念ながら、仁左衛門と我當のコンビでは生の舞台を観ていな
い。吉右衛門と歌六のコンビは、今回含め、2回観ている。仁左衛門らの科白とは、味わい
が違うが、このコンビの科白廻しも良い。

贅言;吉右衛門の科白廻しは、現在に歌舞伎役者の中で、特徴がある。重々しい声、独特の
息のつき方が、思い入れをたっぷりしも込ませて、「名調子」と呼ばれる科白廻しになって
いる。初代の科白廻しを研究し、少しでも、似せようとしているのだろう。時代物の中の世
話物である「沼津」最大の見せ場、聞かせどころでは、「落ち着く先は、九州相良あー」。
大向うから「名調子」という声が掛かっていたことがある。吉右衛門の場合、声だけ聞いて
いても、「ああ、吉右衛門だな」と判る辺りが、この人の魅力である。仁左衛門の科白廻し
は、吉右衛門のような「名調子」とは、また、味わいが違う。上方訛りが本物である。「荒
川の佐吉」は、世話物の新作歌舞伎の科白廻し。「時代世話」とも、違うし、播磨屋調の初
代二代の科白廻しとも違うが、これはこれで、堅気の大工からやくざの親分に成長して行く
男の、颯爽としていて、それでいて、辛い「子別れ」を踏まえて、新しい世界へ旅立って行
く男の気持ちを表現する、気持ちのよい科白廻しだ。例えば、「俺が、育てた卯之吉でえ
ー。嫌だ、嫌だあー」、「そりゃ、おめえー。別れたくねえなあー」など。吉右衛門、仁左
衛門、それぞれの科白廻しには、それぞれの味わいがある。
- 2017年1月18日(水) 16:45:19
17年1月新橋演舞場(夜/「義賢最期」「口上」「錣引」「黒塚」)
 

海老蔵の「義賢最期」


「義賢(よしかた)最期」は、6回目。仁左衛門の義賢が絶品の演目だが、体力がいる。仁
左衛門流を継承しているのが愛之助(5回主演)。海老蔵の義賢を観るの私は今回が初見。
海老蔵の主演は、今回で2回目。

義賢(海老蔵)は、松王丸風の五十日鬘に紫の鉢巻きを左に垂らし、という病身の体(て
い)で館に引きこもっている。折平が戻ったと聞いて、奥から登場する。右手に持った刀を
杖のように使っている。これも松王丸に似ている。

夜の部のこの狂言は、右團次の襲名披露を寿ぐだろうが、襲名披露の演目ではない。市川宗
家・團十郎一族の当面の当主としての海老蔵の演目である。

主な配役は、義賢が海老蔵。下部折平、実は、多田蔵人が中車。矢走兵内が猿弥。小万が笑
三郎。九郎助が市蔵。葵御前が右之助。待宵姫が米吉。

義賢は、平清盛に敗れ、逃避行中に家臣に裏切られて亡くなった源義朝の弟。病のため、
「寺子屋」の松王丸そっくりの衣装、紫の鉢巻姿で出て来る。下部(奴)の折平、実は多田蔵
人は、小万の夫、行方不明だったが、こんなところに下部として忍んでいた。それに待宵姫
と恋仲。下部の時は、下手に控えているが、正体を明かすと、義賢とも居処替りをする。百
姓九郎助、九郎助の娘・小万、義賢の後妻、御台所・葵御前、義賢妹・待宵姫。ほかに平家
方の矢走兵内と進野次郎など。

二重舞台の上手に羽のような形をした手の付いた木製の植木鉢に小松が植え込んである。さ
らに、その手前の平舞台にある手水鉢の、左上の角に斜めに線が入っている。これは、何か
あると、思っていたら、折平(中車)が登場する場面で、義賢が折平の正体を多田蔵人行綱
と見破った上で、先ほどの植木鉢の手を利用して小松を引き抜き、庭の手水鉢に松の根っこ
を打ち付けると、手水鉢の角が欠け落ちる。これが水の陰、木の陽ということで、源氏への
思いの証となり、折平が義賢に心を開くきっかけとなるという仕組みだ。繰り返す様式。こ
ういう荒唐無稽さが歌舞伎の古怪な味である。

並木宗輔ほか原作「源平布引滝」は全五段の時代もの。「源平布引滝」のうち、今も歌舞伎
や人形浄瑠璃で上演されるのは、二段目切の「義賢最期」と三段目切の「実盛物語」。加え
て稀に、人形浄瑠璃では、三段目の「御座船」(「竹生島遊覧の段」)が上演される。

平家に降伏した義賢だが、本心は源氏再興への熱い思いがあり、平清盛から奪い返した源氏
の白旗を隠し持っている。これが折平の妻・小万(笑三郎)に託されることになる。旗を巡
るせめぎ合いが長い物語の一つの筋で、それゆえに、外題の「布引」は、布=旗の引き合い
のことで、実際の地名の布引滝に引っかけているのだろう。

ここへ、清盛の上使が、白旗の詮議に来る。義賢の兄、義朝の髑髏を足蹴にしろと迫る。と
ころが、本心を隠し仰せなくなった義賢は、髑髏を足蹴にできない。逆に、上使のひとり長
田太郎の頭を髑髏で叩いて、殺してしまう。しかし、もうひとりの高橋判官を取り逃がした
ため、もはやこれまでと義賢は、鉢巻きを投げ捨てるように取り去り、やがて攻めてくる平
家に備えるが、それでも鎧を着けずに巣襖大紋のまま、という美学の持ち主である。自分の
命と引き替えに、葵御前(右之助)と生まれ来る子供(後の義仲)や白旗を託した小万たち
を落ち延びさせようとする。

迫り来る平家の軍勢の描き方がおもしろい。まず、花道向こう奥の鳥屋で、遠寄(攻め太
鼓)が鳴る。やがて、下座でも遠寄ということで、音が、義賢館に近づいてくる。これを、
後の場面で、もう一度繰り返す。その上で、平家方の大将・進野次郎(新十郎)が軍勢を引
き連れて花道から出てくる。

小万の父親・九郎助(市蔵)は、孫を背中合わせになるように背負い、二人も軍勢とやり合
う。子役も背負まれたまま、節目では見得をするからおもしろい。そういうくすぐりがあっ
てから、いよいよクライマックスに入る。

兎に角、この芝居は、まさに義賢の殺され方を見せるのが、最大の見せ場だ。屋体奥の襖
(板戸)がすべて倒れ、義賢が平家の軍勢とともに躍り出てくる。奥は、いわゆる千畳敷
だ。


殺され方の美学とは?


「江戸の荒事、上方の和事」というが、上方歌舞伎の「義賢最期」の荒々しさは、江戸の稚
気溢れる「荒事」の比ではない。ふたつの荒々しい場面が印象的だった。そもそも木曽先生
(きそのせんじょう)義賢は、後白河法皇から賜った源氏のシンボル「白旗」を守るため
に、大勢の平家の軍勢に対して、鎧も付けずに礼服の素襖大紋姿(水色)という、いわばシル
クハットにモーニング姿のようなスタイルで、戦闘服の連中と大立ち回りをするのだから、
凄い。その上で、大技の立ち回りがある。

1)「戸板倒し」(あるいは、「戸襖倒し」)という立ち回りが組み込まれている。これ
は、金地に松の巨木が描かれていた3枚の戸板を「門構え」のように大部屋立役たち(敵方
の平家の軍兵)が組み、その天辺の戸板に乗せた義賢を持ち上げる。義賢は、カタカナの
「コ」の字を横にしたような戸板の上で更に立ち上がり〈天辺の戸板は、役者の重みで撓っ
ている〉見得をする。義賢が立ったままの状態で、最後、ひとり残った平家の軍兵がゆっく
りと戸板を横に押し出すように3枚の戸板を倒すのである。義賢は、横に移動しながら、下
に落ちるエレベーターに乗っているような感じだろうが、本舞台の上でそういう体の移動を
するというのは、客席から見ると5〜6メートル近い高さ(屋根より高い)に役者の視線は
あるということになる。

2)さらに、壮絶な所作は、義賢最期で絶命するわけだが、瀕死の義賢が両手を大きく開い
て「蝙蝠の見得」を見せた後、そのままの格好で、前に真っ直ぐ倒れ込み、「三段」(階
段)に頭から突っ込むように落ち込んで行く「仏(ほとけ)倒し(仏像が、立ったまま倒れ
るように見える)」(あるいは、「仏倒(ぶったお)れ」)という大技を見せる。その上
で、階段の傾斜を利用して体ごと滑り落ちて行く。

合戦らしく矢が無数に飛び、そのうちの何本かは柱などに刺さる。義賢も瀕死の重傷だ。白
旗も奪われたり、奪い返したり。後ろから敵方の進野次郎に抱え込まれた義賢は、己と後ろ
にいる進野次郎ごと刀で刺し貫くという凄い技を使う。

二重舞台に倒れ込んだ後、最後の力を振り絞って、手足をだらりと下げて、瀕死の人形の体
で、立ち上がる義賢。さらに、素襖の大紋の裾を大きく左右に拡げたまま、高二重の屋体か
ら平舞台めがけて、階段に倒れ込むから、これも迫力がある。顔をぶつけないように、腹か
ら当たって行くように見えた。その上で、階段の傾斜を利用して体が滑り落ちて、息が絶え
る。

殺され方の美学に徹している舞台だ。いずれにしても良く怪我をしないものだと毎回思う
が、三段にスプリングのような仕かけがほどこされているらしい、という説があるようだ
が、私には不明。倒れ方にもコツがあるのは確かだろう、と思う。

「歌舞伎の芯の役が、体を使った立ち廻りをするのは珍しい。仕掛けも、コツもなく、捕り
手の皆さんを信じて動くだけ『仏倒し』を叔父仁左衛門は、『背伸びをして足の爪先をつっ
と滑らす』と教えてくださいましたが、長袴を穿いていて足先が見えないから、なかなかう
まくできません」(愛之助の話)。

この見せ場は、実は、歌舞伎名作全集の台帳(台本)には、殆ど書かれていない。つまり、
上演を重ねる中、役者の芸の工夫で生まれて来た演出なのだろう。いつものように、殺され
方の美学絵を中心に論じたが、待宵姫の米吉も、ふっくらとしていて、可憐で良かった。


襲名披露の華「口上」は、梅玉が取り仕切る。高砂屋の梅玉のみ髷も裃の色も違う。ほか
は、皆、市川宗家と同じ、鉞(まさかり)という独特の髷と茶色の裃。以下、主な発言内
容。

梅玉:「(三代目右近と言い間違えた後、)三代目右團次さんは、口跡が明快で、キレがあ
る。花もある役者だ」と持ち上げる。
この後は、梅玉の上手へ順に。
猿之助:「大名跡の右團次襲名は、澤瀉屋一門の誉。猿翁にとっても何よりも喜ばしい。二
代目右近は、6歳で襲名。昼の部の「雙生隅田川」では、史上最年少の早替りも見せた。昼
の部も見て欲しい。行く末長く、お見捨てなく」。
男女蔵:「襲名おめでとうございます。左團次も列座のところ、歌舞伎座出演と重なり欠席
となりました。芸の上では親戚筋の関係になる。父にとっても私にとっても、右團次は懐か
しい名前です。喜んでいます」。
右之助。右團次の家系。「81年ぶりの復活でありがたい。活躍をしてほしい」。
上手最右翼が、海老蔵:「おめでとうございます。右近として、最後の舞台を博多座でご一
緒した。一緒に夜の方も楽しんだ。週刊誌の取材に怯えながら。本名が右近で、息子の役者
名が右近。家ではなんて呼ぶのか(笑)。何はともあれ、お祝い申し上げます」。
下手最左翼へ。門之助:「右近さんとは、澤瀉屋の勉強会、踊り、鳴り物、軽井沢の合宿な
ど、いつもご一緒で、同級生のような間柄。一年中で一緒にいない方が珍しかった。
上手へ順に。
中車:「41年間、父(猿翁)を支えてくれた。襲名は嬉しく、喜ばしく、父も喜んでい
る。父に代わって、ただただ、感謝を申し上げたい。千秋楽まで、華やかにやって行きた
い」。
二代目右近、三代目右團次と並んでいるが、口上は父親の右團次が先。
右團次:「松竹、市川宗家、右之助さんのご理解で、81年ぶりの復活、右近の初舞台も嬉
しい」。
最後に、
二代目右近:「この度、右近を二代目として襲名する運びと相成りましてござりまする。よ
ろしくお願い申し上げ、奉りまする」と、父親に教わった通りの難しい言葉が続く口上をき
ちんと、大きな声で、堂々と言っていた。


荒事の様式美


「錣引(しころびき)摂州摩耶山の場」は、2回目。1861(文久元)年、江戸の市村座
で初演。平家物語の屋島の合戦の際、平景清と源氏方の美尾谷十郎の一騎打ちで、景清が美
尾谷十郎の兜の「錣」(戦闘で、武士の頭を守る「鉢」の下に垂らす部分のこと。後頭部や
首廻りを守る)を引きちぎったという伝説を素材に河竹黙阿弥が原作を書いた。

歌舞伎や人形浄瑠璃の登場人物としては、美尾谷十郎は、美尾谷四郎となる。初演時の配役
は、河原崎権十郎、後の九代目團十郎が、景清を演じ、相手の美尾谷四郎は、四代目芝翫が
演じた。九代目團十郎は、当り役とした。後に七代目幸四郎も、景清を演じた。

今回の主な配役は、順礼七兵衛、実は、上総悪七兵衛景清は右團次。虚無僧次郎蔵、実は、
三保谷四郎国俊は梅玉。三位中将は友右衛門。伏屋姫は米吉。木鼠次段太は九團次。平経盛
は寿猿。天上寺住持は家橘。

源平合戦の時代。幕が開くと、舞台下手に「摂州摩耶山」と書かれた立ち杭がある。摂州摩
耶山天上寺(まやさんてんじょうじ)の観音堂に平家方の上総五郎兵衛忠光の妹・伏屋姫
(米吉)一行が、重宝の八声(やこえ)の名鏡(めいきょう)を携えて参詣に来た。朱塗り
のお堂だ。源平合戦の勝利、幼い安徳帝の病気平癒などを祈願するためだ。源氏方の岩永左
衛門の郎党木鼠次段太(九團次)は、脅して仲間に引き込んだ僧とともに、名鏡を盗もうと
観音堂に隠れていた。お堂の壁を破って出てきた次段太は、伏屋姫と争ううちに盗んだ名鏡
を谷底に落としてしまう。次段太、伏屋姫とも、鏡を求めて谷底に下りて行く。

大せりで、観音堂の大道具が上がると、平舞台は谷底に替わる。谷底では、乞食に身をやつ
した順礼七兵衛(右團次)がいる。七兵衛の足元には焚火がある。花道から虚無僧次郎蔵
(梅玉)が現れる。ふたりは、雁金の飛び立つ様子を眺める。偶然一緒になったふたりは、
正体を明かさずに身の上話をしている。そこへ、崖上から名鏡が落ちて来る。「心隠して両
人は……」で、虚無僧は上手に、巡礼は下手にと、別れて行く。

伏屋姫が崖上から降りて来て、名鏡を探し当てる。遅れて来た次段太は、伏屋姫に襲いかか
る。駆け付けた三位中将が姫を助ける。

浅葱幕が振り被せ、振り落しで、場面展開。谷底の背景は、海の遠見に替わる。再び現れた
七兵衛と次郎蔵。戦姿に変わっている。花道へ立ち去ろうとする七兵衛を上手から次郎蔵が
呼び止める。「景清待った。悪七兵衛景清待った」。次郎蔵は、七兵衛の正体を見抜いてい
たのだ。次郎蔵は、自分は、三保谷四郎だと名乗り、刀を抜いて立ち回りとなる。互いに兜
の錣を引き合いながら、力の強さを競う。豪傑同士の力比べと言うのが、この芝居の見せ
場。

やがて、沖の水平線に大きな朝日が昇る。お互いの力を知った二人は、この場では決着をつ
けず、戦場での再会を約束する。本舞台に三保谷四郎。花道七三に景清。「まず、それまで
はサラバサラバ」と別れて行く。歌舞伎の荒事の様式美を楽しむ。それだけの芝居。引張り
の見得にて幕。


「黒塚」を観るのは5回目。「猿翁十種」と呼ばれる演目の一つ。当代猿之助では、12年
07月、5年前の新橋演舞場での襲名披露、15年01月、2年前の再建後の歌舞伎座での
初演。12年ぶりの歌舞伎座出演だった。そして今回と3回目。

「黒塚」は、3段構成の舞踊劇。照明効果を重視した新作舞踊劇。第一景は能楽様式。第二
景は新舞踊様式。第三景は歌舞伎様式。

第一景。暗転のうちに舞台が始まる。暗い舞台の中央に小屋。薄い灯りがともっている。障
子には、影が大きく写っている。小屋の後ろは、一面の薄(すすき)の原。安達原だ。舞台
中央上空には、細く、大きな三日月がかかっている。下手には、庵戸がある。能楽を意識し
ているためシンプルな舞台装置だが、光と影の演出には、気配りが感じられる。スポットラ
イトも活用されている。やはり、これも新作歌舞伎だと印象を強める。

花道より、阿闍梨(右團次)一行が安達原に近づいて来る。阿闍梨一行には弟子の山伏大和
坊(門之助)、同じく讃岐坊(中車)、強力の太郎吾(猿弥)が随行している。本舞台に来
て、阿闍梨は小屋の主に向って、一夜の宿りを乞う。簾式の障子を巻き上げて、木戸を開け
て出て来たのは、独居老女・岩手(猿之助)である。

小屋の前にスポットが当たり、本舞台は光の「室内」のように見受けられる。小屋の外、
「室内」に置かれ直した糸車を廻しながら、身の上を語る老女。仏の教えにより成仏できる
と説く阿闍梨。心が晴れた老女・岩手は一行をもてなすために山へ薪を取りに行く。小屋の
中の閨(ねや)を決して見るなという注意を残して出かける。猿之助の科白廻しは、太く、
低い。花道を行く足取りも猿翁工夫の独特のものがある。

阿闍梨一行は、勤行をしながら老女の帰りを待つが勤行に参加しない強力の太郎吾だけは、
閨の中が気になって仕方がない。そっと覗き見ると、閨の中は、人骨と血の海。老女は、安
達原の鬼女だったのだ。驚いて阿闍梨らに知らせる。一行は、老婆の言いつけを破ってしま
った。

第二景。山から薪を背負って戻る途中の老女・岩手。辺りは一面の薄の原。月が明るく照ら
している。阿闍梨の「成仏できる」という言葉を思い出して楽しい気分になっている。月明
かりに薄が光る安達原で、心の明るさを表すように老女は踊り始める。猿之助は、この場面
での踊りが特に好きだという。長唄、琴と尺八の合奏。月光を浴びて老女は童女のように無
心に踊る。至福の踊り。心の喜びを表現する。月光は、舞台を青く照らす。三味線に乗っ
て、猿之助が踊る。海の中か、宇宙空間で踊っているように見える。だが、至福の時はいつ
までも続かない。

血相を変えて上手から逃げて来る太郎吾の姿を見て、阿闍梨一行が約束を守らなかったと悟
った老女・岩手は、人の心の偽りに怒り、悲しみ、姿をくらましてしまう。舞台中央奥のや
や上手で「宙に・返る」ように飛び上がり、消え去る。「宙返り」か。

第三景。薄の原の中に古塚がある。宇宙船のようなカプセル。老女を探し求めていた阿闍梨
一行が到着すると、古塚が割れて、中から後ジテの鬼女の姿を顕した老女・岩手が、襲いか
かって来る。老女は、最早、人ではない。鬼女は異星人か。地球人・阿闍梨一行は、数珠を
押し揉み、一心に祈ることで、鬼女の魔力に対抗する。花道で老女は、「仏倒れ」を見せ
る。鬼退治。基本的に「紅葉狩り」や「茨木」などと同じジャンルの演目と言える。

「黒塚」は、1939(昭和14)年に二代目猿之助(後の、初代猿翁)によって、初演さ
れた。二代目猿之助はロシアンバレーまで参考にして所作の手を考えたと言われる。新作舞
踊の名作となり、三代目猿之助(二代目猿翁)が、1964(昭和39)年に「猿翁十種」
として選定した。老女・岩手、実は、鬼女を初代猿翁が16回演じ、二代目猿翁が31回演
じた。当代の猿之助は今回が5回目である。伯父の二代目猿翁の31回へ向けて、四代目猿
之助は舞台を重ねて行くことだろう。
- 2017年1月18日(水) 10:05:31
17年1月新橋演舞場(昼/「雙生隅田川」)


「雙生(ふたご)隅田川」は、初見。今回は、市川右近が、三代目右團次を継ぐ。合わせ
て、6歳の息子が二代目右近を継ぐことになり、初舞台を披露した。

新春の新橋演舞場の場内は、着物姿が正月気分を盛り上げ、襲名披露の祝い幕も飾られ、一
段と祝賀ムードを盛り上がる。祝い幕は、慶応ボーイの三代目右團次らしく、幕の上手に
「三田会有志」よりとある。中央に、三升に右團次の紋。中央から下手に向けて、三代目市
川右團次、二代目市川右近丈江とある。幕全体は若緑の色がグラデーションになっている。

三代目市川右團次、81年ぶりの右團次復活である。初代右團次は。幕末期、河竹黙阿弥と
組んで独自の舞台を見せた四代目小團次の実子。二代目右團次は、養子。二人とも、葛籠抜
けの「石川五右衛門」や早替りの「鯉つかみ」などケレンや仕掛けのおもしろさを見せる狂
言を得意とした。往年の時代劇映画のスターになった市川右太衛門は、二代目右團次の弟子
であった。右太衛門の歌舞伎役者名は、市川右一、高島屋であった。ついでながら、右太衛
門の次男が北大路欣也。贅言ながら、NHK記者時代の1979年、右太衛門が叙勲された時
に、市ヶ谷のマンションにある自宅へ受章の感想をインタビューに行った記憶がある。テレ
ビで放送した。


御家騒動と自然破壊の果てに


「雙生隅田川」は初見。近松門左衛門原作 、1720(享保5)年、大坂竹本座初演。久し
く上演が途絶えていたが、1976(昭和51)年10月、新橋演舞場で、三代目猿之助
(二代目猿翁)が256年ぶりに復活上演した。以後、三代目猿之助は、歌舞伎座で2回上
演した。今回は市川右近改め、三代目右團次襲名披露のメイン演目として、23年ぶりに上
演された。

京都の公家・吉田家の御家騒動(双子の梅若丸、松若丸が絡むという趣向)とその関連の吉
田家元家臣・猿島惣太が犠牲となって生まれ変わった「善役」の淡路七郎天狗と「悪役」の
次郎坊天狗の、天狗同士のバトルが基本構造となる。「勧善懲悪」なのだが、果たしてそう
か。スペクタクルな見せ場は、大詰の「琵琶湖鯉つかみの場」。猿之助らの復活脚本に加え
て、新たな補綴・演出で上演した。しかし、舞台を見ていると「勧善懲悪」の善と悪が? 
という気になってきた。その辺りにも少し拘って書いてみたい。

今回の場の組み立ては次の通り。
発端「比良が嶽山中の場」。序幕第一場「吉田少将館奥御殿の場」、第二場「吉田少将下館
の場」。二幕目「下総埴生村惣太住家の場」。三幕目「班女道行より隅田川の場」。大詰第
一場「正親町通り塀外の場」、第二場「琵琶湖鯉つかみの場」。

主な配役は、猿島惣太、後に、七郎天狗、奴軍介が、右近改め、三代目右團次。班女御前
が、猿之助。大江匡房が、中車。淡路前司が、男女蔵。小布施主税が、米吉。次郎坊天狗
が、廣松。双子の梅若丸・松若丸のふた役が、二代目右近(初舞台)。局長尾が、笑三郎。
勘解由兵衛が猿弥。惣太女房・唐糸が、笑也。吉田少将が門之助。県権正武国が、海老蔵。

初見の演目なので、舞台再現のために、筋を追いながら記録しておきたい。
発端「比良が嶽山中の場」。吉田少将家の執権勘解由兵衛(かげゆひょうえ。猿弥)が山中
に引き寄せられる。引き寄せたのは比良の天狗・次郎坊天狗(廣松)。山王権現の鳥居造営
に大量の比良杉を伐採した吉田家に祟りをなそうとしている。吉田家の御政道は、批判され
るのか? 次郎坊天狗の主張は、今なら、「自然破壊に反対」すること。「祟りをなそう」
という方法が問題で、非難されるのか? その実、次郎坊天狗は、執権の立場を利用して吉
田家横領を企む兵衛の悪心と共闘しようと申し入れる。権力側の悪の一員と通じる、という
方法が批判されるのか? 舞台暗転となり、廻る。

序幕第一場「吉田少将館奥御殿の場」。祟りのせいか、吉田少将は病気である。御殿奥から
出てきた局長尾(笑三郎)は、鳥居造営の責任者として出張中(伐採「強行」の代行者)の
もう一人の執権・県権正武国(あがたごんのかみたけくに)の不在で不安がっている。奥家
老の淡路前司(男女蔵)が松若丸(二代目右近)を連れて花道から登場する。松若丸は吉田
少将の子息、梅若丸と双子、双子を忌み嫌う当時の風潮の中で、梅若丸は館で育てられた
が、松若丸は実母の実家で育てられていた(右近ふた役、早替り)。双子の存在は吉田家の
隠し事。限られた関係者しか、この双子の存在は知られていないが、父親の吉田少将の病状
が思わしくないとあって、病気見舞いに初めて少将館を訪れた。松若丸は実父を見舞うとと
もに、双子の兄弟の梅若丸と初めて対面することになる。

御殿の襖の中から「悪役」次郎坊天狗が現れ、「ぶっかえり」という衣装早替りの演出。次
郎坊天狗は吉田少将への罰として松若丸を攫って行く。次郎坊天狗は逮捕監禁事件の実行犯
である。少将は、残された嫡男・梅若丸を下館へ避難させる。少将には天狗の面で変装した
不審な男(実は兵衛)と次郎坊天狗の配下の烏天狗たちが襲ってきて、少将を殺してしま
う。殺人犯たちの立ち回り。

同   第二場「吉田少将下館の場」。少将の死去に伴い、梅若丸が家督を相続することにな
り、朝廷に申請をする。朝廷の勅使・大江匡房(中車)が下館を訪ねてくる。館の奥より登
場した梅若丸と母親の班女御前(猿之助)が小布施主税(米吉)を伴って勅使を出迎える。
勅使は吉田家側の意向を認める代わりに吉田家に預けてある朝廷の家宝の「鯉魚の一軸」
(絵柄は鯉の滝登りが描かれている)を返還するよう要求する。描かれている鯉に目を描き
入れると軸から飛び出る恐れがあると伝えられる中国(唐)の掛け軸である。お家横領を企
む兵衛の配下の唆しを受けて梅若丸は掛け軸の鯉に目を描き入れてしまう。鯉は絵から抜け
出し、館上手の池に飛び込んで上手揚幕の向こうへ逃げてしまう。この鯉が、後に大詰で活
躍することになる。これに驚いた梅若丸は兵衛の唆しを受けて出奔してしまう。吉田家の後
継の双子は、大事な時に、一人は天狗に攫われ、一人は出奔してしまった。母親の班女御前
は、双子の行方不明により狂乱して家を出てしまう。猿之助は、花道へと彷徨いでる。班女
もの狂い。梅若伝説である。吉田家は崩壊の危機を迎える。

花道から、もう一人の執権武国(海老蔵)が登場。武国は鳥居造営の出張先から戻って来た
のだ。淡路前司は、鯉魚の一軸の件も兵衛のお家横領の企みも打ち明け、すべて自分の責任
だと切腹してしまう。前司の忠義を評価し、双子のうちの一人が無事戻ったら、吉田家の相
続には尽力する、と武国は約束する。

二幕目「下総埴生村惣太住家の場」。竹本出語りの演出で、古風な舞台を演出する。上手商
事の間より、惣太(三代目右團次)登場。右の眉の上にホクロがある。惣太の前身は、淡路
前司の息子・七郎俊兼であったが、出会った当時遊女だった妻の唐糸(笑也)に入れあげ、
吉田家の一万両を横領してしまった。本来なら死罪であったが吉田少将の温情で「勘当」止
まりとなり東国に流れ、今は埴生村で人買い稼業をしている。きのう売った稚児がトラブル
を起こし、戻されてきた。稚児を十両で売るつもりだった惣太は当てが外れたと怒り、この
稚児を折檻の果てに殺してしまう。実はこの稚児が出奔していた梅若丸だったのだ。そこへ
現れた深編笠の武士は武国(海老蔵)だった。「人買い惣太はご在宅か」と大声で訪う武
国。「人『買い』ではなく、人『借り』商売だ、迷惑千万」と憤る惣太。武国は惣太の噂を
聞いて訪ねてきたのだが、惣太が元の淡路七郎だと知り驚く。「なににもせよ、ごめん」と
家の中に入り込んでくる。惣太の父親・前司切腹の経緯を聞かされ驚く惣太は殺してしまっ
た稚児が主家だった吉田家の嫡男と知りショックを受ける。主家の若君殺し、という大罪を
犯してしまったからだ。もう取り返しがつかない。若君殺しに使った責め道具で天井を突き
破れば、小判が雨のように落ちてくる。床を逸れば千両箱。合わせて9990両。稚児が売
れれば、10両足して、1万両となるところだった。使い込んだ1万両耳を揃えて吉田家に
返して、帰参したかった、という本心を打ち明け、若君殺しの責任を取って自害する惣太。
悪人の善人への戻り。惣太は命を掛けて、死と引き換えに天狗に変身する。下手にいた惣太
は薄闇の中で、上手に移り、「善役」七郎天狗の誕生。吹き替え? 舞台を横に移動する宙
吊りで、天狗昇天。天狗は松若丸探しヘと、旅立つ。本舞台に惣太(右團次)が残る。

三幕目「班女道行より隅田川の場」。お馴染みの「隅田川」。双子の息子たちが行方不明と
なり、もの狂いになった母親の班女御前(猿之助)。花道から登場。さすらいの旅の果てに
隅田川河畔に辿りついた。桜満開。悲劇をよそに、春爛漫。竹本の出語り。山台に愛太夫ら
4人。語りの文句に「戸塚、保土ヶ谷」などの地名が聞こえる。下手(隅田川右岸)に船着
場。女舟長、実は、惣太の女房・唐糸(笑也)の舟で対岸(隅田川左岸)に渡り、柳と松が
植えられたふたつの塚を探し当てる。舟に乗り、舟から降りる。塚は引き道具。黒衣や水衣
が場面展開をサポートする。

松の塚は惣太の墓。柳の塚は梅若丸の墓と知らされる。案内してくれた女舟長は、惣太の女
房・唐糸だった。梅若丸の墓に打掛をかけて、その上から墓を抱いて泣き崩れる女の所業
に、唐糸は女が梅若丸の母親と知る。その日が梅若丸の祥月命日と班女御前に教える唐糸。
菩提を弔うようにと勧める。班女御前が念仏を唱えていると塚の陰からセリに乗って梅若丸
(二代目右近)の姿が現れるが、本舞台から花道七三へ移動し、スッポンの中に消えてしま
う。

花道から七郎天狗が4人の子天狗を引き連れて現れる。母が梅若丸と勘違いした松若丸(二
代目右近)が現れると、班女御前も正気に戻り、天狗に保護されながら3人は都を目指して
飛び去る。ここで、七郎天狗(右團次)、松若丸(二代目右近)、班女御前(猿之助)の3
人がひと組となる、珍しい宙乗りが披露される。

大詰第一場「正親町通り塀外の場」。七郎天狗のお陰で、吉田家の騒動の元になった「鯉魚
の一軸」さえ戻れば、万事解決という大団円が目前となった京の都。兵衛の配下・伴藤内
(弘太郎)と吉田家の家臣・主税(米吉)が鯉魚の一軸を巡って争っている。そこへ、次郎
坊天狗や局の長尾が加わって来る。吉田家安泰を祈願した叡山の護符が長尾から主税に届け
られる。護符をかざして次郎坊天狗に立ち向かい、一軸を取り戻す主税。護符の威徳に抗う
ことができない、という次郎坊天狗は、自然破壊を防ぐこともできないまま、宙吊りで、姿
を消してしまう。惣太の女房・唐糸の兄の軍介が、水連が達者で一軸から抜け出した鯉を水
中に探していると主税が長尾に告げる。

同   第二場「琵琶湖鯉つかみの場」。琵琶湖が描かれた道具幕。湖面に浮御堂が見える。こ
の狂言の最大の見せ場。「鯉つかみ」。一軸から抜け出した鯉は、琵琶湖に逃れていた。琵
琶湖ヘ飛び込む奴軍介(三代目右團次)。厳冬の時期ながら、新橋演舞場の舞台では、ドラ
イアイスや本水を使っての鯉と奴の大立ち回り。澤瀉屋一門得意のスーパー歌舞伎風演出が
展開される。ただし、早替りはなかった。勘解由兵衛(猿弥)配下の捕り方たちが花道に並
ぶ。「いかにめでたき襲名とはいえ、捕まるまいぞ」と、三代目右團次。

鯉のダイナミックな動きは、鯉と格闘する奴軍介とともに、黒衣や雪衣がサポートする。大
江匡房(中車)や松若丸(二代目右近)も歩いて、上手側に駆けつけ、鯉の目を狙うよう
に、と奴軍介に助言する。鯉と捕り方たちを交えての立ち回りが続く。軍介が暴れる鯉の目
に刃を突き入れると鯉は、松若丸が持参した掛軸の中に入り込む。御家騒動の主・兵衛と配
下の藤内も現れるが、軍介や松若丸にとどめを刺され、悪が滅びて、善が栄える、というこ
とで、吉田家の騒動も終焉となる。祝い幕がゆっくりと閉まってくる。吉田家の御政道は結
局、批判されず。御政道批判を避けて権力の弾圧を引き出さなかった歌舞伎の歴史ゆえか。
権力者は強し? 天狗とは、抵抗する異民族のことだろうか。

この芝居は、滅多に上演されない。鯉つかみと3人同時の宙乗りというスペクタクルが見せ
場になるが、本筋は、昔からの吉田家の悲劇・梅若伝説であろう。

最後に役者評を少し。
右近、改め、三代目右團次は、科白回しも先代猿之助そっくり。科白を唄いあげがちであ
る。彼は、もうこの路線しかないのだろう。三代目右團次の子息・右近は、6歳。この春か
ら小学校入学と、思われる。初舞台ながら、梅若丸と松若丸の早替りも無難にこなし、科白
の口跡も良いなど、将来が楽しみ。猿之助は女形に徹していた。

先代猿之助の復活上演以来、今回含めて4回しか上演されていないが、「隅田川もの」のエ
キスたっぷりのスペクタクルな狂言。エッセンスを煮詰めてみると、次郎坊天狗が自然保護
を叫んで変革しかけた天狗による新しい世界秩序計画が、人間から天狗に変身した七郎天狗
によって、元の世界秩序に戻された、ということだろうか。変革は難しい、と歌舞伎界の変
革児・先代の猿之助も思っているのかな。
- 2017年1月17日(火) 16:51:07
17年1月浅草歌舞伎・第一部(「傾城反魂香」「道行初音旅」)


「配役難」か、浅草歌舞伎


第一部は、「傾城反魂香」と「道行初音旅」。ほかの小屋ならもうひと演目つくだろう。配
役難か。

今回の浅草歌舞伎は、第一部のみ観劇した。初日第一部が跳ねてから、正月2日の浅草の賑
わいを抜けて、隅田川を渡り、吾妻橋の袂のビールメーカー直営レストランで地ビールを飲
みながら遅めの昼食を戴く。

「傾城反魂香」の場面は、お馴染みの土佐将監の「山科閑居の場」。絵師の家らしく、文化
の香りが高い。襖には、五言絶句の漢詩。「山中何所有 嶺上多白雲 只可自怡悦 不堪持
寄君」。閑居の孤高の心境か。

この芝居は、弟子たちの画家としての実力や社会性などを判断する人が、土佐将監であろ
う。土佐将監は専門家として、又平の技量の評価には厳しいが、生真面目な又平の性格は買
っている。将監の後ろに控え、言葉少ないながら、きちんと人間の力量を見抜く人が、北の
方だろう。将監の北の方は、科白は少ないが、又平の応援団として表情、仕草、肚を観客に
伝えなければならない。夫に逆らわないが、同調もしていない。

そして、主役の又平は、絵も社会性も不器用な人なのだろう。師匠の又平に対する厳しい評
価と又平の不器用さの間に生じる大きな隙間を埋めて、さらに二人の関係を仕切る人が、世
話女房のおとくだろう、と私は分析してみた。

今回の主な配役は、次の通り。
浮世又平(巳之助)、又平女房・おとく(壱太郎)、狩野雅楽之助(隼人)、土佐修理之助
(梅丸)、土佐将監(桂三)、将監北の方(歌女之丞)。

土佐将監は、土佐派中興の祖として、土佐派絵画の権力者だったが、「仔細あって先年勘気
を蒙り」、目下、山科で、閑居している。北の方は、夫・将監と不遇の弟子・又平との間
で、バランスを取りながら、壺を外さぬ演技が要求される難しい役だ。今回、土佐将監は、
大谷桂三が演じ、北の方は、中村歌女之丞が演じた。浅草歌舞伎の若手役者では、こういう
役は勤まらない。

「傾城反魂香」には、私はいつ見ても部分的に嫌いな場面がある。「傾城反魂香」では、処
遇改善を求めて、夫婦で師匠の所に要請に行く際、「吃り」という障害を強調する場面、ま
た、それに対して師匠に「差別意識」があることが浮き彫りにされる場面である。それをさ
りげなくフォローするのが、北の方だ。

これは、夫婦の情愛の芝居であるが、現代風に言うなら、タレント(又平)を売り出そうと
するマネージャー(おとく)の物語でもある。琵琶湖畔で、お土産用の大津絵を描いて、糊
口を凌いでいた又平(巳之助)が、女房おとく(壱太郎)の励ましを受けて、弟弟子にも抜
かれて行くような、だめな絵師としての烙印を跳ね返し、土佐光起という名前を貰うまでに
なる。私が観た又平では、新しく人間国宝になった吉右衛門が、やはりダントツである。特
に、又平が遺書代わりに石の手水鉢に描いた起死回生の絵が、手水鉢を突き抜けた時の、
「かかあー、抜けた!」という吉右衛門の科白廻しは、追従を許さない。「子ども又平」、
「びっくり又平」と、同じ又平でも、心のありように即して自在に演じる吉右衛門の入魂の
熱演だった。

今回は、若手の巳之助が又平を演じる。巳之助の父親の三津五郎も又平を演じたことがあ
る。三津五郎は、歌舞伎役者の中でも、抜群の踊りの名手、又平の踊りは、この場面では、
いわば素人の藝で無ければならない。師匠に評価され、名前をもらい、手も脚も自然に舞い
出すという感じで踊る。名人のような巧い踊りになってしまってはいけない。巳之助は、父
親の芸を引き継ごうと必死だろう。私がいちばんの難点と思ったのは、吃音の科白が、吉右
衛門や三津五郎のように、吃音に聞こえず、狐忠信のキツネ言葉のように聞こえてしまった
ことだ。

吃音者の夫を支える饒舌な妻の愛の描き方、特に、妻・おとくの人間像の作り方が、もうひ
とつのポイントになる。先に亡くなった芝翫は「世話女房型」であった。高齢で舞台から遠
のいている雀右衛門は「母型」。時蔵は、姉さん女房で、マネージャー型だった。時蔵は、
梅幸直伝という。今回の壱太郎は、世話女房型に見えた。壱太郎は、今月は歌舞伎座と掛け
持ち。第一部終演後、毎日歌舞伎座へ通う。歌舞伎座では、夜の部の「松浦の太鼓」で赤穂
浪士の大高源吾の妹・お縫を演じる。

雅楽之助は、中村隼人。修理之助は、中村梅丸。浅草歌舞伎らしく、若手が多い配役であ
る。


「道行初音旅」。通称「吉野山」。義経の恋人で絶世の美女・静御前に付き従うのは、狐が
化けた佐藤忠信。通称狐忠信。美女と狐の主従の幻想的な道行。春爛漫、桜満開の吉野山へ
向かう。清元と竹本の掛け合い。今回の主な配役は、次の通り。狐忠信(松也)、静御前
(壱太郎)、早見藤太(巳之助)。

開幕すると、舞台奥中央から下手に向かって、清元の山台。延寿太夫ら4人。暫く舞台無人
で、これを「置き浄瑠璃」という。花道から静御前(壱太郎)が登場し、暫くは、花道七三
で踊る。静御前が舞台中央に移動し、鼓を打つと、普通なら、花道のスッポン(花道にある
セリのこと)から狐忠信登場となる場面だが、浅草公会堂には、仮設の花道は作れても、ス
ッポンは無理。舞台暗転のうちに、花道七三に狐忠信(松也)登場となった。明るくなる
と、狐忠信も暫くは、花道七三で踊る。本舞台背景は、桜満開の吉野山。以前、菊之助は、
「桜が満開の吉野山で踊る風情を大事にして勤め」ていると言っていた。

松也が踊っている間、壱太郎は、中央上手寄りで、静止している。松也が本舞台に移動する
と、壱太郎も動き出す。ふたりの踊りがあって、やがて、舞台中央で、雛人形に見立ててふ
たりでポースを取る見どころでは、「ご両人」と大向うから声が掛かる。忠信は屋島での源
平合戦の様子を仕方で演じる。

花道から現れた逸見藤太(巳之助)と花四天。静御前・忠信との絡み。藤太は、赤い陣羽織
に黄色い水玉の足袋。後に、この赤い陣羽織と花四天の持つ花槍を使って、藤太は、人形見
立ての「操り三番叟」のパロディを演じてみせる。初音旅。親を亡くした狐の物語でもあ
る。松也、巳之助は、ともに松助、三津五郎という有力な父親を亡くし、奮闘中の若手役者
である。

やがて、義経のいる川連法眼館(『四の切』)を目指して、静御前・忠信ふたりの旅は続
く。花道を先に引き上げた静御前を追って、狐忠信の幕外の引っ込み。歌舞伎の三大道行の
名場面も閉幕。今回の浅草歌舞伎の観劇記、こんにちはこれぎり。

テレビでも人気の20代の歌舞伎役者の出演で浅草歌舞伎にもブーム飛び火、2012年5
月にオープンした押上の東京スカイツリー人気が、ターミナル駅のある浅草地域にもブーム
飛び火。ふたつの飛び火で新春浅草歌舞伎は、盛り上がりが続いているが、ちょっと陰り
(あるいは、無理)が出てきてはいないか? 30代に入った松也を座頭に歌舞伎役者最若
手の役者たちが、錦之助(隼人の父親)、桂三、歌女之丞らベテランに脇を固めてもらいな
がら、少なくとも舞台の上では自分たちだけで、3年続けて一座を形成したのだから凄い。
開幕前に口上をした松也は、すっかり若き座頭らしい雰囲気を身につけていた。ただ、去年
と違って一部に空席があったのが気にかかる。

松也組発足後の、去年、一昨年の浅草歌舞伎との比較をしてみた。

今回軸となる若手は、梅丸を入れて5人。
3人(松也、巳之助、隼人)と壱太郎(鴈治郎の子息、歌舞伎座にも掛け持ち出演)、梅丸
(梅玉の部屋子)。

去年は、6人。以下、括弧内は、今年1月の出演劇場名。
上記の3人(松也、巳之助、隼人)と米吉(新橋演舞場に出演)、新悟(大阪の松竹座出
演)、国生(父親の芝翫襲名に伴い、橋之助襲名で大阪の松竹座出演)であった。

一昨年は、7人。
3人(松也、巳之助、隼人)と歌昇(歌舞伎座に出演)、種之助(歌舞伎座に出演)、米吉
(新橋演舞場に出演)、児太郎(叔父の芝翫襲名に伴い、大阪の松竹座出演)。

最若手の役者たちが、様々な理由で浅草歌舞伎以外に出演しているのが判る。最若手が歌舞
伎座だ、新橋演舞場だ、松竹座だ、と「引き上げ」られている。松也も、来年あたりは、浅
草歌舞伎から引き上げられるかもしれない。かつての浅草歌舞伎では、海老蔵、猿之助、男
寅、愛之助、勘九郎、七之助らは、浅草でもっと「修業」したのではなかったのか。歌舞伎
界では、ベテラン、中堅の役者の逝去が相次いで、ここ数年、歌舞伎界は人材的に危機的な
状況になりかねない。

細い尾根道を皆で手を繋ぎながら歩いているような状態ではないか。そのしわ寄せが、浅草
歌舞伎の最若手のはいやくなに、こういう形で減少しているように見えるが、いかがであろ
うか。「配役難」と懸念する所以である。

1月の興行では、東京で、歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、浅草公会堂と、歌舞伎は4つ
もの芝居小屋を開いている。大阪では松竹座だ。それぞれ、健闘しているようだから凄い。
歌舞伎座は、本店らしく、吉右衛門と歌六の「沼津」、幸四郎と玉三郎の「井伊大老」とい
う名代の名作を上演している。国立は正月恒例の菊五郎一座で、古い演目を換骨奪胎した新
作歌舞伎。新橋は、右近改め三代目右團次襲名披露。大阪の松竹座は、芝翫襲名披露。

浅草歌舞伎は、30歳代の松也を除けば、ほとんどが20代の最若手役者群(御曹司が軸と
なる)で構成。ベテラン、中堅層の、いわば空隙を埋めるために総動員されて、残った20
代を真空状態にさせないようにと、歌舞伎界の「上げ底状態」から来る負担を一手に引き受
けている世代ではないのか。一番しんどい世代。1980年に復活して以来、若手役者の登
龍門として37年の歴史を持つ浅草歌舞伎は、今後とも花形以前の若い役者たちのじっくり
とした修業の場であり、飛躍の舞台であり続けてほしい。
- 2017年1月17日(火) 13:31:38
16年12月国立劇場 (通し狂言「仮名手本忠臣蔵」第三部)
                  * 第三部は、八段目から十一段目まで


10月から3ヶ月続いた国立劇場の「仮名手本忠臣蔵」も、12月は、第三部となる。

第三部は、以下の通り。
八段目:道行旅路の嫁入。
九段目:雪転(こか)し・山科閑居。
十段目:天川屋。
十一段目:討入・広間・奥庭泉水・本懐焼香・引揚。

「仮名手本忠臣蔵」は、四季を意識した芝居だ。
春:「大序」から「三段目」の刃傷事件(史実の浅野内匠頭の刃傷事件は、旧暦の3月)
「四段目」の判官切腹を経て、城明渡しまで。
夏:「五段目」、「六段目」は、おかる勘平の物語。
秋:「七段目」、「八段目」。道行旅路の嫁入の浄瑠璃の文句に耳を傾ければ、特に、八段
目は晩秋だと、判る。「雪の肌えも、寒空は、寒紅梅の色添いて、手先覚えず、こごえ
坂」。
冬:「九段目」、「十段目」、「十一段目」は、雪景色が続く。

八段目「道行旅路の嫁入」は、所作事(舞踊劇)。歌舞伎・人形浄瑠璃の三大道行の一つ、
と言われる。三大道行とは、「義経千本桜」の「道行初音旅(はつねのたび)」、「妹背山
婦女庭訓」の「道行恋苧環(こいのおだまき)」、そして、この「道行旅路の嫁入」。「仮
名手本忠臣蔵」の、もう一つの「道行旅路花聟」は、後世、三段目の「裏門」を所作事に作
り変えたもので、「道行初音旅」の影響を受けている。オリジナルではないので、外された
のだろう。

「道行旅路の嫁入」。山深い松並木。舞台は暫く無人。竹本の浄瑠璃。松並木が上下に引っ
込むと、初々しい加古川本蔵の娘・小浪(児太郎)と義母の戸無瀬(魁春)の二人連れが、
供も連れずに道中姿で富士山が見える辺りの東海道を行く。「八段目」では、戸無瀬が義理
の娘との長旅を気遣う所作が良い。戸無瀬は継母ゆえに、実母以上に強靱な母の愛を滲ませ
る。それは、「九段目」への伏線だ。

塩冶判官の刃傷事件以降、「結納(たのみ)もとらず、そのままに」放置されている小浪の
婚約を心配している。ふたりは小浪の許嫁・大星力弥、その両親・由良之助、お石ら一家が
隠れ住む「山科閑居」に強引に押しかけようとしている。鎌倉から京の山科へ。当初の約束
通り、嫁入をしようと東海道の富士山付近を急いでいる。

浄瑠璃の文句に「薩埵(さつた)峠にさしかかり、見返れば、富士の煙の空に消え」とあ
る。薩埵峠は、東海道の由比宿と興津宿の間にある峠(現在の静岡市清水区)を歩いている
と判る。この後も、浄瑠璃の文句には、鞠子川、大井川などと地名がたくさん出てくる。そ
れに合わせて、節目では、背景も替わる。遠くに海。三保の松原に続く松並木を婚礼の行列
が通る。事件がなければ、小浪にも、あのような嫁入り行列をさせてやれたのにと、義母は
思う。

富士山が上手に引っ込み、松並木が遠望された堤も下手に引っ込む。上手に城が見える。
「駿河の府中」か。やがて、その城も見えなくなり、背景は琵琶湖に替わる。いつしか、琵
琶湖の竹生島が現れる。浄瑠璃「やがて大津や三井寺の麓を越えて山科へ程なき里へ」で、
小浪戸無瀬の二人は本舞台から花道へと、踏み出す。母娘二人旅も、間も無く終わる。

「八段目」、さらに、「九段目」では、小浪に対する母・戸無瀬の娘への愛が描かれ、力弥
の母、小浪には義母となる大星お石の一日限りの嫁(力弥にとっては、一夜限りの妻)への
愛が描かれる。

「閨の睦言さざめ言、親知らず子知らずと蔦の細道もつれ合い、男松(おまつ)の肌にひっ
たりとしめてかためし新枕(にいまくら)、女夫(みょうと)が中の若緑、抱いて寝松(ね
まつ)の千代かけて、変わるまいぞの睦言は、嬉しかろうとほのめけば」と、「夫婦相和
し」のようなことを言って、義母は娘を嬉しがらせる。「若緑」は赤子だろう。さらに、
「縁を結ばば清水寺へ参らんせ、音羽の滝にざんぶりざ、毎日そう言うて拝まんせ、そうじ
ゃいな、紫色雁高我開令入給(ししきがんこうがかいれいにゅうきゅう)、神楽太鼓にヨイ
コノエイ、こちの昼寝をさまされた」。母から娘へ、 女性らしく初夜の心がけも、「道行旅
路の嫁入」の浄瑠璃の文句には入っている。浄瑠璃の文句を聞いているだけでは、観客には
判りづらいと思うが、「紫色雁高我開令入給」は、母親が初交の説明をしている。母は言
う。「紫色をした雁高(かりだか。亀頭が張り出した男性器)を私の女性器に入れて欲し
い」。露骨なぐらい、おおらかだ。しかし、九段目で、小浪には永遠に一夜限りの初夜しか
待っていないことが判る。それは、後述。

塩冶判官の刃傷事件で、判官の行為を背後から止めた加古川本蔵は、切腹した判官の無念の
憎しみの対象にされてしまい、事件前まで許嫁の間柄だった大星由良之助嫡男の力弥と加古
川本蔵の娘・小浪の婚約は解消状態になってしまっている。その婚約を元に戻そうと戸無瀬
と小浪は、山科の大星由良之助宅に押しかけようという強引な旅である。前途に控える難題
を考えれば、母娘ともども、抑鬱的になりがちだろう。それを義理の母の戸無瀬は小浪の気
持ちを明るくさせようと、道中の途中でいろいろな話を小浪に問いかけていて、この性教育
も、その一つ。これを聞いて、まだ、処女(きむすめ)の小浪も恥ずかしがったことだろ
う。また、戸無瀬も、性を知り尽くした母親らしく口に手でも当てて、ホホホと微笑んだか
もしれない。

「旅路の花聟」と「旅路の嫁入」。二つの道行の演出の違い。「仮名手本忠臣蔵」の本筋の
道行は、「嫁入」。「落人」は本来三段目の一場面「裏門」であった。裏門のエピソードを
生かして、道行に仕立てられた、後世の入れ事。

「旅路の嫁入」:この道行は母子の二人旅。義理の母が実母以上に気遣いをし、義理の娘の
意思を優先させて、破談になりかけている婚約話を成就させようと鎌倉から京の山科に向け
て道中を急いでいる。人形浄瑠璃では、季節は、晩秋(富士山の雪も深い。野山や田畑は茶
色)であったが、歌舞伎の背景は、緑一色で、富士山の雪も、そんなに深くない。野辺も
緑。早春か。季節感をぼやかしているようだ。時間は昼間。背景の変化もいろいろ工夫され
ている。

「旅路の花聟」:既に述べたように、三段目の「裏門」から、後世、所作事(舞踊劇)にな
った「旅路の花聟」、通称「落人」。こちらの道行は、若い恋人たちの二人旅。ただし、二
人は職場でアバンチュールを楽しんでいて、主君の大事出来を知らずに職務怠慢の失敗を犯
し、彼女の実家に避難する途中という失意の旅。季節は春。雪の少ない富士山を背景に桜も
満開、菜の花畑も満開の春爛漫。時間は夜半から夜明けまで、なのに昼のように明るい。追
っ手の鷺坂伴内一行との立ち回りなど「裏門」の物語を引きずっている。

九段目「山科閑居」。以後、雪景色の冷え冷えとする場面が続く。
「雪転(こか)し」:今回は、普段はあまり上演されない「雪転し」の場面が頭に付く。由
良之助が祇園の一力茶屋から帰宅する場面が描かれる。酔っ払った由良之助(梅玉)が雪の
玉を茶屋の太鼓持ちらに転がさせながら花道から帰って来る。雪玉を巡る由良之助と力弥の
問答。この雪の玉は、後の場面で、由良之助と力弥の墓に見立てた雪塔として使われ、由良
之助らの敵討ちの本心を示すものとなる。

「山科閑居」は、小浪と戸無瀬の登場以降の場面を言う。前半は、娘息子の婚約話を巡る小
浪(児太郎)・戸無瀬(魁春)と由良之助の妻・お石(笑也)とのやり取り。加古川本蔵の
首が焦点になる。後半は、虚無僧姿に身をやつした加古川本蔵(幸四郎)と妻の戸無瀬、娘
の小浪が山科で落ち合って、加古川一家が大星家の座敷で奇しくも勢ぞろいする。娘を思う
親心、武士としての義理と情の間(はざま)で葛藤する本蔵の苦衷、本蔵の真意を知った由
良之助の思慮と本蔵への討ち入りの覚悟の披瀝。前半は、義母ゆえに、なさぬ仲の戸無瀬と
小浪の恩愛、筋を通していたお石も、真情を知った後の戸無瀬母子への情愛、力弥(錦之
助)と小浪の一夜限りの結婚=永遠の別離などが描かれる。2時間近い重い場面が続く。

贅言;歌舞伎と人形浄瑠璃の違い。歌舞伎は下手が山科閑居中の大星由良之助宅の玄関。花
道に近い。雪転(こか)し、雪の玉を作らせながら由良之助一行が祇園から山科に帰って来
る場面も、小浪と戸無瀬の母子が、最終場面だけ駕籠を仕立てて、小浪に花嫁衣装を着せ
て、少ないが従者も雇って、短い花嫁行列でやって来るのも花道である。一方、人形浄瑠璃
は上手が山科閑居中の大星由良之助宅の玄関。人形浄瑠璃には花道が無いので、歌舞伎より
自由に位置が決められる。雪転しも嫁入りの一行も上手から来る。

十段目「天川屋(あまかわや)」。室内の芝居。由良之助の揺らぎ。浪士たちの一部の疑問
や不審に答えるために義平を試す。誠実ではないのか、それとも浪士たちを納得させるため
か。由良之助は、この時代の元家老にしては、結構、民主主義的なのかも知れない。

 塩冶家出入りの堺の商人・天川屋義平(歌六)。山科在住の由良之助から鎌倉の高師直館
へ討ち入りするための装束・武具の回送することを請け負う。秘密を守るために妻を離縁し
たり、奉公人を解雇したりしている。最後の荷を送り出す日、捕吏が義平を取り囲み、姑息
にも義平の子を人質にとって、由良之助らの計画を白状せよと脅す。それを拒否して、「天
川屋義平は男でゴジェエ(ござる)」という科白を歌六は言う。脅されても屈しない。約束
は守る。すると、荷を入れていたはずの長持ち(いわば、コンテナー)を捕吏たちが奥へ移
動させると、奥から「暫し」と声がかかり、由良之助(梅玉)が現れる。捕吏たちも由良之
助の家臣、つまり、塩冶浪士たちだった。十段目は通称「天川屋」。討ち入りの際の浪士た
ちの合言葉の「天」「川」は、ここから、という想定。十段目は、最近では、ほとんど上演
されない。

十一段目「討入、広間、奥庭泉水、本懐焼香、引揚」。雪の忠臣蔵。
お馴染みの大団円だが、原作から離れて幕末から明治期になって、付け加えられた実録風の
芝居。いわば、増補版の十一段目。「広間」の立ち回りは今回初見。「本懐焼香」も、珍し
い。ただし、この場面は、原作への戻り。普通の十一段目では、「討入」で、表門での浪士
勢揃いと「奥庭泉水」での立ち回り、柴小屋(あるいは、炭小屋)での師直征伐での「本
懐」、勝鬨で、閉幕となる。確かに、十一段目は、「大序」の仰々しさや「七段目」の元禄
歌舞伎らしい華やかさとは、肌触りを異にする芝居となっている。
        
あまり、上演されない「広間」の立ち回り。 高師直邸に討ち入った塩冶浪士のうち、広間で
は大星由良之助の嫡男・力弥(錦之助)が師直の息子・師泰(もろやす。男女蔵)と斬り合
う。ふたりは斬り合いつつ奥へ移動する。続いて広間に駆け込んできた塩冶浪士・矢間重太
郎(隼人)は、抵抗する茶坊主の春斎(玉太郎)をはずみで、槍で刺す。命懸けで義を通し
た、というイメージで春斎に対して重太郎が敬意を表する、という場面らしい。

「本懐焼香」の場。普段は、本懐を遂げて、師直の首を高々と掲げて、勝鬨を挙げて、閉幕
となるが、今回は珍しく、原作通り、「焼香」までも上演をした。六段目で腹を切って亡く
なった勘平の縞の財布が勘平の身代りに焼香に加わっている。勘平の妻・おかるの兄で、た
だ一人、足軽の身分で討ち入りに参加した寺岡平右衛門が代行した。御用金を提供した勘平
を含め集団主義の勝利を強調する。

「引揚」は、時々上演される場面が、いわば、塩冶判官とその一統の諸事件は、「大序」で
描かれたように、当初は桃井若狭之助と高師直の間のトラブルとして発祥した。それが桃井
家の有能な家老・加古川本蔵の機転で回避され、塩冶判官と高師直の間のトラブルに変換さ
れてしまった。それを負担に思っている若狭之助(左團次)が、花水橋で大星由良之助らの
一行を出迎え、労を多とし、一行を見送る。

贅言:花水橋で勢揃いした浪士の面々が若狭之助に名を名乗る場面がある。科白は名前を名
乗るだけ、という役者も多い。名前も名乗らせてもらえない役者もいる。

若狭之助の登場は、つまり、討ち入り事件直後では、まだ知り得ないはずの塩冶浪士たちに
対する、いわば後世の評価を先取りして、舞台で披露するという場面になる。

十一段目は、そういう目で見ると、敵討ちという「戦争」をし掛け、雌伏1年9ヶ月の旧暦
12月の討ち入りまで、綿密な情報収集と分析、処理の末に勝利に導いた大星由良之助一行
の戦勝物語として、近代は上演されている、ということだろう。前近代的な師直の守りに対
する由良之助の近代的な情報戦の勝利。

史実の赤穂諸事件は、家臣たちが浪士(浪人)に過ぎなかったのか、主君に殉じる義士だっ
たのか、という議論は、浅野内匠頭の刃傷事件を処断した将軍綱吉に仕えていた林大学頭の
義士論を主張して書かれた「復讐論」。1703(元禄16)年から始まる。以下は、大石学
「元禄赤穂事件」参照。

以後、主な義士論、非義士論(浪士論)を挙げておこう。

義士論
林大学頭「復讐論」。1703(元禄16)年。
室    鳩巣「赤穂義人録」。1703(元禄16)年。
三宅観瀾「烈士報讐録」。同時期?
浅見絅斎「赤穂四十六士論」。1706(宝永3)年から1712(正徳元)年。
三宅尚斎「重固問目」。1719(享保3)年。
五井蘭洲「駁太宰純赤穂四十六士論」。1730(享保15)年から1739(元文4)年
松宮俊仍「読四十六士論」。1732、33(享保17、18)年
伊勢貞丈「浅野家忠臣」。同時期?
川口静斎「四十七士論」。1744(延享元)年
山本北山「義士雪冤」。1775(安永4)年
佐久間大華「断復讐論」。1783(天明3)年

非義士論
佐藤直方「四十六人之筆記」。1718(宝永2)年
荻生徂徠「論四十七士事」。1718(宝永2)年
太宰春台「赤穂四十六士論」。1732(享保17)年頃
牧野直友「大石論七章」。同時期
伊良子大洲「四十六士論」。同時期?

徳川幕府の御政道という「公」を肯定しながら、「義」を許容するというダブルスタンダー
ドの構造を維持しながら、江戸時代を通じて義士論と非義士論が、断続的に議論され、やが
て、義士論に収斂されて行ったことが、窺える。
- 2016年12月27日(火) 17:03:16
16年12月歌舞伎座 (第三部/「二人椀久」「京鹿子五人道成寺」)


玉三郎の「二人椀久」


第三部は、所作事二題。
「二人椀久」は、10回目の拝見。椀久と松山。孝夫時代を含む仁左衛門と玉三 郎のコンビ
で、3回。富十郎と雀右衛門のコンビで、2回拝見している。重厚な富十郎と雀右衛門のコ
ンビも良いし、華麗な仁左衛門と玉三郎のコンビも良い。このほか、仁左衛門と孝太郎、富
十郎と菊之助、染五郎と菊之助、2年前の前回は海老蔵と玉三郎 、今回は勘九郎と玉三郎で
ある。 玉三郎の松山では、5回観たことになる。

玉三郎は、真女形の最高峰、人間国宝として使命感を持って、椀久役を育てるべく、松山太
夫を演じていると思うし、次の演目の「京鹿子娘道成寺」でも、真女形志向の若手女形を指
導している、と思われる。今月の歌舞伎座、第三部は、そういう思いが凝縮しているように
思う。

「二人椀久」は、1774(安永3)年4月、江戸市村座で初演。1951(昭和26)
年、曲のみ残り(長唄として最も古い曲の部類と言われる)、途絶えていた振付けを初代尾
上菊之丞が工夫し、1952(昭和27)年、七代目三津五郎、六代目歌右衛門が初演。さ
らに、1956(昭和31)年、いずれも当時の坂東鶴之助(後の、五代目富十郎)と七代
目大谷友右衛門(後の、四代目雀右衛門)が明治座で初演。以後、このふたりを軸に上演が
続いてきた。31年前の新橋演舞場で当時の孝夫を相手に松山太夫を踊り始め、それと並走
期間を入れて引き継いできたのが玉三郎だろう。

「末の松山…」の長唄の文句通りに、舞台には、松の巨木がある。急峻な崖の上である。向
こうは海。夜空には、月が出ている。カケリの鳴り物。花道からは、物狂いの椀久(勘九郎)
が登場する。病を示す紫の帽子、帽子から溢れて振り分けられた長い髪、黒地の絽の羽織の
右肩を脱いだままで、物狂いの状態を示す。足元は紺地の足袋。亡くなった愛人の松山太夫
の面影を追いながら本舞台で踊っているうちに、眠ってしまう。

「征く水に映れば変わる飛鳥川…」。やがて、椀久の幻想のなかに、夢枕に立つという想定
の松山太夫(玉三郎)が中央奥の暗がりよりセリで静かに浮かび上がってくる。最初は後ろ
姿。玉三郎の松山太夫には、プレゼンス(存在感)がある。拡げた衣装をたっぷり観客に見
せるように、斜め左を向いて横顔を見せながら後ろ向きに立っている。ゆっくりと右に回っ
て顔を見せて来る。やがて、前向きになりセリの所作台から歩み出てくる。

狂気の見る夢。狂夢か。何時の間にか、月は消えている。夜が明けたのか。それと同時に、
崖の向こうの虚空に、あるはずのない満開の桜の木々が浮かび上がる。舞台上部から降りて
きた大きな桜の枝も浮かび上がる。それが、いずれも、ほぼ同時に浮かび上がる演出が巧い
(いずれも、やがて、逆の方法で、消えて行くことになる)。

椀久とともに、観客も夢の中に入り込んでいるのだろう。松は、現実。桜は夢の中の幻想、
松山太夫は幻の女。現と幻が渾然一体となって、連れ舞い。昔の恋模様を表現する。椀久か
ら松山太夫に出された長文の手紙。現実と過去を繋ぐ恋文か。

松=此岸、現実。桜=彼岸、幻想。その対比を印象深く見せる。ここでも桜の散り花が、効
果的。実質的な演出の主導権は、玉三郎が握っているのだろう。

12年前、04年3月歌舞伎座で観た仁左衛門と玉三郎の舞台が印象に残る。仁左衛門と玉
三郎の、それぞれの所作は、本当に指の先まで揃っていた。背中を向けあい、斜めに向けあ
いする、歌舞伎の舞踊の情愛の踊り。逆説のセクシャリズム。ふたりの所作は、濃厚なラブ
シーンそのもの。藝による「官能」とは、こういうもののことを言う。

いつの間にか、消えている桜木。ふたりは花道七三へ。出の時と違って、すっぽんからセリ
下がる玉三郎。すっぽんの横にうずくまる勘九郎。取り残される椀久。この方が、喪失感が
深まる。

そう言えば、仁左衛門との時は、上がってきたのと同じせりで下がって行った。桜の枝も舞
台上部に引き揚げられる。幻想の消滅。本舞台に滄浪と歩む椀久。「保名」のように、一人
取り残されて倒れ伏す椀久。勘九郎の上に緞帳が下がってくる。寒々しい崖の上、松籟ばか
りが聞こえるよう。

こういう所作事は、例え、女形でも、勘九郎より七之助に玉三郎と一緒に踊って欲しいと思
う。今年の4月明治座で、菊之助が椀久で、七之助が松山太夫で「二人椀久」を踊ってい
る。残念ながら、私は観ていない。こういう趣向なら、椀久を七之助が踊り、松山太夫を玉
三郎が踊る、ということもありかもしれない。

あるいは、「二人松山」とでもいう変奏曲で、椀久さんを早々と眠らせ、松山太夫二人(玉
三郎と七之助)の夢を見させられないものか。


花子群は五人、でも、独り


「京鹿子娘五人道成寺」は、初演、初見。五人の花子が登場する。花子二人の「娘二人道成
寺」の発展的バリエーション。玉三郎の「娘二人道成寺」は、普通の娘二人道成寺と違う。
花子と桜子、というのが普通の「娘二人」。04年1月、歌舞伎座。玉三郎と菊之助の「娘
二人」。二人の花子。つまり、独り。

今回は、五人の花子。「娘五人」は、「娘二人」のバリエーション。本質は変わらない。つ
まり、独り。

04年1月の歌舞伎座で、玉三郎と菊之助が花子の生身(菊之助の花子は、花道から登場)
と生霊(玉三郎の花子は、「すっぽん」から出入り)という「花子の立体化(生身と生
霊)」を演じた。これは、花子・桜子という、通常の別人格の「娘二人道成寺」では無い。
独りだけの花子。

五人は五人ではなく独りなのだ。二人娘道成寺が、ふたりは、「二人」ではなく、独りなの
と同じだ。白拍子花子の光と影。今回の花子は玉三郎で、勘九郎、七之助、梅枝、児太郎の
4人は影なのだ。

まさに、最高の真女形を軸に合わせて5人の若い女形たちが官能を競う。一人の花子が、二
人に見えたり、三人に見えたり、五人に見えたり、という演出。これは幻視。想像力の賜
物。

鐘供養の道成寺。所化たち(亀三郎ほか)が鐘供養の準備をしている。まず、「道行」。花
道より、七之助の花子登場。鐘供養の話を聞き、やってきたのだ。黒地に枝垂れ桜の模様の
衣装を着ている。やがて、花道七三のすっぽんから勘九郎の花子が登場する。陰陽ふたりの
花子。舞を舞う約束で女人禁制の境内に入ることを許された七之助の花子。勘九郎の花子が
七三へセリ下がると残された七之助の花子は本舞台へ。所化から金色の烏帽子を渡された花
子は舞の準備のために下手へ、一旦下がる。という具合に本線の花子を軸に、いわば、「花
子群」は、実際に一人になったり、二人になったり、三人になったり、五人になったり、変
化(へんげ)して行く。

「花のほかには松ばかり」。舞台を覆っていた紅白横縞の幕が、上がると、舞台中央に玉三
郎の花子が一人。これが現実、生身の花子。赤地(緋縮緬)に枝垂れ桜の模様の衣装に身を
包んでいる。頭には金色の烏帽子を被っている。能がかりの舞を舞う。

鬘をつけた裃後見に烏帽子を渡すと、「言わず語らず…」で、衣装「引き抜き」。赤地の衣
装から薄緑の衣装へ瞬時に替わる。上下手から同じ衣装の花子が二人加わる。勘九郎と七之
助。三人になった花子群。更に、「恋の分里」で、鞠歌となり、花道に同じ衣装の二人の花
子。児太郎と梅枝。これで花子群は合わせて五人。玉三郎以外は、幻視の花子たち。彼女た
ちは、無邪気に手毬に興じる。

この後、玉三郎、勘九郎、七之助の娘三人と児太郎、梅枝の娘二人が入れ替わったりしなが
ら、幻視の花子群は、まさに、観客の目を眩惑させる。娘二人も退場すると上手から花笠
(振り出し笠)を被った花子(児太郎)が一人で登場する。

所化たちの踊りを挟んだ後、玉三郎が「恋の手習い」で手拭いを使っての切ない恋心を表現
する、という具合。

「山尽くし」では、上下手から現れた娘二人。勘九郎と七之助。胸の前につけた羯鼓を叩き
ながら、「末の松山、大江山…」。手踊りの花子は、梅枝。鈴太鼓を持った五人の花子。

大団円は「鐘入り」。玉三郎と菊之助の「娘二人」の時。「鐘に恨み」の玉三郎の凄まじい
表情と柔らかで愛くるしい菊之助のふくよかな表情の対比。夜叉と菩薩が住む女性(にょし
ょう)の魔は、女性では表現できないだろう。男が女形になり、女形が、娘になり、娘が蛇
体になるという多重的な官能の美。これぞ、立体化された「娘道成寺」の真髄だろうと思
う。

「娘五人」では、鐘に登った玉三郎、勘九郎の二人に加えて、七之助、梅枝、児太郎と続く
花子群は、まさに女性の多重性の表出を深めたように思えた。

役者評を少し。
玉三郎は、磐石の花子。
勘九郎は、立役向きで、女形は、今後の精進次第。
七之助は、菊之助の後を追う。若手女形のホープ。
梅枝は、時蔵に似てきた。
児太郎。12月の児太郎は、実は、国立劇場と掛け持ち。毎日、三宅坂と木挽町を行ったり
来たりしていた。国立劇場では、「仮名手本忠臣蔵」の八段目と九段目で、加古川本蔵の娘
で、大星力弥の許嫁の小浪を演じていた。福助襲名がお預けになっていて、気持ちが宙ぶら
りんになりがちだろうが、一所(女形という一所)懸命、精進して欲しい。

ついでに、今回の国立には出演していない菊之助の踊りは若いだけに柔軟な肉体を十二分意
に発揮し、メリハリがあり、気品があり、華があり、細部も正確。振り、所作の間に、若い
娘らしい愛らしさが滲み出ていて、絶品の予兆がする。年齢的に体力が衰えて行く玉三郎と
当面体力を維持できる菊之助とは、いずれ交差し、菊之助は、玉三郎を越えて行くだろう。
菊之助に続くのが七之助。

「京鹿子娘道成寺」は長時間の舞踊で、序破急というか、緩怠無しというか、破綻のない大
曲の所作事。「京鹿子娘道成寺」は、いわば組曲で、「道行、所化たちとの問答、乱拍子・
急ノ舞のある中啓の舞、手踊、振出し笠・所化の花傘の踊、クドキ、羯鼓(山尽し)、手
踊、鈴太鼓、鐘入り、所化たちの祈り、鱗四天、後ジテの出、押し戻し」などの踊りが、逆
海老に体を反り返させる所作も含めて、次々に連鎖して繰り出される。ポンポンという小
鼓。テンテンと高い音の大鼓(おおかわ)のテンポも良く合うが、舞台と袖との出入りごと
に衣装が変われば、踊りも変わるので、テンションを保つのも大変なはず。実は、かなり烈
しい踊りで、役者は日頃からの体力維持が要求される。

花子は衣装の色や模様も、所作に合わせて、後見の「引き抜き」などの助けを借りて、緋縮
緬に枝垂れ桜、浅葱と朱鷺色の縮緬に枝垂れ桜、藤色、黄色地に火焔とお幕の紋様などに、
テンポ良く替わって行く。道成寺の鐘の中に花子が入り込む演出では、後ジテの花子は蛇体
の本性を顕わして、朱色(緋精巧・ひぜいこう)の長袴に、金地に朱色の鱗の摺箔(能の
「道成寺」同様、後ジテへの変身)へと変わって行くが、今回の菊之助は鐘の中に入らず
に、娘の衣装のまま、鐘の上に上がって行く演出の方だった。この演出では、15年前、1
996年4月の歌舞伎座、雀右衛門の花子が、私の眼底には、今もくっきり残っている。
- 2016年12月26日(月) 10:20:32
16年12月歌舞伎座 (第二部/「吹雪峠」「寺子屋」)


81年前、宇野信夫デビュー作の心理劇、科白劇


「吹雪峠」を観るのは、2回目。吹雪峠は、直吉、その元女房のおえん、その元弟分の助蔵
の三人だけの芝居である。前回は、11年06月新橋演舞場であった。

今回は、玉三郎も演出に関わっている。どのような演出をしたのか、私がいちばん見たかっ
た部分である。玉三郎は自分の演出のポイントを次のように語っている。「今回は、舞台美
術をできるだけ端正にして、従来の演出とは異なる新たな技術を取り入れることによって、
直吉、おえん、助蔵の三人の心模様を表現したいと考えております」。

「吹雪峠」は、81年前、1935(昭和10)年、東京劇場で初演。出演は、二代目左團
次の直吉、二代目猿之助の助蔵、二代目市川松蔦のおえん。宇野信夫の大劇場公演第一作。
時代は、国家、国民を上げて、10年後に壊滅的な敗戦へと坂道を転げ落ちて行く軍国主義
の時代。そういう中で、作られた新作歌舞伎である。

今回は、中車の直吉、松也の助蔵、七之助のおえん。因みにち、私が観た前回は、染五郎の
直吉、愛之助の助蔵、孝太郎のおえん。

玉三郎の言う「舞台美術をできるだけ端正にして」というのは、どういうことか。暗転のま
ま、開幕前から、花道一面に敷き詰められた雪布で、芝居は観客に向けて情報を発信してい
る。暗転の中、芝居は、既に始まっている。ひゅうひゅうという強い風の音が聞こえる。音
響効果の音だから、歌舞伎らしくない。

時代は、幕末。武蔵の八王子に居を構える助蔵とおえんは、駆け落ち者。甲斐の身延山へ参
詣に行った帰り道。ふたりは、夜中の峠越えをしていて、荒れ狂う吹雪に巻き込まれ、道に
迷う。

幕が開くと、暗闇の下手奥に、薄く浮かび上がるふたりの姿。前回よりも舞台はもっと暗
い。ふたりは吹雪に難儀をしている。新作歌舞伎らしく、吹雪の効果音が続く。やがて、大
道具、半廻しで、小屋が舞台中央に移動してくる。

助蔵(松也)とおえん(七之助)は、やっと、見つけた無人の山小屋の戸を開けて、室内に
避難する。吹雪の音も消える。やがて、暖を取り、一心地ついたふたり。室内の明かりは、
燃やし始めた囲炉裏の火の明かりだけ。かなり薄暗い。おえんは、直吉というヤクザ者の元
女房。助蔵は、直吉の弟分。つまり、兄貴の女房に懸想をし、その挙げ句、寝盗って、3年
前に駆け落ちをした。今でも、兄貴が探しにくるのではないかと、おびえながら暮してい
る。気を病み、助蔵は病を呼び込んでしまったようだ。お互いを労りあう夫婦。

薄暗い下手袖から、もう一人の旅人。三度笠に合羽姿。こちらも、吹雪で難儀している。彼
も、この小屋を見つけて、入ってくる。焚火で暖を取ろうと近づいて来た男を良く見ると、
なんと、皮肉なことに直吉(中車)だった。しまった、と思いながら、夫婦は駆け落ちした
ことを兄貴に謝る。直吉は、逃げられた最初こそ、ふたりの行方を追ったが、今では、気に
していないと言う。夫婦は直吉に感謝する。

安心したせいか、急に咳き込み始める助蔵。おえんは、直吉の目を気にすること無く、いつ
ものように、常備薬を噛み砕き、助蔵に口移しに薬を飲ませる。介抱の様子から「性愛のよ
うに抱き合うふたり」を直吉は、想像したかもしれない。幻視を見せつけられて、嫉妬心に
火がついた直吉は、突然怒り出す。ふたりに小屋から出て行って欲しいと要求する。直吉
は、あからさまなふたりの行為で、おえんへの未練を思い出したのだろう。目の前から、兎
に角、ふたりが消えて欲しい。激情が身内に湧き上がってきて、直吉は収拾がつかなくなっ
ている。

夜中の吹雪の峠道に出られる筈も無い。助蔵とおえんは、朝になったら出て行くから、それ
までは、居させて欲しいと頼み込むが、殺気立った直吉は、それを許さない。直吉は、道中
差しを抜き放つ。

すると、助蔵とおえんは、それぞれ、命乞いをし、互いを罵りあい、自分だけは、命を助け
て欲しいと言い出す始末。ふたりの駆け落ち者の勝手な言動に侮蔑の笑いをぶつける直吉
は、「色より恋より情けより、命を大事に生き延びろ」と言い捨てると、一人、外に出てし
まう。ふたりを追い出すよりも、自分が姿を消して、ふたりを残して、小屋に閉じ込めたま
まにして、お互いの疑心暗鬼を深まらせる方が効果的だと気づいたのだろう。あるいは、元
女房と元弟分の醜さを見たくないと飛び出したのかもしれない。死の美学か。雪の山中で死
ぬことを覚悟した直吉。

舞台は、半廻しで戻る。吹雪く小屋の外。吹雪の効果音が、再び大きくなる。大道具は、冒
頭と同じ位置に戻る。駆け落ちして、寄り添うように生きてきたはずの元女房と元弟分の破
局が、思いかけずもたった今、目の前で実現した。中車が演じる直吉は、孤独な高笑いをし
ながら下手の闇へ消えて行く。

前回の舞台では直吉を演じた染五郎は、本舞台から花道へ。さらに、花道七三の「スッポ
ン」に設定された峠の坂道を降りて行った。

玉三郎の「舞台美術を端正に」というのは、大道具をあまり見せずに、登場人物の周辺だけ
にスポットを当てて、観客には人物への視線を集中して欲しいということなのかな、と思
う。ピンポイントで、スッキリ見せる。周りのことには気が行かないようにして欲しい。演
出家玉三郎からのメッセージを私はかように受け止めた。

さて、次は原作の宇野信夫について。
峠の避難小屋という密室で、訳ありの三角関係の心理劇。いかにも、気鋭の新人・宇野信夫
のデビュー作らしく、テーマは明確だが、新作歌舞伎としては、歌舞伎らしい「遊び」が欲
しい。例えば、江戸時代の南北なら、彼ら三人が所属する江戸の下層庶民の暮らしぶりを書
き込むだろう。遊びが、芝居を膨らませているのが、南北劇の魅力の一つだと思うが、宇野
信夫のデビュー作には、そういう膨らましが、乏しく、とんとんと図式的なテーマが、それ
だけで運んでしまう。例えば、駆け落ち者の八王子での生活振りを伺わせるような場面があ
れば、リアリティが増すように思う。この印象は前回も今回も変わらなかった。


寺入りよりいろは送りまで


『菅原伝授手習鑑』のうち、「寺子屋」。今回は、寺入りよりいろは送りまで、じっくり見
せる。この演目を私が観るのは、今回で22回目となる。このうち、「寺入り」を観るの
は、4回目だ。

今回の「寺子屋」は松王丸と千代夫婦(勘九郎、七之助)と源蔵と戸浪夫婦(松也、梅
枝)。寺子屋とは、恩義のある菅丞相の配流に際して逃げ延びた嫡男・菅秀才のために、松
王丸夫婦は自分の息子を犠牲にし、源蔵夫婦は、松王丸の嫡男と知らずに、新たに寺入り
(源蔵が経営する寺子屋に入門)して来た、雛には稀な誰とも知れない少年を菅秀才の身代
わりに手を掛けて殺してしまう、という場面を軸にする芝居。

「寺入りより」とは、いつもは省略される寺子屋入門の場面をきちんと見せる、という演出
をいう。

己の子どもの命を犠牲にする知略家の松王丸。それに協力する千代。他人の子を犠牲にする
のが悩ましい源蔵。それに手を貸す戸浪。主人への「忠義」のために、見知らぬ他人の子を
殺す学習塾「寺子屋」の経営者・源蔵もグロテスクなら、主人への「忠義」のために自分の
子を殺させるようにし向ける父親・松王丸もグロテスクだ。それは、封建社会の芝居とし
て、ここでは演じられるが、封建社会に限らず、縦(タテ)社会の持つ、そういうグロテス
クさ(拘束力であり、反自主性である)は、時代が変わっても、内実が替わりながらも、い
まの世にも生きている。

この芝居は、子どもの無い夫婦(源蔵と戸浪)が、子どものある夫婦(松王丸と千代)の差
出す他人の子どもを大人の都合のために殺さなければならない、という苦渋がテーマ。源蔵
の屈折度の方が高いのか、恩人のために確信犯的に我が子を犠牲にする松王丸の方が、屈折
度が高いのか。いつも考えさせられる。

「いろは送り」では、幕切れの場面。平舞台下手から、小太郎の遺体を入れた駕篭、白無垢
の喪服姿の松王丸夫妻、二重舞台の上に園生の前(新悟)と若君・菅秀才、平舞台上手に源
蔵夫妻。引張りの見得で皆々静止したところへ、上手から定式幕が津波のように覆い被さっ
て来る。いつ観ても、痛ましい。

今回は、若手中心の配役。それでも、共に初役で演じた勘九郎・七之助兄弟が、やはり、若
手役者の中では頭一つ抜け出ている。松也・梅枝の演じる夫婦は、いまひとつ。とはいえ、
梅枝は、このところ、4公演で戸浪を演じてきた。特に、今年は3回目。仁左衛門、玉三郎
にそれぞれ指導を受けたという。松也の源蔵も2回目。初演の時、今は亡き三津五郎に指導
を受けたという。
- 2016年12月26日(月) 9:48:45
16年12月歌舞伎座 (第一部/新作歌舞伎「あらしのよるに」)


今月の歌舞伎座は、若手の精進の舞台となる8月のように三部制の興行である。演目も、第
一部の新作歌舞伎「あらしのよるに」は、獅童・松屋を軸にしたファンタジー歌舞伎であ
る。歌舞伎座初演。第二部の演目は、宇野信夫原作の新作歌舞伎「吹雪峠」。私は、2回目
の拝見。勘九郎・七之助の兄弟と中車が演じる三角関係がテーマの短編小説のような作品で
ある。もう一つは古典の時代もの「寺子屋」で、寺入りからいろは送りまで。勘九郎・七之
助の兄弟の夫婦と松也・梅枝の夫婦が描かれる。第三部は、「二人椀久」と「京鹿子五人娘
道成寺」の所作事二題で玉三郎が軸になり、若手の女形らに対する踊りの指導も兼ねてい
る、と見受けられた。

では、まず、第一部から開幕。
新作歌舞伎「あらしのよるに」は、フェイスブックの「友達」のような物語。原作は、絵
本・童話作家のきむらゆういちの「あらしのよるに」である。登場するのは山羊と狼など動
物ばかり。弱肉強食、食うか食われるかの捕食関係が自然の規律という中で、「友達」とし
て信頼関係を築き、雄の狼と牝の羊の間で友情物語が育めるのかが、テーマ。童話がベース
なので、そこは想像できるような、予定調和の世界が展開されてしまうが、本来なら、嘘だ
ろう、という世界。なぜ、人間で構成する国際社会では、テロだ戦争だ、と永遠の敵対関係
が終息しそうもないのに、ファンタジーの世界では、「友達だけどおいしそう」(捕食関係
のリアル)でありながら、弱肉強食、食ってしまうような関係にならないのか、ファンタジ
ーゆえに展開が甘い部分はある。歌舞伎として上演されるのは、2015年9月の京都南座
に続いて、2回目。歌舞伎座は、今回初演で、京都南座上演時と配役もほぼ同じである。

今回の配役は、雄の狼の、がぶが、獅童。牝の山羊の、めいが、松也。山羊のみい姫が梅
枝。山羊の、たぶが、萬太郎。同じく、はくが、竹松。山羊の、おじじが、橘太郎。雄の狼
の、ばりいが、猿弥、前回のばりいは、千壽。雄の狼の、がいが、権十郎。狼のおばばが、
萬次郎。雄の狼の、ぎろが、中車。前回のぎろは、二代目月乃助(新派に移って、喜多村緑
郎)、ほか。

ファンタジーな新作歌舞伎であるが、竹本・長唄などの歌舞伎音楽、黒御簾音楽、日本舞
踊、見得、だんまりなど歌舞伎の様式美の所作、先行作品のエピソードの借用、国崩しの悪
党、赤姫の演出など歌舞伎味をふんだんに取り入れる反面、ダイナミックな電気的な音響、
スポット多用の照明、大胆な大道具の展開などは、歌舞伎を超えて、まさにスーパー歌舞伎
のノリで、取り入れられている。ファンタジーなスーパー歌舞伎という印象を持った。

場の構成は、発端、序幕(第一場「嵐の夜」、第二場「再会」)、二幕目(第一場「おばば
の部屋」、第二場「忍び寄る影」、第三場「月の夜」、第四場「満月の下」)、三幕目(第
一場「おばばの部屋」、第二場「集落」、第三場「ぎろの部屋」、第四場「石牢」、第五場
「雪原」、第六場「ふたつの影」)となる。

細かな筋の展開は、止めておこう。客席は、終演まで暗いまま、いつものようにメモは取れ
ない。

物語の骨格は、3つある。1)弱肉強食の自然の規律の中で狼と山羊の争い。2)その争い
を利用して、狼のボス争い。ぎろ(中車)が密かにボス殺しを敢行。次第に、ボス殺しの真
相が明かされて行く。ボスになったぎろは、山羊との戦いで耳を食いちぎられた屈辱からの
回復を試みる。3)狼と山羊の争いにもかかわらず雄の狼(がぶ)と牝の山羊(めい)の間
で、恋愛感情をベースにした友情が育まれ行く。

発端:岩山に生息する狼たち。草原では山羊たちが群れている。そこを襲う狼の群れ。山羊
と狼の戦いを利用して狼同士のボス争いも企まれる。ボスを倒したぎろ(中車)は、手下の
ばりい(猿弥)と示し合わせてボス殺しを山羊の行為とでっち上げる。ぎろは、国崩しの大
悪人の役どころ。狼の、がい(権十郎)は、ぎろに疑心を抱く。捌き役の役どころ。

序幕:嵐の夜。小屋に避難した山羊の、めい(松也)は、微睡(まどろ)み、実は、発端の
場面を夢で見ていた。激しい嵐を避けて、狼の、がぶ(獅童)が小屋に入ってくる。真っ暗
闇の小屋の中なので、お互いに山羊と狼とは、気がつかない。話をしているうちに、2匹は
意気投合。フェイスブックのように、顔が見えないうちに、「友達リクエスト」で、友達関
係成立。「あらしのよるに」が、相互確認のパスワード。嵐の去った翌日、ふたりはパスワ
ードだけを手掛かりに、再会。お土産の幸福草をお互いにプレゼント。明るい空の下、ふた
りは狼と山羊と判るが、捕食関係を超えて「友情」優先で、おともだちになる。

二幕目:山羊と狼の交際が皆に知られ、諌められる山羊のめい。しかし、めいは、がぶが普
通の狼ではないと友情を優先する。山羊と狼の争い。だんまりもどきの所作。がぶから、め
いに宛てた手紙を山羊の、おじじ(橘太郎)が取得するなど、歌舞伎の演出がはめ込まれて
いる。

三幕目:山羊の赤姫である、みい姫(梅枝)がお付きの、たぶ(萬太郎)と共に、狼に捕ま
る。みい姫、たぶ、めいは、同月、同日、同時刻の生まれ。魔法の鏡に3匹の姿を映し出し
た狼の、おばば(萬次郎)は、「合邦辻」の玉手御前のようなエピソードを思いつき、3匹
を捉えることが、ぎろの耳回復の手蔓になるとでっち上げる。捕まってしまった、みい姫
は、ぎろに疑心を抱く狼の、がいに助け出される。

がぶとめいの友情が、揺れ動く。石牢に閉じ込められていた、がぶ。めいが忍び込んでく
る。再会した2匹は真実を打ち明け合うことで、逆に信頼感を深める。いかにも童話らしい
エピソード。

狼の、がい、山羊の、みい姫、お付きの、たぶが、狼の、ぎろのボス殺しを告発する。山羊
と狼、双方の戦いは、山場となる。

窮地から逃げる、がぶとめい。2匹を追う、ぎろ。追っ手が迫ったところで、雪崩が発生。
雪幕を使った海のような雪崩シーンも、歌舞伎の定番の演出。雪崩に巻き込まれたものの、
がぶとめいは、なんとか脱出。大団円へ。

まあ、大雑把に言えば、そういう展開。役者評を少し付け加えよう。中車が演じた、ぎろの
国崩しが弱い。獅童のがぶと松也のめいは、まあまあ。山羊の、みい姫を演じた梅枝も、存
在感が弱かった。赤姫の扮装はしているものの、赤姫としての印象が弱い。
- 2016年12月20日(火) 12:01:54
16年12月国立劇場(人形浄瑠璃/第一部・第二部通し狂言「仮名手本忠臣蔵」)

国立劇場は、11月で開場50年の節目を迎えた。それを記念して、大劇場では、10月か
ら12月まで3ヶ月連続で「仮名手本忠臣蔵」全十一段を3つに分けて通し上演している。
「完全通し」というのが、今回のキャッチフレーズである。さらに、小劇場では、2部制で
大序から十一段目までを適当に刈り込みながら通し上演している。今回の劇評は第一部、第
二部を通しで書くことにする。まず、今回通し上演の人形浄瑠璃の段の構成を記録しておこ
う。歌舞伎の場の名称とは、いろいろ違いがあるし、登場人物の表記にも若干の違いがあ
る。

今回の第一部。
大序:鶴が岡兜改めの段、恋歌の段。二段目:桃井館本蔵松切の段。三段目:下馬先進物の
段、腰元おかる文使いの段、殿中刃傷の段、裏門の段。四段目:花籠の段、塩谷判官切腹の
段、城明渡しの段。五段目:山崎街道出合いの段、二つ玉の段。六段目:身売りの段、早野
勘平腹切の段。

今回の第二部。
七段目:祇園一力茶屋の段。八段目:道行旅路の嫁入。九段目:雪転(こか)しの段、山科
閑居の段。十段目:天河屋の段。十一段目:花水橋引揚の段。今回は、これで終演。

以下、各段を観ておく。

大序:鶴が岡兜改めの段、恋歌の段。
浄瑠璃:兜改めでは、亘太夫ら若手が床の御簾内で語る。恋歌では、ひとり一役で師直は始
太夫、顔世は南都太夫、若狭助は希太夫。三味線:前半は鶴澤清允ら。後半は龍爾。主な人
形遣い:足利義直は亀次、高師直は玉也、桃井若狭助は幸助、塩谷判官は和生、顔世御前は
文昇操るが、三人遣いとも皆、黒頭巾状の面当てを付けていて顔を見せない。3人のうち、
主遣いが顔を見せるのは三段目を待たなければならない。

大序「兜改め」。南北朝の時代。北朝方を擁立し将軍となった足利尊氏は南朝方の新田義貞
を打ち滅ぼした。鎌倉鶴が岡八幡宮社頭。旧暦の如月下旬。今の暦なら4月上旬に当たるだ
ろう。

贅言1);忠臣蔵がモデルとした史実の赤穂事件は、1701年4月に刃傷事件発生、170
3年1月に討ち入り事件発生。1年10ヶ月に及ぶ。「赤穂義士切腹」までとなれば、さら
に長い。「仮名手本忠臣蔵」は、春夏秋冬の物語。全十一段を四季のメリハリをつけて展開
させている。大序の鎌倉鶴が岡八幡宮社頭、下手のイチョウの木は、人形浄瑠璃では春らし
く葉が緑であるが、歌舞伎では、黄色い葉をつけている。

贅言2);歌舞伎は忠臣蔵独特の幕の開け方をするが人形浄瑠璃では、いつもと変わらず。開
幕前の口上人形が登場して、「役人替名(配役紹介)」をする場面もない。歌舞伎では義太
夫の文句で名前を告げられるまで、役者は命が吹き込まれていないので、人形のように目を
瞑って静かにしている、という想定になっているが、人形浄瑠璃では初めから人形だから、
そのままで目も開いている。ただし、動き出すのは名前が告げられてから。

新田義貞着用の兜を八幡宮に奉納するため、足利直義が尊氏の代参として京都から下ってき
た。南朝方の多数(47個。作者は四十七士に拘るので、何事も「47」)の兜を奪ってきた
ので、どれが義貞着用の兜か判らない、という。天皇が義貞に賜った兜を見知っているとい
う当時の女官・顔世御前(塩谷判官の妻になっている)が呼び出される。無事、選定を済ま
せ、足利直義らは、塩谷判官や桃井若狭助らを伴って、兜を八幡宮に奉納に行く。

大序「恋歌」。この副題にもかかわらず、師直の一方的な「恋歌」。「横恋慕」というべ
き。奉納の隙を見て、高師直がひとり残った顔世御前にセクハラ行為をする。戻ってきた若
狭助が顔世御前を助け、高師直の恥ずべき行為を咎める。この部分は、今回の歌舞伎も人形
浄瑠璃も変わりなし。

二段目:桃井館本蔵松切の段。
浄瑠璃語り:睦太夫。三味線方:錦糸。主な人形遣い:加古川本蔵は勘十郎、妻・戸無瀬は
和生、娘・小浪は勘彌。人形遣いはここでも、まだ、主遣いは顔を見せていない。「二段
目」は、本来、「上・下」に分かれている。今回の歌舞伎では、上・下を演じたが、人形浄
瑠璃では、「下」のみであった。人形浄瑠璃では、こういう場面構成にすることで、「仮名
手本忠臣蔵」に登場する忠臣は大星由良助だけでなく、加古川本蔵も忠臣ぶりでは由良助と
肩を並べている、と主張することになる。「仮名手本忠臣蔵」は、実は、軸となるふたりの
忠臣家老の物語である。

本来の上下の構成では、「上」は、通称「力弥使者」、あるいは「梅と桜」(一組の初心な
若い男女の恋模様。「梅と桜」=小浪と力弥の出逢いの象徴)。「下」は、松(「松切」=
若狭助と本蔵の肚の探り合いなど伏線となる)。上・下で揃う松、梅、桜は、「菅原伝授手
習鑑」(並木宗輔ら同じ合作者グループの作品)の三つ子の兄弟(菅原道眞に並んで、主役
格)、梅王丸、松王丸、桜丸に因んでいるのではないか。桃井若狭助の家老・加古川本蔵の
娘・小浪と塩谷判官の家老・大星由良助の息子・力弥は許嫁の関係。「刃傷事件」の余波が
若いふたりの人生を翻弄することになる。ふたりは、後半で重要な出番(九段目)がある。
つまり、そのための伏線の場面。→ 「八段目」:「道行旅路の嫁入」は、小浪が父親の由
良助とともに京都・山科に閑居中の力弥の元へ強引に嫁入りする場面となる。加古川一家
は、迫り来る悲劇を前に「九段目」の山科閑居で全員が集合することになる。父親の本蔵は
命を掛けて娘の小浪を大星力弥の一夜妻にする。加古川家の悲劇。人形浄瑠璃のように
「下」の「松切」のみの上演では、そういう伏線にはならず、瞬間湯沸かし器のような若い
殿様・若狭助を老練な家老の加古川本蔵が救い、藩を守ったという話になる。

大序の場面で、高師直に辱めを受けた若狭助は、きょうこそ、殿中(足利館)で師直を討つ
つもりである。主君を諌めるべき老獪な本蔵は、庭の松の枝を斬って見せて、若い主君の思
うようにさせようと装う。反対すると逆効果だと、見抜いている。しかし、主君の思うまま
にさせたら、桃井家はお家断絶間違いなし。苦肉の策。その一方で、本蔵は早馬に乗り登城
途中の師直一向に追いつき、足利館裏門で師直家臣の鷺坂伴内に贈賄する。大人の流儀? 
後に、殿中で師直は早々と若狭助に謝罪してしまう。血気に逸る若狭助とそれを諌める老獪
な家老・本蔵の危機管理ぶりが見どころ。家老職は、企業で言えば、副社長、専務という実
務の実力者のポスト。高師直は、若狭助に対して我慢した鬱憤を横恋慕を袖にされた顔世御
前の夫・塩谷判官に向け直すことになる。しぶとい師直はセクハラからパワハラへ、ハンド
ルを切る。師直は、どこまでもいやらしい人物として描かれる。

三段目:下馬先進物の段、腰元おかる文使いの段、殿中刃傷の段、裏門の段。
浄瑠璃語り:門前の進物場は希太夫、同じく門前の文使いは、三輪太夫、刃傷は津駒太夫、
裏門は芳穂太夫。三味線方:太夫と同じ順に、清公、喜一朗、寛治、清馗。つまり、三段目
の見せ場は刃傷で、津駒太夫と寛治が勤めた。主な人形遣い:伴内は文司休演で玉志、塩谷
判官は(再び)和生、早野勘平は清十郎、腰元おかるは一輔、茶道珍才は簑之。主遣いは、
この段から顔出しで演じる。三段目「進物場・文使い(門前)、喧嘩場(刃傷)、裏門」。
「裏門」の場面は、最近では、あまり上演されない。「裏門」を除けば、お馴染みの場面。
足利館表門門前の「進物場」。本蔵から師直への贈賄の場面の後、夜明け間近に登城してき
た塩谷判官に随行していた判官側近の早野勘平は、おかる(軽)に表門で出逢う。「文使
い」の場面。小浪・力弥。おかる・勘平。もう一組の若い男女の物語。顔世御前から預かっ
てきた師直への返書(セクハラへの断り状)を勘平から判官に託そうとおかるが追って来
た。若いふたりは恋仲ゆえ、その後、職場放棄をして、ちょっと間の情事に耽って仕舞う。
これが勘平一生の不覚。

「喧嘩場」は、「刃傷」あるいは「松の間刃傷」ともいう。有名な場面、塩谷判官が高師直
に松の間で刃傷に及ぶ、ということになる。お家断絶は必死の状況。続く、足利館「裏門」
では、判官の事件発生で足利館は出入り禁止の緊急事態となってしまう。側近なのに、主君
の側にいなかった勘平は、責任重大と悟り、「主人一生懸命の場にもあり合わさず」、「そ
の家来は色に耽り御供にはづれし、と、後年、歌舞伎では入れ事として、六段目・勘平腹切
の場で「使われ直す」科白の基本的な部分をここで言うほど、切腹せねばと落ち込んでしま
う。おかるに諭され、武士を捨てておかるの実家へ一旦、落ち延びて今後の対応を考えるこ
とにする。ここは、今回の歌舞伎も人形浄瑠璃も同じ。

四段目:花籠の段、塩谷判官切腹の段、城明渡しの段。
浄瑠璃語り:花籠は呂勢太夫、判官切腹は切で咲太夫、城明渡しは亘太夫。三味線方:宗
助、燕三、錦吾。つまり、聴かせどころの切場は咲太夫と燕三。主な人形遣い :大星力弥は
玉佳、原郷右衛門は玉輝、斧九太夫は勘壽、石堂右馬丞、薬師寺次郎左衛門、大星由良助は
玉男。

四段目。歌舞伎は、「花献上、判官切腹、城明渡し」。このうち「花献上」の場面は、最近
では、あまり上演されない。ここは、「花献上」を除けば、お馴染みの場面。国許(塩谷家
の国許は出雲)からなかなか到着しない国家老の大星由良助を待ちわびながら、切腹へと追
い詰められて行く塩谷判官の姿が、息詰まるような緊張感で描かれて行く。通称「判官切
腹」あるいは「通(とお)さん場」。大名の切腹という厳粛な場面なので、開幕後は客を席
に案内しない。金を払った客といえども通さない、というわけだ。場内での移動(通行)制
限。重苦しい雰囲気にする。今回もそうであった。観客は、出入り禁止。「城明渡し」は、
主君切腹、お家断絶後の後始末の場面。城の赤門の大道具が引き道具となるのが歌舞伎。背
景の赤門がアオリで小さくなって行くのが人形浄瑠璃の演出。

歌舞伎では、滅多にやらない「花献上」は、判官蟄居で、打ち沈んでいる扇ケ谷の塩谷館で
妻の顔世は鬱状態の判官を慰めようと鎌倉山の数種類の桜の枝を腰元たちに集めさせた。陰
鬱な雰囲気とは違って、大道具は金地に花丸の襖も豪華な場面で華やか。悲劇の前の気分転
換。華やかな後に、悲劇ということで、悲劇性を一層高める効果もある。一方、足利館から
上使来館に備えて待機した家老の斧九太夫と諸士頭の原郷右衛門は判官の罪を巡って論争を
始める始末で、顔世御前に戒められる。この場面の後が、上使来館となり、判官切腹の場面
へとなる。

人形浄瑠璃では、「花献上」が「花籠」という副題になっているが、基本的には同じ。ただ
し、主君切腹を前に館内は抑鬱的な雰囲気の塩谷館だが、歌舞伎の方は大部屋の女形衆が多
数出て幾分か華がある。

贅言;歌舞伎で上演する浄瑠璃「道行旅路の花聟」は、通称「落人」。仕事でミスをした勘平
をなぐさめながら、恋人のおかるの故郷(京都南部の山崎)へ。若い男女の逃避行。すでに
触れたように、「裏門」の場面を省略する代わりに舞踊劇(所作事)化したもの。内容は基
本的に「裏門」と同じ。今回は、歌舞伎では「裏門」も「落人」も上演するという、「異
例」の構成(ほぼ同じ内容が演出を変えてということだが、演じられるという、荒唐無稽
さ)と言える。人形浄瑠璃には、花聟の道行は無し。原作に近い正統派の演出である。

五段目:山崎街道出合いの段、二つ玉の段。
浄瑠璃語り:出合いの場は小住太夫、二つ玉は靖太夫。三味線方:寛太郎、清丈(丈に
`)。主な人形遣い:千崎弥五郎は簑一郎、百姓・与市兵衛は勘市、斧定九郎は簑紫郎。五
段目は、歌舞伎なら「鉄砲渡し、二つ玉」で、ここも「忠臣蔵」には、欠かせない場面。旧
暦の水無月。今なら、6月下旬から7月上旬の頃。梅雨のシーズンだ。京都に近い山崎街
道、勘平と塩谷家家臣の旧知との出会い。大雨の降る闇夜で火を借りあう「鉄砲渡し」の場
面。闇夜でいかつい猟師姿の男に出会い、まして鉄砲を持ち、雨で火縄の火が消えたから貸
して欲しいと突然言われたら、皆、警戒する。ならば、鉄砲ごと渡せば、安心だろうと、歌
舞伎では副題も「鉄砲渡し」の場となった。人形浄瑠璃では、「鉄砲渡し」とは言わず、
「山崎街道出合い」の段、あるいは通称「濡れ合羽」という。闇夜の大雨の中で、合羽も濡
れてびっしょり、ということだろう。

舞台が廻って、イノシシ狩りと定九郎殺しとなる「二つ玉」の場面。闇夜を逃げ回るイノシ
シに向けて勘平は、鉄砲の玉を2発撃つ。だから、「二つ玉」。歌舞伎では勘平役者の代々
も、定九郎役者の代々も、細かく藝の工夫をしてきた場面だ。

歌舞伎では、定九郎の科白はただ一言、与市兵衛を殺して奪った金を確かめる際に「五十
両」だけだが、原作に近い人形浄瑠璃では、定九郎は下手の小幕から出て来て、与市兵衛を
呼び止める。「ヲヲイ、ヲヲイ。ヲイ親父殿、さつきにから呼ぶ声が、貴様の耳へ入らぬ
か。この物騒な街道を、よい歳をして大胆々々。連れにならう」から始まって、「ヤア、五
十両、アア久し振りの御対面、忝し」までと、定九郎は何とも饒舌だ。殺しをするまでの
間、本当によく喋っている。歌舞伎では藁棚の奥から定九郎は登場するが、人形浄瑠璃では
与市兵衛を追って下手から登場してくる。衣装も歌舞伎からの逆輸入で黒地の着流しだが、
頭の鬘が大分違う。

六段目:身売りの段、早野勘平腹切の段。今回の第一部は、ここまで。
浄瑠璃語り:身売りは咲甫太夫、勘平腹切は英太夫。三味線方:清志郎、團七。
主な人形遣い:与市兵衛女房は紋壽休演で勘壽。一文字屋才兵衛は玉勢ほか。六段目「勘平
腹切」では、おかるの身売り、勘平は「誤解」の果てに自害へ、と悲劇が続く。武士に戻り
たかった青年は、遂に望みを果たせずに亡くなってしまった。五段目、六段目は、見せ場が
続くだけに、歌舞伎では代々の役者の藝の工夫で「秒単位(所作、科白の間など)」、「セ
ンチ単位(移動する位置関係など)」に口伝があり、藝が洗練され完成している。例えば、
五段目の定九郎殺し。定九郎の衣装や所作は、初代中村仲蔵の工夫。山賊による与市兵衛殺
しの場面を名場面に変えてしまった。六段目の勘平腹切。六段目の勘平の出は華(はんな)
り=色気、艶、華やかさ=、とさせる。五代目菊五郎の工夫。後半の勘平の悲劇をより際立
たせる。「色にふけったばっかりに、大事なところにあり合わさず」という科白は元々の人
形浄瑠璃の原作では六段目にはなく(すでに指摘したように三段目「裏門」で似たようなこ
とを勘平は言う)、三代目菊五郎が工夫して付け加えた科白で、歌舞伎の「入れ事」(新工
夫)という。「裏門」が無くなり、浄瑠璃「道行旅路の花聟」という所作事が上演されるよ
うになったことと連動しているだろう、と思う。それ以降、勘平役者は皆が使うようになっ
た。今も、どの役者も同じように演じる場面だ。人形浄瑠璃では、歌舞伎役者の思い入れの
ようなものがないだけに原作により近い形で演じてくれる。筋の展開がすっきりしていて判
り易かった。

以下は、今回は第二部。
七段目:祇園一力茶屋の段。
浄瑠璃語り:ひとり一役で太夫が掛け合いで語る。由良助は「前」(前半)が咲太夫、
「後」(後半)が、英太夫、力弥は四段目と違って咲寿太夫、三人侍は津國太夫、文字栄太
夫、南都太夫、おかるは呂勢太夫、伴内は靖太夫、九太夫は三輪太夫、平右衛門は咲甫太
夫。七段目の見せ場で兄・平右衛門と妹・おかるのやり取りで、咲甫太夫と呂勢太夫が丁々
発止と絡み合う語りの応酬は、若手実力蓄積中のふたりだけに聞き応えがあった。三味線
方:「前」が清介、「後」が清治。このほか、長唄が東音山口太郎、芳村辰三郎。主な人形
遣い:三人侍は勘市、紋秀、簑一郎、寺岡平右衛門は勘十郎、遊女・おかるは人間国宝の簑
助。きめ細かい女形の動きに魅了された。因みに、腰元・おかると女房・おかるは若手の一
輔が操っていた。七段目の「一力茶屋」は初演時の元禄歌舞伎の色彩が濃厚。今回の歌舞伎
も人形浄瑠璃も基本的には同じ。京都の華やかな茶屋場で、遊蕩三昧を装う由良助、遊女に
なったおかる、おかるの兄・寺岡平右衛門、塩谷家から高家に寝返った元家老の斧九太夫な
どが登場する。衣装、所作などに元禄歌舞伎の華やかさを今に伝える場面だろう。その一方
で、密かに主君の敵討ちの準備を進めてきた由良助一派も、観客を欺くことをやめて、観客
にも判るように復讐心をじわじわと滲み出させ始めた。

人形浄瑠璃では、寺岡平右衛門が下手小幕から登場すると平右衛門担当の太夫(今回は咲甫
太夫)も下手に登場し、仮設の「出床」で見台も床本も無く、「無本」で語る。義太夫のほ
かに長唄や囃子も多用され、遊里の賑わいを表す。五・六段目の女房・おかると夫・勘平の
悲劇の流れ(世話もの)と四段目の由良助登場以降の武家の騒動の流れ(時代もの)とが、
七段目で合流することになる。

おかるに父親の与市兵衛を殺した怨みを晴らさせようと与市兵衛殺しの下手人斧定九郎の父
親の斧九太夫を刀で刺させる場面では、由良助がおかるに手を添えているが、裏切り者・九
太夫への私怨も込めているのが判る。二つの筋の「合流」を具体的に示す場面と言え、主君
の敵討ちへの具体的な行動の始まりと言える重要な場面だろう。

七段目が「仮名手本忠臣蔵」で、最も華やかな雰囲気を醸し出すのは由良助の金に糸目をつ
けない遊里での浪費ぶりもさることながら「ネイネイネイ」など独特の奴言葉を駆使する塩
谷家の足軽・平右衛門と平右衛門の妹であり、勘平女房で遊女のおかるの、兄妹ふたりのや
り取りであろう。

裏切り者の九太夫に瀕死の重傷を負わせた由良助は平右衛門に九太夫を加茂川に放り込んで
水死させろと命じる。「水雑炊を食らはせい」という由良助の科白に、散々痛めつけられた
九太夫への怒りを込めている。終幕の段切りの場面で、「ヤ、シテコイナ」の科白ととも
に、平右衛門は両手で九太夫の身体を頭上高々に持ち上げる演出は人形浄瑠璃ならではらし
く、勇壮でおもしろい。これが歌舞伎では精々九太夫の体を肩に担ぐ振りをするしかない。

三段目から始まり、五段目、六段目を経て、七段目で終わる「おかる・勘平物語」は、主君
の敵討ちを狙う塩谷家の旧家臣たちの物語(「時代もの」)という主筋の中に、仕掛けられ
た「世話もの」という脇筋。つまり、「世話もの」が、「時代もの」の中に、いわば「入れ
子構造」になっている。鮭が卵を抱くように「時代もの」の世界の中に「世話もの」が抱き
込まれている。歌舞伎・人形浄瑠璃の演劇構造で、よく見かける「入れ子構造」という物語
の展開の妙味、と言える。主筋より脇筋が時空を超えて人気を呼ぶ。「時代もの」は時代に
制約される。その時代を理解しないと芝居が判りにくい。一方、「世話もの」は人間の本来
的、原初的なもの。従って、普遍的。時空を超えて、国境を超えて、現代人にも、インター
ナショナルに共感を得る。現代にも通じる判り易さがある。この場面で、おかるは、腰元か
ら初々しい若妻・女房へ、さらに、色っぽい遊女へと同じおかるという人物ながら、「羽
化」してみせる。世話ものの魅力の極地ではないか。

八段目:道行旅路の嫁入。
浄瑠璃語り:小浪は津駒太夫、戸無瀬は芳穂太夫。ツレは靖太夫ら3人。三味線方:清介ら
5人。主な人形遣い:戸無瀬、小浪は同じ。八段目「道行旅路の嫁入」は、所作事(舞踊
劇)。「仮名手本忠臣蔵」本来の道行。初々しい加古川本蔵の娘・小浪と義母の戸無瀬のふ
たり連れが東海道を行く。ふたりは小浪の許嫁・大星力弥、両親の由良助・お石ら大星一家
が隠れ住む「山科閑居」に強引に押しかけようとしている。当初の約束通り、嫁入りをしよ
うと東海道の富士山付近を急いでいる。歌舞伎・人形浄瑠璃の「三大道行」と言われる名場
面(因みに、三大道行は「道行初音旅」、「道行恋苧環」、そして、「道行旅路の嫁
入」)。浄瑠璃の文句には、地名が散りばめられている。ただし、背景は富士山があるもの
のたっぷり雪を被っている。田園風景の遠見は、茶色い世界。そう、晩秋の景色なのだ。人
形浄瑠璃では省略されたもう一つの「道行旅路の花聟」では、夜半から夜明けまでの場面な
のに、昼間のように明るい中で桜や菜の花が舞台いっぱいに咲き誇っていた。春爛漫なの
だ。花聟の道行は原作にない後世の歌舞伎独特の「入れ事」(いわば、借家人)の道行(セ
カンド道行)なのに、春の花景色を独り占めする。嫁入は、本家の道行(ファースト道行)
なのに、秋なので、色彩的に寂しいのはなぜだろう。山笑う紅葉の季節の道行には、ならな
かったのか。遠景に旗や幟を掲げた大名行列が通るのが見える。こちらは、供も連れず、駕
籠にも乗らず、母娘のふたり旅。しかし、京都に近い琵琶湖の大津の場面で背景がアオリで
場面展開する。満々と水を貯めた琵琶湖が現れ、恋しい力弥の居る山科も、間も無くだ。ほ
っと安堵。ふたりも観客も気分一新となる。

九段目:雪転(こか)しの段、山科閑居の段。
浄瑠璃語り:雪転しは松香太夫、山科閑居は「前」が千歳太夫、「後」が文字久太夫。三味
線方:喜一朗、富助、東蔵。主な人形遣い:由良助妻・お石は簑二郎、本蔵は勘十郎ほか。
九段目「山科閑居」は、雪景色の冷え冷えとする場面。今回は、歌舞伎も人形浄瑠璃も、普
段はあまり上演されない「雪転し」の場面(「端場」ながら、本来は意味がある)が九段目
の頭に付く。由良助が祇園の一力茶屋から帰宅する場面が描かれる。酔っ払った由良助一行
が雪の玉を転がしながら帰って来る。この雪の玉は、後の場面で、由良助と力弥の墓に見立
てた雪塔として使われ、由良助らの敵討ちの本心を示すものとなる。

戸無瀬、小浪が大石宅に到着して「山科閑居」となる。歌舞伎では花道から戸無瀬、小浪の
一行が駕籠を仕立ててやってくるので大石家の玄関は下手側にあるが、人形浄瑠璃では雪転
しの由良助は一行が上手から帰宅してきたので、大石家の玄関は上手側にある。家の間取り
も、歌舞伎と人形浄瑠璃では逆になっているので、何となく、落ち着かない気分になる。虚
無僧姿に身をやつした加古川本蔵と妻の戸無瀬、娘の小浪が山科の大星宅で落ち合って、加
古川一家が勢ぞろいする。加古川本蔵も由良之助に劣らぬ忠臣だったと判る場面が続く。娘
を思う父親の親心、武士としての義理と情の間(はざま)で葛藤する家老・本蔵の苦衷、家
老同士の苦渋。本蔵の真意を知った由良助の思慮と本蔵への討ち入りの覚悟の披瀝、義母ゆ
えに、なさぬ仲の戸無瀬と小浪の恩愛、前半厳しく接していたお石の戸無瀬母子への情愛な
どが後半では描かれる。本蔵の「思へば貴殿の身の上はこの本蔵が身にあるべき筈」という
科白で本蔵と由良助は同一人物のようにピタリと重なるのである。由良之助は本蔵の着て来
た虚無僧の衣装に着替えて、本蔵に扮して山科の閑居から堺に出向くことになる。「忠臣
蔵」とは、「忠臣(本)蔵」のことであったのか。九段目は、今回、歌舞伎にも「雪転し」
があったことで、基本的に同じであった。


十段目:天河屋(あまかわや)の段。
浄瑠璃語り:睦太夫。三味線方:清友。主な人形遣い:天河屋義平は玉志、義平の女房・お
そのは紋臣、由良助は玉男ほか。十段目「天河屋」。塩谷家出入りの堺の商人・天河屋義
平。山科在住の由良助から鎌倉の高師直館へ討ち入りするための装束・武具を回送すること
を請け負う。秘密を守るために妻を離縁したり、奉公人を解雇したりしている。最後の荷を
送り出す日、捕吏が義平を取り囲み、義平の子どもを人質に取り、由良助らの計画を白状せ
よと脅す。それを拒否して、「天河屋義平は男でござる」という科白を言う。脅されても屈
しない。約束は守る。すると、荷を入れていたはずの長持ち(いわば、コンテナ)の中から
由良助本人が現れ、捕吏たちも由良助の家臣だった、と白状する。由良助たちは義平の心を
試したのだ。十段目は通称「天河(川)屋」。最近は、ほとんど上演されない。人形浄瑠璃
では、「天河屋」と称するが、歌舞伎では「天川屋」である。ただし、舞台展開の基本はど
ちらも同じ。十段目は人形浄瑠璃も歌舞伎も長らく上演され無かった。浪士となった家臣た
ちの一部の疑心の意向を受けてとは言え、他人(ひと)の心根を子どもを人質に取って試す
由良助は、庶民に嫌われたのかもしれない。「仮名手本忠臣蔵」の中で、いつも冷静沈着、
清廉潔白、正義の人、由良助の嫌らしさが窺える唯一の場面では無いのか。

十一段目:花水橋引揚の段。今回は、これにて終演。
浄瑠璃語り:由良助は芳穂太夫、若狭助は希太夫。ほかに文字栄太夫。三味線方:團吾。主
な人形遣い:由良助は玉男、力弥は玉佳、若狭助は幸助ほか。十一段目は、歌舞伎では「討
入、広間、奥庭泉水、本懐焼香(勘平復活?)、引揚」。お馴染みの大団円だが、原作と違
い幕末から明治期になって、討入りのチャンバラの場面は実録風の芝居が付け加えられた。
「大序」や「七段目」の元禄歌舞伎らしさとは、肌触りを異にする芝居となる。

「仮名手本忠臣蔵」は、1748年の初演以来268年となった。再来年、2018年は、
270年の節目を迎える。元禄時代の物語をベースに、全十一段には上演の多い演目と上演
しない演目の洗練度の差。伝統藝の数々。代々の役者の藝の工夫もあれば、芝居から所作事
(舞踊劇)への演出の変更。それに伴う科白の練り直し、荒唐無稽な芝居から実録風の史劇
志向の演出の追加などなど。上演されなくなった場面は、そういう洗練さが乏しいのは、無
理からぬこと。また、そういう場面は、その後の展開の伏線となる場面が多いので、話が二
重になりがち、ということもあるだろう。今回の国立歌舞伎での完全通し上演では、そうい
う対比の面白さが観客側にはある。また、人形浄瑠璃の仮名手本忠臣蔵の通し上演は、私は
初めて観たが、歌舞伎との違い、それだけ原作に近い形で観ることができて興味深かった。
今回の人形浄瑠璃では、「引揚」(花水橋引揚)の場面のみが、十一段目として演じられ
て、終演となった。本懐を遂げて引き揚げる塩谷浪士たちを若狭助が馬を逸らせ花水橋に駆
け付け、馬上から浪士たちに労いの言葉をかけて、見送る。国立劇場の時計の針は、午後9
時半を廻っていた。二部制とは言え、午前10時半に始まり、一日で全十一段を観通すとい
うのは、観客の側も大変くたびれたことだろう。
- 2016年12月12日(月) 11:58:03
16年11月国立劇場 (通し狂言「仮名手本忠臣蔵」第二部)
            *第二部は、「道行旅路の花聟」から七段目まで


「二つの夜」(道行と五段目)の演出の違い


通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の国立劇場公演(「完全通し」、第一部から第三部まで3ヶ月
上演)は、今月、第二部が展開されている。第二部は、「道行旅路の花聟」から七段目ま
で。

「完全通し」全十一段は以下の通り。
第一部:
大 序:兜改め。
二段目:力弥使者・松切り。
三段目:進物場(門前)・喧嘩場(刃傷)・裏門。
四段目:花献上・判官切腹(せっぷく)・城明渡し。
第二部:
浄瑠璃:道行旅路の花聟。
五段目:鉄砲渡し・二つ玉。
六段目:勘平腹切(はらきり)。
七段目:祇園一力(茶屋場)。
第三部:
八段目:道行旅路の嫁入。
九段目:雪転(こか)し・山科閑居。
十段目:天川屋。
十一段目:討入(実録風)・広間・奥庭泉水・本懐焼香・引揚。

従来の、例えば歌舞伎座での通し狂言「仮名手本忠臣蔵」昼夜興行の場合で見ると、昼の部
は、大序から四段目までを上演する。ただし、二段目は全て上演せず、四段目の花献上も無
し、三段目の「裏門」の代わりに浄瑠璃:「道行旅路の花聟」(通称「落人」。「裏門」を
書き換えた所作事)を昼の部の最後に上演する、というような形をとることが多い。大序、
三段目:(門前)・(刃傷)、四段目:判官切腹(せっぷく)・城明渡し、「道行旅路の花
聟」、という構成だ。

そして、夜の部は、五段目、六段目、七段目、十一段目、という構成が考えられる。八段
目:道行旅路の嫁入、九段目:山科閑居は、別途上演の形式をとるなどする。

今回の国立劇場公演では、3部制を取ったことで、歌舞伎座では昼夜通しで観ても昼の部と
夜の部の観客入れ替えで分離されていた「浄瑠璃:道行旅路の花聟」に引き続いて、「五段
目:鉄砲渡し・二つ玉」を観ることができる、という貴重な機会に恵まれたことだ、と思
う。この貴重さをまず論じたい。なぜ、「道行(落人)」と「五段目」が続けて上演される
ことに私が拘っているかというと、この二つの場面は、相模の国の戸塚、京都近郊の山崎と
場所こそ違え、同じ夜なのに、道行は富士山が見え、桜が満開で、野には菜の花も咲き乱れ
ている、という景色になっていて、昼間のように明るい夜という演出であり、五段目は、雷
鳴、雨音の下座音楽。大荒れの雨降りとはいえ、黒幕一つの闇夜という演出である、という
ことだ。道行の浄瑠璃の文句は、「墨絵の筆に夜の富士」。明るい夜とは、唄っていない。

「道行」では、勘平とおかる(以下、お軽)という美男美女のふたり連れの夜間の逃避行だ
ということは、勘平の科白を注意深く聞いていれば判るが、聞き逃すと、圧倒的な明るい景
色に押し込まれて、昼間の道行のように思えてしまう罠に陥る。勘平:「昼は人目をはばか
る身の上」という科白で「夜」の逃避行を証言している。移動できる夜は、勘平が鬱状態。
隙あらば死のうとする勘平をお軽が刀を取り上げて、体を張って阻止している場面が所作事
(舞踊劇)として演じられる。そういう悲劇的な状況なのに、目の前の明るい夢のような夜
に惑わされて若い男女の道行、という「義経千本桜」の四段目の口(くち)、「道行初音
旅」(静御前と狐忠信のカップル)のような感じで舞台を観ていはしないか。所作事ゆえ、
余計にそう感じられる。

「道行落人(通称、お軽勘平)」では、前半、お軽と勘平の神経戦が続く緊張したシテュエ
ーションなのだ。お軽の矢絣姿は、職場の制服のまま、勘平を連れて職場の上司に無断で飛
び出してきたことを示す。勘平は、お軽との情事にふけり、大事な時に職場放棄、さらに、
その後も上司に無断で退職して逃げてきたことになる。やましさを抱え、追っ手をかけられ
ることに怯えながら、夜間の逃避行中。月夜か闇夜かは判らないが、夜半過ぎ、未明には程
遠い。本来なら、遠くにも灯りひとつ見えない時間帯。暗く寂しい戸塚の山中の道。やが
て、鎌倉から東海道を戸塚まで追ってきた鷺坂伴内一行との対決が、勘平のストレス解消に
役立つ。お軽を守って、凛々しく立ち回っているうちに、夜も明け始める。舞台に鶏の鳴き
声(鳥笛)が響く。勘平:「もはや明け方」、お軽:「アレ山の端の」、勘平:「東が白
む」、両人:「横雲に」。夜明けとともに、勘平は鬱状態から脱して、元気になる。

贅言:お軽勘平を追っかけてきた鷺坂伴内一行は、鎌倉から戸塚へ来た。この「道行」の舞
台の東海道は、古東海道(「太平記」の世界の室町時代なら)、新東海道(18世紀半ばの
江戸時代なら)のどちらを想定していたのか。古東海道なら上総(今の千葉県)から海(今
の東京湾)を越えて走水(今の神奈川県横須賀市)、鎌倉を経由していている。鎌倉から西
への東海道は、どういうルートだったのだろう。今なら、鎌倉から西へ向かうのは藤沢方面
であって戸塚方面ではなかろう、というのが素朴な疑問。鎌倉から戸塚は、西行きにはなら
なくて、北上することにならないか。新東海道なら、戸塚から藤沢に向かう途中で、鎌倉か
らの道と合流するのか。ならば、戸塚は京に向かうなら逆方向ではないのか。

幕切れ直前。伴内:「勘平、待て」、勘平:「何ぞ用か」、伴内:「その、…用は、…な
い」、勘平:「馬鹿め」。「道行落人」の最後の場面は、勘平の鬱が定式幕となって、伴内
に襲いかかり、伴内を吹き飛ばすように、いつもと逆方向の下手から上手へと幕が閉まって
行く。

幕外、花道の引っ込み。花道七三で、勘平:「お軽、おじゃ(レッツゴー)」お軽:「あー
い(イエッサー)」。勘平が先導し、ふたりは、いそいそと向う揚幕へと向かって行く。昼
間のように明るい夜は、シュール。夢か幻か。暗い芝居が続く「忠臣蔵」で、とりあえず、
明るい結末を見せつけるための演出かもしれない。

続く、山崎街道、「五段目」も「道行落人」同様に夜の場面。ただし、こちらは、開幕前か
ら大太鼓の雷も鳴る大嵐の闇夜。幕が開いても、舞台は見えない。舞台全面を覆っている浅
葱幕は、先が見通せない激しい雨か。それとも、いつものように、幕振り落しで、デジタル
画面のように、スイッチが入るか。登場する役者たちは、提灯などの灯りに頼るか、大雨で
提灯の明かりも消えてしまい、闇の夜を手探り、足探りで移動するというリアリズムの演出
となる。「道行落人」と「五段目」の夜の舞台なのに演出が全く違う。今回は、続けて上演
するので、その対比がおもしろかったが、でも、気づかない観客が多いのではないか。

「仮名手本忠臣蔵」は、史実の赤穂事件(赤穂藩主・浅野内匠頭の江戸城での吉良上野介へ
の刃傷事件からお家断絶、浪人となった浅野家の浪士たちが主君の敵討ちにと吉良家の江戸
屋敷に討ち入りし、本懐を遂げ、切腹した事件までをいう)を元にしている。しかし、徳川
幕府の御政道(五代将軍・綱吉の政策判断)批判という誹りを避けるために、時空を変え
て、室町時代の足利幕府(京都)を舞台に日本の歴史文学の古典「太平記」の世界に仮託
(世界と人物の借用。浅野家・吉良家の対立を塩冶判官(えんやはんがん)家と高師直(こ
うのもろのお)家としたのはフィクション)している。赤穂藩の名産品の「塩」から塩冶判
官、高家吉良上野介の「高」家から高師直を連想したかもしれない。

主筋は、プライドのある武士たち(「四十七士(しじゅうしちし)=47人の武士」とい
う)による主君の敵討ちの物語。今月の第二部(「道行旅路の花聟から七段目」)は、プラ
イドのある武士たちによる主君の敵討ち事件に巻き込まれた、ある浪士の家族=庶民の悲
劇。時代もの(武士の物語)の主筋で言えば、その後の浪士(元家臣)たちの生活(苦労
話)を描く部分。モデルはいるが、架空の人物・早野勘平ケース(四十七士の義士以外は、
多数の脱落した元家臣は不忠義者なのか。そのボーダーラインで苦しんだ勘平は、そういう
人たちの平均的な姿を代表しているのだろう):時代ものの中に抱卵された「入れ子構造」
の脇筋・世話もの(庶民の物語、特に女性の心情を描く)「お軽勘平の世界」として組み込
まれた。歌舞伎・人形浄瑠璃の「入れ子構造」の妙味。忠臣蔵に限らず、「菅原伝授手習
鑑」「義経千本桜」「伊賀越道中双六」など世話ものを入れ子にした時代ものの名作は多
い。主筋より脇筋が時空を超えて人気を呼ぶ。時代もの=時代に制約。時代や牛の価値観な
どを理解しないと判りにくい。一方、世話もの=人間の本来的、原初的、情緒的なもの。従
って、普遍的。時空を超えて、国境を超えて、現代人にも、インターナショナルに共感を呼
ぶ。現代にも通じる判り易さがある。

「道行から七段目」のキーパーソンと主な登場人物関係図。今月の国立は、当代最高級の勘
平役者や由良之助役者が揃う。勘平・菊五郎(五段目と六段目/「道行」は錦之助)、由良
之助・吉右衛門(七段目)。ここでの全段に通底するキーパーソンは、お軽。3人の役柄の
お軽が登場する。道行:腰元・お軽、六段目:女房・お軽、七段目:遊女・お軽。前半のお
軽(腰元、女房=若手の女形・菊之助)の相手は、勘平(菊五郎ほか)。勘平は勘違いの悲
劇の主人公。お軽はそれを支える。後半のお軽(遊女=中堅の女形・雀右衛門)の相手は、
由良之助(吉右衛門)、兄の足軽(最下級の武士)・寺岡平右衛門(又五郎)。歌舞伎の特
色:一つの芝居ながら、ヒロインのお軽の配役が替わる(菊之助→雀右衛門)。勘平も替わ
る(錦之助→菊五郎)。


菊五郎、絶品の勘平


「五段目(通称「鉄砲渡し・二つ玉」)」。勘平と塩冶家の旧知の元家臣との出会い。汚名
挽回のため、主君の敵討ちに参加したいが、それには「軍資金(密かな敵討ち計画なので、
石塔建立の御用金名目と偽装)」が必要。定九郎の罪(与市兵衛殺し、強盗殺人)と罰(猪
に間違われて流れ弾に当たって死亡)。勘平の猪撃ちが人殺しになる。ただし、義父殺しの
敵討ちという結果を生む。

「六段目(通称「勘平腹切=はらきり」)」:お軽の実家。地味な農家。夫の「御用金」調
達のためにお軽は身売りする。定九郎殺し(過失致死)と窃盗(資金欲しさに、財布を盗
む)を義父・与市兵衛殺し(無関係)と窃盗と勘違いする。勘平は真相究明を待たずに、義
母の追及などを受けて、誤解のまま、早まった自害。命と引き換えに疑いを晴らす。死とい
う、致命的な犠牲ながら、結果オーライで、無断職場離脱も無届け退職も許される。

五段目・六段目:代々の藝の工夫。特に五段目「二つ玉」、定九郎の与市兵衛殺しは、自分
が殺されることに繋がる。定九郎の衣装、所作、「五十両」というだけの科白など洗練化。
元々初代中村仲蔵の工夫。それ以前の定九郎の山賊衣装から浪人の黒羽二重に変えたなど。
猪の登場も注目。花道から戻ってくる勘平の暗闇の中での動線、所作や科白の間など代々の
勘平役者の工夫で秒単位(間など)、センチ単位(位置関係)で藝が完成している。菊五郎
の三代目が工夫、五代目が受け継ぎ(戸板康二『続歌舞伎への招待』、「五代目は、舞台で
くり返す演技の「寸法」が少しも狂わなかったという」)、六代目が完成。こうした代々の
役者の藝を伝承しているので、演じていて息がつまるほど緊張する場面だという。

六段目「勘平腹切」では、悲劇を美しい様式美で見せるために、勘平の出は華(はんな)り
=色気、艶、華やかさ=させる。衣装も水(水浅葱)色の明るい色に着替える。この時点で
は、軍資金の提供で、主君の敵討ちグループに入れるかもしれない、という希望的観測があ
ったのだろう。武士に戻る気持ちが高ぶっている、五代目菊五郎の工夫。後半の勘平の悲劇
をより際立たせる。「色(情事)にふけったばっかりに、大事な場所にもあり合わさず」
(当代菊五郎の科白)という勘平後悔の科白は原作にはなく、三代目菊五郎が付け加えた科
白で、歌舞伎の「入れ事」(新工夫)という。それ以降、皆が使うようになった。


由良之助は、吉右衛門


「七段目(通称「一力茶屋」)」。京の華やかな茶屋場。忠臣蔵で最も華やかな場面。由良
之助は、資金を遊興費に流用。咎める塩冶派の元家臣・「三人侍」(寺岡平右衛門が案
内)、塩冶家の元家老・斧九太夫には、生臭いものを食べてみせたり、赤錆びた刀を放置し
たり、「韜晦の遊興」ではないかと疑う寝返り派の九太夫や敵方の伴内らスパイたちを騙
す。味方も敵も騙す。精緻な虚偽の遊興で敵討ちの本心を隠す。吉右衛門の由良之助は、偽
装酔態と正気を使い分けるが、「一条大蔵譚」の一条大蔵卿の科白回しを彷彿とさせた。

見せ場は、密書読みの「トライアングル」。由良之助が力弥の届けた密書を見る場面。座敷
(二重舞台)の縁側、手水のところの灯で文を読む由良之助。隣座敷の2階(二重舞台より
幾分高い)から由良之助の読む文を手鏡(拡大鏡ではない)に写して(?)、興味半分に覗
き読みする遊女・お軽。座敷の縁の下(平舞台)から由良之助の読む手紙を盗み見る斧九太
夫。裏切り者は、後に殺されることになる。お軽、平右衛門の父親・与市兵衛は斧九太夫の
息子・定九郎に殺された。与市兵衛の敵討ちを果たしたことになる。悲劇の兄妹。兄は、討
ち入りに47人目の浪士として参加する道が開ける。妹・お軽の今後は?

贅言;斧九太夫と鷺坂伴内の駕籠を挟んでのやり取りは、三段目「門前」の「進物場」のパ
ロディ。大きな石がかごの中にあるのに気がついた駕籠かきも交えて、駕籠かき:「おー
い」、鷺坂:「しー」、というのは、親父レベルのダジャレ。

由良之助の「遊興(韜晦)」の意味。七段目、京の祇園での由良之助の遊興は韜晦。高家一
派を欺くための偽装である。興味本位で密書を覗き見たばっかりに偽装が漏れそうになるこ
とを恐れた由良之助にお軽は殺されそうになる。お軽らの真意が由良之助にも伝わり、お軽
は許され、平右衛門は勘平の代わりに足軽としてただ一人主君の敵討ち同盟に加えられる
(史実の寺坂吉右衛門は、大石内蔵助から事件後の後処理のため遺族間の連絡員、世話役と
いう密命を託されたと言われ、遺族の面倒を見ながら83歳まで生き延びた。江戸のほか仙
台にも墓がある)。七段目の最後に、由良之助の本心が滲み出てくる。主筋は、男たちのプ
ライドのドラマだが、脇筋では、女の心情のドラマ。


ミステリアスな外題


「仮名手本忠臣蔵」という外題(タイトル)は、暗号。討ち入りは、1703年1月(元禄
15年12月)の事件だが、1748年初演の「仮名手本忠臣蔵」は、足掛け47年目に、
それまで演じられた46の「赤穂義士もの」を集大成する決定版の芝居として、47番目の
芝居として、仕立て上げられた。一連の赤穂事件は、史実の事件そのものが「忠臣蔵」と言
われるほど日本では人口に膾炙した。芝居の外題「忠臣蔵」が、「赤穂事件」という史実の
事件名に替わって、一部で「忠臣蔵事件」となったのは、希有であろう。

忠臣蔵のテーマは、権力者の「金と恋(欲と色)」の物語。風俗や時代考証なども無視し
て、自由闊達、荒唐無稽にデフォルメ、誇張、様式化して劇化、芝居に埋め込まれた謎を解
いたりしながら江戸の庶民は、舞台を楽しんだ。時代(庶民を抑圧している武士の世界)と
世話(我が身の世界)を観客は楽しむ。

偽装の物語だけに、例えば、「仮名手本忠臣蔵」という外題は、まさに、暗号。「仮名」と
は、日本語のアルファベットである、「いろはにほへと」という47文字。「仮名手本」と
は、国語の教科書(かな文字習字手習いの手本)を意味し、47文字は、47年前に、四十
七士が討ち入りしたという事件を暗示している。赤穂義士という「忠臣たち」を武士、い
や、広く封建時代の人間一般の道徳の「手本」とするという意味も込められた。

「仮名」、「かり」ということで、「正史(せいし)」(公式の歴史)ではなく、「通史」
(通俗的な歴史)という揶揄も込められている。芝居の幕開きを告げる柝(き。拍子木)の
音も、47回打ち鳴らされる。道具方が引く幕も、それにあわせて、下手から、上手に47
回に分けて、すべてを開き切るように、ゆっくり、開いてゆく。さらに、仮名手本の「いろ
はにほへと」を7文字ずつ区切って読む「いろは歌」の、それぞれの末尾の字だけを繋げる
と、

「いろはにほへと」
「ちりぬるをわか」
「よたれそつねな」
「らむうゐのおく」
「やまけふこえて」
「あさきゆめみし」
「ゑひもせす」

「と、か(が)、な、く、て、し。す」となり、四十七士は、「忠義で死ぬだけで、無実
(咎無し)だ」という庶民の幕府批判が隠されているという説もある。
ただし、「いろは歌」は、例えば、「いろはにほへと」を「色は匂えど」と意味を持たせる
替え歌だが、平安中期の作なので、「仮名手本忠臣蔵」とは、本当は無関係。これも荒唐無
稽な忠臣蔵「伝説」。

第二部の主な登場人物の配役を記録しておこう。菊之助(道行、六段目)、雀右衛門(七段
目)=お軽(勘平の恋人・内縁の妻/後に色っぽい遊女)、錦之助(道行)、菊五郎(五、
六段目)=勘平(塩冶家の元家臣)、権十郎=千崎与五郎(塩冶家の同僚。敵討ちの同志ネ
ット作りと資金集めをしている)、同じく、歌六=原郷右衛門、菊市郎=与市兵衛(勘平の
義父)、東蔵=与市兵衛女房・おかや、松緑=斧定九郎(塩冶家の家老・斧九太夫の息子だ
が、浪人、小悪党)、魁春=一文字屋お才(祇園の遊郭の女将。お軽の身売りを引き受け
る)、団蔵=判人・源六、吉右衛門=大星由良之助(塩冶家の国許責任者である国家老、密
かに進む敵討ち派の首魁)、橘三郎=斧九太夫(塩冶家のもう一人の家老。高家への寝返り
派、スパイになる)、亀三郎(道行)、吉之丞(七段目)=鷺坂伴内(高師直の家臣、側
近)、種之助=力弥(由良之助の息子)、又五郎=寺岡平右衛門(お軽の兄、与市兵衛の息
子、武家に養子に出された。一力茶屋に塩冶派の「三人侍」(亀三郎=赤垣源蔵、亀寿=矢
間(やざま)重太郎、隼人=竹森喜多八)を案内してきた。合わせて由良之助に敵討ちに加
わりたいと粘り強く申し出て、お軽との関係で結局、許される。妹の聟・勘平の代わりか。

役者評を少し。
お軽を演じた菊之助は、恋人の腰元時代は健気。「勘平さん」と呼ぶ。女房は初々しい。
「こちの人」と呼ぶ。雀右衛門のお軽は、色気がある。「嬉しゅうござんす」という科白に
味わいがある。錦之助は、初役で道行の勘平を演じる。菊五郎の勘平は絶品。東蔵のおかや
は、聟への疑念から聟を自害に追い込む。少なくとも、元々自殺志向のある聟・勘平の足を
引っ張ってしまった。夫を亡くし、老後を頼りにすべき聟を死なせた悔いは、死ぬまで続く
だろう。この人も不幸。脇役の人間国宝・東蔵の巧さが光る。魁春・団蔵の一文字屋コンビ
が、いぶし銀の巧さ。吉右衛門の由良之助の科白が、いつもより聞き取りにくい。体調不良
か。ちょいと心配になる。又五郎が初役で演じた平右衛門が断然良い。奴や足軽のリアリテ
ィは、当代では、いちばん存在感があるのではないか。
- 2016年11月14日(月) 10:00:16
16年11月歌舞伎座 (夜/「元禄忠臣蔵」「口上」「盛綱陣屋」「芝翫奴」)


「元禄忠臣蔵〜御浜御殿綱豊卿〜」は、仁左衛門が綱豊卿を演じる。この芝居を私は8回観
ている。そのうち、仁左衛門で観るのは、4回目である。昭和の新歌舞伎の巨編である真山
青果作「元禄忠臣蔵」の原作は、10演目あり、「大石最後の一日」が、二代目左團次の大
石内蔵助などで、1934年2月に歌舞伎座で初演されて以降、1941年11月の「泉岳
寺の一日」まで、7年余に亘って書き継がれ、それぞれが、その都度、上演されてきた。三
大歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」が、物語ならば、「元禄忠臣蔵」は、科白をたっぷり書き込
んで、事件を検証するドキュメンタリー小説だろう。

「御浜御殿綱豊卿」は、真山科白劇では、華のある場面ゆえ、おそらく「元禄忠臣蔵」で
も、最も上演回数が多いのではないだろうか。今回は仁左衛門が演じる。仁左衛門の綱豊
は、孝夫時代を含めて、今回で10回目となる。

史実の綱豊(1662−1712)は、16歳で、25万石の徳川家甲府藩主になる。さら
に、43歳で五代将軍綱吉の養子になり、家宣と改名。その後、1709年、46歳で六代
将軍となり、3年あまり将軍職を務めた人物。享年50歳。「生類憐みの令」で悪名を残し
た綱吉の後を継ぎ、間部詮房、新井白石などを重用し、前代の弊風を改革、諸政刷新をした
が、雌伏の期間が長く、一般にはあまり知られていない。七代将軍家継(家宣の3男、兄二
人が、夭死し、父も亡くなったので、わずか4歳で将軍になったが、在職4年ほどで、7歳
で逝去。父親同様、間部詮房、新井白石の補佐を受け、子どもながら、「聡明仁慈」な将軍
だったと伝えられる)も夭逝。将軍政治の安定は八代将軍・吉宗まで待たねばならない。

「御浜御殿綱豊卿」では、将軍就任まで7年ある元禄15(1702)年3月(赤穂浪士の
吉良邸討ち入りまで、あと、9ヶ月)というタイミングで、綱豊(39歳)を叡智な殿様と
して描いている。御浜御殿とは、徳川家甲府藩の別邸・浜御殿、浜手屋敷で、いまの浜離宮
のことである。

〈浅野家家臣にとって主君の敵〉吉良上野介・〈「昼行灯」を装いながら、真意を隠し京で
放蕩を続ける〉大石内蔵助・〈密かに敵討ちを狙う〉富森助右衛門ら江戸の赤穂浪士。そう
いう構図を知り抜き、浅野家再興を綱吉に上申できる立場にいながら、赤穂浪士らの「侍
心」の有り様を模索する綱豊(綱豊自身も、次期将軍に近い位置にいながら、いや、その所
為で、「政治」に無関心を装っている)。綱豊の知恵袋である新井勘解由(白石:左團
次)、後に、七代将軍家継の生母となる中臈お喜世(梅枝)、お喜世の兄の富森助右衛門
(染五郎)、奥女中の最高位の大年寄になりながら、後に、「江(絵)島生島事件」を起こ
し、信州の高遠に流される御祐筆江島(時蔵)は、お喜世を庇(かば)い立てするなど、登
場人物は、多彩で、事欠かない。

この演目では、「真の侍心とはなにか」と真山青果は、問いかけて来る。キーポイントは、
青果流の解釈では、「志の構造が同じ」となる綱豊=大石内蔵助という構図だろうと思う。
内蔵助の心を語ることで、綱豊の真情を伺わせる。いわば、二重構造の芝居だ。

赤穂浪士らの「侍心」に答えるためには、浅野家再興より浪士らによる吉良上野介の討ち取
りが大事だと綱豊(仁左衛門)は、密かに考えている。富森助右衛門(染五郎)との御座の
間でのやり取りは、双方の本音を隠しながら、それでいて、嘘はつかないという、火の出る
ようなやり取りの会話となる。いわば、情報戦だ。

しかし、綱豊の真意を理解し切れていない助右衛門は、妹・お喜世の命を掛けた「嘘」の情
報(能の「望月」に吉良上野介が出演する)に踊らされて、「望月」の衣装に身を固めた
「上野介」(実は、綱豊)に槍で突きかかるが、それを承知していた綱豊は、助右衛門を引
き据え、助右衛門らの不心得を諭し、綱豊の真意(それは、つまり、大石内蔵助の本望であ
り、当時の多くの人たちが、期待していた「侍心」である)を改めて伝え、助右衛門を助け
る(あるいは、知将綱豊は、こういう事態を想定してお喜世に嘘を言うように指示していた
のかもしれない)。槍で突いてかかる助右衛門と綱豊との立ち回りで、満開の桜木を背にし
た綱豊に頭上から花びらが散りかかるが、この場面の「散り花」の舞台効果は、満点。それ
ほど、良く出来た場面であると観る度に感心する。

その後、何ごともなかったかのように沈着冷静な綱豊は、改めて、姿勢を正し、「望月」の
舞台へと繋がる廊下を颯爽と足を運びはじめる。綱豊の真意を知り、舞台下手にひれ伏す助
右衛門。上手に控える中臈や奥女中。まさに、一幅の絵となる秀逸の名場面である。前半
は、科白劇で、見どころを抑制し、後半で、見せ場を全開する。このラストシーンを書きた
くて、真山青果は、この芝居を書いたのでは無いかとさえ思う。「元禄忠臣蔵」で、最もド
ラマチックであり、絵面的にも、華麗な舞台だから、ダントツの再演回数を誇るのも、頷け
よう。仁左衛門は綱豊になりきっている。仁左衛門の当たり役の一つ。勿論、科白廻しに定
評のある仁左衛門の科白廻しの数々には、今回も堪能した。


「口上」の舞台の襖絵は、巨大な松の根っこがクローズアップされている。根越の波。巨大
な根っこを越えんばかりの勢いで大波が押し寄せている。根を越させない(実際、千葉県の
浦安市には「猫実」と書いて「ねこざね」と読ませる古くからの地名があるが、「ねこざ
ね」は、根を越させない、「根越さね」だと言いう。ここの言い伝えでは、津波の後、土手
に松並木を作り、松の根がその後の津波から地域を守ったと言われている)という意味なの
か。ならば、巨大な松の根っこの先代芝翫が、成駒屋に息子や孫たちを守っている、という
図柄なのかもしれない。

口上の仕切り役は、前月同様、坂田藤十郎。藤十郎が八代目芝翫襲名ほかを祝い、襲名披露
の4人を紹介する。その後、「では、秀太郎さん」と言祝ぎを述べるトップとして松嶋屋の
次男に促す。藤十郎の下手に襲名披露する芝翫、橋之助、福之助、歌之助。各人の口上は、
上手に順に、秀太郎。時蔵。染五郎。弥十郎。鴈治郎。左團次。上手最右翼は幸四郎。ここ
から、下手最左翼に移って、仁左衛門。彦三郎。扇雀。児太郎。トリが梅玉。

秀太郎は、数少ない女形の衣装。「襲名喜ばしい、成駒屋の繁栄を祈る」
時蔵は、「先代にはご恩になった。教えを受けたことは私の財産になっている。新しい芝翫
さんとは公私ともにお付き合いをしている。新・芝翫さんは、(芸熱心で)汗をかくタイプ
の人。私は汗をかかないタイプ。芝翫さんは、ついつい熱が入ってしまう(何かを言おうと
しているのか)。八代目と三人の子息をご贔屓ください」
染五郎は、「先代のおじさんにはお世話になった」
弥十郎は、「八代目とは舞台をご一緒することが多い。成駒屋とは幼い頃からのおつきあ
い。私が名題試験に合格した時も「名題合格おめでとう」と、先代はいちばんに祝いの電話
を下さった」
鴈治郎は、「新・芝翫さんとは同世代、共演することが多い。本物の役者なので、さらに大
きな役者になって欲しい。八代目、子息たちを末長くご贔屓ください」
左團次は、いつもおもしろいエピソードを紹介してくれる。成田屋一門の衣装に、鉞(まさ
かり)のマゲ。「先代には迷惑をかけた。八代目は心優しい方。……」
上手最右翼は幸四郎。幸四郎は、「先代には、芝居の感想などについて手紙を出したりし
た」。競馬好きのエピソードなども披露。
下手最左翼に移って、仁左衛門は、「いろいろ申し上げたいことはあるが、成駒屋のご贔屓
をお願いしたい」
彦三郎は、「先代にはいろいろ教えていただいた。八代目とは初舞台からのお付き合い」
扇雀は、「新・芝翫さんとは舞台で共演が多い。先代にはいろいろ教えていただいた。西の
成駒屋一門として、お祝いを申し上げる」
児太郎。今回、ふたり目の女形の衣装。「成駒屋として親戚同士である。自分も一日も早
く、歌舞伎座で種名披露したい(父親の福助の七代目歌右衛門種名に合わせて、自身も代目
福助襲名披露の舞台が、年3月4月歌舞伎座で実施というのが内定公表されながら、父親の
病発症で、宙に浮いたままになっている悔しさを滲ませているようだ)」
トリが梅玉。梅玉は、重鎮らしく「新・芝翫さんは私生活にも気配りを(襲名披露間の舞台
を控えて直前になって浮気報道がなされたことか?)」と苦言を滲ませる。

それにしても、口上がつまらなくなった。大雑把に言えば、先代には指導を受けたお礼と八
代目には共演した経験をとふたつのことをいう人ばかり。ほかは紋切り型の祝言、観客への
ご贔屓のお願い。役者ならではの、洒脱なエピソード、楽屋話のような普段なら聞くことが
できないような肉声的な話をウイットに飛んだ語り口で披露して欲しかった。


「盛綱陣屋」。夜の部の新・芝翫襲名披露の演目は、盛綱陣屋である。先月は、熊谷陣屋の
直実を芝翫型という最近ではすっかり珍しくなった型で披露してくれたが、今月や、いか
に? 熊谷直実が、武者なら、佐々木盛綱は、知将だろう。味わいの違う武士の「陣屋」の
競演が、新・芝翫の襲名披露の戦略か。

私としては7回目の「盛綱陣屋」。今回の主な配役では、芝翫が佐々木盛綱。脇に廻った幸
四郎は、赤面(あかっつら)の和田兵衛。策士の北條時政(家康がモデル)は、彦三郎。微
妙は、歌舞伎の「三婆」という難しい老け役の役どころで、秀太郎。佐々木兄弟の兄盛綱の
妻・篝火が時蔵。弟の高綱の妻・早瀬が扇雀。妻同士の戦い。ご注進のふたり、「道化の注
進」で知られる伊吹藤太が鴈治郎、「アバレの注進」で知られる颯爽たる信楽太郎が染五
郎。

私が観た7回の面々をまとめてみる。盛綱:吉右衛門(3)、仁左衛門(2)、勘九郎改
め、勘三郎(襲名披露)。今回は橋之助改め、芝翫(襲名披露)。老母・微妙:芝翫
(4)、秀太郎(今回含め、2)、東蔵。和田兵衛:富十郎(2)、左團次(2)、團十
郎、吉右衛門、そして今回は、幸四郎。妻の早瀬:福助、秀太郎、魁春、玉三郎、孝太郎、
芝雀、そして今回は、扇雀。弟・高綱妻の篝火:福助(2)、時蔵(今回含め、2)、九代
目宗十郎、先代の雀右衛門、魁春。北條時政:我當(5)、歌六、そして今回は、彦三郎。
信楽太郎:歌昇時代の又五郎(2)、幸四郎、松緑、三津五郎、橋之助、そして今回は、染
五郎。伊吹藤太:東蔵(2)、翫雀時代を含め、鴈治郎(今回含め、2)、段四郎、歌昇時
代の又五郎、錦之助。小四郎:種太郎時代の歌昇、種之助、児太郎、宜生時代の歌之助、金
太郎、市川福太郎、そして今回は、左近。小三郎:種之助、男寅、宗生時代の福之助、玉太
郎、大河ほか。

簡単に舞台の大状況をお浚いすると、「盛綱陣屋」は、大坂冬の陣での、豊臣方の末路を描
いた時代物全九段人形浄瑠璃「近江源氏先陣館」の八段目である。複雑な筋立てを得意とし
た近松半二らの作品だ。物語は、半二劇独特の、対立構造を軸とする。まず、鎌倉方(陣地
=石山、源実朝方という設定、史実は、徳川方で、家康役は、北條時政として出て来る)と
京方(陣地=近江坂本、源頼家方という設定、史実は、豊臣方)の対立。鎌倉方に付いた
佐々木三郎兵衛盛綱(兄)と京方に付いた佐々木四郎左衛門高綱(弟)の対立(実は、兄弟
で両派に分かれ、どちらが勝っても、佐々木家の血を残そうという作戦。つまり、史実で
は、大坂冬の陣での真田家の信之、幸村をモデルにしている)。

盛綱高綱兄弟対立の連鎖で、「三郎」兵衛盛綱の嫡男・「小三郎」と「四郎」左衛門高綱の
嫡男・「小四郎」の対立。盛綱の妻・早瀬と高綱の妻・篝火の対立という具合に、対比は、
綿密になされている。兄弟対立の上に位置するキーパーソンは、老母・微妙だ。重責の役ど
ころ。だから、難役。高綱は、舞台には出て来ないが、贋首として、「出演」する。兄の盛
綱に切首として対面し、謎を掛ける。立役は、盛綱、和田兵衛、北條時政。女形は、早瀬、
篝火、微妙。子役は、小三郎と小四郎で、高綱以外は、皆、登場。

半二劇の物語の展開は、筋が入り組んでいる。「盛綱陣屋」では、兄弟の血脈を活かすため
に、一役を買って出た高綱の一子・小四郎が、伯父の盛綱を巻き込む。父親の「贋首」の真
実を担保するために、首実検に赴いた北條時政を欺こうと、小四郎が自発的に切腹する。

ベースは、高盛・小四郎対時政の対峙。甥の切腹の真意(父親を助けたい)を悟る盛綱(芝
翫)は、主君北条時政(彦三郎)を騙す決意をし、贋首を高綱に相違ないと証言する。根回
し無しで、自分の嫡男の命をぶら下げて、無謀な賭けを仕掛けて来た弟の高盛の尻拭いをす
るために、主君に対する忠義より、一族の血縁を優先する。血族(兄弟夫婦、従兄弟)上げ
て協力して、首実検に赴いた時政を欺くという戦略だ。発覚すれば、己の命を亡くすと、知
将・盛綱は瞬時に頭を巡らせた上で覚悟をしたのだ。小四郎(左近)が、大人たちの知謀の
一環に子供ながら知恵を働かせて一石を投じたのだろう。左近は、松緑の息子。前名の大河
の時代に既に小三郎を演じている。

幸四郎が演じる京方の使者・和田兵衛は、赤面(あかっつら)の美学ともいうべきいでたち
である。黒いビロードの衣装に金襴の朱地のきらびやかな裃を着け、朱塗りの大太刀には、
緑の房がついている。芝翫型の直実そっくりの扮装である。荒事のヒーローのようで、歌舞
伎の美意識が、豪快な人物を形象化するが、兵衛もなかなかの知将ぶりを見せる。軍兵に槍
を突きつけられながら、両手を懐手にして、堂々と花道を去って行く武ばったところも見せ
る。

小四郎、小三郎という己らの子どもまで巻き込みながら、時政を騙す盛綱・高綱の兄弟。時
政は、騙された振りをしながら、心底から盛綱を疑っている。残置間者を鎧物の中に残して
行くのも諜報活動のためだ。それを見抜く高綱代理の軍使・和田兵衛も含めて、知将=謀略
家同士の騙しあいの物語でもある。

盛綱(芝翫)は、小四郎(左近)との関係を軸にしながら、弟・高綱の目論見が、観客に次
第に見えて来るという、芝居の筋立てにそって変化する心理描写をきちんとトレースして行
く必要がある芝居だ。内面を外面に次第に滲ませて行く。形の演技から情の演技へ。目と目
で互いに意志を伝えあいながら、甥の命がけの行為を受けて、主君・時政を裏切り、自分も
命を捨てる覚悟をする。主従関係より一族の血脈を大事にする。盛綱の、そうした変化が、
観客の胸にストレートに入って来る。ただし、芝翫は、先月の直実の方が見応えがあった。
今回初役の新・芝翫の盛綱は、まだ、そこまでは行っていない。これからの精進が大事。和
田兵衛を演じて芝翫襲名を祝った幸四郎が指導したという。小四郎を演じた左近は長い芝居
ながら、緊張感を持って頑張っている。

微妙は、亡くなった芝翫で4回見ているが、安定していた。秀太郎の微妙を見るのは、2回
目。前回は、白塗りで、白髪、銀地の衣装に銀地の帽子という出で立ちだが、可愛らしすぎ
て、老婆に見えなかった。6年経った今回は、老婆に見えた。


「芝翫奴」は、初見。


「芝翫奴」は、二代目芝翫の工夫で、こういう外題になったが、ほかの役者は「供奴」とい
う外題で踊る。「供奴」は、2回観た。歌舞伎界でも名うての踊り上手の八十助時代の三津
五郎。今はいない。2回目が、同じく踊り上手の辰之助時代の松緑。今回で、3回目となる
が、「芝翫奴」は初見。成駒屋三兄弟の夜の部の襲名披露の演目が、これ。赤っ面の奴を白
塗りして勤める。橋之助、福之助、歌之助が、期間限定で、三交代で演じる。私は初日に観
たので橋之助であった。

これは、奴・辰平が、江戸の遊郭・吉原で、自分の主人の自慢や自分の奉公ぶりを所作で見
せているうちに、廓通いの主人とはぐれるという趣向の舞踊。元禄以来のかぶき者の風俗が
判るような鷹揚な振りが大事。足拍子の巧さで定評のあった二代目芝翫(後の四代目歌右衛
門)に合わせて創られたという。二代目芝翫は、立役(実悪も含む)、女形を巧みにこなし
た、という。今回は、芝翫襲名披露なので、「供奴」も「芝翫奴」という外題となった。奴
が、花道から持って出て来る箱提灯に描かれた定紋は、歌右衛門・芝翫の成駒屋の紋「祇園
守」。

この演目では、八十助時代の三津五郎で観たことはすでに触れたが、三津五郎は、さすがに
巧かった。特に、「足拍子」は、最大の見せ場。強弱のリズム。間と拍子。手足の動きが激
しいから、芯になる身体が踊りを踊っていないと、手足だけの動きになってしまう。ここを
巧くやらないと、踊りではなくなる。体操になってしまう。

タップダンスのような「足拍子」では、まず、普通に足の裏。次いで、足の甲、折り曲げて
膝、尻、最後が横ギバ。新・橋之助は一応無難にこなしたが、横ギバでは、あまり迫力がな
かった。広い歌舞伎座の舞台で、観客の視線を独りで一身に集め続ける。それだけでも緊張
するだろう。大見得で静止しておわると、祝い幕が上手より閉まって来る。橋之助は、ほっ
と、息を吐いたように思えた。福之助、歌之助は、どうであろうか。
- 2016年11月11日(金) 17:56:57
16年11月歌舞伎座 (昼/「四季三葉草」「毛抜」「祝勢揃壽連獅子」「加賀鳶」)


襲名披露の祝い幕が、先月とは違う。幕の上手側に成駒屋の歌右衛門・芝翫の紋である祇園
守。その下手側から大きく中村芝翫ら4人の襲名披露者の名前が、四角い文字でカラフルに
デザイン化されている。下手側に再び、読みやすい字で4人お名前が書いてある。そういう
幕だ。今月の昼の部の観客のお目当ては、芝翫成駒屋の4連獅子、外題も「祝勢揃壽連獅
子」。詳しくは、後ほど、ということで、まずは、「四季三葉草」から。


「四季三葉草」は、2回目。前回は、12年前、04年5月、歌舞伎座。「四季三葉草」は、
祝儀のための舞踊劇。「四季三葉草」は、音読み通り、「式三番叟」を捩(もじ)り、四季
の花尽くしで歌詞を仕立て上げたところがミソ。前回は、新之助の海老蔵襲名を祝い、今回
は芝翫、橋之助、夢之助、歌之助の襲名を祝う。翁:梅玉(前回と同じ)。三番叟:鴈治郎
(前回は松緑)。千歳:扇雀(前回は芝雀)という顔ぶれ。

本舞台には、大きな破風屋根、つまり、能の舞台が想定されていて、まさに、二重舞台。屋
根には、歌舞伎座の紋が入っている。能の鏡板(巨大な松が定番)にあたる背景は、花尽く
し。下手から中央に白梅、紅梅。上手は松に椿ほか。前回は、海老蔵襲名で「海」に拘った
のか、大海の孤島。絶壁の、舟を寄せつけないような緑の島には、五重塔を含む寺院があっ
た。緑の間から、朱塗りの橋や大屋根の寺院が見える。今回は、外題通りの花柄。こちらが
オーソドックス。つまり、祝儀の相手次第で融通無碍。

構成は、元の「式三番叟」がベース。1838(天保9)年の作。元は素浄瑠璃(浄瑠璃の
みの作品)。後に、振り付け、つまり踊りが付けられた。「もみの段」、「鈴の段」が、舞
われる。緞帳が上がると、役者は無人、上下に控えた後見がひれ伏したまま。下手の幕が上
がり、扇雀の演じる千歳が登場する。役者の後見たち(名題がふたり、名題下がひとり、い
ずれ名題役者が見込まれているのだろう)が、手際良く、3人のサポートをしていた。


染五郎初役の「毛抜」


1742(寛保2)年、大坂で初演された安田蛙文(あぶん)らの合作「雷神不動北山桜」
(全五段の時代もの)が原作。「毛抜」は、三幕目の場面(因に、四幕目が、「鳴神」)。
二代目、四代目、五代目の團十郎が引き継ぎ、これは、90年後の1832(天保3)年、
七代目團十郎によって、歌舞伎十八番に選定され、「毛抜」に生まれ変わった(團十郎
型)。しかし七代目亡き後、長らく上演されなかった。更に、80年近く経った1909
(明治42)年、二代目市川左團次が、復活上演し、さらに、明治の「劇聖」十一代目團十
郎が、磨きを懸けた。その際、左團次は、いま上演されるような演出の工夫を凝らしたとい
う(左團次型と呼ばれる)。粂寺弾正の推理ぶりを表わす「腹這い」「後ろ向きで座り込
み、天井を睨む」など5種類の見得もおもしろい。これも二代目左團次の工夫という。以
来、上演回数は多い。

幕が開くと、家老の息子と弟が、立ち会っている。腰元が、止めに入っている。どうやら、
小野家には、事情がありそうだ。家宝の小野小町の直筆の短冊が、無くなったらしい。

物語の主筋は、家宝の紛失、お家騒動。小野春道(門之助)家の乗っ取りを企む悪家老・八
剣玄蕃(弥十郎)の策謀が進むなか、錦の前(児太郎)と文屋豊秀の婚儀が調った。しか
し、錦の前の奇病発症で、輿入れが延期となり、文屋家の家老・粂寺弾正(染五郎)が、乗
込んで来る。

この舞台がシュールである。弾正が登城した時点では、下手屋外に松の木。館の座敷の下手
に木戸。ここはすべて屋外。座敷の上手平舞台に衝立。ここは屋内。大道具方によって木戸
が片付けられると下手の屋外がのして来る。座敷前は地面となる。上手の衝立がのして来る
と、座敷前は座敷の延長となる。屋外平舞台にある松の木も槍置きとなる。このシュールさ
に、どれだけの観客が気がついていることだろうか。

待たされている間に、粂寺弾正が、持って来た毛抜で鬚(あごひげ)を抜いていると、手を
離した隙に、鉄製の毛抜が、ひとりでに立ち上がる。不思議に思いながら、次に煙草を吸お
うとして、銀の煙管を置くと、こちらは、変化なし。次に、小柄(こづか)を取り出すと、
鉄製の刃物だから、こちらも、ひとりでに立つ。いずれも、後見の持つ差し金の先に付けら
れた「大きな毛抜と小柄」が、舞台で踊るように動く。まあ、そういう「実験」を経て、弾
正は、鉄と磁石という「科学知識」に思い至り、錦の前の奇病も、髪に差している鉄製の櫛
笄(くしこうがい)を取り外すと「奇病」も治まる、という次第。天井裏に、大きな磁石
(実際は、羅針盤という荒唐無稽さ)を持った曲者が隠れ潜んでいたのを槍で退治する。そ
して、悪家老の策謀の全貌を解き明かし、お家騒動も治まるという、すべからく荒唐無稽な
お話。

通しの型でも観たことがある。14年12月歌舞伎座。「雷神不動北山桜」は、「毛抜」と
「鳴神」を軸にした上演で、こういう通し狂言として観るのは私は初めてだった。冒頭、幕
開き前に「仮名手本忠臣蔵」よろしく、口上をする人形が出てきて、外題、役人替名(配役
のこと)を告げる。「ゆるりゆるりゆるゆるゆるり」で、首(かしら)をクルクル回して笑いを
誘う。様式美溢れる演目なので、後見は、皆、鬘をつけた裃後見である。

この時の通しの場面構成は、次の通り。
序幕第一場「神泉苑の場」、第二場「大内の場」。二幕目「小野春道館の場」。三幕目第一
場「木の島明神境内の場」、第二場「北山岩屋の場」。大詰第一場「大内塀外の場」、第二
場「朱雀門王子最期の場」、第三場「不動明王降臨の場」。この時の「毛抜」は、二幕目だ
った。

この時は海老蔵が5役(鳴神上人、粂寺弾正、不動明王、早雲王子、安倍清行)を演じた。今
回は、染五郎で、お馴染みの「毛抜」だけのみどり上演だった。

「毛抜」には、すでに述べたように「左團次型」というのがある。14年5月、歌舞伎座で
20年ぶりの上演という左團次型を観た。粂寺弾正役には、「團十郎型」と「左團次型」が
あり、衣装の柄、科白、居所、大道具も違うという。「左團次型」は、市川宗家の歌舞伎十
八番を演じさせてもらうために、宗家の成田屋、市川團十郎家に敬意を表して、團十郎が演
じるそのままは演じない、という演出方法を採用した。

左團次型の一部だけに触れておくと、團十郎型では、舞台は、全面的に小野春道館の座敷
内。左團次型では、下手に館外の部分があり、花道から繋がるところは柴垣と松の木があ
り、平舞台下手には、枝折り戸(いわば、館の玄関)がある。左團次型では、花道(路上)
から家来や奴などの伴を連れて訪ねて来る。團十郎型では、粂寺弾正はすでに館内に入って
いて(玄関は、向う揚幕の内にあるという想定)、花道(廊下)から家来は連れて来るが、
奴は、登場しないなど。今回の染五郎は左團次型であった。


「祝勢揃壽連獅子」、それにしても、4人の連獅子は初めて


さて、昼の部の成駒屋一家の同時襲名披露の目玉は、家族4人で演じる「連獅子」であっ
た。昼の部の観客も、これがお目当てだろう。外題こそ、襲名披露用に「祝勢揃壽連獅子
(せいぞろいことぶきれんじし)」と変えているが、中身は連獅子。普通は親子の獅子をペ
アで踊るが、芝翫成駒屋の強みは4人で演じることができるということだ。仔獅子三匹。そ
れだけに、今回は、初お披露目だとして、いわば御祝儀相場。私の結論は、芝翫一家の連獅
子は今後の楽しみ、としたい。


本来の「連獅子」は、河竹黙阿弥作詞の長唄舞踊で、1872(明治)5年、東京の村山座
で初演された新歌舞伎である。

今回は、連獅子「親子論」を論じてみよう。「連獅子」では、親子で演じるパターンがあ
る。それぞれの親子「連獅子」は、愉しみである。立役の役者が、親子で、「連獅子」を踊
るのは、息子の成長を図るメルクマールになるだろうから、親子で演じられる年齢に息子が
到達するのを、皆、待ち望んでいるだろう。

吉右衛門のように、親子で演じたくても、息子の役者がいなければ、実現不能という、厳し
い演目でもあるのだ。菊之助と娘の間に孫が生まれたので、いずれ、孫との共演があるかも
しれない。

贅言;仁左衛門と長男・孝太郎の長男・千之助、つまり、祖父と孫の共演の連獅子を観たこ
とがある。その時の筋書掲載の楽屋話で、仁左衛門は、「千之助は小さい頃から私と『連獅
子』を踊りたいと言っていました。おじいさんと孫ふたりで親獅子、仔獅子は、本興行では
戦後初めてのようです。(略)孫となるとジジバカ≠ナ、嬉しさ八十パーセント」だと、
言っているが、吉右衛門も孫との「連獅子」が実現するようなことがあったら、なんと言う
ことだろう。

親子論を続けよう。菊五郎のように、息子の菊之助が女形では、連獅子を演じられない。あ
るいは、演じ難い(実際に、本興行の上演記録を見ても、菊五郎は、踊っていない)。しか
し、仁左衛門は、女形の息子・孝太郎と、「連獅子」を踊っている。それぞれの思惑もある
のかもしれない。

「連獅子」は、兄弟、伯父甥でも、踊れる。澤潟屋は、親子ではなく、伯父と甥(当時の猿
之助と亀治郎)で、私も、2回観ているが、演目の中身から言っても、親子の共演は、演じ
る方も、観る方も、感慨深いものがある。

私が観た「連獅子」の親子。高麗屋親子(4)、中村屋親子(3。ただし、2回は、「三人
連獅子」であった。当面は、中村屋にしかできない貴重な「三人連獅子」だろう。と思って
いたら、何と父親の勘三郎が亡くなってしまい、中村屋は、暫くは兄弟の連獅子しかできな
くなった)。高麗屋親子の連獅子は、当代ではいちばん安定しているだろう。松嶋屋親子に
は、先に触れた。そして、今はなき三津五郎の大和屋親子も連獅子ができなくなった。

成田屋親子は、歌舞伎座では、上演していないので、私が観た團十郎は、松緑と踊っていた
のを観た。03年10月の歌舞伎座であった。以後、大病をした團十郎は、体力のいる「連
獅子」を踊っていない。團十郎と海老蔵の「連獅子」を観てみたいが、團十郎・海老蔵の
「連獅子」は実現しないまま、団十郎が逝去。もう望むべくもない。

連獅子は、むき身の隈取り、長い毛を左右に降る「髪洗い」、ダイナミックに回転させる
「巴」、毛を舞台に叩き付ける「菖蒲叩き」など。体力のいる演目だ。

若い者が、精進の果てに未熟さを乗り越えれば、親は、追い越される。また、連獅子の所作
は、体力の勝負であろう。年齢の違いと藝の違いが出て来る。いずれ、さらに、何かが、付
け加わり、積み上げられ、若い者は、一人前になって行くのだろう。そういう目で見れば、
代々続く役者の家系では、やがて、谷に落されるのは、仔獅子では無く、親獅子ではないか
という思いがする。

さて、今回の成駒屋の四連獅子は、どうだったかというと、普通の連獅子を芝翫と橋之助が
踊り、このペアに二匹の仔獅子が付き従うという感じで、原型の連獅子が主に浮き上がって
見えている。これをなんとか、新しい四連獅子にして欲しいと思う。とりあえず、この難問
に立ち向かえるのは、芝翫の成駒屋一家しかいないのだから、天馬空を行くという心境だろ
う。何より、仔獅子は一体で、3人が分身のように見えてこなければならない。そのために
は、まず、3人の子息たちの息が一つになるようにすべきだろう。今後も、時々、一家で挑
戦して欲しい。


幸四郎の世話もののおもしろさ


「盲長屋梅加賀鳶」は、梅吉、道玄のふた役に幸四郎。私は、この演目は、今回で、10回
目の拝見で、馴染みの演目。この芝居は、河竹黙阿弥の原作で、本来は、「加賀鳶」の梅吉
(道玄とふた役早替わり)を軸にした物語と窓のない加賀候の長屋「盲長屋」にひっかけ
て、盲人の按摩(実際は、贋の盲人だが)の道玄らが住む本郷菊坂の裏長屋「盲長屋」の物
語という、ふたつの違った物語が、同時期に別々に進行する、いわゆる「てれこ」構造の展
開がみそ。しかし、最近では、序幕の加賀鳶の勢揃い(「加賀鳶」の方は、「本郷通町木戸
前勢揃い」という、雑誌ならば、巻頭グラビアのような形で、多数の鳶たちに扮した役者が
勢ぞろいして、七五調の「ツラネ」という独特の科白廻しを聞かせてみせるという場面のみ
が、上演される)を見せた後、加賀鳶の松蔵(梅玉)が、道玄(幸四郎)の殺人現場である
「御茶の水土手際」でのすれ違い、「竹町質見世」の「伊勢屋」の店頭での強請の道玄との
丁々発止の末に、道玄の犯行(強盗殺人と強請)を暴くという接点で、ふたつの物語を結び
付けるだけで、主筋は、専ら道玄の物語に収斂させている。

道玄は、偽の盲で、按摩だが、殺しもすれば、盗みもする、不倫の果てに、女房にドメステ
ィク・バイオレンスを振るうし、女房の姪をネタに姪の奉公先に強請にも行こうという、小
悪党。それでいて、可笑し味も滲ませる人柄。悪党と道化が、共存しているのが、道玄の持
ち味の筈だ。

初演した五代目菊五郎は、小悪党を強調していたという。六代目菊五郎になって、悪党と道
化の二重性に役柄を膨らませる工夫をしたという。現在の観客の眼から見れば、六代目の工
夫が正解だろうと思う。偽の盲で、按摩、小悪党、可笑し味も滲ませる人柄。今回の幸四郎
もこれを継承していて、おもしろい。

私が観た梅吉と道玄のふた役は、幸四郎(今回含め、4)、富十郎(2)、菊五郎(2)、
猿之助、團十郎。世話もの主演では、「後発」の高麗屋の舞台をいつの間にか多く観かける
ようになった。時代もの先行だった幸四郎は積極的に世話ものにチャレンジし、すっかり自
家薬籠中のものにしてしまった。

幸四郎と並んで、印象に残るのは、道玄役では、團十郎が普段から剃っている頭と生来の大
きな目玉の効用があり、よかった。最初にこの演目を観た富十郎も、大詰第二場の「加州候
表門の場」が、印象に残る。菊五郎も、こういう役は巧いが、大詰の場面は、富十郎に叶わ
ない。私が見た道玄では、小悪党の凄み、狡さと滑稽さをバランス良く両立させて、ピカイ
チだったのは、富十郎であった。時代ものでは、オーバーアクション気味の幸四郎も、世話
ものでは、肩の力を抜くのか、アクションが穏当で、なかなか良い。質見世での強請を終え
て、帰る際の道玄の姿勢、足の運びに味がある。4回も観ているとすっかり馴染んで来たよ
うに思う。亡くなった富十郎や團十郎、舞台に立てない猿翁(前の猿之助)の穴を埋めてし
まっている。
- 2016年11月10日(木) 18:28:26
16年10月歌舞伎座 (夜/「外郎売」「口上」「熊谷陣屋」「藤娘」)


芝翫型の、珍しい「熊谷陣屋」を楽しむ


「外郎(ういろう)売」を観るのは、6回目。市川團十郎宗家の家の藝を示す歌舞伎十八番
のひとつ。私が観た外郎売、実は、曽我五郎は團十郎(2)、松緑(今回含め、3)、新之
助時代の海老蔵。ということで、成田屋対音羽屋の対決だ。松緑が熱心に取り組んでいる。
今回は、曽我十郎(亀三郎)も登場する。

歌舞伎十八番の演目だが、1718(享保3)年、二代目団十郎初演。その後、上演は絶え
る。1922(大正11)年、市川三升(後に十代目團十郎を追贈)が復活。1940(昭
和15)年、九代目海老蔵(後に、十一代目團十郎襲名)が上演。さらに、1980(昭和
55)年の野口達二の改訂版(荒事の味を濃くし、「対面」の趣向を取り入れ、一幕ものと
して充実させた)で、十二代目團十郎が演じ、以後、上演を続けた。

亡くなった十二代目團十郎は「外郎売」を予定していた04年6月の歌舞伎座の舞台を白血
病の発症で休演。代役は当代の松緑が勤めた。2年後の06年5月の歌舞伎座で團十郎は病
を克服して舞台復帰を図る際に、「外郎売」を選んだ。更に、再発で休演に追い込まれた
が、地獄の苦しみの闘病生活をへて復活。09年1月国立劇場の舞台、2回目の復帰を歌舞
伎十八番「象引」で果たし、同年の顔見世月の11月には、歌舞伎十八番「外郎売」で復帰
の年を締めくくる。十二代目團十郎は、海老蔵時代を含め、9回演じた。歌舞伎十八番に
は、当然ながら、宗家としての思い入れが強い。こうした経緯を見れば、中でも「外郎売」
こそは、という思いも、亡くなった團十郎には強かったのだろうと容易に推測できる。

松緑も左近時代、13歳初役で、1989年1月国立劇場で「外郎売」を演じた際、祖父の
二代目松緑が工藤祐経で共演している。それだけに、四代目松緑としても二代目から引き継
いだ演目という思い入れが強いだろう。松緑は、左近、辰之助時代を含め、今回で7回目の
「外郎売」である。

この演目はもともと「動く錦絵」のような狂言。曽我兄弟が父親の敵とつけ狙う工藤祐経と
の対面の物語ということで、筋が単純な割に登場人物が多くて、見た目が多彩。歌舞伎に登
場するさまざまな役柄が勢揃いし、しかも、きらびやかな衣装で見せる。華やかで、歌舞伎
のおおらかさを感じさせる演目だ。それと、曽我五郎の早口の「言い立て」の妙という見せ
場もあり、これも判り易い演出だ。まさに、初心者の歌舞伎入門向けの出し物と言えよう。

開幕すると、まず、浅黄幕。柝を合図に振り落としで、大勢が板付きになっている華やかな
舞台が現れる。登場人物がいきなりほぼ全員揃うという演出。ワイドなデジタルテレビにス
イッチが入った感じを江戸時代から歌舞伎の観客はすでに味わっていたのだと思う。

今回の配役は次の通り。

本舞台中央に二重舞台、破風のある古風な建物。箱根神社社頭の体。上手奥に新造5人。下
手奥に並び大名5人。中央に狩場の総奉行の工藤祐経(歌六)、工藤の上手側に大磯の虎
(七之助)、化粧坂の少将(児太郎)、工藤の下手側に遊君喜瀬川(梅丸)、亀菊(菊三
呂)。さらに上手に向けて珍斎(吉之丞)、梶原親子(景時=男女蔵、息子の景高=菊市
郎、)、八幡三郎(歌之助)。さらに下手に向けて小林朝比奈(亀寿)、妹の舞鶴(尾上右
近)、近江小藤太(福之助)。

そこへ、花道より、外郎売、実は、曽我五郎(松緑)がやって来たので、宴席に呼び入れら
れる。珍斎が外郎売に名を尋ねると、実は、曽我五郎だけに、躊躇した挙げ句、「ウム、尾
上松緑にござりまする」と、お茶を濁すが、観客は喜ぶ。これも江戸時代の、テレビ並みの
コマーシャル。

小田原名物の妙薬、ういろうの販売。東西声が入り、そして、故事来歴や効能を宣伝。効能
の証と、早口の「言い立て」を披露する。ここが見せ場、というか語り場というか、見どこ
ろ聞きどころ。外郎売得意の早口での薬の効用の宣伝だ。テレビの番組中のコマーシャルと
一緒の効果を狙う。


珍斎が戯(たわ)けの役どころで絡むチャリ場。珍斎とのやり取りを経て、工藤祐経へ接近
しようとする曽我五郎。大磯の虎、化粧坂の少将が遮る。さらに、舞鶴、喜瀬川、亀菊、朝
比奈、珍斎らが出て、振りごと。下手に設えられた緋毛氈の消し幕で、外郎売を隠す。

やがて、消し幕が外され、外郎売は五郎としての正体を顕す。前髪付きの鬘に、緋縮緬の襦
袢、肌脱ぎ、曽我五郎の出で立ちで、松緑が再登場。工藤祐経を父親の敵と狙う。曽我もの
の「対面」と同じ場面となる趣向。今回は、そこへ長裃姿の曽我十郎(亀三郎)も花道から
登場で、曽我兄弟と工藤祐経「対面」の場面となる。工藤側の奴たちと五郎の立ち回り。

時節を待てと兄弟を諭す朝比奈。工藤祐経は狩場の絵図面を包んだ帛紗を兄弟に投げ与え、
総奉行の職務を終えたら狩場で会おう、というだけの話。

奴たちが上手と下手に分れて花槍を使って、富士山の輪郭をなぞるように裾野を描く。富士
山頂の位置には工藤祐経を演じる歌六が立ち上がる。曽我兄弟らも皆々引張りの見得で、
幕。


夜の部の見せ場は、「口上」


祝幕は、一筆書きで、横一線のような、楕円の線のような。客席上方から見ると、一線は、
丸にも見える。幕の中央に成駒屋の家紋・祇園守。襲名披露する芝翫ら4人の名前。「口
上」を仕切るのは、山城屋・坂田藤十郎。芝翫の名前に敬意を表して、口上のメンバーは1
0月11月と続けて、豪華版だ。まず、今月は、以下の通り。

藤十郎の仕切りで、八代目芝翫ら4人の襲名披露を紹介した後、隣の大和屋に「玉三郎さ
ん」と呼びかける。上手へ順に、女形の玉三郎。「新芝翫さんとは子どもの頃から舞台に出
ていた。お父さんの芝翫兄さんとは一緒の舞台に立ち、いろいろ教えて戴いた。名跡が蘇る
のは嬉しい。心よりお祝い」と、玉三郎。次いで、歌六は、「成駒屋がますます栄えるよう
に」。又五郎と播磨屋が続く。又五郎は、先代の芝翫おじさんへのお礼。松緑は、芝翫おじ
さんには世話になった。野郎頭の菊之助は、先代には指導を受けたとお礼。新芝翫には公私
ともに世話になっている。家も近い。親しいお兄さんだ。女形の雀右衛門は、先代には世話
になった。我當は、後ろに黒衣が付き添っている。先代に世話になった礼と当代への祝い、
観客へは八代目への末長い支援のお願いなどを述べるが、残念ながら、口跡が心もとない。
上手最右翼は、菊五郎。先代には、世話になった。八代目には「今までのように、あまりキ
ョロキョロしないで」と、橋之助の不倫報道を揶揄するとも取れるチャリを入れて、会場の
苦笑いを得ていた。大御所・大音羽屋からのお叱りには、八代目もひたすら頭を下げるだ
け。そして、下手最左翼へ。吉右衛門は、先代の兄さんは、競馬好きで、こちらも指導を願
ったと、笑わせる。女形の魁春は、成駒屋とは、親戚を強調。東蔵は、先代には丁寧に教え
て戴いた。競馬も丁寧に教えてくださった(笑)。成駒屋の大事な名前の芝翫を受け継ぐ立
派な役者になって欲しい、と八代目を励ます。野郎頭の七之助。八代目の兄の福助は不在。
福助の長男・児太郎は、女形姿で父親の福助のリハビリぶりを紹介し、1日も早い舞台復帰
を目指していると強調していた。七之助、児太郎は、こういう口上は初出演ではなかった
か。梅玉は、国立劇場の「忠臣蔵」出演を終えて、歌舞伎座に駆けつけて、口上の殿を勤め
た。今回口上のみの出演は、梅玉のほかに、藤十郎、我當の、合わせて3人。来月は、幸四
郎、仁左衛門らが口上に登場することだろう。襲名披露は、芝翫を筆頭に橋之助、福之助、
歌之助の4人。口上の最後の締めは、藤十郎で、「行く末長く、ご贔屓を」。


芝翫型「熊谷陣屋」は、人形浄瑠璃の演出をほぼ踏襲


今回の主な配役。熊谷直実(芝翫)、妻の相模(魁春)、敦盛の母・藤の方(菊之助)、堤
軍次(橋之助)、弥陀六(歌六)、義経(吉右衛門)ほか。

歌舞伎では、「熊谷陣屋」の演出は2系統あり、「芝翫型」、「團十郎型」と言われる。
「芝翫型」は、江戸時代の三代目中村歌右衛門が、1813(文化10)年に工夫し、唯一
「大芝翫」と呼ばれる幕末期の四代目中村芝翫が完成したと言われるもので、熊谷直実の花
道出の衣装では、黒の天鵞絨(びろうど)綿入れの着附・赤地錦の裃(オレンジ色に近い赤
地錦のきんきらした派手なもの)をつけて、顔は赤っ面(月代まで赤い)、「芝翫筋」と呼
ばれる癇筋まで入っている化粧で出て来る。「いらちの直実」という体。この「芝翫型」衣
装は人形浄瑠璃から引き継がれている。人形浄瑠璃の「熊谷陣屋」は何度か観ているが、歌
舞伎で芝翫型を観るのは今回が初めて。当代では、橋之助時代から八代目芝翫が演じている
だけではないのか。03年2月、橋之助時代の、八代目芝翫が芝翫型を48年ぶりに復活上
演した。今回で5回目の上演となる。二代目松緑の書き抜きを拝借して学び、二代目吉右衛
門の指導を受けながら、復活した、という。吉右衛門は、今回、義経に出演をし新芝翫を寿
ぐ。

歌舞伎の演出として定着した「團十郎型」は、歌舞伎十八番を創設した江戸時代の七代目市
川團十郎とそれを発展させて新歌舞伎十八番も創設し明治の劇聖と仰がれた九代目團十郎が
工夫したもので、心理劇として、近代化されている。結末の部分が江戸期の原作とは大きく
改編されている。花道七三で世の無常を痛感して人生は儚い夢だと述懐する團十郎型は、そ
の後、熊谷直実の「性根」解釈を深め、初代吉右衛門が完成させた。いまでは、歌舞伎で
は、誰もが、この團十郎型で演じるばかりで、「芝翫型」は、すっかり姿を消している。

芝翫型の演技では、煙草盆の銀煙管を使う場面のほか、敦盛を討ったという直実の話に聞い
て、藤の方が上手障子の間から飛び出して、直実に詰め寄る場面で、驚いた直実が人形のよ
うに足を揃えて、高く飛び上がってから座る場面などの演出が團十郎型と違う。人形浄瑠璃
の舞台では、義経は、ひとりで登場したが、歌舞伎の場合、芝翫型も團十郎型も義経は必ず
四天王を引き連れて登場するのは同じ。四天王のうち、伊勢三郎は福之助、駿河次郎は歌之
助。直実側近の堤軍次は新しい橋之助が演じる。

敦盛討ちの仕方話の中で、三段(階段)に右足を落とし、軍扇を高く掲げてみせる「平山見
得」、首実検の際の、制札の上下(團十郎型は、制札を逆さまにするが、芝翫型ではそのま
ま、左肩に担ぐ)の扱いは、芝翫型と團十郎型では違う。

小次郎の首に絡んでは、こういうシーンがあった。敦盛の首と思い込んでいたのが間違いで
首を小次郎のものと認識した相模が三段(階段)の下から首を持って上がってくる。階段の
上で待ち受けている直実は、息子の首を受けとろうと手を伸ばす。その際に、相模と直実の
顔は、小次郎の首を接点に繋がる。その一瞬が、私には、小次郎の首に両親が頬を寄せて、
愛しんでいるように見えた。團十郎型では、生み出せない場面だった。

また、幕切れの直実出家の場面では、直実は、被っていた兜の下から髷を切ったままの頭を
見せる。頭を剃り上げず、髷を切っただけの有髪のまま、僧侶姿になっている。月代は、赤
っ面の直実らしく赤くなっている。特に印象的なのは、「十六年もひと昔。夢であったな
あ」という感慨深げな科白も、陣屋の座敷内で、脱いだ兜に向かってサラリと言うだけであ
った。團十郎型のように、場内の視線を花道七三に集めるような演出はしない。花道に出て
述懐するのではなく、本舞台のまま、相模、直実、弥陀六、藤の方が引っ張り合い、絵面の
見得で閉幕となる。自分で殺した息子の霊を弔う旅では、直実は相模を連れて、死ぬまで夫
婦で諸国を放浪するつもりのではないのか、と思わせる。これは、人形浄瑠璃と同じ。

「惜しむ子を捨て武士を捨て、住み所さへ定めなき有為転変の世の中やと、互ひに見合はす
顔と顔 『さらば』『さらば』『おさらば』の声も涙にかき曇り、別れてこそは出でて往
く」という文句を葵太夫が語りあげると幕が上手から引かれてくる。皆で、人形浄瑠璃同様
に有為転変の無常を強調する。

私たちが、見慣れた團十郎型の幕切れはこうである。幕外の花道で直実が、思い入れたっぷ
りに「ア、十六年はひと昔、アア夢だ、夢だ」と突き放すように言いながら、剃り上げた頭
を抱え、さらに幕外で武士と僧形の間で揺れる心を、遠寄の音を効果的に使いながら見せる
という演出をする。直実は、独り出家先の寺を目指して行く。直実の妻、小次郎の母、相模
は、本舞台に取り残され、またもトボトボと東国へ帰って行くのかもしれない。これは、直
実のみを送る「送り三重」という三味線の演奏を使うという演出とともに九代目市川團十郎
が創案した演出である。孤独な男の美学。今回、八代目芝翫が演じたのは、これ以前の四代
目芝翫が演じた「熊谷陣屋」(芝翫型)であった。幕切れは相模とふたり連れであった。こ
れがなによりも違う。


玉三郎の、オーソドックスな藤娘


「藤娘」は13回目。私が観た藤娘は、玉三郎(今回含め、3)、雀右衛門(3)、芝翫
(3)、菊之助、勘九郎時代の勘三郎、海老蔵、藤十郎。

祝幕が引っ込められ、所作事用の緞帳になる。暗転。場内に明かりが点くと、中央に黄色い
衣装の娘。藤の小枝を持っている。朱(オレンジ)と若緑の片身を繋いだ(片身変わり)藤
の花の模様の衣装に替り、さらに、藤色の地に藤の花の模様の衣装と黒地の帯に替る。さら
に、両肩を脱いで下に着ている赤地の衣装を見せて、再び、藤の小枝を持って踊る。最後
は、藤の小枝を背に担いで、花道七三から向う揚幕へ。無人の舞台に緞帳が下りてくる。

03年6月、歌舞伎座で、従来の趣向をがらりと変えた、「玉三郎藤娘」というべき、新境
地を開いた瞠目の舞台を観たこともあるが、今回は、松の大木に絡み付いた大きな藤の花の
下という六代目菊五郎の演出を踏襲する舞台だった。七代目芝翫の当たり役に、玉三郎も敬
意を表したのだろう。

踊りの半ばに、いつものように、上手、下手、中央で立ち止まる。それぞれの客席に向けて
愛想を振りまく場面で、素に近い玉三郎は、くねくねとお辞儀をした後、恥ずかしそうに顔
を伏せる表情が、なんとも娘らしくて初々しい。顔だけが女形なのではなく、着物の下にも
娘の肉体が隠されているのではないかと思わせるようは感じがして、異様に印象的だった。
娘の姿になった藤の精が藤娘ならば、これは藤の精になった玉三郎、というところだろう
か。
- 2016年10月11日(火) 8:51:03

- 2016年10月10日(月) 16:18:59
16年10月歌舞伎座 (昼/「初帆上成駒宝船」「女暫」「お染久松 浮摂塒鴎」「極
付 幡随長兵衛 公平法問諍」)


立役の芝翫誕生、幕末期の「大芝翫」(四代目)を目指せ


中村芝翫と言えば、私などには「神谷町」と大向こうから声のかかった七代目が目に浮か
ぶ。初々しい娘役から女形の大役をこなす安定した演技が印象深い。六代目歌右衛門と肩を
並べる真女形だった。新しい芝翫は、八代目で、七代目の次男である。長男は福助で、本来
なら今頃は七代目歌右衛門を名乗っていたはずであった。七代目歌右衛門襲名が、いわば内
定し、歌右衛門襲名披露の舞台が具体的に決まり、襲名披露へ向けての準備が始まった時期
に病魔に襲われ、そのまま七代目歌右衛門襲名が宙に浮いたような状態になってしまった。
こういう裏話は、梨園ではあまり声高には語られないので、あまり触れないが、そこで、次
に控えていた次男の橋之助の芝翫襲名となった次第だろう。橋之助の芝翫ならば、七代目と
は趣がかなり違う。立役の芝翫が誕生したことになる。今月の襲名披露の演目でも判る。昼
の部では、滅びの美学の幡随長兵衛を演じるし、夜の部では、珍しい芝翫型の熊谷直実を演
じる。父親とは一味も二味も違う芝翫像を期待したい。

代々の芝翫とは、どういう人たちだったのか、簡単に抑えておこう。初代芝翫は、上方出身
で三代目歌右衛門を名乗っていたが、江戸の下った際に、俳名の芝翫を初代として芸名にし
た。主に立役であった。二代目は、二代目芝翫の後、四代目歌右衛門を襲名した。立役中心
だが、女形も兼ねた。三代目は、二代目の歌右衛門四代目襲名に伴って、襲名した。将来を
嘱望されたが、37歳で早世した。四代目は、大坂出身で、四代目歌右衛門の養子となり、
1860(万延元)年、芝翫を襲名した。美男で、立役、実悪 、女形を演じ、「江戸随一」
という評判になった。明治期になって「團菊」が、台頭する前に、幕末期の江戸歌舞伎を背
負っていたが、明治半ば以降、大歌舞伎から遠ざかり、さらに、巡業中に宙乗りに失敗して
落下事故に遭い、足が不自由になるなど、晩年は不遇だったが、「大芝翫」として、歴史に
名を留めた。五代目は、四代目の養子。四代目福助時代、女形として、明治期の劇聖と呼ば
れた九代目團十郎の相方を勤めた。1901(明治34)年、五代目芝翫を襲名した。19
11(明治44)年、五代目歌右衛門襲名。坪内逍遙原作の新歌舞伎の「淀君」は、畢生の
当り役となった。足の疾患で晩年は体が不自由となったが、座頭として立役で存在感のある
演技を見せた。六代目は、六代目歌右衛門の前名。戦後の歌舞伎を代表する真女形役者。七
代目は、八代目の父親。


「初帆上成駒宝船(ほあげていおうたからぶね)」は、新作歌舞伎で、今回初演。私も初
見。八代目芝翫を襲名する父親と共に、四代目橋之助(長男)、三代目福之助(次男)、四
代目歌之助(三男)を襲名する三兄弟を披露するために作られた演目だろう。所作事。せり
上がりで舞台に登場した三人の若者が五穀豊穣などを寿ぎ、舞を披露する。暗転で、大海原
へ。宝船の船頭に扮した三人は、荒波を乗り越えて行く。


「女暫」は、8回目の拝見。この演目、普通は、「暫」の主役、鎌倉権五郎の代りに巴御前
が、登場する。鎌倉権五郎の科白(所作と科白)をなぞりながら、ところどころで、女性を
強調するという趣向である。男の「暫」は、鶴ヶ岡八幡の社頭が舞台、「女暫」は、京都の
北野天神の社頭が舞台。「女暫」は、登場人物の名前は、清原武衡の代りに蒲冠者範頼など
と違うが、「暫」とは、基本的な演劇構造は同じ。

1745(延享2)年に二代目芳沢あやめが、初演したとか、1746(延享3)年に初代
嵐小六が、初演したとか伝えられる。その後、名女形と言われた三代目瀬川菊之丞が、17
86(天明6)年に演じたものが、評判となり、今の形の基本となった。幕末期に、上演が
途絶えたが、1901(明治34)年、市村座で、五代目芝翫(後の五代目歌右衛門)が、
復活上演した。今回は巴御前を七代目芝翫の孫である七之助が演じる。玉三郎の指導を受け
たという。私が観た巴御前は、玉三郎(3)、菊五郎、先代の雀右衛門、萬次郎、福助、そ
して今回が七之助。色と形が命という、「江戸の色香」を感じさせる江戸歌舞伎の特徴を生
かした典型的な舞台。七之助は、玉三郎の指導通りに今回も演じた、という。

贅言;幕外の趣向。舞台番は、ごちそうの大物役者が演じる。私が観たのは、辰次(吉右衛
門、3)、成吉(團十郎)、富吉(富十郎)、寿吉(三津五郎)、鶴吉(勘三郎)、そして
今回が松吉(松緑)。皆、名前が違うところが、おもしろい。


「お染久松 浮摂塒鴎(うきねのともどり)」は、2回目。浅葱幕の振り落しで、舞台は、
隅田川左岸の三囲神社前の土手。ということは、客席は、隅田川の河川敷か、川のなかとい
うことになる。舞台中央にお染の児太郎と久松の松也。下手、奥、遠く見えるのは筑波山だ
ろう。舞台下手には、茅葺きの家。薄い紅梅が咲いている。紅梅、白梅、そして土手の上に
上部のみ見える鳥居。紅梅、石灯籠、白梅に松。

気に入らない結婚話に家を飛び出して来た質屋の娘・お染。恋仲の丁稚・久松。女性の方
が、積極的で、引っ張って行く。「わしゃ、死にたい、死にたい、死にたいわいなあ」とお
染。恨み辛(つら)みが、エネルギーとなる。なだめながらも、気の弱い久松。優しい男だ
が、優柔不断。気の強い女性は、優柔不断男が好き。

10年前、お染を演じた菊之助が、前回芝翫が演じた「女猿曵」を初役で演じる。七代目芝
翫供養、八代目芝翫襲名の舞台らしい。不安定な心境の若いふたりの行く末を案じて歌祭文
を演じて励ます。菊之助を見ていると、ああ、10年はひと昔、の感が一入(ひとしお)。
女猿曵の扱う「四つ竹」は、和製カスタネット。扇子の絵柄は、「若松に鶴」と「太陽に
鶴」の裏表。


八代目芝翫襲名は、滅びの美学で


「極付 幡随長兵衛 公平法問諍」は、9回目の拝見。私が観た長兵衛は、吉右衛門
(3)、團十郎(2)、海老蔵(2)橋之助時代含め芝翫(今回含め、2)。悪役の旗本白
柄(しらつか)組の元締め・水野十郎左衛門は、菊五郎(今回含め、4)、八十助時代の三
津五郎、幸四郎、富十郎、仁左衛門、愛之助。長兵衛女房お時は、時蔵(2)、先代の芝
翫、福助、玉三郎、坂田藤十郎、松江時代の魁春、孝太郎、今回は雀右衛門。

この芝居は、村山座(後の市村座のこと)という劇中劇の芝居小屋の場面が、売り物。観客
席までをも、「大道具」として利用していて、奥行きのある立体的な演劇空間をつくり出し
ていて、ユニーク。阿国歌舞伎の舞台に例えれば、名古屋山三のように客席の間の通路をく
ぐり抜けてから、舞台に上がる長兵衛。いつにも増して、舞台と客席の一体感が強調される
ので、初見の観客を喜ばせる演出だ。

1881(明治14)年、黙阿弥原作、九代目團十郎主演で、初演された時には、こういう
構想は無かった。原作では、芝居小屋ではなく、角力場だった。地方での興行としては、歌
舞伎も相撲も、同じ興行主が仕切っていたケースもあるから、角力場でのトラブルでも筋と
しては成り立つだろう。また、相撲は、「勧進相撲」と呼ばれ、当時は年に2回10日間興
行された。財政難の寺社を支援することが困難になった幕府が勧進(寺社への寄進)のため
の相撲興行を認めていた。いわば、幕府後援というわけだ。一方、歌舞伎は、「悪所」(庶
民の不満の捌け口)であり、時には、幕府の「御政道」や封建道徳などを批判したりするか
ら、幕府も目を光らせている。この場面が、善所の「角力場」から、悪所の「芝居小屋」に
替わった意味は、思っている以上に大きいのかもしれない。

10年後、1891(明治24)年、歌舞伎座。同じく九代目團十郎主演で、黙阿弥の弟
子・三代目新七に増補させて以来、この演出が追加され、定着した。明治も半ば、徳川幕府
時代への御政道批判も、緩やかになってきたことだろう。三代目新七のアイディアは、不滅
の価値を持つ。幕ひき、附打、木戸番(これらは形を変えて、今も、居る)、出方(大正時
代の芝居小屋までは、居たというが、場内案内として形を変えて、今も、居る)、火縄売
(煙草点火用の火縄を売った。1872=明治5=年に廃止された)、舞台番など、古い時
代の芝居小屋の裏方の様子が偲ばれるのも、愉しい。歌舞伎は、タイムカプセルの典型のよ
うな演目。

タイムカプセルといえば、花川戸長兵衛内では、積物の提供者の品書き。二重舞台の上手に
「三社大権現」という掛け軸があり、下手二重舞台の入り口には、祭礼の提灯。玄関の障子
に大きく「幡」と「随」の2文字。明治14(1881)年に河竹黙阿弥が江戸の下町の初
夏を鮮やかに描く。水野邸の奥庭には、池を挟んだ上手と下手に立派な藤棚がある。歌舞伎
の舞台には、いろいろな情報が埋まっている。観る側が、どれだけ掘り出せるか、というの
も観る楽しみ。

劇中劇の「公平法問諍(きんぴら ほうもんあらそい) 大薩摩連中」という看板を掲げた
狂言の工夫は、世話もの歌舞伎の中で、時代もの歌舞伎を観ることになり、鮮烈な印象を受
ける。歌舞伎初心の向きには、江戸時代の芝居小屋の雰囲気が、伝えられ、芝居の本筋の陰
惨さを掬ってくれるので、楽しいだろう。

芝翫演じる長兵衛が町奴という、町の「ちんぴら集団」の親玉なら、菊五郎演じる白柄組の
元締め・水野十郎左衛門も、旗本奴で、下級武士の「暴力集団」ということで、いわば、町
人と下級武士を代表する「暴力団幹部」の、実録抗争事件である。特に、水野十郎左衛門は
悪役で、だまし討ちの芝居。17世紀半ばに実際に起こった史実の話を脚色した生世話もの
の芝居。

「人は一代(でえ)、名は末代(でえ)」という、男の滅びの美学に裏打ちされた町奴・幡
随長兵衛の、愚直なまでの死を覚悟した男気をひたすら引き立て、観客に見せつけ、武士階
級に日頃から抱いている町人層の、恨みつらみを解毒する作用を持つ芝居で、江戸や明治の
庶民には、もてはやされただろう。幡随長兵衛の、命を懸けた「滅びの美学」に対して、水
野十郎左衛門側は、なりふりかまわぬ私怨を貫く「仁義なき戦い」ぶりで、「殺すには惜し
い男だ」と長兵衛の男気を褒めながらも殺す、そのずる賢さが、幡随長兵衛の男気を、いや
が上にも、逆に盛りたてるという、演出である。だから、外題で、作者自らが名乗る「極
付」とは、誰にも文句を言わせない、男気を強調する戦略である。長兵衛一家の若い者も、
水野十郎左衛門の家中や友人も皆、偏に、長兵衛を浮き彫りにする背景画に過ぎない。策略
の果てに湯殿が、殺し場になる。陰惨な殺し場さえ、美学にしてしまう歌舞伎の様式美の世
界が展開される。1960年代から70年代に流行したヤクザ映画の美学の源流はここにあ
る。

しかし、「男気」は、なにも、暴力団の専売特許では無い。江戸の庶民も、憧れた美意識の
一つだったから、もてはやされたのだろう。そこに目を付けた黙阿弥の脚本家としての鋭
さ、初演した九代目團十郎の役者としてのセンスの良さが、暴力団同志の抗争事件を日本人
に「語り継がれる物語」に転化した。「役者は一代(でえ)、襲名は末代(でえ)」という
ことで、橋之助は、八代目芝翫襲名の初演に「極付 幡随長兵衛」を掲げて見せたのだろ
う。
- 2016年10月10日(月) 11:40:08
16年10月国立劇場 (通し狂言「仮名手本忠臣蔵」第一部)
                   *第一部は、大序から四段目まで


「忠臣蔵」の劇評も3カ月連続


★国立劇場は、今年で開場50年を迎えた。1966年11月開場。この年の10月、当代
の名優・中村吉右衛門が二代目を襲名した。1966年の日本では、飛行機の墜落事故が多
い年だった。私は大学生だったが、当時の学園生活は全学ストなど不安定な時代に突入して
いた。国立劇場周辺では地下鉄の半蔵門駅も永田町駅も開業しておらず、「不便なところに
できた」という印象だった。

50年目の国立劇場は、9月の人形浄瑠璃公演「一谷嫰軍記」から記念公演を開始した。歌
舞伎の記念公演は、10月から12月までの「仮名手本忠臣蔵」の3ヶ月完全通し公演であ
る。さらに、来年にかけて、菊五郎を軸にした「しらぬい譚」(1月)、吉右衛門を軸にし
た「伊賀越道中双六」(2月)を展開する。

★国立劇場側が、今回のキャッチフレーズにしている「完全通し」とは、どういうことだろ
うか。「仮名手本忠臣蔵」は、全十一段の時代もの。史実の赤穂事件(浅野内匠頭の江戸城
での刃傷事件から、浅野家の浪士たちが主君の敵討ちにと吉良家の江戸屋敷に討ち入りし、
本懐を遂げた事件まで)を元にしながら、徳川幕府の御政道批判という誹りを避けるため
に、時空を変えて、室町時代の足利幕府(京都)とし、日本の歴史文学の古典「太平記」の
世界として、塩冶判官、顔世御前の夫婦と高師直のトラブルの話を再構築している。従っ
て、物語の「世界」を仮託し、登場人物の一部を借りただけの芝居。浅野家と吉良家の対立
を塩冶判官家と高師直家にしているだけで架空の話、フィクションとなっている。

日本の歴史文学では最長の作品「太平記」とは、南北朝時代を舞台に後醍醐天皇の即位から
鎌倉幕府の滅亡、後醍醐天皇の崩御、室町幕府の内部の混乱、二代将軍・足利義詮の死去、
細川頼之の管領就任までを描く軍記物語。南朝方の視点で描く。1370年頃成立か。成立
時期、作者不詳。複数の作者。足利幕府も関与か。

★全十一段の芝居は長いので、一日掛かりでも上演できないことから、よく上演される段と
ほとんど上演されない段が、区別されてきた。長編の演目の歌舞伎の上演は、通常、「みど
り興行」というハイライトの「見せ場」という場面だけを切り取って上演する形式と、幾つ
かの段(普通は、歌舞伎では「段」という名称より、「幕」という名称を使うが、「仮名手
本忠臣蔵」は、人形浄瑠璃が先行上演された「丸本(まるほん)もの」と呼ばれる演目なの
で、人形浄瑠璃の「段」という名称を使う慣習がある)を繋げて上演する「通し興行」とい
う形式がある。今回は、3ヶ月公演ということで、「仮名手本忠臣蔵」を3つに分けて、毎
月一部ずつ、合わせて三部制で上演される。ほとんど上演されない段も、今回は上演される
ので、国立劇場は「完全通し」という名称を使っている。

今回の「全十一段」とは、以下の通り。

大 序:兜改め。
二段目:力弥使者・松切り。
三段目:進物場(門前)・喧嘩場(刃傷)・裏門。
四段目:花献上・判官切腹(せっぷく)・城明渡し。判官切腹=通称「通さん場」。大名の
切腹という厳粛な場面なので、開幕後は客を席に案内しない。
浄瑠璃:道行旅路の花聟。
五段目:鉄砲渡し・二つ玉。
六段目:勘平腹切(はらきり)。
七段目:祇園一力(茶屋場)。
八段目:道行旅路の嫁入。
九段目:雪転(こか)し・山科閑居。
十段目:天川屋。
十一段目:討入(実録風)・広間・奥庭泉水・本懐焼香・引揚。

*段組のバリエーション。→「半通し」の場合。三段目の「裏門」の代わりに浄瑠璃:「道
行旅路の花聟」(通称「落人」。「裏門」を書き換えた所作事)を上演するなど。「通し」
での「道行」は、八段目が本来のもの。今回は、「裏門」を上演し、二つの道行も上演す
る。

★忠臣蔵の舞台はどこか。

第一部は、鎌倉。鎌倉は、事実上の江戸を想定している。
*大序から四段目までは、鎌倉の各館。
将軍足利家(京都から将軍・足利尊氏の代参で、弟の直義が鎌倉鶴岡八幡宮へ新田義貞所縁
の兜奉納。殿中とは、鎌倉の足利館のこと)、師直、判官、若狭之助などの足利家の家臣た
ち(鎌倉在住。桃井館、塩冶館など、それぞれの館がある)。ついでに、判官の家臣・由良
之助(塩冶家の国家老。国許=出雲(現在の米子市など)の責任者。史実の赤穂の物語とい
う意識があるので、国許=赤穂と勘違いしやすい)。

第二部は、京都とその周辺。
*「道行旅路の花聟」は、東海道から京都の山崎(お軽の実家)へ。
*五段目、六段目は、京都の山崎(山崎街道、お軽の実家)。
*七段目は、京都の祇園。

第三部は、京都、堺、鎌倉。
*八段目は、東海道から京都の山科(由良之助らが閑居している)へ。
*九段目は、京都の山科。
*十段目は、堺(天川屋)。
*十一段目は、鎌倉の高師直館。


第一部では、滅多の上演されなくなった「二段目」に注目


★今回の第一部の主な配役。
高師直は左團次、塩冶判官は梅玉、顔世御前は秀太郎、若狭之助は錦之助、加古川本蔵は団
蔵、本蔵妻・戸無瀬は萬次郎、本蔵娘・小浪は米吉、勘平は扇雀、お軽は高麗蔵、鷺坂伴内
は橘太郎、由良之助は幸四郎、息子の力弥は隼人、幕府の上使・石堂右馬之丞は左團次、薬
師寺次郎左衛門は、彦三郎ほか。

★第一部の粗筋と見どころ。

*大序の「鶴ケ岡社頭兜改めの場」は、男の世界。登場人部の中で女性は顔世御前だけ。高
師直にセクハラされる。良く上演される場面なので、今回は説明省略。

*二段目は、「桃井館力弥使者の場」、「桃井館松切りの場」。私は今回初見。「二段目」
(上・下に分かれる)の内容:上は、梅と桜(梅と桜=小浪と力弥の出逢い)。下は、松
(松切り=若狭之助と本蔵の肚の探り合いなど伏線)。上・下で揃う松、梅、桜は、「菅原
伝授手習鑑」の三つ子の兄弟、梅王丸、松王丸、桜丸に因んでいるのではないか。桃井若狭
之助の家老・加古川本蔵の娘・小浪と塩冶判官の家老・大星由良之助の息子・力弥は許嫁の
関係。ふたりは、後半で重要な出番がある。つまり、伏線の典型。→ 「八段目」:「道行
旅路の嫁入」は、父親の由良之助とともに山科閑居中の力弥の元へ小浪が嫁入りする。「九
段目」:「山科閑居」で、加古川家は皆、集合。

翌日の登城時刻を伝える判官の使者として力弥が桃井館を訪ねて来るので、「二段目
(上)」は通称「力弥使者」という。義母の戸無瀬だけでなく小浪の両親は、許嫁同士の若
い人たちに二人だけの時間を持たせようと使者の口上を聞く役を小浪に任せる、という粋な
はからいをする。戸無瀬は後妻なので、先妻の娘・小浪を大事にする。八段目の「道行旅路
の嫁入」、九段目の「山科閑居」でも、継母の意地はそれを貫いている。この粋な計らいに
は桃井家の主である若狭之助も、一枚噛んでいて、うっとりするばかりで役に立たない小浪
をサポートして、陰で力弥の口上を聞いてくれている。

大序の場面で、高師直に辱めを受けた若狭之助は、きのうは我慢したが、あすの登城こそは
天下のために、殿中(足利館)で師直を討つつもりである。後始末を頼むと、家老の本蔵に
心境を吐露する。主君を諌めるべき老獪な本蔵は、庭の松を切り、若い主君の思うようにさ
せようと装う。バッサリ という感じで本蔵は松の枝を切り落とす。「二段目(下)」は、ま
た、通称「松切り」という。三段目の足利館表門で、伴内が中間相手に本蔵をバッサリと斬
る稽古をする笑劇があるが、これは、「松切り」のパロディーだということが、通して演じ
ると、良く判る。逆に言えば、普段の上演では、判らない。

*三段目では、通称、進物場(「足利館門前の場」)と喧嘩場(「足利館松の間刃傷の
場」)は、良く上演される。「足利館門前の場」:その一方で、本蔵は早馬に乗り登城途中
の師直一行に追いつき、足利館表門の門前で師直・家臣の鷺坂伴内に贈賄。ゆえに、「足利
館門前の場」は通称、「進物場」ともいう。後に、殿中で師直は早々と若狭之助に謝罪して
しまう。血気に逸る若狭之助を陰ながら実質的に危機管理する老獪な家老・本蔵。家老職
は、企業で言えば、副社長、専務というところ。滅多に演じられなくなった「足利館裏門の
場」は、業務の合間に情事に耽った勘平とお軽。目先の情事への欲望に耽ったばっかりに、
職場放棄が露見して、側近としてのお役目失敗、城外へ締め出されてしまった、という物
語。今では、この場面は上演を省略して、所作事の「道行旅路の花聟」に書き換えられてい
る。

*四段目は、「判官切腹」「城明渡し」が良く上演される。判官切腹の前に女たちが主役の
「花献上」という場面がある。最近の上演は判官切腹の抑制的な場面ばかりで、原作にある
「花献上」は、上演されなくなった。私も今回が初見なので、記録を残しておこう。

「花献上」では、扇ヶ谷塩冶館が舞台。刃傷事件を起こし、蟄居中の判官を慰めようと、顔
世御前は、鎌倉山の有名な桜の枝を腰元たちに集めさせた。複数の桜尽くしで、花瓶に活け
させる。明るく美しい場面だが、次の悲劇と対比させる。国許から向かっている国家老の由
良之助の到着を待つ息子の力弥も控えている。家老の斧九太夫、諸士頭の原郷右衛門も姿を
見せる。ふたりは、顔世御前の前で、判官の責任論を巡って口論をする始末。顔世御前は、
ことの起こりは高師直の恋文を夫に相談しなかった自分の責任だと、夫を擁護し、ふたりの
口論を止めさせる。

その後は、お馴染みの「扇ヶ谷塩冶館判官切腹の場」「扇ヶ谷塩冶館表門城明渡しの場」へ
と続いて、第一部は終演。

1748年の初演以来268年。上演演目と上演しない演目の洗練度の差。上演されなくな
った場面は、そういう洗練さが乏しい。その後の展開の伏線となる場面が多い。今回の完全
通しでは、その対比を観る面白さがあった。省略され、上演されなくなった場面は、女性が
軸となる場面だと気が付く。男の場面は、戦いへ向けての場面。女の場面は、戦う男たちの
陰で泣いたり、支えたりする女たちを描いている。こういう省略の仕方は、原作の意図を歪
めてしまう、のではないか。本来男女のこともバランスを取っていた原作が、主君の敵討ち
のために戦う男たちのドラマという色彩になっている。敗戦後、連合国軍として進駐してき
たマッカーサーらが「忠臣蔵」を上演停止した意図には、そういう危惧があったのではない
か。

忠臣蔵の女たちの物語は、また、別途論じてみたい。忠臣蔵の女たちとは、顔世御前(大
序、四段目)、お軽(三段目=道行、六段目、七段目)、戸無瀬・小浪(二段目、八段目=
道行、九段目)、お石(九段目)。
- 2016年10月9日(日) 14:07:09
16年09月歌舞伎座 (夜/「吉野川」「らくだ」「元禄花見踊」)


歌舞伎で、最も美しい舞台「吉野川」 玉三郎の定高


秀山祭夜の部のハイライトは、何と言っても14年ぶり、2回目の定高を演じる玉三郎であ
る。「妹背山婦女庭訓〜吉野川〜」は、4回目の拝見。大判事は、幸四郎(2)、吉右衛門
(今回含め、2)、定高は、玉三郎(今回含め、2)、芝翫、藤十郎、久我之助は、梅玉
(2)、染五郎(今回含め、2)、雛鳥は、玉三郎、福助、魁春 、今回は菊之助。

「吉野川」は、前回、と言っても9年前、07年6月歌舞伎座では、「小松原」と「花渡
し」、「吉野川」を観ることができたが、今回は、「吉野川」のみ上演。「小松原」は、別
名、「春日野」とも言う)。定高の娘・雛鳥と大判事の息子・久我(こが)之助との出逢い
の場面。「花渡し」は、太宰館(雛鳥の父・太宰の少弐の館。太宰と久我之助の父・大判事
は、領地争いで対立している)にやってきた蘇我入鹿。今回の舞台には登場しないが、入鹿
は、すでに内裏を占拠し、天皇然として振舞っている。

「妹背山」の芝居の骨格は、政治劇である。天智天皇の時代、天皇の病気を利用して、天下
取りを狙っている蘇我入鹿の野心に巻き込まれたふたつの家族の悲劇の物語。

天皇の寵愛を受ける采女の局に横恋慕をしている入鹿は、行方不明の采女の局の探索に絡ん
で、大判事と定高(さだか)の両者を疑う。疑いの根拠は、大判事の息子・久我之助と定高
の娘・雛鳥の恋仲をあげる。つまり、言いがかり、嫌がらせの類である。

対立していると見せ掛けて、天皇と采女の局を匿っているのではないか、というのが入鹿の
疑惑である。疑惑を晴らしたいなら、雛鳥は、入内、久我之助は、出仕せよと厳命する。対
立を利用し、分断して支配する、というのは、いにしえより、権力の原理である。返答は、
桜の枝を吉野川に流せと指示し、ふたりに桜の小枝を手渡す。だから、通称「花渡し」。日
本人の感性は、権力者の強権発動が生み出す悲劇の道具を使う場面を「花渡し」という美意
識の言葉で表現する。

その挙げ句、雛鳥は、入鹿との性的な関係を強要されるのを拒否して、清い身体のまま、死
を選ぶ。また、久我之助は、入鹿の家来になるのを拒絶し、やはり、死を選ぶ。

妹山、背山の領地。間を流れる吉野川が境界という関係の両家。境界争いが原因で、両家の
親同士は、不仲だが、息子と娘は、恋仲。結局、ふたりの子どもを殺して、彼岸で結ばれる
ようにさせるという悲劇。対立している両親は、娘、息子の純な情愛を尊重し首だけの花嫁
と切腹をして、息も絶え絶えの花婿を添わせる。死が、恋の成就を約束するという暗いテー
マ。対立と和解の果て、底に権力者への反抗という明確なメッセージを隠し持つ。時代を越
えた普遍的なテーマが、名場面「吉野川」の主軸だ。

それでも、私は以下のような違和感が残る。同じ子殺しでも、並木宗輔の「一谷嫰軍記」
は、親の情愛が有為転変の時代への空気穴になっているのに比べて、近松半二の「妹背山婦
女庭訓」は、時代への空気穴にならずに、穴の空かない時代のまま、という重苦しさがある
ように思えるからだ。

もう一つの魅力。「吉野川」は、数ある歌舞伎の舞台のなかでも、一際、美しい舞台装置を
持つ。複数の作者連名ながら、ほとんど近松半二がひとりで執筆したと言われる原作も、舞
台装置も、道具の配色も、衣裳も、舞台展開も、珍しく上手と下手に2台の山台(「両床」
という)が出て、それぞれの分担の場面だけを交互に出語りをする竹本も、小道具の使い方
も、あらゆることに神経が行き届いた名作だと思う。「吉野川」の舞台下手に設えられた
「雛鳥」の部屋では、奥に置かれた段飾りのお雛様も華やかだ。この段飾りの一式は、大道
具にも、小道具にもなる。

竹本は、お休みの時は、霞幕を掛け合って隠す。その間、ドラマは、互い違いに進行する。
ときに、同時に語り、雰囲気を盛り上げる。今回は、上手に葵太夫、下手に愛太夫。ベテラ
ン葵太夫と若手の愛太夫は、雰囲気が似ている。葵太夫の声は、相変わらず、渋くて、美し
い。葵太夫と愛太夫は、仮名で書くと「あおい」と「あい」で一字違い。

若いふたりのための祝言の道具。長持ちとオシドリ。雛鳥の、いわば、「首」の嫁入りに使
われるミニチュアの駕篭。哀しみの嫁入り道具に使うなど、本当に憎いぐらいの演出であ
る。この「雛流し」の場面など、あらゆる細部に、半二の工夫魂胆の溢れる舞台で、歌舞伎
のなかでも屈指の名場面のひとつである。

近松半二お得意の左右対称の舞台構成。満開の桜に覆われた妹山(下手)、背山(上手)の
麓のふたつの家。大道具(例えば、定高の屋敷の金屏風、大判事の屋敷の銀屏風などの対
比)の工夫、上手の紀伊国が、大判事の領国。下手の大和国が、太宰の少弐の未亡人定高の
領国。家と家の間には、吉野川が流れていて、いわば、国境。川は、次第に川幅を広げて、
劇場の観客席を川にしてしまう。両花道が、観客席を呑み込んで、滔々と流れる河原を挟む
堤になる。

玉三郎と吉右衛門。玉三郎が演じる定高を主とする妹山の屋敷は、女の館である。定高、雛
鳥の母娘のほか、5人の腰元の姿が見える。定高は、娘だけでなく腰元たちも統率し、女性
陣のリーダーらしい落ち着きがある。きっちりと計算した演技。玉三郎・定高の次回は、ま
た、十数年先か。一方、背山は、大判事清澄、久我之助の父子が住んでいるが、ふたり以外
は登場しないので静謐の世界である。

玉三郎は、本興行で「吉野川」の定高を演じるのは、今回含め、2回目である。14年ぶ
り。初演は02年1月歌舞伎座であった。それ以前は、99年10月歌舞伎座、雛鳥で1回
出ている。つまり、私は玉三郎の「吉野川」の舞台は全て観ていることになる。玉三郎を相
手に大判事を演じるのは2回とも吉右衛門である。雛鳥の時の相手、久我之助は、染五郎で
あった。因みに吉右衛門が演じる大判事は5回目である。

菊之助も夜の部は、女形。雛鳥を演じる。雛鳥の血を吐くような科白。「わたしゃ、お前の
女房じゃ」、中を流れる吉野川を越えて、魂だけになっても、「わたしゃ、そこに行きます
る」など。人を好きになる気持ちを全身で表現していて、気持ちが伝わって来る。

贅言;「吉野川」は幕が開くと、無人の舞台で、川の流れを描いた浪布を貼ったいくつもの
筒(「滝車」という)が廻り、水の流れる様を見せていた吉野川は、舞台でドラマが進行す
ると、息を潜めて、悲劇を見守るように、止まってしまう。この滝車が今回はなかった。川
面を描いた布がゆるりと滑るように動き、必要なタイミングで桜の小枝を流していたが、滝
車の方が良かったのではないか。というのは、雛鳥の首が、母親によって切り落とされたの
に続いて、久我之助の首が、父親によって切り落とされると、吉野川は、哀しみの涙を流す
ように、再び、滝車が回り始め、水が流れる。今回の演出の方が合理的かもしれないが、こ
ういうタイミングを強調できない。古人の工夫は、心憎いばかりの演出ではなかったのか。


落語の歌舞伎化


「らくだ」は、3回目の拝見。2000年11月、歌舞伎座。2008年8月の歌舞伎座。
そして今回。この芝居は、最初から死んでいる駱駝らくだの馬太郎が主役である。私が観た
馬太郎は、團蔵、亀蔵、そして今回は亀寿である。半次は、八十助時代を含む三津五郎
(2)、今回は松緑。久六は、菊五郎、勘三郎、今回は染五郎。家主は、左團次、市蔵、今
回は歌六。家主女房は、秀調、弥十郎、今回は東蔵。長屋のおぎんは、小山三。今回は、幸
雀。半次の妹・おやすは、菊之助、松也、今回は米吉。

上方生まれの「らくだの葬礼」を、江戸落語に直したのが原作。それをさらに、岡鬼太郎
(作家、歌舞伎批評家)が、劇化した。江戸下町の裏長屋での人情噺。1928(昭和3)
年、初代吉右衛門の久六で、東京・本郷座初演の新歌舞伎。

「駱駝の馬太郎」(亀蔵)が河豚にあたって死んだ。遊び仲間の半次(松緑)が、紙屑買い
の久六(染五郎)を脅して、葬礼の準備をさせる。葬礼の費用を出し渋る家主に酒などを出
させようと、家主(弥十郎、家主女房・東蔵)のところへ馬太郎の遺体を久六に背負わせて
運び入れ、「かんかんのう」という踊りを遺体に踊らせて、思い通り、家主に酒を負担させ
る。

家主夫婦は、突然室内に遺体を持ち込まれて、「かんかんのう」まで踊られるという、「悲
劇的な」状況なのだが、客席から見ると、これが「悲劇的」ならぬ「喜劇的」な状況のわけ
だ。

歌舞伎には、数少ない滑稽噺。元が落語だけに、「落ち」がある。おとなしく半次の言うま
まに手足となって動いていた久六が、酒が入るに連れて人が変わるという、一種の酒乱。や
がて半次を顎で使うようになる。

遺体を演じる亀寿も、おとなしくしていたのは最初のうちだけで、あとは半次に操られて、
「かんかんのう」を踊るうちに、「自立して」踊り始める。


「元禄花見踊」は、初見。玉三郎を軸に若手の立役、女形の群舞。暗転のうちに開幕。せり
上がりでは、玉三郎が後姿のまま。セリが止まってから、ゆるりと身体を回転させて客席に
顔を見せる。ひと躍りあって、再び暗転。パッと明転となり、目も眩む。舞台では元禄期の
男女の群舞となっている。玉三郎が珍しく持っていた扇子を落とす。兪然と拾う。
- 2016年9月20日(火) 9:24:17
16年09月歌舞伎座 (昼/「碁盤忠信」「太刀盗人」「一條大蔵譚」)


秀山祭・昼の部は、「一條大蔵譚」


「碁盤忠信」は、初見。初代吉右衛門も演じたが、明治期以降、上演が途絶えていた「碁盤
忠信」を染五郎が復活に積極的な動きをみせていて、今回2回目の上演。歌舞伎座は初演。
碁盤を小道具に忠信の立ち回りを見せる、というだけの荒唐無稽な演目。場の構成は、次の
通り。第一場「鳥辺野の場」、第二場「堀川御所の場」、第三場「同    奥庭」。初見なので
粗筋もコンパクトに書いておこう。

第一場「鳥辺野の場」。幕が開くと舞台は浅黄幕が覆っている。武士たちが都を騒がす盗賊
の話をしている。彼らが浅黄幕両袖から内へはいると、幕の振り落とし。小柴入道の奴三郎
吾(隼人)が、噂の盗賊たち(由次郎、桂三)に襲われている。三郎吾の持つ宝剣が狙われ
た。宝剣は入道の婿・佐藤忠信が義経から拝領したもの。盗まれる訳にはいかない。盗賊を
追い払うと、だんまりの場面へ。残った三郎吾に加えて、狩姿の江間義時(松江)黒い衣装
の宇都宮弾正(亀鶴)奥女中の浮橋(宗之助)赤姫の万寿姫(新悟)。さらに舞台上手の堂
の内より隈取りの忠信(染五郎)、下手より塩梅よしのお勘(菊之助)も登場。たっぷり、
立ち回りの一種、だんまりという「暗闘」の静かだが華やかな舞台となる。忠信が宝剣を取
り戻し花道から退場。お勘も仮花道から退場。

第二場「堀川御所の場」。義経所縁の堀川御所。笹竜胆の家紋が金地の襖に青で描かれてい
る。義経不在の現在は空き御所。花道より小柴入道浄雲(歌六)が家臣の右平太(歌昇)左
源太(萬太郎)を連れて現れる。入道は吉野山から都へと逃れて来た忠信を匿っている、と
いうことになっている。その実、忠信を捉えて頼朝の家臣・梶原平次景高に差し出そうと狙
っている。さらに、入道の奴・三郎吾が女商人の塩梅よしのお勘を連れて戻ってくる。酒を
買い上げる。

皆が退場すると、御所の御簾が上がる。奥の間。忠信が身を隠している。宝剣を義経に見た
てて拝謁している。そこへ入道が現れ、忠信に酒を飲ませる。酩酊し横になる忠信。忠信に
近づこうとする入道。だが、体がすくんで悶絶してしまう。忠信の周りは、入道の娘であ
り、忠信の妻である小車の死霊が守っている。花道すっぽんから小車の霊(児太郎)が現れ
る。小車は、霊力で父親の入道を退け、忠信に危機を知らせると、姿を消す。さらに、小車
の霊力で散らばった碁石の形から堀川御所の周りが頼朝方に囲まれていることを知る。入道
らを蹴散らす。

やがて、頼朝方の梶原の家来・番場の忠太(亀蔵)が、入道の手引きで奥殿に攻めてくる。
お勘は、実は帝近くに仕える呉羽の内侍で、忠信と因縁のある横川覚範にご注進に行く。

第三場「同    奥庭の場」。姿を改めた忠信に入道や忠太が襲いかかる。蹴散らす忠信。忠信
は碁盤の足を右手で持ち、碁盤を巧みに使いながら立ち回りを見せる。唯一の見せ場。花道
から頼朝方の追加の討ち手として横川覚範(松緑)が現れるが、覚範は忠信と気脈を通じて
いる。


「太刀盗人」も初見。狂言を素材とした、いわゆる「松羽目もの」。1917(大正6)
年、東京の市村座で初演された新歌舞伎。岡村柿紅原作の 舞踊劇。初演時は、盗人の九郎兵
衛を六代目菊五郎が演じた。万兵衛は、七代目三津五郎、目代(もくだい)は、六代目彦三
郎。目代とは、代官のこと。

訴訟のために都へやってきた田舎者の万兵衛(錦之助)。帰国を前に土産を買おうと賑わう
市場にやって来た。金の太刀を持ち、不慣れな動きをする万兵衛に目をつけたのは「すっ
ぱ」(掏摸)の九郎兵衛(又五郎)。太刀を盗もうというのだ。盗みに気が付いた万兵衛と
の間で大騒ぎとなる。従者の藤内(種之助)と共に通りかかった目代の丁字左衛門(弥十
郎)が、騒ぎを解決しようと乗り出すことになる。九郎兵衛の対応ぶりが見せ場となる。

騒ぎとは、太刀の持ち主を巡っての争い。太刀を奪われようとした万兵衛が、持ち主は私だ
と言えば、太刀を盗もうとした九郎兵衛は、いや、私のものだ、と主張する。真偽を裁こう
とする目代とのやり取りの問答を踊りで表現する。目代の問にきちんと答えられるのは、万
兵衛だけなのだが、万兵衛が大きな声で正直に答えるので、それを聞いていた九郎兵衛も、
続いて後から目代に問われるので、万兵衛を真似て同じ答えをすることができる。従って、
いつまで経っても目代は詮議を終えることができない、という状況が観客の笑を誘う、とい
うことになる。まして、答えを踊りで表現するため、ふたりの踊りがずれる。この「ずれ」
の妙味が、この狂言のおかしみとなる。連舞では、半間遅れてくる、ずれの同調がおかしみ
をクライマックスに押し上げる。ここは、芸達者な又五郎ならではのおもしろさだ。

そこで、このままでは埒が明かないと、万兵衛は、答えを踊りではなく、目代に耳打ちをす
ることで伝えることを思い付く。実際に耳打ちで万兵衛が答えるので、これは九郎兵衛も真
似ができず、盗人の正体が露見する、ということになる。九郎兵衛の上着、壺折を脱がせる
と、その下には、これまでの盗品が隠されていた、と判る。それでもしぶとい九郎兵衛は太
刀を奪って花道へと逃げて行く。慌てて花道を追いかける万兵衛。舞台には目代と従者が取
り残される。そこへ緞帳が降りて来る。


吉右衛門の珠玉の藝、絶品の大蔵卿


「一條大蔵譚〜檜垣、奥殿〜」を観るのは、今回で12回目。私が観た大蔵卿は、吉右衛門
(今回含め、6)、猿之助、勘三郎、菊五郎、染五郎。歌昇、仁左衛門。常盤御前は、魁春
(今回含め、3)、芝翫(2)、時蔵(2)、鴈治郎時代の藤十郎、雀右衛門、福助、芝
雀、米吉。鬼次郎は、梅玉(5)、歌六、仁左衛門、團十郎、松緑、松也、菊之助(今回含
め、2)。鬼次郎女房・お京は、松江時代を含む魁春(2)、宗十郎、時蔵、玉三郎、菊之
助、東蔵、壱太郎、芝雀、児太郎、孝太郎、今回は、梅枝。

これで判るように、大蔵卿は、吉右衛門、鬼次郎は、梅玉というイメージが、私には強い。
菊之助は吉右衛門の娘婿になってから音羽屋型ではない演目や立ち役にも積極的に挑戦して
いる。今回は、鬼次郎2回目。義父の藝を舞台間近で見続け、いずれは大蔵卿にも挑戦する
日が来ることだろう。吉右衛門の大蔵卿は、上演ごとに進化している。菊之助が将来、どう
いう大蔵卿を見せてくれるか、楽しみである。

初代以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、いつも巧い。公家としての気品、風格。常盤
御前を妻に迎え、妻の源氏再興の真意を悟られないようにと能狂言にうつつを抜かし(純粋
芸能派文化人か)阿呆な公家を装う。その滑稽さの味は、いまや第一人者。吉右衛門は、阿
呆顔と真面目顔の切り替えにメリハリがある。阿呆面の下に隠していたするどい視線を時に
送る場面も良ければ、目を細めて笑一色の阿呆面も また良し。緩急自在。珠玉の藝の流域で
あり、絶品の舞台であった、と思う。いうこともなし。ひたすら、熟成の果てを楽しむ。

「阿呆」顔は、いわば、「韜晦」、真面目顔は、「本心」、あるいは、源氏の血筋を引くゆ
えの源氏再興の「使命感」の表現であるから吉右衛門型の演出は正当だろう。金地に大波と
日の出が描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換えるなど、阿呆と真面目
の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現しなければならない大蔵卿は、さぞ難しかろ
う。しかし、それをいとも用容易にこなしているように見えるのは、長年の弛まざる努力の
賜物であろう。
- 2016年9月19日(月) 16:11:17
16年09月国立劇場(人形浄瑠璃・第二部「寿式三番叟」「一谷嫰軍記〜三段目(熊谷陣
屋ほか)〜」)


人形浄瑠璃と歌舞伎の演出の違い

 
「寿式三番叟」は、国立劇場会場50年を寿ぐ。今回の記念上演第二部。「一谷嫰軍記」
は、中幕(なかまく)に「寿式三番叟」を挟んで、三段目まで通しとなった。並木宗輔執筆
部分の通し上演。人形浄瑠璃では、「寿式三番叟」は4回目の拝見。「寿式三番叟」は、能
の「翁(おきな)」がベース。基本は、「かまけわざ」(人間の「まぐあい」を見て、田の
神が、その気になり(=かまけてしまい)、五穀豊穣、子孫繁栄、ひいては、廓や芝居の盛
況への祈りをもたらす)という祝儀の曲である。

緞帳が上がる。舞台は破風の大屋根、背景は松の巨木。上下の両サイドは竹林。今回の舞台
は、三層に分かれている。観客席に近い第一層は人形遣い。第二層は、三味線方。寛治を軸
に藤蔵、清志郎ら9人が横一線に並ぶ。第三層は浄瑠璃語りの太夫たち。軸になる位置は、
翁を語る津駒太夫、その上手に千歳を語る呂勢太夫、下手側は、三番叟を語るふたり、咲甫
太夫、睦太夫。その他芳穂太夫以下5人の計9人がやはり横一線に並ぶ。歌舞伎の「口上」
の時の並び方に似ている。祝儀だからか。


「孔明」という肌色の首(かしら)を使う「翁」の人形が、さらに、不思議な微笑をたたえ
た「翁面」つけることで、神格化するという約束になっている。下手の五色の幕から、白塗
りの首の「若男」の千歳(せんざい・文昇)が、黒漆塗りの面(めん)箱(「翁」面が入っ
ている)を持って登場する。やがて、翁(玉男)も登場。さらに、ふたりの三番叟(玉勢、
簑紫郎)。

全員そろったところで、「とうとうたらり たらりら」。千歳の颯爽とした舞。上手で、翁
は、後ろを向いている間に、「翁面」をつけている。面を付け終わると前を向く。荘重な翁
の舞。金地の雲と海を泳ぐ亀。亀の背中に生えている松。松の近くを飛ぶ鶴。そういうシュ
ールな図柄が描かれた古風な扇を拡げる。終わると、翁は、左手で顔を隠して面を外して、
客席に向かって礼をすると、下手へ退場。

続いて、首が、肌色の「又平」、白塗りの「検非違使」という、ふたつの人形の三番叟がテ
ンポよく踊り始める。金と黒の横縞模様に、日の丸のような赤い丸が縫い付けられた剣先烏
帽子を被り、半素襖という衣装を着用。人形ならではの、躍動的な動きで、激しく、賑やか
に舞う「揉みの段」。地面を固めるので、足音も大きい。続いて、千歳から、三方に載せら
れた鈴、稲穂を象徴する鈴が手渡されて、「鈴の段」へ。

千歳は、面箱を持ち、退場。残されたふたりの三番叟は、舞台の東西南北に動き回り、種を
撒く所作。主遣いに、ぴったりくっつきながら、足遣いは、人形の脚を大きく振り動かしな
がら、移動する。それ故に、「又平」の三番叟は、くたびれてしまい、フラフラになったと
いう所作の後、舞台の下手に座り込んで、一休みをしていて、「検非違使」の三番叟に注意
される始末。

三番叟は、連れ舞が見どころ。今回のふたりより、最初に観た時に演じていた勘十郎・玉女
時代の玉男のコンビが動きにメリハリがあり良かった。「ダンダンダンダン」という足踏み
の音。「テケテンテンテケテンテン」「スッテンスッテンスッテンスッテン」という三味線
の音。なんとも、賑やかで、陽気で、元気が出る演奏。


三段目までの「通し」


「一谷嫰軍記」、今回の上演第二部は、「三段目(熊谷陣屋ほか)」である。1751(宝
暦元)年、大坂豊竹座で初演。全五段の時代もの。人形浄瑠璃は、歌舞伎の芝翫型という
か、歌舞伎の芝翫型は、人形浄瑠璃の原型に近いというべきか。人形浄瑠璃と歌舞伎の演出
の違いを楽しもう。

今回は、国立劇場の開場50年ということで、段構成は、10段となる。つまり、以下の通
り。

初段では「堀川御所の段」「敦盛出陣の段」。二段目「陣門の段」「須磨浦の段」「組打の
段」「林住家の段」。三段目「弥陀六内の段」「脇ヶ浜宝引の段」「熊谷桜の段」「熊谷陣
屋の段」。今回、第二部では、三段目の上演である。こういう形での通しは、滅多に上演さ
れないだろうから、第一部に引き続き、きちんと記録しておきたい。

三段目のうち、あまり上演されない「弥陀六内の段」「脇ヶ浜宝引の段」。これらの段の主
な登場人物たち。敦盛(和生)、石屋弥陀六(玉也)、弥陀六の娘、実は平重盛の娘・小雪
(紋臣)、弥陀六の妻・お岩(玉誉)、藤の局(勘彌)、景高の家臣・番場忠太(文哉)と
同じく須股運平(簑次改め、簑太郎)、庄屋・孫作(簑二郎)ほか。浄瑠璃語りは、「弥陀
六内の段」では、三輪太夫。「脇ヶ浜宝引の段」では、咲太夫。三味線方は、それぞれの太
夫に喜一朗、燕三が付く。

「弥陀六内の段」では、下手から松、海辺(書割)、石屋という大道具の配置。摂津国御影
の里の石屋に石塔の建立を注文した謎の若衆が登場する。人形遣いは主遣いも含めて黒ずく
め。夜、時刻は「丑三つ」白衣姿の若衆が下手から現れ、石屋の戸を叩く。先日注文した石
塔建立の進捗状況を聞きにきた。しかし、石屋の主の弥陀六が不在で、代わりに娘の小雪が
応対した。美男の若衆に魅了された若い娘。「胸せかれ、顔は上気の恥ぢ紅葉」と赤らむ始
末。女性の側から恋心を打ち明けるが、事情があるという若衆は、色よい返事をしない。そ
の代わりにと、錦の袋に入った笛を娘に託す。そこへ弥陀六が戻ってきたので、弥陀六は若
衆を導き石塔を立てた場所まで案内することになる。若衆は、敦盛の身代わりで亡くなった
小次郎か、生き残った敦盛か?

浄瑠璃語りは盆回しで交代。三輪太夫から咲太夫へ。咲太夫は痩せたようだ。病後の咲太夫
だが、チャリ場だけに楽しそうに語る。

「脇ヶ浜宝引(ほうびき)の段」は、チャリ場(笑劇)。引き道具で場面展開。石屋の屋体
が上手に引き込み、海辺の書割が広がる。上下手から松林。上手の松林のはずれに石塔が出
てくる。下手から弥陀六。主遣いの玉也は顔出し。弥陀六は若衆を案内して海の見える見晴
らしの良い場所に建立した石塔のところへ案内してきた。しかし、途中で若衆は姿を消して
しまったのか、舞台には出てこない。弥陀六ひとり。石塔代も未払いのままだ、とぼやく弥
陀六。下手小幕や下手奥より大勢の百姓たちが出てくる。出逢った村の百姓たちに愚痴る弥
陀六。遅れて下手からやってきた小雪は、あの若衆は人を騙すような人ではない、と言って
若衆からもらった笛を見せる。

そこへ敦盛を探しているうちに源氏方に追われるようになった藤の局も現れる。藤の局は、
小雪の持っている笛が敦盛秘蔵の青葉の笛と判り、その理由を尋ねる。石塔建立の経緯を話
す。百姓たちは、その若衆は敦盛の幽霊だと騒ぎ立てる。敦盛が直実に討たれた最期の様子
を百姓たちから聞かされ、藤の局は泣き伏してしまう。玉織姫も殺されたという。敦盛から
小雪に託された青葉の笛は、敦盛実母である藤の局に渡される。藤の局を追う景高の家臣・
番場忠太、須股運平のふたりがやってくるが、百姓たちが藤の局を匿い、もみ合ううちに運
平を殺してしまう。そこへ庄屋の孫作が駆けつけて、詮議するが誰も答えず、埒があかな
い。源氏方へ家臣死亡の言い訳に行く人もくじ引きで選ぶことになる。その結果、籤を引き
当てたのは庄屋の孫作だった。「宝引(ほうびき)」とは、くじ引きのこと。長い悲劇の途
中で、観客の息抜きとなる喜劇の一場面、というところ。

同じ三段目のうち、「熊谷桜の段」「熊谷陣屋の段」の主な登場人物たち。直実(勘十
郎)、直実の妻で小次郎の母・相模(清十郎)、直実の家臣・堤軍次(文哉)、藤の局(勘
彌)、景高(玉輝)、弥陀六、実は弥平兵衛宗清(玉也)、義経(幸助)ほか。浄瑠璃語り
は、「熊谷桜の段」では、靖太夫。お馴染みの「熊谷陣屋の段」では、前が、呂勢太夫、後
が、英太夫。三味線方は、それぞれの太夫に富助、清治、團七が付く。

「熊谷桜の段」「熊谷陣屋の段」は馴染みの場面が続くので、粗筋は省略。前にも書いた
が、今回は、人形浄瑠璃と歌舞伎で違うところをチェックしておきたい。歌舞伎では、「熊
谷陣屋」の演出は、2系統あり、「芝翫型」、「團十郎型」と言われる。「芝翫型」は、江
戸時代の三代目中村歌右衛門が、1813(文化10)年に工夫し四代目中村芝翫が完成し
たと言われるもので、熊谷直実の花道出の衣装では、黒のびろうど着附・赤地錦の裃(オレ
ンジ色に近い赤地錦のきんきらした派手なもの)をつけて出て来る。「芝翫型」演出は人形
浄瑠璃から引き継がれている。衣装も歌舞伎と違うし、ドラマの終末も違う。これを楽しめ
るのは、人形浄瑠璃の楽しみの見どころの一つだろう。

すっかり歌舞伎の演出として定着した「團十郎型」は、歌舞伎十八番を創設した江戸時代の
七代目市川團十郎とそれを発展させて新歌舞伎十八番も創設した明治の劇聖・九代目團十郎
が工夫したもので、心理劇として、近代化されている。結末の部分が江戸期の原作とは大き
く改編されている。團十郎型は、その後、熊谷直実の「性根」解釈を深め、初代吉右衛門が
完成させた。いまでは、歌舞伎では、この團十郎型の上演ばかりで、「芝翫型」は、すっか
り姿を消している。

「熊谷桜の段」。「熊谷桜の段」は、いまの歌舞伎なら陣屋の前の桜の木に立ててある制札
を仕出しの役者衆の百姓が噂をする場面で終ってしまうが、「相模は子を思ひ夫思ひの旅
姿」(竹本)、直実の妻・相模が供を連れて、東国からはるばると訪ねて来る場面から演じ
られる。追っ手に追われて逃げて来る藤の局(「藤の局」、「藤の方」が混在)は、先程つ
いたばかりの相模と16年ぶりに逢うことになる。梶原平次景高が嫌疑の縄を打って引き立
ててきた石屋の弥陀六が来るという場面まで演じられる。「熊谷桜の段」は、登場人物が
次々に出て来る「入り込み」があり、次の「熊谷陣屋の段」の伏線になっていることが、よ
く判る。
 
以前は、歌舞伎でも、これらの「入り込み」を省略しなかったようだが、最近は滅多に上演
されない。私は、12年3月の国立劇場で、歌舞伎の「入り込み」を初めて観たことがあ
る。その時の配役は、花道から出てくる順で、相模(魁春)、藤の方(東蔵。この度、脇役
の人間国宝になった)、梶原平次景高(市蔵)、弥陀六(弥十郎)、直実(今は亡き團十
郎)/陣屋では、このほか、軍次(巳之助)、義経(今は亡き三津五郎)。

「熊谷陣屋の段」。「熊谷陣屋」の「陣屋」というのは、英語では「キャンプ」、軍営施
設。陣屋は、公務を扱う役宅と駐在する責任者の私宅が併設されている。「熊谷桜の段」の
竹本の文句に「要害厳しき、逆茂木の中に若木の花盛り、八重九重も」とある。「逆茂木」
とは、バリケード。陣屋の門の外に咲く桜は、八重桜と判る。戦場の中の日常。舞台の熊谷
陣屋は、東国の武将・熊谷直実の出張・駐在先(須磨)にある役宅兼私宅であることが判
る。下手、入口から座敷に上がると、正面が、役宅。背景は障子6枚。後に、障子が開けら
れると、廊下と部屋があり、その奥は、板戸。板戸が開けられると、外が見える。山々の遠
見。谷間では、合戦中と見られ、砂埃が上がっていて、兵士たちが掲げるいくつもの幟も見
える。上手、4枚の障子で仕切られているのが私宅の入口と思われる。竹本の語りをこまめ
に聴いていると、上手の部分が、「勝手」とか、「奥」とか称されているのが判る。側近の
堤軍次がしょっちゅう出入りしている。

歌舞伎では、藤の方(局)が青葉の笛を吹くと敦盛の姿が上手の障子に横向きのシルエット
となって写るが、人形浄瑠璃では、舞台正面の背景として障子があり、そこに影が写る。影
に驚いて、障子をあけると、そこには、青の横線が二本(大小)入った板戸を背景に緋縅の
鎧が正面を向いて置かれているだけというのは、歌舞伎も人形浄瑠璃も同じだが、歌舞伎の
場合、障子に写る影が正面を向いた敦盛なのに、人形浄瑠璃では、横向きの敦盛であった。
 
上手の障子が開き、首桶を抱えた直実が登場する(歌舞伎は、正面奥より登場)。歌舞伎同
様に落着いた色の裃に長袴という扮装。続いて、義経も奥から登場。

歌舞伎の場合、義経は、必ず四天王を引き連れて登場するが、人形浄瑠璃の舞台では、義経
は、ひとりで登場した。正面奥、先ほどの板戸を開けて登場し上手に座る。但し、首実検
(人定実検。死者の判別方法)での義経の役回りは、同じであった。この後、「首(く
び)」を巡っての直実と相模、藤の局の絡みでは、制札の使い方が、歌舞伎より人形浄瑠璃
の方が、実用的で、「首」をふたりの女性に見せないように、見せないようにとするための
道具として使われる。制札で、ふたりの視線を塞ぐ。
 
歌舞伎の場合には、「制札の見得」と呼ばれる有名な場面のための、いわば象徴的な使い方
を制札はするのだが、人形浄瑠璃の場合、特に相模に対しては、殺された息子の生首を母
親・相模の目から、本当に「目隠し」をするように使うのである。

人形浄瑠璃では、人形の顔を首(かしら)と言う。しかし、首(かしら)が、本当に首(く
び)になる場面がある。首実検の場面である。

「首」に近づこうとする相模の身体を直実は、右足で下に押さえ込み、相模の顔を下に向け
る。問題の「首」の前には、扇子を置き、女性らには、首を見えないようにもする。この場
合、制札は藤の局の顔を隠している。まあ、三人遣いの人形だからこそ、できる動作だろ
う。「首」の前から扇子をはずすのは、「首」を義経に見せるときだけだ。どの段階で、誰
に「首」を見せるか、そこは、細かなところまで徹底しているように見受けられた。
 
いよいよ「首」をふたりの女性に見せる場面。先ず、相模。その「首」が、敦盛ではなく、
わが子・小次郎と知り、泣き崩れる相模だが、相模は「首」を藤の局にも見せなければなら
ない。紫の布に包み「首」を舞台下手に入る藤の局のところに運ぶ相模(歌舞伎では、藤の
方は、舞台上手にいる)。ここは、女性同士で泣かせる芝居になる。途中で、「首」を持っ
たまま、つまづく相模。藤の局に語りかける相模のクドキの台詞は、人形浄瑠璃も歌舞伎も
同じだ。
 
ただ、「首」を包む紫の布を開けたり閉めたりする相模の動作がきめ細かい。ここでも、
「首」の見せ方は、細かなところまで徹底しているように見受けられた。それは、私には、
歌舞伎の舞台より、小次郎に対する相模の母としての愛情表現が、遥かに細やかに思えて来
た。これまでにも、何回も私が主張して来たように、並木宗輔の「母の愛」というテーマへ
の思いの濃さが感じられる場面である。

敦盛の軽さ。直実から弥陀六に「手渡された」鎧櫃は、歌舞伎なら櫃のなかに、生き残っ
て、逃がされることになる敦盛が隠れているという想定だから、手渡したりしない。弥陀六
も、平気で両手で櫃を運んだりする。人形浄瑠璃でも櫃のなかに敦盛が隠れているという想
定は変わらないのだが……。重さを表現するというところに、こだわりはないらしい。軽々
と持っているのだ。陣門や組打の段で、直実が幼子のように抱き抱えた敦盛、玉織姫も重さ
を感じさせなかった。軍兵たちとの立ち回りでも軽々と投げ飛ばされる。時空を超える人形
の軽さか。
 
さて、直実は、歌舞伎なら頭を剃りあげて僧形になる場面では、人形浄瑠璃では、直実は、
被っていた兜の下から髷を切ったままの頭を見せる。一旦、奥に引き込んだ後も、髷を切り
落としただけで「有髪」の僧形である。剃った頭と僧形を鎧兜の下から脱いでみせるのは、
歌舞伎の芝居心なのだろう。「十六年もひと昔。夢であったなあ」という感慨深げな科白
も、脱いだ兜に向かって言う。歌舞伎の場合、直実は、長い間の武士の生活に別れを告げる
だけでなく、16歳で亡くなった(いや、自らの手で殺した)わが子・小次郎の「首」へ向
けて、父親としての惜別の思いを込めているように思うが、人形浄瑠璃では、武士の生活と
の別れへの述懐だけのようだ。
 
幕切れは、歌舞伎の場合も、もとは本舞台に全員が残っての引っぱりの見得だったという。
ところが、いまの歌舞伎では、花道で直実が、思い入れたっぷりに「ア、十六年はひと昔、
アア夢だ、夢だ」と突き放すように言いながら、頭を抱え、さらに幕外で武士と僧形の間で
揺れる心を、遠寄の音を効果的に使いながら見せるという演出をする。これは、「送り三
重」という三味線の演奏を使うという演出とともに九代目市川團十郎が創案した演出であ
る。役者の工夫魂胆である。私は、筋立てとの整合性は、若干欠くと思われるこの役者・九
代目ならではの歌舞伎の工夫も好きだし、原作者・並木宗輔ならではの、工夫魂胆も好きで
ある。
 
「十六年もひと昔。夢であつたなあ」が、人形浄瑠璃の竹本。私の観たところでは、人形浄
瑠璃では、むしろ「惜しむ子を捨て武士を捨て、住み所さへ定めなき有為転変の世の中や
と、互ひに見合はす顔と顔 『さらば』『さらば』『おさらば』の声も涙にかき曇り、別れ
てこそは出でて往く」という文句を竹本の大夫が語りあげ、人形は皆々引張りの見得という
場面が、クライマックスと思う。
 
むしろ、人形浄瑠璃では、制札という小道具を直実がいつまでも持っていることを考えれば
(歌舞伎は、幕外の引っ込みでは「笠」が、大事な小道具になっているが)、組織(主従関
係)のため、制札に込められた謎を解き明かし、それが成功して、評価された(男の論理)
ことの虚しさ(子殺しという結果)をこそ、「有為転変」という言葉に原作者・並木宗輔
は、メッセージを込めているように思える。彼の価値観としては、男の論理より、母の情を
上位に置いているのだろう。

戦乱の世に様々な苦悩を抱えながら生きた人々。それは、時空を超えて、今の世にも続いて
いる、と言えるだろう。
- 2016年9月13日(火) 9:14:42
16年09月国立劇場(人形浄瑠璃・第一部「一谷嫰軍記」〜初段・二段目〜)


二段目は41年ぶりの上演。箕助の女形が見応え


「一谷嫰軍記」には、ふたつの物語の流れがある。ひとつは、「林住家の段」(通称「流し
の枝(えだ)」)を軸にした薩摩守平忠度とその妻・菊の前の物語。今回の上演で言えば、
「堀川御所の段」「林住家の段」。もうひとつは、お馴染みの「熊谷陣屋の段」へ流れ込む
熊谷直実・直家親子と平敦盛の物語。今回の上演で言えば、「敦盛出陣の段」「陣門の段」
「須磨浦の段」「組打の段」「弥陀六内の段」「脇ヶ浜宝引の段」「熊谷桜の段」「熊谷陣
屋の段」。

「一谷嫩軍記」は、平家物語の世界。一谷合戦における史実の岡部六弥太忠澄・薩摩守平忠
度と熊谷次郎直実・平敦盛の戦いをふた筋の話にして、より合わせた。全五段の時代もの。
並木宗輔らの合作で、1751(宝暦元)年12月、大坂豊竹座(人形浄瑠璃)初演。並木
宗輔が三段目(熊谷陣屋の段)まで書いて、1751年9月に亡くなってしまった。四段目
以降は浅田一鳥らが書き継いだ。四段目は、ほとんど上演されない。息子・小次郎直家を身
替わりにして熊谷次郎直実が史実では殺したはずの無官太夫平敦盛を救出するというミステ
リー色の強いフィクションを仕掛けた並木宗輔は、有為転変の世の中の無常を「熊谷陣屋」
のテーマとしたことで、「熊谷陣屋」の場面が時空を超える歌舞伎・人形浄瑠璃の名作にな
った。

人形浄瑠璃で私が観る 「一谷嫰軍記」は、4回目である。「一谷嫰軍記」は、歌舞伎でも人
形浄瑠璃でも人気演目である。特に、「熊谷陣屋の段」は、この演目の中でもよく上演され
る。最初に人形浄瑠璃で観たのは、01年5月国立劇場で、この時の通し狂言「一谷嫩軍
記」の段構成は、「陣門の段」「須磨浦の段」「組打の段」「脇ヶ浜宝引の段」「熊谷桜の
段」「熊谷陣屋の段」の6段であった。次いで、13年5月、15年5月の国立劇場は「熊
谷陣屋」(「熊谷桜の段」「熊谷陣屋の段」)のみの「みどり上演」であった。特に、15
年5月の国立劇場は玉女、改め二代目玉男の襲名披露の舞台であった。今回は、国立劇場の
開場50年ということで、段構成は、10段となる。つまり、以下の通り。

初段では「堀川御所の段」「敦盛出陣の段」。二段目「陣門の段」「須磨浦の段」「組打の
段」「林住家の段」。三段目「弥陀六内の段」「脇ヶ浜宝引の段」「熊谷桜の段」「熊谷陣
屋の段」。今回、第一部では、初段・二段目の上演である。

従って、私は、今回人形浄瑠璃での初見が、「堀川御所の段」「敦盛出陣の段」「林住家の
段」「弥陀六内の段」の4つ。2回目が、「陣門の段」「須磨浦の段」「組打の段」「脇ヶ
浜宝引の段」の4つ。4回目が、「熊谷桜の段」「熊谷陣屋の段」の2つということにな
る。歌舞伎では、「熊谷陣屋の場」だけでも、17回観ている。「陣門の場」「組打の場」
も「熊谷陣屋の場」に次いで、上演回数が多いので私にも馴染みの場面だ。

「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」という、人形浄瑠璃と歌舞伎のそれ
ぞれ400年を超える長い歴史の中でも、三大演目と言われる巨峰の狂言を軸になって書い
たのは並木宗輔。宗輔の絶筆となったのが「一谷嫰軍記」であり、この三段目まで執筆した
後、宗輔は逝去してしまったのである。従って、今回の上演は、並木宗輔の手になる段全て
を通しての「一谷嫰軍記」ということになる。

こういう風に段構成を分析していると、思い出すのは、5年前の国立劇場開場45年を記念
する歌舞伎上演であった。12年3月国立劇場では、開場45周年を記念して「一谷嫩軍
記〜流しの枝・熊谷陣屋〜」と銘打った。その時の構成は、以下の通り。

序幕「堀川御所の場」、二幕目「兎原里(うばらのさと)林住家の場」、三幕目「生田森熊
谷陣屋の場」であった。このうち、序幕「堀川御所の場」は、この時点で98年ぶりの復活
上演。従って、人形浄瑠璃では今回初見だが、「林住家の場」は、歌舞伎では観ている。


今回の第一部。「堀川御所の段」「敦盛出陣の段」「陣門の段」「須磨浦の段」「組打の
段」「林住家の段」。見所をチェックしながら粗筋もコンパクトに記録しておこう。

まず、初段のうち、「堀川御所の段」の主な登場人物たち。( )内の名前は人形遣い。源
義経(幸助)、その義父・平時忠(亀次)、藤原俊成の娘で薩摩守平忠度(ただのり)の
妻・菊の前(簑紫郎)、義経の家臣・岡部六弥太忠澄(玉志)、義経の家臣・熊谷次郎直実
(勘十郎)ほか。浄瑠璃語りは人形ごとの役割分担で、亘太夫、小住太夫ら。三味線方も同
じく役割分担で、清允、燕二郎ら。

幕が開くと堀川御所。義経の家紋「笹竜胆」を掲げた襖が輝かしい。御所の座敷には義経と
平時忠がいる。ここは、物語のスタートライン。ストーリー源流では義経が軸となる。平家
一門を都から追い出した源義経は、平時忠を呼びつけ、平家方にあった三種の神器のうち、
神鏡、神璽などの二種類を持って来させていた。そこへ、歌人で五条三位藤原俊成の娘・菊
の前が、父俊成の使いとしてやって来て、ある和歌を俊成が編纂する「千載集」に掲載して
も良いか、義経の判断を仰ぎに来る。その歌が平家方の薩摩守平忠度の歌だと知りながら、
義経は是と言う。平家を裏切って、神器を盗んで来た時忠は平忠度の歌だと知っているだけ
に反対する。義経は、「詠み人知れず」として、「千載集」に所収すれば良いという。「さ
ざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」。義経は菊の前から歌を書いた短冊を
預かる。この段では、人形遣いは主遣いも含めて、3人とも黒ずくめだった。

やがて、義経の家臣の岡部六弥太忠澄と熊谷次郎直実のふたりがそれぞれの家紋を染め抜い
た大紋の正装姿でやって来る。義経は岡部六弥太忠澄に平忠度の短冊を山桜の流し枝(小
枝)に付けて渡し、短冊を平忠度に届け、歌が「千載集」に所収されたことを伝えよと命じ
る。さらに義経は、熊谷次郎直実には家臣に持って来させた制札を渡し、平経盛・敦盛親子
のいる須磨の陣に赴くようにと命じる。この制札は後の「熊谷陣屋」の場面で、重要な道具
となる。制札は弁慶が書いたという。制札には桜の枝を切ることを禁じる言葉が書かれてい
る。「一枝(いっし)を伐(き)らば、一指(いっし)を剪(き)るべし」=「一枝伐った
ら、一指切るよ」という暗号=敦盛救済を命じる、いわば密書)である。直実は、それを持
って、ある決意を胸に秘め、戦場へと向かう。ここは、ふたつの物語の起点であることが判
る。両方とも桜のエピソードを入れ込んでいるのは、宗輔ならではの趣向。

同じ初段のうち、「敦盛出陣の段」の主な登場人物たち。義経の義妹・玉織姫(一輔)、3
人の女房(簑一郎、紋秀、清五郎)、表向きの敦盛の父・平経盛(勘寿)、その妻、つまり
敦盛の母・藤の局(勘彌)、時忠の家臣・大館玄蕃(玉翔)、経盛の息子、実は、後白河法
皇の落胤・敦盛(和生)、成田五郎(勘次郎)ほか。
浄瑠璃語りは、口が、希太夫、中が、始太夫、奥が、文字久太夫。三味線方は、それぞれの
太夫に、寛太郎、團吾、清介が付く。

福原にある平経盛館。襖絵は山の遠見の模様。襖の下手の柱に鈴が掛かっている。奥への合
図の鈴。襖が開くと、奥から経盛と藤の局の夫婦が登場。時忠の娘で、敦盛の許嫁の玉織姫
が祝言の日を待っている。下手の小幕が開き、時忠の家臣・大館玄蕃がやって来る。時忠の
変心(敦盛の代わりに平山武者所に娘を娶せよう、という)を伝え、玉織姫を連れ出そう、
というのだ。それを拒絶した玉織姫は大館玄蕃の腰の刀を抜き、大館玄蕃を手討ちにしてし
まう。意外と女武道。三人の女房も玉織姫を奪おうとする平山の家来の成田五郎らを相手に
男勝りの武芸を披露する。「武者所でもむしやくしやでも、けもないけもないやる事なら
ぬ」と成田五郎らを蹴散らす。

敦盛と玉織姫の祝言の席で、経盛は敦盛の出生の秘密を暴露する。敦盛は、後白河院の落
胤。藤の局が後白河院の情愛を受けて懐妊したので、自分の妻にし、敦盛を我が子として育
てた、と言う。さらに時世柄、平家滅亡は必至なので、敦盛は玉織姫、藤の局を連れて、都
へ帰るように、と言う。しかし、敦盛は出陣の用意をする。玉織姫も敦盛に同道したい、と
言う。敦盛は新妻を連れて戦場の須磨の陣に行くことになる。経盛は、平家一門が陣取る八
島に向かう、と言う。藤の局は、我が子敦盛を戦場に送り出す。鎧兜に身を固めて白馬に乗
った敦盛の出陣姿が、凛々しい。戦争の時世。家族は散り散り。残った藤の局も後に戦場の
敦盛を訪ね歩く。戦争と家族は、「一谷嫰軍記」のテーマ。この段では、主遣いは、顔を出
している。

二段目のうち、「陣門の段」「須磨浦の段」「組打の段」の主な登場人物たち。直実の息
子・熊谷小次郎直家(和生)、義経の家臣・平山武者所(玉佳)、敦盛(和生)、玉織姫
(一輔)ほか。小振りの人形の「遠見」で遣う敦盛と直実(玉彦、勘介。歌舞伎では、この
場面では子役の「遠見」を使う)。浄瑠璃語りは、「陣門の段」では、小次郎を松香太夫、
平山を津國太夫、直実を文字栄太夫ら役割分担。三味線方は清友一人。「須磨浦の段」で
は、芳穂太夫、三味線方は清馗。「組打の段」では、咲甫太夫、三味線方は、錦糸。

「陣門の段」は、矢来と平家の陣門(舞台中央から上手寄り)、そして、黒幕というシンプ
ルな大道具。「月さへ入りて暗き夜」だから、闇夜という想定。舞台奥は、須磨の浦の大海
原。上手は、鵯越の険しい崖。

陣門には、平家に対立する義経方では小次郎が先陣となる。陣門内より聞こえくる笛の音に
惹かれる。敦盛の青葉の笛。戦場に臨んでも風雅な趣を忘れない若者ふたり。風雅を愛する
反戦の心が通じ合う。

遅れてきたのが義経の家臣・平山武者所、さらに、直実も駆けつける。直実は、秘策を胸に
秘めている。平山武者所は、なんやかんや言いながら、陣門の外でウロウロしている。卑怯
な男だ。

本来、この場面、観客にとっては、小次郎、敦盛が、別人となっている。「熊谷陣屋」の場
面になって、初めて、敦盛には、小次郎が化けていて、敦盛を助ける代りに父直実の手で小
次郎が殺されたという真相が明らかにされるので、観客は、同じ役者の「ふた役(別人
格)」と思っている。人形浄瑠璃では、首(かしら)は、同じ「若男」で、人形遣いも同じ
人が担当する。今回は、和生。先陣を切って平家の陣門に打ち込み怪我をしたとされる小次
郎は、父親の直実の胸に幼子に戻ったように抱き抱(かか)えられて陣門から運び出され
る。小次郎は敦盛に変わっているが、敦盛救出の真相は伏せられている。歌舞伎では兜で顔
を隠して、花道を足早に立ち去る姿の小次郎(吹き替え、同人格)が「敦盛」という想定
だ。ここの芝居では、小次郎は、小次郎、敦盛は、敦盛で、底を割らせない。

小次郎が身代わりとなったはずの「敦盛」が、朱色を基調とした鎧兜に身を固め、白馬に乗
り、朱色も鮮やかな母衣(幌・ほろ)を背負い、陣門から出て来る。陣門の外にいた平山武
者所が斬り結ぶが、相手にされない。平山の黒馬も主を残して逃げて行く。白馬に乗って下
手小幕に入った敦盛に取り残されてしまい、慌てて敦盛の後を追う平山。

「須磨浦の段」では、須磨の浦が見通せる海浜が舞台。ただし、まだ、闇夜に近い夜明け前
だ。「朧夜」(おぼろよ)から「東雲(しののめ)」という時間帯。下手小幕より玉織姫登
場。薙刀を持ち、戦場にいるはずの敦盛を探している。「敦盛様いなう、太夫様いなう」。
姫は舞台上手へとうろうろと移動する。敦盛を追い掛けていた平山が黒馬に乗って下手から
出て来る。横恋慕をしている玉織姫に「敦盛を討った」と嘘をつき、あきらめさせようとす
る。猫なで声で、姫に迫る平山。「女房になるかならぬか」「誰ぞ強い人が来てこいつを斬
つてくれぬか」と、玉織姫。「につくい女め、思ひ知れ」と姫に斬りつける。さすがの女武
道も戦場で疲れ切ったか、倒れ込む玉織姫。姫に傷を負わせた平山も下手に引っ込む。

「組打の段」。敵を追い求める敦盛。白馬に跨がった敦盛が下手から舞台を通り、上手に一
旦入る。遥か沖に出ている平家方の御座船(ござぶね)、兵船(ひょうせん)を追うことに
したのだろう。下手から、さらに直実が敦盛を追って黒馬に乗ってやって来る。紫の母衣
(幌・ほろ)を背負っている。敦盛が沖へ向かったのを認めると、下手小幕に入り、やは
り、沖を目指す。

鎧の背に付けた母衣は、戦場の軍人たちの美意識を示す飾りであり、背中から来る流れ矢を
防ぐ道具でもあるが(なぜ、ほろ=母衣という字を当てるのか。背中を守る母親の情愛か。
そういえば、敦盛の母衣は藤の局の打掛から作ったものだ。「敦盛出陣の段」参照)、中
に、籠(母衣串)を入れて膨らませ、さらに5幅ほどの長さの布を垂らしている。波風高し
須磨の浦。白馬と朱の母衣の敦盛。黒馬と紫の母衣の直実。ふたりとも一旦、引っ込んだ
後、小ぶりの人形と入れ替わった敦盛と直実が沖に登場する。歌舞伎なら、定式通りに子役
を使った「遠見」(ズームアウト)で見せる。人形浄瑠璃も小ぶりの人形で「遠見」の演出
となる。歌舞伎なら距離感を表現する子役の「遠見」同士での、沖の立回りを見せた後、浅
葱幕振り被せとなるが、人形浄瑠璃では、「互ひに鎧を踏みはずし両馬が間にどうと落つ」
(竹本)で、両者が取り組みあったまま海に落ちると、すぐさま海中から、元の「本役」の
人形遣いたち(今回の場合、敦盛=和生。直実=勘十郎)が飛び出してくる。

贅言;歌舞伎なら、振り被された浅葱幕の上手側から、敦盛を乗せていた白馬が、無人で出
て来る。なぜ、無人? 本舞台を横切り、後ろ髪ならぬ、鬣(たてがみ)の後ろを引かれる
ようにしながら、白馬は花道から揚幕へと入って行く。敦盛、いや、小次郎の悲劇を予感さ
せる余情溢れる場面。歌舞伎ならここは、いつもの演出となるが、あれは歌舞伎の入れ事
か。人形浄瑠璃には、無い。

海辺での組み打ちの場面。立回りと我が子・小次郎を殺さざるをえない状況に追い込まれた
父親・直実の悲哀。一旦は、小次郎を逃がそうとする直実。遅れてきた平山武者所が遠くか
ら見ていて、直実の真情を察知し、「二心に紛れなし」と非難して、敦盛を仕留めるように
と促す。潔い小次郎も「御身が手にかけて」、と父親に自分を殺すようにと促す。直実が、
敦盛こと、小次郎に斬り掛かる。敦盛の身替わりに、実子・小次郎を討つ哀しみが、全身か
ら溢れている。「隠れ無き、無官の太夫敦盛」と、直実は、この若者は息子ではない敦盛な
のだと己に言い聞かせるようにして、敦盛に扮した小次郎の首を斬って持ち上げる。

敦盛の許婚で、瀕死の玉織姫が、上手から這い出して来る。直実は、「もう目が見えぬ」と
いう玉織姫に、「何お目が見えぬとや……」と、確認をした上で、(敦盛の)「御首は、コ
レコレここに」と(小次郎の首を)手渡す。愛しい赤子でも抱くように「敦盛」の首をしっ
かりと抱きしめながら息絶える玉織姫。直実は、敦盛を抱き抱(かか)えて平家の陣門から
出てきた時のように、今度は、玉織姫の遺体を優しく抱き抱えて汀に寄り、そっと海へ流し
た。

下手から、直実の黒馬が出て来る。敦盛に扮して父親に殺された我が子・小次郎の遺体を自
分の黒馬の背に載せる直実。この場面以降、小次郎(敦盛)の主遣い(和生)は、人形から
離れて、姿を消す。芝居としては、「敦盛最期」の場面というところ。

贅言;歌舞伎では直実は、いわば、恋人同士の「道行」を願うかのように、矢を防ぐ楯(台
本は、「仕掛けにて流す」とあるだけ)を筏のように使い、ふたりの遺体を一緒に載せた。
玉織姫が遺してあった薙刀で、楯を(上手の)海に押し流す。これも歌舞伎の入れ事か。人
形浄瑠璃には、無い。

黙々と、そして、てきぱきと、「戦後処理」をするという、実務にも長けた戦場の軍人・直
実の姿が、明確に浮かんで来る。すべてを終えた直実は、我が子・小次郎の首を胸にかい込
み、息子の遺体を乗せた黒馬とともに、きっとなり、舞台中央で立ち止まる。釈迦の逸話を
イメージとして重ねる「檀特山(だんとくせん)の憂き別れ」「片手綱、涙ながらに」。

同じ二段目のうち、「林住家の段」は、国立劇場では、41年ぶりの上演。箕助が菊の前を
操るので、楽しみ。「林住家の段」の主な登場人物たち。菊の前の乳母を引退した林(和
生)、菊の前の夫・薩摩守平忠度(玉男)、菊の前(箕助)、林の息子・太五平(文司)、
人足回し、つまり「人(この場合は、軍兵)集め」の茂次兵衛(勘市)、源頼朝の家臣・梶
原平次景高(玉輝)、義経の家臣・岡部六弥太忠澄(玉志)ほか。浄瑠璃語りは、口が、小
住太夫、中が、睦太夫、奥が、千歳太夫。三味線方は、それぞれの太夫に、清公、清志郎、
宗助が付く。

一谷の戦場から遠く離れた摂津国兎原(うばら)の里。「林住家の段」(通称「流しの
枝」)。人形浄瑠璃では、二段目の「切」。幕が開くと、舞台中央に百姓家、下手に木戸。
舞台下手側の遠見は、山並みと川。田舎の陋屋の風情。

歌人の藤原俊成家に奉公をし、菊の前の乳母だった林の住家。いわば、キャリアウーマンの
引退後の一人暮らし。都から須磨の戦場に帰るという菊の前の夫で歌人の薩摩守平忠度が宿
を乞うてきたので、泊めることにした。平忠度は上手の障子の間に入って休む。宵になる
と、盗人も忍び込んできた。勘当した一人息子・太五平(たごへい)が家重代の刀を盗みに
きたのだ。源平の争いの世ゆえ、父の形見の刀を身につけて戦場に赴き、どちらかの首を拾
って、反対の陣営から恩賞を得ようというつもりだ。人足回しの茂次兵衛が、戦場での人手
を求めて訪ねてきたので、母は太五平の世話を頼む。刀の折紙(鑑定書)まで持たせてや
る。馬鹿な息子ほど可愛い、という母情に負けて、林は息子を送り出すことになる。これか
ら息子が世話になる茂次兵衛に酒を勧めるのも母の気遣い。

赤姫の衣装に身を包んで、簑を付け、黒塗りの笠に杖を持って、という旅装の菊の前が、許
婚の薩摩守平忠度の行方を追って、やって来る。偶然にも、林の住家には、平忠度が宿を借
りていた。それを知り、「早う逢ひたい逢はしてたも」と喜ぶ菊の前。乳母と姫との親しい
口調を思い出したのか、林は粋なことを言う。

「成る程お逢ひなされませ、ぢやがコレ旅草臥れで休んでござる、けたたましう起こさずと
そつと入つて肌身を付け、しつぽりと御寝(ぎょし)なれ」

片頬に笑みを浮かべ、いそいそと部屋に入った菊の前だが、暫くして不機嫌な顔をして出て
くる。平忠度から「縁切り話」を持ち出されたのだ。妻には冷たいようだが、歌道の師であ
る義父の俊成が、風前の灯の運命となっている平家方との関係を源氏方に疑われるのを避け
ようという配慮だという。

敦盛は戦場に玉織姫を連れて出て、死なしてしまう。討ち死にを覚悟した平忠度は菊の前を
源平の争いに巻き込みたくないという。感情の起伏もある菊の前の役どころ。操るのは、女
形の人形遣いの第一人者の箕助。操られているはずの菊の前は、箕助の前で生きているよう
に見える。箕助は、心配そうに菊の前を見守っているだけのように見える。今や、人形浄瑠
璃の世界で、人間国宝・文化功労者・日本芸術院会員のトリプルの資格を持っているのは、
箕助だけ。滑らかな女形の動きをいつまでも見続けていたい。

平忠度と菊の前の様子を住家の奥で酒を馳走になりながら見ていたのが、人足廻し茂次兵
衛。彼は褒美目当てに源頼朝の家臣・梶原平次景高へ平忠度の所在を告げる「ご注進」に行
く。

こういう展開のうちに、林住家は、「引き道具」という演出で、木戸が下手小幕の中へ引き
込まれ、百姓家が上手に運び込まれ、舞台は、下手側が開けて山深い野遠見となる。

やがて、遠寄せの鐘太鼓が鳴り響き、梶原平次景高が、軍兵を連れてやって来る。薩摩守平
忠度は、敦盛同様、風流な武人。歌も読むが、剣も強いので、梶原や軍兵をたちまち蹴散ら
してしまう。初段にあった通り、さらに源義経の家臣・岡部六弥太忠澄が義経の使者として
現れる。背中に短冊を付けた桜の小枝を差している。義経から薩摩守平忠度の歌を(平家方
ゆえ)「詠み人知れず」としながらも、「千載集」に掲載すると伝えに来たのだ。義経の許
可の証として、以前に菊の前から預かった短冊を山桜の流し枝(小枝)に結びつけて、持参
したのだ。歌人としての本望成就を喜ぶ薩摩守平忠度は、岡部六弥太忠澄に生け捕られるな
ら満足と縄にかかろうとする。しかし、岡部六弥太忠澄は、今回の役目は討手(うって)で
はないと拒否をする。後日、戦場で相見えようと、平忠度が須磨の陣所に戻るための馬を用
意する。舞台下手から、引き出される黒馬。薩摩守平忠度との別れを惜しむ菊の前。男の友
情か、武士の情けか。岡部六弥太忠澄は、平忠度の上着の右袖を切り取って、林を介して菊
の前に、形見として渡す。菊の前を残して男は死地となる戦場へと帰って行くことになる。

舞台下手から、馬上の薩摩守平忠度、岡部六弥太忠澄、平舞台へ降りて来た菊の前、そして
老婆・林と並んで、引張りの見得にて、幕。これにて、薩摩守平忠度と菊の前の物語は、終
わる。
- 2016年9月12日(月) 21:42:49
16年08月歌舞伎座 (第三部/「土蜘」「廓噺山名屋浦里」)


鶴瓶の落語が歌舞伎になった


まず、「廓噺山名屋浦里(さとのうわさやまなやうらざと)」から。「廓噺山名屋浦里」
は、上方落語の笑福亭鶴瓶の新作落語を歌舞伎化した新作歌舞伎で、今回初演。15年1
月、釣瓶の高座を見聞きした勘九郎が歌舞伎化を思いついた、という。江戸屋敷に転勤した
御留守居役たちの物語。吉原遊廓にある上方出身の山名屋が舞台。上方訛りが「きつい」牛
太郎(客引き)の友蔵を演じた駿河太郎が好演。駿河太郎(38)は、鶴瓶の息子。ミュー
ジシャン、役者。2011年、NHK朝の連続ドラマにヒロインの夫役で出演。駿河に引っ張
られるように上方訛りの科白で山名屋主人の平兵衛を演じた扇雀も、立役の科白で良い味を
出している。女形の扇雀とは違うシリアスさがあった。

主人公は、ある藩の江戸御留守居役新参者の酒井宗十郎(勘九郎)で、相方は吉原で一、二
の人気を誇る山名屋の花魁・浦里(七之助)との関係がひょんなことから展開する。ほかの
御留守居役たちの新人苛めに宗十郎(勘九郎)に協力した浦里が、一矢を報いる、という
話。苛め役の憎まれぶりが、芝居をおもしろくするかどうか。

今回の配役は、酒井宗十郎が勘九郎。花魁・浦里が、七之助。牛太郎(客引き)の友蔵が、
駿河太郎。ほかの江戸御留守居役は、弥十郎、亀蔵ほか。山名屋平兵衛が、扇雀。

今回の場の構成と粗筋は、以下の通り。初演なので、粗筋もコンパクトながら記録しておこ
う。第一場「向島の料亭『梅乃屋』の場」、第二場「吉原『山名屋』見世先の場」、第三場
「山名屋主人部屋の場」、第四場「吉原揚屋『立花屋』二階座敷の場」、第五場「山名屋元
の主人部屋の場」、第六場「吉原仲之町の場」。新作歌舞伎らしく、大道具の動きが斬新。
隠れた注目点。

第一場「向島の料亭『梅乃屋』の場」。大川の川開きの宵。庭から川に突き出した花火見物
用の特設座敷。寄合という名の宴席を開いているのは各藩の江戸御留守居役の面々。グルー
プのボスの秋山源右衛門(弥十郎)を始め、田中力之丞(亀蔵)らが酒盛りをしている。今
宵の話題は、新参者の酒井宗十郎(勘九郎)をあげつらっている。真面目で堅物、本来業務
一筋の「田舎者」、「野暮天」と貶している。遅参した酒井には、唄と踊りの罰ゲーム。

そもそもこうした寄合は、公金を流用した遊び。どこかの都知事だった人同様、公私混同で
はないのか。酒井はこうした宴席のあり方への疑問も述べるが、面々は動じず。次回は、そ
れぞれ江戸妻(馴染みの花魁)を同伴して披露しあおうということになる。「江戸の妻比
べ」ということらしい。新参者の酒井に江戸妻など用意できないだろうということを見越し
ての古参者たちの意地悪な趣向である。

面々が引き上げた後、座敷に残った酒井は、次回宴席への屈託を抱えながら、独りで花火を
見ている。そこへ下手から一艘の屋形船が近づいてくる。屋形船の御簾が上がり、花魁が乗
っているのが判る。吉原で一、二の人気を誇る山名屋の花魁・浦里(七之助)であったが、
堅物の田舎者には花魁が誰だか判らない。ただし、美しさ、優雅さなどは判る。言葉も交わ
さず、顔を見あっただけの出逢い。見惚れてしまう酒井。浦里を乗せた屋形船は、御簾を閉
じると大川支流に変じた花道を滑るように通過して行く。惚けた表情の酒井宗十郎。「籠釣
瓶花街酔醒」の佐野次郎左衛門の八ツ橋への見初めの場面を下敷きにしている。廻り舞台
で、特設座敷は、奥へ廻りながらせり上がる。合わせて、山名屋の見世先が舞台前面にせり
上がってくる。上下手から「見切り」が出てきて、見世先の大道具とドッキングすると、第
二場となる。

第二場「吉原『山名屋』見世先の場」。数日後、浦里の所属する山名屋の見世先を窺う酒
井。下手から現れ、暖簾を分けて中を覗き込む始末。見世先で掃除をしていて不審に思った
山名屋の従業員で牛太郎(客引き)の友蔵(駿河太郎)が誰何をする。「浦里に会いたい」
という酒井。「一見客はお断り」という吉原ルールを教える友蔵。見世先でもめていると、
山名屋主人平兵衛(扇雀)が店の中から現れる。主人は、丁寧に応対をし、酒井を店内奥の
自室に案内する。

廻り舞台がゆるりと廻り、酒井は山名屋の廊下を通り、奥の主人部屋に案内されて行く。大
道具は、見世先、廊下、居間と「コの字」型に設営されている。大道具も鷹揚に廻る。

第三場「山名屋主人部屋の場」。酒井は、訪ねてきた理由を述べ、これまでの経緯を説明す
る。事情が判った友蔵は酒井への同情を示し、浦里に伝えるよう主人に懇願する。しかし、
平兵衛は、自分たちは、世間との真っ当な付き合いを絶った「忘八者」(人間関係に必要な
大事な八つの徳を捨てている)だから、そういう事情には左右されない。吉原の仕来り通り
の手続きに則って対応し、金を払ってくれれば、応じられると酒井の申し出を事実上拒否す
る。

そこへ、奥から現れたのは浦里。酒井の申し出が聞こえていたらしい。浦里の判断で、次回
の宴席に酒井の連れとして出席しても良いという。既に触れたように、久しぶりの立役で扇
雀は、良い味を出していた。

第四場「吉原揚屋『立花屋』二階座敷の場」。廻り舞台は逆に回る。コの字型の廊下だった
部分は、吉原の街頭の体で、舞台前面にぼんぼりが飾られた道を通行人たちが通る。舞台が
鷹揚に廻り終わると、今度は、吉原の揚屋・立花屋二階座敷になっている。次回の寄合の当
日。江戸御留守居役の面々は、馴染みの花魁を連れてきている。花魁・初菊(芝のぶ)ほ
か。

また、酒井が遅参。一人で来た酒井に馴染みの花魁など連れてくることが出来ないのだろう
と苛める。暫くすると揚屋・立花屋へ花魁道中が近づいてくるのを面々の一人が二階から見
つける。さらに、二階座敷に浦里本人が姿を現し、浦里が仲睦まじそうに酒井に寄り添うの
で、面々は腰を抜かしてしまう。得意そうな酒井。勘九郎は好演。苛め役の弥十郎、亀蔵も
巧い。

第五場「山名屋元の主人部屋の場」。廻り舞台が、逆に廻って、山名屋元の主人部屋。寄合
の二日後である。酒井が先日のお礼と言いながら訪ねてくる。御留守居役たちの苛めもなく
なったと報告し、礼金としてなけなしの金子を持参した、という。

折から現れた浦里は、金子の受け取りを拒否する。受け取ってほしい、いや、受け取らない
と、揉める浦里と酒井。

浦里は金子を受け取らない理由と自分の身の上話を故郷の訛りで告白する。了解する酒井や
山名屋の平兵衛と友蔵。挙句、浦里は酒井に「まことのイロ(色)」になって欲しいと願
う。「はい、どんな色になりましょうか」と答える野暮天の酒井。「色」とは、間夫(恋
人)のことだと友蔵に教えられる酒井。しかし、故郷に妻子がいるのでダメだと答える酒
井。兄と妹なら、というのが浦里からの提案。それなら、と酒井も了解となる。それを聞い
て安心をし、花魁道中へ出かけるという浦里。

第六場「吉原仲之町の場」。引き道具の山名屋主人部屋の大道具が二つに割れて、上下手に
引き込む。中央奥より、山名屋の暖簾の架かる見世先。暖簾を分けて、奥から浦里の花魁道
中一行が出てくる。

華やかで艶やかな七之助・浦里の道行きだ。吉原の人々も集まってくる。暖簾の中から酒井
も出てくる。山名屋主従も出てくる。皆、浦里の美しさに改めて感嘆する。

浦里は、大きなポックリを履き、「八文字」型ではないが、一直線上に足を運んでくる。花
道七三に浦里が差し掛かった辺りで、酒井が「花魁」と声を掛けると、浦里は名前を呼んで
欲しい、と微笑む。ここも、「籠釣瓶花街酔醒」が下敷き。改めて、「浦里」と声を掛け直
す酒井。婉然と微笑む浦里。ハッピーエンドで、歌舞伎座場内の観客の心も温まったところ
へ、上手から引幕が迫ってくる。

狂気の愛憎劇となる「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのよいざめ)」の逆を行くような幸
福版「籠釣瓶花街酔醒」というところ。「酔醒」ではなく、「酔心地」が相応しい大団円
で、午後9時前、幕。

三部制を「通し」で拝見。歌舞伎座の外に出ると、日中の猛暑も、この時間になると幾分和
らいでいる。


「土蜘」は、7回目の拝見。「新古演劇十種」とは、五代目菊五郎が、尾上家の得意な演目
10種を集めたもの。團十郎家の「歌舞伎十八番」と同じ趣向。能の「土蜘」をベースに明
治期の黙阿弥が五代目菊五郎のために作った舞踊劇。1881(明治14)年、新富座で初
演。黙阿弥の作劇術の幅の広さを伺わせる作品。

この演目は、日本六十余州を魔界に変えようという悪魔・土蜘対王城の警護の責任者・源頼
光とのバトルという、なにやら、コンピューターゲームや漫画にありそうな、現代的な、そ
れでいて荒唐無稽なテーマの荒事劇。「凄み」がキーポイント。

私が観た主役の僧・智籌(ちちゅう)、実は、土蜘の精は、6人。菊五郎(2)、孝夫時代
の仁左衛門、團十郎、吉右衛門、襲名披露の演目に選んだ勘九郎。そして、今回は橋之助。

前半(前シテ)。病が癒えたばかりの源頼光(七之助)が見舞いに来た平井保昌(獅童)と
対面する。頼光の太刀持・音若は、中車の長男、團子が勤める。保昌が引っ込むと、侍女の
胡蝶(扇雀)が、薬を持って出て来る。暫く外出が出来なかった頼光は、胡蝶に都の紅葉の
状態を尋ねる。

「その名高尾の山紅葉 暮るるも しらで 日ぐらしの・・・」。舞に合わせて、あちこち
の紅葉情報を物語る胡蝶。穏やかな秋の日が暮れて行く。やがて、夜も更け、闇が辺りを敷
き詰める頃あい、頼光は、俄に癪が起こり、苦しみはじめる。

そこを図ったように、比叡山の学僧と称する僧・智籌(橋之助)の出となる。花道のフット
ライトも付けずに、音も無く、不気味に、できるだけ、観客に気づかれずに、花道七三まで
行かねばならない。智籌は、頼光の病気を伝え聞き、祈祷にやって来たと言う。隙があらば
頼光に近づこうとする智籌の影を見て、異形のものを覚った頼光太刀持ちの音若が、声も鋭
く智籌を制止し、睡魔に襲われていた頼光を覚醒させる。團子が好演。口跡も良く、科白も
しっかりしている。

正体を暴かれて、二畳台に乗り、数珠を口に当てて、「畜生口の見得」をする橋之助の智
籌。本性の顕現。「千筋の糸(蜘蛛の糸)」を投げ捨てるなど魔性を暴露しながらの立ち回
り。金剛流秘伝の魔術の糸だが、絵になる場面が続く。

その後、頼光襲撃に失敗した智籌は無念の思いを抱いたまま花道へ。花道スッポンから一旦
退場。

間(あい)狂言。初演時には無く、再演時から追加された。能の「石神」をベースにしたも
の。番卒の太郎(猿之助)、次郎(勘九郎)、藤内(巳之助)、巫子の榊(児太郎)の登
場。石神、実は小姓四郎吾は、勘九郎の次男、波野哲之の出演。残りの番卒も続く。この間
に、橋之助は、後シテのための化粧を施し、衣装をつける。そして、下手の鏡の間で、「引
き回(ひきまわし。蜘蛛の巣の張った「古塚」を擬している作り物)」の中には入るだろ
う。

後半(後シテ)。二畳台を上手から中央へ移す。下手から「引き回」を後見たちがそろりそ
ろりと運んで来る。中にいる橋之助は足元を見せないように中央の二畳台まで移動し、台に
乗らなければならない。身動きできず、不自由だろうし、見えにくい、歩きにくい。紙で出
来た蜘蛛の巣を破ってもいけない。後で、一気に破ってみせなければならないからだ。気を
使う場面だ。やがて、保昌(獅童)らが古塚を暴くと、中から、茶の隈取りをした土蜘の精
(橋之助)が現れ出て来る。橋之助は無事、紙の蜘蛛の巣を破って、飛び出して来た。

千筋の糸を何回も、何回も(私が数えたところでは、前半と後半で、8回)まき散らす土蜘
の精。頼光の四天王(国生、宗生、宜生の兄弟、鶴松)や軍兵との立ち回り。歌舞伎の様式
美溢れる古怪で、豪快な立回りである。能と歌舞伎のおもしろさをミックスした明治期の黙
阿弥が作った松羽目舞踊の大曲。

さて、今年の納涼歌舞伎。
第一部の主軸は、「嫗山姥」では扇雀。「権三と助十」では獅童、染五郎。
第二部の主軸は、「東海道中膝栗毛」では染五郎、猿之助。「紅翫」では橋之助。
第三部の主軸は、「廓噺山名屋浦里」では勘九郎、七之助。七之助は、4演目で4役を初役
で勤める。「土蜘」では、橋之助。

橋之助は、歌舞伎座九月興行の秀山祭は出演せず、橋之助名では、今月が歌舞伎座では最後
の出演。十月、十一月の2カ月連続で、橋之助改め、八代目中村芝翫を襲名披露する。合わ
せて、3人の息子たちも新・橋之助などを襲名披露することになる。


七代目歌右衛門を襲名披露するはずだったのに、襲名披露準備中に病に倒れた兄の中村福助
を想う。
- 2016年8月14日(日) 14:30:22
16年08月歌舞伎座 (第二部/「東海道中膝栗毛」「紅翫」)


新作歌舞伎「東海道中膝栗毛」ほか


「東海道中膝栗毛」は、2回目の拝見。今回は、十返舎一九原作を元に、杉原邦生構成、戸
部和久脚本、市川猿之助脚本・演出。「原作の世界観を生かしながら、新たな弥次喜多の物
語」を作ったという。私が観た前回は、十返舎一九原作を元にした木村錦花作であった。

私が観たのは、11年前、2005年9月の歌舞伎座。弥次:富十郎、喜多:吉右衛門のコ
ンビ。その前は、1976年7月の上演。弥次:三代目猿之助と喜多:訥升時代の九代目宗
之助のコンビで、40年前の上演になる。こちらは観ていない。十返舎一九原作を元に、い
ずれも木村錦花作。十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」(享和2(1802)年から文
化11(1814)年まで、12年かけて刊行された)を歌舞伎に移したのは、鶴屋南北の
「独道中(ひとりたび)五十三駅(つぎ)」がほぼ最初だった。それ以来、多くの「膝栗毛
もの」が上演されたが、そのなかでもヒットしたのが木村錦花作の「東海道中膝栗毛」だと
いう。

前回の舞台を観て私が書いた劇評のメモには、次のようなことが書いてある。「吉右衛門、
富十郎という藝達者が、軸になっている割には、おもしろくなかった。演出が、もうひとつ
なのだろう」。だから、今回の劇評は、新作歌舞伎の初演として、「東海道中膝栗毛」を評
したい。

今回の場の構成は、以下の通り。全十三場構成。第一場「奥州信夫伏拝坂の場」、第二場
「木挽町歌舞伎座舞台の場」、第三場「大家七郎兵衛内の場」、第四場「弥次郎兵衛内の
場」、第五場「東海道中の場」、第六場「箱根旅籠五日月屋の場」、第七場「箱根旅籠五日
月屋廊下の場」、第八場「箱根旅籠五日月屋離れ座敷の場」第九場「富士川川渡の場」、第
十場「ラスベガスの場」、第十一場「三保の松原の場」、第十二場「韋駄天道中の場」、第
十三場「伊勢神宮おはらい町の場」。

初演なので、粗筋もコンパクトながら記録しておこう。

第一場「奥州信夫伏拝坂の場」。世話ものの芝居に時代ものの「化粧」。奥州信夫の領主で
あった父を亡くしたばかりの若君・伊月梵太郎(金太郎)と供侍の伍代政之助(團子)が、
お家乗っ取りを図る家臣から家督を守るために家宝の名刀「薫光来」を携えて、家督相続を
幕府へ取り次いでもらうために伊勢へ旅立つ。

第二場「木挽町歌舞伎座舞台の場」。「義経千本桜 吉野山」上演中の歌舞伎座。役者(猿
弥、春猿)と後見の黒衣の息が合わず、滑稽な舞台が続いて、芝居は滅茶苦茶。後見に弥次
(染五郎)、喜多(猿之助)が混じっていたのだ。帰宅途中、二人が出会った大家の女房
(竹三郎)がお伊勢参りの効用を説く。

第三場「大家七郎兵衛内の場」。お伊勢参りの結果、病気平癒の大家(錦吾)は、すっかり
元気。取り立てた家賃も甕(かめ)に溜め込んでいる。大家夫婦は弥次喜多にお伊勢参りを
勧める。ただし、行く前に溜まっている家賃は支払って行け、という。

第四場「弥次郎兵衛内の場」。闇金融(亀蔵)が、弥次喜多の借金取り立てに来る。行灯を
吹き消して逃げ出す二人。大家や長屋の住民も巻き込んでの「だんまり」となる。大家の甕
を偶然手に入れた弥次喜多は、お伊勢参りに旅立つ。

第五場「東海道中の場」。小田原辺りの茶店。旅を続ける弥次喜多。いろいろ「係累」を引
き連れて旅をしている。伊月梵太郎と供侍の伍代政之助とも、ここで出逢う。事情を聞き、
弥次喜多は、今後、4人で旅を続けることにする。茶屋娘(新悟)は、実は、女盗賊。4人
の話を盗み聞きしていた。大泥棒(市川右近)にご注進。盗賊たちは、甕の金と名刀を盗む
ことになり、4人の後を追う。

第六場「箱根旅籠五日月屋の場」。4人は箱根へ。武士に化けた弥次喜多も交えて、親子連
れを装い、旅籠で豪遊することにした。夕食時は女役者(壱太郎ら)をあげての宴で遊ぶ。
離れに泊まっているという女役者に夜這いをかける弥次喜多。

第七場「箱根旅籠五日月屋廊下の場」。旅籠に泊まり合わせている読売屋の文春(弘太郎)
が、弥次喜多の様子が気になり、取材をしている。

第八場「箱根旅籠五日月屋離れ座敷の場」。離れ座敷に向かう弥次喜多。廊下で幽霊に出く
わす。やっとのことで離れに到着した二人。旅籠の女将(高麗蔵)と艶やかな女役者(壱太
郎)の歓待を受けるが、実は、女たちは廊下で出会った幽霊の仲間であった。離れから逃げ
出そうとする弥次喜多。崖上の離れは、ガタリと傾く。

第九場「富士川川渡の場」。翌日。難を逃れた一行4人は、富士川の渡しにたどり着く。渡
し船には二人分しか空席がないので、若君らを先に船に乗せて渡す。弥次喜多は、浅瀬を歩
いて渡ろうとする。来合せた二人連れの座頭の背中にそれぞれちゃっかり乗り込んだが、途
中で気づかれ、川中に放り投げられる。富士川から太平洋の海まで流された弥次喜多。大岩
だと思ってしがみついたら、それは鯨の背だった。鯨の吹く潮に吹き飛ばされて二人は何処
かへ。

第十場「ラスベガスの場」。ラスベガスのレストランシアター。先のアメリカ公演で好評だ
った「獅子王」の再現場面となる。劇場支配人(獅童)、女札親師(春猿)、アラブの石油
王(門之助)とその夫人(笑三郎)と弥次(染五郎)喜多(猿之助)らが、織り成す笑劇
(チャリ)。獅子の毛ぶりを見せる。弥次喜多のドタバタ劇。本水を使っての噴水に吹き上
げられて弥次喜多は、またも何処かへ。

第十一場「三保の松原の場」。三保の松原で気を失っている弥次喜多。二人を介抱する若君
と供侍。盗賊らに囲まれ、立ち回るうちに若君は足に怪我を追う。伊勢まで行けないと覚悟
を決め、自害しようとする。天照大神(笑也)が、若君らを救う。

第十二場「韋駄天道中の場」。韋駄天の神風に乗り、丸子、浜松、岡崎、宮などを通り抜け
てゆく。

第十三場「伊勢神宮おはらい町の場」。伊勢名物猪肉を食わせる山鯨屋。花火大会の日。弥
次喜多は、韋駄天のおかげで、無事、伊勢着。盗賊一行や闇金融
、それになぜか大家夫婦まで伊勢にたどり着いた。御門前は、大騒動。騒ぎを聞きつけ、大
岡伊勢守(獅童)もやってくる。若君の家督相続の願いも聞き入れられ、一件落着。宮司
(門之助)、巫女(笑三郎)、役者(春猿)、町娘(壱太郎)、赤福屋女房(高麗蔵)、手
代(廣太郎)ら伊勢の人たちも加わって、花火見物。花火の筒の中に逃げ込んだ弥次喜多
は、打ち上げ花火とともに空中へ。染五郎と猿之助のダブル宙乗りの趣向。宙の道を飛び六
方ならぬ宙乗りで、飛びゆく弥次喜多。

ストリーを追うだけで、芝居としての余韻は少ない。猿之助の演出で、染五郎、猿之助ほか
澤潟屋一門が「軸になっている割には、おもしろくなかった。演出が、もうひとつなのだろ
う」と、書かざるをえないのが、残念。團子がしっかりしている。科白廻しも口跡も良い。
将来が楽しみ。


舞踊劇「紅翫」は、2回目。99年9月、歌舞伎座で初見。その時の配役は、紅翫が梅玉。
虫売りが秀太郎。団扇売りが芝雀時代の雀右衛門。朝顔売りが歌昇時代の又五郎。庄屋銀兵
衛が弥十郎。

17年後の今回の配役は、次の通り。
紅翫が橋之助。虫売りが扇雀。団扇売りが七之助。朝顔売りが勘九郎。庄屋銀兵衛が弥十郎
と変わらず。さらに、蝶々売りが巳之助。町娘が児太郎。大工が国生。角兵衛が宗生、宜生
ら。いずれも子の世代。

初演は、元治元(1864)年7月、江戸の守田座。三代目桜田治助の作詞。主人公の「紅
翫(べにかん)」は、当時、浅草在住の小間物屋紅屋勘兵衛がモデルという。だから、「べ
にかん」。青竹の棹に、味噌漉しの胴、シャモジで作った転手(テンジュ:三味線などの棹
の頭にある弦を巻きつける仕掛け)で装った三味線。小さな太鼓と鉦。襟に差した笛。とい
う出で立ちで三曲の芸を街頭で見せて回った、という。後のフランキー堺、クレージーキャ
ッツのいわば源流のスタイルか。浅草富士浅間神社近くの富士横丁の長屋に住まう虫売り、
団扇売り、朝顔売りなどの庶民の姿を描く。

物売りたちの踊りの後、紅翫の登場では、曲弾きの三味線演奏、面を使ったおかめの踊り、
「三人生酔」(怒り上戸、泣き上戸、笑い上戸)の踊り、歌舞伎・人形浄瑠璃の「一谷嫰軍
記」「仮名手本忠臣藏」「伽羅先代萩」など名場面を尻取り浄瑠璃風にして速いテンポで踊
る「五目踊り」など大道芸のおもしろさを披露。最後は、十人皆で踊る総踊りという趣向
で、幕。
- 2016年8月14日(日) 6:51:31
16年08月歌舞伎座・納涼歌舞伎 (第一部/「嫗山姥」「権三と助十」)


武智鉄二版「嫗山姥」、萬屋型「嫗山姥」との違いなど


歌舞伎座、納涼歌舞伎は、恒例の3部制。初日も、9日と通常の上演より遅く、上演期間も
20日間と、いつもより5日間短い。

「嫗山姥」は、6回目の拝見。本来は、源頼光と権力者・清原高藤の対立が背後にあるが、
今では、八重桐の一種の「変身譚」の部分だけが上演される。私が観た舞台は、いずれも歌
舞伎座。

私が観た八重桐は、時蔵(2)、鴈治郎時代の藤十郎、福助、菊之助。今回は扇雀。歌舞伎
では、通常口数の少ない女形が、一転して「しゃべり」の演技を見せるという近松門左衛門
作には珍しい味わいのある趣向の笑劇(ちゃり)である。いわば、女形の変身、後シテで神
通力を得た八重桐を演じる。女形が「むきみ」という隈取をするのも珍しい。「むきみ」隈
の典型は、「助六」や「曽我五郎」。例えば、助六では若々しく正義感に溢れるキャラクタ
ーを象徴する。八重桐も女性ながら、将来の金太郎を胎内に宿したことで、超能力を得る。
それを女形の隈取というユニークな趣向で表す。「むきみ」隈は、眉を上の一辺とし、残り
の3辺を眉から目頭、眼の下を通り、目尻、眉へと紅を入れる化粧。上唇にも紅を入れる。

本来なら笑劇のシンボルとなるのが、腰元・お歌と煙草屋源七、実は、坂田蔵人のやりと
り。お歌が、「おじゃったか」「煙草屋(ぱっぱや)」「紙(紙衣=八重桐のこと)たば
(煙草屋)、おじゃ」などという科白で、場内を湧かす場面があるが、今回は、武智鉄二版
「嫗山姥」なので、お歌の登場は無し。また、白菊、実は蔵人の妹の登場も無し。館の蔵人
と太田太郎との絡みも無し。専ら、後の怪力少年・怪童丸(お伽噺の金太郎、長じて坂田公
時)の産みの親となる八重桐の物語として描かれる。武智鉄二版「嫗山姥」を私が観るの
は、20年前、96年4月、歌舞伎座で最初に観た鴈治郎時代の藤十郎以来、2回目。

今回の配役は、八重桐が扇雀。沢潟姫が新悟。局・藤波が歌女之丞。煙草屋源七、実は、坂
田蔵人が橋之助。太田太郎が巳之助。

大納言・兼冬館。兼冬息女・沢潟姫(新悟)は源頼光の許嫁。頼光が権力争いに巻き込まれ
行方不明になっているので物思いに沈んでいる。側近の局や腰元が姫の機嫌をとっているが
埒があかない。そこへ、屋敷出入りの煙草売り・源七(橋之助)がやってくる。姫の気晴ら
しにと所望されて唄と三味線を披露する。

大道具の処替りで、館の塀外へ。通りかかったのは、紙衣姿の八重桐(扇雀)。黒と紫の
「文反古(ふみほご)」をはぎ合わせた着付け(紙衣)姿の、恋文屋(一筆で、叶わぬ恋も
叶わせましょう)稼業。館内から聞こえてきた唄と三味の
音から、館内に行方知れずの夫の坂田蔵人がいると判断。稼業の「恋文代筆」という趣旨を
大声で告げると、中から招き入れられて八重桐も館内へ。

八重桐の見せ場。行方知れずだった夫の坂田蔵人との経緯を八重桐が「言いとうて、言いと
うて」という科白で語り始める。別名「しゃべり山姥」といわれる「嫗山姥」。八重桐の物
語の部分を「しゃべり」で演じるが、私が観た舞台で、「しゃべり」を忠実に演じていたの
は、20年前、96年の歌舞伎座で演じた鴈治郎時代の藤十郎。武智鉄二版「嫗山姥」だっ
た。

その後観た時蔵も、福助も、菊之助も、いわば、しゃべらずに、人形のように、竹本に乗っ
ての「仕方噺」として、所作で表現していた。つまり、「しゃべり」という名の舞踊なの
だ。これは、三代目、四代目の時蔵が得意とした萬屋型の家の藝の演出であるという。

今回は、藤十郎の次男、扇雀が父親同様に武智鉄二版「嫗山姥」で演じる。「しゃべり山
姥」。結末では、八重桐は、頼光の命に力及ばなかったとして自害する夫の坂田蔵人の魂を
飲み込むことで、己も怪力を持つという超能力者になるとともに、妊娠し、後に、怪力少
年・怪童丸(お伽噺の金太郎、後の坂田公時)を産み落とすことになる。金太郎の母になる
人の、「金太郎伝説」を先取りするような芝居。女形の柔らかい身のこなしと「常のおなご
でなし」というスパーウーマンの力強さを綯い交ぜにしながら、人物造型をする。

贅言;今回の武智鉄二版には無いが、萬屋型では、煙草屋源七、実は、坂田蔵人が、沢潟姫
を慰めようと、煙草の由来を話して聞かせる場面がある。ここでは、煙草嫌いだが、女好き
という太田太郎とが絡み、ちゃり(滑稽劇)となる。太田太郎を、文字どおり、煙に捲く。
嫌煙派の太田太郎に煙管の雨は、いじわるだが、これは「助六」のパロディか。

権力者・清原高藤は沢潟姫に横恋慕している。高藤の命に従って強引に沢潟姫を連れ去ろう
と現れた太田太郎(巳之助)。これを変身して怪力を身につけた八重桐が蹴散らして幕。武
智鉄二版は、このところ見続けていた萬屋型とは、いろいろ違う。八重桐物語として、テー
マの「金太郎の産みの母」と「しゃべり山姥」という趣向がすっきりしている。これはこれ
で、というところ。


江戸の長屋の人情噺


「権三と助十」は、3回目の拝見。前回は、11年4月、新橋演舞場で観た。大岡政談もの
のひとつ。大岡は越前守は、直接的には、登場しない。1926(大正15)年、歌舞伎座
初演、岡本綺堂原作、江戸の庶民の生活風俗を描いた世話物の新歌舞伎。戦争への坂道を下
って行く昭和前期を知らない大正歌舞伎らしい明るさがある。落語の人情噺に通じる感性を
味わいたい。

いきなり贅言;筋とは、あまり関係ないが、長屋の井戸替えの場面は見もの。舞台の上手か
ら、ぞろぞろ長屋に住人たちが出て来て本舞台を横切り、舞台下手から花道にまで大勢の人
たちで溢れる。長屋の男と女房、子供たちなど、毎回40数人が井戸の水をすっかり汲み上
げて、井戸の掃除をする綱を持って、出入りするだけでも、観客は心豊かになる。

長屋の住人の、兄弟喧嘩や夫婦喧嘩が、喜劇調で描かれる。家主が仲裁に入る。長屋の人情
喜劇が舞台いっぱいに展開される。

今回の主な配役は、以下の通り。

登場人物は、善人ばかり。長屋の家主(弥十郎)、篭籠かき・権三(獅童)、その女房おか
ん(七之助)と同じく駕籠かき・助十(染五郎)と弟の助八(巳之助)、猿廻し・与助(宗
之助)、願人坊主(錦一、獅一)、唯一の敵役の左官屋・勘太郎(亀蔵)。

因みに、10年前、06年5月の歌舞伎座。前回の配役は、長屋の家主(左團次)、篭籠か
き権三(菊五郎)、その女房(時蔵)と助十(三津五郎)と助八(欣十郎)の兄弟、猿廻し
(秀調)、願人坊主(市蔵、亀蔵)、唯一の敵役の勘太郎(團蔵)。

納涼歌舞伎ゆえに、一段と世代交代が際立つ。

物語は、以前の長屋の住人で、殺人犯の汚名を着て、獄死したという小間物屋彦兵衛(高麗
五郎)の息子の彦三郎(壱太郎)が、大坂から父親の無実を晴らそうとやって来た。やが
て、権三(獅童)と助十(染五郎)の目撃証言が、功を奏して、真犯人・勘太郎(亀蔵)
が、浮かび上がる。いわば、人情ミステリの色合いが濃くなる。勘太郎は、真犯人なのか。
彦兵衛は、冤罪のまま、獄死したのか。ミステリゆえに、詳細は、紹介しないが、宮部みゆ
きの時代小説を読むように、江戸の風が、舞台から吹き付けて来るような人情劇。大岡裁き
の裁判劇の話だが、大岡越前守は姿を見せず。

少しだけ、役者論。巳之助の父親で亡くなってしまった三津五郎。権三を演じた時の三津五
郎は、こういう役がやりたくて、役者をしているのだろうという思いが伝わって来たもの
だ。ユーモラスで、本人が、愉しそうに演じていた。今回助十の弟の助八を演じた巳之助も
いずれ権三を演じるだろう。

弥十郎の家主も、独特の味で好演。左團次、弥十郎。最近は、こういう役を演じられる立役
が少なくなった。宗之助の猿廻しもペーソスがあった。

人情喜劇のキーパースンは、憎まれ役の勘太郎。この出来次第で、喜劇の舞台を左右する。
私が観たのは團蔵、市蔵、そして今回の亀蔵。亀蔵は、市蔵の弟。「松島屋」兄弟。團蔵の
憎まれ役は、存在感があり、他を圧倒する勢いだったが、前回の市蔵も、不気味さを秘めて
いてよかった。今回の亀蔵も彼のキャラクターの味を生かしていた。
- 2016年8月13日(土) 12:10:04
16年07月歌舞伎座 (昼/「柳影澤螢火 柳澤騒動」、「流星」)


海老蔵・猿之助の公演中、東蔵丈 いぶし銀の人間国宝へ


「柳影澤螢火 柳澤騒動」は、初見。宇野信夫原作の新作歌舞伎。1970年5月、
国立劇場初演以来、東京では46年ぶりの上演。歌舞伎座は初演。初演から4回目の
上演。私も初見。国立劇場初演の配役は、次の通り。柳澤吉保が三代目延若。護持院
隆光が三代目猿之助。おさめの方が七代目芝翫。徳川綱吉が薪水時代の彦三郎。桂昌
院が十三代目我童ほか。

今回の配役は、次の通り。柳澤吉保が海老蔵。3年前の前回は、橋之助。その前は、
2回とも三代目延若。護持院隆光が当代の猿之助。これまでの3回は、三代目猿之
助、富十郎、当代の扇雀。おさめの方が尾上右近。これまでの3回は、七代目芝翫、
扇雀時代の藤十郎、福助。こういう顔ぶれから見れば判るように、若手の歌舞伎と言
えども、尾上右近の配役は、かなり抜擢。徳川綱吉が中車。これまでの3回は、薪水
時代の彦三郎、我當、翫雀時代の鴈治郎。桂昌院が東蔵。これまでの3回は、十三代
目我童、二代目鴈治郎、秀太郎。

人気の海老蔵、猿之助を軸に若手中心の舞台。若手に交じっていた東蔵が15日の文
化財審議会で人間国宝に認定するよう文科大臣に申請された。歌舞伎の脇役として、
いぶし銀の演技を積み重ねてきたことが評価された。誠におめでたい。脇役の人間国
宝としては、澤村田之助に次ぐ。歌舞伎の人間国宝で元気なのは、藤十郎、田之助、
菊五郎、吉右衛門、玉三郎、仁左衛門、そして今回の東蔵。以上7人。

五代将軍・徳川綱吉、その生母・桂昌院に重用された柳澤吉保は大老格の老中になる
とともに15万石の大名に出世する。芝居は、一介の素浪人時代から次期将軍争いで
暗躍しながら敗れて破滅するまで、柳澤吉保の生涯(後半生)を描く。権謀術数の果
てに手に入れた権力の空虚さ。宇野演出は、柳澤吉保のライバルとなった護持院隆光
との対立を浮き彫りにしながら、意外な結末を用意する。世に「柳澤騒動」と言われ
るが、柳澤家のお家騒動というより、将軍徳川綱吉家のお家騒動(次期将軍選び)に
関わった柳澤吉保の浮沈を描いていると、思う。

今回の場の構成は、次の通り。
序幕「本所菊川町浪宅の場」、二幕目「二の丸桂昌院居間の場」、三幕目第一場「神
田橋柳澤邸書院の場」、第二場「同 玄関の場」、四幕目第一場「柳澤邸控えの間の
場」、第二場「大奥吹上御苑茶座敷の場」、第三場「同 前の場」、五幕目「二の丸
桂昌院病間の場」、大詰第一場「駒込六義園書院の場」、第二場「同 庭園の場」。
初見なので、粗筋も含めて記録しておきたい。

序幕「本所菊川町浪宅の場」。五代将軍・徳川綱吉の治世。浪人・柳澤弥左衛門宅。
息子の弥太郎(海老蔵)は書道で細々と生活している。陋宅には「書道指南」の看板
を掲げている。室内には、「お仕立て(と)古ろ」「雇人請宿」「伊勢屋清助」など
と書いた看板が立てかけてある。I墨痕を乾かしているのだろう。依頼を受けた看板
書きも商売のうち。おさめ(尾上右近)という美人の許婚がいる。父親、許婚ととも
に貧乏にもめげずに暮しているようだ。家の周りには、破れた塀があり、菊川町とい
う地域の貧しさを窺わせる。桜の花。蔵書を売るか売らないか。弥太郎とくず屋との
やり取り。くず屋を演じた新蔵が味を出している。

花道より、おさめが帰って来る。弥太郎とふたりで上手障子の間へ入る。続いて、花
道より弥左衛門の朋輩・曽根権太夫(猿弥)が訪ねている。この男、アルコール依存
症のようだ。権太夫は、桂昌院と同郷で幼馴染み。その縁を頼って弥太郎とともに自
分も出世したいと思っている。権太夫は下手へ退場。

下手から父親の弥左衛門(家橘)が戻ってきたが、戌年生まれの綱吉が制定した「生
類憐みの令」管轄の犬役人ふたり(市蔵、男女蔵)が弥左衛門を追って来た。帰宅途
中、犬に吠えかけられた弥左衛門が犬を打擲したのを役人に見られてしまったのだ。
弥左衛門を捕えようとした役人と争いになり、蹴飛ばされた弥左衛門は死んでしま
う。幕。

二幕目「二の丸桂昌院居間の場」。3年後。居間は金地に紅白梅の襖。ついたてに
は、葵の紋。居間の御簾が上がると桂昌院(東蔵)の出。花道から紫の衣装に朱のけ
さ姿の高僧・護持院隆光(猿之助)と上手障子の間から肩衣姿も凛々しい弥太郎(海
老蔵)。このふたりを寵愛する桂昌院が不仲のふたりを和解させようとしているが、
ふたりともこれを拒否する。

そこへ、将軍の御成! 花道より綱吉(中車)一行。大勢の小姓たち(九團次ほ
か)、茶道指南の千阿弥(市川右近)らを連れて将軍は母親・桂昌院のご機嫌伺いに
やってきた。小姓たちが来ると腰元は皆、下がる。将軍は同性愛者らしい。これで
は、世継ぎは期待できない。将軍は、隆光に弥太郎嫌いの理由を尋ねる。弥太郎の腹
掛けを問題にする隆光。マンガチックな場面。腹掛けを脱いで見せる弥太郎。腹掛け
には墨で将軍の登用を感謝する文字が書かれている。ごますりの極地。これもマンガ
チック。将軍は感心をし、弥太郎に五百石への加増と「吉」の一字を与えて、「吉
保」と名乗るように命じる。マンガチックなこと、この上ないが、権力者の思考な
ど、このようなものか。綱吉の品格のくだならさを見せつける。こういう場面は、中
車も巧い。

人を遠ざけ、弥太郎だけを残す。世継ぎ誕生の良い思案はないかと桂昌院は弥太郎に
問いかける。弥太郎は、良い思案があると答える。弥太郎と男女の仲になっている桂
昌院は、人払い後は、打掛を脱いで老女の肉体を弥太郎に寄せて行く。どろどろとし
た大奥の情痴の世界をかいま見せて…。幕。

三幕目第一場「神田橋柳澤邸書院の場」。数日後。山水画の襖の書院。旗本に取り立
てられた曽根権太夫が訪ねて来る。奥から吉保。江戸城で行なわれる「お小姓比べ」
という催しに男装させたおさめを紛れ込まそうというのが、吉保の「良い思案」なの
だ。奥から男装のおさめ。小姓好きの綱吉に自分の元許婚を男姿にして提供し、女の
味を知らせようという作戦のようだ。舞台が廻って、場面展開。

同 第二場「同 玄関の場」。茶と紫色、豪華な駕篭が2丁。事情は何も知らぬ男装
のおさめを連れて、曽根権太夫は江戸城の大奥へ向かう。見送る吉保。愛しい人との
別れで気を削がれ、玄関先で足を踏み外す吉保。愛人を人身御供として将軍に差し出
す立身出世意欲の旺盛な男も…、という場面で、幕。

四幕目第一場「柳澤邸控えの間の場」。さらに5年後。吉保は、三万五千石の大名に
なった。男装の小姓から綱吉の側室になったおさめの方が懐妊した。男子誕生となれ
ば綱吉悲願の世継ぎとなる可能性があり、おさめの方は次期将軍の生母となりうる。
吉保邸を訪問する綱吉(中車)。おさめの方(尾上右近)も随行している。おさめの
方と吉保(海老蔵)は、今も男女の仲が続いている。将軍の目を盗んで逢瀬を重ねて
いるのだ。吉保は、おさめの方の腹の子は自分の子と確信している。次期将軍の実父
として、吉保は権力を振るう野望を抱いている。女性の肉体に目覚めた綱吉は、女色
も盛ん。身重のおさめの方は将軍の寵愛が新たに側室に加わった若いお伝の方(笑三
郎)に移っている懸念して、吉保に相談する。お伝の方も懐妊しているらしい。随行
に加えたのに姿が見えぬお伝の方を探して不機嫌な綱吉が出て来る。いらち。

さらに吉保のライバル、護持院隆光(猿之助)が、「天下の一大事」と、慌ただしく
姿を見せる。自分が立てた卦の結果では、懐妊中のおさめの方、お伝の方のどちらか
は、綱吉の種ではない、という。吉保が止めるのも聴かずに隆光は綱吉に告げに行
く。

吉保の家臣の兄弟・成瀬金吾(亀三郎)と金弥(弘太郎)は、綱吉の後継・六代目将
軍として取りざたされている甲府宰相綱豊を推す水戸光圀、井伊大老らの動きを探っ
ている。吉保に報告に来たのだ。隆光から卦の結果を聴かされ狼狽した体(てい)の
綱吉が奥から出てきた。吉保は、対応は自分に任せよと綱吉を宥める。  

同 第二場「大奥吹上御苑茶座敷の場」。その翌日。吹上御苑の茶室に綱吉(中車)
はおさめの方(尾上右近)、お伝の方(笑三郎)のふたりを招いた。ふたりに、茶を
振る舞った後、綱吉は席を外す。同席している千阿弥(市川右近)が、ふたりの飲ん
だ茶には、毒が入っていた。と打ち明ける。時間が経てば毒が回る。綱吉以外の種を
宿していると正直に打ち明けたら解毒剤を与えるから、後で茶室に取りに来いと脅
す。吉保の知恵による作戦だ。暗転。

同 第三場「同 前の場」。その日の夜更け。茶室に現れたのは頭巾姿のお伝の方で
あった。綱吉がお伝の方を追及する。吉保は小姓の篠原数馬(九團次)を引き立てて
来る。ふたりの自白からふたりの男女の仲が明らかになる。不義者! 吉保は綱吉の
代わりにふたりを斬り捨てる。幕。

五幕目「二の丸桂昌院病間の場」。さらに5年後。吉保は老中に出世を遂げ、十五万
石の大名になった。おさめの方が産んだ吉松君を次期将軍に据えようと狙う吉保。甲
府宰相綱豊を推す水戸光圀、井伊大老らと対立している。

重病となった桂昌院は、認知能力も衰え、おさめの方と吉保の男女の仲、吉松の父親
は吉保ではないのか、さらに自分と吉保の男女の仲などを匂わす言動を病床でし始め
る。侍医や腰元たちも聴いている。周りの目も気にせずに吉保にすがりつく老女とし
ての桂昌院の醜さの演技が、いぶし銀の如く光る。人払いをした後、執拗にまとわり
つく桂昌院を絞め殺す吉保。舞台下手の物陰で、吉保の犯行を見ていたのが権太夫で
あったが、吉保は見られているのを知らない。幕。

大詰第一場「駒込六義園書院の場」。上手に井戸と柳。さらに1年後。序幕から数え
ると、14年が経つ。将軍後継を巡る争いでは、井伊大老派が力を増してきた。劣勢
になった吉保は病を得て、駒込の別邸・六義園に引き蘢るようになった。病巻姿の吉
保。それでも、権力欲には抗いきれず、いつかは挽回をと思い込んでいる。吉保の劣
勢とともに旗本をお役御免となった権太夫も落ちぶれて、アルコール依存症も酷く
なっている。吉保の大出世は自分が桂昌院に口利きしたからだと、今も思い込んでい
る。それだけに吉保に相手にされなくなり、逆恨みをしている。桂昌院殺しを言いた
てられて吉保は、権太夫を殺す。おさめの方も大奥から逃れ出て来る。吉保のために
茶を点て、ふたりで飲む。

ライバルの護持院隆光も訪ねて来る。立身出世のためにライバル同士、実は蔭で互い
に支えあっていたふたりだったことが明かされるが、お互いの将来に不安を抱いた隆
光は吉保に殺されてしまう。権力者たちの破滅の舞台は、螢の舞う夜の庭園。

同 第二場「同 庭園の場」。隆光を殺した後、自分も大量の血を吐く吉保。おさめ
の方の点てた茶に毒が仕込まれていた。将軍を騙し、密かに吉保との愛人関係を継続
してきたおさめの方による無理心中。吉松君は吉保の子ではなく綱吉の子だったと告
げて、息絶える。権力欲の果てに悟ったのは、政治の世界の空虚さ。最後に残ったの
は、女の真情。吉保は、自らに刃を立て死んで行く。柝の刻みに合わせて、幕が閉
まって行く。

若手役者たちの挑戦の舞台。まだまだ、これからいろいろ精進をして、より良い芝居
をみせて欲しい。楽しみにしている。


「流星」2回目の拝見。前回は、17年前、1999年8月、歌舞伎座。配役は、流
星が今は亡き八十助時代の三津五郎。牽牛が翫雀時代の鴈治郎。織姫が現在は病気休
演中の福助。今回は、流星が猿之助。牽牛が三津五郎の長男、巳之助。織姫が尾上右
近。坂東流と澤潟屋流との違いは、外連(けれん)味。歌舞伎座では、先月に続い
て、猿之助の宙乗りだったが、「狐忠信」の澤潟屋流に練られた宙乗りと違い、シン
プルなものだった。
- 2016年7月16日(土) 16:57:28
16年07月歌舞伎座 (夜/「荒川の佐吉」、「鎌髭」・「景清」)


当代猿之助では初見の「荒川の佐吉」


「荒川の佐吉」は真山青果作の科白劇。時代物と違って、数少ない青果の「世話物」
の秀作である。「荒川の佐吉」は、1932(昭和7)年初演の新作歌舞伎。十五代
目羽左衛門に依頼されて書いたという。本外題は、「江戸絵両国八景〜荒川の佐吉
〜」で、全八景を両国界隈の名所に見立てる趣向。

私は7回目の拝見。私が観た佐吉は5人。仁左衛門(3)、三代目猿之助、勘九郎時
代の勘三郎、染五郎そして、今回が、四代目猿之助。初見である。中でも仁左衛門は
佐吉を当り役としている。三代目猿之助は生涯で佐吉を6回演じていて、私は彼が最
後に演じた舞台を観た。この芝居のポイントは、父親の情味。

95年7月の歌舞伎座で、一度だけ三代目猿之助の演じる佐吉を観た。この時の佐吉
は、いまも、印象に残る。私が最初に観た佐吉だった。筋を通す任侠の男が演じられ
た。最近は、連続して観て来た仁左衛門。仁左衛門は、孝夫時代(4回)から、佐吉
を演じていて、彼の当り役(これまで、通算7回演じている)のひとつである。仁左
衛門の佐吉は、爽やかで印象的だった。私は3回観た。何とも言えない父親の情味が
滲み出ていて良かった。母親の情愛は、先に亡くなった雀右衛門を右翼とする。仁左
衛門は、父親の情愛では、やはり、右翼ではないか。

この物語は、ふたつの「成長の物語」が、接ぎ木のように重ねられている。まず、ひ
とつは、三下奴・佐吉の成長の物語。
 
序幕・第一幕「江戸両国橋付近出茶屋岡もとの前」では、江戸の両国橋の両国側の喧
噪を描く。街の悪役が、田舎者の親子連れに難癖をつける。地元のやくざの親分・鐘
馗の仁兵衛(猿弥)の三下奴・佐吉(猿之助)が、義侠心を出す場面で、後の伏線と
なる。

序幕・第二場「向う両国鐘馗の仁兵衛の家」。佐吉の親分・仁兵衛が斬られて、慌た
だしい。喧嘩の末、浪人・成川郷右衛門(海老蔵)に斬られたのだ。仁兵衛の縄張り
を奪い、郷右衛門は虚無的な浪人から「有能な」やくざの親分になる。見舞いと称し
て現れた郷右衛門が、仁兵衛の縄張りを譲り受けたいと不敵にも宣言。抗議する子分
の清五郎(門之助)は、あっさり、郷右衛門に殺されてしまう。
 
二幕目・第一場「本所清水町辺の仁兵衛の家」。浪人から親分に変身した郷右衛門
(海老蔵)に縄張りを奪われた仁兵衛は、一家も解散し、本所に引っ越した。娘のお
八重(米吉)らとともに、裏長屋で閉塞している。長屋を巡る溝が雰囲気を出す。鬱
陶しい雨の日である。甲州の使いから戻った佐吉が訪ねて来る。佐吉は、早速親分の
生活を助けようとする。いかさま博打で、ひと山当てようと仁兵衛は、佐吉が止める
のを振り切って、出かけて行く。
 
二幕目・第二場「法恩寺橋畔」というシンプルな場面は、いつ観ても、印象的だ。佐
吉は、お八重の姉・お新が生んだ盲目の赤子・卯之吉を寝かし付けようと橋の辺りを
歩いている。舞台中央に据えられた法恩寺橋には、人ッ子ひとりいない。橋の下手袂
に、柳の木が、一本。上空には、貧しい街並を照らす月があるばかり。佐吉のひとり
芝居の場面だが、ポイントは、親子の情愛の表現。父親代わりだが、実の父親のよう
な情愛の表現が要求されるが、猿之助は、仁左衛門には、ここは、まだまだ、及ばな
い。この場面では、いかさま博打が発覚して親分の仁兵衛が殺されたことを佐吉に知
らせに来るのが、極楽徳兵衛(男女蔵)。かつての佐吉の兄貴分だが、いまでは、寝
返って郷右衛門の身内になっている。
 
三幕目・第一場「大工辰五郎の家」。7年後。向う両国にある佐吉の弟分の辰五郎
(巳之助)の家。佐吉は、卯之吉とともに、居候している。卯之吉は、すっかり、佐
吉になついている。その後、子宝に恵まれないお新は、盲目ゆえにという勝手な理由
で里子に出した卯之吉を取り戻そうとしている。白熊の忠助(欣弥)が、卯之吉を無
理矢理連れ戻そうとするので、佐吉は、夢中で、手元にあった手斧で忠助を殺してし
まう。「捨て身になれば恐れる相手はいない」と佐吉が悟る場面。世話物ながら、こ
の辺りから、真山青果の科白劇が光り出す。口べたの青年佐吉が、決め科白も勇まし
い大人の佐吉に成長して行く。仁兵衛の仇討ちを決意し、花道を掛けて行く佐吉。成
川郷右衛門は親分の敵として、佐吉に討たれることになる。

この後は、もうひとつの成長の物語が始まる。この盲目の赤子・卯之吉の物語。佐吉
は、義理の息子・卯之吉を育て上げてきた。その過程で生まれた父親としての情愛、
それに佐吉本来の「男気のダンディズム」が絡む。大きくなった卯之吉が、見えない
眼でも、父親の帰りを逸早く悟り、「おとっちゃん、お帰り」とすり寄って行くと、
佐吉が卯之吉を、ほんとうに愛おしそうに抱く場面が何回かあるが、仁左衛門は、こ
の場面を実に丁寧に演じていた。しかし、卯之吉を生みの親のお新に返さなければな
らなくなるエピソードも挟まれる。父親の情味から「俺ア、嫌だア」と、佐吉。だ
が、男気が、父親の情愛を超えてしまう。この切り替えも仁左衛門は巧かった。
 
三幕目・第二場「向島請地秋葉権現の辺」で、三下奴から成長した佐吉は、かつての
親分・仁兵衛の仇を討ち、郷右衛門を殺す。それを見届けるのが、政五郎(中車)
で、政五郎は、登場の仕方も、花道から駕篭に乗って姿を見せるなど、幡随院長兵衛
を意識した人物造形になっているので、なにより、貫禄が要求される。
 
四幕目・第一場「両国橋附近佐吉の家」。大川端(隅田川)両国橋付近に構えた佐吉
の新しい家。親分・仁兵衛時代の縄張りも取り戻した。立派な家の上手、床の間に色
紙を掛け軸に直したものが飾られている。「敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜
花」と書いてある。床の間の近くに置かれた大きな壺にも桜の木が差し込んである。
政五郎に連れられて卯之吉の実母・お新(笑也)が登場する。卯之吉の幸せを願い、
苦渋の選択として卯之吉をお新に返す決断をする佐吉。
 
四幕目・第二場「長命寺前の堤」。この場面も、印象的。薄闇のなか、佐吉の登場。
曉闇から、夜が明けて行く。大川端の遠見。双子の山頂の筑波山が見える。堤には、
6本の桜木。すっかり明け切る。この夜明けの光量の変化の場面が、実に美しい。お
八重との再会。政五郎の見送り。弟分の辰五郎も背負った卯之吉を連れて見送り。草
鞋を履き、江戸を離れ、遠国の奥州へ旅立つ佐吉へ餞の言葉を述べる政五郎の科白に
「朝日に匂ふ山桜花」が出て来て、前の場の舞台の設えが、この台詞のための伏線に
なっていることが判るという趣向。「惜しい男を旅に出すなア」と、政五郎の科白。
散り掛かる桜の花びらのなかで、卯之吉を抱きしめ、遠ざかる佐吉を泣きながら見送
る辰五郎の科白。「やけに散りやがる桜だなア」で、幕。
 
仁左衛門は、颯爽としながら、次々と男が磨かれて行く佐吉の姿を丁寧に演じた。当
代の猿之助は、まだ小粒な佐吉だった。仁左衛門や先代の猿之助を目標に新たな佐吉
像を造って欲しい。初役で演じた猿之助のこれからの精進が楽しみ。弟分の辰五郎を
初役で演じた巳之助も味を出していた。お八重を演じた米吉も初役。海老蔵の郷右衛
門も初役。笑也のお新も初役。中車、門之助、男女蔵、桂三、猿弥、今回は、初役の
役者が多い芝居だった。憎まれ役のゴロツキ、あごの権六は、お馴染みの由次郎が熱
演。

贅言;筋書の「今月の役々」に、巳之助、米吉、尾上右近らが登場した。世代交代を
印象づける。
 

初見の「鎌髭」・「景清」


歌舞伎十八番から、「鎌髭」・「景清」。いずれも初見。「鎌髭」は1774(安永
3)年、江戸・中村座で初演。「御誂染曽我雛形(おあつらえそめそがのひながた)
の二番目大詰で四代目團十郎の悪七兵衛景清、初代中村仲蔵の三保谷四郎という配役
で演じられた。歌舞伎十八番を制定した七代目團十郎も手がけたが、その後、上演さ
れなくなってしまった。2013年5月、京都南座で当代の海老蔵が新しい台本で復
活上演した。以来、14年1月、新橋演舞場で通し狂言「寿三升景清」の一場面も含
めて、海老蔵主演で今回で4回目の上演となる。歌舞伎座では初めて。

今回の配役は修行者快鉄、実は悪七兵衛景清が海老蔵。下男・太郎作、実は梶原源太
が亀三郎。下男・次郎作、実は尾形次郎が九團次。下男・三郎吾、実は愛甲三郎が巳
之助。下男・四郎丸、実は三浦四郎丸が鷹之資。下女・お梅、実は梶原妹白梅が尾上
右近。下女・お菊、実は尾形妹園菊が米吉。猪熊入道が、市川右近。うるおい有右衛
門が市蔵。かわうそお蓮が萬次郎。鍛冶屋四郎兵衛、実は三保谷四郎。

前半。修行者の六部の快鉄に身をやつした悪七兵衛景清は平家再興の大望を持って都
に向かっている。鍛冶屋に姿を変えて景清を追う三保谷四郎、梶原源太らの源氏方。
景清を鍛冶屋四郎兵衛方に招く。罠にはまった振りをしながら源氏方を挑発する景
清。景清を酔い潰そうとするが、景清は酔わず、逆に義経や頼朝を嘲る物語を語る始
末。

後半。本性を顕した景清の髭を剃ると言いながら、鍛冶屋四郎兵衛、実は三保谷四郎
は隙を見て大鎌で景清の首を掻こうとする。化粧声の中、荒事の様式美溢れる演出
で、見せ場となる。不死身の景清は余裕を持ちながら自ら縄にかかって、堂々と花道
を去って行く。幕間の後、次の「景清」の場面へ。「景清」も初見。

 「景清」は1732(享保17)年、江戸・中村座で初演。「大銀杏栄景清」が初
演と見られている。主役は二代目團十郎。その後、四代目團十郎が練り上げ、代々の
團十郎が演じた。2014年、海老蔵が新しい台本による通し狂言「寿三升景清」の
牢破りの場面として演じた。今回は、それを再構成した。

景清が閉じ込められている京の六波羅の大牢。黙秘したままの景清に手を焼いた詮議
役の一人、岩永左衛門(猿弥)が景清の妻・阿古屋(笑三郎)と息子・人丸を牢の前
に召し出した。廓遊びの真似事をしながら、景清の自白を狙う場面が見せ場。沈黙を
貫く景清。岩永の横恋慕を跳ね退ける阿古屋。

もう一人の詮議役の秩父庄司重忠(猿之助)が登場。岩永の短慮を諌め、人払いをし
た上で景清の詮議にかかる。やっと、口を開く景清。二人の問答が次の見せ場。

さらに、ハイライト、景清の牢破りの荒事となる。破られた牢の大道具が、左右、上
にと移動する。背景に大海老の引き道具が登場する。成田屋所縁の牡丹の花を満載し
た台が運び込まれる。その台に乗り、長袴を前後に蹴散らす海老蔵。景清の大見得。
上手床の竹本。床の下の揚幕の前で大薩摩に、津軽三味線も加わる。

海老蔵版景清二題は、新作歌舞伎風であった。團十郎家の家の藝。歌舞伎十八番の工
夫魂胆は、海老蔵の使命。今後とも精進を期待する。歌舞伎十八番には景清ものが4
つある。「関羽」、「解脱」、「鎌髭」、「景清」。代々の「景清」は、明治期の七
代目幸四郎による復活上演を経て、海老蔵の父親・十二代目團十郎が演じた。「鎌
髭」は、明治期、二代目段四郎や二代目猿之助(初代猿翁)が復活上演した。
- 2016年7月14日(木) 9:37:24
16年07月国立劇場・歌舞伎鑑賞教室 (「卅三間堂棟由来」)
 
 
歌舞伎初見の「卅三間堂棟由来」


「卅三間堂棟由来」は人形浄瑠璃では、3回観ているが、歌舞伎で観るのは初めて。
竹本ベースにした典型的な丸本ものの演目。魁春が初役で演じた3年7月の国立劇場
の歌舞伎上演を観ていない。魁春は今回13年ぶりにお柳を演じる。
 
「三十三間堂棟由来」は、1760(宝暦10)年、大坂豊竹座で初演された。原作
は、若竹笛躬、中邑阿契の合作という。ふたりとも、どういう人物か、詳細は判らな
い。本来は、「祇園女御九重錦(ぎおんにょごここのえにしき)」という全五段の浄
瑠璃。三段目が、「平太郎住家の段」。柳の巨木の精の化身の女性と伐り倒されそう
になった柳の巨木を助けた男性という「異類婚姻譚」で、ファンタジックな物語。白
河法皇の伝説を絡めている人形浄瑠璃より、歌舞伎の方が、物語を単純化している。
その結果、芝居は、もっとファンタジーの度合いを濃厚にしている。

「三十三間堂棟由来」上演の26年前、1734(享保19)年に初演された「葛の
葉子別れ」(狐の化身の女性と男性の婚姻譚)を下敷きにしていると言われる。子別
れの場面が、見せ場になっているのは共通している。

今回の歌舞伎の構成は、次の通り。序幕「紀州熊野山中鷹狩の場」、二幕目第一場
「横曽根平太郎住家の場」、同第二場「木遣音頭の場」。

因みに人形浄瑠璃の段の構成は「鷹狩の段」、「平太郎住家より木遣り音頭の段」と
なっている。
 
序幕「鷹狩の場」。熊野の山中の谷間(たにあい)。舞台中央に柳の巨木。その上手
に茶店。「柳茶屋」の看板。花道より太宰帥季仲(だざいのそちすえなか・松江)ら
鷹狩りの一行。鷹を放ったところ、鷹の足緒が、柳の梢に引っかかってしまった。従
者の伊佐坂運内(いささかうんない・橘太郎)の発案で鷹を助けるために、柳の木を
切ろうということになる。そこへ通りかかったのが横曽根平太郎。父の仇を求めて老
母・滝乃(歌女之丞)を背負い、熊野権現に日参している。横曽根平太郎が、一矢で
鷹の足緒を射切り落としたので柳は伐られずに済む。しかし、面目を潰された季仲・
運内の主従は、平太郎を逆恨みする。

その様子を見ていた茶屋の女主人・お柳(りゅう)が、疲れた老母と平太郎を家に誘
う。若緑の若々しい衣装を着たお柳。山中に美女が居るので平太郎は訝るが、母子は
茶屋で接待を受ける。

そこへ、軍兵を連れて戻って来たのが運内。恥をかかされたと逆恨みをして、腹いせ
に平太郎に襲いかかる。しかし、不思議なことに平太郎の姿を上から降りて来た柳の
枝が隠す。急に姿が見えなくなった平太郎に怖気付いた運内一行は逃げ去る。

運内を退けた平太郎と一緒に床几に腰を掛けたお柳は、積極的に平太郎に「わしを女
房に持たしやんしたらよかろうが」と言って迫る。人形浄瑠璃では、お柳と平太郎の
前世の夫婦という縁(えにし)を明かすので、お柳の積極性が判るが、歌舞伎では判
りにくい。しかし、結局、母親・滝乃の勧めもあり、母親の仲立ちで二人は夫婦の盃
を交わす。

二幕目第一場「平太郎住家の場」。その6年後。紀州三熊野。柳のあった宿(しゅ
く)の隣。平太郎とお柳は、夫婦になっていて、子どもの緑丸(5歳)と老母といっ
しょ住んでいる。

ここから竹本の語りと役者の科白が交互に加わり、役者の所作も三味線に合わせる、
つまり「糸に乗る」ようになる。丸本もの(義太夫狂言)の味をグッと強める。「平
太郎住家より木遣音頭」まで。

竹本「ふだらくの、岸を南に三熊野の…」から、前半は上手上部、「床」(ちょぼ)
の御簾内(みすうち)の語りで泉太夫(竹本)と勝二郎(三味線方)のコンビ。竹本
「夢をや結ぶらん」から、後半は盆回しで愛太夫と寿治郎、ツレの祐二が登場。

熊野権現へ参詣に行っている平太郎の不在時に、白河法皇の使いとして、進ノ蔵人
(しんのくらんど・秀調)がやって来て、意外なことを言う。

隣の宿にあったお柳の茶店。店の傍にあった柳の木の梢に髑髏があり、それが祟っ
て、法皇を頭痛で苦しめているので、柳を伐り倒して棟木とし三十三間堂を建てて、
髑髏を納めるようにと院宣が下ったと告げる。
 
後半。お柳は、帰宅した平太郎に蔵人の来訪と柳の木の話をする。酒に酔った平太郎
が緑丸と一緒に寝入った後、隣の宿で柳の木を斧で伐る音が風に乗って聞こえて来
る。カーン、カーンと聞こえてくる度にお柳は体に痛みを感じてのたうつ。不意に訪
れた愛しい家族との別れの哀しみも重なる。肉体的に苦しみながらもお柳は独白す
る。自分が、実は、柳の精だったと。

人形浄瑠璃では、平太郎も、実は、前世では椰(なぎ)の木で、柳と椰は、前世で
は、一つの木だった、という設定だったが、今回の歌舞伎では、人間の男性と柳の精
の化身の女性との束の間の婚姻と別れの物語になっている。

贅言;因みに西洋の異類婚姻譚では、魔法などによって動植物に化身された相手との
結婚で魔法が解けるなど状況が変われば、めでたしめでたしとなるが、今回のような
日本の異類婚姻譚では、動植物の化身が人間と結婚するので、状況が変わらないうち
はハッピーだが、変わると、婚姻が破棄されて悲劇となる。人間中心の西洋と自然を
神と崇める日本の自然観の違いゆえであろうか。
 
寝ていた衝立の内から起きてきた夫と息子に別れを告げて、「元の柳に帰るぞや」、
柳の葉が天井から降り注ぐ中でお柳は姿を消してしまう。大道具の住家の壁などに外
連(ケレン)の仕掛けがあり、未練の残るお柳は消えたり、再び姿を見せたりする。
お柳の子別れの「くどき」の場面が、見せ場。
 
姿を消した母を求めて、泣く緑丸。壁の中から姿を見せたお柳は、柳の木から持って
来た問題の髑髏を平太郎に渡して、お家再興に活用して欲しいと言い、再び姿を消
す。若緑の衣装を着たお柳が、衣装の引き抜きで、柳の精に早替り。

贅言;人形浄瑠璃では、若緑の衣装を着たお柳が下になり、下から、白い衣装を着た
お柳の人形が、上になりと、一瞬のうちにすり替えられる。

廻り舞台で、場面転換。背景の書割は熊野川の遠見。舞台は熊野街道となる。

贅言;人形浄瑠璃では、引き道具で場面展開。舞台の天井から熊野川の遠見が降りて
来る。左右(上手と下手)から出て来る松の並木。熊野街道へと早替わり。

木遣り音頭が響く。伐り倒された柳の巨木が木遣り人足たちが曳く綱に引っ張られ
る。熊野の街道筋を新宮まで運ばれて行くのだ。しかし、途中で、巨木は動かなく
なってしまう。柳の精の母が、幼子と子別れをしたいのだ。
 
立ち往生している。平太郎と緑丸が、その現場に駆けつける。平太郎は、息子に綱を
引かせて欲しいと頼む。平太郎が木遣り音頭を歌い、緑丸が綱を引くと、巨木は動き
始める。柳の巨木の先頭にお柳を演じる魁春の姿が宙乗りで現れる。幽霊のような魁
春。長い着物の裾に隠されて、足が見えない。この演出は、歌舞伎の入れごとのよう
だ。人形浄瑠璃では、3回ともこういうシーンはなかった。
 
「三十三間堂棟由来」は、草木成仏がテーマ。いわば、自然保護を訴えるような芝
居。四半世紀前の、先行作品「葛の葉」(狐の親子)を下敷きにして、無名の作者た
ちが、書き上げた作品で、やはり、「葛の葉」に比べると、話も、趣向も、ドラマ的
な盛り上がりも、薄っぺらだ。柳の木を伐り倒す場面が、風に乗って、遠くから聞こ
えて来るという設定。カーン、カーンという高い音が舞台に響き渡ると観客席の私の
身にも痛みが届くような感じがした。唯一、この場面と音が印象に残った。人形浄瑠
璃と今回の歌舞伎の違いは細部ではいろいろ気が付いたが、上演時間の関係で端折っ
たような感じもあったので、それには触れない。

役者評を少し書き留めておこう。今回13年ぶり2回目のお柳を演じた魁春は前半の
初々しい娘役、後半の子を思う母の情愛を演じ分けていた。今回初役で平太郎を演じ
た弥十郎は、歌舞伎界の中堅立役不足の中で貴重な役者。国立劇場の歌舞伎鑑賞教室
の興行であったので、息子の新悟は、「歌舞伎のみかた」で案内役を勤めていたが、
この演目では出番がなかった。新悟もいずれは、今回魁春が演じたお柳役で登場する
ことだろう。その時は、大和屋親子で夫婦役を演じて欲しい。滝乃を演じた歌女之丞
は、前半は息子と共にお家再興を念願としている武家の母親なので、切髪(きりか
み)という鬘に打掛姿で凛としている。6年後は息子夫婦と5歳の孫に囲まれ、老い
を感じさせる。季仲を演じた松江は、癇癪持ちで横暴な殿様という敵役。橘太郎の演
じる運内は、名前通りパロディの象徴。「義経千本桜」の鷺坂伴内同様の道化役で、
味があった。
- 2016年7月13日(水) 17:29:25
16年06月国立劇場(鑑賞教室/「魚屋宗五郎」)


「魚屋宗五郎」は、河竹黙阿弥原作の新歌舞伎。本外題(名題)は「新皿屋舗月雨暈
(しんさらやしきつきのあまがさ)」、1883(明治16)年5月、東京の市村座
で初演。「酒乱の役をやってみたい」という五代目菊五郎のために書き下ろした。

黙阿弥の原作は外題通り、「新皿屋舗」物語という趣向。怪談の「皿屋敷」の「お
菊」に加えて、「加賀見山」の「尾上」をベースにして、前半は時代もので、酒乱の殿
の御乱心で殺される妹の側室(愛妾)・お蔦の話、後半は世話もので、殿に斬り殺さ
れた側室の兄の、魚屋・宗五郎の酒乱の復讐譚という、いわば「酒乱の二重性」がモ
チーフだったことが判る。五代目菊五郎に頼まれて、黙阿弥は、前半は女形で側室、
後半は立役で魚屋、という菊五郎のふた役という想定で台本を書いている。殿様を狂
わせるほどの美女と酒乱の魚屋のふた役の早替り、それが五代目向けの趣向であっ
た。

磯部家の重役ながらお家乗っ取りを企む岩上典蔵は兄の吾大夫とともに、家老の浦戸
十左衛門と弟の紋三郎をライバル視していて、浦戸兄弟を蹴落とし、磯部家の実権を
握ろうとしている。さらに、典蔵は側室のお蔦に横恋慕しているということで、権力
欲と情欲を抱いている。お蔦は、お家騒動と横恋慕の果ての逆恨みの罠にはまってし
まう。岩上兄弟に酒を飲まされて判断力を劣化させ、お蔦を誤解したままの酒乱の殿
様に手討ちにされて、お蔦は死んでしまう。

五代目菊五郎が練り上げ、六代目菊五郎が完成したという、酔いの深まりの演技は緻
密だ。初演時は酒乱の場面と合わせて、菊五郎が宗五郎の妹で無実の罪で殺され美し
い娘・お蔦と酒乱の兄の宗五郎のふた役をきっちりと演じ分けて評判を取った、とい
う。

酒乱の演技の見せ場は「片門前 魚屋宗五郎内の場」。演出的には計算をしている訳
だが、舞台を観ている観客には演技ではなく、本当に酔っぱらって行くように感じさ
せることが必要だ。まさに、生世話(リアル)ものの真骨頂を見せる場面だ。当代の
七代目菊五郎は初演時、二代目松緑から直伝された際、「計算して飲んでいるから、
おもしろくないよ」と注意されたという。役者の動き、合方(音楽)との合わせ方、
小道具の使い方など、あらゆることが、本当は計算されている。この場面は酒飲みの
動作が、早間の三味線と連動(糸に乗る)しなければならない。例えば、酒を飲む際
の首の振り方などは、場内の笑いを誘う。それでいて、一旦組み上げた計算式を消し
ゴムで消すように、白紙に戻してしまう。その結果、芝居は自然さ、リアルさを増し
ながら洗練されて行く。いわば、菊五郎劇団の財産演目の一つである。今回は橋之助
が宗五郎に挑戦する。

酒乱へ向けて、宗五郎の身体からおかしな気配が漂い出す。宗五郎は陽気になる。強
気になる。饒舌になる。茶碗から、酒を注ぐ「片口」という大きな器へと酒を飲む道
具が移る。それを見た家族らから制止されるようになる。攻守逆転である。「もうこ
うなったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」と宗五郎も覚悟をきめる。橋之
助の宗五郎は、この辺りの科白廻しや所作などは、まだまだ。今秋の八代目芝翫以降
も精進をし、もっと洗練して欲しい。

「もう、それぎりになされませ」と、女房がとめるが、宗五郎は聞かない。さらに
酔っぱらって、判断力が無くなった宗五郎は皆の眼を盗んで酒桶そのものから直接飲
むようになる。お蔦の職場での知り合い・おなぎへの遠慮もなくなる。自分が持参し
た酒が原因なので、困った表情のおなぎ。宗五郎は、とうとう、全てを飲み尽してし
まう。暴れだし、格子を壊して家の外へ出て行く。祭囃子が大きくなり、宗五郎の気
持ちを煽り立てる(音楽による、心理のクローズアップ)。早間の三味線といい、御
簾内の下座音楽といい、この芝居の音楽は役者を巧く乗せている。花道七三にて、橋
之助は酒樽を右手に持ち大きく掲げるという、この演目で最も有名なポーズをとる。

「魚屋宗五郎」は、通称。通し上演の場合の外題は既に触れたように、「新皿屋舗月
雨暈」という。私が通しで観たのは2回。09年3月国立劇場(宗五郎は当代の松
緑)。13年2月日生劇場(同じく幸四郎)。当代の菊五郎では、通しを観たことが
ない。「片門前 魚屋宗五郎内」から「磯部邸」(玄関先と庭先)までの「みどり」
上演ばかりで、4回観ている。今回の橋之助の宗五郎は、初見である。橋之助自体
は、20年ぶり、2回目の宗五郎だという。

因に、通し上演の13年2月、日生劇場の幕構成は、以下の通り。
序幕「磯部邸 弁天堂の場」、磯部邸の「お蔦部屋の場」。
二幕目「磯部邸 井戸館詮議の場」。
三幕目「片門前 魚屋宗五郎内の場」。
大詰「磯部邸 玄関先の場」、磯部邸の「庭先の場」。
二幕目までが前半、三幕目から後半、というわけだ。

「魚屋宗五郎」の幕が開くと、東京の芝片門前。芝神明宮の祭礼で、町は華やいでい
るが、魚屋はひっそりしている。弔だ。「片門前 魚屋宗五郎内の場」宗五郎は酒癖
が悪いので、酒を飲む機会の多い、芝神明宮のお祭りとあって、禁酒を誓っている。
ところが、磯部邸に妾奉公に行っていた妹のお蔦が酒乱の殿様に殺されたことが判
り、悔しさを紛らわそうと、側室(愛妾)・お蔦の召使い・おなぎがお蔦の霊前にと
持参した酒を飲み始め、酔って気が大きくなったことから殿様に抗議に行く、という
ことになってしまう。この禁酒から飲酒、酔態へと変化して行く部分が、芝居の見せ
場となる。

この場面で、宗五郎の酔いを際立たせるのは、宗五郎役者の演技だけでは駄目だ。脇
役を含め演技と音楽が連携しているのが求められる。この場面は出演者のチームプ
レーが巧く行けば、宗五郎の酔いの哀しみと深まりを観客にくっきりと見せられる。
以前に菊五郎が言っていたが、「周りで酔っぱらった風にしてくれるので、やりやす
いんですよ」というように、ここはチームワークの演技が必要だ。女房のおはま、父
親の太兵衛、三吉、おなぎの演技が宗五郎の酒乱ぶりを際立たせるチームメイトだ。

今回の配役は、次の通り。
宗五郎:橋之助。女房・おはま:梅枝(時蔵の長男)。小奴・三吉:宗生(橋之助の
次男)。父親・太兵衛:橘太郎。菊茶屋女房・おみつ:芝喜松。磯部邸の召使・なぎ
さ:芝のぶ。磯部の殿様・磯部主計之介:萬太郎(時蔵の次男)。磯部の家老・浦戸
十左衛門:松江。

脇役で大事なのが、何人かいる。父親の太兵衛は、橘太郎が演じているが、老けが感
じられない。女房・おはまは、梅枝が演じているが、若い割には、魚屋の女房をそれ
なりに演じている。小奴・三吉は、宗生が演じたが、科白廻しが現代劇。歌舞伎に
なっていない。菊茶屋女房・おみつを演じた芝喜松は、脇役の女形のベテラン。磯部
邸の召使・なぎさを演じた芝のぶは、脇役の人気女形。磯部の殿様・磯部主計之介:
萬太郎は、「魚屋宗五郎」上演に先立つ鑑賞教室のガイド役を務めた。裁き役の家
老・浦戸十左衛門は、松江。

贅言;「磯部邸玄関先の場」での科白も私には忘れられない。いつ観ても良い。いつ
も書き写してしまう。

「わっちの言うのが無理か無理でねえか、ここは、いちばん、聞いちくりぇ。(略)
好きな酒をたらふく呑み何だか心面白くって、ははははは、親父も笑やあこいつも笑
い、わっちも笑って(ここで、柝を打つように、手を叩く)暮らしやした、はははは
は、ははははは。おもしろかったねえ。喜びもありゃ、悲しみもある」。

庶民の幸福は、皆息災で、貧しくても、毎日、笑って暮らせる暮らしだと強調する辺
りの科白が胸にジンと来る。宗五郎の科白には、家族思いの庶民の哀感がにじみ出
る。まあ、この科白に「酔いたくて」、観客は、1883(明治16)年の初演以
来、130年以上も、酔っぱらいの姿を観に、芝居小屋に来ているのかもしれない。
- 2016年6月18日(土) 17:23:35
16年06月歌舞伎座 (第三部/「狐忠信」=「道行初音旅」、「川連法眼館」)


「義経千本桜」の「狐忠信」は、静御前と源九郎狐の物語。吉野山が舞台。義経が静
御前に預けた初音鼓が重要な小道具となる。初音鼓に張った皮が夫婦の狐の皮なの
だ。夫婦の狐には子がおり、その子狐が源九郎狐。静御前が初音鼓を吉野山へ逃れた
義経に届けに行く。随行するのは、義経の家臣・佐藤忠信なのだが、両親形見の皮を
使った初音鼓を慕う子狐が佐藤忠信に化けて、静御前に随行警護する。静御前ととも
に無事義経のいる吉野山の川連法眼館に辿り着くと、本物の佐藤忠信も先に到着して
いて、子狐は正体を顕さざるを得なくなる。しかし、子狐の両親を思う気持や静御前
に無事随行してきたことを知った義経は、源九郎狐に初音鼓を与える。子狐は両親形
見の初音鼓を持って空に舞い上がり、まさに宙を飛ぶように両親と過ごした郷里目指
して帰って行く。「狐忠信」はファンタジーである。歌舞伎は、このファンタジーに
外連(けれん)という演出方法で味付けをした。

「道行初音旅」を私が観るのは、数えてみれば今回で20回目になる。人気演目だけ
に、何回も観る機会があるが、当代猿之助では初めて。猿之助の「初音旅」は4年1
月、浅草歌舞伎の亀治郎時代を含めて、本興行では今回で3回目。歌舞伎座では初め
て。「川連法眼館」は、4年前、12年6月、新橋演舞場の四代目猿之助襲名披露の
舞台を私は観ている。従って当代猿之助の狐忠信は、私は2回目だが、澤潟屋の代表
演目のひとつなので、猿之助は四代目襲名以来、各地の襲名披露の興行で積極的に演
じていて4年間に今回で8回目、亀治郎時代から含めると、9回目になる。新装なっ
て4年目に入った歌舞伎座で狐忠信の宙乗りが演じられるのは、演目自体も初めての
上演であり、主役を演じるのも今回の猿之助が初めて。短期間ながら成熟度を味わい
たい。

「義経千本桜〜川連法眼館〜」は、17回目の拝見。「義経千本桜」には、3人の主
人公(平知盛、いがみの権太、狐忠信)がいる。長大な叙事詩でもある「義経千本
桜」の中で、上演回数の多い人気演目が、「狐忠信」、特に、宙乗りのある「川連法
眼館」である。一時期、海老蔵が三代目猿之助(現在の猿翁)に指導を受けて狐忠信
を熱心に演じたことがあるので、市川右近も含めて、海老蔵と当代猿之助の比較論も
最後に書きたい。

第三部は、今月の興行では、一部二部に比べて入りが良い。三代目猿之助によって洗
練されてきた上に、当代猿之助には、晩年の三代目が失っていた若さや体力があるか
ら、充実の舞台と言える。歌舞伎座の場内をざっと見渡したところ、第三部は空席が
見つからないようだ。


当代初見の「道行初音旅」


第三部は所作事で始まる。「道行初音旅」の主な配役。狐忠信は、猿之助。静御前は
初役の染五郎。逸見藤太は猿弥。開幕するが、舞台は浅黄幕で全面覆われている。上
手の山台に乗った清元連中。延寿太夫の高くて澄んだ声が無人の舞台に響く。「恋と
忠義はいずれが重い   かけて思いははかりなや」。幕が振り落とされると静御前(染
五郎)が一人佇んでいる。花道スッポンは、穴が空いて奈落に通じている。やがて、
静の打つ初音鼓の音に誘われて狐忠信が花道スッポンから姿を見せる。以後は、静御
前、狐忠信の並び雛のツーショットも含めて、いつも通りの手順で踊りが展開され
る。やがて、逸見藤太一行が花道から現れて、絡みとなる。藤太らを退け吉野山へ向
かう。花道から静が吉野の山中に分け入って行く。本舞台に遅れて残った狐忠信を演
じる猿之助の様子がおかしい。後見に助けられて、猿之助は、衣装「ぶっかえり」
(衣装の早替わりの演出法)で狐の本性を顕す。澤潟屋型の引っ込みは、差し金の蝶
と桜吹雪のなか、狐六法で花道から退場。澤潟屋系ではないほかの役者なら狐忠信を
狐の手つきなど狐の構え程度で狐を滲ませるだけで止まる。

贅言;猿之助は立役の科白になると口跡は三代目そっくりに聞こえる。三代目猿之助
の「道行」は、3回観ている。
 

「川連法眼館」の宙乗りは、しなやかに、かろやかに


私は、三代目猿之助主演の「狐忠信」は、96年12月歌舞伎座が初見。三代目猿之
助は、最後の狐忠信を2000年9月、大阪松竹座で上演している。生涯で本興行4
0回上演を記録した。本興行は、ひと月で25回上演するから、1000回上演した
勘定だ。00年は、既に還暦を超え、61歳の舞台だった。大阪松竹座公演の2ヶ月
前の7月、猿之助は、「猿之助百三十年記念」(初代の襲名から130年)と銘打
ち、歌舞伎座としては最後の上演している。その舞台を私は観ている。この演目は、
舞台で激動する場面が多いので、三代目には、老いも見られた。2003年11月の
発病で、三代目は、実質的に舞台から遠ざかった(その後、二代目猿翁を襲名し猿之
助の名跡を四代目に譲った。猿翁として舞台にも乗ったこともあるが……)。

あれから12年後。2012年6月、新橋演舞場で、澤潟屋一門の興行が久しぶりに
復活した。四代目猿之助の狐忠信。61歳の最後の三代目の舞台に比べて、36歳の
最初の四代目の舞台は、乗るタイプの亀治郎が残っていて、動きも激しく、それでい
て、軽やかで、安心してみていられたので、まずは、成功であった。以来、4年ぶ
り、2回目の四代目猿之助の舞台だった。

四代目猿之助は、静御前の打つ初音の鼓の音に引かれて、御殿の階(きざはし)か
ら、出現する。やがて、忠信の衣装を付けた狐は、下手の御殿廊下から床下に落ち込
み、本舞台二重の御殿床下中央から、素早く、白無垢の狐姿で現れる。本舞台二重の
床下ばかりでなく、天井まで使って、自由奔放に狐を動かす。狐は、下手、黒御簾か
ら、姿を消す。上手、障子の間の障子を開け、本物の佐藤忠信(猿之助の、早替りふ
た役)が、暫く、様子を伺い(これは、「東海道四谷怪談」の「戸板返し」の演出の
応用で、立体的に工夫された衣装の顔の部分に、鬘を着けた顔だけを出しているだけ
で、佐藤忠信の衣装は、着けていないのではないかと思った)、やがて障子を閉め
る。再び、狐忠信は、天井の欄間から姿を表わす。
 
さらに、吹き替えも活用する。荒法師たちとの絡みの中で、白無垢の衣装を両肩脱ぎ
にした本役と吹き替えは、舞台上手の桜木の陰で入れ代わり、吹き替え役は、暫く、
横顔、左手、のちに右手も加えての所作で観客の注意を引きつける。吹き替えが、全
身を見せると、二重舞台中央上手の仕掛けに滑り降り、二重舞台の床下へ姿を消す。
やがて、花道スッポンから四代目が、飛び出してくる。再び、荒法師たちとの絡み。
法師たちに囲まれながら、いや、隠されながら、本舞台と花道の付け根の辺りで、
「宙乗り」の準備。時間稼ぎの間に、衣装の下に着込んで来たコルセットのようなも
のとワイヤーをきちんと結び付ける。
 
さあ、「宙乗り」へ。中空へ舞い上がる。恋よ恋、われ中空になすな恋と、ばかり
に・・・。3階席幕見席周辺までの「花道」、つまり、ここでは、「宙道(そらみ
ち)」での引っ込みでは、向う揚げ幕ならぬ、桜吹雪の中に突っ込んで行った。

これまで私が観た狐忠信は、以下の通り。

澤潟屋型:合計9回。三代目猿之助(3)、海老蔵(3)、四代目猿之助(今回含
め、2。四代目猿之助襲名披露の舞台で初めて観た)、右近。
音羽屋型:合計8回。菊五郎(5)、松緑、勘九郎時代の勘三郎、松也。「宙乗り」
のない音羽屋型の狐忠信もいろいろな役者が演じている。

澤潟屋型は、いろいろ三代目が工夫しているが、「宙乗り」が売り物。音羽屋型は、
伝来のもので、「宙乗り」が無い。代わりに舞台上手の桜木を木の陰にある「ちょう
な」という道具(簡易エレベーターのような装置、足を掛けて昇降する)に乗り、す
うッと、上って行く。澤潟屋型は、花道から上昇し客席を飛び越えて、3階幕見席ま
でケーブルカーのように進む。


次世代「狐忠信」


次は、市川右近や海老蔵との比較をコンパクトに記録しておきたい。
三代目猿之助は、狐忠信をまず右近に教えた。三代目の病後、半年余り、2004年
7月の歌舞伎座で右近初役を軸に狐忠信を上演した。右近は、以来、05年7月、国
立劇場、同じく9月、博多座まで、3回上演している。

海老蔵は、三代目の指導を仰ぎ、06年11月の新橋演舞場で初演している。海老蔵
は、以来、10年9月の京都南座でまで5回上演している。海老蔵の狐忠信は、京都
南座の上演以降、演じていない。

澤潟屋型の演出を選択した海老蔵。澤潟屋型は、外連味の演出が、早替りを含め、動
きが、派手で、いわゆる「宙乗り」を多用する。狐が本性を顕わしてからの動きも、
活発である。

四代目猿之助は10年8月の「亀治郎の会」、本興行では亀治郎時代の11年5月の
明治座で1回演じた後、襲名披露の12年6月、新橋演舞場で上演した。四代目猿之
助は、襲名披露興行以降、今回まで4年間に8回、演じている。劇場は以下の通り。
大阪松竹座、名古屋御園座、こんぴら歌舞伎金丸座、博多座、京都南座、大阪松竹
座、そして初めての歌舞伎座まで、本興行で都合9回演じた(亀治郎の会を入れれ
ば、10回目。ただし、本興行の「1回」は、ひと月25日間の公演である)。狐忠
信に限らず宙乗りは、新装なった歌舞伎座では初演である。猿之助は7月の歌舞伎座
で海老蔵や中車と競演、あるいは共演するが、新歌舞伎座での宙乗りを二ヶ月連続で
披露する。7月の宙乗りの演目は「流星」である。

四代目猿之助の狐忠信の動きを追ってみると、海老蔵も、四代目猿之助も、三代目に
忠実で、全く同じことをなぞっていることが判る。四代目も、海老蔵も親の皮で作ら
れた初音の鼓を持ち、親子交歓の情を滲ませながら、「空中遊泳」しているように見
えた。四代目も、海老蔵も、彼らの科白にダブルように澤潟屋の声音が聞こえて来る
ような錯覚に捕われるほど、ふたりとも、澤潟屋の科白廻しもなぞっているのが判
る。
 
若さ、強さを持ち合わせた若き日の猿之助によって、さまざまに仕掛けられ、磨きが
掛けられて来た「外連」の切れ味。身体の若さ、強さは、海老蔵と四代目猿之助と若
いふたりの歌舞伎役者によって再現され、私は観たことがない若い猿之助も、かくや
と思わせるものがある。ヤング猿之助復活。
 
特に、「宙乗り」の際の、脚の「くの字」にする角度や体を水平に保つことに漲る海
老蔵や四代目猿之助の若さ(ふたりとも30代、2歳違いで四代目が上)は、猿之助
の愛弟子・右近(当時48歳)でも、感じられなかった強靱さで、驚きである。
 
三代目は、海老蔵や四代目の、若さ、強さを見抜き、本腰を入れて、澤潟屋型の「四
の切」の後継を海老蔵や四代目に決めたのだとすると、歌舞伎ファンにとっては、ま
だまだ、未熟ながら、強靱な若さを持った将来の忠信役者を誕生させたということだ
ろう。ふたりには、良きライバルとして、三代目の思い、つまり、体力の強靱さを、
さらに、テーマの強靱さに拡げて行って欲しい、という思いを受け止めて欲しい。0
6年11月新橋演舞場の舞台から、08年7月歌舞伎座、さらに、10年8月歌舞伎
座の舞台と、2年ごとに演じられてきた海老蔵の「狐忠信」は、襲名以来の四代目の
舞台を観てしまうと、よほどのことがない限り、今後は実現しないのだろうと思う
が、まだまだ、どちらかに決めずに、ふたりを競わせて、より良き狐忠信を見せて欲
しいとどん欲な観客は、思っているのではないだろうか。海老蔵の狐忠信も、私は、
また、観てみたい、と思う。

四代目猿之助曰く。
「源九郎狐は可愛らしく無邪気に勤めるのが澤潟屋のやり方で、宙乗りは吊られずに
文字通り宙に乗っているように見えなければいけない」という。可愛らしさ、無邪気
さに加えて、軽やかに、ということなのだろう。軽やかを演じるには若さが必須だ、
と思う。

海老蔵について言えば、お連れ合いの小林麻央は、進行性の乳がんで治療中。かなり
深刻な状況という。海老蔵と麻央は、2010年3月に結婚、同年7月に挙式した。
翌年の2011年7月には長女・麗禾(れいか)、2013年3月に長男・勸玄(か
んげん)を出産している。長女は間も無く5歳。長男は3歳。2歳の時、15年11
月、歌舞伎座の顔見世興行で、歌舞伎役者の卵として初お目見得をした。麻央は病を
押して楽屋に通い勸玄の初お目見得の25日間を支えたという。幼い子供たちの母と
して、梨園の妻、母として、病魔を克服し元気になって欲しい。
- 2016年6月13日(月) 6:57:24
16年06月歌舞伎座 (第二部/「いがみの権太」=「木の実」「小金吾討死」
「すし屋」)


第二部「いがみの権太」では、主役は、幸四郎が勤める。五代目幸四郎、五代目菊五
郎が工夫してきた江戸歌舞伎型の「いがみの権太」を継承する。特に、五代目幸四郎
は、「鼻高幸四郎」と渾名された役者で、鼻が高く、左の眉の上に黒子があり、これ
ゆえに、その後、権太を演じる役者は、皆、左の眉の上に黒子を描いた。「木の実」
「小金吾討死」の小金吾は、抜擢の松也が、幸四郎の権太相手に演じる。「すし屋」
では、権太の幸四郎のほか、猿之助が第一部に引続き女形で、すし屋・「つる遍(遍
の字に濁点付き)すし」の娘・お里を演じるので、これも楽しみ。最近、女形を演じ
ることが少なくなっていた猿之助への欲求不満を一気に発散した観客が多かったので
はないか。猿之助のお里は、本興行では、16年ぶりという。染五郎は、すし屋の従
業員・弥助、実は三位中将維盛を演じる。

「いがみの権太」の「すし屋」を観るのは、13回目。「木の実」「小金吾討死」も
あわせて観るのは6回目。私が観た権太役者は、幸四郎(今回含め、3)、仁左衛門
(3)、團十郎(2)、富十郎、三代目猿之助、我當、吉右衛門、菊五郎となる。

源平が争う世の中。勝者が敗者を駆逐する。時代ものの悲劇が、世話場の庶民の生活
に入り込んできて新たな悲劇を生み出す。歌舞伎狂言の「時代世話もの」に良くある
作劇方法だろう。「義経千本桜」のうち、「木の実」、「すし屋」のいがみの権太の
家族、両親を巻き込む悲劇は、そういう形で生まれて来る。「彼(ひ)がのこと」
(時代)が「我がこと」(世話)を愁嘆場に変えてしまう。歌舞伎では、定式化され
た、つまり類型化された場面として、殺し場(殺人)、濡れ場(情事)、愁嘆場(悲
劇)、チャリ場(喜劇)などがある。いがみの権太の家族が巻き込まれた愁嘆場と
は、どういうものだろうか。

劇中で権太の両親は彼のことを「権太郎」と呼んでいた。渾名の「いがみ」とは、
「ゆがみ」、つまり、歪んだ性格から付けられた。「ゆがみ」とはなにか。一筋縄で
は行かない性格。いわば、「厄介な人」。だから、ドラマチックになるのだろう。

いがみの権太は、まず、「木の実」の場面から登場する。世慣れた小悪党で「置き引
き」まがいの手口で、茶店に偶然居合わせた旅行客の小金吾、若葉内侍らの一行から
金をだまし取る。その手口:茶店の床几に置いた小金吾と同じような振り分け荷物を
権太がわざと取り違えて持って行く。残された荷物に違和感を感じた小金吾が、荷物
の紐をほどいてしまい、中身が違うことに気づいて、慌てる。そこへ戻ってきた権太
が、間違えて持って行ったと謝りながら、紐でしばったままの小金吾の荷物を返す。
そこまでは、良い。その上で、権太は、自分の荷物の紐がほどかれているのを確認し
た上で、自分の荷物に入れていた20両が無くなっていると騒ぎ出す。小金吾は、そ
んな馬鹿な、と抗議するが、追っ手からの逃亡中の身であるから、若葉内侍の意向を
くんで騒ぎにしたくないし、いつまでも留まっていられないので、泣く泣く、20両
を提供せざるを得なくなる。手慣れた手口から、権太は、常習犯と思われる。そうい
う小悪党である。それでいて、権太は茶店で働く家族(妻と子)への情愛を隠さな
い。特に、子供への情愛は深い。後に妻子への情愛を逆転させることになるのだが、
ここはそのための伏線でもある。そういう2面性を「木の実」では、描き出す。権太
女房のこせんは、上方味の濃厚な秀太郎が江戸型で演じる。
 
「すし屋」は、家族がテーマだ。このすし屋は、勘当の身とは言え、権太の実家だか
ら、家族は、両親と未婚の妹がいる。両親のうち、父親は苦手だが、母親は、甘いの
で騙し易い。暫く実家に来ない間に稼業のすし屋を手伝っている男(いわば、従業員
の身)がいる。頼りなさそうななよなよした男だが、妹が好意を持っていると判っ
た。さらに、その優男は「訳有り」と判り、父親から勘当を許してもらいたいばっか
りに、正体を見抜いた優男のために「策略」を思いつき、それを実行した。しかし、
その策略は、権太が独り勝手に進めていたので、特に父親との情報共有化を怠ったた
め、結局、最後には、己の命を落としてしまうことになる。なぜ、そうなったのか。
まあ、舞台を観ながら、その辺りは解きほぐした方が良いだろう。ならば、私たち
は、「木の実、小金吾討死」と「すし屋」を権太に即して観ていかなければならな
い。

主筋は、亡くなったと思っていた平維盛が、生きていると聞いて、妻の若葉内侍(高
麗蔵)が、わが子・六代君を連れて、家来の主馬小金吾(松也)とともに追手を逃れ
て旅を続けている。しかし、途中休憩した茶屋で、小金吾は、いがみの権太(幸四
郎)に金をだまし取られた上、鎌倉方の大勢の追っ手に阻まれ、若葉内侍らを避難さ
せるものの、自分は、大立ち回りの末、敢え無く討ち死にしてしまう。そして、家族
の再会を果たした維盛一家を助けるすし屋の家族たち。そのひとりが、いがみの権太
というごろつきで、前半の彼の悪行ぶりと後半の本心への「もどり」というのが、芝
居のポイント。

前回、女形の梅枝が初役で演じた小金吾がなかなか良かったが、今回、初役で演じる
立役の松也も凛々しい小金吾であった。松也は何よりも科白の口跡が良いし、切れ味
の良い大立ち回りも見せる。浅草歌舞伎のリーダーをきっかけに役者として旬の時期
に入り始めたのだろう。「木の実」の場面でも、幸四郎の権太を相手にきっちり演じ
ていた。

贅言;「小金吾討死」は、歌舞伎の立ち回りのなかでも、追っ手たちが投げ合う縄で
「蜘蛛の巣」を作り、小金吾をその上に乗せるなど、見た目も綺麗な群舞に近い、計
算された立ち回りとなる。「蘭平物狂」の立ち回りとともに、私の好きな立ち回りの
場面だ。東京の演出では、竹林(竹薮)と縄、さらに廻り舞台(「半廻し」を含む)
を巧く使った立ち回りとなる。ダイナミックな立ち回りの「小金吾討死」を挟んで、
「すし屋」の場面へ。

「木の実」のいがみの権太は、小金吾一行には、小悪党の側面しか見せない。一行が
出発してから、茶屋で働く妻と茶屋の前で遊んでいる子に放蕩父親らしからぬ親愛の
情を見せる。ただし、これは、後の場面の悲劇をより鮮明にするための伏線ともな
る。
 
「すし屋」では、前半は、弥助、実は維盛(染五郎)、お里(猿之助)の恋愛ごっ
こ。弥助は、妻子持ち。お里が勝手に燃え上がる。弥助、実は維盛は、「つっころば
し」、「公家の御曹司」、「武将」など重層的な品格が必要な役だ。第一部の典侍の
局と違って町娘のお里は、結婚願望の適齢期の娘でお侠なところもあるが、初々し
い。お里は、奈良の山里・下市村のすし屋の娘だが、恋愛には積極的なタイプ。態度
をはっきりさせない弥助に対してグイグイ迫る。身分と妻子持ちを隠している弥助、
実は維盛への恋情が一途である。それでいて、町娘らしさ、蓮っ葉さも見せなければ
ならない。弥助らの本性を知った後が、いじらしい。なかなか、魅力的な娘だ。猿之
助も好演。弥助を演じた染五郎はこのところ、「双蝶々曲輪日記」の与五郎なども演
じて芸域を広げている。

前の場面で討ち死にした小金吾の首を切り取り、維盛の偽首として使って維盛を助け
ようとするのは、権太の父親・弥左衛門(錦吾)。この役は、私が観た歴代の役者で
は、亡くなった坂東吉弥が、良かった。そういう適役層が薄くなってきたが、錦吾も
好演。
 
マザー・コンプレックスの権太は、何かと口煩い父の弥左衛門を敬遠して、父親の留
守を見計らって母親のおくら(右之助)に金を工面してもらいに来る。母親泣き落し
の戦術は江戸型ならお茶を利用して、涙を流した風に装う。老いた母親を演じる右之
助に味がある。

弥左衛門一家が、弥助、実は維盛一家を匿っていたのでは、と梶原平三景時に詮議さ
れ困っているところへ、権太が現れ、維盛の首を撥ね若葉内侍らを捕まえてきたと、
大きな手拭で猿ぐつわをはめた若葉内侍ら(実は、権太の妻子・こせんと善太郎)維
盛一家に縄を打ち、維盛の首(実は、小金吾の首)を抱え持って、戻ってきた。

褒美に梶原平三景時が権太に渡した陣羽織(後に、褒美の金を渡す証拠の品というわ
けだ)。無事、梶原平三景時一行を騙したと思っている権太は、花道で梶原平三景時
一行を送りだす。権太は己の家族を犠牲にした大作戦を成功させたと思っている。そ
の見返りに勝ち取った弥助、実は維盛一家の保護。父親に報告をし、褒めてもらおう
と戻ってきた権太は、事情を知らない父親の弥左衛門に腹を刺されてしまう。刺され
た後、「もどり」と称して、悪人が本心の善人に戻る場面だ。己の家族の破滅を覚悟
して維盛一家を助けたという本心を明かす権太。

死に行く権太。苦しい息のなか、「木の実」の場面で、息子の善太郎から取り上げた
呼び子(この場面の、伏線だったのだ)の笛(合図の笛)を母親に吹かせ、無事だっ
た維盛一家を呼び寄せる。今回の江戸型では、母のおくらが、権太から受け取った笛
を持って家の外に出て、権太の代わりに吹く。上方型では、弱々しいながら、権太自
身が笛を吹く。弱々しい笛の音が、権太の儚い命脈を示している。

なぜこういう悲劇が起きてしまったのか。前半の小悪党権太に比べて、後半の「もど
り」の権太は、いわば、捌き役で、維盛一家をトラブルから救出する。ところが、実
は、この場面には、もうひとりの捌き役がいた。弥左衛門である。「権太くれ」(大
人になってもわんぱく小僧)という権太しか理解していない父親は、情報不足のマ
マ、権太を刺し殺すという形で、処断してしまう。父親と息子の意思疎通のまずさ。
現代にもあるだろう。「もどり」の権太の実相を知って、慌てるが、もう遅い。つま
り、これは、ダブルスタンダード(弥左衛門、権太)の悲劇と言える芝居なのだ。
 
輪袈裟と数珠が仕込まれていた陣羽織の仕掛け(「内やゆかしき、内ぞゆかしき」と
いう小野小町の歌の一部の文字で謎を解く)を観ると、鎌倉方の梶原平三景時も、こ
こでは、いつもの憎まれ役とは、ひと味違う役柄だと判る。知将・梶原なのだ。梶原
平三景時には、権太一家の命を犠牲にしても、維盛の家族全員死亡という「伝説」を
創造する必要があった。権太の「策謀」などとっくに見抜いていた上で、維盛一家を
助ける。この芝居には、さらに、もうひとりの捌き役がいたというわけだ。いつも憎
まれ役の梶原平三景時を捌き役に変えたのは、作者のひと工夫、ということだろう。

梶原のこうした意向や、権太の本心を知り、維盛も家族と別れて出家する決断をす
る。若葉内侍も六代君をつれて、高雄の文覚上人のところへ行く。こちらも、家族は
崩壊する。「時代」の悲劇は、「世話」の愁嘆場を引き起こす。悲劇の連鎖だ。
 
贅言;江戸歌舞伎で、いまの権太の型に洗練させた五代目幸四郎、五代目菊五郎の型
を当代の幸四郎も継承する。上方歌舞伎の型は、当代では、仁左衛門が権太を演じる
舞台で、たっぷり、こってり見せてくれる。仁左衛門は、二代目実川延若らが工夫
し、父・十三代目仁左衛門らがさらに工夫を加えた上方歌舞伎の演出や人形浄瑠璃の
演出をもミックスしている、という。
- 2016年6月12日(日) 9:59:29
16年06月歌舞伎座 (第一部/「碇知盛」=「渡海屋」「大物浦」、「時鳥花有
里」)


今月の歌舞伎座は、「義経千本桜」を3部制で見せる。歌舞伎座では、初めての試み
だ。「義経千本桜」は、1747(延享4)年、全五段の人形浄瑠璃として、大坂竹
本座で初演。原作は、竹田出雲、並木宗輔、三好松洛で、歌舞伎・人形浄瑠璃三大名
作のひとつ、という馴染みのある演目。何回観たことだろう。このうち、第一部の平
知盛を主軸とする物語「渡海屋、大物浦」(二段目)の場面だけでも、私が観るの
は、今回で12回目となる。「時鳥花有里」は、古い形の道行の台本を元に新たに所
作事として構成された。実質的に新作の演目である。
 
今回「渡海屋、大物浦」の見どころは、染五郎が初役で演じる渡海屋銀平、実は新中
納言・知盛。猿之助がやはり初役で演じる銀平女房・お柳、実は典侍の局。猿之助が
女形を演じるのも久しぶりなので、楽しみだ。さらに、市川右近の長男・竹田タケル
が、初お目見得で、銀平・娘お安、実は安徳帝を演じる。6歳の幼稚園年長組。来年
1月、新橋演舞場で、二代目市川右近として、初舞台を踏む。父親の市川右近は、名
前を息子に譲り、三代目右團次として父子同時に襲名披露する。右團次は、上方歌舞
伎の役者名で早替わりなど外連(ケレン)味が売りものだった、という。澤潟屋系の
味に通じる。右團次の屋号は高嶋屋。但し、三代目右團次は、従来通り、澤潟屋一門
として、活動を続けて行くという。上方の味わいを残す市川右之助は、二代目右團次
の孫。右團次という名跡の復活は、81年ぶり。
 
「渡海屋・大物浦」の場は、渡海屋の店先、渡海屋の裏手の奥座敷、大物浦の岩組と
三つの場面から構成される。
 
銀平、実は知盛は「船問屋の主人・銀平としての男気」、「本来の知盛として、知勇
兼備の大将」、「戦に敗れ重傷を負った鬼気迫る姿」、「最期の悲哀、壮絶さ」を演
じることだろう。染五郎も「平家一門いう公家らしさ」と「人物の大きさ」を演じる
ということになるだろう。

私が観た渡海屋銀平、実は、平知盛では、吉右衛門(4)、團十郎、三代目猿之助、
仁左衛門、幸四郎、海老蔵、松緑、菊之助、そして、今回は初役の染五郎。

渡海屋銀平、実は、平知盛。捌き役の銀平は、途中から平家の貴人・知盛に衣装も品
格も、変身するのが、見どころ。染五郎は渡海屋の店先、大物浦の岩組。ふたつの場
面で、世話、時代をそれぞれ味わいたっぷりに、対照的に描かなければならない。
 
渡海屋では、花道からアイヌ文様の厚司(あつし・オヒョウの樹皮から採った糸で
織った織物。コートのように上から羽織っている。いわば、ハイカラな異国趣味だっ
たのだろう)姿で、外出先から戻って来た銀平(染五郎)は、義経一行を偵察に来た
北条時政の家来と称する「鎌倉武士たち(北条時政の家来を名乗り、「宿改め」に来
た。実は、平家一門の擬態。相模五郎(右近)と入江丹蔵(亀鶴)のふたり。逗留す
る義経一行に刺激を与えに来た。悲劇の前のチャリ場=笑劇なので、「魚尽し」の科
白で笑わせる)」を追っ払うなど、ひとしきり演じた後、上手の二重舞台の障子の間
(納戸)に一旦入る。
 
宿改めがあったので雨をついて急いで旅立つ義経一行。一行が船出をしてしまい、日
も暮れて来た。障子が開くと、知盛が本性を顕す場面。銀烏帽子に白糸緘の鎧、白柄
の長刀(鞘も白い毛皮製)、白い毛皮の沓という白と銀のみの華麗な鎧衣装で身を固
めた銀平(銀色の平家)、実は、知盛の登場となる。知盛は、「船弁慶」の後ジテ
(知盛亡霊)に似た衣装を着ているので、下座音楽では、謡曲の「船弁慶」が唄われ
る。白銀に輝くばかりの歌舞伎の美学。亡霊のイメージだが、衣装も品格も銀平から
知盛に替わるので、ここは、怨霊ながら「生きている知盛」という想定である。
 
そこへ平家方、白装束の亡霊姿の配下たち。大将から家来まで全て白ずくめの知盛一
行の方が、死出の旅路に出る主従のイメージで迫っているように見える。皆、生きて
いる怨霊たち。白い衣装が、韓国や日本では、「喪服」だというセンスが良く判る場
面だ。
 
 渡海屋の奥座敷。こちらも本性を顕した安徳帝(タケル)、典侍の局(猿之助)ら
平家の女たち。海上に展開される海戦の様を遠望しながら、御座船の松明が消えて行
くのを認めることで敗戦を悟る。入水する官女たち。安徳亭と典侍の局は、現れた義
経の家来たちに捕まり、保護されてしまう。

海原を描いた道具幕(「浪幕」という)が、振り被せとなり、舞台転換。やがて、幕
を振り落とすと、知盛の最期の見せ場となる大物浦の岩組の場へ展開となる。竹本の
床(舞台上手の上)、御簾を上げての出語りは東太夫。

大物浦の岩組の場面では、純無垢だった華麗な衣装は、悲惨な衣装に替わっている。
手負いとなり、先ほどの華麗な白銀の衣装をあちこち真っ赤な血に染めて、向う揚幕
の向うから、逃れて来た知盛。隈取りをした顔も血に染まっている。

安徳帝の行方を探し大物浦までやって来た知盛は最期を覚った。舞台上手から義経一
行が現れる。従う四天王、安徳帝を抱きかかえた鎧武者がもう一人。さらに典侍の局
も続く。知盛の忠義に感謝をしながらも義経の情けを仇に思うなと諭す幼い安徳帝。
権力者は、変わり身が早い。知盛は「壇ノ浦での平家の滅亡のありさまも、元はとい
えば父清盛の、(外戚の望みあるによって、姫宮を御男宮と言いふらし、権威をもっ
て御位につけ)、天道をあざむく横暴が、つもりつもって一門我子の身に報いたの
か」と嘆く。人形浄瑠璃原作では、知盛は、安徳帝は女の子であったと告白してい
る。権力者の横暴も、その因果が報った果ての滅亡も、この世で見るべきものは見た
として、知盛は粛々と死んで行く。というか、元々知盛は、義経に一矢を報いたいと
して、恨みをエネルギーにして甦ってきた「死せる怨霊」であったわけだから、義経
に安徳帝の今後を任せて、恨みを解消してしまえば、安心立命の境地で、元の死の世
界へ戻って逝くことができる。
 
舞台上手にいた義経一行は、舞台下手に移り、上手は、死に行く知盛に敬意を表して
空ける。死に瀕した知盛は、上手側から舞台中央の岩組を這うように登って行く。安
徳帝の「知盛さらば」(歌舞伎の「入れごと」。後から追加した)。安徳帝から見れ
ば、知盛も忠義(過去)なら、義経も忠義(将来)。権力者に取って、忠義のバトン
リレーが無事済めば、保身が満たされ、「忠臣よ!さらば」、となるのであろう。知
盛入水まで見守る義経一行と安徳帝。知盛「昨日の仇は今日の味方、あら心安や、嬉
しやなあ」。ハイ(軽躁)状態で死に臨む。
 
岩組の上で、知盛は、碇の綱を身に巻き付け、太い綱の結び目を3回作る。瀕死の状
態にもめげず、重そうな碇の下に頭を差し入れ、やっとのことで身体を滑り込ませて
持ち上げると、末期の力を発揮して碇を海に投げ込む。綱の長さ、海の深さを感じさ
せる間の作り方。やがて、綱に引っ張られるようにして、後ろ向きのまま、ガクンガ
クンと落ちて行く、「背ギバ」と呼ばれる荒技の演技。ここは、滅びの美学。
 
「碇知盛」らしく、岩組から背後にそのまま倒れ込んで行く場面も、染五郎は見応え
があった。岩組の後ろでは、複数の水衣(みずご)姿の後見が、「背ギバ」の染五郎
を拡げたネットで支えようとしている。ネットについた二つずつの輪っかに複数の水
衣がそれぞれの両腕を通し、腕の所で墜落の衝撃と重さに応えようということだ。面
当てを外し頭に載せている。主役のセイフティ優先。判断に間違いがあってはならな
いからだろう。
 
染五郎と猿之助が、銀平、実は知盛、お柳、実は典侍の局をそれぞれ初役で演じた。
弁慶役も初役の猿弥。芝居の終り、一人残った幕外で弁慶は、死者たちの魂を鎮める
ために合掌し、法螺貝を吹いて、花道を引っ込む。この辺りの間を取るのが難しい
役。

私が観たこのほかの配役。女房お柳、実は、典侍の局:魁春(2)、芝翫(2)、雀
右衛門、宗十郎、福助、藤十郎、玉三郎、芝雀、梅枝、今回は初役の猿之助。
義経:梅玉(4)、松也(今回含め、2)、亡くなった(八十助時代の)十代目三津
五郎(巳之助の父親)、門之助、福助、友右衛門、亡くなった富十郎、萬太郎。弁
慶:團蔵(5)、段四郎(2)、左團次(2)、歌六、菊市郎、今回は猿弥。相模五
郎:歌六(3)、歌昇時代含めて又五郎(2)、亀三郎(2)、九代目三津五郎、亡
くなった十代目三津五郎、亡くなった(勘九郎時代の)勘三郎、権十郎、今回は右
近。入江丹蔵:歌昇(2)、信二郎時代含めて錦之助(2)、亡くなった松助(松也
の父親)、猿弥、亡くなった十代目三津五郎、高麗蔵、市蔵、亀寿、右近。今回は亀
鶴。


所作事「時鳥花有里」。「義経千本桜」の古形を残す道行「時鳥花有里」の台本に想
を得て、新たに構成された新作所作事。初演ゆえに、私も初見。舞台中央のせりで登
場した義経(梅玉)と鷲の尾三郎(東蔵)の出。竹本「さても紅顔義経は……」、義
経は自らの来し方を振り返る。義経は典型的な貴族の扮装で、草履ばき。道行の格好
では無い、というのも歌舞伎味か。尾三郎は、「初音旅」で静御前に従う狐忠信を思
わせる扮装でわらじ履き。龍田の里にたどり着いたふたりの前に白拍子の三芳野、実
は龍田の神女(魁春)、巫女姿の人形を片手に持った傀儡子の染吉、実は龍田の明神
(染五郎)らが現れ、芸づくしを見せる。三芳野は白拍子の花子風。三芳野の連れと
して白拍子の園原、実は神女(笑三郎)、同じく帚木、実は神女(春猿)。中でも染
吉は4つの面を巧みに使って、義経の都落ち後の様子を伝える。三芳野らは義経一行
に目指すは吉野の川連法眼館と告げる。3部通しのため、後の吉野山へ義経を繋ぐ舞
台というだけ。舞台の展開は、引き道具や大道具の「煽り」などを交えてダイナミッ
クに見せてくれる。
- 2016年6月11日(土) 17:06:04
16年05月国立劇場(人形浄瑠璃/「絵本太功記」)


人形浄瑠璃の世界では、世代交代が激しく進んでいる。浄瑠璃の人間国宝・嶋太夫の
2月国立劇場での引退興行に続いて、人形遣いの文雀の引退が3月に公表された。引
退興行はせず、「静かに消え去ることのみ望んで参りました」ということだったが、
5月の国立劇場筋書に見開き2ページで、「吉田文雀の引退について」という記事が
掲載された。1945年8月、17歳で文楽座入座、以後、戦後の人形浄瑠璃の歴史
とともに歩んできた人である。「近年は年齢とともに病を得」ということで、時々、
休演ということもあった。「心中天網島」のおさん、「摂州合邦辻」の玉手御前、
「伽羅先代萩」の政岡など女形の優れた人形遣いであり、人間国宝にも認定された。
唇を幾分突き出すようにして結び、穏やかや気高い表情を保ったまま人形を操る姿
が、今も目に浮かぶ。雀のなかに「文」という字をいれた紋のある着物姿の数々の写
真を見ても、文雀の表情は、皆同じように見える。頭の中に女形の原型のみが描かれ
ていて、それをそのままに人形に移し替えながら、操っていただろうということが連
想されるような表情であった。

さて、5月の国立劇場公演。「絵本太功記」を人形浄瑠璃で観るのは、3回目だが、
全十三段の「絵本太功記」のうち、「本能寺の段」、「妙心寺の段」、「夕顔棚の
段」、「尼ケ崎の段」までの、いわば半通し上演で観るのは、初めて。1799(寛
政11)年7月、大坂道頓堀若太夫芝居(旧豊竹座)で初演。当時流行した読本「絵
本太閤記」を人形浄瑠璃に書き換えた。原作者は、近松門下生たち。近松柳(やな
ぎ)、近松湖水軒(こすいけん)、近松千葉軒(せんようけん)ら、今から見れば、
無名の人たちで合作した。

全十三段は、1582(天正10)年六月朔日から十三日までを一日一冊に分けて光
秀物語と久吉物語が、てれこ(交互)になりながら時系列に演じられる。本来は外題
が示すように主筋は秀吉の物語で戦国時代らしく戦闘場面も含まれ、急変する時代相
を描く狂言だが、今回の半通しも、良く上演されるみどり上演でももう一つの主筋で
ある明智光秀の主殺し物語の部分に光を当てている。従って、今回の劇評では初見の
「本能寺の段」、「妙心寺の段」を軸に、馴染みの「夕顔棚の段」、「尼ケ崎の段」
を論じることにしよう。

群雄割拠の戦国時代も先が見えてきた。群雄の間から尾田春長、史実の織田信長が頭
を出してきた頃。短気で非情な春長は悪逆の勇将、鬼、仏敵などと世間の評判が悪
い。春長の先行きを心配して諫言した知将・武智光秀、史実の明智光秀は、逆に春長
を怒らせてしまう。六月朔日。勅使を迎える二条城。饗応役は光秀と森の蘭丸。光秀
に疑心を抱き始めた春長は蘭丸に光秀の本心を探らせる。春長お気に入りの側近・蘭
丸に主命による鉄扇で眉間を割られた光秀。真の忠臣らしく、尚も主の短慮を諌め
る。更に怒りを強めた春長は光秀を追い出す。諌言は時として不幸な効果を招く。光
秀館に帰還した光秀に春長から出陣命令が届く。中国地方にいる久吉への援軍として
出陣しろ、というのだ。左遷の領地替えも合わせて命じられる。光秀は謀反の決意を
し、出陣の準備をする。

贅言;歌舞伎では、このような場面は、1808年初演の南北原作「時今也桔梗旗揚
(ときはいまききょうのはたあげ)」の「馬盥(ばたらい)の光秀」で、春長にいじ
め抜かれる光秀の姿を軸にしばしば上演されるので、馴染みがある。今回の人形浄瑠
璃では、「本能寺の段」になっても光秀は登場しない。

さて、今回の芝居も開幕。5月20日、私が観た各段の担当者は、以下の通り。
「本能寺の段」。口の太夫は、小住太夫、三味線方が、清公。奥は、咲甫太夫、宗
助。
「妙心寺の段」。口の太夫は、芳穂太夫、三味線方が、清丈(「丈」に点がつく)。
奥は、呂勢太夫、錦糸。
「夕顔棚の段」。睦太夫、清友。
「尼ヶ崎の段」。前は、文字久太夫、藤蔵。後は、津駒太夫、清介。
人形遣いは、阿野(あのう)の局が、文昇。春長が、幸助。しのぶが、紋臣。蘭丸
が、簑紫郎。三法師丸が、簑之。力丸が、紋秀。宗祇坊が、亀次。四王天(しほうで
ん)田島頭が、玉佳。さつきが、玉也。操が、簑二郎。初菊が、一輔。久吉が、勘
市。光秀が、玉志。十次郎が、勘弥。正清が、玉路。

人形浄瑠璃の首(かしら)は、阿野の局:老女方、春長:検非違使、しのぶ:娘、蘭
丸、力丸:源太、三法師丸:男子役、宗祇坊:斧右衛門、田島頭:金時、光秀:文
七、操:老女方、久吉:検非違使、十次郎:若男(前半)、源太(後半)、初菊:
娘、さつき:婆。正清:鬼若。人形浄瑠璃では、首(顔)は、このように類型化され
てしまう。ただし、人形遣いにより個々の人形の味わいが異なる。

「本能寺の段」は、六月二日。尾田春長が、宿所とした本能寺での事件(世に言う
「本能寺の変」)前の様子が描かれる。孫の三法師丸と同伴の阿野(あのう)の局ら
も交えて酒宴を楽しむ春長。光秀の言動に危機感を持つ森の蘭丸が春長に忠告する
が、耳を貸さない。蘭丸も恋人の腰元・しのぶに言い寄られて逢瀬を楽しむ方に引き
込まれ、警護役としてのバランスを崩してしまう。

蘭丸の懸念通り、夜中に中国出陣を装った武智光秀に攻め込まれる。警護の薄い、い
わば旅先、春長は、自死の覚悟を決める。阿野の局に三法師丸を託し、久吉に無念を
晴らすよう伝えよ、と命じる。兄が光秀派についたのでしのぶは自害する。春長は、
しのぶと蘭丸を妻(め)合わせる。謀反の光秀を待ち受ける春長。光秀は登場しない
まま、幕。

省略された場面では、六月五日。阿野の局が久吉の陣に辿り着く。京での事変を知ら
せると、息絶えてしまう。久吉は当面の戦を和睦とし、京へ引き返すことにする。

「妙心寺の段」は、六月六日。こちらは、春長征伐した光秀が砦を構える妙心寺。光
秀の母、さつきは、息子が主殺しをしたのが断じて許せない。だから、光秀が凱旋し
てくると、自分はみすぼらしい衣装に着替えて家出でしてしまう。光秀は母の衣装な
どを長持ちに入れて従者たちに母親の後をつけさせる。

本人も主殺しをいちばん悩んでいるのに、母にも糾弾された光秀は、一人で思い悩み
鬱々としている。家臣の四王天田島頭(しほうでんたじまのかみ)が、密かに窺って
いる。光秀は唐紙を裏返すと、漢詩を書き始めた。どうやら辞世の句らしい。

順逆無二門(じゅんぎゃくにもんなし)
大道徹心源(だいどうしんげんにてっす)
五十五年夢(ごじゅうごねんのゆめ)
覚来帰一元(さめきたっていちげんにきす)

大意は、以下のようなことか。
主君に順(したが)うのも逆らうのも同じこと。人の道は心に徹している。55年の
生涯も夢の如し。夢が覚めれば、全ては物事の根元に帰って行くことを知る。

ここは、見せ場である。更に、光秀は下に着ていた死に装束姿になると、切腹の準備
を始めた。上手から田島頭、下手から光秀息子の十次郎が駆け寄り、光秀を押しとど
める。母に批判されるまでもなく光秀自身は主殺しの罪に悩んでいた。忠臣・田島
は、民のために暴君を殺したのだから天誅であると言う。それで迷いが晴れすっきり
した光秀は久吉打倒を決心し、天皇に将軍として任命されるために宮中へ向かう。

省略された場面では、六月九日。久吉軍は大物浦に戻った。光秀の忠臣・田島頭軍に
襲われた久吉は旅の僧の衣装を奪い、馬で逃げる。久吉を取り逃がした田島頭は加藤
正清(史実の加藤清正)らに討ち取られてしまう。光秀の息子の十次郎は、こうした
戦況を光秀の元に知らせるために戻って行く。

「夕顔棚の段」と「尼ヶ崎の段」は、六月十日。歌舞伎の「尼ヶ崎閑居の場」は、人
形浄瑠璃では、「夕顔棚の段」と「尼ヶ崎の段」に分れる。歌舞伎では、あまり上演
されない「夕顔棚の段」が、上演される。尼崎の閑居(尼ヶ崎庵室)は、戦場の大物
浦に近い。

「夕顔棚の段」。幕が開く前から念仏の合唱(メリヤス)が聞こえ出す。幕が開く
と、「ドンツクドンツク」という音とともに、「妙見講」の題目「南無妙法蓮華経、
南無妙法蓮華経」と経を読む近隣の百姓たちの声だったことが判る。光秀の母・さつ
きが、光秀謀叛を怒って屋敷を出て、いまは庵室に独居している。舞台は、下手に竹
藪と井戸。茅葺きの庵室の下手の軒先に夕顔棚があり、実もなり、花も咲いている。
上手には、植木鉢の夕顔の花も咲き競っている。庵室は、夕顔棚から上手に向かって
暖簾口、襖が閉められている奥の仏間、小さな渡りを挟んで湯殿口。地域の百姓たち
は、読経の後は、「高咄し」(世間話)を咲かせている。「武智というふ悪人が、春
長様を殺して大騒動」と喧しい。その武智の母親がここにいるとは百姓たちは知らな
い。
 
光秀の妻・操と息子十次郎の許婚・初菊が、訪ねて来る。そこへ、一人の旅僧が、一
夜の宿を求めて来る。馳走もないので風呂を焚き、僧に勧めるさつき。戦場から敗走
し、奪った衣装に替えて久吉が扮した僧である。その僧の後を付けて来た光秀が、
「心得がたき旅僧」と、生垣の外から伺っているのに、さつきは、気づく。舞台の下
手上手で見あわす親子。ここが、後の展開の伏線。一旦、姿を隠す光秀。湯殿に入る
僧。
 
さらに、出陣を前に、十次郎が祖母を訪ねて来る。喜んで、十次郎と初菊の祝言をし
ようというさつき。初菊は喜ぶが、十次郎は討ち死にを覚悟しているので、複雑な心
境。十次郎を残して、女たちは、奥に入る。

「尼ヶ崎の段」。女たち「ひと間に入りにけり」十次郎「残る莟の花一つ」。
討ち死に覚悟の十次郎は、初菊が祝言などせずに、「無傷」(処女)のまま、他家に
嫁入りしてくれと呟く。これを陰で聞いた初菊は、上手の襖より出て来て、出陣をと
どまれと泣いて頼む。しかし、拒絶され、鎧兜に身を固めた十次郎と初菊の祝言は、
さつき、操も列席して執り行われる。いつのまにか、上手の植木鉢も、下手の井戸
も、舞台からは、消えている。次の場面展開への準備。
 
「尼ヶ崎の段」の見どころは、ふたつある。その一つが、十次郎と初菊の恋模様。そ
の象徴的な場面を歌舞伎では、「入れ事」とした。いわゆる「兜引き」の場面で、初
菊役者は、糸に乗って人形のように動きながら、重い兜を自分の衣装の袖に載せて、
苦労して、ゆっくりと引っ張って暖簾口から後ろ向きに奥に入って行く。人形浄瑠璃
では、鎧櫃を抱えて、初菊は、十次郎の後について、前向きで奥に入って行くので、
見どころにならない。

戦場からの騒音、陣太鼓の音が聞こえ、戦場に向かう気になる十次郎。泣き伏す初
菊。そこへ、旅の僧が、風呂が沸いたと告げに来る。皆、奥へ入る。盆廻し。「月漏
る片庇(かたびさし)」で津駒太夫が語り出す。見せ場である。

「ここに苅り取る真柴垣」「夕顔棚のこなたより、現れ出でたる武智光秀」の名場面
で、光秀は、下手竹藪より出て来る。白塗り、眉間に青い三日月型の傷という顔で、
おどろおどろしい光秀。簑を纏い、笠を右手に持っている。竹を斬り、竹槍を作る。
庵室に入り、風呂に近づくと、「只ひと討ち」と、湯殿に竹槍を差し込む。「わつと
玉ぎる女の泣き声」。湯殿から、黒い布を被った体で、「七転八倒」傷ついたさつき
が現れる。光秀の意図を察知したさつきが、僧、実は、真柴久吉の身替わりになって
いたのだ。命をかけて息子の主君殺しを諌めるさつき。「主を殺した天罰の報いは親
にもこの通り」。息子光秀に実母を殺させ、主殺しという息子の罪を少しでも軽減さ
せようという母性愛。春長の重臣・久吉に見せつけるためだ、さらに、妻の操が、光
秀を諌める場面も、見どころ、聞きどころ。だが、女たちの思惑を入れず、「武門の
習ひ天下のため」と訴える光秀。

陣太鼓が鳴り、「血は滝津瀬(たきつせ)」、戦場で傷ついた十次郎が、田島頭が討
たれた後の、戦場の状況悪化を父親の光秀に伝えようと戻って来る。気を失い、父親
から薬を飲まされ、活を入れられ、虫の息で、父親に戦況を報告する息子の「物
語」。光秀の身を案じて、戦況を伝え、退却を勧めるために戻って来たのだ。「もう
目が見えぬ、父上、母様、初菊殿。名残惜しや」。「十八年の春秋を刃の中に人と成
り」(「熊谷陣屋」の小次郎は、16歳だった。十次郎は、18歳で、死んで行
く)。孫が不憫だと嘆く祖母のさつき。息子を亡くす母の操。夫と一緒に死にたいと
悶える嫁の初菊。自分が原因で、家族に降り掛かった悲劇を悟り、妻と嫁に責めら
れ、非難され、光秀も涙を浮かべる。操、初菊、さつきが、泣き崩れる中、「さすが
勇気の光秀も」、初めて「こたへかねて、はらはらはら、雨か涙の汐境」、と涙を流
す。浄瑠璃の「大落とし」(クライマックス)の場面。

庵室の道具が、引き道具で、やや上手に3分1ほど引っ込められ、下手の薮の一部
も、さらに下手に引っ込められる。空いた下手の空間には、大きな「すね木の松」が
下手奥から出て来る。「団七走り」と呼ばれる手足を前後に大きくのばす振りで松に
駆け寄る光秀。反逆の道を選んだ悲劇の英雄・光秀の見せ場、さらに、松の木の傍で
背中を見せて見得をする光秀。松によじ上る光秀。松の枝にまたがり、更に、上の枝
を押し上げて、物見をする。動きの少なかった光秀のハイライトの場面。
 
歌舞伎なら、大道具(舞台)が廻って、花道七三に一旦出た光秀が、本舞台に戻って
来て、庭先の大きな松の根っこに登り、松の大枝を持ち上げて、辺りを見回す場面。
 
人形浄瑠璃では、背景の黒幕が、振り落しとなり、海の遠見となる。「敵か味方か。
勝利いかに」。海上に浮かぶ多数の軍船が見える。「千成瓢の馬印」ということで、
久吉方と判る。光秀の負け戦。
 
これは、「ひらかな盛衰記」の、通称「逆櫓」の、「松の物見」と言われる場面のパ
ロディだ。
 
久吉の軍団登場。座敷上手の襖を開けて、陣羽織姿の久吉登場。「対面せん」。夕顔
棚を水平に斬る久吉。夕顔の実が落ちる。さつきは、光秀の償いのためと久吉に訴え
て、十次郎と共に息絶える。下手に、田島頭を討ち取り、形勢逆転の立て役者・加藤
正清が軍兵を連れて現れる。上下手から攻め込まれて、極まった光秀。京都山崎の天
王山での決戦を約束する久吉。
 
もうひとつの見どころが、光秀と久吉の拮抗。特に、光秀の謀反を諌めようと久吉の
身替わりになって息子の光秀に竹槍で刺される母のさつきの場面など、いくつかの見
せ場がある。皐月は、瀕死の重傷のまま、孫の十次郎と一緒に、息を引き取るタイミ
ングまで、じっとしている場面が長いので、歌舞伎では、これも役者は辛かろうと、
思うが、人形浄瑠璃では、瀕死のまま横たわっているのが、不自然ではない。

無名の作者たちによる合作の名作は、先行作品の有名な場面を下敷きにしている場合
が多いが、時に、憑依した状態で、狂言書きの筆が進み、名作に「化ける」こともあ
る。

「絵本太功記」の先行作品の下敷き振りをチェックしてみよう。まず、十次郎と初菊
は、「十種香」の勝頼と八重垣姫のパロディ。「十種香」は、1766(明和3)年
に、人形浄瑠璃、大坂の竹本座で初演され、同じ年のうちに、歌舞伎、大坂中の芝居
で、初演されている。「太十」初演の、33年前だ。また、「ひらかな盛衰記」は、
更に、古く、1739(文元4)年に、人形浄瑠璃、大坂の竹本座で初演され、翌
年、歌舞伎、大坂角の芝居で、初演されている。「太十」初演の、60年前だ。

歌舞伎と人形浄瑠璃の演出の違いで、大きいのは、歌舞伎では見せ場となる「兜引
き」が人形浄瑠璃では無いこと。人形浄瑠璃では、「物見の松」で光秀が登る松の木
への舞台展開が、引き道具で行なう。場面場面の展開が、きめ細かい「段」構成であ
る人形浄瑠璃の方が、伏線を活用していて、筋の展開にメリハリがある。歌舞伎の團
十郎で観た光秀は、不気味な大きさを感じさせたが、まあ、これは、團十郎の藝の力
だろう。人形浄瑠璃の光秀には、そういう不気味さは無かった。むしろ、人間臭い光
秀であった。正義感故、主殺しに加えて、家族を破綻に追い込む。敵と誤って、母を
殺す。父の正義感の犠牲になる息子も死なせてしまう。苦渋の人生の最期を光秀は、
演じなければならない。

主君を討った武智光秀を軸にした武智ファミリー対主君の敵討を志す重臣・久吉と正
清一派の闘い。家庭に持ち込まれた戦争、という構図。中でも父親・光秀の孤独は浮
き彫りにされる。瀕死の息子の十次郎。同じく母のさつき、妻の操、嫁の初菊。家族
の中に戦国の世が踏み込み、男たちと女たちを荒々しく分断する。さつき、光秀、
操、十次郎、初菊という5人家族は、戦世の権力闘争に巻き込まれ、悲劇のうちに滅
びて行く。成功した久吉劇は、芝居にならず、家族破綻した光秀劇は、繰り返し上演
され続ける。芝居の神さんは、見るべき所を見ている。
 
「真柴が武名(ぶめい)仮名書きに、写す絵本の太功記と末の、世までも残しけり」
は、作者たちの思い違い。
- 2016年5月29日(日) 11:45:13
16年05月国立劇場(人形浄瑠璃「鑑賞教室」/「曽根崎心中」)
 
 
去年の5月は、二代目吉田玉男襲名披露興行だったが、今年は、本興行が「絵本太功
記」、鑑賞教室が「曽根崎心中」。「曽根崎心中」を人形浄瑠璃で観るのは、今回で
4回目。10年2月、11年12月、13年5月、そして今回。構成は、いつも通
り。「生玉神社前の段」、「天満屋の段」、「天神森の段」。歌舞伎では、「生玉神
社境内」、「北新地天満屋」、「曾根崎の森」という構成。今回私が観たのは、Bプ
ログラム。それぞれの担当は以下の通り。

「生玉神社前の段」:竹本は、靖太夫。三味線方は、喜一朗。
「天満屋の段」:竹本は、千歳太夫。三味線方は、富助。
「天神森の段」:竹本は、お初が芳穂太夫。徳兵衛が始太夫、ほかが「語り分け
る」。それに合わせて三味線方は、清馗、寛太郎、ほかが「引き分ける」。
人形遣いは、徳兵衛:玉男、お初:清十郎、九平次:玉輝、ほか。人形は、後ろ姿の
帯の下に穴が空いていて、主遣いは、ここから左手を入れて、人形の首(かしら)を
操る。「鑑賞教室」なので、大御所は登場せず。


「曽根崎心中」は、1703(元禄16)年5月、史実の事件を元に書かれた近松門
左衛門原作で、大坂竹本座で初演された。事件は、上演の1ヶ月前、4月に起きた。
大坂北新地天満屋の遊女(芸子という説も)・お初と大坂内本町の醤油問屋平野屋の
手代・徳兵衛が、大坂梅田曽根崎露天神の森(梅田堤)で心中したという。徳兵衛の
江戸転勤、お初の九州から来た客による身請けを苦にした。歌舞伎の台本を書いてい
た近松が、人形浄瑠璃のために初めて書いた世話浄瑠璃の第1作である。人形浄瑠璃
では、1955(昭和30)年1月、野澤松之輔の脚色・作曲で、復活され、人気演
目として現在まで、上演を重ねている。

贅言;歌舞伎の台本は、宇野信夫が戦後に脚色、復活したもの。人形浄瑠璃より先の
1953年、新橋演舞場で上演。21歳の二代目扇雀が初演で、好評。扇雀から鴈治
郎、そして、坂田藤十郎へ。藤十郎は、半世紀を越える上演で、回数も、1300回
を超え、いまなお、新たな工夫魂胆の気持ちを持ち続けている。

歌舞伎では、死の道行きでは、スポットライトを使うほか、暗転、暗い中での、2回
の廻り舞台、閉幕は、緞帳が降りてくるという伝統演目の古典歌舞伎らしからぬ新演
出で見せる。まさに、「宇野演出の新作歌舞伎」とも言うべき「近松劇」である。そ
れに比べると、人形浄瑠璃は、伝統的なオーソドックスな演出を守っている。

「生玉神社前の段」では、伯父の店で働く徳兵衛は、得意先回りの途中で、境内に立
ち寄り、上手の茶屋内にいるお初の姿を見かけた。徳兵衛とお初のやり取り。この件
(くだり)は、歌舞伎も人形浄瑠璃も、同じ。伯父から徳兵衛に持ちかけられた縁談
の持参金を友人の九平次に貸したら、だまし取られてしまった(今の貨幣価値に換算
すると、200万円程度という試算もある)ということで、後の事件への伏線が描か
れる。九平次と徳兵衛のトラブルを浮き彫りにする。偽計に引っかかり徳兵衛は金を
騙しとられる。いつの間にか、時間の経過とともに、夕景が深まり藤棚の藤が当初の
紫色から赤紫色に変わっている。竹本の靖太夫、千歳大夫の「九平次」の読みは、い
ずれも「くへじ」と聞こえた。

贅言;「生玉社前の段」の背景が、歌舞伎とは違う。歌舞伎では、生玉神社の傾斜の
ある境内という設定で、舞台を下手から中央まで覆う藤棚越しに石段が見えるだけと
いう閉塞感があるが、人形浄瑠璃では、丘の上の生玉神社らしく、山々を見通せる遠
景という設定で、開放感がある。遠景の手前の藤棚も下手だけ、舞台中央には、石灯
籠、上手は、「はすめし」が売り物の出茶屋の入り口。歌舞伎では、徳兵衛を見かけ
たお初が茶屋の暖簾をかき分けて飛び出して来るが、人形浄瑠璃では、お初は、茶屋
の格子内で姿を見せ、むしろ、徳兵衛が、いそいそと茶屋の中へ入って行く。

「天満屋の段」。座敷は、暫く無人。「恋風の身に蜆川流れては……」。千歳太夫の
語りが、「無残やな天満屋のお初は内へ帰りても、今日の事のみ気にかかり……」の
なると、奥よりお初が登場する。徳兵衛のことを案じて、ふさぎ込んでいるお初。顔
を隠し、編み笠姿でやってきた徳兵衛。お初は、徳兵衛を店の誰にも見つからぬよう
に、打ち掛けの下に隠して、店内に連れ込む。徳兵衛は、縁の下に隠れ込む。三人遣
いの人形も縁の下の狭い空間に入り込めるのは、主遣いの玉男のみ。足遣い、左遣い
とも、姿を消す。やがて、酔っぱらってやって来た九平次は、得意気に、徳兵衛の悪
口を言い立てる。縁の下で、怒り出す徳兵衛をお初は、足の先で、押し鎮める。

贅言;人形浄瑠璃の女形は、足を見せなかった江戸時代の女性の美意識を反映して足
が無く、着物の裾で足を演じるのだが、この場面だけは、特別に、足(右足のみ)を
出して、操る。足遣いは、縁の下に入るスペースがないので、人形の舞台上手にかが
み込んでお初の足を遣う。足の場面が終わると、右足を持って、背を屈めて密かに退
場する。

お初は縁の端に座り込み、店の者や九平次を相手にしながら、時々、独り言を装っ
て、縁の下の徳兵衛に話しかけたり、足先で、合図したりする。心中の約束も、ここ
で、果たす。

「独り言になぞらへて、足で問へば下には頷き、足首取って咽喉笛撫で『自害する』
とぞ知らせける」。「曽根崎心中」の最高の見せ場のひとつである。

贅言;人形浄瑠璃の近松原作も、「虚実皮膜の論」を標榜する近松らしく、史実に付
け加えのあるフィクションで、憎まれ役の油屋九平次の登場は「金」の話を明確に
し、追いつめられて行く徳兵衛の立場をくっきりと浮かび上がらせる。心中の動機が
大衆にも判り易いようにしたクローズアップした近松の工夫である。油屋九平次(通
称、「あぶく」)、バブルのような男である。人形浄瑠璃では、歌舞伎より原作に近
い形で今も上演される。

その九平次も去り、店の者も、寝静まり、いよいよ、暗闇の中、心中決行の現場へと
出向くお初と徳兵衛。天満屋の下女との絡みが、悲劇の前の喜劇。上手の二階座敷か
ら這うようにして、密かに出て来るお初。闇の中のチャリ場である。縁の下から抜け
出る徳兵衛。明かりを付けようと、火打石を打つ下女の動作に合わせて、お初・徳兵
衛のふたりはそっと戸を開ける。

「『丁』と打てば そつと明け 『かちかち』打てば そろそろ明け、合はせ合はせ
て身を縮め、袖と袖とを槙の戸や、虎の尾を踏む心地して」、店先の車戸(くるま
ど)を開ける徳兵衛とお初。緊迫感が、高まる。ここも名場面だ。竹本の切の語り
は、千歳太夫。人形浄瑠璃では、下手の小幕の中へ、徳兵衛に引っ張られるようにお
初が続いて、幕。

贅言;歌舞伎では、花道七三で、戦後の歌舞伎に衝撃を与えた、当時の21歳の二代
目扇雀のお初、実父の鴈治郎の徳兵衛の居処替り。咄嗟の演技から生まれた瞬発力の
ある演出で、お初が、積極的に先行して死にに行く。新しい道行きのスタイル。戦後
の女性進出をイメージさせて評判になった。

「此の世の名残り夜も名残り」という近松原作の古風な竹本の語りで始まる「天神森
の段」では、ふたりの歩みに被さる鐘の音、「数ふれば暁の、七ツ(今の午前4時)
の時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め」。背景の書割、夜空の
上手に輝く三つ星。北斗星と女夫(みょうと)星。「北斗は冴えて影うつる星の妹背
の天の河……」。人形浄瑠璃の見せ場は、究極は、この「天神森の段」であろう。

花道の出から「曽根崎の森」へ直結する歌舞伎と違って、人形浄瑠璃では、まずは、
手拭いで顔を隠したお初と編み笠姿の徳兵衛は、梅田の橋を渡る。この場面では、ま
ず、橋まではお初がリード。ふたりの周りに出現する人魂。怖がるお初に、「まさし
くそなたとわしの魂」と諭す徳兵衛。人形浄瑠璃では、橋の途中で、徳兵衛がお初を
リードする形に変わる。数えで、25歳の徳兵衛と19歳のお初。ふたりとも、厄年
だ。

竹本の大夫たちは、お初の芳穂太夫、徳兵衛の始太夫のほか、小住太夫、亘太夫のあ
わせて4人で対応。独唱したり、合唱したり、起伏のある、メリハリのある語りが、
緩急自在で、聞き応えがある。三味線方は、清馗、寛太郎ら4人。

梅田の橋が、引き道具で、下手へ、引っ込む。ふたりも、一旦は、上手に入る。背景
の書割も引き道具。居処替わり(場面展開)が進行する。夜空が、しらじらと明けて
来て、暗かった青空も赤らむ。女夫星も消える頃、お初・徳兵衛のふたりが上手から
再登場する。背景の木々も、居処替わり終了で、「天神森」へ。

冥途の両親にお初を嫁だと紹介すると話す徳兵衛。この世に残す両親を気遣うお初。
お初に覚悟を促す徳兵衛。お初の帯をふたつに裂いて、結ぶ。結ばれた帯で、ふたり
の体をしっかりと繋ぐふたり。まず、徳兵衛は、脇差しでお初の胸を刺して殺すと、
自分の首をかき斬って……。お初の体の上に、抱き合うように、倒れ込む徳兵衛。上
下に重なったふたりの遺体に、幕が閉まる。

人形浄瑠璃では、竹本「寺の念仏(ねぶつ)の切回向(きりえこう)」とあり、独唱
と合唱で、「南無阿弥陀仏」(「なまいだー」と聞こえる。特に、独唱は哀れを誘
う)を、4回繰り返した後、「南無阿弥陀仏を迎へにて、哀れこの世の暇乞ひ。長き
夢路を曽根崎の、森の雫と散りにけり」で、幕。

歌舞伎でも、人形浄瑠璃でも、初演以降、現在までほとんど上演されないのが、「曾
根崎心中」の序、「大坂三十三ヶ所観音廻り」。「観音廻り」は、大坂の33ヶ所の
「札所廻り」のことで、西国33ヶ所廻りの替わりに廻れば、同じような効用がある
という。つまり、大願成就、浄土に行けるというわけだ。田舎のお大尽に連れられて
観音廻りをさせられてということで、いわば、「大坂観光」のガイドを兼ねて、お初
はおつきあいをする。「観音廻り」を終えて、夕暮れ。生玉(生國魂)神社でひとや
すみというのが、今、最初に上演される「生玉社境内」の場面だ。従って、お初に
は、「衆生済度(しゅじょうさいど)」を願う観世音菩薩がイメージされているとい
う。「衆生済度」は、仏教の用語。辞書に拠ると、「衆生」は、生きとし生けるも
の。人間を含むすべての生きもの。「済度」は迷う衆生を悟りの境地に導くというこ
と。つまり、お初は、今や、大阪では、「お初天神」ということで、神さま仏さまの
存在になっているが、これは、実は正解で、お初は、近松の原作の時から、「観音廻
り」から「曾根崎の森」の心中に至る過程で、「観音さま」になって行く物語という
性格があるという見方もできる。お初は、死を全く恐れていない。
- 2016年5月25日(水) 12:19:00
16年05月歌舞伎座 (夜/「勢獅子音羽花籠」、「三人吉三巴白浪」、「時今也
桔梗旗揚」、「男女道成寺」)


次世代「團菊祭」論


夜の部では、次世代の「團菊祭の芽」を観る。海老蔵と菊之助。昼の部の「寺子屋」
を含めて、「三人吉三巴白浪」、「男女道成寺」をまとめて論じる。菊之助の息子・
寺嶋和史の初御目見得となるご祝儀・番外編「勢獅子音羽花籠」も記録しておこう。
さらに、夜の部の「馬盥」では、平成三之助時代からの仲間、松緑が軸となり、團
蔵、時蔵などが演じる。今月のそれぞれの出演演目は、菊之助が5演目、海老蔵が4
演目、松緑も4演目。


まず、「寺子屋」。この演目を私が観るのは、今回で21回目となる。「寺子屋」は
松王丸と千代夫婦(海老蔵、菊之助)と源蔵と戸浪夫婦(松緑、梅枝)。團菊祭次世
代へ向けての配役だということが判る。子どもの命を犠牲にする知略家の松王丸。そ
れに協力する千代。他人の子を犠牲にする、悩ましい源蔵。それに手を貸す戸浪。主
人への「忠義」のために、見知らぬ他人の子を殺す学習塾「寺子屋」の経営者・源蔵
もグロテスクなら、主人への「忠義」のために自分の子を殺させるようにし向ける父
親・松王丸もグロテスクだ。それは、封建社会の芝居として、ここでは演じられる
が、封建社会に限らず、縦(タテ)社会の持つ、そういうグロテスクさ(拘束力であ
り、反自主性である)は、時代が変わっても、内実が替わりながらも、いまの世にも
生きている。

この芝居は、子どもの無い夫婦(源蔵と戸浪)が、子どものある夫婦(松王丸と千
代)の差出す他人の子どもを大人の都合のために殺さなければならない、という苦渋
がテーマ。源蔵の屈折度の方が高いのか、恩人のために確信犯的に我が子を犠牲にす
る松王丸の方が、屈折度が高いのか。

平舞台下手から、小太郎の遺体を入れた駕篭、白無垢の喪服姿の松王丸夫妻、二重舞
台の上に園生の前と若君・菅秀才、平舞台上手に源蔵夫妻。引張りの見得で皆々静止
したところへ、上手から定式幕が津波のように覆い被さって来る。いつ観ても、痛ま
しい。

河竹黙阿弥の生誕200年ということで、今年は、1年を通じて、黙阿弥ものが上演
される。今月の歌舞伎座は、「十六夜清心」、「三人吉三巴白浪」。


「三人吉三巴白浪〜大川端庚申塚の場」は、歌舞伎錦絵のような様式美と科白廻し
で、これはこれで、いつ観ても充実感がある。この場面の見どころは、何といっても
配役。今回は、團菊祭ということで、お嬢吉三が菊之助、お坊吉三が海老蔵、和尚吉
三が松緑。ほksに、夜鷹のおとせが右近。

「三人吉三」は、実は、極めて、現代的な芝居だ。3人は、田舎芝居の女形上がりゆ
えに女装した盗賊のお嬢吉三、御家人(下級武士)崩れの盗賊であるお坊吉三、所化
上がりの盗賊である和尚吉三という前歴から見て、時代の閉塞感に悲鳴を上げている
不良少年・青年たちである。大不況の現代に生きていれば、職に就きたくてもつけな
い。社会から落ちこぼれてしまい、盗みたかりで、糊口を凌ぐしかないという若者た
ち。そういう若者の「犯罪同盟」の結成式が、「大川端」の場面なのである。

贅言;留め男の和尚吉三に足で太刀を押さえられて静止している見せ場は絵になる
が、お嬢吉三、お坊吉三を演じている役者は、腰が痛くなり辛いらしい。
 
黙阿弥歌舞伎では、調子の良い七五調の科白に載せて、閉塞感という暗い話をグラビ
ア的な、1枚の浮世絵のような場面として表現してしまうから、凄い。

義兄弟の儀式も終わり、やがて定式幕が、上手から閉まり始める。それへ向けてお坊
吉三、和尚吉三、お嬢吉三の3人が、ゆるりとした歩調で向って行く、と……、幕。
若者たちは、今、歩き始める。栄光の明日へ、あるいは破滅の明日へ向かって行くの
か。


「男女道成寺」は、5回目の拝見。幕が開くと、太めの紅白の横縞の幕を背景に、舞
台中央に大きな鐘が宙づりになっている。幕が上がると、やがて、背景は、紀州道成
寺の遠景で、「花のほかには松ばかり」という満開の桜の景色となる。下手に桜木。
「鐘供養當山」の立札。その昔、恋に破れた清姫の怨念で、焼き尽くされた鐘が、再
興されたのだ。
 
私が観たのは、初めが、94年5月、丑之助時代の菊之助と菊五郎の親子。次いで、
04年9月、福助、橋之助の兄弟。07年4月、勘三郎、仁左衛門。いずれも、歌舞
伎座で、拝見。三回目は、11年4月、新橋演舞場で松緑と菊之助。今回は、歌舞伎
座で海老蔵と菊之助。菊之助の花子は3回目の拝見。

この演目は、「二人道成寺」のように、花子、桜子のふたりの白拍子として登場する
が、途中で、桜子の方が、実は、といって、狂言師・左近として正体を顕わすところ
にミソがある。

「二人道成寺」もどきの、イントロダクションでは、立役の海老蔵が踊る女形の踊り
は、対比される女形が菊之助では粗が目立って可哀想だった。菊之助は、さすがに、
安定した踊り。やがて、左近の正体露見で、まず、所化に囲まれて、頭のみ、野郎頭
とし、つまり、桜子の鬘を取り、左近の地頭という形(なり)の鬘となった後、コミ
カルに対応。コミカルな部分は海老蔵も巧い。衣装を変えて、すっきりと再登場する
二枚目海老蔵。いつもの「道成寺もの」同様に、引き抜き含めて、何度も衣装を替え
る。華も実もある菊之助の花子。「音羽屋」の屋号が、仕切りに掛かる。

大団円に向かう花四天は、今回は12人と少な目。三味線の早弾き。鐘が、落ちて来
て、花子(菊之助)は、鐘の上に上がって蛇体(赤地に金の鱗模様の衣装)の清姫の
霊として正体を顕して、大見得。左近(海老蔵)は、同じく、蛇体(黒地に金の鱗模
様の衣装)の正体を顕して、平舞台鐘の下手に立ち、同じく大見得。
 

音羽屋の三代披露


「勢獅子音羽花籠」。普通の「勢獅子」は、5回観ている。今回は、音羽屋の祝儀演
目で、外題も一工夫されている。音羽屋の菊五郎、播磨屋の吉右衛門の孫、菊之助の
息子、寺嶋和史の初御目見得のためだ。口上部分を除けば、普通の「勢獅子」だが、
神田明神の祭礼に一人の男の子の御目見得披露、という想定。
 
曽我ものの「勢獅子」は、いわゆる「お祭り」系統の出しもの。この演目の外題にあ
る「獅子」は、石橋ものの獅子ではなく獅子舞の獅子。定式幕が開くが、浅黄幕が、
舞台を覆っている。幕の振り落しで、舞台一杯に広がるのは、大勢の祭衣装の面々。
下手に常磐津連中。今は神田明神神社の祭礼を舞台に映すが、元は曽我兄弟の命日、
5月28日に芝居街で催された「曽我祭」を映したという。だから、今回も鳶頭の
トップのふたり(菊五郎と吉右衛門)は曽我兄弟の仇討の様子を踊ってみせる。今回
は更に、幼い音羽屋の初御目見得を映す。

次々と舞台中央へ。鳶の者:亀三郎、亀寿、萬太郎の踊り。鳶頭:松緑、海老蔵の踊
り。芸者:魁春、時蔵、雀右衛門の踊り。鳶の者:松也、巳之助の獅子舞。芸者:梅
枝、右近、種之助の踊りが、次々に披露される。本舞台に世話人:左團次、彦三郎が
上手から登場。

花道から、鳶頭:梅玉、團蔵、権十郎、錦之助、又五郎、茶屋女房:秀調、萬次郎
が、若頭:菊之助とその息子・寺嶋和史を胸に抱いて登場。初日だったが和史は、両
手を目に当てて泣いている。

花道、本舞台が大勢の役者で溢れると、菊五郎と吉右衛門、息子を抱いた菊之助が、
中央に進み出て、舞台に座り、幼子の初御目見得の口上を述べる。菊五郎は、「末久
しく孫をよろしく」。吉右衛門は、「團菊祭出演は29年ぶり。孫に引かれて参
加」。菊之助は、「行く行くはひとかどの役者になりますように」。

舞台上手は、茶店とご祭礼のお神酒所。中央には、ご祭礼の門。背景の書割には、江
戸の街の商店が並ぶ。下手の積物は、剣菱の菰樽。「音羽屋さん江 ひいき輿利(よ
り)」と書いてある。江戸の粋と風情が、舞台いっぱいに溢れる。
 

松緑の「馬盥」光秀


夜の部の「時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)」、通称「馬盥(ばだ
らい)」(鶴屋南北原作)は、花形の実力派・松緑が軸となる。次世代の團菊祭は、
海老蔵、菊之助の二枚看板に、紀尾井町を入れて、という図式か。

この狂言は、いかにも、南北劇らしい、怨念の発生の因果と結末の悲劇を太い実線で
描く。松緑は科白廻しも、良いので、楽しみ。今回の配役。松緑の武智光秀に時蔵の
妻・皐月。團蔵の小田春永ほか。今回で6回目の拝見。

私が観た主な役者たち。武智光秀:吉右衛門(2)、松緑(今回含め、2)、十七代
目羽左衛門、團十郎。小田春永:團十郎、左團次、海老蔵、富十郎、染五郎代役の歌
六、今回が團蔵。皐月:魁春(2)、九代目宗十郎、田之助、芝雀、今回が時蔵。桔
梗:芝雀(3)、萬次郎、松也、今回が梅枝。森蘭丸:正之助時代の権十郎(2)、
橘太郎、錦之助、新・歌昇。今回が、萬太郎。四天王但馬守:孝夫時代の仁左衛門、
九代目三津五郎、亀蔵、幸四郎、梅玉、今回が亀寿。

「時今也桔梗旗揚」の原題は、「時桔梗出世請状(ときもききょうしゅっせのうけ
じょう)」であったが、明治以降、現行の外題になったという。「出世」とは、正反
対の、「左遷」に逆上した光秀の「旗揚」(謀反)の物語だからだろう。本来は、五
幕十二場。なかでも、序幕の「饗応」(祇園社)、三幕目の内、本能寺「馬盥(ばだ
らい)」、「愛宕山連歌(あたごやまれんが)」の3場面が演じられるが、最近で
は、「馬盥」「連歌」の2場面だけが、演じられることが多い。今回も同じ。

序幕「本能寺馬盥の場」。金地に紅、白、桃色の牡丹が描かれた襖のある本能寺。小
田春永の宿所である。ここで、光秀は、春永から辱めを受ける場面、それに耐える辛
抱立役・光秀の態度、春永に対する謀反の心の芽生え(激情が込み上げる)という心
理劇で、「馬盥の光秀」と通称される場面である。

これを観ると、「饗応」の場面と重なる印象もあり、最近、「饗応」が、省略されが
ちなのも、判らないではないが、「饗応」では、光秀の眉間の傷の謂れが判るから、
観客の立場からすれば、やはり、欠かせない場面だ。それに、鷹狩り姿の春永と勅使
を迎える烏帽子大紋という正装に身を包んだ光秀の対比など「馬盥」の場面より、歌
舞伎お得意の、視覚的な対比を意識した舞台となっている点も、見逃せない。
 
「馬盥」では、春永は、例の、春永や義経を演じる役者が、定番で着る「正装」姿、
一方、後に、春永から、久々の目通りを許された光秀は、黒に近い濃紺の裃姿(金地
の家紋が入っている)で登場する。
 
馬を洗う際に使う馬盥に轡(くつわ)で留めた錦木の花活け(久吉から春永への献上
の品。春永が座る二畳台(高座)に置かれている。馬の口取りから取り立てられたの
を恩に思っている久吉は、愛い奴と春永が思う。

春永の左下本舞台に置かれた紫陽花と昼顔の花籠が、光秀の献上と聞いて不快になる
春永。一日で、色が変わる紫陽花や昼顔を献上に選ぶとは、何と、嫌みな光秀めと、
「春永の世は短い」という当てこすりか、光秀の顔を思い出してしまい、春永は、不
快になったのだ。

その馬盥を盃替りに春永から酒を飲まされるなどして、屈辱感で怒り心頭の光秀だ
が、「盥」で酒を呑む場面と言えば、「勧進帳」の弁慶が、酒を呑む際に使ったの
も、「盥」ではなかったか。あれは、「勧進帳」の台本を見ると、「葛桶の蓋」とあ
るが、舞台で観る限り、同じもののように見える。同じ小道具を使いながら、片方
は、怒り、片方は、自ら所望して、大酒を飲んでは、喜ぶ。融通無碍。そこが、歌舞
伎の奇妙なおもしろさ。
 
「ぐぐっっと、干せ」という、春永の声に背中を押されるようにして、馬盥を左手で
持ち、懐紙を掴んだ右手を添えながら、馬盥の酒を干す光秀。さらに、春永から下賜
されたのは、光秀を馬扱いにする「轡」であった怒りに震えながら、轡を袖に入れる
光秀。蘭丸の領地との交換を命じた上に、予てより光秀所望の名剣「日吉丸」を別の
家臣に与え、光秀には、貧窮時代に売り払った妻・皐月の切髪が入った箱を与えた。
掛け軸と思いながら、蓋を開けた光秀は、驚きながらも、悔しさを押さえ込もうとす
る。自分たちの過去を満座の中で、暴露された光秀の無念さ。歌舞伎は、権力者横暴
を畳み掛けるように、描いて行く。怨念のエネルギーを胸中に蓄積し続ける光秀。春
永が、奥へ入った後、花道(花道には、薄縁が敷き詰められ、畳敷きの廊下の体。向
こう揚幕も、座敷の襖になっている)から引き上げる場面で、花道七三で、切髪の
入った箱を左手から、右手に持ち替えて、「箱叩き」をして、「ぐいと」ばかりに、
表情を改めて、ポーズをとる松緑。

大詰「愛宕山連歌の場」。謀反の実行(旗揚げ)という(光秀の宿所である)「愛宕
山連歌」の場面という形で、芝居は、さらに展開する。一転して、銀地の襖には、荒
れ狂う龍神の絵。衝立も、銀地に統一。山水画だ。
 
「君、君たれども、臣、臣たらざる光秀」「この切り髪越路にて」「待ちかねしぞ但
馬守。シテシテ様子は、何と何と」で三宝を踏み砕いて、太刀を引っかついだ大見得
など、光秀の無念を表わす名科白が知られる。特に、光秀の謀反の実行は、ここで、
やっと、本心をさらけだし、「時は今 天(あめ)が下(した)知る 皐月哉(か
な)」と、光秀は土岐氏一族、一族と妻の皐月の名前も織り込んで、謀叛や妻の恥辱
も晴らす辞世の句を読む。

愛宕颪、夜半の風が吹き込み、座敷の灯りが消え、暗闇で、白無垢、無紋の水裃とい
う、死に装束に着替えた光秀。行灯の火が着けられると光秀の謀反の姿が、浮き上
がって来る。光秀介錯のため、春永の上使が、持ち出した「日吉丸」を奪い取り、当
の上使ふたりを斬り殺す形で怒りを噴出させる光秀。黒衣が持ち出した、黒い消し幕
で、早々と片付けられる上使の遺体。
 
それまでの光秀は官僚らしい抑制ぶりを見せていた。謀反後の、「国崩し」という光
秀の悪役ぶりの鮮烈な対比。だが、それは、日本人好みの、滅びの美学。「しから
ば、これより、本能寺へ」、「君のご出馬」という声を背にしながら、向うを見込む
光秀。「待ちかねしぞ但馬守」で、そこへ駆けつけて来た鎧姿に元結の切れた髪とい
う四王天(しおうでん)但馬守(亀寿)が、本能寺での謀反の端緒は、まず、成功と
知らせるとともに、光秀の血刀を拭い、互いに不気味な笑いを浮かべるという、幕切
れの名場面。一枚の錦絵。

そのまま、ここでは、演じられていない「本能寺」の暗殺場面を容易にダブルイメー
ジさせるのは、巧みな演出だ。原作では、本来なら、本能寺客殿の「春永討死の場」
に移るが、そこを演じない方が、余韻が出て来る。つまり、余白の美しさだ。
 
光秀の演じ方は、七代目團蔵系と九代目團十郎系とふたつあるという。團蔵系は、主
君に対して恨みを含む陰性な執念の人・光秀。團十郎系は、男性的で陽気な反逆児・
光秀。これは、南北劇らしく怨念の團蔵系の演出が、正論だろう。春永の鉄扇で割ら
れた眉間の傷、謀反の心を表わしてからの「燕手(えんで)」と呼ばれる鬘など、謀
反人の典型、「先代萩」の仁木弾正そっくりの衣装になった光秀が現れる。松緑は、
もちろん、團蔵系の演出である。


次世代の團菊祭・小論


既に触れたように、若い頃、「平成の三之助」と呼ばれた役者たちがいる。菊之助、
辰之助、新之助である。

まず、菊之助は今月、女形として「寺子屋」の千代を演じた。子を亡くす母。歌舞伎
座で披露するのは初めて。「十六夜清心」の清心は、初役。立役である。父親の菊五
郎に指導を受けた。「三人吉三」のお嬢吉三は、男が女に化けている。多重な役柄。
男という正体がばれた後の科白廻しは、地声だが、父親の菊五郎にそっくりだった。
「男女道成寺」の白拍子花子は、歌舞伎座新開場後、バリエーション演目とは言え、
初の道成寺もの。堂々の花子であった。菊之助は吉右衛門の娘と結婚したことで藝の
上で父親という師匠をふたり持った。歌舞伎役者として最高の環境を持ったことにな
る。従来の音羽屋の家の藝に加えて、播磨屋の藝を継承することになった。立役など
に芸域を広げ、女形も藝を深めるチャンスが増えたと思う。いずれ、今の七代目菊五
郎とは一味違う新しい八代目菊五郎を作り出さなければいけない。

松緑は「寺子屋」の源蔵を演じる。2回目。「馬盥」の光秀も2回目。いずれも、耐
える役。藝を深めたい。源蔵の花道の出の足の運びが速過ぎなかったか。「せまじき
ものはあー、宮仕えじゃなあ」という科白を歌い上げ過ぎなかったか。光秀の科白廻
しは陰気な声でリアルだった。不気味な光秀。上使を迎える衣装の下に死装束を着
て、さらにその下に武闘派の鎖の衣装。光秀の多重的に抑圧されていた屈折感があか
らさまに表現される。「三人吉三」では、要となる和尚吉三を演じる。7年ぶりだ。
松緑は若くして父親の辰之助を亡くし、間をあまりあけずに、偉大な祖父の二代目松
緑をも亡くした。実生活でも耐え抜いてきたことだろう。マイナスのプレッシャーを
跳ね除け、菊五郎を師匠と仰ぎ、大きな名前である松緑を早々と継いだ。そのプレッ
シャーにも負けずにプラスに転化して精進を重ねてきたと思う。四代目松緑の名跡を
背負って歩き続けなければならない。いずれ、脱皮するだろう。

海老蔵は今月、松王丸を演じた。父親の團十郎から受け継いだ成田屋の型を披露し、
首実検で刀を抜いた。海老蔵の科白廻しも要精進。お坊吉三を演じた「三人吉三」に
元の三之助が揃うのは17年ぶりだという。道成寺ものの女形の桜子の踊りはご愛
嬌。コミカルな味は捨て難い。海老蔵も若くして父親の團十郎を亡くした。團十郎を
襲名するのを急ぐよりも、團十郎襲名にあまり拘らなかった偉大な祖父を目標に十一
代目海老蔵という名跡を長く勤める方が良いかもしれない。
- 2016年5月15日(日) 6:09:24
16年05月歌舞伎座 (昼/「鵺退治」、「寺子屋」、「十六夜清心」、「楼門五
三桐」)


200と80

今年は河竹黙阿弥が生まれてから200年になる。明治維新の50年ほど前の181
6(文化13)年の生まれである。正月からあちらこちらの芝居小屋に黙阿弥原作の
演目が継続的に掛かる。黙阿弥原作の演目は360種ほどあるという。1年間、毎日
違う演目を舞台に載せることができる勘定になる。今月の歌舞伎座も、二つの演目が
上演された。「十六夜清心」と「三人吉三巴白浪」。その上、今月の歌舞伎座は、團
菊祭興行。第一回團菊祭は、明治の名優、九代目團十郎と五代目菊五郎を顕彰するた
め1936(昭和11)年に歌舞伎座で始まった。彫刻家・朝倉文夫作の團菊ふたり
の胸像が歌舞伎座に飾られたのを記念して始まった、という。第一回の團菊祭に出演
したのは、五代目歌右衛門、七代目幸四郎、十五代目羽左衛門、六代目菊五郎、初代
吉右衛門など、夢のような顔ぶれであった。團菊祭が開かれた1936年と言えば、
陸軍の青年将校らがクーデターを起こし、クーデターは、未遂に終わったが、事件
は、2・26事件として記録された。翌1937年は、日中戦争に突入し、日本は1
945年の敗戦まで、戦争の時代が続くことになる。

途中中断もあった。戦時色が強まり1944(昭和19)年に歌舞伎座が休座するま
で團菊祭は続いたが、その後、中断。戦災で歌舞伎座が消失したため、東劇で開かれ
たこともある。歌舞伎座が新築開場した後、1958(昭和33)年に15年ぶりに
團菊祭が復活した。当時は劇団制だったので、菊五郎劇団に海老蔵が出演する形だっ
た。現在のような形で團菊祭が復活したのは、1977(昭和52)年であった。1
985(昭和60)年、十二代目團十郎が復活した。その後、成田屋、音羽屋の二本
柱が軸となって、興行してきた。

最近では今の歌舞伎座が建て替えられることになり、大阪の松竹座で團菊祭が開かれ
たこともある。こうした幾たびかの中断期を含めて團菊祭は断続的に継続され、今年
で第一回の年から数えて80年目の節目を迎えた。今の團菊祭は、二本柱のうち、菊
しかいない。2013年4月の歌舞伎座再開場を控えた2月、團十郎が病死してし
まった。それ以降、実質的な柱は菊五郎だけとなった。

13年5月は、歌舞伎座再開場の杮落しで、團菊祭そのものが無し。14年から再開
場後の初の團菊祭が復活した。菊五郎は、昼の部で「魚屋宗五郎」、夜の部で「極付
幡随長兵衛」の主役を演じた。15年は、昼の部で「天一坊大岡政談」に出演した
が、主役の天一坊を菊之助に譲り、菊五郎は大岡越前守に廻る。夜の部では、「神明
恵和合取組 め組の喧嘩」の鳶・辰五郎。菊之助は、藤松。こうして配役を改めて検
証すると、團菊祭は、15年から菊之助と海老蔵にバランスを移しているのが判る。
16年は、移行もいちだんと進む。吉右衛門と共に、お互いの孫である寺嶋和史の初
御目見得の舞台に出演と言うより、口上のための「参加」という感じのご祝儀演目
「勢獅子音羽花籠」の鳶頭(菊吉ふたりとも)、「楼門五三桐」の真柴久吉(菊五
郎)、五右衛門(吉右衛門)。

代わりに菊之助は、今月5演目出演。「寺子屋」の千代、「十六夜清心」の清心、
「勢獅子音羽花籠」は口上要員、「三人吉三巴白浪」のお嬢吉三、「男女道成寺」の
白拍子花子。海老蔵は、4演目出演。「寺子屋」の松王丸、「勢獅子音羽花籠」の鳶
頭、「三人吉三」のお坊吉三、「男女道成寺」の白拍子桜子、実は狂言師・左近。團
菊祭は、一気に次世代の海老蔵、菊之助にシフトを切ったように思える。菊之助は、
去年の團菊祭も見応えがあったが、海老蔵は、影が薄かった。今回は、どうか。とい
うことで、次世代の團菊祭を担うふたりに焦点を合わせた劇評は、夜の部でまとめて
論じたい。海老蔵と菊之助の芝居は、「寺子屋」の松王丸と千代、「三人吉三」のお
坊吉三とお嬢吉三、「男女道成寺」の白拍子花子と白拍子桜子、実は狂言師・左近。
「勢獅子音羽花籠」は、祝儀演目で、いわば番外編。
 
そこで、昼の部の劇評は、ふたり以外を役者別に論じよう、と思う。
 

「鵺退治」は、今回初見。1899(明治32)年、歌舞伎座初演の新歌舞伎。初演
時は九代目團十郎の源頼政五代目菊五郎の猪の早太、五代目尾上栄三郎(後の六代目
梅幸)の菖蒲の前など、という配役。團菊祭りに相応しい。この芝居、しかし、戦後
はほとんど上演されていない。今回は54年ぶりの上演。今回は、頼政が梅玉、猪の
早太が又五郎、菖蒲の前が魁春、九条関白が錦之助、という顔ぶれ。梅玉、魁春の兄
弟が軸。福地桜痴原作。平家物語の鵺退治をベースにした。平家物語の鵺は、顔は
猿、胴体は狸、手足が虎、尾が蛇という怪獣。内裏の清涼殿で蔓延する奇病。その原
因は化生のものの仕業ではないか、という菖蒲の前の推量に基づき菖蒲の前と恋仲の
源頼政が、猪の早太の協力を得て清涼殿の大屋根で鵺と立ち回りとなり、見事鵺を退
治する。

御殿がセリ下がると大屋根。立ち回りの後、道具幕振りかぶせで場面展開。御殿の大
道具がせり上がり、道具幕振り落としで、元の舞台へ。御殿の御簾が上がると、九条
関白、鵺、菖蒲の前。鵺が、着ぐるみだけになり、猪の早太によって、御殿の床下
(仕掛けあり)に蹴り込まれる。
 

「寺子屋」は、ここでは出演者紹介のみに止め、夜の部で、次世代團菊祭論、として
論じたい。松王丸は、海老蔵。女房・千代は、菊之助。武部源蔵は、松緑。女房・戸
浪は梅枝。春藤玄蕃は、市蔵。園生の前は、右之助、涎くり与太郎は、廣松など。一
つだけ書き留めておきたい。玄蕃の首実検で、阿呆面ゆえ、ハナから外された与太郎
が花道で父親(家橘)に甘えて負ぶって貰おうとするが、父親の老いた背中に気がつ
いて、父親の上を飛び越して前に廻り、逆に父親を背負って行く場面が良かった。こ
ちらが、「老い」の表現に敏感になった所為か?
 

「十六夜清心」では、時蔵と菊之助。私は8回目の拝見。前回、7年前に菊五郎と時
蔵で観た舞台を今回は、菊之助と時蔵で観る。菊之助の清心は、今回初役。これも、
菊五郎から菊之助への藝の継承の舞台。

私が観た十六夜:玉三郎(3)、時蔵(今回含め、3)、芝翫、芝雀。清心:菊五郎
(3)、孝夫時代を含む仁左衛門(2)、八十助時代の三津五郎、新之助。今回は菊
之助。

時蔵の十六夜は、第一場「稲瀬川百本杭の場」は、仕どころがあるが、そのほかは、
あまり無い。心中するまでが女上位。十六夜が主導権をとっている。「一緒に死んで
くだしゃんせ」と言うのは十六夜、。

第一場で、柔弱な清心を押しまくり、入水心中にまで持ち込む。廓から抜け出して来
た十六夜は、後が無いから、必死であるが、清心は、優柔不断で、終始押され気味で
ある。ひたむきな遊女と遊び心優先で腰の定まらない男のやりとり。

ふたりが出逢う場面。清心「悪い所で、……」。十六夜「逢いたかったわいな
ア〜」。前回観た菊五郎は、特に、後半での清心の「悪の発心」とのメリハリを考え
て、余計、優柔不断ぶりを強調しているように思われるが、巧い人物造型であった。
 
しかし、歌舞伎でいえば、ここは濡れ場である。十六夜は、川端の船着き場の岸に腰
を下ろして、赤い襦袢の袖を口に銜える。背を清心に預ける。背中合わせで、寄り掛
かる。立上がって、背中合わせになり、ふたりの隙間で三角形を作る。典型的な、男
女の濡れ事の象徴的なポーズ。背中合わせで手を繋ぎ、両手を前後に引き合う。清心
(菊之助)は上手の葦簀張りの小屋から桶を持ち出し、中にはいっていた本水で、別
れの水盃。初めて、互いに向き合い。さらに、入水自殺へ。小さな船着き場の板敷き
の前の方に出て来て、ふたりで寄り添う。前の手を互いに合わせて、後ろの手は、握
りあい、さて、ジャンプという仕草のところへ……、浅黄幕振り被せで、入水の体。
さらに、暗転。
 
暗闇の中。下座の太鼓が、柝の「つなぎ」のように響き、続ける。やがて、「知ら
せ」の柝が、「チョン」となり、明転。第二場「川中白魚船の場」。稲瀬川の西河
岸。いつもの、やりとりがあって、俳諧師・白蓮(左團次)の乗る白魚漁の小舟に、
十六夜が助け上げられる。再び、暗転。太鼓の「つなぎ」。やがて、「知らせ」の柝
が、「チョン」となり、明転。第三場「百本杭川下の場」という展開。
 
清心とは、どういう人物か。女好きの気弱な男。清心は、自分の所属する鎌倉の極楽
寺で起きた公金横領事件の際、着せられた濡れ衣から、たまたま、女犯(大磯の女
郎・十六夜と馴染みになった)の罪という「別件逮捕」で、失脚した所化(坊主)で
ある。当初は、つまらないことに引っかかったとばかりに、おとなしくしていた。廓
を抜け出してきて、清心の子を宿したので、心中をと誘いかける十六夜の積極性にた
じろぎながらも、女に押されて心中の片割れになってしまう気弱な男であった。とこ
ろが、入水心中をしたものの、下総・行徳生まれの「我は、海の子」の清心は、水中
では、自然に身体が浮き、自然に泳いでしまう、ということを第三場で、独白。場内
には笑が滲む。死ねないのである。

 自分だけ助かった後も、それが疚しいため、まだ、気弱である。雨のなか、しゃく
をおこして苦しむ十六夜の弟で寺小姓の恋塚求女(松也)を助ける善人・清心だが、
松也の背中や腹をさすってやるうちに、50両の入った財布に手が触れ悪心を起こす
が、直ぐには、悪人にはなれない性格。ひとたび、求女と別れてから、後を追い、金
を奪おうとするが、なかなか巧くは行かない。弾みで、求女の持っていた刀を奪い、
首を傷つけてしまう。
 
それでも、まだ、清心は、悪人になり切れていない。求女の懐から奪い取った財布に
長い紐がついていたのが仇になり、求女と互いに背中を向けあったまま、財布を引っ
張る清心は、知らない間に、求女の首を紐で絞める結果になっている(つまり、「過
失致死」)のに、気がつかない。やがて、求女を殺してしまったことに気づいたこと
から、求女の刀を腹に刺して自殺をしようとするが、刀の先が、ちくりと腹に触る
と、「痛っつ」と、止めてしまう。場内から笑。水で死ねないのなら、刀でと、決意
したのに、これでは、自殺も出来ない。成りゆきまかせの駄目男。気弱な男ぶりは、
菊之助の方が菊五郎より巧い。
 
4回目の自殺の試みの末、雲間から現れ、川面に映る朧月を見て、「しかし、待て
よ・・・、人間わずか五十年・・・、こいつあ、めったに死なれぬわえ〜」という悪
の発心となる名科白に繋がる(適時に入る時の鐘。唄。「恋するも楽しみするもお互
いに、世にあるうちと思わんせ、死んで花実も野暮らしい・・・」。このあたりの、
歌舞伎の舞台と音のコンビネーションの巧さ)。清心にとって、悪への目醒めは、自
我の目醒めでもあった。
 
雨が、降ったり止んだり、月が出たり、隠れたりしているようだが、これは、外題の
「花街模様(さともよう)」ならぬ清心の「心模様」を表わす演出を黙阿弥は、狙っ
ているのだろうと思う。例えば、月が悪への発心という心理を形で描いて行く補助線
となっている。時代物であれ、世話物であれ、心を形にする、外形的に心理を描く。
それが、歌舞伎の真骨頂。

菊五郎は、前半の優柔不断な清心から、きっぱりと、変ってみせる。気弱な所化か
ら、将来の盗人・「鬼薊の清吉」への距離は、短い。がらっと、表情を変え、にやり
と不適な笑いを浮かべる菊五郎。前回の菊五郎は、その辺りのコツを次のように語っ
た。「いつも(観客席の)上手を見ています。向こうで、お金持ちが遊んでいる、そ
れを羨んで心が変わるのです」。今回に菊之助は、「どう演じ分けるか父(菊五郎)
に聞き、勤めさせていただきます」と、言っていた。今後とも精進を続けて欲しい。
 
清心に殺され、清心へ悪への目覚めをさせるきっかけとなる恋塚求女役の尾上松也も
初役。菊五郎から菊之助への藝の継承は、ほかの若手の藝の継承の舞台でもある。菊
之助も15年前には恋塚求女を初役で演じていた。

恋塚求女の遺体を川の中に蹴落とした清心。そこへ、第二場の登場人物、俳諧師・白
蓮(左團次)、助けられた十六夜、船頭(亀三郎)が、通りかかり、清心が、船頭の
持つ提灯をたたき落して、暗闇にしたことから、「世話だんまり」へ。歌舞伎味は、
ぐうんと濃くなる。その挙げ句、花道へ逃げる清心。花道を走り去る清心に合わせ
て、付け打ち。一方、本舞台に残る白蓮、十六夜、船頭の前を定式幕が、柝の刻みの
音に合わせて、閉まって行く。バタバタとチョンチョンチョンチョン。
 
「花街模様薊色縫」は、1859(安政6)年の初演時には、正月狂言であったこと
から、吉例の正月狂言らしく、外題を「小袖曽我薊色縫」としていて、話は、全く違
うのだが、能の「小袖曽我」のタイトルを借用したように、「曽我もの」の「世界」
の色付けをしていた。舞台を鎌倉周辺や箱根にし、十六夜という役名も、曽我ものの
登場人物である鬼王新左衛門の女房の妹(あまり、近くは無い関係という辺りに、黙
阿弥の「魂胆」が、偲ばれる)の名前から借用している。江戸の世話ものなのに、場
所が、鎌倉だから、「隅田川」も、「稲瀬川」となっている。「小袖」から、「縫
う」という連想があり、清心、後の、鬼薊清吉の「色縫い」、つまり、色と欲を縫う
ようにして、図太く生きようという、鬼薊清吉の人生観が滲み出て来るようだ。

贅言:第一場では、開幕後、大部屋役者たちが演じる寸劇がある。中間(左升)、酒
屋(荒五郎)、町人(吉兵衛)が出て来て、科白入りの小芝居をする。目的は、番付
を紹介する口上で、おもしろい場面だ。役者は、傍役のベテランばかりで、いずれ
も、味のある所作、科白があるので、見落さないようにしたい。

 
昼の部の最後の出し物。今回は、昼夜の部とも4演目と、数多く、その代わり小刻
み。「楼門五三桐」は、人間国宝同士の菊五郎と吉右衛門。菊之助の息子、寺嶋和史
のおじいちゃん同士の共演でもある。吉右衛門の團菊祭出演は、29年ぶりという。
一幕ものとして私が観るのは、3回目。菊五郎、吉右衛門のコンビは、2回目。上演
時間が14分の短い芝居だが、歌舞伎界の重鎮のふたりが、役者ぶりをたっぷりと見
せながら、歌舞伎の絵面としての様式美も堪能させてくれる。
 
「南禅寺山門」の場面は、海老蔵主演の新作歌舞伎の「石川五右衛門」などバリエー
ションも含めて6回観ている。10年3月には、歌舞伎座のほかに「金門五三桐  石
川五右衛門」という外題で、国立劇場でも珍しい「通し狂言」という演出で上演して
いるのを観たことがある。10年3月では、歌舞伎座の五右衛門は、吉右衛門。真柴
久吉は、菊五郎。国立劇場の五右衛門は、橋之助。真柴久吉は、扇雀だった。
 
贅言;振り落しの前に、大薩摩文清太夫林雀、実は、長唄の長老・鳥羽屋里長、三味
線方の杵屋栄津三郎で、音楽の荒事と言われる大薩摩の演奏があった。
- 2016年5月14日(土) 13:24:53
16年04月歌舞伎座 (夜/「彦山権現誓助劔」、「幻想神空海」)
 

 夜の部は、仁左衛門、松嶋屋と染五郎、高麗屋の二枚看板の興行だが、仁左衛門に
比べて染五郎の二枚看板は、昼の部の高麗屋とはだいぶ違う。花形歌舞伎の雄のひと
り染五郎を上置きとして、浅草歌舞伎のリーダー、いうことは若手の歌舞伎のリー
ダーの松也とほぼ同格扱いの役回りとなっている。新作歌舞伎ゆえの扱いか。松也の
下に最若手の御曹司たちが集っている、という状況になる。


旧作歌舞伎の名作


「彦山権現誓助劔」は、通称「毛谷村」が良く上演される。「毛谷村」を歌舞伎で観
るのは8回となる。今回は松嶋屋の芝居。珍しく毛谷村の前の部分「杉坂墓所」の場
面が「毛谷村」の前に上演された。この場面は歌舞伎では初見だが、一度、人形浄瑠
璃で観たことがある。
 
時代は、真柴久吉(豊臣秀吉)の朝鮮出兵前夜という落着かないご時世。主役の六助
は、百姓ながら、剣術の名人である。宮本武蔵がモデルという説もある。豊前国主は
六助を召し抱えたくて仕方がないが、六助が固辞している。六助に勝った者を召し抱
えるという高札を立てて告知している。

第一場「豊前国彦山杉坂墓所」では、樵たちが一服している。毛谷村の六助(仁左衛
門)が、花道を通って村から上がって来る。母の墓参りだ。刀を差していない。下手
から微塵弾正(歌六)を名乗る一本差しの浪人が母親を連れて現れ、六助だと知れる
と、老母のために勝ちを譲って欲しい、と頼み込む。浪人は、「毛谷村の六助に勝っ
た者は、召し抱える」という豊前国主の高札を読んでいた。老母を安楽に暮らさせた
いので、勝負に負けて欲しいと、意外なことを言う。母親を亡くしたばかりの六助
は、浪人(微塵弾正、実は、京極内匠という男。六助の師匠だった吉岡一味斎を闇討
ちにしている。一味斎の妻・お幸、姉娘・お園、それに妹娘・お菊=京極内匠に返り
討ちに遭う=、お菊の息子・弥三松=やそまつ=は、敵討の旅に出ているのだが、こ
のうち、お菊は既に殺されている。六助はそういう事情をまだ知らない)の孝行心に
感じ入り承諾する。人の良い六助は弾正の申し入れを頭から信じ込んでしまう。歌六
は、左の眉の上に黒子をつけている。

この後、上手から老爺が幼い子をおぶって逃げて来る。山賊に襲われ、追われてい
る。六助が賊を追い払うが老爺は瀕死の怪我でやがて死んでしまう。老爺は、幼子の
弥三松を六助に託す。幕で場面展開。

この場面、今回の歌舞伎では、山賊と老爺、幼子の登場だが、人形浄瑠璃では、本来
の筋だて。一幕もの、みどり上演では、今回のような場面に、いわば希釈されてしま
う。六助が、水を汲みに行った隙に現れるのは、一味斎の若党が、弥三松を連れて通
りかかるのである。だが、ふたりを追って来た京極内匠一味に斬られてしまう。実
は、山賊ではなく、闇討ち一派なのだ。戻って来た六助が、京極内匠一味を追い払う
が、弥三松を残して、若党は死んでしまう。六助は、弥三松を連れて毛谷村の自宅へ
戻る。という、ことになる。

第二場「豊前国彦山毛谷村六助住家」。幕が開くと、六助と微塵弾正、実は、京極内
匠が、立ち会っている。先頃、実母を亡くしたばかりの六助は、病身の老母に仕官姿
を見せたいという微塵弾正の情にほだされて「八百長」の約束をしている。適当なと
ころで、六助は微塵弾正に勝ちを譲る。にもかかわらず、偽りの勝ちを占め、立ち会
いの豊前国主の家臣とともに去る際、微塵弾正は、急に態度を変えて、六助の眉間を
わざと扇子の柄で割って傷をつけ、出かけて行くが、六助は、母親への孝行を忘れて
くれるなと、鷹揚に送り出す人の良さを見せる。仁左衛門が演じると、ほかの六助よ
りも人の良さが滲み出てくる。

六助は、弥三松の名前も聞き出していないので、師匠の娘・お菊の遺児だと知らない
まま、弥三松の小袖を門口に干す。その小袖を見て、まず老女が、宿を乞うので、奥
で休息するように言う。さらに、小袖を見て虚無僧姿の女性が訪ねて来る。弥三松
は、この女性を見て、「伯母さま」と呼びかける。女性は、弥三松の母・お菊の姉の
お園だった。杉坂での弥三松との出会いを六助がお園に話すと、お園は、自分は、六
助の女房だと言う。お園と六助は、お互いに直接は面識がなかったが、幼い頃から許
婚の間柄だった、というのだ。お園が、これまでの経緯を話していると、奥から出て
来た老女は、お園の母と判り、吉岡一味斎の遺族は、改めて、六助に聟となり、つま
り、お園と結婚をし、敵討ファミリーの一員となり、京極内匠を討つことを依頼する
(弟子が、師匠の奥方や娘を知らなかったというのも、荒唐無稽だが、目を瞑ろ
う)。
 
そこへ、村人が老女の遺体を運んで来る。仲間の斧右衛門の母親の遺体だという。変
わり果てた老女は、六助が感じ入った孝行心のある浪人・微塵弾正の「母」だったと
判り、怒る六助。お幸が、浪人の人相風体を尋ねると、微塵弾正という男は京極内匠
とそっくりではないか。微塵弾正、実は、京極内匠という絡繰りを知った六助は、御
前試合で意趣返しをし、さらに一味斎遺族に敵討をさせると誓う。身なりを整えた六
助にお園は、舞台下手の紅梅の一枝を、お幸は、上手の白い椿の一枝を、それぞれ差
し出し、六助の武運を祈る。一同は、御前試合の行われる小倉に向けて出発すること
になる。幕。

こういう人物造形の所為か、六助を当たり役の一つとしたのが初代吉右衛門。当代吉
右衛門も、初代からこの役を受け継ぎ、役づくりの熟成に努力している。今回の仁左
衛門は、5年前の大阪松竹座での初演では、「住吉宮」から「祭礼」まで8場の通し
で上演。今回は、歌舞伎座での初演で、2回目。情味のある、仁左衛門の科白廻しを
堪能した。前回は、菊五郎が演じる初役の六助だった。この役は、人の善さのなかに
剣豪の鋭さも感じさせなければならないが、菊五郎は、そのあたりを十二分に演じて
いたと思う。剣の実力は、抜群ながら、人に優しく、悪に厳しく、そういう人物が、
菊五郎のなかから滲み出て来るようだ。吉右衛門ともひと味違う。

贅言;ミステリーじみた仕立ての話だが、解き明かされれば単純な話。人形浄瑠璃原
作は、1786(天明6)年の初演で、作者は、梅野下風、近松保蔵という、今で
は、あまり知られていない人たちである。全十一段の時代物。お馴染みの「毛谷村」
は、九段目。狂言作者は、有名な人が当り狂言を残すばかりでなく、無名な人たち
も、著作権などない時代だから、先行作品を下敷きにして、良いところ取りで、筆が
走り、あるいは、筆が滑り、しながら、新しい作品を編み出しているうちに、神が憑
依したような状態になり、当たり狂言を生み出すことがある。「毛谷村」も、そのひ
とつで、さまざまな先行作品の演出を下敷きにしながら、庭に咲いている梅や椿の小
枝を巧みに使って、色彩や形などを重視した、様式美を重視した歌舞伎らしい演出と
なる。その上、敵味方のくっきりした、判り易い筋立てゆえか、人形浄瑠璃の上演史
上では、「妹背山」以来の大当たりをとった狂言だという。

私が観た毛谷村のファミリーの配役。六助:吉右衛門(3)、團十郎、梅玉、愛之
助、菊五郎、今回は仁左衛門。仁左衛門は東京では初演。お園:時蔵(3)、鴈治郎
時代の藤十郎、芝翫、福助、壱太郎、今回は孝太郎。お幸:吉之丞(2)、東蔵(今
回含め、3)、又五郎、歌江、上村吉弥。そういえば、歌江は、3月26日に亡く
なってしまった。83歳。幹部役者に上り詰めた貴重な脇役だった。

贅言;この「毛谷村」の場面では、黒衣たちが忙しい。大道具、小道具、それに用済
みの衣装をどんどん片付ける。こんなに片付けるものが多かったかな。
 

新作歌舞伎「幻想神空海」の冒険


「幻想神空海」は、夢枕獏原作「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を歌舞伎化した新作
歌舞伎。外題にあるように、空海の物語。今回が、初演である。回り舞台の使い方、
回り舞台とセリの連動、回り舞台と引き道具の連動、引き道具とセリの連動、セリと
セリの連動、スポット、音響措置の使い方など、普通の歌舞伎の演出とは違う。まる
で猿之助一座が得意とするスーパー歌舞伎的な演出が目立つのも、かえって新作歌舞
伎らしくて良かったのではないか。

芝居では、原作のうち「鬼と宴す」の場面を中心にしている。唐の国の都、長安に留
学した空海は密教の奥義を取得するという留学目的を持っている。化け猫騒動に端を
発した事件は、50年前の皇帝呪詛事件の解決に挑無ことになる。密教の総本山・青
龍寺に認められようと、空海は留学仲間の橘逸勢と共に探偵もどきの活躍をする。
 
今回の場の構成は次の通り。

序の章「驪(り)山華清宮の場」、第一章「鴻臚(こうろ)客館東屋の場」、第二章
「長安西市の場」、第三章「胡玉楼の場」、第四章「劉雲樵屋敷の場」、第五章「西
明寺空海居室の場」、第六章「馬嵬駅楊貴妃の墓の場」、第七章「幻想劇の場」、第
八章「灞水河畔の場」、第九章「驪山華清宮跡宴の場」、第十章「元の鴻臚客館東屋
の場」、結の章「長安大極宮謁見の間の場」。
スーパー歌舞伎的な章立ての構成となっている。

今愛の主な配役は次の通り。

空海は染五郎、橘逸勢は、松也、丹翁は、歌六、白龍は、又五郎、楊貴妃は、雀右衛
門、黄鶴は、弥十郎、白楽天は、歌昇、玉蓮は、米吉、春琴は、児太郎、牡丹は、種
之助、劉雲樵は、宗之助、延臣馬之幕は、廣太郎、憲法宗皇帝は、幸四郎ほか。

今回の興行では、上置きは、染五郎、共演は松也、という若手主体の歌舞伎。客演は
歌六、雀右衛門。ゲストは幸四郎、という感じか。

序の章「驪(り)山華清宮の場」。月明りの下、夢の中のような幻想的な世界で楊貴
妃(雀右衛門)が踊っている。紗の幕の向う側に華やかだった宴を思い起こさせる影
が幾つも浮かんでいる。楊貴妃がせり下がると、場面展開で第一章へ。

第一章「鴻臚(こうろ)客館東屋の場」。丹翁(歌六)が、せり上がってくる。東屋
に佇むところへ空海(染五郎)がやって来る。空海は密教の奥義を取得出来たとお礼
にやってきたのだ。空海の留学仲間の橘逸勢(松也)が、やって来たので、酒を汲み
かわして、往時を偲び始める。

第二章「長安西市の場」。妓楼へ向かう途中、空海と逸勢が街の道端の方士・丹翁と
出会った頃の回想場面。丹翁は空海に困難なことが生じたら助けてやると約束する。
街では劉雲樵の屋敷で化け猫が出たが、青龍寺が退治した、という噂が流れている。

第三章「胡玉楼の場」。白楽天(歌昇)と妓の玉蓮(米吉)が酒を飲みながら詩を
綴っている。劉雲樵(宗之助)が暴れ込んで来る。妓の牡丹(種之助)に案内されて
空海と逸勢が妓楼にやって来た。空海は劉雲樵に取り憑いていた呪いを払ってやっ
た。一旦は青龍寺が退治したという化け猫は、まだ、劉雲樵屋敷にいると空海は判断
した。

第四章「劉雲樵屋敷の場」。空海と逸勢は劉雲樵屋敷を訪ねた。劉雲樵が不在で、妻
の春琴(児太郎)とその頭上に座り込んでいる黒猫に迎えられる。猫は春琴に取り憑
いている。しかし、空海らは無事に帰らされる。

第五章「西明寺空海居室の場」。二人は西明寺に戻る。青龍寺からの情報で、化け猫
の呪いが唐を揺るがす一大事になっていると悟る。空海はこの事件を解決するために
は楊貴妃の墓を暴かなければと判断する。

第六章「馬嵬駅楊貴妃の墓の場」。墓の前で出会った白楽天と三人で楊貴妃の墓を掘
り始める。墓から兵俑(へいよう)が現れ三人に襲いかかる。兵俑とは、身分の高い
者の墳墓に副葬された兵士を象った俑、人形のこと。兵士の人形が生きている兵士の
ように襲ってきた。これをやっつけると、兵俑は崩れ落ちる。兵俑たちを退治する
と、今度は化け猫にとりつかれた春琴が現れる。空海の一喝で、化け猫は本性を顕
す。本性とは方士・白龍(又五郎)であった。白龍が化け猫を通じて春琴を操ってい
たのだ。丹翁が現れると、白龍は消える。どうやら、丹翁、白龍、楊貴妃に絡む因縁
の秘話があるらしい。空海は丹翁に悲劇の真実を教えて欲しいと頼む。丹翁は、教え
る代わりに倭国から届いた阿部仲麻呂の手紙を読んで欲しい、というので、承知す
る。

第七章「幻想劇の場」。劇中劇として、竹本の舞台を再現。上手に本物の太夫と二人
の三味線方。狂言回しは、歌舞伎の女形の正装姿で、銀遊が京蔵、金遊が芝のぶ。5
0年前の秘話。玄宗皇帝など過去の人たちが人形のように演じる幻想劇。それによる
と、楊貴妃は玄宗皇帝に妻を殺された方士(黄鶴)から復讐のために送り込まれた実
の娘(本名は楊玉環)であった。 娘は皇帝の寵愛を受け「貴妃」の地位に登り詰め
た。反乱が起きて楊貴妃は殺されそうになった。皇帝は丹龍と白龍に命じて二人の師
匠の黄鶴に貴妃を仮死状態にさせて救おうとしたが、失敗をして、楊貴妃を発狂させ
てしまった という。楊貴妃を慕っていた丹龍と白龍は楊貴妃を連れていずこへか逃
げてしまった。50年間の謎を解く話を聞いた空海は丹龍は丹翁自身のことだろうと
見破り、楊貴妃の現状を尋ねたが、丹翁は判らないと答えた。今回の国を揺るがす一
大事は、白龍が丹翁を50年ぶりに呼び出すために仕掛けているのでは、という。

第八章「灞水河畔の場」。空海は、逸勢、白楽天、玉蓮と共に、その昔、玄宗皇帝と
楊貴妃が過ごした華清宮へ向う。

第九章「驪山華清宮跡宴の場」。空海らは華清宮で宴を催す。やがて丹翁、白龍、楊
貴妃が現れる。楊貴妃は生きていたのだ。時の流れを感じさせない美形のまま
で……。三者の因縁が解き明かされ、黄鶴も現れ、楊貴妃とは黄鶴の実の娘で、白龍
は実の息子だということなど秘密が開示される。その挙句、黄鶴は、娘の楊貴妃に殺
される。実の娘に復讐されて、喜悦の表情を浮かべて死んで行く。

第十章「元の鴻臚客館東屋の場」。50年越しの物語も大団円。空海は密教の奥義を
伝授され、逸勢と共に丹翁に別れを告げる。

結の章「長安大極宮謁見の間の場」。当代の憲宗皇帝(幸四郎)に謁見し、皇帝から
書を所望される。「樹」の一字を書き、皇帝に気に入られる。「五筆和尚(わじょ
う)」という名を授けられ、帰国も許される。

唐留学時代の、若き日の空海の物語は、こうして歌舞伎になったが、歌舞伎味が希薄
なのが、私には不満であった。
- 2016年4月16日(土) 11:09:08
16年04月歌舞伎座 (昼/「松寿操り三番叟」、「不知火検校」、「身替座
禅」)
 
 
昼の部は、仁左衛門、松嶋屋と幸四郎、高麗屋という東西歌舞伎重鎮の二枚看板の興
行。


幸四郎不知火検校からのメッセージとは?


「不知火検校」は、私は初見。今回の劇評は、この演目から始めよう。宇野信夫原作
の新作歌舞伎。1960(昭和35)年2月歌舞伎座初演。十七代目勘三郎が、主役
の杉の市、後の不知火検校と七兵衛(今回は魚売富五郎)の二役を演じた。生首の倉
吉(今回は生首の次郎、後の手引の幸吉)を勘弥、鳥羽屋丹治を八代目中車、その弟
の玉太郎を二代目延二郎、後の三代目延若、おはんを六代目芝雀、後の四代目時蔵、
岩瀬家の奥方浪江を十三代目我童、後に十四代目仁左衛門を遺贈、房五郎を二代目又
五郎、正の市を六代目染五郎、後の幸四郎などが演じた。四幕十四場で構成された。
後の1970(昭和45)年二幕ものに改訂、外題も「沖津浪闇不知火」改める。1
977(昭和52)年2月新橋演舞場で上演。六幕十四場。2013(平成25)年
9月、新橋演舞場でで、36年ぶりに上演。二幕十四場。前回未見。今回が初見なの
で、記録も兼ねて、少し詳しく書いておこう。しかし、新作歌舞伎ゆえに場面展開に
幕を使った暗転が多く、また、場内も暗いので、十分にメモは取れない。

悪事を重ねながら、ニコニコと善人面をして生き抜く不知火検校。最後は、勧善懲悪
で、お縄になる。戦後歌舞伎に新風を吹き込んできた宇野信夫の狙いは、いかに。

今回の場の構成は次の通り。
第一幕第一場「浜町河岸のはずれ」、第二場「深川佐賀町富五郎住居」、第三場「浜
町河岸」、第四場「神田佐久間町 旗本岩瀬家の居間」、第五場「同じ居間」、第六
場「武州熊谷堤庚申塚」、第七場「鳥羽屋の座敷」、第八場「横山町検校の居間」。
第二幕第一場「二代目検校の居間」、第二場「元の検校の居間」、第三場「岩瀬家の
居間」、第四場「江戸城総濠の場」、第五場「検校の居間」、第六場「横山町の往
来」。

主な配役は次の通り。
按摩の富の市、後に不知火検校が幸四郎、生首の次郎、後に、手引の幸吉が染五郎、
岩瀬家の奥方浪江が魁春、おはんの情人で指物師房五郎が錦之助、おはんが孝太郎、
鳥羽屋丹治が弥十郎、その弟・玉太郎が松也、若旦那・豊次郎が廣太郎、その恋人・
おしづが児太郎、富五郎の息子・富之助(後に富の市となる)が玉太郎、魚売富五郎
が錦吾、初代検校が桂三、旅の因果者師・勘次が由次郎、幸吉女房で夜鷹宿のおつま
が高麗蔵、岩瀬藤十郎が友右衛門、おはんの母・おもとが秀太郎、寺社奉行・石坂喜
内が左團次、初代検校女房・おらんが秀調など。
 
 第一幕第一場「浜町河岸のはずれ」。暗転の内に開幕。按摩の正の市が25両を
持っていると言ったばかりに魚売の富五郎に殺されてしまう。その因果か富五郎に生
まれた子どもは、盲目であった。暗転。

第二場「深川佐賀町富五郎住居」。7年後、富五郎は捕まりもせず、魚屋を営んでい
る。盲目の息子・富之助は、横山町の検校の許で修行をしてるが、手癖が悪い。幕で
場面展開。

第三場「浜町河岸」。さらに、10年後、成人した富之助は、富の市(幸四郎)と
なった。幸四郎は花道から登場。富の市は往来で大店の若旦那と恋人の娘を騙し、一
両を騙し取る。せこい小悪党ぶりを描く。幕で場面展開。

第四場「神田佐久間町 旗本岩瀬家の居間」。その夜、旗本岩瀬家の奥方が夫に内緒
で実家のために用立てたいという30両を「貸す」代わりに、奥方(魁春)を手籠め
にする。暗転の後、幕で場面展開。

第五場「同じ居間」。その翌朝、岩瀬藤十郎(友右衛門)が帰宅すると富の市は、昨
夜、奥方に「預けた」30両を返して欲しい旗本に申し出る。突然の申し出に狼狽す
る奥方だが、夫の手前、30両を返却する。
暗転の後、幕で場面展開。

第六場「武州熊谷堤庚申塚」。旅の空でも悪事。堤は上手と下手を結ぶ街道。上手か
ら生首の次郎(染五郎)。富の市(幸四郎)は、下手から土手道を来る。花道から
やって来て、庚申塚の石碑のある旅の空で癪を起こした因果者師を介抱するが、懐に
大金を持っていると判ると、因果者者師の首に針を打って殺して、200両という金
を奪ってしまう。座頭市風の振る舞いで、観客を湧かせる。一部始終上手の物陰で見
ていたのが、生首の次郎で、富の市から分け前を貰う。生首の次郎は、富の市に江戸
の口入れ稼業の鳥羽屋を紹介する。幕で場面展開。

第七場「鳥羽屋の座敷」。口入れ屋らしく、店先の帳場には、雇人出入帳、諸職口入
帳、請人控帳がぶら下がっている。さらに、3年後、富の市は鳥羽屋の丹治(弥十
郎)、玉太郎(松也)兄弟と組んで悪事を働いている。数日後の初午の夜に富の市の
師匠の検校夫婦を殺して、金を奪おうと兄弟に持ち掛ける。富の市殺しを企む兄弟。
舞台が初めて廻って、場面展開。

第八場「横山町検校の居間」。二階建ての屋体。富の市が検校宅の一階に戻ってく
る。二階の寝間で小判を磨いている検校夫婦。そこへ鳥羽屋の兄弟が押し込み、夫婦
を殺す。富の市は生首の次郎と組んでいることが判り、鳥羽屋の兄弟は、富の市に従
うことを誓う。富の市は、自分が二代目検校になろうと思い始める。「性根を据え
て、俺の後からついて来な」という大科白。検校の悪への宣言。30分の幕間とな
る。

暗転の内に開幕。
第二幕第一場「二代目検校の居間」。その後、富の市は二代目検校になった。権力欲
の次は、色欲だ。検校は湯島のおはん(孝太郎)を妻にと思い、おはんの母(秀太
郎)共々、屋敷に招いた。猫好きのおはんは猫を抱いたまま素っ気ないそぶり。おは
んには指物師の房五郎という色がいるのだ。房五郎は、博打好きで借金を抱えている
と知り、金の力でおはんをものにしようと決意する。

第二場「元の検校の居間」。半年後検校はおはんを妻とした。金欲は止まらない。江
戸城の御金蔵破りを計画し、鳥羽屋兄弟に持ち掛けるとともに、旗本の岩瀬が御金蔵
の警護役になったことを聞きつけ、岩瀬家から情報を取ろうとする。おはんには長持
ちを誂えたいので、腕の良い指物師を知らぬかと尋ねる。廻って、場面展開。

第三場「岩瀬家の居間」。岩瀬に祝いの言葉を述べ、岩瀬の勤務状況を聞き出す。そ
の後、離縁されたという浪江が岩瀬家を訪ねてきた。暗転。

第四場「江戸城総濠の場」。岩瀬家を辞去した検校を上手の物陰から飛び出した浪江
が襲う。逆に浪江を殺す検校。

第五場「検校の居間」。八幡祭りの宵。長持ちを完成させた房五郎が品物を持参し
た。久しぶりの逢瀬を楽しむ房五郎とおはん。そこへ帰宅した検校は房五郎の首に針
を打ち殺す。さらに、おはんをも殺す。二人の遺体を長持ちに入れる。おはん愛玩の
猫をも殺して、長持ちに放り込み鳥羽屋兄弟に後始末を命じる。暗転で幕。

第六場「横山町の往来」。花道から本舞台へ検校を乗せた駕籠の一行が通りかかる
が、上手から押し寄せて来た大勢の捕り方に取り囲まれる。指揮をするのは、寺社奉
行の石坂喜内(左團次)。鳥羽屋兄弟の弟・玉太郎が、死んだ筈の猫の鳴き声に怯
え、罪の呵責に耐え切れず、検校の罪状を訴え出ていたのだ。舞台は鷹揚に廻りなが
ら、不知火検校を引き立てて行く。祭りの見物人など周りから浴びせられた罵声。検
校は物怖じせず。それに堂々と答える。「おもしろいことのひとつも見ず、死んで行
くだけの人生。歳をとって、汚い爺さん、婆さんになるだけ。俺あ、おもしろおかし
く生きて来たんだ。後悔はしていねえ。どうだ、思い当たったか。ワッハッハッ。俺
あ、地獄で待っているぜ」(暗転の座席でメモが取れないので、記憶に残った科白は
不正確だが、意味はほぼこの通り)。花道七三に立ち止まり、舞台に向かってだけで
はなく、場内の観客席にも向かって幸四郎は科白を吐き出す。舞台に出演している役
者たちだけに当てた科白ではなかろう、と受け止めた。今回の舞台は、正味2時間半
ほど。テンポアップされてきた、という印象。宇野歌舞伎らしい、メッセージが込め
られていた。


染五郎が熱心に取り組む「松寿操り三番叟」


「操り三番叟」は、7回目。このうち、染五郎の外題は「松寿操り三番叟」。染五郎
の舞台を私が観るのは、今回を含め4回目。「操り三番叟」は、前半、役者の翁と千
歳が登場し、後半、人形ぶりの三番叟とそれを操る人形遣い、という演出と人形の三
番叟とそれを操る人形遣いのふたりしか登場しない演出とがある。染五郎の「松寿操
り三番叟」は、後者の演出である。

今回は、染五郎のほかに、「後見」(実質的に人形遣いの役廻り)として松也。操り
人形なので、人形遣いは天井裏にいるという想定だが……。
 
1853(嘉永6)年の初演で、初演時は、3人とも、人形ぶりであったという。い
まのような演出は、五代目菊五郎の工夫で、前半は、役者の翁と千歳の、普通の「三
番叟」の型、後半は、人形箱から人形の三番叟を「後見」という人形遣いの役者が取
り出し、もうひとりの、本来の後見に手伝わせながら、人形の三番叟を操るという演
出である。
 
「騙し&騙されの美学」の典型的な出し物と判る。役者が、操り人形を演じ、人形を
吊す見えない糸が、観客に見えるようになれば、騙した役者の勝ちであり、騙された
観客の至福の時間が流れる。あくまでも、役者が踊っているようにしか見えなけれ
ば、騙されない観客の勝ち。

この演目で、肝心なのは、人形を演じる役者の頭、手先、足先の動きだろう。頭は、
重心が、糸で吊り下げられているように見えなければならない。手先、足先は、力が
入ってはいけない。糸がもつれたり、重心が狂い、片足立ちで、クルクル廻ったりし
たあげく、人形は倒れてしまう。自力では、制御不能の人形が見えてこなければなら
ない。後見は、逆に人間らしく、動き、人形を支える。両者の一体感が無いと駄目で
ある。

6回目の挑戦となる染五郎は、回を重ねる毎にいろいろ工夫しているという。今回は
人形らしい動きもスムーズで、糸で吊り下げられている、という軽みも伝わって来
る。
 
染五郎は、この演目では、外題も「松寿操り三番叟」と自分専用のものに決めて、熱
心に取り組んでいるようで持続的に挑戦している。毎日隈取りを変えているという。
私が観たときは、「猫」の隈取りのように見えた。三代目延若が、数多く演じ、その
舞台を観た染五郎が、人形ぶりに魅せられたというが、染五郎のさらなる精進を期待
したい。意思のない人形の空虚感、人形に徹して、空虚を目指したいという。その意
気や、良し。
 
7年前、09年12月、歌舞伎座。「操り三番叟」で、勘太郎時代の勘九郎の「三番
叟」で一度観た「後見」の松也は、2回目の今回もきりりとしていて、なかなか良
い。
 
 
「身替座禅」は、12回目の拝見。右京の人の良さと奥方の玉の井の嫉妬深さを対比
するというイメージの鮮明な演目なので、劇評の視点を変えるのが難しい。どうして
も、配役の妙に目が行ってしまう。先ず、配役から。私が観た右京:菊五郎(4)、
富十郎(2)、猿之助、勘九郎時代含め勘三郎(2)、團十郎、そして、仁左衛門
(今回含め2)。

なかでも、菊五郎の右京には、巧さだけではない、味があった。特に、右京の酔いを
現す演技が巧い。酔いの味が、良いということだ。従って、右京というと菊五郎の顔
が浮かんで来る。こうして名前を浮かべれば、ほかの役者も、それぞれ、持ち味があ
るが、歌舞伎座2回目の仁左衛門は、普段は、颯爽とした役柄が多いだけに、逆に滑
稽味のある、こういう役は、彼の別の魅力を引き出してくれるので、楽しみだ。
 
ほかの配役は、キーパーソンとなるのは、何といっても、玉の井。その玉の井では、
吉右衛門(3)、三津五郎(2)、宗十郎、田之助、團十郎、仁左衛門、左團次(今
回含め2)、段四郎。立役が、武骨さを滲ませながら、女形を演じる。そこが、この
演目のおもしろさだ。團十郎、仁左衛門の玉の井も、印象的だったが、左團次は、白
塗りだけの奥方だが、持ち前の「異様」(父親の三代目左團次が、生前、こうアド
ヴァイスをしたという。「お前の体つき、声柄だけでお客様にはおかしいんだから、
ほっぺたを赤くしたりしちゃいけないよ。ふつうの女方のようにするんだよ」)さ
で、存在感を誇示した。玉の井は、醜女で、悋気が烈しく、強気であることが必要だ
ろう。浮気で、人が良くて、気弱な右京との対比が、この狂言のユニークさを担保す
る。

右京役のポイントは、右京を演じるだけでなく、右京の演技だけで、姿を見せない愛
人の花子をどれだけ、観客に感じ取らせることができるかどうかにかかっていると、
いつも思う。シルエットとしての花子の存在感。花子は、舞台では、影も形もない。
唯一花子を偲ばせるのが、右京が花子から貰った女物の小袖。それを巧く使いなが
ら、花子という女性を観客の心に浮かばせられるかどうか。見えない花子の姿を観客
の脳裏に忍ばせるのは、右京役者の腕次第ということだろう。右京の花子に対する惚
気で、観客に花子の存在を窺わせなければならない。今回の仁左衛門が、操る花子の
衣装から、生身の花子の女体が見えたような気がした。そこは、立役の中でも、色気
を滲ませるのが巧い仁左衛門ならではの真骨頂がある。特に、奥方の玉の井には、
困った顔、姿なき花子のことを思う時の嬉しそうな顔を見せる。この使い分けが巧
い。
 
身替わりに座禅を組まされる太郎冠者には、又五郎。芸達者なだけに、充実の脇役で
ある。侍女の千枝が米吉。小枝が児太郎。
- 2016年4月15日(金) 9:35:39
16年03月歌舞伎座 (夜/「双蝶々曲輪日記〜角力場」、「口上」、「祇園祭礼
信仰記〜金閣寺」、「関三奴」)


六代目歌右衛門と並ぶ立女形だった四代目雀右衛門が2012年2月に91歳で亡く
なってから4年。四代目の次男の芝雀が、五代目雀右衛門を襲名し、今月の歌舞伎座
で披露興行が始まった。

歌舞伎座の場内に入ると、目につくのが祝幕。三菱鉛筆から贈られたご祝儀の道具
幕。真ん中上部に雀右衛門の家紋である「京屋結び」。下手に白牡丹。上手に紅牡丹
の絵柄。背景はあわいも朧な天と地。特に、青空の青色が美しく、爽やかである。劇
評では、襲名披露関係から筆を進めたい。まず、「口上」の後、昼の部の襲名披露演
目「鎌倉三代記」と夜の部の襲名披露演目「祇園祭礼信仰記〜金閣寺」をあわせて論
じたい。その後、「双蝶々曲輪日記〜角力場」、「関三奴」にも触れたい。


「口上」では、歌舞伎界の幹部役者18人がずらりと並ぶ。私が観た初日には、菊五
郎が体調を崩したということで、欠席していた。本来なら19人が居並ぶ。まず、襲
名披露が行なわれる座敷は、壁、襖の大道具の色彩が祝幕に連動しているのが判る。
壁は、青空を描き出していた。襖は、大地の黄色っぽい茶色。18人の幹部役者の顔
ぶれは華やかだ。中央に芝雀改め雀右衛門。その上手に、長老の藤十郎。以下、口上
の順番に上手へ。仁左衛門、秀太郎、歌六、扇雀、又五郎、魁春、梅玉と並ぶ。本来
なら、最も上手に菊五郎が座る。下手に移って、最も下手に吉右衛門、我當、東蔵、
鴈治郎、橋之助、時蔵、松緑、友右衛門、幸四郎が殿を務める。芝雀の父・四代目雀
右衛門の輝ける遺産が五代目雀右衛門の襲名披露の舞台を豪華にしてくれている。華
やかな顔ぶれの割には、各役者の口上は全般に地味であった。まず、お披露目を仕切
る藤十郎。野郎頭の鬘。口上の概要は「新・雀右衛門を末永く、ご贔屓お引き立て
を」というだけ。芝雀当人の人柄は真面目だから、あまり、失敗などの観客を笑わせ
るようなエピソードはないのだろう。私も一度ある祝がパーティで芝雀に逢って話を
したことがあるので、素顔の人柄は知らないわけではない。続く、仁左衛門は、四代
目雀右衛門を「大恩人」と持ち上げ、「普段は現代的で、革ジャンを着ていた」とい
う雀右衛門ファンなら誰でもが知っている程度のエピソードを披露したくらい。五代
目には、「芸道精進をしておじさま(四代目)に追いついて欲しい」と激励してい
た。次の秀太郎は、女形の帽子の鬘。「ご活躍を」という感じ。歌六は、五代目と
は、「家族のようなおつきあいで、公私ともに仲良く」しているので、襲名はおめで
たい」とのこと。扇雀も、四代目には女形としての指導を受けた、という。又五郎、
魁春は、それぞれ襲名の祝意を述べる。魁春は、女形の帽子の鬘。上手側最後の梅玉
は、科白廻しと違って、早口で、先代には世話になった、新・雀右衛門には、名跡を
更に「大きく、大きく」して欲しい、と激励した。

下手に移って、まず、吉右衛門は、四代目には「世話になった」、五代目とは「手を
取り合って、歌舞伎の発展に努めて行きたい」と述べた。その右隣が、我當。唯一、
後ろに黒衣が控えている。両手が揃っていないまま、口上。五代目を「末永くご贔屓
お引き立てを」と観客にお願いして、崩れるように上半身を傾けていたのが印象に
残った。続く東蔵は、「新しい雀右衛門さんは自己主張が強い」などと人柄を紹介し
ていた。鴈治郎は、「ご贔屓を」と紋切り型か。橋之助は、「お兄さまの真摯な芸へ
の姿勢」を紹介し、東蔵が披露した人柄を別の角度から補足しているように聞こえ
て、よく判った。五代目は「こころ優しい大好きな」お兄さまだと、まとめていた。
時蔵も野郎頭の鬘。「新しい雀右衛門さんとは同じ年。仲間なので「ご贔屓を」と寿
ぐ。松緑は、紋切り型の祝意。新・雀右衛門の兄の友右衛門は、「弟により、父の名
前が復活した」と一家の喜びを語っていた。殿の幸四郎は、市川宗家の「鉞(まさか
り)」の髷の鬘。「先代とは、相手役を良く演じた。親戚の一人として襲名は喜ばし
い」と述べた。最後に、ご本人の五代目雀右衛門は、芸熱心で真面目な人柄らしく、
「ご指導ご鞭撻を」と紋切り型。藤十郎の仕切りの「口上」は20分で終了。

贅言;演目では、菊之助も菊五郎の代役を勤めるが、「口上」は、まだ、許されな
い。口上は、名前の大きさゆえか、若手で列席したのは松緑だけ。孝太郎(父親の仁
左衛門列席)、錦之助(兄の時蔵列席)、高麗蔵、菊之助(本来なら菊五郎列席)、
勘九郎など、今回の口上では出番なし。


昼の部の「鎌倉三代記」と夜の部の「祇園祭礼信仰記〜金閣寺」をあわせて論じる。
通しタイトルは、「ふたつの官能的なるもの」とでも、しよう。

まず、「鎌倉三代記」は、父をも殺す覚悟の積極的な時姫の官能性。「金閣寺」は、
拒絶しても滲み出る雪姫の官能性。

「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」は、6回目。「鎌倉三代記」の登場人物は、歴史上の
人物をモデルにしている。佐々木高綱は真田幸村、時姫は千姫、三浦之助は木村重
成、北條時政は徳川家康。内容が余りに史実に近すぎたので、徳川幕府によって、上
演禁止にされたという曰く付きの演目。時代ものの中でも、時代色の強い演目だ。絹
川村閑居の場の主人公は、時姫。今回は、芝雀、改め五代目雀右衛門が演じる。そこ
で、今回の劇評は、時姫に絞って書いておきたい。

私が観た時姫は、芝雀の父親・四代目雀右衛門が3回。福助、魁春、今回は新しい五
代目雀右衛門が初役で勤める、ということになる。六代目歌右衛門は、本興行で6回
演じた。四代目雀右衛門は、友右衛門時代も含めて8回演じている。

時姫は姫なのに手拭いを姉さん被りにし、行燈を持って奥から出てくる。時姫の難し
さは、「赤姫」という赤い衣装に身を包んだ典型的な姫君でありながら、世話型のそ
れも、情愛溢れる押し掛け女房とを形で二重写しにしなければならない。

私が観た四代目雀右衛門は、徹底して、所作で演じてみせた。魁春や福助は、無難に
こなしているが、雀右衛門の時姫の方が、姫としての位があり、見応えがあったよう
に思う。それは、魁春、福助が、所作よりも科白で時姫を主張しているからで、これ
に対して、雀右衛門は、科白より、所作で見せていた。元々静止した姿が美しかった
雀右衛門の時姫は言葉より、姿形で迫って来た。

五代目雀右衛門はどうか。五代目は、まだ、父親のような雀右衛門にはなっていな
い。ああ、襲名披露というのは、芝雀が雀右衛門になったということを告知する舞台
ではなく、これから雀右衛門を目指して、近づいて行きます、芝雀から段々離れて行
きます、という決意表明をする舞台なのだなと思えば、納得できた。

京方の夫・三浦之助(豊臣方の木村重成)に言われて時姫(千姫)に父親・北条時政
(徳川家康)への謀反を決意させるという筋書の物語。押し掛け女房の時姫は、夫・
三浦之助と父親との板挟みになり、苦しみながらも、夫への情愛が強く、父親殺しを
決意する。この性根の難しさを言葉ではなく、四代目雀右衛門のように形で見せるの
が難しいので、「三姫」という姫の難役のひとつと数えられて来た由縁である。

三浦之助(菊之助。菊五郎体調不良で初役ながら代役)は、実母・長門(秀太郎)を
心配して戦場から戻って来たのだが、母からは、「敵前逃亡」とばかりに拒絶され
る。実は、三浦之助も、母見舞いを口実にしながら、押し掛け女房・時姫に父親・北
条時政を討つことを決意させるために戻って来たという難しい役。

戦場で傷ついたまま帰還し、木戸の外で気を失ってしまう三浦之助。その三浦之助を
介抱するために気付けの水を口移しに夫に飲ませる、という当時なら果敢としか言い
ようのない蛮勇を奮う時姫。この果敢な所作が後の父親殺しを決意するほどの情愛へ
と結びついているのだと思う。子の情愛の迸りは、官能的である。父をも殺す覚悟の
積極的な時姫の官能性に私は注目する。五代目雀右衛門が父親の四代目に追いつくの
は、この官能性を所作で表現する舞台を見せてくれた時であろうと思う。今から楽し
みにしておきたい。

「祇園祭礼信仰記 金閣寺」は、今回で9回目。私が観た雪姫は、四代目雀右衛門
(2)、玉三郎(2)、福助(2)、菊之助、七之助、今回は、芝雀、改め五代目雀
右衛門。五代目は、2回目の雪姫である。03年10月歌舞伎座で観た四代目雀右衛
門の雪姫は、「一世一代」の演技という感じの緊張感を維持した素晴しい舞台であっ
た。結局、四代目雀右衛門の雪姫は、この舞台が最後だった。

雪姫は可憐な姫であり、色気を滲ませる人妻である。「鎌倉三代記」の初心な時姫が
見せる決意の果ての色気より、人妻ゆえの色気がムンムンしている感じが雪姫には必
要だろう。それに加えて、雪舟の孫という絵描きの血を引く、芸術家としての芯の強
さもありで、難しい役どころ。

雪姫(雀右衛門)は、最初は金閣寺に渡り廊下で繋がる上手のお堂に幽閉されてい
る。金閣寺では横恋慕の松永大膳(幸四郎)に虐められる。大膳の科白を聴いている
と性的な虐待をしようと姫を苛めているのが判る。やがて、大膳が持っていた刀が、
名刀「倶利伽羅丸」だと知り、大膳が父親雪村を殺した敵と判る。増々、大膳に憎し
みを燃やす雪姫。大膳は、雪姫の夫も幽閉していて、雪姫が従わないので、夫の狩野
直信(梅玉)を処刑させることにし、引き立てさせる。

両手と上半身を縄で縛られ、その縄で桜木に繋がれていて不自由な雪姫は、引き立て
られる夫と今生の別をする場面が良い。可憐な姫の中にある人妻の色気が滲み出てく
る。拒絶しても滲み出る雪姫の官能性。夫への情愛が科白の無い表情の演技だけで演
じなければならない。5代目は、腰回りに色気がある。

いずれにせよ、五代目雀右衛門は、還暦を節目に父親の四代目のイメージが強い雀右
衛門に挑戦して行く。兎に角、四代目の背中を凝視し、なぞりになぞって欲しい。そ
して、何時の日か、亡き父親の横顔を見る位置に立ち、やがて振り返って父親の正面
を見るような位置まで突き進んで行って欲しい。地味だけれど芸熱心な、という芝雀
像から姿形の美しい新しい雀右衛門像へ脱皮する舞台を何時の日か、観てみたい。


「双蝶々曲輪日記〜角力場」は、6回目。この場面は、基本的に喜劇である。確執と
チャリ(笑劇)場が見せ場。濡髪(橋之助)、与五郎と放駒(菊之助のふた役)。歌
舞伎では「角力小屋の場」(あるいは、「角力場」)。人形浄瑠璃では「堀江相撲場
の段」。基本的に同じ場面だ。歌舞伎が、役者の魅力を十分に引き出そうと、人形浄
瑠璃より独自に演出を膨らませているのが、ポイント。歌舞伎の入れごと、という。
特に、与五郎という若旦那。「つっころばし」という上方歌舞伎独特の人物造形が、
見どころ。

舞台上手には、角力の小屋掛けで、力士への贔屓筋からの幟がはためく。舞台下手に
は「出茶屋」。与五郎と恋仲の新町遊廓藤屋の遊女・吾妻(高麗蔵)が上手から登
場。同行の仲居の一人がおせき(芝のぶ)。与五郎(菊之助)が、茶屋から出て来
る。濡髪と逢う用事があると与五郎が言うので、吾妻は、後刻の約束をして、立ち去
る。茶屋のそばにお定まりの剣菱の菰被りが3つ積んである(後に、放駒が、腰を下
ろすのに使う)。角力小屋の中は見せないが、入り口から見える範囲は、「黒山」の
人だかりの雰囲気(昔は、小屋を観音開きにして、内部の取り組みの場面を見せる演
出もあったという)。いまは、声や音だけで処理。木戸口の大入りのビラ。与五郎は
小屋の知り合いに入れてもらう。見物客が入ってしまうと、木戸の若い者が「客留
(満員の意味)」のビラを張り、木戸を閉める。江戸時代の上方(大坂・高麗橋のた
もと)の相撲風情が楽しめる趣向だ。結びの一番(濡髪対放駒)は、「本日の打止
め」との口上。軍配が返った雰囲気が伝わって来たと思ったら、「あっさり」(これ
が、伏線)、放駒の勝ち名乗り。取り組みが終わり、打止めで、仕出しの見物客が、
「長吉勝った、長吉勝った」と囃しながら、木戸からゾロゾロと出てくる。

次いで、木戸から放駒長吉の出がある。放駒役は、菊之助。次に、木戸から出てくる
濡髪長五郎役は、橋之助。相撲取りらしく、身体を大きく見せるために(と言うのは
濡髪の木戸の出は、昔から押し出しの立派さを強調するため、役者などが工夫を重ね
るポイントになっている)、歯の高い駒下駄を履いている。木戸から扇子を持った手
が見えるが、上半身はあまり見えない。黒い衣装に横綱の四手(しで)の模様、二人
が舞台で並ぶと濡髪の大きさが目立つ。橋之助は、身長が1メートル78センチと大
柄なので、大男役は似合っている。地元推薦の放駒(菊之助)は、丁稚上がりの素人
相撲取りで、歩き方もちょこちょこ歩き、話し方も、町言葉。純粋の相撲取りの濡髪
との対比は、鮮明。

小屋の前での濡髪と放駒のやりとり。土俵上で展開された「はずの」取り組みを再現
する場面では、勝負にわざと負けた上で、後から頼みごとをする濡髪のやり方の狡さ
に怒る放駒の言い分が正当で、怒りは尤もであると、思う。八百長相撲を仕掛けた濡
髪のやり方に怒る放駒の座っている床几を蹴倒す濡髪の乱暴さ。「通し」(後の「引
窓」では、殺人者として実母の再婚先に逃げて来る濡髪の姿が描かれる)ではなく、
「角力場」だけを見ていると、いくら濡髪を立派だと褒めても、仇役の雰囲気が滲
む。それでも、ここも、笑劇ベースが必要だろう。

上方での相撲興行は、1702(元禄15)年、大坂の南堀江(難波の西)で勧進興
行が催されたのが発祥と言われる(南堀江公園には、「大坂勧進相撲発祥の地」とい
う幟が立っているという。江戸・東京と大坂・大阪では、昭和初期まで相撲興行がふ
たつに分れていた)。「堀江」は、相撲所縁の地。

若旦那・与五郎(菊之助)は、「ちょっと突けば、転びそうな柔弱な優男、ぼうとし
た、とぼけた若旦那」、濡事師である。与五郎が新町の遊女・吾妻(高麗蔵)と相愛
の仲になった。柔弱ゆえに、恋は盲目で、遊女とともに、明日なき恋路を無軌道に
突っ走ることになる。

吾妻の身請けに絡み、勝手に勝を譲った濡髪長五郎に怒りをぶつける放駒長吉の物語
となる。力士が八百長相撲で勝を譲られたとなれば、放駒が怒るのは当然、ふたりは
喧嘩別れをする。歌舞伎では、湯呑茶碗を握り潰す濡髪。握り潰せない放駒。プロと
アマの力の差を見せつける濡髪の態度にも、ますます怒りを強める放駒。濡髪長五郎
と放駒長吉の物語だから、「双蝶々(長・長)」で、「ふたつちょうちょう」なのであ
る。「曲輪日記」は、「曲輪」、遊廓。遊女の吾妻らに関わるということだ。

吾妻らのいる藤屋のある大坂・新町遊廓は、江戸の吉原、京の島原と並んで、日本の
三大遊廓の一つ。いまの大阪市西区新町の辺り。西国街道の山崎宿出身の与五郎、京
街道の八幡宿出身の与兵衛たち若者はそういう地理的、歴史的背景の地域で生まれ育
ち、大都会の大坂に出て、新町遊廓や清水観音近くの料亭で遊女と遊んだり、堀江の
角力小屋で遊び、力士を贔屓にしたりしていたのだろう。この芝居の背景には、そう
いう事情が隠されている。

今回、初役で与五郎と放駒を演じたのは、菊之助。上方なまりの科白が菊之助ではき
つい。与五郎と放駒のふた役は以前に2回観た染五郎が巧かった。「つっころばし」
の与五郎は、濡髪から肩を叩かれると、崩れ落ちる。「なんじゃい、なんじゃい、な
んじゃい」。与五郎の弱さが、濡髪の強さを浮かび上がらせる。このほかにも、何度
もつっころばされては、染五郎は巧に場内の笑いを誘っていた。菊之助も与五郎から
放駒、放駒から与五郎へと早替りを見せてくれる。菊之助は、女形だけでなく立役で
も進境著しく、このところ、充実した舞台を見せてくれるが、滑稽役は、まだまだ、
という感じだ。茶屋の亭主とふたりで長五郎の大きな褞袍(どてら)を着て花道から
引っ込んだ後、長五郎に呼び出されたという設定の放駒になって、花道から再び登場
し、長五郎の所へ駆けつけるなど、チャリ場で奮闘中。


「関三奴」は、4回目。四拍子と長唄。3回は、奴ふたりの踊りだった。背景は、江
戸の町。商家、蔵屋敷、富士山、江戸城が見える位置から判断すると、日本橋界隈。
舞台中央の雛壇は、長唄連中。今回は、3人の奴が登場。上手から黒地の衣装をベー
スにした松緑の奴。白地の衣装ををベースにした勘九郎の奴。ふたりの踊りに途中か
ら水色地の衣装をベースにした鴈治郎の奴が加わる。皆、白い毛の毛槍を持ってい
る。大名行列、花魁道中、奴道中などの様子を踊ってみせる。

「軒には三輪の杉じるし」で、酒屋に入り、酔っぱらった体。松尽しの歌に合わせて
踊る。常盤の松、磯馴れの松、首尾の松。毛槍を降りながら立ち去る奴たち、という
趣きで引張りの見得で、幕。
- 2016年3月8日(火) 16:40:43
16年03月歌舞伎座 (昼/「寿曽我対面」、「女戻駕・俄獅子」、「鎌倉三代
記」、「団子売」)


六代目歌右衛門と並ぶ立女形だった四代目雀右衛門が亡くなってから4年。四代目の
次男の芝雀が、五代目雀右衛門を襲名し、今月の歌舞伎座で披露興行が始まった。場
内に入ると、目につくのが祝幕。三菱鉛筆から贈られたご祝儀の道具幕。真ん中上部
に雀右衛門の家紋である「京結び」。下手に白牡丹。上手に紅牡丹の絵柄。背景はあ
わいも朧な天と地。特に、青空の青色が美しく、爽やかである。

昼の部では、襲名披露演目は「鎌倉三代記」。夜の部では、「祇園祭礼信仰記」、さ
らに「口上」もあるので、襲名披露関連は、夜の部でまとめて批評したい。

「寿曽我対面」は、11回目の拝見。曽我兄弟が宿敵と「対面」するだけの芝居「寿
曽我対面」は、大願成就の予約切符を発行することで、江戸っ子の正月用の祝典劇と
なった。今回は。襲名披露を寿ぐ祝典劇という位置づけだろう。任期の演目だった曽
我兄弟の「対面」ものは、河竹黙阿弥の手によって、1885(明治18)年、
「寿」を冠する「寿曽我対面」として集大成された。黙阿弥の集大成のポイントは、
「寿曽我対面」の主役を曽我兄弟よりも、「宿敵」の工藤祐経としたことにある。仇
と狙う曽我兄弟との対面を許し、後の、富士の裾野で催される巻狩の場での再会を約
し、巻狩の総奉行を勤める工藤祐経は狩り場の通行に必要な「切手」(切符)を兄弟
に渡す。その場で、兄弟の父親の仇として討たれようという意味だ。情理を理解し、
度量も大きく、太っ腹で、「敵ながら、天晴れ」という工藤祐経の「大人」の行動様
式に、曽我兄弟という「子ども」を対比させたことが受けて、日本人は、長いこと拍
手喝采を続けたのだろう。それだけに、この芝居では工藤祐経の出来具合が大事なポ
イントになるので注目しよう。

開幕すると、工藤祐経館。富士の裾野で催される巻狩りの総奉行に任じられた祐経の
就任を祝うために館には並び大名を演じる名題役者たちが集う。やがて、工藤館の市
松模様の戸が、3枚に折れて、屋敷の上部に仕舞い込まれると、座敷には、工藤祐経
(橋之助)のほか、大磯の虎(扇雀)、化粧坂少将(梅枝)、喜瀬川亀鶴(児太郎)
という傾城たち。梶原平次景高(橘太郎)、梶原平三景時(錦吾)、小林朝比奈(鴈
治郎)がいる。このほか、工藤祐経の側近である近江小藤太(廣太郎)、八幡三郎
(廣松)のふたり。曽我兄弟の家臣の鬼王新左衛門(友右衛門)。やがて、曽我兄弟
の入場が許され、兄弟と工藤祐経との対面となる。「対面」の魅力は、色彩豊かな絵
のような舞台と、登場人物の華麗な衣装と渡り科白、背景代わりの並び大名の化粧声
など歌舞伎独特の舞台構成と演出で、短編ながら、十二分に観客を魅了する特性を
持っているからだと、思う。

私が観た工藤祐経は、富十郎(2)、團十郎(2)、三津五郎、幸四郎、吉右衛門、
海老蔵、仁左衛門、梅玉、今回は、橋之助。座頭級の役者が目白押し。中堅だった今
は亡き三津五郎、今秋の芝翫襲名を控えて新しい中堅世代に入ることになる橋之助な
ども小さく見える顔ぶれ。若手の海老蔵がまじっているのは、「対面」が團十郎家の
歌舞伎十八番の一つという特殊性のゆえだろう。高座に座り込み、一睨みで曽我兄弟
の正体を見抜く眼力を発揮すると観客に思わせるのが、工藤祐経役者。

曽我十郎は、菊之助(3)、梅玉(2)、菊五郎(2)、橋之助、壱太郎、孝太郎、
今回は勘九郎。

五郎は、三津五郎(3)、海老蔵(2)、我當、團十郎、吉右衛門、松也、橋之助、
今回は松緑。

女形では、今回は大磯の虎(扇雀)、化粧坂少将(梅枝)、喜瀬川亀鶴(児太郎)。
小粒な顔ぶれ。扇雀が若干存在感を出していたが、ほかの若いふたりは、背景に溶け
込みそうな感じで弱い。小林朝比奈は、鴈治郎襲名後、翫雀時代とはひと味違う存在
感が出てきた鴈治郎に味があった。


「女戻駕・俄獅子」。江戸の廓・吉原の俄行事を所作事で演じる二題。まず、「女戻
駕」は、初見。舞台は江戸・吉原大門前大門の奥が吉原のメインストリート。廓の俄
の趣向で花道から女駕篭かきが登場する。おとき(時蔵)とおきく(菊之助)のふた
り。駕篭に乗せてきたのは奴の萬平(錦之助)。早春の夜に咲く梅の花が薫る中で花
魁道中や座敷の奴の様子を踊ってみせる。

暗転、明転切り替えの場面展開で「俄獅子」へ。「俄獅子」は、4回目の拝見。相生
獅子のもじりで、遊廓・吉原の年中行事と俄の模様を所作で表現し、それを獅子もの
仕立てにする。基本は、鳶頭と芸者の出演。場合により、それぞれが複数となる。今
回は、鳶頭(梅玉)に芸者ふたり(魁春、孝太郎)が絡む。そういう江戸趣味の趣向
が魅力の演目。明るくなると、舞台は、祭囃子が賑やかな吉原仲之町で、長唄の囃子
連中の雛壇が後ろに控える。「俄」は、「仁和賀(にわか)」で、吉原の年中行事の
一つ。太陰暦の8月朔日から晴天30日に渡って行われたと言う。吉原の遊女、禿た
ちが、仮装をして、歌舞伎踊りなどを見せながら、廓内を練り歩くという、いわば、
アトラクション。江戸の代表的な祭、山王祭や神田祭の踊り屋台を真似た趣向。

やがて、雛壇の前にせり上がりで、黒地の衣装も粋な芸者・お春(魁春)とお孝(孝
太郎)のふたりが登場。俄行事や吉原の風情を踊る。そこへ白地に紺で大きな花柄を
染め込んだ鳶頭・梅吉(染五郎)が花道から登場する。三人は雌獅子獅子の狂いに例
えて廓の男女の機微を踊る。三人は、白地の扇に紅牡丹の絵や鈴を添えて、紅白の手
獅子=扇を獅子頭に見立てて、獅子舞を踊る。纏いや花笠を持った若い者も加わっ
て、一段と華やかな踊りとなり、「仁和賀」を盛り立てる。江戸の粋を絵に描いたよ
うな、洒落た舞台であった。


「鎌倉三代記」については、五代目雀右衛門の襲名披露興行の演目なので、夜の部で
まとめて論評したい。ここでは、省略。


「団子売」は、舞踊劇。6回目の拝見。幕末から明治期の作品。大坂の天神祭、舞台
は、天満宮に向かう天神橋側の広小路。太鼓の音も、コンチキチと祇園祭風に聞こえ
る。江戸時代に町中で餅を搗いたり、丸めたりしながら団子づくりの実演販売をする
夫婦の様子を写した「景事(けいごと)」という演目。江戸時代に流行したという
「影勝団子」(「飛び団子」とも言った)の売り子姿が売り物。夫婦は、女房がお福
(孝太郎)。夫が杵造(仁左衛門)。仁左衛門と孝太郎という、息の合った親子の踊
りをこの演目で私が観るのは今回で2回目。夫の名前は、杵造だが、女房の名前は、
お福だったり、お臼だったりするが、今回は、お福。明るい所作事。杵と臼という、
ひょっとことお多福という、男女の和合の噺。餅を搗くという所作は、性愛を象徴す
るのに合わせて、五穀豊穣、子孫繁栄不老長寿(高砂尾上)などを唄い上げる。
- 2016年3月7日(月) 11:14:39
16年02月国立劇場・人形浄瑠璃第3部(「義経千本桜」)


「義経千本桜〜渡海屋・大物浦の段、道行初音旅〜」を人形浄瑠璃で観るのは、5年
ぶり。2回目。知盛物語を主軸に据えて、狐忠信と静御前の「道行」を添えたという
形で、5年前と同じだ。歌舞伎では、こういう繋げ方は、観たことがないが、義経一
行の海難後、吉野へ、というのは、あり得る構成。狐→忠信の、「人形遣いごとの早
替わり」も、歌舞伎では考えられない演出で、おもしろい。

まず、「渡海屋の段」。歌舞伎の場合、「渡海屋の場」で、船宿の主・渡海屋銀平を
演じる役者は、「大物浦の場」では、「実は、中納言知盛」ということで、知盛も、
演じる。ところが、人形浄瑠璃では、「首(かしら)」が、替わる。渡海屋銀平で
は、「検非違使」の首だったのが、中納言知盛では、「文七」(関東は、「ぶんし
ち」、関西は、「ぶんひち」)に替わる。ともに、実のある役どころの「首」だが、
「文七」は、より悲劇生が高まる。歌舞伎役者が、悲劇生の高まりを隈取りなどで表
現するのと同じように、観ていても、違和感は無い。あるいは、初心の観客には、ま
さに、「首のすげ替え」だが、気がつかないかもしれない。

人形浄瑠璃の舞台では、歌舞伎と違って、上手側に、海辺があり、船がもやってい
る。歌舞伎の場合は、舞台下手に、遠見の海原が見えるだけ。人形浄瑠璃も、下手
は、遠見の海原。ここは同じだが、下手袖に岩組の一部が見えるのは、人形浄瑠璃。
歌舞伎の場合、「渡海屋の場」と「大物浦の場」は、別の場面で、間に、「渡海屋の
裏手の奥座敷の場」があるが、人形浄瑠璃では、「渡海屋の場」が続く。

歌舞伎なら、花道からアイヌ文様の厚司(オヒョウの樹皮から採った糸で織った織
物)姿で傘をさした銀平役者が登場するが、人形浄瑠璃では、大きな碇を、軽々と
(?)担いで下手小幕から銀平(人形遣い:勘十郎)は出て来るが、アイヌ文様の厚
司は、着ていない。義経一行を探索中の鎌倉武士(玉佳)と銀平のやり取りで、銀平
が、碇も、巧く使い(歌舞伎では、碇は、知盛の場面で、使うので、ここでは出て来
ない)武士を追い払った後、前から船宿に泊まり、悪天候ゆえ、船待ちをしていた義
経一行は、銀平の「雨が、弱まった」という偽りの判断で、出立することになる。こ
の場面、歌舞伎では、簑笠を着けた一行は、舞台下手側から花道へ向かうという演出
だったが、人形浄瑠璃では、上手側の海辺にもやっていた船に、乗船場から義経一行
が乗り込む。船は、船頭が操り、海へ、つまり上手の小幕の内へ、乗り出して行っ
た。ここまで、竹本は、豊竹靖大夫。三味線方は、宗助。

夕暮れ。大道具に「階段の体(てい)」の構造があり、舞台上手、2階になっている
障子の間を開けると、白糸縅(しらいとおどし)に白柄(しらえ)の長刀(なぎな
た)を持った銀平、じつは、知盛幽霊が、姿を現すのは、歌舞伎も、人形浄瑠璃も、
同じ。義経を狙う平家一族の正体を顕す。本心を形で見せる。知盛は義経一行の乗っ
た船を追い、荒天の下、大物浦の海上にて決戦という意気込み。ここの竹本は、豊竹
睦大夫。三味線方は、錦糸。

「大物浦の段」。この後、歌舞伎なら、「渡海屋の裏手の奥座敷の場」へ替わるが、
人形浄瑠璃では、大道具は、渡海屋の場面のまま。夜も更けて、真夜中。風雨は、ま
すます激しくなる。「神の御末の御粧ひ」で、盛装に衣装を改めた幼い安徳天皇、
「山鳩色の御衣冠」の典侍局(すけのつぼね)が、納戸口の暖簾(海星か栄螺の文
様)をかき分け、奥から出て来る。知盛らからの吉報を待つが、下手から駆けつけて
来た知盛郎党の相模五郎(実は、先ほどの鎌倉武士、玉佳)が、劣戦の報の、ご注進
となる。ならばと、座敷奥の障子を開けると、大物浦が遠見で見える。海上には、2
艘の船。やがて、船の提灯松明が一度に消え、知盛らの負けの合図が、伝わって来
る。船も、沈没してしまう。障子を閉めると、もう一人の知盛郎党の入江丹蔵(玉
勢)も、今度は、敗戦という続報の、ご注進。「冥途の御供仕らん」と言うなり、切
腹をし、上手の海に入水。さあ、極まった、という状況。典侍局は、安徳天皇を連れ
て、外に出る。

庭先から船着き場まで、舞台前面に白布が敷き詰められた後、安徳天皇が、庭先に出
て来る。渡海屋の大道具が、半分、上手に引っ張り込まれ、舞台は、引き道具による
居どころ替りとなる。そして、典侍局とともに、入水しようとすると、義経が現れ、
ふたりを助ける。やがて、重い傷を負った知盛が、安徳天皇らを探して戻って来る。
上手、渡海屋の中に居る安徳天皇と典侍局は、義経の保護下にある。下手には、知
盛。弁慶(清五郎)が知盛に出家を進めるが、拒否。知盛と義経一行との最後の闘い
へ。この辺りは、歌舞伎とほぼ同じ。

「まろを助けしは義経が情けなれば、仇に思ふな知盛」と、安徳天皇。義経が、安徳
天皇を守ると知り、典侍局が、自害すると、知盛も、後は、己の命の処理のみに関わ
ることになる。天皇は、己の守り手を平家から源氏に鞍替えをしている。

「知盛入水の段」。歌舞伎なら、海原を描いた道具幕(浪幕)が、振り被せとなり、
舞台替り。幕を振り落とすと、知盛の最期の見せ場となる大物浦の岩組の場へ転換と
なる。人形浄瑠璃では、大道具が、上手に引き込まれ、下手にあった岩組も、舞台中
央に出て来る。引き道具で舞台展開。

歌舞伎の場合では、岩組は、海辺沿いにある。ところが、人形浄瑠璃では、岩組は、
海中にあるという設定になる。絶海の孤島ならぬ孤岩。絶海の孤岩という、心理状況
の描写に原作者は、己の思いを込めて、観客にメッセージを発信しているのだろう。
やがて、下手小幕から、知盛は、船に乗って登場する。そして、舞台中央で、人形遣
いの勘十郎らと共に、岩組に乗り移る。悪天候の余波が続く荒ぶる海とあって、船
は、激しい流れに乗っているようで、無人のまま、上手に早間で流されて行く。

大碇を担いで、岩組の天辺によじ上った知盛は、大碇を頭上に担ぎ上げる。「さらば
さらば」という絶叫。知盛は、碇の綱を身体に巻き付け、後ろ向きに倒れ込んで行
く。

歌舞伎では、後ろ向きのまま、知盛役者は、重い大碇に引っ張られて、ガクンと落ち
て行く、「背ギバ」と呼ばれる荒技の演技を示す。人形浄瑠璃では、絶海の大きな岩
組で、大碇を頭上に持ち上げて、両足を高々と上げ墜落して行く。竹本、「切」の語
りは、竹本千歳大夫。三味線方は、富助。

さて、主な人形遣いたちの寸評を掲げておこう。渡海屋銀平、実は、中納言知盛を
操った勘十郎は、動きがダイナミックで、メリハリが効いていて見応えがあった。女
房おりう、実は、典侍局を操ったのは、清十郎。いつもながらの表情で、淡々と、そ
して丁寧に扱う。娘お安、実は、安徳天皇は、勘次郎。義経は、玉輝。

「道行初音旅」、通称「吉野山」では、人形とともに、人形遣いも早替りをする。荒
天に阻まれ、九州行きに失敗をした義経は、吉野山にいる、という。静御前と忠信の
義経への思いを滲ませながら、道行。

竹本;静御前は津駒大夫、狐忠信は芳穂大夫、ツレは咲寿大夫、小住大夫、亘大夫。
三味線方は、團七、清志郎、清丈、清公、燕二郎。人形遣いは、静御前が文昇、狐忠
信が勘弥。

前回は、忠信、実は、源九郎狐を操るのが桐竹勘十郎、静御前を操るのが吉田簑助と
いう師弟コンビで、実に素晴らしかった。勘十郎のメリハリ、ダイナミックな動き。
簑助の、柔らかく、なめらかに、女体の動き。

幕が開くと、舞台は、紅白横縞の幕で全面的に覆われている。「恋と忠義はいづれが
重い、かけて思ひははかりなや。忠と信の武士に君が情けと預けられ、静かに忍ぶ都
をば後に見捨てて旅たちて」で、始まる竹本。

「大和路、指して慕ひ行く」で、柝が入り、紅白の幕が振り落とされて、舞台中央、
桜の木の前には、赤姫姿の静御前がひとり。背景は、蘭満の桜の山。静御前が鼓を打
つと、下手、小幕の内より、白狐。一人遣いで操るは、勘弥。白い衣装に狐火の文
様、白い肩衣、まして勘弥は白髪、全て尽くめ。狐の姿は、静御前には、見えていな
い様子。主人になつく犬のような仕草をする白狐。首長の狐の頭と胴に手を入れて巧
みに動物の所作を演じる。耳の動き、目の動きなど。

舞台背景いっぱいの桜の山。やがて、山の前にある桜のブッシュの陰に、狐が飛び込
む。ブッシュの外に出ている尻尾を狐は、いつまでも、振っている。吹き替え。人形
遣いの衣装替えの時間稼ぎ。桜のブッシュが、前に倒されると、陰から狐忠信が、黒
い衣装に義経の御着長(おんきせなが、鎧)を背負って、飛び出して来る。竹本「谷
の鶯な、初音の鼓……、遅ればせなる忠信が旅姿。背(せな)に風呂敷をしかと背た
ら負うて」。狐から、忠信への早替り。人形遣いの勘弥も浅黄色の裃姿の盛装で、飛
び出して来る。

後は、歌舞伎の演出と同じような感じで、所作事の舞台は進む。源平の合戦に思いを
馳せ、悪七兵衛景清と三保谷四郎の一騎打ち、忠信の兄の継信は義経を守って矢面に
立ち落命などを思い出す。合戦を表現するので、踊りの動きも激しい。忠信の扇子
は、裏表とも、黒地に赤丸。静御前の扇子は、無地の金と銀。扇子が、上手の文昇か
ら、下手の勘弥に投げられる。安定した飛行で、扇子が飛び、巧く受け止められた。

文昇の操る静御前の動きは、簑助のようにきめ細かくはない。簑助は、顔の表情を含
めて、全てが、自然な流れで、流れて行く。一方、勘弥が操る忠信の動きも、メリハ
リに欠ける。勘十郎の動きはダイナミックで、メリハリが利いていた。つまり、簑助
と勘十郎のコンビでは、フォーカス(焦点)が合っていたのが、文昇と勘弥のコンビ
では、同じ絵柄ながら、フォーカスが甘く、ややぼやけている、という印象なのだ。

再び、ふたりは旅装を整え、「野路の春風吹き払ひ、雲と見紛ふ三吉野の、麓の里に
ぞ」で、静止。幕。
- 2016年2月16日(火) 10:36:54
16年02月国立劇場・人形浄瑠璃第2部(「桜鍔恨鮫鞘」「関取千両幟」)


人間国宝・豊竹嶋大夫の最後の公演


まず、嶋大夫引退披露狂言の「関取千両幟」から。「関取千両幟」の人形浄瑠璃を観
るのは、2回目。3年前に観ている。今回は、去年の10月、人間国宝に認定となっ
たばかりの八代目豊竹嶋大夫が、国立劇場での「国宝」披露どころか、何と、国宝認
定後最初の東京公演が、そのまま引退興行の舞台となったのは、事情があるのだろう
が、誠に残念。

「関取千両幟」は近松半二、三好松洛、竹田小出雲ら、多数の合作。1767(明和
4)年8月、大坂の竹本座で初演。全九段。二段目の「猪名川内より相撲場の段」
が、良く上演される。当時の大坂は、新地開発のための費用づくりに勧進相撲が催さ
れた。堀江新地、浪花新地で交互に開催されたという。猪名川は、当時の人気力士
「稲川」をモデルにしている、という。

竹本は、引退興行の嶋大夫が猪名川関の女房・おとわ。猪名川は英大夫、鉄ヶ嶽は津
国大夫、北野屋は呂勢大夫、大坂屋は始大夫、呼遣いは睦大夫、行司は芳穂太夫。三
味線方は、猪名川内は、寛治、相撲場は宗助、曲弾きは寛太郎、胡弓は錦吾。人形遣
いは、おとわは簑助、猪名川は玉男、鉄ヶ嶽は文司、北野屋は紋壽ほか。

竹本、三味線方が登場する。嶋大夫、寛治、呂勢大夫が並ぶ。口上を言うのは、嶋大
夫の弟子の呂勢大夫。「にぎにぎしくご来場賜りありがたく感謝申し上げます。永ら
くご贔屓賜りました八代目豊竹嶋大夫が、お名残惜しいながら、本舞台を持ちまして
引退することにあいなりましてござります。四代目豊竹呂大夫、八代目豊竹嶋大夫と
なり、切場(きりば)語りを経て、去年、人間国宝に認定となりました。引退の舞台
は、私ども弟子に取りましては、舵を取られ、大きな柱を失う、というものでござい
ます。……芸道精進をして、千秋楽まで相務めます。今後とも日本の伝統芸能を守っ
て行く所存でございます。ご贔屓賜りますよう、お願い申し上げる次第でござりま
す」。口上を終えると、呂勢大夫が退場。嶋大夫に加えて、英大夫、津国大夫、始大
夫と並ぶ。打ち出しと柝で幕が徐々に開く。舞台上手近くで柝を打っていた黒衣が
「東西東西」と、いつもの口上を言い始める。

開幕後、暫くは無人の舞台。冒頭の竹本は「芝居は南、米市は北、相撲と能の常舞
台、堀江堀江と国々に鳴り響きたる猪名川」と、当時の大坂地図を偲ばせる文句に
も、商都・大坂の繁栄ぶりが窺える。

さて、当時の相撲の実情を調べた訳ではないが、この芝居にも、大名お抱えの力士と
して、猪名川にライバル心を燃やす鉄ヶ獄という力士が登場する。「大坂は初めてな
れば、この相撲しくじるが最後扶持離れぢや」という科白に当時の力士事情が窺え
る。力士・猪名川は、芝居の中で、「池田の猪名川」というのが出て来たが、水質の
良い猪名川(大阪空港の傍を流れている)の水を使って池田(大阪府)は、酒造の街
だ。猪名川の対岸にある伊丹(兵庫県)も、酒造の街。猪名川は、酒造家の谷町でも
付いているのかもしれない。猪名川も「国々へ名のとおつた者」と言われる。このほ
か、「双蝶々曲輪日記」の「角力場」に登場する放駒長吉。素人上がりの力士。いま
の相撲協会のような常雇いの力士の集団で、相撲を見せるのではなく、地域の実業家
を谷町に持つ力士、諸国を流れながら、大名に抱えてもらう力士、実力でのして来た
ご当地の力士などをさまざまな力士が混合して、勧進相撲を開催していたのかもしれ
ない。

この芝居の筋は、簡単だ。堀江の勧進相撲に参加している猪名川は、夫婦連れで仮住
まい。仮住まいの「猪名川内」を覗いてみよう。玄関を上がると、贔屓筋から寄贈さ
れた品々の品書きが4枚、半紙で貼ってある。いずれも猪名川関宛で、「のぼり ひ
いき」「米 十俵 北浜 浪速屋」「鮮魚 沢山 大坂 魚の志」「御祝儀 長堀 
中村屋」と読める。玄関の外、「よその軒端(にきば)」、隣家の前に積み物が賑々
しく飾ってある。米俵が9俵か、あるいは、やはり10俵か。角樽に入った酒がふた
つ。菰に入った酒は、3つとも「剣菱」。 

部屋の中央、床の間には、「摩利支尊天」の掛け軸が懸けてある。後に、猪名川が八
百長相撲に手を染めなければならないかもしれないという境地に追い込まれた時、
「摩利支天にも見放され相撲冥加につきたのか」という科白が出てくるので、相撲の
守護神なのだろう。

下手より、青い着流し姿の猪名川(人形遣:玉男)登場。着付けには、「以奈川」と
染め抜かれている。黒い紋付の羽織に袴姿、帯には、横綱という格好の鉄ヶ獄(てつ
がたけ、文司)が続く。大名お抱え力士で対戦したことのない鉄ヶ獄を連れて来たの
だ。途中で出逢ったので、連れて来たと、出迎えた猪名川女房に告げる。奥から出て
来た女房おとわ(簑助)が、一緒に食事でも、と誘う。ここは、おとわを操る人間国
宝の簑助、竹本を語る人間国宝の嶋大夫、三味線方の人間国宝の寛治と、人形浄瑠璃
界の重鎮の揃い踏み。嶋大夫の引退で現役の竹本の人間国宝が一人もいなくなる。

そこへ、新町遊廓の大坂(おおざか)屋から「錦木(にしきぎ)太夫が身請けの跡
金」(二百両)の催促に来る。猪名川は自分を贔屓してくれる主筋の鶴屋の若旦那・
礼三郎のために錦木を身請けしようと前金に五百両を払っている。きょう中に払えな
いなら、ほかの身請け口があるので、そちらに廻すという。これを聞いた鉄ヶ獄は、
ほかの身請け口とは、自分のことだから、手を引けという。錦木太夫に横恋慕してい
る侍の九平太(くへいだ)に騙されて残金が払えない状態に追い込まれているので、
「コリヤ九平太が腰ぢやな」と相手の作戦(鉄ヶ獄は九平太の名代で、意趣返し)を
読み取るが、それに乗っては若旦那への申し開きが出来ない。

もめているところへ、さらに、「呼遣い」が登場し、きょうの取り組みの対戦相手を
示す「相撲割」を勧進元から届けに来る。もう直き、土俵入りだと急かす「呼遣
い」。取り組み前の緊張感を煽る。「相撲割」を見れば、なんと、「鉄ヶ獄に猪名
川」と書いてある。初顔対戦。

お抱え大名の手前、初日に続いて連敗が出来ない鉄ヶ獄は、錦木をあきらめる代わり
に相撲の勝ちを譲れという意味の「魚心あれば水心。猪名川。土俵で逢はう」と言っ
て、飯も食わずに出て行く。

きょう中に二百両の工面がつきそうもない猪名川は、考えた末に、八百長で鉄ヶ獄に
勝ちを譲る気になりかける。それを裏で聞いていた女房のおとわが猪名川を落着かせ
ようと食事や髪の乱れを直すようにと勧める。しっかりした女房である。しかし、猪
名川は落着かない。通称「髪梳き」という場面。「ソレ髪がきつう乱れてあるぞ
え」。「撫で付けておいてたも」と猪名川。「女房も、押して云はぬ縺れ髪、鬢の、
ほつれを撫で付ける櫛の背(むね)より夫の胸、映して見たき鏡立て、/映せば/映
る顔と/顔」で、おとわ担当の嶋大夫と猪名川担当の英大夫の掛け合い。と言って
も、英大夫は、最後の「顔」という部分だけ。鏡の中で顔と顔を合わせる、仲の良い
夫婦。この場面は、三味線に加えて、胡弓の演奏がある(錦吾)。いつにも増して、
嶋大夫の情のこもった語りが盛上げる。この鬢付けの場面は、見せ場だ。相撲取りと
鏡台の場面は、「双蝶々曲輪日記」の「引窓」の場面が有名だが、この場面も良い。

意に添わないまま、八百長を覚悟する夫の胸中を推し量り、女房は夫を責める、励ま
す。「僅かな金に手詰まつて、難儀さしやんすがわしや悲しいわしや悲しいわい
な」。

人形遣いは、何といっても、おとわを操った簑助が素晴らしい。おとわは、終始、生
身のような動きをしている。滑らかな動きで、絶品。心の動きも目に見えるよう。静
止している時でも、人形に血が通っているように見える。ほかの若手、中堅では、こ
ういう女形の動きは、まだまだ、出来ない。

浅黄幕振り被せで、舞台展開となるが、ここは、暫くは浅黄幕のままで、三味線引き
の曲弾きが披露される。この演目特有の場面。呂勢大夫が、裏から登場して頭を下げ
る。「東西、東西」で、三味線方の寛太郎の曲弾きを紹介する。寛太郎は捌と三味線
を使って曲弾き。櫓太鼓を三味線で表現する。2回目の拝見。前回は鶴澤藤蔵、清志
郎のふたりで曲弾きをした。相撲の「初っ切り」に例えて言えば、「三味線の初っ切
り」といったところか。

その後、浅黄幕振り落しで、場面は、珍しい土俵へ。竹本の太夫たちも裃を着替えて
再登場。相撲場の外には、猪名川、鉄ヶ獄などの幟7本がはためく。入口の両脇に
は、きょうの取り組みの10組の貼り出し。

「響く櫓のとうからと打ち仕舞うたる太鼓の音」、「西は猪名川猪名川、東は
鉄ヶ獄鉄ヶ獄」。舞台の猪名川は、内心、八百長するつもりで土俵に上る。鉄ヶ獄を
操る文司は、琴将菊の真似をさせて、場内の笑いを取っていた。「行司の団扇/直ぐ
に付け入る鉄ヶ獄、ずつと両腕差し込ます元来覚悟の猪名川が、既に危ふく見えたる
所へ」。暫く、両力士の取り組みの場面。土俵の後ろの背景は、三層の客席に満場の
観客。幟や櫓が遠見で見える。

そこへ、「進上金子二百両猪名川様贔屓より」の声。竹本:「聞くよりぐつと猪名川
が、……、鉄ヶ獄が諸差を、ほぐして土俵へ引つくり返し」で、逆転勝ち。

場面展開は、引き道具で相撲場の外へ。相撲場の外の大道具は、「双蝶々曲輪日記」
の「角力場」に似ている道具立て。木戸が開き、観客が出て来る場面は、そっくり。

「勝ったぞ、女房」と家路を急ぐ猪名川に、駕篭が通りかかり、駕篭に付き添ってい
た新地の北野屋が「二百両の纏頭(はな)」をやった旦那が、この駕篭に乗っている
から紹介するという。「逢うて礼を」と言うので、駕篭の垂れを上げると、なんと、
自分の女房が、北野屋に身を売り、工面した二百両で夫の八百長相撲を防いだという
次第。「コレ関取、お内儀の勤め奉公、志の二百両」、「女房ども、なんにも云はぬ
忝い」。

閉幕間際で明らかにされる猪名川女房のおとわの機転が、芝居のポイント。「忠臣
蔵」六段目の「お軽」のように賢いおとわ。「入相告げる鐘諸共、別れ別れに行く末
は」で、幕。下手に猪名川が残り、駕篭に揺られて上手に入っておとわ。駕篭の後ろ
で、簑助がおとわを操る。駕篭の小窓から顔だけを出しているおとわの淋しさ。夫婦
は、下手と上手に泣き別れ。

竹本の太夫は、役割分担で皆、自分の出番を終えると退場して行く。最後に残ったの
が、おとわを語っていた嶋大夫。「入相告げる鐘諸共、別れ別れに行く末は」の語り
は、嶋大夫から観客への、引退興行の別れのメッセージに聞こえる。情味の濃い、良
い語りだった。嶋大夫が語り終えると、最後まで伴奏していた三味線方の寛治が退場
する。一人残った嶋大夫。何も言わずに、身体を2つに折り曲げて観客へ平伏するよ
うなお辞儀をするだけ。ひとり、嶋大夫だけを乗せた盆廻しが廻り始め、それととも
に、嶋大夫は消えて行ってしまった。


45年ぶりの、東京上演


「桜鍔恨鮫鞘」は、初見。通称「お妻八郎兵衛」。1769(明和6)年、大
坂竹本座で初演された八民平七(やたみへいしち)原作の狂言を改作したもので、1
773(安永2)年、大坂豊竹座で初演された。誰が作者か判らない、という。著作
権などという概念がなかった時代。当時は知られていたのだろうが、歴史的には名を
残さなかった無名の狂言作者が先行作品を下敷きにして、独自の趣向、工夫魂胆で、
書き上げた作品だろう。幕切れの見せ場として無筆の書置きのアイディアを思いつい
たときは、「してやったり」という作者の得意顔が浮かんできそうだ。芝居の神様が
作者に憑依して生み出された作品だろうが、歴史の隙間に「鰻谷(うなぎだに)の
段」のみが残り、狂言の全体像は判らない。縁切りものの系譜の作品。1702(元
禄15)年7月に起きた実際の事件を元にして劇化された。虚偽の縁切りが、悲劇を
生む。原作は、東京では今回が、45年ぶりの上演という。

私は、人形浄瑠璃でも歌舞伎でも観たことがなかった。歌舞伎では、「鰻谷」、通称
「お妻八郎兵衛」として上演されることがあるし、「鐘もろとも恨鮫鞘」として上演
されることもある。後者は、大坂の風土色の強い、喜劇色のある悲劇。古手屋の手代
の八郎兵衛は店の若旦那が恋仲の坂町の女郎・若野を身請けし、盗まれた吉光の宝刀
を詮議している、という似たようだが、違う話。八郎兵衛の恋人で昔馴染みの女郎・
丹波屋おつまに金策を頼んでいる。従って、こちらも、通称は「お妻八郎兵衛」。愛
想尽かしの後、舞台が廻って、裏町になり、絶体絶命に追い込まれた八郎兵衛が、芝
居町の終演の櫓太鼓の音を聴いて、「ありゃ角の芝居のはて(果て)太鼓」と叫ぶ科
白が有名。今回の芝居では仇役の香具屋弥兵衛は、ここでは八郎兵衛の親友として、
八郎兵衛を助ける。同工異曲の世界。

元武士の古手屋(古着や古道具を扱う)八郎兵衛は、大坂の鰻谷で「丹波屋」という
古手屋に婿入りして商売をしているが、武士時代の義理が抜けず、いまも主家のため
に金策と盗まれた宝刀の詮議に追われ、商売を顧みないし家族からも遠のいてしまっ
ている。武士の尻尾をつけたままで、商人になり損ねた男、というところか。八郎兵
衛は、女房のお妻にも金の工面を依頼した。その金策のために女房のお妻と母親のふ
たりが考え出したのが、婿の八郎兵衛を追い出し、持参金(50両)付きの婿取り
(お香の道具を扱う香具屋の弥兵衛)、というのだから、本末転倒も、ここに極まれ
り。そういう状況は、舞台を観ている観客には、早めに知らされるが、肝腎の夫の八
郎兵衛には伝えられない。その齟齬が、悲劇の源泉となる。久しぶりに帰宅した八郎
兵衛に義母は冷たく縁切り話を切り出す。お妻も母親に調子を合わせて、夫婦の縁も
金次第と愛想尽かしを言う。頭には来るが、頭の中を占めているのは主家のことばか
り。また、出て行ってしまう。

残されたお妻は、幼い娘のお半に死後の弔いを頼む。「コレお半、この間から言ひ聞
かしておいた事、よう覚えてゐやるかや」。これも酷い話。20両の前金をお妻らに
渡して、すっかり入り婿気取りの弥兵衛は、お妻と寝間に入りたがる。日が暮れて、
邪魔なお半を家の外に放り出して、鍵をかけてしまう。夕闇の寒空の下に追い出され
たお半を案じながらも弥兵衛を拒否できず、お妻は奥の間へ連れ込まれる。家の外
は、井戸と柳があるが、人通りは、ない。

お半が締め切られた門口の戸にすがりついたまま、丹波屋の大道具が半廻しになっ
て、場面展開。人形浄瑠璃で廻り舞台を使うのは珍しい。私は今回初めて観た。

再び、戻ってきた八郎兵衛は、「人目を包む頬被り」。「秋風寒く身に沁む」外に閉
め出されて震えている娘のお半の姿を見て驚く。「嬶めはどつちへぞ行きをつたか」
と問えば、娘からは、ショッキングな答えが返ってきた。「イイヤ母様は内にゐて、
わし一人ここにおいて、伯父様と寝てゐやしやる」。

これを聴いて逆上した八郎兵衛は、「憎さも憎し、うぬ真二つに」といきり立つが、
主家のことを思っては、人殺しは思いとどまる。犯罪者になってしまえば「尽した事
も水の泡」と思いとどまる冷静さが残っていて、呻吟する。そうこうするうちに、奥
の間より婿入りの内祝いの声が聞こえると、「これまでなり」と堪忍袋の緒を切り、
刀を抜いて、門口の「戸蹴放し駆け入れば」で、奥から出て来た義母と女房をそれぞ
れ斬りつける有り様。異常な気配を覚った弥兵衛は、奥の間の障子を開けると、「八
郎兵衛は親殺し、この通り注進」と大声を上げた後、裏道から逃げてしまった。実
は、弥兵衛は、八郎兵衛の主家の宝刀を盗み出すのに関わっていたのだ。弥兵衛の前
金とともに残された筆跡から判明する。もはやこれまでと、八郎兵衛は切腹しようと
するが、娘のお半に引き止められると、娘を抱いて、涙を流す。

そこへ、仲間の銀八賀が駆け込んできて、八郎兵衛の自害を止める。八郎兵衛は娘の
前で、お妻をさらに斬りつける。お半は、父の行為を止めると、母親が教えた伝言を
言い始める。「父様待つて、書き置きの事、アレ伯父様止めて、書き置きの事」。
「お主様、段々積もる難儀の上、金の要る訳聞きながら、拵へるあだてもなく、婆様
と言ひ合はせ、夫のためにiこの身を穢し参らせ候」と、娘は言う。

「言ひたい事も得書かぬ、無筆は何の因果ぞや、コレ伯父様、母様がここ言ふ時、泣
いてぢやあつたわいナ」。無筆の女房が娘に覚え込ませていた遺書だったのだ。本意
ではない縁切りを恨んで、逆切れしていたのを覚って、後悔する八郎兵衛。だが、も
う、遅い。大事な義母と女房は、自分が殺してしまったのだ。大事な娘は殺人者の子
にしてしまった。遺書の意味を知らないまま、口移しに記憶した幼い娘の健気さ。大
人の勝手で、お半は、トラウマにならなければ良いが……。「赦して下され母者人、
堪えてくれ女房」と、八郎兵衛。無筆の書置き、口伝の書置き、というアイディアを
思いついた原作者の知恵が、この作品を部分的ながら、歴史の闇から救い上げ、現代
に伝えた、と思う。

弥兵衛の注進を聞きつけて捕り方がやってきた。後を銀八に任せて、八郎兵衛は「四
ツ橋指して、逃れ行く」。弥兵衛を追うのだろうか。というところで、幕。この辺り
は、「夏祭浪花鑑」で、殺人者に成り果て、窮地に陥った団七を逃がす親友の徳兵衛
などの姿が浮かんで来る。
- 2016年2月15日(月) 10:54:28
16年02月国立劇場・人形浄瑠璃第1部(「靭猿」「信州川中島合戦」)


「輝虎配膳の段」と「直江屋敷の段」、20年ぶりの同時上演


まず、「信州川中島合戦」から書きたい。歌舞伎では、「信州川中島合戦」を2回観
ているが、人形浄瑠璃は、今回が初見。人形遣いが「三人遣い」になる前の「一人遣
い」の「古風な雰囲気」(九代目源大夫)を残している、という作品。人形浄瑠璃
は、今のような三人遣いになって、人形の動きに大変革が起きた。「信州川中島合
戦〜輝虎配膳、直江屋敷〜」は、1721(享保6)年大坂竹本座初演、69歳の近
松門左衛門の作品。本来は全五段。まだ、人形は一人遣いの時代だった、という。そ
の時代の遺風が今も残っている、ということなのだろう。九代目源大夫の言う「古風
な雰囲気」とは、なにか。竹本冒頭の語りに残る「太夫の激しいイキと口捌き、それ
に切り込むような三味線の撥捌き」(児玉竜一)が、その古風さだという。また、
じっくり味あう機会を持ちたい、と思う。動きが少ないが、存在感を要求されるの
が、勘介の老母・越路だろう。動きの少ない重要な役、というのも古風な感覚がある
ように思うが、如何か。一人遣いの時代の近松門左衛門作品には、人形の動きよりも
語りを重視した場面が多い、という。文学色が濃いとも言えるだろう。

歌舞伎史的には「三婆」が、見どころ。「三婆」とは、「盛綱陣屋」の微妙(みみょ
う)、「菅原伝授手習鑑」〜道明寺〜」の覚寿(かくじゅ)それに、武田信玄・上杉
謙信の対立「甲陽軍艦(甲越軍記)」をベースにした「本朝廿四孝」、あるいは、今
回の「信州川中島合戦〜輝虎配膳、直江屋敷〜」の山本勘助・母の越路(こしじ)を
言う。気骨と品位が要求される老婆役である。川中島合戦という戦を描くのに、近松
門左衛門は老婆の主人公に据えた。門左衛門のドラマツルーギーの至芸の妙であろ
う。

舞台は、長尾輝虎の館。長尾輝虎とは、後の上杉謙信。いわゆる「川中島合戦」で謙
信は、武田信玄(当時は晴信)と5回戦っている。1553(天文22)年の戦が最
初だが、史実では、決着がつかなかった勝敗を芝居では謙信大敗として描き、その主
因として信玄方の軍師・山本勘介の活躍を据えている。捲土重来を目論む謙信は、そ
の秘策として、信玄方の勘介を味方に引き込みたいと思った。将を射んとすれば馬を
射よ、ということで勘介を陣営に付けるために老母・越路を呼び入れる、という作戦
を取ることにした。親孝行の勘介の気持ちを利用しようとしている。

ここで、人間関係を押さえておこう。

甲斐・竹田信玄方;軍師・山本勘介とその妻・お勝。
越後・長尾輝虎(後の上杉謙信)方;重臣・直江山城守とその妻・唐衣。
ポイントは、勘介と唐衣が、兄と妹、ということ。このふたりの母が越路。

さて、舞台に目を向けよう。「輝虎配膳の段」。長尾輝虎館は珍しい素木の御殿。越
路が、山本勘助の妻・お勝を連れて、やって来る。迎えるのは、越路の娘で、勘介の
妹、長尾家の家老・直江山城守の妻・唐衣である。つまり、山本勘助の母、妻、妹と
勘介絡みの3人の女性の物語なのである。原作者の狙いのひとつは、家族の悲劇。息
子が、信玄方、娘が、謙信方と、家族が対立する陣営に分かれて戦さをする家族。そ
ういう一家の母の苦衷が、テーマである。

山本勘介を味方に付けたい輝虎が、勘介の妹婿である直江山城守に命じて、勘介の
母・越路を屋敷に招き、自ら膳部を供して、ご機嫌を取ろうとするが、輝虎の策略を
見抜き、命を懸けて配膳を蹴飛ばす女丈夫が、越路である。輝虎は、さらに、越路に
斬り掛かるが、越路に付き従って来た勘介の妻で、吃音のお勝の機転で、窮地を脱す
るという単純な話。兄嫁のお勝のために、筆談用の筆と紙、琴(音楽に合わせてしゃ
べれば吃らない、というので)を唐衣は用意している。筆談のためにお勝が書いた筆
跡が見事だと褒めたたえ、唐衣は、反古紙を自分の袖に納めてしまう。後の、密かに
お勝の筆跡を真似て、ある作戦に使うつもりだ。輝虎方の直江山城守とその妻・唐衣
は、当初から、いろいろ策略を練っていたのだろう。直江山城守も輝虎が将軍家から
拝領した小袖を主君の輝虎も着たから(箔がつく)、と越路に献上を申し出るが、越
路は、「古着」など要らないと断る。ならば、ご馳走攻めとばかりに直江は料理の配
膳を命じる。配膳、つまり給仕役は、なんと輝虎自身が登場する。越路は、老母を餌
に勘介を釣り上げるつもりか、と輝虎方の真意を見抜き、膳をひっくり返し、輝虎方
を相手にしない、と女丈夫ぶりを発揮する。

戦国時代は、宴に招いた主が膳部を自ら持ち出して来るというのが、大歓迎の意を表
していたらしいから、特段、輝虎が、気を衒って客の機嫌を取ろうとしたわけではな
かったのだろうが、越路は、輝虎方の直江山城守や唐衣の姑息なやり方を含めて、そ
ういうことを嫌った真の女武道だったのだろう、と思う。

直江の妻で越路の娘の唐衣が、母の越路に主の輝虎に詫びるように促すが、越路は輝
虎の碇など気にしない。元々、確信犯なのだ。間に入った勘介の女房、つまり、唐衣
の兄嫁のお勝は、吃音ゆえ、なんとも対応に戸惑ってしまう。そこで、琴を演奏しな
がら、義母の越路の無礼の許しを請う歌を唄う。輝虎の怒りが収まったのを見て取
り、越路とお勝は直江の屋敷に向かうことになる。

贅言;原作者、近松門左衛門の狙いのひとつは、お勝のような吃音で、巧くしゃべれ
ない女性の、琴を使った機転(言葉の代わりの琴の演奏を聞かせたり、琴を「武器」
に刀に立ち向かったりする。こちらこそ、女丈夫そのもの)の成否を観客に訴える。
科白より、琴の演奏が勝ちという芝居者の皮肉な問いかけが、根底にある、ように思
う。

「直江屋敷の段」。全五段の人形浄瑠璃「信州川中島合戦」の三段目に当る「輝虎配
膳の段」と「直江屋敷の段」が、同時に上演されるのは、国立劇場では、20年ぶり
という。歌舞伎の「川中島」でも普通は、「輝虎配膳」の場面だけのみどり上演が多
いので、私は「直江屋敷」を観たことがなく、今回初見だが、今回人形浄瑠璃を観る
と、かなり重要な場面だ、ということが判る。まず、「輝虎配膳の段」だけの上演で
は、主役の山本勘介が登場しないままで芝居が終わってしまうからだ。近松半二の
「本朝廿四孝」は、「信州川中島合戦」の謙信館の場面を書き換えているといわれ
る。滅多に上演されないという「直江屋敷の段」は、筋書もきちんと書き留めておき
たい。

直江屋敷には、信越国境の番所から使者が来る。山本勘介が、こちらに向かっている
という。留守を預かる高田の局は、唐衣の嫁ぎ先の直江屋敷に滞在している母親の越
路と兄嫁のお勝を主人の直江と唐衣が戻らないうちに会わせてはならない、と判断す
る。座敷の下手から現れた勘介は、旅先で母が大病になった、という手紙をもらい尋
ねて来たのだが、どうも様子がおかしいと気がつく。上手奥の別棟から駆け込んでき
たお勝が母を連れて逃げようと言うが、吃音なので、充分に意が伝わらない。勘介
は、お勝から手紙が来たというが、お勝は身に覚えがない、という。なんとか、ふた
りが陥れられていることに気づく。ならば、長居は無用。母を連れて逃げ出そうとい
うことになった。そこへ、直江夫婦が帰館する。夫婦は、勘介夫婦と母親の脱出行の
邪魔をする。勘介の届いた手紙は、お勝の筆談の反古紙の筆跡を唐衣が真似て作った
偽手紙だったことも判る。

贅言;吃音で意思を巧く伝えられないまま、偽手紙のことを夫・勘介から責めたてら
れるお勝。早産の後遺症で吃音になった、というお勝。悔しそうに告白する女房を見
て、勘介は、自分も「猪の難により五体不具になりたれど、畜生に恨みなく、魂は元
の勘介。おことも吃りに心を屈せず、始めの性根をしつかりと据え」と励ます場面が
良い。勘介は、右目が見えず、左脚が短い。跛行しながら、登場する。ここぞ、とい
う時は、左脚に義足(下駄のようなもの)を付けていた。原作者の近松門左衛門は、
1708(宝永5)年初演の「傾城反魂香」で、吃音の絵師・浮世又平の物語を書いて
いる。「こなたのニヨンニヨン女房か」というお勝に体して、勘介は、「おんでもな
い事。七生までも女房女房」と、殺し文句を言う。別々の後天的な障害を抱えなが
ら、「夫婦相和し」という、仲の良い夫婦だ。

義理の妹に謀られたことが判ったお勝と謀(はかりごと)が露見した唐衣は、ふたり
とも刀を抜き、立ち回りとなるほどの女武道同士だ。別棟の2階の窓が開き、越路が
顔を見せる。老母は、2階から娘と嫁の立ち回りを観ている。突然、立ち回るふたり
の刃の上に母が身を投げ込む。予期せぬ異変に上手から勘介、直江が駆けつける。下
手からは輝虎館から駆けつけて来た主の輝虎も姿を見せる。越路は、輝虎を認める
と、苦しい息の下から輝虎への無礼を詫び、勘介をこのまま甲斐に帰して欲しいと頼
み込み、娘婿の直江にも取りなしを乞う。

輝虎は、老母の覚悟に感心し、老婆の追善のために出家をすると言って髪を元結から
切り、名を輝虎入道謙信と改めると告げる。息子の勘介も髪を切り、出家をして名を
勘介入道道鬼と改めると宣言する。ふたつの髻(たぶさ)は、越路の手に持たせるよ
うにする。謙信は、さらに敵方から供給を断たれている信玄方に塩を送ることを約束
する。

贅言:「直江屋敷の段」は、1935(昭和10)年から、上演が途絶えていたのを
1973(昭和48)年に復活となり、以後、住大夫のみが語り続けてきたという。
今回初めて、文字久大夫がバトンタッチした。

竹本;「輝虎配膳の段」では、口が、希大夫/奥が、咲甫大夫。「直江屋敷の段」で
は、文字久大夫。三味線方は、口が、清馗/奥が、清介、琴:清公。/「直江」:藤
蔵。

主な人形遣い;輝虎が、玉也、直江が、幸助、唐衣が、一輔、越路が、和生、お勝
が、簑二郎、勘介が玉男ほか。


申歳の春に猿の命乞い


「靭猿」。申歳に猿の勝利、という話。「靭猿」は1706(宝永3)年ころ、大
坂・竹本座で上演された近松門左衛門原作「松風村雨束帯鑑」の一場面。狂言の「靭
猿」が上演されるという劇中劇。舞台背景は、能舞台を模した「松羽目」で、狂言か
ら人形浄瑠璃化された典型的なもの。竹本は、猿曳が三輪大夫、大名が始大夫、太郎
冠者が南都大夫、ツレが咲寿大夫と文字栄大夫。人形遣いは、大名が文司、太郎冠者
が清五郎、猿曳が勘壽、猿が簑次。猿も三人遣い。人形浄瑠璃で観るのは、4年ぶ
り、2回目。

野遊び中の大名と太郎冠者が、猿を連れた猿曳と出会う。猿は、柿の実のついた枝を
持っている。矢を入れる筒(靭)の皮を損ねているので新しい皮と取り替えたいとい
うことを思い出した大名が太郎冠者に命じて、猿皮を貸せと猿曳に強要する。貸せと
言われても、生き物の皮を剥げば、生き物は死んでしまう。猿曳は断るが、弓矢で射
殺してでも、皮を貸せと権力者の大名は脅す。「大名の借ると云ふに何の貸さぬと云
ふことがあらう」と権力を全面に押して来る。矢で射殺したならば、猿の皮革に傷が
つくので、「猿の一打ち」、猿の急所を杖で打って殺そうと猿曳は、逆に提案する。

覚悟を決めた猿曳が杖を振り上げると、打ち殺されるとは知らない猿はいつものよう
に杖を取って船を漕ぐ真似をする。大名は、根は善人なのだろう、この様を見た大名
は、「哀れな事ぢやな」と、情に負けて猿の命を助けることにする。猿曳は、無抵抗
の抵抗、というエモーショナルな行動で、権力者に打ち勝つ、という庶民の知恵。猿
の命が助かったので、猿曳は大名のために武運長久、御家繁昌、息災延命、富貴万福
を祈って、猿とともに舞い踊る。金の御幣を持ち、黒地に赤丸の烏帽子を被った「猿
が参りて能仕(つかまつ)る」。つられて大名も舞に加わる。太郎冠者も舞に加わ
る。「楽しうなるこそめでたけれ」。

竹本;猿曳が、三輪大夫、大名が、始太夫、太郎冠者が、南都大夫、ツレが、咲甫大
夫、文字栄大夫。三味線方が、清友、團吾、龍爾、錦吾、清允。

主な人形遣い;大名が、文司、太郎冠者が、清五郎、猿曳が、勘壽、猿が、簑次。
- 2016年2月14日(日) 15:42:50
16年02月歌舞伎座 (夜/「ひらかな盛衰記」、「籠釣瓶花街酔醒」、「浜松風
恋歌」)


菊之助・一瞬! 滅びの美学


「籠釣瓶花街酔醒」から、論じたい。
見せ場は、ふたつある。この芝居のハイライトは、菊之助が演じる八ッ橋の死に際の
美学。美しい殺され方が、今月の最大の見せ場。4年前の新橋演舞場で、菊之助は初
役で演じた。今回で2回目の出演。私も菊之助の八ッ橋は、2回全て観ている。「籠
釣瓶花街酔醒」を観るのは、10回目。私が観た次郎左衛門:吉右衛門(今回含め、
4)、勘九郎時代含め勘三郎(3)、幸四郎(2)、菊五郎。八ッ橋:玉三郎
(4)、福助(3)、菊之助(2)、雀右衛門。

1888(明治21)年、東京・千歳座で初演された世話狂言。近代の新歌舞伎だ
が、江戸時代の古典歌舞伎の風格がある。河竹黙阿弥の弟子で、三代目新七の原作。
初演時の、主人公・佐野次郎左衛門は、初代左團次が演じた。江戸時代に吉原で実際
に起きた佐野次郎左衛門による遊女殺しを元にした話の系譜に属する。

もう一つの見せ場が、吉右衛門の「見染め」の場面。吉右衛門は、現在、最高の次郎
左衛門役者。見染めの場面の次郎左衛門の表情は見落とせない。それにハーモニーす
る八ッ橋の微笑も。この場面は、私もメモを取らずに凝視した。

まず、最初の見せ場。序幕「吉原仲之町見染めの場」。いつも通り、開幕前に場内
は、真っ暗闇になる。暗闇のなかを定式幕が、引かれてゆく音が、下手から上手へと
移動する。そして、止め柝。パッと明かりがつくと、華やかな吉原の繁華街へ。

「吉原仲之町見染の場」は、桜も満開に咲き競う、華やかな吉原の、いつもの場面。
花道から次郎左衛門(吉右衛門)と下男・治六(又五郎)のふたりが、白倉屋万八
(吉三郎)に案内されてやってくる。

白倉屋らを見掛けた立花屋長兵衛(歌六)が、下手奥から、捌き役で登場し、田舎者
から法外な代金を取る客引きの白倉屋から、吉原不案内のふたりを助ける。

やがて、ふたりは、2組の花魁道中に出くわす。花道から上手へ、九重(梅枝)一
行。続いて、上手奥から花道へ、八ツ橋(菊之助)一行。それぞれが、花魁道中を披
露する。行列の長さは、毎回違うが、花魁、茶屋廻り、禿、番頭新造、振袖新造、詰
袖新造、遣手、幇間、若い者という要素は、変わらない。

豪華な花魁道中を目の当たりに観た上、八ツ橋の微笑に魂が溶けてしまったような次
郎左衛門は、惚けた表情になってしまう。正気から狂気への変わり目。吉右衛門の表
情の変化。目が据わって来る。表情が虚ろになって行く。そう、魂が消えて行く、と
いう場面だ。本舞台に次郎左衛門の身体だけが、骸(むくろ)のようになって取り残
されて行く、様子が良く判る。

菊之助の八ツ橋は、美形で、凛としているが、花道七三にさしかかると、一旦下を向
いた後、後ろを振り向き、左斜めに顔をかしげて次郎左衛門に流し目をし、次郎左衛
門に惚けた表情を見つけて、笑みが生まれ出す。徐々に微笑を滲ませ、最後には、
にっこりとする。微笑を残したまま、顔を正面に戻すと、若い者の左肩に置いてあっ
た右手を放す。暫くして、手を若い者の肩に戻すと、笑いが顔中に広がるという順
番。やがて、顔を正面に戻すと、笑いは、砂に水が滲(し)みこむように消えて行
く。向う揚幕を凝視すると、身体を左右に揺するようにしながら、つまり、丈の高い
ぽっくりを履いて、傾城独特の足の運びをするので、身体が揺れるのだ。

二幕目、第一場「立花屋の見世先の場」。二幕目、第二場「大音寺前浪宅の場」。三
幕目、第一場「兵庫屋二階遣手部屋の場」、舞台が、廻ると、第二場「同 廻し部屋
の場」、そして、さらに、廻ると、ここも見せ場の、第三場「同 八ッ橋部屋縁切り
の場」へ。

菊之助の八ツ橋も、先輩方の演技を踏襲しているように見える。座敷では、突っ張り
切って縁切りをした八ツ橋は、部屋の外に出て、部屋の障子を締め切った後の表情が
大事だ。吹っ切ったような、吹っ切れてないような、戻らない、戻りたいという感情
が駆け巡る。もう一度、正面を向き、観客席に表情を見せて、吹っ切る。一旦後ろを
向き、また、戻り、吹っ切る、という辺りが、肝腎だ。今回は、これらの場面の劇評
は省略。

大詰「立花屋二階の場」は、4ヶ月後。妖刀「籠釣瓶」を持った次郎左衛門が立花屋
を訪れる。善人も怒れば怖い。正気の確信犯、次郎左衛門の執念深い復讐。妖刀の力
を借りて、すでに狂気の殺人者に変身している。それを見抜けなかったのが、八ツ橋
にとって、悲劇の始まり。八ツ橋の気を逸らせておいて、足袋を脱ぎ、座布団の下に
隠す次郎左衛門。血糊で足が滑らぬように、周到に準備している。そこにあるのは、
狂気の果ての正気、という確信犯のパラドックス。

寂しげな八ツ橋。顧客を騙した疾しさから、いつもより、余計に可憐に振舞う八ツ
橋。肚に一物で、「この世の別れだ。飲んでくりゃれ」という次郎左衛門から殺意が
迸る。それに気付いて、怪訝な表情の八ツ橋。武家の娘から遊女に落ち、愛する男の
ために実直な田舎者を騙した疚しさを自覚している遊女・八ツ橋の、真面目さが、哀
れ。縁切りの場で見せた武家娘の気の強さが弱まっている。

「世」とは、まさに、男女のありようのこと。「世の別れ」とは、男女関係の崩壊宣
言。崩壊した男女のありようは、時として、命の破滅に繋がる。鬼と夜叉の対立。立
花屋の2階でも、やがて、薄暮とともに、場面は、破滅に向かって、急展開する。妖
刀「籠釣瓶」を持っているから、なお、怖い。黒にぼかしの裾模様の入った打ち掛け
で、次郎左衛門に背を向けたままの立ち姿で背中から斬られる八ツ橋の哀れさ。衣装
の色彩と役者の所作という様式美。

菊之助の死に向かって崩壊して行く身体の線が綺麗だ。背中を斬られた後、半回転し
て、今度は背を観客に見せる。右手を天に向けて指し上げ、背中のまま徐々に崩れ落
ちる。ビルの崩壊工事のように、綺麗に垂直に崩れ落ちて行く。途中で、逆海老反り
になり、逆になった顔を観客に見せながら、ゆっくりと腰から砕けて行く。

この場面は、私が見た限りでは、福助が、体の柔軟さを強調して、玉三郎を含めてほ
かの八ツ橋役者の追従を許さなかったが、若い菊之助は、前回同様、福助を越えた。
観客席から、前回同様、今回も思わず、拍手が湧き起こる。菊之助の八ツ橋のこの場
面は、ほかの役者も簡単には、乗り越えられないのではないか。前回よりも洗練され
ているように、見受けられた。吉原という華やかな街に流れる時の鐘。悲哀のうち
に、幕。


「ひらかな盛衰記〜源太勘当〜」。この芝居は、奔放な弟による、マザコンの兄苛
め。「石切梶原」で知られる梶原平三景時の息子たち、つまり、「鎌倉一の風流男
(おのこ)」として知られた長男の梶原源太景季(梅玉)と次男の平次景高(錦之
助)の兄弟の物語。源平合戦の木曽義仲討ち死に描いた全五段、時代物の人形浄瑠
璃。「逆櫓松(さかろのまつ)」と「矢箙梅(えびらのうめ)」の、ふたつの流れの
ある物語。箙とは、矢を入れて携帯する容器のことである。文耕堂ほかの合作。ベー
スは、平家と木曽義仲残党、それに源氏の三つ巴の対立抗争、特に、義仲残党と源氏
の争いが描かれる。それに加えて、義仲方で義経を狙う樋口次郎兼光の忠義と源氏方
梶原一家の長男・源太景季への腰元千鳥(後の傾城梅ヶ枝)の献身の物語が展開す
る。「源太勘当」は、「矢箙梅」の流れのひと場面。二段目(人形浄瑠璃の段構成な
ら「梶原館」「先陣問答」「源太勘当」、あるいは「勘当場」)の切に当る。私が歌
舞伎で観るのは、2回目。

舞台は、鎌倉の梶原平三景時の館。平三と源太は、平家討伐のため西国に出陣中、仮
病で館に残った平次は、源太の恋人・腰元の千鳥に横恋慕。いわば、軍人一家の家庭
の悲劇は、厳格な父親と優しい母親、武芸に優れスマートな美青年の軍人の兄、劣等
生でコンプレックスの固まりゆえに、横紙破りの憎まれものの弟、美形の小間使い
(腰元)という人間関係のなかで起きる。厳格な父と息子たちとの対立。そのなか
で、悩む優しい母の情愛。小間使いの若い娘の純愛。まるで、チェーホフの世界のよ
うな構造である。

宇治川の先陣争いで、佐々木高綱に、何故か「負けて」、父親より一足早く帰国した
源太(梅玉)。まだ、戦場にいる父親から母親宛に、長男の切腹を命じる手紙が届
く。兄源太の恋人・千鳥(孝太郎)に、ちょっかいをだし、見事振られる。その腹い
せに、兄の失点を攻める根性悪の平次。兄がいなくなれば、家督と兄の恋人を、一気
に手に入ると取らぬ狸の皮算用をする弟である。

基調は、「家庭悲劇」だが、原作者たちが仕掛けた、喜劇的なタッチが、随所に窺わ
れる芝居だ。

例えば、平次の取り巻きのひとり、市蔵が演じる横須賀軍内は、平次の着ている派手
などてらが欲しいために「アモシ、あなたのお袖にお塵がお塵が」とどてらの塵を払
う場面がある。平次「取っとけ、取っとけ」と言って、どてらを脱いで、軍内に与え
る。平次退出後、平次を真似て、どてらを着る軍内。その軍内に、今度は、橘太郎が
演じる茶坊主の茶道珍斎が、「あなたのお袖にお塵がお塵が」と揶揄するが、軍内
は、珍斎には、どてらをやらずに、平次の退出の真似をしながら出て行く。仕方がな
いので、珍斎は、自分の羽織を使って自作自演でパロディを演じ、客席を笑わせる。
いわゆる「鸚鵡返し」(物真似)という、三枚目役者の得意藝の披露が繰り返され
る。

もうひとつ。源太を嘲って平次と取り巻きの3人が、笑う場面では、「いろは笑い」
という、ひとりが「い」で笑い、もうひとりが、「ろ」で笑い、3人目が、「は」で
笑うやりかた。源太も、負けずに、「おのれが刀でおれが首」「うぬが刀でうぬが
首」(軍内)「ころりと落とすは自業自得」「ころりと落ちるは自業自得」(軍内)
と言いながら、「源太は殺さぬ。手ばかり動く」と、軍内の首を斬り、竹本の葵太夫
に、「首と胴との生き別れ」と語らせるなど、喜劇的な手法、科白を、原作者たち
は、かなり確信的に使っている。

贅言;「ちっととやっととお粗末ながら梶原源太は俺かしらん」。「恋飛脚大和往
来」の、通称「封印切り」の場面で、亀屋忠兵衛が、井筒屋に入る手前で、「梶原源
太は、俺かしら」と色男ぶって言う科白は、この源太のこと。それほど、源太は、色
男なのである。

源太は、当初、梅の枝の簪(かんざし)をつけた烏帽子(えぼし)に、ピンク地の着
付けに紫繻子(じゅす)の大紋(だいもん)姿から、父の手紙で切腹を命じられたこ
とが判ると、古布子(ふるぬのこ)姿に、帯も荒縄に替えられるなど侘びしい姿に
なっても、男の色気を失わないという役どころ。風情が大事。
梅玉は、この役は4回目という。

老母・延寿(秀太郎)は、女形の捌き役であり、また、母親の情も見せねばならない
難しい役どころだ。ジッとして、肚で演じる時間が長くて、大変な役だ。

父の命に従わず、殺される代わりに、母から勘当された源太は、勘当の旅立ちに、誕
生祝の鎧兜を持ち、不義の科(とが)で、鎧櫃に入れられていた千鳥を連れて、「友
千鳥」とせよとは、息子たちへの母の計らい。さらに、旅の金子を投げ与える母に陰
で感謝しながら、ふたりは旅立つ。


「浜松風恋歌」は、初見。1738(元文3)年、大坂竹本座で初演。文稿堂による
人形浄瑠璃の「行平磯馴松(ゆきひらそなれのまつ)」の四段目切「形見信夫摺」を
舞踊化し、1808(文化5)年、江戸の中村座で初演されたもの。「景事」とい
う。四代目瀬川菊之丞の小藤、三代目歌右衛門の此兵衛。いわゆる「松風村雨もの」
の系譜。須磨の海女・小ふじに在原行平の恋人だった松風の霊が乗り移る、という仕
掛け。滅多に上演されない。

荒事風の、骨太で古風な風情が要求される漁師の此兵衛を今回は松緑が初役で演じ
る。祖父の二代目松緑の芸を引き継ぐ。行平を恋慕う松風の霊が憑依しているという
複雑な性格の小ふじを演じるのは、やはり初役の時蔵。踊り、といっても、古風な独
特の味わいを持つ。狂乱の小ふじに恋心を抱き小ふじと渡り合う此兵衛。踊り地の立
ち回りは、此兵衛の見せ場。恋い慕う人に、それぞれ愛されないというふたりは同類
だが、だからといって、巧くは行かない。それが恋の儚いところ。前半は竹本、後半
は長唄。
- 2016年2月11日(木) 14:12:53
16年02月歌舞伎座 (昼/通し狂言「新書太閤記」)


菊五郎版「太閤記」


「新書太閤記」は、私は初見。秀吉の出世物語を描く新歌舞伎。吉川英治原作を歌舞
伎化。1939(昭和14)年から新聞小説として連載開始したが、連載中の同年1
2月に早々と歌舞伎座で「太閤記 藤吉郎篇(其一)」全4幕として初演される。主
人公の木下藤吉郎は六代目菊五郎が演じた。1940年2月歌舞伎座、4月大阪歌舞
伎座、6月歌舞伎座、12月歌舞伎座と再演と続編を菊五郎が演じた。今回は、新た
な脚本により全6幕16場で、当代菊五郎が藤吉郎から羽柴秀吉までを演じる。
 
今回の場立て(場の構成)を記録しておこう。
序 幕第一場「長短槍試合」、序 幕第二場「大手門馬場先」。二幕目第一場「清洲
城城下」、二幕目第二場「浅野屋敷」、三幕目第一場「清洲城普請場」、三幕目第二
場「同 人夫小屋」、三幕目第三場「元の普請場」、三幕目第四場「清洲城城壁」、
四幕目第一場「竹中半兵衛草庵」、四幕目第二場「栗原山山道」、四幕目第三場「岐
阜城大書院」、五幕目第一場「叡山焼討」、五幕目第二場「本能寺」、五幕目第三場
「中国大返し」、五幕目第四場「同 陣門」、大詰「清須会議」。
 
正味の上演時間は、3時間半弱。秀吉の半生を描く。エピソードを繋ぎあわせてス
ケッチする場の展開のテンポは早いが、歌舞伎味の演出に拘ったので、舞台展開は、
ほとんど引幕を利用したので、まだるっこい。初見なので、粗筋を含めて記録してお
きたい。「新書太閤記」の従来と今回の違いについて、脚本と演出担当の今井豊茂の
弁。「歌舞伎狂言として味わいが溢れた作品となること。それ故、黒御簾音楽をはじ
め、歌舞伎の手法(テクニック)や演出を用いることを心掛けている」という。
 
序 幕第一場「長短槍試合」。桜が咲く清洲城内の馬場。槍指南役の上島主水(松
緑)は短槍支持派。木下藤吉郎は長槍支持派。織田信長(梅玉)の前で、試合をし、
長槍派が勝つ。幕で場面展開。暗転。
 
序 幕第二場「大手門馬場先」。その夜、試合に負けた上島主水は下城する木下藤吉
郎を闇討ちしようとする。そういうことをしても自慢の槍の汚れとなる、と諭す。主
水も理解する。藤吉郎は、秀吉への出世の中で、「人誑(たら)し」という人生訓で
上昇し続けて行くことになる。幕で場面展開。暗転。
 
二幕目第一場「清洲城城下」。城下の店は板の屋根に石を置く。城下で藤吉郎は娘の
寧子(ねね・時蔵)を連れて浅野又右衛門(團蔵)と出会う。寧子を先に帰すと、又
右衛門は寧子と前田利家との縁談を娘が承諾しないので、破談にしたいが、良い知恵
がないかと相談を持ちかける。藤吉郎が引き受けると又右衛門は安堵して帰る。そこ
へ、前田利家(歌六)が現れる。破談の意向を伝えるが、利家は相手にしない。幕で
場面展開。暗転。
 
二幕目第二場「浅野屋敷」。その後の浅野屋敷。舞台中央に金屏風。緋の毛氈が敷き
込まれている。又右衛門の屋敷では、妻のこひ(萬次郎)たちが婚礼の準備をしてい
る。信長の命で寧子の祝言をするのだが、肝腎の花聟が誰か判らない、という。仲人
役の名古屋因幡守(彦三郎)夫妻が花聟を駕篭に乗せて花道からやって来る。駕篭の
中から現れたのは、藤吉郎。彼は信長に直訴をして寧子との祝言に漕ぎ着けたのだ。
寧子も以前から藤吉郎に好意を持っていた、という。念願かなったふたりの婚礼に祝
福の『水掛祝い』をしたいと頭巾を被った武士が現れる。男は前田利家であった。祝
いの「品」は藤吉郎の母親(東蔵)であった。喜ぶ母子。引き幕の開閉を除けば、芝
居のテンポは速い。
 
三幕目第一場「清洲城普請場」。嵐によって壊れた塀の修理がなかなか進まない。修
理の遅れに呆れる藤吉郎。普請奉行の山渕右近(亀蔵)、柴田勝家(又五郎)らは藤
吉郎の言動を聞きとがめる。3日のうちに普請を終わらせると言い放つ藤吉郎。そこ
へ現れた信長は、出来なければ打ち首にするとした上で、藤吉郎を普請奉行に任じ
る。
 
三幕目第二場「同 人夫小屋」。方法を思案する藤吉郎のところへ寧子が酒肴を持っ
て、激励に来る。そこへ、棟梁の六兵衛(権十郎)や人夫たちが集まって来る。「こ
んなことでは、尾張の国は滅びる。国を守るのは城ではない。お前たちの心だ」。藤
吉郎は国の興亡は城の整備にあるのではなく領民にあると訴える。この言葉に感じ
入った棟梁らは3日で普請を終えると約束する。暗転で場面展開。
 
三幕目第三場「元の普請場」。普請奉行の山渕右近は敵の今川方へ内通し、普請をわ
ざと遅らせていた。奉行職を解かれた恨みを晴らそうと普請場に放火しようと夜陰に
紛れてやってきた。その現場を抑えた前田利家が右近らを討ち果たす。放火未遂。駆
けつけた藤吉郎は右近の裏切りを示す密書を拾う。幕で場面展開。
 
三幕目第四場「清洲城城壁」。3日後、城壁の修理が終わった。信長は藤吉郎の望み
のままに褒美を与えると告げる。藤吉郎は褒美の金子(きんす)は人夫たちの与える
こと、右近を討った利家を許すことを信長に願い出る。不眠不休で大役を果たした藤
吉郎その場に倒れ込み、鼾をかいて眠ってしまう。幕で場面展開。
 
四幕目第一場「竹中半兵衛草庵」。美濃国栗原山中にある竹中半兵衛閑居。雪深い草
庵を花道から藤吉郎が訪ねて来た。奥から半兵衛の妹・おゆう(梅枝)が出て来る。半
兵衛が信長の幕下に加わるように説得しに来たが、外から戻って来た半兵衛(左團次)
にはその意思がない。己の志を書いた文を残して草庵を立ち去る。珍しく、舞台が廻
る。
 
四幕目第二場「栗原山山道」。使命を果たせず、切腹しようとする藤吉郎のところへ
下手より半兵衛、おゆうが現れる。藤吉郎の志を知り、信長の下へ同道するという。
幕で場面展開。
 
四幕目第三場「岐阜城大書院」。信長は濃姫(菊之助)と共に半兵衛と対面する。下手
より藤吉郎、半兵衛登場。信長は半兵衛を軍師として迎えると言うが、半兵衛は拒絶
し、藤吉郎になら仕えると言う。信長が怒りだし、藤吉郎は狼狽する。これを見てい
た濃姫が間に入り、信長を諌め、藤吉郎半兵衛の主従を信長のために働かせれば、と
アイディアを出す。幕で場面展開。
 
五幕目第一場「叡山焼討」。陣地。信長一行が花道より登場した。叡山焼討ちを決行
しようとする信長。それを諌めようと明智光秀(吉右衛門)がやって来る。拒絶する信
長。藤吉郎がその場を収める。信長は藤吉郎に中国攻めを命じる。光秀には領地返上
と藤吉郎旗下に従えと厳命する。光秀は心に何かを期する様子で去って行く。幕で場
面展開。
 
五幕目第二場「本能寺」。藤吉郎は羽柴秀吉と名を変え、中国筋で戦っている。秀吉
の求めに応じて信長は中国筋へ向かう途中、京の本能寺を宿舎とした。中国出立の前
夜、光秀が信長を裏切り、本能寺の変となる。同伴していた濃姫らを寺から落とし、
明智方の軍勢に立ち向かおうとする信長。幕で場面展開。
 
五幕目第三場「中国大返し」。秀吉の陣屋。秀吉は高松城を水攻めにしている。毛利
方の使者・安国寺の僧侶(團蔵)が、秀吉は天下人になる相をしている、と言う。捉え
られ、加藤虎之助(歌昇)が伴って来た密使から本能寺での信長遭難が伝えられる。黒
田官兵衛(亀鶴)が、信長の弔い合戦をするために毛利との和睦を勧める。毛利方の吉
川元春(権十郎)と小早川隆景(亀三郎)に信長の死を伝え、上方に戻る準備を始める。
珍しく、舞台は廻る。
 
五幕目第四場「同 陣門」。出陣の支度を終え、赤い陣張りを着て馬に乗った秀吉が
上手から登場。秀吉は高松での和睦成就を確認した上で、花道を上方へと馬で向か
う。幕で場面展開。
 
大詰「清洲会議」。強気の女と性悪男。金屏風。金地の襖に紅白の梅の花が描かれて
いる。襖の上にも、青山、桜、金の雲、という絵柄の壁。キンキラの御殿。山崎の合
戦で秀吉は明智方を破る。合戦後の清洲城大広間。信長の後継者を決める評議、世に
言う清洲会議。丹羽長秀(東蔵)、池田恒こう信長の三男・信孝(錦之助)を後継者とし
て推す柴田勝家(又五郎)ら。信長の長男で、信長と共に本能寺で亡くなった信忠(松
江)の遺子・三法師を伴って秀吉が花道から現れると、形勢逆転。三法師が後継に決
まる。

各場面に大勢の役者が登場する。戦国絵巻。16の場面を急ぎ足でスケッチしてきた
が、芝居の方も秀吉の半生を追いかけるだけ、という感じ。閉幕直前、幼い三法師の
固めの盃を横取りして酒を飲む秀吉のずるい表情。憎めない秀吉の「人たらし」の面
目躍如。菊五郎は、こういう場面は巧い。

今回の通し狂言の上演時間は、幕間を除けば、正味3時間半弱。従来のものをカット
して、テンポアップした新脚本。松竹の上演記録を見ると、これまでは、ほとんどの
上演時間は4時間前後が目安。

通し狂言に対して、一幕だけを上演する「みどり」(選り取り見取りの、みどり)上
演というのがある。「みどり狂言」というと「通し狂言」とは違う味わいがある一幕
だけを観たいという場面がこの芝居にあるかと考えるが、思いつかない芝居だった。
上演記録を見ると、1944(昭和19)年6月、明治座と同年8月、新宿第一劇場
で、50分から60分サイズで上演されている。前者は三代目菊之助、後の七代目梅
幸が日吉を主演して、「新書太閤記    少年時代」、後者は六代目寿美蔵、後の三代
目寿海が日吉を主演して、「新書太閤記    奉公一心の巻」。上演記録の主な配役を
見ただけの判断だが、今回はここで演じられたような場面は全く省略されている。さ
らに、後者の外題からは、特に敗戦まで1年という時局色、戦時色が窺えるような気
がする。
- 2016年2月9日(火) 11:08:31
16年01月歌舞伎座 (夜/「猩々」、「二条城の清正」、「廓文章〜吉田
屋〜」、「雪暮夜入谷畦道」)


患った女たちの明暗


「猩々(しょうじょう)」という演目には、長唄の「猩々」と竹本の「寿猩々」があ
る。長唄の「猩々」は、二人猩々。竹本で語る「寿猩々」は、一人猩々。今回は、里
長を軸とした長唄連中。猩々は、梅玉と今秋、父親の名跡を引き継ぎ八代目芝翫を襲
名する橋之助。酒売りは松緑。

「猩々」は1874(明治7)年、東京の河原崎座で初演された新歌舞伎の舞踊劇。
能の「猩々」を下に作られた。能取りもの、という。能の「猩々」では、「猩々=不
老長寿の福酒の神」と「高風」という親孝行の酒売りの青年との交歓の物語。
「猩々」とは、本来は、中国の伝説の全身が真っ赤な霊獣。酒呑みの異称。つまり、
酒賛美の大人のファンタジー(童話)というわけだ。

今回の大道具、舞台背景は、随分とモダンだ。抽象的なムードも入れて、川と河原を
クリーム色で描いている。

能の舞台では、舞は、「摺り足」なのだが、「猩々」は、六代目簑助(後の八代目三
津五郎)工夫の振り付けで、能のなかに、舞を巧みに取り入れている。「猩々舞を舞
おうよ」から始まる猩々舞の件が見どころ。「乱(みだれ)」という、遅速の変化に
富んだ「抜き足」「流れ足(爪先立ち)」「蹴上げ足」などを交えて、水上をほろ酔
いで戯れ歩く猩々の姿を「乱(みだれ)足」で浮き彫りにさせる趣向をとったとい
う。だから、この踊りは、足元を注意深く観続けなければいけない。足さばきが見ど
ころ、というわけだ。今回の場合、猩々だけでなく酒売りの松緑も当代の踊りの名
手。こちらの足さばきも見逃せない。

鼓の音が、恰も、猩々の鳴き声のように聞こえる。幕外の引っ込みでは、花道を行き
つ戻りつしながら、水中へ帰って行く猩々を四拍子連中が、「送り」の形で演奏す
る。


「二条城の清正」を観るのは、3回目。原作の吉田玄二郎は、小説家だが、昭和初期
に歌舞伎のための戯曲を幾つか書いている。「二條城の清正」は、1933(昭和
8)年10月東京劇場が初演。初代吉右衛門が、加藤清正を演じているが、初代吉右
衛門は、「八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)」、「地震加藤」、「増補桃
山譚(ぞうほももやまものがたり)」、「清正誠忠録(きよまさせいちゅうろく)」
など加藤清正役が好評で、清正役者と言われた。「二條城の清正」は、初代吉右衛門
が、自分用の「清正もの」を吉田玄二郎に所望して、書き下ろしてもらったという。
初代の柄、持ち味を生かした科白劇。場面の動きは少ない。「二條城の清正」は、い
わば、吉田作「清正」シリーズの第一弾で、次いで、「蔚山城(うるさんじょう)の
清正」(1934年初演)、「熊本城の清正」(1936年初演)と続く。

私が観た配役。清正は吉右衛門(2)、今回は幸四郎。秀頼は梅玉、福助、今回は幸
四郎の孫、金太郎。少年になった。家康は左團次(今回含め、2)、羽左衛門。大政
所は魁春(今回含め、2)、芝翫。本多佐渡守は二代目又五郎、段四郎、今回は弥十
郎。藤堂和泉守は友右衛門、歌六、今回は高麗蔵。井伊直孝は歌昇時代の又五郎
(2)、今回は松江。浅野幸長は芦燕(2)、今回は桂三。清正奥方は東蔵、芝雀。
今回は「清正館」が無いので、不在。斑鳩平次は吉三郎(2)、今回は錦吾。

「二條城の清正」の大きな見せ場は、二條城での徳川家康(左團次)と豊臣秀頼(金
太郎)との対面と、それが無事終って、夜間、淀川を下って、大坂城へ帰還する御座
船の船中での清正と秀頼の対話の場面である。いずれも科白劇で、役者の動きは少な
い。

まず、「対面」では、家康による、豊臣家の存立を判断する面接試験とも言うべき、
緊迫の場面で、いわば、「被験者」の秀頼は、場合によっては、暗殺されるかも知れ
ないという緊張感が漂う。清正(幸四郎)は、いわば、定年前の、最後のご奉公で、
病身を押して主君に同行した。面接試験の付き添いを兼ねながら、文字どおり、体を
張って、暗殺も警戒し、若君・秀頼の身を護ろうという気迫充分の場面である。目に
入れても痛くない孫を庇護する祖父の心境も滲んでいるか。

「対面」を終えて、秀頼が、二條城を辞そうとするとき、武者溜りから不穏な動きが
伝わって来ると、幸四郎の清正が、大声で、「還御っ」と叫び周りを威圧する場面が
あり、聞きどころ。

一転して、淀川を下る御座船。夜が明けないうちは、清正が警戒を緩めさせないが、
夜が明け始め、薄明のなかに、遠く、下手に大坂城が、浮かびはじめると安堵の雰囲
気が強まる。幼少年期の秀頼を思い出す「若君」への清正の述懐、清正を「爺」とし
て、いまも慕う秀頼の思いやりが、交互に行き交う。二條城で家康と対決する場面の
秀頼をサポートする清正の「剛」と御座船船中で秀頼に対して、いわば、親身な
「爺」として対する場面の、清正の「柔」の使い分
けを幸四郎はくっきりと演じていた。初代吉右衛門の「熱演」振りは、二代目を受け
継いだ吉右衛門よりも、兄の幸四郎の方に引き継がれているのかもしれない。清正と
秀頼の対話が続く中、城は徐々に上手へと移動して行く。

贅言;前回は、本舞台から客席に横腹を見せていた御座船が、廻り舞台を利用して、
観客席の方に向いて来る展開があった。歌舞伎の大道具のスペクタクルの魅力で、楽
しんだが、今回はそういう場面は見せてもらえなかった。残念。

動きの少ない秀頼役であったが、金太郎の秀頼は凛々しさがあった。家康役は、左團
次も、決して、悪くはなかったが、いまは亡き羽左衛門の家康が、大きさがあり、こ
れは、任、柄ともに絶品であった。

贅言;初代吉右衛門が得意とする演目を集めた「秀山十種」は、実は、6演目しかな
い。「清正誠忠録」、「二條城の清正」、「蔚山城の清正」、「熊本城の清正」、
「弥作の鎌腹」、「松浦の太鼓」である。それでいて、このうち、「清正もの」が、
4つもあることに気付くだろう。それほど、初代吉右衛門は、加藤清正役、燃えて打
ち込んでいたのであろう。「秀山十種」のうち、私がこれまでに観たのは、「二條城
の清正」、「弥作の鎌腹」、「松浦の太鼓」の3つ。半分と言うわけだ。


患った女たちの明暗

標記のようなタイトルで、「廓文章〜吉田屋〜」と「雪暮夜入谷畦道」を比較的に論
じることにしたい。「廓文章〜吉田屋〜」では、今回、玉三郎の夕霧と鴈治郎の伊左
衛門がカップルとなる。「雪暮夜入谷畦道」では、今回、芝雀の三千歳と染五郎の直
次郎がカップルとなる。

「廓文章〜吉田屋〜」は、いわば、放蕩で勘当されたとはいえ豪商の若旦那という放
蕩児と遊女の「痴話口舌(ちわくぜつ)」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の
能天気さが売り物の、明るく、おめでたい和事。他愛ない放蕩の果ての、理屈に合わ
ない不条理劇が、ハッピーエンドで終わるという、「浪花の夢」の楽しい舞台になる
という上方歌舞伎のマジック。私は今回で11回目の拝見。私が観た夕霧は、玉三郎
(今回含め、5)、雀右衛門(2)、福助、魁春、壱太郎、坂田藤十郎。伊左衛門
は、仁左衛門(6)、坂田藤十郎(2)、四代目鴈治郎(今回含め、2)、愛之助。

夕霧役者。伊左衛門一筋という夕霧の情の濃さでは、亡くなった雀右衛門。可憐さ、
けなげさでは、玉三郎。

「もうし伊左衛門さん、目を覚まして下さんせ。わしゃ、患うてなあ」という科白
が、可憐で、儚げで、もの寂しい。

浄瑠璃の「むざんやな夕霧は」で、やがて、夕霧が登場。舞台中央から下手寄りの襖
が開くと、雛壇に乗った常磐津連中が現れる。上手の竹本連中との掛け合いになる。
玉三郎は、持ち紙で観客に顔を隠したまま、舞台前面近くまで出てくる。そこで初め
て、顔を見せる。場内から、溜息が漏れる。「じわ」という現象だ。正面を向いてい
る。ついで、くるりと背中を見せて、豪華な打掛を披露する。身体を斜めにして、美
しい横顔を見せる。

病後らしく、抑制的な夕霧。すねて、待ちわびて、ふて寝の伊左衛門は、夕霧を邪険
に扱う。男女の情のひねくれたところ。伊左衛門の勘当を心配する余り、病気(欝の
病か)になったのに、何故、そんなにつれなくするのかと涙を流す夕霧。「わしゃ、
患うてなあ」。そう,直接的に言われては、本音は夕霧恋し恋しの伊左衛門にとって
は、可愛い夕霧を受け入れざるをえない。背中合わせで、仲直りするふたり。背中で
描くトライアングルは、歌舞伎の独特の性愛表現の場面だ。官能も色濃い。

やがて、伊左衛門の勘当が許されて、藤屋から身請けの千両箱(若い衆が肩に担いで
来た箱は10あるので、1万両か)が届けられる。夕霧は、それまで着ていた打掛け
から、藤屋が持ち込んだ、紫地に藤の花が縫い取られた豪華な打掛けに着替える夕
霧。めでたしめでたし、という、筋だけ追えば、荒唐無稽な程、他愛の無い噺。冷静
な姉のような夕霧、やんちゃな弟のような伊左衛門。伊左衛門の本質的な性格は、鴈
治郎も巧く出していた。「吉田屋」が、辛い状況にも面と向かわず、鷹揚に生きてい
れば何とかなる、という夢物語なら、同じように病気養生の三千歳は、愛する直次郎
が追手に追われて逃げ回っていて、「もう、この世じゃ、逢わねえぞ」というひと言
を残して、逃げて行ってしまった、という結末を余儀なくされる。


「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」は通し狂言河竹黙阿弥原作
「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」の副筋の物語。「天衣紛上野
初花」初演の7年前。黙阿弥が最初に上演したのは、実は、1874(明治7)年
で、その時の外題は、「雲上野三衣策前(くものうえのさんえのさくまえ)」であっ
た。この時は、河内山を軸にした物語。直次郎は、登場していない。外題が今のよう
に改められた1881年になって、三千歳・直侍(直次郎)の物語が付け加えられ
た。そういう経緯もあって、「てれこ」構造の出し物になった。ここで言う「てれ
こ」とは、「河内山」の筋の物語と「三千歳・直侍」の筋の物語を、交互に展開上演
する演出形式をいう。歌舞伎の演出用語なのだが、語源は、不明。日本語の日常語と
しても、使うが、意味は、「あべこべ」「食い違い」「交互」など。明治期の作で
も、テーマは、江戸の世話物である。

「天衣紛上野初花」は、1881(明治14)年3月に東京の新富座で初演された。
当時の配役は、河内山=九代目團十郎、直次郎=五代目菊五郎、金子市之丞=初代左
團次。「團菊左」は、明治の名優の代名詞。三千歳=八代目岩井半四郎という豪華な
顔ぶれ。

「雪暮夜入谷畦道」は、幕が開くと、雪景色の「蕎麦屋」の場面。モノトーンの世
界。「入谷蕎麦屋の場」は、写実的で、場末の蕎麦屋の侘びしさ、貧しさ、雪の夜の
底寒さが、たっぷりと観客のなかに染み込ませておかなければならない。ここには、
「聞きどころ」の音がある。開幕前から聞こえて来る「ドーン、ドーン」と大間
(ゆっくり)に鳴る太鼓の音。これは、雪の音なのだ。自然の雪は、音がしないの
に、歌舞伎の雪は、大きな音がする。それでいて、不思議ではない。むしろ、歌舞伎
から、雪の音が無くなったら、物足りない。雪の音は、最後まで、重要。直侍の「通
奏低音」である。

幕が開くと、春の寒さに、降る雨も、いつしか、雪に変わる夕暮れ。雪のなか、一刻
も早い、逃亡の気持ちを高めながら、その前に、機会があれば、恋人の三千歳に、一
目逢い、別れの言葉を懸けて行きたい直次郎が、歩いてくる。薄闇のなか、それでも
足らずに、「逃亡者」は、手拭で頬被りをして、顔を隠し、傘をさしている。下駄に
まとわり付く雪が、気になる。舞台下手に降る雪。花道には、「ドーン、ドーン」と
いう太鼓の音ばかり。雪を示すものは、音しかない。雪の音は、「七三」で直次郎の
科白になると弱くなる。強から弱へ、変化する。辺りの様子を窺いながら、「逃亡
者」は、傘の上に載った雪を払い落して、蕎麦屋に入る。太鼓の音が、消えてしま
う。雪が激しく降る時は、「ドドドド」いう音に変わる。

雪の蕎麦屋の場面だが、直次郎は、着物の尻をはしょり、素足に下駄ばき、無頼らし
い振る舞い。まずは、一杯、熱い酒を身体に注ぎ込みたい。蕎麦と酒は、江戸の食通
の定番の一つ。しかし、燗をするのにも、幾分、時間がかかる。やっと来た燗徳利、
御猪口に酒を入れるが、なぜか、ゴミが浮いている。文句も言わずに、それを箸でよ
ける直次郎。名作歌舞伎全集では、直次郎と蕎麦屋亭主との硯の貸し借りでは「筆に
は首がない」と、蕎麦屋に言わせているが、「直侍」は、筆の首を口にくわえると、
筆の首が取れるように演技をし、代わりに取り出した楊子の先を噛んで、これに墨を
つけて、三千歳への手紙を書く(これから、逢いに行くから、木戸を開けておけとで
も書いているのだろう)。直次郎が、蕎麦屋から、外に出ると、再び、「ドーン、
ドーン」という太鼓の音が、また、聞こえ出す。舞台が廻る。太鼓の音が、一段と大
きくなる。「半廻し」で廻る舞台の上で、大道具方は、蕎麦屋の店の中に四角く敷い
ていた、地絣を取り片付ける。舞台は、蕎麦屋の横の道へ、変わる。ここで、直次郎
は、ふたりの顔見知りとやりとりをする。蕎麦屋の店の中で逢ったが、蕎麦屋の主人
たちに関係を知られたくない按摩の丈賀と弟分の暗闇の丑松である。丈賀には、三千
歳への手紙を託す。兄貴を見限って自分だけ助かろうと、裏切りを決意する丑松の動
きや科白に注目。

直次郎は、入谷の蕎麦屋へ向かうときと、同じく入谷の大口屋寮に向かうときと2回
雪の花道を歩く。まず、直侍のさす傘に積んだ雪の量が違う。大口寮の木戸の屋根に
降り積もった雪の量が違う。直次郎が門に当たったはずみで屋根を滑り落ちて来る雪
の量が違う。そこで表わされているように傘同様に花道の雪の量も違う。ここは、雪
布が敷き詰められているだけだから、客席から見た目では、積雪量は判らないが、そ
こは、藝。傘の雪の量の違いを花道にも当てはめて、歩く動作で、雪の量の違いを表
現しなければならない。蕎麦屋のときより、時間も経ち、雪も降り積もっていて、深
くなっていることを観客に判らせなければならない。

舞台に降る雪と花道に降る雪。さらに、舞台に降る雪はあるが、花道に降る雪はな
い。つまり、本舞台の上には、「葡萄棚」という装置があり、いくつもの「雪籠」が
吊ってある。このなかに入れた四角い(昔は、三角だった)雪が、降ってくるが、花
道の上には、雪籠なぞ、ない。だから、実際には、花道では雪は降らない。本舞台に
チラチラ降る雪で、花道にも、雪が降っているように見せなければならない。役者の
演技と雪音で、降る雪を観客に想像させなければならないということだ。

後半の見どころ。入谷の出養生先で患うている三千歳が登場する「大口屋寮」。ここ
の濡れ場(情事の場面)が、幻想的で、最高である。「色模様」=歌舞伎の性愛描写
の仕方:これは、黙阿弥版ポルノグラフィーである。この世の片隅で、互いの人生を
慰めあうような小さな恋。逢えば、性愛になるのだろう。だが、歌舞伎の舞台では、
性愛を露骨に描くことはない。江戸時代にも幕府が、たびたび厳しく取り締まった。
「大口屋寮」では、ふたりの「性愛」の場面は、セックスを直接的には描かないで、
様式美の積み重ねという、いわば、別の形で、立ち居ふるまうふたりの所作で表現を
する。それは、立ったまま、背中合わせになりながら、互いに手を握りあったり、直
次郎に寄り添いながら、三千歳が右肩から着物をずらしたりする。じっと、見つめあ
うふたり。座り込み、客席に後ろ姿を見せる三千歳、立ったまま、左肩を引いて反り
身で、直次郎の方に振り返る三千歳。髪を整えた後に、珊瑚の朱色の簪を落とす三千
歳などの姿。両手を繋ぎあうふたり。正面から抱き合うふたり。三千歳の背中を懐に
入れるように抱く直次郎。起請文(ラブレター)ごと三千歳の胸に手を入れる直次
郎。こより、煙管、火箸などの、小道具の使い方で、濃密な性愛の流れを感じさせる
演出の巧さ。障子などは、開け放ったままである。それは、性愛の密室。観客に舞台
を観せるためにも、空間は、解放されていなければならないし、追っ手を気にする逃
亡者の心理からみても、見通しは、良くなければならない。いつ、捕り方が、踏み込
んで来ないとも限らないからだ。

それは、また、雪の中にも拘らず、素肌の下半身に、着物を端折った姿で歩く直次
郎、二重の屋体の部屋の上下の障子を開け放したままの、逢瀬の場面などに共通す
る、「粋の美学」、いや「意気地の美学」か。「開かれた密室」のエロス。間接的に
描かれる性愛。逆手に取る歌舞伎独特の演出だ。「歌舞伎の美学」。間接的な表現こ
そ、直接的な表現より、エロスの度合いが、濃くなるから不思議だ。

3月に父親の名跡を引き継ぎ、五代目雀右衛門を襲名する芝雀の色気の表出の演技が
濃厚だ。患うことで性欲が昂進する場合もあるのかもしれない、と思わせる。色男・
直次郎を演じる染五郎も、こういう役は巧い。すっきりしている。

しかし、患う三千歳の「連れて行って」(それが駄目ならば、)「殺して」から逃げ
てという科白。寮番・喜兵衛(錦吾)が、一緒に「甲州へ逃げなさい」と勧める
が……。直次郎は、「山坂多い甲州へ、女を連れちゃ行かれねぇー」、という。

「ドーン、ドーン」という大間に鳴る太鼓の雪音が、再び、高まる。雪音は、直次郎
の胸の動悸にもなって、切羽詰まって聞こえて来るようだ。観客を含めて、皆の切迫
感が、いちだんと高まる。音のクローズアップは、心理のクローズアップでもある。
丑松の密告で、寮内に入り込んで来た捕り方に背中から羽交い締めにされた直次郎の
決め科白。「三千歳。……もう此の世じゃ、逢わねぇぞ」。追手の捕り方を振り切っ
て、庭の垣根をぶちこわして逃げて行く。
三千歳「直さん……」。

ふたりの別れの言葉は、短い。「逢わねぇぞ」が、いい。(あの世なら、逢えるかも
しれない)。この科白、染五郎は、「逢わねぇぞ」の部分だけを早間に言っていた
が、ちょっと気になった。

結局、三千歳は、この後も、直次郎には逢えなかった。
- 2016年1月14日(木) 17:37:43
16年01月歌舞伎座 (昼/「廓三番叟」、「義経千本桜〜鳥居前〜」、「梶原平
三誉石切」、「茨木」)


「茨木」が失ったものは?


今回の劇評は、まず、「茨木」から。
「茨木」を観るのは、4回目。このうち、玉三郎で観るのは、2回目。玉三郎は2回
演じているので、全て観ていることになる。前半は、老女の真柴(渡辺綱の伯母)、
後半は、鬼(茨木童子)を演じる。「老いは腕を取り戻すための手段」だ、と玉三郎
は言うが、果たしてそうか。白塗りの老婆の扮装をして舞台に出てきた玉三郎の表情
や所作を観ながら、前回(04年2月の歌舞伎座)には感じなかった疑問が湧いてき
た。茨木童子を演じる役者は、前半は、老女の真柴の品格、母性、後半は、鬼の凄み
を表現しなければならない。真柴の中に鬼を滲ませるのは、年季の入った役者でない
と難しい。この役は、外に溢れ出ようとする茨木童子の正体を小さな老女の身体のな
かに、いわば、封じ込めながら演じなければならない。ともすると、老女の身体を裂
き破って、鬼が噴出してこないとも限らないというエネルギーを秘めながらも、それ
を感じさせずに、粛々と演じるべきであろう。

私が観た「茨木」は、01年11月歌舞伎座で、芝翫。04年2月と今回の歌舞伎座
で、玉三郎。今回は、12年ぶり、玉三郎自身、2回目の「茨木」ということにな
る。11年11月の日生劇場で、松緑を観ている。

松の巨木を背負う、能取りものの演出だが、1883(明治16)年、東京新富座で
初演された新歌舞伎の舞踊劇。真柴、実は、茨木童子は、五代目菊五郎、渡辺綱は、
初代左團次。黙阿弥作詞。

玉三郎の真柴は、白髪、白塗の玉三郎は、美形過ぎて、老婆に見えなかった。白髪の
人形のようで存在感がない。玉三郎の真柴は、平板で、品格のある老婆の皮を被った
鬼(童子)という二重性の表現が、芝翫と比べると弱かった。しかし、唐櫃に隠され
ていた鬼の左腕を見せて貰う場面では、左腕を見たとたん、玉三郎の白塗の顔が口元
を中心に醜く歪んで、表情を激変させる。この片腕をつかみ取る場面は、芝翫より迫
力があった。これは多分、玉三郎が「茨木」という演目の本質は、あくまでも老婆の
皮を被った鬼(童子)の方を強く演じるべきだ、という考えで役づくりをしているか
らだろうと思い至ったのだ。鬼の語源は、「隠(おん)」だという。隠れている、つ
まり、見えざるもの。「童子」は、菩薩か菩薩などの眷属の異称だという。いずれに
せよ、鬼でありながら、童子という名を持つものである。

15年前に観た芝翫は、どうであったか。
「甥」の渡辺綱に所望されて、真柴は一さし舞う。片腕を無くしている茨木童子と真
柴の二重性を芝翫は、小さな身体に閉じこめているだけに、春夏秋冬の景色を唄い、
そして、舞いながら、ときどき、鬼のぼろが出て、扇を取り落とす。この舞は、伯
母・真柴が、徐々に溶け始め、茨木童子の本性が、姿を現すプロセスでもある。『も
ののけ度』が、徐々に濃くなってくる。やがて、渡辺綱に持ちかけ、唐櫃に隠されて
いた鬼の左腕を見せて貰う真柴。形相が見る見る変わった後、片腕をつかみ取る茨木
童子。ドラマのクライマックス。表情を闊達に変える芝翫は、さすがに巧かった。

4年余前、日生劇場。玉三郎よりも更に若い松緑では、なお難しかろうと思っていた
が…。物忌みも明日までとなった渡辺綱の所へ、花道から真柴(松緑)がやって来
る。この出で決まった。いつもの猫背の松緑ではない。それでいて身長1メートル7
3センチの松緑が、老女らしく小さく見えたから不思議だ。以前観た玉三郎より、松
緑の方が老婆らしかった。化粧だろうか。

玉三郎は、美貌の役者ゆえに、かえって、「老いの美」を表現し切れていないのでは
ないか、というのが、とりあえず、私の結論。

鬼が化けた老婆こそ、この演目の主眼。だとすれば、茨木が失ったものは、童子の片
腕ではなく、若さ。若さを劣化させたのは抗いがたい歳月。片腕=劣化した若さ、つ
まり老いの塊を奪って逃げても、失われた歳月は戻ってこない。取り戻した片腕は、
形骸化した歳月なのである。若さは流れ去った歳月。強い力を発揮して、茨木童子は
斬られた片腕を取り戻すことができても、若さは取り戻すことができない。にもかか
わらず、白塗りの老婆に「化けた」玉三郎の茨木が取り戻そうとしたのは片腕ではな
く、若さへの執念だったのではないか、それは、「白塗りの老婆」を演じてしまう玉
三郎の心象風景ではないのか。還暦を過ぎても衰えない玉三郎の美貌は両刃の剣。歳
月により「劣化する若さ」と「若く見える」美貌とのアンバランスを現在最高の真女
形は、演じ切れずに悩んでいるのではないか。老いの美と美しい老いは、違うのでは
ないか。そういう思いを「ぢいさんばあさん」の舞台以来私は玉三郎に感じ続けてい
る。今回も、この疑問は残った。玉三郎の心象風景は老いを自覚し始めた私の心象風
景との合わせ鏡でもある。

玉三郎が歌舞伎界の真女形として、六代目歌右衛門に並ぶ時がいつか来ると思うが、
それは老いの美を表現し得た時だろう。ここは、以前観た扇雀の「ばあさん」の演技
にヒントがあるように思う。化粧による老いの表現よりも、所作による老いの表現。
玉三郎がやがて辿り着く境地を確かめてみたい、と思っているが、私の存命中に見せ
てくれるだろうか。

一方、渡辺綱を演じた松緑は、伯母を招き入れた宴席で羅生門に出没する鬼の片腕を
斬り落とした様子を踊りで物語る。歌舞伎役者で踊りの名手と言えば、最近では亡く
なった三津五郎がいた。彼はからだの縦の線がぶれなかった。松緑は足捌きが巧い。
「踊りはうちにとって大切なもの」という。

「後(のち)ジテ」で、茨木童子は代赭隈、白頭(しろがしら)という獅子のような
長い髪の鬘に金の角を二本生やしている。鬼の本性を顕わした茨木童子と渡辺綱との
立ち回り。渡辺綱の見得。七代目幸四郎の工夫。幕外になると、茨木童子は、片手だ
けの「変化六方」を踏んで、右腕に取り戻した左腕を握りしめて、玉三郎は花道を
まっすぐに、宙を飛ぶようにして引っ込んで行く。


「廓三番叟」4回目。「廓三番叟」は、「式三番叟」の歌詞を生かしながら、全てを
廓に置き換えているので、いわば「三番叟」のパロディである。翁、千歳、三番叟の
代りに、傾城、番頭新造、太鼓持ち(「翁」役は、千歳太夫、「千歳(せんざい)」
役は、番頭新造、「三番叟」役は、太鼓持)が、登場するという洒落の世界。遊廓で
繰り広げられた正月の座敷遊びの趣向。三番叟が本来持っている「エロス」への祈り
を「廓」という、「エロス」そのものの場が、エロスの度合いを高める。廓の大籬の
座敷。上下手、一部に障子のある襖には、銀地に若竹、紅梅の絵。舞台真ん中から下
手にかけては、長い障子(後に、障子が開くと、出囃子の雛壇)。一方、上手は、雪
釣の松の中庭が見える。上手床の間の壁には、銀地に紅梅が描かれた中啓が飾ってあ
る。床の間の床には、正月のお飾り。舞台中央上手寄りにある衣桁には、黒地に鶴が
描かれた傾城の打ち掛けが掛けてある。全て、廓の正月の光景。打ち掛けは、傾城
「千歳」太夫だけに、鶴は「千年」で、鶴の模様。

障子が開くと、笛の音をきっかけに鶯の啼き声のする、江戸の春の廓の世界へ一気に
入る。置浄瑠璃のあと、下手奥、襖が開くと、傾城千歳太夫(孝太郎)が、新造の
松ヶ枝(種之助)が、出て来て、めでたい「三番叟」に見立てた踊りとなる。遅れ
て、太鼓持の藤中(染五郎)も参加して、廓内の客と傾城の文のやり取りの様子を踊
り描く。鈴の段もあって、「三番叟」。「月雪花の三つ蒲団 廓の豊かぞ祝しけ
る」。今回の配役。年男の孝太郎始め、3人の役者は、皆、初役。世代交代。


「義経千本桜」のうち、「序幕」の「鳥居前」は、今回で12回目。今回の主な配役
は、狐・忠信(橋之助)、義経(門之助)、静御前(児太郎)、弁慶(弥十郎)、逸
見藤太(松江)ほか。今月は、序幕の「鳥居前」が初春大歌舞伎の歌舞伎座で、大詰
の「川連法眼館」が、30歳の松也を除けば、20代がほとんどという役者衆で頑張
る新春浅草歌舞伎の浅草公会堂。

「鳥居前」。幕が開くと、舞台は、浅黄幕が全面を覆っている。置き浄瑠璃の後、幕
の振り落とし。舞台には、義経と四天王。「鳥居前」は、女性を残して旅立つ男たち
の物語だ。兄の頼朝から「謀叛あり」と嫌疑を持たれた義経は、義経を討てと命じら
れた土佐坊が、義経の住む京の堀川御所に攻め立てて来た時、騒ぎを鎮めたかったの
に忠臣武蔵坊弁慶が、土佐坊を逆に討取ってしまったので、京に留まることができな
くなってしまった。逃避行の入らざるを得なかった義経一行は、伏見稲荷に道中の無
事を祈願するために参詣する。そこへ、花道から、赤姫姿で、義経の愛人である静御
前が、一緒に連れて行って欲しいと追いかけてくる。しかし、鳥居前で、「女に長旅
は、無理だ」と義経は、静御前に帰るよう諭す。

武蔵坊弁慶も遅れてやってくる。義経は、お前の所為で都落ちとなったと軍扇で弁慶
を叩く。「ええ、無念、口惜しやなぁ」、叩かれて泣く弁慶。静御前が、これを取り
なしてくれたので、「以後は、きっと慎みおろう」と、弁慶は、義経一行に同行する
ことを許される。義経も、自分の形見にと初音の鼓を静御前に与えるが、片岡八郎が
「鼓の調べ緒」を使って鼓と一緒に静御前を鳥居前の梅の木に縛り付けて(調べ緒と
いう、この優雅さ)、一行は伏見稲荷の境内に入って行ってしまう。

やがて、花道から頼朝方の追っ手である逸見藤太(通し上演の場合は、「道行初音
旅」の逸見藤太と同じキャラクターなのだが、この場面で殺されるので、笹目忠太と
名前を変えて、一応別人となる)が、花四天の手勢を連れて現れて、静御前にセクハ
ラ行為。さらに、故郷に帰っていた筈の義経の家臣・佐藤忠信(実は、狐忠信)が花
四天たちを追い払う立ち回りで、静御前を救出する。忠太は、踏み殺されて、目が飛
び出す。

そこへ、祈願を終えた義経一行が戻って来る。静御前を救った褒美として、忠信に
「源九郎義経」という名前を与え、「後代に残すべし」と言う。さらに着用していた
鎧を与え、静御前を都まで連れ帰って欲しいと頼む。実は、佐藤忠信は、本物の佐藤
忠信ではなく、初音の鼓の革に使われた狐夫婦の息子が、化けていた(鼓と狐の関係
は、孤独な義経の境遇の象徴である)。静御前との道行を前に、超能力で本性を覗か
せる狐忠信が、「狐六方」で引っ込むところで、「鳥居前」は、幕。


「梶原平三誉石切」は、16回目の拝見。私がこれまでに見た梶原平三役は、5人:
幸四郎(5)、吉右衛門(今回含め、5)、富十郎(3)、仁左衛門(2。1回は、
巡業興行)、團十郎。今は亡きふたりを除けば、幸四郎、吉右衛門、仁左衛門辺り
が、梶原平三役者。この梶原に対立する大庭三郎役は、9人:左團次(5)、彦三郎
(3)、信二郎時代の錦之助(巡業興行)、我當、富十郎、梅玉、段四郎、菊五郎、
橋之助。今回は、又五郎。左團次が多いが、梶原平三役者と違って、バラエティに富
んでいるのが判る。

今回の劇評は、外題の「石切」に因む吉右衛門の斬り方だけを記録しておこう。場面
は、ふたつだ。「二つ胴」は包丁のように滑らせる。「手水鉢の石切」は布ごと押し
切る。

まず、二つ胴。「二つ胴」というのは、囚人と六郎太夫のふたりの胴体を斬るという
意味。吉右衛門も(幸四郎も)刀の刃を囚人(身替わりの人形)の胴に押し付けて、
包丁で、魚などを切る時のように刃を滑らせて、斬っていた。この場面の剣の使い方
は役者によって違う。それぞれ、家の藝として伝承し、大事にしている。例えば、團
十郎は、剣の刃を降り降ろした後、ぽんと撥ねるような軽快な刀遣いをしていた。

次に、「手水鉢の石切」。名刀ゆえに石製の大きな手水鉢を一刀のもとに斬り分ける
場面。吉右衛門も(幸四郎も)客席に背中を見せて、刀の刃を石製の手水鉢に押しあ
てるようにじっと止めた後、押し切るようにして、鉢をまっぷたつに「割って」みせ
た。これは、初代の吉右衛門の演出なのだろう。ふたりとも祖父の初代の吉右衛門型
をきちんと継承している。

贅言;石の手水鉢を切る場面は、昔から、役者によって、いろいろな演出が工夫され
て、伝えられている。主なものは、3つ。既に見た初代吉右衛門型のほか、初代鴈治
郎型、十五代目羽左衛門型、とある。

初代鴈治郎型は、当代の藤十郎を含む鴈治郎代々が演じる。私は鴈治郎では観ていな
いが、初代鴈治郎型では、場面は星合寺境内で、手水鉢の向うに廻って、客席に前を
見せて斬る。富十郎が鴈治郎型で演じたのを観たことがあるが、場面は星合寺境内で
はなく、鶴ヶ岡八幡宮社頭だった。

十五代目羽左衛門型は、團十郎が演じているのを観たことがある。團十郎の梶原は、
六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、手水鉢の水にふたりの影を映
した上で、鉢を斬った後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出してくる。十五代
目羽左衛門が初めて演じた時は、「桃太郎」の誕生のようだと批判されたという。仁
左衛門も、同じように十五代目羽左衛門型で、これも観たことがある。

吉右衛門の時代ものの科白廻しは、いつ聞いても気持ちが良い。当代の歌舞伎役者で
は、吉右衛門の科白廻しに並ぶのは、仁左衛門くらいか。亡くなった役者では、富十
郎も良かった。
- 2016年1月14日(木) 14:22:36
16年01月浅草歌舞伎 (第二部「毛抜」、「義経千本桜〜川連法眼館〜」)


御曹司の歌舞伎興行が力のある脇役を引き出す、という「効果」


最若手の御曹司たちの晴れの舞台という新春浅草歌舞伎には、もうひとつの魅力があ
る。第一部の「源氏店」でも触れたように、新春浅草歌舞伎の、もうひとつの魅力
は、名題などの脇役のベテランたちが、いつもより、大きい役をあてがわれて、期待
通り、味のある演技で舞台の幅や奥行きを拡げている。この部分は、第一部、第二部
を通じて、後で、改めて論じたい。


まず、「毛抜」。1742(寛保2)年、大坂で初演された安田蛙文(あぶん)らの
合作「雷神不動北山桜」(全五段の時代もの)が原作。「毛抜」は、三幕目の場面
(因に、四幕目が、「鳴神」)。二代目、四代目、五代目の團十郎が引き継ぎ、これ
は、90年後の1832(天保3)年、七代目團十郎によって、歌舞伎十八番に選定
され、「毛抜」に生まれ変わった(團十郎型)。

しかし七代目亡き後、長らく上演されなかった。更に、80年近く経った1909
(明治42)年、二代目市川左團次が、復活上演し、さらに、明治の「劇聖」十一代
目團十郎が、磨きを懸けた。その際、左團次は、いま上演されるような演出の工夫を
凝らしたという(左團次型と呼ばれる)。粂寺弾正の推理ぶりを表わす「腹這い」
「後ろ向きで座り込み、天井を睨む」など5種類の見得もおもしろい。これも二代目
左團次の工夫という。以来、上演回数は多い。今回の巳之助の舞台も、左團次型であ
る。

巳之助と言えば、十代目三津五郎の長男。09年10月歌舞伎座。本興行で初めて粂
寺弾正を演じるという三津五郎の舞台を観たことがある。6年余で三津五郎から巳之
助へ。巳之助も、今回初役で粂寺弾正を勤める。舞台の上手に、「歌舞伎十八番の内
 毛抜 一幕」、下手に「坂東巳之助相勤め申し候(ソウロウは、楷書)」という看
板が下がっているのが、感慨深い。父親の三津五郎のは、「歌舞伎十八番の内 毛抜
 一幕」、「坂東三津五郎相勤め申し候(ソウロウは、変体)」であった。「こんな
に早く粂寺弾正をやらせていただけるとは思っていませんでした」と言うのは、本音
だろう。私の本音でもある。巳之助は、この演目では鏡の前、秀太郎は演じたことが
ある。今回は、「荒事らしい大きさを見せられるかが勝負です」という。父・三津五
郎の「毛抜」を目指して、というかと思って、楽屋噺を注意深く読んでみたが、そう
いうことは言っていなかった。

今回の主な配役では、粂寺弾正が巳之助。腰元巻絹が新悟。小野春道が錦之助。小野
春風が国生。小野家息女錦の前が鶴松。家老・秦民部が隼人。民部弟・秦秀太郎が米
吉。もうひとりの家老・八剣玄蕃が橋吾。家老の息子・八剣数馬が八大。小原万兵衛
が、松太郎ほか。

幕が開くと、家老の息子と弟が、立ち会っている。腰元が、止めに入っている。どう
やら、小野家には、事情がありそうだ。家宝の小野小町の直筆の短冊が、無くなった
らしい。

物語の主筋は、家宝の紛失、お家騒動。小野春道(錦之助)家の乗っ取りを企む悪家
老・八剣玄蕃(橋吾)の策謀が進むなか、錦の前(鶴松)と文屋豊秀の婚儀が調っ
た。しかし、錦の前の奇病発症で、輿入れが延期となり、文屋家の家老・粂寺弾正
(巳之助)が、乗込んで来る。待たされている間に、粂寺弾正が、持って来た毛抜で
鬚(あごひげ)を抜いていると、手を離した隙に、鉄製の毛抜が、ひとりでに立ち上
がる。不思議に思いながら、次に煙草を吸おうとして、銀の煙管を置くと、こちら
は、変化なし。次に、小柄(こづか)を取り出すと、鉄製の刃物だから、こちらも、
ひとりでに立つ。いずれも、後見の持つ差し金の先に付けられた「大きな毛抜と小
柄」が、舞台で踊るように動く。まあ、そういう「実験」を経て、弾正は、鉄と磁石
という「科学知識」に思い至り、錦の前の奇病も、髪に差している鉄製の櫛笄(くし
こうがい)を取り外すと「奇病」も治まる、という次第。天井裏に、大きな磁石(実
際は、羅針盤)を持った曲者が隠れ潜んでいたのを槍で退治する。そして、悪家老の
策謀の全貌を解き明かし、お家騒動も治まるという、荒唐無稽なお話。

09年10月歌舞伎座昼の部の劇評に私は次のようなことを書いている。「本興行初
役の三津五郎は、ゆるりとした粂寺弾正を演じていた。魁春、錦之助、東蔵、團蔵、
秀調、吉弥らを除けば、松也(小野春風)、梅枝(錦の前)と萬太郎(数馬)の兄
弟、巳之助(秀太郎)と二十代そこそこの、御曹司たちの登場が目立つ。この前ま
で、子役だったのが、役者として難しい十代後半を切り抜けて、青年役者になろうと
している。そういう清新さを感じた」。6年余前に、もう世代交代の息吹きがあった
のだ。新春浅草歌舞伎に勢揃いした青年たちは「声変わりなど役者として難しい年
齢」を切り抜けてここまでやってきたのだ。 


松也・音羽屋型の「狐忠信」


「義経千本桜〜川連法眼館〜」では、狐が忠信に変身したように、この演目では狐忠
信を初役で演じる松也が狐に変身できるかが、見どころ。

松也の狐忠信、通称「四(し)の切り」は、この演目を良く上演した三代目猿之助の
「澤潟屋型」とは違って、菊五郎家の伝わる「音羽屋型」。私はこれを菊五郎、松
緑、勘九郎時代の勘三郎などで、観ている。今回の松也も、この系統に連なる。

まず、本物の佐藤忠信(松也)が、花道から現れ、義経を訪ねて来たことから、静御
前の供をして来た佐藤忠信の真偽が問題となる。真偽を質すのは、静御前(新悟)の
役目。義経(隼人)は、静御前に小太刀を渡す。佐藤忠信が、奥に連れて行かれた
後、鼓の音に誘われて階から現れた、狐っぽい衣装ながら、もう一人の佐藤忠信(松
也)に小太刀を振りかざしながら静御前は、女武道で審議をする。その結果、静御前
を護ってついて来た佐藤源九郎忠信は、源九郎狐(松也)だったことが判る。それ
も、自分の両親の革で作られた初音の鼓を慕ってのことだったと判り、義経も静御前
も狐を許すことにした。動物の情愛をテーマにしたファンタジーの趣もあるし、狐と
親の革で作った鼓の関係が、義経と親の関係を象徴するという暗示もある。

源九郎狐が、正体を表わし、超能力を発揮して、屋敷のあちこちに神出鬼没の外連
(けれん)を見せるのが、眼目の芝居。澤潟屋型なら、宙乗りを含めて、外連を重点
に見せる場面展開だが、音羽屋は、親子の情味を軸に見せるので、舞台は、おとなし
い。

音羽屋型の源九郎狐の主な動線。初音の鼓の音に導かれて、着物姿の狐忠信は、御殿
の階の裏から姿を現す。海老反り、高欄渡りなどを含め、静御前とやり取りした後、
下手の渡り廊下に座り込んで、正体を告白すると、廊下下に姿を消す(廊下の床板が
斜めになり、松也はお辞儀をしたままの姿勢で滑り降りて行く)。次に、上手の金襖
の中から白無垢の狐の姿で現れ、座敷を通って、庭に出る。片膝でくるくると回転す
る。やがて、下手、柴の垣根が、一部下がり、「忍び車」(「水車」を応用した道
具)に掴まって、横滑りに廻って、下手に姿を消す。御殿床下から再び現れる。義経
から初音の鼓を貰い、喜びを身体いっぱい現す。義経に企みを抱く吉野山の悪僧たち
を超能力で呼び寄せて義経への恩返しとして退治する。その後、狐は、古巣へと戻っ
て行く。以上が音羽屋型の忠信。

今回、私が観たのは、初日だったのだが、外連の所作のなかで一ケ所、高欄渡りに移
るために本舞台の床から手摺に上がる所で、松也の身体がバランスを崩した場面が
あった。その他は、なぞっているだけという感じもないわけでなかったが、無事演じ
終えた。音羽屋型の最後は舞台上手の桜木に仕掛けた「手斧(ちょうな)振り」とい
う、大工道具の「手斧」に似た道具に左腕を引っ掛けながら、初音の鼓を右手に持
ち、桜の立ち木沿いに上に舞い上がる演出を使うが、宙乗りはしない。

松也の楽屋噺。「先輩方には、体力的にも厳しいと聞いておりますので、めいっぱい
身体を動かせる若いうちに挑戦させていただけることが大事だと思います」。菊五郎
の長男の菊之助は、本興行で「四の切り」を演じたことがない。


さて、2016年1月の新春浅草歌舞伎について気がついたこと。第一部の「源氏
店」でも触れたように、新春浅草歌舞伎の、もうひとつの魅力は、「名題」などの脇
役のベテランたちが、いつもより、大きい役をあてがわれて、期待通り、味のある演
技で舞台の幅や奥行きを拡げている。名題ながら、すでに幹部並みに抜擢されて、存
在感のある鶴松(十八代目勘三郎の部屋子)は、20歳。第二部の「毛抜」で錦の前
を演じた。同じく梅丸(梅玉の部屋子)は、19歳。第一部の「三人吉三」で夜鷹の
おとせを演じた。以下、私の勝手な判断で論じたいのは、それ以外にもきらりと光っ
た役者衆の話だ。

第一部では、「与話情浮名横櫛〜源氏店の場〜」。蝙蝠の安五郎が國矢。番頭藤八が
山左衛門。いずれも名題の脇役の達者な役者。右の頬に蝙蝠の刺青がある蝙蝠の安五
郎。通称、蝙蝠安を初役で演じた澤村國矢。大役、抜擢であろう。与三郎方の重要な
脇役。独自の味を出していたように思う。國矢は、病気休演中、とういか舞台復帰が
叶わない女形の澤村藤十郎の弟子。
 
以下、第一部の劇評で引用した國矢の発言を再録。國矢が12月のツイッターで曰
く。「来月ですが、浅草公会堂に出演致します! 『歌舞伎美人』(松竹が編集して
いるメルマガのことー注)にも配役が載り、一層緊張感を増したのですが、2011年
の挑むの時(ママ)に上演致しました、源氏店の蝙蝠安を本公演でさせて頂ける事に
なりました! これは本当に言葉にならない位嬉しく、有難い事だと未だに信じられ
ない気持ちでおります!」。舞い上がる気持ちが良く判る。抜擢されたほかの役者た
ちも気持ちは同じだろうと推測する。

この演目、最近の歌舞伎座の配役では、例えば、15年7月の歌舞伎座。蝙蝠の安五
郎が初役の獅童。番頭藤八が猿弥。去年、獅童が初役で演じた役を國矢が本興行で演
じるのだから。今回の「源氏店」の主な配役では、切られ与三郎が松也。お富が米
吉。和泉屋多左衛門が、錦之助。

第二部では、「毛抜」。家老八剣玄蕃が名題の橋吾。大部屋の名題役者のベテランで
はないが八大も家老の息子の八剣数馬に抜擢されている。小原万兵衛が、名題の松太
郎。最近の歌舞伎座では、14年5月、家老八剣玄蕃が團蔵。家老の息子の八剣数馬
は、菊市郎。小原万兵衛が、権十郎。今回の主な配役では、粂寺弾正が巳之助。腰元
巻絹が新悟。家老秦民部が隼人。小野家息女錦の前が鶴松。小野春風が国生。民部弟
秦秀太郎が米吉。小野春道が錦之助。

同じく第二部の「義経千本桜〜川連法眼館の場〜」では、川連法眼が名題の小三郎。
妻飛鳥が同じく名題の徳松。最近の歌舞伎座では、13年10月、川連法眼が彦三
郎。妻飛鳥が秀調。今回の主役の佐藤忠信、実は源九郎狐と佐藤忠信が松也。その
他、主な配役では義経が隼人。駿河次郎が国生。亀井六郎が巳之助。静御前が新悟。
- 2016年1月12日(火) 16:46:16
16年01月浅草歌舞伎 (第一部/「三人吉三巴白浪〜大川端庚申塚」、「土佐
絵」、「与話情浮名横櫛〜源氏店」)
 
 
テレビでも人気の20代の歌舞伎役者で浅草歌舞伎にもブーム飛び火、2012年5
月にオープンした押上の東京スカイツリー人気が、ターミナル駅のある浅草地域にも
ブーム飛び火。ふたつの飛び火で今年の新春浅草歌舞伎は、ヒーバーしている。「新
春」歌舞伎は、松竹定番興行の「初春」歌舞伎ではない。「新春」は、つまり、「花
形」歌舞伎の役者よりも若い、いわば、「若手 歌舞伎で、若手、それも最若手の2
0代の役者が、少なくとも舞台の上では自分たちだけで、2年続けて一座を形成した
のだから凄い。去年初めて座頭を勤めた松也を見た時は、意外な処遇といういわば違
和感を抱いたが2回目の今年は、違和感もなくなり、浅草歌舞伎には、当面、松也が
欠かせない、と思った。その上、去年よりも人気が出ているようで、1階席には補助
席も出て、3階の天井に近い席も満席で初日から満員盛況と見た。
 
さらに、今年は河竹黙阿弥の生誕200年ということで、今年は、1年を通じて、黙
阿弥ものが上演され続けることだろう。浅草歌舞伎の第一部の筆頭は、早速、その黙
阿弥の代表作上演。「三人吉三巴白浪〜大川端庚申塚の場」。今回は、この場面だけ
のみどり上演である。今回は、お嬢吉三が隼人、お坊吉三が、巳之助、若手歌舞伎
「監督役格」の錦之助(隼人の父親)が、和尚吉三、という顔合わせ。
 
「三人吉三巴白浪〜大川端庚申塚の場」は、歌舞伎錦絵のような様式美と科白廻し
で、これはこれで、いつ観ても充実感がある。この場面の見どころは、何といっても
配役。浅草歌舞伎は、20代の役者が、精進する舞台。ゆったりした気持ちで舞台を
見守ろう。
 
「三人吉三巴白浪〜大川端庚申塚の場」は、「みどり」と「通し」で、私は今回で、
あわせて11回目の拝見となる。
 
「三人吉三」は、実は、極めて、現代的な芝居だ。3人は、田舎芝居の女形上がりゆ
えに女装した盗賊のお嬢吉三、御家人(下級武士)崩れの盗賊であるお坊吉三、所化
上がりの盗賊である和尚吉三という前歴から見て、時代の閉塞感に悲鳴を上げている
不良少年・青年たちである。大不況の現代に生きていれば、職に就きたくてもつけな
い。社会から落ちこぼれてしまい、盗みたかりで、糊口を凌ぐしかないという若者た
ちの、「犯罪同盟」の結成式が、「大川端」の場面なのである。留め男の和尚吉三に
足で太刀を押さえられて静止している見せ場は絵になるが、お嬢吉三、お坊吉三を演
じている役者は、腰が痛くなり辛いらしい。
 
黙阿弥歌舞伎では、調子の良い七五調の科白に載せて、閉塞感という暗い話をグラビ
ア的な、1枚の浮世絵のような場面として表現してしまうから、凄い。
 
贅言;百両の金を巡って争うお嬢吉三(隼人)とお坊吉三(巳之助)の間に入り込ん
で来た和尚吉三(錦之助)が「そいつは、とんだ由良之助だなあ。まだ、ご了簡が若
い若い」と、二人を諌める。これは、「仮名手本忠臣蔵」の「城明け渡し」前の「評
定」で、決起に逸る者たちを諌める国家老の由良之助の弁「まだ、ご了簡が若い若
い」をもじっている。
 
ほかの役者では、夜鷹のおとせを演じた梅丸が良かった。まだ、19歳。8月が来る
と20歳。お嬢吉三に斬られて川に落ちるのが、難しい。一つひとつのポイントを習
得するまで精進精進。梅玉の部屋子。
 

「土佐絵」は、「浮世柄比翼稲妻」、通称「鞘当」の舞踊劇。1830(文政13)
年3月、江戸・市村座で初演。その後、1997年、国立劇場で上演された。その時
の配役は、名古屋山三が八十助時代の十代目三津五郎、不破伴左衛門が辰之助時代の
四代目松緑、傾城釆女太夫が芝雀。「鞘当」は時々上演されるのに比べると、こちら
は滅多に上演されない。私も「鞘当」は、何回も観ているが、「土佐絵」は初見。率
直に言って「鞘当」の研修演目という印象がある。今回は不破伴左衛門が巳之助、名
古屋山三が国生、傾城釆女太夫が新悟。
 
本家の「浮世柄比翼稲妻」は、1823(文政6)年、江戸・市村座初演で、四代目
鶴屋南北原作。全9幕19場という、長丁場の芝居。その7年後に、見せ場の舞踊劇
だけを戴いたという作品。
 
「鞘当」では、桜満開の江戸新吉原仲之町が舞台。幕が開くと、浅黄幕が舞台を被っ
ている。浅黄幕振り落しで、華やかな吉原の町並みとなる。舞台中央に満開の桜木。
山口邑、中之町、松葉屋の行燈。
 
中央に団扇(銀地に桔梗、薄)を持った傾城釆女太夫。薄い紫地の打掛(背中に青、朱、
紫の色使いで孔雀が描かれている)。上手に不破伴左衛門、下手に浪人・名古屋山
三。ふたりの顔は見えない。浅黄色の地に雨と濡れ燕模様の着流しの衣装に深編笠姿
の山三は、白塗り、白足袋の着流し。和事。黒地に茶と緑の雲、朱色の稲妻模様の着
流しの衣装に深編笠姿の伴左衛門は、砥の粉塗り、黄色い足袋の着流し。荒事。「丹
前ぶり」という所作を披露する。拳を握った両腕を左右に開いて、右手と右足、左手
と左足を大きく一緒に踏み出す。同調と対比。そのふたつの様式美が、大事だ。 
 ふたりの男は采女太夫に恋心を抱いている。太夫を巡って恋の鞘当て。ふたりの恋
争いに当の太夫が留め(止め)女となる。

一枚の浮世絵葉書のような所作事の芝居。それだけの場面だが、元禄歌舞伎の古風な
味わいを残した舞踊劇。打掛姿の傾城采女太夫のクドキ。「梅の浪花に桜の都……」
で、傾城が山三を誘って、連れ舞になる。「さんさ時雨か茅屋の雨か……」で、三人
の総踊り。古典の様式的な美を意識した舞台。

二人の立役の美男ぶりを味わい、女形の可憐さを楽しむ。3人の役者の持ち味が見ど
ころ、という踊りだ。


「与話情浮名横櫛」〜源氏店〜」。「源氏店」がなければ、通称「切られ与三」の
「与話情浮名横櫛」という芝居は成り立たない。「源氏店」を観るのは、11回目。
今回は松也が与三郎を演じる。↗松也は、口跡が良い。メリハリにある声が客席まで
確実に響いてくる。これは役者としての強味だ。浅草歌舞伎らしく、抜擢の若手たち
の配役も見どころ。
 
1853(嘉永6)年5月、江戸中村座。明治維新まで15年という幕末期の歌舞伎
演目。三代目瀬川如皐原作、与三郎を八代目團十郎が初演した。瀬川如皐原作の「与
話情浮名横櫛」は、幕末の江戸歌舞伎の世話物という影が濃く、人間像もいろいろ屈
折している。
 
これまでの出演者の記録を整理すると、以下のようになる。与三郎:仁左衛門
(3)、團十郎(2)、海老蔵(2)、梅玉、橋之助、染五郎。今回は抜擢の松也。
お富:玉三郎(5)、雀右衛門(2)、扇雀、菊之助、福助。今回は同じく抜擢の米
吉。蝙蝠安:弥十郎(4)、市蔵(2)、富十郎、勘九郎時代の勘三郎、左團次、獅
童、そして今回は大抜擢の國矢。
 
「生世話物」というのは、今のテレビに例えれば、ワイドショー。生ネタの風味を大
事にする。「江戸弁」とは、当時の現代劇の科白。観客の日常感覚を優先する。そう
いう科白廻しを今の客に「古語」としての味わいと同時に、やはり、日常感覚的な部
分にも滲ませなければならないから、この芝居は、難しい。

山の記号の下に、井と多(和泉屋多左衛門の別宅)という表札を掲げた「源氏店」。
妾宅である。与三郎は蝙蝠安に連れられて強請に入った妾宅で、偶然にも「昔の女」
に巡り会い、辛酸人生の負の遺産の一部でも取り戻そうと発想した。妾宅に入る前
の、柳の木の下で、足元の石ころを足先で動かしながら、屈託の時間を無為に過ごす
与三郎の佇まいが、難しい。また、室内に入った後も、上がり框に腰を下ろして、蝙
蝠安とお富のやりとりを背中で聞いているだけの時間の表現も難しい。松也はまだ、
これらの過程では、形をなぞっているだけのように感じられた。精進精進。

「源氏店」では、湯上がりの、小股の切れ上がった色気を紛々とさせたお富の、素顔
から化粧した顔に変化させる鏡台前の場面。江戸時代は、蝋燭の光という薄暗さの
中、化粧の進行をじっくり見せた、という。今は、十分な照明の中で、白塗りの女形
が化粧直し、という感じで、むしろ、偶然知り合いの妾宅の軒に雨宿りをしていて、
室内に招き上げられた好色男で大店の番頭・藤八とのチャリ場(笑劇)になってい
る。

お富を演じた米吉は、目に色気があり、妾の風情が滲み始めてているようだ。湯屋か
らの帰り、自宅の門前で雨宿りをしていた顔見知りの藤八を家に上げた。湯屋帰りの
素顔(顔は薄化粧をしているだろう)素肌に化粧をする女。湯上がりの女の色気も出て
いる。そう言えば、醜く変容する四谷怪談のお岩も化粧をする女であった。女が化粧
する場面が重要になるのが、源氏店と伊右衛門浪宅。

新春浅草歌舞伎の、もうひとつの魅力を発見した。それは、歌舞伎界最若手の御曹司
たちの芝居に、もう一品の味を与えているのは、脇役のベテランたちだ、というこ
と。脇役のベテランたちが、いつもより、大きい役をあてがわれて、期待通り、味の
ある演技で舞台の幅や奥行きを拡げている。この部分は、夜の部もあわせて、論じた
い。ここでは、とりあえず、澤村國矢。

右の頬に蝙蝠の刺青がある蝙蝠の安五郎。通称、蝙蝠安を初役で演じた澤村國矢。大
役、抜擢であろう。与三郎方の重要な脇役。國矢は、病気休演中、とういか舞台復帰
が叶わない女形の澤村藤十郎の弟子。
 
國矢が12月のツイッターで曰く。「来月ですが、浅草公会堂に出演致します! 歌
舞伎美人にも配役が載り、一層緊張感を増したのですが、2011年の挑むの時に上演
致しました、源氏店の蝙蝠安を本公演でさせて頂ける事になりました! これは本当
に言葉にならない位嬉しく、有難い事だと未だに信じられない気持ちでおりま
す!」。舞い上がる気持ちが良く判る。

蝙蝠安は、女物の袷の古着を着ているようなしがない破落戸(ごろつき)である。与
三郎の格好よさを強調するために、無恰好な対比をしなければならない。私が観ただ
けでも、蝙蝠安は、富十郎、弥十郎、市蔵、勘九郎時代の勘三郎、左團次、獅童。國
矢が、これに続くわけだ。勘九郎時代の勘三郎は、彼の持ち味と蝙蝠安の持ち味が、
渾然一体になっていて、良かった。老獪な富十郎、4回観た弥十郎、それぞれ持ち味
のある左團次、市蔵、まだ味を出しきれなかった獅童。浅草歌舞伎に出演している若
い御曹司らでは、蝙蝠安は、難しかろう。國矢は、それなりに健闘していた。お富側
の重要な脇役、道化役の番頭・藤八は山左衛門が熱演。じっくり、見応えのある重し
となっていた。

それとは別に、蝙蝠安を何故、御曹子らの中から選ばなかったのか。挑戦してみよう
という若手はいなかったのか。既に触れたように亡くなった勘三郎は勘九郎の時代か
らこの役を熱演していた。挑戦すべき役柄だと思うけれど。

今回の浅草歌舞伎指導役の錦之助は、お富の兄と判る和泉屋多左衛門を演じる。その
結果、与三郎とお富は、一転して結ばれることになり、与三郎はお富を抱き締めて、
「生涯、おめえを離しゃぁしねえぞ」。元は普通の商家の若旦那の与三郎。木更津海
岸でお富を見初めたばかりに、体中を傷つけられて、「切られ与三」という小悪党に
転落するなど、辛酸を嘗めてきた。与三郎の社会復帰の第一歩。

恋する若者たちの明暗。
与三郎「生涯、おめえを離しゃぁしねえぞ」とお富に言うセリフが弾んでいる。
直次郎「三千歳、もうこの世では逢わねえぞ」というのは、追っ手から逃げる直侍の
慌ただしい科白。「雪暮夜入谷畦道」の哀しい別離の場だ。

松也は、去年に続いて浅草歌舞伎座頭役を無難に勤めている。去年は、浅草歌舞伎で
始まり、暮れには、歌舞伎座にも出演し、1年間で大きく成長して見せた。その自信
が裏打ちされた、浅草歌舞伎の2回目の座頭役だったと思う。ベテラン、中堅の役者
の逝去が相次いで、ここ数年、歌舞伎界は危機的な状況になりかねない。細い尾根道
を皆で手を繋ぎながら歩いているような状態ではないか。

1月の東京での興行を見ても、歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、そして浅草公会堂
と、松竹は4つもの芝居小屋を開いている。それぞれ、健闘しているようだから凄
い。歌舞伎座は、バランスの取れた配役。国立は正月恒例の菊五郎一座。新橋は、花
形歌舞伎らしく海老蔵を座頭役にして、獅童、沢瀉屋一門の一部も参加。浅草歌舞伎
は、30歳の松也を除けば、ほとんどが20代の再若手役者群で構成。ベテラン、中
堅層の、いわば空隙を埋めるために総動員されて、残った20代を真空状態にさせな
いようにと、歌舞伎界の「上げ底状態」から来る負担を一手に引き受けている世代で
はないのか。一番しんどい世代。浅草歌舞伎は、今後とも花形以前の若い役者たちの
飛躍の舞台になってほしい。
- 2016年1月12日(火) 10:36:50
16年01月国立劇場 (通し狂言「小春穏沖津白浪〜小狐礼三〜」)


菊五郎の「小狐礼三」から菊之助の「小狐礼三」へ


「小春穏沖津白浪(こはるなぎおきつしらなみ)」、通称「小狐礼三(こぎつねれい
ざ)」を初めて観たのは、14年前になる。2002年1月、国立劇場。開場35周
年記念興行であった。河竹黙阿弥原作「小春穏沖津白浪」は、1864(元治元)年
11月、顔見世興行として江戸の市村座で初演された。中心となる登場人物は、小狐
礼三(こぎつねれいざ)、船玉お才、日本駄右衛門という3人の盗賊である。初演時
は、四代目市川小團次の日本駄右衛門(遠州生まれの盗賊)、四代目市川家橘(後の
五代目尾上菊五郎)の小狐礼三(甲州育ちの盗賊で、妖術を遣う)、二代目尾上菊次
郎の船玉お才(紀州生まれの女賊)であった。2002年1月は初演以来、138年
ぶりの復活通し上演、ということだった。今回は、それを洗練しての再演。

河竹黙阿弥は、1816(文化13)年、江戸・日本橋の裕福な商家(湯屋の株、つ
まり経営権を売買する)の長男として生まれた。14歳の時に遊興がたたって、勘当
されてしまい、貸本屋の手代になり乱読多読(つまり、これが、黙阿弥の「私の大
学」であった)、さらに芝居の世界に首を突っ込み、19歳でこの道に専念、その
後、狂言作者の素養を蓄積し始めた。黙阿弥の生年を見れば判るように今年は、生誕
200年に当る。そこで、新年1月の国立劇場初春歌舞伎は「黙阿弥もの」(300
余作品ある)の上演となった。今年中、国立劇場だけでなく、歌舞伎座などでも黙阿
弥ものが相次いで上演されることだろう。

「小春穏沖津白浪」は、幕末期から明治期に黙阿弥とコンビを組んだ四代目市川小團
次のために書き下ろされた。四代目市川小團次は、もともと大坂の歌舞伎役者で、大
坂の小芝居から中芝居で活躍をしていた。小男で口跡も悪かったにも拘らず、外連
(けれん)味と幅の広い演技で人気者になった。江戸を追放されて上方に来た七代目
市川團十郎に弟子入りして、米十郎を名乗った。その後、小團次を襲名し、3年後に
江戸に下り、以降、20年間江戸の歌舞伎役者を勤めた。役者としての自分の肉体的
な弱点を克服(逆手に活用)し、科白回しや演出で、いろいろ工夫魂胆をする人で
あった。それゆえ、河竹黙阿弥と意気投合して、生世話狂言の新作を次々と舞台に掛
け、幕末の江戸歌舞伎に一時代を築いた。幕末という時代の不安を盗賊の心情で代弁
する演技で、庶民の共感を得た。「小春穏沖津白浪」は、そういう役者・四代目市川
小團次のために河竹黙阿弥が書いた狂言であるということを、まず、抑えておきた
い。

著作権などなかった時代。歌舞伎の狂言作者たちは、先行作品を下敷きにして、自分
の工夫魂胆で、新しい趣向を考え、新狂言として書き換えるということを習わしとし
て来た。むしろ、先行狂言という江戸の庶民が知っている登場人物の芝居なのに、新
趣向でおもしろいという評判をとることに生き甲斐を感じる人たちが狂言作者であっ
た。日本駄右衛門が出て来る狂言は、1761(宝歴11)年の「秋葉権現廻船語
(あきばごんげんかいせんばなし)」が、最初で、足利義政の時代(「東山の世
界」)という設定であった。それをどうかえるか、黙阿弥を燃え立たせたことだろ
う。

今回の場割(場の構成)は、次の通り。
序幕「幕開き」、「上野清水観音堂の場」。二幕目、第一場「(雪)矢倉沢一つ家の
場」、第二場「(月)足柄越山中の場」、「(花)同 花の山の場」。三幕目、第一
場「吉原三浦屋格子先の場」、第二場「同 二階花月部屋の場」、第三場「隅田堤の
場」、第四場「赤坂田圃道の場」。大詰、第一場「赤坂山王稲荷鳥居前の場」、第二
場「高輪ヶ原海辺の場」。

筋書に印刷されていた場割や配役を演出の都合で一部変更している。当初のもので
は、序幕「幕開き」がなかった。三幕目が三場構成だった。大詰が三場構成だった。
三幕目第四場「赤坂田圃道の場」が、当初は大詰第一場の「赤坂山王稲荷田圃道の
場」となっていた。以下、大詰第二場「同 鳥居前の場」、大詰第三場「高輪ヶ原海
辺の場」としてずれていた。要するに、小狐礼三の本性の狐の関係を序幕「幕開き」
と大詰第一場「赤坂山王稲荷鳥居前の場」の前段で、2回に亘ってきちんと見せると
いう演出になった。

「小春穏沖津白浪」の「世界」も、時代世話物らしく、「東山の世界」を借りて、足
利時代の大名・月本家のお家騒動を下敷きにしている。上方歌舞伎定番のお家騒動が
ベース。そこに、小狐礼三という黙阿弥が創作したか、講談から借りて来たかした人
物をヒーローとしてからめて、黙阿弥が手掛けて来たさまざまな狂言の趣向も取り入
れながら、新狂言を創ったということになる。「小春穏沖津白浪」は、滅多に上演さ
れない演目だけに、幾重にも埋もれている先行狂言などの隠し絵を探すという愉しみ
がある(逆に言えば、先行作品の継ぎ接ぎとも言える)。従って、観客の側の眼力量
に応じて、下敷きとなっている先行狂言が透けて見える、という趣向である。それ
は、恰も何度もの噴火で流れ出た溶岩が幾層もの山肌を形成し、なだらかな裾野を形
成した富士山の地層を見るようではないか。本歌取り、書き換え、パロディなど、さ
まざまな趣向で幾層もの上塗りを続ける歌舞伎狂言の構造上の特徴を学ぶ典型的な狂
言ということになる。

例えば、それは、「三人吉三」が、判りやすい。三幕目第三場「隅田堤の場」(14
年前は、鎌倉が舞台であったため、「花水川河畔の場」。実質的な筋立ては変わらな
い)の3人の盗賊(日本駄右衛門、小狐礼三、船玉お才)の義兄弟の契りの場面は、
「三人吉三」の「大川端」の場面を容易に連想させる。つまり、日本駄右衛門=和尚
吉三、小狐礼三=お坊吉三、船玉お才=お嬢吉三、というわけだ。その「三人吉三」
の初演が、安政7(1860)年1月の江戸・市村座だったことを思えば、4年1
0ヶ月後に同じ芝居小屋で演じられた「小春穏沖津白浪」の「花水川河畔の場」は、
観客には、容易に「大川端の場」と重なって見えたことだろう。まして、鎌倉の「花
水川」は、江戸の大川(隅田川)であり、「大磯」の遊廓の「三浦屋格子先の場」
も、江戸の吉原であることを、観客たちは、当然の約束事として、読み替えているの
である。「礼三」というネーミングも、「吉三」に通底していることだろう。

さらにもうひとつだけ。序幕の「新清水の場」では、姫に化けた三浦屋の傾城・花月
と大名・月本家の若殿・数馬之助が、新清水観音の前にある茶屋で密会するために舞
台上手の茶屋に入った後、数馬之助一行の連れ、奴・弓平が花月一行の連れ、番頭新
造・花川に「申し弓平さん、久しぶりでござんすな」と呼び止められ、舞台下手奥に
あるそぶりで「蔭の茶屋へ、ト、弓平の手を取る」などのやりとりがあり、「ト、唄
になり、両人、思い入れあって、下手へ入る」という場面は、寛保元(1741)年
5月、大坂竹本座初演の人形浄瑠璃「新薄雪物語」(同年8月には、歌舞伎化されて
いる)の序幕「清水寺花見の場」で、薄雪姫一行と園部左衛門一行のそれぞれの連れ
の、主らの恋の取り持ちをする腰元・籬と奴・妻平の艶書の場面があるが、それのパ
ロディであることも、知れるであろう。

それに加えて、三幕目までは、黙阿弥原作にのっとって復活しているものの大詰の場
面(前回は、「鎌倉佐助稲荷の場」など)は、1927(昭和2)年2月、歌舞伎座
で上演された木村錦花原作の「小狐礼三姿錦絵」の増補版「半田稲荷鳥居前の場」の
大立ち回りの場面であり、14年前の菊五郎劇団の演出から、これは既に踏襲してい
る。

物語の主筋をコンパクトにまとめておこう。序幕では、大名・月本家の重宝「胡蝶の
香合」の紛失が明るみに出る。月本家の若殿・数馬之助(梅枝)が三浦屋の傾城・花
月(尾上右近)と密会していたこともあって、お家横領を狙う三上一学(亀蔵)に責
任を追及される。これが、ストーリーの主軸。

二幕目の第一場から第三場まで、通称「雪月花のだんまり」では、小狐礼三が狐の妖
術で、「一つ家」、「山中」、「花の山」が、雪景色、月夜、満開の桜と瞬時に変容
する。大道具による舞台転換の仕かけが実に美しく素晴らしい。「一つ家」の場面で
は雪深い山中の一つ家に住む田舎娘・胡蝶(菊之助)、山中に迷い込んで一つ家に辿
り着いた修行者・男装の経典(時蔵)が、それぞれ登場する。経典は髑髏を持ち歩い
ている。本心は胡蝶の香合を取り合う、という構図。狐が落とした香合を拾ったとい
う猟師(権十郎)も、この争奪戦に加わる。月夜の薄原の「山中」の場面では、大盗
賊の日本駄右衛門(菊五郎)が、巨木のウロから姿を顕す。「関扉」の関兵衛(実
は、黒主)のような扮装をしている。小狐礼三(菊之助)、船玉お才(時蔵)も正体
を顕す。数馬之助(梅枝)、花月(右近)、奴・弓平(亀三郎)も加わり、6人の
「だんまり(暗闘)」という演出になる。「花の山」も、基本的には同じ。小狐礼三
の妖術で桜満開の花の山が舞台に出現すると、観客席から、溜め息が聞こえる。最後
に香合を手に入れた小狐礼三が花道から逃げて行く。前回は、大道具の居所替りに加
えて、大きな背負い籠を使っての宙乗り、吹き替え、早替り、狐六法プラスの六法に
よる引っ込みなどという定式も含めた演出があったが、今回は、このうち、宙乗り、
吹き替え、早替りがなかった。それにしてもマウスでクリックすると場面が替るパソ
コンの画面を連想した場面展開であった。こう考えると、歌舞伎というものは以前か
ら随分と映像的でデジタルな感覚だったのだなと不思議な思いをしながら舞台を観て
いた。

贅言;日本駄右衛門が登場する、通称「白浪五人男」の初演は、1862(文久2)
年3月、江戸の市村座。「小春穏沖津白浪」の2年8ヶ月前、同じ芝居小屋で演じら
れた。黙阿弥は自分の先行作品をいろいろ塗り直している、という感じ。

三幕目は、吉原を舞台にした世話場。大店の若旦那・八重垣礼三郎に化けた小狐礼
三、香合を奪い取ろうと呪い師・地蔵尊のご夢想に化けた船玉お才がそれぞれ、三浦
屋に乗り込んで来る。数馬之助は、花月の部屋に隠れているが、三上一学に見つけら
れてしまう。吉原から隅田川畔へ。隅田の場は、既に述べたように三人の盗賊が義兄
弟の誓いをする場面。日本駄右衛門が主導する。花月を誘拐した駕篭とともに逃げる
一学が小狐礼三に阻止され、殺されてしまう。船玉お才は、花月を救い出し、連れて
逃げる。ここまでが、黙阿弥の原作。

大詰第一場。木村錦花原作の「小狐礼三姿錦絵」の増補版「半田稲荷鳥居前の場」の
大立ち回りの場面は、今回の演出では、洗練度があがり、かなり洒落てきた。そのた
めに、三幕目の幕切れと大詰の幕開きの場面が、切り離しとなった。暗闇の中、すっ
ぽんから、白狐が飛び上がって、出て来る。誰が演じているか判らない(筋書に配役
名がない)が、暫くは、この狐が主役となる。大勢の捕り方を相手に大立ち回り。大
詰第二場。月本家のお家騒動ものとしての決着をつける「大団円」の場面は、今回付
け加えられた。香合が戻り、数馬之助の勘当も許される。

さて、ここからは、14年前の菊五郎の「小狐礼三」から、今回の菊之助の「小狐礼
三」へ、ということで、劇評を比較してみよう。

2002年の舞台について、私は、次のように書いている。「悪人と善人、男と女な
ど芝居を構成する要素のメリハリが弱く、荒唐無稽の物語は、承知しながらも、物語
としては、いくつかのエピソードを並列させただけで、奥行きに乏しく、味が薄かっ
たように思う」。三幕目までのストリーは、根本的に弱い、というのは、今回も変
わっていない。小狐礼三、日本駄右衛門、船玉お才など盗賊が多数出て来る割には、
あまり悪さをせずに、月本家のお家騒動では、いずれも、次々に若殿の数馬之助の味
方になってしまう。さらに、唯一の敵役となる三上一学も、本来なら欲しい凄みがな
く、これが物語としての平板さの主な原因だろう。数馬之助も、気弱な若殿というだ
けで弱いと思った。傾城・花月が姫に化けて出て来る場面では、姫にしか見えず、
「姫に扮している傾城」という味をさりげなく滲み出して欲しかった。

今回の特徴は、小狐礼三の本性となる狐の関係を序幕「幕開き」で、明示するという
演出だ。すっぽんから上がってきたのは、白狐を操っているのは人形遣い(菊之助)
というわけだ。人形遣いが、狐の人形を操り、人形から生き物に転生した狐が、さら
に小狐礼三に化けているという趣向なのだろう。人形の狐→動物の狐→人間の小狐礼
三、という転生か。本質的には、逆のような気もする。人間に化けた狐、というの
が、この芝居の性根だろう。大詰第一場「赤坂山王稲荷鳥居前の場」の前段では、白
狐が花道のすっぽんから宙高く飛び出して来る。奈落でトランポリンを使っているの
だろう。白狐は、捕り方たちと立ち回りを演じる。縦横無尽に飛び跳ね、最後は、上
手の岩場に飛び込んで、逃げてしまう。千本鳥居の列の下を逃げ戻って来る小狐礼
三。廻り舞台いっぱいに、S字型にくねりながら続く千本鳥居の大道具が斬新で有効
だったと思う。鳥居の上に敷きつめてあるのは、アクリルの透明板か。廻る舞台と組
み合わせたダイナミックな展開は、見応えがある。今回は、大道具の展開が素晴らし
かった。印象に残る大立ち回り、となるだろう、と思う。監修は、菊五郎。小狐礼三
の目的意識と行動原理の一貫性をきちんと見せようという演出だったのだろう。菊五
郎は、役柄だけ、座頭としての存在感を示す日本駄右衛門(前回は、富十郎)に退
き、今回は主役を息子の菊之助に譲り、裏方に廻った。大名・月本家のお家騒動を手
助けする盗賊たち、という物語が浮き彫りになって来る。月本の殿様は、團蔵が勤め
た。

前回と今回の主な配役は、小狐礼三:菊五郎から菊之助へ。日本駄右衛門:富十郎か
ら菊五郎へ。船玉お才:時蔵(前回も)。数馬之助:信二郎時代の錦之助から梅枝
へ。傾城・花月:菊之助から尾上右近へ。傾城・深雪:田之助から萬次郎へ。このう
ち、14年前と役柄が替わらなかったのは時蔵だけで、肩に力が入らずに、楽々と役
をこなしている。吉右衛門の娘婿になり、播磨屋からも教えを受けるようになった菊
之助は、このところ、女形としてではなく、立役としても力をつけてきているが、
「実家」の音羽屋に戻っての芝居でも、引続き精進しているのは、頼もしい。今回の
演目でも、菊之助は、菊五郎からきちんとバトンを引き継いだと感じた。世代交代と
新しい形での黙編み物の継承。38歳の菊之助は、いま同世代の歌舞伎役者では図抜
けて力をつけてきたと思う。先が楽しみな役者だ。

贅言;二幕目第一場「(雪)矢倉沢一つ家の場」の前半、雪山を描いた「山幕」の前
で、敵役の三上一学の下部・早助(橘太郎)が、着ぐるみに全身を包んだ狐に騙され
る場面の狐の所作の巧さとふたりのやり取りのおもしろさ、橘太郎は好演で、「三浦
屋」の場面での、遣手・お爪の老け役も味があった。前回は、ふたつとも、今は亡き
松助が演じていた。松助は、歌舞伎の若い役者で人気のある松也の父親。今月の浅草
歌舞伎の劇評に登場する。ところで、雪の場面で、白い衣装の雪衣が出てこず、黒衣
が出て来たのは、前回も同じだったが、これは興醒め。
- 2016年1月8日(金) 10:25:31
15年12月歌舞伎座 (夜/通し狂言「妹背山婦女庭訓 〜杉酒屋、道行恋苧環、
三笠山御殿」)


45年ぶりの「杉酒屋」

 
「妹背山」の中でも「杉酒屋」は、歌舞伎では、今回初見。15年09月国立劇場、
人形浄瑠璃「妹背山婦女庭訓」を通しで観た。その時の場の構成は、「井戸替の
段」、「杉酒屋の段」、「道行 恋苧環」、「鱶七上使の段」、「姫戻りの段」、
「金殿の段」、「入鹿誅伐の段」。「井戸替の段」、「杉酒屋の段」が、歌舞伎の
「杉酒屋の場」として、今回初めて観ることになる。通し狂言としての「妹背山婦女
庭訓」の上演では、今回、「杉酒屋の場」、「道行恋苧環」、「三笠山御殿の場」と
いう構成になる。

「妹背山婦女庭訓」は、史実の大化の改新をベースにしている。大化の改新の主筋
は、権力争い。眼病を患い目が不自由になり、政治をつかさどれない天皇の代わりの
権力代行者を目指すのが、藤原鎌足と蘇我蝦夷、さらに、父親・蝦夷を欺こうという
蝦夷の息子・入鹿の野心が、父親を凌ごうとしている。

初演は、1771(明和8)年1月の大坂・竹本座。原作は、近松半二らによる合作
である。当時、80年の歴史を持つ竹本座が、経営の危機に瀕していた。半二が立作
者として竹本座起死回生の執念で書き上げた作品である。逆況をエネルギーに代々上
演が続く新作を生み出した、といえよう。
 
この物語は、1)権力争い(蘇我入鹿と藤原鎌足)とそれに巻き込まれた町娘・お三
輪の悲劇、2)お三輪と烏帽子折・求女(実は、鎌足の息子・藤原淡海=不比等)と
橘姫(蘇我入鹿の妹)の三角関係が生み出す悲恋物語が、交互に織りなす。男の争い
と女の争いが、背中合わせで主軸となる(お三輪は、犠牲になり、橘姫は、後に淡海
と結婚することになる)。
 
概要をスケッチしてみよう。タイトルを付けるとすれば、「蘇我入鹿暗殺作戦」。
ターゲットは、覇道の王・蘇我入鹿。指令を発したのは、今回の芝居には出て来ない
が藤原鎌足。藤原方の主な戦闘員は、藤原淡海、金輪五郎のふたり。
 
色男の淡海は、セックスで女性を抱き込む作戦で、藤原鎌足の命令に基づき覇道の
王・蘇我入鹿に迫る。入鹿の娘・橘姫と酒屋の娘・お三輪。今回は演じられないが、
入鹿の妹・橘姫を戦闘員の助手に使い、入鹿の持つ宝刀を盗ませようとさえする。
 
金輪五郎は、鱶七という市井の漁師に身をやつしながら、藤原鎌足の特使として、臣
従すると装って、蘇我入鹿に正面から迫る。この男は諜報も得意で、情報戦の戦い方
を知っている。蘇我入鹿の弱点を探り、弱点攻略の素材として秘術に必要な酒屋の
娘・お三輪の血を得るために、お三輪を犠牲にする(殺される訳だが、好きな人の役
に立つ、と聞かされ喜んで死んで行く)。
 
第一幕「杉酒屋の場」。歌舞伎では今回初見。三輪の里(大和盆地の東南にあり、大
和国一之宮の大神神社の門前町)の造り酒屋・杉酒屋では、毎年7月7日に恒例の
「井戸替」(井戸浚い。井戸掃除と定期点検。三輪の里は、水を大量に使う醸造業や
素麺の製造が盛ん。つまり、地下水が豊富)をしている。近所の長屋(酒屋の家作の
店子?)の連中がお手伝い。掃除が終わると、酒屋の後家のお酉(歌女之丞)から酒が
振る舞われる。丁稚の子太郎(團子)が、酒を運んでくる。無礼講で騒ぎまくるのが庶
民の楽しみ。その風俗が描かれる。酒屋の娘のお三輪は卒業した寺子屋の七夕祭で不
在。酒屋の隣に住む烏帽子折職人の求女が欠席。井戸替えの手伝いは、地域社会の親
睦も兼ねているので、欠席者は悪口を言われてしまう。そこへ、外出から戻ってきた
求女(松也)は、そういう予定も慣習も知らなかったと謝る。知らなかったのなら、
しょうがない。長屋のボス・土左衛門が許すので、皆も、求女を仲間に入れる。酒が
入り踊り出す連中。求女も無理矢理踊りの輪に入れられるが、隙を見て自分の家に逃
げ込む。騒々しいと長屋の家主茂儀兵衛(権十郎)が、文句を言いに来ると、長屋の
連中は逃げ隠れてしまう。家主は、お酉に藤原鎌足の息子・淡海を見つけだすと大金
がもらえると話して戻って行った。
 
 日も暮れて無礼講も終わる。烏帽子折職人・求馬のところへ白い被衣を担げた女が
求女の家の軒に忍んで来る。杉酒屋の丁稚子太郎がこれを見逃さない。女は、求女の
家に入る。寺子屋の七夕祭から帰ってきたお三輪に告げ口をする。既に求馬と性的な
関係を結んで、夫婦約束をしているお三輪は、求馬の不実をなじる。来ていたのは、
春日神社の巫女で夫のための烏帽子の注文だと弁解する。求女と女は、身元もわから
ないまま、恋仲になっていた。お三輪は、七夕祭で祀ってあった赤い苧環を求女に渡
す。七夕には、白い糸を男、赤い糸を女に見立てて、心変わりしないようにと祀る。
「道行」の伏線になるので、判り易い。求女の家に入っていたはずの先程の女が下手
から出て来る。お三輪と女で求女の取り合いになる。そこへ、お三輪の母のお酉が
戻ってきて、求女こそ、お尋ね者の藤原淡海だと知り、用があると求女を引き止める
が、白衣の女を追って、求馬が、求女を追ってお三輪が姿を消す。
 
 
「道行 恋苧環(こいのおだまき)」は、所作事(舞踊劇)。求女とふたりの女(橘
姫、お三輪)の三角関係が、三輪山の草深い神社の境内で「景事」というヴィジュア
ルな舞踊劇で表現される。竹本の文句と三味線の糸に乗って、踊る、という演出。

薄暗い中、幕が開くと、浅黄幕が舞台全面を覆っている。上手の山台は、竹本連中。
 
「岩戸隠れし神様は…」、暫く、置き浄瑠璃が続く。「誰と寝(ね)ねして常闇(と
こやみ)の」、「影隠す薄衣」、「包めど香り」など、セクシャルで意味深な文句が
続く。
 
やがて、「暗き、くれ竹の」で、浅黄幕が振り落とされて、場面展開。春日神社の境
内。舞台中央奥に求女(松也)と被衣姿の女(橘姫・児太郎)の二人。抱き合っている。
背景は松並木。竹本の山台の後ろに参道。

「思ひ乱るるすすき陰」で、上手奥よりお三輪(七之助)が、参道を追って来る。お三
輪は恋しい求女の濡れ場を見てしまい、嫉妬する娘心。「気の多い悪性な」(求女さ
ん!)「外(ほか)の女子は禁制と、しめて固めし肌と肌」(私を騙したの)。(そ
このお姫さんに)「女庭訓、躾方」(を教えてあげて。これが、外題の謂れか)と、
強気のお三輪。「恋は仕勝ちよ我が殿御」と姫も負けていない。勝った方が勝ち、負
けた方が負け。いわば、三角関係の踊りである。ふたりの女が「ともに縋りつ、手を
取りて」で、求女も橘姫に着ている羽織を脱がされてしまう。
 
「梅は武士、桜は公家よ、山吹は傾城。杜若は女房よ。色は似たりや菖蒲は妾、牡丹
は奥方よ、桐は御守殿、姫百合は娘盛りと」などと、「景事」に相応しい花尽くしの
華麗な文句が太夫の口からは紡ぎ出される。華麗な文句をよそに、姫と娘は、嫉妬の
思いを炎上させる。「睨む荻(おぎ)と/萩(はぎ)/中にもまるる男郎花(おみな
えし)」、「恋のしがらみ蔦かづら、つき纏はれてくるくるくる」。「女郎花」が、
ここでは、「男郎花」になっている。優男。だが、求女は、本当に優男かどうか。後
に明らかになるが、結構、曲者!
 
苧環の赤い糸を姫の振袖の端に付ける求女。姫の正体を探ろうと尾行する。同じく白
い糸を求女の裾に付けるお三輪。求女の後を追う。それぞれが動けば、糸車は、くる
くる回る。
 
「三笠山御殿の場」。新築披露の三笠御殿。蘇我入鹿(歌六)は、父を凌ぎ、政敵の
鎌足を凌ごうと、すでに、帝のように振る舞っている。

「酒池の遊びに酔ひ疲れ」ほとんど酒乱のように酒浸りの日々。「類なき栄華の
殿」。世話をする官女たち。「猩々の人形に/見惚れ官女たち」は、更に、酒を勧め
る。
 
花道より、「撥鬢(ばちびん)頭の大男」鱶七(松緑)登場。鱶七は、主の鎌足の「降
伏」を伝え、「臣下に属するの印」という、降伏、つまり白旗の使者だが、上使らし
くない漁師の扮装で、入鹿への献上の酒を毒味と称して、勝手に自分で飲んでしまっ
たり、通俗的な科白廻しで、鎌足を「鎌どん」と呼んだりして、傍若無人な無頼振
り。型破りな上使である。豪快さと滑稽さが、要求される。
 
入鹿に不審がられ、人質として留め置かれる鱶七だが、剛胆。一寝入りしようとした
ところに床下から入鹿の家臣に槍を突き出されても平気。2本の槍を結びつけ、「ひ
ぢ枕」にして寝てしまう。官女たちに色仕掛けで迫られても、軽くあしらう。官女た
ちの差出した酒も毒と見抜いて、捨ててしまう。「ハレヤレきつひ用心」と、嘯く。
鱶七は、江戸荒事の扮装、科白、動作で闊歩する。入鹿対鎌足の代理の鱶七の「戦
闘」も、コミカルに描かれる。 
 
花道から橘姫(児太郎)が、三笠御殿に帰って来る。上手から出て来た官女たちが枝折
り戸を開けて、迎えたので入鹿の妹・橘姫だったことが判る。官女が姫の袖について
いる赤い糸を手繰り寄せると求女が花道から現れる。求女も姫の正体を知る。姫も求
女の正体を知る。ばれた男女のうち、女は自分を殺して欲しいと男に頼む。男は、自
分と夫婦になりたいならば、兄の入鹿が持っている三種の神器のひとつ、十握(とつ
か)の剣を盗み出せと唆す。「恩にも恋は代へられず。恋にも恩は捨てられぬ」。
 
恋争いも権力争いには負ける。「第一は天子のため」と橘姫も覚悟を決める。求女
は、橘姫の正体を疑い、恋人になろうとしたスパイなのだった。単なる優男ではな
かった。したたかな精神の持ち主、スパイであった。有能なスパイの狙いが当たった
というわけだ。「たとへ死んでも夫婦ぢやと仰つて下さりませ」と橘姫。「尽未来際
(じんみらいざい)かはらぬ夫婦」と求女。姫は、スパイの手下になる。その後、ふ
たりは結婚することになる。
 
恋の、白い糸が切れて迷子になったお三輪が辿り着いたのは、「不思議の国」の金の
御殿。「金殿(ゴールデンパレス)」という上方風の御殿。花道からお三輪(玉三郎)
登場。観客席から、ジワが起こる。

まず、悲劇の前の笑劇という作劇術の定式通りで、「豆腐買い」の場面。上手奥より
「豆腐買  おむら」(中車)が登場する。被衣を被り豆腐箱掲げて使いに行くお端
女。ベテラン役者の「ごちそう」の役どころ。嫉妬に狂い、判断力を摩耗させるお三
輪。タイムトリップする迷路で出逢った豆腐買いは、所詮、不思議の国の通行人にす
ぎない。

糸の切れた苧環は、「糸の切れた凧」同様、タイムトリップする異次元の迷路では、
迷うばかり。役に立たなかった。時空の果てに置き去りにされたお三輪には、もう、
リアルな世界への復帰はない。後戻りできない状況で、前途には過酷な運命が待ち構
えているばかり。
 
御簾が上がった御殿の長廊下へ上がり込んで侵入してきた異星人・「見慣れぬ女子」
のお三輪を金殿の官女たちは、よってたかって攻撃する。御殿を守る女性防衛隊とし
ては、常識的な対応なのだろう。まして、異物は「恨み色なる紫の/由縁の女とはや
悟り、『なぶつてやろ』と目引き、袖引き」。それは、町娘への「虐め」という形
で、表現される。「道行恋苧環」では姫に対抗して強気の町娘だったお三輪は、ここ
では、虐められっ子にされてしまう。
 
官女たちは、魔女のように、可憐な少女アリス=お三輪を虐め抜く。「オオめでとう
哀れに出来ました」と官女たち。虐めが対照的に、お三輪の可憐さを浮き立たせる。
言葉の魔力は、悲劇と喜劇を綯い交ぜにしながら、確乎とした悲劇のファンタジーの
世界、「不思議の国」を形成して行く。
 
官女たちのお三輪虐めもエスカレートする。「馬子唄」を唄えと強要される。「涙に
しぶる振袖は、鞭よ、手綱よ、立ち上がり」「竹にサ雀はナア、品よくとまるナ、と
めてサとまらぬナ、色の道かいなアアヨ」。だから、この段の通称を「竹に雀」とい
う。悲劇故に、「竹に雀」という穏やかな通称外題を付ける、江戸人のセンス。
 
この後、原作者の近松半二は「官女たちのお三輪虐め」を「鱶七によるお三輪殺し」
の場面へと繋ぐ。官女たちに虐め抜かれた果てに、お三輪は、恋しい求女、実は、藤
原鎌足の息子・淡海の、政敵・蘇我入鹿征伐のためにと鎌足の家臣鱶七、実は、金輪
五郎の「氷の刃」に刺されてしまう。「一念の生きかはり死にかはり、付きまとうて
この怨み晴らさいで置こうか」という、「四谷怪談」のお岩張りの怨念を溜め込むお
三輪だが、金輪五郎に行き違う隙に脇腹を刺され、瀕死となりながら、その血が藤原
淡海のために、役立つと説得され、「女悦べ。それでこそ天晴れ高家の北の方」と、
(娘の生き血を笛に塗りたい)金輪のリップサービス。それならばと命を預けるお三
輪。恋する人のために死んでも嬉しい娘心を強調し、半二も観客の血涙を絞りとろう
とする。
 
「疑着の相ある女の生血」が役立つと、半二は、かなり無理なおとしまえを付ける。
死んで行くお三輪の悲劇が、お三輪の恋しい人である淡海の権力闘争を助けるという
ことになる。最後まで、筋立てには、無理があるが、劇的空間は、揺るぎを見せずに
見事着地してしまう。

「三笠山御殿」を幾つかの場面に分解して解析してみよう。
「入鹿と鱶七」:鱶七(松緑)は、荒事定式の、衣装(大柄の格子縞の裃、長袴、縦
縞の着付)に、撥鬢頭に、隈取りに、「ごんす」「なんのこんた、やっとこなア」な
どの科白回しにと、荒事の魅力をたっぷり盛り込む。首に巻いていた水玉の手拭い
も、荒事用の大きなもの。後に、鉢巻きをする際、黒衣から、さりげなく、普通サイ
ズを受け取っていた。二本太刀の大太刀は、朱塗りの鞘に緑の大房。太刀の柄には、
大きな徳利をぶら下げている。腰の後ろに差した朱色の革製の煙草入れも大型。鬘の
元結も何本も束ねた大きな紐を使ってる。上から下まで、すべてに、大柄な荒事意識
が行き届いている扮装。
 
「鱶七と官女」:蘇我入鹿(歌六)との対決の後、床下から差し掛けられた槍2本と鉢
巻きにしていた手拭いで、Xの字になるように縛り上げる剛毅な鱶七。槍を枕に寝て
しまう。歌舞伎十八番のひとつ「矢の根」の夢見の場面との類似を感じる。立役の官
女たちとのやりとりも、官女たちをおおらかにやりこめる。これは、後の舞台、「官
女たちのお三輪虐め」への伏線だろう。
 
二重舞台の三笠山御殿は、近松半二得意のシンメトリー。高足の二重欄干、御殿の
柱、高欄階(きざはし)、も黒塗り。人形浄瑠璃なら、「金殿」という上方風の御殿
に、「浪波の浦の鱶七」は、江戸荒事の扮装、科白、動作で闊歩する。この場面、そ
ういう一枚の絵。人形浄瑠璃なら、「鱶七上使の段」と、そのものずばりのネーミン
グになっている。
 
「求女と橘姫と官女」:橘姫(児太郎)が、被衣を被ったままお忍び姿で戻って来
る。出迎える官女たち。その一人が、姫の振袖の袂についている赤い糸を手繰ると、
求女(松也)が登場。姫様の恋人だと官女たちが喜ぶ。やっと、求女が姫の正体、つ
まり、政敵の入鹿の妹・橘姫と知る場面だ。「苧環」を搦めた美男美女の錦絵風。自
分との結婚の条件として、兄・入鹿が隠し持っている「十握(とつか)の御剣(みつ
るぎ)」(三種の神器のひとつ)を盗み出すよう姫をそそのかす求女、じつは、藤原
淡海(入鹿と敵対する藤原鎌足の息子)の強かさ。ただの美男ではないという求女。
人形浄瑠璃なら、「姫戻りの段」と、こちらも、判りやすい。
 
「お三輪と豆腐買い」:悲劇の前の笑劇という、定式の作劇術。風俗絵風。豆腐買い
の中車は、「ごちそう」の役どころ。初めての女形。「不思議の国のアリス」のよう
に「御殿」=「不思議の国」を迷い、彷徨するお三輪=アリスにとって、豆腐買い
は、敵か味方か。迷路で出逢った、別次元の通行人にすぎないか。この場面からお三
輪は、それまでの七之助から玉三郎に替っている。白い苧環は、お三輪=アリスに
とって、魔法の杖だったはずだが、糸の切れた苧環は、「糸の切れた凧」同様、迷路
では、役に立たない。
 
「官女たちのお三輪虐め」:「道行恋苧環」の強気の町娘・お三輪は、ここでは、虐
められっ子。この場面が、「三笠山御殿」では、本編中の本編だろう。松太郎らの8
人の立役のおじさん役者たちが、魔女のように、可憐な少女アリス=お三輪に対し
て、如何に憎々しく演じることができるか。それが、対照的に、お三輪の可憐さを浮
き立たせる。お三輪(玉三郎)も、ここで虐め抜かれることで、「疑着のお三輪」
の、女形としての「カゲキ度」をいちだんと高めるという構図。
 
上手、奧からは、求女と橘姫の婚礼の準備の進ちゃくをせかせるように、効果的な音
が、続く。1)ドン、2)チン、チン、チン、3)ドン、ドン、ドン、4)とん、と
ん、とん。これが、規則的に繰り返される。下手、黒御簾からは、三味線と笛の音。
舞台では、次第に高まる緊張。官女たちの虐めもエスカレートする。さりげない効果
音的な演奏が、場を引き立てる。音と絵のシンフォニー。
 
「疑着のお三輪」:「官女たちのお三輪虐め」→「鱶七とお三輪」というふたつの場
面を繋ぐ、ブラックボックス。強いお三輪の復活。しかし、ひとたび、弱さを見せた
お三輪は、「道行恋苧環」のようには、強さを維持できない。次の悲劇を暗示してい
る。
 
「鱶七とお三輪」:求女、じつは、藤原淡海の、政敵・入鹿征伐のために鱶七、実
は、金輪五郎今国(藤原鎌足の家臣)に命を預けるお三輪。疑着の女の血が役立つ
と、死んで行くお三輪の悲劇が、正義の味方・淡海を助けるという大団円。瓦灯口の
定式幕が、取り払われると、奧に畳千帖の遠見(これが、「弁慶上使」のものと同じ
で、手前上下の襖が、銀地に竹林。奧手前の開かれた襖が、銀地に桜。奧中央の襖
が、金地に松。悲劇を豪華絢爛の、きんきらきんの極彩色で舞台を飾って、歌舞伎の
「カゲキ度」も、いちだんと高まる。亡くなったお三輪の遺体が平舞台、中央上手寄
り。黒幕を持ち出した黒衣が、玉三郎を隠し、お三輪の遺体を消し去る。二重舞台中
央では、豪華な馬簾の付いた伊達四天姿に替わった鱶七(松緑)と12人の花四天と
が、対峙し、さあ、これからの立ち回りの始まり、という形になったところで、定式
幕が上手から迫ってくる。

松緑の鱶七役は、今回で3回目。求女を演じた松也は、すべてを通じて初役。お三輪
を演じた七之助は、「杉酒屋」「道行」は、初役。「三笠山御殿」は演じたことがあ
るが、今回は、玉三郎が演じた。橘姫を演じた児太郎は、「杉酒屋」「道行」は、初
役。「三笠山御殿」は、2回目。歌舞伎界の世代交代を私たちは目の当たりに見てい
る。

この他の御曹司たちでは、杉酒屋の丁稚を演じたのが中車の長男團子。宮越玄蕃を演
じたのが、彦三郎の長男亀三郎、荒巻弥藤次を演じたのが、次男の亀寿。
- 2015年12月18日(金) 21:05:07
15年12月歌舞伎座 (昼/「十種香」、「赤い陣羽織」、「積恋雪関扉」)

 
世代交代の歌舞伎


歌舞伎の三姫と言えば、「廿四孝」の八重垣姫、「金閣寺」の雪姫、「鎌倉三代記」
の時姫で、歌舞伎の姫君の役柄でも、特に、難しいと言われている。中でも、「廿四
孝」の八重垣姫について言えば、私が思うには、人形浄瑠璃から歌舞伎に移されてか
ら、240年ほどが経っていて、代々の役者らが、いろいろ工夫して来たにも拘ら
ず、近松半二らが合作した人形時代浄瑠璃の原型の演出が、いまも、色濃く残ってい
る。八重垣姫の心理の展開を科白劇ではなく、人形劇の、まさに、人形ぶりに近い
(だから、歌舞伎にも「人形ぶり」を取り入れる演出もある)外形や所作で、表現す
ることが続くから、難しいのではないだろうか。寡黙なまま、竹本の語りと所作で、
姫の心理や感情を表現することの難しさ。それが、三姫の中でも、八重垣姫の演技を
ことのほか難しくしているように、私には、思える。逆に言えば、だからこそ、女形
たちは、八重垣姫」に挑戦するとも言えるだろう。

「十種香」は、10回目。前回は、08年10月歌舞伎座。「本朝廿四孝〜十種香、
狐火〜」という構成。玉三郎が、満を持して、20年ぶりに八重垣姫を演じた。今回
は、「十種香」のみ。八重垣姫を演じるのは2回目という七之助。

私が観た舞台では、02年11月・歌舞伎座の「十種香」が良かった。この時は、昼
の部の「新薄雪物語」(大勢の役者が揃わないと上演できない)上演の影響を受け
て、夜の部の「本朝廿四孝〜十種香〜」では、出演メンバーが豪華な上、いろいろと
バランスが取れていて、私が観たなかでは、「最高に充実したものになった」と劇評
記録には書いている。顔ぶれを見れば、納得できよう。八重垣姫が、雀右衛門。勝頼
が、菊五郎。濡衣が、芝翫。謙信が、富十郎。白須賀六郎が、團十郎。原小文治が、
仁左衛門。
 
こうした舞台で私が観た八重垣姫は、芝翫、松江時代を含む魁春(2)、雀右衛門
(2、このうち、1回は、雀右衛門「十種香」に続いて、「狐火(奥庭)」の場面を
引き継いだ息子の芝雀を観ている。この時、芝雀は、兄の大谷友右衛門の人形遣い
で、人形ぶりで八重垣姫演じた。京屋型の人形ぶりということで、同じ上方歌舞伎で
も、やはり、人形ぶりを見せた鴈治郎の成駒屋型とは、違って、宙乗りの場面があっ
た)、鴈治郎、菊之助、時蔵、玉三郎、今回は、七之助。前回の玉三郎は、20年ぶ
りの八重垣姫であった。もちろん、私は、玉三郎の八重垣姫は、これが初見。200
0年5月、歌舞伎座の初日を前に、舞台稽古を拝見したことがある。その時は、菊之
助が、八重垣姫で、玉三郎は、濡衣を演じた。因に、勝頼は、新之助時代の海老蔵で
あった。菊之助が、玉三郎から演技指導を受けながら、柱に抱きつく、「柱巻き」の
場面を何度か繰り替えして演じていた姿を覚えている。2階最前列の客席から拝見し
ていたので、どういう指導をしていたかは、聞き取れなかった。

歌舞伎座12月興行は、今では、上置きは、玉三郎だから、今回も七之助の演技指導
は玉三郎がしていることだろう。菊之助、七之助と真女形を目指す二人にきちんと指
導する玉三郎。世代交代が、八重垣姫でも進む。今回は歌舞伎の伝承の舞台を観るこ
とになる。
 
さて、私の印象に残る八重垣姫は、何と言っても、雀右衛門であった。静かなうち
に、優美さと熱情を滲ませる八重垣姫としては、私には、最高であった。玉三郎の八
重垣姫は、前回、初めて観たのだが、玉三郎は、所作が細かい。舞台の居どころの調
整を含めて、演技の細部を慎重に埋めながら、演技をしているのが判る。本来とは、
逆だが、人形が玉三郎に乗り移ったように、玉三郎は、演じる。人形の形をなぞりな
がら、人間が演じるという感じがした。「ぼんじゃりとした風情」と玉三郎は、楽屋
で、説明している。「ぼんじゃり」とは、「おっとりとして、やわらかい」という意
味。待望の八重垣姫を20年ぶりに演じるということで、肌理細かな演技を心掛けて
いるように見受けられた。
 
「十種香」は、姫の熱情の恋が、「翼が欲しい羽根が欲しい」と直情径行で、「狐
火」(「奥庭」)の場面で奇蹟を起こす物語である。「いっそ、殺して殺してと」と
いう八重垣姫の燃える恋の声を代弁する竹本の語りが、切実である。その前に出て来
る「(勝頼の)お声を聞きたい、聞きたい」というリフレインの科白同様に、竹本の
語りだからこそ成立するが、役者の生の科白では、成立しないという語りの科白が、
「十種香」には、いくつかあるので、難しい。科白では、出せないリズムが、人形時
代浄瑠璃の滋味として隠されているように思う。歌舞伎で、その滋味を引き出すこと
の難しさ。その辺りは、歌右衛門、雀右衛門らのように、ベテランの域に達してから
の、藝の力を待つしか無いのかも知れない。玉三郎も20年ぶりに八重垣姫を演じた
ことで、歌右衛門、雀右衛門らの「円熟期の八重垣姫」に肉迫するスタートラインに
立ったのかも知れない。それに続くのが、菊之助、七之助らの若い力であろう。
 
舞台上手の障子が開くと、まず、赤姫の後ろ姿(九代目團十郎以降の演出)を観客に
曝し、それだけで、姫の品格を出さなければならない八重垣姫。姫は、なかなか、前
を向かない。やがて、ゆっくり前を向く。
 
勝頼回向のため、勝頼の絵姿の前に香道具を置いて、八重垣姫が焚く香(この香が
「十種香」。栴檀、沈水など10種の香木。因みに、香は「聞く」という)の匂い
は、噎せ返るほどの恋の香だ。役者の八重垣姫は、誰であれ、燃える演技で、恋の香
を越えなければならない。立って、座って、柱巻きの姫の姿は、やはり、美しかっ
た。
 
濡衣は、今回、児太郎。前回、私が観た時は、福助。児太郎の父親だ。病で舞台復帰
が出来ない。ここも世代交代。濡衣は、本来、腰元として花作り簑作、実は、勝頼に
密かに仕える身(つまり、勝頼とともに、謙信館に潜り込んだ武田方のスパイであ
る)、濡衣は、謎を秘めた、臈長けた女の色気を滲ませなければならない。
 
「十種香」で最初に舞台に姿を見せるのは、花作り簑作、実は、武田勝頼である。今
回は、松也が、演じる。初役。この人は、口跡が良い。武田信玄と上杉(長尾)謙信
が、天下取りを掛けて争っている時代。謙信館の襖を開けて出て来て、舞台中央で静
止するだけで、役者は、勝頼らしい風格を演じなければならない。花作り簑作は、濡
衣の夫、勝頼は、八重垣姫の許婚。ここに登場した花作り簑作、実は、勝頼というこ
とで、贋の花作り簑作。濡衣とは、表向き、夫婦の関係。密かには、武田方のスパイ
同士でもある。だから、謙信には、正体を見破られないように注意している。許婚の
八重垣姫は、恋人の直感で、贋の花作り簑作の正体を見抜いている。そういう人間関
係の中に、花作り簑作、実は、勝頼は、いるのである。勝頼役者は、科白が、少ない
中で、そういう状況を観客に判らせなければならない。
 
謙信は、短い登場だが、芝居の要に位置する役どころで、とても大事である。諏訪湖
畔の屋敷といえば、史実的には、謙信より信玄の筈だが、なぜか、「十種香」では、
謙信が登場する。花作り簑作、実は、勝頼の正体を見抜き、濡衣の正体を見抜き、最
後の場面で、激情を発露させるまでは、謙信役者は、抑圧的に演じなければならな
い。市川右近が、初役で演じた。私が観た謙信役では、我當が存在感があった。こう
いう短い登場ながら、きちんと存在感を印象に残せる役者は、少なくなってきたの
で、我當も足が衰えて出番が減ってしまった。 


中車の「赤い陣羽織」


「赤い陣羽織」は、2回目。前回は2007年10月・歌舞伎座。これは「民衆民話
の反権力意識」がテーマ。「赤い陣羽織」は、1947年に雑誌に発表された木下順
二作。同年12月に東京劇場で上演された。その後、1955(昭和30)年1、2月
に歌舞伎化されて、歌舞伎座で初演された。スペインの作家・アラルコンの「三角帽
子」を翻案した作品。原作では、市知事が被る三角帽子と緋ラシャの外套が、本作で
は、お代官の着る赤い陣羽織になっている。歌舞伎初演時には、十七代目勘三郎のお
代官、八代目幸四郎のおやじ、六代目歌右衛門の女房ほか。木下順二は、日本の民話
にはない民衆が権力者をひっくり返すという原作のテーマを笑劇(ファルス)にまと
めたという。
 
筋立ては、民話らしく、判りやすい。女房と馬と暮らすおやじ。女に目がないお代官
が、おやじの女房にちょっかいを出したことから、喜劇が始まる。おやじとお代官
は、小太りで、眉が太く、口の周りの鬚跡が濃いなど、人相が似ているという辺り
が、笑いのポイント。庄屋を使って、おやじに難癖を付け、庄屋の屋敷に引っ張って
行った後、お代官は、女房ひとりのおやじの家に忍び込もうとするが、川に嵌った上
に、女房に鍬で殴られ、気絶してしまう。庄屋の家から逃げて来たおやじは、脱ぎ捨
てられたお代官の着ものや陣羽織を見て、女房が寝取られたと思い、お代官の奥方を
寝取ることで、復讐しようとお代官の衣装を身に着けて代官所へ向うが……。結局、
お代官の奥方の知恵で、お代官にお灸がすえられ、おやじ夫婦も安泰で、めでたしめ
でたし。

中車は、こういう芝居は巧い。演出は、玉三郎。
今回の配役は、おやじ(門之助)、女房(児太郎)、お代官(翫雀)、奥方(吉
弥)、代官のこぶん(亀寿)、庄屋(荒五郎)ほか。

前回の配役は、おやじ(錦之助)、女房(孝太郎)、お代官(中車)、奥方(吉
弥)、代官のこぶん(亀鶴)、庄屋(松之助)ほか。
 
 
松緑初役の「関扉」


「積恋雪関扉」は、6回目の拝見。江戸時代中期の天明歌舞伎(1780年代)の代表
作の一つ。1784(天明4)年、江戸桐座(控え櫓)で初演。舞踊劇。おおらかな
味わいと醍醐味に特徴があるのが天明歌舞伎。前回は、10ヶ月前、15年02月歌
舞伎座。古怪な味を伝える幸四郎の関兵衛、実は、大伴黒主であった。
 
「積恋雪関扉」では、私が観た主な配役は、逢坂山の関守・関兵衛、実は、大伴黒
主:幸四郎(3)、吉右衛門(2)、今回は松緑が初役で勤める。小野小町姫:福助
(2)、芝翫、魁春、菊之助、今回は七之助。墨染、実は小町桜の精:芝翫(2、こ
のうち、1回は、小町とのふた役)、福助(2、このうち、1回は、小町とのふた
役)、菊之助(小町とのふた役)、今回は玉三郎。
 
「積恋雪関扉」は、関兵衛(松緑)を軸にしたふたつの芝居からできている。前半
は、小野小町姫(七之助)と関所を住居とする良峯少将宗貞(松也。今回、初役)と
の「恋の物語」と宗貞の弟・安貞の「仇討(実は、大伴黒主に殺されている)の話」
が二重構造になっている。関兵衛は、少将宗貞に雇われた関守である。後半は、かっ
て安貞と契りを結んでいた小町桜の精(玉三郎)が、傾城・墨染に化けて関兵衛の正
体を恋人殺しの下手人大伴黒主ではないかと疑ってやって来たという話。最後には、
関守の正体を暴いた上で、敵討ちを挑む。
 
舞台の前半は、古怪な味わいの所作事を楽しめば良いだろう。特に、関兵衛は、少し
ずつ、大伴黒主という正体を顕すような、取りこぼしをして行く。滑稽味のある関兵
衛の、底に潜む無気味な大伴黒主という、人格の二重性を如何にバランス良く見せる
か、その変化を微妙に、丁寧に描いて行くことが、「関兵衛、実は、大伴黒主」を演
じる役者の工夫の仕どころであろう。こういう役は、幸四郎、吉右衛門、どちらの持
ち味が生きるか。古怪な味わいは、幸四郎の方が上だった。松緑は、祖父や先輩方を
真似ることが大事だろう。祖父の二代目松緑は、「弁慶と関兵衛が双璧」と言ってい
たらしい。
 
本舞台中央に桜の巨木。「小町桜」という立札がある。仁明天皇が愛した小町桜は、
天皇が亡くなった後、哀しんで墨染色の花をつけるようになった、というので、別称
「墨染桜」となった、という。

小町桜を伐って護摩木にすれば、謀反の大願成就と悟った「関兵衛、実は、大伴黒
主」は、小町桜を伐ろうとするが、失敗する。小町桜の精は、木から飛び出し、関兵
衛に逢いに来たという触れ込みで、傾城・墨染となって、現れる。廓話に花を咲かせ
ているうちに、関兵衛が持っていた「二子乗舟(じしじょうしゅう)」(「弟の安貞
が兄の宗貞の身代わりとなって死んだ」ことを意味する)という血で書かれた片袖
が、小町の精と安貞との想い出の品であったことから、墨染は、小町の精としての正
体を顕わし、大伴黒主と対抗して行く。
 
ふたりとも、「ぶっかえり」という定式の、「見顕わし」で、それぞれの正体を暴露
して行く。逆海老を披露する玉三郎の歳を忘れさせる身体の柔軟さ。大口開きの不気
味な松緑。最後は、二段に乗っての、玉三郎の大見得、その下手でそれに対抗する松
緑の大見得で、幕となる。

今回、音楽は、竹本と常磐津の掛け合い。竹本が関兵衛で使われ、常磐津が小町と墨
染で使われる。玉三郎のアイディア。通常は、常磐津となる。
 
贅言;この芝居では、「小野小町姫」、「傾城・墨染、実は、小町桜の精」のふた役
を同じ役者が演じる場合と別々の役者が演じる場合とが、あるが、今回、前半で七之
助が「小野小町姫」を演じ、後半は玉三郎が「傾城・墨染、実は、小町桜の精」を演
じた。
- 2015年12月17日(木) 7:32:47
15年12月国立劇場 (通し狂言「東海道四谷怪談」)


12月のお岩


国立劇場調査記録課が編集した「国立劇場上演資料集(601)  通し狂言東海道四谷怪
談」を見ると、季節外れの怪談上演というのは、あるものだ。まあ、1825(文政
8)年、江戸の中村座初演は旧暦の7月の盆興行だったが、翌年、大坂道頓堀角の芝
居では、1月に上演されている。評判の四谷怪談とあって、盆興行まで待てずに、正
月興行にしたのだろう。同年の9月には、名古屋で興行、その翌年、つまり初演から
2年後の1827年9月には、早々と中村座で凱旋興行となった。話が逸れたが、怪
談は、夏興行と思ったら、1月、2月、3月、…11月とあったが、12月だけがな
かった。1825年から190年となる2015年、四谷怪談上演史上、初めて、師
走に四谷怪談が上演されたことになる。

夏興行の芝居が冬に上演された意味は、芝居の最後を観れば判る。雪の討ち入りの場
面があるからだ。高麗屋一門の演出は、原作にない場面を今回だけの「入れごと」、
新しい演出として付け加えている。それは、劇評の中で明らかにして行きたい。

すでに触れたように「四谷怪談」は、初演が1825年。1748年の「仮名手本忠臣蔵」
の別の物語、忠臣蔵外伝の一つとして、書かれた。雪の討ち入り。(旧暦の12月14日)  
は、現在の1月末。「四谷怪談」は、春から冬までの芝居。四季は巡る。塩冶浪士の
佐藤与茂七は、「公」の、つまり自害した主君の敵討ち(討ち入り)の前に、「私」の
仇討、つまり義弟が、義姉(岩)の敵として、義兄・(伊右衛門)を討つという話なの
だ。
 
「四谷怪談」に登場する主な人たち(配役)。まず、基本構図は、「仮名手本忠臣
蔵」(主君が刃傷事件を起こして、断絶した「塩冶家」遺臣対「高家」家臣)の「外
伝」という性格の物語ということだ。

 物語は、主家断絶後の浪人暮らしの中で、忠義グループについて行けず、脱落した
男。産後の肥立ちの悪く、体調不調となったので、うとましくなった女房を殺し、若
いギャルを後添えにと、つかの間の夢をこの男は。見たが故に、男は自分が殺した妻
の霊に悩まされ、その挙げ句、狂気の末に忠義グループから脱落した挙句、義弟に殺
されてしまう。当時、江戸では自殺した妻の霊に夫が祟られるという出来事があっ
た、という。当たり狂言の「仮名手本忠臣蔵」をベースに「東海道四谷怪談」を発想
した鶴屋南北は、主人公にこの夫を据えてみたのだ。
 
まず、「塩冶家」側では、忠臣=主家断絶後も主君の敵を討つという忠義のグループ
と脱落したグループの武士たちとその関係者が登場する。主役になった男、民谷(た
みや)伊右衛門の関係では、塩冶グループから不忠にも脱落した浪人民谷伊右衛門
(幸四郎)、夜鷹もしている、妻・岩(染五郎)、宅悦経営の地獄宿の売春婦もして
いる、岩の妹・袖(新悟)、落ちぶれて「袖乞い」(乞食)をしている塩冶忠義の岳
父・四谷左門(錦吾)、という顔ぶれ。貧窮の四谷家は崖っぷち。蒸し暑い路地裏の
長屋暮らし。塩冶忠義の浪人で袖の許婚・佐藤与茂七(染五郎)。

「色悪」(色気のある悪人)というキャラクターの伊右衛門は、岩と離縁させられた
上、御用金横領という旧悪を知られた岳父・四谷左門を殺害するなど、左門、岩、小
平(染五郎)、伊藤家の喜兵衛(友右衛門)、梅(米吉)、弓(幸雀)と次々に6人を
殺す。
 
塩冶グループの奥田家関係では、与茂七に間違われて直助に殺される塩冶忠義の浪人
奥田庄三郎(隼人)、小悪党で袖に横恋慕の故に主(あるじ)殺しをしてしまう奥田家
の中間・直助(弥十郎)。
 
塩冶グループの小汐田(おしおだ)家関係では、塩冶忠義の浪人だが、足が萎える難
病の小汐田又之丞(錦之助)、又之丞のために民谷家秘伝の薬を盗んで、捕まる善人
で小汐田家の元家臣・小仏小平(染五郎)。小平は殺された後、岩と心中したように
見せかけるために、一枚の戸板の裏表に縛り付けられる。これも、当時の江戸では、
似たような事件があった、という。南北は、これも取り入れた。
 
武士ではないが、実直な按摩ながら、一方で地獄宿(売春宿)で管理売春をしている
宅悦(亀蔵)。伊右衛門に頼まれて、岩にちょっかいを掛ける役どころ。宅悦は、お
岩が毒薬を呑まされて顔が醜く変貌して行くのに付き合わされ、節目ごとに、観客に
先行しながら、驚いて見せる。つまり、恐怖感を煽り立てる役どころを担っている。
ベテランの脇役のしどころがいっぱいある。
 
一方、塩冶グループから主君の敵と狙われる「高家」側では、高家の主君、高師直は
出て来ないが、最後に切られた首になって登場する。高家に仕官する伊藤喜兵衛が、
民谷家の隣に住まう、という想定。塩冶判官の遺臣たちに主君の敵と狙われているの
は、「仮名手本忠臣蔵」の世界5と、同じ。その伊藤家関係では、高家の家臣・伊藤
喜兵衛、娘で孫娘・梅の母・弓、乳母のお槙(京蔵)、孫娘・梅。梅が伊右衛門の嫁に
なろうとしたために、多くは狂った伊右衛門に殺される。お槇は、岩の霊に惑わされ
ように隠亡堀に転げ落ちて亡くなる。つまり、一族郎党破滅してしまう。
 
ほかに、当時人気の薬売り・藤八(桂三)は、花道登場では、直助(弥十郎)とふたり
連れ。江戸のコマーシャルも、南北は取り入れる。南北という人は、今ならマスコミ
人としても有能だったに違いない。染五郎は、南北、大星由良之助の今回5役を演じ
ることになったが、南北は芝居の冒頭、スッポンから登場する。この他、塩冶浪士の
面々を多くの役者が演じる。
 
今回の「場」の構成は、三幕十一場。以下の通り。

発  端「鎌倉足利館門前の場」。
序 幕「浅草観世音額堂の場」、「浅草田圃地蔵前の場」、「同(浅草)裏田圃の
場」。季節は春。
二幕目「雑司ヶ谷四谷町民谷伊右衛門浪宅の場」、「伊藤喜兵衛宅の場」、「元の伊
右衛門浪宅の場」。季節は夏。
大 詰「砂村隠亡堀の場」。季節は秋。「小汐田又之丞隠れ家の場」、「蛇山庵室の
場(・仇討の場)」、「鎌倉高師直館夜討の場」。季節は冬。
 
発端『鎌倉足利館門前の場』では、南北はスッポンで出入り。忠臣蔵の世界を説明す
る。足利館門前では、足利館(将軍家のこと)で起きた塩冶判官の刃傷沙汰。門前での
塩冶藩士の動き。

舞台では、どう展開したか。

発  端「鎌倉足利館門前の場」。南北が、忠臣蔵の概要を説明する。

序 幕
第一場「浅草観世音額堂の場」。ここではタイムマシーンに乗ったように、江戸の風
俗が目の前に拡がって来る。舞台下手、「御休処」の裏。額堂の屋根に掲げられた複
数の絵馬や宝の字が描かれた奉納額。参詣の男女が行き交う。上手には、「御やうし
(楊枝)所」と書かれた提灯が掲げられていて、お岩の妹のお袖が、楊枝屋で働いてい
る。花道から「藤八五文」の薬売の直助らが、二人連れでやって来る。客席の、ざわ
めきは消えて、江戸の春、街のざわめきが取って代わって来る。そこは、江戸の空間
であり、ゆるりとした時間が流れはじめる。
 
贅言;「藤八五文奇妙(とうはちごもんきみょう)」=「長崎の岡村藤八、オランダ
伝来の万能薬、丸薬で一粒5文、奇妙な程よく効く」という売薬売り立て(移動販
売)のキャッチフレーズ。長崎で評判を呼び、1825(文政8)年、江戸でも売り
始めた。こういうことに敏感な南北の手で、同年7月中村座で初演の「四谷怪談」に
取り入れられ、あっという間に広まった。歌舞伎が、今のテレビの役割をしていた。
南北は有能なプロデューサーだった。
 
第二場「浅草田圃地蔵前の場」。地蔵前で落ち合った回状文で連絡を取り合う佐藤与
茂七と奥田庄三郎は、用心にとお互いの衣服を取り替えて、討入り準備のため鎌倉
(江戸の想定)へと向かう。花道から左門を追いかけて来た伊右衛門は、追いついた左
門に斬りかかる。

第三場「同 裏田圃の場」。浅草観音裏と遊廓・吉原の間に広がる田圃。伊右衛門に
よる左門殺しと直助による庄三郎殺し、誤認の主殺し、という殺し場は、歌舞伎独特
の様式美による立ち回りとなる。お岩、お袖も通りかかり、父親や許嫁が殺されたこ
とを知り、それぞれ、伊右衛門や直助に頼る。
 
二幕目(ハイライト、ただし、暗い)
第一場「雑司ヶ谷四谷町民谷伊右衛門浪宅の場」。路地裏の風も通らない、長屋の蒸
し暑い夏。塩谷の浪人・伊右衛門・お岩の自宅。傘張りの内職。浪人の侘び住居。毒
を飲まされて、醜悪になるお岩。宅悦とのやり取り。弾みで死んでしまうお岩。

贅言;「化粧」という怪談。隣家へ行くために化粧するお岩。この化粧をする姿が、
心理面も表現をしていて、心身ともに「怪談」になるという凄さ。化粧するお岩は、
窶(やつ)れと恨みを描き出さなければならない。

第二場 「伊藤喜兵衛内の場」。民谷家の隣家。美男伊右衛門と孫娘・お梅の我がま
まに負けて婚礼をする爺バカな伊藤喜兵衛。金権親父で、客の前で小判を洗ってい
る。

第三場 「元の伊右衛門浪宅の場」。お岩が死んでいるのに、お梅の初夜を迎えに来
た伊藤喜兵衛一行。お岩の霊に惑わされ、伊右衛門は、お梅も喜兵衛も殺してしま
い、ふたつの家族が崩壊する。
 
大 詰
第一場「砂村隠亡堀の場」。暗い客席と薄闇の舞台。冥界の亡霊(死者)と生者の妖
しい交流。「隠亡堀の場」では、小平とお岩の遺体が、戸板の裏表に張り付けられて
いる、いわゆる「戸板返し」という外連(けれん)の演出が見せ場。染五郎の早替
り。お岩、小平、与茂七へ。世話だんまり、と様式美の演出。
 
伊右衛門の科白:「首が飛んでも、動いてみせるわ」(1825年江戸中村座初演の
原作にはない科白。1826年大坂初演「いろは仮名四谷怪談」の科白。後の、「入
れごと」=原作にはない科白や演出。
 
第二場「小汐田又之丞隠れ家の場」。足腰が立たない難病で苦しむ塩谷の浪人・小汐
田又之丞。小仏小平は、小汐田又之丞の元家来。滅多に上演されない場面。小仏小平
は、民谷家伝来の秘薬を盗もうとして捕まり、お岩との偽装心中として殺される。私
も初見。
 
第三場「蛇山庵室の場」。薄闇の舞台。「外連」の演出は、ここで、一気に花開く。
舞台半回し。外は、雪。鬱屈して病気になった伊右衛門は病巻で出て来た。「積もっ
た、積もった」。まず、幽霊となったお岩の出。庵室の外に掲げられた提灯の名号
が、燃えてから、その隙を狙うようにして、抜け出て来る。いわゆる「提灯抜け」と
いう演出。壁に掛けた衣紋にぶら下がり、それに引っ張られるように壁のなかに溶け
込んで行くお岩。次は、井戸のなかから「宙乗り」で足のないお岩が出て来て、本舞
台を下から上へ移動して、再び、消えてしまう。そして、昔の仲間、伊右衛門から金
の代わりに、高師直の墨附を脅し取って以来、鼠に頭などを齧られて困っていると訴
えて来た秋山長兵衛は、お岩に祟られ、仏壇のなかへ引き込まれるようにして殺され
てしまう。いわゆる「仏壇返し」という演出。本来の「仇討の場」。紫の病鉢巻き姿
の伊右衛門への与茂七、又之丞による仇討。討ち取られる伊右衛門。

第四場「鎌倉高師直館夜討の場」。「仮名手本忠臣蔵」の十一段目。いわゆる討ち入
り。四谷怪談の「仇討」から忠臣蔵の「夜討」へ。本水ならぬ大量の雪を使った立ち
回り(浪士竹森喜多八・隼人ら)  染五郎の与茂七→大星由良之助への衣装替えの時間
稼ぎ。塩冶浪士は、本懐遂げて晴れて凱旋へ。


「東海道四谷怪談」も、人気演目の「仮名手本忠臣蔵」の外伝として構想された。
『忠臣蔵』が、主君の仇討ちをする忠臣たちの物語だから、忠臣蔵から脱落した不忠
臣の民谷伊右衛門とその妻のお岩を軸として、「忠臣蔵」を晴れやかな「表」とする
なら暗黒の「裏」の世界を再構築してみせた。興行も「忠臣蔵」と「四谷怪談」をあ
わせて実施。1番目を「忠臣蔵」、2番目を「四谷怪談」とし、一日目「忠臣蔵(大
序から六段目の勘平切腹)」、「四谷怪談(序幕から三幕目隠亡堀)、二日目「四谷
怪談(隠亡堀)」を再演し、「忠臣蔵(七、九、十段目)」、「四谷怪談(四、五幕
目)」、「忠臣蔵(十一段目の討ち入り)」という具合に「てれこ」演出で、二日が
かりで上演した。その「南北生世話もの」の、最も巨大な花が、「東海道四谷怪
談」。もともと、「東海道四谷怪談」(1825年・江戸/中村座初演)は、忠臣蔵
「外伝」だから、四谷怪談と「仮名手本忠臣蔵」(1748年・大坂/竹本座初演)
が、「ないまぜ」(相互のパロディという側面もある)になって演じられても、少し
も不思議ではない。

贅言;歴史上、南北は、5人いる。1、2、3番目までは、歌舞伎役者だが、大成し
ていないので、資料も乏しい。不詳。四代目は、1755年〜1829年。南北とし
て歌舞伎の歴史に残るのは、この人。「大南北」と言われる。江戸・日本橋の紺屋の
職人の息子。役者ではなく狂言作者(まあ、脚本家)に弟子入りした。長い間芽が出
ず、下積みで苦労した。1803年、河原崎座の出し物で初めて立作者デビュー(一
本立ち)。49歳で一人前と認められた。翌1804年、河原崎座で「天竺徳兵衛韓
噺(てんじくとうべいいこくばなし)で早替りなどの外連(けれん=アクロバティッ
ク)演出で大受け、2ヶ月半のロングランとなる。南北は、これ以降、25年間に1
20作の作品を書く。5番目も狂言作者。四代目の娘婿の養子。通称「孫太郎南北、
小南北」。三代目瀬川如皐(通称「切られ与三郎」)、河竹黙阿弥(幕末から明治期
の巨峰)の師匠。
 

南北劇は、江戸時代のスーパー歌舞伎


「南北もの」とは:下層社会に生きる庶民の生活をリアルに活写する「生世話もの」
(江戸時代の「現代」劇。テレビのワイドショーに通じる)を得意とした。残虐な殺
し場、官能的な濡れ場を描くことに長けた。つまり、大衆的な芸風であった。廻り舞
台などの大道具の展開、仕掛けや亡霊の登場、早替りなど外連(けれん)の演出など
奇抜な趣向を好み歌舞伎の持ついろいろな魅力を積極的に活用する劇的な展開を好ん
だ。2つの違った劇的な世界を「ないまぜ」にして、新しい劇的な世界を作るなど、
世界を複合的に再構築して、観客に「馴染みのある世界」を別世界にしてみせてくれ
た。ほかに「桜姫東文章」「浮世塚比翼稲妻」「盟三五大切」など。

特に、外連(けれん)は、オーソドックスなやり方から「外れ」て、見た目本位の奇
抜さを狙った演技や演出のこと。邪道という批判もあるが、見た目が面白いので大衆
受けする。歌舞伎は江戸のテレビジョン。見せる要素を重視する。外連の演出は、そ
のひとつ。四谷怪談では、大道具や仕掛けを使った外連の趣向。亡霊の登場など。南
北劇は江戸時代のスーパー歌舞伎ではないか。

髪梳き:「化粧」という怪談。
お岩の化粧をする姿が、心理面も表現をしていて、心身ともに「怪談」になるという
凄さ。化粧するお岩は、窶(やつ)れを描き出さなければならない。「三態のお岩」
は、
1)「美貌のお岩」。今回も上演されていないし、滅多に上演されない「滝野川蛍狩
の場」。幻想的な「蛍狩の場」では、若くて、綺麗なお岩が登場する。伊右衛門の夢
の中に出てきた若き日のお岩であった。ふたりの若者の唇に小さく朱が入っている。
伊右衛門、お岩にも幸せな時代があった。
2)「窶れたお岩」。産後の肥立ちが悪く、体調不良、毒薬を飲まされて、美貌が変
形し、髪梳で毛が抜けて行く窶れたお岩。「伊右衛門浪宅の場」。
3)「執念のお岩」。そして、亡霊となり、復讐に執念を燃やす醜いお岩。薄暗闇
で、髪梳をするお岩は、顔を伏せていて、声ばかりが聞こえてくる。ここは、いわば
「三態のお岩」として、美貌、執念の間に、「窶れ」をきちんと差し挟んでいて、三
態のメリハリが利くようにする必要がある。

「東海道四谷怪談」は、江戸の中村座で、文政8(1825)年に初演されて以来、今
年で丁度190年になる(最後の月の12月に国立で上演)。四世南北最高の代表作の輝
きを永遠に失わない演目。私にとって、「東海道四谷怪談」の魅力は、なんといって
も、江戸の街のざわめきが真空パックに詰め込まれていて、パックを開けると飛び出
して来るということだ。南北は、庶民生活の細部をリアルに描くのが巧い。

贅言;時空構成の奇抜な趣向。
江戸の地図を拡げてみれば、浅草→雑司ヶ谷(四谷町)→(本所)砂村・蛇山へと時
計と逆回りで飛翔する。神田川、隅田川を横切り、幾つもの堀割経由、砂村(隠亡
堀)・蛇山へ、というのが定説。現実には、無理がある。ただし、劇的空間として、
大江戸の天空をお岩が飛翔する、というイメージは、魅力的。

四谷町が、本所にあるという説がある。中之郷四ツ谷(スカイツリーの辺り)で毒を
飲まされる、戸板流しで北十間川へ。柳島妙見、横十間川と、戸板に乗って、砂村隠
亡堀、小名木川万年橋、本所原庭の蛇山庵室、回向院の仇討ち。(「絵本いろは仮名
四谷怪談」参照という)
 
この説に拠ると、東海道四谷怪談は、実は、「あずまかいどうよつやかいだん」と読
むという。吾妻橋の東が本所。吾妻=あずま街道、つまり、東へ向かう街道(水戸街
道、佐倉街道、行徳街道)は、本所が始点。この辺りに、中之郷四ッ谷という地名が
あった。鶴屋南北は、ここから「東海道四谷怪談」という外題を思いついた、とい
う。

このほか、平塚(神奈川県)に四谷という地名もある。ずばり、東海道四谷だが、こ
れは地名だけだろう。もっとも、「四谷」という地名は、地形などからつけられたの
か、全国、あちこちにある。

最後に、役者評を少し。10月にラ・マンチャの男を演じ、11月に「勧進帳」の弁
慶を演じ、12月は、伊右衛門を演じる幸四郎。ラ・マンチャの男は、夏に仕上げの
猛練習をしたと聞くが、弁慶は、1100回以上の出演で、気持ちを切り替えれば、
弁慶には、そのままなりきれるのであろう。伊右衛門は、どうだったのか。幸四郎
は、1988(昭和63)年、大阪・中座と92(平成4)年、歌舞伎座で伊右衛門を演
じている。

染五郎は、5役で大変だったろうが、それぞれの存在感まで出すのには、まだまだ時
間がかかりそう。

その他、今回出演した御曹司たち。お袖を演じた弥十郎の長男新吾、お梅を演じた歌
六の長男米吉は、女形。奥田庄三郎と竹森喜多八を演じた錦之助の長男隼人、近松半
六を演じた萬次郎の長男竹松、友右衛門の長男廣太郎は、立役。

脇で熱演が目立ったのは、宅悦を演じた亀蔵。伊右衛門の母お熊を演じた萬次郎な
ど。
- 2015年12月16日(水) 10:41:42
15年12月国立劇場・人形浄瑠璃 (「奥州安達原」、「紅葉狩」)


「奥州安達原」・京都編


平安時代末期に奥州に、もうひとつの国をつくっていた奥州豪族安倍一族の物語。
「西の国・日本」から見れば、「俘囚の反乱」で、日本史では「前九年の役」と呼ば
れた源頼義や源八幡太郎義家の奥州征伐に対して、安倍頼時の息子たち、貞任・宗任
の兄弟らいわば「残党」が再興を図り、抵抗するという史実を下敷きにしながら、そ
こは荒唐無稽も楽しむ人形浄瑠璃の世界。史実よりも半二ら作者の感性の赴くまま、
換骨奪胎に自由に作り上げられる「物語の世界」。「奥州安達原」を人形浄瑠璃で観
るのは、今回で2回目。前回は、11年12月国立劇場 開場45周年の舞台であっ
た。

この時の段組の構成は、「外が浜の段」、「善知鳥文治住家の段」、「環の宮明御殿
の段」であった。今回は、「朱雀堤の段」、「環の宮明御殿の段」である。「朱雀堤
の段」は、今回が初見。前回は奥州の物語から、ハイライトの「環の宮明御殿の段」
へ。今回は場所を京都に移して、「環の宮明御殿の段」へ、という趣向。前回が東日
本編なら。今回は、京都編。
 
近松半二らの合作の全五段、丸本の時代物。人形浄瑠璃は、1762(宝暦12)年
9月、大坂竹本座で初演。

「朱雀堤の段」。竹本は、咲甫大夫、三味線方は、奏宗助。環の宮が失踪している
(実は、安倍貞任が誘拐した)。京都七条の朱雀堤。舞台上手に橋が架かっている。中
央、土手に作られた乞食小屋で盲目の女物乞いの袖萩とその娘のお君が暮らしてい
る。

小屋の前で源義家の妹八重幡姫と袖萩の父親平{仗が出会う。そこへ、義家家臣の志
賀崎生駒之助が安倍頼時の娘の恋絹を連れて通りかかる。八重幡姫が生駒之助を慕っ
ていることを知っている{仗は、立ち去る。

残った生駒之助と恋絹、八重幡姫の三角関係に悩んだ恋絹は、来世では生駒之助と八
重幡姫が夫婦になるように、ここで祝言をあげようと提案する。それを小屋の中で聞
いていた袖萩が仲人を買って出る。

そこへ、今度は恋絹に横恋慕の義家家臣瓜割四郎から生駒之助ら二人の捜索を依頼さ
れた物乞いたちがやって来る。袖萩は生駒之助と恋絹を小屋に匿う。さらに、瓜割も
{仗も現れる。小屋から出てきた袖萩の顔を見て、{仗は、その女が自分の娘の袖萩
と知る。袖萩の方は盲目故、父親がそこにいることを知らない。{仗は、瓜割に捜索
を中止させる。袖萩はこの隙に生駒之助と恋絹を小屋の裏から逃がす。

さらに、そこへ、{仗の家臣が朝廷の使者の伝言を持って来る。環の宮を明日までに
見つけ出せなければ切腹せよ、ということだった。「{仗様の一大事」という八重幡
姫の言葉を聞いて、男が父親の{仗と知る袖萩。お君を連れて{仗の後を追う。

良く演じられる、通称「袖萩祭文」の「環の宮明御殿の段」。失踪中の環の宮不在の
御殿を守る{仗。竹本は、通称「敷妙上使」で知られる「中」が、靖大夫。三味線方
は、清馗。盆廻しで、通称「矢の根」の「次」は、睦大夫。三味線方は、藤蔵。盆廻
しで切場の、通称「袖萩祭文」の「前」は、千歳大夫。三味線方は、富助。人形の三
味線のバチ使い(左遣いが操る)が、床に座って実際に三味線を演奏する三味線方の
バチ使いと連動しているように見える。盆廻しで、最後が、安倍貞任、宗任が、改め
て義家に戦いを挑むことを誓いながら別れる場面、通称「貞任物語」の「後」は、文
字久大夫が語る。三味線方は、燕三。
 
京の環の宮御殿では、誘拐されて行方不明の環の宮(皇弟)の代わりに宮の守役・平
{仗直方と妻の浜夕が、御殿を守っている。{仗夫妻には、ふたりの娘がいる。妹
は、義家の妻・敷妙、姉は、安倍貞任の妻・袖萩。
 
敷妙が、夫義家の使者としてやって来る。行方不明の宮捜索の期限はきょうまで。義
家は、義父を捉えなければならない。やがて、義家が現れると、{仗は環の宮が攫わ
れた証拠を示す書状を示す。犯人は、安倍貞任と宗任が、謀叛の際の旗印に宮を攫っ
たと推測し、さらに、鶴殺しの犯人として奥州で捉えた南兵衛を宗任ではないかと冷
静な義家は、睨んでいる。
 
桂中納言が、{仗の見舞いにやって来て、風雅にも白梅の小枝を差し出す。下手から
南兵衛が、遠い奥州から引き立てられて来た。早速、詮議が始まる。義家は、南兵衛
に宗任と呼びかけたり、宗任の父親頼時からの矢を受けた義家の父親・頼義の白旗を
見せたり、その時の矢尻を投げつけたりして挑発するが、南兵衛は、素知らぬ顔。中
納言も、田舎者は、白梅の名も知らぬだろうと馬鹿にすると、南兵衛は、投げつけら
れた矢尻で自分の肩を傷つけ、その血で白旗に一首認める。「和が國の梅の花とは見
たれども大宮人はいかがいふらん」。この和歌で南兵衛は、宗任と見破られてしま
う。
 
夕暮れ時になり、下手、御殿の外に袖萩が娘のお君に手を引かれてやって来る。通称
「袖萩祭文」の場面。御殿では、父親の{仗が、外の人の声に気がつき、それが、昼
間、七条朱雀堤で見かけた娘の袖萩と判り、戸を閉めてしまう。次いで、母親の浜夕
が気付き、娘のみすぼらしさ故に知らぬ振りをする。袖萩は、歌祭文の文言に託し
て、親不孝を詫びる。袖萩の悲劇的な要素を、増幅するのが娘のお君。袖萩の祭文の
語りとお君の踊り、さらに霏々と降り続く雪が、愁嘆場の悲しみを盛り上げる。{仗
夫婦も、本心は、娘に声を掛けたい、孫娘も、この手に抱きたいと思っている。袖萩
とお君の母子。浜夕と袖萩の母子という二重性が、母情を重層的にかき立てる。
 
贅言;人形浄瑠璃では、舞台が歌舞伎と違ってシンメトリーではない。普通の御殿。
歌舞伎では、御殿は、シンメトリー志向の近松半二の舞台らしさが出てくる。上手、
下手の舞台が対照的に作られている。下手は「白の世界」、上手は「黒の世界」。下
手は、白い雪布と雪の世界。上手は、上方風の黒い屋体(黒い柱、黒い手すり、黒い
階段)。所作舞台もいつものまま(但し、上手にある手水鉢と竹には、若干の雪)。
袖萩は、花道から本舞台に上がっても下手の木戸の外だけで終始演技をする。白い雪
の世界は、悲劇の女性の世界。雪衣も、こちらだけ登場する。上手木戸のうちには黒
衣と言う、対照的な演出。
 
袖萩の「女の世界」は、ここから、義家対安倍兄弟の対立という「男の世界」にリン
クして行く。
 
{仗が、何処の馬の骨とも知らぬ浪人と駆け落ちした袖萩を攻めると、袖萩は、夫と
なった浪人・「黒沢左中」は仮の名で、実は、筋目正しい武士だとして、証拠の紙を
見せると、「奥州安倍貞任」とあり、宮誘拐の書状の筆跡と同筆と判る。ならば、尚
更許せぬと{仗は、怒る。癪を起こし、雪の中で倒れ込む袖萩。お君が、自分の着物
を脱いで母親に着せるが、お君は、裸同然の格好になる。見かねて、自分の打ち掛け
を垣根越しに投げ与える浜夕。
 
正体が暴かれた宗任だが、義家から許される。{仗も、宮探索の期限終了になり、切
腹の用意をする。木戸の外にいる袖萩は、父親の追いつめられた状況も知らずに、父
親を討てと義弟の宗任から攻められ、己の身を嘆いて自害する。夫と娘を同時に亡く
した浜夕の嘆き。桂中納言は、謀反人安倍貞任の縁者だから死ぬのも仕方ないと、な
ぜか冷ややかに言い放ち、立ち去ろうとする。義家は、中納言を呼び止め、中納言
が、実は、安倍貞任と見抜いていたことを明らかにする。安倍兄弟の謀叛の企みは失
敗する。改めて義家に戦いを挑むことを誓う。貞任は、娘のお君に心引かれながら
も、宗任とともに、立ち去って行く。
 
主な配役の人形遣いは、八重幡姫が、玉翔。志賀崎生駒之助が、紋秀。恋絹が、簑紫
郎。平{仗直方が、文司。妻の浜夕が、簑二郎。敷妙が、清五郎。源八幡太郎義家
が、玉佳。桂中納言則氏、実は、安倍貞任が、玉志。外が浜南兵衛、実は、安倍宗任
が、幸助。袖萩が、清十郎。お君が、勘次郎。
 
歌舞伎の方が、舞台がシンメトリーを重視していて、見応えがあった。叙事詩として
は、人形浄瑠璃が判り易い。男たちの戦争のなかに、袖萩祭文の女たちの情話(特
に、浜夕、袖萩、お君への母情の二重奏)が、一輪の赤い薔薇のように突き刺さって
いるというのが、この芝居だろう。
 
 
シンプルな「紅葉狩」を堪能


歌舞伎の「紅葉狩」は、数えて見たら、15年09月歌舞伎座・秀山祭の「紅葉狩」
で11回目の拝見だった。ところが、人形浄瑠璃で観るのは。今回が初めてだったと
気付いた。
 
「紅葉狩」=河竹黙阿弥作、明治の新歌舞伎。1887(明治20)年、東京の新富
座初演。その時の配役。更科姫:九代目團十郎、平維茂:初代左團次、山神:四代目
芝翫。二枚扇など=曲芸じみる振付けは、九代目團十郎の工夫。初演後も、「姫が演
じる舞踊としては、外連(けれん)過ぎる」などと、いろいろ批判はあったようだ
が、代々受け継がれてきた。

人形浄瑠璃は、歌舞伎を元に1939(昭和14)年、大阪四ツ橋文楽座で初演。四代
目鶴澤重造作曲。初代藤間寿右衛門振付。

竹本は、更科姫が、呂勢大夫。維茂が、芳穂大夫。ほか、分担。人形遣いは、更科姫
の主遣いが、勘弥ほか。勘弥は、肩衣を付けて正装。左遣い、足遣いも前半は、面当
てを付けず、黒衣でもなく、顔出し。維茂は、一輔。腰元は、玉誉と簑次。山神は、
紋臣。

 今回の人形浄瑠璃の見せ場も、「二枚扇」などを人形浄瑠璃でどう演じるかであろ
う、と思う。

舞台は、全山紅葉の時季。信濃の戸隠山に歌舞伎なら従者を連れて男ばかりで紅葉狩
に来た平維茂(これもち)らが、先に幔幕を張って、女性ばかりで紅葉狩の宴を開い
ていた更科姫一行と交歓をするのが前半。

人形浄瑠璃では、維茂は、供も連れずにたった一人で登場する。更科姫一行も腰元二
人を連れているだけ。ただし、腰元の首は、娘とお福の二種類。

酒宴半ばで、酔いのために眠り込む維茂。優雅に舞い、二枚扇なども披露。眠り込ん
だ維茂を見て、きっ、という表情をした後、更科姫は、上手に引き込む。更科姫の主
遣い(勘弥)と左遣い(簑紫郎)が、二枚扇なども大過なく済ませるが、左遣いの手元
は、ちょっと不安が残った。

間に山神(さんじん)登場。能の間(あい)狂言の主人公の青年。平維茂の危機を夢
の中で告げる役割。下手の岩組の上に現れる。
 
この後、後シテ。更科姫一行は、実は、鬼女(食人鬼)たちの一行だったということ
で、後半のドラマが展開する。山神の加護で目覚めた維茂。歌舞伎の見どころは、平
維茂と鬼女たちの立ち回りだが、人形浄瑠璃では、維茂と更科姫の一騎討ち。お決ま
りの引張の見得にて、幕。

首は、更科姫は、前半、娘で、後半、鬼女。この首は、「増補大江山」でも使われる
貴女の首で、迫力がある。維茂の首は、検非違使。
- 2015年12月15日(火) 6:51:09
15年12月国立劇場・人形浄瑠璃(鑑賞教室/「二人禿」、「三十三間堂棟由
来」)


鑑賞教室向けの演目二題


人形浄瑠璃の「二人禿(ににんかむろ)」は、3回目。この演目は、1941(昭和1
6)年、初演の新作もの。京の廓・島原。女郎(遊女)に仕える少女の禿(かむろ)
が、華やかな振り袖姿で、踊る。「禿」は、行儀見習いの少女。姉女郎に付き、女郎
になる作法などを学ぶ。雑用に追われる日々を愚痴りながら、踊る。数え歌に合わせ
て羽根つき。「てんてん手鞠の糸様可愛」で、鞠突き。春風に浮かれでた禿たちの描
写。大夫は、竹本南都大夫、睦大夫ら3人。前回より一人減。三味線方は、竹澤團吾
ら3人。人形遣いは、紋秀、紋吉。
 

人形浄瑠璃の「三十三間堂棟由来」は、2回目。前回も人形浄瑠璃鑑賞教室だった。
「三十三間堂棟由来」は、1760(宝暦10)年、大坂豊竹座で初演された。原作
は、若竹笛躬、中邑阿契の合作という。ふたりとも、どういう人物か、詳細は判らな
い。本来は、「祇園女御九重錦(ぎおんにょごここのえにしき)」という全五段の浄
瑠璃。三段目が、「平太郎住家の段」。柳の木の精の化身の女性と前世が、木だった
男性の「異類婚姻譚」で、1734(享保19)年に初演された「葛の葉子別れ」を
下敷きにしていると言われる。今回の人形浄瑠璃の構成は、「鷹狩の段」「平太郎住
家より木遣り音頭の段」(この部分が、「三十三間堂棟由来」と称される)となって
いる。
 
「鷹狩の段」。いつもの口上で、開幕。咲甫大夫、前回は5人の語り分けだったが、
今回は独演。三味線方は、嘉一郎。熊野の山中の谷にある柳と茶店。鷹狩りの一行
が、鷹を放ったところ、鷹の足緒が、柳の梢に引っかかってしまった。鷹を助けるた
めに、柳の木を切ろうとするが、父の仇を求めて老母を背負い、熊野権現に日参する
曽根平太郎が、一矢で鷹の足緒を射切り、柳(りゅう。人形遣いは、和生)は、切られ
ずに済む。一行の家来の時澄が、弓自慢をした際に、平太郎の父の仇と判ったが、仇
を打つには、時期尚早と次の機会を待つことにする。その様子を見ていた茶屋の女主
人お柳が、疲れた老母と平太郎を家に誘う。山中に美人が居るので、いぶかる平太
郎。お柳は、積極的で、「わしを女房に持たしやんしたらよかろうが」とまで言って
迫って来る。その後、ちょうど、通りかかった白河法皇一行も、謀叛人に取り囲まれ
るが、平太郎が助ける。
 
「平太郎住家より木遣り音頭の段」。「ふだらくの、岸を南に三熊野の」。中の語り
は、希大夫。三味線方は、龍爾。その5年後。紀州三熊野。柳のあった宿(しゅく)
の隣。平太郎とお柳は、夫婦になっていて、子どものみどり丸と老婆と住んでいる。
平太郎の不在時に、法皇の使いが、やって来て、先年のお手柄の褒美を持参すると共
に、お柳の茶店の傍にあった柳の木の梢に髑髏があり、それが祟って、法皇を頭痛で
苦しめているので、切り倒し、棟木にして、三十三間堂を建てて、髑髏を納めるよう
にと院宣が下ったと告げる。
 
「夢をや結ぶらん」で、語りが、大きくなって、奥の語りへ。英大夫。三味線方は、
清介。お柳は、帰宅した平太郎に柳の木の話をするが、平太郎が、みどり丸と一緒に
寝入った後、お柳は、独白する。自分が、実は、柳の精で、平太郎も、実は、前世で
は椰(なぎ)の木で、柳と椰は、前世では、一つの木だった。
 
法皇の前世は、修験者で、この修験者が、一つの木を柳と椰に分けた。伐り取られた
椰の木は、平太郎に生まれ変わり、残った自分は、柳の精として、女人に姿を変え
て、平太郎に出会うのを待っていた。鷹狩りで、柳の木が、切られそうになったのを
平太郎が助けてくれたので、ふたりは、前世の夫婦に戻っただけだ。
 
やがて、次の宿にある柳の木が、斧で切られる音が、風に乗って、聞こえて来た。若
緑の衣装を来たお柳は、身を切られて、苦しみ始める。夫と息子に別れを告げて、姿
を消してしまう。お柳の子別れの「くどき」が、見せ場。
 
母を求めて、泣く、みどり丸。壁の中から姿を見せたお柳は、柳の木から持って来た
問題の髑髏を平太郎に渡して、再び姿を消す。若緑の衣装を着たお柳が、下に、下か
ら、白い衣装を着たお柳の人形が、上にと、一瞬のうちにすり替えられる。一人遣の
お柳は、和生と共に、住家の下手の外壁のうちに消えてしまう。
 
引き道具で、場面展開。舞台の天井から熊野川の遠見が降りて来る。左右(上手と下
手)から出て来る松の並木。熊野街道へと早替わり。次の宿の柳の元に急ぐ平太郎と
みどり丸。伐り倒された柳の大木が、木遣り音頭にのせられて、一人遣の木遣り人足
たちが曳く綱に引っ張られて、熊野の街道筋を新宮まで運ばれて行く。しかし、途中
で、動かなくなってしまう。母が、みどり丸に、子別れをしたいのだ。
 
平太郎とみどり丸が、その現場に駆けつける。平太郎は、みどり丸に綱を引かせて欲
しいと頼む。平太郎が、木遣り音頭を歌い、みどり丸が、綱を引くと、大木は、動き
始める。
 
「三十三間堂棟由来」は、草木成仏がテーマ。いわば、自然保護を訴えるような芝
居。四半世紀前の、先行作品「葛の葉」(狐の親子)を下敷きにして、無名の作者た
ちが、書き上げた作品で、やはり、「葛の葉」に比べると、話も、趣向も、ドラマ的
な盛り上がりも、薄っぺらだ。唯一、柳の木を伐り倒す場面が、風に乗って、遠くか
ら聞こえて来るという設定。身内の苦しさを、和生が、所作少なく、身を締めなが
ら、表現するところは、見応えがあった。前半は、娘の首。後半は、老女形の首。柳
の木が、ほっそりと佇み、運命を受け入れているような顔をして、終始、穏やかに、
お柳に寄り添っていた。
 
このほか、平太郎を操るのは、二代目玉男。前回は玉男前名の玉女だった。いつもの
ように、淡々とした表情。老母は、簑一郎。
- 2015年12月14日(月) 21:35:50
15年11月新橋演舞場 スーパー歌舞伎(「ワン・ピース」)


「スーパー歌舞伎 2」は、スーパーか、歌舞伎か


澤潟屋、三代目猿之助のスーパー歌舞伎は、いくつか観てきた。戦後の新作歌舞伎の
作品群の一つの系統に数えられるだろう。1986年、梅原猛原作「ヤマトタケル」
から始まった。私も、三代目猿之助主演では、「オグリ」「八犬伝」「新三国志」な
どを観て来た。市川右近が主演するバージョンの「ヤマトタケル」(猿之助休演日)
も観たことがある。四代目猿之助主演では、「ヤマトタケル」。そして2014年か
ら始まったスーパー歌舞伎 2(セカンドライン)では、「空ヲ刻ム者」、最も新し
い「ワン・ピース」がある。猿之助のスーパー歌舞伎ということで、この劇評に記録
を残す意味で、四代目猿之助主演・演出の「ワン・ピース」も、観て来た。

「ワン・ピース」は、尾田栄一郎原作のコミック「ONE PIECE」を歌舞伎化した出し
物。コミックは、20年間も連戴が続いている大河ものである。2015年10月7
日から11月25日まで、新橋演舞場で上演。私は、11月に観に行った。日曜日
だったので、ロビーや客席は子どもを連れた家族連れの姿が目立った。翌日の月曜日
に歌舞伎座の吉例顔見世歌舞伎を観に行ったので、新橋演舞場と歌舞伎座の対象的な
観客層に改めて認識を新たにした。

今回の「ワン・ピース」の場の構成は以下の通り。
第一幕一場「シャボンディ諸島、奴隷市場」、二場「女ヶ島、アマゾン・リリー」、
三場「場内の宴会場」、四場「バロナ島と宴会場」、五場「ハンコックの部屋」。第
二幕一場「インペルダウンの入り口」、二場「地下牢獄(ゼロ番牢)」、三場「大監
獄」、四場「牢獄の道」、五場「地下牢獄(ゼロ番牢)」、六場「監獄の地下道」、
七場「ニューカマーランドの奥の間」、八場「監獄内、某所」、九場「ニューカマー
ランド」、十場「船着場」。第三幕一場「海軍本部マリンフォード広場」、二場「海
軍本部・天守閣」、三場「海軍本部」、四場「マリンフォード広場」、五場「アマゾ
ン・リリー、宮廷別邸の庭」、六場「星が浜」。

主な配役は、「麦わらの一味」では、ルフィ:猿之助。ロビン:笑也。ナミ:春猿。
ブルック:嘉島典俊。サンジ:隼人。ゾロ:巳之助。「魚人族」では、ジンベエ:猿
弥。はっちゃん:弘太郎。「海軍」では、元帥センゴク:浅野和之。大将赤犬:嘉島
典俊。大将黄猿:猿四郎。戦桃丸:弘太郎。大参謀つる:門之助。中将ガーブ:寿
猿、段四郎(交互出演。段四郎は11月公演から参加)。「アマゾンマリー」では、
女帝ハンコック:猿之助。ハンコックの妹・マリーゴールド:笑也。ハンコックの
妹・サンダーソニア:春猿。ニョン婆:笑三郎。女医ベラドンナ:竹三郎。「監獄」
では、監獄署長・マゼラン:男女蔵。ピサロ:寿猿。クレー:巳之助。「ニューカ
マーランド」では、革命軍大幹部・イワンコフ:浅野和之。スー:弘太郎。サッチ
ン:嘉島典俊。シミズ:猿四郎。革命戦士・イナズマ:隼人。白ひげ:右近。スク
アード:巳之助。エース:福士誠治。レイリー:浅野和之。黒ひげ:猿弥。赤髪の
シャンクス:猿之助。

役者を軸に主な配役を見ると、こうなる。
猿之助:ルフィ、ハンコック、シャンクス。右近:白ひげ。巳之助:ゾロ、クレー、
スクアード。隼人:サンジ、イナズマ。春猿:ナミ、サンダーソニア。弘太郎:はっ
ちゃん、戦桃丸、スー。寿猿:ピサロ、ガーブ。竹三郎:ベラドンナ。笑三郎:ニョ
ン婆。猿弥:ジンベエ、黒ひげ。笑也:ロビン、マリーゴールド。男女蔵:マゼラ
ン。門之助:つる。段四郎:ガーブ。/「相模屋」・福士誠治:エース。嘉島典俊:
ブルック、赤犬、サッチン。浅野和之:センゴク、イワンコフ、レイリー。

場内は、暗転しているので、メモは取れない。以下、各幕の粗筋を記録しておこう。

第一幕。
海賊たちが大海原の覇権争奪を争う大海賊時代の物語。海賊版「水滸伝」のような世
界。さまざまな試練を乗り越えてシャボンディ諸島に到着した海賊のルフィ(猿之
助)ら「麦わらの一味」(海賊王になることを目指すルフィが「偉大なる航路(グラ
ンドライン)」の航海中に出会って同行するようになった仲間たち)。大秘宝ワン
ピース(ひとつなぎの大秘宝)を探す新世界への入口。ここには、奴隷市場がある。
一味の案内役の人魚・ケイミーが誘われ、奴隷として競売されることになってしまっ
た。法外な値段でケイミーを落とした世界貴族・天竜人との争い。天竜人を殴ったこ
とで海軍から追われることになった麦わらの一味。海軍と果敢に戦うが、海軍のくま
の巨大パンチを食らい、一味の仲間たちは世界各地にバラバラに飛ばされて仕舞う。

ルフィが着いた所は女ヶ島。ここを治めているのは、ハンコック(猿之助)という美
人の海賊。男子禁制。無断侵入した男は処罰される。ルフィは、ハンコックに「仲間
を助けたい。船を貸して欲しい」と頼む。カーテンなどを巧く使うとともに、吹き替
えを交えて、猿之助は、ルフィとハンコックを早替わりで見せる。ハンコックの秘密
を垣間見てしまったにもかかわらず、ルフィの態度は、変わらないので、ハンコック
はルフィに感じ入り、船を出すことを約束する。

大海賊・通称白ひげの腹心・エース(福士誠治)が海軍に捕まり、処刑が決まった、
という知らせが飛び込んできた。エースはルフィと義兄弟の契りを結んだ義兄なの
だ。海軍の狙いは、エースの処刑で海賊をおびき寄せ海賊を根絶する狙いを持ってい
る。エースは、海底監獄に収監されてしまう。ルフィは海軍の思惑も知らずにエース
奪還に向かう。

第二幕。
大監獄インペルダウン。ルフィは、ハンコックの協力で監獄に侵入する。見つかって
看守たちと戦うルフィ。旧友との巡り会い、一緒に戦う。牢の鍵が外され収監中だっ
た囚人たちも立ち上がって、戦戦に加わった。エースの居場所が見つからない。妨害
する監獄署長・マゼラン(男女蔵)。猛毒を自在に操る難敵だ。ルフィも毒を食らい
瀕死の状態になる。革命戦士イナズマ(隼人)やルフィの旧友で収監されていたク
レー(巳之助)が現れ、ともに、監獄署長や副署長(喜猿)と戦う。ここは、本水を
使った滝の前での立ち回りとなる。監獄の奥深くの壁の中にあるニューカマーランド
にルフィたちを匿う。ここでルフィはホルモンを自在に操る革命軍大幹部(浅野和
之)の治療と自身の超人的な体力と意思力で復活する。

監獄に戻ったルフィはエースのいた牢獄に辿り着く。しかし、エースは別の場所に移
送されていた。海軍本部へ向かうことになる。波乗りボードに乗ったルフィは、宙乗
りとなる。場内に主題歌(北川悠仁・作詞作曲、RUAN・歌)が流れ、観客も手拍子
で盛り上がる。大きなクジラが客席から舞台に向けて宙を飛ぶ。「To be 
continued」が出てきて、幕間。

第三幕。
海軍本部では、海賊団が来ることを予想して待ち構えている。海賊の仲間割れも画策
している。白ひげ(右近)が率いる白ひげ海賊団ら海賊たちが現れる。ルフィらも到
着。エース争奪を巡り、海賊たちと海軍の戦闘が始まる。白ひげが仲間割れした海賊
に斬られる。白ひげはその海賊を含めて、みんな自分の家族だと語りかける。

天守閣に匿われていたエースを見つける。エースを救出するが、ルフィの危機を守っ
たエースは瀕死の重傷を負い、やがて、息を引き取る。海賊と海軍の争い。ルフィが
子どもの頃から憧れていた海賊のひとり、赤髪のシャンクス(猿之助)が現れ、両者
を休戦に導く。ルフィのトレードマークの麦わら帽子は、シャンクスからの預かりも
のだ。

ルフィが女ヶ島に戻ってきた。闘いに疲れ、義兄も亡くして、ルフィは生きる気力を
なくしていた。鬱々としている。仲間たちが支えてくれて、ルフィも立ち上がる。覇
気の使い手・レイリー(浅野和之)は、赤髪のシャンクスの親友。ルフィはレイリー
から覇気を習うことになった。離ればなれの仲間との再会に向けて、希望を燃やす。
本舞台に現れた海賊船にはルフィの夢を実現したように、ルフィのほかに8人の仲間
たちが乗っている。廻り舞台と引き道具で動く。

要するに、「麦わらの一味」と「白ひげ海賊団」という海賊と「海軍」(「インペル
ダウン監獄」も)との闘い。対立の外に、ルフィを支援する「魚人族」、「シャボン
ディ諸島」(奴隷市場)、ルフィに好意的な「アマゾン・リリー」(男子禁制の女ヶ
島)、ルフィを支援する「ニューカマーランド」(同性愛の男たち)が絡む。

演出では、伝統的な下座音楽、幕、大道具、小道具、見得、付け打、化粧、隈取、衣
装、外連(宙乗りなど)、廻り舞台、セリなどの劇場装置などで舞台が構築される歌
舞伎。スーパー歌舞伎では、これらの道具・装置に加えて、映像、音響、スポットラ
イトなどの照明、加えて、主題歌まで使って、歌舞伎からの逸脱(スーパー)を目指
すと言って良いだろう。

今回の劇評では、「何が、スーパーであるべきか」という設問で考えてみたい。先代
猿之助のスーパー歌舞伎は、役者からメッセージを発信するというイメージが強かっ
た。例えば、「ヤマトタケル」では、「父子論」をテーマにしている。そのために歌
舞伎の常識(定式)を敢えて逸脱する冒険に挑戦していた。

四代目猿之助のスーパー歌舞伎の上演も、3作品となった。先代猿之助のスーパー歌
舞伎「ヤマトタケル」をまず、上演した。スーパー歌舞伎・2(セカンドライン)とし
て、当代猿之助オリジナルの「空ヲ刻ム者」、今回の「ワン・ピース」が、それであ
る。「ワン・ピース」は、とうとう漫画の原作をスーパー歌舞伎化した。それが成功
したとは、言いがたいかもしれないが、今回のテーマは、「父親論」、「男の友情
論」、「仲間論」という辺りか。特に、猿之助は、皆で助け合って、何かを成し遂げ
ようというメッセージを新しいスーパー歌舞伎作りにダブらせているのだろう。観客
へのメッセージ性は明確に浮き彫りになっていた、と思う。

以前から私は、スーパー歌舞伎の特徴は次のようなことだと思っている。
私なりに分析した猿之助のスーパー歌舞伎の特徴を示す座標軸は、ふたつある。ひと
つは、ほかの歌舞伎と区別される外見的な特徴。それは、早替り、廻り舞台とセリの
積極活用、軍部ともいえる大立ち回り、旗の活用、宙乗り。ふたつ目は、内面的な特
徴であり、すでに示したように、明確なメッセージ性のある科白の駆使。

猿之助スーパー歌舞伎は、400年以上続く歌舞伎の世界では、戦後の作品である
「新作歌舞伎」のジャンルに入る。江戸期の幕末までの古典歌舞伎。明治以降、戦前
までの新歌舞伎、戦後作られた新作歌舞伎、というジャンル分けに拠る「新作歌舞
伎」である。「スーパー歌舞伎」は三代目猿之助が命名した用語であり、澤潟屋・猿
之助一門しか上演しないジャンルなので、「スーパー歌舞伎」は、澤潟屋歌舞伎の演
目群の一つである。澤潟屋・猿之助一門も古典歌舞伎や新歌舞伎、「スーパー歌舞
伎」ではない新作歌舞伎も演じる。

「スーパー歌舞伎」でも、歌舞伎へのこだわりは強いから、廻り舞台、花道、セリな
どを伝統的な古典歌舞伎の演技・演出・演奏も継承する。その上で、ダイナミックな
大道具の活用、「宙乗り」など外連(けれん)と呼ばれるさまざまな奇抜さを狙っ
た、つまり大向こう受けを狙った歌舞伎の演出も積極的に取り込む。現代劇的な照
明・音響・映像・音楽(楽器)も活用、群舞に近いような派手な立ち回りも売り物、
現代性のあるテーマ設定、現代の言葉の科白(新たな生世話もの志向か)も大胆に取
り組む。さらに、四代目猿之助独自のスーパー歌舞伎では、歌舞伎役者以外の他ジャ
ンルの俳優も積極的に参加させている、などなど。歌舞伎を軸に現代演劇の新しい力
も取り入れて総合的な演劇を目指しているように思える。

スーパー歌舞伎とは、従来の伝統的な歌舞伎の概念にとらわれずにそれを越えるとい
う意味での「スーパー」であり、古典劇と現代劇の融合という意味での「スーパー」
であり、演劇の他ジャンルとの垣根をも越えるという意味での「スーパー」でもある
のだろう。

ここで翻って、考えてみた。南北や黙阿弥が作り出した歌舞伎も、もしかしたら、当
時としては「スーパー歌舞伎」だったのではないか。彼らは、澤潟屋・猿之助一門よ
りも古典歌舞伎にこだわり、古典歌舞伎の演目を書き換え、科白、所作などの点で、
古典歌舞伎の「徹底化」=「スーパー化」を狙っていたのではないか、というのが私
の発想である。

今回の猿之助スーパー歌舞伎では、映像、音楽、照明など現代の「技術」を駆使し
て、スーパー化(歌舞伎の外へのスーパー化)を図っているが、役者の科白、所作な
どのスーパー化(歌舞伎の内へのスーパー化)をこそ図るべきではなかったのか。当
代の猿之助にも、歌舞伎を越える「スーパー化」よりも、歌舞伎味の徹底化に拠る
「スーパー化」をこそ、望みたい。南北、黙阿弥にこそ、続け、である。
- 2015年11月14日(土) 13:02:39
15年11月国立劇場 (「神霊矢口渡」)


死者が見る夢 「逃げろや逃げろ! 逃亡者たち」


「神霊矢口渡」は、「太平記」の世界に絡めて描かれた南朝方・新田家の3組の逃亡
者の話。前半と後半に分れる。いずれも、足利方に追われている。配役名の付け方や
庶民を描く筆致などから鶴屋南北調と思える原作がうかがえるのが、私には興味深
い。もちろん、南北の方が後世の人、時代が違う。

「神霊矢口渡」は、1770(明和7)年、江戸の外記座で、それまでの上方人形浄
瑠璃とは、ひと味違う江戸人形浄瑠璃として初演された。時代浄瑠璃全五段の原作は
福内鬼外(ふくうちきがい)というペンネームを使った平賀源内である。ペンネーム
は、お判りのように、「福は内鬼は外」の節分の掛け声に因む。平賀源内は、江戸時
代の科学者(本草学、蘭学)で、後世「日本のダ・ビンチ」と言われたようなマルチ
人間である。芸能、特に人形浄瑠璃にも詳しかったのだろう。狂言には、江戸近郊の
地名も出て来るが、西国出身だけに、必ずしも詳しく、正しいわけではなかったよう
だ。

後で、触れるが、「神霊矢口渡」にも、人形浄瑠璃や歌舞伎の名場面がいくつも透け
て見える場面が目立つ。今回は、その謎解きはしないが、そういう箇所は極力メモし
ておきたい。今回の竹本の文句に「琥珀の塵や磁石の針、粋も不粋も一様に、迷うが
上の迷いなり」などとあり、当時の常人には、考え出せない「科学用語」(?)のよ
うな源内ならではの科白も散見するが、その割には、筋立て自体は荒唐無稽な物語で
あり、そもそも外題にある「神霊」とは、なんとも非科学的である。神社延喜由来。
狂言は人形浄瑠璃初演から24年後、源内の死後、14年後、1794(寛政)年、
江戸の桐座(江戸三座のうち、市村座の控櫓)で歌舞伎としても初演となった。今で
も時々上演されるのは、四段の切り「頓兵衛住家の場」だけ。今回は、普段見られな
い場面が幾つもあるので楽しみ。

そこで、まず、今回の場の構成を記録しておこう。
序幕「東海道焼餅坂の場」、二幕目「由良兵庫之助新邸(しんやしき)の場」、三幕
目「生麦村道念庵室の場」、大詰「頓兵衛住家の場」。一説では、平賀源内が新田義
貞の子、義興(よしおき)を祭神とする矢口の新田神社から霊験を広めて欲しいと依
頼されて書いたと伝えられている。今ならスポンサー付きのテレビドラマというとこ
ろか。舞台は南北朝時代。芝居の大きな流れは、足利尊氏に敗れて討ち死にした南朝
方の新田義興所縁の人々が落人になって足利方の追手から逃れる途中の苦労話。新田
義興は、足利尊氏追い討ちのために出陣したが武蔵国矢口渡で謀略にかかり、乗って
いた船の船底に穴を空けられて水死してしまった。憤死の義興、ということで、恨み
辛みが濃厚だ。この結果、新田家は滅亡した。

この芝居では、新田家所縁の人々のうち、特に3組の逃亡者に焦点を当てて悲劇ぶり
を描く。特に、二幕目「由良兵庫之助新邸の場」では、実子を犠牲にする由良兵庫夫
妻、大詰「頓兵衛住家の場」では、足利方に内通する父・頓兵衛に対抗する娘・お舟
など、物語の脇役たちが芝居の各場面では軸になる。主筋の人たちは、ひたすら逃亡
する。9年前、06年12月・歌舞伎座で、通常大詰しか上演しないので、この狂言
の大詰のみを私も観ている。大詰以外は、滅多に観ることが出来ない狂言、100年
ぶりの復活狂言なので、今回は粗筋も含めて書き留めておこう。

序幕「東海道焼餅坂の場」。119年ぶりの復活。東海道は、武蔵国と相模国の国境
にある焼餅坂(今の横浜市戸塚区)。舞台には粗末な旅人宿を兼ねる立場茶屋(道中
の宿駅に設けられた休憩所)がある。茶屋の出入り口の障子には「御とまり宿」と書
いてある。この宿場の名物は「やきもち」らしく、「名物やきもち」という旗が掲げ
られている。

花道より駕篭が来る。身分の高そうな老婦人が付き添っている。駕篭は馬子が先導し
ている。宿の前に横付けとなった駕篭からは、新田義興の奥方・筑波御前(芝雀)が
降りて来る。駕篭に付き添っていたのは新田家の家老の妻・湊(東蔵)であった。湊
は道中で出会った馬子・寝言の長蔵(吉之助)に戸塚宿まで送るという約束で奥方を
駕篭に乗せたのに、途中で降ろされてしまったようだ。金を持っていそうな婦人ばか
りのふたり連れと見て、どこかで脅して金を奪おうと駕篭を担いで来た雲助の願西
(又之助)・野中の松(吉兵衛)も、馬子と初めから共謀していたようだ。小悪党ど
もの悪知恵。

贅言;こういう下級な庶民の名前の付け方が鶴屋南北調ではないか、と思ったが、源
内は南北の影響は受けていない。因に、平賀源内(1728年〜1780年)、鶴屋
南北(1755〜1829年)。大器晩成だった四代目南北が立作者として活躍し始
めた1800年過ぎの頃は、源内は、誤解から人を殺めて投獄となり、牢中で破傷風
にかかり、既に獄死しているからだ。

第1の逃亡者たち。新田義興の奥方・筑波御前は、足利方の追手を気にしながら、お
家滅亡の混乱の中で生き別れとなっている若君・徳寿丸の行方を探している。新田家
の家老・由良兵庫之助の妻・湊は逃避行に付添い奥方を支えている。湊は、無頼の雲
助たちを騙し、奥方とともに宿から上手へと逃げる。宿改めにきた足利方の役人(桂
三)一行よりも先に立ったことになる。役人らは、徳寿丸と遺臣の行方を追ってい
る。宿には、それらしい者がいないと判り、役人一行は舞台上手へ追って行く。

舞台が廻って、旅人宿の横へ。舞台上手は宿の裏側。中央に立つ標示柱(道標)に
は、「是より東 武蔵国 是より西 相模国」と書いてある。上手が西側という想定
だろう。花道より六部姿の男がやって来る。白装束に笈(おい)を背負っている。薮
のところで笈を降ろし、中に匿っていた幼児を外に出して労り、改めて、新田家の再
興を誓う。第2の逃亡者たちは、南瀬六郎(又五郎)と新田義興の遺児・徳寿丸だ。
この様子を上手の物陰で見ていた馬子の寝言の長蔵や雲助たちがふたりを襲う。南瀬
六郎は、連中を蹴散らすが、自身も脚に怪我を負ってしまう。

二幕目「由良兵庫之助新邸の場」。100年ぶりの復活。1915年、初代吉右衛門
も演じた由良兵庫之助役を当代の吉右衛門が受け継ぐ。新邸の場所は? ただし、逃
避行は、西から東へ、ということらしい。

家老・由良兵庫之助は、知恵を絞った末、主君の死後、新田家を見限り、足利家に居
城を明け渡す。無抵抗派と評価された結果、足利家から新領を与えられ、新邸を構え
ている。座敷には銀地に竹林の襖。庭の上手に桜木。邸内には、由良兵庫之助の嫡
男・友千代がいる。木馬に乗って遊んでいる。母の湊と生き別れ状態の不憫な幼児を
乳母や腰元たちが同情している。

由良兵庫之助(吉右衛門)が、足利方の高官・江田判官(歌六)とともに、帰館す
る。花道から戻ってきたふたりは、木戸から座敷に入る。玄関がない? 武家の屋敷
なのに変? 座敷に上がった江田判官は、由良兵庫之助に新田義興の弟・義岑(よし
みね)と遺児・徳寿丸の詮議を依頼する。快く引き受ける由良兵庫之助。奥へ入るふ
たり。

焼餅坂から逃れた筑波御前と湊が花道からやって来る。知らず知らずに由良兵庫之助
新邸に辿り着いたようだ。一夜の宿を乞うと、湊はここが夫の新しい家だと知る。兵
庫之助は、かつての主君の奥方も妻も冷たくあしらい、出て行くように言い放つ。無
念さを胸に秘め、舞台下手に入るふたり。座敷上手の障子の間(「奥の間」と竹本は
語る。武家屋敷の奥の間が、襖ではなく、障子というのも?)から、その後ろ姿を密
かに見送る由良兵庫之助。竹本の太夫は、盆廻しで、愛太夫から葵太夫に代わる。

焼餅坂の追手を振り切った南瀬六郎も脚を引きずりながら花道から登場。見知らぬ屋
敷に助けを求めるが、主が由良兵庫之助と知り、討ちかかる。由良兵庫之助は、南瀬
六郎にも冷たい。笈の中の徳寿丸は見逃すと約束するが、南瀬六郎を下手の障子の間
に押し込む。大道具方の手で木戸が片付けられる。

花道より、黒地の大紋姿の足利家の重臣・竹沢監物(錦之助)一行登場。木戸が無く
なったことで、「見えない玄関」が出現したことになる。配下は、宿改めの時の役人
のほかに馬子の寝言の長蔵も同行している。監物は座敷の上手に居所を変え、「南瀬
六郎と徳寿丸の首を出せ」という尊氏の厳命を伝える。それを聞いた由良兵庫之助
は、下手の一間に矢を打ち込む。胸に矢を受けたまま、中から現れた南瀬六郎は不利
を悟り、切腹して自害する。由良兵庫之助は一間に入り、幼児の首を打ち落し、首桶
を持参して、竹沢監物の前に置く。焼餅坂で笈の中の徳寿丸の顔を見て、知っている
寝言の長蔵が首実検をする。間違い無し。竹沢監物は満足して、花道より首桶を抱え
て帰館して行く。本舞台から見送る由良兵庫之助。吉右衛門の表情を観ていて、この
場面では、「伽羅先代萩」で栄御前を騙して見送る政岡を思い出す。

その後、下手より、奥方と湊が現れる。下手の一間に取り残された首のない幼児の遺
体を見て、筑波御前は、倒れ伏す。夫に斬りかかる湊。妻を払いのけ奥へ入る由良兵
庫之助。我が子を失い自害しようとする筑波御前。押しとどめる湊。襖奥より、声が
聞こえる。「徳寿君、ご安泰」。

衣装を改めた由良兵庫之助が正装の若君・徳寿丸を抱きかかえて奥より登場。襖の奥
に広がる座敷。金地の襖に松が描かれている。先に首を差し出されていたのは、若君
の身替わりになった兵庫之助の一子・友千代であったことが判る。湊は改めて我が子
の亡がらを抱いて、むせび泣く。この「取り替えっ子(チェンジチャイルド)」作戦
こそ、由良兵庫之助と先ほど敵前で自害して果てた南瀬六郎のふたりが、密かに策謀
していた戦略だった。

吉右衛門の由良兵庫之助は、若君生き残りに成功した戦略を家臣として「アハハ、ウ
ハハ」と大笑いをして喜び、我が子を身替わりとして亡くした父親の心情として、大
泣きをしてみせる。品格と風格が要求される。家老の顔と父親の顔。「是非もなき世
の定めじゃなあ」。観客の涙腺を刺激する。吉右衛門の表情を観ていると、この場面
では、「寺子屋」の松王丸を思い出す。

由良兵庫之助の物語る経緯。主君から頼まれた若君生き残りを成功させた戦略の解
説。初めて、由良兵庫之助らの戦略を知った筑波御前と湊。自分の息子を犠牲にして
まで、若君を助ける。身替わりの首を出したので、若君は追手から逃れることが出来
た。もう、逃避行は不要。物陰でこの話を聴いていた寝言の長蔵(意外と有能なスパ
イ)が足利方にご注進と駆け出そうとするところを上手障子の間にいた江田判官が手
裏剣を投げて、仕留める。我が子を犠牲にしてまで主君に忠義、という由良兵庫之助
の真情に敵ながらあっぱれと感じ入った江田判官の「寸志」だという。後に、戦場で
相見えようというふたり。奥方も、もう、追手の心配からは逃れたことだろう。第
1、第2の逃亡者の話は、六部姿の南瀬六郎の忠義の死で終わる。由良兵庫之助夫妻
を演じる吉右衛門と東蔵の所作に、「熊谷陣屋」の直実・相模夫妻、「寺子屋」の松
王丸・千代夫妻を思い出す。取り替えっ子、身替わり子の親の悲哀。

三幕目「生麦村道念庵室の場」。119年ぶりの復活。二幕目までとは別の展開とな
る。生麦村は、今の横浜市鶴見区。第3の逃亡者たちの登場。新田義興の弟・義岑
(よしみね)と恋人の傾城・うてな。西から東への逃避行。舞台は、道念(橘三郎)
という道心者(どうしんじゃ。仏道、仏門に帰依した者)の庵室。「ぶったくりの万
八」という、ならず者が見かけない若い男女が庵に入ったのを見たと言って強請りに
来る。道念は、万八を相手にせず追い返す。庵室上手奥から義岑(歌昇)と恋人の傾
城・うてな(米吉)のふたりが出て来る。ふたりは、黒地に露芝の紋様の縫い取りと
いう、典型的な道行き(比翼の衣装)のこしらえ。これを観て、「新口村」の梅川忠
兵衛の道行きを思い出す。道念は、元は久助と言って、新田家の旗持ちであった。義
興水死の折りに新田家伝来の白旗(御旗・みはた)を持ち帰り、何時の日か、義興の
弟・義岑に返したいと保管していたような忠義な男だ。道念は義岑にお家再興を促
し、自分は義興を祀る社(後の新田神社)の建立を誓う。

花道から万八が村の百姓たちを連れて義岑とうてなを捕えようとやって来る。その前
に、道念は義岑らふたりを連れ出し庵室横の稲荷の祠に隠し、自分は稲荷の鳥居に
飾ってあった狐の面を被る。やってきた万八や百姓を脅し、特に万八の悪行を託宣す
る。仲間割れした万八らを追い返した後、道念は若いふたりの逃避行へと導く。義岑
とうてなは、情緒たっぷりに花道を行く。

大詰「頓兵衛住家の場」。逃亡者たちを助ける娘の純な心。「頓兵衛住家」とは、六
郷川(多摩川)にある矢口の渡守・頓兵衛の家である。今の川崎市側か。南朝方の新
田義興が、朝敵足利尊氏討伐のため、矢口の渡を渡ろうとしたところ、頓兵衛は、竹
沢監物に頼まれて舟の底に穴を開け、義興を水死させた張本人だ。その時の褒美を元
に大きな家を建てたのが、頓兵衛という男だ。矢口の渡は、今の東京・大田区と神奈
川県川崎市を結んだ。

頓兵衛には、娘がいる。父親が留守で、お舟(芝雀)が留守番をしているところへ逃
避行中の義岑とうてなのふたりが一夜の宿を借りに来る。宿屋ではないので、お舟
は、断るが、戸の隙間から覗き見た美男の義峯に一目惚れ。一目惚れのエネルギー
が、物語を一気に展開させるから凄い。お舟の義岑一目惚れの場面は、先行作品「義
経千本桜」の「すし屋」(1747年初演)を下敷きにしているのだろうか。つま
り、弥助とお里の場面だ。ここの下敷き説は、判りやすい。

恋人うてなを浅草参詣に連れて行く妹と偽り、率直なお舟の恋心を利用して色事に耽
ようとする義岑。この男は単なる色男でしかないのか。お舟とのふたりっきりの場
面。いざ、ことに及ぼうとすると、義岑とお舟のふたりは、義岑が持ってきた新田家
の御旗(白旗)の威力(敵の足利方の娘との色事禁止!)に当てられ、気絶してしま
う。障子の間からうてなが出てきて、白旗を柱に掲げると、義岑とお舟は回復する。
江戸の科学者の筆は、どこまでも、非科学的である。義岑とうてなは、寝所にあてが
われた二階へ上がって行く。

この家の下男・六蔵(種之助)は、義岑の正体を悟り、義岑を捕らえて、己の手柄に
しようとするが、お舟は、六蔵の下心を利用し、身体を張って義岑らふたりを逃がそ
うとする。

しかし、夜になると父親の頓兵衛(歌六)が下手の薮を分けて現れる。竹本「薮より
ぬっと出たる主の頓兵衛」という場面で、舞台下手に設えた薮から帰宅する頓兵衛の
出の場面は、「絵本太功記」(1799年初演)の十段目「尼ケ崎閑居」(通称、
「太十」)の光秀の出にそっくり。「太十」(近松柳ほか合作)が、1794年歌舞
伎初演のこの狂言を真似たのか、源内原作にないものが上演を続けて行くなかで、
「矢口渡」が、何処かの時点から後世の誰かの工夫魂胆で「太十」を真似て使うよう
になったのか。源内は、1780年没だから、原作になければ、死後の誰かの工夫だ
ろう。

舞台が回り、頓兵衛は住家裏手に出て、二階の寝所にいるはずの義岑を殺そうと、下
から刀を突き刺し、寝ているはずの義岑を襲う。その結果、義岑の身替わりに寝てい
たお舟が、父親の刀で刺されてしまう。この頓兵衛のよるお舟殺しは「太十」の光秀
が、久吉(秀吉)と間違えて母の皐月を殺してしまうという状況にそっくり。

人非人・頓兵衛は、娘の命など物ともせず、「矢口渡」の道標を斬り付けると、大き
な音を立てて、のろしが上がる。のろしの合図で仲間を集め、逃げた義岑らを舟で追
い掛けようとする。

鳴り鍔を鳴らしながら頓兵衛が、花道を引っ込むのは、「蜘手蛸足(くもてたこあ
し)」という特殊な演出をする。舞台上手で附け打ちが打つ附けの音と鍔が鳴らされ
る音が交錯する。歌六は首を振り、腕を振りしながら行ったり戻ったりを繰り返す。
江戸情緒たっぷりの、ゆるりとした場面を観客に楽しませた後、歌六は向う揚幕に
引っ込んで行った。ユニークな見せ場であった。

一方、大道具は、さらに半廻しされ、二階座敷から続き、多摩川に突き出た櫓が、舞
台中央に入って来る。瀕死の傷を負いながらお舟は、櫓の太鼓(落人確保、包囲無用
の知らせ)を叩いて、父親が依頼した追手仲間を引き上げさせ、父の企みを阻止しよ
うとする。お舟の邪魔をする下男の六蔵。この辺りが、芝居のクライマックス。命を
掛けて、自分が一目惚れした身分違いの貴人・義岑らを逃がそうとする娘心が哀れで
ある。

お舟が、川に突き出た櫓の太鼓を叩く場面は、「伊達娘恋緋鹿子」(1773年)の
八百屋お七、通称「櫓のお七」の火の見の太鼓たたきの場面を彷彿とさせる。源内没
後、14年、1794年歌舞伎初演だから、これも誰かがお七から戴いた「入れ事」
で演じたのか。

「矢口渡」に限らず、いろいろな狂言が、重層的に連なって、歌舞伎の狂言ができ上
がっていることは、容易に想像できるが、どちらが先かは、単に初演の時期だけで
は、簡単に決められないところが、歌舞伎の奥深さであり、手強いところだろう。

さらに、上手から舟が出て来る。船上には、頓兵衛と銀と白の衣装に身を包んだ義興
の亡霊も乗っている。義興は突如、頓兵衛に正対して向かうと白羽の矢を射る。こう
いう場面は、今回、初めて観た。以前観た時は、突然、どこからか飛んで来た白羽の
矢(折り畳み式)が首に刺さり、極悪人の頓兵衛は、滅びるという話。櫓で太鼓を叩
いていたお舟も力尽き、柱に抱きついて死に絶えていた。

しかし、この多摩川の川面上の舟の場面は、別空間という想定だろうと思われる。舟
の上での我が父親ながら、一目惚れした愛しい人のために極悪人を懲らしめる、とい
う夢。つまり、死んで行く娘が見た「見果てぬ夢」だったのではないか。そうだとす
れば、2つの別空間が、一つの舞台に写真の二重焼きのように写し込まれた場面だっ
た、ということか。

「頓兵衛住家の場」は、娘役のお舟に仕どころが多いため、花形の若女形が、良く演
じる。それゆえ、時空を超えて、この場面だけ、歴史のなかを生き抜いて来たのだろ
う。

竹本「怪し、恐ろし」と、最後まで、非科学的なところも、おもしろく、そして、哀
しい。
- 2015年11月12日(木) 15:28:23
15年11月歌舞伎座 (夜/「江戸花成田面影」、「元禄忠臣蔵〜仙石屋敷」、
「勧進帳」、「河内山」)


海老蔵の「河内山」


「河内山」は、團十郎五十年祭の主軸となる夜の部の成田屋主演演目。孫の海老蔵
が、初役で勤める。河竹黙阿弥原作。私がこの演目を観るのは、13回目。今回は、
役者評だけを書こう。私が観た河内山宗俊は、吉右衛門(5)、幸四郎(4)、仁左
衛門(2)、團十郎、そして、今回は海老蔵。この海老蔵河内山が、なかなか良かっ
た。松嶋屋に指導を受けたという。ただ1回観ただけの直感だから当てになるかどう
かは判らない。なにせ、海老蔵の芝居は、安定していないからだ。出来具合に波があ
るのだ。祖父の十一代目團十郎がそうだった、と言われている。

いちばん数多く観ている吉右衛門河内山は、科白廻しが良い。海老蔵の科白廻しは良
いわけではない。なのに、なぜ良くみえたのか。それが今回の劇評のポイントになる
だろう。

吉右衛門の河内山は、すっかり安定している。初代は、深い人間洞察を踏まえた科白
の巧さが持ち味だったらしい(実際の舞台を観ることが出来なかったのは、世代的な
不幸である。「菊吉ジジババ」への呪詛か?)が、当代の吉右衛門は、人間洞察の深
さは今も精進しているだろうが、科白廻しの巧さは、当代役者の中では、ぴか一だろ
う。悪事が露見すると、河内山の科白も、世話に砕ける。時代と世話の科白の手本の
ような芝居だし、江戸っ子の魅力をたっぷり感じさせる芝居だ。度胸と金銭欲が悪党
の正義感を担保しているのが、判る。そういう颯爽さが、この芝居の魅力だ。

海老蔵河内山の魅力は、そういう巧さではなく、この青年役者の存在感、というか持
ち味が、河内山に合っていることではないか、と思ったわけだ。故内山役者の素材と
してのおもしろさ、とでも言えば良いかもしれない。彼も精進するだろうし、こちら
も、また、海老蔵河内山を観てみたいと思う。

「河内山」は、大向う好みの芝居だ。悪党だが、正義漢でもある河内山。無理難題を
仕掛ける大名相手に、金欲しさとは言え、寛永寺門主の使僧(使者の僧侶)に化け
て、度胸ひとつで、大名屋敷に町人の娘を救出に行く。最後に、大名家の重臣・北村
大膳(市蔵)に見破られても、真相を知られたく無い、家のことを世間に広めたくな
いという大名家側の弱味につけ込んで、堂々と突破してしまう。権力者、なにするも
のぞという痛快感がある。海老蔵も、今は男の子の親になって、歌舞伎役者の道を幼
い息子とともに歩んで行こうと思い定めているかもしれないが、若い頃、といっても
数年前くらいまでは、無鉄砲なところもあったようで、悪仲間といろいろ事件を起こ
したり、巻き込まれたりしていて、マスコミの餌食になっていた。私も海老蔵の釈明
記者会見に参加して、目の白目に赤い傷のような跡が残っている彼の顔を間近に見た
ことがある。そういう苦い体験が、海老蔵の役者としての引き出しに入っているのか
な、というような勘が働いたとだけ、ここでは書いておこう。

優等生の河内山なら、吉右衛門。開き直った河内山なら海老蔵というところか、とも
思う。


「江戸花成田面影 堀越勧玄(かんげん)初お目見得」。今回は、團十郎五十年祭と
同時に十一代目團十郎の曾孫に当る堀越勧玄の「初御目見得」の舞台でもある。「江
戸花成田面影」は、そのご祝儀演目。もちろん、初演。どうと言うことのない芝居だ
けに、主な配役だけを書き留めておこう。

芸者お藤:藤十郎。鳶頭たち=梅吉:梅玉、染吉:染五郎、松吉:松緑。市川海老
蔵、堀越勧玄。役者たち=家橘、右之助、市蔵、九團次。出迎えの総代:松嶋屋仁右
衛門、成田屋一門を先導する町年寄:音羽屋菊五郎。

開幕すると、舞台は浅黄幕に被われている。芝喜松、芝のぶらの手古舞連中が、深川
で成田不動尊の出開帳を盛上げる。手古舞が幕内に入ると浅黄幕が膨らんできて、幕
の振り落としとなる。舞台上下手に「開帳成田山不動明王」の看板というような趣
向。やがて、花道から父親の海老蔵に手を引かれて黒紋付姿の堀越勧玄(2歳8ヶ
月)が、登場し、父と一緒に口上を述べる。「堀越勧玄でござりまする」。


「元禄忠臣蔵〜仙石屋敷」。仁左衛門の芝居。相方は、梅玉。團十郎五十年祭客演の
仁左衛門が主演を勤める。科白劇。私が観るのは2回目。前回は、09年3月歌舞伎
座。いずれも、大石内蔵助を演じたのは仁左衛門であった。

「仙石屋敷」は、真山青果原作の「元禄忠臣蔵」の一幕。10演目に及ぶ「元禄忠臣
蔵」を書きながら、「仮名手本忠臣蔵」でも、とってつけられたような存在になって
いる討ち入りの場面は、真山青果も巧みに避けて通っている。討ち入りの場面に替
わって、いわば、歌舞伎で良く演じられる「物語」(後日に、主要な場面を語りで、
再現する)の方式を採用して、「仙石屋敷」では、46人の赤穂浪士に対する仙石伯
耆守(梅玉)の、大目付としての取り調べ、つまり、役宅での尋問の場面が、展開さ
れる。

まず、前半は、討ち入り成就で、翌朝、泉岳寺に引き上げる途上で、仙石伯耆守役宅
に討ち入りの口上書を届けるために立ち寄った吉田忠左衛門(市蔵)と富森助右衛門
(亀寿)と仙石伯耆守との、いわば「裏」での、本音のやり取りが、見せ場である。

後半は、その日の夜、大石内蔵助(仁左衛門)、堀部安兵衛(権十郎)、間十次郎
(松江)、高岡源吾(亀鶴)、磯貝十郎左衛門(児太郎)、大石主税(千之助)らと
仙石伯耆守の尋問、いわば「表」での、立て前のやり取りが、展開される。いかに
も、科白劇が好きな青果劇らしい演出で、討ち入り後の場面が、科白はたっぷりだ
が、動きの少ない形で、抑制的に描かれる。


「勧進帳」は、幸四郎の芝居。團十郎五十年祭客演の幸四郎が主役を勤める。十一代
目團十郎は、幸四郎の父親・八代目幸四郎の兄。つまり、当代幸四郎に取って、伯父
に当る。勧進帳の弁慶を演じること1100回を越えて、記録更新中の幸四郎は、も
う、幸四郎弁慶になり切っていた。私がこの演目を観るのは28回目。

私がこれまで観た主な配役は、弁慶:幸四郎(今回含め、8)、團十郎(7)、吉右
衛門(5)、海老蔵(3)、猿之助、八十助時代の三津五郎、辰之助改めの松緑、仁
左衛門、染五郎。冨樫:菊五郎(7)、富十郎(3)、梅玉(3)、幸四郎(2)、
勘九郎(2)、吉右衛門(2)、團十郎(2)、新之助改めとその後の海老蔵
(2)、猿之助、松緑、愛之助、菊之助。今回は、染五郎。義経:梅玉(6)、雀右
衛門(3)、染五郎(3)、藤十郎(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝翫
(2)、富十郎、玉三郎、勘三郎、孝太郎、芝雀、吉右衛門、今回は松緑。女形が演
じることが多い義経を立役の松緑が演じる妙味。花道までは笠を被らずに弁慶に指令
を出すコマンダーの義経像を表出したのは、印象に残った。15年ぶりの義経役だ、
という。

「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、名舞踊、名ドラマ、と芝居のエ
キスの全てが揃っている。さらに、配役の妙味が、勧進帳の味を拡げる。それぞれの
趣向で、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあきないのは、当然だろう。開幕は
緞帳が上がり、閉幕は、定式幕が閉まる。そして、幕外の引っ込み。飛び六方とな
る。

幸四郎の弁慶は実に丹念に演じているのが良く判った。1100回以上(本興行一月
の公演が25日だから、44舞台以上ということだ。単純化して、1年に1回上演な
ら44年かかる勘定だが、そうはいかない。地方公演も含めれば、年に1回以上上演
している。幸四郎、團十郎の場合、それぞれ年間で4回上演という年もある。九代目
團十郎の藝を受け継ぎ、「勧進帳」を1600回演じた弁慶役者、幸四郎祖父の七代
目幸四郎を目標にしている。)勧進帳の弁慶を演じている幸四郎は、上演回数では、
大向うから声がかかるように「日本一」の弁慶役者であることは間違いない。舞台を
観ていると、幸四郎は弁慶を演じているのではなく、弁慶になり切っているというこ
とが良く判る。後、500回を目指しているのかもしれない。

幸四郎弁慶は、危機に際し、刻々と変化する状況を落ち着いて判断し、義経警護の責
任者として責務を全うする。勧進帳の弁慶は、幸四郎という歌舞伎役者の原点なのだ
ということが良く判った。幸四郎は、いつも、弁慶から飛び立ち、弁慶に帰って行
く。染五郎の富樫も、松緑の義経も、消えてしまう。


戦後70年。十一代目團十郎が没して、50年。戦後も歌舞伎界も歴史の歯車が大き
くごろりと回転したのかもしれない。昼の部の劇評の見出しに、私は次のようなタイ
トルを付けてみた。

「若き日の信長」は、「若き日の團十郎」になれるか。

十一代目がそうだったように、海老蔵は、「若き日の信長」や「河内山」をきっかけ
に、将来、十三代目團十郎の大名跡を継げるような役者になれるのか、という設問の
謂である。祖父のような晩成の大器になり得るか。楽しみである。
- 2015年11月8日(日) 18:55:35
15年11月歌舞伎座 團十郎五十年祭(昼/「実盛物語」、「若き日の信長」、
「御所五郎蔵」)


「若き日の信長」は、「若き日の團十郎」になるか


團十郎五十年祭、海老蔵が軸となり、幸四郎、菊五郎、仁左衛門、藤十郎、染五郎、
松緑らが十一代目團十郎所縁の演目を客演する。十一代目追悼だけに客演陣の実力が
高く孫の海老蔵の存在感が、乏しい。こうした中で、昼の部の主軸は、海老蔵の「若
き日の信長」なので、これを中心に批評を書く。

「若き日の信長」は、大佛次郎原作で、1952(昭和27)年初演の新作歌舞伎。
十一代目團十郎が信長を演じた。大佛次郎は織田信長という史実の人物を史実に基づ
きながらも、普遍的な青年の孤独と苦悩、それの克服を描こうとした。私がこの演目
を観るのは2回目。1回目は、20年前、1995年9月の歌舞伎座。主役の信長
は、十二代目團十郎であった。今回は息子の海老蔵が勤める。20年前の劇評はない
ので、今回初登場になる。20年前の印象では、序幕の「寺に近い丘の上」という場
面だけが印象に残っている。今回観ても、印象通りの場面だったことが判る。大佛次
郎の原作は、信長をナイーブな青年として描き、晩秋の夕暮れの時刻の変化を心理描
写に使っている。その変化が、この序幕では巧く効果を上げているので、私も、20
年経っても印象に残したのだろうと思う。

二幕目「平手中務の屋敷」、大詰第一場「清洲城内奥殿の塀外」、第二場「邸内―能
舞台に続いたる書院」の場面は、初めて観たような感じになる。これらの場面も、雪
の朝。そして、初夏ということで、季節の移ろいと信長の成長を二重写しにする演出
であった。しかし、御殿などの室内の場面は、大道具が似たり寄ったりの所為か、か
えって、印象に残らなかったのか、とも思う。とりあえず、ここでの劇評初登場なの
で、筋書も含めて記録しておきたい。

「若き日の信長」は、團十郎五十年祭の主軸となる昼の部の成田屋主演演目。海老蔵
が歌舞伎座初演で勤めるが、海老蔵は、名古屋の御園座、大阪の松竹座で、父親の十
二代目團十郎の手ほどきを受けて、上演体験がある。

序幕「寺に近い丘の上」。尾張国、織田家の菩提寺に近い丘の上。舞台中央に大きな
柿の木がある。寺では先君織田信秀の三回忌の法要が営まれている。織田家を相続し
た信長という男のことが話題になっている。駿河国、今川義元の間者で軍師を務める
僧侶の覚円(右之助)も忍び込み、信長の情報を収拾しようとしている。それを見と
がめたのが織田家の重臣・林美作守(市蔵)。林美作守は、実は、織田家を裏切り今
川方に寝返ろうとしている。一方、今川方に内通し、娘を信長方に人質として、さし
出している山口左馬之助もいる。戦国時代の生き残りを懸けた闘いは、そういうもの
だ。その当の娘・弥生(孝太郎)が、覚円と林美作守の立ち話の姿を見て父親の寝返
り決定を悟る。その表情の変化を見て弥生に殺意を抱く覚円。弥生に横恋慕の美作守
は、能天気にも弥生に言い寄る。逃げる弥生。

皆が、いなくなった所へ、村の子どもたちと遊びほうけていた信長(海老蔵)が花道
からやって来る。子どもたちに柿の実を与える信長。戻ってきた覚円に水の入った瓢
箪を渡す信長。覚円は信長を信長と知らずに、若者の風格に圧倒される。そこへ、木
下藤吉郎(松緑)が加藤清正という少年を連れて現れる。藤吉郎と若者の対話を聴い
ていて覚円は柿をかじっている若者を信長と気づく。さらに信長が既に自分を今川方
の間者と見破っていることを悟る。

海老蔵の父・十一代目團十郎は、筋書通りの風格を滲ませていたが、海老蔵からは、
風格までは伝わって来ない。

戻ってきた弥生から信長守役の平手中務が法要に参列しなかった信長に失望していた
と知らされる。弥生を伴って帰宅する信長。それを物陰から見送る美作守。そこへ平
手中務(左團次)が、法要を終えて帰ってくる。後の悲劇を予感させるように悄然と
している。

こうして粗筋を追ってみると、改めて、この序幕の重要性が判る。風格を滲ませる演
技は、演技では出せない。役者としての体験、品格など積み重ねたものがなければ滲
み出て来ない。海老蔵の課題は、ここにある。

二幕目「平手中務の屋敷」では、信長にたびたび諌言したのに聞き入れてもらえな
かった責任を取り、先君の没後2年の三回忌法要をきっかけに自害する平手中務の姿
が描かれる。平手中務の息子たち(亀寿、九團次、廣松)も、淡々と遺書を認める父
親を見守ることしか出来ない。信長が遠乗りから戻って、茶を所望に立ち寄ったと聞
き、信長に会わずに自害してしまう。ショックを受ける信長。そこへ、美作守らが弥
生の父親の寝返りを知らせに来る。見せしめに人質の弥生を殺せと主張するが、信長
は弥生を解き放せと命じる。

大詰第一場「清洲城内奥殿の塀外」。今川義元が大群を率いて尾張に攻め込んでき
た。織田方からは、寝返る者が続出している。信長は弥生を使者にたてて和議を申し
入れようと決断する。がっかりする平手中務の息子たち。

同 第二場「邸内―能舞台に続いたる書院」。書院で小鼓の調べを直し始めている信
長。藤吉郎が酒を用意して来る。信長は、現前に平手中務が生きているかのように振
る舞う。守役を亡くし苦悩する信長。弥生がやってきて、父親の翻意を促したいの
で、使者としてさし向けて欲しいと訴える。既に弥生の父親は討った。桶狭間に向け
て出陣せよと藤吉郎に命じる信長。守役の死を乗り越えて青年は、戦国の世を生きる
自立した城主として、また、孤高の英雄へと飛翔する様子を大佛次郎の原作は、浮か
び上がらせようとしている。

幕切れ前は、弥生に鼓を打たせて自分が好きな「敦盛」の舞を舞い始める信長、とい
う場面で緞帳が下りて来る。やはり、序幕のみが印象に残る。風格を演じ上げた後の
信長役者は、戦国大名の物語という筋を追うだけの芝居となるような気がする。


以下の2演目は、「実盛物語」、「御所五郎蔵」は馴染みの演目。毎回手を変えて劇
評を書くのも辛い。かといって、役者評(印象記)しか書かないのも藝がない。ま
ず、「実盛物語」は、10回目の拝見。今回の見どころは、染五郎の初役ぶり。染五
郎の芝居や、いかに。

私が観た斎藤実盛は、仁左衛門(2)、菊五郎(2)、吉右衛門、富十郎、勘九郎時
代の勘三郎、新之助時代の海老蔵、團十郎。今回は、染五郎。8人で観たが、もう、
3人は、永遠に見ることが出来ない。

中でも、2回観た仁左衛門の実盛は、颯爽としていて、華があって、見栄えがした。
科白の緩急、表情の豊かさ、竹本の糸に乗る動きなど堪能した。菊五郎、吉右衛門
も、安定感があった。幕外の引っ込みで、馬に乗った実盛が花道七三で扇子を掲げ
て、静止。今回の舞台では、軸となるべき染五郎は、実盛の風格が出せない。線が細
くて、存在感が弱い、のが残念。この役に限らず、どこかで、染五郎には、いずれ一
皮むけて欲しい、と思う。

並木宗輔ほかによる合作「源平布引滝」の三段目に当る「実盛物語」。源平の争いが
続く中、平治の乱に敗れた源義朝の弟・木曾義賢の妻・葵御前(児太郎)は、懐妊中
の身で、琵琶湖の畔の百姓・九郎助(松之助)宅に匿われているが、葵御前のことを
訴人する者があり、平家方の斉藤別当実盛(染五郎)と瀬尾十郎(亀鶴)が、詮議に
赴いて来た。厳格に調べを進めようとする瀬尾十郎と源氏の恩を忘れずに、葵御前を
なんとか見逃そうとする斉藤別当実盛の対比が、芝居の縦軸となる。こういう配役を
見ても、いまの歌舞伎界は、中堅どころが不足していることが判る。九郎助を演じた
松之助は、脇役のベテランで、味を出している。葵御前を演じた児太郎、瀬尾十郎を
演じた亀鶴、それに何よりも主役の斉藤別当実盛を演じた染五郎が、従来の役者から
見れば、粒が小さい。

この狂言の本質は、「SF漫画風の喜劇」である。主人公は、実盛ではなく、太郎吉
(後の、手塚太郎)であり、実盛は、まさに、「物語」とあるように、ものを語る
人、つまり、ナレーター兼歴史の証人という役回りである。

ここでは、「平家物語」の逸話にある「実盛が白髪を染めて出陣した」ことの解明
が、時空を超えて、試みられている。母の小万(秀太郎)が実盛に右腕を切り取られ
て、亡くなったと知った太郎吉は、幼いながらも、母親の仇を取ろうと実盛に詰め寄
る。実盛は、将来の戦場で、手塚太郎に討たれようと約束する。そういう眼で見る
と、歴史の将来を予言する「実盛物語」は、まさに、SF漫画風の喜劇ということに
なる。小万が、実は、百姓・九郎助と小よし夫婦の娘ではなく、瀬尾十郎の娘であ
り、太郎吉は、瀬尾にとって、「孫」に当たるという「真相」も、漫画的である。

贅言;孫・太郎吉の手柄にと瀬尾十郎が事実上自害する場面で、死への瞬間を亀鶴
が、その場でトンボを切ってみせたのには、驚いた。こういう死の場面を観たことが
なかったからだ。

今回の配役では、役柄から見て適切だったのは、秀太郎の小万くらいか。しかし、今
の歌舞伎界は、そういうことばかり言ってはいられない。ここ数年歌舞伎界を襲った
「病魔」を乗り越えて、歌舞伎の灯を掲げて行かなければならない。


「御所五郎蔵」は、9回目の拝見。私が観た五郎蔵は、菊五郎(今回含め、4)、仁
左衛門(2)、團十郎、 梅玉、染五郎(去年、初役。なんとか脱皮を図ろうとして
いるのだろう)。今回の五郎蔵は、安心の定番路線の菊五郎。

馴染みの役者の見慣れた演目。「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞ
め)」は、幕末期の異能役者・市川小團次のために、河竹黙阿弥が書いた六幕物の時
代世話狂言。動く錦絵(無惨絵)ということで、絵になる舞台を意識した演出が洗練
されている。役者のキャラクター(にん)で見せる芝居である。

今回の「御所五郎蔵」の場構成は次の通り。序幕「五條坂仲之町甲屋の場」、通称
「出会い」。二幕目第一場「五條坂甲屋奥座敷の場」、通称「縁切、愛想づかし」。
第二場「五條坂廓内夜更けの場」、通称「逢州殺し」。この三場は、良く上演され
る。配役陣は、最近では、珍しい従来型の配役となり、安心して観ていられる。

序幕「五條坂仲之町甲屋の場」は、まず、按摩のひょろ市、台屋佐郎八とトラブルの
場面から始まった。甲屋の若い者喜助の留め男の場面は、後に出て来る本番のパロ
ディだろう。本番は、また、「鞘当」という狂言のパロディ。ということで、二重に
遊んでいるのが愉しい。対立するグループの出会いの場面だ。本来なら両花道を使っ
ての「出会い」という、様式美の場面だが、今回は、「両花道」の演出ではなく、本
花道と上手揚げ幕から、それぞれ出て来る(両花道は、5年前、07年11月の歌舞
伎座以来、私は観ていないが、ここは、両花道で観たいもの。因に12年11月・国
立劇場の「浮世柄比翼稲妻」の「吉原仲之町の場(鞘当)」は、両花道を使ってい
た。
 
黒(星影土右衛門=左團次)と白(御所五郎蔵=菊五郎)の衣装の対照。ツラネ、渡
り科白など、いつもの演出で、科白廻しの妙。洗練された舞台の魅力。颯爽とした男
伊達・五郎蔵一派。剣術指南で多くの門弟を抱え、懐も裕福な星影土右衛門一派。五
郎蔵女房の傾城・皐月に廓でも、横恋慕しながら、かつてはなかった金の力で、今回
は、何とかしようという下心のある土右衛門とそれに対抗する五郎蔵。そこへ、割っ
て入ったのが、五條坂の「留め男」の甲屋与五郎(仁左衛門)の登場という歌舞伎定
式の芝居。様式美と配役の妙のみで魅せる芝居。
 
二幕目第一場「甲屋奥座敷の場」。俗悪な、金と情慾の世界。皐月を挟んで金の力を
誇示する土右衛門と金も無く、工夫も無く、意地だけが強い五郎蔵の対立。歌舞伎に
良く描かれる「縁切」の場面。五郎蔵女房と傾城という二重性のなかで、心を偽り、
「愛想づかし」で、金になびいてみせ、苦しい状況のなかで、とりあえず、200両
という金を確保しようとする健気な傾城皐月(魁春)。実務もだめ、危機管理もでき
ない、ただただ、意地を張るだけという駄目男・五郎蔵(菊五郎)、剣術指南の経営
者として成功している金の信奉者・土右衛門(左團次)という三者三様は、歌舞伎や人
形浄瑠璃で良く見かける場面。馴染みの役者の見慣れた場面。ここも、判っていて
も、また、観てしまうという歌舞伎の様式美の魔力。
 
「晦日に月が出る廓(さと)も、闇があるから覚えていろ」。花道七三で啖呵ばかり
が勇ましい御所五郎蔵が退場すると、皐月を乗せたまま、大道具が、廻る。
 
二幕目第二場「廓内夜更の場」。傾城皐月の助っ人を名乗り出る傾城逢州(孝太郎)
が、実は、人違いで(癪を起こしたという皐月の身替わりになったばっかりに)五郎
蔵に殺されてしまう。駄目男とはいえ、五郎蔵の、怒りに燃えた男の表情が、見物
(みもの)という辺りが、この演目のいつもの見どころ。
 
皐月の紋の入った箱提灯を持たせ、自らも皐月の打ち掛けを羽織った逢州と土右衛門
の一行に物陰から飛び出して斬り付ける五郎蔵。妖術を遣って逃げ延びる土右衛門と
敢え無く殺される逢州。逢州が、懐から飛ばす懐紙の束から崩れ散る紙々。皐月の打
ち掛けを挟んでの逢州と五郎蔵の絵画的で、「だんまり」のような静かな立ち回り。
官能的なまでの生と死が交錯する。特に、死を美化する華麗な様式美の演出も、いつ
もの通り。
 
馴染みのある演目を贔屓の役者たちが、改めて、なぞり返す。手垢にまみれて見える
か、磨き抜かれて、光って見えるか。先達の藝を継承し、未来に残して行く。燻し銀
のごとく、鈍く光る歌舞伎のおもしろさは、同じ演目が、役者が変われば、いつも、
違った顔を見せるということだろう。
- 2015年11月8日(日) 14:17:55
15年10月歌舞伎座 (夜/「壇浦兜軍記〜阿古屋」「梅雨小袖昔八丈」)


松緑初役の髪結新三


「壇浦兜軍記〜阿古屋」。私が観るのは、今回で4回目。いずれも阿古屋は、玉三郎
が演じた。初めて観たのは、15年前。2000年1月、歌舞伎座。玉三郎自身は、
18年前、97年1月、国立劇場で初役を演じて以来、今回で10回目となる。以
来、玉三郎だけの阿古屋が続いている。ほかの誰も、まだ、挑戦して来ない。玉三郎
だけの阿古屋はいつまで続くのか。新しい阿古屋を演じるのは、菊之助か、あるいは
猿之助か。ほかの誰かか。新しい阿古屋よ、出でよ!

「壇浦兜軍記 阿古屋」は、堀川御所の問注所(評定所)の場面という、いわば法廷
に引きずり出された阿古屋(玉三郎)は、権力におもねらず、恋人の平家方の武将・
悪七兵衛景清のために、あくまでも気高く、堂々としている。五條坂の遊女の風格を
滲ませていて、玉三郎の阿古屋は、最高であった。特に、「琴責め」と通称される、
楽器を使った「音楽裁判」で、嫌疑無しと言い渡された時の、横を向いて、顔を上げ
たポーズは、愛を貫き通した女性のプライドが、煌めいていた。あわせて、歌舞伎界
の真女形の第一人者である人間国宝・玉三郎の風格も、二重写しに見えて来る。

そして、揺るぎない判決を言い渡したのは、黒地に金銀の縫い取りの入った衣装で、
颯爽と登場した菊之助初役の秩父庄司重忠。悪七兵衛景清の詮議を任された禁裏守護
の代官。白塗り、生締めの典型的な捌き役。8年前、07年9月、歌舞伎座で、初役
で吉右衛門が演じる秩父庄司重忠を観たが、吉右衛門が岳父となった縁から、菊之助
は、指導を受けての初役挑戦だろう。このところ、立ち役初役での挑戦が目立つ菊之
助は、進境著しい。女形も立役も兼ねる役者志向は父親の菊五郎譲りだが、加えて立
ち役の重鎮・吉右衛門の指導も受けるとは、なんとも役者冥利の環境にある、という
ことだろう。

赤ッ面で、太い眉毛が動く人形ぶりの岩永左衛門致連は、キンキラの派手な衣装に、
定式の人形の振りで、客席から笑いを取っていた。今回は、亀三郎が演じていた。銀
地の無地の衝立をバックに、三人遣いの人形浄瑠璃と違って、足遣い不在の、ふたり
の人形遣いを引き連れている。岩永左衛門致連の上手横には、なぜか、火鉢が置いて
ある。後で、理由が判る。

人形浄瑠璃の岩永人形のぎくしゃくした動きを真似ている。秩父と岩永のふたりは、
裁判官の主任と副主任。どちらが、実質的な主導権を握るかで、阿古屋の運命は決ま
る。さらに、廷吏役で「遊君(ゆうくん)阿古屋」と呼び掛け、阿古屋を白州に引き
出して来るのは、重忠の部下、榛沢六郎成清は、抜擢の名題役者・功一が演じる。廷
吏らしく、法廷の開始と終了で、被告の阿古屋の入りと出を先導する場面以外は、後
ろに立ったまま(合引に座って)で、じっとしている、文字どおりの辛抱役であっ
た。捕手たちは、人形浄瑠璃で、「その他大勢」と分類される一人遣の人形のような
動きをする。

この演目では、傾城の正装である重い衣装(「助六」の揚巻の衣装・鬘は、およそ4
0キロと言うが、阿古屋の衣装も、あまり変わらないのではないか)を着た阿古屋
が、琴(箏)、三味線(三絃)、胡弓を演奏しないといけないので、まず、3種類の
楽器がこなせないと役者でないと演じられない。胡弓を演奏できる女形が、少ないと
いうことで、長年、歌右衛門の得意演目になっていたが、最近では、玉三郎が独占し
ている。伊達兵庫の髷。前に締めた孔雀模様の帯(傾城の正装用の帯で、「俎板
帯」、「だらり帯」と言う)。大柄な白、赤、金の牡丹や蝶の文様が刺繍された打
掛。松竹梅と霞に桜楓文様の歌右衛門の衣装とは違う。阿古屋は、すっかり玉三郎の
持ち役になっている。こういう重い衣装を付けながら、玉三郎の所作、動きは、宇宙
を遊泳しているように、重力を感じさ
せない。軽やかに、滑るように、移動するのは、さすがに、見事だ。舞台上手の竹本
は、4連。人形浄瑠璃同様に、竹本の太夫が、秩父庄司重忠、岩永左衛門、榛沢六郎
成清、そして、阿古屋の担当(今回は、愛太夫)と分かれて語る。つまり、この演目
は、いろいろ、細部に亘って、人形浄瑠璃のパロディとなっているのである。

まず、「琴」。玉三郎の「蕗組(ふきぐみ)の唱歌(しょうが)」(かげという月の
縁 清しというも月の縁 かげ清きが名のみにてうつせど)の琴演奏に竹本の太棹の
三味線が協演する。玉三郎の琴は、爪が四角なので、関西系の「生田流」だという。

次の「三味線」では、下手の網代塀(いつもの黒御簾とは、趣が違う)が、シャッ
ターが上がるように、引き上がり、菱形で、平な引台に乗った長唄と三味線のコンビ
が、(黒衣ふたりに押し出されて)滑り出てくる。「翠帳紅閨に枕ならぶる床のう
ち」と、玉三郎の「班女(はんじょ)」の故事を唄う三味線演奏にあわせて、細棹の
三味線でサポートする。

さらに、「胡弓」。玉三郎の「望月」の胡弓演奏にあわせるのは、再び、竹本の太棹
の三味線の協演。「仇し野の露 鳥辺野の煙り」。胡弓の弓は、馬の毛で出来ている
という。阿古屋の演奏に魅せられ、舞台上手横にあった火鉢を自分の前に置き直し、
中の火箸で、胡弓の演奏の見立てをしてしまう岩永左衛門。彼も、お役目に忠実なだ
けの、善人なのかもしれない。

問注所の捌きが、楽器の音色で判断という趣向だけあって、筋立ては、阿古屋と景清
との馴初めから、別れまでのいくたてを追い掛けるという単純明快さで、判りやす
い。吉右衛門が演じた時と同じように菊之助の秩父は、問注所の三段に長袴の右足を
前に出したまま、左手で、太刀を抱え込み、阿古屋の演奏にじっと耳を傾けるという
ポーズを取る。「熊谷陣屋」の直実の制札の見得を彷彿とさせるポーズである。菊之
助も吉右衛門同様、初役ながら、好演であった。

因に玉三郎が相手にした秩父庄司重忠は、次の通り。
梅玉(3)、團十郎、勘九郎時代の勘三郎、染五郎、吉右衛門、獅童、愛之助、今回
が菊之助。


「梅雨小袖昔八丈〜髪結新三」は、11回目の拝見。今回は、松緑が初役で挑戦する
髪結新三が見どころ。通称「髪結新三」は、「幡随長兵衛」同様に、明治に入ってか
ら、黙阿弥が五代目菊五郎のために書き上げた江戸人情噺である。「髪結新三」は、
「幡随長兵衛」の上演より、8年早い、1873(明治6)年に、中村座で初演され
た。

今回の主な配役は、松緑の髪結新三、時蔵の白子屋手代・忠七、梅枝の白子屋娘・お
熊、秀太郎の白子屋後家、左團次の家主の長兵衛、右之助の家主女房、仁左衛門の加
賀屋藤兵衛、菊五郎の肴売り新吉など。

私が観た新三は、幸四郎(3)も、菊五郎(3)、勘九郎時代を含め勘三郎(2)、
三津五郎、橋之助、今回が松緑。このほか、老獪な家主の長兵衛は、弥十郎(4)、
三津五郎(2)、左團次(今回含め、2)團十郎、富十郎、團蔵。家主の女房おかく
は、萬次郎(3)、鶴蔵(2)、亀蔵(2)、右之助(今回含め、2)、市蔵、鐵之
助。こうして、改めて、おかくを演じた役者の顔ぶれを見ると、皆、癖があり、それ
故に味のある婆さんばかりで、幅と奥行きを感じる。

私は、菊五郎の新三が好きだ。勘三郎は、菊五郎に比べて、科白を謳い上げてしま
う。世話ものでは、このところ世話ものに意欲を燃やす幸四郎が、菊五郎と亡き勘三
郎の間に、入り込んで来たという印象だ。幸四郎は、時代ものの場合、演技過多で、
私の評価を下げるのだが、なぜか、世話ものは、肩に力が入りすぎない所為か、世話
ものというより、近代的な「市井もの」ということからか、幸四郎も、菊五郎の新三
に負けていないというのが、おもしろい。今回は、菊五郎も後継の松緑に主役を譲
り、ご馳走役の肴売り新吉で登場。もちろん、初役。私が観たのは、初日だった所為
か、ちょっと、もたもたしていて、場内の笑いを誘っていた。

贅言;序幕の新三の登場は、舞台下手から出て来る。髪結の小道具を下げた「帳場廻
り(店を持たず、出張専門)」の髪結職人。勘三郎は12年5月の平成中村座の最終
演で、黙阿弥の原作通りに花道から登場したという。花道の出と下手からの出では、
芝居の間が違う。余白が違う。

この芝居のおもしろさは、舞台という空間がすっぽりとタイムカプセルに入っている
ことか。黙阿弥は、当時の江戸の季節感をふんだんに盛り込んだ。梅雨の長雨。永代
橋。雨のなかでの立ち回り。梅雨の晴れ間。深川の長屋。初鰹売り。朝湯帰りの浴衣
姿。旧・江戸っ子の代表としての、町の顔役、長屋の世慣れた大家夫婦。新参者、つ
まりニューカマーの渡りの髪結職人。深川閻魔堂橋と担ぎの立ち食い蕎麦屋などな
ど。主筋の陰惨な話の傍らで、この舞台は江戸下町の風物詩であり、庶民の人情生態
を活写した世話ものになっている。もともとは、1727(享保12)年に婿殺し
(手代と密通し、婿を殺す)で死罪になった「白子屋お熊」らの事件という実話。大
岡政談(大岡越前守忠相の判決記録を元にした話)のひとつ、「白子屋政談」を素材
とした。

絡む主人公は、上総生まれの新住民ながら、「江戸っ子」を気取る、ならず者の入れ
墨新三(「上総無宿の入れ墨新三」という啖呵を切る場面がある)。入れ墨は、犯罪
者の印として、左腕に線彫りが入っている。深川富吉町の裏長屋住まい。廻り(出張
専門)の髪結職人。立ち回るのは、日本橋、新材木町の材木問屋。江戸の中心地(ダ
ウンタウン)の老舗だ。老舗に出入りする地方出のニューカマー、新・江戸っ子が、
旧・江戸っ子に対抗する、という図式の話でもある。

ここは、落語の世界。特に後半の「二幕目」の深川富吉町の「新三内」と「家主長兵
衛内」の場面が、おもしろい。前半では、強迫男として悪(わる)を演じるが、後半
では、婦女かどわかしの小悪党ぶりを入れ込みながら、滑稽な持ち味を滲ませる。切
れ味の良い科白劇は、黙阿弥劇そのものだが、おかしみは、落語的だ。世話もののな
かでも、「生世話もの」という現代劇。科白廻しはリアルが良い。生世話ものとは、
当時の東京言葉を使った芝居のこと。その典型が、家主の長兵衛と新三のやりとりの
妙。この科白劇の白眉。あわせて、家主夫婦の会話。この芝居が、基本的に笑劇だと
いうのは、家主夫婦の出来具合に掛かっている。

二幕目が終ると、いつも芝居が終ったような感じになるのだが、大詰の「深川閻魔堂
橋の場」を観ないで、席を立ち、帰りはじめる観客が、今回も居た。幕が開き始めて
から気付き、途中の通路に立ち止まって、立ったまま芝居を観る人もいて、係の人に
注意されていた。勧善懲悪で、新三が、旧・江戸っ子の代表である町の顔役・弥太五
郎源七(團蔵)という親分に殺されて、初めて幕となる。

贅言;通常は、途中で立回りを止めて、舞台に座り込んだ新三と源七が声をそろえ
て、「まず、こんにちは、これぎり」で、閉幕となるのだが、今回は、幕が閉まりか
かっても、ふたりでチャンバラをしていた。新三を殺した源七が、後に大岡裁きを受
けることになる。

肝腎の松緑の新三の出来が、いまひとつで、物足りなかった。なまじ、偉大な二代目
松緑の二十七回忌追善興行で、人間国宝の大物役者たちが脇に廻ってくれたが故に、
当代の松緑は、貫禄負けがしていて、チンピラ新三のような印象が最後まで残ってし
まった。今後の精進に期待したい。
- 2015年10月8日(木) 11:31:13
15年10月国立劇場 (通し狂言「伊勢音頭恋寝刃」)


「安倍音頭戦寝刃(あべおんどいくさのねたば)」(?)と「伊勢音頭恋寝刃」


「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」、絵空事だけに、人殺しが、芝居と
しては、お咎めの場面もなく閉幕となる、江戸時代ならではの、そういう芝居だ。元
になった実際の事件では、犯人は、2日後に自害している。「寝刃」とは、切れ味の
鈍くなった刀の刃を研ぐ、という意味から転じて、こっそりと悪事を企む、という意
味がある。

最近、都に流行(はや)るもの。ごり押し。戦争法案を衆議院、参議院ともきちんと
した説明をせずに、本音を隠した上、時間だけを稼ぎ、こっそりと悪事を企むよう
な、だまし討ちの「強行採決」で突破した状況から、戦争法案ごり押し事件。「国会
対応」などではなく、これは権力を行使した「事件」ですよ。こちらの外題を考えて
みた。題して、「安倍音頭戦寝刃(あべおんどいくさのねたば)」としてみたが、稚
拙ながら、いかがなものか。

まず、国立劇場では、小劇場で人形浄瑠璃の「伊勢音頭恋寝刃」が9月に上演され
た。「伊勢音頭恋寝刃」は、歌舞伎とほぼ同じ内容。段の構成は、「古市油屋の
段」、「奥庭十人斬りの段」。合わせて、通称「油屋」という。

「古市油屋の段」は、遊廓の場面だ。遊女(女郎)・お紺(首=「かしら」は、
娘)。仲居・万野(まんの)は、歌舞伎より、人形浄瑠璃の方が、より一層憎まれ役
で、「さあ、お斬り」などと、女が肩で、男を押し戻すなど、福岡貢(みつぎ)に悪
たれをつく場面は、人形浄瑠璃の方が、歌舞伎より圧巻だ。万野の首(かしら)は、
「八汐」という。「伽羅先代萩」の悪女「八汐」をそのまま使っている。福岡貢の首
は、「源太」で、二枚目。

万野に騙されて貢に手紙を書く遊女・お鹿の首は、「お福」。人の良い、いわゆる、
お多福顔である。原作は、類型ばかりが目立つ、典型的な筋の展開、人物造型の弱
い、というやっつけ仕事の「伊勢音頭恋寝刃」の中で、歌舞伎では、お鹿という人物
は、この類型外の人物として登場する。傍役ながら難しい役柄。貢への秘めた思いを
滑稽味で隠しながらの演技。それだけに、熟成の中堅やベテラン役者を配役する。

人形浄瑠璃では、お鹿の首には、それがない。料理人・喜助の首は、「検非違使」。
傍役ながら、貢の味方であることを観客に判らせながらの演技という、いわば「機嫌
良い」役どころ。これは,歌舞伎と同じだ。「奥庭十人斬りの段」は、竹本の大夫
も、三味線方も、人形遣いも、重厚で、安定感がある。音楽的にも優れている。それ
でいて、典型的な下世話噺という「伊勢音頭恋寝刃」の妙味を、たっぷり堪能した。
アンバランスの妙味だろう。

「伊勢音頭恋寝刃」は、実際に伊勢の古市(ふるいち)遊廓で起きた地元の医師によ
る殺人事件を題材にしている。1796(寛政8)年5月、伊勢国(現在の三重県東
部)古市の遊廓「油屋」で、地元の医師が事件を引き起こした。医師の相手をしてい
た遊女がほかの座敷に移動したのを怒り、医師は遊廓にいた9人を殺したという。事
件の2日後、本人も自害した。そういう事件である。この狂言を書いた作者は、3日
間で書き上げたと伝えられている。事件後、およそ2ヶ月、急ごしらえで作り上げら
れ、同年7月、大坂・藤川八蔵座(角の芝居)で初演された。ばたばたと上演された
歌舞伎だけに、戯曲としては無理がある。まさに江戸時代のテレビのワイドショー的
な演出である。

原作者は、並木五瓶が江戸に下った後、京大坂で活躍した上方歌舞伎の作者近松徳三
ほか。近松徳三という人は、筆名から見て、近松門左衛門の門下と思われるが、詳し
い人物像は判らない。世話物で初演時は四幕七場、という構成。筆の勢いのままに、
いわば、ラフなコンテの様に書きなぐったような作品だが、狂言作者が書く芝居に
は、「憑依」という、神憑かりのような状況になるときがあり、それが「名作」を生
み、後世の演者たちの工夫魂胆の心に火を付ける。実際、「伊勢音頭恋寝刃」は、そ
んな「やっつけ仕事」の演目ながら、初演以来、220年も生き延びて上演され続け
てきたし、まだまだ、生き延びるのだろう。

人形浄瑠璃の方は、歌舞伎の初演から42年後の1838(天保9)年、大坂・稲荷
社内東芝居で初演された。全3巻に再構成脚色された。現在では、1885(明治1
8)年大坂・稲荷彦六座で三味線方の二世豊澤團平夫妻の改訂版で上演された、通称
「油屋」の場面のみが上演される。二世豊澤團平による精緻な節付けが秀逸と評判に
なった。特に、通称「十人斬り(殺し)」と呼ばれる場面の演奏は、音楽的には歌舞
伎を凌駕するものがあると評価されている。

連続殺人という、人を殺し回るだけの馬鹿馬鹿しい場面ながら、汲めども尽きぬ、俗
なおもしろさを盛り込む。そういう工夫魂胆の蓄積が飛躍を生んだという、典型的な
作品が、この「伊勢音頭恋寝刃」だろう。最後に、お家騒動の元になった重宝の刀
「青江下坂(あおえしもさか)」(モデルになった本来の刀は、「葵下坂」というも
のだったらしい)と「折紙(刀の鑑定書)」が、揃って、十人殺しの殺人鬼と化して
いた貢が、正気に返り、「公務」の主家筋へふたつの重宝が見つかったことを届けに
行く、「めでたし、めでたし」(?)という俗っぽさがある。

長い間上演され続ける人気狂言として残った理由は、芝居でお馴染みのお家騒動を
ベースに、主役の福岡貢へのお紺の本心ではない愛想尽かしから始まって、ひょんな
ことから家宝の名刀、実は、妖刀「青江下坂」による連続殺人(十人殺し)へという
パターン。伊勢音頭というリズムに乗せた殺し場の様式美の巧さ。殺しの演出の工
夫。

歌舞伎の丸窓の障子を壊して貢が出て来る場面は、上方型。人形浄瑠璃にはなかっ
た。歌舞伎の演出の方が、洗練されていると、感じた。ただし、どちらも無惨絵の絵
葉書を見るような美しさがある反面、「紋切り型の安心感」がある。そういう紋切り
型を好む庶民大衆の受けが、いまも続いている作品といえそう。この芝居は、もとも
と説明的な筋の展開で、ドラマツルーギーとしては、決して高いレベルの作品ではな
い。ドラマツルーギーの悪さをビジュアルな演出や音楽で補ったということだろう。

9月の人形浄瑠璃では、お紺と万野の対決の場面が見応えがあった。簑助が操る女郎
のお紺。勘十郎が操る仲居の万野。簑助の女形人形は、きめ細かな動きで生きている
ように見える。勘十郎の操る技術よりも、熟成していることが判る。人形同士の対決
の後ろに見える人形遣いの表情。その神々しいまでの見守りの表情。人形と人形遣い
の「交情」のようなものが感じられて、どちらも目が離せない。

10月の国立劇場では、同じ演目の「伊勢音頭恋寝刃」が歌舞伎で上演された。人形
ではなく生身の役者が演じると同じ芝居が、どう変わるか、というのも、興味深い視
点だろう。9月の国立劇場、人形浄瑠璃上演での場の構成を思い出して欲しい。「古
市油屋の段」、「奥庭十人斬りの段」であった。2つの場面。10月の国立劇場で
は、53年ぶりの通し上演となる。国立劇場でのこうした通し上演は、今回が初めて
である。今回の場の構成は、次の通り。8つの場面で、構成される。

序幕第一場「伊勢街道相の山の場」、第二場「妙見町宿屋の場」、第三場「野道追駆
けの場」、第四場「野原地蔵前の場」、第五場「二見ケ浦の場」、二幕目「御師福岡
孫太夫内太々講(だいだいこう)の場」、大詰第一場「古市油屋店先の場」、第二場
「同 奥庭の場」。つまり、通常「みどり」で上演されるのは、「大詰」だけという
ことがわかる。

相の山、妙見町、二見ケ浦など伊勢の名所をいくつも舞台としていることから、伊勢
という土地や当時の世相が、タイムカプセルに入ったまま時空を超えて現代に届けら
れてくるような気がする。そもそも、伊勢参りは、江戸時代の庶民にとって、ディズ
ニーランドのように(?)、生涯で一度は行ってみたいと願った憧れの場所であった
から、この外題は、現在から想像する以上にインパクトがあったかもしれない。ただ
し、9月の国立劇場・人形浄瑠璃での上演も場面としては、普段の歌舞伎上演同様に
「大詰」しか上演しなかった、ということだ。

今回の歌舞伎のように通しで見ると、まずこの物語が、典型的なお家騒動ものである
ことが判る。阿波国家老職・今田家の家宝の「青江下坂(あおえしもさか)」という
名刀がお家への謀叛を企てる一味の陰謀に引っかかった今田家の嫡男・今田万次郎の
手を経て質入れされてしまう。さらに同じ一味の計略で、刀の「折紙(鑑定書)」
も、偽物にすり替えられてしまう。家宝は、刀と折紙がセットになって初めて価値を
生む。

伊勢の御師(通常「おし」、または、「おんし」。特定の寺社に所属して、その寺社
へ参詣客を案内したり、宿泊の世話をしたり、祈祷をしたりする者。伊勢神宮の場合
は、「おんし」と呼んだ。御師たちは寺社近くの街道沿いに集住し、御師町を形成し
た)である福岡孫太夫の養子・貢(みつぎ)は、実家が今田家の家来筋という縁で刀
と折紙の探索を引き受ける。

孫太夫の弟・猿田彦太夫は、甥の正直正太夫に太々講(伊勢参宮のために結成された
信仰団体)の積立金百両を盗ませて、その罪を福岡貢に背負わせる。貢の叔母・おみ
ねの機知で彦太夫と正太夫の悪事が露見する。ここまでが、今回初見となる場面。残
りの大詰第一場「古市油屋店先の場」、第二場「同 奥庭の場」は、馴染みの場面と
なる。ここは人形浄瑠璃よりも歌舞伎の方が華やかな殺し場となる。歌舞伎の様式美
を織り込んだビジュアルな場面である。

序幕では、「だんまり」などの歌舞伎独特の演出を交えながら5つの場面をスピー
ディな場面展開で、十人殺しの殺人鬼の発生までの背景を描いて行く(ここまでの上
演時間は、5場で1時間)。二幕目は、残虐な連続殺人という悲劇の前の喜劇という
演出の常套手段の場面となる。

今回の配役は、福岡貢が、梅玉。正直正太夫と油屋の料理人で貢に協力する喜助の二
役を鴈治郎が演じる。油屋の仲居・万野が、魁春。油屋お抱えの遊女・お紺が、壱
(かず)太郎(鴈治郎の長男)。油屋お抱えの遊女・お鹿が、松江。貢の叔母・おみ
ねが、東蔵。今田家の嫡男・万次郎が、高麗蔵ほか。

贅言;この芝居は、上方歌舞伎の典型的な人物造型が、実は、見どころなのだ。それ
を象徴的に言おうとすれば、「つっころばし」と「ぴんとこな」ということになる。
今回の芝居に登場する「つっころばし」は、今田家の嫡男・今田万次郎である。一
方、「ぴんとこな」は、伊勢の御師・福岡貢である。

「つっころばし」と「ぴんとこな」は、いずれも上方味の和事の立役の人物造型。
「つっころばし」は、「ちょっと肩などを突つくと転んでしまいそうな、柔弱な容姿
からついた名称。立ち姿、歩き方、科白廻しなどにも男ながら女形のような色気が要
求される。痴呆的なほど、遊女との恋にぼうっとはまり込んでいるような、いかにも
生活力とは無縁なような、年若い優男。濡事(官能的な演技)師、女たらし、と言え
ば判り易いか。「伊勢音頭恋寝刃」の今田万次郎、「野崎村」の久松、「夏祭浪花
鑑」の磯之丞、「双蝶々曲輪日記」の与五郎などが、「上方」和事の典型的な「つっ
ころばし」となる。

これに対して、「ぴんとこな」は、同じ濡事師、女たらしの要素を残しながら、一種
の強さを持っている。「ぴんとこな」の「ぴん」は、「ひんとする(きっとなる)」
ではないか、という説がある。元禄期には、「手強さのある若女形」が、「ひんとこ
な」と呼ばれたことがあるというが、次第に、立役の和事系統の人物類型として定着
してきた、という。柔らかな色気を滲ませながら、「つっころばし」のような女方っ
ぽい色気にならずに、立役的な手強さを感じさせなければならない、という。優男と
は違う二枚目、ということだろう。役づくりは、「江戸」和事の中で洗練されてき
た。「伊勢音頭恋寝刃」の福岡貢、「心中天の網島」の治兵衛などが、「ぴんとこ
な」である。

「江戸」型として、静止画的な絵姿の美しさ(残酷美も含めて)を強調した、いまの
ような演出に洗練したのが、幕末から明治にかけて活躍し、「團・菊・左」として、
九代目團十郎、初代左團次と並び称された五代目菊五郎だという。粋な江戸っ子の粋
を凝縮したような、この立役の大物役者は、上方に残った型として、「和事」の遊蕩
児の生態を強調して、福岡貢という役柄に磨きをかけた。


序 幕第一場「伊勢街道相(あい)の山の場」。伊勢神宮の外宮と内宮の間にある
「間(あい)の山」では、女芸人が三味線を弾き評判を取っていた。多くの旅人が行
き会う「伊勢街道相の山」の場面にもお杉、お玉という女芸人が登場して愛想を振り
まいている。そこへ、廓遊びに夢中の阿波国の家老職・今田家の嫡男・万次郎が遊女
らを連れて、遊山を楽しみながらやってきた。お休み処でたまたま出会った悪人の徳
島岩次一味によって、今田万次郎が所持していた今田家家宝の刀「青江下坂」の「折
紙(鑑定書)」が偽ものとすり替えられてしまう。万次郎の一行に加わっていた家臣
のふたり杉山大蔵、桑原丈四郎も、実は、徳島岩次の一味だったが、万次郎は知らず
にふたりを連れ回していた。「つっころばし」の今田万次郎の脇の甘さや鷹揚な若君
ぶりが描かれる。

 同 第二場「妙見町宿屋の場」。講中の定宿らしく、帳場には、ご贔屓の常連講中
の札が掛かっている。浅間講中、鞍馬講中、宇治講中、駿河観音講中、遠江天神講中
と、5枚あった。「ぴんとこな」の福岡貢が叔父の藤浪左膳の指示に従って、紛失し
た「青江下坂」の詮議を引き受けて、妙見町宿屋「勢州屋」で、叔父立ち会いの下、
「つっころばし」の今田万次郎と対面する。上方和事の典型的なふたつの人物造形を
対比的に観ることが出来る場面だ。

 同 第三場「野道追駆けの場」。徳島岩次らは、お家乗っ取りを企てる蜂須賀大学
の一派。万次郎の一行に加わっていた家臣の杉山大蔵、桑原丈四郎は、乗っ取り派の
手の者。大学からの密書を所持していた。徳島岩次にそれを届けるらしい。それを窺
い知った万次郎派の奴・林平が密書を奪おうとふたりを追いかける。本舞台から客席
に降り、江戸時代の芝居小屋では、「中の歩み」と呼ばれた真ん中の通路で追いか
けっこをする。林平(亀鶴)は、客席の観客にふたりがここを通ったかどうかを聴い
たりして、客席を笑わせる。その間に、本舞台は場面転換。書割りが天井に引揚げら
れて、収納となり、「野原地蔵前の場」が現れる。

 同 第四場「野原地蔵前の場」。役者たちは客席から花道へ上がり、本舞台に戻っ
て来る。必死で逃げる杉山大蔵は、逃げ場に窮して、釣瓶井戸の中に潜り込む。桑原
丈四郎も、野原の地蔵の笠を奪って自分で被り、地蔵を移動させ、代わりに自分が立
ち尽くして、追いかけてきた林平をやり過ごそうとするが、見つかってしまい、さら
に逃亡劇は続く。

 同 第五場「二見ケ浦の場」。伊勢の名所、夫婦岩で知られる二見ケ浦。杉山大
蔵、桑原丈四郎に追いついた林平は、貢、萬次郎と合流。密書を奪い取る場面が歌舞
伎独特の演出の「だんまり」(暗闘の沈黙劇)で描かれる。千切れた密書もひとつに
なったが、夜明け前の暗闇では字が読めない。手元に明りもない。やがて、注連縄で
結ばれた夫婦岩の向こう二見ケ浦に大きな朝日が昇る。夜明けの光で、貢は密書を読
むことが出来た。

二幕目「御師福岡孫太夫内太々講の場」。福岡貢の養子先の伊勢御師・福岡孫太夫の
家、ということで御師の生活ぶりが覗ける場面。「太々講(だいだいこう)」は、伊
勢参宮のための集まり。「伊勢講」とも言われる。福岡孫太夫が留守のため、弟の猿
田彦太夫が太々講の講中の前で神楽を奉納し、祈祷を上げている。講中の町人たちと
巫女、禰宜たちが座っている。神楽が終わると、甥の正直正太夫が現れ、孫太夫の娘
の榊を口説き始める。名前に違って、なんともうさん臭い奴だ、と思ったら、案の
定、嘘つきの、どうしようもない男だ。太々講が積立てた奉納金百両を盗んできて、
福岡貢に濡れ衣を着せようと企んでいる。孫太夫の娘の榊と結婚し、孫太夫の後継者
になりたいのだ。貢が邪魔になるので、追い落としを謀っている。

貢の叔母のおみねが孫太夫を訪ねてきて、正直正太夫が盗んだ金を隠そうとしている
場面を目撃する。祭壇の「一万度祓(いちまんどはらい)」という箱に金包みを隠
す。おみねは紛失していた刀の「青江下坂」を見つけて、買い戻して来たのだ。

正直正太夫と組んで貢追い落としの片棒を担ぐ猿田彦太夫が講中の奉納金が紛失して
いると騒ぎ立てる。正直正太夫は現場に貢の紙入れが落ちていたと言い立てて、貢を
犯人に仕立てようとする。白状せよと箒で貢に打ち掛かる。おみねが正太夫の悪事を
暴き、貢の窮地を救う。死んだ振りをする正直正太夫が、観客を笑わせる。悲劇の前
の笑劇。いつものパターンの芝居の流れ。

大 詰第一場「古市油屋店先の場」。ここからは、度々演じられる、馴染みの場面。
古市の遊廓「油屋」を訪れた福岡貢が、徳島岩次一味と気脈を通じた仲居の万野の嫌
がらせを受ける。岩次が隠し持っている「折紙(刀の鑑定書)」を取り上げるため
に、嘘の縁切り場面を演じる貢の恋人・お紺との絡みなどを経て、家宝の刀が、いつ
の間にか、人殺しの妖刀になっている、という荒唐無稽さ。狂気の果てに十人殺しへ
なだれ込んで行く貢の姿を描く。

 同 第二場「同 奥庭の場」。上手の座敷と下手の離れを繋ぎ、奥庭を大きく跨ぐ
渡り廊下。そこで伊勢音頭を踊る14人の女たち。華やかな場面。上手の丸い障子を
蹴破って、狂気の殺人鬼が斬りつけた本来無関係の遊廓の客たちを追って登場する。
殺しの場面は、渡り廊下、階段を下りて庭へ、本舞台から花道へ、と執拗に続く。上
手から逃げてきた寝間着姿のお紺に突き当たり、水を飲み、正気に返る貢。人殺しの
刀が、家宝の「青江下坂」だと駆けつけた奴・林平に教えられる。お紺が徳島岩次か
ら騙し取った「折紙」も手に入った。今野万次郎に届けに行かなければならない、と
考える冷静さを取り戻した貢は、お咎めもなく、主家の若君の下へと花道を急ぎ行
く。

贅言;「安倍音頭戦寝刃(あべおんどいくさのねたば)」は、戯れ言だが、いわゆる
戦争法案は、7月から9月に掛けて、衆議院・参議院でそれぞれ、まさに「安倍」の
「音頭」取り(強引な掛け声)で与党による議席の多数決で強行採決されてしまっ
た。「寝刃」を研ぐように、国会では、「嘘」とも言えるような説明を積み重ねて、
また、こっそりと悪事を企むようにして、真相を隠したまま、法案を成立させてし
まった、ように見える。しかし、国会内の「過去」(つまり、選挙当時の小選挙区投
票結果というズレ)を引きずった議席数を錦の御旗としているが、国会外の「現在」
は、半年後の来夏の参議院という「未来」を先取りする新たな議席数を予兆させるよ
うな世論の多数決では、強行採決に引続き「ノー」を言い続けており、10月2日の
日比谷野外音楽堂周辺や銀座などへのデモの参加者は、法案成立前の8月30日に国
会周辺に集まった12万人には及ばないものの9月30日の法案公布後にも関わら
ず、2万人が集まった。こっそりと企まれた「戦」構想に対する国民の「ノー」の声
は、鎮まることなく声高に響(とよも)すことだろう、と思っている。よって、付け
た外題が、「安倍音頭戦寝刃(あべおんどいくさのねたば)」であった、というわけ
だ。

歌舞伎では、女が男に愛想尽かしをする名場面がいくつかある。「伊勢音頭恋寝刃」
のお紺、「籠釣瓶花街酔醒」の八ッ橋、「名月八幡祭」の美代吉、「御所五郎蔵」の
皐月など。国民が独断的な政治家に下す愛想尽かしを観てみたい。私が観た歌舞伎の
「伊勢音頭恋寝刃」は、今回で8回目。私が観た福岡貢は、仁左衛門(3)、團十郎
(2)、三津五郎、当代の勘九郎、そして、今回が梅玉。上方型は、仁左衛門と梅玉
の2人。江戸型は、亡くなった團十郎と三津五郎。去年観た当代の勘九郎の3人。颯
爽とした二枚目ぶりを強調した仁左衛門の貢が印象に残る。
- 2015年10月8日(木) 7:25:17
15年10月歌舞伎座 (昼/「音羽嶽だんまり」「矢の根」「一條大蔵譚」「人情
噺文七元結」)


今月の歌舞伎座は、二代目松緑の二十七回忌追善興行。追善狂言として、昼の部で
は、「矢の根」と「人情噺文七元結」が明記されている。


「音羽嶽だんまり」は、2回目。前回は、6年前、09年10月歌舞伎座、当代松緑
長男・藤間大河初お目見え口上のための舞台だったが、その大河も、今は、尾上左近
と名乗っている。「音羽嶽だんまり」は、1935(昭和10)年、五代目菊五郎三
十三回忌追善興行で、初演された新歌舞伎。いわば,菊五郎劇団の記念興行の演目と
いう性格を刻んで来た。今回の登場人物は、前回と同じ人物は、夜叉五郎だけで、前
回まで出てきた袈裟太郎らは、全く出て来ず、今回は、狂言師松之丞、実は夜叉五郎
(松也)、七綾姫(梅枝)、狂言師萬之丞、実は源頼信(萬太郎)、鬼童丸(尾上右
近)、白拍子初名、実は保昌娘小式部(児太郎)、将軍太郎良門(権十郎)の登場と
なる。

音羽嶽山麓の八幡神社。笹竜胆の紋が入った幕が張り巡らされている。平将門を滅ぼ
した源経基が建立した。社頭の祭壇に将門所縁の刀・雄竜(おりゅう)丸と赤地に繋
馬が描かれた旗印が供えられている。祭壇が設えられているのは、舞台。将門の霊を
鎮める祭礼のため、狂言師の松之丞(松也)、萬之丞(萬太郎)、白拍子初名(児太
郎)が花道からやってきた。舞台に上がった3人は、神楽舞を始める。隙を見て、雄
竜丸と旗印を松之丞が奪う。それを制しようとする萬之丞と白拍子初名。前半は、舞
踊劇。舞台上下から大道具方が忍び寄り、浅黄幕が振り被せとなり、場面展開。無人
の舞台で唄浄瑠璃(2連)が響く。浅黄幕振り落し。

舞台真ん中に、「山神祠」と書かれた巨木が立っている深山の体。上手のお堂。下手
に石灯籠。やがて、セリ上がりで、夜叉五郎の弟・鬼童丸(尾上右近)、将門の息
子・将軍太郎良門(権十郎)、将門の娘・七綾姫(梅枝)が、奈落から上がって来
る。鬼童丸は、夜叉五郎から預かった雄竜丸と旗印を持っている。良門は、父親の遺
品を返せと迫る。3人の立ち回りになると、常夜灯が消え、暗闇に包まれて、「だん
まり」(暗闘)という演出となる。下手から軍装に弓を持った源頼信(萬太郎)、上
手から薙刀を持ち巫女姿の保昌娘小式部(児太郎)が、忍び寄る。お堂から笠を被っ
て顔を隠した女が出て来る。雄竜丸と旗印を争奪し合う6人のだんまり。「蛇籠
(じゃかご)」という、複数の人物がそれぞれ前の人物の腰に右手を当てて引き止め
る形で一列に並ぶ。本来「蛇籠」は、竹で粗く円筒形に編んだ籠に小さな石を沢山詰
めてもののことをいう。幾つもの蛇籠を使って、護岸などとして機能させる。

遂に、刀が笠を被って顔を隠した女の手に渡る。「山神祠」と書かれた巨木に忍び入
る女。5人のだんまりに引幕が迫って来る。やがて、花道すっぽんから女が現れ、笠
を取って正体を顕す夜叉五郎。悪党の風格を見せながら夜叉五郎は、花道向揚幕へ飛
び六方で入って行く。基本的に浅草歌舞伎の舞台。歌舞伎座で、そういう芝居を見な
ければならない。若手の役者たちのプレッシャーは、如何に、とも思う。まあ、歌舞
伎界は、真空状態気味なので、ここは、皆で力を合わせて、危機を乗り越えなければ
ならない。


「矢の根」は、二代目松緑の二十七回忌追善狂言で、当代の松緑が演じる。二代目の
孫だ。先達のベテランに加えて中堅の役者が相次いで亡くなった歌舞伎界では、若手
の進出が急だが、いや、急にならざるを得ないが、若手と中堅の間くらいにいる松緑
は、一踏ん張りも二踏ん張りもしなければ世代だ。父親の辰之助(没後、三代目松緑
を追贈された)を早く亡くした松緑も頑張っている。私は、8回目の拝見。市川宗家
の家の藝「歌舞伎十八番」の演目なので、舞台上手に「歌舞伎十八番のうち 矢の
根」、下手には「五郎時致 尾上松緑相勤め申し候(略字)」の看板がかかってい
る。松緑の五郎を観るのも去年の歌舞伎座に続いて、2回目。

舞台上手の白梅、下手に紅梅(紅白の位置は、定式)。大薩摩の置き浄瑠璃。正面、
二重の三方市松の揚障子が、「よせの合方」で上がる。若さを強調する車鬢、筋隈
に、仁王襷、厚綿の着付けの両肩を脱いだ五郎が炬燵櫓に(合引)を載せて、その上
に腰を掛けている。15歳の少年という想定。歌舞伎らしい様式美と荒事の勢いが大
事。科白は正月の食膳のつらね。七福神をこき下ろす悪態(悪口を言う)と科白の掛
け合い。2連の大薩摩連中が、舞台上手の山台に乗っている。

筋は単純である。廻り廊下を持った能の舞台のような、作業場のような板敷きの御殿
で、五郎(松緑)が矢の根(矢の一先端にある鉄製の鏃)を黒塗りの桶に入れた四角
い研ぎ石で研いでいる。室内には、矢の根が10数本立てかけてある。下手より、大
薩摩の家元・主膳太夫(彦三郎)が五郎の所へ年始に来る。土産に持って来た宝船の
絵で五郎が初夢を見て、兄の曽我十郎(藤十郎)が敵の工藤家にとらわれていること
を知り、通りかかった大根売りの馬士(権十郎)の馬を奪って兄を助けに行くという
だけの話。今回は、二代目松緑の二十七回忌追善狂言ということで、脇の配役が、去
年よりグレードアップしている。「夢どろ」の太鼓に合わせて、ちょいの間の出演と
なった藤十郎も、今月の歌舞伎座はこれだけ、というのも、いかにも追善興行らし
い、ごちそうの配役だ。

「馬は大根春商(あきない)」という語り。大根売りの馬子から、背に載せていた二
束(数本ずつ)の大根を叩き落として、取り上げた裸馬に股がり馬の引き綱を手綱代
わりに、また、大根を鞭代わりにして、荷の大根を縛っていた縄を鐙替わりに、馬に
乗ったまま花道を走り去る。前回の舞台で気がついたように松緑は、縄を裸足の親指
だけで挟んで乗っている。


「一條大蔵譚」は、今回初見の仁左衛門の出演、というのが楽しみ。今回で11回目
の拝見。ここは、大蔵卿を演じた仁左衛門の印象だけを記録しておこう。本来、「一
條大蔵譚」は、松嶋屋の家の藝を集めた「片岡十二集」に入る演目。今回は、「いろ
いろ混ぜて演じているので、あえて十二集とはうた」っていないという。

私が観た大蔵卿は、吉右衛門(5)、猿之助、襲名披露興行の勘三郎、菊五郎、染五
郎。歌昇、今回は、仁左衛門。常盤御前は、芝翫(2)、魁春(2)、時蔵(今回含
め、2)、鴈治郎時代の藤十郎、雀右衛門、福助、芝雀、米吉。鬼次郎は、梅玉
(5)、歌六、仁左衛門、團十郎、松緑、松也、今回は菊之助。鬼次郎女房・お京
は、松江時代を含む魁春(2)、宗十郎、時蔵、玉三郎、菊之助、東蔵、壱太郎、芝
雀、児太郎、今回は、孝太郎。

これで判るように、大蔵卿は、吉右衛門、鬼次郎は、梅玉というイメージが、私には
強い。そういう中で、今回初めて観た仁左衛門の大蔵卿は、江戸型の歌舞伎に比べ
て、本質的に滑稽味を大事にした上方味が滲んでいて良かったと思う。

初代以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、いつも巧い。滑稽さの味は、いまや第
一人者。吉右衛門は、阿呆顔と真面目顔の切り替えにメリハリがある。仁左衛門の大
蔵卿は、はんなりしていて、メリハリが弱かった。阿呆顔は、いわば、「韜晦」、真
面目顔は、「本心」、あるいは、源氏の血筋を引くゆえの源氏再興の「使命感」の表
現であるから、ここは吉右衛門型の方が私は好きだ。

金地に大波と日の出が描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換える
など、阿呆と真面目の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現しなければならな
い大蔵卿。12年前、2003年12月の京都南座で初演して以来、大阪松竹座で2
回上演し、今回歌舞伎座初演に持ち込んだ仁左衛門の大蔵卿。江戸型の吉右衛門、上
方味の仁左衛門。それぞれの味を深めながら、ふたりの人間国宝が見せてくれるであ
ろう舞台を今後とも楽しみにしたい。


二代目松緑の二十七回忌追善狂言「人情噺文七元結」は、菊五郎の芝居だ。当代松緑
は、ここでは鳶頭でちょいの間の出演。芝居は、9回目の拝見。「人情噺文七元結」
は、明治の落語家・三遊亭圓朝原作の人情噺。明治の庶民の哀感と滑稽の物語だ。そ
の軸になるのが、酒と博打で家族に迷惑をかけどうしという左官職人の長兵衛だ。そ
の長兵衛を菊五郎が演じる。

私が観た「人情噺文七元結」のうち、長兵衛は、菊五郎(今回含めて、6)、吉右衛
門、勘九郎時代の勘三郎、そして、幸四郎。兎に角、長兵衛は、菊五郎が抜群で、細
かな演技まで、自家薬籠中のものにしている。江戸から明治という時代を生きた職人
気質、江戸っ子気分とは、こういうものかと安心して観ていられる。毎回は、さら
に、熟成されているように見受けられた。

長兵衛同様に大事なのは、女房・お兼であろう。私が観たお兼役者は、時蔵(今回含
めて、3)。田之助(2)。松江時代の魁春(2)。現在休演中の澤村藤十郎、鐵之
助。これは、田之助が巧かった。田之助は、菊五郎に本当に長年連れ添っている女房
という感じで、菊五郎の長兵衛と喧嘩をしたり、絡んだりしている。いつも白塗りの
姫君や武家の妻役が多い松江が、砥粉塗りの長屋の女房も、写実的な感じで、悪くは
なかった。澤村藤十郎のお兼を観たのは、97年1月、歌舞伎座だから、もう18年
も前になり、印象が甦って来ないのが残念だ。上演記録を見ると、78年から97年
までに、本興行で澤村藤十郎はお兼を9回も演じている。元気な頃の藤十郎は、お兼
を当り役としていたことが判る。相手の長兵衛が、先代の勘三郎、勘九郎時代の勘三
郎、吉右衛門、富十郎という顔ぶれを見れば、藤十郎のお兼が、長兵衛役者から所望
されていたであろうことは、容易に想像される。このところすっかりお馴染みとなっ
た時蔵も、絶品だと伝えておきたい。

長兵衛一家の、親孝行な一人娘・お久は、宗丸時代を含めて、宗之助(4)。尾上右
近(今回含め、3)。勘太郎時代の勘九郎、松也。宗之助のお久の最後は、10年
前、05年11月、歌舞伎座。いつ観ても、歌舞伎役者という、男が見えてこないほ
ど、娘らしく見えた。上演記録を見ると、宗丸時代を含めて、宗之助は本興行だけで
も、8回お久を演じた。その半分は、私も観たことになる。尾上右近のお久は、座敷
で横向きに座ったときに見える素足が大きすぎて、娘らしくない。藝の力で足の大き
さをカバーしなければならない。

さて、外題にある文七役は、菊之助(丑之助時代含めて、4)。染五郎(3)。辰之
助時代の松緑。今回は、若き女形の梅枝。梅枝は、初役に挑戦。前半は、身投げをし
ようとして長兵衛という初老の男をてこずらせる文七。菊之助も、染五郎も、こうい
う役が巧い。この役は、前半の深刻さと後半の弛緩した喜びの表情とで、観客に違い
を見せつけなければならない。梅枝の今後の精進を期待したい。

角海老の女将・お駒は、情のある妓楼の女将の貫禄が必要だが、底には、若い女性の
性(人格)を商売にする妓楼の女将の非情さも滲ませるという難しい役だと思う。玉
三郎(今回含め、2)。芝翫(2)。宗十郎、雀右衛門、萬次郎、秀太郎、魁春。玉
三郎のお駒は、「お久をお金ではなく情で縛る」というキャラクターで演じたとい
う。

和泉屋清兵衛は、左團次。鳶頭・伊兵衛は、追善の主役、当代の松緑。「めでたし、
めでたし」の幕切れでは、各人の割科白が一巡したあと、颯爽と格好良い役どころ。
清兵衛が「めでたく」という科白にあわせて、煙草盆を叩く煙管の音に、閉幕の合図
の柝の音(柝の頭)を重ね、「お開きとしましょうか」となり、賑やかな鳴物で閉幕
となるなど、演出的にも、洗練された人気演目のスマートさがある。代々で練り上げ
られた小道具の煙管の使い方が巧みだ。
- 2015年10月5日(月) 11:13:50
15年09月国立劇場・(人形浄瑠璃第二部/「妹背山婦女庭訓」)
 
 
歌舞伎では何回も観ているが、人形浄瑠璃の「妹背山婦女庭訓」は、2回目の拝見。
前回は、13年02月国立劇場。この時の場の構成は、「道行 恋苧環」、「鱶七上
使の段」、「姫戻りの段」、「金殿の段」。今回の場の構成は、「井戸替の段」、
「杉酒屋の段」、「道行 恋苧環」、「鱶七上使の段」、「姫戻りの段」、「金殿の
段」、「入鹿誅伐の段」ということで、「井戸替の段」、「杉酒屋の段」、「入鹿誅
伐の段」は、今回初見。

歌舞伎でも、通常上演するのは、人形浄瑠璃の「道行 恋苧環」、「鱶七上使の
段」、「姫戻りの段」、「金殿の段」が、多いので、今回初見の部分は、歌舞伎でも
観ていないので、楽しみにしている。通常の上演形式だと「金殿の段」までで、お三
輪の視点に代表させれば、それは、「不思議の国へ迷い込んだアリス、ならぬお三
輪」というファンタジーになるが、今回は、「入鹿誅伐の段」まであり、「蘇我入鹿
暗殺」というサスペンスになると思う。今回は、その辺りを解説してみたい。
 
「妹背山婦女庭訓」は、史実の大化の改新をベースにしている。初演は、1771
(明和8)年1月の大坂・竹本座。原作は、近松半二らによる合作である。当時、8
0年の歴史を持つ竹本座が、経営の危機に瀕していた。半二が立作者として竹本座起
死回生の執念で書き上げた作品である。逆況をエネルギーに代々上演が続く新作を生
み出した、といえよう。
 
この物語は、1)権力争い(蘇我入鹿と藤原鎌足)とそれに巻き込まれた町娘・お三
輪の悲劇、2)お三輪と烏帽子折・求馬(実は、鎌足の息子・藤原淡海=不比等。歌
舞伎では、「求女」)と橘姫(蘇我入鹿の妹)の三角関係が生み出す悲恋物語が、交
互に織りなすという男の争いと女の争いが、背中合わせで主軸となる(お三輪は、犠
牲になり、橘姫は、後に淡海と結婚することになる)。

概要をスケッチしてみよう。タイトルを付けるとすれば、「蘇我入鹿暗殺作戦」。
ターゲットは、覇道の王・蘇我入鹿。指令を発したのは、藤原鎌足。藤原方の主な戦
闘員は、藤原淡海、金輪五郎のふたり。
 
色男の淡海は、セックスで女性を抱き込む作戦で、ターゲットに迫る。入鹿の娘・橘
姫と酒屋の娘・お三輪。入鹿の娘・橘姫を戦闘員の助手に使い、父親の持つ宝刀を盗
ませようとする。
 
金輪五郎は、鱶七という市井の漁師に身をやつしながら、藤原鎌足の特使として、臣
従すると装って、ターゲットに正面から迫る。この男は諜報も得意で、情報戦の戦い
方を知っている。蘇我入鹿の弱点を探り、弱点攻略の素材として秘術に必要な酒屋の
娘・お三輪の血を得るために、お三輪を犠牲にする(殺される訳だが、好きな人の役
に立つ、と聞かされ喜んで死んで行く)。
 
藤原淡海、金輪五郎の連繋作戦で、蘇我入鹿の御殿に暗殺作戦指令者の藤原鎌足らを
導き入れて、最後は、指令者の藤原鎌足自らにターゲットの蘇我入鹿を抹殺させるこ
とに成功し、花を持たせる。淡海は意外と出世するタイプか?
 
大化の改新の主筋は、権力争い。眼病を患い目が不自由になり、政治をつかさどれな
い天皇の代わりの権力代行者を目指すのが、藤原鎌足と蘇我蝦夷、さらに、父親・蝦
夷を欺こうという蝦夷の息子・入鹿の野心が、父親を凌ごうとしている。三笠御殿の
主・蘇我入鹿側と藤原鎌足側(漁師の鱶七こと、鎌足の家臣・金輪五郎、求馬こと、
鎌足の息子藤原淡海)を軸にして争いは展開するが、芝居は、伏線、脇筋が面白い。
権力争いは、普通描かないが、今回は、最後に出て来る。
 

「井戸替の段」、私は今回初見。歌舞伎も人形浄瑠璃も初見。国立劇場では、14年
ぶりの上演という。三輪の里(大和盆地の東南にあり、大和国一之宮の大神神社の門
前町)の造り酒屋・杉酒屋では、毎年7月7日に恒例の「井戸替」(井戸浚い。井戸
掃除と定期点検。三輪の里は、水を大量に使う醸造業や素麺の製造が盛ん。つまり、
地下水が豊富)をしている。近所の長屋(酒屋の家作の店子?)の連中がお手伝い。
掃除が終わると、酒が振る舞われる。無礼講で騒ぎまくるのが庶民の楽しみ。その風
俗が描かれる。酒屋の娘のお三輪は卒業した寺子屋の七夕祭で不在。酒屋の隣に住む
(多分、こちらも酒屋の店子?)烏帽子折職人の求馬が欠席。井戸替えの手伝いは、
地域社会の親睦も兼ねているので、欠席者は悪口を言われてしまう。そこへ、現れた
求馬は、そういう予定も慣習も知らなかったと謝る。知らなかったのなら、しょうが
ない。長屋のボス・土左衛門が許すので、皆も、求馬を仲間に入れる。酒が入り踊り
出す連中。求馬も無理矢理踊りの輪に入れられるが、隙を見て自分の家に逃げ込む。
騒々しいと長屋の家主(管理人)が、文句を言いに来ると、長屋の連中は逃げ隠れて
しまう。家主は、お三輪の母に藤原鎌足の息子・淡海を見つけだすと大金がもらえる
と話して戻って行った。この段、竹本は、松香大夫、三味線方は、清友。
 

「杉酒屋の段」、これも私は初見。酒屋の玄関先の軒に「しるしの杉玉」(三輪山に
茂る杉の葉を球形に束ねてある)が下がっている。その夜、烏帽子折職人・求馬のと
ころへ白衣を被った女が忍んで来る。杉酒屋の丁稚がこれを見逃さず、寺子屋の七夕
祭から帰ってきた御御輪に告げ口をする。既に求馬と性的な関係を結んでいるお三輪
は、求馬の不実をなじる。来ていたのは、春日神社の巫女で夫のための烏帽子の注文
だと弁解する。お三輪は、七夕祭で祀ってあった赤い苧環を求馬に渡す。七夕には、
白い糸を男、赤い糸を女に見立てて、心変わりしないようにと祀る。「道行」の伏線
になるので、判り易い。求馬の家に入っていたはずの先程の女が下手から出て来る。
お三輪と女で求馬の取り合いになる。そこへ、お三輪の母が戻ってきて、求馬こそ、
お尋ね者の藤原淡海だと言い張る。白衣の女も、お三輪、求馬も姿を消す。この段、
竹本は、咲甫大夫、三味線方は、團七。
 

「道行 恋苧環(こいのおだまき)」は、所作事(舞踊劇)。求馬とふたりの女(橘
姫、お三輪)の三角関係が、三輪山の草深い神社の境内で「景事」というヴィジュア
ルな舞踊劇で表現される。薄暗い中、幕が開くと、浅黄幕が舞台全面を覆っている。
上手の床では、竹本連中。お三輪は呂勢大夫、橘姫は芳穂大夫、求馬は靖大夫ほか。
三味線方は、清治ほか。

「岩戸隠れし神様は…」、暫く、置き浄瑠璃が続く。「誰と寝(ね)ねして常闇(と
こやみ)の」、「影隠す薄衣」、「包めど香り」など、セクシャルで意味深な文句が
続く。
 
やがて、「暗き、くれ竹の」で、浅黄幕が振り落とされて、場面展開。舞台中央奥に
赤い鳥居。上に蝋燭の灯のような星の光(実際に蝋燭が多数ぶら下げられている)、
境内を照らすのは、道の両側に立ち並ぶ雪洞(ぼんぼり)。境内にいるのは、橘姫
(人形遣いは、和生)だけ。薄衣の被(かつ)ぎを眉深(まぶか)に被り、顔を隠し
ている。太夫は、芳穂大夫。下手から姫を追って来たのが求馬(人形遣いは、玉
男)。太夫は、靖大夫。夜ごと訪ね来る姫に正体を明かせと男は迫るが、女は教えな
い。
 
「思ひ乱るるすすき陰」で、更に下手よりお三輪(人形遣いは、勘十郎)「走り寄
り」登場。太夫は、勢いのある呂勢大夫。お三輪は恋しい求馬の濡れ場を見てしま
い、嫉妬する娘心。「気の多い悪性な」(求馬さん!)「外(ほか)の女子は禁制
と、しめて固めし肌と肌」(私を騙したの)。(そこのお姫さんに)「女庭訓、躾
方」(を教えてあげて。これが、外題の謂れか)と、強気のお三輪。「恋は仕勝ちよ
我が殿御」と姫も負けていない。勝った方が勝ち、負けた方が負け。いわば、三角関
係の踊りである。ふたりの女が「ともに縋りつ、手を取りて」で、求馬も橘姫に着て
いる羽織を脱がされてしまう。その拍子に一回転する求馬。主遣いは、容易に回転で
きるが、左遣いは、主遣いの描く円の外を大きな同心円を描くように回るから大変
だ。左遣いが、走って移動する。
 
「梅は武士、桜は公家よ、山吹は傾城。杜若は女房よ。色は似たりや菖蒲は妾、牡丹
は奥方よ、桐は御守殿、姫百合は娘盛りと」などと、「景事」に相応しい花尽くしの
華麗な文句が太夫の口からは紡ぎ出される。華麗な文句をよそに、姫と娘は、嫉妬の
思いを炎上させる。「睨む荻(おぎ)と/萩(はぎ)/中にもまるる男郎花(おみな
えし)」、「恋のしがらみ蔦かづら、つき纏はれてくるくるくる」。「女郎花」が、
ここでは、「男郎花」になっている。優男。だが、求馬は、本当に優男か。後に明ら
かになる。
 
苧環の赤い糸を姫の振袖の端に付ける求馬。姫の正体を探ろうと尾行する。同じく白
い糸を求馬の裾に付けるお三輪。求馬の後を追う。それぞれが動けば、糸車は、くる
くる回る。歌舞伎でも、この場面は演じられるが、人形たちが演じれば、一層、幻想
的で美しい。前回は、いきなり道行の場面から始まったので、とても印象的だった。
 

「鱶七上使の段」。実は、これは「道行恋苧環」と同時進行だった。盆廻しに乗っ
て、口の太夫は、咲寿大夫。三味線方は、寛太郎。奥の太夫は、文字久大夫。三味線
方は、藤蔵。

新築披露の三笠御殿。蘇我入鹿(人形遣は、玉輝)は、父を凌ぎ、政敵の鎌足を凌ご
うと、すでに、帝のように振る舞っている。入鹿、下手より登場。付き従う官女た
ち。入鹿の足さばきに、この男の性格が現れている。足遣いが、目立つ場面(こうい
うのは、余りない)。「酒池の遊びに酔ひ疲れ」ほとんど酒乱のように酒浸りの
日々。「類なき栄華の殿」。世話をする官女たち。「猩々の人形に/見惚れ官女た
ち」は、更に、酒を勧める。
 
下手より、「撥鬢(ばちびん)頭の大男」鱶七(人形遣は、玉也)登場。鱶七は、主
の鎌足の「降伏」を伝え、「臣下に属するの印」という、降伏、つまり白旗の使者だ
が、上使らしくない漁師の扮装で、入鹿への献上の酒を毒味と称して、勝手に自分で
飲んでしまったり、通俗的な科白廻しで、鎌足を「鎌どん」と呼んだりして、傍若無
人な無頼振り。型破りな上使である。豪快さと滑稽さが、要求される。
 
入鹿に不審がられ、人質として留め置かれる鱶七だが、剛胆。一寝入りしようとした
ところに床下から入鹿の家臣に槍を突き出されても平気。2本の槍を結びつけ、「ひ
ぢ枕」にして寝てしまう。官女たちに色仕掛けで迫られても、軽くあしらう。官女た
ちの差出した酒も毒と見抜いて、捨ててしまう。「ハレヤレきつひ用心」と、嘯く。
鱶七は、江戸荒事の扮装、科白、動作で闊歩する。入鹿対鎌足の代理の鱶七の「戦
闘」も、コミカルに描かれる。 
 

「姫戻りの段」は、「道行恋苧環」の続き。盆廻しで登場した太夫は、睦大夫。三味
線方は、清志郎。まず、下手から橘姫が、なぜか、三笠御殿に帰って来る。上手から
出て来た官女たちが枝折り戸を開けて、迎えたので入鹿の妹・橘姫だったことが判
る。官女が姫の袖についている赤い糸を手繰り寄せると求馬が下手から現れる。求馬
も姫の正体を知る。姫も求馬の正体を知る。ばれた男女のうち、女は自分を殺して欲
しいと男に頼む。男は、自分と夫婦になりたいならば、兄の入鹿が持っている三種の
神器のひとつ、十握(とつか)の剣を盗み出せと唆す。「恩にも恋は代へられず。恋
にも恩は捨てられぬ」。
 
恋争いも権力争いには負ける。「第一は天子のため」と橘姫も覚悟を決める。求馬
は、橘姫の正体を疑い、恋人になろうとしたスパイなのだった。単なる優男ではな
かった。したたかな精神の持ち主、スパイであった。有能なスパイの狙いが当たった
というわけだ。「たとへ死んでも夫婦ぢやと仰つて下さりませ」と橘姫。「尽未来際
(じんみらいざい)かはらぬ夫婦」と求馬。姫は、スパイの手下になる。その後、ふ
たりは結婚することになる。
 
 
「苧環」を搦めた美男美女の錦絵風。自分との結婚の条件として、兄・入鹿が隠し
持っている「十握の剣」を盗み出すよう娘をそそのかすスパイ・求馬の強かさ。ただ
の美男ではないという求馬。姫は、兄を裏切る。 
 

「金殿の段」。盆廻しで登場したのは千歳大夫。三味線方は、富助。恋の、白い糸が
切れて迷子になったお三輪が辿り着いたのは、「不思議の国」の金の御殿。「金殿
(ゴールデンパレス)」という上方風の御殿。人形浄瑠璃では、権力争いより、大き
な物語が、実は、町娘の悲恋物語という趣向。ハイライトの場面である。下手から、
お三輪登場。
 
まず、悲劇の前の笑劇という作劇術の定式通りで、「豆腐買い」の場面。上手より
「豆腐の御用」(というのが 人形の役名。豆腐箱掲げて使いに行くお端女。人形遣
いはベテランの勘壽。歌舞伎では、通称「豆腐買い」)は、歌舞伎では、ベテラン役
者の「ごちそう」の役どころ。
 
「不思議の国のアリス」のように「金殿(ゴールデンパレス)」=「不思議の国」に
迷い込み、初めて肌を許した恋しい殿御・求馬への恋心と共に、金殿という未知の世
界で、彷徨するお三輪=アリスにとって、道案内の情報をくれる豆腐の御用は、敵か
味方か。下世話な上方言葉で、お三輪を翻弄する。追いかけて来た求馬橘姫ふたりの
祝言のことをお三輪は聞かされてしまう。嫉妬に狂い、判断力を摩耗させるお三輪。
タイムトリップする迷路で出逢った豆腐の御用は、所詮、不思議の国の通行人にすぎ
ない。
 
求馬の着物の裾につけた筈の、白い苧環は、お三輪=アリスにとって、魔法の杖だっ
たはずだが、有能なスパイに悟られたのか、糸の切れた苧環は、「糸の切れた凧」同
様、タイムトリップする異次元の迷路では、迷うばかり。役に立たなかった。時空の
果てに置き去りにされたお三輪には、もう、リアルな世界への復帰はない。後戻りで
きない状況で、前途には過酷な運命が待ち構えているばかり。
 
御簾が上がった御殿の長廊下へ上がり込んで侵入してきた異星人・「見慣れぬ女子」
のお三輪を金殿の官女たちは、よってたかって攻撃する。御殿を守る女性防衛隊とし
ては、常識的な対応なのだろう。まして、異物は「恨み色なる紫の/由縁の女とはや
悟り、『なぶつてやろ』と目引き、袖引き」。それは、町娘への「虐め」という形
で、表現される。「道行恋苧環」では姫に対抗して強気の町娘だったお三輪は、ここ
では、虐められっ子にされてしまう。
 
官女たちは、魔女のように、可憐な少女アリス=お三輪を虐め抜く。「オオめでとう
哀れに出来ました」と官女たち。虐めが対照的に、お三輪の可憐さを浮き立たせる。
言葉の魔力は、悲劇と喜劇を綯い交ぜにしながら、確乎とした悲劇のファンタジーの
世界、「不思議の国」を形成して行く。
 
官女たちのお三輪虐めもエスカレートする。「馬子唄」を唄えと強要される。「涙に
しぶる振袖は、鞭よ、手綱よ、立ち上がり」「竹にサ雀はナア、品よくとまるナ、と
めてサとまらぬナ、色の道かいなアアヨ」。だから、この段の通称を「竹に雀」とい
う。悲劇故に、「竹に雀」という穏やかな通称外題を付ける、江戸人のセンス。
 
この後、近松半二は「官女たちのお三輪虐め」を「鱶七によるお三輪殺し」の場面へ
と繋ぐ。官女たちに虐め抜かれた果てに、お三輪は、恋しい求馬、実は、藤原鎌足の
息子・淡海の、政敵・蘇我入鹿征伐のためにと鎌足の家臣鱶七、実は、金輪五郎の
「氷の刃」に刺されてしまう。「一念の生きかはり死にかはり、付きまとうてこの怨
み晴らさいで置こうか」という、「四谷怪談」のお岩張りの怨念を溜め込むお三輪だ
が、金輪五郎に行き違う隙に脇腹を刺され、瀕死となりながら、その血が藤原淡海の
ために、役立つと説得され、「女悦べ。それでこそ天晴れ高家の北の方」と、(娘の
生き血を笛に塗りたい)金輪のリップサービス。それならばと命を預けるお三輪。恋
する人のために死んでも嬉しい娘心を強調し、半二も観客の血涙を絞りとろうとす
る。
 
「疑着の相ある女の生血」が役立つと、半二は、かなり無理なおとしまえを付ける。
死んで行くお三輪の悲劇が、お三輪の恋しい人である淡海の権力闘争を助けるという
ことになる。最後まで、筋立てには、無理があるが、劇的空間は、揺るぎを見せずに
見事着地してしまう。
 
瓦灯口の定式幕が、取り払われると、奧に畳千帖の遠見(手前上下の襖が、銀地に竹
林。奧手前の開かれた襖が、銀地に桜。奧中央の襖が、金地に松。悲劇を豪華絢爛
の、きんきらきんの極彩色で舞台を飾っている)。お三輪の死を確かめると、主遣い
を務めていた勘十郎は、左遣いや足遣いを残したまま、勿論、お三輪の「遺体」も置
いたまま、瓦灯口へ退き、上手の舞台裏へ隠れてしまう。「思ひの魂(たま)の糸切
れし。苧環塚と今の世まで、鳴り響きたる横笛堂の因縁かくと哀れなり」。
 
贅言;ここで、終わる場合は、鱶七は、衣装引き抜きで、本性を顕して金輪五郎に立
ち戻り、攻め来る花四天相手に大立ち回りのうちに、幕となる筈だが、今回は、ここ
で芝居は終わらず、大団円は、権力闘争の果てを見極めることになる。
 
 
「入鹿誅伐の段」、今回初見。歌舞伎も人形浄瑠璃も初見。ここは、津国大夫ら6人
が8人の登場人物を語り分ける。三味線方は、団吾一人で対応。
 
橘姫は御遊の舞手となって侵入。宝剣・十握の剣に迫る。しかし、手に入れた宝剣は
偽物だった。蘇我入鹿に傷を負わされる。笛の音が聞こえてくる。入鹿は酒に酔った
ようになって、正気を失う。宝剣は、龍になって、天空へ飛び立つ。宝剣を手にした
藤原鎌足が下手から現れる。鎌足は、入鹿の首を草刈り鎌で切り落す。入鹿の首は、
中空を狂ったように飛び回る。淡海が祈り伏すと入鹿の首もおとなしく、地に落ち
る。
 
 
今回は、人形遣い同期の勘十郎がお三輪、玉男が求馬、和生が橘姫を操る。やはり勘
十郎が操るお三輪は、悲劇の主人公だけにしどころも多く、動きも良い。玉男が操る
求馬はしどころが少ないので印象が薄い。和生が操る橘姫は、おっとりしている。勘
十郎の人形操りの細やかさが、目立つ。 
- 2015年9月14日(月) 20:43:02
15年09月国立劇場・(人形浄瑠璃第一部/「面売り」「鎌倉三代記」「伊勢音頭
恋寝刃」)
 
 
「面売り」。初見。1944年大阪の文楽座で初演された新作ものの舞踊劇。敗戦の
前年に、戦時色を感じさせない演目が作られたことの不思議。面売りの娘とおしゃべ
り案山子(人相、手相、夢判断など口から出放題にしゃべる大道芸人。いまなら、コ
メンテーターなどのテレビ芸人か)という若い男が、協力して商売をする様子を描
く。おしゃべり案山子が手に持つ笠には、「風流説教」と墨書されている。男の荷物
はこれくらい。正に、口先の商売らしい。面売り娘が、手に持つ棒に吊り下げている
のは、お面の数々。案山子が面の講釈をする口上にあわせて、天狗、福助、ひょっと
こ、おかめの面を次々に早替りで付け直しながらコミカルに踊る。例えば、天狗は、
天狗の面をつけ、羽織を逆に着て、長い杖を持つ。

ふたりが踊る背景には、中央に柳の木、京の町家の遠望。上手に見えるのは御所か。
中央に町家、鴨川。下手に友禅染か、鴨川の畔に染屋も見える。庭に井戸と物干し場
がある。

竹本は、面売り:美声の三輪大夫、案山子:睦大夫。ほかに靖大夫ら3人。人形遣い
は、面売り:勘弥、案山子:玉佳。太夫も人形遣いも、夏興行らしく、皆、白い着付
に袴姿。太夫は、肩衣も付けている。


歌舞伎の「鎌倉三代記」は、5回観ている。人形浄瑠璃で観るのは、今回が初めて。
ただし、歌舞伎の上演では、「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」という形の、「みどり
(この場面だけ)上演」が多い。だから、結末の付け方も、通しとは違う。今回は人
形浄瑠璃の通し上演なので、歌舞伎では馴染みのない場面を幾つも見ることが出来
て、楽しめた。

「鎌倉三代記」は、史実の大坂夏の陣(1615年)を素材にした全十段の時代もの
作品。徳川幕府の意向を踏まえて、鎌倉時代に時代設定を変えている。通称「鎌
三」。作者不詳、という。1781(安永10)年3月、江戸肥前座初演。

「鎌倉三代記」をコンパクトに紹介すると、鎌倉方=源実朝(史実の徳川秀忠)の母
方の祖父・北條時政(史実の徳川家康)暗殺計画。京方=坂本城に立て籠る源頼家
(頼家と実朝は兄弟。頼家は、史実の豊臣秀頼)が城を包囲している鎌倉方の北條時
政を殺せと指令。時政の娘・時姫は恋い慕った三浦之助義村の嫁になりたいと、戦場
にいる三浦之助不在中に実家を訪れ、病気の義母の世話をしている。

時姫がキーパーソン。時政は、京方に行ってしまった時姫を取り戻したい。一方、京
方の三浦之助義村と時姫奪還を命じられた新人の足軽・安達藤三郎、実は佐々木高綱
が、共同して時政の娘・時姫に働きかけて父親の時政を姫に殺させようという作戦。
女性の恋心を利用して、忠義を優先しようとする。男たちは、狡い。三浦之助の母親
も、己の命を犠牲にしてでも、時姫に父親の時政を討たせようとする。

時姫から見れば、三浦之助もその母親も、忠義を上位に置いているというのが判って
しまう。しかし、時姫は、忠義より己の愛する人への恋心を優先させようと決意す
る。女心のしたたかさ。以後、揺るぎない時姫の思いこそ、この芝居の軸足になって
いると思う。

時政は、時姫奪還を命じた足軽・安達藤三郎に自分の刀を持たせて、時姫にこの刀を
使って、敵陣を突破して戻ってこいというシグナルを届けさせる。時姫は、父親の意
向にも添えないし、添うつもりもない。三浦之助たちの意向に添って、父親を殺す気
でいる。ダメなら、己の命をさしだすだけだ。あくまでも、恋のために殉じようとし
ている。

時政は、ふたりの局に時姫を迎えに行かせる。採用したばかりで得体の知れない所の
ある足軽・安達藤三郎だけでは、心もとないと、信頼する富田(とんだの)六郎も時
姫奪還に遣わせる。だが、富田六郎は正体を見破られ、佐々木高綱に殺される。富田
六郎は閑居の庭内にある井戸から出入りをしていて、高綱に槍で刺されてしまう。

戦場で瀕死の重傷を負った三浦之助義村が危篤の母を見舞おうと帰宅する。母は、面
談を拒絶する。三浦之助義村は、時姫に実父殺しをそそのかす。時政の首を取れば、
結婚する、というのだ。安達藤三郎、実は佐々木高綱は、三浦之助義村の首を持っ
て、安達藤三郎のまま、鎌倉方に戻り、隙を見て時政を討つか、とも迷う。いや、当
初の作戦通り、鎌倉方に帰した時姫に時政を殺させるか。二段構え。その辺りが、
ハッキリしないまま、三浦之助義村は戦場に戻ることになる。

「鎌倉三代記」は、時代ものの中でも、時代色の強い演目だ、と思う。作者の趣向と
しては、大坂夏の陣を鎌倉時代に移し替え、時姫に父親・北条時政への謀反を決意さ
せようという筋書である。恋人・三浦之助義村と父親との板挟みになり、苦しむとい
う、性根の難しさを言葉ではなく、形で見せるのが難しいので、時姫は、「三姫」と
いう姫の難役のひとつと数えられて来た由縁である。

こういう演目は、時代物の「かびくささ」「古臭さ」「堅苦しさ」などを逆に楽しめ
ば良いと思う。史実の豊臣と徳川の闘いをベースにしている。豊臣は、芝居では、京
方。徳川は、鎌倉方として、登場する。登場人物は、歴史上の人物をモデルにしてい
る。京方の佐々木高綱は真田幸村、三浦之助義村は木村重成、北條時政は徳川家康
(今回の芝居には出て来ない)。時姫は千姫、富田六郎は、本多忠朝など。内容が余
りに史実に近すぎたので、徳川幕府によって、上演禁止にされたという曰く付きの演
目。

今回の人形浄瑠璃上演の場の構成は、次の通り。「局使者の段」、「米洗ひの段」、
「三浦之助母別れの段」(歌舞伎の「絹川村閑居」の場)、「高綱物語の段」。

「局使者の段」は。今回初見。三浦之助の実家、病気の母が養生しているところへ、
時姫を迎えに、鎌倉方の局ふたりがやってくる。時姫は、買い物に出ていて、不在。
ふたりの局は、時政から時姫救出を命じられている。

「米洗ひの段」も、初見。時姫が、赤姫の衣装に襷(たすき)という格好で、買い物
から戻って来る。徳利を下げ、丸盆に四角い豆腐を載せている。局たちが、鎌倉への
帰還を促すが、姫は言うことを聞かない。むしろ、嬉々として、三浦之助の嫁に相応
しいようにと、健気に家事に勤しんでいる。米洗いも、そのひとつ。三浦之助の母の
看病にと近所の女房たちも見舞いを兼ねて手伝いにきている。陽気でがさつな「おら
ち」が、姫の手つきを見かねて、井戸の水の汲み方から米の磨ぎ方までを教えなが
ら、米洗いを手伝う。悲劇の前の笑劇という、常套の場面。そこへ、安達藤三郎も現
れ、自分が時政の正式の使者だと主張し、局たちを下らせる。

*贅言;歌舞伎では、「米洗い」の代わりに姫なのに手拭いを姉さん被りにし、行燈
を持って奥から出てくる時姫を描く。時姫の難しさは、「赤姫」という赤い衣装に身
を包んだ典型的な姫君でありながら、世話女房と二重写しにしなければならない。父
親の意向と三浦之助への恋心との板挟み。時姫の置かれている立場の苦しさが、テー
マだからだ。それを「形」で見せるのが、歌舞伎や人形浄瑠璃。

「三浦之助母別れの段」は、七段目。歌舞伎の「絹川村閑居」の場と同じ。歌舞伎で
は、この場面だけが多く上演される。やはりハイライトの場面だからだ。三浦之助義
村は、病気の実母(人形浄瑠璃では、名前がないが、歌舞伎では、「長門」という)
を心配して戦場から戻って来たのだが、母からは、公私混同と怒られ、面談を拒絶さ
れる。実は、三浦之助も、母のことを口実に妻となった時姫に父親・時政への謀反を
決意させるために戻って来たという難しい役である。
両者とも建て前を全面に出している。

人形浄瑠璃では、佐々木高綱と足軽・安達藤三郎がそっくりなことを利用して、佐々
木高綱が安達藤三郎を殺して、その首を贋の高綱の首として、時政の首実検に供する
(今回の物語は、通称「盛綱陣屋」、「近江源氏先陣館」の続編。首実検で偽首を
「高綱の首」とされたため、本物の高綱は生き延びてここに登場するという設定に繋
がる。)。生き残った佐々木高綱は、百姓・安達藤三郎に扮して、鎌倉方の陣地の出
向き、足軽に採用される。鎌倉方の特使となり、それを証明するために時政の大事な
刀を持たされ、三浦之助の実家にやってきて時姫を「迎え(事実上の奪還)」ようと
試みる、という訳だ。

佐々木高綱は、最初、足軽・安達藤三郎に化けている。閑居の庭の中にある「井戸」
を介して、滑稽役の足軽と影の武将・佐々木高綱が入れ替わる辺りが、この狂言の独
特の持ち味。

「高綱物語の段」。夜更け。庭の井戸の中から時政の忠臣・富田六郎が忍び出て来
る。近所の手伝いの女房に紛れ込んでいた藤三郎の女房・おくるが、富田六郎を迎
え、家の裏口へと案内する。鎌倉方同士という想定を崩さない。

一方、藤三郎は時姫に近づき、証拠の刀を見せながら自分が父親からの正式の迎えだ
と強調する。時姫は、刀を点検した後、藤三郎に刃を向けて、申し出を拒絶する。逃
げる藤三郎。

夫を裏切れない。自害しかないと、密かに決意する。三浦之助は自分を真の夫にする
ならば、時政を討てと言う。時姫は、父親の時政を討つと三浦之助に約束をする。

これを蔭で窺っていた富田六郎が抜け穴の井戸から注進に走ろうとする。井戸の中か
ら槍を突き出して富田六郎を殺す者がいる。井戸の中から現れたのは、立派な身なり
に代わった安達藤三郎。安達藤三郎、実は、佐々木高綱が正体を顕す場面。三浦之助
の母は、時姫の槍に自ら刺され、自害する。佐々木高綱、三浦之助義村、時姫。戦さ
に翻弄される人々の悲劇を描く。

大道具の居どころ替りで、場面展開。閑居が上手に寄り着く。下手に松の巨木が現れ
る。明け方、軍勢が動く気配。佐々木高綱は、松の木に登り、坂本城に押し寄せる鎌
倉方の動きを確認する。「逆櫓」(「ひらかな盛衰記」は、1739年初演だから、
こちらの方が先行作品)の場面と似ている。

時姫は、決死の父親殺しを己の使命と覚悟する。瀕死の三浦之助義村は、戦場に戻っ
て、戦死した後、己の首を佐々木高綱に提供すると、申し出る。佐々木高綱は、足
軽・安達藤三郎に扮したまま、三浦之助義村の首を土産に、報賞するであろう時政に
近づき、暗殺を試みようと決意している。時姫、己と二段構えで、時政殺しを企む。
引張りの見得にて、幕。

時政の手の者が、井戸のなかの抜け道(史実の大坂城の出入りの抜け穴という伝説に
基づく)を使うなど、時代物らしい荒唐無稽さが、かえって、おもしろい。時代物の
好きな人には、そういう時代物独特の演出の様式をあれこれと楽しめる演目だろう。
古怪な感じは、歌舞伎よりも人形浄瑠璃の方が、深い。

「母別れの段」の竹本は、津駒大夫、三味線方は、寛治。「高綱物語の段」の竹本
は、英大夫、三味線方は、清介。人形遣いは、時姫:清十郎。安達藤三郎、実は、
佐々木高綱:玉男。三浦之助義村:玉志。三浦之助母:勘壽。女房おらち:紋壽ほ
か。


「伊勢音頭恋寝刃」は、歌舞伎とほぼ同じ。今回の段の構成は、次の通り。
「古市油屋の段」、「奥庭十人斬りの段」。

「古市油屋の段」の竹本は、咲大夫の代役で文字久大夫、三味線方は、燕三。「奥庭
十人斬りの段」の竹本は、咲大夫甫大夫、三味線方は、錦糸。

「伊勢音頭恋寝刃」は、実際に伊勢の古市遊廓であった殺人事件を題材にしている。
事件後、およそ2ヶ月、急ごしらえで作り上げられただけに、戯曲としては無理があ
る。原作者は、並木五瓶が江戸に下った後、京大坂で活躍した上方歌舞伎の作者近松
徳三ほか。詳しい人物像は判らない。筆の勢いのままに、いわば、ラフなコンテの様
に書きなぐったような作品だが、芝居には、「憑依」という、神憑かりのような状況
になるときがあり、それが「名作」を生み、後世の演者たちの工夫魂胆の心に火を付
ける。

馬鹿馬鹿しい場面ながら、汲めども尽きぬ、俗なおもしろさを盛り込む。そういう工
夫魂胆の蓄積が飛躍を生んだという、典型的な作品が、この「伊勢音頭恋寝刃」だろ
う。最後に、お家騒動の元になった重宝の刀「青江下坂」と「折紙(刀の鑑定書)」
が、揃って、10人殺しの殺人鬼と化していた貢が、正気に返り、主家筋へふたつの
重宝を届けに行く、「めでたし、めでたし」(?)の場面というの俗っぽさ。

長い間上演され続ける人気狂言として残った理由は、お馴染みのお家騒動をベース
に、主役の福岡貢へのお紺の本心ではない愛想尽かしから始まって、ひょんなことか
ら妖刀「青江下坂」による連続殺人(10人殺し)へというパターン。伊勢音頭に乗
せた殺し場の様式美の巧さ。殺しの演出の工夫。歌舞伎の丸窓の障子を壊して貢が出
て来る場面は、上方型。人形浄瑠璃にはなかった。歌舞伎の演出の方が、洗練されて
いると、感じた。ただし、どちらも無惨絵の絵葉書を見るような美しさがある反面、
「紋切り型の安心感」がある。そういう紋切り型を好む庶民大衆の受けが、いまも続
いている作品といえそう。この芝居は、もともと説明的な筋の展開で、ドラマツルー
ギーとしては、決して良い作品ではない。ドラマツルーギーの悪さを演出で補ったと
いうことだろう。

今回の人形浄瑠璃では、お紺と万野の対決の場面が見応えがあった。簑助が操る女郎
のお紺。勘十郎が操る仲居の万野。簑助の女形人形は、きめ細かな動きで生きている
よう。勘十郎の操る技術よりも、熟成していることが判る。人形同士の対決の後ろに
見える人形遣いの表情。人形と人形遣いの「交情」のようなものが感じられて、どち
らも目が離せない。
- 2015年9月12日(土) 11:29:42
15年09月歌舞伎座・秀山祭 (夜/「伽羅先代萩」)


20年ぶりの脱皮、玉三郎の決意の挑戦


「伽羅先代萩」。観劇は13回目。松竹の上演記録にあるように、勘三郎が政岡を演
じた「裏表先代萩」を入れると、14回目の拝見となる。

今回は、いつもの「花水橋」「竹の間」「御殿(奥殿)」「床下」「対決」「刃傷」
と、オーソドックスな場の構成である。見慣れていない人のために書くと、この構成
には、2つの見どころがある。

1)ドラマとしての構成。「花水橋」は、いわばイントロ。「竹の間」と「御殿(奥
殿)」は、女たちの対決。「床下」は、場面展開として卓越した繋となる。長く続い
た伊達家仙台藩のお家騒動の史実に照らせば、「床下」は、タイムスリップのための
装置、というのが私の個人的な見解。続く、「対決」と「刃傷」は、男たちの対決。
前半は、子どもたちを除けば、女だけのドラマ。後半は、男たちのドラマ。

2)演出としての構成。「伽羅先代萩」は、いわば、歌舞伎の「見本帳」でもある。
「花水橋」は、江戸歌舞伎の和事の味。「竹の間」は、科白劇。「御殿(奥殿)」
は、丸本物の味。竹本の浄瑠璃芝居。「床下」は、再び、江戸歌舞伎のうちの、荒事
の味。「対決」と「刃傷」は、実録歌舞伎風。一日の歌舞伎小屋の狂言立て(番組
表)の演出の見本のような趣向の構造である。

そういう意味では、歌舞伎の三大演目(「菅原伝授手習鑑」、「義経千本桜」、「仮
名手本忠臣蔵」)に準ずる代表的な名作だ。

まず、女たちの対決。今回の特徴は、人形浄瑠璃という「本行」の演出を尊重して、
松島が登場しない、ということだ。政岡と八汐の対決をクローズアップし、客観的に
ふたりの「対決」を見ていて、八汐側に与する「女医」の小槙を「落とした」沖の井
が、八汐の不正義を認めて、政岡に味方する、という構図になる。

「竹の間」は、お家乗っ取りを画策する仁木弾正の妹・八汐が、邪魔な政岡を陥れ、
自分が若君の乳人(乳母)になれるようにと謀略するが、ディベートで負けてしま
う、という話。科白劇で、動きに乏しい。「御殿」は、通称「飯(まま)炊き」と言
われるように、八汐らが若君・鶴千代の毒殺を企てて、つまり、テロ行為を実践した
が、未遂に終わる話。動きが多く、ビジュアルな演出が出来る。基本的な対決の構図
が、同じだから、歌舞伎では「御殿」は、演じられても、「竹の間」は、演じられな
いことがある。

いずれも、今回は、玉三郎の政岡と初役の歌六が演じる八汐が、対決する。私が観た
玉三郎の政岡は、今回で4回目。

私が観た政岡は、玉三郎、雀右衛門、福助、菊五郎、玉三郎、菊五郎、坂田藤十郎、
菊五郎、(勘三郎)、玉三郎、魁春、坂田藤十郎、扇雀(竹の間)/坂田藤十郎(御
殿)、玉三郎。(勘三郎)という表記は、「裏表先代萩」の政岡を演じた十八代目勘
三郎のこと。つまり、勘三郎は、「伽羅先代萩」の政岡を演じないまま、亡くなって
しまった、ということだ。扇雀(竹の間)/坂田藤十郎(御殿)という表記は、場面
で配役を分けたことを示す。

つまり、玉三郎が今回含めて4回、菊五郎、藤十郎がそれぞれ3回、雀右衛門、福
助、菊五郎、扇雀、勘三郎は、皆、1回ということで、8人の役者の政岡を観ている
ことになるが、政岡役者は、立女形(たておやま)の極地の演目を演じるという位置
づけになるので、誰でも演じられるわけではない。政岡を演じるケースとしては、大
まかに言って、ふたつある。

政岡を演じるということは、立女形として定評のある限られた役者が演じるか、女形
として精進を重ねてきた真女形役者が、立女形への道を目指して、登龍門として挑戦
するために演じるか。

私が観た政岡役者でいちばん印象に残るのは、やはり、真女形のふたり。ひとりは1
回しか観ていない雀右衛門だ。雀右衛門は、全体を通じて、母親の情愛の表出が巧
い。次いで、もうひとりは4回の玉三郎。特に、半ばからの切り替え、母親の激情の
迸りの場面が巧い。今回も、我が子千松の亡がらの周りをおろおろと二度も三度も逡
巡し手を出せずにいる様を描くのは、母性のなせる業だ。回数ばかりが、重要とは言
えないのが、歌舞伎のおもしろさだ。雀右衛門亡き後、玉三郎の政岡を堪能するの
が、この芝居への敬意であろうとさえ感じる。菊五郎は、真女形ではなく、立役も女
形も演じる兼ねる役者。坂田藤十郎は、上方演出の先代萩を上演するので、これま
た、ちょいと違う。

「御殿」での政岡は、前半では、幼君を守る「官僚」(乳人は、警護を含めた御守
役、養育担当、帝王学の師匠などの役割)としての一面を強調し、後半は、千松の
「実母」としての一面とを強調する。政岡は、有能な官僚と母親の情愛の「切り替
え」をどれだけ印象的に演じるかが大事だろうと思う。

玉三郎は、95年の政岡初演以来、六代目歌右衛門の指導を受けて演じて来たし、歌
右衛門が亡くなってからは、工夫魂胆で、さらに、精進を重ねて来た。今回が、5回
目の上演になる。私が観ていない04年11月の大阪松竹座の舞台を除いて、玉三郎
の歌舞伎座での上演は、全て観ていることになる。

玉三郎は、11年前の大阪松竹座の舞台と今回の舞台では、松島を登場させなかった
が、それ以外3回の舞台では、六代目歌右衛門の演出通り、松島を登場させてきた。
6年前の09年の歌舞伎座では、松島登場。今回、それを止め、歌右衛門演出を20
年ぶりに脱皮させたのは、玉三郎なりの決意の挑戦なのだろう。

玉三郎は、有能な「官僚」(乳人)としての政岡を重視する。「大切なのは乳人とい
うものをしっかりとお見せすること。若君である鶴千代のことを思い、どれだけ生き
てきたか……。そこが大事なのです」と言う。このところが、今は亡き雀右衛門の母
性の政岡とは、印象が違うのだろう。

玉三郎は、「御殿」の前半では、子役たちを相手に、母情をベースに暖かみと規律を
重んじながら、丁寧に演じる。若君にも実子・千松(若君の警護補佐官のような役回
りで「飯炊き」では、毒味役に徹している)にも、「ひたすら早くご飯を炊いてやり
たい」という思いを全面に押し出す。歌右衛門の演出から離れて初めて歌舞伎座で松
島なき「御殿」を演じたことで、官僚の役を終えて母親に戻った後の真情吐露の演出
を強めたように思われる。

「竹の間」では、沖の井が、八汐の野望をくじいて、政岡を助ける。沖の井役者は、
凛としている。八汐役者は、非情で、冷徹な戦略家ぶりを見せつける。政岡の母情と
八汐の非情は、火花を散らす。

「御殿」では、若君暗殺派のトップ、栄御前が消えると、玉三郎の政岡は、途端に表
情が崩れ、我が子・千松を殺された母の激情が迸る。母は、腰が抜けて、なかなか,
立てない。やっと立ち上がって、舞台中央に移動する。誰もいなくなった奥殿には、
千松の遺体が横たわっている。堪えに堪えていた母の愛情が、政岡を突き動かす名場
面である。何をして良いか判らずにうろうろしている。いつものようにすぐには、脱
いだ打ち掛けを千松の遺体に掛けにはいかない政岡。打ち掛けを脱いだ後の、真っ赤
な衣装は、我が子を救えなかった母親の血の叫びを現しているのだろう。

涙とともに、ほとばしる母情と科白。「三千世界に子を持った親の心は皆ひとつ」と
いう「くどき」の名台詞に、「胴欲非道な母親がまたと一人あるものか」と竹本が、
追い掛け、畳み掛け、観客の涙を搾り取る。政岡の、ほとばしる母の愛情は、「熊谷
陣屋」の直実の、抑制的な父の愛情とともに、歌舞伎や人形浄瑠璃の、親の愛情の表
出の場面としては、双璧だろうと思っている。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。八汐は、ある意味で、冷
徹なテロリストである。そこの、性根を持たないと、八汐は演じられない。千松を刺
し貫き、「お家を思う八汐の忠義」と言い放つ八汐。最後は、政岡に斬り掛かり、逆
に、殺されてしまう。自爆型のテロリストなのだ。

八汐は、孝夫時代を含めて仁左衛門(4)、梅玉(3)、團十郎(2)、勘九郎時代
の勘三郎、段四郎、扇雀、勘雀時代の鴈治郎、そして今回の歌六。つまり、こちら
は、8人の役者の八汐を観ている。八汐で印象に残るのは、何といっても、仁左衛
門。今回の歌六も憎まれ役に徹していて、なかなか良かったと思う。

八汐は、性根から悪人という女性で、最初は、正義面をしているが、だんだん、化け
の皮を剥がされて行くに従い、そういう不敵な本性を顕わして行くというプロセスを
表現する演技が、できなければならない。「憎まれ役」の凄みが、徐々に出て来るの
ではなく、最初から、「悪役」になってしまう役者が多い。悪役と憎まれ役は、似て
いるようだが、違うだろう。悪役は、善玉、悪玉と比較されるように、最初から悪役
である。ところが、憎まれ役は、他者との関係のなかで、憎まれて「行く」という、
プロセスが、伝わらなければ、憎まれ役には、なれないという宿命を持つ。そのあた
りの違いが判らないと、憎まれ役は、演じられない。これが、意外と判っていない。
私が観た八汐の中で、このプロセスをきちんと表現できたのは、仁左衛門の演技で
あった。つまり、八汐は、政岡のような「切り替え」の妙味ではなく、正義面から憎
まれ役に「脱皮」してみせるところが大事だろうと思う。

そういう意味では、いずれ、玉三郎の八汐役者ぶりも観てみたい、と思っている。そ
の場合に政岡を演じるのは、菊之助辺りが宜しいのではないだろうか。

私が期待するテーマは、母情と非情の対決である。玉三郎と歌六。初めての対決。私
が見た4回の玉三郎の政岡は、過去2回は、團十郎の八汐と対決した。仁左衛門、そ
して、今回が歌六である。

特に、この場面では、玉三郎の目つきの鋭さと仁左衛門の横目のずるさとの対決の舞
台が、今も印象に残っている。歌六は、憎々しい八汐を演じては居たが、
「ずるさ」の演技が足らなかったように思える。八汐のずるさとは、栄御前登場の場
面での若君暗殺未遂、つまりテロ失敗の後、己の身を犠牲にしてテロを防いだ千松を
直ちになぶり殺しをして、証拠隠滅を謀ろうと発想するずるさだと思う。

既に述べてきたように、前半は、政岡、八汐の「女の戦い」だが、後半は、「男の戦
い」。それを繋ぐ場面が、「床下」。今回、この短い場面の配役は、仁木弾正に吉右
衛門。荒獅子男之助に松緑。科白を言うのは、荒獅子男之助のみ。大向うから「たっ
ぷり」と声がかかった。吉右衛門は、無言のまま、「すっぽん」の出から花道の引っ
込みまで、過不足なく、歌舞伎の醍醐味を感じさせてくれた。

私が観た仁木弾正は、次の通り。幸四郎(4)、團十郎(2)、仁左衛門(2)、吉
右衛門(今回含め、2)、富十郎、八十助時代の三津五郎、(勘三郎)、橋之助。
(勘三郎)という表記は、「裏表先代萩」の仁木弾正をふた役で演じた十八代目勘三
郎のこと。

吉右衛門は、「床下」の後、「対決」と「刃傷」と、「国崩し」の極悪人・仁木弾正
をたっぷり見せてくれる。対決するのは、渡辺外記左衛門(歌六、八汐とふた役)だ
が、それを支援する細川勝元(染五郎)。颯爽の裁き役は、以前観た仁左衛門が、爽
やかに充実の舞台を披露していた。染五郎は、まだまだこれから。吉右衛門は、抜群
の科白回しで、狂気の弾正ぶりを見せてくれた。吉右衛門の悪役ぶりは、持ち味の人
の良さを押さえ込んでいて、抑制的で、良かった。

仁木弾正と八汐というお家乗っ取りを企む悪役の兄と妹の共通性は、憎まれ役+「ず
るさ」だろう。ふたりの悪役ぶりは、皆が演じるところだが、それだけでは足りな
い。八汐のところでも触れたように「ずるさ」の表現が必要だ。仁木弾正の「ずる
さ」はどう表現されているか、というと、それは、細川勝元が仁木弾正に鶴千代の家
督相続の願書を書かせる場面で発覚する。自筆の願書と押印を不承不承に終える。実
印を押す場面で躊躇した仁木弾正は細川勝元の目を盗むようにして自分の髪の毛を抜
き、これを用いて実印に引目を入れて捺印する。引目を入れるというのは印形を意図
的に変える、ということだ。この動作をする時の仁木弾正の「ずるさ」(細川勝元の
心証形成)と仁木弾正の筆跡鑑定(問題の密書との比較)を経て、細川勝元は仁木弾
正の謀略の真相を見抜くことになる。
- 2015年9月7日(月) 13:09:59
15年09月歌舞伎座・秀山祭 (昼/「双蝶々曲輪日記」「紅葉狩」「競伊勢物
語」)


「双蝶々曲輪日記」は、今回、珍しく序幕「新清水浮無瀬(うかむせ)の場」のみ
の、みどり上演。「角力場」「引窓」などの上演回数が多い人気演目の「双蝶々曲輪
日記」だが、序幕は、滅多に上演されない。私も、この場面を観るのは、今回で2回
目。通しの芝居の展開とみどりの芝居の展開は、いろいろ違う部分があり、それはそ
れで面白かったが、今回は、そこには触れない。

序幕では山崎屋の若旦那・与五郎と傾城・吾妻、南与兵衛(なん・よへい)と傾城・
都。ふた組のカップルを紹介する。与兵衛と都は、「双蝶々曲輪日記」の最大の見せ
場、「引窓」へ繋がる主要な人物だ。

今回は、第一場「新清水浮無瀬の場」、第二場「新清水観音堂の場」で構成する。ま
ず、第一場「新清水浮無瀬の場」。清水(きよみず)観音(大坂三十三観音のひと
つ。「曾根崎心中」の観音巡りで出て来る。四天王寺が近い)の近くにある料亭浮無
瀬(うかむせ)の離れ座敷。江戸の吉原、京の島原と並んで、日本の三大遊廓の一
つ、大坂・新町遊廓の藤屋お抱えの傾城・都(魁春)、吾妻(芝雀)が井筒屋の女
将・お松(歌女之丞)、太鼓持ちの佐渡七(宗之助)らとやって来る。かれらの会話
からふたりの傾城を巡る人間関係が判って来る。平岡郷左衛門(松江)が吾妻を仲間
の三原有右衛門(錦吾)が都を身請けしたがっている、という。都には山崎屋の番
頭・権九郎(松之助)が懸想をしている。身請けの話の断り方をふたりの傾城がお松
に相談しようとしている。廊下で佐渡七が盗み聞きをしている。

花道から南与兵衛(梅玉)が現れる。いまは、笛売りをしている南与兵衛。柄の長い
大きな傘の縁に鳥などの形をした多数の笛をぶら下げている。料亭にいる都に逢いに
きたのだ。上手の座敷から出てきた都は、「逢いたかった」と、与兵衛に甘える。与
兵衛は、京都の八幡の郷代官の息子。与五郎らと遊んでいて、与兵衛も都を身請けし
たいと思っているが金がない。都は意に染まない身請け話について、与兵衛に相談す
るが、金のない若者に良い知恵があるわけがない。都は座敷に戻り、与兵衛は新清水
の参詣にと、下手に入って行く。

花道から、山崎屋の番頭・権九郎が、平岡郷左衛門、三原有右衛門を案内してやって
来る。皆、離れに上がり、上手奥の座敷へと入って行く。続いて、花道から山崎屋の
若旦那・与五郎(錦之助)が丁稚を連れてやって来る。主立った登場人物の入れ込み
となる場面だ。

吾妻も奥から出てきて、自分に起きている身請け話の対応を相談する。京の実家に本
店のある山崎屋の「大坂支店長」の立場にある与五郎は、番頭に預けてある商売の金
の為替(300両)を吾妻の身請けの手付金に使おうと言う。話を聞いていた太鼓持
ちの佐渡七が番頭から金を受け取って、藤屋に行って、身請けの手続きを済ませて来
ようと申し出る。番頭も座敷と離れをうろうろしている。佐渡七と番頭の権九郎は、
300両を偽金にすり替え、その金を都の身請けに使おうと企んでいる。偽金を佐渡
七に渡す。その上、偽金使いの罪を若旦那の与五郎に着せようとまでしている。新清
水の参詣から戻ってきた与兵衛は、物陰で番頭らの悪だくみを聴いてしまう。花道を
行った佐渡七の後を追う与兵衛。

やがて、花道を戻ってきた与兵衛。奥から出てきた都は、与兵衛から事情を聴く。与
兵衛は、偽金を奪おうと佐渡七と争いになり、その挙げ句、佐渡七を殺してしまっ
た、という。自分も佐渡七に左の手の小指を食いちぎられてしまった、という。都は
窮地の与兵衛を助けようとする。まず、与兵衛を上手の障子の間へ隠す。奥から出て
きて、都に言い寄って来る番頭に心中立てに小指を切れと要求する。嫌々ながらも、
小指を切る番頭の権九郎。権九郎役の松之助は、こういう役は巧い。大向うからも
「緑屋」と声がかかる。

脇息の上で小指を切らされた権九郎のところへ佐渡七殺しの犯人を探している役人
(隼人)が捕り方を連れてやって来る。佐渡七が犯人の小指を噛み切っていることか
ら、指の怪我をしているのが犯人と目星をつけている。権九郎は、早々と誤認逮捕さ
れてしまう。都は連行されて行く権九郎にも素知らぬ顔をしている。都の策略は、成
功する。そこへ、奥から与五郎と吾妻、吾妻を追って来た平岡郷左衛門と三原有右衛
門の二人侍、さらに与兵衛も出てきて、平岡らを追い払い、与五郎を窮地から救う。

舞台は、大道具が鷹揚に廻って、場面展開。第二場「新清水観音堂の場」へ。書割が
舞台上手と下手にそれぞれ曳かれ、清水観音の「舞台」(崖の上に建っていて、見晴
らしが良かった)が現れる。舞台には、上手から二人侍が出てきて、舞台の下手に入
る。吾妻らを探しているのだろう。続いて、同じく舞台上手から与兵衛が出てくる。
笛売りの柄の長い大きな傘を抱えている。舞台の手前は、満開の桜である。舞台は、
桜の木の上に見えるという設定だ。

下手から戻ってきた二人侍と与兵衛は舞台でかち合う。与兵衛は二人侍と立ち回りに
なるが、劣勢と見て与兵衛は傘を差しかけたまま、ふわりと新清水の「舞台」から飛
び降りる。大道具の段差はそれほどない。「舞台」手前にある満開の桜の大道具の後
ろで、本舞台の床(マットが敷いてある。小さいセリの穴も開いている)に降りる。
セリの穴に隠れた梅玉に黒衣が「宙乗り」用のフックを付ける。清水観音の舞台が大
セリに載ってせり上がって来る。舞台手前にあった桜の大道具(引き道具)は、上手
と下手にそれぞれ曳かれて行く。傘を差したままの与兵衛(梅玉)は、ワイヤーで吊
りあげられ舞台の上手下手と宙乗りのまま遊泳する。天井近くまで昇る。やがて、与
兵衛は本舞台の下手に設えられたブッシュのか後ろに着地をし、黒衣にフックを外し
てもらう。その後、与兵衛は、花道へ。「舞台」の上で悔しがる二人侍を残して、幕
外の引っ込み。花道からゆうゆうと逃げて行く。幕。


「紅葉狩」は、11回目の拝見。今回の見どころは、中堅立役の染五郎が演じる更科
姫(前シテで赤姫役、後シテで鬼女役)と染五郎嫡男の金太郎の山神。

「紅葉狩」=河竹黙阿弥作、明治の新歌舞伎。1887(明治20)年、東京の新富
座の初演時配役。更科姫:九代目團十郎、平維茂:初代左團次、山神:四代目芝翫。
二枚扇など=曲芸じみる振付けは、九代目團十郎の工夫。初演後も、「姫が演じる舞
踊としては、外連(けれん)過ぎる」などと、いろいろ批判はあったようだが、代々
受け継がれてきた。

舞台は、全山紅葉の時季。信濃の戸隠山に男ばかりで紅葉狩に来た平維茂(これも
ち)一行が、先に幔幕を張って、女性ばかりで紅葉狩の宴を開いていた更科姫一行と
交歓をするのが前半。宴会は、上手に2枚の緋毛氈を敷きつめて、平維茂(松緑)を
上座に、更科姫(染五郎)を下座にという配置で、酒宴を開く。提重三ツ組、肴、瓶
子、三方の杯など。局などが平維茂を接待。下手にも、緋毛氈が敷きつめられ、平維
茂の従者二人を侍女らが接待する。

前半の幕切れ前に、毛氈は、まず、更科姫が舞踊披露で立ち上がると片付けられ、眠
りから覚めた平維茂が上手の幔幕の中へ更科姫を追って行く時に裃後見が片付ける。
従者の毛氈は、二人が、危急の際にも関わらず、主人の警固に駆けつけずに、逆に、
反対側の下手に逃げてしまう時に、黒衣が片付ける。

後半の観どころは、侍女・野菊(米吉)の舞、平維茂従者のコミカルな踊り、更科姫
の舞=演奏(竹本、常磐津、長唄の三方掛け合い)、局・田毎(高麗蔵)との「連
舞」、「二枚扇」を使った舞。更科姫の「二枚扇」で、立役の染五郎だが失敗せずに
無難に踊っていた。ただし、動いて行く身体の線は、堅い。女形の柔らかさには、ほ
ど遠い。酒と舞の披露で平維茂一行の睡魔を誘う。

金太郎の山神(さんじん)=能の間(あい)狂言の主人公の青年。平維茂一行の危機
を夢の中で告げる役割。染五郎の嫡男・金太郎も大きくなった。まだ、青年と呼ぶの
は無理だが、少年らしく、てきぱきとメリハリのある動きをしていた。

この後、後シテ。更科姫一行は、実は、鬼女(食人鬼)たちの一行だったということ
で、後半のドラマが展開する。見どころは、平維茂と鬼女との立ち回り。お決まりの
引張の見得にて、幕(定式幕)。


ハイライトは、「競伊勢物語」


「競(だてくらべ)伊勢物語」。今回が初見。秀山祭昼の部のハイライト。当代が初
役の紀有常役に挑戦。初代吉右衛門の命日に因む秀山祭も今年で10回目という。今
回含めて戦後、4回目の上演。秀山祭では、初めての上演。初代吉右衛門の藝を継承
に意欲的な当代は、積極的に初代の藝を復活し、再演することに意欲を燃やしてき
た。

初見なので、粗筋を含めて記録しておきたい。今回の場の構成は次の通り。序幕第一
場「奈良街道茶店の場」、第二場「同 玉水渕の場」。大詰第一場「春日野小由住居
の場」、第二場「同 奥座敷の場」。

奈河亀輔原作「競伊勢物語」は、全7幕の時代もの。1775(安永4)年4月大坂
中の芝居初演。奈河亀輔は「中古歌舞伎作者の祖」と言われ、時代ものを得意とし
た。「競伊勢物語」は、天皇の後継を巡る「御位(みくらい)争い」を背景にしてい
る。文徳天皇の皇子である惟喬親王と惟仁親王の兄弟の争い。惟喬親王は井筒姫に横
恋慕している。兄弟と主従の関係にある紀有常役の家族の物語。

紀有常、有常の娘の信夫と連れ合いの磯上豆四郎が悲劇の主人公。信夫の育ての親・
小由(こよし)、これらが一つの塊となる。

文徳天皇の娘(内親王)の井筒姫と恋仲の在原業平が登場し、「伊勢物語」という外
題の謂れとなる。井筒姫と在原業平を生き残らせるために、身替わりとなるのが信夫
と磯上豆四郎、という訳だ。豆四郎は在原業平の父親に恩義がある。

このほか、憎まれ役で信夫の邪魔立てをするのが銅鑼の鐃八(にょうはち)という小
悪党。

序幕第一場「奈良街道茶店の場」。舞台中央に御休処。「めし、上酒」と大きく書い
てある。「御位争い」という世情も不安定。三種の神器も紛失、という。幕が開くと
舞台は奈良街道の茶店。絹売りの娘たち(米吉、児太郎)と一緒に信夫(菊之助)も
いる。豆四郎(染五郎)も、荷物持ちの銅鑼の鐃八(又五郎)を連れて、やって来
る。皆、一緒に茶店の中に入る。

代官の川島典膳(橘三郎)が、茶店の近くにある玉水渕は殺生禁断なので、近寄らぬ
ようにと茶店の亭主に触れに来る。行方不明の三種の神器も沈んでいるかもしれな
い、と言う。盗み聞きしていた豆四郎。忘れ物をしたので引き返す。絹売りの一行は
先行してくれと頼み込む。信夫は豆四郎と離れたくない、と言う。三種の神器の行方
を詮議する在原業平を手助けしたい、と信夫に話す。これを盗み聞きしていた茶屋の
亭主が代官所に訴えようとする。そこへ銅鑼の鐃八が現れ、亭主の首を絞めて殺し、
豆四郎への助力を申し出る。信夫は銅鑼の鐃八を信頼せず、断って、豆四郎とともに
春日野に向かう。死んだふりをしていた亭主と銅鑼の鐃八は、玉水渕に沈んでいるか
もしれない三種の神器を手に入れようと企む。引き道具で、場面展開。

第二場「同 玉水渕の場」。「だんまり」の演出。暗闇での探りあい。玉水渕に忍び
寄る影。上手に現れた人影は銅鑼の鐃八。「殺生禁断」という札のある玉水渕の竹矢
来を壊して、渕に飛び込む。渕の底から鏡を探り出してきた。花道から忍んできたの
は信夫。渕から上がってきた銅鑼の鐃八のふたりが、玉水渕の竹矢来の前で、互いを
探りあう。鐃八の落とした鏡を拾う信夫。信夫の片袖を引きちぎる鐃八。嫌な予感の
まま、幕。

大詰第一場「春日野小由住居の場」。大和国に住む小由(こよし)住居。居合わせた
絹売りの娘たちの母親・およね(歌女之丞)が帰ると、豆四郎(染五郎)が戻って来
る。信夫が先に帰った筈だと言うので、信夫の育ての親の小由(東蔵)は心配する。
豆四郎が上手の障子の間に入る。小由は奥に戻る。盆廻しで、竹本の葵太夫登場。暫
く、無人の舞台。竹本の語りだけ。置浄瑠璃、という演出。花道より、駕篭の一行が
登場。紀有常の家臣・桂の源太(名題昇進披露の吉兵衛)、供侍4人、中間2人、陸
尺(駕篭の担ぎ手)4人、という一行。本舞台に入ると、駕篭が先行して、停まる。
駕篭から紀有常(吉右衛門)が降りて来る。殿中でもない鄙なのに豪華な織物の長袴
に肩衣姿で登場、というのがおもしろい。長袴のまま、地面を引きずるように歩いて
田舎屋の小由住居に入って来る。世話場に一人だけ時代ものの様式の衣装で登場す
る、という「ちぐはぐさ」や時代から世話に砕ける初代吉右衛門の科白廻しが、話題
になった、という。我が子と連れ合いを殺す決断を胸に秘めてきた父親の苦悩、忠義
と娘らへの愛情の板挟み。雅な中に悲惨さを包み込む。初代吉右衛門の工夫した演出
だ。

有常は、自分が不遇な時代に預けた娘の信夫を返して欲しいと頼みにきたのだ。夫に
なった豆四郎とともに引き取り、在原業平と井筒姫(息子たちの皇位争いで苦境にあ
る先帝の内親王)の身替わりに若い夫婦の首を使おうと魂胆なのだ。

17年前、兄の勘当を受けて陸奥に下り、太郎助と名乗って百姓暮らしをしていた
頃、懇意となったのが小由の夫婦だった。思いがけない太郎助との再会を喜んだ小由
は、「はったい茶」(はったい粉を熱い湯で溶いたもの)を馳走する。公家の有常
は、長袴のまま胡座をかき、炉端に座り込む。懐かしい「はったい茶」を楽しみなが
ら、旨そうに飲む。肩衣長袴には不似合いなのに頭に手拭いを載せて、くつろぐ有
常。昔馴染みに逆境当時と変わらない気さくさを見せつける。いかにも初代吉右衛門
が好んだ場面だろう、と推測できる。悲劇の前の笑劇、という場面。有常が娘に逢い
たいというので小由は、有常を上手の障子の間へ案内する。

信夫が帰ってきた。信夫は豆四郎に神鏡を渡し、事の次第を告げる。了解し、奥に入
る豆四郎。信夫が戻ってきたのを知り、上手から有常が出て来る。娘を自分の手元に
引き取ると告げる。「胴欲なお人じゃなあー」と小由は反対するが、銅鑼の鐃八が信
夫の引きちぎれた袖を証拠に訴え出たため、事情が変わる。代官とその家来が玉水渕
から神鏡を盗み出した犯人として信夫を捕縛しに来たと知り、信夫を勘当するから助
けて欲しいと頼む。もちろん、代官には聞き入れられない。有常は、機転を利かし
て、信夫を自分の娘だと主張し、豆四郎を養子とすることにする。縁結びの祝いの準
備にとりかかろうとする小由。代官一行は、花道から引揚げる。舞台は、廻る。

第二場「同 奥座敷の場」。屋体の大道具は、下手より、屋外に井戸。奥座敷は広
縁、御簾の座敷、座敷前に濡れ縁が続く。上手に離れた別棟は障子の間。下手奥座敷
の御簾が上がると、座敷には、下手から、砧、衝立、琴、鏡(姿見)、屏風などが認
められる。上手で有常が信夫の髪を梳いている。娘の姿が井筒姫にそっくりだと語
り、井筒姫の身替わりになれと諭し、豆四郎を呼び出す。豆四郎は白装束姿で奥から
出て来る。豆四郎は、在原業平の父親・阿保親王に仕えた磯上俊綱の息子の俊清で、
阿保親王に恩義があり、在原業平の身替わりになることを既に覚悟している。

そこへ、祝いの膳を持って小由が現れるが、有常は衝立で隔てて、信夫に逢わせな
い。代わりに別れに際して、ということで、信夫の琴と小由の砧で合奏をさせる。い
かにも歌舞伎らしい古風な演出だ。その演奏を聴きながら、有常は、まず、屏風の蔭
で豆四郎の首を落とす。次に、衝立の蔭で信夫の首も落とす。祝宴変じて惨事とな
る。

真相を知り、嘆く小由。東蔵からは、深い母の愛情が滲み出る。好演。吉右衛門から
は、忠義と愛情の板挟みの苦渋が窺える。「天下(てんが)のためでござるよぞ」と
絞り出すように言う吉右衛門の科白廻しが、胸に響く。哀しみに耐えながら、若い夫
婦の首を取り納める有常。「妹背山婦女庭訓」の大判事清澄ように、「御所桜堀川夜
討」の弁慶のように(弁慶の娘も信夫という名前だった)、両脇に赤と白い布でそれ
ぞれ包まれた首を両脇に抱え込む父親の悲哀が伝わって来る。歌舞伎では幾度、幾人
の父親たちが哀しみをこらえただろうか。

上手の離れの障子が開き、匿われていた在原業平(染五郎)と井筒姫(菊之助)が、
正装した姿を見せる。自分たちの身替わりになった若い夫婦の死を悼む。この様子を
物陰で窺っていた銅鑼の鐃八が上手から現れ、事の次第を訴人しようと駆け出す。花
道に行った辺りで、有常が放った手裏剣で倒される。神鏡は有常が在原業平に手渡
す。長袴の裾を階に掛けた吉右衛門を軸に、皆々、引張りの見得にて、幕。

吉右衛門は、2006年から秀山祭を毎年9月に上演するようになって、秀山祭を軸
に前後の時期を初代吉右衛門(1886年〜1954年)が得意としたゆかりの演目
を熱心に上演している。60年以上前に没した初代の藝を継承し、観客にも馴染んで
もらおう、としているのが、伝わって来た。
- 2015年9月7日(月) 12:55:40
15年08月歌舞伎座 (第三部/「芋掘長者」、「祇園恋づくし」)


新歌舞伎二題


「芋掘長者」は、2回目。今回は、十代目坂東三津五郎追悼。大正時代に生まれた新
舞踊劇。六代目菊五郎と七代目三津五郎のために岡村柿紅が作った。その後何回か再
演されたが、1960年以降、途絶えていた。さらに、10年前の2005年5月・
歌舞伎座で坂東三津五郎が上演音源を下に新たな振付けをして、45年ぶりに復活上
演をした。この舞台を私は観ている。前回は六代目が演じた芋掘藤五郎を十代目三津
五郎が演じ、七代目三津五郎が演じた治六郎を橋之助が演じた。今回は芋掘藤五郎を
橋之助が演じ、治六郎を三津五郎嫡男の巳之助が演じる。今後の楽しみは巳之助が父
親の背中を追って踊り上手になるかどうか。

長者の松ヶ枝家息女・緑御前(七之助)に恋した藤五郎(橋之助)が、「日本一の舞の
上手」と偽って、婿選びの舞い競べに参加し、舞の巧い、友人の治六郎(巳之助)の助
けを借りながら、一拍遅れて、おもしろおかしく舞ってみせるというのが、ミソ。舞
い競べに参加した名手としては、兵馬に国生(橋之助嫡男)、左内に鶴松が出演し、
藤五郎らと競う。松ヶ枝家の後室に秀調、腰元に新悟(弥十郎嫡男)。
 
同じ岡村柿紅作の「茶壺」という舞踊劇が、一拍遅れて振りをまねる場面があるが、
作劇の発想は、同じだろう。ズレが生み出す笑い。

落ちは、踊りの下手さに自ら我慢できなくなった藤五郎が、生活実感のある得意の芋
掘り作業の様子をなぞる「芋掘り踊り」を踊りだした結果、緑御前に舞の名手より、
芋掘りの名人の藤五郎に添いたいと言い出す辺りは、三島由紀夫原作「鰯売恋曳網」
の鰯売りの猿源氏と螢火、実は丹鶴城の姫君との恋に似ている。メルヘンチックな愉
しい舞踊劇。


「祇園恋づくし」は、初見。「祇園恋づくし」は、1928(昭和3)年7月歌舞伎座
初演の竹柴金作原作「祇園祭禮人山鉾(ぎおんまつりひとのやまぼこ)」で、六代目尾
上菊五郎、二代目實川延若の初顔合わせとなった。古典落語「祇園会」を下敷きにし
た新歌舞伎。

その後、宇野信夫が改訂、1957(昭和32)年4月歌舞伎座で再演した。十七代目
勘三郎と二代目鴈治郎の組み合わせだった。さらに、1997(平成9)年9月京都南
座での上演で、小幡欣治が宇野版を元に留五郎と次郎八のふたりを軸に絞って新たに
書き下ろした。勘九郎時代の勘三郎と三代目鴈治郎時代の坂田藤十郎という顔合わせ
となった。鴈治郎が、京男の大津屋次郎八と女房のおつぎの二役。勘九郎が東男の留
五郎と芸妓染香の二役。

今回は小幡版の再演となる。勘三郎長男の当代勘九郎と藤十郎次男の扇雀がチャレン
ジする。今回は扇雀のみ二役早替り。

見どころは、京男対東男。京女対東男。お国言葉の喧嘩 → 結局は、お国自慢。若
い男女の駆け落ち噺が仲直りの元となるコメディー。

場の構成は以下の通り。第一幕第一場「京都三条大津屋次郎八の家」、第二場「高台
寺下岩本楼の座敷」、第三場「薬師堂の境内」。第二幕第一場「京の街/岩本楼の座
敷」、第二場「四条河原料亭」。

初見なので、筋書も含めてきちんと記録しておきたい。
第一幕第一場「京都三条大津屋次郎八の家」。大津屋は茶道具を商っている。数日前
から逗留している男は江戸の指物師留五郎(勘九郎)。伊勢参りに来たついでにと京の
祇園祭見物を次郎八に誘われたのだ。言葉が通じない留五郎は江戸に帰りたがってい
る。次郎八女房・おつぎ(扇雀)の美人の妹・おその(鶴松)を見初めたこと、おつぎに
次郎八の浮気封じを頼まれたことで、もう暫く京都に滞在することにした。

同   第二場「高台寺下岩本楼の座敷」。次郎八(扇雀)は、岩本楼の女将(高麗蔵)に芸
妓・染香(七之助)との逢引の仲介を頼んでいる。染香は、別に思い人がいるらしく次
郎八には関心がないらしい。そこへ、ある女が乗り込んで来る。大津屋の得意先の一
つ持丸屋の女房・おげん(歌女之丞)。亭主の浮気の現場を押さえようとやって来たの
だが、空振り。居合わせた次郎八に嫌味を言って帰って行った。

同   第三場「薬師堂の境内」。その翌日。留五郎はおそのに薬師堂に呼び出された。
おそのの相談は、留五郎に一緒に江戸に連れて行って欲しいということだった。自分
の女房になりたいことだと勝手に勘違いした留五郎は承諾する。おそのは陰に隠れて
いた手代の文吉(巳之助)を連れて来て、留五郎に礼を言う。江戸への恋の逃避行の道
案内の要請に過ぎなかったのだ。東男は、京女の勝手な要望のために知恵を巡らし、
手筈を考える羽目になる。

第二幕第一場「京の街/岩本楼の座敷」。本舞台は祇園会の山鉾のイメージ映像。花
道には、おそのと文吉。留五郎の手筈を不安がる文吉を励ますおその。宇野版らしく
恋は女性主導。一方、岩本楼では、おつぎ(扇雀)が染香と直談判。染香は次郎八には
自分は関心がない。次郎八の好みも若い舞妓だと告げる。次郎八が舞妓の「襟替え」
(資金援助)などと言い出すと大津屋の身代が傾くとおつぎは心配する。染香は次郎
八の浮気封じに協力すると申し出る。おそのと文吉が岩本楼に到着。おつぎに染香の
ことを知らせ、自分たちの仲を認めさせようと仕掛けたのだ。留五郎の手筈とはこれ
だったのだ。おつぎは仕掛けに乗らずに帰ってしまう。そこへおつぎの直談判を知り
慌てた様子の次郎八(扇雀)がやって来る。

贅言;扇雀の早替りの場面だ。扇雀は、化粧は変らず、眉と鬘と衣装を替えることで
女から男へ、男から女へと、早替りをして見せる。

次郎八は、若いふたりの仲も認めるし、おつぎの直談判も認めるが、手筈の知恵を出
した留五郎だけは許せないと怒り出す。

同   第二場「四条河原料亭」。祇園会の山鉾の巡行の日。持丸屋の主人・太兵衛(弥
十郎)が、四条河原町の料亭の川床(ゆか)を借り切って次郎八と留五郎を招いて一席設
けたのだ。それぞれ遅れてきた次郎八、留五郎は喧嘩を始める。互いに京都と江戸を
貶し合う。逆から見れば、お国自慢という喧嘩。言いたいことを言わせてふたりを宥
め、頃合いを見て、おそのと文吉を呼び入れる太兵衛。年の功の手際。若いふたりの
仲を認め、仲人を買って出ると告げる持丸屋主人。次郎八と留五郎は仲直りの盃を交
わす。さすが持丸屋。「いよ、大和屋!」。太兵衛の株も上がる。メデタシメデタシ
かな、というタイミングで持丸屋の女房おげん(歌女之丞)が、乗り込んで来る。太兵
衛の浮気の相手の詮索だ。強い女房の追及に逃げ隠れする持丸屋主人。落語らしいオ
チにて、幕。

少しだけ、役者論。
勘九郎は、テンポのある早口の江戸弁が売り物の留五郎を演じたが、父親の勘三郎の
ように染香との早替り二役は演じられない。芸妓・染香は勘九郎の弟、七之助が演じ
る。今回は扇雀の二役が楽しめた。亭主の浮気を悔しがるおつぎの場面で暗転。次の
場面でも、染香に別の男がいたと知り悔しがる次郎八の場面で暗転。そういう演出で
客席を湧かせて笑わせていた。七之助は、クールな染香をきちんと演じていた。この
人は、このところ力を付けてきた。

おそのを演じた鶴松は虎之介(扇雀嫡男)病気休演の代役として抜擢。勘三郎の、いわ
ゆる「3番目の息子」。野田版鼠小僧のオーディションで、勘三郎の目に留まり、部
屋子として精進させられて来た。厳しいが愛情溢れる良い師匠に恵まれて大きな役者
に育ち始めたようだ。

弥十郎は、こういう役は適役。分別とおかしみの両方に味がある。歌女之丞は、弥十
郎の相方として、相手の味を出させ、己の味も引き出す。ベテラン役者ならではの味
付けだ。
- 2015年8月29日(土) 9:44:29
15年08月歌舞伎座 (第二部/「ひらかな盛衰記」、「京人形」)


「ひらかな盛衰記」。今回の見どころは、8月公演の納涼歌舞伎とあって、50歳に
なる橋之助が満を持して樋口次郎兼光を初役で勤める、ということだろう。

「ひらかな盛衰記〜逆櫓〜」は、私は、6回目の拝見となる。江戸庶民に馴染みのあ
る通俗日本史解説という趣向の芝居だ。平家と木曽義仲残党、それに源氏の三つ巴の
対立抗争の時代。全五段の時代浄瑠璃の三段目が、通称「逆櫓(さかろ)」といい、
歌舞伎では、良く上演される。

この芝居で、軸となるのは、松右衛門、実は樋口次郎兼光とともに松右衛門の義父と
なる権四郎だろう。私が観た樋口次郎は、幸四郎(3)、吉右衛門(2)。今回は橋
之助。また、私が観た権四郎は、左團次(2)、又五郎、歌六、段四郎、そして、今
回の、弥十郎。かっては、松右衛門も演じたことがある初代吉右衛門が権四郎を良く
演じた。その方が正解だろうと私は思う。八代目三津五郎、三代目権十郎も良く演じ
た、という記録がある。

当代の樋口役者の幸四郎、吉右衛門とも、母方の祖父という所縁の初代吉右衛門の当
たり狂言とあって、気の入った演技で、いつも臨む。それだけに初挑戦とは言え、橋
之助の樋口の出来具合は、吉右衛門、幸四郎に連なる今後の時代もの役者への真価が
問われる。

船頭に身をやつしている松右衛門、実は樋口次郎兼光(木曽義仲残党)で、亡くなっ
た主人木曽義仲の仇として義経を討とうとしている。樋口次郎は、歌舞伎でいうとこ
ろの「やつし事」。「やつし事」のポイントは、仮の姿から本性を顕わすくだりだ
が、それを、橋之助は如何に演じたか。
 
第一場「福嶋船頭松右衛門内の場」。旅先で源平の争いに巻き込まれ、孫の槌松(つ
ちまつ)と義仲の一子・駒若丸を取り違えて連れてきてしまった松右衛門(橋之助)
の義父・権四郎(弥十郎)。槌松として育てられている駒若丸のことを聞き付け、駒
若丸を引き取りに来た腰元・お筆(扇雀)は、槌松が、駒若丸の身替わりに殺された
ことを告げる悲劇の使者でもあった。それを受けて、松右衛門、実は樋口次郎が絡む
場面が、第一場後半の見せ場となる。
 
樋口:「ハテ、是非もなし。この上は我が名を語り、仔細を明かした上の事。(駒若
丸をお筆に抱かせ、上手へやり、門口(木戸)をあけて、半身を木戸の外に乗り出し
て、周辺に敵はいないかを見定めるため表を窺いながら)権四郎、頭(ず)が高い。
イヤサ、頭(かしら)が高い。天地に轟く鳴るいかずちの如く、御姿は見奉らずと
も、さだめて音にも聞きつらん、これこそ朝日将軍、義仲公の御公達駒若君、かく申
す某(それがし)は、樋口の次郎兼光なるわ」。
 
橋之助は、声量があるので科白に迫力があるが、喉声で口の中に響き、横隔膜に響き
渡っていないので、セリフのメリハリが聴き取りにくい。

立役の名場面のひとつだが、松右衛門2度目の出で、上手障子を開けると、衣裳を変
えて、顔に隈を入れている。すでに、樋口次郎の形、心なのだ。そして、やがて、顔
つきも声音も変わって、科白廻しも世話から時代に変わって、メリハリをつける。ま
た、世話に戻る。歌舞伎役者には、堪えられない科白廻しが続く場面だ。こういう科
白廻しは、吉右衛門が巧い。橋之助は、今回の初演に当って、幸四郎に教えを請いた
という。

弥十郎、亀蔵、高麗蔵は、納涼歌舞伎のような、若手主体の歌舞伎公演では脇や老け
役で必須となる。若手中堅は、納涼歌舞伎でいつもより上を目指して大きな役に挑戦
する。しかし、大歌舞伎の舞台ではないので、相手役や脇役は、胸を貸すというよ
り、若手の相手役を勤める、ということになってしまいがちである。本当は相手役や
脇役も一段上を目指す演技で対抗してくれると良い。若手はそこを踏まえた上で、舞
台で研鑽をし、次のステップの大歌舞伎でベテランに胸を借りて、大きく伸びる、と
いうことになるだろう。

権四郎役が実は難しい。権四郎は、現役を聟の松右衛門に譲って、孫と暮らしてい
る。駒若丸の身替りに殺された槌松、愛憎渦巻く中、駒若丸を我が孫として、育てて
行こうとする祖父の権四郎は、複雑な事情のキーマンとなるだけに、難役である。

今回を含めて、私は左團次、又五郎、歌六、段四郎、弥十郎と、5人の権四郎役者を
見たが、これがなかなか難しいのである。7年前の、08年9月の歌舞伎座で演じた
歌六が印象に残るほかは、今回の弥十郎を含めて、もう一つという感じだ。
 
権四郎は、ある意味では、樋口より立派な役柄なのだと、思う。さまざまな脇の老け
役で、このところ滋味を出している歌六は、この時の権四郎も、難役なのに、過不足
なく演じていて、良い権四郎になっていた。以前観た左團次の権四郎が、力が入りす
ぎていて、ややオーバーな演技になっていた。段四郎も今回の弥十郎も、初役で、権
四郎を勤めた。権四郎役者は「鼻拍子」という、漁師、船頭、馬子の役者独特の高い
声を出す工夫が必要という。
 
何より大事なのが、権四郎の駒若丸に対する愛憎の変遷を的確に出すことだと思う。
権四郎の気持ちは複雑なものがある。駒若丸のために、実の孫の槌松は殺されてい
る。一度は、駒若丸を返せと言って来たお筆の態度に対して、怒りを覚え、孫が身代
わりになった故、駒若丸を殺そうとさえ思った。にもかかわらず、子供の命というも
のを大切に思い、最後は、自分の機転で、「よその子供」である若君を助ける。愛憎
を超えて、幼い子供を守ろうと権四郎は、源氏方の追尾から駒若丸を助けるために、
畠山重忠(勘九郎)に訴え出て、自ら、再び駒若丸を槌松と思い込むことで、駒若丸
の命を守る。
 
そこには、樋口のような「忠義心」があるわけではない。権四郎には、孫と同様な若
君といえど、「子供」の命に対する、封建時代を超えた愛の普遍性があるのだと思
う。そういう器の大きさが、権四郎役者は、表現しなければならないと思う。

そういう権四郎の気持ちを理解して、樋口は若君を守るために、何も言わずに死んで
行こうとするのである。当代吉右衛門も、いずれ、権四郎を演んじてはくれないか。
 
女形では、お筆の扇雀も、女武道で、科白にもあるとおり「女のかいがいしく、後々
まで御先途を見届ける神妙さ」という賢い女性を演じていた。

第二場「沖中逆櫓の場」では、浅葱幕の振り落としで、船中の場面(これを、子供の
「遠見」で表現する演出もある)。船を載せた浪布の台。櫓の稽古に合わせて台の前
と後ろを浪布が左右に動いて、櫓と海の流れを巧みに表現していた。松右衛門、実は
樋口次郎は、船の上で「逆櫓」(櫓を逆に立てて、船を後退させる方法)を船頭たち
に教えている。船中の立回りの後、浪幕(浪を下部に描いた道具幕)の振り被せで、
場面転換。千鳥の合方。再び、浪幕の振り落としで、第三場へ。浜辺に戻っても両者
の争いは続く。

第三場「浜辺物見の松の場」。櫓を持った24人の船頭たちが、樋口次郎相手に演じ
る大立ち回りは、迫力充分。樋口を真ん中、船頭の背中に乗せて、それを取り囲むよ
うに、手に持った櫓で、大きな船の形を本舞台一杯に描く。殺陣師の冴え、洗練され
た美意識が、ここにはある。それだけに、大部屋役者の船頭たちの立ち回りにも力が
入っている。

見せ場は、遠寄せの陣太鼓を受けて、樋口次郎は、大きな松に登り、大枝を持ち上げ
ての物見、という名場面。

贅言;松右衛門が松の大木の太い枝を持ち上げて、彼の怪力ぶりを示すが、その際、
実は、松の後ろにいる黒衣が紐で松の枝を持ち上げている。総合芸術の歌舞伎のおも
しろさは、役者も黒衣も息を合わせた、こういう連係プレーにある。
 
遠寄せの陣太鼓は、樋口を捕らえる軍勢の攻めよる合図だった。権四郎が若君を連れ
ていながら、若君の正体は隠し、代りに松右衛門の正体を樋口次郎だとばらすこと
で、畠山重忠に訴人する。捨て身で、駒若丸を救うという奇襲戦法に出たのだ。樋口
次郎危うし、被害を最小限度にとどめてと思っての権四郎の機転が、槌松・駒若丸
の、いわば二重性を利用して、「娘と前夫の間にできた子・槌松」を強調して、駒若
丸を救うことになる。子供の取り違えを、「逆櫓」ならぬ、「逆手」にとって若君を
救うという作戦である。樋口も、権四郎の真意を知り、かえって、義父への感謝の念
を強くして、己の死を了解するという場面だ。
 
武士にできなかったことを、実の孫を犠牲にしながら、さらに、その恨みを消しなが
ら、一庶民の権四郎が成し遂げる。そうと知って、納得して、おとなしく縄に付く樋
口次郎。事情を知っていながら、権四郎の思い通りにさせる畠山重忠。それぞれの器
量の大きさを見せる場面が、続く。

そういう封建時代に、封建制度の重圧に押しつけられてきた江戸の庶民の、大向こう
受けするような芝居が、この「逆櫓」の場面なのだ。人形浄瑠璃や歌舞伎に多い「子
殺し」という舞台が連綿と続く歌舞伎・人形浄瑠璃の世界の中で、権四郎のような人
物に出会うと、私はほっとする。きっと、江戸の庶民たちも、こういう武家社会の道
徳律には、従いながらも、反発していただろう。「忠義」よりも、「子供」への愛
情、歌舞伎が時代を超えて、いまも、観客に共感される秘密は、ここにあるのでは、
ないか。


「銘作左小刀 京人形」は、4回目の拝見。これまでの3回は、02年5月、05年
8月の歌舞伎座。11年10月新橋演舞場。甚五郎は菊五郎、橋之助、市川右近、そ
して今回は勘九郎。京人形の精は、菊之助、扇雀、笑也、今回は七之助。
 
幕が開くと、左甚五郎宅。二重舞台中央に大きな木箱。京人形と書いてある。木箱の
隣には、茶色地に白抜きで、柳の木が染め抜かれた暖簾がかかっている。座敷下手の
奥の棚に、12体の小振りな木彫り人形。なかには、半分しか掘られていないものも
ある。棚の下には、彫り物の道具箱とちょうな、木槌などの道具がある。すべて、彫
物師宅の体。本舞台下手には、霞幕。
 
花道から、左甚五郎(勘九郎)が、帰って来る。迎える女房のおとく(新悟)。
勘九郎の科白をきっかけに、霞幕がはずされ、下手山台の上で常磐津が始まる。
 
甚五郎が木箱の蓋を開けると、ひとりでに出て来る京人形(七之助)は、華麗であ
り、さらに女の命という手鏡を人形の胸元に入れると、恰も電池を入れたロボットの
ように、活発に動き出す趣向が見せ場。等身大の木彫り人形は、左甚五郎が見初めた
京の郭の遊女・小車太夫に似せて作ったものだ。しかし、男の名人が魂を入れて作っ
た、左甚五郎入魂の人形だけに、命を吹き込まれると同時に、男の気持ちも人形の中
に封じこまれてしまった。それが、小車太夫の手鏡を胸元に入れることで女っぽくな
る。人形の動きは、男女の所作を乗り入れている形だ。七之助の人形ぶりは、そうい
う男と女の、いわば、「ふたなり」のような奇妙なエロチシズムが滲み出している。
そういう寓話的で不思議な所作事だ。

下手、霞幕で隠されていた常磐津連中の「よそごと浄瑠璃」に続いて、屋体の上手、
障子も開くと長唄連中の登場。京人形と生身の左甚五郎の対称的な所作事が常磐津と
長唄の掛け合いで繰り広げられる。

この後、甚五郎と大工たちとの立ち回りは、所作立てで、大工仕事の道具を入れ込み
ながらさまざまな仕方をコミカルな踊りで表す。
 
京人形とのやりとりは、人形を箱に納めてしまえば、終り。匿っていた井筒姫の話
に、舞台は、唐突に展開する。井筒姫(鶴松)を逃がす甚五郎なのに、仇と勘違いし
た井筒姫の下男・奴照平(隼人)が、甚五郎の右腕を斬り付ける。誤解はとけて、井
筒姫を照平に託すことになるが、これ以後、甚五郎は、左手だけで彫り物を作るよう
になり、やがて、左甚五郎と呼ばれるようになるという、甚五郎名前の由来話に結び
つく。ただし、「左」という姓は、木工の内匠(たくみ)の多い「飛騨」出身という
地名が、訛ったものという説もある、という。
- 2015年8月29日(土) 9:36:46
15年08月歌舞伎座・納涼歌舞伎 (第一部/「おちくぼ物語」、「棒しばり」)


若返った納涼歌舞伎の舞台の見どころ


今年の納涼歌舞伎は、いちだんと若返った。歌舞伎役者の中堅から上の世代が亡くな
り、世代交代が進んだ。第一部の「棒しばり」は、今年の2月に亡くなった十代目三
津五郎に「捧ぐ」という副題がついている。去年の納涼歌舞伎には、第三部の「勢獅
子」に病の小康状態と診て、三津五郎も鳶頭で出演していた。しかし、半年後には、
亡くなってしまった。

本来、歌舞伎座の納涼歌舞伎は、中堅を目指す若手の研鑚の舞台であり、一頃は、勘
三郎(12年12月没)、三津五郎(15年2月没)らが、前名時代の勘九郎、八十
助などの名前で出ていた。その後も、十八代目勘三郎や十代目三津五郎を襲名しても
出ていたので、納涼歌舞伎の格がいちだんと高くなっていた。今回の顔ぶれを見る
と、上置きは、橋之助、扇雀で、脇を固める中堅に弥十郎、秀調、高麗蔵が顔を見せ
ていて、若手は、勘九郎・七之助の中村屋兄弟(勘三郎の長男・次男)、三津五郎の
嫡男・巳之助ら。ほかは、納涼歌舞伎より更に世代が下の浅草歌舞伎でも若手だった
新悟(弥十郎の嫡男)、隼人(錦之助の嫡男)、児太郎(福助の嫡男)、国生・宜生
(福助の長男・三男)などという若返りぶりだ。二段くらい若返ったような印象だ。
これが若手の、より上を目指すチャレンジのためのチャンスの場となると歌舞伎界に
とっても、良いことだが、正直、観客の一人としては懸念材料でもある。


第一部は、まず、新作歌舞伎の「おちくぼ物語」から。2回目の拝見。前回は、14
年前、2001年10月歌舞伎座。この芝居は、一種の「シンデレラ物語」。継母や
腹違いの妹たちから虐められるおちくぼの君。そういう姫に同情を寄せる家来の夫
婦。後妻に頭の上がらない実父。家来の夫婦が、姫に貴公子・左近少将を引き合わ
せ、結局、ふたりは結ばれるという、喜劇タッチの話。宇野信夫が1959(昭和3
4)年におちくぼの君・六代目中村歌右衛門、左近少将・八代目松本幸四郎で、書き
下ろした王朝ものの新作歌舞伎で、初演時演出も担当したとある。宇野歌舞伎は、定
評の「曾根崎心中」の「お初」という女性像の描き方に代表されるように、戦後の
「女性の自立」を主張するものが多いが、この宇野版「おちくぼ物語」もおちくぼ姫
の自立を描く。

芝居の「おちくぼ物語」は、客席が暗転したまま舞台が進行するので、くらい客席で
は、メモが取れないので、記憶に基づいて劇評を書くことになる。

まず、気になる「おちくぼ」の名の由来は、舞台装置を見ればわかる。上手に源中納
言の屋敷(寝殿ほか)がある、という想定で、下手に向かって渡り廊下、階段、姫の
暮す離れの陋屋、下手は庭、という大道具の配置となる。継子の姫を苛める継母や異
母妹たちは、上手の屋敷から渡り廊下を通り、階段を降りて来る。つまり、姫の離れ
は、屋敷内の落ちくぼんだ所に建てられている、というわけだ。

幕が開くと、第一幕第一場「床の低い落ちくぼんだ部屋」。そこで独りで縫い物をし
ている若い女性が、姫ということだ。因に、この芝居の場の構成を記録しておこう。

第一幕第一場「床の低い落ちくぼんだ部屋」、第二場「阿漕の部屋」。第二幕「姫の
部屋」。第三幕第一場「寝殿」、第二場「邸内の隅にある部屋」。第三場「中庭」。
場面展開は、暗転で切り替え。第三幕第二場「邸内の隅にある部屋」から第三場「中
庭」へは、薄暗い暗転の中、大道具が廻った。

前回と今回の主な配役。姫(おちくぼの君):福助、今回は七之助。左近少将:新之
助時代の海老蔵。今回は、隼人。継子苛めをする継母の北の方:上村吉弥、今回は高
麗蔵。気の弱い実父の源中納言:前回、今回とも坂東弥十郎。家来の帯刀:愛之助、
今回は、巳之助。その妻阿漕:中村芝のぶ、今回は、新悟。典薬助:錦吾、今回は亀
蔵ほか。

「おちくぼ物語」は「シンデレラ物語」同様、登場人物のキャラクターが、ハッキリ
と描きわけられているので、判りやすい。継子苛めの物語だが、それを姫と貴公子の
恋の物語を基軸にした喜劇仕立てにしている。

先妻との間にできた娘(姫・七之助)に対して父親としての愛情を秘めながら、気の
強い後妻の尻に敷かれているので、直接的な愛情表現が出来ないという気の弱い父
親・中納言の弥十郎が相変わらず味を出していて、14年前の水準を維持していて好
演。北の方の高麗蔵も憎まれ役の継母を巧く演じていた。姫を支える夫婦の帯刀を演
じる巳之助は、亡くなった父親に背を押されるように、研鑚に励んでいるようだ。そ
の妻・阿漕を演じた新悟は、姫思いの、性格のすっきりした女性を爽やかに演じてい
る。姫に横恋慕の中年独身男・酔いどれの典薬助(亀蔵)に気を失なった隙に飲まさ
れた酒の力を借りて、継母、異母妹らに復讐をし、幸せの王子役の左近少将に花嫁に
と迎えられ、ふたりでバージンロードならぬ花道を引揚げる姫の、メデタシメデタシ
のファンタジー。

今回の見どころは、六代目歌右衛門、四代目、五代目時蔵、菊五郎、福助、菊之助ら
が演じた「おちくぼの君」の列に七之助もついた、というところだろう。七之助が、
納涼歌舞伎の見どころ。今回、七之助は、いずれも初役で、おちくぼの君(「おちく
ぼ物語」)、京人形の精(「京人形」)、緑御前(「芋掘長者」)、芸妓染香(「祇
園恋づくし」)を演じる。


「棒しばり」。十代目坂東三津五郎追悼。「棒しばり」は、6回目。能を素材とした
演目、つまり、「能取りもの」で、松の巨木を描いた背景の鏡板(つまり、能舞台
風)のある「松羽目もの」である。盗み酒防止にと、大名によって両手を肩に担いだ
棒に縛り付けられた次郎冠者。両手を後ろ手に縛られた太郎冠者。ふたりの知恵の出
し合いで、まんまと大名の思惑を乗り越えて留守に酒を飲みあう様子をコミカルに演
じる。前回は、2年前、13年8月歌舞伎座「納涼歌舞伎」の舞台だった。次郎冠者
が十代目三津五郎。太郎冠者が当代の勘九郎であった。

私が観た配役。次郎冠者:勘九郎時代の勘三郎(2)、富十郎、染五郎、三津五郎。
そして今回は、当代の勘九郎。太郎冠者:八十助時代を含む三津五郎(2)、勘太郎
時代を含め勘九郎(2)、九代目三津五郎。そして今回は、巳之助。大名・曽根松兵
衛:弥十郎(今回含め、3)、三代目権十郎、坂東吉弥、友右衛門。

私が観た舞台だけでも、亡くなった勘三郎、三津五郎がそれぞれ交代しながら、役の
深みを極めようと精進していたように思う。今回は、父親を亡くした勘九郎と巳之助
が、父たちが名コンビと言われた演目を手がける。そこが見どころ。
父親の当たり芸を息子が如何に受け継ぐか。その辺りを見極めるのが、見どころ。次
郎冠者も太郎冠者も既に演じたことがある勘九郎が一歩先行する。巳之助の太郎冠者
は、今回、初役。両手を後ろ手に縛られた状態で踊る。「下半身さえしっかりしてい
れば、上半身は付いてくる」とは、巳之助に残した父・三津五郎の遺訓。

元となるのは、狂言の「棒縛」。これを元に1916(大正5)年、岡村柿紅作詞、
五代目杵屋巳太郎作曲、六代目菊五郎の次郎冠者、七代目三津五郎の太郎冠者、初代
吉右衛門の大名・曽根松兵衛で初演された。特に、六代目菊五郎の次郎冠者、七代目
三津五郎の太郎冠者は、それぞれ、両手が効かない状態で、それを観客に感じさせな
いような振付けを工夫した、という。

背景の鏡板が、上に上がる。左右の竹林が動く。鏡板の向こう雛壇に座った長唄連中
が姿を現す。これをきっかけに大名は一旦退場。

主人の大名の不在時に酒を盗み飲みし、酩酊するという話。あの手、この手で、手を
使わずに、踊る舞踊劇。知恵のある酔っぱらいたち。人の良い大名の叡智を超える。
初心者にも、歌舞伎の楽しさを判らせてくれる新作の大正歌舞伎の演目。

初役の巳之助ふくめ、勘九郎もともども、父親たちの芸をまず真似て、基本型をつか
み、「真似」を極めて時間をかけて醸成をし、足らざる部分を埋め、出しゃばる部分
を撓めなどしながら、何時の日か、新しい勘三郎・三津五郎の味わいのある「棒しば
り」を見せて欲しい、と思う。もうその頃には、こちらが生きていないかもしれない
が、あるいは、生きておるうちに観ることが叶うか。そういうことを夢想しながら、
ふたりの踊りに見入っていた。

哀しみの連舞。父亡き子どもたちが、芸道精進。

贅言;目を瞑ったまま、科白廻しだけを聴いていると、勘九郎の科白廻しは、勘三郎
そっくりでびっくりする。

勘九郎は、今回、3役を初役で勤めた。畠山重忠(「逆櫓」)、左甚五郎(「京人
形」)、指物師留五郎(「祇園恋づくし」)。巳之助も、4役を初役で勤めた。若手
の精進の舞台が、涼を呼ぶ。
- 2015年8月21日(金) 15:27:28
15年07月歌舞伎座 (夜/「熊谷陣屋」、通し狂言「怪談 牡丹灯籠」)


玉三郎と中車の競演・「牡丹灯籠」の変遷


「熊谷陣屋」は、19回目。熊谷陣屋ではお馴染みのベテラン役者に胸を借りるの
か、初役の海老参入。吉右衛門の指導を受けたという。

今回の配役は、以下の通り。

熊谷直実:海老蔵、相模:芝雀、藤の方:魁春、源義経:梅玉、弥陀六:左團次、堤
軍次:九團次、梶原景高:市蔵、四天王(巳之助、種之助、廣松、梅丸)。

この顔ぶれを見れば、熊谷陣屋の配役では、お馴染みの実力派の顔ぶれに混じって、
海老蔵の直実がいるという感じだろう。海老蔵の直実は、初役。手慣れたベテラン役
者に胸を借りながら、「直実役者たる」を目指して海老蔵が船出した、ということな
のだろう。

この21年間に私が「熊谷陣屋」を観たのは、今回で19回になる。私が観た直実
は、圧倒的に多いのが幸四郎で、9回。吉右衛門(4)、仁左衛門(2)。ほかは、
八十助時代の三津五郎、團十郎、松緑(仁左衛門代役で、急遽、初役で演じた)、そ
して今回が初役の海老蔵となる。7人の直実を観てきた。「熊谷陣屋」は高麗屋、播
磨屋の芝居なのだ。

海老蔵初役の直実は全体的に荒削りで、外形的な直実をなぞっているだけのように見
受けられた。直実は、上司・義経の意向を推測して確信犯として、平敦盛の身替わり
に須磨の浦で息子の小次郎を殺している。そういう原罪意識に苛まれながらも、それ
を抑圧して耐えている。敦盛の母・藤の方、我が妻・相模を騙し、上司の義経には、
首実験の「答案用紙」を提出し、それに合格すると、妻を残して出家してしまう(小
次郎の霊を弔う、という想定)。この部分は、外形的な芝居のほかに内面の描写こそ
が、必要になる。海老蔵の肚の芸(内面描写)は、まだまだ。今後の精進が望まれ
る。父を目指せ、と言いたいが、團十郎も、熊谷陣屋の直実は、海老蔵時代を含め7
回(新橋演舞場、大阪中座、名古屋御園座=2、歌舞伎座、金丸座、国立劇場)演じ
ている。歌舞伎座での上演は、1988年、27年前に1回だけだ。私は、團十郎の
直実を12年3月国立劇場でかろうじて1回だけ観ている。團十郎は、翌13年2月
には、病没することになるので、貴重な直実であった。海老蔵の直実への道は、かな
り険しそうだが、山坂多い道を登って行かれよ。成田屋!

贅言・1;團十郎の直実を私が観た12年3月の国立劇場は、開場45周年記念「一
谷嫩軍記〜流しの枝(え)・熊谷陣屋」版という珍しい上演であった。「陣門・組
打」を上演せず、代わりに「流しの枝」を上演した。構成は、次の通り。序幕「堀川
御所の場」、二幕目「兎原里(うばらのさと)林住家の場」(通称「流しの枝」)、
三幕目「生田森熊谷陣屋の場」となる。このうち、序幕「堀川御所の場」は、98年
ぶりの復活。二幕目「流しの枝」は、37年ぶりの上演であった。

贅言・2;堤軍次役に九團次の名がある。多くの人は、この人誰だろうと思ったので
はないか。去年から市川道行の名で歌舞伎に出演していた元の坂東薪車は、今回、九
團次名で歌舞伎座初出演。九團次は昼の部は、「切られ与三」の「見染め」の鳶頭
役。夜の部は、「牡丹灯籠」の新三郎役。昼夜で都合、3役で出演。本名鈴木道行。
元の坂東薪車(前名は、竹志郎)。上方歌舞伎の坂東竹三郎の芸養子。師匠に黙っ
て、秋元道行という役者名で現代劇(歌舞伎以外のほかのジャンルの芝居)に出演を
したという理由(?)などで、14年1月芸養子解消(つまり、破門?)。14年9
月、市川海老蔵の門弟になる。歌舞伎界は表向き動きは無く、その後、従来の幹部役
者のまま、市川道行という名前で、海老蔵門下の芝居には出演していた(新・歌舞伎
座にも出演。筋書の「今月の出演俳優」という写真付きの一覧表に掲戴)。更に、1
5年1月新橋演舞場の「石川五右衛門」に四代目市川九團次襲名披露(但し、「口
上」などがあったのかどうかは、知らない)、「ヌルハチ」役で出演した。2月は、
海老蔵の父親の團十郎の3回忌。市川宗家とはいえ、門下の役者が少ない成田屋。そ
れを控えて襲名したのか。市川九團次は、左團次系(高島屋)の名跡で、60年ぶり
の復活。三代目まで、余りわからない。脇役だったのだろう。屋号は、高島屋。海老
蔵は、07年に自宅の風呂場で転倒して大怪我を負い、休演したことがある。その時
に代役に立ったのが薪車だった、という。海老蔵がその時の借りを返す気持ちがあっ
たのかどうかは、知らない。但し、今回も筋書の楽屋話では、九團次は取り上げてい
ない。筋書の「今月の出演俳優」という写真付きの一覧表には掲戴となっている。


新七版→大西版→玉三郎・中車版へ。物語の変遷


通し狂言「怪談 牡丹灯籠」(大西信行版)。今月の歌舞伎座の出し物では、昼夜を
通して、いちばん、見応えがあった。私が大西版を観るのは、今回で5回目。

「牡丹灯籠」と言えば、お露と新三郎のカップルの物語と思いがちだが、このふたり
は、幽霊噺のイントロというかグラビアみたいなもので、芝居の本筋のストーリーか
らは、外れている。本筋の方は、お峰・伴蔵、お国・源次郎というふた組の夫婦の物
語なのだ。圓朝原作の人情噺でも、ふた組の男女の物語が、「てれこ」に展開する
が、特に、大西版では、中でも、お峰・伴蔵夫婦の悲劇の物語がクローズアップさ
れ、主調音になっている。

実は、歌舞伎の「牡丹灯籠」には、大西信行版の「怪談 牡丹灯籠」と三代目河竹新
七版の「怪異談牡丹灯籠」のふたつがある。原作は、いずれも圓朝の人情噺という落
語だ。

河竹新七版を私が観たのは、02年9月、歌舞伎座。配役は、次の通り。伴蔵・幸助
(原作は、孝助)のふた役:吉右衛門、お峰・お国のふた役:魁春、新三郎:梅玉、
お露:孝太郎、源次郎:歌昇、お米:吉之丞ほか。

河竹新七版の粗筋は、以下の通り。テーマは、忠義の若頭の敵討。

前半が、飯島家の話。飯島平左衛門の妾・お国と平左衛門の甥・源次郎の不義と平左
衛門と忠義の若頭・幸助との因果噺にお露・新三郎の怪談噺が、「てれこ」に展開す
る。後半が主人思いの幸助の古風な仇討ものとも言える忠義噺にウエイトを置いて、
それに伴蔵のお峰殺しが入り込む。

この時、伴蔵、幸助のふた役を演じた吉右衛門は、男の悪と忠義を対比的に演じ分け
ていた。伴蔵、幸助という悪党と忠僕の両輪が、「てれこ」になり、幕末の廃頽を色
濃く残しながら、大河のごとく、流れるドラマだ。魁春も、お峰、悪女お国を早替り
でふた役。欲に取りつかれたお峰・伴蔵の夫婦の人間像は、歴史の大河の中で浮き沈
むという、普遍的な庶民像だったのだろう。

大西版と新七版との大きな違いは、飯島家のお家騒動(主人・飯島平左衛門の裏をか
いて、妾のお国が、隣家の次男で、主人の甥の宮野辺源次郎と不義密通の果てに、お
家を乗っ取ろうとする)の取扱いだ。主家殺しの真相を嗅ぎ付け、平左衛門の若頭・
幸助が敵討ちをするという話が大西版では、省略されている。
平左衛門の娘のお露は、萩原新三郎との結婚を平左衛門に反対され、恋煩いで死んで
しまう。お露の死霊に取り付かれた新三郎も、やがて、殺されてしまう。飯島家のお
家騒動ものの副筋という位置づけだ。誰もが知っている牡丹燈籠のカランコロンとい
う下駄の音で、鬼気迫る場面で有名な噺は、落語で言えば、ちょっと長めの枕という
ところ。

通し狂言「怪談 牡丹灯籠」は、1974(昭和49)年7月に文学座のために、大
西信行が書き下ろした。お峰・お米を杉村春子が二役で演じた。新作歌舞伎として歌
舞伎役者だけで演じたのは、1989(平成元)年6月、新橋演舞場の舞台だった。
以来、大西版の上演は、今回で、8回目。「怪談 牡丹灯籠」という外題は、元々、
原作である圓朝の人情噺(怪談噺)のもの。1884(明治17)年、圓朝は、中国
の怪異小説を元に江戸の世話物の世界に移し変えて、人情噺を作り上げた。ところ
が、歌舞伎の外題は、三文字、五文字、七文字などと、奇数で構成するところから、
人情噺が、三代目河竹新七(黙阿弥の弟子)によって歌舞伎に移された1892(明
治25)年の時点で、「怪異談牡丹灯籠」と七文字外題になった。新七は、五代目菊
五郎のために書き下ろした。

今回の場の構成は以下の通り。本来の大西信行版とは、かなり構成が変わっている。
なぜか。それは、後述。

第一幕「大川の船」「高座」「新三郎の家」「伴蔵の住居」「高座」「伴蔵の住居」
「萩原家の裏手」「新三郎の家」。
第二幕「高座」「関口屋の店」「笹屋二階座敷」「元の関口屋夜更け」。

今回の粗筋は、概略、次の通り。テーマは、欲にかられた、ある夫婦の悲劇。伴蔵の
お峰殺し。

前半は、お露・新三郎の悲恋物語。
第一幕第一場「大川の船」。舞台の背景は、川のある夜の町遠見。舟が、上手揚幕か
ら出て来る。飯島家の息女・お露(抜擢の玉朗)と乳母のお米(上村吉弥)が乗って
いる。舟を操っているのは、飯島家出入りの医者・山本志丈(市蔵)。萩原新三郎と
お露を引き合わせたのが、この医者。お露は、新三郎に恋焦がれて、恋患いとなる。
大川へ出て、気晴らしの舟遊び。

第二場「高座」。円朝(猿之助)の登場。噺は、お露・新三郎の恋物語。父親の平左
衛門に新三郎との結婚を反対され、気を病んで亡くなったお露。お露の後を追って、
自害した乳母のお米などを紹介する。

第三場「新三郎の家」では、新三郎(九團次)が、お露の位牌に日夜線香を手向けて
いる。盆の十三日。回向の用意をする新三郎をお露・お米が、訪ねて来る。死んだは
ずが、まだ、健在というふたり。死霊と知らずに、騙されて、お露らを座敷に導き入
れる新三郎。お米は、新三郎とお露に枕を交わすように勧める。ふたりは、上手の障
子の間へ。丸い窓障子からふたりの情事の場面が見える。新三郎が、骸骨のお露と抱
き合っているのが見える。エロスとタナトスの交合(まぐあい)。そこへ訪ねて来た
のが新三郎の身の回りの世話をしている下男の伴蔵(中車)と志丈。ふたりは、これ
を覗き見て驚いて逃げ出す。

第四場「伴蔵の住居」。女房のお峰(玉三郎)のところへ夫の伴蔵が、戻って来る。
なにか、様子がおかしいが、伴蔵は、お峰には、何も言わない。蚊帳の中に入り込
み、お六(歌女之丞)が持ってきた酒で晩酌をする伴蔵。宙を飛ぶ牡丹灯籠。蚊帳の
なかで、誰かと話をしているらしい伴蔵。中を覗いても誰もいない。不審がるお峰。

伴蔵は、お米の幽霊と話していたという。新三郎の家のあちこちに貼ってある守り札
を剥がし、新三郎の持っている金無垢の尊像を取り上げて欲しい、と頼まれたとい
う。お峰は、その謝礼が百両と聞き、金無垢の尊像を盗めと伴蔵を唆す。再び、現れ
たお露とお米の霊にお札剥がしも請け負う伴蔵。

第五場「高座」。花道七三に高座に乗った円朝が姿を現す。伴蔵夫婦が新三郎宅に赴
き、金無垢の尊像をすり替えると説明する。

第六場「伴蔵の住居」。伴蔵夫婦は金無垢の尊像をすり替えて帰宅。すると、お礼に
と、天井から、百両が降って来る。よろこぶお峰と伴蔵。伴蔵は、再び新三郎宅へ。

第七場「萩原家の裏手」。家から梯子を持ち出した伴蔵は、ふたりの死霊の待ってい
る新三郎宅へ。こわごわと梯子を持ち出し、へっぴり腰で行く伴蔵。こういう場面
は、中車は、巧い。梯子に乗り、萩原家の高いところに貼られた守り札を剥がす伴
蔵。お札が剥がされ、ここから家の中に入る牡丹灯籠。大道具が、半廻し。

第八場「新三郎の家」。室内に入った死霊たち。お米に促されて骸骨のお露は新三郎
の上にのしかかり、首を絞めて殺す。ここまでが、前半のお露と新三郎の悲恋物語。

閑話休題。歌舞伎では、怪談噺と世話物が綯い交ぜになっていて、本筋は、世話物の
人情噺というわけだ。お露、お米の死霊に頼まれて、新三郎を守っていた死霊封じの
守り札を剥がしてやり、死霊から百両をもらった伴蔵とお峰の夫婦の後日談。これこ
そ、怪談。第二幕は、利根川ぞいの栗橋の宿場近辺に舞台が移る。この時代、悪事を
働き、江戸に居ずらくなった連中が、逃げる街道は、奥州街道・日光街道で、野州栗
橋は、まさにそのルート上の宿場。

後半は、お峰・伴蔵という、欲に取り付かれた夫婦の悲劇。
第二幕第一場「高座」。高座の円朝が、時間経過を物語る。死霊から貰った謝礼の百
両を元に関口屋という荒物屋を栗橋の宿場で営み、景気の良い伴蔵・お峰夫婦。懐に
余裕のできた伴蔵は、世間並みに浮気に走る。

第二場「関口屋の店」。かつて、新三郎の家に手伝いにきていたお六が江戸から訪ね
て来る。つまり、過去からの使者だが、気の良いお峰は、快く迎え入れてしまう。馬
子の久蔵によるチャリ場(笑劇)。悲劇のなかに、笑いをもたらす馬子の久蔵を海老
蔵が演じる。海老蔵の滑稽役も、味がある。しかし、これは、亡くなった勘三郎が巧
かった。久蔵に金をやり、酒を呑ませて、伴蔵の浮気の行状を白状させてしまうお
峰。ふたりのやり取りの滑稽味は、とても、重要である。悲劇の前の笑劇は、悲劇を
増幅する。

第三場「笹屋二階座敷」。栗橋の料理屋「笹屋」。お国(春猿)登場。二階座敷で伴
蔵は、昼下がりだというのに酌婦を相手に酒盛りをしている。現れた浮気相手のお国
と一緒に遠国へ行き、ふたりで暮そうと浮気男なら誰でも言いそうな陳腐なことを
言って、お国を口説く。お国には、足萎えの夫(宮野辺源次郎)がいるが、金をくれ
たら夫婦別れをしても良いという。お国の身の上話から、以前、お露の家、つまり飯
島家に奉公していたことが判り、慌てる伴蔵。新三郎・お露との関係は、伴蔵の過去
の弱点だからだ。

第四場「元の関口屋夜更け」。従来の大西版なら、遠雷轟く「幸手堤」、という場面
だが、ここの魅力は、歌舞伎の様式美溢れる殺し場。今回は、中車が伴蔵を演じるの
で、様式美の舞台展開は無理。関口屋での夜更けのリアルな殺し場となる。縫い物を
するお峰と傍で居眠りをするお六。ここにも、伴蔵が嫌う過去との接点を持つ女がい
る。

大道具半廻しで、関口屋の横、家外の場面。花道からお国や酌婦たちに同行されて伴
蔵が賑やかに帰ってきた。伴蔵を送り終わり、戻って行くお国たち。道具半廻しで元
の関口屋の店内に戻る。機嫌の悪くなったお峰と伴蔵の痴話喧嘩。昼間、馬子の久蔵
からたっぷり仕込んだ伴蔵の浮気の行状を言いつのるお峰。お国とは別れると伴蔵は
言う。機嫌を直したお峰と、さて、濡れ場へ、という場面で、お峰は、昼間訪ねてき
て、そのまま関口屋に泊まり込んでいるお六の話をしてしまう。過去の弱みに脅える
伴蔵が怒り出す。「出て行け」「別れるなら、百両返せ」という夫婦喧嘩になり、や
がて、殺し場へ。お露、お米の死霊がついたのか、牡丹灯籠が現れ、伴蔵に祟って来
る。伴蔵はお米が取り付いたお六を殺し、更にお露が取り付いたお峰を殺す。三角関
係の果ての妻殺しという悲劇にて、幕。大西台本を使いながら、玉三郎版は、お国・
源次郎が背景に退き、クローズアップされたお峰・伴蔵の物語に特化しているのが判
る。

従来の大西版との違い。イントロ的位置づけのお露・新三郎の悲恋物語は、同じだ
(これがないと「牡丹灯籠」にならない)が、テーマが、違う。従来は、愛欲型:妾
のお国と隣家の次男坊・宮野辺源次郎の不義密通の物語と欲深型:お峰・伴蔵の物
語、ということで、ふた組の夫婦の悲劇の物語が、綯い交ぜになっていた。新七版ほ
どではないが、歌舞伎の様式美にも拘っている構成であった。しかし、今回は、中車
と玉三郎の芝居(玉三郎演出)ということで、歌舞伎の様式美を使わずに、お峰・伴
蔵の悲劇というシリアスな人情噺に仕立てあげた。

今回は、筋がかなり省略されていて、玉三郎工夫の新しい演出になっている箇所がい
くつかある。従来の大西版に出てくる場面で、今回無かったもの。

大西版の粗筋。例えば、11年5月の明治座の舞台(基本的に勘三郎バージョンん)
を参照にすると、「大川の船」では、もう一艘の舟が出て来る。上手から出てきた飯
島家の息女・お露と乳母のお米が乗っている舟に下手から、もう一艘の屋形船が近づ
いて来る。簾と障子で、密室を作る屋形船。お互いに誰が乗っているか、知らずに、
すれ違う。屋形船が、舞台中央で停まると簾が開く。飯島家の後添えで、下女上がり
の妾・お国、飯島家隣家の次男坊・宮野辺源次郎。不義密通のふたりは、お国の夫・
飯島平左衛門殺しの打ち合わせをしている。

「平左衛門の屋敷」。お露が亡くなったことから、お国は、不倫相手の源次郎を養子
にしようとしている。取り合わない夫の平左衛門を殺そうとお国は、源次郎にけしか
ける。発情したお国と源次郎が、抱き合って、いちゃついている。そこへ、平左衛門
が現れて、不義密通の現場を押さえたとして、源次郎を手討ちにしようとするが、お
国が、平左衛門の邪魔立てをして、ふたりで、平左衛門を殺してしまう。ふたりは、
平左衛門の金を奪って、蓄電する。飯島家のお家騒動と敵討ものという新七版の尻尾
を付けている。

こういう例は、「野州栗橋の宿はずれ」(金を盗まれ、河原の蓆小屋に住む源次郎と
料理屋・笹屋に酌婦として住み込みで働くお国のふたり)、「夜の土手の道」(野州
栗橋の宿はずれの夜の場面。お国が、酌婦仲間たちと一緒に源次郎の住む河原を通り
かかる。源次郎は、足の傷の所為もあり、鬱屈している。群れ飛ぶ人魂のような、螢
に惑わされ、螢に斬りかかったはずの刀を自らの背中から身体に貫通させてしまう源
次郎。それと知らずに、暗闇の中で、源次郎にすがりつき、源次郎の腹に突き出てい
た刀に突き刺されるお国たちの悲劇)。「幸手堤」(死霊の取り憑いたお六を残して
逃げて来た伴蔵・お峰の夫婦だが、どうやら伴蔵にも死霊が取り付いているようで、
連れ出して来たお峰を伴蔵は、殺してしまう)。

贅言;大西版では、「夜の土手の道」で、お国、源次郎は螢を自分たちの不義密通に
絡んで殺してしまった平左衛門らの人魂と幻視しながら死ぬが、新七版では、忠義の
若頭・幸助にお国、源次郎が敵討にあう場面だ。

今回の芝居は、こういう場面を省略した。その結果、怪談の死霊の物語よりも、人情
噺の人間の物語の方が、おもしろく、おかしく、哀しい、と印象づける芝居になっ
た。新三郎の家に貼ってあった幽霊除けのお札を剥がして幽霊を屋内に侵入させたお
礼に貰った百両で、その後の人生ががらりと変わった下男夫婦(伴蔵、お峰)の物語
が後半の主筋となる。夜の闇の中、蝋燭や行灯の油の明りで暮していた江戸の庶民の
生活が描かれる。明りの届かない暗闇には、まだ幽霊や物の怪が動き回っていたかも
しれない時代である。螢の明りも今より明るかったことだろう。

新七版(忠義な若頭の仇討ち話)→大西版(ふた組の夫婦の悲劇)→玉三郎・中車版
(ある夫婦の悲劇。欲は身を滅ばす)へ、と物語は変遷する。

少し役者評。
玉三郎は、お峰を演じているというより、役になりきっていて、科白も自然だし、動
きも自然であった。歌舞伎役者・中車は、一所懸命、役になり切ろうと演じていた。
滑稽、好色、狡さなどの表現が巧い。浮気を巡る夫婦喧嘩が、破滅への入口となる。
どこにもある下世話噺。玉三郎・中車の芝居は、歌舞伎というより、シリアスな人情
時代劇。玉三郎と中車の初顔合わせは、良し、と出た。

今回の芝居は、大西版の、更に玉三郎・中車版のようなもの。大西版とも結末が違
う。幸手堤の場面が省略され、関口屋が犯行現場になる。歌舞伎の様式美は、中車に
は出せない。それを見抜いた玉三郎演出は上々吉。

新三郎を演じたのは、海老蔵門下に入って、初めての新・歌舞伎座出演の九團次(去
年、市川道行では、出演。今回も九團次名のお披露目は無し)であったが、まずは、
無難な新三郎であった。お露は、抜擢の京朗。儚い娘の悲劇。飯島家の乳母、その後
は、お露の下女・お米は、上村吉弥。科白廻しの怖さでは、今回随一。脇の重役のお
六を歌女之丞は、過不足無く演じていた。両肩を極端に下げ、両腕をだらりと垂れ下
げた「死霊ぶり」は、上村吉弥、京朗、歌女之丞は良し。玉三郎は手だけ、両肩が十
分に下がっていない。お国の春猿は、本来の大西版では、もっと重要な役回りなのだ
が、今回は影が薄い。この物語の相手役、源次郎は、今回は、影も形もない。それに
比べれば、まだ増しか。脇に廻った海老蔵の滑稽ぶり、馬子の久蔵役はなかなか良
かった。円朝役の猿之助も、刺身のツマのようで、残念。勘九郎時代に4回、圓朝役
を演じた勘三郎は、馬子の久蔵との二役であった。今回は、全体の興行の配役上、海
老蔵と猿之助で役を分けたのかもしれない。
- 2015年7月12日(日) 16:34:30
15年07月歌舞伎座 (昼/「南総里見八犬伝」「与話情浮名横櫛」「蜘蛛絲梓
弦」)


役者の「断層」はなかなか埋まらない


7月の歌舞伎座、昼の部は完売のようだ。演目を見ると、人気の秘密は、「与話情浮
名横櫛」の与三郎(海老蔵)とお富(玉三郎)の初顔合わせなのだろう、初顔合わせ
良しや、と思う。そうは思いながらも、人気とは裏腹に、舞台で浮き彫りにされ、見
せつけられる役者の「断層」はなかなか埋まらない。これについては、後ほど述べた
い。

まず、「南総里見八犬伝」。私が観るのは、6回目。通しが3回。みどり(見せ場だ
けの上演)が、3回だが、みどりでは、円塚山の場面は、3回とも入っている。今月
の「八犬伝」は、いわばグラビア的な扱い。「芳流閣屋上の場」と「円塚山の場」と
いう見せ場だけを繋ぐ構成。通常、物語の筋に従えば、長編で、見せ場がいくつもあ
る「南総里見八犬伝」では、「円塚山の場」の後に、「芳流閣屋上の場」が来る。今
回は、それが逆転している。まあ、みどりではこういう順番での上演もなかったわけ
ではない。というのは、「円塚山の場」は、八犬士が出揃う場面。「芳流閣屋上の
場」は、犬塚信乃と犬飼現八が、お互いに八犬士同士ということを知らないまま対決
する場面。今回のような、名場面を2つ見せるだけならば、筋立ては余り関係がな
い。こういう演出では、順番はどちらでも良い、ということになる。曲亭馬琴原作・
今井豊茂「補綴」、というのは、こういうことだろう。

2つの場面だけで「がんどう返し」という大屋根を使った場面展開(大屋根が後ろへ倒
れて行き、舞台には、大セリを使って、別の大道具が「奈落」という本舞台の下から
現れる、という大仕掛け)によって、初心の観客を楽しませようというなら、「芳流
閣屋上の場」の後に、次の場面が必要になる、というだけであろう。

関八州管領・下野国の足利成氏の居城古賀城。犬塚信乃(獅童)が持参した足利家の
重宝村雨丸が偽物にすり替えられていた。曲者と疑われて、犬塚信乃は逮捕されそう
になり、場内の芳流閣屋上に逃れる。後を追う多数の捕り手たち。それを聞き、犬塚
信乃を討ち取るため花道から犬飼現八(市川右近)が駆けつける。「芳流閣の屋上の
場」では、浅萌幕を使ったイントロの後、犬塚信乃と犬飼現八が、お互いに八犬士同
士ということを知らないまま大屋根の屋上で対決する。八犬士側も、まだ互いを知ら
ず、カオス状態で入り乱れている。大部屋の立役たちも立ち回りの群舞を披露する。
犬塚信乃と犬飼現八は、互角の闘いの果てに大屋根から城の近くを流れる利根川へ落
ちてしまう。物語では、互角の闘いだが、起伏の多い大屋根での立ち回りは、右近の
演じる犬飼現八が、動きも鋭く、しかも安定している。犬飼現八を演じるのは今回で
5回目、という貫禄が滲み出る。初役の獅童は、なだ、動きがぎこちない。獅童と右
近を大屋根上に乗せたまま、「がんどう返し」で「円塚山の場」へ。

本来なら、八犬士のうち、六犬士が、出逢う武蔵国円塚山という山中の場面。里見義
実の嫡男義成(梅丸)が﹅大(ちゅだい)法師(弘太郎)とともに八犬士を探してい
る。里見家息女の伏姫が所持していた形見の文字が浮かぶ水晶の持ち主を追ってい
る。八犬士が揃うと、里見家の再興がなるというお告げがあったからだ。ふたりが通
りすぎた後、地元の女たちが修験者を探し来る。

女たちが去ると、花道から駕篭と一緒に浪人がやって来る。色悪の浪人者・網干左母
二郎(初役の松江)だ。駕篭には彼が横恋慕する大塚村の庄屋の娘・浜路(笑三郎)
を乗せている。犬塚信乃に会わせると騙して連れてきたのだから、こちらも騒ぎにな
る。円塚山で、ひと休みして、娘にちょっかいを掛ける。左母二郎が信乃の持ってい
た村雨丸をすり替えていて、自分の腰に差している。それを知り、刀を取り戻そうと
して、浜路は左母二郎に斬られてしまう。

火焔の術を使って修験者の寂莫道人(初役の梅玉)が現れ、浜路を助けようとして、
左母二郎を殺し、村雨丸を手に入れる。寂莫道人は、実は犬山道策の息子の道節であ
り、浜路は養女に出された道策の娘。ふたりは兄と妹であった。浜路は兄に村雨丸を
犬塚信乃に渡して欲しいと告げると、息絶えてしまう。

犬山道節が再び火焔の術を使って消えると大屋根から利根川に落ちた犬塚信乃と犬飼
現八が現れる。さらには、犬坂毛野(初役の笑也)、犬田小文吾(猿弥)、犬川荘助
(歌昇)、犬江親兵衛(巳之助)、犬村角太郎(種之助)がそれぞれ現れ、闇の中の
探りあい、「だんまり」になる。いずれも文字の浮き出る水晶の玉を持っている人ば
かり。先に術を使って姿を消していた犬山道節も玉の持ち主。道節が花道のすっぽん
から現れると、八犬士の勢揃い。揃った所で、幕。幕外の引っ込みでは、村雨丸を手
にしたまま、道節が飛び六方で去って行く。

贅言;「南総里見八犬伝」の名場面2つを利用した顔見世的な出し物ということか。
澤潟屋一門の多くが、だんまりで顔を見せるが、仙台の猿之助が元気だった頃は、7
月の歌舞伎座は、澤潟屋専用の興行だった。それがいまでは、玉三郎、海老蔵、四代
目猿之助を含めて、澤潟屋一門、という順位に見える。


「与話情浮名横櫛」を観るのは、10回目。今回は、「見染め」と「源氏店」のふた
場面での構成。このうち、「源氏店」の場面を観るのは、10回目。「源氏店」がな
ければ、通称「切られ与三」の「与話情浮名横櫛」という芝居は成り立たないから、
当然ということだろう。木更津海岸での与三郎とお富の出会いの場「見染め」は、8
回目。1853(嘉永6)年5月、江戸中村座。明治維新まで15年という幕末期の
歌舞伎演目。三代目瀬川如皐原作、与三郎を八代目團十郎が初演した。瀬川如皐原作
の「与話情浮名横櫛」は、幕末の江戸歌舞伎の世話物という影が濃く、人間像もいろ
いろ屈折している。

これまでの出演者の記録を整理すると、以下のようになる。与三郎:仁左衛門
(3)、團十郎(2)、海老蔵(今回含め、2)、梅玉、橋之助、染五郎。お富:玉
三郎(今回含め、5)、雀右衛門(2)、扇雀、菊之助、福助。蝙蝠安:弥十郎
(4)、市蔵(2)、富十郎、勘九郎時代の勘三郎、左團次、そして今回は獅童。

海老蔵は、与三郎を4回演じていて、今回が5回目(私が観たのは、今回で2回
目)。4回の相手役のお富は、菊之助(2)、福助、芝雀。そして今回初顔合わせの
玉三郎。玉三郎と海老蔵の初顔合わせが、客を呼んだ。玉三郎は10年ぶりのお富。
13回目という。海老蔵曰く。「今までの4回とどう変わるか楽しみです」。

玉三郎は、「見染め」のお富は「生世話物ですから、粋で軽やかな江戸弁の流れを大
切にしなければいけない」という。「生世話物」というのは、今のテレビに例えれ
ば、ワイドショー。生ネタの風味を大事にする。「江戸弁」とは、当時の現代劇の科
白。観客の日常感覚を優先する。そういう科白廻しを今の客に「古語」としての味わ
いと同時に、やはり、日常感覚的な部分にも滲ませなければならないから、この芝居
は、難しい。「源氏店」では、湯上がりの、小股の切れ上がった色気を紛々とさせた
お富の、素顔から化粧した顔に変化させる鏡台前の場面。江戸時代は、蝋燭の光とい
う薄暗さの中、化粧の進行をじっくり見せた、という。今は、十分な照明の中で、白
塗りの女形が化粧直し、という感じで、むしろ、偶然知り合いの妾宅の軒に雨宿りを
していて、室内に招き上げられた好色男で大店の番頭・藤八とのチャリ場(笑劇)に
なっている。

元は普通の商家の若旦那の与三郎。木更津海岸でお富を見初めたばかりに、体中を傷
つけられて、「切られの与三」という小悪党に転落するなど、辛酸を嘗めてきた。与
三郎の「羽織落とし」は、元々、上方和事の演出。羽織は、絹地で、滑り易くしてあ
る。ここでは、若い男女ふたりの初(うぶ)さを強調し、後の「源氏店」での、ふた
りの世慣れた、強(したた)かさとを対比しようというのが、演出の意図。

山の記号の下に、井と多(和泉屋多左衛門の別宅)という表札を掲げた「源氏店」。
妾宅である。与三郎は蝙蝠安に連れられて強請に入った妾宅で、偶然にも「昔の女」
に巡り会い、辛酸人生の負の遺産の一部でも取り戻そうと発想した。妾宅に入る前
の、柳の木の下で、足元の石ころを足先で動かしながら、屈託の時間を無為に過ごす
与三郎の佇まいは、海老蔵もまずまずに演じていた。室内のやりとり。玉三郎が淡々
と江戸の女になり切っているのに、海老蔵は、江戸の人間になり切れていない。転落
した男の凄みが、まだ弱い。時々、海老蔵の地の表情が出てしまう。

蝙蝠安を初役で演じた獅童も、まだ、研修段階。安は、女物の袷の古着を着ているよ
うなしがない破落戸(ごろつき)である。与三郎の格好よさを強調するために、無恰
好な対比をしなければならない。私が観ただけでも、蝙蝠安は、富十郎、弥十郎、市
蔵、勘九郎時代の勘三郎、左團次といて、獅童は6人目。勘九郎時代の勘三郎は、彼
の持ち味と蝙蝠安の持ち味が、渾然一体になっていて、良かった。老獪な富十郎、4
回観た弥十郎、それぞれ持ち味のある左團次、市蔵らの先輩方と見比べては可哀想。

今回は、中車が出演。ここでは、お富の兄と判る和泉屋多左衛門を演じる。生世話も
のの芝居だけに歌舞伎の様式性を要求されないので、無難に演じていた。出番も幕切
れ前の一齣だった。

玉三郎は、この芝居の多分、全体を仕切っているのだろう。プロデューサーとして、
演目決定、配役、演出などもこなす。自然体で自分の役を淡々と演じながら、若手の
足らざる部分を指摘、指導している、ように思われる。海老蔵を含めて、若手の芝居
と玉三郎の芝居とのレベルの格差は隠しようもない。大御所たちの死、ベテランたち
の病死で、いまの歌舞伎界は、先達の死によって出現した役者の断層を埋めることが
出来ない。中堅をベテラン層に、若手を中堅層に引揚げるべく、促成しているが、こ
ればかりは、時間がかかる。歌舞伎界の正念場は、今暫く続く。菊五郎、吉右衛門、
幸四郎、仁左衛門、梅玉、玉三郎、魁春などは、皆、今回の玉三郎と同様に、同じ壁
に立ち向かっている。


「まつろわぬ民」のレジスタンス


「蜘蛛絲梓弦」は、初見。変化舞踊の演目。元々は、江戸時代の1765(明和2)
年11月江戸の市村座初演の「降積花二代源氏」の一番目の大詰に出て来る土蜘蛛の
精の変化ものがベース。九代目市村羽左衛門が早替りで演じた。
今回は、三代目猿之助が演じていた演目を亀治郎時代から引き継いで来た四代目が歌
舞伎座初上演する。9年かけて、浅草歌舞伎、博多座、大阪松竹座、名古屋御園座、
明治座と5つの劇場で上演し続けてきた成果を満を持して新・歌舞伎座の大舞台に掛
ける。

猿之助は童の熨斗丸、薬売り・彦作、番頭新造・八重里、座頭・亀市、傾城・薄雲、
実は女郎蜘蛛の精を、六変化の早替りで演じる。こういう持ち味は、猿之助がいちば
ん。

源頼光の館、多田の御所。来航が物の怪に取り憑かれて臥せっている。柱や手摺、階
段は黒塗りの御所の座敷には、御簾が下がっている。上手に常磐津連中。舞台無人で
暫く置き浄瑠璃。御簾が上がると、座敷では、赤っ面の坂田金時(右近)と碓井貞光
(獅童)が宿直をしている。なぜか、強い睡魔に襲われる。花道すっぽんから、真っ
赤な衣装の童が姿を見せる。童の熨斗丸(猿之助)。眠気覚ましの茶を持って来る。
金地に遠景の山々が描かれた襖が開くと、中央に長唄連中の雛壇。3人で踊る。坂田
金時と碓井貞光の隙をついて源頼光の寝所に入り込もうとする。妖しい振る舞い。ふ
たりが止めるとふたりに蜘蛛の糸を投げかけて童は下手の黒御簾の中へ頭から飛び込
み姿を消す。「化け物め」と、右近。

以後、猿之助は早替りで姿を変えながら、坂田金時と碓井貞光の隙をついて源頼光の
寝所に入り込もうとする行動を繰り返す。薬売り・彦作は、上手の常磐津連中の見台
の下から吊り上がりで出現。薬売りは花道から退散。花道から黒い粋な衣装の番頭新
造・八重里が登場。座敷下手の壁が回転し、八重里退場。座頭・亀市は、花道すっぽ
んにスポットライトを当てて観客の眼を引きつけながら、「義経千本桜」の四段目の
狐忠信のように、御所の階段から出現した。その後、座敷に置いてあった大きな火鉢
の中へ、落ち込んで消える。御簾が下がる。大きな蜘蛛が天井から下りて来る。

傾城・薄雲は、座敷の御簾が上がると「信長風」の衣装を着て紫の病巻をした源頼光
(門之助)に付き添うようにして現れる。見舞いと称して傾城は遂に寝所に侵入し
た。薄雲、実は女郎蜘蛛の精こそ、物の怪。ふたりは座敷から平舞台に下りる。薄雲
と頼光の立ち回り。猿之助の薄雲は、逆海老のスタイルで、階段の床下まで顔を下げ
る。柔軟な肉体。頼光が源氏の重宝の膝丸という名刀を抜くと、蜘蛛の糸を撒きなが
ら、薄雲は姿を消す。御簾が下がる。舞台下手より、家臣の渡辺綱(巳之助)、卜部
季武(名題昇進の喜猿)が駆けつける。頼光は二人を連れて、花道から退場。場内、
暗転。

明転すると、舞台は蜘蛛の巣を描いた道具幕が覆っている。大薩摩の歌と演奏の後、
花道から頼光と四天王登場。道具幕、振り落し。紅葉真盛りの葛城山。歌舞伎座の筋
書では、日本を魔界に変えようとする魔物が土蜘蛛の精と解説している。蜘蛛の精の
棲家。蜘蛛の精(猿之助)と8人の蜘蛛四天が立て籠っている。皆、隈取り。白髪ま
じりの乱髪。蜘蛛の精らは、蜘蛛の糸を繰り出して応戦する。蜘蛛の精は、ぶっかえ
りで、金地に蜘蛛の巣模様の衣装へ早替り。本性を顕す。逆海老や足踏みをして、抵
抗。

贅言;今回は、女郎蜘蛛の精だが、普通は、能の「土蜘蛛」をベースにしているの
で、土蜘蛛の精。土蜘蛛の「土」とは、「土民」=百姓のこと。百姓一揆、土一揆の
イメージ。「まつろわぬ民」=土蜘蛛。つまり、強権を発動する権力者に抵抗する農
民一揆。従って、この「蜘蛛絲梓弦」の蜘蛛の精が、何度も姿を変えながら、権力者
の頼光に攻め寄せてくるのは、そういう農民の不断の抵抗(レジスタンス)の姿、と
も見える。

花道から、平井保昌(海老蔵)が、押し戻しで登場。七三で「猿之助に良く似た化け
物め」と一括。土蜘蛛の精を演じる猿之助は、直立の姿勢のまま顔から倒れ込む。幕
切れは、それぞれ、大見得にて、幕。
- 2015年7月11日(土) 13:47:46
15年07月国立劇場・歌舞伎鑑賞教室 (「義経千本桜」〜渡海屋、大物浦)


高校生たちで、ほぼ満席の国立劇場


「義経千本桜」(1747=延享4年、全五段の人形浄瑠璃として、大坂竹本座で初
演。原作は、竹田出雲、並木宗輔、三好松洛)は、馴染みのある演目だ。何回観たこ
とだろう。このうち、「渡海屋、大物浦」(二段目)の場面だけでも、私が観るの
は、今回で11回目。

「渡海屋・大物浦」の場は、渡海屋の店先、渡海屋の裏手の奥座敷、大物浦の岩組と
三つの場面から構成される。

高校生向けの歌舞伎鑑賞教室は、いつもより参加校が多いように見受けられる。教室
に参加した生徒たちは、3階11列まで、一部は、12列(最後部の列)の一部まで
溢れていて、私たちのような一般の観客は、12列の中央部は取れず、上手下手の両
端に近い席のみ。日によっては、もう少し余裕があったのかどうか。それとも、連日
高校生たちで満員だったのか。だとすれば、菊之助効果か? 團蔵が、怪我で休演の
掲示。團蔵が演じる予定だった弁慶の代役は、菊市郎が無難に務めた。

今回の見どころは、何と言っても、菊之助の知盛。女形の菊之助が時代ものの立役の
大役に初めて挑戦する、という魅力的な舞台。菊之助は「播磨屋の岳父(吉右衛門)
に教えを受け、全力で臨みます」と楽屋で語っている。吉右衛門の娘と結婚したこと
により、音羽屋の御曹司は、播磨屋の家の藝にも役を拡げて、急激に成長しているよ
うに見える。播磨屋の教えとは、何だろう。「船問屋の主人・銀平としての男気」、
「本来の知盛として、知勇兼備の大将」、「戦に敗れ重傷を負った鬼気迫る姿」、
「最期の悲哀、壮絶さ」だという。「平家一門いう公家らしさ」と「人物の大きさ」
を「豪快に演じていきたい」という。筋書には、吉右衛門監修とある。

私が観た渡海屋銀平、実は、平知盛では、吉右衛門(4)、團十郎、猿之助、仁左衛
門、幸四郎、海老蔵、松緑、そして、今回は初役の菊之助。

監修者の吉右衛門の舞台。吉右衛門は、節目節目の所作や科白廻しにもメリハリがあ
り、じっくり、重厚な舞台を展開してくれる。吉右衛門の初役は、01年4月の歌舞
伎座。それ以来、14年間の本興行で5回知盛を演じているが、私は、そのうちの4
回の舞台を観たことになる。

渡海屋銀平、実は、平知盛。捌き役の銀平は、平家の貴人・知盛に衣装も品格も、変
身するのが、見どころ。渡海屋の店先、大物浦の岩組。ふたつの場面で、世話、時代
をそれぞれ味わいたっぷりに、対照的に描かなければならない。

渡海屋では、花道からアイヌ文様の厚司(あつし・オヒョウの樹皮から採った糸で
織った織物。コートのように上から羽織っている。いわば、ハイカラな異国趣味だっ
たのだろう)姿で、外出先から戻って来た銀平(菊之助)は、義経一行を偵察に来た
北条時政の家来と称する「鎌倉武士たち(北条時政の家来を名乗り、宿改め。実は、
平家一門の擬態。相模五郎と入江丹蔵のふたり。悲劇の前のチャリ場=笑劇なので、
「魚尽し」の科白で笑わせる)」を追っ払うなど、ひとしきり演じた後、上手の二重
舞台の障子の間(納戸)に一旦入る。


雨をついて、義経一行が、船出をして、日も暮れて来た。障子が開くと、銀烏帽子に
白糸緘の鎧、白柄の長刀(鞘も白い毛皮製)、白い毛皮の沓という白と銀のみの華麗
な鎧衣装で身を固めた銀平(銀色の平氏)、実は、知盛の登場となる。知盛は、「船
弁慶」の後ジテ(知盛亡霊)に似た衣装を着ているので、下座音楽では、謡曲の「船
弁慶」が唄われる。白銀に輝くばかりの歌舞伎の美学。亡霊のイメージだが、銀平か
ら知盛に替わるので、ここは、怨霊ながら「生きている知盛」という想定である。

そこへ白装束の亡霊姿の配下たち。白ずくめの知盛一行の方が、死出の旅路に出る主
従のイメージで迫っているように見える。皆、生きている怨霊たち。白い衣装が、韓
国や日本では、「喪服」だというセンスが良く判る場面だ。


海原を描いた道具幕(浪幕)が、振り被せとなり、舞台転換。やがて、幕を振り落と
すと、知盛の最期の見せ場となる大物浦の岩組の場へ展開となる。竹本の床(舞台上
手の上)の出語りは葵太夫登場。渡海屋:豊太夫、六太夫、大物浦:谷太夫と繋いで
来た。出語りは、谷太夫から。葵太夫の語りで大物浦の後半もテンポのある舞台展開
で進む。

大物浦の岩組の場面では、純無垢だった華麗な衣装は、悲惨な衣装に替わっている。
手負いとなり、先ほどの華麗な白銀の衣装を真っ赤な血に染めて、向う揚幕の向うか
ら、逃れて来た知盛。隈取りをし、血にも染まっている。菊之助の知盛は、岳父の指
導よろしく、きちんと演じている。

最期を覚った知盛。「壇ノ浦での平家の滅亡のありさまも、元はといえば父清盛の、
(外戚の望みあるによって、姫宮を御男宮と言いふらし、権威をもって御位につ
け)、天道をあざむく横暴が、つもりつもって一門我子の身に報いたのか」と嘆く。
人形浄瑠璃原作では、知盛は、安徳帝は女の子であったと告白している。権力者の横
暴も、その因果が報った果ての滅亡も、この世で見るべきものは見たとして、知盛は
粛々と死んで行く。というか、元々知盛は、義経に一矢を報いたいとして、恨みをエ
ネルギーにして甦ってきた「死せる怨霊」であったわけだから、義経に安徳帝の今後
を任せて、恨みを解消してしまえば、安心立命の境地で、死の世界へ戻って逝くこと
ができる。

舞台上手にいた義経一行は、舞台下手に移り、上手は、死に行く知盛に敬意を表して
空ける。死に瀕した知盛は、上手から、舞台中央の岩組を這うように登って行く。安
徳帝の「知盛さらば」(歌舞伎の入れごと)。安徳帝から見れば、知盛も忠義(過
去)なら、義経も忠義(将来)。権力者に取って、忠義のバトンリレーが無事済め
ば、保身が満たされ、「忠臣よ!さらば」、となるのであろう。入水まで見守る義経
一行と安徳帝。知盛「昨日の仇は今日の味方、あら心安や、嬉しやなあ」。ハイ(軽
躁)状態で死に臨む。

岩組の上で、知盛は、碇の綱を身に巻き付け、綱の結び目を3回作る。瀕死の状態に
もめげず、重そうな碇の下に頭を差し入れ、やっとのことで身体を滑り込ませて持ち
上げると、末期の力を発揮して碇を海に投げ込む。綱の長さ、海の深さを感じさせる
間の作り方。やがて、綱に引っ張られるようにして、後ろ向きのまま、ガクンと落ち
て行く、「背ギバ」と呼ばれる荒技の演技。ここは、滅びの美学。

「碇知盛」らしく、岩組から背後にそのまま倒れ込んで行く場面も、見応えがあっ
た。岩組の後ろでは、複数の水衣(みずご)姿の後見が、「背ギバ」の菊之助を一所
懸命に拡げたネットで支えている。面当てを外し頭に載せている。主役のセイフティ
優先。判断に間違いがあってはならないからだろう。

弁慶役を怪我で休演した團蔵の藝談が筋書に載っている。芝居の幕切れで「弁慶は、
死者たちの魂を鎮めるために合掌し、法螺貝を吹いて、花道を引っ込みます。この辺
りの間を取るのが難しく」て、という。

今回は、團蔵の代役に菊市郎が抜擢された。菊市郎は、梅幸の部屋子、子役の尾登
丸、梅也を経て、初代菊市郎となる。45歳。中堅の脇役。菊市郎の弁慶は、上手奥
から出てきて、瀕死の知盛の首に数珠をかけて、出家するようにと勧めるが、拒否さ
れてしまう。下手奥に控え、知盛の最期を見届ける。安徳帝を抱き上げた義経を始
め、一行が花道から立ち去る。閉幕。

幕外に弁慶のみ残り、花道七三で法螺貝を吹いて死者たちの鎮護をする。弁慶最大の
見せ場。真面目な菊市郎らしく、弁慶代役をきちんとこなす。一人で場内の大勢の観
客と向き合う。菊市郎はまずまずの出来。大向うから、「菊市郎」と声がかかる。

贅言;菊市郎は、本来、義経の四天王のひとり、亀井六郎で出演する予定だった。急
遽の代役で、菊市郎の代役の亀井六郎は舞台に出て来ずに、四天王は、三天王になっ
てしまった。ただし、幕切れの場面では、誰かが二役を勤めていて、四天王は復活し
ていた(失礼ながら、判別できず、残念)。歌舞伎らしい、融通無碍。

ところで、義経に抱かれて、花道を引揚げて行った安徳帝は、その後、どうしたので
あろうか。人形浄瑠璃なら、四段目に登場する。義経は安徳帝を大物浦から吉野へ連
れて来て、匿っている。さらに、五段目。義経は安徳帝を大原の里にいる母親の徳
子、つまり、建礼門院のところに送り届け、弟子として母親に仕えさせる。女の子な
らば、建礼門院の弟子になれる。こうして「平家物語」では壇ノ浦で既に亡くなって
いる安徳帝は、「義経千本桜」でも普通の女の子として、建礼門院の弟子になり、実
は、実母の傍に戻り、歴史の闇に戻って行く。フィクションとノンフィクションが、
溶暗となる。

私が観たこのほかの配役。女房お柳、実は、典侍の局:魁春(2)、芝翫(2)、雀
右衛門、宗十郎、福助、藤十郎、玉三郎、芝雀、今回は初役の梅枝。玉三郎に指導を
受けたという。梅枝は、細面で、父親の時蔵よりも亡くなったじゃ空衛門に似ている
ような感じがしたが、頬の特徴は、時蔵似であった。

次いで、義経:梅玉(4)、亡くなった(八十助時代の)十代目三津五郎、門之助、
福助、友右衛門、亡くなった富十郎。松也、今回は初役の萬太郎。梅玉に指導を受け
たという。

弁慶:團蔵(5)、段四郎(2)、左團次(2)、歌六、今回は、代役の菊市郎。相
模五郎:歌六(3)、歌昇時代含めて又五郎(2)、亀三郎(今回含め、2)、九代
目三津五郎、亡くなった十代目三津五郎、亡くなった(勘九郎時代の)勘三郎、権十
郎。入江丹蔵:歌昇(2)、信二郎時代含めて錦之助(2)、亡くなった松助、猿
弥、亡くなった十代目三津五郎、高麗蔵、市蔵、亀寿、今回は、尾上右近。又五郎に
指導を受けたという。
- 2015年7月9日(木) 17:16:02
15年06月国立劇場(「壺壺坂霊験記」)


役者にとって、怖い演目


「壺坂霊験記」は3回目の拝見。明治以降に作られた歌舞伎を新歌舞伎と言うが、こ
れもそのひとつ。1887(明治20)年、人形浄瑠璃の大坂彦六座で初演された
後、翌年京都で歌舞伎として上演されるようになった。諸説はいろいろあるようだ
が、近代に作られた演目なのに、なぜか原作者が不詳である。江戸期の演目で、「助
六」など原作者不詳で不朽の名作もあるが、「壺坂霊験記」は通俗的すぎて、駄作だ
ろう。この演目は、通俗的な奇蹟話になっているので、大衆には判り易い。その所為
か、人形浄瑠璃、歌舞伎に限らず、浪曲など大衆園芸でも演じられている。歌舞伎で
観るのは初めての人にも、なぜか馴染みがあるようで、どうも既視感があるらしい。

「壺坂霊験記」は、目の不自由な夫と美人妻の、純愛物語。大和国(今の奈良県)に
ある西国三十三所巡礼の霊場の一つ壺坂寺の縁起をベースにした物語で筋が、単純。
目が見えないという障害を克服するのではなく、妻への疑心、夫の発作的な飛び降
り、妻の後追い心中、それでも、純愛だからと霊験あらたかな壺坂の観世音のご利益
が奇蹟を生む。通俗的な筋立てで本質的に荒唐無稽な話だが、大衆の中に根強くある
奇蹟を信じたいという願望を芝居にしているように思う。

今回、初めて国立劇場(歌舞伎鑑賞教室)で、拝見したが、竹本の語りの部分は、劇
場内の字幕で表示されたので、時々、ちらちらと字面を拝見したが、表現が紋切り型
というか、常套句が多い文章で、面白くない、印象に残る文言が少ない、ということ
が判った。

この芝居は、登場人物も少ない。若妻のお里と盲目の沢市という夫婦。子役が演じる
観世音菩薩。これだけである。それだけに、役者の力量で芝居の出来具合が浮沈す
る。私が観たお里は、芝翫、福助、そして今回は、孝太郎。沢市は、吉右衛門、三津
五郎、そして今回は、亀三郎。

第一場「沢市住家の場」。目の不自由な座頭の沢市。琴や三味線の師匠をしている。
若妻のお里は、縫いものの内職をして、家計を助けている。幕が開くと、暫く、置浄
瑠璃。奥からお里(孝太郎)が出て来る。孝太郎のお里は、初々しい。「義経千本
桜」の「すし屋」に登場する、同じ名前のお里を思い出す。

孝太郎の話。「お里はとても謙虚で夫思いの女性ですから、その優しさや情愛の深さ
が自然に出てくるようにしたいですね。また、これに加えて、お里は人から美しいと
噂されるほどですので、華のある綺麗な女方のお役として演じなければなりません」

ふたりは、夫婦になって、3年。まだまだ、仲睦まじい。最近、お里は、夜になると
不在になるので、沢市(亀三郎)は、不倫を疑い、死にたいと漏らすようになる。自
分は、盲目、妻の顔は、見たことがないが、美人らしい。障害者の自分に嫌気の差し
たお里の不祥事を想像している。「三つ違いの兄さん」のような沢市を愛している。
自分が、明け七ツ(午前4時)に出かけるのは、沢市の目が見えるようにと、壺坂寺
観音堂に願掛けに通っているのだと告白する。目は良くならないと思っている沢市に
観音様へ、一緒に行こうと提案する。孝太郎、亀三郎とも初役で演じているので、ま
だ、役に馴染んでいないようだ。

第二場「壺坂寺観音堂の場」。山の中の観音堂にやって来たふたり。お里は、沢市を
励ますために、観音様のご利益を強調する。堂の手水場には、奉納と染め抜かれた茶
と紺の手拭いが、下がっている。観音堂には、左右逆に書かれた一対の「め」の字の
絵馬が、奉納されている。大が、1枚、小が、2枚。庶民の観音信仰は、篤いよう
だ。沢市は、3日間、堂に籠って、ひとりで断食すると言う。これを聞いて、喜んだ
お里は、険しい山道と深い谷の上に、観音堂があるのだから、動き回っては行けない
と注意しながらも、参籠する沢市の心意気を喜んで、ひとり、下山する。

だが、沢市の本心は、3年間も、お里が、願掛けをしてくれたのに、目が直らない。
これ以上の迷惑は、妻に掛けられないと、障害を克服して生きるのではなく、密か
に、自殺を決心していたのだ。古い障害観。手探りしながら、山頂にたどり着き、谷
底へ身を投げる沢市。

胸騒ぎがして、お里が戻って来ると、杖だけが、残されているものの、夫の姿は、何
処にもない。不審に思って、深い谷底を覗くと、夫と思われる遺体が横たわってい
る。観音堂に連れて来た自分の所為で夫が身投げをしたと思い、お里も、後追い身投
げをする。

第三場「壺坂寺谷底の場」。太鼓の音で、観音堂と谷底との距離を感じさせていて、
おもしろい。谷底に横たわっているのは、お里沢市夫婦の遺体。夜明けが来て、辺り
が、白む頃、岩山の一郭から、光りが差し込む。観音堂の主・観世音菩薩が登場し、
沢市の寿命を延ばすというお告げをする。夜明けの鐘とともに、お里沢市は、息を吹
き返し。沢市の目が見えるようになっている。喜びあうふたり。夫婦の純愛に応えた
観世音菩薩の力が、奇蹟を呼び起こす、というのが、いかにも小芝居という感じ。こ
の場面は、吃音の障害者の夫と献身的な妻の物語「傾城反魂香」、通称「吃又」のお
徳と又平を連想した。

沢市は、目が不自由なこともあって、気持ちがいじけているだけ。女房のお里は、そ
んな夫を大きな心で包んでいるので、観世音菩薩の徳に浴しても良いかもしれない
が、それにしても弱い。

善人ばかりが出て来る世界は、つまらない。純愛に応える観音力では、インパクトが
ない。私が3人観たお里では、最初に観た芝翫の若い世話女房ぶりが良かった、と思
う。三津五郎も亀三郎も、沢市は、印象が、弱かった。奇蹟を信じたいという願望
も、くっきりと浮き上がってこなかった。吉右衛門は、さすが別格。

16年前に歌舞伎座で観た時は、吉右衛門と芝翫という芸達者同士で楽しめた。話は
荒唐無稽で、たわいもないのだが、特に芝翫の「お里」は本当に巧い。芝翫の顔のむ
こうに、若くて、初々しく、夫思いの、素晴らしく魅力的な女性の顔がちゃんと見え
て来た。3つ違いで、こんな女性がいれば、観世音菩薩でなくても、何かをしてあげ
たくなる人だ。芝翫の役づくりには脱帽。この時の「歌舞伎座の役者のなかでは、最
高の演技」と私は書いている。こういう演技を見たくて歌舞伎に通うのだろう。

「壺坂霊験記」は、役者にとって、怖い演目かもしれない。役者としての実力がもろ
に透けてみえてしまうからだ。
- 2015年6月11日(木) 10:23:00
15年06月歌舞伎座 (夜/通し狂言「新薄雪物語」、「夕顔棚」)
 
 
今回の通し狂言「新薄雪物語」は、昼夜に跨がる興行。夜の部は、「広間」「合腹」
「正宗内」で構成される。広間・合腹が見せ場。正宗内(通称「鍛冶屋」)は滅多に
上演されない。戦後70年間の上演記録(松竹製作)を見ても、今回で5回目。「鍛
冶屋」の主役・団九郎を演じたのは、初代吉右衛門、二代目松緑(2)、團十郎、そ
して今回が吉右衛門。

夜の部は、三幕目第一場「園部邸広間の場」から始まる。二幕目「詮議」の場面から
およそ一ヶ月後。恋仲の園部左衛門の家(両親宅)に預けられている薄雪姫(米吉)
は、自分の家、幸崎家で詮議を受けている左衛門を思い煩っている。姫には腰元の呉
羽(高麗蔵)が付き添っている。左衛門の母・梅の方(魁春)も姫を息子の嫁とも自
分の実の娘とも思っていると慰めている。

姿を現わした左衛門の父・園部兵衛(仁左衛門)は、秋月大膳の企みで姫の身に覚え
のない嫌疑(左衛門が鎌倉将軍家に誕生した若君の守り刀とともに「影打ち」した刀
に天下調伏の鑢目を入れた。薄雪姫も共謀しているというもの)がかけられたと考え
ているので、ここにいては危険だとして、姫に大和の當麻寺界隈に身を隠すようにと
勧める。左衛門を置いたまま、自分だけ行くのでは嫌だと、一旦は抗うが、姫は奴袖
平(権十郎)、呉羽と共に旅立つ。

そこへ、薄雪姫の父・伊賀守の使者刎川(はねかわ)兵蔵(又五郎)がやってきて、
左衛門が罪を認めたので斬首したという伊賀守の口上を伝える。斬首に使った影の太
刀を持参したので、これで娘の薄雪姫の首も斬るようにと言う。伊賀守は、後ほど左
衛門の首を持参するので、薄雪姫の首とともに京都守護職(六波羅探題)に持参した
いと伝言する。

これを聞いて自害しようとする左衛門の母・梅の方を押しとどめ、父の兵衛は、兵蔵
が持参した血糊のついた刀を見つめながら伊賀守の口上を思い返し、何かにに気がつ
いた様子である。そこへ、薄雪姫の父・伊賀守(幸四郎)の来訪が告げられる。

三幕目第二場「同   奥書院合腹の場」。封建的な親の愛の示し方、という場面。ふた
りの子どもたちを助けるために、伊賀守と兵衛というそれぞれの父親が何時の何か同
調して「陰腹(かげばら)」を切ることになる。「陰腹」、そっと腹を切って(ただ
し、内蔵まで達しないように切る)いるので、さらしを巻いて、衣装を着た外見から
は判らない。普通、「陰腹」は、主君の死に続こうと殉死したり、自らの非の責任を
取ったり、する場合に行なう。「合腹(あいばら)」、ふたりでタイミングを合わせ
るように同調して陰腹を切っている。「陰腹」、「合腹」。ともに封建時代の言葉で
あり、武家社会の命を懸けて上の者に訴えるという行為である。

奥書院の佇まい。銀地に雪景色の立ち木の絵柄の襖。枝に乗った2羽の鳥は、雪野に
放たれようとしている若いふたりを象徴しているようにも見える。衝立も、銀地、モ
ノトーンの、なにやら、中国風の山水画である。「虎溪の三笑と名も高き、唐土の大
笑い」と床の竹本が語るように、絵柄は、高山と溪に架かる橋(虎溪の橋)のように
も見える。モノトーンの奥書院の座敷外、下手の網代塀の外には、青山の遠見が描か
れた書割りが見える。座敷の内と外で、死と生が、対比されているように受け止め
た。

13年前観た、今は亡き團十郎の演技は、肌理が細かった。その苦痛を堪えるふたり
の父親と夫を亡くす哀しみに耐える左衛門の母の3人の、今生の想い出に親の命を掛
けて子を救ったことを喜ぶ「三人笑い」の表現が、難しく、ここを名場面にしてい
る。初代吉右衛門が演じた時には、大向こうから、「大舞台」と声が掛かった、とい
う。二人の父親は、持ち寄った首桶に子供たちの首を入れずに、子どもたちの助命の
願書を入れて来たのだ。その代わりに親の命を差し出す(子どもたちの嫌疑を晴らす
のではなく、子どもたちの「罪」を親が代わって引き受けるという辺りが、封建的で
ある)。二人の父親は、使者に託した口上と影の太刀についた伊賀守の血糊への解釈
という通信手段で、互いにコミュニケーションを図り、同時に合腹と陰腹を実行し
て、参集した、というわけだ。

それぞれの本意が間違いなく伝わっていたことを知った父親たちは、心が満たされた
ので、せめて、笑って、死にたいと思ったのだろう。子どものためには命を投げ出し
ても悔いはない、そういう親の気持ちが、観客の涙を誘う。子を持つ親のシンパ
シー。父親たちには、人生最期の笑いでもあるだろう。到底打開できぬという上京へ
の諦め、諦観であり、無情であり、という笑いでもあるだろう。鎌倉幕府を巻き込ん
で謀略を図った秋月大膳への呪詛の笑いという解釈もあるという。多重多層の笑い。
ここには、観客の気持ち次第で、如何様にも受け止められる笑いの持つ奥深さがあ
る。それが、歌舞伎の魅力のひとつであろう。超越的な力を発揮する笛の音が、黒御
簾から発せられて、呪詛には効果的だ。

ふたりの父親は、腹痛を我慢しながら、子どもらの首の代りに願書を入れた首桶を抱
えて、京都守護職(六波羅探題)に向う。

ただし、今回の幸四郎と仁左衛門の笑い方は、今一つに感じられた。痛みを感じさせ
ない大笑い、哄笑になっているように見えたし、聞こえた。ここは、肉体的には増す
ばかりの痛みを堪えている、という感じも滲ませたい場面だ。何れにせよ、荒唐無
稽、古典劇らしいおおらかさをベースにあまりリアルにしてもいけないだろうし、こ
の場面の笑いは、何とも難しい。

贅言 ; 父親たちが参集したところへ、花道から紫の布で頬被りをした左衛門(錦之
助)が忍んでくる。気付いた薄雪姫野父・伊賀守は、自分が仕掛けたことなので、ば
れてはいけないと、木戸のところにいる左衛門に立ち去るように本舞台から合図を送
る。首桶を開ける前に、左衛門斬首が偽りで、大膳を欺く計略だと観客に知らせる。
 
今回で2回目の拝見となるが通称「鍛冶屋」の場面。悲劇の後の笑劇の場面が、場内
を和ませる。ここでは、悪の手先になっていた団九郎は、親の正宗を逆に勘当してい
たが、刀鍛冶としては、二流のため、親の秘伝を盗もうとして、親から腕を切り落と
されてしまう。すると、善に目覚めた団九郎は、これまでの悪の構図、つまり、大膳
の仕掛けをすべて白状する。いわゆる、歌舞伎の「戻り」という定番の演出の一つで
ある。

大詰「鍛冶屋」の場構成は、以下の通り。
大詰第一場「刀鍛治正宗内の場」。第二場「同    風呂の場」。第三場「同   仕事場
の場」。小悪党から、善人に戻る団九郎。未熟だとして親の国行から勘当され、その
後、正宗の下で下男に身を窶して修業をした結果、合格間近になってきた国俊。この
場面は、二人の青年の再生の物語でもある。

このうち、「正宗内」。大和の国、刀鍛冶、五郎兵衛正宗宅。下手の入口に「御刀鍛
冶五郎兵衛正宗」という看板を掲げている。正宗(歌六)、下男(となっているが、
実質的に内弟子)の吉介(橋之助)、正宗の息子の団九郎(吉右衛門)、正宗の娘の
おれん(芝雀)らが、主な配役。歌六の正宗は、初役で演じる。吉右衛門も団九郎
は、演じているが、前半の「花見」にちょっと出て来るだけだった。大詰の「鍛冶
屋」に出演するのは初めてである。時代ものだった三幕目「広間・合腹」から、世話
ものの大詰「鍛冶屋」へと舞台が替わる。

橋之助が演じる吉介は、序幕で出て来た刀鍛冶来国行(家橘)の息子の国俊である。
国行に勘当され、正宗宅に身を隠して下男として修業している。国俊という銘の刀を
打てるようになったら、勘当が許されることになっていたが、父親は、すでに大膳に
殺されてしまった。吉介は正宗の娘のおれんと恋仲になっている。おれんは、「義経
千本桜」の「すし屋」に出て来るお里のような娘だ。

吉右衛門が演じる団九郎も序幕で登場した。新清水の観音堂に園部左衛門が奉納した
影の刀の「なかご(茎、刀身のうち、柄に覆われる部分)」に鑢目(やすりめ)を入
れて、天下調伏(将軍家転覆)を念じる。秋月大膳一派に連なる小悪党というわけ
だ。その団九郎が、実は正宗の息子だと観客に知らせる場面。

正宗──正宗の娘と下男の吉介(国俊)──正宗の息子の団九郎。団九郎は父・正宗
の持つ秘伝を受け継ぎたいが、息子の団九郎より弟子の国俊の方が技量が上と見抜く
父であり、師匠である正宗は秘伝を息子よりも下男(将来の娘婿)に教えようと決意
している。秘伝を巡る親子・師弟の三角関係が、ここにはあることが判る。正宗から
ほとんどのことを教わった吉介には、残る秘伝は焼刃の湯加減だけだ、という。

「風呂場」。風呂の準備をする吉介(国俊)に風呂の湯加減で焼刃の湯加減を実地に
まさに手を取って教える正宗。湯加減は心で覚えろと弟子を諭す師匠。息子の団九郎
には悟られないようにしろという。親子の情より師弟の力量を重視する公平実直な正
宗。正宗の師匠(国吉)の孫が国俊というわけだ。今は亡き師匠への恩返し。そこ
へ、外から団九郎が戻って来る。

「仕事場」。正装に身を固めた正宗、吉介、団九郎が刀を打っている。ここでは、悪
の手先になっていた団九郎は、親の正宗を逆に勘当していたが、刀鍛冶としては、二
流のため、作業の合間に父親の秘伝を盗もうとして、親から腕を斬り落とされてしま
う。すると、善に目覚めた団九郎は、これまでの悪の構図、つまり、大膳の謀略の仕
掛けをすべて白状する。「戻り」という定番の演出。
 
贅言 ; 今回、立ち回りは、二つある。一つは、昼の部の妻平(菊五郎)と手桶を持っ
た秋月家の赤い四天姿の奴たちとの場面。もう一つは、夜の部の「仕事場の場」。父
に片手を斬り落とされ、改心した団九郎(吉右衛門)が、黒い四天姿の捕り手たちを
相手に片手で立ち回りをする場面である。妻平がからむ立ち回りの方が、演出が、洗
練されていて、派手でもあり(高足の清水の舞台から石段を越え、下の平舞台に蜻蛉
をきるほか、人力車を見立てたり、全員による「赤富士」の見立ての形、最後は、花
道に一旦将棋倒しになった20人が、次々と起き上がり、前の人の尻に食らい付き、
恰も、赤い、長い、蛇のようになって、花道を中腰に連なって、向う揚げ幕に引っ込
んで行く)見応えがあった。「片手の立ち回り」というのも、珍しいが、吉右衛門
も、余り慣れていないようで、また、私が観たのが初日だったこともあってか、ぎこ
ちなかった。稽古の続き?手順を確かめているようにも見受けられた。
 
大詰無しの通常の上演では、親の合腹までだったので、親のために子が犠牲になるこ
とが多い、いつもの歌舞伎の世界とは違って、子のために親が嫌疑の身替わりになる
物語という印象が強かった。今回のように、大詰の世話場が演じられたことで、悪人
が善人になる、いわゆる「戻り」の物語になり、めでたしめでたしという大団円に
なった。また、時代物のままで終らず、世話物の場面が付加され、芝居として、奥行
きも出る、ということが判る。

「大顔合わせ」の舞台で、幸四郎と仁左衛門の「合腹」、菊五郎の「詮議」となれ
ば、大黒柱中の大黒柱である吉右衛門の出番が少な過ぎるので、吉右衛門の演じる団
九郎主役の「鍛冶屋」が久しぶりに付加されたのだろう、と思う。

最後に、「鍛冶屋」まである通しを観て思うこと。
私は、子を思う親の気持ちは、時空を越えて、同じだというように受け止めながら、
拝見した。08年6月、歌舞伎座。ゆるりと哀しみに耐える幸崎伊賀守の吉右衛門。
深刻に哀しみを表現する園部兵衛の幸四郎。叮嚀に哀しみを演じる園部の妻・梅の方
の芝翫。哀しみの果ての、洪笑をする父親たち。夫に取り残されて泣き笑いするしか
ない母親。この時の「三人笑い」は、何回も演じられてきた「新薄雪物語」上演史上
に残る、見応えのある「三人笑い」だったと私は思う。誰かが 微妙なバランスの
ペースメーカーになっているということかな。

私が観た5回の「合腹」の伊賀守は、幸四郎が今回含めて2、團十郎、吉右衛門、松
緑。兵衛は、孝夫時代を含め仁左衛門が今回含めて2、菊五郎、幸四郎、染五郎。梅
の方が、芝翫2、玉三郎、菊之助、今回は魁春。

 
「夕顔棚」は、2回目。1回目は1996年7月、歌舞伎座。従って、この演目の劇
評は、今回初登場。
 
前回は19年前。配役は以下の通り。爺は段四郎、今回は左團次。婆は猿之助時代の
猿翁、今回は菊五郎が初役で演じる。里の男は笑三郎、今回は巳之助。里の女は春
猿、今回は梅枝。

1951(昭和26)年、歌舞伎座で初演された新歌舞伎の舞踊劇(清元)。川尻清
潭原作。二代目猿之助の婆、七代目三津五郎の爺が出演。農村の夕顔棚のある農家で
湯上りのゆったりした時間を仲睦まじく晩酌を嗜みながら過ごす老夫婦の情景を描
く。里の若い男女たちとの群舞も入れ込みながら、今は失われた情景が幻影される。

婆の胸をはだけた浴衣姿で登場する菊五郎。初めて観た時の猿之助も同じ演出だっ
た。猿之助も菊五郎も自ら楽しみながら演じていた。菊五郎の婆は、可愛らしかっ
た。左團次の爺のとぼけた味も捨てがたい。
- 2015年6月9日(火) 18:24:28
15年06月歌舞伎座 (昼/「天保遊侠録」、通し狂言「新薄雪物語」)
 

「大顔合わせ」興行を楽しむ


 「天保遊侠録」は、3回目の拝見。前回は10年10月国立劇場。その前が、09
年8月歌舞伎座。歴史に題材を取った新作歌舞伎を多数創作している真山青果の珍し
い「世話物」である。1938(昭和13)年に3幕ものの戯曲として、雑誌に連載
発表された。同じ年に東京劇場で、序幕だけが一幕ものとして上演された。その時の
外題は、そのものズバリで、「勝安房の父」というあまり歌舞伎らしくないタイトル
であった。二代目左團次らが出演して初演された。青果は、この時期、左團次とは、
蜜月であり、左團次一座ともに、1934(昭和9)年から1940(昭和15)年
まで、「元禄忠臣蔵」の各編を上演したりしていた。それにしても、「天保遊侠録」
という外題も、芝居の内容から見てあまり相応しいとは言えない。
 
私が観た配役。勝小吉:今回含め橋之助(2)、吉右衛門。八重次:今回含め芝雀
(2)、扇雀。阿茶(おちゃ)の局:萬次郎、東蔵、今回は魁春。大久保上野介:弥十
郎、桂三、今回は友右衛門。松坂庄之助:勘太郎時代の勘九郎、染五郎、今回は国
生、ほか。

「天保遊侠録」は、幕末期のキーパーソンの一人、勝海舟の父親で、無役の貧乏旗本
勝小吉と幼少の麟太郎(後の、海舟)の出仕の時期の親子関係が、描かれている。無
頼の徒のような生活が、気性に合っている小吉だが、秀才の誉れの高い息子のため
に、まず、自分が無役から脱しなければならないということで、金を工面し料亭を借
りて、気に染まない猟官活動をするが、腐りきった役人たちを相手にしているうち
に、堪忍袋の緒が切れるという物語である。青果劇は、いつもの科白劇で、幕末期の
世相を織り交ぜながら、貧乏旗本や庶民の哀感を活写する。
 
花見で賑わう向島の料亭を借り切って役人を接待しようという小吉(橋之助)。四十
一石の貧乏旗本が、宴会費用をあちこちから借り集めた上で、上役らを招いて、御番
入り願い、就職のための饗応の準備をしている。やがて、饗応の世話役や接待される
上役ら(友右衛門ほか)が、到着し、宴会が始まるが、無理難題を吹っかける上役ら
の対応に怒り出す小吉。「侍が威張っているのも、家の禄高の違いだけで、人間の値
打ちの違いではない」という、青果らしい格調高い科白も、小吉から飛び出す。真山
の科白劇も、今回は世話物だけに、くだけた会話で、判りやすく楽しめるだろう。橋
之助の科白も、時代の癖のある調子ににならずに、良かった。

贅言 ; 料亭と外の出入り口が、歌舞伎の大道具らしくなく、下手側 の奥、離れと料
亭の間に設えてあるおが、ユニーク。
 
料亭の離れでは、小吉・息子の麟太郎の出仕の迎えに来ていた小吉の義理の姉で、江
戸城の西の丸に仕える中臈・阿茶(おちゃ)の局(魁春)が、騒ぎをおさめる。父親
の反対をよそに、局の意向に添って、出仕を決める麟太郎らを見送る小吉。
 
料亭の騒ぎの場面が、一段落すると、舞台は、鷹揚に廻って、料亭の表側に替わる。
門から外に出る麟太郎ら一行。それに桜の花びらが散りかかる。門前には、桜の樹の
間に、黄色い菜の花が咲いている。世間は、春爛漫。豪華な駕篭が2台、待ってい
る。麟太郎と阿茶の局が乗り込む。名所の向島の料亭らしく、その辺りには、石碑が
ある。全部を読み取れなかったが、「夕立や日をみめくりの…」と読めた。三囲神社
を素材に読んだものか。前回は、歌碑が2基あったと私は記録していた。文句は記録
していない。
 
愚父と賢児の物語。あるいは、父親の子離れの物語であろう。時代が急激に変化する
兆しがあろうとなかろうと、親の情愛は変わらないというのが、真山劇のテーマだろ
う。
 
ほかの配役は、小吉と恋仲だった芸者の八重次(芝雀)。八重次は麟太郎を見送った
後、八重次がさしかける傘の中で小吉と二人でしみじみと佇む場面は、余韻があって
良かった。加えて、吉右衛門の時は、「いっときあとは、どうなるか。おてんとうさ
までも、ごぞんじあるめえー」とか、「いいじゃあ、ねえかあ」という吉右衛門の科
白廻しが、子別れを迫られた父親の万感の一端をうかがわせる。橋之助は、相変わら
ず、こういう科白廻しが下手だ。

田舎育ちで、叔父に金を無心に来て、饗応に巻き込まれ、逆に、騒ぎを大きくする甥
の庄之助(国生)が熱演していたが、前回の勘太郎に比べるとまだまだ。
 
脇では、世話役の一人、唐津藤兵衛を演じた松之助、料亭の女中・お直(芝のぶ)ら
は存在感があり、群像から 抜け出していた。

 
昼夜を跨ぐ「新薄雪物語」の豪華な顔ぶれ


今回の通し狂言「新薄雪物語」の興行は、昼夜を跨ぐ。今回の場の構成は次の通り。
「花見」「詮議」「広間」「合腹」「正宗内」。このうち、「花見」「詮議」まで
が、前半。従って、昼の部の劇評としては、前半を扱う。

「新薄雪物語」は、若さま・姫君と奴と腰元という、二組の美男美女の色模様、颯爽
とした奴を軸にした派手な立ち回り、国崩しの敵役の暗躍、鮮やかな捌き役の登場な
ど趣向を凝らし、歌舞伎の類型的な、善悪さまざまな役柄がちりばめられている。

粗筋は、荒唐無稽の歌舞伎の物語の典型のような演目だが、「新薄雪物語」は、美男
美女の色模様の二重性、道化役の横恋慕の二重性、男だけの一行と女だけの一行とい
う二重性、国崩しの仇役の暗躍、4組の親子の関係、颯爽とした奴や改心した男を軸
にした派手な立ち回りの二重性、鮮やかな捌き役の登場など趣向を凝らし、歌舞伎の
類型的な、善悪さまざまな役柄がちりばめられている。

さらに、背景には、爛漫の桜がある。桜は、人間たちの美醜を見ている。舞台は、様
式美に溢れ、絵になる歌舞伎の典型的な芝居として、大顔合わせが可能な劇団が組ま
れるたびに、繰り返し上演されて来た。今月の歌舞伎座は、豪華メンバーを取り揃え
てくれた。菊五郎、仁左衛門、幸四郎、吉右衛門である。私は5回目の拝見。夜の部
の「正宗内」は、滅多に上演されないが、お陰で、今回2回目となるが、劇評は夜の
部で書く。

私が観た5回の配役(昼夜通し)を比べてみよう。恋愛模様の短冊や色紙のやり取りか
ら「謀反事件」をでっち上げられたカップルが、園部左衛門(今回ふくめ錦之助
(2)、梅玉、菊之助、勘九郎)と薄雪姫(福助、孝太郎、芝雀、梅枝、今回は梅
枝、児太郎、米吉の最若手の3人で分担した。人材難で松竹は若手女形を促成してい
るのだろうか)。このふたりを取り持つ、もうひと組のカップルが、奴・妻平(今回
含め菊五郎(2)、三津五郎、染五郎、愛之助)と腰元・籬(今回含め時蔵(2)、
宗十郎休演代役の松江時代の魁春、福助、七之助)。「謀叛事件」をでっち上げられ
たカップルの両親、園部兵衛(今回含め、孝夫時代含め仁左衛門(2)、菊五郎、幸
四郎、染五郎)とその妻・梅の方(芝翫(2)、玉三郎、菊之助、今回は初役の魁
春)、幸崎伊賀守(今回含め幸四郎(2)、團十郎、吉右衛門、松緑)とその妻・
松ヶ枝(秀太郎、田之助、魁春、吉弥、今回は初役の芝雀)。伊賀守の家来・刎川兵
蔵(今回含め、歌昇時代含め又五郎(2)、染五郎、正之助時代の権十郎、松江)、
事件をでっち上げた国崩し・秋月大膳(権十郎、富十郎(2)、海老蔵、今回は初役
の仁左衛門)とその弟の秋月大学(前2回は、登場せず、今回と前々回は彦三郎
(2)、前回は亀蔵)、その一味で刀鍛冶・正宗の息子・団九郎(弥十郎、團十郎、
段四郎、亀三郎、今回は吉右衛門)、正宗の娘・おれん(勘太郎時代の勘九郎、今回
は初役の芝雀)、渋川藤馬(今回含め松之助(2)、十蔵、今回含め桂三(2)、新
蔵。※今回は、前半が松之助、後半が桂三)、園部派の刀鍛冶・来国行(今回含め家
橘(3)、幸右衛門(2))、国行の息子・国俊(信二郎時代の錦之助、今回は初役
で演じる橋之助)、そして、捌き役・葛城民部(菊五郎の妻平との二役(2)、仁左
衛門、富十郎の大膳との二役、海老蔵も同じ二役)、正宗(富十郎、今回は初役で演
じる歌六)、チャリ(笑劇)の若衆・花山艶之丞(鶴蔵(2)、今回含め由次郎
(2)、大蔵)など。5回の中では、今回の主な配役で大御所が並んでいるのが判る
だろう。「大顔合わせ」の貴重な舞台。

「花見」、序幕「新清水花見の場」は、まず、6人の奥女中(吉五郎ほか)と10人
の腰元(梅之助、芝喜松、京蔵、春花ほか)の違いに注目。奥女中は、奥向きに仕え
た女性。腰元は、身の回りの雑用を足す侍女。奥女中の方が、身分が上のようだが、
舞台に出てきた奥女中は、ワザとがさつに、立役たちが演じる。腰元は、普通に女形
たちが普通に演じる。
 
遠眼鏡を使ったチャリ(笑劇)の場面を見逃してはいけない。その帰結は、深編笠を
被り園部左衛門に間違わされる、若衆・花山艶之丞の登場だ。笠を取れば、錦之助が
顔を出すかと思えば、由次郎。ハの字の眉毛など滑稽な顔つきの化粧で、笑いを取
る。

配役を整理するだけでも、筋は、判りやすくなる。薄雪姫に懸想する悪人・秋月大膳
が、事件を仕掛け、左衛門を陥れようとする。大膳は鎌倉殿に誕生した若君の祝いに
京都守護職(六波羅探題)・北条成時の名代に左衛門が、清水寺(新清水)に奉納し
た太刀の「なかご(茎、刀身のうち、柄に覆われる部分)」に天下調伏(国家転覆の
企み)の鑢目(やすりめ)を入れ、その責を左衛門と大膳が横恋慕の薄雪姫(更に、
その父親たちを謀反の罪に落とす陰謀も企てている)に負わせようとする。

左衛門に宛てた薄雪姫の謎掛け恋文(縦に刀の絵を描き、その下に「心」の文字:
「忍」という字か。「忍び合う恋」の意味か)の色紙も、左衛門が落としてしまった
ため、大膳らに悪用されたのだ。

花見幕切れ前の立ち回りは、妻平(菊五郎)と若水を汲む手桶を持った秋月家の赤い
四天姿の「奴」(筋書の配役には「奴」としか書いていないが、若水汲みゆえに、
「水奴」という。それだけに、桶や傘など水、雨に因む小道具が使われることにな
る)たち20人(咲十郎ら)との場面が見応えがある。ここでは、ひとりの奴が、
「高足」の清水の舞台の上から、石段にいる妻平を飛び越え、下の平舞台に蜻蛉(と
んぼ)をきる場面があるほか、傘を使って、人力車を見立てたり、全員による「赤富
士」の逆さ見立ての形にしたり、大蛇に見立てたり、大部屋の立役たちが、縦横に活
躍し、毎回、観客から盛んな拍手を受ける場面として知られている。

贅言;序幕の「新清水花見の場」は、桜爛漫。ビジュアルな場面。使い回しがしたく
なる場面。文字どおり、華のある、華麗な舞台であるため、南北や黙阿弥らが、別の
狂言でも、この場面を下敷きにして、活用している。例えば、「桜姫東文章」、「白
浪五人男」など。

「詮議」。前半の見せ場。ことの全てを見通す捌き役の葛城民部(菊五郎)が、キー
パースンとなる。二幕目「寺崎邸詮議の場」では、主な顔ぶれが揃わないと芝居が成
り立たない。詮議の舞台となる寺崎邸の場面は、一段高い奥の座敷(二重舞台)の襖
絵は、銀地に満開の桜、「火焔お幕」という華麗な幕を描いた様式美の屋体。ここ
に、捌き役の上使の民部と秋月大膳の弟の秋月大学(彦三郎)が、居並ぶ。ふたりの
下手にあるのは、金地に花車が描かれた衝立。柱を始め、襖の桟など黒塗りであり、
本舞台の座敷の白木の柱、襖の桟などとの違いを浮き出させている。座敷のクローズ
アップ。歌舞伎はこういうクローズアップ効果を狙う仕掛けが随所にある。ここは、
襖も、銀地に桜が描かれている。黒塗りの間と白木の間を繋ぐ階は、黒塗り。一段低
い本舞台は、白い世界。まさに、お白州。捌かれる場となる。
 
反逆罪の嫌疑だけで、即刻、若いふたりに死罪という判決が下る。身に覚えのない嫌
疑で極刑とはけしからぬ。悲劇の場面だが、豊潤な時代色たっぷりの時間が流れる。
奥の座敷の上手と下手には、行灯が置かれていて、時刻が夜であることが判る。花道
七三の辺りをそのまま、何の大道具も加えずに、「別の間」に見立てて、幸崎伊賀守
(幸四郎)と園部兵衛(仁左衛門)が、自分たちの子どもの詮議について、相談する
場面も、卓抜で、新鮮だ。仁左衛門は、秋月大膳と園部兵衛の二役。
 
そこへ、殺された来国行の遺体(人形)が運び込まれ、手裏剣による傷口から、大膳
の犯行を見抜く慧眼の民部。菊五郎は、妻平と民部の二役。

贅言 ; 「新薄雪物語」で、二役といえば、大膳と民部というのもある。歌舞伎座の筋
書に掲載されている戦後の上演記録を見ても、48年5月の東京劇場で、七代目幸四
郎、79年4月の歌舞伎座で、十三代目仁左衛門、08年6月の歌舞伎座で、およそ
30年ぶりに富十郎が演じた。さらに最近では、13年9月の歌舞伎座で海老蔵も演
じた。
 
死罪となったふたりの子どもたち(左衛門、薄雪姫。それぞれの相手側に公正な詮議
のために子を預ける辺りに、原作者の工夫が感じられる)を助け、逃がすために、そ
れぞれの父親が「陰腹」(こっそり切腹)を切って、園部邸の奥書院に集まる。銀地
に雪景色の立ち木の絵柄の襖。枝に乗った番(つがい)か、2羽の鳥は、鷺だろう
か。雪野に放たれようとしている若いふたりを象徴しているようにも見える。
 
衝立も、銀地、モノトーンの、なにやら、中国風の山水画である。「虎溪の三笑と名
も高き、唐土の大笑い」と床の竹本が語るように、絵柄は、高山と溪に架かる橋(虎
溪の橋)のようにも見える。モノトーンの奥書院の座敷外、下手の網代塀の外には、
青山の遠見が描かれた書割りが見える。座敷の内と外で、死と生が、対比されている
ように受け止めた。

全てを見通す捌き役が、キーパースンとなる「詮議」の場面では、若い二人と父親た
ちなど、それなりの役者の顔ぶれが揃わないと芝居が成り立たない。反逆罪の嫌疑だ
けで、即刻、死罪という悲劇の場面だが、豊潤な時代色たっぷりの時間がゆるりと流
れる中で、閉幕。昼の部は、これぎり。

(「新薄雪物語」は、夜の部に続く)
- 2015年6月8日(月) 11:12:25
15年05月国立劇場・(人形浄瑠璃第二部/「祇園祭礼信仰記」「桂川連理柵」)
 

三階建ての金閣寺の登場が見せ場

 
「祇園祭礼信仰記」は、人形浄瑠璃では、2回目。前回は、10年05月国立劇場。
この芝居「祇園祭礼信仰(しんこう)記」は、元々の外題が、「祇園祭礼信長(しんちょ
う)記」であったことでも判るように、織田信長の一代記をベースにしている。17
57(宝暦7)年、人形浄瑠璃の大坂豊竹座で、初演された。中邑阿契(なかむらあ
けい)らの合作。阿契らについては不詳。全五段の時代物。四段目の中から切にあた
るのが、「金閣寺」。この場面のみが今も良く上演される。

「金閣寺の段」。竹本は豊竹咲甫大夫。三味線方は竹澤宗助。敵対する松永大膳と此
下東吉が、本心を隠し、素知らぬ顔で、碁盤を挟んで、互いの肚の探り合いをするの
で、通称「碁立て」と呼ばれる。浄瑠璃の文句にも、「碁立て大膳」「一間飛びに入
り込んだも」「岡目八目」「宿石(ねばま)の返事」「一目、かう押さへて」…「中
手(なかで)を入れて」などという碁の専門用語が、ちりばめられている。
 
情慾と暴力に裏打ちされた「権力」への野望に燃える極悪人・「国崩し」役の松永大
膳の「武断政治」対「藝の力」、つまり「文化」の雪姫(画家の雪舟の孫という想
定)、それを支援する此下東吉こと、真柴筑前守久吉(つまり、豊臣秀吉のこと)ら
という構図。これは、つまり、「武化と文化の対決」ということで、桜の花びらを
「絵の具」代わりに使い、足のつま先を「筆」代わりに、鼠の絵を描いて、魂の入っ
た鼠たちに加勢させて、縄で縛られた雪姫が、縄を鼠にかじらせて、己の戒めを解か
せる、という話。文(化)が武(化)に勝利するという、判りやすい芝居だ。ペン
は、剣よりも強し。
 
雪姫は、歌舞伎でも人形浄瑠璃でも、「本朝廿四孝」の八重垣姫、「鎌倉三代記」の
時姫ととともに、「三姫」と呼ばれる大役のひとつである。

今回の人形浄瑠璃で、雪姫の人形を操ったのは、豊松清十郎で、雪姫が縛られてしま
うと、右手の袴の「ポケット」に入れて、左手だけで、人形を遣っている。左遣い
も、いない。主遣いの清十郎と顔を隠した足遣いのふたり遣い。主遣いは首(かしら)
を軸に操りながら全身に気を配っている。全身の動きの自然さは、足遣が担っている
ように見受けられた。本来、全身の動きに気を配る左遣いの不在という、その不自由
さが、縛られている雪姫の不自由さと協調して、非常に判り易い。見落とせないポイ
ントだと思う。
 
「爪先鼠の段」の前半では、遊軍的な動きをする複数の黒衣、あるいは、人形遣い
(3人から5人か)が、桜の花を下から投げ上げたりして、臨場感を出している。差し
金で、鼠を遣うのも、同じく、遊軍的な動き。桜に花が、ぽんぽん、下から吹き出し
て来る。鼠が、ちょこちょこ動き回る。
 
竹本千歳大夫が、雪姫の科白を言う。「父の敵は大膳ぢやわいなう、エヽこの事が知
らせたい、この縄解いて欲しいなあ、エヽ切れぬか、解けぬか」。時代がかった科白
廻しの後ろに、うめくような「この縄解いて欲しいなあ」という科白の現代的な表現
が、ひょこと、顔を出したと思ったら、再び、「エヽ切れぬか、解けぬか」と、時代
に染まった科白があり、印象的だった。後で、床本で確認して見たが、その通りだっ
た。三味線方は豊澤富助。
 
「爪先鼠の段」の後半。竹本は豊竹希大夫。歌舞伎同様、大道具のせり上がりが、見
せ場だ。歌舞伎では、金閣寺の大道具(楼閣)が、「大ぜり」に載ったまま、せり下
ると二階には、十三代将軍・足利義輝の母・慶寿院尼が幽閉されているという場面展
開になる。人形浄瑠璃でも、珍しく、大ぜりを見せてくれる。しかも、楼閣は、なん
と、歌舞伎より一階多い三階建てで、実際の金閣寺と同じ。慶寿院が幽閉されている
のは、最上階の「究竟頂(くっきょうちょう)」というから、誠にダイナミックであ
る。三階建の金閣寺の上層部が見えたり、隠れたりがスムーズに展開する。大道具展
開の原理は、蛇腹と折り畳みの構造に秘訣があるようだ。
 
一階では、楼閣の下手に桜木があり、そのさらに下手に、滝がある。雪姫を救い出し
た久吉は、慶寿院を救出しようと桜木を上り、楼閣の二階から三階を目指す。そうい
う人形の動きにあわせて、大ぜりが、沈み始め、楼閣の二階が現れると、辺りは、滝
も桜木も、桜の枝枝の下に沈み込み、満開の桜の花一色に、早替わりする。道行の
「吉野山」の桜も、見事だけれど、こちらは、桜のほかには、松も無く、楼閣の背景
には、澄み切った青空が、広がるばかり。それ以外の舞台は、本当に桜一色。なんと
も、美しい眺めである。やがて、桜の花の間に見えて来るのは、竹か。
 
大ぜりを使ったこの三層の金閣寺楼閣の演出は、初演時からのものだそうで、それゆ
えに、3年越しの大当たりになったという。今でも見応えがある場面展開だから、
もっと技術力に制限があった当時は、大変だったろうと思う。それだけに、これを観
た観客たちの驚きは、如何ばかりのものだったか。
 
さらに、久吉は、三階に上がり、慶寿院を救出し、合図の狼煙を上げると、桜樹の間
から、呉竹をたぐり寄せて、竹のしなる力を利用して、慶寿院を地上へと脱出させる
という、今ならヘリコプターで救出というような感じの離れ業まで披露する。歌舞伎
役者では、真似の出来ない、人形ならではの演出だと思う。基本的な筋立ては、歌舞
伎も人形浄瑠璃も、変わらないが、「超人」の人形と生身の「人」という役者との違
いが、芝居の演出を、くっきりと見せてくれるから、人形浄瑠璃の愛好者は、こうい
う細部にも、魅かれるのだろう。
 
三階の襖は、山々の遠景。二階の襖は、金地に桐の木の絵、一階の襖は、金地に虎の
絵。桐は、東吉、実は、筑前守久吉がらみ、虎は、軍平、実は、加藤正清がらみ、と
いう辺りも、基本的に、歌舞伎も、人形浄瑠璃も、同じであった。楼閣は、再び、上
がり続け、三階の「究竟頂(くっきょうちょう)」が、天に上り、二階が、それに続
き、以前の一階の場面に戻って来る。満開の桜も天に隠れて消え去り、舞台上手に
は、雪姫が、閉じ込められていた障子の間が、現れる。障子が開くと、そこは、座敷
牢の体、というか鉄で作ったシェルター状になっていて、今度は、松永大膳が、戒め
を受けて閉じ込められているというか、バリケード内で立て籠もっているか、という
図。いずれにせよ、金閣寺を包囲するのは、久吉の軍勢である。権力者の力関係が、
逆転したというわけだろう。
 
 
聖少女と中年男の邪恋

 
「桂川連理柵」は、通称「お半長右衛門」。人形浄瑠璃では、2回目。前回は、10
年09月国立劇場で拝見。前回は、お半と長右衛門の「年の差、なんて」というラブ
フェア発端となる「石部宿の段」もあった。10年9月には、「石部宿屋の段」「六
角堂の段」「帯屋の段」「道行朧の桂川」という構成で観た。今回の場構成は、「六
角堂の段」「帯屋の段」「道行朧の桂川」。
 
「桂川連理柵」は、大人で、物わかりの良い妻と中年のダメ男の夫というカップル
に、小悪魔の、ぴちぴちした聖少女、阿呆な丁稚がからむ「四角関係」の物語とで
も、言えば、判り易いかもしれない。
 
1761(宝暦11)年に、京都の桂川に流れ着いた50男と10代後半の娘の遺体
という実際の出来事をもとに、人形浄瑠璃や歌舞伎が作られた。江戸期のワイド
ショーに登場するように、舞台で案じられた男女関係の「連理」と家庭環境の「柵」
から引き起こされた恋愛悲劇。原作者は、お染・久松もので知られる菅専助。177
6(安永5)年、大坂の豊竹此吉座の人形浄瑠璃が、初演だ。
 
今回の人形遣いは長右衛門が新・玉男、お半が勘十郎、お絹が和生、儀兵衛が簑二
郎、繁斎が勘壽、おとせが文昇、長吉が前半、一輔、後半、簑助。
 
「六角堂の段」では、長右衛門の妻のお絹が、夫の不始末の後処理に知恵を巡らす。
義兄である長右衛門の不始末を利用して、父親の後妻の連れ子で、義弟の儀兵衛が、
長右衛門の追い落としを図ろうとしているのを知ったからだ。儀兵衛とその母親のお
とせの思惑通りにさせてしまえば、長右衛門とともに、夫婦連れということで、自分
も、追い出されかねないという事情もあるだろうが、儀兵衛は、色も欲もということ
で、お家乗っ取りとあわせて、お絹にも関係を迫ってきているのであるから、余計、
何とかせねばならないと思っている。お絹は、頭の良い、大人の女である上に、大局
観がある。大所高所からの判断が、的確だ。
 
お絹は、夫婦和合の願いを込めて、お百度を踏んでいる。店の使いで通りかかった長
吉を呼び止め、お半のことを聞き出す。お半と夫婦になりたいのならと、知恵を授
け、石部の宿の出来事は、お半と長右衛門ではなく、長吉とであったと言いふらせ
ば、必ず、お半と夫婦になれると諭す。さらに、ふたりで暮らせる準備ができるよう
にと、支度の金を渡す。すっかり、その気になる長吉。竹本は、お絹が竹本三輪大
夫、長吉が豊竹睦大夫、儀兵衛が竹本津國大夫。三味線方が竹澤團吾。
 
そういういくつかの、伏流があって、舞台は、「帯屋の段」へ、奔流となって流れ込
む。典型的な、人形浄瑠璃の作劇術だと思う。帯屋の場面は、歌舞伎も人形浄瑠璃
も、同じだ。

「帯屋の段」。前半、この段の「切」を語るのは、豊竹嶋大夫。三味線方は野澤錦
糸。店の金の行方不明と隣家の娘との不倫を盾に長右衛門を攻める儀兵衛とその母親
のおとせ。ふたりの切り札は、お半が書いた「長様参る」という手紙。キーパーソン
は、長吉だが、儀兵衛側の証人として呼び込んだ長吉は、「長様」とは、自分であ
り、お半とは、夫婦になるのだと主張する。儀兵衛の戦略がつぶされる。お絹・長右
衛門・お半・長吉・お絹と輪になって、連関する「四角関係」を巧みに利用したお絹
の作戦勝ちの場面である。
 
金のことは、長右衛門が店の主人なのだから、どう使おうと主人の勝手という、いま
は、隠居している舅の裁断で、これも、決着。人形浄瑠璃では、この場面は、その後
の心中の、愁嘆場の場面を前にして、徹底的にチャリ場(笑劇)にしてしまう。その
笑いは、中途半端ではなく、おもしろい。人形ならではのパフォーマンスが、随所に
ある。竹本の嶋大夫の、「だみ声」と「大阪弁」のイントーネーションの語りが、
マッチして、濃密な時間が流れる。人形遣たちの動きも、メリハリがある。今月の国
立劇場小劇場・人形浄瑠璃公演の白眉の場面であったと、思う。
 
太夫が入れ替わって、「帯屋」の後半へ。「奥」は、英大夫が、しっとりと抑え気味
に語り出す。三味線方は竹澤團七。
 
疲れて、店先で寝てしまう長右衛門。隣家から忍んで来たお半。やっと登場。寝入り
ばなを起こされた長右衛門は、お半との仲を思い切ると決意を語る。諭しを聞いた風
でもあり、聞かぬ風でもあり、意味ありげな様子で立ち去るお半の態度を不審に思っ
た長右衛門は、お半の後を追う。
 
お絹の良妻ぶりにも、息苦しい思いを抱いていたのであろう長右衛門は、いわば、下
半身は、別人格という、生活破綻者である。実は、長右衛門は、以前にも芸妓岸野と
心中未遂を図ったことがある体験者だけに、純愛を貫こうという意識もくすぶってい
る。岸野だけ死なせてしまったという疾しさもある。こういう男の、こういう性格
は、もう「病気」ということだろう。先ほどの決意も、ものかわ、お半が死のうとし
ていると察知してしまうと、自制が効かない。きょうは、岸野の命日でもあった。岸
野が、お半に己を呼ばせている。長右衛門は、結局、お半の後を追いかけて行くこと
になる。お半は、そこまで、計算して、書き置きを残し、自分の赤い鼻緒のついた下
駄を帯屋の店先に脱ぎ捨てて、裸足で、姿を消してしまう。聖少女であり、小悪魔で
ある、少女の魅力に取り付かれた中年男の末路。
 
お半は、お半で、初めて体験した大人の男との性愛の魅力に取り付かれている。性愛
の伴わない恋愛なんて、いらない。性愛の終焉と共に命さえ終焉してもかまわない、
というのが、小悪魔少女の人生観。こういう小悪魔の魅力が、「道行」で、描かれる
のだろう。前回観た歌舞伎では、ここまでで、幕となってしまって、魅惑の「道行」
に、連れて行ってくれなかった。
 
「道行朧の桂川」。竹本の語りだが、この場面では、清元では、「道行思案余(みち
ゆきしあんのほか)」という浄瑠璃で、道行の場面が演じられるし、常磐津では、
「帯文桂川水(おびのあやかつらかわみず)」で、演じられる。
 
今回の竹本は、お半が、呂勢大夫。長右衛門が、咲甫大夫。そのほか、全員で、5人
の大夫の出演。三味線は、鶴澤藤蔵ほか。
 
浅黄幕が、三味線の合間の、柝の音で、振り落とされると、舞台は、薄闇の夜。下手
に「桂川」という柱が立っている。上手は、柳。正面奥の遠見は、山々迫る桂川の
体。
 
お半の主遣いは、勘十郎。長右衛門の主遣いは、新・玉男。ふたりとも肩衣を付けた
裃姿という正装で、生活破綻者の中年男と小悪魔の身重な少女の性愛と死出の道行の
場面を重厚に演じて行く。14歳の幼妻・お半を背負った長右衛門。
 
長右衛門は、せめてお半とお腹の子だけでも助けたいとお半を諭すが、小さい時から
隣家の養子の年上の長右衛門を慕って来たのだから、一緒に、死なせてくれと思いを
ぶつけて来る。律儀で分別もあるという長右衛門の上半身と生活破綻者の下半身と
は、分離している。さらに一度、体の関係を知ってしまったお半は、一途に男に慕情
をつのらせる。性愛の喜びを知った若い女性の匂うばかりの肢体が、勘十郎の操り
で、命が吹き込まれる。人形と思われないような動きで、ぷりぷりしている小悪魔少
女・お半。玉男の長右衛門は、重厚だが、地味。
 
ふたりを探す人々の提灯の灯りが、近づいて来る。「見つけられじと足早に、転けつ
まろびつ、うしがせの、水上(みなかみ)へとぞ、急ぎ往く」という竹本のことばと
三味線の音に乗せられるように、ふたりは、蹌踉と、桂川の水上へ飛び出して行く。
 
歌舞伎なら、附け打で盛り上げる場面だが、人形浄瑠璃では、足音を重複的に叩き出
して附け打と同じ効果を上げているのが、判る。

お半は、歌舞伎の女形なら、背中を逆海老に反ってみせるポーズをとった。左手だけ
で、お半を操る勘十郎。ラストシーン。下手に長右衛門、上手にお半。二手に分かれ
て、それぞれ、絵面の静止にて、幕。
- 2015年5月23日(土) 9:25:07
15年05月国立劇場・(人形浄瑠璃第一部/「五條橋」「新版歌祭文」「口上」
「一谷嫩軍記〜熊谷陣屋」)
 
 
二代目吉田玉男襲名披露


「五條橋」は、初見。牛若丸と弁慶の出会いの場面の舞踊劇。文稿堂ら合作、173
1(享保16)年、大坂竹本座初演の時代もの「鬼一法眼三略巻」の五段目。人形なら
ではの超人的な動きが楽しめる。京の五条橋。夜間、通行人に斬りかかり相手の腕試
しをして家来をリクルートしているのは、後の源義経、若き日の牛若丸。被衣(かず
き)で上半身を隠し女装と見間違えられるような牛若丸。それに挑む怪力の弁慶。橋
の上、弁慶の持つ薙刀の上に、ひらりひらりと舞い踊るように動き回る牛若丸には弁
慶もタジタジ。
 
竹本は牛若丸が豊竹睦大夫、弁慶が豊竹始大夫ほか。三味線方は野澤喜一朗ほか。人
形遣いは牛若丸が桐竹紋臣、弁慶が吉田勘市。

 
「新版歌祭文」は、人形浄瑠璃で観るのは、2回目。前回は、10年05月国立劇
場。但し、前回は「野崎村の段」、「油屋の段」、「蔵場の段」の通し上演。今回は、
「野崎村の段」だけのみどり上演。
 
「新版歌祭文 野崎村」は、1780(安永9)年、9月に大坂竹本座が、初演。
「新版歌祭文 野崎村」は、近松半二ほかの原作で、1710(宝永7)年、80年
前に実際に起きたお染・久松の情死という事件を元に脚色している。大坂の大店油屋
で大事に育てられた娘と武家出身で複雑な家庭環境に育った若い使用人の心中物語。
 
上下二巻の世話浄瑠璃。事件当時から以後、歌曲、浄瑠璃、歌舞伎が、つくられた
が、近松半二らが、それらを集大成した。「お染・久松もの」の世界という。
 
「新版歌祭文」の歌舞伎化は、5年後の1785(天明5)年5月大坂中村粂太郎座
(中の芝居)。歌舞伎では、「妹背山」の「山の段」(歌舞伎では、「吉野川の
場」)同様に、左右対称の舞台装置を得意とする半二劇の典型的な演劇空間で、両花
道(本花道、仮花道)を使う。時に、本花道だけの演出もある。花道の無い人形浄瑠
璃の舞台では、この場面を、どういう演出で上演したか、見所のポイントの一つにな
る。
 
「新版歌祭文」の「新版」とは? :
大店の娘と若い使用人の物語としては、それより、更に50年ほど前の1662(寛
文2)年、姫路で起きた「お夏・清十郎もの」という歌舞伎や人形浄瑠璃の先行作品
があり、これが、俗謡の「歌祭文」となったことから、近松半二ほかの原作では、久
松の養父・久作に、この「歌祭文」のことを触れさせるが故に、外題を「新版歌祭
文」とした。
 
歌舞伎の幻の舞台:
今は、早、幻の舞台。歌舞伎の「新版歌祭文 野崎村」は、何回か観ていて、なかで
も、10年前、05年2月の歌舞伎座の舞台は、忘れられない。芝翫のお光、富十郎
の久作、雀右衛門のお染、鴈治郎時代の藤十郎の久松、田之助のお常(油屋の後
家)。なんと、5人とも、人間国宝という重量級の組み合わせであった。このうち、
今も息災でいるのは、藤十郎、田之助のふたりのみ。
 
野崎村の段:
歌舞伎も人形浄瑠璃も、「野崎村」という通称に示されているように、この場面だけ
を観ると、軸となるのは、野崎村に住む久作と後妻の連れ子のお光(今回の人形浄瑠
璃では、おみつ)の物語。大坂の奉公先で、お店のお金を紛失(盗んだという嫌疑も
ある)し、養父・久作の家に避難して来た養子の久松、久松と恋仲で久松の後を追っ
て訪ねて来たお店のお嬢さん・お染、さらに、お染を追って来たお染の母・お勝が登
場し、お染も、久松も、店に戻されるという展開になるだけの話。皆、野崎村に来
て、お騒がせをして、帰って行く。しかし,軸は、お光と久作であることを忘れては
ならない。髪を切り、人生の岐路を曲がってしまうのは、お光であり、それを健気だ
と慈しむのが、義父・久作であるからだ。
 
おみつの人形を遣うのは、今回は、勘弥。若い女形の人形の場合、人形の首(かし
ら)は、「娘」を使う。娘の顔は、人形だから、表情の変化は、無い筈なのに、遣い
手によって、表情が違う。
 
以前、人間国宝の簑助のおみつを観た。ハタキを掛けたり、箒で掃いたり、簑助は、
慈しむようにおみつを操る。動きの無いような場面でも、片時も、逃さず、きめ細か
く命を吹き込み続けている。簑助が、女形の人形を操る時の表情が好きだ。老年の男
の顔つきの下から、何とも言えない女の色気が滲み出て来るからだ。このコツは、人
形の目線と遣い手の目線が、絶えず、平行というか、同心円というか、兎に角調和し
ていることが大事らしい。
 
簑助が遣っていると無表情な人形の顔に、簑助の表情が移り、人形の表情が、俄然、
豊かなものに変じて来るという場面を何回も観て来た。「人形遣いの魔法」とでも呼
ぶべき、異変が、人形の表情に起こるのだろうと思う。
 
大坂から来た人々、1)小助:
やがて、歌舞伎では観たことの無い人物が登場する。大坂油屋の「久三(きゅうざ・
下男のこと)の小助」が、久松を連れて、野崎村にやって来る。久松は、店の売り掛
け金を紛失(実は、財布をすり替えられたのだが、盗んだという嫌疑がかけられてい
る)したので、身の証が立つまで、養家に戻されて来たのだ。
 
贅言;実は、この小助は、店の金を使い込んで、廓通いをしている小悪党なのだ。通
しでは、後半に悪役で出て来る。通し上演で観た時には、小助を勘十郎が操ってい
た。野崎村の段では、小助の登場はこの場面だけ。
 
一方で、久作の後妻の連れ子のおみつは、養子の久松との婚礼を楽しみにしている。
事情はどうあれ、恋しい久松が、戻って来たので、嬉しいおみつ。
 
小助を文哉が、憎々しげに演じる。久作が、小助と応対し、藁苞にいれていた金を小
助に渡すと、小助は、大坂に戻って行く。自分の祝言の準備に取りかかるおみつ。久
松の人形を遣うのは、清五郎。久作の人形を遣うのは、文司。
 
贅言;実は、歌舞伎の「野崎村」では、この辺りから、演じられる。歌舞伎では、祝
言の準備以降の「嬉しいお光」ばかりを強調する印象になる。歌舞伎のお光は、大根
をなますに着るのだが、祝言準備に心浮かれてしまい、鏡に向かって、髪を直した
り、肌色の油取りの紙を細く折り畳み、それで眉を隠して、眉を剃り落として若妻に
なった様を見せて、自分で「大恥ずかし」と言わせたりする、人形浄瑠璃も、この辺
りは、同じ。
 
大坂から来た人々、2)お染:
野崎参りにかこつけてお染がやって来る。おみつは、若い女性の直感で、お染を「恋
敵」として、鋭く認識する。お染持参の土産物の服紗を投げ返したり、門の戸を閉め
たり、娘らしい嫌がらせをする。箒を逆さまにして立てかけたり、久作に使うお灸の
火で、お染に嫌がらせをしたり、いかにも、田舎育ちの若い娘がやりそうな、悋気か
ら来る素朴な嫌がらせをおみつは、するのである。
 
お染は、お嬢さん育ちで、おっとりしている所為か、嫌がらせに耐えながらも、心中
(しんちゅう)には、烈しいものを秘めているように見受けられる。男との性愛の味
を知った女性の強さもあろうし、心底に久松との心中(しんじゅう)をも辞さないと
いう強気が、すでに隠れているからなのでもあろう。お染の身体と心の深淵は、意外
と深い……。
 
花嫁の化粧をしようと、おみつが、久作とともに、奥に引っ込むと、お染は、久松に
詰め寄る。山家屋に嫁ぐ話が進んでいるお染は、久松の真意が知りたいと焦ってい
る。積極的である。
 
詰め寄ったままお染と久松の人形は、しっかり、寄り添って抱き合う。静かだが、官
能的。まさに、「深き契り」。そんなふたりを見て、歌祭文の「お夏清十郎」を引き
合いに出し、ふたりの行動を諌める久作。既に、男女の仲になっているお染・久松。
処女の田舎娘のおみつ。「深き契り」の様を壁越しに肌で感じたおみつのとるべき途
は? ということで、恋敵お染の存在を知り、奥で、髪を切り、尼になったおみつ。
処女は、修道女(尼)になって奥から出て来る。
 
大坂から来た人々、3)お勝:
そこへ、大坂からお染の母親・お勝が、訪ねて来て、結局は、お染・久松を大坂に連
れて帰ることになる。小助のからみを除けば、大筋は、歌舞伎も人形浄瑠璃も、同じ
だ。ここから、先が違って来る。
 
贅言;歌舞伎と人形浄瑠璃の違い:1)歌舞伎では、舞台が廻り、久作の家の裏手の
舟着き場が現れる。両花道を使う演出の場合、水布が敷き詰められて、川となった本
花道から、お染と母親を乗せた舟が大坂を目指す。土手の街道となった仮花道から、
久松を乗せた駕篭が大坂を目指す。
 
廻り舞台の装置がない人形浄瑠璃では、舞台の構造上、そういう演出は取れない。お
勝・お染の母娘は、下手に、一旦引っ込む。舞台下手手前に川があったが、下手小幕
から出て来た屋形舟にお染と母親が乗って再び登場。母親が乗って来て、下手奥の袖
に置かれていた駕篭に久松が乗り込み下手に退場。久作宅の下手に白梅の木があった
が、竹本:「死んで花実は咲かぬ梅、一本花にならぬ様にめでたい盛りを見せてく
れ。随分達者で」と、久作の別れの言葉。
 
やがて、舞台の久作宅の大道具(屋体)が、本舞台上手奥に引き入れられる。引き道
具という演出。山の遠見が天井から降りて来る。本舞台前面が、川になる。川の奥
が、土手になる。川には、障子を締め切った屋形舟を大男の、力士のような太った船
頭が舟を漕ぐ。漕ぎながら、体操まがいの動きをさせて、「チャリ場」(笑劇)を演
じる。今回の船頭は、前回より動きが派手で、川に落ちてしまい、慌てて泳いで戻る
場面もある。屋形船の障子が開くと、お勝・お染の母娘が乗っているのが判る。
 
下手から駕篭の簾を垂らしたまま出て来た駕篭が上手に移動し、舞台中央の辺りで、
駕篭かきに休憩をさせて、汗を拭わせる。駕篭の簾を開けて、久松の顔も覗かせる。
いずれも上手に向かいながら、別れ別れの道行を観客に見せつける。見せつける時間
稼ぎのために、船頭や駕篭かきたちにチャリ場を演じさせる演出だ。
 
歌舞伎も人形浄瑠璃も、この場面では、早間の三味線が、ツレ弾き(2連で演奏)さ
れる。竹本「『さらばさらば』も、遠ざかる舟と堤は隔たれど、縁を引き綱一筋に思
ひ合ふたる恋仲も」。
 
3人遣いの人形を屋形舟には、母娘ふた組(つまり6人、船頭の3人遣いを入れれば
9人が乗り込む。
 
贅言;歌舞伎と人形浄瑠璃の違い:2)は、ラストシーン。歌舞伎なら、本舞台土手
上の久作の家では、死を覚悟したお染・久松の恋に犠牲になり、髪を切り、尼になっ
たお光が、そこは、若い娘、大坂に帰るお染の乗る屋形舟と久松の乗る駕篭をにこや
かに見送りながら、舟も駕篭も見えなくなれば、一旦,放心した後、我に返ると、
狂ったように、父親に取りすがり、「父(とと)さん、父さん」と泣き崩れる娘の姿
があった。まだ、尼(修道女)になりきれない、若い処女の、最後の真情発露であろ
う。人形浄瑠璃では、そういう余韻は無いので、こういう場面も無い。
 
 
「口上」二代目吉田玉男襲名披露。ロビーに祝いの積み物。山川静夫、鳥越文蔵らの
個人名の祝儀も。剣菱、熊谷の清酒「直実」も。口上は、吉田家の家紋が入った襖の
座敷の体。千歳大夫の仕切りで、嶋大夫、鶴澤寛治、吉田和生、桐竹勘十郎が口上を
述べる。嶋大夫が竹本を代表して祝辞を述べる。鶴澤寛治が初代と二代目の入門当時
のエピソードを披露する。吉田和生、桐竹勘十郎、同期の人形遣い仲間として、ライ
バルとして、祝辞を述べる。概して、おとなしい紹介が多い。二代目吉田玉男は、節
目節目にお辞儀をするが、基本的に、口上の10分間は黙ってお辞儀をしている。大
阪文楽座の襲名披露の口上ビデオ放映していた。
 
 
「一谷嫩軍記〜熊谷陣屋〜」。今回、二代目吉田玉男襲名披露の演目に選ばれた。1
751(宝暦元)年、大坂豊竹座で初演。全五段の時代もの。人形浄瑠璃は、歌舞伎の
芝翫型というか、歌舞伎の芝翫型は、人形浄瑠璃の原型に近いというべきか。
 
歌舞伎では、何回も観ている馴染みの演目だが、人形浄瑠璃で観る「熊谷陣屋」は、
3回目。01年5月(通し)、13年05月(みどり)、そして今回(みどり)。い
ずれも国立劇場。「みどり」は、「熊谷陣屋」(「熊谷桜の段」「熊谷陣屋の段」)
のみ。
 
役宅と私宅:
「熊谷陣屋」の「陣屋」というのは、英語では「キャンプ」、軍営施設。陣屋は、公
務を扱う役宅と駐在する責任者の私宅が併設されている。「熊谷桜の段」の竹本の文
句に「要害厳しき、逆茂木の中に若木の花盛り、八重九重も」とある。「逆茂木」と
は、バリケード。陣屋の門の外に咲く桜は、八重桜と判る。戦場の中の日常。舞台の
熊谷陣屋は、東国の武将・熊谷直実の出張・駐在先(須磨)にある役宅兼私宅である
ことが判る。下手、入口から座敷に上がると、正面が、役宅。背景は障子6枚(後
に、障子が開けられると、廊下か部屋があり、その奥は、板戸。板戸が開けられる
と、外が見える。山々の遠見。谷間では、合戦中と見られ、砂埃が上がっていて、兵
士たちが掲げるいくつもの幟も見える)。上手、4枚の障子で仕切られているのが私
宅の入口と思われる。竹本の語りをこまめに聴いていると、上手の部分が、「勝手」
とか、「奥」とか称されているのが判る。
 
「入り込み」:
「熊谷桜の段」は、いまの歌舞伎なら陣屋の前の桜の木に立ててある制札を仕出しの
役者衆の百姓が噂をする場面で終ってしまうが、「相模は子を思ひ夫思ひの旅姿」
(竹本)、直実の妻・相模が供を連れて、東国からはるばると訪ねて来る場面から演
じられる。追っ手に追われて逃げて来る藤の局(「藤の局」、「藤の方」が混在)
は、先程ついたばかりの相模と16年ぶりに逢うことになる。梶原平次景高が、「所
用あつて推参」。さらに梶原に縄を打たれて引き立てられた弥陀六が来るという場面
まで演じられる。「熊谷桜の段」は、登場人物が次々に出て来る「入り込み」があ
り、次の「熊谷陣屋の段」の伏線になっていることが、よく判る。
 
以前は、歌舞伎でも、これらの「入り込み」を省略しなかったようだが、最近は滅多
に上演されない。私は、12年3月の国立劇場で、歌舞伎の「入り込み」を初めて観
たことがある。その時の配役は、花道から出てくる順で、相模(魁春)、藤の方(東
蔵)、梶原平次(市蔵)、弥陀六(弥十郎)、直実(今は亡き團十郎)/陣屋では、
このほか、軍次(巳之助)、義経(三津五郎)。
 
歌舞伎の「芝翫型」と「團十郎型」:
歌舞伎では、「熊谷陣屋」の演出は、2系統あり、「芝翫型」、「團十郎型」と言わ
れる。「芝翫型」は、江戸時代の三代目中村歌右衛門が、1813(文化10)年に
工夫し四代目中村芝翫が完成したと言われるもので、熊谷直実の花道出の衣装では、
黒のびろうど着附・赤地錦の裃(オレンジ色に近い赤地錦のきんきらした派手なも
の)をつけて出て来る。「團十郎型」は、歌舞伎十八番を創設した江戸時代の七代目
市川團十郎とそれを発展させて新歌舞伎十八番も創設した明治の劇聖・九代目團十郎
が工夫したもので、心理劇として、近代化されている。結末の部分が江戸期の原作と
は大きく改編されている。團十郎型は、その後、熊谷直実の「性根」解釈を深め、初
代吉右衛門が完成させた。いまでは、歌舞伎では、この團十郎型の上演ばかりで、
「芝翫型」は、すっかり姿を消している。その「芝翫型」演出が、人形浄瑠璃から引
き継がれているのである。今回も「芝翫型」。衣装も歌舞伎と違うし、ドラマの終末
も違う。これを楽しめるのは、人形浄瑠璃の楽しみの一つだろう。
 
青葉の笛:
歌舞伎では、藤の方が青葉の笛を吹くと敦盛の姿が上手の障子にシルエットとなって
写るが、人形浄瑠璃では、舞台正面の背景として障子があり、そこに影が写る。影に
驚いて、障子をあけると、そこには、青の横線が二本(大小)入った板戸を背景に緋
縅の鎧が正面を向いて置かれているだけというのは、歌舞伎も人形浄瑠璃も同じだ
が、歌舞伎の場合、障子に写る影が正面を向いた敦盛なのに、人形浄瑠璃では、横向
きの敦盛であった。
 
上手の障子が開き、首桶を抱えた直実が登場する(歌舞伎は、正面奥より登場)。歌
舞伎同様に落着いた色の裃に長袴という扮装。
 
「首(かしら)」から「首(くび)」へ:
人形浄瑠璃では、人形の顔を首(かしら)と言う。しかし、首(かしら)が、本当に
首(くび)になる場面がある。首実検という死者の判別方法の場面である。

歌舞伎の場合、義経は、必ず四天王を引き連れて登場するが、人形浄瑠璃の舞台で
は、義経は、ひとりで登場した。正面奥、先ほどの板戸を開けて登場し上手に座る。
但し、首実検での義経の役回りは、同じであった。この後、「首(くび)」を巡って
の直実と相模、藤の局の絡みでは、制札の使い方が、歌舞伎より人形浄瑠璃の方が、
実用的で、「首」をふたりの女性に見せないように、見せないようにとするための道
具として使われる。制札で、ふたりの視線を塞ぐ。
 
歌舞伎の場合には、「制札の見得」と呼ばれる有名な場面のための、いわば象徴的な
使い方を制札はするのだが、人形浄瑠璃の場合、特に相模に対しては、殺された息子
の生首を母親・相模の目から、本当に「目隠し」をするように使うのである。また、
「首」に近づこうとする相模の身体を直実は、右足で下に押さえ込み、相模の顔を下
に向ける。「首」の前には、扇子を置き、女性らには、首を見えないようにもする。
この場合、制札は藤の局の顔を隠している。まあ、三人遣いの人形だからこそ、でき
る動作だろう。「首」の前から扇子をはずすのは、「首」を義経に見せるときだけ
だ。どの段階で、誰に「首」を見せるか、そこは、細かなところまで徹底しているよ
うに見受けられた。
 
いよいよ「首」をふたりの女性に見せる場面。先ず、相模。その「首」が、敦盛では
なく、わが子・小次郎と知り、泣き崩れる相模だが、相模は「首」を藤の局にも見せ
なければならない。紫の布に包み「首」を舞台下手に入る藤の局のところに運ぶ相模
(歌舞伎では、藤の方は、舞台上手にいる)。ここは、女性同士で泣かせる芝居にな
る。途中で、「首」を持ったまま、つまづく相模。藤の局に語りかける相模のクドキ
の台詞は、人形浄瑠璃も歌舞伎も同じだ。
 
ただ、「首」を包む紫の布を開けたり閉めたりする相模の動作がきめ細かい。ここで
も、「首」の見せ方は、細かなところまで徹底しているように見受けられた。それ
は、私には、歌舞伎の舞台より、小次郎に対する相模の母としての愛情表現が、遥か
に細やかに思えて来た。これまでにも、何回も私が主張して来たように、並木宗輔の
「母の愛」というテーマへの思いの濃さが感じられる場面である。

生者という残されし者: 
直実から弥陀六に「手渡された」鎧櫃は、歌舞伎なら櫃のなかに、生き残って、逃が
されることになる敦盛が隠れているという想定だから、手渡したりしない。弥陀六
も、平気で両手で櫃を運んだりする。人形浄瑠璃でも櫃のなかに敦盛が隠れていると
いう想定は変わらないのだが・・・。重さを表現すると言うところに、こだわりはな
いらしい。軽々と持っているのだ。
 
さて、直実は、歌舞伎なら頭を剃りあげて僧形になる場面では、人形浄瑠璃では、直
実は、被っていた兜の下から髷を切ったままの頭を見せる。一旦、奥に引き込んだ後
も、髷を切り落としただけで「有髪」の僧形である。剃った頭と僧形を鎧兜の下から
脱いでみせるのは、歌舞伎の芝居心なのだろう。「十六年もひと昔。夢であったな
あ」という感慨深げな科白も、脱いだ兜に向かって言う。歌舞伎の場合、直実は、長
い間の武士の生活に別れを告げるだけでなく、16歳で亡くなった(いや、自らの手
で殺した)わが子・小次郎の「首」へ向けて、父親としての惜別の思いを込めている
ように思うが、人形浄瑠璃では、武士の生活との別れへの述懐だけのようだ。
 
幕切れは、歌舞伎の場合も、もとは本舞台に全員が残っての引っぱりの見得だったと
いう。ところが、いまの歌舞伎では、花道で直実が、思い入れたっぷりに「ア、十六
年はひと昔、アア夢だ、夢だ」と突き放すように言いながら、頭を抱え、さらに幕外
で武士と僧形の間で揺れる心を、遠寄の音を効果的に使いながら見せるという演出を
する。これは、「送り三重」という三味線の演奏を使うという演出とともに九代目市
川團十郎が創案した演出である。役者の工夫魂胆である。私は、筋立てとの整合性
は、若干欠くと思われるこの役者・九代目ならではの歌舞伎の工夫も好きだし、原作
者・並木宗輔ならではの、工夫魂胆も好きである。
 
「十六年もひと昔。夢であつたなあ」が、人形浄瑠璃の竹本。私の観たところでは、
人形浄瑠璃では、むしろ「惜しむ子を捨て武士を捨て、住み所さへ定めなき有為転変
の世の中やと、互ひに見合はす顔と/顔 『さらば』/『さらば』/『おさらば』の
声も涙にかき曇り、別れてこそは出でて往く」という文句を竹本の大夫が語りあげ、
人形は皆々引張りの見得という場面が、クライマックスと思う。
 
むしろ、人形浄瑠璃では、制札という小道具を直実がいつまでも持っていることを考
えれば(歌舞伎は、幕外の引っ込みでは「笠」が、大事な小道具になっているが)、
組織(主従関係)のため、制札に込められた謎を解き明かし、それが成功して、評価
された(男の論理)ことの虚しさ(子殺しという結果)をこそ、「有為転変」という
言葉に原作者・並木宗輔は、メッセージを込めているように思える。彼の価値観とし
ては、男の論理より、母の情を上位に置いているのだろう。
- 2015年5月22日(金) 7:11:42
15年05月歌舞伎座 (夜/「慶安太平記 丸橋忠弥」「蛇柳」「神明恵和合取
組」)

 
菊五郎劇団お得意の大立ち回りの興行
 

「慶安太平記 丸橋忠弥」は、前半の肚藝と後半の大立ち回りが見ものの芝居。肚藝
の難しさをこなす役者では、大立ち回りの迫力に欠けるし、大立ち回りが元気いっぱ
いにできる役者では、肚藝が今ひとつだし、ということで配役が悩ましい演目だろ
う。
 
通称、丸橋忠弥、「慶安太平記」は、2回目の拝見。明治期の河竹黙阿弥が、初代左
團次のために書いた作品。後に、「團菊左」つまり、九代目團十郎、五代目菊五郎、
初代左團次という明治の3名優のひとり、左團次の出世作。

若き日の左團次は、藝の未熟さに苦しんでいたが、幕末期の名人、四代目小團次と提
携して力を付けた黙阿弥は、小團次死去の後、小團次の養子で、若干25歳の左團次
を小團次への報恩の一環として、応援し、慶安4(1651)年に倒幕を企てた由井
正雪の乱を題材に「慶安太平記」を書いた全七幕もの。場の構成は、第一幕「場外堀
端の場」、第二幕第一場「丸橋忠弥住居の場」、第二場「同  裏手捕り物の場」。

原作は、複雑な筋が、寄り合わされているが、見せ場は、大きく分けて、ふたつあ
る。このうち、「城外堀端の場」は、伏線。幕府転覆という大志を抱きながら酒に溺
れる忠弥の姿が描かれる。原作では丸橋忠弥を演じる左團次の、ほぼ独り舞台とな
り、肚藝が勝負。立作者の特権で、黙阿弥が左團次を売り出そうとした乾坤一擲の名
場面である。今回は、第二幕第一場「丸橋忠弥住居の場」、第二場「同  裏手捕物の
場」という構成で、捕物の場の立回りも、ふたつ目の見せ場である。
 
「城外堀端の場」では、濠端の葭簀(よしず)囲いの茶屋の床几で中間たちがおでん
で酒を呑んでいる場面で幕が開く。やがて、花道に登場した丸橋忠弥(松緑)は、皮
色木綿の着付けをはしょり、赤合羽を羽織って、朱鞘の刀の一本差し、饅頭笠という
出立ちで、さっそく七三で名調子の科白を吐く。「ああ、好い心持ちだ。(略)今朝
家(うち)で朝飯に迎い酒に二合呑み、それから角の鰌(どじょう)屋で熱いところ
をちょっと五合、そこを出てから蛤で二合ずつ三本呑み、(略)ここで三合、彼処で
五合、拾い集めて三升ばかり・・・」。酔っぱらって、江戸城堀端までやって来た態
で、つまり、酔いと幕府転覆の野望の偽装が、芝居のテーマというイントロダクショ
ンを象徴する場面になっている。

中間たちに気前良く酒を奢り、出会った岳父の藤四郎(團蔵)の借金に言い訳をし、さ
らに酒を呑み続ける。やがて、床几で寝込み、野良犬に顔を嘗められ目を醒ます忠弥
は、犬を追い掛け、石を投げているうちに、舞台は、背景が変わり、江戸城の弁慶橋
までやって来て、石を投げると濠に落ちる。そして、煙管を構えて、耳を傾けてい
る。どうやら、濠に落ちる石の水音を聞き分けて、濠の深さを測っているようだが、
先ほどからの酔っ払いの態は、その偽装のようだと観客に知れる頃合を見計らって、
江戸城から出て来た様子の松平伊豆守(菊之助)に不審がられるという、緊迫の場面
に繋がって行く。但し、何故、濠の深さを測るのかは、観客には判りにくい。

伊豆守が蛇の目傘を忠弥に差し掛けるが、すぐには、気づかない。雨に濡れなくな
り、不審に思い上を見上げて、傘に気づくという体たらく。重要な芝居は、肚藝で演
じる場面である。松緑の酔いっぷりの演技が良かった。

歌舞伎座では、戦後70年間のうちに、この演目が演じられたのは、92年2月、0
6年8月、そして今回だけの、わずか3回。最初のときの配役が、團十郎の忠弥、菊
五郎の伊豆守。私が観たのは、前回、橋之助の忠弥、染五郎の伊豆守。今回が、松緑
の忠弥、菊之助の伊豆守では、格が違う。前回や今回のふたりでは出せていない肚藝
の緊迫感があっただろうと想像がつく。
 
贅言:忠弥が、何度か使った「素敵に酔った」などという科白は、明治期の歌舞伎ら
しい、モダンな感じがする。
 
また、第二幕の「丸橋忠弥住居の場」では、忠弥女房のおせつ(梅枝)とおせつの父
親で、弓師の藤四郎(團蔵)のふたりが、忠弥の偽装と本懐告知というドラマチック
な展開へ向けて、バランスを取るという重要な役割を演じる場面が見どころ。岳父の
公儀へ訴えでるという、忠弥から見れば、「裏切り」に向けての演技がポイント。以
前に観た市蔵の岳父も今回の団蔵の岳父も婿を裏切るわけだから、もう少し、悩まし
さが、滲み出すべきなのではなかったか、と思った。家族の裏切り。史実の由井正雪
の乱を越える想定だ。何れにせよ、この芝居は前半の出来がいつも不満になる。
 
大道具が、廻り、「住居の場」の裏手へ場面が展開する。やがて、捕物の立回りが、
20分程続く。この場面は、大部屋立役たちの乱舞の花が咲く。菊五郎一座は、こう
いう大立ち回りが好きだ。

力の籠った立回りが続き、充分、楽しめた。捕り手たちが、将棋倒しのようにトンボ
を返し続けたり、所作事のような立回りと松緑の節目節目の見得のバリエーションが
続いたり、簀戸(戸板)や縄を巧みに使った群舞(戸板3枚を組み合わせて、スロー
プを作り、小屋の屋根の上まで忠弥が駆け上がったり、縄を組み合わせて作った、い
わば「ネット」に屋上からダイビングしたりする場面もある)が続いたり、「義賢最
期」(「源平布引滝」)を連想させる戸板を組み合わせた「俄台」に忠弥が乗って見
得をしたあと、戸板ごと崩れ落ちたりと、息をつかせない場面が、連続するから、立
回り好きの観客には、堪えられない場面が、続く。

背景となっている由井正雪の乱とは、1651(慶安4)年の4月から7月にかけて起
こった幕府転覆未遂事件。主な首謀者は由井正雪、丸橋忠弥ほか。軍学者の由井正雪
は三代将軍家光の武断政治(武力を背景とした専制政治)で、多数発生した浪人の不満
を背景に家光逝去で誕生した四代将軍家綱(当時11歳)に反発をし、幕府転覆と浪人
救済を掲げて、蜂起した。計画では、丸橋忠弥が江戸を焼き討ちし、混乱に乗じて幕
府要人を討つ。次いで、由井正雪らが京都、大坂で蜂起する、というもの。しかし、
一味の中に裏切り者がいて、密告し、テロ計画は事前に露見をしてしまう。丸橋忠弥
は捕縛されてしまう。この芝居では、密告者は、忠弥の岳父という設定で、由井正雪
の事件は、遠い雷鳴のように、影絵として描かれる。
 
 
「蛇柳」は、成田屋家の藝の「歌舞伎十八番」の演目だが、戦後では、1947年5
月東京劇場で上演、今回を含めて2回上演されただけ、ということであまり演じられ
ていない。復活に情熱を燃やす海老蔵が2年前に初演、今回の歌舞伎座が本興行初演
である。

高野山奥の院の霊木の蛇柳の怪異譚。住職の定賢(松緑)ら学僧の法力が勝つか妻を亡
くしたので、妻の菩提を弔って欲しいという男、実は蛇柳の精魂(海老蔵)の邪心が勝
つか、という対決の物語。
 
特に、後半の正体を顕した精魂と学僧の祈りの抗争。そこへ破邪の大竹を持った「押
し戻し」の金剛丸照忠(海老蔵)が、お助けマンとして登場し、物怪(吹き替え。つまり
海老蔵の代役)を退散させる、というだけ。「押し戻し」は、「娘道成寺」のパロ
ディ。

歌舞伎十八番を制定した幕末期の名優・七代目團十郎は、「勧進帳」に続いて「蛇
柳」の復活を目指したというが勧進帳のレベルと比べるのは、無理だろう。

 
「神明恵和合取組 め組の喧嘩」。「め組の喧嘩」は、5回目の拝見。1890(明
治23)年、東京・新富座初演。竹柴其水原作。菊五郎劇団は大部屋役者を大勢出演
させての、大立ち回りが好きで、こういう演目を良く演じる。鳶と相撲取りが、些細
なことから仲間を引き連れての大立ち回りというだけの話。今回の夜の部は、「慶安
太平記」といい、「め組の喧嘩」といい、大立ち回りが売り物の演目ばかり。演目の
構成を、もう一工夫して欲しいところ。
 
但し、私がこの演目を飽きずに観ているのはこういう筋立てや大立ち回りよりも正月
の遊廓風景、宮地芝居小屋前、「音羽山佐渡嶽」など18組(36人)の取り組みが
書かれたビラを貼付けた相撲小屋前などの大道具、辰五郎倅のおもちゃなどの小道
具、江戸の庶民の風俗を忍ばせる場面があちこちにあることだ。毎回、舞台をウオッ
チングしてしまうのは、そのためだ。
 
最初に観たのは96年5月の歌舞伎座、菊五郎の辰五郎で拝見。九代目(先代)三津
五郎が喧嘩の仲裁役の焚き出し喜三郎で出演。鳶の辰五郎の喧嘩相手、相撲取りの四
ツ車が左團次だった。2001年2月の歌舞伎座は十代目三津五郎の襲名披露の舞
台。辰五郎役を新・三津五郎に譲り、菊五郎は喜三郎役に廻っていた。四ツ車は富十
郎。07年5月の歌舞伎座、辰五郎は菊五郎、喜三郎は梅玉、四ツ車は團十郎。12
年1月の新橋演舞場、辰五郎は菊五郎、喜三郎は梅玉、四ツ車は左團次。そして、今
回は、辰五郎は菊五郎、喜三郎は梅玉、四ツ車は左團次。
 
このほかでは、今回は、九竜山に又五郎(2、以前観たのは、海老蔵、左團次、團
蔵)、辰五郎女房・お仲に時蔵(4、田之助)で、お仲は、きっぷの良いおかみさん
で、時蔵が良かった。菊五郎・時蔵の夫婦は味がある。火消しの頭(かしら)のかみ
さんの貫禄が滲み出ていた。藤松は珍しく女形の菊之助(2、辰之助時代の松緑も
2、梅玉)で、江戸っ子の空威張りを地声(菊五郎そっくり)で演じていた。
 
 
序幕第一場「島津楼広間の場」では、上手横、床の間の掛け軸が日の出に松と鶴で、
いかにも江戸の正月風景。お飾りも古風。藤松(菊之助)が、他人の座敷で騒ぎを起
こした後、始末をつけるために颯爽と入ってきた菊五郎の辰五郎。頭として武士や相
撲取りからの嫌味もぐっと我慢の場面の後、「大きにおやかましゅうござりました」
と言いながら、力任せに障子を閉める(「覚えていろ」の気持ち)。「春に近いと
て」の伴奏。続いて、獅子舞が部屋に入って来て、気分転換。大道具、鷹揚に廻る。
 
序幕第二場「八ツ山下の場」。舞台上手に標示杭。それには、こう書いてある。「関
東代官領江川太郎左衛門支配」。つまり、品川の「八ツ山下」からは「関東」、つま
り、江戸の外というわけだ。ふたつの立て札もある。「當二月二十七日 開帳 品川
源雲寺」、「節分会 平間寺」。立春前の江戸の光景。
 
提灯を持った尾花屋女房おくら(萬次郎)に送られて来る四ツ車(左團次)を待ち伏
せる辰五郎(菊五郎)は、颯爽が売り物のはずなのに意外と粘着質な男だ。「颯爽の
イメージが損なわれるぜ、頭」。焚き出しの喜三郎を乗せた駕篭が通りかかり、彼も
絡めて、いわゆる「だんまり」になる。「世話だんまり」。ここも、大詰めへの伏
線。
 
二幕目「神明社内芝居前の場」。大歌舞伎とは違い、いわゆる宮地芝居の小屋だが、
江戸の芝居小屋の雰囲気を絵ではなく、立体的な復元として観ることができる愉し
さ。こういう大道具も私は大好きだ。出し物は「義経千本桜」だが、「大物の船櫓」
と「吉野の花櫓」というサブタイトルがある。船と花の櫓。ほかに「碁太平記白石
噺」(これには「ひとま久」と書いてある)、「日高川入相花王(いりあいざく
ら)」(これには「竹本連中」とある)という看板。さらに、芝居小屋の上手上部に
鳥居派の絵看板が3枚。絵柄から演目は、上手から「大物浦」、「つるべ鮨」、「狐
忠信」。大入の札。小屋の若い者が、「客留」の札を貼る。座元の江戸座喜太郎の名
前を大きく書いた看板の両側には、役者衆の名前。尾上扇太郎、中村かん丸など。
 
お仲(時蔵)、おもちゃの文次(巳之助)に連れられた辰五郎倅・又八らが持ってい
る物。籠に入った桜餅、ミニチュアの「め」組の纏。お馴染みの剣菱の薦樽。この
後、ここでも、鳶と相撲取りの間でトラブルが起こる。間に立つ座元の江戸座喜太郎
(彦三郎)が渋い。これも、後の喧嘩への伏線。
 
三幕目「浜松町辰五郎内の場」では、焚き出しの喜三郎(梅玉)方から、酔って帰っ
てきた辰五郎(菊五郎)に勝ち気な女房のお仲(時蔵)が言う。「六十七十の年寄り
ならば知らぬこと」、若い辰五郎に意気地が無いとつっかかり、喧嘩を煽り立てる。
倅の又八は、父ちゃん子らしく、「おいらのちゃんを、いじめちゃあいやだ」と、辰
五郎の肩を持ち観客席の笑いを誘う。辰五郎に頼まれて、水を持ってくるなど、甲斐
甲斐しい。又八の子役が、尻を捲る場面では、毎回2回捲ってから座り込むので、場
内の笑いを誘う。時蔵のお仲は、いわゆる、小股の切れ上がった江戸の女。酔い覚め
の水を呑んだ辰五郎「下戸の知らねえ、うめえ味だな」。又八、お仲も、水を呑む。
(竹本の文句が被さる)「浮世の夢の酔醒めに、それと言わねど三人が呑むは別れの
水盃」ということで、死をも決意した本心を明かし、喧嘩場へ。
 
大詰の「喧嘩場」は、定式幕で仕切りながら、廻り舞台の機能を生かして、第二場
「角力小屋の場」、第三場「喧嘩の場」、第四場「神明社境内の場」が効率的に場面
展開する。最後に仲介に入る喜三郎(梅玉)は梯子に乗り、騒ぎの真ん中に、いわ
ば、空から仲裁に入る。喜三郎は着ていた2枚の法被(蛇の目と万字の印)を脱ぎ、
鳶の方へは、「御月番の町奉行」の印を強調、一方、相撲取りの方には、「寺社奉
行」の印を見せつけ、「さ、どっちも掛りの奉行職、印は対して止まるか」と喧嘩を
おさめる。颯爽の梅玉。
 
この場は大部屋の立役たちも充分に存在感を誇示する場面がある。小屋の屋根に、勢
いを付けて下から駆け昇り、上の者が手を引っ張って引き上げるなど。巧く乗れた
ら、拍手を惜しまず。
- 2015年5月21日(木) 7:19:08
15年05月歌舞伎座 (昼/「摂州合邦辻」、通し狂言「天一坊大岡政談」)
 
 
菊之助が玉手御前に、天一坊にと大活躍
 
 
5月恒例の團菊(だんきく)祭だが、團十郎亡き團菊祭の味気無さ。海老蔵の影薄く、
菊五郎劇団の興行という色彩が強まっている。それは菊之助と海老蔵の出演比や演目
でも測れよう。「團」の旗頭の海老蔵の今回の出演は、「天一坊」の伊賀亮、「蛇
柳」の丹波の助太郎、実は蛇柳の精魂。「菊」の後継候補の菊之助の出演は、「合邦
辻」の玉手御前、「天一坊」の天一坊、「慶安太平記」の松平伊豆守、「め組の喧
嘩」の藤松。菊之助は、女形の大役、世話物の悪役、肚藝の伊豆守、鯔背な鳶の若者
と、着々と主筋の配役をこなしているように見える。海老蔵は、やはり、今ひとつの
感が残る。
 
「摂州合邦辻」の「合邦庵室の場」は、3回目の拝見。いずれも、「合邦庵室の場」
のみどり上演。大坂天王寺西門にある合邦道心の庵室だけの場面。通し上演は、残念
ながら、まだ観たことがない。前回は、14年前、01年5月歌舞伎座。その前、初
見は、96年9月、歌舞伎座。私が観た玉手御前は芝翫、菊五郎、今回は、菊之助。
合邦は羽左衛門、團十郎、今回は、歌六。俊徳丸は田之助、新之助時代の海老蔵、今
回は、梅枝。浅香姫は福助、菊之助、今回は、尾上右近。奴入平は九代目三津五郎、
左團次、今回は、十代目三津五郎の長男巳之助。おとくは又五郎、田之助、東蔵。
 
「合邦庵室の場」の玉手御前は、合邦道心とおとく夫婦の娘であり、義理の息子・高
安俊徳丸への狂気の果ての「邪恋」に淫する女であり、正気が戻れば、俊徳丸の継母
であり、という多重構造の人物である。そういう所から、特に、彼女の「恋」の部分
は、演じる役者によって、解釈が異なる。主なものでは、1)狂気の果ての「邪恋」
なのか、2)虚偽の狂気に秘めた真実の「ピュアな恋」なのか、という二つの流れが
あり、これによって演技が変わって来る。
 
96年の初見から19年経っても、私にとって玉手御前は芝翫しかいない。拙著「ゆ
るりと 江戸へ」のなかで、私は、次のように書いている。
 
「この時は、西の桟敷席と花道の間の、縦に細長い座席群の後で、花道の横の席で
あった。花道の両脇に埋め込まれたライトに明かりが点いた。『さあ芝翫が出てくる
ぞ』私は後を振り向いた。近くの席の誰もまだ後を振り向いたりなどしていない。
『鳥屋(とや)』と呼ばれる花道へ出るための溜まり部屋の揚幕がサッと開かれた。
鳥屋にいる、いわば花道への出を待つ芝翫の姿が目に入ったっばかりではない。すっ
かり玉手御前になりきっている、異様な表情の芝翫と視線が合ってしまった。その異
様な表情に負けた私は一瞬目をそらしてしまったが、役になりきっている芝翫はそろ
そろと近付いてくる。若い継母で継嗣の俊徳丸と恋仲になっているという異常な人間
関係が展開するドラマの始まりである。玉手御前の芝翫は虚ろな足取りで花道を左右
にヨロヨロしながら私のすぐ横を通り過ぎ、本舞台に近付いて行く」。
 
この時の私の座席は、俗に「どぶ」と呼ばれる花道の下手側の座席群の最後の列の花
道傍の「よ・36」という席だった。当時は、座席は、舞台寄りから「いろは…」順
であり、数字は、上手側から「123…」であった。現在は、舞台寄りから「12
3…」であり、下手側から「123…」(以前と逆)。2回目は、「を・38」の席
だから、同じ「どぶ」の前回より3列前の、2つ下手に寄った席ということになる。
つまり、ほぼ同じ位置から花道の鳥屋を覗き込む形になる。
 
その時のことは、01年の劇評に次のように書いている。
 
「ライトが点いた。花道の、このライトをフットライトという。花道を歩く役者の足
元を照らすと言うわけだ。前回は芝翫がでてくるぞと、思っていたら、いきなり玉手
御前と遭遇して、吃驚したわけだが、今回は、どうか。私は、後を振り向いた。鳥屋
の揚幕がサッと開かれた。だが、鳥屋のなかは、見えない。暫くして役者が出て来
た。玉手御前か菊五郎か。「菊五郎が出てきた」。異様な表情でもなかった。いつも
の菊五郎の視線であった。菊五郎の玉手御前は、「虚ろな足取りで花道を左右にヨロ
ヨロ」せず、颯爽とした足取りで、私の近くの「横を通り過ぎ、本舞台に近付いて行
く」ではないか。いやあ、違うんじゃないの菊五郎さんと私は心のなかで叫んでい
た」。
 
今回は、3階の席。ハナっから花道は見えないから、鳥屋どころか花道の演技も諦め
た。菊五郎の息子・菊之助が観えてきたのは、花道七三に届いた辺りからだ。菊之助
の玉手御前は、芝翫型ではなく、菊五郎型であった。芝翫、菊五郎と比べれば、妖艶
さでは、若い菊之助に軍配が上がるが、狂気では、芝翫に軍配があがる。玉手御前に
は、狂気ゆえの、一途さ、というか、思い込みがあるように思える。
 
引きちぎった片袖を頭巾代わりにした玉手御前は、竹本の「しんしんたる夜の道、恋
の道には暗からねど、気は烏羽玉の玉手御前、俊徳丸の御行衛、尋ねかねつつ人目を
ば、忍び兼ねたる頬冠り」とあるように、暗い夜道を烏の羽のような暗い気持ち(鬱
積している。幾重にも積み重なったような抑鬱の気分)で人目を忍んで、そっと歩い
てくる場面ではないのか。狂気に操られて、自分ではコントロールできなくなってし
まった気分。その気分に背中を押されるままに、玉手御前は足を運んで行く。やは
り、ここは、芝翫型の狂気の果ての「邪恋」に淫する女としての玉手御前が観たかっ
た。

芝翫は、結局、生涯で本興行では、2回しか玉手御前を演じていない。1回目は、1
987(昭和62)年10月の国立劇場。六代目歌右衛門の休演に伴う代役であっ
た。この舞台で、芝翫は、俊徳丸を演じていた。急遽の代役で、俊徳丸は上方成駒屋
の八代目福助、今の梅玉が、俊徳丸を演じた。2回目が、私も観た01年5月の歌舞
伎座の舞台であった。
 
菊之助は、5年前の2010年5月、大阪松竹座で玉手御前を初役で演じ、同じ年の
12月、東京の日生劇場では、通しで演じ、5年後の今回は、歌舞伎座初演となっ
た。つまり、この5年間に3回玉手御前を演じている。この意欲も凄い。菊五郎型と
は、実は、音羽屋系統の梅幸型であった。祖父の七代目梅幸の当り役を継承しようと
いう意欲に燃えている。日生劇場の通し上演では、「住吉神社境内」「高安館」「庭
先」「万代池」「合邦庵室」という場面構成であった。菊之助は、この5年間で、玉
手御前の「合邦辻」のみどり上演と通し上演を経験し、歌舞伎座に攻め登って来たわ
けだ。若いながら「合邦庵室」の背景となる玉手御前の裾野を演じてきているという
ことになる。松竹上げて菊之助をバックアップしているのだろう。

菊之助の玉手御前を観ていて感じたこと。玉手御前は、一時的な狂気にかられた父親
の合邦道心に殺されるが、自分の血を義理の息子の俊徳丸に飲ませることで彼を病魔
から救い出す。義母は死に義理の息子は生きる。セクシャルインターコースが、男女
の性行為なら、玉手御前と俊徳丸の間に発生するのは、血を介しての生と死のイン
ターコースだろう。特異な血を介してのインターコースが、普遍的なセックス(セク
シャルインターコース)に劣らない、男女の行為と言えるのなら、ピュアな恋も成立
するのかな、という感じで菊之助の苦悶(悦楽)の表情を私は観ていた。
 
音羽屋七代目梅幸は、玉手御前を11回演じた。その息子の七代目菊五郎は、2回演
じた。その孫の菊之助は、今回で3回目。狂気を真似た真実の「ピュアな恋」の玉手
御前像を音羽屋系統は提供し続けている。一方、私は一度も観る機会に恵まれなかっ
た成駒屋六代目歌右衛門は、玉手御前を13回演じている。最後の舞台は、1988
(平成元)年の京都南座であった。歌右衛門の藝は甥の芝翫に受け継がれてきた。狂
気の果ての「邪恋」に淫する玉手御前像を成駒屋は家の藝として、提供してきたのだ
ろう。
 
芝翫型の玉手御前を演じてくれそうなのは、芝翫の長男の福助だろうが、目下、病気
療養中で、舞台から遠ざかっているし、舞台復帰のめども立たないから、当分は無理
か。福助は玉手御前を演じたことがない。福助は、96年の舞台(芝翫が玉手御前を
演じた)で浅香姫を演じていて、私も観ている。大和屋玉三郎も玉手御前演じたこと
がない。六代目歌右衛門が当り役とした役柄だけに、玉三郎では、是非とも観てみた
い。成駒屋型か、音羽屋型か。あるいは、独自の大和屋型を開発するか。もちろん、
音羽屋型、菊之助の精進・熟成の玉手御前も、今後とも注目して観て行きた、と思
う。
 
今回の劇評は、初っぱなから玉手御前論になったので、このまま、役者論を続けた
い。まず、合邦道心について。合邦も、今回の歌六よりも、前回の團十郎よりも、1
4年前、初めて観た時の十七代目羽左衛門の合邦が良かった。そもそも、合邦は難し
い役だ。親の跡目を継いで、一旦は大名になったのが、讒言されて落ちぶれて、坊主
になり、閻魔堂建立を願って市井で活動をしている頑固な老人だ。そういう複雑な人
格の合邦を羽左衛門は、本興行の舞台だけでも8回演じていた。それと彼の風格は、
こういう役柄にぴったりだった。今から振り返ってみれば、私が観た羽左衛門の合邦
は、この時の舞台が最後であった、と判る。貴重な舞台を見せてもらった。今の役者
に十七代目羽左衛門の味に近い役者がいなくなってしまったのが、誠に残念である。
 
この物語は、狂気の物語であった。義理の母・玉手御前が、先妻の息子に抱く恋心も
狂気なら、父・合邦が玉手御前こと、娘の辻を殺すのも狂気だ。玉手御前は、後妻と
は言え、腰元上がりの20代の若い女性、原作では、お家騒動が前半の要で、お家大
事と、「策略」で邪心ならぬ「邪恋」を企むという設定になっているが、原作派の歌
右衛門に対して、父親の梅幸の解釈を引き継ぐ菊五郎は、「真実の恋」説だと言った
し、今回の菊之助も菊五郎と同じ考えで演じている。
 
【付録】あるいは、長い贅言(再録);折口信夫は、「玉手御前の恋」という文章の
なかで、この狂言の原作者菅専助、若竹笛躬のふたりに触れている。以前にも引用し
ているが歌舞伎の荒唐無稽さの魅力を緩怠なく分析していて、興味深い。長くなる
が、引用しておこう。
 
「口説き」の文句は、文章として読んでしまうと、「何の『へんてつ』(原文では、
傍点)もない文句なのである。でも幸福なことに、我々は浄瑠璃の節を聞き知つてい
るので、ただ読んでも、記憶の中に、ここの『よさ』(傍点)が甦って来る。浄瑠璃
の文句は一体に、皆そうだと言へる。(略)何もない所からある節を模索して来る。
節づけの面白さは、ここに発現する。(略)類型を辿って、前の行き方をなぞると言
ふ方が、多いのであらう。
 
(略)それと同じ様な事が、浄瑠璃の作者の場合にもある。一体浄瑠璃作者などは、
唯ひとり近松は別であるが、あとは誰も彼も、さのみ高い才能を持つた人とは思はれ
ぬのが多い。人がらの事は、一口に言つてはわるいが、教養については、どう見ても
ありそうでない。(略)さう言ふ連衆が、段々書いている中に、珍しい事件を書き上
げ、更に、非常に戯曲的に効果の深い性格を発見して来る。論より証拠、此合邦の作
者など、菅専助にしても、若竹笛躬にしても、凡庸きはまる作者で、熟練だけで書い
ている、何の『とりえ』(傍点)もない作者だが、しかもこの浄瑠璃で、玉手御前と
言ふ人の性格をこれ程に書いている。前の段のあたりまでは、まだごく平凡な性格し
か書けていないのに、此段へ来て、俄然として玉手御前の性格が昇って来る。此は、
凡庸の人にでも、文学の魂が憑いて来ると言つたらよいのだろうか。
 
併し事実はさう神秘的に考える事はない。平凡に言ふと、浄瑠璃作者の戯曲を書く態
度は、類型を重ねて行く事であつた。彼等が出来る最正しい態度は、類型の上に類型
を積んで行く事であつた。我々から言へば、最いけない態度であると思つている事で
あるのに、彼等は、昔の人の書いた型の上に、自分達の書くものを、重ねて行った。
それが彼等の文章道に於ける道徳であつた」。
 
つまり、職人芸で、先達の教えを守り、いわば先達そっくりに手法を守ることが、時
として、こういう「連鎖と断絶」あるいは「蓄積と飛躍」のような効果を生み出すこ
とを知っているのである。
 
さらに、折口は書く。
 
「次の人がその類型の上に、その類型に拠つて書くので、たとひ作者がつまらぬ人で
も、其類型の上にかさねて行くと、前のものの権威を尊重して書く為に新しいものは
前のものよりも、一段も二段も上のものになる事が多い」と。必ずしも、類型の上
に、類型を重ねれば、良いものができるとは思えないが、ひょんなことから、そうい
うものが突然変異のように現れる可能性はあるだろう。「併し作者が凡庸である場合
には、却つて、すこしづつよくなる事もある。玉手御前の場合は、おそらく、それで
あつたと思はれる」と折口は、推論する。漆を塗り重ねて滋味を出して行くように、
ということであろうか。

そういう幸福な作品が、「摂州合邦辻」の「合邦庵室の場」であろう。荒唐無稽さ、
類型さの「蓄積と飛躍」と言えば、ひとり浄瑠璃ばかりではない、歌舞伎役者の演技
も同じだろう。つまり、職人芸の極みとしての、伝承と洗練、それが歌舞伎の歴史の
隅々に生き残っている。狂気を描く憑依の凡庸なる狂言作者たち。そういう芝居が、
「合邦庵室」の魅力なら、狂気の演技こそ、観てみたいと、私は思う。
 
ところで、この、いわば「狂気」のドラマでは、狂気でない人を探す方が難しい。そ
の数少ない「正気」の登場人物が、合邦の妻であり、辻の母であるおとく(東蔵)で
あり、俊徳丸の消息を訪ねてやって来た高安家の若党・入平(巳之助)であろう。ふ
たりの「正気」の、この場面での役割は、多くの狂気の人たちの、まさに「狂気」を
際立たせるということである。
 
その狂気の極みの果ての、「もどり」というトリック。観客たちは、トリックを知り
ながら、「騙された振り」をしている。父親に斬り付けられたとは言え、玉手御前は
「寅年、寅の月、寅の刻生まれ」の自分の肝臓の生き血を、毒を盛ったときの鮑の盃
に入れて飲めば、俊徳丸の業病は治癒するという。その上で、女形では珍しい切腹を
して息絶える玉手御前。邪恋か、ピュアな恋か。荒唐無稽なトリックに驚くのは、登
場人物ばかり、観客は、優しく「騙された振り」をしている。そういうなれ合いの果
ての戯曲が、何回見ても飽きないという歌舞伎の面妖さ。それが、歌舞伎の悪賢い魅
力なのだろう。
 
 
通し狂言「天一坊大岡政談」は、2回目。前回は、14年前、01年。5月歌舞伎座
で「摂州合邦辻」を観て、翌月の6月歌舞伎座で、「天一坊大岡政談」を観ている。
要するに、歌舞伎座の興行方式は、配役の都合に伴う、こういう「波」があるという
ことだろう。

01年の上演が、歌舞伎座では、戦前から59年ぶりで、戦後初めて、今回を含め
て、戦後の歌舞伎座では2回目の上演となる。前回天一坊を演じた菊五郎は29年ぶ
りの再演だった。今回は、菊五郎は、大岡越前守に廻り、天一坊を菊之助に譲ってい
る。菊之助は、初役だ。
 
通し狂言「天一坊大岡政談」。今回の場の構成は、次の通り。
序幕「紀州平野村お三住居の場」、同 「紀州加太の浦の場」、二幕目「美濃国長洞
常楽院本堂の場」、三幕目「奉行屋敷内広書院の場」、四幕目「大岡邸奥の間の
場」、大詰「大岡役宅奥殿の場」。

この演目の見所のポイントのひとつは、「天一坊」の善人面、悪人としての正体の見
現し、高貴な生まれという騙り、それの白状、さらに仲間と示し合わせての騙りとい
う、四変化(へんげ)のメリハリをどう演じるかだろう。神田伯山の講釈を河竹黙阿
弥が明治の初めに歌舞伎に仕立て直しただけに、ちょっと歌舞伎とは、一味違う。

 序幕「紀州平野村お三住居の場」。紀州・平野村の老婆・お三の住居。感応院の下
男久助(亀三郎)は、舞台クライマックスの重要な人物。伏線としてさらっと出て来
る。やがて、感応院の小坊主・法澤(菊之助)が自分の誕生日の祝いに出された料理
と酒のお裾分けをしようといつも世話になっているお三(萬次郎)を訪ねて登場。法
澤は、後の天一坊である。老婆と孫の年の差を超えて男女の仲という想定もあるが、
今回は、その部分は曖昧にしている。酒を飲みながら、お三の身の上話を聞くうち
に、亡くなったお三の孫と自分の誕生日が同じことに気付く。その孫の母、つまり、
いまは亡きお三の娘が、後の将軍・吉宗のお手付きになったことを知ることから、お
三を殺して(1番目の殺人)、証拠の品を奪い、孫になりすますことを思いつき、実
行する。家を支える柱を抜き取り、てこの原理でお三の首を自分の体重で締めるとい
う殺し方。孫の年齢の法澤を男にした老婆・お三の色気を萬次郎が「怪演」。

同 「紀州加太の浦の場」。雪の海岸。まず、駆け落ちをした久助らが通り過ぎる。
法澤は、自分の氏素性を知る師匠をお三のところにあった鼠とりの薬で殺し(2番目
の殺人)、その罪を久助になすりつけているという想定。村びとに送られて来る法澤
は、村びとと別れた後、ぶち犬に吠えかけられる。原作では、この犬を殺し、犬の血
を利用して、自分も久助に返り打ちにあい、殺されたように見せ掛けるため、自分の
襦袢に血をつける(このあたり、黙阿弥作「三人吉三」の吉祥院裏手の、おとせ十三
郎殺しの場面が、私には目に浮かぶ)。ここは、そういう「工作」を見せつける場
面。しかし、今回は、犬が逃げ出し、木陰で寒さに震えていた男を飛び出させ、その
男を法澤は、自分の身代わりに殺すという設定になっていて、かなり説明的な展開と
なっている。男に防寒用だと自分の襦袢を与え、金もやると偽り、刀に掛ける。首を
切り取り、男の遺体を法澤だと偽装する。夜明け前の雪の海岸は、やがて、黒幕が落
とされ、夜明けに変わる。

二幕目「美濃国長洞常楽院本堂の場」。美濃の国、常楽院本堂の場面。大膳(秀
調)、左京(右之助)を従えて、将軍の御落胤・吉之助になりすました法澤(菊之
助)。常楽院住職天忠(團蔵)は、すっかり騙されている。その上で、法澤は、自ら
「御落胤とおれが見えるか」と正体を明かす。世話にくだける台詞の妙。「おらあ、
偽者よ」。場内に拡がる笑い。こういうのは菊五郎が巧い(黙阿弥作「白浪五人男」
の弁天小僧を思い出す)。

天忠の提案で、寺に身を寄せていた知恵者・伊賀亮(海老蔵)を一味に引っ張り込む
ことにしたが、伊賀亮に拒否をされると、法澤は、潔く首を差し出す。それが逆転
ホームランで、結局、法澤の男気に感じ入った伊賀亮は一味に加わる。天一という所
化を殺して(3番目の殺人)、遂に、天一坊の誕生という前半の終了。悪巧みの祝宴
にと、鯉が出て来る。仕掛けで動く鯉が笑を誘う。

三幕目「奉行屋敷内広書院の場」大岡越前守登場の場面。開幕は、時計の音ととも
に。台詞と時計の音の使い方が巧い。やがて、大岡(菊五郎)の出。大岡と天一坊
(菊之助)一味との最初の対決。仰々しい行列。堂々の菊之助の天一坊。河内山宗俊
(黙阿弥作「天衣紛上野初花」)の貫禄。だが、芝居は、ここからは伊賀亮(海老蔵)
と大岡との芝居になる。幼い吉宗を知っている伊賀亮と大岡との、いわゆる「網代問
答」(「網代」というのは、天一坊の乗って来た網代駕篭のことが問題となるので、
こう名付けられたという)の場面。証拠の品とともに、問答で伊賀亮に言い負かされ
る大岡。一旦負けた形となった大岡は、腹心の池田大助(松緑)を紀州に派遣する。

贅言  ;  菊之助は、この芝居を経て、いずれは河内山を演じるようになるであろう。

前回は、この場面は、これ以上望めない配役であった。大岡越前守(團十郎)、伊賀亮
(仁左衛門)、天一坊(菊五郎)という圧巻の場面である。場面展開による役者の上手、
下手などへの居処の変化も、いかにも、歌舞伎らしい。天一坊と大岡が、対決で作る
三角形の空間などが見逃せない。

贅言 ; 前回は、菊五郎天一坊が花道から引っ込んだ直後に、下手の襖を開けて登場す
る大岡の腹心池田大助への菊五郎のふた役、早替わりだった。今回は、そういう趣向
は無し。オーソドックスに演じる。

四幕目「大岡邸奥の間の場」。大岡邸奥の間。真相究明に紀州に探索に行った大助を
待っている死に装束の大岡と妻子(時蔵、萬太郎)。介錯を頼まれた治右衛門(権十
郎)がひとり芝居の体。忠臣蔵の判官腹切りの場面のパロディ。ここでも、時計の音
を効果的に使っている。待たせに待たせて、大助が間に合う。逆転の証拠と証人が用
意できると判明。

大詰「大岡役宅奥殿の場」。最後に奥殿で再度の対決となり、正体を暴かれる天一坊
一味(「伽羅先代萩」の「対決」の場面に似ている。仁木弾正と天一坊のアナロ
ジー)。
 
黙阿弥作だけに、彼の狂言ほか、歌舞伎の名場面を彷彿とさせる場面があちこちに散
りばめられているので、それを見抜くのも楽しい。めったに上演されない演目だけ
に、筋は、たわい無いが、「絵で観る講談」の世界として堪能。典型的な「お家狂
言」味たっぷりの舞台であった。
 
菊之助は、盛りの役者が多数病没した歌舞伎界を背負うように、花形から中堅へ急成
長中と見受けた。父親の菊五郎の配慮に加えて、岳父との吉右衛門も助成している。
それに応えて、菊之助も女形、立役、悪役など幅広い配役を積極的に演じている。花
形役者群から頭一つ飛び出してきた感じがする。
- 2015年5月20日(水) 21:57:54
15年04月歌舞伎座 四代目鴈治郎襲名披露((夜/「梶原平三誉石切」「成駒屋
歌舞伎賑」「心中天網島〜河庄」「石橋」)


四代目鴈治郎襲名披露興行とあって、有力な役者が勢揃いする「成駒屋歌舞伎賑」の
前後の幕間では、ロビーは、梨園のお内儀で賑わった。皆、正装の着物姿で、常連客
に愛想を振りまいていた。四代目鴈治郎の母、扇千景の所には、列をなすように観客
が集まり、歌舞伎座の係りの人たちが整理している程だった。そのほか、高麗屋のお
内儀など、役者衆の美しいお連れ合いたちがロビーのあちこちで顧客やファンたちに
囲まれていた。

「成駒家歌舞伎賑〜木挽町芝居前の場〜」。上演順とは違って、まず、これから劇
評。「木挽町芝居前の場」は、今井豊茂の新作。「口上」と同じ趣向で演じるのが
「芝居前」と呼ばれる一幕もの。江戸時代から始まった演出で、芝居小屋の前という
想定で、出演する役者が顔を揃えて、興行の成功、歌舞伎の繁栄、観客の幸福などを
願う祝祭的な演目。今回は四代目鴈治郎襲名披露で、成駒家の弥栄を寿ぐ。

幕が開くと、木挽町芝居前。芝居小屋には、歌舞伎座の紋を染め抜いた暖簾が上下2
箇所に下がっている。櫓が立ち、四代目鴈治郎襲名披露四月大歌舞伎の演目(今月の
演目をそのままに)を知らせる看板や絵看板も掲げられ、木戸には、「大入」などの
張り出し、下手に積み物(剣菱)もある。

襲名披露興行の賑わいを見ようと、大勢の鳶の者と手古舞姿の芸者衆が繰り出してい
る。芝居小屋の前は、成駒家一門の役者衆(寿治郎ら)が、控えている。

大坂・道頓堀の座元・松嶋屋仁左衛門(仁左衛門)に案内されて、坂田藤十郎(藤十
郎)と中村鴈治郎(鴈治郎)が本花道から、現れる。鴈治郎は、上下揃いの緑の肩
衣、袴姿という「口上」の正装。ふたりの到着を聞いて、芝居小屋の中からは、肩衣
に袴姿の木挽町の座元・音羽屋菊五郎(菊五郎)、太夫元・播磨屋吉右衛門(吉右衛
門)、芝居茶屋亭主・高砂屋梅玉(梅玉)が出迎えに出て来る。太夫元と茶屋亭主
は、紋付袴姿。

両花道からは、江戸の男伊達と女伊達が登場する。下手の本花道からは男伊達(左團
次、歌六、又五郎、錦之助、染五郎、松江、権十郎、團蔵、彦三郎)は9人、上手の
仮花道からは女伊達(魁春、東蔵、芝雀、孝太郎、亀鶴、高麗蔵、萬次郎、友右衛
門)は、8人。まず、本花道の左團次から「代を重ねて四代目……」、次いで仮花道
の魁春などと、そろいの衣装の面々が、両花道からそれぞれ交互に襲名の祝儀を述べ
る「つらね」を披露する。最後を音羽屋(彦三郎)が締める。

下手奥から、茶屋女房・お秀(秀太郎)の案内で、倅(進之介)に伴われた(腕を抱
きかかえるように)二引屋主人・我當(我當)が祝儀に駆けつける。目が不自由と聞
いたが、いかにも、という歩き方。顔も大分痩せているように見受けられた。小康状
態なのだろう。上方歌舞伎の義理を大事にせにゃならん、ということなのだろうが、
無事、千秋楽を迎えていただきたい。

茶屋女房・お秀は、今度は花道から江戸奉行・松本高麗守(幸四郎)を案内して現れ
る。襲名披露を聞きつけたという将軍の代行で、厄除けの金の御幣を持参したとい
う。奉行は成駒家の贔屓だということで、懐紙を取り出し、鴈治郎に、「これに名前
を書いて」とねだり、場内を笑わせる。盛り上がる祝儀気分。鴈治郎は小屋へ入り、
舞台から襲名披露の口上を言うことになり、中へと案内されて行く。

芝居小屋入口の大道具が引揚げられて行く。小屋の中の舞台。襖には、松、笹、イ菱
の家紋、雁、竹、矢などが描かれている。舞台上手より大道具方が押し出す台に乗っ
て成駒家と山城屋のファミリー5人。上手より壱太郎(鴈治郎長男)、藤十郎、鴈治
郎、扇雀、虎之介の順に座っている。

口上は、四代目となった鴈治郎から。順に、下手隣の扇雀、最も上手の鴈治郎長男・
壱太郎へ。最も下手の扇雀長男・虎之介へ、最後の締めに鴈治郎の上手隣にいた藤十
郎が口上。「親の身にとって、鴈治郎の襲名を迎えられたことは感無量」と言ってい
たが、声量が乏しくなっている感じが、気がかり。

口上が終わると、祝幕が閉まって来る。

こういう趣向は、10年前、05年5月、歌舞伎座で、勘九郎が十八代目勘三郎を襲
名した際に、「弥栄芝居賑〜中村座芝居前〜」という外題の一幕もので観たことがあ
る。演目の骨格は、今回とほぼ同じ。

贅言;その時も配役が豪華だった。勘三郎一座に猿若町名主女房(芝翫)、芝居茶屋
女将(雀右衛門)、芝居茶屋亭主(富十郎)のほか、両花道のうち、本花道を埋める
男伊達に菊五郎、三津五郎、橋之助、染五郎、松緑、海老蔵、獅童、弥十郎、左團
次、梅玉の順で、10人、仮花道を埋める女伊達に玉三郎、時蔵、福助、扇雀、孝太
郎、菊之助、亀治郎、芝雀、魁春、秀太郎の順で、10人という華やかな舞台を演
出。


「梶原平三誉石切」は、15回目の拝見。何回も観た馴染みの演目の代表格の一つだ
が、今回は、場面設定がいつもの鎌倉・鶴ケ岡八幡社頭ではなく、星合寺(ほしあい
でら。鶴ケ岡八幡宮の別当寺)境内である。星合寺境内という設定は、中村鴈治郎、
坂田藤十郎系統が、「石切梶原」を上演する時のものである。今回は梶原平三を幸四
郎が演じるが、四代目中村鴈治郎襲名披露興行ということで、いつもの鶴ケ岡八幡社
頭ではなく、星合寺の大道具を使っている。幸四郎は、楽屋噺で「お祝いの気持ちを
込めて『星合寺の場』にしました」と話している。

私がこれまでに見た梶原平三役者は、5人:幸四郎(今回含め、5)、吉右衛門
(4)、富十郎(3)、仁左衛門(2。1回は、巡業興行)、團十郎。歌舞伎界を背
負ってきた役者に絞られる感じだ。このうち、富十郎と團十郎(3年前、12年12
月、京都南座で途中休演した團十郎の代わりに、今回、鴈治郎を襲名した当時の翫雀
が梶原を演じている)は、逝去してしまったので、もう観ることができない。吉右衛
門、幸四郎、仁左衛門が、当面の梶原平三役者ということか。いずれは、世代交代の
波を被るかもしれない。因に、梶原に対立する大庭三郎役は、9人:左團次(5)、
彦三郎(今回含め、3)、信二郎時代の錦之助(巡業興行)、我當、富十郎、梅玉、
段四郎、菊五郎、橋之助。左團次が多いが、梶原平三役者と違って、バラエティに富
んでいるのが判る。

「石切梶原」だから、星合寺の場であっても、いつも通り、「刀の目利き」「二つ
胴」「手水鉢の石切」という、お馴染みの見せ場が続く。ここは、吉右衛門も幸四郎
も、母方の祖父・初代吉右衛門の型を踏襲しているから、変わらない。いくつかのポ
イントを整理しておこう。

1)高麗屋の演出:幕が開くと、浅黄幕が、舞台を被っている。浅黄幕が、振り落と
されると、上手に大庭三郎一行と下手に梶原平三一行がそれぞれ立っている。初めか
ら舞台中央にいる主役の梶原平三を演じる幸四郎が、まず、科白を言い始める。梶原
平三は黒地に白い唐草模様、金の対の矢羽根が縫い取られた豪華な衣装を着ている。
参詣のため、正装してきたのだろう。

普通の演出では、鶴ケ岡八幡宮社頭の場。源頼朝と石橋山の戦いで勝利した平家方の
大庭三郎と俣野五郎の兄弟一行が、先に参詣に来ていて、舞台には彼らだけが居る。
そこへ花道から、同じように参詣に来た梶原平三一行と鉢合わせするという形だ。吉
右衛門の梶原平三は、一行を伴って花道から出てきた。大庭三郎と俣野五郎の兄弟
も、梶原平三も、同じく平家方だが、反りが合わないというのが、物語の伏線になっ
ている。

今回の「石切梶原」は、梶原平三が、青貝師(螺鈿職人)六郎太夫と娘の梢の情に打
たれて、大庭三郎と俣野五郎の兄弟を騙して、一芝居を打つという話になっている。

2)星合寺(ほしあいでら)の場:上方歌舞伎、初代鴈治郎型の演出。私は今回、初
見。舞台は、いつもの鶴ケ岡八幡宮社頭の場ではなく、星合寺境内の場。書割の上手
に星合寺の本堂が横向きに描かれている。中央は、紅白梅の木があちこちに植えられ
ている石庭。境内は白い塀で囲まれている。塀の外側は松林。下手側の塀が途中で一
部切れていて、出入りができる。奥の塀の外には、五重塔が遠望される。石庭に昇る
短い階段の上下手に一対の石灯籠。普通は、鶴ケ岡八幡宮の本堂が、正面奥に遠望さ
れる、というのが、馴染みの書割。物語の展開は、普通の演出と概略同じ。

3)二つ胴:「二つ胴」というのは、囚人と六郎太夫のふたりを斬るという意味。幸
四郎刀の刃を囚人(身替わりの人形)の胴に押し付けて、包丁で、魚などを切る時の
ような切り方をしていた。この場面の剣の使い方は役者によって違う。それぞれ、家
の藝として伝承し、大事にしている。例えば、團十郎は、剣の刃を降り降ろした後、
ぽんと撥ねるような軽快な刀遣いをしていた。

4)「手水鉢の石切」:名刀ゆえに石製の大きな手水鉢を一刀のもとに斬り分ける場
面。幸四郎は客席に背中を見せて、やはり「二つ胴」同様に、刀の刃を石製の手水鉢
に押しあてるようにじっと止めた後、いわば、前へ向けて押し切るようにして、鉢を
まっぷたつに割ってみせた。これは、初代の吉右衛門の演出なのだろう、幸四郎の弟
の吉右衛門も、同じように演じていた。

特に、石製の手水鉢を切る場面は、昔から、役者によって、いろいろな演出が工夫さ
れて、伝えられている。主なものは、3つ。初代吉右衛門型、初代鴈治郎型、十五代
目羽左衛門型。

初代吉右衛門型は、記述したように、吉右衛門、幸四郎。いずれも拝見。初代鴈治郎
型は、当代の藤十郎を含む鴈治郎代々が演じる。私は鴈治郎では観ていないが、初代
鴈治郎型では、手水鉢の向うに廻って、客席に前を見せて斬る。
富十郎が鴈治郎型で演じたが、場面は星合寺境内ではなく、鶴ヶ岡八幡宮社頭だっ
た。

十五代目羽左衛門型は、團十郎が演じているのを観たことがある。團十郎の梶原は、
六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、手水鉢の水にふたりの影を映
した上で、鉢を斬った後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出してくる。十五代
目羽左衛門が初めて演じた時は、「桃太郎」の誕生のようだと批判されたという。仁
左衛門も、同じように十五代目羽左衛門型。

吉右衛門もそうだが、幸四郎は、真意を隠したまま、梶原、六郎太夫、娘の梢と手を
繋いで見せ、石の手水鉢と親子の見物のポイントを測ってみせる等など、親子への気
遣いぶりを見せる。「二つ胴」の試し切りでは、命拾いした親子が、それを確認する
間、ひとり、名刀の刃をしきりに、何度も何度も、角度を変えながら見入っていたの
が、印象的だった。六郎太夫を助けたことなぞ、大したことではなく、六郎太夫を助
けようと思うように刃を動かした結果、その通りの答えを出した名刀の切れ味にひた
すら感心しているという体であった。今回、場面は、上方歌舞伎の星合寺境内。芝居
は、いつもの江戸歌舞伎、それも高麗屋演出の「石切梶原」にて、幕。


襲名披露興行のハイライト 「河庄」


昼夜通して、襲名披露興行のハイライトは、「心中天網島〜河庄〜」であった。「心
中天網島〜河庄〜」。近松門左衛門原作(1720年)で、近松半二改作(1778
年)という演目は、上方和事の代表作。初代の延若、初代の宗十郎、初代の鴈治郎
が、軸となって、磨きをかけてきた。大正時代、初代の鴈治郎が、「玩辞楼十二曲」
のひとつとした。

私は、4回目の拝見。私が観た治兵衛は、鴈治郎時代を含む藤十郎(3)、今回が四
代目鴈治郎。3回観た藤十郎では09年10月歌舞伎座。歌舞伎座では、藤十郎最初
の治兵衛。逆順で05年10月歌舞伎座。では、歌舞伎座では、先代鴈治郎最後の治
兵衛。初めて観たのが、03年11月歌舞伎座。

この芝居は、藤十郎の、いわば、「ミリ単位」で完成された演技を見続けることが、
楽しみだった。藤十郎は、若い扇雀(二代目)時代の頃、父親の二代目鴈治郎の治兵
衛を相手に小春を演じたが、1961年10月名古屋御園座で治兵衛を演じて以降
は、小春は演じず、鴈治郎の代名詞でもある治兵衛を演じ続けている。四代目鴈治郎
は、04年4月大阪松竹座に続いて、2回目の治兵衛を演じる。この時は、治兵衛と
丁稚の三五郎の二役を扇雀と日替り交代で演じた。

「河庄」は、大阪弁(本来なら、「大坂弁」と書きたいところ)のやり取りがおもし
ろい芝居である。さまざまな大阪弁がある。見どころ、聞きどころは、3ヶ所ある。

1)まず、紙屋の丁稚の三五郎で、天満の「河庄」(河内屋お庄の店)の遊女・小春
(芝雀)に治兵衛の女房・おさんから頼まれた手紙を届けに来る。三五郎を大阪弁で
演じるのは、今回は、虎之介で、扇雀の長男。巧くはないが、大阪弁がユーモラス
で、味わいのある三五郎であった。

2)次は、憎まれ役同士、江戸屋太兵衛(染五郎)と五貫屋善六(壱太郎。四代目鴈
治郎の長男)のやりとり。治兵衛の悪口を浄瑠璃風の遊びに見立てる場面も含めて、
おもしろいチャリ(笑劇)場である。染五郎の大阪弁が、もうひとつ。この場面を最
初に観たのは、12年前、03年11月歌舞伎座で、太兵衛の東蔵と亡くなった坂東
吉弥の善六であった。このコンビは、大阪弁も巧い上、息が合っていて、なかなかよ
かった。4回観たうちでは、いちばん印象に残っている。

3)大阪弁のやり取りの白眉は、紙屋治兵衛と兄である粉屋孫右衛門。「河庄」の上
方味の、最も濃厚なところ。私が観た最初は、03年11月歌舞伎座、治兵衛:先代
(三代目)鴈治郎と孫右衛門:富十郎。05年10月歌舞伎座、鴈治郎と我當。09
年10月歌舞伎座、鴈治郎と段四郎。そして今回、四代目鴈治郎と梅玉。

鴈治郎と富十郎の大阪弁のやり取りは、滑稽さに味があった。充分煮込んで味の染み
込んだ関東炊き(おでん)のよう。死と笑いが、コインの裏表になっている。死を覚
悟した果てに生み出された笑い。

鴈治郎と我當。これがすこぶる良かった。京都育ちの我當を相手に、たっぷり堪能さ
せてくれた。ふたりはネイティブな感じの大阪弁で、すうっと聞けた。

富十郎の大阪弁は、演じているという感じで、彼の藝達者が、かえって大阪弁を演
技っぽく感じさせるから、不思議だ。この芝居の特徴は、ノンフィクションの味であ
り、登場人物たちの生活感を強めるための、いわば「触媒」が、大阪弁であると思
う。富十郎の大阪弁より、我當の大阪弁の方が、ノンフィクションの味を濃くさせる
ということだろう。鴈治郎、我當らが言う科白のリズム、ふたりのやりとり、掛け合
う呼吸、いずれも、科白らしくない、リアリティを持っている。さすが、洗練された
芝居だ。鴈治郎の魅力を十分に引き出したのが、我當だった、と思う。鴈治郎と段四
郎。これは、段四郎では無理というもの。

今回の四代目鴈治郎と梅玉。これも、大阪所縁のふたりだけに、良い出来で、楽しま
せてくれた。

さて、「河庄」のハイライト。紙屋治兵衛の出である。鴈治郎時代を含めて、藤十郎
の花道の出、虚脱感と色気、計算され尽した足の運び、その運びが演じる間の重要
性、そして、「ふっくらと」しながらも、やつれた藤十郎の、「ほっかむりのなかの
顔」。四代目鴈治郎は、どうか。

紙屋治兵衛を演じる役者は、舞台に出てくる前に、揚幕の鳥屋の中で、すっかり役作
りを終えていなければならない。「魂抜けてとぼとぼうかうか」。妻子がありなが
ら、遊女・小春に惚れてしまい、小春に横恋慕する太兵衛の企みに乗せられ、心中す
るしかないという治兵衛の状況を、揚幕の外に出た途端から、花道を歩き続けるだけ
という藝で,表現する場面。足取りも、表情も、恋にやつれ、自暴自棄になっている
ひとりの男が歩いて行く。

今回は3階で観ているので、花道も七三を過ぎないと四代目鴈治郎には、お目にかか
れない。花道から本舞台へ、そして、「河庄」の店の名前を書いた行灯のある木戸
へ。この木戸での、治兵衛の、店内を伺う有名なポーズまで。一気に引き付けられ
る。四代目も良い出来だ。

廻り舞台を半廻しにする場面があるので、下手の背景が平板な書割ではなく、廻り舞
台の盆が廻れるように、奥行きのある道具になっている。舞台が廻る前。「河庄」の
座敷の下手側の障子がわずかに開いている。ここが,重要なポイントとなる。障子の
隙間の前には、蝋燭立てが立ててある。店の外に近づいた治兵衛(鴈治郎)が、座敷
のうちを覗き見る。

座敷で小春とやり取りする武士が、兄の粉屋孫右衛門(梅玉)と知らずに、嫉妬心を
燃やす。煙管に口をつけて火をつけ、それを遊女が客に渡す場面は、間接キッスだか
ら、嫉妬心が煽られる。後に、孫右衛門が、障子を閉めて、そこが開いていたことを
観客に改めて、知らせる。さらに、嫉妬心から障子を突き破って、中にいる小春(芝
雀)に届かない小刀を突き出す治兵衛。何者かと、その両手を障子の格子に縛り上
げ、懲らしめのために、そこから身動きができないようにする孫右衛門。

この後、舞台が半廻しとなり、店の外に身動きできずにいる治兵衛の後ろ姿が、観客
席から見えるようになる。歌舞伎座の大きな舞台。治兵衛役者は。自分の背中だけ
で、この空間を埋めなければならない。

そこへ、花道から戻って来た江戸屋太兵衛(染五郎)と五貫屋善六(壱太郎)が、縛
られている治兵衛を見つけ、「貸した二十両を返せ」などとからかい、打ち据えて、
辱める場面へと繋がる重要なポイントとなる。この場面では、廻った舞台下手奥が、
遠くまで見え、町家が遠近法で描かれている。夕景の物悲しさ。

もうひとり、注目すべき役どころがある。小春である。私が観た小春は、時蔵
(2)、雀右衛門、そして今回が、芝雀。来年の春、五代目雀右衛門を襲名すること
が内定している芝雀。昼の部「祇園のお梶」を演じている時から、そうだったのだ
が、芝雀には、大向うから「京屋」「京屋」と盛んに声がかかる。四代目鴈治郎の襲
名披露の舞台なのに、五代目雀右衛門の襲名披露の舞台かと誤解してしまう程に、勢
いがあった。

小春(芝雀)は、治兵衛の女房・おさんからもらった手紙で、「紙屋の苦しい内情
と、夫と別れてほしい、夫を心中の道連れにしないでほしい」と言われてしまう。小
春は、女の義理を感じて、別れるという内容の手紙を書き、丁稚の三五郎(虎之介)
に返事を持たせてしまった。それ故に,後の展開で、心にもない縁切りの態度を取
り、店に来た治兵衛から、自分との心中の約束を違えようとするのかと、さんざん非
難されるが、おさんとの約束を守って、何も言わずに、拒絶をし、それに耐え続け
る。女同士の真情が、抑制的な演技から滲み出て来る。

舞台下手側で、やんちゃ坊主のように,悪態を吐き続ける治兵衛(鴈治郎)。事情を
知らされた粉屋孫右衛門(梅玉)を間にはさんで、舞台上手側に座ったまま、じっと
している小春(芝雀)。真意を隠して、ふたりのやり取りをじっと聞いている小春の
辛い心情。そういう小春の、科白も少ない、肚の中で耐える女をひたすら演じ続ける
芝雀は、言葉を越えた心情を私たち観客に訴え続ける。何もしないで、心情を伝える
という演技は、難しいだろうが、饒舌の鴈治郎と寡黙な芝雀の対比は、物わかりの悪
い子ども、あるいは弟の治兵衛と母親、あるいは姉の小春、という感じであった。

「河庄」に関する限り、毎回の劇評に付け加えることは、あまり多くない。特に、上
方系の役者による登場人物たちの人物造型、大阪弁の科白廻し、演技、雰囲気、その
いずれもが、毎回なんとも言えない。今回も上方歌舞伎の名跡の襲名披露に相応しい
充実の舞台だった。

紙屋治兵衛のような女に入れ揚げ、稼業も家族も犠牲にする駄目男のぶざまさが、観
客の心を何故打つのか。大人子どものような、拗ねた、だだっ子のような男が、目の
前の舞台の上にいる不思議さ。それは、何回も上演され練れた演目の強みであり、家
の藝として、代々の役者たちが、何回も演じ、工夫を重ね、演技を磨いて来たからだ
ろう。江戸歌舞伎に押されながらも、上方歌舞伎の様式美を大事にし、粘り強く持続
させて来た鴈治郎代々の執念が、様式美の極みとして、上方和事型を伝承して来た。
四代目鴈治郎にも、そういう負託がなされているだろう。藤十郎の円熟の治兵衛に
は、及ばないが、四代目が、父親を目標に新たなスタートを切ったことには間違いが
ない。意気込みも伝わって来る舞台であった。新鴈治郎の今後を楽しみにしたい。


「石橋(しゃっきょう)」は、4回目の拝見。幕が開くと、上手に長唄連中、下手に
四拍子。背景は、清涼山という深山を逆巻き流れ落ちる谷川。桜も満開。谷川の水
は、舞台中央に大きく開いているセリ穴に流れ込んでいるように見える。やがて、大
セリに載って、石橋と石橋の上に立つ白毛の獅子の精(染五郎)が現れる。両花道か
らは、赤毛の獅子の精。本花道からは、虎之介か。仮花道からは、壱太郎か。

能を素材にした「石橋」は、いろいろバリエーションがある。今回は、後シテの獅子
の精、3人の舞踊劇。牡丹の花を持った力者6人が立ち回り風に絡む。

舞台中央に白い獅子の精。両花道の七三にそれぞれ赤い獅子の精。やがて、本舞台に
集まって来る。3人の若獅子の精がダイナミックな「獅子の狂い」を見せ始める。
「髪洗い」、「菖蒲打ち」、ぐるぐる回す勇壮な「巴」へと毛振りが続くと、場内か
ら盛んな拍手が沸き起こる。毛振りの振り具合が、なかなか、揃わない。アンバラン
スなど今後の改善点もあるが、若さが溢れる。拍手にあわせて、手振りにも勢いが増
す。

最後は、石橋の上に3人の若獅子の精が立ち並び、平舞台には、6人の力者が揃い、
桜の花びらが、天井より滝のように降り落ちてきて、皆々、静止に入った所で、幕。
男の新体操の雰囲気。
- 2015年4月7日(火) 14:05:14
15年04月歌舞伎座 四代目中村鴈治郎襲名披露興行(昼/「碁盤太平記」「六歌
仙容彩」「廓文章〜吉田屋〜」)


新・歌舞伎座最初の襲名披露興行


歌舞伎座の杮落しから2年。杮落し後、大きな名跡の襲名披露興行は初めて、という
ことで、初日の歌舞伎座界隈は、賑わっている。ただし、客席には、空席もあった。
当初、去年の春に予定された七代目歌右衛門(江戸の成駒屋)襲名披露興行は、歌右
衛門襲名に内定した福助が、その後、病気休演になり舞台復帰の見通しが立たないま
ま、宙に浮いた形になっている。四代目中村鴈治郎(上方の成駒「屋」→四代目鴈治
郎襲名を機に、成駒「家」に改名した)襲名披露興行が、1、2月の大阪松竹座での
興行に続いて、歌舞伎座でも催すこととなった。

場内に入ると、「祝幕」が目につく。図柄は、中央上部に大きな満月。満月に向かっ
て4羽の雁(かりがね)が飛んでいる。満月に掛かるように先頭を飛ぶ雁は四代目鴈
治郎。紅く輝く。続く3羽の雁は、三代目鴈治郎(当代の坂田藤十郎)、二代目、初
代と逆上る。水色に近い青色に澄み渡る秋の夜空。幕の上手に下に森田りえ子画伯の
モチーフの白い糸菊の大輪が咲き誇る。糸菊の上には、「祝」の赤い字。糸菊に一部
ダブって「襲名披露」の黒い字。幕のど真ん中、満月の斜め下手寄りに成駒家の家紋
である「イ菱」。幕の下手にある金色に輝く薄が風を呼び清涼だ。薄の上に「四代目
中村鴈治郎丈江」とある。成駒家所縁の雁、薄、月を入れ込んでいる。


40年ぶり上演の「碁盤太平記」


昼の部の一番目は、「碁盤太平記」。私は初見。今回が戦後、2回目の上演。それ
も、40年ぶりの上演である。

元々は、1710(宝永7)年に大坂の竹本座で上演された近松門左衛門原作の全二
段の人形浄瑠璃の時代もの。「忠臣蔵」を素材にした、いわゆる「忠臣蔵もの」の系
統の作品。「忠臣蔵」は、1701(元禄14)年、旧暦の3月江戸城内松之廊下で
播州赤穂城主・浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に斬りつけた。その責任を取って長
矩の切腹とお家断絶を引き起こした事件から翌1702(元禄15)年、旧暦の12
月に、旧家臣有志が江戸の吉良邸に討ち入って主君の仇討ちを遂げ、足軽を除く、皆
が切腹した事件まで、一連の出来事を素材した芝居のことをいう。1710年は、浅
野家再興が認められた年。それをきっかけに、1710年6月以降、歌舞伎界では一
連の事件を「太平記」の世界に移し替え、吉良上野介を高師直、浅野内匠頭を塩冶判
官という役名にした芝居が盛んに上演されるようになった。人形浄瑠璃界でも、同じ
ような現象が続いた。大坂・竹本座でも、「碁盤太平記」が上記のように上演され
た。「忠臣蔵もの」の金字塔となる「仮名手本忠臣蔵」は、1784(寛延元)年、
竹本座で人形浄瑠璃時代ものとして初演された。

今回上演された「碁盤太平記」は、大阪在住で明治から大正期の作家・渡辺霞亭が近
松門左衛門原作の時代ものの人形浄瑠璃を脚色した新歌舞伎作品。初代鴈治郎が19
03(明治36)年に初演し、自らの当り役としてその後、家の藝として選定した
「玩辞楼十二曲」のひとつ。近松門左衛門原作は、「仮名手本忠臣蔵」の「山科閑居
の場」に先行する、もうひとつの「山科閑居の場」であり、74年後の「仮名手本忠
臣蔵」の「山科閑居の場」にも影響を与えた。

初見なので、筋もコンパクトながら記録しておこう。
幕が開くと、雪の山科(京都)にある大石内蔵助の閑居。「仮名手本忠臣蔵」九段目
「山科閑居の場」とほぼ同じ。舞台では、内蔵助の嫡男・主税(壱太郎)が医者の玄
伯(寿治郎、1、2月の大阪・松竹座で「幹部」昇進。4月、歌舞伎座でも昇進披
露)が、碁を打っている。囲碁がキーワードとなる芝居。だから、外題も「碁盤太平
記」。舞台上手に竹本の山台。雪の出語りの風情。

下僕の岡平(染五郎)が、山科の大石家に住み込むようになった。碁に負けた玄伯が
岡平とともに奥へ引っ込むと、花道から旅の僧・空念(亀鶴)がやって来る。江戸か
ら来たと言う。雪の道を裸足の草履履きでやってきた。辺りを気遣った上、主税は空
念に「武林殿」と呼びかける。武林唯七は、元赤穂藩士。1年前の主君の刃傷事件。
武林は大石内蔵助に密書を届けに来たのだ。不在の内蔵助の江戸下向を促して、武林
は大坂へ向かうため、舞台下手奥へ入る。主税が座敷でひとり目を通す密書に関心を
示して、座敷下手奥から忍び出てそっと近づく文盲のはずの岡平。岡平は裸足。

花道から内蔵助を乗せた駕篭とともに、太鼓持ち、芸妓、仲居らの一行が賑やかに
やって来る。女たちは、芸妓は白足袋、仲居は裸足。男たちは、白足袋。祇園の茶屋
で遊んできた内蔵助(扇雀)は、玄関に横付けされた駕篭から降り立つが、大酔いし
て足取りも覚束ない。女物の打掛を羽織っている。座敷に上がるが、碁盤を枕代わり
に抱くようにして眠り込んでしまう。

上手、障子の間より、妻のおよし(孝太郎)が出迎えに出て来る。旅装、白足袋を履
いている。国元で内蔵助の放蕩ぶりを聞き込み、姑とともに京へ出てきたのだ。夫の
醜態を目の当たりに見て、奥へ引っ込む。

座敷で内蔵助と主税がふたりだけになり、主税が武林の持ってきた密書を手渡すが、
内蔵助は読みもせず、破り捨てる。座敷上手の廊下で立ち聞きするおよし。下手の廊
下で立ち聞きする岡平。多分、内蔵助は、スパイと見られる不審な下僕に疑いの気持
ちがあり、盗聴防止で、そう振る舞っているのだろう。

上手障子の間より内蔵助の母の千寿(東蔵)が旅装のままの姿で出て来る。程よい老
婆姿。東蔵は、こういう役は巧い。慌てて女物の打掛を脱ぐ内蔵助。惚けて、大事な
使命を忘れたように見受けられる息子・内蔵助を亡夫の位牌で打ち据える。嫁のおよ
しとともに座を立とうとすると、内蔵助は妻のおよしに「悪口雑言」許しがたしと離
縁を言い渡す。息子の横暴ぶりを咎める母の千寿にも、およしとともに出て行くよう
にと告げる。母は息子を勘当し、嫁とともに雪支度を整えて、出て行く。藁靴(半長
靴)、簑を着け、笠と杖を持った老母。藁靴、簑を着け、藁の頭巾を持った妻。女形
が、藁靴を履く場面など、初めて観た。母と妻を追い出した内蔵助は、上手の障子の
間に入ってしまう。

座敷下手奥より姿を見せた玄伯が岡平を呼び出す。ふたりは、外へ。花道七三で密
談。ふたりは、吉良方のスパイだった。内蔵助に仇討ちの意志はない、という共通認
識を確認し合う。内蔵助の作戦成功。玄伯は岡平に書状を託して、立ち去る。岡平
は、大石家の庭に戻り、庭先の灯籠の明りで手紙を読み始める。上手、障子の間より
出てきた主税は岡平の様子をいぶかり、見つめる。

花道から戻ってきたのが、千寿とおよし。藁靴、簑、笠姿の姑。藁靴、簑、藁頭巾姿
の嫁。そのまま、舞台下手を裏へ忍び込む。

主税は文盲の岡平が書状を読む岡平は吉良の患者だろうと見抜く。岡平を突き刺す。
止めを刺そうとする息子を上手、障子の間より出てきた内蔵助が止める。主君の仇討
ちを腐心する気持ちを岡平に訴える。岡平の「モドリ」(善人に返る)場面。内蔵助
の純真な忠義に感じ入り、自分は、吉良家の家臣・高村逸平太だと名乗り、吉良邸の
内情を語り出す。内蔵助らは、碁盤に碁石を置きながら、間取りなどを聞き出す。だ
から、碁盤太平記。

岡平が息を引き取ると、主税が用意してあった衣装を持ち出す。内蔵助・主税の父子
は、旅支度を始める。座敷で草鞋まで履くふたり。家の裏を廻り、上手庭先に姿を現
す姑と嫁。舞台は、科白無し。三味線と太鼓、鐘で雰囲気を盛上げる。老母と妻は、
その様子を見て内蔵助らの真意を理解し、内蔵助・主税に詫びる。やがての本懐、死
別に向けて、「縁切り」をしていた内蔵助。表立って別れを惜しめない。座敷の障子
を閉じ、行灯などの薄明かりで顔を見せ合い、障子に写る互いの影で名残りを惜し
む。

内蔵助と母・千寿の別れ。主税と母・およしの別れ。内蔵助と妻・およしの別れ。

降りしきる雪の中へ出て行く男たちのために。女たちは、自分たちが纏っていた簑、
笠を手渡す。家族の別れ。

40年ぶりの上演の初日とあって、役者たちの動きは、ギシギシと音が聞こえるよう
に型をなぞっているのがわかる。立ち位置、その移動、所作などから音が聞こえてき
そうな感じがした。数日もすれば、動きが滑らかになるか。

扇雀の立役は珍しい。初役の内蔵助。聞き慣れた甲の声ではなく、珍しい地声の科白
廻しも良いものだ。前回、40年前は、二代目鴈治郎が演じた。いまや、花形役者中
の花形・染五郎は、剽軽さも加味した下僕のスパイに味を出していた。戦前は七代目
幸四郎も演じた岡平。前回は三代目延若。老婆は、年相応に演じるには、意外と難し
いが、千寿を初役で演じた東蔵の老婆は違和感無し。気の強い老母であった。前回は
四代目菊次郎。およしを演じた孝太郎が凛とした大石家の妻、母、嫁の味をそれぞれ
の場面で滲ませていた。前回は七代目芝翫。主税は、若い壱太郎。前回は、上方の八
代目福助、当代の梅玉が演じた。空念は、亀鶴。前回は我當。


豪華な顔見世「六歌仙容彩」


「六歌仙容彩」は、変化舞踊(組曲形式)として「河内山」の原作「天保六花撰」と
同じ時代、1831(天保2)年3月、江戸の中村座で初演された。五段構成。「六
歌仙容彩」は、通しで3回目、みどりを含めると12回目の拝見。

今回は、通し、襲名披露のご祝儀、ご馳走の豪華な配役。一種の顔見世の趣向。5人
の立役、ふたりの女形、というフルメンバー。「僧正遍照」では、左團次が遍照。魁
春が小野小町。「文屋康秀」では、仁左衛門が康秀。「在原業平」では、梅玉が業
平、魁春が小野小町。「喜撰法師」では、菊五郎が喜撰、芝雀が祇園のお梶。「大伴
黒主」では、吉右衛門が黒主、魁春が小野小町。伝説の美女・小野小町が3人の男と
立ち会う。

私が観たほかの2回は、19年前、96年4月、歌舞伎座。富十郎、先代の鴈治郎
(当代の藤十郎)の立役と松江時代の魁春、宗十郎の女形の組み合わせ/6年前、0
9年8月、歌舞伎座。三津五郎の立役5人と福助、勘三郎の女形の組み合わせ。

オーソドックスな演出では、遍照、康秀、業平、喜撰、黒主の5役を立役がひとりで
演じ、小野小町と祇園のお梶に、別々の女形を配する。最近では、先に触れたように
6年前、09年8月、歌舞伎座の舞台を思い出す。立役の5役に三津五郎、小町に福
助、お梶に勘三郎。三津五郎が歌舞伎座で5役を通しで踊るのは、この時が初めて
で、最後だった。福助は、現在、病気休演中。舞台復帰のめどが立たない。三津五郎
と勘三郎は鬼籍には入って、永遠に戻って来ない。因に、三津五郎で定評のある「喜
撰」を最後に観たのは、2年前、13年6月の歌舞伎座だった。この時は、お梶を時
蔵が演じた。

この演目は、いまでは、それぞれが主人公を立てて、独立した演目として演じられる
ことが多い。単独か、ふたつか、みっつなどの「みどり」の上演形式だった。例え
ば、「喜撰」は、単独が多いほか、「業平」、「文屋」と組ませるか、あるいは、両
方と組ませるか、という演出が多い。「業平」は、「喜撰」、「文屋」と組ませる
か、あるいは、両方と組ませるか、という演出。単独では観たことがない。「文屋」
は、「喜撰」に次いで単独もあり。組み合わせは、記述。「遍照」と「黒主」は、単
独では観たことがない。それぞれ、幾つか組み合わせ、ということで、興行時の、演
目時間の都合、演じる役者の都合で、融通無碍に構成されるという、極めて、便利な
演目である。歌舞伎座筋書きの上演記録を見ると、演目の上演順序も、柔軟である。

さて、今回。
1)まず、「枯淡残照」と言われる「遍照」では、宮中の歌合わせの催しを写す。舞
台の上下手に金地の襖、花丸の模様。上手下手にはそれぞれ豪華な木戸。舞台奥の、
上手、中央、下手にそれぞれ、御簾が下がっている。公家出身の僧正遍照(左團次)
は、下手から出て来て、歌合わせの会の準備で多忙な6人の官女らに小町に逢わせて
ほしいと頼み込む。中央奥の御簾が、巻き上げられると、御簾うち(奥)にいた小町
(魁春)が姿を見せる。背景は、金地に花丸の襖。ふたりの官女を連れている。思い
を伝える遍照。仏の道に外れるので、寺へ帰れと小町。あわせて8人の官女たちとの
絡みなどがあって、魁春が、再び、御簾うちに入ると、御簾が下がって来る。奥へ逃
げた小町の口説きに失敗した遍照は、下手から寺へ帰って行く。

2)続いて、「才気煥発」という「文屋」。下手から、文屋康秀(仁左衛門)が登場。
無人の御殿に忍び込んできた色好みの公家。上手より、8人の官女ら登場。今度は、
立役たちの官女である。この公家も、小町狙い。官女らに見とがめられる。中央御簾
うちには、和歌を案じている小町が奥にいるという想定であるから、小町は、姿を見
せない。宮中の「歌合わせ」の体。やがて、文屋と官女の「恋尽くし」のコミカルな
拍子事(問答)。問答に勝ち、文屋は官女たちを振り切って、小町のいる奥の御殿目
指して、上手から、忍び入る。いつものことだが、官女を演じる立役たちが、弱い。

3)次いで、「優美端麗」の「業平」。宮中の御殿。舞台奥の上手から下手まで、御
簾が降りている。無人の舞台。中央の御簾が上がると、武官の正装直衣姿の業平(梅
玉)と小町(魁春)が、一緒に姿を見せる。御簾うちの背景は、銀地に満開の桜の
絵。表は、金地、裏は、銀地に花丸の模様の入った扇を持ち、扇尽くしの歌心で、小
町への恋心を踊る業平。しかし、小町はつれない。言い寄る業平を袖にし、御殿の御
簾うち(奥)に帰ってしまう。仕方なく、花道から引き上げる業平。舞台は、最初の
無人に戻る。長唄連中の御簾が下がると、無人の舞台が、暫く続く。

4)舞台奥の御簾全体が、持ち上げられると、赤白横縞の、道成寺の幕。舞台上下に
桜の樹。「軽妙洒脱」の「喜撰」である。さらに、道成寺の幕が、上に引き上げられ
ると、背景は、桜の大木。京都の東山。花道から喜撰(菊五郎)登場。喜撰は、花道
の出が難しい。立役と女形の間で踊るという。歩き方も、片足をやや内輪にする。舞
台中央へ。ここには、小町は登場しない。代わりに、上手より、祇園のお梶(芝雀)
が、登場。お梶は、小町見立てである。清元と長唄の掛け合い。踊る菊五郎。お梶が
舞台上手に去り、菊五郎が残る。やがて、師匠の喜撰を迎えに来た11人の所化たち
(團蔵、萬次郎、権十郎、松江、歌昇、竹松、廣太郎ほか)が両花道から登場する。

「喜撰」は、小道具の使い方が巧い舞踊だ。喜撰とお梶との色模様では、櫻の小枝、
手拭、緋縮緬の前掛けなどが効果的に使われる。所化たちとの間では、櫻の小槍、金
の縁取りの扇子、長柄の傘などが、効果的に使われる。道成寺の幕が、再び降りて来
る。住吉踊りを踊る所化たち。「喜撰」単独の上演と違って、次の「黒主」につなげ
る踊りが、難しいという。上演回数の多い「喜撰」の舞台は、良く練れている。

5)「重厚冷徹」の「黒主」が、最後の舞台。舞台袖で、上手下手とも、桜だったの
が、金雲を描いた襖に替わる。長唄連中の雛壇が、ふたつに割れると、舞台中央奥か
ら、二畳台に乗った黒主(吉右衛門)と小町(魁春)が姿を見せる。黒主は、黒い国
崩しの扮装。小町は、巫女姿。小町の歌に「古歌の盗作だ」と、難癖を付ける黒主。
古歌が載っている草子を角盥に入れた水で洗うと歌が書いてあった草子が、ぱっと、
白紙に変わる。ここで、小町は、逆襲。黒主の歌こそ、天下を調伏する野心があると
見抜く。花四天たちが、小町の味方をし、黒主を追いつめる。三段に乗って、大見得
をする黒主。幕。


「廓文章〜吉田屋〜」松嶋屋型と成駒家型の比較


江戸歌舞伎に対して、上方歌舞伎というジャンルがある。上方歌舞伎と言っても、
皆、同じ演出をするわけではない。例えば、「廓文章〜吉田屋〜」では、松嶋屋型で
は、「夕霧伊左衛門 廓文章 吉田屋」という外題。成駒家(鴈治郎)・山城屋(坂
田藤十郎)型では、「玩辞楼十二曲の内 廓文章 吉田屋」という外題である。演出
も異なる。

「廓文章」。私は今回で丁度10回目の拝見。私が観た伊左衛門は、松嶋屋型の仁左
衛門が6回、成駒家型が鴈治郎時代を含め坂田藤十郎で2回。松嶋屋型を引き継ぐ愛
之助、成駒家型の新たなリーダー四代目襲名の鴈治郎、というわけだ。奇しくも、松
嶋屋型、成駒家型とも新しい演じ手が始動した、ということになる。

復習:松嶋屋型(八代目仁左衛門型、大阪風)の伊左衛門と成駒家・山城屋型(京
風)の伊左衛門は、同じ上方歌舞伎ながら、衣装、科白、役者の絡み方(伊左衛門と
おきさや太鼓持ちの絡みがあるのは、松嶋屋型)など、ふたつの型は、いろいろ違
う。

竹本と常磐津(後半、中央から下手側の障子が開くと雛壇で登場)の掛け合いは、上
方風ということで松嶋屋型も成駒家型も同じ。

まず、吉田屋の店先で餅つき。正月気分を盛上げるのは、同じ。

松嶋屋の型;仁左衛門の、花道の出は、差し出し(面明り)を用いる。黒衣が、ふた
り、黒装束ながら、衣装を止める紐が、赤いのが印象的であった。背中に廻した長い
面明りを両手で後ろ手に支えながら、仁左衛門の前後を挟んで、ゆっくり歩いてく
る。

成駒家型;今回の鴈治郎は、花道を普通に出て来る。出に合わせて、「冬編笠の垢ば
りて」は、竹本の「余所事浄瑠璃」。竹本連中は舞台上手の山台に乗っている。網笠
を被り、紙衣(かみこ)のみすぼらしい衣装を着けた伊左衛門は、ゆるりとした出に
なる。「やつし」の演出。黒地と紫地の着物である紙衣(かみこ)は、夕霧からの恋
文で作ったという体で、「身を松(「待つ」にかける)嶋屋」とか「恋しくつれづれ
に」とか「夕べ」「夢」「かしこ」などという字が、金や銀で,縫い取られているよ
うに見える。これは、同じ。仕かけがない分、藝で勝負か。松嶋屋型では、差し出し
(面明り)の明りが、はんなりと雰囲気を盛り上げている感じ。

吉田屋の前で、店の若い者(又五郎。襲名のご祝儀に出演)に邪険に扱われる伊左衛
門(鴈治郎)。やがて、店先に出て来た吉田屋喜左衛門(幸四郎)が、編笠の中の顔
を確認し、勘当された豪商藤屋の若旦那と知り、以前通りのもてなしをする。喜左衛
門が紙衣の袖を引くと、伊左衛門は「紙衣ざわりが荒い荒い」と鷹揚に答える。この
後、鴈治郎の伊左衛門が、編笠を取り、顔を見せる。杮落し後の歌舞伎座で初めて四
代目鴈治郎が顔を見せた瞬間だ。

まず、伊左衛門は、喜左衛門の羽織を貸してもらう。次いで、履いていた草履を脱ぎ
捨て、喜左衛門が差し出した上等な下駄に鷹揚に履き替える。身をなよなよさせて、
嬉しげに吉田屋の玄関を潜る。その直後、吉田屋喜左衛門が、伊左衛門から預かった
編笠を持ち、自分の履いている袴を持ち上げて、伊左衛門のパロディを演じてみせ
て、客席の笑いを取るチャリ(笑劇)の演出もあるが、江戸歌舞伎の幸四郎は、そう
いうチャリは演じない。

吉田屋の店先にあった注連飾り(引き道具)は、観客席からは、見えにくい紐に引っ
張られて、舞台上(手)下(手)に消えて行く。店先を表現していた書割も、上に引
き上げられて、たちまち、華やかな吉田屋の大きな座敷に変身する。上手、吉田屋の
店先の場面では、山台に乗って、余所事浄瑠璃だった竹本連中は、「居所替わり」と
いう演出で、場面が室内に展開すると、そのまま山台も室内になっている)上手の竹
本連中の山台も、そのまま、余所事から座敷に付属した形に変わる。

下手、白梅が描かれた金襖が開いて、伊左衛門が、吉田屋喜左衛門とともに入って来
る。

贅言;伊左衛門の出現を「めでたい」と言いながら、四代目鴈治郎襲名披露に繋げた
幸四郎が仕切って、鴈治郎とふたりで劇中口上を言う場面がある。「鴈治郎の名跡を
四代目として襲名する運びとなりまして」と鴈治郎の口上が、初めて歌舞伎座内部に
響き渡る。幸四郎は江戸歌舞伎界を代表して、上方歌舞伎の名跡の襲名披露を寿ぐ。

この演目は、いわば、放蕩で勘当されたとはいえ豪商の若旦那という放蕩児と遊女の
「痴話口舌(ちわくぜつ)」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の能天気さが売
り物の、明るく、おめでたい和事。他愛ない放蕩の果ての、理屈に合わない不条理劇
が、楽しい舞台になるという不思議。

江戸和事の名作「助六」同様、「吉田屋」は、無名氏(作者不詳)による芝居ゆえ、
無名の、歴史に残っていないような、しかし、歌舞伎の裏表に精通した複数の狂言作
者が、憑依した状態で実力以上の能力を発揮し、名作を後世に遺したのだろう。さら
に後世の代々の役者が、工夫魂胆の末に、いまのような作品を遺したのだろう。

「助六」が、江戸の遊廓・吉原の街を描いたとしたら、「吉田屋」は、上方の遊廓・
新町の風情を描いたと言えるだろう。松嶋屋型であれ、成駒家型であれ、楽しむポイ
ントのひとつは、正月の上方の廓の情緒が、舞台から、匂いたち、滲み出て来るかど
うか。不条理の条理を気にせずに、楽しめばよいという芝居だろう。

松嶋屋型;熟成された仁左衛門の伊左衛門は、かなり意識して、「コミカルに」演じ
ていた(「三枚目の心で演じる二枚目の味」)。表現は悪いかもしれないが、「莫迦
殿様」風の、甲高い声で、コミカルに明るい科白回しで、仁左衛門は、伊左衛門を演
じる。男の可愛らしさと大店の若旦那の格の二重性。「莫迦では無い、莫迦に見せ
る」ことが肝心。「夕霧にのろけて、馬鹿になっているように見えない(よう)では
駄目だ」と、昭和の初めに亡くなった十一代目仁左衛門の藝談が遺る。当代の仁左衛
門も、お家の芸風を堅持しているように思われる。

成駒家型;鴈治郎は、その辺りが、まだ堅い。柔らかさ、丸さが不足している。滋味
を出すのは、これからの精進具合による。

阿波の大尽の奥の座敷に夕霧が出ていると聞き、座敷まで出向く伊左衛門。ちんちん
べんべんちんちんべんべんという三味線の音に急かされるように、急ぎ足。この場面
もコミカルである。舞台の座敷上手の銀地に雪の庭が描かれた襖をあける伊左衛門。
距離感を出すために、細かな足裁きで、奥へ奥へと進んで行く伊左衛門。鴈治郎は、
S字を書くように、空中に舞い上がる凧のように、コミカルな動きで進んで行く。金
地に鶴。銀地に紅梅。次々に豪華な襖をいくつも開けて行くと、最後に閉め切られた
障子の間の前の廊下へと行き着く。奥の座敷の様子を伺う伊左衛門。夕霧の嬌声でも
耳にしたのか、往きと違って、直線コースで不機嫌になって戻って来る。ここは、概
略、松嶋屋型も成駒家型も同じ。

私が観た夕霧は、玉三郎(4)、雀右衛門(2)、福助、魁春、壱太郎、今回は、念
願の藤十郎。伊左衛門は演じても、夕霧は、大阪、京都、名古屋の劇場で演じること
が多い藤十郎の夕霧を私は、この演目10回目にして初めて観たことになる。調べて
みたら、藤十郎は、1972年二代目扇雀時代に1回だけ演じていることがわかっ
た。歌舞伎座、33年ぶりの夕霧であった。

伊左衛門一筋という夕霧の情の濃さでは、雀右衛門。色気、けなげさは、やはり、玉
三郎。「もうし伊左衛門さん、目を覚まして下さんせ。わしゃ、患うてなあ」という
科白が、可憐で、もの寂しい。藤十郎も、儚げで、可憐。3年前、浅草歌舞伎で観た
若い壱太郎の夕霧は、初々しかった。壱太郎は、四代目襲名の鴈治郎の長男。次世代
の女形だ。

「むざんやな夕霧は」で、やがて、藤十郎の夕霧が登場。舞台中央から下手寄りの襖
が開くと、雛壇に乗った常磐津連中が現れる。上手の竹本連中との掛け合いになる。
藤十郎は、持ち紙で観客に顔を隠したまま、舞台前面近くまで出てくる。そこで初め
て、顔を見せる。場内から、溜息が漏れる。正面を向く。くるりと背中を見せて、豪
華な打掛を披露する。身体を斜めにして、美しい横顔を見せる藤十郎。扇雀から藤十
郎へ、夕霧堪能、久しぶりのたっぷり。33年ぶりに歌舞伎座で見ることが出来た藤
十郎の夕霧。初日の舞台。

贅言;冒頭、吉田屋店先で、鴈治郎の伊左衛門が編笠を取り、顔を見せる。四代目鴈
治郎の初顔見世。吉田屋座敷で、藤十郎の夕霧が33年ぶりに歌舞伎座で持ち紙を除
けて、顔を見せる。対になる演出だろう。

病後らしく、抑制的な夕霧。すねて、待ちわびて、ふて寝の伊左衛門は、夕霧を邪険
に扱う。男女の情のひねくれたところ。伊左衛門の勘当を心配する余り、病気(欝の
病か)になったのに、何故、そんなにつれなくするのかと涙を流す夕霧。「わしゃ、
患うてなあ」。そう,直接的に言われては、本音は夕霧恋し恋しの伊左衛門にとっ
て、可愛い夕霧を受け入れざるをえない。背中合わせで、仲直りするふたり。背中で
描くトライアングルは、歌舞伎の独特の性愛表現の場面だ。官能が色濃い。

贅言;この場面、伊左衛門が炬燵を踏み越えたり、腰掛けたり、上に乗って座った
り、寝転んだり、持ち上げたりと、伊左衛門の心理描写を補助するように、いろいろ
と効果的に使われるので、お見逃し無く。

やがて、伊左衛門の勘当が許されて、藤屋から身請けの千両箱(若い衆が肩に担いで
来た箱は10あるので、1万両か)が届けられる。夕霧は、それまで着ていた打掛け
から、藤屋が持ち込んだ、紫地に藤の花が縫い取られた豪華な打掛けに着替える夕
霧。めでたしめでたし、という、筋だけ追えば、他愛の無い噺。冷静な姉のような夕
霧、やんちゃな弟のような伊左衛門。伊左衛門の本質的な性格は、鴈治郎も巧く出し
ていた。

贅言;最後に、ひとつ。松竹の上演記録を見ると、この演目の江戸歌舞伎型での上演
は、1991年12月の歌舞伎座が最後で、勘九郎時代の勘三郎が、伊左衛門を演じ
ていて、相手役の夕霧は、玉三郎である。その前は、28年前、87年11月、歌舞
伎座で先代の勘三郎が、梅幸の夕霧相手に演じている。十七代目、十八代目の勘三郎
がいなくなってしまったのでは、当分、江戸歌舞伎型の「吉田屋」は上演されないの
ではないか。

その他の配役では、吉田屋の喜左衛門は、我當の当り役だが、我當は脚だけでなく、
目も不自由らしく、息子の進之介に抱えられるようにして登場する、夜の部の「芝居
前」(趣向を凝らしているが、実質的な「口上」)だけの出演。

今回も女房のおきさを演じる秀太郎は当り役。夫婦は、松嶋屋型では、伊左衛門に夫
婦ともども絡ませるが、成駒家・山城屋型では、おさきは、伊左衛門と直接、絡んで
来ない。しかし、今回は、鴈治郎襲名披露の舞台とあって、秀太郎のおきさは、伊左
衛門の鴈治郎に「歌舞伎座での四代目鴈治郎襲名おめでとう」とアドリブに心を込め
る。私は7回目の拝見。上方味あり、人情ありで、安定感があるので、安心。大坂の
遊廓の女将という風情は、秀太郎が、舞台に姿を見せるだけで、匂い立つから凄い。
- 2015年4月5日(日) 21:40:14
15年03月歌舞伎座 (夜/通し狂言「菅原伝授手習鑑〜車引、賀の祝、寺子
屋」)


愛、染、菊の「菅原」三兄弟と松の源蔵〜「花形」役者の分析〜


夜の部の「車引」は、いわば、グラビア。「賀の祝」とは古希の祝。梅王丸夫婦と桜
丸夫婦。つまり、愛之助と菊之助の比較。「寺子屋」は松王丸夫婦と源蔵夫婦。染五
郎と松緑の比較。そういった位置づけで、昼の部の大御所・仁左衛門の分析とは、が
らっと変えて、ここでは、「菅原伝授手習鑑」に出演している花形役者に焦点を絞っ
て書いてみたい。

まず、花形歌舞伎とは何か。
大(おお)歌舞伎は、ベテラン幹部役者が軸となって上演する興行。これに対して、花
形歌舞伎は、若手幹部役者が軸となって上演する興行。というような説明をすれば、
判り易いだろうか。

そこで、この劇評のタイトルは、「花形役者の分析〜菅原伝授手習鑑〜から」とでも
してみよう。実際に分析するのは、染五郎、松緑、愛之助、菊之助である。

私の分析のポイント。
1)花形と若手。一般的には区別が曖昧。花形=スターという誤解もある。中堅の花
形、若手の花形、などというのも間違いだろう。「花」は、世阿弥の言う「時分の
花」のこと。年齢、実力、華やぎなど、ピカピカしている状態。松竹の興行形態で
は、時々公演する「花形歌舞伎」興行の軸となる顔ぶれが花形役者と言えば良いだろ
うか。花形は、若手の幹部。若手の舞台では軸になる。若手は、それ以外の若い役者
のこと。ここではそういう区別をしたい。

ただし、ベテラン、中堅の役者の逝去や休演が相次ぐ、いまの歌舞伎界。力のある役
者が亡くなったり、病気休演に追い込まれたりしている。若手と最若手という区分ま
で必要かもしれない。例えば、浅草歌舞伎は、最若手の役者層だろう。今年で言え
ば、尾上松也以下のフッレシュな役者たち。御曹司たちも多い。それより若い人たち
は、もう子役層の御曹司しかいない。

梨園の御曹司とは、歌舞伎役者の子。例えば、尾上左近。四代目尾上松緑の長男。以
前なら藤間大河だった。歌舞伎関係者の子も、御曹司だろう。例えば、女形志向の尾
上右近。六代目菊五郎の曽孫で、清元の延寿太夫の次男。このほか、御曹司ではない
が華やかに活躍しているのが、芸養子。昔なら、守田勘弥の内弟子(芸養子)となっ
た玉三郎。いまや、堂々の人間国宝である。今なら、片岡秀太郎の養子になった愛之
助。華やぎがある。

大原流・歌舞伎役者の暗黙(公式ではない!)のランク付けをしてみよう。

まず、世代と年齢で区別。とりあえず、長老と花形のみを分析してみよう。順不同。
「長老・大御所」では、概ね年齢が60歳以上。ひとつの目安は、菊五郎が人間国宝
になったのが60歳だったから。

長老・大御所:人間国宝クラスでは、坂田藤十郎、田之助、菊五郎、吉右衛門、玉三
郎。ほかに幸四郎、仁左衛門、左團次、我當、梅玉辺りまでか。

中堅:40歳から60歳代。秀太郎、魁春、芝雀、孝太郎、鴈治郎、扇雀、彦三郎、
萬次郎、権十郎、友右衛門、東蔵、團蔵、門之助、市川右近、男女蔵辺り。

1)ここから、本題。今回のテーマのハイライトは「花形」:30歳代後半から40
歳前後。長老・大御所に次ぐ存在感のある役者たち。「菅原伝授手習鑑」に出演して
いる範囲では、染五郎(42)、松緑(40)、愛之助(43)、菊之助(37)。この
ほか、今回ここで取り上げていない花形では、猿之助(39)、海老蔵(37)などが
いる。いずれも、明日の歌舞伎界を背負って立つ若手の幹部役者たちである。

若手:花形以外の若い役者。概ね30歳代。
最若手:さらに、最近では、10代後半から20歳代。「最若手」という区分が必要
だろう。大御所、中堅役者の多数の逝去に伴い、配役で抜擢される若い役者も増え
た。だから、若手も三層化している。染五郎、菊之助らは、「花形」という若手幹
部。浅草歌舞伎を卒業した勘九郎、七之助らは、ど真ん中の「若手」。それ以下は、
「最若手」。その筆頭は、松也辺りか。浅草歌舞伎グループ(松也以下)。その下とな
ると、声変わり前の子役になってしまうだろう。

今回、「菅原伝授手習鑑」に出演している範囲の花形では、先に触れたように染五
郎、松緑、愛之助、菊之助の4人を取り上げることにしよう。

2)指導者:彼らを指導したのは、だれか。( )の名前は、指導者。
染五郎(幸四郎)、松緑(今回は、幸四郎に指導を仰いだ。染五郎と一緒に出演するのだ
から、指導を受けるのは順当だろう。基本的には菊五郎)、愛之助(仁左衛門、秀太
郎。今回は「筆法伝授」と「賀の祝」の梅王丸を初役で勤める)、菊之助(菊五郎、結
婚して婿の立場で、吉右衛門も加わる。今回、「加茂堤」の桜丸は初役)という辺り
だろうか。

3)役柄:役者としての「任」。
染五郎(立役、女形も)、松緑(立役)、愛之助(立役、女形)、菊之助(真女形、立役=若
衆)。

4)御曹司・芸養子:愛之助以外は、御曹司。高麗屋、音羽屋など名跡の血を受け継
ぐ。名跡の血では、例えば、六代目尾上菊五郎の嫡男。故・二代目尾上九郎右衛門と
いう役者がいた。片岡我當の嫡男は、進之介(47)。目と足が不自由な我當の世話
をしている。その前に、祖父で晩年盲目となった十三代目仁左衛門の世話をしてい
て、芸の修行が十分にできなかった、という。梨園では、代々の血筋優先だが、実力
ある芸養子は飛躍できる人もいる。例えば、六代目歌右衛門の養子になった梅玉・魁
春の兄弟。花形では、いま、松嶋屋一門では、秀太郎の養子の愛之助が優先されてい
るように見える。菊之助は、七代目菊五郎の嫡男ながら、吉右衛門の娘婿になって、
配役の領域も増えた。婿の道という選択もある、ということだ。

5)役者としての印象:これは、大原流の勝手なイメージ。高麗屋の染五郎(地道)、
音羽屋の松緑(滋味)、松嶋屋の愛之助(華麗)、音羽屋の菊之助(優美)。

さて、今回の歌舞伎座の舞台「菅原伝授手習鑑」の後半、夜の部を観てみよう。昼の
部の劇評でも触れたように、歌舞伎座での今回のような「菅原伝授手習鑑」6場通し
上演は、13年ぶり。

「車引」は、いわば、グラビア。菅丞相派の梅王丸(愛之助)、松王丸(染五郎)、
桜丸(菊之助)の3兄弟と政敵・菅丞相を追放して、我が世の春を謳歌している藤原
時平(弥十郎)との対決、という一場面が、「車引」。歌舞伎の魅力のエッセンスを
結晶させたような、一枚の錦絵のような場面が出現する。まあ、ここは、それだけで
も名場面となる。花形の演技も、もっぱら顔見世。若いだけあって、皆、テキパキし
ていた。

「賀の祝」とは、3兄弟の父親の白太夫の古希の祝。70歳。梅王丸と春(新悟)の
夫婦、松王丸と千代(孝太郎)の夫婦、桜丸と八重(梅枝)夫婦。

やがて、松王丸、梅王丸と相次いで来ると、ふたりは、「車引」のときの遺恨から、
いがみ合い、喧嘩となり(通称「喧嘩場」)、白太夫が庭に丹精している白梅、松、
桜(因みに下手、木戸の外に紅梅もある)のうち、桜の枝を、通称「俵立ての立廻
り」の末に、折ってしまう。桜丸の死を暗示する場面だが、「俺(おい)らは知ら
ぬ」と言い合う、子供のようなふたりで、笑わせて、伏線を隠そうとしているように
見受けられる。

特に、梅王丸・愛之助と桜丸・菊之助の対比。哀れな菊之助。儚げである。愛之助
は、長男らしく末弟・桜丸との対応を考えている。

「寺子屋」は松王丸夫婦と源蔵と戸浪(壱太郎)夫婦。子どもの命を犠牲にする知略
家の松王丸。それに協力する千代。他人の子を犠牲にする、悩ましい源蔵。染五郎と
松緑の対比。悲劇の主人公は、松王丸夫婦。染五郎が軸となる。

松王丸(染五郎)と妻の千代(孝太郎)は、「賀の祝」と「寺子屋」では、存在感が
違う。「賀の祝」のふたりは、次男夫婦ということもあろうが、三つ子の兄弟夫婦の
ひと組という印象しかない。「賀の祝」では、父・白太夫と弟・桜丸(菊之助)の関
係の中心にいる梅王丸(愛之助)が取り仕切る。梅王丸が、三つ子の長男だが、次男
の松王丸に比べて影が薄いと思っていた。テキスト本来の梅王丸が担う役柄が大きく
観えてきた。「寺子屋」が、松王丸の芝居なら、「賀の祝」は、梅王丸の芝居だ。切
腹して死に行く桜丸の後始末をするのは、長男の梅王丸。桜丸の切腹の後、白太夫
は、後を長男・梅王丸に託して自分は「菅丞相の御跡慕い」ながら、九州への追い掛
けの旅に出る。
 
「寺子屋」は、「菅原伝授手習鑑」の通し上演ということで、みどり上演では、あま
り演じない「寺入り(入塾)」の場面がある。上演記録をみると、上演時間が、普通
1時間半程度の「寺子屋」は、「寺入り」があると、15分から20分ぐらい長くな
る。松王丸の妻・千代(孝太郎)と長男の小太郎が、従者の下男(錦吾)に荷物を持
たせて「寺入り」してくる。涎くり(廣太郎)の仕置きの場面と小太郎入塾の手続き
の場面だ。千代が隣村まで、意図を秘めて外出してしまう。下男は、玄関先で眠り惚
ける。下男の顔にいたずらをする涎くり。下男を起こして、千代の真似をする涎くり
と下男のパロディ。その後の悲劇との対比のための笑劇。
 
主人への「忠義」のために、見知らぬ他人の子を殺す学習塾「寺子屋」の経営者・源
蔵もグロテスクなら、主人への「忠義」のために自分の子を殺させるようにし向ける
父親・松王丸もグロテスクだ。それは、封建社会の芝居として、ここでは演じられる
が、封建社会に限らず、縦(タテ)社会の持つ、そういうグロテスクさ(拘束力であ
り、反自主性である)は、時代が変わっても、内実が替わりながらも、いまの世にも
生きている。

さて、こうして歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」を通しで観ると、「加茂堤」が、桜丸と
八重の夫婦の芝居であり、「筆法伝授」が、菅丞相と武部源蔵、「道明寺」が、菅丞
相と覚寿、「車引」が、梅王丸と藤原時平、「賀の祝」は、梅王丸と白太夫、「寺子
屋」は、松王丸と千代の夫婦、武部源蔵と戸浪の夫婦というふた組の夫婦の芝居であ
るということが明確になる。

今回の花形役者たち。年齢順に言うと、愛之助、染五郎、松緑、菊之助は、それぞれ
持ち味を生かしながら、大歌舞伎に次ぐ、花形歌舞伎という、芝居小屋の第二の柱を
背負って立っている。第二の柱にも、バランスのある負担度であることを松竹には
チェックしてもらいたい。
- 2015年3月16日(月) 22:15:09
15年03月歌舞伎座 (昼/通し狂言「菅原伝授手習鑑〜加茂堤、筆法伝授、道明
寺」)

 
静かなり、仁左衛門の菅丞相
 
 
今回は、「菅原伝授手習鑑」6場構成の昼夜通し。孝夫時代を含む仁左衛門のこの上
演形式は、歌舞伎座では、13年ぶり。3回目。95年3月(松竹100年記念興
行)、02年2月(菅原道真公没後1100年記念興行 )、いずれも歌舞伎座で私も観
ており、今回で3回目となる。この20年間にこうした通しのほか、合間に、「みど
り」やショットカット版の上演も観ているので、都合、7回目。

通し前半(つまり、昼の部)、「筆法伝授、道明寺」は、ますます、絶品の仁左衛門
菅丞相であった。動きの少ない、静かで、それでいて、立っているだけで、高貴さを
滲ませる仁左衛門の演技。いま、こういう演技ができる役者はいないだろう。大御
所・仁左衛門の舞台をスケッチしよう。
 
20年前の95年、初めて菅丞相を観た時、十五代目仁左衛門襲名以前の孝夫時代
だったが、大病で休演していた孝夫の完全復調を印象づける舞台で、好評だった。

菅丞相は、動きが少なく、肚の演技(見えない演技を見えるように感じさせる)が要
求される難しい役柄だが、02年は、孝夫時代にも増して、気品と風格のある仁左衛
門の菅丞相であった。これだけの菅丞相を仁左衛門が演じてしまうとほかの人が菅丞
相を演じにくくなることは、間違いなさそうだ。

因に、02年2月歌舞伎座の配役。仁左衛門の菅丞相、玉三郎の苅屋姫、芝翫の覚
寿、雀右衛門の園生の前、團十郎の梅王丸、吉右衛門の松王丸、富十郎の源蔵などと
いう豪華な顔ぶれが効を奏し、満員盛況であった。4人が物故してしまった。

そして、あれから20年。2015年の今回。仁左衛門の菅丞相は、追随を許さない
域に入っている。孤絶の境地という所か。仁左衛門は、菅丞相の演技をベースに、今
年、人間国宝か文化功労者になるのではないか。期待したい。

かって菅丞相は、九代目團十郎、五代目歌右衛門、十一代目、十三代目仁左衛門が、
評判だったと言われる。このほか、戦後では、七代目、八代目幸四郎、十一代目團十
郎、十七代目勘三郎、関西で三代目寿三郎。1981年以降は、十三代目仁左衛門、
孝夫時代を含む当代仁左衛門と、松嶋屋の専売特許のようになり、最近は、当代の仁
左衛門で定着。いずれ、ほかの役者の菅丞相を観てみたいが、誰が、いま、最短距離
にいるのだろう。誰に後継させることが可能だろうか、と考えてしまう。まあ、当面
は、仁左衛門を堪能しよう、ということが正解だろう。

「加茂堤」では、加茂の社では、天皇の病気平癒祈願の儀式が行われている。天皇の
弟・斉世(ときよ)の君(萬太郎)は、式を抜け出し、かねてより恋仲の苅屋姫(壱
太郎)と牛車で逢い引きを目論む。苅屋姫が、菅丞相の養女だったことから、菅丞相
の政敵・藤原時平に「天皇亡き後、斉世の君を天皇にし、苅屋姫を皇后として、自ら
が皇后の父親になろうという謀反心だ」という難癖を付けられ、菅丞相太宰府配流と
いう後の悲劇の種となる場面だ。

もうひとつの悲劇の種は、ふたりの逢い引きの手筈を整えたのが、桜丸(菊之助)と
妻の八重(梅枝)で、後の「賀の祝」での、桜丸切腹に繋がる。ここmでは、花形、
若手、最若手の役者たちによる芝居。


衣装に身を固め、そこにいるだけで、菅丞相


「筆法伝授」では、勅命により弟子に筆法の奥義を伝授する場面だ。「菅原館奥殿の
場」、舞台は、金地の襖に白梅の老木の絵。上下には、板戸。花道向こう揚げ幕も、
いつもの幕から御殿の板戸に替わっている。襖の下手にある銀地の山水画の衝立があ
る。舞台中央では、菅丞相の弟子・左中弁希世(まれよ。橘太郎))が、手習いをし
ている。

仁左衛門の菅丞相の重厚な、動きの少ない肚の演技と対比をなすのが、「静と動」と
ばかりに左中弁希世の動きの多い、うるさいほどの滑稽味のある役柄だ。こういう演
技が、芝居に余白を持たせて、じっくり味わいが出て来る。

菅丞相の奥方・園生の前(魁春)の腰元・戸浪(梅枝)との不義密通(不倫)で菅丞
相から勘当されていた武部源蔵(染五郎)・戸浪夫婦が、浪々の身の上ながら、久し
ぶりの主人のお召しに恐縮しながら花道に出てくる。
 
この後、源蔵は、局・水無瀬(家橘)に案内されて奧の「学問所」に入って行く。最
初の座敷から、廊下へ。廻り舞台は、半廻し。さらに、半廻しで学問所奧へ。こちら
は、菅丞相が筆法伝授する場所なので、菅丞相の梅鉢の紋が、銀地の襖に青々と描か
れている。

大道具が、ゆるりと鷹揚に廻り、役者が、それにあわせて、ゆっくりと移動し続け
る。恰も、江戸の時間が、そこには流れているように思われる。
 
舞台中央の御簾が上がると、仁左衛門の菅丞相は、白い衣装で座っている。この場
面、仁左衛門は、座っているだけで、気品と風格を見せなければならない。やがて、
答案用紙を提出した源蔵に神道秘文の伝授の一巻を手渡して、立ち上がる場面がある
が、仁左衛門の動作は、これだけ。「伝授は伝授、勘当は勘当、この以後の対面は、
叶わぬぞ」という菅丞相の器量の大きさを見せる場面。「勘当は勘当」で、源蔵は、
表向きは主人がいない。菅丞相の悲劇後も、累を及ぼさない身の処し方の伏線であ
り、「対面は、叶わぬ」が、配流される主人から弟子への気遣いの別れの場面にもな
る。そういう肚も観客に伝える。

贅言;梅玉が源蔵を演じた時。梅玉は、字を書いているという演技はしているが、白
紙には、なにも書いていなかった。書き上がったという所作の後、2、3枚下から、
別の紙を出していた。今回の染五郎はちゃんと字を書いていた。ただし、提出したの
は別に用意してあった紙。やはり、「伝授」するかどうかを決める「試験」なのだろ
うから、字はきちんと書きたい。

御簾が下がり、菅丞相は、姿を消す。仁左衛門は、御簾の上げ下げの間、所作として
は、ほとんど座っているだけだった。それなのに以心伝心で菅丞相の肚が伝わって来
る。
 
贅言;この場面、人形浄瑠璃では、どのように演じられるか。
「筆法伝授の段」の後半、御簾が上がると、菅丞相の出。人形の頭は、「孔明」。後
の場面では、「丞相」に替る。私が観たとき、丞相の人形を操る主遣いは、今は亡き
吉田玉男(初代。人間国宝)であった。玉男は、重厚。玉男も丞相も、ほとんど動か
ないが、肚で演じる。至難の場面。その貫禄ぶりが、人形にも乗り移っている感じ。
玉男の肚は、仁左衛門の演技にも通じていると思う。

やがて、「参内せよ」との天皇からのお召しの声がかかり、黒っぽい紫色の衣装に替
わった菅丞相が、再登場する。仁左衛門は、ぎりぎりの最小限度の動作で、最大限の
肚を表現している。相変わらず、仁左衛門は過不足なく演じていたと思う。肚を外形
的に表現する白・黒の衣装の対比。途中で冠を落とす。不吉な予兆。

さらに、舞台が廻る。「半明転」で、「菅原館門外」の場面へ。やがて、直衣をはぎ
取られた菅丞相が、三善清行(亀寿)らに引き連れられて自宅に戻ってくる。門は、
閉門処分にされる。屋敷内から塀の上に姿を現した梅王丸(愛之助)の手引きで、菅
秀才が救出される。後(夜の部)の「寺子屋」への伏線。

 昼の部のハイライトは「道明寺」。仁左衛門の菅丞相の演技は、いちだんと磨きが
かかっているようだ。仁左衛門は、静かなり。正座の静謐な演技。

ここの配役は、菅丞相=仁左衛門。覚寿=秀太郎。輝国=菊之助。立田の前=芝雀。
苅屋姫=壱太郎。土師兵衛(はじのひょうえ)=歌六。宿袮太郎(すくねのたろう)
=弥十郎。弥藤次=松之助。「水奴」宅内=愛之助。
 
このうち、ちょっと難点に思えたのは秀太郎で、彼は老いを表現し切れていない。可
愛らしいお婆さんになってしまっている。やはり、覚寿は、芝翫が絶品だった。

立田の前(芝雀)は、覚寿の娘=苅屋姫の姉=宿弥太郎の妻という重層性を演じ、重要
な役どころ。苅屋姫(壱太郎)は、父への詫びと親愛の表現がポイント。裁き役の輝
国(菊之助)は、颯爽としている。立田の前の遺体を池から救い上げる「水奴」宅内
(愛之助)は、ごちそう。藤原時平の意向を受けて菅丞相を誘拐して暗殺しようとす
る土師兵衛(歌六)・宿袮太郎(弥十郎)の親子。入れ事に工夫魂胆。土師兵衛・宿
袮太郎の親子が、偽の迎え・弥藤次(松之助)のために、夜明け前に啼かせようとす
る鶏を庭の池に放す場面では、池の水布の間から、水色の手が出てきて、鶏を載せた
挟み箱の蓋を引き取っていた。娘・立田の前殺しの真相を悟ったのは母親の覚寿。彼
女の機転で殺した宿袮太郎とその父親の悪だくみを知る。夫に殺された立田の前の
(つまり、夫婦の)遺体は、黒い消し幕とともに二重舞台の床下に消えて行く。
 
自分が作った入魂の木像が、菅丞相の命を救う。だが、それは道明寺の縁起に関わる
伝奇物語。実際の舞台では、ひとり・ふた役で演じなければならない。仁左衛門が、
木像の精になる場面は、これも、ひとつの「人形ぶり」ではないか。木像と生身の人
間(肉付き)との対比。仁左衛門は、伝統的な演出に乗っ取り、独特の脚の運びでそ
れを表現する。そのあたりの緩急の妙が、実に巧い(ほかの役者で観たことがないの
だが、これは、意外と難しいだろうと想像できる)。夜明け前の暗闘を経て、夜明け
とともに菅丞相は、太宰府に配流される。伏せ籠のなかに潜んでいた養女・刈屋姫へ
の情愛を断ち切って別れて行く。伏せ籠の場面が、なかなか良い。人間から木像の精
を通底させることで、菅丞相は、さまざまな人たちの死を見る。こういう修羅場を経
ないと、後の天神様への変身も難しいのだろう。そういうドラスティックなドラマが
展開するなか、仁左衛門の菅丞相の静かなる肚の演技が続く。
 
白木の御殿に白木の菅丞相の木像。その上手に鏡が置いてある。木像の精の菅丞相
は、白い直衣(のうし)ということで、白い色調に神秘感を滲ませる演出と見た。生
身の菅丞相は、梅鉢の紋様の入った紫の直衣で対比的に木像との違いを強調する。た
だし、直衣の下の下袴は、薄い紫色の同じものを着ていた。鏡は、後に、生身の菅丞
相が、伏せ籠から出て来る養女の刈屋姫の姿を振り返らずに認める場面で使ってい
た。菅丞相の動きを少しでも少なくするという工夫なのだろうか。

「道明寺」では、歌舞伎の典型的な役柄が出そろう。立役=菅丞相。老女=覚寿。赤
姫=苅屋姫。片はずし=立田の前。敵役=宿袮太郎。老父敵=土師兵衛。二枚目=輝
国。ごちそう=宅内。役者が揃う大きな舞台にならないと上演されない、この演目の
由縁である。

「筆法伝授」「道明寺」の菅丞相は、動きの少ないまま、肚での濃厚な演技が要求さ
れる難しい役柄である。仁左衛門の演技は、毎回、見応えがある。今回も、十全の菅
丞相であった。ますます、気品と風格のある仁左衛門の菅丞相であった。これだけの
菅丞相を仁左衛門が、演じてしまうとほかの人が菅丞相を演じにくくなることは、間
違いなさそうだ。

仁左衛門という役者そのものが、菅丞相の存在と重なっているように見える。動きの
少ない役柄を演じるということは、肚から、その人物になりきらないと演じられな
い。菅丞相を演じるという点で、仁左衛門という役者は、そういう境地に、すでに
入っているのではないか、と思う。孤絶の世界だろう。昼の部「筆法伝授」「道明
寺」は、大御所・仁左衛門の世界。
- 2015年3月15日(日) 21:07:54
15年03月国立劇場 (通し狂言「梅雨小袖昔八丈」「三人形」)


「梅雨小袖昔八丈」と「恋娘昔八丈」

 
「梅雨小袖昔八丈」は、明治に入ってから、黙阿弥が五代目菊五郎のために書き下ろ
した江戸人情噺の新歌舞伎。1873(明治6)年に、東京(既に江戸ではない!)
の中村座で初演された。「大岡政談」のうち、「白子屋政談」を素材とした。

私は今回で10回目の拝見。私が観た主役の新三は、5人。幸四郎(3)、菊五郎
(3)、勘九郎時代を含め勘三郎(2)、先日亡くなった三津五郎、そして今回は橋
之助。

今回もそうだったが序幕の新三の登場は、舞台下手から出て来る。髪結の小道具を下
げた「帳場廻り(店を持たず、出張専門)」の髪結職人。勘三郎は12年5月の平成
中村座の最終演で、黙阿弥の原作通りに花道から登場したという。花道の出と下手か
らの出では、芝居の間が違う。余白が違う。12年12月、勘三郎は逝去してしま
う。いまは亡き勘三郎の歌舞伎の原点回帰の心意気や良し。私は残念ながら、この舞
台を観ていないし、再び観ることも叶わない。

「恋娘昔八丈」は、1775(安永4)年初演された江戸浄瑠璃。翌年、歌舞伎化さ
れた。江戸日本橋の材木商白子屋の娘・お熊(実名)をモデルに「城木屋お駒」と恋
人の髪結才三郎(さいざぶろう)のカップルを描いた。もともとは、48年前、17
27(享保12)年に婿殺し(手代と密通し、婿を殺そうとした)で死罪になった白
子屋お熊らの事件という実話。50年近く前の話なので、「昔八丈」。「八丈」は、
娘が好んで着ていた着物が黄八丈(きはちじょう。伊豆の八丈島特産の絹織物)とい
うことで外題に使われた。

江戸原作の人形浄瑠璃の演目。人形浄瑠璃では、お熊は、「城木屋お駒」。「お駒才
三」ものの系統。明治の新歌舞伎では、実名に戻り、白子屋お熊となる。江戸の地名
も実際のものを使っている。「恋娘昔八丈」を私は13年12月国立劇場の人形浄瑠
璃公演で観ている。「城木屋の段」と「鈴ケ森の段」が上演された。 

「髪結新三」は、上総から江戸の出てきたニューカマー青年の営利誘拐の物語。上総
(今の千葉県)という江戸近郊から出てきた青年・髪結「新」三。ちょと、ここで引
用するには、場違いな本かもしれないが、半藤一利・保阪正康『そして、メディアは
日本を戦争に導いた』という対談本がある。この中で、保阪正康は、こういう発言を
している。国民皆兵となった明治の軍隊(幕末から明治初期、各藩には、自前の軍隊
=武士があったが、天皇の軍隊はなかった)について、「戦場やその周辺で問われる
べき行為に走るのは、東京など大都会周辺部の出身であることが多いというんです
よ。逆に、うんと田舎の舞台も総じておとなしい。都会周辺部には、ある種のコンプ
レックスがあるんではないかという気もします」。これに答えて、半藤一利は、「完
全に貧しい人たちはコンプレックスを持たない。ところが、都会に近い田舎だとコン
プレックスを持つんだよね。不思議なもんです」(半藤一利・保阪正康『そして、メ
ディアは日本を戦争に導いた』)と受けている。この説が正しいと仮定すると、江戸
(都会)周辺部出身の「上総無宿」(人別帳から除籍された)の前科者・髪結新三
は、コンプレックスを持った小悪党の青年として、新たに徴兵された明治の兵隊に通
じるメンタリティを持っているのかもしれない。

「恋娘昔八丈」は、江戸育ちの大店の娘が犯した殺人事件の話。98年後、明治期の
黙阿弥は江戸育ちの大店の娘・お熊の代わりに上総生まれの江戸ニューカマーで野心
を秘めた小悪党の青年・新三を主人公に江戸人情噺の新歌舞伎作品を書き上げた。文
政年間(1818〜1830年。ご承知のように約40年後には、明治維新となる。
権力も世相も不安定な時期)以降になると、江戸の人口増も頭打ちとなり、長屋など
も空部屋が2割と増えてくるようになる。少しくらい入居者の身元が怪しげな新三の
ような青年でも家主(いえぬし)は家賃欲しさに店子(たなこ)にしてしまうし、長
兵衛のような悪徳家主も増える。

「恋娘」から「小悪党」に黙阿弥が主人公を変えたことで、江戸の大店のお嬢さんの
「情痴の果ての事件」は、江戸から東京に変わったばかりの大都会の社会構造の不安
定さが、より明瞭になったような「社会的な事件」へと見事に変貌したように思え
る。黙阿弥の卓見が、ここにはある。

今回のポイント。橋之助は、「髪結新三」の配役では、白子屋手代の忠七、家主の長
兵衛、日本橋乗物町の親分・弥太五郎源七、下剃勝奴などを演じてきただけに今回満
を持して新三役に初挑戦した。近代的な「市井もの」というか、まあ世話もの系統の
作品なので、橋之助は、時代ものの時のような科白の難もなく、前半の小悪党ぶりは
持ち味を出していたように感じる。世話もののなかでも、「生世話もの」という現代
劇。科白廻しはリアルが良い。生世話ものとは、当時の東京言葉を使った芝居のこ
と。後半の滑稽味については、橋之助では菊五郎や勘三郎には、まだまだ、届いてい
ない、と見受けた。

この芝居は、前半は、お熊のかどわかしと手代の忠七いじめの暗い話だが、元が、落
語の「白子屋政談」という人情噺だけに、後半は、落語の匂いが滲み出す。特に後半
の「二幕目」の深川富吉町の「新三内」と「家主長兵衛内」の場面が、おもしろい。
前半では、監禁・強迫男として悪(わる)を演じるが、後半では、婦女かどわかしの
小悪党ぶりを入れ込みながら、家主を合わせ鏡にして新三も滑稽な持ち味を滲ませ
る。切れ味の良い科白劇は、黙阿弥劇そのものだが、おかしみは、落語的だ。その典
型が、家主の長兵衛と新三のやりとりの妙。この科白劇の白眉。團蔵と橋之助の息。

錦之助は、江戸日本橋・「乗物町の親分」として一時は芝から浅草にかけて知られ
た、名うての顔役・弥太五郎源七を初役で演じた。人入れ稼業の侠客。いまは落ち目
の親分だとしても、往年の貫禄を滲ませる必要があったが、それが滲み出てこなかっ
たのは、残念。錦之助自身は、その辺は判っていて、楽屋話では「歳を取って温厚さ
も出て来ていますが、かつては顔を売って凄みを利かせていた親分です。源七のそう
いう過去が垣間見えるように、所々に凄みを出したいですね」と、言っているが、も
う少し工夫が必要だろう。

人情噺は、脇役陣の演技が要となる。主役もさることながら、人情噺のおもしろさは
脇役の充実にかかわる。私が観た脇役では、老獪な家主の長兵衛が弥十郎(4)、三
津五郎(2)、團十郎、富十郎、左團次、今回は團蔵。家主の女房おかくは、萬次郎
(今回含め、3)、鶴蔵(2)、亀蔵(2)、右之助、市蔵、鐵之助。重鎮役者も、
燻し銀役者も、物故した人たちが目立つのが寂しい。今回の家主の團蔵、家主女房の
萬次郎、車力善八の秀調などが、好演。
 
團蔵の家主の魅力。憎まれ役が多い團蔵だが、こういう滑稽味にも味がある。滑稽さ
の中にいつもの意地悪さを滲み出させる辺りは流石だ。「いかにも怖くて悪そうな顔
つき」を目指したというのは、正解だった。萬次郎の女房役は定評がある。「欲深な
のに夫婦とも抜けている」という、良いコンビの配役だった。秀調のおかしみと哀れ
さも、味があった。弱い立場故、車力善八は、小悪党の本当の怖さを知り抜いてい
る。

いまの歌舞伎界は大御所的な、あるいは、さらに中堅の役者の死が相次ぎ,危機的な
状態にあると思われる。花形、若手を抜擢して、危機的な部分を埋めようとしている
ようだが、なかなか上手く行かず、松竹も配役には苦労していると思う。

今回でも、橋之助の新三挑戦は良いとしても、錦之助の親分は、まだまだ、味がしみ
ていない。全体の調和が歌舞伎味になっていないと思われる。こうした味気なさを感
じつつ芝居を観ていたら、萬次郎の科白回しが登場して、やっと歌舞伎味が出てきた
と思った次第。

 この芝居のおもしろさは、舞台という空間がすっぽりとタイムカプセルに入ってい
ることか。黙阿弥は、当時の江戸の季節感をふんだんに盛り込んだ。梅雨の長雨。永
代橋。傘尽くしの科白。雨のなかでの立ち回り。梅雨の晴れ間。深川の長屋。初鰹売
り。朝湯帰りの浴衣姿。旧・江戸っ子の代表としての、町の顔役、長屋の世慣れた家
主夫婦。深川閻魔堂橋での殺し場。主筋の陰惨な話の傍らで、この舞台は江戸下町の
風物詩であり、人情生態を活写した生世話ものになっている。

黙阿弥の「髪結新三」では、お熊は、脇に追いやられる。この芝居の主人公は、上総
生まれの「江戸っ子」を気取るニューカマー、ならず者の入れ墨新三(「上総無宿の
入れ墨新三」という啖呵を切る場面がある)である。深川富吉町の裏長屋住まい。
「帳場廻り(出張専門)」の髪結職人。立ち回るのは、日本橋、新材木町の材木問
屋。江戸の中心地の老舗だ。老舗に出入りする地方出の、新・江戸っ子が、旧・江
戸っ子に対抗する、という図式。こういう図式化は、芝居を判りやすくする効用があ
る。黙阿弥はこういう工夫は巧い。

大詰の「深川閻魔堂橋の場」。黙阿弥流の勧善懲悪劇なので、新三が、旧・江戸っ子
の代表である町の顔役・弥太五郎源七という親分に殺されて、幕。源七が、後に大岡
裁きを受けることになる。

白木屋の下女として、客にお茶を出しにくる下女役に、私もファンの芝のぶが登場す
る。相変わらず、初々しい。白木屋の後家お常という、女主人に芝喜松が好演。ふた
りには結構科白が多くて、私も楽しめた。

贅言 ; 大手の材木商らしく、舞台下手、店先の前に多数の材木が立てかけてある。
1)杉板、壱等、大巾、豊田屋木材店と書かれたものや、2)杉材、壱等、大森木材
店と書かれたものなどが判別できた。


「丹前六方」の「三人形」


「三(みつ)人形」は、今回、初見。浄瑠璃は、常磐津。幕が開くと、人形の箱が並
んでいる。上手側から、柿色の若衆、萌黄色の奴、浅黄色の傾城の暖簾が箱には掛
かっている。箱の中から人形が出て来る。人形ぶりもなく、いきなり生身。若衆は、
錦之助。奴は、国生。傾城は、児太郎。

人形が出て来ると、場所は夕暮れの吉原に変わる。魂が入った人形が踊り出す。見ど
ころは、 花道で若衆と奴が「丹前六方」という独特の歩き方を交えて踊ってみせ
る。そこへ、傾城が加わり、いちだんと踊りが華やかになる。若衆の大尽舞い。傾城
は、拳酒(けんざけ)という酒の飲み比べの遊びを披露する。奴は、足拍子。

「さんさ時雨(しぐれ)か、茅野(かやや)の雨に……」。3人揃って、「さんさ時
雨」を華やかに踊るうちに、遊里の灯火は、ますます、煌めく。
- 2015年3月14日(土) 12:15:53
15年02月国立劇場(人形浄瑠璃第三部/通し狂言「国性爺合戦」)


「国性爺(こくせんや)合戦」は、人形浄瑠璃では初めて拝見した。歌舞伎では、4
回観ている。近松門左衛門原作の「国性爺合戦」は、もともと、17世紀の中国の歴
史、「抗清復明」の戦いと呼ばれた明国再興のために清国に抗戦した歴史、なかで
も、史実の人物、日明混血の鄭成功の物語を題材にしている。史実の鄭成功は、「国
姓爺(こくせんや)」と呼ばれた(「性」と「姓」の字の違いに注意)。鄭成功は、
清に敗れた後、台湾を攻略し、そこを活動の拠点にしたという。

近松門左衛門は、「明清闘記」という日本の書物を下敷きに、この「国性爺合戦」を
書いたというから、これは、まさに、「戦記」である。1715(正徳5)年、竹本
座で初演された近松門左衛門原作の人形浄瑠璃は、全五段構成。韃靼に滅ぼされそう
な明の再興を願う和藤内(わとうない。後に、鄭成功)は、姉(父親の先妻の娘)の
錦祥女(きんしょうじょ)が、韃靼王に従属中の甘輝(かんき)将軍に嫁いでいると
いう縁を利用するため、父母とともに大陸に渡る。

父・老一官(ろういっかん。旧名は鄭芝龍・ていしりゅう)は、その昔、明の官僚
だったが、皇帝の逆鱗に触れたため日本に密航し、日本人の妻との間に長男・和藤内
を得た。老一官は明滅亡の危機という情報を得て、明再興のため和藤内と妻を連れ
て、祖国に戻ったのだ。権力者の妻になっている娘を頼って帰国し、祖国再興を願う
ある在日中国人一家の前に待っているのは、どんな物語なのか。

今回の段構成は、「千里が竹虎狩り段」、「楼門の段」、「甘輝館の段」、「紅流し
より獅子が城の段」。

「千里が竹虎狩り段」。御簾内の床で、竹本は「口」の小住大夫、三味線方野澤錦
吾。「奥」は、語り、竹本三輪大夫、三味線方竹澤團七。ツレ三味線が豊澤龍爾、鶴
澤清公。

幕が開くと、全面浅黄幕が舞台を被っている。下手小幕より出てきた老一官夫婦(人
形遣いは、夫・玉輝、妻・勘寿)、和藤内(玉志)の3人は、甘輝将軍の居城を目指
している。舞台の一の手摺の向うに立つ和藤内が、大きい。主遣いの玉志は、普通な
ら見えない専用の下駄を履いている所まで見える。つまり、下駄の歯を高くしている
のだろうか。人目を避けて、親子は二手に分れる。一人上手の入る老一官。老母と和
藤内は下手に入る。竹本:「西と東へ右左、分かれわかれて」。

浅黄幕が上がって行くと、場面展開。竹林。竹本の大夫も床の出語り。三輪大夫らに
代わる。「行く先は、末果てなき大明国、人里絶えて広々たる千里が竹に迷ひ入
る」。下手奥より、和藤内と老母が出て来る。道に迷ったらしい。中央岩影より大虎
出現。人形より大きい虎。人が入っている着ぐるみの虎である。暴れ回る虎。なぜ
か、床にいる三輪大夫のところまで、接近して行った。大虎も和藤内には叶わない。
いや、切り札は伊勢神宮のお守り。この素朴なナショナリズムの判りさ。この後も、
随所にナショナリズムが顔を出す。

虎狩りをしていた敵方と遭遇。和藤内は虎を足で下敷きにし、伊勢神宮のお守りを虎
の首に掛けると、神通力を得た大虎は、敵を蹴散らす。和藤内一行を恐れて従った連
中を連れて和藤内は、虎の背に母親を乗せて、甘輝将軍の居城・獅子が城を目指して
行く。

「楼門の段」。竹本は、豊竹呂勢大夫、三味線方鶴澤清治。
夜。甘輝将軍の居城・獅子が城楼門の前で、3人は、無事に落ち合う。父親・老一官
は20年間も逢っていなかった(別れたのが、2歳の時というから、ほとんど初対面
の印象ではないか)先妻との間に出来た娘・錦祥女は、城内に入れてくれないだろう
と気後れがしている。和藤内は、味方になってくれないなら、甘輝将軍と戦うまでと
息巻くので、母親にたしなめられる。

老一官が、娘の錦祥女に逢いたいと申し出る。やがて、楼門の上に錦祥女(人形遣い
は、豊松清十郎)が現れ、「親子の対面」となるが、親子の証拠を改めるという場面
である。幼い娘に残した父の絵姿と見比べながら、楼門の上から、月の光を受けて、
鏡を使って父親を確かめる娘。楼門の上と下という立体的な「対面」も、劇的な趣向
が良い。実父と判り、錦祥女は涙を流すが、韃靼王から他国者を城内には入れてはな
らないと言い渡されているとして、拒否する。ならばと、母親が、女ひとりなら入れ
てくれと頼み込む。城内の兵たちは、老婆と言えど、縄付きにしろと言う。怒る和藤
内。母は、こう言う。竹本:「大事を人に頼む身は幾度か様々の憂き目もあり恥もあ
る、縄はおろか機杻(あしかせてかせ)にかかつても、願ひさえ叶はば瓦に金(こが
ね)を換ゆるが如し、小国なれども日本は男も女も義は捨てず」。その後は、初対面
の継母と錦祥女という、義理の母娘が、芝居の重要なポイントになる。

錦祥女は、夫・甘輝将軍が父・老一官一行への協力を承諾したら、城の遣り水に白粉
(おしろい)を流す。拒否したら紅粉(べに)を流すと、城外待機の男どもに告げ
る。

「甘輝館の段」。竹本は、竹本千歳大夫、三味線方豊澤富助。
甘輝将軍(人形遣いは、玉女)一行ご帰還。だが、この場面の主役は女たちである。
和藤内の母、甘輝の妻・錦祥女。上手化粧殿で食事などのもてなしを受けていた老母
だが、未だに縄目のまま出て来る。御殿奥より登場した錦祥女。母娘の関わりの場面
が良い。

夫婦の縁で、義弟の味方をしては、将軍としての体面が保てない。和藤内に味方する
ためには、妻の錦祥女を殺さなければ韃靼王に対して面目が立たないと、甘輝が、錦
祥女に刀を向ける場面では、竹本:「老母慌てて飛びかかり二人が中へ割つて入
り」、老母の科白「人に物を頼まれては、女房を刺し殺すが唐土の習ひか」と大音
声。

この場面、両手を縄で縛られていて不自由な老母が、口を使って、甘輝と錦祥女のふ
たりの袖をそれぞれに引き、諌める場面として知られる。夫・老一官の先妻の娘へ
の、継母の情愛が迸って来るのが判る。互いの立場を慮る女同士の真情が麗しい。
「口にくはへて唐猫(からねこ)の、塒(ねぐら)を変ゆる如くにて」という竹本の
語りがあるので、「唐猫のくだり」という名場面だ。

夫の面目を立て、父と義弟のために、喜んで命を捨てるという錦祥女。継母として
は、義理の娘の命を犠牲にするわけにはいかないという老いた母。後ろ手に縛られた
まま。家族の情愛、特に、母性愛の見せ場だ。

「紅流しより獅子が城の段」。竹本は、豊竹咲甫大夫、三味線方竹澤宗助。
「甘輝館」の御殿の壁は、緑地に金のアンモナイトの図柄。御殿から鑓水に架かる小
さな橋で繋がる上手の化粧殿は、紫の帳(とばり)が、垂れ下がっている。いずれの
緞帳も、蝦夷錦という。ここで、錦祥女は、左胸に抱えた瑠璃の紅鉢から、紅を流す
のだが、実は、これは、紅では無く、自分の左胸(つまり、心臓)を刺した血である
が、赤布で表現される「紅流し」は、まだ、観客には、底を明かさない。だが、甘輝
が、老母を和藤内の元へ送り返そうと言ったとき、錦祥女は、白粉(おしろい)流し
(=承諾)と紅粉流し(=否認)の合図があるから、それを見て和藤内が母を迎えに
来ると答えるが、このときは、もう、錦祥女は、瀕死への坂を転がり始めている。

場面展開となり、御殿の書割は引揚げられ、化粧殿は舞台上手に、御殿は舞台下手
に、それぞれ引き込まれる。奥から引き道具の石橋が引き出され、舞台前方へと押し
出されて来る。橋の上には、紫地木綿に白い碇綱が染め抜かれた衣装の和藤内がい
る。

「赤白(しゃくびゃく)二つの川水に、心を付けて水の面(おも)」というのが竹本
の文句。橋の下の水の流れを注視している。やがて、紅(赤い布)が、流れて来る。
「南無三、紅粉(=否認)が流るる」で、怒りに燃える和藤内。

「塀を乗り越え籬(まがき)透垣(すきがき)踏み破り」、獅子ケ城内の奥へ。人質
の母を助けようと急ぐ和藤内。

石橋などの大道具が、先ほどの手順の逆で、奥へ引き込まれ、化粧殿、御殿など上下
の道具が、再び、押し出されて、「元の甘輝館」の場面へ。巧みな場面展開である。

贅言;歌舞伎では、和藤内の侵入を阻止しようとする下官たち。和藤内は、下官たち
との立ち回りの末に、黒衣が、黒幕で包んで持って来た下官の胴人形を下官たちの群
れに投げ入れる。人形浄瑠璃の演出を援用。しかし、人形浄瑠璃には、そういう場面
はなかった。

甘輝館へ乗り込んだ和藤内は、老母を助け、縄を引きちぎる。甘輝と対決しようとす
る和藤内。「日本無双」の和藤内。「唐土稀代」の甘輝の対決。

贅言;歌舞伎では、御殿の御簾を下げて、両雄は衣装を替える。そして、元禄見得対
関羽見得での対決。ハイライトの場面である。人形浄瑠璃には、ない。

そこへ、上手の一間から錦祥女が出て来る。瀕死の錦祥女。命を掛けた妻の行動に和
藤内への助力を約束する甘輝は、さらに、和藤内に名前を「鄭成功」と改めるように
勧める。

御殿の上手と下手に椅子が設けられる。奥に入ったふたりが冠を被った唐土の出陣用
の正装で出てきて、椅子に座る。その一部始終を認めた老婆は、錦祥女の懐剣で自分
の喉を突き、義理の娘同様の志を守るべく自死する。母の義理。ふたりの女性を犠牲
にしての大団円。女たちが、物語の主軸になると、和藤内は、仕どころが無くなる。
和藤内の荒事芝居より、女形たちの情愛芝居が主役と観た。

贅言;人形遣いの玉女は、「玉女」の名前で出演するのは、東京公演では、今回が最
後になる。4月、大阪の国立文楽劇場「一谷嫩軍記」(「熊谷桜の段」「熊谷陣屋の
段」)で、二代目玉男襲名披露。5月、東京の国立劇場(小劇場)でも、同じ演目で
襲名披露をする。玉女は、「女」から「男」に変わる。
- 2015年2月26日(木) 13:38:27
15年02月国立劇場・(人形浄瑠璃第二部/「花競四季寿」「天網島時雨炬燵」)


変化舞踊の「花競四季寿」


「花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)」は、初見。万才、海女、関寺小町、鷺
娘。人形遣いによる珍しい舞踊劇。春は万才、夏は若い海女、秋は老いた小野小町、
冬は雪の中で鷺の化身、若い娘が登場する。竹本は津駒大夫ら5人、三味線方は寛治
ら5人。人形遣いは万才の太夫が勘市、才蔵が玉佳。海女が一輔。関寺小町は文雀が
休演で、和生代演。4年前の2月も文雀は休演だった。鷺娘は勘弥。エロチックユー
モアは、海女と蛸の出て来る。夏。年齢による美醜のむごたらしさは、百歳の姥・関
寺小町。若き日野の草深少将への甘美な思い出が生きる糧。雪のなかから、恰もせり
上がってきたように現れて、脅かしたのが鷺娘の出。二本傘を使った振りが新鮮。

歌舞伎なら、一人の女形が早替わりで踊る「変化(へんげ)舞踊」の趣向という所
か。


女同志の信義の果てに 「天網島時雨炬燵」の世界


「天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)」。今回、東京の国立劇場で
は、1980年以来、35年ぶりの「紙屋内の段」を通しで上演する。近松門左衛門
の「心中天網島」は、13年05月国立劇場で拝見したことがあるが、これは今回と
は別バージョン(「心中天網島」:場の構成は「北新地河庄の段」、「天満紙屋内よ
り大和屋の段」、「道行名残りの橋づくし」)。人形浄瑠璃の「心中天網島」は、こ
の時が、私は初見。

心中ものの近松門左衛門処女作「曾根崎心中」から17年後に上演された近松門左衛
門原作「心中天網島」(1720年)は、その後、近松半二らが増補した「心中紙屋
治兵衛」(1778年)、さらに改作された「天網島時雨炬燵」へと連なる。今回の
上演は、「天網島時雨炬燵」で、上方和事の代表作のひとつである。初見なので、筋
も記録しておきたい。

「紙屋内の段」。今回の竹本の太夫と三味線方は、次の通り。
「中」は、豊竹咲甫大夫、野澤喜一朗。
「切」は、豊竹嶋大夫、野澤錦糸。
「奥」は、豊竹英大夫、鶴澤清介。

「中」(語りは豊竹咲甫大夫):横長の暖簾の中央に、山の印に「治」、上下に「か
みじ」と染め抜かれている。天満御前町の老舗の紙屋。場面は、店の帳場。店先の上
手に、なぜか、炬燵がある。後の伏線。

この店は、治兵衛の店だが、店を実際に切り盛りしているのは、有能な女房のおさん
(人形遣いは、和生。以下同じ)。曽根崎新地の遊女・紀の国屋小春に愛想を尽かし
た筈の治兵衛(玉女)は、実は、小春と心中の約束をしている。そこへ小春を治兵衛
と張り合っていた江戸屋太兵衛(清五郎)が怒鳴り込んで来る。太兵衛は、伊丹の商
人で金の力を振りかざす、嫌みな男。「ちょんがれ(節)」(当時の大坂で流行った
門付け芸)で治兵衛の恋愛沙汰をからかう伝界坊(簑一郎。伝界坊はいまのワイド
ショーのリポーターのような役回りか。芸能のマスコミのようだ)も居合せ、という
か、太兵衛と示し合わせて治兵衛をいたぶりにきている。逆上して、脇差を抜こうと
する治兵衛を諫めるのは、女房のおさんと治兵衛の兄の孫右衛門(幸助)。

贅言;人形浄瑠璃「ちょんがれ(節)」の伝界坊の場面は、初見。ここの大坂弁の科
白廻しはおもしろい。端場(はば)、いわば付け足しのチャリ場(笑劇)なので、
「河庄」(端場は「口三味線」)と「紙屋内」(端場は「ちょんがれ」)の両方とも
上演する時は、片方のチャリ場を省略する、という。「口三味線」太兵衛と仲間の善
六の即席の義太夫節を口三味線でやり取りする場面のこと。間(あい)のチャリ場で
ある。

ここへ、紀の国屋の親方・才兵衛がやって来る。小春が書置を残して姿を消したとい
う。その書置には、治兵衛と言い交わしたことは、全て偽りで、本当に好きなのは、
太兵衛だと書かれているという。実は、小春は、治兵衛の女房・おさんからもらった
手紙で、「紙屋の苦しい内情と、夫と別れてほしい、夫を心中の道連れにしないでほ
しい」と言われてしまっている。小春は、女の信義を感じて、別れるという内容の手
紙を書き、店の丁稚に返事を持たせてしまった。それ故に、心にもない縁切りの態度
を取っているのである。大喜びした弾みに太兵衛は文を落としてしまう。それを拾う
孫右衛門が文を読み、太兵衛の悪事を見抜く。逃げ出す太兵衛と伝界坊。

道化役の伝界坊、悲劇の主人公の治兵衛、冷静な女房のおさん、敵役の太兵衛という
この場面の主要なメンバーが、悲劇と喜劇が綯い交ぜに演劇空間を作り上げて行く。

入れ違いにやって来たのは、おさんの母親(亀次)で、小春と縁切りをするという治
兵衛の誓紙が欲しいというので、ためらわずに治兵衛は誓紙を書く。母親は、孫右衛
門、治兵衛夫婦の娘・お末を伴い、帰って行く。

贅言;咲甫大夫の大坂弁の語り、科白廻しは抜群だった。

「切」(語りは豊竹嶋大夫):「時雨炬燵」の山場。治兵衛は座敷の上手にあった炬
燵に潜り込むと、うたた寝をしながら涙を流す。小春のために泣いていると思って治
兵衛を起こして、責めるおさん。治兵衛は、自分の涙は、小春への未練ではなく、金
策に困って、小春から身を引いたと思われるが悔しいのだと言う。おさんは、小春へ
出した自分の手紙ゆえに太兵衛の身請けを拒否するために小春が死のうとしているこ
とを悟る。恋敵の小春の心情を推し量るおさん。ここが、この狂言の性根である。竹
本「小春さんを殺しては、このさんが義理立たず」。おさんは、小春の信義を受け止
め、小春を自分が身請けしようと決意し、金の工面にと、箪笥を開けて袱紗や自分の
衣装を取り出す。この女同士の間に流れる信義の交換が凄い。

ところが、ここへ今度はおさんの父親・五左衛門(文司)が現れて、おさんへの去り
状を書けと治兵衛に迫る。おさんを強引に実家に連れ戻してしまう。以後、おさんは
舞台から消え去る。代わりの小春の登場となる。この辺りからは、「心中天網島」と
はかなり違う。

「奥」(語りは豊竹英大夫):この様子を店の外の天水桶の後ろに隠れて見聞きして
いた小春(簑助)。死を覚悟し、この世の別れにと治兵衛に逢いにきたのだ。おさん
を苦しめた申し訳にとふたりは死ぬ覚悟を固める。小春の信義。

なぜか、丁稚の三五郎が祝言の用意を始める。小春が来たら祝言をしろとおさんが三
五郎に予め命じていたのだ。おさんの信義。「女同士の信義」というテーマは、「心
中天網島」より、「天網島時雨炬燵」の方が、いちだんと濃い。ふたりは祝言ではな
く、末期の水盃を酌み交わす。

ここへ、尼姿に変じた娘のお末が戻って来る。娘が纏う白無垢に字が書いてある。手
跡は、おさんと舅・五三衛門。白無垢は、おさんと舅からの手紙代わりだった。おさ
ん:治兵衛の命を救ってくれた小春へのお礼、ふたりは夫婦になってほしい。五三衛
門:箪笥に小春を請け出す金を入れておいたから使って欲しい、おさんは尼にした、
と書いてある。

これを読んで、小春は取り乱し、自己犠牲に徹するおさんに詫びる。これで、芝居は
それなりに、終わりかな、と思っていたら、江戸屋太兵衛が仲間を連れて小春を探し
に現れる。治兵衛と一緒にいる小春に怒った太兵衛が治兵衛を殺そうとするが、仲間
と同士討ちになる。なぜか、治兵衛は太兵衛と仲間のふたりの止めを刺す。

この場面が、取って付けたようで、解せない。「天網島時雨炬燵」の、この結末は、
付け加えられた。太兵衛らふたりを殺したので、という理由で、治兵衛と小春は、当
初の心づもりの通りに心中すべく網島へと向かって行く。

簑助の女形遣いは、相変わらず、動きがきめ細やかである。しっとりとした色気を滲
み出す小春。但し、簑助の方の足の運びが、少し心もとない感じがした。
- 2015年2月25日(水) 11:54:44
15年02月国立劇場・(人形浄瑠璃第一部/「二人禿」「源平布引滝」)


「二人禿(ににんかむろ)」は、2回目の拝見。初回は11年05月国立劇場(小劇
場)で拝見。この演目は、1941(昭和16)年、初演の新作。京の廓・島原。女
郎(遊女)に仕える少女の禿(かむろ)が、華やかな振り袖姿で、踊る。「禿」は、
行儀見習いの少女。姉女郎に付き、女郎になる作法などを学ぶ。雑用に追われる日々
を愚痴りながら、踊る。数え歌に合わせて羽根つき。「てんてん手鞠の糸様可愛」
で、鞠突き。春風に浮かれでた禿たちの描写。大夫は、豊竹睦大夫ら4人。三味線方
は、竹澤團吾ら4人。人形遣いは、紋臣、簑紫郎。


「源平布引滝」は、人形浄瑠璃では、3回目の拝見。三段目・四段目の上演が1回。
今回同様の三段目のみは、今回含め、2回。前回は、11年05月国立劇場で、源大
夫の襲名披露の舞台であった。その源大夫も去年引退。

人形浄瑠璃の「源平布引滝」は、1)2000年2月の国立劇場(小劇場)で観たこ
とがある。「源平布引滝」の三段目と珍しい四段目の上演であった。全五段の「源平
布引滝」は、並木千柳(宗輔)、三好松洛の合作。2)2011年の上演は、歌舞伎
でも「実盛物語」として上演頻度の高い三段目のみ。三段目の段構成は、「矢橋(や
ばせ)の段」、「竹生島遊覧の段」、「九郎助内の段(更に、細分すれば、「糸つむ
ぎの段」「瀬尾十郎詮議の段」「実盛物語の段」となることもある)」。

三段目の前半は、「矢橋の段」、「竹生島(ちくぶしま)遊覧の段」で、ここは、歌
舞伎ならカットされる。通称・「実盛物語」として、斎藤別当実盛が「物語る」もの
のうち、再現される「過去の場面」の追想となるからで、歌舞伎では、あまり上演さ
れない。しかし、小まんという女性が、琵琶湖を泳いで渡るという勇壮な場面なの
で、人形浄瑠璃では、むしろ、絵面的に見せ場として上演される。

三段目後半の「九郎助(くろすけ)内の段」は、歌舞伎では、通称・「実盛物語」と
して、そのまま上演される。上演回数も多い。

歴史上の3大歌舞伎と言われる「菅原伝授手習鑑」、「義経千本桜」、「仮名手本忠
臣蔵」が3年間(1746年から48年まで)続けて、ヒット人形浄瑠璃として、竹
田出雲・千柳・松洛らの合作で上演された翌年(1749年)、「源平布引滝」は、
ヒットメーカー千柳・松洛のコンビの作品として竹本座で人形浄瑠璃初演された。
「源平布引滝」も、名作と言われ、「平家物語」や「源平盛衰記」を題材に、平清
盛、木曽義賢・義仲、多田蔵人行綱、斎藤実盛と手塚太郎光盛らが登場する源平闘争
の絵巻である。

本来なら初段の大内山で、後白河法皇が源氏の白幡(旗)を木曽義賢に賜るのが清盛
の恨みを買い、平家方、源氏方の「旗をめぐる争い」が始まる。布引滝(生田川上流
で、神戸市東部の布引山中に、雄滝と雌滝が、今もある)の龍神の憤り。「布引」と
は、「旗(布)」をめぐる「争い(引き合う)」を象徴させてのネーミングだろう
か。

贅言;白旗が源氏、赤旗が平家。日本人は、運動会の紅白合戦、大晦日の「紅白歌合
戦」など、未だに源平合戦が好きで、赤勝て、白勝て、とやっている。

「矢橋の段」。
豊竹咲寿大夫、三味線方豊澤龍爾。小まんの人形遣いは、紋壽。この段では、竹本の
語りは、上手の御簾内で語る。暫く、無人の舞台。白旗を持って逃げる小まん(首=
かしらは、老女方)を、平家方の塩見忠太(首は、端敵)が一人遣いの家来の人形と
ともに、追っ掛けてくる。「義経千本桜」の早見藤太のように滑稽な場面。小まんは
女武道で、強い。彼女を押さえつけて、掴まえようとする家来どもをぽんぽん放り投
げる。家来たちは、役者の「トンボ」のように、大きな空中回転で、次々に倒れ込
む。

やがて、逃げ場を失い、琵琶湖へ飛び込む小まん。舞台中央から上手へ泳ぎ込む。浅
黄幕が、振り被せとなる。前回見た時は、舞台の書割と「手摺(てすり)」と呼ばれ
る、観客席に最も近い板が、それぞれ、上手と下手へ移動する「居処替わり」という
演出で、場面展開がなされる。今回は、浅黄幕の振り被せで場面展開。

上手横の竹本の床へ、5人の太夫が出て来ると、浅黄幕の振り落しで、舞台が変わ
り、「竹生島遊覧の段」となる。舞台中央に大きな蓙船。人形遣いは、実盛が勘十
郎、ほか。

「竹生島遊覧の段」。
竹本の語りは竹本津國大夫、竹本南都大夫ら5人、三味線方は、鶴澤清馗ひとり。舞
台には平宗盛(首は、若男)の乗る朱塗りの大きな御座船がある。清盛の代参で竹生
島詣での帰りである。背景の中央寄りやや下手に、月が煌煌と出ている。振り落しの
方が、場面展開が、鮮やかで、派手である。

やがて、下手より実盛(首は、文七。人形遣いは勘十郎)を乗せた小船が近付いて来
る。実盛は、源氏の血縁者探しを清盛から命じられている。宗盛の臣下の、飛騨左衛
門(首は、金時)に祝宴への参加を呼びかけられ、実盛は、御座船に乗り移る。船の
横腹が、いわば「引き戸」仕掛けになっていて、三人遣いとともに、御座船に乗り移
る。小舟は、御座船より遅いのだろう、やがて、後ろ向きのまま、遅れるように、下
手に入って行く。

白旗を口に銜えて、小まんが、舞台下手から泳ぎ出てくる。疲れたのだろう、一度
は、流されて、下手に引き込む。もう一度、泳ぎ出て来て、舞台中央の水面上に顔を
出していた岩の上に這い上がり、休む。御座船に乗り移っていた実盛が、そういう小
まんを見つけて、紐を付けた櫂を投げて、小まんを助けて、船に引揚げる。しかし、
小まんは、助けられた船が、平家方の船と知り、なぜか、身を震わせる。舞台下手よ
り、さらに、もう一艘の小舟が出て来る。乗っているのは、小まんを追って来た塩見
忠太で、小まんの正体がばれてしまい、源氏の重宝・白旗が、平家方に奪われそうに
なる。小まんを襲う風を装い、実盛は、白旗を握った小まんの手を斬り落とし、白旗
を水中に逃す。

「九郎助内の段」。
竹本は、「中」。御簾内の語りは、豊竹靖大夫、三味線方鶴澤清𠀋。暫く、舞台は、
無人。住居の奥から九郎助女房・小よし(首は、婆。人形遣いは文昇)が、出て来
る。ここからは、ほぼ歌舞伎と同じ。身重の葵御前(首は、老女方。人形遣いは簑二
郎)が匿われている。九郎助の甥・矢橋仁惣太が、葵御前かどうか、確認をしに来る
が、追い返す。

竹本が、「次」。語りは、豊竹松香大夫、三味線方鶴澤清友に替わる。舞台には、再
び、奥より、小よし登場するが、後ろ向きになり、暫し静止。「東西東西」で、太夫
と三味線方の紹介後、小よし、前を向く。松香大夫「うちと、出でて行く」を、ゆっ
たりと、大きく、語り出す。

小まんの息子太郎吉と父親の九郎助(首は、武氏。人形遣いは文司)が、琵琶湖の鮒
漁から戻って来る。網の中には、白い絹を握った片腕。絹は、源氏の重宝、白旗。な
らば、これは、小まんの腕か。矢橋仁惣太の密告で、斉藤実盛と瀬尾十郎(首は、大
舅。人形遣いは玉也)が、葵御前を調べようとやって来る。木戸を叩く。葵御前は、
上手、障子の中へ、隠れる。葵御前(源氏方)と実盛(元は、源氏の家臣、今は、平
家の家臣)、瀬尾十郎(平家方)の三角関係で、葵御前を巡って、やりとり。実盛を
信頼して、九郎助は、葵御前の生まれたばかりの子だと言って、小まんの腕を持ち出
して来る。苦笑いする瀬尾。だが、実盛は、あり得ることだとして、この村を「手孕
(てはらみ)村」と名を改めよと言う始末。瀬尾は、「腹に肘があるからは、胸に思
案がなくちや叶はぬて」、清盛に注進と言って、「逸足(いちあし)」で語り終わ
り、瀬尾は、下手へ退場。ここで、盆廻し(文楽廻し)で、太夫、三味線方が交代。

竹本は、「切り」。つまり山場。「実盛物語」の場面。松香大夫が引き込み、盆廻し
で、金地の衝立を背に、豊竹咲大夫、三味線方鶴澤燕三の登場。

太夫、相三味線の紹介の間、舞台の九郎助(主遣いは、文司)、葵御前(主遣いは、
簑二郎)、実盛(主遣いは、勘十郎)は、今度は、前向きで、静止している。

実盛物語の場面の語り出しでは、「出して走り行く」。実盛は、小まんの腕を斬った
のは自分だと告白する。実盛「物語」らしく、先ほどの「竹生島遊覧の段」の場面を
再現して、改めて「物語る」。竹本:「と涙交じりの物語」で、語り終わり、咲大
夫、盆廻し。

竹本は、「後」。文字久大夫に交代。三味線方鶴澤藤蔵。小まんの息子の太郎吉は、
母の敵と実盛を睨む。村人によって、小まんの遺体が運び込まれる。瀬尾が、隠れ
て、付いて来るが、一旦、下手の奥に身を隠す。腕を繋ぐと、小まんが生き返るが、
遺体の人形は、モノとして、運ばれて来る。「手摺」の裏側に姿を隠している主遣い
の紋壽が、小まんが、生き返った場面だけ、下から顔を覗かせて、小まんを操る。遺
体の周りを取り囲む多数の人形と人形遣いたちで、押しつぶされそうな紋壽。甦った
小まんは、最期の生命力を振り絞って、「言いたいことがある」と告げると、何も言
わないまま、すぐに、息絶えてしまう。紋壽は、再び、低い姿勢で姿を消す。小まん
は、一人遣いになる。小まんの身の上話は、太郎吉が、語り出す。テレパシー交信を
無事終えたのだろう。サイエンスフィクションの世界。小まんは、平家某の娘とい
う。

やがて、葵御前が、産気づき、後の木曾義仲となる赤子を産み落とす。戻って来る瀬
尾。小まんの遺体を蹴飛ばす。母を蹴飛ばされて怒った太郎吉が、瀬尾を刺す。瀬尾
は、実は、小まんの父親。つまり、太郎吉の祖父。平家某とは、瀬尾だったのだ。自
分の命を太郎吉の手柄とさせる瀬尾(主遣いは、玉也)。瀬尾の死後、勘十郎は、低
い姿勢で姿を消す。九郎助女房小よしが、瀬尾の首を生まれたばかりの若君・駒王丸
に届ける。葵御前は、太郎吉を駒王丸の家来第一号とする。実盛は、太郎吉が成人し
たら、戦場で討たれようと約束する。白髪を染めて、若々しく振るまい、太郎吉が、
見間違えないように工夫すると言う。時空を自在に行来する物語。サイエンスフィク
ションの世界。

実盛が、背から前へと向きを変えて、馬に乗る場面では、主遣いの動きに合わせて、
左遣いが、馬の反対側に移動する。足遣いは、持つ足が無くなるので、主遣いの勘十
郎の腰に両手をかける。馬は、脚をだらりと下げていて、馬を操るのは、一人遣い。
中腰だろうか、ほかの人形遣いより、低い姿勢で、馬の中から馬を操っている。

歌舞伎で「馬の足」といえば、大部屋役者の役割だが、人形遣いの足遣いというの
は、かなり違う。足遣いによる人形の脚の動きが、人形の「生き死に」の印象を強く
左右する。人形浄瑠璃の場合、歌舞伎の生身の役者が持つ「生命的な雑音」のような
ものを持ち得ない人形という客体が、雑音を排して、逆に「物語(=物を語る)」と
しての、人物像をきっちり描く。勿論、人形に命を吹き込む司令塔は、主遣いだが、
左遣い、足遣いとのハーモニーが大事。その結果で、舞台で演じられる演劇の物語性
を、生身の役者よりも、より深めるということになる場合もある。そこが、歌舞伎よ
り人形浄瑠璃は、おもしろい。

贅言;今回は、客の入りが悪そうだった。第一部では、一等席の両翼の空席が目立っ
た。筋書を見ても寂しい。大夫の部。竹本の太夫の顔写真には、人間国宝が一人もい
なくなった。去年の住大夫、源大夫の引退である。三味線の部。人間国宝の寛治、清
治の顔写真はある。人形の部。人間国宝の簑助と文雀の顔写真があるが、文雀は、今
月は、病気休演。


★ 人形浄瑠璃の劇評だが、番外で大事なことを書いておきたい。
歌舞伎役者の坂東三津五郎(59)が、2月21日、逝去。團十郎(13年2月)、勘三
郎(12年12月)の死に続く。幸四郎、吉右衛門、仁左衛門、玉三郎の世代に続く次
の世代として、歌舞伎界の中堅どころを支えていた。ほかに、病気休演中で、復帰の
目処が立っていない福助は、七代目歌右衛門襲名が内定した段階で頓挫してしまっ
た。こうした逝去者、病気休演中の役者たちの穴を埋めるのは容易ではない。毎月の
興行を観ていると、明らかに、大きな役が出来る限られた中軸役者に負担がかかって
いるように見受けられる。特に、幸四郎、吉右衛門の出番が多いことに気づかされ
る。松竹は歌舞伎興行における役者の健康管理に万全の配慮をしてほしい、と思う。
結局、花形、若手、最若手の役者たちの育成計画にも影響して来るだろう。由々しき
事態だ、と懸念する。
- 2015年2月23日(月) 11:26:11
15年02月歌舞伎座 (夜/「一谷嫩軍記 〜陣門、組打」「神田祭」「水天宮利
生深川」)


一世一代! 吉右衛門の「父親」・直実


「一谷嫩軍記 陣門、組打」。私が観るのは、7回目。この場面を演じた直実:幸四
郎(4)、吉右衛門(今回含め、2)、團十郎。小次郎と敦盛は、染五郎(3)、梅
玉、福助、藤十郎、今回は、菊之助。

今回の吉右衛門は、楽屋話で「これが最後かもしれないと思って務めたい」と言って
いるが、本気に「一世一代」のつもりで、演じているのが舞台からひしひしと伝わっ
てきた。科白廻し、表情、所作など、全体も細部も見応えがあった。吉右衛門ファン
ならずとも、見逃しあるな、という絶品の直実。「熊谷陣屋」の武人・直実とは、ま
た違った父親・直実であったと思う。今月の歌舞伎座、最高の出し物だったと思う。
娘しかいなかった播磨屋に聟とはいえ、音羽屋の御曹司・菊之助を迎え、息子と父親
の関係を実感した吉右衛門が、敦盛に扮して死地に向かう小次郎という「息子殺し」
の痛ましさが演技を越えて表現しえたように思える。息子殺しの後始末をして、左手
で馬の轡を持ち、右手で息子・小次郎の首を抱き、目を剥いて静止する直実の凄みの
表情は、一生忘れないであろうと思った。

13年2月に亡くなった團十郎の直実は、08年3月、歌舞伎座で観ているが、その
時の私の劇評。「リアルな戦場の軍人を余すところ無く表現していて、大人の男の魅
力を抑制しながら、横溢させるという、見事な演技だった」。團十郎最後の組打の直
実であった。これも貴重な舞台だった。

「陣門」は、矢来と陣門(舞台中央から上手寄り)、そして、黒幕というシンプルな
大道具。本来、この場面、観客にとっては、小次郎、敦盛が、別人となっている。
「熊谷陣屋」の場面になって、初めて、敦盛には、小次郎が化けていて、敦盛を助け
る代りに父の手で小次郎が殺されたという真相が明らかにされるので、観客は、同じ
役者のふた役と思っている。

やがて、小次郎が扮したはずの敦盛(菊之助)が、鎧兜に身を固め、白馬に乗り、朱
色も鮮やかな母衣(幌・ほろ)を背負い、陣門から出て来る。

「須磨の浦」。背景は浪幕の舞台。花道から玉織姫(芝雀)登場。薙刀を持ち、敦盛
を探している。敦盛を追い掛けていた平山が、下手奥から出て来る。横恋慕をしてい
る玉織姫に「敦盛を討った」と嘘を付く。猫なで声で、姫に迫る平山。「女房になる
か」「さあ、それは・・・」「憎い女め、思い知れ」と姫に斬りつける。戦場という
公の場で私を絡める、危機感のない男。こういう男は、どこにでもいるなあ、と思
う。上手の岩(張りもの)近くの枯草の中に倒れ込む玉織姫。背景は、浪幕の振り落
としで、「浪幕」から、海の「遠見」に替る。沖を行く御座船が見える。

幸四郎は、実の息子・染五郎を相手に3回、この場面の直実を演じている。幸四郎の
直実も悪くは無いが、幸四郎は約者魂が旺盛なのだろう。息子・染五郎もライバルだ
と言うだけあって、実の親子ならでは情愛をださないようにしているのだろう。

一度だけ観た團十郎は、素晴しかった。大病を2回も克服してきたという経験が、落
ち着きのある、冷静沈着な戦場の「武人」振りを見せてくれた。見えない心を「形」
にして見せるのが、歌舞伎の演技なら、これは、まさに、オーソドックスなまでに、
真っ当で、てらいが無かった。もう、観ることが出来ない。小次郎・敦盛役は、女形
が演じるので、團十郎は、息子・海老蔵を相手には、この場面は演じられないし、実
際に演じてはいない。

さらに良かったのが、冒頭に書いた通り、今回の吉右衛門。吉右衛門は、幸四郎、團
十郎らの武人・直実より、我が子殺しの父親の苦渋を噛み締めていたと思う。

小次郎・敦盛を演じた菊之助の上品さ。小次郎・敦盛役最高齢の藤十郎(團十郎が良
く相手役として選んでいた)は絶品だったが、今回初役で演じた菊之助の小次郎・敦
盛は清々しい。まさに「初陣」の小次郎の健気さ、初々しさ、若武者としての敦盛の
気品などが滲み出ていた。

直実と小次郎扮する敦盛は、須磨の海に馬で乗り入れる。「浪手摺」のすぐ向こう
の、浅瀬では、浪布をはためかせて、「波荒らし」を表現する。沖の御座舟に向おう
とする敦盛、そして、敦盛を追う直実の行く手を波が阻もうとする。沖の場面では、
子役を使った「遠見」という演出でふたりの海中対決を描く。

敦盛、直実役者は、花道から本舞台を横切り、上手へ。浅瀬を上手から下手へ。一
旦、下手に引っ込んだ後、続く場面は、定式通りに子役を使った「遠見」で見せる。
花道から、黒馬に乗った直実も、登場。敦盛を追って、同じ筋を行き、沖で、「遠
見」に代わる。歌舞伎の距離感。子役の「遠見」同士での、沖の立回りの後、浅葱幕
振り被せとなる。

浅葱幕の上手側から、敦盛を乗せていた白馬が、無人で、出て来る。本舞台を下手へ
横切り、花道七三で上手側を振り返って見せる。後ろ髪ならぬ、鬣(たてがみ)の後
ろを引かれるようにしながら、花道から揚幕へと入って行く白馬。敦盛、いや、小次
郎の悲劇を予感させるが、ここは、いつもの演出。

浅葱幕の振り落しがあり、舞台中央に朱の消し幕。浜辺には、紫と朱の母衣が置かれ
ている。上手枯れ草の前には、矢が刺さった楯と玉織姫が持っていた薙刀が置いてあ
る(後の伏線)。

熊谷と小次郎の敦盛が、せり上がって来る。今回の最大の見せ場。吉右衛門・直実
「一世一代」の舞台。組み打ちの場面。長い立回りと我が子を殺さざるをえない父親
直実の悲哀。いさぎよい小次郎。親子の別れをたっぷり演じる場面。きちんと記録し
ておきたい。

息を詰んだ科白で、菊之助が「早く、首を討て」と言う。敦盛身替わりの、我が子・
小次郎に対して、直実は、思わず、「倅」と呼びかけてしまう。その後、絶句に近い
間をおいて、直実は、「小次郎直家と申す者、ちょうど君の年格好」という言葉を続
ける。この、「倅」と「小次郎直家」という科白の、間が、大人の男の情愛をたっぷ
り表現する。名作歌舞伎全集では、「某(それがし)とても、一人の倅小次郎と申す
者、ちょうど君の年恰好」とあるが、これが原作だとしたら、その後の役者の工夫で
科白廻しが変わってきたのであろう。亡くなった團十郎も同じ科白廻しだった。この
方が、断然良い。「倅」という科白を前に出したことで、武人の殻を破って、父親の
情愛が迸る。芝居が、ダイナミックになった。敦盛を討つ前に、思わず、倅・小次郎
に最期の声をかける父親の真情が、溢れているからである。倅を持った父親の真情溢
るる名科白に仕上がっている。大人の男の情愛が、ここには、ある。

直実が、敦盛に斬り掛かる。菊之助の身体の前に飛び出す吉右衛門。己の身体で敦盛
を隠しながら、敦盛を肩で押し倒すようにする。真後ろに倒れ込む菊之助。後ろに控
えていたふたりの黒衣のうち一人が、黒い布で菊之助の首を隠す。もう一人は、黒い
布の包みを吉右衛門の足元に置く。敦盛の切り首だ。ゆっくりと後ろを向き、足元の
首を取り上げてから、再び、ゆっくりと前を向く吉右衛門。敦盛の身替わりに、実
子・小次郎を討った哀しみが、全身から、溢れている。「隠れ無き、無官の太夫敦
盛」と、直実は、声を張り上げ、己に言い聞かせるよう、周りにいるであろう連中に
聴かせるようにして、我が子・小次郎の首を持ち上げる。

ただならぬ様子に気がついたのか、上手の枯草の中から、敦盛の許婚で、瀕死の玉織
姫(芝雀)が、這い出して来る。直実は、「もう、目が見えぬ」という玉織姫に、
「なに、お目が見えぬとや……」と、確認をした上で、「お首は、ここに」と手で触
らせるようにする。愛しい人の首の触感のみを味わいながら死んで行く玉織姫。

須磨の浦の沖を行く御座船とそれを前後で守る2艘の兵船は、下手から上手へゆるり
と移動する。いつものことながら、3艘の船は、いわば、時計替り。悠久の時間の流
れと対比される人間たちの卑小な戦争、大河のような歴史のなかで翻弄される人間の
小ささをも示す巧みな演出。

紫の母衣の布を切り取って小次郎の首を包む父親の悲哀。下手から、直実の黒馬が出
て来る。続いて出て来た黒衣は、馬の後ろ足に重なるように、身を隠す。敦盛に扮し
た我が子・小次郎の鎧を自分の黒馬の背に載せる。兜は、紐を手綱に結い付ける。敦
盛の刀なども片付ける。馬の向う側で、手伝う黒衣。黒馬の顔の下に自分の顔を寄せ
て、観客席に背を向けて、肩を揺すり、号泣する直実。直実を労るように身体を揺す
る黒馬。哀しみに耐える優しい父親と黒馬。大間で、ゆっくりとした千鳥の合方が、
人馬一体の哀しみを気遣うように、そっと、被さって来る。

その父親は、また、豪宕な東国武者・熊谷次郎直実であることが、見えて来なければ
ならないだろう。剛直でありながら、敦盛の許婚・玉織姫と首のない敦盛(実は、小
次郎)というふたりの遺体を、それぞれを朱と紫の母衣にて包み込む。恋人同士の
「道行」を願うかのように、「矢を防ぐ板(台本は、「仕掛けにて流す」とあるだ
け)」一枚に、ふたりの遺体を載せる。相会い舟。玉織姫が遺してあった薙刀で、板
を海に押し流す。こうして、直実は黙々と、そして、てきぱきと、「戦後処理」を進
める。こういう所作から実務にも長けた戦場の軍人・直実の姿が、明確に浮かんで来
る。

すべてを終えた直実は、(どんちゃんの激しい打ち込みをきっかけに)、我が子・小
次郎の首をかい込み、黒馬とともに、きっとなる。舞台中央で静止した吉右衛門は、
客席を睨む。「檀特山(だんとくせん)の憂き別れ」。やがて、上手より、引幕が
迫って来る。二代目吉右衛門一世一代の舞台。

場内、大向こうからは、「大播磨」「大播磨」という声が数カ所で響き渡っていた。


「神田祭」。外題は、別名「お祭り」ともいう。3回目の拝見。江戸の祭は、神田明
神の「神田祭」と赤坂・日枝神社の「山王祭」がある。このうち、「神田祭」の情景
を描いたのが、舞踊の「神田祭」。本外題を「〆能色相図(しめろやれいろのかけご
え)」という。1839(天保9)年、江戸の河原崎座で初演。鯔背な鳶頭と芸者、
手古舞、若い者が絡んで明るく、賑やかに江戸の祭を活写する。今回の新趣向は、祭
の曳きもの、練りものなどによる行列「附け祭」のうち、「大鯰と要石」の神輿を登
場させる。鯰を鎮め、地震を防ごうと祈願する。要石に鳶頭自身を見立てて、神輿の
上に乗り、大鯰の頭を踏み、天下太平を願う場面がある。

私の印象に残るのは、仁左衛門の長い病気回復からの復帰の舞台で、鳶頭に扮した当
時の孝夫に、大向こうから「待ってました」と声がかかり、「待っていたとは、あり
がてえぇ」と孝夫が科白で客席に返す場面だ。97年10月、歌舞伎座だっただろう
か。この演目を観るたびに私はこの場面を思い出す。

今回は、菊五郎の鳶頭に、芸者が時蔵、芝雀、高麗蔵、梅枝、児太郎。手古舞が、京
妙、梅之助、京蔵、菊史郎、芝のぶ、春花、蔦乃助、玉朗。芝のぶが混じっているだ
けで、嬉しい。

「水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)」は、4回目。「水天宮利生深
川」は、1885(明治18)年2月、東京千歳座(いまの明治座)が初演。河竹黙
阿弥の散切狂言のひとつ。つまり、新歌舞伎。明治維新で、没落した武家階級の姿を
描く。五代目菊五郎の元直参(徳川家直属)の武士(お目見え以下の御家人だろ
う)・船津幸兵衛、初代左團次の車夫・三五郎などの配役。戦後は、十七代目勘三郎
が、得意とした演目。粗筋は、陰々滅々としているが、勘三郎の持ち味が、それを緩
和して、人情噺に仕立て上げて来た。最近では、1990(平成2)年1月の国立劇
場で、團十郎、06年3月の歌舞伎座で、幸四郎が演じている。私は團十郎では観て
いない。07年12月の歌舞伎座で、当代勘三郎が、勘三郎襲名後初めて幸兵衛を演
じた。先代の父親以来、23年ぶりの勘三郎の幸兵衛、家の藝、念願の初役であっ
た。そして、今回ということで、私が観た船津幸兵衛は、幸四郎が、今回含め、3回
目。勘三郎で、1回(もう観れないが)観たことになる。

深川浄心寺裏の長屋が舞台。上手に墓地が見える。あちこちに、雪が残る。寒々し
い。幸兵衛(幸四郎)は、武芸では剣道指南もできず、知識では代言人(今の弁護
士)もできず、貧しい筆職人として、生計を立て、ふたりの娘(児太郎、金太郎)と
乳飲み子の息子を抱え、最近、妻を亡くし、上の娘は、母が亡くなったことを悲しむ
余り、眼が不自由になっている。筆作りも軌道には乗っていないようだ。知り合いの
長屋連中の善意に支えられ、辛うじて一家を守っているが、いつ、緊張の糸が切れて
もおかしくない。支えになっているのは、神頼み。水天宮への信仰心。東京の人形町
にある安産の神様で知られる水天宮は、本来、平家滅亡の時に入水した安徳天皇らを
祭る水神。幸兵衛が、乏しい金のなかから買って来る水天宮の額には、碇の絵が描か
れている。これは、「碇知盛」で知られる平知盛が、歌舞伎の「義経千本桜」では、
身を縛った碇を担いで重しの碇とともに、大岩の上から身投げしたという設定になっ
ているので、紋様として使われたのだろう。

また、黙阿弥は、気の狂った幸兵衛に、箒を薙刀に見立てて、知盛の出て来る、別の
演目「船弁慶」の仕草をさせる趣向も取り入れている。隣家の息子の誕生祝いの座敷
を利用した他所事浄瑠璃「風狂川辺の芽柳」では、清元の延寿大夫らが、幸兵衛の哀
れさを強調する。これも、幸兵衛発狂の伏線となる。

そういう脆弱さが伺える幸兵衛一家が、陰々滅々と描かれる。そして、案の定、金貸
しの因業金兵衛(彦三郎)と代理の代言人の安蔵(権十郎)から、借金の催促をさ
れ、僅かな金も奪われるように、持ち去られてしまう。危機管理ゼロ。

結局、幸兵衛が思いつくのは、一家心中。あげく、幼い子どもを手にかけることが出
来ないことから、心中もままならずで、己を虐め抜き、遂に、発狂するという話の展
開になる。狂気にしか逃げ場がない、という辛い状況。幼い赤子を抱えて、海辺町の
河岸へ行き、身投げをする。そのショックで正気に戻る。

しかし、こういう脆弱な男に良くあるように、自殺も成功せず、死に切れずに、助け
られる。それが、水天宮のご利益というのが黙阿弥の解釈。「来年は、良い年になり
ますように」と、全ては、ハッピーエンドとなる安直さながら、前向きに、生きて行
こうと決意する。それだけの話。人生、思う通りにならないのは、世の常。足元を固
めて、一歩一歩、前に歩いて行くしかないのは、最初から判り切っていることだろう
に。

幸四郎は、発狂場面を含めて、実線の、くっきりとした演技で、思い入れたっぷりに
演じる。十七代目勘三郎の舞台は、残念ながら観ていないが、ビデオなどで拝見する
と、科白廻し一つ取ってみても、肩に力が入っていない。さらりと、科白を言ってい
る。科白も、普通の口調で、演技ではなく、自然と幸兵衛になりきっていたし、狂気
もするっと、境を超えていたのを思い出す。前回の勘三郎も、そうだが、幸四郎も、
肩に力が入りすぎている。ふたりとも十七代目には、まだ叶わない。正気から発狂す
るという「異常な状況」を表現するだけに、「異常」なほどのオーバーアクションで
は、かえって説得力を殺ぐことになる。抑え気味に演じて、正気から狂気へが、観客
の腑に落ちるように、役になり済ますことが出来ないものかと、いつも思う。これ
は、十七代目勘三郎が、いかに上手かったかということなのだろう。

このほか、脇に廻った豊富な役者たちでは、車夫・三五郎(錦之助)、長屋の差配
人・与兵衛(由次郎)、巡査・民尾保守(友右衛門)、長屋の女房たち(幸雀、京
蔵)。ほかに、同じく元直参ながら、剣道指南で巧く、新しい世の中を生き抜いてい
る萩原の妻・おむら(魁春)などが印象に残るが、散切ものらしい配役の妙(車夫、
巡査、代言人などが登場)が、明治初期の風俗を記録していて、それはそれでおもし
ろい。
- 2015年2月22日(日) 11:22:47
15年02月歌舞伎座 (昼/「吉例寿曽我」「毛谷村」「積恋雪関扉」)


見慣れた演目、馴染みの役者


今年は、松竹創業120周年。2月の歌舞伎座は、播磨屋、高麗屋という、今や、松
竹大歌舞伎の屋台骨を背負っている兄弟と音羽屋の頭領を軸に配役している。特に、
幸四郎、吉右衛門の兄弟は、上演記録を見ると、亡くなった團十郎や勘三郎のロー
テーションを引き受けて、歌舞伎座出演が増えているのが目立つ。2年前、13年2
月3日、十二代目團十郎は亡くなってしまった。大きな役は、中堅が育って来ない限
り、演じることが出来る幹部役者が限られるので、こういう緊急事態では、歌舞伎界
のために当面は仕方がないことだろうが、「働き過ぎ」にならぬよう、ふたりの名優
の健康管理の徹底を祈らずにいられない。


動く錦絵「吉例寿曽我」


「吉例寿曽我」(「鶴ヶ岡石段」「大磯曲輪外」)は、曽我狂言の新歌舞伎。190
0(明治33)年、東京明治座で初演。竹柴其水原作「義重織田賜(ぎはおもきおだ
のたまもの)」の序幕「吉例曽我」の「石段より曲輪通い」を元にしている。

ただし、「鶴ヶ岡石段」の場面、舞台全面に設定される大きな石段を使って、いわ
ば、立体的に披露される立ち回りは、1806(文化3)年に、先行作品を書いた鶴
屋南北の「梅柳魁曽我(うめやなぎさきがけそが)」が、最初の発想だという。歌舞
伎は「下敷き自由」、「いいとこどり」の芸能。

私は、4回目の拝見。最初は、99年12月、歌舞伎座。先代猿之助演出、猿之助一
門総出。構成は、「大磯廓舞鶴屋」「鶴ヶ岡八幡宮石段」「同 高楼」。主な配役
は、段四郎の工藤祐経、歌六の近江小藤太、猿弥の八幡三郎、右近の曽我五郎、笑也
の十郎、亀治郎の京園姫、春猿の化粧坂少将、笑三郎の大磯の虎など。正味50分と
いうやや長めの上演時間だった。当時の劇評には、五郎・十郎の「対面」の物語を
ベースに「助六」あり、「忠臣蔵」あり、「ひらがな盛衰記」あり、「五右衛門」あ
りで、おもしろかった、と書いてある。先代猿之助は、当時は、まだ、病気の予感す
らないなかで、1900年の新歌舞伎の作品を借りて、1999年の新作歌舞伎とし
て、曽我物の名場面オンパレードという方式で締めくくろうという演出意図があった
のではないかと思われる舞台だった。

2回目は、2006年3月、歌舞伎座。出演は松嶋屋一門らで、主な配役は、我當の
工藤祐経、進之介の近江小藤太、愛之助の八幡三郎、翫雀の曽我五郎、信二郎時代の
錦之助の十郎、家橘の化粧坂少将、芝雀の大磯の虎、加えて、男女蔵の朝比奈、上村
吉弥の亀鶴など。今回同様の、本来の「鶴ヶ岡石段」「大磯曲輪外」という構成で
あった。

3回目は、2011年7月、新橋演舞場。澤潟屋一門らで、主な配役は、梅玉の工藤
祐経、市川右近の近江小藤太、猿弥の八幡三郎、松江の曽我五郎、笑也の十郎、春猿
の化粧坂少将、笑三郎の大磯の虎、男女蔵の朝比奈、梅丸の亀鶴など。これも今回同
様の、本来の「鶴ヶ岡石段」「大磯曲輪外」という構成であった。

今回は、播磨屋を軸にして上演。主な配役は、歌六の工藤祐経、又五郎の近江小藤
太、錦之助の八幡三郎、歌昇の曽我五郎、萬太郎の十郎、梅枝の化粧坂少将、芝雀の
大磯の虎、巳之助の朝比奈、児太郎の亀鶴など。

この演目の最大の見せ場は、「石段」を使った立体的なだんまりもどきの立ち回りか
ら、「がんどう返し」という趣向で「大磯曲輪外」(最初に観た場面では、「高楼の
場」)へ、大道具がダイナミックに変わる場面展開まで。

定式幕が開くと塀外。まず、奴ふたりの芝居がある。一巻(藤原定家の一巻。近江方
の謀反の密書の場合もある)を争奪するお家騒動という前説。八幡三郎方の奴が近江
小藤太方の奴の持っていた一巻を奪って逃げる。塀が、上下手に分れて曳かれて行く
と、鶴ヶ岡石段の場面となる。全面に天上まで届きそうな大きな石段。舞台上手に紅
梅、下手に白梅。舞台上手(下手の場合もある)の天上近くに雲。

花道から砥の粉塗の近江小藤太(又五郎)が、下駄を履き、蛇の目傘をさして、助六
気取りで登場。次いで、上手揚幕から、白塗の八幡三郎(錦之助)も、下駄を履き、
蛇の目傘をさして出て来る。茶色い肩衣は、それぞれの家名入り。黒い衣装は、ふた
りとも、工藤の家臣として、工藤家の家紋入り。足袋は、黄色。家名以外は、全く同
じ衣装。それでいて、対立。

八幡が一巻を見せびらかし、謀叛派の執権と結託する近江を牽制したことから、両者
の争いとなり、石段を使った、いわば立体的な立回りの場面となる。科白は、ほとん
どなく、途中から「だんまり」を含めた立回りが続く。江戸のセンスは、死闘という
立ち回りさえも、優雅である。下座音楽は、「石段の合方」。

やがて、石段の大道具は、上手と下手に分解されて引き込むが、ふたりを石段に乗せ
たまま、「がんどう返し」という大道具の大仕掛けな場面展開。石段の下からは、富
士山の遠景(背景画)が現れる。

場面展開後、舞台は、背景の富士山を中央に、裾野の松並木。上手奥に集落も見え
る。手前上手に紅梅、下手に白梅。雲が棚引いている。「大磯曲輪外の場」。「曲輪
外」とは、曲輪の近くという意味。基本的に「寿曽我対面」と同じ構図。

源頼朝の重臣・工藤祐経(歌六)を軸に、曽我兄弟の後見人・朝比奈三郎(巳之
助)、秦野四郎(国生)、茶道珍斎(橘三郎)それに、大磯廓の遊女たち、十郎の愛
人・大磯の虎(芝雀)、五郎の愛人・化粧坂少将(梅枝)、喜瀬川亀鶴(児太郎)の
7人が大せりに乗って、一挙に上がって来る。華やかな場面展開。まさに、動く錦
絵。江戸の祝祭画。


やがて、工藤祐経を父親の敵と狙う曽我兄弟・十郎(萬太郎)と五郎(歌昇)が花道
から登場する、といういつもの場面となる。

全員が、きらびやかな衣装を纏い、静止した姿は、一幅の錦絵のようだ。特に、大磯
の虎、五化粧坂少将、喜瀬川亀鶴が花魁姿で濃艶さを競う。

工藤祐経が、先ほどの一巻を取り出したことから、9人が入り乱れての「だんまり」
となる。争奪戦。動く錦絵だが、科白なし、見栄えだけで、それぞれの人物の存在感
を出さなければならない。まあ、「顔見世」という演出で、それだけの演目だが、眼
で見る歌舞伎らしい演目でもある。誰が主役ともいえない芝居だが、曽我ものゆえ
に、工藤祐経対曽我兄弟という構図が根底にある。


菊五郎初役の六助


「毛谷村」は、7回目の拝見。本興行のほかに、NHKホールで、観たことがある。
原作は、1786(天明6)年、大坂道頓堀東の芝居初演の時代もので、作者は、梅
野下風、近松保蔵という、今では、あまり知られていない人たちの合作である。狂言
作者は、有名な人が、当り狂言を残すばかりでなく、無名な人たちも、著作権などな
い時代だから、先行作品を下敷きにして、良いところ取りで、筆が走り、あるいは、
筆が滑り、しながら、新しい作品を編み出しているうちに、神が憑依したような状態
になり、当たり狂言を生み出すことがある。

「毛谷村」も、そのひとつで、さまざまな先行作品の演出を下敷きにしながら、庭に
咲いている紅梅や白椿の小枝を巧みに使って、色彩や所作の形などを重視した。様式
美を重視した歌舞伎らしい演出となる。その上、敵味方のくっきりした、判り易い筋
立てゆえか、人形浄瑠璃の上演史上では、「妹背山」以来の大当たりをとった狂言だ
というから、芝居は面白い。

歌舞伎の「毛谷村」、今回は、菊五郎が主役のひとり六助を初役で演じる。お園は、
何回も演じた、という。この芝居は、本来、女武道のお園が主役だろう。六助は、百
姓ながら、剣術の名人である。宮本武蔵がモデルという説もある。

見慣れた演目「毛谷村」を馴染みの役者・菊五郎が初役で演じる。観客も観たことが
ない、という演出が出来るのが歌舞伎の魅力だろう。菊五郎劇団の主宰者として次世
代に菊五郎が演じるお園だけでなく六助も残す。「これからも初役の芝居をする機会
があれば、挑戦したい」という。

今回の劇評は、いつもと趣向を変えて、六助にだけ絞って書こう。先頃、実母を亡く
したばかりの六助は、病身の老母に仕官姿を見せたいという微塵弾正(團蔵)の情に
ほだされて「八百長」の約束ができていたらしく、六助は、微塵弾正に勝ちを譲る。
にもかかわらず、偽りの勝ちを占め、立ち会いの領主の家臣とともに去る際、微塵弾
正は、急に態度を変えて、六助の眉間を割って、出かけて行くが、六助は、母親への
孝行を忘れてくれるなと、鷹揚に送り出す人の良さを見せる。そういう人物造形の所
為か、六助を当たり役の一つとしたのが初代吉右衛門。当代吉右衛門も、初代からこ
の役を受け継ぎ、役づくりの熟成に努力している。初役の菊五郎の六助は、いかに、
というのが、今回の観どころ。

菊五郎が演じる六助は、大男の剣豪で、力持ちだ。この役は、人の善さのなかに鋭さ
を感じさせなければならないが、菊五郎は、そのあたりを十二分に演じていたと思
う。剣の実力は、抜群ながら、人に優しく、悪に厳しく、そういう人物が、菊五郎の
なかから滲み出て来るようだ。吉右衛門ともひと味違う。

私が観た毛谷村の家族たちの配役。六助:吉右衛門(3)、團十郎、梅玉、愛之助、
今回は菊五郎。お園:時蔵(今回含め、3)、鴈治郎時代の藤十郎、芝翫、福助、壱
太郎。お幸:吉之丞(2)、東蔵(今回含め、2)、又五郎、歌江、上村吉弥。


古怪な味を伝える幸四郎


「積恋雪関扉」は、5回目の拝見。1784(天明4)年、江戸桐座(控え櫓)で初
演。舞踊劇。おおらかな味わいと醍醐味が特徴の天明歌舞伎の代表的な作品。私が観
た主な配役は、逢坂山の関守・関兵衛、実は、大伴黒主:幸四郎(今回含めて3)、
吉右衛門(2)。幸四郎自身は、8回目の関兵衛役。小野小町姫:福助(2)、芝
翫、魁春、菊之助。墨染:芝翫(2、このうち、1回は、小町とのふた役)、福助
(2、このうち、1回は、小町とのふた役)、今回の菊之助(小町とのふた役)。

「積恋雪関扉」は、関兵衛(幸四郎)を軸にしたふたつの芝居からできている。前半
は、小野小町姫(菊之助)と関所を住居とする良峯少将宗貞(錦之助)との「恋の物
語」と宗貞の弟・安貞の「仇討(実は、大伴黒主に殺されている)の話」が二重構造
になっている。関兵衛は、少将宗貞に雇われた関守である。後半は、かって安貞と契
りを結んでいた小町桜の精(菊之助)が、傾城・墨染に化けて関兵衛の正体を恋人殺
しの下手人大伴黒主ではないかと疑ってやって来たという話。最後には、関守の正体
を暴いた上で、敵討ちを挑む。

舞台の前半は、古怪な味わいの所作事を楽しめば良いだろう。特に、関兵衛は、少し
ずつ、大伴黒主という正体を顕すような、取りこぼしをして行く。滑稽味のある関兵
衛の、底に潜む無気味な大伴黒主という、人格の二重性を如何にバランス良く見せる
か、その変化を微妙に、丁寧に描いて行くことが、「関兵衛、実は、大伴黒主」を演
じる役者の工夫の仕どころであろう。こういう役は、幸四郎、吉右衛門、どちらの持
ち味が生きるか。

菊之助の小野小町姫は、なにより、後ろ姿が良い。多分、帯の巻き方が巧いのだろ
う。福助が病気休演で、菊之助は、玉三郎に続く女形にならなければならないかもし
れない。

妖艶な菊之助に対抗して悪役振りを隠しながら、滑稽悪のようなキャラクターの関兵
衛を幸四郎は演じる。このふたりに比べると、錦之助の少将宗貞は、枠の外にいるよ
うで、居心地が悪い。3人が絡む舞台なのだが、その三角形から、少将宗貞は、いつ
もはじき出されているように見える。それは、後半になり、「傾城・墨染、実は、小
町桜の精」と関兵衛とのやりとりになるとはっきりする。つまり、錦之助がいなくな
り、菊之助と幸四郎の、ふたりだけの舞台になると、全てがすっきりし、舞台が落ち
着いて来る。

小町桜を伐って護摩木にすれば、謀反の大願成就と悟った「関兵衛、実は、大伴黒
主」は、小町桜を伐ろうとするが、失敗する。小町桜の精は、木から飛び出し、関兵
衛に逢いに来たという触れ込みで、傾城・墨染となって、現れる。廓話に花を咲かせ
ているうちに、関兵衛が持っていた「二子乗舟(じしじょうしゅう)」という血で書
かれた片袖が、小町の精と安貞との想い出の品であったことから、墨染は、小町の精
としての正体を顕わし、大伴黒主と対抗して行く。

ふたりとも、「ぶっかえり」という定式の、「見顕わし」で、それぞれの正体を暴露
して行く。逆海老を披露する菊之助の身体の柔軟さ。大口開きの不気味な幸四郎。最
後は、二段に乗っての、菊之助の見得、その下手でそれに対抗する幸四郎の大見得
で、幕となる。

こういう筋立てが、ふたりのやり取りで、すっきりと浮き上がって来る。菊之助は、
前半の小野小町姫と後半の小町の精という、本来は、別の人格(片方は、木の精だ
が)を存在感たっぷりに演じ分ける。幸四郎は、前半後半通して無気味さが強く出て
しまう。吉右衛門なら前半の滑稽な関兵衛も、後半の無気味な大伴黒主もバランス良
く演じ分けているだろう。

贅言;この芝居では、「小野小町姫」、「傾城・墨染、実は、小町桜の精」のふた役
を同じ役者が演じる場合と別々の役者が演じる場合とが、あるが、今回、菊之助は、
「小野小町姫」、「傾城・墨染、実は、小町桜の精」を通しで演じた。このうち、小
町姫は、今回初役。上演記録を見ると、六代目歌右衛門は、ひとりでふた役を演じる
ことが多かったようだ。玉三郎、歌右衛門と大きな峰が、一筋の道の先にはある。
- 2015年2月21日(土) 20:29:46
15年01月歌舞伎座 (夜/「番町皿屋敷」「女暫」「黒塚」)


新歌舞伎の競演


「番町皿屋敷」は、4回目の拝見。青山播磨:團十郎、三津五郎、梅玉。そして今回
は、吉右衛門。腰元・お菊:福助(2)、時蔵。そして今回は、芝雀。

岡本綺堂作の新歌舞伎は、「湯殿の幡随院長兵衛」の話の続きという体裁だ。水野の
旗本奴と長兵衛の町奴の対立という基本構造を踏まえ、水野の「白柄組」に所属する
旗本・青山播磨(吉右衛門)と町奴の放駒四郎兵衛(染五郎)らが、第一場「麹町山
王下」では、あわや喧嘩になりそうになる。それをとめるのが、播磨の伯母・真弓
(東蔵)だが、これまで私が観た芝翫、田之助に比べると、貫禄が足りなかったが、
貫禄が出てきた。

そういう喧嘩早(ぱや)い、あるいは、喧嘩好きの青山播磨(吉右衛門)と腰元お菊
(芝雀)の純愛物語。お互いの純愛の果ての狂気が、悲劇を生む。喧嘩と純愛、そし
て、悲劇の果てに喧嘩場へ飛び出して行く青山播磨の、突出した場面が、第二場「番
町青山家」。純愛を自負する男の器量が試された挙げ句、切れてしまう播磨。

「家宝の皿より、私が大事と播磨に言わせられるかどうか」。そんな女心は、純な愛
で胸がいっぱいなのだろう。迷いに迷った挙げ句、皿を座敷の柱にぶつけて割ってし
まうお菊(芝雀)。岡本綺堂の科白劇は、近代劇なら心理描写すべきところを独白の
科白で長々と心理を説明する。この場面、無言で、殆ど科白なしで、所作で演じて
も、観客には、お菊の心理は、手に取るように判ると思う。

帰ってきた播磨は、皿を割ったことを「粗相か」と聞くだけで、優しく、お菊を許
す。愛する女ゆえに、女の非常識を許すという心の広さを見せる播磨だが、お菊が皿
を割るところを見てしまった同僚のお仙(京妙)から知らせを受けた常識人の用人十
太夫(橘三郎)に、真実を知らされ、それをお菊が追認すると逆上してしまう。自分
のお菊に対する純愛を疑われたことが判り、逆上するのだ。

男の誠を疑った女が罪なのか。お菊の、世迷いごとに基づく「愚かな行為」を、「可
愛い」と思うか、男の誠を疑われた無念さゆえに「憎さ」を増長させるか。精神の危
機管理ができるかどうか。男・播磨の器量が問われる場面だ。逆上して、非常識に
なってしまっている播磨を諭すのは、もうひとりの常識人、奴・権次(吉之助)であ
る。

このあたりの演技は、團十郎も、巧かったが、梅玉も巧い。梅玉は、一旦逆上する
と、止(とど)めが効かなくなる、そういう男たちを描くのが巧い。梅玉が、播磨を
当り役としているのは、そういう点だろう。吉右衛門は、ふたりに比べると優しさの
部分(常識)が巧いが、逆上の部分(非常識)は、弱い。

己の命を掛けて、男の真情を理解し、喜んで殺されるお菊は、まさに、喜悦のなかで
死んで行ったと思う。「至福の非常識」が、お菊にはある。一生の恋。そういう心理
造型が、芝雀は、弱かったように思う。用人十太夫と奴権次というふたりの常識人
は、まさに、「俗世間の常識」なのだが、このふたりを配することで、お菊の非常識
と播磨の非常識の相乗効果によって熟成される、死に至る「究極の純愛物語」が、こ
こに成立することになる。

お菊が、割った皿を片付けるために、包み込み、その皿を井戸に投げ捨てる際や最後
に播磨に斬り殺される際に、口にくわえたままとなる朱色の袱紗の使用は、初演の市
川松蔦の工夫だというが、最近の女形は、何故か、この小道具を生かし切れていない
ように感じる。皆、従来の朱ではなく、橙色の布を使っていたのは、どういうわけだ
ろうか。特に、斬り殺される場面では、あれは、お菊の口から流れる血を連想させる
だけに朱の方が良くはないか。


「女暫」は、7回目の拝見。この演目、普通は、「暫」の主役、鎌倉権五郎の代りに
巴御前が、登場する。鎌倉権五郎の科白(所作と科白)をなぞりながら、ところどこ
ろで、女性を強調するという趣向である。男の「暫」は、鶴ヶ岡八幡の社頭が舞台、
「女暫」は、京都の北野天神の社頭が舞台。「女暫」は、登場人物の名前は、清原武
衡の代りに蒲冠者範頼などと違うが、「暫」とは、基本的な演劇構造は同じ。

1745(延享2)年に二代目芳沢あやめが、初演したとか、1746(延享3)年
に初代嵐小六が、初演したとか伝えられる。その後、名女形と言われた三代目瀬川菊
之丞が、1786(天明6)年に演じたものが、評判となり、今の形の基本となっ
た。幕末期に、上演が途絶えたが、1901(明治34)年、市村座で、五代目歌右
衛門が、復活上演した。

私が観たうちでは、「巴御前、実は、芸者音菊」という凝った仕掛けは、98年2
月、歌舞伎座の菊五郎であった。このときの菊五郎は、巴御前を演じた後、幕外で
は、さらに、芸者・音菊に変わるという重層的な構造に仕立てていた。

05年1月、国立劇場では、「御ひいき勧進帳」、一幕目「女暫」ということで、主
人公は、「巴御前」では無く、「初花」となり、雀右衛門が主役を演じていた。

純正な「巴御前もの」としては、今回が5回目の拝見。私が観た巴御前は、玉三郎
が、今回含めて、3回目。このほかの巴御前は、萬次郎、福助で観ている。玉三郎の
巴御前を初めて観たのが、01年2月、歌舞伎座で、玉三郎は初役だった。期待に違
わず玉三郎の巴御前は、りりしく、色気も艶もあり、兼ねる役者・菊五郎とは、ひと
味違う真女形・巴御前になっていた。特に、恥じらいの演技は、菊五郎より、艶冶な
感じ。巴は女性なのだし、「女の荒事」として、女性の存在の底にもある荒事(ある
いは、「女を感じさせる荒事」という表現をしても良い)の味を引き出していた。今
回も、引続き、玉三郎の巴御前は、充実の巴御前で、堪能した。

今回の「女暫」の配役。蒲冠者範頼(歌六)ら、範頼一行の顔ぶれは、轟坊震斎(又
五郎)、女鯰若菜、実は、樋口妹若菜(七之助)、「腹出し」の赤面は、家臣・成田
五郎(男女蔵)ら。一方、太刀下の清水冠者義高(錦之助)一行は、義高許婚の紅梅
姫(梅丸)、木曽太郎(玉雪)ら。ほかに、手塚太郎(弘太郎)、ご馳走の舞台番・
辰次(吉右衛門)。

ハイライトの場面は、蒲冠者範頼に呼び出されて来た成田五郎が、清水冠者義高を斬
ろうとすると、向う揚幕から、お決まりの、「暫く」、「暫く」と声がかかり、女な
がら、素襖姿に大太刀を佩(は)いた巴御前(玉三郎)の颯爽の花道登場となる。見
せ場は、吉例の「つらね」。さらに、巴御前を追い払えという蒲冠者範頼の要請に応
えて前へ出て来た女鯰若菜の七之助が、「大和屋のお姉さん」「揚幕の方へ寄って」
と呼びかけるなど、笑いを誘いながらの「対決」である。いずれにせよ、「女暫」
は、「暫」よりも、一層、色と形が命という、「江戸の色香」を感じさせる江戸歌舞
伎の特徴を生かした典型的な舞台。

もうひとつの、見せ場。一件落着の後、「おお、恥ずかし」という女形の恥じらい、
幕外の引っ込みの「六法」をやろうとしない巴御前に六法を教える舞台番・辰次(吉
右衛門)とのやりとりが、幕外の見せ場として、つくのがミソ。江戸の遊び心が、忍
ばれる。

贅言;幕外の趣向。舞台番は、ごちそうの大物役者が演じる。私が観たのは、辰次
(吉右衛門、今回含め、3回)、成吉(團十郎)、富吉(富十郎)、寿吉(三津五
郎)、鶴吉(勘三郎)。皆、名前が違うところが、おもしろい。今回は、茶後見に中
車の長男・團子が出演。團子を観にきた観客も多いようだ。


猿之助は杮落し後、初めて歌舞伎座出演


「黒塚」は、当代の猿之助が、四代目襲名披露の舞台、12年07月新橋演舞場新橋
演舞場で演じた時に初めて観た。猿之助も本興行では、初役であった。「猿翁十種」
と呼ばれる演目の一つ。私が今回「黒塚」を観るのは4回目。三代目猿之助で2回
(20年前、1995年7月歌舞伎座と15年前、2000年7月歌舞伎座)、当代
は、今回で2回目。猿之助は杮落し後、今回初めて歌舞伎座に出演した。12年ぶり
の歌舞伎座出演となる。

「黒塚」は、3段構成の舞踊劇。照明効果を重視した新作舞踊劇。第一景は能楽様
式。第二景は新舞踊様式。第三景は歌舞伎様式。

第一景は暗転のうちに舞台が始まる。舞台中央に小屋。灯りがともっている。障子に
は、老婆の影が大きく写っている。小屋の後ろは、一面の薄(すすき)の原。安達原
だ。舞台中央上空には、細く、大きな三日月がかかっている。下手には、庵戸があ
る。能楽を意識しているためシンプルな舞台装置だが、光と影の演出には、気配りが
感じられる。スポットライトも活用されている。やはり、これも新歌舞伎だ。

花道より、阿闍梨(勘九郎)一行が、安達原に近づいて来る。阿闍梨一行は、弟子の
大和坊(門之助)、同じく讃岐坊(男女蔵)、強力の太郎吾(寿猿)が、随行してい
る。本舞台に来て、阿闍梨は、小屋の主に向って、一夜の宿りを乞う。簾式の障子を
巻き上げて、木戸を開けて出て来たのは、独居老女・岩手(猿之助)である。

小屋の前にスポットが当たり、本舞台は光の「室内」のように見受けられる。小屋の
外、「室内」に置かれ直した糸車を廻しながら、身の上を語る老女。仏の教えにより
成仏できると説く阿闍梨。心が晴れた老女は、一行をもてなすために山へ薪を取りに
行く。小屋の中の閨(ねや)を決して見るなという注意を残して出かける。猿之助の
科白廻しは、太く、低い。花道を行く足取りも猿翁工夫の独特のものがある。

阿闍梨一行は、勤行をしながら老女の帰りを待つが勤行に参加しない強力の太郎吾だ
けは、閨の中が気になって仕方がない。そっと覗き見ると、閨の中は、人骨と血の
海。老女は、安達原の鬼女だったのだ。驚いて阿闍梨らに知らせる。

第二景。山から薪を背負って戻る途中の老女・岩手。辺りは一面の薄の原。阿闍梨の
成仏できるという言葉を思い出して楽しい気分になっている。月明かりに薄が光る安
達原で踊り始める。猿之助は、この場面での踊りが特に好きだという。長唄、琴と尺
八の合奏。月光を浴びて老女・岩手は童女のように無心に踊る。至福の踊り。心の喜
びを表現する。月光は、舞台を青く照らす。三味線に乗って、猿之助が踊る。海の中
か、宇宙空間で踊っているように見える。だが、至福の時はいつまでも続かない。

血相を変えて上手から逃げて来る太郎吾の姿を見て、阿闍梨一行が、約束を守らな
かったと悟った老女・岩手は、人の心の偽りに怒り、悲しみ、姿をくらましてしま
う。上手で宙に・返るように飛び上がり、消えさる。「宙返り」か。

第三景。薄の原の中に古塚がある。宇宙船のようなカプセル。老女を探し求めていた
阿闍梨一行が到着すると、古塚が割れて、中から後ジテの鬼女の姿を顕した老女・岩
手が、襲いかかって来る。老女は、最早、人ではない。鬼女は異星人か。地球人・阿
闍梨一行は、数珠を押し揉み、一心に祈ることで、鬼女の魔力に対抗する。花道で老
女は、「仏倒れ」を見せる。鬼退治。基本的に「紅葉狩り」や「茨木」などと同じ
ジャンルの演目と言える。

「黒塚」は、1939(昭和14)年に二代目猿之助(後の、初代猿翁)によって、
初演された。二代目猿之助はロシアンバレーまで参考にして所作の手を考えたと言わ
れる。新作舞踊の名作となり、三代目猿之助(二代目猿翁)が、1964(昭和3
9)年に「猿翁十種」として選定した。老女・岩手、実は、鬼女を初代猿翁が、16
回演じ、二代目猿翁が、31回演じた。当代の猿之助は、襲名披露興行の2年余りを
含め、3年で、今回が4回目の「黒塚」である。

四代目猿之助は、「代々が命を懸け、その血を注いで舞台を勤めて行くことによって
その名に厚味が増す。襲名とはそういうことなのだと思います」と襲名披露時に言っ
ていた。「黒塚」では、特に前半をゆったりと演じているように思う。この演目は、
いずれにせよ、これからは、四代目の演目として工夫魂胆を経て、次第に熟成されて
ゆくだろう。
- 2015年1月18日(日) 8:48:28
15年01月歌舞伎座 (昼/「祇園祭礼信仰記 金閣寺」「蜘蛛の拍子舞」「一本
刀土俵入り」)


純正なる花形若手歌舞伎


「祇園祭礼信仰記 金閣寺」は、8回目の拝見。今回は純正な花形若手の芝居。主な
配役。国崩しの松永大膳が、染五郎。初役である。雪姫が、七之助。2回目。但し、
歌舞伎座は初演。此下東吉、後の真柴久吉が、勘九郎。3回目。但し、歌舞伎座は初
演。

私が観た雪姫は、雀右衛門(2)、玉三郎(2)、福助(2)、菊之助、今回は、七
之助。12年前の、03年10月歌舞伎座。雀右衛門の雪姫は、「一世一代」の演技
という感じの緊張感を維持した素晴しい舞台であった。結局、雀右衛門の雪姫は、こ
の舞台が最後だった。玉三郎、福助の雪姫も、初役の菊之助の雪姫も、それぞれ味が
あった。

可憐な姫であり、色気を滲ませる人妻であり、雪舟の孫という絵描きの血を引く、芸
術家としての芯の強さもありで、難しい役どころ。「三姫」という難役の姫の代表格
たる由縁だ。

雪姫(七之助)は、最初は金閣寺に渡り廊下で繋がる上手のお堂に幽閉されている。
金閣寺では横恋慕の松永大膳(染五郎)に虐められる。やがて、大膳が持っていた刀
が、名刀「倶利伽羅丸」だと知り、大膳が父親雪村を殺した敵と判る。大膳は、雪姫
の夫も幽閉していて、雪姫が従わないので、夫の狩野直信(笑也)を処刑させること
にし、引き立てさせる。

両手と上半身を縄で縛られ、その縄で桜木に繋がれていて不自由な雪姫は、引き立て
られる夫と今生の別をする場面が良い。可憐な姫の中にある人妻の色気が滲み出てく
る。七之助は、夫への情愛が科白の無い表情の演技だけで十分に伝わって来た。

ハイライトは、「爪先鼠」の場面。長い縄で桜の木に縛り付けられた雪姫は、桜に木
から大量に落ちてきた花弁を使って、足の指で鼠の絵を描き、その鼠に自分を縛って
いる縄を食いちぎらせて、自由の身になるまでを七之助も叮嚀に演じていた。「これ
がこの世の別れ」という竹本葵太夫の語りから、鼠が雪姫の縄を食いちぎる所まで
は、七之助の一人芝居に、竹本2連で支援、葵太夫に加えて、豊太夫も語る。

福助の病気休演が気がかりだが、人間国宝・玉三郎、福助、菊之助、七之助と歌舞伎
界の女形は、ほぼ順調に後継役を育てているように思う。

大膳を演じる染五郎は、実線の太い線で、くっきりとした芝居を得意とする父親とは
まだ、味わいが違う。大きな実悪ぶりを見せるようになるのは、まだ先か。東吉を演
じる勘九郎は、3回目とあって、板についてきた。純正な花形若手が力をつけてきて
いる。浅草歌舞伎の最若手の芝居を観た後だけに、余計そう感じるのかもしれない。

贅言;浅草歌舞伎では、4人の御曹司が同時に名題披露をしていたが、歌舞伎座で
は、大谷友右衛門の長男・廣太郎が名題昇進披露。「金閣寺」では、大膳の弟、赤っ
面の鬼藤太を演じた。口跡が良い。

この演目は、「国崩し」という極悪人・大膳もいれば、颯爽とした捌き役・東吉もい
れば、歌舞伎の三姫のひとり、雪姫もいれば、雪姫の夫で、和事の直信もいれば、
赤っ面の軍平こと正清、同じく赤っ面の大膳弟の鬼藤太もいれば、老女形の慶寿院尼
もいるという具合に、歌舞伎の時代物の典型的な役どころが勢ぞろいしているので、
動く歌舞伎入門のように観ることができる。


磨きをかける人間国宝・玉三郎


「蜘蛛の拍子舞」は、4回目の拝見。源頼光と家臣の四天王による土蜘蛛退治の話の
女形版、バリエーション。1781(天明元)年の初演。当時の人気女形・瀬川菊之
丞の主演で、葛城山の女郎蜘蛛の精が、白拍子姿で現れ、病気療養中の源頼光を慰め
ると偽り、艶やかな舞を披露して、色仕掛けで、頼光をたぶらかそうとするのが、受
けたという。その後、長唄は、伝承されたが、舞踊は絶えてしまっていたのを60年
前、六代目歌右衛門が復活上演した。以後、歌右衛門が磨き上げ、芝翫、福助、玉三
郎らが、受け継いで来た。今回で4回目の上演と、最近は、人間国宝・玉三郎が、熱
心に磨いている演目だ。

私が観た主な配役。白拍子・妻菊、実は葛城山の女郎蜘蛛の精は、玉三郎(今回含め
て、3)、福助。ほかの配役は、次の通り。源頼光:猿之助、三津五郎、菊之助、今
回は、七之助。碓井貞光:左團次、橋之助、萬太郎、今回は、弘太郎。ただし、今回
も、碓井貞光より、渡辺綱:勘九郎の方が、重要な役どころ。前回は、松緑。坂田金
時:段四郎、勘九郎時代の勘三郎、三津五郎、今回は、初役の染五郎。

「拍子舞」とは、鼓一挺の拍子に合わせて、唄いながら舞う舞踊とのこと。「蜘蛛の
拍子舞」では、白拍子だが、刀鍛冶の娘という妻菊、頼光、綱の3人が、トンテンカ
ンと「刀鍛冶づくし」を、掛け合いで唄いながら踊るくだりが、拍子舞になってい
る。拍子に乗って唄うように科白を言いながら踊る。

舞台は、廃御殿となっている花山院空御所。二重舞台の上は、金地に黒塗りの柱の御
殿だが、二重舞台の下は、廃屋で、崩れている。夢と現の二重写し。紅葉の時季。物
の怪の現れそうな、おどろおどろした舞台。発病中の頼光(七之助)の杯に映る異形
の影。御殿の天井から宙吊りで降りて来る蜘蛛の姿だ。蜘蛛は、一旦、天井に消え
る。

暗転の舞台。花道向う揚幕からと舞台下手袖から、ふたりの黒衣が持つ差し出しの面
明かりが、暗闇に光りながら、近づいて来る。花道スッポンから、なにやら。竹本の
「かかるところへ、妻菊が」被さって、ということで、玉三郎が、白拍子姿で登場。

表裏が、金地と銀地になっていて、そこに5つの花丸が描かれた扇子を持つ白拍子・
妻菊(玉三郎)。金地に赤を散らした中啓を持つ頼光(七之助)。天紅ならぬ天金で
無地の白い扇子を持つ綱(勘九郎)。この後、見せ場の、3人による拍子舞「刀鍛冶
づくし」となる。中央に集まった形で、踊る3人の所作は、バランスが良く、ジグ
ソーパズルのピースのように、すれすれで、交差しながら、それぞれの空間に見事に
収まる素晴らしさ。

やがて、妻菊は、花道スッポンへと消えると、替わりに、件の蜘蛛が大蜘蛛になっ
て、せり上がって来る。操りの大蜘蛛。上手の長唄連中を霞幕で、隠す。16人の軍
兵と大蜘蛛との立ち回り。やがて、大蜘蛛は、舞台奥の瓦燈口、幕のうちに追いやら
れた後、更に、大きな蜘蛛(中に、人が入っている)が、幕の下から出て来る。見得
をしたり、立ち回りをしたりした後、御簾うちに消える。

御簾が開くと、茶色の隈取りをした蜘蛛の精の後ジテ(玉三郎)登場。頼光主従(七
之助と勘九郎)を相手に千筋の蜘蛛の糸を盛んに撒き散らしながら、大立ち回り。瓦
燈口の幕も取り払われると、大きな蜘蛛の巣。二重舞台の廃御殿の上も、幻覚であっ
たことが判る。花道向う揚幕から、荒事衣装の金時(染五郎)が登場し、押し戻し
で、大団円へ。


昼夜で新歌舞伎の競演


昼の部は、長谷川伸原作、村上元三演出の「一本刀土俵入」を幸四郎が演じる。夜の
部は、岡本綺堂原作の「番町皿屋敷」を吉右衛門が演じる。「一本刀土俵入」は、1
931(昭和6)年、六代目菊五郎が駒形茂兵衛、五代目福助がお蔦を演じた。

「一本刀土俵入」は、6回目の拝見。私が観た駒形茂兵衛は、幸四郎(今回含めて、
3)、吉右衛門、猿之助時代の猿翁、勘九郎時代の勘三郎。お蔦は、芝翫(2)、雀
右衛門、時蔵、福助、今回は魁春。幸四郎の世話ものを観る機会が多くなった。

大詰第二場「お蔦の家」。お蔦の自宅を訪れた茂兵衛が、やくざ者たちに追われる一
家を助けるために、追ってきたやくざ者のひとりに頭突きを食らわし、茂兵衛を想い
出す「想い出した」という、お蔦の科白の声音は、目下病気休演中の福助が独特のお
侠さが滲み出ていて、良かったが、身体が不自由で復帰できていないのが残念。

この芝居は、いつ観ても、仕出しの登場人物たちの多様さが描き出す江戸の庶民の、
いわば、「生活のリアリティ」を味わうことが楽しみだと、思っている。まるで、江
戸時代へタイムスリップし、街道の賑わいになかに身を置くような、ワクワク感に包
まれるからだ。

序幕の第一場「取手の宿」、第二場「利根の渡し」の場面に登場する人物たちをアト
ランダムに列挙してみよう。町人の夫婦、やくざ者、遊人、宿の従業員(帳附け、料
理人、洗い場の若い者、酌婦)、土地の人(宿場町の在の人たち)、村の庄屋、隠
居、職人、飛脚、博労、飴屋、旅商人と手代、新内語りの男女、六部、子守娘、渡し
の船頭、比丘尼、釣師、鰻掻き、取的、角兵衛獅子と親方。角兵衛獅子は、藝を披露
してくれる。親方は、太鼓の音を聞かせてくれるが、江戸の音も、もっと、聞いてみ
たい気がする。安孫子屋酌婦の小山三は、酔っぱらった声に独特の味があって好演。
8月が来れば95歳。暴れン棒の船戸の弥八を熱演した由次郎は、随分痩せてきた
が、体調は大丈夫なのか。

上州勢多郡駒形村の農民出身の茂兵衛に対する、越中富山から「南へ六里、山の中
さ」と言い、声を低めて唄い出した小原節から「風の盆」で知られる八尾(やつお)
の出身と判るお蔦。お互いに旅の空ですれ違う男女の出逢いの遣る瀬無さ。

舞台(特に大道具)の工夫も、また、ウオッチングの愉しみである。取手宿の安孫子
屋の漆喰の戸袋。いまも、古い街道筋の面影の残る旧家などに残っているのを見かけ
るレリーフの漆喰の文様。宿の裏手の釣瓶井戸で、空腹の駒形茂兵衛が、水を所望
し、釣瓶を使う場面があるが、これがなんとも長閑な秋の宿場町の雰囲気を盛り上げ
る。

利根の渡しの場面では、土手の向うにある船の姿が見えないのも良い。船の見えない
船着き場という大道具は、余韻を感じさせる。逆に、大詰第一場「布施の川べり」の
場面では、舞台上手半分を湿る造船中の船が、作業場の空間密度を高める。

大道具の秀逸は、お蔦の家を廻り舞台で裏表を見せて、軒の大きな山桜を印象的に出
現させるという演出だ。大詰第三場「軒の山桜」。自然と人為との対比。秋の宿場
町。10年の歳月の流れ。春の一軒家。洗練された大道具の楽しみも、歌舞伎の魅力
のひとつ。こういう洗練された大道具を背景に横綱を諦めて博徒になった茂兵衛の決
め科白も生かされる。「しがない横綱の土俵入りでござんす」。立ちすくむ茂兵衛に
緞帳が降りて来る。

この芝居のテーマは、「送り、送られ」の二重奏。序幕では、無一文の取的・駒形茂
兵衛(幸四郎)が、酌婦のお蔦(魁春)に情を掛けられ、江戸への道を、何度も後ろ
を振り返りながら、2階から見送るお蔦に送られる。大詰では、いかさま博打に手を
だし、やくざ者に追われる「船印彫師(だしほりし)」の辰三郎(錦之助)と家族の
お蔦と娘を送りだすのは、駒形茂兵衛だ。送られる者と送る者の逆転は、人生そのも
の。それは、極端に言えば、「死なれて、死なせて」という生き死にの、送り、送ら
れという人生を象徴しているように見える。
- 2015年1月17日(土) 9:07:57
15年1月国立劇場 (通し狂言「南総里見八犬伝」)


私が観た、5つの「南総里見八犬伝」


「南総里見八犬伝」は、御存知曲亭馬琴(筆名は、「曲亭馬琴」が正しく、「滝沢馬
琴」を名乗ったことは無いという。本名、滝沢興邦=おきくに=という)原作の長編
読本(28年かけて完成した98巻、106冊の作品)、今の分類なら長編伝奇小説
の劇化。

今回の「南総里見八犬伝」の主筋は、室町幕府に与する関東管領・扇谷(おうぎがや
つ)定正に対抗して敗れた鎌倉方の、落ち武者、安房の里見家一統の復讐譚である。
滸我(こが)公方・足利成氏が里見家に味方する。生まれながらにして8つの玉
(仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌)をそれぞれが持つ八犬士は、ミラクルパワーを
駆使して里見家を助け、管領に打ち勝ち、関東に平和を齎すという勧善懲悪物語。擬
似家族的な一団が形成され、理想郷を目指し、試練を乗り越えて行く。ひとつの世界
を構築する大きな流れに、さまざまなエピソードが、細かく、複雑にぶら下がるとい
うのが、馬琴ワールドというわけだ。

最初の劇化は、1834(天保5)年。以来、里見城落城から対牛楼まで、中味の構
成を変えながら、狂言作者の腕の見せ所とばかりに、手を変え、品を変え、趣向を凝
らして来た。大入になったものもあるが、不入りも多かったと伝えられる。戦後の上
演記録を観ても、構成は、まちまちで、なかなか、これは、決定版という定まりがな
い。戦後版は渥美清太郎、山田案山子、横内謙介(スーパー歌舞伎)、石川耕士、今
井豊茂など。上演の大きな流れとして、音羽屋型と澤潟屋型がある。「南総里見八犬
伝」は今回で5回目の拝見。今回は、音羽屋型である。

1)澤潟屋型ではない演出で観たのは、06年8月歌舞伎座(11場面)と今回の1
5年1月国立劇場(9場面)の2回。06年歌舞伎座の演出は、1947(昭和2
2)年、渥美清太郎が脚色し、帝国劇場で上演された台本を元にしていて、今井豊茂
が補綴した。「南総里見八犬伝」の前半の見どころを集成しているので、音羽屋型と
も澤潟屋型とも、場面の組み立ても違う。見せ場を重視する澤潟屋型・猿之助一座お
得意のスーパー歌舞伎的な演出も当然無い。

因に、06年8月歌舞伎座の主な配役は、寂漠道人、実は、犬山道節と網干左母二
郎:三津五郎、犬坂毛野:福助、犬塚信乃:染五郎、犬飼現八:信二郎、犬村角太郎
と浜路:孝太郎、犬田小文吾:弥十郎、犬川荘介:高麗蔵、犬江親兵衛と安西景連の
霊:松也の八犬士のほか、伏姫と山下定包:扇雀、金椀大輔:秀調、滸我成氏:錦
吾、簸上宮六と馬加大記:亀蔵など。

今回(15年国立歌舞伎)の国立劇場は渥美清太郎が脚色したものを菊五郎が監修し
ている。国立劇場では24年ぶり4回目の上演。「南総里見八犬伝」の刊行(181
4年)開始200年の節目の興行。

今回の主な配役は、寂漠道人、実は、犬山道節と刀売り道松、実は、犬山道節:菊五
郎、女田楽・旦開野(あさけの)、実は、犬坂毛野:時蔵、犬塚信乃:菊之助、元関
東管領の家臣・網乾左母二郎(あぼしさもじろう)と犬飼現八:松緑、犬村大角:萬
太郎、犬田小文吾:亀三郎、下男額蔵、実は、犬川荘介:亀寿、犬江親兵衛:左近、
以上八犬士のほか、荘官・蟇六と馬加(まくわり)大記:團蔵、蟇六女房・亀笹:萬
次郎、元露と蟇六娘・浜路:梅枝、旦霧と里見家息女・伏姫:尾上右近、滸我(こ
が)公方・足利成氏;彦三郎、関東管領・扇谷(おうぎがやつ)定正:左團次、扇谷
家重臣・巨田(おおた)薪六郎:権十郎など。

菊五郎劇団の「南総里見八犬伝」は、今回が初見。澤潟屋型は、スーパー歌舞伎の演
出を引きずっていて、スペクタクル重視。場面構成もきめ細かく、丁寧な作りだ。音
羽屋型は、動く紙芝居風。澤潟屋型ほどスペクタクルではない上、場面構成(9場
面)の筋立てが判り難い。紙芝居が、9枚。場面ごとの繋がりが判り難いのだ。

今回の場面構成は以下の通り。
発端(安房)「富山山中の場」、序幕(武蔵)第一場「大塚村蟇六(ひきろく)内の
場」、第二場「本郷円塚山の場」、二幕目(下総)第一場「滸我足利成氏館の場」、
第二場「同 芳流閣の場」、三幕目(下総)「行徳古那屋裏手の場」、四幕目(武
蔵)「馬加大記館対牛楼の場」、五幕目(上野)「白井城下の場」、大詰(武蔵)
「扇谷定正居城の場」。

今回の演出のポイント。
1)四季の強調。序幕(武蔵)第一場「大塚村蟇六内の場」が、正月。第二場「本郷
円塚山の場」は、雪景色。二幕目(下総)第一場「滸我足利成氏館の場」、第二場
「同 芳流閣の場」は、春。三幕目(下総)「行徳古那屋裏手の場」は、夏。四幕目
(武蔵)「馬加大記館対牛楼の場」は、秋。五幕目(上野)「白井城下の場」、大詰
(武蔵)「扇谷定正居城の場」は、桜満開。

2)金碗(かなまり)大輔、後に、ヽ大(ちゅだい)法師は、登場せず。「蟇六内」
の代官・簸上宮六(ひかみきゅうろく)も登場せず、チャリ場の色合いを薄めている
など、テンポアップ。「芳流閣」のがんどう返しもなし。代わりに新工夫。「行徳古
那屋裏手の場」は、今回、新設。山下定包の代わりに扇谷定正が登場。大詰(武蔵)
「扇谷定正居城の場」も、今回、新設。

発端(安房)「富山山中の場」では、犬の八房(やつふさ)を擬人化しているのは、
今回の新工夫。

序幕(武蔵)第一場「大塚村蟇六(ひきろく)内の場」。最初の見せ場は、音羽屋型
らしく、世話場である。音羽屋型と澤潟屋型で、いちばん違うところは、「大塚村蟇
六内の場」・「同表座敷の場」の有無である。つまり、澤潟屋型では、割愛する「蟇
六内」は、本来は犬塚信乃(菊之助)に恋する荘官・蟇六の娘・浜路(梅枝)と浜路
に横恋慕の代官・簸上宮六(ひかみきゅうろく。今回は登場せず)との無理矢理の婚
礼の場面がある。今回は、元関東管領の家臣・網乾左母二郎(あぼしさもじろう。松
緑。色悪の扮装)が、代官の代わりに浜路に横恋慕して、勾引す。ここは基本的に笑
劇(チャリ場)なので、スペクタクルなスーパー歌舞伎志向がある澤潟屋型では、取
り上げないが、この場面で、欲の張った庄屋の大塚蟇六(團蔵)が、味のある巧みな
演技で印象に残る。06年8月には、憎まれ役、笑われ役の代官・簸上宮六を亀蔵が
演じていて、彼らしいデフォルメの工夫で、おもしろかった。スペクタクルの中の笑
劇は、歌舞伎の定式から見れば、確かに、欲しい場面だ。九代目團十郎などは、好ん
で、犬山道節と大塚蟇六のふた役を演じたという。最近では、2012年1月の浅草
歌舞伎で亀治郎時代に猿之助が、ふた役を演じてくれた。

序幕第二場「本郷円塚(まるづか)山の場」。網乾左母二郎が意に従わない浜路を殺
す。浜路は、犬山道節の妹。故あって、大塚蟇六の養女になっていた。ここの見せ場
は、八犬士が出揃う「円塚山の場」。妹を救えなかった犬山道節(菊五郎)、犬坂毛
野(時蔵)、犬飼現八(松緑)、犬塚信乃(菊之助)、犬田小文吾(亀三郎)、犬川
荘介(亀寿)、犬村大角(萬太郎)、犬江親兵衛(左近)によるだんまり。古怪な歌
舞伎味。

二幕目(下総)第一場「滸我足利成氏館の場」。足利成氏との対面を果たすが、預
かっていた足利家の宝剣・村雨丸をすり替えられていて窮地に陥る犬塚信乃(菊之
助)。

二幕目第二場「同 芳流閣の場」。信乃「花軍(はないくさ)」との立ち回り。犬飼
現八(松緑)との一騎打ち。この芝居の最大の見せ場は、ここ「滸我足利成氏館芳流
閣の場」。下総の芳流閣の大屋根上での、犬塚信乃(菊之助)と犬飼現八(松緑)
が、お互いに八犬士同士ということを知らないまま対決する場面。滸我公方足利成氏
(彦三郎)の館で、村雨丸を献上して里見家の再興を願おうという犬塚信乃だが、
持って来た村雨丸は、偽物に摺り替えられてしまったと打ち明けたことから信乃は、
追われる身になる。逃げる信乃の追っ手となるのが、犬飼現八ということで、八犬士
側も、まだ互いを知らず、入り乱れている。大屋根の場面では、いつもの「がんどう
返し」ではなく、2つの屋根(壁が紅白で区別されている)を水平に動きながらとい
う新趣向。今回新たに考案した大屋根の大道具は迫力があった。大道具の扱いは、国
立劇場の道具方の得意とする所。ダイナミックで、重厚で大道具の動きだけでも、見
応えがある。さらに、菊之助、松緑という花形で旬の役者が、元気に立ち回る舞台だ
けに、この立ち回りは、充分に堪能した。

三幕目(下総)「行徳古那屋裏手の場」。対決する犬塚信乃と犬飼現八のふたりは、
対立したまま、「芳流閣」から落ちて利根川を下り、下総の「行徳古那屋(こなや)
裏手の場」(海辺。現・千葉県市川市)へ。前回の歌舞伎座では大道具の「がんどう
返し」で場面展開した。前回は、「行徳入江」の遠見が、下から上がって来た。

今回は、定式幕で場面展開。入江に流れ着いた小舟に、意識を失いながら乗って来た
信乃を助けるのが、商人宿・古那屋の息子で、相撲取りの犬田小文吾(亀三郎)。さ
らに、小文吾を訪ねてきたのが現八で、小文吾を介して大屋根から落ち、行徳の入り
江に流れ着いた信乃と現八も、お互いの正体(運命共同体の八犬士)を知るようにな
り、義兄弟の契りへ、という次第。「行徳古那屋裏手の場」の大道具は、メルヘン
チックで、余り良くない。

四幕目(武蔵)「馬加大記館対牛楼の場」。違和感があるのは、この「馬加(まくわ
り)大記館対牛楼(たいぎゅうろう)の場」。突然、朱塗り、超極彩色の唐風の大記
館が現れるからだ。滸我成氏の重臣だったが、主君を裏切って、扇谷定正派に与した
馬加大記(團蔵)らが登場する。捕縛された小文吾は磔にされている。唐伝来の剣の
舞を見せながら小文吾を救出する女田楽の旦開野、実は犬坂毛野(時蔵)も登場。満
開の桜の下、馬加側と勢ぞろいした八犬士側とが立ち回り。

五幕目(上野)「白井城下の場」。主君と父親の敵でもある扇谷定正(左團次)に復
讐するため、犬山道節(菊五郎)が、刀売りに変装して登場。妖術も使う
道節の火遁に術の演出はスーパー歌舞伎風。ガス噴出。照明、音響効果など使用。

大詰(武蔵)「扇谷定正居城の場」。八犬士が勢揃いをし、扇谷定正居城に攻め入
り、大団円。

菊五郎は、ずうっと勤めていた信乃役を息子の菊之助に譲り、初役で道節を演じた。
総じて、「半歩」しか踏み出さない音羽屋型は、思い切って「一歩」踏み出す澤潟屋
型に比べると印象が淡白だ。今回の舞台は、絵の多い紙芝居のように場面がくるくる
変わるばかりで、猿之助一座のようなスペクタクルに徹してもいないし、見せ場の熟
成度も不十分で、じっくり楽しめる場面が少なかった。

2)それでは、過去の私の劇評を見ながら、澤潟屋型の系譜をスケッチしておこう。
澤潟屋・猿之助一座の通し上演でも、毎回、少しずつ構成が違う。澤潟屋一門の舞台
は、3回観ている。

初めて観たのは、99年7月の歌舞伎座。「猿之助十八番の内」ということで、猿之
助演出。「円塚山」と「玉返しの里庵室」の2場面のみの上演。長い八犬伝のうち、
犬と猫(猫の怪)の対決に絞る(昔はよく上演された形式らしい)、いわゆる「みど
り」上演という形式。猿之助一座お得意の「独道中五十三驛」の岡崎の化け猫に演出
が似ていると思ったら、やはり、それを参考にしていた。主な配役は、赤岩一角、実
は猫の怪(歌六)、犬山道節(段四郎)、犬飼現八(市川右近)、犬塚信乃(門之
助)、犬村角太郎(亀治郎時代の猿之助)、伏姫(笑也)、角太郎妻雛衣(笑三
郎)、金鞠大輔(猿弥)、犬田小文吾(段治郎時代の月乃助)、犬坂毛野(春猿)。
犬山道節役の段四郎の幕外の引っ込みも気持ち良さそうにやっていたのを思い出す。

2回目が、2002年7月・歌舞伎座。これも「猿之助十八番の内」ということで、
猿之助演出。「市川猿之助宙乗り相勤め申し候」。12場面で構成。

暗闇のなかで開幕。定式幕が、滑ってくる音だけが聞こえる。幕引の人が、暗闇のな
か、疾駆するのは、大変だろう。猿之助が、八犬士のひとり、犬山道節として軸に
なって出演し、宙乗りを見せるが、お得意の早替りで何役も勤めるという演出ではな
い上、中堅、若手の光る演技があり、世代交代を感じさせる舞台だった。

その6年前、96年7月、歌舞伎座公演「独道中(ひとりたび)五十三驛(つぎ)」
では、14役早替りであったことを思えば、その感一入である。

中村歌六が、いつものように猿之助一座に客演し、要所要所を締めている。歌六は、
前回同様の赤岩一角、実は、猫の怪に加えて、今回は金鞠大輔、後に、ヽ大(ちゅだ
い)法師の3役。以前なら、猿之助早替りの役どころだろう。
 
このほか、右近の犬飼現八、亀治郎の犬村角太郎、笑也の犬塚信乃、猿弥の犬田小文
吾、春猿の犬坂毛野、猿四郎の犬川荘介、弘太郎の犬江親兵衛などの八犬士。相変わ
らず、中堅層の役者が少ないのは、猿之助一座では、暫く続く構造的な問題で仕方が
ない。それだけに、姥雪世四郎(おばゆきよしろう)役の寿猿の渋い演技が光る。亀
治郎は、ほかに、道節妹糸滝、実は、州崎明神の2役。葛城中納言役の延夫も、好
演。ほかに、敵役・山下定包(さだかね)の段治郎(今の、月乃助)の進境が著し
い。伏(ふせ)姫、角太郎妻・雛衣(ひなぎぬ)、五十子(いさらご)御前の3役の
笑三郎。滸我成氏(こがなりうじ)の門之助。
 
肝心の芝居の方は、「南総里見八犬伝」の役名、あらすじを借りた、歌舞伎の演目、
役柄の見本市のような舞台であった。歌舞伎ショーか。スーパー歌舞伎演出の余波
か。

贅言;猿之助は、1993年4月、5月の新橋演舞場公演から、「南総里見八犬伝」
をスーパー歌舞伎演出(21場面で構成)として興行してきた。玉梓、舟虫、実は玉
梓の怨霊、金碗大輔、後に、ヽ大(ちゅだい)法師の四役替りで演じていて、疲労に
よる急性えんこう炎で5月には、6日間、一幕目を右近に代役をさせて、休演。猿之
助は二幕目からの出演となった。スーパー歌舞伎演出の興行は、1993年6月の名
古屋・中日劇場、1994年4月の新橋演舞場、同年5月の名古屋・中日劇場と、4
回実施された。私は、これらのスーパー歌舞伎演出は観ていない。

さて、私が観た澤潟屋型、2回目。本格的な舞台。2002年7月・歌舞伎座に戻ろ
う。12場面で構成。この舞台で私が、気がついたことを列挙しながら、スケッチし
てみよう。先行作品のパロディが随所にちりばめられている。
 
犬の「八房」(やつふさ。犬の着ぐるみ役ながら、めずらしく筋書に配役名が明記さ
れていた。笑三)が、鉄砲で撃たれる。八房は、里見家の危難の際、敵将を殺したこ
とで、里見家の息女・伏(ふせ)姫の「夫」となった。懐妊した伏姫は、それを恥じ
て八房ともども死のうとしている。笑三郎の伏姫は、「鳴神」の「雲絶間姫」のよ
う。里見家の忠臣・金鞠(かなまり)大輔(歌六)は、それを悟り、八房と伏姫をひ
とつ玉で、撃ち殺す。その大輔は、「忠臣蔵」の「五段目・二つ玉」の猟師姿の勘平
のよう。

里見家の守護神・洲崎明神のお告で、体内の子は、里見家を再興する勇士になるとい
うことから、伏姫は、女ながら懐剣で切腹する。すると、伏姫の体内から、8つの光
り輝く玉が飛び出す。最初、黒衣の持つ差し金だった玉(仁、義、礼、智、忠、信、
孝、悌)は、やがて、天井から下がる8つの玉に入れ替わる。

里見家の執権ながら、敵将に通じ、伏姫の父・里見義実を殺した裏切り者・山下定包
が、登場する場面の八幡宮は、「白浪五人男」の極楽寺の山門を思わせる。山下定包
側と八犬士側との里見家の重宝・村雨丸をめぐるやりとりがあり、助太刀を装って現
れた角力取り・犬田小文吾(猿弥)は、「双蝶々曲輪日記」の角力取り・「濡髪長五
郎」にそっくり。

「鼓ヶ滝洲崎社の場」で、やっと、猿之助が、犬山道節役で登場。洲崎明神役の亀治
郎とのやりとりなど。洲崎明神の加護で、水火の術を体得する犬山道節。

関八州管領・滸我成氏(門之助)の館。村雨丸を献上して里見家の再興を願おうとい
う犬塚信乃(笑也)だが、持って来た村雨丸は、いつのまにか、偽物に摺り替えられ
ている。逃げる信乃に追っ手となる犬飼現八(右近)。ということで、八犬士側も、
まだ互いを知らず、入り乱れている。

信乃と現八が立ち回りをする芳流閣の場面は、「白浪五人男」のうち、弁天小僧の立
ち回りのある極楽寺の山門大屋根のよう。大道具がダイナミックに場面展開をする見
せ場。ふたりを乗せたまま大屋根のがんどう返しで、山門の天井画が、立ち上がって
くる。やがて、「行徳入江」の遠見が、降りてきて、さらに場面展開。入江に佇む僧
侶・ヽ大(ちゅだい)法師(歌六)は、「熊谷陣屋」の「熊谷直実」にそっくり。ち
なみに、「ヽ大(ちゅだい)」とは、「犬」という字をふたつに分けたもの。八犬士
を結び付けようと、諸国を遍歴し、八犬士の行方を尋ねている。お陰で、大屋根から
落ち、行徳の入り江に流れ着いた信乃と現八も、お互いの正体を知るようになる。

やがて、八犬士のうち、六犬士が、出逢う円塚山山中の場。犬坂毛野(春猿)。犬川
荘介(猿四郎)、犬江親兵衛(弘太郎)なども登場。犬坂毛野は、「白井権八」風。
玉と同じ言葉を書き込んだ傘を開いた姿は、「白浪五人男」勢揃いのような演出。六
犬士の「だんまり」。犬山道節(猿之助)の、花道の引っ込みと、見せ場が続く。

犬山道節が旅籠を営む「藤の森古那屋(こなや)の場」。2002年2月大阪・松竹
座公演で、新たに作られた場面。旅籠に八犬士側が集まって来る。「藤の森」と言え
ば、「石川五右衛門」縁りの地名。駕篭かきに村雨丸を奪われた小文吾(猿弥)が、
旅籠にやって来る。先に指摘したように小文吾は、「双蝶々曲輪日記」の「濡髪長五
郎」だ。特に、旅籠古那屋の2階から障子を開けて外の様子を窺う場面は、「引窓」
そっくり。やがて、経緯があって、山下定包に騙されていたことを悟る小文吾。捕手
たちとの「おまんまの立ち回り」は、「忍ぶの惣太」を思い出させる舞台だ。

「玉返しの里庵室の場」。角太郎(亀治郎)妻・雛衣役の笑三郎が、角太郎の養父の
赤岩一角、実は、猫の怪(歌六)との所作事で、トンボを返したり、障子破りをした
り大活躍。前回、1999年の歌舞伎座の時も、この場面の雛衣役は、笑三郎であっ
た。すっかり彼の得意役になったようだ。最後は、狐忠信のように、「手斧(ちょう
な)ぶり」という立ち木に仕掛けた道具を使って、立ち木伝いに昇る。その前に、一
角の差し金で離縁を迫られる雛衣に角太郎が言う台詞「もうこの世では、逢われぬぞ
よ」は、「三千歳直侍」の片岡直次郎の台詞に似ている。

ところで、「八犬伝」という犬にまつわる芝居のハイライトは、じつは、大猫、妖猫
であった。猫の怪と言えば、6年前の96年7月、歌舞伎座「独道中(ひとりたび)
五十三驛(つぎ)」の「岡崎無量寺の場」では、猿之助が、猫「婆」を演じていた。
今回は、あの猫の怪姿でする宙乗りを除いて、猫「爺」・歌六は、これを殆ど再現し
ている。行灯の油舐めの場面は、この時の1階「ほ・3」(今なら、「5列の3」)
の座席からは、行灯内側の仕掛けまで、きっちり拝見できた。簡単な仕掛けだが、良
くできている。庵室の「屋体崩し」があって、妻を殺された角太郎と助太刀の現八
(右近)のふたりを猫の怪が吊り上げる、3人宙乗りの場面になる。やがて、猫の怪
から解放される角太郎と現八の2人だが、猫の怪は、屋根上に現れた大猫とともに、
ふたりを睨み据える。

大詰「山下館御殿の場」では、「石川五右衛門」が、勅使呉羽中納言になりすまして
足利将軍義輝の別荘に乗り込んだように、五右衛門縁りの藤の森の旅籠・古那屋(こ
なや)の場でやり込めた葛城中納言の衣服を奪って、身につけた犬山道節(猿之助)
が、乗り込んで来る。「金閣寺」の謀反家・「松永大膳」のような格好をした山下定
包(段治郎時代の月乃助)に金の無心をする葛城中納言に扮した犬山道節を演じる猿
之助は、ワールドカップをもじった科白で観客を笑わせる。まさに、石川五右衛門の
パロディであり、いろいろあった末に、「仁木弾正」のような恰好に変わった犬山道
節は、「景清」のように座敷牢に入れられていた犬坂毛野(春猿)を救い出し、重
宝・村雨丸をも奪い返し、雨を呼ぶ村雨丸の威力で、浪幕を巧く使った水攻めを引き
起こし、山下側の執権・馬加(まくわり)大記らを、煙ならぬ、水に巻いて遁走す
る。

さて、幕外で、定石通り、五右衛門のように葛籠抜けの宙乗りをする犬山道節。この
場面で、「葛籠背負(しょ)ったが、おかしいか」と、猿之助は、気持ち良さそうに
大科白。さらに五右衛門なら、幕外ではなく、舞台にたち残される連中を尻目に「馬
鹿めえー」と言う所だ。ところで、御殿の場、馬加(まくわり)大記(欣弥)、馬加
鞍弥吾(猿十郎)の親子は、「菅原伝授手習鑑」の「道明寺」の悪巧み親子の、師兵
衛(はじのひょうえ)宿弥(しゅくね)太郎を思い出させる。そう言えば、馬加(ま
くわり)は、「ばか」とも読めるが、馬加大記らは、すでに水死してしまっている。

「山下館奥庭対牛楼の場」。超極彩色の唐風の山下館。どこの国の物語か。満開の桜
の下、山下側と勢ぞろいした八犬士側とが梯子を使った立ち回りで、「蘭平物狂」の
よう。ただし、逃げる山下定包(段治郎時代の月乃助)が、蘭平のように花道で大き
な梯子に昇る場面は、無し。裁き役の滸我成氏(門之助)やヽ大(ちゅだい)法師
(歌六)に諌められ、領地没収となる山下定包。里見家再興となる若君・義若丸(義
経と牛若丸か)を抱き上げた義若丸の母・五十子(いさらご)御前(笑三郎)は、
「義経千本桜」の「大物浦」の典侍局そっくり。お家騒動にも決着、歌舞伎の名場面
をつなぎ合わせたような猿之助芝居も大団円。

澤潟屋型の3回目が、浅草歌舞伎。12年1月浅草公会堂の舞台だった。前回の舞台
が「通し」だから、浅草歌舞伎の「発端」の「富山山中の場」から、「序幕」の「大
塚村庄屋蟇六(ひきろく)内の場」、「二幕目」の「円塚山(まるづかやま)の場」
までの3場面での構成。全体的に、いわば、八犬士勢ぞろいという「序」で終わり。
その後の冒険譚は無し。石川耕士の脚色だが、1947(昭和22)年から続いてい
た渥美清太郎版がベース。「さてこれから」が、ないまま、終演。

見どころは、本筋よりも浅草歌舞伎の担い手である花形・若手役者たちの「世代交
代」というところか。亀治郎、愛之助、男女蔵、亀鶴、春猿、薪車らに加えて、平成
生まれ(元年から5年)の御曹司たち、歌昇を襲名した種太郎(又五郎長男)と弟の
種之助(又五郎次男)、巳之助(三津五郎長男)、壱太郎(翫雀長男)、米吉(歌六
長男)、隼人(錦之助長男)が、ぞろぞろ出て来る。まさに、明日の歌舞伎界をにな
う若手の「顔見世」の感があった。これがその後の浅草歌舞伎の「土砂崩れ的な」世
代交代の始まりであった。

この時の主な配役は、庄屋蟇六と犬山道節:亀治郎、庄屋女房・亀篠:竹三郎、金碗
(かなまり)大輔と代官の簸上宮六(ひがみきゅうろく):男女蔵、里見家息女・伏
姫:春猿、犬飼現八:愛之助、網干左母二郎:亀鶴、犬塚信乃:歌昇、浜路:壱太
郎、下男額蔵、実は、犬川荘介:薪車、犬村大角:巳之助、犬田小文吾:種之助、犬
坂毛野:米吉、犬江親兵衛:隼人の八犬士ほか。明治期の「劇聖」と呼ばれた九代目
團十郎は、好んで、犬山道節と大塚蟇六のふた役を演じたという。亀治郎の演じたふ
た役は、九代目團十郎以来かもしれない。

「発端」の「富山山中の場」は、幕が開くと、浅黄幕が、舞台全面を覆っている。花
道から、ふたりの所化が、「聞いたか坊主」。本舞台浅黄幕前でのやりとり。差し詰
め、昔のワイドショーというところだ。

所化が上手寄りの幕内に入ると、浅黄幕が、振り落とされて、富山山中。舞台中央に
谷川と上手寄りには、入り口に笹竹につけた注連縄飾りで結界を作った祠がある。舞
台中央には、里見家息女伏姫と城主里見義実の愛犬八房。ここでは、姫と犬の間に生
まれた八犬士誕生秘話をコンパクトに描く。八房は、城主の約束により、里見家の危
難の際、敵将を殺したことで、里見家の伏姫の「夫」となったという。懐妊した伏姫
は、それを恥じて八房ともども死のうとしている。春猿の伏姫は、「鳴神」の「雲絶
間姫」のような雰囲気。

花道から登場した里見家の忠臣・金碗大輔(男女蔵)は、それを悟り、八房と伏姫を
ひとつ玉で、撃ち殺す。その大輔は、「忠臣蔵」の「五段目・二つ玉」の猟師姿の勘
平のよう。里見家の守護神・洲崎明神のお告で、体内の子は、里見家を再興する勇士
になるということから、伏姫は、女ながら懐剣で切腹する。すると、伏姫の胎内か
ら、8つの光り輝く緑の玉が飛び出す。ふたりの黒衣の持つ差し金が、8つの玉を操
る。やがて、暗転。

「序幕」の「大塚村庄屋蟇六(ひきろく)内の場」は、座敷の行灯が、暗い場内にぼ
うと浮かぶと、やがて、明転。世話ものの笑劇(チャリ場)で、娘(養女)を代官の
ところに輿入れさせて持参金を得ようという魂胆の庄屋蟇六・亀篠(かめざさ)とい
う老夫婦とこの家に隠棲している八犬士のひとり犬塚信乃と恋仲の庄屋の娘・浜路の
対抗を軸にしている。

亀治郎の老け役、庄屋蟇六と若手花形に混じって、ベテランの味をきらりきらりと見
せる亀篠役の竹三郎の演技が見どころ。若い連中に混じった竹三郎は、実に良い。

贅言;竹三郎と言えば、養子にして薪車を名乗らせた愛弟子が勝手に現代劇に出たと
して去年(14年)破門、養子縁組も解消。薪車は、今、道行という本名で歌舞伎を
続けている。海老蔵が身柄を預かっているので、幹部役者の地位を保持している。

老け役の亀治郎は、父親の段四郎そっくりだが、科白廻しは、伯父の猿之助そっく
り。目を瞑って聞いていると猿之助が、「復活」しているように聞こえる。

若いふたりの犬塚信乃(歌昇)と浜路(壱太郎)の恋仲を裂き、持参金という金の力
で、浜路をわがものにしようと庄屋に働きかける代官簸上宮六(男女蔵)が、滑稽役
で笑わせる。里見家のお家再興を願い出発する犬塚信乃とその後を追いたい浜路の気
持ちを悪用して誘い出す網干左母二郎(あぼしさもじろう・亀鶴)。壱太郎の若女形
も良い。

贅言;普通なら、「酒樽」と「油単(ゆたん)」(ひとえの布や紙に油をしみ込ませ
たもの。湿気や汚れを防ぐので、箪笥や調度の覆い、敷物、風呂敷などに用いた)を
使って「獅子舞い」に見立てる所を金龍山浅草寺と干支の辰に因んで、亀治郎の意地
悪爺さんは、「龍の舞い」(「酒樽」を龍の首に見たて、棒を組み合わせて操る。油
単は胴に見立てる)を見せていた。

「二幕目」の「円塚山(まるづかやま)の場」。上手に小屋。下手に巨木。中央に、
「火定(かじょう)の坑(あな)」(火定=修行者が自ら焼身死することによって入
定するという儀式)の石段。このなかへ、寂莫上人が、入定しようと飛び込んだとい
う想定。

ここでは、八犬士たちが、勢ぞろいする。寂莫上人、実は、「忠」の玉を持つ犬山道
節(亀治郎)は、紫の衣装ながら、斧定九郎の雰囲気。ほかに「信」の玉を持つ犬飼
現八(愛之助)、「孝」の玉を持つ犬塚信乃(歌昇)、「礼」の玉を持つ犬村大角
(巳之助)、「義」の玉を持つ犬川荘介(薪車)、「悌」の玉を持つ犬田小文吾(種
之助)、「智」の玉を持つ犬坂毛野(米吉)、「仁」の玉を持つ犬江親兵衛(隼人)
の八犬士によるだんまり。倒れたまま、亀治郎は、一旦、せりで下がって、奈落へ消
える。下手巨木のウロより再登場し、最後に花道から退場する犬山道節。背景の黒幕
が、振り落としで、山中の遠見。道節に扮した亀治郎が、花道で、捕り手との立ち回
り。馬連を付けたきらびやかな四天姿で、六法による花道の引っ込みを見せた。

音羽屋型、澤潟屋型の対比をしてみたが、この演目は、澤潟屋型の方が、おもしろい
と思う。
- 2015年1月16日(金) 11:49:50
15年01月浅草歌舞伎第二部 (「仮名手本忠臣蔵 五段目、六段目」「猩々」
「俄獅子」)


若手も座頭を勤める 松也の場合は?


第二部の見どころは、松也の演じる早野勘平。だからといって、松也の演技を人間国
宝の菊五郎の勘平などと比べるわけには行かない。松也も七代目(菊五郎)の舞台を
観て、「いつか自分もやってみたいと思っていました」と語っているが、初演に当っ
て、誰の指導を受けたかについては語っていない。ここでは、若い役者に座頭をやら
せることを論じてみたい。

13年12月歌舞伎座は昼夜の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の上演であった。この
時、「仮名手本忠臣蔵」を通しで観るのは、10回目であった。通し以外の「みどり
上演」でもいろいろな場面を観ている。この時の夜の部は、「五段目」から「十一段
目」まで。今回の浅草歌舞伎は、「五、六段目」のみの、みどり上演。

「五段目」は、薄暗い中で、雷の音で幕が開く。浅黄幕が、舞台を被っている。置浄
瑠璃。雷の音が、再び、大きくなり、浅黄幕の振り落し。大木の下で雨宿りしている
のは、笠で顔を隠しているが、猟師の勘平(松也)。松也を含めて、ここの芝居は、
余り印象に残らない。存在感も薄い。若手の研修発表会、という感じ。

通常、「五段目」の「鉄砲渡し」では勘平が通行人の提灯を持った千崎弥五郎(隼
人)に雨で消えてしまった鉄砲の火縄の火を借りる)」、(舞台が廻って)「二つ玉
(猪を追って勘平が鉄砲を二発撃つ)」から、次の「六段目」の「与市兵衛内勘平腹
切」へ(また、舞台が廻る)。斧定九郎の遺体が、裏舞台の闇へ、呑み込まれて行
く。

贅言:斧定九郎の、この遺体が廻り舞台に載って、裏舞台の闇へ、呑み込まれて行く
場面が、私は好きだ。闇へ消えて行く役者の余韻が感じられるのだ。しかし、廻り舞
台の装置がない浅草公会堂では、そういう余韻はない。斧定九郎(巳之助)の遺体
は、舞台に残ったまま。いずれの場面も、定式幕が上手から下手へと舞台全体を隠し
て行くばかりだ。定九郎に殺される与市兵衛は、大蔵。

今回の後半、「六段目、与市兵衛内」では、芝居の主筋は、都落ちした落人の虚ろな
心境を引きずったままの勘平(松也)の芝居だ。今回の「六段目」の配役は、女房・
おかるが、児太郎。母親・おかやが芝喜松。一文字屋お才が歌女之丞、判人源六が蝶
十郎。二人侍の不破数右衛門が歌昇、千崎弥五郎が隼人。松也、児太郎の芝居を引き
立てるのが、母親・おかやの芝喜松。一文字屋お才の歌女之丞、判人源六の蝶十郎の
芝居。歌女之丞は、去年、脇役の味が買われて幹部役者に昇進した。3人は、国立劇
場の研修生出身や大部屋役者である。脇で良い味を出し、芝居の奥行きや幅を広げる
役割を果たしている。今回は。彼らの情味ある、達者な芝居に包まれるようにして、
松也の勘平、児太郎のおかるの芝居に存在感が出てきた、ように感じられた。脇役陣
の好演が主役らの芝居を引き立たせる、ということだ。脇役の達者な役者たちが芝居
の骨格を作り、そこに若手の芝居をはめ込んでいるようだ。

贅言;「判人(はんにん)」とは、判を押して証人となる人。つまり、保証人のこと
だが、江戸時代、遊女の身売りの際、証人となる者。なんのことは無い。身売り仲介
業の「女衒(ぜげん)」のことだ。世間の裏街道に臭覚を効かせる男たちなのだろ
う。

江戸歌舞伎の世話ごとの第一人者を任じた六代目菊五郎が、分秒単位の細かな演出を
決め、それが菊五郎家の「家の芸」になっているし、ほかの役者が演じる場合、同じ
ように六代目の芸を引き継ぐほどの、いわば完成品なのだから、勘平役者は、いずれ
も、基本的には菊五郎型を手本とする。菊五郎型に少しでも近づくように精進する。
菊五郎型は、舞台に定規で線を引いたように見えない線上を移動する。所作も見えな
い手順に則って動かす。それは、人間国宝の当代の菊五郎であれ、ほかの役者であ
れ、誰もが同じように演じようとする。菊五郎とそのほかの役者の違いは、科白の間
や調子、所作との連動など役者として身体に思い込ませた蓄積の差だ。

特に、「二つ玉」の暗闇での動きは、定九郎の倒れた遺体、藁束が下げてあった松の
立ち木、藁束の上に置いた鉄砲、という3つの位置を結ぶ三角形を絶えずなぞりなが
ら動いて行く。(「六段目」で)「腹を切るとホッとするぐらいで(笑い)、手順と
いい、心理描写といい、細かくて細かくて嫌になるほどです」と当代、つまり七代目
菊五郎は以前に言っていた。それほど、六代目の菊五郎型にこだわって、芸を残して
いる。

定九郎も、約束事が多い割には、動ける場所が限定されていて、勘平同様に、定規を
当てているような演技が続く。それでいて、科白は一つ。「五十両」。勘平だって、
この場面では、猪を撃った筈なのに、倒れていた「もの」の足に触り、科白は「こ
りゃ、人」。定九郎は、巳之助が演じた。

贅言;松也の科白の言い回しが違っていた。「色に耽ったばっかりに、大事な場所に
も居りあわさず」というように聞こえた。菊五郎は、確か、「色に耽ったばっかり
に、大事なところに居り申さず」と言っていたのではないか。歌舞伎の入れごとの科
白は、人形浄瑠璃にはなく、歌舞伎でも江戸型の演出。上方型歌舞伎の演出にはこの
科白はない。

猪と間違えて撃った定九郎から奪った(義父が奪われたものを取り戻した。つまり義
父の仇討ちを果たした)50両とお軽の身売りの残金として、義母のおかやが一文字
屋お才から受け取った50両のあわせて100両を献金し、連判状に名を連ねて、
やっと、46番目の塩冶浪士となる勘平。勘平は、何時観ても哀しい。福助の長男、
児太郎のおかるは、初々しい。脳出血の発作を起こして、既に1年余が経つ福助だ
が、松竹の幹部に最近聞いたのだけれど、福助は身体は不自由だが、言葉には支障が
ないので、指導はしているということだった。児太郎は、当然、父親の福助の助言を
受けて、おかるを演じていることだろう。「一番大切なのは勘平への愛。おかるには
勘平しか見えていない。その思いの深さ、溢れ出る気持ちの昂ぶりをどう伝えられる
か、それを最大限に表現していきたい」と話していた。おかるを演じるのは「夢であ
り、目標である役」という。

「六段目」は、勘平と女房・おかる、おかるの母親おかやという家族関係の中へおか
るが勘平のために身売りをした祇園の一文字屋の女将・お才が判人の源六を連れてお
かるの身柄を引き取りに来る。おかるは京へ、勘平は冥土へ、おかやは京都南部の山
崎街道沿いの山間部の集落に残る、ということで、離ればなれになる家族の情愛とビ
ジネスライクに取引をするお才と源六の芝居だ。今回の配役では、勘平(松也)、お
かる(児太郎)のふたりをベテランの脇役が包み込んでいる。母親のおかやは、芝喜
松(芝翫の弟子、国立劇場歌舞伎俳優第2期修了生)、お才は、去年幹部役者になっ
た歌女之丞(歌右衛門の弟子、芝喜松とは国立第2期修了生の同期)、源六は、蝶十
郎(又五郎の弟子)と、いずれも巧い脇役ばかりだ。彼らの丁々発止の科白と演技に
若手御曹司たちが包まれている。大部屋のベテラン役者たちが、脇を固めて、芝居の
幅と奥行きを拡げて、若手の芝居をいかに引き立てたか。

若手の御曹司と言えども、通常の興行なら、脇のちょっと目立つ役で終わってしまう
だろう。若手ながら、主役をじっくり演じる機会は、なかなかないだろう。まして、
松也は、若手ながら抜擢で、一応、座頭役者をやらせてもらったのだから、この芝居
から得る所は、舞台からだけでなく、舞台裏から、楽屋から、無限大くらいに大きい
のではないか。それに少しでも応えようと松也も熱演していた。熟成途中の演技なが
ら、若くして父親・松助を亡くした松也は、父不在を逆バネにして精進しているのだ
ろう。その精進ぶりを知っているベテランの脇役役者たちが気持ちよく助演している
という感じの舞台であった、と思う。そこに芸の熟成とは別の清々しい印象があっ
た、と思う。

その一方で、大役を担うまでいろいろな脇の役の経験を蓄積する、というプロセスを
経ないと身に付かない芸の「内実化」というものがあるだろう。松也のようにように
経験が少ないのに、いきなり主役を演じてしまうと、ここでいう「プロセスに伴う内
実化」の体験を蓄積できない、そういう弱点も出てくるだろう。その辺りをどういう
風に自覚し、どういうことで補完してゆくかが、暫くは、松也の大きな課題になるの
ではないか、と思う。


所作事二題。「猩々」と「俄獅子」。


いずれもお囃子は、長唄連中。「猩々」という演目には、長唄の「猩々」と竹本の
「寿猩々」がある。長唄の「猩々」は、二人猩々。竹本で語る「寿猩々」は、一人
猩々。今回は、長唄型。猩々は、種之助。酒売りは隼人。

「猩々」は1874(明治7)年、東京の河原崎座で初演された新舞踊。能の
「猩々」を下に作られた。能の「猩々」では、「猩々=不老長寿の福酒の神」と「高
風」という親孝行の酒売りの青年との交歓の物語。「猩々」とは、本来は、中国の伝
説の全身が真っ赤な霊獣。つまり、酒賛美の大人の童話というわけだ。

能の舞台では、舞は、「摺り足」なのだが、「猩々」は、六代目簑助(後の八代目三
津五郎)工夫の振り付けで、能のなかに、舞を巧みに取り入れた。「猩々舞を舞おう
よ」から始まる猩々舞の件が見どころ。「乱(みだれ)」という、遅速の変化に富ん
だ「抜き足」「流れ足(爪先立ち)」「蹴上げ足」などを交えて、水上をほろ酔いで
歩く猩々の姿を「乱(みだれ)足」で浮き彫りにさせる趣向をとったという。だか
ら、この踊りは、足元を注意深く観続けなければいけない。私も足元を観ていた。種
之助も、それに応えていろいろ足さばきを見せてくれた。

鼓の音が、恰も、猩々の鳴き声のように聞こえる。幕外の引っ込みでは、花道を行き
つ戻りつしながら、水中へ帰って行く猩々を四拍子連中が、「送り」の形で、幕外で
演奏する。


「俄獅子」は1834(天保5)年に初演。相生獅子のもじりで、遊廓・吉原の年中
行事と「俄(仁和賀、仁和歌、にわか)」の模様を所作で表現し、それを「獅子も
の」仕立てにする。吉原の三大行事のひとつ、「俄」では旧暦の8月の晴天の日に3
0日間開催したという。吉原の遊女、禿たちが、仮装をして、歌舞伎踊りなどを見せ
ながら、廓内を練り歩くという、いわば、アトラクション。江戸の代表的な祭、山王
祭や神田祭の踊り屋台を真似た趣向。そういう江戸趣味の趣向が魅力の演目。

幕が開くと、舞台は、祭囃子が賑やかな吉原仲之町。長唄の囃子連中の雛壇の前に、
せり上がりの穴が開いている。鳶頭の清三(歌昇)、芸者の亀吉(米吉)のペアがせ
り上がって来る。次いで、鳶頭の幸蔵(巳之助)、芸者の鶴丸(児太郎)が出て来
る。花道から、鳶頭の真吉(松也)が駆けつけて来る。5人が揃った所で、場内の観
客も交えて、手締め。正月ムードが一気に高まる。

雌獅子・雄獅子の「狂い」に例えて、吉原の色模様を踊る。芸者は、客との出会いの
情景を踊り、鳶頭は、木遣りの粋な踊りを踊る。さらに、花道から馬と若い者がにぎ
やかに繰り出して来る。馬も「分解」して若者となる。児太郎、米吉、歌昇、巳之助
の、4つの家紋を描いた傘を使ったたてタテ。獅子舞も披露。

松也の鳶頭は、兄貴分らしく、ほかの鳶頭役と比べると、兄貴分らしい貫禄を感じさ
せていた。これは、明らかに松也が座頭を演じた効果だろうと思った。一座も熟成途
上ながら、まとまっているように見えた。演技のことを別にすれば、20歳代一座
は、それなりに成功したのかもしれない。ただ世代交代が、世代間で行なわれている
だけでなく、それぞれの世代内でも起きているので、歌舞伎界全体が、お互いに支え
あっている積み木のような、砂上の楼閣のような危うさも感じられるので、どこか
で、バランスを崩すようなことが飽きると、アンバランスは、そこだけに止まらず、
あちこちに波及してきそうな気もするので、今後とも注意しながら、見守りたい。

贅言;浅草歌舞伎は終演が早い。午後6時過ぎには、はねてしまう。だから、ほかの
芝居小屋のように、昼の部、夜の部とは言わずに、第一部、第二部という。場内の客
も舞台から送られてきた正月ムードを受け止めて街へ出れば、そこも本物の正月ムー
ド。一月だけだけれど、浅草歌舞伎は浅草の正月気分を高揚させる「装置」のひとつ
になっているといえるだろう。人出も増えたようだ。仲見世、新仲見世の辺りは、若
い人の人通りも多い。
- 2015年1月11日(日) 10:32:37
15年01月浅草歌舞伎第一部 (「春調娘七草」「一條大蔵譚」「独楽売」)


歌舞伎界の世代交代連鎖。最前線の断層面は「地崩れ(?)的」


実は、浅草歌舞伎を観始めたのは、最近なのである。浅草歌舞伎は、花形以下の若手
の研修歌舞伎の趣きがあり、余り見向かなかったが、これはこれで、今後育ち行きそ
うな役者を見定めることが出来るのでおもしろいと思ったことから、12年1月から
観始めた。今回で4回目。この3年間の私の劇評を見ると激変ぶりが凄い。まず、私
の劇評から、これまでの3回の第一部の演目と私の劇評のサブタイトルを列挙してみ
たい。それを踏まえて、今年の浅草歌舞伎の劇評のサブタイトルを新たに考えること
にしよう。

12年1月浅草歌舞伎(第一部/「南総里見八犬伝」「廓文章」)
*ひたすら、亀治郎は、猿之助に似せ、愛之助は、仁左衛門に似せ

私の評:(この時の役者は、)「亀治郎、愛之助、男女蔵、亀鶴、春猿、薪車らに加
えて、平成生まれ(元年から5年)の御曹司たち、歌昇を襲名した種太郎(又五郎長
男)と弟の種之助(又五郎次男)、巳之助(三津五郎長男)、壱太郎(翫雀長男)、
米吉(歌六長男)、隼人(錦之助長男)が、ぞろぞろ出て来る。まさに、明日の歌舞
伎界をになう若手の「顔見世」の感がある」と私は書いている。若手世代の新旧共存
時代の中で、春の大地のような蠕動を私は感じ取り始めたようだ。「平成組」の役者
が正月の浅草に集合し始めたのが、この年であった。

13年1月浅草歌舞伎(第一部/「寿曽我対面」「極付 幡随長兵衛」)
*浅草歌舞伎:去年と今年の間には、「世代交代」という川がある

私の評:「浅草歌舞伎常連の感のあった役者で今回出演していないのは、亀治郎(当
代の猿之助襲名)、勘太郎(当代の勘九郎襲名)、七之助、男女蔵、春猿、薪車な
ど。このうち、猿之助、勘九郎らは、浅草「卒業」の態(但し、10数年後に戻って
くる可能性はある)。引き続き今回も出ているのが、愛之助、亀鶴など。久しぶりに
浅草に戻って来たのが、14年ぶりが海老蔵、16年ぶりが孝太郎、23年ぶりが市
蔵。さらに、いわば「世代交代」で、最近出始めたのが松也(故松助長男)、壱太郎
(翫雀長男)、新悟(弥十郎長男)、種之助(又五郎次男)、米吉(歌六長男)、隼
人(錦之助長男)、今回初参加が、梅丸(梅玉部屋子)など。彼らは、まさに、研修
中だろう。父親の出演の関係で、去年出ていた種太郎改め歌昇(又五郎長男)、巳之
助(三津五郎長男)らは、今年は新橋演舞場出演だが、来年は浅草出演かもしれない
が……。

そういう意味で、去年と今年の間には、世代交代と言う川が流れているような気がす
る」。若手世代のうち、旧世代は去りつつあり、新世代は、早くも定着している。そ
の中で残っていた愛之助は、その後、大ブレークする。浅草歌舞伎の舞台に新たに加
えるのは、児太郎(福助長男)ただひとり、という構図が、この年から見えていた。
実際、松也、歌昇、巳之助、種之助、米吉、隼人、児太郎の7人が、15年1月浅草
歌舞伎だ。12、3年に顔を見せ始めた若手が、15年には、舞台を席巻していると
は、誰が想像しただろうか。

14年1月浅草歌舞伎第一部 (「義賢最期」「上州土産百両首」)
*愛之助、猿之助「そっくり」真似る藝の継承

私の評。まず、愛之助:「源平布引滝〜義賢(よしかた)最期〜」。目を瞑り科白廻
しを聞いていると十五代目仁左衛門そっくり、目を開けて表情を観ても、仁左衛門そ
くっり。荒技の「義賢最期」は、仁左衛門は、もうやれないだろうから、松嶋屋系統
でこの狂言を引き継ぐのは愛之助しかいないだろう。当面は、ひたすら「そっくり」
を目指して藝の継承に精進して欲しい」。次に、猿之助:「上州土産百両首」は、今
回初見。だが、目を瞑り科白廻しを聞いていると先代猿之助そっくり、目を開けて観
ると、当代の猿之助が、次への飛躍を予兆させながらそこにいる。当面は、ひたすら
「そっくり」を目指して藝の継承に精進し、その後、当代らしさを追求して欲しい。

現在から考えると、愛之助は、浅草歌舞伎卒業興行をしていたし、猿之助は、四代目
襲名披露興行だったというわけだ。この興行で軸になった愛之助と猿之助のほかで
は、第二部(14年1月浅草歌舞伎)の「石橋(しゃっきょう)」に注目。能を素材
にした「石橋」。今回は、後シテの獅子の精、3人の舞踊劇。若手立役の顔見世。歌
昇・種之助の兄弟、隼人。この3人と女形の米吉は、実をいうと、この月は浅草歌舞
伎と歌舞伎座の掛け持ち出演をしていた。掛け持ちしないと最若手に穴が開く。それ
ほど、若手の役者を必要としていたのだ。

そして、今年。15年1月浅草歌舞伎では、なんと昭和の最後に近い昭和60生まれ
の松也(松助長男。今月末で30歳)を軸に平成生まれ(元年から5年)の歌昇(又
五郎長男)と弟の種之助*(又五郎次男)、巳之助(三津五郎長男)、米吉*(歌六
長男)、隼人*(錦之助長男)、児太郎*(福助長男)が、舞台を席巻してしまっ
た。*印は、いずれも、平成5年生まれ。

歌右衛門、芝翫、雀右衛門、富十郎、勘三郎、團十郎が逝ってしまった。福助、三津
五郎、我當が病気休演中。歌舞伎界の重鎮たちが亡くなり、中堅どころも病気休演が
相次いでいることから、歌舞伎界全体の世代交代は、激しいスピードで進んでいる。
ベテランの代わりに中堅が入る、というのは想定のうち。

ところが現在のは、中堅の中でも世代交代があり、それが花形、若手、さらに、最若
手の、それぞれの「世代の中でも世代交代」の連鎖現象があり、世代交代がいちだん
と進んでいるようだ。最若手の世代交代は、凄まじく、13年に顔見世をした松也が
20代役者の中では最年長(1月30日で30歳)ということもあって、座頭を任ず
る。

最若手の、役者が集う浅草歌舞伎という「地層」を横断的に切り開いてみると、地滑
り的変化。抜擢もあり、選別もありで、過当競争になっている感じがする。ここの世
代交代がいかに凄まじい勢いで進んでいるかが良く判るだろう。1年前の前回(14
年)まで、猿之助、愛之助が軸になっていた舞台に、3年前、前々々回(12年)に
初めて顔を出したばかりの花形とは言えない若手の役者の多くが、吸い上げられて、
大きな芝居を打って行く、ということが浅草歌舞伎では、良く見通せるのである。
「明日の歌舞伎界をになう若手」を「きょうの歌舞伎界をになう花形」に仕立てあげ
なければならない事情が興行側にあるからであろう。そして、今回の浅草歌舞伎で言
えば、松也が第二部でその期待に応えてくれていたと思うが、それは、また、別の劇
評になる。

もうひとつ、今回は、珍しい「名題昇進披露興行」であった。名題昇進披露は、1年
間のうちにさまざまな劇場で何回もあり、劇場内の貼紙と筋書の告知などで観客に知
らされる。だから、「名題昇進披露」自体は、珍しくも何ともないが、これが、今回
のように大々的な「興行」として仕切られるのは珍しい、と言える。今回名題昇進が
披露されたのは、歌昇、種之助の播磨屋兄弟、同じく播磨屋一門の米吉、萬屋の隼
人、ということで、いずれも梨園の御曹司ばかりだ。厳格な身分社会の歌舞伎界で
は、当たり前のことが、こういう興行に繋がって行くという見本だろう。まるで、名
跡襲名披露並みの興行ではないか。さて、以下は、第一部の演目別の劇評となる。


「春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)」。4回目の拝見。1767(明和
4)年、初演の長唄舞踊。曽我五郎・十郎が出て来る「曽我もの」の舞踊では、最も
古い作品と言われる。江戸時代は、正月の芝居では、「曽我もの」は、定番だったの
で、いろいろな「曽我もの」が、工夫された。「春調娘七種」は、外題にあるよう
に、「七草」の行事と「曽我もの」を合わせる発想である。「七草」は、なにかとい
うと、七種の春の草を摘む静御前で、静御前と曽我五郎・十郎を組み合わせて、荒事
の世界に華麗さを吹き込んだ。曽我兄弟の父の仇である工藤祐経は、源頼朝の元家来
であった。

金地に紅白の梅の樹が描かれた襖があるのは、工藤祐経の館。上手に長唄連中。下手
に四拍子。襖が開くと、冨士の遠見。下手に白梅。中央に松。その後ろに冨士の秀
峰。上手に紅梅。静御前(児太郎)を軸に、上手に白塗りの十郎(隼人)、下手にむ
きみ隈の五郎(松也)が登場。静御前は、春の七草を入れた籠を持ち、両脇のふたり
は、小鼓を持っている。

七草の行事にことよせて、3人で工藤の館に乗込んで来たのだ。3人の踊り。一旦、
奥の位置に戻る。静御前が籠を舞台前方に置いてひとりで踊りだし、次々に、松也、
隼人が加わって来る。松也は長袴の裾で篭を飛ばしてしまう。松也は、自分の踊りが
終わり、小鼓を籠の隣に置きに来る時にさりげなく籠の位置を直していた。松也の後
ろ姿が良い。特に、腰をひねって落とす時の決まり方が良い。大向うから、「音羽
屋」と声がしきりにかかる。同じことをする筈の隼人は、これにメリハリがなかっ
た。こちらには、なかなか「萬屋」の声が大向うから、かからない。児太郎の踊り
は、静止した時が不安定。

3人の踊りが、ひとところに収斂して行かない。工藤を巡る感情が、それぞれ起伏す
るのに、これでは踊りが緩怠にしかならないだろう。曽我兄弟は、丹前振り、相撲振
りなど、特徴のある所作を見せる。

「七草の合方」に乗せて、静御前の持っていた金地の扇を開いてまな板に見立てて取
り出し、曽我兄弟の持っていた扇子を擂り粉木に見立てて七草を叩く仕草は、鼓を
打っているよう。静御前、十郎、五郎の順で、繰り返す辺りは、愉しい。

「七種(ななぐさ)なづな、御形(ごぎょう)、田平子(たびらこ)、仏の座、菘
(すずな)、清白(すずしろ)、芹薺(なずな)」が唄い込まれる。

静御前と上手の十郎は、踊りの最中も、距離が殆ど変わらないが、静御前と下手の五
郎の距離が近い事が多い。工藤邸で舞いながら、五郎は、再三、奥にいる工藤祐経の
姿が眼に入るといきり立つので、静御前が、諌めるために近くにいなければならな
い。その点、十郎は、あまり、感情を出さない。

3人は、冒頭と同じように、籠、小鼓を持って、踊る。最後は、3人の、引張りの見
得で、幕。


「一條大蔵譚」は、1731(享保16)年、大坂竹本座で人形浄瑠璃初演、翌年歌
舞伎化された。松田文耕堂らの合作。全五段の時代物。「一條大蔵譚〜檜垣、奥
殿〜」は四段目。今回は、「檜垣」がなく、「奥殿」だけの上演。私は9回目の拝
見。今回は、歌昇が初役で挑戦する。12年12月の伝統歌舞伎保存会研修会発表会
で一日だけ上演したという。まだまだ研修中というところだろう。

私が観た大蔵卿は、吉右衛門(4)、猿之助、襲名披露興行の勘三郎、菊五郎、染五
郎、そして今回が初役の歌昇。常盤御前は、芝翫(2)、鴈治郎時代の藤十郎、雀右
衛門、福助、時蔵、魁春、芝雀、そして、今回が、初役の米吉。吉岡鬼次郎(きじろ
う)は、梅玉(4)、歌六、仁左衛門、團十郎、松緑。そして、今回が、初役の松
也。鬼次郎女房・お京は、松江時代を含む魁春(2)、九代目宗十郎、時蔵、玉三
郎、菊之助、東蔵、壱太郎(翫雀長男)、そして、今回が、初役の児太郎。

「一條大蔵譚」は、基本的に平家方偽装の公家・一條大蔵卿と源氏方(義朝の旧臣)
の吉岡鬼次郎の芝居である。初代吉右衛門以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、
相変わらず巧い。特に、滑稽さの味は、いまや第一人者。亡くなった勘三郎も、味が
あったし、菊五郎も巧かったが、吉右衛門は、阿呆顔と真面目顔の切り替えにメリハ
リがある。阿呆顔は、いわば、「韜晦」、真面目顔は、「本心」、あるいは、源氏の
血筋を引くゆえの源氏再興の「使命感」の表現である。染五郎は、所作、科白は、そ
の通りなのだろうが、吉右衛門と比較すると、所作が小さい。科白は同じだが、科白
「廻し」が違う。表情の奥行きも違う。まだまだ、これからの精進が望まれる。歌昇
を染五郎と比較するのも可哀想。こういう先人たちの舞台を観ながら、己の藝道を精
進して行く。その成長ぶりを見るのが歌舞伎の醍醐味とだけ指摘しておこう。

大蔵館奥殿で常磐御前が楊弓の遊びに興じているが、実は、これも韜晦。遊びの楊弓
の的(黒地に金の的が3つ描かれている)の裏に隠された平清盛全身の絵姿で、彼女
の真情(平家調伏の偽装行為)が判明する仕掛けになっている。常磐御前は、動き
が、少ないが、肚で芝居の進行に乗っていかなければならないので、大変だ。御前と
しての格と存在感を、所作も科白も少なめで、ほぼ動かずに演じなければならない。
家老の八剣勘解由(吉之助)が、常磐御前の真意に気付き、平清盛の絵姿を奪い取
り、それを証拠に清盛へご注進に行こうとする。御殿に下がっていた御簾のうちから
長刀が突き出され、階段にいた勘解由に斬りつける。夫の不行跡を恥じて自害する家
老夫人の鳴瀬は、芝のぶが演じた。地味な色気をさりげなく滲ませることが出来る中
堅の女形役者だ。

贅言;いつもなら、屋号に混じって、「芝のぶ」と声がかかる所だが、今回は、「成
駒屋」と何度か声が掛かった。若手ばかりの芝居、それも名題になりたての役者よ
り、位(くらい)の高い、古手の名題役者たちに屋号の掛け声がかからないのはおか
しいということなのだろうか、古手の名題役者の「芝のぶ」「芝喜松」には「成駒
屋」と声がかかっていた次第。

「いまこそ明かす我が本心」と大蔵卿。本心を隠し、的確に阿呆顔を続ける、抑制的
な、器の大きな知識人・大蔵卿は、かなり難しいキャラクターであろう。源平の対立
構図の中では、どちらにも与せず、様子を見る。客観的な分析の時間を稼ぐために擬
装する。それだけに、このキャラクターづくりが、主役を演じる役者の工夫となり、
代々の役者が、役づくりを腐心して来たのだと思う。

金地に大波と日の出が描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換える
など、阿呆と真面目の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現しなければならな
い大蔵卿を吉右衛門は的確に演じていた。科白廻しと間の取り方も巧い。この辺り
が、大蔵卿役者の課題。

平家の知将重盛に引っ掛けた「古歌」の短冊。ぶっかえりで衣装を改め、大見得をす
る大蔵卿。「この剣(つるぎ)にて旗揚げ致せ」と鬼次郎に命じる。平家方の八剣勘
解由の首と源氏所縁の重要な宝剣・友切丸を鬼次郎に託す場面の大蔵卿は公家なが
ら、一瞬、颯爽の武士の顔を垣間見せるが、その後、「命長らえ、気も長らえ」「元
の阿呆になるだけ」「めでたいのう」などと、韜晦の「つくり阿呆」の顔に戻らなけ
ればならない。複雑、精緻な吉右衛門の演じる大蔵卿は、どこまでもしたたかであ
る。


「独楽売」は、今回初見。本興行ではおよそ60年ぶりの上演ということだから当然
だ。大正時代に作られた新作舞踊劇。原作は、演劇評論家の岡鬼太郎。1923年帝
国劇場初演。初春の江戸は亀戸天神の境内が舞台。芸者、茶屋女房、雛妓がいる所
へ、独楽売(大道芸を見せて独楽を売る)の若者ふたりがやってきて、芸者、茶屋女
房、雛妓(すうぎ)と入り乱れて、独楽の由来、芸者の女心、独楽尽くし、源平合戦
の錣引などを踊ってみせる。最後は、曲独楽(独楽の曲芸)を見せるのが、ハイライ
ト。巳之助の坂東流の踊り。緩急に富んだ風俗舞踊。

出演は、芸者の小吉に米吉、茶屋女房のお梅に芝のぶ、独楽売の千吉に巳之助、萬造
に種之助、雛妓の松葉に鶴松、呉竹に梅丸ほか。

贅言;浅草歌舞伎の筋書は、一部1500円もするのだが、内容がお粗末。筋の解説も
薄っぺらだし、歌舞伎解説も、入門編止まり。そのかわり、役者の写真の頁が多い。
全面写真のページが、27ページもある。芸より顔を見て欲しいという戦略なのだろ
う。国立劇場並みに、筋書と上演資料集の2冊に分けてくれると、必要な方だけ買う
ことが出来るので、歌舞伎好きには、嬉しい。若手の芸の熟成度を歌舞伎代々の時空
の中に置いて検証できるというものだ。
- 2015年1月8日(木) 15:16:54
14年12月国立劇場・人形浄瑠璃鑑賞教室 (「二人三番叟」「絵本太功記」)


国立劇場・小劇場。師走の人形浄瑠璃の舞台も千秋楽。「絵本太功記」は、11年0
5月国立劇場で観ているので、2回目。「二人三番叟」は初見。

人形浄瑠璃の「二人三番叟」は、初見。「寿式三番叟」など「三番叟もの」は、歌舞
伎でも人形浄瑠璃でもいろいろ観ている。祝祭もの、「祝儀曲」という。能の「翁」
を義太夫節に移したのが「三番叟もの」。「寿式三番叟」は、千歳、翁、三番叟の三
役が登場するが、「二人三番叟」は、全く同じ衣装を着た三番叟だけが、ふたり登場
する。ただし、首(かしら)は、白塗りの「検非違使」と砥の粉塗りの「又平」と二
種類ある。袖を振り、手に持った鈴を打ち鳴らしながら種を蒔く仕草をし、五穀豊穣
を祈る。途中、片方が疲れてへたり込み、汗を拭いたり怠けたりして、観客を笑わせ
る。


「絵本太功記」は、歌舞伎では何度も観ている。戦争に見舞われた武将の家族の悲劇
の物語。戦う男たちと哭き叫びながらも、男たちを止められない女たちの物語。全十
三段の人形浄瑠璃は、明智光秀(武智光秀)が織田信長(尾田春長)に対して謀反を
起こす「本能寺の変」の物語を基軸にしている。このうち、十段目の「尼ヶ崎閑居の
場」(「夕顔棚の段」と「尼ヶ崎の段」)が、良く上演され、「絵本太功記」の「十
段目」ということで、通称「太十」と呼ばれる。6月1日から13日まで。本来は、
13日の物語を一日一段ずつ演じられたので、「十段目」は、「十日の段」と言った
という。今回は「尼ヶ崎の段」のみの上演。

1799(寛政11)年、大坂道頓堀若太夫芝居(旧豊竹座)で初演。当時流行した
読本「絵本太閤記」を人形浄瑠璃に書き換えた。原作者は、近松門下生たち。近松
柳、近松湖水軒、近松千葉軒ら、今から見れば、無名の人たちで合作。無名の作者た
ちによる合作の名作は、先行作品の有名な場面を下敷きにしている場合が多いが、時
に、憑依した状態で筆が進み、名作に「化ける」こともある。これも、そのひとつ。

「東風(ひがしふう)」という人形浄瑠璃の「豊竹(とよたけ)座」伝統の艶麗華麗
な節廻しで、竹本の語りが入る。江戸時代、人形浄瑠璃の竹本座に出演していた豊竹
越前少掾(後の豊竹若太夫)の美声から始まった語りが、竹本座に対抗して豊竹座を
興すことになる。

時代物の典型的なキャラクターが出揃う名演目の狂言。今回は、「前」を咲甫大夫、
三味線方錦糸。「後」を英大夫、三味線方清介。人形役割は、武智光秀が勘十郎、息
子の武智十次郎が玉佳、十次郎嫁の初菊が清五郎、光秀妻の操が和生、光秀母のさつ
きが文司、旅僧、実は真柴久吉が玉志、加藤正清が勘次郎。前回は、光秀:勘十郎、
操:和生、久吉:玉志で同じ。十次郎:勘彌、初菊:簑二郎、さつき(皐月):文雀
で、今回とは異なる。前回、文雀は私が観た3日後、体調を崩して途中休演となっ
た。

主君を討った武智光秀を軸にした武智ファミリー対主君の敵討を志す久吉、正清一派
の闘い。家庭に持ち込まれた戦争、という構図。人形浄瑠璃の首(かしら)は、光
秀:文七、操:老女方、久吉:検非違使、十次郎:若男(前半)、源太(後半)、初
菊:娘、さつき:婆。顔は、類型化されてしまう。十次郎の首が、祝言の場面がある
前半で、「若男」、鎧兜の出陣姿以降の後半で、「源太」に替わる。

人形浄瑠璃では、歌舞伎では、あまり上演されない「夕顔棚の段」が上演される。主
な登場人物の入り込みの場面があるが、今回はカットとなった。「夕顔棚の段」から
「尼ヶ崎の段」へ、という演出なら、さつき、操、初菊ら女たち「ひと間に入りにけ
り」。盆廻し。十次郎「残る莟の花一つ」から次の「前」で、大夫ら交代となるが、
今回は、初めから太夫ら登場。十次郎は、「残る」ではなく、暖簾を分けて奥から
「登場」となる。舞台は、下手に竹藪。茅葺きの庵室は、下手端に夕顔棚、下手から
暖簾口、襖が閉められている奥の仏間、小さな渡りを挟んで湯殿口。

無名な作者たちの「先行作の下敷き振り」を簡単に見ると、次のようなことが判る。
舞台中央正面奥の暖簾口から出て来る十次郎、薄紅色の衣装に紫の肩衣、袴姿は、赤
い衣装に紫の肩衣、袴を着けた「本朝廿四孝」、通称「十種香」の、武田勝頼の出
に、そっくり。謙信館とさつきの庵室では、暖簾と襖など周りの環境が違うだけで衣
装は、ほぼ同じというミスマッチが、余計に、観る者の「違和感」を沸き立たせて、
それが、逆に、おもしろいから可笑しみがある。次いで、上手仏間から出て来る初菊
も赤姫の衣装だから、「十種香」の、八重垣姫に良く似ている。その後、出陣のた
め、鎧兜に身を固めた十次郎は、いつもの義経典型のイメージを思わせる。つまり、
オリジナリティなど、ないのだ。むしろ、オリジナリティの無さ=馴染み深さこそ、
売り物なのだろう。

討ち死に覚悟の十次郎は、初菊が、祝言などせずに、「無傷」(処女)のまま、他家
に嫁入りしてくれと呟く。これを陰で聞いた初菊は、上手にある仏間より出て来て、
出陣をとどまれと泣いて頼む。しかし、拒絶されてしまう。鎧兜に身を固めた十次郎
と初菊の哀しい祝言は、さつき、操も列席して執り行われる。

1)歌舞伎の「太十」の見どころは、ふたつある。その一つが、十次郎と初菊の恋模
様。その象徴的な場面を歌舞伎では、「入れ事」とした。いわゆる「兜引き」の場面
で、初菊役者は、糸に乗って人形のように動きながら、重い兜を自分の衣装の袖に載
せて、苦労して、ゆっくりと引っ張って暖簾口から奥に入って行く。人形浄瑠璃で
は、初菊は、鎧櫃を抱えて(それほど重そうでもない)、十次郎の後について入って
行くので、芝居の見どころにならない。

陣太鼓の音が聞こえ、下手、戦場に向かう十次郎。泣き伏す初菊。そこへ、上手奥か
ら旅の僧が風呂が沸いたと告げに来る。上手へ戻る旅の僧。皆、奥へ入る。

盆廻し。竹本の「後」は、英大夫。「月漏(も)る片庇(かたびさし)」で語り出
す。無人の舞台。「ここに苅り取る真柴垣」「夕顔棚のこなたより、現れ出でたる武
智光秀」、という名場面で、光秀は下手竹藪より出て来る。菱皮の鬘に白塗り、眉間
に青い三日月型の傷という、髑髏のような顔で、おどろおどろしい光秀。簑を纏い笠
を右手に持っている。竹を斬り、竹槍を作る。庵室に入り込み、「小田の蛙の鳴く音
(ね)をば」止めないようにと忍び足で湯殿口に近づくと、「ただ一討ち」と、湯殿
に竹槍を差し込む。「わつと魂消(たまぎ)る女の泣き声」。湯殿から、黒い布を
被った体で「七転八倒」傷ついたさつきが現れる。光秀の意図を察知したさつきが、
僧、実は、真柴久吉の身替わりになっていたのだ。命をかけて息子の主君殺しを諌め
るさつき。「主を殺した天罰の報いは親にもこの通り」。さらに、妻の操が光秀を諌
める場面も、見どころ、聞きどころ。だが、「武門の習ひ天下のため」と訴える光
秀。

陣太鼓が鳴り、「血は滝津瀬(たきつせ)」、戦場で傷ついた十次郎が戻って来る。
気を失い、父親から薬を飲まされ、活を入れられ、虫の息で、父親に戦況を報告する
息子の「物語」。光秀の身を案じて、戦況を伝え、「一時も早く本国へ」と退却を勧
めるために戻って来たのだ。「もう目が見えぬ、父上、母様、初菊殿。名残惜し
や」。歌舞伎・人形浄瑠璃では、武将の家に生まれた子どもたちは、早々と死んで行
く。「十八年の春秋を刃の中に人と成り」(「熊谷陣屋」の小次郎は、16歳だっ
た。十次郎は、18歳で、死んで行く)。孫が不憫だと嘆く祖母のさつき。息子を亡
くす母の操。夫と一緒に死にたいと悶える嫁の初菊。自分が原因で、家族に降り掛
かった悲劇を悟り、妻と嫁に責められ、非難され、光秀も、涙を浮かべる。操、初
菊、さつきが、泣き崩れる中、「さすが勇気の光秀も」、初めて「こたへかねて、は
らはらはらはら、雨か涙の汐境」、涙を流す。竹本の「大落とし」(クライマック
ス)の場面。

庵室の道具が、引き道具で、3分の1ほど、やや上手に引っ込められ、下手の薮の一
部も、さらに下手に引っ込められる。空いた下手の空間には、大きな「すね木の松」
が出て来る。「団七走り」と呼ばれる手足を前後に大きくのばす振りで松に駆け寄る
光秀。反逆の道を選んだ悲劇の英雄光秀の見せ場、さらに、松の木の傍で客席に背中
を見せて見得をする光秀。人形遣は勘十郎。首を扱う左手を人形から外し、右手だけ
で光秀を高々と掲げる。松によじ上る光秀と勘十郎。松の枝にまたがり、更に、上の
枝を押し上げて物見をする。動きの少なかった光秀のハイライトの場面。

歌舞伎なら、大道具(舞台)が廻って、花道七三に一旦出た光秀が、本舞台に戻って
来て、庭先の大きな松の根っこに登り、松の大枝を持ち上げて、辺りを見回す場面。

人形浄瑠璃では、背景の黒幕が、振り落しとなり、海の遠見となる。「敵か味方か。
勝利いかに」。海上に浮かぶ多数の軍船が見える。「千成瓢の馬印」ということで、
久吉方と判る。光秀の負け戦。

これは、「ひらかな盛衰記」の、通称「逆櫓」の、「松の物見」と言われる場面のパ
ロディだ。

久吉の軍団登場。座敷上手の襖を開けて、旅の僧は陣羽織姿に替わった久吉登場。
「対面せん」。夕顔棚を水平に斬る久吉。さつきは、光秀の償いのためと久吉に訴え
て、十次郎と共に息絶える。下手に、加藤正清が軍兵を連れて現れる。極まった光
秀。京都山崎の天王山での決戦を約束する久吉。

2)もうひとつの見どころが、光秀と久吉の拮抗。特に、光秀の謀反を諌めようと久
吉の身替わりになって息子の光秀に竹槍で刺される母のさつきの場面などという、い
くつかの見せ場がある。さつきは、瀕死の重傷のまま、孫の十次郎と一緒に息を引き
取るタイミングまで、じっとしている場面が長いので、歌舞伎では、これも辛かろう
と、思うが、人形浄瑠璃では、瀕死のまま横たわっているのが不自然ではない。さつ
きが、死に絶えると、主遣いは、低い姿勢で、姿を消す。後は、面を隠した人形遣の
一人遣いとなる。

贅言;先行作品の下敷き振りをチェックしてみよう。まず、「十種香」は、1766
(明和3)年に、人形浄瑠璃、大坂の竹本座で初演され、同じ年のうちに、歌舞伎、
大坂中の芝居で、初演されている。「太十」初演の、33年前だ。また、「ひらかな
盛衰記」は、更に、古く、1739(文元4)年に、人形浄瑠璃、大坂の竹本座で初
演され、翌年、歌舞伎、大坂角の芝居で、初演されている。「太十」初演の、60年
前だ。

「真柴が武名仮名書きに、写す絵本の太功記と末の、世までも残しけり」で、幕。

歌舞伎と人形浄瑠璃の演出の違いで、大きいのは「兜引き」が無かったこと。廻り舞
台の装置の無い人形浄瑠璃では、当然だが、「物見の松」で、光秀が登る松の木への
舞台展開が引き道具になっている。場面場面の展開が「段」構成である人形浄瑠璃の
方が、伏線を活用していて、筋の展開にメリハリがあること。正義感故、主君殺しに
加えて、敵と誤って母を殺す。親殺し。父の正義感の犠牲になる息子も死なせてしま
う。苦渋の人生の最期を光秀は、肚に万感を入れ込んで演じなければならない。

さつき、光秀、操、十次郎、初菊という、5人家族は、戦世の権力闘争に巻き込ま
れ、悲劇のうちに滅びようとしている。
- 2014年12月18日(木) 11:10:49
14年12月国立劇場(人形浄瑠璃) (「伽羅先代萩」「紙子仕立両面鑑」)
 
 
人形浄瑠璃版「伽羅先代萩」を観るのは、2回目。前回は、11年09月国立劇場。
人形浄瑠璃版「伽羅先代萩」は、大坂の中の芝居で1777年に初演された歌舞伎の
「伽羅先代萩」(奈河亀輔原作)と翌1778年、江戸の中村座で初演された歌舞伎の
「伊達競阿国戯場 」(桜田治助原作)のふたつを下敷きにして、松貫四らが合作し、7
年後の1785(天明5)年、江戸の結城座という人形浄瑠璃専門の小屋で初演され
た。
 
「伽羅先代萩」は、足利頼兼のお家騒動という想定の芝居だが、史実の「伊達騒動」
を下敷きにしている。舞台は、足利家の江戸屋敷。

まず、「竹の間の段」。銀地に竹林の絵が描かれた奥の間。この奥は、奥殿になるの
だろう。緊急の知らせを奥に伝える鈴が下がっている。鴨居に長刀(なぎなた)が掛け
てある。腰元たちはガードウーマンの役割も背負っているのだろう。政岡はそういう
軍団も率いている乳母(若君のお守役兼秘書長兼軍団長なのだろう。三味線方は鶴澤
清友一人だが、太夫は、科白のように7人が役割分担する。政岡:咲甫大夫、八汐:
始大夫、沖の井:靖大夫、小巻:希大夫、鶴喜代君:咲寿大夫、千松:小住大夫、忍
と腰元のふた役:亘大夫。この段は、基本的に科白劇なので、太夫たちをこういう配
役にしたのだろう。

大筋は、先行作品と同じだが、配役関連の名前が違う。歌舞伎の足利家(仙台藩伊達
家)の領主・義兼の話ではなく、同じく出羽奥州五十四郡を治めるが、領主は冠者太
郎義綱。放蕩を咎められ隠居。家督を継いだのは、幼い若君・鶴喜代。お家乗っ取り
を企むのは、義綱の伯父の錦戸刑部、刑部に加担する渡会銀兵衛の妻(「素性賎しい
銀兵衛が女房」)が八汐。八汐は、歌舞伎では仁木弾正の妹。

若い藩主を見舞うという口実で鶴喜代の暗殺を目論んで八汐が竹の間に乗り込んで来
る。下手より、八汐と沖の井登場。遅れて小巻。上手御簾の間より、政岡の実子で、
若君の毒味役として仕える千松が先頭に立ち、鶴喜代君、乳母の政岡が並んで出て来
る。信夫庄司為村の妻・沖の井、御典薬(御殿医)の妻で、医者の小牧(歌舞伎と違っ
て、後に重要な証人となる)を同行させている。政岡は、鶴喜代と千松を守って、応
戦するなど、その後の展開は、歌舞伎と同じ。沖の井は、八汐の主張の矛盾に気が付
き、政岡を擁護する側に付く。

「御殿の間の段」。ここは義太夫狂言の演出となる。竹本の太夫は一人になる。今回
は前を語るのは津駒大夫と三味線方は東蔵。後を語るのは呂勢大夫と三味線方は燕
三。前回は切が嶋大夫と三味線方の竹澤團七、続く奥が津駒大夫と三味線方は寛治
だった。

贅言;太夫の役割分担。前回は、「切」と「奥」だったが、今回は、「前」と
「後」。太夫の格をみると、前半の太夫が上である。

御簾が上がると千松、政岡、鶴喜代が並んでいる。御殿の金地の襖には、丸い竹の輪
の中に雀が描かれている。実は、伊達家の紋章。歌舞伎なら上手に、金地に花車が描
かれた衝立があるが、人形浄瑠璃は、御簾の間がある。歌舞伎なら御殿の座敷には、
下手側に茶の湯の道具が置いてあるが、この舞台では、そういう道具は見えない。障
子の間のうちにある。

ここは、子ども達のひもじさに耐える姿が、見どころである。先に用意された食事を
若君毒殺の懸念を抱く政岡の指示に従って食べなかった若君と千松の子ども達の空腹
比べが、哀しい。代わりに、政岡は、自分が吟味した米や茶道具を使って、飯を炊
く。通称、「飯炊(ままた)き」の由来だ。待つ間、千松は、「お腹がすいても、ひも
じうない、何ともない」と、津駒大夫が語る。この科白を歌舞伎の子役独特の科白廻
しで聞き慣れて来た身には、人形浄瑠璃の「語り」は、ひと味違うからおもしろい。
 
やがて、政岡が、黒地に笹と雀が描かれていた打ち掛けを脱いで、真っ赤な衣装を見
せて、上手へと移動すると、上手御簾の間の御簾が上がると、そこに、茶の湯の道具
が揃っているのが判る。つまり、歌舞伎と人形浄瑠璃では、茶の湯の道具の置き場所
が違う。ということは、政岡の飯炊きを演じる場所が違うということである。
 
江戸屋敷で繰り広げられるお家騒動に巻き込まれた政岡は、若君の命を狙う敵たちに
八方から囲まれている。特に、若君の口に入るものは、警戒しなければならない。国
の表から出て来た息子の千松を若君の毒味役に使ってまで、つまり、我が子の命を楯
にしてまで、若君大事と緊張した日々を送っている。こうした異常心理の中で、若君
の乳母として、我が子の母として、二つの情を肚に押さえ込みながら、政岡は、存在
しなければならない。

贅言1);歌舞伎に無いのは、若君のお膳の毒味をする「ちん」という名の犬が出て
くる場面がある。お互いに空腹堪え難き状況で、千松が、若君の機嫌を取らされる場
面で、犬が一役買う。政岡の若君安全策は緻密でこの人の性格がよく現れていると思
う。まず、飯炊きの前に生米を雀に食べさせて毒味をし、炊き上がったらちんにたべ
させ、さらに息子・千松に食べさせる。その上で、若君がやっと食べる、というほど
なのだ。
 
贅言2);若君と千松は同年生まれという。若君は自分のことを「おれ」と言い、千
松は、「わし」というのもおもしろい。竹本の語りの中に出てくる歌が物悲しい。
「『千松が七つ八つから金山へ一年待てどもまだ見えぬ、二年待てどもまだ見えぬ』
と唄の中なる千松は、待つ甲斐あつて父母に顔をば見する事もあらう。同じ名の付く
千松の其方は百年待つたとて千年待つたとて、何の便りがあろぞいの。三千世界に子
を持つた親の心は皆一つ、子の可愛さに毒なもの食ふなと言ふて叱るのに、毒と見え
たら試みて死んでくれいと言ふやうな、胴欲非道な母親がまたと一人あるものか。武
士の胤に生まれたは果報か因果かいぢらしや、死ぬるを忠義と言ふことはいつの世か
らの習はしぞ」。7歳8歳から鉱山で鉱夫の手伝い働かされた千松少年と親のことを
歌った俗謡があったのだろうか。母親・政岡の心情吐露が熱い。武士への痛烈な批判
も込められている。

栄御前の出を前に盆回し。太夫は呂勢大夫へ。栄御前も、人形浄瑠璃では、憎まれ役
の典型・梶原平三景時の奥方となる。歌舞伎では足利幕府高官・執権の山名宗全の奥
方という想定だった。

もうひとつ、歌舞伎と違うと思ったのは、八汐の動きだった。栄御前が、若君暗殺の
毒入りの菓子を頼朝より授かったと言って持って来る。千松は、政岡に言われる前に
毒入りの菓子を食べて、菓子折りを蹴散らし、若君を救う。千松が苦しみ出す前に八
汐が飛んで来て、千松の喉に懐刀の刃を向ける。若君暗殺失敗の証拠隠滅を図る八汐
の動きが、歌舞伎より素早いということだ。ためらいも無く幼い子どもを嬲り殺しに
する八汐。栄御前が、我が子が殺されても動じない政岡の態度を誤解し、お家騒動の
企みを打ち明ける。歌舞伎のような連判状の巻物の提示も無し。従って、鼠も出て来
ないし、その後の「床下」への場面展開もないようだ。栄御前が、退場し、我が子の
遺体(千松の遺体は、栄御前らの芝居の間、歌舞伎と違って、一時、舞台から消えて
いて、後に、また、現れた)を抱き上げ、「後には一人政岡が」残り、「溜め涙、せ
き入り、せき上げ嘆」く。それを下手の物陰から見ていた八汐(歌舞伎では上手から
現れる)は、栄御前のようには、政岡に騙されず、「何もかも様子は聞いた。此方の
工みの妨げ女、己も生けては置かれぬ」と、政岡に斬り掛かるが、ガードウーマンの
軍団長、政岡の方が、剣さばきが巧みで、八汐は、逆に殺されてしまう。八汐は、自
爆型のテロリストなのだ。この一連の八汐の動きが、人形浄瑠璃の方が、歌舞伎より
テンポがある。
 
贅言;歌舞伎では、千松を刺し貫き、「お家を思う八汐の忠義」と言い放つのは、八
汐自身だが、人形浄瑠璃では、「殺したは八汐が働き、さすが渡会銀兵衛が妻程あ
る。政岡には自ら言ひ聞かす事もあり」と栄御前が言って、政岡を勘違い(千松と若
君の「取り替へ子」と誤解)して、秘密の暴露(刑部のお家横領作戦)の場面へと繋が
る。
 
首(かしら)は、登場する女達、政岡も、栄御前も、沖の井も、小巻も、「老女形」と
いう類型化された顔を見せているのに、八汐の首は、「八汐」という独特の首を使
う。主な人形遣いは、政岡が、和生。憎まれ役の八汐が、勘十郎。栄御前が、勘彌
だった。
 

「紙子仕立両面鑑(かみごじたてりょうめんかがみ)」は、初見。歌舞伎でも観たこと
がない。1768(明和5)年、大坂豊竹此吉座で初演。菅専助原作。全三巻の世話も
の。今回上演する「大文字屋の段」は、中の巻。歌舞伎の「助六」の元になった上方
の心中事件、万屋(よろずや)助六と新町遊廓の扇屋の傾城・揚巻のエピソードをベー
スにしている。ただし、助六も揚巻も登場しない。遊廓から揚巻を連れて逃げた助六
は、「関破り」(廓抜け)の罪人として、指名手配されている。外題の「紙子仕立両面
鑑」は助六が紙子(紙製の粗末な衣装)姿で親から勘当されたことから、「紙子仕立」
とし、揚巻と助六女房のお松の物語ということで「両面鑑」となった。

舞台は、新町の遊廓でもなく、助六の店・万屋でもなく、助六女房・お松の実家・大
坂本町筋にある河内木綿を商う大文字屋の店先である。舞台下手に用水桶。綿、大文
字屋と染め抜かれた暖簾。帳場のある広間には、吊行燈。帳場の斜め後ろに売掛帳、
大福帳、仕入帳が下がっている。上手に商品入れ、その奥上手に障子の間。当時の大
坂の商家の様子が良く判り楽しめる。

大文字屋はお松の兄が切り盛りしている。従って、お松の実家とは言えども、親の代
ではなくなっていて、実質的に兄の家である。母の妙三が居るとは言え、夫が遊女と
逃げたからと簡単に実家に帰るわけにもいかない。

物語は、お松、実家の跡取りの兄・栄三郎、母の妙三、嫁ぎ先の万屋の手代上がり
(つまり、入り婿。肩身が狭い)の主人・助右衛門が主要な登場人物になる。このほ
か、脇筋として笑劇が展開する。大文字屋の番頭・権八、お松に横恋慕の万屋の手
代・伝九郎らが助六没落の悪計を図るなど、チャリ場を入れ込む喜劇仕立てになって
いる。

この事件に対する関係者の態度。
兄の栄三郎は、妹のお松を助六と離縁させて実家で引き取るものの、大文字屋を支援
してくれた万屋の助六の罪を軽くするために、足抜けした揚巻を身請けして、その身
代わりとしてお松を扇屋に身売りしようと考えている。

母の妙三は、嫁は、嫁いだ以上は嫁ぎ先に仕え尽くすべきだから、逃げた助六の代わ
りに舅の助右衛門に孝行すべきだと言う。

実家に戻ってきたお松は助六の罪を軽くするならばと、己の身売りを納得するが、嘆
く。封建時代らしいと言えば、らしいが、皆、大人の都合ばかり。お松にのみ苦労が
掛かる。

そこへ、万屋主人の助右衛門がやって来る。若いお松のために離縁としたと説明す
る。妙三は、万屋は大金持ちだから揚巻を請け出して助六の妾にすれば、丸く収まる
と、いかにも封建時代の芝居らしい解決策を言うが、助右衛門は、先代の助右衛門に
義理があり、先代の甥の栄三郎の妹のお松が助六の女房なので、揚巻を妾になどはで
きないと主張する。

お松は、遊廓に身を沈めるしか道はないのか。観客にそう思わせておいて…。
助右衛門は、息子の助六を勘当しておいて、嫁と同じ屋根の下では暮らせないと、お
松に去り状を手渡す。だが、その去り状は揚巻の借金を精算した年季証文だった。栄
三郎が助六のために妹のお松を身売りしようとしていると聞き、先代の姪のお松に廓
勤めはさせられないということで、揚巻を身請けしたことを知らせに来たというわけ
だ。「色も香もある梅干親父、辛う見えても粋(すい)なりけり」、と讃える。原作
者菅専門助からのメッセージ。めでたしめでたし。

さらに、お松に横恋慕の万屋手代伝九郎が頬かぶりをして悪仲間の大文字屋番頭の権
八(陽気な小悪党)と計って助六と偽ってお松に会いに来るが、栄三郎らに見破られて
失敗するという笑い話が終りに付く辺りも、B級作品らしいチャリ場となる。

女房の実家を舞台にした親たちの話という辺りは、「双蝶々曲輪日記」の「橋本の
段」を思い出したし、最後のチャリ場で、逃げた伝九郎の割る仲間と分かった番頭の
権八が、店先の釣り行灯の紐で縛り上げられ、お松と妙三に紐を引っ張られる度に吊
り上げられる場面も、「双蝶々曲輪日記」の「八幡の里の段」を思い出させる。「双
蝶々曲輪日記」は、1749年初演。「紙子仕立両面鑑」は、その19年後の176
8年初演。

竹本の語りは、中が芳穂大夫、三味線方は清馗、奥が千歳大夫、三味線方は富助。人
形遣は、大文字屋番頭の権八が玉也、母の妙三が簑一郎、主人の栄三郎が幸助。万屋
主人の助右衛門が玉女、嫁(助六女房)のお松が清五郎、手代の伝九郎が紋吉ほか。
- 2014年12月16日(火) 11:07:27
14年12月歌舞伎座(夜/通し狂言「雷神不動北山桜」)
 
 
通しの「雷神不動北山桜」の妙味
 
 
師走の歌舞伎座は、先代の猿之助が元気だった頃は、沢瀉屋一門の興行月だったが、
玉三郎の月になり、現在は、玉三郎と海老蔵の月になった。今回は、成田屋色がいち
だんと強くなったように思われる。舞台の天井近くを飾る提灯は、成田屋の三升の家
紋と歌舞伎座の家紋。

「雷神不動北山桜」は、「毛抜」と「鳴神」を軸にした上演だが、こういう通し狂言
として観るのは初めて。1742(寛保2)年、大坂で初演された安田蛙文(あぶ
ん)らの合作「雷神(なるかみ)不動北山桜」(全五段の時代もの)が原作。現在も良
く上演される「毛抜」は、三幕目の場面で、四幕目が、「鳴神」。二代目、四代目、
五代目の團十郎が引き継ぎ、これは、90年後の1832(天保3)年、七代目團十
郎によって、歌舞伎十八番に選定され、「毛抜」に生まれ変わった(團十郎型)。し
かし七代目亡き後、長らく上演されなかった。「鳴神」も、歌舞伎十八番に選定され
た。

冒頭、幕開き前に「仮名手本忠臣蔵」よろしく、口上をする人形が出てきて、外題、
役人替名(配役のこと)を告げる。「ゆるりゆるりゆるゆるゆるり」で、首(かしら)を
クルクル回して笑いを誘う。様式美溢れる演目なので、後見は、皆、鬘をつけた裃後
見である。

今回の場面構成は、次の通り。
序幕第一場「神泉苑の場」、第二場「大内の場」。二幕目「小野春道館の場」。三幕
目第一場「木の島明神境内の場」、第二場「北山岩屋の場」。大詰第一場「大内塀外
の場」、第二場「朱雀門王子最期の場」、第三場「不動明王降臨の場」。

「毛抜」は、二幕目、「鳴神」は、三幕目第二場に該当する。今回は海老蔵が5役
(鳴神上人、粂寺弾正、不動明王、早雲王子、安倍清行)を演じる。海老蔵がこういう
形の通しで上演するのは、今回で5回目。歌舞伎座では初演。私も初見。「毛抜」、
「鳴神」は何回も「みどり」で観ているので馴染みはあるが、こうして「通し」で観
るとみどりで上演される場面の洗練さと馴染みのない場面の落差に気付かざるを得な
いが、これは仕方がないことだろう。愛之助が叔父の十五代目仁左衛門そっくりを当
面志向するなら、海老蔵は父親の十二代目團十郎そっくりを志向する。科白がこもる
團十郎の口跡の悪さも真似ているように聞こえる。成田屋特製の「睨み」も随所に交
える。

序幕第一場「神泉苑の場」。「忠臣蔵」の大序の真似で、大薩摩の床(チョボ)での出
語りの間、役者は人形のように目を瞑ったままで動かない。やがて、一同一斉に覚醒
し、動き始める。陽成天皇は、女子として生まれる身であったが、鳴神上人の変成男
子(へんじょうなんし)の行法により、男子となって生まれたという。性同一性障碍者
というわけか。陽成天皇の異母兄の早雲王子(はやくものおうじ)が皇位に就けば天下
が乱れることになると陰陽博士が占ったからだ。

海老蔵は早雲王子を演じる。旱魃に苦しむ日本のために神泉苑に参籠して早雲王子が
雨乞いをしていた。山上官蔵(新蔵)らが出迎える。きょうは満願の日。小野家の執権
八剣玄蕃(やつるぎげんば)とその子息の数馬(道行)を召し出し、褒美の品(蝶花形の櫛
笄と唐来ものの磁石)を与える。この辺りまで、「忠臣蔵」の大序の「兜改め」に雰
囲気が似ている。花道から文屋豊秀(愛之助)がやって来る。雨乞いに来たという。官
蔵らが後手ぶりを嘲笑する。旱魃は鳴神上人の行法の所為なので、鳴神を追放したと
いう。豊秀は反感を抱くが黙っている。階段を降りて、平舞台から花道を通って早雲
王子一行が去って行く。

序幕第二場「大内の場」。旱魃に苦しむ百姓たちが大内へ直訴をしに来る。大内の御
簾が上がると、関白の基経(門之助)、小野春道(市川右近)がいる。そこへ戻って来た
早雲王子(海老蔵)は鳴神を追放したと言い、関白の基経責任を追及し、参内を禁じ
る。海老蔵が下手に下がると、御簾も下りる。豊秀(愛之助)が陰陽博士の安倍清行(海
老蔵)を連れて来るが、清行は疲れ果てた様子で退出してしまう。

小野家の腰元小磯(玉朗)が小野春道の嫡男・春風から預かったという雨乞いに効果の
ある重宝の短冊を持ち、春道を探しに来た。好色な清行(海老蔵)が現れ、小磯を口説
き始めるが、何者かが小磯を殺してしまう。清行は、暫く吹き替え役者が後ろ向きで
演じ時間を稼ぐ。早雲王子の仕業だった。早雲王子の家臣石原瀬平(獅童)が現れ、小
磯から奪った短冊を持ち、小磯の兄になりすまして、小野家へ向かうという。清行を
探しに来た豊秀が悪事の一端を知るが何もできない。早雲王子は(海老蔵)豊秀を嘲笑
う。序幕は、早雲王子の物語。

二幕目「小野春道館の場」。歌舞伎十八番に選定された「毛抜」と同じ場面である。
豊秀の使者・家老の粂寺弾正(海老蔵)が登場する。小野春道館では、小野家を支える
家老の秦民部(右之助)、弟の秀太郎(尾上右近)、同じく家老ながら、重宝の短冊
(先祖の小野小町直筆)行方不明の責任について八剣玄蕃(市蔵)、息子の数馬(道
行)が、管理責任者の民部を責めている。そもそも短冊紛失は、春道(市川右近)の
息子・春風(松也)の仕業らしい。春風は腰元小磯と恋仲であり、短冊を小磯に預け
てある。
 
花道から文屋豊秀家の家老・粂寺弾正(海老蔵)登場。弾正は、春道の息女と自分の
主人文屋豊秀の婚儀のことで文屋家の使者として小野家を訪れた。
 
御殿奥より、春道の息女・錦の前(児太郎)登場。室内なのに、薄衣を頭にかけてい
る。「奇病」にかかっているということで、予定されていた婚儀が遅れているとい
う。
 
粂寺弾正の人気の秘密は、颯爽とした捌き役でありながら、煙草盆を持って来た若衆
姿の家老の弟・秀太郎や上手襖を開けてお茶を持って接待に出て来た美形の腰元・巻
絹(笑三郎)に、いまなら、セクハラと非難されるような、ちょっかいを出しては、
二度も振られる。
 
それでいながら、観客席に向かって平気で「近頃面目次第もござりません」、「また
しても面目次第もござりません」と弾正が謝る場面もあり相手が若くて美しければ、
男でも女でも、良いというのか、あるいは、秘められた「役目」(お家騒動の解決)
を糊塗するために、豪放磊落ぶりを装っているのか、真実、人間味や愛嬌のある、明
るく、大らかな人柄なのか。歌舞伎の演目では、数少ない喜劇調の芝居である。
 
小野春道家の乗っ取りを企む悪方の家老・八剣玄蕃の策謀が進むなか、錦の前と文屋
豊秀の婚儀が調った。しかし、錦の前の奇病発症で、輿入れが延期となった。乗り込
んできた粂寺弾正が、待たされている間に、持って来た毛抜で鬚(あごひげ)を抜い
ていると、手を離した隙に、鉄製の毛抜が、ひとりでに立ち上がり、「踊り」出す。
不思議に思いながら、次に煙草を吸おうとして、銀の煙管を置くと、こちらは、変化
なし。次に、小柄(こづか。刀の鞘に添えてある小刀)を取り出すと、刃物だから、
こちらも、ひとりでに立つ。いずれも、後見の持つ差し金の先に付けられた「大きな
毛抜と小柄」が、舞台で「踊る」ように動く。お家騒動の陰謀を見抜き、粂寺弾正
は、座敷の長押に掛けてあった槍を取り出し天井を突き刺す。磁石(いつもの「毛
抜」の時のような方角を測る磁石ではなく、序幕第一場で登場した唐来ものの長方形
の磁石)を持った曲者が天井から落ちて来る(序幕で早雲王子から渡された褒美の品、
蝶花形の櫛笄と唐来ものの磁石の組み合わせが、姫の奇病のカラクリであったと判
る)。弾正は、春道から祝儀にと刀を授けられる。その刀で弾正は、悪巧みの張本
人、家老八剣玄蕃を成敗する。

腰元小磯の兄と称する百姓姿の小原万兵衛、実は、早雲王子の家臣石原瀬平(獅童)が
花道からやって来て、小磯が春風の子を身籠ったが、難産の末に死んだ、生き返らせ
てくれと言う。弾正は亡くなった小磯を娑婆へ返せと閻魔大王に頼む内容の書状を書
いたので地獄の閻魔大王に届けて欲しいと万兵衛に頼む茶目っ気もある。万兵衛が逃
げ出そうとするが、手裏剣で万兵衛を討ち取るなど、知恵もあり、武道の腕も確かな
ようだ。見事に捌き役を果たし、花道から退場する弾正。幕外の引っ込みが海老蔵に
花を添える。ここは粂寺弾正の物語。

贅言;前にも書いたことがあるが、「毛抜」には、左團次型というのがある。14年
5月、歌舞伎座で20年ぶりの上演という左團次型を観た。粂寺弾正役には、「團十
郎型」と「左團次型」がある。衣装の柄、科白、居所、大道具も違うという。「左團
次型」は、市川宗家の歌舞伎十八番を演じさせてもらうために、宗家の成田屋、市川
團十郎家に敬意を表して、團十郎が演じるそのままは演じない、という演出方法を採
用した。今回は、当然、團十郎型。

左團次型の一部だけに触れておくと、團十郎型では、舞台は、全面的に小野春道館の
座敷内。左團次型では、下手に館外の部分があり、花道から繋がるところは柴垣と松
の木があり、平舞台下手には、枝折り戸(いわば、館の玄関)がある。左團次型で
は、花道(路上)から家来や奴などの伴を連れて訪ねて来る。團十郎型では、粂寺弾
正はすでに館内に入っていて(玄関は、向う揚幕の内にあるという想定)、花道(廊
下)から家来は連れて来るが、奴は、登場しないなど。

三幕目第一場「木の島明神境内の場」。背景は境内の書割りだけ。安倍清行が行方不
明。上手から家臣らが探している。雨乞いで豊秀(愛之助)が、木の島明神へやって来
た。下手から巫女たちが雨乞いの神楽を始める。すっぽんから陰陽博士の清行(海老
蔵)が姿を現す。旱魃の原因を念力で解き明かす。早雲王子の陰謀説。豊秀は鳴神上
人が行法で龍神を閉じ込めているから旱魃になった、行法を破るために、雲の絶間姫
を使者として遣わせという清行の言葉を大内に伝えるべく戻って行く。

三幕目第二場「北山岩屋の場」。鳴神上人(海老蔵)の物語。床では、大薩摩の出語
り。修行に明け暮れ法力を身につけ、戒壇建立を条件に天皇の後継争いで、陽成天皇
(女帝となるはずの女性を「変成男子(へんじょうなんし)の法で男性にした」の誕
生を実現させたのにも関わらず、君子豹変すとばかりに約束を反古にされ、朝廷に恨
みを持つエリート鳴神上人。幼いころからのエリートは、勉強ばかりしていて、頭
でっかち。青春も謳歌せずに、修行に励んで来たので、高僧に上り詰めたにもかかわ
らず、いまだ、女体を知らない。童貞である。また、権力を握ったものは、それ以前
の約束を無視する。権力者は、嘘をつく。どこでも、どこの時代でも、同じらしい。
まして、無菌状態で、生きて来たような人は、ころっと、騙される。歌舞伎は、さす
が、400年の庶民の知恵の宝庫だけに、人間がやりそうなことは、みな、出て来
る。
 
勅命で鳴神上人の力を封じ込め、雨を降らせようと花道からやってきたのが、朝廷方
の女スパイ(大内第一の美女という)で、性のテクニックを知り尽した若き元人妻・
雲の絶間姫(玉三郎)という、いわば熟れ盛りの熟女登場というわけだ。鳴神上人の籠
る岩屋の御簾を上げさせた上、玉三郎は、鳴神上人ばかりでなく、観客たちも魅了し
ようと、花道七三でゆるりと一回りして美貌を見せつける。朝廷方の策士が、鳴神上
人の素性を調べ、「童貞」を看破、女色に弱いエリートと目星を付けた上での作戦だ
ろう。
 
修行の場の壇上から落ちる鳴神上人。この芝居では、壇上からの落ち方が、いちばん
難しいらしい(ここで、上人役者は、精神的な堕落を表現するという)。上人は、自
ら、姫を誘って、酒を呑む。酩酊を見抜かれ、「つかえ」(「癪」という胸の苦し
み)の症状が起きたとして偽の病を装う雲の絶間姫。生まれて初めて女体に触れると
いう鳴神上人の手を己のふくよかな胸へ入れ、乳房や乳首を触らせるなど、打々発止
の、火花を散らした挙げ句、見事、ふたりの喜悦の表情に表現されたように、雲の絶
間姫の熟れた肉体が勝ちを占める。荒事の芝居ながら、官能的な笑いを誘う。いつ観
ても、おもしろい場面だ。
 
玉三郎の雲の絶間姫は官能的だった。海老蔵の鳴神上人は、安定していて、生まれて
初めて触れた女体の官能に酔いしれる様が、実感できた。若い女体の奥深く癪を治し
ながら、「よいか、よいか」と別の快楽へ転げ落ちて行く海老蔵の鳴神上人。その挙
げ句、「柱巻きの大見得」「後向きの見得」、「不動の見得」など、怒りまくり、暴
れまくる様を上人は見せる。数々の様式美にまで昇華させた歌舞伎の美学。最後は、
花道を去った雲の絶間姫を追って、雷神が空を飛ぶように、花道を「飛び六法」(大
三重の送り)で去って行く。

大詰第一場「大内塀外の場」。大内の網代塀。雨が降り出した。関白の基経(門之助)
も喜んでいる。下手より豊秀(愛之助)が雲の絶間姫の活躍や早雲王子の陰謀を記した
訴状を持って来た。大内へ奏上しようと思う。上手より早雲王子派の山上官蔵が家臣
を引き連れてやって来る。鳴神上人を殺したという。豊秀にも斬りかかる。官蔵たち
を追い払う。

大詰第二場「朱雀門王子最期の場」。網代塀が上手と下手に分かれて仕舞い込まれ
る。大道具せり上がり。すべての陰謀が露見した早雲王子(海老蔵)は朱雀門に立て籠
もっている。追っ手の四天たちと立ち回りとなる。梯子を使った立ち回りは、「蘭平
物狂」を思わせる。梯子で、三升の家紋が描かれる。花道七三の辺りで大梯子に乗る
海老蔵。海老蔵を乗せたまま、本舞台中央に移動する四天たち。梯子の上で、衣装の
ぶっかえりを済ませる海老蔵。梯子から朱雀門の屋根に移る。早雲王子の行状を嗜め
る声が天から響いて来る。不動の霊力には早雲王子も敵わない。

大詰第三場「不動明王降臨の場」。不動明王(海老蔵)は、制多迦(せいたか)童子(市
蔵)、矜琨羯羅(こんがら)童子(道行)を従えて現れる。不動明王の海老蔵は、多分、衣
装の上に顔だけ隈取の化粧をして出しているようだ。脚も浮いている。真っ赤な照明
と激しい音響効果。もう、これは歌舞伎ではない。早雲王子の悪心を根絶し、鳴神の
執心を沈め虚空へ姿を消して行く。
- 2014年12月15日(月) 11:04:01
14年12月歌舞伎座(昼/「義賢最期」「幻武蔵」「二人椀久」)
 
 
愛之助の「源平布引滝〜義賢(よしかた)最期〜」は、今年の1月、浅草(公会堂)
歌舞伎で観たので、この1年は、正月と師走を愛之助の「義賢最期」で明けて、暮れ
たことになる。愛之助は、この演目の歌舞伎座初演にこぎ着けたことになる。そうい
う意味で、旬の役者のチャレンジの舞台である。

義賢(愛之助)は、松王丸風の五十日鬘に紫の鉢巻きを左に垂らし、という病身の体
(てい)で館に引きこもっている。折平が戻ったと聞いて、奥から登場する。右手に
持った刀を杖のように使っている。これも松王丸に似ている。

正月の劇評で私は、次のように書いた。
目を瞑り科白廻しを聞いていると十五代目仁左衛門そっくり、目を開けて表情を観て
も、仁左衛門そくっり。荒技の「義賢最期」は、仁左衛門は、もうやれないだろうか
ら、松嶋屋系統でこの狂言を引き継ぐのは愛之助しかいないだろう。当面は、ひたす
ら「そっくり」を目指して藝の継承に精進して欲しい。
 
愛之助1年の掉尾を飾る今回はそういう思いをだめ押しする愛之助の奮闘であった。
愛之助初演時、仁左衛門は、「手取り足取り教え」たという。藝の継承。仁左衛門の
当たり役は、愛之助に引き継がれたことになった。愛之助の「義賢最期」は、これか
ら暫くが、熟成期に入るだろうから、向こう数回は、見頃となるだろう。ただし、今
回の上演では、まだ、十五代目仁左衛門と比べると、小粒であり、所作が小さいなど
芸の大きさが足りない。今回も、顔の表情などはそっくりだが、なかなか愛之助が大
きく見えてこない。場数をこなすしかないだろうが、もう浅草歌舞伎とは違う観客層
に舞台を見せているのである。この辺りが、当面の仁左衛門模倣とともに、今後の精
進の課題と見た。
 
松嶋屋一門の役者では先代猿之助、市川右近、それ以外では、橋之助、海老蔵が既に
演じたことがあるから、この人たちや四代目猿之助など、ほかにも力をつけてきた花
形役者たちがこの演目にいずれはチャレンジして来るだろうと思うが、これはこれで
楽しみ。仁左衛門歌舞伎を継承する気なら、愛之助は、橋之助や海老蔵、いずれ攻め
上って来る猿之助に負けてはならないのである。
 
並木宗輔ほか原作「源平布引滝」は全五段の時代もの。「源平布引滝」のうち、今も
歌舞伎や人形浄瑠璃で上演されるのは、二段目切の「義賢最期」と三段目切の「実盛
物語」。加えて稀に、人形浄瑠璃では、三段目の「御座船」(「竹生島遊覧の段」)
が上演される。このうち、「源平布引滝〜義賢最期〜」は、今回で歌舞伎では私は5
回目の拝見。愛之助では、3回目となる。ほかは、仁左衛門、橋之助で拝見。
 
仁左衛門の義賢を初めて観たときは、ショックであった。今も忘れない。「江戸の荒
事、上方の和事」というが、上方歌舞伎の「義賢最期」の荒々しさは、江戸の稚気溢
れる「荒事」の比ではない。ふたつの荒々しい場面が印象的だった。そもそも木曽先
生(きそのせんじょう)義賢は、後白河法皇から賜った源氏のシンボル「白旗」を守
るために、大勢の平家の軍勢に対して、鎧も付けずに礼服の素襖大紋姿(水色)とい
う、いわばシルクハットにモーニング姿のようなスタイルで、戦闘服の連中と大立ち
回りをするのだから、凄い。その上で、大技の立ち回りがある。
 
1)「戸板倒し」(あるいは、「戸襖倒し」)という立ち回りが組み込まれている。
これは、金地に松の巨木が描かれていた3枚の戸板を「門構え」のように大部屋立役
たち(敵方の平家の軍兵)が組み、その天辺の戸板に乗せた義賢を持ち上げる。義賢
は、カタカナの「コ」の字を横にしたような戸板の上で更に立ち上がり〈天辺の戸板
は、役者の重みで撓っている〉見得をする。義賢が立ったままの状態で、最後、ひと
り残った平家の軍兵がゆっくりと戸板を横に押し出すように3枚の戸板を倒すのであ
る。義賢は、横に移動しながら、下に落ちるエレベーターに乗っているような感じだ
ろうが、本舞台の上でそういう体の移動をするというのは、客席から見ると5〜6
メートル近い高さ(屋根より高い)に役者の視線はあるということになる。
 
2)さらに、壮絶な所作は、義賢最期で絶命するわけだが、瀕死の義賢が両手を大き
く開いて「蝙蝠の見得」を見せた後、そのままの格好で、前に真っ直ぐ倒れ込み、
「三段」(階段)に頭から突っ込むように落ち込んで行く「仏(ほとけ)倒し(仏像
が、立ったまま倒れるように見える)」(あるいは、「仏倒れ」)という大技を見せ
る。その上で、階段の傾斜を利用して滑り落ちて行く。
 
山川静夫さんは、12月の歌舞伎座筋書に、こう書いている。「『仏倒れ』と書きま
したが、おそらくこれは当て字で、『打ったたく』『打っ飛ばす』『打っかける』と
同じで、激しく打っ倒れることだと思います」。つまり、「ぶっ倒れ」=「仏(ぶ
つ)倒れ」を観客には、「はらはらどきどき」させ、自らは、細心の演技で安全に遂
行しなければならない、という難しさがある。
 
いずれにしても良く怪我をしないものだと毎回思うが、三段にスプリングのような仕
かけがほどこされているらしい、という説があるようだが、私には不明。倒れ方にも
コツがあるのは確かだろう、と思う。一興行で25日、毎日一回、つまり、25回も
倒れるわけだから、本興行で9回演じた仁左衛門なら、本舞台の上だけでも225回
も倒れ込んだことになるし、稽古も入れれば、何百回となるのだろうか。愛之助も今
回で本興行、5回目。100回を超えて来たことになる。

愛之助自身は、こう語っている。
「歌舞伎の芯の役が、体を使った立ち廻りをするのは珍しい。仕掛けも、コツもな
く、捕り手の皆さんを信じて動くだけ『仏倒し』を叔父仁左衛門は、『背伸びをして
足の爪先をつっと滑らす』と教えてくださいましたが、長袴を穿いていて足先が見え
ないから、なかなかうまくできません」。初演(8年前、6年1月大阪松竹座)では、
危ない思いをしたという。「顔から落ちて階段にぶつかりました。事故の瞬間って、
場景がスローモーションのように見えるんです。『階段が近付いてくる』と分かって
はいても、どうにもならない激痛が走って鼻も口も歯もやっちゃったかなと思い、恐
る恐る舌で触ってみたら、歯があるのでほっとしました」。「一所懸命にやればやる
ほど、芝居が小さくなる」「こせついてしまい、バーンと広がるものが出ない。立ち
廻りでも、ゆったりとした方が大きく見える」。(「ほうおう」1月号)。

この見せ場は、実は、歌舞伎名作全集の台帳(台本)には、殆ど書かれていない。つ
まり、上演を重ねる中、役者の芸の工夫で生まれて来た演出なのだろう。
 
今回の主な配役は、次の通り。
義賢(平清盛に敗れ、逃避行中に家臣に裏切られて亡くなった源義朝の弟。病のた
め、「寺子屋」の松王丸そっくりの衣装、鉢巻姿で出て来る。愛之助)、下部(奴)の折
平、実は多田蔵人(小万の夫、行方不明だったが、こんなところに下部として忍んで
いた。それに待宵姫と恋仲。下部の時は、下手に控えているが、正体を明かすと、義
賢とも居処替りをする。亀三郎)、百姓九郎助(家橘)、九郎助娘・小万(梅枝)、義賢の
後妻、御台所・葵御前(笑也)、義賢妹・待宵姫(尾上右近)、平家方の矢走兵内(猿弥)と
進野次郎(道行)ほか。芝喜松、芝のぶが、腰元で出演している。芝のぶが上手に退場
する時に、大向こうから「芝のぶ」と声が掛かる。相変わらず、玄人筋には人気のあ
る中堅ということだ。このタイミングで盆回しとなり、竹本の太夫は、六太夫から泉
太夫へ。

贅言1);源義朝は、この芝居では、髑髏として出てくる。清盛の使者としてやって
来る高橋判官と長田太郎が義賢の平家への忠節を試そうと髑髏を踏みつけろと迫る
が、義賢は抵抗する。そのくせ、義賢は長田を討ち捨てる際に髑髏で長田の頭を叩
く。足の下にはできないが、相手を打ちのめすのは構わないということなのだろう。

贅言2);元NHKアナウンサーで、現役の大向こうの山川静夫さんにお逢いした。今
年最後の出逢いかなと思い、ちょっと立ち話をした。「芝のぶ」の掛声は山川さんの
声に似ていたような気がしたが、聞かなかった。

贅言3);四代目坂東薪車がいなくなった。一般演劇出身で1998年三代目市川猿
之助のスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』で坂東竹志郎という歌舞伎役者として初舞台
を踏んだ。05年、竹三郎の芸養子になり、四代目坂東薪車を襲名した。
06年名題
試験に合格。
ことし、14年9月京都南座公演で成田屋市川海老蔵一門となり市川道
行(道行は、本名)を名乗る。市川道行としては、歌舞伎座初出演と思うが、そうい
う告知もない。筋書の写真には、屋号も記戴されていない。ただし、従来通り幹部役
者の欄に掲載されている。松竹の処遇は変わらないということなのだろう。ベテラン
役者の逝去、中堅役者の疾病休業が相次いでいる折、実力のある脇役を減らすわけに
はいかないという興行元の事情もあるだろう。「現代劇」に師匠に無断で出演した、
というのが表向きの理由で、芸養子の解消、つまり、「破門」されたということのよ
うだ。それを海老蔵が、預かる形で「一門」に迎えたという。いずれ、正式に市川一
門のしかるべき名前を名乗るのではないか、と思う。
 

「幻武蔵」は、新作歌舞伎で、今回、歌舞伎座初演。森山治男原作「妖怪(もののけ)
武蔵」を元に玉三郎が外題を「幻武蔵」と改めて、演出も担当した。姫路城の大天守
で武蔵が小刑部明神と対決し、己の道を歩み出すという物語だ。姫路城の天守閣を舞
台にした泉鏡花原作「天守物語」の上演を続けてきた玉三郎にとっては、「天守物
語」外伝という位置づけだろうか。武蔵を獅童が演じ、玉三郎は淀君の霊で付き合
う。

緞帳が上がると、徳川家光の治世。養子の造酒之助が召し抱えられている姫路城主・
本多忠政に招かれて武蔵は姫路にやって来た。城主嫡男の嫁の千姫が小刑部明神に取
り憑かれているので妖怪を退治して欲しい依頼されたのだ。

新作歌舞伎なので、音響、効果、照明は、歌舞伎離れしている。暗転のうちに開幕。
メモは取れない。花道七三のすっぽんを下げて、そこに階段を設えてあるらしい。蝋
燭の灯りだけが、暗闇に見える。武蔵(獅童)が、造酒之助に案内されて大天守の最上
階に上がって来る。千姫を悩ましている妖怪は、ここにいると言う。武蔵は一人で立
ち会いたいと言い、息子を下がらせる。廻り舞台が、武蔵を乗せて動く。淀君の霊
(玉三郎)が、千姫(児太郎)を組み敷いたまま、廻って来る。千姫は大坂城落城の時の
幻に囚われている。

さらに、坂崎出羽守の霊(道行)が、現れる。家康が千姫を助けたら、千姫を妻にさせ
ると約束をしたのに、千姫に拒まれ、あらぬ科を言いたてられて、殺されたと千姫を
責める。千姫が反論をすると、共に、冥府へ行こうと脅す。
 
もう一人も霊魂。豊臣秀頼の霊(弘太郎)が登場して、千姫に「なぜ、自分を見殺しに
したか」と問う。自分は秀吉の影であり、淀君の操り人形に過ぎなかったと告白す
る。

淀君の霊が再登場し、生き永らえたければ、尼になって淀君の霊を弔えと千姫に迫
る。いろいろな霊に責め立てられる千姫。淀君の霊は、共に地獄に落ちようと言う。

闇(千姫の妄想)を払って武蔵が現れる。武蔵は千姫を階下に逃すが、気が付くと別の
千姫(今回、名題昇進披露の玉朗が抜擢されている)、つまり、幻の千姫が武蔵を口説
こうとする。さらに、もう一人の幻の千姫(児太郎)も現れる。武蔵がふたりの正体を
見破ると、ふたりとも姿を消す。

千姫の妄想を操っていた小刑部明神(松也)が姿を現す。武蔵が明神を退治しようと身
構えると、幻の武蔵が現れ始める。幻の武蔵は次々に増え続け、12人と なる。幻
の武蔵たちと対峙する武蔵。武蔵を真剣勝負に取り憑かれた人殺しの妖怪だと罵倒す
る。

武蔵は、幻の武蔵と立ち会うことで己の心と立ち会うことになり、自分の行くべき道
を悟ることになる。歌舞伎というより、歌舞伎役者が演じる幻想劇という芝居であっ
た。

大天守の抽象的とも言える大道具。スポットライトを多用した照明。廻り舞台、花
道、すっぽん活用の階段などは、歌舞伎風だが、音楽、効果音、特殊効果など、歌舞
伎味とは、程遠い舞台であった。


 「二人椀久」は、9回目の拝見。椀久と松山。孝夫時代を含む仁左衛門と玉三 郎の
コンビで、3回。富十郎と雀右衛門のコンビで、2回拝見している。重厚な富十郎と
雀右衛門のコンビも良いし、華麗な仁左衛門と玉三郎のコンビも良い。この他、仁左
衛門と孝太郎、富十郎と菊之助、染五郎と菊之助、そして今回は海老蔵と玉三郎であ
る。

「二人椀久」は、1774(安永3)年4月、江戸市村座で初演。1951(昭和2
6)年、曲のみ残り(長唄として最も古い曲の部類と言われる)、途絶えていた振付
けを初代尾上菊之丞が工夫し、1952(昭和27)年、七代目三津五郎、六代目歌
右衛門が初演。さらに、1956(昭和31)年、いずれも当時の坂東鶴之助(後
の、五代目富十郎)と七代目大谷友右衛門(後の、四代目雀右衛門)が明治座で初
演。以後、このふたりを軸に上演が続いてきた。

「末の松山…」の長唄の文句通りに、舞台には、松の巨木がある。急峻な崖の上であ
る。向こうは海。夜空には、月が出ている。カケリの鳴り物。花道からは、物狂いの
椀久(海老蔵)が登場する。羽織の右肩を脱いだままで、物狂いの状態を示す。亡く
なった愛人の松山太夫の面影を追いながら本舞台で踊っているうちに、眠ってしま
う。

「征く水に映れば変わる飛鳥川…」。やがて、椀久の幻想のなかに、夢枕に立つとい
う想定の松山太夫(玉三郎)が中央奥下手よりのセリで静かに浮かび上がってくる。
玉三郎の松山太夫には、プレゼンス(存在感)がある。拡げた衣装をたっぷり観客に
見せるように、斜め左を向いて横顔を見せながら後ろ向きに立っている。ゆっくりと
右に回って行く。狂気の見る夢。狂夢か。何時の間にか、月は消えている。夜が明け
たのか。それと同時に、崖の向こうの虚空に、あるはずのない満開の桜の木々が浮か
び上がる。舞台上部から降りてきた大きな桜の枝も浮かび上がる。それが、いずれ
も、ほぼ同時に浮かび上がる演出が巧い(いずれも、やがて、逆の方法で、消えて行
くことになる)。

椀久とともに、観客も夢の中に入り込んでいるのだろう。松は、現実。桜は夢の中の
幻想、松山太夫は幻の女。現と幻が渾然一体となって、連れ舞い。昔の恋模様を表現
する。
 
松=此岸、現実。桜=彼岸、幻想。その対比を印象深く見せる。ここでも桜の散り花
が、効果的。実質的な演出の主導権は、玉三郎が握っているのだろう。ただし、海老
蔵の椀久は、玉三郎のレベルには追いついていない。10年前、04年3月歌舞伎座
で観た仁左衛門と玉三郎の舞台が印象に残る。仁左衛門と玉三郎の、それぞれの所作
は、本当に指の先まで揃っていた。背中を向けあい、斜めに向けあいする、歌舞伎の
舞踊の情愛の踊り。逆説のセクシャリズム。ふたりの所作は、濃厚なラブシーンその
もの。「官能」とは、こういうもののことを言う。海老蔵では、まだ、その味にはほ
ど遠いと思った。

いつの間にか、消えている桜木。出の時と違って、すっぽんからセリ下がる玉三郎。
仁左衛門との時は、上がってきたのと同じせりで下がって行った。桜の枝も舞台上部
に引き揚げられる。幻想の消滅。舞台には、「保名」のように、一人取り残されて倒
れ伏す椀久。海老蔵の上に緞帳が下がってくる。寒々しい崖の上、松籟ばかりが聞こ
えるよう。
- 2014年12月14日(日) 21:58:54
14年12月国立劇場(半通し「伊賀越道中双六」)


国立劇場では、去年(13年)11月半通しの演出で、「伊賀越道中双六」を上演し
た。ただし、去年は、「半通し」のアンコになる部分(見せ場)は、「沼津」であっ
た。今回は、このアンコになる部分(見せ場)が、替わった。「沼津」ではなく、
「岡崎」である。

「伊賀越道中双六」は、みどり上演の「沼津」が、良く演じられるが、「沼津」だけ
の場合と、去年11月の国立劇場のように背景となる敵討の物語を「沼津」の前後に
付ける場合、今回のように、背景となる敵討の物語を「岡崎」の前後に付ける場合、
さらに、去年9月国立劇場の人形浄瑠璃のようにほぼ原作に近い形で、「沼津」も
「岡崎」も入れて、通し上演する場合と演劇的なテーマが違って見えてくるというの
も歌舞伎・人形浄瑠璃という演劇のおもしろいところだろう。

「伊賀越道中双六」の「岡崎」を観るのは、私は人形浄瑠璃で1回、歌舞伎は今回が
初回である。歌舞伎での「岡崎」上演は、1970(昭和45)年9月の国立劇場以
来の44年ぶりということである。

今回の国立劇場「通し狂言 伊賀越道中双六」(半通し、五幕六場)は、近松半二ら
の合作狂言。1783(天明3)年4月、大坂竹本座(人形浄瑠璃)で初演された。
歌舞伎は同年9月、大坂中の芝居で上演。原作は全十段の時代もの。近松半二の絶
筆、最後の作品となった。

この敵討物語には史実がある。荒木又右衛門が助太刀をして、通俗日本史で、俗に
「36人切り」と誇張されている伊賀上野鍵屋辻(かぎやつじ)の敵(かたき)討が
1634(寛永11)年旧暦の11月に実際にあった。ただし、荒木又右衛門が実際
に斬ったのは、ふたりだったという。

ベースとなる史実の敵討は、「日本三大敵討」(1・曽我兄弟の敵討=父、2・赤穂
事件、つまり「忠臣蔵」の敵討=主君。3・伊賀上野鍵屋辻の敵討。いずれも、歌舞
伎、人形浄瑠璃になっている)の一つと言われる。渡辺数馬が荒木又右衛門という
助っ人(親戚)の剣客に助けられて敵討を果たしたことで有名になった。「伊賀上野
の敵討」を軸に、東海道などを鎌倉(事実上は江戸)から沼津、岡崎、京都、伊賀上
野まで「双六」(一種のツアー・ゲーム)のように、西へ西へと旅をするので、こう
いう外題となった。事件から150年後の芝居。荒木又右衛門をモデルにした「唐木
政右衛門」が主役。渡辺数馬をモデルにしたのは、「和田志津馬」。

今回の主な配役;政右衛門:吉右衛門、志津馬:菊之助、政右衛門の妻・お谷:芝
雀、志津馬の父・行家、時六のふた役:橘三郎、幸兵衛:歌六、幸兵衛の娘・お袖:
米吉、幸兵衛の女房・おつや:東蔵、誉田大内記、奴・助平のふた役:又五郎、敵役
の股五郎:錦之助ほか。

贅言;菊之助は、吉右衛門の娘と結婚をし、実父の菊五郎と岳父の吉右衛門、つま
り、現代の「菊吉」をバックにすることになった。筋書の楽屋話でこう言っている。
「播磨屋の岳父(ちち)を始め、これまで共演する事の少なかった方々とご一緒でき
るのも、大変有難い貴重な機会です」。これは、本音でしょうし、歌舞伎界全体から
見ても貴重なことだろう。ひと際、役者としての輪を大きくして欲しい。菊之助は、
来月、同じ国立劇場の新春歌舞伎では、実父の菊五郎一座に出演する。

全段の構成は、人形浄瑠璃「通し」(去年9月の国立小劇場の場合)を参考に紹介し
よう。国立の第一部:「(鎌倉)和田行家(ゆきえ)屋敷の段」「円覚寺の段」。
「(大和郡山)唐木政右衛門屋敷の段」「(大和郡山)誉田(こんだ)家大広間の
段」「沼津里の段」「平作内の段」「千本松原の段」。国立の第二部:「藤川新関の
段 引抜き 寿柱立万歳」「竹藪の段」「岡崎の段」「伏見北国屋の段」「伊賀上野
敵討の段」。

これが、今回の歌舞伎「半通し」では、序幕「相州鎌倉和田行家屋敷の場」、二幕目
「大和郡山誉田家城中の場」、三幕目「三州藤川新関の場」、同「裏手竹藪の場」、
四幕目「三州岡崎山田幸兵衛住家の場」、大詰「伊賀上野敵討の場」となる。このう
ち、序幕「相州鎌倉和田行家屋敷の場」、二幕目「大和郡山誉田家城中の場」、大詰
「伊賀上野敵討の場」は、配役こそ違え、去年11月、国立劇場の演出とほぼ同じで
あった。

序幕「相州鎌倉和田行家屋敷の場」。事件の発端。主人公:和田志津馬。和田行家屋
敷。山水画の襖、衝立がある。ここでの見せ場は、沢井股五郎(上杉家家臣・錦之
助)による和田行家(上杉家家老・橘三郎)殺しである。沢井は、行家を殺して、和
田家の家宝の刀「正宗」を盗み出し、裸足で逐電してしまう。和田家嫡男の志津馬
(菊之助)が、この股五郎を追いかける。父親の敵討を果たすまでが、「伊賀越道中
双六」の主筋。

二幕目「大和郡山誉田家城中の場」。通称「奉書(ほうしょ)試合」では、郡山藩
主・誉田大内記(こんだだいないき、又五郎)の前で、誉田家への仕官が決まった唐
木政右衛門(吉右衛門)が、誉田家剣術指南番の桜田林左衛門(桂三)との御前試合
に臨む。大広間。銀地に誉田家家紋の襖。銀地に山水画の衝立。奉書のある床の間に
は、「春日大明神」「天照皇大神」「正八幡大武神」の掛け軸が飾ってあった。「奉
書」=藩主から家臣への上意下達文書。「時代もの」らしい、武ばった場面である。
殿様は、紋付。家臣は、肩衣を付けている。

政右衛門は、わざと林左衛門に負けて、誉田家から自由の身になり、志津馬の敵討の
助っ人になりやすい立場にしようと企んでいる。しかし、郡山城主・誉田大内記は、
御前試合で、わざと負けた政右衛門を不忠者として、成敗しようとするが、素手と
「奉書」(紙)で殿様の槍を相手に立ち会いながら、殿に神蔭流の奥義を伝授する政
右衛門の真意に感じ入り、城主は政右衛門を励ます。政右衛門と城主との知恵競べの
場面。林左衛門は追放され、股五郎一行に加わって逃亡を助けようとしていることが
判る。御前試合のふたりは、敵味方に別れる。敵討物語の背景説明をするという役割
の場面。ここまでは、粛々と進む。

三幕目「三州藤川新関の場」。ここは、後の悲劇を強調するためのチャリ場(笑
劇)。鬱陶しい敵討物語のなかで、笑いを誘う場面。人形浄瑠璃では、「藤川新関の
段 引抜き 寿柱立万歳」、通称「遠眼鏡」という。関所前の茶屋の娘・お袖(米
吉)。花道から若い侍。通行手形(切手)が無いまま、関所の前で逡巡する志津馬
(菊之助)。通りかかった沢井家の家来、飛脚の奴・助平(又五郎)が、主要な登場
人物。歌舞伎からの引き写し「茶の字尽し」の奴の科白が、知られている。「ちゃは
ちゃはと茶々入れまい。コレ茶々、茶屋のお娘。そ様の姿は一もりで、……」。チャ
リ場を引っ張って行くのは、美男の志津馬に一目惚れ。逆上(のぼ)せるお袖と奴・
助平。米吉は、ぽっちゃりとした色気を滲ませて茶屋娘であり、四幕目の主要人物の
一人、山田幸兵衛の娘のお袖を好演。

小道具の遠眼鏡は、関所破り対策用、つまり監視望遠鏡。今なら、国境警備隊のレー
ダーに匹敵するかもしれない。それをお袖の機転で、奴に使わせ、奴の馴染みの情婦
の座敷を覗き見させて、ふたりへの注意を外す。遠眼鏡で観ているものを「引抜き」
という、人形浄瑠璃の舞台では、街角や街の遠見が描かれた道具幕が、振り被せとな
る。遠眼鏡で覗ける光景。やがて、「寿柱立万歳」ということで、三河万歳のふたり
が、レンズの向こうに見え出す。やがて、元の関所に戻るなどと手が込んだ演出をす
る。歌舞伎では、奴・助平のしゃべりだけで、引っ張る。前幕で貫禄の藩主・誉田大
内記を演じていた又五郎は、一転して剽軽な奴・助平を熱演。遠眼鏡を覗きながら場
内を笑わせる。

その間に、志津馬は、茶屋の床几に置かれたままになっている奴持参の状箱の中身を
改め、手紙(山田幸兵衛宛)を盗む。奴の胸元から抜き出した手形を恋するお袖は志
津馬にそっと手渡す。手形を無くしたことに気づいた奴・助平。前の宿場に置き忘れ
たかと戻って行く。

雪が降り出す。紙の雪とともに、雪音を表わす下座の太鼓の音が大きくなる。お袖の
手引きで志津馬は、相合傘という気楽さを装い、関所を通り抜け、お袖の自宅がある
次の宿場の岡崎へ向かう。

暫くして、花道より、女駕篭に乗った奥女中のお里帰りを装った股五郎一行が、関所
前に着く。林左衛門(股五郎の助っ人、沢井家の親戚・桂三)、股五郎(錦之助)ら
が家来と一緒に早々に関所を通る。やがて、入相の鐘。時刻となり、関所の門が閉め
られる。花道からもうひとり。裁着袴に、簑、笠を付けた侍。林左衛門の後ろ姿を見
つけ、追ってきながら、遅れてきたので閉門に間に合わず、閉め出されてしまった政
右衛門。敵討の逃亡組と追っ手組が、関所というポイントですれ違う。関所の周りを
調べ、抜け道を探す。前の宿場まで手形を探しに行ったが、どうやら手ぶらで戻って
きた奴・助平も花道から現れる。不審な動きをする政右衛門の様子を窺う。関所傍の
竹藪から入り込む政右衛門の行動を真似て、助平も、竹藪に入り込む。ひと際、雪が
降り出す。大道具が廻り、裏手の雪の竹藪へ。

同「裏手竹藪の場」。政右衛門の関所破りの場面。鳴子が張り巡らせられた雪の竹
藪。竹藪の中央から政右衛門が、現れる。下手から巡回して来る関所の役人が見つ
け、捕えようとするが逃げられる。奪った御用提灯を手に政右衛門は暮れなずむ花道
へと逃げ込む。遅れて出てきた奴・助平と役人との立ち回り。ゆったりしただんまり
へ。「鈴ヶ森」もどきの演出で、喜劇の立ち回りは、やがて幕。

四幕目「三州岡崎山田幸兵衛住家の場」。通称、「岡崎」。雪の岡崎は、宿外れのお
袖の実家・山田家。「伊賀越道中双六」の見せ場としては、「沼津」に次ぐ場面。
「沼津」が、非常の状況下での親子の「情愛」を強調する場面なら、こちら「岡崎」
は、同じく非常の状況下での親子や夫婦の「非情」を強調する場面。

剣豪・政右衛門の非情ぶりを吉右衛門は、初演ながら、いぶし銀のような渋井演技で
演じる。お袖の父で政右衛門の師匠・山田幸兵衛(歌六)が、「沼津」の平作同格の
役回り。

花道から相合傘の道行気取りでお袖、志津馬のふたりが、やって来る。見知らぬ若い
男を連れてきた娘を母親のおつや(東蔵)が咎める。室内には、煙草の葉が多数干し
てある。山田幸兵衛は、関所の下役人だが、薄給ゆえ、いろいろ生計を立てているの
だろう。お袖は、去年まで鎌倉の沢井家で腰元奉公していて、股五郎が許婚なのだ
が、嫌っている。暇を取って、実家に戻って、藤川関所の向こう側の茶屋で働いてい
る。

ふたりは、障子の間へ。志津馬は、盗んだ手紙の内容を使い、股五郎を名乗り、山田
幸兵衛を訪ねてきたと偽る。股五郎の顔を知らなかったお袖も喜ぶ。幸兵衛ら両親か
らも歓待を受ける。

舞台は、半廻しになり、山田家の横側。竹本の盆も廻り、葵太夫登場。見せ場。花道
から関所破りで逃げて来た政右衛門。持ってきた刀を雪の中に埋め、丸腰を装う。
追っ手の役人と政右衛門との立ち回り。素手でも役人に負けない政右衛門の力量をは
かっていた幸兵衛は、政右衛門の急場を救う。

屋内へ案内する幸兵衛。大道具が廻って、元の住家の場へ戻る。やがて、ふたりは、
じっくり対面。使う柔術の筋や面影から、かつての師弟だということが判明する。政
右衛門は、幼名・庄太郎の時代に幸兵衛から指導を受けた。しかし、庄太郎は現在の
名前は明かさない。政右衛門は、関所の下役人でもある幸兵衛に依頼されて隣室の障
子の間で休んでいる股五郎(実は、志津馬)への助勢を頼まれて、真意を隠したまま
承諾する。

「岡崎」のハイライト。妻のお谷(芝雀)が、乳飲み子を抱いて、政右衛門を探して
やって来る。子は、政右衛門の嫡男。初めての子を夫に一目見せたいという執念だけ
で、政右衛門の後を追ってきたお谷。巡礼姿。片手に乳飲み子を抱え、杖と蓙しか
持っていない。降り積もる雪、募る寒さの中で、行き倒れ寸前の衰えよう。山田家の
木戸の外に倒れ込む。夜回りの時六(橘三郎)は、巡礼を追い払おうとする。室内
で、煙草の葉切りを手伝う政右衛門。糸繰り車を回す東蔵のおつや。政右衛門は、巡
礼がお谷と知りながら、無視をする。おつやにも追い払えと忠告する。外の見える蔀
戸を閉める。木戸の外は、雪音の太鼓も高くなる。紙の雪も霏霏と降り出す。

見るに見かねて、おつやは乳飲み子を引き取り、暖を与える。赤子の身元を明かす書
き付けをおつやが見つける。「唐木政右衛門の子」と書いてある。幸兵衛は股五郎ら
にとって人質になると喜ぶが、庄太郎、実は、政右衛門は、乳飲み子を人質に取るな
ど卑怯だと、己の身元を隠すために、なんと、我が子を殺して、土間に投げ捨ててし
まう。敵討のために子を妻を犠牲に知る剣豪・政右衛門の非情ぶりを強調する場面だ
が、我が子を殺す際の政右衛門の涙を見逃さなかった師匠の幸兵衛に正体を見抜かれ
てしまう。政右衛門と贋の股五郎(志津馬)の出会いなど。すべてを知った幸兵衛
は、弟子の政右衛門と志津馬に味方することにした。敵討がテーマの時代ものに、家
族というテーマの世話ものが、いわば、「入れ子構造」になっている。

弟子に対する師匠の温情。門口から駆けつけたお谷は、夫の政右衛門に再会したもの
の、夫に見せたかった我が子は、夫の手にかかり殺されてしまった、と覚る。この場
面は、敵討成就のために生まれた家族の悲劇がテーマ。政右衛門は剣豪かもしれない
が、人物的には、師匠の幸兵衛の品格には叶わない、という場面でもある。歌六の抑
制的な演じが良い。絶えず、苦渋を滲ませたような吉右衛門の表情。悲劇の母親・お
谷を演じた芝雀。幸兵衛女房・おつやは、脇の名優・東蔵。
 
大詰「伊賀上野敵討の場」。伊賀上野鍵屋辻。上手に茶屋「かぎや」。下手に道標の
杭に「是より金殿寺」とある。道標の下手側に絵馬飾り。背景の書割は、街道筋の松
並木。この背景は、敵討の進展により、引き道具(茶屋、杭、絵馬が引っ込む)と書
割の更新で3つの場面に替わる。茶屋 → 松並木 → 伊賀上野城が望める堀端。
前回の国立劇場では、道標の杭は「みぎいせみち ひだりうえの」とあった(今回と
は違う)。前回は、花道から現れた政右衛門、志津馬らが、股五郎一行を待ち受ける
ため、茶代を払い、茶屋の中に隠れる場面があったが、今回は、既に隠れているとい
う想定。花道から女乗物(駕篭)の一行が、やって来る。女乗物にカモフラージュし
た駕篭には、実は、股五郎が前回は乗っていたが、今回は、奉書試合に応じた桜田林
左衛門(桂三)を先頭に股五郎(錦之助)も徒歩である。そこへ、白無垢姿の志津馬
(菊之助)、黒い衣装の政右衛門(吉右衛門)らのが、名乗りを上げて登場、敵討と
なる(場面転換は、引き道具、廻り舞台へと繋ぐ)。

助太刀の政右衛門は、股五郎一行の供侍を次々に、斬り倒して行く。やがて、長い槍
を得意とする股五郎と剣で立ち向かう志津馬の一騎討ち。なかなか、勝負が付かな
い。供侍たちを斬り捨てて、追い付いて来た助っ人の剣豪・政右衛門が、志津馬を励
ますうちに、志津馬が、股五郎を討ち取り、奪われたままだった家宝の刀「正宗」も
戻って、「めでたい、めでたい」で、幕。ここは、敵討物語の見せ場だが、10分間
の芝居。なんだか、「仮名手本忠臣蔵」の十一段目「討ち入り」の場みたいな感じで
あった。
- 2014年12月4日(木) 16:51:59
14年11月国立劇場 (「伽羅先代萩」)
 

タイムスリップした大鼠


「伽羅先代萩」主役の政岡は、歌舞伎の立女形(たておやま、真女形のトップ)が演
じる最高の大役。今回は坂田藤十郎が勤める。今月は、1階と3階の席で2回拝見す
る機会を得た。通し上演で、四幕六場で構成。概要は以下の通り。

開幕劇としての序幕「花水橋の場」:足利家(東北の雄藩・伊達家のこと)の藩主・
足利頼兼(梅玉。奥州54郡の大守)は、放蕩で国政を顧みない。お家乗っ取りを狙
う一派(仁木弾正ら)が藩主暗殺を企て、鎌倉・花水橋の袂で大磯の廓帰りの藩主を
襲って来る。「だんまり」という歌舞伎独特の演出による様式化された立ち回りを楽
しむ。雑誌なら、グラビア的なページ。

本筋の第1弾は、女たちのドラマ。二幕目「足利家竹の間の場」、三幕目第一場「足
利家奥殿の場」。

二幕目「足利家竹の間の場」:暗殺未遂、藩主隠居で跡取りとなった幼君・鶴千代も
乗っ取り派に狙われている。幼君の守り役の乳人・政岡(扇雀)は、幼い実の息子以
外一切、男たちを竹の間(銀地の襖に竹の絵が描かれている)に近づけない作戦。
乗っ取り派の仁木弾正の妹・八汐(翫雀)が、幼君見舞いにやって来て、政岡追い落
としを画策するが失敗する。

(ここで、最初の幕間。女たちのドラマは続くが、主役の政岡は、扇雀から藤十郎へ
バトンタッチ)

三幕目第一場「足利家奥殿の場」:竹の間よりもっと奥の御殿、奥殿(藩主の居
室)。襖の「竹に雀」は、実は伊達家の紋。政岡(藤十郎)は幼君毒殺を警戒して、
息子の千松を毒味役にし、食事も自炊している。幼君も千松も、ひもじさを我慢して
いる。そこへ乗っ取り派に味方する幕府の大老・山名宗全の奥方・栄御前(東蔵)も
見舞いと称して毒入りの菓子を持って来る。あわや幼君毒殺という時、機転を利かし
た千松が毒味をして、苦しみ出す。八汐は、千松を嬲り殺す。我が子が殺されても平
然としている政岡を見て、犠牲になったのは、幼君で、政岡は乗っ取り派の味方と誤
解した栄御前は、政岡に一味の連判状(同盟者の誓い)を預けて帰って行く。皆がい
なくなり、乳人からひとりの母親に戻った政岡は実子を亡くした哀しみに悲嘆する。
再び現れた八汐を倒し、政岡は息子の仇討ちを果たす。怪しげな鼠が、連判状を奪っ
て逃げて行く。

(「床下」は「間の狂言」的な一幕:大鼠に化けていた仁木弾正が正体を顕し、雲に
乗って、「宙乗り」のように時空を超えて「タイムスリップ」して行く場面)

三幕目第二場「同 床下の場」:(暗転の中、大道具の御殿がせり上がる)奥殿の床
下に逃げ込んだ大鼠は、政岡派の荒獅子男之助(弥十郎)に一旦は捕えられるが、逃
げてしまう。(花道すっぽんから奈落へ)大鼠は、妖術使いの仁木弾正(橋之助)
で、正体を顕した弾正は、すっぽんから姿を現した後、花道を雲の絨毯に乗ったよう
に(一種の「宙乗り」的な演出)逃げて行く。

(ここで、2回目の幕間。 → 女たちのドラマが終わり、男たちのドラマへ転換)

本筋の第2弾は、男たちのドラマ。仙台藩運営の権限を握ろうという権力闘争。大詰
第一場「問註所対決の場」、大詰第二場「詰所刃傷の場」。

大詰第一場「問註所対決の場」:乗っ取り派の仁木弾正(橋之助)らと幼君擁護派の
渡辺外記左衛門(弥十郎)らとが幕府(室町幕府=京都)の問註所(裁判所)で争っ
ている。裁判官役の細川勝元(梅玉。室町幕府の三管領のひとり)の裁きで、弾正は
敗訴となり、身柄を拘束される。

大詰第二場「詰所刃傷の場」:問註所内の控えの間へ逃げ出してきた弾正は殿中で渡
辺外記左衛門らに対して刃傷沙汰に及ぶが、殺されてしまい、足利家のお家騒動は、
納まる。

今回の主な配役は、以下の通り。
政岡:「奥殿」の政岡・藤十郎、「竹の間」の政岡・扇雀。仁木弾正:橋之助。弾正
の妹・八汐:翫雀。沖の井:孝太郎。松島:亀鶴。栄御前:東蔵。男之助・外記左衛
門のふた役:弥十郎。藩主・足利頼兼・細川勝元のふた役:梅玉。藩医の妻で医師の
小槙:秀調。外記左衛門の息子・民部:国生。山中鹿之助:虎之介。笹野才蔵:梅
丸。黒沢官蔵:松之助。大江鬼貫:亀蔵。山名宗全:市蔵。

主な登場人物と相関関係は、以下の通り。
幼君派=政岡、幼君・鶴千代、実子で毒味役の千松、松島、沖の井/老臣・渡辺外記
左衛門。
乗っ取り派=妹の八汐/兄の執権・仁木弾正。幕府の大老・山名宗全/山名奥方の栄
御前。
ドラマの分岐点=荒獅子男之助。
裁き役=細川勝元。

史実の伊達騒動というのは、東北雄藩・仙台藩伊達家の三代藩主の隠居、後継の幼君
の後見役(後見人政治)を巡る権力争い。初代藩主の政宗が偉大すぎた。後継たちの
騒動は、長期に亘り、ごちゃごちゃしている。芝居は、一つのものとして描かれる
が、史実では、11年に及ぶお家騒動だった。

伽羅先代萩のテーマから見ると、「女たちのドラマ」の部分が、やはり、ハイライト
だろう。大人たちのお家騒動の煽りで犠牲になるのは? 1)子殺し:若君の暗殺未
遂と身代わり千松殺害。2)母性愛:若君の身代わりとなる実子への愛情。抑え込む
母情と苦悩。3)政岡と八汐、働く女性の職業意識(政岡・公と私。政岡と八汐・ふ
たつの忠義=善と悪)、封建道徳の体現者・政岡:人徳なスーパーヒロイン、有能な
官僚=自分の息子を犠牲にして、若君を守る。悪の近代的な合理性を持った八汐:冷
徹な女テロリスト=若君殺しを狙う。

原作も2つの脚本から合体した「伽羅先代萩」のドラマ構成を解析する。

1)女たちのドラマから男たちのドラマへ転換。大名家の奥で演じられる女たちのド
ラマ=「竹の間」:政岡が八汐による追い落としから沖の井らの機転で救われる。
「奥殿」:幼君毒殺計画に対し千松を犠牲にして助ける。自炊と毒味で対抗。通称
「まま炊き」(ご飯を炊く)という場面があるが、今回は、省略。「まま炊き」の場
面に繋がる所で、早々と栄御前が登場してきた。

2)「床下」:(「女たちのドラマ」から「男たちのドラマ」への分岐点。芝居に史
実を被せてみると、「タイムスリップ」が判る。今回の見どころ分析=「床下」の
すっぽんは、タイムスリップ(若君暗殺未遂から幕府の評議決定までの5年間、仙台
から京都へ)をする「装置」。

*1666年:女たちによる藩主暗殺未遂事件。男之助は女たちのドラマの舞台、
「奥殿」の下で徹宵勤務する、いわばガードマン、政岡派。床下に逃げ込んできた不
審者(大鼠)と対応する。
 → → →
*1671年:大鼠が飛び込んだ花道「すっぽん」(舞台や花道の下の空間=「奈
落」の出入口)から出てきたのは仁木弾正という、国崩しの極悪人。

「すっぽん」とは、花道のセリ装置。「奈落」とは、仏教用語の「地獄」。歌舞伎で
は、舞台や花道下の空間のこと。「すっぽん」の出入りで、奈落を通過した不審者は
大鼠から弾正へと変身し、一気にタイムスリップもする。花道の弾正の「面明かり、
あるいは、差し出し」(江戸の照明)とスポットライト(現代の照明)→ 舞台に写
る弾正影が次第に大きくなる。弾正の歩み=雲の上を歩くような足取り。一種の「宙
乗り」演出。アラビアンナイトの空飛ぶ絨毯?

3)1671年:「対決」・「刃傷」の場(武家の権力争い。男たちのドラマ)へ。

2つの脚本から合体した「伽羅先代萩」は、場面ごとの演出に違いがある。複合型の
演出、歌舞伎の見本帳のような演目。

歌舞伎はモンスター。歌舞伎の見本帳のように、いろいろなタイプの歌舞伎のいいと
こ取りのエンターテインメントを寄せ集める。以下、解析。

「花水橋」:おおらかで、のんびりした天明歌舞伎風=18世紀後半の歌舞伎。上方
歌舞伎味。つまり、初演時の芸風を伝える。象徴的なもの:紫の茶袱紗を吉原冠り、
紫地に金糸で竹の伊達縫いという当時流行のファッション。典型的な和事の遊冶郎で
殿様。荒唐無稽な展開。
「竹の間」:江戸歌舞伎の科白劇。女たちは、ほとんど座ったまま。
「奥殿」:義太夫狂言。竹本の出語りがある。いわゆる「糸に乗る」という、科白廻
し。浄瑠璃劇。ナレーションとしての竹本の語りと三味線の糸に乗る科白廻し、所作
(演技)。形で表現する。
「床下」:荒事。江戸歌舞伎味=隈取り、という独特の化粧。稚戯的所作、荒唐無稽
な展開など。
「対決」・「刃傷」:実録=疑似史劇風。「対決」の問註所(裁判所)の場面では、
男たちは、ほとんど座ったままの科白劇。証拠調べと審判。「刃傷」では、節目節目
の見得など様式美も交えながら、リアルな演技の立ち回り。下座音楽を使わずに、鳴
り物(効果音)だけで、表現する。

「伽羅先代萩」の見どころの1。何と言っても、女たちのドラマ:政岡(真女形)と
八汐(立役)の対立。彼女たちが共に裏地は真っ赤な豪華な打掛を脱いだ後、主役の
政岡は真っ赤な緋色の衣装、八汐は真っ白い衣装を着ていたことを見せつける。政岡
の緋色は、主役らしく目立つ。対抗する悪の八汐は、白? 紅白という色の対立は、
日本人の根底にある色の対立。つまり、日本人を2つに分けるとしたら、分け方はい
ろいろあるが、ひとつは、紅白という色の対立だろう。日本人の家系図は、究極的に
は、源氏と平家の縁に達すると言われている。源氏か平家かの2つ。色彩的には、源
氏の白旗、平家の赤旗がルーツ。

悪女・八汐の重要性を見逃さない。歌舞伎の妖しい魅力は、男女を演じる、というこ
と。八汐の魅力:男が「立役」という役者になり、男の地を滲ませながら女を演じ
る。政岡の魅力:男が「女形」という役者になり、女性らしい女性しか演じない真女
形(まおやま。老役者が演じても、娘に見える)となり本物の女性より女らしく、女
を演じる。

このうち、頂点に立つのが藤十郎や玉三郎などの立女形(たておやま)と呼ばれる選
ばれた真女形(まおやま。女形しかやらない。女形中の女形)。その真女形の最高峰
の大役が政岡役(役柄は、通称「片外し」=武家女房、奥女中。鬘の形と役柄から、
名付けられた)。

95年10月の歌舞伎座から私が見始めた政岡は、19年間で、玉三郎、雀右衛門、
福助、菊五郎、玉三郎、菊五郎、藤十郎、菊五郎、勘三郎、玉三郎、魁春、藤十郎、
今回も藤十郎で、計13回。政岡役者は、藤十郎(3)、玉三郎(3)、菊五郎
(3)、雀右衛門、福助、勘三郎、魁春のあわせて7人。亡くなった雀右衛門、勘三
郎は、もう観ることが出来ない。病気休演中の福助は?

見どころの2。男たちのドラマの主役は、仁木弾正。弾正は、「国崩し(国=藩=お
家乗っ取り)」という敵役。立役の演じる敵役の大役。女形の政岡に匹敵する役どこ
ろ。幸四郎、吉右衛門、團十郎ら。鼻高で黒子のある五代目幸四郎(1764〜18
38)が歴史に残る。渾名は、「鼻高幸四郎」。特に、1799年以降、南北と組
み、「実悪」を成熟。五代目幸四郎が得意とした役柄を演じる時の役者は、敬意を表
し、いまも左の眉の上に黒子をつける。今回の橋之助も、付けていた。「対決」で敗
訴、平伏する弾正は、鼠の形のようになる、という鼠の妖術を使うが、橋之助は、鼠
になったようには見えなかった。

今回主役の坂田藤十郎(山城屋)と上方歌舞伎の味(江戸歌舞伎との違い)を解析す
る。山城屋の型は、人形浄瑠璃に近い。歌舞伎→人形浄瑠璃→上方歌舞伎と演出が逆
流。江戸歌舞伎の型は、役者の工夫を優先する。

 山城屋型:特に、違うのは、「奥殿」。成駒屋(鴈治郎)・山城屋(坂田藤十郎)
型の演出は、従来の演出とは、いろいろ違いがある。気がついた違いを以下述べるこ
とにする。まず、御殿の大道具の作りが違う。人形浄瑠璃の演出に忠実だという。御
殿、二重舞台の上手に若君・鶴千代の部屋(障子の間)が作られている。八汐差し入
れの毒饅頭を犠牲的精神で試食し、苦しむ千松(政岡の実子)を横目に、従来なら舞
台中央下手寄りに立ち、鶴千代を打ち掛けで庇護する代りに、今回は鶴千代を上手の
部屋に避難させた後、政岡自身は鶴千代の部屋の襖に左手を掛け、右手で懐剣を構
え、若君を守護する。
 
それを見て舞台中央上手に居た栄御前は、素早く居どころを舞台中央下手へ替る。平
舞台中央では、千松の喉に、八汐が懐剣を差し込む。「ああ、ああ……」と千松が苦
しむ。政岡は、上手の柱に抱きつき(「抱き柱」という)、殆ど動かず、表情も変え
ず、無言で耐え忍び続ける。悲しみ、苦しみを抑えて、肚で母情を押さえ込む様を演
じる。その挙げ句、立ち続けることができなくなって膝をついて座り込むなど、政岡
は、上方の型を示し、江戸歌舞伎の演出と異なる場面がある。
 
「三千世界に子を持った親の心は皆一つ、・・・」などのクドキも、江戸型の演出よ
り、息を詰めて言う。人形のように形で演じる。所作で気持ちや心理を表現する。竹
本の語りと三味線の糸に乗り、テンポ良く、音楽劇を優先する演出を取る。従って、
東京の政岡役者が演じるような情の迸りが少ない。

「奥殿」の政岡を演じた藤十郎は、ここ1年くらいで、少し老いたような印象を持っ
た。ことしの大晦日で、83歳になる。「竹の間」の政岡を演じた扇雀(藤十郎次
男)は、鴈治郎襲名披露も控えて、ここ1年くらいで、逆に、一皮むけて、役者とし
て大きくなった印象がある。53歳。12月で54歳になる。

仁木弾正を演じた橋之助は、実悪のような役柄は、巧い。弾正の妹・八汐を演じた翫
雀(藤十郎次男)は、珍しい女形の役。沖の井の孝太郎、松島の亀鶴、栄御前の東
蔵、男之助・外記左衛門のふた役を演じた弥十郎。足利頼兼・細川勝元のふた役を演
じた梅玉、藩医の妻で医師の小槙を演じた秀調はそれぞれの持ち味を発揮。

外記左衛門の息子・民部の国生(橋之助の息子)、山中鹿之助の虎之介(扇雀の息
子)、笹野才蔵の梅丸らは、世代交代組。黒沢官蔵を演じた松之助が巧い。「対決」
の場面では、仁木弾正らと共にお白州に座ったまま、40分を耐える。国崩しの悪の
弾正と違う、下っ端の悪らしい存在感を出そうと、科白を言わない時は、顔をしかめ
たままの表情を維持していて、なかなか良かった。工夫魂胆ぶりが伝わって来る表情
だった。史実モデルの伊達兵部は伊達政宗の十男という弾正派の大江鬼貫を演じた亀
蔵、史実モデルの酒井雅楽頭は江戸幕府の大老という問注所の裁判官役ながら、弾正
派に味方する山名宗全を演じた市蔵は、松島屋の兄弟役者。

伊達騒動と「伽羅先代萩」という外題の関係。芝居では、時代設定を替えて、室町時
代の仙台・足利家という設定。徳川幕府が、ご政道批判を禁止した。史実の伊達政宗
の三男綱宗(三代藩主)の隠居事件以降の一連の騒動。遊び人の殿様。高価な伽羅(イ
ンド産の香木)の下駄が好きだった。→ 伽羅下駄の「伽羅」。
宮城野に咲く、センダイハギ(綱宗が好きな萩を、こう名付けた)という花:海岸の
砂浜や原野に群生、40〜80センチ。5月から8月ごろ、茎の先端に鮮やかな黄色
の花を咲かせる。→ 外題のすべてが、三代藩主(芝居では、「頼兼」)を表わして
いる。

伊達騒動系統の歌舞伎演目の主なものは、以下の通り。
歌舞伎化した伊達騒動もの:伽羅先代萩、伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶ
き)、伊達の十役、裏表先代萩/実録先代萩。このうち、「伽羅先代萩」(1777
年大坂・中の芝居で初演)と「伊達競阿国戯場」(1778年江戸中村座で初演)が
合体して、いま上演されるような「伽羅先代萩」となった。お家騒動もののなかで
も、人気の演目。

1)「伽羅先代萩」。1777年大坂(中の芝居)で初演。全五段。奈河亀輔作。
「花水橋」は、原作にはない。後から付け加わった開幕劇。明治中期以降、今の上演
形式に整理。
2)「伊達競阿国戯場」(「伽羅先代萩」の登場人物の役名の原型)。1778年江
戸中村座初演。初代桜田治助ほか作。伊達騒動+累伝説(上演時流行の、夫に殺され
た女の恨み話)。時代ものと世話ものの綯い交ぜの趣向。
3)人形浄瑠璃「伽羅先代萩」。1785年江戸結城座初演。全九段。松貫四らの合
作。「伽羅先代萩」+「伊達競阿国戯場」。人形浄瑠璃で、今も上演。/1779年
江戸肥前座で歌舞伎から人形浄瑠璃化初演。達田升二らの合作。
4)「伊達の十役」。正式な外題は、「慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみ
せ)」。1815年初演。南北作。伊達競阿国戯場+主要な10役の早替わり。外連
(けれん)の趣向。
5)「裏表先代萩」。1820年初演。南北作。伊達騒動+小悪党(小助の話)。時
代ものと世話ものの綯い交ぜの趣向。伊達騒動+小助。
6)「実録先代萩」。1876(明治9)年の黙阿弥原作の新歌舞伎。足利家が伊達家
に、政岡が浅岡に変わったくらいの違い。こちらには悪人たちは出て来ない。
- 2014年11月9日(日) 15:12:01
14年11月歌舞伎座(夜/「鈴ケ森」「勧進帳」「義経千本桜 〜すし屋〜」)
 
 
染五郎が「勧進帳」の弁慶初役に挑戦


祖父に当る初代白鸚(八代目幸四郎)の三十三回忌追善興行で、染五郎が「勧進帳」
の弁慶初役に挑戦した。父親の幸四郎の勧進帳の「弁慶千回以上出演」に向けてス
タートしたことになると良いのだが。

私が「勧進帳」を観るのは、今回が27回目となる。歌舞伎見始めの20年前、白鸚
十三回忌追善興行の舞台(幸四郎の弁慶、吉右衛門の冨樫、梅玉の義経)は、観てい
ない。私がこれまで観た主な配役は、弁慶:幸四郎(7)、團十郎(7)、吉右衛門
(5)、海老蔵(3)、猿之助、八十助時代の三津五郎、辰之助改めの松緑、仁左衛
門。そして、今回は、初役の染五郎。冨樫:菊五郎(7)、富十郎(3)、梅玉
(3)、幸四郎(今回含め、2)、勘九郎(2)、吉右衛門(2)、團十郎(2)、
新之助改めとその後の海老蔵(2)、猿之助、松緑、愛之助、菊之助。義経:梅玉
(6)、雀右衛門(3)、染五郎(3)、藤十郎(3)、菊五郎(2)、福助
(2)、芝翫(2)、富十郎、玉三郎、勘三郎、孝太郎、芝雀、今回は、吉右衛門。
吉右衛門の義経を観るのは、私は初見。

染五郎は、41歳で弁慶初役となるが、義経を6回演じている(私は、このうちの3
回を観た訳だ)。このほか、四天王の片岡八郎なども演じている。「勧進帳」は、熟
知しているだろう。弁慶は、幼い頃からの憧れの役だったという。「何のために歌舞
伎役者になったかといえば、弁慶への憧れがあったから」と染五郎は語る。

染五郎の何が、弁慶を演じることを阻害していたかというと科白廻しだろう。團十郎
が若いころから口跡の悪さに苦しんできたことは良く知られている。肚声を出せな
い、声が口腔内で籠るというハンディキャップを克服しようとした。晩年は、若いこ
ろに比べて大分改善されてきたが、やはり、クリアな発声が出来る役者に比べると聴
きにくいことがあった、と思う。それでも、團十郎は、1968(43)年5月、大
阪新歌舞伎座で、21歳の新之助時代(新之助、辰之助、菊之助の、いわゆる「三之
助」時代であった。この舞台では、新之助の弁慶、辰之助の富樫、菊之助の義経)か
ら弁慶を演じ始めた。以来、三之助ブームにも便乗して、海老蔵、辰之助に混じって
吉右衛門も入り、3役日替り交替という演出で3回演じている。その後は、十二代目
團十郎襲名を挟んで、普通の演出できちんと弁慶を演じてきた。本興行で、30数回
舞台に立った筈だ。役者は、一興行25日の舞台で命を懸けて「研鑚」もするものだ
ろう。染五郎は、横隔膜を使う肚声が出せなくて、喉に頼る、いわゆる喉声になって
しまう、という。肚声は豊かで、通りも良く、遠くまで広がって、響いて行く。これ
に対して、喉声は、通りが悪く、響いて行かない。しかし、苦労の果てに弁慶初役の
チャンスを掴んだ染五郎よ。先人・團十郎の歩んだ道を追いかけて行けば良いのでは
ないか。

幸四郎の富樫、吉右衛門の義経という配役は、なかなか、望めない。特に、吉右衛門
の義経。初役かなと思い、上演記録を調べてみたら、1970年9月、帝国劇場で、
初代吉右衛門十七回忌追善興行で演じている。この時の弁慶は、八代目幸四郎、後の
初代白鸚。富樫が、十七代目勘三郎、つまり、先代の勘三郎。初代吉右衛門の末弟
だ。さらに、既に触れたように72年10月、歌舞伎座、74年3月、京都南座、7
7年9月、歌舞伎座で、いずれも海老蔵時代の團十郎、辰之助時代の先代松緑と共
に、3役日替り交替という演出で演じている。事実上の初演は、1958年9月、歌
舞伎座の「子供歌舞伎教室」で、14歳で演じたという。六代目歌右衛門に指導を受
けたので「私の義経は成駒屋型です。今回(11月歌舞伎座)も教わった通りに演じ
たい」と言う。

染五郎の弁慶は、無難であった。父親の幸四郎相手とはいえ、心配された山伏問答も
こなした。海老蔵のように破天荒ではなかった。海老蔵の持つ若さはなかった代わり
に滲み出す滋味があり、初役とは思えなかった。弁慶千回役者の幸四郎は、息子の染
五郎に弁慶をやらせることが父親としての夢だったという。「夢が叶」ったという父
親の指導を受けて息子も期待に応えて演じていたように感じた。染五郎の口跡も、い
ちだんと父親似に聞こえてきた。口跡問題は、今後も苦しむ時があるかもしれない
が、幸四郎と共に團十郎というふたりの先人の軌跡もある。まずは、そこをきちんと
歩み続けることだろう。

贅言;染五郎の長男・金太郎が祖父・幸四郎の富樫の太刀持役を勤めていたが、太刀
を右手で持ち続けると幼ない金太郎の腕が痺れるのを防ぐためか、移動する時は右脇
に抱えて、静止している時は、座っている自分の前に太刀を置いていた。

幸四郎の富樫を観るのは、私は今回で2回目。前回は、12年10月新橋演舞場で、
生前の團十郎と幸四郎が二役昼夜交替で弁慶と富樫を演じ分けるという演出方法を
とった時だ。

吉右衛門の義経は、舞台下手で初めて笠を取って、素顔を見せる。恐れ多いと弁慶は
下手に移動する。吉右衛門の義経は、どの役者が演じる義経よりも堂々とした態度、
抑制的な表情で上手に移動する。身分に拠る居処替りである。居処替りでは、弁慶と
義経が、所作台9枚分まで離れる。竹本「判官御手を」で、上座から弁慶に向けて手
をずいずいと差し伸べる義経の姿を見て感極まる弁慶。

「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、名舞踊、名ドラマ、と芝居のエ
キスの全てが揃っている。さらに、配役の妙味が、勧進帳の味を拡げる。それぞれの
趣向で、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあきないのは、当然だろう。開幕は
緞帳が上がり、閉幕は、定式幕が閉まる。そして、幕外の引っ込み。飛び六方とな
る。


「鈴ケ森」は、20年前、94年4月、歌舞伎座、白鸚十三回忌の舞台が、私の初見
だ。「鈴ケ森」を観るのは、11回目。私が観た権八は、芝翫(2)、勘九郎時代を
含む勘三郎(2)、梅玉(2)、菊之助(今回含め、2)、染五郎、七之助、高麗
蔵。長兵衛は、幸四郎(4)、吉右衛門(2)、團十郎、羽左衛門、橋之助、富十
郎、今回は、初役の松緑。

初見の舞台では、幸四郎の長兵衛と勘九郎時代の勘三郎の権八であった。印象に残る
のは、この舞台と12年2月の新橋演舞場。吉右衛門の長兵衛と息子の勘太郎の六代
目勘九郎襲名披露の舞台に出演していた勘三郎の権八であった。勘三郎は、この年の
暮れ、病没してしまう。この2回の勘三郎の権八が、いまのところ、私の畢生の権八
だろうと思っている。吉右衛門も勘三郎も科白廻しが何とも良いのである。ふたりと
も、楽しみながら科白を言っているように聞こえた。菊之助の権八は、姿形がスマー
トだが、科白廻しも所作も勘三郎の「余白の味」には、まだ、敵わない。

白井権八は、美少年で、剣豪、さらに、殺人犯で、逃亡者。幡随院長兵衛は、男伊達
とも呼ばれた町奴を率いた侠客の顔役で、まあ、暴力団の親分という側面もある人
物。逃亡者と親分とが、江戸の御朱引き(御府内)の外にある品川・鈴ヶ森の刑場の
前で、未明に出逢い、互いに、意気に感じて、親分が、逃亡者の面倒を見ましょう、
江戸に来たら、訪ねていらっしゃい、ということになり、「ゆるりと江戸で(チョー
ン)逢いやしょう」というだけの噺。柝の音で、ぱっと、夜が明ける。御朱引きの外
にある当時の品川なのだろう、人家など全く見えない野遠見。客席は、江戸湾。観客
の頭は、波頭。

初役の松緑の幡随院長兵衛は、幸四郎に指導を受けたという。その際、「静の歌舞伎
というものを勉強してほしい」と幸四郎から助言されたという。これに対して、松緑
は、「何もしない凄み、そこが何より手ごわいところです」と言っている。幸四郎の
言う「静の歌舞伎」とは、「余白の歌舞伎」と同根だろう。

16年ぶりに権八を演じた菊之助は、権八のような「若衆」は、「独特の難しさ」が
あるという。「若衆ならではの瑞々しさ、型のよさといったものがあって、その上で
長兵衛との台詞のやりとりは耳に心地いいものでなければいけない。歌舞伎の面白さ
が凝縮された一幕」だという。ならば、12年2月の吉右衛門・勘三郎の舞台は、手
本になるだろう。

このほかの役者では、「三すくみ」(見ざる、言わざる、聞かざる)を演じる彦三郎
の東海の勘蔵、権十郎の飛脚早助、團蔵の北海の熊六。ベテラン3人が、「だんま
り」、「三すくみ」の果て、権八に斬られる。ここは遊びで観客を笑わせる、洒落っ
気がないといけない。


「義経千本桜 〜すし屋〜」菊五郎の権太は、私は初見


「義経千本桜 〜すし屋〜」は、12回目の拝見。「すし屋」だけの一幕を観る
(「みどり」上演という)のは、今回含め、6回目。それ以外の「すし屋」関連で
は、「堀川御所」、あるいは、「鳥居前」から「川連館」、あるいは、「奥庭」まで
の、「通し」(いわゆる「知盛」編、「いがみの権太」編、「忠信」編の3本立)
か、「木の実」、「小金吾」、「すし屋」の「半通し」(「いがみの権太」編)の上
演であった。

私が観た権太役者は、8人である。最初が、富十郎であった。95年5月、歌舞伎座
の舞台。口跡の良い、科白が良く通る富十郎の権太は、富十郎という役者を私に印象
付けたのを覚えている。以来、富十郎は、私の好きな役者の一人になった。私が観た
権太役者は、たった1回の富十郎のほか、仁左衛門(3)、幸四郎(2)、團十郎
(2)、猿之助、我當、吉右衛門、そして、今回、私は初見の菊五郎となる。上方味
の「すし屋」だけに、富十郎同様に上方歌舞伎出身の仁左衛門も印象に残る。今回の
菊五郎は、江戸世話の味を滲ませる役者だから、富十郎、仁左衛門とは、ひと味違
う。これはこれで良いものがあった。

二代目実川延若が、工夫したという上方歌舞伎独特の演出が、たっぷり詰まっている
のは、何といっても、「すし屋」の場面。特に、弥助・実は維盛は、「つっころば
し」、「公家の御曹司」、「武将」など重層的な品格が必要な役だ。お里は、耳年増
気味だが、初々しくなければならない。身分と妻子持ちを隠している弥助・実は維盛
への恋情が一途である。それでいて、蓮っ葉さも見せなければならない。江戸型は、
権太を軸に展開する。権太のキャラクターは、小悪党でありながら、家族思いであ
る。

マザー・コンプレックスの権太(菊五郎)は、何かと口煩い父の弥左衛門(左團次)
を敬遠して、父親の留守を見計らって母親のおくら(右之助)に金を工面してもらい
に来る。泣き落しの戦術は、変わらないが、江戸型の菊五郎はお茶を利用して、瞼に
茶を付けて涙を流した風に装うが、仁左衛門や我當らの上方型では、鮓桶の後ろに置
いてある花瓶(円筒形の白地の瓶に山水画の焼きつけ)の水を利用する。このほか、
上方型の権太は、自分の臑を抓って、泣き顔にしようとしたり、口を歪めたりする。
母親の膝に頭をつけて、甘えてみたり、「木の実」の茶屋の場面で見せた、こわもて
の「権太振り」は、どこへやら、完全な「マザー・コン」振りを見せつける。菊五郎
は、こういう権太像は作らず、江戸型の演出をきちんと伝えている。

(贋の)若葉の内侍(権太女房・小せん)と六代君(権太倅・善太)の二人の間に立
ち、権太が「面(つら)あげろ」という場面。上方型では、両手で、二人に動作を促
した後、右足を使って若葉の内侍の顔をあげさせようとしたり、座り込んで、両手で
二人の顎を持ち上げたりする。江戸型では、権太は前を向いて立ったまま、左足を
使って、若葉の内侍の顔を挙げさせる、右手では、六代君の顔を挙げさせる。形のス
マートさを追求した江戸歌舞伎の演出だ。

江戸型の権太は、基本的に五代目幸四郎、五代目菊五郎の型を取り入れている。特
に、最近の東京の権太役者として定評のあった二代目松緑の型を引き継ぎ、独自の工
夫を加えている、という。菊五郎は当然ながら、菊五郎代々の藝を生かしている。
「しどころが一杯ある役です」。二代目松緑には、「権太」と「魚屋宗五郎」を教え
てもらった、という。菊五郎の持ち味であるユーモラス、暖かみが滲み出ていて、江
戸世話物の権太であったと思う。菊五郎、円熟の権太であった。もともと権太は、人
情落語の世界の人のような役柄で、滑稽味も大事だと思っている。

江戸型では、五代目幸四郎、「鼻高幸四郎」と渾名された役者で、左の眉の上に黒子
があり、これゆえに、その後、権太を演じる役者は、皆、左の眉の上に黒子を描い
た。今回の菊五郎も左眉の上に黒子を付けていた。黒子のない我當の権太は、逆に、
松嶋屋の上方歌舞伎へのこだわりを大事にしていて、新鮮に見えたことを思い出し
た。

このほか、今回の配役では、4年前の京都南座に続いて、2回目のお里を演じた梅枝
が初々しい。顔の角度によっては、父親の時蔵そっくりに見える。時蔵は、「お里は
一度勤めただけで、息子に取られてしまいました」と話している。時蔵は、弥助を演
じた。権太の父親・弥左衛門を演じた左團次は、老け役の滋味がある。弥助との居処
替りの場面がポイント。同じ老け役、権太の母親で弥左衛門の女房のおくらを演じた
右之助は大阪育ちの味や自分の年齢を巧く生かしていて、良い味を出していた。菊五
郎の権太の相手役は初めてという。随分痩せたように見えたのが気になる。こういう
老け役ふたりが、脇を固めているだけでも、今回の「すし屋」は、見応えがあった。

菊五郎の権太におつきあいか、今回梶原景時を演じた幸四郎は、1976年11月、
国立劇場(権太は、二代目松緑)で、染五郎時代に一度だけ梶原を演じたことがある
という。今回は、いつもの赤っ面(憎まれ役)の梶原ではなく、維盛一家を積極的に
見逃す役回りなので、捌き役的に白塗りにしたという。さすが存在感のある梶原で
あった。

輪袈裟と数珠が仕込まれていた陣羽織の仕掛け(「内やゆかしき、内ぞゆかしき」と
いう小野小町の歌の一部の文字で謎を解く)を見ると、鎌倉方の梶原平三景時も、こ
こでは、いつもの憎まれ役とは、一味違う役柄だと判る。知将梶原なのだ。梶原平三
景時には、権太一家の命を犠牲にしても、維盛の家族全員死亡という「伝説」を創造
する必要があった。権太の「策謀」などとっくに見抜いていた上で、維盛一家を助け
るという訳だ。

幸四郎と同じセンスで梶原を演じたのは我當であった。13年10月、歌舞伎座。我
當の梶原は、鎧の上に陣羽織という扮装ではなく、黒い素襖と袴姿で、黒い烏帽子を
被っていた。髭もつけず、赤っ面にもしないで、知将を演じていた。大向うから、
「大松嶋」と声が掛かった。
- 2014年11月7日(金) 9:48:05
14年11月歌舞伎座(昼/「寿式三番叟」「井伊大老」「熊谷陣屋」)
 
 
今回は、初代松本白鸚三十三回忌追善興行。見慣れた演目を高麗屋一門が演じてい
る。松本白鸚追善興行は、実は、20年前、94年4月歌舞伎座、白鸚十三回忌追善
興行の舞台を観たのが、いまのように歌舞伎を観始める最初だった。それ以前にも、
一度か二度は歌舞伎を観たことがあったが、印象には残っていない。

歌舞伎座の「初代松本白鸚十三回忌追善四月大歌舞伎」という筋書を見ると、今回、
昼夜通しの6演目のうち、白鸚追善所縁の3演目を観ていることが判る。その上、市
川新車改め高麗蔵の襲名披露と染五郎ら3人の名題昇進披露という舞台でもあった。
演目は、「熊谷陣屋」、新作歌舞伎の「井伊大老」、最後が「鈴ヶ森」であった。特
に、「熊谷陣屋」との出会いは、その後20年間の歌舞伎観劇の端緒となった。「十
六年は、一昔。夢だあ。ああ、夢だあー」という熊谷直実の科白によって、歌舞伎
は、私の終生の友となった、と思っている。その時の配役を観てみると、以下の通
り。

熊谷直実:幸四郎、相模:故・雀右衛門、藤の方:松江時代の魁春、源義経:故・梅
幸、弥陀六:故・二代目又五郎、堤軍次:染五郎、梶原景高:故・芦燕ほか。

今回の配役は、以下の通り。

熊谷直実:幸四郎、相模:魁春、藤の方:高麗蔵、源義経:菊五郎、弥陀六:左團
次、堤軍次:松緑、梶原景高:幸太郎、改め高麗五郎ほか。

幸四郎は変わらず、直実を演じ続け、相模は亡くなった雀右衛門に替わって、魁春が
演じている。義経は亡くなった梅幸から菊五郎へ、弥陀六は亡くなった先代又五郎か
ら左團次、軍次は染五郎から、同世代の松緑へ、という辺りがチェックポイントか。
幸四郎の今回の決め科白の、科白廻し。「十六年は、一昔。夢だあ。ああ〜、夢だあ
あ〜〜〜」と語尾を伸ばせるだけ伸ばして、歌い上げていた。いつもは、この科白廻
しが、「実線」の感じ過ぎて、抵抗感があるのだが、今回は、20年前を思い出し
て、そうか、この科白廻しが、私を歌舞伎の世界に連れ込んだのかと思い至った次
第。「高麗屋〜!」。「□らいや〜〜!」。

「熊谷陣屋」は、「一谷嫩軍記」の、人形浄瑠璃の構成を例示すれば、全五段時代も
のの三段目に当る。歌舞伎の「熊谷陣屋」だけでも、この20年間に観たのは、今回
で18回目になる。私が観た直実は、今回を含め圧倒的に多いのが幸四郎で、9回。
吉右衛門(4)、仁左衛門(2)。ほかは、八十助時代の三津五郎、團十郎、松緑
(仁左衛門代役で、急遽、初役で演じた)となる。

これまで観た最高の「熊谷陣屋」は、13年4月歌舞伎座。歌舞伎座杮葺落興行の舞
台。残念ながら、最高の直実を演じたという印象を私が持っているのは、幸四郎では
ない。弟の吉右衛門。吉右衛門の直実は、肩の力を抜いて、役者吉右衛門の存在その
ものが自然に直実を作って行く。時代物の歌舞伎の演じ方という教科書のような演技
ぶりだった。


「井伊大老」は、5回目の拝見。初めて観たのが、94年4月、歌舞伎座の舞台。白
鸚十三回忌追善興行。次いで、2年後、96年4月歌舞伎座。その8年後、04年1
0月、歌舞伎座。白鸚二十三回忌追善興行であった。この3回の場の構成は、「井伊
大老邸の奥書院」、「濠端」、「元の奥書院」、「お静の方居室」の4場であった。
4回目が、さらに2年後の、06年4月、歌舞伎座。歌右衛門五年祭興行であった。
この時は、「お静の方居室」だけのみどり上演であった。お静の方を当り役とした歌
右衛門にとっては、「お静の方居室」こそが、「井伊大老」という新作歌舞伎(北條
秀司原作)の精髄というわけだろう。5回目が8年後の今回と続く。

私が観た主な配役。井伊大老:吉右衛門(今回含めて、4)、幸四郎。お静の方:雀
右衛門(2)、歌右衛門、魁春、今回は芝雀。96年4月の歌舞伎座の舞台でお静の
方を演じた歌右衛門は、この月の舞台では、途中から、病気休演で、雀右衛門が、代
役を勤めているが、私は、病気休演前に、無事歌右衛門最後のお静の方の舞台を拝見
することができた。

「井伊大老」は、北條秀司作の新歌舞伎で、1956(昭和31)年、明治座で初演
された。新国劇としての初演は、それより、3年前の1953(昭和28)年、京都
南座。歌舞伎としての初演は、井伊大老:当時の八代目幸四郎(後の初代白鸚)、お
静の方:六代目歌右衛門であった。初演以降、お静の方は、六代目歌右衛門の、井伊
大老は、八代目幸四郎の、当り役になった。北條秀司の芝居は、科白劇。1981
年、八代目幸四郎は、九代目を、いまの幸四郎に譲り、初代白鸚襲名披露(あわせ
て、九代目幸四郎、七代目染五郎襲名披露)の舞台途中で不帰の人となった。代役
は、当代の吉右衛門。吉右衛門は、以来、何回も井伊直弼を演じている。従って、白
鸚を彷彿とさせる科白廻しである。当代幸四郎の井伊直弼も、私は観ている。

安政の大獄=1858(安政5)年から59(安政6年)にかけて、井伊大老が、尊
王攘夷の志士らを弾圧し、吉田松陰、梅田雲浜、橋本左内らを投獄、処刑した=以
来、政情不安になり、挙げ句、1860(安政7)年、旧暦の3月3日の「桜田門外
の変」で、井伊大老は、水戸浪士らによって襲撃され、暗殺される。歌舞伎の舞台
は、序幕(1年前)の後、第二幕、「桜田門外の変」の前日、3月2日の、井伊家下
屋敷での、井伊大老と側室のお静の方の、しっとりとした語らいの時間を軸に描く。
従って、芝居のテーマは、「迫りくる死の影」。

今回の上演の最大の趣向は、「桜田門外」が上演されたことだろう。この場面は、初
演か。私も初見。改めて、今回の場の構成を記録しておくと、以下のようになる。

序幕第一場「井伊大老邸の奥書院」、序幕第二場「桜田門に近い暗い濠端」、序幕第
三場「元の奥書院」、第二幕第一場「井伊家下屋敷お静の方居室」、第二幕第二場
「桜田門外」。

序幕第一場「井伊大老邸の奥書院」。1859(安政6)年の初冬。井伊大老邸の奥
書院の場では、正室の昌子の方(菊之助)を軸にしながら、安政の大獄の時代状況が
簡潔に説明される。書院の上手は、物見の間か。いまなら、バルコニーのような役割
の部屋。上手奥に江戸の下町方向が見渡される。火事か。世情不安。暗夜に帚星が見
えた。井伊大老と側室のお静の方の間には、鶴姫がいるが病弱であり、あすをも知れ
ぬ病状である。井伊大老の身辺にも、危うきことが忍び寄っている、という予兆。菊
之助は吉右衛門の娘と結婚をし、父の音羽屋と義父の播磨屋の両系統に入ったことに
なるか。活躍する舞台がひろがったように思える。正室・昌子の方を初役で演じる。

序幕第二場「桜田門に近い暗い濠端」。濠端では、井伊大老(吉右衛門)を襲撃しよ
うとして、失敗し捕縛された幼馴染みの水無部六臣(錦之助)と井伊大老との激論が
描かれる。大政奉還を主張する水無部六臣。国内外の窮状を吐露する井伊大老。

序幕第三場「元の奥書院」。井伊大老が、屋敷へ戻る。鶴姫危篤の報が届く。井伊大
老のブレーン・長野主膳(又五郎)らが現れ、反対派を果断に断罪する政策を持ち上
げるが、大老は内心不快である。水無部六臣切腹の報と共に遺書が届く。命を懸けて
反対派の青年たちの減刑を訴えている。主膳は従来通りの強行策の堅持を主張する。
鶴姫の訃報も届く。井伊大老を取り巻く、公私の事情が説明される。又五郎の長野主
膳は初役。井伊大老とは下済み時代からの友。女の静の方と男の長野主膳。大老・井
伊直弼の心許せる人間関係が、歴史の歯車に引きちぎられて行く。

第二幕第一場「井伊家下屋敷お静の方居室」。1860(安政7)年3月2日。去年
亡くなった鶴姫の命日。井伊大老と側室のお静の方の間に生まれた娘。仙英禅師(歌
六)が、お静の方(芝雀)、老女・雲の井(歌女之丞)らと共に、姫の菩提を弔って
いる。芝雀のお静の方と歌六の仙英禅師は、それぞれ初役。

仙英禅師が去り、井伊直弼が来る。迫りくる死を覚悟する大老・井伊直弼。出迎えた
お静の方。青春時代から直弼と付き合ってきたお静の方の、しっとりとした語らい
は、心を許しあう、それも大人の男女の、極めてエロチックともいえる、濃密で、良
い場面である。ここで言うエロチックとは、性愛と言うよりも、大人の男と女、死と
いう永遠の別れを前にした、若い頃から長い時間を共有して来た果てのカップル、
「晩年の生」の最期の輝きとも言えそうな、しっとりした対話のことである。

「夫婦は、二世」という信仰が生きていた封建時代。井伊直弼も、正室より、若い頃
から付き合って来た側室のお静の方との「男女関係」をこそ、真の夫婦関係として重
視していた。エロスとタナトス。文字どおり、迫り来る死に裏打ちされた生の会話で
ある。それを北條秀司は、下屋敷の壷庭に咲いた桃の花に降り掛かる白い雪で描き出
した。桃色の花の上に被さるように降り積もる白い雪。桃色と白色のイマジネーショ
ン。

居室奥正面の襖が開かれると、朱色の毛氈が敷き詰められた明るい雛壇が見える。幼
くして亡くなった娘を悼む雛祭り。暖かそうな春の灯り。雛壇では、上手に内裏雛が
飾られている。ふたりの静かな時間の流れのままに、各段に置かれた雪洞が、何時の
間にか、ひとつずつ下の段から消されて行く。ほの赤かった雛壇も、迫りくる死へ向
かっているように、薄闇に沈みはじめる。照明を駆使した新作歌舞伎ならではの味。

また、雪は、井伊直弼に故郷の伊吹山を思い起こさせ、望郷の念を抱かせる。大老を
辞めて、お静らと過ごした彦根の青春の日々に戻りたいという、井伊直弼の絶叫が耳
に残る。老いと共に迫る死の予感から、直弼は、青春の日々を走馬灯のように思いめ
ぐらす。

第二幕第二場「桜田門外」。暗転の内から鶯の鳴声が聞こえる。緞帳が上がると、前
場の翌朝、雪景色の桜田門外。浪士たちが数人物陰に隠れている。下手より行列が進
行してくるような雰囲気が漂う。物陰を飛び出し、駕篭訴をする浪士たち。多数の浪
士たちが下手に向かって走り込む。やがて、浪士たちから逃げるように駕篭が舞台中
央に押し出されて来る。駕篭を取り囲む浪士たちと大老警護の侍たちの立ち回り。駕
篭の中に剣を突き刺す。駕篭の扉を開ける。駕篭から深手を負った井伊大老が出て来
る。風格のある吉右衛門が、腹を押さえながら、立ち上がる。囲む浪士たちの刃。そ
こへ、緞帳が降りて来る。幕。

こうして通して観ると、北條歌舞伎は、男たちの事件を描いているのが、良く判る。
しかし、この芝居には、実は、もうひとつのテーマがある。それは、お静の方に具現
されるように、「本当の女人とは、どういう女性か」「大人の愛とは」というのが、
北條秀司の隠したテーマだと思う。従って、この芝居は、「井伊大老」という外題に
はなっているが、「お静の方」という、双面の芝居という隠し味もある、と思う。そ
れほど、お静の方は、魅力的な女性として、描き出されている。六代目歌右衛門が、
生前は、ほぼ独占していた役だ。歌右衛門以外でお静の方を演じたのは、玉三郎、雀
右衛門くらい。没後、歌右衛門養子の魁春、雀右衛門長男の芝雀が、藝を継承しよう
としている。


「寿式三番叟」は、5回目の拝見。「寿式三番叟」は、「三番叟もの」の中でも、い
ちばん、オーソドックスなものである。今回は、翁に我當、千歳が3人もいて、亀
寿、歌昇、米吉。例えば、前回(千歳:魁春、附千歳:進之介、三番叟:梅玉)は、
翁を演じる我當に付き従う、「附千歳」役に我當の長男・進之介がいたが、今回は無
し。進之介は花形役者の世代だろうが、世代交代の大波の中で、花形より若い、いわ
ゆる若手の御曹司たちが大量に進出した煽りを受けて、「沈没」気味なのが残念だ。
三番叟は、染五郎と松緑という顔ぶれ。

贅言;筋書に掲戴される松竹演劇製作部(芸分室)がまとめている戦後の上演記録の
「寿式三番叟」が、いつもと違うようだが…? 例えば、13年1月新橋演舞場で観
た舞台が記戴なし。「竹本」演奏の上演だけをまとめているのだろうか?

緞帳が上がると松の巨木を背景に舞台中央奥に長唄連中、手前に、四拍子。四拍子の
前の大きなせりが、奈落に墜ちていて、ぽっかりと口を開けている。能舞台の設え
で、一文字幕近くに破風の屋根が見える。やがて、翁(我當)、3人の千歳(亀寿、
歌昇、米吉)の4人が、せり上がって来る。我當がゆるりと不自由そうな脚を動か
し、セリから外に出て来る。付き従う3人の千歳たち。

前回、13年1月、新橋演舞場では、翁(我當)、千歳(魁春)、手に箱を持った附
千歳(進之介)、三番叟(梅玉)の4人が、せり上がって来た。「三番叟」は、基本
的な要素を外さなければ、アレンジは自由ということなのだろうか。

さて、今回の舞台。千歳(歌昇)が、手に持っていた「翁の面箱」を翁(我當)に渡
す。翁の舞。千歳たち(亀寿、歌昇、米吉)の舞。翁の我當は足が若干不自由な感じ
であるが、それが却って、舞を重厚にしているように感じられた。我當は面をつけな
い(梅玉の翁を観たときには、梅玉は、面をつけると、ゆったりと、格調高く、大間
に舞った)。素顔の我當(前回、前々回、我當の翁を観た時は、今回同様、素顔で
あった)は、座の櫓に一礼して、舞出し、天下太平などを祈願。壮麗な舞いを納める
と、我當は下手へと進む。前半は儀式的色彩。後見たちは、鬘無し、肩衣、袴姿。

背景の書割が、松の巨木から、紅白の梅の木に笹に替わる。後半は、ふたりの三番叟
(染五郎、松緑)の出番。上手から染五郎、下手から松緑が登場。黒で統一した衣装
と烏帽子姿。ふたりは鼓の早間の拍子に合わせて、地面を踏み固めるように、「揉み
の段」を舞う。揉み出し、烏飛び。次いで、稲穂を連想させる「鈴の段」。基本的に
は五穀豊穣を祈るということで、農事を写し取っている。舞というより、儀式のよう
な展開。後半は祝儀的色彩。静かに緞帳が降りて来る。舞台上手奥に控えていた後見
もお辞儀をしている。
- 2014年11月6日(木) 16:27:22
14年10月新橋演舞場・花形歌舞伎(昼/「平家女護島 俊寛」、「金幣猿島
郡」・「双面道成寺」)
 

「金幣猿島郡」は、ジクソーパズルのピースを探せ

 
市川猿之助奮闘連続公演が、10月は新橋演舞場で、11月は明治座で行なわれる。
このうち、とりあえず、初見の「金幣猿島郡(きんのざいさるしまだいり)」大喜利
所作事「双面道成寺」を観た。夜の部は、通し狂言「獨道中五十三驛」であったが、
18年前、96年7月歌舞伎座先代猿之助で観ているので、今回は観なかった。その
後、澤瀉屋一門では、右近や段治郎をそれぞれ軸にして歌舞伎座以外の劇場でこの演
目を上演してきた。但し、歌舞伎座では、これまでのところ、先代猿之助の舞台を最
後にしている。先代猿之助は、都合7回上演をし、私は先代最後の舞台を観たという
わけだ。歌舞伎座では、当代猿之助でいずれ上演する機会があるだろうから、それを
楽しみにとっておこう。さはさりながら、猿之助もそろそろ新・歌舞伎座に出るべき
だし、松竹も出すべきだろう。
 
「金幣猿島郡」・「双面道成寺」から、劇評を書きたい。「金幣猿島郡」は、182
9(文政12)年、11月江戸の中村座で初演された鶴屋南北原作の顔見世狂言であ
る。顔見世とは、芝居小屋の正月興行の意味である。我が劇場は、向う1年間は、こ
ういう役者を確保したので、お楽しみに、というわけだ。

南北は、番付の連名に「一世一代鶴屋南北」と書いていて(一世一代、つまり、生涯
最後という意味)、実際に初日の幕開きの10日後、亡くなってしまった。葬式の仕
切りも自分で想定していて「灰、さようなら」という遺書を残していたという。南北
の遺作は、さまざまな先行作品を巧みに下敷きにしている。観客たちに先行作品をい
くつ見抜けるかと挑発しているようである。

初演以来、長らく上演されなかったが、1964(昭和39)年、日生劇場で、先代猿
之助が武智鉄二補綴・演出により、復活上演した。その後、先代猿之助は、5回上演
をしている。当代猿之助は、4年前、亀治郎時代に博多座で初演している。今回で2
回目。

場の構成は、次の通り。序幕「宇治通円の場」、二幕目第一場「橋姫社の場」、二幕
目第二場「木津川堤の場」・大喜利所作事「双面道成寺」。私は今回初見なので、あ
らすじも含めて、きちんと記録しておきたい。

序幕「宇治通円の場」。宇治の通円堂には、平将門の妹・七綾(ななあや)姫が匿われ
ている。将門の侍女や腰元たちが茶摘女を装って、姫を警護している。堂内には、茶
の葉を入れた茶壺が6つ積み上げられている。茶壺には蓬莱、祥雲、秀月、松露など
の銘柄が書いてあるのが見える。堂守は、如月尼だが、如月尼は、実は、七綾姫の乳
母・御厨(みくりや)であり、清姫という盲目の娘の母親でもある。通円堂の下手に
は、満開の桜の木がある。

茶摘女・およし、実は将門侍女・桜木(春猿)が堂を訪れた人たちに茶を振舞ってい
る。下手から坊主の寂莫法印(猿弥)が、「三井寺鐘楼堂建立」と書かれた幟を立て、
台車に載せた製作途中の釣鐘を曳いて出て来る。台車を桜の木の前に止める。「隅田
川続俤」の法界坊のようだ。寂莫はお茶を振舞われていた武士の犬上兵藤(猿三郎)か
ら七綾姫の首を討てば褒美がもらえるという制札を見せられる。兵藤は、制札を桜の
木の前に立てる。「熊谷陣屋」の陣屋前の桜木の傍に立てられた制札を連想する。寂
莫は、堂内に七綾姫が匿われていると察して、本舞台下手に釣鐘を置いたまま、堂の
裏に身を潜める。あやしげな振る舞いだ。只の勧進坊主ではなさそうだ。

花道から如月尼(歌六)が戻って来る。堂内奥より盲目の清姫(猿之助)が、現れる。如
月尼は、七綾姫を守るためには娘の清姫を身代わりにしようと心に決めている。清姫
本人も主人の役に立って死にたいと思っているので、身代わりを覚悟している。鬱鬱
とした姫に見える。

花道から、修験者の安珍(門之助)が現れ、一夜の宿の報謝を頼み込む。安珍清姫のパ
ロディーへ。奥から七綾姫(米吉)が姿を見せ、安珍に縋り付く。歌六の息子・米吉は
顔がぽっちゃりしていて、柔らかみのある色気が漂う。安珍は、仮名で実は、源氏の
棟梁文殊丸頼光だった。頼光は七綾姫と恋仲で、浪々の身。宝剣・村雨を探し出さな
いと帰参できないという事情を抱えている。若い男女の逃避行も、歌舞伎の常道のス
トーリー展開。ふたりは、如月尼の案内で奥へ入って行く。米吉の七綾姫は、将門の
妹というには、何か足りない。将門の「娘」・滝夜叉姫 のように、凄みのようなも
のが滲み出るような工夫はできないか。門之助演じる頼光も源氏の棟梁という割に
は、優男過ぎて、何かが足りない。

七綾姫を追っている兵藤が捕手を連れて再び現れ、匿われている七綾姫の首を差し出
すようにと要求する。裏に身を潜めていた寂莫も現れ、七綾姫が匿われていることを
告げるので、如月尼は、九つの鐘(午前0時)を合図に首を差し出すと約束する。捕手
たちが帰り、清姫が現れ、七綾姫の身代わりを申し出る。頼光、赤姫姿の七綾姫も奥
から出てくる。

清姫の首を切り取る前にと、母親の如月尼が念仏を唱え、七綾姫の持参した刀を頼光
が抜くと、突然、雷鳴が轟き、清姫は、気絶してしまう。刀は、宝剣・村雨で、七綾
姫が兄の将門から譲り受けていたものだった。宝剣と七綾姫の偽首を持ち帰れば帰参
が叶うと喜ぶ頼光。

気がついた清姫は目が見えるようになるとともに別人格になっていて、頼光を安珍と
思い込み、「あなたじゃ、あなたじゃ、あなたじゃわいなあ」と、恋焦がれていた安
珍、実は頼光に縋り付く。目が見えない時は、鬱状態、目がいたら、安珍狂いで、嫉
妬のあまり躁状態といったところ。とするならば、随分と躁状態が激しい。躁鬱病な
のかもしれない。狂気の安珍清姫の嫉妬話のパロディー。清姫・安珍(頼光)・七綾姫
の三角関係の話。七綾姫への嫉妬心も露わになるので、母親の如月尼は、七綾姫の乳
母・御厨としての立場を優先させて、清姫を釣鐘の綱で縛り付けると、七綾姫らを奥
に連れて行く。「伽羅先代萩」の政岡並みの忠誠心のある乳母。如月尼が座敷に上が
ると、御簾が下がってくる。綱で縛られた清姫は「金閣寺」の雪姫のパロディー。長
い綱で縛られた清姫は、七綾姫らがいる障子の間の近くまで動ける。障子の間に灯り
が灯ると、室内で仲睦まじくしているふたりの影絵を見て嫉妬に狂う。灯りが消えれ
ば、ふたりの情事を思い描き、清姫の嫉妬の火が燃え盛る。

四つの鐘の音を聞いた清姫は、九つの鐘にして、七綾姫の首を差し出させようと自分
の頭を鐘にぶち付けて1回だけ鐘をならしたものの気絶してしまう。その様子を陰で
見ていた寂莫法印は桜の木の前に立ててあった制札を引き抜いて、それで鐘を鳴らし
続け、時刻を「九つ」にしてしまう。清姫の綱も切り、七綾姫を討つようにと刃物を
清姫に渡す。寂莫はいろいろ悪だくみをする男だ。一方、兵藤も大勢の捕手を連れて
花道から登場し、七綾姫の首を所望する。

堂の座敷の御簾が上がると、如月尼(歌六)の他、茶摘女に扮していた侍女の桜木(春
猿)、5人の腰元たち。将門の7人の影武者ならぬ将門妹・七綾姫の警護の7人の女
軍団。皆、白装束で凛々しい。兵藤たちと立ち回りとなる。傷ついた如月尼を残し、
桜木が先導して頼光、七綾姫を落ち延びさせる。嫉妬に狂う清姫が、後を追うとする
ので、如月尼は我が娘を刺し、共に死のうとする。「生き変わり、死に変わり、恨み
はらさでおくべきか」。これは、「東海道四谷怪談」、お岩のイメージ。嫉妬のあま
り蛇体を表した清姫は釣鐘に乗り上がる。清姫の帯が蛇体となり、鐘に巻き付き、さ
らに下手から上手へと拡がり、頼光と七綾姫を呪う。「道成寺」の世界。大道具が少
し回り、再び、元へ戻ると、幕。

二幕目第一場「橋姫社の場」。花道から、雨の中の頼光(門之助)、七綾姫(米吉)の逃
避行。桜木(春猿)が、捕手たちと対峙、ふたりを護衛している。七綾姫の癪で、姫を
舞台中央の社に匿い、頼光は、上手に水汲みに行く。雨が激しくなる中、花道から藤
原忠文(猿之助)が、破れ傘を差して、恋文を読みながら登場する。将門退治の勅命を
受けながら、将門の妹・七綾姫の色香に迷い、謀反と言いたてられて、官位も領地も
召し上げられてしまった。頼光、七綾姫の仲を裂き、姫との再会を橋姫社に願掛けを
し、今宵は九十九夜。明日は結願。祈念中に落雷。下手の立木が縦に裂ける。社の中
に七綾姫がいるではないか。しかし、頼光が上手から戻って来た。忠文と頼光の立ち
回りとなる。こちらは、忠文・七綾姫・頼光の三角関係。寂莫(猿弥)は現実主義者ら
しい。社の裏から現れた寂莫は頼光に味方をし、忠文に当身を食らわす。宝剣を取り
戻した忠文が今後は有利と読んだらしい。寂莫の助勢を得て頼光と七綾姫は、下手へ
逃げて行く。大道具が回り始める。

二幕目第二場「木津川堤の場」。回り舞台が静止。上手に小屋、下手に船着場。上手
から逃避行のふたり。頼光と七綾姫は、木津川に辿り着いた。下手に舟が舫ってあ
り、船頭がいる。乗り込むふたり。寂莫が追いついて来た。さらに忠文も。寂莫と忠
文の立ち回り。頼光らを乗せた船は、花道を行く。舟の中でいちゃつくふたり。忠文
は、嫉妬にかられる。清姫の時と同じパターン。忠文は、生きながら嫉妬のあまり鬼
になる。ブッシュ(薮)を利用し、吹き替え(代役)で時間を稼ぎ、猿之助は、鬼の隈取
りを済ます。忠文が持っている制札から火が吹き出す。大道具の小屋などにも火が入
る。舞台が赤くなる。寂莫と鬼の忠文の立ち回りの果てに、寂莫も、忠文も川の中に
落ちる。「東海道四谷怪談」の隠亡堀のよう。赤い照明の中、白い無地の幕だろう
か、幕が振り落とされる。もう一枚、川面を想定した無地の幕が舞台を這い、真っ赤
な光が当てられ、川が焔になったようだ。照明は、池田智哉。新たに澤瀉屋一門のス
タッフに加わった。真っ赤な川面の上を釣鐘に巻きついていた清姫の帯が蛇体になっ
て泳ぐように近づいてくる。ここは、嫉妬に燃えて安珍を追う清姫の「日高川入相花
王」の日高川の場面。七綾姫に振られた忠文と安珍、実は頼光に振られた清姫の霊が
合体する。「コの字」型の、いわば四角関係。忠文・七綾姫・頼光=安珍・清姫とい
う構図。

顔は鬼、身体は、左半分が清姫の女体、右半分が忠文の男体という合体した怨霊であ
る。花道スッポンから合体霊が吊り上げられて、猿之助の宙乗りとなる。場内が、
真っ赤な照明一色となり、キラキラしたものが客席まで降って来る。私の座席にも落
ちて来た。幕。

大喜利所作事「双面道成寺(ふたおもてどうじょうじ)」。幔幕、釣鐘、霞幕。常磐津
と長唄の掛け合い。通称「法界坊」、「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」
の大喜利所作事「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」同様に、男女の霊の合体
の所作事(踊り)。中身は、「奴道成寺」。琵琶湖を背景にした近江・三井寺の鐘供
養。下手に「男子禁制」と書かれた立札がある。正装した頼光が清姫(母の如月尼に
殺された)と忠文(寂莫との争いで死んだ)の菩提を弔おうとやって来た。能力(仏教の
神通力を備えた者のことか)の白雲(隼人)、黒雲(弘太郎)が大きな鐘を釣り上げると
鐘の中から七綾姫が現れる。頼光と七綾姫は、内祝言を挙げようとする。花道スッポ
ンから白拍子・花子(猿之助)が現れる。鐘供養のため舞を奉納したいと寺に申し出
る。裏表が金地と赤地に牡丹の花が描かれた扇子を持って、舞ううちに、烏帽子が落
ち、花子は女装した男と判ってしまう。赤い消し幕で猿之助は隠される。鬘を替え、
女形用に眉を隠していた眉隠しを取り、衣装引き抜きで早替りをし、消し幕から立ち
役の衣装で猿之助が現れる。

大内の、狂言師・升六と名乗る。升六は、鬘は付けていない裃後見のきめ細かなサ
ポートを受けながら、太鼓持ち(ひょっとこ)、大尽、おかめの3つの仮面を巧みに使
い分けながら、舞い始める。ひょっとこ→大尽→おかめ→大尽→おかめ…。ここは、
「奴道成寺」そのものの演出。

やがて、花子が清姫の霊、升六が忠文の霊であり、それぞれがひとりの形で合体した
霊だったことが判明する。赤い打掛を消し幕代わりに使い、清姫の霊に早替り。せり
降りる。鬘を変え、隈取をする。衣装の早替り(引き抜きとぶっかえり)。白地に赤い
雷模様。せり上がって来る。

猿之助のノリは、「法界坊」を演じた吉右衛門と勘三郎を比べると、判りやすい。明
らかに勘三郎に近い。宝剣を翳すしか能力のない頼光は、七綾姫と共に釣鐘の中に身
を隠す。しかし、合体霊の念力は強く、鐘を釣り上げてしまう。逃げ惑うふたり。

そこで、向こう揚幕より、押し戻しの登場となる。田原藤太郎(錦之助)が、大きな青
竹を持ち、小さな破魔矢を背中に背負って、腰に大太刀を二本差している。「猿之助
に良く似た化物め」。花道から本舞台へ攻めて来る。本舞台で後見から矢を手渡され
て、「矢の根」の舞台のように大きな破魔矢に替わる。江戸荒事の演出で大団円。怨
霊を封じ込める。

 最後は合体霊の猿之助が、緑色の釣鐘の天辺に乗り、桜の小枝を持って、いつもの
「娘道成寺」の見得、下手から七綾姫、頼光。間に、藤太郎、そして合体霊は、釣鐘
の上。赤地に金の鱗模様の衣装の鱗四天たちが、上手を頭、下手を尻尾に見たてる蛇
体を舞台いっぱいに拡げるマスゲームとなって、幕。

当代猿之助の「双面」。当代猿之助は当面先代猿之助の芸を継承するだろう。当面
は、とにかく真似続ける。真似が完璧にできるようになったら、批判的に吸収・継承
するように切り替える。そういう意味では、現在は双面でやるしかない。どうやって
も、当代の半面には、先代の半面がくっついているのだから。いずれは単面の猿之助
が生まれるだろうが、それが猿之助の完成型になるかどうかは、誰にも判らない。た
だ、いま言えることは、目を瞑って猿之助の科白廻しを聞いていると、浮かんで来る
のは、当代の顔ではなく、先代の顔だということだ。先代の力は執念深い。


「平家女護島 俊寛」は、14回目。近松門左衛門原作の時代浄瑠璃で、1719
(享保4)年、大坂の竹本座で,初演された。300年近く前の作品である。私が観
た俊寛は、吉右衛門(5)、幸四郎(4)、仁左衛門、猿之助、勘三郎、橋之助、そ
して今回は、本興行初演(自主上演を含めると、今回が3回目という)の右近という
顔ぶれ。澤瀉屋一門渾身の「俊寛」。吉右衛門、幸四郎は、同じように上演回数を重
ね続けている。
 
俊寛を演じる役者は、極論をすれば、幕切れの場面をどう演じるかという一点勝負
だ、と私は思う。その幕切れの場面、台本にある科白は、「おーい、おーい」だけな
のである。まず、この「おーい」は、島流しにされた仲間だった人たちが、都へ向か
う船に向けての言葉である。船には、孤島で苦楽を共にした仲間が乗っている。島の
娘・千鳥と、ついさきほど祝言を上げた若い仲間の成経がいる。そういう人たちへの
祝福の気持ちと自らの意志とはいえ自分だけ残された悔しい気持ちを俊寛は持ってい
る。揺れる心。「思い切っても凡夫心」なのだ。

例えば、当代の吉右衛門は、私が観た5回の舞台でも、俊寛の最後の表情を当初の
「虚無」から、「喜悦」、「悟り」へと大きく分けて変化してきた。その軌跡は、既
にトレースする劇評を私が書いてきた通りである。
 
「思い切っても凡夫心」以降の演技が、右近はほかの役者と違っていた。竹本の「思
い切っても凡夫心」を舞台中央から下手よりの位置で観客席に背を向けて聴いていた
(ように見える)右近の俊寛は、「凡夫心」をきっかけに、舞台下手、本舞台と花道
との結節点辺りまで、撥ねるように移動する。いつものように劇場の後ろ、上部の席
で観ているのではないので、よく判らないが、花道の地絣の上敷が取りのけられ、下
から浪布が現れる。本舞台も同様に地絣の上敷が取りのけられ、浪布が全面的に現れ
る。これと併行して大道具が鷹揚に廻る。

大海原の孤島の先頭にある岩組へと舞台は展開する。舞台前方には、海の高さを示す
ように浪布が引きだされ、上下に揺すられる。俊寛は、孤島に押し寄せる圧倒的な波
を避けるように岩組によじ上って行く。マスとしての大海原。ちっぽけな島の、さら
に、ちっぽけな凡夫。岩組をよじ上る動作以降は、ほかの役者と同じだが、ここまで
のテンポがダイナミックで力強い。老齢の俊寛とは思えないので、これで良いかどう
かは別問題だが、右近らしい演出だ、と思った。
 
注目は、いつも俊寛の幕切れの表情。時の権力者に睨まれ、都の妻も殺されたことを
初めて知り、妻殺しを直接手掛けた男を先ほど殺し、改めて重罪人となって、島に残
ることにした男が、叫ぶ「おーい」なのだ。「さらば」という意味も、「待ってく
れ」「戻ってくれ」という意味もある「おーい」なのだ。別離と逡巡、未練の気持ち
を込めた、「最後」の科白が、「おーい」なのだろう。俊寛を演じる役者の表情、特
に、「おーい」の連呼の後に続く俊寛の表情の変化を私はいつも観ている。
 
これは、芝居の「最後の科白」でもあるが、俊寛の「最期の科白」でも、ある。ひと
りの男の人生最期の科白。つまり、岩組に乗ったまま俊寛は、この後、どう生きるの
かということへの想像力の問題が、そこから、発生する。昔の舞台では、段切れの
「幾重の袖や」の語りにあわせて、岩組の松の枝が折れたところで、幕となった。し
かし、初代吉右衛門の型以降、いまでは、どの役者もこの後の余白の時間に俊寛の余
情を充分に見せるようになっている。
 
右近は、虚無型。本興業では、今回が初めての俊寛だったが、自主公演を含めると3
回目だという。目を瞑って右近の科白廻しを聞いていると、脳裏には先代の猿之助の
顔が浮かんでくる。

私が観た瀬尾は、左團次(6)、段四郎(4)、富十郎、彦三郎、團蔵。今回は猿
弥。この憎まれ役は、左團次が群を抜く。丹左衛門尉は、梅玉(4)、仁左衛門
(2)九代目宗十郎、吉右衛門、歌六、三津五郎、芝翫(珍しい!)、富十郎、権十
郎、今回は男女蔵。千鳥では、松江時代を含む魁春(4)、福助(3)、芝雀
(2)、亀治郎時代の猿之助、孝太郎、七之助、児太郎、今回は笑也。「鬼界ヶ島に
鬼は無く」と千鳥の科白、後は、竹本が、引き取って、「鬼は都にありけるぞや」と
繋がる妙味。千鳥のひとり舞台の見せ場。七之助が初々しかった。笑也は独特の味わ
いがあった。丹波少将は、梅玉(2)、染五郎(2)、歌昇時代の又五郎、澤村藤十郎、
勘九郎時代の勘三郎、門之助、橋之助、秀太郎、東蔵、勘太郎時代の勘九郎、芝の
ぶ、今回は笑三郎。平判官は、歌昇時代の又五郎(4)、歌六(2)、男寅時代の男女
蔵、彦三郎、猿弥、友右衛門、東蔵、扇雀、芝喜松、今回は弘太郎。
- 2014年10月31日(金) 13:32:31
14年10月国立劇場・(「双蝶々曲輪日記」)
 

幸四郎の長五郎の3場通し。染五郎の3役早替り・宙乗り


10月の国立劇場では、高麗屋一門の出演で「双蝶々曲輪日記」が上演された。17
49(寛延2)年7月に大坂・竹本座で人形浄瑠璃の演目として初演された「双蝶々
曲輪日記」は、二代目竹田出雲、三好松洛、並木宗輔によって合作された全九段の世
話もの浄瑠璃。従って、浄瑠璃の床本が原本ということになる。濡髪長五郎、放駒長
吉というふたりの相撲取りの達引(たてひき。最近の流行語なら、ネゴシエーショ
ン)とその結果としての男の友情(義兄弟)を描いた物語。人形浄瑠璃の初演(大
坂)の評判は芳しくなかったようだが、翌8月、歌舞伎に移されての初演(京都)で
は、大入りになったという。人形より、役者の方に相応しい演目だったということだ
ろう。歌舞伎独特の演出(「入れごと」)も、いくつかある。そういう意味でも、国
立劇場が、人形浄瑠璃で上演をし、翌月、歌舞伎でも上演するという試みは、265
年前、寛延2年の7月、8月(旧暦)を再現しているようにも思えて、興趣をそそ
る。

9月の人形浄瑠璃の場の構成は次の通り。「堀江相撲場の段」、「大宝寺町米屋の
段」、「難波裏喧嘩の段」、「橋本の段」、「八幡里引窓の段」。五段構成。

これが、10月の歌舞伎になると、次のようになる。序幕「新清水の場」、二幕目
「堀江角力小屋の場」、三幕目第一場「大宝寺町米屋の場」、三幕目第二場「難波芝
居裏殺しの場」、四幕目「八幡の里引窓の場」。こちらも五段(場)構成だが、「新
清水」が加わり、「橋本」が省略されていて、場のタイトルも微妙に違うのが判る。

国立劇場で「双蝶々曲輪日記」を「通し狂言」として、上演するのは、今回で3回
目。過去2回は、1968(昭和43)年、2003(平成15)年。私が観るの
は、03年に続いて、11年ぶり、2回目で、前回は、「堀江角力小屋の場」、「大
宝寺町米屋の場」、「難波芝居裏殺しの場」、「八幡の里引窓の場」の四段(場)構
成であった。今回は、前回の演出をベースに「新清水の場」というドラマの発端部分
が付加されたことになる。「双蝶々曲輪日記」の「新清水の場」は、初見。

1)今回の歌舞伎では、序幕「新清水の場」が付加されているのが、ポイント。与五
郎と吾妻、与兵衛と都。ふた組のカップル。まず、与五郎と与兵衛を染五郎がふた役
早替りで演じるのも見どころ。

序幕「新清水の場」。清水(きよみず)観音(大坂三十三観音のひとつ。「曾根崎心
中」の観音巡りで出て来る。四天王寺が近い)の近くにある料亭浮無瀬(うかむ
せ)。舞台は、上手に料亭の入口。下手に清水観音の石段。石段の上手に有栖山清水
寺。後ろにブッシュがある(これは、早替りのための大道具)。下手奥に朱塗りの
「清水の舞台」が望める。舞台中央は、満開の桜があちこちにあり、奥に山々が見え
る遠見。

この場面は、豪商山崎屋の若旦那・与五郎(染五郎)と大坂の遊廓新町藤屋の遊女・
吾妻(高麗蔵)と与五郎の親友・南与兵衛(染五郎)と吾妻の姉格の遊女・都(芝
雀。後の、南与兵衛女房・お早。人形浄瑠璃では、「おはや」)のふた組のカップル
を巡る人間関係が判るという仕組みだ。

贅言(1);山崎屋与五郎は、淀川を上り下りして京と大坂を結ぶ三十石船の川港
(「津」という)があった山崎(いまの京都府長岡京市)の豪商の息子。山崎宿は
「大山崎」と呼ばれ、京と西国を結ぶ西国街道(「山崎街道」ともいう)の宿場町
で、博多や堺同様の自治都市であった。石清水八幡宮の神領なので、自治都市となっ
たという。油の専売権を持ち、羽振りが良かったらしい。山崎屋も、そういう商売を
していたのか。淀川には京の伏見、淀(いまの京都市伏見区。城下町であり、宿場町
でもあった)、橋本(山崎の対岸)、枚方、平田、三栖、大坂などの船番所があっ
た。山崎宿は、西国街道の京から最初の宿場。西国街道は、淀川を渡らずに右岸を進
むと、次が芥川宿(いまの大阪府高槻市)。郡山宿(いまの茨木市)、瀬川宿(いま
の箕面市)、いまの池田市、昆陽宿(いまの伊丹市)などをへて西宮宿(いまの西宮
市)へ到る。その先は、「山陽道(西国街道)」となる。大坂を通らずに西国へ行け
る脇街道。山崎は、本能寺の変の直後、光秀と秀吉が戦った「山崎の戦い」の戦場と
なった「天王山」(標高270メートル。天下分け目の天王山)の麓にある。淀川
(琵琶湖を源とする瀬田川から名前を変えた宇治川と桂川、木津川が合流して淀川と
なる)には、3つの河川が合流した下流辺りに「渡し」(3ヶ所あり、「きつねの渡
し」、「広瀬の渡し」、「山崎の渡し」)があり、川幅の狭い山崎と橋本の間は、舟
で行き来することができた。

与五郎の住む八幡、隣の橋本は、京と大坂を結ぶ京街道沿いにある。京の伏見から、
淀宿(いまの京都市伏見区)を通り、宇治川、木津川を渡り、八幡、橋本を経て、淀
川左岸沿いに、枚方宿(いまの枚方市)、守口宿(いまの守口市)を通って大坂の京
橋と結ぶのが「京街道(あるいは、大坂街道)」という。京街道を橋本から京都方面
に向かうと南方十次兵衛(南与兵衛)の家がある八幡(淀川を挟んで天王山と対置す
る男山にある石清水八幡宮の門前町。いまの京都府八幡市)がある。大坂寄りの宿場
街である橋本は、石清水八幡宮の参拝客が利用する遊廓街でもあった。

伏見と大坂間は淀川を利用した三十石船などの舟運が盛んだったので、京から大坂へ
は、舟で下り、大坂から京への上りは陸路を利用したようである。西国街道は、淀川
の右岸、京街道は、淀川の左岸を通る。山崎の渡しは、淀川を挟んで並走する西国街
道と京街道(大坂街道)の結節点となる重要なポイントであった。最後まで残ってい
た山崎の渡しは、1962年に廃止となった。

吾妻、都のいる藤屋のある大坂・新町遊廓は、江戸の吉原、京の島原と並んで、日本
の三大遊廓の一つ。いまの大阪市西区新町の辺り。西国街道の山崎宿出身の与五郎、
京街道の八幡宿出身の与兵衛たち若者はそういう地理的、歴史的背景の地域で生まれ
育ち、大都会の大坂に出て、新町遊廓や清水観音近くの料亭で遊女と遊んだり、堀江
の角力小屋で遊び、力士を贔屓にしたりしていたのだろう。この芝居の背景には、そ
ういう事情が隠されているように思うが、それは、舞台を観ながら。

序幕「新清水の場」。上手の料亭から幇間(宗十郎)が出て来る。下手から出てきた
山崎屋の番頭(松江)と落ち合って、悪だくみの相談を始めた。若旦那の与五郎を貶
めようとしている。幇間と番頭はつるんでいて、贋小判を用意して店の金を横領する
気でいる。若旦那・与五郎(染五郎)、遊女の吾妻(高麗蔵。与五郎と恋仲)、都
(芝雀。与兵衛と恋仲)が料亭「浮無瀬」で酒宴を開いているようだ。幇間と番頭
は、揃って、下手に入る。花道より、いまは、笛売りをしている南与兵衛(なん・よ
へい。染五郎)が登場。柄の長い赤い大きな傘の縁に鳥などの形をした多数の笛をぶ
ら下げている。料亭より都(芝雀)が出てきて、「逢いたかった」と、与兵衛に甘え
る。料亭から吾妻(高麗蔵)の声がしたので、与兵衛は、舞台中央の薮の裏に隠れ
る。吾妻が出て来る。やがて、与五郎(染五郎)が出て来る。与兵衛と与五郎は、草
履が違う。与兵衛は、帽子を被って袋を首から下げている。このほか、与五郎は羽織
を着ている。そういう衣装の違いでふたりの違いがわかるが、染五郎のキャラクター
では、ふたりの人物を演じ分けているようには見えにくい。薮の後ろには、吹き替え
が演じる与兵衛の足元、後ろ姿などが見える。与五郎は、仲居を3人連れている。や
がて、与五郎は料亭に戻る。薮の後ろから後ろ姿のまま、与兵衛が出てきて、正面を
向くと染五郎だ。こういう仕掛けで、染五郎は、与兵衛と与五郎を早替りして行く。
与兵衛は、京都の八幡の郷代官の息子なのだが、与五郎らと遊んでいて、与兵衛も都
を身請けしたいと思っているが金がない。下手から、平岡郷左衛門(錦吾)が仲間の
侍と一緒に出て来る。吾妻を身請けしようとして対応策を話し合っている。清水観音
の石段を上ろうとしていた与兵衛は、石段の上でふたりの侍の話に聞き耳をたててい
る。

平岡郷左衛門らが、山崎屋の番頭と幇間が仕組んだ贋小判を与五郎が使ったと言いが
かりをつけに来る。与兵衛が与五郎を助ける。ここも、先程同様の仕掛けで、早替
り。贋小判の計略露見をおそれて幇間と番頭は郷左衛門らにも協力を求めて、与兵衛
殺し計画している。番頭のこうした動きから推測する西国街道の山崎宿に本拠地があ
る山崎屋は、大坂の市内に支店でもあるのかもしれない。いまなら、山崎のある長岡
京市辺りは、京阪電車に乗って大阪のオフィースに通う通勤圏だろうが、当時は、山
崎から渡し舟で淀川対岸の橋本に渡り、京街道を枚方宿、守口宿を経て、大坂の京橋
に辿り着き、大坂市内の店まで行くわけだから、日帰りということはないだろう。そ
うだとすると、若旦那の与五郎は支店長で、番頭は総務部長か営業部長というところ
だろう。商売そっちのけで、遊び回っている若旦那の支店長を陥れようと部長は、金
の管理を含めていいように支店を仕切っているのかもしれない。

舞台は、場面展開。書割が舞台上手と下手にそれぞれ曳かれ、さらに大道具が廻っ
て、清水観音の舞台の上にある本堂が現れる。舞台には、与兵衛が一人でいる。舞台
の手前は、満開の桜である。舞台は、桜の木の上に見えるという設定だ。与兵衛は舞
台で幇間ら3人に襲われるが、与兵衛は弾みで幇間(宗之助)を殺してしまう。さら
に平岡郷左衛門らが与兵衛を襲う。ひとりが与兵衛の傘を武器にしている。与兵衛
は、傘を取り戻し、郷左衛門ら「二人侍」と立ち回りになるが、劣勢と見て与兵衛は
傘を差しかけたまま、ふわりと清水の舞台から飛び降りる。大道具の段差はそれほど
ない。舞台手前にある満開の桜の大道具の後ろで、本舞台の床に降りた染五郎に黒衣
が「宙乗り」用のフックを付けると清水観音の舞台が大せりに載ってせり上がって来
る。舞台手前にあった桜の大道具(引き道具)は、上手と下手にそれぞれ曳かれて行
く。傘を差したままの与兵衛は、ワイヤーで吊りあげられ舞台の上手下手と宙乗りの
まま遊泳する。天井近くまで昇る。やがて、与兵衛は本舞台に着地をし、黒衣にフッ
クを外してもらい、花道へと逃げて行くと、幕。この場面での「宙乗り」は初めて観
たが、このような飛び降りの場面を以前に観た記憶がある。どの「清水の舞台」で観
たのだろうか。

贅言(2);今回は、大坂の「清水観音(新清水)」が舞台だが、「新清水」と言え
ば、京の清水寺や江戸の新清水寺。歌舞伎では、「新清水花見の場」。「新薄雪物
語」や「桜姫東文章」の冒頭の場面が知られている。

「桜姫東文章」を私は、3回観ている。1回目が、2000年11月、国立劇場(染
五郎が初役で、珍しく本格的な女形に挑戦した)。2回目が、04年7月、歌舞伎座
(玉三郎の桜姫を初めて観た。玉三郎の桜姫は、1985年、歌舞伎座以来、19年
ぶりの再演だった。玉三郎は桜姫を7回演じている)。そして、3回目が、12年8
月、新橋演舞場(福助の桜姫は、運命に翻弄される、受け身の女性を追跡し続けたよ
うに見えた。福助は、桜姫を2回演じている)。

同じような場面があるほかの演目では、13年3月国立劇場・女清玄版の「隅田川花
御所染」。これは、私は初見だった。13年9月歌舞伎座で観た「新薄雪物語」(薄
雪姫と園部左衛門の恋に天下を狙う国崩しの物語が絡む)は、4回目だった。つま
り、時空は異なっても、同じような趣向の「新清水」は、8回観たことになる。それ
だけ、この場面は、歌舞伎ではお馴染みというわけだ。

2)確執とチャリ(笑劇)場。濡髪、与五郎、放駒。歌舞伎の「角力小屋の場」(角
力場)と人形浄瑠璃の「堀江相撲場の段」。歌舞伎が、役者の魅力を十分に引き出そ
うと、独自に演出を膨らませているのが、ポイント。特に、与五郎という若旦那。
「つっころばし」という上方歌舞伎独特の人物造形が、見どころ。上方での相撲興行
は、1702(元禄15)年、大坂の南堀江(難波の西)で勧進興行が催されたのが
発祥と言われる(南堀江公園には、「大坂勧進相撲発祥の地」という幟が立っている
という。江戸・東京と大坂・大阪では、昭和初期まで相撲興行がふたつに分れてい
た)。「堀江」は、相撲所縁の地。

若旦那・与五郎(染五郎)は、「ちょっと突けば、転びそうな柔弱な優男、ぼうとし
た、とぼけた若旦那」、濡事師である。与五郎が新町の遊女・吾妻(高麗蔵)と相愛
の仲になった。柔弱ゆえに、恋は盲目で、遊女とともに、明日なき恋路を無軌道に
突っ走る。

二幕目「堀江角力小屋の場」。人形浄瑠璃では、冒頭から取り組みの描写は無し。相
撲の取り組みも終わったという設定で、相撲小屋の木戸口から濡髪が姿を見せる。人
形浄瑠璃の芝居進行は、歌舞伎とはちょっと違う。早々と濡髪は、小屋から出てくる
し、放駒も、お休み所から、出てくる。与五郎と吾妻の身請け話を濡髪が早速切り出
す。吾妻については、濡髪が与五郎派。長吉は、同じく吾妻の身請けを狙う郷左衛門
派となっている。相撲と遊女の身請け争いの代理というふたつの達引が、ベースとな
る場面。人形浄瑠璃のシンプルな演出の方が、本来の原型なのだろう。人形浄瑠璃で
は、この場面では、与五郎は出てこない。出て来る人形は、長五郎、長吉のほかは、
茶屋の亭主のみ。

歌舞伎では、大勢の客が小屋に入り、濡髪、放駒を呼び出す声が聞こえる。行司の名
乗りも聞こえる。相撲の取り組みが始まり、歓声が聞こえてくる。地元「堀江町」推
薦、セミプロの相撲取りの放駒の勝ち名乗りも聞こえる(事情があり、濡髪が放駒に
勝を譲る)。大勢の観客たちは「長吉勝った長吉勝った」と大喜びで出てくる……、
という場面になる。負けた暫くしてから、濡髪が、角力小屋の木戸口から現れる。歌
舞伎の角力小屋の幟。「濡髪関江 堂島ひいきより」「勧進元さん江 ひゐきより」
「放駒関江 堀江ひいきより」とあった。なぜか、「ひいき」と「ひゐき」という表
記が混在していた。

歌舞伎の「角力場」の与五郎(今回は、染五郎が演じる。以前観たのは、03年1月
国立劇場。この時は、信二郎時代の錦之助が初役であった。国立劇場で、)は、喜劇
的な役柄で上方味(チャリ)を出していた。贔屓の濡髪を茶屋の亭主にほめられて、
持ち物や羽織を上げてしまう件(くだり)や、亭主とふたりで長五郎の大きなどてら
を着てみせる(いわば、「二人褞袍」か)場面などの笑劇は、印象に残っている。

歌舞伎で与五郎を演じた染五郎(09年6月歌舞伎座。今回のような通しではなかっ
た。染五郎の与五郎を観るのは、今回で2回目)は、「つっころばし」を好演した。
与五郎は、濡髪から肩を叩かれると、崩れ落ちる。「なんじゃい、なんじゃい、なん
じゃい」。与五郎の弱さが、濡髪の強さを浮かび上がらせる。このほかにも、何度も
つっころばされては、場内の笑いを巧みに誘っていた。今回は、さらに、染五郎は、
与五郎から放駒、放駒から与五郎へと早替りを見せてくれる。茶屋の亭主とふたりで
長五郎の大きな褞袍(どてら)を着て花道から引っ込んだ後、長五郎に呼び出された
という設定の放駒になって、花道から再び登場し、長五郎の所へ駆けつけるなど、
チャリ場は、盛り上がる。

そう、与五郎は、軟弱息子で、一人で立っていられないような青年だ。与兵衛は、若
い頃は与五郎同様に身を持ち崩していた無軌道な青年だったが、成人して、新しい殿
様のお眼鏡にも適い、父親が勤めていた代官の職位に復帰したのに対して、妻妾同居
の生活に甘んじる放蕩息子のままだ。軟弱ゆえに、与兵衛は、与五郎を見捨てられな
かったのかもしれない。与五郎が、「兄貴、兄貴」と、与兵衛にまとわりついている
様が、目に浮かんでくる。染五郎は、与兵衛 → 与五郎(つっころばし) → 放
駒(力士)へと替わる。それぞれが、違い人物に見えなければならない。なかなか難
かしい役どころ。まだまだ、精進が必要と観た。染五郎は同じ公演で、この3役を演
じ分けるのは初めてという。

ここからは、歌舞伎、人形浄瑠璃とも同じで、吾妻の身請けに絡み、勝手に勝を譲っ
た濡髪長五郎に怒りをぶつける放駒長吉の物語となる。力士が八百長相撲で勝を譲ら
れたとなれば、放駒が怒るのは当然、ふたりは喧嘩別れをする。歌舞伎では、湯呑茶
碗を握り潰す濡髪。握り潰せない放駒。プロとアマの力の差を見せつける濡髪の態度
にも、ますます怒りを強める放駒。濡髪長五郎と放駒長吉の物語だから、「双蝶々
(長・長)」で、「ふたつちょうちょう」なのである。「曲輪日記」は、「曲輪」、遊
廓。遊女の都や吾妻に関わるということだ。

3)立ち回り、愁嘆場、モドリ(悪人や対立する人物が善人に戻る)。長五郎、長
吉、おせき(人形浄瑠璃は、「お関」)。歌舞伎も人形浄瑠璃も「大宝寺町米屋」の
場(段)という。長五郎と長吉の達引(たてひき)は、「角力場(相撲場)」から、
「米屋」に持ち越される。大宝寺町は、いまの島之内・心斎橋の辺り。

三幕目第一場「大宝寺町米屋の場」。両親が死に、姉と弟で営む米屋。長五郎と長吉
の間で、相撲の技や米俵を巧みに使った立ち回りが、演じられる。その後、戻ってき
た姉のおせき(魁春)は、同行衆(地域の信仰仲間)の協力を基に弟に濡衣を着せる
一芝居を企んでまで、弟を改心させようとする。おせきを初役で演じた魁春は、母
親、女房、妹には見えないように苦労したという。「達引」のため店に居合わせてい
た長五郎は、長吉に意見をする。喧嘩相手の長五郎にここまで言われて、長吉は、改
心する。長五郎、長吉は、これ以降、終生の義兄弟となるなど、人形浄瑠璃とほぼ同
じ展開で演じられる。

贅言(3);「米屋」の場面で、長五郎、長吉が相撲を取る、立ち回りは、「双蝶々
曲輪日記」初演より、2年前の夏に上演された「菅原伝授手習鑑」の三段目「佐太村
(賀の祝い)」の、松王丸と梅王丸の喧嘩の場面そっくりに再現されている。人形浄
瑠璃も、歌舞伎も「立ち回り(取り組み)」の場面は同じようなものだった。歌舞伎
では、濡れ髪が持つ米俵が放駒の刀で斬りつけられて、俵から米がこぼれ出る場面が
付加されていた。

人形浄瑠璃「大宝寺町米屋の段」で姉が弟を改心させようと長吉に意見をする場面
が、歌舞伎より、こってり描かれる。人形浄瑠璃の見どころの一つ。

障子の間で、その場面の姉と弟のやりとりを聴いていた長五郎が言う。「俺も在所に
母者人を一人持つてゐれど、五つの時別れてから逢うたはたつた一度、養子に来た先
の父親も死なるる、ほんに木から落ちた猿同然で誰が一人意見してくれ手がない、わ
れは結構な姉を持ち、よい意見の仕手があつて、それで仕合はせ者ぢやと云うのぢ
や、総別喧嘩する者は、ばつたりして金も取る様に思はるるは、アア無念な事ぢや」
(竹本)。

喧嘩相手だが、放駒長吉が盗みをするとは思えぬという長五郎。喧嘩の続きをしに来
たはずの、喧嘩相手の長五郎にここまで言われて、長吉は、改心する。「相撲場」で
吾妻の身請けを巡って、対立関係にあったふたりは、和解する。つまり、与兵衛→長
五郎→長吉という義兄弟の関係ができあがる。この関係が、八段目「引窓」の後、物
語の最後に当る九段目「観心寺」まで生きるのだが、現代では、ここまでは、上演さ
れない。

後の「引窓」の母と息子たち。さらに、長五郎と与兵衛・お早夫婦との関係。つま
り、母(人形浄瑠璃では、名前のない母だが、歌舞伎では、いつのまにか、「お幸」
になっている)から見れば、ふたりの息子は、実子と継子だが、どちらが兄だろう
か。この疑問に先に答えようと、改めて床本を読んでみた。

母の科白。「今でこそ落ちぶれたれ、前は南方十次兵衛と云うて、人も羨む身代。連
れ合ひ(注ー与兵衛の父のこと)がお果てなされてから与兵衛が放埒。郷代官の役目
も上がり内証も仕縺れ、こなたの手前も恥ずかしい事だらけさりながら、この所の殿
様もお代はりなされ新代官は皆上がり、古代官の筋目をお尋ねにて与兵衛もにはかの
お召し、昔に返るはこの時と」。母親の科白にあるところから推測すると、与兵衛
は、父が死に、それがショックだったのか、若いころ「放埒」な生活をしていた(人
も殺している)が、遊女の「都」を妻の「おはや」に変え、いまでは、義理の老母と
同居して、無軌道さも潜め、穏やかに暮らしているから、それなりの年になっている
ようだ。

一方、(長五郎は)「五つの時養子にやつて、わしはこの家へ嫁入る。与兵衛は先妻
の子で、わしとはなさぬ仲故に、その訳知つても知らぬ顔」というお幸の科白からみ
れば、与兵衛が兄、長五郎が弟ということになる。そうすれば、長五郎からみれば、
兄嫁のお早は、実際の年には関係なく、義理の姉にあたるということだろう。まず、
お早=義姉というところを押さえておこう。ここが、大事だと思う。

ところで、四段目「米屋」も、八段目「引窓」同様に、並木宗輔が書いているのでは
ないか、という思いを強くした。なぜなら、姉と母は、ここで、同格になっているか
らである。弟、息子の違いはあれども、姉と母は、長吉、長五郎に同じような情愛を
注いでいることが判る。私には、「母機能」=「姉機能」という仕掛けが見えて来
る。さらに、そういう視点で、見なれた八段目「引窓」を改めて、観てみよう。そう
すると、長五郎にとって、義理の姉にあたるお早は、もはや、長五郎にとって、遊び
仲間だった新町の遊女・都ではなく、実母・お幸を助ける、いわば、「母機能」の増
幅機関になっている「姉機能」のように観えてくる。ふたりは、長五郎をこれは、
「米屋」の場面を観たことによって、鮮明になって来た印象である。つまり、「米
屋」の姉は、「引窓」の母を観客に増幅させて、印象づけるための伏線というわけ
だ。

米屋の倅でありながら、喧嘩に明け暮れている無頼派で、主筋(後に、吾妻に横恋慕
のあげく、吾妻・与五郎を助ける長五郎に殺される郷左衛門)から頼まれて、「相撲
場」の場面では、飛び入りで土俵に上がり、濡髪と勝負する素人相撲出身の力士・放
駒長吉も、いつの間にか、事件に巻き込まれていたのである。それを奇貨として長五
郎と長吉は、義兄弟の契りを結ぶ。そこへ、吾妻と与五郎が郷左衛門らに難波裏で見
つかり、騒動になっているという知らせが届く。長五郎は、ふたりを助けるために難
波へと駆け出す。長吉は、姉に止められる。

4)殺し場。長五郎、長吉、郷左衛門、与五郎、吾妻。歌舞伎では、「難波芝居裏殺
しの場」。「難波芝居裏殺し」は、4年前に初演された「夏祭浪花鑑」の「長町裏」
の殺し場に似ているというので、初演時は、不評だったという。人形浄瑠璃では、
「難波裏喧嘩の段」と、歌舞伎とは微妙にタイトルが違う。

三幕目第二場「難波芝居裏殺しの場」。「仮名手本忠臣蔵」の「五段目」のようなシ
ンプルな大道具。背景の黒幕の前に、稲藁干しの棚と薮。郷左衛門らが、与五郎の髻
を掴んで引きずり回している。吾妻は、郷左衛門の仲間の有右衛門に取り押さえられ
ている。「芝居裏」は、黒幕の背景に月が出たり、月が隠れて「だんまり」になった
りする殺し場(郷左衛門と朋友の有右衛門のほか、長吉の夜歩き仲間の野手の三、下
駄の市は、長五郎の殺しを密告しようとして、殺される)の後、責任を感じて長五郎
は切腹しようとするが、駆けつけた長吉が長五郎に逃げるようにと勧める。吾妻と与
五郎は、自分が預かるから心配ないと長吉は言う。長五郎は、手拭いで顔を隠し、
「引窓」の舞台となる実母の再婚先の八幡の里へと逃げ延びて行く。

つまり、ここからは、長五郎の物語として、展開される。黒幕が振り落とされて、七
つの鐘の音とともに、夜明けになる。この場面の書割は、良く観ると上手奥に、「今
宮天王寺」あたりの遠見の景色が描かれている。数本の幟がはためき、正面に櫓を掲
げた2棟の芝居小屋が遠望され、風に載って本当に黒御簾の鳴物が聞こえてきそうな
場所である。

5)愁嘆場。南与兵衛、後に、南方十次兵衛、お早、お幸、長五郎。通称「引窓」。
歌舞伎も「八幡の里引窓の場」。人形浄瑠璃も「八幡里引窓の段」という。
日本三大八幡宮(大分の宇佐神宮、京都の岩清水八幡宮、福岡の筥崎宮、あるいは、
鎌倉の鶴岡八幡宮)のひとつ、「やわたのはちまんさん」(今の京都府八幡市、男山
にある)で知られる。歌舞伎で「引窓」を観るのは、10回目。

八幡の里は、近くにある石清水八幡宮の門前町。時は、陰暦の八月十五日。八幡宮恒
例の「放生会」が盛大に行なわれる中秋の名月の前夜、「待宵」。人を殺して逃げて
きた濡髪長五郎は実母が後妻に入った先の南(南方)方に母を訪ねて来る。大坂から
京街道を上って来たことだろう。門前町の賑わいの人々の人目を避けるように、頬被
りをし、蓙で身を隠してやってきた。

「引窓」は、心理劇という近代性を持っていたため、江戸時代には、あまり上演され
なかった。「角力場」、「米屋」の二幕が上演された。いわば、早く来過ぎた芝居と
いうわけだ。長らく演じられなかった場面だが、1896(明治29)年に初代鴈治
郎によって復活上演され、1926(大正15)年には、初代吉右衛門によって工夫
を重ねられて、いま、上演されるような形に洗練された。

ここは、大筋、歌舞伎も人形浄瑠璃も同じだが、与兵衛が、郷代官に任命された様子
を仕方話で演じる場面は、歌舞伎の入れごと(人形浄瑠璃にはない新工夫)。与兵衛
が、家族らとのやり取りの中で、町人(南与兵衛)と武士(南方十次兵衛)を世話
(町人)と時代(武士)の科白も含めて演じ分けるのも見どころ。

南与兵衛、後に、南方十次兵衛は、領主の交代で、父親の代まで勤めて来て、父親の
死後,空席となっていた郷代官を世襲することが認められて、南方十次兵衛という
代々の名前を襲名することになった。舞台は、その晩の話である。
 
与五郎を助けようとして、人を殺してしまい、逃げて来た長五郎。難波から八幡(京
都)は、北東に直線距離で30キロから40キロぐらいか。長五郎は、継母の息子
だったと判り、長五郎を逃がす。与兵衛は、親友の与五郎のために、幇間を殺してい
る。長五郎も、郷左衛門の身請けを嫌う吾妻と与五郎を助けようとして、郷左衛門と
いう侍らを殺している。幇間殺しの与兵衛はお咎め無し。侍殺しの長五郎は、人相書
きが回り、追手がかかる。

与兵衛が、父親の職位と名前を引き継いで十次兵衛に生まれ変わった日の夜半から未
明、義理の弟の長五郎が逃げ切り、生まれ変われと、逃亡の手伝いをすることにな
る。石志水八幡宮の「放生会」(殺生を戒めるために、生き物を放してやる儀式)の
日。与兵衛らは、義理の弟を生かすために、逃がす。「引窓」とは、そういう芝居で
ある。

「引窓」のもうひとりの「姉」・お早は、だから、「昨日今日までは八幡の町の町
人。生兵法大疵の基」と与兵衛をたしなめる。さらに、お早は、「イヤ申し与兵衛
殿。あまり母御様のお心根が痛わしさに、大事の手柄を支えました。さぞ憎い奴不届
き者とお叱りもあろうが、産みの子よりも大切に、可愛がつて下さる御恩。せめては
お力にと共々に隠しました」と共同戦線を張ったことを白状する。義理の姉も、実の
母も、長五郎にかける情愛は、もはや、同格である。長五郎にとって、「母機能」を
増幅する機関としての「姉機能」パート2である。母と姉が、重要な物語「双蝶々曲
輪日記」の基軸は、並木宗輔の思想を色濃く残していると思う。お早は、元々大坂・
新町遊廓の遊女・都だから、色香を残している。お早を演じた芝雀は、父親の雀右衛
門をなぞるように演じていた。

さらに、義兄・南方十次兵衛(南与兵衛)も、ふたりの女性の情愛を理解し、己の人
を殺したことのある体験もにじませながら、義理の弟で、友人のために人を殺して逃
げて来た長五郎をさらに逃がすことにする。母親「俺ばかりか嫁の志。与兵衛の情け
まで無にしをるか罰当たりめ。…(略)…コリヤヤイ。死ぬるばかりが男ではないぞ
よ」。もう、これは、2年後の、並木宗輔の絶筆「熊谷陣屋」の相模の世界ではない
か。「母の情理」が、「男の論理」を凌駕する。これは、浄瑠璃作者・並木宗輔畢生
のメッセージであると、私は受け止めている。そう考えると、「米屋」と「引窓」
は、両輪のようにして、母・姉の情理を増幅する。

義理の兄の南方十次兵衛が義理の弟の長五郎に逃走ルートを教えるときの科白。室内
では、「河内へ越ゆる抜け道は、狐川を左に取り、右へ渡つて山越えに、右へ渡つて
山越えに」。その後、南方十次兵衛は、外に出ると、声を張り上げて、「長五郎はい
ずれにあるや」と、聞こえよがしに大声を出す。

贅言(4);「八幡狐川」という地名が、京都府八幡市には、本当にある。いまな
ら、八幡市から府道13号線を左に曲がり、北上し、木津川、宇治川に架かる御幸橋
を渡り、右へカーブする辺り、宇治川と桂川に挟まれた辺りが「八幡狐川」(いまの
八幡市)である。北側にある桂川に大山崎方面から流れ込む小泉川の別名が、かつて
は狐川と言ったと伝えられている。小泉川の河口の泥ケ浜にあった渡しが「きつねの
渡し」と呼ばれたとか。京都寄りには、淀宿(いまの京都市伏見区。城下町であり、
宿場町であった)があるが、河内に行くには、逆方向である。

あるいは、淀川の「きつねの渡し」が、伝えられるように「木津根(きづね)」(木
津川と桂川の合流点)がなまったものという意味だとするなら、狐川は、「木津川」
の「きづね」の川のことで、長五郎に木津川の左岸を行き、やがて、右へ。山を越え
て(いまの地図では、キャンンプ場とかゴルフ場になっているので、山といっても、
小高い丘くらいの標高か)、回り道の抜け道を枚方・河内方面へ向かへと示唆してい
るかも知れない。これなら、河内へ向かえる。

八幡宿の隣の橋本から大坂寄りの楠葉方面の京街道は、長五郎に殺された郷左衛門の
兄と仲間の有右衛門の弟のふたりが、南方十次兵衛の助言に基づいて長五郎の人相書
きを配りながら「詮議」に向かっているので、京街道を行くことは止めろと密かに伝
えているのだろう。

歌舞伎;幸四郎は、「角力場」、「米屋」、「引窓」と3場の濡髪長五郎を50年ぶ
りに通しで演じた。幸四郎の相撲取り姿は、様になっているが、染五郎は、相撲取り
姿は軽量すぎるように見える。
- 2014年10月22日(水) 21:54:44
14年10月歌舞伎座(夜/「寺子屋」「吉野山」「鰯賣戀曳網」)
 
 
昼の部劇評の冒頭で書いた通り、今月の歌舞伎座は、十七代目二十七回忌、十八代目
三回忌ということで、勘三郎二代の追善興行。馴染みの演目ばかりの昼夜通しとなっ
た。それも、急逝した十八代目の遺志を引き継ぐ仁左衛門が勘九郎を、玉三郎が七之
助を昼夜それぞれの演目で指導育成する舞台が続いた。そういう意味では、勘九郎、
七之助の兄弟にとって節目の興行。

特に、「寺子屋」は、昼の部の「伊勢音頭恋寝刃」同様に、後見役として、仁左衛門
が勘九郎を指導育成、玉三郎が七之助を指導育成している舞台だろう。仁左衛門は、
松嶋屋の型よりも、「勘九郎さんには私の考えを交えながら十八代目の演じ方を教え
ます」という。源蔵夫婦を勘九郎と七之助が演じ、松王丸夫婦を「寺子屋」を仁左衛
門と玉三郎が演じる。ふた組の夫婦だけが、舞台にいる場面がある。観客の眼に写る
この風格の違いが、勘九郎育成の目的だろう。

私が「寺子屋」を観るのは、今回が19回目。源蔵と松王丸。どっちが難しいか。こ
の芝居は、子どもの無い夫婦(源蔵と戸浪)が、子どものある夫婦(松王丸と千代)
の差出す他人の子どもを大人の都合のために殺さなければならない、という苦渋が
テーマ。源蔵の方が、屈折度が高いのか、恩人のために確信犯的に我が子・小太郎を
犠牲にする松王丸の方が、屈折度が高いのか。その辺りに、源蔵役者のやりがいがあ
るかもしれない。初代吉右衛門は、そこに気がつき、源蔵を演じる場合の、役づくり
の工夫を重ねていたかもしれない。初代は、戦後だけでも、松王丸を5回演じ、源蔵
を4回演じた。二代目吉右衛門も、初代に劣らず役づくりに工夫する人で、これまで
に松王丸を10回演じ、源蔵を9回演じている。

今回の仁左衛門は、松王丸を今回含めて15回演じ、源蔵を6回演じている。代表的
な松王丸役者である。勘九郎は、源蔵を今回初役で演じる。松王丸は、まだ、演じた
ことがない。

玉三郎は、松王女房・千代を今回含めて8回演じ、源蔵女房・戸浪を3演じている。
七之助は、戸浪を今回含めて3回演じている。千代は、まだ、演じたことがない。七
之助は、「色々な源蔵夫婦を拝見してきましたが、兄弟でしか出せない雰囲気作り、
息づかいを大切にしたいと思います」と話している。勘九郎と七之助には、源蔵夫婦
を演じながら、仁左衛門と玉三郎が演じる松王丸夫婦の役づくりの工夫も重ねて欲し
い。

「源蔵戻り」、「寺子検(あらた)め」、「首実検」、「泣き笑い」、「いろは送
り」などの名場面が続く。特に、奥から首を失った小太郎の遺体に帷子を掛けて戸浪
(七之助)が出てくる場面は、いつ観ても、哀しい。平舞台下手から、小太郎の遺体
を入れた駕篭、白無垢の喪服姿の松王丸夫婦(仁左衛門、玉三郎)、二重舞台の上に
園生の前(扇雀)と若君・菅秀才、平舞台上手に源蔵夫婦(勘九郎,七之助)。「い
ろは送り」の哀調のある竹本と三味線の音色を聴かせながら、大団円。引張りの見得
で皆々静止したところへ、上手から定式幕が閉まってくる。竹本の浄瑠璃は、愛太
夫、三味線方は、豊澤淳一郎。

勘九郎と七之助の「寺子屋」は、まだまだ、熟成には時間がかかるだろう。これから
の舞台が楽しみ、ということで、今回は、07年12月歌舞伎座で最後に観た十八代
目勘三郎の松王丸の舞台の劇評を付録にしておこう(勘三郎が生前最後の松王丸を演
じたのは、11年12月平成中村座(浅草)だが、私は観ていない)。勘三郎の松王
丸も、熟成途上だったことが判る(勘三郎は生涯に松王丸を4回演じた)。

*付録;07年12月歌舞伎座劇評(再録):勘三郎は、達者にやりすぎていて、幸
四郎、吉右衛門、仁左衛門らの松王丸とは、ちょっと違う。ズバリ言うと、松王丸と
いうより、勘三郎そのものなのだ。

いわゆる「首実検」。

「松王首桶をあけ、首を見ることよろしくあって」

勘三郎の松王丸は、「むう、こりゃ菅秀才の首に相違ない、相違ござらぬ。出かした
源蔵、よく討った」と、唄ってしまう。調子が良すぎる。勘三郎の科白廻しは、今
回、一貫して唄いすぎていたように思う。

福助の千代は、しっとりとしていて、良い。菅丞相の御台所・園生の前は、松也とい
うから清新だ。春藤玄蕃が市蔵、涎くり与太郎が亀蔵と松島屋兄弟が、脇を固める。
いずれにせよ、良し悪しは別にして、13回観た「寺子屋」のなかでも、いつもと、
一味違う舞台であった。」


「吉野山」も19回目の拝見。今回の道行は、梅玉、藤十郎というペア。義経さまに
「逢いたい、逢いたい」という一途な静御前の気持ちに、主従を意識した梅玉の狐忠
信は、ひたすら従う。それをゆるり、ゆったり、重厚ながら、柔らかく受け止める藤
十郎の静御前。

今回は、1年前の前回(13年10月歌舞伎座、通し上演で、「道行初音旅」は三幕
目だった。この時は、菊五郎と藤十郎という人間国宝ペア)同様、花道からの静御前
の登場が無い(上演時間をショートカット。通常は杖や笠を持って、花道から登場す
る)。幕が開くと、舞台全面を浅黄幕が覆っている。幕の振り落としになると、舞台
中央に赤姫の衣装ではなく、金絲雀色(カナリア色、クリーム色に匹敵する日本の色
名は無いというが)の衣装(櫛簪などは、いつもの「赤姫」のよう)に身を飾った静
御前(藤十郎)がひとりで鼓を抱えて立っている。鶯の声。お供の忠信を探して初音
の鼓を打つと、やがて、花道「すっぽん」から狐忠信(梅玉)が、セリ上がってく
る。源氏車の紋様のない無地の濃い紫色の衣装で踊りながら、本舞台へ。

延寿太夫ら清元連中に合わせて、梅玉の狐忠信は、執事のように畏まって、遠慮がち
に、舞台中央に佇む静御前を背後から包み込むように近づいて来る。「弥生は雛の妹
背仲/女雛男雛と並べて置いて…」。梅玉はそっと両手を伸ばす。雛人形に見立てて
ふたりでポースを取る。定式通り、「ご両人」と大向うから声が掛かる。

「誠にそれよ越方を…」からは、葵太夫ら清元連中に竹本連中が加わり、掛け合いと
なる。忠信は屋島での源平合戦の様子を仕方で演じる。無地の濃い紫色の衣装の両肩
を脱ぐ。下から現れた水色の衣装には小振りの源氏車の紋様が多数付いている。「海
に兵船 平家の赤旗 陸に白旗…」。忠信の兄の継信の非業の死をふたりで悼む。

花道から現れた「半道敵」の早見藤太(橋之助)と花四天らと静御前・狐忠信の絡
み。滑稽な場面や所作立てとなる。やがて、狐忠信の超能力を使って、藤太や花四天
らに静御前の杖や笠を持ってこさせるなどして、ふたりの旅支度の用意をさせる。恋
しい義経のいる川連法眼館(「四の切」)を目指して、藤十郎の静御前に畏まって付
き従う梅玉の狐忠信は吉野山の山中へと分け入って行く。


勘三郎二代の追善興行は、松竹も全面的にバックアップしているように感じられる。
勘九郎と七之助兄弟への支援も凄い。七之助は、こう言っている。「一人だったら、
この追善もやらせていただけなかったと思います。父が加わってしまったのは残念で
すが、兄弟二人いたからこそで、本当によかったです」。それは、夜の部の「鰯賣戀
曳網」の舞台が、証明しているように見受けられる。

三島由紀夫原作の新作歌舞伎「鰯賣戀曳網」は、1954(昭和29)年11月の歌
舞伎座が初演。室町時代の御伽草子「猿源氏」を元に、「精進魚類物語」、「小夜姫
の草子」も加味して作り上げた。十七代目勘三郎の猿源氏と歌右衛門の歌右衛門とい
うコンビ。歌舞伎座ほかで5回上演された。以後、以下のようにバトンタッチされ
た。十七代目勘三郎・歌右衛門 → 十八代目勘三郎・玉三郎 → 勘九郎・七之
助。十八代目勘三郎・玉三郎のコンビでは、7回上演された。このうち、私は、4回
観ている(勘九郎時代が2回。勘三郎襲名後が2回)。今回が、5回目。勘九郎・七
之助では、初演。私も初見。この演目は、もう、玉三郎は演じないのではないか。
そっくり、勘九郎・七之助のコンビにバトンタッチされたのではないかと、推測す
る。

明るく、笑いのある恋物語である。名代の傾城に恋した鰯賣が、大名に扮して傾城の
いる五條東洞院に繰り込むが、傾城は、実は、姫様で、かって御城下で聴いた売り声
の鰯賣に恋をしていたというメルヘンである。喜劇的なメルヘンに歌舞伎の様式美、
竹本の浄瑠璃と演奏で、歌舞伎味を濃厚に工夫した。

幕が開くと、第一場「五條橋の場」。舞台中央に五條橋。「ごでうはし」と書いてあ
る橋の袂。橋の上手にある「開帳」と書かれた2本の立て札には、それぞれ、「多聞
寺」「保元寺」と書いてある(橋を含めて、これらの大道具は、引き道具という仕掛
けで、後の場面展開の際、上手と下手に紐で引っ張られて行って、第二場「五條東洞
院(ひがしのとういん)の場」へ)。博労(獅童)、鰯賣猿源氏の父親(弥十郎)の
出会いの場面。息子の近況を顔見知りの博労に尋ねるが、要領を得ない。やがて、商
売の天秤棒を担いだ息子の猿源氏(勘九郎)が、花道から現れるが、売り声に元気が
ない。傾城との恋煩いを告白する猿源氏。上洛新参の大名に化けて、傾城に逢いに行
くことを父親は思いつく。

第二場「五條東洞院の場」。引き道具で場面展開すると、五條東洞院の揚屋。傾城た
ち(巳之助、新悟、児太郎、虎之介、鶴松)が、貝合わせ(一種のカルタ遊び)をし
ている。蛍火(七之助)も、孔雀の絵が描かれた豪壮な襖を開けて奥から出てきて、
遊びに加わる。

やがて、大名に化けた猿源氏の一行が、花道から現れる。遊廓に初心な猿源氏と傾城
たちのやりとり。蛍火との盃をかわす猿源氏。笑いのうちに進行。酔って蛍火の膝を
枕に寝入ってしまう猿源氏。寝言で、日頃言い慣れた売り声(「伊勢の国に阿漕ヶ浦
の猿源氏が鰯かうえい」)を呟いてしまい、正体が露見する羽目に陥る。

だが、それが幸いして、傾城・蛍火は、実は、丹鶴城の姫君で、その頃から、城下で
商いをする猿源氏の「鰯かうえい」という売り声に魅了されていたと告白する。その
結果、ふたりは、相思相愛だったことが判る、という結末。

これまでは、毎回、勘三郎が、鰯賣猿源氏を演じ、玉三郎が、傾城・螢火、実は、丹
鶴城の姫を演じる。当然のことながら、ふたりの手慣れた世界が出現する。歌舞伎仕
立てのお伽噺。目に愛嬌のある勘三郎と目に色気のある玉三郎のふたりが、それを肉
体化する。恋の成就で、めでたしめでたしで幕となるが、随所に笑いをこしらえる勘
三郎のキャラクターが、なんとも、良かった。

勘九郎は、兎に角、父親の十八代目の真似をするだけで精一杯という芝居。口跡も
そっくり。しかし、笑いを取る工夫が父親に比べるとまだ足りないか。但し、若いだ
けあって、鍛えてもいるのだろうが、身体が柔軟で、「軍物語」の件では、鯛の赤
介、平目の大介、蛸の入道が登場する魚たちの珍妙な軍物語をコミカルに演じる。
「蛸踊り」などの場面は、父親よりも笑いを誘う。七之助は、玉三郎とは、ひと味違
うが、色気はある。玉三郎を「ライバル(笑い)」という辺りは、余裕綽々の感があ
る。

贅言;「五條東洞院の場」。勘三郎がかつて言ったこと。大名に扮した鰯賣猿源氏が
恥ずかしがって禿を突き飛ばすと、少女は、見事に後転する。勘三郎に言わせると、
ここは、すでに「型になっている」ということだったが、勘九郎がやると、ちょっと
違う。まだ、型になっていない。

このほかの配役では、猿源氏の父親・海老名なむあみだぶつの弥十郎、博労で、猿源
氏の「大名」の家臣役に扮し、遊廓初心の、猿源氏を助ける獅童(初役)、亭主の家
橘(初役)、丹鶴城の行方不明の姫(今は、蛍火)を探索中の庭男、実は、薮熊次郎
太という市蔵などと脇は達者な役者で固めている。清新だったのは、綺麗どころの傾
城たち。巳之助、新悟、児太郎、虎之介、鶴松の面々。

昼夜通しの贅言;中村屋一門の長老・小山三が、元気。94歳。昼の部の「伊勢音頭
恋寝刃」の伊勢古市遊廓の油屋の仲居・「千野」役で登場する(玉三郎が、仲居・
「万野」なので、それに因んだか)。油屋店先で客の万次郎(梅玉)を迎える遊女・
お岸(児太郎)の場面。奥との繋役で小山三が出入りすると、観客席から大きな拍手
が巻き起こる。
- 2014年10月5日(日) 11:34:29
14年10月歌舞伎座(昼/「新版歌祭文 野崎村」「近江のお兼」「三社祭」「伊
勢音頭恋寝刃」)
 
 
十七代目二十七回忌、十八代目三回忌ということで、勘三郎二代の追善興行。馴染み
の演目ばかりの昼夜通しとなった。それも、急逝した十八代目の遺志を引き継ぐ仁左
衛門が勘九郎を、玉三郎が七之助を昼夜それぞれの演目で指導育成する舞台が続い
た。演目のバトンタッチも宣言された。そういう意味では、勘九郎、七之助の兄弟に
とって節目の興行。松竹も全面的にバックアップしているように感じられる。七之助
は、こう言っている。「一人だったら、この追善もやらせていただけなかったと思い
ます。父が加わってしまったのは残念ですが、兄弟二人いたからこそで、本当によ
かったです」。それは、夜の部の「鰯売恋曳網」の舞台が、証明することになるだろ
う。

「新版歌祭文 野崎村」は、世代交代の舞台。私は5回目の拝見。初めて観たのは、
95年12月の歌舞伎座。勘九郎時代の勘三郎のお光、富十郎の久作(父親)、玉三
郎のお染、澤村藤十郎(現在、病気休演中)の久松、松江時代の魁春のお常(後家、
お染の義母)。滅多に出て来ないのだが、今回同様、盲目の久作妻・おさよに亡く
なった吉之丞が出ていた。今回の主な配役は、七之助のお光。弥十郎の久作(父
親)、児太郎のお染、扇雀の久松、秀太郎のお常(後家、お染の義母)。歌女之丞の
久作妻・おさよ(後妻、お光の実母)。前回(4回目)、13年8月納涼歌舞伎の花
形の配役の歌舞伎座は、福助のお光、弥十郎の久作、七之助のお染、扇雀の久松。東
蔵のお常だったので、今回の方が、いちだんと若返った。

贅言;おさよ(歌女之丞)は、盲目で、上手の障子の間に籠っている。障子の間を病
間として使っている。従って、彼女は情報過疎の状態にある。実の娘・お光が養子の
久松と婚礼を挙げるというところで情報が止まったままだ。大坂から久松を追って来
たお染が座敷にいることも、お染が命を賭してまで久松に執着していることも知らな
い。お染の気持ちを知ったお光が身を引き、髪を切って、尼になる決意をしたことも
知らない。そういう場面で、久作に導かれて障子の間から座敷に出て来る。その後の
経緯を知らないおさよは、素直にお光の婚礼を喜んでいる。出家を覚悟したお光への
申し訳なさから、再び剃刀で手首を切ろうとするお染の異常な息遣いを聴き止めて、
お光に這い寄るおさよ。実母は、娘が「五条袈娑」を首から掛けていることを手触り
で察し、お光の出家の覚悟を初めて知り、嘆く。普段は、省略される場面(私は、
「野崎村」を5回観ているが、この場面を観たのは、今回含めて2回だけ)だが、こ
れがあることで、お光とお染という、ふたりの娘の互いを気遣う情愛とどうにもなら
ない悲劇の深さを観客は改めて知ることになる。歌女之丞の抑制された演技が、脇で
光る。

因に、私が観た「野崎村」の2回目は、05年2月の歌舞伎座の舞台。芝翫のお光、
富十郎の久作、雀右衛門のお染、鴈治郎の久松、田之助のお常。5人全員が人間国宝
という重量級の組み合わせであった(その後、3人が亡くなった)。3回目は、福助
のお光、弥十郎の久作、孝太郎のお染、橋之助の久松、秀調のお常。5回の配役を並
べてみると、段々若返っている。ここへ来て、一気に若返って、世代交代が一段と進
んだのが判る。

「新版歌祭文 野崎村」は、近松半二ほかの原作で、左右対称の舞台装置を得意とす
る半二劇の典型的な演劇空間。両花道と廻り舞台のスムーズな連携が、この演目のハ
イライト。話の筋としては、店で不祥事を起こして実家に逃げ帰った青年とそれを
追って来た経営者の娘、それを連れ帰りに来た経営者の後家さん(娘にとっては、継
母である)。筋は単純、お染も、久松も、店に戻されるという展開になるだけの話。
久松とお染・お常が、駕篭と舟に別れて別々に大坂の店に帰る場面が、見せ場。本来
は、両花道(本花道=川、仮花道=土手)を使ってたっぷりみせる別れの場面が、最
近は、今回同様、本花道=土手だけの演出が多い。舟溜まりのある家の裏の川に浮か
んだ舟は、上手奥に入って行くだけ。

この芝居は、「お染・久松もの」の系統だが、「野崎村」という通称に示されている
ように、軸となるのは、野崎村に住む久作と後妻・おさよの連れ子のお光の物語。大
坂の奉公先で、お店のお金を紛失し、養父・久作の家に避難して来た養子の久松、久
松と恋仲で久松の後を追って訪ねて来たお店のお嬢さん・お染、さらに、お染を追っ
て来たお染の義母・お常が登場する。後家のお常は、久松の嫌疑を晴らし、兎に角、
原状回復ということで、お染と久松を大坂に戻す役。お光、お染のふたりの女性の愛
憎物語の一面もあるのだが、軸のなる人間関係は、やはり、お光と久作の親子である
ことを忘れてはならない。最後の場面で、出家して行く娘と世俗に残る父親、ふたり
だけが舞台に残り、クローズアップされるので、良く判る。

お光は、田舎娘らしい初々しさが大事。こういう役は、七之助の母方の父・芝翫が巧
かった。年齢を感じさせない、初々しさは、芝翫の美質のひとつであろう。七之助
は、若さは、実年齢に近いが、初々しさの表現が、未だ足りない。お嬢様育ちのお染
(児太郎)は、お光に比べると、おっとり、ゆったりしている。しかし、心中(しん
ちゅう)には、烈しいものを秘めている。剃刀を隠し持ち久松との心中(しんじゅ
う)をも辞さないという強気が隠れているからである。ふたりの若い娘の衣装の色
が、印象的。赤いお染。若緑のお光。

扇雀の久松が、ちょっと、娘役たち(七之助、児太郎)の若さに負けているが、さす
が上方味を出していた。久松は、未成熟で、頼り無いが、これが、上方和事の「つっ
ころばし」の味わいの役どころなのだ。ふたりの娘たちに気を使い、優柔不断。弥十
郎の久作(今回、4回目)は、役どころの壺を心得てきたようで、味が出てきた。久
作は、私が観た中では、富十郎が本当に巧かった。見どころの灸を据える場面だけで
はない、大坂弁の科白回しに、なんとも、味わいがあった。お光・久松・お染の若い
3人の男女の関係をバランス良く目配りするのは、久作役者の仕どころである。

大道具が廻る。久作の家が、裏表を見ることができる仕掛けだ。裏手に舟溜まりのあ
る家。両花道のときは、舞台に敷き詰められていた地絣を取り除くと、下から青い水
布が出て来て、同じように水布が敷き詰められた本花道の川へと繋がる。しかし、今
回は、最初から、平舞台は、下手行き止まりの舟溜まりとなっていて、川は、上手奥
に続いている(ように見えるだけ)。両花道の場合は、本花道が、川で、仮花道が、
川の土手の街道となり、大坂方面に向かう船と土手を行く駕篭の「併行」、別れ別れ
に店に戻る男女を引き裂くのは、「観客席という河川敷」という卓抜な演出方法をと
る。今回のような本花道だけの演出では、ダイナミックさが表現できない。

本舞台、船溜まりの堤防上にある久作の家では、死を覚悟したお染・久松の恋に犠牲
になり、髪を切り、尼になったお光だが、そこは、若い娘、大坂に帰る、お染の乗る
舟と久松の乗る駕篭をにこやかに見送りながら、舟も駕篭も見えなくなれば、一旦,
放心した後、我に返ると、狂ったように、父親に取りすがり、「父(とと)さん、父
さん」と泣き崩れる娘であった。

竹本に、早間の三味線が、ツレ弾き(2連で演奏)されるのは変わらないが、「さら
ば、さらばも遠ざかる、舟と堤は隔たれど」という文句通りには、いつものように、
賑やかに、情感を盛り上げたいのだが、舞台を上手に移動する舟が動く距離が短く、
本舞台上手にすぐに入る訳にいかず、櫓を漕ぐ船頭もほとんど動かずということで、
前回同様、なかなか、苦しい演出だった。

歌舞伎の芝居に駕篭は良く出てくるから、駕篭かき役者は、星の数ほどいるかもしれ
ないが、「野崎村」の駕篭かきを演じる役者は、「天下一の駕篭かき役者」と言われ
た。別れの場面を長引かせようと、駕篭かきは、土手でひと休みして、汗を拭う。舟
は、と見れば、船頭も同じように汗を拭く。いまは、亡くなってしまったが、四郎五
郎と当時の助五郎(後の、源左衛門)のコンビは、絶品だった。花道では、駕篭かき
の見せ場があるだけに、両花道が使えないとその時間稼ぎが苦しい。

今回の駕篭かきは、松十郎と橋吾。一昨年9月に名題昇進の橋吾は、去年の歌舞伎座
の舞台に続いて、今回も後の駕篭かき役。下帯一つの姿になり、汗を拭ったりして、
見せ場を稼いでいた。

贅言;歌舞伎は、役者が舞台で横に並ぶことがなんと多い芝居だ。今回、「野崎村」
のある場面で、その点を注意して観てみた。題して、「一直線に並ぶ三角関係の芝
居」。1)花道から久松を追って登場したお染が、久作の家の木戸の外に立つ。最初
に応対したお光が、その若い娘が「恋敵」のお染だと察して、奥から久作とともに出
てきた久松との間に入り込み邪魔をする。木戸の外のお染、広縁のお光、座敷の久松
が、斜めに一直線に並ぶ。2)お染と久松のぎくしゃくした関係に気づいた久作がお
染と久松の間に入り、横に一直線に並ぶ。但し、久作は木戸の外にいるお染には気が
ついていない。3)久作が、木戸の外のお染に気が付いたのを察知して、お光は、お
染と久作の間に入り、横に一直線に並び、久作の邪魔をする。邪魔された久作は、奥
へ入る。4)久作がいなくなったので、木戸の中に入ってきたお染は、さらに座敷に
上がり込む。悲嘆するお染は座敷下手の柱に掴まり、「抱き柱」の所作となる。持参
した剃刀で左手首を切ろうとするなど、お染は積極的に久松にアピールをして愁嘆場
を演じる。再び、奥から出てきた久作はお染と久松の間に入り、横に一直線に並び、
愁嘆場を強調する。横一線に並ぶのは、舞台演劇の「空間」の関係もあるだろうが、
歌舞伎が、それぞれの役者を観客に見せることを最優先とする演劇だということでは
ないのか。可能な限り、贔屓の役者の顔を観客に見せる演劇、それが歌舞伎の特質の
一つということだろう。


所作事2題は、「上・近江のお兼 下・三社祭」。


別称「晒女(さらしめ)」、あるいは、「團十郎娘」ともいう「近江のお兼」は、4
回目の拝見。元は、近江八景になぞらえた八変化の舞踊の一つ。そのひとつが「晒女
(さらしめ)の落雁」。だから、背景も、琵琶湖の遠見。琵琶湖西岸(堅田の浦、浮
見堂の近く)か。女形の所作事に立ち回りが組み込まれている。長唄の「色気白歯の
團十郎娘、強い、強いと・・・」という文句は、七代目團十郎によって初演された
「大切(おおぎり)所作事」だからだ。「近江のお兼」は、女形に「荒事」を加味さ
せた変化舞踊だ。力持ちのお兼という若い娘の「武勇伝」が、女踊りの隠し絵になっ
ている。

お兼の出は、いろいろある。花道から暴れ馬が出て、それからバタバタの付け打ち入
りで、晒し盥を持ち、若緑の衣装に赤い帯、高足駄を履いた姿は可憐な賎女(しずの
め)ながら、大力の持ち主の若い女性、お兼が、馬の手綱を足で踏み、馬を止めると
いう出は、前回(06年8月歌舞伎座)の福助が取った演出。今回の扇雀も、同じ。
01年7月国立劇場の菊之助と03年8月歌舞伎座の勘九郎時代の勘三郎は、馬が、
からまず、まず、お兼だけがせりで舞台に出て来て、上手、下手、正面と観客に愛想
を振りまいていた。その後、花道から馬の出となっていた。このほかの演出では、お
兼の出は、「からみ」と呼ばれる大勢が、投げ飛ばされて、お兼が出てくるという演
出もあるという。

若くて綺麗な娘が、大力の持ち主という意外性が売りで、初演の七代目團十郎の舞台
が評判を呼び、だから、別称「團十郎娘」と言われる。男が女を演じる女形が、娘の
姿のなかに男を隠している。それが、「近江のお兼」という演目の真骨頂だろう。ク
ドキ、盆踊り、鼓唄、布晒し(だから、別称「晒女」とも言われる)。布晒しでは、
下駄を使ったタップダンスのような所作が時折、混じる。

花道でお兼が、若い者と対になって、背中を使い、逆海老反りになるのに合わせて、
舞台中央で、馬は、立ち上がり、前脚を高々と持ち上げるが、これは、馬の脚役者の
うち、後脚の役者が前脚の役者を肩に乗せるという荒技。前脚を持ち上げた状態が暫
く続くという力業。それでいて、馬の脚は、筋書に配役は明記されないというのが、
歌舞伎の約束事。

馬が舞台上手に退くと、若い者ふたりが、お兼に絡んでの立ち回りとなる。お兼は、
両手に持った長い晒し布を巧みに操りながら、立ち回りの所作。長さが1丈2尺(お
よそ3・6メートル)ある。晒し布を舞台の床に着けないようにする新体操のような
演技。立回りは、ふたりが相手なので、おとなしい。菊之助のときは、8人が絡んで
ダイナミックだった。

最後は、お兼が「黒」という目立たない「三段」(普通、大見得をする場合に乗る
「三段」は、目立つように緋色)から、さらに馬の背に膝をついて座って布晒しをし
た後、左手を高々と上げる。舞台の上手下手に若い者がそれぞれ位置して、引っ張り
の見得で、幕。

贅言:黒の「三段」とは、珍しい。馬を舞台中央に立たせ、その後ろからお兼が馬の
背に乗るため、消し幕色としての黒で「三段」を「隠し」ているのだろう。確かに、
馬体の下に黒の「三段」が入り込み、目立たない。

一旦閉まった定式幕が再び開くと、舞台は、浅黄幕が全面を覆っている。「三社祭」
は、7回目の拝見。暗闇のなかで開幕し、明転する演出もある。浅黄幕の振り落し
(明転効果)で、舞台中央に後ろ向きの船頭ふたりがいるのが判る。振り向くと橋之
助と獅童。背景は、宮戸川。清元:「弥生半ばの花の雲 鐘は上野か浅草か 利生は
深き宮戸川」。

水玉模様の手拭を巧みに使って、おかめ、ひょっとこの振り。さらに、いつものよう
に、天井から雲が下りて来て、ふたりの漁師に善玉、悪玉がとりつく。善玉、悪玉の
仮面は、円い銀地に善、悪の文字だが、ご承知のように、善も、悪も、字のなかに、
眉、目、鼻、髭、口が、巧みに隠されている。悪玉(橋之助)、善玉(獅童)。見せ
物の曲芸を模した玉尽くしの踊りなど、躍動的で、軽妙ながら、かなり、激しい踊
り。


「つっころばし」と「ぴんとこな」


「伊勢音頭恋寝刃〜油屋・奥庭〜」は、仁左衛門が勘九郎を、玉三郎が七之助を指導
育成する舞台。私は、7回目の拝見。劇評をコンパクトにしたいので、2点に絞って
論じる。1)今回、昼の部の見どころは、「つっころばし」(「野崎村」の久松)と
「ぴんとこな」(「伊勢音頭恋寝刃」の福岡貢)の対比。2)仁左衛門が勘九郎を、
玉三郎指導育成する。

「つっころばし」(今回は、「野崎村」の久松)と「ぴんとこな」(今回は、「伊勢
音頭恋寝刃」の福岡貢)は、いずれも上方和事の立役の人物造型。「つっころばし」
は、「ちょっと肩などを突つくと転んでしまいそうな、柔弱な容姿からついた名称。
立ち姿、歩き方、科白廻しなどにも男ながら女形のような色気が要求される。痴呆的
なほど、遊女との恋にぼうっとはまり込んでいるような、いかにも生活力とは無縁な
ような、年若い優男。濡事(官能的な演技)師、女たらし。久松以外では「夏祭浪花
鑑」の磯之丞、「双蝶々曲輪日記」の与五郎などが、「つっころばし」。

これに対して、「ぴんとこな」は、同じ濡事師、女たらしながら、一種の強さを持っ
ている。「ぴんとこな」の「ぴん」は、「ひんとする(きっとなる)」ではないか、
という説がある。元禄期には、「手強さのある若女形」が、「ひんとこな」と呼ばれ
たことがあるというが、次第に、立役の和事系統の人物類型として定着してきた、と
いう。柔らかな色気を滲ませながら、「つっころばし」のような女方っぽい色気にな
らずに、立役的な手強さを感じさせなければならない、という。役づくりは、江戸和
事の中で洗練されてきた。「ぴんとこな」は福岡貢以外では、「心中天の網島」の治
兵衛など。

「伊勢音頭恋寝刃」は、実際に伊勢の古市遊廓であった殺人事件を題材にしている。
事件後、およそ2ヶ月、急ごしらえで作り上げられただけに、戯曲としては無理があ
る。原作者は、並木五瓶が江戸に下った後、京大坂で活躍した上方歌舞伎の作者近松
徳三ほか。詳しい人物像は判らない。筆の勢いのままに、いわば、ラフなコンテの様
に書きなぐったような作品だが、芝居には、「憑依」という、神憑かりのような状況
になるときがあり、それが「名作」を生み、後世の役者の工夫魂胆の心に火を付け
る。

馬鹿馬鹿しい場面ながら、汲めども尽きぬ、俗なおもしろさを盛り込む。それが歌舞
伎役者の藝。そういう工夫魂胆の蓄積が飛躍を生んだという、典型的な作品が、この
「伊勢音頭恋寝刃」だろう。最後に、お家騒動の元になった重宝の刀「青江下坂」と
「折紙(刀の鑑定書)」が、揃って、殺人鬼と化していた貢が、正気に返り、主家筋
へふたつの重宝を届けに行く、「めでたし、めでたし」の場面というの俗っぽさ。

長い間上演され続ける人気狂言として残った理由は、お馴染みのお家騒動をベース
に、主役の福岡貢へのお紺の本心ではない愛想尽かしから始まって、ひょんなことか
ら妖刀「青江下坂」による連続殺人(9人殺し)へというパターン。伊勢音頭に乗せ
た殺し場の様式美の巧さ。殺しの演出の工夫。丸窓の障子を壊して貢が出て来る場面
は、上方型。絵面としての、洗練された細工物のような精緻さのある場面。無惨絵の
絵葉書を見るような美しさがある反面、紋切り型の安心感がある。そういう紋切り型
を好む庶民大衆の受けが、いまも続いている作品といえそう。この芝居は、もともと
説明的な筋の展開で、ドラマツルーギーとしては、決して良い作品ではない。ドラマ
ツルーギーの悪さを演出で補ったということだろう。

江戸型として、静止画的な絵姿の美しさ(残酷美も含めて)を強調した、いまのよう
な演出に洗練したのが、幕末から明治にかけて活躍し、「團・菊・左」として、九代
目團十郎、初代左團次と並び称された五代目菊五郎だという。粋な江戸っ子の粋を凝
縮したような、この立役の大物は、上方に残った型として、「和事」の遊蕩児の生態
を強調して、福岡貢という役柄に磨きをかけた。

颯爽とした二枚目ぶりを強調した仁左衛門で私が3回観た福岡貢を勘九郎で観るの
は、私は初めて。勘九郎自身は、いま建て替え工事中の名古屋・御園座で演じて以
来、2回目だという。前回も、今回同様、仁左衛門が脇で料理人・喜助(福岡貢の元
の家来筋の人間)を演じながら、十八代目勘三郎に頼まれたということで勘九郎を指
導育成した、という。「出過ぎずに陰で貢を支えている」(仁左衛門)ということだ
が、勘九郎の福岡貢は、まだまだ。颯爽とした二枚目が、最後に殺人鬼となる貢の、
鬼気に迫る見せ場は、仁左衛門の役柄だろう。勘九郎の今後の精進に期待したい。私
が観た福岡貢は、仁左衛門(3)、團十郎(2)、三津五郎、そして今回が、勘九
郎。

贅言;今回仁左衛門が演じた料理人・喜助は脇役ながら、貢の味方であることを観客
に判らせながらの演技という、いわば「機嫌良い役」。私が観た喜助は、勘九郎時代
の勘三郎、富十郎、三津五郎、海老蔵、橋之助、梅玉、そして今回が、仁左衛門。顔
ぶれが多彩で、この役を演じる役者の品定めもできて愉しい。

七之助が、初役で演じたお紺。歌舞伎では、女が男に愛想尽かしをする名場面がいく
つかある。「伊勢音頭恋寝刃」のお紺、「籠釣瓶花街酔醒」の八ッ橋、「名月八幡
祭」の美代吉、「御所五郎蔵」の皐月など。似ているようで違う役柄を演じ分けるこ
とで女形としての蓄積を深めて行く。仁左衛門と同じように、玉三郎は、脇で仲居万
野を演じながら、お紺初役の七之助を指導育成したことだろう。因に玉三郎は、お紺
を2回、万野を、今回含めて3回演じている。私が観たお紺は、福助(2)、時蔵
(2)、雀右衛門、魁春、そして今回が、七之助。万野は、玉三郎(今回含め、
3)、菊五郎、芝翫、勘三郎、福助。

脇で、笑わせながら、大事な役どころを勤めるのは、実は、遊女・お鹿。私が観たお
鹿は、田之助(4)、弥十郎、東蔵、そして今回初役の橋之助。もともと、類型ばか
りが目立つ、典型的な筋の展開、人物造型の「伊勢音頭恋寝刃」の中で、お鹿は、類
型外の人物として、脇役ながら難しい役柄。キーパーソン。貢への秘めた思いを滑稽
味で隠しながらの演技。それだけに、藝の実力が試される。田之助のお鹿は、当り役
で、連続殺人という悲劇の前、場の雰囲気をやわらげてくれた。弥十郎、今回の橋之
助も、滑稽味が強すぎるのではないか。
- 2014年10月4日(土) 14:58:02
14年09月国立劇場・(人形浄瑠璃第三部/「不破留寿之太夫」)
 
 
新作人形浄瑠璃は、シェイクスピア版「憲法九条」


新作人形浄瑠璃「不破留寿之太夫」は、シェイクスピア原案の新作もの。元になって
いるのは、17世紀初頭に上演された「ヘンリー4世」、「ウインザーの陽気な女房
たち」。シェイクスピア学者の河合祥一郎脚本。三味線方の人間国宝・鶴澤清治作
曲。主人公は「巨漢で色好みのお調子者」の、フォルスタッフ。それゆえに、付けた
外題は、「不破留寿之太夫(ふあるすのたいふ)」という。フォルスタッフは、「ヘン
リー4世」、「ウインザーの陽気な女房たち」の両方に登場する。

何処かの国の、いつとも知れぬ時代(と、言いながら、17世紀初頭、まあ、日本で
言えば、江戸時代開幕の頃らしい)の物語。老齢の領主(出ては来ない)、跡継ぎの
春若という王子と王子の傅役の不破留寿之太夫という武士のコンビが巻き起こす笑劇
(ファルス。フォルスの由来か?)。まあ、一種の御家騒動もの。

新作の床本の冒頭を書き写してみよう。

「人の命はやがて消ゆる束の間の灯。誉れありといへども命果つれば益なし。真の武
勇は分別にあり、戦をせぬこそ分別なり、命が物種とて、爰(ここ)に戦はぬ武士あ
り。戦はずして兵を屈するは上なり、百戦百勝は中なり。誉れ得んとして命捨つるは
下なりと言ふ」

舞台下手に黒マントほか、全身黒づくめの衣装を着た老人が現れる。太夫の語りは、
この老人のモノローグなのか。不破留寿之太夫の思いなのか。誰なんだろう、この老
人は?  筋書の登場人物にも記載がない。

それにしても、いつの時代とも知れぬ、どこかの国とは。かえって、時空を超えてい
る。まるで、戦争放棄で平和を守れ、平和を守る集団的自衛権を持てと、論議中の、
どこかの国の現代劇ではないのか。

★桜の木の下には…

「己こそ賢者なりと豪語して酒に酔ひ臥し、長閑けき春の星月夜、小夜鳴き鳥の囀り
を掻き消さんばかりの高鼾」と、桜の巨木の根っこで眠りほうけている巨漢を紹介す
るのは、正体不明の老人。これからの芝居の案内役になるつもりなのか。

それにしても、この巨漢、容貌怪異につき、要注意。薄い頭に金髪、黒い眉と髭。太
鼓腹の上にある胸には、やはり金髪の胸毛。耳にはピアス(シェイクスピアもピアス
好きだったらしい)、臍には、星形の「へそピ」を付けている。

この酔いどれ男こそ、不破留寿之太夫。この芝居の主人公。この男の話に耳を傾けて
みよう。自分は侍、「天下無双の兵」だという。領主は、死にかけた老爺、世継は、
大うつけ。バカ君の世話係が自分だ。いたって、酒好き。居酒屋の女房、蕎麦屋の女
房に同じ付け文をして、酒に与ろうと思い付いた。

桜の巨木に登っていた青年が降りてきた。「杏里の国の世継、春若」と名乗る。敵国
を欺くために、うつけの真似をしているが、「いざ時来たらば」名君になると嘯く。
今宵は、百両の大金を持った役人がひとりで通りかかるそうだから、追い剥ぎをしよ
うと傅役の家来に持ち掛ける有様。

巨漢の付け文を貰った居酒屋と蕎麦屋の女房、お早とお花が、それぞれ、時を同じゅ
うして、上手と下手から現れる。それぞれ、幼馴染で気心が知れているから、届いた
付け文について、どうしたものか、相談しようという心算。見せあえば、同文同報通
知。BCCの電子メールと同じ。誠意も愛情もない、腹が立つ、と怒り出す。

桜の巨木の下の死体ならぬ酔体の巨漢を見つけて、意趣返しを思いつく。お花は隠
れ、お早が、巨漢を攻める。男騙しの色仕掛け。男の胸元に返書を滑り込ませる。次
いで現れたお花が、同じように男の胸に返書を差し込む。

恋のしがらみ蔦かづら。女同士の喧嘩に見せかけて、ふたりは巨漢を叩き合う。不破
留寿之太夫の顔は腫れ上がり、頬は、紅葉か杜若。赤、紫に染まり行く。腫れた頬が
付けられて、滑稽顔。

このくだりは、「妹背山婦女庭訓」の「道行恋苧環」をモデルに、不破留寿之太夫を
求馬に見立て、二人の女房をお三輪と橘姫の三角関係になぞらえて、作劇したとい
う。

★星月夜

やがて、件の旅人、役人が来る。金を奪い取り、「思ひがけなくて手に入る百両。こ
いつは春から縁起がええわ」と芝居の名科白。般若の面を付けた鬼面の男が現れ、不
破留寿之太夫が旅人から奪った金を奪われてしまった。

★居酒屋

居酒屋の女房と蕎麦屋の女房がホステス役。客は、不破留寿之太夫の家来たち。鬼面
を外した春若も先回り、先回り。

遅れて来た不破留寿之太夫は、居酒屋に屯している連中相手に法螺の武勇伝を語り出
す。こりゃ、講談師より巧い。話しているうちに、立ち回りの相手の賊の人数が増え
て行く。ひとりが、二人、四人、八人、十六人、五十人、百人、と語るたびに、倍倍
ゲーム。百一人目に負け、金も取られた。

不破留寿之太夫のあまりの嘘に春若は、鬼面を付けて見せる。驚くと思いきや、不破
留寿之太夫は、鬼面の男を領主の世継の春若と見抜いて、「ご無礼なきよう逃げたま
で」と、ほざく。嘘つきは、どこまでも嘘つき。「ヤクザは見栄で生きているから平
気で嘘をつく」(直木賞受賞第一作・黒川博行「後妻業」より)。見栄張りは、ヤク
ザばかりではない。武士も嘘つき、◯◯も嘘つき。

お城からの使者が慌ただしく、春若を訪ねてくる。老領主、俄に体調崩す、春若様に
急ぎ登城を、との報。親父に叱られると、春若と不破留寿之太夫は、親父面談の稽
古。最初は、不破留寿之太夫が領主役。途中から交代、春若が領主役。春若は、不破
留寿之太夫の日頃の悪行を挙げ連ね、「所払い」を命じる。

やがて、城から第二便の使いがくる。「只今、ご領主様ご逝去」。不破留寿之太夫
は、春若が領主になったことを悟る。傅役の自分は、出世間違いなしとはしゃぐが、
春若は、「そちは即刻所払いじゃ」と、稽古の時の科白を冷たく繰り返すばかり。

その理由は?

「太り過ぎじゃ」と、春若。「楽をして暮らす時代は終われり」。春若は、馬に乗り
城へ。

一人立ち尽くす不破留寿之太夫。
「春若は、名誉ある領主になったが、名誉など所詮浮世の泡沫。つまらぬもんぢゃ。
名誉にこだわって戦なんぞして、手足を失ったらだうする。(中略) 名誉とは何ぢゃ。
言葉ぢゃ。言葉は空気ぢゃ。空しいものぢゃ。やがて時が来れば、戦など愚かしいと
わかる時代もやって来やう。国と国とが争わぬ時代もやって来やう」(原文ママ)。

やがて、不破留寿之太夫の人形からは、左遣が離れ、主遣と足遣の二人遣になって本
舞台から客席に降りたち、花道ならぬ、西の歩みの通路を、客席の間を縫うように歩
み去って行く。舞台上手には、冒頭に姿を現したまま、行方不明だった老人が佇んで
いるばかり(居酒屋の群衆の中にいたらしい)。この老人こそ、江戸時代の紗翁
(シェイクスピア)か。

「戦争をしようとする国家にとって、不戦を貫くフォルスタッフはいなくなってほし
い存在なのだ」とは、脚本を書いたシェイクスピア学者の河合祥一郎。ならば、不破
留寿之太夫は、憲法九条なのではないのか。シェイクスピア版「憲法九条」の物語。
最後に不破留寿之太夫は、言う。「杏里の国とはおさらばして、別の国で愉快にやる
まで。どこで暮らさうと同じことぢゃ。ガハハハ」。

世継のうつけ者の若君・春若と不破留寿之太夫の関係は、好戦と反戦の関係。「国体
に取り込まれて戦争に突き進んでいく」春若、「どうすることもできない一庶民」不
破留寿之太夫の対比をこの新作人形浄瑠璃は、シェイクスピアと共に、伝えている。

人形造形は、石井みつるが担当。17世紀初頭、江戸時代開幕期の想定。衣装は、和
洋折衷の創作衣装。例えば、たっつけ袴とニッカボッカの類似性などに注目をし、独
自に作った。居酒屋の女房などの衣装は、和風の打掛をベースにスラッシュカット
(縦に切れ目を入れ、下着を覗かせる縫製)を組み合わせた。主人公の巨漢は、ピアス
を付けるなどお洒落で、おへそに星形の「へそピ」も付けている。実は、シェイクス
ピアも、ピアス好き。肖像画には、ピアスを付けたものもあるという。大道具(セッ
ト)も、担当。人形浄瑠璃の「定式」とは、大分趣きが違うが、独自の世界を醸し出
した。

義太夫は、英大夫、呂勢大夫、咲甫大夫、靖大夫。

人形遣は、三人遣の全員が、顔を隠しているので、主遣が顔を出しているいつもの演
出と感じが違う。人形遣が後ろに下ったような感じになり、いつもより人形たちの存
在感が大きくなった。不破留寿之太夫は、勘十郎。春若は、和生。お早は、簑二郎。
お花は、一輔。旅人(役人)は、紋臣。居酒屋亭主は、勘市。蕎麦屋亭主は、玉佳。

三味線ほかの楽器演奏。清治、藤蔵、清志郎、龍爾、清公。作曲の鶴澤清治の活躍を
見ると、人形浄瑠璃では、三味線方が、コンサートマスターや演出家の役割も果たす
ことが判る。

贅言:いわゆる「赤毛もの」(翻訳、翻案もの)の人形浄瑠璃を観るのは、同じく
シェイクスピア原案の「天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)」を09年9
月、国立劇場で、観て以来だが、古典伝承芸能の典型のような歌舞伎や人形浄瑠璃で
は、ときどき、こういう試みをするので、普通の人形浄瑠璃は鑑賞が難しくてと、敬
遠している人たちも、おもしろそうだと気が向いたら、是非とも劇場に脚を運んでい
ただきたい。人形浄瑠璃に溶け込んだシェイクスピアに出会えるだろう。
- 2014年9月18日(木) 15:16:38
14年09月国立劇場・(人形浄瑠璃第二部/「近江源氏先陣館」「日高川入相花
王」)
 
 
「近江源氏先陣館」。人形浄瑠璃で観るのは3回目。前回は、14年09月、国立劇
場で「和田兵衛上使の段」、「盛綱陣屋の段」。段の構成は、今回と同じである。私
の初見は、  09年12月、国立劇場で「坂本城外の段」「和田兵衛上使の段」、
「盛綱陣屋の段」であった。

「盛綱陣屋」は、大坂冬の陣での、豊臣方の末路を描いた時代物全九段構成「近江源
氏先陣館」の八段目である。複雑な筋立てを得意とした近松半二らの作品だ。物語
は、対立構造を軸とする。まず、鎌倉方(陣地=石山、源実朝方という設定、史実
は、徳川方で、家康役は、北條時政として出て来る)と京方(陣地=近江坂本、源頼
家方という設定、史実は、豊臣方)の対立。鎌倉方に付いた佐々木三郎兵衛盛綱
(兄)と京方に付いた佐々木四郎左衛門高綱(弟)の対立(実は、兄弟で両派に分か
れ、どちらが勝っても、佐々木家の血を残そうという作戦。つまり、史実では、大坂
冬の陣での真田家の信之、幸村をモデルにしている)。「三郎」兵衛盛綱の嫡男・
「小三郎」と「四郎」左衛門高綱の嫡男・

「小四郎」の対立。盛綱の妻・早瀬と高綱の妻・篝火の対立。八段目の発端となる
「坂本城外の段」では、近江の合戦で、小三郎が、組み打ちの果てに、小四郎を捉え
た(生け捕り)場面を描く。坂本城は、史実の大坂城である。

「和田兵衛上使の段」では、盛綱陣屋の前段が、描かれる。小三郎の初陣の手柄に沸
いている。鎌倉方の本拠地・北条時政が本陣を構える石山から先陣である盛綱陣屋に
戻って来た盛綱と小三郎。綱付きの小四郎も、人質として連行されて来る。盛綱の
母・微妙と妻の早瀬も姿を現す。京方は、小四郎を取りかえそうと侍大将の和田兵衛
を盛綱陣屋に使者として送り込んで来る。盛綱は、主君の北条時政の判断を仰がなけ
れば、決められないと答える。ならばと、和田兵衛は、石山の本陣に直談判に行くと
いう。
 
和田兵衛が、退出すると、先陣の下手に、陣幕と陣門が、設えられる。いよいよ、
「盛綱陣屋」の山場である。ここは、歌舞伎も人形浄瑠璃も、大きな差はない。
 
盛綱は、小四郎を餌に高綱を味方に引き入れようとしている北条時政の真意を見抜
き、高綱の迷いを無くすために、小四郎を討とうとするが、自ら討つわけには行かな
いので、小四郎に自害させようと企み、母親の微妙を巻き込む。微妙も、最初は、孫
同士の争いに涙しているが、高綱を助けるために、孫の小四郎を犠牲にするのもやむ
を得ないと承諾する。高綱の妻・篝火と盛綱の妻・早瀬の互いに矢文を使っての情報
合戦の後、微妙は、小四郎に切腹用の刀と無紋の死装束を渡し、父親高綱を生かすた
めに自害するように諭す非情の祖母を演じる。気も弱げに臆する小四郎。
 
しかし、策の通りには、事態は進まず、高綱が出陣をし、その挙げ句、鎌倉方に討ち
取られたという報が届く。やがて、北条條時政一行が、高綱の首を盛綱に実検させる
ために陣屋にやって来る。「首実検やいかに」が、最大の見せ場となる。
 
敵味方に分れた父親たちの苦渋の戦略のなかで、佐々木家の血脈を残すために、一役
を買って出た高綱の一子・小四郎がキーパーソンとなる。伯父の盛綱を巻き込んで、
父親の贋首を父親だと主張し、小四郎が、後追いを装って切腹するという展開だ。甥
の切腹の真意(父親を助けたい)を悟る盛綱は、主君北条時政を騙す決意をし、贋首
を高綱だと証言する。主君に対する忠義より、血縁を優先する。血族(兄弟夫婦、従
兄弟)上げて協力して、首実検に赴いた北条時政を欺くという戦略だ。発覚すれば、
己の命を亡くすと、盛綱は覚悟をしたのだ。小四郎が、子供ながら、大人同等の知恵
を働かせ、一石を投じた結果だ。
 
ところが、徳川家康をモデルにした北条時政は、やはり、したたかで、騙された振り
をして、贋首を持って帰るのだが、首実検の功のあった盛綱に褒美として与えられた
鎧櫃のなかに残置間者を隠すという戦略をとる。主君が立去った後も、鎧櫃のなかで
隠れて盛綱らの話に聞き耳を立てていた時政の残置間者・榛谷十郎が、戻って来た京
方の使者・和田兵衛に見破られて、短筒で撃ち殺されるという展開になることで、そ
れが判る。主君を欺いた責任を取り、切腹しようとした盛綱を諌め、切腹などすると
偽首だと自ら告白するようなものだ、折角の工夫が判ってしまうというのだ。その挙
げ句、和田兵衛は、北条時政の作戦を見抜き、残置間者を撃ち殺したという訳だ。
 
和田兵衛は、歌舞伎も人形浄瑠璃も、赤っ面(あかっつら)の美学ともいうべきいで
たちで、黒いビロードの衣装に金襴の朱地のきらびやかな裃を着け、大太刀には、緑
の房がついている。荒事のヒーローのようで、歌舞伎の美意識が、豪快な人物を形象
化するが、既に紹介した筋立てでも判るように、なかなかの知将ぶりを見せる。己の
子供まで巻き込みながら、時政を騙す盛綱・高綱の兄弟。時政は、騙された振りをし
ながら、心底から盛綱を疑っている。高綱代理の和田兵衛も含めて、知将=謀略家同
士の騙しあいの物語である。
 
また、盛綱は、小四郎が自害したのは、結局は、知将と言われた高綱が、子供を犠牲
にしてまで、己が死んだと装う、つまり、軍師として生き残るための戦略だと気付く
など、兄弟でも、互いに騙しあう「戦略」の厳しさを描いた作品でもある。結局は、
父親が、戦略のためとは言え、わが子を犠牲にして、生き残るという虚しい話だ。
 
歌舞伎で観ていると、小四郎の機転に眼を奪われてしまうが、人形浄瑠璃で観ている
と、すでに、「坂本城外の段」で、小四郎が、小三郎に生け捕りになったこと自体、
小四郎と高綱親子の策略であったことが判る。老獪な北条時政を騙すためには、入念
な策略を仕掛けなければならないという高綱方の遠謀深慮が必要だったと強調してい
ることが、伝わって来る。戦争の場面での、息詰るような心理作戦を近松半二、三好
松洛らは、仕組んでいる。
 
贅言:歌舞伎なら「アバレの注進」として、颯爽とした注進役の信楽太郎と「道化の
注進」という、滑稽味の注進役の伊吹藤太の登場の場面は、人形浄瑠璃では、「注
進」「二度の注進」と、淡白な紹介だが、実際の人形の動きは、ダイナミックで、役
者では、真似の出来ない首や手足の動きを見せる。こういう単純な、細部の動きこそ
が、歌舞伎では味わえない人形浄瑠璃独特の魅力なのだということが判る。

人形浄瑠璃は、義太夫の太夫の人間国宝が、いなくなった。住大夫、源大夫が、引退
した。三味線方の人間国宝は、鶴澤寛治、清治の二人だが、寛治は、今回、病気休
演。人形遣の人間国宝は、吉田簑助、文雀。二人とも出演している。

主な人形遣;盛綱母の微妙は、文雀。盛綱の妻の早瀬は、勘彌。盛綱は、玉女。小三
郎は、簑次。小四郎は、玉翔。和田兵衛は、玉志。高綱の妻の篝火は、勘壽。時政
は、玉輝。注進は、文哉。二度の注進は、清五郎。孫八は、紋吉。十郎は、勘介。義
太夫は、「前」が、千歳大夫。「後」が、文字久大夫。三味線方は、それぞれ、富
助、清介。

 
「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」。人形浄瑠璃で観るのは、今回で
2回目。道成寺伝説の背景に藤原純友の「天慶の乱」を使って、近松半二、竹田小出
雲らが合作した。前回、09年5月国立劇場では、原作の四段目に当たる「真那古庄
司館(まなごのしょうじやかた)の段」と「渡し場の段」を観たが、今回は、「渡し
の段」のみの上演。
 
贅言:この演目(渡し場)を歌舞伎で観たのは、05年10月・歌舞伎座。歌舞伎で
は、清姫役の坂東玉三郎が、全編、人形振り(役者が、人形浄瑠璃の人形に似せた動
きをし、科白は、竹本が語る)で演じきり、愉しく拝見。主な役者が3人しか出ない
芝居で、玉三郎の相手をする道化の船頭も、全編人形振りで演じる。極めて珍しい演
出の出し物であった。演じるのは、坂東薪車。もう一人の役者は、菊之助。清姫の人
形を操る主遣(人形遣)の役である。ほかに、後見のような人形遣役に5人が出演。
清姫の人形遣は、主遣の菊之助のほかに、ふたりが付き、ちゃんと三人遣になってい
る。船頭の人形遣は、ふたりであった。残りの一人は、舞台下手に立ち、足を踏みな
らして、足音を演じていた。嫉妬に燃える若い女の「激情」を、激情ゆえに、人形
の、ややぎくしゃくした動きで表現するという歌舞伎演出の逆説が、おもしろい発想
だと思った。ここは、下手な人形遣が操る人形の動きを真似、「人形の振りの欠点を
振りにする」と、人形らしく見えるというのが、先代の、三代目雀右衛門の藝談だと
言うから、おもしろい。確かに本物の人形遣は、人形を生きているように扱う。気持
は、人形と一体化しているのが、その表情を見れば良く判る。


「渡し場の段」は、日高川。舞台下手は、高めの土手。杭に「日高川」と書かれてい
る。「安珍さまいのう」と呼び掛けながら、逃げた安珍を追って来た清姫。舞台中央
より上手側、川の中に舫っている渡し船。夜半とて、船頭は、船の中で寝ているよう
だ。

船頭に向こう岸に渡して欲しいと清姫が頼むが、寝ているところを起こされて、機嫌
の悪い赤っ面の船頭は、要求を拒む。先に渡した桜木親王一行から、金をもらってい
て、追っ手が来たら船に乗せるなと約束しているらしい。それを知り、愛憎逆転の清
姫。
 
ふたりの問答から、清姫のくどきになる。余計に嫉妬心を燃え立たせる清姫。顔が二
つに裂けるように見える。口が耳元から大きく割れる。目も変わる。狂乱の目。そし
て、また、元の清姫に戻る。

姫の異変を見てとった船頭を乗せた船は、上手に逃げる。それを追うように、清姫
は、川へ飛び込む。人形遣の主遣の簑二郎は、清姫の人形を放り投げるように手から
外し、自身は、しゃがんで姿を隠す。一旦、魂を抜く形になる。清姫の人形は、沈
む。左遣、足遣とともに。

土手の大道具は、下手に引き入れられる。船は、上手に引き入れられる。日高川の真
ん中で、川の浪布が舞台前面を覆い、中に人が入っていて、上下に激しく動かす。濁
流である。
 
浪布のなかで、川の中に降りて来た主遣ら人形遣が、清姫に命を吹き込む。姫から大
蛇に変身した清姫。人形遣の簑二郎は、銀箔の鱗形の模様の衣装の大蛇と赤姫の衣装
の清姫の人形2体を巧く使い分ける。元々、人間の化身である人形が、人間らしさを
超越し、魔神のような超能力を持つ大蛇に変身して行くスペクタクルが、日高川の流
れの中で展開される。姫のほどけた帯が、蛇の尻尾を見立てられる。水に潜り、浮き
上がり、再び、泳いで行く。清姫から、大蛇へ、そして、再び、清姫へ。やがて、土
手が、上手から現れる。対岸に辿り着き、岸辺に生えた柳の木に抱き付き、見得とな
る。
 
それと同時に、日高川の夜が明けて、舞台の背景は、黒幕から、遠い山々も含めて、
桜も満開の日高川の遠景。自然は、のどかであるが、人事は、壮絶。清姫は、桜木親
王一行が逃げ込んだと思われる道成寺目指して、さらに、追いかける。粘着質の姫君
は、めらめらと嫉妬心を燃やし続けている。
 
人形遣は、清姫は、簑二郎。前回は、ベテランの紋寿だった。船頭は、玉佳。義太夫
は、清姫が、三輪大夫、船頭が、芳穂大夫。ほかに、希大夫、小住大夫、亘大夫。三
味線方は、團七、清馗、寛太郎、錦吾、燕二郎と多数。
- 2014年9月18日(木) 7:47:10
14年09月国立劇場・(人形浄瑠璃第一部/「双蝶々曲輪日記」)
 
 
「双蝶々曲輪日記」は、歌舞伎では、私も馴染みの演目だが、人形浄瑠璃では、初見
なので、楽しみ。中でも、「橋本の段」は、歌舞伎では観たことがないので、期待し
ている。今回の場の構成は次の通り。「堀江相撲場の段」、「大宝寺町米屋の段」、
「難波裏喧嘩の段」、「橋本の段」、「八幡里引窓の段」。

03年1月・国立劇場で、歌舞伎の通し狂言「双蝶々曲輪日記」を観た。場の構成
は、「角力場」、「米屋」、「難波裏」、「引窓」だった。12年11月新橋演舞場
での通し狂言「双蝶々曲輪日記」では、「井筒屋」、「難波裏」、「引窓」という構
成だった。

このうち、「引窓」は、みどり上演でよく演じられる名場面だ。次いで、「相撲場」
あるいは、「角力場」が、上演される。「米屋」、「難波裏」は、たまに上演され
る。
 
 「双蝶々曲輪日記」は、並木宗輔が、千柳の名前で、二代目竹田出雲、三好松洛と
いう三大歌舞伎の合作者トリオで「仮名手本忠臣蔵」上演の翌年の夏に初演されてい
る。濡紙長五郎という相撲取りが、武士を殺した罪で捕らえられたという実際の事件
をもとにした先行作品を下敷きにして作られた狂言だという。本来の物語は、「無軌
道な若者たち〜江戸版『俺たちに明日はない』〜」という内容だ。全九段の世話浄瑠
璃で、先に触れたように、いまでは、二段目の「角力場」や八段目の「引窓」が良く
上演される。「引窓」は、心理劇という近代性を持っていたため、江戸時代には、あ
まり上演されなかった。いわば、早く来過ぎた芝居というわけだ。

とりあえず、サービス。今回上演されない「井筒屋」の段に触れておこう。「井筒
屋」は、大坂の九軒にある色町。藤屋お抱えの遊女・都(「引窓」の南与兵衛、後
に、父親の名前を引き継ぎ南方十次兵衛となる男の女房・おはやになる)と与兵衛の
物語。後に、父親同様に代官に就任する与兵衛の青春時代の犯罪行為が描かれる。後
の「引窓」での与兵衛の寛大な行為の原点はここにあることは、この段を見ないと判
り難い。都と同じく藤屋お抱えの吾妻(南与兵衛の友人・与五郎の愛人)、豪商の息
子・与五郎などが登場する。

まず、「堀江相撲場の段」、「相撲場」(または、「角力場」)は、基本的に喜劇。長
五郎と長吉という相撲取りの物語。

舞台上手には、相撲の小屋掛けがある。力士への贔屓筋からの幟が、6枚(濡髪長五
郎、放駒長吉には、2本ずつ。いずれも、ひいき寄りとある。「寄り」とは、相撲の
勝ち手「寄り切り」を連想させて、ゲンが良い。小屋の入り口横には、取り組みを示
す12組のビラ(上段6枚、下段6枚だが、どういう順番なのか。上段の最後が、山
響対陣幕。下段の最後が、濡髪対放駒と書いてある。下段の最後が結びの一番なのだ
ろうか。というのは、下段にある濡髪たちの取り組みを書いた張り紙の上手にある張
り紙は、剛栄道対白鳳山(豪栄道対白鵬?)とあり、剛栄道も白鳳山も名前を書いた
幟が、小屋にかかげられているから、濡髪と放駒に並ぶ力士なのだろう。舞台下手に
は、お休み所。柳に、背景は運河か。

歌舞伎では、この後、大勢の客が小屋に入り、相撲の取り組みが始まり、歓声が聞こ
えてくる。地元堀江町推薦、セミプロの相撲取りの放駒が勝ち(事情があり、濡髪が
放駒に勝を譲り、ということなのだが)、観客たちは「長吉勝った長吉勝った」と大
喜びで出てくる……、という場面になるのだが、人形浄瑠璃の芝居進行は、ちょっと
違う。早々と濡髪は、小屋から出てくるし、放駒も、お休み所から、出てくる。与五
郎と吾妻の身請け話を濡髪が早速切り出す。吾妻については、濡髪が与五郎派。長吉
は、同じく吾妻の身請けを狙う郷左衛門派となっている。

ここからは、歌舞伎と同じで、勝手に勝を譲った濡髪に怒りをぶつける長吉の物語と
なる。力士が勝を譲られたとなれば、放駒が怒るのは当然、ふたりは喧嘩別れをす
る。湯呑茶碗を握り潰す濡髪。握り潰せない放駒。プロとアマの力の差を見せつける
濡髪の態度にも、ますます怒りを強める放駒。濡髪長五郎と放駒長吉の物語だから、
「双蝶々(長・長)」で、「ふたつちょうちょう」なのである。「曲輪日記」は、「曲
輪」、遊廓。遊女の都や吾妻に関わるということだ。

義太夫:長五郎は、松香大夫。超吉は、睦大夫。人形遣:長五郎は、玉也。長吉は、
幸助。

「大宝寺町米屋の段」、「米屋」は、米屋を営む姉・お関と弟・長吉の物語。両親が
死に、相撲好きで、無頼の弟が商売をそっちのけで、出歩くなか(まるで、与兵衛の
放埒時代を思わせる)、ひとりで米屋を切り盛りする長吉の姉・お関。竹本で「我が
子の様に弟を思ふは姉の習ひなり」とあるように、姉は、地域の人たち(同行衆)の
協力も得て、弟に盗みの濡衣を着せる一芝居を企んでまで、弟を改心させようと長吉
に意見をする場面が、ここの見どころの一つ。

贅言;姉が弟に着せる「濡れ衣」劇の、ごたごたで、同業衆のひとり、尼僧の妙林の
頭巾が取れると、コブが出来ていて、観客席の笑いを誘う場面がある。コブ付きの
「首(かしら)」ゆえに、この首は「妙林」と言い、この場面にしか使われない。

その場面を見ていた長五郎が言う。「俺も在所に母者人を一人持つてゐれど、五つの
時別れてから逢うたはたつた一度、養子に来た先の父親も死なるる、ほんに木から落
ちた猿同然で誰が一人意見してくれ手がない、われは結構な姉を持ち、よい意見の仕
手があつて、それで仕合はせ者ぢやと云うのぢや、総別喧嘩する者は、ばつたりして
金も取る様に思はるるは、アア無念な事ぢや」。

喧嘩相手だが、放駒超吉が盗みをするとは思えぬという長五郎。喧嘩の続きをしに来
たはずの、喧嘩相手の長五郎にここまで言われて、長吉は、改心する。「相撲場」で
対立していた長五郎、長吉は、これ以降、終生の義兄弟となる。つまり、与兵衛→長
五郎→長吉という義兄弟の関係ができあがる。この関係が、八段目「引窓」の後、物
語の最後に当る九段目「観心寺」まで生きるのだが、現代では、ここまでは、上演さ
れない。

後の「引窓」の母と息子たち。さらに、長五郎と与兵衛・おはや夫婦との関係。つま
り、母(人形浄瑠璃では、名前のない母だが、歌舞伎では、いつのまにか、「お幸」
になっている)から見れば、ふたりの息子は、実子と継子だが、どちらが兄だろう
か。この疑問に先に答えようと、改めて床本を読んでみた。

母の科白。「今でこそ落ちぶれたれ、前は南方十次兵衛と云うて、人も羨む身代。連
れ合ひ(注ー与兵衛の父のこと)がお果てなされてから与兵衛が放埒。郷代官の役目
も上がり内証も仕縺れ、こなたの手前も恥ずかしい事だらけさりながら、この所の殿
様もお代はりなされ新代官は皆上がり、古代官の筋目をお尋ねにて与兵衛もにはかの
お召し、昔に返るはこの時と」。母親の科白にあるところから推測すると、与兵衛
は、父が死に、それがショックだったのか、若いころ「放埒」な生活をしていた(人
も殺している)が、遊女の「都」を妻の「おはや」に変え、いまでは、義理の老母と
同居して、無軌道さも潜め、穏やかに暮らしているから、それなりの年になっている
ようだ。

一方、(長五郎は)「五つの時養子にやつて、わしはこの家へ嫁入る。与兵衛は先妻
の子で、わしとはなさぬ仲故に、その訳知つても知らぬ顔」というお幸の科白からみ
れば、与兵衛が兄、長五郎が弟ということになる。そうすれば、長五郎からみれば、
兄嫁のおはやは、実際の年には関係なく、義理の姉にあたるということだろう。ま
ず、おはや=義姉というところを押さえておこう。ここが、大事だと思う。

さて、ここでは、母と姉にこだわっているので、義兄弟は、これ以上触れずに、置い
ておく。ところで、四段目「米屋」も、八段目「引窓」同様に、並木宗輔が書いてい
るのではないか、という思いを強くした。なぜなら、姉と母は、ここで、同格になっ
ているからである。弟、息子の違いはあれども、姉と母は、長吉、長五郎に同じよう
な情愛を注いでいることが判る。私には、「母機能」=「姉機能」という仕掛けが見
えて来る。さらに、そういう視点で、見なれた八段目「引窓」を改めて、観てみよ
う。そうすると、長五郎にとって、義理の姉にあたるおはやは、もはや、長五郎に
とって、遊び仲間だった新町の遊女・都ではなく、実母・お幸を助ける、いわば、
「母機能」の増幅機関になっている「姉機能」のように観えてくる。これは、「米
屋」の場面を観たことによって、鮮明になって来た印象である。つまり、「米屋」の
姉は、「引窓」の母を観客に増幅させて、印象づけるための伏線というわけだ。
 
「引窓」のもうひとりの「姉」・おはやは、だから、「昨日今日までは八幡の町の町
人。生兵法大疵の基」と与兵衛をたしなめる。さらに、おはやは、「イヤ申し与兵衛
殿。あまり母御様のお心根が痛わしさに、大事の手柄を支えました。さぞ憎い奴不届
き者とお叱りもあろうが、産みの子よりも大切に、可愛がつて下さる御恩。せめては
お力にと共々に隠しました」と白状する。義理の姉も、実の母も、長五郎にかける情
愛は、もはや、同格である。長五郎にとって、「母機能」を増幅する機関としての
「姉機能」パート2である。母と姉が、重要な物語「双蝶々曲輪日記」の基軸は、並
木宗輔の思想を色濃く残していると思う。
 
さらに、義兄・南方十次兵衛(南与兵衛)も、ふたりの女性の情愛を理解し、己の人
を殺したことのある体験もにじませながら、義理の弟で、友人のために人を殺して逃
げて来た長五郎をさらに逃がすことにする。母親「俺ばかりか嫁の志。与兵衛の情け
まで無にしをるか罰当たりめ。…(略)…コリヤヤイ。死ぬるばかりが男ではないぞ
よ」。もう、これは、2年後の、並木宗輔の絶筆「熊谷陣屋」の相模の世界ではない
か。「母の情理」が、「男の論理」を凌駕する。これは、浄瑠璃作者・並木宗輔畢生
のメッセージであると、私は受け止めている。そう考えると、「米屋」と「引窓」
は、両輪のようにして、母・姉の情理を増幅する。

米屋の倅でありながら、喧嘩に明け暮れている無頼派で、主筋(後に、吾妻に横恋慕
のあげく、吾妻・与五郎を助ける長五郎に殺される郷左衛門)から頼まれて、「相撲
場」の場面では、飛び入りで土俵に上がり、濡髪と勝負する素人相撲出身の力士・放
駒長吉も、いつの間にか、事件に巻き込まれていたのである。それを奇貨として長五
郎と長吉は、義兄弟の契りを結ぶ。そこへ、吾妻と与五郎が郷左衛門らに難波裏で見
つかり、騒動になっているという知らせが届く。長五郎は、二人を助けるために難波
へと駆け出す。

義太夫:中は、靖大夫。奥は、津駒大夫。新しく登場した人形遣:お関は、勘弥。

「難波裏喧嘩の段」。郷左衛門らが、与五郎の髻を掴んで引きずり回している。吾妻
は、郷左衛門の仲間の有右衛門に取り押さえられている。そこへ、長五郎が駆けつけ
る。長五郎は吾妻を救い出すが、弾みで郷左衛門らを殺してしまう。責任を感じて長
五郎は切腹しようとするが、駆けつけた与五郎が長五郎に逃げるようにと勧める。吾
妻と与五郎は、自分が預かるから心配ないと言う。長五郎は、手拭いで顔を隠し、
「引窓」の舞台となる実母の再婚先の八幡の里へと逃げ延びて行く。つまり、こちら
は、長五郎の物語として、展開される。

義太夫:長五郎は、津國大夫、吾妻は、南都大夫ほか。人形遣:与五郎は、文司。吾
妻は、清十郎。

「橋本の段」は、今回初見。これは、父親たちの物語。与五郎の妻・お照の実家。お
照は、夫の身持ちの悪さを心配した父親によって実家に連れ戻されている。そこへ、
駕籠が届く。狭い駕籠の中には、吾妻と与五郎が、仲良く差し向かいで乗っている。
自己中心性の与五郎は、吾妻を連れてきたことを嘆くお照の気持ちも斟酌せず、自分
たちの窮状を訴えて、匿って欲しいと言う。与五郎のことを父親に言えばしかられる
ので、吾妻だけなら匿うとお照は言う。

それを奥で聞いていた父親の治部右衛門は、二人を匿ってやるが、その見返りに、お
照への離縁状を書けと要求する。お照が、与五郎と別れたくないために吾妻を匿った
と誤解されたくないと言う。仕方なく与五郎は、離縁状を書く。吾妻は、それを取り
上げ、自分が預かるという。お照の気持ちを忖度している。

そこへ、与五郎の父親・与次兵衛が訪ねてくる。嫁のお照を迎えに来たのだ。二人の
父親は、皆を奥に追いやって、お照の今後について二人だけで談判する。口論の果に
脇差を抜き合う。吾妻と与五郎を乗せてきた駕籠かきの甚兵衛が、何故か外で家うち
の様子を見ていたが、老父同士の刃物沙汰を見て仲裁に入る。「自分が吾妻に意見し
て、身を引かせる」と言うではないか。

奥から出て来た吾妻に甚兵衛は、「お豊」と声を掛ける。甚兵衛は、幼い時に生き別
れした吾妻の実父だったのだ。父親は、親の情を全面に出して(封建的な、余りに封
建的な!)、身勝手にも吾妻に身を引かせようとする。与五郎を見捨てられないから
と、自害しようとする吾妻。お照の父親・治部右衛門が、飛び出して来て、子を思う
親の気持ちは、皆、ひとつ、重宝の刀を売って、自分が吾妻を身請けする金を作る、
と言う。与五郎の父親・与次兵衛は、頭を丸めて出家の姿で奥から出てくる。与五郎
のためにお照の実家に負担を掛けて、申し訳ないというのだ。

封建時代の解決策は、お照を本妻に、吾妻を妾にして、妻妾同居というアイデアだっ
た。与五郎は、吾妻と駕籠に同乗して来て、お照への離縁状を書かされただけで、奥
に引き込んだまま、何の役にも立たない。この無能ぶり?  全て親がかりの軟弱息子
か。芝居の中でも、存在感が薄い。与兵衛は、何故、与五郎と親友になったのか。

豪商山崎屋の息子・与五郎が、新町の藤屋の遊女と相愛の仲になった。与五郎は、上
方歌舞伎の和事の役柄で、「つっころばし」という異名がある。「ちょっと突けば、
転びそうな柔弱な優男、ぼうとした、とぼけた若旦那」、濡事師である。柔弱ゆえ
に、恋は盲目で、遊女とともに、明日なき恋路を無軌道に突っ走り、最後は、狂気に
とらわれてしまう与五郎である。彼も、一種の、無軌道な若者である。

与五郎が出てくる場面で印象に残ったのは、今回はない。歌舞伎の「角力場」の与五
郎(03年1月国立劇場。この時は、信二郎時代の錦之助初役)は、喜劇的な役柄で
上方味を出していた。贔屓の濡髪を茶屋の亭主にほめられて、持ち物や羽織を上げて
しまう件(くだり)や、亭主とふたりで長五郎の大きなどてらを着てみせる(いわ
ば、「二人褞袍」か)場面などの笑劇は、印象に残っている。

歌舞伎で与五郎を演じた染五郎(09年6月歌舞伎座)を、いま、思い浮かべる。染
五郎は、上方歌舞伎の典型的な「つっころばし」を好演した。与五郎は、濡髪から肩
を叩かれると、崩れ落ちる。「なんじゃい、なんじゃい、なんじゃい」。与五郎の弱
さが、濡髪の強さを浮かび上がらせる。このほかにも、何度もつっころばされては、
場内の笑いを巧みに誘っていた。

そう、与五郎は、軟弱息子で、一人で立っていられないような青年だ。与兵衛は、若
い頃は与五郎同様に身を持ち崩していた無軌道な青年だったが、成人して、新しい殿
様のお眼鏡にも適い、父親が勤めていた代官の職位に復帰したのに対して、妻妾同居
の生活に甘んじる放蕩息子のままだ。軟弱ゆえに、与兵衛は、与五郎を見捨てられな
かったのかもしれない。与五郎が、「兄貴、兄貴」と、与兵衛にまとわりついている
様が、目に浮かんでくる。

義太夫:切は、嶋大夫。三味線方:錦糸。人形遣:お輝は、一輔。駕篭かき甚兵衛
は、勘十郎。治部右衛門は、玉女。与次兵衛は、勘壽。

「八幡里引窓の段」。通称「引窓」。南与兵衛、後に、南方十次兵衛は、領主の交代
で、父親の代まで勤めて来て、父親の死後,空席となっていた郷代官を世襲すること
が認められて、南方十次兵衛という代々の名前を襲名することになった。舞台は、そ
の晩の話である。
 
与五郎を助けようとして、人を殺してしまい、逃げて来た長五郎。長五郎は、継母の
息子だったと判り、長五郎を逃がす。与兵衛は、若い頃、親友の与五郎のために、太
鼓持ちを殺している。長五郎も、郷左衛門の身請けを嫌う吾妻と与五郎を助けようと
して、郷左衛門ら4人を殺している。与兵衛が、父親の職位と名前を引き継いで十次
兵衛に生まれ変わった日の夜半から未明、義理の弟の長五郎が逃げ切り、生まれ変わ
れと、逃亡の手伝いをすることになる。「引窓」とは、そういう芝居である。

義太夫:中は、呂勢大夫。切は、咲大夫。三味線方は、中は、清友。切は、燕三。人
形遣:おはやは、簑助。長五郎母は、紋壽。十次兵衛は、和生。

10月の国立劇場は、高麗屋一門の出演で、歌舞伎の「双蝶々曲輪日記」が上演され
る。
- 2014年9月17日(水) 7:21:25
14年09月歌舞伎座 秀山祭(夜/「絵本太功記」「連獅子」「御所五郎蔵」)
 
 
「絵本太功記」時代ものの吉右衛門の科白廻し


時代物の典型的なキャラクターが出揃う名演目の狂言。私は、5回目の拝見。私が観
た主な配役。座頭の位取りの立役で敵役の光秀:團十郎(3)、幸四郎、今回は吉右
衛門。私は初見。團十郎の光秀は圧巻であった。吉右衛門の光秀が楽しみ。立女形の
妻・操:雀右衛門(2)、魁春(今回含め、2)、芝翫。光秀に対抗する立役の久吉:
宗十郎、我當、橋之助、菊五郎、今回は歌六。花形の光秀の息子・十次郎:染五郎
(今回含め、2)、新之助時代の海老蔵、勘九郎時代の勘三郎、時蔵。若女形役の、十
次郎の許嫁・初菊:福助(2)、松江時代の魁春、菊之助、今回は抜擢で初役の米
吉。昼の部の「菊畑」の皆鶴姫もそうだが、時代物の若女形の大役に挑戦中。老女形
の光秀の母・皐月:東蔵(今回含め、2)、権十郎、田之助、秀太郎。

 以下、既に書いた解説だが、役者評以外は余り変らないので再録部分も含めて歌舞
伎入門的な意味もあるので記載。「絵本太功記」は、「尼ヶ崎閑居の場」。全十三段
の人形浄瑠璃は、明智光秀が織田信長に対して謀反を起こす「本能寺の変」の物語を
基軸にしている。十段目の「尼ヶ崎閑居の場」が、良く上演され、「絵本太功記」の
「十段目」ということで、通称「太十」と呼ばれる。本来は、一日一段ずつ演じられ
たので、「十段目」は、「十日の段」と言ったらしい。

1799(寛政11)年、大坂角の芝居で、初演。原作者は、今から見れば、無名の
人たちで、合作。無名の作者たちによる合作の名作は、先行作品の有名な場面を下敷
きにしている場合が多い。
 
下敷き、例えば、今回の通称「太十」では、まず、「尼ヶ崎閑居の場」の、尼ヶ崎庵
室の十次郎の出。舞台中央正面奥の暖簾口から出て来る十次郎、赤い衣装に紫の肩衣
を着けた姿は、「本朝廿四孝」の、通称「十種香」の、武田勝頼の出に、そっくり。
衣装だけ同じで、謙信館と庵室、暖簾と襖など周りの環境が違うというミスマッチ
が、余計に、観る者の違和感を感じさせて、それが、逆におもしろいから、歌舞伎っ
ていうものは、可笑しみがある。次いで、上手障子の間から出て来る初菊も、赤姫の
衣装だから、「十種香」の、八重垣姫に、さも似たり。その後、出陣のため、鎧兜に
身を固めた十次郎は、いつもの義経典型のイメージを思わせる。
 
また、「尼ヶ崎閑居の場」から、大道具(舞台)が廻って、花道七三にいた光秀が、
本舞台に戻って来て、庭先の大きな松の根っこに登り、松の大枝を持ち上げて、辺り
を見回す場面は、「ひらかな盛衰記」の、通称「逆櫓」の、「松の物見」と言われる
場面のパロディだ。
 
まず、「十種香」は、1766(明和3)年に、人形浄瑠璃、大坂の竹本座で初演さ
れ、同じ年のうちに、歌舞伎、大坂、中の芝居で、初演されている。「太十」初演
の、33年前だ。また、「ひらかな盛衰記」は、更に、古く、1739(文元4)年
に、人形浄瑠璃、大坂の竹本座で初演され、翌年、歌舞伎、大坂、角の芝居で、初演
されている。「太十」初演の、60年前だ。

ところで、「太十」の見どころは、ふたつある。前半が、十次郎(染五郎)と初菊(米
吉)の恋模様、後半が、光秀(吉右衛門)と久吉(歌六)の拮抗。前半では、「兜引き」の
場面で、初菊初役の米吉も、糸に乗って、まずまずの印象。後半では、特に、光秀の
謀反(主殺し)を諌めようと久吉の身替わりになって息子の光秀に竹槍で刺される母の
皐月(東蔵)の場面などという、いくつかの見せ場がある。皐月は、瀕死の重傷のま
ま、孫の十次郎と一緒に、息を引き取るタイミングまで、じっとしている場面が長い
ので、これも辛かろうと、思うが、ベテランの東蔵が無難に演じる。戦争に巻き込ま
れた家族の悲劇が、それぞれの立場で描かれる。
 
まあ、そうは言っても、「太十」は、光秀の芝居。夜も更けると、下手奥竹林より、
簑・笠で、顔や姿を隠した「現れ出たる武智光秀」。私は亡くなった團十郎で良く観
たが、今回の吉右衛門は、初見。私が観た最後の團十郎の光秀は、11年4月の新橋
演舞場の舞台。團十郎は、12年5月の大阪・松竹座でも光秀を演じ、翌年、13年
2月には、この世を去ってしまう。

簑を外し、笠を上によけると、大鎧に身を固め、菱皮の鬘に白塗り、眉間に青い三日
月型の傷という、髑髏のような顔で、おどろおどろしい光秀。正義感ゆえ、主殺しに
加えて、誤って、母も殺す。父の正義感の犠牲になる息子も死なせてしまう。苦渋の
人生の最期を演じなければならない。團十郎は、敵役ながら、眼光鋭く、時代物の実
悪の味を良く出していたが、それは、口跡に難のある團十郎にとって、科白が少ない
無言劇に近い出しものだった点も、團十郎の持ち味を高めた感がある。

今回の吉右衛門の光秀も重厚で見応えがある。肚が座っている感じだし、数少ない科
白も、初代譲りの科白廻しの巧さで、いちだんと堪能出来た。團十郎にはなかった魅
力だ。
 
悪いことばかりが続く悲劇の主人公光秀を團十郎は、重厚ながら、細かいところにこ
だわらない、懐の大きさで演じていた。科白よりも肚。頭を前後に大きく振るなど、
浄瑠璃の人形の動きを模したと思われる不自然な所作も、古怪な時代物の味を濃くし
ていて、良かった。光秀の難しさは、いろいろ動く場面より、死んで行く母親(特
に、母親の皐月は、自ら、久吉の身替わりを覚悟したとは言え、過って、息子・光秀
に殺されるのだ)と敗色の濃い父親の気持ちを先取りして、死んで行く息子・十次郎
を見ながらも、感情を抑制してじっとしているという不気味さだろう。母を殺し、息
子を死なせてしまう悲劇の源泉は、己の責任という自覚にもかかわらず、表情も変え
ずに、舞台中央で、眼だけを動かし、じっとしている不気味な男、光秀。己を抑圧し
続ける重圧感に耐えている。息絶えた息子の姿に、堪らず、慟哭する父親・光秀。無
感情と感情の対比。「先代萩」の政岡の父親版というところだろう。無表情だった肚
の中から迸る涙の熱さを感じる。

まさに、「辛抱立役」という場面で、こういう場面は、外形的な仕どころがないだけ
に、肚の藝が要求され、難しいのではないかと、いつも感じる。吉右衛門が演じても
團十郎の印象と変わらない。名優の腹芸の競演という感じ。
 
この場面では、下手側の平舞台に初菊と傍で倒れ込んでいる十次郎のカップルがい
る。中央、二重舞台の上に光秀、二重舞台の上手側に光秀の妻で、十次郎の母・操と
傍で倒れ込んでいる光秀の母・皐月が居る。いずれも、ほかが芝居をしているとき
は、固まったように、動かない。

十次郎が、父の光秀を気遣う科白を言う。やがて、初菊に見守られながら、息を引き
取る。息子の死にも、無表情の光秀。次いで、十次郎と初菊の芝居の最中は、固まっ
たように、動かずに居た操と皐月が、芝居を始める。十次郎の孝行心を聞き、光秀を
非難していた皐月は操の介護も空しく、息絶える。操と初菊が、泣き崩れる中、「さ
すが勇気の光秀も」、初めて「こらえかねて、はらはらと」涙を流す。竹本の「大落
とし」。團十郎を偲びながら吉右衛門の大きさも堪能した。
 
贅言;特に、時代物の歌舞伎では、同じ空間に役者が居ながら、後ろを向いていると
きは、見えないという約束。前や斜めを向いていても、固まって、動かないときは、
見えないという約束がある。
 
段切れで、向う揚げ幕の中から、遠寄せの陣太鼓の音(この遠寄せの音は、役者の演
技のきっかけとして、何度も、使われるが、効果的だ)。光秀は、一旦、花道七三へ
行き、舞台が廻って、再び、本舞台に戻り、「物見の松」という松の巨木の根っこに
登る。戦場の大局を知り、死を覚悟する光秀。もう一度、花道七三に行く。その隙に
大道具は、元に戻っている。
 
花道向うより、佐藤正清(又五郎)、二重舞台の上に、上手より四天王(真柴郎党)
を連れた真柴久吉(歌六)。正清に押し戻されて、花道七三にいる武智光秀(吉右衛
門)が、「三角形」を作ることになる。本舞台下手からは、久吉の軍兵たち。光秀
は、芝居の中では、敗者だが、芝居の主役は、吉右衛門なので、吉右衛門が、二重舞
台の中央に上がり、下手の又五郎、吉右衛門、上手の歌六と、3人は、やがて、本舞
台で、斜めの一直線になる。この後、引っ張りの見得で、幕。この辺りの、3人の線
の動きは、計算されている。

團十郎同様の吉右衛門も濃厚な時代色に魅了される芝居だった。さらに、科白が多く
ない芝居で、口跡に難があっても難が目立たない芝居を得意とする團十郎と違って、
音(おん)で発音する初代吉右衛門譲りの科白廻しを得意とする吉右衛門の科白廻しを
ひとつひとつ味わいながら、團十郎を忍び、初見の吉右衛門の芝居を十二分に堪能し
た。吉右衛門の歌舞伎座の光秀は、22年ぶり。今回の夜の部のハイライトは、この
吉右衛門だったろう。

 
「連獅子」祖父と孫の共演
 

仁左衛門と千之助の2回目の共演なので、前回と今回の比較して、論じたい。
 
前回、11年06月新橋演舞場。昼の部の目玉は、戦後初、祖父と孫の共演する「連
獅子」であった。あれから3年。11歳の小学生だった千之助も、今回は14歳の中
学生。仁左衛門曰く。「3年前は元気に踊っていれば『かわいい』で済みましたが、
14歳になるとそれだけではいきません」。
 
「連獅子」は、河竹黙阿弥作詞の長唄舞踊で、1872(明治)5年、東京の村山座
で初演された新歌舞伎である。私が観た「連獅子」は、今回で、15回目。

今回の「連獅子」は、コンビで踊るのは2回目の仁左衛門と長男・孝太郎の長男・千
之助、祖父と孫の共演である。前回、筋書掲載の楽屋話で、仁左衛門は、「千之助は
小さい頃から私と『連獅子』を踊りたいと言っていました。おじいさんと孫ふたりで
親獅子、仔獅子は、本興行では戦後初めてのようです。(略)孫となるとジジバ
カ≠ナ、嬉しさ八十パーセント」だと、言っている。父親の孝太郎は、「こんなに早
く実現するとは思いもしませんでした。まるで自分が出演しているような心持ちで、
親としてはハラハラドキドキして」いると書いてあった。
 
緞帳が上がると、暫く無人で、長唄が、場内に響く。四拍子に替わると、舞台下手の
幕が上がり、左手に金の獅子頭を持ち、黒地に紅白の牡丹絵柄の袴、大柄な白と紫の
市松模様に中啓の絵柄の着物を来た狂言師の登場となる。右手に金地の扇子。祖父も
孫も、同じ衣装で、白い大獅子と赤い仔獅子は、左右対称に動く。

前回評;千之助の動きも、祖父に厳しく仕付けられているのか、天性のものもあるの
か、メリハリも利いて、なかなか、堂に入っている。逆海老などの所作も軽やかでい
て、安定もしている。親獅子が、仔獅子を千尋の谷に突き落とす場面では、コロコロ
と回転させて、崖を転げ落ちるように見える。花道七三で、観客席に背を向けて、座
り込む千之助。

今回評;千之助の動きは、前回より力強さが感じられる。年齢的に体力をつけてきた
だけではなく、芸道の精進もしているのであろう。その成果が感じられた。逆の不安
も、私の内部で芽生え始めていることにも気が付く。それについては、後述。

贅言;吉右衛門のように、親子で演じたくても、息子の役者がいなければ、実現不能
という、厳しい演目でもあるのだ。菊五郎のように、息子の菊之助が、女形では演じ
られない。あるいは、演じ難い(実際に、本興行の上演記録を見ても、菊五郎は、
踊っていない)。しかし、仁左衛門は、女形の息子・孝太郎と、「連獅子」を踊って
いる。さらに、孫とまで一緒に踊っている。松嶋屋至福の演目であろう。
 
前回、私は次のように書いていた。

成田屋親子は、歌舞伎座では、上演していないので、私が観た團十郎は、松緑と踊っ
ていたのを観た。03年10月の歌舞伎座であった。以後、大病をした團十郎は、体
力のいる「連獅子」を踊っていない。團十郎と海老蔵の「連獅子」を観てみたいが、
團十郎・海老蔵の「連獅子」は、未だ、実現していない。海老蔵が、前名の新之助時
代に團十郎と踊った舞台は、02年の松竹座(大阪)、93年の御園座(名古屋)、
89年歌舞伎座と3回あるが、新之助、改め、海老蔵襲名後は、團十郎と踊っていな
い。是非とも、團十郎の体力恢復を待って、團十郎・海老蔵の「連獅子」を実現して
欲しいと思う。

結局、團十郎は大病の果てに逝去してしまった。歌舞伎座では、海老蔵との「連獅
子」を26年前(リニューアル以前の歌舞伎座)で、新之助時代の海老蔵と演じ、その
後も名古屋、大阪で演じただけであった。「海老蔵」という息子とは、とうとう共演
出来なかった。

間狂言(あいきょうげん)の「宗論」(又五郎と錦之助)の後、後ジテの場面。白毛
の親獅子の精、赤毛の仔獅子の精の登場。親獅子が、花道から本舞台に続く辺りに達
したのを確認して、仔獅子は、花道揚げ幕を出てくる。親獅子が、本舞台に設えられ
た「二畳」の台(赤に、緑の縁取りがある)に上がる頃、仔獅子は、花道七三に到着
する。前回同様、「二畳」が、3つ持ち出され、左右対称(但し、上手は、白の牡
丹、下手は、赤の牡丹)の上に、もうひとつが、橋のように載せられ、山形になる。
獅子の座は、「石橋(しゃっきょう)」の見立てだ。本舞台では、ふたりで、むき身
の隈取り、長い毛を左右に振る「髪洗い」、毛をダイナミックに回転させる「巴」、
毛を舞台に叩き付ける「菖蒲叩き」などの所作があるが、これを千之助は、仁左衛門
よりも早いくらいのペースで次々と展開させる。獅子の座で、両手を拡げて、肩を上
げる親獅子。

藝は非情だ。若い者が、精進の果てに未熟さを乗り越えれば、親は、追い越される。
また、連獅子の所作は、体力の勝負であろう。年齢の違いと藝の違いが出て来る。い
ずれ、若い孫には、さらに、何かが、付け加わり、積み上げられ、若い者は、一人前
になって行くのだろう。親子であってもそうだろうし、祖父と孫なら、なおさらだろ
う。

今回、仁左衛門70歳、千之助14歳。次回は、仮に3年後として、仁左衛門73
歳、千之助17歳の高校生。6年後では、仁左衛門76歳、千之助20歳の大学生。
体力勝負の演目「連獅子」だけに、どこで「一世一代」の看板を出すことになるの
か。いや、こちら、観客側の年齢もある。いつまで未聞の祖父と孫の「連獅子」を観
ることが出来るだろうか。

松嶋屋の場合、祖父は、藝の蓄積があるものの、父親の孝太郎よりも早く体力は落ち
て行くだろう。そういう目で見れば、孫と祖父とのバランスの妙味は、今回が旬か、
次回が旬か。いつまで続くのだろうか。それでなくても、代々続く役者の家系では、
やがて、谷に落されるのは、仔獅子では無く、親獅子ではないかという思いがする。
 
そういう思いを私に抱かせながら、舞台中央に、祖父と孫が、「二畳」の上と下で、
まっすぐに立ち並ぶと、緞帳が、静かに降りてきて、幕。
 
 贅言;獅子や獅子の精の場面では、後見の弟子の片岡仁三郎、片岡松十郎が、鬘に
肩衣と袴を付けた格好で、仁左衛門・千之助のふたりをサポートしていた。「二畳」
設営など、ほかの準備やサポートでは、最大時で、中村蝶一郎、片岡千蔵ら別の4人
が、鬘に紋付(肩衣無し)、袴を付けた格好で、「宗論」を含めてサポート。様式美の
違いだろうか。

 
「御所五郎蔵」は、昼の部の「菊畑」が、時代ものの、次世代を担う役者の芝居な
ら、世話ものの、次世代を担う役者の配役と言える。
 
「曽我綉侠御所染〜御所五郎蔵〜」は、8回目の拝見。馴染みの役者の見慣れた演
目。「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」は、幕末期の異能役者・
市川小團次のために、河竹黙阿弥が書いた六幕物の時代世話狂言。動く錦絵(無惨
絵)ということで、絵になる舞台を意識した演出が洗練されている。役者のキャラク
ター(にん)で見せる芝居。
 
今回の「御所五郎蔵」の場構成は次の通り。序幕「五條坂仲之町甲屋のば」、通称
「出会い」。二幕目第一場「五條坂甲屋奥座敷の場」、通称「縁切、愛想づかし」。
第二場「五條坂廓内夜更けの場」、通称「逢州殺し」。この三場は、良く上演され
る。
 
03年6月の歌舞伎座「黙阿弥没後百十年」の舞台では、「時鳥殺し」を加えた「曽
我綉侠御所染」の通しを一度観たことがある。「名取川」、「長福寺門前」、「浅間
家殺し」が、いつもの三場の前に付き、後ろに「五郎蔵内(腹切)」がつくという場
の構成だった。

主役の五郎蔵は、仁左衛門が演じた。玉三郎の皐月、左團次の土右衛門、孝太郎の逢
州、留め役は、秀太郎の甲屋女房という配役だった。因に、これまで私が観た五郎蔵
は、菊五郎(3)、仁左衛門(2)、團十郎、 梅玉、そして今回が初役の染五郎。
まあ、基本的に菊五郎が得意とするキャラクターだろう。次世代で引き継ぐのは上記
の顔ぶれに限定すれば、今回初役の染五郎は候補の一人だろう。
 
序幕「五條坂仲之町甲屋の場」は、「鞘当」のパロディ。やはり、これも下敷き。対
立するグループの出会いの場面だ。本来なら両花道を使っての「出会い」という、様
式美の場面だが、今回は、「両花道」の演出ではなく、本花道と上手揚げ幕から、そ
れぞれ出て来る(両花道は、5年前、07年11月の歌舞伎座以来、私は観ていない
が、ここは、両花道で観たいもの。因に12年11月・国立劇場の「浮世柄比翼稲
妻」の「吉原仲之町の場(鞘当)」は、両花道を使っていた。
 
黒(星影土右衛門=松緑)と白(御所五郎蔵=染五郎)の衣装の対照。ツラネ、渡り
科白など、いつもの演出で、科白廻しの妙。洗練された舞台の魅力。颯爽とした男伊
達・五郎蔵一派(松江、亀寿、亀鶴、廣太郎、児太郎。御曹司集団では、2年前、こ
こに加わっていた米吉、廣松は、女形に脱皮したか。若手の世代交替の中でも、女形
だ、立役だと住み分けが始まっている)。剣術指南で多くの門弟を抱え、懐も裕福な
星影土右衛門一派(大部屋集団の松太郎、辰緑、錦弥、荒五郎、大蔵で、顔ぶれは余
り変わらない)。五郎蔵女房の傾城・皐月に廓でも、横恋慕しながら、かつてはな
かった金の力で、今回は、何とかしようという下心のある土右衛門とそれに対抗する
五郎蔵。そこへ、割って入ったのが、五條坂の「留め男」ならぬ「留め女」の甲屋女
房・お松(秀太郎)の登場という歌舞伎定式の芝居。
 
二幕目第一場「甲屋奥座敷の場」。俗悪な、金と情慾の世界。皐月を挟んで金の力を
誇示する土右衛門と金も無く、工夫も無く、意地だけが強い五郎蔵の対立。歌舞伎に
良く描かれる「縁切」の場面。五郎蔵女房と傾城という二重性のなかで、心を偽り、
「愛想づかし」で、金になびいてみせ、苦しい状況のなかで、とりあえず、200両
という金を確保しようとする健気な傾城皐月(芝雀)。実務もだめ、危機管理もでき
ない、ただただ、意地を張るだけという駄目男・五郎蔵(染五郎)、剣術指南の経営
者として成功している金の信奉者・土右衛門(松緑)という三者三様は、歌舞伎や人形
浄瑠璃で良く見かける場面。馴染みの役者の見慣れた場面。判っていても、観てしま
うという歌舞伎の様式美の魔力。
 
「晦日に月が出る廓(さと)も、闇があるから覚えていろ」。花道七三で啖呵ばかり
が勇ましい御所五郎蔵が退場すると、皐月を乗せたまま、大道具が、廻る。
 
二幕目第二場「廓内夜更の場」。傾城皐月の助っ人を名乗り出る傾城逢州(高麗蔵)
が、実は、人違いで(癪を起こしたという皐月の身替わりになったばっかりに)五郎
蔵に殺されてしまう。駄目男とはいえ、五郎蔵の、怒りに燃えた男の表情が、見物
(みもの)という辺りが、この演目の見どころ。
 
皐月の紋の入った箱提灯を持たせ、自らも皐月の打ち掛けを羽織った逢州と土右衛門
の一行に物陰から飛び出して斬り付ける五郎蔵。妖術を遣って逃げ延びる土右衛門と
敢え無く殺される逢州。逢州が、懐から飛ばす懐紙の束から崩れ散る紙々。皐月の打
ち掛けを挟んでの逢州と五郎蔵の絵画的で、「だんまり」のような静かな立ち回り。
官能的なまでの生と死が交錯する。特に、死を美化する華麗な様式美の演出も、いつ
もの通り。闇の中での立ち回りの途中、舞台が明るくなり、土右衛門と五郎蔵が、そ
れぞれ松緑と染五郎に立ち戻り、舞台に座って、「今日はこれぎり」と挨拶をし、閉
幕。
 
馴染みのある演目を贔屓の役者たちが、改めて、なぞり返す。手垢にまみれて見える
か、磨き抜かれて、光って見えるか。先達の藝を継承し、未来に残して行く。燻し銀
のごとく、鈍く光る歌舞伎のおもしろさは、同じ演目が、役者が変われば、いつも、
違った顔を見せるということだろう。
- 2014年9月16日(火) 9:14:04
14年09月歌舞伎座 秀山祭(昼/「菊畑」「法界坊・双面水照月」)
 
 
昼の部の目玉は、吉右衛門主役の古典版「法界坊」
 
 
歌舞伎座再開場後、初めての秀山祭。去年は、若手の花形歌舞伎興行であった。昼の
部は、まず、「菊畑」。この演目は、文耕堂らが合作した全五段の時代浄瑠璃「鬼一
法眼三略巻」の三段目。私は、8回目の拝見。歌舞伎の典型的な役どころが揃うの
で、みどり(上演形式)で、良く上演される。今回は、歌六を始め、初役で演じる役者
も多い。世代交代の若い役者も頑張る。今回は、「次世代継承」配役の感あり。
 
主な配役。智恵内、実は、鬼三太:吉右衛門(2)、富十郎、團十郎、(2000年
9月歌舞伎座の橋之助を観ていない)、仁左衛門、幸四郎、又五郎、今回は、初役の
松緑。虎蔵、実は、牛若丸:芝翫(2)、勘九郎時代の勘三郎、(梅玉は、観ていな
い)、菊五郎、染五郎、信二郎、改め、錦之助、梅玉、今回は、染五郎。鬼一法眼:
羽左衛門の代役を含め富十郎(3)、富十郎の代役を含め左團次(2)、権十郎、吉
右衛門、今回は、初役の歌六。鬼一法眼がいちばん似合いそうな羽左衛門の舞台を休
演で見逃してしまったのが、残念。皆鶴姫は、芝雀(2)、時蔵(2)雀右衛門、菊
之助、福助、今回は、初役の米吉。憎まれ役の湛海:正之助時代の権十郎(2)、歌
昇(今回含め、2)、彦三郎、段四郎、歌六、歌昇時代の又五郎。
 
幕が開くと、浅葱幕。置き浄瑠璃で、幕の振り落とし。「音羽屋」の掛け声。舞台中
央、初役の松緑の智恵内、実は、鬼三太が、床几に腰掛けている。黒衣が、花の大道
具を押し出して来る。華やかな菊畑の出現というのが定式。体制派の奴たちが、智恵
内を虐めるが、智恵内も、負けていない。花道は、中庭の想定、七三に木戸があり、
ここから本舞台は、奥庭で、通称「菊畑」。鬼一法眼とともに、花道を通って、木戸
を開けて奥庭に入って来る8人の腰元。芝のぶが筆頭腰元で、花道は先頭、本舞台で
は、殿(しんがり)という立ち位置で、科白も多い。
 
「菊畑」は、源平の時代に敵味方に別れた兄弟の悲劇の物語という通俗さが、歌舞伎
の命。鬼一息女の皆鶴姫(米吉)の供をしていた虎蔵、実は、牛若丸(染五郎)が、
姫より先に帰って来る。それを鬼一(歌六)が責める。歌六は初役。世代交代で、米
吉も抜擢の初役。実の父親歌六と長男米吉の初役同士の芝居。今回は、歌六、松緑、
米吉が初役、藝の継承。湛海役が早くも2回目の歌昇ともども、米吉も世代交代組。
 
鬼一は、知恵内に虎蔵を杖で打たせようとする。以前にも書いているように、ここ
は、「裏返し勧進帳」という趣向。鬼一は、知恵内(鬼三太)に虎蔵(牛若丸)を杖
で打たせようとするが、ここは、「勧進帳」で弁慶が義経を打擲したのと違って、鬼
三太は、牛若丸を討つことが出来ず苦境に落ち込む。戻って来た皆鶴姫がふたりの正
体に気付いていて、急場を救う。鬼一は、鬼三太や牛若丸には、肚を見せないが、観
客には、肚を感じさせなければならない。鬼一が退場した後、牛若丸は鬼三太を叱
る。
 
知恵内、実は、鬼三太は、鬼一法眼の末弟である。兄の鬼一法眼は、平家方。弟の鬼
三太は、源氏方という構図。それぞれの真意をさぐり合う兄弟。さらに、鬼三太と牛
若丸の主従は、鬼一法眼が隠し持つ三略巻(虎の巻)を手に入れようと相談する。当
初の作戦変更の結果、牛若丸らは皆鶴姫の案内で鬼一法眼と直談判をし、虎の巻を譲
り受けようということになる。3人の引張りの見得で、閉幕。
 
最後に役者評を少し。初役の歌六、米吉、松緑、3回目の染五郎。2回目の歌昇。鬼
一法眼の歌六は、脇での存在感の出し方が巧くなった。病気療養中の鬼一法眼は、2
つの出方がある。ひとつは、療養している奥座敷から、ということで、上手から登場
する。今回は、腰元一行を連れて、華やかに花道から登場した。松緑の智恵内は、い
つもの黒い衣装ではなく、祖父の二代目、父の三代目(死後、追贈)松緑と同じよう
に浅葱の衣装で、音羽屋系の演出を吉右衛門に許してもらったという。播磨屋一門で
研鑚中という感じか。抜擢の米吉については、吉右衛門は次のように言っている。ベ
テランの逝去の後、「歌舞伎は、女形。若い女形をつくらなければならない。先人が
作り上げたものを、若い人はただ真似をするのではなく、体の中にたたき込むことが
いちばん大事。その蓄積があって新しい歌舞伎を作る力が持てる」。米吉抜擢もその
流れだという。

七代目梅幸に教わったという高麗屋の染五郎は、3回目の虎蔵、実は、牛若丸。楽屋
の染五郎は、「これまでに積んだ経験を生かし、古典の世界を作りたい」と話してい
る。一昨年12月の国立劇場で、湛海初役を務めた歌昇は、早くも2回目。この舞台
では、吉右衛門が鬼一法眼を演じており、眼鏡にかなったか。
 
贅言;そういえば、戦後の政治家、石橋湛山は、「湛山」だった。日蓮宗の命名。
「湛山」、「湛海」の「湛」は、いっぱいに満る、とか、(水などを)たたえるとい
う意味だ。
 
 
「隅田川続俤〜法界坊」・浄瑠璃「双面水照月」は、吉右衛門の「一世一代」(演じ
納め)か
 
 
「隅田川続俤〜法界坊」・浄瑠璃「双面水照月」は、今回で3回目の拝見。吉右衛門
法界坊は、2回目ながら、97年9月以来、私は17年ぶりなので、私の劇評記録は
無し。今回が、初めての劇評を記録することになる。吉右衛門は、7年前、07年5
月新橋演舞場で上演しているが、私は観ていない。

吉右衛門の「法界坊」は、いわば、古典版。それに、今回は、年齢的にも、体力的に
も、最後の上演かな、という吉右衛門(70)のつぶやきが聞こえてきた。というこ
とは、今回が、「一世一代」(演じ納め)なのか、あるいは、次回、正式に「一世一
代」という看板を掲げて、演じ納めをすることがあるのか。後継候補は、誰か。なら
ば、粗筋を含めて、きちんと記録しておきたい。
 
このほか、私は勘三郎の「法界坊」を9年前、05年8月歌舞伎座で観ているが、こ
れは串田和美演出で、いわば、「串田版法界坊」、つまり新作歌舞伎版ということに
なる。勘三郎は、その後、08年浅草、09年名古屋、10年大阪、12年浅草、い
ずれも「平成中村座」という大仕掛けのテント小屋で、「串田版法界坊」の上演を続
けて、12年12月に逝去してしまった(初演は、平成中村座の00年11月の浅草
で、その後、大阪、ニューヨークを経て、私が観た05年歌舞伎座の納涼歌舞伎上演
となる)。
 
吉右衛門は、大喜利で野分姫と法界坊の霊を演じる。実は、法界坊は、生きている時
も本質的に滑稽味とともに人殺しもいとわぬ残酷さを併せ持つ「双面」の性格の人
物。笑わせながらも、「闘う」人物なのだ。
 
吉右衛門は、次のように語っている。「若いころは愛嬌(あいきょう)を出すのも難
しかったですが、今はわざとらしくなく出せます。むしろすごみが足りなくなる。愛
嬌とすごみの変わり目をもっと出したい。勘三郎のおじさん(初代吉右衛門の弟、十
七代目中村勘三郎、12年に亡くなった勘三郎の父親)の法界坊が素晴しかったです
ね」
 
吉右衛門の「法界坊」の場の構成は、序幕第一場「向島大七入口の場」(大七入
口)、第二場「大七座敷の場」(座敷)、第三場「向島牛の御前鳥居前の場」(鳥居
前)、第二幕「向島三囲土手の場」(三囲土手)、大喜利「双面水照月〜隅田川渡し
の場」(隅田川『双面水照月』)となる。上演時間は、松竹の記録では、正味2時間
35分。
 
これが、勘三郎演じるものの場の構成は、「深川宮本」、「八幡裏手」、「三囲土
手」、「隅田川『双面水照月』」となり、上演時間は、松竹の記録では、正味2時間
47分であった。今回の序幕第一場、第二場の「大七」関連が「深川宮本」、第三場
「鳥居前」が、「八幡裏手」にそれぞれ、該当する。

その当時の私の劇評では、こう書いている。「芝居の本筋から言うと、吉右衛門の法
界坊の方が、おもしろかった。勘三郎の法界坊は、勘三郎のキャラクターに合わせ過
ぎていて、おもしろいことはおもしろいが、本筋の法界坊ではないと思った」。
 
以下、今回は吉右衛門を中心に評したい。
芝居の主筋は、京の公家・吉田家が、朝廷から預った掛軸「鯉魚の一軸」を紛失(実
は、吉田家の反対派が、盗んだ)したため、家名断絶となったことから、嫡男の松若
丸がお家再興を願い、東国に下り、江戸の道具屋・永楽屋の手代・要助(錦之助)に
身をやつしながら、古物として、「鯉魚の一軸」を探す物語だ。家宝探索という、歌
舞伎では、よくある話。
 
法界坊は、物語としては副筋だが、芝居では、特異なキャラクターを生かして主筋と
なる。要助と恋仲の永楽屋の娘・おくみ(芝雀)、都から許嫁の松若丸を追ってきた
野分姫(種之助)が、要助とおくみに絡んで行く。
 
序幕第一場「向島大七入口の場」。「鯉魚の一軸」の現在の持ち主、大阪屋源右衛門
(橘三郎)が、向島の料理屋「大七」にやって来た。そこへ来合わせた代官の牛島大
蔵(由次郎)と出会う。牛島大蔵は、「鯉魚の一軸」を吉田家から盗み出した反対派
の一味。要助、こと松若丸の命を狙っている。牛島の手先になっている源右衛門は、
おくみの横恋慕しており、おくみとの結婚を条件に、おくみの母親・おらく(秀太
郎)に掛軸を100両で譲ることにする。大七の前で、源右衛門は、おらくに「鯉魚
の一軸」を手渡す。おらくは、同行していた要助に掛軸を預ける。おくみの気持ちを
承知しているおらくは、大阪屋源右衛門に金は払っても、おくみを嫁にやるつもりは
ない。
 
花道から法界坊(吉右衛門)登場。浅草聖天町に住む法界坊は、釣鐘建立の勧進をし
ている。勧進で集めた金を女道楽や飲み食いに使ってしまうような生臭坊主。法界坊
もおくみに横恋慕している。大七の前で、牛島に出会う。法界坊と牛島は旧知の仲。
牛島から事情を聴き、手先となる。牛島が立ち去り、出会った永楽屋の番頭(吉之
助)を一味に引きずり込もうと、番頭とともに、法界坊は、大七に入って行く。さら
に、松若丸の行方を探す野分姫(種之助)一行も、大七に入って行く、ということ
で、ここは、登場人物の紹介を兼ねた伏線案内のような場面。
 
序幕第二場「大七座敷の場」。大七で野分姫一行は、早々と要助、こと松若丸と再会
する。「鯉魚の一軸」の所在も判り、100両という資金繰りさえ、目処がつけば、
吉田家再興も叶うと言い合い、後日の再会を約する。
 
要助と野分姫のやり取りを窺っていたおくみは、嫉妬して、立腹。痴話喧嘩へ。おく
みの文を投げ捨てる。奥から部屋に忍び込んできた法界坊が、おくみの文を拾うとと
もに、要助の脇に置いてあった掛軸を盗み取り、自分が持っていた釣鐘建立の絵図と
すり替える。上手から部屋に忍び込んできた源右衛門が、さらに、その絵図と部屋の
床の間に掛けてあった掛軸と取り替える。こういう侵入者の動きに全く気付かずに要
助とおくみの痴話喧嘩は続く、ということで、正に、荒唐無稽な笑劇。さらに、番頭
が要助に100両を貸し、証文を書かせるが、これが、後に仕掛けられる悪巧みの
罠。番頭のおくみへの口説き。法界坊の再登場、番頭を追い出してのおくみへの口説
き、付け文の手渡しなど、笑劇の伏線が続く。花道から道具屋の甚三(仁左衛門)登
場。おくみが投げ捨てた法界坊の付け文を拾う。主立った登場人物がやっと揃う。

法界坊が、要助、おくみを連れ出し、ふたりの仲を質す。番頭は、要助に金を返せと
迫る。窮地に追い込まれる要助。甚三が仲裁に入る。法界坊が拾ったおくみの付け
文、甚三が拾った法界坊の付け文をすり替えて、甚三は、要助とおくみの窮地を救
う。番頭の持っている要助の証文も丁稚(玉太郎)の機転で燃やしてしまい、要助は窮
地を逃れる。こうして改めて粗筋を追うと、この芝居のバタバタした笑劇の様子が良
く判る。

第三場「向島牛の御前鳥居前の場」。上手奥に鳥居。上手から登場した番頭は、おく
みを攫おうと駕籠を用意して、待ち伏せをしている。鳥居奥から法界坊が現れ、番頭
に盗んだ掛軸を渡す。上手からやって来たおくみを捕え、番頭は無理矢理おくみを縛
り、猿轡を噛ませ駕籠に押し込む。駕籠全体を縄で縛る。番頭が駕籠かきを呼びに行
く間に、法界坊は通りかかった道具屋の葛籠を奪い、駕籠のおくみを葛籠に押し込み
直し、駕籠には気絶している道具屋を乗せて、駕籠を縄で縛り直す。戻って来た番頭
は、道具屋も駕籠から転げ落ちたのも知らずに駕籠を担いで行く。荒唐無稽な芝居は
続く。

序幕第三場から第二幕へは、まとめて、要点のみ。この芝居で殺される人たちを記録
しておこう。「串田版法界坊」と古典派の「法界坊」では、違うが、吉右衛門版で殺
される人たちは、以下の通り。

 大阪屋源右衛門は、おくみに横恋慕していて、恋敵の要助の吉田家再興も阻止する
べく「鯉魚の一軸」探索を妨害する。偽の掛軸ながら要助の前で、一軸を破るので逆
上した要助に鳥居前で斬り殺されてしまう。

野分姫は、法界坊によって、要助、こと松若丸がおくみとの恋の邪魔になるから、姫
を殺して欲しいと頼まれたと嘘をつかれたのを真に受けて、松若丸への恨みを飲み込
んだまま、三囲土手で法界坊に殺されてしまう。

その法界坊は、自分に妨害する者を落とし込むための穴を三囲土手に掘っている。掛
軸を巡って甚三との争いとなり、法界坊は、誤って自分が落とし穴に落ちてしまう。
這い上がって来たが、掛軸を甚三に奪われたので、甚三に打ちかかるが、元中間で武
道の心得もある甚三に討たれてしまい、本格的に穴に埋められてしまう。

なぜ、法界坊は、野分姫を殺した加害者でありながら、法界坊自身と野分姫の両方の
霊を持った双面の悪霊になり、それも、おくみそっくりの忍売りになって人々を悩ま
すのか。

要助がキーパーソンらしい。双面の悪霊は、忍売りに身をやつして、野分姫の霊は恋
敵のおくみとそっくりな格好をしている。そのおくみそっくりの霊の半分は、法界坊
というわけだ。合体怨霊を吉右衛門が演じるというのが、大喜利「双面水照月〜隅田
川渡しの場」(隅田川『双面水照月』)の趣向なのだ。要助とおくみに襲いかかるの
は野分姫の霊だが、法界坊 の霊は、野分姫の霊に引っ張られているだけなのだろう
か。野分姫に嘘をついて殺した下手人は、死後も被害者の野分姫に引き摺られながら
漂流して行く運命なのか。
 
17年前に観た奇妙な場面が、なぜか印象に残っている。番頭や法界坊が駕篭を縄で
縛り、「こうしてしまえば、〆子(しめこ)のうさうさ、締めたぞ締めたぞ」と唄い
出す。「〆子(しめこ)」は、「しめた」「しめしめ」という意味で、「〆子のうさ
(ぎ)」は、「兎を絞める」という意味と掛けた地口(じぐち)。物事が、思い通り
にいったときに使う。作戦が巧く行き、「しめしめ」と喜んでいるのである。小悪党
が、喜んで使いそうな地口といえる。この「〆子のうさうさ」は、その後も、駕篭の
場面で、パロディとして使われ、さらに、法界坊によって、おくみの代わりに駕篭に
入れられた道具屋が、駕篭から抜け出し、置き忘れた桜餅の籠を駕篭に見立てて、こ
の地口を使う場面さえある。番頭、法界坊、道具屋と何回も唄われる「〆子のうさう
さ」は、瑣末な場面なのだが、なんとも印象的だ。

崩壊坊のキャラクター。明るいが殺人者というのが、法界坊の持ち味。滑稽味と小悪
党。このキャラクターをどう演じるか。破戒僧に留まらず、殺人鬼になってしまった
法界坊でありながら、なぜか、三枚目風の、憎めないキャラクターになっている。

この憎めない悪人キャラクターを、どう演じるか。立役の吉右衛門は、ひょんなこと
から、殺人鬼になってしまった法界坊を善人の成れの果てのように演じた。双面のと
きも、立役・法界坊が主軸で、女形・野分姫は、口を動かさずに(人形浄瑠璃の人形
と同じだ)、女形の黒衣に声を任せて、立役の地を滲ませながら演じていた。これ
が、本筋の双面だろうと思う。

亡くなった勘三郎は、普段から立役も女形も演じる「兼ねる役者」であるから、女形
の野分姫を演じても、女形の黒衣を使っても、立役の地を滲ませることができない。
むしろ、普通の女形になっている。それが、勘三郎の普通の姿であろう。どちらが、
良いとか悪いとかいうことではないが、これは、吉右衛門と勘三郎の持ち味の違い。
ただ、「法界坊」という芝居の本筋から見ると、吉右衛門の立役を軸としながら、法
界坊を演じ、双面でも、立役を滲ませながら、女形を演じるという趣向の方が、より
古典に適切だろうと思うだけだ。勘三郎は、「隅田川続俤」としての「法界坊」よ
り、串田版「法界坊」という新作歌舞伎を演じているのだから、それはそれで、勘三
郎の持ち味の法界坊ということだろう。

能の「隅田川」ものとしての繋がりゆえに「続俤(ごにちのおもかげ)」の2文字を
外題に入れ、隅田川伝説の後日談の趣向とした原作者の奈河七五三助(しめすけ)。
吉田家のお家騒動。人買いに攫われた梅若・松若兄弟と子どもを探して狂ってしまう
ほどの母親の愛情物語。「法界坊」「忍ぶの惣太」「清玄桜姫」なども、「隅田川」
に絡むので、法界坊と野分姫の双面も、清玄桜姫のバリエーションとも言える。喜劇
化した清玄が、法界坊か。都から下ってくるときに野分姫が扮する「荵(しのぶ)売
り」も、「忍ぶの惣太」と絡むし、「お染久松」の荵売り「垣衣(しのぶぐさ)恋写
絵」も絡む。下塗り、上塗り、幾度も塗り替え、自由闊達、換骨奪胎、破れたら、張
り替え。毀れたら、補強。歌舞伎の狂言作者たちの、工夫魂胆、逞しい盗作、模倣の
精神を見るようだ。
 
「法界坊」は、四代目市川團蔵、三代目と四代目の中村歌右衛門、三代目の坂東三津
五郎、四代目中村芝翫、六代目尾上菊五郎、初代中村吉右衛門、二代目市川猿之助、
十七代目中村勘三郎らの当り藝であった。それゆえに、それぞれの名前を引き継いだ
役者たちは、家の藝として、「法界坊」を演じたがる。底抜けに明るい悪人の法界坊
は、誰もが持っている人間の欲望をストレートに出したがゆえの悪人という側面も強
い。だから、役者は皆、演じたがるし、観客は皆、観たがる。
 
 吉右衛門の巧さは、悪人を演じながら、役者の地である善人のユーモアが滲み出て
も、なんら不自然ではないというところ。特に、法界坊が、最後は自らが落ちて死ん
でしまう「三囲土手」の場面の「穴掘り」の足の藝の巧さは、勘三郎も及ばない。勘
三郎は、この場面には、あまり力を入れていなかったように見受けられたが、吉右衛
門は、「お土砂」の紅屋長兵衛でも見せた足藝の巧さをここでも見せてくれた。先代
の吉右衛門や先々代の猿之助は、「穴掘り」を巧く見せたという。「穴掘り」は、こ
の場面を使う型と使わない型があるというから、役者の工夫次第で、おもしろく見せ
るか見せないかという場面なのかもしれない。吉右衛門は、初代の芸を守っている。
 
 「法界坊」は、吉田家のお家騒動を軸にお組を巡る男女の駆け引きとして、物語
は、展開するが、本来、筋は、荒唐無稽。むしろ、細部のパロディやエピソードの積
み重ねが、芝居の狙いだろう。「〆子のうさうさ」に象徴されるような、言葉遊び、
「おうむ」と呼ばれる、場面の繰り返しのパロディのおもしろさ。付け文の摺り替え
に拠る「ちょいのせ」のおもしろさ。そういう細部こそ、「法界坊」という芝居の真
骨頂ではないか。

贅言;新作歌舞伎の「串田版法界坊」では、大事な「鯉魚の一軸」を横に置き、痴話
喧嘩をしている要助と「お組」を尻目に、軸を摺り替える場面で、忍者のように、巻
物を銜え、障子の前で呪文を唱えると、障子が回転ドアのように一転し、法界坊を隠
してしまうなどの場面や黒衣も、要助が、番頭の「正八」から借りた金の証文を書く
場面で、白紙を持ち、筆を持つ、要助を手助けながら、すでに書き上がっている証文
を観客に判るように渡す場面、出てきた雲を団扇で風を起こして、月を隠してしま
い、「だんまり」に結び付ける場面など。くすぐりの場面では、遊び心のある串田演
出が、おもしろさをトコトン求める勘三郎の要求に応じた細部に光る。「鈴ヶ森」の
立ち廻りの場面のパロディ、見得をする黒衣などの場面もある。吉右衛門の古典重視
の演出とは大違いだ。
 
さて、最後に吉右衛門が今回の「法界坊」で、本当に演じ納めるなら、この演目を誰
に継承させるか、ということを考えて見たい。

後継候補は、誰か。中堅か、若手花形か。「古典中心に精進しているのは」という要
素がいちばん大事だろう。滑稽味と凄みの双面が肝要。若手花形の海老蔵、猿之助
は? 純粋な古典派で無いだろう。中堅の三津五郎はあり得るか。あるいは、古典重
視の松緑、染五郎あたりか。あるいは、意外な所で、上方味はどうか。二代目鴈治郎
を引き継ぎ、翫雀か。当代の菊五郎なら向く役柄だが、いずれ菊五郎を襲名する菊之
助では、「にん」が違いすぎる。一方、勘九郎は、父親の十八代目勘三郎路線を継承
して行くだろう。
- 2014年9月15日(月) 6:50:41
14年08月歌舞伎座・納涼歌舞伎 (第3部/「勢獅子」「怪談乳房榎」)


「勢獅子」は、5回目の拝見。曽我ものの「勢獅子」は、いわゆる「お祭り」系統の
出しもの。この演目の外題にある「獅子」は、石橋ものの獅子ではなく獅子舞の獅
子。定式幕が開くが、浅黄幕が、舞台を覆っている。幕の振り落しで、舞台一杯に広
がるのは、祭衣装の面々。下手に常磐津連中。今は日枝神社の祭礼「山王祭」を舞台
に映すが、元は曽我兄弟の命日、5月28日に芝居街で催された「曽我祭」を映した
という。だから、今回も鳶頭のトップのふたり(三津五郎と橋之助)は曽我兄弟の仇
討の様子を踊ってみせる。

鳶のふたり(国生と虎之介)が、若い鳶の人馬に股がり、富士の巻狩りの様子を踊る
のが、「夜討曽我」。芸者のふたり(扇雀と七之助)が、大磯の虎や化粧坂の少将を
踊る。手古舞たちの端唄模様の「クドキ」、鳶頭のユーモラスな「ぼうふら踊り」、
舞台上手は、茶店とご祭礼のお神酒所。中央には、ご祭礼の門。背景の書割には、江
戸の街の商店が並ぶ。下手の積物は、剣菱の菰樽。江戸の粋と風情が、舞台いっぱい
に溢れる。

鳶頭は、舞台復帰の三津五郎、橋之助、弥十郎、獅童、勘九郎、巳之助。鳶の者に国
生(橋之助の息子)、虎之介(扇雀の息子)ほか。芸者は、扇雀と七之助。手古舞の
女形たち(新悟(弥十郎の息子)、児太郎(福助の息子)、鶴松ほか。勘九郎と巳之
助のふたりが、「獅子舞」で達者な踊りを披露。獅子の狂い。百獣の王 ・獅子の演
目だけに、手古舞の女形たちが、百花の雄・牡丹が描かれた扇子を二つ組み合わせ
て、蝶々に見立てて、踊っていた。獅子と蝶々は、定番。さらに、お神楽見立ての、
おかめ、ひょっとこ、大尽の面を被っての「ひょっとこ踊り」。祭りの描写だが、舞
台いっぱいに大勢の出演者が勢ぞろいして、夏祭気分を盛上げて、今月のハイライト
「訪米歌舞伎凱旋記念」という古粧しい角書きのついた「怪談乳房榎」へ。


「怪談乳房榎」は、4回目の拝見。今回は、ニューヨーク公演の「凱旋記念」という
触れ込み。主な配役は、前回私が観た11年8月、新橋演舞場公演とほとんど変わら
ず。替わったのは、雲海という住職が、市蔵から弟の亀蔵に替わったくらい(亀蔵
は、今回ふた役)。主役は、前回は、勘太郎、今回は、襲名した勘九郎。絵師の菱川
重信、菱川家の下男正助、小悪党のうわばみ三次、三遊亭圓朝の4役早替わりという
趣向も変わらず。勘九郎以外は、父親の勘三郎で2回(勘九郎時代と勘三郎襲名後)
観ている。

この演目は、昭和時代には、延二郎時代を含む延若が主役を演じ、平成に入ってから
は、先代の勘九郎時代を含む勘三郎が演じ、以後は、勘太郎時代を含む勘九郎が演じ
る。いわば、中村屋の外連(けれん)歌舞伎の演目だ。外題の角書きには、凱旋記念
のほかに「三世實川延若より直伝されたる十八世中村勘三郎から習い覚えし」という
長い文章が付いている。今年の7月、ニューヨークの平成中村座公演で上演してきた
バージョンで演じる。「乳房榎」の場面無しの七場構成。12年前に「乳房榎」の場
面を含めて八場構成の芝居を先代の勘九郎時代の勘三郎主演で観たのが、最初。

「怪談乳房榎」は、人情噺、怪談噺を得意とした幕末から明治に掛けて活躍した落語
家・三遊亭圓朝の原作である。1888(明治21)年に新聞に掲載され、1897
(明治30)年9月、真砂座で初演された。当時は、うわばみ三次は、登場していな
い。三次は、1914(大正3)年8月、京都南座で、初代延二郎(後の、二代目延
若)のときに、三役早替りの趣向のために、創作された小悪党で、以後、定着した。

3年前から演じ続けている勘九郎は、当初、「父の演じた通りにします」と父親を真
似ることを目標にしてきたようだが、歌舞伎座、大阪中座(今は、ない)、京都南座
と、本興行で6回演じた勘三郎。新橋演舞場、赤坂ATCシアター、歌舞伎座と3回目
の勘九郎(海外公演は、本興行に入れていない)。「三次の凄み、正助の愛嬌、重信
の重み」と演じ分けた父親・勘三郎の域に達するのは、まだまだ精進が必要。でも、
ひたむきに頑張っている様子が、客席にもわかり、大団円で、三遊亭圓朝に扮して、
勘九郎がせり上がって来ると、大向うから「お疲れさん」と声がかかり、早替わりの
めまぐるしさに終止符がうたれたことを悟る。

勘三郎は、6回上演してきた中で、回を追うごとに、勘三郎らしい工夫をこらしてい
るのだろうが、一方では上演時間が短くなっている。筋を丁寧に演じることを省略
し、「早替り」という外連(けれん)優先の演出である。2時間45分から始まっ
て、1時間41分へ(松竹の上演記録に拠る。「乳房榎」の場面の有無を無視して記
録している)。今回の勘九郎版「怪談乳房榎」は、幕間の10分を含めて、2時間1
0分かかった。それでも、早替わりのめまぐるしい印象が強く残る。総じて、最近の
松竹歌舞伎は、上演時間が短くなってきているようで、余白、余韻が少なくなってい
るのではないか。

今回の勘九郎は, 人気絵師菱川重信、菱川家の下男の正助、無頼の小悪党・うわばみ
三次の三役早替りと父親勘三郎同様に三遊亭圓朝もきちんと演じた。都合四役を演じ
るのは、前回同様。憎まれ役の磯貝浪江は、前回同様、獅童。重信妻のお関は、前回
同様、七之助。

勘九郎の早替りは、吹き替えを含めてテンポがあり、達者なのだが、勘三郎同様にめ
まぐるしくて、演技より、早替り優先で、少し、興が削げた感じは、今回も変わらな
かった。三次→正助→重信のいくつかの場面の早替りがあるが、この芝居は、正助
が、主役だろう。正助をきちんと演じないと、「怪談乳房榎」の主役は、勤まらな
い。この点は、暫く、勘九郎の課題になりそう。

序幕第一場「隅田堤の場」。茶屋の女房・お菊は、ベテランの小山三。いまや、現役
の歌舞伎役者最高齢。8月20日で、94歳。茶屋のヨシズを開けて、出てくるだけ
で、場内から拍手。「いつもお若くて結構だねえ」と出演者のだれかれが呼びかける
が、今回は、重信の奥方、お関役の七之助が呼びかけていた。前回は、「扇折(扇の
地紙折り、という職業があったのだろう)」の竹六を演じる小三郎が呼びかけてい
た。観客からは、小山三への敬老共感の笑いが漏れる。

この場面のポイントは、憎まれ役となる磯貝浪江(獅童)が、泥酔した国侍らに絡ま
れたお関の急場を掬う場面である。お関は、江戸評判の浮世絵師・菱川重信の妻で、
磯貝浪江がお関と知り合うきっかけ作りの場面だ。この絡みは、そうとは説明されて
いないが、絵師になりたいという磯貝浪江が、菱川重信の妻・お関に近づくために、
国侍らに金を出して仕組んでいたとしても、おかしくはない。

磯貝浪江は、歌舞伎独特の「色悪」(美男の悪役)というキャラクターだ。そのほ
か、菱川重信の下男・正助(勘九郎)が花道から出て来て、用事があるからとすぐに
下手へ引っ込むが、たちまち、本舞台中央の御休処の奥から姿を現すうわばみ三次
(勘九郎)へと早替わりをしてみせる。

しかし、この序幕の魅力は、早替りの予兆だけでなく、実は、もうひとつある。つま
り、江戸の街と庶民が描かれるということだ。幕が開くと、背景の隅田川と向こう岸
に見える待乳山の書割のある堤の場面では、梅若伝説で知られる梅若塚近くの茶店
(長命寺桜餅と書いてある)に立ち寄る花見客たちの姿が活写される。扇折竹六(小
三郎)や重信妻のお関に付き添って来た女中は、茶店の女房・お菊(小山三)に茶を
勧められても床几に座らず、竹六は地面に膝を着き、お花は、立ったままでお茶を飲
み、お関の赤子も抱いていた。お関は、ゆるりと床几に座る。身分の違いというルー
ルのあった江戸の習慣を滲ませる。

このほか、茶屋の前を酔客、花見客、国侍などが通る。2002年に私が初めて観た
「怪談乳房榎」では、外題の謂れとなった、赤塚の松月院にある乳房榎に張り付けら
れた乳房の絵馬や榎の樹液を採取する竹筒、境内を通る礼拝の男女などの姿にも、更
に、江戸の町人たちの習俗が伺えたが、この演目では最後となった5年前の09年8
月歌舞伎座の勘三郎の舞台同様、今回も、これらの場面は、省略されていて、残念で
あった。定式幕が閉まる(この演目では、廻り舞台ではなく、幕に拠る場面展開を多
用した)。

二幕目第一場「柳島重信宅の場」。磯貝浪江は、お関の縁でまんまと重信の弟子に
なって2ヶ月が経った。皆に気配りをする磯貝は、菱川家中の評判が良い。しかし、
重信が、高田馬場近くの寺の本堂の天井画を描くのを頼まれ、夜更けにも拘らず出立
してしまい、ひとり残ったお関が、長男の真与太郎(まよたろう)を寝かし付けよう
と蚊帳に入って行くと、磯貝は豹変する。前回、この場面では、お関を演じた福助
は、蚊帳に入る際、入る予定の蚊帳の辺りにいたと思われる蚊をばたばたという感じ
で、追っ払った上で、すばやく、蚊帳のなかに入っていったが、こういう辺りに江戸
の庶民の、夏の生活習慣が活写されていて、おもしろい。今回の七之助は、そこまで
演じない。

蚊帳のなかで、お関が幼子を寝かしつけていると、家中に男一人しかいないという状
況を悪用して、不埒にも母子の寝間近くまで、磯貝は、「挨拶に来た」という。磯貝
は家中を眺め、辺りの様子を伺った上で、急な差し込みが起こった、「痛い、痛い」
と言って、仮病を使う。お関を蚊帳の外に誘い出そうという肚だ。このあと、磯貝
は、態度を急変させてお関に不義を仕掛ける。この場面、初めて観たときは、蚊帳が
あるため、「四谷怪談」のお岩、伊右衛門の夫婦の寝間の場面を連想させたが、今回
は、前回同様、蚊帳の外での演技で、あっさりとしていて、お関の不安感を感じさせ
るだけで、演劇空間としては、蚊帳の活用が稀薄であった。こういう余韻は、是非と
も欲しい場面だ。

二幕目第二場「高田の料亭花屋の二階の場」へ。ここでは、磯貝浪江が、お関の叔父
が仕える家の金蔵を破り御用金二千両を奪った犯人の佐々繁というのが本名で、廊下
を挟んだ向かいの部屋にいたうわばみの三次が、「佐々の旦那」と呼びかけたことか
ら、昔からの盗人仲間だったことが判る。旧悪を種に旦那を脅す三次。「白蛇(はく
じゃ)が出るのは柳島」というのは、三次の科白。「柳島重信宅」の地名を織り込
み、「蛇の道は蛇」と小悪党は、悪ぶる。

この場面も芝居の見どころは、勘九郎の早替り。二階の場面の後、階段を降りる場面
で、勘九郎は、三次から正助への早替りを見せる。三次の顔、鬘を階段上から客席
に、長めに見せておきながら、多分、階段下の見えない部分で、勘九郎は、三次の衣
装を脱ぎ捨て、下に着ている短かめの正助の衣装に替えているようだ。そして、階下
に降りたとたん、客席から見えない場所で、鬘を替え、手ぬぐいを持ち、正助になる
のだろう。正助になり替わった勘九郎が、間もなく上がって来る。

磯貝は、正助に料理や酒を勧め、五両を渡したり、兄になってほしいとか、重信が、
自分の父の仇だとか、適当なことを言ったりして、重信殺しに誘い込もうとする。肚
に一物のある磯貝は、重信に恩義を感じていて抵抗する正助をおだてて兄弟の盃をか
わそうとする。磯貝は、師匠の奥方に暴行をした上、師匠殺しも企んでいることがわ
かる。

二幕目第三場「落合村田島橋の場」は、暗闇に蛍が飛び、地蔵のある橋の袂の土手と
いう寂しい所。「累」や「四谷怪談」でお馴染みの殺し場の舞台。蛍狩りでほろ酔い
となった重信は、花道からやって来る。磯貝は正助に手伝わせて、主の重信を殺す。

圓朝の、この怪談噺は、もともと、幕末の江戸の地名が随所に出て来る。隅田川、柳
島から高田馬場、高田馬場近くの落合、さらに十二社(じゅうにそう)は、新宿角
筈、そして、今回も省略されたが、練馬の赤塚へと場面は、江戸の街を東から北西へ
展開する。方角的には、「四谷怪談」の逆コースを行っていることになる。たぶん、
圓朝は、鶴屋南北の「四谷怪談」を下敷きにしているのだろう。

ここの勘九郎の見せ場は、磯貝に殺される重信の場面で、勘九郎は、正助→重信→正
助→三次へと早替りを見せる。花道から正助登場。上手から磯貝登場。ふたりは、重
信を待ち伏せするために傍らの薮に隠れる。重信の勘九郎は、また、花道から現れ
る。吹き替えを使っての早替り、正助、三次の早替りでは、花道でのすれ違いは、よ
く使う演出。定式の、傘と菰を使っての早替りだ。三次は、磯貝の落とした印籠を拾
う。後日の脅しの材料を手に入れたことになる。柝の合図で、背景の黒幕が落ち、野
遠見に替わる。獅童は花道に消え、三次役の勘九郎が舞台に残る。

二幕目第四場「高田南蔵院本堂の場」。講中の人々が、重信が殺されたことも知らず
に、待っている。花道から正助登場。師の死を知らせに来る。下手講中の輪の中に入
れられ、正助は、奥へ。花道七三、すっぽんから重信の霊(勘九郎)登場。重信の幽
霊は画竜点睛を欠く、未完成の天井画「双龍之図」の眼を入れに現れたのだ。執念の
絵師。その後、幽霊は、舞台中央の仏壇の裏へ、回転装置を使って消える。消えた重
信から、勘九郎は、正助への早替りで、下手、講中の輪の中から現れる。

三幕目「菱川重信宅の場」。先の柳島の重信宅とは、別の屋敷。重信宅では、重信が
亡くなって、百か日の法要が営まれる。磯貝は、正助に重信の子・真与太郎を殺すよ
うそそのかす。磯貝は、犯罪者の心理として、幼い赤子に真相を知られているような
気がしているのだ。殺しの現場で拾った印籠を持ち、脅しに現れたうわばみの三次
は、磯貝に口止め料として、三百両を要求する。金と引き換えに、三次に正助と真与
太郎を殺すよう言い含める磯貝。どちらも、小悪党だ。

幕外に、下手から男たちが出て来る。大道具整備の時間稼ぎのやり取り。大詰「角筈
十二社大滝の場」では、滝は、本水。磯貝にそそのかされて重信の子・真与太郎を滝
に捨てに来た正助と重信の幽霊のやり取り、さらに、三次と正助との殺しあい。夏ら
しい本水とスモークを使っての大滝の場面。正助→重信の霊→正助→三次→正助など
という勘九郎のテンポの早い立ち回りと早替りが見せ場。吹き替え、マイクを使って
と思われる声のみの出演(録音か?)も含むが、芝居のテンポは、早い。蓑笠、傘な
どの小道具が、そのテンポアップをサポートする演出の巧さ。岩屋の洞穴なども使っ
て、めまぐるしく、早替りの場面が続く。けれん歌舞伎の魅力が横溢する。しかし、
反面、ゆっくり、演技を観ることも出来ない。演技も、おおざっぱになっている。勘
九郎は、良しも悪しも、勘三郎の真似のままで、今回も幕。何時の日か、勘三郎を突
き抜けて、勘九郎の「乳房榎」の芝居が実現することを楽しみにしている。

圓朝の道具幕(「三遊亭圓朝さん江 大根がし三周紐育支局より」とある。ニュー
ヨーク公演で使ったのだろう。幕は贔屓より寄贈の体)。幕には、三遊亭圓朝口演。
怪談乳房榎連続にて申上げ候、と書いてある。NEWYORK CITYの文字と摩天楼群の
イラストも描かれている。幕外では、本舞台中央のセリ上がりから、圓朝に扮した勘
九郎が、上がって来る。前回の段三郎四役早替わり初演の時は、筋書きにも、書かれ
ずに隠されていた四役目の早替りの趣向だったが、勘九郎が演じるようになって、筋
書にも配役を明記するようになった。一席口上の末、「これにて大団円とあいなりま
す」。定式幕が、忙しく行き来した本舞台に、最後には、緞帳が降りて来て、幕。

贅言:本来は、大詰第二場「乳房榎の場」があるが、今回は、前回、前々回同様省略
(赤坂では、省略せずに上演している)。注連縄を飾った大榎、木の洞がおどろおど
ろしい(案の定、やがて、ここに重信の幽霊が現れる)、乳の出を良くしたいという
願を掛けるため、描かれた乳房の絵馬、御利益のある榎の樹液を採取する竹筒が、そ
れぞれ、大木のあちこちに付けられている。この場面は、特異で、印象的だった。こ
れが省略された舞台しか知らないと「怪談乳房榎」の印象は、かなり違ったものにな
る。

結局、磯貝と再婚し、子ができたものの乳が出ないので、磯貝とともにやってきたお
関、改心した正助が育てて来た重信の子・真与太郎は、ここで育てられていた。皆、
善人なのか。善人の中にも悪人は住んでいるということか。怪談噺、因縁噺らしい、
大団円が用意されていた。幽霊の登場、霊力による小鳥たちの攻撃、磯貝に過って殺
されるお関、正助、真与太郎に仇を討たれる磯貝という後日談の「落ち」の場面が、
省略されてしまっている。落語なら、因縁噺の落ちが無ければ、終わらないが、歌舞
伎なので、夏らしく、本水の立ち回り、早替りで幕という演出を勘三郎が考え、爽快
な圓朝のセリ上がりという場面を付け加えたのであろう。
- 2014年8月18日(月) 10:02:04
14年08月歌舞伎座・納涼歌舞伎 (第2部/「信州川中島合戦」「たぬき」)


「信州川中島合戦」は、2回目。前回は、9年前、05年6月・歌舞伎座。東京で
は、33年ぶりの上演だった。「信州川中島合戦〜輝虎配膳〜」は、近松門左衛門
作。「三婆」が、見どころ。「三婆」とは、「盛綱陣屋」の微妙(みみょう)、「菅
原伝授手習鑑」〜道明寺〜」の覚寿(かくじゅ)それに、武田信玄・上杉謙信の対立
「甲陽軍艦(甲越軍記)」をベースにした「本朝廿四孝」、あるいは、「信州川中島
合戦〜輝虎配膳〜」の山本勘助・母の越路(こしじ)を言う。気骨と品位が要求され
る老婆役である。

前回の配役。輝虎:梅玉、お勝:時蔵、直江山城守:歌六、唐衣:東蔵、越路:秀太
郎。

今回の配役。輝虎:橋之助、お勝:扇雀、直江山城守:弥十郎、唐衣:児太郎、越
路:萬次郎。

前回は、越路が初役の秀太郎で、可愛らし過ぎて、男勝りの女丈夫の、貫禄のある婆
になっていないのが、残念であった。今回は、萬次郎が越路を演じたが、これも、初
役で、男勝りの女丈夫の、貫禄のある婆になっていない。やはり、なかなか難かしい
役なのだ。上演記録から、戦後の越路役者の顔ぶれを見ても、観たい配役がなかなか
ない。1972年1月の歌舞伎座は、観てみたいと思った。配役は、こうである。

輝虎:十三代目仁左衛門、お勝:歌右衛門、直江山城守:十四代目勘弥、唐衣:芝
翫、越路:二代目鴈治郎。

これでは、豪華すぎて、今回の舞台と比べることが出来ない。

舞台は、長尾輝虎の館。珍しい素木の御殿。越路が、山本勘助の妻・お勝を連れて、
やって来る。迎えるのは、越路の娘で、勘介の妹、長尾家の家老・直江山城守の妻・
唐衣である。つまり、山本勘助の母、妻、妹と勘介絡みの3人の女性の物語なのであ
る。原作者の狙いのひとつは、家族の悲劇。息子が、信玄方、娘が、謙信方と、家族
が対立する陣営に分かれて戦さをする家族。そういう一家の母の苦衷が、テーマであ
る。

秀太郎は、「封印切」の井筒屋のおえんのような役は、巧いが、貫禄を演じるのは、
柄では無いし、萬次郎も、庶民の女房などの役は、巧いが、やはり、貫禄のある老婆
を演じるのは、仁ではないだろう。

信州川中島合戦は、互角で勝負がつかない。信玄方の軍師・山本勘助を味方に付けた
い長尾輝虎(後の上杉謙信のこと)が、勘助の妹婿である直江山城守に命じて、越路
を屋敷に招き、自ら膳部を供して、ご機嫌を取ろうとするが、輝虎の策略を見抜き、
命を懸けて配膳を蹴飛ばす女丈夫が、越路である。短気な輝虎が、怒り狂い、白い下
着を4枚も脱ぐ場面がある(場内の笑いを誘う)。輝虎は、さらに、越路に斬り掛か
るが、越路に付き従って来た勘助の妻で、吃音のお勝の機転で、窮地を脱するという
単純な話。

贅言;戦国時代は、宴に招いた主が膳部を自ら持ち出して来るというのが、大歓迎の
意を表していたらしいから、特段、輝虎が、気を衒って客の機嫌を取ろうとしたわけ
ではなかったのだろうが、越路は、そういうことを嫌った女武道だったのだろう。

原作者の、もうひとつの狙いは、お勝のような吃音で、巧くしゃべれない女性の、琴
を使った機転(言葉の代わりの琴の演奏を聞かせたり、琴を「武器」に刀に立ち向
かったりする。こちらこそ、女丈夫そのもの)の成否を観客に訴える。科白より、琴
の演奏が勝ちという芝居者の皮肉な問いかけが、根底にある。

越路より難しいと思われるお勝は、前回は、時蔵が初役で演じた。この役は、実際に
琴を演奏してみせなければならないので、誰でも出来るというわけではない。今回の
扇雀も初役。こちらは、科白がない役ながら、存在感のある演技で、芝居を引き締め
ないといけない。同じく初役で輝虎を演じた橋之助。前回の梅玉も、初役。ふたりと
も、短気な武将を演じていて巧いのだが、後の謙信という大きさが、滲み出て来ない
のが、残念。同じく初役で、直江山城守を演じた弥十郎も、もうひとつ。前回、初役
で演じた歌六は、毅然とした捌き役で、風格があった。勘助の妹で、山城守の妻・唐
衣は、児太郎。勿論初役。前回、同じく初役の東蔵。つまり、前回も、今回も、皆、
初役なのだ。最後は、花道の越路・お勝と本舞台、二重の上の輝虎を平舞台の直江山
城守・唐衣が止めて、皆々で、引っ張りの見得。越路・お勝は、さらに、幕外の引っ
込み。

次回は、違う配役で、この芝居を観てみたい。そのためには、もう少し、上演回数を
増やした方が良いのではないか。


「たぬき」は、2回目。前回は、10年前。04年12月・歌舞伎座であった。 
「たぬき」は、1953年7月、歌舞伎座初演、二代目松緑、七代目梅幸らが出演し
た大佛次郎原作の新作歌舞伎だが、芝居としても、前回は、三津五郎、勘九郎時代の
勘三郎、福助らの主役陣の好演で、見応えがあったが、今回はどうか。三津五郎の主
演は、替わらないが、勘三郎の息子の勘九郎、扇雀と配役は替わる。

序幕は、第一場「深川十万坪」、第二場「大川端の妾宅」。江戸も末期。折しも、世
上では、疫病「ころり」が、流行っている。死者が多数に上るので、江戸では、深川
十万坪の埋め立て地に新しく焼き場が作られたほどだ。柏屋金兵衛(三津五郎)は、
吉原で遊興をしつくし、飲み過ぎて、一旦は、亡くなり、棺桶に入れられ、十万坪の
焼き場に運ばれ、葬儀も終った。葬儀を取り仕切ったのは、叔父の備後屋宗右衛門
(弥十郎)。放蕩三昧で亡くなった金兵衛に妻のおせき(扇雀)も、夫の死を悲しむ
様子はない。むしろ、ほっとしている。葬儀終了寸前に吉原代表で悔やみに来たの
が、太鼓持・蝶作(勘九郎)と芸者のお駒(萬次郎)。迷惑そうなおせきの表情。

桶ごと焼かれるはずの金兵衛だが、死者が多くて、焼き場の順番を待っているうちに
桶のなかで息を吹き返し、目を醒ました。棺桶からはい出し、焼き場の隠亡の多吉
(山左衛門)に、自分が、亡くなったことを知らされた金兵衛は、家族らに、「亡く
なった」とされたことを奇貨として、「愛の生活」、妾のところで暮らそうと考え
る。この場面、金兵衛と多吉のやりとりが、良い。山左衛門は、好演である。渋い味
がある。隠亡の相方の平助に巳之助(三津五郎の息子)。

金兵衛が、金を預けておいた妾のお染(七之助)の家に行く。お染は、太鼓持の蝶作
の妹でもある。お染は、金兵衛を見て、気絶するが、お染は、金兵衛の死を悼むどこ
ろか、葬儀にも出席せず、情人で、御家人の狭山三五郎(獅童)と新しい「愛の生
活」を始めている。妾宅の障子に写るエロチックなふたりの影。がっかりし、隙を見
て座敷に入り、自分の金を持ち出す金兵衛。妾宅の大道具は、廻り舞台を、珍しい
「四分の一廻し」で、屋外での金兵衛と焼き場から一緒に来た多吉とのやりとりとな
る。

二幕目第一場は、2年後。「芝居茶屋の二階」では、窓の外には、道路を挟んだ茶屋
の向かい側、芝居小屋の海鼠塀に掛けられた「招き看板」や「幟」(「市川」「尾
上」「坂東」「片岡」「嵐」「坂東」「中村」などの字が見える)、「花水橋」「御
殿」「床下」など「伽羅先代萩」の各場面を描いた鳥居派の芝居絵看板3枚などが見
える。こちらの茶屋内には、守田座の定式幕の模様の襖、「暫」の鎌倉権五郎の芝居
絵などが見える。この光景は、前回も今回もほぼ変わらないようだ。

やがて、茶屋には、持ち出した金で、神奈川で生糸の買い付けをして成功し、いまで
は、生糸商人・甲州屋長蔵と名前も変えて、別人になっている柏屋金兵衛(三津五
郎)らが幕間に茶屋に休憩に来る。茶屋に出入りしている蝶作(勘九郎)とお駒(萬
次郎)は、「金兵衛が甦った、いや、そんなはずはない」などと思いながら、びっく
り、こわごわ。生真面目に、ふたりを威す長蔵、実は、金兵衛。このやり取りが、こ
この見せ場。今回は、三津五郎と勘九郎。前回は、三津五郎と勘九郎時代の勘三郎。
前回のやり取りは、秀逸だった。ふたりとも、こういう芝居は、巧い。今回の勘九郎
は、まだ、父親には及ばない。

このほか、「芝居茶屋の二階」にいた芸者おしんに芝のぶほか。金兵衛一緒に芝居見
物に来た生糸商人に市蔵、秀調。

二幕目第二場は、「本宅に近い寺の境内」見せ物小屋から狸が逃げ出したとかで、騒
いでいる。寺に飾られた絵馬、宝船の絵、本石町講中の額(天保二年三月吉日 世話
人会とある)、鹿島講、おかげ講、下総屋の幟などがウオッチングの目を引く。遠景
に、芝居小屋の幟(「中村」「片岡」「坂東」などの字が見える)が5本上がってい
る。この光景も、前回と今回も変わらないのではないか。

金兵衛が、蝶作を連れてやって来る。おせきら家族に逢いに行きたいのだ。通りかか
るお染(七之助)も、金兵衛を見ても、もう驚かない。金兵衛に似た他人だと思い込
んでいるのだ。死人が、生き返る道理がないからだ。柏屋の女中・お島(いてう)
が、金兵衛の息子(波野七緒八。勘九郎の息子)を連れて、境内を通りかかる。息子
は、「ちゃんだ、ちゃんだ」と、長蔵、実は、金兵衛の正体を見抜くので、金兵衛も
動揺するが、大人には、子どものような目が無いから、女中は、詫びを言いながら、
気づかない。蝶作が、おせき(扇雀)の「金兵衛に似た人になど逢いたく無い」とい
う返事を持って戻って来る。がっかりする金兵衛は、大人は騙せても、子どもは騙せ
ないと悟る。アイロニカルな喜劇である。

大佛次郎の歌舞伎作品では、今でも時々上演される演目に「若き日の信長」がある。
乱世にあっても生きなければならない。生きようと思えば周囲と衝突する若者の悩み
を描いた。初演は、1952(昭和27)年10月の歌舞伎座。主演は、十一代目團
十郎。私は、亡くなった十二代目團十郎で観ている。「たぬき」では、別人になりす
まし、それなりに成功した男が、もう後戻りできない立場に追い込まれた苦悩を描い
ている。「たぬき」は、大佛次郎の歌舞伎作品としては、4作目だった。1953
(昭和28)年7月歌舞伎座初演。

ほかに、1951(昭和26)年6月新派新劇合同公演として、歌舞伎座初演の「楊
貴妃」(歌舞伎役者だけで上演されたのは、2年後の、1953(昭和28)年7月
であった)、1953(昭和28)年3月歌舞伎座初演の「江戸の夕映」がある。
「江戸の夕映」は、3回観ている。私が観た本田小六は、海老蔵(2)、八十助時代
に三津五郎だった。「楊貴妃」も、1回、観ている。11年7月新橋演舞場。「楊貴
妃」は、福助が演じた。

大佛の芝居は、抑制が効いている。設計図をキチンと書き、細部まで計算されている
ように見受けられる。
- 2014年8月17日(日) 5:45:17
14年08月歌舞伎座・納涼歌舞伎 (第1部/「恐怖時代」「龍虎」)


大谷崎の武智歌舞伎演出


「恐怖時代」は、初見。武智鉄二(1912年から1988年)演出の新作歌舞伎。
通称、武智歌舞伎(1949年から52年末に掛けて、武智鉄二が演出した歌舞伎上
演やその演出作品。四代目坂東鶴之助、後の五代目富十郎や二代目扇雀、当代の坂田
藤十郎らが活躍した)という。原作は近代日本文学史で、正真正銘の「文豪」のひと
り、大谷崎(「おおたにざき」。歌舞伎役者の「大成駒(おおなりこま)」などとい
う大向うと同じ)、こと谷崎潤一郎。戯曲「恐怖時代」は、1916(大正5年)に雑
誌「中央公論」に発表された。元芸者の側室・お銀の方が、大名・春藤家を乗っ取
り、我が子・照千代(家老との間に生まれたのだが、秘されている)を藩主にし、御家
乗っ取りを企むという話。大名家の家老・春藤靱負と美形の小姓・磯貝伊織之助を籠
絡し、自分に仕える女中・梅野を使って、寵愛を受けた大名、正室と懐妊中の跡継ぎ
ばかりでなく、近習、腰元らまで殺してしまう。だから、「恐怖時代」という外題を
付けたのだろうが、あまり良いタイトルとは思わない。歌舞伎らしい外題を付けて欲
しかった。

毒殺、斬り捨て、立ち合い、刺し違えなどで、ほぼ皆殺しとなる。掲載雑誌は、ト書
きが良俗を乱すという理由で発売禁止となり、1921(大正10)年に有楽座で初演
されて以降、戦前戦中は上演されず、戦後、1951(昭和26)年8月、京都南座
で、武智歌舞伎として、下座音楽を積極的に使用するなど浄瑠璃に忠実な原作第一主
義の歌舞伎演出で、いわば復活上演されたのが、2回目。

その時の配役は、次の通り。

お銀の方:鶴之助、小姓の伊織之助:扇雀、藩主の釆女正:延二郎時代の三代目延若、家
老の靱負:簑助時代の八代目三津五郎、お銀の方付きの女中・梅野:四代目菊次郎、茶
坊主の珍斎:二代目霞仙、医者の玄沢:松若、梅野付きの腰元・お由良:あやめ。

初めての武智演出では、歌舞伎味をベースにしながら、谷崎文学の官能性、退廃性、
悪魔的な耽美性なども盛り込んでいる。谷崎は、武智に科白は「いくらカットしても
いいよ。ト書きの感じを出してくれたまえ」と言ったという。そこで、武智が演出の
根幹として心がけたことは、1)科白は、「純歌舞伎風の言い回し」、2)「下座の
多用」、3)「血のりの多用」だという。そして、谷崎の「ト書き」は、武智演出指
導の役者の演技で表現された。

今回の舞台でも、血糊の多用など、普通の歌舞伎とは違う味わいが感じられたが、な
にか、今ひとつの感じが拭えなかった。後段で、私なりの推測を述べたい。特に、お
銀の方、伊織之助、釆女正の演技について。

これまでの上演回数は、今回を入れて本興行では、わずかに5回。1日だけの武智鉄
二古希記念公演を加えても、6回。このうち、武智演出は、1951年のほかでは、
1976(昭和51)年6月の新橋演舞場、1981(昭和56)年8月、歌舞伎座の
武智鉄二古希記念公演と、3回だけ。

76年の配役は、次の通り。

お銀の方:玉三郎、伊織之助:菊五郎、釆女正:孝夫時代の仁左衛門、靱負:権十郎、梅
野:田之助、珍斎:菊蔵、玄沢:男女蔵時代の左團次、お由良:芝雀。

81年(武智鉄二古希記念公演)の配役は、次の通り。本興行ではないので、松竹の
筋書に載っている上演記録には、記載されていないので、いろいろ調べているが、主
な配役一覧に欠落があるので、お許しいただきたい。

お銀の方:六代目歌右衛門、伊織之助:扇雀時代の坂田藤十郎、釆女正:? 、靱負:十
三代目仁左衛門、梅野:富十郎、珍斎:二代目鴈治郎、玄沢:富十郎(ふた役)、お由
良:?

武智以外の演出では、1960(昭和35)年、新宿第一劇場での観世栄夫がある。今
回は、1981年以来、33年ぶりの上演で、武智鉄二亡き後、武智演出をベースに
齋藤雅文が演出をする。そういう意味では、珍しい、貴重な舞台である。

先に掲げたが、前回(76年)の主な配役は、次の通りで、今回と比べて欲しい。

お銀の方:玉三郎、伊織之助:菊五郎、釆女正:孝夫時代の仁左衛門、靱負:権十郎、梅
野:田之助、珍斎:菊蔵、玄沢:男女蔵時代の左團次、お由良:芝雀。

今回の配役。

お銀の方:扇雀、伊織之助:七之助、釆女正:橋之助、靱負:弥十郎、梅野:萬次郎、珍斎:
勘九郎、玄沢:亀蔵、お由良:芝のぶ。

玉三郎がお銀の方をどのように演じたかは、判らないが、扇雀よりは官能的だったか
もしれない。伊織之助の菊五郎は、七之助より悪魔的な嘆美性の点で達者だったかも
しれない。釆女正を演じた孝夫時代の仁左衛門は、権力者の狂気を鋭く描いたかもし
れない。萬次郎が演じた梅野と田之助が演じた梅野は、どう違ったか。その辺りに、
今回の芝居に対する私の批評点はある。

再び、81年、武智鉄二古稀記念公演(1日だけ)の配役。

お銀の方:六代目歌右衛門、伊織之助:扇雀時代の坂田藤十郎、釆女正:? 、靱負:十
三代目仁左衛門、梅野:富十郎、珍斎:二代目鴈治郎、玄沢:富十郎(ふた役)、お由
良:?

伝えられるところによると、歌右衛門のお銀の方が、秀逸だったらしい。序幕第一場
「春藤家下屋敷愛妾お銀の方の部屋」。谷崎原作のト書きには、「お銀の方は鏡台に
据わり,やや暫く化粧に念を入れてから、輝くばかりに美しくなって、再び元の席に
就く。」とあるだけだが、歌右衛門のお銀の方は、鏡台の前で、化粧直しだけでな
く、髪を梳き直したという。この時の上演では富十郎が梅野と玄沢の二役を兼ねてい
たので、梅野が上手に去り、下手廊下から玄沢が早替わりで現れるまでの時間を稼ぐ
ために武智演出は、お銀の方の化粧の時間を多少長めに要求したのかもしれない。化
粧治しの時間が長めならばと、歌右衛門が、次のようなアイディアを出したのかもし
れない。

お銀の方はかつて男女の関係にあった医者・細井玄沢の来るのを心待ちながら、ゆっ
くりと妖艶な化粧を始める。しかし、お銀の方は、身も心も官能的になっているので
はないのかもしれない。心の裡では、玄沢が持ち込む毒薬のことを考えている。毒薬
がどういう効き目をみせるか。毒殺では、どういう死にざまを見せるか。玄沢は、実
験台だ。それを思うと笑いが込み上げて来る。お銀の方は、それを押し隠している。
お銀の方の時間をかけた化粧と髪梳きは、玄沢殺しをじっくり見守るための準備の時
間なのだろう。歌右衛門は2行ばかりの原作のト書きを読み込み、こういう所作を考
えたのかもしれない。

今回、お銀の方を演じた扇雀は、伊織之助とお銀の方の「純愛」を重視したという。
玉三郎、歌右衛門の役づくりは、観ていないので何とも言えないが、次回は、別な
「恐怖時代」を期待したいと思う。七之助の伊織之助も、悪魔的な殺人剣の使い手で
あって欲しかった。藩主の釆女正は、狂気の権力者の成れの果てを演じて欲しい。橋
之助の狂気は弱かった。

贅言;81年の舞台は、珍斎を演じた二代目鴈治郎が良かったらしい。今回の勘九郎
の珍斎は、悲劇の中の笑劇を演じていて、まずまずだった。81年の舞台の上演時間
がわからないが、武智演出の1回目は、2時間37分、2回目は、2時間21分、今
回は、2時間15分。芝居に余白が無くなり、長めの「髪梳き」などが消えて行くの
だとしたら、哀しい。

殺される人々と殺され方一覧は、次の通り。★印は、乗っ取り派

大名・春藤釆女正(橋之助):小姓・伊織乃助に斬り殺される。
懐妊中の大名の奥方:珍斎に毒殺される?
★春藤家の家老・春藤靱負(弥十郎):小姓に斬り殺される。
★お銀の方(扇雀):小姓との刺し違え。相対死。
お銀の方が家老の靱負との間に産んだが、秘されている照千代:釆女正に斬首され
る。藩主は、照千代が、「種違い」と知っていたのだろう。
★小姓に恋慕の女中・梅野(萬次郎):藩主に小姓と立ち合うようにいわれ、小姓に斬り
殺される。
梅野の腰元・お由良(芝のぶ):主人を裏切って、梅野に斬り殺される。
★芸者時代のお銀と男女の関係にあり、毒薬を準備する医者・細井玄沢(亀蔵):お銀の
方に毒殺される。実験台?
★お銀の方と恋仲の小姓・磯貝伊織之助(七之助):お銀の方と刺し違え。相対死。
御家派の家臣・氏家左衛門(橘太郎):御前の立合いで小姓に斬り殺される。
御家派の家臣・菅沼八郎(橋吾):御前の立合いで小姓に斬り殺される。
近習たちと腰元たち:殺人で躁状態になった小姓に斬り殺される。
唯一の生き残りで、事件の目撃者となる茶坊主(お由良の父親)・珍斎(勘九郎):遺体の
山に紛れて命拾い。

お銀を軸に三角関係どころか、多角関係というべき人間関係の相関図は、次の通り。

芸者時代のお銀と玄沢。
お銀の方と家老の靱負、小姓の伊織之助。
伊織之助とお銀の方、女中の梅野。

場の構成は次の通り。
序幕第一場「春藤家下屋敷愛妾お銀の方の部屋」、第二場「梅野の部屋」、第三場
「元のお銀の方の部屋」、第二幕第一場「春藤家奥庭の場」、第二場「殿中酒宴の
場」。

贅言;正確に言うなら、序幕ではなく、「第一幕」。序幕を使うなら、第二幕は、
「二幕目」。第二幕のみに、「の場」を付けているのも可笑しい。

滅多に上演されない珍しい演目の初見なので、以下、筋立ても含めて、きちんと書い
ておきたい。

 序幕第一場「春藤家下屋敷愛妾お銀の方の部屋」。夏の夜。藩主の側室・お銀の方
の寝間薄暗い。扇雀にスポットが当っている。お銀の方(扇雀)は、布団の上で、しど
けない格好で団扇を使っている。上手廊下で蚊遣りをしているお付きの女中・梅野
(萬次郎)。お銀の方は、男女の関係にある家老の靱負が来るのが遅いので苛立ってい
る。上手奥からやっと現れた靱負(弥十郎)。ふたりは、酒を飲み始める。ふたりの間
に生まれた照千代を春藤家の跡継ぎにして、お家横領を企んでいる。医師の玄沢に毒
薬を用意させて、藩主や懐妊中の奥方を毒殺する計略を練っている。梅野も参画、お
付きの腰元のお由良の父親で茶坊主の珍斎に毒薬を仕込ませようという目論見だ。

靱負が上手に去る。化粧直しをするお銀の方。やがて、玄沢(亀蔵)が下手廊下から
やって来る。芸者時代に男女の仲にもなったふたり。春藤家への奉公も玄沢の口利
き。照千代も玄沢の子だとお銀の方は吹き込み、悪事に加担させる。お家乗っ取りの
毒薬も玄沢が用意して来た。お銀の方と酒を飲み始めると、玄沢が苦しみ出す。毒薬
の実験台と口封じに玄沢は自分が持ってきた毒薬を飲まされたのだ。

序幕第二場「梅野の部屋」。大道具が廻る。舞台の上手側半分に白い蚊帳を釣った梅
野の部屋。花道より、茶坊主の珍斎(勘九郎)が、娘で梅野付きの腰元・お由良(芝の
ぶ)と共に現れる。臆病者の父親と梅野を含むお銀の方らの悪巧みを藩主側に密告し
褒美を貰おうとしている娘。蚊帳の中で父と娘の相談を聞いていた梅野は、蚊帳に
入ってきたお由良を斬り殺す。娘を殺された珍斎は、同じ目に遭いたくなければと梅
野に脅され、毒薬投与の実行犯を命じられる。

序幕第三場「元のお銀の方の部屋」。大道具が、廻って。その頃、お銀の方の部屋で
は…、という感じで、同時進行の舞台へ逆戻り。玄沢の遺体があるお銀の方の部屋。
上手に隠れていた靱負が部屋に戻って来る。靱負は、お銀の方の犯行の一部始終を物
陰から見ていた。一緒に玄沢の遺体を奥の襖の内に片付ける。下手奥より、梅野が珍
斎を連れてやって来る。命惜しさにお銀の方らの犯行に加わると誓う珍斎。しかし、
お銀の方らは、珍斎の臆病ぶりを訝しむ。勘九郎の口跡は、勘三郎そっくり。目を
瞑って科白を聞いていると、勘三郎が生き返ったように感じる。

第二幕第一場「春藤家奥庭の場」。紅色のハスの花が咲いている池の中の東屋。伊織
之助(七之助)が、美形だが、剣の達人でもある小姓を演じる。かつては、扇雀時代の
坂田藤十郎、菊五郎が演じた役柄。お銀の方と並んで、キーパースンだろう。梅野の
情報では、国許からやって来た家臣ふたりが何やら殿様に諌言するという。お銀の方
らの悪巧みを阻止させぬように、御前で真剣勝負を願って欲しいと伊織之助に頼む。

そこへ、上手から現れたお銀の方が、梅野に用事を言い付ける。梅野がいなくなる
と、お銀の方と伊織之助は、恋仲のふたりになる。悪巧みを成功させるために、お銀
の方は家老の靱負を、伊織之助は梅野を恋仕掛けで、それぞれ操っていることが判
る。そこへ、下手奥から現れた珍斎が、同じ情報を伝えにくるので、ふたりは、殿中
の酒宴の場へと急ぐ。

第二幕第二場「殿中酒宴の場」。大広間では、藩主派の家臣ふたり(橘太郎ら)が御家
乗っ取りを謀るお銀の方の命を申し受けたいと藩主の釆女正(橋之助)に 願い出てい
た。同席している靱負は驚くが、釆女正は、お銀の方のためなら、家名も欲しくない
から、自分を斬れと答える。

そこへ、遅れたお銀の方が、花道より珍斎と共に現れる。ならば、自分を斬れと家臣
らに迫る。さらに、伊織之助が花道より駆けつけ、藩主とお銀の方の代わりに家臣ら
と御前試合をしたいと申し出る。

御前試合が始まると、美形の小姓が強いことが判る。たちまち、斬り殺される家臣
ら。血糊が、彼らの顔や衣装を染める。広間の薄べりに滴り落ちる。殺しの場面を見
ていて、上気する藩主。大盃で酒を煽る釆女正。トドメをさせと命じる。さらに、梅
野と伊織之助に真剣勝負を命じる。殺し中毒のような殿様の狂気の振る舞い。伊織之
助は、平気で梅野に斬りかかる。必至で逃げる梅野だが、伊織之助に殺されてしま
う。釆女正は、狂気の笑を深めながら眺めている。

そこへ、奥方毒殺の知らせが入る。下手人は珍斎ではないかという嫌疑も伝えられ
る。靱負は珍斎を上手に引き立てる。狂気の藩主は、奥方の元へ向かう。広間に残っ
たお銀の方と伊織之助は、御家乗っ取り成功目前とばかりに見つめ合う。奥から出て
きた靱負は、ふたりの真意を悟る。伊織之助は、靱負を斬り捨てる。そこへ、珍斎を
引き連れた藩主が現れる。珍斎の自供から全てを知った釆女正。珍斎に照千代の首を
差し出させる。我が子の首を見て愕然とするお銀の方。伊織之助も、殺し中毒で躁状
態。上気している。殿様に斬りかかり、トドメをさしてしまう。近習や腰元たちも騒
ぎに巻き込まれて、伊織之助に斬り殺されてしまう。「恐怖時代」というより、「殺
人狂時代」か。

御家乗っ取りも失敗し、伊織之助とお銀の方は、その場に座り込み、相対死にでお互
いに差し違えて、重なり合って絶命する。純愛なのか、滅びの美学なのか。

遺体の山から這い出したただひとりの生き残りが、珍斎であった。臆病者ゆえ生き残
り、事件の目撃者となったのである。

谷崎歌舞伎の演目では、「盲目物語」「お国と五平」などが良く上演されるが、この
「恐怖時代」は、滅多に上演されないだけあって、余り練れていない感じがする。谷
崎の美学もまだ、中途半端。33年前の配役は、特別版だから比べると気の毒だが、
古典主義の武智歌舞伎にしては、歌舞伎味も中途半端な感じであった。


「龍虎」は、2回目。15年前の歌舞伎座で観ている。その時の配役は、龍が、八十
助時代の三津五郎、虎が、染五郎。今回は、龍が、獅童、虎が、巳之助。但し、劇評
初登場。1953(昭和28)年初演の新作舞踊劇。龍虎が、天に雲を起こし、地に風
を起こす。雷や風雨を呼ぶ中で、聖獣同士が相争う様を舞踊に仕立てた。

波が逆巻く渓谷の岩場。中央の大セリで龍虎がせり上がって来る。白装束の両雄。隈
取の面を活用して、早替り。秘術を尽くして挑み合う。拮抗する力。雌雄は、決しな
い。やがて、山頂に満月が上って来る。
- 2014年8月16日(土) 11:49:41
14年07月歌舞伎座(夜/「悪太郎」「修禅寺物語」「天守物語」)
 
 
「悪太郎」は、初見。1924(大正13)年、東京市村座で二代目猿之助、後の初代
猿翁が初演。狂言「悪太郎」を元に岡村柿紅原作の長唄舞踊劇。能舞台のように背景
には松の木がある。ロシアバレーのふりを入れるなど工夫した。猿翁十種のひとつ。

大酒飲みの酒乱漢の行状記。市川右近が主役。悪太郎(市川右近)は、鎌髭が自慢の
無邪気な腕白坊主のような大人。大薙刀を担いで千鳥足で彷徨っている。修行僧の智
蓮坊(猿弥)との遭遇、やり取り、珍道中。くどい酔っ払いの悪太郎相手に辟易の智蓮
坊だが、悪太郎に所望されて、修行話をさせられる。語り終えて去ろうとすると、悪
太郎は薙刀について語り出すという有様。薙刀を使って弁慶の立往生、悪七兵衛景清
と三保谷との錣引きなどの様子を踊る。やっと逃げ出す智蓮坊。

今度は、伯父(亀鶴)と太郎冠者(弘太郎)がやって来て、悪太郎につかまる。伯父に舞
を所望するが、悪太郎は連れ舞いを見ているうちに、いつしか、道端で寝込んでしま
う。伯父と太郎冠者は、眠っている悪太郎の髪と髭を剃り、黒染衣に着換えさせてし
まう。薙刀を取り上げ、替わりに数珠を置くと木陰に隠れてしまう。

目を覚ました悪太郎は自分の身なりや丸坊主の頭に驚く。木陰から悪太郎の悪行を諌
め、今後は、「南無阿弥陀仏」と名前を変えて、仏道修行に励むようにと進言する。
折しも、先ほどの修行僧智蓮坊が戻って来る。智蓮坊が、「南無阿弥陀仏」と唱える
度に返事をしながら、ついて回る悪太郎。やがて、ふたりで鉦を叩きながら念仏踊り
を始めると、木陰から伯父と太郎冠者も出て来て、皆揃って、楽しげに踊り続ける。


中車の夜叉王、「藝とは何か」


「修禅寺物語」は、3回目の拝見。04年7月の歌舞伎座、09年12月の国立劇場
で観ている。「修禅寺物語」は、畢竟、「藝とは、なにか」をテーマにしたメッセ−
ジ性の明確な芝居だ。1911(明治44)年、二代目左團次の主演で初演。岡本綺
堂作の新歌舞伎だ。源頼朝の長男で、非業の死を遂げた頼家の事件という史実を軸に
伊豆に遺されていた「頼家の面」を元に想像力を膨らませてでき上がったフィクショ
ンである。

今回は沢潟屋一門で上演。中車が主役。私が観た主な配役。夜叉王:歌六、吉右衛
門、今回は中車が初役で挑む。夜叉王の娘たちのうち、姉の桂:笑三郎(今回含め
て、2)、芝雀。妹の楓:春猿(今回含めて、2)、高麗蔵。楓の夫で夜叉王の弟子・春
彦:猿弥、段四郎、今回は亀鶴。頼家:門之助、錦之助、今回は月乃助。
 
舞台では、第一場「修禅寺村夜叉王住家の場」という最初の場面早々から、面作師・
夜叉王(中車)の姉娘桂(笑三郎)と妹娘楓の夫で、夜叉王の弟子・春彦(亀鶴)と
の間で、「職人とはなにか」という論争が仕組まれるなど、「職人藝」というテーマ
が、くっきりと浮き彫りにされて来る。
 
自分の繪姿を元に自分の顔に似せた面を夜叉王に作れという注文を出していた源頼家
(月乃助)が、修禅寺の僧(寿猿)に案内されて花道から登場する。家臣の下田五郎(猿
三郎)を伴っている。半年前に注文した面が、いつまで待ってもでき上がって来ない
と癇癪を起こした「幽閉された権力者」・頼家が、権力尽くで夜叉王に詰め寄る場面
が、第一場の大きな山場となる。
 
贅言:頼家は、「頼朝の死」という芝居では、後半で、アルコール中毒気味の言動を
していた、あの二代目将軍その人である。やはり、悲劇の将軍だった。
 
夜叉王は、この半年間、精魂込めて頼家の面を幾つも作るが、いつも、死相とか恨み
とかが、面に込められてしまい、これでは未完成で納得が行かないと困窮していたの
だ。そういう職人藝の直感を尊重しない頼家は、いら立ちを募らせて夜叉王を斬ろう
とする。その有り様を見て、職人藝を認めない(というか、言動から、職人を馬鹿に
している)、都への憧れ、上昇志向の強いギャルのような姉の桂が、勝手に夜叉王が
打ち上げたばかりの面を頼家に手渡してしまう。(死相などの)懸念を表明する夜叉
王を無視し、文字通り、上っ面の己の「面」が気に入った頼家は、見初めた桂をも連
れて、ともども、御座所に帰って行く。
 
こういう芸術を判らない権力者の手に、ふがいないと思い込んでいる面が渡ってしま
い、歴史に残されるならば、もう、生涯面を打たないと歎く夜叉王。「ものを見る
眼」の有無が、藝にとって、最も大事だというメッセージが、この場面から伝わって
来る。

第二場「修禅寺村桂川辺虎溪橋の場」。御座所へ向かう桂と頼家の束の間のランデ
ブー。亡くなった愛妾の名前「若狭の局」という名前を桂に与えると、頼家は言う。
月が雲に隠れ、辺りが暗くなる。頼家に忍び寄る軍兵たち。敵対する北条方の金窪兵
衛が現れる。暗殺者がきたのではないかと警戒する頼家。立ち去る頼家と桂。御座所
への夜討ちを命じる金窪兵衛。木陰で様子を窺っていた春彦が、通りかかった下田五
郎に変事の予兆を伝えると軍兵たちが討ちかかって来る。
 
第三場「元の夜叉王住家の場」。やがて、頼家が、北条方の闇討ちに遭い亡くなる。
父親の作った面を付けて、頼家の影武者役を務め、瀕死の怪我を負った桂が戻って来
る。頼家死亡の知らせを聞いて、なぜか、歓喜する夜叉王。死相などが浮き出て、納
得の行かない面しか打てなかったのは、自分の藝が拙かったのではなく、頼家の運命
を示唆させた自分の藝の確かさのなせる業だと得心したからだ。
 
頼家の影武者役として頼家の衣装を付けて、襲撃の眼を欺いて逃げて来た瀕死の娘・
桂の死相が深まる顔をほつれ毛を除けて、スケッチまでする夜叉王の、鬼気迫る職人
魂こそ、「藝とはなにか」をテーマに掲げた岡本綺堂劇の回答がある。
 
藝とは、己の直感を大事にして、ひたすら、雑念を排除する。その末に沸き上がって
来るものをのみをつくり出す。具象化する行為である。……、これが、正解。

夜叉王住家の庭先の姉娘が亡くなろうとしている実生活の時間の流れと住家の座敷で
自分の作った頼家の面をひたすら見続けて、喜悦の表情を浮かべ続ける本望を果たし
た職人の時間の流れという、ふたつの時間の流れを見極めることが、この場面のポイ
ントだろう。庭先の瀕死の娘を全く顧みず、座敷で頼家の死相を表現し切った面を見
詰め、忘我の表情の夜叉王を演じる中車。

 一方では、桂にポイントを絞ってみれば、山家育ちの若い娘が、飛躍を夢見た物語
でもある。影武者の役割を果たして、実家にたどり着き、家族の前で、「私は、お局
さまじゃー」と告げる。それが「本望」であったと主張する死の場面では、桂の本望
と夜叉王の本望の、ふたつの確信的な意志が、くっきりと浮かび上がって来る。
 
前回観た吉右衛門の夜叉王は、初めて観た歌六の時とは違って、岡本綺堂がイメージ
した職人像を演じきったという印象が残った。今回の中車も、それに近い。「修禅寺
物語」は、メッセージ性のはっきりした劇であり、そのメッセージを体現した、それ
ぞれの登場人物の性格描写をくっきりと演じなければならない芝居である。こういう
新歌舞伎の演目は、中車も持ち役になって行くのではないか。

歌舞伎役者ばかりで演じる「新派劇」という色合いの芝居。上流志向の姉と平凡でも
堅実に生きようとする妹。笑三郎は、姉の桂を演じる。2回目。春猿は、妹の楓を演
じる。3回目。ふたりとも10年振り。私も10年前に笑三郎と春猿の姉妹を観てい
る。

明治時代の初演時の顔ぶれは、以下の通り。夜叉王:二代目左團次、桂:三代目寿
海、楓:二代目松蔦、頼家:十五代目羽左衛門。これほど豪華な配役は、なかなか望
めないのが、判る。
 
贅言:二代目左團次は、今回の青果劇も、綺堂劇も、どちらも、初演。新歌舞伎の初
演で、いまも残っているものでは、二代目左團次主役初演が多いという。彼が、いか
に新歌舞伎に果敢に挑戦したかが、うかがえる。
 
岡本綺堂劇の洗練された科白の数々(吉右衛門の「印象」では、青果劇は、綺堂劇
の、2倍くらい科白があるという)、黒御簾音楽も附け打もない代わりに、幕開きの
暗転から明転の際の蜩の鳴き声。鈴虫の効果音の適時さ、「桂川辺虎渓橋」の恋の場
面で、皎々と照る月、北条方の夜討ちの迫る気配で消える月の使い方、戦の場面は、
舞台では、最小限度に抑制され、「遠寄せ」の効果音で聞かせるなど演出の巧みさ。
歌舞伎味とは、違う趣き。

沢瀉屋は、再開場歌舞伎座初出演。7月興行は、先代の猿之助が健在ならば、沢瀉屋
の興行月なのだが、先代の病気休演以来、玉三郎の興行月となる。最近は、玉三郎と
海老蔵に「占拠」(?)されてしまい、軒を貸して母屋を取られたという體(?)で
悔しかろう。

 
泉鏡花劇と玉三郎演出
 
 
「天守物語」は、一幕もの。玉三郎が主役。海老蔵は、相手役。沢潟屋一門は、脇を
固める。1917(大正6)年に雑誌に発表された戯曲だが、原作者の泉鏡花が、生前
中は、鏡花が熱望したにもかかわらず、上演されなかった。戦後、1951(昭和2
6)年、新橋演舞場の新派公演で、初めて舞台にのった。歌舞伎役者ばかりで上演に
漕ぎ着けたのは、15年前、玉三郎の手によってだった。私は、それ以降4回続けて
拝見。99年3月、06年7月、09年7月、そして、今回と、いずれも歌舞伎座に
なってからの上演だ。

15年前に玉三郎主演では初めて歌舞伎座で上演された99年3月の歌舞伎座筋書に
掲載されている舞台写真を見ると、空の背景が、山あり、雲ありで、大分、写実的
だったことが判る。それが、7年後の06年7月から、抽象的な光で表現をしてい
て、かなりスマートになっている。前回、従来の歌舞伎座さよなら興行が打たれた5
年前、09年7月も同様の演出。8年前から、玉三郎自身が演出に加わったからだろ
うと思う。幻想的な泉鏡花劇へ、肉薄しようと、「原作に鑑みて隅々まで追究してき
た作品」だから、「新たに解釈を変える部分はない」ということで、今回もそれを踏
襲している。相手役は、新之助時代を含め、いずれも海老蔵。海老蔵との共演は、そ
の前の名古屋中日劇場から連続5回目、すっかり海老蔵を気に入ったようだ。
 
玉三郎は、鏡花劇の思想を身に纏い、己の美意識に磨きをかける。鏡花劇という歌舞
伎にいちばん馴染みにくい、詩の朗読のような科白劇の歌舞伎化という、永遠の不可
能へむけて果敢に挑戦している。科白を詩の朗読にせず、日常的な会話体に近づける
べく、努力をしている。玉三郎歌舞伎の永久革命ともいうべき、新たな演劇空間創成
へ向けて、玉三郎は、鏡花劇を相手に挑戦を続けているように見える。今後の課題
は、前半の科白劇が、ドラマとして弱い辺りか。後半の図書之助との恋物語の完成度
とアンバランスがある。
 
武田播磨守の居城・播州姫路城(白鷺城)の五層の天守閣で繰り広げられる幻想劇。
鏡花の幻想三部作では、いちばん、歌舞伎に馴染んでいる演目だ。それだけに、安定
感がある。一幕ものなので、場面は替わらないが、前半は異形の者たちの日常生活が
描かれる。天守閣の広間の中央には、大きな獅子頭が安置されている。奥女中の薄
(吉弥)、侍女たち。糸車に巻き付けた糸を地上に垂らしている。糸の先に付けた白露
を餌に秋草を釣っているというのだ。開幕前の暗転から明転になるまで、「通りゃん
せ」を歌う女童たち。やがて、夜叉ケ池の雪姫を訪ねて、戻って来た富姫の乗り物、
雲が現れる。案山子の箕を付けた天守夫人・富姫(玉三郎)のご帰還。地上の播磨守が
鷹狩をしていて煩いので雪姫に雷雨を降らすようにと頼みに行ったのだ。

本日の客人、亀姫(尾上右近)一行が、空中を駕籠でやって来る。供頭の十文字ヶ原朱
の盤坊(猿弥)が、先触れでやって来る。角を生やした赤鬼の風体。亀姫一行には、茅
野ヶ原の舌長姥(門之助)、女童たちが付き従う。亀姫は富姫と手鞠遊びをしにやって
来た。亀姫の土産は、色白の武士の生首。播磨守の兄弟、亀姫の住まう亀ヶ城の城主
武田衛門之介の首だ。道中の振動で血まみれになった首を舌長姥が長い舌を出して舐
めて清める。富姫は首を獅子頭に供える。人気者の朱の盤坊は、酒を飲みながら侍女
たちに滑稽な話を披露する。奥からは、鞠歌が聞こえて来る。

地上では播磨守が、鷹狩から戻って来る。亀姫が播磨守の白鷹を欲しがるので、富姫
は捕まえて亀姫に進呈する。下界では鷹を取り戻そうと矢や鉄砲を天守閣に撃ち込ん
でくる。亀姫一行が帰って行く。以上が、前半。

日も暮れて。富姫ひとり、天守閣に残っていると、雪洞を手にした若い武士の姫川図
書之助(海老蔵)が、梯子を登って、天守閣に入って来る。播磨守秘蔵の白鷹を逃した
咎で一旦は切腹を命じられたが、天守閣へ白鷹を探しに行けと言われた。富姫は、天
守閣は人間の来る所ではないと、図書之助を諭す。帰途、大蝙蝠によって雪洞の火が
消されてしまったので、と図書之助が戻って来る。燭を取って雪洞に火を付けてやる
際に図書之助の顔をじっと見つめた富姫は、図書之助に恋をする。しかし、図書之助
が世の中に未練があると見極めた富姫は人間界にもどれと告げる。天守閣に図書之助
が来た証拠にとお家の重宝・龍頭の兜を図書之助に持たせて帰す。恋は心と心だ。力
で人を強いるのは恋ではないと富姫は思う。

俄かに地上が騒がしくなる。播磨守は兜を持ち帰った図書之助を兜を盗んだ謀反人だ
と決めつけて騒いでいるようだ。多勢に無勢で、天守閣に逃げ込む図書之助を富姫は
助けるようにと命じる。逃げて来た図書之助を助けて、富姫は一緒に獅子頭の母衣
(ほろ)の中に隠れる。追っ手の小田原修理(中車)、山隅九平(市川右近)らが天守閣に踏
み込んで来る。獅子頭の恨み辛みの前歴を知っているふたりは注意深く獅子頭に立ち
向かう。獅子頭は狂ったように追っ手たちに襲いかかる。

手強い獅子頭に手こずり、修理は、目を狙えと命じる。両目を傷付けられた獅子頭は
倒れ込む。獅子頭の母衣から図書之助と富姫が現れる。ふたりとも盲(めしい)に
なっている。富姫が生首を追っ手たちに向かって投げると播磨守の生首と勘違いした
修理たちは、慌てて逃げ帰って行く。互いに目が見えなくなって、手探りで寄り添
い、抱き合う。逃げ切れないと諦めるふたり。 

「美しい人たち泣くな」と言いながら、桃六という老工人(我當)が上手奥から現れ
る。獅子頭を彫り上げた工人だ。獅子頭の目に 鑿を当て直すとふたりの目が見える
ようになる。戦国の世でも胡蝶が舞い、撫子も桔梗も咲くと言う。緞帳が降りて来
て、幕。

玉三郎の富姫、海老蔵(歌舞伎座の1回目は、まだ新之助時代)の図書之助という主
軸のうち、海老蔵は、「海神別荘」の現代劇風科白と違って、こちらは、科白廻しも
歌舞伎調で、安定している。玉三郎は、更に、己に磨きをかける。
 
海老蔵は、「海神別荘」では、異界の住人で、権力者だ。玉三郎は、人間界から、生
け贄として連れてこられた人間。弱い立場にある。「天守物語」では、逆に、海老蔵
は、人間界から、異界の天守に上がって来た武士。玉三郎は、美形ながら、異形の者
たちの女王・富姫。攻守を逆転させているが、権力者ではない。玉三郎は、泉鏡花劇
の洗礼を受けるたびに、「気持ちが浄化される」という。海老蔵との演技の差は、そ
こにあるのかもしれない。
 
私が観た主な配役は次の通り。
富姫:全て玉三郎。図書之助:新之助時代を含む海老蔵。4回目。亀姫:菊之助、春猿、
勘太郎時代の勘九郎、今回は尾上右近。それぞれ、違う味わいがあり、いずれも、悪
くはない。朱の盤坊:左團次、市川右近、獅童、今回は猿弥。ご馳走役の大きな獅子
頭を作った工人の近江之丞桃六:今は亡き羽左衛門、猿弥、今回含め、2回目の我
當。これは、ちょっとしか出番がないが、奇跡を起こす超人なので、存在感が強くな
いと漫画になってしまう。二十代、三十代の役者に囲まれて、我當は、羽左衛門同様
の存在感があった。ユニークな役どころは、生首を舌でなめる舌長姥:二代目吉之
丞、その後は、今回含めて門之助。味のある吉之丞。門之助も、定着し、吉之丞に並
んで来た。奥女中の薄:今回含めて、全て上村吉弥。これは、毎回、安定感がある。
小田原修理:は、十蔵時代の市蔵、薪車、再び、市蔵、休演の猿弥に替わって代役
で、2回目。今回は中車。山隅九平:亀蔵、蝶十郎、玉雪、市川右近。
 
贅言1):「天守物語」で、玉三郎の富姫や海老蔵の図書之助が、中に避難して隠れ
潜んだ獅子頭の母衣。獅子が武田の家臣相手に立回りをする場面で、寿猿は、以前に
母衣の中で、獅子の脚を演じたことがあると言っていたのを思い出すが、今回も、立
回りの場面だけ、誰か、海老蔵や玉三郎に替わって、獅子の脚を演じた役者が居たこ
とだろう。獅子の眼を刀で刺され、盲になった図書之助が出て来る場面では、海老蔵
に、その後の場面では、玉三郎に戻って出て来る。
 
贅言2):「天守物語」では、今回カーテンコールがあった。私が観た4回の「天守
物語」の舞台で、カーテンコールを観たのは、前回が初めてだったが、今回もカーテ
ンコールを観ることが出来た。前回は、1回だけ我當、玉三郎、海老蔵の3人だった
が、今回は、2回あり、1回目は、同じ顔ぶれの3人だったが、2回目は、玉三郎と
海老蔵のふたりだけだった。
- 2014年7月16日(水) 11:34:49
14年07月歌舞伎座(昼/「正札附根元草摺」「夏祭浪花鑑」)
 
 
通しの「夏祭浪花鑑」の妙味


「正札附根元草摺」は、5回目の拝見。このうち、曽我五郎の相手は舞鶴が4回、朝
比奈が1回であった。私が観た五郎:新之助時代の海老蔵、萬太郎、橋之助、松緑、
そして今回は、右近。舞鶴:魁春(2)、梅枝、そして今回は、笑三郎。朝比奈:辰
之助時代の松緑。外題を分析すれば、「正札附根元」とは、ピュア(正札附)でオリ
ジナル(根元)な「草摺引」ものという意味。「草摺」とは、鎧の胴の下に裾のよう
に垂れて大腿部を庇護するもの。一の板から四の板までの4枚に加えて菱縫いの板の
5段組の板からなるという。

「草摺引」という演目は、父の仇を討とうとしている曽我兄弟のうち、兄の十郎が、
敵に嬲られていると聞き、家重代の「逆沢潟(さかおもだか)の鎧」を持ち出した曽
我五郎とそれを時期尚早として、引き止めようとする小林朝比奈、あるいは、今回の
ような朝比奈の妹・舞鶴とが、緋色の鎧の草摺(裾)を曳き合うという単純な話だ
が、荒事の出し物で、荒事の約束事をじっくり見せる古風な演目。「沢瀉」所縁の紋
は、沢瀉屋一門の再開場歌舞伎座での初出演を祝っているようにも見える。しかし、
芝居は、典型的な「引合事(ひきあいごと)」の演目で、ふたりで力比べをするだ
け。
 
幕が開くと、雛壇の長唄の置唄(舞台は、無人)。雛壇が上手下手(つまり、左右)
に割ると、奥から二畳台に乗った五郎(市川右近)と舞鶴(笑三郎)が、押し出されて出
てくる。

この場面のよくある演出は、中央にせり穴があり、ふたりの黒衣が、背中で支えてい
た赤い消幕が取り去られると、緋毛氈の台に乗った五郎と舞鶴がせり上がって来ると
いうもの。舞鶴は、鶴丸模様の縫い取りの入った、紫の素襖も艶やか。鬘には、大き
な力紙が刺してある。五郎、むきみの隈(「助六」も五郎だから、むきみの隈)に、
黒地に蝶の衣装、茶の太い帯、緑の房を付けた大太刀も豪快。緋色の鎧を持ってい
る。男女の力比べという趣向。男女の力比べは、男には適わぬというわけで、前段だ
けで、「野暮な力は奥の間の」という唄の文句の後、素襖を脱ぐと、後段は遊女の振
りの色仕掛けで引き止めようとする辺りが、女形が演じる舞鶴のハイライト。
 
五郎役者は、足の親指と手の小指に力を入れるという。両肩を脱いで緋色の衣装を見
せる五郎。片肩のみ脱いで紅白の市松模様を見せる舞鶴。節目節目に、様式的な色彩
感覚の豊かさを見せながら、力比べをする辺りに江戸の荒事のセンスが、うかがえ
る。力と情の対比。舞鶴は、男に負けない力の持ち主だが、遊女の振りもこなせるよ
うな色気が必要。袴を附けた後見が、ふたりを支える。
 
 
 「夏祭浪花鑑」の今回の劇評は、いきなり贅言から、始まる。


 贅言:今回、昼の部は初日に拝見したが、初日、午前10時半過ぎ、私は、歌舞伎座
正面玄関で、キャロライン・ケネディ大使と遭遇してしまった。まず、玄関の外で混
雑した行列の中にいたところ、「車が入ってきます」と歌舞伎座の係りの者が言う。
こんな混雑のところに誰だろうと思っていたら、確かに黒塗りの乗用車が正面玄関上
手(「出口」と書いてあるところ)に突っ込むように入り込んで来た。私が正面玄関か
らチケットの半券をもぎ取られて玄関内部に入ると、まだ停止線があるので、記者根
性で玄関階段下の上手側、最前線に移動した。誰が入って来るのか、確認しようと
思ったからだ。やがて、目の前をSPら大勢の人に囲まれて、女性が入ってきた。アメ
リカのキャロライン・ケネディ駐日大使が通って行った。印象は皺の多いおばさん
だったというだけだ。後から聞くと、その後に、遅れて安倍晋三夫妻も来たらしい。
ケネディも夫妻だったというが、夫の顔は知らない。安倍が解釈改憲で集団的自衛権
をごり押し(国民に十分説明をしたか?)して、ホッと息抜きしようと駐日大使夫妻
を招いて、昼の部の歌舞伎見物に来たらしい。安倍の方と遭遇してたら「解釈改憲に
は反対です」とでも私は言っていたかもしれない。ニュースによると、安倍は、観劇
後、「玉三郎と海老蔵」を「看板スターの競演」と言っていたらしい。海老蔵は人気
役者かもしれないが、まだ、「看板スター」ではない。玉三郎と比肩すべき歌舞伎役
者は、仁左衛門とか吉右衛門辺りのクラスでないと可笑しいのではないか。

 「夏祭浪花鑑」。今回は、珍しい通し上演。場の構成は、以下の通り。
序幕第一場「お鯛茶屋の場」、第二場「住吉鳥居前の場」、二幕目第一場「難波三婦
内の場」、第二場「長町裏の場」、大詰第一場「田島町団七内の場」、第二場「同  
屋根上の場」。通し上演は歌舞伎座では、17年ぶりに上演。

義父(中車)殺しの団七(海老蔵)を友人の徳兵衛(猿弥)が、かばって逃がす話。徳兵衛の 
女房が玉三郎。団七に迫る捕り方たちを代わりに徳兵衛が相手にして、団七を逃がす
辺りは、同盟国が攻撃されたら、戦争に参加するという「集団的自衛権」そのもので
はないのか。左團次が、演じる釣舟宿の主・釣舟三婦(さぶ)や団七が、「男が立つ
の、立たないの」という辺りも、「集団的自衛権」と同根の匂いがする。国民を戦争
の危機に追い込んでも「男を立つ」のを優先するのは、権力の論理、あるいは軍隊の
論理ではないのか。歌舞伎を見る時くらい江戸にタイムスリップしていたい。社会部
系ジャーナリストの損な性分。
 
「夏祭浪花鑑」は、1745(延享元)年、大坂の竹本座で初演。人形浄瑠璃・歌舞
伎狂言作者のゴールデンコンビ(歌舞伎・人形浄瑠璃の3大演目の作者、ほかに竹田
出雲、小出雲)、並木千柳(宗輔)、三好松洛の合作。全九段の世話浄瑠璃(世話も
の)は、当時実際にあった舅殺しや長町裏で、初演の前年に起きた堺の魚売りの殺人
事件などを素材に活用して、物語を再構成した。やはり、「夏祭浪花鑑」は、社会部
系のネタを芝居にしている。

最近では、勘三郎が、海外公演やシアターコクーン、平成中村座で、繰り返し、熱心
に上演活動を繰り広げていた。勘三郎の熱情を継ぐのは、勘九郎か、海老蔵か。私
は、5回目の拝見。但し、今回のような通しを観るのは、2回目。17年前に歌舞伎
座で観ている。当時は劇評を連戴していなかったので、劇評の記録はない。私が観た
団七は、海老蔵(今回含め、2回目)、猿之助、幸四郎、そして吉右衛門である。勘三
郎は、残念ながら観ないまま、逝去させてしまった。
 
初めて観たのは、97年7月、歌舞伎座で、澤潟屋一門の舞台。元気だった猿之助
が、団七を演じた。この時に、今回のような通し上演で私は観ている。この時の通し
は、もう少し場が多い。「住吉」と「三婦」の間に、「道具屋」と「番小屋」の場面
が入っていた。その後、99年6月、09年7月、いずれも歌舞伎座。11年6月の
新橋演舞場。そして、今回は、再開場なった歌舞伎座。
 
私が観た主な配役。団七:海老蔵(今回含め、2)、猿之助、幸四郎、吉右衛門。徳
兵衛:市川右近、梅玉、獅童、仁左衛門、今回は、猿弥。三婦:歌六(2)、富十
郎、市蔵(猿弥休演で、代役)、今回は、左團次。義平次:段四郎(2)、幸右衛
門、市蔵(市蔵二役)、今回は、香川照之こと、中車。段四郎は熱演だった。徳兵衛女
房お辰:笑三郎、雀右衛門、勘太郎、福助、今回は、玉三郎。団七女房お梶:門之
助、松江時代の魁春、笑三郎、芝雀、今回は、吉弥。三婦女房おつぎ:右之助(今回
含め、2)、竹三郎、鉄之助、芝喜松、磯之丞:笑也(2)、友右衛門、錦之助、今
回は、門之助。傾城琴浦:春猿(2)、高麗蔵、孝太郎、今回は、尾上右近など。

贅言:今月は、右近が、ふたり出ている。一時は先代の猿之助の後継と目された市川
右近、清元の延寿太夫の息子である尾上右近。延寿太夫も先代の勘九郎と一緒に子役
で出ていたことがあるという。「夏祭浪花鑑」では、三代目猿之助の息子、香川照之
こと、中車が歌舞伎役者として成長しているかどうかが、見どころだろう。中車は再
開場なった歌舞伎座初演でもある。海老蔵と玉三郎も出ているし、海老蔵は、主役の
団七を演じるが、やはり今月の玉三郎・海老蔵は、夜の部の「天守物語」こそ、本命
だろう。
 
普通の興行では、「住吉」から「長町裏」までが上演される。猿之助の団七以外で、
私が観て来たのは、このパターンだった。今回、改めて通しで観ると、団七(海老蔵)
と義平次(中車)が軸になり、三婦(左團次)、お辰(玉三郎)が、見せ場がある配役だとい
うことが判るが、徳兵衛(猿弥)が、最初から最後まで、結構、キーパースンとして、
出続けていることが、よく判る。初めて観た時(今回のような通し)の徳兵衛は市川右
近であったから、沢瀉屋の舞台では、猿之助に次ぐ二番手が務めていたことが判る。
猿弥は抜擢の配役だろう。徳兵衛は通しか通しでないかで、配役の重みが違う。今回
で団七5回目の海老蔵も、今回のような通しは初出演。いつもの場構成の舞台では、
海老蔵団七の場合、徳兵衛は、若手を選んでいる。松也、獅童、男女蔵、亀鶴。海老
蔵は、今は亡き勘三郎に団七を教わったという。
 
物語の主筋は、玉島家の嫡男だが、軟弱な磯之丞(門之助)と恋仲の傾城琴浦(尾上右
近)の逃避行である。ただし、この主筋は、それと判れば、それで済んでしまう。追
うのは、琴浦に横恋慕する大島佐賀右衛門(新蔵)。
 
若いふたりの逃避行を3組の夫婦が手助けする。釣船宿を営む三婦(左團次)と女房
おつぎ(右之助)、堺の魚売り・団七(海老蔵)と女房お梶(吉弥)、乞食上がりで、当初は
大島佐賀右衛門に加担していた徳兵衛(猿弥)と女房お辰(玉三郎)。そこへ、副筋とし
て、団七の舅、つまりお梶の父親・義平次(中車)が、登場する。舅の義平次が、琴浦
の逃避行の手助けをする振りをして、琴浦を大島佐賀右衛門の所に連れて行き、褒美
を貰おうとする。その挙げ句、婿と義父との喧嘩となり、弾みで、団七は、舅を殺し
てしまう。久しぶりの通し観劇、通しの劇評は初めてなので、筋立ても含めて、長く
はなるが、今回はきちんと記録しておきたい。


 序幕第一場「お鯛茶屋の場」。海辺の茶屋。茶屋の上手側に白砂青松の海岸。遠く
に灯台が見える。茶屋遊びの玉島磯之丞と相手の傾城琴浦、琴浦に横恋慕の大島が座
敷に居る。そこへ団七女房のお梶が登場。団七は、大島の所の中間と喧嘩をして、目
下入牢中。お梶は、玉島家から磯之丞を連れ戻すように頼まれて来た。更に、座敷の
庭先に非人姿の徳兵衛が仲間(こっぱの権となまこの八)と共に現れる。廓遊びの果て
に乞食に零落したと嘆く。これを聞き、磯之丞は、帰宅を決意する。実は、これはお
梶の依頼を受けた徳兵衛の芝居。磯之丞の帰宅後、再び庭先に姿を見せた徳兵衛に礼
金などを渡すお梶。この場面があると、後の人間関係が判る。

序幕第二場「住吉鳥居前の場」は、中央から上手に石の大鳥居がある。鳥居には、
「住吉社」の看板。髪結処「碇床」の小屋が、舞台下手半分を占める。全体として、
住吉大社の大鳥居前の体。
 
髪結処の贔屓から贈られた形の大きな暖簾には、吉右衛門主演とあって、暖簾中央に
は紋が染め抜かれている。図柄は、熨斗。暖簾の上手に「ひゐきより」、下手に「碇
床さん江」とある。
 
髪結処の上手側に「七月三十日 大祓 當社」、下手側に「七月十五日より二十五日
まで 開帳 天王寺」の立て看板がある(後に、「小道具」として、使われる)。髪
結処の暖簾の上手裏には、私の席からは遠くて字は読めないが芝居番付(後に、「小
道具」として、使われる)が張ってある。歌舞伎には、このように、細部に凝った仕
掛けが、「遊び」も含めて、仕込まれていることが多い。
 
団七は、堺の魚売りだが、大島佐賀右衛門家の中間との喧嘩沙汰で、中間を死なせて
しまい投獄されていた。団七女房お梶の主筋に当たる玉島家の配慮で減刑され、出牢
が許された。解き放ちが、住吉大社の鳥居前ということだ。世間に知らせるために、
江戸時代は、こういうことをしたのかもしれない。まず、花道から、そのお梶が、子
の市松を連れて、老侠客の釣舟三婦と一緒に、団七を迎えに来た。三婦は、右の耳に
飾りのようにして、数珠を掛けている。喧嘩早い性格を戒めるおまじないだ(後で、
耳から外して、数珠を切る場面がある)。お梶は、予定より早く来過ぎたので、市松
と一緒に大社にお参りに行く。
 
そこへ、上手から駕篭が到着。玉島磯之丞が、降りて来たが、和事ののっぺりした色
男の扮装。磯之丞が、法外な駕篭代を巻き上げられそうになっているのを見て、三婦
は男気を出して磯之丞を助けて、駕篭かき(「こっぱの権」と「なまこの八」のふた
り。お鯛茶屋の場面で出てきた徳兵衛の仲間)を懲らしめる。さらに、磯之丞に立寄
先として「釣舟三婦」を紹介する。磯之丞は、花道から退場。
 
その後、三婦は、碇床に入り、団七の解き放ちを待つ。暫くして、むさ苦しい囚人姿
で、上手から役人に連れられて来たのが、団七。出迎えた三婦に招き入れられて、碇
床に入る。着替えと髪を結い直すためだ。着替えで、肝心の下着を忘れて来たという
三婦が、碇床の下剃三吉(國矢)に、自分の締めている赤い下帯を外して渡すという
チャリ場(笑劇)があるが、これは、後の伏線となるから、覚えておくとおもしろ
い。
 
三婦は、花道から退場。先に行かせた磯之丞の後を追い自宅へ向かう。続いて、上手
奥から鳥居の下を潜って、傾城琴浦が、恋人の磯之丞の行方を訊ねて来る。更に、琴
浦に横恋慕の大島佐賀右衛門が、琴浦を追いかけて来て、琴浦にしつこく言い寄る。
 
そこへ、髪結処から出て来たのが団七。団七は、青々と月代を剃り上げて、「首抜
き」という首から肩にかけて、大きな家紋を染め抜いた白地の浴衣を着ていて、とて
も、すっきりしている。裾前には、「成田屋」と屋号が染め抜かれている。琴浦を助
け、大島の体を使って磯之丞の立寄先を道案内し、三婦の自宅へ向かわせる。
 
この際、団七は、佐賀右衛門を懲らしめる所作で、佐賀右衛門の身体を使って(ボ
ディ・ランゲージ)、琴浦に磯之丞の立寄先(釣舟三婦)の道順の案内をする。「黒
塀、松の木、石地蔵、石橋」などと形態模写をさせる。「先代萩」の「花水橋の場」
の趣向と同じだ(「伽羅先代萩」のパロディ)。「逃げれば、追う」の、ロード・ムー
ビングの展開である。
 
団七も、琴浦に続こうとすると、鳥居下から佐賀右衛門に加担する徳兵衛が、「こっ
ぱの権」と「なまこの八」(先ほどの駕篭かき)を連れて、琴浦を返せと追ってくる
ので、団七と徳兵衛の間で、喧嘩になる。先ほどの立て看板が、引き抜かれて、ふた
りの立ち回りの小道具として使われる。そこへ戻って来たお梶が、芝居番付を小道具
に使って、仲裁する。これも、良くある「留め女」という演出。団七の喧嘩相手が、
徳兵衛と知り、驚くお梶。先のお鯛茶屋の場面、乞食の身に落ちていた徳兵衛を助け
たことが伏線となっているのが、今回は、よく分かる。恩あるお梶とその夫の団七に
詫びて、女房お辰との関係もあり、同じく主筋の玉島家の磯之丞のために役立ちたい
と言う。皆、釣舟三婦(磯之丞の立寄先)へと急ぐことになった。

 二幕目第一場「難波三婦内の場」。店先に献燈と書かれた提灯がぶら下がってい
る。祭り気分を盛り立てる。店入り口の障子には「釣舟三婦」と書いてある。今で
は、磯之丞は、ここに匿われている。磯之丞と琴浦が、店先の座敷で痴話喧嘩をして
いる。三婦が戻って来て、女房のおつぎ(右之助)に若いふたりが逃避行中であること
を注意して、ふたりを奥へ隠す。
 
花道から徳兵衛女房お辰(玉三郎)が訪ねて来る。徳兵衛の故郷・備中へ戻るので、
挨拶に来たのだ。これを聞いた三婦女房おつぎが、お辰にとっても、主筋に当たる玉
島家の磯之丞を預けようと持ちかけるが、外から戻って来た三婦は、それでは、「男
が立たない」と女房を叱る。女ながら「男気」のあるお辰は、怒る。三婦は、美貌の
お辰が、色気がありすぎるので、徳兵衛のためにも、若い磯之丞が、お辰と間違いを
起こすことを懸念したのだ。それを承知していながら、ふたりきりで行かせるので
は、徳兵衛に対して男が立たないという訳だ。任侠道の男たちの意識が伺える科白
だ。
 
お辰は、黒地の帷子(かたびら)に白献上の帯という粋な着物姿で、さらに、傾城や
女郎の役のように、右襟を折り込み、裏地の水色を見せるような着物の着方をしてい
るから、やはり、色っぽい女という設定だ。お辰は、三婦の主張を聞くと、突然、店
にあった熱い鉄弓(てっきゅう・大坂の夏祭りには、鯵の焼き物が、定番であった
が、火鉢の鉄弓で鯵を焼いた)を頬に押し当てて、火傷を作り、「これでも色気がご
ざんすかえ」と言うほどの鉄火女である。びっくりした三婦は、お辰に磯之丞を預け
ることにした。男が立たないという前に、お辰は女が立たないと思ったのだろう。こ
の後、徳兵衛の仲間だった、こっぱの権となまこの八が現れ、匿っている琴浦を渡せ
と迫って来る。怒った三婦は、耳に掛けていた数珠をひきちぎり(この場面で、三婦
の耳に掛けていた数珠の意味が判る)、ふたりを引っ立てて花道へ。しつこい大島佐
賀右衛門を懲らしめに出かけて行く。
 
花道から磯之丞を連れて行くお辰。おつぎが、お辰の無茶な行為を夫の徳兵衛が責め
るのではと心配すると、花道七三で玉三郎のお辰は、「こちの人の好くのはここ(顔
を指差す)じゃない、ここ(胸・心を差す)じゃわいなア」と胸を叩く所に、お辰
の、というより玉三郎の心意気が現される。昼の部の玉三郎ハイライトの科白。ここ
までが、芝居の前半である。
 
贅言;以前にこの芝居を観た時、義平次を演じる猿弥休演で、市蔵が、三婦と義平次
のふた役を演じた。団七の女房お梶の父親の義平次は、婿の団七に琴浦を預かるよう
にと頼まれたと嘘を言って、駕篭を伴って来る。応対した三婦女房おつぎは、騙され
て、義平次に琴浦を引き渡してしまうという場面だが、義平次は、編み笠を被ったま
まで対応していたので、ふた役の時間稼ぎで、吹き替えの役者が、市蔵の代わりに義
平次を演じているのかと思っていたが、以前のふた役ではない段四郎も、今回の中車
も薄汚れた編み笠で顔を隠したまま、演じていた。むしろ、長町裏の殺し場へ向かう
花道で、初めて編笠をとって、観客に顔を見せるという演出なのだと判る。それにし
ても、中車が演じる義平次は、手足も皆、いつもより薄汚く見えるが、気のせいか。

お辰に連れられて磯之丞が去ると団七の女房お梶の父親の義平次が、編笠で顔を隠し
たまま花道から現れる。婿の団七に琴浦を預かるようにと頼まれたと嘘を言って、駕
篭を伴って来た。疾しいからか、義平次はさいごまで編み笠を被ったままで顔を見せ
ない。応対した三婦女房おつぎは騙されて、義平次に琴浦を引き渡してしまう。義平
次は駕篭と共に花道から、急いで退場。
 
やがて、花道から、三婦が団七、徳兵衛を伴って、戻って来る。花道から本舞台に
入って来る団七は、柿色の「団七縞」と呼ばれる格子縞の帷子(かたびら・浴衣)の
麻の単衣を着ている。徳兵衛は、色違いの藍色の同じ衣装を着ている(人形浄瑠璃の
衣装で、人形遣の吉田文三郎が考案したという)。酒を飲むために奥に向かった三婦
と徳兵衛。
 
店先に残った団七は、三婦女房のおつぎから琴浦の話を聞いて、義平次によって、琴
浦が勾引(かどわか)されたことを知ると、血相を変えて、花道から義平次と駕篭の
後を追って行く。
 
若いふたりの逃避行。3組の夫婦がサポートしていたが、磯之丞は、お辰が無事に連
れ出したものの、琴浦は騙されて、義平次に勾引されてしまった。ここまでが、伏
線。

 いつもなら、クライマックスとなるのは、二幕目第二場「長町裏の場」。歌舞伎世
話物の独特の様式美溢れる名場面だ。難波から東へ、長町(今の日本橋付近)までは遠
くない。

縄をかけた駕篭とともに逃げる義平次(中車)らに花道の先の道具が坂になっている
辺りで追いついた団七九郎兵衛(海老蔵)と義平次が喧嘩になり、満を持した中車が
やっと、顔を見せる場面だ。本水、本泥を使った芝居はリアルでありながら、様式美
にあふれる殺し場が展開される。団七:「九郎兵衛の男が立ちませんのじゃ」。義平
次:「そんな顔をして親を睨むとヒラメになる」。最初、ねちねちと団七をいじめる
義平次とそれに耐える団七の姿が描かれる。尻を捲って悪たれをつく義平次。顔から
脚、尻まで不気味に茶色だ。
 
5回義平次役(団七役の3回は、猿之助に付き合う。1回は、坂田藤十郎、吉右衛
門)を務めた段四郎を私は2回観てきたが、今回は、初役で演じる中車は(もちろ
ん、私も初めて)、初役ながら、段四郎を超えるかなりの熱演。しかし、海老蔵の歌
舞伎とシリアスな小悪党の義父・義平次は、歌舞伎の演技としては、海老蔵の演技と
の間に少しずつ齟齬が感じられる。初日ということもあるだろうが、立ち回りの絡み
が滑らかではない。型の所作をなぞっているだけのように見える。所作の間などに隙
間が見えるのだ。噛み合わないという感じ。「動きの切れ」が、まだまだ、余り良く
ない。
 
泥の蓮池と釣瓶井戸という大道具を巧く使い、本泥、本水で、いかにも、夏の狂言ら
しい凄惨ながらも、殺しの名場面となる(本泥、本水も、人形遣の吉田文三郎が工夫
した趣向だという)。団七は、帷子も脱いで、赤い下帯一つになる(碇床の場面で、
三婦から借りた、あの下帯である)。裸体には、全身の刺青。
 
下手の坂を昇ると、土手の上には柵で囲われた畑。畑には、夏の野菜が実る。畑は、
下手から上手へ塀の内に広がる。塀の外を通り過ぎる祭りの山車の頭が見える。提灯
をたくさんぶら下げた山車。高津神社の夏祭り。鐘と太鼓のお囃子の音。そういう背
景の中で、泥まみれになりながら、ふたりの殺しの立ち回りがつづく。「親殺し」と
叫ぶ義平次。「ひとが聞いたらホンマにします」と団七。殺しの中にも、笑いを滲ま
せる科白廻し。倒れた義平次の身体を跨いだまま、前と後に身体をひねりながら、飛
んでみせる団七。弾みで、殺されてしまう義平次は、泥の池に蹴落とされてしまう。
 
団七も、最後は、井戸水を桶に4杯も掛けて、身体を洗い、帷子を着直す。そこへ、
舞台上手から、祭りの神輿が通りかかる。そのお囃子にあわせながら、神輿連中の手
拭いを奪い、顔を隠す団七。さらに、団七は、いつもなら神輿連中に紛れて、現場な
ら逃げて行く筈であった。

ところが、海老蔵は、神輿を先に行かせてひとり残る。以前見た吉右衛門も、そう
だったことを思い出した。吉右衛門も「紛れず」に、神輿連中が、花道から姿を消し
てから、後を追って行った。ほかの団七役者が演じるように、ここは、神輿連中に
「紛れて」行く演出の方が、お囃子の高まりと絡まって、緊迫感があって良いと、
思っていたが、それは、この場面で幕切れになる時であろうと、気がついた。今回の
ような、通しでは、この場面で野菜畑に団七は雪駄を落としてしまう。それを拾った
徳兵衛が、次の場面で、団七のところに持ち込んで来て、逃げろと勧める。吉右衛門
は、通しの原作通りの幕切れを演じていたことになるのではないか。

「悪い人でも舅は、親」「親父殿、許して下され」。荒唐無稽な筋立てを、歌舞伎の
様式美で、一気に観客を引っ張ってしまうという芝居。

贅言:いつもは、ここで幕切れ。今回は、続きがある。
 
大詰第一場「田島町団七内の場」。田島町。長町からさらに東へ。今はコリアンタウ
ンになっている鶴橋の南東に当たる。生野区だ。殺人事件から数日後。舅殺しはまだ
発覚していない。徳兵衛が旅姿で団七宅にやって来る。義平次殺しの現場、長町裏の
野菜畑で雪駄を拾ったという。雪駄には団七の紋がある。一緒に備中へ逃げようと誘
いに来たのだ。団七は、白を切る。怒って上手の障子の間に篭ってしまう。障子の間
は、夏らしく、紙の障子では無く、簾を張り付けてあり、涼しそうだ。いまなら、網
戸か。

代わりに奥から出て来たお梶が徳兵衛の着物のほつれに気付いて、旅に出る前に繕う
と持ち掛ける。着物を脱ぎ下着姿になった徳兵衛がお梶にちょっかいをかける。お梶
は徳兵衛を撥ねつける。しかし、これを見た団七が怒り、徳兵衛と以前にかわした義
兄弟の誓い(「住吉」の場面)としてきた片袖を投げ捨てる。義兄弟解消でふたりは喧
嘩を始める。そこへ、外から三婦が駆けつけて来て、喧嘩を止める。今度は「留め
男」の登場だ。団七は、不義をしたとして、お梶を許さず、離縁状を突き付けてお梶
と息子の市松を追い出す。

突然の離縁要求に、訳がわからないお梶に三婦が、団七の義父殺しを打ち明ける。団
七とお梶が離縁をすれば、義父殺しは、普通の殺しになり、罪が軽くなるという三婦
と徳兵衛の考えた苦肉の策だった。徳兵衛は、全て計算尽くであったことが判る。

しかし、捕方の手は迫って来た。徳兵衛は、三婦にお梶と市松を託し、やって来た捕
方頭(左升)には、自分が団七捕縛をするので待って欲しいと持ち掛ける。

大詰第二場「同  屋根上の場」。団七宅を含めた町内の屋根の上。団七宅の屋根にあ
る引窓から団七は出て来る。多数の捕方たちに追われて逃げて来たのだ。暫く、屋根
の上での立ち回り。そこへ、徳兵衛が現れ、団七を取り押さえるふりをして、縄の代
わりに路銀の銭を輪にしたものを団七の首に掛けて、逃亡を促す。徳兵衛の侠気が伝
わって来る。男の友情に感謝しながら、団七は、屋根から飛び降り、花道を通って逃
げて行く。

ほかの役者評も少し。琴浦を演じた尾上右近と磯之丞を演じた門之助の若いカップル
は、ロード・ムービングを縫い繋ぐ1本の赤い糸。団七と徳兵衛の絡みは、もう1本
の白い糸。三婦と徳兵衛女房・お辰の格好良さは光る。左團次と玉三郎。海老蔵主役
の芝居の配役では、このふたりは役者の格が違うだろう。通しで役の重みも違って来
る徳兵衛を演じた猿弥も抜擢の初役ながら、存在感があった。

中車が演じた義平次も、印象的。歌舞伎を突き抜けたようなリアルな小悪党を演じ切
る。「歌舞伎の様式を踏まえた上で崩す」と中車は楽屋で語っている。香川照之は、
うまい役者だが、中車として、歌舞伎役者に溶け込むためには、まだ、時間がかかり
そう。中車も含めて、沢瀉屋一門は皆、再開場なった歌舞伎座は初出演。門之助は騒
ぎの大元となる磯之丞を初役で演じた。家橘は、33年ぶりの堤藤内。団七解き放つ
役人の役。

3人の男たちの女房役では、科白も含めて、徳兵衛女房お辰の玉三郎は印象に残る。
25年ぶりのお辰であった。団七女房お梶の吉弥は、初役。普通なら序幕のみだが、
通しでは、最後まで絡む。三婦女房おつぎの右之助は、二幕目第一場のみだが、三婦
とお辰の花道退場をそれぞれ送る場面で、余韻があり、印象を残す。「役の匂い」を
出したいと言う。上方育ちの右之助は、こういう役は巧い。
- 2014年7月15日(火) 10:10:29
14年07月国立劇場歌舞伎鑑賞教室 (「傾城反魂香」)
 

 焚くと煙の中に亡き人が現れるという中国のお香の名前が、「反魂香」。「傾城反
魂香」は1708(宝永5)年、大坂・竹本座の人形浄瑠璃で初演された。近松門左衛
門原作の全三段時代もの。上の巻の一部「土佐将監閑居の場」が、よく上演される。
中の巻で、外題の反魂香の謂れとなるような場面があるというが、私は観たことがな
い。

「傾城反魂香」を観るのは、私は今回で14回目。この演目は、技量はあるものの吃
音ゆえに差別されていた吃音者の絵師の成功譚である。吃音者の夫・又平を支える饒
舌な妻・おとくの愛の描き方、「無口な夫と饒舌な女房の対比」という趣向に原作者
の近松門左衛門は、創作意欲を駆り立てられたのであろう。

江戸時代には、今よりも差別感が強かったせいか、吃る姿を笑いものにする演技が主
流だったという。「ども又」という外題の通称にも、そういう差別感が色濃く残って
いる、と思う。吃る科白回しの工夫を代々の役者が工夫を重ね、さまざまな口伝が家
の芸として伝えられたことだろう。

しかし、六代目菊五郎が、この演目の近代化を図り、障害のある夫の苦悩、夫を思う
女房の愛情、それゆえ起こった奇蹟を描いたドラマに変貌させたという。現在、演じ
られるのは、三代目実川延若の工夫した又平の演出を基本とする。特に、妻・おとく
の人間像の作り方が、ポイントになる。

今回は、 梅玉が初役で又平を演じる。三代目実川延若のイメージを再現するとい
う。おとくは、富十郎、團十郎相手に演じたことがあるという魁春が演じる。私は、
初見。魁春は、芝翫の指導を受けたというので「世話女房型」で演じる。私が観たお
とく:芝雀(3)、雀右衛門(2)、芝翫(2)、鴈治郎時代を含めて藤十郎
(2)、時蔵(2)、勘九郎、右之助(巡業で、相手は團十郎)。そして今回は、魁
春。雀右衛門・芝雀の京屋系が、当り役としているのが判る。

この演目は、障害者の夫婦の情愛を描いた芝居であるが、現代風に言うなら、タレン
ト(又平)を売り出そうとするマネージャー(おとく)の物語でもある。琵琶湖畔
で、お土産用の大津絵を描いて、糊口を凌いでいた又平が、女房の励ましを受けて、
弟弟子にも抜かれて行くような、だめな絵師としての烙印を跳ね返し、死を覚悟した
奇蹟の筆で土佐光起という名前を貰うまでになるという、ハッピーエンドの物語。

今回、初役で演じた梅玉の又平は、今ひとつ。私が観た又平では、人間国宝になった
吉右衛門が、やはりダントツであった。吉右衛門の又平についてだけ、ちょっと書い
ておきたい。又平が遺書代わりに石の手水鉢に描いた起死回生の自画像が、手水鉢を
突き抜けた時の、「かかあー、抜けた!」という吉右衛門の科白廻しは、追従を許さ
ない。今回の梅玉の科白もまだまだ。「子ども又平」、「びっくり又平」と、同じ又
平でも、心のありように即して自在に演じる吉右衛門の入魂の熱演を堪能した。手水
鉢の仕掛けも、この演目の、もうひとつの見どころ。

以前にも書いたが、「傾城反魂香」は、部分的に嫌いな場面がある。六代目が工夫し
ても残された差別感を現代でも感じる。「傾城反魂香」では、処遇改善を求めて、夫
婦で師匠の所に要請に行く際、「吃り」という障害を強調する場面、また、それに対
して師匠に「差別意識」があることが浮き彫りにされる場面である。封建時代の価値
観で描かれる世界だからしょうがないのかもしれないが、障害者には不愉快だろうと
思われる。

土佐将監の「山科閑居」。絵師の家らしく、文化の香りが高い。襖には、五言絶句の
漢詩。「山中何所有 嶺上多白雲 只可自怡悦 不堪持寄君」。閑居の孤高の心境
か。土佐将監は、東蔵が初役で務めた。土佐将監は、土佐派中興の祖として、土佐派
絵画の権力者だったが、「仔細あって先年勘気を蒙り」、目下、山科で、閑居してい
る。

将監は専門家として、又平の技量の評価には厳しいが、生真面目な又平の性格は買っ
ている。私が観た中では今は亡き先代の又五郎の将監は、味があった。同じく亡く
なった芦燕も、また、独特の味わいだった。
 
将監の北の方は、夫・将監と不遇の弟子・又平との間で、バランスを取りながら、壺
を外さぬ演技が要求される難しい役だ。北の方は、今回初役の歌女之丞。国立劇場の
歌舞伎俳優研修修了生としては初めての役者幹部に松竹から認められた。

北の方で定評のあるのは、亡くなった吉之丞だろう。私は6回拝見した。科白は少な
いが、又平の応援団として表情、仕草、肚を観客に伝えなければならない。夫・将監
に逆らわないが、同調もしていない。吉之丞のいぶし銀のような、着実な演技が、観
客の脳裏に刷り込まれているのに気づくようになる。こういう役者が、出ていると、
舞台は、奥行きが出てくる。歌女之丞は、その吉之丞に指導を受けたという。
 
雅楽之助は、松江。この役で馴染みのあるのは、当代の又五郎、歌昇だった。一方、
修理之助は、女形の梅丸。清新な役どころであった。
- 2014年7月14日(月) 11:33:32
14年06月歌舞伎座 (夜/「蘭平物狂」「素襖落」「名月八幡祭」)


「名月八幡祭」 江戸情緒と大正ロマンの融合


昼の部と違って、夜の部は、場内に入ると、誰でも目につくものがある。舞台を被っ
ている祝幕。中央に四ツ輪に抱き柏の家紋(音羽屋)。茶色と白の馬の張子が描かれ
ている。下手に三代目尾上左近さん江。上手に「のし」の字。7つの松葉が、幕の下
部の上手(4つ)から下手(3つ)にかけて散らされている。幕全体は、薄緑で上部
から下部へと暈(ぼか)されている。上手下部気に「Rinnai」の文字。松緑の長男・
藤間大河(8歳)が三代目尾上左近として初舞台を踏む。そのお披露目の祝幕という
わけだ。後で、劇中口上があるだろう。左近は蘭平の息子・繁蔵を演じる。

「蘭平物狂」は、1752(宝暦2)年、大坂豊竹座で初演された。人形浄瑠璃「倭
仮名在原系図」は、全五段の時代もの。「蘭平物狂」は、四段目に当る。現在も上演
されるのは、この場面だけだ。第一場「在原行平館の場」、第二場「同 奥庭の場」
という構成。

第一場「在原行平館の場」が、元々、芝居として弱い。曲者退治に行く蘭平の息子・
繁蔵に対する、親馬鹿ぶりも滲ませてながら心配性の父親の情愛描写と刃を見ると
「物狂い」になるという蘭平の「奇病」(実は、仮病)ぶりが、見せ場となる程度。
退屈な場面だ。

第二場「同 奥庭の場」は、1953(昭和28)年に二代目松緑が、埋もれていた
時代浄瑠璃を復活上演した際に、殺陣師の坂東八重之助が考案した大小の梯子を使っ
ての苦心の大立ち回りが、見せ場で、これは、戦後の歌舞伎の立ち回りの殺陣とし
て、トップクラスの優れたものだろう。従って、この演目は芝居というより、ダイナ
ミックな大立ち回りを楽しむものといえるだろう。

「蘭平物狂」は、6回目の拝見。今回の松緑は辰之助時代を含めて3回。三津五郎
が、八十助時代を含めて3回。戦後の上演記録を観ても、松緑の復活上演など、先々
代、先代を含めて、松緑と三津五郎の系統の得意な演目になっている。ほかの役者で
は、先代の(八代目)幸四郎、市川右近がいるだけだ。

「在原行平館の場」は、「伊勢物語」の在原行平の逸話がベースになっている。「松
風村雨」姉妹との恋物語。行平(菊五郎)が、須磨に隠棲した際に、地元の海女の松
風と契ったが、都に戻った後も、松風のことが忘れられず、恋の病に陥っている。奥
方の水無瀬御前(菊之助)の意向を受けて奴・蘭平(実は、伴義雄。松緑)は、与茂
作(実は、大江音人。團蔵)の女房で、松風に良く似たおりく(実は、音人妻明石。
時蔵)を連れて来て、おりくを松風に、与茂作を松風の兄にと、それぞれ偽らせて、
行平に目通りさせる。騙しの場面だ。実は、この芝居、騙しあいの連続劇なのだ。

蘭平、実は、伴義雄は、刀の刃を見ると物狂いになるという奇病があると偽ることか
ら、外題は、「蘭平物狂」と通称される。行平の前では、刀の刃を見て物狂いになる
蘭平だが、与茂作との立回りでは、物狂いにならないばかりか、与茂作の持っていた
刀が、「天国(あまくに)」の名刀だったことから、与茂作は、実は、弟の伴義澄と
見抜き、自分は、実は、兄の伴義雄だと名乗る。二人の父親・伴実澄の仇である行平
をともに倒そうと誓いあうが、実は、与茂作は、小野篁(おののたかむら)の家臣・
大江音人で、禁裏の重宝を探索する、いわば、隠密のような人物で、おりくは、音人
の妻の明石であり、行平の恋の病も、仮病で、全ては、蘭平を伴義雄ではないかと
疑った行平一派の策略で、見事、蘭平は、その罠にはまって正体を顕わしてしまい、
行平方の大勢の捕り手に囲まれて、大立ち回りとなるという仕儀なのだ。そして、こ
の大立ち回りを見せるのが、この芝居のハイライト。そういう騙しの連続の芝居が、
ダイナミックな大立ち回りで飾り立てられているという構図になっているだけの芝居
なのだ。

それにしても、「大部屋役者」(「三階さん」とも呼ばれる)たちが、いわば、主役
と同格になる大立ち回りは、いつものことながら、迫力があり、見応えがあった。7
人が伏せて横に並ぶ。その上を助走してきた勢いで飛び越える。松緑も、「三階さ
ん」並みとまでは行かないが、横にした梯子に座ったまま、半回転(逆吊りになる)
を繰り返し、一回転してみせる、横にした梯子に立ち上がったまま、エレベーターに
乗せられたような感じで持ち上がり、井戸の屋根に飛び移るなど、かなりダイナミッ
クに立ち回りをする。花道七三に立ち上げられる大梯子の上での、出初め式まがいの
大技ほか、井戸の屋根、石灯籠などの大道具を活用したトンボ、大小の梯子を使っ
て、飛んだり撥ねたりする大立ち回りは、この演目の、もうひとつの主役と言って良
いだろう。

幕切れ近くの劇中口上。芝居を途中で静止。松緑が中央に座り、上手側に、菊五郎、
菊之助。下手側から、時蔵、團蔵、左近と並ぶ。菊五郎の仕切りでの口上は、定式通
り。松緑の後、左近が「尾上左近でございます。どうぞ宜しくお願い申し上げます」
と挨拶し、暖かい拍手を受けていた。

皆々、立ち上がり、芝居再開。蘭平が三段に昇り、大見得にて、幕。いつもの定式幕
ではなく、祝幕が上手から引き出されて来る。


「素襖落」は、狂言の演目を素材に1892(明治25)年に初演された新歌舞伎。
松羽目ものの舞踊劇。福地桜痴原作「襖落那須語(すおうおとしなすものがた
り)」。後に六代目菊五郎が「素襖落」という外題に改めた。私は8回目の拝見。私
が観た太郎冠者:幸四郎(今回含め、3)、富十郎(2)、團十郎、橋之助、吉右衛
門。大名某:左團次(今回含め、3)、菊五郎(2)、二代目又五郎、彦三郎、富十
郎。

この演目の見せ場は、酒の飲み方と酔い方の演技。葛桶(かずらおけ、かつらおけ。
能や狂言で用いる道具。黒漆塗円筒形の蓋付(ふたつき)桶。高さは約50センチ。
黒地に金の蒔絵(まきえ)をほどこしたものが多い。能では腰掛けとして使うことが
多いが,狂言では酒樽、茶壺などに見たてる。今回のように、蓋だけを大杯として使
うことも多い)の蓋を使って、大酒飲みを演じる。「勧進帳」の弁慶、「五斗三番
叟」の五斗兵衛、「大杯」の馬場三郎兵衛、「魚屋宗五郎」の宗五郎、「鳴神」の鳴
神上人など、酒を飲むに連れて、酔いの深まりを表現する演目は、歌舞伎には、結
構、多い。これが、意外と難しい。これが、巧かったのは、今は亡き團十郎。團十郎
は、大杯で酒を飲むとき、体全体を揺するようにして飲む。酔いが廻るにつれて、特
に、身体の上下動が激しくなる。ところが、ほかの役者たちは、これが、あまり巧く
演じられない。今回の幸四郎を含め、多くの役者は、身体を左右に揺するだけだ。さ
らに、科白廻しに、徐々に酔いの深まりを感じさせることも重要だ。

緞帳が上がると、松の巨木の背景。松羽目ものの定番。長唄の雛壇。上手に霞幕。後
に幕を外すと、竹本連中の山台。太郎冠者(幸四郎)は、姫御寮(高麗蔵)に振舞わ
れた酒のお礼に那須の与市の扇の的を舞う。いわゆる「与市の語り」である。謡曲の
「屋島」の間狂言「那須語(なすものがたり)」を取り入れた。与市の的落しとお土
産にもらった太郎冠者の素襖落し。ふたつの落し話がミソ。酔いが深まる様子を見せ
ながら、太郎冠者は、舞を交えた仕方話を演じ分ける。前半のハイライトの場面。こ
こでは、次郎冠者(亀寿)、三郎吾(錦吾)が、姫御寮とともに、太郎冠者の舞を見
るが、座っているだけなので、金地に蝙蝠を描いた扇子を持った幸四郎の独壇場。

帰りの遅い太郎冠者を迎えに来た主人・大名某(左團次)や太刀持ち・鈍太郎(弥十
郎)とのコミカルなやりとりが楽しめる。酔っていて、ご機嫌の太郎冠者と不機嫌な
大名某の対比。素襖を巡る3人のやりとりの妙。機嫌と不機嫌が、交互に交差するこ
とから生まれる笑い。自在とおかしみのバランス。左團次の表情の変化と弥十郎の無
表情の対比も面白い。


夜の部のハイライトと言うより、今月の歌舞伎座のハイライトは、「名月八幡祭」の
吉右衛門の演技だろう。「名月八幡祭」は、私は、3回目の拝見。このうち、吉右衛
門の縮屋新助は、今回含めて2回目。

私が観た主な配役:新助は、吉右衛門(今回含めて、2)三津五郎)。美代吉は、福
助(2)、今回は、芝雀。三次は、歌昇(2)、今回は、錦之助。魚惣は、富十郎、
段四郎、今回は、歌六。


「名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)」は、1918(大正7)年、歌舞伎座で
初演された。二代目左團次の新助、四代目澤村源之助の美代吉であった。池田大伍の
原作で、池田は、幕末期の1860(万延元)年に初演された黙阿弥の「八幡祭小望
月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)」(通称「縮屋新助」「美代吉殺し」)を
改作した。池田大伍は、改作に当ってフランスの小説「マノン・レスコー」の主人
公・マノンの奔放な性格を持つ美少女のイメージを美代吉に重ねたという。江戸情緒
と大正ロマン。それが、「名月八幡祭」の魅力だろう。

「マノン・レスコー」は、1731年刊。フランスのアベ・プレヴォーの小説であ
り、その主人公の女性の名前。「騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語」とい
う全7巻の自伝的な長編小説の7巻目。全巻の通しタイトルは、「ある貴族の回想と
冒険」。人形浄瑠璃の全◯段の時代ものの◯段目という感じ。

騎士デ・グリューと美少女マノンとが周りを巻き込みながら破滅への道行きとなる物
語。マノンは寂しい荒野でデ・グリューの腕に抱かれながら死んで行く。「俺たちに
明日はない」。

序幕第一場「深川八幡二軒茶屋松本」。夏の茶屋座敷の風情が良い。歌舞伎は、細部
にも見るものがある。主役のひとり・深川芸者の美代吉(芝雀)が上手から登場。裾
模様の入った紫の衣装で、裾から赤地の襦袢が見える。粋な芸者姿。花道から船頭の
三次(錦之助)が、無心に来る。美代吉の評判の悪い情夫である。間もなく始まる八
幡祭で金が掛かる美代吉は、情夫に渡せる金がない。仕方がないので、簪を抜いて渡
す。美代吉を贔屓にしている客の中間が、この様子を見とがめて騒ぐ。奥座敷から贔
屓の客である旗本の藤岡慶十郎(又五郎)が、松本の女将(京妙)や幇間(吉三郎)
らとともに、現れる。濃い茶色の扇子を持ち、紫の呂の羽織に、白地の絣の着物を着
た涼しげな藤岡は、美代吉に金を渡しながら、三次との付き合いを注意する大人の男
の貫禄を又五郎がじっくり描く。この場は、美代吉の性格描写と美代吉側の人間関係
の説明だろう。

序幕第二場「浜魚惣裏座敷」。舞台は、浜(岸辺)から堀(深川)に床を張り出した
魚惣の裏座敷。舞台前面は、涼しげな堀の水面が、広がっている。下手から座敷の向
こう側にも堀は通じている。上手揚げ幕も堀が通じている。亭主の魚惣(歌六)が、
女房(歌女之丞)と酒を飲んでいる。座敷下手には、金屏風の前に敷かれた毛氈に角
樽が、ふたつ置かれている。上手の床の間には、蓮の花が描かれた掛け軸。魚惣の還
暦の祝いなのだろう。後で、真っ赤な羽織が、披露される場面がある。舞台下手袖奥
から、船頭だけが乗った猪旡舟が出て来て、座敷の裏側へ廻って行く。江戸・深川の
情緒が、一気に高まる。

もうひとりの主役・越後商人の縮屋新助(吉右衛門)が、奥の襖を開けて、登場す
る。中年の独身男。出稼ぎ商売を終えて、故郷の越後に帰るので、世話になった町の
顔役・魚惣に別れの挨拶かたがた、残っている縮みの反物を売りに来たのだ。反物ふ
たつが売れる。魚惣は、江戸下町のイベント・八幡祭が、間もなく始まるのに越後に
帰ってしまうという新助が、理解できない。江戸で商売をするなら、江戸の人情を知
らなければ成功しないと思うからだ。新助に祭りを観て行けと勧める。故郷の残して
来た老母のことを心配する新助(母子家庭の一人っ子)だが、世話になった魚惣の意
向も無視出来ない。女房も、熱心に勧めるので、祭りを観てから帰る気になる。多少
不義理になってもこのまま故郷に帰っていれば、事件に巻き込まれることもなかった
ろうが、新助の運命は、ここで、直角に曲がってしまう。

涼しい風が入ってくる開け放った座敷から見える堀へ、上手揚げ幕から、また、別の
猪旡舟が出て来る。舟には船頭と美代吉(芝雀)が、乗っている。座敷に顔を向けて
挨拶をして通り過ぎる美代吉。座敷にいる新助にも気がつき、愛想良く、親しげに声
を掛けて来る。この様子を見ていた魚惣は、美代吉の背後にいる評判の悪い情夫を思
い出し、新助に、「美代吉には気をつけろ、金を貸したりするな」と忠告をする。
後々の事件への「伏線」である。猪旡舟は、鉄砲洲(鉄砲洲稲荷の祭礼は、歌舞伎座
周辺も、いまも氏子である)方面に向かって行く。すでに美代吉に惚れて、商売で得
た金を貸している新助の目には、芸者の艶姿しか映っていない。手に持っていた巻紙
を落として、手摺から下に垂らす。惚けたような男の表情が、本舞台から花道に入っ
て行った舟の行方を見とれている(花道も堀。舟が花道にきちんと入るように道具方
が、下手袖から出てきて、舟の向きを調整していた)。「鉄砲洲の船宿も、とっぷり
暮れましたなあ」と呟く新助。祭りが終わるまで(美代吉ともっと仲良くなるま
で)、江戸に残ろうと決心をした新助だが、その付けは、どういう形でまわってくる
のか。田舎の「非常識」に江戸の「良識」が、警鐘を鳴らすことになる場面だ。

ここは舟を使った優れた演出だ。昭和の新歌舞伎「梅暦」など、これを、更に洗練さ
せ、廻り舞台を使って舟同士がすれ違う、似たような場面がある。川面と舟、猛暑の
東京を忘れさせる納涼の江戸情緒が深まる。

粋な深川芸者に惚れる田舎商人。吉原の傾城を見初める田舎商人という場面は、明治
の新歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」(黙阿弥の弟子、三代目新七の原作。「名月八幡祭」
とは、姉妹作の関係となる。この点は後述)に似たような場面があるが、田舎商人と
は言っても、大店の主人の次郎左衛門と反物を江戸まで担いで来て、行商をする小商
いの商人である新助とは、財力、胆力が違う。新助役者は、ここの違いの表現が、求
められる。この場面は、新助の性格描写と新助の置かれている状況の説明であろう。
吉右衛門は、この新歌舞伎に、古典歌舞伎の江戸世話ものの味をたっぷりと振りかけ
る演技をしていて、見事だ。見応えがある。

二幕目「仲町美代吉の家」。ここが山場。数日後。深川仲町の美代吉の自宅。玄関
に、祭礼の提灯が飾ってある。座敷上手には、仏壇ではなく、稲荷。呉服屋手代が、
祭り用に誂えた衣装代を催促に来るが、美代吉(芝雀)には、支払う金がない。若紫
の縦縞の入った普段着の着物姿の美代吉も美しい。美代吉の母(京蔵)が、手代をな
んとか帰らせる。美代吉に惚れている新助に百両借りられないかなどと持ちかける
が、美代吉は、田舎商人に大金は、借りられないと突っぱねる。そうは言いながら
も、やがて、姿を見せた新助(吉右衛門)に酒を勧め、愛想を売りつけ、おだてなが
ら、借金を申し込む美代吉。すっかり、舞い上がってしまう新助。美代吉が枕に使っ
た懐紙に移った残り香を恍惚と嗅ぐ有様。もう、正常な判断力を持っていない。

そこへ、金の無心に三次(錦之助)がやって来る。金で苦労している美代吉が、情夫
の三次に愛想尽かしをする場面(本当かな、芝居じゃないのか、と疑う場面だろう
が、新助に冷静な判断は無理だ)だが、舞い上がっている新助は、邪見に三次を帰ら
せた美代吉の、続く身の上話をすっかり信用して、三次と縁をきるなら、百両を用立
てると約束してしまう。追い出された三次の後ろ姿に冷ややかな視線を送った後、似
合わぬのに、色男ぶってしまい、金策に出かける新助。騙し女とその気男という図。
金の力が描いた幻影とも知らずに。

幇間が、藤岡からの手切れ金百両を持って、現れる。なんとも、都合の良い筋立て。
金の工面の目処がつけば、田舎商人のことなど忘れてしまう美代吉と母親。そこへ、
さっきの愛想尽かしに頭に来た三次が、刃物を懐に呑んで、入って来て、刃物を振り
回す始末。事情を話し、三次の入り用の金を渡す美吉。和解をし、早速、酒を飲み始
めるふたり。金と情欲の化かしあい。芝雀は、身体が太めなので、美少女という柄に
は、なりにくい。前回観た福助は、後ろ姿も、女形としての色気が、紛々としてい
て、むせ返るようだった。

「七つ下がり」という科白が出て来るが、夏の夕暮れ、いまの午後4時過ぎ。人生の
盛りも、過ぎている中年男・新助の心象風景でもあるだろう。その対比の場面とな
る。金策を終えて、戻って来た新助は、ふたりのそういう光景を見せつけられる。初
めて、騙されていたことを知る愚直な新助。本心を告げ、冷たくする美代吉。この辺
りが、マノンのような奔放な近代的美少女像。

ファム・ファタール(運命の女、男を破滅させる女、己も破滅する女)美代吉も破滅
型の女。酒を飲みながら、ふたりのやり取りを得意そうに見ている三次。錦之助も良
いが、ここは、これまで観た歌昇時代の又五郎の小悪党ぶりにも存在感があった。粋
な芸者から、はすっぱな女の本性を顕した福助も、こういう役は、緩急自在で、巧
い。ふてくされた強情女。芝雀は、悪の表出が弱い。福助ならマノンのような非行少
女的な魅力も出せるが、芝雀の体つきでは難しい。三次も歌昇は、兄貴風。錦之助
は、非行少年に近い若さが出せる。

江戸の「非常識」の典型カップルが、正体を見せた瞬間だ。団扇でしつこい蚊を追う
三次。蚊は、狂気後の新助の凶事を暗示しているように思える。

老母の住む故郷の土地や建物を売って、百両を工面した新助には、もう帰る家もな
い。新助のことを心配して、やって来た魚惣(歌六)は、今後のことは、家で話そう
と新助を連れて帰る。「罪なことをしたねえ」。江戸の「良識」は、田舎の「非常
識」男(新助)の面倒を見ようとするが、巧く行くかどうか、というのが、この場面
での、観客へのメッセージ、次への伏線。

大詰「深川仲町裏河岸」。狂気の立ち回り。下手に大川端の火の番小屋。障子に「火
の番」と書いてある。簾がかかっている。上手に柳。深川八幡の大祭。深川界隈は、
大賑わい。手古舞姿の深川芸者、祭りの若い者、見物客の男女。無粋に刀を差した田
舎侍。上手から雑踏の中を美代吉の姿を探しに来た新助。気がおかしくなっている。
雑踏ですれ違った田舎侍の刀の抜き身だけを抜き取り、下手、雑踏の中へ消えて行く
新助。頭から全身を還暦の赤尽くしの衣装に包んだ魚惣が、姿の見えない新助を心配
して、探しに来る。大勢の人出の重みで、永代橋が落ちたという話が聞こえて来る。
人々は、下手の見えない橋の方へ駆けつける。

上手から、手古舞姿の美代吉が、祭りの酒にほろ酔いでふらふらと現れる。下手の橋
袂、火の番小屋の葦簾に、美代吉の手が障り倒れて来ると、その裏側には抜き身の刀
を持った新助がいた。雨が降り始め、雷も鳴る。

舞台は、本水となる。びしょ濡れのふたりの立ち回り。狂気の新助の死闘。ほろ酔い
で逃げ惑う美代吉。斬りつけられ美代吉は、番小屋に逃げ込むが、障子の外から、新
助に斬られる。真っ赤な血飛沫が、障子を染める。この立ち回りでは、吉右衛門と芝
雀の動きが、ぎくしゃくしている。私が観たのは5日目の舞台だが、立ち回りの流れ
がスムーズになっていない。

事件に気づいた若衆たちが、新助を取り押さえる。大の字になった吉右衛門を頭上に
担ぎ上げて、花道へ運んで行く。狂気の笑いをフリーズさせたままの吉右衛門の表情
が、客席の上部からよく見える。

雨も止む。隅田川の向うには、満月が顔を出す。煌煌と光を増す満月。狂気の月(ル
ナティック)。本水で濡れた無人の舞台の地絣に満月の影が映っている。「双面水照
月」の風情。

贅言;今回は、名題クラスの役者衆が、割と良い役を貰っていて、科白も普段より多
かった。彼らの顔を覚えるのに役立った。最近、名題から幹部になった役者も存在感
を増しているのも嬉しい。

この事件は、田舎の「非常識」(新助)が、己を突き詰め、江戸の「良識」(魚惣)
と「非常識」(奔放な悪のカップル・美代吉と三次、さらに美代吉の母)の隙間か
ら、すとんと、美代吉を道連れに、地獄に落っこちた! という物語。

そういう演劇の構図が、判ったところで、本作(黙阿弥原作)と改作(池田大伍の新
歌舞伎)の比較をしておこう。

「名月八幡祭」は、1918(大正7)年だから、先行する1860(万延元)年の
黙阿弥原作「八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)」を下敷きにし、
近代劇として磨きをかけている。「名月八幡祭」のポイントは、合理的解釈を前面に
出していることだが、その結果、芝居から、歌舞伎味が落ちる可能性がある。

黙阿弥原作「八幡祭小望月賑」では、初演時には、新助は、四代目小團次、美代吉
は、岩井粂三郎、後の八代目半四郎ほか。ユニークな持ち味の小團次の柄にはめ込ん
で人物造形をしている。科白も、黙阿弥調で、傑作と言われた。文政年間に実際に
あった深川芸者・巳之吉が巻き込まれた無理心中事件を素材にしている。

後に、弟子の三代目新七が、「八幡祭小望月賑」を下敷きにして、「籠釣瓶花街酔醒
(かごつるべさとのえいざめ)」を書いている。「八幡祭小望月賑」の方が、先行作
品なのだ。新助の見初め(恋)と美代吉の愛想尽かしの深さは、本作の方が、妖刀
「村正」のインパクトも含めて、濃厚だったのではないか。このポイントを削除し、
見初めではなく、情夫への嫉妬と愚直な男の絶望からの狂気というだけでは、弱い感
じがする。吉右衛門は、その辺りを十分に認識し、江戸世話ものの演技を芝雀ととも
にこってり盛り込んでいたと思う。吉右衛門は「(新助は)私自身と重なるところが
あって多いに共感いたします」と言っている。今回描かれた新助像:実直、商売も巧
い、それでいて、女を見る目がない。狂気の果ての破滅型。

「八幡祭小望月賑」→「籠釣瓶花街酔醒」→「名月八幡祭」。
近代劇としての「名月八幡祭」の合理性は、いわば、実線の芝居で、点と点を直線
で、率直に結んでいるので、余韻がない。古典劇と小團次の持ち味に沿った「八幡祭
小望月賑」の様式性は、いわば、点線の芝居で、点と点をゆるやかな曲線で結び、余
韻をふわりと包み込んでいるように思える。「籠釣瓶花街酔醒」の方が、「八幡祭小
望月賑」に近いと思われる。そういうなかで、吉右衛門は、「名月八幡祭」に江戸世
話ものの色合いを濃くして、黙阿弥原作に近づけるという試みを実行に移したように
思える。当っているかどうか、一度、「八幡祭小望月賑」を原作通りの形で、観てみ
たい。
- 2014年6月10日(火) 15:38:39
14年06月歌舞伎座(昼/「春霞歌舞伎草紙」「実盛物語」「大石最後の一日」
「お祭り」)


「春霞歌舞伎草紙」は、錦絵。時蔵を軸に菊之助ほか、梨園の御曹司のパレード。時
蔵も、正面を向いて彼らと並ぶと老けて見える。でも、さすが後ろ姿は、女形の官能
が滲み出る。背中は歳を取っていない。

14年前、2000年3月、歌舞伎座で観ている。今回で2回目。歌舞伎の始祖と言
われる出雲阿国と名古屋山三の物語。原作は、長谷川時雨で、1914(大正3)
年、東京の市村座で初演された。六代目菊五郎が阿国を演じた。前回は、出雲阿国が
時蔵、名古屋山三が染五郎だった。今回は、出雲阿国は、同じく時蔵、名古屋山三が
菊之助という配役。いずれ、菊之助の出雲阿国を観て観たい。このほか、女歌舞伎
(尾上右近、米吉、廣松ら)が9人、若衆歌舞伎(亀寿、歌昇、萬太郎、種之助、隼
人ら)が11人。きらびやかな動く錦絵のような舞踊劇。

緞帳が上がると。京の町。「都の春の花盛り 都の春の花盛り 歌舞伎踊りに出でう
よ」と、花道から21人が出て来る。賑わう京に出雲の女歌舞伎の一座が上京し、早
速街頭に繰り出してきたというわけだ。

阿国が亡き恋人の名古屋山三を偲び、南無阿弥陀仏と、念仏踊りを始める頃、舞台暗
転、花道七三のすっぽんから、名古屋山三の霊が現れる。「いや名古屋とは恥ずかし
や 人の心はむら竹の」「淀の川瀬のみづ車 水車 誰を待つやら くるくるとくる
くると」。

山三の求めに応え、阿国が新しく始めた歌舞伎踊りを披露する。「花に風とよ 細道
の」と恋しい山三のために踊っていると、踊りの輪に紛れて、山三は、いつの間にか
姿を消してしまう。「八千代添ふとも名古山(なごさん)さまに 名残惜しさは限り
なし」。失われた恋の幻影を追う阿国が哀れ。緞帳が降りて来る。


「源平布引滝〜実盛物語〜」は、「SF漫画」を歌舞伎の様式美で飾り付ける。菊五
郎の安定した演技で、漫画を歌舞伎にしてしまう。今回、私は9回目の拝見。並木宗
輔ほかによる合作「源平布引滝」の三段目に当る「実盛物語」。源平の争いが続く
中、平治の乱に敗れた源義朝の弟・木曾義賢の妻・葵御前(梅枝)は、懐妊中の身
で、琵琶湖の畔の百姓・九郎助(家橘)宅に匿われているが、葵御前のことを訴人す
る者があり、平家方の斉藤別当実盛(菊五郎)と瀬尾十郎(左團次)が、詮議に赴い
て来た。厳格に調べを進めようとする瀬尾十郎と源氏の恩を忘れずに、葵御前をなん
とか見逃そうとする斉藤別当実盛の対比が、芝居の縦軸となる。

この狂言の本質は、「SF漫画風の喜劇」である。主人公は、実盛ではなく、太郎吉
(後の、手塚太郎)であり、実盛は、まさに、「物語」とあるように、ものを語る
人、つまり、ナレーター兼歴史の証人という役回りである。

ここでは、「平家物語」の逸話にある「実盛が白髪を染めて出陣した」ことの解明
が、時空を超えて、試みられている。母の小万(菊之助)が実盛に右腕を切り取られ
て、亡くなったと知った太郎吉は、幼いながらも、母親の仇を取ろうと実盛に詰め寄
る。実盛は、将来の戦場で、手塚太郎に討たれようと約束する。そういう眼で見る
と、歴史の将来を予言する「実盛物語」は、まさに、SF漫画風の喜劇ということに
なる。

探索に来た平家方の瀬尾十郎の詮議に対して、木曽義賢の妻・葵御前が、産んだ
「子」が、「小万の右手」だというのも、漫画的発想である。それを実盛は、真面目
な顔をして「今より此所を・・・手孕(てはらみ)村と名づくべし」などと言ってい
る。また、これを受けて、瀬尾も、「腹に腕があるからは、胸に思案がなくちゃ叶わ
ぬ」などと返している。まさに、漫画的な科白のやり取りだ。小万が、実は、百姓・
九郎助と小よし(右之助)夫婦の娘ではなく、瀬尾十郎の娘であり、太郎吉は、瀬尾
にとって、「孫」に当たるという「真相」も、漫画的である。

私が観た斎藤実盛は、仁左衛門(2)、菊五郎(今回含め、2)、吉右衛門、富十
郎、勘九郎時代の勘三郎、新之助時代の海老蔵、團十郎。7人で観たが、もう、3人
は、永遠に見ることが出来ない。

2回観た仁左衛門の実盛は、颯爽としていて、華があって、見栄えがした。科白の緩
急、表情の豊かさ、竹本の糸に乗る動きなど堪能した。菊五郎、吉右衛門も、安定感
があった。幕外の引っ込みで、馬に乗った実盛が花道七三で扇子を掲げて、静止。歌
舞伎の芝居は、定式に従って閉幕。


男たちのドラマに、女の心情


「大石最後の一日」は、生真面目な科白劇。ほとんど男ばかりのドラマである。6回
目の拝見。大石内蔵助は、今回含めて、幸四郎で4回、吉右衛門で2回観ている。ほ
かの配役も割と固定している。磯貝十郎左衛門も、信二郎時代も含めて錦之助が多
い。今回も錦之助。相手役のおみのも、孝太郎、芝雀、福助など。今回は、孝太郎。
配役もほぼ固定、芝居は、真山青果の緻密な科白劇。変わりようがなかろう。

暗転で開幕。緞帳が上がると「芝高輪細川家中屋敷下の間」。緞帳の下げ、上げで、
場面展開。「同 詰番詰所」。暗転、明転で、「同 大書院」「同 元の詰番詰所」
という構成。

吉良邸への討ち入りから、一月半ほど経った、元禄十六年二月四日。江戸の細川家に
は、大石内蔵助ら17人が、預けられ、幕府の沙汰を待つ日々を過ごしている。身の
処し方は、公義に預けているので、執行猶予の、モラトリアムな時間を過ごしてい
る。下の間と廊下の境となる障子に人の影が映っている。廊下をうろついている。や
がて、障子を開けて、下の間に入って来る。幸四郎の内蔵助。

浪士たちが着ている鼠色の無地の着物と帯は、恰も、「囚人服」のような味気なさ。
ほかの浪士たちが、綺麗に月代を剃っているのに、大石内蔵助(幸四郎)だけは、
「伸びた月代」である。皆のことに気を配り、世間に気を配り、幕府に気を配るリー
ダーの真情と苦労が、あの「伸びた月代」だけでも、伺える。幕府の上使荒木十左衛
門(我當)から切腹の沙汰が下るという告知を受けるとともに、さらに、浅野内匠頭
切腹の際には、お咎め無しだった吉良上野介側も、息子の流刑とお家断絶の情報も、
役目を離れて、上使からもたらされる。大石内蔵助は、「ご一同様、長い月日でござ
りましたなー」と思い入れたっぷりの科白をきっぱりと言う。

この芝居は、どういう人生を送って来ようと、誰にでも、必ず訪れる「人生最後の一
日」の過ごし方、という普遍的なテーマが隠されているように思う。例えば、癌を宣
言され、残された時間をどう使うか。あす、自殺しようと決心した人は、最後の一日
をどう過ごすのか。つまり、人間は、どういう人生を送り、どういう最後の日を迎え
るか。原作者の真山青果は、それを「初一念」という言葉で表わす。それは、大石内
蔵助の最後の日であるとともに、ほかの浪士たちにとっても、最後の日である。さら
に、芝居は、死に行く若い浪士、磯貝十郎左衛門(錦之助)とおみの(孝太郎)の恋
の「総括」を描いて行く。

その一日を、最後の一日と思わずに、恋しい未来の夫の真情をはかりたいと若い女
が、小姓姿で、細川家に忍んで来る。吉良邸内偵中の磯貝十郎左衛門と知り合い、婚
約したおみのである。おみのは、その一徹な気性から細川家を浪人した乙女田杢之進
のひとり娘であった。結納の当日、姿を消した十郎左衛門にとって、自分との婚約
は、内偵中の、「大志」のために利用した策略だったのか、それとも、ひとりの女性
への真情だったのか。思い迷う娘は、男心を確かめたくなったのである。大石内蔵助
は、男の心を確かめようとする、そういう女心を嫌い、また、若い十郎左衛門に心の
迷いを起こさせないようにと、おみのを十郎左衛門に逢わせることを、一度は、拒絶
する。小姓が若衆ではなく、女だと内蔵助に見抜かれた後、一瞬にして、男の孝太郎
が女形の演じる「女」に変貌する場面が、見応えがあった。

「偽りを誠に返す」というおみのの言葉に感じ入った大石内蔵助の計らいで、「夫・
磯貝十郎左衛門」との対面を果たし、男の真情を察知した「妻・おみの」は、お沙汰
が下り、切腹の場へ出向く「夫」に先立ち、自害して果てる。女の心情が哀しい。孝
太郎のおみのの死に顔は、喜悦の表情を浮かべていた。この孝太郎を観ただけでも、
満足。昼の部の見どころ。

これは一種の殉死であろう。男女の相対死は、やはり、ともに死ななければならな
い。おみのと十郎左衛門の死は、十郎左衛門の死に殉ずるおみのの「殉死」という解
釈が、正しいだろう。つまり、青果は、大石内蔵助らが、侍の心で、殉死したと考え
たように、それへの伏線として、おみのの十郎左衛門への「殉死」を印象づけること
で、大義の忠臣たちの「殉死」を際立たせたのではないか。「仮名手本忠臣蔵」に、
おかる勘平のものがたりがあるように、「元禄忠臣蔵」には、おみの十郎左衛門のも
のがたりがあるのである。「大石最後の一日」は、1934(昭和9)年2月に歌舞
伎座で初演されているのである。戦時色に染まっていない訳がない。

やがて、大石内蔵助たちは、自害の場となる細川家の庭に設えられた「仮屋」へと花
道を歩んで行く。薄暗い花道横は、黄泉の国への回路であった。


「お祭り」は、浮世絵。仁左衛門の病気休演からの復帰の舞台。いわば、快気祝いの
ご祝儀狂言。鳶頭松吉(仁左衛門)、若い者正吉(孫の千之助)、ほか大部屋の若い
衆が、そのまま、若い者役。いつもと違って、男ばかり。芸者が登場しない。

「お祭り」は、1826(文政9)年、三代目三津五郎初演の変化舞踊の一幕。江戸
の天下祭(神田祭と山王祭が、二大祭)のうち、「お祭り」は、山王神社の祭り「山
王祭」を題材にしている。

幕が開くと、舞台は、浅黄幕が覆っている。清元・延寿太夫を軸に「置き浄瑠璃」。
20年前、仁左衛門が大病から復帰した時は、浅黄幕が見えただけで、拍手が巻き起
こったというが、今回は、それが無かった(初日ではなく、5日目に観たので、初日
がどうだったかは知らない)。浅黄幕が振り落とされると、鳶頭(仁左衛門)と若い
者(千之助)が絡む所作こと。定番の、大向うからの「待ってました」「待っていた
とはありがてえ」までに時間がかかった。仁左衛門は頭を掻く所作でテレを表現す
る。いつもの若いものたちと絡む群舞のような所作立て。下手には、剣菱の積み物。
舞台は、町の遠見が背景になっている。商店の紋に、「ヤマに仁」、松嶋屋の家紋で
ある「七ツ割丸に二引」などが見える。中央に、「御祭礼」と書いた提灯の門。

それぞれの踊りの奉納もあり、「実にも上なき獅子王の万歳千龝かぎりなく つきせ
ぬ獅子の座頭と 御江戸の恵みぞ」で、獅子舞との絡みもあり、祝祭気分を盛上げ
る。最後に花道七三で仁左衛門が愛想良く、「いずれもさま」に笑顔を振りまく。ま
あ、この演目は、元気になった仁左衛門の姿を見せるところに価値がある。
- 2014年6月9日(月) 15:55:24
14年06月国立劇場・歌舞伎鑑賞教室 (「ぢいさんばあさん」)


戦後の新作歌舞伎、宇野信夫の名作「ぢいさんばあさん」と「曾根崎心中」


私が観た「ぢいさんばあさん」は、今回が6回目。この演目は、「ばあさん」役者
が、結構難しい。私が観た「ぢいさんばあさん」の主な配役は、次の通り。美濃部伊
織:仁左衛門(2)、團十郎、勘九郎時代の勘三郎、三津五郎、今回は橋之助。妻・
るん:菊五郎(2)、玉三郎(2)、福助、今回は扇雀。組み合わせは、最初に観た
のが、99年3月、團十郎と菊五郎。このカップルはなかなか良かった。以下、02
年4月、勘九郎時代の勘三郎と玉三郎。05年2月、仁左衛門と菊五郎。これも良
かった。10年2月、仁左衛門と玉三郎。12年2月、三津五郎と福助。そして今
回、14年6月が橋之助と扇雀というわけだ。

この演目の場の構成は、以下の通り。
第一幕「江戸番町美濃部伊織の屋敷」、第二幕「京都鴨川口に近い料亭」、第三幕
「江戸番町美濃部伊織の屋敷」。

この演目は、江戸を舞台にした明治の文豪森鴎外原作の短編小説を戦後、宇野信夫が
新作歌舞伎に作り直した。因に、幕末以前の演目は、古典と呼ばれ。明治以降、戦前
(1945年の敗戦)までの演目が、新歌舞伎と呼ばれ、戦後の演目が、新作歌舞伎
と呼ばれる。従って、新作歌舞伎も初期のものは、もう70年も前ということにな
る。

「ぢいさんばあさん」は1951(昭和26)年、7月、東西の歌舞伎座(当時は、
歌舞伎座が東京と大阪にふたつあり、特に、東京の歌舞伎座は、1945年戦災=米
軍の空襲で焼失し、1951年1月に復興・再開場したばかりであった)で、同時に
初演された。配役は、それぞれ違う。東京が二代目猿之助(当代の曾祖父)と三代目
時蔵(当代の祖父)。大阪が十三代目仁左衛門(当代の父)と二代目鴈治郎(坂田藤
十郎の父)。だから、この演目は新作歌舞伎でも初期のものということになる。

夫が出張先の京都で、殺人事件(短慮ゆえに弾みで癖のある同僚を殺してしまった。
事実上は、「巻き込まれ」たようなもの)を起こして徒刑して、他藩預かりとなり、
つまり、いまなら刑務所に入れられて、37年間も、離別の生活を余儀なくされた夫
婦の物語。罪が許され、旧家で再会した夫婦は、改めて、ふたりだけの生活を始めよ
うとする。劇中では、「新しい暮らし」という科白が、ぢいさんばあさんの夫婦と若
い甥の夫婦のふた組から、同じように発せられる。特に、若い頃、短い結婚生活を
し、一粒種の子どもも亡くしてしまっただけに、互いに年齢を重ねながらも恋いこが
れていたピュアなカップルの再会後の場面で、老夫婦は、「余生ではない、生まれ変
わって、新しい暮らしを始めるのだ」と、高らかに宣言する科白を言う場面が、印象
的な山場だ。

老夫婦不在の家を守ってきた妻の弟は亡くなり、その息子である若い甥夫婦(37年
前の自分たちのようだ)は、別の家で自分たちの「新しい暮らしが始まる」と言わせ
る。さらに、ぢいさんばあさんの夫婦にも、自分たちの生活が、失われた時を求める
だけでなく、また、老い先短い「余生ではなく、生まれ変わって、新しい暮らしをは
じめるのだ」と言わせる、という、くどい程の新しい暮らし宣言の、いわば、「二重
奏」という趣向になる。

それにしても、世代を越えて、ふた組の夫婦が「新しい暮らし」を宣言しあうという
のは、何故かと思い、森鴎外の原作を読んでみたら、原作には、若い夫婦が、そもそ
も出て来ないし、ぢいさんばあさんの科白にも、「新しい暮らし」などというもの
は、出て来ない。まさに、宇野歌舞伎のテーマに沿った独創の科白であったことが判
る。


頭の上に広がっていた、あの頃の青空


そして、その科白の意味するところは、なにかを考えていたら、1951(昭和2
6)年という初演の「時期」にその秘密があるのではないかと思った。敗戦直後の混
乱も、6年経過し、世間も幾分落ち着いてきたのだろう。新しい憲法も1947年1
1月公布、1947年5月に施行された。日本全体で戦後の新しい生活がスタートし
ようとしている。それを宇野信夫は、歌舞伎の舞台でも、表現しようとしたのだろ
う。つまり、宇野は、敗戦後の日本人の生活にダブるように、明治の文豪森鴎外の作
品「ぢいさんばあさん」を元にしながら、新たな歌舞伎作品に作り替えたことだろ
う。宇野信夫にとって、戦後とは、新しい暮らしの始まりであった。貧しくとも、頭
の上に広がっていたのは希望に満ちた青空だった。

ここまでは、これまでにも書いてきた通りだ。

いま、安倍政権は、宇野が望んだ戦後の生活の骨格である憲法の解釈を内閣という行
政権だけで変えようとしている。立憲主義では、憲法が原理となり立法府である国会
によって合憲的に法律が作られる。法律に従って、行政府が行政権を行使する。法治
国家では、行政権行使の是非を司法が最終的に判断をする。これを三権分立という。
子どもでも学校で習う。宇野信夫が、「ぢいさんばあさん」の芝居を通じて宣言した
新しい暮らしは、60年余後の現代、一政権の「解釈」で壊され始めているのではな
いのか、と、つい危惧してしまう。

歌舞伎は、決して保守的なものではない。

舞台に戻ろう。今回、改めて、以下のことに気がついたのは、扇雀の演技に拠るとこ
ろが大きい。菊五郎(2)、玉三郎(2)、福助と観て来たばあさんの「るん」(美
濃部伊織の妻)では、菊五郎を除けば、美形の女形役者たちがほどほどにしか表現さ
れていなかったと思われる「老い」を今回の扇雀は、化粧などの工夫をせず、つま
り、皺など描かず顔こそ玉三郎同様の白塗りの美形でありながら、所作の端々で、か
なり意図的に老いを表出しようとしたように思われる。足の運び、腰使い、手の動き
など、懇切に演じていたと思う。だから、私も老夫婦が37年ぶりに出逢いながら、
お互いが、彼の人だと確信できないまますれ違っていた場面から、特に、扇雀演じる
「るん」が、見知らぬぢいさんの顔の中に若き日の伊織を認めた瞬間を観て、胸に込
み上げてくるものがあった。これは、過去5回体験しなかったことだ。老い先短いふ
たりの人生が、青春のように可能性に満ち、広がる可能性で前途洋々に見えてきた。

そう、この演目は、舞台では直接話法では全く描かれていない37年の風雪の歴史と
その結果として伊織・るんのふたりに忍び寄っていた「老い」と若い甥夫婦の今後に
描かれるであろう「新しい暮らし」というものを対比していたのではないのか。それ
を今回扇雀は、ほかの女形よりも、より鮮明に表出したのではないかと思ったのだ。

以前に書いた劇評で、「玉三郎は、若い綺麗なばあさんになってしまっている。白塗
りで、まだまだ、ばあさんとして、枯れていない。薄い、砥の粉など、綺麗な老け役
の化粧の工夫も欲しい」と私は強調している。玉三郎の「るん」を私は2回観ている
が、2回とも、こういう不満を持ったことを覚えている。

この演目は、新作「歌舞伎」とは言え、舞台を観た人の多くが思うように、歌舞伎ら
しさが乏しい。科白も現代劇調。時代劇の大道具も歌舞伎の「体(てい)」ではな
い。だから橋之助も、彼の欠点である科白に力みがなくて、素直にしゃべっていて、
とても良い。扇雀の科白も同じだ。それでいて、この演目が、歌舞伎らしく見えてく
るのはなぜだろうと考えてみた。

考えた挙げ句の私の結論は、伴奏音楽だった。歌舞伎様式の音楽に「よそごと浄瑠
璃」という演出がある。舞台の家の近くの他所(よそ)の家で、浄瑠璃の稽古をして
いるという想定の下に場面に登場している人物とは直接関係なく三味線と浄瑠璃の歌
声が聞こえて来る。これが、なんとも歌舞伎味を出していることに気がついた。こう
演目では、さらに、箏曲、尺八の演奏も効果的に使われている。歌舞伎の魅力を熟知
している宇野信夫は、江戸時代を舞台にした芝居の役者に現代的な科白を言わせなが
ら、音楽だけは、古典的な歌舞伎の味付けをして、「ぢいさんばあさん」という芝居
を作っていた。これがこの芝居を何回観ても飽きない秘密かと思い至った。

贅言;ウグイスの声も効果的。第一幕と第三幕は、大道具は基本的に同じ。季節も同
じで、ウグイスの啼き声がそれぞれ聞こえる。37年後という流れ去った時間のみが
違う。それは、美濃部家の庭に咲く満開の桜の幹の太さが物語っている。今月の歌舞
伎座でも、ウグイスの声が効果的に使われた。新作歌舞伎「元禄忠臣蔵 大石最後の
一日」。細川家中屋敷の場面でも、ウグイスが鳴いている。春に散る。大石たち赤穂
の浪士たちは、やがて、切腹の場へ立ち去って行く。


「るん」は、2年後、「お初」になった!


もうひとつだけ書いておきたい。宇野信夫は、戦後の新作歌舞伎で、もうひとつの名
作を書いている。「ぢいさんばあさん」が初演された2年後、1953(昭和28)
年8月の新橋演舞場で宇野信夫による新脚色で上演された「曽根崎心中」である。元
禄期に近松門左衛門が作った人形浄瑠璃の原作は、後に、歌舞伎化されたが、その
後、久しく上演されなかった。

1953(昭和28)年、父親の二代目鴈治郎と長男の扇雀(現・坂田藤十郎)の親
子によって、徳兵衛とお初が、演じられた。演出家の武智鉄二に育てられた当時の扇
雀が、宇野演出で、新鮮なお初を演じて、ブームを巻き起こした。その象徴的な場面
が、天満屋を抜け出し、死出の道行に花道を行く際、お初が徳兵衛を先導するとい
う、あの有名な場面を初めて演じたのだ。それまでは、男が女を引っ張ることはあっ
ても、女が男を引っ張るということは、歌舞伎では、なかったからだ。

この時の舞台の初日の様子を二代目鴈治郎は、藝談として、次のような内容のことを
書いているという。

天満屋の場面で、お初は、床下に潜む徳兵衛に脚で心中の覚悟を伝える。徳兵衛も、
お初の脚に触って、己の死ぬ覚悟を伝える場面で、観客は、興奮の渦に巻き込まれ
る。天満屋をふたりが逃げ出す場面では、前の方の客席から、「早く、早く……」の
声が聞こえるし、観客は、皆、ハンカチを眼に当てている。その熱気に押されて、思
わず、お初が、徳兵衛の手を引っ張って、花道を引っ込んでしまったという。

藝談が、本当かどうか知らないが、あるいは、宇野信夫が、2年前「ぢいさんばあさ
ん」で、「新しい暮らし」を強調したように、「曽根崎心中」で、新しい女性像を提
唱しようとしたのかもしれない。そうだとすれば、宇野歌舞伎のコンセプトから発せ
られるメッセージは、「新しい暮らし」への鼓舞であり、「新しい人間関係」の提唱
ということになるのではないだろうか。そういう眼で、「ぢいさんばあさん」を観る
と、この芝居の理解が深まる。こうしてみてくると、「ぢいさんばあさん」の有能な
妻というイメージは、2年後の「曽根崎心中」の新演出に多大な影響を与えているの
ではないか、という推察に説得力を与えてくれる。「お初は、るんから生まれた」と
言えるのではないか、と思うのだ。
- 2014年6月8日(日) 15:43:58
14年05月国立劇場・(人形浄瑠璃第二部/「女殺油地獄」「鳴響安宅新関」)


甘ったれ青年の無軌道を描く 「女殺油地獄」 


第一部で触れたように、今月の国立劇場(小劇場)は、東京での住大夫引退興行。先
月のチケット予約は、予約殺到もあって、国立劇場のコンピュータシステムが不備と
なり、システムに入れず、「門前払い」状態のまま凍結し、長時間ダウンしてしまっ
た(後日、国立劇場側から事情説明があった)。住大夫が登場しない第二部は、住大
夫の登場する第一部ほど混乱はなかったが、チケットは、第一部、第二部とも、開幕
前に完売になったようだ。

さて、近松門左衛門原作「女殺油地獄」を人形浄瑠璃で観るのは、私は、2回目。初
回は、5年前、09年2月の国立劇場。

贅言;歌舞伎も2回観ている=与兵衛:仁左衛門とお吉:雀右衛門。同じく、染五郎
と孝太郎。仁左衛門と雀右衛門の場面は、初見だったこともあり、忘れられない。人
形浄瑠璃でも人気演目の一つ。

人形浄瑠璃の段構成は、以下の通り。「徳庵堤の段」、「河内屋内の段」、「豊島屋
油店の段」。

「徳庵堤の段」は、野崎参りの街道が、描かれる。野崎参りでは、土手道を歩いて参
詣する人と川を舟で行く人との間で、互いにののしり合うという風習があったとい
う。「女殺油地獄」では、徒歩組は、大坂本天満町の油屋豊島屋の内儀、お吉とその
娘、遅れてくる夫の七左衛門一行。それとは別に、豊島屋の同業で近所の河内屋の息
子・与兵衛(「働かず、廓にて放蕩三昧」。23歳の親掛かり)とその無頼仲間のふ
たりの3人連れなど。一方、船組は、与兵衛が馴染みの遊女・小菊一行だが、小菊
は、与兵衛からの野崎参りの誘いを断り、会津から来たお大尽らと船で先にお参りを
済ませたので、すでに、大坂に戻る途中。徳庵堤で、待ち受けていた与兵衛一行と遭
遇し、酒に酔っているお大尽は、与兵衛らとつかみ合いの喧嘩になる。まさに、野崎
参りの風習を巧みにいかして、喧嘩場を構成する。

酔っぱらい同士の、恋の鞘当ては、泥の投げ合いの果て、やはり、馬に乗って参詣に
通りかかった高槻家の御代参、小栗八弥の袴に与兵衛の投げた泥つぶてを当ててしま
う。無礼者、手討ちにしてくれる、という場面になり、手討ちにすると近づいてきた
小栗の家臣で徒士頭は、なんと、与兵衛の伯父・山本森右衛門。伯父の進退にも影響
を与える「事件」になってしまう。その場で、手討ちにしようという森右衛門だが、
主人の小栗八弥は、「血を見れば御代参叶わず」と、参詣の前に、血を流すのは、良
くないという、なんとも、忝い言葉で、諭すだけで済ましてくれる。伯父は、帰りに
は、「首を討つ」と目で言って、甥を命拾いさせる(伯父は、この事件をきっかけに
退職に追い込まれる。さらに、その後起きたお吉殺しの真犯人を与兵衛と睨み、探索
に情熱を燃やす)。しかし、見栄っ張りで、小心者の与兵衛は、狼狽えてしまい(後
半の事件へ傾斜する無軌道は、ここで、スイッチ・オンという感じ)、参詣から戻っ
てきたお吉に助けを求める。日頃から、姉のように慕っていたのだ。

この「徳庵堤の段」は、いわば、序幕。後の強盗殺人事件への伏線で、事件に関わる
登場人物たちの性格や関係性を要領よく見せてくれる。主な役割分担。お吉:語りは
竹本三輪大夫、人形遣は和生。以下、同じ。与兵衛:松香大夫、勘十郎。七左衛門:
南都大夫、勘弥。総勢8人の太夫たちが、役割分担で、人形の科白などを演じ分け
る。人形たちの声音も、声質もさまざま。ただし、三味線方は、ひとり。舞台に登場
する人形遣の数も多く、見応えがある。

家族の内幕を描く「河内屋内の段」は、前半の「口」と、後半の「奥」の語りが交代
をし、前の場と違って、こちらは語り部ひとりで演じられる。前半は、豊竹芳穂大
夫、後半は、豊竹呂勢大夫。今度は、役割分担をせずに、一人ひとりの人物造形をひ
とりの太夫が丹念に描き分けて行く。家族関係とそれぞれの屈託が描き出される。

河内屋主人の徳兵衛(人形遣:玉也)は、先代の徳兵衛が亡くなった後、店の使用人
から、未亡人と結婚したので、先夫の息子である与兵衛には、幼児期、「ぼんさま」
と呼んでいただけに、父親になっても、やはり、遠慮がある。与兵衛の母親のお沢
(勘壽)は、武家出身で、武家の倫理・道徳を持ち続けている上、夫とともに商売を
切り盛りし、商売熱心な上、家族を大事にしてくれる後添えの徳兵衛に感謝してい
る。それだけに、先夫の息子の無軌道ぶりには、実母として、日頃から肩身の狭い思
いをしている。ことがあれば必要以上にきつくあたるが、心底では、実の息子が可愛
くて、なんとか、更生させたいと思っている。

このほか、分家して、油屋として別所に店を持ち、独立しているしっかり者の長男と
して、与兵衛の実兄の太兵衛(文司)がいる。継父・徳兵衛とは、株仲間。つまり、
同業の組合員。家内には、与兵衛とは異父妹で未婚のおかち(一輔)がいる。徳兵衛
とお沢の間にできた娘。河内屋では、与兵衛に、まじめになってもらおうと妹に婿を
取り、商売を継がそうと「偽る」作戦を取り、与兵衛の奮起を期待するが、これが、
逆効果となり、小心ゆえ、逆に、与兵衛は荒れに荒れて、家族全員を敵に回して、大
立ち回り。実母にも、義妹にも、殴り掛かる始末。おとなしく己を押さえていた義父
も、とうとう、義理の息子を打ち据える。その挙げ句、実母の勘当の声を背に受け
て、臍を曲げた与兵衛は、家出をしてしまう。その後ろ姿が、先代に似ていると、徳
兵衛は、よけい心痛を重ねる事になる。

青年・与兵衛には、屈託がある。父親が亡くなった後、母親が、店の使用人を「徳兵
衛」として、夫にし、義父にし、河内屋の主人にしてしまい、さらに、異父妹に婿を
取り、河内屋を継がせようとしていると疑っているからだ。こういう屈託は、時代を
超えて、普遍的で、どこにでもある。与兵衛は妹に先代の霊を真似る芝居までさせ
て、自分が跡取りだとピーアールする始末だ。

与兵衛の首(かしら)を扱う桐竹勘十郎は、「チョイの糸」:首(カシラ)の中に仕
込まれる「ノドギ」(喉、首)とカシラの後ろを鯨のヒゲでむすんだ先につく糸を動
かす。主遣いは、手板(操作板)を下から支え持つ左手の薬指と小指に、この糸を
引っ掛けている。人形遣が、緊張したり、ゆるんだりすると、微妙に動く。無表情を
装っている主遣い勘十郎も、人形よりは抑圧しているものの、表情が変化する。変化
する人形遣の息使いによって、人形も息を呑んだり、吐いたり、連動しているのが判
る。だからこそ、人形が生きているように見える。活発に動く時より、こうした微妙
な動きの方が、存在感があるという不思議さが人形浄瑠璃にはある。女形のなだらか
らな、丸みのある、柔らかな、官能的な微妙な動きをやらせたら、簑助が巧い。

殺し場を描く「豊島屋油店の段」。ドラマのクライマックス。「切」と呼ばれる山
場。豊竹咲大夫のひとり語り。端午の節句に、3人の娘しかいない豊島屋では、娘の
髪を梳る櫛が、折れたり、節季の集金から一旦帰宅した主人が、また、他へ集金に出
かける前に、食事代わりに飲む酒を「立ち酒」(野辺送りの風習の飲み方)をしたり
するので、内儀のお吉は、不吉がる。この不吉さは、その後に展開する悲劇を暗示す
る伏線となる。

27歳のお吉の首(かしら)は、眉を剃った「老(ふけ)女形」という顔を使ってい
る。口には、着物の袖を銜える事ができるように針が刺してある。この顔が、不吉が
るときには、色っぽく見えた。タナトスと裏打ちされたエロスか。因に、与兵衛の
母・お沢は、「婆」。妹のおかちと遊女・小菊は、いずれも「娘」。似たように見え
る3種類の女の首が、女性の深淵を覗かせる。

節季とあって、借金の精算を迫られた与兵衛は、近所の優しい、人妻の豊島屋の内
儀・お吉を頼って、金を借りようとやってくる。店に入りそびれていると、河内屋の
提灯が近づいているのに気づき、物陰に隠れる。やってきたのは、義父の徳兵衛で、
不逞の息子が慕っている株仲間の内儀を通じて息子へ金を渡してもらおうという魂胆
なのだ。さらに、もうひとり、豊島屋にやってくる。今度は、実母のお沢。結局、お
沢も、徳兵衛と同じ魂胆。不逞ながらも、息子は、息子。義理の関係も実の関係も、
子に対する親には、無関係。ふたりの老夫婦の心根を理解した内儀のお吉は、「ここ
に捨てゝ置かしやんせ。わしが誰ぞよさそうな人に拾はせましよ」と、与兵衛への金
の橋渡しを請け負ってくれる。慈愛に満ちた親たちの気持ちが、身につまされる。

与兵衛の父母の役割は、社会を現に支えている普通の大人たちの常識では、対応でき
ないような、親馬鹿の果ての、慈愛に満ちた、無限広大な世界を作り上げているよう
に見受けられる。これも、共同幻想の世界なのだが、それが、奇妙に、歪んだ与兵衛
の心象が築いている砂上の楼閣のようなグロテスクな世界とバランスが取れているよ
うに見える。その対象の妙が、「女殺油地獄」の近代性を裏付けている。

与兵衛の義父・徳兵衛は、店の使用人から先代の主人で、与兵衛の実父の死後、義父
になったという屈折感がある。実際、そういう家庭環境への不満が、与兵衛に屈託を
抱かせて、愚連(ぐれ)させている。つまり、徳兵衛の出自自体が義理の息子を甘や
かしている。気が弱いながら、そういう自覚があり、手に余る与兵衛が、妻であり、
与兵衛の実母であるお沢らに家庭内暴力を振るう様を見て徳兵衛は、義理の息子を店
から追い出すが、追い出した後、与兵衛の姿が、恩のある先の主人にそっくりだと悔
やむような実直な男だ。お沢も、いまの夫に気兼ねしつつ、ダメな息子を見放せな
い。夫に隠れて、追い出す息子を見送るが、「ダメな子ほど、可愛い」と言われる世
間智の説得力を老夫婦が、十二分に見せつける。

そういう、ふたつの、ある意味では、「非常識な世界」に対して、お吉の夫・七左衛
門は、ちょいとしか出てこない傍役ながら、ふたつの世界の間にある、幻想ではな
い、大人の常識の世界があることを観客に思い出させる。出番は、控えめだが、仕
事、仕事に追われる男(中小企業の経営者)の慌ただしさと堅固さを、主人「不在が
ち」による豊島屋の危うさを、要所要所で、示していた。

両親とお吉のやり取りの一部始終を店の裏で聞いていた与兵衛が、店内に入ってくる
と、お吉は、与兵衛に(両親から預かった)金を渡すが、既に事情を承知している与
兵衛は、驚かないばかりか、さらに、金を貸せと迫る始末。与兵衛を甘やかしたくな
い、更生させたいと姉のような気持ちのお吉が、与兵衛の申し入れを断ると、「不義
になつて貸して下され」と、男女の仲になって、情愛からみで金を貸せとお吉の膝に
触れながら、迫る悪道者。「くどいくどい」と相手にしないお吉。「女子と思ふてな
ぶらしやると、声立てて喚くぞや」。

あきらめて、与兵衛は、ならば商品の油を貸してくれと頼む。商品の貸し借りは、株
仲間の商道徳ゆえ、それには応じましょうと油を樽に詰めていると背後に回った与兵
衛が、懐から脇差しを取り出し、お吉に刺しかかる。ふたりの立ち回りで、店に置い
てあった油樽が次々に倒れる。油が、店内に広がり始める。逃げるお吉。追う与兵
衛。油で、足元が滑る。舞台中央から下手に一気に滑る与兵衛。命乞いをするお吉を
追いながら、何度も滑る(3回滑っていた)。

三人遣いの一体の人形が大人3人とともに一気に滑るように見せる。舞台中央から、
下手に一気に滑る。主遣いの勘十郎ら3人の人形遣たちは、一気に移動する。脚遣い
は、巧みに人形の前後を入れ替わる。横になって、人形を操る人形遣たち。そのダイ
ナミックな動きが、殺し場の、迫力を盛り上げる。脚も、足首もない女の人形も、脚
遣いは、着物の裾を巧みに遣い、迫力をそがない。脚の動きが、如何に豊かかが、改
めて、驚かされる。歌舞伎役者では、演じきれないような、ダイナミックな動きは、
人形浄瑠璃でしか、表現できない。これを初めて観た時には、感動した。

遂に、事切れたお吉をよそに、上手、奥の寝間の蚊帳のなかで、息をひそめて、震え
ているであろう3人の娘たちのことにも気を止めず、与兵衛は、座敷に上がり込み、
お吉から奪った鍵を使って、戸棚を開け、そこから「銀」(銀本位制は、大坂の通
貨)を盗んで、闇に消えて行く。閉幕。

近松門左衛門原作の「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」は、江戸時代に
実際に起きた事件をモデルに仕組んだと言われる人形浄瑠璃。史実かどうかは、確証
がないらしい。近松お得意の「心中もの」ではなく、ただただ無軌道な、放蕩無頼
の、23歳の青年の暴走のはてに、近所の、商売仲間の、姉のように優しく気遣って
くれる、若い人妻(27歳)を、借金を断られたからということで、殺してしまうと
いう惨劇は、「心中もの」のような、色香もなかったので、初演時は、大衆受けがせ
ず、1721(享保6)年、旧暦の7月15日、人形浄瑠璃の竹本座でたった1回限
り公演されただけで、その後、人形浄瑠璃では、230年以上、上演されなかった。

明治の末年になって、復活狂言として、歌舞伎化されたという演目で、人形浄瑠璃と
しては、1952(昭和27)年に、八代目竹本綱大夫、三味線方の十代目竹澤弥七
が、新しく作曲した「豊島屋(てしまや)油店の段」を、人形を操らない、素浄瑠璃
として、NHKのラジオ放送で演じるまで、上演されなかったという、曰く付きのも
のである。その後、格段の復活上演が続き、1982(昭和57)年、261年ぶり
に通しで上演された。

一説によると、加害者の青年・与兵衛も、被害者の若妻・お吉も、油屋の株仲間であ
り、当時の大坂の油屋は、全国的な販売網を持っていて、大坂では、堂島の米商人に
次ぐ勢いのある経済組織だったことから、事件の残忍さ故に、油屋の業界から、何ら
かの圧力があり(つまり、「オイルマネー」からの圧力)、再演を禁じられたのでは
ないか、という説があるが、真相は判らない。

昨今の無軌道な、没道義的な青年らの犯罪は、時代相を反映しているところもあり、
一概には、同断するようなことは言えないだろうが、現代的な解釈をしたくなるよう
な演目だろう。そういう意味では、近代性の強い劇ゆえに、江戸時代は、人形浄瑠璃
での続演もなく、歌舞伎としでの再演もなく、観客が、この芝居を観るためには、近
代まで、待たねばならなかった。それでいて、近代では、受け入れられることが判る
と、「女殺油地獄」は、青年の無頼、放蕩ぶりを描く「徳庵堤の段」、家族の内幕を
描く「河内屋内の段」、そして、ハイライトの、殺し場を描く「豊島屋油店の段」
が、盛んに上演されるようになり、今では、人形浄瑠璃では、チケットの入手しにく
い、人気の演目になっている。今回も完売。

近松門左衛門原作。「心中天網島」(1720年)、「女殺油地獄」(1721
年)、「心中宵庚申」(1722年)。1724年には、近松没。当時は、近松の
「心中もの」が、艶のある大衆受けのする作品として、ヒットしているなかで、あえ
て、晩年の老いを感じながら、「心中もの」ではない「女殺油地獄」という作品を近
松は書いた。生きているうちに、再演の機会に恵まれなかった近松門左衛門は、まさ
に、「心中もの」の人気の劇作家としてではなく、気鋭のジャーナリストの視点で、
与兵衛という、近代的な犯罪者に通じる青年像を描き上げた。それは、同時代に向け
てではなく、何百年後の、見知らぬ現代社会に向けてメッセージを送り込んできたの
ではないだろうか。


人形浄瑠璃版「勧進帳」


「鳴響安宅新関」は初見。人形浄瑠璃版「勧進帳」。1895(明治28)年、大阪
稲荷座初演の新作狂言。ただし、今回のような演出になったのは、1930(昭和
5)年の四ツ橋文楽座公演からという。歌舞伎の演出を意識して、それまでの弁慶の
首(かしら)が、「団七」から「文七」に替わった。

「作り山伏」(偽装山伏)の一行による、事実上の関所破り。荷物持ちの強力を従え
た山伏一行の行動。弁慶の勧進帳の読み上げ、山伏問答、義経打擲、延年舞、飛び六
方を含め、ストリーなど大筋は、歌舞伎の「勧進帳」と違わないが、義経が違う。

歌舞伎では、義経の人間的な大きさを見せる「判官御手を」の場面が人形浄瑠璃では
無かった。弁慶の泣きの場面はあるが、「判官御手を」に至らないうちに、関守から
声がかかり、「粗酒一献」の場面に繋がってしまう。「判官御手を」の場面では、義
経の器量を見せるとともに、義経役者(美男役なので、女形役者が演じることが多
い)の顔を見せる。それが無い。これが無いというのは、結構致命的だと思った。義
経を大きく見せられない。

この場面は、歌舞伎の方が優れている。人形浄瑠璃では、義経は、あくまでも身元を
隠し続ける。荷物持ちの「強力」でしかないということで押し通す。従って、義経は
顔を見せない。そして、やっと最後に関所を通過する場面で、初めて観客に顔を見せ
る。問題は、その見せ方だと、思った。

ずうっと、笠で顔を隠していた義経が、ただ一度、観客に顔を見せて、さらに、「も
うひとりの観客」である富樫に振り向いて顔を見せてから逃げて行く。恰も、富樫を
「馬鹿にした」ようにも見える振り返り方だと思った。私には、義経が器量の無い、
平凡な若者に見えてしまった。富樫も、強力の生っ白い御曹司顔を認めながら、後も
追わずに退場してしまう、という演出だったが、これには、がっかりした。「関所破
り」が、綱渡りながら、まんまと成功した。「ざまあみろ」という印象で、大衆向け
に迎合しているような演出と受け取られかねないと思ったからだ。

竹本と人形遣の役割分担。弁慶:英大夫、玉女。富樫:千歳大夫、清十郎。義経:咲
甫大夫、勘弥。太夫が7人、三味線方が8人。ずらりと横一線に並び、壮観だった。
太夫のひとり語り、合唱など、適宜、語りと謡の演出が代わり、楽しめた。

贅言;人形遣は、主遣いのみ顔出しで、左遣い、足遣いは、顔を隠しているが、弁慶
のみ、三人とも出遣いであった。主遣いは、玉女、左遣いは、玉佳、足遣いは、未判
定(座席の市の関係もあり、顔をじっくり観ることが出来なかった)。左遣いの玉佳
は、顔が見えるだけに、主遣いと息を合わせるべく、どういう所で気を使っているか
が良く判り、興味深く拝見した。足遣いは、グングンと足を激しく動かす場面では、
ボクシングの選手のように手を激しく前に出しているのが印象的だった。山場の場面
で、人形が両脚を突っ張るのも印象に残った。足遣いは、メリハリが要る。左遣い
は、気遣いが要る。主遣いは、どっしり安定している。人形の右手を挙げる際、
「ハッツ」「ヤッツ」など、玉女の気合いが、声になって、迸り出ていた。これぞ、三
人遣いの妙、と悟った次第。
- 2014年5月18日(日) 6:39:55
14年05月国立劇場・(人形浄瑠璃第一部/「増補忠臣蔵」「恋女房染分手綱」
「卅三間堂棟由来」)


住大夫の引退 「恋女房染分手綱」の沓掛村の段


国立劇場(小劇場)は、住大夫引退興行。先月のチケット予約は、予約殺到もあっ
て、予約開始直後に、国立劇場のコンピュータシステムが不備となり、システムに入
れず、「門前払い」状態のまま凍結し、長時間ダウンしてしまった(後日、国立劇場
側から事情説明があった)。特に、第一部は、お目当ての住大夫出演とあって、余計
混乱した。それでも、トラブル復旧後、なんとか、システムに入ることが出来て、か
ろうじてチケット入手となった。その住大夫の語りは、「恋女房染分手綱」全十三段
のうち、七段目の「慶政恩愛の段」の、さらに、そのうちの「沓掛村の段」で語り納
めとなる。


まずは、その引退興行の舞台から劇評を始めよう。
「恋女房染分手綱」。「恋女房染分手綱」は、1751(寛延4)年、大坂・竹本座
で初演。全十三段。時代もの浄瑠璃。近松門左衛門原作「丹波与作待夜の小室節」を
元に、吉田冠子、三好松洛が改作。松洛は、後に並木宗輔らとの合作者となり、歴史
に名を残すが、冠子は、三人遣いを考案したほか人形や演出にさまざまな工夫を凝ら
した人形遣の名人・初代吉田文三郎のペンネーム。

このうち、良く上演されるのは、十段目「重の井子別れ」(「道中双六の段」「重の
井子別れの段」)。これは、人形浄瑠璃でも観ている。今回は、七段目の「慶政恩愛
の段」(「沓掛村の段」、「坂の下の段」)で、こちらは、歌舞伎でも人形浄瑠璃で
も観ていない。今回が初見。

この「沓掛村の段」の「切」の語りで、住大夫引退。父親である先代の六代目住大夫
の引退興行の時と同じ演目で、当代七代目住大夫も語り納めとなる。外題には、「引
退狂言 沓掛村の段」とある。今回は、住大夫の語りに合わせて人形たちを操る人形
遣の配役が、一段と豪華絢爛。住大夫の語りの様も見聞きしなければならないし、脇
役の人形遣まで主役級が演じるので、人形たちを全て観なければならない。大事な場
面を見落とさないようにしなければならない。住大夫に付き合う三味線方は、野澤錦
糸。「前」の語りは、住大夫の弟子の文字久大夫(ロビーでお逢いしたので、住大夫
引退興行記念として、筋書にサインを戴いた)、三味線方は、鶴澤藤蔵。文字久大夫
が「豆板程な涙」で終わり、盆廻しで、住大夫が登場すると、会場から「住大夫」と
大きな声が掛かる。拍手もいつもに増して熱っぽい。「こぼして立ち帰る」。住大夫
の第一声。

丹波国由留木家、奥家老の子息の伊達与作(不義密通で追放)と重の井(乳人)の子
が、与之助(人形遣:簑助)。不義の子とあって、密かに家臣宅(一平、現在は、馬
方の八蔵と名乗っている)に引き取られた。後の、十段目の馬子の「自然生(じねん
じょ)の三吉」が、馬子になる前の、幼年時代が描かれる。
出生の秘密も知らず、馬
方の子としてスクスク育っている。乳母役の八蔵の母(文雀)の心配をよそに、きょ
うも、竹馬に乗って、元気に遊び回ってきた。

ある日、八蔵(勘十郎)は、官銀(盲人が官位を得るために納める金)奪取を狙った追
いはぎに襲われていた座頭・慶政(和生)を助けて馬に乗せて家まで連れて来た。下
手に繋がれた馬(一人遣い)の芸が細かい。馬は、生きているように微妙に動いてい
る。やがて、馬小屋に入れられた。夜も更ける。皆寝ている。八蔵は、大脇差しを取
り出し、砥石で研ぎ出す。「しゅるるしゅるる」。研ぎの音を三味線の糸をこすると
いう演奏で表現する。この音が、なかなか良い。研ぎの音で目を覚ました老母は奥か
らその様子を窺う。障子の間(納戸)で目を覚ました座頭・慶政も聞き耳を立ててい
る。泊まり客を襲って金を奪うのではと誤解した母が飛び出してきて出かけようとし
た八蔵を諌める。ここで顔を揃えた八蔵と母と座頭・慶政は、今回のキーパーソン。
全て、与作に繋がる。与作の家臣、与作の息子・与之助の乳母、与作の兄の与八郎。
八蔵は、主人の伊達与作(預かっている与之助の父親)が追放されたのは不義だけで
なく、鷲塚八平次に三百両を奪われるという二重のミスだったが、その犯人の鷲塚八
平次が、「坂の下」という所に潜んでいる聞いて、金を取り戻そうというのだった。
それを密かに聞いていた座頭は、なぜか急に出立すると言って勧められた馬にも乗ら
ず徒歩で旅立つ。そこへ、座頭の後を付けていた昼間の追いはぎふたり(紋寿、玉
女)が襲って来る。八蔵と立ち回り。火鉢の灰が飛び散り、灰神楽となる。悪党を成
敗する間に火鉢から金包みが飛び出して来る。金包みを改めると座頭が運ぶ官銀三百
両。座頭の忘れ物と思った八蔵は、金包みを持って、座頭・慶政の後を追う。

この場面、住大夫が、間もなく、90歳という年齢を感じさせない声量でさまざまな
人々を語り分ける。幼子の与之助の声が、ちょっと苦しいか。床本をめくる左手。右
手は動かさないが、姿勢は直立していて、さすがである。人形遣は、勘十郎、文雀、
簑助、和生、紋寿、玉女と、人間国宝ふたりを含んで、豪華絢爛。

暗転の中で、場面展開。「坂の下の段」。竹本:八蔵(文字久大夫)、慶政(咲甫大
夫)、八平次(始大夫)。三味線方は、鶴澤清友。下手からあらわれた座頭・慶政
は、暗い夜道を、森も奥深い「坂の下」まで、やって来た。下手木の影に隠れて待ち
伏せしていた追いはぎに襲われ、なぶり殺しにされてしまう。後を追ってやってきた
八蔵は、すでに瀕死状態の慶政から、実は、自分は、与作の兄の与八郎であると明か
される。一夜の宿りの際に、八蔵と老母の話を聞き、弟・与作の所縁の人たちだと悟
り、伊達与作を思う志として八蔵に金を託そうとしたのだと答え、死に絶える。そこ
に先ほどの追いはぎ、鷲塚八平次が姿を見せる。追いはぎたちも八平次の一味だった
と判り、八蔵は八平次を討ち取り、その首を慶政の懐に入れて、慶政の遺体を背負っ
て、沓掛村に戻って行く。


「増補忠臣蔵」。人形浄瑠璃で観るのは、2回目。常打ち官許の大歌舞伎に対抗し
て、寺社の境内で臨時に開催された江戸時代の宮地芝居は、近代に入っても、「小芝
居」という形で、脈々と流れていた。小芝居では良く、「増補もの」と呼ばれる「下
屋敷もの」を演じる。「増補もの」は、人気狂言にあやかろうと、柳の下の泥鰌を
狙って作られる。「増補もの」は、そういう成り立ち方で小芝居、中芝居の舞台にか
かったことが多かったので、作者の名前が、あまり残されていないようだ。「増補桃
山譚」、通称「地震加藤」は、河竹黙阿弥作だけに、逆に原作を食い、「増補もの」
として、歌舞伎事典にただひとつ記載されていた。

「増補忠臣蔵」は、別称、「本蔵下屋敷」は、とも言われる。通し狂言「仮名手本忠
臣蔵」の九段目「山科閑居」場面の伏線となる状況を芝居にした。1878(明治1
1)年、大阪大江橋座で、「仮名手本忠臣蔵」の七段目(一力茶屋)と八段目(道行
旅路の嫁入)の間で上演するために、別途に新作されたもの。作者不詳。

前回拝見したのは、13年前、01年2月、国立劇場(小劇場)。七代目鶴澤寛治襲
名披露の舞台。三味線方の人間国宝・竹澤団六が、七代目鶴澤寛治(当時72歳)の
襲名披露興行だった。「口上」の後、襲名披露狂言として「増補忠臣蔵」が上演され
た。歌舞伎の派手な襲名披露の口上は見慣れていたが、人形浄瑠璃の襲名披露の口上
を観るのは、初めてであった。

「増補忠臣蔵」は、「仮名手本忠臣蔵」の、二、三段目(主君・桃井若狭之助と家
老・加古川本蔵)を受け継ぎ、九段目(大星由良助と加古川本蔵)に至る経緯の「隙
間」を埋めようという作品。なぜ、加古川本蔵は、若狭之助の元を去り、娘・小浪の
ために、命を投げ出して大星由良助を助けるために山科へ行ったのか、なぜ、高家の
屋敷の図面を持って行ったのかなどを観客に説明するために作った。

近代人から見れば、「仮名手本忠臣蔵」の加古川本蔵は、短気な社長・若狭之助の危
機を救う、いわば危機管理の達人なのだが、江戸の美意識から見れば、高師直側に妥
協した「へつらい武士」と蔑まれた。武家社会の前近代性を批判して、明治になって
別の作者の手で作られた狂言。だから、新しい物語では、若狭之助は本蔵の危機管理
に感謝をし、「忠臣義臣とは汝が事。(略)ふつつり短慮止まつたもそちが蔭」。自
分の短慮を反省するという近代性を付加している。「通し」上演の際、七段目と九段
目の間に入れて上演されたこともあると言うが、長続きはしなかったようだ。

「本蔵下屋敷の段」では、まず、塩冶判官の刃傷事件以降、若狭之助から(主君の意
向を妨害したため)蟄居を命じられた加古川本蔵の下屋敷。若狭之助の妹・三千歳姫
(人形遣:簑二郎。以下、同じ)は、塩冶判官の弟・縫之助と婚約しているが、事件
関係者の縫之助と接触せぬようにと、ここに預けられている。若狭之助の近習・伴左
衛門(玉輝)は、三千歳姫に横恋慕している。姫を手に入れようと「殿の上意」と偽
り、祝言を迫って、嫌がられている。さらに、伴左衛門は、主君・若狭之助や家老・
加古川本蔵を殺し、主家乗っ取りを謀ろうと企み、茶釜に毒を入れる。その様子を上
手障子の間から覗き見る本蔵(玉也)。伴左衛門は、三千歳姫を無理に連れて行こう
として本蔵に阻止される。伴左衛門は、逆に、へつらい武士の汚名を主君に着せたと
して本蔵の不忠を責める。そういうところに、本蔵成敗の御錠が主君よりあり、ふた
りの立場が逆転をし、近習・伴左衛門は家老・本蔵を縛り上げ、得意満面、奥庭の座
敷、主君の前へと引き立てて行く。「前」の語り、竹本は、千歳大夫。三味線方、竹
澤團七。

下屋敷は、奥庭の座敷に変わる場面で、庭の遠見と襖の絵柄が、衣装の引き抜きの演
出のように瞬時に替わる。下から湧き出るように座布団と脇息が出て来る。庭には、
本蔵処刑のための土壇場が設えられる。奥から主君・若狭之助(紋寿)登場。一旦、
縄を掛けられ、奥庭の土壇場まで引かれた本蔵だが、彼の真意は、実は、主君には理
解されている。座敷から庭に降りた若狭之助は、本蔵に向けた刃を伴左衛門にむけ直
し、斬り殺す。人形は、どたっと、真後ろに倒れ込む。

後は、真意解明となり、本蔵には、高家の屋敷の図面と虚無僧の衣装(袈裟)などが
若狭之助から与えられ、「山科閑居の段」へ繋がるようにできている。

別れの段に、先ほどの三千歳姫の琴の演奏がある。三千歳姫の座る上手の障子の間、
奥には、花車の掛け軸。この大道具だけで、若い女性らしい部屋の雰囲気が出る。本
蔵は、主君の所望を受けて、姫の琴の演奏に尺八を合わせる。主君との今生の別れの
場面である。本蔵は山科へ向かうことになる。「奥」の語り、竹本は、津駒大夫。三
味線方、鶴澤寛治。琴の演奏は、鶴澤清公。


「卅三間堂棟由来」。「平太郎住家より木遣り音頭の段」。人形浄瑠璃は、2回目。
前回は、10年12月国立劇場(小劇場)。この時は、「鷹狩の段」、「平太郎住家
より木遣り音頭の段」という構成だったが、今回は、「鷹狩の段」を省略し、「平太
郎住家より木遣り音頭の段」のみの上演。

「卅三間堂棟由来」は、1760(宝暦10)年、大坂豊竹座で初演された。原作
は、若竹笛躬、中邑阿契の合作という。ふたりとも、どういう人物か、詳細は判らな
い。本来は、「祇園女御九重錦(ぎおんにょごここのえにしき)」という全五段の浄
瑠璃。三段目が、「平太郎住家の段」。柳の木の精の化身の女性と前世が、木だった
男性の「異類婚姻譚」で、1734(享保19)年に初演された「葛の葉子別れ」を
下敷きにしていると言われる。柳の精の母親という草木成仏(自然保護)が、テー
マ。

「平太郎住家より木遣り音頭の段」。「ふだらくの、岸を南に三熊野の」。「中」の
語りは、豊竹睦大夫。三味線方は、鶴澤清志郎。人形遣は、主遣いを含めて3人と
も、顔を隠している。

その5年後。紀州三熊野。柳のあった宿(しゅく)の隣。平太郎とお柳(簑助)は、
夫婦になっていて、子どものみどり丸と老母(簑一郎)と住んでいる。平太郎の不在
時に、法皇の使い、進ノ蔵人(文昇)が、やって来て、先年のお手柄の褒美を持参す
ると共に、お柳の茶店の傍にあった柳の木の梢に髑髏があり、それが祟って、法皇を
頭痛で苦しめているので、切り倒し、棟木にして、三十三間堂を建てて、髑髏を納め
るようにと院宣が下ったと告げる。

「夢をや結ぶらん」で、語りが、大きくなって、「切」の語りへ。豊竹嶋大夫。三味
線方は、豊澤富助。嶋大夫は、だみ声だが、情感のある語り。人形遣の主遣いは、こ
こからは、顔出しとなる。住大夫と違って、姿勢は前傾のまま。お柳(簑助)は、帰
宅した平太郎(玉女)に柳の木の話をするが、平太郎が、みどり丸と一緒に寝入った
後、お柳は、独白する。自分が、実は、柳の精で、平太郎も、実は、前世では椰(な
ぎ)の木で、柳と椰は、前世では、一つの木だった。

法皇の前世は、修験者で、この修験者が、一つの木を柳と椰に分けた。伐り取られた
椰の木は、平太郎に生まれ変わり、残った自分は、柳の精として、女人に姿を変え
て、平太郎に出会うのを待っていた。鷹狩りで、柳の木が、切られそうになったのを
平太郎が助けてくれたので、ふたりは、前世の夫婦に戻っただけだ。

やがて、次の宿にある柳の木が、斧で切られる音が、遠くから風に乗って、聞こえて
来た。なぜか、柳の葉が室内に散り落ちて来る。若緑の衣装を来たお柳は、音に合わ
せるように身を切られて、苦しみ始める。落ちて来る柳の葉の中で、夫と息子に別れ
を告げて、姿を消してしまう(住家座敷の壁の中に消える)。お柳の子別れの「くど
き」が、見せ場。

屏風のうちで眠りから覚め、不在の母を求めて、泣く、みどり丸(玉誉)。やがて、
壁の中から姿を見せたお柳は、柳の木から持って来た問題の髑髏を平太郎に渡して、
再び姿を消す。若緑の衣装を着たお柳が、下に、下から、黄色地に柳の葉の模様の衣
装を着て、長い乱れ髪のお柳の人形が、上にと、一瞬のうちにすり替えられる。前半
は、娘の首。後半は、能面のような老女形の首。簑助だけの一人遣となり、足遣いを
なくしたお柳は、だらりとしたまま、簑助と共に、住家の下手の外壁のうちに消えて
しまう。母を残して、平太郎とみどり丸は、下手へ引っ込む。

引き道具で、場面展開。舞台の天井から熊野川の遠見が降りて来る。左右(上手と下
手)から出て来る松の並木。川沿いの熊野街道へと早替わり。次の宿の柳の元に急ぐ
平太郎とみどり丸。伐り倒された柳の大木が、木遣り音頭にのせられて、一人遣の木
遣り人足たちが曳く綱に引っ張られて、下手から上手へ、熊野の街道筋を新宮まで運
ばれて行く。しかし、途中で、動かなくなってしまう。母が、みどり丸に、子別れを
したいのだ。

平太郎とみどり丸が、上手からその現場に駆けつける。平太郎は、みどり丸に綱を引
かせて欲しいと頼む。平太郎が、木遣り音頭を歌い、みどり丸が、綱を引くと、大木
は、動き始める。

「草木成仏」。いわば、自然保護を訴えるような芝居。四半世紀前の、先行作品「葛
の葉」(狐の親子)を下敷きにして、名前は残っているものの不詳の、無名の作者た
ちが、書き上げた作品で、やはり、「葛の葉」に比べると、話も、趣向も、ドラマ的
な盛り上がりも、薄っぺらだ。唯一、柳の木を伐り倒す場面が、風に乗って、遠くか
ら聞こえて来るという設定。痛めつけられる身の内の苦しさを、簑助が所作を抑制
し、身を締めながら、表現するところは、見応えがあった。舞台下手の柳の木が、
ほっそりと佇み、運命を受け入れているような顔をして、終始、穏やかに、お柳に寄
り添っていた。
- 2014年5月17日(土) 14:45:00
14年05月歌舞伎座・團菊祭(夜/「矢の根」「極付幡随長兵衛」「鏡獅子」)


「矢の根」。7回目の拝見。市川宗家の家の藝「歌舞伎十八番」の演目なので、舞台
上手に「歌舞伎十八番のうち 矢の根」、下手には「五郎時致 尾上松緑相勤め申し
候(略字)」の看板がかかっている。昼の部の「歌舞伎十八番」のひとつ、「毛抜」
では、舞台上手に「歌舞伎十八番のうち 毛抜」、下手には「市川左団次 相勤め申
し候(略字)」の看板がかかっていた。「矢の根」では、役名と役者名を掲げ、「毛
抜」では、役者名しか掲げない。なぜか、と言われても、多分、昔からそうなってい
るということなのだろう。ほかの「歌舞伎十八番」は、さて、どうなっていたっけ。

舞台上手の白梅、下手に紅梅(紅白の位置は、定式)。大薩摩の置き浄瑠璃。正面、
二重の三方市松の揚障子が、「よせの合方」で上がる。若さを強調する車鬢、筋隈
に、仁王襷、厚綿の着付けの両肩を脱いだ五郎が炬燵櫓に(合引)を載せて、その上
に腰を掛けている。15歳の少年という想定。歌舞伎らしい様式美と荒事の勢いが大
事。科白は正月の食膳のつらね。七福神をこき下ろす悪態(悪口を言う)と科白の掛
け合い。2連の大薩摩連中が、舞台上手の山台に乗っている。

さて、これまで私が観た曽我五郎は、三津五郎(3)、橋之助、羽左衛門病気休演代
理の彦三郎、男女蔵、そして今回は、松緑。脇役の人間国宝・田之助が、十郎役(1
2年1月新橋演舞場で、初役)で新・歌舞伎座にやっと初出演。それにしても、5人
しかいない歌舞伎の人間国宝のひとり、田之助が十郎役で、「夢どろ」の太鼓に合わ
せて、ちょいの間の出番、昼夜通じてこれだけの出演というのは、いかにも寂しい
(2年前の新橋演舞場での興行も同様であった)。田之助は、今年8月で82歳にな
る。体調などの問題もあるのかもしれないが、紀伊国屋の脇のいぶし銀のような味の
ある演技を観て来ただけに残念である。

筋は単純である。廻り廊下を持った能の舞台のような、作業場のような板敷きの御殿
で、五郎(松緑)が矢の根(矢の一先端にある鉄製の鏃)を黒塗りの桶に入れた四角
い研ぎ石で研いでいる。室内には、矢の根が10数本立てかけてある。下手より、大
薩摩の家元・主膳太夫(権十郎)が五郎の所へ年始に来る。土産に持って来た宝船の
絵で五郎が初夢を見て、兄の曽我十郎(田之助)が敵の工藤家にとらわれていること
を知り、通りかかった大根売りの馬士(橘太郎)の馬を奪って兄を助けに行くという
だけの話。

贅言;権十郎扮する大薩摩の家元・主膳太夫の姿は、鬘を着けた裃後見の扮装とほと
んど同じに見えた。大薩摩の家元は、当時は、後見たちと同じような扱いだったのか
もしれない。ただし、鬘の髷は、市川宗家一門の鉞(まさかり)髷であった。この辺
りにプライドが滲み出ている。馬士を演じた橘太郎は、下手柴垣の後ろへ退場すると
き、トンボ返りのように一回転して、前方に消えて行った(いつも、馬士は、こうい
う退場の仕方をしていたかどうか?)。

「馬は大根春商(あきない)」という語り。大根売りの馬子から、背に載せていた二
束(数本ずつ)の大根を叩き落として、取り上げた裸馬に股がり馬の引き綱を手綱代
わりに(不安定では?)、大根を鞭代わりにして、荷の大根を縛っていた縄を鐙替わ
り(今まで気がつかなかったが、良く観たら、縄を足の親指だけで挟んでいる)に、
馬に乗ったまま花道を走り去る。幸四郎が、国立劇場で、鎧姿の熊谷直実に扮して花
道を馬に乗って行く場面で、「馬の脚」の役者の脚が縺れて膝をついてしまい、幸四
郎が馬上から、花道下の客席まで(数メートル?)落ちたことがあるだけに心配して
しまった。松緑は、毎日、気が抜けないことだろう。


幡随長兵衛! 「仁義なき戦い」


この芝居は、村山座(後の市村座のこと)という劇中劇の芝居小屋の場面が、売り
物。観客席までをも、「大道具」として利用していて、奥行きのある立体的な演劇空
間をつくり出していて、ユニーク。阿国歌舞伎の舞台に例えれば、名古屋山三のよう
に客席の間の通路をくぐり抜けてから、舞台に上がる長兵衛。いつにも増して、舞台
と客席の一体感が強調されるので、初見の観客を喜ばせる演出だ。

1881(明治14)年、黙阿弥原作、九代目團十郎主演で、初演された時には、こ
ういう構想は無かった。原作では、芝居小屋ではなく、角力場だった。地方での興行
としては、歌舞伎も相撲も、同じ興行主が仕切っていたケースもあるから、角力場で
のトラブルでも筋としては成り立つだろう。また、相撲は、「勧進相撲」と呼ばれ、
当時は年に2回10日間興行された。財政難の寺社を支援することが困難になった幕
府が勧進(寺社への寄進)のための相撲興行を認めていた。いわば、幕府後援という
わけだ。一方、歌舞伎は、「悪所」(庶民の不満の捌け口)であり、時には、幕府の
「御政道」や封建道徳などを批判したりするから、幕府も目を光らせている。この場
面が、善所の「角力場」から、悪所の「芝居小屋」に替わった意味は、思っている以
上に大きいのかもしれないが、その論及は、別途としたい。

10年後、1891(明治24)年、歌舞伎座。同じく九代目團十郎主演で、黙阿弥
の弟子・三代目新七に増補させて以来、この演出が追加され、定着した。三代目新七
のアイディアは、不滅の価値を持つ。幕ひき、附打、木戸番(これらは形を変えて、
今も、居る)、出方(大正時代の芝居小屋までは、居たというが、場内案内として形
を変えて、今も、居る)、火縄売(煙草点火用の火縄を売った。1872=明治5=
年に廃止された)、舞台番など、古い時代の芝居小屋の裏方の様子が偲ばれるのも、
愉しい。歌舞伎は、タイムカプセルの典型のような演目。

劇中劇の「公平法問諍(きんぴらほうもんあらそい) 大薩摩連中」という看板を掲
げた狂言の工夫は、世話もの歌舞伎の中で、時代もの歌舞伎を観ることになり、鮮烈
な印象を受ける。歌舞伎初心の向きには、江戸時代の芝居小屋の雰囲気が、伝えら
れ、芝居の本筋の陰惨さを掬ってくれるので、楽しいだろう。

「極付幡随長兵衛」は、8回目の拝見。私が観た長兵衛は、吉右衛門(3)、團十郎
(2)、海老蔵(今回含め、2)橋之助。悪役の旗本白柄(しらつか)組の元締め・
水野十郎左衛門は、菊五郎(今回含め、3)、八十助時代の三津五郎、幸四郎、富十
郎、仁左衛門、愛之助。長兵衛女房お時は、時蔵(今回含め、2)、福助、松江時代
の魁春、玉三郎、坂田藤十郎、芝翫、孝太郎。

海老蔵の長兵衛は、若い役者らしく、颯爽とした男気(男伊達)を強調した。長兵衛
とて、町奴という、町の「ちんぴら集団」の親玉なら、菊五郎演じる白柄組の元締
め・水野十郎左衛門も、旗本奴で、下級武士の「暴力集団」ということで、いわば、
町人と下級武士を代表する「暴力団幹部」の、実録抗争事件である。特に、水野十郎
左衛門は悪役で、だまし討ちの芝居。17世紀半ばに実際に起こった史実の話を脚色
した生世話ものの芝居。

「人は一代(でえ)、名は末代(でえ)」という、男の美学に裏打ちされた町奴・幡
随長兵衛の、愚直なまでの死を覚悟した男気をひたすら引き立て、観客に見せつけ、
武士階級に日頃から抱いている町人層の、恨みつらみを解毒する作用を持つ芝居で、
江戸や明治の庶民には、もてはやされただろう。幡随長兵衛の、命を懸けた「男の美
学」に対して、水野十郎左衛門側は、なりふりかまわぬ私怨を貫く「仁義なき戦い」
ぶりで、そのずる賢さが、幡随長兵衛の男気を、いやが上にも、盛りたてるという、
演出である。だから、外題で、作者自らが名乗る「極付」とは、誰にも文句を言わせ
ない、男気を強調する戦略である。長兵衛一家の若い者も、水野十郎左衛門の家中や
友人も皆、偏に、長兵衛を浮き彫りにする背景画に過ぎない。策略の果てに湯殿が、
殺し場になる。陰惨な殺し場さえ、美学にしてしまう歌舞伎の様式美の世界が、ここ
にある。1960年代から70年代に流行したヤクザ映画の美学の源流はここにあ
る。

しかし、「男気」は、なにも、暴力団の専売特許では無い。江戸の庶民も、憧れた美
意識の一つだったから、もてはやされたのだろう。そこに目を付けた黙阿弥の脚本家
としての鋭さ、初演した九代目團十郎の役者としてのセンスの良さが、暴力団同志の
抗争事件を「語り継がれる物語」に転化した。こういう演目では、海老蔵は、九代目
團十郎の真っ当な後継者であることが良く判る。海老蔵の当り役になるであろう。

贅言;鬘を着けた裃後見が、今月の歌舞伎座の舞台では、目立つと書いたが。昼の部
の「毛抜」、「勧進帳」。夜の部の「矢の根」、「鏡獅子」。実は、世話ものの「極
付幡随長兵衛」でも、出て来ると書いたら、嘘でしょうと言われるだろう。でも、出
てくるのである。種を明かすと、劇中劇の「公平法問諍(きんぴらほうもんあらそ
い) 大薩摩連中」の舞台に、鬘を着けた裃後見が姿を見せるというわけだ。


菊之助、充実の「鏡獅子」


新歌舞伎十八番のうち、「鏡獅子」は、15回目。緞帳が上がる。私が観たのは、勘
三郎(4)、勘九郎(3)、海老蔵(3)、菊之助(今回含め、3)、染五郎
(2)。私が観た舞台勘三郎の「鏡獅子」が、安定していたが、今回の菊之助は、勘
三郎に迫っている。玉三郎は、私は、一度も観たことがない。玉三郎は22年前、9
2年10月、歌舞伎座で演じて以降、歌舞伎座では上演していない。11年前、03
年4月、京都南座で上演している。そもそも本興行での上演は、この2回だけであ
る。

この演目で、いちばん難しいと思うのは、前半と後半の替り目となる弥生の花道の
引っ込みだろう。手に持っている獅子頭の力に引っ張られるようにグイグイ身体を
「引き吊られて」行かなければならない。獅子頭を掲げて、引っ込んでゆくというの
では、駄目だ。女性の心持ちが、見えない力で一変し、獅子のために狂う。狂うまい
とする、醒めた弥生の心も残る。意識の分離化の過程で、弥生の身体が二つにさける
寸前のようになる。そして、結局、獅子の力に負けて、女体は、実体を失い、獅子の
精に「化身」してしまう。だから、獅子の精には、女体の片鱗もないはずだ。映像で
しか観ていないが、六代目菊五郎は、獅子頭に引っ張られて行ってしまった。

舞台の想定は、江戸城本丸の御殿。弥生が将軍御前で踊り始める前に、観客席、実
は、将軍の御座所に向けて、きっちりと挨拶をする。視線を上に向けた後、丁寧に頭
を下げる。将軍に所望されて踊るという想定だからだ。

菊之助が演じるのは、前半、女小姓・弥生、後半、獅子の精。前半の弥生の踊りが良
い。重心も安定しているし、姿勢も良い。扇子さばきも、不安感がない。まるで、踊
りが人間の身体を借りて蠢いているようにさえ見える。「旬の踊り」とでも言えば良
いのかもしれない。「鏡獅子」の前半の踊りを久しぶりに堪能した。

後シテも女形の踊りとは思えないくらい、凛々しく、動きもダイナミックで良い。向
こう揚幕が引かれると、獅子の精が姿を見せる。花道の出、一旦本舞台近くまで来た
後、観客席に背を向けて後ろ向きで素早く駆け戻る。再び、本舞台へ。「菖蒲打」、
「髪洗い」、「巴」などの獅子の白く長い毛を振り回す所作を連続して続ける。10
回までは、拍手もない。20回になると、観客席から拍手が巻き起こる。30回にな
ると、割れんばかりの熱い拍手に変わる。40回になると、菊之助は、ぴたりと静止
した。落着いている。静止した状態で菊之助が、ゆっくりと右脚をあげて、静止する
と、上から静かに緞帳が降りて来る。因に、去年(13年)10月に国立劇場で観た
染五郎の毛振りは、36回であった。

「鏡獅子」は、六代目菊五郎が、磨き上げた演目で、「まだ足りぬ 踊り踊りて あ
の世まで」という辞世を残したように、奥の深い舞踊劇だ。おととし(12年)、亡
くなった勘三郎は、「春興鏡獅子」は、「頂点のない特別な踊り」だといっていた。
菊之助は、勘三郎を越えて、「鏡獅子」を踊り続けるだろう。菊之助には、勘三郎を
越えて、もっと大きな目標(六代目菊五郎)に向って、踊り続けて行って欲しい。

贅言;前シテと後シテの間に踊る胡蝶の精は、大概、幼い御曹司か、子役と相場が決
まっていたように思うが、菊之助の上演記録を見ると、名題の大部屋女形役者を積極
的に使っているように思える。今回は、國矢、蔦之助(名題試験に受かり、左字郎改
め三代目蔦之助を襲名披露している)。15年前、99年5月の歌舞伎座で、私が観
たときも、京妙、京蔵に胡蝶の精を踊らせていた。そういえば、冒頭の場面でも、家
老(大蔵)、用人(菊史郎)、老女飛鳥井(梅之助)、局吉野(菊三呂)など、名題
の大部屋の立役、女形を積極的に使っている。名題昇進では、もう一人、茂之助改め
五代目荒五郎も今回襲名披露をしている。
- 2014年5月9日(金) 9:50:15
14年05月歌舞伎座・團菊祭(昼/「毛抜」「勧進帳」「魚屋宗五郎」)


名跡の襲名、という「型」分類試案


歌舞伎座が、リニューアル再開場になって初めての團菊祭。去年の2月に亡くなった
團十郎の一年祭でもある。今回は、「名跡の襲名」ということをキーワードにして劇
評を書いてみたい。

3月、4月の歌舞伎座の興行は、七代目歌右衛門襲名披露が予定されていた。しか
し、七代目歌右衛門襲名の内定の方を受けた福助は、去年の11月、脳内出血の発作
を起こしてしまって、舞台休演を余儀なくされている。七代目歌右衛門襲名披露興行
は、延期となり、興行が打てるのかどうか、興行主の松竹を始め、成駒屋の関係者
は、沈黙したまま(だと、思う)。弟の橋之助は、4月に「兄は、順調に恢復してい
る。3月に退院した。通院で、リハビリ中。もう少し待って下さい」などと機会を見
つけては、福助復帰へのスポークスマン役を果たしているが、実際は、どうなのか。
名跡の襲名は、襲名披露の実務も含めて、役者への負担はさまざまで、大きく、深
く、難しい課題だ。

襲名の型を仮にいくつかのタイプに分けてみよう。 
今月の歌舞伎座でいえば、七代目菊五郎と菊之助の親子が出演している。菊之助は、
いずれ菊五郎の八代目を継ぐことになるだろうが、父親、当代の菊五郎を手本に、指
導を受けながら、襲名の時期が成熟するのを待つという形になるだろう。これを便宜
的に「音羽屋(K)型」と名付けておこう。海老蔵だって、父親が亡くならないうち
は、同じように父親を手本に、指導を受けながら、将来の十三代目團十郎襲名の時期
が成熟するのを待っていたはずである。そういう意味では、去年の2月以前の海老蔵
の名跡襲名は、菊之助と同じ「音羽屋(K)型」であった。

同じように今月の歌舞伎座に出ている松緑は四代目で、父親の初代辰之助(海老蔵の
父親十二代目團十郎と同学年)が三代目松緑を襲名しないまま、1987年、40歳
で早世してしまったので、父親の死後、祖父二代目松緑(七代目松本幸四郎家に3兄
弟の三男。1989年没)の名前である名跡を四代目として「早々と」襲名した(父
親の没後、14年の2001年。祖父の松緑没後、12年に当る。同時に、父親に三
代目松緑を追贈している)。私など四代目松緑の舞台を観るたびに、「早過ぎるので
は」という違和感を抱いて、厳しい評価を下し続けていた口だ。四代目松緑は、襲名
後13年間は、このように頼るべき肉親がいないという苦難を味わいながら、父の旧
友である音羽屋一門のトップ、七代目菊五郎に師事し、精進を重ねてきた結果(手本
を父親から、擬似父親である師匠に変えて、指導も受ける)、最近は、同世代の役者
の中では、果敢に老け役などに挑戦するなど芸域を拡げていて進境著しいものがある
ように見える。父親が生きていたら、海老蔵同様に、まだ名跡を背負わずに、二代目
辰之助のままだったかもしれない。逆境を逆手に取って、大きな名前を早々と背負
い、重圧に負けそうになりながらも跳ね返し、名跡に近づく不断の精進を重ねてきた
賜物ではないかと、思う。名跡を襲名するということの不思議さは、こういうところ
にある。これも、便宜的に「音羽屋(S)型」と名付けておこう。

海老蔵は、父親が存命中は、いろいろ不祥事を起こしたりしていて、「ステージパ
パ」的なところがあった團十郎(歌舞伎座での舞台稽古で、楽屋着の浴衣姿の團十郎
が客席から海老蔵の演技を細かく指導している光景を何度か観たことがある)から厳
しく指導を受けていたので、ここで便宜的に分類した名跡襲名の型では、「音羽屋
(K)型」に属したと思う。ところが、去年の2月以降、海老蔵は、松緑と同じよう
に、父親であるばかりでなく、「師匠」としても頼るべき肉親を失ってしまった。ま
して、海老蔵の父親は、江戸歌舞伎の宗家市川團十郎である。宗家は、歌舞伎役者の
中でも特別のプライドがあるだろう。その後、海老蔵は、亡き父親の藝とともに祖
父・十一代目團十郎の藝を真似ようとしているし、澤潟屋一門の指導者・二代目猿翁
(三代目猿之助)に教えを乞うなどしているが、これは、もう、「音羽屋(K)型」
ではなく、「音羽屋(S)型」に近いのではないかと、思う。海老蔵が、「音羽屋
(S)型」として、あるいは、「成田屋(D)型」として(この場合、「音羽屋(S)
型」=「成田屋(D)型」)、松緑同様に、苦難を乗り越えて行くためには、早めに
十三代目團十郎の名跡を継ぐ方が良いのか、祖父の十一代目團十郎が、なかなか團十
郎を襲名せずに、海老蔵という名前を熟成させるだけ熟成させ、晩年の53歳まで
「海老様」人気を維持し続けた(十一代目團十郎襲名後、3年半で没)ような方向に
進むのか、それは、海老蔵の精進次第だろう。その場合、海老蔵の名跡襲名の型は、
「音羽屋(S)型」(=「成田屋(D)型」)ではなく、「成田屋(E)型」とでも名
付けなければならないかもしれない。父親、十二代目團十郎の没後1年の舞台だけ
に、そういう名跡襲名の視点をも入れながら、海老蔵を軸に今月の舞台を観てみたい
と思う。


左團次型の「毛抜」


1742(寛保2)年、大坂で初演された安田蛙文(あぶん)らの合作「雷神不動北
山桜」(全五段の時代もの)が原作。「毛抜」は、三幕目の場面(因に、四幕目が、
「鳴神」)。二代目、四代目、五代目の團十郎が引き継ぎ、これは、90年後の18
32(天保3)年、七代目團十郎によって、歌舞伎十八番に選定され、「毛抜」に生
まれ変わった(團十郎型)。

しかし七代目亡き後、長らく上演されなかった。更に、80年近く経った1909
(明治42)年、二代目市川左團次が、復活上演し、さらに、明治の「劇聖」十一代
目團十郎が、磨きを懸けた。その際、左團次は、いま上演されるような演出の工夫を
凝らしたという(左團次型と呼ばれる)。粂寺弾正の推理ぶりを表わす「腹這い」
「後ろ向きで座り込み、天井を睨む」など5種類の見得もおもしろい。これも二代目
左團次の工夫という。以来、上演回数は多い。

以下、今月の演目から。(市川宗家の)歌舞伎十八番の内「毛抜」は、6回目の拝
見。私が観た主役の粂寺弾正:市川猿之助、市川段四郎、(市川宗家の)團十郎、坂
東三津五郎、片岡愛之助、そして今回が、市川左團次。私は、左團次は、初見。左團
次は、市川宗家の「毛抜」とは、細部で演出がいろいろ異なるので、後で、気づいた
違いのいくつかを紹介したい。

このほかの出演者。物語の舞台となる館の主・小野春道:友右衛門(今回含めて、
3)、三代目権十郎、歌六、東蔵。春道の息子・小野春風:高麗蔵(2)、笑三郎、
松也、宗之助。今回が、松江。善方の家老・秦民部:秀調(今回含めて、3)、歌
六、市川右近、権十郎。民部の弟・秦秀太郎:巳之助(今回含めて、2)門之助、笑
也、勘太郎、高麗蔵。悪方の家老・八剣玄蕃:團蔵(今回含めて、3)、彦三郎、段
治郎、錦吾。玄蕃の息子・八剣数馬:男寅時代の男女蔵、延夫時代の猿三郎、玉太郎
時代の松江、萬太郎、廣太郎。今回が、菊市郎。髪が逆立つ「奇病」に悩む姫君・錦
の前:芝雀、春猿、亀寿、梅枝、廣松、今回が男寅。腰元・巻絹:宗十郎、門之助、
時蔵、魁春、秀太郎、今回が、梅枝。腰元として仕えていた妹・小磯が、若君・春風
の子を宿して、実家に帰されたが難産の末、亡くなったと詰問に来た百姓姿(褞袍姿
で、鍬を担いで出て来る)の小原万兵衛:段四郎、猿弥、三津之助、錦之助、市蔵、
今回が権十郎。

小野春道館では、小野家を支える家老の秦民部(友右衛門)、弟の秀太郎(巳之
助)、同じく家老ながら、重宝の短冊(先祖の小野小町直筆)紛失の責任について矢
剣玄蕃(團蔵)、息子の数馬(菊市郎)が、管理責任者の民部を責めている。短冊紛
失は、春道(友右衛門)の息子・春風(松江)の仕業らしい。背景には、悪方家老派
の主家乗っ取りの陰謀があるようだ。

花道から文屋豊秀家の家老・粂寺弾正(左團次)登場。弾正は、春道の息女と自分の
主人文屋豊秀の婚儀のことで文屋家の使者として小野家を訪れた。

御殿奥より、春道の息女・錦の前(男寅)登場。室内なのに、薄衣を頭にかけてい
る。「奇病」にかかっているということで、予定されていた婚儀が遅れているとい
う。

粂寺弾正の人気の秘密は、颯爽とした捌き役でありながら、煙草盆を持って来た若衆
姿の家老の弟・秀太郎(巳之助)や上手襖を開けてお茶を持って接待に出て来た美形
の腰元・巻絹(梅枝)に、いまなら、セクハラと非難されるような、ちょっかいを出
しては、二度も振られる。

それでいながら、観客席に向かって平気で「近頃面目次第もござりません」、「また
しても面目次第もござりません」と弾正が謝る場面もあり(今回の左團次は、1回し
か謝らなかった。私が観た中では初めてだと思う。これも、左團次型か? しかし、
左團次型で演じるほかの役者も、2回謝っている)、相手が若くて美しければ、男で
も女でも、良いというのか、あるいは、秘められた「役目」(お家騒動の解決)を糊
塗するために、豪放磊落ぶりを装っているのか、真実、人間味や愛嬌のある、明る
く、大らかな人柄なのか。歌舞伎の演目では、数少ない喜劇調の芝居である。

小野春道(友右衛門)家の乗っ取りを企む悪方の家老・八剣玄蕃(團蔵)の策謀が進
むなか、錦の前(男寅)と文屋豊秀の婚儀が調った。しかし、錦の前の奇病発症で、
輿入れが延期となった。乗り込んできた粂寺弾正が、待たされている間に、持って来
た毛抜で鬚(あごひげ)を抜いていると、手を離した隙に、鉄製の毛抜が、ひとりで
に立ち上がり、「踊り」出す。不思議に思いながら、次に煙草を吸おうとして、銀の
煙管を置くと、こちらは、変化なし。次に、小柄(こづか。刀の鞘に添えてある小
刀)を取り出すと、刃物だから、こちらも、ひとりでに立つ。いずれも、後見の持つ
差し金の先に付けられた「大きな毛抜と小柄」が、舞台で「踊る」ように動く。お家
騒動の陰謀を見抜き、粂寺弾正は、座敷の長押に掛けてあった槍を取り出し、悪家老
矢剣玄蕃を成敗する。見事に捌き役を果たすという粂寺弾正の物語。

贅言;秀太郎を演じた巳之助は役者の顔になりつつある。腰元巻絹を演じた梅枝は女
形成熟途上。錦の前を演じた男寅は、男女蔵の息子だが、女形の化粧の下に、未だ、
少年の顔が見えてしまう。友右衛門の息子、廣松は、腰元若菜を演じた。

左團次の型について触れておこう。左團次の「毛抜」は、歌舞伎座では、20年ぶり
の上演という。既に触れたように粂寺弾正役には、「團十郎型」と「左團次型」があ
る。衣装の柄、科白、居所、大道具も違うという。「左團次型」は、市川宗家の歌舞
伎十八番を演じさせてもらうために、宗家の成田屋、市川團十郎家に敬意を表して、
團十郎が演じるそのままは演じない、という演出方法を採用した。それが「毛抜」の
「左團次型」と呼ばれるもので、左團次のほかに、澤潟屋一門が演じる型が、そうで
ある。どちらが多いのか。

左團次型の一部だけに触れておくと、團十郎型では、舞台は、全面的に小野春道館の
座敷内。左團次型では、下手に館外の部分があり、花道から繋がるところは柴垣と松
の木があり、平舞台下手には、枝折り戸(いわば、館の玄関)がある。

左團次型では、花道(路上)から家来や奴などの伴を連れて訪ねて来る。團十郎型で
は、粂寺弾正はすでに館内に入っていて(玄関は、向う揚幕の内にあるという想
定)、花道(廊下)から家来は連れて来るが、奴は、登場しない。左團次型では、伴
のふたりの奴は、槍と挟み箱を持っている。槍を持ってきた奴は、舞台下手奥の松の
木に槍を立てかける(後の場面で、使うので、注意)。弾正は、小野家の家老民部ら
が開けて待っていた枝折り戸(玄関)から、舞台上手へ、つまり、館内へと入って来
る。家来や奴は、舞台下手に姿を消す。鬘を着けた裃後見が、枝折り戸を、いつもの
「大道具方のように」片付けてしまう。

平舞台上手には、家紋を描いた衝立があり、座敷を象徴している(團十郎型では、館
内なので、平舞台上手には、花車。下手には、衝立。二重舞台の上座の座敷には、御
簾が掛かっている)。二重舞台は、御簾が上り下がりする一段上の上座座敷の体で小
野春道や息子の春風が使う。衝立のさらに上手には、下手同様の垣根があり、この間
の空間は、廊下か中庭か。いずれにせよ、平舞台は、團十郎型の座敷だけではなく、
館の内外が融合したような、歌舞伎独特の空間という設定になっている。さらに、枝
折り戸を撤去すると、そこは、館内の想定に替り、芝居の空間が一気に広がるという
歌舞伎独特のダイナミズムがある。「リアリズムから遠くなることで、ものごとの真
相に迫る」という芝居の本道のおもしろさが、ここにはある、と思う。

贅言;私が観た6回の「毛抜」では、改めて劇評を点検してみると、澤潟屋の猿之
助、段四郎だけでなく、三津五郎、そして、当然ながら、今回の左團次も、いずれ
も、左團次型であった。團十郎型は、團十郎と、十二代目(團十郎)に直接指導を受
けたという愛之助の2回であった。全般的にも、最近は、團十郎型より左團次型の方
が多いのだろうか。改めて、調べてみたい。

ところで、初日の左團次には、未だ、気が入っていないように私には見受けられた。
美男の秀太郎(巳之助)に乗馬の稽古と称して、秀太郎が胸に当てた両の手を包み込
むようにして抱きかかえて口説くセクハラ行為や茶を持ってきた腰元の巻絹(梅枝)
を口説いてみたりする場面では、当代の左團次らしい遊び心が見受けられたが、全般
的に表情が豊かに変化しない(好色、滑稽などのおかしみ、颯爽とした捌き役)。科
白廻しも、もうひとつ、乗っていないようだった。千秋楽に向けて、段々、上昇して
行こうということなのかどうか。


菊之助の富樫熱演


「勧進帳」は、26回目の拝見。海老蔵の「勧進帳」では、弁慶は、7回目。海老蔵
は、富樫も何回か演じている。このうち、私が観る海老蔵弁慶は、今回含めて、3回
目。

私がこれまで観た主な配役は、弁慶:幸四郎(7)、團十郎(7)、吉右衛門
(5)、海老蔵(今回含めて、3)、猿之助、八十助時代の三津五郎、辰之助改めの
松緑、仁左衛門。冨樫:菊五郎(7)、富十郎(3)、梅玉(3)、勘九郎(2)、
吉右衛門(2)、團十郎(2)、新之助改めとその後の海老蔵(2)、猿之助、松
緑、幸四郎、愛之助、今回は、菊之助。義経:梅玉(6)、雀右衛門(3)、染五郎
(3)、藤十郎(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝翫(2)、富十郎、玉三郎、
勘三郎、孝太郎、今回は、芝雀。

今回は、海老蔵の弁慶、菊之助の富樫、芝雀の義経という配役。世代交代の勧進帳、
という趣きが強い。

海老蔵の弁慶役は、「いかに(べんけい)」。3回観たうち、私は、初回の劇評で
は、彼の科白の難を書いている。初回、11年12月日生劇場で観ているが、この劇
評では、海老蔵の「弁慶は、科白廻しが良くないので、現代劇の科白のように聞こえ
た」と私は書いている。2回目は、目玉の難を書いている。13年1月浅草歌舞伎の
評。「注意して海老蔵の表情を追っていると、彼は何かというと目をむいていた。
(浅草歌舞伎では、)「口上」があり、「睨み」を披露しているので、これが尾を引
いているのかもしれないが、ちょっと、繁多すぎやしないか」などと私は書いてい
る。「前回、難ありと私が書いた海老蔵の科白廻しは、良くなっていた」とも書いて
いる。今回は、弁慶の「高笑い」の場面の難が気になった。

浅草歌舞伎では、また、「判官御手を」で、海老蔵が舞台を移動した後、海老蔵の居
た場所の所作台が濡れているのが見えたのを記憶している。遂に泣かぬ弁慶を演じた
海老蔵の涙ではないか。それとも汗か。海老蔵に聞けば正解が出るだろうが、私は、
あれは涙の痕跡ではないかと思った。海老蔵は、父親團十郎の重病を背に熱演をして
いたのだ。今回は、如何かと思いながら、海老蔵の板所作台をウオッチングしたが、
濡れてはいなかった!

そして、今回の海老蔵弁慶は、そういう難を直しながら、ほかの名跡の役者が演じる
舞台にはない、「若さ」があって、なかなか良かった。花道引っ込みでは、大向うか
ら(素人の大向う?)、「カッコいい」という声が掛かっていた。

しかし、今回の勧進帳を盛上げたのは、海老蔵の「精進」もさることながら、菊之助
の富樫が良かったのが、特筆されるべきだろう。目を瞑って科白廻しに集中して聞い
ていると、声が父親の菊五郎とそっくりに聞こえてくる。菊之助は、普段は、女形の
声、いわゆる「甲(かん)の声」を出しているので、地声を聞くことが余りないの
で、観客には馴染みがないから、その分も合わせて余計に、立役・富樫の声は、菊五
郎の声かと聞き間違えかねないほどそっくりに聞こえるのだろう。

芝雀の義経は、父親の雀右衛門を真似ているという。これも良い。義経は、舞台下手
で初めて笠を取って、素顔を見せる。恐れ多いと弁慶は下手に移動する。義経は堂々
とした態度で上手に移動する。身分に拠る居所替わりである。居所替わりでは、弁慶
と義経が、所作台9枚分まで離れる。竹本「判官御手を」で、上座から弁慶に向けて
手を差し伸べる義経の姿を見て感極まる弁慶。義経を演じた芝雀は、身体を張って義
経を守り切った弁慶への感謝の気持ちが観客にきちんと伝わるように演じているとい
う。父親の雀右衛門の遺言である。右手を弁慶の方へ、すっと伸ばして、感謝の意を
表していた。

海老蔵、菊之助、芝雀で、新しい「勧進帳」という感じだ。このトリオは、8年前、
06年11月新橋演舞場の舞台の再現である。

2ヶ月前、3月歌舞伎座で観た勧進帳とは、今回は比べない。この時の配役は、弁慶
に吉右衛門、富樫に菊五郎、義経に坂田藤十郎。3人とも人間国宝。若い勧進帳、国
宝の勧進帳。それは、別次元の勧進帳論議となるだろう。

「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、名舞踊、名ドラマ、と芝居のエ
キスの全てが揃っている。さらに、配役の妙味が、勧進帳の味を拡げる。それぞれの
趣向で、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあきないのは、当然だろう。開幕は
緞帳が上がり、閉幕は、定式幕が閉まる。そして、幕外の引っ込み。飛び六方。

贅言;今回は、昼夜とも、鬘を着けた裃後見が目立った。昼の部の「毛抜」、「勧進
帳」、夜の部の「矢の根」、「鏡獅子」。印象に残ったのは、「毛抜」では、裃後見
が、枝折り戸を片付けたり、黒い消幕で、遺体を片付けたりしたところだった。「勧
進帳」では、別格の裃後見として、右之助が、海老蔵弁慶専属の後見を務めていたこ
と。真剣に役者を見守り、サポートをする姿が清々しい感じがした。4人の後見のう
ち、右之助だけが付けている鬘の鉞(まさかり)髷が、宗家一門の役者というプライ
ドを示している。舞台下手の袖で、海老蔵弁慶の揚幕入りをしっかり見届けていた。
「矢の根」では、裃後見ふたりのうち、みどりが、五郎の一旦解いた太い仁王襷を締
め直す場面で難航し、いろいろ工夫していたところ(普段なら楽屋でしかみられない
場面だろう)で、なんとか巧く結びおえたら、客席から拍手がきた。「鏡獅子」で
は、踊る菊之助に尾上右近がてきぱきと効率よくサポートする手際が素晴らしかっ
た。いずれ、右近は、菊之助のように、「鏡獅子」を踊る日が来ると思うが、しっか
り、先輩の藝を学んでいるという真剣さが滲み出ていて、気持ちの良い後見ぶりを見
せてもらったと、思う。


菊五郎劇団の財産「魚屋宗五郎」


「魚屋宗五郎」今回で、12回目。このうち、通し(この場合の外題は、「新皿屋舗
月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)」)で観たのは2回。09年3月国立劇場
(宗五郎は松緑)。13年2月日生劇場(同じく幸四郎)。菊五郎で観るのは、いつ
も「みどり」で、今回が4回目。

五代目菊五郎が練り上げ、六代目菊五郎が完成したという、酔いの深まりの演技は、
緻密だ。演出的には、計算をしている訳だが、舞台を観ている観客には、演技ではな
く、本当に酔っぱらって行くように感じさせることが必要だ。まさに、生世話ものの
真髄を示す場面だ。菊五郎は、初演時、二代目松緑から直伝された際、「計算して飲
んでいるから、おもしろくないよ」と注意されたと言う。役者の動き、合方(音楽)
の合わせ方、小道具の使い方など、あらゆることが、本当は計算されている。この場
面は、酒飲みの動作が、早間の三味線と連動しなければならない。消しゴムを使うよ
うに、一旦組み上げた計算式を消してしまう。その結果、芝居は洗練されて行く。

贅言;それを知っている大向うは、菊五郎が、茶碗、片口、角樽などに自分の方から
口を近づけて行くと、すかさず、「音羽屋」、「わや」などと声を掛ける。大向うま
で、計算式に入っている。

この場面で、宗五郎の酔いを際立たせるのは、宗五郎役者の演技だけでは駄目だ。脇
役を含め演技と音楽が連携しているのが求められる。出演者のチームプレーが、巧く
行けば、この場面は、宗五郎の酔いの哀しみと深まりを観客にくっきりと見せられ
る。以前に菊五郎が言っていたが、「周りで酔っぱらった風にしてくれるので、やり
やすいんですよ」というように、ここは、チームワークの演技が必要だ。この演目が
菊五郎劇団の財産たる由縁だ。宗五郎女房のおはま役では、今回で4回目の拝見とな
る時蔵が、断然良いと思っている。生活の匂いを感じさせる地味な化粧。時蔵は、色
気のある女形も良いが、生活臭のある女房のおかしみも良い。

脇役で大事なのが、小奴・三吉である。三吉は、松緑(2)、染五郎(2)、正之助
時代含めて、権十郎(2)、十蔵時代の市蔵、獅童、勘太郎、亀寿、亀鶴、今回の橘
太郎と9人を観ているが、橘太郎は、今月の舞台から幹部役者の仲間入りとなった。
十七代目市村羽左衛門門下で、今回から、「坂東」橘太郎、改め、初代「市村」橘太
郎となった。橘太郎の三吉は、剽軽な小奴の味があった。当代の松緑も、こういう役
は巧い。

宗五郎宅で、母親と弔問に来た近所の茶屋の娘で、お蔦の友人のおしげを演じた右近
は、今回も線香を手向ける際に座った足を拡げたままにしていたが、江戸時代の娘
が、こんな不調法をする筈がない、と思うがいかがなものか。良く観ていたら、おは
ま(時蔵)も、足を拡げたまま座っていた。さすがに、團蔵(宗五郎の父親・太兵
衛)、それに時蔵の息子の梅枝(磯部家の召使い・おなぎ)は、足を「逆・ハの字」
にしていた。菊五郎らがどういう座り方をしているか確認しようとしたが、見えな
かった。
- 2014年5月8日(木) 11:45:25
14年04月歌舞伎座・鳳凰祭(夜/「一條大蔵譚」「女伊達」「梅雨小袖昔八
丈」)
 
 
見慣れた演目、馴染みの役者
 
 
昼の部より、夜の部の方が、空席が多い。「鳳凰祭」2ヶ月目の歌舞伎座。昼夜とも
に見慣れた演目が並ぶので、敬遠されたか。「一條大蔵譚」も「梅雨小袖昔八丈」
も、私は9回目の拝見。
 
「一條大蔵譚」。2年前の12年12月国立劇場、「鬼一法眼三略巻」(文耕堂らが
合作した全五段の時代浄瑠璃)では、珍しく、いわば、半通し狂言(序幕「六波羅清
盛館の場」、二幕目「今出川鬼一法眼館菊畑の場」、三幕目「檜垣茶屋の場」、大詰
「大蔵館奥殿の場」)として観たが、おもしろかった。

今回も含めて、それ以外は、馴染みの「一條大蔵譚」(人形浄瑠璃の「四段目」。今
回は、序幕「檜垣茶屋の場」、大詰「大蔵館奥殿の場」といういつもの構成)という
上演形態。
 
私が観た大蔵卿は、吉右衛門(今回含めて、5)、猿之助、襲名披露興行の勘三郎、
菊五郎、染五郎。常盤御前は、芝翫(2)、魁春(今回含めて、2)鴈治郎時代の藤
十郎、雀右衛門、福助、時蔵、芝雀。鬼次郎は、梅玉(今回含め、5)、歌六、仁左
衛門、團十郎、松緑。鬼次郎女房・お京は、松江時代を含む魁春(2)、宗十郎、時
蔵、玉三郎、菊之助、東蔵、壱太郎、今回は、芝雀。
 
今回、この芝居は、吉右衛門(一條大蔵卿)と梅玉(鬼次郎)を軸としている。ふた
りのキャラクターが、充分生かされて、見慣れた演目は、馴染みの役者の滋味で、
「ことことと」煮込まれている。「鍋料理」のような演目だ。劇評はコンパクトにし
たい。
 
本来、四段目は、鬼次郎の物語なのだが、主人公の鬼次郎と脇の人物・大蔵卿が、
キャラクターのおもしろさ故に、主と脇が、「逆転」してしまい、現在上演されるよ
うな大蔵卿を軸とする演出が定着してしまった。特に初代吉右衛門の功績が大きい。
それを二代目吉右衛門が、自家薬籠中としている。
 
初代以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、今回も巧かった。滑稽さの味は、いま
や第一人者。吉右衛門は、阿呆顔と真面目顔の切り替えにメリハリがある。阿呆顔
は、いわば、「韜晦」、真面目顔は、「本心」、あるいは、源氏の血筋を引くゆえの
源氏再興の「使命感」の表現である。
 
金地に大波と日の出が描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換える
など、阿呆と真面目の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現しなければならな
い大蔵卿を吉右衛門は今回も的確に演じていた。科白廻しと間の取り方も相変わらず
巧い。
 
大詰。奥殿の御簾が上がると、中には、常盤御前(魁春)。常磐御前も、義朝の愛妾
で、牛若丸(後の義経)らの母であり、平家への復讐心という本心を胸底に秘めなが
ら、平清盛の愛妾になった後、さらに、公家の大蔵卿と再婚している。この芝居で
も、大蔵館奥殿で楊弓の遊びに興じているが、実は、これも韜晦。遊びの楊弓の的
(黒地に金の的が3つ描かれている)の裏に隠された平清盛の絵姿で、真情(平家調
伏の偽装行為)が判明する仕掛けになっている。常磐御前は、ほとんどが座ったま
ま。動きが少ないが、肚で芝居の進行に乗っていかなければならないので、大変だ。
御前としての格と存在感を動かずに、科白も少なめで演じなければならない。魁春
は、このところ、時々、六代目歌右衛門そっくりに見えることがある。
 
芝翫、雀右衛門、勘三郎が亡くなり、さらに、七代目歌右衛門襲名が内定しながら、
脳内出血で休演に追い込まれた福助。歌舞伎の真女形の悲劇。一旦は、歌右衛門襲名
披露興行が予定されていた3月、4月の歌舞伎座の舞台を「鳳凰祭」に切り替えた先
月と今月。歌舞伎界では、藤十郎、玉三郎という人間国宝に加えて、時蔵、魁春、芝
雀辺りが、真女形の軸にならなければならないだろうという思いを強く感じさせた。
 
馴染みの演目の「隠し味」。今回の舞台で、六代目歌右衛門の弟子・歌女之丞が、幹
部の役者に昇進し、筋書掲載の写真も大きくなった(梅玉、魁春が後見人)。夜の部
ではお家横領を企む家老の八剣勘解由女房・成瀬を演じる。成瀬は科白も多いが、最
期は、夫の不忠と罪を詫びて腹に小刀を差し込んで自害するという役まわり(裏切り
の勘解由も、大蔵卿に首を落とされてしまう)。遺体は、黒衣の掲げる黒い消し幕
で、舞台からきれいに消されてしまう。
 
贅言;実は、歌女之丞は、昼の部でも「鎌倉三代記」で、幸四郎演じる安達藤三郎
(実は、佐々木高綱)女房・おくるを演じるが、高綱の影武者として死んだ夫の果報
を喜びながら、自らの役回りも果たしたとして、腹に小刀を差し込んで自害するとい
う役まわり。遺体は、黒衣の掲げる黒い消し幕で、舞台からきれいに消されてしま
う。ということで、今月は、昇進のおめでたい舞台ながら、歌女之丞は、毎日、2回
も自害して果て、黒い消し幕の陰で、昼の部は、下手へ、夜の部は、上手へ退場とい
うことになる。隠し味は、隠されてこそ、滋味を出す、ということか。
 
 
「女伊達」。6回目の拝見。舞台中央の雛壇。前に四拍子、後ろに、長唄連中。私が
観たのは、菊五郎(3)、芝翫(2)、そして今回が、時蔵。時蔵も、歌舞伎座では
初演。
 
1958(昭和33)年にこの演目を初演したのが、福助時代の芝翫。下駄を履いて
の「所作」と裸足になっての「立ち回り」が入り交じったような江戸前の魅力たっぷ
りな舞踊劇。元々は、大坂の新町が、舞台だったのを芝翫が江戸の新吉原に移し替え
た。「難波名とりの女子たち」というクドキの文句に名残りが遺る。江戸を象徴する
女伊達の「木崎のお光」に喧嘩を売り、対抗するふたりの男伊達(松江、萬太郎)
は、上方を象徴する(ふたりの名前は、「中之嶋鳴平」と「淀川の千蔵」ということ
で上方風が、遺る)。濃い紺地の着流し姿。黒い暴れ熨斗の模様が伊達である。

腰の背に尺八を差し込んだ女伊達は、「女助六」を想定している。だから、長唄も、
「助六」の原曲だという。「だんべ」言葉は、荒事独特の言葉である。「花の吾妻や
 心も吉原 助六流の男伊達」など、助六を女形で見せる趣向。「丹前振り」という
所作も、荒事の所作。途中、男伊達のふたりが持った二つの傘の陰を利用して、引き
抜きで、衣装を替える時蔵。黒地(上半身は無地、下半身は、カルタのような市松模
様)から、明るいクリーム色の衣装に、鮮やかに変身する。クリーム地には、黒い線
描で波のような模様が描かれている。紫の足袋。女形ならでは、という色香が滲む。
 
大きく「よろずや」と書いた傘を持った若い者10人との立ち回り。所作事(舞踊
劇)の立ち回り、ゆえに、「所作立て」という。傘と床几を巧みに使って、華やか
に。
 
幕切れは、時蔵が、「二段(女形用)」に乗る。その両脇に、男伊達のふたり。後ろ
には、傘を開いて、山形に展開して、華やかさを添える若い者たち。「女伊達ら
に」、文字どおり、「伊達(粋、ダンディズム)」を主張した「女伊達」であった。
 
 
「梅雨小袖昔八丈」も、「一條大蔵譚」同様に、9回目の拝見。「髪結新三」は、
「幡随長兵衛」同様に、明治に入ってから、黙阿弥が書き上げた江戸人情噺である。
「髪結新三」は、「幡随長兵衛」の上演より、8年早い、1873(明治6)年に、
中村座で初演された。
 
主役の新三は、幸四郎(今回含めて、3)も、菊五郎(3)、勘九郎時代を含め勘三
郎(2)、三津五郎。このほか、老獪な家主の長兵衛は、弥十郎(今回含め、4)、
三津五郎(2)、團十郎、富十郎、左團次、家主の女房おかくは、萬次郎(今回含
め、2)、鶴蔵(2)、亀蔵(2)、右之助、市蔵、鐵之助。
 
私は、菊五郎の新三が好きだ。勘三郎は、菊五郎に比べて、科白を謳い上げてしま
う。世話ものでは、幸四郎は、菊五郎と亡き勘三郎の間に、入り込んで来たという印
象だ。幸四郎の科白廻しが、ぐっと、身に付いて来たように感じられた。幸四郎は、
時代ものの場合、演技過多で、私の評価を下げるのだが、なぜか、世話ものは、肩に
力が入りすぎない所為か、世話ものというより、近代的な「市井もの」ということか
らか、幸四郎も、菊五郎の新三に負けていないというのが、おもしろい。このとこ
ろ、幸四郎の世話ものには、目を見張るものがある。昼は、武将の時代もの、夜は、
小悪党の世話もの。富十郎、団十郎が亡くなった歌舞伎界の穴を埋めるべく、高麗屋
は、大回転、というところか。
 
この芝居のおもしろさは、舞台という空間がすっぽりとタイムカプセルに入っている
ことか。黙阿弥は、当時の江戸の季節感をふんだんに盛り込んだ。梅雨の長雨。永代
橋。雨のなかでの立ち回り。梅雨の晴れ間。深川の長屋。初鰹売り。朝湯帰りの浴衣
姿。旧・江戸っ子の代表としての、町の顔役、長屋の世慣れた大家夫婦。深川閻魔堂
橋での殺し場。主筋の陰惨な話の傍らで、この舞台は江戸下町の風物詩であり、人情
生態を活写した世話ものになっている。もともとは、1727(享保12)年に婿殺
し(手代と密通し、婿を殺す)で死罪になった「白子屋お熊」らの事件という実話。
 
絡む主人公は、上総生まれの「江戸っ子」を気取る、ならず者の入れ墨新三(「上総
無宿の入れ墨新三」という啖呵を切る場面がある)。深川富吉町の裏長屋住まい。廻
り(出張専門)の髪結職人。立ち回るのは、日本橋、新材木町の材木問屋。江戸の中
心地の老舗だ。老舗に出入りする地方出の、新・江戸っ子が、旧・江戸っ子に対抗す
る、という図式。

贅言、白木屋の下女として、客にお茶を出しにくる下女役に、私もファンの芝のぶが
登場する。相変わらず、初々しい。熱心な大向こうからは「芝のぶ」、「しのぶ」と
再三声がかかった。
 
この芝居は、元が、落語の「白子屋政談」という人情噺だけに、落語の匂いが滲み出
す。それは、特に後半の「二幕目」の深川富吉町の「新三内」と「家主長兵衛内」の
場面が、おもしろい。前半では、強迫男として悪(わる)を演じるが、後半では、婦
女かどわかしの小悪党ぶりを入れ込みながら、滑稽な持ち味を滲ませる。切れ味の良
い科白劇は、黙阿弥劇そのものだが、おかしみは、落語的だ。その典型が、家主の長
兵衛(弥十郎)と新三(幸四郎)のやりとりの妙。この科白劇の白眉。特に、弥十郎
は、この家主役で進境著しく、今回もさらに、味に磨きをかけている。萬次郎が演じ
る家主女房・おかくが、弥十郎に負けない好演で、このふたりのやりとりは、漫才の
ようにテンポもあり、間も良かった。「髪結新三」が、基本的に笑劇だというのは、
家主夫婦の出来に掛かっている。今回もおもしろかった。
 
毎回、勘違いする観客が多いのだが、二幕目が終ると、芝居が終ったような感じにな
り、大詰の「深川閻魔堂橋の場」を観ないで、席を立ち、帰りはじめる観客が、今回
も、居た。勧善懲悪で、新三が、旧・江戸っ子の代表である町の顔役・弥太五郎源七
(歌六)という親分に殺されて、幕(それも、途中で、立回りを止めて、舞台に座り
込んだ幸四郎と歌六は、声をそろえて、「まず、こんにちは(ここまで、幸四郎)、
これぎり(幸四郎と歌六が声をあわせる)」で、終了)となるのだが、この芝居も、
新演出で、落語的な人情噺の印象のまま、幕にしてしまった方が良いと、毎回思う。
もっとも、この付け足しが、「歌舞伎的」な余白なのかもしれないが……。
- 2014年4月12日(土) 7:32:38
14年04月歌舞伎座・鳳凰祭(昼/「壽春鳳凰祭」「鎌倉三代記」「壽靭猿」「曾
根崎心中」)
 
 
今月の歌舞伎座は、新装再開場の一周年記念興行の「鳳凰祭」。昼夜通して、「見慣
れた演目、馴染みの役者」、ということで劇評は筆が走らず、コンパクトにしたい。
劇評には、少しでも新味は盛り込みたいが、どうなることか。さらに、昼の部の劇評
は、上演順ではなく、おもしろい話題順にしたい。まずは、坂田藤十郎のお初、見納
めの「一世一代」の「曾根崎心中」から。

 
藤十郎と翫雀の、珠玉の「曾根崎心中」

 
「曾根崎心中」は、私は5回目の拝見。全て、鴈治郎時代を含む藤十郎のお初と翫雀
の徳兵衛であった。
 
歌舞伎の「曾根崎心中」の最初の上演は、外題はこのままだが、近松原作ではない。
記録に拠ると、1703(元禄16)年4月7日に心中事件が起こると、15日に
は、早くも大坂の竹島座で「曾根崎心中」の外題で歌舞伎化された、という。次い
で、京坂の各座で競演された。近松門左衛門原作は、事件から一ヶ月後の(それで
も、当時の感覚では、決して遅くない)5月7日に人形浄瑠璃の竹本座で演じられ
た。
 
1)これが、特筆される第一の点は、人形浄瑠璃史上初めての「世話浄瑠璃」だった
ということ。人形浄瑠璃でも、歌舞伎でも、300年余も歴史に残り、「古典」と
なった「世話狂言」の誕生であった。初演時は大当りとなったが、その後は、250
年近く上演が途絶えてしまう。
 
2)さらに、今、上演される「曾根崎心中」は、戦後の「新作歌舞伎」という側面を
持つということ。1953(昭和28)年、8月新橋演舞場。21歳の二代目扇雀
(現在の坂田藤十郎)が初演。この「曾根崎心中」は近松門左衛門の原作を宇野信夫
が戦後になって、かなり脚色をした。好評で、扇雀から鴈治郎、そして、坂田藤十郎
へ。今年の大晦日で、83歳になる藤十郎は、60年以上もこの狂言を演じ続けてき
た。藤十郎以外がお初を演じたのは、息子の扇雀と、孫の壱太郎だけという、上方の
成駒屋だけの完璧な家の芸。「復活から現在までお初を演じ続けた坂田藤十郎は世界
の演劇史に偉大な貢献をした」という、ドナルド・キーンの言葉も頷けよう。

53年8月新橋演舞場の「天満屋の場」初演と同じ年の12月京都南座の「生玉神社
境内の場」再演の写真が、歌舞伎座の今月の筋書に載っているが、二代目扇雀は細面
の女形顔で頗る別嬪である。父親の二代目鴈治郎も颯爽としている。当時、京都に滞
在していたドナルド・キーンは、「お初の美しさに圧倒された」という。当時流行っ
た言葉に「扇雀のように美しい」があったと書いている。この写真の藤十郎なら鋭い
ほどの美形だ。今の藤十郎は、ふっくらとして可愛らしい。
 
「定式幕」で幕が開きながら、「生玉神社境内」、「北新地天満屋」、「曾根崎の
森」への展開に向けて、死の道行では、スポットライトを使うほか、暗転、暗い(薄
明るい程度で、ほとんど暗闇)中での、2回の廻り舞台、それでいて閉幕は「緞帳」
(「定式幕」は、歌舞伎の象徴。「緞帳」は、緞帳芝居として、歌舞伎より一段低く
見られる)が降りてくるという定式重視の「丸本もの」の古典歌舞伎らしからぬ「珍
(ちぐはぐ)」な「新」演出で見せる。古典劇と新作歌舞伎の演出が二重構造になっ
ているという異色の舞台が、定着している。基本は、宇野演出の、新作歌舞伎とも言
うべき「近松劇」というジャンルに入るであろう。
 
今年、藤十郎は、「曾根崎心中」の「一世一代」として、この演目は82歳で、打ち
止め、終演となる。「一世一代」に到達した演目を千数百回演じてきたが、19年
前、1995年1月には、大阪中座で上演千回記念興行中、関西を阪神淡路大震災が
襲った。役者には、被災地でのボランティア活動をしても余り役立つとは思えないと
して、当時三代目鴈治郎だった藤十郎は、中座の舞台を勤め続け、観客に藝を通じ
て、支援の思いを伝え続けたという。
 
しかし、この演目は、いつも、客席が暗いので、舞台をウオッチングするメモがほと
んど取れないのが、毎回遺憾。新聞記者の「夜回り」の要領で、舞台を思い出しなが
ら、書いている。今回は、そのスタイルを変えて、メモを気にせず、兎に角、「一世
一代」見納めのお初さんをひたすら凝視し続けることに努めた。
 
藤十郎のお初は性愛の喜びを知ったばかりに、それさえ求められれば、なにもいらな
いという感じの若い女性で、怖いもの無し。節目節目には、メリハリを感じさせなが
ら、ぐいぐいと徳兵衛を引っ張って行く。それでいて、若さの持つ華やぎと軽さを滲
ませている。年上の徳兵衛はそういう若い女性に半ば、手を焼きながらも、魅かれて
行く。

生玉神社境内では、伯父の内儀の姪との縁談を断ったという徳兵衛(翫雀)の話を聴
いて、お初は無邪気に手を叩く。◯◯ギャルという、現代的な若い女性のような行動
を取るお初。気持ちを素直に外に表すことができる女性なのだろう。藤十郎の「お
初」は、今回も年齢を感じさせない初々しさだ。お初は永遠に「今」を生き続ける若
い女性、時空を超えた永遠の娘として見えて来る。
 
宇野信夫は、また、近松原作では、平野屋の主人として名前だけ出て来る伯父の九右
衛門を独自に登場させた。九右衛門(左團次)は徳兵衛を騙りに掛けた九平次(橋之
助)を懲らしめ、徳兵衛(翫雀)の潔白を解明しながら、既に死の道行に出てしまい
行方不明となっている徳兵衛とお初の心中を思いとどまらせることができなかったと
いう挿話を入れて、名誉恢復を知らないで死に行くという、心中劇の無念さを強調し
て描いている。「わしも、いっしょに、死ぬるぞなあ」、藤十郎のお初の眼が光る。
新演出も歌舞伎味に不調和にならず、「新作歌舞伎の近松劇」という現代劇の不幸な
恋愛劇がバランスを崩さないで成立している。
 
暗転。暗い中、舞台は、幕を閉めずに、廻る(藤十郎襲名以降の新たな演出であ
る)。「曾根崎の森の場」。「此の世の名残り夜も名残り、死ににゆく身をたとふれ
ば、仇しが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ」。以下、竹
本の糸に乗っての「死の舞踊劇」。科白より所作。この場面は、舞踊劇そのものだろ
う。所作の豊かさ巧みさでは、藤十郎は、歌舞伎界でも一、二を争う。「あーー」と
いう美声が哀切さを観客の胸に沁み込ませる。お初の表情には、死の恐怖は、ひとか
けらも無い。お初徳兵衛は、浄土へ向かう「死の官能」である。お初は、まるでセッ
クスをしているような喜悦の表情になっている。そこにいるのは、お初その人であっ
て、それを演じる坂田藤十郎もいなければ、米寿を超えた人間・林宏太郎もいなけれ
ば、ひとりの男もいない。死ぬことで、時空を超えて、永遠に生きる若い女性性その
もののお初がいるばかりだ。死に行く悲劇が永遠の喜悦という、大人向けの、アダル
トファンタジーこそ、「曾根崎心中」の真髄だろう、と思う。
 
藤十郎定番の「曽根崎心中」は、さらなる完成を目指して、扇雀・翫雀を軸に今後も
演じられて行くだろう。死に行く悲劇が永遠の喜悦という、透き通るようなエロティ
シズムを残して、今、緞帳幕が下りて来る。
 
 
エモーショナルものの力

 
「壽靭猿〜鳴滝八幡宮の場」。2回目。初見は、19年前、95年11月、歌舞伎
座。先代の三津五郎。当代の三津五郎の女大名、梅玉の奴、巳之助の初舞台。私は、
まだ、個別の舞台ごとに劇評を書いていなかったので、過去の劇評は無し。今回が、
初登場である。
 
1838(天保9)年、江戸の市村座で初演。狂言を素材にした演目。主役は猿曳の
寿太夫。猿は子役が務めるが、「小道具」的な可愛らしさが魅力。元々の狂言では、
大名だったものを歌舞伎化に当って「女」大名に改められた。女形も演じるが、立ち
役が女形を演じることでおかしみを出す工夫がある。女大名に従う奴は、「色奴」の
役柄。色奴とは、従僕としての愛嬌に加えて、特別な色気を見せる役柄。

開幕、浅黄幕が、舞台全面を覆っている。常磐津の置き浄瑠璃。幕の振り落としで女
大名三芳野と奴橘平登場。三芳野は、能面を付けている。鳴滝八幡宮の門前。そこへ
小猿が現れる。小猿を追って、猿曳の寿太夫登場。大向うから声がかかる。「大和
屋」「大和屋」に混じって、「おめでとう」。病気を克服して舞台復帰した三津五郎
に対して、観客席の拍手も熱い。

ことは、三芳野が主人の命(命令)を思い出し、主人の傷んだ靱(うつぼ。弓を入れ
る道具)の猿革を取り替えるために、この小猿を射止めようとしたことから始まる。

以下は、権力者の女大名に抵抗できない猿曳という遊芸者の対立の物語となる。言葉
や行動で権力者に対抗することを諦めた遊芸者はせめて自らの手で小猿を殺そうとす
る。そういう人間たちのやり取り、それによって生み出される葛藤など理解する術も
ない小猿は、見せ物芸を生業とする飼い主の行動を常の対応と理解して、行動するだ
けだ。己を殺そうとする飼い主の所作を常の訓練の所作と理解し、師匠の「合図」
(指示)に対応しようとする弟子の小猿。習い覚えた芸への指示という理解を小猿は
する。戸惑う飼い主の寿太夫。感性のコミュニケーションは、反抗の言論や行動より
も効果的で、猿曳と猿の所作は権力者の胸にメッセージを送り届ける。その結果、動
物に対する哀れを催した女大名は、小猿を射止めることを諦めてしまう。「命は助け
た、連れて帰りや」。それを聞いて喜んだ寿太夫は、小猿に女大名の武運長久を祈念
させる舞を舞わせて、舞い納めのタイミングを見て去って行く。

この物語は、エモーショナルなものに力があることを示している。女大名は、その力
を知り、今回は自らが身を引くという結論を見出したが、次の段階では相手にエモー
ショナルなもので働きかけをし、己の意図を通すようになるかもしれない。この演目
が演じられた後、100年もすれば、ヨーロッパには、ヒトラーが出現をし、エモー
ショナルなプロパガンダという手段で、大衆をファシズムの世界へと誘導して行くよ
うになる。

今回、三津五郎は、去年の夏、膵臓に癌が見つかっての休演明け。手術と治療を経
て、「鳳凰祭」で舞台復帰したが、窶れているように見える。顔色は化粧をしている
ので判らないが、テレビで舞台復帰前の三津五郎の素顔の顔色を見たという人は、三
津五郎の体調を心配していた。抗がん剤の副作用もあるだろうに、無理していないだ
ろうか。
 
 
「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」5回目。時代ものの中でも、時代色の強い演目だ。こ
ういう演目は、時代物の「かびくささ」「古臭さ」「堅苦しさ」などを逆に楽しめば
良いと思う。登場人物は、歴史上の人物をモデルにしている。佐々木高綱は真田幸
村、時姫は千姫、三浦之助は木村重成、北條時政は徳川家康。内容が余りに史実に近
すぎたので、徳川幕府によって、上演禁止にされたという曰く付きの演目。私が見た
佐々木高綱、幸四郎は今回含め、3回目。團十郎、三津五郎。時姫は、今は亡き雀右
衛門が3回。福助、今回は魁春。

雀右衛門は、徹底して、所作で演じてみせた。今回初見の魁春や前回見た福助は、無
難にこなしているが、雀右衛門の時姫の方が、姫としての位があり、見応えがあった
ように思う。それは、魁春、福助が、所作よりも科白で時姫を主張しているからで、
これに対して、雀右衛門は、科白より、所作で見せていた。元々静止した姿が美し
かった雀右衛門の時姫は言葉より、形で迫って来た。七代目歌右衛門襲名が内定して
から病魔に襲われ、目下、療養中の福助の時姫は、いつの日か、七代目歌右衛門とし
て、観てみたい、と思うのは、私だけではない。

姫なのに手拭いを姉さん被りにし、行燈を持って奥から出てくる時姫の難しさは、
「赤姫」という赤い衣装に身を包んだ典型的な姫君でありながら、世話女房と二重写
しにしなければならないからだろうし、時姫の置かれている立場の苦しさをきちんと
描かなければならないからだろう。

佐々木高綱(真田幸村)は、最初、時姫を助けた足軽・安達藤三郎(幸四郎)に化け
ている。滑稽役の藤三郎と、後の武将・佐々木高綱への変わり身が、身上の役どこ
ろ。閑居の庭の中にある「井戸」を介して、入れ替わる辺りが、この狂言の独特の持
ち味。

「地獄の上の一足飛び」で、衣装ぶっかえりになり、真っ赤な舌をだして、両手を垂
れた無気味な見得をするのも、この時代物の古臭さが、かえって、「斬新」に見える
から不思議だ。旧いものは、新しい。こういう無気味な役柄は、幸四郎の得意とする
ところ。

 物語は、通称「盛綱陣屋」、「近江源氏先陣館」の続編。首実検で偽首を「高綱の
首」とされたため、本物の高綱は生き延びてここに登場するという設定に繋がる。作
者の趣向は、大坂夏の陣を鎌倉時代に移し替え、時姫(千姫)に父親・北条時政(徳
川家康)への謀反を決意させるという筋書である。夫・三浦之助(豊臣方の木村重
成)と父親との板挟みになり、苦しむという、性根の難しさを言葉ではなく、形で見
せるのが難しいので、「三姫」という姫の難役のひとつと数えられて来た由縁であ
る。

三浦之助(梅玉)の身につけている簑が、「天使の羽」のように見える。実母・長門
(歌江)を心配して戦場から戻って来たのだが、母からは、拒絶される。実は、三浦
之助も、母を口実に妻・時姫の父親への謀反を決意させるために戻って来たという難
しい役。

このほか、時姫救出を時政から命じられたふたりの局(京妙、芝喜松)や、閑居の庭
内にある井戸から出入りをしていて、高綱に槍で刺される富田六郎(桂三)、藤三郎
女房おくる(歌女之じょう)など、脇役にも癖のある登場人物が多い。今月の舞台か
ら幹部役者へ昇進する、その披露をする歌女之は、昼夜ともに、自害して果て、黒い
消し幕で消されてしまう。おくるは自分たち夫婦が、京方のお役にたったと喜びなが
ら消えて行くので、昇進祝いの重要な役どころである。

時政の手の者が、井戸のなかの抜け道を使うなど、時代物らしい荒唐無稽さが、か
えって、おもしろい。達者な役者が脇を固めていて、身分の違う登場人物たちが、登
場したり、本性をあらわしたりすると、役者の居所が替ったり、後ろを向いて、演技
の場から姿を消したことにしたり、時代物の約束事をきちんと守りながら、舞台は、
進行して行くので、その辺りに興味を持って舞台を観るのも、一興。時代物の好きな
人には、そういう時代物独特の演出の様式をあれこれと楽しめる演目だろう。


このほか、「壽春鳳凰祭」は、歌舞伎座新装開場1周年記念の新作舞踊劇。松竹の歌
舞伎座経営百年記念でもあるという。「鳳凰」は、歌舞伎座の座紋。

開幕すると、舞台は正面が、松林と笹竹。「松竹」となる。舞台上下手は、桜。後
に、松竹の書割が上に引揚げられと、後ろには、満開の桜。舞台は、桜が一杯とな
る。「九重」、つまり宮中の庭園の体。舞台には、帝に仕える女御と大臣たちが登場
する。女御は時蔵を筆頭に、梅枝、新悟。大臣は萬太郎、隼人。さらに、女御(扇
雀)、大臣(橋之助、錦之助)。花見の宴と舞踊。セリに乗って、帝(我當)が、従
者(進之介)を連れて、上がって来る。歩行の不自由な帝を介護する儒者。天下太平
と歌舞伎の発展祈願。まあ、歌舞伎座のコマーシャルみたいな演目だった。
 
贅言;6月には、別のお祭りが上演されるので、これも、お知らせ。仁左衛門が6月
歌舞伎座昼の部で舞台復帰と、夕刊の記事に載っていた。右肩腱板断裂で手術を受
け、治療専念で休演していた。演目は、前回の病気復帰時と同様に「お祭り」。仁左
衛門は、鯔背な鳶姿で舞台に現れるだろう。「待ってました」と大向うから声が掛か
ると、「待っていたとはありがてい」と声援に答えるだろう。
- 2014年4月11日(金) 21:44:20
14年03月・歌舞伎漫遊(番外編)

本来なら、それぞれの劇評執筆時に書き足しているべきことを書き忘れていたので、
今回は、特別に「歌舞伎漫遊・番外編」として、稿を改めて、追加した。いずれも、
贅言ではあるかもしれない。 

(番外編のためのメモ) 

贅言1):スーパー歌舞伎だからだろうが、新橋演舞場の初日、カーテンコールが
あった。閉幕後のカーテンコールは、舞台の背景が用意されていたようで、ここまで
は「演出」のうちのように感じられたが、2回目のカーテンコールは、観客の熱っぽ
い反応に応えた純粋のカーテンコールと見た。あちこちで、観客も立ち上がり、舞台
に向けて熱心にスタンディング・オベーションをしていた。「スタンディング・オ
ベーション」という横文字を馴染みある日本語に翻訳すると「満場総立ち」となるの
か。もっとも、私は、「総立ち」現象には警戒感を抱く偏屈男なので、新橋演舞場で
も、安易に「総立ち」(ファッショ)には、与せず。座ったまま拍手を贈っていた。 

新橋演舞場では、その後も、こういう光景が繰り返されているのだろうか。1回目の
「(予定された?)カーテンコール」は、連日なされているかもしれないが、2回目
の「(期待に応じた?)カーテンコール」は、あったり、無かったりかもしれない。 

贅言2)歌舞伎座杮葺落興行の掉尾、福助の七代目歌右衛門襲名披露が延期になっ
て、松竹が襲名披露興行から「鳳凰祭」(歌舞伎座新開場一周年興行)に看板を書き
換えた歌舞伎座は盛況。多分、連日。菊五郎、吉右衛門、坂田藤十郎、玉三郎ら人間
国宝のそろい踏みに福助だけがいない舞台が寂しい。 

萬屋初役の切られお富の国立劇場は、私が拝見した時には、ざっと見たところ、半分
以上が空席だったが、その後の「入り」は如何が。 

澤潟屋一門プラスに依るスーパー歌舞伎興行の新橋演舞場も、独特の雰囲気がある満
員盛況であったが、国立劇場の観客の「堅実性」を思うと、この落差こそが、昨今の
歌舞伎ブームの実相なのだろうと思う。コアとなる観客を大事にする興行を期待す
る。 

こういう現象を見て、危機感を持ち、将来に向けて、何らかの対策を立てるのか、目
の前の盛況に浮かれて場当たり的な対応で済ませるのか、歌舞伎に関わって100年
という松竹の真価が試されていると思うのは、私だけではないだろう。「如何に、弁
慶」。
- 2014年3月14日(金) 16:09:02
14年03月新橋演舞場 (スーパー歌舞伎U・「空ヲ刻ム者」)


「置換狂言」の魅力・スーパー歌舞伎


四代目猿之助が、襲名から丸2年を前に、とうとう初演のスーパー歌舞伎を上演した
ので、新橋演舞場まで観に行った。猿之助は、四代目襲名を2年前、12年6月に新
橋演舞場で披露している。その際、伯父の三代目猿之助の創始したスーパー歌舞伎の
演目「ヤマトタケル」を上演しているが、オリジナルのスーパー歌舞伎を初演するの
は、今回が初めてである。三代目の了解を取り、三代目創始のスーパー歌舞伎の演目
と区別する意味で、新猿之助に依る「スーパー歌舞伎U(セカンド)」と名付けた。
それは、スーパー歌舞伎というジャンルは継承しながら、三代目ものに四代目ものと
いう演目を追加して行く作業になるのだろうと思う。

外題は、「空(そら)ヲ刻ム者――若き仏師の物語」だが、これは、私なりの結論を
言ってしまえば、「空(そら)ヲ刻ム者」から、「空(くう)ヲ刻ム者」へという明
確なメッセージが託された物語だと思った。今回の劇評は、それを解き明かす、とい
う趣向になると思う。しかし、今回は、開幕から閉幕まで、客席は、真っ暗なままな
ので、「戯場観察(かぶきうおっちんぐ)」のためのメモがとれない。不十分な記憶
に基づいて劇評を書いて行くことになるだろう。

私なりの理解では、スーパー歌舞伎とは、大きく言えば、戦後の作品である「新作歌
舞伎」のジャンルに入る。従って、廻り舞台、花道、セリなどを伝統的な古典歌舞伎
の演技演出演奏も継承する。その上で、ダイナミックな大道具の活用、「宙乗り」な
ど外連(けれん)と呼ばれるさまざまな奇抜さを狙った歌舞伎の演出も積極的に取り
込む、現代劇的な照明音響音楽楽器も活用、群舞に近いような派手な立ち回りも売り
物、現代性のあるテーマ設定、現代の言葉の科白も大胆に取り組む、さらに、今回は
歌舞伎役者以外の他ジャンルの俳優も積極的に参加、などなどというところか。スー
パー歌舞伎とは、従来の伝統的な歌舞伎の概念にとらわれずにそれを越えるという意
味での「スーパー」であり、古典劇と現代劇の融合という意味での「スーパー」であ
り、演劇の他ジャンルとの垣根をも越えるという意味での「スーパー」でもあるのだ
と思う。

今回の原作は、前川知大。演出も兼ねる。「空(そら)ヲ刻ム者――若き仏師の物
語」の場立ての構成は次の通り。

一幕「御心の真意」一場「奥泉郷 往来」二場「藤泉寺 本堂前」三場「菖蒲の部
屋」四場「藤泉寺 本堂前」。

二幕「二つの道」一場「長邦の屋敷」二場「都の外れにある牢獄:三場「盗賊団のア
ジト」四場「都の往来」五場「貴族の屋敷」六場「街中 夜」七場「盗賊団のアジ
ト」八場「長邦の屋敷」九場「九龍の工房」十場「盗賊団のアジト」。

三幕「人の似姿」一場「貴族の屋敷」二場「九龍の工房」三場「長邦の屋敷」。四場
「九龍の工房」五場「都近くの農村」六場「九龍の工房」七場「朱雀門」。

実は、この前に、「口上」があった。暗転の場内に一気に灯が入ると、舞台が明るく
浮き上がる。場内から、「ウオー」という歓声が沸き上がる。舞台には澤潟屋一門に
加えて、滝乃屋の門之助、現代劇の佐々木蔵之介、浅野和之、福士誠治らが、水色の
揃いの裃姿で並ぶ。野郎頭の鬘が並ぶ中で、笑也、笑三郎、春猿が女形役者の衣装に
鬘の上に紫の帽子を載せている。ひとり老け女形の鬘は、浅野和之で、最下手に控え
ている。中央の猿之助の仕切りで、上手側に向ってといういつもの順番(猿之助、福
士誠治、弘太郎、春猿、笑三郎、門之助。この後、下手に廻り、浅野和之、ただし、
黙ったままで口上を述べず。演出? 猿弥、寿猿、笑也、市川右近、佐々木蔵之介、
そして、猿之助に戻る)で、それぞれが口上を述べた。背景は、「喜熨斗」という猿
之助らの戸籍名に因んでか、金地の襖に派手な「暴れ熨斗」の紋様と澤潟屋の家紋
「三ツ猿」「澤潟」。

一幕以降の粗筋は、コンパクトにしたい。古代日本。都から遠く離れた山間の地、奥
泉郷(おうせんごう)。仏師・十和(猿之助)の一家。父で仏師の棟梁・玄和(猿三
郎)、母で病身の菖蒲(笑三郎)。十和は、貴族のための仏教、貴族の慰みものに成
り下がっている仏像に不満を持っている。貴族の依頼に応じて仏像造りをしている父
親に不信感、反感を抱いている。十和の幼なじみで、村の領主の息子・一馬(佐々木
蔵之介)は、都へ上って役人になりたいという野望を持っている。十和を尊敬してい
る弟弟子に伊吹(福士誠治)。藤泉寺の住職・興隆(寿猿)。産婆を兼ねる祈祷師・
鳴子(浅野和之)。危篤となり、死んで行く母。父が作った仏像を足蹴にして、壊す
十和。都から仏像を受け取りに来た役人たちは十和の腕を斬ろうとするが、弟弟子の
伊吹が身替わりを申し出て、斬られてしまう。激怒した十和は、役人を殺してしま
い、仏との縁切りを決意して、十和は村を捨てて逃亡する。

半年後。一馬は、都で下級役人になっている。貴族の長邦(門之助)、妻の時子(春
猿)、側近でガード役の稀久(猿四郎)。長邦らは、現政権を批判する反主流派で、
農民の反乱を煽動し、それを利用して政権奪取を目論んでいる。長邦は、一馬からだ
された窮民の申文(もうしぶみ・訴状)を評価していると一馬に伝える。一馬を自分
たちのために利用しようとしているようだ。

都外れの牢獄。囚われの身となった十和が入牢している。入牢しているのは農民・喜
市(弘太郎)、女盗賊頭の双葉(笑也)ら。盗賊仲間の吾平(猿弥)たちが現れ、頭
の双葉とともに、十和、喜市も連れて脱獄して行く。

盗賊団のアジト。貴族らを襲い、略奪物を村民に与えるので、村ぐるみで盗賊を匿っ
ている。双葉の盗賊哲学に共鳴した十和は、盗賊団の仲間に入る。

都では、貴族が奉納した仏像だけを壊して行く盗賊団が噂になっている。十和の行方
を心配して、鳴子と伊吹が村を出て、都に十和を探しに行く。

役人の一馬は、盗賊団捜査に当っている。貴族の妻・時子は一馬を憎からず思い、目
をかけている。

鳴子、伊吹と十和が都で出会う。傷が悪化している伊吹を助ける十和。一馬は、十和
を追う。

村に保護された伊吹の病状が悪化。一方、貴族の長邦は、盗人村を特定し、焼き払え
と一馬に命じる。

仏師・九龍(市川右近)の工房に忍び入った十和は、そこで名も無き仏師が農民のた
めに彫った地蔵菩薩に感化され、九龍からも、「仏師は自由だ」と諭され、仏師の心
を取り戻す。

盗人村に踏み込み、女盗賊頭・双葉を捕えた一馬は、村に火を放つ。これまで、科白
劇ぷかった芝居は、村の炎上場面から、やっと、スーパー歌舞伎らしさを発揮し始め
る。

九龍に弟子入りし、仏師として再出発する十和は、農民救済の仏像を造り始める。

一馬は、村を焼き払った際、農民を殺したことを苦にし、双葉を処刑できずにいる。
双葉から、十和が仏師に戻ったことを知らされる。一馬は政治を変えるために農民た
ちに反乱を起こすよう説き伏せていた。貴族の長邦は、仏教の力を利用して農民を結
束させようとする。農民の慕われているという仏師の探索を一馬に命じる。

九龍の工房で、不動明王像を彫る十和。師匠の九龍は、存在するのは「空」のみだと
言うが、十和にはそれが判らない。噂の仏師を尋ねて、一馬が十和を探し当てて来
る。政治を変えるための仏像を彫って欲しいと依頼されるが、十和は拒否する。双葉
を人質に強制する一馬。九龍は一馬の偽善を非難し、単なる権力争いだと看破する。
一馬に同行していた貴族側近の警護役・稀久は、九龍を斬りつけ、口を封じる。

亡くなった師匠の九龍のために十和は制作中の不動明王に九龍の魂を込めて、仏像を
完成させる。その結果、十和は、仏像とは「仏性の宿る人の似姿」だと悟るのだっ
た。

この芝居、最大の見せ場。
数日後、都から一馬(佐々木蔵之介)たちが、依頼した仏像を受け取りに来る。十和
(猿之助)は、仏像と引き換えに盗賊の双葉を引き渡すよう求める。同行していた貴
族の妻・時子(春猿)は十和に反乱を起こす農民を先導しろと命じるが、十和は断
る。時子は一馬に双葉(笑也)を殺せと命じる。時子の命に逆らえない一馬の様子を
見て、十和は一馬の刃の前に身を曝し、「自分の心を取り戻せ」と言う。一馬らのた
めの彫り上げた仏像を見せるために仏像が入っている厨子の縄を切る。「仏は鏡だ。
拝む者の姿を写す鏡だ」と、言いながら……。

扉が開け放たれた厨子の中には、仏像は無く、刻まれた無数の紙片が大量に吹き出し
てくるばかり。紙片は、(いくつもの強力な扇風機に煽られて)厨子の中からだけで
なく、舞台上手袖の辺りからも吹き出している。紙片は、舞台に降り積もり、客席に
も降り積もる。一馬、時子、長邦ら、権力側から頼まれて十和が刻んだ仏像の姿は、
似姿が「空(くう)」だったということをこの芝居は明確なメッセージとして、発信
している。

一馬は、己が貴族・長邦の権力の走狗に過ぎなかったことを悟り、同行していた貴族
側近の警護役・稀久(猿四郎)を斬り捨てるが、貴族側の兵士たちに囲まれてしま
う。工房にも火が放たれる。ここから、群舞のような立ち回りとなる。舞台一面の焔
の中、「屋台崩し」もどきの大道具のダイナミックな動きもあり、いちだんと、スー
パー歌舞伎味が加速される。

焔の中、十和が完成させた不動明王(市川右近)に命が吹き込まれて動き出し、兵士
たちを制圧し、時子(春猿)を成敗する。

不動明王の霊験で、十和(猿之助)と一馬(佐々木蔵之介)は、ふたり揃っての「ダ
ブル宙乗り」の場面へ。

最後は、「朱雀門」の場面。「楼門五三桐」もどきで、こちらもダイナミック。朱雀
門の上に逃れた貴族の長邦(門之助)の最後。長邦は、「大物浦」の知盛のように、
体を伸ばしたまま、背後にまっすぐ倒れ込んで行った。本舞台では、「義賢最期」
の、コの字を縦にしたように組み上げた畳(「義賢最期」では、板襖)の天辺に喜市
(弘太郎)らが、すっくと立ち上がり、横にゆらりと崩れる畳とともに本舞台に飛び
降りるなど、外連味のある歌舞伎の立ち回りの総集編のような感じの演出が続く。驚
いたのは、積み上げていた畳の上に猿之助が飛び乗り、そのまま、畳を組み上げ(仕
掛けがある)て、朱雀門の階上の床の高さ近くになったら、猿之助は、畳の上から朱
雀門へと飛び移って行ったことだ。

作・演出の前川知大、主演と実質的な総指揮をした四代目猿之助を含め、舞台から発
信されたテーマのメッセージを私なりに読み取ると、権力政治は、何時の時代にも、
その根底に「空(くう)」という似姿を隠し持っているものなのかもしれない。

最後に、贅言。冒頭の見出しに、敢えて、説明も無いまま、「置換狂言」の魅力、と
いう造語を使ったことを説明しておきたい。歌舞伎の狂言(演目)には、著作権の無
い時代、先行作品を無断で下敷きにし、同じ世界の題材を借りながら(盗用しなが
ら)新しい趣向で平気で(得意げに)脚色して、新しい作品を作り上げることが、ひ
とつのジャンルになっていて、それを「書替狂言」というくらい普通のことで、作品
数も多い。今回の歌舞伎は、前川知大が書き下ろしたオリジナルな現代劇を古代日本
の話に置き換え、歌舞伎の科白、演出、演技に置き換えて作り上げたらしいので、
「置換狂言」と命名してみた次第。「置換」とは、垣根を取っ払うことで融合すると
いうことでもあるから、「スーパー歌舞伎」は、皆、根底に置き換え精神を横溢させ
ていると言えるかもしれない。

役者評を少し。猿之助は体を張って、八面六臂の活躍。市川右近は、志を持って生き
抜くということで、美味しいところに控えている。春猿は、国崩しの貴族・長邦の妻
という悪女を印象深く演じていた。ノリを外してみせるところなど、福助に似ている
か。笑三郎は、猿之助の慈悲深い母親役。笑也が、女盗賊の頭というキーパーソンな
のだが、印象が薄かったのは、なぜ? 客演のうち、佐々木蔵之介は、猿之助と拮抗
する活躍。屋号は、「笹倉屋」。浅野和之は、老婆という狂言廻しのキャラクターを
自由奔放に演じて、存在感があった。屋号は、「斎高(なりたか)屋」。福士誠治
は、独特の科白廻しが印象に残った。屋号は、「相模屋」。門之助は、最後に国崩し
の正体を顕すまで、農民側に立つ素振りを崩さなかった。盗賊団の副将格の吾平を演
じた猿弥、隠し田を持ち、投獄された農民から盗賊団に参加した喜市を演じた弘太
郎、澤潟屋の重鎮で住職を演じた寿猿も目立つ。女形で立ち回りに参加した複数の女
盗賊のうち、?(ヤツホ役の段之だと思う。間違っていたら、ご免なさい)が、印象
に残った。
- 2014年3月13日(木) 16:52:57
14年03月国立劇場 (「車引」「処女翫浮名横櫛」)


書替え狂言という魅力、時蔵初役「切られお富」


「処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)」を観るのは、2回目。通称
「切られお富」。前回は、07年1月歌舞伎座。配役はお富が福助、与三郎が橋之
助、ほか。今回は、お富が時蔵、与三郎が時蔵の弟の錦之助、ほか。

「総身の傷に色恋も薩埵(さった)峠の崖っぷち」という名科白で知られる。お富は
粋で、鉄火肌の姐御という人物造型。蓮っ葉な悪女だが、与三郎(「切られ与三」と
違い、こちらは、武士。大名家の宝剣探し担当)には、一筋という純情さが、隠し味
となるように、お富を描く。

初演は、1864(元治元)年というから、明治維新まで、後、4年という最幕末
期。幕末の頽廃爛熟な気分を、悪婆という女人像に定着させて、後世に遺した。世情
は、さぞ、不安定だったことだろう。幕末世相を映し出すDVD的な記録効果抜群の作
品。当時、二代目河竹新七を名乗っていた、後の、黙阿弥原作。全3幕11場の構
成。黙阿弥は、先行作品であるライバルの三代目瀬川如皐原作「切られ与三」こと
「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」のパロディとして、幕末から明
治期の名女形・三代目澤村田之助主役を念頭に書き替ええた。悪婆(あくば)ものの
代表作。

「名代のものを書き直し止せばよいにとお叱りも返り三筋の新内ぶし」とは、黙阿弥
の弁。

三代目田之助といえば、16歳で守田座の立女形になる天才役者だが、脱疽になり、
手足を切断した後も、義手義足を工夫して、舞台に立ち、最期は毒素が脳に廻り、3
3歳で狂死した役者としても知られる。

歌舞伎座では、あまり演じられない。前進座の河原崎国太郎が復活したので、前進座
では、良く上演される。猿之助が、92年に演じているが、猿之助の「切られお富」
は、観てみたかった。当代の役者では、お富は、福助か、玉三郎か。今回は、時蔵が
初役で挑戦した。

今回の場立ては、次の通り。序幕第一場「藤ケ谷天神境内の場」、第二場「赤間妾宅
の場」、二幕目第一場「薩埵(さった)峠一つ家の場」、第二場「赤間見世先の
場」、第三場「同 奥座敷の場」、第四場「狐ヶ崎の場」。普通は、今回の「二幕
目」に当る場面が上演される。

前回、私が歌舞伎座で観た時は、お富の夢による回想という演出で、「赤間妾宅」の
場が上演された。今回の国立劇場は、序幕にふたつの場面が、上演された。このほ
か、与三郎の宝刀探しとお富の与三郎への純愛の流れを太くするために黙阿弥独特の
肉親の因果話などという原作は、改められている。

序幕第一場「藤ケ谷天神境内の場」。鎌倉の藤ケ谷天神境内は、藤の花が真っ盛り。
両国の寄席に出ていたお富は、新内語り。今は、絹問屋の赤間源左衛門の囲い者に
なっている。父の代に盗まれた大名家の宝刀探しをしている与三郎とお富が藤棚の下
で再会する。ならず者に絡まれていたお富を与三郎が救う。以前、夜舟で出会い、契
りを交わしていた仲だった。「切られ与三」の「木更津海岸」の見初めの場のパロ
ディ。お富の純愛の相手、与三郎は、錦之助。「切られの与三」の芝居と違って、こ
の芝居では元々存在感が弱く、印象に残りにくい。

序幕第二場「赤間妾宅の場」。長谷小路の赤間妾宅。与三郎との情交が発覚したお富
を刀の刃で嬲り、全身創痍の瀕死の重傷を負わせる赤間源左衛門は、去年の歌舞伎座
顔見世興行から幹部の役者に昇進した橘三郎が演じる。お富を囲い者にしていた赤間
源左衛門だが、絹問屋の主人というのは表向きの顔で、実は、全国を股にかける観音
九次という盗賊だった。貫禄のある盗人を好演していた。こういう役者が脇で、良い
味を出していると嬉しい。

赤間の手代、蝙蝠の安蔵は、弥十郎。弥十郎は、「切られ与三」でも、蝙蝠安を演じ
ていたのを観たことがあるが、「切られ与三」の安と「切られお富」の安の違いを意
識すべきではないか。「切られお富」の安は、日頃からお富に横恋慕していた。息絶
えたと思われたお富の躰を棄てに行くことを命じられたが、情欲目当てにお富を助け
出し、自分の女房にしようと企む。瀕死のお富を処分すると赤間源左衛門を騙して、
お富を助け、それを理由にお富と男女の仲になって、その後も同棲しているという
キャラクターの持ち主であって、「切られの与三」の安のように、与三郎の手下では
ないからだ。屈折した蝙蝠安は、最後の場面まで屈折感を引きずっている。

二幕目第一場「薩埵(さった)峠一つ家の場」。夕暮れ、峠の一軒家に提灯の火を借
りに来た旅の侍は、与三郎だった。蝙蝠安と同棲をし、峠の茶店をともに営むお富
は、赤間源左衛門に傷つけられ、顔も切り傷だらけ。お家の宝剣探しを続けている与
三郎と再会し、純愛が再燃する。与三郎は探していた宝剣を道具屋で見つけたが、二
百両もするので手が出ないと言う。与三郎のために「北斗丸」という宝剣を買い戻す
資金として、お富は女郎屋を営む赤間源左衛門から二百両を脅し取ろうとする。

二幕目第二場「赤間見世先の場」。赤間屋という女郎屋の見世先。玄屋店のパロ
ディ。見せ場は、お富が蝙蝠安を連れてかつての親分の赤間源左衛門を強請に行く場
面。命を長らえたものの、顔を含めて総身傷だらけのお富は、人生観も変えて逞しく
なった。ふてぶてしいお富の様子を見て、ふたりを奥座敷へ案内する源左衛門。

二幕目第三場「同 奥座敷の場」。「斬られ与三」のパロディ演目のハイライト。源
左衛門とともに、お富に対抗する源左衛門女房お滝には、上村吉弥。女同士の闘いが
見もの。百両、いや、二百両という駆け引きの果て、お富は源左衛門から二百両を出
させる。預かる蝙蝠安。源左衛門は、実は、宝刀「北斗丸」も大名家から盗んでい
た。

二幕目第四場「狐ヶ崎の場」で、源左衛門から脅し取った二百両を巡って、お富と安
が、仲違いをして、安は、お富に斬り付けられ、金を奪い取られる。「殺すも因果殺
さるゝも因果」。

その後、お富は、与三郎と出会い、二百両を渡し、与三郎もその金で「北斗丸」を取
り戻して、めでたしめでたし。しかし、実行犯のお富は、追って来た捕手に取り囲ま
れ、4人の捕手との立回りとなる。途中で、時蔵とふたりの捕手役者が本舞台に座り
込み、頭を下げて「こんにちは、これぎり」で、幕。

時蔵のお富は、官能的な遊女も、初々しい娘役もこなすだけに処女も悪婆も、それぞ
れコントラストを出していた。祖父に当る三代目時蔵が得意とした役だけに家の藝意
識が強いのだろう。お富という悪婆は、恋しい男のためなら、なんでもするという活
動的な女性として描き出された。三代目時代からの弟子・時蝶が三代目の舞台を生で
観ていたので助言してもらったという。そう言えば、大部屋の女形役者で浮世絵師で
もあった、今は亡き時枝さんも三代目時代からの弟子だったから、生きていれば、時
蝶さん同様に助言ができたであろうにと思う。

前回、私が観た「切られお富」は、福助の初役だったが、蓮っ葉な部分(悪婆)とし
おらしい部分(生娘・処女らしさ)を使い分けるお富像の構築は、弱かった。先に触
れたように、純情なお富も、また、お富の性根であるからだ。お富の二重性は、人物
造型のキーポイントになる。例えば、お富が、久しぶりに与三郎に逢う場面など、し
おらしい部分をきちんと演じると、己の情欲ゆえにお富を助けてくれた蝙蝠安に対す
る蓮っ葉な部分(男の本性を見抜いた故ゆえの対応)が生きて来ると思う。

福助が回復し、七代目歌右衛門を襲名することが出来たら、歌右衛門の「切られお
富」も、また、観てみたい。


若手抜擢「車引」


「菅原伝授手習鑑〜車引〜」を観るのは、12回目。今回は、萬太郎(時蔵の次男)
の梅王丸、錦之助の松王丸、隼人(錦之助の長男)の桜丸。いずれも萬屋一門。大和
屋の秀調が藤原時平を付き合うという配役で判るように、若手研鑽(抜擢、ともい
う)の舞台。

梅王丸(萬太郎)が、花道から登場し、上手揚げ幕から登場した桜丸(隼人)と舞台
中央で落ち合い、居所を入れ替わり、深編み笠を取って同時に顔を見せる。「片寄
れ、片寄れ」と、藤原時平一行の先触れの金棒引(仁三郎)が通りかかり、藤原時平
の吉田神社参籠を知るふたり。花道から社頭に向う。ここで、舞台背景の塀が左右に
開き、場面展開。吉田神社社頭へ。再び花道からふたりは本舞台へ。

「車引」は、左遷が決まった右大臣・菅原道真の臣の梅王丸と弟の桜丸が、左大臣・
藤原時平の吉田神社参籠を知り、時平の乗った牛車を停めるという、ストーリーらし
いストーリーもない、何と言うこともない場面の芝居だ。しかし、この演目は、「対
面」などと同じで、歌舞伎の持つ色彩感覚、洗練された様式美など、目で見て愉し
い、大らかな歌舞伎味たっぷりの上等な芝居である。「動く錦絵」のような視覚的に
華やかな舞台。そのシンプルさが、人気の秘密。上演頻度も高い。役者の御曹司たち
も、こういう基礎ゼミナールのような演目を積み重ねながらひとかどの役者目指して
修業をして行く。発声、科白廻し、表情、所作などなど。
- 2014年3月13日(木) 9:36:57
14年03月歌舞伎座・鳳凰祭(夜/「加賀鳶」「勧進帳」「日本振袖始」)


絶品の菊吉版「勧進帳」


劇評は、上演順とは変えて記述したい。3月歌舞伎座、昼夜通してのハイライトは
「勧進帳」。私も25回目の拝見。「勧進帳」は、指名手配されている人物を護衛す
る集団のリーダーが、度胸と叡智で関所破りをする。指名手配者が混じっていること
を察知しながら、リーダーの男気に惚れた関守が、己の責任で一行を見逃す。見逃し
た罰は、関守が後ほど受けるであろう、という話。

今回は、弁慶に吉右衛門、富樫に菊五郎、義経に坂田藤十郎という配役。3人とも人
間国宝。昼の部の「対面」同様、歌舞伎座杮葺落興行では、2回目の上演となる人気
演目。前回、13年4月は、弁慶に幸四郎、富樫に菊五郎、義経に梅玉。富樫役者の
菊五郎を軸に、弁慶と義経の役者が替わる。前回も良かったが、今回も良かった。現
在の歌舞伎界の最高レベルの勧進帳役者の競演といえるだろう。

その他の配役は、義経警護の四天王に歌六、又五郎、扇雀、東蔵。後見に、翫雀と種
之助ほか。

因に、私がこれまで観た主な配役は、次の通り。
弁慶:幸四郎(7)、團十郎(7)、吉右衛門(今回含め、5)、海老蔵(2)、猿
之助、八十助時代の三津五郎、辰之助改めの松緑、仁左衛門。
冨樫:菊五郎(今回含め、7)、富十郎(3)、梅玉(3)、勘九郎(2)、吉右衛
門(2)、團十郎(2)、新之助改めとその後の海老蔵(2)、猿之助、松緑、幸四
郎、愛之助。
義経:梅玉(6)、雀右衛門(3)、染五郎(3)、藤十郎(今回含め、3)、菊五
郎(2)、福助(2)、芝翫(2)、富十郎、玉三郎、勘三郎、孝太郎。

私の好きな配役では、吉右衛門の弁慶、菊五郎の富樫、梅玉の義経なのだが、今回
は、藤十郎の義経。山城屋は抑制的で必要最小限に演じていて、安定感があった。吉
右衛門の弁慶は、絶品。危機に際し、刻々と変化する状況を落ち着いて判断し、義経
警護の責任者として責務を全うする。実に丹念に演じているのが良く判った。初日の
「勧進帳」だったが、終演時、緞帳が下がり切った時、いわゆる「ジワ」とは違うた
め息があちこちから聞こえてきた。菊吉の「勧進帳」の十全さへの感嘆の吐息だった
のだろう。特に、吉右衛門と菊五郎の、それぞれの持ち味を活かした科白の応酬の見
事さへの賛美。菊五郎の富樫は、虚実を見分けながら、弁慶の真情を見抜き、指名手
配中の義経を含めて弁慶一行を関所から「抜け」させてやることを決意する。己に
とっては不利になることも許容する懐の深い富樫であった。菊五郎の冨樫は、男が男
に惚れて、死をも辞さずという思い入れが、観客に伝わって来たのだと思う。菊五郎
は、科白だけでなく、歩き方、姿勢も良い。

「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、名舞踊、名ドラマ、と芝居のエ
キスの全てが揃っている。これで、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあきない
のは、当然だろう。

幸四郎の世話もののおもしろさ

「盲長屋梅加賀鳶」は、梅吉、道玄のふた役に幸四郎。私は、9回目の拝見で、馴染
みの演目。この芝居は、河竹黙阿弥の原作で、本来は、「加賀鳶」の梅吉(道玄とふ
た役早替わり)を軸にした物語と窓のない加賀候の長屋「盲長屋」にひっかけて、盲
人の按摩(実際は、贋の盲人だが)の道玄らが住む本郷菊坂の裏長屋「盲長屋」の物
語という、ふたつの違った物語が、同時期に別々に進行する、いわゆる「てれこ」構
造の展開がみそ。しかし、最近では、序幕の加賀鳶の勢揃い(「加賀鳶」の方は、
「本郷通町木戸前勢揃い」という、雑誌ならば、巻頭グラビアのような形で、多数の
鳶たちに扮した役者が勢ぞろいして、七五調の「ツラネ」という独特の科白廻しを聞
かせてみせるという場面のみが、上演される)を見せた後、加賀鳶の松蔵(梅玉)
が、道玄(幸四郎)の殺人現場である「御茶の水土手際」でのすれ違い、「竹町質見
世」の「伊勢屋」の店頭での強請の道玄との丁々発止の末に、道玄の犯行(強盗殺人
と強請)を暴くという接点で、ふたつの物語を結び付けるだけで、主筋は、専ら道玄
の物語に収斂させている。

道玄は、偽の盲で、按摩だが、殺しもすれば、盗みもする、不倫の果てに、女房にド
メスティク・バイオレンスを振るうし、女房の姪をネタに姪の奉公先に強請にも行こ
うという、小悪党。それでいて、可笑し味も滲ませる人柄。悪党と道化が、共存して
いるのが、道玄の持ち味の筈だ。

初演した五代目菊五郎は、小悪党を強調していたという。六代目菊五郎になって、悪
党と道化の二重性に役柄を膨らませる工夫をしたという。現在の観客の眼から見れ
ば、六代目の工夫が正解だろうと思う。偽の盲で、按摩、小悪党、可笑し味も滲ませ
る人柄。今回の幸四郎もこれを継承していて、おもしろい。

私が観た梅吉と道玄のふた役は、幸四郎(今回含め、3)、富十郎(2)、菊五郎
(2)、猿之助、團十郎。世話もの主演では、「後発」の高麗屋の舞台をいつの間に
か多く観かけるようになった。幸四郎は積極的に世話ものにチャレンジしている。

印象に残るのは、道玄役では、團十郎が普段から剃っている頭と生来の大きな目玉の
効用があり、よかった。最初にこの演目を観た富十郎も、大詰第二場の「加州候表門
の場」が、印象に残る。菊五郎も、こういう役は巧いが、大詰の場面は、富十郎に叶
わない。私が見た道玄では、小悪党の凄み、狡さと滑稽さをバランス良く両立させ
て、ピカイチだったのは、富十郎であった。時代ものでは、オーバーアクション気味
の幸四郎も、世話ものでは、肩の力を抜くのか、アクションが穏当で、なかなか良
い。質見世での強請を終えて、帰る際の道玄の姿勢、足の運びに味がある。3回も観
ているとすっかり馴染んで来たように思う。亡くなった富十郎や團十郎の穴を埋めて
くれるだろうか。

「日本振袖始 〜大蛇退治〜」は、4回目の拝見。今回の主な配役。岩長姫(いわな
がひめ)、実は、八岐大蛇(やまたのおろち)に玉三郎。相手役に抜擢されたのが、
歌六の長男、米吉。素盞鳴尊に勘九郎という配役。岩長姫、実は、八岐大蛇を演じる
玉三郎を私が観るのは3回目となる。玉三郎自身は、今回は4回目の主演。

この演目は、1971年12月、国立劇場で戸部銀作脚色・演出で六代目歌右衛門が
初演した。歌右衛門は1984年5月の歌舞伎座でも再演しているが、その後、芝
翫、玉三郎、魁春が演じている。特に、玉三郎は、真女形として、歌右衛門の後継者
を目指そうという思いが強いだろうから、再演ごとに「素盞鳴尊の大蛇退治」に収斂
するように、新たな振付けを工夫しては、定期的に上演しているという。

私が観た岩長姫、実は、八岐大蛇:玉三郎(今回含め、3)、魁春。稲田姫:芝雀、
福助、梅丸、今回は、米吉。素盞鳴尊:左團次、染五郎、梅玉、今回は、勘九郎。

出雲国簸(ひ)の川川上に生息する八岐大蛇に生け贄とされた稲田姫を素盞鳴尊が助
けるという日本神話が素材。八岐大蛇は、化身も醜女の岩長姫で、この醜女が美女た
ちに逆恨みの気持ちを抱いて、毎年美女を喰い殺すという話である。

簸の川川上は、鬱蒼とした深山の体。舞台中央から下手にかけて、程よく、8つの壺
(毒酒が入っている)が置かれている。上手寄りには、生け贄を待機させる高棚があ
る。ここに白無垢の振り袖に水色帯を付けた(死に装束)稲田姫(米吉)が村人の手
で人身御供にされて、横たわっている。花道七三の「すっぽん」から赤姫の扮装で白
布に黒雲模様のかつぎで上半身を隠した何者かが上がって来る。岩長姫(玉三郎)の
登場。赤姫だが、瀧夜叉姫のような不気味さ。壺の酒を飲み漁る岩長姫。酔いを深め
ながら岩長姫が踊るのが、「八雲猩々(やくもしょうじょう)」。

やがて、最大の見せ場へ。八岐大蛇の化身で、醜女の赤姫とはいえ、若い女性(岩長
姫)が、生け贄の若い女性(稲田姫)を呑み込もうとする、妖しくも、エロチックな
場面へと展開して行く。岩長姫は、裂けた口を大きく開けて、稲田姫を呑み込もうと
する。瞬間、気付く稲田姫。起き上がるが、上からのしかかるようにして、岩長姫は
稲田姫を呑み込もうと迫って来る。それを避けようと逆海老に反り返る稲田姫。打掛
けを頭から被った玉三郎の岩長姫は、稲田姫の体の上に、のしかかってゆく。セク
シャルな所作である。女性(にょしょう)の裸身を呑み込もうとする八岐大蛇の姿
が、鬼女と二重写しに見える。その瞬間。それに合わせるように高棚は、地下に沈ん
で行く。レズビアンの極地のような、輝かしい性愛の場面が、一瞬のうちに立ち消え
る。

上手の竹本連中の山台が霞幕で覆われる。下手奥から大薩摩連中の登場。音楽の荒
事。杵屋勝四郎、三味線方は、和歌山富之。終わると、霞幕が除(よ)けられ再び、
竹本連中。花道より素盞鳴尊(勘九郎)登場。

高棚から赤い袴の巫女姿で、白地に黒雲模様の打ち掛け、4本の金色の角を生やした
鬼女(玉三郎)が登場する。ぶっかえりで、衣装を替えると、金地に黒い鱗模様とな
り八岐大蛇へ。まさに大蛇の体(てい)。

上手奥から、さらに、八岐大蛇の分身(玉三郎と全く同じ扮装)の7人が飛び出して
来る。玉三郎を含めて、8つの身に変じている。八岐大蛇が、いよいよ、正体を顕し
たのだ。8つの身は、分身であり、また、大蛇の全身でもある。所作で8人は繋がっ
て、一つの蛇体になってみせたり、分裂してみせたりしながら、大蛇の大きさを表現
する。八岐大蛇は果敢に素盞鳴尊に立ち向う。立回りでは、互角の戦いが続く。

玉三郎の背後から、八岐大蛇の腹を中から「羽々斬(はばきり)の剣」で突き破っ
て、出て来た体(てい)で、稲田姫(米吉)が姿を見せる。

「羽々斬の剣」と八岐大蛇から取り戻した「十握(とつか)の宝剣」の2刀を素盞鳴
尊(勘九郎)に手渡す稲田姫。ふたつの剣を持った素盞鳴尊は、八岐大蛇を退治す
る。舞台下手から上手に向けて、稲田姫(米吉)、素盞鳴尊(勘九郎)、八岐大蛇
(逆立ちの分身、逆L字形になる分身たち、立ち上がる玉三郎)へと連なる。玉三郎
は、二段に乗り、大見得。それが、連鎖して見えて来ると、全員で引張りの見得とな
り、幕。
- 2014年3月12日(水) 15:43:31
14年03月歌舞伎座・鳳凰祭(昼/「壽曽我対面」「身替座禅」「封印切」「二人
藤娘」)


初見の「二人藤娘」。歌舞伎座杮葺落の掉尾は、福助から玉三郎へ転換


九代目中村福助の七代目歌右衛門襲名披露の舞台(当初、3、4月の歌舞伎座興行を
予定していた)が、福助の脳内出血の後遺症と合併症の治療ということで延期にな
り、代わりに急遽興行が打たれたのが「鳳凰祭」であった。福助の歌右衛門襲名に共
演するべくノミネートされていた役者たちを軸に、それでいて福助を除いて上演する
ということなのだろうが、成駒屋の大名跡を継ぐ興行の代わりだけに配役は豪華であ
る。

馴染みの演目の新しい観方

昼の部は、馴染みの演目が多い。配役は変わっているけれど、何回も観たという演目
をどう楽しむのか。昼の部の3演目を具体的に観ながら、「大原流」の楽しみ方を記
録しておこう。

その1)「壽曽我対面」。この演目、私は、10回目の拝見。今回は、曽我五郎十郎
を福助弟の橋之助、松嶋屋の御曹司・孝太郎(仁左衛門の長男)というコンビで演じ
る。工藤祐経は、六代目歌右衛門養子で、かつての八代目中村福助こと、梅玉。小林
朝比奈の代わりに妹・舞鶴に六代目歌右衛門養子の魁春(梅玉の弟)という顔ぶれ。
「対面」の舞台は、歌舞伎座杮葺落興行〈13年4月から14年3月まで〉では、実
は2回目。前回、13年6月は、五郎十郎が、海老蔵と菊之助、工藤祐経は、仁左衛
門。舞鶴に孝太郎という顔ぶれであった。

配役が変われども、いつものことながら、「対面」の魅力は、色彩豊かな絵のような
舞台と、登場人物の華麗な衣装と渡り科白、背景代わりの並び大名の化粧声など歌舞
伎独特の舞台構成と演出で、短編ながら、十二分に観客を魅了する特性を持っている
ことをまず味わう。歌舞伎の主要な役柄が揃い、一座の役者のさまざまな力量を、顔
見世のように見せることができる舞台というも頭に入れておこう。

私が観た工藤祐経は、富十郎(2)、團十郎(2)、三津五郎、幸四郎、吉右衛門、
仁左衛門、そして今回は、梅玉。高座に座り込み、一睨みで曽我兄弟の正体を見抜く
眼力を発揮するのが、工藤祐経役者。曽我十郎は、菊之助(3)、梅玉(2)、菊五
郎(2)、橋之助、そして今回は、孝太郎。五郎は、三津五郎(3)、海老蔵
(2)、我當、團十郎、吉右衛門、そして今回は、橋之助。

この演目は、正月、工藤祐経館での新年の祝いの席に祐経を親の敵と狙う曽我兄弟が
闖入する。やり取りの末、富士の裾野の狩場で、いずれ討たれると約束し、狩場の通
行証を「お年玉」としてくれてやるというだけの話。筋らしい筋も無い芝居である。
それでいて上演回数の多い馴染みの演目。どこを観るか。何に気づくか。前回、6月
の劇評では、工藤祐経を軸に論じてみたので、今回は、別の視点で論じてみたい。そ
こで付けたタイトルが、「円の中心と円周」。

この舞台は、五郎十郎と工藤祐経という3者の芝居である。幾何学の円形に例えれ
ば、工藤祐経が円の中心で、五郎十郎が、その中心の廻りをぐるぐる廻って、円形を
描くという所作事(踊り)のように見える。この円形が舞台で浮き上がってくるよう
に見えれば、大部屋役者が演じる「並び大名」だけが、いわば背景というにだけに留
まらず、大磯の虎(芝雀)、舞鶴(魁春)、化粧坂少将(児太郎)、近江小藤太(松
江)、八幡三郎(歌昇)、鬼王新左衛門(歌六)らも皆、いわば背景であろうと思え
るだろう。

その「証拠」というわけではないが、五郎十郎を支える後見が、鬘を着けた裃後見で
あるのに対して、そのほかのサポートは、黒衣の後見であった。後見を区別してい
る。工藤祐経という求心力のあるスポットに五郎十郎がふたつの人工衛星のように軌
道を描く所作事を踊って見せる、というわけだ。その他の役者は、円周上の2点〈五
郎十郎〉と円の中心(工藤祐経)が静止した時に現れる、3角形を際立たせるための
背景になるということだろう。これが見えてくると、「対面」の世界が、違って観え
てくる。

その2〉「身替座禅」。この演目は、12回目の拝見。今回は、菊五郎の右京、吉右
衛門の奥方・玉の井、という人間国宝コンビという豪華さ。太郎冠者は、又五郎。右
京の人の良さと奥方の玉の井の嫉妬深さを対比する笑劇というイメージの鮮明な演
目。玉の井は、醜女で、悋気が烈しく、強気であることが必要だろう。浮気で、人が
良くて、脇が甘くて、気弱な右京との対比が、この狂言のユニークさを担保する。

先ず、配役から。私が観た右京:菊五郎(今回含め、4)、富十郎(2)、勘九郎時
代を含めて勘三郎(2)、猿之助、團十郎、仁左衛門、錦之助。中でも、菊五郎の右
京には、巧さだけではない、味があった。特に、右京の酔いを現す演技が巧い。従っ
て、右京というと菊五郎の顔が浮かんで来る。

右京の奥方、玉の井では、吉右衛門(今回含めて、3)、三津五郎(2)、宗十郎、
田之助、團十郎、仁左衛門、左團次、段四郎、彦三郎。田之助を除いて、立役が、武
骨さを滲ませながら、女形を演じる。そこが、この演目のおもしろさだ。立役が出す
女形の声、「甲(かん)の声」を聞くのも楽しみ。私が観た吉右衛門の玉の井役の過
去2回では、右京役は、いずれも富十郎であった。富十郎と吉右衛門野コンビも良
かったが、菊吉、菊五郎と吉右衛門のコンビも絶品。菊吉では、過去に1回だけ。3
0年前、84年1月の浅草公会堂で演じている。そういう意味では、「身替座禅」、
30年ぶりのコンビ復活。

贅言;菊五郎の人柄だろう。1)舞台下手より出て来た右京〈菊五郎〉は、上手のい
つものところで腰掛に座る場面だが、初日、袴後見が腰掛を持って来るタイミングが
少し遅かった。それに気づいた菊五郎は、中腰で、暫くポーズをとって待っていた。
かすかに苦笑いを滲ませた菊五郎が印象に残る。もうひとりの後見がさりげなく相方
に合図をした。それに気づいて相方が、腰掛を持って行った。2)花子との逢引を終
えて、心地よい情事の残り香と酔いを感じさせながら右京が花道に再登場し、七三辺
りに差し掛かると、大向こうから「お疲れさま」と声が掛かった。菊五郎だから、こ
ういう声もかけ易いのだろう。3月歌舞伎の初日なので、山川静夫さんが3階の大向
う席に居たが、この掛け声は、山川さんではなかったと思う。

その3)上方歌舞伎「封印切」は、9回目。このうち、「新口村」との通しで観たの
は、05年6月と07年10月の、いずれも、歌舞伎座で、2回ある。今回含め、7
回は、「封印切」のみの拝見。

今回は、ことのほか、上方味濃厚で、そこを噛み締めながら舞台を観ると昼の部の見
どころのひとつとなった。忠兵衛に人間国宝の坂田藤十郎。山城屋。梅川に息子(藤
十郎次男)の扇雀。憎まれ役の八右衛門に藤十郎長男の翫雀。上方の成駒屋。治右衛
門に我當、井筒屋おえんに秀太郎(我當の弟)。松嶋屋。藤十郎を軸に成駒屋と松嶋
屋が、科白廻し、大道具、演出などで、濃厚な上方味を堪能させてくれたというわけ
だ。

私が観た主な配役では、忠兵衛は、鴈治郎時代を含めて藤十郎(今回含め、5)、扇
雀(2)、勘九郎時代の勘三郎、染五郎。梅川は、扇雀(今回含め、3)、孝太郎
(2)、時蔵(2)、愛之助(2)。八右衛門は、孝夫時代を含めて仁左衛門
(3)、三津五郎(2)、六代目松助(2)、我當、今回は、翫雀。おえんは、秀太
郎(今回含め、5)、竹三郎(2)、東蔵、田之助。治右衛門は、我當〈今回含め、
2〉、秀調(2)、芦燕、富十郎、左團次、東蔵、歌六。

「封印切」の演出には、上方型と江戸型がある。上方型の演出では、井筒屋の店表の
場面。大道具の2階へ通じる階段が違う。階段は舞台上手奥に横に据えられるが、上
方型では、階段箪笥が仕込まれた階段が使われる。それだけで、舞台から上方味が滲
んで来るように思う。江戸型は、階段のみ。階段箪笥の前に、火鉢が置いてある。こ
の火鉢は、後に、忠兵衛対八右衛門の対決の際の、重要な小道具となるのは、皆、同
じ。

今回は、珍しく、この階段が、舞台中央上手寄りで、客席に向って降りて来るという
配置だった。こういう階段は、初めて観たと思う。その上、階段の上部、2階に近い
ところに井桁の格子窓があり、この位置だと、2階から降りて来る役者が、窓の位置
に掛かると、恰も額縁の中に収まったように見える。

井筒屋の裏手の場面は、上方型は、「離れ座敷」。江戸型は、井筒屋の「塀外」の場
面となる、というのも上方型の演出と江戸型演出の大きな違いだ。私が観た舞台で
は、江戸型は、勘九郎時代の勘三郎が忠兵衛を演じた96年11月と染五郎が忠兵衛
を演じた05年6月の、いずれも歌舞伎座の舞台だけで、あとは、すべて上方型で
あった。

今回も上方型で、大道具よりも、上方味が濃厚なのは、何と言っても、科白廻し。忠
兵衛の坂田藤十郎、梅川の扇雀、八右衛門の翫雀、おえんの秀太郎、治右衛門の我當
という顔ぶれを見れば、上方型も、役者が極度に「純粋系」であることが、容易に知
れよう。丁々発止と、上方弁の科白が行き交う。

忠兵衛は、大和という田舎から出て来たゆえに、生き馬の目を抜くような都会大坂の
怖さを知らず、脇の甘く、小心なくせに、軽率で剽軽、短気で、浅慮な「逆上男」で
ある。地に足が着いていない。女性に優しいけれど、エゴイスト。セルフコントロー
ルも苦手な男。震える手で、感情のままに、次々と公金の封印を切ってしまう。破滅
型。封印を切り、死への扉を自ら開けてしまう。藤十郎は、羽織の使い方から足の指
先まで計算し尽くした演技で、上方男を完璧に描いて行く。逆上して、封印切をした
後、忠兵衛の腹の辺りから、封印を解かれた小判が、血のように迸る場面は、いつ見
ても、圧巻だ。

花道の引っ込みは、同じ上方型とはいえども、松嶋屋の型と成駒屋の型とは違う。梅
川・忠兵衛が手を繋いで行く「死出の道行」が、松嶋屋の型。一方、梅川を仲居や太
鼓持と共に、先に行かせて、遊廓の西の大門(出入り口)での別れをさせておいて、
忠兵衛のみが、「ゆっくり」と舞台に残り、世話になったおえんへの礼(門出の祝儀
とあわせて、自分らの弔いの費用を渡す)もたっぷりに、また、大罪を犯した「逆上
男」の後悔の心情をも、たっぷり見せるのが、成駒屋の型。今回の山城屋は、当然、
成駒屋型。柝の頭で、上手より、定式幕が、ゆっくりと閉められて行く。七三から、
急に早足になる忠兵衛。井筒屋の門口に、魂の抜かれたように佇むおえん。おえんを
隠すように、幕が、閉まって行く。

玉三郎の挑戦

「二人(ににん)藤娘」は、初見。昼の部のハイライト。今回が歌舞伎座初演の演
目。初演の由縁は、「二人」という演出ゆえ。「二人」とは、一人(ひとり)立ちの
趣向の所作事を、連れ舞仕立てにするというもの。馴染みの演目を清新に見せる演出
の工夫。

今回の「二人藤娘」では、玉三郎と七之助のふたりとも藤の精を演じる。同工異曲の
「二人道成寺」(正式な外題は、「京鹿子娘二人道成寺」)は、玉三郎と菊之助のコ
ンビで観ているが、籠められたメッセージは、大分違う。「二人道成寺」は、最近で
は、13年5月の歌舞伎座新開場杮葺落興行で上演された。この舞台は、人間国宝の
玉三郎の胸を借りて菊之助が、5回目の挑戦であった。私は、このうち、4回を観た
ことになる。その時の劇評で、「5月の歌舞伎座の圧巻は、何といっても「京鹿子娘
二人道成寺」であったと、思う。巧さの玉三郎、若さの菊之助」と私は書いている。

「道成寺もの」は、恋に破れた娘の怨念が、亡霊となって、恨みを晴らすというもの
で、玉三郎初演の「二人道成寺」は、生身の娘と亡霊の娘という次元を異にする二体
に見分ける演出(恐ろしい想定ゆえ、海外公演では受けにくいという)だったが、
「二人藤娘」は、ふたりとも「大津絵」から抜け出した藤の精(こちらの方が、外国
人には判り易いだろう)ということで、同次元のものが「ダブって見える」という趣
向になっているのだろう。ワンダーランド。幻惑される魅力。

玉三郎、七之助という新コンビの「二人藤娘」は、画家・小村雪岱の舞台美術原画に
戻るので、当然、ほかの役者の踊りとは振りが変わると、玉三郎は言う。ここ数年の
重鎮役者の逝去、病気休演が相次ぐ中で、役者の世代交代が進む。これについて、女
形の人間国宝・玉三郎は、役者全体を鳥瞰し、次のように語る。「踊れる役者はさら
に少ない。嘆いても始まらない。いないなら作るだけです。若手にチャンスを与える
のは、先を歩く者の責務でしょう」。玉三郎は、「二人道成寺」で菊之助を育て上げ
たことから、二番手として、七之助に目をつけたのだろう。さて、舞台……。

開幕前の暗転の中で、「若紫の十返りの……」と長唄が始まる。暫く置き唄。ぱっと
明りが一気に入ると、一本の巨大な松の木に藤が絡む背景が目に飛び込んで来る。枝
垂れた藤が舞台の上下手いっぱいに花々を拡げている。舞台中央には、白に近い薄い
黄色い衣装の藤娘(七之助)が後ろ姿で藤の小枝を持って佇んでいる。一方、花道七
三、すっぽんからは、黒地の衣装のもうひとりの藤娘〈玉三郎〉が、やはり、藤の小
枝を持って、せり上がって来る。「人目せき笠塗笠しゃんと……」で軽快な踊りとな
る。艶やかなクドキ、近江八景の読み込み、つれない男心と恋する女心の対比。

ふたりは、次々に衣装を替えながら(藤を模した色違いの衣装)、踊り続ける。色違
いだが、模様は同じ衣装。藤色、両肩を脱ぎ、赤い衣装を見せる。所作の優雅さ、体
の柔軟さ、初々しい雰囲気。玉三郎の方が、初々しく感じるのは、藝の力か。七之助
は、実年齢がストレートに反映される。若い役者の肉体と人間国宝の藝の力の肉体と
の対比。この辺りにふたりの現在の藝質の違いがあるように見受けられたのも、おも
しろい。

舞台は、上手に長唄連中。下手に四拍子。馴れぬ酒を飲まされ、藤の精が酔態を見せ
るのも妖艶。踊り地(賑やかな伴奏)に乗った手踊りのうちに、何時しか夕暮れとな
り、ふたりの藤の精は、花道から退場して行く(大津絵の中に戻って行く)。
- 2014年3月12日(水) 15:20:03
14年02月国立劇場・(人形浄瑠璃第三部/「御所桜堀川夜討」「本朝廿四孝」)


「御所桜堀川夜討」は、義経の兄・源頼朝への謀叛の疑念から兄弟の不和となり、そ
れに端を発して堀川御所の義経を攻めた土佐坊昌俊の、いわゆる「堀川夜討」を軸と
し、弁慶の恋を織り交ぜた全五段の時代もの人形浄瑠璃作品(文耕堂と三好松洛の合
作)。1737(元文2)年、大坂の竹本座で初演された。

「御所桜堀川夜討」のうち、今回は「弁慶上使の段」を上演。「御所桜堀河夜討」の
三段目の切なので、通称「御所三」、「弁慶上使」(略して「弁上」)、あるいは、
「かたみの片袖」と言われる場面。女性に縁のない弁慶、泣かぬ弁慶という、作られ
た「伝説」(鎌倉初期の僧。熊野の別当の子。幼名、鬼若丸、長じて比叡山にて、武
蔵坊弁慶と号し、義経に仕えたと言うが、存在自体伝説化しているので、史実かどう
かは疑わしい)への、弁慶の抵抗(レジスタンス)、いや、合作者である文耕堂と三
好松洛の挑戦であっただろう。恋をし、かつての恋人と再会をし、女性との間にでき
た娘を卿の君の身替わりにするために殺してしまい、大泣きもする父親・弁慶像とい
うものを新しく作り上げた。

ふた組の夫婦の物語でもある。義経の御台所である卿の君の乳人・侍従太郎と妻・花
の井の夫婦。上使の弁慶と17年ぶりに初恋の人と再会したおわさの夫婦。ふたりの
間に出来た信夫(しのぶ)という娘(侍従太郎家の腰元をしている)。おわさは、娘
の奉公ぶりと身重の卿の君(身重ながら「赤姫」の扮装)のお見舞いに侍従太郎の館
にやって来る。おわさが安産祈願のお守りとして、「海馬(かいば)」(タツノオト
シゴ)を持ってくるので、通称「海馬」ともいう。いろいろ通称があるのも、人気演
目ならではのこと。最後には、花の井とおわさ、というふたりの女性のみが取り残さ
れることになる。

幕が開くと、卿の君の乳人・侍従太郎の館。舞台中央には、満開の桜、火焔太鼓とお
幕という図柄の襖。ユニークで、デザイン的にも、印象に残るモダーンな図柄。華や
かな舞台。下手よりおわさを迎え、女たち(おわさの娘で腰元の信夫、花の井、卿の
君)が賑やかにおしゃべりしている。やがて、下手より義経の使いとして、弁慶が
やって来る。ここで、悲劇が始まる。

侍従太郎も上使・弁慶を迎える。使者としての正装で烏帽子を被り黒い大紋、長袴を
着た弁慶(人形遣:玉也)は、卿の君と侍従夫婦に重要な話があると奥へ入って行
く。残されたおわさは、水入らずで、娘の信夫との久しぶりの対面を喜ぶ。しかし、
それもつかの間…。

おわさと弁慶。
*以下、おわさが演じる三態。
1)母性愛。針女(しんみょう、裁縫師)おわさ。34歳の母として、おわさ(和
生)はわが子・信夫(一輔)と久しぶりの親子の対面をし、母親らしさを出す。その
後、上使・弁慶の意向を受けて、幼少より育て上げた義経正妻の卿の君(平家一族の
娘であることを理由に、頼朝は義経への疑惑を深める。義経潔白の証拠として、弁慶
に卿の君の首を取ってこいと命じる)の身替わりに、信夫の命を差し出せと侍従太郎
(文司)に言われても、困る。まして、娘の信夫が、「主従の義理」を重んじて、進
んで身替わりになると言っても、「母子の情」が勝るおわさは、娘を助けたい一心。
こういう母親の一途さも出さなければならない。

次いで、おわさは信夫の出生の秘密を打ち明ける。17年前の、二十二夜の月待の
夜、若き日の恋の相手であり、信夫の実の父親である、ひとりの男のことを告白す
る。未だ見ぬ父親と父子の名乗りをしない間は、娘を死なせるわけにはいかないと言
う。

2)女として。17歳の自分に戻り、我が娘の前で、母性を忘れ、恋する女性、可愛
らしい女性におわさは変身してしまう。恋の証拠として、見せるのが、「かたみの片
袖」(緋縮緬。濃い紅の地に筆や硯、孔雀の羽根などの文具の紋様の大振袖は、書写
山の稚児であった弁慶、当時の鬼若丸所縁のもの。闇の中での、「すれつ縺(もつ)
れつ相生(あいおい)の、松と松との若緑、露の契りが縁のはし」、「つい暗がりの
転(ころ)び寝に」というセックスの場面を追想した後、人の足音に驚いた弁慶が、
慌てて逃げ出し、「振り切り急ぎ往く拍子、ちぎれて」おわさの手に残したのが、
「この片袖」というわけだ。

3)半狂乱。そして、信夫を襖の隙間から刀で刺した上使の弁慶が、おわさと同じ紋
様の襦袢を着ていることが判明する。おわさにとって、「顔も知らず名も知らぬ」稚
児が、実は、今の弁慶だったと知ることになる。卿の君の身替わりとして死んで行く
娘のために、「逢ひたい逢ひたいと、尋ねさまよひ国々を、廻り廻りて今ここで、逢
はぬがましであったもの」と、半狂乱のおわさ。娘は目も見えず、耳も聞こえないま
ま亡くなる(自分を殺した男が父親とも知らずに)。おわさが夫と判った弁慶は、
「男たちの世界」戻って行ってしまう。おわさ一人が取り残される。母子の別れ。夫
婦の別れ。

*弁慶の大泣き。
弁慶は、役目に忠実な組織人としての役目ゆえ、非情にも娘を殺してしまったと大泣
きする。弁慶の父親としての最初の行為が娘殺害。男の身勝手さ。『泣かぬ弁慶』は
自分が殺してしまった娘・信夫に対する父親の私情を一度だけ大泣きをするというこ
とで、噴出させる。大泣きする弁慶は、きっと、おわさに恋した自分を思い出し、殺
した娘への哀れみを思い出し、という心境なのだろう。「ほかには泣かぬ弁慶が三十
余年の、溜め涙一度に乱すぞ果てしなき」。父子の別れ。

歌舞伎では、偽の卿の君の首(紅布に包まれている)の担保にと追腹を切ったように
見せ掛けるために、己の首を差し出した侍従太郎(白布に包まれている)。「辛いの
う、ご同役」といったところか。紅白の首を両脇に抱えて、堀川御所へ、修羅の世界
へと、戻って行く弁慶も哀れだ。

贅言;人形の弁慶の首(かしら)は、「大団七」という首で、烏帽子、毬栗の鬘に黒
い大紋、長袴姿だが、歌舞伎では、黒い大紋、長袴姿は同じでも、鳥居隈、毬栗に車
鬢と荒事風の派手さがある。大紋の下には、大振袖の赤の襦袢。契りの「かたみ」。
つまり、弁慶の下着は、左袖が短く、右袖が長い大振袖という恰好のものを着てい
る。

*侍従太郎と花の井という夫婦。
信夫殺しを仕掛けた侍従太郎は、卿の君殺害の責任をとって、追い腹を切った形を取
り繕い、実は、鎌倉方を欺く偽首工作の担保にしようとする。侍従太郎の妻・花の井
(簑二郎)。太郎に付き従い、舞台に出ている時間が長い割に仕どころが少ない。夫
を死なせてしまい、花の井も一人で取り残される。夫婦の別れ。

浄瑠璃語りは、「中」が竹本三輪大夫、三味線方・鶴澤清馗。「奥」が豊竹英大夫、
三味線方・竹澤團七。人形遣は、弁慶が玉也、おわさは和生。


見応えのある「本朝廿四孝」


「本朝廿四孝」。今回は、「十種香の段」と「奥庭狐火の段」。歌舞伎では、何回も
観ている。今回の人形浄瑠璃での上演の楽しみは、「十種香の段」の「切」、豊竹嶋
大夫の語り。「奥庭狐火の段」の人間国宝の鶴澤清治の三味線。「十種香の段」の八
重垣姫を操る人間国宝の吉田簑助、腰元濡衣を操るもうひとりの人間国宝の吉田文
雀、それに、「奥庭狐火の段」の八重垣姫を操る桐竹勘十郎、といったところか。

「十種香」で最初に舞台に姿を見せるのは、花作り簑作、実は、武田勝頼(人形遣
は、吉田玉女)である。金地に花丸の襖を開けて出て来る。衣装は、歌舞伎なら赤と
紫の派手なものだが、人形浄瑠璃の衣装は、橙色に若緑という落着いた配色。

武田信玄と上杉(長尾)謙信(桐竹勘壽)が、天下取りを掛けて争っている時代。謙
信館の襖を開けて出て来て、歌舞伎では、舞台中央で静止するだけで、役者は、勝頼
らしい風格を演じなければならない。

人形浄瑠璃の花作り簑作は、静かながら、座敷の中を動き回る。中央から、上手・前
へ行き、後ろ姿で一旦静止。奥へ向って大きく廻り、下手・前へ行き、前を向いて静
止。中央へ戻り、前を向いて座る。

花作り簑作は、濡衣の夫、勝頼は、八重垣姫の許婚。ここに登場した花作り簑作、実
は、勝頼ということで、贋の花作り簑作。濡衣とは、表向き、夫婦の関係(八重垣姫
が嫉妬する)。密かには、武田方のスパイ同士でもある。だから、謙信には、正体を
見破られないように注意している。しかし、謙信は、とっくに、花作り簑作が勝頼だ
と見抜いている。

許婚の八重垣姫も、恋する人の直感で贋の花作り簑作の正体(つまり、この男は本物
の勝頼)を見抜いている。そういう人間関係の中に、花作り簑作、実は、勝頼は、い
るのである。

「十種香の段」では、「したい・姫」の八重垣姫は、積極的な女性。姫の熱情の恋
が、「翼が欲しい羽根が欲しい」と直情径行で、「奥庭狐火」の場面で奇蹟を起こす
物語である。直情的なピュアな愛は、超能力を呼ぶ、ということか。「いっそ、殺し
て殺してと」という八重垣姫の燃える恋の声を代弁する語りが、切実である。その前
に出て来る「(勝頼の)お声を聞きたい聞きたい」というリフレインの科白同様に、
浄瑠璃の語りだからこそ成立する。歌舞伎のように役者の生の科白では、成立しない
という語りの科白が、「十種香」には、いくつかあるので、難しい。科白では、出せ
ないリズムが、人形時代浄瑠璃の滋味として隠されているように思う。

舞台上手の障子が透けて見える。室内には、白梅に番の鴛鴦が描かれた大きな絵の上
に勝頼の絵姿の掛け軸が飾ってある。その前に赤姫が座っている。まず、赤姫の後ろ
姿(歌舞伎では、明治期の九代目團十郎以降の演出という)を観客に曝し、それだけ
で、姫の品格を出さなければならない八重垣姫。人形浄瑠璃も、同様に静止した後ろ
姿を見せるだけ。八重垣姫に「付き添っている」人形遣・吉田簑助も動かない。赤姫
の衣装を着た八重垣姫の後ろ姿は、打ちかけの裾が長々と広がって、上半身を起こし
て斜めに横たわっているように見える。赤い衣装に身を包んだスフィンクスの後ろ姿
のようだ。美しい。

贅言;後で気がついたが、このように衣装の裾を拡げた後ろ姿を見せるために、通
常、三人遣の人形遣が5人は居て、ふたりは、遊軍的に三人遣を補佐していた。そう
しなければ、衣装の裾を拡げた後ろ姿を維持できないだろう。この演出は、素晴らし
かった。

勝頼回向のため、八重垣姫が焚く香の匂いは、噎せ返るほどの恋の香だ。やがて、上
手の障子が開いて、出て来て、立って、座って。八重垣姫の「柱巻き」の姿は、人形
も、やはり、美しかった。八重垣姫は、あられもないほど、勝頼に対する一途な気持
ちを表す。女形の人形を遣う簑助は、人形の感情に合わせて滲み出るような色気を顔
の表情にも出す人だが、今回の簑助は、表情に乏しいように見受けられたのが、気に
なった。

舞台下手の障子の間。障子が開くと、腰元濡衣が出て来る。濡衣は、本来、腰元とし
て花作り簑作、実は、勝頼に密かに仕える身(つまり、勝頼とともに、謙信館に潜り
込んだ武田方のスパイである)、濡衣は、謎を秘めた、臈長けた女の色気を滲ませな
ければならない。八重垣姫が嫉妬するほどに……。人形遣は、吉田文雀。文雀も、い
つもより、表情が乏しいようだ。これも気になる。

引き道具と書割で舞台転換。奥庭へ。書割は、諏訪湖。下手から差し金で操る狐火。
中央に石灯籠。上手に諏訪大明神の神殿。御簾が下がっている。下手奥から勘十郎の
操る狐が出て来る。やがて、勘十郎の早替りで、八重垣姫へ。

「奥庭狐火の段」。八重垣姫(勘十郎)は、謙信が放った刺客ふたりが陸路を行く勝
頼に追い付く前に危急を知らせたいので、奥庭の神殿(諏訪明神)で祈念する。女の
脚で追いかけても、間に合わない。氷の張った諏訪湖は、船が使えない。神頼みしか
ない。

「奥庭狐火の段」は、幻想的で、視覚的な意味でもハイライトの場面。勘十郎を軸に
した八重垣姫と諏訪明神の白狐たちの演出は、「鏡獅子」の毛振りのイメージと観
た。諏訪法性(すわほうしょう)の兜に付けられた長く白い毛が、それをイメージさ
せる。兜は、差し金で、宙を舞う。4匹の白狐(人形遣は、皆、顔出しの一人遣)と
の群舞が、ダイナミック。狐火の八重垣姫は、桐竹勘十郎が操る。狐は、石灯籠の中
から姿を見せ、神殿の壇の下に姿を隠す。八重垣姫が諏訪法性の兜を池の水面に映す
と池の中に狐の顔が何度も映し出される。兜とともに、凍った諏訪湖を行ければ、姫
の脚でも、刺客より前に勝頼に追い付くだろうという思いがある。諏訪湖の御御渡
(おみわた)りのように湖面を直線で渡るという奇瑞(きずい)成就を願う。「鏡獅
子」の毛振りのイメージそのままに、その願いの気持ちが激しい群舞となる、という
演出だ。語りは豊竹呂勢大夫。三味線方は。人間国宝の鶴澤清治。ツレは鶴澤清志
郎。琴は鶴澤清公。

贅言;第三部は、午後9時終演。初日は、東京も大雪(最初の大雪。首都圏は内陸部
を中心に、一週間後、更なる大雪に見舞われた)。メトロ各線は、折り返し運転。私
も、まっすぐは帰れない。途中、1年ぶりの再会の知人とともに日本橋駅で下車。メ
トロの運行回復待ちの時間つぶし。午後11時に全線開通になったので、やっと、乗
車。各駅で時間調整するため、いつもの3倍ほどの時間をかけて、自宅最寄り駅に到
着。帰宅すると、日付は変更されていた。
- 2014年2月18日(火) 13:47:03
14年02月国立劇場・(人形浄瑠璃第二部/「染模様妹背門松」)


「世間」が闖入、オレたちに「野崎村」はない!


「染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)」は、初見。1767(明和4)
年、大坂豊竹此吉座で初演。豊竹光太夫で浄瑠璃を語っていた菅専助が浄瑠璃作者と
して名をあげた出世作という。菅専助は、後に「摂州合邦辻」(1773年初演)な
どの原作者として知られる。「お染久松もの」では、通称「野崎村」で知られる近松
半二らの「新版歌祭文」(1780年初演)と並ぶ名作。今回「世間」がテーマの芝
居として観た。以下、その視点で劇評をまとめてみたい。

「油店の段」。後の伏線の場面。大坂・瓦屋橋の橋筋にある大身代の質店・油店を巡
る「世間」とは……、ということで、さまざまな人間関係が紹介される。油店の娘・
お染に横恋慕する番頭の善六(人形遣:桐竹勘十郎)。店内に入っている「世間」の
典型。知り合いの大阪屋源右衛門(幸助)と結託し、お染の兄の多三郎(清五郎)を
罠にはめる。多三郎が借金までして200両で身請けした京村屋の遊女・おいと(紋
臣)に夢中になっていることを利用して多三郎を追い出し、あわよくば、お染の入り
婿になり、油店の主人に収まろうと狙っているのだ。源右衛門は、多三郎に貸した
「定家の色紙」が期日までに返って来なければ、おいとの身請けの権利は、源右衛門
に移転するという証文を持っている。多三郎追い落としの善六と源右衛門の共同作戦
であった。

お染には、許婚の山家屋清兵衛(玉志)、店の丁稚で恋人の久松(勘弥)が居るが、
まずは、油店に訪ねて来た清兵衛が、善六らの悪だくみを暴き出す。善六は、久松の
恋文を曝して、清兵衛の顔を潰そうとするが、清兵衛が、久松の恋文と拾った善六の
恋文と取り替えて読み上げたため、失敗する。大慌てで逃げ出す善六と源右衛門。誠
実で冷静な清兵衛が、いわば、案内役であり、トラブルの裁き役を勤める。お染さ
ん! 清兵衛は、いい人ですよね。渡る世間に鬼は無しでは……。しかし、……。

口三味線を使った笑劇(チャリ)で、お染久松のラブフェアー(店内の「世間」で
は、既に知られてしまっている)をからかう善六と源右衛門。この芝居は、小道具の
扱いが巧い。源右衛門から多三郎が借りて自宅の油店から300両(200両は、お
いとの身請けに使い、100両は源右衛門に貸している)を借りる際の質草にした
「定家の色紙」(本来の所有者は、源右衛門だが、実は、偽物。本物は、清兵衛が預
かり持っている)、烏賊の墨で書かれた証文(多三郎に渡された証文。時間が経て
ば、書いた文字が消えるという仕掛けになっている。従って、白紙になった証文で
は、源右衛門に貸した100両は、戻って来ないが、清兵衛が、仕掛けを暴く)、草
双紙の浄瑠璃本「お染久松袂の白絞り」、口三味線で使う箒、ふたつの恋文(久松と
善六のもの)など。小道具も豊富な上、効果的に使用されている。

贅言;小悪党・善六の魅力が、この段の芝居をおもしろくさせている。失敗するたび
に芝居の奥行きや幅が増す。小悪党ながら、憎めない。上方味の役どころ。それだけ
に、人形遣のエース、勘十郎が操る。「モウ世間ではもつぱらはやりやすぞへ。とて
もの事に私が、ちよつと語つてお聞かせ申しませう」と、浄瑠璃本「お染久松袂の白
絞り」を使い、「トツトモ成田屋海老蔵と云ふ心持ちで、えらいわえらいわ、……、
この本を、おれが頭へコレちよいのせぢや」と「三味線さぐり澤源右衛門」の口三味
線で、「竹本善六太夫」の語りでと笑わせる、通称「ちょいのせ」の場面は、おもし
ろ可笑しい。

この段、さまざまな人々の描写が実に生き生きとしている。善六を巡る人々の生命力
に押されてお染と久松は、背景画のごとし。語りは、「中」が咲甫大夫。「切」が咲
大夫。特に、咲大夫の語りは、床本に手を入れて工夫が施してある。油店の女主人・
おかつ(簑二郎)が、娘の許婚清兵衛を迎え入れる場面で、「この大雪の中、良く来
なされた。マア奥の炬燵へ」(初日の8日は、東京を含め2月最初の大雪の日であっ
た)。雪の中、初日の舞台を観に来た観客ばかりなので、場内には、笑いが広がる。
実は、苦笑い。第三部の終演は、午後9時前。帰りの足が確保できるかしら? ほか
にも、「倍返しにいたします」、「高んらかんに読むのは今でしょ」などの流行語が
随所に入れ込まれている。この段、1時間15分の長丁場で、咲大夫の熱演が続く。

現か、夢か

「生玉の段」。休憩の後、やっと、主役たち・お染久松のクローズアップの場面とな
る。地蔵巡りのお染久松が、上手から、相合い傘で現れる。ふたりして生玉神社に
やってきた。舞台上手の床几に並んで座る。下手には芝居小屋(人形浄瑠璃)。屋根
の上には、ふたつの幟。「竹本義…」、「吉田勘…」と読める。小屋には、「お染久
松歌祭文」という外題の看板。ふたりのことは、なぜか、「歌祭文」というメディ
ア、当時のマスコミに知られ、祭文として、出し物にされている。ふたりの世界に
「世間」が闖入してきている。心中する前から歌祭文にされているようでは、死なね
ばならぬと覚悟するふたり。

そこへ、油店から源右衛門とともに逃げ出した筈の善六が小屋裏より現れる。祭文は
先日の意趣返しに善六が仕組んだことだった。善六はマスコミを利用する方法を知っ
ていたのだ。それを聞き、久松は持っていた脇差しで善六を殺す。自害する久松。後
を追い、井戸に身投げするお染。語りは、久松:睦大夫、お染:芳穂大夫、善六:南
都大夫。三味線方は、野澤喜一朗、ツレ豊澤龍爾。

しかし、舞台上部に「夢」の文字が現れる。??

「世間」は、さらに姿を変えて、闖入!

「質店の段」は、物語のハイライト。質店の帳場でうたた寝していた久松が舞台下手
に現れた祭文売りの声で目を覚ます。上手、障子の間からお染も、同じ不吉な夢を見
ていたらしく、寝起きのまま、久松に別条ないかと慌てて出て来る。久松は、凶夢を
悟り、店の主人や清兵衛に迷惑をかけたからと死を覚悟する。しかし、お染には生き
ながらえて欲しいと言う。お染も「そりや聞こえませぬ伝兵衛さん」というおしゅん
と同じ気持ち。お染は、久松の子を身ごもっていた。それも昨晩、母親のおかつに知
られてしまった。生きてはいられない。「一緒に殺してたもいの」。母の呼ぶ声が聞
こえ、お染は奥へ戻る。

久松の父親・久作(和生)が「干蕪」を手みやげに、年頭歳暮の礼を兼ねて故郷の野
崎村から息子の奉公先を訪ねて来た。在所で嫁を貰うから戻ってこいと父親が息子に
言う。油店の女主人・おかつから届いた手紙で事情を知り、久松を連れ帰るべく、意
見をしにやって来たのだ。息子への土産にと買って来た革足袋で久松を打擲しながら
説教をする。通称「革足袋」という場面。

驚いてお染が駆けつける。母親のおかつも駆けつける。親たちは皆して、若いふたり
に別れろと言う。世間体を気にする肉親ほど厄介なものはない。

さまざまな「世間」が闖入してきて、若いふたりを死出の途へと後押しする。ここ
で、世間に繋がるのは、先の場面のような他人たちではなく、親たち。肉親たちが
「世間連合」を組み、若い恋人たちを追い詰めて行く。それに対抗して本心を隠しな
がら、久松は在所の野崎村へ帰ると誓う。「お染様の事はふつつりと思ひ切り、すぐ
に在所へ帰りませう」。お染も清兵衛に嫁ぐと約束する。「久松の事はとんとこれき
り、山家屋へ参ります」。それでも、ふたりが心中をするのを警戒する親たちは、久
松を蔵という「座敷牢」に閉じ込め、新年になったら、野崎村へ向わせることにし
た。「蔵へ急ぐは仮の牢」。語りは竹本千歳大夫。三味線方は、鶴澤清介。千歳節を
たっぷり。

実は、一家心中の悲劇

「蔵前の段」。引き道具と書割で場面転換。油店中庭の蔵前へ。下手に座敷。木戸、
白梅、上手に窓のある蔵。やがて、「世間」が正体を現し、若い家族は、一家心中
へ。

お染が、夜半に蔵前に忍んで来る。「恋路の闇の暗紛れ」。蔵の窓から顔を見せる久
松:「今生の逢ひ納め、……、世間一枚口の端に呼び唄はれてお情けの清兵衛のお顔
を汚し、死なねばならぬ私が命」。お染:「死んで未来の契りが楽しみ」。「五月越
せば人の形二人が仲の奔走子(ほんそご)、可哀や因果な腹に宿つて月日の光も見
ず、闇から闇に迷ふと思や身ふしが砕けていぢらしいわいの」。

下手座敷のお染の父親太郎兵衛(玉輝)の読経の声。「朝には紅顔あつて夕べには白
骨となれる身なり」(蓮如の「白骨の御文」)。座敷から出て来た父親は、「コリヤ
義理のある嫁入り、云はでも合点であろ、何かはおいて、仲人が両方のお年寄り、今
更変改してはお衆の顔も立たず本家を粗末にすると云はれては太郎兵衛、人中へ顔出
しがならぬ」。なんという親の身勝手。

その挙げ句、「早や元朝の暁近く/折から家内騒ぎたち/ははのおかつは走り出で/
『悲しや、お染が自害したわいの』、……、駆け来る久作/……「ヤア久松も首括く
くつた、アア可哀や」。お染が身ごもっていた胎児を含め、久松の一家は心中してし
まう。

世間の模範生・清兵衛に対して迷惑ばかり掛けて来たお染、久松という若いふたり
は、いい人・清兵衛ゆえに、これでは顔向けが出来ないと死んでしまう。いい人は怖
いですよね。渡る世間は鬼ばかり……。

贅言;お染久松が心中してしまうのでは、人気演目の「野崎村」(久松を生かして、
逃亡させる。舞台は一気に、「野崎村」へ。久作と後妻の連れ子の娘・お光。お光
が、久松の許嫁。後を追って来るお染。ふたりを一旦、大坂の店へ連れ戻す母親。本
花道(川)の船に乗る母親とお染。仮花道(土手)の駕篭に乗せられた久松。「さら
ば、さらばも遠ざかる、舟と堤は隔たれど」)が無くなる。人気演目の「野崎村」に
繋がるように、再び、善六が現れて蔵の扉を開けた隙にお染と久松を逃げ出して行く
という改作の上演も多い。善六は、トリックスターのようだ。今回は、原作通り、ふ
たりは世間に負けて、腹の子も道連れに一家揃って死んで行ってしまった。

語りは、文字久大夫。三味線方は、人間国宝・竹本源大夫の息子、鶴澤藤蔵。

外題解題。「染模様妹背門松」頭の「染」は、勿論、「お染」、末の「松」は、久
松。「模様」は、お染色の世界。お染めがリードする「心模様」。「妹背」は、恋人
たち。門松は、心中事件が発覚した元旦未明の佇まい。
- 2014年2月15日(土) 17:29:31
14年02月国立劇場・(人形浄瑠璃第一部/「七福神宝の入舩」「近頃河原の達
引」)


「七福神宝の入舩」は、初見。宝船の七福神。紅白の太い横縞の幕が舞台全面を覆っ
ている。幕振り落としで、舞台には大きな船。船には七福神(三人遣なので、7体の
人形のほかに21人の人形遣が乗り込んでいる)。浄瑠璃は、豊竹松香大夫、竹本津
国大夫ら、7人。三味線方も鶴澤清友、竹澤團吾ら7人。すべて、「7」ないし、
「7」の倍数。

幕末頃、素浄瑠璃で初演の演目。人形入りで上演するようになったのは、明治期。1
933(昭和8)年から、上演が途絶えていたが、61年1月、大阪の国立文楽劇場
で復活上演された。趣向は、七福神が御酒を嗜みながら、それぞれ、隠し芸を披露す
るというもの。七福神の新年会のような演目。

寿老人の琴(実際の音:三味線と琴)、布袋の腹鼓(太三味線)、大黒天の胡弓(胡
弓と三味線)、弁財天の琵琶(三味線)、恵比寿は釣り棹で船端を打って太鼓のつも
り(太三味線)、毘沙門(三味線)などの音も賑やか。福禄寿は長い頭に小さな獅子
頭を載せて、角兵衛獅子の真似。恵比寿は、えびすビールを飲みながら、鯛を釣り上
げるのも、ご愛嬌。胡弓と琴以外は、実際には三味線の音で表現する。


人間国宝・住大夫の語り


「近頃河原の達引」は、人形浄瑠璃では、2回目。前回は、3年前、11年9月国立
劇場だった。「四条河原の段」は無く、「堀川猿廻しの段」だけの上演だった。

1785(天明5)年に正本刊行。上中下の3巻構成。「四条河原の段」、「堀川猿
廻しの段」は、中の巻。歌舞伎も、06年3月、歌舞伎座で1回観ている。こちら
は、上方歌舞伎世話浄瑠璃の人気演目で、四条河原と猿廻しの場面だった。

「四条河原の段」は、今回初見。京・鴨川の四條河原で、伝兵衛による横溝官左衛門
殺しの場面が、見どころ。「達引」とは、意地を立て通して、張り合うことの意。ま
た、お俊・伝兵衛の心中事件は、聖護院の森で、実際にあったという。祇園の遊女丹
波屋のお俊(しゅん)と恋仲の井筒屋の若旦那・伝兵衛と横恋慕の侍・横溝官左衛門
の三角関係の果てに、京・鴨川の四條河原で、伝兵衛による横溝官左衛門殺しに発展
してしまう。それに、親孝行の猿廻しの話題を合体させたという。

浄瑠璃は、井筒屋伝兵衛:竹本文字久大夫、横溝官左衛門:豊竹靖大夫、仲買勘蔵:
竹本文字栄大夫、廻しの久八:豊竹咲甫大夫。三味線方は、竹澤宗助。

幕が開くと、黒幕を背景に柳の木が、一本ぽつんと立って居る。ものすごく降る雨、
寒風吹きすさぶ夜の鴨川の河原。下手から傘をさした侍・横溝官左衛門(人形遣は玉
志。以下、同様の表記)が濡れ鼠の勘蔵を引き連れて出て来る。官左衛門は井筒屋伝
兵衛が出入りする亀山家の勘定役。横恋慕の腹いせに、伝兵衛から300両を騙り
取っている。官左衛門は、将軍家所望の亀山家重宝「飛鳥川の茶入れ」を盗んでい
る。伝兵衛は全てを知っているらしい。なにもかも、官左衛門にとって憂っとおしい
伝兵衛だ。

勘蔵におしゅんを連れ出しに行かせる。一人残った官左衛門は柳陰に潜む。「屋敷か
らの急用。直ぐ来れ」と偽り、伝兵衛を誘き出しているからだ。やがて下手から、伝
兵衛を乗せた駕篭がやって来る。駕篭を襲う官左衛門。駕篭から転げ出てきた伝兵衛
(勘壽)。官左衛門は着物の両肩を脱ぎ、草履も脱ぎ捨て、傘で駕篭を倒し、立ち回
りとなる。黒幕が振り落とされると、四条河原。灯りの入った町遠見に橋が見える。
夕暮れの川岸に窓に灯りの入った二階屋が続く。

官左衛門に茶入れを戻すよう説得する伝兵衛。官左衛門は千両なら売ると嘯きなが
ら、茶入れを割ってしまう。堪忍袋の緒が切れて、伝兵衛は官左衛門の背に斬りつ
け、腹を刺し、官左衛門を斬り殺してしまう。

そこへ祇園の廻し男、久八が通りかかり、おしゅんを連れ出しに来た勘蔵をとらえて
詮議した結果、茶入れが偽物だと知ったと伝え、切腹しようとする伝兵衛を留め、助
ける。

頬被りをして今後の茶入れ詮議のために逃げ延びる伝兵衛。引き道具と書割で、場面
転換。盆が廻り、太夫、三味線方が交代する。

贅言;開幕前、ロビーで文字久大夫を見かけた。文楽協会の受付周辺で、ご贔屓客の
チケットの手渡しを手伝っていた。出番まで、第一部最初の演目の「七福神宝の入
舩」とその後の幕間の時間で1時間ほど余裕があるからだろう。愛想良く、観客と受
付の間を動き回っていた。


「堀川猿廻しの段」。盆が廻り、人間国宝の竹本住大夫登場。三味線方は野澤錦糸、
ツレが豊澤龍爾。殺人事件の後、伝兵衛の逃避行の場面が「堀川猿廻しの段」であ
る。京の堀川にあるみすぼらしい家。おしゅんの実家だ。上手、障子の間からおしゅ
んの母親が出て来る。母親(文昇)は、目が悪い。三味線教室を開いている。弟子の
おつるが、稽古に来る。人形に三味線を弾かせる場面が、結構、見せ場になってい
る。

三味線の糸を押さえる人形の指の動きが、実にリアルなのだ。左遣いは、右手で、人
形の左手、この場合は、指を動かしている。左手で、三味線の上の方を固定するため
の支えを持っている。三味線の稽古の場面は、三味線方の野澤錦糸にツレ三味線の豊
澤龍爾が付き、二連の演奏となる。

稽古が終わった頃、おしゅんの兄の猿廻しの与次郎(玉女)が外から帰って来る。お
しゅん(紋壽)も、実家に身を寄せている。侍殺しで、奉行所の役人に追われる伝兵
衛は、いずれ、実家にいるおしゅんを頼りに逃げ込んで来るかもしれない。そうなれ
ば、いずれ、奉行所の手が入る可能性は大である。伝兵衛が来れば、おしゅんは、恋
人との逃避行が始まるかもしれない。ふたりは心中を企てるかもしれない。そこで、
母と兄は、妹に殺人者伝兵衛への「退き状」(女からの縁切り状)を書かせる。そう
いう危機感に裏打ちされた切迫した状況で芝居は進む。

しかし、そこは、上方歌舞伎の演目。笑劇(チャリ場)を忘れない。庶民の日常生活
の細かな描写も、嬉しい。与次郎は、棚の上から、出がけに用意してあったと思われ
る食事の盆を取り出し、内輪の柄を使って、七輪の炭を叩いて、火の起こりを良く
し、食事を温める。目の不自由な母親の代わりに日頃から自分で自分の食事などは、
調理しているのだろうと推測される。逃げて来た妹のために布団を敷いてやる。自分
の着ていた着物を脱いで妹の布団にかけてやる。「枕に伝ふ露涙、夢の浮世と諦め
て、更け往く」。自分の布団は、掛け布団を「柏餅」にして、柏餅の餡のように挟
まって寝につく(ここで、盆廻し。「切」住大夫から「奥」津駒大夫に交代。三味線
方も、人間国宝の鶴澤寛治、ツレが鶴澤寛太郎)。

「鐘も哀れ添ふ 頃しも師走十五夜の、月は冴ゆれど胸の闇、過ぎし別れの言ひ交わ
し、死なば一緒と伝兵衛が」。夜半の暗闇で、人目を偲んでやってきた伝兵衛と、
そっと迎えに出るおしゅん、物音で眼を醒ました妹思いの与次郎は、伝兵衛とおしゅ
んとを会わせまいとして、外に出たおしゅんを家に引き入れて、門口の鍵を掛けるの
だが、その際に、おしゅんと伝兵衛を間違えて、伝兵衛を引き入れて、おしゅんを外
に出したままにしてしまう。「コレイナア兄さん。わしや表にゐるわいな」。悲劇の
前の笑劇の一こま。

与次郎が灯りを付けてみると、家の中にいるのは、伝兵衛で、おしゅんは、閉め出さ
れて、家の外にいる。おしゅんが書いた「退き状」を見せると、それは退き状ではな
く、伝兵衛と運命を共にするという母と兄への「書き置き」だった。目が見えない母
親と無筆の、字を知らない兄を騙していたのだ。それを読み聞かされた伝兵衛は、
「そなたは科の身の上、ともに死んではお二人の嘆き」と、おしゅんの母と兄を思い
やり、自分だけが死を選ぶと言う。それを聞いたおしゅんの名科白。「そりや聞こえ
ませぬ伝兵衛さん」。「一緒に死なして下さんせ」。

母と兄は、おしゅんと伝兵衛の仲を認め、祝言を上げさせ、逃避行の道行に送りだ
す。おしゅんと伝兵衛は、「新口村」の梅川忠兵衛のコンビのように旅立つ(死出の
道行は、合作者たちの意図にあり、与次郎の母が近所の娘に教える「鳥辺山」の唄の
稽古、死の旅立ちの餞に与次郎が猿に舞わせる唄が、お初徳兵衛の祝言の唄、つまり
「曽根崎心中」の唄というから、念が入っている)。

しゃくり泣き、「アア伝兵衛さんの泣かしやるも道理ぢや、またおしゅんの泣きやる
も道理ぢや」という与次郎の科白から、浄瑠璃無しで、三味線方が、二連の演奏。人
間国宝の鶴澤寛治の三味線の音が冴える。猿廻し与次郎の使う猿達の芝居を上手でお
しゅん、伝兵衛、母親が、動かずに観ているという状況になる。やがて、ふたりの逃
避行の大団円へ。ふたりは、編み笠で顔を隠して猿廻しの夫婦連れ姿という体で、逃
げることになる。歌舞伎だと、「与次郎人情噺」が、主軸となっているが、人形浄瑠
璃では、おしゅん伝兵衛の逃避行の物語という色合いが強い。

猿廻しの与次郎は、二匹の猿を使って、祝言と別れの水盃を交わす場面を滋味たっぷ
りに演じる。猿は、人形遣の一人遣で、手袋のように二匹の猿を使う。この猿の場面
は、秀逸だった。前回もそうだが、二匹の猿を演じる人形遣の名前は、明記されてい
ないので、誰が操っているのか判らないが、かなり、巧い。

贅言;この場面は、歌舞伎では、糸を使った操り人形の猿を登場させる。十三代目仁
左衛門の工夫だという。これはこれで、おもしろかった。

今回の「堀川猿廻しの段」の語りは、「切」が、住大夫。「奥」が、津駒大夫。病気
回復後の住大夫の舞台は、何回か観ているが、リハビリの努力が実っているようだ。
しかし、声は出ているが、声量、張りが従前とは違う。ほかの太夫の声とも比較して
しまうと、やはり、少ないのは、仕方がないか。今回も住大夫の顔を見ることが出来
たのが幸せ。

贅言;第一部は、興行3日目に拝見。第二部と第三部は、初日に拝見。初日は、大雪
の2月8日。第3部の終演は、午後9時。外は大雪。メトロは、各線とも折り返し運
転が多かった。私も最寄り駅まで辿り着けそうもない。帰宅の足の確保が大変だっ
た。
- 2014年2月14日(金) 16:01:18
14年02月歌舞伎座 (夜/通し狂言「青砥稿花紅彩画」)


花形歌舞伎と大歌舞伎の比較


「青砥稿花紅彩画〜白浪五人男〜」は、河竹黙阿弥原作の狂言。三大歌舞伎や歌舞伎
十八番などと並んで、歌舞伎の代表的な人気演目である。今回の歌舞伎座新開場杮葺
落興行の初っぱな4月大歌舞伎では、5場構成の「半通し」で上演されているにもか
かわらず、1年間の杮葺落興行で2回目の上演となる。それだけに馴染みの演目であ
る。私は9場構成の「通し」で5回、2場構成の「みどり」で3回、都合8回目の拝
見。

今回の興行の特徴は、その馴染んだ演目を花形、若手の歌舞伎役者で上演したことで
ある。花形歌舞伎での通し狂言「青砥稿花紅彩画」の上演は、2年前の2月、名古屋
の御園座で9場構成の「通し」の芝居、菊之助の弁天小僧、松緑の南郷力丸など今回
と同じような配役で行なわれた(私は観ていない)。同じ9場構成の芝居は、6年
前、08年5月、歌舞伎座で大歌舞伎として上演された(こちらは、観ている)。配
役は、菊五郎の弁天小僧、團十郎の日本駄右衛門、左團次の南郷力丸などベテラン役
者の顔合わせだった。そこで、今回は、ベテラン役者の「白浪五人男」と花形歌舞伎
の「白浪五人男」とは、どこが違うかに焦点を絞って論じることにしたい。

08年5月、歌舞伎座。この時の「青砥稿花紅彩画」は、黙阿弥が選りに選りを懸け
て練り上げた、歌舞伎味を集大成した芝居の「通し」。6年前の当時、52歳から6
7歳の、円熟味のあるバランスの取れた配役で、五人男を再構築した。今回の花形歌
舞伎では、2月の時点で日本駄右衛門の染五郎41歳、南郷力丸の松緑39歳、忠信
利平の亀三郎37歳、弁天小僧の菊之助36歳、赤星十三郎の七之助30歳というこ
とで、30歳から41歳、ベテランの6年前の舞台より、20歳以上若返っている。

贅言;花形歌舞伎とは、花形役者たちで上演される歌舞伎のこと。では、花形役者と
は、というと、一般には、スターの役者と同義と思っている人が多いようだが、ス
ターが、代表的な役者という意味なら、花形役者をスターというのは間違っている。
花形役者は、代表的な役者というより、若手で、人気のある役者とういうことだろ
う。従って、今回の顔ぶれは、正に、歌舞伎の花形役者らが立ち並ぶと言えよう。歌
舞伎座の2月花形歌舞伎に出演していない役者では、海老蔵、猿之助、勘九郎ら。な
らば、花形役者ではない、代表的な役者と言えば、もっと格が上になる名優(江戸時
代なら、千両役者)、人間国宝級の座頭役者のことであろう。現役ならば、菊五郎、
吉右衛門、幸四郎、仁左衛門、藤十郎、玉三郎、時蔵など。

さて、「青砥稿花紅彩画」のストーリーは、盗人たちの物語に血縁の因縁話が綯い交
ぜになっていて、まさしく、黙阿弥ならではの明暗起伏に富む原作である。黙阿弥
が、幕末の江戸文化をいかに活写しようとしたかが、うかがわれる。以前の演出で
は、もっと、端役や仕出しを活用して、南北劇のように江戸の庶民生活を活写したと
いう。まさに、生きた幕末絵巻であったらしい。以下、前回、6年前のベテランの歌
舞伎と今回の花形歌舞伎を対比しながら評する。

序幕第一場「初瀬寺(はせでら)花見の場」で、千寿姫(前回同様梅枝)と信田小太
郎、実は、弁天小僧菊之助(菊之助、前回は、菊五郎。以下、同様に表記する)の物
語がスタートする。「新薄雪物語」を下敷きにしている。短歌なら、本歌取りという
手法だ。

序幕第二場「神輿ヶ嶽の場」、第三場「稲瀬川谷間の場」では、千寿姫と小太郎の物
語が、破たんして(千寿姫の許婚・小太郎を殺して、小太郎になりすました弁天小僧
菊之助と契ってしまったことを恥じて、千寿姫は、自害することになる)、日本駄右
衛門を頭とする5人の盗人が出揃い、それぞれの略歴紹介と5人組が結成される経緯
が、「だんまり」で演じられる。まあ、なんとも、荒唐無稽な楽しさ。荒唐無稽は、
歌舞伎の熱源だ。歌舞伎の絵面(見た目)のおもしろさを知り抜いた黙阿弥の技は、
冴える。

千寿姫を演じた梅枝は、時蔵の長男で、前回は、20歳。細面の女形向きの顔だが、
当時は、まだ、顔や身体に、青年の堅い線が残っていて、色香が乏しく、姫には、見
えにくかったが、今回は、26歳。その後の女形経験を積み、すっかり女形役者らし
くなってきた。いずれ、花形役者の仲間入りをするだろう。今後の成長が楽しみな役
者の一人。

二幕目第一場「浜松屋の場」、第二場「浜松屋蔵前の場」では、日本駄右衛門(染五
郎、前回は團十郎)、弁天小僧(菊之助、前回は菊五郎)、南郷力丸(松緑、前回は
左團次)の3人組による、浜松屋での詐欺。第一場では、番頭・与九郎(前回同様橘
太郎)、手代・左兵衛らが、働いている。店の者が上手下手に行灯を持って来るの
で、時は、すでに、夕方と判る。詐欺を働こうと娘に化けた弁天小僧、若党に化けた
南郷力丸は、この薄暗さを犯罪に利用する。よその店で買った品物をトリックに万引
き騒動を引き起こす。

番頭は、弁天小僧菊之助らの悪だくみにまんまと乗せられ、持っていた算盤で菊之助
の額に傷を付けてしまう。番頭のしでかす軽率な行為が、この場を見せ場にする。橘
太郎の番頭役が達者だ(昼の部の松之助の番頭役も達者だった)。この怪我が、最後
まで、弁天小僧の、いわば「武器」になる。正体がばれて、帯を解き、全身で伸びを
し、赤い襦袢の前をはだけて、風を入れながら、下帯姿を見せる菊之助の弁天小僧。
女形の菊之助の生っ白い下半身が、妙に官能的だ。父親の菊五郎との大きな違いがこ
の下半身の白さ、柔らかさにある。

まあ、良く演じられる場面であり、「知らざあ言って聞かせやしょう」という名科白
を使いたいために、作ったような場面だ。菊之助の科白廻しは、さすが菊五郎にはま
だまだ及ばない。目を瞑れば、似たような声なのだが、味わいが違う。これまでに3
0回、弁天小僧を演じた菊五郎と今回、10回目の菊之助の違いは、まだまだ、大き
い。科白の中身を伝えるというより、調子を聞かせる科白だからだろう。丑之助改
め、菊之助の初演は、18年前、96年5月の歌舞伎座で、私もその舞台を観ている
が、そのときの科白廻しよりは、大分進歩してきている。それでも、まだまだ、菊之
助には精進のしがいがあるように思う。

贅言;「稲瀬川の勢揃」の場面でもそうだが、耳に心地よい名調子の割には、あまり
内容のない「名乗り」の科白を書きたいがために、黙阿弥は、この芝居を書いたとさ
え思える。それだけに、科白を廻す役者は、遊びの科白の持つ「味わい」をこそ伝え
る工夫をすべきなのだろう。

弁天小僧らの正体を暴いて、引き上げさせ、浜松屋幸兵衛(團蔵、前回は東蔵)に恩
を着せる。幸兵衛に店の奥へと案内される玉島逸当、実は、日本駄右衛門(染五郎、
前回は團十郎)。こうして、店先から皆がいなくなったと、思いきや、もうひとり、
「小悪党」が店に残っている。皆が、引き上げるまで、殊勝に頭を下げていた番頭の
与九郎(橘太郎)は、実は、店の金をくすねていた。今回の騒ぎで己の犯行も露見す
ると思い、さらに、店の有り金を盗んで逃げようとしている。丁稚の長松(大河)に
見とがめられる。大福帳、箒、物差しなどで駄右衛門を真似た扮装する長松。先ほど
の場面のパロディ。黙阿弥劇は、細かい藝で笑いをとる。与九郎役の橘太郎は、子役
相手に、捨て台詞(アドリブ)で、オリンピックなどの時事ネタも折り込んで(6年
前も、北京オリンピックを織り込んでいた)、「ガンバレ」「金メダル」などと言っ
ては、場内の笑いを取る。最後は、「先代萩」の「床下」のパロディ。丁稚と番頭=
荒獅子男之助と鼠(仁木弾正)。

二幕目第二場「浜松屋蔵前の場」では、正体を顕わした日本駄右衛門(染五郎)は、
「有金残らず所望したい」と脅しながら、刀を畳に突き刺し、後ろの呉服葛籠に腰を
掛ける。下手からは、弁天小僧ら、先ほどのふたり(菊之助、松緑)が抜き身を持っ
て現れ、同じように刀を畳に突き刺し、件の荷物に腰を掛けて、浜松屋の主人と息子
を恐喝する。サブストーリーとして、黙阿弥劇特有の因果話として、日本駄右衛門と
浜松屋のお互いの実子を幼い頃、取り違えていたことが判る、という荒唐無稽さ。

二幕目第三場「稲瀬川勢揃の場」も、桜が満開。浅葱幕に隠された舞台。浅葱幕の前
で、蓙(ござ)を被り、太鼓を叩きながら、迷子探しをする4人の人たち。実は、捕
り手たちが、逃亡中の5人の盗人を探していたというわけ。やがて、浅葱幕の振り落
としで、桜が満開の稲瀬川の土手(実は、大川=隅田川。対岸に待乳山が見える)。
但し、舞台は暫く無人。花道より「志ら浪」と書かれた傘を持った白浪五人男が出て
来る。逃亡しようとする5人の盗人が、派手な着物を着て、なぜか、勢揃いする。弁
天小僧、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸、日本駄右衛門の順。まず、西の桟敷席に
顔を向けて、花道で勢揃いし、東を向き直り、場内の観客に顔を見せながら、互いに
渡り科白を言う。

本舞台への移動は、途中から、日本駄右衛門が、4人の前を横切り、一気に、本舞台
の上手に行く。残りの4人は、花道の出の順に上手から並ぶ。恐らく、花道の出は、
頭領の日本駄右衛門が、貫禄で殿(しんがり)となり、本舞台では、名乗りの先頭に
立つため、一気に上手に移動するのだ。「問われて名乗るもおこがましいが」で、日
本駄右衛門(染五郎、前回は團十郎)、次いで順に、弁天小僧(菊之助、前回は菊五
郎)、忠信利平(亀三郎、前回は三津五郎)、赤星十三郎(七之助、前回は時蔵)、
「さて、どんじりに控(ひけ)えしは」で、南郷力丸(松緑、前回は左團次)とな
る。捕り手との立ち回りを前に、傘を窄めるが、皆、傘の柄を持つのに対して、忠信
利平だけは、傘を逆に持つ。5人の列の3番目、つまり、真ん中だからだろう。10
人の捕り手たちとの立ち回り。日本駄右衛門のみ、土手の上に上がる。ほかの4人
は、土手下のまま。それぞれ左右を捕り手に捕まれ、絵面の見得で幕。

大詰第一場「極楽寺屋根立腹の場」は、まず、開幕すると、またも、浅葱幕。そし
て、幕の振り落としで、極楽寺の大屋根の上での弁天小僧(菊之助、前回は菊五郎)
と21人(前回6年前は、22人、因に、10年前には、28人)の捕り手たちとの
大立ち回り。レンズやカメラの無い時代のクロ−ズアップの演出だ。女形役者の菊之
助だが、踊りで鍛えている成果、立ち回りの動きも安定している。菊五郎劇団は、
「ちゃんばら」が好きだが、大部屋の役者衆の息は、合っている。

大屋根の急な上部に仕掛けられた2ケ所の足場(下手は、瓦2つのところ、上手は、
瓦3つのところ)に乗りあげる菊之助。極楽寺屋根の下、屋根を囲むように設えられ
た霞み幕は、「雲より高い」大屋根のイメージであると共に、屋根から落下する捕り
手たちの「退場」を隠す役目も負っている。その挙げ句、覚悟を決めた弁天小僧の切
腹。大立ち回りの末に立ったまま切腹する「立腹(たちばら)」の場面が、見どこ
ろ。大屋根の瀕死の弁天小僧を乗せたまま、「がんどう返し」というダイナミックな
道具替りとなる大屋根の下から、のどかな春の極楽寺境内の遠見の書き割りが現われ
る。ここも、桜が、満開。その下から、極楽寺の山門がせり上がり、山門には、日本
駄右衛門(染五郎、前回は團十郎)がいる。山門では、駄右衛門手下に化けた青砥配
下の者(今回は、廣太郎と種之助。つまり、潜り込んで居たスパイ)が、駄右衛門に
斬り掛かる。やがて、更に駄右衛門を乗せたまま、山門がせり上がり、奈落からせり
上がって来た山門下の滑川に架かる橋の上には、青砥左衛門(菊之助、前回は富十
郎)が、家臣(萬太郎、歌昇。前回は友右衛門、松江)とともに、駄右衛門を追い詰
める。

大詰の、畳みかけるような大道具の連続した展開は、初めて観た人なら、感動するだ
ろう。

大詰第二場「極楽寺山門の場」、第三場「滑川土橋の場」は、「楼門五三桐」を下敷
きにしているから、序幕も含めて、歌舞伎の見せ場を寄せ集めたパッチワークのよう
な芝居とも言えるのだが・・・。

というように、複雑な筋立てだが、枝葉を整理すると盗人5人組の逃亡記の起承転結
という単純な話になる。逆に、話としては、あまり傑作とも言えないし、人物造型も
深みがない。それなのに、「浜松屋」を主とした上演回数は、黙阿弥もののなかで
も、人気ナンバーワンと言われる。それは、ひとえに、初演時に、五代目菊五郎の明
るさを打ち出すために、歌舞伎の絵画美に徹した舞台構成を考えだしたからであろ
う。「盗人たちの、明るい逃亡記」。それが、また、大当たりをしたことから、三大
歌舞伎(「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」)と並んで、歌舞伎
の代表的な人気演目として、定着してきた。

さて、最後に、花形歌舞伎の「白浪五人男」の役者論を簡単に書いておこう。
まず、今回、主役の弁天小僧を演じた菊之助。父親の菊五郎は、当代随一の弁天小僧
役者。次いで、亡くなってしまった勘三郎か。勘三郎亡き後は、誰だろうか? 菊五
郎後継の菊之助か。菊之助は、父親や先輩役者の後ろ姿を暫くは追う形になるだろ
う。あるいは勘三郎後継の七之助か。それとも意欲的な猿之助か。猿之助の弁天小僧
は是非、観てみたい。日本駄右衛門は、亡くなった團十郎、富十郎のほかに吉右衛
門、仁左衛門、幸四郎。後継世代では、橋之助か。染五郎も父親の後ろ姿を見なが
ら、精進。愛之助も居る。團十郎の息子の海老蔵は、弁天小僧を演じているが、日本
駄右衛門は演じていない。南郷力丸や忠信利平は、左團次、三津五郎らか。後継世代
では、橋之助、錦之助、松緑か。今回の松緑は痩せてから、顔つきが変わってきて、
良い味を出し始めた。獅童、勘太郎も。花形役者たちは、若さを武器に美男美女を演
じがちだが、「悪」や「老い」を演じる花形役者がいないと花形歌舞伎は成り立たな
い。赤星十三郎は、今回の七之助、前回の時蔵のように、女形役者が演じる。病気療
養中の福助、扇雀、さらに菊之助も。澤潟屋一門なら春猿か。ほかに、立役役者で
は、梅玉も演じる。若手では、梅枝、松也ら。今回の七之助は、父親の勘三郎を亡く
してから、成長著しいように思える。

この狂言は、役者の賑わいが大事だ。今回のように、花形役者衆の華やぎが良いの
か、6年前のような、円熟期の役者衆を集めた充実ぶりが良いのか。ベテラン役者の
場合は、皆、愉しみながら演じているのが判った。芝居は、盗人たちの行状記であ
り、後半は、まさに、命をかけた「逃亡記」。追い詰められて、死んで行く割には、
明るい印象で、人気演目の位置を占め続けるのは、観ている側も、楽しいからだろ
う。

贅言;「青砥稿花紅彩画」は、今回のような「通し」で観るのは、今回含めて、5回
目。5回のうち、今回より場数の少ない「半通し」で観たのが、1回(13年4月、
歌舞伎座新開場杮葺落興行)ある。ほかの3回は、人気狂言、「雪の下浜松屋」・
「稲瀬川勢揃」の抱き合わせの「みどり」上演(1時間前後の上演時間)であった。
全てを足すと、今回、8回目となる。さらに今回の特徴は、同じ杮葺落興行ながら、
花形歌舞伎ということで、花形、若手の役者衆で上演されたことだ。

私が、「通し」「半通し」で観た5回の主な配役は、以下の通り。

弁天小僧:勘九郎時代の勘三郎(2)、菊五郎(2)。今回が菊之助。日本駄右衛
門:富十郎、仁左衛門、團十郎、吉右衛門、今回が染五郎。南郷力丸:八十助時代含
めて三津五郎(2)、左團次(2)、今回が松緑。忠信利平:三津五郎(2)、橋之
助、信二郎時代の錦之助、今回が亀三郎。赤星十三郎:福助(2)、時蔵(2)、今
回が七之助。浜松屋幸兵衛:三代目権十郎、弥十郎、東蔵、彦三郎、今回が團蔵。千
寿姫と宗之助(ふた役):孝太郎、七之助/千寿姫:梅枝(今回含め、2)、宗之
助:海老蔵、菊之助(この時、千寿姫は不在)、今回が、宗之助は、尾上右近。鳶
頭:彦三郎、市蔵、梅玉、幸四郎、今回が亀寿。青砥左衛門:勘九郎時代の勘三郎
(2、つまり、弁天小僧とふた役早替り)、富十郎、梅玉、今回が菊之助(弁天小僧
とふた役早替り)。

因に、「みどり」で観た3回を含めて、合計8回の「五人男」のみを記載すると、配
役の特徴や世代交代ぶりが見えてくる。弁天小僧:菊五郎(4)、勘九郎時代の勘三
郎(2)、丑之助改め菊之助(今回含めて、2)。日本駄右衛門:幸四郎(2)、羽
左衛門、富十郎、仁左衛門、團十郎、吉右衛門、今回が染五郎。南郷力丸:團十郎
(2)、八十助時代含めて三津五郎(2)、左團次(2)、吉右衛門、今回が松緑。
忠信利平:左團次(2)、三津五郎(2)、橋之助、信二郎時代の錦之助、松緑、今
回が亀三郎。赤星十三郎:梅玉(2)、福助(2)、時蔵(2)、菊之助、今回が七
之助。歌舞伎座の閉場、3年間の建設時期を経て、新開場後となる中で、役者の逝
去、病気休演が相次いだ。世代交代が一気に進んでいる。若手、花形の精進が期待さ
れる。
- 2014年2月7日(金) 21:17:23
14年02月歌舞伎座 (昼/通し狂言「心謎解色糸」)


「心謎解色糸」の「謎を解く」


2月の歌舞伎座、3日の節分の日に観に行った。1年前の2月3日の夜に十二代目市
川團十郎が亡くなった。祥月命日である。

「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)」は、筋が複雑に入り組んだ南北劇ゆ
え、この芝居のポイントを整理しておこう。赤城家のお家騒動と3組の男女の物語。

お家騒動:
赤城家の家宝「小倉の色紙」を盗み出した山住五平太を元凶とする。石塚弥三兵衛
(お祭り左七の父親、左七を勘当している)、本庄綱五郎が、若君・左京之助を守
り、行方不明の色紙の詮議をしている。

3組の男女:
1)鉄火な深川芸者小糸と恋仲の鳶・佐七。誤解から、小糸殺しをしてしまう。濡れ
場と殺し場が、見せ場。
2)糸屋の姉妹のうち、妹・お房と綱五郎。お家騒動解決の立役者。墓所の濡れ場。
大団円。
3)お時(実は、糸屋の姉妹のうち、姉のお縫)と半時九兵衛(赤城家の奥勤めの女
中お縫と若党時代に駆け落ち、ふたりの間に出来たむすめ・おきみを棄てる。さらに
誤って我が子を殺してしまう)。小悪党の夫婦に成り下がっている。南北劇特有の人
物像。九郎兵衛のモドリが見せ場。不義密通の末に、小悪党夫婦に成り下がった女房
の名前が、お「時」、夫が、半「時」とは! 「時」は、有為転変する。

「心謎解色糸」は、204年前、1810(文化7)年、江戸市村座初演、南北原作
の狂言。歌舞伎狂言「本町絲屋娘」から浄瑠璃「絲桜本朝育(いとざくらほんちょう
そだち)」へ。書替狂言「心謎解色糸」は、五幕十四場構成。このうち、「小糸左
七」は、明治期三代目河竹新七(河竹黙阿弥は、前名、二代目新七)によって、「江
戸育御(於)祭佐七(えどそだちおまつりさしち)〜お祭り佐七〜」という新歌舞伎
に書き改められた。この系列を「小糸佐七」の世界という。

外題の謎。解題。この外題「心謎解色糸」は、下(横書きなので、「右」)から読む
のだろう。糸屋の娘。色(色事)=ラブフェアー。謎を解く心。絲屋の娘の色事の謎
を解く。今回の上演では、さらに改修されている。

「心謎解色糸」41年ぶりの再演。明治期以降、今回が3回目の上演。戦後では、2
回目。歌舞伎座では初演。従って、私も初見。主な役者では、菊五郎、吉右衛門、彦
三郎、錦吾くらいしか、41年前の舞台を知らないだろうから、歌舞伎座新開場杮葺
落興行で先輩方もほとんど馴染みのない演目を若い役者らが上演する。花形役者たち
が「復活狂言」上演挑戦の先頭に立つという心意気の現れか、と思う。歌舞伎座閉
場、新開場という中で、富十郎、芝翫、雀右衛門、勘三郎、團十郎の逝去に伴う止む
に止まれぬ歌舞伎役者の世代交代の大波も押し寄せている。

場の構成は以下の通り。原作より少ないものの、全部で、五幕十一場構成と多い。今
回の場立ては、以下の通り。

序幕第一場「深川八幡の場」、序幕第二場「二軒茶屋松本の場」、序幕第三場「雪の
笹薮の場」、二幕目第一場「本町糸屋横手の場」、二幕目第二場「同 奥座敷の
場」、二幕目第三場「元の糸屋横手の場」、三幕目「大通寺墓所の場」、四幕目第一
場「深川相川町安野屋の場」、四幕目第二場「同 洲崎弁天橋袂の場」、大詰第一場
「小石川本庄綱五郎浪宅の場」、大詰第二場「同 伝通院門前の場」。

南北劇は、筋が複雑なので、初めての劇評ながら、筋立ての記述は止めて、場ごとの
見どころを記録しておく。しかし、記録的には、長めにならざるを得ないだろう。

序幕第一場「深川八幡の場」。主な登場人物の出会い。伏線の幕。下町の賑わいどこ
ろ・深川八幡の門前風景。南北劇の生世話ものゆえ、舞台の細部に拘って記録してお
こう。舞台中央上手に鳥居。両脇に八幡宮の提灯。下手にふたつの立て看板。「御開
帳 三月朔日から六十日ノ間 深川洲崎別當吉祥院」、「守札 三月朔日より 授与
 八幡宮」。その下手に御休処の小屋店。店には、歌舞伎の「番付(ポスター)」が
掲示されている。「當月興行 大歌舞伎 …(字が小さいので、遠くからは見えな
い)」。店の前には緋毛氈で覆った床几が出ている。上手側の床几に赤城家の家臣・
山住五平太(松也)が座っている。周りには質屋・神原屋の手代や鳶の者たち、つま
り、五平太の取り巻きが立っている。山住五平太は、主人公たち(3組のカップル)
が巻き込まれる赤城家のお家騒動(家宝の色紙紛失)の張本人である。

花道より、ほろ酔い加減の深川芸者・小糸(菊之助)が、仲居を連れてやって来る。
周りには絲屋の番頭・佐五兵衛(松之助)、医者の東林(幸太郎)、廻し男の儀助
(萬太郎)、深川芸者の小せん(米吉)、同じくお琴(廣松)がやって来る。実は、
五平太と佐五兵衛は、五平太が盗み出そうとしている赤城家の家宝の「小倉の色紙」
を質入れし、金200両を拵え、小糸を身請けしようと共謀しているのである。こう
して、南北劇は、展開し始める。このほか、鳥追いの女と子ども(おきみ、という名
前)、天秤棒の蒸籠売りの男(鳥飼五五七、という名前)など、南北劇らしい庶民風
俗が描かれる。

やがて、そこへ鳶頭・お祭り左七(染五郎。「佐七」ではない)が現れ、小糸を見初
める出会い。左七が鳶たちと鳥居奥へ消えると、鳥居奥より小糸の兄・半時九郎兵衛
(染五郎)が現れ、小糸に金の無心をするが断られる。半時九郎兵衛は薄茶色の半天
を着ている。半天には、「高麗屋」の文字が染め抜かれている。茶屋裏へ隠れる。左
七と九郎兵衛は、染五郎のふた役早替りなのだが、ふた役に見えない。衣装を替えて
左七が、再び、現れたように見えてしまう。その後、良く観察していると、この早替
りは、衣装だけでなく、鬘も替えているのが判るが、なにせ、染五郎のままなので、
なかなか、キャラクターの違いまで判りにくい。染五郎談「このふたりは表と裏のよ
うに判然としていないので、ひとりの役者が演じるのは難しい」。「早替りの場面を
作ったり、九郎兵衛の悪の部分を強調し(たり)、ふた役の変化を付け」たという
が、早替りの場面以外は、判りにくかった。

贅言;戦後ただ一度上演された73(昭和48)年6月の国立劇場。お祭り左七を演
じたのは、当時の八代目幸四郎(後の初代白鸚)、つまり染五郎の祖父。この年に染
五郎が生まれた。染五郎が着ていた半天は、四ツ花菱、高麗格子で、八代目幸四郎が
演じた時の衣装だという。

花道から、お家騒動の赤城家の若君・左京之助光若(歌昇)が、家臣の石塚弥三兵衛
(錦吾)、中老の竹浦(宗之助)を連れ、家宝の「小倉の色紙」を携えて、参詣に
やって来る。石塚弥三兵衛は、勘当した息子がいる。その息子は、実は、鳶頭のお祭
り左七。その後、さらに花道より光若派のもうひとりの家臣が、本庄綱五郎(松緑)
も登場し、鳥居奥へ。舞台は、鷹揚に廻る。

序幕第二場「二軒茶屋松本の場」。濡れ場。深川八幡境内にある茶屋・松本の座敷。
左七が松本の女房・お蔦(高麗蔵)の酌で酒を飲みながら、余興の取的(力士)と鳶
たちの相撲を観ている。鳶たちを投げ飛ばして勝った取的に気前良く、自分が着てい
た身ぐるみを祝儀として与える。お蔦が用意した夜着を代わりに着て左七は離れ座敷
に向う。この夜着は、後の小糸と左七の濡れ場の大事な小道具となる。

座敷に奥から小糸(菊之助)が逃げ込んで来る。身請けを迫る五平太(松也)らの座
敷から逃げてきたのだ。気の強い小糸を懲らしめようと、連中は、小糸の着物や帯を
剥いで仕舞う。離れ座敷から現れた左七(染五郎)は、小糸に夜着を着せかける。お
蔦が、ふたりで夜着を着るように勧める。喜ぶ小糸。下着姿でひとつの夜着に包まっ
たふたりの濡れ場。煙管煙草や盃で、祝言もどきの所作がある見せ場となる。ふたり
が籠った離れに踏み込む五平太らの狼藉を咎めたのは、離れに居た綱五郎(松緑)
だった。

奥から赤城家の若様(歌昇)一行が現れる。色紙紛失の責任を取って切腹しようとす
る石塚弥三兵衛(錦吾)。弥三兵衛の罪を被って、咎は自分にあると言って切腹しよ
うとする綱五郎などの場面があり、ここは、お家騒動の概要説明の場でもある。幕に
て場面展開。

序幕第三場「雪の笹薮の場」。殺し場。上手より九郎兵衛(染五郎)登場。吹き替え
役者との早替りで笹薮の裏へ。五平太(松也)が左七への意趣返しをしようと雪の中
で待ち伏せをしている。さらに上手より傘をさして現れた左七(染五郎)に斬り掛か
るが五平太は、立ち回りの末、追い払われてしまう。笹薮の陰に潜んでいる小糸の
兄・九郎兵衛(染五郎)。鳥追いの子殺し(実は、九郎兵衛の娘、おきみ)。おきみ
が小糸から貰った一両小判を奪う。弾みで我が子と知らずに紐が首にかかって締め殺
してしまう。この場面は、「忠臣蔵」の「五段目」のパロディとして展開する。花道
より九郎兵衛女房・お時(七之助)登場。悪婆の装い。立ち去る五平太一行のうち、
質屋の手代の紙入れを掏り取るが、中身が無いので棄ててしまう。笹薮前に放置され
たままのおきみの遺体に気がつくお時。笹薮の後ろから現れた九郎兵衛とともに、遺
体を片付ける。

二幕目第一場「本町糸屋横手の場」。二幕目、三幕目はお房と綱五郎の物語。本町糸
屋横手。下手に火の番小屋。上手に「絲屋」という暖簾がかかっている糸屋の店の横
手。その間で「易断」が露店を構えている。易者は、お家騒動の責任を取って浪人し
た綱五郎(松緑)。盗まれた赤城家家宝の色紙の行方を詮議している。

糸屋では、今宵、娘のお房と質屋・神原屋佐五郎との祝言を控えている。花道より、
お房(七之助)が、伴を連れて戻って来る。番頭の佐五兵衛(松之助)に味がある。
去年の歌舞伎座顔見世で、役者幹部に昇進した松之助は、一気に存在感のある役者に
変身した。お房に横恋慕しているので、祝言妨害の悪だくみをしている。聟に毒薬入
の酒を飲ませ、あわせてお房には毒消しの気付薬を飲ませて蘇生させようとしている
のだ。加担する医者の東林(幸太郎)。気付薬を医者から受け取る前に番頭は店に戻
らされたので、混乱が起こるが、ここは笑劇という作劇術。婚礼料理の肴屋の使い
で、胡椒を買いに行かされた丁稚に医者が番頭に渡してくれと気付薬を手渡したの
で、胡椒と薬のふたつの袋を持ってしまった丁稚の勘違いが、混乱の元。舞台が廻
る。

二幕目第二場「同 奥座敷の場」。白無垢のお房(七之助)と質屋・神原屋佐五郎
(松江)の婚礼の場面。毒入りの酒を飲み苦しみ出すお房。舞台、逆に廻る。

二幕目第三場「元の糸屋横手の場」。第一場との違いは、灯りがともっていること。
花道より、九郎兵衛(染五郎)が現れ、火の番小屋へ入る。店横の出入り口から出て
きた丁稚と肴屋がお房の急死の話をしている。肴屋は、胡椒の袋が気付薬の袋とやっ
と気付き、薬の袋を棄てて行く。この様子を聞いていた綱五郎(松緑)は、剃髪もせ
ずに、白無垢姿で棺桶に入れられたお房のこと、お房が冥途へ持って行った頭陀袋に
は100両が入っていることなどを知る。落ちていた気付薬を拾い、さらにお房の墓
を暴いて、金を盗むことを思いつく。火の番小屋に、もう一人の小悪党・九郎兵衛が
身を潜めている。この男も火の番小屋で盗み聞きしていた。幕で場面展開。

三幕目「大通寺墓所の場」。南北劇の世界。見せ場の墓暴きの場面。墓所での濡れ
場。舞台は下手から順に、石灯籠。複数の墓。卒塔婆。井戸。その手前に新しいお房
の墓。上手に湯潅場の小屋。花道より綱五郎(松緑)登場。お房の墓を確認した後、
辺りの様子を窺い、小屋に潜む。

下手に、長屋の連中が新仏(大家の女房)を入れた棺桶を担いでやって来る。弔いを
始めるが、大家と僧侶がもめているようだ。鳶頭(男女蔵)が、仲裁する。その際、
立ち回りの道具として、お房の卒塔婆と大家の女房の卒塔婆が使われ、文字が読めな
い長屋の連中が、卒塔婆を取り違えたまま戻してしまう。連中が下手へ去る。

綱五郎はお房の墓を暴き、棺桶からお房(七之助)を引揚げる。気付薬をお房に飲ま
せ、100両も盗まずに借りることにする。お房は息を吹き返し、意識も戻った。実
は、お房は、前から綱五郎を見初めていたと告白し、100両も綱五郎に渡す。めで
たしめでたしになってしまったが、本来は墓所の濡れ場。綱五郎の「色悪」部分を強
調すべき場面。ふたりで密室の湯潅場小屋へ入る。これぞ、南北のセンス、面目躍
如。

その後、花道から、番頭の佐五兵衛(松之助)が、提灯替わりに火縄を廻しながら現
れる。お房の卒塔婆が立つ大家の女房の棺桶から遺体を出して、「胡椒」を死人に飲
ませるが、効果無し。さらに、死人の頭陀袋を探るが、100両の代わりに出てきた
のは、大福餅。この辺りは、南北劇らしい笑劇の場面。死人のカンカン踊りのような
所作。

暗闇の中、湯潅場の小屋から出てきた綱五郎とお房。逃げようとするふたりに佐五兵
衛も絡み、3人で世話だんまりとなる。お房の袖を引きちぎる佐五兵衛。幕で場面展
開。

四幕目第一場「深川相川町安野屋の場」。四幕目は小糸左七の物語。もうひとつの山
場。小糸の左七への愛想尽かしの場面が見せ場。深川の小間物屋・安野(あの)屋。
五平太に身請けされた小糸(菊之助)が一時預けられている。

安野屋十兵衛(歌六)、女房おらい(秀太郎)夫婦の店。なかなか、業種の判りにく
い店先だ。下手が出入り口。座敷の棚には、山形に安の字を入れた紋を描いた箱が多
数積み重ねてある。座敷下手には、何やら作業用の箱が置いてある。不詳。座敷上手
の衝立の前に、これも不詳のものがある。ただし、話の展開に必須の反故紙がこれに
貼付けてある。さらに、上手、次の間の向こう側に、夜の部の浜松屋同様の蔵前があ
る。小間物屋というが、良く判らない。折角の秀太郎も仕どころが少ない。

十兵衛は、実は、赤城家の家臣・石塚弥三兵衛から勘当した息子・左七の行く末を頼
まれているというからお家騒動の五平太派というわけではなさそうだ。赤城家の家宝
の色紙紛失も五平太の仕業ではないかと疑い、詮索している。嫌がる小糸に五平太の
ところに行って、色紙の在処を聞き出して欲しいと十兵衛は特別のミッションを彼女
に頼む。左七のために覚悟を決める小糸。それが、大事に至ることになる。

小糸の居所を探して左七がやって来る。十兵衛の意を受けた小糸は、このまま、五平
太の屋敷へ行き、女房になると、本意を隠して左七への愛想尽かしを言い出す。驚き
ながらも、怒って飛び出して行く左七。花道から退場。入れ替り、花道より、番頭の
佐五兵衛(松之助)が十兵衛を訪ねて来る。片岡松之助に「緑屋」と大向うから声が
掛かる。下手より、医者(幸太郎)も登場。やがて、下手より小糸に迎えの駕篭が来
る。小糸は、駕篭に乗り込み、花道を五平太の屋敷へ向う。

店先では、十兵衛が(例の不詳のものに)貼付けたあった反故紙に気がつく。読む
と、家宝の「小倉の色紙」の在処が書いてある。色紙は、質店の神原家に預けてある
という。誰が何時貼付けたのか不明なまま。文字を知らない十兵衛女房のおらいが、
無筆ゆえ、知らずに貼付けていたということか。

十兵衛は、嫌がる小糸に無理強いしたことを後悔する。世話だんまりになり、佐五兵
衛は下手へ。十兵衛は、花道へ。小糸には、悲劇が待っている。舞台は廻る。

四幕目第二場「同 洲崎弁天橋袂の場」。川端。上手に弁天橋。左七(染五郎)が、
花道から登場し、舞台上手へ。出刃包丁を隠し持ち、橋の袂に身を隠す。小糸殺しの
場面。小糸(菊之助)を乗せた駕篭が花道からやって来る。さらに十兵衛(歌六)
が、花道から駕篭を追って来る。嫉妬に狂った左七は、駕篭を止める。駕篭から降り
て来た小糸を刺そうとする。駕篭を使い視覚的に見せるふたりの立ち回りが美しい。
駕篭の傍で逆海老の美しいポーズを取る菊之助。歌舞伎独特の様式美溢れる殺し場
は、妖艶である。

小糸は、左七に必死で書き付けを渡そうとするが、渡せぬまま、事切れてしまう。愛
しい女を殺して、正気になり、書き付けを読む左七。これまでの経緯を知り、後悔の
果てに自害しようとする左七。駆けつけた十兵衛がそれを止める。色紙の在処を書い
た反故紙と綱五郎から預かった100両も石塚弥三兵衛の息子としての左七に手渡
す。

大詰第一場「小石川本庄綱五郎浪宅の場」。再び、お房綱五郎の物語。九郎兵衛のモ
ドリも見せ場。小石川の綱五郎浪宅。下手に出入り口。竃に流し、水瓶。貧乏浪人宅
の体。綱五郎(松緑)の家にお房(七之助)もいるが、戸棚に身を隠している。お房
の姉のお時と夫婦になっている小糸の兄・九郎兵衛(染五郎)が綱五郎宅を訪ねよう
とする。女房のお時(七之助)もやって来る。お房お時という糸屋の姉妹は、七之助
のふた役、早替り。

お時は、悪婆の役どころ。綱五郎に美人局をしかける。綱五郎は、お時の腕に「十右
衛門命」という彫り物を見つける。脅しにきた九郎兵衛の腕にも「ぬい命」という彫
り物を見つける。実は、お時は、綱五郎の元許婚で、お房の姉のお縫(糸屋の姉妹
で、赤城家の奥向きに奉公していた女中。若党=十右衛門? 後の九郎兵衛? と駆
け落ち。子=おきみ を棄てた)だったと判る。

九郎兵衛のモドリ:小糸が左七に誤解されて殺されたこと、小糸の書き付けから幼い
時に棄てた実の娘おきみを自分が殺したこと、その結果、綱五郎と左七のお家帰参の
ために、小糸殺しの咎も自分が背負うと言う。モドリ=小悪党の善人返り。

壁が外から刳り貫かれて、戸棚に身を隠していたお房は佐五兵衛に連れ去られたと、
思われる。

大詰第二場「同 伝通院門前の場」。綱五郎浪宅が、十兵衛(歌六)、九郎兵衛(染
五郎)、お時(七之助)を乗せたまま、大セリでせり下がる。本舞台の床がフラット
になると、引き道具で伝通院門前が押し出されて来る。舞台転換。下手に御休処。門
前の石段を挟んで、上手に松の木。

大団円。因縁で絡まった糸を解く。赤城家の法要。お房を勾引し、葛籠に入れて、背
負った佐五兵衛(松之助)が下手から通りかかり、門前上手に居た五平太(松也)に
赤城家の家宝の色紙が請け出された上、陰謀も露見したと伝える。死人に口無しと、
五平太は花道へ逃げようとする佐五兵衛を斬り捨てる。

花道からは色紙を取り戻した左七(染五郎)が仲間の鳶たちと勢ぞろいをし伝通院に
入り込む。梯子を立てて御休処の屋根を利用して伝通院の塀を乗り越える。ここは、
「め組の喧嘩」のよう。さらに、花道から綱五郎(松緑)も駆けつけ、お家騒動の元
凶・五平太を斬り捨てる。葛籠の中のお房(七之助)を救出する。色紙を盗まれた弥
三兵衛の謹慎も許され、綱五郎の帰参も叶うことになった。門の奥から戻ってきた左
七(染五郎)も揃い、めでたしめでたし。

芝居を止めた松緑、染五郎、七之助が、上手から順に本舞台中央に座り込み、「昼の
部は、これぎり」で、お辞儀。定式幕が、上手から閉まり始める。

贅言;立春の前日、節分の「追儺(ついな)式」、つまり「豆まき」が、歌舞伎座の
舞台で演じられた。昼の部の閉幕後の「追儺式」であった。昼の部の終演となり、観
客は、帰り始めた。しかし、舞台では、一旦閉まった幕が再び開いた。カーテンコー
ルも無かったのに……。

舞台には豆を持った役者衆が並んで居る。お祭り左七と半時九郎兵衛のふた役を演じ
た染五郎が、「新しい歌舞伎座初めての追儺式でございます」と挨拶すると、観客席
から大きな拍手が撒き起こった。本庄綱五郎を演じた松緑、芸者小糸を演じた菊之
助、九郎兵衛女房お時と糸屋の娘お房のふた役を演じた七之助らが、豆の入った歌舞
伎座の大入り袋を観客席に向けて撒く。歌舞伎座が用意したおよそ1800袋の豆
は、2階、3階席でも歌舞伎座の女性スタッフによって、撒かれた。劇場内は歓声と
笑顔に包まれた。邪気を追い払う「追儺式」。御難続きの歌舞伎役者たちの向こう一
年間の無病息災を私は祈った。


今回の芝居。「歌舞伎座新開場杮葺落興行」の11回目。1年間の「杮葺落」の最終
興行が、3月の「鳳凰際」。4月は、同じ「鳳凰際」ながら、歌舞伎座新開場「一周
年記念」だという。松竹の商魂を見せつけられる。12回に及ぶ「歌舞伎座新開場杮
葺落興行」のうち、「花形歌舞伎」は、今回3回目。「花形歌舞伎」とは、若手、中
堅の人気役者による歌舞伎。名優、ベテラン役者の大歌舞伎と区別して、使う。花形
の魅力と弱点。世代的な課題だが、悪(あるいは、老い)の表現力の弱さは否めな
い。

役者評:松緑は、痩せて、顔つきが変わってきた。花形役者のうちでは、悪や老いの
表現に積極的に挑戦している。今回、松緑は、綱五郎の持つ「色悪」の部分は弱かっ
たように思う。染五郎は、科白が聞こえにくい。声量が弱いのだろうか。ただし、
「色悪」なら、松緑より染五郎が巧いかもしれない。菊之助は、女形役者としては、
花形役者の中では、ぴか一だと思う。父親のように兼ねる役者を目指すなら、立役の
修業には、更なる精進が必要だろう。若いうちは、真女形を目指すという選択もある
のかもしれない。七之助は、父親勘三郎の死後、兄の勘九郎とともに頑張っている。
特に、女形役者としては、この1年の進境が著しいと思う。しかし、今回の悪婆と娘
の演じ分けでは、特に、悪婆のお時が、鬘と衣装を替えてきただけ、という印象で、
染五郎と同じような不満を感じた。ほかの若手(花形以下の世代。松也、歌昇、萬太
郎、米吉、廣松など)にとっても、先達となるベテラン役者の逝去は残念の極みだ
が、逆に言えば、若い世代が大きな役に挑戦するチャンスでもある。歌舞伎の空隙を
見つけたら大胆に挑戦して欲しい。

脇役の存在感では、特に、松之助が特筆に値する。小悪党、コミカルな番頭役は、実
に見応えがあった。「緑屋」と大向うから声が掛かっていたが、宜なるかな。山左衛
門の家主もよかった。ベテランでは、ほかに、歌六、秀太郎、高麗蔵、錦吾、松江、
男女蔵。
- 2014年2月7日(金) 20:52:30
14年01月国立劇場 (通し狂言「三千両初春駒曳」)


釣天井が見せ場の正月芝居


「三千両初春駒曳(さんぜんりょうはるのこまひき)」は、150年ぶりの復活狂言
なので初見。1794(寛政6)年、大坂・角の芝居初演の上方歌舞伎。原作は辰岡
万作らの合作。軸となった辰岡万作の代表作「けいせい青陽𪆐(はるのとり)」。辰
岡万作(1742−1809)は、今ではほとんど忘れられているが、初代並木五瓶
と並び称せられた狂言作者。特に並木五瓶が江戸の転じた後の上方歌舞伎を支えたと
いう。「金襖もの」(時代もの、王朝もの)が得意。「けいせい青陽𪆐」は、老中の
改易に絡む将軍暗殺計画(徳川二代将軍謀殺未遂、宇都宮城の釣天井事件)や徳川三
代将軍の甥として生まれながら流浪生活を送ったとされる人物(松平長七郎)をモデ
ルにしているが、フィクションである。この時代、徳川家のことを歌舞伎には出来な
い。物語の時代設定は、「太閤記」の世界を借りているので、将軍家は、小田(織
田)信長家に置き換えて、信長死後の後継者争いのお家騒動として描いている。三代
将軍の甥をモデルにした人物は、小田三七郎信孝として登場し、菊五郎が演じる。今
回は、外題も「三千両初春駒曳」として、「釣天井」、「馬切り」(三千両を載せた
馬を奪って、曳いて行く)の立ち回りなど原作の趣向を活かしながら、大幅にアレン
ジしている。場立ては、次の通り。

序幕    「高麗国浜辺の場」
二幕目第一場「御室仁和寺境内の場」
二幕目第二場「同 御殿の場」
三幕目第一場「今出川柴田勝重旅館の場」
三幕目第二場「粟田口塩谷藤右衛門内の場」
三幕目第三場「元の柴田旅館釣天井の場」
四幕目   「住吉大和橋馬切りの場」
五幕目   「阿波座田郎助内の場」
大詰   「紫野大徳寺の場」

今回の主な配役。小田信孝:菊五郎、照菊皇女と大工の与四郎:菊之助、土屋庄助女
房小谷と真柴久吉:時蔵、柴田勝重と材木仲買田郎助:松緑、大徳寺住職徳善院:田
之助、塩谷藤右衛門:彦三郎、小早川帯刀:團蔵、宿老の女房おしげ:萬次郎、高麗
国守館張噲と浅野長右衛門:権十郎、宅間小平太と石田三郎右衛門:亀三郎、木田主
計、実は奴木田平と増田長兵衛:亀寿、小早川釆女:松也、藤右衛門娘お豊:梅枝、
張噲妹玉泉女と前田玄太左衛門:尾上右近、長束正太夫:竹松、小田三法師丸:大
河。

初見なので、まず、粗筋も記載しながら舞台展開を追いかける。

序幕「高麗国浜辺の場」。伏線とお家騒動の構図の説明。幕が開くと、高麗国、現在
の韓国の浜辺。下手が海の遠景。中央に砂浜。上手に韓国風の四阿があり、そのまま
上手奥の御殿に通じる廊下があるという体。下手から日本人の漁師・綱蔵(亀三郎)
と網作(松也)が乗った小舟が漂着する。高麗国を統治する照烈王の妹・照菊皇女
(菊之助)が、男前の網作を見初める。皇女は、兄の勧める政略結婚を嫌って、網作
に夫婦になるようにと積極的に働きかける。

そこへ、国守(権十郎)が現れ、不法入国の網作を捕縛し、皇女と引き離す。捕縛さ
れた網作は、仲間の綱蔵が助ける。実は、ふたりは小田信長家の家臣で、漁師に変装
した日本のスパイであった。網蔵は、宅間小平太。網作は、小早川釆女。

小田家は、本能寺の変で信長、嫡男の信忠が亡くなり、家督相続争いが起こってい
る。信忠の弟・小田三七郎信孝を推す柴田勝重と信忠の嫡男・三法師丸を推す真柴久
吉の二派に分れて対立している。そのため、隣国の高麗国の来襲を恐れて両派が呉越
同舟でスパイを派遣したのだ。勝重派の小平太。久吉派の釆女。小平太は釆女に贋の
情報を伝えて、先に帰国させる。残った小平太は高麗国の援軍の約束を取り付けよう
としている。お家騒動では、久吉派が最後には勝つので、勝てば官軍、久吉派が正統
派、勝重派が謀叛派と色分けされる。

大海原の道具幕が振り被せとなる。薄暗い中、幕の下手から舟が出て来る。舟には、
皇女が一人乗っている。舟は、花道から向う揚げ幕へ。皇女は、先に帰った釆女を
追って行く。定式幕が、閉まり始める。

二幕目第一場「御室仁和寺境内の場」。下手から中央に掛けて満開の桜。中央奥に五
重塔の遠景。上手に仁和寺の建物が続く体。すべて仁和寺の境内。上手より小平太
(亀三郎)ら一行。下手より釆女(松也)ら一行。お家騒動の両派が対立する。小平
太に騙された釆女は上手から現れた兄の小早川帯刀(團蔵)に謹慎を命じられことで
落着。帯刀らは信孝主宰の花見の宴に招かれている。

花道から九条の廓の仲居・おいち(時蔵)が、仲居のおきく、実は高麗国から網作、
実は釆女を追って密航してきた照菊皇女(菊之助)とともにやって来る。おいちも、
「実は」の人で、本名が小谷(おたに)、浪人・土屋庄助の女房で、仕官先が不明の
夫を探している。おいちは網作に似ている釆女に皇女を引き合わせようと連れてき
た。釆女が網作と判り、皇女は再会を果たす。

釆女は、皇女に紛失中の小田家の重宝「蛙丸の剣」の詮議をしていると明かす。皇女
は、協力を申し出る。夫探しのおいちは帯刀の計らいで信長の一周忌の法要が行われ
る予定の柴田勝重の館に向う。法要の場には諸大名一行が集まるので、行方不明の夫
探しの役に立つかもしれない。4人とも下手に入ると、大道具が廻って、場面展開。

二幕目第二場「同 御殿の場」。御殿は、金地に花丸の襖。花見の宴の最中。御殿の
御簾が上がると頭に桜の小枝を差した信孝(菊五郎)は酒機嫌。帯刀は宴の趣向だと
して、傾城に扮したおきく(皇女)を呼び出す。遊興三昧、女好きの信孝は、一目で
おきくを気に入るが、酔いが深まり眠ってしまう。その隙におきくは信孝の太刀を盗
もうとする。これに気づいた信孝はおきくを成敗しようとする。下手より現れた帯刀
が信孝を止める。「蛙丸の剣」を探らせるために帯刀がおきくにさせたことだったか
らだ。信孝は、重宝ばかりでなく、小田家の家督相続には関心がないと言って可愛い
甥の三法師丸ために自ら身を引き流浪の旅に出る。舞台には、花吹雪。幕。

三幕目第一場「今出川柴田勝重旅館の場」。濃い紺地の襖に金の家紋。重厚な佇まい
の旅館。信長の一周忌の法要を前に、柴田勝重(松緑)は、法要出席者のために「旅
館(宿泊所)」を建てた。正面奥より襖を開けて勝重登場。花道より関白兼房の御台
(奥方)・菊の前、実は皇女が扮装している。菊の前(菊之助)は、木田主計(亀
寿)を従えて、上使という触れ込みである。主計は高麗国から献上された「青陽(は
る)」の鷹を勝重から三法師丸に渡して、忠誠心を示せと言う。菊の前らは、花道よ
り退場。

一人残った勝重のところへ、下手より襖を開けて小谷(時蔵)登場。行方不明の夫を
探す小谷。左の額にホクロのある勝重は、なんと小谷の夫・土屋庄助だった。それで
も素性を明かそうとしない勝重は、久吉が来た時には寝所の釣天井を切り落せと小谷
に命じる。舞台が暗転すると、差し金の鷹が花道を飛んで行く。

三幕目第二場「粟田口塩谷藤右衛門内の場」。場面展開で明転。田口塩谷藤右衛門
内。粟田口の郷士の家だ。娘のお豊(梅枝)は、不義(恋愛)の罪で実家に戻されて
いる。ならず者の従兄・羅漢の鉄八(菊市郎)が、お豊に言い寄る。鉄八はなぜか立
派な刀(これも、後の伏線。この刀こそ、重宝「蛙丸の剣」)を持っている。正面奥
から暖簾を分けて藤右衛門(彦三郎)が登場し、娘のために鉄八を叩き出す。花道よ
り大工の与四郎(菊之助)が登場。勝重旅館普請の棟梁だ。お豊の不義の相手は、こ
の与四郎だった。与四郎は小田家の元家臣。不義の発覚で武士を止め、町人になっ
た。与四郎は建築現場で足止めを食らっている大工のことや仕掛けられた釣天井のこ
とを藤右衛門に告げるために現場から抜け出てきたのだ。上手障子の間より藤右衛門
が現れる。与四郎を娘の不義の相手と怒っていた藤右衛門は、与四郎の「密告」に機
嫌を直し、ふたりの仲を許す。花道から現場に戻る与四郎が口封じに勝重に殺される
のではないかと懸念した藤右衛門は、久吉にこのことを告げようと考えているところ
へ、幕。

三幕目第三場「元の柴田旅館釣天井の場」。今回の大道具のハイライト。戻った与四
郎は小平太らに捕えられる。正面奥から現れた勝重は与四郎の所持する脇差しを見
て、驚く。脇差しは、与四郎が幼い時に生き別れた実父の形見だという。なにかを
知った様子の勝重(後への伏線だが、実は、与四郎は勝重の息子)。

与四郎はさらに大工の安否や釣天井の目的を勝重に訊ねる。大工は皆帰した、釣天井
は三法師丸を守るためだと言うので、与四郎は信用し、花道から退場。

下手より鷹を持った木田主計、実は真柴久吉家の奴・木田平(亀寿)、上手から釆女
(松也)登場。久吉の軍兵も勝重を取り囲む。悪人の手元からは飛び去るという「青
陽(はる)」の鷹が久吉の許に戻ったので、勝重の逆意が明らかになったと釆女と木
田平は主張する。抵抗する勝重。立ち回りながら、廻り舞台が半廻しとなる。釣天井
のある寝所。「天下布武」の掛け軸がある。寝所まで追い詰められる勝重。下手から
現れた勝重の妻・小谷が吊り灯籠を切ると、勝重は忽然と姿を消し、部屋には釣天井
が下がって来る。釣天井には大岩がいくつも載せられていて木田平や大勢の軍平が押
しつぶされる。床下から何本もの槍が突き出される。寝所の床がセリ下がって、皆々
圧死の場面となる。花道では、小谷が軍兵に取り囲まれて立ち回り。幕。

四幕目「住吉大和橋馬切りの場」。もう一つの役者の見せ場。舞台中央に大和橋。上
下手は、橋を警備する関所の体。橋の下手に柳、地蔵、立て看板。看板には、関所の
「掟」(火付け禁止、「あやしきもの」を見かけたら代官地頭に知らせよなど)が書
いてある。

「高野山祠堂金 金三千両」という看板を立てた馬。久吉が信長供養のために高野山
へ三千両を納めるため、真柴家の家紋入りの千両箱を背中に乗せた馬が下手から大和
橋に差し掛かったところで、石川五右衛門の子分たちに奪われそうになる。それを
「横取り」しようと上手から一人の浪人が現れる。この浪人は、浪人らしからぬ贅沢
な衣装を着た信孝(菊五郎)であった。浪人と盗賊たちの立ち回りは、いろいろな小
道具を活かした遊び心いっぱい。「鈴ケ森」さながらに趣向を凝らした立ち回りとな
る。菊五郎らしい演出だ。本来は、信孝は、この場面では、左手で刀を抜くそうだ
が、そういうタテはなかったように思う。

そこへ、急を聞いて真柴家の奉行職の5人(権十郎、亀三郎、亀寿、竹松、右近)が
駆けつけて、浪人を咎めるが、浪人は小田信孝だと名乗る。奉行たちは慌てて平伏す
る。廓通いで懐の淋しい信長の息子が信長に使う金を持ち帰っても問題ないと言い放
つ。

黒幕が振り落としになると、橋の向こう岸は、町家の遠見。山並も見える。豪華な黒
地の着流し、銀と黒の市松模様の帯を締めたお洒落な浪人は、三千両を積んだ馬を曳
いて、悠々と花道を退場する。馬ごと積み荷の三千両を奪って行くので「馬切り」と
いう。

五幕目「阿波座田郎助内の場」。時代ものに入れ込まれた世話場。歌舞伎の人情の見
せ場。舞台は、一転して、当時の観客には馴染みのある町人の世界。摂津阿波座に材
木仲買・田郎助(松緑)の店。二階建て。一階座敷の上手には、池の上に建てた障子
の間がある。久吉の命令で阿波座の川筋に橋を架けることになり、宿老の女房おしげ
(萬次郎)ら町衆が集めた資金で材木を調達したはずなのに材木が届かないと騒ぎに
なっている。そこへ花道から戻ってきた田郎助は材木を調達するか、金を返すか明朝
返事をすると答えて、とりあえず、騒ぎをおさめる。田郎助は与四郎の養父で、叔
父。小田家の元家臣、今は与四郎同様、町人として暮している。世話になった小田家
への恩返しに信孝を預かっているが廓通いで放蕩する信孝のために町衆の金を流用、
使い果たしてしまったというわけだ。

信孝(菊五郎)は、「馬切り」で奪った三千両を載せた馬を曳いて。迎えの与四郎
(菊之助)とともに帰宅する。金に困っているのなら、遠慮なく使えと田郎助と与四
郎に言うが、ふたりは曰く付きの大金を使うわけにはいかず、戸惑う。下手より羅漢
の鉄八登場(これも、後の伏線)。鉄八は、「蛙尽くし」の科白がおもしろい。
「きょうのところはガマガエル。今すぐにヒキガエル……(きょうのところは我慢し
て、引揚げよう……)」

贅言;脇役では、「藤右衛門内」と「田郎助内」の場で登場する大部屋の菊市郎が演
じた羅漢の鉄八に存在感があった。菊市郎の抜擢の配役。普通なら、松島屋兄弟、亀
蔵辺りの役どころ。小田家の重宝「蛙丸の剣」をめぐる盗み側の実行犯。キーパーソ
ンである。

そこへ下手より、小早川帯刀(團蔵)登場。帯刀は信孝に三法師丸の補佐役として帰
参して欲しいという久吉の依頼を伝えに来る。無視する信孝に田郎助が仲介の労を執
ろうとすると帯刀は拒絶する。田郎助が久吉と対立する勝重の双子の弟だからと明か
す。初めて知った田郎助が驚く。信孝は、田郎助を庇う、帯刀は、信孝への忠誠を示
すために勝重の実子・与四郎の首を討てと言い渡す。承諾する田郎助。帯刀は、実務
派のなかなかの策士だ。團蔵としては珍しく正統派の側の人物。

田郎助は、自分が死ぬつもりだ。一方、階下の話を二階で聞いていた与四郎も自害を
決意する。与四郎は、実父の勝重の先の弁明の偽り(釣り天井の目的は、三法師丸殺
害。仲間の大工は、口封じに皆殺害された)を知り、自責の念に苦しんでいたのだ。
叔父も甥も自己犠牲を優先する。池の水を鏡の代用として、一階障子の間と二階で同
時に切腹をする。田郎助は一階で前を向いて腹を切る。与四郎は二階で後ろ向きのま
ま腹を切る。原作から続く趣向の切腹場面。二階から廂伝いに与四郎の血が流れ落ち
る。一階の田郎助の血流と混ざり合い、舞台上手にある池に流れ込む。すると、蛙の
鳴き声が響き渡り、池の中から重宝の「蛙丸の剣」が浮き上がって来る。羅漢の鉄八
が勝重の依頼で盗み出し、池の中に隠していたのだ。忠義の血が、呪縛を解いて重宝
の剣を浮び上がらせる奇跡を起こしたのだ、という荒唐無稽さが、いかにも歌舞伎
味。鉄八は信孝に斬られる。

放蕩三昧しながら重宝を探し求めていた信孝は、重宝を三法師丸に渡せと帯刀に託
す。亡くなった田郎助と与四郎の供養に三千両を使って、橋の建設を進めるようにと
与四郎女房・お豊(梅枝)に依頼する。原作は、ここで大団円となる。幕。

流浪の浪人に身をやつしながら、天下(てんが)を見通して、大所高所の大局観を
持って貫く信孝。やはり、菊五郎の芝居だ。荒唐無稽な筋の展開も細部のエピソード
も古怪な歌舞伎味と言えるだろう。こういう芝居は、あまり整然としてしまうとおも
しろくなくなる。

大詰「紫野大徳寺の場」。原作にない場面。幕が開くと、浅黄幕が舞台を覆ている。
上手下手からそれぞれ僧侶が現れ、信長の一周忌の法要のことを話している。釣天井
事件で延期になっていた信長の一周忌法要が会場を大徳寺に替えて行なわれることに
なった。幕の振り落しの後、金ぴかの大徳寺正面。大徳寺の住職には、久々の田之
助。この人間国宝役者の使い方がもったいないが、足が不自由だから、役柄が限られ
てしまうのか、何時観ても残念だ。

ずうっと姿を見せないまま、権力闘争を続け、果てに権力者に上り詰めた真柴久吉を
演じるのは時蔵。水色の大紋姿で、「忠臣蔵」の桃井若狭之助風。

釣天井の現場から忽然と姿を消した柴田勝重(松緑)が現れる。高麗国からの援軍を
最後の隠し手としている勝重は久吉に挑み掛かるが、信孝の意を受けた皇女(菊之
助)に阻まれて「援軍来らず」、企みは失敗する。勝重は、「先代萩」の国崩しの悪
役、仁木弾正のような人物だが、「魂ある限り、首が飛んでも動いてみせるは」など
と「四谷怪談」の田宮伊右衛門の科白を言う。勝重の黒地の大紋姿は、「忠臣蔵」の
高師直風。いろいろ寄せ集めているように見受けられる。

信忠嫡男の幼い三法師丸(大河、松緑長男)は家臣の久吉の協力を得て、また、叔父
の信孝(菊五郎)の同意を得て、小田家の家督を継ぐ。つまり、天下を統治すること
になるが、いずれ、久吉(豊臣秀吉)にそっくり取られてしまうことは、その後の歴
史が示す通り。

贅言1);舞台では、役者衆が、「撒き手拭い」を入れた籠を持ち、本舞台だけでな
く、花道にも出張って来て、手拭いを観客席に向って投げ入れてくれた。

贅言2);この狂言の通し上演は、1862(文久2)年以来、150年ぶり。この
時の上演は「大序より大和橋まで」。その大和橋、通称「馬切り」(「大和橋の
場」)の場面は、この後も、「みどり」上演(この場面だけの上演)で演じられたと
いう。「釣天井」も、登場人物の実名を使った新作で上演されたというが、この芝居
の外題は消えた。

贅言3);復活狂言と言っても、補綴をした国立劇場の担当者の裏話を読むと、名場
面を残しながら、大胆に再構成していることが判る。「復活」というより新作に近い
と言えるだろう。それが、国立劇場の正月歌舞伎の魅力でもある。

贅言4);藤間大河が演じた三法師丸は、去年2月に亡くなった十二代目團十郎の初
舞台の役という(「大徳寺」)。
- 2014年1月19日(日) 16:01:37
14年01月歌舞伎座 (夜/「山科閑居」「乗合船恵方萬歳」「東慶寺花だよ
り」)


馴染みの演目の楽しみ方・新作ものの楽しみ方

「仮名手本忠臣蔵〜山科閑居〜」、通称「九段目」は、7回目の拝見。今回の最大の
見どころは、顔ぶれの豪華さだ。去年の4月から今年の3月まで続く歌舞伎座新開場
杮葺落興行に加えて、新開場後初めての正月興行。馴染みの演目の楽しみ方の一つ
は、こういう顔ぶれの妙味だ。リニューアルオープンした芝居小屋のパワー。真新し
い劇場空間に充填される役者の力量。その両方を楽しむ。

この芝居は、登場人物の構成が、重層化しているのが、特徴。3人ずつで構成される
2組の家族。3組の夫婦(許婚同士も含む)。死に行く3人の男たち。残される3人
の女たち。死なれて、死なせて。でも、生きていかなければならない。

ふたつの家族とは、説明する迄もなく、大星由良之助一家と加古川本蔵一家のことで
ある。

私が観た(九段目の)加古川本蔵:幸四郎(今回を含めて、3)、十七代目羽左衛
門、仁左衛門、段四郎、團十郎。戸無瀬:藤十郎(鴈治郎時代含め、今回で3)、玉
三郎(2)、菊五郎、芝翫。小浪:菊之助(3)、勘太郎時代の勘九郎、亀治郎、福
助、扇雀(病気休演の福助に替わる)。

「九段目の加古川本蔵」は、「三段目の加古川本蔵」とは違って、塩冶側から見て、
裏切り者ではない。まして、由良之助の長男・力弥と許嫁の仲にあった本蔵の娘・小
浪、後妻の戸無瀬に、思いを遂げさせようと、加古川一家は、文字どおり全員が命を
掛けて大星家に働きかける場面である(死ぬ気の戸無瀬と小浪、実際に死ぬ本蔵)。
今回は、本蔵(幸四郎)、戸無瀬(藤十郎)、小浪(扇雀)という配役。

それにひきかえ、大星家の面々は、印象が薄い。由良之助の妻のお石(魁春)は、仕
どころがたっぷりあるが、力弥(梅玉)、由良之助(吉右衛門)となるに連れて、役
どころの存在感が薄くなる。特に、由良之助は、肚で演じる部分が多い。内面的なの
だから、外面的な存在感は、薄くなるが、吉右衛門が、これをどう演じるかが、見ど
ころ。

私が観たお石:魁春(今回含め、3)、勘九郎時代の勘三郎(2)、玉三郎、時蔵。
力弥:染五郎(2)、八十助時代の三津五郎、孝太郎、玉太郎時代の松江、新之助時
代の海老蔵、今回が、梅玉。由良之助:吉右衛門(今回含め、2)、孝夫時代の仁左
衛門、富十郎、鴈治郎時代の藤十郎、幸四郎、菊之助。由良之助は、毎回、顔ぶれが
立派だが、七段目とは違い、九段目では、そもそも存在感が薄い。吉右衛門は、11
月の顔見世興行の「仮名手本忠臣蔵」を含めて、「九段目」まで、今回は、全ての由
良之助役を勤めた。

ふたつの家族といっても、メインは、加古川一家であり、大星一家は、いわば、松の
廊下で判官の行為を完遂させなかった、いわば「敵役」の加古川一家を浮き立たせる
ための、サポート役にしかすぎないように見受けられる。加古川一家は、まさに、命
がけで、「大星家への忠義」を歌い上げ、是が非でも、娘の小浪のために「一夜の契
り」を実現させてしまう。

「恋と忠義はいずれが重い」とは、「義経千本桜」の「吉野山」の道行の場の浄瑠璃
「道行初音旅」の冒頭の文句であるが、「山科閑居」では、本蔵の忠義と小浪の恋と
いう、どちらも重い課題を、後妻であり、継母であるという、戸無瀬の、「義理」の
家族ゆえに「純化」させた強い意志力で、忠義も恋も、どちらも両立させてしまう。

緊迫感のある場面となる。歌舞伎界の立女形、玉三郎と並んで人間国宝、勿論先達の
藤十郎が、迫真の演技で戸無瀬を演じ切る。品位も貫禄もある母親像を構築した。
「花道の出で、役の華≠ニ立女形の大きさを表さねばならない」という藤十郎は、
その思いを外面化した。今回で11回目の戸無瀬であるが、新歌舞伎座では初めて。
「(「先代萩」の)政岡の赤い衣装は、立女方の象徴です。戸無瀬も赤の衣装。……
新しい歌舞伎座で初の戸無瀬。責任は重大です」と藤十郎。丸本歌舞伎(義太夫も
の)の女形の中でも、重量級の演目。加古川家に後妻に入ったが、義理の娘・小浪と
は、さして歳が違わないという設定ながら、役割は、母親。役割が、人間の品格を作
る、という典型のようなもの。女ながら、両刀二本差しで登場。加古川家を代表して
の訪問ということなのだろう。

病気療養中の福助に替り小浪を演じる扇雀は、今回で5回目。母親戸無瀬は、いつ
も、父親の藤十郎。は、小浪は、脱いだ白い打掛けを折畳み、恰も、切腹をする武士
が使用する二畳台のように敷き、その上に座る。上手奥から、「御無用」とお石の声
がかかる。戸無瀬を演じる藤十郎、お石を演じる魁春が対抗する、緊迫した名場面
だ。この場面では、「御無用」という声を含め、勘九郎時代に2回観た勘三郎のお石
が、今も印象に残る。勘三郎は、十八代目を襲名して以降、勘三郎としては、お石を
演じることなく、逝去してしまった。一段と磨きのかかったお石を見せてくれただろ
うにと、思うと、無念。

下手から、尺八の音とともに現れた加古川本蔵(幸四郎)。本蔵から見れば、後妻の
戸無瀬、愛娘の小浪、娘婿の力弥、婿の両親の由良之助とお石という濃密な人間関係
が、息苦しいだろう。松の廊下事件以後、いわば、職場の義理で、公的には、「敵対
関係」に落ち入った、娘の許婚一家・大星家との私的な和解を実現するために、命を
掛けた。一家が、全員の協力で、それに成功する物語が、「九段目」の加古川一家な
のだということが、良く判った。本蔵の小浪への愛情が、本流となって、溢れ出て来
る。

一方、大星一家は、お石こそ、戸無瀬、小浪という、「義理」の母子に対して、力弥
の嫁となる小浪との関係を通じて、もうひと組の「義理」の母子という関係から、加
古川一家と対等に立ち向かうが、由良之助と力弥は、影が薄い(やがて、死ぬゆく父
子でもある)ために、大星一家そのものの影も薄くなる。ふたつの家族は、舞台こ
そ、大星一家の閑居だが、舞台の主役は、加古川一家というのが、「山科閑居」とい
う芝居の実質なのだろう。

力弥の槍で刺され、瀕死の怪我、苦しい息のもと、いろいろ重要な情報を大星親子に
伝えなければならない。幸四郎は、いつものように骨太に本蔵を演じて行く。本蔵を
両脇から支える赤い衣装の戸無瀬、白無垢の小浪。小浪は、ほとんど同じ姿勢で動か
ない。静止画の中で、本蔵だけが動く。それでいて、不自然ではないのが、歌舞伎の
妙味。生と死。死を覚悟して、嫁ぎに来た母子の間を、暫し、静かな時間が流れる。
この3人が、主役ですよと印象づける場面だった。

今回は、特に、幸四郎の本蔵と吉右衛門の由良之助が、直接やり合うが、兄弟なが
ら、高麗屋と播磨屋というそれぞれの一門を率いて、良い意味でのライバル心を燃や
す大御所役者同士の滅多に見られない顔合わせも、馴染みの演目を楽しむ上で、興味
深かった。


「乗合船恵方萬歳」は、3回目。前回は、14年前、2000年11月、歌舞伎座で
あった。1843(天保14)年、江戸市村座初演。三代目桜田治助作詞の舞踊劇。
四段返しの変化舞踊「魁香樹(かしらがき)いせ物語」のうちの一つ。今は、常磐津
で演じられる。

今回の配役。萬蔵(梅玉)、才造(又五郎)、白酒売(孝太郎)、大工(橋之助)、
通人(翫雀)、芸者(児太郎)、女船頭(扇雀)、田舎侍(弥十郎)。

江戸の正月の風情を引き写しながら、江戸の隅田川の渡し船に乗り込んだ7人の乗客
を「七福神」に見立てて、交互に舞い立てるという藝尽しの趣向で正月向きの演目。
それぞれの職業や立場の乗客が、自己紹介を兼ねて藝を披露し合う趣向の、江戸の正
月の風俗を写した明るい踊り。それゆえに、年末年始、12月、1月、あるいは、芝
居の正月月、顔見世の11月の出し物として、上演されることが多い。

背景は、隅田川に待乳山。遠く筑波山が見える。なかでも孝太郎が演じた白酒売が、
茶色の地の団扇に白酒、裏に山川「言い立て(宣伝)」をする。いまならキャンペー
ンガールの役回りだ。萬歳の梅玉は、こういう役は巧い。今回は、児太郎のみ若い。
ほかは、芸達者な中堅役者がずらり。児太郎は、病気休演の福助の代わりか。

扇雀が演じた女船頭のアイヌ紋様の厚司が良い。このアイヌ紋様は、水辺に縁のある
場面や人が絡む時に持ちいられる衣裳である。「義経千本桜」の「渡海屋」の場面
で、銀平、実は知盛を演じる役者が必ず着ている。


「東慶寺花だより」は、井上ひさし原作の小説を元にした新作歌舞伎、今回初演。医
師見習いで戯作者も目指す中村信次郎(中村錦之助の前名、中村信二郎と一字違い。
錦之助は、昼の部に出ているが、夜の部の出演は無し)。創作の修業のために、鎌倉
の尼寺・東慶寺の御用宿である柏屋に居候している。東慶寺は、江戸時代、女性が自
ら夫婦の縁を切る場合に逃げ込む「駆け込み寺」として、有名だった。寺に逃げ込む
人やその周辺の人たちの哀感を描き出す世話もの狂言。初見なので粗筋をコンパクト
に書いておこう。

暗転から始まる。まずは、幕外の作者部屋の場面。背景は、信次郎作の題名「蚤蚊虱
(のみかしらみ)の大合戦」の戯画をあしらった道具幕。遅筆の井上ひさしを皮肉っ
た場面。花道から現れた信次郎(染五郎)も読本屋たち(出版社の編集者)にせっつ
かれている。

道具幕が、引揚げられると、染五郎は花道へ。本舞台は、林の中。年の瀬も近い。江
戸へ戻ろうとした信次郎は、東慶寺に駆け込もうとした江戸の大店の内儀・おせき
(孝太郎)を乗せた駕篭と行き会う。駕篭とともに、染五郎も本舞台へ戻り、林をか
き分け、奥へ。

舞台は廻って、第一場「御用宿柏屋の店先」へ。下手奥からお関を乗せた駕篭ととも
に、信次郎も登場。木製のカートを引きずっている。このカートは、者入れ兼用で、
組み立て式の机になっている。見世先には、「御用宿」の旗。「柏屋」の暖簾。一階
が帳場。二階が、客室という佇まい。

夫の商売の望みを叶えるために、自分の持参金300両(持参金は妻の財産)を夫に
差出すために離縁を願うという。人の思いはさまざま、それを知るのは作家修業と信
次郎は柏屋の主人・源兵衛(弥十郎)に願う。信次郎に恋心を抱く柏屋の娘・美代
(虎之介)が喜ぶ。柏屋の女中・お勝を芝のぶが演じている。

舞台が廻ると、第二場「東慶寺青松院内の一室」。信次郎が、青松院で療養する駆け
込みの病人の若い女性・おぎん(笑也)を診察する。おぎんは、なぜか、寺内での所
持が禁じられている銀の簪を持っている。医者とはいえ、若い男が男子禁制の尼寺に
入るのを院代の法秀尼(東蔵)は、危惧する。案の定、法光尼(幸雀)のほか寺に駆
け込んだ女たちも部屋の障子の外で聞き耳を立てている。そういうところに、新たな
駆け込み者が現れたと法光尼が告げに来るが、それが、男だということで大騒ぎとな
る。

舞台が廻ると、第三場「東慶寺の門前」。下手、門前は石段。上手は、柏屋。寺男た
ちが、駆け込み男を止めている。男は、京の造酒屋の主人・惣右衛門(翫雀)。男の
駆け込みは、前代未聞と断られる。信次郎は惣右衛門を柏屋へ案内する。舞台は、そ
のまま、半廻しで、柏屋の店の前に出る。

第四場「元の柏屋の店先」。信次郎が惣右衛門に事情を聴くと、入り婿で、色好みの
女房・お陸を恐れて離縁が言い出せないと嘆く。信次郎は、取りなして、暫く、惣右
衛門を柏屋で預かってくれるように頼む。そこへ、惣右衛門の行方を追ってきたお陸
(秀太郎)が駆けつけて来る。

舞台が、逆回りで、戻る。林の書割が降りて来ると、第五場「東慶寺裏庭」。書割の
前に立ち木と灯籠がある。おぎんと幼なじみの朝吉が媾曳きをしている。朝吉は飾り
職人で奈良に行っていた。おぎんが隠し持っていた簪は朝吉手作りの品だった。ふた
りの間柄を知ったおせんは、ふたりに助力するしようと思う。

舞台が廻ると、第六場「元の東慶寺青松院内の一室」。数日後、金の力で結婚したお
ぎんの夫で年寄りの堀切屋三郎衛門(松之助)とおぎんの離縁を認めるかどうかの寺
役所の取り調べが行なわれる。おぎんの心情と事情をおせんから聞いて、汲み取った
信次郎の理路整然の弁護が功を奏して、三郎衛門は、縁切り状を書く羽目になった。

次に、惣右衛門とお陸の件が、審議された。お陸の前では、何も言えない惣右衛門。
夫への執拗な執着心で述べたるお陸の意向が認められ、惣右衛門は今日へ戻ることを
承知した。本人が承知してしまえば、信次郎も弁護のしようがない。惣右衛門はお陸
に引きずられるように座を立つ。お陸を演じる秀太郎は、怪演。これを見て、院代の
法秀尼らは、「男女の仲は、みな、あべこべ」と言う。この言葉に信次郎新作のヒン
トを得たようであった。

舞台が廻ると、第七場「元の柏屋の店先」。大晦日の日。先ほどの柏屋と違って、二
階へ通じる階段の横に剣菱の菰包みが置いてある。稲荷の下に、角樽がふたつ。見世
先の下手には、門松が飾ってある。信次郎は新作の目処もつき、改めて、柏屋での人
間修業を続けたいと柏屋の主人・源兵衛に願いでる。娘の美代も喜ぶ。皆、にこやか
に新年を迎えられそうである。

話の流れは、判り易いが、芝居としては、歌舞伎らしい荒唐無稽さが欲しかった。染
五郎を軸に孝太郎、弥十郎、東蔵、翫雀、秀太郎らが熱演。特に、翫雀、秀太郎の夫
婦が、芝居の幅を拡げていた。
- 2014年1月10日(金) 12:32:55
14年01月歌舞伎座 (昼/「天満宮菜種御供」「梶原平三誉石切」「松浦の太
鼓」「鴛鴦襖恋睦」)


我當の「老い」と「藝」


「天満宮菜種御供(てんまんぐうなたねのごくう)〜時平の七笑〜」は、2回目の拝
見。前回は、12年前、02年9月の歌舞伎座。時平は、我當の当り役。01年12
月の京都南座での本興行初演以来、この13年間、本興行の上演記録を見ると、今回
含めて7回、我當だけが時平を演じている。

近松門左衛門の「天神記」や、「天神記」などを下敷きにした「菅原伝授手習鑑」を
さらに、下敷きにして並木五瓶が書いた九幕十七場の歌舞伎だが、二幕目の「記録
所」が、いわば、一幕物のようにして残った。通称「時平の七笑」という外題は、こ
の芝居の本質を端的に表す良いネーミングだと思う。いわば、「七色の笑い」。別
名、「笑い幕」ともいう。一度だけ演じた十一代目仁左衛門が、閉幕後も、大きな笑
い声を聞かせたからだという。我当は、これを踏襲していて、今回も幕が完全に閉
まった後、暫くしてから笑い声を聞かせてくれた。場内の観客は、驚いたようで、場
内からも笑いが漏れた。

この芝居の見どころは、1)「菅原伝授手習鑑」の「車引」の場面の、青い隈取をし
た公家悪のイメージがぴったりの、敵役・藤原時平が、菅原道真を落としいれようと
する公家たちを向うに回して、道真に味方して擁護しようとする、若くて、颯爽とし
た裁き役の貴公子然として登場してくる意外性だ。2)最後に、通俗どおりの悪人と
しての正体を現す時平、観客に「やっぱり道真の敵だ」と安心させる納得性がある。
3)「七笑」というとおり、不気味さも含めた7色の笑い声の可笑しみ。「大鏡」と
いう藤原道長の権勢の趨勢中心に描いた歴史物語には、時平の笑い癖が、記載されて
いるそうだが、そういう史実を元に、7色の「声」ならぬ7色の「笑い」をキーポイ
ントにした演出の巧みさだ。役者の藝の見せ所でもある。といっても、我當の専売特
許になっている。

この芝居は、「時代もの」なのに新作歌舞伎のように緞帳で開幕する。それでいて、
定式幕で閉幕する。このミステリーは、解いてみたい。

緞帳が上がると、網代塀で囲まれた記録所の庭には、紅梅白梅が咲いている。室内の
襖、衝立の絵柄は、山水画。ここでは、右大臣・菅原道真(歌六)の謀反が暴かれ
る。二重舞台に座る詮議役は、3人(松江、宗之助、今回名題昇進の千次郎)。平舞
台階段の両脇に控えているのが、「寺子屋」でお馴染みの春藤玄蕃(錦吾)、判官代
(ほうがんだい)輝国(進之介)。玄蕃は左大臣・藤原時平の随員(秘書役?)とし
て控えているだけに道真糾弾の先鋒。輝国は、院の庁(上皇、法皇ら直属の政務機
関)の役人(別当=長官、執事、年預に次ぐ職位が判官代)で、いわば中立派。参内
してきた道真を詮議の場へ連れ出される。道真は、嫌疑の潔白を主張する。歌六の道
真は、なかなか立派な道真だ。落魄のなかにも風格を感じさせる演技だった。品位や
颯爽さが残り香として感じとれた。道真も政治家であり、老獪さも隠し持っているだ
ろうから、そういう味も必要だ。

道真の反駁に対して、時平の代理人玄蕃は、唐(中国)からの使者で事件の関係者と
して天蘭敬(松之助)を縄付きで引き出させる。さらに証拠だとして、密書を提出す
る。輝国も道真を擁護できなくなる。

そこへ奥から現れたのが白塗りの貴公子然とした左大臣・藤原時平。ゆるゆる歩む。
しかし、詮議の場では、右大臣・藤原道真を断罪しようとする公家たちを牽制して、
ライバルの筈の道真擁護をする時平だが、果たして、時平の真意は? ここがポイン
ト。

贅言;庭に下りる道真の足元は、白い足袋にサンダルのような白い履物。前回もそう
だった。稚児の松乃丸の介添えを受けて、階段を下り、平舞台に立った時平は、黒い
漆塗りの木沓。白と黒の対比。善と悪の暗示か。我當は、ここ数年、足の運びが不自
由そうに見える。階段の昇り降りは、いずれも手を取られるという介添えが必要だっ
た。前回、12年前には、なかったことだ。

しかし、時平も、最後まで庇いきれず、道真断罪。玄蕃が出した「証人や証拠」も本
来、時平が仕掛けているのだろうに。さすが悪の戦略家だね。

道真は、書道の幼い教え子たちに見送られて配流地へ旅立つ。涙で花道の端まで見送
りに出る時平。子どもたちとともに花道から向う揚幕に消える道真、二重舞台の奥に
消える公家たち。介添えの稚児も消える。ひとり舞台下手に取り残された時平は、や
がて、舞台中央に戻り、御殿の階段を昇る。今度は黒衣が素早くサポート。前回は、
時平は後ろ姿を見せながら、二重舞台座敷に上がった後、舞台中央でこちら向きに座
りなおした。

今回は、座敷に上がらず階段上で留まってしまった。客席に顔を向けて階段上に座り
涙を拭く。二度ほど涙を拭くと、その顔には、なんと、笑いが滲んでいるではない
か。さらに、笑いがどんどん広がって行く。この笑いは、なんなのだ、というのが、
この芝居の見どころ。味方のふりをして道真を陥れた張本人が、実は、時平なのだ、
と観客にも判る。

この辺りの我當は、巧い。若い貴公子然とした顔の後ろから老獪な政治家の顔が、仮
面をはぐように観えてくる。それも、白塗りのままで。恰も、見えない青い隈が下か
ら浮き上がってくるように観えた。我當の大きな角ばった顔にぎょろりとした大きな
眼が、効果的だ。これは、まるで、顔の「ぶっかえり」のようだ。見落としなきよ
う。我當の時平は、適役。隈取もなく、白塗りの若い貴公子然とした顔の底から、老
獪な政治家の顔が現れて来る。その二重性を表現できる数少ない役者かも知れない。
我當にこれが出来る限りは、足が不自由で、動き回る範囲を変えても、時平役は、我
當の手中にあるだろう。
 
ここから、見どころ、ならぬ、聞きどころの七笑が始まる。微笑、冷笑、嘲笑、快
笑、哄笑、さまざまな笑い声が、響き渡る。笑い声のうちに、定式幕が閉まる。閉ま
りきった幕の中央あたりから幕を突き上げるように、姿の見えない笑い声が響く。こ
のために、幕切れは、是非とも、同じ閉幕でも、下手の舞台空間に余韻を残せる「引
き幕」という定式幕が、必要だったのだろう。「笑い幕」と言われる所以である。我
當は、7色の笑いのために、竹本の笑い、狂言の笑い、歌舞伎の笑いなどをミックス
して工夫を重ねたという。
 
松嶋屋一門の長男我當の長男・進之介の輝国は、我當初演以来、今回含めて7回と、
ずうっと同じ役を演じているが、これも、親の七光りか。松嶋屋一門次男の秀太郎の
養子・愛之助の活躍ぶりに複雑な思いを抱いているだろうが、藝の道は厳しい

印象的なのは、滑稽役。左中弁希世(まれよ)を演じたのは由次郎。希世は、何度も
寝返りをうつ卑怯者。風見鶏。私が観た前回は、今は亡き松助だった。松也の父親。
松助は、滑稽さがあり、良い味を出していた。追放の憂き目にあい、裸にされると、
「麻呂が裸で、まろ(まる)裸」という使い古された科白を言う。由次郎は、痩せて
いるので、同じ科白を言っても痛々しい感じがしてしまって、損をしている。


初春歌舞伎(昼)は馴染みの演目のパレード


「梶原平三誉石切」はお馴染みの人気狂言。私も14回目の拝見となる。最近では、
13年5月の歌舞伎座新開場杮葺落興行と11年6月の新橋演舞場で、私としては2
回続けて、吉右衛門の梶原平三で観ているが、歌舞伎座さよなら興行の10年1月に
は、今回(やはり、歌舞伎座新開場杮葺落興行)同様幸四郎の梶原平三で観ている。
幸四郎は、歌舞伎座の「さよなら」と「新開場」という 節目の舞台で梶原平三を演
じたことになる。吉右衛門の最近の2回の間には、12年12月の京都南座の興行が
あり、ここでは團十郎が梶原平三を演じ、病気で途中休演をしている(翌年2月に
は、團十郎は逝去してしまった)。

こういう馴染みの人気演目を、興行のどういうタイミングで誰が主役を張るかという
のは、松竹も絡んで、水面下でいろいろあるのかどうか。私には興味がないが、いず
れにせよ、ここ数年から現在まで、逝去や病気休演の役者が相次ぐ歌舞伎界。その屋
台骨を背負っているのが、山城屋・成駒屋、音羽屋、大和屋と並んで、高麗屋と播磨
屋の兄弟であることには間違いないだろう。

私が見た梶原平三役者は、5人:吉右衛門(4)、富十郎(3)、幸四郎(今回含
め、4)、仁左衛門(2、1回は、巡業興行)、團十郎。歌舞伎界を背負ってきた役
者に絞られる感じだ。このうち、富十郎と團十郎は、逝去してしまったので、もう観
ることができない。吉右衛門、幸四郎、仁左衛門が、当面の梶原平三役者ということ
か。いずれは、世代交代の波を被るかもしれない。因に、大庭三郎役は、以下の通
り。左團次(5)、彦三郎(2)、我當、富十郎、梅玉、段四郎、信二郎時代の錦之
助(巡業興行)、菊五郎、そして今回が橋之助。左團次が一強だが、梶原平三役者と
違って、バラエティに富んでいるのが判る。

馴染みの演目にも、役者によって、演出の違いがある。冒頭場面だけ観てもこう違
う。吉右衛門は、オーソドックス派。幸四郎は、違う演出。

吉右衛門の場合。幕が開くと、浅黄幕が、舞台を覆っている。幕の振り落しで舞台
は、鶴ヶ岡八幡社頭の場。梶原平三一行は、まだ、舞台には出ていない。梶原平三方
の大名らが、大庭三郎方の大名らと共に、弓の稽古という設定で、上手の大庭三郎一
行に混じって、舞台下手の床几に座っている。

そこへ、花道から、黒地に白い唐草模様、金の対の矢羽根が縫い取られたいつもの衣
装の梶原平三(吉右衛門)が、従者を連れて参詣にやってくる。源頼朝と石橋山の戦
いで勝利した平家方の大庭三郎と俣野五郎の兄弟一行が本舞台に居る所へ、花道から
同じように参詣に来た梶原平三一行と鉢合わせするという想定。

幸四郎の場合。幕が開くと、浅黄幕が、舞台を覆っている。ここは同じ。浅黄幕が、
振り落とされると、上手、大庭三郎一行と下手、梶原平三一行が立っている。梶原平
三(幸四郎)が、まず、科白を言い始める。鶴ケ岡八幡宮の拝礼を終えた梶原平三と
いうシチュエーションになっているという想定。双方とも八幡宮参詣を済ませたとい
うことだ。

「石切梶原」の芝居だから、「刀の目利き」「二つ胴」「手水鉢の石切」という、お
馴染みの場面が、続く。ここは、吉右衛門も幸四郎も、母方の祖父・初代吉右衛門の
型を踏襲しているから、変わらない。

例えば、「二つ胴」では、團十郎が、ぽんと撥ねるように軽快な刀遣いをしたのとは
違って、吉右衛門も今回の幸四郎も、刀の刃を囚人(身替わりの人形)の胴に押し付
けて、包丁で、魚などを切る時のように、刃を前へ押し引くような切り方をしてい
た。

「手水鉢の石切」の場面では、吉右衛門も今回の幸四郎も、客席に背中を見せて、や
はり「二つ胴」同様に、刀の刃を石製の手水鉢に押しあてるようにじっと止めたま
ま、いわば、前へ向けて押し切るようにして、鉢をまっぷたつに割ってみせた。手水
鉢に茶色い手拭いのような物を置き、これに刀の刃を押し当てるようにしていた。こ
れは、初代の吉右衛門の演出。石製の手水鉢を切る場面は、昔から、役者によって、
いろいろな演出が工夫されて伝えられている。主なものは、3つ。述べたような初代
吉右衛門型のほかに、初代鴈治郎型、十五代目羽左衛門型がある。

鴈治郎型は、手水鉢の向うに廻って、客席に前を見せる上、場所が鶴ヶ岡八幡ではな
く、原作通りの鎌倉星合寺である。羽左衛門型は、手水鉢の向うに廻り、さらに、六
郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、手水鉢の水にふたりの影を映し
た上で、鉢を斬る場面を前向きで見せた後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出
してくる。桃から生まれた桃太郎という発想だったという。

幸四郎の梶原平三は、「手水鉢の石切」の場面の前後では、真意を隠したまま、六郎
太夫と娘の親子への気遣いぶりを見せていた。「ふたりを救おうとしたのだよ」とい
う真意を滲ませて、にこにこしていたのが、とても印象に残った。そこに流れる主調
は、六郎太夫と娘の梢の情に答える梶原平三の機転ということなのだろうと思う。幸
四郎は、大庭三郎と俣野五郎の兄弟を騙して、一芝居を打つという話に再構成してい
る。


「松浦の太鼓」は、初代吉右衛門の当り役を集めた「秀山十種」の演目なので、例え
ば平成に入って本興行で13回上演されたうち、吉右衛門は、今回含めて9回,松浦
侯を演じている。ほかは、勘三郎が2回、仁左衛門が孝夫時代を含めて、2回。当代
の幸四郎は演じていない。私は、6回目の拝見。私が観た松浦侯は、吉右衛門(今回
含め、4)、勘三郎、仁左衛門。前回は、10年1月、さよなら興行の歌舞伎座だっ
た。その時の配役と今回の配役は、ほぼ同じ。大高源吾の妹・お縫役が、前回の芝雀
から米吉(歌六長男)に替わった。

1856(安政3)年、初演のものを、1878(明治11)年に、いまのような形
に「改作」されたというから、新・歌舞伎の部類に入れてもよいだろう。時代がかっ
た科白が、しばしば、世話になる。「年の瀬や水の流れと人の身は」という上の句に
「明日待たるるその宝船」という下の句をつけた謎を解く話。「忠臣蔵外伝」のひと
つ。判りやすい笑劇である。

雪の町遠見。大川にかかった両国橋。開幕すると、雪に足を取られないようにと、注
意しながら、上手から町人ふたりが、両国橋を渡って来る。両国橋の袂には、柳の木
とよしず張りの無人の休憩所がある。立て札が、2本立っている。以前は、「二月十
五日 常楽会 回向院」「十二月廿日 千部 長泉寺」という立札2枚が、立ってい
たが、最近では、「十二月廿日 開帳 長泉寺」「十二月廿日 開帳 弘福寺」とい
う立札が、立っている。今回も、同様であった。

次には、すす払いの笹竹を売り歩く大高源吾(梅玉)が、売り声をあげながら上手か
ら両国橋を渡って来る。花道からは、傘をさした俳人の宝井其角(歌六)が、やって
来る。この場面も、舞台は、一枚の風景浮世絵のように見える。

吉良邸の隣に屋敷を構える、赤穂贔屓の松浦の殿様・松浦鎮信が、主人公。人は、良
いのだが、余り名君とは、言い兼ねるような殿様だ。吉右衛門の松浦侯は、今回もそ
うだったが、吉右衛門本来の人の良さが滲み出ていて、そこが強調されていて、おも
しろい。

初代吉右衛門の当り藝で、その後は、先代の勘三郎も当り藝にした。「松浦の太鼓」
は、討ち入りの合図に赤穂浪士が叩く太鼓の音(客席の後ろ、向う揚幕の鳥屋から聞
こえて来る)を隣家で聞き、指を折って数えながら、それが山鹿流の陣太鼓と松浦侯
が判断する場面が、見どころである。

梅玉が演じた大高源吾は、前半は、町人に身をやつし、後半は、無事に討ち入りを果
たした赤穂義士の一人ということで、メリハリのある役どころで、ご馳走な役であ
る。米吉が演じたお縫は、松浦侯の感情の起伏に翻弄されるばかりで、しどころの難
しい役。私が観たお縫は、松江時代の魁春、玉三郎、孝太郎、勘太郎時代の勘九郎、
芝雀。宝井其角は、お縫と松浦侯の間に入り、憎めない軽薄な殿様を相手に、大人の
賢さを発揮して、駆け引きをするという、結構、難しい役であるが、このところ、い
ぶし銀の輝きをましてきた歌六は、貫禄を滲ませていて、良かった。


「鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのむつごと)〜おしどり〜」は、4回目の拝見。今
回の配役は、遊女・喜瀬川(魁春)、河津(染五郎)、股野(橋之助)。舞台中央、
池の上には、いつものように長唄連中が雛壇に座っている。暫くは、置唄で、舞台
は、無人。上手には、金地に花丸の模様を描いた襖のある障子屋体の御殿。座敷には
花車の衝立もある。やがて、中央のセリ台に、3人(染五郎、魁春、橋之助)がポー
ズを付けたまま乗り、セリ上がってくる。

もともと、江戸時代に原曲があるが、戦後、六代目歌右衛門が復活上演をした際に、
舞踊劇(長唄、常磐津)は、いまの形になった。歌舞伎座筋書きの上演記録には、な
いから、本興行ではない(1954(昭和29)年の第1回「莟会」か)のかもしれ
ないが、歌右衛門、海老蔵(後の團十郎)、松緑のトリオで、セリ上がって来たとき
には、客席がどよめいたという。

「相撲」が、長唄。途中で、長唄連中が、雛壇のまま、引き道具で下手に引っ込む。
「鴛鴦」では、この後、下手の常磐津が演奏を引き継ぐ。

「相撲」の場面。行司役、襦袢に素足の喜瀬川(魁春)。白塗り白足袋の河津(染五
郎)と赤面に黄色い足袋の俣野(橋之助)が、相撲の由来を所作事の「格闘技」で、
披露する。土俵の範囲を示すのに、喜瀬川がふたつの枕(夫婦枕。朱色の枕に白い紙
がかかっている。白い枕に水色の紙がかかっている)を置く。遊女の寝間の風情。エ
ロチックだ。「相撲と恋」の格闘技という二重構造の拍子舞である。喜瀬川は、恋す
る河津のために、公平ではない行司の役割をする。後見役が、鬘に紋付姿。肩衣は着
けていない。

相撲に勝った河津と喜瀬川のふたりが障子屋体の御殿に入ると、引き道具の御殿が上
手に引き込まれる。中央の長唄連中も退場。やがて、池には、番(つがい)の鴛鴦が
現れる。鴛鴦の夫婦は、雄を殺せば、雌も慕い死ぬというので、相撲に負けた股野
は、河津攻略のために、鴛鴦のうち、雄を殺して、花道から持ち去る。

場面転換。下手に常磐津連中が登場。背景の黒幕が、落とされる。本舞台は、池のあ
る奥深い庭が拡がっている。奥行きのある庭全体が、網代塀によって囲まれているよ
うだが、中央奧まで池が続き、その向こうには、森が拡がる。

薄い紫の衣装に着替えた魁春が、花道・スッポンから、せり上がって来る。雄の鴛鴦
を殺された雌の鴛鴦の精。羽を伸ばし、羽をつくろい、羽ばたきをする。上手、庭の
垣根をふたつに割って出てきた染五郎は、雄鴛鴦の精。薄い紺の衣装。こちらは、殺
されただけに、立ち姿も朧に霞んでいるように見える。

殺したはずの鴛鴦の夫婦の幻影に悩まされない股野(橋之助)は、上手から現れ、ふ
たりに斬り付ける。鬘と「ぶっかえり」の仕掛けで、夫婦の鴛鴦の本性が顕わされ
る。本性を顕わせば、怖いものなしと股野を攻め立てる。

上手、黒衣ふたりが、朱の毛氈で包み込んだふたり用の三段を持ち出してきた。それ
に乗った夫婦の鴛鴦の精(染五郎、魁春)が大見得をする。下手に控える俣野(橋之
助)も大見得となり、幕。
- 2014年1月9日(木) 10:24:33
14年01月浅草歌舞伎第二部 (「博奕十王」「新口村」「屋敷娘」「石橋」)


「博奕十王」は、初見。鬼が島で鬼退治をし「宝物」を奪い取った桃太郎の如く、地
獄の閻魔大王や鬼の獄卒を相手に博奕を仕掛け「宝物」を取り上げた博奕打ちの話。
1970(昭和45)年9月「春秋会」(三代目猿之助自主公演)歌舞伎座初演の舞
踊劇(長唄)。三代目猿之助(二代目猿翁)原作。当代、つまり四代目猿之助が3年
前、11年8月「亀治郎の会」(自主公演)で41年ぶりに再演、さらに、今回、浅
草歌舞伎の本興行にて初めて上演。

「十王」とは、仏教などの冥土で、亡者を裁く10人の王の総称。閻魔大王もそのひ
とり。秦広王・初江王・宋帝王・五官王・閻魔王・変成王・泰山王・平等王・都市
王・五道転輪王の10人。亡者は順次に各王の裁きを受け、来世の場所を定められる
という。

暗転から一気に明るい舞台へ。舞台は、閻魔大王が地獄へ向う六道の辻に設けた関
所。下手に「六道の辻」の石碑。上手に「浄玻璃の鏡」。背景の鏡板には枯れた松の
巨木。上下手には、枯れた竹林に烏が止まり、地面には、灼熱地獄らしく焔と髑髏が
ある。

極楽へ行く人間が多くなったので、選別を厳しくしようと閻魔大王(男女蔵)自らが
出張って、罪人の詮議をして、少しでも地獄に落とそうという戦略。サポートするの
は赤鬼、青鬼の獄卒のふたり(弘太郎、猿四郎)。

花道からやってきたのは、俗名・市川猿之助という博奕打ち(猿之助)。閻魔大王相
手に酒を出させながら、自分が死んだ経緯をおもしろおかしく語る。過去の悪行を写
し出す浄玻璃の鏡の前に引き据えられるが、博奕は、あくまでも勝負事という娑婆の
遊びであり、悪行ではないと強弁する。口八丁手八丁の男。

博奕に興味を持たされた閻魔大王相手に博奕打ちは、さいころ博奕を始める。勝てな
い閻魔大王は熱くなり、身につけていた笏、冠に加えて鏡などを賭けの対象にして負
け続け、着物も剥ぎ取られてしまう。その後、加わった獄卒も負け続ける。極楽行き
の通行切手まで取られ、結局、関所にあった貴重な宝物は、皆、博奕打ちの手中へ。
という単純なストーリーが、コミカルに演じられる。

役者のキャラクターが勝負という出し物。三代、四代の猿之助も良いが、勘三郎が生
きていたら、得意満面で演じただろうと思いながら観ていた。


橘三郎の孫右衛門は「熟演」


「恋飛脚大和往来〜新口村〜」は、歌舞伎でも屈指の美しい場面を見せてくれる芝居
だ。太鼓が鳴らす雪音。花道には、白い布が敷き詰められている。定式幕が開くと、
まず、浅葱幕が、舞台全面を覆っている。置き浄瑠璃。暫くして、浅黄幕の振り落と
すと、そこは「新口村」。梅川が、「三日なと女房にして、こちの人よと」請願した
希望の地・新口村は、忠兵衛の父親が住む在所である。周りは、雪景色、白と黒との
モノトーンの幻想的な舞台。中央より上手寄りに孫右衛門方の小作人・忠三郎の農家
と物置。

贅言;この物置が、何ともリアル。戸が開けたままなので、物置に仕舞われているも
のが見える。笠と蓑。鋤。薪。数本の大根が干してある。大根の上手に干してあるも
のが、良く判らない。干し柿のように見えるが……。さらに蓆、椅子(あるいは、脚
立か)、稲藁。このうち、蓆と椅子は、後の場面で使われる。地に足をつけた生活感
が滲み出る。

雪が降っている。舞台中央に壱枚の茣蓙に包まり上半身を隠したカップルが静止して
いる。黒地の比翼の衣装に紅白の梅と水の流れがデザインされている。衣装が派手な
だけに、かえって、寒そうに感じる。ふたりとも、雪の中で、素足である。足は、冷
えきっていて、ちぎれそうなことだろう。いや、足が地に着いていない逃避行ゆえ、
寒くもないか。

茣蓙を開けると梅川・忠兵衛。ぱっと、舞台が明るくなる。茣蓙を二つ折り、また、
二つ折りと鷹揚に、ふたりで叮嚀に畳み、農家の物置にしまい込む。梅川の裾の雪を
払い、凍えて冷たくなった梅川の手を忠兵衛が息で暖め、己の懐に入れ込んで温め
る。

この場面、ずうっと雪が降り続いているのを忘れてはいけない。黒御簾からは、どお
ん、どおんと、大間に太鼓の音が聞こえて来る。雪音だ。本舞台天井から雪が降って
来る。花道には、雪は見えないが、太鼓の雪音が、花道に降る雪も「見せて」くれて
いるようだ。

私は7回目の拝見。そのうち、3回は、仁左衛門が、忠兵衛と父親の孫右衛門の早替
りという趣向であった。今回は、愛之助の忠兵衛に壱太郎の梅川という清新な配役。
11月の歌舞伎座顔見世興行で、役者の幹部に昇格した橘三郎の孫右衛門の演技も見
もの。孫右衛門は、息子の犯罪に巻き込まれた常識人。親の情が勝り犯罪を助けてし
まう。巻き込まれなかったリアルの人は、冒頭に梅川と忠兵衛に絡むやり取りがある
忠三郎の女房おしげ(吉弥)の日常性の演技。吉弥が農民の女房をリアルに演じるほ
ど、梅川・忠兵衛の非日常性が際立って見える。芝居の幻想性を高める。先ほどの
「物置」のリアルさに通底する演出だ。

愛之助は、この演目でも、仁左衛門のコピーを忠実に目指す。目を瞑ると仁左衛門の
科白廻しが聞こえてくる。目を開けても、仁左衛門と見紛うばかりの忠兵衛の表情、
顔つきが見えてくる。関西の成駒屋一門の壱太郎は、上方歌舞伎を精進中というとこ
ろだろうが、梅川役は、浅草歌舞伎ながら、抜擢の配役であろう。

忠兵衛を直接知らない女房おしげに声を掛け、不在の夫・忠三郎を迎えに行ってもら
う。家のなかに入るふたり。竹の格子のある障子窓を開けて、外を窺うふたりは、浮
世絵の絵姿になっている。

やがて、花道から橘三郎の孫右衛門登場。主役級の役柄を橘三郎は、じっくりと演じ
ている。時に橘三郎の科白廻しと竹本の愛太夫の語りがハーモニーとなり、なかなか
良い。

逃避行の梅川・忠兵衛は、直接、孫右衛門に声を掛けたくても掛けられない。百姓家
の窓から顔を出すふたり。ところが、本舞台まで来た孫右衛門は、雪道に転んで下駄
の鼻緒が切れる。あわてて飛び出す梅川。物置にあった蓆を敷いて椅子を出して孫右
衛門を座らせる。紙縒りで、鼻緒の切れた下駄の応急修理をしてくれる。見慣れぬ美
女が、懇切に世話をするので、息子の封印切り事件を知っている父親は女が息子と逃
げている梅川と悟る。「息子」の忠兵衛の代りに、「嫁」の梅川が父親の面倒を見
る。梅川と孫右衛門のやりとりを家のなかから障子窓を開けたり、閉めたりしなが
ら、様子を窺うことで、忠兵衛の心理が浮かび上がる。寺に寄進する予定だった金を
「嫁」に逃走資金として渡す父親。

孫右衛門と梅川の芝居は、特に、孫右衛門が転んだのを見て、梅川が農家から一人飛
び出してきた後は、本舞台の上の狭い蓆一枚という「ミニ舞台」で濃密に演じられ
る。

「めんない千鳥」(江戸時代の子供の遊び。目隠しをした「鬼ごっこ」のこと)で、
目隠しを使って、梅川は、外に飛び出した忠兵衛と孫右衛門を会わせる。目隠しも梅
川が意図的に外してあげて、やっと親子の対面。家の裏から逃げよと父親が言う。や
がて、引き道具の農家の屋体は、物置ごと上手に引き込まれる。

農家の裏側、竹林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見。黒衣に替わっ
て、白い衣装の雪衣(ゆきご)が、舞台奥からすばやく出て来て、本舞台に残った道
具(孫右衛門が使っていた蓆と椅子)を片付ける。逃げて行く梅川・忠兵衛は、子役
の遠見を使わず、壱太郎と愛之助のまま。霏々と降る雪。雪音を表す「雪おろし」と
いう太鼓が、どんどんどんどんと、さらにさらに早間に鳴り続ける。時の鐘も加わ
る。憂い三重の三味線。逃亡犯らの「家族との別れ」を急かされる心理が伝わって来
る。舞台中央から上手へ引き込むふたり。

ふたりは、その後、上手から舞台中央へ進んだ後、中央から再び、竹林をくぐり抜け
て上手へとスロープを上がって行く。「仁左(衛門)そっくり」と大向うを掛けたく
なる。壱太郎は、美人じゃないが、初々しい梅川だ。

モノトーンの世界に白い雪が霏霏と降り続く。小さなお地蔵さまの首にかかった涎掛
けが、赤い色が印象的。孫右衛門がよろけると、地蔵横の木の上に積もっていた雪が
落ちる。孫右衛門も、鼻緒の切れた下駄を梅川に紙縒りで応急措置をしてもらった
が、結局履かずに素足のまま。逃げる方も逃がす方も、素足で我慢。父親も逃亡幇助
で罰せられよう。日常性と非日常性を繋ぐ役割を孫右衛門が演じる。重要な役どころ
である。壱太郎と同様、橘三郎も抜擢の配役だろう。彼岸(幻想)と此岸(現実)を
結ばざるを得ない父親の真情が伝わってきた。ふたりとも、期待に応えたと、思う。


「屋敷娘」は、初見。大名の奥方に奉公する3人娘の登場。壱太郎、米吉、梅丸。若
手女形の顔見世。宿下がり(休暇で実家に戻る)の風情を描く舞踊劇(長唄)。恋の
クドキ。引抜きによる衣装替え。花びらを集めて作った鞠つきの描写。飛び交う蝶と
の戯れ。鈴太鼓を用いた踊り地。仲良し3人娘は、童心に帰り、道草を食いながら帰
途に着く。1839(天保10)年、江戸河原崎座で初演された。舞台は、浅黄幕振
り被せで、場面展開。


浅黄幕の前で、大薩摩の歌と演奏。幕振り落しで、「石橋(しゃっきょう)」。能を
素材にした「石橋」は、いろいろバリエーションがある。今回は、後シテの獅子の
精、3人の舞踊劇。若手立役の顔見世。歌昇・種之助の兄弟、隼人。この3人と米吉
は、今月は浅草歌舞伎と歌舞伎座の掛け持ち出演。

本舞台には、赤毛の獅子の精、ふたり。隈取りをしているので判りにくいが、隼人と
種之助か。やがて、花道から現れた白毛の獅子の精は、歌昇か。普通なら見分けられ
る歌昇と隼人が判りにくい。種之助は、直ぐ判った。

背景は、清涼山という深山を逆巻き流れ落ちる谷川。牡丹の花と戯れる。やがて、3
人の若獅子が、ダイナミックな「獅子の狂い」を見せ始める。「髪洗い」、「菖蒲打
ち」、ぐるぐる回す勇壮な「巴」へと毛振りが続くと、場内から盛んな拍手が沸き起
こる。毛振りの振り具合が、アンバランスなど今後の改善点もあるが、若さが溢れ
る。
- 2014年1月8日(水) 15:20:36
14年01月浅草歌舞伎第一部 (「義賢最期」「上州土産百両首」)


愛之助、猿之助「そっくり」真似る藝の継承


「源平布引滝〜義賢(よしかた)最期〜」。目を瞑り科白廻しを聞いていると十五代
目仁左衛門そっくり、目を開けて表情を観ても、仁左衛門そくっり。荒技の「義賢最
期」は、仁左衛門は、もうやれないだろうから、松嶋屋系統でこの狂言を引き継ぐの
は愛之助しかいないだろう。当面は、ひたすら「そっくり」を目指して藝の継承に精
進して欲しい。

並木宗輔ほか原作「源平布引滝」は全五段の時代もの。「源平布引滝」のうち、今も
上演されるのは、二段目切の「義賢最期」と三段目切の「実盛物語」。稀に、人形浄
瑠璃では、三段目の「御座船」(「竹生島遊覧の段」)が上演される。私もその「御
座船」を人形浄瑠璃で観たことがある。

このうち、「源平布引滝〜義賢最期〜」は、今回で歌舞伎では私は4回目の拝見。愛
之助では、2回目となる。この演目を最初に観たのが14年前、2000年6月歌舞
伎座で、仁左衛門の義賢主演であった。次いで、03年8月歌舞伎座で、橋之助の主
演。

仁左衛門の義賢を初めて観たときは、ショックであった。今も忘れない。「江戸の荒
事、上方の和事」というが、上方歌舞伎の「義賢最期」の荒々しさは、江戸の稚気溢
れる「荒事」の比ではない。ふたつの荒々しい場面が印象的だった。そもそも木曽先
生(きそのせんじょう)義賢は、後白河法皇から賜った源氏のシンボル「白旗」を守
るために、大勢の平家の軍勢に対して、鎧も付けずに礼服の素襖大門姿という、いわ
ばシルクハットにモーニング姿のようなスタイルで、戦闘服の連中と大立ち回りをす
るのだから、凄い。その上で、大技の立ち回りがある。

1)「戸板倒し」という立ち回りが組み込まれている。これは、3枚の戸板を「門構
え」のように組み、その天辺の戸板に乗った義賢は、立ち上がり〈天辺の戸板は、役
者の重みで撓っている〉、立ったまま、平家の軍兵がゆっくりと押し出すように3枚
の戸板を横に倒すのである。義賢は、横に移動しながら、下に落ちるエレベーターに
乗っているような感じだろうが、本舞台の上でそういう体の移動をするというのは、
客席から見ると5〜6メートル近い高さ(屋根より高い)に役者の視線はあるという
ことになる。

2)さらに、壮絶な所作は、義賢最期で絶命するわけだが、瀕死の義賢が両手を大き
く開いて「蝙蝠の見得」を見せた後、そのままの格好で、前に倒れ込み、「三段」
(階段)に頭から突っ込むように落ち込んで行く「仏(ほとけ)倒し(仏像が、立っ
たまま倒れるように見える)」という大技を見せる。良く怪我をしないものだと毎回
思うが、倒れ方のコツがあるのだろう。一興行で25日、毎日一回、つまり、25回
も倒れるわけだから、本興行で9回演じた仁左衛門なら、本舞台の上だけでも225
回も倒れ込んだことになるし、稽古も入れれば、何百回となるのだろうか。

外連味のある立ち回りで有名な演目は、「蘭平物狂」などがあるが、「義賢最期」の
大技の立ち回りも、遜色がない。「蘭平物狂」は、大部屋役者(立役)の荒技だが、
主役は、それほど荒技を使うわけではない。主役が危険度の高い立ち回りをするとい
う演目では、「義賢最期」のほかでは、宙乗りを含めた澤潟屋系統の「狐忠信」の主
役の演出など先代猿之助が果敢に挑戦をした演目がいくつかある(馬に乗ったまま碁
盤に乗る「小栗判官」、大凧に乗る「菊宴月白浪」)が、音羽屋系統だと、「狐忠
信」も宙乗り無しで大分おとなしくなってしまう。外連味と言われるが、歌舞伎演出
の魅力の一つだと思う。

私が初めて愛之助義賢を観たのは、11年10月の新橋演舞場であった。愛之助は、
06年1月の大阪松竹座で「義賢最期」を初演しており、私が観た11年の舞台は、
愛之助にとって3回目の主演。今回で愛之助は4回目の主演というから、私は3回目
と4回目の2回、つまり、現在の彼の上演歴の半分を観たことになる。

本興行で、通算9回「義賢最期」を演じた仁左衛門は、私が初見した2000年6月
歌舞伎座の舞台は、本興行では8回目の出演であり、さらに仁左衛門襲名後初めての
「義賢最期」であった。まさに一世一代、円熟の義賢であった。以後、仁左衛門は、
03年1月大阪松竹座で演じただけである。もう、年齢を考えれば、やらないだろ
う。愛之助は、それから3年後、06年1月に同じ大阪松竹座で、初主演を果たし
た。その際、仁左衛門は、「手取り足取り教え」たという。藝の継承。仁左衛門の当
たり役は、愛之助に引き継がれたことになる。大阪松竹座、四国こんぴら歌舞伎金丸
座と演じ続けて、愛之助は、3回目として、11年10月の新橋演舞場に乗り込んで
来て、初めて東京の観客に愛之助版「義賢最期」見せたのだった。私も観た。そし
て、2年3ヶ月後の今回は、東京で2回目の「義賢最期」である。前回より、どれだ
け熟成度を上げたか、それが今回の私の劇評のポイントになるだろう。

松竹がまとめた戦後の主な劇場での「義賢最期」上演記録では、1965(昭和4
0)年、大阪・中座で初演した孝夫時代を含めて当代仁左衛門の主演は、9回と圧倒
的に多いが、もう、年齢的に、この演目の主役を張るのは、危険だろう。次いで2番
手が、今回含めて4回となる愛之助である。この演目は、松嶋屋一門では、顔ぶれか
ら見て、愛之助が仁左衛門の芸の伝承をひとりで暫く背負って行くのではないか。愛
之助の「義賢最期」は、これから暫くが、熟成期に入るだろうから、向こう数回は、
見頃となる。

松嶋屋一門以外の役者では先代猿之助、市川右近、橋之助、海老蔵が既に演じたこと
があるから、この人たちや四代目猿之助など、ほかにも力をつけてきた花形役者たち
がこの演目にいずれはチャレンジして来るだろうと思うが、これはこれで楽しみ。

2回観た愛之助の演技の特徴は、なんといっても、印象的には当代仁左衛門そっくり
ということだろう。これは、ほかの役者が「義賢最期」を演じたとしても、愛之助の
ようには、仁左衛門そっくりに真似をすることが出来ないだろうから、それは愛之助
独自の魅力となるだろう。

幕が開くと、世は平家全盛。琵琶湖近くの館に住む木曽義賢の後妻葵御前(吉弥)と
先妻の娘待宵姫(梅丸)が、義賢の身を案じている。金地に松の巨木の襖。いつもの
御殿に、二重舞台上手寄りの縁に松の盆栽。近くの平舞台に石の手水鉢(こういう道
具の配置にも意味がある)。

近江の国の百姓九郎助(橘三郎)と娘の小万(壱太郎)が、息子の太郎吉を連れて花
道からやって来る。7年前に家族を残して家を出たまま行方が判らなかった小万の
「夫」の居所が知れたのだ。夫は、いまは「折平」と名を変えて義賢館にいるはずと
いう。館に折平は不在だったので、待宵姫が会うことにする。待宵姫は、折平と恋仲
なので、折平の妻と子が現れてびっくりする。

やがて、大道具方が、木戸を持って来ていつものところに据えると、外出先から折平
(亀鶴)が戻って来る。折平は、実は、多田蔵人行綱という源氏の一族なのだ。本性
を顕すと、義賢と居どころを替わるほど身分は高い。ということは、小万は多田蔵人
行綱の御台所(奥方)ということになる。

行綱は、複雑な人だから、ちょっと、ここで整理をしておこう。行綱=摂津源氏の棟
梁→俊寛らが罰せられた「鹿ヶ谷の陰謀」を平清盛に密告し、平家方へ→平家打倒の
木曾義仲に呼応する→義仲に離反し、頼朝につく→後に平家滅亡後、頼朝から追放さ
れる。芝居では、折平という奴に身をやつして、木曽義賢に仕えている、というの
が、現在の行綱なのだ。

義賢(愛之助)は、松王丸風の五十日鬘に紫の鉢巻きを左に垂らし、という病身の体
(てい)で館に引きこもっている。折平が戻ったと聞いて、奥から登場する。右手に
持った刀を杖のように使っている。これも松王丸に似ている。

義賢は、頼朝や義経の父親・義朝の腹違いの弟。つまり、頼朝や義経の叔父に当た
る。皇太子守護役の「帯刀」(護衛官)だったので、「帯刀先生(たちはきせんじょ
う)」、「木曽先生(きそのせんじょう)」と呼ばれた。木曾義仲の父親である。

二重舞台の上手に羽のような形をした手の付いた木製の植木鉢に小松が植え込んであ
る。さらに、その手前の平舞台にある手水鉢の、左上の角に斜めに線が入っている。
折平が登場する場面で、義賢が折平の正体を多田蔵人行綱と見破った上で、先ほどの
植木鉢の手を利用して小松を引き抜き、庭の手水鉢に松の根っこを打ち付けると、手
水鉢の角が欠け落ちる。これが「水の陰、木の陽」ということで、源氏への思い(忠
誠)の証となり、折平が義賢に心を開くきっかけとなるという仕組みだ。ふたりはと
もに、源氏再興を誓い合う。

平家に降伏した義賢だが、本心は源氏再興への熱い思いがあり、平清盛から奪い返し
た源氏の白旗(笹竜胆の紋が黒く染め抜かれている)を隠し持っている。これが折平
の妻・小万に託されことになる。旗を巡るせめぎ合いが長い物語の一つの筋で、それ
ゆえに、外題の「布引」は、「布」=旗、「引」き合う=奪い合うで、実際の地名の
布引滝に引っかけているのだろう。

ここへ、清盛の上使ふたり、高橋判官と長田太郎が白旗の詮議にやって来る。清盛へ
の忠誠心の現れとして義賢の兄・義朝の髑髏を足蹴にしろと迫る。ところが、本心を
隠し仰せなくなった義賢は髑髏を足蹴にできない。逆に、上使のひとりで、義朝を
討った長田太郎の頭を髑髏で叩いて、殺してしまう。髑髏を足蹴にはしないが、義賢
は髑髏を人殺しの武器にしてしまう。髑髏の呪いか。この辺りは、時代ものらしい荒
唐無稽さだ。上使ふたりのうち、高橋判官を取り逃がしたので、やがて平家の討手が
やって来ると覚悟する。折平に待宵姫を預け、身重の葵御前を折平の妻小万の父親九
郎助に託す。さらに大事の白旗は小万に託す。自分は討ち死にを覚悟する。

この討ち死にの場面が最大の見せ場になる。平家の軍勢が進野次郎(國矢)に率いら
れて花道から攻めて来る。義賢は襖の奥から水色の素襖大紋の礼服姿で現れる。義賢
は、鎧兜を付けるのは、卑怯だという価値観の持ち主。だから、最後の戦いでも、鎧
兜を身に着けずに、素襖大紋のままで、大立ち回りとなる。平家方の関心を己に引き
付けて、関係者を無事に落ち延びさせる時間を稼ぎ、源氏の再挙に結び付けたいとい
う思いがある。

迫り来る平家の軍勢との立ち回りがおもしろい。小万の父親・九郎助は、孫を背中合
わせになるように背負い、二人も軍勢とやり合う。子役も後ろ前で逆に背負われたま
ま棒をふるい、節目では歌舞伎らしい見得をするからおもしろい。そういうくすぐり
があってから、いよいよクライマックスに入る。

この芝居は、立ち回りのダイナミズムが、芝居の暗さを救う演目である。冒頭触れた
ようにその立ち回りに、2ケ所、義賢の見せ場がある。その見せ場は、歌舞伎名作全
集の台帳(台本)には、殆ど書かれていない。つまり、上演を重ねる中、役者の藝の
工夫で生まれて来た演出なのだろう。

屋体奥の襖(戸板)がすべて倒れ、義賢が平家の軍勢とともに躍り出てくる。奥は、
いわゆる千畳敷だ。御殿の階段に襖を裏返して敷き、その傾斜を利用して軍勢の一人
が転げ落ちる。大立ち回りの始まり。襖に囲まれる義賢。

やがて、「戸板倒し」「仏倒し」という見せ場が登場する。このとき、仁左衛門は、
かなり大きく見えた。藝の大きさと実際の柄の大きさの相乗効果を仁左衛門はたっぷ
りと見せてくれた。前回の愛之助は、まだ、そこまで大きく化けはしなかったが、今
回も、顔の表情などはそっくりだが、なかなか愛之助が大きく見えてこない。場数を
こなすしかないだろう。

合戦らしく矢が上手下手から無数に飛び、柱などに刺さる矢もある。適宜、黒衣が、
矢を片付けて、次の展開への準備。

義賢も瀕死の重傷だ。白旗も奪われたり、奪い返したり。後ろから抱え込まれた義賢
は、己と後ろの進野次郎ごと刀で刺し貫くという凄さだ。二重舞台に倒れ込んだ後、
最後の力を振り絞って、手足をだらりと下げて、瀕死の人形の体で、立ち上がる義
賢。幽玄で、能の後ジテを連想させる。

一世一代。ここの仁左衛門も、また、大きく見えた。さらに、素襖の大紋の裾を大き
く左右に拡げたまま仁王立ちで「蝙蝠の見得」となり、高二重の屋体から平舞台めが
けて、「三段」(階段)に全身で倒れ込む「仏倒し」。これもかなり迫力がある。そ
の上で、階段の傾斜を利用して滑り落ちて(愛之助には、これがなかったように見え
た)、息が絶える。義賢の瀕死ぶりを、観客に視覚的に理解させるためには、平らな
舞台より、斜面の舞台、つまり、「三段」が、最上の舞台と気が付いているのだろ
う。体調の不安定、精神の不安定、義賢のそういう心身共に瀕死状態が三段を使った
ことで、見事に浮き彫りにされる。

「滅びの美学」、いや、「殺され方の美学」という舞台だが、危険な演技を含めて、
すっかり得意藝にしている仁左衛門の演技は、最後まで安定していて、見応えがあっ
た。愛之助は、まだ、観ていて観客に不安感を生じさせるところがある。歌舞伎座の
大きな舞台で愛之助に思う存分ダイナミックな大技を披露させて欲しい。愛之助が、
まずは仁左衛門の藝をそっくり真似をして、何時の日か、自分流に染め上げて、大き
な愛之助を見せてくれるのを愉しみにしておきたい。

浅草の花形歌舞伎らしく、若手の登竜門の舞台。出演者の紹介をしたい。愛之助は、
十三代目仁左衛門部屋子を経て秀太郎の養子。折平、実は多田蔵人を演じた亀鶴は、
祖父が四代目富十郎、祖母が初代鴈治郎の娘。国立劇場の研修修了後、五代目富十郎
の門下・部屋子を経て、現在は坂田藤十郎門下。葵御前を演じた吉弥は、我當に入
門。小万を演じた壱太郎は、翫雀長男。待宵姫を演じた梅丸は、梅玉部屋子。歌舞伎
座の顔見世興行で幹部役者になった橘三郎が九郎助を演じている。この人は、いい味
を出してくれる。


「上州土産百両首」は、今回初見。だが、目を瞑り科白廻しを聞いていると先代猿之
助そっくり、目を開けて観ると、当代の猿之助が、次への飛躍を予兆させながらそこ
にいる。当面は、ひたすら「そっくり」を目指して藝の継承に精進し、その後、当代
らしさを追求して欲しい。

江戸を舞台にした世話狂言という装いの「上州土産百両首」は、実は、翻案ものの新
作歌舞伎。原作は、往年の短編小説の名手、オー・ヘンリー。原題は「20年後」。
1933〈昭和8〉年、東京劇場で初演。芝居の作者は、新派の劇作家・川村花菱。
初演時の配役は、正太郎を六代目菊五郎が演じ、牙次郎を初代吉右衛門が演じた。つ
まり、「菊吉」時代の作品。

その後、戦争中、大阪・角座で二代目小太夫と七代目吉三郎の共演。この舞台を覚え
ていた藤山寛美が1960(昭和35)年、大阪・新歌舞伎座の舞台にあげた。勝新
太郎の正太郎、藤山寛美の牙次郎で丁々発止の科白のやり取りもあった。この芝居を
テレビで観た先代の猿之助(二代目猿翁)が、藤山寛美の牙次郎を相手に自分が正太
郎を演じたいと言い出したという。この顔合わせは藤山寛美の逝去で実現しなかった
が、20年前、1994(平成6)年12月の歌舞伎座で藤山寛美の替わりに勘九郎
時代の勘三郎を相手に上演された。当代の猿之助は、94年の舞台を観て、3年半
前、亀治郎時代に2010(平成22)年8月、自主公演「亀治郎の会」で、一度演
じている。相手役の牙次郎は、福士誠治。このほか、この演目は萬屋錦之介と中村嘉
葎雄の兄弟などさまざまなコンビで、また、歌舞伎に限らずいろいろなジャンルで味
付けされて上演されている。

芝居のテーマは、男の友情。賢い兄貴と愚かな弟分が、ヤクザな稼業から足を洗おう
と誓い合って、10年後に再会しようという物語。再会がうまく行くのかどうか。歌
舞伎の世話ものとしての味わいは、どうだすのか、というところが見どころ。

劇評初登場なので、まず、粗筋をコンパクトに紹介しておきたい。

序幕一場 「幼なじみ」(浅草観音境内の場)。浅草で浅草が舞台の芝居。下手に御
休処。中央に「開帳」の立札。上手遠景に五重塔。幼なじみの板場の正太郎(猿之
助)とチンピラの牙次郎(巳之助)が、参詣人で賑わう境内で10年ぶりに再会す
る。風車売り(大和)ほか風俗が描かれる。

序幕二場 「切れ盃」(下谷金的与一住居の場)。正太郎の本業は、実は、掏摸稼
業。稼業のリーダー金的の与一(男女蔵)とみぐるみ三次(亀鶴)と一緒に生活して
いる。帰宅した正太郎は、意気消沈している。10年ぶりに出逢った幼なじみと食事
をして別れてきたが、別れ際に自然に指が動き牙次郎の懐から財布を掏り取ってし
まった。二文しか入っていないと牙次郎の懐具合を笑ったが、正太郎の財布も牙次郎
に掏り取られていたのだ。

そこへ、別れたばかりの牙次郎が訪ねてきた。互いに掏摸だと判って悲しくなり、一
緒に堅気になろうと決意をしてきたのだという。ふたりのやり取りを見て、親分格の
与一は、「縁切り」を承知し、水盃を交わすが、三次は拒否をし、今後は堅気の正太
郎の足を引っ張ると悪態をつく(後の展開の伏線)。

序幕三場 「神の森」(待乳山聖天の森の場)。下手に遠景の五重塔。塔の右に月。
上手の待乳山聖天の鳥居下で、堅気の誓いをし、10年後の再会を約束して、ふたり
は別れる。石段横に石灯籠。

二幕目一場 「めぐりあい」(上州館林の料亭「たつみ」座敷の場)。10年後。与
一と三次は、追われて江戸を逃れ、犯行を重ねながら旅をしている。久しぶりの江戸
前の料理を堪能し、板前に心付けを弾む。料亭亭主(寿猿)が挨拶に来て、さらに板
前にも礼を述べさせようと呼ぶ。料亭の入り婿という話があると亭主は江戸の客に
「聟」自慢のように披露する。顔を出した板前は正太郎だったが、男気のある与一は
初対面のように接してくれた。正太郎は縁切りの礼にと路銀を出すと申し出る。与一
はそれを断り、正太郎に料亭の娘おそで(梅丸)と仲良く暮せと言い、三次にも正太
郎の前に今後とも姿を見せるなと諭す。

二幕目二場 「闘争の前」(「たつみ」の裏手と夜の道の場)。料亭の裏口から出て
来た正太郎とおそで。おそでが店内に戻ると、裏口は、引き道具で上手に引っ込む。
おそでに見送られて別れた後、夜の道を行く正太郎を待ち伏せしていたのが三次。正
太郎が牙次郎との再会のために10年間貯めてきた200両を強請り取ろうとする。
縁切りになるならと正太郎は金を渡すが、金蔓を失いたくない三次は短刀を抜き今後
もまとわりつくと恐喝をするので、対抗上、正太郎も持ち歩いている料理包丁を構え
る。これが思わぬ人殺しに繋がってしまう。

大詰一場 「満願の日」(御用聞勘次住居の場)。江戸根岸岡っ引き勘次の家。奥か
ら出てきた女房のおせき(吉弥)が上州での殺人逃亡犯の首に百両金がかかったと手
下たちに話している。外から戻ってきた勘次(門之助)が、噂の逃亡犯が江戸に入っ
たと伝える。岡っ引きの手下になって10年という牙次郎は、未だ、手柄を立てたこ
とがない。噂の罪人を捕まえて、再会近い正太郎への土産話にしたいと深川不動に願
掛けをしていると明かす。今夜が、その満願の日。親分から十手と捕縄を預かった牙
次郎は、正太郎との再会のために聖天目指して出かける。本舞台下手に出てきた姉さ
んのおせきが心配そうに花道を行く牙次郎を見送る。親分らは、住居のうちに佇んで
いる。

大詰二場 「十年目」(待乳山聖天の森の場)。序幕三場と同じ大道具。違うのは、
石段横の石灯籠に灯りが入っている。花道より現れ、鳥居の下に佇む男は、旅人姿。
三度笠で顔を隠している。正太郎と再会を果たす牙次郎が自分の願掛けの話をする
と、正太郎は三度笠を取り、刃傷の顔を見せて、百用首の罪人は自分だと明かす。凶
状持ちの正太郎は、牙次郎の手にかかり、賞金の百両を上州土産に牙次郎にあげたい
と言う。

しかし、そこへ大勢の捕り方たちが現れるので正太郎は牙次郎が自分を売ったと恨み
言を述べる。そういうつもりのない牙次郎は正太郎に信じて欲しいと涙ながらに訴え
る。追って来た親分の勘次が、牙次郎の話から自分で推理して捕縛体制を敷いたと明
かす。正太郎は自分の百両首を牙次郎の手柄にして欲しいと勘次に頼む。牙次郎は金
など入らないから、正太郎の自訴にさせてくれと訴える。勘次は、すべては正太郎の
心次第と、捕縛を解かせる。牙次郎と正太郎は、ふたりで歩き始める。「あの世まで
もの道連れだあよー」とは、牙次郎の科白。愚か者だが、一直線の牙次郎が、賢いが
道を誤った正太郎をやがて、自首させるだろうという予兆を残しながら……。浅草の
五重塔の右手に浮かぶ月。

見どころは、やはり、大詰。猿之助の科白廻しが、先代そっくりだが、やはり良い。
「土産の首の行き違えーだあ」。立ち回りは、澤潟や一門の洗練されたもの。「義経
千本桜」の「小金吾討死」の場面を私は連想した。

贅言;劇評をご覧戴ければ判ると思うが、場立ての「表記」が歌舞伎的に見ると中途
半端ではないのか。新作歌舞伎だから、序幕、◯幕目よりも、第一幕、第二幕の方が
素直。また、「 」よりも( )の表記を前面に出すべき。「 」のタイトルは不要
だと思う。それと連動するように、幕の開け閉めも、中途半端。◯幕目の切り替えが
「緞帳」で、◯場の切り替えが「定式幕」というように併用しているが、観客側から
言うと歌舞伎味を削ぐ気がした。緞帳あるいは定式幕、暗転、廻り舞台、という方が
統一感がある。

若干、役者評を記録しておきたい。主役の正太郎を演じた猿之助は、先代の世話場の
味をじっくり染み込ませて熟成をし、いずれは、四代目の独自の味を出して欲しいと
思った。勘三郎の牙次郎の味がどういうものだったのかは実際の舞台を観ていないの
で、なんとも言いにくいが、勘三郎の味の牙次郎は、是非とも味わってみたかった。
のろまで不器用、愚かな弟分だが、考え方の軸がぶれない牙次郎を演じた巳之助は熱
演であった。しかし、未だ、勘三郎には、負けているだろう。中身は真っ当な正論を
言いながら、科白廻しでおかしみを出させる。これは、結構、難しい。これをきっか
けに巳之助は新境地を開くかどうか。是非とも、藝の幅を拡げて欲しい。憎まれ役の
亀鶴は、存在感があり憎々しくて良かった。美味しい役どころ、男気溢れるふたり。
掏摸の親分・男女蔵と御用聞きの親分・門之助は、いずれも鯔背だった。姉さんの吉
弥も良かった。門之助、吉弥、亀鶴は、自主公演「亀治郎の会」の舞台と同じ役を再
演。
- 2014年1月7日(火) 20:49:15
13年12月国立劇場・人形浄瑠璃 (「大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろ
い)」「恋娘昔八丈」)


幻想的な踊りの輪の中で、子殺し


今回の演目は、ふたつとも初見。このうち、「大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひの
よろい)」は、後醍醐天皇の皇子、大塔宮の鎌倉幕府打倒の戦いと六波羅方の斎藤太
郎左衛門一族の悲劇を描く。竹田出雲、松田和吉(文耕堂)合作の全五段の時代も
の。1723(享保8)年2月、大坂竹本座初演。師匠の近松門左衛門が添削してい
るという。今回の上演は、三段目。「六波羅館の段」と「身替りの段」。斎藤太郎左
衛門の物語。上演時間はほぼ2時間。1892(明治25)年以来、121年ぶりの
上演。復曲は、2年前、2011年、三味線方の野澤錦糸によってなされた。人形入
りで上演されるのは、今回が、初演。

「六波羅館の段」は、後に起こる「子殺し」のための状況説明の場面。幕が開くと六
波羅館。正面は、御簾が下がっている。上下手は、金地の襖に花丸の模様。御簾が上
がると六波羅守護職範貞と小姓。隠岐の島に流された後醍醐天皇の子、若宮と生母三
位の局、局に横恋慕する六波羅守護職範貞(人形遣:玉也)、若宮と生母三位の局を
預かる永井右馬頭(うまのかみ。人形遣:玉女)と妻の花園(人形遣:和生)、守護
職の横恋慕の使いを頼まれた斎藤太郎左衛門(人形遣:勘十郎)が絡む。恋の贈答歌
のような風雅な灯籠交換が、悲劇を生む。太夫は、「口」、前半が豊竹芳穂大夫。三
味線方は、鶴沢清期馗。

盆廻しで、「奥」、後半が、豊竹咲甫大夫、鶴澤清友に替わると、下手より花園が三
位の局の使いとして登場。恋文の代わりに絵を描いた灯籠を贈った守護職は局からの
返事を待っていたが、花園は、天皇を隠岐から都に戻せば、局も安心すると伝える。
六波羅方の太郎左衛門は、これを拒否し、風雅の真意を見抜いていて、局から色よい
返事など守護職の勝手な思い込みに過ぎず、局は来ないと守護職に直言する。反論で
きずに怒りを募らせた守護職は「切籠(きりこ)灯籠」の「切籠」に引っ掛けて、意
趣返しに若宮を殺せと命じる。「きりこ」=「子を斬れ」というわけだ。殺し役は、
太郎左衛門が命じられた。

「身替りの段」は、永井右馬頭の屋敷が舞台。「中」、前段は、豊竹睦大夫、竹澤宗
助。永井右馬頭は、若宮や三位の局を慰めるために、毎夜、町人の子どもを招き入れ
て、庭内で踊りを催している。

今夜は、若宮と三位の局の所望で、いつもの花園に替わって、永井右馬頭が音頭を取
らされている。そこへ花園が戻ってきて、守護職の命令(若宮殺し)を伝える。夫婦
は、若宮を守るために、自分たちの一子・鶴千代(人形遣:玉誉)を身替りに立てる
ことにした。

上使として太郎左衛門がやって来る。若宮に替わって出てきた子どもが鶴千代だと見
破った太郎左衛門は詮議を強める。三位の局は、かって、太郎左衛門の娘の早咲と後
醍醐天皇の第三皇子・大塔宮方の頼員の密通事件が発覚した時に早咲を助けたので、
融通の利かない太郎左衛門に恨み言を言う。花園は、あからさまに若宮の首を取るの
は惨いので、機嫌良く踊っているところで若宮をだまし討ちして欲しいと太郎左衛門
に頼み込む。

浅黄幕が、振り被せとなり、場面転換。幕が上がると右馬頭館の奥庭。木々の茂った
青い舞台に替わる。上手に音頭取りの花園がいる。舞台上部には、15の灯籠が吊る
されている。太夫は、文字久太夫、三味線方は、復曲者の野澤錦糸。子どもたちの踊
りの輪の場面でひとりの子どもが大人の都合で、殺される場面が幻想的に描き出され
るのが、見どころとなる。

下手より、町人の子どもたちが入り始める。目深い花笠と揃いの浴衣姿。子どもたち
の人形は、一人遣。子どもたちの踊りは、下手から上手へ、裏へ廻って、そのまま下
手へ。やがて、鶴千代(人形遣:玉誉)、若宮(人形遣:玉翔)が、踊りの輪に加わ
る。踊りの輪は、下手上手が繋がり一つの輪になり、ぐるぐると廻り始める。「因果
の踊りの輪」と竹本の文句は悲劇を予兆する。ほのかな光に浮び上がる華麗な踊りの
輪。幻想的な場面だ。私は、「曾根崎心中」の死の道行の果て、天神ノ森の幻想的な
舞台を連想した。

下手より、太郎左衛門が現れ、子どもたちの輪の内側に入る。上手より、右馬頭館、
さらに、上手より、三位の局と輪の内側に続いて入って来る。踊りは佳境へと向う。
若君を斬ろうと刀を抜き、深い花笠、揃いの衣装で子どもたちの顔が判りにくい中
で、若君を探し求める太郎左衛門の動きが不気味だ。大人たちは、輪の中で、うろう
ろしている。「輪廻(りんね)の幾(いく)廻り」。守護職の命令に従い、若君の首
を取らねばならない。太郎左衛門は間違わずに首を討てるのか。

観客からは、一人遣の町人の子どもと三人遣の若君、鶴千代の区別はつく。三人遣の
子どもが、太郎左衛門の傍を通るたびに緊張感が高まる。何事もなく通り過ぎると、
ほっと、息を吐く。良く見ると、いつの間にか、三人遣の子どもが3人いることに気
がつく。なぜ、3人になったのか。頼員と早咲の子、力若丸(人形遣:勘次郎)だ。

鶴千代(人形遣:玉誉)、若宮(人形遣:玉翔)、力若丸(人形遣:勘次郎)という
若手の人形遣の顔を見分けられる人なら、問題はないが、見分けられなければ、鶴千
代、若宮、力若丸とも、目深い花笠に揃いの浴衣なので、見分けがつかない。戸惑い
ながら観ていると、太郎左衛門の「刀の電光」一瞬、幼い首が「ずつぱと落ち」た。
「そりや切つたは」「切つたは」と「踊りは破れ皆散り散り」。

竹本「花園、若宮、鶴千代引き退け、見れば命に恙(つつが)なし」。

上使・太郎左衛門が心密かに仕掛けていたのは、なんというどんでん返しだったので
あろうか。意外な展開に驚いた右馬頭は「数ならぬ町人の子を切らんより、なぜ鶴千
代が首討つて宣明が志をたてさせぬわ」と太郎左衛門に詰め寄れば、太郎左衛門は、
「この首は……娘早咲が胎内に宿りし我が孫の力若丸」と真相を暴露する。「一生我
強き斎藤が、初めて涙の萎れ顔」。いわば、「弁慶の大泣き」同様の場面。「討ちも
討つたり討たれも討たれたり」。太郎左衛門は、孫が若宮の身替りになったことで、
謀叛が明るみに出て無駄死にした聟の頼員の遺志を汲み、力王丸が命を投げ出し、武
士としての高名を上げることが出来ると考えたのだ。

「身替の段」、実際には、若宮の身替り鶴千代の身替り、つまり、「身替りの身替
り」というか。鶴千代の父親と力若丸の祖父の若君の身替り争い。大人たちの都合、
身勝手の犠牲に子どもたちはされたのだ。

三位の局は、太郎左衛門に首を包む布を渡して、あくまでも「若君の首」として持ち
帰れと伝える。右馬頭と生き残った鶴千代は、髻(もとどり)を切って、出家する意
向を表明する。歌舞伎や人形浄瑠璃には、「子殺し」の場面が多いが、武士の、大人
の、男の理屈。根底を流れるのはと120年余も上演されなかったのも宜なるかなと
いう時代遅れの思想ではなかったか。

太郎左衛門の主遣は、勘十郎。武ばった老獪な武士の苦渋をダイナミックに再現し
た。右馬頭の妻、花園の主遣は、和生。女武道の操り。右馬頭の主遣は、玉女。いつ
ものように、どっしりとした安定感。範貞を扱った玉也は、窶れて見えたが、体調は
大丈夫だろうか。


安堵の「恋娘昔八丈」


重苦しいテーマの時代ものの後は、コミカルな世話もの。「恋娘昔八丈」は、177
5(安永4)年初演された江戸浄瑠璃。大坂が本拠地の人形浄瑠璃には、珍しい。松
貫四と吉田角丸の合作。ふたりともどういう人物か私には不明だが、「松貫四」とい
う名前は現在は、当代吉右衛門のペンネームになっている。初演時のおよそ50年前
に起きた事件。江戸日本橋の材木問屋の娘・お熊が、入り婿殺害を企てて死罪となっ
た。罪人が若い娘で、「黄八丈」を着て、町中を引き回しにされたので、今で言うワ
イドショーネタになり、巷間の興味を集めた。外題の「恋娘昔八丈」には、そういう
エピソードが含まれている。「城木屋の段」と「鈴ケ森の段」が上演された。「城木
屋の段」の太夫は、竹本千歳大夫。三味線方は、豊澤富助。千歳大夫が緩急自在に緩
怠なくコミカルに語れば、番頭丈八(外題にある「八丈」が逆になっていることに注
意)の主遣の簑二郎が、人形を自在に操って、コミカルさを「倍返し」していた。

「城木屋の段」は、江戸の老舗の材木問屋城木屋が舞台。「城木屋」とは、江戸城の
材木も扱うというプライド高い屋号なのか。腰元だったお駒の実家。父親の庄兵衛
は、失明し、店は番頭の丈八(人形遣:簑二郎)が仕切っている。中年男のようだ
が、お駒に横恋慕していて、入り婿を狙っている。お駒は、髪結いの藤七、元は武士
の才三郎(人形遣:文司)と腰元時代から恋仲なので、丈八には振り向きもしない。
才三郎は大名萩原家のお家騒動の元になった茶入れを探している。

店にやってきた才三郎は下女からお駒が、今宵、婿取りと聞いて怒って、奥かから出
て来たお駒(人形遣:清十郎)に騙されたと恨み言を言う。お駒は、気の進まない入
り婿のことを才三郎に相談しようと待っていたのだと訴えるので、才三郎の怒りも収
まる。

お駒の父親庄兵衛(人形遣:玉輝)は、元々入り婿。店が焼けた時に助けてくれた喜
蔵という男にお駒と夫婦になりたいと頼まれて断れなくなったと事情をお駒と才三郎
に説明する。お駒が嫌がっているのを承知で、喜蔵を店に入れるが、お駒には愛想尽
かしされるように振るまえと知恵を付ける。店の財政対策結婚。恋人にも勧められ、
お駒は泣く泣く承諾する。可哀想なお駒。

夕暮れとなり、裃姿の喜蔵(人形遣:玉志)がやって来る。喜蔵の顔を見て、いちば
ん驚いたのは、番頭の丈八。ふたりは、昔、悪仲間で、才三郎のお家騒動の元になっ
た茶入れを騙り取ったコンビだったのだ。丈八の顔を見て、やはり驚いた喜蔵は口止
め料替わりに丈八に問題の茶入れを袱紗に包んで手渡す。お駒の気を引くため、邪魔
な喜蔵殺しを唆す丈八。喜蔵毒殺のために毒を買いに行くと出かけて行く。お駒は、
入り婿を迎える覚悟を固めている。こういうストーリーを千歳大夫が表情豊かに語
り、簑二郎が羽目を外して、ノリにノリ、オーバーアクション気味に丈八を操るの
で、場内は爆笑。愉しい前半だった。

浅黄幕振り被せで場面展開。後半の太夫は、呂勢大夫、三味線方は、鶴澤藤蔵に替わ
る。上下手から現れた一人遣の見物人たちが浅黄幕の前で、入り婿殺しの話で持ちき
りになっている。一同が下がると、下手より庄兵衛夫婦が、娘の最期を見届けようと
やって来る。夫婦の話では、お駒は、茶入れを盗んだのが喜蔵と気付き、才三郎のた
めに喜蔵に探りを入れたが、才三郎が喜蔵に見つかり、殺されそうになったので、喜
蔵を殺してしまったのだという。

浅黄幕振り落しで、「鈴ケ森」の処刑場。竹矢来に囲まれている。お馴染みの「南妙
法蓮華経」と刻まれた石碑が建っているが、江戸湾が、歌舞伎の設定と逆になってい
ることに気がつく。歌舞伎では、観客席側が海だが、今回は、背景の松林の向こうが
海になっている。やがて、役人の堤弥藤次一行が、上手から現れる。黄八丈を着て、
首に数珠を下げ、縄を打たれたお駒を乗せた馬を引いている。先頭は、「城木屋お
駒」とか枯れた端を持つ役人。続いて、罪状告知の立札を持つ役人。その後、役人に
曳かれた馬の背に乗ったお駒。最後に、堤弥藤次控えている。一行は舞台奥を下手ま
で行き、一旦姿を消した後、竹矢来の中の処刑場に入って来る。縄目のお駒は、番太
に棒で小突かれている。お駒の主遣の清十郎は、いつもながら淡々とした表情で娘を
操る。縄目を見せるためにお駒の背を観客席に見せる。通常のように、着物の背に左
手を入れていないことも見せる。土壇場に引き立てられ、竹矢来の向こうにいる両親
を捜すお駒。あわや、抜き身の鑓で処刑。という場面で、才三郎が、縄を打った丈八
を連れて駆けつける。喜蔵と丈八の悪行と取り戻した茶入れを証拠として持ち、さら
にお駒の赦免状を持って、やってきたのだ。役人は、赦免状を見て、お駒を解放し、
代わりに丈八を捕縛する。黄「八丈」のお駒と小悪党の「丈八」。罪科が逆転。ふた
りを対比する故に、番頭にこういう名前がついたのだろうと、思う。めでたしめでた
し。入り婿殺しの悲劇をアンコにした喜劇、悲劇を回避した喜劇は、これにて、幕。
声の良い呂勢大夫と藤蔵の太三味線も良かった。聞き応えがあった。

贅言;初日の歌舞伎座で会った山川静夫さんに、この日の国立劇場でも会ったので、
挨拶をした。私の今年の芝居納め。来年1月は、浅草歌舞伎の昼夜通しから、観始め
る。翌日、歌舞伎座。さらに、国立歌舞伎と続く。来年は、病気休養中の三津五郎、
仁左衛門、福助、段四郎に再会したい。人形浄瑠璃は、2月の国立劇場の舞台が観始
め。引続き、元の職場の大先輩・山川さんにも会いたいと、思っている。
- 2013年12月15日(日) 20:26:21
13年12月国立劇場(「知られざる忠臣蔵」=「主税と右衛門七」、「弥作の鎌
腹」、「忠臣蔵形容画合」)


吉右衛門が軸となる播磨屋一門の芝居は、「知られざる忠臣蔵」という総タイトルの
下、新作歌舞伎「主税と右衛門七〜討入前夜〜」、秀山十種のうち、「いろは仮名四
十七訓」の「弥作の鎌腹」、黙阿弥作「忠臣蔵形容画合〜忠臣蔵七段返し」というこ
とで、いずれも私には初見の演目ばかりで、興味深い。それぞれの演目の概要を含め
て、記録しておきたい。

「主税と右衛門七」は1959(昭和34)年初演の新作歌舞伎。9年後の再演を経
て、45年ぶりに再々演。47人の赤穂浪士のうち、10代だったふたりの少年武
士、家老の息子大石主税とその付き人で足軽の矢頭右衛門七に焦点を当てて、討ち入
り前夜の一時を過ごす少年武士たちの心理劇を構築した。赤穂浪士銘々伝の一種。

初演時の配役は、矢頭右衛門七役に六代目染五郎(当代幸四郎)、年下の大石主税役
に初代萬之助(当代吉右衛門)を当てて書かれた。今回は、矢頭右衛門七に歌昇、大
石主税に隼人、矢頭右衛門七に恋心を抱く呉服屋の娘お美津に米吉。主税の父親大石
内蔵助に歌六、お美津の乳母お粂に京蔵。場立ては、第一場「大野屋呉服店の離れ座
敷」、第二場「大野屋母屋の一座敷」、第三場「元の離れ座敷」という構成。

筋立てを簡単に書いておくと、
第一場「大野屋呉服店の離れ座敷」は、元禄15年12月13日の設定。つまり、討
ち入りの前日。江戸・日本橋の呉服屋大野屋の離れ座敷。大野屋の娘お美津(米吉)
は、店に出入りする両替屋の丁稚矢頭右衛門七に密かに恋心を抱いていて、きょうも
右衛門七が来るのを待っている。米吉のお美津は、ふっくらとした頬の可愛い娘に
なっている。乳母のお粂(京蔵)も、ふたりの縁談を勧めているが、仲間とともに吉
良邸討ち入りを心に秘めている右衛門七(歌昇)は安直に承諾できない。大野屋の離
れに世話になっている赤穂藩家老・大石内蔵助の嫡男主税(隼人)が主君の墓参りを
終えて戻ってきた。数えで15歳の家老の息子主税(14歳)と数えで17歳の足軽
の倅の右衛門七(16歳)は、身分を超えて、兄弟のような親近感を持っている。や
がて、舞台が廻る。琴の音に誘われるように、離れから座敷へ庭伝いに右衛門七が、
廻る舞台とともに歩いて行く。

第二場「大野屋母屋の一座敷」。お美津がひとり琴を弾いている。お美津は、先ほど
は言えなかった恋心を右衛門七に告げる。右衛門七は、あさっての朝まで返事を待っ
て欲しいと言う。明日夜からあさって未明までが、討ち入りの時間である。その約束
を喜んだお美津は、母の形見の夫婦鈴の片割れを右衛門七に手渡す。右衛門七は、あ
さっての朝になれば、討ち入りの結果が、広まっていると覚悟している。それが、私
の返事だ、という思いを秘めて黙している。お美津と別れた後、右衛門七は、娘心に
添えないことを詫びながら、貰った鈴を庭の椿の小枝に掛けて立ち去る。先ほどと逆
に庭伝いに戻る右衛門七。

第三場「元の離れ座敷」。討ち入りを明日に控え、離れでは、主税と右衛門七が今生
の別れの小宴を開く。主税は、自分の口添えで右衛門七を徒党に加えたことが正し
かったかと悩んでいると右衛門七に伝える。家老の家に生まれた自分は父親の内蔵助
の方針に従わざるを得ないが、右衛門七は、女子と添って家庭を築けたのではない
か。討ち入りへの恐怖、人生の楽しみも十分に知らないまま死んで行く自分の悩みを
打ち明ける。右衛門七は、お美津への恋慕の情を隠しながらも武士道を貫くために徒
党に加わった自分と違い、家のために死ぬ定めの主税の悩みは当然だと励ます。主税
の謡、鼓に座興で小舞の足軽踊りを披露して主税を慰める右衛門七。しかし、右衛門
七もお美津の琴の演奏が聞こえてくると踊りを乱してしまう。

雪が降ってきた。庭伝いにやってきた内蔵助(歌六)が離れの外に佇んでこの様子を
観ているのに気づくふたり。慌てて、止める。座敷に上がった内蔵助は若者たちの心
の迷いを見抜き、心の迷いが他人に悟られたら浪士たちの苦労が水泡に帰すと諭す。
「武士とは、哀しいものよ。……良く寝ておくのだぞ」とふたりに易しく声を掛け
る。庭から花道七三へ。「明日も、雪か」と言って、花道を立ち去る内蔵助の歌六。

この芝居は、染五郎(当時16歳)、萬之助(当時14歳)兄弟で観たかったね。今
回は、歌昇、隼人、米吉というフレッシュな顔ぶれで、青春群像を描く。若い役者の
定石の出し物になっても良いのでは。

歌六の内蔵助の演技は、「明日も、雪か」という科白を言うまでは、父親の心境で、
この科白以降は、討ち入りの首領としての内蔵助の心境で言うべきなのか(八代目幸
四郎)。初めから、首領・内蔵助としてやるべきなのか(十四代目勘弥)。歌六が言
うように、瑤泉院(故浅野内匠頭の正室)に暇乞いをした後の内蔵助という想定な
ら、もう、この時の気分は、首領としての緊張感を持続しているのではないか。ここ
だけ、父親には戻りにくい。


秀山十種の「弥作の鎌腹」初役


「弥作の鎌腹」は先代吉右衛門が得意とした演目を自選した秀山十種のひとつ。17
91(寛政3)年初演された「いろは仮名四十七訓(もじ)」の六段目。原作は奈河
七五三助(ながわしめすけ)。

結末は悲劇という喜劇。そういう意味では、難しい芝居。それゆえに、初代吉右衛門
は、「秀山十種」に選択したのかもしれない。初見なので筋立てを詳しく書いておこ
う。場立ては、第一場「百姓弥作住居の場」、第二場「柴田七太夫邸の場」、第三場
「元の弥作住居の場」という構成。

第一場「百姓弥作住居の場」。正直者の百姓弥作(吉右衛門)は、女房おかよ(芝
雀)と仲良く暮している。土地の代官柴田七太夫(橘三郎)が、弥作の弟で武士の千
崎弥五郎(又五郎)を隣村の代官の養子に欲しいと持ちかけて来る。塩冶家に仕官し
ていた弟弥五郎は、主君の刃傷事件で家が取り潰されて、浪人になってしまったの
で、兄弥作としては、本人の意向も確かめずに、安直に快諾してしまった。歌舞伎座
顔見世興行から「幹部」になった橘三郎は充実の憎まれ役の演技。

戻ってきた弥五郎は、討ち入りの志故に、拒否する。理由は言えないという。恩義あ
る代官に約束してしまった弥作は、今更断れないので怒り出す。拒否の理由を言えと
いうのだ。弥五郎は「他言してくれるな」という条件で、討ち入りの事を打ち明け
る。だから、養子話は断って欲しい、と。

第二場「柴田七太夫邸の場」では、欲深い代官は結納金を着服しようとしている。自
分の都合と欲を優先。そこへやってきた弥作は、勇気を奮って養子話の「拒絶」を伝
えるが、理由は言えない。隣村の代官に承諾の話を伝えて結納金まで貰っている代官
は、切腹の素振りを見せて弥作を脅す。人の良い弥作は、仕方なく弟らの討ち入り計
画を明かす。だからと、弥作が養子話を重ねて拒否するので、それなら師直に討ち入
り計画を注進するまでだとさらに脅す。仕方がないので弥作は、暮れ六までに弟を連
れて来ると約束させられてしまう。

第三場「元の弥作住居の場」。戻ってきた弥作から討ち入り計画を代官に漏らしてし
まったと聞き、弥五郎は愕然とする。代官を殺して口封じをするしかないと息巻く弥
五郎に「言っていない」と嘘をつく弥作。暮れ六。出立の時間が迫った弥五郎に、な
ぜか、弥作は武士の切腹の作法を尋ねる。訝しみながらも教える弥五郎。ここまで
は、喜劇。

一人残された弥作の元へ代官の七太夫が約束の催促に現れる。弥五郎出立と聞き、改
めて師直注進と花道を駆け出す代官を鉄砲で撃ち殺す弥作。ここからは、悲劇。喜劇
と悲劇の境目に呆然と佇む弥作。弟の討ち入りの機密を漏らし、代官を殺した弥作。
百姓ながら「腹切」しかないと思い込む弥作は、弥五郎に聞いた通りに白布に替えて
風呂敷を敷き、樒の替わりに大根を四隅に置く。武士の作法通りに腹切をしようとす
るが、刀が無い。包丁では腹は斬れぬ。目についた鎌で腹切をする。

鉄砲の音、切腹の作法を尋ねたことへの不審。弟の弥五郎と女房のおかよが戻ってき
て、兄の変事に気がつく。代官殺しを打ち明け、討ち入りの機密漏洩は防いだと詫び
る弥作。介錯を弥五郎に依頼し、弥作は、静かに死期を待つ。

「弥作の鎌腹」は、なぜ、「秀山十種」なのか。初代吉右衛門は、生前、自分のやっ
た役で、いちばん役づくりに苦しんだのが、「弥作の鎌腹」だと答えたという。「弥
作の鎌腹」は、初代の父親、三代目歌六の当り役だった。悲劇となる喜劇。観客が泣
きながら笑うような演目。気の弱さ故に、二転三展する言い訳。花道を遠ざかる七太
夫を普段の猟で慣れた鉄砲で討ち果たしてしまい、花道七三で呆然とする弥作。初代
吉右衛門は三代目歌六とそっくりの手順と上方なまりの科白で演じたという。私は、
「伊賀越道中双六」の世話場「沼津」を思い浮かべた。息子の脇差しを盗み取り切腹
する父親平作。命に代えて義理を通す。親父そっくりを踏襲しつつ、人物描写に初代
なりの工夫を重ねて、役づくりに苦しんだから愛着があって、「秀山十種」に選抜し
たのだろう。

今回、初役で「弥作の鎌腹」に挑戦した吉右衛門は、どういう工夫をしたか? 「忠
義・義理のために命をかけたのは武士だけではない、庶民であっても命がけで人に尽
す」と吉右衛門は言っている。この人の持ち味の人の良さ、滑稽味、真剣味などが醸
し出される舞台を堪能した。「忠臣蔵もの」は、11月、12月になると「本伝」
か、新作歌舞伎の「元禄忠臣蔵」かが、優先的に演じられて、「銘々伝」などは、上
演される機会が少ないのが、残念。松竹は、興行の工夫をして欲しいと思う。吉右衛
門のほか、弥五郎を演じた又五郎、女房おかよを演じた芝雀も、熱演。特に、又五郎
が良かった。


黙阿弥の遊び心が生んだパロディ「忠臣蔵形容画合」


「忠臣蔵形容画合(ちゅうしんぐらすがたのえあわせ)」は148年前、1865
(慶応元)年初演、「仮名手本忠臣蔵」の大序から七段目までをベースにした河竹黙
阿弥原作のパロディ舞踊劇。新しい振付と作曲で、今回、約60年ぶりに国立劇場で
上演される。黙阿弥没後120年記念上演。

これも初見なので、筋立てを記録しておこう。場立ては、大序「鶴ケ岡八幡宮社頭の
場」、二段目「桃井若狭之助館の場」、三段目「足利館門外の場」、四段目「扇ヶ谷
塩冶判官館の場」、五段目「山崎街道の場」、六段目「与市兵衛内の場」、七段目
「祇園一力茶屋の場」。7場面が展開されるが、原作者の黙阿弥は「仮名手本忠臣
蔵」を換骨奪胎して、各場面のどこに焦点を合わせたか、を軸に観て行こう。

大序「鶴ケ岡八幡宮社頭の場」では、師直(又五郎)、若狭之助(歌昇)、判官(種
之助)が登場。兜納めをめぐって師直、若狭之助がトラブル。判官が間に割って入
る。3人は、衣装引抜きで、烏帽子姿から奴姿に。初日、種之助が、もたついてい
た。

二段目「桃井若狭之助館の場」では、奴の武平(又五郎)、桃平(歌昇)、半平(種
之助)が、仕事をほったらかして、きのうの師直、若狭之助のトラブルを「肴」に酒
を飲んでいる。酔うほどに、徳利を持った武平は怒り、桶を持った桃平は泣き、箒を
持った半平は笑う。3人上戸の生酔い模様。

三段目「足利館門外の場」。塩冶家の腰元おかる(米吉)が文箱を持って花道から足
利館にやって来る。顔世御前から師直への返書だが、おかるの目的は恋人・勘平(隼
人)に逢うこと。上手から勘平。暫くして、同じく上手から伴内(吉之助)が横恋慕
に現れる。勘平は伴内を蹴倒して、おかるを連れて花道を去って行く。

四段目「扇ヶ谷塩冶判官館の場」では、切腹前の場面。刃傷事件を起こして、蟄居中
の判官。顔世御前(魁春)は、夫の慰めのために桜の花を生ける。腰元の吉野(廣
松)らがサポート。そこへ、家老の由良之助の嫡男・力弥(鷹之資)が花道から現
れ、顔世御前を慰めるが、不吉にも花筒に生けた桜が折れてしまう。

五段目「山崎街道の場」が、最大の見せ場。花道より定九郎(歌六)がやって来る。
歌六が斧定九郎と与市兵衛のふた役を早替わりで演じる。定九郎が与市兵衛を殺し
て、50両を奪う場面までを吹き替え役者を利用しながら演じ分ける。吹き替え役者
の与市兵衛は猪に変身して絡む。最後は、定九郎が花道で鉄砲玉に当り死んでしま
う。定番(定九郎の遺体は廻り舞台で闇へ)と違って、定九郎の遺体は花道すっぽん
より退場し、奈落へ。

六段目「与市兵衛内の場」では、与市兵衛と勘平の新盆。与市兵衛女房のおかや(東
蔵)が、村の衆の角兵衛(松江)、弥八(歌昇)、六蔵(種之助)に念仏踊りを教え
ている。おかやは村の衆に手本を示そうと曲がった腰を伸ばそうとするが、目を回し
てひっくり返ってしまう。

七段目「祇園一力茶屋の場」は、人形ぶりの演技で見せる遊女おかる(芝雀)と兄の
平右衛門(錦之助)。ふたりの絡みと奥から現れた由良之助(吉右衛門)の裁定は、
「仮名手本忠臣蔵」と同じ。3人の舞台に上下手から一力茶屋の仲居(京妙、京蔵、
京紫、京花)、太鼓持ち(吉五郎、蝶十郎、又之助、宇十郎)も加わり、憂き世を忘
れて浮かれ騒ぐ。竹本の出語り。谷太夫がおかる、幹太夫が平右衛門を語る。

「滑稽浄瑠璃」という笑劇舞踊。開幕前に、「仮名手本忠臣蔵」恒例の「口上人形」も
登場。仇討物語は、憂き世を忘れて浮かれ騒ぐというコミカルな舞踊劇に変身。

テンポの良い居処替わり。大序から二段目への場面展開は、引き道具とあおり返し。
舞台下手にあった八幡宮の銀杏の木が上に引揚げられ、桃井邸奥庭の松に替わる。二
段目から三段目へは、足利館門が上から降りて来る。三段目から四段目へは、門が上
に上がり、塩冶家の家紋入り銀地の襖が替わりに上から降りてきて、扇ヶ谷塩冶判官
館。襖が開くと長唄連中の山台。四段目から五段目へは、あおり返しで黒幕へ。上よ
り「二つ玉」の定番。藁を干す棚が上から降りて来る。木々は引き道具。五段目から
六段目へ。与市兵衛の住居がせり上がって来る。道具方が、木戸を運んで来る。六段
目から七段目へ。浅黄幕の振り被せで、場面展開。幕の振り落しで、華やかな祇園一
力茶屋。
- 2013年12月11日(水) 15:26:57
13年12月国立劇場・人形浄瑠璃鑑賞教室 (「団子売」「菅原伝授手習鑑〜寺入
り・寺子屋〜」)


「団子売」は、舞踊劇。幕末から明治期の作品。江戸時代に町中で餅を搗いたり、丸
めたりしながら団子づくりの実演販売をする夫婦の様子を写した「景事(けいご
と)」という演目。夫婦は、女房がお臼。夫が杵造。竹本は、夫婦担当の竹本南都大
夫、豊竹咲甫大夫のほかにふたり、咲寿大夫、亘る大夫。三味線方は、野澤喜一郎、
竹澤團吾(だんご)、鶴澤清公、鶴澤清允。人形遣は、清五郎が杵造。紋秀がお臼。

「臼と杵とは女夫(めおと)でござる。やれもさうやれやれさてな、夜がな夜ひと夜
おおやれやれな。父(とと)んが上から月夜はそこだよ。ヤレコリヤよいこの団子が
出来たぞ……」などという詞章は、餅を搗くという所作は、性愛を象徴するのに合わ
せて、五穀豊穣、子孫繁栄不老長寿(高砂尾上)などを唄い上げる。

街の背景は、具体的には指定されていないのかもしれないが、以下は、私の推理。

大坂道頓堀北側の広場に夫婦はやってきた。夫は、天秤棒の両端の一方に臼、もう一
方に材料を入れた箱と行灯看板をぶら下げている。看板には、「とび だんご」と書
かれている。「きびだんご」のもじりだろうし、「とび」=「鳶」(鳶が鷹を産
む)、「飛び」などと勢いのあるネーミングと見受けた。広場の背景に「浜芝居」、
つまり「浜」=「道頓堀」の南側に軒を並べる芝居小屋街が見える。道頓堀の北側か
ら南側を望んだ光景だろう。道頓堀には橋が架かっているが、名前は書いてないの
で、判らない。橋の東側(つまり、舞台下手側)に松と高札があり、橋の西側(つま
り、舞台上手側)に柳の並木が見える。橋の東西には茶屋と芝居小屋。小屋には、幟
と櫓。幟には、歌舞伎役者らしい名前が書かれているように見える。ちゃんと字を書
いていないので、不明瞭だが、「中村」「坂東」「市川」などと読めないことも無
い。道頓堀のこちら側には、囗(くにがまえ)に、吉の紋を染めた暖簾のかかる呉服
屋などの商家が連なる。道頓堀の芝居小屋の向こうに連なるのも商家のようだ。その
後ろは、木々。遠景には山並が見える。


人形浄瑠璃と歌舞伎 「入れ事」などについて


人形浄瑠璃で、「菅原伝授手習鑑〜寺入り・寺子屋〜」を観るのは、3回目。これま
で観たのは、08年12月、12年2月で、いずれも国立劇場での上演。

今回は、「寺入りの段」を語るのは、豊竹靖大夫。三味線方は、豊澤龍爾。「寺子屋
の段」を語るのは、豊竹英(はなぶさ)大夫。三味線方は、鶴澤清介。

人形役割(人形遣)の主なものは、松王丸(玉女)、女房千代(簑二郎)、武部源蔵
(和生)、女房戸浪(文昇)、春藤玄蕃(幸助)、御台所(簑一郎)、菅秀才(勘
介)、小太郎(紋吉)ほか。

5年前に初めて人形浄瑠璃の「寺入り・寺子屋」を観た時に歌舞伎と人形浄瑠璃の演
出の違い(人形浄瑠璃にはない歌舞伎独特の「入れ事」や人形浄瑠璃の演出を歌舞伎
では省くという「省略」をウオッチングすることになる)についてメモを書いている
が、今回の観劇を踏まえて、それの「差替え版」をまとめておこう。

*「寺入り(寺子屋=「手習い指南」への入学)」で、歌舞伎では、「ちゃり(笑
劇)」というパロディの場面がある。小太郎の寺入りを済ませた母親の千代(実は、
松王丸女房)が、帰ろうとすると、小太郎は、「一緒に行きたいわいのう」と言う。
「大きな形をしてあと追うか」と母は、たしなめる。この場面を、歌舞伎では、この
後、涎くり(年長の寺子)と三助(千代らの荷物持ち)が、「ちゃり」で再演をし
て、観客を笑わせるが、これは人形浄瑠璃では、演じられない。歌舞伎の「入れ事」
(人形浄瑠璃=「丸本」に無い、付け加えられた演出)か。

*「かかる所へ春藤玄蕃」(藤原時平方)で、寺子屋の門前。やがて、駕篭から出て
来た松王丸(同じく藤原時平方)が、村の寺子たちの顔を改める場面を前に言う科
白。08年11月の歌舞伎座では、仁左衛門が、「助けて帰る、(咳き込む)術
(て)もあること」と言い、「本音」を誤魔化す咳き込みという体の演出をする。と
ころが、人形浄瑠璃の大夫は、「ありがたき御意の趣き、おろそかには(咳き)致さ
れず」と、藤原時平への松王丸の「忠義の強調と自己嫌悪」での咳き込みという体と
なる。咳き込み場所一つで、メッセージが異なって来る。

*松王丸の衣装の「雪持松」は、歌舞伎の四代目團十郎(ニックネーム「親玉」、1
711ー78)の工夫であった。人形浄瑠璃では、当時の松王丸は、違う衣装を着て
いたが、四代目の工夫の衣装が素晴らしかったので、その後、人形浄瑠璃でも、この
衣装を取り入れた。つまり、歌舞伎から「逆輸入」である。

*「奥には『ばったり』首討つ音」(歌舞伎では、さらに、暖簾口の奥で、源蔵役者
の「えい」という気合いの声がする)、これを聞いて、松王丸はよろめく。一方、
「鬼になったはずなのに」うろうろ落着かない戸浪(源蔵女房)と松王丸がぶつか
る。歌舞伎では、ここで、松王丸は、「無礼者め」と叫び、刀を突いて、大見得(ク
ライマックス)をする。まさに、わが子を失った父親の悲愴な叫び、そうしなければ
ならなかった宿命への憤り(グロテスクな父親が、普通の父親の素顔を、一瞬覗かせ
る場面)が噴出するが、人形浄瑠璃では、この場面は無い。歌舞伎の入れ事。

*源蔵が、白台に首桶を載せて、上手、障子の間から(歌舞伎は、奥から)出て来
る。「菅秀才の御首、討ち奉る」で、人形浄瑠璃では、玄蕃、松王丸、源蔵の3人
が、見得をして、時間を稼ぎ、大夫が、呼吸を整え直す時間にあて、源蔵は、さら
に、松王丸の下手に廻り、白台ごと首桶を「目通りにさし置」くが、歌舞伎では、源
蔵は、首桶を持って出て、松王丸の前に置く。ここで、仁左衛門の型では、松王丸
は、首桶の蓋に両手を置き、目を瞑ったまま、顔を上げて、正面を向いてから、目を
開け、それからゆっくり、睨み下ろす。人形浄瑠璃では、すぐに「首実検」に入ら
ず、源蔵は、松王丸に「性根を据ゑて、・・・しっかりと、検分せよ」と虚勢を張
り、答え次第では、斬り付けようと緊張している。松王丸は、仮病の印の紫色の「病
巻き」の鉢巻きを取り、「鉄札か金札か地獄極楽の境」などと言う。歌舞伎では、そ
ういうことはしない。歌舞伎の省略。

*松王丸:歌舞伎では、「菅秀才の首に相違ない(源蔵へ)、相違ござらぬ(玄蕃
へ)」とあり、息を抜いて、源蔵がくりと腰を落す。両者の呼吸が、重要だが、人形
浄瑠璃では、「菅秀才の首討つたは、紛ひなし、相違なし」と自分に言い聞かせるよ
うに断言する。

*08年11月の歌舞伎座で、源蔵を演じた梅玉は、春藤一行が、去った後、竹の筒
の水入れで水を呑むが、これは、九代目團十郎の工夫で、歌舞伎の入れ事。人形浄瑠
璃では、源蔵夫婦は、歌舞伎で、戸浪と松王丸が、ぶつかったように、夫婦でぶつか
り、腰を落し、安堵の場面。もしかすると、この場面が、ヒントになって、歌舞伎
の、松王丸の「無礼者め」という科白とクライマックスの見得の場面が、工夫された
のかも知れない。

*松王丸が、春藤玄蕃の首実検の「目利き」役(検分の役)としての役割を終えて、
一旦、退場した後(続いて、玄蕃は、意気揚々と菅秀才の贋首を持って退場する)、
黒い頭巾を被り、衣装も黒尽くめの衣装に替えて、松王丸はお忍びスタイルで戻って
来る。この時、寺子屋内では、戻ってきた小太郎の母親の千代と源蔵が争っている。
歌舞伎では、その争いを鎮めるために松王丸が、「梅は飛び桜は枯るヽ世の中に、何
とて松のつれなかるらん」と書いた短冊を木戸口から投げ入れるが、人形浄瑠璃で
は、短冊の投げ入れはなく、松王丸が門口から寺子屋内に聞こえるように言うだけで
あった。

*松王丸の、桜丸にかこつけての「泣き笑い」は、六代目菊五郎の工夫で、それ以前
の名優も、やらなかったし、その後の役者は、逆に、皆やるようになった演出だが、
今回の人形浄瑠璃でも、英大夫は、泣き笑いをしていた。08年の津駒大夫も同じで
あった。小太郎の最期の様子を源蔵に聞いて、「ナニ、笑ひましたか笑ひましたか、
ハヽハヽヽヽヽヽ、……。思ひ出すは桜丸、ご恩も送らず先立ちし、……」と……、
忘れ兼ねたる悲嘆の涙」。

*歌舞伎では、松王丸夫婦は、本舞台に居ながら、裃姿も黒装束から、白装束に脱ぎ
変わる。この方が、いわば「面痩せ効果」があって良いと思うが、人形浄瑠璃では、
一旦、夫婦は、暖簾口の奥ヘ入り、ふたりとも白装束の喪服姿(喪主ということか)
になって(着替えて、という感じ)、出て来る(浄瑠璃の文句は、「夫婦が上着を取
れば、哀れや内より覚悟の用意」で歌舞伎の演出の方が、竹本の通りである)。千代
は、髪に角隠しを付けているので、上から下まで全身白無垢で、官能的でさえある。
エロスは、タナトスと同居しているということが、判る。

*歌舞伎の「寺子屋」は、源蔵の花道の出に工夫がある。揚幕の音も立てずに出て来
て、ハムレットのように悩みながら、足取りも遅い。ところが、人形浄瑠璃は、花道
が無いので、下手の小幕(上から、豊竹座と竹本座の紋が染め抜かれた濃紺の幕。因
に、上手の小幕は、上から、竹本座と豊竹座の紋が染め抜かれていた)から、源蔵
は、「常に変はりて色蒼ざめ、内入り悪く子供を見廻し」で、早々と、寺子屋に入っ
てしまい、子供らの顔を見廻す。つまり、ここも、歌舞伎になって工夫した、入れ
事。歌舞伎の、長い花道では、歩くことそのものが、藝になっているからである。

08年11月の歌舞伎座では、「いろは送り」の場面で、割り科白(一つの科白を交
互に言い、最後に一緒に言う)あるいは、渡り科白(一つの科白をリレーしながら順
番に言う)ではなく、亡くなった綾太夫の美声で、「唄わせていた」が、これは、人
形浄瑠璃の演出と同じ。今回の英大夫も「冥途の旅へ寺入りの、師匠は弥陀仏釈迦牟
尼仏」と千代の先の科白(「冥途の旅へ寺入りと、早や虫が知らせたか」)と同じ表
現を繰り返した上で、「賽の河原で砂手本。いろは書く子を敢へなくも、散りぬる
命、是非もなや。あすの夜誰(たれ)か添え乳(ぢ)せん、らむ憂ゐ目見る親心、剣
と死出の山けこえ、浅き夢見し心地して、後は門火(かどび)に酔(え)ひもせず、
京は故郷と立ち別れ、鳥辺野さして、連れ帰る」。「変わり果てた我が子を連れ帰
る」親の気持ちが、突き上げて来るが、「これは我が子にあらず、菅秀才の亡骸を御
供申す」と、松王丸夫婦は、抑圧した気持ちのままにて、閉幕。
- 2013年12月8日(日) 17:29:19
13年12月歌舞伎座 (夜/通し狂言「仮名手本忠臣蔵」・後半)


先月に続いて、通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の後半を観る。通しで観るのは、10回
目。今回の劇評の手法は、昼の部と同じ配役論を軸に書く。比較するのは、ベテラン
と花形若手の視点で11月の歌舞伎座の舞台、花形若手同士の視点で12年04月新
橋演舞場の舞台とする。

通し狂言「仮名手本忠臣蔵」後半の、夜の部は、「五段目」から。先月の菊五郎は、
四段目で、判官として、切腹をし、六段目で、勘平として、再び腹切する。昔は、判
官として切腹した役者は、「一日一役」で、その日の舞台には出ずに帰宅したとい
う。12月の歌舞伎座は、古式に則り、昼の部で切腹した菊之助は、夜の部には出な
い。夜の部の勘平腹切は、染五郎が勤める。

「五段目」は、薄暗い中で、雷の音で幕が開く。浅黄幕が、舞台を被っている。置浄
瑠璃。雷の音が、再び、大きくなり、浅黄幕の振り落し。大木の下で雨宿りしている
のは、笠で顔を隠しているが、猟師の勘平。「五段目」の「鉄砲渡し(勘平が通行人
の提灯を持った武士に雨で消えてしまった鉄砲の火縄の火と借りる)」、(舞台が
廻って)「二つ玉(猪を追って勘平が鉄砲を二発撃つ)」から、次の「六段目」の
「与市兵衛内勘平腹切」へ(また、舞台が廻る)。斧定九郎(獅童)の遺体が、裏舞
台の闇へ、呑み込まれて行く(因に獅童は、十一段目でも高方の小林平八郎として殺
され、再び、裏舞台の闇へ引き込まれて行く)。先月は、松緑の定九郎。この配役
は、花形同士。

「六段目、与市兵衛内」では、芝居の主筋は、都落ちした落人の進境を引きずったま
まの勘平(染五郎)の芝居だ。今回の「六段目」の配役は、花形若手では、ほかに、
女房・おかるが、七之助。母親・おかやは上村吉弥。ベテランでは、一文字屋お才が
萬次郎、判人源六が亀蔵、不破数右衛門が弥十郎、千崎弥五郎が、高麗蔵。「五段
目」、「六段目」の場面は、勘平としての染五郎は先月の菊五郎、12年4月の亀治
郎時代の猿之助と比較される。

江戸歌舞伎の世話ごとの第一人者を任じた六代目菊五郎が、分秒単位の細かな演出を
決め、それが菊五郎家の「家の芸」になっているし、ほかの役者が演じる場合、同じ
ように六代目の芸を引き継ぐほどの、いわば完成品なのだから、勘平役者は、いずれ
も、基本的には菊五郎型を手本とする。菊五郎型は、舞台に定規で線を引いたように
見えない線上を移動する。所作も見えない手順に則って動かす。それは、人間国宝の
当代の菊五郎であれ、花形の染五郎であれ、同じように演ずる。ベテランと花形の違
いは、科白の間や調子、所作との連動など役者として身体に思い込ませた蓄積の差
だ。

勘平の心理状態を型で表現するという歌舞伎独特の演出を、当代の菊五郎も、それこ
そ、定規を当てて形にしているかのように六代目の菊五郎型をきちんと伝えていて、
別格の勘平である。何度も書いているが、特に、「二つ玉」の暗闇での動きは、定九
郎の倒れた遺体、藁束が下げてあった松の立ち木、藁束の上に置いた鉄砲、という3
つの位置を結ぶ三角形を絶えずなぞりながら動いて行く。「腹を切るとホッとするぐ
らいで(笑い)、手順といい、心理描写といい、細かくて細かくて嫌になるほどで
す」と菊五郎は以前に言っていた。それほど、六代目の菊五郎型にこだわって、芸を
残している。

定九郎も、約束事が多い割には、動ける場所が限定されていて、勘平同様に、定規を
当てているような演技が続く。それでいて、科白は一つ。「五十両」。勘平だって、
この場面では、猪を撃った筈なのに、倒れていた「もの」の足に触り、科白は「こ
りゃ、人」。先月は、松緑の定九郎に菊五郎の勘平。今月は、獅童の定九郎に染五郎
の勘平。それぞれ、菊五郎型で勤めていた。

そういう点でいうと、12年4月、新橋演舞場の亀治郎最後の舞台(6月から、四代
目猿之助襲名)は、大分違う。

2002年11月の国立劇場で、鴈治郎時代の坂田藤十郎の七役早替りと上方演出の
「仮名手本忠臣蔵」が上演され、私も観た。

贅言;因に鴈治郎時代の坂田藤十郎の七役早替りの配役は、師直、由良之助、勘平、
定九郎、与市兵衛、平右衛門、戸無瀬であった。

その2002年の国立劇場の舞台に当時の亀治郎が出演をし、「大序」の足利直義と
「九段目」の小浪を演じた際、上方演出が「印象に残って」魅了されたという。12
年4月の新橋演舞場では、藤十郎に指導を仰ぎ、勘平を勤めたという。そのポイント
を記録してあるので、長いが当時の劇評を再録しよう。

*勘平(亀治郎)が腹切に至る「与市兵衛内」では、何といっても、勘平の衣装が、
写実的で、江戸より上方の方が、地味だ。江戸歌舞伎のように帰宅したら、派手な紋
付に着替えたりしない。猟から戻ってきたときと同じような着物の控えに着替えるだ
けだ。黒い紋付を着るのは、「最期」の場面。義母のおかや(竹三郎)らに疑いをか
けられ死んでゆくときに、黒い紋付を義母のおかやが、肩から勘平の背中にかけてや
る。背を向けて、勘平と「二人侍」のやり取りを聞いていたが、疑いが晴れた後、向
き直り、勘平に紋付を着せてやるのである。そう、道行「落人」では、お軽が何度も
背中から勘平を抱きしめてやったように、祇園に身売りをして居なくなってしまった
お軽の替わりに義母のおかやが、死に逝く勘平の背中を抱いてやるのだ。「お疑いは
晴れましたか」と、勘平は、1回目は、おかやに、続けて2回目は、二人侍に向っ
て、言う。

また、猟師仲間が担ぐ戸板に載せられて運び込まれた与市兵衛の遺体(等身大の人
形)が、上手、障子の間に引き入れられるのも、江戸型とは違う。江戸型では、遺体
は、素直に座敷の奥に安置される。四畳半程度の障子の間に戸板ごと遺体を入れる難
しいようで、戸板の端に当たって、障子が一枚はずれてしまったが、猟師仲間は、芝
居のようにさりげなく外れた障子を填め直していた。

この場面で、何と言っても、いちばんの違いは、勘平腹切の演技の違いだろう。義母
も、訪ねてきた大星方の通称「二人侍」の不破数右衛門(亀三郎)と千崎弥五郎(亀
寿)も、勘平には背を向けている。障子の間に入って与市兵衛の遺体の傷の具合を調
べている。誤って義父を鉄砲で撃ってしまったと思い込んで、自害する勘平の証言と
違って、与市兵衛の傷は、刀傷だったことを大声で告げたりしている。そういう声も
聞こえないほど、激鬱状態に落ち込んでいる勘平は、「希死念虜」という思い込みに
つけ込まれていて、周りの声を聞く耳を持てない状態になっている。へたり込んでい
る勘平の様子を誰かが視覚で監視し、行動で止めなければならない場で、誰も勘平を
注視せずに放っておいたので、死なせてしまったのだ。

座敷の下手奥の隅、つまり、死期を悟った動物が、物陰に死にに逝くように、勘平
は、家内に居る誰にも気づかれないように、また、観客席にも背を向けて気づかれな
いように、隅っこでそっと腹を切る。与市兵衛の傷を刀傷と断じたことで、勘平の義
父殺しという冤罪は晴れるが、下手奥で、切腹をした勘平は、腹に刀を刺した瀕死の
状態のまま、片足でとんとんという不自由な感じで、介護されながら座敷を斜め一直
線にゆっくり移動し、上手、障子の間の柱までやって来て、与市兵衛の遺体を見る。
その上で、やっと、座敷中央に移動する。江戸歌舞伎では、最初から座敷中央で、
座ったままで、腹切りをする。判官は、「切腹」、勘平は、「腹切」と見出しも違
う。

「色に耽ったばっかりに、大事なところに居り申さず」という歌舞伎の入れごとの科
白は、上方型の演出にはない。猪と間違えて撃った定九郎から奪った(義父が奪われ
たものを取り戻した。つまり義父の仇討ちを果たした)50両とお軽の身売りの残金
として、義母のおかやが一文字屋お才から受け取った50両のあわせて100両を献
金し、連判状に名を連ねて、やっと、46番目の塩冶浪士となる勘平。息絶えかかる
勘平に黒い紋付を着せかけるおかや。竹三郎のおかやは、堂々たるもので、存在感が
ある。勘平に合掌をさせないのも、江戸との違いか。福助のおかるは、初々しい。一
文字屋お才は、亀鶴。今回憎まれ役の側に回っている亀鶴だが、ここは、ごちそうの
役どころ。」

今回、「五段目」の獅童は、斧定九郎(3回目、2回目は、12年4月の新橋演舞
場)であった。定九郎も、約束事が多い割には、動ける場所が限定されていて、定規
を当てているような演技が続く。こちらは、江戸型の演出通り。与市兵衛を殺して、
50両を奪い、一旦は、花道へ逃げて行く。黒い衣装に破れ傘をさしている定九郎の
姿は、花道から本舞台に華やかに繰り込む華のある助六とは逆ながら、隠花植物のよ
うな華を感じさせる。まるで、本舞台から花道へ向う様は「逆助六」、花道に行けず
に本舞台で殺される「零落した助六」ではないか。花道を行きかけて、向う揚幕から
誰か(猪)が来る気配を察し、本舞台に戻る定九郎を待っているのは、死の世界。

猪と間違えられ、勘平の鉄砲で撃たれ、血を流して倒れる場面がある。定九郎役者
は、敷物の上の限られた空間で倒れ込み、以後、舞台が廻って、暗闇の袖に引き込ま
れてゆくまで動かずにいるので、結構、大変だろう。それでいて、科白は一つ。「五
十両」。一瞬の残酷美。

贅言;上方型の「五段目」は、2002年11月の国立劇場で、鴈治郎時代の坂田藤
十郎で観ている。藤十郎は、勘平、与市兵衛、定九郎の三役早替りを見せるので、そ
のための演出の違いが出て来る。当時の私の劇評では、「特に、初代中村仲蔵の工夫
した鬘、衣装を見なれた定九郎は、いつもと違う扮装で出て来る。定九郎が、吹き替
えの与市兵衛とからむ場面や吹き替えの定九郎が鉄砲で撃たれ、勘平が出て来て、か
らむ場面など、早替り故の演出の違いだろう」と書いている。今回、この演出と思わ
れるのが、今月、国立劇場で上演の舞踊劇「忠臣蔵形容画合(ちゅうしんぐらすがた
のえあわせ)」の「五段目 山崎街道の場」で、衣装は江戸型の歌六が、吹き替えも
使って斧定九郎と与市兵衛のひとり二役で演じている。

若い女形の華、おかるは、まず、「道行」では、腰元、「六段目」では、女房、つい
でに、「七段目」では、遊女ということだが、役者の口伝では、六段目の女房おかる
は、腰元、七段目の遊女おかるは、女房のつもりで演じると良いと伝えられていると
言う。その違いをどう見せるかというところにおかる役者の腕の見せ所である。

今回は、「六段目」のおかるは、七之助、先月は、時蔵。「七段目」のおかるは、玉
三郎、先月は、福助(玉三郎と同じく「七段目」のみ)で私は観たが、その後、福助
病気休演で、代役は、芝雀となった。時蔵と比較すると、「六段目」のおかるを演じ
た七之助は、おとなしいおかるだが、世話場の芝居らしく、実家に戻り、両親と婿殿
と同居する生活も板についたという落ち着きを感じさせた。福助のおかるは、玉三郎
に肉薄してきた。上村吉弥の母親おかやも力をつけてきている。先月のおかやは、東
蔵。一文字屋お才は、先月の魁春より今月の萬次郎の方が良かった。萬次郎はこうい
う庶民的な役を演じるのは、実に巧い。

「七段目」では、おかるは玉三郎。6年ぶりだ。由良之助を相手に、遊女としての色
気を見せるし、兄の平右衛門に対してすら、妹を越える色気を見せる。相変わらず、
玉三郎が良かった。先月の福助も、玉三郎に迫り、遊女らしい色気を発散させてい
た。

玉三郎の場合は、いつも思うのだが、「六段目」では、影が薄く、「七段目」になる
と、むくむくと存在感を強めて来る。「七段目」では、由良之助を相手に、遊女とし
ての色気を見せるし、兄の平右衛門に対してすら、妹を越える色気を見せるからであ
る。今回は、「六段目」のおかるは七之助に任せ、玉三郎は、夜の部は、「七段目」
に専念して、玉三郎の魅力を歌舞伎座の場内にまき散らしていて、好評だった。

「七段目」の本筋は、実は、由良之助より、遊女・おかると兄の平右衛門が軸となる
舞台である。玉三郎のおかるが魅力を発散し、海老蔵の平右衛門が、コミカルに受け
る。この玉三郎おかると海老蔵平右衛門が良かった。昼の部の道行「落人」では、花
道から退場する前のふたりに「お似合いです!」(大向うの常套句なら、「ご両
人」)声が掛かったが、夜の部の「兄と妹」も良かった。先月の平右衛門は、梅玉。
これも良かった。

贅言;一力茶屋の二階座敷に姿を見せたおかるは、一階の座敷で顔世御前(主君の塩
冶判官夫人)から来た手紙(密書)を読む由良之助の手元の手紙を鏡を使って覗き読
みをしてしまう。これを知った由良之助はおかるを身請けしたいと申し込む。おかる
は喜んでいるが、後にやってきたおかるの兄の平右衛門は、上司の由良之助の心中を
察し、身請けされた後、おかるは殺されるに違いないと思いつく。他人の手にかかっ
て殺されるなら、兄として妹を殺そうと決意する場面がある。これは、特定秘密保護
法案が通った後の日本社会のようでは無いか、と思い至った。師直仇討ち(つまり、
私戦)を狙う、棟梁(権力者)の由良之助は、特定秘密である密書の内容をおかるに
覗き見られたので殺そうと決意する。由良之助を上司と仰ぐ平右衛門は、それを察し
て、おかるを殺して、秘密の暴露を防ごうとする。戦争は、秘密から始まる。

「十一段目」は、雑誌で言えば、表紙のような感じの「高家表門討入りの場」、暗
転、明転で、グラビアのような「同じく 奥庭泉水の場」へ、廻って、後書きのよう
な「同じく 炭部屋本懐の場」で、ここで、勝ちどきを上げて幕。それだけの場面。
盲腸みたいなものか。

贅言;花形版「忠臣蔵」後継争い。菊之助は、八代目菊五郎を襲名するためには、立
役の幅も広げた方が良いが、義父の二代目吉右衛門の指導を受けると、菊五郎、吉右
衛門の両人間国宝がバックアップで心強い。目下精進中というところか。染五郎は、
幸四郎の後を追っていて、いずれ、十代目だろうが、まだ、線が細い。海老蔵は、出
来高に斑がある。安定した演技が望まれるが、團十郎亡き後、誰が手綱や後見を取っ
ているのだろうか。福助は、来春、七代目歌右衛門を襲名することが決まっている。
橋之助は、どうなるのか。芝翫か。幕末から明治初期の名優四代目は、「大芝翫」と
呼ばれた。錦絵のような立派な顔。立役の芝翫というのも、良い。さて、人気先行の
獅童は、どうなるのか。萬屋系で獅童が継げそうな名前は、余りなさそうだが、祖父
の三代目時蔵の兄に初代吉右衛門がいるので、別の知恵が出て来るか。娘は、菊之助
と結婚してしまった。菊之助の男児誕生。
- 2013年12月4日(水) 17:37:49
13年12月歌舞伎座 (昼/通し狂言「仮名手本忠臣蔵」・前半)


花形版「仮名手本忠臣蔵」の楽しみ方


先月に続き、通し狂言「仮名手本忠臣蔵」を観る。通しで観るのは、10回目。今回
の劇評は、配役論を軸に書く。比較するのは、ベテランと花形若手の視点で11月の
歌舞伎座の舞台、花形若手同士の視点で12年04月新橋演舞場 の舞台とする。

「大序」では、海老蔵の高師直、菊之助の塩冶判官、染五郎の桃井若狭之助、七之助
の顔世御前(七之助は、11月も足利直義で出演)、巳之助の足利直義という配役。
ここでは、主に、海老蔵の高師直、染五郎の桃井若狭之助、七之助の顔世御前が、仕
どころがある。菊之助の塩冶判官、巳之助の足利直義は、それなりに。ただし、菊之
助は、「三段目」、「四段目」を思うと、一工夫欲しい。

先月は、左團次の高師直、梅玉の桃井若狭之助、芝雀の顔世御前であった。中でも師
直役者は、色と欲という、芝居前半のテーマの主役。憎しみあり、滑稽味あり、強
(したた)かさあり、狡さあり、懐の深さありで、多重な性格を滲み出す憎まれ役。
場面場面で、実に滋味ともいうべき演技が要求される。それだけに難しい役だ。

まず、この場面、主役の海老蔵の高師直は、化粧は老けているが、「老い」を表現で
きていないのが残念。憎まれ役ということで、憎々しさを表現するつもりなのだろう
が、なにかというとやたらと大きな眼を剥き、「睨み」(成田屋の家の芸)を発揮し
すぎて、眼ならぬ鼻についた感がある。老練な左團次の師直をもっと勉強する必要が
あると思った。特に、花形役者を軸とする舞台では、老け役を演じるのが、どの役者
にとってもいちばん難しい。

師直のパワーハラに合い、次第に怒りを溜め込む染五郎の桃井若狭之助、師直のセク
ハラに苛められる七之助の顔世御前が、存在感があるのに比べると、菊之助の塩冶判
官は、兜改めが済んで兜を奉納に行く役割以外に仕どころがないので、存在感が薄
い。しかし、桃井若狭之助や顔世御前と違って、「三段目」(刃傷)、「四段目」
(切腹)という大きな場面を控えているので、肚で芸をするにしても、存在感を観客
に感じさせる工夫は必要だろう。先月、塩冶判官と早野勘平を演じた父親菊五郎とい
う良い手本が身近にいるので、その辺りは、取得して欲しい。菊之助は、12年4月
の新橋演舞場の「仮名手本忠臣蔵」で、既に判官を演じている。その時の劇評を見る
と、私は次のように書いている。

* 判官切腹の場面。「由良之助か。待ちかねたやわい」目を瞑って判官の科白回し
を聞いていると、ときどき、菊五郎の顔が浮かんでくるほど、良く似ていた。歌舞伎
役者に大向こうから「親父さんそっくり」と声がかかるというのは、ある意味では、
御曹司の役者には、賛美のかけ声となる。ただし、菊之助の場合、初日には、そうい
うかけ声がかからなかったし、松の間での、虐められ振りも、これは、虐める側の松
緑にも関係するが、少々物足りない感じがした。押さえ込んでいた気持ちが、激躁状
態で、狂気に変わる辺りも、物足りない。菊之助が、菊五郎に脱皮するためには、女
形と同様に、立役もソツなくこなせるようにならなければならないだろう。」

この劇評は、基本的に今回も変わらない。今後の工夫魂胆を期待したい。

「三段目」は、「門前進物の場」、「松の間刃傷の場」と続く。特に「松の間」で
は、若狭之助は、悲劇を起こさない。一夜明けても、怒りが頂点に達したままの状態
で登城した若狭之助(染五郎)は、刀を投げ出し、平謝りする師直に、訳が分からな
いまま、上手襖から廊下に姿を消すが、こういう役柄は、ほかの演目も含めて、梅玉
は巧い。染五郎も、見習うと良い。

色(欲)ということで金(賄賂)をもらった師直は、そのやましさもあって、先の場
面とは違って、若狭之助の替わりに、判官に当てこすりをする。そこへ、文箱に入っ
た顔世御前の短冊が、お軽→勘平→判官→師直という手順で、この場にもたらされ
る。短冊は、顔世に付け文した師直への返事で、つれないもの。それを読んで、火に
油を注がれた状態の師直は、判官夫人の顔世(顔よし、美人という寓意)への横恋慕
に失敗したと判断し、夫・判官に対して限度を超えて、苛めを始める。ここは、とに
かく、師直役者の富十郎も左團次も、渾身の演技で、いや、演技を越えて、観客に
も、憎々しさが伝わって来る。見応えのある場面だった。憎まれ役に存在感がある
と、その芝居は、成功する。それに比べると海老蔵は、ここでも眼を剥き、睨んでば
かりいるように思える。

12年4月の新橋演舞場では、師直役は松緑が演じていて、良かった。以下は、その
時の私の劇評。

* 敵(かたき)は、魅力的でなければならない。愛憎の対象となる為には、愛され
て憎まれる師直のような人物が必要になでありながら品と格のある人物、男の魅力、
特に色気も必要だろう。そういう人物として歴代の師直役者は、演じてきた。ここ
に、37歳の若手の師直が誕生したことは、嬉しいことだ。私が観た師直は、羽左衛
門、冨十郎、吉右衛門、鴈治郎時代の藤十郎、幸四郎。立役の色気ばかりではなく、
冨十郎、藤十郎などは、女形の色気も滲ませている場合もある。松緑は、羽左衛門、
幸四郎のタイプかもしれない。後、20年くらいしたら、松緑で、再び、真柴や師直
を観てみたいが、どうだろうか。相応に年を取り、役には見えやすくなっているだろ
うが、それだけでなく、今より、さらに充実した真柴や師直になっていることを期待
したい。松緑も50歳代後半で、役者として油も乗り切っていることだろうが、観客
の私の方が、生きているかどうか。「これを第一歩に生涯かけて勤め続けていければ
と思っています」と、松緑は「茨木」を演じたときに言っているが、今回も同じ心境
ではないか。いずれにせよ、このところの松緑は熱演、熟演であり、将来を期待させ
てくれたと思う。松緑は、同世代の役者の群から、大人へと脱皮した感がある。ただ
し、今回の松緑には注文がある。演技をしているときは、師直という老人になってい
るが、演技をしないで正面を向いて、控えている場面では、素の若い松緑に戻ってし
まい、緊張感が持続していないように見えたのは、残念であった。そういう場面で
も、観客に全身を曝している以上、肚で意識を持続させなければならないだろう。」

海老蔵より、松緑の方が、この場面でも、師直役は巧かった。顔も輪郭も松緑の方
が、海老蔵より師直顔かもしれない。また、「刃傷の場」でも、菊之助は、師直に苛
められて、怒りの燃焼度を徐々に上げて行かなければならないのだが、それが感じら
れない。あるいは、弱い。「三段目」、「四段目」と肚の芸が続く判官は、難しい
ね。

音もなく静かに幕が開き、暫く無人の「四段目」。空虚の演出。「判官切腹の場」、
「城明渡しの場」は、幸四郎が由良之助で出演してくるため、その存在感が強く花形
若手の芝居とは、趣きを異にする。幸四郎の由良之助は、「由良之助」というより史
劇の「大石内蔵助」を感じさせる演技はいつものことである。12年4月の新橋演舞
場では、染五郎が昼夜通して、由良之助(今回は、幸四郎)を演じた。今回、この場
面での花形若手は、判官の菊之助、石堂右馬之丞の染五郎、顔世御前の七之助ほかで
ある。菊之助の判官は、既に述べた通り。温情ある裁き役で颯爽とした石堂右馬之丞
の染五郎、白無垢の喪服姿で痛々しい顔世御前の七之助は、それなりに。

昼の部最後の演目、「道行 旅路の花聟」は、「三段目」の「裏門」のバリエーショ
ン。勘平とおかる。別称、「落人」、「三段目の道行」。人形浄瑠璃には無い歌舞伎
の入れごと。所作事(舞踊劇)「道行」は、苛めだ、刃傷だ、切腹だ、復讐だと、鬱
陶しい「仮名手本忠臣蔵」の前半の、気分直しの場面だ。いわば、間奏曲。忠義の物
語という本筋に対するパロディ。幕が開くと、浅黄幕。やがて、浅黄幕が、振り落と
されて、笠で顔を隠し、茶色の道中着に一緒にくるまった男女が佇んでいる。ふたり
の足元、赤い鼻緒の草履と白い鼻緒の草履が眼に飛び込んで来る。気分一新。夜の想
定なのに、明るい。なぜか富士山が遠望される。笠を外すと、玉三郎のおかると海老
蔵の勘平が現れる。

「道行」は、勘平(海老蔵)にとっては、主人の命に関わる「大事な場所」に居合わ
せなかったという失敗を悔いながらの都落ちだが、何事も、前向きな、おかる(玉三
郎)にとっては、いわば、「新婚旅行」。不幸なことも、前向きに考えて、絶えず、
前進できるタイプ。懐から出した函迫(はこせこ、和風ハンドバック)を「足利館裏
門」で勘平に託した顔世御前の「文箱」に例えたり(おかるにとっては、「裏門」で
の逢引の思い出は宝もの)、自分の袂を結んで、ふたりの仲の良さ(あるいは、2日
間の旅の間の性愛の悦びも、滲ませているのだろう)を強調したりして、初々しい新
妻らしい所作がある。

山崎の実家に戻ったら、機を織り、着物の仕立てをして、勘平には、生活の苦労をさ
せないと健気に主張し、先の生活は心配するなと励ますおかる。勘平は、若いのに、
鬱々としている。思い込みが激しく、早とちり。新婚旅行の途中でも、「おかる、さ
らばじゃ」などと何度か、「希死念虜」にとらわれて、死にたいと漏らす。だから、
道行の勘平役者は、所作事なのに、ほとんど踊らない。勘平の刀を隠したり、励まし
たり、おかるも気苦労が多い。最後は、勘平を助けるために、身売りまでするのだ。
12年4月新橋演舞場の「花形版忠臣蔵」では、福助のおかるに亀治郎の勘平(亀治
郎は、12年6月新橋演舞場で四代目猿之助を襲名した)。

今回の昼の部は、玉三郎のおかると海老蔵の勘平が良い。ふたりとも浮世絵の美男美
女のような雰囲気。欝気味の勘平の希死念虜を警戒しつつ、さりげなく、後ろから抱
くように包み込むおかるの姿がいじらしい。「道行」のおかるを玉三郎が演じるの
は、25年ぶり。やはり見応えがある。昼の部のハイライトだろう。花道七三でふた
りが止まったとき、大向うではない、場内某所から「お似合いまです!」と声が掛
かった。客席からは、笑いを含めて、共感の拍手が沸いた。玉三郎と海老蔵のペア
は、夜の部でも、「七段目」の遊女おかると兄の寺岡平右衛門を演じるので、これも
楽しみ。

贅言;鷺坂伴内を演じた龔十郎が、いつもの伴内の扮装ではなく、肩衣に袴姿(ただ
し、袴はたくし上げて、臑を出している。「三段目」の伴内本来の扮装)で登場し、
途中で、「引抜き」で、いつもの扮装に早替りしてみせてくれたのは、良かった。さ
すが、権十郎。花形若手の中で、脇のベテラン役者の工夫が生きる。幸四郎、玉三郎
とそれぞれの場面で主軸になる役者も貴重だが、滑稽役の伴内を演じた権十郎、憎ま
れ役の薬師寺次郎左衛門を演じた亀蔵などの味わいは、舞台を奥深く見せてくれる。
- 2013年12月4日(水) 13:57:57
13年11月歌舞伎座 (夜/通し狂言「仮名手本忠臣蔵」)


「ふたつの忠臣蔵」


歌舞伎座「杮葺落興行」は、今月と来月で、ふたつの「仮名手本忠臣蔵」を上演す
る。11月は、病気で休演となる役者も出てしまい、当初の配役とは異なったが、今
月は、許す限りでの「最善最強」の配役。来月は、幸四郎、玉三郎を別格として、若
手花形役者をずらりと揃えて、清新な「忠臣蔵」を演じる。11月と12月の「ふた
つの忠臣蔵」。私にとっては、「ふたつの忠臣蔵」とは、実は、もうひとつの意味を
持つ。前の歌舞伎座閉場前の09年11月の「さよなら興行」で上演された「忠臣
蔵」である。09年と13年の「ふたつの忠臣蔵」。昼の部に続いて、そういう「ふ
たつの忠臣蔵」という視点を視野の隅に置きながら、夜の部も批評してみたい。

通し狂言「仮名手本忠臣蔵」後半の、夜の部は、「五段目」から。夜の部(後半)を
観るのは、8回目。菊五郎は、四段目で、判官として、切腹をし、六段目で、勘平と
して、再び切腹する。「五段目」は、薄暗い中で、雷の音で幕が開く。浅黄幕が、舞
台を被っている。置浄瑠璃。雷の音が、再び、大きくなり、浅黄幕の振り落し。「五
段目」の鉄砲渡し、(舞台が廻って)二つ玉から、「六段目」の勘平切腹へ(また、
舞台が廻る)。斧定九郎(松緑)の遺体が、裏舞台の闇へ、呑み込まれて行く。「与
市兵衛内」では、芝居の主筋は、都落ちした落人の進境を引きずったままの勘平(菊
五郎)の芝居だ。菊五郎が軸になって芝居は展開する。この場面は、菊五郎で私が観
るのは、今回含めて6回目となる(95年2月歌舞伎座以来)。ほかは、勘九郎時代
の勘三郎、亀治郎時代の猿之助で、それぞれ1回拝見している。

江戸歌舞伎の世話ごとの第一人者を任じた六代目菊五郎が、分秒単位の細かな演出を
決め、それが菊五郎家の「家の芸」になっているし、ほかの役者が演じる場合、同じ
ように六代目の芸を引き継ぐほどの、いわば完成品なのだから、勘平役者は、菊五郎
型を手本とする。

昼の部の明るい所作事「道行」を含めて、鬱々としているが勘平で、菊五郎は、鉄砲
渡しから切腹まで、勘平の心理状態を型で表現するという歌舞伎独特の演出を、それ
こそ、定規を当てて形にしているかのように六代目の菊五郎型をきちんと伝えてい
て、別格の勘平である。特に、「二つ玉」の暗闇での動きは、定九郎の倒れた遺体、
藁束が下げてあった松の立ち木、藁束の上に置いた鉄砲、という3つの位置を結ぶ三
角形を絶えずなぞりながら動いて行く。「腹を切るとホッとするぐらいで(笑い)、
手順といい、心理描写といい、細かくて細かくて嫌になるほどです」と菊五郎は以前
に言っていた。それほど、六代目の菊五郎型にこだわって、芸を残している。

定九郎も、約束事が多い割には、動ける場所が限定されていて、勘平同様に、定規を
当てているような演技が続く。それでいて、科白は一つ。「五十両」。勘平だって、
この場面では、猪を撃った筈なのに、倒れていた「もの」の足に触り、科白は「こ
りゃ、人」。

おかるは、まず、「道行」では、腰元、「六段目」では、女房、ついでに、「七段
目」では、遊女ということで、その違いを見せるところにおかる役者の、腕の見せ所
である。今回は、「道行」と、「六段目」は、時蔵。「七段目」が、来春、七代目歌
右衛門を襲名する予定の福助という配役。時蔵のおかるは、「道行」では、新妻の麗
しさがあり、「六段目」では、実家に戻り、両親と婿殿と同居する生活も板についた
という落ち着きを感じさせる。なかなか、良いおかるであった。

私が観た「六段目」のおかるでは、玉三郎(2)、福助(2)、時蔵(今回含め、
2)。雀右衛門、菊之助。同じく、「七段目」では、玉三郎(3)、福助(今回含
め、3)、雀右衛門、菊之助。

「七段目」では、おかるは由良之助を相手に、遊女としての色気を見せるし、兄の平
右衛門に対してすら、妹を越える色気を見せる。玉三郎が良かった。今回の福助は、
玉三郎に迫り、遊女らしい色気を発散させていた。

昼の部の明るい所作事「道行」を含めて、鬱々としているが勘平で、菊五郎は、鉄砲
渡しから切腹まで、勘平の心理状態を型で表現するという歌舞伎独特の演出を、それ
こそ、定規を当てて形にしているかのように六代目の菊五郎型をきちんと伝えてい
て、別格の勘平である。特に、「二つ玉」の暗闇での動きは、定九郎(梅玉)の倒れ
た遺体、藁束が下げてあった松の立ち木、藁束の上に置いた鉄砲、という3つの位置
を結ぶ三角形を絶えずなぞりながら動いて行く。

贅言;そういえば、松緑演じる定九郎も、約束事が多い割には、動ける場所が限定さ
れていて、勘平同様に、定規を当てているような演技が続く。倒れる場所も、檜舞台
に血の塗料が付かないように、四角い敷物を敷いているので、その上に倒れなければ
ならない。結構、大変だろう。

勘平のパートナー・おかるは、まず、「道行」では、腰元、「六段目」では、女房、
ついでに、「七段目」では、遊女ということで、その違いを見せるところにお軽役者
の、いわば「味噌」がある。今回は、「道行」と、「六段目」は、時蔵。「七段目」
が、来春、七代目歌右衛門を襲名する予定の福助という配役。時蔵のおかるは、「道
行」では、新妻の麗しさがあり、「六段目」では、実家に戻り、両親と婿殿と同居す
る生活も板についたという落ち着きを感じさせる。なかなか、良いおかるであった。

私が観た「六段目」のおかるでは、玉三郎(2)、福助(2)、時蔵(今回含め、
2)。雀右衛門、菊之助。同じく、「七段目」では、玉三郎(3)、福助(今回含
め、3)雀右衛門、菊之助。

玉三郎の場合は、いつも思うのだが、「六段目」では、影が薄く、「七段目」になる
と、むくむくと存在感を強めて来る。「七段目」では、由良之助を相手に、遊女とし
ての色気を見せるし、兄の平右衛門に対してすら、妹を越える色気を見せるからであ
る。今回の「七段目」、福助も、遊女らしい色気を発散させていた。来春、七代目歌
右衛門を襲名する福助が、玉三郎に迫ってきていると、思う。

今回印象に残ったのは、「六段目」の時蔵で、勘平の右膝の上で、お互いの手を合わ
せて、別れを惜しむ。売られて行くと言いながら、勘平に名前を呼ばれて、待ってま
したとばかりに、時蔵は、大きな声で、「あーい」という科白に万感を込めていて、
良かった。抱き合うふたりは、結果的には、この世で、最期の抱擁になる。勘平は、
「まめでいやれ」と言葉少なに、若妻をいたわるだけであるが、これ以上の真情の言
葉を知らない。吹っ切れた表情の時蔵。

「六段目」で重要な女形は、おかるの義母であり、与市兵衛の妻であるおかや(東
蔵)である。勘平に早とちりで、切腹を決意させるのは、与市兵衛を殺したのは、勘
平ではないかと疑い、勘平を攻め立てたおかやの所為である。他人の人生に死という
決定的な行為をさせるエネルギーが、おかやの演技から迸らないと、この場面の芝居
は成り立たない。「六段目」では、おかやには、勘平に匹敵する芝居が要求されると
思う。「お疑いは、晴れましたか」という末期の勘平の科白は、おかやに対して言う
のである。東蔵のおかやは、歌舞伎座「さよなら興行」の時の配役と同じである。
「さよなら興行」と「杮葺落興行」という新旧歌舞伎座のしきりの舞台は、脇では東
蔵が欠かせない。

私が観たおかや。吉之丞(2)、東蔵(今回含め、2)、鶴蔵、田之助、上村吉弥、
竹三郎。東蔵のほかでは田之助、吉之丞のおかやで、それぞれ存在感があった。上村
吉弥のおかやは、来月の舞台に登場。

おかやの夫、与市兵衛では、佳緑が、最近では、最高の与市兵衛役者と言われるだけ
に、私も、通し狂言では、3回観ている。ほかは、助五郎時代の源右衛門、権一、大
蔵、寿猿、今回は松太郎。

「さよなら興行」の時の、左團次の判人・源六と芝翫のお才は、人生の滋味を感じさ
せた。さすが、存在感があり、良かった。今回は、源六初役の團蔵に魁春のお才が付
き合う。

「七段目」の由良之助は、吉右衛門(今回の仁左衛門代役を含め、3)、幸四郎
(2)、團十郎、仁左衛門、染五郎。「さよなら興行」での仁左衛門の由良之助を観
て、強く思ったのは、ここの由良之助は、「昼行灯」というとぼけた滋味をだすだけ
に、上方の和事味が必要だということだった。これまで私が観た「七段目」の由良之
助では、今回も含めて吉右衛門が良かった。ここの由良之助は、前半で男の色気、後
半で男の侠気を演じ分けなければならない。

「七段目」の本筋は、実は、由良之助より、遊女・おかると兄の平右衛門が軸となる
舞台である。今回は、平右衛門役の梅玉が良かった。梅玉は、同年齢の團十郎が今年
初めに亡くなって、自分が軸にならねばという意欲が出てきたのだとしたら、ご同慶
の至りだ。一皮むけたような気がした。今回の福助は、玉三郎の濃厚な色気よりも、
兄に向かって、妹らしい可愛いい色気を出していたように思う。

贅言;一力茶屋の二階座敷に現われたおかるは、最初、銀地に花柄の団扇を盛んに
使っているが、これが、極めて、きらきらときらつく。これは、後に顔世御前からの
手紙を読む由良之助の手許を鏡で覗き手紙を盗み読む際の、カモフラージュに銀地の
団扇を利用しているのではないかと気が付いた。銀地の団扇も、鏡も、光って見つ
かっても、言い訳が効くということではないか。

九太夫は、私が観た舞台では、5回全てが、芦燕であったという記録が、6年前、0
7年の舞台まで継続していたが亡くなってしまった。芦燕の九太夫は、前半の意地悪
く、意固地な筆頭家老から、金にこだわる、欲深の親子(因に九太夫は、二千石で、
息子の定九郎は、二百石というのが、九太夫の台詞で知ることができる)に替って、
饒舌になる。そういうパーソナリティの表現が巧い。ほかの九太夫は、錦吾が2回。
今回は、顔見世興行で幹部に昇進した橘三郎(富十郎の弟子)。

「十一段目」は、由良之助を含め、討ち入り、立ち回り(チャンバラ)、敵討成就で
本懐と、いわば、3枚の紙芝居の絵を見せられるようで、結局、それだけのものだろ
う。歌舞伎の舞台としては、ほかの場面とレベルが違い過ぎるが、常識的な落しどこ
ろが必要というだけか。

「さよなら興行」では、前の歌舞伎座最後の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の上演とい
うことで、総じて配役の妙で、新たな発見もあり、それぞれの場面で、熱演すべき人
たちが、きちんと熱演していて、見応えがあったと思う。今回の昼夜通しの配役では
勘三郎の判官、師直の富十郎、お才の芝翫が幽冥を異にしてしまった。病気休演の仁
左衛門の姿も見えない。「さよなら興行」より「杮葺落興行」の方が、事情は事情な
がら、配役は、ちょっと見劣りがしたのは、残念であった。

来月の歌舞伎座は、「仮名手本忠臣蔵」上演。若手花形の清新な舞台を期待したい。
- 2013年11月17日(日) 11:52:43
13年11月国立劇場(半通し「伊賀越道中双六」)


今回の「伊賀越道中双六」は、11月3日の初日と9日の2回拝見した(観劇歴とし
ては、同じ配役の演目なので、あわせて、1回とカウントしている)。9日には、在
日フランス人協会の人たちと一緒であった。観劇前に私が講演をし、一緒に観劇した
後、フランス人からの質疑に応えるという形であった。3日は、そのための下見で
あった。「伊賀越道中双六」は、みどり上演の「沼津」が、良く演じられるが、「沼
津」だけの場合と、今回のような背景となる敵討の物語を「沼津」の前後に付ける場
合、さらに、人形浄瑠璃のようにほぼ原作に近い形で上演する場合と演劇的なテーマ
が違って見えてくる演目というのもおもしろい。

私は、歌舞伎で、今回含めて、5回。人形浄瑠璃で、2回。合わせて7回拝見。う
ち、歌舞伎も、国立劇場での通し、半通し上演では、今回含めて2回。人形浄瑠璃の
通し上演は、1回。その他4回は、「沼津」だけの、みどり上演。「伊伊賀越道中双
六」は敵討の時代ものだが、通し、半通しだと時代ものだと判るが、「沼津」だけの
上演だと、世話ものになる。良い時代ものとは、美味しい世話ものを腹に抱えている
狂言だ。それは、腹に卵を抱えた魚が美味しいように、腹に出来の良い世話ものを抱
えた時代ものが美味しいといえるからだ。私の印象では、おかる勘平の夫婦の悲劇
(世話もの)を抱えた時代ものの代表作「仮名手本忠臣蔵」と同じように、十兵衛と
平作の親子の悲劇(せわもの)を抱えた時代ものとして「伊賀越道中双六」も、面白
いと思えるからだ。

国立劇場「通し狂言 伊賀越道中双六」(半通し、四幕七場)は、近松半二らの合作
狂言。1783(天明3)年4月、大坂竹本座(人形浄瑠璃)で初演された。歌舞伎
は同年9月、大坂中の芝居で上演。全十段の時代もの。近松半二の絶筆、最後の作
品。岡本綺堂原作の短編小説「近松半二の死」というのがあるので、関心のある人
は、読まれたら良い。

この敵討物語には史実がある。
荒木又右衛門が助太刀をして、通俗日本史で、俗に「36人切り」と誇張されている
伊賀上野鍵屋辻(かぎやつじ)の敵(かたき)討が1634(寛永11)年旧暦の1
1月に実際にあった。敵討は、江戸時代の藩(地域の政府)許可の一種の死刑制度。
 
ベースとなる史実の敵討は、「日本三大敵討」(1・曽我兄弟の敵討=父、2・赤穂
事件、つまり「忠臣蔵」の敵討=主君。いずれも、歌舞伎、人形浄瑠璃になってい
る)の一つと言われる。渡辺静馬が荒木又右衛門という助っ人(親戚)の剣客に助け
られて敵討を果たしたことで有名になった。「伊賀上野の敵討」を軸に、東海道など
を鎌倉(事実上は江戸)から沼津、京都、伊賀上野まで「双六」(一種の旅行ゲー
ム)のように、西へ西へと旅をするので、こういう外題となった。事件から150年
後の芝居。荒木又右衛門をモデルにした「唐木政右衛門」が、本来は主役。渡辺静馬
をモデルにしたのは、「和田志津馬」。

全十段の時代ものの芝居は、主筋は、基本的に敵討の物語で、見どころの六段目「沼
津」は、脇筋(副筋)。生き別れのままの家族が、知らず知らずに敵と味方に分かれ
ているという悲劇。家族間で義理と人情の板挟みとなってしまった。行方の判らな
かった実の親子の出会いと、親子の名乗りの直後の死別、その父(平作)と子(十兵
衛)の情愛という場面(世話場)があり、これが、時空を超えて、いまも、観客の胸
に迫って来る。不条理に拠る悲劇は、普遍的なテーマ。敵討ちを巡って家族が絡む義
理と人情。暗闇で、瀕死の父親と親子の情をかわす、このラストシーンから半二は
「沼津」を書き始めたのではないか。

今回の主な配役;十兵衛:藤十郎(父)、平作:翫雀(長男)、お米:扇雀(次男)
/政右衛門:橋之助、お谷:孝太郎。

今回は、成駒屋ファミリーが演じる。父の藤十郎が息子役、長男の翫雀が父親役、次
男の扇雀が娘役。さらに、敵討の主役のひとり、和田志津馬役に扇雀の長男・虎之介
が出演している。私は、残念ながら生の舞台を観ていないが、松嶋屋だと、三男の仁
左衛門が息子役、長男の我當が父親役、次男の秀太郎が、娘役を演じる。ビデオで観
た仁左衛門、我當の情味のある科白廻しは、藤十郎、翫雀を超えていたように思う。
是非とも、松嶋屋三兄弟の舞台を観たい。いずれにせよ、親子、兄弟だけで主軸を作
る歌舞伎独特の役者制度が生み出す不思議な配役だ。

平作:「理(義理)を非(親子の情)に曲げても言はして見せう」。要素は敵対と親
子という関係。親子の情を滲ませる捨て身作戦。十兵衛:股五郎ではなく城五郎(出
入り先)に頼まれた恩義を裏切ったこと、父を死なせた落とし前は、父親同様に己の
命を捨てて両方に報いるしかないという覚悟を固めている。

「沼津」では、敵討の主筋の人物は、出て来ない。お米(瀬川)の夫の志津馬が、沼
津宿のどこかで、養生をしているという想定。

半二の作品は、筋が入り組み、判りにくいことで、定評がある。そこで、主な登場人
物相関図を敵討の逃亡組と追手組を中心に整理しておこう。

*事件の発端(鎌倉):上杉家の家臣同士だが、和田行家が、和田家の名刀「正宗」
奪取を企む沢井股五郎にだまし討ちに合い、亡くなる。正宗は、奪われず。

*逃亡組:(鎌倉から)敵の沢井股五郎、従兄の沢井城五郎家(将軍直参の家臣)出
入りの御用商人で、股五郎の逃亡を助ける役目の呉服屋十兵衛(実は、幼い時に養子
に出された平作の長男)。誉田家(大和郡山)の御前試合で政右衛門の相手となった
桜田林左衛門(相手方の助っ人、沢井家の親戚)。

*追手組:(鎌倉から)行家の嫡男和田志津馬・妻「お米」(吉原の元遊女瀬川 →
 平作娘お米)、(大和郡山から)親戚の助っ人唐木政右衛門/妻お谷(志津馬の
姉。政右衛門と恋愛をし、勘当されている。勘当のママでは、敵討が出来ないために
離縁されてしまう。お谷の幼い義妹お後=行家と後妻柴垣の間に出来た娘が政右衛門
の後妻に入る。その結果、行家が、政右衛門にとって、岳父となるので、義父殺しの
敵討資格が出来るという理屈だ。敵討を許可状を出す藩主も納得をし、自分の太刀を
与えて、政右衛門の仇討ちの背中を押す。

*追手組関係者:(東海道)沼津の「雲助」(街道筋の荷物持ち、下級労働者)の平
作。お米(瀬川)や十兵衛(幼名平三郎)の父親。娘の夫志津馬の縁で、追手組に繋
がる。夫が近くで疵養生している(家臣の池添孫八が面倒をみている)のに、なぜ
か、お米は実家で父親と、目下、「同居」している。

*その他(相関図外で参考):行家の後妻柴垣(お後の母)、誉田大内記(大和郡山
藩主)、宇佐美五右衛門(誉田家家臣、政右衛門を剣術師範に推挙)、池添孫八(和
田家の家臣、志津馬に随行)。

この狂言のポイント。「時代」と「世話」*(1)、「通し」「半通し」「みどり」
*(2);「みどり」(「沼津」のみ上演)は、「家族」(世話場)。今回のような
「半通し」では、「家族」+「敵討」(時代もの)の背景説明。「通し」は、「敵討
の道中記」(時代もの)。「時代もの」の中の「世話場」=「沼津」が、見せ場。
「敵討」がテーマの時代ものに、「家族」というテーマの世話ものが、いわば、「入
れ子構造」になっている。

歌舞伎の代表的な名作「仮名手本忠臣蔵」も、時代ものの中に「おかる勘平の物語」
という世話ものが入っている。こちらは、「夫婦」というテーマ。「伊賀越道中双
六」という時代ものも「沼津」という世話ものが入っている。腹に卵を抱えた美味し
い魚のように、優れた時代ものは、腹に美味しい世話ものを抱えている。「仮名手本
忠臣蔵」と「伊賀越道中双六」は、そういう時代ものの双璧であろう。

*(1)キーワード;「時代」「世話」:「沼津」は、「時代世話」という演出。主
筋の時代もの(歴史もの、時代劇、武家の物語=銀地に墨絵の重々しい襖の座敷が象
徴的)、副筋の世話もの(当時の現代劇、庶民の物語=平作住居のようにあばらやが
象徴的)、時代ものの中の世話場→舞台の雰囲気が、がらっと変わる。世話場の中の
時代がかった科白など、時代と世話の絡み合う演出が見もの。
*(2)キーワード;「通し」「半通し」「みどり」:「通し」(2ヶ月前、13年
9月国立劇場公演の人形浄瑠璃)、「半通し」(今回の国立劇場の歌舞伎)、「みど
り」(通常の歌舞伎座などの上演)の上演形式の違い。「通し」:原作の全体像に近
づくように、幾つもの場面を上演する。その結果、登場人物の関係や事件の背景、展
開など戯曲全体の構成が良く判るが、上演時間が長い。「伊賀越」は全十段なので現
在、全体を上演することはない。「半通し」:見せ場に若干の背景説明を付け足す。
「みどり」:人気の見せ場のみの上演。名場面だが、背景が判りにくい傾向がある。

「通し」「半通し」「みどり」の舞台は、場面構成がそれぞれ違う。

*「通し」:人形浄瑠璃・(国立の第一部)「(鎌倉)和田行家(ゆきえ)屋敷の
段」「円覚寺の段」。「(大和郡山)唐木政右衛門屋敷の段」「(大和郡山)誉田家
大広間の段」「沼津里の段」「平作内の段」「千本松原の段」。(国立の第二部)
「藤川新関の段 引抜き 寿柱立万歳」「竹藪の段」「岡崎の段」「伏見北国屋の
段」「伊賀上野敵討の段」。(★逃亡コースは、「?」の逆書きのようだ。)

*「半通し」:今回の歌舞伎/序幕=★主筋の時代もの。事件の発端。主人公:和田
志津馬。「相州鎌倉和田行家屋敷の場」。二幕目=★助太刀許可。主人公:唐木政右
衛門(荒木又右衛門がモデル)。「大和郡山唐木政右衛門屋敷の場」、「大和郡山誉
田家城中の場」。三幕目=★脇筋の世話もの。敵討の「代理」同志の苦しみ(義理と
人情)。「駿州沼津棒鼻の場」、「駿州沼津平作住居の場」、「駿州沼津千本松原の
場」。大詰=★助太刀と敵討。主人公:唐木政右衛門。「伊賀上野敵討の場」。

*上演回数の多い「みどり」:(「沼津」)=歌舞伎:「駿州沼津棒鼻の場」、「駿
州沼津平作住居の場」、「駿州沼津千本松原の場」。人形浄瑠璃:「沼津里の段」、
「平作内の段」、「千本松原の段」(基本的に歌舞伎も人形浄瑠璃も場立ては、同
じ)。

主筋と脇筋:国立劇場の上演形式では、今回の主筋は、ストーリーテーリングでは、
本流だが、芝居としては、支流。上演される芝居の本流は、脇筋の「沼津」。「沼
津」は、「みどり」で、何回も上演される人気狂言。代々の役者の工夫、江戸歌舞伎
と上方歌舞伎でもそれぞれ工夫などがあり、洗練されて現在上演されるような形に
なった。「通し」にすると、「沼津」とその他の場面の洗練度の違いが判る。演劇空
間の密度が違う。『仮名手本忠臣蔵』も、主筋は、討ち入りまでの敵討の物語だが、
例えば、脇筋に「お軽勘平」の悲劇の物語がある。脇筋の方が、面白いので、上演頻
度も高い傾向にある。

この芝居の面白さは、極力、廻り舞台を活用せずに、「居所替り」という場面展開の
演出を使っていることだ。

大道具の展開と「歩き」の芸:廻り舞台と居所替り(キャスター付きの引き道具、あ
おり返し)。今回は、廻り舞台は、あまり使われない。背景(書き割り)を動かし
て、役者が歩いて行くように見せる演出を使う。「歩き」という芸では、特に平作に
注目。観客を引き込んだ捨て科白の妙。「沼津」では、大道具の展開や主要人物が、
「東の歩み」という通路(本舞台から、階段を下りて、客席の間を歩く)を通って、
捨て科白(アドリブ)で十兵衛とやり取りをするので、その見せ場に気を取られてい
る間に、本舞台では、いわゆる「居処替り」(廻り舞台を使わないで、場面展開)を
してしまう、という演出に、特徴がある。この場面での今回のアドリブ。ヨロヨロ歩
きの平作を演じる翫雀が、自分は70歳に近いというと、28歳の十兵衛を演じる藤
十郎が、私は、ずうっと若いと答える。翫雀は、80歳になった時のあんたの顔が見
たいと切り返し、場内を笑わせる。藤十郎は、81歳。今年の大晦日には、82歳の
誕生日を迎える。

贅言;「駿州沼津棒鼻の場」の歌舞伎独特の面白いイントロが私は好きだ。開幕する
と、歌舞伎では、宿場のにぎわいを強調する。「沼津棒鼻」の宿場で、御休処、休憩
する身重の夫婦連れ、町娘と母親、野良帰りの百姓、草鞋を切らす旅人、飛脚が通
る。巡礼が通る。(「道中心得」を書いた立て看板には、道連れを装って、客引きを
してはいけないとか、人を乗せた馬に荷物を積んではいけない、大酒、遊女狂い、喧
嘩・口論無用などと「立(たて)場(=駕篭かきなどの休息所)」らしいことが、い
ろいろ書いてあって、歌舞伎は、かなり、東海道の道中を活写しようという意欲が感
じられる。→ 今回は、立て看板は、敵討の鍵が辻の茶店の傍にあった)江戸時代、
東海道の旅の様子が良く判る。人形浄瑠璃では、舞台全面を覆う浅黄幕のママで、太
夫の語りのみで情景描写。「畑の野遠見」(背景画)で上手に富士山が見える場面か
ら富士山が真ん中にある「松並木の野遠見」の場面へと転換する。「千本松原の場」
も含めて、新たに世界遺産になった富士山が、随所に出て来るのを見落とさずに。平
舞台の大道具(引き道具)が上手から下手へ動かされ、遠見は、「あおり返し」中央
真ん中が上下にふたつに折れて、裏側の別の背景画が出てくるという仕組み。東海道
の移動、平作住居から千本松原で、2回あおり返し。平作住居は、廻り舞台。

廻り舞台の使用を抑制し、居所替わりで場面展開する演出。今回の主な場面展開は、
以下の通り。

*「沼津」(街道)上手富士山の中遠見。ふたりが客席奥へ行くと、下手茶店と床几
(2脚):引き道具。富士山の中遠見(富士山が少し大きくなり真ん中に来る)あお
り返し。松並木:引き道具。
*「平作住居」道具廻る(廻り舞台)。
*「千本松原」道具替り(木戸片付け、住居:引き道具、屋根→富士山の遠見あおり
返し。松並木:引き道具。
*「鍵屋の辻」では、伊賀上野城の遠見。遠見の書割りはそのままで、茶店の場面
が、途中から敵討の立ち回りの場面へ転換する。道具替り(中央にあった道標、上手
にあった茶店は、廻り舞台に載って、上手から下手へ引き道具のように移動する。廻
り舞台と引き道具の両様のような演出でおもしろかった。

★以下は、フランス人向けのレジュメの原文。レジュメは、フランス語訳された。

◯粗筋:序幕。主筋の時代もの。事件の発端。主人公:和田志津馬。敵討物語の発
端。「相州鎌倉和田行家(ゆきえ)屋敷の場」では、沢井股五郎(上杉家家臣)によ
る和田行家(上杉家家老)殺しがある。沢井は、行家を殺して、和田家の家宝の刀
「正宗」を盗み出そうとして失敗をし、逐電してしまう。和田家嫡男の志津馬が、こ
の股五郎を追い掛け、父親の敵討を果たすまでが、「伊賀越道中双六」の主筋。股五
郎逐電の際、股五郎は、志津馬の脚に斬り付け、怪我を負わせる(「沼津」の伏
線)。

二幕目。助太刀許可。主人公:唐木政右衛門。所変わって、第一場「大和郡山唐木政
右衛門屋敷の場」、通称「饅頭娘」では、志津馬の敵討に助太刀するため、政右衛門
(荒木又右衛門がモデルの剣豪)は、不義密通(現在なら、親に黙って恋愛しただ
け)で結婚し、和田家から絶縁されている志津馬の姉で、内縁の妻のお谷と離縁をし
(封建時代なので、そうしないと敵討の助っ人が藩主から許可されない)、改めて、
お谷の義妹(行家の後妻の連れ子)にあたる、7歳のお後(のち)と形ばかりの再婚
をし、正式に志津馬の妹の夫という立場になって敵討のメンバーに加わるという話。
不義密通、しかも内縁関係では、藩主から敵討の許可が降りないだろうという配慮な
のだが、それが、妻のお谷にも、夫婦の後見人である郡山藩の重臣にも、唐木家家臣
にも、知らせないまま、いきなり、花嫁の御入来、そして、祝言となるから関係者
は、歎いたり、怒ったりする。まあ、そこが、この芝居の趣向で、幼い花嫁は、盃の
取り交わしの後に、饅頭を欲しがり、花婿と饅頭をふたつに分け合って食べる場面が
ある(だから、この場面の通称は、「饅頭娘」という)、つまり、この場面は、「女
のドラマ」。
第二場「大和郡山誉田(こんだ)家城中の場」、通称「奉書(ほうしょ)試合」で
は、郡山藩主・誉田大内記の前で、宇佐美五右衛門の推挙を受けた唐木政右衛門が、
誉田家剣術指南番の桜田林左衛門との御前試合に臨む。銀地に家紋の襖。銀地に山水
画の衝立。奉書のある床の間には、「春日大明神」「天照皇大神」「正八幡大武神」
の掛け軸が飾ってあった。「奉書」=藩主から家臣への上意下達文書。「時代もの」
らしい、武ばった場面である。
政右衛門は、ここでも、わざと林左衛門に負けて、郡山藩から自由の身になり、志津
馬の敵討の助っ人になりやすい立場にしようと企んでいる。しかし、藩主誉田大内記
(こんだだいないき)は、御前試合で、わざと負けた政右衛門を不忠者として、成敗
しようとするが、素手と「奉書」(紙)で殿様の槍を相手に立ち会いながら、殿に神
蔭流の奥義を伝授する政右衛門の対応に感じ入り、藩主は政右衛門を励ます。政右衛
門と藩主との知恵競べの場面。林左衛門は追放され、股五郎一行に加わって逃亡を助
ける。御前試合の二人は、敵味方に別れる。敵討ものがたりの背景説明。この場面
は、いわば、「男のドラマ」。

三幕目。見せ場。脇筋の世話もの。敵討の「代理」(義理と人情)。十兵衛と平作。
通称「沼津の場」(三場ある)。銀地の襖と裃という、「時代」の世界から、一転し
て、くだけた「世話場」で、上方味の和事の科白のやりとりや仕草で、客席を和ませ
る。志津馬の敵の沢井股五郎の従兄城五郎の屋敷に出入りしている御用商人・呉服屋
十兵衛と怪我をした夫の志津馬を介抱する妻お米(かつての吉原遊女・瀬川)、それ
に雲助(街道筋の荷物持ち)の平作(十兵衛とお米の父親)が、たっぷり、上方歌舞
伎を演じてくれる。「通し」「半通し」では、筋立てや背景を見せてくれるが、「み
どり」では、そういう筋立てや背景が、判らなくても、芝居として成立するようにし
なければならない。

「駿州沼津棒鼻の場」、「平作住居の場」、「千本松原の場」。十兵衛は、実は、養
子に出した平作の息子の平三郎ということだが、前半は、小金を持った旅の途中の商
人としがない雲助という関係で、途中から、親子だと言うことが判っても、「敵対関
係」ということから、お互いに、親子の名乗りが出来ないまま、芝居が、進行する。
行方の判らなかった実の親子の出会いと、親子の名乗りをした直後の死別(自害)、
その父と子の情愛という場面が続く。平作役者は、娘の夫・志津馬のために、敵の股
五郎の居所を聞き出そうと、己の命を懸ける。ミステリー的展開で筋が段々判って来
る。十兵衛は、平作の娘(実は、実の妹)お米に一目惚れをするが、夫(敵討の志津
馬)のある身と断られる。結婚の結納金を渡すことで、実は、実父と妹に金を贈りた
い十兵衛。それがダメになり、石塔供養の名目で、30両などを置いて行く。
平作の足の怪我を直す薬(印籠に入っている)を知り、夫の怪我を直したいばかりに
夜中寝静まった十兵衛の持っていた印籠(股五郎からの預かりもの)を盗もうとする
お米。犯行前の木戸外の思案(遊女時代の癖が抜けないお米の懐手(右手)と左手垂
れ下げ)など。十兵衛は、平作、お米とのやり取りの中で、自分たちが家族であるこ
とを知って行く。さらに印籠の家紋から、お互いが敵討の敵対関係という立場も判明
する。親子の判明、敵対関係の判明など、いろいろ仕掛けがあるので、見落とさない
ように。

十兵衛は、そういう命を懸けた平作の行為に父親の娘への情愛を悟り(自分の妹への
情愛も自覚し)、沢井家に出入りする御用商人でありながら、薮陰にいる妹のお米ら
にも聞こえるように股五郎の行く先を教える。死に行く父親に笠(雨降り)を差しか
けながら息子は、きっぱりと言う。「股五郎が落ち付く先は、九州相良九州相良」。
笠を持って科白を言う静止のポーズも、見せ場。
最後は、親子の情愛が勝り、「親子一世の逢い初めの、逢い納め」で、親子の名乗
り。父は死に、兄は渡世の義理を裏切り、妹は兄に詫びる。3人合掌のうちに、幕。
別れ別れだった親子の名乗りと死別の悲劇。暗闇の中の古風な人情噺の大団円。ここ
は、運命に翻弄される「家族のドラマ」。

大詰。主筋の時代もの。助太刀と敵討本懐。主人公:唐木政右衛門。「伊賀上野敵討
の場」。☆上手に伊賀上野城が望める鍵屋の辻の茶店。中央に道標の杭。「みぎいせ
みち ひだりうえの」とある。先に現れた政右衛門、志津馬らが、股五郎一行を待ち
受けるため、茶屋のなかに隠れる。暫くすると、花道を通って、女乗物(駕篭)の一
行が、やって来る。女乗物にカモフラージュした駕篭には、実は、股五郎が乗ってい
た。そこへ、白無垢姿に衣装を改めた志津馬らが、名乗りを上げて、敵討となる。
(☆場面転換は、廻り舞台と引き道具の両用)
助太刀の政右衛門は、股五郎一行の供侍を次々に、斬り倒して行く。やがて、股五郎
と志津馬の一騎討ち。なかなか、勝負が付かない。供侍たちを斬り捨てて、追い付い
て来た助っ人の剣豪・政右衛門が、志津馬を励ますうちに、志津馬が、股五郎を討ち
取り、幕。
- 2013年11月16日(土) 18:00:09
13年11月歌舞伎座 (昼/通し狂言「仮名手本忠臣蔵」)


歌舞伎座、ふたつの「仮名手本忠臣蔵」


4年前、再建のため壊される前の歌舞伎座最後の顔見世月興行で、「仮名手本忠臣
蔵」を観て、今回は、立て直された歌舞伎座杮葺落興行で最初の顔見世月興行の「仮
名手本忠臣蔵」を観た。4年前は、前の歌舞伎座さよなら興行中の掉尾の「忠臣
蔵」。今回は、新・歌舞伎座再開場杮落しの「忠臣蔵」。「忠臣蔵」なくして、歌舞
伎はあり得ないし、歌舞伎座も、節目節目は、「忠臣蔵」という美酒で、献杯しなけ
ればならない、ということだろう。そういう視点に立てば、それぞれの状況で、興行
側は「最善」、「最強」の配役をしているということになるのだろう。歌舞伎座の
「さよなら」閉場から「杮葺落」開場までの間に亡くなってしまった富十郎、芝翫、
雀右衛門、勘三郎、團十郎ら、それに加えて、病気休演中の三津五郎、仁左衛門らの
顔ぶれが見えないのが、やはり淋しい。

「仮名手本忠臣蔵」を私が通しで観るのは、9回目となる。今回は、4年前の掉尾の
舞台と比較しながら、出演した役者の演技論などを中心にコンパクトにまとめたい、
と思う。ふたつの節目をどう配役したのか。

今回の通し上演の主な配役は、吉右衛門が、四段目、七段目、九段目(1月歌舞伎座
を含めて)、十一段目の由良之助を初めて全て演じる。因に、12月の通し上演で
は、幸四郎が、四段目、七段目、十一段目の由良之助を演じる。菊五郎は、塩冶判
官、早野勘平。左團次は、高師直(老けた赤っ面)、石堂右馬之丞(白塗り)、不破
数右衛門(砥の粉塗り)と顔の色で性格を示す。梅玉は、大序、三段目の桃井若狭之
助、道行の早野勘平、七段目の寺岡平右衛門。時蔵は、道行(腰元)と六段目(女
房)のおかる。来春、七代目歌右衛門を襲名する予定の福助は、七段目(遊女)のお
かる。因に、12月は、玉三郎が、道行と七段目のおかるを演じる。

「仮名手本忠臣蔵」という芝居のテーマは、武士道の忠義ならぬ、欲(金と色)とい
うことで、庶民の目を通して武士の世界が批判的に描かれている。その権化が、憎ま
れ役の師直(前回は、富十郎。今回は、左團次)。黒い衣装の年寄りで、老けた赤っ
面という化粧も憎々しげ。実務有能ゆえに、袖の下も要求するし、セクハラ、パワハ
ラも、平気の平左衛門。困った親父である。パワハラの果てに、苛めた判官(前回
は、亡くなった勘三郎。今回は、菊五郎)から逆襲されて、怪我。

師直役者は、色と欲という、芝居前半のテーマの主役。憎しみあり、滑稽味あり、強
(したた)かさあり、狡さあり、懐の深さありで、多重な性格を滲み出す憎まれ役。
場面場面で、実に滋味ともいうべき演技が要求される。それだけに難しい役だ。富十
郎亡き後、左團次は、師直役者として適役のひとり。幸四郎、吉右衛門も、捌き役を
担当しないなら、芸の懐の深さから、憎まれ役もこなして、このグループに入るだろ
う。顔世御前(前回は、魁春。今回は、芝雀)ヘの横恋慕、若狭之助(前回も今回も
梅玉)への苛めと賄賂を受け取ってからの諂(へつら)い、そして本筋での判官ヘの
苛めなどで、師直という男の全体像のスケールを確乎に構築しなければならない。

判官は、苛められ、立腹した挙げ句、緊張感を持続できず、自爆する。その果ての、
切腹の場面が頂点となる。切腹の場面では、判官役者は、スター性が要求される(こ
れは、後の勘平役者も切腹の場面で、同様のスター性を要求される。そこにいるだけ
で絵にならなければならないからだ)。「忠臣蔵」のうち、「大序」から「三段目」
までは、主軸となる師直の横恋慕をベースにした苛めがテーマということで、一人の
老いた男の、若い男女(判官と顔世御前という夫婦)への、セクハラ、パワハラが演
じられる。この苛めの場面が、「喧嘩にならぬよう」に演じるという。師直は判官の
顔つきを冷静に観察しながら確信犯としてひたすら口での苛め(言葉)に徹する。判
官は、苛めに負けまいとしながらも、師直が仕掛けた「大人の勝負」に負けてしま
い、言葉ではなく、暴力(刃傷沙汰)を振る結果になってしまう。

足利将軍尊氏の弟・足利直義(前回も今回も七之助)の執事ながら、魔界の大王のよ
うな実力者で、黒い衣装の師直に対抗するのは、若くて、スマート、颯爽とした若狭
之助(梅玉)と判官(菊五郎)で、若狭之助は、浅葱(水色)、判官は、薄い黄色
(卵色)と、こちらは、衣装も、鮮やか。「大序」では、師直と若狭之助の対立。三
段目では、それが別の対立軸に転換してしまう。

「三段目」の足利館(江戸城)。「松の間」では、師直と判官の対立へと転換するの
である。その秘密は、その前の「進物場」で、若狭之助の家老(加古川本蔵。前回
は、菊十郎。今回は、幸太郎)が、有能な実務派能吏の危機管理意識から、師直に賄
賂(金)を贈り、直情径行にある殿様(梅玉)の危機を救う。脇役ながら、加古川本
蔵役者は、存在感のある演技が要求される。判官側には、加古川本蔵のような能吏が
江戸に詰めていなかったということだろう。塩冶家の危機管理の敗因は、ここにあ
る。

「進物の場」の重要な役が、もう一人いる。高家の「能吏」・鷺坂伴内(さぎさかば
んない。前回は、橘太郎。今回は、顔見世興行から幹部俳優に仲間入りした片岡松之
助。屋号は、「緑屋」)だ。鷺坂伴内という名前は、「鷺=詐欺」、「伴内(ばんな
い)=慙(ざん)ない:見るにしのびない、見苦しい」という意味が隠されていると
丸谷才一は、言う。しかし、伴内は本蔵からの賄賂の受け取りでも、駕篭のなかの師
直の代役をするぐらいだから、有能なのだ。要するに、戦国時代なら、さしずめ、殿
様の影武者という役回りだろう。ずる賢い、滑稽な、という役柄だけではない、複雑
さを持っているはずなのだ。橘太郎も、松之助も存在感があった。ここは、通称、
「えへん、ばっさり」というように、伴内を軸にした中間たちとの寸劇。次の、刃傷
事件という悲劇の前の、「笑劇」で、次の、悲劇との落差を大きくするための、定法
の演出である。

「松の間」では、若狭之助は、悲劇を起こさない。一夜明けても、怒りが頂点に達し
たままの状態で登城した若狭之助(梅玉)は、刀を投げ出し、平謝りする師直に、訳
が分からないまま、上手襖から廊下に姿を消すが、こういう役柄は、ほかの演目も含
めて、梅玉は巧い。ここでも、伴内が、巧に師直を補佐しているのを見逃してはいけ
ない。

色(欲)ということで金(賄賂)をもらった師直は、そのやましさもあって、先の場
面とは違って、若狭之助の替わりに、判官に当てこすりをする。そこへ、文箱に入っ
た顔世御前の短冊が、お軽→勘平→判官→師直という手順で、この場にもたらされ
る。短冊は、顔世に付け文した師直への返事で、つれないもの。それを読んで、火に
油を注がれた状態の師直は、判官夫人の顔世(顔よし、美人という寓意)への横恋慕
に失敗したと判断し、夫・判官に対して限度を超えて、苛めを始める。ここは、とに
かく、前回の富十郎も今回の左團次も、渾身の演技で、いや、演技を越えて、観客に
も、憎々しさが伝わって来る。見応えのある場面だった。憎まれ役に存在感がある
と、その芝居は、成功する。

磨き抜かれた鏡のような金地の襖に松の絵柄。下手に置かれた衝立も、金地に松と日
の出の絵柄。この後ろに、桃井家の家老・加古川本蔵(幸太郎)が、殿様の若狭之助
(梅玉)の不祥事が起きそうになったら、防ごうと隠れているが、実際には、刃傷
後、判官(菊五郎)を抱きとめるという役どころとなる。「抱きとめられて心残り」
が、判官の遺言となり、それ故に、後の「討ち入り」が起こるし、本蔵の娘・小浪と
大星力弥との婚約が破棄され、というように物語は、展開する。その経緯は、1月に
歌舞伎座で上演される九段目「山科閑居」まで、待たなければならない。

去年亡くなってしまった勘三郎の判官の演技は、前回なぜか、抑圧的で、印象が薄
まっている。今回の菊五郎は、師直に苛められ、堪忍袋の緒が切れて逆襲した。いわ
ば、キレる人。あるいは、パーソナリティ障害かもしれない。苛めに耐え切れず、
「弱者の逆襲」で、大局観を持たないまま、短絡的に凶行に及んでしまった。ストレ
スに弱いタイプ。

「四段目」では、鎌倉・扇ヶ谷の塩冶判官の屋敷(赤穂家の江戸屋敷)で、銀地の
襖。切腹する判官(前回は、勘三郎。今回は、菊五郎)から、「遅かりし由良之助
(前回は、幸四郎。今回は、吉右衛門)」へと主役が転じる。総じて、ポイント掴み
的にまとめてしまえば、切腹という悲劇を演じるスター性は要求されるものの、殿様
としての判官は、禁治産者になってしまい、ここは専ら、国家老・由良之助の芝居で
ある。力弥(前回は、孝太郎。今回は、梅枝)が、何度か言う「いまだ参上つかまつ
りません」という科白の調子の変化は、時間との勝負という緊迫感を盛り上げる。

力弥は、女形が演じる。黒地の衣装の袖も、「半」振り袖のような長さである。若手
女形の中でも成長株の梅枝が、今月も良い。若衆姿は、先月の「義経千本桜」の小金
吾役も良かったが(10月の劇評参照)、その良さを維持している。

花道に現れた由良之助(前回は、幸四郎。今回は、吉右衛門)と舞台中央で既に腹に
小刀を突き刺してしまった判官(前回は、勘三郎。今回は、菊五郎)、上手の上使の
一人・石堂右馬之丞(前回は、仁左衛門。今回は、左團次。老けた赤ら顔の師直か
ら、白塗りの颯爽とした捌き役の石堂に変わる)の三角形が、安定している。石堂
は、塩冶家に同情的である。三角形の両脇に、下手は、力弥、上手は、もうひとりの
上使で赤面(あかっつら、憎まれ役)の薬師寺次郎左衛門(前回は、段四郎。今回
は、初役で張り切っている歌六。通しで「忠臣蔵」に出演するのは初めてという。萬
屋一門から播磨屋一門に戻った甲斐があったというもの)が居て、芝居の幅を広げて
いる。腹を切った苦しみの中で、判官は、「かたみ」という言葉に、「かたき」とい
う意味を滲ませる。吉右衛門は、判官に近づき「委細」(承知)とだけ言い、後は、
大きく腹を叩き、ずずっと座ったままで下がると、「ぶふぁふぁふぁふぁ」と返事と
いうより、胸に溜め込んだ空気を吐き出すようにする。空気の振動を利用して今際の
際の判官に身体全体を使って「決意」(仇討ち承知)のほどを伝えているかのよう
だ。こういう演技は、吉右衛門は巧い。

顔世御前は、白無垢の喪服に着替え、髪を切り、同じく白い衣装の腰元たちと上手奥
から襖を開けて出て来る。腰元の中に、芝のぶがいる。喪服の芝のぶも、美しい。裏
返した二畳という結界(座敷に特設された死の世界)で切腹した判官の遺体を駕篭に
乗せる。白布を消し幕替りに使い、さらに23人の諸士(藩士)たちが人垣になって
判官の遺体を観客の眼から隠す。遺体を乗せた駕篭の前で、焼香となるが、まず、判
官未亡人・顔世御前、そして、2番手、筆頭家老の斧九太夫(なんと、居眠りをして
いた。松之助同様、今回の顔見世興行から幹部俳優に仲間入りした嵐橘三郎。屋号
は、「伊丹屋」)、3番手、由良之助の順で行い、4番手、藩士代表(選手会の会長
のような立場)の原郷右衛門(前回は、友右衛門。今回は、東蔵)が焼香する際に
は、力弥(十一段目の討ち入りでは、2番手になり、3番手の原郷右衛門より、上に
順位付けられる。何やら、どこぞの政治体制みたい)、藩士たち、腰元たちも、一緒
に頭を下げる。判官の遺体を載せた駕篭は、4人の藩士たちが、肩で担がずに、腕で
支えて花道を通って移動して行った。「手掻き」(「駕篭掻き」ではない)という。

特に、表門城明け渡しの場面は、由良之助役者の独り舞台だ。藩論をまとめ、敵討ち
への決心をする大事な場面だ。由良之助の動きに合わせて、大道具の城門が、およそ
3回に分けて、上手を中心に円を描くように下手側だけ、すうっ、すうっと徐々に遠
ざかる「引き道具」(大道具に、「車」が、ついている。後ろで、引っ張って、道具
を下げる)になるのは、いつ観ても良い。舞台前面にいる由良之助役者をあまり動か
さずに、肚の内をじっくり、安定的に、観客に見せながら、それでいて、城から遠ざ
かるという状況をきちんと伝える卓抜な演出。

そして、幕外の「送り三重」(三味線の演奏)での、由良之助(前回は、幸四郎。今
回は、吉右衛門)の花道の引っ込み。頬がこけたように見える吉右衛門がじっくり演
じる(7月の巡業を終えた8月初旬、喉にヘルペスが出来たことで、味覚障害にな
り、食欲も落ち、体重が大幅に減ったという。いまは、大分改善したようだ)。実事
歌舞伎の捌き役ならではの渋い魅力を満喫できる場面。

「道行 旅路の花聟」は、「三段目」の「裏門」のバリエーション。勘平とお軽。別
称、「落人」、「三段目の道行」。所作事(舞踊劇)「道行」は、苛めだ、刃傷だ、
切腹だ、復讐だと、鬱陶しい「仮名手本忠臣蔵」の前半の、気分直しの場面だ。いわ
ば、間奏曲。忠義の物語という本筋に対するパロディ。幕が開くと、浅黄幕。やが
て、浅黄幕が、振り落とされて、笠で顔を隠し、茶色の道中着に一緒にくるまった男
女が佇んでいる。明転効果。気分一新。夜の想定なのに、明るい。なぜか富士山が遠
望される。

「道行」は、勘平(前回は、菊五郎。今回は、梅玉)にとっては、主人の命に関わる
「大事な場所」に居合わせなかったという失敗を悔いながらの都落ちだが、何事も、
前向きな、おかる(前回も今回も時蔵)にとっては、いわば、「新婚旅行」。不幸な
ことも、前向きに考えて、絶えず、前進できるタイプ。懐から出した函迫(はこせ
こ、和風ハンドバック)を「松の間」に登場させてしまった顔世御前の「文箱」に例
えたり(おかるにとっては、「裏門」での逢引の思い出は宝もの)、自分の袖を錦絵
に見立てて、美男と言われた歌舞伎役者の「白猿」(はくえん。七代目團十郎の俳
号)に勘平が似ていると、のろけたり、自分の袂を結んで、ふたりの仲の良さ(ある
いは、2日間の旅の間の性愛の悦びも、滲ませているのだろう)を強調したりして、
初々しい新妻らしい所作がある。

山崎の実家に戻ったら、機を織り、着物の仕立てをして、勘平には、生活の苦労をさ
せないと健気に主張し、先の生活は心配するなと励ますおかる。勘平は、若いのに、
鬱々としている。思い込みが激しく、早とちり。新婚旅行の途中でも、何度か、死に
たいと漏らす。だから、道行の勘平役者は、所作事なのに、ほとんど踊らない。勘平
の刀を隠したり、励ましたり、おかるも気苦労が多い。最後は、勘平を助けるため
に、身売りまでするのだ。

鶏が鳴き、夜が明ける頃。伴内一行が、追いついて来る。「道行」の伴内(前回も今
回も團蔵)は、大序の師直の顔世御前への横恋慕のパロディとして、おかるへの横恋
慕をなぞるという二重性を秘めている。つまり、判官と顔世御前対師直という三角関
係→勘平とおかる対伴内という三角関係。歌舞伎は、こういうパロディに拠る繰り返
しを良くやる。従って、ここの伴内は、いわば、影武者として、「小型師直」を彷佛
させなければならない。

基本的には、男女の道行を邪魔立てする滑稽男・藤太(「吉野山」)、伴内の登場の
場面は、ワンパターンながら、繰り返し演じられる。江戸の庶民のお気に入りの場面
なのだろう。テキストの深刻さより、見た目の華やかさ、特に花四天のからみによる
「所作立て」(所作事のなかの立ち回り)は、何回観ても飽きない。「猫返し」(横
にトンボを切る)、「トンボ」、「四つ目」(花四天が、4人で取り囲む)など。

道行の「妨害者」伴内は、計略失敗の後、持っていた刀を鷺の長い嘴の見立てで、刀
の柄を額に付けて、上下に揺すりながら舞台下手に引っ込む。己を戯画化している。

竹本「可愛、可愛の夫婦(みょうと)連れ……」となるが、花四天たちを組ませて、
馬に見立て、それにまたがり、尚も、うるさく追いすがる伴内に勘平が、「馬鹿め」
と、河内山、あるいは、五右衛門並みの科白で、鬱を吹き飛ばす。いつもと逆に下手
から上手に向って閉まり来る引幕に押されて、最後は、自ら幕を引いて上手に引っ込
む伴内。おかる勘平は、幕外の花道引っ込みがあり、初々しい夫婦(みょうと)の道
行。

五段目以降は、夜の部。
- 2013年11月4日(月) 15:10:25
13年10月国立劇場 (「一谷嫩軍記」「春興鏡獅子」)


歌舞伎に親しんでいる人で、「一谷嫩軍記」と言えば、まず、「熊谷陣屋」を思い浮
かべる人が多い。「一谷嫩軍記」は、平家物語の世界。一の谷合戦における岡部六弥
太・平忠度と熊谷次郎直実・平敦盛の戦いをふた筋にして、より合わせた。全五段の
時代もの。並木宗輔らの合作で、1751(宝暦元)年、大坂豊竹座(人形浄瑠璃)
初演。並木宗輔が、三段目(熊谷陣屋の段)まで書いて、亡くなってしまった。四段
目以降、浅田一鳥らが、書き継いだ。息子・小次郎を身替わりにして熊谷直実が平敦
盛を救出するというフィクションを仕掛けた並木宗輔は、有為転変の世の中の無常を
「熊谷陣屋」のテーマとしたことで、「熊谷陣屋」の場面が時空を超える歌舞伎・人
形浄瑠璃の名作になった。

今回の上演は、熊谷次郎直実・平敦盛の物語。「陣門・組打」と「熊谷陣屋」の、い
わば「半通し」である。そこで、今回の劇評は、趣向を変えて、「一谷嫩軍記」の
「半通し」について、私の観劇体験に即して、まとめてみたい。

1)どの「半通し」でも、核となるのは、「熊谷陣屋」。「陣門・組打」+「熊谷陣
屋」という構成で良く観る。

「熊谷陣屋」だけをカウントすれば、私は、歌舞伎だけでも今回で17回目の拝見と
なる。例えば、私が観た直実は、今回を含め圧倒的に多いのが幸四郎で、8回。吉右
衛門(4)、仁左衛門(2)。ほかは、それぞれ1回、八十助時代の三津五郎、團十
郎、松緑(仁左衛門代役で、急遽、初役で演じた)となる。

次に、「陣門・組打」は、今回で6回目。「陣門・組打」は、詳しく書いておこう。
小次郎が平家方の陣門内に討ち込み、次に直実が討ち込み、傷ついた小次郎を救出す
る場面で直実は小次郎の代わりに敦盛を救出する。その後、小次郎が身替わりとして
扮した敦盛が白馬にまたがって、陣門から出て来る。

この場面を演じた直実:幸四郎(今回含め、4)、吉右衛門、團十郎。小次郎と敦盛
は、染五郎(今回含め、3)、梅玉、福助、藤十郎。

贅言;幸四郎に拠れば、国立劇場での「陣門・組打」の上演は、28年ぶりで、国立
で「熊谷陣屋」の直実を演じるのは、初めてという。

「陣門」は、矢来と陣門(舞台中央から上手寄り)、そして、黒幕というシンプルな
大道具。本来、この場面、観客にとっては、小次郎、敦盛が、別人となっている。
「熊谷陣屋」の場面になって、初めて、敦盛には、小次郎が化けていて、敦盛を助け
る代りに父直実の手で小次郎が殺されたという真相が明らかにされるので、観客は、
同じ役者のふた役と思っている。小次郎は、小次郎、敦盛は、敦盛で、底を割らせな
い。

一度だけ、「底を割る」演出で観たことがある。06年2月歌舞伎座の演出では、小
次郎に扮して、戦場を離脱する、本物の敦盛を芝のぶが演じ、花道七三で直実に抱き
かかえられた敦盛(芝のぶ)が、顔を見せるので、その後、敦盛に化けたのが、小次
郎(福助)だと観客に判らせる演出をとっている。こういう演出は、珍しい。兜で顔
を隠したままの小次郎(実は、吹き替え)が、陣門から救い出されるのは、いわば、
「見せない」トリックであり、そこにこそ、「陣門・組打」の隠し味があるだろう。

小次郎が扮したはずの敦盛(染五郎)が、朱色を基調とした鎧兜に身を固め、白馬に
乗り、朱色も鮮やかな母衣(幌・ほろ)を背負い、陣門から出て来る。陣門の外にい
た平山武者所(錦吾)が斬り結ぶが、相手にされない。取り残され、慌てて敦盛を追
う平山。

「組打」。須磨の浦。浪幕の舞台。花道から玉織姫(笑也)登場。薙刀を持ち、敦盛
を探している。敦盛を追い掛けていた平山が、下手奥から出て来る。横恋慕をしてい
る玉織姫に「敦盛を討った」と嘘を付く。猫なで声で、姫に迫る平山。「女房になる
か」「さあ、それは・・・」「憎い女め、思い知れ」と姫に斬りつける。上手の岩の
張りものに続く、枯草の中に倒れ込む玉織姫。背景は、浪幕の振り落としで、浪幕か
ら、海の遠見に替る。沖を行く御座船。

私が観た玉織姫は、松江時代を含め魁春(2)、病気休演中の澤村藤十郎、勘太郎時
代の勘九郎、芝雀、そして今回は笑也。憎まれ役の平山武者所は、錦吾(今回含め、
3)、亡くなった坂東吉弥、芦燕、市蔵。戦場にあっても風雅の心を忘れない小次郎
を引き立てるために、源氏方、坂東武者の「がさつさ」を表現する役回りも、平山武
者所登場の隠し味。錦吾が憎まれ役の良い味を出していた。平山武者所は、この芝居
では、実は、キーパーソンで、この人が、憎まれ役を買ってでないと芝居が成り立た
ない。

その後、敵を追い求める敦盛。花道から、白馬に跨がった敦盛が本舞台を通り、上手
に一旦入る。沖の御座船を目指すことにしたのだろう。合方は、無声映画時代から
バックミュージックとして知られるようになった「千鳥の合方」(東山三十六峰静か
に眠る丑三つ時・・・)(つまり、チャンバラの伴奏曲)。

小次郎扮する敦盛とそれを追う直実は、須磨の海に馬で乗り入れる。「浪手摺」のす
ぐ向こうの、浅瀬では、浪布をはためかせて、波荒らしを表現する。布の下に入った
人が布を上下に動かして、大波を表現している。波が、沖の御座船に向おうとする敦
盛、そして、敦盛を追う直実の行く手を阻もうとする。

鎧の背に付けた母衣(幌・ほろ)は、戦場の軍人たちの美意識を示す、飾りであり、
背中から来る流れ矢を防ぐ道具でもあるが(なぜ、ほろ=母衣という字を当てるの
か。背中を守る母親の情愛か)、中に、籠(母衣串)を入れて膨らませ、さらに5幅
ほどの長さの布を垂らしている。垂れた布が風であおられる(「浪手摺」の向こうを
進む時、母衣の端を黒衣に持たせて、はためかせる演出を見たことがある)。波風、
高し。須磨の浦。白馬と朱の母衣の敦盛。一旦、下手に引っ込んだ後、定式通りに子
役を使った「遠見」で見せる。

花道から、黒馬に乗った直実も、登場。紫の母衣を鎧の背に付けている。敦盛を追っ
て、同じ筋を辿って行く。白馬に朱の敦盛。黒馬に紫の直実。メリハリのある色彩。
歌舞伎の距離感を表現する子役の「遠見」同士での、沖の立回りの後、浅葱幕振り被
せとなる。

振り被された浅葱幕の上手側から、敦盛を乗せていた白馬が、無人で、出て来る。な
ぜ、無人? 本舞台を横切り、後ろ髪ならぬ、鬣(たてがみ)の後ろを引かれるよう
にしながら、花道から揚幕へと入って行く。敦盛、いや、小次郎の悲劇を予感させる
が、ここは、いつもの演出。筋書に載っていない馬の脚役者の根性が光る。

浅葱幕の振り落しがあり、舞台中央に朱の消し幕。熊谷と小次郎の敦盛が、せり上
がって来る。組み打ちの場面。浜辺には、紫と朱の母衣が置かれている。上手枯れ草
の前には、矢が刺さった楯と玉織り姫が持っていた薙刀が置いてある(後の伏線)。

長い立回りと我が子を殺さざるをえない父親直実の悲哀。逡巡を含めながら幸四郎は
親子の別れをたっぷり演じる。直実が、敦盛、こと小次郎に斬り掛かる。後ろに倒れ
る染五郎。後ろに控えていた黒衣が、黒い布で素早く、染五郎の顔を隠すと共に、敦
盛の切り首を幸四郎の足元に用意する。ゆっくりと後ろを向き、足元の首を取り上げ
てから、再び、ゆっくりと前を向く幸四郎。敦盛の身替わりに、実子を討った哀しみ
が、全身から、溢れている。「隠れ無き、無官の太夫敦盛」と、直実は、己に言い聞
かせるようにして、我が子・小次郎の首を持ち上げる。

上手の枯草の中から、敦盛の許婚で、瀕死の玉織姫(笑也)が、這い出して来る。直
実は、「もう、目が見えぬ」という玉織姫に、「なに、お目が見えぬとや・・・」
と、確認をした上で、(敦盛の)「お首は、ここに」と(小次郎の首を)手渡す。赤
子でも抱くように「敦盛」の首をしっかりと抱きしめながら息絶える玉織姫。

須磨の浦の沖を行く御座船と兵船は、下手から上手へゆるりと移動する。3艘の船
は、いわば、時計替り。悠久の時間の流れと対比される人間たちの卑小な争い、大河
のような歴史のなかで翻弄される人間の小ささをも示す巧みな演出。

自分が背負っていた紫の母衣の布を切り取って我が子・小次郎の首を包む父親の悲
哀。下手から、直実の黒馬が出て来る。続いて出て来た黒衣は、馬の後ろ足に重なる
ように、身を隠す。敦盛に扮して父親に殺されたた我が子・小次郎の鎧を自分の黒馬
の背に載せる。兜は、紐を手綱に結い付ける。馬の向う側で、手伝う黒衣。黒馬の顔
に自分の顔を寄せて、観客席に背を向けて、肩を揺すり、哀しみに耐える(幸四郎
は、ここで、号泣した)優しい父親。大間で、ゆっくりとした千鳥の合方が、気遣う
ように、そっと、幸四郎の背に被さって来る。

その父親は、また、豪宕な東国武者・熊谷次郎直実であることが、見えて来なければ
ならないだろう。剛直でありながら、敦盛の許婚・玉織姫と首のない敦盛という二人
の遺体を、それぞれを朱と紫の母衣にて包み込む(せめて、それぞれの母の衣に包ま
せてやりたい)という気遣いを見せる(幸四郎は、朱の母衣を消し幕替わりに染五郎
を移動させ、紫の母衣を消し幕替わりに笑也を移動させる)。

直実は、いわば、恋人同士の道行を願うかのように、矢を防ぐ楯(台本は、「仕掛け
にて流す」とあるだけ)に二人を一緒に載せて、玉織姫が遺してあった薙刀で、楯を
(上手の)海に押し流す。黙々と、そして、てきぱきと、「戦後処理」をするとい
う、実務にも長けた戦場の軍人・直実の姿が、明確に浮かんで来る。

すべてを終えた直実は、(どんちゃんの激しい打ち込みをきっかけに)、我が子・小
次郎の首をかい込み、黒馬とともに、きっとなり、舞台中央に静止する。「檀特山
(だんとくせん)の憂き別れ」。やがて、上手より、引幕が迫って来る。

2)一度だけ観た別の「半通し」は、12年3月国立劇場で、開場45周年「一谷嫩
軍記〜流しの枝(え)・熊谷陣屋」版であった。「陣門・組打」を上演せず、「流し
の枝」を上演した。もちろん、私は、初見。構成は、次の通り。序幕「堀川御所の
場」、二幕目「兎原里(うばらのさと)林住家の場」(通称「流しの枝」)、三幕目
「生田森熊谷陣屋の場」となる。このうち、序幕「堀川御所の場」は、98年ぶりの
復活。二幕目「流しの枝」は、37年ぶりの上演。

*以下、この時の劇評(配役も含めて)を再録しておこう。
序幕「堀川御所の場」では、御所の御簾が上がると、義経(三津五郎)。序幕は、義
経が軸となる。平家一門を都から追い出した義経は、金地に義経の家紋「笹竜胆」を
掲げた襖が、輝かしい堀川御所に、妻の卿の君の父親・平時忠(家橘)を呼びつけ、
平家方にあった三種の神器のうち、鏡、神璽などの二種類を持って来させていた。そ
こへ、歌人五条三位俊成の娘・菊の前(門之助)が、父俊成の使いとしてやって来
て、ある和歌を俊成が編纂する「千載和歌集」に掲載しても良いか、義経の判断を尋
ねに来る。その歌が、平家方の薩摩守忠度(ただのり)の歌だと知りながら、義経
は、是と言う。平家を裏切って、神器を盗んで来た時忠は、薩摩守忠度の歌と知って
いるだけに反対する。義経は、歌を書いた短冊を預かり、菊の前を帰す。御簾が下が
り、義経は姿を隠す。

花道より、熊谷直実(團十郎)が、黒地に家紋を染め抜いた正装姿でやって来て、義
経に出陣を促す。応対する義経の下手側横には、桜の一枝が置いてある。家臣に持っ
て来させた制札を義経は、直実に渡す。後の「熊谷陣屋」で、重要な道具となる例の
制札(弁慶が書いたという「一枝(いっし)を伐らば、一指(いっし)を剪るべし」
=「一枝伐ったら、一指切るよ」という暗号=敦盛救済を命じる文章)である。直実
は、それを持って、ある決意を胸に秘め、戦場へと向かう。舞台下手に制札を持った
直実、上手に桜の枝を持った義経。引張りの見得で、幕ということで、序幕は、伏線
の場面。

これらの場面は、次の展開へ向けてふたつのベクトルがある。ひとつは、二幕目「兎
原里林住家の場」(通称「流しの枝」)へ。もうひとつは、お馴染みの三幕目「生田
森熊谷陣屋の場」へ。

では、まず、二幕目「兎原里林住家の場」(通称「流しの枝」)。人形浄瑠璃では、
二段目の「切」。歌舞伎では、37年ぶりの上演。序幕にて、先ほど触れたような発
端のエピソードがあり、そこから物語が流れ込む。→薩摩守忠度の物語。今回は上演
されないが、時々上演され、お馴染みの「陣門・組打」は、人形浄瑠璃の二段目の
「口」で、こちらは、「熊谷陣屋の場」へと物語が流れ込む。→熊谷直実の物語。

二幕目の粗筋をざっと押さえると、次のようになる。幕が開くと、舞台中央に百姓
屋、下手に木戸。舞台下手側の遠見は、山並みと川。摂津国兎原里という田舎の風
情。竹本は、床(ちょぼ)の出語りで、御簾を上げている。泉太夫。

俊成家に奉公をし、菊の前の乳母だった林(秀調)の住家。いわば、キャリアウーマ
ンの引退後の一人暮らし。でも、気楽ではない。勘当した一人息子・太五平(たごへ
い/弥十郎)が家重代の刀を盗みに忍び込む。源平の争いの世ゆえ、戦場に赴き、ど
ちらかの首を拾って、恩賞を得ようというつもりだ。馬鹿な息子ほど可愛い、という
母情に負けて、息子を送り出す。

花道から赤姫の衣装に身を包んで、簑を付け、黒塗りの笠に杖を持ってという、旅装
の菊の前が、許婚の薩摩守忠度の消息を追って、やって来る。偶然にも、林の住家に
は、薩摩守忠度が、身を隠していた。それを知り、喜ぶ菊の前。その様子を家の奥で
見ていたのが、太五平をスカウトにきていた人足廻し茂次兵衛(三津之助)で、褒美
目当てに源氏方の大将・梶原平次景高へ「ご注進」に行く。

菊の前の来訪に、障子の間の奥から姿を見せた薩摩守忠度(團十郎)は、「縁切り
話」で応える。姫には冷たいようだが、歌道の師である俊成方が、風前の灯の運命と
なっている平家方との関係を源氏方に疑われるのを避けようという配慮だという。

遠寄せの鐘太鼓が鳴り響き、花道から梶原平次景高(市蔵)が、軍兵を連れてやって
来る。薩摩守忠度は、歌も読むが、剣も強いので、梶原や軍兵を蹴散らす。畳を外し
ての立ち回り。畳の陰で額に傷を付ける團十郎。百姓家の手水の柄杓で、傷を洗う仕
草。

そこへ、花道から源氏方の岡部六弥太忠澄(三津五郎)が現れる。背中に短冊を付け
た桜の枝を差している。義経から薩摩守忠度の歌を(平家方ゆえ)「詠み人知らず」
ながらも、「千載和歌集」に掲載すると伝えに来たのだ。義経の許可の証として、菊
の前から預かった短冊を山桜の流し枝に結びつけて、持参したのだ。歌人としての本
望成就を喜ぶ薩摩守忠度は、岡部六弥太忠澄に生け捕られるなら満足と縄にかかろう
とする。しかし、岡部六弥太忠澄は、戦場で相見えようと、薩摩守忠度が陣所に戻る
ための馬を用意する舞台下手から、引き出される馬。薩摩守忠度との別れを惜しむ菊
の前。男の友情か、武士の情けか。岡部六弥太忠澄は、薩摩守忠度の上着の右袖を切
り取り、林を介して菊の前に、形見として渡す。

こういう展開のうちに、林の住家は、木戸が運び去られ、百姓家が上手に引き込ま
れ、舞台は、下手半分は、山深い野遠見となる。舞台下手から、馬上の薩摩守忠度、
岡部六弥太忠澄、平舞台へ降りて来た菊の前、そして林と並んで、引張りの見得に
て、幕。これにて、薩摩守忠度の物語は、終わる。」

3)「半通し」のゴールは、どの上演構成も、ゆるぎない「熊谷陣屋」である。「熊
谷陣屋」は、いつもの通りの筈だが、一度だけ、いつもの通りではない「熊谷陣屋」
を観たことがある。12年3月国立劇場(開場45周年)の舞台。余り上演されない
本来の冒頭部分から上演してくれた。「入り込み」という、関係者が、次々と花道か
ら登場し、熊谷陣屋に入って行く場面が演じられた。

まず、花道から、旅装の相模一行。若党や中間を連れている。「お国元から奥様のお
こし」。木戸の内に入ると、旅装の打ち掛けをよそ行きに着替える。奥からは、堤軍
次が出て来る。木戸の外に待機していた若党らは、相模の許しが出たので下手に入
る。警備の必要な陣屋とて、木戸は、すぐ閉める。

次に、花道より、藤の方が陣屋を訪ねて来る。木戸前で、おとなう声を上げる。女の
声とて、軍次に替わって様子を見に行く相模。木戸を開けると、相手が、大内の女官
時代の恩人・藤の方と知れる。藤の方から、夫の熊谷直実が、藤の方の息子・敦盛を
殺したので、敵討に来たと聞かされ驚く相模。藤の方は木戸から入り、座敷に上が
り、上手の障子の間へと入る。熊谷直実帰宅の際に敵を討とうと隠れたのだ。

「掛かるところへ梶原平次景高」で、花道から梶原登場。平家方の敦盛の供養塔を建
てたのが、熊谷直実ではないかと疑っている。熊谷直実が帰って来たら、詮議しよう
と証人になる石屋を引き連れて来たのだ。軍次は、木戸を開けて待っている。梶原が
入っても、木戸は開けたままにされている。梶原は、軍次とともに奥へ入る。

軍兵に縄打たれて連行されて来たのが、石屋の弥陀六。弥陀六が木戸の中に連れ込ま
れると、軍兵が、やっと、木戸を閉める。ここまでの場面は、普通の上演では、省略
されている。通常の「熊谷陣屋」上演の前にこれだけの登場人物が陣屋に入っている
のである。

次から、いつもの場面で、奥の襖が開き、相模(魁春)が出て来る。やがて、花道か
ら熊谷直実(幸四郎)の登場となるだろう。

直実の「物語」、相模の「クドキ」。幸四郎の直実は、太い実線でくっきりと描き出
されるが、ゴチックの文字のような科白廻しは、もう少し抑制的になり、情味を滲ま
せてくれると、ずうっと良くなるのになあ、と思いながら聞いている。

これまで観た最高の「熊谷陣屋」は、13年4月歌舞伎座。歌舞伎座杮葺落興行の舞
台。直実を演じた吉右衛門は、肩の力を抜いて、役者吉右衛門の存在そのものが自然
に直実を作って行く。時代物の歌舞伎の演じ方という教科書のような演技ぶりだっ
た。

今回の配役。直実(幸四郎)、義経(友右衛門)、相模(魁春)、藤の方(高麗
蔵)、軍次(松江)、弥陀六(左團次)、梶原景高(錦也)、四天王(宗之助、廣太
郎、廣松、梅丸)など。花道幕外の引っ込みで、幸四郎に大向うから「日本一」と声
がかかったが、この掛け声は、「勧進帳」の弁慶だけにして欲しい(弁慶の出演回数
日本一)。


「春興鏡獅子」は、今回で、14回目の拝見。私が観たのは、勘三郎(勘九郎時代含
め、4)、勘九郎(勘太郎時代含め、3)、海老蔵(新之助時代含め、3)、菊之助
(丑之助時代含め、2)、染五郎(今回含めて、2)。やはり、勘三郎の「鏡獅子」
が、いちばん安定している。

舞台の想定は、江戸城本丸の御殿。弥生が将軍御前で踊り始める前に、観客席、実
は、将軍の御座所に向けて、きっちりと挨拶をする。視線を上に向けた後、丁寧に頭
を下げる。今回は、大向う天井桟敷の最終列真ん中に座っていたので、私は染五郎と
目が合ったような気がした。

染五郎が演じるのは、前半、女小姓弥生、後半、獅子の精。前半では、勘三郎の愛嬌
に負ける。後シテは凛々しく、動きもダイナミックで良い。向こう揚幕が引かれる
と、獅子の精が姿を見せる。花道の出、一旦本舞台近くまで来た後、後ろ向きで素早
く駆け戻る。再び、本舞台へ。「髪洗い」、「巴」、「菖蒲打」などの獅子の白く長
い毛を振り回す所作を連続して続ける。36回振っていた。

「鏡獅子」は、六代目菊五郎が、磨き上げた演目で、「まだ足りぬ 踊り踊りて あ
の世まで」という辞世を残したように、奥の深い舞踊劇だ。高麗屋に女形を演じる役
者が生まれたことは、ご同慶の至り。さらに精進して、「踊り踊りて」欲しい。亡く
なった勘三郎は、「春興鏡獅子」は、「頂点のない特別な踊り」だといっていた。

この演目で、いちばん難しいと思うのは、前半と後半の替り目となる弥生の花道の
引っ込みだろう。手に持っている獅子頭の力に引っ張られるようにグイグイ身体を
「引き吊られて」行かなければならない。獅子頭を掲げて、引っ込んでゆくというの
では、駄目だ。女性の心持ちが、見えない力で一変し、獅子のために狂う。狂うまい
とする、醒めた弥生の心も残る。意識の分離化の過程で、弥生の身体が二つにさける
寸前のようになる。そして、結局、獅子の力に負けて、女体は、実体を失い、獅子の
精に「化身」してしまう。だから、獅子の精には、女体の片鱗もないはずだ。映像で
しか観ていないが、六代目菊五郎は、獅子頭に引っ張られて行ってしまった。

前シテと後シテの間に踊る胡蝶の精は、染五郎長男の金太郎、中車長男の團子。ふた
りで並んだ時の位置は、上手に金太郎、下手に團子。ふたりの将来が愉しみ。
- 2013年10月9日(水) 13:18:24
13年10月歌舞伎座 (夜/通し狂言「義経千本桜」)


円熟の仁左衛門の「いがみの権太」


源平が争う世の中。勝者が敗者を駆逐する。時代ものの悲劇が、世話場の庶民の生活
に入り込んできて新たな悲劇を生み出す。歌舞伎狂言の「時代世話」に良くある作劇
方法だろう。「義経千本桜」のうち、「木の実」、「すし屋」のいがみの権太の家
族、両親を巻き込む悲劇は、そういう形で生まれて来る。「彼(ひ)がのこと」(時
代)が「我がこと」(世話)を愁嘆場に変えてしまう。歌舞伎では、定式化された、
つまり類型化された場面として、殺し場(殺人)、濡れ場(情事)、愁嘆場(悲
劇)、チャリ場(喜劇)などがある。いがみの権太の家族が巻き込まれた愁嘆場と
は、どういうものだろうか。

夜の部は、昼の部に比べると、空席が目立つようだ。私などは、義経千本桜の通しな
ら、先ず、第一に「いがみの権太」に再会したいと思っていた。渾名の「いがみ」と
は、「ゆがみ」、つまり、歪んだ性格から付けられた。「ゆがみ」とはなにか。一筋
縄では行かない性格。だから、ドラマチックになるのだろう。

初日に昼夜通しで観て、やはり、夜の部の魅力は、上方の型でいがみの権太を演じる
真っ当な役者仁左衛門であった。仁左衛門のいがみの権太は、まず、「木の実」の場
面から登場する。世慣れた小悪党で「置き引き」まがいの手口で、茶店に偶然居合わ
せた旅行客の小金吾一行から金をだまし取る。その手口:茶店の床几に置いた小金吾
と同じような振り分け荷物を権太がわざと取り違えて持って行く。残された荷物に違
和感を感じた小金吾が、荷物の紐をほどいてしまい、中身が違うことに気づいて、慌
てる。そこへ戻ってきた権太が、間違えて持って行ったと謝りながら、紐でしばった
ままの小金吾の荷物を返す。そこまでは、良い。その上で、権太は、自分の荷物の紐
がほどかれているのを確認した上で、自分の荷物に入れていた20両が無くなってい
ると騒ぎ出す。小金吾は、そんな馬鹿なと抗議するが、追っ手からの逃亡中の身であ
るから、若葉内侍の意向をくんで騒ぎにしたくないし、いつまでも留まっていられな
いので、泣く泣く、20両を提供せざるを得なくなる。それでいて、権太は茶店で働
く家族(妻と子)への情愛を隠さない。特に、子供への情愛は深い。そういう2面性
を「木の実」では、描き出す。

「すし屋」も家族がテーマだ。このすし屋は、勘当の身とは言え、権太の実家だか
ら、家族は、両親と未婚の妹だ。両親のうち、父親は苦手だが、母親は、甘いので騙
し易い。暫く実家に来ない間に稼業のすし屋を手伝っている男がいる。頼りなさそう
ななよなよした男だが、妹が好意を持っていると判った。さらに、その優男は「訳有
り」と判り、父親から勘当を許してもらいたいばっかりに、正体を見抜いた優男のた
めに「策略」を思いつき、それを実行した。しかし、その策略は、権太が独り勝手に
進めていたので、結局、最後には、己の命を落としてしまうことになる。なぜ、そう
なったのか。まあ、舞台を観ながら、その辺りは解きほぐした方が良いだろう。

ならば、私たちは、「四幕目・木の実、小金吾討死」と「五幕目・すし屋」を権太に
即して観ていかなければならない。今回は、仁左衛門分析を夜の部の劇評の軸とした
い。仁左衛門の「木の実」と「すし屋」を観るのは、6年ぶり、3回目。

主筋は、亡くなったと思っていた平維盛が、生きていると聞いて、妻の若葉内侍(東
蔵)が、わが子・六代君を連れて、家来の主馬小金吾(梅枝)とともに追手を逃れて
の旅をする。しかし、途中休憩した茶屋で、小金吾は、いがみの権太(仁左衛門)に
金をだまし取られた上、鎌倉方の大勢の追っ手に阻まれ、若葉内侍らを避難させるも
のの、自分は、敢え無く、討ち死にしてしまう。そして、家族の再会を果たした維盛
一家を助けるすし屋の家族たち、そのひとりが、いがみの権太というごろつきで、彼
の悪行と本心の「もどり」というのが、芝居のポイント。

女形修業中の梅枝の若衆がなかなか良い。「小金吾討死」で、大勢の追っ手に追わ
れ、梅枝の小金吾は、女形にしては、若衆の科白の口跡も良いし、切れ味の良い大立
ち回りも見せる。梅枝は、将来、父親の時蔵よりも「兼ねる役者」向きに成長するの
かもしれないと思った。これは、新たな発見で嬉しかった。

贅言;「小金吾討死」は、歌舞伎の立ち回りのなかでも、追っ手たちが投げ合う縄で
「蜘蛛の巣」を作り、小金吾をその上に乗せるなど、見た目も綺麗な群舞に近い、計
算された立ち回りとなる。「蘭平物狂」の立ち回りとともに、私の好きな立ち回りの
場面だ。東京の演出では、竹林(竹薮)と縄、さらに廻り舞台(「半廻し」を含む)
を巧く使った立ち回りだが、上方の演出は、廻り舞台などがなかった。

「木の実」のいがみの権太は、小金吾一行には、小悪党の側面しか見せない。一行が
出発してから、茶屋で働く妻と茶屋の前で遊んでいる子に放蕩父親らしからぬ親愛の
情を見せる。ただし、これは、後の場面の悲劇をより鮮明にするための伏線ともな
る。

ついで、「すし屋」の場面。弥助・実は維盛(時蔵)、お里(孝太郎)は、両方とも
持ち味を活かしていて、適役。特に、弥助・実は維盛は、「つっころばし」、「公家
の御曹司」、「武将」など重層的な品格が必要な役だ。孝太郎のお里は、初々しく
て、良い。身分と妻子持ちを隠している弥助・実は維盛への恋情が一途である。それ
でいて、町娘らしい蓮っ葉さも見せなければならない。

前の場面で討ち死にした小金吾の首を切り取り、維盛の偽首として使って維盛を助け
ようとするのは、権太の父親・弥左衛門(歌六)。この役は、私が観た歴代の役者で
は、亡くなった坂東吉弥が、良かった。

マザー・コンプレックスの権太は、何かと口煩い父の弥左衛門を敬遠して、父親の留
守を見計らって母親のお米(竹三郎)に金を工面してもらいに来る。泣き落しの戦術
は、変わらないが、江戸歌舞伎ならお茶を利用して、涙を流した風に装うが、上方歌
舞伎では、鮓桶の後ろに置いてある花瓶(押し寿司を包む竹の大葉が差してある。円
筒形の白地の瓶に山水画の焼きつけ)の水を利用して、贋の涙を流す。このほか、仁
左衛門の権太は、母親の膝に頭をつけて、甘えてみたりする。仁左衛門は「上方は情
をたっぷりと出し、こってり演じます」というが、我當の権太とも違う。仁左衛門独
自の権太だ。

弥左衛門一家が、弥助・実は維盛一家を匿っていたのでは、と梶原平三景時に詮議さ
れ困っているところへ、権太が現れ、維盛の首を撥ね若葉内侍らを捕まえてきたと、
大きな手拭で猿ぐつわをはめた若葉内侍ら(実は、権太の妻子・こせんと善太郎)維
盛一家に縄を打ち、維盛の首(実は、小金吾の首)を抱え持って、戻ってきた。維盛
一家を梶原平三景時一行に引き渡すとき、権太は、汗を拭う手拭で、隙をみて、後ろ
向きで目頭を押さえていた。維盛の首実検では、江戸歌舞伎にない、燃える松明を軍
兵が持ち出してきた。維盛の首実検の後の、若葉内侍と六代君の詮議でも、軍兵がか
ざす松明が使われた。宵闇のなかでの詮議というのが、良く判る。若葉内侍と六代君
の二人の間に立ち、脚を使って「面あげろ」という場面での演出も江戸歌舞伎には無
い、上方独特の演出だが、細かなことは省略。

褒美に梶原平三景時が権太に渡した陣羽織(後に、褒美の金を渡す証拠の品というわ
けだ)も、すぐに権太が、着込んで忠義面をするのも、おもしろい。調子の良い権太
は、「小気味のよい奴」と景時に誉められる。無事、梶原平三景時一行を騙したと
思っている権太は、花道で梶原平三景時一行を送りだすとき、「褒美の金を忘れちゃ
いけませんよ」と駄目を押しながらも、一行の姿が見えなくなると、生き別れとなっ
た妻子への思いが溢れ、涙を流す。褒美に貰った陣羽織で頭を隠し、その上から両手
で頭を抱えて、号泣する。この辺りも、仁左衛門独自の工夫で情を「たっぷり、こっ
てり」と演じる。

己の家族を犠牲にした。その見返りに勝ち取った弥助、実は維盛一家の保護。父親に
報告をし、褒めてもらおうと戻ってきた権太は、父親の弥左衛門に腹を刺されてしま
う。刺された後、「もどり」と称して、悪人が善人に戻る場面だ。己の家族の破滅を
覚悟して維盛一家を助けたという本心を明かす権太。権太はここで初めて本心を明か
すべきで、妻子との別れの節々に本心を暗示するような演出(涙を流すなど)は、す
るべきではない、という戸板康二のような主張もあるが、生き別れの最後を見送り、
父親に刺される前の涙は、不自然だとは、思わない。

死に行く権太。苦しい息のなか、「木の実」の場面で、息子の善太郎から取り上げた
呼び子(この場面の、伏線だったのだ)の笛を吹き、無事だった維盛一家を呼び寄せ
る権太。弱々しい笛の音が、権太の儚い命脈を示している。江戸歌舞伎では、母のお
米が、権太から受け取った笛を持って家の外に出て、権太の代わりに吹く。本心を明
かさなかった「いがみ」ぶりを攻める弥左衛門は、瀕死の権太を手拭で何度も叩いた
りする。息子家族を犠牲にして、生き残った弥左衛門一家の苦しみを表現する。

なぜこういう悲劇が起きてしまったのか。前半の小悪党権太に比べて、後半の「もど
り」の権太は、いわば、捌き役で、維盛一家をトラブルから救出する。ところが、こ
の場面には、もうひとりの捌き役がいた。弥左衛門である。「権太くれ」(大人に
なってもわんぱく小僧)という権太しか理解していない父親は、情報不足のママ、権
太を刺し殺すという形で、処断してしまう。父親と息子の意思疎通のまずさ。現代に
もあるだろう。「もどり」の権太の実相を知って、慌てるが、もう遅い。つまり、こ
れは、ダブルスタンダード(弥左衛門、権太)の悲劇と言える芝居なのだ。

輪袈裟と数珠が仕込まれていた陣羽織の仕掛け(「内やゆかしき、内ぞゆかしき」と
いう小野小町の歌の一部の文字で謎を解く)を見ると、鎌倉方の梶原平三景時も、こ
こでは、いつもの憎まれ役とは、一味違う役柄だと判る。知将梶原なのだ。梶原平三
景時には、権太一家の命を犠牲にしても、維盛の家族全員死亡という「伝説」を創造
する必要があった。権太の「策謀」などとっくに見抜いていた上で、維盛一家を助け
る。さらに、もうひとりの捌き役がいたというわけだ。梶原を演じた我當は、鎧の上
に陣羽織という扮装ではなく、黒い素襖と袴姿で、黒い烏帽子を被っている。髭もつ
けず、赤っ面にもしないで、知将を演じる。大向うから、「大松嶋」と声が掛かっ
た。

梶原のこうした意向や、権太の本心を知り、維盛も家族と別れて出家する。若葉内侍
も六代君をつれて、高雄の文覚上人のところへ行く。こちらも、家族は崩壊する。時
代の悲劇は、世話の愁嘆場を引き起こす。悲劇の連鎖だ。

贅言;仁左衛門の権太は、江戸歌舞伎で、いまの権太の型に洗練させた五代目幸四
郎、五代目菊五郎の型を取り入れながら、二代目実川延若らが工夫し、父・十三代目
仁左衛門らがさらに工夫を加えた上方歌舞伎の演出や人形浄瑠璃の演出をもミックス
して、仁左衛門型にしているという。今回は、松嶋屋3兄弟が出演していることで、
ぐんと上方味が増していることも記録しておきたい。


「大詰・川連法眼館」。狐忠信を菊五郎が演じる。梅玉の義経、時蔵の静御前(赤姫
の扮装)、菊五郎の佐藤忠信と狐忠信が、川連法眼館のドラマの主軸を形成する。ま
ず、本物の佐藤忠信が、義経を訪ねて来たことから、静御前の供をして来た佐藤忠信
の真偽が問題となる。真偽を質すのは、静御前の役目。義経は、静御前に小太刀を渡
す。佐藤忠信が、奥に連れて行かれた後、鼓の音に誘われて階から現れた、もう一人
の佐藤忠信に小太刀を振りかざしながら静御前は、女武道で審議をする。その結果、
静御前を護ってついて来た佐藤源九郎忠信は、源九郎狐だったことが判る。それも、
自分の両親の革で作られた初音の鼓を慕ってのことだったと判り、義経も静御前も狐
を許すことにした。動物の情愛をテーマにしたファンタジーの趣もあるし、狐と親の
革で作った鼓の関係が、義経と親の関係を象徴するという暗示もある。

源九郎狐が、正体を表わし、超能力を発揮して、屋敷のあちこちに神出鬼没の外連
(けれん)を見せるのが、眼目の芝居。澤潟屋型なら、宙乗りを含めて、外連を重点
に見せる場面展開だが、音羽屋は、親子の情味を軸に見せるので、舞台は、おとなし
い。最後も、舞台上手の桜木に仕掛けた「手斧(ちょうな)振り」という、大工道具
の「手斧」に似た道具に左腕を引っ掛けながら、初音の鼓を右手に持ち、桜の立ち木
沿いに上に舞い上がる演出を使うが、宙乗りはしない。

菊五郎の源九郎狐の主な動線。初音の鼓の音に導かれて、着物姿の狐忠信は、御殿の
階の裏から姿を現す。海老反り、高欄渡りなどを含め、静御前とやり取りした後、下
手の渡り廊下に座り込んで、正体を告白すると、廊下下に姿を消す(廊下の床板が斜
めになり、菊五郎は横になったまま滑り降りて行く)。次に、上手の金襖の中から白
無垢の狐の姿で現れ、座敷を通って、庭に出る。片膝で回転するが、10月2日に7
1歳になった菊五郎は、速くは、廻れない。やがて、下手、柴の垣根が、一部下が
り、「忍び車」(「水車」を応用した道具)に掴まって、横滑りに廻って、下手に姿
を消すが、ここも重そうだった。御殿床下から再び現れる。義経から初音の鼓を貰
い、喜びを身体いっぱい現す。超能力で、義経に企みを抱く吉野山の悪僧たち(因に
足元は、裸足)を呼び寄せ、退治するという場面の後、狐は、古巣へと戻って行く。

以上が音羽屋型の忠信。澤潟屋の忠信が、二代目猿翁から四代目猿之助に代わり、ま
た、海老蔵が二代目猿翁の指導を受けて、澤潟屋の型で上演するようになり、伝統の
音羽屋型の忠信演出は、地味になってきている。そういう若さの忠信の軽やかさを見
慣れた観客には、菊五郎の体が重そうに見える。「体力のいるたいへんな芝居」と、
菊五郎。これは、昼の部の「道行」で静御前を演じた藤十郎の際に感じた重さに通じ
るようだ。経験による円熟さと年齢的な衰えとのバランスと言い換えても良いかもし
れない重さだ。

菊五郎も菊之助時代には演じなかったが、菊五郎襲名後、1980年9月の国立劇場
で、狐忠信の初役以来、度々演じるようになったが、菊之助が、狐忠信を演じるよう
なことが将来あるのだろうか。菊之助も、菊五郎に付き合って、静御前は既に2回演
じているので、可能性はありそうだと、思うのだが…。
- 2013年10月3日(木) 14:54:41
13年10月歌舞伎座 (昼/通し狂言「義経千本桜」)


「菊・藤」のゆるりと、重厚で柔らかい「道行」


歌舞伎座再開場の杮葺落興行も、7ヶ月目。芸術祭参加の十月興行となった。初日に
覗いて来たが、空席も目立ち始めたようだ。杮葺落興行ということで観劇料のご祝儀
相場が続くだけに、歌舞伎のファン大衆には、懐具合と演目、顔ぶれとの比較考量も
必要ということだろうか。

さて、今月からは、いよいよ、歴史上の三大歌舞伎の登場となった。第1弾は、「義
経千本桜」。11月と12月は、第2弾として、「仮名手本忠臣蔵」を繰り返し上演
する。このうち、顔見世月は、菊五郎、吉右衛門、仁左衛門、時蔵などオーソドック
スに、いわば杮葺落興行としては「普通サイズ」の重厚な顔ぶれで、師走月は、幸四
郎、玉三郎に加えて、(退院見込みなのだろう)「快気祝い」の三津五郎(待ってい
ますよ!)というベテランを軸に、花形歌舞伎の面々、染五郎、海老蔵、菊之助など
という顔ぶれとなる。1月以降は、第3弾の「菅原伝授手習鑑」だろうか。3月、4
月は、福助の七代目歌右衛門襲名披露の舞台と続くことになる。

では、「義経千本桜」。昼の部は、「序幕・鳥居前」、「二幕目・渡海屋、大物
浦」、「三幕目・道行初音旅」。このうち、「序幕・鳥居前」は、11回目の拝見。
今月の舞台は、役者の世代交代を印象づける。いわば、花形歌舞伎。義経(菊之
助)、四天王(歌昇、種之助、米吉、隼人)、静御前(梅枝)、狐・忠信(松緑)、
弁慶(亀三郎)、笹目忠太(亀寿)などという顔ぶれだ。若手の舞台は、なかなか、
脇役の芸の豊かさが発揮できていない(熟成されていない)ので、幅、奥行きが乏し
い芝居になってしまう。

今回の静御前は、最初が梅枝、藤十郎を挟んで、最後が、梅枝の父親・時蔵が演じ
る。

「序幕・鳥居前」。幕が開くと、舞台は、浅黄幕が全面を覆っている。置き浄瑠璃の
後、幕の振り落とし。舞台には、義経と四天王。「鳥居前」は、女性を残して旅立つ
男たちの物語だ。兄の頼朝から「謀叛あり」と嫌疑を持たれた義経は、義経を討てと
命じられた土佐坊が、義経の住む京の堀川御所に攻め立てて来た時、騒ぎを鎮めた
かったのに忠臣武蔵坊弁慶が、土佐坊を逆に討取ってしまったので、京に留まること
ができなくなってしまった。逃避行の入らざるを得なかった義経一行は、伏見稲荷に
道中の無事を祈願するために参詣する。

そこへ、花道から、赤姫姿で、義経の愛人である静御前が、一緒に連れて行って欲し
いと追いかけてくる。しかし、鳥居前で、「女に長旅は、無理だ」と義経は、静御前
に帰るよう諭す。

武蔵坊弁慶も遅れてやってくる。義経は、お前の所為で都落ちとなったと軍扇で弁慶
を叩く。「ええ、無念、口惜しやなぁ」、叩かれて泣く弁慶。静御前が、これを取り
なしてくれたので、「以後は、きっと慎みおろう」と、弁慶は、義経一行に同行する
ことを許される。義経も、自分の形見にと初音の鼓を静御前に与えるが、片岡八郎が
「鼓の調べ緒」を使って鼓と一緒に静御前を鳥居前の梅の木に縛り付けて(調べ緒と
いう、この優雅さ)、一行は伏見稲荷の境内に入って行ってしまう。

やがて、花道から頼朝方の追っ手である笹目忠太(「道行初音旅」の逸見藤太と同じ
キャラクターなのだが、この場面で殺されるので、名前を変えている)が、花四天の
手勢を連れて現れて、静御前にセクハラ行為。さらに、故郷に帰っていた筈の義経の
家臣・佐藤忠信は、お助けマン。花四天たちを追い払う立ち回りで、静御前を救出す
る。忠太は、踏み殺されて、目が飛び出す。立ち回りの間、静御前は、舞台上手奥で
斜め左向きになり背中を見せて静止している(姿が見え無いという決まり。「道行初
音旅」でも、同じポーズとなる)。

そこへ、祈願を終えた義経一行が戻って来る。静御前を救った褒美として、忠信に
「源九郎義経」という名前を与え、「後代に残すべし」と言う。さらに着用していた
鎧を与え、静御前を都まで連れ帰って欲しいと頼む。実は、佐藤忠信は、本物の佐藤
忠信ではなく、初音の鼓の革に使われた狐夫婦の息子が、化けていた(鼓と狐の関係
は、孤独な義経の境遇の象徴である)。静御前との道行を前に、超能力で本性を覗か
せる狐忠信が、「狐六方」で引っ込むところで、「鳥居前」は、幕。花道、松緑の
引っ込みでは、「紀尾井町たっぷり」「はや(音羽屋)」などと、大向うから声がか
かる。

松緑と菊之助が軸になり、萬屋の梅枝、坂東家の音羽屋兄弟、御曹司の四天王が支え
る。杮葺落の舞台が、まるで、一気に浅草公会堂の舞台になったような気分(錯
覚?)で観ていた。人形浄瑠璃と違って、歌舞伎の荒事で描かれる狐忠信。仁王襷の
四天姿、菱皮の鬘、火焔の隈取りをした松緑も、いつもの表情が消えて見えるので、
落着いて観ていられる。口跡も良く、所作にメリハリもあった。

「二幕目・渡海屋、大物浦」。私が観るのは、10回目。「渡海屋・大物浦」は、渡
海屋の店先、渡海屋の裏手の奥座敷、大物浦の岩組と三つの場面から構成される。杮
葺落興行で、初めての三大歌舞伎の第1弾、「義経千本桜」の見せ場に登場するの
は、歌舞伎界のエース・吉右衛門の登場。ここは吉右衛門に絞って論じたい。

渡海屋銀平、実は、平知盛。捌き役の銀平は、平家の貴人・知盛に衣装も品格も、変
身するのが、見どころ。渡海屋の店先、大物浦の岩組。吉右衛門は、ふたつの場面
で、世話、時代をそれぞれ味わいたっぷりに、対象的に描く。それを繋ぐのは、
……。白・銀ずくめの衣装姿の知盛。

義経一行が、船出をして、日も暮れて来た。障子が開くと、銀烏帽子に白糸緘の鎧、
白柄の長刀(鞘も白い毛皮製)、白い毛皮の沓という白と銀のみの華麗な鎧衣装で身
を固めた銀平(銀色の平氏)、実は、知盛の登場となる。知盛は、「船弁慶」の後ジ
テ(知盛亡霊)に似た衣装を着ているので、下座音楽では、謡曲の「船弁慶」が、唄
われる。白銀に輝くばかりの歌舞伎の美学。そこへ白装束の亡霊姿の配下たち。白ず
くめの知盛一行の方が、死出の旅路に出る主従のイメージで迫って来るように見え
る。白い衣装が、韓国や日本では、「喪服」だというセンスが良く判る場面だ。

私が観た渡海屋銀平、実は、平知盛:吉右衛門(今回含め、4)、團十郎、猿之助、
仁左衛門、幸四郎、海老蔵、松緑。吉右衛門は、節目節目の所作や科白廻しにもメリ
ハリがあり、杮葺落興行に相応しく、じっくり、重厚な舞台を展開してくれた。吉右
衛門の初役は、01年4月の歌舞伎座。それ以来、12年間の本興行で5回知盛を演
じているが、私は、そのうちの4回を観たことになる。

海原を描いた道具幕(浪幕)が、振り被せとなり、舞台替り。やがて、幕を振り落と
すと、知盛の最期の見せ場となる大物浦の岩組の場へ転換となる。竹本の床の出語り
は葵太夫登場。テンポのある舞台展開が進む。

大物浦の岩組の場面では、華麗な衣装は、悲惨な衣装に替わっている。手負いとな
り、先ほどの華麗な白銀の衣装を真っ赤な血に染めて、向う揚幕の向うから、逃れて
来た知盛。隈取りをし、血にも染まっている。

上手にいた義経一行は、舞台下手に移り、上手は、死に行く知盛に敬意を表して空け
る。死に瀕した知盛は、上手から、舞台中央の岩組を這うように登って行く。入水ま
で見守る義経一行と安徳帝。知盛「昨日の仇は今日の味方、あら心安や、嬉しやな
あ」。

岩組の上で、知盛は、碇の綱を身に巻き付け、綱の結び目を3回作る。瀕死の状態に
もめげず、重そうな碇の下に頭を差し入れ、やっとのことで身体を滑り込ませて持ち
上げると、末期の力を発揮して碇を海に投げ込む。綱の長さ、海の深さを感じさせる
間の作り方。やがて、綱に引っ張られるようにして、後ろ向きのまま、ガクンと落ち
て行く、「背ギバ」と呼ばれる荒技の演技。ここは、滅びの美学。

「碇知盛」らしく、岩組から背後にそのまま倒れ込んで行く場面も、見応えがあっ
た。岩組の後ろでは、複数の水衣(みずご)姿の後見が、「背ギバ」の吉右衛門を一
所懸命に拡げたネットで支えている。面当てを外している。見間違いがあってはなら
ないからだろう。

私が観たこのほかの配役。女房お柳、実は、典侍の局:魁春(2)、芝翫(2)、雀
右衛門、宗十郎、福助、藤十郎、玉三郎。今回は、初役の芝雀。義経:梅玉(今回含
め、4)、八十助時代の三津五郎、門之助、福助、友右衛門、富十郎。松也。弁慶:
團蔵(5)、段四郎(2)、左團次(2)。今回は、歌六。相模五郎:歌六(3)、
歌昇時代含めて又五郎(今回含め、2)、先代の三津五郎、三津五郎、勘九郎時代の
勘三郎、権十郎。亀三郎。入江丹蔵:歌昇(2)、信二郎時代含めて錦之助(今回含
め、2)、松助、猿弥、三津五郎、高麗蔵、市蔵。亀寿。


「三幕目・道行初音旅」。私は18回目の拝見。年に一回観ている勘定だ(今年は、
2月に日生劇場で、福助・染五郎の「道行」を観ているので、今年だけでも、2回観
たことになる)。今回の道行は、菊五郎、藤十郎という人間国宝のペア。義経さまに
「逢いたい、逢いたい」という一途な静御前の気持ちに、菊五郎の狐忠信は、ひたす
ら寄り添う。ゆるり、ゆったり、重厚ながら、柔らかい。

今回は、花道からの静御前の登場が無い(上演時間をショートカット。「道行初音
旅」のショートカットでは、逸見藤太を登場させないやり方があるが、今回は、それ
はなかった)。幕が開くと、舞台全面を浅黄幕が覆っている。幕の振り落としになる
と、舞台中央に金絲雀色(カナリア色、クリーム色に匹敵する日本の色名は無いとい
うが)の衣装(櫛簪などは、「赤姫」のよう)に身を飾った静御前(藤十郎)がひと
りで鼓を抱えて立っている。初音の鼓を打つと、やがて、花道七三から狐忠信(菊五
郎)が、セリを使って現れ出(い)でてくる。踊りながら、本舞台へ。

菊五郎の狐忠信は、ゆるり、ゆったりという感じで、軽く頷きながら、舞台中央に佇
む静御前を背後から包み込むように近づいて来る。「弥生は雛の妹背仲/女雛男雛と
並べて置いて」。菊五郎がそおっと両手を伸ばす。雛人形に見立ててふたりでポース
を取る。「ご両人」と大向うから声が掛かる。人間国宝ふたり(◯が滲み出る。ここ
では、藤十郎。「川連法眼館」では、菊五郎)。

忠信は屋島での源平合戦の様子を仕方で演じる。「海に兵船 平家の赤旗 陸に白
旗…」。忠信の兄の継信の非業の死をふたりで悼む。

花道から現れた逸見藤太(團蔵)と花四天らと静御前・狐忠信の絡み。藤太は、赤い
陣羽織に黄色い水玉の足袋。後に、この赤い陣羽織を上下逆様にして、センターベン
ツのところに頭を入れると、花四天の持つ花槍を使って、藤太は、人形見立ての「操
り三番叟」のパロディを演じてみせる。「鳥居前」の亀寿も、團蔵を見習って、精進
をして行くだろう。

狐忠信の超能力を使って、藤太や花四天らに旅支度の用意をさせて、やがて、恋しい
義経のいる川連法眼館(「四の切」)を目指して、藤十郎の静御前と柔らかく付き従
う菊五郎の狐忠信は吉野山の山中へと分け入って行く。

若手の花形役者たちも、ベテランの役者衆の中へ分け入って、精進を重ねて行くのだ
ろう。
- 2013年10月2日(水) 17:14:23
13年09月国立劇場・人形浄瑠璃    *増補差し替え版
 (第二部/「伊賀越道中双六〜藤川新関の段から伊賀上野敵討の段」まで)


「?」を下から逆に書いたような逃亡ルート


第二部は、初見。第一部の劇評でも書いたが、敵討の逃亡者、追跡者のコースを再録
しておこう。

鎌倉(「江戸」。股五郎は犯行後、逃亡。和田行家嫡男・志津馬が追いかける)、大
和郡山(志津馬の義兄弟で剣豪の唐木政右衛門が、志津馬の助太刀となり、東海道の
どこかで、志津馬との合流を目指す)→沼津(静岡県沼津市、東海道12宿:志津馬
ら滞在、それと知らずに十兵衛、追いつく)→千本松原(静岡県沼津市から富士市
へ:平作自害、十兵衛告知)→吉原(静岡県富士市、東海道14宿)→藤川(愛知県
岡崎市、東海道37宿:先行する股五郎ら逃亡組)→岡崎(愛知県岡崎市、東海道3
8宿:志津馬、政右衛門合流。敵の後ろ姿が見えてきた。股五郎らは、東海道を離れ
る)→山越えに中仙道(愛知県から岐阜県へ。お袖が道案内)→伏見(西へ。草津で
中仙道と東海道は合流、京都:タッチの差で逃げられる)→伊賀上野(南東へ。三重
県伊賀市:追いつき、敵討成就)。股五郎らの逃亡予定コース:伊賀上野(三重県伊
賀市)→鳥羽(三重県鳥羽市。伊勢湾を挟んで対岸には、「岡崎」がある)→船で、
九州相良を目指す。敵討から逃れて、逃亡ゆえ、西へ西への後、南東へと、迂回して
いる。

「藤川新関の段 引抜き 寿柱立万歳」、通称「遠眼鏡」は、チャリ(笑劇)場。鬱
陶しい敵討物語のなかで、笑いを誘う場面。関所前の茶屋の娘・お袖。通行手形(切
手)が無いまま、関所の前で逡巡する志津馬。通りかかった沢井家の家来、飛脚の
奴・助平が、主要人物。歌舞伎からの引き写し「茶の字尽し」の奴の科白が、知られ
ている。「ちゃはちゃはと茶々入れまい。コレ茶々、茶屋のお娘。そ様の姿は一もり
で、……」。

小道具の遠眼鏡は、関所破り対策用、つまり監視望遠鏡。それをお袖の機転で、奴に
使わせ、奴の馴染みの情婦の座敷を覗き見させて、ふたりへの注意を外す。

遠眼鏡で観ているものを「引抜き」という、私は初見の演出。舞台は、街角や街の遠
見が描かれた道具幕が、振り被せとなる。遠眼鏡で覗ける光景。やがて、「寿柱立万
歳」ということで、三河万歳のふたりが、レンズの向こうに見え出す。やがて、元の
関所に戻る。奴の状箱の中身を改め、手紙(山田幸兵衛宛)を盗んだり、奴が落とし
た手形をお袖が拾ったりして、志津馬にそっと手渡す。手形を無くし前の宿場へ戻る
奴・助平。お袖の手引きで志津馬は、関所を通り、自宅がある次の宿場の岡崎へ。

暫くして、奥女中のお里帰りを装った股五郎一行が、関所前に着く。駕篭を降りた股
五郎は家来と一緒に関所を通る。続いて、股五郎の伯父で、御前試合で政右衛門に負
けた桜田林左衛門が股五郎の助太刀として関所を通る。やがて、入相の鐘。時刻とな
り、関所の門が閉められる。林左衛門の後ろ姿を見つけ、追ってきながら、飛脚の衣
装で関所に遅れてきたのが政右衛門。敵討の逃亡組と追っ手組が、関所というポイン
トですれ違う。雪が降り出す。引き道具で、場面展開。雪の竹藪へ。

「竹藪の段」。政右衛門の関所破りの場面。明日では、敵を見失うと関所破りを決意
する。大道具が下がって来る。鳴子が張り巡らせられた雪の竹藪。関所の役人(一人
遣い)が巡回しているなか、下手から現れた政右衛門が、薮のなかを抜けて来る。立
ち回り。「鈴ヶ森」もどきの演出で、幕。

「岡崎の段」は、剣豪・政右衛門の非情を強調する。雪の岡崎は、宿外れのお袖の実
家・山田家。お袖の父で政右衛門の師匠・山田幸兵衛が、「沼津」の平作同格の役回
り。お袖、志津馬が、下手から戻って来る。「相会傘」の道行き。見知らぬ若い男を
連れてきた娘を母親が咎める。室内には、十手が飾ってある。山田幸兵衛は、関所の
下役人。お袖は、去年まで鎌倉の沢井家で腰元奉公していて、股五郎が許婚なのだ
が、嫌っている。暇を取って、実家に戻っていた。美男子の志津馬に一目惚れ。ふた
りは、奥へ。志津馬は、盗んだ手紙を身分証明代わりに使い、股五郎を名乗る。股五
郎の顔を知らなかったお袖も喜ぶ。家族から歓待を受ける。

関所破りで逃げて来た政右衛門。持ってきた刀を雪の中に埋める。政右衛門と追っ手
の役人との立ち回り。関所の下役人ながら、幸兵衛は、政右衛門の急場を救う。やが
て、ふたりは、使う剣の筋から、かつての師弟だということが判明する。しかし、現
在の名前は明かさない。政右衛門は、幸兵衛に依頼されて股五郎(実は、志津馬)へ
の助勢を頼まれる。

「岡崎」のハイライト。妻のお谷が、乳飲み子を抱いて、政右衛門を探してやって来
る。行き倒れ寸前の衰えよう。乳飲み子の身元を明かす書き付けが見つかり、「政右
衛門の子」と書いてある。幸兵衛は人質になると喜ぶが、政右衛門は、乳飲み子を人
質に取るなど卑怯だと、なんと、我が子を殺してしまう。剣豪・政右衛門の非情ぶり
を強調する場面だが、我が子を殺す際の政右衛門の涙を見逃さなかった師匠の幸兵衛
に正体を見抜かれてしまう。政右衛門と贋の股五郎(志津馬)の出会いなど。すべて
を知った幸兵衛は、弟子の政右衛門と志津馬に味方することにした。弟子に対する師
匠の温情。門口から駆けつけたお谷は、夫の政右衛門に再会したものの、夫に見せた
かった我が子は、夫の手にかかり殺されてしまった。敵討成就のために生まれた家族
の悲劇がテーマ。
 
贅言;山田家の木戸(戸口)が、体よく使われる。舞台下手で、家の外(下手)と内
(上手)を区別する。効果的なのは、乳飲み子を抱いたお谷と幸兵衛夫妻とのやり取
りの場面。木戸が舞台奥に移動して片付けられ、舞台前面で、政右衛門と関所の役人
の立ち回りとなり、木戸から出てきた幸兵衛が政右衛門の急場を救う場面。

「伏見北国屋の段」は、京都・伏見の船宿(川船)「北国屋」。宿の前面は、川。上
手に舟が係留されている。「沼津」で活躍した呉服屋十兵衛が登場するが、義理の沢
井家のために、死を選ぶ。町人ながら男伊達、商いの義理を果たす場面。

「北国屋」の廊下を挟んで向かい合う部屋に、林左衛門と志津馬・瀬川(沼津のお米
から瀬川に戻る)、志津馬の家来・孫八(按摩に扮している)の一行が、互いを訝し
んでいる。志津馬一行は、一つの策略を実行する。志津馬は贋の眼病を患ったように
装っている。按摩の孫八が向いの林左衛門の部屋に請じ入れられ、林左衛門の正体を
かぎ回る。志津馬の所に飛脚が手紙を届ける。贋の手紙で、嘘の情報が書いてある
が、瀬川が読み上げる。按摩療治を受けながら林左衛門は、手紙の内容を盗み聞き、
隣の客が、志津馬一行と確信する。志津馬の眼病を診ているという医師の贅宅を林左
衛門が金で買収をし、目薬に毒を入れさせる。志津馬が苦しみ出すのを確認し、林左
衛門は、正体を顕し、隣室に斬り込む。しかし、贅宅は、実は、孫八の兄の孫六で、
全員グルだった。騙された林左衛門は、逃げる。

その逃亡を身体を張って助けるのが、呉服屋十兵衛だった。十兵衛は、義理の弟に当
たる志津馬に斬られて死ぬ。船宿の下手に係留していた舟から政右衛門が飛び出す。
瀕死の十兵衛を見守る政右衛門らに股五郎一派へ義理を果たした十兵衛は、再び、
「股五郎一行は、伊賀越えで鳥羽に抜け、船で九州相良へ落ち付く」と伝える。同じ
く義理の狭間で死を選んで亡くなった沼津の父親や、これから敵討に向う妹夫婦(瀬
川と志津馬)らを思いながら、息絶える。「沼津」同様、ここも、時代もののなかの
世話場。
 
「伊賀上野敵討の段」。浅黄幕が、舞台全面を覆っている。山台には、南都大夫ら配
役に別れた太夫が5人、三味線方1人。ここのポイントは、助太刀が主役の敵討。伊
賀を越え、鳥羽から九州相良を目指す股五郎一行の先を行き、鍵屋の辻で待ち伏せを
する。下手小幕から、政右衛門、志津馬ら4人が出てきて、待ち伏せの相談をし、上
手へ。浅黄幕の振り落しで、舞台は、伊賀上野城下口。

助太刀と敵討本懐。主人公は、唐木政右衛門。城の見える遠見。堀端にあるのが鍵屋
の辻である。舞台下手から、馬に乗った林左衛門、女乗物(駕篭)に乗った股五郎、
家来などが現れる。そこへ、志津馬らが、名乗りを上げて、敵討ちとなり、助太刀の
政右衛門は、御前試合の林左衛門を討ち取り、さらに、股五郎一行の供侍を次々に、
斬り倒して行く。最後は、股五郎と志津馬の一騎討ち。供侍たちを斬り捨てて、韋駄
天走りで戻ってきた助っ人の剣豪・政右衛門が、志津馬を励ます。「声の助太刀百人
力」。志津馬が、股五郎を討ち取り、大団円で、幕。

今回の人形浄瑠璃は、ほぼ全段に近い「通し上演」なので、原作の全体像に近づいて
いる(11月の大阪・国立文楽劇場で、今回省かれた「鶴が岡の段」も含めて、ほぼ
全段で上演する)。その結果、登場人物の関係や事件の背景、展開など戯曲全体の構
成が良く判った。股五郎らの逃亡経路は、鎌倉(「江戸」)から東海道を西に行き、
伊賀上野で幕ということではなく、岡崎宿から山越えで、中仙道に逃れ、草津で東海
道に戻り、京都の伏見から伊賀越えで伊賀上野に辿り着いたことが判った。追っ手に
有為な距離を置いていた頃は、素直に西進していたが、追っ手が身近に迫ってきたこ
とを悟ってからは、意表を突き、迷走し始め、?マークを下から逆に書くように逃げ
てきたことが判った。

立作者・近松半二の作品なので、話の筋は複雑。「時代もの」の中の「世話場」とし
て、「沼津」だけでなく、「岡崎」、「伏見」などの段が、見せ場となっていた。た
だし、「沼津」以外の場面は、歌舞伎ではほとんど演じられないし、人形浄瑠璃で
も、余り演じられない。敵討がテーマの時代ものに、家族というテーマの世話もの
が、いわば、「入れ子構造」になっている。

「沼津」だけの上演では、「家族のあり方」がテーマとなっているが、通しで見る
と、別のテーマが見えてくる。もうひとつの隠されたテーマは、「老境」ではないか
と思うようになった。通称「饅頭娘」の段では、お谷の庇護者で、それゆえに連れ合
いの唐木政右衛門の後見人である宇佐美五右衛門。「円覚寺」の段では、沢井股五郎
の実母・鳴見。「沼津」の段では、呉服屋十兵衛やお米(瀬川)の実父の平作。「岡
崎」の段では、お袖の実父で、政右衛門の剣術の師匠・山田幸兵衛らが、脇筋に情味
を加えて、話を膨らませている。

付録:岡本綺堂に「近松半二の死」という戯曲がある。作曲ができた「沼津」の件の
浄瑠璃を聞きながら、死んで行く半二の姿を描いた結末部分は、以下の通り。

この淨瑠璃を聽くあひだに、半二はをりをりに咳き入る。奥よりおきよは藥を持つて出
づれば、半二は要らないと押退けて、机に倚りかゝりながらぢつと聽いてゐる。そのう
ちに、だんだん弱つてゆくらしいので、お作とおきよは不安らしく見つめてゐると、
半二はやがて“がつくり”となりて机の上にうつ伏す。お作とおきよは驚いて半二を
かゝへ起さうとする。
薄く雨の音。小座敷の内ではそれを知らずに淨瑠璃を語りつゞけてゐる。      
      ――幕――

老境の果て、絶筆の「伊賀越道中双六」を書き上げ、初演に向けて準備している近松
半二の胸に去来したのは、老いの境地を書き残しておきたいという思いだったかもし
れないと想像しながら、芝居を観ていると、それぞれの場で老いている父母、師匠の
恩愛を滲ませようと工夫魂胆する老立作者の姿が浮び上がって見えてくるから不思議
だ。

人形遣では、文雀を観る。幸兵衛の娘・お袖は、藤川の関所の前の茶店で働く。「年
は、二八の後や先」だから当時は、かなりの年増。「まだ内証は白歯の娘」で、生
娘。鎌倉の沢井家の腰元奉公から戻ってきた。関所の下役人・山田幸兵衛の娘。沢井
股五郎の許婚だが、股五郎の顔も知らない。関所の前で知り合った美男子・和田志津
馬に一目惚れをしてしまい、志津馬の敵討行をサポートすることになる。お屋敷勤め
の「色気」を残す田舎娘。文雀の女形遣いを楽しむ。志津馬は、通しで、清十郎が扱
う。奴・助平(紋寿が休演)と山田幸兵衛は、勘十郎が、操る。今回、勘十郎は、
(第一部の)平作と幸兵衛という老人たちの老いを描く。政右衛門は、通しで、玉
女。十兵衛も、通しで、和生が担当。非情な政右衛門に翻弄される悲劇のお谷も、通
しで、和生。お谷は、方がほとんどない場面もあるということで、そこは、和生の工
夫。

太夫では、「岡崎の段」の「切」を初役で語る嶋大夫を観る。だみ声ながら、独特の
味わいを楽しむ。嶋大夫の「後」を千歳大夫が語る。
- 2013年9月17日(火) 21:50:07
13年09月国立劇場・人形浄瑠璃   *増補差し替え版
(第一部/「伊賀越道中双六〜和田行家屋敷の段から千本松原の段まで」)


通しの人形浄瑠璃「伊賀越道中双六」の愉しみ方


今回の「伊賀越道中双六」は、竹本義太夫三〇〇回忌記念として、全段通しに近い形
で上演される。国立文楽劇場(大阪)では、通しでも上演しているが、国立劇場で
は、15年ぶりの上演。ただし、「鶴ケ岡の段」は、上演されずないので、完全な通
しではない(大阪の国立文楽劇場では、開演時間を30分早めて上演)。通しのう
ち、第一部は、早々と完売という。第二部は、空席もあった。人形浄瑠璃の「沼津」
を観るのは、私は2回目だが、第二部を含めて、そのほかは、初見。歌舞伎では、こ
ういう通しは余りやらない。

原作は、近松半二らの合作で、1783(天明3)年4月、大坂竹本座(人形浄瑠
璃)で初演。歌舞伎は同年9月、大坂・中の芝居で上演。時代もの。近松半二の絶
筆、最後の作品。

史実の敵討事件を元にしている。荒木又右衛門が助太刀をして、通俗日本史で、俗に
「36人切り」と誇張されている伊賀上野鍵屋辻(かぎやつじ)の敵(かたき)討が
1634(寛永11)年、実際にあった。ベースとなる史実の敵討は、「日本三大敵
討」(1・曽我兄弟の敵討=父、2・赤穂事件、つまり「忠臣蔵」の敵討=主君。い
ずれも、歌舞伎、人形浄瑠璃になっている)の一つと言われる。渡辺静馬が荒木又右
衛門という助っ人(親戚)の剣客に助けられて敵討を果たしたことで有名になった。
「伊賀上野の敵討」を軸に、東海道を鎌倉から伊賀上野まで「双六」のように、「西
へ西へ」と旅をするので、こういう外題となった。事件から150年後の芝居。荒木
又右衛門をモデルにした「唐木政右衛門」という助っ人剣豪が主役(スーパース
ター)。何事も冷静鋭利な捌役という役柄。しかし、芝居の時代設定は、室町時代。

全十段の時代ものの芝居は、主筋は、基本的に敵討の物語で、第一部の見どころの六
段目「沼津」は、脇筋(副筋)。生き別れのままの家族が、知らず知らずに敵討の敵
と味方に分かれているという悲劇。世話場の「沼津」では、敵討ゆえ、家族間で義理
と人情の板挟みとなったという苦しみが描かれる。行方の判らなかった実の親子の出
会いと、親子の名乗りの直後の死別、その父(平作)と子(十兵衛)の情愛という場
面(世話場)があり、これが、時空を超えて、いまも、観客の胸に迫って来る。「沼
津」では、敵討の主筋の人物は、出て来ない。同じ芝居が、「通し」、「半通し」、
「みどり」(「沼津」のみの上演)と、上演形式で「テーマ」が違って来るが、それ
は第二部の劇評で触れたい。

◯今回の人形浄瑠璃の場の構成。
第一部
1)「鎌倉」:鎌倉は「江戸」と読み替えて良いだろう)
(上杉家家臣)「和田行家(ゆきえ)屋敷の段」、「円覚寺の段」。
2)「大和郡山藩」:(親戚の)「唐木政右衛門屋敷の段」、「誉田家大広間の
段」。
3)「沼津宿(東海道)」:「沼津里の段」、「平作内の段」、「千本松原の段」。
第二部
4)「藤川宿(東海道)」:「藤川新関の段 引抜き 寿柱立万歳」「竹藪の段」。
5)「岡崎宿(東海道)」:「岡崎の段」。
6)上がりの「京都(東海道、中仙道)」:「伏見北国屋の段」。
7)大団円の「伊賀上野」:「伊賀上野敵討の段」。
8)幻の「鳥羽」→「九州相良」

◯敵討の逃亡者、追跡者のコース。
鎌倉(「江戸」。股五郎は犯行後、逃亡。和田行家嫡男・志津馬が追いかける)、大
和郡山(志津馬の義兄弟で剣豪の唐木政右衛門が、志津馬の助太刀となり、東海道の
どこかで、志津馬との合流を目指す)→沼津(静岡県沼津市、東海道12宿:志津馬
ら滞在、それと知らずに十兵衛、追いつく)→千本松原(静岡県沼津市から富士市
へ:平作自害、十兵衛告知)→吉原(静岡県富士市、東海道14宿)→藤川(愛知県
岡崎市、東海道37宿:先行する股五郎ら逃亡組)→岡崎(愛知県岡崎市、東海道3
8宿:志津馬、政右衛門合流。敵の後ろ姿が見えてきた。股五郎らは、東海道を離れ
る)→山越えに中仙道(愛知県から岐阜県へ。お袖が道案内)→伏見(西へ。草津で
中仙道と東海道は合流、京都:タッチの差で逃げられる)→伊賀上野(南東へ。三重
県伊賀市:追いつき、敵討成就)。股五郎らの逃亡予定コース:伊賀上野(三重県伊
賀市)→鳥羽(三重県鳥羽市。伊勢湾を挟んで対岸には、「岡崎」がある)→船で、
九州相良を目指す。敵討から逃れて、逃亡ゆえ、西へ西への後、南東へと、迂回して
いる。

今回上演されない「鶴ケ岡の段」は、室町時代の鎌倉。上杉家の家臣で、和田行家の
息子・志津馬が、遊女の瀬川に入れあげて、身請けの金に困っている。遊び仲間で従
兄が将軍家直参の昵近衆だということを鼻にかけている沢井股五郎が、連れ出した瀬
川を身請けするための金を工面しろと志津馬を唆し、和田家家宝の「正宗」を質入れ
させる。志津馬は瀬川と夫婦気取りで、酔っぱらってしまう。

事件は、鎌倉(実質的に「江戸」)の屋敷で起こる。「和田行家屋敷の段」。上杉家
家臣・和田行家の屋敷で、行家の失脚を狙う沢井股五郎による和田行家殺しがある。
沢井股五郎は、行家を殺して、和田家の家宝の刀「正宗」を盗み出そうとするが、刀
は、よそに預けられていた。股五郎も行家に眉間に傷を付けられる。股五郎は、従兄
の城五郎のいる円覚寺に逃げ込む。

「円覚寺」の場面は、大所高所を観るのに、大事。ポイントは、以下の通り。上杉家
と昵近(じっきん)衆(将軍家の直参)との対立。股五郎の従兄・城五郎が、股五郎
を匿う。股五郎と「正宗」(刀)の交換を提案した上杉家の使者・丹右衛門を結局、
殺してしまう。贋の正宗争奪。股五郎母・鳴見の自害。股五郎逃亡の道案内・十兵衛
の参画。十兵衛には、逃亡仲間の徴として、沢井城五郎家の印籠(妙薬入り)が渡さ
れる。立ち回りの隙に、股五郎が逃亡を図る。志津馬の怪我などと情報が豊富な場
面。 

城五郎は、上杉家と対立する昵近衆のひとり。上杉家では、股五郎の母を人質に取
り、股五郎の身元引き渡しを要求する。上杉家の使者は、佐々木丹右衛門で、佐々木
丹右衛門が、「正宗」を預かっていた。一旦は、刀と老婆と交換に股五郎の身は、上
杉家に渡されるが、昵近衆の策略で、街道で奪い返される。助っ人に来た和田家嫡男
の志津馬(妻は、遊女「瀬川」、実は、「沼津」の場のお米)は、股五郎逐電の際、
股五郎に脚を斬り付けられる。志津馬の怪我は、「沼津」の伏線。志津馬が、家族や
親戚を巻き込みながら、股五郎を追い掛け、父親の敵討を果たすまでが、「伊賀越道
中双六」の主筋となる。

上演されなかった「郡山宮居の段」は、舞台代わって、大和郡山。大和郡山藩の重
臣・宇佐美五右衛門が唐木政右衛門(和田志津馬の義兄)の腕を見込んで、藩主に推
挙し、藩の剣術指南役・桜田桜田林左衛門(沢井股五郎の伯父)と御前試合を許可す
るように働きかけている。鎌倉から戻った身重のお谷(政右衛門の妻、志津馬の姉)
は、突然、政右衛門から離縁されてしまう。右衛門が怒って、政右衛門の真意を確か
めに唐木家に向う。

ここからが、通しの敵討物語の主人公となる唐木政右衛門の物語。助太刀を希望する
政右衛門の戦略が、以下、2段で描かれる。大和郡山藩に仕える「唐木政右衛門屋敷
の段」。通称「饅頭娘」というが、それは後ほど説明する。駆け落ち(不義密通で結
婚)し、親元から勘当された内縁の妻のお谷の弟・和田志津馬の敵討に助太刀するた
め、政右衛門(荒木又右衛門がモデルの剣豪)は、妻のお谷と離縁をし(封建時代な
ので、そうしないと敵討の助っ人が藩主から許可されない)、改めて、お谷の義妹
(行家の後妻の連れ子)にあたる、7歳のお後(のち)と形ばかりの再婚をし、正式
に志津馬の妹の夫という立場になって敵討のメンバーに加わるという話。

不義密通ゆえの内縁関係では、藩主から義父の敵討の許可が降りないだろうという配
慮なのだが、それが、身重な妻のお谷にも、夫婦の後見人である大和郡山藩の重臣・
宇佐美五右衛門(親代わりで、お谷を娘のように可愛がっている)にも、唐木家家臣
の石留武助にも、知らせないまま、いきなり、花嫁の御入来、そして、祝言となるか
ら関係者は、歎いたり、怒ったりする。

まあ、そこが、この芝居の趣向で、幼い花嫁は、盃の取り交わしの後に、饅頭を欲し
がり、花婿と饅頭をふたつに分け合って食べる場面がある(だから、この場面の通称
は、「饅頭娘」という)。ただし、お後は、この場面のみ登場。後段の妻は、再び、
お谷が登場する。つまり、この場面は、「女のドラマ」。

「誉田家大広間の段」では、大和郡山藩主・誉田大内記(こんだだいないき)の前
で、宇佐美五右衛門の推挙を受けた唐木政右衛門が、誉田家剣術指南番の桜田林左衛
門(沢井股五郎の伯父)との御前試合に臨む。銀地に家紋の襖。銀地に山水画の衝
立。「時代もの」らしい、武ばった場面である。

政右衛門は、ここで、わざと林左衛門に負けて、大和郡山藩から自由の身になり、志
津馬の敵討の助っ人になりやすい立場にしようと企んでいる。しかし、藩主誉田大内
記は、御前試合で、わざと負けた政右衛門を不忠者として、槍を取り出し成敗しよう
とするが、扇子だけで相手に立ち会いながら、殿に神蔭流の奥義を伝授する政右衛門
の対応に感じ入り、「望みに任せ暇をくれるぞ」と藩主は政右衛門を励まし、不動国
行という刀を餞別に渡す。政右衛門と藩主との知恵競べの場面。つまり、ここは敵討
ものがたりの背景説明。いわば、「男のドラマ」。

沼津の3つの段は、「時代もの」の中の「世話場」、「沼津」が、見せ場。敵討が
テーマの時代ものに、家族というテーマの世話ものが、いわば、「入れ子構造」に
なっている。敵討の「代理」(義理と人情)。呉服屋十兵衛と平作。銀地の襖と裃と
いう、「時代」の世界から、一転して、くだけた「世話場」で、客席を和ませる。

「沼津の里の段」では、舞台全面を覆っていた浅黄幕が振り落とされた後、いきな
り、十兵衛と平作の出会いとなる。志津馬の敵の沢井家の城五郎(股五郎の従兄)の
屋敷に出入りしている御用商人・呉服屋十兵衛(実は、幼い頃養子に出された平作の
倅)。怪我をした志津馬を介抱する、かつての吉原遊女・瀬川こと、お米(十兵衛の
妹)、それに父親・雲助の平作が、主な配役。

定式幕が開幕すると、舞台全面を被う浅黄幕。津駒大夫の語りだけが、東海道の沼津
の立(たて)場(一種のステーション=駕篭かきなどの休息所)の様子を描くが、舞
台は、浅黄幕の振り被せた状態のママ。幕の振り落としとなると、ここには、中央に
富士山と松林。下手に「ぬま津」という道標が立っている。十兵衛(首=かしらは、
源太。人形遣・和生)と荷物持の安兵衛、年寄りの人足・平作(首=かしらは、武
氏。人形遣・勘十郎)と登場人物は、極めて、シンプル。暫くは、平作と十兵衛が、
軸となって、展開する。

歌舞伎では、宿場のにぎわいを強調する。これは歌舞伎の入れ事。「沼津棒鼻」宿の
立場で、御休処、休憩する駕籠かき、身重な夫婦連れなどの旅人たち、飛脚が通る。
巡礼が通る。「道中心得」を書いた立て看板には、道連れを装って、客引きをしては
いけないとか、人を乗せた馬に荷物を積んではいけない、大酒、遊女狂い、喧嘩・口
論無用などと「立場」らしいことが、いろいろ書いてあって、歌舞伎は、かなり、東
海道の道中を活写しようという意欲が感じられる。江戸時代、東海道の旅の様子が良
く判り、私の好きな場面である。

「居処替わり」(廻り舞台を使わないで、場面展開する)の演出も、興味深い。「夜
越し(徹夜)」で、歩くという十兵衛に、平作は次の吉原まで荷物持ちをさせてくれ
と誘う。荷物を平作に頼んで、ふたりで、道中を歩み行く(ただし、闊達に歩むの
は、十兵衛だけで、天秤にした荷物を担いだ平作は、よろよろ、もたもたと歩く。荷
物も、前の部分が、十分に持ち上がらず、そのため、後ろの荷物が、極端に浮き上が
り、というバランスの悪さ)というなかで、舞台の背景のうち、松並木の松などが、
次々に下手に引っ張られる(引き道具)というだけで場面展開、こちらも、シンプ
ル。進んでいるように見える。途中で、平作が、木の根につまずき、足の親指に怪我
をしてしまう。十兵衛が、手持ちの印籠から薬を取り出し、つけてやると、たちま
ち、痛みが止まる。この薬は、後の伏線。やがて、平作の娘・お米(首=かしらは、
娘。人形遣・簑助)との出会いがある。

十兵衛は、実は、養子に出した平作の息子の平三郎ということだが、前半は、小金を
持った旅の途中の商人としがない雲助(荷物持ち)という関係で、父親は、息子と知
らずに「旦那、旦那」と持ち上げる。途中から、親子だと言うことが判っても、さら
に判明した「敵同士の関係」ということから、お互いに、親子の名乗りが出来ないま
ま、芝居が、進行する。

廻り舞台が使えない人形浄瑠璃では、背景画の書き割りが、上下手に分かれて、引き
入れられ、中央の書き割りは、舞台の上へ引き上げられて行くと、代わりに、林のな
かの一軒家が、出現をする。それが、平作住居である。「尾羽打ち枯れし松陰に、
・・・、侘びたる中の二人住み」。平作とお米の侘び住居。

「平作内の段」から「千本松原の段」。ここのポイントは、行方の判らなかった実の
親子の出会いと、親子の名乗りをした直後の死別(自害)、その父と子の情愛という
場面が続く。平作は、娘の夫・志津馬のために、敵の股五郎の居所を聞き出そうと、
己の命を懸ける。ミステリー的展開で筋が段々判って来る。

十兵衛は、平作の娘(実は、実の妹)お米に一目惚れをするが、夫(敵討の志津馬)
のある身と断られる。平作の足の怪我を直す薬(薬も扱う沢井城五郎家の印籠に入っ
ている南蛮国伝来の妙薬)を知り、夫の怪我を直したいばかりに夜中寝静まった十兵
衛の持っていた印籠(股五郎からの預かりもの)を盗もうとするお米。犯行前の思
案。遊女時代の癖が抜けないお米の懐手(右手)と左手垂れ下げのポーズは、この人
形の静止像から来ているのか(歌舞伎では、この場面のお米を木戸の外に出す型と人
形浄瑠璃同様に部屋のなかで思案する型とある)。十兵衛は、平作、お米とのやり取
りのなかで、自分たちが家族であることを知って行く。さらに印籠の沢井家の家紋か
ら、お互いが敵討の敵味方という立場も判明する。いろいろ仕掛けが続く場面。

平作の話から、薬が話題になり、知り合いからの預かりものの印籠に入っていた薬だ
が、これは、金瘡の妙薬と十兵衛も自慢。貧しい家に、美しい娘と老父。平作が語
る、養子に出した娘の兄の話も、大事な伏線。十兵衛は、幼い頃、養子に出され、生
き別れたままの父親と妹がいるからである。十兵衛は、実の父と妹に、兄だとは名乗
らないながら、心底では、予感しているようだ。そういう予感に背を押されて、娘の
勧めもあり、結局、平作宅に泊まることになった十兵衛。二人住まいゆえ、布団が2
組しかない。同じ部屋の上手を客に譲り、布団を敷き、衝立を立てて寝かせる。「ゆ
るりと、縮(ちぢ)かまつて御寝(ぎょし)なりませ」。自分は、下手の台所にと、
分かれて寝る平作。人形を横に寝かせて、舞台に座り込む人形遣たち。平作は油紙を
布団代わりに、木槌を枕代わりにして寝る。「追風(おいて)持て来る鐘の声、いと
しんしんと、聞こえける」で、寒々しい雰囲気が伝わって来る。

仏壇の火も消えたのを幸いと、夜中に十兵衛の寝床に近づくお米。お米は、足の指の
怪我をした父親に男が使ってくれた「金瘡の妙薬」の入った印籠を、敵に逃げられ、
深手を負った傷の養生が芳しくない夫のために、盗もうとする。暗闇のなか、印籠を
盗むが、衝立を倒してしまい、目覚めた十兵衛に捕まえられてしまう。

金ではなく、なぜ、薬を盗もうとするのか。盗みをした訳を「クドキ」で語るお米。
「我が身の瀬川に身を投げてと」とあり、お米が、江戸の遊郭・吉原で、全盛を誇っ
たこともある松葉屋の遊女・瀬川と知れると同時に、十兵衛は、互いが、敵味方に分
かれていることが自覚する。暫くは、お米を軸に舞台は展開する。さらに、平作親子
とのやりとりで、ふたりが自分の実の父と妹と知る十兵衛。ある決意をして、羽織を
着込み、威儀を正す十兵衛。3人遣いの人形遣に加えて、遊軍的に動いていた黒衣の
人形遣と4人で、十兵衛に羽織を着せる。

生き別れていた家族へとの思いを込めて、「石塔寄進」と称して30両の金と親子の
証拠(臍の緒書きの入ったお守り)を置いて、十兵衛は、名乗りも上げずに、黙って
旅立つ。部屋に落ちていた(十兵衛が意図的に置いて行った)印籠や残されたお守り
を見つけ、実の息子、実の兄の気持ちを知る父と妹。その上、ふたりは、この印籠の
家紋が、実は、お米が、夫の父親の敵と狙う沢井家のと同じだと気がつく。慌てて、
追いかけるふたり。まずは、平作。きのうのへたった歩き方ではなく、ダイナミック
な足運びで、我が息子の後を追う。お米は、駆けつけた夫の家来(池添孫八。ここで
は唐突な出だが、「伏見」でも登場する)とともに、十兵衛、平作の後を追う。

「千本松原の段」。下手より、十兵衛が現れ、追って、平作も登場。さらに、遅れ
て、お米と池添孫八のふたり連れ。夜更けの千本松原ゆえに、気づかれないまま、後
から来たふたりは、ぐるっと、舞台を奥へ廻って、下手の草むらの後ろに隠れ、舞台
中央の平作と十兵衛のやり取りを見守る形が、整う。ここからは、平作と十兵衛が軸
になる。更に、後半は、平作が中心となる筋運び。

十兵衛は、そういう命を懸けた平作の行為に父親の娘への情愛を悟り(自分の妹への
情愛も自覚し)、将軍直参の沢井城五郎に出入りする御用商人でありながら、薮陰に
いる妹のお米らにも聞こえるように股五郎の行く先を教える。死に行く父親に笠(雨
が降っている)を差しかけながら息子は、きっぱりと言う。「落ち付く先は、九州相
良、九州相良」。第二部で、十兵衛は、町人ながら、この落し前を付けるために、己
の命を投げ出すことになる。

双方とも、いちばんしたい親子の名乗りは、しないけれど、まず、平作は、娘のため
に印籠の持ち主(つまり、娘の夫の父親の敵)を教えてほしいと頼み込む。知り合い
(父娘にとっては、敵)への義理(数年間の出入り商人としての実績)があり、自分
が、知り合いを逃がす手助けをしたこともあって、言えないという十兵衛。

「お前様は恐ろしい、発明なお人ぢゃの」と言いながら、実の息子の隙を見て、十兵
衛の腰から脇差を抜き取り、自分の腹に差す平作。命がけで敵の居所を知ろうとする
父親。「未来の土産」「一生の別れ、一生のお頼み」と、苦しい息の下から息子に頼
み込む平作。歌舞伎なら、「チンチン、ベンベン」という三味線の繰り返しの音が、
緊迫感をあおり立てるが、人形浄瑠璃では、三味線方の胡弓が哀切に演奏される。

最後は、親子の情愛が勝り、「親子一世の逢い初めの、逢ひ納め」で、親子の名乗
り。「親父様(さん)、親父様、平三郎でございます。幼い時別れた平三郎。段々の
不幸の罪、お赦されて下さりませ」。「アア、兄かい、平三かい、エエ、顔が見た
い、顔が見たいわい」。父は死に、兄は渡世の義理を裏切り、妹は兄に詫びる。それ
を聞き、下手の草むらのなかながら、名乗り合う親子の顔を互いに一目見せようと、
お米に付き従っていた池添孫八が、己の脇差に火打石を打ち付けて、一瞬の閃光で、
親子の顔を見合わせさせる。まさに、クライマックス。父は死に、兄は知人を裏切
り、妹は、兄の真情に詫びるうちに、幕。「七十になって雲助が、こに叶わぬ重荷を
持」ったが故に、別れ別れだった親子の名乗り。古風な人情噺の大団円。ここは、運
命に翻弄される「家族のドラマ」。

「千本松原の段」への転換。人形浄瑠璃では、平作住居の大道具は、上手と下手と中
央とに分かれて、上手と下手は、真ん中を軸に、左右に裏返され、中央は、上下に裏
返され、ということで、居処の早替わり。さらに、上手に松の立ち木が引き出され、
下手に左、「ぬま津」、右、「よ志はら」と書かれた道標が一本、引き出され、松林
の街道。中央上手に、松の木が一本。

十兵衛は、そういう命を懸けた平作(父)の行為に娘(妹)への情愛を悟り、敵の側
と商取引がある身でありながら、兄は、草むらにいる妹にも聞こえるように敵の居所
を教える。父の冥土の餞別(はなむけ)にと、十兵衛は、声を張り上げる。「股五郎
が落ち付く先は、九州相良、九州相良」。九州相良は、老舗の藩。山深い渓谷の地。
これで、親子は、敵味方の関係を乗り越える。上手寄り一本の松の木を抱き柱にし
て、哀しみに耐える十兵衛は、ここでは息子・平三郎をむき出しにしている。

人形遣では、簑助を観る。平作の娘・お米は、江戸吉原の「瀬川」という遊女出身。
雛には稀な「色気」。だから、十兵衛も妹と知らずに一目惚れ。滲む官能と元遊女ら
しい仕草が必要。簑助が、静止ポーズでも、人形を生きているように扱う。十兵衛は
実事師で、真面目。こちらは、和生が担当。平作は、勘十郎が、足腰に老いを感じさ
せて、好演。吉田玉男が得意とした政右衛門は、弟子の玉女が操る。政右衛門の鬢の
形が独特という(? 第二部の「竹藪の段」の飛脚姿の時の、菱皮鬢のことか)。

太夫では、住大夫を観る。時代ものの科白は、歌舞伎では、武ばって、重々しい。人
形浄瑠璃では、「切」を語ったのが、人間国宝の住大夫。住大夫は、病後の後遺症
が、右手に残っているようだが、それほど気にならない。声も、科白廻しも、以前と
同じように聞こえる。芸熱心でリハビリも克服したのだろう。人の噂と言いながら、
「股五郎が落ち付く先は、九州相良、九州相良」と伝える辺りは、情味もある。「円
覚寺の段」の「中」担当の相子大夫が休演で、靖大夫が、代役。今回は、語りの冒頭
に顔を出さ無いままの、床の語りが何回かあり、大夫の独り語り、配役別の語りなど
と、バラエティに富んでいたように思う。三味線方は、鶴澤清公が、「千本松原の
段」の瀕死の平作の科白に合わせて、胡弓を演奏していた。

贅言:九州の相良家は、戦国時代以降明治維新まで代わらずに続いた珍しい藩の一
つ。いわば、老舗の藩。そういう藩は、3藩しかない。関ヶ原の戦いでは、相良家・
寝返り(豊臣→徳川)、九州南端の島津家・徳川に恭順、関東の相馬家・中立=鎌
倉・戦国時代から明治維新まで800年続いたのは、この3家だけという。
- 2013年9月17日(火) 21:46:56
13年09月国立劇場・人形浄瑠璃 (第二部/「伊賀越道中双六〜藤川新関の段か
ら伊賀上野敵討の段」まで)


「?」を下から逆に書いたような逃亡ルート


第二部は、初見。第一部の劇評でも書いたが、敵討の逃亡者、追跡者のコースを再録
しておこう。

鎌倉(「江戸」。股五郎は犯行後、逃亡。和田行家嫡男・志津馬が追いかける)、大
和郡山(志津馬の義兄弟で剣豪の唐木政右衛門が、志津馬の助太刀となり、東海道の
どこかで、志津馬との合流を目指す)→沼津(静岡県沼津市、東海道12宿:志津馬
ら滞在、それと知らずに十兵衛、追いつく)→千本松原(静岡県沼津市から富士市
へ:平作自害、十兵衛告知)→吉原(静岡県富士市、東海道14宿)→藤川(愛知県
岡崎市、東海道37宿:先行する股五郎ら逃亡組)→岡崎(愛知県岡崎市、東海道3
8宿:志津馬、政右衛門合流。敵の後ろ姿が見えてきた。股五郎らは、東海道を離れ
る)→山越えに中仙道(愛知県から岐阜県へ。お袖が道案内)→伏見(西へ。草津で
中仙道と東海道は合流、京都:タッチの差で逃げられる)→伊賀上野(南東へ。三重
県伊賀市:追いつき、敵討成就)。股五郎らの逃亡予定コース:伊賀上野(三重県伊
賀市)→鳥羽(三重県鳥羽市。伊勢湾を挟んで対岸には、「岡崎」がある)→船で、
九州相良を目指す。敵討から逃れて、逃亡ゆえ、西へ西への後、南東へと、迂回して
いる。

「藤川新関の段 引抜き 寿柱立万歳」、通称「遠眼鏡」は、チャリ(笑劇)場。鬱
陶しい敵討物語のなかで、笑いを誘う場面。関所前の茶屋の娘・お袖。通行手形(切
手)が無いまま、関所の前で逡巡する志津馬。通りかかった沢井家の家来、飛脚の
奴・助平が、主要人物。歌舞伎からの引き写し「茶の字尽し」の奴の科白が、知られ
ている。「ちゃはちゃはと茶々入れまい。コレ茶々、茶屋のお娘。そ様の姿は一もり
で、……」。

小道具の遠眼鏡は、関所破り対策用、つまり監視望遠鏡。それをお袖の機転で、奴に
使わせ、奴の馴染みの情婦の座敷を覗き見させて、ふたりへの注意を外す。

遠眼鏡で観ているものを「引抜き」という、私は初見の演出。舞台は、街角や街の遠
見が描かれた道具幕が、振り被せとなる。遠眼鏡で覗ける光景。やがて、「寿柱立万
歳」ということで、三河万歳のふたりが、レンズの向こうに見え出す。やがて、元の
関所に戻る。奴の状箱の中身を改め、手紙(山田幸兵衛宛)を盗んだり、奴が落とし
た手形をお袖が拾ったりして、志津馬にそっと手渡す。手形を無くし前の宿場へ戻る
奴・助平。お袖の手引きで志津馬は、関所を通り、自宅がある次の宿場の岡崎へ。

暫くして、奥女中のお里帰りを装った股五郎一行が、関所前に着く。駕篭を降りた股
五郎は家来と一緒に関所を通る。続いて、股五郎の伯父で、御前試合で政右衛門に負
けた桜田林左衛門が股五郎の助太刀として関所を通る。やがて、入相の鐘。時刻とな
り、関所の門が閉められる。林左衛門の後ろ姿を見つけ、追ってきながら、飛脚の衣
装で関所に遅れてきたのが政右衛門。敵討の逃亡組と追っ手組が、関所というポイン
トですれ違う。雪が降り出す。引き道具で、場面展開。雪の竹藪へ。

「竹藪の段」。政右衛門の関所破りの場面。明日では、敵を見失うと関所破りを決意
する。大道具が下がって来る。鳴子が張り巡らせられた雪の竹藪。関所の役人(一人
遣い)が巡回しているなか、下手から現れた政右衛門が、薮のなかを抜けて来る。立
ち回り。「鈴ヶ森」もどきの演出で、幕。

「岡崎の段」は、剣豪・政右衛門の非情を強調する。雪の岡崎は、宿外れのお袖の実
家・山田家。お袖の父で政右衛門の師匠・山田幸兵衛が、「沼津」の平作同格の役回
り。お袖、志津馬が、下手から戻って来る。「相会傘」の道行き。見知らぬ若い男を
連れてきた娘を母親が咎める。室内には、十手が飾ってある。山田幸兵衛は、関所の
下役人。お袖は、去年まで鎌倉の沢井家で腰元奉公していて、股五郎が許婚なのだ
が、嫌っている。暇を取って、実家に戻っていた。美男子の志津馬に一目惚れ。ふた
りは、奥へ。志津馬は、盗んだ手紙を身分証明代わりに使い、股五郎を名乗る。股五
郎の顔を知らなかったお袖も喜ぶ。家族から歓待を受ける。

関所破りで逃げて来た政右衛門。持ってきた刀を雪の中に埋める。政右衛門と追っ手
の役人との立ち回り。関所の下役人ながら、幸兵衛は、政右衛門の急場を救う。やが
て、ふたりは、使う剣の筋から、かつての師弟だということが判明する。しかし、現
在の名前は明かさない。政右衛門は、幸兵衛に依頼されて股五郎(実は、志津馬)へ
の助勢を頼まれる。

「岡崎」のハイライト。妻のお谷が、乳飲み子を抱いて、政右衛門を探してやって来
る。行き倒れ寸前の衰えよう。乳飲み子の身元を明かす書き付けが見つかり、「政右
衛門の子」と書いてある。幸兵衛は人質になると喜ぶが、政右衛門は、乳飲み子を人
質に取るなど卑怯だと、なんと、我が子を殺してしまう。剣豪・政右衛門の非情ぶり
を強調する場面だが、我が子を殺す際の政右衛門の涙を見逃さなかった師匠の幸兵衛
に正体を見抜かれてしまう。政右衛門と贋の股五郎(志津馬)の出会いなど。すべて
を知った幸兵衛は、弟子の政右衛門と志津馬に味方することにした。弟子に対する師
匠の温情。門口から駆けつけたお谷は、夫の政右衛門に再会したものの、夫に見せた
かった我が子は、夫の手にかかり殺されてしまった。敵討成就のために生まれた家族
の悲劇がテーマ。
 
贅言;山田家の木戸(戸口)が、体よく使われる。舞台下手で、家の外(下手)と内
(上手)を区別する。効果的なのは、乳飲み子を抱いたお谷と幸兵衛夫妻とのやり取
りの場面。木戸が舞台奥に移動して片付けられ、舞台前面で、政右衛門と関所の役人
の立ち回りとなり、木戸から出てきた幸兵衛が政右衛門の急場を救う場面。

「伏見北国屋の段」は、京都・伏見の船宿(川船)「北国屋」。宿の前面は、川。上
手に舟が係留されている。「沼津」で活躍した呉服屋十兵衛が登場するが、義理の沢
井家のために、死を選ぶ。町人ながら男伊達、商いの義理を果たす場面。

「北国屋」の廊下を挟んで向かい合う部屋に、林左衛門と志津馬・瀬川(沼津のお米
から瀬川に戻る)、志津馬の家来・孫八(按摩に扮している)の一行が、互いを訝し
んでいる。志津馬一行は、一つの策略を実行する。志津馬は贋の眼病を患ったように
装っている。按摩の孫八が向いの林左衛門の部屋に請じ入れられ、林左衛門の正体を
かぎ回る。志津馬の所に飛脚が手紙を届ける。贋の手紙で、嘘の情報が書いてある
が、瀬川が読み上げる。按摩療治を受けながら林左衛門は、手紙の内容を盗み聞き、
隣の客が、志津馬一行と確信する。志津馬の眼病を診ているという医師の贅宅を林左
衛門が金で買収をし、目薬に毒を入れさせる。志津馬が苦しみ出すのを確認し、林左
衛門は、正体を顕し、隣室に斬り込む。しかし、贅宅は、実は、孫八の兄の孫六で、
全員グルだった。騙された林左衛門は、逃げる。

その逃亡を身体を張って助けるのが、呉服屋十兵衛だった。十兵衛は、義理の弟に当
たる志津馬に斬られて死ぬ。船宿の下手に係留していた舟から政右衛門が飛び出す。
瀕死の十兵衛を見守る政右衛門らに股五郎一派へ義理を果たした十兵衛は、再び、
「股五郎一行は、伊賀越えで鳥羽に抜け、船で九州相良へ落ち付く」と伝える。同じ
く義理の狭間で死を選んで亡くなった沼津の父親や、これから敵討に向う妹夫婦(瀬
川と志津馬)らを思いながら、息絶える。「沼津」同様、ここも、時代もののなかの
世話場。
 
「伊賀上野敵討の段」。浅黄幕が、舞台全面を覆っている。山台には、南都大夫ら配
役に別れた太夫が5人、三味線方1人。ここのポイントは、助太刀が主役の敵討。伊
賀を越え、鳥羽から九州相良を目指す股五郎一行の先を行き、鍵屋の辻で待ち伏せを
する。下手小幕から、政右衛門、志津馬ら4人が出てきて、待ち伏せの相談をし、上
手へ。浅黄幕の振り落しで、舞台は、伊賀上野城下口。

助太刀と敵討本懐。主人公は、唐木政右衛門。城の見える遠見。堀端にあるのが鍵屋
の辻である。舞台下手から、馬に乗った林左衛門、女乗物(駕篭)に乗った股五郎、
家来などが現れる。そこへ、志津馬らが、名乗りを上げて、敵討ちとなり、助太刀の
政右衛門は、御前試合の林左衛門を討ち取り、さらに、股五郎一行の供侍を次々に、
斬り倒して行く。最後は、股五郎と志津馬の一騎討ち。供侍たちを斬り捨てて、韋駄
天走りで戻ってきた助っ人の剣豪・政右衛門が、志津馬を励ます。「声の助太刀百人
力」。志津馬が、股五郎を討ち取り、大団円で、幕。

今回の人形浄瑠璃は、ほぼ全段に近い「通し上演」なので、原作の全体像に近づいて
いる(11月の大阪・国立文楽劇場で、今回省かれた「鶴が岡の段」も含めて、全段
上演する)。その結果、登場人物の関係や事件の背景、展開など戯曲全体の構成が良
く判った。股五郎らの逃亡経路は、鎌倉(「江戸」)から東海道を西に行き、伊賀上
野で幕ということではなく、岡崎宿から山越えで、中仙道に逃れ、草津で東海道に戻
り、京都の伏見から伊賀越えで伊賀上野に辿り着いたことが判った。追っ手に有為な
距離を置いていた頃は、素直に西進していたが、追っ手が身近に迫ってきたことを
悟ってからは、意表を突き、迷走し始め、?マークを下から逆に書くように逃げてき
たことが判った。

立作者・近松半二の作品なので、話の筋は複雑。「時代もの」の中の「世話場」とし
て、「沼津」だけでなく、「岡崎」、「伏見」などの段が、見せ場となっていた。た
だし、「沼津」以外の場面は、歌舞伎ではほとんど演じられないし、人形浄瑠璃で
も、余り演じられない。敵討がテーマの時代ものに、家族というテーマの世話もの
が、いわば、「入れ子構造」になっている。

「沼津」だけの上演では、「家族のあり方」がテーマとなっているが、通しで見る
と、別のテーマが見えてくる。もうひとつの隠されたテーマは、「老境」ではないか
と思うようになった。通称「饅頭娘」の段では、お谷の庇護者で、それゆえに連れ合
いの唐木政右衛門の後見人である宇佐美五右衛門。「円覚寺」の段では、沢井股五郎
の実母・鳴見。「沼津」の段では、呉服屋十兵衛やお米(瀬川)の実父の平作。「岡
崎」の段では、お袖の実父で、政右衛門の剣術の師匠・山田幸兵衛らが、脇筋に情味
を加えて、話を膨らませている。

付録:岡本綺堂に「近松半二の死」という戯曲がある。作曲ができた「沼津」の件の
浄瑠璃を聞きながら、死んで行く半二の姿を描いた結末部分は、以下の通り。

この淨瑠璃を聽くあひだに、半二はをりをりに咳き入る。奥よりおきよは藥を持つて出
づれば、半二は要らないと押退けて、机に倚りかゝりながらぢつと聽いてゐる。そのう
ちに、だんだん弱つてゆくらしいので、お作とおきよは不安らしく見つめてゐると、
半二はやがて“がつくり”となりて机の上にうつ伏す。お作とおきよは驚いて半二を
かゝへ起さうとする。
薄く雨の音。小座敷の内ではそれを知らずに淨瑠璃を語りつゞけてゐる。      
      ――幕――

老境の果て、絶筆の「伊賀越道中双六」を書き上げ、初演に向けて準備している近松
半二の胸に去来したのは、老いの境地を書き残しておきたいという思いだったかもし
れないと想像しながら、芝居を観ていると、それぞれの場で老いている父母、師匠の
恩愛を滲ませようと工夫魂胆する老立作者の姿が浮び上がって見えてくるから不思議
だ。

人形遣では、文雀を観る。幸兵衛の娘・お袖は、藤川の関所の前の茶店で働く。「年
は、二八の後や先」だから当時は、かなりの年増。「まだ内証は白歯の娘」で、生
娘。鎌倉の沢井家の腰元奉公から戻ってきた。関所の下役人・山田幸兵衛の娘。沢井
股五郎の許婚だが、股五郎の顔も知らない。関所の前で知り合った美男子・和田志津
馬に一目惚れをしてしまい、志津馬の敵討行をサポートすることになる。お屋敷勤め
の「色気」を残す田舎娘。文雀の女形遣いを楽しむ。志津馬は、通しで、清十郎が扱
う。奴・助平(紋寿が休演)と山田幸兵衛平は、勘十郎が、操る。今回、勘十郎は、
老人たちの老いを描く。政右衛門は、通しで、玉女。十兵衛も、通しで、和生が担
当。

太夫では、「岡崎の段」の「切」を語る嶋大夫を観る。だみ声ながら、独特の味わい
を楽しむ。嶋大夫の「後」を千歳大夫が語る。
- 2013年9月16日(月) 16:56:44
13年09月国立劇場・人形浄瑠璃 (第一部/「伊賀越道中双六〜和田行家屋敷の
段から千本松原の段まで」)


通しの人形浄瑠璃「伊賀越道中双六」の愉しみ方


今回の「伊賀越道中双六」は、竹本義太夫三〇〇回忌記念として、全段通しに近い形
で上演される。国立文楽劇場(大阪)では、通しでも上演しているようだが、国立劇
場では、久しぶりの上演。筋書にその辺りの記録が載っていないので、何年ぶりの通
しかは不詳。通しのうち、第一部は、早々と完売という。第二部は、空席もあった。
人形浄瑠璃の「沼津」を観るのは、私は2回目だが、第二部を含めて、そのほかは、
初見。歌舞伎では、こういう通しは余りやらない。

原作は、近松半二らの合作で、1783(天明3)年4月、大坂竹本座(人形浄瑠
璃)で初演。歌舞伎は同年9月、大坂・中の芝居で上演。時代もの。近松半二の絶
筆、最後の作品。

史実の敵討事件を元にしている。荒木又右衛門が助太刀をして、通俗日本史で、俗に
「36人切り」と誇張されている伊賀上野鍵屋辻(かぎやつじ)の敵(かたき)討が
1634(寛永11)年、実際にあった。ベースとなる史実の敵討は、「日本三大敵
討」(1・曽我兄弟の敵討=父、2・赤穂事件、つまり「忠臣蔵」の敵討=主君。い
ずれも、歌舞伎、人形浄瑠璃になっている)の一つと言われる。渡辺静馬が荒木又右
衛門という助っ人(親戚)の剣客に助けられて敵討を果たしたことで有名になった。
「伊賀上野の敵討」を軸に、東海道を鎌倉から伊賀上野まで「双六」のように、「西
へ西へ」と旅をするので、こういう外題となった。事件から150年後の芝居。荒木
又右衛門をモデルにした「唐木政右衛門」という助っ人剣豪が主役(スーパース
ター)。何事も冷静鋭利な捌役という役柄。しかし、芝居の時代設定は、室町時代。

全十段の時代ものの芝居は、主筋は、基本的に敵討の物語で、第一部の見どころの六
段目「沼津」は、脇筋(副筋)。生き別れのままの家族が、知らず知らずに敵討の敵
と味方に分かれているという悲劇。世話場の「沼津」では、敵討ゆえ、家族間で義理
と人情の板挟みとなったという苦しみが描かれる。行方の判らなかった実の親子の出
会いと、親子の名乗りの直後の死別、その父(平作)と子(十兵衛)の情愛という場
面(世話場)があり、これが、時空を超えて、いまも、観客の胸に迫って来る。「沼
津」では、敵討の主筋の人物は、出て来ない。同じ芝居が、「通し」、「半通し」、
「みどり」(「沼津」のみの上演)と、上演形式で「テーマ」が違って来るが、それ
は第二部の劇評で触れたい。

◯今回の人形浄瑠璃の場の構成。
第一部
1)「鎌倉」:鎌倉は「江戸」と読み替えて良いだろう)
(上杉家家臣)「和田行家(ゆきえ)屋敷の段」、「円覚寺の段」。
2)「大和郡山藩」:(親戚の)「唐木政右衛門屋敷の段」、「誉田家大広間の
段」。
3)「沼津宿(東海道)」:「沼津里の段」、「平作内の段」、「千本松原の段」。
第二部
4)「藤川宿(東海道)」:「藤川新関の段 引抜き 寿柱立万歳」「竹藪の段」。
5)「岡崎宿(東海道)」:「岡崎の段」。
6)上がりの「京都(東海道、中仙道)」:「伏見北国屋の段」。
7)大団円の「伊賀上野」:「伊賀上野敵討の段」。
8)幻の「鳥羽」→「九州相良」

◯敵討の逃亡者、追跡者のコース。
鎌倉(「江戸」。股五郎は犯行後、逃亡。和田行家嫡男・志津馬が追いかける)、大
和郡山(志津馬の義兄弟で剣豪の唐木政右衛門が、志津馬の助太刀となり、東海道の
どこかで、志津馬との合流を目指す)→沼津(静岡県沼津市、東海道12宿:志津馬
ら滞在、それと知らずに十兵衛、追いつく)→千本松原(静岡県沼津市から富士市
へ:平作自害、十兵衛告知)→吉原(静岡県富士市、東海道14宿)→藤川(愛知県
岡崎市、東海道37宿:先行する股五郎ら逃亡組)→岡崎(愛知県岡崎市、東海道3
8宿:志津馬、政右衛門合流。敵の後ろ姿が見えてきた。股五郎らは、東海道を離れ
る)→山越えに中仙道(愛知県から岐阜県へ。お袖が道案内)→伏見(西へ。草津で
中仙道と東海道は合流、京都:タッチの差で逃げられる)→伊賀上野(南東へ。三重
県伊賀市:追いつき、敵討成就)。股五郎らの逃亡予定コース:伊賀上野(三重県伊
賀市)→鳥羽(三重県鳥羽市。伊勢湾を挟んで対岸には、「岡崎」がある)→船で、
九州相良を目指す。敵討から逃れて、逃亡ゆえ、西へ西への後、南東へと、迂回して
いる。

事件は、鎌倉(実質的に「江戸」)の屋敷で起こる。上杉家家臣・和田行家の屋敷
で、行家の失脚を狙う沢井股五郎による和田行家殺しがある。沢井股五郎は、行家を
殺して、和田家の家宝の刀「正宗」を盗み出そうとするが、刀は、よそに預けられて
いた。股五郎も行家に眉間に傷を付けられる。股五郎は、従兄の城五郎のいる円覚寺
に逃げ込む。

「円覚寺」の場面は、大所高所を観るのに、大事。ポイントは、以下の通り。上杉家
と昵近(じっきん)衆(将軍家の直参)との対立。股五郎の従兄・城五郎が、股五郎
を匿う。股五郎と「正宗」(刀)の交換を提案した上杉家の使者・丹右衛門を結局、
殺してしまう。贋の正宗争奪。股五郎母・鳴見の自害。股五郎逃亡の道案内・十兵衛
の参画。十兵衛には、逃亡仲間の徴として、沢井城五郎家の印籠(妙薬入り)が渡さ
れる。立ち回りの隙に、股五郎が逃亡を図る。志津馬の怪我などと情報が豊富な場
面。 

城五郎は、上杉家と対立する昵近衆のひとり。上杉家では、股五郎の母を人質に取
り、股五郎の身元引き渡しを要求する。上杉家の使者は、佐々木丹右衛門で、佐々木
丹右衛門が、「正宗」を預かっていた。一旦は、刀と老婆と交換に股五郎の身は、上
杉家に渡されるが、昵近衆の策略で、街道で奪い返される。助っ人に来た和田家嫡男
の志津馬(妻は、遊女「瀬川」、実は、「沼津」の場のお米)は、股五郎逐電の際、
股五郎に脚を斬り付けられる。志津馬の怪我は、「沼津」の伏線。志津馬が、家族や
親戚を巻き込みながら、股五郎を追い掛け、父親の敵討を果たすまでが、「伊賀越道
中双六」の主筋となる。

ここからが、通しの敵討物語の主人公となる唐木政右衛門の物語。助太刀を希望する
政右衛門の戦略が、以下、2段で描かれる。大和郡山藩に仕える「唐木政右衛門屋敷
の段」。通称「饅頭娘」というが、それは後ほど説明する。駆け落ち(不義密通で結
婚)し、親元から勘当された内縁の妻のお谷の弟・和田志津馬の敵討に助太刀するた
め、政右衛門(荒木又右衛門がモデルの剣豪)は、妻のお谷と離縁をし(封建時代な
ので、そうしないと敵討の助っ人が藩主から許可されない)、改めて、お谷の義妹
(行家の後妻の連れ子)にあたる、7歳のお後(のち)と形ばかりの再婚をし、正式
に志津馬の妹の夫という立場になって敵討のメンバーに加わるという話。

不義密通ゆえの内縁関係では、藩主から義父の敵討の許可が降りないだろうという配
慮なのだが、それが、妻のお谷にも、夫婦の後見人である大和郡山藩の重臣・宇佐美
五右衛門(お谷を娘のように可愛がっている)にも、唐木家家臣の石留武助にも、知
らせないまま、いきなり、花嫁の御入来、そして、祝言となるから関係者は、歎いた
り、怒ったりする。

まあ、そこが、この芝居の趣向で、幼い花嫁は、盃の取り交わしの後に、饅頭を欲し
がり、花婿と饅頭をふたつに分け合って食べる場面がある(だから、この場面の通称
は、「饅頭娘」という)。ただし、お後は、この場面のみ登場。後段の妻は、再び、
お谷が登場する。つまり、この場面は、「女のドラマ」。

「誉田家大広間の段」では、大和郡山藩主・誉田大内記(こんだだいないき)の前
で、宇佐美五右衛門の推挙を受けた唐木政右衛門が、誉田家剣術指南番の桜田林左衛
門(沢井股五郎の伯父)との御前試合に臨む。銀地に家紋の襖。銀地に山水画の衝
立。「時代もの」らしい、武ばった場面である。

政右衛門は、ここで、わざと林左衛門に負けて、大和郡山藩から自由の身になり、志
津馬の敵討の助っ人になりやすい立場にしようと企んでいる。しかし、藩主誉田大内
記は、御前試合で、わざと負けた政右衛門を不忠者として、槍を取り出し成敗しよう
とするが、扇子だけで相手に立ち会いながら、殿に神蔭流の奥義を伝授する政右衛門
の対応に感じ入り、「望みに任せ暇をくれるぞ」と藩主は政右衛門を励まし、不動国
行という刀を餞別に渡す。政右衛門と藩主との知恵競べの場面。つまり、ここは敵討
ものがたりの背景説明。いわば、「男のドラマ」。

沼津の3つの段は、「時代もの」の中の「世話場」、「沼津」が、見せ場。敵討が
テーマの時代ものに、家族というテーマの世話ものが、いわば、「入れ子構造」に
なっている。敵討の「代理」(義理と人情)。呉服屋十兵衛と平作。銀地の襖と裃と
いう、「時代」の世界から、一転して、くだけた「世話場」で、客席を和ませる。

「沼津の里の段」では、舞台全面を覆っていた浅黄幕が振り落とされた後、いきな
り、十兵衛と平作の出会いとなる。志津馬の敵の沢井家の城五郎(股五郎の従兄)の
屋敷に出入りしている御用商人・呉服屋十兵衛(実は、幼い頃養子に出された平作の
倅)。怪我をした志津馬を介抱する、かつての吉原遊女・瀬川こと、お米(十兵衛の
妹)、それに父親・雲助の平作が、主な配役。

定式幕が開幕すると、舞台全面を被う浅黄幕。津駒大夫の語りだけが、東海道の沼津
の立(たて)場(一種のステーション=駕篭かきなどの休息所)の様子を描くが、舞
台は、浅黄幕の振り被せた状態のママ。幕の振り落としとなると、ここには、中央に
富士山と松林。下手に「ぬま津」という道標が立っている。十兵衛(首=かしらは、
源太。人形遣・和生)と荷物持の安兵衛、年寄りの人足・平作(首=かしらは、武
氏。人形遣・勘十郎)と登場人物は、極めて、シンプル。暫くは、平作と十兵衛が、
軸となって、展開する。

歌舞伎では、宿場のにぎわいを強調する。これは歌舞伎の入れ事。「沼津棒鼻」宿の
立場で、御休処、休憩する駕籠かき、身重な夫婦連れなどの旅人たち、飛脚が通る。
巡礼が通る。「道中心得」を書いた立て看板には、道連れを装って、客引きをしては
いけないとか、人を乗せた馬に荷物を積んではいけない、大酒、遊女狂い、喧嘩・口
論無用などと「立場」らしいことが、いろいろ書いてあって、歌舞伎は、かなり、東
海道の道中を活写しようという意欲が感じられる。江戸時代、東海道の旅の様子が良
く判り、私の好きな場面である。

「居処替わり」(廻り舞台を使わないで、場面展開する)の演出も、興味深い。「夜
越し(徹夜)」で、歩くという十兵衛に、平作は次の吉原まで荷物持ちをさせてくれ
と誘う。荷物を平作に頼んで、ふたりで、道中を歩み行く(ただし、闊達に歩むの
は、十兵衛だけで、天秤にした荷物を担いだ平作は、よろよろ、もたもたと歩く。荷
物も、前の部分が、十分に持ち上がらず、そのため、後ろの荷物が、極端に浮き上が
り、というバランスの悪さ)というなかで、舞台の背景のうち、松並木の松などが、
次々に下手に引っ張られる(引き道具)というだけで場面展開、こちらも、シンプ
ル。進んでいるように見える。途中で、平作が、木の根につまずき、足の親指に怪我
をしてしまう。十兵衛が、手持ちの印籠から薬を取り出し、つけてやると、たちま
ち、痛みが止まる。この薬は、後の伏線。やがて、平作の娘・お米(首=かしらは、
娘。人形遣・簑助)との出会いがある。

十兵衛は、実は、養子に出した平作の息子の平三郎ということだが、前半は、小金を
持った旅の途中の商人としがない雲助(荷物持ち)という関係で、父親は、息子と知
らずに「旦那、旦那」と持ち上げる。途中から、親子だと言うことが判っても、さら
に判明した「敵同士の関係」ということから、お互いに、親子の名乗りが出来ないま
ま、芝居が、進行する。

廻り舞台が使えない人形浄瑠璃では、背景画の書き割りが、上下手に分かれて、引き
入れられ、中央の書き割りは、舞台の上へ引き上げられて行くと、代わりに、林のな
かの一軒家が、出現をする。それが、平作住居である。「尾羽打ち枯れし松陰に、
・・・、侘びたる中の二人住み」。平作とお米の侘び住居。

「平作内の段」から「千本松原の段」。ここのポイントは、行方の判らなかった実の
親子の出会いと、親子の名乗りをした直後の死別(自害)、その父と子の情愛という
場面が続く。平作は、娘の夫・志津馬のために、敵の股五郎の居所を聞き出そうと、
己の命を懸ける。ミステリー的展開で筋が段々判って来る。

十兵衛は、平作の娘(実は、実の妹)お米に一目惚れをするが、夫(敵討の志津馬)
のある身と断られる。平作の足の怪我を直す薬(薬も扱う沢井城五郎家の印籠に入っ
ている南蛮国伝来の妙薬)を知り、夫の怪我を直したいばかりに夜中寝静まった十兵
衛の持っていた印籠(股五郎からの預かりもの)を盗もうとするお米。犯行前の思
案。遊女時代の癖が抜けないお米の懐手(右手)と左手垂れ下げのポーズは、この人
形の静止像から来ているのか(歌舞伎では、この場面のお米を木戸の外に出す型と人
形浄瑠璃同様に部屋のなかで思案する型とある)。十兵衛は、平作、お米とのやり取
りのなかで、自分たちが家族であることを知って行く。さらに印籠の沢井家の家紋か
ら、お互いが敵討の敵味方という立場も判明する。いろいろ仕掛けが続く場面。

平作の話から、薬が話題になり、知り合いからの預かりものの印籠に入っていた薬だ
が、これは、金瘡の妙薬と十兵衛も自慢。貧しい家に、美しい娘と老父。平作が語
る、養子に出した娘の兄の話も、大事な伏線。十兵衛は、幼い頃、養子に出され、生
き別れたままの父親と妹がいるからである。十兵衛は、実の父と妹に、兄だとは名乗
らないながら、心底では、予感しているようだ。そういう予感に背を押されて、娘の
勧めもあり、結局、平作宅に泊まることになった十兵衛。二人住まいゆえ、布団が2
組しかない。同じ部屋の上手を客に譲り、布団を敷き、衝立を立てて寝かせる。「ゆ
るりと、縮(ちぢ)かまつて御寝(ぎょし)なりませ」。自分は、下手の台所にと、
分かれて寝る平作。人形を横に寝かせて、舞台に座り込む人形遣たち。平作は油紙を
布団代わりに、木槌を枕代わりにして寝る。「追風(おいて)持て来る鐘の声、いと
しんしんと、聞こえける」で、寒々しい雰囲気が伝わって来る。

仏壇の火も消えたのを幸いと、夜中に十兵衛の寝床に近づくお米。お米は、足の指の
怪我をした父親に男が使ってくれた「金瘡の妙薬」の入った印籠を、敵に逃げられ、
深手を負った傷の養生が芳しくない夫のために、盗もうとする。暗闇のなか、印籠を
盗むが、衝立を倒してしまい、目覚めた十兵衛に捕まえられてしまう。

金ではなく、なぜ、薬を盗もうとするのか。盗みをした訳を「クドキ」で語るお米。
「我が身の瀬川に身を投げてと」とあり、お米が、江戸の遊郭・吉原で、全盛を誇っ
たこともある松葉屋の遊女・瀬川と知れると同時に、十兵衛は、互いが、敵味方に分
かれていることが自覚する。暫くは、お米を軸に舞台は展開する。さらに、平作親子
とのやりとりで、ふたりが自分の実の父と妹と知る十兵衛。ある決意をして、羽織を
着込み、威儀を正す十兵衛。3人遣いの人形遣に加えて、遊軍的に動いていた黒衣の
人形遣と4人で、十兵衛に羽織を着せる。

生き別れていた家族へとの思いを込めて、「石塔寄進」と称して30両の金と親子の
証拠(臍の緒書きの入ったお守り)を置いて、十兵衛は、名乗りも上げずに、黙って
旅立つ。部屋に落ちていた(十兵衛が意図的に置いて行った)印籠や残されたお守り
を見つけ、実の息子、実の兄の気持ちを知る父と妹。その上、ふたりは、この印籠の
家紋が、実は、お米が、夫の父親の敵と狙う沢井家のと同じだと気がつく。慌てて、
追いかけるふたり。まずは、平作。きのうのへたった歩き方ではなく、ダイナミック
な足運びで、我が息子の後を追う。お米は、駆けつけた夫の家来(池添孫八。ここで
は唐突な出だが、「伏見」でも登場する)とともに、十兵衛、平作の後を追う。

「千本松原の段」。下手より、十兵衛が現れ、追って、平作も登場。さらに、遅れ
て、お米と池添孫八のふたり連れ。夜更けの千本松原ゆえに、気づかれないまま、後
から来たふたりは、ぐるっと、舞台を奥へ廻って、下手の草むらの後ろに隠れ、舞台
中央の平作と十兵衛のやり取りを見守る形が、整う。ここからは、平作と十兵衛が軸
になる。更に、後半は、平作が中心となる筋運び。

十兵衛は、そういう命を懸けた平作の行為に父親の娘への情愛を悟り(自分の妹への
情愛も自覚し)、将軍直参の沢井城五郎に出入りする御用商人でありながら、薮陰に
いる妹のお米らにも聞こえるように股五郎の行く先を教える。死に行く父親に笠(雨
が降っている)を差しかけながら息子は、きっぱりと言う。「落ち付く先は、九州相
良、九州相良」。第二部で、十兵衛は、町人ながら、この落し前を付けるために、己
の命を投げ出すことになる。

双方とも、いちばんしたい親子の名乗りは、しないけれど、まず、平作は、娘のため
に印籠の持ち主(つまり、娘の夫の父親の敵)を教えてほしいと頼み込む。知り合い
(父娘にとっては、敵)への義理(数年間の出入り商人としての実績)があり、自分
が、知り合いを逃がす手助けをしたこともあって、言えないという十兵衛。

「お前様は恐ろしい、発明なお人ぢゃの」と言いながら、実の息子の隙を見て、十兵
衛の腰から脇差を抜き取り、自分の腹に差す平作。命がけで敵の居所を知ろうとする
父親。「未来の土産」「一生の別れ、一生のお頼み」と、苦しい息の下から息子に頼
み込む平作。歌舞伎なら、「チンチン、ベンベン」という三味線の繰り返しの音が、
緊迫感をあおり立てるが、人形浄瑠璃では、三味線方の胡弓が哀切に演奏される。

最後は、親子の情愛が勝り、「親子一世の逢い初めの、逢ひ納め」で、親子の名乗
り。「親父様(さん)、親父様、平三郎でございます。幼い時別れた平三郎。段々の
不幸の罪、お赦されて下さりませ」。「アア、兄かい、平三かい、エエ、顔が見た
い、顔が見たいわい」。父は死に、兄は渡世の義理を裏切り、妹は兄に詫びる。それ
を聞き、下手の草むらのなかながら、名乗り合う親子の顔を互いに一目見せようと、
お米に付き従っていた池添孫八が、己の脇差に火打石を打ち付けて、一瞬の閃光で、
親子の顔を見合わせさせる。まさに、クライマックス。父は死に、兄は知人を裏切
り、妹は、兄の真情に詫びるうちに、幕。「七十になって雲助が、こに叶わぬ重荷を
持」ったが故に、別れ別れだった親子の名乗り。古風な人情噺の大団円。ここは、運
命に翻弄される「家族のドラマ」。

「千本松原の段」への転換。人形浄瑠璃では、平作住居の大道具は、上手と下手と中
央とに分かれて、上手と下手は、真ん中を軸に、左右に裏返され、中央は、上下に裏
返され、ということで、居処の早替わり。さらに、上手に松の立ち木が引き出され、
下手に左、「ぬま津」、右、「よ志はら」と書かれた道標が一本、引き出され、松林
の街道。中央上手に、松の木が一本。

十兵衛は、そういう命を懸けた平作(父)の行為に娘(妹)への情愛を悟り、敵の側
と商取引がある身でありながら、兄は、草むらにいる妹にも聞こえるように敵の居所
を教える。父の冥土の餞別(はなむけ)にと、十兵衛は、声を張り上げる。「股五郎
が落ち付く先は、九州相良、九州相良」。九州相良は、老舗の藩。山深い渓谷の地。
これで、親子は、敵味方の関係を乗り越える。上手寄り一本の松の木を抱き柱にし
て、哀しみに耐える十兵衛は、ここでは息子・平三郎をむき出しにしている。

人形遣では、簑助を観る。平作の娘・お米は、江戸吉原の「瀬川」という遊女出身。
雛には稀な「色気」。だから、十兵衛も妹と知らずに一目惚れ。滲む官能と元遊女ら
しい仕草が必要。簑助が、静止ポーズでも、人形を生きているように扱う。十兵衛は
実事師で、真面目。こちらは、和生が担当。平作は、勘十郎が、足腰に老いを感じさ
せて、好演。政右衛門は、玉女。

太夫では、住大夫を観る。時代ものの科白は、歌舞伎では、武ばって、重々しい。人
形浄瑠璃では、「切」を語ったのが、人間国宝の住大夫。住大夫は、病後の後遺症
が、右手に残っているようだが、それほど気にならない。声も、科白廻しも、以前と
同じように聞こえる。芸熱心でリハビリも克服したのだろう。人の噂と言いながら、
「股五郎が落ち付く先は、九州相良、九州相良」と伝える辺りは、情味もある。「円
覚寺の段」の「中」担当の相子大夫が休演で、靖大夫が、代役。今回は、語りの冒頭
に顔を出さ無いままの、床の語りが何回かあり、大夫の独り語り、配役別の語りなど
と、バラエティに富んでいたように思う。三味線方は、鶴澤清公が、「千本松原の
段」の瀕死の平作の科白に合わせて、胡弓を演奏していた。

贅言:九州の相良家は、戦国時代以降明治維新まで代わらずに続いた珍しい藩の一
つ。いわば、老舗の藩。そういう藩は、3藩しかない。関ヶ原の戦いでは、相良家・
寝返り(豊臣→徳川)、九州南端の島津家・徳川に恭順、関東の相馬家・中立=鎌
倉・戦国時代から明治維新まで800年続いたのは、この3家だけという。
- 2013年9月16日(月) 16:33:01
13年09月歌舞伎座 (夜/新作歌舞伎「陰陽師 瀧夜叉姫」)


将門再稼動反対という芝居


新作歌舞伎「陰陽師」は、作家・夢枕獏の原作。開演から終演まで、客席内は真っ暗
で、全くメモが取れないので、いつものような観劇記にはならないだろう。新作の初
演だから、劇評初登場。

「キマイラ」文庫刊行をきっかけに夢枕獏のトークショーが、都内の大型書店創立3
5周年記念事業の一環として開かれたので、聴きに行った。新作歌舞伎「陰陽師」に
ついては、トークの冒頭で作家自らが紹介していた。西日本から東海地方に掛けて大
荒れの天気となった日で、東海道新幹線も運休・ダイヤの乱れなどがあり、小田原在
住の作家は、20分ほど遅れて到着。それでも予定通り、30分ほどの話をしてくれ
た。

トークの内容で、新作歌舞伎「陰陽師」に関する部分は、後述するとして、先ず、今
回の場面構成を書いておこう。

序幕第一場「都大路」。
序幕第二場「都大路(20年前)」。
序幕第三場「御所」。
序幕第四場「三上山」。
序幕第五場「将門館」。
序幕第六場「館の裏手」。
序幕第七場「館の離れ」。
序幕第八場「館の裏手」。
二幕目第一場「都大路」。
二幕目第二場「清明屋敷」。
二幕目第三場「貞盛館」。
二幕目第四場「好古館」。
二幕目第五場「貴船山中」。
二幕目第六場「雲居寺」。
二幕目第七場「北山山中」。
三幕目第一場「東国」。
三幕目第二場「雲居寺」。
三幕目第三場「貴船山中」。

夜の部は、午後4時半開演で、間に、35分、15分の2回の休憩(合計50分)を
挟んで、午後8時20分(予定スケジュールでは、15分)終演までの3時間50
分。つまり、正味3時間の芝居で、18場面。新作歌舞伎の初演は、どうしても場数
が多くなる。原作に引っ張られて、文章から演劇への発想転換、つまり、場面や場面
展開の省略がなかなかできないのだ。上演を重ね、芝居に慣れて来ると、観客のイマ
ジネーションも「参加」して、観客に取って要らない部分を削ぎ落としたら、頃合い
の良い、洗練された芝居になるのだが……。

暗転の中での開幕。定式幕が、滑って行く音が聞こえる。場面展開では、廻り舞台、
居所替り、幕ごとに定式幕が閉まるのは、歌舞伎味を意識しているので、好感が持て
る。しかし、スポット、音響、照明は、現代劇の演出。

まず、主な登場人物たちの人間関係の整理してみよう。★は、対抗軸。
時は、平安時代、都大路に出没する百鬼夜行の世界。道案内というか、舞台廻しは、
陰陽師・安倍清明(染五郎)と笛の名手・源博雅(勘九郎)、このふたりが、探偵と
助手という役回りで、ミステリー解明に向って行く。陰陽師・安倍清明に依頼したの
は、天文博士で清明の父親・安倍保名、蘆屋道満の師匠・賀茂保憲(亀三郎)、将門
討伐の実戦部隊の要員だった平貞盛の嫡男・維時(亀寿)。

魑魅魍魎の跋扈は、20年前に原因があった。平将門(海老蔵)と俵藤太こと、藤原
秀郷(松緑)、将門の乳母子の桔梗前(七之助)が、上京している。東国の者が京の
都で酷い目に遭っていることを知った将門は、東国救済のため、東国へ戻るという。
秀郷は、都に残り、都の政治を改革したいという。将門と桔梗前は、東国に戻る。

★東国に戻り、4年後(つまり、現在より16年前)、挙兵(「承平天慶の乱」)
し、関八州を掌握する将門派の主要人物は、将門(海老蔵)、将門を陰で操る興世
王、実は、藤原純友(愛之助)。

★対抗するのは、将門討伐を命じられた藤原秀郷(松緑)。小野好古(團蔵)、平貞
盛(市蔵)。

将門の息女・瀧夜叉姫(菊之助)は、父親派。将門の妻になった桔梗前(七之助)
は、将門の狂気を認識している。秀郷に将門を真人間に戻すことを依頼する。将門の
妻だが、必ずしも夫派ではない。瀧夜叉姫は、将門と桔梗前の両方の血を引いている
のも、忘れてはいけないポイント。

もうひとりの妖しい陰陽師・蘆屋道満(亀蔵)がいる、トリックスターか。両派の対
抗軸の外にいるようだが……。

という辺りが、主な登場人物。で、次は、舞台展開の場面ごとにコンパクトに記録し
ておこう。

序幕第一場「都大路(現在)」。安倍清明と源博雅が、瀧夜叉姫や百鬼夜行(魑魅魍
魎)に遭う。瀧夜叉姫は真っ黒な龍のような怪物に乗っかって登場。天空には、不吉
な星が現れる。
序幕第二場「都大路(20年前)」。秀郷、桔梗前らとともに、都に上がっていた将
門が、桔梗前とともに東国へ戻る決心をする。
序幕第三場「御所(前の場面より、4年後、つまり16年前)」。都に残っていた秀
郷に将門討伐が命じられる。
序幕第四場「三上山」。秀郷は、大百足を退治し、妖刀・黄金丸を手に入れる。
序幕第五場「将門館(16年前)」。東国へ戻った秀郷が、将門、妻になっている桔
梗前のふたりに再会する(瀧夜叉姫は、将門と桔梗前の間に生まれた娘)。将門の側
近になっている興世王とは初めて会う。不気味さを秘めた人物。
序幕第六場「館の裏手(前の場面より、1年前、つまり17年前)」。将門の回想。
将門の一族が、都の兵に殺されていた。反乱を唆す興世王。興世王の秘術で、将門
は、不死身になる。
序幕第七場「館の離れ(前の場面より、1年後、つまり16年前)」。将門襲撃を前
に秀郷を逃した桔梗前が、興世王に殺される。
序幕第八場「館の裏手(前の場面より、数日後)」。秀郷、小野好古、平貞盛が、逆
に、将門を急襲し、黄金丸で将門を討ち取る。打ち落された将門の首が、貞盛の首に
食らいつく。将門の身体は、首、両腕、両脚、胴体と斬り分けられた。将門は不死身
のはず? (定式幕)。

二幕目第一場「都大路(現在)」。探偵コンビ、清明と博雅が、20年ぶりに都に現
れた不吉な星と将門の関係を疑い始めている。それを裏付けるように将門の息女・瀧
夜叉姫が、再び、姿を見せる。将門と瀧夜叉姫の親子関係を清明らは、まだ知らな
い。
二幕目第二場「清明屋敷(前の場面より、数日後)」。酒を酌み交わしながら、推理
を働かせる探偵コンビ(清明と博雅)。博雅は、笛の名手。
二幕目第三場「貞盛館」。将門に食らいつかれた傷が元で、奇病を発症し、狂乱した
貞盛。治療している石の祥仙は、実は、都に上がってきた興世王。
二幕目第四場「好古館」。瀧夜叉姫が現れ、好古が所蔵していた将門の腕を奪って、
逃げる。
二幕目第五場「貴船山中」。祥仙、実は、興世王は、瀧夜叉姫を待っている。道満が
現れるが、道満参入を阻止する興世王。
二幕目第六場「雲居寺(前の場面の翌日)」。探偵コンビ(清明と博雅)、秀郷、維
時らが集まる。都での一連の変事は、将門一派の仕業ではないかと推測する。
二幕目第七場「北山山中」。狂乱の貞盛は、実体が将門化している。興世王が、貞盛
を将門蘇生に悪用していた。興世王は瀧夜叉姫も利用して、将門の五体を集めさせて
いた。駆けつけた探偵コンビ(清明と博雅)が、興世王、瀧夜叉姫と対決をする。興
世王が、将門化した貞盛を斬り落として、逃げる。博雅の吹く笛は、瀧夜叉姫をおと
なしくさせることが判った。(定式幕)。

三幕目第一場「東国(16年前か)」。瀧夜叉姫の回想。幼年期の瀧夜叉姫。亡く
なった父親の将門を忍んで泣いている。
三幕目第二場「雲居寺(数日後)」。貞盛の供養。探偵コンビ(清明と博雅)らが、
興世王の企みの真意を思案している。清明が、20年前からの顛末を解析し、興世王
の企みの真意を悟り、皆に説明をする。興世王は、将門を式神に使って日本を掌中に
納めようとしているのではないか。首が無くなった貞盛の身体を使って、将門の行方
を追う。
三幕目第三場「貴船山中」。将門復活。最後の戦いと大団円。興世王は、将門化した
貞盛の首を集めた将門の身体に繋げようとしている。現れた瀧夜叉姫に悪の大望成就
近しと嘯く。興世王と将門の望みは違うと反論する瀧夜叉姫。道満が瀧夜叉姫支援に
現れる。瀧夜叉姫は蘇生した将門に向って同じように説得する。首が無くなった貞盛
の身体を道案内にして秀郷、探偵コンビ(清明と博雅)も駆けつけ、興世王と将門と
対峙する。復活をし、積年の恨みを果たそうとする将門だったが、瀧夜叉姫の意向を
引き受けて、無理矢理興世王を引き連れて、消えて行く。博雅の笛の音で、瀧夜叉姫
(将門の血を引いているが、桔梗前の血も引いている。半分真人間?)も穏やかにな
る。めでたしめでたしの大団円。(緞帳が降りて来る)。

昼の部の老け役の心配も無く、若手の花形役者たちが、歌舞伎座再開場杮葺落興行、
最初の新作歌舞伎の大作に挑戦した。初日は、カーテンコールにはならなかったが、
緞帳が降りた後も、観客席からは、拍手が続いた。千秋楽まで、前売り券は、完売と
か。さて、出演した主な役者評を記録しておこう。

将門を演じた海老蔵は、こういう役柄は、巧い。初日前の稽古を含めて、すでの3回
舞台を観たという夢枕獏も、海老蔵が、将門からだんだん鬼になって行ったのが興味
深いと言っていた。歌舞伎で既に馴染みのある瀧夜叉姫を演じた菊之助は、瀧夜叉姫
のイメージを壊さない造型ぶり。将門奥方・桔梗前を演じた七之助は、幼馴染みの将
門と秀郷の間で、正気を保っているのが判る。将門を操ろうとした興世王を演じた愛
之助は、昼の部に続いて、美味しい役。出番も多く、存在感がある。

将門討伐の秀郷を演じた松緑は、正義派。節目節目で将門に対抗する。探偵コンビの
清明を演じた染五郎は、静かだが、節目節目に登場し、物語を整理して行く。探偵助
手の役回りの博雅を演じた勘九郎は、清明を助けながら、笛の名手として、聞き手を
慰める。瀧夜叉姫さえも、笛の音で宥める。

役回りが判らない、第3者的な存在の蘆屋道満を演じた亀蔵は、終わってみれば、芝
居に滑稽味をつけながら、大きな黒揚羽とともに登場するトリックスターだと判っ
た。道満は、「芦屋道満大内鑑」、通称「葛の葉子別れ」の外題になっているが、
「葛の葉」の場面では、登場しないので、馴染みが無かった。

大きな黒揚羽、龍、大百足も、大事な存在。黒揚羽は、黒衣が差し金で操作する。龍
は、薄暗い舞台で判りにくいが、かなり大きい。大百足は、秀逸。大部屋役者18人
が、百足の頭、脚、尻尾になり、繋がったり、分れたり、立ち回りさながらに功名に
動く百足を演じていて、見応えがあった。

総評としては、廻り舞台、居所替り、定式幕は、歌舞伎味を尊重して、多用に使って
いて好感が持てた。音響、スポットを含む照明は、まさに現代劇。歌舞伎味は薄ま
る。薄暗い舞台を維持するためには、必要だろうが、歌舞伎味との塩梅も必要だろ
う。

執念の将門復活が果たせたと思ったら、将門は、父への情愛をベースにした娘・瀧夜
叉姫の訴えを聞いて、興世王を無理に引き連れて、自害のような形で死んで行く。そ
れを踏まえて、幕切れが、ハッピーエンドになっているが、魑魅魍魎が跋扈する世界
は、現代だって形を変えて続いているのだから、無理にハッピーエンドにする必要が
ないのではないか。将門再稼動反対! 妖怪変化が登場するが、ハッピーエンドの
ファンタジー。ハッピーエンドこそ幻想で、原発が魑魅魍魎のように跋扈する現実を
知っている私たちには、悪魔のような将門復活(再稼動)の方にこそ、リアリティを
感じる。隙あらば復活、再稼動を狙う現代の魑魅魍魎は、戦争、原発に限らず、若者
切り捨ての労働社会(資本の利潤追求の対局にある)など、余り指を折らなくても、
数え上げられるのではないか。

歌舞伎独特の幕切れ、芝居を中断して、「今日(こんにと)はこれ切り」で終わらせ
た方が良かったように思う。将門復活後、娘の滝夜叉姫の父への情愛、博雅の吹く笛
の音で、瀧夜叉姫も改心。将門らは自殺。ハッピーエンドというのも、バタバタとし
た感じで幕を閉じて、無理なこじつけのような気がした。

将門復活で、再稼動を果たした巨悪たちは逃げてしまい、いずれかの時空に再登場す
るという含みのある「続き」(外題は、さしづ(ず)め、「陰陽師後日将門(おん
みょうじごにちのまさかど)」か)に余韻を残しても良かったのでないか。

夢枕獏にも、講演後、私の感想を伝えておいた。夢枕獏は、初日前の舞台稽古、その
後の2回の舞台を観て、科白が十分に入っていない役者が、本番では、堂々と演じて
いて、科白も演技も良くなっているので、驚いたと話していた。

歌舞伎役者は、役柄を類型化した引き出しをたくさん持っていて、新作だろうと古典
だろうと、自分が出来る役柄に当てはめて、役づくりをして行くので、ベテランほ
ど、ぼろは出さない。但し、引き出し不足の役者は、類型化の仕方が「違うんじゃな
いの」という役づくりをして来ることがあるので、観客としては役者ごとの出来具合
を選別する必要があるだろう。
- 2013年9月5日(木) 11:59:51
13年09月歌舞伎座 (昼/通し狂言「新薄雪物語」「吉原雀」)


4日に福助が記者会見で、七代目歌右衛門襲名へ、という記事を朝刊が掲載。来年の
歌舞伎座杮葺落興行の最終月、掉尾を飾る興行。3月と4月の2カ月間の襲名披露興
行。歌舞伎座再建で閉場中、歌舞伎の大きな名前が失われ続けた3年間。歌舞伎座再
開場を経て、新しい大きな名前が13年ぶりに復活する。芝翫の長男・福助の七代目
歌右衛門襲名は、順当だろう。合わせて、福助の長男、児太郎が十代目福助を襲名す
るというが、ちょっと、早いのでは?

「新薄雪物語」は、4回目の拝見。前回観たのは、5年前、08年6月の歌舞伎座。
私の劇評では、「見応えのある配役の妙」というタイトルを付けていた。この演目
は、歌舞伎の典型的な役柄が出揃う。それだけに「新薄雪物語」は、大劇団が構成さ
れないと上演できない演目だ。

「新薄雪物語」は、若さま・姫君と奴と腰元という、ふた組の美男美女の色模様、颯
爽とした奴を軸にした派手な立ち回り、国崩しの敵役の暗躍、鮮やかな捌き役の登場
など趣向を凝らし、歌舞伎の類型的な、善悪さまざまな役柄がちりばめられている。
さらに、背景には、爛漫の桜がある。桜は、人間たちの美醜を見ている。舞台は、様
式美に溢れ、絵になる歌舞伎の典型的な芝居として、大顔合わせが可能な劇団が組ま
れるたびに、繰り返し上演されて来た。歌舞伎座の筋書に掲載されている上演記録を
見ても、ほぼ5年くらいを空けて上演されている。今回もまさしく、5年ぶりの上
演。ただし、今回は、「配役の妙」とは、言いがたい配役となった。歌舞伎座杮葺落
興行。4月から6月までの3ヶ月は、歌舞伎役者の重鎮たちを取り揃えていた。7月
から8月の納涼歌舞伎(花形OBも交えているが、実質的に「花形歌舞伎」)を含め
て、9月まで、花形歌舞伎ということで、若手=花形の大集合だった。納涼歌舞伎前
に、三津五郎が定期検査で膵臓に腫瘍が見つかったという不安なニュースも飛び込ん
できた。三津五郎は、9月の新橋演舞場から休演となった。一日も早い恢復を祈りた
い。では、舞台に目を転じよう。

私が観た4回の配役を比べてみよう。恋愛模様の短冊や色紙のやり取りから「謀反事
件」をでっち上げられたカップルが、園部左衛門(梅玉、菊之助、錦之助。今回が、
勘九郎。以下、同じ順番)と薄雪姫(福助、孝太郎、芝雀、梅枝)。このふたりを取
り持つ、もうひと組のカップルが、奴・妻平(菊五郎、三津五郎、染五郎、愛之助)
と腰元・籬(宗十郎休演で代役をしたのは、松江時代の魁春、時蔵、福助、七之
助)。「謀叛事件」をでっち上げられたカップルの両親、園部兵衛(孝夫時代の仁左
衛門、菊五郎、幸四郎、染五郎)とその妻・梅の方(玉三郎、芝翫=2、菊之助)、
幸崎伊賀守(幸四郎、團十郎、吉右衛門、松緑)とその妻・松ヶ枝(秀太郎、田之
助、魁春、吉弥)。伊賀守の家来・刎川兵蔵(染五郎、正之助時代の権十郎、歌昇、
松江)、事件をでっち上げた国崩し・秋月大膳(権十郎、富十郎=2、海老蔵)とそ
の弟の秋月大学(前2回は、登場せず、前回は、彦三郎、今回は、亀蔵)、その一味
で刀鍛冶・正宗倅・団九郎(弥十郎、團十郎、段四郎、亀三郎)、同じく渋川藤馬
(松之助、十蔵、桂三、新蔵)、園部派の刀鍛冶・来国行(幸右衛門=2、今回とも
家橘=2)、そして、捌き役・葛城民部(菊五郎、仁左衛門、富十郎の大膳とのふた
役、今回も、海老蔵が同じふた役)、チャリ(笑劇)の若衆・花山艶之丞(鶴蔵=
2、由次郎、今回は、大蔵)など。今回の主な配役が、一段と若返っていることが判
るだろう。20歳代から30歳代の役者が、杮葺落興行の歌舞伎座に集められたこと
が判る。若手花形の習作歌舞伎になる訳だ。それはそれで、結構なことだが、舞台を
観ていて困ったことがある。

それは、老け役が、嵌っていないと言うことだ。特に、冒頭の序幕「清水寺花見の
場」で、恋に受かれた園部家の嫡男・左衛門と幸崎家の息女・薄雪姫の両親たち、園
部兵衛(染五郎)とその妻・梅の方(菊之助)、幸崎伊賀守(幸四郎、松緑)とその
妻・松ヶ枝(吉弥)。かろうじて、吉弥が老け役というか、いや、年かさの役という
か、「年かさ」を感じさせてくれたが、ほかの3人は、嫡男、息女の方が似合いそう
な「若さ」を隠し切れていないのだ。「まあ、習作、習作。人材育成、人材育成」と
口の中でつぶやきながら、おとなしく舞台を拝見したという次第。

楽屋雀が、聞いたところでは、誰が誰に教えを乞うて役づくりをしたか。それを書き
留めておこう。園部兵衛を演じた染五郎は、仁左衛門。秋月大膳と葛城民部のふた役
を演じた海老蔵は、吉右衛門。梅の方を演じた菊之助は、玉三郎。幸崎伊賀守を演じ
た松緑は、幸四郎。奴妻平を演じた愛之助は、梅玉。松ヶ枝を演じた吉弥は、秀太
郎。園部左衛門を演じた勘九郎は、菊五郎。薄雪姫を演じた梅枝は、魁春。まさに、
世代交代、習作歌舞伎の大義名分を果たす。先輩方、ありがとう。

さて、舞台。序幕「新清水花見の場」は、まず、6人の奥女中と10人の腰元の違い
に注目。奥女中は、奥向きに仕えた女性。腰元は、身の回りの雑用を足す侍女。奥女
中の方が、身分が上のようだが、舞台に出てきた奥女中は、がさつに、立役たちが演
じる。腰元は、普通に女形たちが演じる。

遠眼鏡を使ったチャリ(笑劇)の場面を見逃してはいけない。その帰結は、深編笠を
被り園部左衛門に間違わされる、若衆・花山艶之丞の登場だ。笠を取れば、勘九郎が
顔を出すかと思えば、大蔵。滑稽な顔つきの化粧で、笑いを取る。

前半は、薄雪姫(梅枝)に懸想する悪人・秋月大膳(海老蔵)が、恋敵の左衛門(勘
九郎)を陥れるために、「事件」を仕掛ける。鎌倉殿に誕生した若君の祝いに京都守
護職(六波羅探題)・北条成時の名代として左衛門が、清水寺に奉納した太刀に大膳
の意を受けた刀鍛冶・団九郎(亀三郎)が、天下調伏(国家転覆の企み)のヤスリ目
を刀の「なかご(茎、刀身のうち、柄に覆われる部分)」に入れ、その責を左衛門と
大膳が横恋慕中の薄雪姫(更に、その父親たちを謀反の罪に落とす陰謀も企ててい
る)に負わせようとする。左衛門と同伴して来た来国行(家橘)は、団九郎の犯行を
目撃したがゆえに、団九郎や大膳によって口封じのために殺されてしまう。左衛門に
宛てた薄雪姫の謎掛け恋文(縦に「刀」の絵を描き、その下に「心」の文字:「忍」
の意味で、恋の「忍び逢い」への誘いであった)も、左衛門が、不用意に色紙を落と
してしまったため、大膳一派に、謀反の証拠(「刀に心=なかご」で、謀叛心)とば
かりに、後に悪用されてしまう。華やかな舞台の陰で進行する陰謀を見せた後、序幕
の締めくくりは、大立ち回り。

この立ち回りは、妻平(愛之助)と若水を汲む手桶を持った秋月家の赤い四天姿の奴
(若水汲みゆえに、「水奴」という。それだけに、桶や傘など水、雨に因む小道具が
使われることになる)たち20人(いつもより、ふたり多い)との場面が、見応えが
ある。ここでは、ひとりの奴が、「高足」の清水の舞台の上から、石段にいる妻平を
飛び越え、下の平舞台に蜻蛉(とんぼ)をきる場面があるほか、傘を使って、人力車
を見立てたり、全員による「赤富士」の逆さ見立ての形にしたり、大蛇に見立てた
り、大部屋の立役たちが、縦横に活躍する見応えのあるものとして知られている。海
老蔵らよりも、愛之助が目立つ、目立つ。愛之助は、美味しい配役だった(夜の部
も、愛之助は、美味しい配役)。

後半は、全てを見通す捌き役の民部(海老蔵のふた役)が、キーパースンとなる。二
幕目、「寺崎邸詮議の場」では、主な顔ぶれが揃わないと芝居が成り立たない。詮議
の舞台となる寺崎邸の場面は、一段高い奥の座敷(二重舞台)の襖絵は、「火焔お
幕」という様式美の屋体。ここに、捌き役の上使の民部と秋月大膳の弟の秋月大学
(亀蔵)が、居並ぶ。ふたりの下手にあるのは、金地に花車が描かれた衝立。柱を始
め、襖の桟など黒塗りであり、本舞台の座敷の白木の柱、襖の桟などとの違いを浮き
出させている。ここは、襖も、銀地に桜が描かれている。黒塗りの間と白木の間を繋
ぐ階は、黒塗り。一段低い本舞台は、白い世界。まさに、お白州。捌かれる場とな
る。

反逆罪の嫌疑だけで、即刻、若いふたりに死罪という判決が下る。身に覚えのない嫌
疑で極刑とはけしからぬ。悲劇の場面だが、豊潤な時代色たっぷりの時間が流れる。
奥の座敷の上手と下手には、行灯が置かれていて、時刻が夜であることが判る。花道
を別の間に見立てて、染五郎と松緑(前回は、幸四郎と吉右衛門。この年齢差)が、
自分たちの子どもの詮議に付いて、相談する場面も、卓抜で、新鮮だ。

そこへ、殺された来国行の遺体(人形)が運び込まれ、手裏剣による傷口から、大膳
の犯行を見抜く慧眼の民部。特に、海老蔵が、謀反を企てる国崩しの大膳と捌き役
で、若いふたりにも理解のあるところを示し、親たちの詮議を許す人情派の民部とい
うふた役を演じた。一人の役者がこのふた役を演じるのは、歌舞伎座の筋書に掲載さ
れている戦後の上演記録を見ても、48年5月の東京劇場で、七代目幸四郎、79年
4月の歌舞伎座で、十三代目仁左衛門、08年6月の歌舞伎座で、およそ30年ぶり
に富十郎が演じた。さらに今回の海老蔵で、4人目という貴重な配役。まだまだなの
で、精進をして、当たり役にして欲しい。

死罪となったふたりの子どもたち(左衛門、薄雪姫。それぞれの相手側に詮議のため
に子を預ける辺りに、原作者の工夫が感じられる)を助け、逃がすために、それぞれ
の父親が「陰腹」(こっそり切腹)を切って、園部邸の奥書院に集まる。銀地に雪景
色の立ち木の絵柄の襖。枝に乗った番(つがい)か、2羽の鳥は、鷺だろうか。雪野
に放たれようとしている若いふたりを象徴しているようにも見える。

衝立も、銀地、モノトーンの、なにやら、中国風の山水画である。「虎溪の三笑と名
も高き、唐土の大笑い」と床の竹本が語るように、絵柄は、高山と溪に架かる橋(虎
溪の橋)のようにも見える。モノトーンの奥書院の座敷外、下手の網代塀の外には、
青山の遠見が描かれた書割りが見える。座敷の内と外で、死と生が、対比されている
ように受け止めた。

通称「合腹」の場面、ふたりでそっと(陰で)腹を切っていたのだ。その苦痛を堪え
るふたりの父親(染五郎、松緑)と夫を亡くす哀しみに耐える園部の妻・梅の方を演
じる菊之助の3人の、今生の想い出にと、命を掛けて子どもたちを救ったことを喜ぶ
「三人笑い」の表現が難しく、ここが、この芝居屈指の名場面となる。「苦境こそ、
笑え!」というメッセージか。まあ、……。今回は、論評外としよう。習作歌舞伎。

せめて、笑って、死にたいという親の気持ちが、観客の涙を誘う。人生最期の笑いで
もあるだろう。個人の力では、到底打開できぬという無情の笑いでもあるだろう。悲
劇の仕掛人・大膳への呪詛の笑いという解釈もあるという。この笑いには、観客の気
持ち次第で、如何様にも受け止められる奥深さがある。それが、歌舞伎の魅力のひと
つであろう。

私は、子を思う親の気持ちは、時空を越えて、同じだというように受け止めながら、
拝見した(前回は、ゆるりと哀しみに耐える吉右衛門。深刻に哀しみを表現する幸四
郎。叮嚀に哀しみを演じる芝翫。哀しみの洪笑をする父親たち。泣き笑いするしかな
い母親。前回の「三人笑い」は、何回も演じられてきた「新薄雪物語」上演史上に残
る、見応えのある「三人笑い」だったと思う)。今回は、……(くどいね。逆に記憶
に残る芝居だったとなるかもしれぬ)。

そして、ふたりの父親は、腹痛を我慢しながら、子どもらの首の代りに願書を入れた
首桶(父親たちは、図った訳ではないのに、最初は、お互いに同じことをしていると
知って、苦笑いだったのだろう)を抱えて、京都守護職(六波羅探題)に向おうとす
るところで、幕となった(前回同様)。

11年前、02年11月の歌舞伎座では、この後に、大詰として、通称「鍛冶屋」の
場(正宗内、風呂場、仕事場)があった。悲劇の後の笑劇の場面が、場内を和ませ
る。ここでは、悪の手先になっていた団九郎は、親の正宗を逆に勘当していたが、刀
鍛冶としては、二流のため、親の秘伝を盗もうとして、正宗から腕を切り落とされて
しまう。すると、善に目覚めた団九郎は、これまでの悪の構図、つまり、大膳の仕掛
けをすべて白状して、大団円とする、という場面があった、と書いておこう。

「吉原雀」を観るのは、6回目。長唄で、4回。清元では、今回含めて2回目。「吉
原雀」は、1768(明和5)年、初演の、顔見世狂言用の複雑な筋立ての舞踊劇
で、本来の外題(名題)は、「教草(おしえぐさ)吉原雀」だった。明治以降、新た
な振付けで、復活され、原作とは違う独立した筋に変わった。

「吉原雀」は、生き物を解き放す「放生会(ほうじょうえ)」の日に、解き放し用の
小鳥を売りに夫婦の「鳥売り」が吉原へやってきた。ふたりは踊りながら、手甲を取
るなど旅装を解く。草履を脱ぎ、リラックス。素足で廓の風俗や遊女と客のやりとり
を仕方噺仕立ての所作事で表現をする。

夫婦が、夫婦のままで終わるのと、鳥の精の正体を現すなど、演出に違いがあるが、
今回は、夫婦のままだったけれども、解き放たれた番の雀が、その喜びを踊っている
ように私には見えてきた。

05年6月、歌舞伎座で、「教草吉原雀」の外題で、鳥刺し(歌昇時代の股五郎)が
登場し、夫婦(梅玉、魁春)が、鳥の精としての正体を現す舞台を観たことがある。
鳥売りの夫婦は、最後は、ぶっかえりで、つがいの雀の精になるところが、ミソで
あった。二段を使った大見得で、夫婦雀は、確かに昇天して行った。きりりと、下
手、平舞台の鳥刺し。この対立が、美しく、晴れやかな舞台となった。今回は、舞台
中央、鳥売りの夫婦の見得で、幕。

今回は、中村屋兄弟の勘九郎、七之助が、夫婦の鳥売りを演じる。これまで私が観た
配役は、以下の通り。鳥売りの男;新之助時代の海老蔵、菊五郎、芝翫、梅玉
(2)、今回は、勘九郎。鳥売りの女:玉三郎、菊之助、雀右衛門、魁春、福助、今
回は、七之助。菊五郎・菊之助で観た99年3月の歌舞伎座と今回が、清元で、ほか
の4回は、皆、長唄であった。長唄が先行して、始まった。「吉原雀」は、吉原の冷
やかし客の隠語だという。

こうして私が観た舞台を記録してみると、「新薄雪物語」で、福助は、薄雪姫、腰
元・籬を演じ、「吉原雀」では、鳥売りの女を演じていることが判る。来春の七代目
歌右衛門襲名が楽しみだ。
- 2013年9月4日(水) 8:17:51
13年08月歌舞伎座(第三部/「狐狸狐狸ばなし」「棒しばり」)


歌舞伎座納涼歌舞伎の劇評で、「今月は、第二部が、見どころが多かった」と書いた
けれど、これは、今月の納涼歌舞伎第一部から第三部の中では、という意味であっ
た。

第三部の「狐狸狐狸ばなし」は、歌舞伎狂言というより怪談喜劇とでも言うべき芝居
だった。そう、「江戸みやげ 狐狸狐狸ばなし」は、元々は、歌舞伎の演目ではな
かった。1961(昭和36)年、東京宝塚劇場で、森繁久彌、山田五十鈴、三木の
り平、十七代目勘三郎らの出演で初演された。原作は、北條秀司。さらに新派で公演
された際、勘九郎時代の十八代目勘三郎が出演した。下座音楽を入れるなど、新作歌
舞伎の演出で上演されたのが、96年8月の歌舞伎座の納涼歌舞伎であった。その
時、私も拝見したのが初めてであった。従って、この芝居は、歌舞伎とは違う味を
持っている。

さらに、私は、03年12月歌舞伎座でも観ているので、今回は、3回目の拝見とな
る。「遠眼鏡戯場観察」は、99年春からスタートしているので、観劇記は、03年
12月の歌舞伎座が最初である。

「狐狸狐狸ばなし」は、歌舞伎というより、「野田版もの」に通じる、歌舞伎役者た
ちが演じる喜劇という芝居だ。

今回を含めて3回の配役は、次の通り。
元上方歌舞伎の女形で、現在は、「悉皆(しっかい)屋」、つまり、手拭染屋の伊之
助:勘九郎時代の勘三郎(2)、今回は、扇雀。女房・おきわ:福助(2)、今回
は、七之助。おきわの浮気相手・僧侶の重善:八十助時代の三津五郎、新之助時代の
海老蔵、今回は、橋之助。伊之助の「隱し玉」(キー・パーソン)で頭の弱い雇人・
又市:染五郎、弥十郎、今回は、勘九郎、重善のいる閻魔堂の寺男・甚平:坂東吉
弥、家橘、今回は、抜擢の山左衛門、博打打ち・福造:亀蔵、市蔵、今回は、巳之
助、大坂下りの、金持ちの娘で、重善の婿入りを望んでいる、おそめ:獅童、亀蔵
(今回含め、2)。

場の構成は、次の通り。
第一場「吉原田圃伊之助住居(初冬の昼下がり)」、第二場「浅草観音裏閻魔堂(同
じ日の夜)」、第三場「伊之助住居(翌る日の午後)、第四場「伊之助住居(その日
の夕ぐれ)、第五場「隅田川の土手(その真夜中)」、第六場「閻魔堂(翌る
朝)」、第七場「伊之助住居(その日の午後)」、第八場「古沼のほとり(その日の
宵過ぎ)」、第九場「寺の塀外(少し経った時刻)」、第十場「閻魔堂(二タ刻ばか
り経った夜更)」、第十一場「伊之助住居(四カ月ばかり経った春の真昼)」

ストーリーは、浮気な女房(おきわ・七之助)を持った男(伊之助・扇雀)の物語。
何度も出て来る「伊之助住居」とは、下手、店の出入り口の障子に「染手拭 志つか
い 伊之助」と書かれている店を構えている。裏手、つまり上手の庭に、物干し場が
ある。最初の初冬の昼下がりでは、染めて干してある長いままの手拭いが幾つもぶら
下がっていた。上手側にも、出入り口があり、客以外が出入りをする。

初演時当初は、大坂の梅田村界隈の設定だったが、その後、吉原田圃界隈に変更され
て、外題にも、「江戸みやげ」という肩書がついたという。

己の不倫の恋を成就させようと、夫殺しを企む女房。それを逆手に取り、先手先手を
打つ夫。双方の化かしあいが、「狐狸狐狸ばなし」というわけだ。女房が入れた毒鍋
で死んだはずの夫が幽霊になって出て来るなど、場面は、逆転、逆転が続く。そうい
うミステリー趣向の芝居なので、ストーリーの詳細な紹介は控える。最後がどうなる
かは、観てのお楽しみというのが、親切であろう。

前回は、勘九郎、福助は、悪のり気味(籠に赤い薔薇の花が入っていて、なにかと
思っていたら、「カルメン」まがいの踊りを踊る勘九郎の小道具だったなど)の演出
も含めて、私が観た1回目とは異なる場面もあった。今回は、そういう場面は無く、
勘三郎の不在を改めて感じさせた。

今回の伊之助は上方味の扇雀が初役であった。もちろん、7回演じた勘三郎とはひと
味違った。千住宿の女郎上がりの曲者女房・おきわ(七之助)は、福助と違い、七之
助はちょっとおとなし過ぎた。人物造形の工夫が必要だろう。

勘九郎は、キー・パーソン又市を演じていたが、頭の弱い雇人(いわば、前シテ)・
又市が、伊之助の信頼すべき朋友(後シテ)に変身する辺りは、能の演出を彷彿とさ
せた。逆転逆転の仕掛人は、又市が、伊之助に協力しているらしい。又市は、染五郎
の時は、染五郎らしく無い剽軽さで、おもしろかった。前回の弥十郎は、秀逸で、そ
の後も好評だったようで、弥十郎の又市が続いていたが、今回は、後進の勘九郎に
譲った形。勘九郎は、いずれ、勘三郎の当り役となった伊之助を演じなければならな
い。又市は、そのためのウオーミングアップ。伊之助を演じる際には、又市役は、弥
十郎に戻して欲しい。

おきわの不倫相手の重善は、橋之助。これまで私が観た重善役者では、八十助が巧
かった。新之助も、地のキャラクターも活かして、楽しそうに演じていた。今回の橋
之助も、おきわに責められるばかりの、おっとりした坊主役だった。

「牛女」という渾名を持つおそめを演じた亀蔵も、奇妙な味を加えていて、連続出演
(こちらは、外連気味)。最初に観た獅童のおそめは、残念ながら、あまり記憶に
残っていない。亀蔵のような、奇妙さは無かったのでは無いか。また、当時の獅童
は、昨今のような売れ方をしていなかったので、印象も薄かった。


「棒しばり」は、5回目。能を素材とした演目、つまり、「能取りもの」で、松の巨
木を描いた背景の鏡板(つまり、能舞台風)のある「松羽目もの」である。その両
側、上手と下手は、竹林の背景。

元となるのは、狂言の「棒縛」。これを元に1916(大正5)年、岡村柿紅作詞、
五代目杵屋巳太郎作曲、六代目菊五郎の次郎冠者、七代目三津五郎の太郎冠者、初代
吉右衛門の大名・曽根松兵衛で初演された。

背景の鏡板が、上に上がる。左右の竹林が動く。鏡板の向こうに長唄連中が姿を現
す。背景は、松の巨木から3本の松に替わる。これをきっかけに大名は一旦退場。

主人の大名の不在時に酒を盗み飲みし、酩酊するという話。あの手、この手で、手を
使わずに、踊る舞踊劇。知恵のある酔っぱらいたち。人の良い大名の叡智を超える。
初心者にも、歌舞伎の楽しさを判らせてくれる新歌舞伎の演目。

私が観た配役。次郎冠者:勘九郎(2)、富十郎、染五郎、そして今回は、三津五
郎。太郎冠者:三津五郎(2)、勘太郎時代を含め勘九郎(今回含め、2)、九代目
三津五郎。大名・曽根松兵衛:弥十郎(今回含め、2)、三代目権十郎、坂東吉弥、
友右衛門。

巧さのコンビ。勘九郎時代の勘三郎、三津五郎は、2回拝見。今回は、当代の勘九郎
と三津五郎の配役が入れ替わって出演。勘九郎時代の勘三郎、三津五郎は、ふたりと
も踊りには、定評があるだけに、たっぷりと堪能した。今回は、三津五郎に勘九郎が
ついて行く展開だった。勘九郎も勘太郎時代に弟の七之助とのコンビで「棒しばり」
を演じたことがある。


贅言;第一部から第三部までの通しの感想。21年目のスタートを切った再開歌舞伎
座「納涼歌舞伎」は、出来るだけ早く、若手花形役者の研鑽の場にした方が良いだろ
う。三津五郎、福助、橋之助らは、バトンタッチ時期を経て、後進、息子たちに大役
を演じさせる機会を増やして欲しい。
- 2013年8月4日(日) 21:38:49
13年08月歌舞伎座(第二部/「髪結新三」「かさね」)


小悪党は、格好を付ける侠客には強いが、格好より欲という家主には弱い。

序幕第一場「白子屋見世先の場」。序幕第二場「永代橋川端の場」。(暗転、太鼓の
よる雷雨の音で、開幕。夕暮れから夜へ)二幕目第一場「富吉町新三内の場」。(廻
る)第二場「家主長兵衛内の場」。(逆に廻る)第三場「元の町新三内の場」という
構成。前半の殺伐劇が、後半は落語的世界に変わる。その妙がおもしろい。新歌舞伎
の世話ものの傑作である。

1873(明治)6年。「明治」に入ってから、黙阿弥が落語を元に書き上げた「江
戸」人情噺である。失われつつある江戸人情を惜別する情が溢れている。五代目菊五
郎のために書き下ろした。

「梅雨小袖昔八丈〜髪結新三〜」は、8回目の拝見。私が観た新三は、菊五郎
(3)、勘九郎時代を含め勘三郎(2)、幸四郎(2)、そして今回は、三津五郎。
私は、菊五郎の新三が好きだ。菊五郎は自家薬籠中の演技で、安定している。勘三郎
は菊五郎に比べて、科白を謳い上げてしまう。幸四郎は、時代から世話に開眼中か。
三津五郎は、滑稽味のある部分は、巧い。

この芝居は、群像劇の一面もある。ほかの配役では、家主・長兵衛:弥十郎(今回含
めて、3)、三津五郎(2)、團十郎、富十郎、左團次。老け役に滋味が出始めた弥
十郎が良い味を出していた。滑稽味のある役柄で、弥十郎、三津五郎は巧い。富十郎
もとぼけた味を滲ませていて良かった。團十郎は、意外性。左團次は、さもありなん
という役どころ。

家主女房・おかく:亀蔵(今回含めて、2)、鶴蔵(2)、右之助、市蔵、鐵之助、
萬次郎。鶴蔵、鐵之助が、懐かしい。亀蔵は、ややどぎついばあさんとして熱演。こ
の家主夫婦、あるいは、ふたりと新三のやりとりは、漫才のようにテンポもあり、間
も良かった。

「髪結新三」が、基本的に笑劇だというのは、家主夫婦の出来に掛かっている。娘を
攫って慰みものにする、金を強請る、手代を脅迫するならず者、小悪党という新三
も、ニューカマーとして、江戸の機微には疎いという、とんまで、単純なところがあ
る。世知に長けた家主にあしらわれる。家主は、いわば、童話の「北風と太陽」のお
日様。おかしみのソフト戦術で対応する。貸家では、「入居お断り」が多い刺青者の
ニューカマーを大目に見て、新三に長屋の部屋を貸しているのが、この大家・長兵衛
の強み。長兵衛の権力の源泉は、ここにある。抜け目のない長兵衛は、その権力をち
らつかせながら、長屋の住民がらみのトラブルを解決しては、いつも関係者から「お
礼金」を引き出しているのだろう。そういう下世話なリアリズムがこの芝居の魅力に
なっている。新三と家主のやり取り、新歌舞伎の人情噺の名作のひとつだろう。

白子屋手代の忠七を演じたのは、扇雀。ちょっと存在感が弱かった。忠七:田之助
(2)、芝翫、三津五郎、門之助、福助、時蔵、今回が、扇雀。三津五郎は、「髪結
新三」の中で、いろいろな役をやっている。侠客の源七:左團次(2)、仁左衛門、
團十郎、富十郎、段四郎、歌六、今回が、橋之助。格好を付けた侠客の親分は、いわ
ば、童話の「北風」。権威づくで失敗する。

さらに、芝居に一味添えるのが、新三の弟分・下剃勝奴だ。源七は下剃勝奴に塩を撒
かれる。塩は、逆三角形の小さな網篭に入っている。網篭は、新三宅の出入り口の傍
に掛けてあった。良く観ると、出入り口の横に桶、塩篭、包丁、しゃもじ、流し、俎
板などがあり、台所と判る。入り口に台所、奥に座敷一間。1DKの部屋の佇まいな
のだ。

私が観た下剃勝奴は、染五郎(3)、八十助時代の三津五郎、松緑、市蔵、菊之助、
そして今回が、勘九郎。勝奴は新三の芝居の隙間を巧みに埋めながら、味を出さなけ
ればならない。新三の役割をくっきり見せる調味料の役どころと見た。傍役のキャラ
クター作りが、黙阿弥は巧い。白子屋娘・お熊を演じた児太郎は、女形が今ひとつ。
少年の顔の線が透けて見える。車力・善八(秀調)の姪で白子屋の下女・お菊を演じ
た芝のぶが、相変わらず爽やか。科白も多く、店の奥へ引っ込む際、大向うから「芝
のぶ、芝のぶ」と声がかかっていた。長屋の住人・権兵衛(山左衛門)も、抜擢。科
白が多い。

贅言;若手登用の納涼歌舞伎なら、こんな配役でやって欲しい。新三:染五郎か勘九
郎、源七:海老蔵、忠七:菊之助、家主:猿之助、女房・おかく:松緑、下剃勝奴:
巳之助という辺りで。

新三内の場。街の顔役である侠客・源七との喧嘩で、新三「強い人だから返されね
え」などと、気風(きっぷ)の良い科白があり、これは明治の庶民も喝采を送ったの
ではないか。源七と新三のやり取りで、「四十を越えて」とか、「そこがやっぱり年
の所為だ」などと、人生50年時代らしい明治の科白が聞こえて来る。黙阿弥ものと
しても幕末期に上演された七五調の江戸歌舞伎とは違う。「科白劇」という意味で
も、これはやはり、江戸の世話ものから明治の散切りものへの橋渡し。「明治の歌舞
伎」なのだろう。

これは、グローバル化問題を抱える現代的な言い方をすれば、新旧江戸っ子の対立の
中で、「自立」を目指すニューカマーの青年の物語。上総生まれの「江戸っ子」を気
取る、ならず者の入れ墨新三(「上総無宿の入れ墨新三」という啖呵を切る場面があ
る)。深川富吉町の裏長屋住まい。店を持たず、廻り(出張専門)の髪結職人。立ち
回るのは、日本橋、新材木町の材木問屋。江戸の中心地の老舗だ。老舗に出入りする
地方出の、新・江戸っ子。つまり、ニューカマーというわけだ。江戸が都市として膨
張し、地方から多くの人たちが流れ込んで来た。3代目にならないと、本当の江戸っ
子と言わないという旧・江戸っ子に対抗するためには、新・江戸っ子は、「過剰に」
江戸っ子ぶりを演じなければならない。伸し上がるために、彼が考えたのが婦女かど
わかしによる蓄財作戦。対抗する旧・江戸っ子の代表格が、侠客の源七ではなく、家
主の長兵衛という辺りが、黙阿弥の人間を見る目のセンスの良さだろう。

この芝居は、元が落語の「白子屋政談」という人情噺だけに、落語の匂いが滲み出
す。1727(享保12)年に婿殺し(手代と密通し、婿を殺す)で死罪になった
「白子屋お熊」らの事件という実話もの。

黙阿弥は、江戸の季節感をふんだんに盛り込むことで、逆に、人事の悲劇を際立たせ
る。梅雨の長雨。永代橋。雨のなかでの立ち回り。梅雨の晴れ間。深川の長屋。初鰹
売り(これも、三津之助を抜擢!)。朝湯帰りの新三の浴衣姿。町の顔役や長屋の世
慣れた大家夫婦(弥十郎、亀蔵)。ここで、終われば、オチがつき、正に、落語に
なってしまう。粘着質の侠客による殺し場。深川閻魔堂橋での立ち回りなど。主筋の
陰惨な話の傍らで、この舞台は江戸下町の風物詩であり、人情噺である。

贅言;納涼歌舞伎は、花形が上置きになるので、大部屋役者で力をつけている人がワ
ンランク上へ抜擢されるので、それを見落とさないようにするのも楽しみ。


通称「かさね」、「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」は、5回目の拝
見。恋愛時代が過ぎ、すきま風が吹く。女を殺そうとする男と男に殺されまいとする
女の執念劇。

下総の羽生村の鬼怒川に伝わる累(かさね)伝説。嫉妬深い醜女の怨念の物語。「か
さねもの」は、歌舞伎の一つの世界。「色彩間苅豆」は、1823(文政6)年、江
戸森田座初演。南北原作。清元の道行浄瑠璃の一場。陰惨な所作事ゆえか、一時期、
上演が廃れた。1920(大正9)年、歌舞伎史上有数の二枚目・十五代目羽左衛門
の与右衛門、六代目梅幸のかさねで、この一場のみ復活した。

私が観た与右衛門:孝夫時代の仁左衛門、吉右衛門、三津五郎、染五郎、そして今回
は、橋之助。かさね:福助(今回含めて、2)、玉三郎、雀右衛門、時蔵。

幕が開くと、浅黄幕が、舞台全面を覆っている。舞台上手と下手から、簑と笠を着け
たふたりの捕り手が、それぞれ出てくる。百姓の助太夫が殺された。与右衛門を百姓
殺しの容疑で、追っている。浅黄幕、振り落し。

羽生村の木下(きね)川の土手。与右衛門は、同じ家中の腰元かさねと不義密通を
し、屋敷を追われる。下手に、「木下川」と書いた杭が立っている。上手は、水門と
橋。

前半は、恋仲の美しい男女の道行。夜更けの上手土手道から、ゴザで雨をよけながら
与右衛門の出。花道から傘をさした腰元かさね。いつもと違う出。普通は、道行きゆ
え、男女ふたりとも花道から同行。但し、逃げ足の男を女が追って来る。

身ごもっているかさねは、与右衛門にうらみごとを言う。一緒に死んで欲しいと女が
言う。不仲ということか。

卒塔婆に載って、さびた鎌が刺さっている髑髏が、流れてくる。ここからは、後半の
恨み節。土手を降りて、卒塔婆を拾い上げた与右衛門は、卒塔婆に「俗名助」と書い
ているのを見て、慌てて卒塔婆を二つに折り、捨ててしまう。その瞬間、かさねが、
顔を押さえて苦しみ出して、草むらに倒れてしまう。

背景の黒幕が落ちると、木下川の見える野遠見。夜明けでもある。与右衛門を追っ
て、捕り手が来る。

逃げようとする与右衛門。草むらから現れ、観客席に後ろを向けたまま、かさねが、
与右衛門を引き止める。かさねの顔を見て、与右衛門は、驚く。醜く変わっているか
らだ。

与右衛門とかさねの立ち回り。どんなに酷い目に遭っても、男から離れまいとする女
の執念。与右衛門にとって、いちばん怖かったのは、それではないか。

花道から逃げようとするが、亡霊となったかさねの怨念で、七三で鎌を口にくわえた
まま与右衛門は、前へ進めない。逆に、引き戻されてしまう。恋の逃避行を夢見たか
さねは、絶望の果てに狂って死んで行く。柳の下のかさね。幽霊になる。自分の犯行
の数々を承知で、怨念に祟られた与右衛門の悪夢。その行違いが生む緊迫感。

立ち回りをしながら、何回もの男女の静止ポーズは、無惨絵のブロマイドのよう。橋
之助は、色悪。福助の所作は、安定している。成駒屋兄弟の無惨絵の舞踊劇。今月
は、第二部が、見どころが多かった。
- 2013年8月4日(日) 17:19:20
13年08月歌舞伎座(第一部/「野崎村」「鏡獅子」)


「納涼歌舞伎」の世代交代を進めたい


歌舞伎座、杮葺落興行も、今月は、納涼歌舞伎。去年暮れに亡くなった勘三郎らが、
花形役者と呼ばれていた若手時代に始めたものだ。当時8月の歌舞伎座は、歌舞伎上
演月ではなかった。1990年8月から納涼歌舞伎として歌舞伎上演が始まり、09
年8月が最後となった。歌舞伎座建替えの3年間を除いて通算20年間開催してき
た。それが、今年、また、再開される。新たな21年目のスタートである。

納涼歌舞伎スタート当時、20代、30代だった花形中堅の役者たちが、いまや、4
0代、50代となった。彼らの間から、意欲的に大役に挑む役者が、生まれた。勘九
郎が、十八代目の勘三郎になり、7年後の去年12月、亡くなってしまった。このほ
か八十助が、三津五郎に、児太郎が、福助になるなど、納涼歌舞伎は、力をつけた役
者たちが、大きな名跡を継ぐのを手伝って来た。今回も、三津五郎、福助、橋之助ら
が出演しているけれど、もう、中堅役者。いずれ、花形歌舞伎からは、世代交代する
年齢だろう。

今回は、ベテランの納涼歌舞伎客演は別として、花形役者の子供たちが出演してい
る。三津五郎の息子の巳之助、勘三郎の息子の当代勘九郎、七之助、福助の息子の児
太郎、加えて、扇雀の息子の虎之介、勘三郎に認められて弟子入りした鶴松ら。親や
師匠たちの役どころを学びながら、花形、若手に向けて、成長し始めたと言えるだろ
う。その意味では、三津五郎、福助、橋之助らは、引き継ぎ役。巳之助、勘九郎、七
之助、児太郎らが、年齢的にも、数年のうちに納涼歌舞伎の軸となって来なければな
らない。松竹は、納涼歌舞伎の世代交代を進めて欲しい。

「新版歌祭文 野崎村」は、近松半二ほかの原作で、左右対称の舞台装置を得意とす
る半二劇の典型的な演劇空間。両花道と廻り舞台のスムーズな連携が、この演目のハ
イライト。本来は、両花道(本花道、仮花道)を使うが、今回は、本花道だけの演
出。1710(宝永7)年、大坂で起きたお染・久松の情死という実話が元になって
の狂言で、大店の娘と若い使用人の心中物語という「お染・久松もの」の世界。大店
の娘と若い使用人の物語としては、それより50年ほど前の1662(寛文2)年、
姫路で起きた「お夏・清十郎もの」という歌舞伎や人形浄瑠璃の先行作品があり、俗
謡の「歌祭文」となったことから、近松半二ほかの原作は、久作に、この「歌祭文」
のことを触れさせるが故に、外題を「新版歌祭文」とした。

「新版歌祭文 野崎村」、私は4回目の拝見。初めて観たのは、95年12月の歌舞
伎座。勘九郎のお光、富十郎の久作(父親)、玉三郎のお染、澤村藤十郎(現在、病
気休演中だが、出演が待たれる)の久松、松江時代の魁春のお常(後家)。滅多に出
て来ないが、久作妻に吉之丞が出ていた。

次は、5人とも、人間国宝という重量級の組み合わせで、05年2月の歌舞伎座の舞
台。芝翫のお光、富十郎の久作、雀右衛門のお染、鴈治郎の久松、田之助のお常。3
回目は、福助のお光、弥十郎の久作、孝太郎のお染、橋之助の久松、秀調のお常。印
象的には段々若返る。

今回は、福助のお光、弥十郎の久作は、変わらず。扇雀の久松。東蔵のお常。お染が
七之助と、若返ったが、納涼歌舞伎の花形の配役としては、物足りない。思い切っ
て、お光が、七之助で、お染が勘九郎、久松が児太郎か、巳之助辺りか。今回の舞台
では、七之助のみ出演。お光は嫉妬心を含めて素直な性格という人物造形が可愛らし
いが、お染は、お嬢様以外の人物造形が弱い。だから、お染は、お光ほど仕どころが
ない。

この芝居は、「お染・久松もの」だが、「野崎村」という通称に示されているよう
に、軸となるのは、野崎村に住む久作と後妻の連れ子のお光の物語。大坂の奉公先
で、お店のお金を紛失し、養父・久作の家に避難して来た養子の久松、久松と恋仲で
久松の後を追って訪ねて来たお店のお嬢さん・お染、さらに、お染を追って来たお染
の母・お常が登場する。お光、お染のふたりの女性の愛憎物語の一面もあるのだが、
軸のなる人間関係は、やはり、お光と久作の親子であることを忘れてはならない。

福助のお光は、鏡に向かって、髪を直したり、肌色の油取りの紙を細く折り畳み、そ
れで眉を隠して、眉を剃り落として若妻になった様を見せて、自分で「大恥ずかし」
という。こういう役は、福助の父親の芝翫が巧かった。年齢を感じさせない、初々し
さは、この人の美質のひとつであろう。福助だと、初々しいというより、少し、お
きゃんになる。お嬢様育ちのお染は、お光に比べると、おっとり、ゆったりしてい
る。しかし、心中(しんちゅう)には、烈しいものを秘めている。久松との心中(し
んじゅう)をも辞さないという強気が隠れているからである。ふたりの若い娘の衣装
の色が、印象的。赤いお染。若緑のお光。

弥十郎の久作は、年寄りは、演じていても、富十郎の描く滋味には叶わなかったが、
最近、この人は、まだ、富十郎とは比べるベくもないけれど、左團次路線の後継者と
いう感じで、役どころの壺を心得てきたようで、味が出てきた。確かに富十郎は、本
当に巧かった。見どころの灸を据える場面だけではない、大坂弁の科白回しに、なん
とも、味わいがあった。お光・久松・お染の若い3人の男女の関係をバランス良く目
配りするのは、久作役者の仕どころである。弥十郎は、左團次路線で、富十郎とはひ
と味違う久作を造形し始めたと思う。

話の筋としては、店で不祥事を起こして実家に逃げ帰った青年とそれを追って来た経
営者の娘、それを連れ帰りに来た経営者の後家さん(娘にとっては、継母である)。
お染も、久松も、店に戻されるという展開になるだけの話。

久松は、未成熟で、頼り無いが、これが、上方和事の「つっころばし」の味わいの役
どころなのだ。ふたりの娘たちに気を使い、優柔不断。扇雀は、さすが上方味を出し
ていた。後家のお常は、久松の嫌疑を晴らし、兎に角、原状回復ということで、お染
と久松を大坂に戻す役。田之助が巧かったが、このところ、体調でも悪いのか、余り
舞台に出て来ないので、気がかり。田之助が余り出ない昨今、東蔵は、こういう役ど
ころは、数少ないはまり役のひとり。

大道具が廻る。久作の家が、裏表を見ることができる仕掛けだ。舟溜まりのある家。
両花道のときは、舞台に敷き詰められていた地絣を取り除くと、下から青い水布が出
て来て、同じように水布が敷き詰められた本花道の川へと繋がる。しかし、今回は、
最初から、平舞台は、下手行き止まりの舟溜まりとなっていて、川は、上手奥に続い
ている。両花道の場合は、川になる本花道は、街道である。両花道の場合は、本花道
が、川で、仮花道が、川の土手となり、大坂方面に向かう船と土手を行く駕篭の「併
行」、別れ別れに店に戻る男女を引き裂くのは、観客席という河川敷という卓抜な演
出方法をとる。

本舞台堤防上の久作の家では、死を覚悟したお染・久松の恋に犠牲になり、髪を切
り、尼になったお光だが、そこは、若い娘、大坂に帰る、お染の乗る舟と久松の乗る
駕篭をにこやかに見送りながら、舟も駕篭も見えなくなれば、一旦,放心した後、我
に返ると、狂ったように、父親に取りすがり、「父(とと)さん、父さん」と泣き崩
れる娘であった。

竹本に、早間の三味線が、ツレ弾き(2連で演奏)されるのは変わらないが、「さら
ば、さらばも遠ざかる、舟と堤は隔たれど」という文句通りには、いつものように、
賑やかに、情感を盛り上げたいのだが、舟が動く距離が短く、本舞台上手にすぐ入る
訳にいかず、ほとんど動かずということで、なかなか、苦しい演出だった。

歌舞伎の芝居に駕篭は好く出てくるから、駕篭かき役者は、星の数ほどいるかもしれ
ないが、「野崎村」の駕篭かきを演じる役者は、「天下一の駕篭かき役者」だ。別れ
の場面を長引かせようと、駕篭かきは、土手でひと休みして、汗を拭う。舟は、ト見
れば、船頭も同じように汗を拭く。いまは、亡くなってしまったが、四郎五郎と当時
の助五郎(後の、源左衛門)のコンビは、絶品だった。花道では、駕篭かきの見せ場
があるだけに、その時間稼ぎが苦しい。

今回の駕篭かきは、錦一と橋吾。去年9月に名題昇進の橋吾の歌舞伎座でのお披露目
の舞台。下帯一つの姿になり、汗を拭ったりして、見せ場を稼いでいたが、ここは、
松竹には、客席が減っても、両花道でやって欲しかった。


新歌舞伎十八番のうち、「春興鏡獅子」は、今回で、13回目の拝見。私が観たの
は、勘三郎(勘九郎時代含め、4)、勘九郎(勘太郎時代含め、今回で、3)、海老
蔵(新之助時代含め、3)、菊之助(丑之助時代含め、2)、染五郎。やはり、勘三
郎の「鏡獅子」が、いちばん安定している。江戸城本丸の御殿。弥生が将軍御前で踊
り始める前に、観客席、実は、将軍の御座所に向けて、きっちりと挨拶をする。

勘九郎は、女小姓弥生、後に、獅子の精では、後シテは凛々しく、動きもダイナミッ
クで良いのだが、前シテが、まだまだ。ふたつ扇など手堅くこなしているが、弥生の
身体の線が堅い。女形の衣裳の下に、相変わらず、青年勘九郎の身体が透けて見えて
しまう。

後半、向こう揚幕が、引かれて獅子の精が姿を見せる。花道の出、一旦本舞台近くま
で来た後、後ろ向きで素早く戻る。再び、本舞台へ。「髪洗い」、「巴」、「菖蒲
打」などの獅子の白い毛を振り回す所作を連続して続ける。激しい運動の後ながら、
勘九郎は、二畳の上でぴたりと静止し、息一つ乱さない。

「鏡獅子」は、六代目菊五郎が、磨き上げた演目で、「まだ足りぬ 踊り踊りて あ
の世まで」という辞世を残したように、奥の深い舞踊劇だ。勘九郎は、さらに精進し
て、「踊り踊りて」欲しい。亡くなった勘三郎は、「春興鏡獅子」は、「頂点のない
特別な踊り」だという。勘九郎は、まず、父の背中を見ながら、頂点を目指した父親
の後を追う。

中村屋一門の脇の「重鎮」・小山三が、老女・飛鳥井。早足で移動するのも、心配し
たが、まずまず。いつまでもお元気で。由次郎が、家老・渋井。鬘が大きすぎないか
と思うほど、面窶れしているように見えたのが心配。胡蝶の精は、扇雀長男の虎之介
と勘三郎の弟子・鶴松。若い身体が柔軟で気持ち良い。3人の裃後見では、小三郎が
きちんと勘九郎をサポートしていた。去年の2月新橋演舞場、勘九郎の六代目襲名披
露の舞台は、なんと七之助が、鬘を着けた裃後見姿で後見役を務めていた。兄を見つ
める弟の真剣なまなざしが印象に残った。今月の後半、14日以降は千秋楽まで、七
之助が勘九郎に替わって、弥生、後に、獅子の精を演じる。
- 2013年8月4日(日) 14:14:37
13年07月国立劇場・歌舞伎鑑賞教室 (「葛の葉」)


書道の「字」で判定する母親「葛の葉」役者の力量


「芦屋道満大内鑑〜葛の葉〜」は、1734(享保19)年竹本座初演の人形浄瑠
璃。全五段の四段目。翌年、歌舞伎化される。外題になっている「芦屋道満」と安倍
保名は、後継争いのライバル。道満は、四段目には登場せず。安倍保名も登場する
が、脇役。主人公は、狐の化身・葛の葉で、ふた役早替りで演じる葛の葉姫。中でも
母親としての葛の葉が主役。全五段では安倍保名と葛の葉の間に生まれた、後の陰陽
師安倍清明の生誕秘話(異類婚姻譚)となる。「大内鑑」という外題の下半分は、宮
中、つまり大内の内宴の場面が、大詰で出てきて、芦屋道満は、安倍保名の子、清明
に破れ、陰陽師・安倍清明の誕生となるからだろうか。ならば、「安倍清明大内鑑」
という外題が適切なような気がする。

7年ぶり、6回目の拝見。芝居のポイントは、葛の葉と葛の葉姫のふた役早替り。安
倍野奥座敷裏の障子に書く和歌の曲書き。これは、人形浄瑠璃には無い場面。つま
り、歌舞伎の「入れごと」という演出。

芝居の前半が、通称「機屋」、後半が「子別れ」(「奥座敷」と「道行」)となる。
前半の「機屋」では、狐の化身の妻・葛の葉と保名が亡くした許嫁の「榊の前」の妹
で、本来の恋人・葛の葉姫とのふた役早替りの妙が見どころ。「子別れ」(奥座敷)
では、障子に曲書き(「恋しくば」の「しくば」を「ばくし」と、和歌の文字を下か
ら上に書いたり、「信田の森」を裏文字で書いたり、右手を幼子と繋ぎ、左手で書い
たり、幼子を両手で抱きしめて、筆を口に銜えて最後の文字「葛の葉」と書いたりす
る)で、書いてゆく文字の巧さが見せ所。そして、全体を貫くテーマは、「母親の情
愛」だろう。それに加えて、今回は、時蔵が初役で葛の葉と葛の葉姫のふた役早替り
で演じるところ。

時蔵の登場する場面。1)童子を迎える母親(葛の葉)。機屋(障子窓)から顔だけ
を覗かせた後、座敷に出て来る(全身が見える)。2)花道から登場する庄司夫妻
(家橘と右之助)と駕篭。駕篭に乗ってきた葛の葉姫(赤姫の扮装)は、駕篭から出
た後(実際は、下手から出て来るが、観客席からは見えないという想定)、下手へ入
る。3)座敷に入ってきた庄司と対面する母親(葛の葉)だが、機屋の障子窓から角
隠しで、鬘を隠した葛の葉の顔だけを見せる。娘・葛の葉姫とそっくりな葛の葉が機
屋に居るのでびっくりする。4)下手から葛の葉姫。そこへ戻ってきた保名(秀調)
と対面。保名は、葛の葉が振袖姿の赤姫の扮装をしているので、いぶかしがる。5)
下手には葛の葉姫。機屋を覗く保名の証言のみ。母親(葛の葉)の姿は見えず。6)
葛の葉姫と庄司夫妻は、安倍家の物置へ。7)保名が座敷に入ると、機屋の障子窓か
ら、母親(葛の葉)が、角隠しのまま、顔を見せる。さらに、暫くして座敷へ出て来
る(全身が見える)。何の変哲もない。母親(葛の葉)童子を連れて奥へ入って行
く。この一連の場面では、葛の葉姫は、終始舞台下手にいる。母親(葛の葉)は、機
屋の障子窓(顔のみ覗かせる)と座敷(全身が見える)の場面を巧く使い分けて、ふ
た役早替りを見せる。ここは、まあ、それだけの場面。

しかし、狐の化身で、保名との間に童子(後の安倍清明)をもうけて、3人家族で仲
良く暮してきた母親(葛の葉。保名に助けられたことから「葛の葉姫」に化けて、保
名に恩返し。いまでは、女房・母親としての「葛の葉」になっている)は、本物の葛
の葉姫が出現したことで動揺している。

舞台が廻って、奥座敷へ。竹本「妻は、衣服を改めて……」。葛の葉の黄色い衣装
が、狐色か、華やか。舞台が廻って、安倍家の奥座敷となり、さらに半廻しで奥座敷
の裏手に廻った後、障子に曲書きをする場面は、子別れを余儀なくされた母情を表現
するという女形の真骨頂を見せる場面となる。母の情愛と狐の超能力のバランスの妙
が、問われる。

私が観た母親(葛の葉)は、5人。鴈治郎時代の藤十郎(2回)。福助、雀右衛門、
魁春、そして、今回は、初役の時蔵。

狐だろうと、人間だろうと、子を思う母親の気持ちは変わらない。ベクトルは、異形
者(化身)と母親、女房という3つ。私が観た葛の葉・葛の葉姫5人を分けるとすれ
ば、次のようになる。雀右衛門:晴明の母親。鴈治郎時代の藤十郎:母親と異形者。
福助、魁春:保名の女房。今回の時蔵は、藤十郎のタイプと見受けた。

普遍的な母性には変わりがないと、母性の情を色濃く出すのが、雀右衛門なら、鴈治
郎(藤十郎)は、母性と言えども、狐の化身たる葛の葉には、人間とは異なる超能力
を持つ異形者(獣性)としての味わいがあるということで、色気を感じさせる異形を
滲ませていた。鴈治郎(藤十郎)の「葛の葉」像が、演劇的には、正解なのだと思う
が、雀右衛門の純粋母性愛も棄て難い。魁春も、福助も、可愛らしい葛の葉で、「母
親」より、保名の「女房」という印象が強い。特に、初役で演じた魁春も、狐の化身
ぶりの表出は弱かった。今回の時蔵は、魁春と鴈治郎(藤十郎)との間くらいか。

例えば、鴈治郎(藤十郎)の化身ぶりを思い出せば、魁春や時蔵の化身ぶりが、如何
に弱いかが、判る。04年11月の歌舞伎座の舞台。奥座敷の場では、狐の化を滲み
出しながら、舞台にいるのは、まだ、女房の葛の葉なのだが、鴈治郎(藤十郎)は、
右手を懐に入れて、左手を袖のなかに入れて、という恰好で、手先を観客に見せない
ようにして、奥の暖簾うちから出て来る。ドロドロの音に合わせて、遠くの木戸を開
けてみせたり、保名との間にもうけた童子が、寝ているところに立て掛けてある屏風
を一回転させたり、やがて、手先を見せると、狐手に構えていたり、足取りも、狐の
ようにしたりで、じわじわ、獣性を滲み出して来る辺りは、なんとも、巧かった。母
親の情愛と狐の超能力が共存しているのが、良く判った。

ところが、魁春や時蔵は、童子が、寝ているところに立て掛けてある屏風を一回転さ
せたり、狐手に構えていたり、足取りも、狐のようにしたりはするのだが、「獣性を
滲み出して来る」わけではなく、外延的には、似ているが、本質的には、異なるもの
でしかないように感じた。

要するに、藝の領域が、小粒で、余白がないのである。それが、象徴的なのは、4枚
の障子に書く「恋しくば訪ね来てみよ・・・」という文字の拙さである。福助も、字
が拙かったが、魁春も負けていない(因に、福助の祖父、五代目歌右衛門の口書きは
屏風仕立てで、いまも残っているそうだから、巧かったのだろう)。鴈治郎(藤十
郎)の字も、残念ながら、あまり巧くはなかった。今回の時蔵も、字は巧いとは言え
まい。字の巧さは、私が観た5人の葛の葉のなかでは、雀右衛門が一番であった。歌
舞伎には、巻紙の手紙など字が書かれた小道具がいろいろと出て来る。こういう小道
具として使われる書道は、専ら、狂言作者たちの手になるものだろう。狂言作者に限
らず、歌舞伎役者にとって、「字」を書く、「書道」も藝のうち、ということだろう
と、思う。母親の情愛といい、字の巧さといい、そういう意味で、雀右衛門は、有数
の葛の葉役者であったと思う。

大道具、引き道具で居所替わり。安倍の座敷屋体は、上下に畳まれる。上手から山台
に乗った竹本連中登場。「信田の森道行」では、花道すっぽんから現れる際、黄土色
の衣装に黒い帯、銀の杖を持ち、黒い塗笠を冠った葛の葉の顔が、狐の「口面」(口
だけ狐の面)になっているのだが、本舞台に移動して、塗笠を取ると、人間の葛の葉
の顔になっている。狐の口面は、塗笠のなかへ、仕舞い込まれる仕掛けになってい
る。途中で、衣装のぶっ返り。狐の本性を顕す衣装となる。奴ふたりとの絡みの後、
狐は花道を信田の森へと帰って行く。

最後に、私が観た安倍保名は、今は亡き宗十郎のほか、東蔵、信二郎時代の錦之助、
翫雀、門之助、そして、今回の秀調の6人だが、ここの保名は、余り仕どころがな
く、結構、難しい役だと思う。所作事(清元の舞踊劇)の「保名」(「芦屋道満大内
鑑」の二段目「保名狂乱」が原典。六代目菊五郎が、今のような形の所作事に整備し
た)を踊る役者の場合の存在感と違って、ここの保名は、どの役者を思い浮かべて
も、印象が薄い。性根が、中途半端な所為かも知れない。

歌舞伎鑑賞教室恒例の「歌舞伎のみかた」は、今回、時蔵の次男・萬太郎が勤めた
(内容は省略)。
- 2013年7月9日(火) 7:10:28
13年07月歌舞伎座 (夜/通し狂言「東海道四谷怪談」)


熟成前だが、清新な「花形歌舞伎」


通し狂言「東海道四谷怪談」を観るのは、4回目。2000年(歌舞伎座)、04年
(旧・歌舞伎座では、最後の上演)、10年(新橋演舞場)、いずれも8月の「納涼
歌舞伎」で私は舞台を観た。今回13年は、7月の新・歌舞伎座の杮葺落興行。

納涼歌舞伎:花形(若手)重用の「納涼歌舞伎」は、新たな若手進出の観測点だろう
と思う。来月も出演予定となっている役者のうち、三津五郎、福助、橋之助、扇雀
は、そろそろ卒業だろう。来月の配役からみれば、ここ暫くの「納涼歌舞伎」の担い
手は、勘九郎、七之助、巳之助辺りに世代交代して来るだろう。今月の歌舞伎座出演
者では、染五郎、松緑、菊之助、愛之助。九月の花形歌舞伎では、さらに、海老蔵も
加えよう。そういう意味では、4月から6月までの3ヶ月間の重鎮役者を軸にした
新・歌舞伎座の杮葺落興行が、納涼歌舞伎の8月を挟んで、7月から9月までの3ヶ
月間の花形歌舞伎興行にタッチするのは、極めてオーソドックスな興行戦略かもしれ
ない。

さて、夜の部は、通し狂言「東海道四谷怪談」。私が観た主な配役は、次の通り。勘
九郎時代の勘三郎(2回)は、お岩、小平、与茂七の3役(いずれも、歌舞伎座)。
勘太郎も、この3役を受け持つ(新橋演舞場)。今回は、菊之助が、同様に3役早替
りで受け持つ。伊右衛門は、橋之助(2回)、海老蔵。今回は、染五郎。直助は、八
十助時代を含め、三津五郎(2回)、獅童。今回は、松緑。お袖は、2回とも、福助
(2回)、七之助。今回は、梅枝。宅悦は、弥十郎(2回)、今回含め市蔵(2
回)。お梅は、芝のぶ、七之助、新悟。今回は、尾上右近。お梅の祖父・伊藤喜兵衛
が、亡くなった坂東吉弥、市蔵、家橘。今回は、團蔵。若手重用の納涼歌舞伎の時期
でもあり、「東海道四谷怪談」は、逸早く、世代交代、若手登用のメルクマールにな
るようで、有望な若手が進出してきているのが判る。役者の世代交代は、数年間隔の
夏の「東海道四谷怪談」の配役を見ると一段とくっきり判ると言えるかもしれない。
花形役者の仕上がり具合を観測する定点と言えば良いだろうか。

「東海道四谷怪談」は、江戸の中村座で、文政8(1825)年に初演されて以来、
今年で188年になる。四世南北の代表作の輝きを永遠に失わない演目だろう。私に
とって、「東海道四谷怪談」の魅力は、なんといっても、江戸の街のざわめきが真空
パックに詰め込まれていて、パックを開けると飛び出して来るということだ。

例えば、序幕第一場「浅草観音額堂の場」では、タイムマシーンに乗ったように、江
戸の風俗が目の前に拡がって来る。舞台下手、「御休処」の屋根の向こうに見える額
堂の廂下に掲げられた複数の絵馬や宝の字が描かれた奉納額。観音様に参詣する男女
が行き交う。上手には、「御楊枝」と書かれた提灯が掲げられていて、お岩の妹のお
袖(梅枝)が、働いている。「藤八五文」の薬売の直助(松緑)が、花道をやって来
る。客席の、ざわめきは消えて、江戸の街のざわめきが取って代わって来る。そこ
は、江戸の空間であり、ゆるりとした時間が流れはじめる。

序幕第二場「宅悦地獄宿の場」。南北お得意の下層庶民の生活を活写。第三場「浅草
暗道地蔵の場」、第四場「浅草観音裏田圃の場」。遊廓・吉原の裏側に広がる田圃。
殺し場。二幕目第一場「雑司ヶ谷四谷町 伊右衛門浪宅の場」。伊右衛門・お岩の自
宅。第二場「伊藤喜兵衛内の場」。美男伊右衛門と孫娘の我がままに爺バカな伊藤藤
喜兵衛。第三場「元の伊右衛門浪宅の場」。家族の崩壊。三幕目「本所砂村隠亡堀の
場」。暗い客席と薄闇の舞台。客席から観ると平舞台や隠亡堀の土手、草木が、照明
の関係、雪のように白っぽく光って見える。冥界の亡霊(死者)と生者の妖しい交
流。「隠亡堀の場」では、小平とお岩の遺体が、戸板の裏表に張り付けられている、
いわゆる「戸板返し」というのが見せ場。大詰第一場「滝野川蛍狩の場」。美男美
女。悲劇の中の、幻想的な夢の世界。大向うより、菊之助・染五郎のふたりに「ご両
人」と声がかかる。第二場「本所蛇山庵室の場」。薄闇の舞台。「外連」の演出は、
「大詰」第二場で、一気に花開く。まず、お岩の出は、庵室の外に掲げられた提灯の
名号が、燃えてから、その隙を狙うようにして、抜け出て来る。いわゆる「提灯抜
け」という演出。壁に掛けた衣紋にぶら下がり、それに引っ張られるように壁のなか
に溶け込んで行くお岩。次は、井戸のなかから「宙乗り」で足のないお岩が出て来
て、本舞台を下から上へ移動して、再び、消えてしまう。そして、昔の仲間、伊右衛
門から金の代わりに、高師直の墨附を脅し取って以来、鼠に頭などを齧られて困って
いると訴えて来た秋山長兵衛は、お岩に祟られ、仏壇のなかへ引き込まれるようにし
て殺されてしまう。いわゆる「仏壇返し」という演出。

「四谷怪談」上演の場合、毎回、客席は、始終暗いので、いつものような観察メモが
取れない。どうしても印象の残る場面のみの記録とならざるを得ない。観客席は、い
わば、江戸の闇のなかに潜んでいる。


初役で挑戦する役者たち


今回は、ほとんどの役者が初役で上演。新・歌舞伎座、3年ぶりの再開場、杮葺落興
行というエポックメイキングで、この「冒険」ぶり。松竹も、自信があるのだろう。
結論を先に言うと、熟成前だが、清新という印象の舞台だった。お岩、小平、与茂七
の3役に挑戦した菊之助のほか、染五郎の伊右衛門、松緑の直助も初役。松緑は、今
月の昼夜で演じた3役の中では、直助が、いちばん任に合い、ぴったりする。楽屋話
に拠ると、本人もそう言っている。染五郎が色悪、色気のある悪なら、松緑は、小悪
党の小汚い悪。このほか、ベテランの團蔵、萬次郎、錦吾に加えて、亀三郎、梅枝、
尾上右近も、初役。つまり、主だった配役で、初役でないのは、宅悦を演じる市蔵だ
けだ。この市蔵の宅悦が良かった。ひと言でいえば、菊之助が、お岩の「窶れ」を表
現したとすれば、染五郎は、美男故に「すさんで」行く伊右衛門を演じた。市蔵の宅
悦は、伊右衛門とお岩の間で、芝居の黒衣のように、目立たなく動き回りながら、軸
となる菊之助と染五郎の芝居をスムーズに繋ぐ役割を過不足なく、きちんとこなして
いるのが印象的だった。


「化粧」という怪談


特に、菊之助。化粧をする姿が、心理面も表現をし、心身ともに「怪談」になるとい
う凄さ。私が観た3回の舞台は、勘九郎時代の勘三郎(2)、勘太郎時代の勘九郎と
いうことで、中村屋のお岩。今回は、菊之助の音羽屋。初演時の三代目菊五郎に挑戦
するようなお岩。その違いも、考察してみようと、思う。

幕末の初演時に、三代目菊五郎は、お岩、小平、与茂七の3役を早替りで演じた。七
代目菊五郎の長男で、いずれは、八代目菊五郎を受け継ぐであろう菊之助初役の3役
は、良かった。六代目梅幸以後縁遠くなっていた音羽屋のお岩を「生き返らせた」と
いうのは、逆説的だが、生き返らせたと思う。「三代目菊五郎への挑戦」は、とりあ
えず、成功したと思う。それは、以下の点が重要だろう。滅多に上演されない「滝野
川蛍狩の場」。幻想的な「蛍狩の場」では、若くて、綺麗なお岩であった。伊右衛門
の夢の中に出てきた若き日のお岩であった。ふたりの若者の唇に小さく朱が入ってい
る。伊右衛門、お岩にも幸せな時代があった。今月の歌舞伎座昼・夜の演目では、昼
の部の「加賀見山再岩藤」では、華やかな「花の山」の場面があり、夜の部の「東海
道四谷怪談」では、幻想的な「蛍狩」があり、いずれも、鬱陶しい話の中で、一服の
清涼剤になっていると思う。

産後の肥立ちが悪く、体調不良、毒薬を飲まされて、美貌が変形して行く窶れたお
岩。そして、亡霊となり、復讐に執念を燃やす醜いお岩をきちんと演じ分けていたと
思う。薄暗闇で、髪梳をするお岩は、顔を伏せていて、声ばかりが聞こえてくる。菊
之助は、三態のお岩のうち、美貌、執念の間に、「窶れ」をきちんと差し挟んでい
て、三態のメリハリが利くようにしていたと思う。

中村屋のお岩は、勘九郎時代の勘三郎を2回観て、勘太郎時代の勘九郎を1回観てい
る。勘九郎(勘三郎)は、恐いはずのお岩なのに、太り肉の勘九郎(勘三郎)の肉体
では、お岩という存在の向こう側に太めの肉体が、透けて見え、滑稽味すら感じてし
まう。「恐い可笑しみ」。スマートな体型の勘太郎(勘九郎)は、初役ながら熱演
だったが、熱演過ぎて、科白が、絶叫調になる場面もあって、ちょっと、興ざめし
た。それが、今回の菊之助は、同じ初役ながら、「窶れ」を重視したために、「熱
演」にならずに、堅調な演技でよかった。体型もスマートで、その点でも有利に働い
た。菊之助の、今後の精進で、お岩役に「磨き」をかけて欲しいと思った。

前回、3年前の劇評で私は以下のように書いた。

*雀右衛門、鴈治郎、玉三郎などの、お岩も観てみたい。勘九郎とは、ひと味もふた
味も違うお岩が見られるだろうが、鴈治郎が、お岩を演じたのは、17年前、93年
6月の京都南座、玉三郎が演じたのが、27年前、83年6月の歌舞伎座、雀右衛門
が演じたのは、実に、半世紀以上前、52年前、58年8月大阪中座で、まだ、大谷
友右衛門を名乗っていたと言うことでは、なかなか、望むべくもないかもしれない。
ましてや、歌右衛門や先代の勘三郎の往年の舞台は、なお、なお、適わない。映像で
しか観ることができない。歌右衛門や先代の勘三郎の、生の舞台を観た人たちから
は、勘九郎(当代の勘三郎)の「四谷怪談」は、お化け屋敷のようで、歌舞伎の味わ
いが乏しいという声も、時空を超えて、聞こえて来る。」

今では、雀右衛門、勘三郎は、亡くなってしまった。上記の年数は、以下のように訂
正される。鴈治郎が、お岩を演じたのは、20年前、93年6月の京都南座、玉三郎
が演じたのが、30年前、83年6月の歌舞伎座。

歌舞伎らしい「四谷怪談」は、お岩役では、玉三郎を筆頭に、福助、菊之助、精進後
の現・勘九郎、あるいは七之助らに期待したい。伊右衛門は、前回観た海老蔵の出来
が良くなかったので、今回は、染五郎に期待した。染五郎は、お岩の「窶れ」に対し
て、人格の「すさみ」を滲ませた演技で、まずまずの色悪ぶりであった。直助は、松
緑。松緑は、奴は良く似合う。

贅言:上演時間は、最近は、正味3時間前後になってしまっているが、こういう演目
は、是非、時間をたっぷりとって、国立劇場で上演して欲しい。「四谷怪談」の国立
劇場の上演は、42年前の、71年9月の先代勘三郎のお岩以来、途絶えている。松
竹演劇制作部の上演記録と言う資料では、この時の上演時間は、5時間20分。正味
では、4時間半くらいと推測される。

国立劇場版「東海道四谷怪談」では、お岩と伊右衛門を玉三郎と仁左衛門のコンビで
観たいと思うのは、私だけではないだろう。30年前の83年6月歌舞伎座の舞台の
再現(仁左衛門は、当時は、まだ、孝夫だった)。但し、直助は、「三角屋敷の場」
も含めて、三津五郎か、あるいは、今回の松緑も良いか(30年前の直助は、当代松
緑の父親・初代辰之助、三代目松緑追贈)。宅悦は、市蔵か。

このときこそ、当代では、究極の「四谷怪談」の世界が、時空を超えて、現代社会に
出現するに違いないと、夢見ているのだが……。

さて、最後に、今月の歌舞伎座に戻ろう。大詰「蛇山庵室」の夢から覚めた伊右衛門
(染五郎)は、与茂七(菊之助)と立ち回りになるが、途中で、芝居を中断し、舞台
中央にふたり並んで座り込み、「まず、こんにちは、これぎり」と挨拶をして、幕。
座頭役者は、染五郎と判る。
- 2013年7月9日(火) 7:09:04
13年07月歌舞伎座 (昼/通し狂言「加賀見山再岩藤」)


通し狂言「加賀見山再岩藤」は、13年ぶり、3回目の拝見。過去の2回は、いずれ
も猿之助主演、澤潟屋一門の芝居。猿之助の早替りが売り物という演出。95年10
月、2000年10月、いずれも歌舞伎座であった。今回は、音羽屋型。

通し狂言「加賀見山再岩藤」は、戦後、十七代目勘三郎が演じた。40年前、197
3(昭和48)年5月京都南座の舞台を初演で演じて以降、早替り、外連などの舞台
展開を得意とする三代目猿之助は、岩藤、又助、弾正、大領、梅の方、帯刀、伊達平
の7役早替りという演出で、昭和の時代が終わるまで、15年間に10回も本興行の
舞台で演じ続けた。平成になって、5役早替り、4役早替りと、年齢、体力の衰えに
従うように役を漸次へらしながらも、11年前、02年大坂松竹座の舞台まで勤め
た。私は、ここの内の、2回の舞台を拝見した。岩藤、又助、弾正、大領の4役早替
りであった。以後、この芝居は、勘九郎時代の勘三郎が03年10月平成中村座で大
領の代わりに梅の方を入れて4役を演じたが、亡くなってしまった。中村屋型は、観
る機会が無かった。四代目猿之助を襲名した亀治郎が、10年3月京都南座で初演、
先代猿之助同様の7役早替りに挑戦した。ならば、そろそろ、新・歌舞伎座でも上演
して欲しい。このほか、21年前、92(平成2)年10月国立劇場で菊五郎が演じ
ている。今回、松緑は、菊五郎と同じ、音羽屋系。この舞台を再演した格好になる。
劇評の最後では、澤潟屋演出と今回の演出を比較してみようと思う。

今回は初役多い。軸となる松緑、菊之助、染五郎は、ふた役。特に、松緑は、菊五郎
同様、立役の又助(正室を誤殺してしまい、後に切腹)と女形の岩藤(最初から亡
霊。仇役を操る)を演じる。菊之助は、お柳の方(大領の側室に潜り込んだが、実
は、お家横領派の弾正の妻)、二代目尾上の女形ふた役。仇役一味と正義派のふた
股。染五郎は、多賀家・当主大領、家老の安田帯刀の立役ふた役。いわば正義派。

松緑は、21年前の少年時、92年10月国立劇場の菊五郎の舞台を観ているとい
う。音羽屋型は、又助と勘平の切腹のアナロジーがポイント。松竹の上演記録を見る
と、補綴版がいろいろある。加賀山直三、藤間勘十郎、市川猿之助、戸部銀作、奈河
彰輔などなど。その違いは? 未調査。今回は、加賀山直三版。

「加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)」は、幕末も押し詰まって来た1
860(万延元)年、江戸市村座で初演。河竹黙阿弥原作。別名「女忠臣蔵」と言わ
れる加賀騒動を素材にした「鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」の「後
日もの」(ゆえに、「再」という字を使い、「ごにち」と読ませている)、「鏡山」の
「続編」だから「加賀見山」である。「鏡山旧錦絵」は、もともと人形浄瑠璃で、容
楊黛(ようようたい)の作。後に、歌舞伎化された。

「骨寄せの岩藤」は、先に四代目鶴屋南北が「桜花大江戸入舟(やよいのはなおおえ
どのいりふね)」という外題で書き、これを後に黙阿弥が「再岩藤」として、「骨寄
せ」に加えて奈河亀輔の「加賀見山廓写本(さとのききがき)」の「又助切腹」の場
面を、いわば、「綯い交ぜ狂言」として書き換えた。著作権などの権利意識の薄い時
代、有名無名の狂言作者たちは、先行作品を下敷きにして、「俺の方が、もっと、面
白く仕立てられる」とばかりに趣向を凝らして「綯い交ぜ」ぶりに力を競い合った。

歌舞伎の演目は、もともと、ベースになる「世界」(「太平記」、「義経記」、「曽
我物語」などいろいろある)という縦系列のなかに、「趣向」という横系列をクロス
させて作り上げる世界だから、ある意味では、どの作品も皆、「後日もの」の積み重
ね、あるいは綯い交ぜ狂言の連鎖で、「パロディの系列」が、歌舞伎の歴史の一面を
物語ることになると言っても、過言ではない。

さて、「加賀見山再岩藤」の舞台。まず、「発端 多賀家下館奥庭浅妻舟の場」。今
の東京板橋区(江戸時代の中山道板橋宿)にあった江戸時代の加賀藩下屋敷を想定し
ている。21万8000坪という広さ。邸内に川を引き込み、池もある。「発端」の
場面は、花道から続く川、池、奥にも川が続く、ということで、そういう空間である
ことを物語っている。

「鏡山」に描かれたお家騒動は、治まったものの、またぞろ、多賀家の重臣・望月弾
正(愛之助)と事実上の夫婦の柳の方(菊之助)が企み、当主・多賀大領(染五郎)
の側室に柳の方を送り込み(つまり、妻の肉体を提供して、スパイ活動をやらせてい
る)、お家横領を狙っている。権力者は、色に迷い、横領者は、権力と金を狙う。奥
庭の池に多賀家の家紋入りの浅妻舟に乗った当主の多賀大領と側室の柳の方が、舟か
らの花見を終えて戻ってきた。仲睦まじいふたりに、大向うから「ご両人」と声がか
かる。それだけの場面。

序幕第一場「浅野川川端多賀家下館堀外の場」。第二場「浅野川川端の場」。第三場
「浅野川堤の場」。多賀家のお家騒動や人間関係が説明される。弾正(愛之助)、一
角(権十郎)、主税(亀寿)は、横領派の一味。対する多賀家家老の帯刀(染五
郎)、謀略で追放された忠臣の求女(松也)、求女を匿う又助(松緑)。

又助は、弾正に騙される。正室・お梅の方(壱太郎)が、求女帰参を願いお柳の方殺
しを目論んでいた又助に間違って殺される。ここまでは、お家騒動の構造が明かされ
る。お梅の方を駕篭に乗せ、雨の中、傘を差している腰元が付き従う行列。後の「花
の山」、岩藤の「ふわふわ」の伏線の印象。

二幕目第一場「八丁畷三昧の場」。第二場「花の山の場」。「加賀見山再岩藤」では、
二代目尾上は、最初か岩藤殺しの殺人者として出発する。岩藤の骨は、野ざらしにさ
れて、八丁畷の土手の斜面に散らばったまま、放置されている。「鏡山旧錦絵」で
は、尾上が岩藤に虐められ、草履打ちにされる。それを苦に自害する尾上。尾上の召
使い、主人思いの、初々しい娘だったお初が尾上の敵を討ち、岩藤を殺す。お初は、
その功により、二代目尾上となっているからである。岩藤殺しから5年後という設
定。二代目尾上(菊之助)が初代尾上の命日に墓参に訪れると、同じ墓地の「三昧
(馬捨場)」に、バラバラに捨てられていた骨が寄せられ、一体の骸骨になり、やが
て岩藤の亡霊になる。骨寄せの見せ場。土手の骨も、筵で頭蓋骨を巧みに隠してい
る。岩藤の亡霊(松緑)への転換。骸骨の人形遣いの苦労が忍ばれる。土手上での、
二代目尾上、主税、帯刀、弾正、求女らのだんまり。尾上の大事な弥陀の尊像は、帯
刀の手に渡る。

音羽屋型では、骸骨から蘇った岩藤が、「花の山」という桜満開の上空を散歩する。
明るく華やかな舞台で、空中散歩は、俗に「ふわふわ」という、「ミニ宙乗り」の演
出である。綺麗な衣装を着て、大きな日傘を持った岩藤が、本舞台下手から上手に
向って(澤潟屋演出では、「黒い」衣装の岩藤が、「逆に」上手から下手に向う。本
格的な「宙乗り」に繋げるためである)、ふわふわと天空を散歩する。岩藤の足元に
は、胡蝶が舞う。

澤潟屋型だと、上手から下手へ本舞台の上を「ミニ宙乗り」とし、さらに、華やかな
衣装に着替えて花道・すっぽんから、再び、本格的な「宙乗り」をして、花道の上を
3階席の向こう揚幕まで、満場の注目を集めながら引っ込む。音羽屋型に比べて、派
手に宙乗りを印象づける。

なお、猿之助は、上演する度に「再岩藤」の演出を工夫していて、私が観た95年の
舞台では、花道での「宙乗り」を際だたせるためにという理由で、この「ふわふわ」
がなかった。2000年の舞台では、「ふわふわ」を復活し、上の述べたような演出
をした。今回の音羽屋型では、本舞台上の「ふわふわ」しかしなかった。

三幕目「多賀家奥殿草履打の場」。ここは、本歌取り。「鏡山旧錦絵」のパロディ。
中老として権力を握っている二代目尾上に対する岩藤の復讐が始まる。再び、岩藤の
尾上に対する「2度目」の草履打ち。しかし、この草履打ちには、「殺人者への反
抗」もあり、「旧錦絵」の「虐め」としての「1度目」の草履打ちとは、性格が異な
ることに注意したい。権力者は、手を汚しているものである。それを覆い隠すのが、
封建時代の上下関係を重視する道徳観だ。正義の味方だったお初も、二代目尾上に
なったことで、根本的に質的に変換している。そういう権力者の「闇」を幕末の黙阿
弥は承知しているし、芝居小屋に来る庶民も承知している。

四幕目「鳥井又助内切腹の場」。「仮名手本忠臣蔵」の六段目「勘平切腹の場」のパ
ロディ。又助は切腹をした際、「お疑いは晴れましたか」と勘平と同じ科白を言う。

又助の弟で、盲目の志賀市が近所の子供たちに虐められる場面がある。そのときに子
供が言う台詞は、「目が見えぬから、虐めるのじゃ」。子供は、残酷である。大人た
ちの価値観をそのまま学んでいる。残酷な社会は、子供たちの心のなかに、大人たち
の残酷さをそのまま持ち込んでいる。黙阿弥は、時代物の「草履打ち」の意味と子供
たちの志賀市虐めの意味の違いを、こういう形で明確に分けて提示している。いまの
社会でも、子供たちの間で虐めが跡を絶たない。幕末の黙阿弥が見たものと、いま私
たちが見ているものと、そこには同じ光景が広がっているのではないかと、私は思
う。そういう意味で、テキストとしての「再岩藤」は、極めて今日的であると思う。
黙阿弥原作では、今回のように、「草履打ち」の後に、「又助切腹」があった。

贅言;猿之助は、95年以来、2000年歌舞伎座、02年大阪松竹座の上演では、
「又助切腹」を「草履打ち」の前に設定した。これは、多分演出的には、猿之助は、
見た目の華やかな時代の舞台をショー的に、つまり様式的にして、世話の前後に付け
ることで、世話の場面をじっくり見せるという効果を狙ったのだろうが、そういう舞
台効果だけでなく、「志賀市虐め」を先に出すことで、その後の「草履打ち」の場面
での、「虐め」と殺人者に対する「反抗」との違いを、テキストとしても強調した結
果になっていると思うし、その試みは成功していた。今回は、音羽屋型なので、原作
通りに戻している。

大詰「多賀家下館奥庭の場」。奥庭に忍んできたのは、弾正とお柳の方。多賀家の
乗っ取りを企んできたが、発覚しそうな情勢。多賀家当主の大領が現れたので逃げる
弾正。ふたりをいぶかった大領は、お家横領一味の連判状をお柳の方に見せる。動揺
するお柳の方を成敗する大領。帰参した求女にお柳の方の首を刎ねさせる。多賀家の
諸士に追われてきた弾正一味も成敗される。二代目尾上も駆けつけ、岩藤の霊も退散
させたと報告。悪人滅びて、多賀家も安泰という大団円。荒唐無稽な話で、「骨寄
せ」と「花の山」の「ふわふわ」ばかりが、印象に残る。


澤潟屋型と音羽屋型  座頭役者という明確な意志


参考に澤潟屋の演出紹介。猿之助は、岩藤、又助、弾正、大領の4役早替り序幕第一
場「花見の場」。大乗寺境内。主要登場人物の、いわば、顔見世。序幕第二場「多賀
家下館門前の場」。今回の「堀外の場」と同じ。又助(猿之助)に、乗っ取り派の一
味・蟹江一角が声を掛け、「浅野川川端で、お柳の方を殺せ」と多賀家の忠臣・求女
の刀を渡して、そそのかす。求女失脚を狙う。「浅野川川端の場」では、お柳の方と
間えて梅の方を殺してしまう又助。川に飛び込み浪布の間を巧みに泳ぐ又助。「八丁
畷三昧(墓場)の場」。土手の骨も、筵で頭蓋骨を巧みに隠している。バラバラに
なった手足の骨ばかりが薄闇で目立つ。一体の人骨の骸骨をまとめる場面が、「骨寄
せ」の見せ場。骸骨人形から岩藤の亡霊(猿之助)への転換。骸骨の人形遣いの苦労
が忍ばれる。土手上での、二代目尾上、主税、伊達平(音羽屋型では出て来ない人
物)らのだんまり。尾上が落とした大事な弥陀の尊像は、伊達平の手に。桜満開の大
乗寺の道具幕が振りかぶせとなる。幕の前で、下座音楽の荒事、大薩摩の唄と演奏。
道具幕振り落としで、「花の山の場」。まずは、本舞台上での「ふわふわ」。黒い衣
装に、角隠し、傘を差して岩藤の亡霊が、春爛漫の上空を舞台上手から下手へ悠然と
移動。下界を眺めれば、桜の木々や寺、五重塔が下手から上手へ移動して行く。いま
なら、さしずめヘリコプターからの「空撮ショット」の体。岩藤が下手上空に消える
と、春猿、笑野の胡蝶の精がせり上がる(猿之助の「宙乗り」準備の時間稼ぎ)。や
がて、花道・スッポンから艶やかな衣装に着替え、角隠しに、傘をさした岩藤が上
がってきて、そのまま、本格的な宙乗りへ。傘のあたりには、2羽の胡蝶が舞う。本
舞台の胡蝶の精は、セリ下がる。岩藤は上がったり、下がったりしながら徐々に上空
へ。ここまで、前回95年上演時の八場から六場に減らしたものの、長い序幕が終わ
る。

前回無かった胡蝶の精の場面は、後の宙乗りの、傘のあたりで舞う胡蝶との繋がりも
あるが、それ以上に序幕の舞台を明るくさせていて良い工夫だった。

二幕目「鳥居又助内切腹の場」。世話の見せ場で、又助中心に、世話物の芝居をたっ
ぷり見せる。又助・弟志賀市が好演。最近、子役が皆巧い。

大詰「草履打ちの場」「奥庭の場」。いずれも「旧錦絵」のパロディ。猿之助の望月
弾正が後ろ姿(吹き替え)でセリ下がると、岩藤の亡霊(猿之助)がせり上がる形
で、早替り。御殿も、荒れ果てた姿に早替り。岩藤の尾上を草履打ちする場面の意味
合いは、すでに述べたとおり。岩藤の謀反(「旧錦絵」)を、今回は尾上の謀反に
でっち上げる。そこへ、男伊達平の登場で、「だんまり」のときに無くした大事な弥
陀の尊像が、尾上の手に戻り、亡霊退散。差し歯をし、物凄い形相の岩藤は、スッポ
ンへ。替わりに骸骨の人形が登場。荒唐無稽なストーリーに加えて、早替りのスピ−
ド、場面展開の多用化によるスペクタクル、客へのサービス精神溢れる猿之助演出。
御殿は、元の華やかな様子に戻る。舞台中央に早替りした望月弾正(猿之助)。定式
幕が、いつもとは逆に、上手から下手へ引き開けられて行く。一緒に網代幕が引き閉
められて行く。「多賀家下館の場」では、弾正相手に大勢の捕手との立ち回りが見も
の。そして、「奥庭」の大道具は、「旧錦絵」そっくり。弾正から再び早替りした岩
藤の亡霊(猿之助)。尾上に追いつめられる岩藤の亡霊。後ろ姿の岩藤は、すでに代
役。骸骨の仮面を付けて客席に顔を見せた後、岩藤は、庭の垣根から姿を消す。序幕
同様に多賀家の主人・大領に早替りした猿之助の登場で、大団円へ。

こうして澤潟屋型の演出を紹介すると、猿之助は、明確な座頭を芝居の最初から最後
まで持ち続け、ともすると、主役が誰か判らなくなる原作を早替りという手法で、最
後まで座頭役者として牽引している演出を求め続けたことが判る。
それが、この狂言に対する澤潟屋一門の総師としてのプライドだったのだろうと思
う。

音羽屋型は、初演時の四代目小團次が岩藤の亡霊と又助のふた役を想定した原作に忠
実だが、地味でおとなしい演出というのが判る。今回の配役で言えば、発端と大詰
は、染五郎と菊之助が軸となるが。小團次が演じたふた役は、出て来ないので、影が
薄くなる。本来なら座頭になるべき松緑は、序幕の又助、二幕目、三幕目の岩藤の亡
霊、四幕目の又助で消えてしまう、という印象だ。途中で消えてしまう。発端は、ま
だしも、大詰に座頭役者が登場しないというのは、やはり、弱い。むしろ、敵役の愛
之助、権十郎、亀寿らの方が、悪人として印象に残る。その結果、今回の「加賀見山
再岩藤」は、座頭役者の存在感が薄い芝居となり、染五郎も菊之助も松緑も、皆、座
頭としては分岐してしまう。
- 2013年7月9日(火) 7:06:26
13年07月歌舞伎座 (昼/通し狂言「加賀見山再岩藤」)


通し狂言「加賀見山再岩藤」は、13年ぶり、3回目の拝見。過去の2回は、いずれ
も猿之助主演、澤潟屋一門の芝居。猿之助の早替りが売り物という演出。95年10
月、2000年10月、いずれも歌舞伎座であった。今回は、音羽屋型。

通し狂言「加賀見山再岩藤」は、戦後、十七代目勘三郎が演じた。40年前、197
3(昭和48)年5月京都南座の舞台を初演で演じて以降、早替り、外連などの舞台
展開を得意とする三代目猿之助は、岩藤、又助、弾正、大領、梅の方、帯刀、伊達平
の7役早替りという演出で、昭和の時代が終わるまで、15年間に10回も本興行の
舞台で演じ続けた。平成になって、5役早替り、4役早替りと、年齢、体力の衰えに
従うように役を漸次へらしながらも、11年前、02年大坂松竹座の舞台まで勤め
た。私は、ここの内の、2回の舞台を拝見した。岩藤、又助、弾正、大領の4役早替
りであった。以後、この芝居は、勘九郎時代の勘三郎が03年10月平成中村座で大
領の代わりに梅の方を入れて4役を演じたが、亡くなってしまった。中村屋型は、観
る機会が無かった。四代目猿之助を襲名した亀治郎が、10年3月京都南座で初演、
先代猿之助同様の7役早替りに挑戦した。ならば、そろそろ、新・歌舞伎座でも上演
して欲しい。このほか、21年前、92(平成2)年10月国立劇場で菊五郎が演じ
ている。今回、松緑は、菊五郎と同じ、音羽屋系。この舞台を再演した格好になる。
劇評の最後では、澤潟屋演出と今回の演出を比較してみようと思う。

今回は初役多い。軸となる松緑、菊之助、染五郎は、ふた役。特に、松緑は、菊五郎
同様、立役の又助(正室を誤殺してしまい、後に切腹)と女形の岩藤(最初から亡
霊。仇役を操る)を演じる。菊之助は、お柳の方(大領の側室に潜り込んだが、実
は、お家横領派の弾正の妻)、二代目尾上の女形ふた役。仇役一味と正義派のふた
股。染五郎は、多賀家・当主大領、家老の安田帯刀の立役ふた役。いわば正義派。

松緑は、21年前の少年時、92年10月国立劇場の菊五郎の舞台を観ているとい
う。音羽屋型は、又助と勘平の切腹のアナロジーがポイント。松竹の上演記録を見る
と、補綴版がいろいろある。加賀山直三、藤間勘十郎、市川猿之助、戸部銀作、奈河
彰輔などなど。その違いは? 未調査。今回は、加賀山直三版。

「加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)」は、幕末も押し詰まって来た1
860(万延元)年、江戸市村座で初演。河竹黙阿弥原作。別名「女忠臣蔵」と言わ
れる加賀騒動を素材にした「鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」の「後
日もの」(ゆえに、「再」という字を使い、「ごにち」と読ませている)、「鏡山」の
「続編」だから「加賀見山」である。「鏡山旧錦絵」は、もともと人形浄瑠璃で、容
楊黛(ようようたい)の作。後に、歌舞伎化された。

「骨寄せの岩藤」は、先に四代目鶴屋南北が「桜花大江戸入舟(やよいのはなおおえ
どのいりふね)」という外題で書き、これを後に黙阿弥が「再岩藤」として、「骨寄
せ」に加えて奈河亀輔の「加賀見山廓写本(さとのききがき)」の「又助切腹」の場
面を、いわば、「綯い交ぜ狂言」として書き換えた。著作権などの権利意識の薄い時
代、有名無名の狂言作者たちは、先行作品を下敷きにして、「俺の方が、もっと、面
白く仕立てられる」とばかりに趣向を凝らして「綯い交ぜ」ぶりに力を競い合った。

歌舞伎の演目は、もともと、ベースになる「世界」(「太平記」、「義経記」、「曽
我物語」などいろいろある)という縦系列のなかに、「趣向」という横系列をクロス
させて作り上げる世界だから、ある意味では、どの作品も皆、「後日もの」の積み重
ね、あるいは綯い交ぜ狂言の連鎖で、「パロディの系列」が、歌舞伎の歴史の一面を
物語ることになると言っても、過言ではない。

さて、「加賀見山再岩藤」の舞台。まず、「発端 多賀家下館奥庭浅妻舟の場」。今
の東京板橋区(江戸時代の中山道板橋宿)にあった江戸時代の加賀藩下屋敷を想定し
ている。21万8000坪という広さ。邸内に川を引き込み、池もある。「発端」の
場面は、花道から続く川、池、奥にも川が続く、ということで、そういう空間である
ことを物語っている。

「鏡山」に描かれたお家騒動は、治まったものの、またぞろ、多賀家の重臣・望月弾
正(愛之助)と事実上の夫婦の柳の方(菊之助)が企み、当主・多賀大領(染五郎)
の側室に柳の方を送り込み(つまり、妻の肉体を提供して、スパイ活動をやらせてい
る)、お家横領を狙っている。権力者は、色に迷い、横領者は、権力と金を狙う。奥
庭の池に多賀家の家紋入りの浅妻舟に乗った当主の多賀大領と側室の柳の方が、舟か
らの花見を終えて戻ってきた。仲睦まじいふたりに、大向うから「ご両人」と声がか
かる。それだけの場面。

序幕第一場「浅野川川端多賀家下館堀外の場」。第二場「浅野川川端の場」。第三場
「浅野川堤の場」。多賀家のお家騒動や人間関係が説明される。弾正(愛之助)、一
角(権十郎)、主税(亀寿)は、横領派の一味。対する多賀家家老の帯刀(染五
郎)、謀略で追放された忠臣の求女(松也)、求女を匿う又助(松緑)。

又助は、弾正に騙される。正室・お梅の方(壱太郎)が、求女帰参を願いお柳の方殺
しを目論んでいた又助に間違って殺される。ここまでは、お家騒動の構造が明かされ
る。お梅の方を駕篭に乗せ、雨の中、傘を差している腰元が付き従う行列。後の「花
の山」、岩藤の「ふわふわ」の伏線の印象。

二幕目第一場「八丁畷三昧の場」。第二場「花の山の場」。「加賀見山再岩藤」では、
二代目尾上は、最初か岩藤殺しの殺人者として出発する。岩藤の骨は、野ざらしにさ
れて、八丁畷の土手の斜面に散らばったまま、放置されている。「鏡山旧錦絵」で
は、尾上が岩藤に虐められ、草履打ちにされる。それを苦に自害する尾上。尾上の召
使い、主人思いの、初々しい娘だったお初が尾上の敵を討ち、岩藤を殺す。お初は、
その功により、二代目尾上となっているからである。岩藤殺しから5年後という設
定。二代目尾上(菊之助)が初代尾上の命日に墓参に訪れると、同じ墓地の「三昧
(馬捨場)」に、バラバラに捨てられていた骨が寄せられ、一体の骸骨になり、やが
て岩藤の亡霊になる。骨寄せの見せ場。土手の骨も、筵で頭蓋骨を巧みに隠してい
る。岩藤の亡霊(松緑)への転換。骸骨の人形遣いの苦労が忍ばれる。土手上での、
二代目尾上、主税、帯刀、弾正、求女らのだんまり。尾上の大事な弥陀の尊像は、帯
刀の手に渡る。

音羽屋型では、骸骨から蘇った岩藤が、「花の山」という桜満開の上空を散歩する。
明るく華やかな舞台で、空中散歩は、俗に「ふわふわ」という、「ミニ宙乗り」の演
出である。綺麗な衣装を着て、大きな日傘を持った岩藤が、本舞台下手から上手に
向って(澤潟屋演出では、「黒い」衣装の岩藤が、「逆に」上手から下手に向う。本
格的な「宙乗り」に繋げるためである)、ふわふわと天空を散歩する。岩藤の足元に
は、胡蝶が舞う。

澤潟屋型だと、上手から下手へ本舞台の上を「ミニ宙乗り」とし、さらに、華やかな
衣装に着替えて花道・すっぽんから、再び、本格的な「宙乗り」をして、花道の上を
3階席の向こう揚幕まで、満場の注目を集めながら引っ込む。音羽屋型に比べて、派
手に宙乗りを印象づける。

なお、猿之助は、上演する度に「再岩藤」の演出を工夫していて、私が観た95年の
舞台では、花道での「宙乗り」を際だたせるためにという理由で、この「ふわふわ」
がなかった。2000年の舞台では、「ふわふわ」を復活し、上の述べたような演出
をした。今回の音羽屋型では、本舞台上の「ふわふわ」しかしなかった。

三幕目「多賀家奥殿草履打の場」。ここは、本歌取り。「鏡山旧錦絵」のパロディ。
中老として権力を握っている二代目尾上に対する岩藤の復讐が始まる。再び、岩藤の
尾上に対する「2度目」の草履打ち。しかし、この草履打ちには、「殺人者への反
抗」もあり、「旧錦絵」の「虐め」としての「1度目」の草履打ちとは、性格が異な
ることに注意したい。権力者は、手を汚しているものである。それを覆い隠すのが、
封建時代の上下関係を重視する道徳観だ。正義の味方だったお初も、二代目尾上に
なったことで、根本的に質的に変換している。そういう権力者の「闇」を幕末の黙阿
弥は承知しているし、芝居小屋に来る庶民も承知している。

四幕目「鳥井又助内切腹の場」。「仮名手本忠臣蔵」の六段目「勘平切腹の場」のパ
ロディ。又助は切腹をした際、「お疑いは晴れましたか」と勘平と同じ科白を言う。

又助の弟で、盲目の志賀市が近所の子供たちに虐められる場面がある。そのときに子
供が言う台詞は、「目が見えぬから、虐めるのじゃ」。子供は、残酷である。大人た
ちの価値観をそのまま学んでいる。残酷な社会は、子供たちの心のなかに、大人たち
の残酷さをそのまま持ち込んでいる。黙阿弥は、時代物の「草履打ち」の意味と子供
たちの志賀市虐めの意味の違いを、こういう形で明確に分けて提示している。いまの
社会でも、子供たちの間で虐めが跡を絶たない。幕末の黙阿弥が見たものと、いま私
たちが見ているものと、そこには同じ光景が広がっているのではないかと、私は思
う。そういう意味で、テキストとしての「再岩藤」は、極めて今日的であると思う。
黙阿弥原作では、今回のように、「草履打ち」の後に、「又助切腹」があった。

贅言;猿之助は、95年以来、2000年歌舞伎座、02年大阪松竹座の上演では、
「又助切腹」を「草履打ち」の前に設定した。これは、多分演出的には、猿之助は、
見た目の華やかな時代の舞台をショー的に、つまり様式的にして、世話の前後に付け
ることで、世話の場面をじっくり見せるという効果を狙ったのだろうが、そういう舞
台効果だけでなく、「志賀市虐め」を先に出すことで、その後の「草履打ち」の場面
での、「虐め」と殺人者に対する「反抗」との違いを、テキストとしても強調した結
果になっていると思うし、その試みは成功していた。今回は、音羽屋型なので、原作
通りに戻している。

大詰「多賀家下館奥庭の場」。奥庭に忍んできたのは、弾正とお柳の方。多賀家の
乗っ取りを企んできたが、発覚しそうな情勢。多賀家当主の大領が現れたので逃げる
弾正。ふたりをいぶかった大領は、お家横領一味の連判状をお柳の方に見せる。動揺
するお柳の方を成敗する大領。帰参した求女にお柳の方の首を刎ねさせる。多賀家の
諸士に追われてきた弾正一味も成敗される。二代目尾上も駆けつけ、岩藤の霊も退散
させたと報告。悪人滅びて、多賀家も安泰という大団円。荒唐無稽な話で、「骨寄
せ」と「花の山」の「ふわふわ」ばかりが、印象に残る。


澤潟屋型と音羽屋型  座頭役者という明確な意志


参考に澤潟屋の演出紹介。猿之助は、岩藤、又助、弾正、大領の4役早替り序幕第一
場「花見の場」。大乗寺境内。主要登場人物の、いわば、顔見世。序幕第二場「多賀
家下館門前の場」。今回の「堀外の場」と同じ。又助(猿之助)に、乗っ取り派の一
味・蟹江一角が声を掛け、「浅野川川端で、お柳の方を殺せ」と多賀家の忠臣・求女
の刀を渡して、そそのかす。求女失脚を狙う。「浅野川川端の場」では、お柳の方と
間えて梅の方を殺してしまう又助。川に飛び込み浪布の間を巧みに泳ぐ又助。「八丁
畷三昧(墓場)の場」。土手の骨も、筵で頭蓋骨を巧みに隠している。バラバラに
なった手足の骨ばかりが薄闇で目立つ。一体の人骨の骸骨をまとめる場面が、「骨寄
せ」の見せ場。骸骨人形から岩藤の亡霊(猿之助)への転換。骸骨の人形遣いの苦労
が忍ばれる。土手上での、二代目尾上、主税、伊達平(音羽屋型では出て来ない人
物)らのだんまり。尾上が落とした大事な弥陀の尊像は、伊達平の手に。桜満開の大
乗寺の道具幕が振りかぶせとなる。幕の前で、下座音楽の荒事、大薩摩の唄と演奏。
道具幕振り落としで、「花の山の場」。まずは、本舞台上での「ふわふわ」。黒い衣
装に、角隠し、傘を差して岩藤の亡霊が、春爛漫の上空を舞台上手から下手へ悠然と
移動。下界を眺めれば、桜の木々や寺、五重塔が下手から上手へ移動して行く。いま
なら、さしずめヘリコプターからの「空撮ショット」の体。岩藤が下手上空に消える
と、春猿、笑野の胡蝶の精がせり上がる(猿之助の「宙乗り」準備の時間稼ぎ)。や
がて、花道・スッポンから艶やかな衣装に着替え、角隠しに、傘をさした岩藤が上
がってきて、そのまま、本格的な宙乗りへ。傘のあたりには、2羽の胡蝶が舞う。本
舞台の胡蝶の精は、セリ下がる。岩藤は上がったり、下がったりしながら徐々に上空
へ。ここまで、前回95年上演時の八場から六場に減らしたものの、長い序幕が終わ
る。

前回無かった胡蝶の精の場面は、後の宙乗りの、傘のあたりで舞う胡蝶との繋がりも
あるが、それ以上に序幕の舞台を明るくさせていて良い工夫だった。

二幕目「鳥居又助内切腹の場」。世話の見せ場で、又助中心に、世話物の芝居をたっ
ぷり見せる。又助・弟志賀市が好演。最近、子役が皆巧い。

大詰「草履打ちの場」「奥庭の場」。いずれも「旧錦絵」のパロディ。猿之助の望月
弾正が後ろ姿(吹き替え)でセリ下がると、岩藤の亡霊(猿之助)がせり上がる形
で、早替り。御殿も、荒れ果てた姿に早替り。岩藤の尾上を草履打ちする場面の意味
合いは、すでに述べたとおり。岩藤の謀反(「旧錦絵」)を、今回は尾上の謀反に
でっち上げる。そこへ、男伊達平の登場で、「だんまり」のときに無くした大事な弥
陀の尊像が、尾上の手に戻り、亡霊退散。差し歯をし、物凄い形相の岩藤は、スッポ
ンへ。替わりに骸骨の人形が登場。荒唐無稽なストーリーに加えて、早替りのスピ−
ド、場面展開の多用化によるスペクタクル、客へのサービス精神溢れる猿之助演出。
御殿は、元の華やかな様子に戻る。舞台中央に早替りした望月弾正(猿之助)。定式
幕が、いつもとは逆に、上手から下手へ引き開けられて行く。一緒に網代幕が引き閉
められて行く。「多賀家下館の場」では、弾正相手に大勢の捕手との立ち回りが見も
の。そして、「奥庭」の大道具は、「旧錦絵」そっくり。弾正から再び早替りした岩
藤の亡霊(猿之助)。尾上に追いつめられる岩藤の亡霊。後ろ姿の岩藤は、すでに代
役。骸骨の仮面を付けて客席に顔を見せた後、岩藤は、庭の垣根から姿を消す。序幕
同様に多賀家の主人・大領に早替りした猿之助の登場で、大団円へ。

こうして澤潟屋型の演出を紹介すると、猿之助は、明確な座頭を芝居の最初から最後
まで持ち続け、ともすると、主役が誰か判らなくなる原作を早替りという手法で、最
後まで座頭役者として牽引している演出を求め続けたことが判る。
それが、この狂言に対する澤潟屋一門の総師としてのプライドだったのだろうと思
う。

音羽屋型は、初演時の四代目小團次が岩藤の亡霊と又助のふた役を想定した原作に忠
実だが、地味でおとなしい演出というのが判る。今回の配役で言えば、発端と大詰
は、染五郎と菊之助が軸となるが。小團次が演じたふた役は、出て来ないので、影が
薄くなる。本来なら座頭になるべき松緑は、序幕の又助、二幕目、三幕目の岩藤の亡
霊、四幕目の又助で消えてしまう、という印象だ。途中で消えてしまう。発端は、ま
だしも、大詰に座頭役者が登場しないというのは、やはり、弱い。むしろ、敵役の愛
之助、権十郎、亀寿らの方が、悪人として印象に残る。その結果、今回の「加賀見山
再岩藤」は、座頭役者の存在感が薄い芝居となり、染五郎も菊之助も松緑も、皆、座
頭としては分岐してしまう。
- 2013年7月9日(火) 7:06:08
13年06月国立劇場鑑賞教室 (「紅葉狩」)


鬼女の名は?


今月の「紅葉狩」は、6日と20日の2回拝見。2回目は、来日した外国人に日本国
内を案内する観光通訳ガイド団体の研修講師として参加した際に研修生たちと一緒に
観た。「紅葉狩」は、歌舞伎では、10回目、人形浄瑠璃も、1回観ている。観劇暦
としては、今回は、同じ配役で演じるので、もちろん、1回とカウントしている。以
下は、劇評に加えて研修での講演要旨を記録として記載する。従って、今回は観劇後
の劇評の要素のほかに、観劇前の講演準備の要素が加えられている。

黙阿弥原作の明治の新歌舞伎で、舞台は、全山紅葉の時季。信濃の戸隠山に男ばかり
で紅葉狩に来た平維茂(これもち)一行が、先に幔幕を張って、女性ばかりで紅葉狩
の宴を開いていた更科姫一行と交歓をするのが前半。男子校と女子校の学生の「合コ
ン」という感じか。交換会は、上手に2枚の緋毛氈を敷きつめて、平維茂を上座に、
更科姫を下座にという配置で、酒宴を開く。提重三ツ組、肴、瓶子、三方の杯など。
局などが平維茂を接待。下手にも、緋毛氈が敷きつめられ、平維茂の従者二人を侍女
らが接待する。

前半の幕切れ前に、毛氈は、まず、更科姫が舞踊披露で立ち上がると片付けられ、眠
りから覚めた平維茂が上手の幔幕の中へ更科姫を追って行く時に裃後見が片付ける。
従者の毛氈は、二人が、危急の際にも関わらず、主人の警固に駆けつけずに、逆に、
反対側の下手に逃げてしまう時に、黒衣が片付ける。

後半の観どころは、侍女「野菊」の舞、平維茂従者のコミカルな踊り、更科姫の舞=
演奏(竹本、常磐津、長唄の三方掛け合い)、局・田毎との「連舞」、「二枚扇」を
使った舞。酒と舞の披露で平維茂一行の睡魔を誘う。やがて、更科姫の本性顕現へ
(ここが、前半の最大の観どころ。後に詳述)。

山神(さんじん)=能の間(あい)狂言の主人公の青年。平維茂一行の危機を夢の中
で告げる役割。この後、更科姫一行は、実は、鬼女(食人鬼)たちの一行だったとい
うことで、後半のドラマが展開する。見どころは、平維茂と鬼女との立ち回り。お決
まりの引張の見得。

「能取りもの」と「松羽目もの」の違い。「能取りもの」とは、能が素材になってい
る演目のこと。「松羽目もの」は、能が素材となっている上、背景が、能舞台の鏡板
を模倣し、羽目板に松の老木が描かれているもののことをいう。
「紅葉狩」は、能の「紅葉狩」が素材になっている。「紅葉狩」は能取りものだが、
松羽目ものではない。つまり、背景が、紅葉の山の遠見で、本舞台には、幹を「登れ
る」ようになっている大道具の松の巨木がある。鏡板に松の老木を描くという能舞台
をシンボライズされた背景を使っていない。大道具が、歌舞伎の舞踊劇の仕立てと
なっている。

贅言;松の巨木は、裏から見ると階段になっている。表から見ると、深山に自然に生
えた松の巨木の筈なのに植木職人が設えたような人工的な「支柱」があるのがおかし
いという指摘は、以前からあったようだが、役者が登ることを考えれば、安全上、
「支柱」は必須だろう。「紅葉狩」の背景が、紅葉した山々の遠見と松の巨木なの
は、幕切れ前に鬼女が巨木に登る場面があるので、「松羽目もの」の絵に描いた松で
は具合が悪い。

舞踊劇だが、良く観ると、能の「遺構」というべきものが垣間見える。基本的に、筋
立て、配役は同じなので、能の基本的な要素が残されているのだ。

能の前シテと後(のち)シテは、シテ(仕手、為手)という字を当てる。「シテ」と
は、まず、舞台構成=前シテ:前場(前半)、現世。後シテ:後場(後半)、本性を
見顕すなどの意味を持つ。また、登場人物の役柄でもある。シテ、シテツレ、ワキ、
ワキツレ、アイ(間)。これを「紅葉狩」に当てはめると、シテ(主役)=前シテ
(前半の主役):更科姫、後シテ(後半の主役):鬼女。(シテ)ツレ(主役の同行
者):侍女たち。ワキ(主役の相手役):平維茂(信濃守時代に戸隠鬼退治したとい
う伝説の人)。(ワキ)ツレ(相手役の同行者):従者。アイ(起承転結の「転」。
ふくらみ。前シテから後シテへの主役の化粧・衣装替えの時間稼ぎ):山神(夢の中
で登場する)。

「紅葉狩」は、明治期に作られた。能から歌舞伎の舞踊劇に変貌した新歌舞伎であ
る。歌舞伎の演出(味付け)、舞踊劇としての工夫は、概要以下の通り。

能:シテは、上臈(前)→鬼女(後)=面:増女(ぞうおんな)→ 顰(しかみ)。更科姫
=能:前シテ・高貴な美しさを持つ「増女(ぞうおんな)」面をつけ、王朝風の模様を
あしらった華麗な唐織を着ていた美女が、後シテ・再び登場したときには目を釣り上
げて口の裂けた「顰(しかみ)」面をつけ、赤い髪を振り乱した鬼女となった姿に変わ
るのが見どころ。

これが歌舞伎になると、「赤姫」→鬼女。歌舞伎:前半・赤姫(姫役は、化粧、衣
装、装身具など皆同じ。歌舞伎は、人物を類型化する。赤い衣装なので、「赤姫」と
称する。普通名詞。「更科姫」は、姫の固有名詞)。後半・隈取りをした鬼女という
化粧・衣装に替わる。

音楽の歌舞伎化。能:謡曲→歌舞伎:常磐津、長唄、竹本の三方掛け合い。3種類の
伴奏音楽を使い分けるという派手で、豪華な音楽の工夫。
衣装の歌舞伎化。能:能装束→歌舞伎:衣装(明治の「活歴」調→平維茂の狩衣姿。
初演時は、鬚を付けていた。「活歴」(「歴史を活かす」、つまり、史実重視)とい
う演劇改良運動に熱心だった明治の劇聖・九代目團十郎が、史実の衣装を参考にしな
がら、平維茂の舞台衣装の工夫をした。

それでいて更科姫は、既に触れたように、類型化した歌舞伎の「赤姫」のスタイルと
いう矛盾だろうが、そこは、歌舞伎のおもしろさということか。

舞から舞踊へ。能:摺り足。歌舞伎:舞踊劇として、脚の運びなどは普通。能:舞
(摺り足で舞台を水平に移動する)。歌舞伎の舞踊劇は、舞に加えて、踊(垂直に飛
んだり撥ねたり、手足を動かす)。活歴風の歌舞伎舞踊となった。新歌舞伎の舞踊劇
は、能とは、衣装も違う。大道具も違う。所作も違う=「二枚扇」「立ち回り」など
は、歌舞伎の演出。

注1)「活歴」:欧化主義の風潮。荒唐無稽な筋立ての江戸歌舞伎を欧米のオペラに
負けない明治の「国劇」歌舞伎に変身させようとした演劇改良運動。江戸歌舞伎は、
旧劇、旧派などと呼ばれた。新劇、新派、新国劇などが対比された。

注2)「新歌舞伎」とは、明治以降戦前までの作品をいう。因に、戦後の作品は、
「新作歌舞伎」という。

「紅葉狩」=河竹黙阿弥作。1887(明治20)年、東京の新富座=跡地は、現在
の京橋税務署=での初演時配役。更科姫:九代目團十郎、平維茂:初代左團次、山
神:四代目芝翫。二枚扇など=曲芸じみる振付けは、九代目團十郎の工夫。初演後
も、「姫が演じる舞踊としては、外連(けれん)過ぎる」などと、いろいろ批判は
あったようだが、代々受け継がれてきた。

贅言;初演から12年後、1899(明治32)年に「紅葉狩」の映像が撮影されて
いる。九代目團十郎(更科姫)、五代目菊五郎(平維茂)、丑之助(後の六代目菊五
郎)が山神であった。6分程度の部分のモノクロ・サイレント映像が残されている。
駒落しのような、早い動きは、古いフォルムゆえ、仕方がない。九代目が、「二枚
扇」の場面で、扇を落とすところまで映っている。
日本人が撮影した最初の動画として重要文化財に指定されている。そのフィルム映像
をビデオに落としたものを観たことがある。

今回、13年6月国立劇場の配役。更科姫、実は、鬼女:扇雀、平維茂:錦之助、侍
女・野菊:隼人(錦之助長男)、山神:虎之介(扇雀長男)、更科姫方の局田毎:高
麗蔵、維茂従者:薪車、宗之助。

私の観た更科姫は、8人。玉三郎(2)、福助(2)、芝翫、雀右衛門、菊五郎、海
老蔵、勘太郎時代の勘九郎、そして、今回の扇雀。真女形:4人。兼ねる役者:3
人。立役(男役):海老蔵1人。

さて、とっておきの最大の観どころ。前シテの更科姫が、後シテで鬼女に変るので、
女形が演じる場合、前シテでの「鬼女」という本質の滲ませ方が難しい。さらに、後
シテの鬼女の演じ方も難しい。立役が演じる場合。女形は、女形の柔らかな所作の姫
の中から狷介な「鬼を滲みださせる」ことに、皆、工夫を重ねてきた。「紅葉狩」
は、「豹変」がテーマである。ここがポイント。更科姫、実は戸隠山の鬼女への豹変
が、ベースであるが、前半の幕切れ近く、赤姫の「着ぐるみ」という殻を内側から断
ち割りそうな鬼女の気配を滲ませながら、幾段にも見せる、豹変への深まりが、更科
姫の重要な演じどころである。観客にしてみれば、じわじわ滲み出して来る豹変の妙
が、観どころ。見落しては、いけない。豹変への筋道を、恰も薄紙を剥ぐように見せ
る工夫も、並み大抵のことではない。後半(後シテ)の鬼女は、立役並に荒々しく、
闊達に立ち回りをする。

★今回の扇雀・錦之助の演技についてのメモ。
扇雀の更科姫は、「二枚扇」という、ふたつの扇子を使った踊りの場面も6日は、安
定していた。動きが、滑らか。しかし、20日は、最後に、裃後見に渡す(飛ばす)
場面でミスがあり、飛ばせなかった。落とした扇を脇から、後ろに流していた。後見
が、さりげなくフォローした。

「二枚扇」では、先に紹介したフィルムの中でも、九代目團十郎が、扇を落としてい
るが、先年亡くなった人間国宝の七代目芝翫が、扇を落とす場面を観たことがある
(15年前、1998年11月の歌舞伎座)。体調が悪かったのかもしれない。上演
記録を見ると、この月が、芝翫の「紅葉狩」の舞い納めだった。この時、扇を落とし
たことで、あるいは、「老い」を感じたのかもしれない。

さて、今回、その場面に先立つ、局田毎(高麗蔵)との連舞は、田毎の黒い衣装と更
科姫の赤い衣装が、対称になって美しい。侍女・野菊(隼人)の踊りは、前座
(起)。コミカルな腰元・岩橋(山左衛門)の踊りは、チャリ=喜劇(承)、田毎と
更科姫の「連舞」(転)、「二枚扇」披露(結)という展開。これが終わると、扇雀
の更科姫は、表情が俄にこわばり、「着ぐるみ」を脱ぐかのように、赤姫の中から殻
を破って鬼女が飛び出しそうなほど、所作も荒々しくなった挙げ句、上手幔幕から揚
幕の中に引っ込む。

竹本の「一天俄に・・・」で、三味線も、早弾きとなる。後シテの所作は、荒々し
い。鬼女の隈取り。「鏡獅子」の獅子の精(女形の獅子の精)さながらに、左巴、右
巴、髪洗いなど、きっぱりとこなす。舞台中央の巨大な松の木に登り、大枝を持ち上
げ、毒々しい口を大開する初演の頃は、花火の仕掛けを口に含んで、火を噴いたりし
たらしいが、いまは、そこまではやらない。食紅で真っ赤に塗った舌を出してみせ
る。更科姫から鬼女へ。女形から立役(鬼)へ。扇雀もメリハリの利いた鬼女への豹
変ぶりであった。

贅言;真女形・玉三郎の「紅葉狩」の2回目を観たのは、11年前、02年12月の
歌舞伎座(私が観た初回は、95年12月、歌舞伎座)。玉三郎は、姫としての色気
を眼では現したまま、所作で、いつもの、真女形の姫とは違う、荒々しさで鬼女を滲
ませるように演じていた。玉三郎の更科姫も、そろそろ、観たい頃合いだ。

能の観世流の演出である「鬼揃え」(鬼女たちの群舞)を歌舞伎で観たことがある。
更科姫だけでなく、更科姫の一行全員が、鬼女の姿を顕して踊る。幕切れ前の立ち回
りのバリエーションだったと思う。当時の私の劇評に記述していないので確認できな
いが、玉三郎の02年12月歌舞伎座だったと記憶している。玉三郎の更科姫が出演
する「紅葉狩」だったが、澤潟屋一門との競演の舞台。平維茂は、三代目猿之助が演
じていたので、「鬼揃え」は、猿之助の工夫だったかもしれない。歌舞伎では、「鬼
揃え」は、滅多にやらないが、是非とも、また、観てみたい。

鑑賞教室特有の「歌舞伎のみかた」解説。今回は、隼人・虎之介のふたりが説明する
(内容は、省略)。

贅言;付録=通訳ガイド団体の研修用の講演のおまけ(いろいろ「見分け方」)。
*音楽:今回は、竹本、常磐津、長唄の三方掛け合いという演出だが、それぞれが単
独で出てきた時に見分けられるか。唄い方、三味線の種類・音で見分けるというの
が、正統派だ。竹本:太棹三味線。常磐津:中棹三味線。長唄:細棹三味線。大原流
の見分け方は、「見台」の脚がポイント(拙著「ゆるりと江戸へ」参考)。→Uの
字:竹本。Vの字:常磐津。Xの字:長唄。
*後見:役者を助けたり、舞台進行を助けたりする役割の人々。黒衣(黒ずくめの衣
装)=雪の場面では雪衣、海などの場面では、浪衣などのバリエーションがある。後
見(弟子が師匠を助ける)=素顔を出して、紋付、袴姿。時に、鬘を着けて、裃姿。
裃後見。様式美を大事にする演目で登場。今回の「紅葉狩」でも、登場する。女形役
者の弟子も、この時ばかりは、野郎頭の鬘に裃姿という、余り観かけない姿で登場す
るので、愉しみ。裃後見の姿は、江戸時代なら弟子が素顔で登場しているということ
になる。

最後に。そういえば、今回の公演居合わせて刊行された国立劇場の「上演資料集(5
70)」所載の論文に谷口梨花「紅葉狩の伝説地と平維茂の墓」というのがあった。
冷泉天皇の安和2年10月に平維茂が勅命に奉じて、「鬼女紅葉及其配下を誅戮し
た」という伝説地のことが出てくる。鬼無里村の松厳寺の地蔵尊が、鬼女紅葉の守護
本尊だという。更科姫→鬼女。食人鬼・鬼女の名は、愛らしくも紅葉という。
- 2013年6月21日(金) 13:38:22
13年06月歌舞伎座(第三部/「鈴ヶ森」「助六」)


「鈴ケ森」を観るのは、10回目。第一部で触れたように、「浮世柄比翼稲妻」とい
う長い狂言の一幕。黒幕を背景にした暗黒の刑場が、夜明けの遠見で明るくなって、
幕という展開が印象的で、絵になる場面がある。私が観た権八は、芝翫(2)、勘九
郎時代を含む勘三郎(2)、梅玉(今回含め、2)、菊之助、染五郎、七之助、高麗
蔵。長兵衛は、幸四郎(今回含め、4)、吉右衛門(2)、團十郎、羽左衛門、橋之
助、富十郎。

初めて「鈴ヶ森」を観たのが、19年前、94年4月の歌舞伎座。幸四郎の長兵衛と
勘九郎時代の勘三郎の権八であった。印象に残るのは、去年、12年2月の新橋演舞
場。吉右衛門の長兵衛と息子の勘太郎の六代目勘九郎襲名披露の舞台に出演していた
勘三郎の権八であった。勘三郎は、この年の暮れ、病没してしまう。

今回は、幸四郎の長兵衛と梅玉の権八だ。ふたりとも花道から別々に時間をおいて、
駕篭に乗って登場する。若衆と貫禄の顔役。刑場のある海辺の鈴ヶ森。晴れていれ
ば、江戸湾越しに安房上総まで一望できるという。

この芝居、権八と長兵衛以外は、殆ど薄汚れた衣装と化粧の「雲助」ばかりの群像劇
で、いわば、下層社会に通じている南北ならではの、下世話に通じた男たちを軸にし
た芝居という面もある。逃亡者を見つけ、お上に知らせて、銭にしようという輩と逃
亡者の抗争。立回りでは、小道具を巧みに使って、雲助たちが、顔や尻を削がれた
り、手足を断ち切られたり、という、いまなら、どうなんだろうと言われかねない差
別的な描写を、「だんまり」に近い所作立てで、これでもか、これでもかと、丹念に
見せる。

さらに、主軸となるふたりのうち、白井権八は、美少年で、剣豪、さらに、殺人犯
で、逃亡者。幡随院長兵衛は、男伊達とも呼ばれた町奴を率いた侠客の顔役で、ま
あ、暴力団の親分という側面もある人物。逃亡者と親分とが、江戸の御朱引き(御府
内)の外にある品川・鈴ヶ森の刑場の前で、未明に出逢い、互いに、意気に感じて、
親分が、逃亡者の面倒を見ましょう、江戸に来たら、訪ねていらっしゃい、というこ
とになり、「ゆるりと江戸で(チョーン)逢いやしょう」というだけの噺。柝の音
で、ぱっと、夜が明ける。客席は、江戸湾。観客の頭は、波頭。


「助六」團十郎から海老蔵へ


以下は、3年前、10年4月の歌舞伎座「さよなら興行」の劇評。
「助六」という演目には、助六、実は、曽我五郎というヒーローとともに、團十郎と
いうヒーローも欠かせないということだろうと思う。

当代の團十郎よ、難病を克服して、12人いる代々の團十郎のなかでも、数少ない
「還暦團十郎」となった。代々の團十郎たちのように、還暦まで、到達できていなけ
れば、こういう場面で、團十郎の助六を私たちは観ることが出来なかった筈だ。

そして、團十郎よ。今の歌舞伎座の取り壊しの舞台を乗り越え、さらに、3年後の、
新しく生まれ変わる歌舞伎座披露の舞台をも、また、迎えてほしい。特に、同級生の
世代である私たちは、自分のことのように、そう願う。」

その願いも空しく、十二代目團十郎は、新・歌舞伎座の再開場も待たずに、私たちを
置いて、空漠の世界へ旅立ってしまった。

杮葺落興行第三部。「歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜」は、十二代目團十郎に捧
ぐというサブタイトルが付され、舞台でも開幕冒頭、幸四郎の「口上」で、十二代目
團十郎の死を悼み、新・歌舞伎座再開場の杮葺落興行で「助六」を主演する予定だっ
た父・團十郎に替わって、息子の海老蔵が一生懸命相勤めますので、江戸歌舞伎ご愛
顧ご見物のほど、隅から隅までズイーと乞い願い奉りまする。いずれもさまも宜しく
という趣旨の挨拶があった。幸四郎は、所作板が敷きつめられただけの舞台に座り込
んでの挨拶であった。

新・歌舞伎座の杮葺落興行の舞台に立たないまま、今年の2月に亡くなってしまった
團十郎同様に、生きて歌舞伎座再開場の舞台に立てなかったもうひとりの役者が、勘
三郎だ。10年4月の旧・歌舞伎座さよなら興行の最終月の「助六」。捨て科白(ア
ドリブ)をたっぷり言う時間のある通人役を演じた勘三郎の科白が、役者に気持ちだ
けでなく、観客の気持ちも代弁していて印象に残った。

「歌舞伎座には、思い出がいっぱい詰まっている。新しい歌舞伎座で、もっと、もっ
と、夢を見せてもらいやしょう。歌舞伎座からは、さようなら」。

新しい歌舞伎座で、もっと、もっと夢を見ようとしていた團十郎と勘三郎は、「歌舞
伎座からは、さようなら」ではなく、この世から「さようなら」をしてしまった。改
めて、二人に合掌。

「助六由縁江戸桜」は、今回で、8回目の拝見。私が観た助六は、團十郎(4)、新
之助時代を含めて、海老蔵(今回含めて、3回)、そして、仁左衛門。助六は、髭の
意休ほかに、喧嘩を売り付け、剣を抜かせて、探している源氏の宝刀・友切丸かどう
か、見定めている。それが主筋だ。揚巻との恋は、サブストーリー。その意休は、左
團次(6)、彦三郎(左團次病気休演で代役)、富十郎。仁左衛門の助六に対して富
十郎の意休だった。つまり、團十郎、海老蔵親子の助六には、いつも左團次が意休を
演じていた筈だったが、一度だけ、病気休演で彦三郎の意休を観たことがある。

仁左衛門の助六と富十郎の意休は、結構面白かった。いわば、上方版「助六」。本来
の助六かもしれない。

「助六由縁江戸桜」は、江戸の繁華街・新吉原の春の風俗を描く。吉原では、毎年、
桜の季節になると江戸・染井の里から染井吉野を移植して、期間限定の桜並木を町内
に作り上げたという。昔の歌舞伎の演出では、舞台だけでなく、芝居小屋の周りの街
並にも、場内にも、桜の木を多数、植え込んだらしい。そうして、芝居小屋全体、芝
居町全体を、恰も、吉原と錯覚させるようにしたという。

そういう江戸の祝祭劇が、「助六由縁江戸桜」なのだろう。従って、この舞台に登場
する人たちは、吉原内外で働く人たちや客なども、それぞれ、重要な役回りを果た
す。「助六」は、群衆劇だ。

新・歌舞伎座再開場の最初の「助六」。今回の主な配役:助六、実は、曽我五郎の海
老蔵、揚巻の福助、意休の左團次、白酒売、実は、曽我十郎の菊五郎、白玉の七之
助、くわんぺら門兵衛の吉右衛門、朝顔仙平の又五郎、曽我兄弟の母・満江の東蔵、
饂飩を配達する福山のかつぎの菊之助、通人の三津五郎、国侍と奴は、いつもなが
ら、市蔵・亀蔵の松島屋兄弟。藝達者たちが、笑劇の味を深くするため、サービス満
点で、観客を笑わせる。團十郎が主演した3年前の「さよなら興行」よりは、やや小
粒という感じの配役になった。

海老蔵と團十郎。海老蔵の助六は、父親の團十郎よりダイナミック。若さが迸ってい
る。助六が、意休に喧嘩を仕掛けるのは、仇討のための「刀改め=源氏の宝刀・友切
丸という刀探し」の意図がある。助六が、曽我五郎で、白酒売が、曽我十郎という、
兄弟。鬚の意休、実は、曽我兄弟に対抗する平家の残党。友切丸を取り戻すために、
助六は、意休を殺す。意休は、歌舞伎の衣装のなかでも、特に重い衣装を着ている。
それだけに、憎まれ役として、あまり動かずに、姿勢を正すだけでも、大変そう。白
酒売は、助六の兄で、滑稽感を巧く出し、弟の助六の荒事が光るように、江戸和事の
味わいを出しながら、兄の曽我十郎としての気合いも、滲ませる必要がある。「股潜
り」という遊び(これも、「刀改め」作戦)。最後に、母親が出て来て、兄弟の「刀
改め」が、たしなめられる場面があるが、まさに、叱られた餓鬼である。助六、実
は、曽我五郎は、そういう餓鬼っぽさが大事。海老蔵は、こういう役は巧い。

海老蔵の助六は、2000年の正月、新橋演舞場で初めて観た。まだ、新之助を名
乗っていた時代だ。次が、04年6月、海老蔵襲名披露の歌舞伎座で観た。

まず、2000年1月の劇評では、こう書いている。
新之助の青年・助六が劇中の助六も、このくらいの年の想定なのだろうなあ、という
感じが強くした。新之助の演技もきっぱりとしていて良かったと思う。ただ、台詞廻
しが現代劇ぽい部分が、ままあり気になったが、これはこれで『新之助味』とも言え
るような気がする。いずれ、助六は市川家の家の芸だけに、これからも何度か、海老
蔵、團十郎と襲名ごとに、新しい工夫を重ねた役作りを新之助が見せてくれることだ
ろうと期待する。

次に、04年6月の劇評は、以下の通り。
まさに、海老蔵襲名披露興行での、「助六」の登場なのだ。海老蔵は、自信たっぷり
に「助六」を演じていて、その点は、観ていても、気持ちが良い。大向こうからは、
「日本一」などという声もかかっていた。ただし、今回も、「台詞廻しが現代劇ぽい
部分が、ままあり」で、私は、興醒めだ。特に、傾城たちから多数の煙管を受け取
り、髭の意休(左團次)をやり込める場面での、科白が、歌舞伎になっていない。そ
こだけ、歌舞伎のメッキが剥げた現代劇のような感じで、「新之助」なら、まだま
だ、これからだからと許せた部分も、今回の「海老蔵」襲名では、そうはいかないと
いう感じがした。歌舞伎の科白とは、どうあるべきかが、海老蔵の課題になりそう。

今回、海老蔵の助六は、当初は、予定されていなかった。海老蔵は、「福山かつぎ」
役が当てられていた。主役の助六は、父親の團十郎が予定されていた。しかし、急逝
した十二代目に替わり、海老蔵が助六を演じた。私が、「難儀」と判断していた科白
廻しは、良くなっていた。江戸のスーパースター・助六は、子どもっぽい。餓鬼なの
だ。大声を出す子どもの声は、籠らないのでは無いか。花道含めて、助六の所作は、
メリハリがある。若さが湧出している。江戸歌舞伎の華・荒事は、稚気を表現する。
そういう意味で、助六は、まさに、荒事の象徴だ。こういうあたりは、父團十郎よ
り、海老蔵の方が、口跡も良いから、所作が巧くなれば、今後、助六の持ち味を、
もっと、遠くまで拡げてくれるかも知れない。その場合、「助六」においては、海老
蔵は、父親の團十郎を追い抜いて行くだろう。

團十郎から海老蔵へ。こういう言い方は、おかしいかもしれないが、十二代目團十郎
は、己の命を懸けて、息子海老蔵に大きな舞台を譲った。幸四郎が「口上」を述べ、
観客が期待を募らせ、海老蔵がそれに応える。今回の「助六」は、そういう舞台に
なったと思う。海老蔵から團十郎へ。そういう洋々たる道が始まった。

もうひとり、洋々たる道を歩むのが、揚巻を演じた福助であろう。08年1月、歌舞
伎座。福助は揚巻に初役で取り組んだ。この時の劇評で、七代目歌右衛門襲名に向け
て、福助は、スタートを切ったと私は書いた。当時の福助、48歳の年男。あれか
ら、5年。福助の揚巻は、その後、新橋演舞場、名古屋御園座で演じられ、そして今
回は、新・歌舞伎座再開場の舞台へと続いた。福助は、静止したときの揚巻が美し
い。風格もあり、良かった。輝いていた。きりっとしていて、餓鬼の助六に対する愛
情ぶりが、真情溢れていた。姉さんの深情け。福助から歌右衛門へ。福助の七代目歌
右衛門襲名は、間もなくではないか。



6月歌舞伎に見る『漫画』の世界


今月の歌舞伎座の演目は、以下の通り。「鞘當」「喜撰」「対面」「土蜘」「鈴ヶ
森」「助六」は、いずれも歌舞伎漫画のイメージではないか。「俊寛」のみ劇画調で
あると思う。「漫画」と感じた部分を素描しておこう。

「鞘當」は、動く漫画。不破と名古屋の出会いから、接触、留め女の登場まで、まさ
に漫画調だろう。カラー漫画。

「鈴ヶ森」は、モノクロの漫画。暗闇の刑場付近。マンガチックな立ち回りの後、
「雉も鳴かずば打たれまいに、無益な殺生いたしてござる」とは、権八の科白。権八
を演じる梅玉の衣装は、いつもの「鶸色(黄色が強めの萌葱色)」ではなく、薄紫色
であったが、? 「陰膳据えて待っておりやす」とは、貫禄の長兵衛の科白。五代目
幸四郎(鼻高幸四郎)、八代目の実父自慢、そして、九代目の私と自分を卑下して幸
四郎は私事を科白に織り込んでいる。聞き違えかもしれないが、権八に呼びかける長
兵衛・幸四郎の科白が、いつもと違って、次のように聞こえた。「お若けーえの、お
待ったせーいやし」。

「喜撰」は、飄々とした法師と粋な年増の、エロチックな寸劇。出家が濃艶な年増を
口説く。赤い前掛けが、官能的だ。大人向けの漫画。

「土蜘」は、既に書いたように、日本六十余州を魔界に変えようという悪魔・土蜘対
王城の警護の責任者・源頼光とのバトルという、なにやら、コンピューターゲームや
漫画にありそうな、現代的な、それでいて荒唐無稽なテーマの荒事劇。

「対面」と「助六」は、稚気に溢れる曽我兄弟の漫画。特に五郎の助六は、大人の工
藤や意休に対して、やんちゃぶりを見せるのが、ポイント。助六は、江戸の人気漫画
という印象。
- 2013年6月14日(金) 6:57:45
13年06月歌舞伎座(第二部/「寿曽我対面」「土蜘」)


仁左衛門と花形役者たち


「寿曽我対面」は、8回目の拝見。18世紀の初め頃から、江戸歌舞伎では、中世前
期からあった「曽我物語」をベースに「曽我狂言」というジャンルが生まれた。宿敵
と「対面」するだけの芝居「寿曽我対面」は、大願成就の予約切符を発行すること
で、江戸っ子の正月用の祝典劇となった。初春の歌舞伎狂言は、江戸っ子の初夢の
「一富士二鷹三茄子」の一冨士に通じる。それは、曽我兄弟所縁の冨士という意味で
ある。このように「曽我狂言」は、江戸時代では、正月の風物詩になっていた。そう
いう縁起かつぎが、幕末まで続き、幕末期から明治の代表的な歌舞伎狂言作者・河竹
黙阿弥の手によって、1885(明治18)年、「寿」を冠する「寿曽我対面」とし
て集大成された。以後、この演目は、黙阿弥ものとして、上演され続けている。

ところで「寿曽我対面」の主役は、実は、曽我兄弟よりも、「宿敵」の工藤祐経であ
る。そこに、黙阿弥の工夫がある。仇と狙う曽我兄弟との対面を許し、後の、富士の
裾野での巻狩の場での再会を約し、狩り場の通行に必要な「切手」(切符)を兄弟に
渡す。情理を理解し、度量も大きく、太っ腹で、「敵ながら、天晴れ」という工藤祐
経の「大人」の行動様式に、曽我兄弟という「子ども」を対比させたことが受けて、
日本人は、長いこと拍手喝采を続けたのだろう。

開幕するが、真新しい浅黄幕が歌舞伎座の舞台全面を覆い隠す中、上手幕の脇から出
てきた大薩摩連中の唄と三味線で祝典劇は始まる。やがて、浅黄幕が振り落とされる
と、舞台には、いっぺんに大勢の役者が居並ぶ豪華な錦絵が出現する。「対面」の魅
力は、色彩豊かな絵のような舞台と、登場人物の華麗な衣装と渡り科白、背景代わり
の並び大名の化粧声など歌舞伎独特の舞台構成と演出で、短編ながら、十二分に観客
を魅了する特性を持っているからだと、思う。また、歌舞伎の主要な役柄が揃い、一
座の役者のさまざまな力量を、顔見世のように見せることができる舞台となる。

私が観た工藤祐経は、富十郎(2)、團十郎(2)、三津五郎、幸四郎、吉右衛門そ
して、今回は、仁左衛門。高座に座り込み、一睨みで曽我兄弟の正体を見抜く眼力を
発揮するのが、工藤祐経役者。三津五郎を除けば、江戸歌舞伎ものの座頭級が並ぶ。
三津五郎も、8月の歌舞伎座納涼歌舞伎を「卒業」しなければならない時期に差し掛
かっている。

曽我十郎は、菊之助(今回含め、3)、梅玉(2)、菊五郎(2)、橋之助。五郎
は、三津五郎(3)、海老蔵(今回含め、2)、我當、團十郎、吉右衛門。

この演目は、正月、工藤祐経館での新年の祝いの席に祐経を親の敵と狙う曽我兄弟が
闖入する。やり取りの末、富士の裾野の狩場で、いずれ討たれると約束し、狩場の通
行証を「お年玉」としてくれてやるというだけの話。筋らしい筋も無い芝居である。
それでいて、歌舞伎座筋書の上演記録を見ると、巡業などを除いた戦後の本興行だけ
の上演回数でも、断然多い。歌舞伎味のエッセンスのような作品なので、歌舞伎が続
く限り、永久に、歌舞伎の様式美の手本になり続ける不易で、古典的な作品と言える
だろう。歌舞伎の入門編として観劇するのにも適切な演目だ。

今回は、ほかに、大磯の虎(芝雀)、舞鶴(孝太郎)、化粧坂少将(七之助)、近江
小藤太(男女蔵)、八幡三郎(松江)、鬼王新左衛門(愛之助)。花形の若い役者が
多かったので、仁左衛門の貫禄が一段と光って見えた。高座に座り込んでからも、風
格のある立派な祐経で、両脇の近江小藤太、八幡三郎を従えて、堂々の押し出しであ
る。

曽我兄弟では、白塗りに剥き身隈の五郎を演じた海老蔵の発声が、いつもの口跡の良
さが出ておらず、少し籠った。腰を落として仇ににじり寄る場面では、若いだけにダ
イナミックな感じで、父親の團十郎より見応えがあった。こうして、息子は、いず
れ、父親を乗り越えようとして行くのだろう。兄の十郎を演じた菊之助は、落着いて
いた。本来の小林朝比奈に替わる朝比奈妹の舞鶴を演じた孝太郎、化粧坂少将の七之
助も、良かった。團十郎、菊五郎、仁左衛門、勘三郎へと、皆々、にじり寄って行
く。曽我兄弟に家宝の友切丸を見つけだし、届けるというおいしい役の鬼王新左衛門
を演じる愛之助は、7月、9月にも歌舞伎座出演が続く。それにしても、澤潟屋一門
の若き総師となった四代目猿之助が、新・歌舞伎座杮葺落興行に、集中月間の、この
3ヶ月ばかりでなく、再開場半年を過ぎる9月までも出演予定が無いというのは、い
かがなものであろうか。懐紙を加えて、唾が友切丸の刃にかからないように注意しな
がら、刀の鑑定をする工藤祐経。仁左衛門は、風格がある。人間国宝近し。


ゲームや漫画の世界のような「土蜘」


「土蜘」は、6回目の拝見。「新古演劇十種」とは、五代目菊五郎が、尾上家の得意
な演目10種を集めたもの。團十郎家の「歌舞伎十八番」と同じ趣向。能の「土蜘」
をベースに明治期の黙阿弥が、五代目菊五郎のために作った舞踊劇。1881(明治
14)年、新富座で初演。黙阿弥の作劇術の幅の広さを伺わせる作品。この演目は、
日本六十余州を魔界に変えようという悪魔・土蜘対王城の警護の責任者・源頼光との
バトルという、なにやら、コンピューターゲームや漫画にありそうな、現代的な、そ
れでいて荒唐無稽なテーマの荒事劇。「凄み」が、キーポイント。

私が観た主役の僧・智籌(ちちゅう)、実は、土蜘の精は、5人。菊五郎(今回含
め、2)、孝夫時代の仁左衛門、團十郎、吉右衛門、襲名披露の演目に選んだ勘九
郎。尾上家の家の藝を演じる人間国宝・菊五郎を観るのは、2回目。

前半(前シテ)。人間国宝・吉右衛門が源頼光を付き合う。病が癒えたばかりの源頼
光を見舞いに来た平井保昌(三津五郎)と対面する。頼光の太刀持・音若は、松江子
息の玉太郎が勤める。保昌が引っ込むと、侍女の胡蝶(魁春)が、薬を持って出て来
る。暫く外出が出来なかった頼光は、胡蝶に都の紅葉の状態を尋ねる。

「その名高尾の山紅葉 暮るるもしらで日ぐらしの・・・」

舞に合わせて、あちこちの紅葉情報を物語る胡蝶。穏やかな秋の日が暮れて行く。や
がて、夜も更け、闇が辺りを敷き詰める頃あい、頼光は、俄に癪が起こり、苦しみは
じめる。

比叡山の学僧と称する僧・智籌(菊五郎)の出となる。花道のフットライトも付けず
に、音も無く、不気味に、できるだけ、観客に気づかれずに、花道七三まで行かねば
ならない。智籌は、頼光の病気を伝え聞き、祈祷にやって来たと言う。隙あらば頼光
に近づこうとする智籌の影を見て、異形のものを覚った頼光太刀持ちの音若(玉太
郎)が、声も鋭く(まだ、弱かった)、智籌を制止し、睡魔に襲われていた頼光を覚
醒させる。

吉右衛門の風格と十全の科白廻し。正体を暴かれて、二畳台に乗り、数珠を口に当て
て、「畜生口の見得」をする菊五郎の智籌。本性の顕現。「千筋の糸(蜘蛛の糸)」
を投げ捨てるなど魔性を暴露しながらの立ち回り。金剛流秘伝の魔術の糸だが、絵に
なる場面が続く。善・悪の人間国宝の対決の場面だ。

その後、智籌は、無念の思いを抱いたまま花道に踞る。袖で覆った格好で頼光を見据
えたまま、七三から台のようなものに乗って、菊五郎は、滑るように花道を退場して
行った。

間(あい)狂言。初演時には無く、再演時から追加された。能の「石神」をベースに
したもの。番卒の太郎(翫雀)、次郎(松緑)、藤内(勘九郎)、巫子の榊(芝雀)
の登場。石神、実は小姓四郎吾は、松緑の子息、大河の出演。芝雀が、大河を背負っ
て、下手へ。残りの番卒も続く。この間に、菊五郎は、後シテのための化粧を施し、
衣装をつける。そして、下手の鏡の間で、「引き回」の中には入るだろう。

後半(後シテ)。二畳台を上手から中央へ移す。下手から「引き回(蜘蛛の巣の張っ
た「古塚」を擬している)」を後見たちがそろりそろりと運んで来る。中には、菊五
郎が入っているはず。身動きできず、不自由だろうし、見えにくい、歩きにくい。紙
で出来た蜘蛛の巣を破ってもいけない。後で、一気に破ってみせなければならないか
らだ。気を使う場面だ。やがて、保昌(三津五郎)らが古塚を暴くと、中から、茶の
隈取りをした土蜘の精(菊五郎)が現れ来たり、無事紙の蜘蛛の巣を破って、飛び出
して来る。

ここは、05年1月、歌舞伎座で観た吉右衛門の眼や声の凄かったのが印象に残って
いる。まさに、人間離れをした土蜘蛛の眼や声であったが、菊五郎は、前回も今回
も、凄みに欠けると、思った。千筋の糸を何回も何回も(私が数えたところでは、前
半と後半で、8回)まき散らす土蜘の精。頼光の四天王(赤面の右近、亀寿・亀三郎
の兄弟、権十郎)や軍兵との立ち回り。歌舞伎美溢れる古怪で、豪快な立回りであ
る。立ち回り好きの菊五郎の面目躍如。能と歌舞伎のおもしろさをミックスした明治
期の黙阿弥が作った松羽目舞踊の大曲。

贅言:途中、間狂言の際、舞台奥で演奏している四拍子連中は、太鼓・大鼓と立鼓・
小鼓・笛が、互いに向かい合う形で、演奏をしていた。間狂言が終ると、元の定式に
戻り、全員が、正面を向いた。
- 2013年6月13日(木) 16:29:56
13年06月歌舞伎座(第一部/「鞘當」「喜撰」「俊寛」)


杮葺落興行も3ヶ月目。歌舞伎役者大集合も、ここで一山という感じ。来月からは、
花形歌舞伎、つまり若手役者にバトンタッチすることになる。今月の演目を第一部か
ら第三部まで眺めていると浮かんできたイメージがある。「鞘當」「喜撰」「対面」
「土蜘」「鈴ヶ森」「助六」は、いずれも歌舞伎漫画のイメージ。「俊寛」のみ劇画
調ではないのか。ならば、第三部の最後に、漫画としての歌舞伎という視点で、今月
は劇評を書いてみようと思う。

「鞘當」は、新・歌舞伎座の杮葺落興行なので、当然、両花道仕立てか、いや、杮葺
落興行ゆえに客席を減らさないためにも片花道のままなのか、と思いながら客席内を
眺めたら、片花道のままであった。松竹にとっては、いつもより高いご祝儀相場の席
料で一人でも多くの観客を入れたいだろうし、観客の側も一人でも多く客席に座りた
いだろうし、という両者の思惑が一致し、両花道を期待したのは、少数派かもしれな
い。

「鞘當」は、今回のように単独でも上演されるが、本来は、「浮世柄比翼稲妻」とい
う通し狂言の一場面である。12年11月の国立劇場で、高麗屋一門による通し上演
で観たことがある。「境木」、「初瀬寺」、「助大夫屋敷」、「鈴ヶ森」、「浪
宅」、「鞘當」という6場の構成であった。「鞘當」一場だけのみどり上演では、0
3年5月の歌舞伎座で観ている。面白いのは、ほかの場面と繋げての上演では、09
年9月の歌舞伎座で、「鞘當」、「鈴ヶ森」という順であったし、11年1月の新橋
演舞場では、「浪宅」、「鞘當」という順であった。「稲妻草紙」と「比翼塚」など
の筋が「綯い交ぜ」になる歌舞伎の不思議さ、佐々木家のお家騒動のうち、「稲妻草
紙」の不破伴左衛門と名古屋山三の「鞘當」も、「比翼塚」の幡随院長兵衛と白井権
八の「鈴ヶ森」も、大団円ならぬ、いわば「小」団円、幕切れに使えるということか
ら、ストーリーの流れとは別に、こういう使い方が生まれるのだろう。
 
1823(文政6)年、江戸・市村座初演の「浮世柄比翼稲妻」は、四代目鶴屋南北
原作。全9幕19場という、長丁場の芝居。従って、今では、全場面が上演されるこ
とはない。

佐々木家のお家横領を企む伴左衛門が、佐々木家の家臣で、敵対する山三の父親・山
左衛門とともに、権八の父親・兵左衛門を闇討ちにする。山左衛門も、何者かに殺さ
れ、刀を奪われている(伴左衛門が、父親の仇ではないかと山三は、疑っている)。
山三と伴左衛門は、吉原の花魁・葛城(元の腰元・岩橋で、山三は、不義発覚、追放
以来、男女の仲が、続いている)を巡る恋敵というところから、物語は始まっている
のだが、お家騒動という権力争いと男女の恋物語は、歌舞伎のオーソドックスな構造
のひとつである。


「浮世柄比翼稲妻」のうち、人気のある「鈴ヶ森」は、良く上演される。次いで、
「鞘当」か。09年9月歌舞伎座では、「鈴ヶ森」と「鞘当」を通して観たことがあ
る。今回は、「浅草鳥越山三浪宅」と「鞘当(吉原仲之町)」が、通しで上演される
というので、愉しみにしていた。「浪宅」から「鞘当」への流れは、判り易い。私
が、「浪宅」を観るのは、初めてである。

「鞘当」は、ふたりの浪人、不破伴左衛門と名古屋山三が、登場する「稲妻草紙」の
世界。「鈴ヶ森」は、小紫と権八の「比翼塚の世界」。全く違う世界が、ひとつにな
り(「綯い交ぜ」という)、南北独特の世界へと昇華しして行く。佐々木家のお家横
領を企む伴左衛門が、佐々木家の家臣で、敵対する山三の父親・山左衛門とともに、
権八の父親・兵左衛門を闇討ちにする。山左衛門も、何者かに殺され、刀を奪われて
いる(伴左衛門が、父親の仇ではないかと山三は、疑っている)。山三と伴左衛門
は、吉原の花魁・葛城(元の腰元・岩橋で、山三は、不義発覚、追放以来、男女の仲
が、続いている)を巡る恋敵というところから、物語は始まっているのだが、最近で
は、通しでは、滅多に上演されない。お家騒動という権力争いと男女の恋物語は、歌
舞伎のオーソドックスな構造のひとつ。

「鞘当」では、桜満開の江戸新吉原仲之町が舞台。幕が開く前に、下手の大薩摩連中
で、繋の一駒(くさり)。幕が開くと、華やかな吉原の町並み。

花道から浪人・不破伴左衛門(橋之助)、上手揚げ幕から浪人・名古屋山三(勘九
郎)が、それぞれ登場する。水色の地に濡れ燕模様の衣装に深編笠姿の山三は、白塗
り、白足袋の着流し。黒地に茶と緑の雲、朱色の稲妻模様の衣装に深編笠姿の伴左衛
門は、砥の粉塗り、黄色い足袋の着流し。衣装こそ違うものの、二人は、まるで、
「二人もの」の演目のように、ということは、ふたりの間に鏡があるかのごとき、左
右対称に見える所作をする。同調と対比。そのふたつの様式美が、大事だ。

古典の様式的な美を意識した舞台。本舞台中央で、二人がすれ違って、上下が、入れ
替わる際に、刀の鞘が当たって、武士の面目上、喧嘩になる(ここで、大薩摩連中退
場)。互いに相手の編笠を取り合い、一緒に顔を見せる。鞘が当たり、お互いに抜き
あった刀は、黒塗り、朱塗りの鞘を替えても、ぴったり納まる名古屋家伝来の陰陽の
剣(つまり、一対の剣)。伴左衛門は、名古屋山三の父親を殺し、刀を奪った犯人と
して容疑濃厚と判る場面である。「身に降り掛る濡れ燕(濡れ衣か)」。

そういうところへ、花道より登場した引手茶屋女房・お駒(魁春)が、「留め(止
め)女」として活躍するという趣向。床几に掛かっていた緋毛氈を使って、男同士が
斬り結ぶ刀の諸刃を覆い隠す。喧嘩の仲裁役という役どころ。後日の二人の対決を約
する証人にもなる。

渡り科白を聞かせながら、一枚の浮世絵葉書のような所作事の芝居。それだけの場面
だが、元禄歌舞伎の古風な味わいを残した舞踊劇で、いかにも、華やかな歌舞伎らし
い場面で、代々の役者の工夫のエッセンスが詰まっている。物語と言うより、二人の
立役の美男ぶりを味わい、真女形を可憐さを楽しむ。3人の役者の持ち味が見どこ
ろ、という芝居だ。

私が観た山三は、6人。梅玉、菊之助、染五郎、三津五郎、錦之助、そして、今回の
勘九郎。伴左衛門は、3人。橋之助(今回含めて、3)、松緑(2)、幸四郎。茶屋
女房は、3人。芝雀(3)、福助(2)、そして今回の魁春。

山三を演じた勘九郎は初役。菊五郎の指導を受けたという。橋之助は、伴左衛門を本
興行のほか、巡業でも演じている。花道七三まで「丹前六方」という歩き方で演じ
る。身体を余り動かさない独特の歩き方なので、しどころが難しいらしい。勘九郎、
橋之助とも、科白を唄い上げる。魁春は、初役。貫禄の「留め(止め)女」である。


「喜撰」は、8回目の拝見。「喜撰」は、「六歌仙容彩」という変化舞踊として「河
内山」の原作「天保六花撰」と同じ時代、天保2年3月、江戸の中村座で初演され
た。小町、茶汲女を相手に、業平、遍照、喜撰、康秀、黒主の5役を一人の役者が演
じるというのが、原型の演出であったが、いまでは、それぞれが独立した演目として
演じられる。今回の「喜撰」で、三津五郎と小町見立ての時蔵のお梶という配役。私
が観た喜撰は、3人。三津五郎(今回含め、4)、富十郎(3)、勘三郎。富十郎の
喜撰には、味わいがあり、三津五郎の喜撰には、踊りの巧さがあり、勘三郎の喜撰に
は、おかしみがあった。お梶は、6人。玉三郎(2)、時蔵(今回含め、2)、九代
目宗十郎、福助、雀右衛門、勘三郎。勘三郎は、両方の役を演じている。三津五郎の
親友。器用なこの人は、もういない。玉三郎は、三津五郎の襲名披露の舞台で、相手
役を勤めている。

「喜撰」は、小道具の使い方が巧い舞踊だ。櫻の小枝、手拭、緋縮緬の前掛け、櫻の
小槍、金の縁取りの扇子、長柄の傘などが、効果的に使われる。中でも、緋縮緬の前
掛けが、官能的に見える。というのも、緋縮緬の前掛けは、昔の女性の下着の赤い腰
巻きのミニチュア版に見えるからだ。お梶は、これを使って喜撰の頭に被せたり顔を
隠したりするが、痴話のやり取りをする若い男女が、性愛の合間に、赤い下着を使っ
ているエロチックな遊びをしているように見えるのは、私だけだろうか。

喜撰は、花道の出が難しい。立役と女形の間で踊るという。歩き方も、片足をやや内
輪にする。三津五郎の踊りは、相変わらず、軸がぶれず、身体の切れも、良い。


「俊寛」は、13回目の拝見。近松門左衛門原作の時代浄瑠璃で、1719(享保
4)年、大坂の竹本座で,初演された。300年近く前の作品である。私が観た俊寛
は、吉右衛門(今回含め、5)、幸四郎(4)、仁左衛門、猿之助、勘三郎、橋之助
という顔ぶれ。吉右衛門、幸四郎は、同じように演じ続けている。

今回で、5回目の拝見となった吉右衛門の俊寛は、従来、虚無的であった。私が初め
て吉右衛門俊寛を観たのは、17年前、96年11月の歌舞伎座であった。虚無的な
表情を変えて吉右衛門は、私が観た07年1月歌舞伎座の舞台では、「喜悦」の表情
を浮かべた「新演出」だったと、思う。初めて、喜悦の「笑う俊寛」を私は、このと
き、観たことになる。10年9月の新橋演舞場も、吉右衛門は、この演出を継続し
た。さて、今回は、と思いながら観ていると、吉右衛門は、「喜悦」の表情を浮かべ
なかったではないか。

新・歌舞伎座で先月「石切梶原」を演じ、今月は、「俊寛」を演じた吉右衛門。
いずれも、新・歌舞伎座の杮葺落興行とあって、初代吉右衛門に捧げるつもりで勤め
たという。二代目の「俊寛」の初演は、1982年というから、当初からの俊寛最後
の表情の変遷を詳らかに私は知らない。30年余のうち、17年。それも、ほとんど
歌舞伎座でしか観ていないので、私の観劇記録は欠損だらけだ。吉右衛門は、語る。
「(島流しにされた人間が、妻も殺されたと聞いて、やけになり、自分だけ残る、と
いうようにとらえていたこともありました)。

最近は、「相手の気持ちに立って許す。それを近松門左衛門が書きたかったのかなと
思いつつやっております」という。

幕切れの場面、台本にある科白は、「おーい、おーい」だけなのである。まず、この
「おーい」は、島流しにされた仲間だった人たちが、都へ向かう船に向けての言葉で
ある。船には、孤島で苦楽を共にした仲間が乗っている。島の娘・千鳥と、ついさき
ほど祝言を上げた仲間の成経がいる。そういう人たちへの祝福の気持ちと自分だけ残
された悔しい気持ちを俊寛は持っている。揺れる心。「思い切っても凡夫心」なの
だ。

時の権力者に睨まれ、都の妻も殺されたことを初めて知り、妻殺しを直接手掛けた男
をさきほど殺し、改めて重罪人となって、島に残ることにした男が、叫ぶ「おーい」
なのだ。「さらば」という意味も、「待ってくれ」「戻ってくれ」という意味もある
「おーい」なのだ。別離と逡巡、未練の気持ちを込めた、「最後」の科白が、「おー
い」なのだろう。吉右衛門演じる俊寛の表情、特に、「おーい」の連呼の後に続く俊
寛の表情の変化を私はいつも観ている。

これは、芝居の「最後の科白」でもあるが、俊寛の「最期の科白」でも、ある。ひと
りの男の人生最期の科白。つまり、岩組に乗ったまま俊寛は、この後、どう生きるの
かということへの想像力の問題が、そこから、発生する。昔の舞台では、段切れの
「幾重の袖や」の語りにあわせて、岩組の松の枝が折れたところで、幕となった。し
かし、吉右衛門系の型以降、いまでは、この後の余白の時間に俊寛の余情を充分に見
せるようになっている。

吉右衛門の俊寛を観ていると、岩組を降りた後の、俊寛の姿が見えて来た。ここで、
俊寛は、自分の人生を総括したのだと思う。愛する妻が殺されたことを知り、死を覚
悟したのだろう。俊寛は、岩組を降りた後、死ぬのではないか。これは、妻の死に後
追いをする俊寛の妻の東屋への愛の物語ではないのか。それを俊寛は、未来のある成
経と千鳥の愛の物語とも、ダブらせたのだ。そして、俊寛自身は、今後、ひとりで老
いて行く自分、ひとりで死に行く自分、もう、世界が崩壊しても良いという総括をす
ることができたことから、いわば「充実」感をも込めての呼び掛けとして「おー
い」、つまり、己の人生への、「最期」の科白としての「おーい」と叫んでいるよう
に思える。そういう達観のもたらした喜悦。それが、吉右衛門の「喜悦」の俊寛では
なかったのか。

何故、そう感じるのかというと、俊寛は、清盛という時の権力者の使者=瀬尾を殺
す。それは、清盛の代理としての瀬尾殺しだ。「夫として」、妻に対する愛情の発露
として、瀬尾を殺す。つまり、権力という制度への反逆だ。これは、重罪である。流
人・俊寛は、さらに、新たな罪を重ねたことになる。何故、罪を重ねたのか。それ
は、都の妻を殺されたからである。つまり、俊寛は、重罪人になっても、直接、自分
の妻を殺した瀬尾に対して、妻の敵を討たない訳には行かなかったのだ。だから、こ
れは、敵討ちの物語でもある。妻殺しの瀬尾を殺してでも、妻と自分の身替わりとし
て千鳥と成経には、幸せな生活をしてほしいと思ったのだと思う。ふたりの将来の幸
せな生活を夢見る。だから、これは、愛の再生の物語でもある。そこに、虚無の果て
としての充実、それゆえに浮かぶ喜悦の表情があったのではないか。それが、先頃ま
での吉右衛門の俊寛論だと思っていた。

ところが、今回、吉右衛門は最後まで「喜悦」の表情を浮かべなかった。代わりに浮
かべたのが、「悟り」の表情だった。吉右衛門は、今回の俊寛について、次のように
語っている。「成経、千鳥という恋人同士の離れがたい気持」を理解し、「自分は神
の救いの船を待つのだと悟り、ああいう結果にな」ったという。「喜悦」の向こうに
「悟り」を観た吉右衛門俊寛。悪の権化清盛に対抗するべく俊寛が生み出した「許し
の権化」としての悟り。この俊寛に私は、懐の深い「父性」を強く感じた。

幕切れで、俊寛は、絶海の孤島の岩組の上で、観客席の下手方向に広がる大海原を見
ている。遠ざかり行く船が見える。さらに、俊寛には、その船が、来世からの迎えの
船に見えているのかもしれない。吉右衛門は語る。「ふっと見上げた俊寛の目に救世
の船が映る。天女がその周りを舞いながら迎えにきてくれる。私の目にも見えていま
す」。それを観客に伝えたいと吉右衛門はいう。二代目は、今回、初代の藝に、より
近づいたということなのだろうか。

2001年4月の歌舞伎座。仁左衛門が俊寛を演じていた。その時の私の劇評には、
こう記(しる)されていた。「能の、『翁』面のような、虚無的な表情を強調した仁
左衛門。仁左衛門は、『悟り』のような、『無常観』のようなものを、そういう表情
で演じていた」。

その他の役者たち。私が観た瀬尾は、左團次(今回含め、6)、段四郎(4)、富十
郎、彦三郎、團蔵。この憎まれ役は、左團次が群を抜く。丹左衛門は、梅玉(4)、
仁左衛門(今回含め、2)九代目宗十郎、吉右衛門、歌六、三津五郎、芝翫(珍し
い!)、富十郎、権十郎。千鳥では、松江時代を含む魁春(4)、福助(3)、芝雀
(今回含め、2)、亀治郎時代の猿之助、孝太郎、七之助、児太郎。「鬼界ヶ島に鬼
は無く」と千鳥の科白、後は、竹本が、引き取って、「鬼は都にありけるぞや」と繋
がる妙味。千鳥のひとり舞台の見せ場。七之助が初々しかった。意外や、菊之助が、
一度も演じていないようだ。それぞれ、味があった。
- 2013年6月12日(水) 15:33:03
13年05月国立劇場・(人形浄瑠璃第二部/「寿式三番叟」「心中天網島」)


女同志の信義の果てに 「心中天網島」の世界


「寿式三番叟」は、人形浄瑠璃では、3回目の拝見。「心中天網島」は、歌舞伎で
は、「河庄」「時雨の炬燵」(それぞれ、「みどり」狂言方式で単発上演)の場面を
何回か観ているが、人形浄瑠璃では、初めて観るので、興味深かった。

「寿式三番叟」は、能の「翁(おきな)」がベース。基本は、「かまけわざ」(人間
の「まぐあい」を見て、田の神が、その気になり(=かまけてしまい)、五穀豊穣、
子孫繁栄、ひいては、廓や芝居の盛況への祈りをもたらす)という呪術である。

「孔明」という肌色の首(かしら)を使う「翁」の人形が、さらに、不思議な微笑を
たたえた「翁面」つけることで、神格化するという約束になっている。下手の五色の
幕から、白塗りの首の「若男」の千歳(せんざい・勘弥)が、黒漆塗りの面(めん)
箱(「翁」面が入っている)を持って登場する。

やがて、翁(人形遣:和生)も登場。さらに、ふたりの三番叟(文昇、幸助)。全員
そろったところで、「とうとうたらり たらりら」。千歳の颯爽とした舞。上手で、
翁は、後ろを向いている間に、「翁面」をつけている。面を付け終わると前を向く。
荘重な翁の舞。金地の雲と海を泳ぐ亀。亀の背中に生えている松。松の近くを飛ぶ
鶴。そういうシュールな図柄が描かれた古風な扇を拡げる。終わると、翁は、左手で
顔を隠して面を外して、客席に向かって礼をすると、下手へ退場。

続いて、首が、肌色の「又平」、白塗りの「検非違使」という、ふたつの人形の三番
叟がテンポよく踊り始める。金と黒の横縞模様に、日の丸のような赤い丸が縫い付け
られた剣先烏帽子を被り、半素襖という衣装を着用。人形ならではの、躍動的な動き
で、激しく、賑やかに舞う「揉みの段」。地面を固めるので、足音も大きい。続い
て、千歳から、三方に載せられた鈴、稲穂を象徴する鈴が手渡されて、「鈴の段」
へ。

千歳は、面箱を持ち、退場。残されたふたりの三番叟は、舞台の東西南北に動き回
り、種を撒く所作。主遣いに、ぴったりくっつきながら、足遣いは、人形の脚を大き
く振り動かしながら、移動する。それ故に、「又平」の三番叟は、くたびれてしま
い、フラフラになったという所作の後、舞台の下手に座り込んで、一休みをしてい
て、「検非違使」の三番叟に注意される始末。

三番叟は、連れ舞が見どころ。今回のふたりより、最初に観た時に演じていた勘十
郎・玉女のコンビが動きにメリハリがあり良かった。「ダンダンダンダン」という足
踏みの音。「テケテンテンテケテンテン」「スッテンスッテンスッテンスッテン」と
いう三味線の音。なんとも、賑やかで、陽気で、元気が出る演奏。

今回の竹本は、翁を脳梗塞の障害を克服した人間国宝の住大夫、千歳を文字久大夫、
三番叟を相子大夫、芳穂大夫、ほかも合わせて計6人。三味線方が、野澤錦糸ら6
人。人形遣は、千歳を勘弥、翁を和生、三番叟を文昇、幸助のふたり。住大夫は、右
手が不自由のようだが、語りは、しっかりしていて、口跡は大丈夫。


人形浄瑠璃初見の「心中天網島」


歌舞伎では、「河庄」の場面がよく演じられる。次いで、「時雨の炬燵」(人形浄瑠
璃では、「天満紙屋内」の場面)だが、今回の人形浄瑠璃では、「北新地河庄の段」
から、「天満紙屋内より大和屋の段」、「道行名残りの橋づくし」まで上演するの
で、愉しみ。人形浄瑠璃の「心中天網島」は、そもそも初見。

「心中天網島」。心中ものの近松門左衛門処女作「曾根崎心中」から17年後に上演
された近松門左衛門原作(1720年)で、その後、近松半二らが「心中紙屋治兵
衛」「天網島時雨炬燵」などの改作をした。上方和事の代表作である。人形浄瑠璃は
初見なので、場面展開もコンパクトながらきちんと書いておきたい。

「北新地河庄の段」。幕が開くと、舞台は無人。盆廻しで竹本の太夫が登場する。千
歳大夫。三味線は、鶴澤清介。舞台は、大坂北新地の茶屋「河庄」だが、歌舞伎の大
道具と作りが違うことに気がつく。この演目では、歌舞伎では花道を歩く紙屋治兵衛
の、いわば「歩く芸」が見どころの一つになる。花道、本舞台の河庄の店、玄関横の
格子窓、そして店内へと続く空間が、見逃せない。歌舞伎の場合、「河庄」と名入れ
された行灯と玄関、その向うに玄関と横並びで格子の嵌った窓がある。玄関を入ると
座敷、さらに上手には、奥の間がある、という作りだ。こういう大道具が、すべて廻
り舞台の円の中に入っている。

人形浄瑠璃には、花道はない。下手の小幕を上げて紙屋治兵衛は出て来る。本舞台の
河庄の店には、「河庄」と名入れされた行灯と玄関があるのは同じだが、格子の嵌っ
た窓が、玄関の横ではなく、玄関と直角、客席の正面に見える。さらに窓の上手側か
ら客席に向ってごく低い「塀の屋根のような構造物」がある。ひょいと足で跨いで通
れるような高さである。塀の役割を果たしていない。これは、なにか? それは、後
ほど解明するとして、兎に角、河庄の格子窓の前には、塀のようなもので仕切られた
空間がある。

下手の小幕が上がり、小春(人形遣:勘十郎)が下女と傍輩と出て来る。皆、一緒に
座敷のかかった茶屋の河庄に出向いてくる場面から芝居が始まる。河庄には、青っぽ
い紺地に河庄の2文字と家紋が染め抜かれた大暖簾がかかっている。さらに下手から
小春に横恋慕している江戸屋太兵衛(勘寿)と連れの五貫屋善六(簑二郎)がやって
来る。紙屋治兵衛と深い仲の小春は、太兵衛を嫌っているが、伊丹の商人の金の力に
は勝てそうもない。太兵衛と善六の即席の義太夫節を口三味線でやり取りする場面
は、間(あい)の笑劇。ユニークな千歳大夫は、こういう場面は巧い。

今夜の小春の初会の客の侍が頭巾を被ってやって来る。小春の苦境をみて太兵衛らを
懲らしめて、追い出す。「希死念虜」のようなことばかり言う欝気味の小春を持て余
す侍は、実は、治兵衛の実の兄・粉屋(こや)孫右衛門(文司)。弟の心中を食い止
めるために出向いてきたのだが、本心は隠している。浮かぬ小春の事情を察し、相談
に乗る侍。「希死念虜」を強める小春。竹本「死神のついた耳へは、異見も道理も入
るまじとは思へども」。現代も不安の時代ゆえ良く判る。

盆廻しで、太夫交代。切場を語る嶋大夫へ。茶屋の河庄に小春が来ていると煮売屋で
小耳に挟んだ治兵衛(玉女)が下手から忍び出て来る。竹本「魂抜けてとぼとぼうか
うか、身を焦がす」。歌舞伎なら、「河庄」最大の見せ場。河庄の行灯に近寄り、顔
が見られないようにと灯を消す。

歌舞伎なら、「歩く芸」。鴈治郎時代を含めて、坂田藤十郎の花道の出、虚脱感と色
気、計算され尽した足の運び(歌舞伎なら、花道でたっぷり見せる場面も、人形浄瑠
璃の見せ場にはならない)、その運びが演じる間(ま)の重要性、そして、「ふっく
らと」しながらも、やつれた藤十郎の、「ほっかむりのなかの顔」(人形浄瑠璃で
は、「源太」の首)。妻子がありながら、遊女・小春に惚れてしまい、小春に横恋慕
する太兵衛の企みに乗せられ、心中するしかないというのが、治兵衛のいまの心境に
なっている。揚幕の外に出た途端から、花道を歩き続けるだけということが藝になっ
ている場面だ。足取りも、表情も、恋にやつれ、自暴自棄になっているひとりの男が
歩いて行く。これができない人形浄瑠璃では、別の見せ場を作ることになる。

歌舞伎と違って、人形浄瑠璃では、舞台正面に茶屋の格子窓がある(先に触れたよう
に、後の展開のために必要な道具だ)。窓の外から中を窺う治兵衛。奥の間で小春
は、なんと、初会の侍に治兵衛のことを訴えているではないか。治兵衛と心中の約束
をしたが、実は、死にたくないのだと、小春は侍に「本心」を打ち明けている。竹本
「二年といふもの化かされた」と小春の不実な態度を知り、怒る治兵衛。嫉妬心から
障子を突き破って、届く筈のない小春に小刀を突き出す治兵衛。何者かと、その両手
を障子窓の内側から格子に縛り上げ、男を懲らしめのために、そこから身動きができ
ないようにする孫右衛門。

実は、小春は、治兵衛の女房・おさんからもらった手紙で、「紙屋の苦しい内情と、
夫と別れてほしい、夫を心中の道連れにしないでほしい」と言われてしまっている。
小春は、女の信義を感じて、別れるという内容の手紙を書き、店の丁稚に返事を持た
せてしまった。それ故に、心にもない縁切りの態度を取る。治兵衛から、自分との心
中の約束を違えようとするのかと、さんざん非難される。しかし、おさんとの約束を
守って、何も言わずに拒絶をし、小春はそれに耐え続ける。竹本「口と心は裏表」。

両手を格子に縛られてしまった治兵衛。やんちゃ坊主のように,小春への悪態を饒舌
に吐き続ける。男が治兵衛と知れる。頭巾を取った侍は、兄の孫右衛門と知れる。孫
右衛門を間にはさんで、舞台上手側に座ったまま、じっとしている小春と格子窓で饒
舌な治兵衛。真意を隠して、じっと聞いている小春の辛い心情。やがて、小春が起請
とともに持っているおさんからの手紙が、孫右衛門の目に止り、女同士の信義という
状況が浮き彫りになって来る。小春は理性的な女性だ。この段は、科白劇。竹本の嶋
大夫の熱演が光る。三味線は、豊澤富助。

歌舞伎では、この後、舞台が半廻しとなり、店の外に身動きできずにいる治兵衛の後
ろ姿が、観客席から見えるようになる。そこへ、花道から戻って来た江戸屋太兵衛と
五貫屋善六が、縛られている治兵衛を見つけ、小春を巡る恋敵とばかりに「貸した2
0両を返せ」などとからかい、治兵衛を打ち据えて、辱める場面へと繋がる重要なポ
イントとなる。つまり、人形浄瑠璃の格子窓の位置は、歌舞伎なら、廻り舞台が半廻
りした「後」の場面ということになる。

廻り舞台という装置のない人形浄瑠璃では、芝居の流れの中で最重要な場面を想定し
て最初から大道具の作りを決めているということなのだろう。従って、格子窓の前の
空間は、やはり、上手側が河庄の庭にでも続く塀の屋根を、いわば観客は俯瞰してい
るような構造になっているのだろう。そういうことに気がつけば、この空間は、何と
もシュールな空間ではないかと思う。人形浄瑠璃だけを見ている人は、人形浄瑠璃の
大道具で何の不思議もない。歌舞伎だけを観ている人も、歌舞伎の大道具で何の不思
議もない、と思うだけだろう。気がつけば、シュール!

心中しようと思う治兵衛、おさんの気持ちを思い治兵衛を道連れには出来ないと思う
小春、二人の心中を止めようと思う孫右衛門。三者三様、それぞれの思いを近松門左
衛門は書き分ける。物語は、追い詰められて心中へと傾斜する男女を取り巻く兄と女
房ら近親者の苦悩を描いて行く。事件そのものより、主要人物の心情描写が近松門左
衛門の狙いだ。「絶対の恋愛」を賛美したのが「曾根崎心中」なら、17年後の「心
中天網島」は、「恋愛の重圧」を描くようになる。変遷の背景分析は、今回のテーマ
ではないので、省略。

「天満紙屋内より大和屋の段」は、1962(昭和37)年以来の上演形態となる。
ふたつの場面を繋いでみせるのは51年ぶりだ。天満紙屋は、治兵衛の店だが、店を
実際に切り盛りしているのは、女房のおさん(文雀)。小春に愛想を尽かした筈の治
兵衛(玉女)は、炬燵に潜り込んで泣いている。治兵衛を責めるおさん。治兵衛は、
自分の涙は、小春への未練ではなく、商道徳上で男の面目を太兵衛に潰された悔し
さ、太兵衛に身請けされたら死ぬと言っていた小春のことを悲しんでいると訴える。
おさんは、小春へ出した自分の手紙ゆえに小春が死のうとしていることを悟る。竹本
「アア、悲しや、この人を殺しては、女同志の義理立たぬ」。おさんは、小春の信義
を受け止め、小春を自分が身請けしようと決意し、金の工面を考える。男気(?)さ
えあるおさん。この女同士の間に流れる信義の交換が凄い。

ところが、ここへおさんの実父が現れて、ふたりの子どもを残して、おさんを実家に
連れ戻してしまう。結婚の時に結納でおさんに持たせた財産は、いわば父親の遺産分
けだから、おさんに権利はあっても、治兵衛にはないという理屈だ。以後、おさんは
舞台から消え去る。

再び追い込まれた治兵衛は太兵衛から小春を守るためには心中しかないと、曽根崎新
地の茶屋大和屋にいる小春に逢うために家を出る。大道具は、引き道具で、居所替わ
りとなる。舞台は、大和屋と店の界隈へ転換。

大和屋には、治兵衛と小春のことを心配した孫右衛門が訪ねて来るが、ふたりにかわ
されてしまう。やがて、夜回りの拍子木の音(「曾根崎心中」の場合は、下女の打つ
火打石の音)に紛れて大和屋を抜け出した小春と手を取り合い治兵衛は死出の道行き
となる。心中という「希死念虜」に取り付かれた男女を近親者たちは、なんとか思い
とどまらせようとするが、近松門左衛門は、巧みな筆さばきでふたりにとって「障
害」となるものを設定しては、次々と破って行く。セーフティネットからふたりをこ
ぼれ落とさせてしまう。

おさんを操るのは、暫く見なかったが、人間国宝の文雀。やはり、人形の動きが細や
か、なめらかである。特に静止いている時にも命を吹き込んでおくことが大事。これ
は、簑助も巧い。ふたりのレベルは、まだまだ、高い。竹本は、「口」が、始大夫。
三味線は、鶴澤清志郎。「切」が、咲大夫。三味線は、鶴澤燕三。

「道行名残りの橋づくし」。この場面が、実に美しい。竹本「走り書き、謡の本は近
衛流。野良(やろう)帽子は若紫、悪所狂ひの身の果ては、かくなりゆくと定まり
し」。

舞台の下手と上手に橋がある。下手から現れた治兵衛と小春は、揃いの黒地の衣装。
曾根崎川の蜆橋を渡り、堂島大江橋にやって来る。舞台は下手に大江橋、堂島、土佐
堀川の淀屋橋を渡り、ふたりは上手に引き込む。上手の橋は、引き道具でふたりを追
いかけて上手に引き込まれる。下手の橋は、上手に向って長々と引き出されて来る。
天満橋から京橋へ、という想定か。竹本「あのいたいけな貝殻に、一杯もなき蜆
橋……」以下、橋尽くしの文句に近松門左衛門の筆の冴え。

やがて、ふたりが橋を渡り終え、下手に引き込むと橋が舞台の奥へ倒される。背景の
川も引き道具で移動し、下手からは綱島の大長寺の背景が出て来る。治兵衛と小春
も、3度目の出。「この世でこそは添わずとも、未来は云ふに及ばず、今度の今度、
つつと今度のその先までも夫婦ぞや」。

小春は、女の信義が守れず、治兵衛を道連れにすることを小春に詫びている。竹本
「ふたりが死に顔並べて、小春と紙屋治兵衛と心中と沙汰あらば、おさん様より頼み
にて殺してくれるな殺すまい、挨拶切ると取り交わせし、その文を反古(ほうぐ)に
し」。夜明けを告げる大長寺の鐘が響く。「最期は今ぞ」。舞台下手で、治兵衛は小
春を刃で抉って殺すと小春の赤い帯を持ち出し、舞台中央の、ずっと離れた川の水門
に帯を掛けて、縊れ死ぬ。竹本「見果てぬ夢と消え果てたり」。下手から迫って来る
幕。まず、小春を呑み込む。縊れて揺れる治兵衛の身体が哀しい。やがて、幕が治兵
衛を呑み込む。

竹本は、小春・文字久大夫。治兵衛・睦大夫、ほかに津国太夫ら3人。三味線は、竹
澤宗助ら5人。
- 2013年5月21日(火) 10:35:07
13年05月国立劇場・(人形浄瑠璃第一部/「一谷嫩軍記〜熊谷陣屋」「曾根崎心
中」)


12年ぶりの人形浄瑠璃「一谷嫩軍記」


「一谷嫩軍記」は、「熊谷陣屋」の場。歌舞伎では、何回も観ている馴染みの演目だ
が、人形浄瑠璃は、今回、12年ぶりで2回目。歌舞伎とは、いろいろ違う場面があ
るのだが、12年前の舞台の印象をすっかり忘れて、興味深く拝見した。12年前、
01年5月国立劇場では、通し狂言「一谷嫩軍記」で、段構成は、「陣門の段」「須
磨浦の段」「組打の段」「脇ヶ浜宝引の段」「熊谷桜の段」「熊谷陣屋の段」という
珍しいものだった。私が歌舞伎を観に行くきっかけとなった「熊谷陣屋」が人形浄瑠
璃では、どう演じられているかを知りたくて、観に行ったものと思われる。地方に単
身赴任している時期で、土日を利用して自宅にも帰り、国立劇場にも通ったと当時の
日記には書いてある。

まずは、「一谷嫩軍記〜熊谷陣屋」から。「陣屋」というのは、英語では「キャン
プ」、軍営施設。「熊谷桜の段」竹本の文句に「要害厳しき、逆茂木の中に若木の花
盛り、八重九重も」とある。「逆茂木」とは、バリケード。陣屋の門の外に咲く桜
は、八重桜と判る。戦争の中の日常。

歌舞伎では、「熊谷陣屋」の演出は、2系統有り、「芝翫型」、「團十郎型」と言わ
れる。「芝翫型」は、江戸時代の三代目中村歌右衛門が、1813(文化10)年に
工夫したと言われるもので、熊谷直実の花道出の衣装では、黒のびろうど着附・赤地
錦の裃(オレンジ色に近い赤地錦のきんきらした派手なもの)をつけて出て来る。
「團十郎型」は、歌舞伎十八番を創設した江戸時代の七代目市川團十郎とそれを発展
させて新歌舞伎十八番も創設した明治の劇聖・九代目團十郎が工夫したもので、結末
の部分が原作とは大きく改編されている。團十郎型は、その後、熊谷直実の「性根」
解釈を深め、初代吉右衛門が完成させた。いまでは、歌舞伎では、この團十郎型の上
演ばかりで、「芝翫型」は、すっかり姿を消している。その「芝翫型」演出が、人形
浄瑠璃から引き継がれているのである。人形浄瑠璃では、幻の「芝翫型」の演出を楽
しめるという訳だ。それも忘れていた。

今回は、「熊谷桜の段」「熊谷陣屋の段」。歌舞伎なら、「熊谷桜」を頭でちょっと
だけ見せて、あわせて「熊谷陣屋」として上演する。人形浄瑠璃「熊谷桜の段」「熊
谷陣屋の段」は、歌舞伎の「熊谷陣屋」より、叮嚀に見せる。

「熊谷桜の段」は、いまの歌舞伎なら陣屋の前の桜の木に立ててある制札を仕出しの
役者衆の百姓が噂をする場面で終ってしまうが、「相模は子を思ひ夫思ひの旅姿」
(竹本)、直実の妻・相模が供を連れて、東国からはるばると訪ねて来る場面や、
追っ手に追われて逃げて来る藤の局(人形浄瑠璃は、「藤の局」、歌舞伎は、「藤の
方」)、梶原平次に縄を打たれて引き立てられた弥陀六が来るというわけで、次の
「熊谷陣屋の段」の伏線になっていることが、よく判る。以前は、歌舞伎でも、これ
らの「入り込み」を省略しなかったようだが、最近は滅多に上演されない。私は、1
2年3月の国立劇場で、歌舞伎の「入り込み」を初めて観たことがある。その時の配
役は、花道から出てくる順で、相模(魁春)、藤の方(東蔵)、梶原平次(市蔵)、
弥陀六(弥十郎)、直実(今は亡き團十郎)/陣屋では、軍次(巳之助)、義経(三
津五郎)。

さて、「熊谷陣屋の段」だが、既に触れたように、登場する直実の衣裳が派手だ。ほ
かに歌舞伎と違う演出は、以下の通り。今回は、そこに絞って書いておこう。

歌舞伎では、藤の方が青葉の笛を吹くと敦盛の姿が上手の障子にシルエットとなって
写るが、人形浄瑠璃では、舞台正面の背景として障子があり、そこに影が写る。影に
驚いて、障子をあけると、そこには、青の横線が二本(大小)入った板戸を背景に緋
縅の鎧が正面を向いて置かれているだけというのは、歌舞伎も人形浄瑠璃も同じだ
が、歌舞伎の場合、障子に写る影が正面を向いた敦盛なのに、人形浄瑠璃では、横向
きの敦盛であった。

上手から首桶を抱えた直実が登場する(歌舞伎は、正面奥より登場)。歌舞伎同様に
落着いた裃に長袴という扮装。

歌舞伎の場合、義経は、必ず四天王を引き連れて登場するが、人形浄瑠璃の舞台で
は、義経は、ひとりで登場した。正面奥、先ほどの板戸を開けて登場し上手に座る。
但し、首実検での義経の役回りは、同じであった。この後、「首」を巡っての直実と
相模、藤の局の絡みでは、制札の使い方が、歌舞伎より人形浄瑠璃の方が、実用的
で、「首」をふたりの女性に見せないように、見せないようにとするための道具とし
て使われる。制札で、ふたりの視線を塞ぐ。

歌舞伎の場合には、「制札の見得」と呼ばれる有名な場面のための、いわば象徴的な
使い方を制札はするのだが、人形浄瑠璃の場合、特に相模に対しては、殺された息子
の生首を母親・相模の目から、本当に「目隠し」をするように使うのである。また、
「首」に近づこうとする相模の身体を直実は、右足で下に押さえ込み、相模の顔を下
に向ける。「首」の前には、扇子を置き、女性らには、首を見えないようにもする。
この場合、制札は藤の局の顔を隠している。まあ、三人遣いの人形だからこそ、でき
る動作だろう。「首」の前から扇子をはずすのは、「首」を義経に見せるときだけ
だ。どの段階で、誰に「首」を見せるか、そこは、細かなところまで徹底しているよ
うに見受けられた。

いよいよ「首」をふたりの女性に見せる場面。先ず、相模。その「首」が、敦盛では
なく、わが子・小次郎と知り、泣き崩れる相模だが、相模は「首」を藤の局にも見せ
なければならない。紫の布に包み「首」を舞台下手に入る藤の局のところに運ぶ相模
(歌舞伎では、藤の方は、舞台上手にいる)。ここは、女性同士で泣かせる芝居にな
る。途中で、「首」を持ったまま、つまづく相模。藤の局に語りかける相模のクドキ
の台詞は、人形浄瑠璃も歌舞伎も同じだ。

ただ、「首」を包む紫の布を開けたり閉めたりする相模の動作がきめ細かい。ここで
も、「首」の見せ方は、細かなところまで徹底しているように見受けられた。それ
は、私には、歌舞伎の舞台より、小次郎に対する相模の母としての愛情表現が、遥か
に細やかに思えて来た。これまでにも、何回も私が主張して来たように、並木宗輔の
「母の愛」というテーマへの思いの濃さが感じられる場面である。

直実から弥陀六に「手渡された」鎧櫃は、歌舞伎なら櫃のなかに、生き残って、逃が
されることになる敦盛が隠れているという想定だから、手渡したりしない。弥陀六
も、平気で両手で櫃を運んだりする。人形浄瑠璃でも櫃のなかに敦盛が隠れていると
いう想定は変わらないのだが・・・。重さを表現すると言うところに、こだわりはな
いらしい。

さて、直実は、歌舞伎なら頭を剃りあげて僧形になる場面では、人形浄瑠璃では、直
実は、被っていた兜の下から髷を切った頭を見せる。一旦、奥に引き込んだ後も、髷
を切り落としただけで有髪の僧形である。剃った頭と僧形を鎧兜の下から脱いでみせ
るのは、歌舞伎の芝居心なのだろう。「十六年もひと昔。夢であったなあ」も、脱い
だ兜に向かって言う。歌舞伎の場合、直実は、長い間の武士の生活に別れを告げるだ
けでなく、16歳で亡くなった(いや、自らの手で殺した)わが子・小次郎の「首」
へ向けて、父親としての惜別の思いを込めているように思うが、人形浄瑠璃では、武
士の生活との別れへの述懐だけのようだ。

幕切れは、歌舞伎の場合も、もとは本舞台に全員が残っての引っぱりの見得だったと
いう。ところが、いまの歌舞伎では、花道で直実が、思い入れたっぷりに「ア、十六
年はひと昔、アア夢だ、夢だ」と言いながら、頭を抱え、さらに幕外で武士と僧形の
間で揺れる心を、遠寄の音を効果的に使いながら見せるという演出をする。これは、
「送り三重」という三味線の演奏を使うという演出とともに九代目市川團十郎が創案
した演出である。役者の工夫魂胆である。私は、筋立てとの整合性は、若干欠くと思
われるこの役者・九代目ならではの歌舞伎の工夫も好きだし、原作者・並木宗輔なら
ではの、工夫魂胆も好きである。

「十六年もひと昔。夢であつたなあ」が、人形浄瑠璃の竹本。私の観たところでは、
人形浄瑠璃では、むしろ「惜しむ子を捨て武士を捨て、住み所さへ定めなき有為転変
の世の中やと、互ひに見合はす顔と/顔 『さらば』/『さらば』/『おさらば』の
声も涙にかき曇り、別れてこそは出でて往く」という文句を竹本の大夫が語りあげ、
人形は皆々引張りの見得という場面が、クライマックスと思う。

むしろ、人形浄瑠璃では、制札という小道具を直実がいつまでも持っていることを考
えれば(歌舞伎は、幕外の引っ込みでは「笠」が、大事な小道具になっているが)、
組織(主従関係)のため、制札に込められた謎を解き明かし、それが成功して、評価
された(男の論理)ことの虚しさ(子殺しという結果)をこそ、「有為転変」という
言葉に原作者・並木宗輔は、メッセージを込めているように思える。彼の価値観とし
ては、男の論理より、母の情を上位に置いているのだろう。

竹本の太夫評を少し書こう。「熊谷桜の段」を読み上げた竹本三輪大夫は、「くまが
え」と発音。「熊谷陣屋の段」の「前」担当の豊竹呂勢大夫は、若いだけあって、
「くまがい」。「後」担当の豊竹英大夫は、また、「くまがえ」。床本より口伝で師
匠から直接習って修業するのだろうなあ。3人とも、それぞれ、熱演。

人形遣では、熊谷直実が玉女。相模がベテランの紋寿。藤の局が和生。義経が豊松清
十郎。弥陀六、実は宗清が玉也。

12年前、相模を遣うのは吉田文雀(今回は、第二部の「心中天網島」のおさんを操
る)、弥陀六を遣うのは今は亡き吉田玉男であった(ふたりは人間国宝)。さすが、
背筋をぴんと伸ばして、姿勢も良ければ、人形の動きの細かなところまで、メリハリ
があり、巧かった。文雀は、体調を崩したりするようになったが、今回は、元気に出
勤。人形の動きも細やかで、まだまだ、ほかの連中には負けていない。でも、「老い
たな」という印象はあった。


歌舞伎の「曾根崎心中」は、坂田藤十郎の演じるお初で、何回も観ている。人形浄瑠
璃の「曾根崎心中」も、今回で3回目なので、コンパクトに書いておきたい。

現在歌舞伎で上演されている「曾根崎心中」は、戦後のもので、宇野信夫脚色演出。
これは宇野信夫作というべき脚色が随所になされた、いわば「新作歌舞伎」。近松門
左衛門原作は、人形浄瑠璃でないと見ることが出来ない。「曾根崎心中」は、歌舞伎
の見せ場は、「天満屋」だが、人形浄瑠璃の見せ場は、「天神森の段」である。

「曾根崎心中」は、1703(元禄16)年5月、史実の事件を元に書かれた近松門
左衛門原作で、大坂竹本座で初演された。事件は上演の1ヶ月前、4月に起きた。大
坂北新地天満屋の遊女・お初と大坂内本町の醤油問屋平野屋の手代・徳兵衛が大坂梅
田曾根崎露天神の森で心中したという。歌舞伎の台本を書いていた近松が人形浄瑠璃
のために初めて書いた世話浄瑠璃の第1作である。人形浄瑠璃では、1955(昭和
30)年1月、野澤松之輔の脚色・作曲で復活され、現在まで、上演を重ねている。
人形浄瑠璃の段組は、「生玉社前の段」「天満屋の段」「天神森の段」となる。

「生玉社前の段」では、後の事件への伏線が描かれる。九平次の詐欺行為を「計り計
つたこの非道」と悔しがる徳兵衛。3人の人形遣は顔を出さない。境内の藤棚がいつ
の間にか陰って、一部に残照が当たっている。今回は吉田一輔がお初を操り、桐竹勘
十郎が徳兵衛を操る。竹本は豊竹松香大夫。三味線方は鶴澤清友。

「天満屋の段」。ここも、3人の人形遣は顔を出さないが、お初を操るのは、吉田簑
助に替わっている。顔を隠し、編み笠姿でやってきた徳兵衛。お初は、徳兵衛を店の
誰にも見つからぬように、打ち掛けの下に隠して店内に連れ込む。徳兵衛は縁の下に
隠れ込む。座敷では、お初に横恋慕の九平次とお初のやり取り。

縁の下の徳兵衛とお初は足の先で意志を伝え合う。人形浄瑠璃の女形は、足が無く、
着物の裾で足を演じるのだが、この場面だけは、特別に、足(右足のみ)を出して操
る。お初の足遣いは、縁の下の外に出て、右足を操る。心中の約束も、ここで、果た
す。名場面。竹本の語りは、「切」が人間国宝の竹本源大夫。三味線方は息子の鶴澤
藤蔵。体調が優れず休演が多い源大夫だが、今回は大丈夫。ほかの大夫たちに比べる
と声量は少ないが、九平次の科白の部分などは、抜群に巧い。人形の口から声が出て
いるように聞こえてくる。

「天神森の段」では、徳兵衛を操る勘十郎が、この狂言では、初めて顔を出して出て
来る。遅れてお初を操る簑助も登場。ふたりの歩みに被さる鐘の音、「数ふれば暁
の、七ツの時が六つ鳴りて、残る一つ今生の、鐘の響きの聞き納め」(午前4時)。
背景の書割の夜空の上手に輝く女夫星、「北斗は冴えて影うつる星の妹背の天の
河」。

手拭いで顔を隠したお初と編み笠姿の徳兵衛は梅田の橋を渡る。ふたりの周りに出現
する人魂。怖がるお初に「まさしくそなたとわしの魂」と諭す徳兵衛。橋の上で、
「我とそなたは女夫星」で、顔を現すふたり。徳兵衛主導。現代の宇野歌舞伎は、男
女の力関係を逆転させ、お初主導。

梅田の橋が、引き道具で、下手へ引っ込む。ふたりも、一旦は、上手に入る。背景の
夜空が、しらじらと明けて来て、女夫星も消える頃、お初徳兵衛のふたりが上手から
顔を出したまま再登場する。背景の木々も居所替わりで、川から「天神森」へ。竹本
の文句通りに大道具が展開する。

竹本「寺の念仏の切回向」とあり、独唱と合唱で、「南無阿弥陀仏」を4回繰り返し
た後、「南無阿弥陀仏を迎へにて、哀れこの世の暇乞ひ。長き夢路を曾根崎の、森の
雫と散りにけり」。

徳兵衛は、脇差しでお初の胸を刺して殺すと、自分の首をかき斬って……。操ってい
るというより、動いているお初を見守っているだけのような簑助。お初の体の上に、
抱き合うように、沈み込む徳兵衛。重なったふたりの遺体に幕が閉まる。人形浄瑠璃
では、ふたりの死に行く様を歌舞伎よりリアルに演じる。

竹本の太夫たちは、お初の津駒大夫、徳兵衛の咲甫大夫。二人とも高い美声。あわせ
て5人で対応。独唱したり、合唱したり、起伏のある、メリハリのある語りが緩急自
在で、聞き応えがある。三味線方は人間国宝の鶴澤寛治ら5人。
- 2013年5月20日(月) 14:29:21
13年05月歌舞伎座(第三部/「梶原平三誉石切」「京鹿子娘二人道成寺」)


新しい「菊吉」時代


かって、「菊吉(きくきち)」時代というのがあった。深川芸者の名前ではない。六
代目菊五郎と初代吉右衛門が、互いに熟成していた時代だ。明治40年代から10年
余二人は、東京下谷の市村座で共演した。その後、昭和期の歌舞伎界を背負って立っ
た。明治期の「團菊左(だんきくさ)」時代(明治の三大名優。九代目團十郎、五代
目菊五郎、初代左團次。戸板康二は、「二〇世紀歌舞伎の原点でもある」と書く)に
継ぐ名優の時代だった。

4月、5月と新・歌舞伎座の舞台を観てきたが、現在の歌舞伎界を担う役者の共演で
見応えがあるのは確かだ。中でも、5月の歌舞伎座は、第三部が秀逸。
まず、「梶原平三誉石切」だが、これはお馴染みの人気狂言。私も13回目の拝見と
なる。直近では、11年6月、新橋演舞場で観ている。配役は、吉右衛門の梶原を軸
に今回と余り変わらないが、実は、今回は、人間国宝の競演。吉右衛門の梶原平三。
菊五郎が初役で憎まれ役の大庭三郎を演じる(前回は、段四郎が大場三郎を演じた。
この違いが大きかった)。新しい「菊吉」時代という格好だ。戸板康二は、かつて、
こう書いた。七代目菊五郎と二代目吉右衛門(いずれも、当代)は、「もう菊吉と特
別には言わない」と。だが、私は、その後、二人とも人間国宝になり、状況は変わっ
てきていると思っている。こういう組み合わせは、「杮葺落」興行のような時でない
と実現しないだろう。それだけに見逃せない。馴染みの演目に馴染みの役者の登場で
も、こういう組み合わせをしてくれると、舞台がリフレッシュされるから不思議だ。

私が見た梶原平三役者は、5人:吉右衛門(今回含め、4)、富十郎(3)、幸四郎
(3)、仁左衛門(2、1回は、巡業興行)、團十郎。このうち、富十郎と團十郎
は、逝去してしまったので、もう観ることができない。因に、大庭三郎役は、以下の
通り。左團次(5)、彦三郎(2)、我當、富十郎、梅玉、段四郎、信二郎時代の錦
之助(巡業興行)、そして今回が菊五郎。

今回は、オーソドックスな演出。幕が開くと、浅黄幕が、舞台を被っている。幕の振
り落しで舞台は、鶴ヶ岡八幡社頭の場。梶原平三一行は、まだ、舞台には出ていな
い。梶原平三方の大名(歌昇、種之助、米吉、隼人)のみが、大庭三郎方の大名らと
共に、弓の稽古という設定で、大庭三郎(菊五郎)一行に混じって、舞台下手の床几
に座っている。

そこへ、花道から、黒地に白い唐草模様、金の対の矢羽根が縫い取られたいつもの衣
装の梶原平三(吉右衛門)が、従者を連れて参詣にやってくる。源頼朝と石橋山の戦
いで勝利した平家方の大庭三郎と俣野五郎(又五郎)の兄弟一行が本舞台に居る所
へ、花道から同じように参詣に来た梶原平三一行と鉢合わせするという形。これが本
来の演出(そうでない演出では、幕が開くと、いきなり大庭一行と梶原一行が対立し
ている)。大庭三郎と俣野五郎の兄弟も、梶原平三も、同じく平家方だが、反りが合
わないというのが、物語の伏線になっている。

「石切梶原」の芝居だから、「刀の目利き」「二つ胴」「手水鉢の石切」という、お
馴染みの場面が、続く。

梢(芝雀)の聟が、源氏方で、戦に敗れた源氏方の再興のために、金が要るという真
意を胸に秘めながら、六郎太夫(歌六)は、娘聟のために家宝の大事な刀「八幡」
を、以前から欲しがっていた平家方の大庭三郎に売らざるを得ない。大庭三郎は、居
合わせた刀の目利きの名人の梶原平三に目利きを頼んだが、六郎太夫の申し出た売値
が、300両と高いので、弟の俣野五郎が、梶原平三の目利きだけでは、当てになら
ない。試し切りをさせよと兄に知恵を付ける。

その結果、囚人をふたり重ねて、胴切りにする、いわゆる「二つ胴」という試し切り
の秘術を梶原が披露することになるが、あいにく、試し切りに適当な囚人は、剣菱呑
助(弥十郎)一人しか居ない。どうしても金が欲しい、六郎太夫は、己の命を投げ出
して試し切りの「素材」となることを覚悟するが、それを知った娘の梢は、父親を助
けようとする。そういう父と娘の情愛を梶原平三は、機転を利かせて、試し切りも
し、六郎太夫も助けるという方策を考え出す。

吉右衛門を追ってみよう。吉右衛門の「二つ胴」では、團十郎が、ぽんと撥ねるよう
に軽快な刀遣いをしたのとは違って、刀の刃を囚人(身替わりの人形)の胴に押し付
けて、包丁で、魚などを切る時のように、刃を前へ押し引くような切り方をしてい
た。

「手水鉢の石切」の場面では、吉右衛門は、客席に背中を見せて、やはり「二つ胴」
同様に、刀の刃を石製の手水鉢に押しあてるようにじっと止めたまま、いわば、前へ
向けて押し切るようにして、鉢をまっぷたつに割ってみせた。手水鉢に茶色い手拭い
のような物を置き、これに刀の刃を押し当てるようにしていたが、以前からそうだっ
たのだろうか。これは、初代の吉右衛門の演出。石製の手水鉢を切る場面は、昔か
ら、役者によって、いろいろな演出が工夫されて伝えられている。主なものは、3
つ。初代吉右衛門型、初代鴈治郎型、十五代目羽左衛門型があるが、詳細は以前に書
いたので、今回は、省略。

吉右衛門は、真意を隠したまま、自分、六郎太夫(歌六)、娘の梢(芝雀)の順で手
を繋いで見せ、石の手水鉢と親子の見物のポイントを測ってみせるなど、親子への気
遣いぶりを見せる。「二つ胴」の試し切りでは、命拾いした親子が、体のあちこちを
触って確認する間、ひとり、名刀の刃を何度も何度も、角度を変えながらしきりに見
入っていたのが、印象的だった。六郎太夫を助けたことなぞ大したことではなく、六
郎太夫を助けようと思うように刃を動かした結果、その通りの答えを出した名刀の切
れ味にひたすら感心しているという体であった。吉右衛門は、こうしてたっぷりと初
代吉右衛門の型を見せてくれた。

大庭三郎の菊五郎は、弟の俣野五郎(又五郎)に煽られながら、憎まれ役を演じる。
これまで、大庭三郎は脇役で、逸る弟を諌めながら、弟に同調させられるという役ど
ころ、それも前半のみ登場するだけで、後半の展開が面白い主筋には絡まないので、
私も余り注目せずに舞台を観て来たが、菊五郎が演じると、大庭三郎の大名としての
格の高さが滲み出して来て、大庭が大きく見える。同じ大庭三郎を演じても、菊五郎
が演じれば、ほかの配役とは役者ぶりが違うというところか。


巧さの玉三郎・若さの菊之助「京鹿子娘二人道成寺」


「京鹿子娘二人道成寺」は、人間国宝の玉三郎の胸を借りて菊之助が、5回目の挑
戦。私は、このうち、今回を含めて4回を観たことになる。5月の歌舞伎座の圧巻
は、何といっても「京鹿子娘二人道成寺」であったと、思う。巧さの玉三郎、若さの
菊之助。

玉三郎と菊之助の演じる「京鹿子娘二人道成寺」は、いつもと違って、「ダブル花
子」、一人の花子を二人の役者が演じる、いわば「花子の立体化」である。白拍子の
正体は、花子の現身と生霊という新演出が定着してきた。歌舞伎では、04年1月の
歌舞伎座で、玉三郎と菊之助が、花子の現身(菊之助の花子は、花道から登場)と生
霊(玉三郎の花子は、「すっぽん」から出入り)という「花子の立体化」を初めて演
じてからは、この9年間に今回まで、6回演じられているが、「花子」・「桜子」の
「娘二人道成寺」は、11年2月に名古屋御園座で、従来通りの二人の白拍子、福助
の「花子」に七之助の「桜子」が演じられただけである。後の5回は、新演出の玉三
郎と菊之助のコンビで、ふたりは、「二人」ではなく、「一人」なのだ。白拍子花子
の光と影。

まさに、ふたりの真女形の官能。女性では出せない極め付けの官能の美とは、こうい
うものではないかというのが、正直な印象である。「鐘に恨み」の玉三郎の凄まじい
表情と柔らかで愛くるしい菊之助のふくよかな表情の対比。夜叉と菩薩が住む女性
(にょしょう)の魔は、女性では、表現できないだろう。男が女形になり、女形が、
娘になり、娘が蛇体になるという多重的な官能の美。これぞ、立体化された「娘二人
道成寺」の真髄だろうと思う。

菊之助の魅力をいちばん良く知っているのは、もはや、父親の菊五郎ではなく、玉三
郎なのではないか。先輩・玉三郎は、自分が身に付け、さらに精進を重ねている真女
形の真髄を後輩・菊之助に伝えるとともに、菊之助の魅力を引き出すコツも知り尽し
ているのではないか。菊之助の方も、玉三郎の先輩としての厳しい心遣いを受け止
め、どこまでも、付いて行く気でいるように見受けられた。

ただし、この蜜月がいつまでつづくのだろうか。還暦を超えても魅力的な女性を演じ
る玉三郎の巧さ。若さが暫くは続きそうな菊之助。年齢差は、27歳ある。今回の玉
三郎も、62歳。菊之助35歳の若さには、勝てない。4年前辺りから体の動き、ひ
ねり、そりなど、体力的には、菊之助が、勝っている場面が、目につくようになっ
た。逆海老に反り返る場面では、それなりに柔軟な玉三郎よりも、さらに身体の柔ら
かさを見せつけていて、明らかに若い女形のはつらつさを菊之助は感じさせていた。

7年前の、06年2月の歌舞伎座の舞台を思い出すと、よけいに感じる。玉三郎も、
その辺りは、無理をしていない。玉三郎の踊りは、大きくて、ゆるりとして、間とメ
リハリが、充分に効いている。その辺りは、さすがに、巧い。一方、菊之助の所作
は、やや、早い。テキパキして、若さがある。姉妹のように見えるし、「手鞠」のと
ころでは、玉三郎は、ちいさくゆるりと円を描いたし、菊之助は、大きく、それも早
く廻っていた。ときには、2本のスプーンを重ねたように、二人が、一人の娘の裏表
のように見える。

これから5年後、玉三郎は、67歳。菊之助は、40歳。巧さと若さの勝負は、ここ
ら辺りがぎりぎりか。いや、玉三郎は、女形の藝で年齢差をカバーし、さらに10年
後、玉三郎が、77歳。菊之助が、50歳。まだまだ、行けるかもしれないが、さ
て、どうなっているか。いや、観客席に座っている筈の私は、何歳か。鬼籍に入って
しまっているか。まだ、エレベーターやエスカレーターが完備した新・歌舞伎座に通
うことが出来ているか。そちらの方が、もっと心配という声が聞こえてきそうだ。

04年1月の旧・歌舞伎座は、1階の、いわゆる「どぶ」側(花道と西の桟敷の間の
椅子席)の、真後ろの花道直近の座席から観ていた。この席からは、まるで、向う揚
幕の前に座って、花道七三を正面に観るように舞台が見えるのである。そこで観てい
ると、しばしば、二人の花子が、所作も含めて重なって見えるのである。つまり、と
きどき、二人は、一人にしか見えない場面があった。衣装も帯も同じふたりが、重な
る。一人になる。やがて、所作が終り、玉三郎は、すっぽんから消えて行った。残り
は、菊之助一人。それは、恰も、最初から一人で踊っていたような静寂さがあった。
二人に見えたのは、観客たちの幻想であったのではないのか。そういう舞台であっ
た。

1階席なら、こう見える。3階席なら、こう見える。そういう効能が、座席の位置の
違いには、あるように思う。

私が観た4回の座席は、次の通り。いずれも旧・歌舞伎座だが、初回の9年前が、1
階席、7年前が、2階席、4年前が、3階席。そして今回が、新・歌舞伎座の3階
席。席によっては、花道のすっぽんを使っての玉三郎の出入りが見えにくいが、ここ
は、現身と生霊だけに、すっぽんが見えない座席ほど、二人の女形が演じる花子は、
一人の若い娘として、見えたかもしれないと、思ってしまう。見えないが故に、想像
力が働く、その場面では、玉三郎も菊之助との年齢差を超えて、若々しいままなのだ
ろう。
- 2013年5月14日(火) 9:45:27
13年05月歌舞伎座(第二部/「伽羅先代萩」「廓文章」)


山城屋型の政岡「先代萩」


今回の「伽羅先代萩」は、「御殿」と「床下」。「御殿」は、政岡役が藤十郎なの
で、いつもと違う演出、つまり人形浄瑠璃の演出を取り入れている。藤十郎の政岡
は、06年1月、歌舞伎座。藤十郎襲名披露の舞台で観ている。今回で2回目。前回
の配役は、次の通り。政岡:藤十郎、仁木弾正:幸四郎、八汐:梅玉、栄御前:秀太
郎、男之助:吉右衛門、松島:扇雀。この配役は、前回と今回は、同じ。今回のほか
の配役では、沖の井:時蔵(前回は、魁春)、澄の江:梅丸(前回は、壱太郎)な
ど。

「竹の間」(銀地の襖に竹林が描かれているので判る。歌舞伎役者の科白劇)、「御
殿」(金地の襖に竹林と雀が描かれているので、「竹の間」の場と違いが判る。通称
「まま炊き」。義太夫狂言で、人形のように所作優先)。今回は、「竹の間」は無
し。「床下」は、江戸荒事重視なので、藤十郎演出でも、あまり変わらない。違うの
は、「御殿」。成駒屋(鴈治郎)・山城屋(坂田藤十郎)型の演出は、従来の演出と
は、いろいろ違いがある。気がついた違いを以下述べることとする。

その違いは、まず、御殿の大道具の作りが違う。人形浄瑠璃の演出に忠実だという。
御殿、二重舞台の上手に鶴千代の部屋が作られている。八汐差し入れの毒饅頭を犠牲
的精神で試食し、苦しむ千松(政岡の実子)を横目に、従来なら舞台中央下手寄りに
立ち、鶴千代を打ち掛けで庇護する代りに、今回は鶴千代を上手の部屋に避難させ、
政岡自身は鶴千代の部屋の襖に左手を掛け、右手で懐剣を構え、若君を守護する。

それを見て上手に居た栄御前は、素早く居どころを舞台中央下手へ替る(贅言:上方
歌舞伎流の「けれん」という)。平舞台中央では、千松の喉に、八汐が懐剣を差し込
み、「ああ、ああ……」と千松が苦しむときに、上手の柱に抱きつき(贅言:「抱き
柱」という)、殆ど動かず、表情も変えず、無言で耐え忍び続ける。悲しみ、苦しみ
を抑えて、肚で母情を演じる。その挙げ句、立ち続けることができなくなって膝をつ
いて座り込むなど、江戸歌舞伎の演出と異なる場面がある。

「三千世界に子を持った親の心は皆一つ、・・・」などのクドキも、従来の演出よ
り、息を詰めて言う。人形のように形で演じる。所作で気持ちや心理を表現する。竹
本の語りと三味線の糸に乗り、テンポ良く、音楽劇を優先する演出を取る。従って、
従来の政岡役者が演じるような情の迸りが少ない。その結果、私の前回の印象では、
藤十郎の政岡は、雀右衛門に比べると母性が弱いように見える(今回は、上演時間
が、前回より30分短縮されていて、いわゆる「まま炊き」の場面がなかった)。科
白より、所作優先というのは人形浄瑠璃の演出だろう。

95年10月の歌舞伎座から私が見始めた政岡は、18年間で、玉三郎、雀右衛門、
福助、菊五郎、玉三郎、菊五郎、藤十郎、菊五郎、勘三郎、玉三郎、魁春、今回が藤
十郎で、計12回。つまり、玉三郎と菊五郎が3回、藤十郎が2回、雀右衛門ら4人
が1回ということで、7人の役者の政岡を観ていることになる。いちばん印象に残る
のは、相変わらず、1回しか観ていない雀右衛門で、彼の母情の豊かさは、いつまで
も印象に残る。次いで、玉三郎、藤十郎の順か。玉三郎も、乳人から母親に戻った時
の激情の出し方が巧かった。前回、辛い点を付けた藤十郎は、今回は、激情を抑制し
ているのが、母性のなせる業のように見えて来て、その抑制ぶりで、私の評価が上
がったと、思う。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐であろう。政岡で印象に残るの
が、雀右衛門、玉三郎なら、八汐で印象に残るのは、何といっても、仁左衛門。八汐
は、性根から悪人という女性で、最初は、正義面をしているが、だんだん、化けの皮
を剥がされて行くに従い、そういう不敵な本性を顕わして行くというプロセスを表現
する演技が、できなければならない。それができたのが、私が観た5人の八汐では、
仁左衛門の演技であった。八汐は、ある意味で、冷徹なテロリストである。そこの、
性根を持たないと、八汐は演じられない。千松を刺し貫き、「お家を思う八汐の忠
義」と言い放つ八汐。因に、私が観た八汐:仁左衛門(4)、梅玉(今回含め、
3)、團十郎(2)、勘九郎、段四郎、扇雀。梅玉は、坂田藤十郎襲名披露で八潮を
演じて以降、今回含めて4回演じるなど増えているが、私は、そのうちの3回を観て
いることになる。

梅玉の八汐は冷酷というよりも、無表情。科白も唄っている。仁左衛門の八汐は「憎
まれ役」の凄みが、徐々に出て来る。ところが梅玉は最初から「悪役」になってし
まっていた。悪役と憎まれ役は、似ているようだが、違うだろう。悪役は、善玉、悪
玉と比較されるように、最初から悪役である。ところが、憎まれ役は、他者との関係
のなかで、「徐々に」憎まれて行くというプロセスが、伝わらなければ、憎まれ役に
は、なれないという宿命を持つ。その辺りの違いが判らないと、憎まれ役は、演じら
れない。なかなか難しい。

この演目では、人間国宝は藤十郎と吉右衛門の出演。吉右衛門は、「床下」で荒獅子
男之助を演じるが、対する仁木弾正を兄の幸四郎が演じる。余り共演しない兄弟役者
の競演だ。「床下」後半の仁木弾正の役どころ典型的な悪役。幸四郎の仁木弾正は良
かった。「床下」前半の吉右衛門の荒獅子男之助は大らかな赤っ面で、良かった。歌
舞伎は、こういうご馳走の見どころがあるから、おもしろいのである。吉右衛門が、
「取り逃がしたか。(柝の頭)残念や」でおおらかに見得、拍子幕。幕引き付ける。
連判状を盗んだ鼠に化けていた幸四郎は、正体を見顕しても、「むむははは」で、出
端、見得、「く」の字にそらした立ち姿。そのまま、花道を滑るように歩んで行く。
幸四郎は、こういう役回りになると、実に、巧い。

贅言;初日とあって、山川静夫さんも第一部、第二部と通しで観ておられた。幕間
は、ロビーですわって休めるが、大向うで声を掛けるので、芝居が演じられている間
は、立ち続けているから、疲れるだろう。第二部の幕間に玄関ロビーで、今月も團十
郎の代役を含めて3演目出演の高麗屋のお内儀に逢う。


仁左衛門が熟成し続ける松嶋屋型「伊左衛門」の味


「廓文章 吉田屋」は、仁左衛門がじっくり熟成して来た上方歌舞伎の味をたっぷり
味わった。人間国宝の玉三郎が、夕霧を勤める。上方歌舞伎と言っても、松島屋の
は、「夕霧伊左衛門 廓文章 吉田屋」という外題で、成駒屋(鴈治郎)・山城屋
(坂田藤十郎)のは、「玩辞楼十二曲の内 廓文章 吉田屋」という外題である。演
出も異なる。

「廓文章」は、今回で私は9回目の拝見。私が観た伊左衛門は、仁左衛門が今回含め
て6回目、鴈治郎時代を含め坂田藤十郎が2回、愛之助(松嶋屋型を引き継ぐ)。

復習:松嶋屋型(八代目仁左衛門型、大阪風)の伊左衛門と成駒屋・山城屋型(京
風)の伊左衛門は、上方歌舞伎ながら、衣装、科白、役者の絡み方(伊左衛門とおき
さや太鼓持ちの絡みがあるのは、松嶋屋型)など、ふたつの型は、いろいろ違う。

竹本(吉田屋の店の前の場面では、山台に乗って、余所事浄瑠璃、居所替わりで、室
内に場面展開すると、そのまま山台も室内になる)と常磐津(後半、中央から下手側
の障子が開くと雛壇で登場)の掛け合いは、上方風ということで仁左衛門も藤十郎
も、同じ。

一方、江戸歌舞伎では、六代目菊五郎以来、清元だというが、私は、観ていない。上
演記録を見ると、江戸歌舞伎での上演は、22年前の、1991年12月の歌舞伎座
が最後で、勘九郎時代の勘三郎が、伊左衛門を演じていて、相手役の夕霧は、玉三郎
である。その前は、26年前、先代の勘三郎が、梅幸の夕霧相手に演じている。十七
代目、十八代目の勘三郎がいなくなってしまったのでは、当分、江戸歌舞伎型では上
演されないのではないか。

因に、玉三郎の夕霧は、本興行で、今回含めて、11回演じられていて、相手役の伊
左衛門を見ると、江戸歌舞伎では、先代の勘三郎と当代の勘三郎が、それぞれ1回
で、上方歌舞伎では、孝夫時代を含めて、仁左衛門で、今回含めて、8回、鴈治郎時
代の藤十郎で、1回となっていた。玉三郎は圧倒的に仁左衛門の相手をする。

藤十郎が伊左衛門を演じる時の夕霧は、次男の扇雀が多いが、梅幸、雀右衛門、魁春
などという顔ぶれもある。藤十郎は、自身が夕霧を演じることも出来る。

さて、今回の舞台。松嶋屋の型;仁左衛門の、花道の出は、差し出し(面明り)を用
いる。黒衣が、ふたり、黒装束ながら、衣装を止める紐が、赤いのが印象的であっ
た。背中に廻した長い面明りを両手で後ろ手に支えながら、仁左衛門の前後を挟ん
で、ゆっくり歩いてくる。前を行く黒衣は、後ろ歩きだが、多分、面明かりの長い柄
で方向感覚のバランスを取り、無事に直進しているのだろうと思う。

出に合わせて、「冬編笠の垢ばりて」は、竹本の「余所事浄瑠璃」。竹本連中は舞台
上手の山台に乗っている。網笠を被り、紙衣(かみこ)のみすぼらしい衣装を着けた
伊左衛門は、ゆるりとした出になる。「やつし」の演出。黒地と紫地の着物である紙
衣(かみこ)は、夕霧からの恋文で作ったという体で、「身を松(「待つ」にかけ
る)嶋屋」とか「恋しくつれづれに」とか「夕べ」「夢」「かしこ」などという字
が、金や銀で,縫い取られているように見える。明りが、はんなりとした雰囲気を盛
り上げる。仁左衛門が、本舞台に入り込むと、ふたりの黒衣は、横歩きで、下手、袖
に引っ込む。

吉田屋の前で、店の若い者に邪険に扱われる伊左衛門。やがて、店先に出て来た吉田
屋喜左衛門(弥十郎)が、編笠の中の顔を確認し、勘当された豪商藤屋の若旦那と知
り、以前通りのもてなしをする。喜左衛門が紙衣の袖を引くと、伊左衛門は「紙衣ざ
わりが荒い荒い」と鷹揚に答える。

まず、伊左衛門は、喜左衛門の羽織を貸してもらう。次いで、履いていた草履を喜左
衛門が差し出した上等な下駄に鷹揚に履き替える。身をなよなよさせて、嬉しげに吉
田屋の玄関を潜る。その直後、吉田屋喜左衛門が、伊左衛門から預かった編笠を持
ち、自分の履いている袴を持ち上げて、伊左衛門のパロディを演じてみせて、客席の
笑いを取る。舞台には、正月準備の華やぎがあるだけに、歌舞伎座の場内には、一気
に、江戸時代の上方の、正月の遊廓の世界に引き込まれて行く。

吉田屋の店先にあった注連飾りは、観客席からは、見えにくい紐に引っ張られて、舞
台上(手)下(手)に消えて行く。店先の書割も、上に引き上げられて、たちまち、
華やかな吉田屋の大きな座敷に変身する。上手の竹本連中の山台も、そのまま、座敷
に付属した形に変わる。下手、白梅が描かれた金襖が開くと、伊左衛門が、入って来
る。

この演目は、いわば、豪商の若旦那という放蕩児と遊女の「痴話口舌(ちわくぜ
つ)」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の能天気さが売り物の、明るく、おめ
でたい和事。他愛ない放蕩の果ての、理屈に合わない不条理劇が、楽しい舞台になる
という不思議。江戸和事の名作「助六」同様、「吉田屋」は、無名氏(作者不詳)に
よる芝居ゆえ、無名の、歴史に残っていないような、しかし、歌舞伎の裏表に精通し
た複数の狂言作者が、憑依した状態で、名作を後世に遺したのだろう。さらに後世の
代々の役者が、工夫魂胆の末に、いまのような作品を遺したのだろう。「助六」が、
江戸の遊廓・吉原の街を描いたとしたら、「吉田屋」は、上方の遊廓の風情を描いた
と言えるだろう。楽しむポイントのひとつは、正月の上方の廓の情緒が、舞台から、
匂いたち、滲み出て来るかどうか。不条理の条理を気にせずに、楽しめばよいという
芝居だろう。

熟成された仁左衛門の伊左衛門は、かなり意識して、「コミカルに」演じていた
(「三枚目の心で演じる二枚目の味」)。表現は悪いかもしれないが、「莫迦殿様」
風の、甲高い声で、コミカルに明るい科白回しで、仁左衛門は、伊左衛門を演じる。
男の可愛らしさと大店の若旦那の格の二重性。「莫迦では無い、莫迦に見せる」こと
が肝心。「夕霧にのろけて、馬鹿になっているように見えない(よう)では駄目だ」
と、昭和の初めに亡くなった十一代目仁左衛門の藝談が遺る。当代の仁左衛門も、お
家の芸風を堅持しているように思われる。

阿波の大尽の座敷に夕霧が出ていると聞き、座敷まで出向く伊左衛門。ちんちんべん
べんちんちんべんべんという三味線の音に急かされるように、急ぎ足。この場面もコ
ミカルである。舞台の座敷上手の銀地の襖をあける伊左衛門。距離感を出すために、
細かな足裁きで、奥へ奥へと進んで行く伊左衛門。次々にいくつもの襖を開けて行
く。そして、最後の障子の間へと行き着く。座敷の様子を伺い、不機嫌になって戻っ
て来る伊左衛門。

仁左衛門は、伊左衛門に大店の若旦那という位取りを意識して、演じていると言う。
本興行で、孝夫時代から通算して、13回目の出演。すっかり熟成されて、安定感が
ある。

私が観た夕霧は、玉三郎(今回含め、4)、雀右衛門(2)、福助、魁春、壱太郎。
伊左衛門一筋という夕霧の情の濃さは、雀右衛門。色気、けなげさは、やはり、玉三
郎。「もうし伊左衛門さん、目を覚まして下さんせ。わしゃ、患うてなあ」という科
白が、可憐で、もの寂しい。若い壱太郎は、初々しかった。

「むざんやな夕霧は」で、やがて、夕霧登場。舞台中央から下手寄りの襖が開くと、
雛壇に乗った常磐津連中が現れる。上手の竹本連中との掛け合いになる。
玉三郎は、持ち紙で観客に顔を隠したまま、舞台前面近くまで出てくる。そこで初め
て、顔を見せる。場内から、溜息が漏れる。病後らしく、抑制的な夕霧。すねて、ふ
て寝の伊左衛門は、夕霧を邪険にする。伊左衛門の勘当を心配する余り、病気(欝の
病か)になったのに、何故、そんなにつれなくするのかと涙を流す夕霧。「わしゃ、
患うてなあ」。そう,直接的に言われては、伊左衛門も、可愛い夕霧を受け入れざる
をえない。背中合わせで、仲直りするふたり。歌舞伎の性愛表現の場面だ。

やがて、伊左衛門の勘当が許されて、藤屋から身請けの千両箱(6つ)が届けられ
る。黒地に雪持ち笹と鶴などが、銀と金で縫い込まれた打掛けから、赤地に金で孔雀
が縫い取られた打掛けに着替える夕霧。めでたしめでたし、という、筋だけ追えば、
他愛の無い噺。

その他の配役では、吉田屋の喜左衛門は、我當の当り役だが、今回は、弥十郎。今回
も女房のおきさを演じる秀太郎も。当り役。夫婦は、今回の松嶋屋型では、伊左衛門
と夫婦ともども絡ませるが、成駒屋・山城屋型では、おさきは、伊左衛門と直接、絡
んで来ない。秀太郎のおきさは、6回目の拝見。上方味あり、人情ありで、安定感が
ある。大坂の遊廓の女将という風情は、秀太郎が、舞台に姿を見せるだけで、匂い立
つから、おもしろい。
- 2013年5月6日(月) 21:50:09
13年05月歌舞伎座(第一部/「鶴亀」「寺子屋」「三人吉三巴白浪」)


「杮葺落」5月興行。外は江戸の芝居町並の混雑


4月から始まった歌舞伎座再開場「杮葺落」興行は好調で、連日満員。私も演目を観
る前にリニューアルした歌舞伎座の内外を観たいと思ったので、4月は、初日から3
日続けて、歌舞伎座に通った。6月までは一日が三部制で、各部ごとに舞台を観ると
ともに、歌舞伎座の内外もいろいろ見て回った。

第2弾の5月は、初日に第一部から第三部まで、通しで一気に今月上演の全ての演目
を観た。劇場内は、客席は座席の数しか観客を入れないので、混雑していないが、歌
舞伎座の玄関前は、観劇の入れ替えの客ばかりではなく歌舞伎座「見物」で建物を
バックに写真を撮る人たち、鉄砲洲稲荷神社の例大祭(5・1から5・5まで)とか
ち合ったため半天を着た人たち(歌舞伎座のある、旧木挽町は、神社の氏子の筈)な
ども加わっていて、晴海通りの歩道はものすごい混雑。地下鉄の改札口から歌舞伎座
の地下街も混雑が凄い。浮世絵で観る江戸の芝居町の賑わいが再現されたような感じ
だ。

第一部の演目は、「鶴亀」、「寺子屋」、「三人吉三巴白浪〜大川端庚申塚の場」
だったが、人間国宝の菊五郎と国宝並というか、いずれ人間国宝に認定されるであろ
う、当代の歌舞伎役者の大御所、幸四郎、仁左衛門が顔を揃えた「三人吉三巴白浪〜
大川端庚申塚の場」が、短い演目ながら、見応えがあった。まず、「三人吉三巴白
浪〜大川端庚申塚の場」から、劇評を書こう。


重量級の「大川端」ならではの味わい


「三人吉三巴白浪〜大川端庚申塚の場」は、歌舞伎錦絵のような様式美と科白廻し
で、これはこれで、いつ観ても充実感がある。この場面の見どころは、何といっても
配役。当初は、今年の2月に亡くなった團十郎が、和尚吉三を演じる予定だった。和
尚吉三は、團十郎の生涯の当り役になるのではないかという印象を私は持っている。
だから、團十郎の和尚吉三と言えば、見逃せないという心境になる。何回でも観たい
と思っていた。以前にも書いているが、私の理想の三人吉三の配役は、和尚吉三が團
十郎、お坊吉三が仁左衛門、お嬢吉三が菊五郎ということになる。私と同じ判断をす
る人が松竹にもいたのだろう。当初の歌舞伎座杮葺落興行では、実は、この理想型が
予定されていた。

ところが、團十郎の生涯の方が、先に閉じてしまった。今回代役を勤める幸四郎は、
「夏雄くんの代わりに彼を偲んで勤め」ると楽屋で話している。まあ、そういう訳
で、今回は、和尚吉三が幸四郎、お坊吉三が仁左衛門、お嬢吉三が菊五郎となった。
因に、歌舞伎座では、建替え前の旧歌舞伎座「さよなら興行」で、3年前の4月、和
尚吉三が團十郎、お坊吉三が吉右衛門、お嬢吉三が菊五郎という顔ぶれで上演した。

菊五郎は、人間国宝。お嬢吉三は、本興行で12回目という。幸四郎と仁左衛門も、
いずれ、人間国宝になるだろう。そういう意味では、團十郎亡き後は、当面、最高の
顔ぶれということだろう。歌舞伎界は、この人たちを軸に後継育成も急ぎながら展開
して行くだろう。

「三人吉三巴白浪〜大川端庚申塚の場」は、「みどり」では今回で6回、「通し」で
は、この場面を4回観ているので、両方通算では、10回目の拝見となる。

「三人吉三」は、実は、極めて、現代的な芝居だ。3人は、田舎芝居の女形上がりゆ
えに女装した盗賊のお嬢吉三、御家人(下級武士)崩れの盗賊であるお坊吉三、所化
上がりの盗賊である和尚吉三という前歴から見て、時代の閉塞感に悲鳴を上げている
不良少年・青年たちである。大不況の現代に生きていれば、職に就きたくてもつけな
い。社会から落ちこぼれてしまい、盗みたかりで、糊口を凌ぐしかないという若者た
ちの、「犯罪同盟」の結成式が、「大川端」の場面なのである。留め男の和尚吉三に
足で太刀を押さえられて静止している見せ場は絵になるが、お嬢吉三、お坊吉三を演
じている役者は、腰が痛くなり辛いらしい。

黙阿弥歌舞伎では、調子の良い七五調の科白に載せて、閉塞感という暗い話をグラビ
ア的な、1枚の浮世絵のような場面として表現してしまうから、凄い。

贅言;百両の金を巡って争うお嬢吉三とお坊吉三の間に入り込んで来た和尚吉三「そ
いつは、とんだ由良之助だなあ。まだ、ご了簡が若い若い」と、和尚吉三は二人を諌
める。これは、「仮名手本忠臣蔵」の「城明け渡し」前の「評定」で、決起に逸る者
たちを諌める国家老の由良之助の弁「まだ、ご了簡が若い若い」をもじっている。

ほかの役者では、夜鷹のおとせを演じた梅枝は、良い感じだった。いずれ、梅枝は、
良い女形になるだろうと思う。

贅言;「大川端」の場面は、隅田川が大きく曲がって流れる百本杭の処、花道から登
場したおとせとお嬢吉三が本舞台から高い堤に上がる坂を登る辺りで舞台の川面は大
きく曲がっているのが判る。

義兄弟の儀式も終わり、やがて定式幕が、上手から閉まり始める。それへ向けてお坊
吉三、和尚吉三、お嬢吉三の3人が、ゆるりとした歩調で向って行くと……、幕。


幸四郎の松王丸


歌舞伎の時代物の古典の一つ。「寺子屋」。18回目の拝見。初代吉右衛門が得意と
した演目であることから「寺子屋」というと、当代でも吉右衛門の舞台が目に浮か
ぶ。源蔵と松王丸。どっちが難しいか。この芝居は、子どもの無い夫婦(源蔵と戸
浪)が、子どものある夫婦(松王丸と千代)の差出す他人の子どもを大人の都合のた
めに殺さなければならない、という苦渋がテーマ。源蔵の方が屈折度が高いのか、恩
人のために確信犯的に我が子を犠牲にする松王丸の方が、屈折度が高いのか。その辺
りに、源蔵役者のやりがいがあるかもしれないし、初代吉右衛門は、そこに気がつ
き、源蔵を演じる場合の、役づくりの工夫を重ねていたかもしれない。初代は、戦後
だけでも、松王丸を5回演じ、源蔵を4回演じた。二代目吉右衛門も、初代に劣らず
役づくりに工夫する人で、松王丸を10回演じ、源蔵を9回演じている。

今回は、幸四郎が松王丸を演じ、三津五郎が源蔵を演じる。幸四郎は今回を含めると
松王丸を演じるのは、12回目。このうち、私は今回を含めて7回目の拝見となる。
幸四郎の時代物の特徴は科白廻しが、サインペンで書いたような感じで、隅々まで
くっきりとしているということだろう。所作では、園生の前を笛で呼び出す場面で玄
関の外を出て客席に後ろ姿を見せ、背に廻した刀を横にしてポーズをとる場面が、や
やオーバーアクション。これが、吉右衛門になると無用な肩の力を抜いているから鉛
筆で書いたような柔らかさがある。兄弟ながら、この科白廻しの持ち味の差は、抜き
がたいものがある。

加えて、今回は、時代の科白廻しが、幸四郎に輪をかけて、太めのサインペンで力一
杯書いたような癖がある彦三郎の春藤玄蕃が登場するから、ふたりの科白廻しのやり
とりは、独特のムードを醸し出すことになる。彦三郎の春藤玄蕃は、14回目だとい
う。花道から登場した彦三郎は、右脚を引きずっていたように見受けられた。このふ
たりは、10年4月の歌舞伎座「さよなら興行」と今回の「杮葺落興行」で、松王丸
と玄蕃を演じたことになる。

「さよなら」の主な配役。松王丸:幸四郎。千代:玉三郎。源蔵:仁左衛門。戸浪:
勘三郎。園生の前:時蔵。玄蕃:彦三郎。

今回の「杮葺落」の主な配役。松王丸:幸四郎。千代:魁春。源蔵:三津五郎。戸
浪:福助。園生の前:東蔵。玄蕃:彦三郎。ということで、勘三郎の名前が消えてし
まったのが残念。

ほかの役者では、千代の魁春は、時々の表情に養父の六代目歌右衛門が滲み出て来る
ことが多くなったように思う。しかし、今回は、目の周りに入れた朱が強すぎ、白塗
りの顔は、目の周りが赤いパンダのように見えてしまった。もう少し、朱を小さくし
た方が良さそうに思う。

戸浪を演じた福助は、いずれ、七代目歌右衛門を襲名するのであろうが、愉しみにし
ている。今回、源蔵宅の奥で松王丸の実子・小太郎が源蔵に首を切り取られる場面
で、奥から重い音がした時、戸浪は、松王丸と接触して仕舞い、「無礼者め」と松王
丸から叱責される名場面があるが、福助の戸浪は、松王丸と接触する直前は、軸を狂
わせた独楽のように乱れ回っているように見えて、なかなか良かった。奥から首を
失った小太郎の遺体に帷子を掛けて出てくる場面は、いつ観ても、哀しい。

平舞台下手から、小太郎の遺体を入れた駕篭、白無垢の喪服姿の松王丸夫妻、二重舞
台の上に園生の前と若君・菅秀才、平舞台上手に源蔵夫妻。引張りの見得で皆々静止
したところへ、上手から定式幕が津波のように覆い被さって来る。


祝儀曲の代表作「鶴亀」


「鶴亀」は、4月の「寿祝歌舞伎華彩」同様、歌舞伎座再開場、劇場のリニューアル
を寿ぐ演目だろう。2回目の拝見。能の謡曲を長唄に移す。

皇帝の長寿を願って、鶴と亀の舞を披露するという所作事。前回は、06年11月歌
舞伎座で観ている。この時は、皇帝ではなく女帝という設定で、今は亡き雀右衛門が
勤めた。配役は次の通り。女帝は雀右衛門、鶴は三津五郎、亀は福助。今回は、皇帝
が梅玉、鶴が翫雀、亀が橋之助、従者が松江。

緞帳が上がると、舞台は唐土の宮廷。前回は、開幕、無人の舞台中央に大せりが、3
人(従者無し)を乗せて、せり上がって来たが、今回は、下手から梅玉が翫雀、松
江、橋之助を従えて出て来る。梅玉は、右手に軍配を持ち、狩衣姿でゆったりと荘
重。

「嘉例の舞」を舞う鶴と亀を演じるふたりのうち、翫雀は銀地に鶴の絵柄の扇子を持
ち、紫地に鶴の絵柄の衣装、金の鶴を象った冠姿。鶴は、「小松に鶴」ということ
で、「松」の隠喩。橋之助は金地に亀の絵柄の扇子を持ち、青地に亀の絵柄の衣装、
金の亀を象った冠姿。亀は、「呉竹に亀」ということで、「竹」の隠喩。「鶴亀」
で、「松竹」となる。杮葺落興行らしい、御祝儀舞踊。19世紀半ばに初演された歌
舞伎舞踊の中でも、祝儀曲の代表作という。

長唄と四拍子の出囃子で、笛を田中傅太郎が吹いていた。「陰」でなく「出」で久し
ぶりに出演する彼を観た。
- 2013年5月6日(月) 15:59:42
13年04月歌舞伎座(第三部/「盛綱陣屋」「勧進帳」)


新・歌舞伎座、杮葺落狂言は、陣屋もの二題


歌舞伎座杮葺落興行の第一部が、歌舞伎界の第一人者・吉右衛門オーソドックスな時
代ものなら、第二部は、もうひとりの第一人者・菊五郎の世話もの、真女形玉三郎の
妖気ものという変化球。さて、第三部は、再び、上方歌舞伎の第一人者・仁左衛門の
時代ものということで、「陣屋」もの。熊谷直実が、武者なら、佐々木盛綱は、知将
だろう。味わいの違う武士の「陣屋」の競演。そして、歌舞伎の代名詞にもなる「勧
進帳」を幸四郎と菊五郎が演じる。16年振りである。

「近江源氏先陣館〜盛綱陣屋〜」は、6回目の拝見。私が観た主な配役は次の通り。

盛綱:吉右衛門(3)、仁左衛門(今回含めて、2)、勘九郎改め、勘三郎(襲名披
露)。老母・微妙:芝翫(4)、秀太郎、そして今回は、東蔵。和田兵衛:富十郎
(2)、左團次(2)、團十郎、そして今回は、吉右衛門。妻の早瀬:福助、秀太
郎、魁春、玉三郎、孝太郎、そして今回は、芝雀。弟・高綱妻の篝火:福助(2)、
九代目宗十郎、雀右衛門、魁春、そして今回は、時蔵。北條時政:我當(今回含め
て、5)、歌六。信楽太郎:歌昇時代の又五郎(2)、幸四郎、松緑、三津五郎、そ
して今回は、橋之助。伊吹藤太:東蔵(2)、段四郎、歌昇時代の又五郎、錦之助、
翫雀。小四郎:種太郎時代の歌昇、種之助、児太郎、宜生、金太郎ほか。小三郎:種
之助、男寅、宗生、玉太郎、大河ほか。

劇評のポイントは、絞り込みたい。颯爽の仁左衛門は、盛綱。貫禄の我當は、時政
(家康がモデル)。微妙は、歌舞伎の「三婆」という難しい老け役の役どころで、東
蔵。脇に廻った吉右衛門は、赤面(あかっつら)の和田兵衛。その辺りを軸に劇評を
まとめてみたい。

簡単に舞台の大状況をお浚いすると、「盛綱陣屋」は、大坂冬の陣での、豊臣方の末
路を描いた時代物全九段構成「近江源氏先陣館」の八段目である。複雑な筋立てを得
意とした近松半二らの作品だ。物語は、半二劇独特の、対立構造を軸とする。まず、
鎌倉方(陣地=石山、源実朝方という設定、史実は、徳川方で、家康役は、北條時政
として出て来る)と京方(陣地=近江坂本、源頼家方という設定、史実は、豊臣方)
の対立。鎌倉方に付いた佐々木三郎兵衛盛綱(兄)と京方に付いた佐々木四郎左衛門
高綱(弟)の対立(実は、兄弟で両派に分かれ、どちらが勝っても、佐々木家の血を
残そうという作戦。つまり、史実では、大坂冬の陣での真田家の信之、幸村をモデル
にしている)。

盛綱高綱兄弟対立の連鎖で、「三郎」兵衛盛綱の嫡男・「小三郎」と「四郎」左衛門
高綱の嫡男・「小四郎」の対立。盛綱の妻・早瀬と高綱の妻・篝火の対立という具合
に、対比は、綿密になされている。兄弟対立の上に位置するキーパーソンは、老母・
微妙だ。重責の役どころ。だから、難役。高綱は、舞台には出て来ないが、贋首とし
て、「出演」する。兄の盛綱に切首として対面し、謎を掛ける。立役は、盛綱、和田
兵衛、北條時政。女形は、早瀬、篝火、微妙。子役は、小三郎と小四郎で、高綱以外
は、皆、登場。

半二劇の物語の展開は、筋が入り組んでいる。「盛綱陣屋」では、兄弟の血脈を活か
すために、一役を買って出た高綱の一子・小四郎が、伯父の盛綱を巻き込む。父親の
「贋首」の真実を担保するために、首実検に赴いた北條時政を欺こうと、小四郎が切
腹する。

ベースは、高盛・小四郎対時政の対峙。甥の切腹の真意(父親を助けたい)を悟る盛
綱(仁左衛門)は、主君北条時政(我當)を騙す決意をし、贋首を高綱に相違ないと
証言する。根回し無しで、自分の嫡男の命をぶら下げて、無謀な賭けを仕掛けて来た
弟の高盛の尻拭いをするために、主君に対する忠義より、一族の血縁を優先する。血
族(兄弟夫婦、従兄弟)上げて協力して、首実検に赴いた時政を欺くという戦略だ。
発覚すれば、己の命を亡くすと、知将・盛綱は瞬時に頭を巡らせた上で覚悟をしたの
だ。小四郎(金太郎)が、大人たちの知謀の一環に子供ながら知恵を働かせて一石を
投じたのだろう。

吉右衛門が演じる京方の使者・和田兵衛は、赤面(あかっつら)の美学ともいうべき
いでたちである。黒いビロードの衣装に金襴の朱地のきらびやかな裃を着け、朱塗り
の大太刀には、緑の房がついている。荒事のヒーローのようで、歌舞伎の美意識が、
豪快な人物を形象化するが、なかなかの知将ぶりを見せる。軍兵に槍を突きつけられ
ながら、両手を懐手にして、堂々と花道を去って行く武ばったところもある。

小四郎、小三郎という己らの子供まで巻き込みながら、時政を騙す盛綱・高綱の兄
弟。時政は、騙された振りをしながら、心底から盛綱を疑っている。高綱代理の軍
使・和田兵衛も含めて、知将=謀略家同士の騙しあいの物語でもある。

仁左衛門が演じる盛綱は、小四郎(金太郎)との関係を軸にしながら、弟・高綱の目
論見が、観客に次第に見えて来るという、芝居の筋立てにそって変化する心理描写を
きちんとトレースして行く。先人たちが洗練して来た演技である。内面を外面に次第
に滲ませて行く辺りは、さすが、仁左衛門である。形の演技から情の演技へ。目と目
で互いに意志を伝えあいながら、甥の命がけの行為を受けて、主君・時政を裏切り、
自分も命を捨てる覚悟をする。主従関係より一族の血脈を大事にする。盛綱の、そう
した変化が、観客の胸にストレートに入って来る。時代ものの教科書を再び観た思い
がする。小四郎を演じた金太郎は、染五郎の長男。金太郎も、長い芝居ながら、緊張
感を持って頑張っている。子役が、子役ながら役者に脱皮しようとする場面として私
は観た。小三郎を演じた大河は、松緑の長男。

我當が演じる時政は、元々科白も所作も少ないが、我當は肚で演じる部分が出来上
がっているので風格がある。我當は、権力者のグロテスクさを滲ませながら、堂々と
した大将振り。歌舞伎界は、世代交代の大波が押し寄せていて、こういう柄の必要な
役をこなせる役者が少なくなってきただけに、我當は、貴重である。我當の時政を、
私は、今回含めて、5回観ている。時政は、騙された振りをしながら、心底から盛綱
を疑っている。

我當は足が悪い所為で階段の上り下りがきつくなって来たようだ。時政四天王のひと
り(男女蔵)が、我當の手を取って上り下りを補佐していた。特に、首実検を見届け
て階段を下る場面では、我當の左手を握った男女蔵が、自分も階段を下りる際、我當
の脚の運びを緊張した表情で追いながら、無事に平舞台まで導いて行った。観ている
こちらも緊張するほど真剣な表情だったのが、印象に残る。

微妙は、亡くなった芝翫で4回見ているが、安定していた。前回観た秀太郎は、白塗
りで、白髪、銀地の衣装に銀地の帽子という出で立ちだが、可愛らしすぎて、老婆に
見えなかった。今回の東蔵は、年相応の落ち着きを感じさせていて、良かった。

このほか、高綱の妻、小四郎の母・篝火は、時蔵。盛綱の妻、小三郎の母・早瀬は、
芝雀。「アバレの注進」として、颯爽とした注進役、ご馳走の信楽太郎には、橋之
助。「道化の注進」という、滑稽味の注進役、伊吹藤太には、翫雀。


歌舞伎の代名詞「勧進帳」


「勧進帳」は、歌舞伎の代名詞。三大歌舞伎は、「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」
「仮名手本忠臣蔵」だが、歌舞伎で、一演目だけを上げろと言われたら、三大歌舞伎
ではなく、「勧進帳」か「助六」だろうと思う。そういう意味では、弁慶は、歌舞伎
の代名詞となる登場人物だろう。松竹の上演記録を改めて見ていたら、私としても
「勧進帳」は、今回が21回目の拝見となる。

私が観た「勧進帳」の主な配役は、次の通り。

弁慶:幸四郎(今回含めて7)、團十郎(6)、吉右衛門(4)、先代の猿之助、八
十助時代の三津五郎、辰之助改めの松緑(襲名披露)、仁左衛門。
冨樫:菊五郎(今回含めて、6)、富十郎(3)、梅玉(3)、勘九郎時代を含む勘
三郎(2)、吉右衛門(2)、團十郎(2)、先代の猿之助、新之助改めの海老蔵
(襲名披露)、幸四郎。
義経:梅玉(今回含めて、5)、雀右衛門(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝翫
(2)、藤十郎(2)、染五郎(2)、富十郎、玉三郎、勘三郎。

贅言:役者ご当人たちの弁では、幸四郎の弁慶は40回(舞台)以上。菊五郎の富樫
は8回目。梅玉の義経は14回目。

弁慶役者は、背負っている人生が、舞台に出ると言われる。私の好きな配役では、吉
右衛門の弁慶、菊五郎の富樫、梅玉の義経だが、今回の幸四郎の弁慶も実に丹念に演
じているのが良く判った。1000回以上(40舞台以上ということだ。1年に1回
上演なら40年だが、そうはいかない。地方公演も含めれば、年に1回以上上演して
いる。幸四郎、團十郎の場合、それぞれ4回という年もある。九代目團十郎の藝を受
け継ぎ、「勧進帳」を1600回演じた弁慶役者、祖父の七代目幸四郎を目標にして
いる。)勧進帳の弁慶を演じている幸四郎は、上演回数では、大向うから声がかかっ
たように「日本一」の弁慶役者であることは間違いない。「勧進帳」を幸四郎・弁慶
と菊五郎・富樫、梅玉・義経のトリオで演じるのは、京都南座以来、16年振りであ
る。

「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、名舞踊、名ドラマ、と芝居のエ
キスの全てが揃っている。これで、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあきない
のは、当然だろう。

丁々発止の幸四郎と菊五郎。特に、菊五郎の科白廻し。菊五郎の富樫は、虚実を見分
けながら、弁慶の真情を見抜き、指名手配中の義経を含めて弁慶一行を関所から「抜
け」させてやることを決意する。己にとっては不利になることも許容する懐の深い富
樫であった。菊五郎の冨樫は、男が男に惚れて、死をも辞さずという思い入れが、観
客に伝わって来る。菊五郎の、抑制気味の声には、それがあると思う。

梅玉の義経も、御大将の格を滲ませながら、静かに演じていた。居所替わりでは、通
常、弁慶と義経が所作台9枚分まで離れる。梅玉の白い手。「高砂屋」の声がかか
り、竹本の「判官御手を」で差出す梅玉の手が、すっきり伸びていて綺麗だった。梅
玉は、ほかの役者より、ひと膝分弁慶側に踏み出して手を伸ばすという。軸となる3
人は、いずれも、安定感があった。

幸四郎は、弁慶の科白、所作をいつも以上に丁寧に演じていた。危機に際し、刻々と
変化する状況を落ち着いて判断し、義経警護の責任者として責務を全うする。「つい
に泣かぬ弁慶も……」という竹本の語りに、大向うからは、「待ってました」と声が
掛かる。勧進帳の弁慶は、幸四郎という歌舞伎役者の原点なのだということが良く
判った。幸四郎は、いつも、弁慶から飛び立ち、弁慶に帰って行く。

幸四郎の幕外の引っ込み。顔は汗がいっぱい。飛び六法に合わせて、黒御簾から太鼓
の音が重なる。ここまでは、いつもの通り。さらに、驚いたことに太鼓の音に合わせ
て、拍手から変わった手拍子が重なる。久しぶりの場内の熱気。「日本一」「高麗
屋」の掛け声も混じる。花道を飛ぶように、踊るように幸四郎が移動して行く。
- 2013年4月7日(日) 15:11:20
13年04月歌舞伎座(第二部/「弁天娘女男白浪」「忍夜恋曲者」)


「世話もの」の教科書・菊五郎「弁天小僧」


第一部で上演された吉右衛門主演の時代ものの教科書が「熊谷陣屋」なら、世話もの
の教科書は、「弁天小僧」だと菊五郎は思っていることだろう。今回の上演は、外題
が「弁天娘女男白浪」となっているが、幕構成は、次の通り。

序幕第一場「雪下浜松屋見世先の場」、第二場「稲瀬川勢揃いの場」。
二幕目第一場「極楽寺屋根上の場」、第二場「同 山門の場」、第三場「滑川土橋の
場」。

通称「弁天小僧」では、外題が「弁天娘女男白浪」だが、今回のように、「極楽寺屋
根上の場」、「同 山門の場」、「滑川土橋の場」まであるのなら、青砥左衛門も登
場するだけに「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」、通称「通し狂言
 白浪五人男」という外題の方が良いような気がする。それとも、この3場の付加だ
けでは、「弁天小僧」の範疇なのかもしれない。

私は、今回で7回目の拝見。うち、それなりの「通し」で観たのは、今回含めて、4
回目。「それなり」というのは、今回のような3つの場が、付加される場合(この形
式では、私は今回初見)と、さらに、「花見」「神輿ヶ嶽」「谷間」「蔵前」まで追
加される「通し」(この形式で、私は3回拝見)があるからだ。残りの3回は、人気
狂言、「雪の下浜松屋」・「稲瀬川勢揃」の抱き合わせの「見取(みど)り」上演
(1時間前後の上演時間)であった。

私が、「通し」で観た4回の主な配役は、以下の通り。

弁天小僧:勘九郎時代の勘三郎(2)、菊五郎(今回含めて、2)。日本駄右衛門:
富十郎、仁左衛門、團十郎、今回は、團十郎急逝で、吉右衛門。南郷力丸:八十助時
代含めて三津五郎(2)、左團次(今回含めて、2)。忠信利平:三津五郎(今回含
めて、2)、橋之助、信二郎。赤星十三郎:福助(2)、時蔵(今回含めて、2)。
浜松屋幸兵衛:三代目権十郎、弥十郎、東蔵、今回は、彦三郎。千寿姫と宗之助(ふ
た役):孝太郎、七之助/千寿姫:梅枝、宗之助:海老蔵、今回は、宗之助のみ:菊
之助。鳶頭:彦三郎、市蔵、梅玉、今回は、幸四郎。青砥左衛門:勘九郎時代の勘三
郎(2、つまり、弁天小僧とふた役早替り)、富十郎、今回は、梅玉。

因に、「見取り」で観た3回を含めて、合計7回の「五人男」のみを記載すると、配
役の特徴が見える。弁天小僧:菊五郎(今回含めて、4)、勘九郎時代の勘三郎
(2)、丑之助改め菊之助。日本駄右衛門:幸四郎(2)、羽左衛門、富十郎、仁左
衛門、團十郎、今回は、亡くなった團十郎の替わりに吉右衛門。南郷力丸:團十郎
(2)、八十助時代含めて三津五郎(2)、左團次(今回含めて、2)、吉右衛門。
忠信利平:左團次(2)、三津五郎(今回含めて、2)、橋之助、信二郎、松緑。赤
星十三郎:梅玉(2)、福助(2)、時蔵(今回含めて、2)、菊之助。

今回は、杮葺落興行で、いつもより豪華な顔ぶれになっているが、この演目は、菊五
郎劇団が主軸だろう。新・歌舞伎座再開場の舞台第一部では、祝祭的な演目と吉右衛
門家の藝の「熊谷陣屋」だったが、第二部の前半では、菊五郎は、黙阿弥劇の江戸情
緒と大道具のダイナミックな演出のある「白浪五人男」(ここでは、「弁天娘女男白
浪」という外題より「白浪五人男」を使いたい)を選んだのだろう。「極楽寺屋根上
の場」の「がんどう返し」や、「同 山門の場」、「滑川土橋の場」などの「大せ
り」連動を使った大道具の転換など、歌舞伎の演劇空間のダイナミックさを見せつけ
る場面が続くからだ。

序幕第一場「雪下浜松屋見世先の場」。番頭・与九郎を演じる橘太郎が、達者なとこ
ろを見せる。彼の出来は、この場面を左右すると言っても過言ではない。貴重なキャ
ラクターだ。舞台では、店の者が上手下手に行灯を持って来るので、時刻は、すで
に、夕方と判る。詐欺を働こうと娘に化けた弁天小僧菊之助(菊五郎)、若党に化け
た南郷力丸(左團次)は、この薄暗さを犯罪に利用する。よその店で買った品物をト
リックに万引き騒動を引き起こす。番頭は、弁天小僧菊之助らの悪巧みにまんまと乗
せられ、持っていた算盤で娘の額に傷を付けてしまう。番頭のしでかす軽率な行為
が、この場を見せ場にする。この怪我が、最後まで、弁天小僧の、いわば「武器」に
なる。

贅言;今回、第一部から第三部までを観ていて、行灯を持ってくる場面が3回あった
ことに気がつく。「熊谷陣屋」の首実検の場。近習ふたりが持って来る。「浜松屋」
の見世先の場。手代ふたりが持って来る。「盛綱陣屋」の盛綱と母のやり取りの場。
腰元ふたりが持って来る。いずれも、夕闇が迫った時刻で、手元が薄暗くなって来
た。そういう中での首実検であり、詐欺行為であり、老母にとって孫に当たる盛綱の
弟・高綱の嫡男、つまり、甥の小四郎処分の相談という、それぞれ慎重な判断が求め
られる難しい場面である。

正体がばれて、帯を解き、全身で伸びをし、赤い襦袢の前をはだけて、風を入れなが
ら、下帯姿を見せる菊五郎の弁天小僧。娘から男へ。まあ、良く演じられる場面であ
り、己の正体を「知らざあ言って聞かせやしょう」という名科白を使いたいために、
作ったような場面だ。今回で30回目(本興行の月数、舞台数なら千秋楽を迎えれ
ば、750回という感じか。幸四郎の「勧進帳」の弁慶1000回以上に匹敵するか
もしれない)の弁天小僧を演じる菊五郎は、気持ち良さそうに科白を言う。「稲瀬川
の勢揃」の場面でもそうだが、耳に心地よい名調子の割には、あまり内容のない「名
乗り」の科白を書きたいがために、黙阿弥は、この芝居を書いたとさえ思える。

序幕第二場「稲瀬川勢揃の場」も、桜が満開。この場面は、舞台の絵面と役者の科白
廻しで見せる芝居。浅葱幕に隠された舞台。浅葱幕の前で、蓙(ござ)を被り、太鼓
を叩きながら、迷子探しをする4人の人たち。実は、捕り手たちが、逃亡中の5人の
盗人を探していたというわけ。

やがて、浅葱幕の振り落としで、桜が満開の稲瀬川の土手(実は、大川=隅田川。対
岸に待父山が見える)。花道より「志ら浪」と書かれた傘を持った白浪五人男が出て
来る。逃亡しようとする5人の盗人が、派手な着物を着て、なぜか、勢揃いする。花
道では、弁天小僧、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸、日本駄右衛門の順。まず、西
の桟敷席(花道の、いわゆる「どぶ」側)に顔を向けて、花道で勢揃いし、揃ったと
ころで、東に向き直り、場内の観客に顔を見せながら、互いに渡り科白を言う。

花道から本舞台への移動は、途中から、日本駄右衛門が、4人の前を横切り、一気
に、本舞台の上手に向う。残りの4人は、花道の出の順に上手から並ぶ。恐らく、花
道の出は、頭領の日本駄右衛門が、貫禄で殿(しんがり)となり、本舞台では、名乗
りの先頭に立つため、一気に上手に移動するのだ。「問われて名乗るもおこがましい
が」で、日本駄右衛門(吉右衛門)、次いで順に、弁天小僧(菊五郎)、忠信利平
(三津五郎)。刀を腰の横では無く、斜め前(楽屋言葉で、「気持ちの悪いとこ
ろ」)に差し、ほかの人と違って附打の入らない見得をする赤星十三郎(時蔵)、女
形が演じることが多い。「さて、どんじりに控(ひけ)えしは」で、南郷力丸(左團
次)となる。

捕り手との立ち回りを前に、傘を窄めるが、皆、傘の柄を持つのに対して、忠信利平
だけは、傘を逆に持つ。5人の列の3番目、つまり、真ん中だからだろう。歌舞伎で
は、決まっていることは、決まった通りにやるというのが原則。ただし、軸のなる役
者の工夫で家の芸、つまり、伝承された「型」になっているのは、それに従う。10
人の捕り手たち(大和、八大ら)との立ち回り。日本駄右衛門のみ、稲瀬川の土手に
上がる。ほかの4人は、土手下のまま。それぞれ左右を捕り手に捕まれ、絵面の見得
で幕。これだけの芝居が、歌舞伎史上、人気狂言の一つになっている。

「極楽寺屋根上の場」。この場面は、「極楽寺屋根『立腹』の場」ということもあ
る。大屋根の上で菊之助が、立ったまま、切腹するからだ。まず、開幕すると、また
も、浅葱幕。そして、幕の振り落としで、極楽寺の大屋根の上での弁天小僧(菊五
郎)と22人(総勢28人という舞台を観たことがある)の捕り手たちとの大立ち回
り。菊五郎は、こういうチャンバラが、本当に好きだ。菊五郎と大部屋の役者衆の息
は、合っている。

大屋根の急な上部に仕掛けられた2ケ所の足場(下手は、瓦2つのところ、上手は、
瓦3つのところ)に乗りあげる菊五郎。極楽寺屋根の下、屋根を囲むように設えられ
た霞み幕は、「雲より高い」大屋根のイメージであると共に、屋根から落下する捕り
手たちの「退場」を隠す役目も負っている。その挙げ句、覚悟を決めた弁天小僧の切
腹。大立ち回りの末に立ったまま切腹する「立腹(たちばら)」の場面が、見どこ
ろ。大屋根の瀕死の弁天小僧を乗せたまま、「がんどう返し」というダイナミックな
道具替りとなる大屋根の下から、のどかな春の極楽寺境内の遠見の書き割りが現われ
る。菊五郎は、傾斜が急になり続ける大屋根の向こう側に途中から滑落していったの
が見えた。

「がんどう返し」が終わると。ここも、桜が、満開。その下から、極楽寺の山門がせ
り上がり、山門には、日本駄右衛門(吉右衛門。この場面での駄右衛門は、初役とい
う)がいる。山門では、駄右衛門手下に化けた青砥配下の者(つまり、潜り込んで居
たスパイ)が、駄右衛門に斬り掛かる。やがて、更に駄右衛門を乗せたまま、山門が
再びせり上がり、奈落からせり上がって来た山門下の滑川に架かる石橋の上には、青
砥左衛門(梅玉)が、家臣(友右衛門、團蔵)を従えて、駄右衛門を追い詰める。石
橋は、引き道具で位置を換える(黒衣が押す)。大詰の、こうした畳みかけるような
大道具の連続した展開は、初めて観た人なら、感動するだろう。

贅言;二幕目のうち、第二場「極楽寺山門の場」、第三場「滑川土橋の場」は、「楼
門五三桐」を下敷きにしているから、歌舞伎の見せ場を寄せ集めたパッチワークのよ
うな芝居とも言える。「いいとこどり」だけに、初心者には喜ばれる。

「浜松屋」を主とした上演回数は、黙阿弥もののなかでも、人気ナンバーワンと言わ
れる。それは、ひとえに、初演時に、五代目菊五郎の明るさを打ち出すために、歌舞
伎の絵画美に徹した舞台構成を考えだしたからであろう。

黙阿弥が選りに選りを懸けて練り上げた歌舞伎味の集大成の狂言を、今回は、57歳
から72歳の円熟味のある、バランスの取れた配役で、「杮葺落五人男」として再構
築したところが、ミソだろう。因に、4月の時点の年齢順で言うと、三津五郎(5
7)、時蔵(57、4月末で58)、吉右衛門(68、5月で69)、菊五郎(7
0)、左團次(72)となる。

さて、最後に、「白浪五人男」の役者論を簡単に書いておこうか。まず、今回、主役
の弁天小僧を演じた菊五郎は、当代随一の弁天小僧役者だろう。次いで、亡くなって
しまったが勘三郎か。勘三郎亡き後は、誰だろうか? 菊五郎後継の菊之助か。ある
いは勘三郎後継の七之助か。それとも意欲的な猿之助か。猿之助の弁天小僧は是非、
観てみたい。日本駄右衛門は、今回の吉右衛門のほかに、仁左衛門、幸四郎。亡く
なった役者では、何といっても、團十郎、富十郎が良かった。後継世代では、橋之助
か。南郷力丸や忠信利平は、今回の左團次、三津五郎らに加えて、後継世代では、橋
之助、錦之助、松緑か。赤星十三郎は、今回の時蔵のように、女形が演じる。福助、
扇雀、さらに菊之助か。澤潟屋一門なら春猿か。ほかに、立役では、梅玉も演じる。

この狂言は、役者の賑わいが大事だが、今回の杮葺落興行のように、円熟期の役者衆
を集めることが出来る大舞台だと見応えがある。役者の方も、皆、愉しみながら演じ
ているのが判る。盗賊どもの物語ながら、一種の祝祭劇であろう。

贅言;歌舞伎座筋書の「今月の役々」の役者の登場順が、歌舞伎界独特の序列から、
「五十音順」に変えられたね。やっと、ここも、国立劇場並になったということか
な。


「色気」「妖気」「気品」、3つの「気」の瀧夜叉姫


久しぶりに歌舞伎座出演の玉三郎は、杮葺落興行で最初に主演する妖しい魅力のある
古怪な演目なら、「将門」と思って選んだに違いない。「将門」は、4回目の拝見。

私が観た瀧夜叉姫は、雀右衛門、松江改め魁春(襲名披露)、時蔵、そして今回が待
望の玉三郎。光圀は、團十郎(2)、松緑(今回含め、2)。玉三郎は、おととし、
博多座と京都南座で上演している。歌舞伎座では20年振りの上演。これで5回目と
いう。私は、玉三郎では、初見。

花道・すっぽんの辺りに黒衣が、ふたり出て来て、蝋燭を立てた「差し出し」(別
名、「面明り」)で周囲を照らす。すっぽんのなかから、まず、煙り。やがて、紗の
傘をさした下げ髪の傾城・如月(玉三郎)が登場する。傾城役なので、素足。打掛に
は、蜘蛛の巣の紋様。色気と妖気。それでいて高貴な姫というベースにある気品。3
つの「気」が大事だ。ワクワクしながら展開を待つのが、歌舞伎客の醍醐味。古風な
出の美しさ。この出で、瀧夜叉姫の出来は決まってしまう。玉三郎は、そういうこと
は十二分に了解しているので、たっぷりと見せてくれた。舞台は、薄暗い中で進行す
る。

荒れ果てた古御所の御簾が上がると、眠り込んでいる大宅光圀の姿が見える。平将門
の残党詮議で潜り込んだのだ。近づいて来た如月は、色仕掛けで口説く。逆海老に反
り返る玉三郎の後ろ姿も美しい。「忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)」とい
う外題は、まさにこの場面。忍び寄る傾城如月(コレ)は曲者、というわけだ。

如月の特徴は、華やかさ(色気と気品)と不気味さ(妖気)というアンビバレント。
妖艶な島原遊廓の傾城・如月と将門の息女で、大宅光圀(松緑)を味方に付けたいと
目論む瀧夜叉姫の二重性(光国に怪しまれる程度の妖気=殺気を滲ませる必要があ
る)を玉三郎は、バランス良く演じていた。

平将門の最期をダイナミックな仕方噺で演じる光圀。如月の中から瀧夜叉姫を引きず
り出し、思わず亡き父を忍ぶ娘の真情を吐露させてしまう。それに気づいた光圀は如
月に疑念を抱く。懐から落ちる平家の赤旗。松緑の演技も安定してきた。大きくなっ
て来た。そして、如月と馬簾を付けた四天姿の力者たちとの立ち回り。

暗転の後、瀧夜叉姫の妖術で、古御所が崩れ落ちる。「屋台崩し」も、「白浪五人
男」の「がんどう返し」に匹敵するという大道具のダイナミズムだ。崩れ落ちた大屋
根での大蝦蟇出現という外連(けれん)は、旧弊で、荒唐無稽ながら、「将門」を観
る場合の、楽しみのひとつである。
- 2013年4月6日(土) 16:32:24
13年04月歌舞伎座(第一部/「寿祝歌舞伎華彩」「お祭り」「熊谷陣屋」)


ご祝儀演目・二題


「寿祝歌舞伎華彩」は、今回の新・歌舞伎座開場の筆頭演目(幕開き狂言)として名
付けられた外題で、基本は、「鶴寿千歳」。私は3回目の拝見。1回目は、2006
年1月・歌舞伎座で、中村鴈治郎改め、四代目坂田藤十郎襲名披露の舞台で観た。

「鶴寿千歳」は、1928(昭和3)年の初演。岡鬼太郎原作。昭和天皇即位の大礼
を記念して作られた箏曲の舞踊。舞台は、甲州鶴峠(実際にある峠かどうか、私は、
不詳だが、地理的に見ると山梨県の西部の峠から東部を見はらしているように思え
る)の想定。デザイン化された松の巨木が舞台中央にある。雄鶴と雌鶴が、競り上
がって来るのは、松の上の空。紅白の袴の番の鶴が、舞遊ぶ。やがて、松が描かれた
幕が上がると、富士山の幕に替る。その変化で、番の鶴が、さらに、上空の高みに舞
い上がり、富士山を下に見ながら、舞っている様子が、伺えるという祝祭演目。1回
目は、雄鶴(梅玉)、雌鶴(時蔵)であった。この時は、ふたりだけの出演。

今回の杮葺落興行では、当初は、團十郎の雄鶴と藤十郎の雌鶴という配役を予定して
いたが、團十郎の急逝に伴い、鶴は上方歌舞伎の重鎮・人間国宝の藤十郎ひとりの踊
りとなった。

2回目に観たのは、08年1月歌舞伎座で、本舞台奥は、抽象的な大松が描かれてい
る。1月興行なので、松(歌昇時代の又五郎)、竹(錦之助)、梅(孝太郎)が、新
年を言祝ぐ踊りを披露する。やがて、3人が立去り、大松が上に収まると、背景は、
抽象的な富士山の絵に替る。松は、富士の下になる。大きく、横に長いせりを使っ
て、姥(芝翫)と尉(富十郎)という人間国宝のふたりが、せり上がって来た。松の
木の上空に止まるの態。ゆるりと長寿を言祝ぐ。長寿を強調して萬歳楽で舞い納めた
が、ふたりとも、歌舞伎座再開場を待たずに、鬼籍に入ってしまった。

3回目の今回は、松の巨木ではなく、リアルな松林が背景。上手より染五郎の春の
君、魁春の女御登場。新・歌舞伎座の舞台の最初の演者は、このふたりだった。本舞
台中央に進み、座って、黙って観客席に礼をする。座元代理の挨拶か。場内も盛んな
拍手で応える。「松山の松の一葉を……」。暫くふたりの踊り。背景が、天空から見
た甲斐の山並の遠見に替わり、富士山も遠望される。宮中の男女10人(権十郎、高
麗蔵ほか)が祝賀の舞の群舞を披露する。そこへ、舞い降りた態で、奈落からせり上
がって来たのが、一羽の鶴(藤十郎)。本舞台、花道七三と舞い踊る鶴一羽。長寿を
祝う。宮中の男女も加わる。さらに、上手より、再び、春の君、女御も登場。歌舞伎
座再開場という慶事を寿ぐ萬歳楽で舞い納めると、藤十郎は、花道より退場。本舞台
も幕。


芝居小屋の杮葺落で、お江戸も祝祭


次の演目「お祭り」も、歌舞伎座再開場杮葺落ご祝儀の狂言。さらに、去年の末に亡
くなった「十八代目勘三郎に捧ぐ」と副題されている。鳶頭鶴吉(三津五郎)、同じ
く亀吉(橋之助)、磯松(弥十郎)、梅吉(獅童)、松吉(勘九郎)、竹吉(亀
蔵)。芸者おこま(福助)、同じくおせん(扇雀)、おなか(七之助)、若い者寿吉
(巳之助=三津五郎長男)、同じく成吉、駒吉、扇松、翫吉(国生、宗生、虎之介、
宜生=橋之助家の3兄弟と扇雀長男)、手古舞おしん(新悟=弥十郎長男)、同じく
おゆう(児太郎=福助長男)。

「お祭り」は、1826(文政9)年、三代目三津五郎初演の変化舞踊の一幕。江戸
の天下祭(神田祭と山王祭が、二大祭)のうち、「お祭り」は、山王神社の祭り「山
王祭」を題材にしている。

幕が開くと、舞台は、浅黄幕が覆っている。新品の幕なので、浅葱色が濃い。青々と
している。上手の清元連中の裃も緑色というより、青に近い感じがする。
浅黄幕が振り落とされると、鳶頭や芸者が勢ぞろいしている。下手には、剣菱の積み
物。やがて、花道より、鳶頭松吉(勘九郎)、勘九郎長男の七緒八(なおや、2
歳)、芸者おなか(七之助)が登場する。

それぞれの踊りの奉納もあり、「実にも上なき獅子王の万歳千龝かぎりなく つきせ
ぬ獅子の座頭と 御江戸の恵みぞ」で、獅子舞と三津五郎の絡みもあり、祝祭気分を
盛上げる。七緒八も勘九郎と七之助の間で、左脚を出したりして、皆も所作に合わせ
ている。


「熊谷陣屋」の見応え


第一部の見ものは、何と言っても「熊谷陣屋」。私は、16回目の拝見。私が、歌舞
伎に開眼した演目の一つ。「熊谷陣屋」を歌舞伎座で初めて観たのは、19年前、9
4年4月、初代白鸚十三回忌追善興行の舞台で、直実は、幸四郎、相模は、雀右衛
門、そして、義経を演じたのは、梅幸であった。私が観た梅幸の舞台は、これが、最
初で、最後であった。

今回は、配役が豪華。直実(吉右衛門)、義経(仁左衛門)、相模(玉三郎)、藤の
方(菊之助)、軍次(又五郎)、弥陀六(歌六)、梶原景高(由次郎)など。唯一の
懸念は、初役で演じた菊之助の藤の方が、綺麗すぎたことくらい。今なら中学生くら
いの年齢の敦盛の母親。相模も敦盛と同年の息子・小次郎の母親。相模を演じた玉三
郎も綺麗だが、それなりの年齢を感じさせる。菊之助は、肌に張りがありすぎ、若々
しすぎて、違和感がある。菊之助以外は、適役。この顔ぶれを見れば菊之助は、抜擢
されたのだろうが、役どころの年齢に相応しい化粧の工夫が必要ではなかったか。そ
ういえば、菊之助は、吉右衛門の将来の娘婿の立場。婚約発表後、将来の義父との初
めての共演か。

私が観た直実は、今回を含め吉右衛門が、4回目。ほかは、圧倒的に多いのが、幸四
郎で、7回。仁左衛門が、2回。八十助時代の三津五郎、團十郎が、それぞれ1回。
仁左衛門代役で、急遽、初役で演じた松緑が、1回。

相模は、玉三郎が、今回、私は初めて。ほかは、圧倒的に多いのが、雀右衛門で、6
回。次いで、芝翫が、3回。福助、魁春が、それぞれ2回。ほかは、坂田藤十郎、も
うひとりの藤十郎、澤村藤十郎が、それぞれ1回。

吉右衛門は、肩の力を抜いて、役者吉右衛門の存在そのものが自然に直実を作って行
く。時代物の歌舞伎の演じ方という教科書のような演技振りだ。玉三郎の相模は、初
めて観たが、玉三郎は、雀右衛門の母情の激しさを思い出させて、なかなか、よかっ
た。玉三郎は24年振りの相模。我が子・小次郎の首を持って行く場面では、脱いだ
打掛で生首を包み、恰も、生まれいでて、これから将来のある赤子の小次郎を抱きか
かえているように観えてしまった。まさに、母親の真情が溢れ出ているようで、私も
息子に思いを馳せ、心が震えた。

義経を演じた仁左衛門は、さすがに貫禄があり、堂々たる「主役」(熊谷陣屋の筋立
てを指揮しているのは、じつは、義経である、というのが私の説)の義経であった。
「熊谷陣屋」の義経役者では、一枚上を行く義経振りであった。孝夫時代に義経を演
じている。

弥陀六を演じた歌六は、このところ、老け役で存在感を発揮しているだけに良い出来
だったと、思う。弥陀六ならぬ宗清と正体を暴かれた際に、下から見せる衣装には、
普通は、「南無阿弥陀仏」「平家一門の名前」が、書かれていて、「見顕し」を意味
するという付加情報がつく。歌六は、定石通りの扮装だったが、以前に観た富十郎
は、珍しく、無地の衣装で、すっきりしていて、それでいて、十分に真意が伝わって
来る。さすが、富十郎の工夫と感心させられたものだが、こういう「空にして充」の
ような芸当は、富十郎のレベルに達しないと出来ないのだろう。

軍次を演じた又五郎は、歌昇時代から、何回観ているだろう。直実の本音も相模の真
情も弁えた上での対応。実務的な能吏振りは、板に付いている。歌昇で旧・歌舞伎座
にさよならをし、又五郎で新・歌舞伎座に戻って来た。憎まれ役で、ちょっとの間し
か出て来ない梶原景高を演じた由次郎も、味のある役者で欠かせない。

因に、3年前の「さよなら公演」と今回の「杮葺落公演」の配役を対比してみよう。
顔ぶれがやや豪華なのは、「さよなら」より「「杮葺落」だが、味のある脇役は、同
じ配役になっているのが判る。吉右衛門の判断だろう。

3年前;直実:吉右衛門、相模:坂田藤十郎、藤の方:魁春、義経:梅玉、弥陀六:
富十郎、軍次:歌昇時代の又五郎、景高:由次郎。

今回;直実:吉右衛門、相模:玉三郎、藤の方:菊之助、義経:仁左衛門、弥陀六:
歌六、軍次:又五郎、景高:由次郎。
- 2013年4月4日(木) 11:11:54
13年03月国立劇場 (通し狂言「隅田川花御所染」)


「隅田川花御所染」は、通称「女清玄」。国立劇場では、25年振りの上演。四代目
南北原作。1814(文化11)年3月、江戸の市村座初演。主役の花子の前、後の
清玄尼を演じたのは、「目千両」と言われた人気女形の五代目岩井半四郎。「清玄桜
姫もの」の主人公・清玄を女にしたのが、「女清玄」。

人形浄瑠璃の作者は、南北や黙阿弥のように役者を想定して狂言を作る必要は無かっ
た。作者のドラマツルーギーを踏まえて、劇的世界を作れば良かった。勿論、人形浄
瑠璃と歌舞伎は、歴史的にも長い間、互いに影響しあいながら発展して来た。人形浄
瑠璃に勢いがある時代は、先ず、人形浄瑠璃が舞台に上がった。その後、歌舞伎化さ
れた。「丸本もの」と呼ばれる歌舞伎の演目は、人形浄瑠璃の人気演目を歌舞伎化し
たものである。歌舞伎に勢いがある時代は、歌舞伎化された後、人形浄瑠璃に直され
た。

歌舞伎の隆盛が人形浄瑠璃を凌ぐようになると、狂言の作者は、人形浄瑠璃を念頭に
置かず、最初(はな)から、歌舞伎化を想定して芝居を書いた。歌舞伎は、同時代の
生身の役者が演じる訳だから、人形浄瑠璃のように筋立てだけ考えれば良いというわ
けにはいかなくなった。誰に演じさせるかで、役者のキャラクター(柄や任)を考え
て、筋立てを考えようになるのは、当然だろう。芝居として「清玄桜姫」と「女清
玄」とを比べてみれば、「清玄桜姫」の、清玄と桜姫の恋物語にターゲットを絞った
芝居の方が、「女清玄」の、清玄尼と松若丸、頼国(実は、松若丸)と桜姫という、
いかにも、作りもの(フィクション)めいた三角関係の芝居より劇的に面白いという
ことが、私の観劇後の感想なのだが、今回の劇評では、そこに至る私の思いを追跡
(トレース)することで成り立って行くことになるだろう。

「清玄桜姫」は、本来の外題が「一心二河白道(いっしんにがびゃくどう)」という
狂言。近松門左衛門原作で、1698(元禄11)年、京都で初演。さらに、「桜姫
東文章」という外題で、四代目南北原作の「清玄桜姫」は1817(文化14)年、
江戸の河原崎座で初演されている。南北は、まず、「鏡山」と絡ませて新趣向の「女
清玄」を書き、3年後には、本来の「清玄桜姫」を書いたことになる。この演目も南
北らしい工夫が凝らされ、桜姫は、「風鈴お姫」という風鈴に似た釣鐘の刺青を腕に
彫った女郎に成り下がる桜姫を登場させている。

「女清玄」の戦後の上演では、1956(昭和31)年、歌舞伎座で復活上演の際、
渥美清太郎が改訂。六代目歌右衛門が清玄尼を演じた。1977(昭和52)年(六
代目歌右衛門が清玄尼を演じた)、1988(昭和63)年(四代目雀右衛門が清玄
尼を演じた)、国立劇場で再演では、戸部銀作補綴。いずれも、南北原作にあった
「鏡山」の綯い交ぜを省略しているという。今回は、将来の七代目歌右衛門を嘱望さ
れる福助が、初演する。歌右衛門(2)、雀右衛門と続く立女形の演目に福助が連
なったという舞台である。「桜姫東文章」は、3回観ているが、女清玄版の「隅田川
花御所染」は、今回が初見なので、筋書も記録しながら、劇評をまとめたい。

贅言;因に私が観た「桜姫東文章」は、1回目が、2000年11月、国立劇場(染
五郎が珍しく本格的な女形に挑戦した)。2回目が、2004年7月、歌舞伎座(玉
三郎の桜姫を初めて観た。玉三郎の桜姫は、1985年、歌舞伎座以来、19年ぶり
の再演だった。玉三郎は桜姫を7回演じている)。そして、3回目が、2012年8
月、新橋演舞場(福助の桜姫は、運命に翻弄される、受け身の女性を追跡し続けたよ
うに見えた。福助は、桜姫を2回演じている)。 

今回の幕構成は、次の通り。
序幕第一場「雲中より鎌倉六本杉の場」。第二場「新清水花見の場」。第三場「野路
の玉川庵室の場」。第四場「元の新清水の場」。
二幕目第一場「隅田川梅若塚の場」。第二場「同 渡し船の場」。
三幕目「浅茅ヶ原妙亀庵の場」。
大詰「隅田川渡しの場」。

序幕第一場「雲中より鎌倉六本杉の場」。舞台は、天穹の雲中。花道すっぽんから北
條家に取り潰された筑紫国大友家の嫡男頼国(芝のぶ)登場。典型的な若衆姿。頼国
は鎌倉北條方の入間家の息女・桜姫の婿になる予定で鎌倉に着いたところだ。本舞台
雲中には、京都吉田家の嫡男松若丸(隼人)がせり上がって来る。宙を飛翔している
という態。やがて、雲の道具が引っ込められると、もう、松若丸の姿は見えない。

雲の模様を描いた背景の道具幕が、振り落としになると、そこは、鎌倉六本杉。頼国
が入間家の執権粂平内左衛門(くめのへいないざえもん、錦之助)と立ち会ってい
る。「時参り」のため、頭に3本の蝋燭を立てた「異装」の武士が平内左衛門だ。右
手に十字架、左手に尖った槍の先のような小武器を持っている。きらびやかな四天
姿。粂平内左衛門は、実は、平家の残党後藤盛長で入間家の乗っ取りを企てている。
その悪計を知った頼国が立ち向かっているのだが、やがて、頼国は平内左衛門に斬り
殺されてしまう。桜姫の許婚は、序幕第一場で、早々といなくなってしまう。

平内左衛門は、頼国から大友家の重宝・午王の鏡を奪う。そこへ、雲中にいた松若丸
が空から飛び降りて来た。松若丸は、平内左衛門から父親の吉田少将が北條家の手に
よって殺されたことを知らされ、仇を討つために平内左衛門と密かに盟約を組むこと
にした。その第一歩として、松若丸は、殺された頼国に化けて許婚の桜姫に近いて入
間家に入り込み、関八州の御朱印の入手を狙うことにした。

盟約の証として松若丸は、吉田家の重宝・都鳥の一巻を平内左衛門に渡す。平内左衛
門は頼国から奪った午王の鏡を松若丸に渡す。自分は死んだことにして、贋の頼国に
化けた松若丸は、身元の証となる午王の鏡を手に入れたことになる。お家騒動なの
で、こういう重宝の行方が、今後の物語展開の道標となるので、目が離せない。

第二場「新清水花見の場」。幕が開くと浅黄幕が舞台の前面を覆っている。幕の振り
落しで、桜満開の新清水寺。階下の平舞台に入間家の息女・姉の花子の前(福助)、
妹の桜姫(児太郎)が揃っている。ふたりとも赤姫の扮装。「鏡山旧錦絵」でお馴染
みの局・岩藤(宗之助)は黒地の衣装、紫地の衣装の中老・尾上(芝喜松)のほか、
ピンク地の衣装の腰元関屋(新悟)ほかがいる。花子の前は許婚の松若丸が謀叛の疑
いで出奔した上、死んでしまったというので、この日、出家をして菩提を弔うために
剃髪することになっている。舞台上手より猿島惣太(松也)が登場する。「金剛草
履」を持っている。岩藤が注文をして取り寄せた草履で、履けば誰彼かまわず目前の
男に惚れてしまうというものだ。岩藤は兄の平内左衛門とともに入間家転覆を狙って
いて、この草履を花子の前に履かせようと企んでいる。花子の前の美しさに心を奪わ
れた惣太は、松若丸が亡くなった証拠として平内左衛門から預かっていた都鳥の一巻
を花子の前に差出してしまう。それを取り上げた花子の前は、一巻を桜姫に預けて、
石段を上り、剃髪をするために新清水寺の階上の扉を開けて、寺の奥へと入ってしま
う。惣太と岩藤が残される。岩藤は草履を持って石段を上がり、花子の前の後を追
う。惣太は上手の境内に引っ込む。

花道から頼国になりすました松若丸がやって来る。本物の頼国の顔を知らない桜姫は
喜ぶ。男は、大友家の重宝・午王の鏡を取り出す。桜姫側も、入間家の重宝・関八州
の御朱印を渡そうとするが、婚姻誓いの品の交換は盃を交わしてからと尾上が止め
る。

やがて、新清水寺の扉が開き、奥から轟念阿闍梨(翫雀)一行が、剃髪した清玄尼
(福助)を連れて出て来る。階下へ降りて来た清玄尼に岩藤は、(惚れ道具)「金剛
草履」を履かせる。清玄尼は桜姫の傍らにいる頼国、実は松若丸を凝視し、頼国が松
若丸であると見抜く。頼国=松若丸は桜姫一行とともに下手に入る。松王丸への初恋
に胸を高鳴らせる清玄尼は、花桶を取り落とすが、同時に草履の鼻緒も切れてしま
う。清玄尼は、上手に引っ込む。新清水寺の扉が開くと、奥から深編笠姿に扮装した
粂平内左衛門(錦之助)が姿を見せる。上手から現れた惣太は、花道から去って行
く。

第三場「野路の玉川庵室の場」。庵室内部の場面だが、舞台装置は、抽象的、幻想的
に作ってある。(本来は、前の場面から1年後という想定だが、今回は、その辺り
は、曖昧。)花道から出て来た松若丸は野路の玉川で雨を避けようと見かけた庵室を
訪ねる。庵室は清玄尼が守っていた。厨子の中に仕舞ってあった鼻緒の切れた「金剛
草履」を見つけた松若丸が、それをすげ替える。そこへ下手から僧の桜ン坊(翫雀)
が轟念阿闍梨に言い付かったとして鴛鴦の雛が入った鳥籠と酒の入った徳利を持って
庵室を訪れる。松若丸は雛を殺し、その血を酒に混ぜて、ふたりは、三三九度の盃を
交わし、初夜を迎える。濡れ場であるが、この色模様は、さらっと描いていた。清玄
尼は、松若丸とともに、殺生、飲酒(おんじゅ)、邪淫と、五戒のうち3つの戒律を
破ったことになる。破戒僧・清玄尼を隠すようにフェードアウト(暗転)。

第四場「元の新清水の場」。明転すると、桜満開の新清水寺。階上(いわゆる、清水
の舞台)には、清玄尼がいる。破戒の場面は、夢だった? しかし、草履の鼻緒はす
げ替えられている。もしや、破戒は夢ではなく、現だったか? 煩悩の果てに清玄尼
は、蛇の目傘を開いたまま「鏡山」のパロディか、宙に浮く岩藤のように、清水の階
上(舞台)から、満開の桜の中に飛び降りてしまう。投身自殺を図ったのだ。

桜の書割が引き道具で上下手に分れて、引っ込められる。新清水寺が大せりで上が
る。同時に、倒れ伏した清玄尼と傍らに佇む松若丸が小せりで上がって来る。新清水
寺の脇にある音羽の滝の水を口移しで飲ませる松若丸。自殺未遂。怪我も無く気を
失っていただけの清玄尼が、気づく。「まあ、口移しで……」と清玄尼。「松若さ
ま」と縋る清玄尼に対して、松若丸は、あくまでも「頼国だ」と言い張る。

下手より、桜姫一行が現れる。清玄尼の意向を受けて、桜姫と頼国は、ここで入間家
の中老・錦木の立会いで内祝言を挙げることにする。その際、松若丸は、懐から赤地
錦の富田裂を落とす。(やはり、頼国は松若さまだ)と、清玄尼は確信する。桜姫一
行は、下手に下がる。縋る清玄尼を振り払い松若丸は花道から退場。気を失う清玄
尼。そこへ下手より惣太登場。介抱しながら清玄尼に言い寄る。気づいた清玄尼は、
惣太と争いになる。清玄尼は、花道へ逃げる。追いすがる惣太を蛇の目傘の柄で突
く。柄が抜けてしまうが、倒れる惣太。

そこへ。上手寄り引き幕。花道では、清玄尼の幕外の引っ込み。紫の衣装の片袖を脱
ぎ、白無垢の下着姿。頭に被っていた白無垢の被りものを取り肩に掛け、清玄尼は剃
髪したばかりの青々とした坊主頭を曝す。まるで、聖女が裸身を曝しているような錯
覚を覚える。エロチックな福助。柄の取れた傘紙は、白黒模様の「蓙」のように見え
る。それで顔を隠す。隠すことで、心理的な露出度が、グングン高まるように思え
る。そのタイミングを計るように、大向うからは、「成駒屋」「九代目」と声がかか
る。福助は、覗き見に気がついて、露天風呂から衣装を抱えて裸のまま逃げ出す処女
のように恥じらいを見せながら向う揚幕に避難して行く。これが、今回の最大の見せ
場だった。

二幕目第一場「隅田川梅若塚の場」。(本来なら、さらに、1年後。)兄の平内左衛
門と妹の局・岩藤が企んでいた入間家のお家騒動は、中老・尾上の働きで収まった。
これで、「鏡山」の綯い交ぜは終わる。出家した姉の清玄尼に代わって家督を継いだ
妹の桜姫の婿である頼国、実は松若丸は、行方知れずのまま。桜姫も婿の後を追って
いる。

入間家の元腰元関屋だった綱女(新悟)や夫の軍助(錦之助)が、隅田川梅若塚(吉
田家の梅若丸は、松若丸の弟。「梅若伝説」では、忍ぶの惣太に殺されてしまう。遺
体が流れ着いた隅田川河畔に立てられた梅若塚は、梅若丸の墓所だ)のある川辺に清
玄尼を探しに来る。花道から桜姫を追う北條家の家臣・葛西(男女蔵)、上手から
は、廓から逃げた新造の釆女(芝のぶ)を追う判人(三津之助)らが、それぞれ、隅
田川の渡し場に差し掛かる。釆女は、花道から現れる(芝のぶは、序幕では、若衆姿
で本物の頼国を演じたが、すぐ殺されてしまう。今度は、色っぽい新造役だ)。桜姫
(児太郎)、中老・尾上(芝喜松)に道を聞かれたので釆女が案内をして来た。釆女
は、惚れた男で妻帯者の軍助を訪ねて来た。清玄尼探しで吉原を探る軍助を誤解した
釆女。あわや三角関係のトラブルと思いきや、話の経緯から、綱女と釆女は、姉妹と
判る。いかにも南北劇らしい人間関係だ。桜姫も久しぶりで関屋に再会する。追われ
る桜姫を守るために、釆女は、桜姫と衣装を取り替えることにする。

その後、花道から櫃を担いだ惣太(松也)が登場。惣太は、実は、元侍。吉田家の旧
臣・粟津七郎(「梅若伝説」の「忍ぶの惣太」。幕末期の河竹黙阿弥原作の通称「忍
ぶの惣太」、「都鳥廓白浪」では、主役だ)で、梅若丸を殺した下手人だ。梅若塚を
横目に見て、せせら笑っている。そこへ、新造姿に化けた桜姫を連れて軍助が上手か
ら出て来る。舞台下手に惣太が置いた櫃の中に軍助は、姫を隠す。それを下手で見て
いた廓の判人たちと軍助が争う。その隙に、櫃を担いで惣太が花道から逃げる。軍助
や綱女が後を追う。上手から桜姫の振袖を着た釆女は下手へ逃げる。それを追う葛
西。姫の振袖の片袖が千切れて川に落ちる。妹の釆女を救おうと綱女が、葛西と立ち
回りとなる。梅若塚の傍に立ててあった高札で綱女が立ち向ったため高札は折れて、
これも川へ落ちる。高札には、頼国を名乗る松若丸は、謀反人と告知されていた。い
ずれも、今後の伏線となる道具だ。

贅言;隅田川の渡し場は、現代なら、東京駅などのターミナル駅か、銀座4丁目の交
差点などという感じなのだろう。人出が多く、不特定な人々の中の探し人に適切な場
所というわけだ。

第二場「同 渡し船の場」。舞台から地絣が剥がされると、そこは、浪布で覆われた
隅田川。塚などは、引き道具で上手に引っ込められる。下手より、舟と渡し場を表示
する杭が引き出されて来る。同時に夜の闇を示す背景だった黒幕が振り落とされて、
夜明けの隅田川対岸の遠見に替わる。花道から剃髪後、髪が伸びて断髪状態になった
清玄尼(福助)が登場する。粗末な衣装に破れ傘。零落しているようだ。松若丸を思
い患い、狂乱している。

清玄尼は、渡し船に乗る。船頭は、惣太だった。二人を乗せた舟が舞台上手に向う。
背景の遠見は、下手に引かれて行く。舟が川面を滑って行くように見える。川中に浮
かぶ高札を拾い上げる清玄尼。上手から、やや大きめの白魚漁の舟が登場する。白魚
船には、松若丸が乗っている。松若丸は、川中から桜姫の片袖を拾い上げる。川中で
すれ違うふたつの舟。清玄尼を乗せた舟は、さらに上手へ。この後、舟の向きを変え
て、白魚船に乗っているのは誰かといぶかる清玄尼。下手に移動する舟の上で、笠で
顔を隠す松若丸。松若丸を乗せた舟は、さらに舞台下手から花道へと入って行く。ふ
たつの舟は、すれ違って行くばかり、というところで、引き幕。

三幕目「浅茅ヶ原妙亀庵の場」。ここが、もうひとつの見せ場の「殺し場」。南北ら
しい趣向が光るので、見逃せない。妙亀庵では、病を得て臥せっている清玄尼。妙亀
庵の上手には、池があるらしい。「鐘ヶ池」という立札がある。花道から櫃を担いだ
惣太が現れ、庵室に入ると櫃を置いて、庵室を出て、上手の池の方に行ってしまう。
庵室に居合わせた桜ン坊(翫雀)が櫃を開けると、中から桜姫が姿を見せる。松若丸
を頼国だと思っている桜姫。贋の頼国は松若丸だと知っている清玄尼。桜姫―頼国、
実は松若丸―清玄尼という、奇妙な三角関係が、清玄尼と桜姫という入間家の姉妹の
間で成立してしまう。姉は妹に嫉妬する。さらに、桜姫は追っ手の葛西らの動きを知
り、下手から現れた元腰元の関屋、現在の綱女の助けを借りて庵室裏に逃げてしま
う。

舞台が廻り、庵室の裏側へ。壁を突き破って逃げる。後を追う清玄尼。惣太が、清玄
尼を口説こうとするが、争いになる。立ち回りがあって、惣太の抜き身を素手で握り
しめた清玄尼の指がバラバラに斬られてしまう。黒衣のサポートがあって、清玄尼の
10本の指は、皆、蛇に変じて、惣太に襲いかかる。蛇の手袋をはめたような感じ。
南北好みの趣向だろう。惣太は、言うことを聞かない清玄尼にとどめを刺す。しか
し、悪女の深情け、亡霊になっても、蛇に姿を替えて、清玄尼は惣太の首を絞める。
下手から現れた軍助が、惣太を殺して、逃げて行く。テンポのある展開が続く。

大詰「隅田川渡しの場」。舞台前面に浅黄幕。常磐津の置き浄瑠璃。浅黄幕が振り落
とされると、両岸桜満開の隅田川。川中の船中には、赤姫ならぬピンクの衣装の桜姫
(児太郎)、女船頭のような縦縞の衣装の綱女(新悟)、紫の鉢巻を左に結ぶ病巻で
結んだ物狂いの態の松若丸(隼人)の3人が乗り込んでいる。松若丸は黒地の衣装。
左肩に赤い布を掛けている。此岸の中空には、道成寺の釣り鐘を思わせる鐘がある。
鐘は、紅白に縒り込まれた太い綱で吊り下げられているようだ。

やがて、花道すっぽんから清玄尼、というより花子の前に戻ったのか、クリーム地の
姫の衣装で着飾った女の亡霊が登場する。しばし、暗転で、福助の早替りで、松若丸
そっくりの黒地の衣装の若衆姿になる。船から降りて本舞台中央に立つ隼人の松若
丸。舞台下手、花道へ通じる本舞台に立つ福助の若衆。シンメトリーの所作が暫く続
く。ふたりの松若丸登場は桜姫を悩ませる。

綱女が、福助の若衆に赤い姫の衣装を着せかける。福助は、そのまま、鐘の下に移動
し、下がって来た鐘の内部に飛び込むように飛び上がる。この辺りからは、「娘道成
寺」風の展開。花道より、葛西(男女蔵)が伴内風な雰囲気で花四天を連れて出て来
る。

花四天たちが鐘に繋がる紅白の綱を引揚げると、被衣を被って臥せっていた福助が起
き上がり、動き出す。後ジテの鬼になっている。松若丸に執着し、松若丸と妹桜姫に
取り付こうとする。嫉妬に狂った女の情念。

向う揚げ幕から「待てえー」と声が掛かり、「押し戻し」の場面。翫雀が演じる粟津
六郎の登場。鐘ヶ池の立札を持ち、隈取り、鬘、大太刀など、全てが江戸荒事の扮
装。「道成寺の押し戻し」のパロディ。「悪霊退散!」吉田家譜代の重臣・粟津六郎
の登場で、松若丸も正気に戻り、都鳥の一巻を取り戻そうと物狂いを装っていたと明
かす。清玄尼の亡霊も消滅し、皆、作者南北に都合良く、荒唐無稽劇は、大団円を迎
える。

こうして、丁寧に舞台の展開を追って来ると以下のようなことが浮き彫りにされて来
る。お家騒動とは、入間家の家督相続を巡る姉妹の争い。姉の花子の前と松若丸、妹
の桜姫と頼国。頼国が殺され、頼国に化けた松若丸が、許婚の桜姫に取り入ったこと
から、お家騒動に姉妹の三角関係が絡んでいたというわけだ。特に、南北は、入間家
の姫君・花子の前、後に出家して清玄尼となる女性の恋の煉獄を主軸に描いた。尼僧
になりながら、男女の愛欲という煩悩に悩まされ続ける花子の前→清玄尼→亡霊とい
う転落の道を辿る女の業の深さに南北は魅かれたのであろう。

見どころは、南北趣向の伝奇物語仕立て。福助の演じる清玄尼のエロティシズムとい
う美学をかざしながら、ラジカルなまでに激しい恋情に負けて堕落して行く負の人間
像こそが持つ人生の真実を描くのが、南北の真骨頂だろう。

福助の清玄尼は、転落ぶりの変化が、弱かったように思う。しかし、福助の見せ場
は、ふたつあった。既に触れたように、序幕第四場「元の新清水の場」での清玄尼の
幕外の引っ込み。福助は、エロチックであった。三幕目「浅茅ヶ原妙亀庵の場」で演
じられる殺し場の趣向。両手の全ての指を斬り落とし、指の替りに蛇が蠢く両手を拡
げた福助は、グロテスクであった。いずれも、南北の趣向(エロスとタナトス)に応
えていたと思う。

南北が下敷きにしている先行作品の数々をスケッチしておこう。「清玄桜姫」=高
僧・清玄の桜姫への恋情と執着、桜姫の拒絶、清玄の恨みと祟り→「女清玄」花子の
前の純情と清玄尼の恨みと祟り。恨みを飲んで死んでいった女性の業の深さ。そこに
は、11年後、1825(文政8)年初演の「東海道四谷怪談」への萌芽が見いださ
れる。さらに、「鏡山旧錦絵」という「鏡山の世界」や「梅若丸伝説」の利用。大詰
の「隅田川渡しの場」では、「道成寺」の「花子」と「清姫」、「押し戻し」の趣向
を拝借している。

主役の福助は、別格ながら、脇に廻った錦之助、翫雀、男女蔵は、若手に大きな役を
譲った。国立劇場としては、若手を抜擢した大胆な配役になったと思う。歌右衛門、
富十郎、芝翫、雀右衛門、勘三郎、團十郎と大御所、重鎮の役者を亡くした歌舞伎界
は、当然のことながら、急激な世代交代を迫られている。劇評の最後として、今回抜
擢された若手役者について、私なりの評価を記しておきたい。

まず、敵役の惣太を演じた松也は、抜擢に応えて活躍した。女形で若い女性を演じた
り、若衆を演じたりしてきた松也は、脇役の巧者だった松助の長男。早くに父親を亡
くし苦労して来たと思うが、ここへ来て、花が開いた感じだった。本人が懸念してい
た先輩方と共演する際に違和感がないように勤めたというが、それは、合格したと思
う。従来の配役なら、ここは、翫雀か。

御曹司の3人。福助の長男児太郎は、桜姫を演じたが、主役の清玄と対抗する「清玄
桜姫」の桜姫に比べて、「女清玄」の桜姫は清玄尼に対抗する訳でなく、清玄尼に対
抗するのは、松若丸であって、桜姫ではないから、桜姫の存在感は元から弱い。弱い
存在感をなんとか克服しようという意識が、児太郎には無かった。演じていても姫と
しての表情が安定しない。特に、目が安定していなかった。何処を見ながら演じるべ
きかが判っていなかったのだろう。不安定な視線のまま演じてしまった。これでは、
お姫様の存在感を出すことは出来ない。今後の工夫を期待したい。

同じく、大役の松若丸を演じたのは、錦之助長男の隼人。松若丸は、二枚目ながら、
悪役。つまり、「色悪」「色敵」というキャラクターを演じなければならない。そう
いう二重性を秘めながら、演じるのは、隼人は、未だ、早いのだろうが、役者は、大
きな役に挑戦しないと伸びて行かないから、これはこれで通過儀礼だろう。色悪故
に、入間家の姫の姉妹・花子の前と桜姫のふたりの人生を狂わせるキーパーソンであ
る。これが、仁左衛門なら、舞台に出てくるだけで、そういう雰囲気を滲み出させて
来るだろう。目標を大きく持ち、現在の己を踏まえながら、成長していって欲しい。
観客のひとりとして今後の精進を愉しみにしている。従来の配役なら、ここは、錦之
助か。父親が、これからの息子のために花を持たせたという感あり。

もうひとりの御曹司。弥十郎長男の新悟。入間家の仕える関屋、後の綱女。拵えの異
なる女性だが、実は、同一人物というのを観客に感じささせなければならない。新悟
は、痩せぎすで、スマートなのだが、女形をやるには、頬から顎にかけての線が鋭す
ぎて、損をしているように思う。もうちょっと女性らしさを感じさせるためには、頬
から顎にかけての線がふっくらとして来ると良い女形顔になるのではないかと、実
は、前々から思っている。そういうことも含めて、児太郎とともに、将来の真女形役
者を目指して、精進して欲しい。

贅言;「清玄桜姫」で、高僧・清玄が堕落してまで追いかける相手は、白菊丸(稚
児)→桜姫(赤姫)→風鈴お姫(女郎)→桜姫(赤姫)ということで、情念に燃え、
性別を超えて、人間存在のセクシュアリティを追い求めている。そこの、「清玄桜
姫」という芝居のドラマツルーギーがある。ところが、「女清玄」では、花子の前
は、「金剛草履」という「麻薬」の力を借りて、松若丸を一途に追いかける。花子の
前は、自ら出家をして清玄尼になり、亡霊になり、鬼になり、とはするけれど、追い
かける相手は、一途に松若丸である。悪女の深情けで終わってしまう。

「女清玄」という芝居は「清玄桜姫」のように、情念に燃え、性別を超えて、人間存
在のセクシュアリティを追い求めるという芝居にはならないという根本的な弱さが、
ここにあると思う。「女清玄」は、清玄の物語:青年時代の発端「江の島稚児ヶ淵の
場」。中年期の栄耀栄華の序幕第一場「新清水の場」。桜姫との不義の濡れ衣を掛け
られて、没落の坂を落ちる序幕第二場「桜谷草庵の場」。破戒僧となった二幕目「三
囲の場」。三幕目「岩淵庵室の場」では、自らが持っていた出刃が弾みで喉に刺さり
息絶えて仕舞う。四幕目「山の宿町権助住居の場」では、はや、幽霊になりさがる、
という清玄の人生の概要を人気の女形役者に演じさせるという趣向が前面に出ている
と言えよう。

ついでにいえば、「清玄桜姫」に登場する権助は、「女清玄」に登場する小悪党・惣
太を超える大悪党であろう。悪を貫き通すアンチ・ヒーローの権助。そこにも、「清
玄桜姫」という芝居の強みがある。
(了)
- 2013年3月21日(木) 20:53:25
13年03月新橋演舞場 (夜/「一條大蔵譚」「二人椀久」)


吉右衛門が指導し、染五郎がそれを受け継ぐか 「一條大蔵譚」


「一條大蔵譚」は、1731(享保16)年、大坂竹本座で人形浄瑠璃初演、翌年歌
舞伎化された。松田文耕堂らの合作。全五段の時代物。「一條大蔵譚〜檜垣、奥
殿〜」は四段目。私は8回目の拝見。今回は、染五郎主演で、染五郎は、吉右衛門か
ら指導を受けたというが、ならば、私は12年12月に国立劇場で観た吉右衛門と比
較をせざるを得ない。

私が観た大蔵卿は、吉右衛門(4)、猿之助、襲名披露興行の勘三郎、菊五郎、そし
て今回が、初役の染五郎。常盤御前は、芝翫(2)、鴈治郎時代の藤十郎、雀右衛
門、福助、時蔵、魁春、そして、今回が、芝雀。本興行では、初役という。吉岡鬼次
郎(きじろう)は、梅玉(4)、歌六、仁左衛門、團十郎、そして、今回が、松緑。
2回目。鬼次郎女房・お京は、松江時代を含む魁春(2)、九代目宗十郎、時蔵、玉
三郎、菊之助、東蔵、そして、今回が、初役の壱太郎(翫雀長男)。

「一條大蔵譚」は、基本的に平家方偽装の公家・一條大蔵卿と源氏方(義朝の旧臣)
の吉岡鬼次郎の芝居である。初代吉右衛門以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、
相変わらず巧い。特に、滑稽さの味は、いまや第一人者。亡くなった勘三郎も、味が
あったし、菊五郎も巧かったが、吉右衛門は、阿呆顔と真面目顔の切り替えにメリハ
リがある。阿呆顔は、いわば、「韜晦」、真面目顔は、「本心」、あるいは、源氏の
血筋を引くゆえの源氏再興の「使命感」の表現である。染五郎は、所作、科白は、そ
の通りなのだろうが、吉右衛門と比較すると、所作が小さい。科白は同じだが、科白
「廻し」が違う。表情の奥行きも違う。まだまだ、これからの精進が望まれる。奈落
転落から這い上がったのだから、今後が愉しみ。

序幕「檜垣茶屋の場」。白河御所では、能の催し。終演を待っている仕丁たちが、門
前で世間話をしているのは、いつもの光景。仕丁たちが上手に去ると、花道から鬼次
郎(松緑)と妻のお京(壱太郎)が、やって来る。

能の催しが終わり、大蔵卿(染五郎)が、腰元や仕丁たちを連れて、門内から出て来
る。大向うから「大播磨」と声が掛かった吉右衛門の出とは、もう、この瞬間だけで
も違う。線が細い。プレゼンス(存在感)も弱い。

鬼次郎らとクロスするように大蔵卿一行は、花道へ。門前に佇む鬼次郎。七三で振り
返り、門前の鬼次郎に視線を飛ばす大蔵卿。ふたりの視線が交差する。阿呆面をして
いた大蔵卿が、鬼次郎を認めて、視線を鋭くする。一瞬真顔を見せるのである。「檜
垣茶屋」の場面では、唯一の真顔の場面となる。この変化が吉右衛門は素晴らしかっ
た。染五郎は、こちらの座席の位置が前回と違うので、表情の変化が判らなかったた
め、ノーコメントでパス。鋭い視線で射抜かれたようで、動きの取れない鬼次郎を隠
すように、定式幕が閉まって行く場面だが、松緑も、動きが取れないという感じよ
り、笠で顔を隠して佇んでいるだけのように見えた。

幕外では、大蔵卿一行の引っ込み。大蔵卿のみ、花道七三。ほかは、本舞台の幕外に
横に全員が並ぶ。珍しい。やがて、大蔵卿が歩み出すと、続いて腰元、仕丁の順で、
向う揚幕へ。最後に、召し抱えられたばかりのお京が大蔵館奥殿に潜り込む使命を帯
びて、一行の後について行く。壱太郎のお京は、私が観たお京の中では、最も初々し
い。

大詰「大蔵館奥殿の場」。まず、網代の塀。中央上手寄りに、木戸。花道より、竿燈
を持った松緑。上手より、行灯を持った壱太郎。木戸で出会うふたり。「示し合わせ
た両人が、……」で、ふたり揃って、上手袖から奥殿へ向かう。黒衣が、木戸を片付
けると、網代塀が、真ん中から割れて、上下に引っ込まれると、そこは、奥殿。これ
は、いつもの通り。

やがて、舞台下手から、御殿に忍び入った鬼次郎・お京が、現れる。奥殿の御簾が上
がると、中には、常盤御前(芝雀)。常磐御前も、義朝の愛妾で、牛若丸(後の義
経)らの母であり、平家への復讐心という本心を胸底に秘めながら、平清盛の愛妾に
なった後、さらに、公家の大蔵卿と再婚している。それを責める鬼次郎ら。常磐御前
「あっぱれ、忠臣吉岡鬼次郎」で、本心を明かす。

この芝居でも、大蔵館奥殿で楊弓の遊びに興じているが、実は、これも韜晦。遊びの
楊弓の的(黒地に金の的が3つ描かれている)の裏に隠された平清盛全身の絵姿で、
彼女の真情(平家調伏の偽装行為)が判明する仕掛けになっている。常磐御前は、動
きが、少ない(前半は、二重舞台の中央に座っている。後半は、平舞台に引き下ろさ
れた後は、上手に立っている。合引に座っているのだが、歌舞伎では、これは「立っ
ている」と見なす)が、肚で芝居の進行に乗っていかなければならないので、大変
だ。御前としての格と存在感を、所作も科白も少なめで、ほぼ動かずに演じなければ
ならない。家老の八剣勘解由(錦吾)が、常磐御前の真意に気付き、平清盛の絵姿を
奪い取り、それを証拠に清盛へご注進に行こうとする。御殿に下がっていた御簾のう
ちから長刀が突き出され、階段にいた勘解由に斬りつける。

「いまこそ明かす我が本心」と大蔵卿。本心を隠し、的確に阿呆顔を続ける、抑制的
な、器の大きな知識人・大蔵卿は、かなり難しいキャラクターであろう。源平の対立
構図の中では、どちらにも与せず、様子を見る。客観的な分析の時間を稼ぐために擬
装する。それだけに、このキャラクターづくりが、主役を演じる役者の工夫となり、
代々の役者が、役づくりを腐心して来たのだと思う。特に、初代と二代目の吉右衛門
は、当り役として、藝を磨いて来た。播磨屋吉右衛門は、家の藝として洗練させて来
たが、高麗屋の兄・幸四郎は演じて来なかった演目だ。高麗屋後継の染五郎は、叔父
の藝を学び、今後とも精進をして、負けずに藝を磨いて欲しい。

金地に大波と日の出が描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換える
など、阿呆と真面目の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現しなければならな
い大蔵卿を吉右衛門は的確に演じていた。科白廻しと間の取り方も巧い。この辺り
が、染五郎の今後の課題。

平家の知将重盛に引っ掛けた「古歌」の短冊。ぶっかえりで衣装を改め、大見得をす
る大蔵卿。「この剣(つるぎ)にて旗揚げ致せ」と鬼次郎に命じる。平家方の八剣勘
解由の首と源氏所縁の重要な宝剣・友切丸を鬼次郎に託す場面の大蔵卿は公家なが
ら、一瞬、颯爽の武士の顔を垣間見せるが、その後、「命長らえ、気も長らえ」「元
の阿呆になるだけ」「めでたいのう」などと、韜晦の「つくり阿呆」の顔に戻らなけ
ればならない。複雑、精緻な吉右衛門の演じる大蔵卿は、どこまでもしたたかであ
る。


「二人椀久」は、菊之助の相方探しの旅


「二人椀久」は、1774(安永3)年4月、江戸市村座で初演。1951(昭和2
6)年、曲のみ残り(長唄として最も古い曲の部類と言われる)、途絶えていた振付
けを初代尾上菊之丞が工夫し、1952(昭和27)年、七代目三津五郎、六代目歌
右衛門が初演。さらに、1956(昭和31)年、いずれも当時の坂東鶴之助(後
の、五代目富十郎)と七代目大谷友右衛門(後の、四代目雀右衛門)が明治座で初
演。以後、このふたりを軸に上演が続いてきた。

私は8回目の拝見。孝夫時代の仁左衛門と玉三郎のコンビで、3回。これは、ふたり
の息も合い、華麗な舞台である。本家の富十郎と雀右衛門のコンビで、2回拝見して
いる。富十郎と雀右衛門のコンビでは、本興行で、14回も踊った。重厚な富十郎と
雀右衛門のコンビも良いし、華麗で、綺麗な仁左衛門と玉三郎のコンビも良い。どち
らも、持ち味が違い、それぞれ良く、甲乙付け難い。

それ以外では、仁左衛門と孝太郎の親子コンビで1回。富十郎と菊之助のコンビで1
回。富十郎にとっては、本興行で、15回目の椀久であったが、雀右衛門以外と踊る
のは、初めてという。その初めての相手が、伸び盛りの菊之助であった。これが、富
十郎の最後の椀久であった。前に劇評にも書いたが、この時の菊之助が良かった。富
十郎亡き後、今回、菊之助は、染五郎を相手にした。さて、どういう舞台になるだろ
うか。


真っ暗な場内。上手、長唄連中の載る雛壇が、薄明かりで、影が滲み出す。「たどり
行くいまは心も乱れ候…」。置唄が、暫く続く。やがて、本舞台中央、上部、黒幕の
上に満月が浮かんでいる。夜明け前の薄闇の空。「干さぬ涙…」で、花道七三にス
ポットが当たると錯乱気味の椀久(染五郎)の姿が、浮び上がる(すっぽんを使う訳
がないから、暗闇の中、花道を音も無く歩いて来たのかもしれない。仁左衛門の時
が、そうだった)。

「末の松山・・・」の長唄の文句通りに、舞台には、松の巨木の影が闇から切り取ら
れて黒々と浮き上がって来る。波音。急峻な崖の上である。空が明るくなるに連れ
て、椀久の様子が知れて来る。総髪いとだれに紫の投げ頭巾、黒の羽織、薄紫の地に
裾に松葉や銀杏などの模様の着付け、黒と銀の横縞の帯。閉じ込められていた座敷楼
を抜け出し、愛人の松山太夫の面影を追いながら踊り狂っているうちに、松の根元付
近に倒れ込み、手枕で眠ってしまう。

贅言;松の根元前、舞台中央に奈落に通じる小さいセリが口を開けている。上の座席
で観ているので、開いたままのセリがきっちり見える。染五郎は、国立劇場の舞台で
セリから奈落に落ちて大怪我をし、2月に歌舞伎の舞台に復帰したばかりだから、観
ていて、ハラハラした。1階席では、味わえない緊張感だ。

「行く水に…」。やがて、椀久の夢枕に立つという想定の松山太夫(菊之助)がセリ
で上がってくる。窶れたように見えるのに菊之助の松山太夫には、プレゼンス(存在
感)がある。狂気の見る夢。狂夢か。何時の間にか、月は消えている。夜が明けたの
か。それと同時に、崖の向こうの虚空に、あるはずのない満開の桜の木々が浮かび上
がる。椀久とともに、観客も夢の中に入り込んでいるのだろう。松は、現実。桜は夢
の中の幻想、松山太夫は幻の女。

菊之助は、落ち着いていて、切れ味の良い所作は、安定感があり、微笑んだ表情は、
優美で、濃艶である。椀久への気遣いの気持ちも溢れている。椀久は、現(うつつ)
では、狂気の人だが、自分の夢のなかで、松山太夫とともに踊る時は、ふたりとも正
気なのであろう。その落差が、この所作事のポイントだろう。

菊之助は、後ろ姿、腰つきも、妖艶だ。妖しく、エロチックだ。元禄勝山の髷、銀鼠
色の地に松の縫い取りのある打ち掛け、クリームがかった白地にピンクの模様の入っ
た着付け、赤い地の絞りの帯も、艶やかだ。

背中を向けあい、互いに斜めに、向けあいをする、歌舞伎舞踊の定番の情愛を示す踊
り。。ふたりの所作は、廓の色模様を再現する。松山太夫の着付けの赤い裏地と赤い
帯が、官能を滲ませる。それは、濃厚なラブシーンそのもの。恋の情炎。松山太夫は
エロスの化身。椀久の性夢の淫らさ。「官能」とは、こういうもののことを言う。三
味線の早間のリズムに乗って、軽やかに踊るふたり。松山太夫の打ち掛けを片肩に着
せかけて踊る椀久。椀久の羽織を借りて踊る男姿の松山太夫。椀屋久兵衛と並ぶ松山
太夫。だから、「二人椀久」という。

いつの間にか、消えている桜木。やがて、イリュージョンでしかなかった松山太夫は
消える。セリ下がる菊之助。狂夢の消滅。舞台では、「保名」のように、再び、倒れ
伏す椀久。いや、椀久は、ずうっと、倒れ伏したままだったのだろう。廓の賑わい
は、空耳。性夢は、儚い。現(うつつ)は寒々しい崖の上。松籟ばかりが聞こえるよ
う。月が出ている。時間も余り経過していない。未だ、夜明け前。すべては、観客の
見た夢だったのか。椀久は、スポットで照らされたまま、倒れ伏している。緞帳が降
りて来て、スポットが幕に掛かる。

贅言:何故か。倒れ伏している椀久の頭の上手側に、松山太夫が持っていた筈の扇子
が取り残されたままだった。菊之助が取り忘れたのか。黒衣が片付け忘れたのか。或
は、演出で残したのか。

菊之助の松山太夫は、良い。演じているというより、松山太夫その人になりきってい
るように見受けられる。寺嶋和康という青年は、尾上菊之助を突っ切り、尾上菊之助
は、女形役者を突っ切り、女の「形」を男の身体の上に造型し、松山太夫という遊女
になりきり、椀久という大坂の豪商を虜にし、狂気の果ての、性夢のなかでのみ、正
気に戻らせ、「邯鄲の夢」を観客とともに見させるというマジックをやってのけた。

染五郎からは、終始狂気が滲み出て来なかったのが、残念。花道の登場から狂気は弱
かった。従って、夢のなかの正気が、対比されて来ない。富十郎が永遠の相方として
雀右衛門に出会ったように、菊之助は、染五郎も含めて、永遠の相方に出会うのは何
時のことだろうか。菊之助の相方探しの旅は、これから始まる。

贅言;06年3月、歌舞伎座。富十郎生涯最後の椀久の舞台の私の劇評「花道の登場
から富十郎の狂気は弱い。従って、夢のなかの正気が、対比されて来ない。体型も気
も弱いとなれば、富十郎椀久の演技は、とても、弱くなる。雀右衛門と踊ったときに
は、そういう感じはなかったのだが・・。今回は、体調でも悪いのか、それとも、衰
えたのだろうか。(略)菊之助が、良いだけに、富十郎の弱さが、よけい、気にな
る。「二人椀久」では、富十郎は、雀右衛門とのコンビの方が良いだろうし、いず
れ、仁左衛門と菊之助のコンビでも、観てみたい。
- 2013年3月7日(木) 10:18:43
13年03月新橋演舞場 (昼/「一條大蔵譚」「二人椀久」)


吉右衛門が指導し、染五郎がそれを受け継ぐか 「一條大蔵譚」


「一條大蔵譚」は、1731(享保16)年、大坂竹本座で人形浄瑠璃初演、翌年歌
舞伎化された。松田文耕堂らの合作。全五段の時代物。「一條大蔵譚〜檜垣、奥
殿〜」は四段目。私は8回目の拝見。今回は、染五郎主演で、染五郎は、吉右衛門か
ら指導を受けたというが、ならば、私は12年12月に国立劇場で観た吉右衛門と比
較をせざるを得ない。

私が観た大蔵卿は、吉右衛門(4)、猿之助、襲名披露興行の勘三郎、菊五郎、そし
て今回が、初役の染五郎。常盤御前は、芝翫(2)、鴈治郎時代の藤十郎、雀右衛
門、福助、時蔵、魁春、そして、今回が、芝雀。本興行では、初役という。吉岡鬼次
郎(きじろう)は、梅玉(4)、歌六、仁左衛門、團十郎、そして、今回が、松緑。
2回目。鬼次郎女房・お京は、松江時代を含む魁春(2)、九代目宗十郎、時蔵、玉
三郎、菊之助、東蔵、そして、今回が、初役の壱太郎(翫雀長男)。

「一條大蔵譚」は、基本的に平家方偽装の公家・一條大蔵卿と源氏方(義朝の旧臣)
の吉岡鬼次郎の芝居である。初代吉右衛門以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、
相変わらず巧い。特に、滑稽さの味は、いまや第一人者。亡くなった勘三郎も、味が
あったし、菊五郎も巧かったが、吉右衛門は、阿呆顔と真面目顔の切り替えにメリハ
リがある。阿呆顔は、いわば、「韜晦」、真面目顔は、「本心」、あるいは、源氏の
血筋を引くゆえの源氏再興の「使命感」の表現である。染五郎は、所作、科白は、そ
の通りなのだろうが、吉右衛門と比較すると、所作が小さい。科白は同じだが、科白
「廻し」が違う。表情の奥行きも違う。まだまだ、これからの精進が望まれる。奈落
転落から這い上がったのだから、今後が愉しみ。

序幕「檜垣茶屋の場」。白河御所では、能の催し。終演を待っている仕丁たちが、門
前で世間話をしているのは、いつもの光景。仕丁たちが上手に去ると、花道から鬼次
郎(松緑)と妻のお京(壱太郎)が、やって来る。

能の催しが終わり、大蔵卿(染五郎)が、腰元や仕丁たちを連れて、門内から出て来
る。大向うから「大播磨」と声が掛かった吉右衛門の出とは、もう、この瞬間だけで
も違う。線が細い。プレゼンス(存在感)も弱い。

鬼次郎らとクロスするように大蔵卿一行は、花道へ。門前に佇む鬼次郎。七三で振り
返り、門前の鬼次郎に視線を飛ばす大蔵卿。ふたりの視線が交差する。阿呆面をして
いた大蔵卿が、鬼次郎を認めて、視線を鋭くする。一瞬真顔を見せるのである。「檜
垣茶屋」の場面では、唯一の真顔の場面となる。この変化が吉右衛門は素晴らしかっ
た。染五郎は、こちらの座席の位置が前回と違うので、表情の変化が判らなかったた
め、ノーコメントでパス。鋭い視線で射抜かれたようで、動きの取れない鬼次郎を隠
すように、定式幕が閉まって行く場面だが、松緑も、動きが取れないという感じよ
り、笠で顔を隠して佇んでいるだけのように見えた。

幕外では、大蔵卿一行の引っ込み。大蔵卿のみ、花道七三。ほかは、本舞台の幕外に
横に全員が並ぶ。珍しい。やがて、大蔵卿が歩み出すと、続いて腰元、仕丁の順で、
向う揚幕へ。最後に、召し抱えられたばかりのお京が大蔵館奥殿に潜り込む使命を帯
びて、一行の後について行く。壱太郎のお京は、私が観たお京の中では、最も初々し
い。

大詰「大蔵館奥殿の場」。まず、網代の塀。中央上手寄りに、木戸。花道より、竿燈
を持った松緑。上手より、行灯を持った壱太郎。木戸で出会うふたり。「示し合わせ
た両人が、……」で、ふたり揃って、上手袖から奥殿へ向かう。黒衣が、木戸を片付
けると、網代塀が、真ん中から割れて、上下に引っ込まれると、そこは、奥殿。これ
は、いつもの通り。

やがて、舞台下手から、御殿に忍び入った鬼次郎・お京が、現れる。奥殿の御簾が上
がると、中には、常盤御前(芝雀)。常磐御前も、義朝の愛妾で、牛若丸(後の義
経)らの母であり、平家への復讐心という本心を胸底に秘めながら、平清盛の愛妾に
なった後、さらに、公家の大蔵卿と再婚している。それを責める鬼次郎ら。常磐御前
「あっぱれ、忠臣吉岡鬼次郎」で、本心を明かす。

この芝居でも、大蔵館奥殿で楊弓の遊びに興じているが、実は、これも韜晦。遊びの
楊弓の的(黒地に金の的が3つ描かれている)の裏に隠された平清盛全身の絵姿で、
彼女の真情(平家調伏の偽装行為)が判明する仕掛けになっている。常磐御前は、動
きが、少ない(前半は、二重舞台の中央に座っている。後半は、平舞台に引き下ろさ
れた後は、上手に立っている。合引に座っているのだが、歌舞伎では、これは「立っ
ている」と見なす)が、肚で芝居の進行に乗っていかなければならないので、大変
だ。御前としての格と存在感を、所作も科白も少なめで、ほぼ動かずに演じなければ
ならない。家老の八剣勘解由(錦吾)が、常磐御前の真意に気付き、平清盛の絵姿を
奪い取り、それを証拠に清盛へご注進に行こうとする。御殿に下がっていた御簾のう
ちから長刀が突き出され、階段にいた勘解由に斬りつける。

「いまこそ明かす我が本心」と大蔵卿。本心を隠し、的確に阿呆顔を続ける、抑制的
な、器の大きな知識人・大蔵卿は、かなり難しいキャラクターであろう。源平の対立
構図の中では、どちらにも与せず、様子を見る。客観的な分析の時間を稼ぐために擬
装する。それだけに、このキャラクターづくりが、主役を演じる役者の工夫となり、
代々の役者が、役づくりを腐心して来たのだと思う。特に、初代と二代目の吉右衛門
は、当り役として、藝を磨いて来た。播磨屋吉右衛門は、家の藝として洗練させて来
たが、高麗屋の兄・幸四郎は演じて来なかった演目だ。高麗屋後継の染五郎は、叔父
の藝を学び、今後とも精進をして、負けずに藝を磨いて欲しい。

金地に大波と日の出が描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換える
など、阿呆と真面目の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現しなければならな
い大蔵卿を吉右衛門は的確に演じていた。科白廻しと間の取り方も巧い。この辺り
が、染五郎の今後の課題。

平家の知将重盛に引っ掛けた「古歌」の短冊。ぶっかえりで衣装を改め、大見得をす
る大蔵卿。「この剣(つるぎ)にて旗揚げ致せ」と鬼次郎に命じる。平家方の八剣勘
解由の首と源氏所縁の重要な宝剣・友切丸を鬼次郎に託す場面の大蔵卿は公家なが
ら、一瞬、颯爽の武士の顔を垣間見せるが、その後、「命長らえ、気も長らえ」「元
の阿呆になるだけ」「めでたいのう」などと、韜晦の「つくり阿呆」の顔に戻らなけ
ればならない。複雑、精緻な吉右衛門の演じる大蔵卿は、どこまでもしたたかであ
る。


「二人椀久」は、菊之助の相方探しの旅


「二人椀久」は、1774(安永3)年4月、江戸市村座で初演。1951(昭和2
6)年、曲のみ残り(長唄として最も古い曲の部類と言われる)、途絶えていた振付
けを初代尾上菊之丞が工夫し、1952(昭和27)年、七代目三津五郎、六代目歌
右衛門が初演。さらに、1956(昭和31)年、いずれも当時の坂東鶴之助(後
の、五代目富十郎)と七代目大谷友右衛門(後の、四代目雀右衛門)が明治座で初
演。以後、このふたりを軸に上演が続いてきた。

私は8回目の拝見。孝夫時代の仁左衛門と玉三郎のコンビで、3回。これは、ふたり
の息も合い、華麗な舞台である。本家の富十郎と雀右衛門のコンビで、2回拝見して
いる。富十郎と雀右衛門のコンビでは、本興行で、14回も踊った。重厚な富十郎と
雀右衛門のコンビも良いし、華麗で、綺麗な仁左衛門と玉三郎のコンビも良い。どち
らも、持ち味が違い、それぞれ良く、甲乙付け難い。

それ以外では、仁左衛門と孝太郎の親子コンビで1回。富十郎と菊之助のコンビで1
回。富十郎にとっては、本興行で、15回目の椀久であったが、雀右衛門以外と踊る
のは、初めてという。その初めての相手が、伸び盛りの菊之助であった。これが、富
十郎の最後の椀久であった。前に劇評にも書いたが、この時の菊之助が良かった。富
十郎亡き後、今回、菊之助は、染五郎を相手にした。さて、どういう舞台になるだろ
うか。


真っ暗な場内。上手、長唄連中の載る雛壇が、薄明かりで、影が滲み出す。「たどり
行くいまは心も乱れ候…」。置唄が、暫く続く。やがて、本舞台中央、上部、黒幕の
上に満月が浮かんでいる。夜明け前の薄闇の空。「干さぬ涙…」で、花道七三にス
ポットが当たると錯乱気味の椀久(染五郎)の姿が、浮び上がる(すっぽんを使う訳
がないから、暗闇の中、花道を音も無く歩いて来たのかもしれない。仁左衛門の時
が、そうだった)。

「末の松山・・・」の長唄の文句通りに、舞台には、松の巨木の影が闇から切り取ら
れて黒々と浮き上がって来る。波音。急峻な崖の上である。空が明るくなるに連れ
て、椀久の様子が知れて来る。総髪いとだれに紫の投げ頭巾、黒の羽織、薄紫の地に
裾に松葉や銀杏などの模様の着付け、黒と銀の横縞の帯。閉じ込められていた座敷楼
を抜け出し、愛人の松山太夫の面影を追いながら踊り狂っているうちに、松の根元付
近に倒れ込み、手枕で眠ってしまう。

贅言;松の根元前、舞台中央に奈落に通じる小さいセリが口を開けている。上の座席
で観ているので、開いたままのセリがきっちり見える。染五郎は、国立劇場の舞台で
セリから奈落に落ちて大怪我をし、2月に歌舞伎の舞台に復帰したばかりだから、観
ていて、ハラハラした。1階席では、味わえない緊張感だ。

「行く水に…」。やがて、椀久の夢枕に立つという想定の松山太夫(菊之助)がセリ
で上がってくる。窶れたように見えるのに菊之助の松山太夫には、プレゼンス(存在
感)がある。狂気の見る夢。狂夢か。何時の間にか、月は消えている。夜が明けたの
か。それと同時に、崖の向こうの虚空に、あるはずのない満開の桜の木々が浮かび上
がる。椀久とともに、観客も夢の中に入り込んでいるのだろう。松は、現実。桜は夢
の中の幻想、松山太夫は幻の女。

菊之助は、落ち着いていて、切れ味の良い所作は、安定感があり、微笑んだ表情は、
優美で、濃艶である。椀久への気遣いの気持ちも溢れている。椀久は、現(うつつ)
では、狂気の人だが、自分の夢のなかで、松山太夫とともに踊る時は、ふたりとも正
気なのであろう。その落差が、この所作事のポイントだろう。

菊之助は、後ろ姿、腰つきも、妖艶だ。妖しく、エロチックだ。元禄勝山の髷、銀鼠
色の地に松の縫い取りのある打ち掛け、クリームがかった白地にピンクの模様の入っ
た着付け、赤い地の絞りの帯も、艶やかだ。

背中を向けあい、互いに斜めに、向けあいをする、歌舞伎舞踊の定番の情愛を示す踊
り。。ふたりの所作は、廓の色模様を再現する。松山太夫の着付けの赤い裏地と赤い
帯が、官能を滲ませる。それは、濃厚なラブシーンそのもの。恋の情炎。松山太夫は
エロスの化身。椀久の性夢の淫らさ。「官能」とは、こういうもののことを言う。三
味線の早間のリズムに乗って、軽やかに踊るふたり。松山太夫の打ち掛けを片肩に着
せかけて踊る椀久。椀久の羽織を借りて踊る男姿の松山太夫。椀屋久兵衛と並ぶ松山
太夫。だから、「二人椀久」という。

いつの間にか、消えている桜木。やがて、イリュージョンでしかなかった松山太夫は
消える。セリ下がる菊之助。狂夢の消滅。舞台では、「保名」のように、再び、倒れ
伏す椀久。いや、椀久は、ずうっと、倒れ伏したままだったのだろう。廓の賑わい
は、空耳。性夢は、儚い。現(うつつ)は寒々しい崖の上。松籟ばかりが聞こえるよ
う。月が出ている。時間も余り経過していない。未だ、夜明け前。すべては、観客の
見た夢だったのか。椀久は、スポットで照らされたまま、倒れ伏している。緞帳が降
りて来て、スポットが幕に掛かる。

贅言:何故か。倒れ伏している椀久の頭の上手側に、松山太夫が持っていた筈の扇子
が取り残されたままだった。菊之助が取り忘れたのか。黒衣が片付け忘れたのか。或
は、演出で残したのか。

菊之助の松山太夫は、良い。演じているというより、松山太夫その人になりきってい
るように見受けられる。寺嶋和康という青年は、尾上菊之助を突っ切り、尾上菊之助
は、女形役者を突っ切り、女の「形」を男の身体の上に造型し、松山太夫という遊女
になりきり、椀久という大坂の豪商を虜にし、狂気の果ての、性夢のなかでのみ、正
気に戻らせ、「邯鄲の夢」を観客とともに見させるというマジックをやってのけた。

染五郎からは、終始狂気が滲み出て来なかったのが、残念。花道の登場から狂気は弱
かった。従って、夢のなかの正気が、対比されて来ない。富十郎が永遠の相方として
雀右衛門に出会ったように、菊之助は、染五郎も含めて、永遠の相方に出会うのは何
時のことだろうか。菊之助の相方探しの旅は、これから始まる。

贅言;06年3月、歌舞伎座。富十郎生涯最後の椀久の舞台の私の劇評「花道の登場
から富十郎の狂気は弱い。従って、夢のなかの正気が、対比されて来ない。体型も気
も弱いとなれば、富十郎椀久の演技は、とても、弱くなる。雀右衛門と踊ったときに
は、そういう感じはなかったのだが・・。今回は、体調でも悪いのか、それとも、衰
えたのだろうか。(略)菊之助が、良いだけに、富十郎の弱さが、よけい、気にな
る。「二人椀久」では、富十郎は、雀右衛門とのコンビの方が良いだろうし、いず
れ、仁左衛門と菊之助のコンビでも、観てみたい。
- 2013年3月7日(木) 10:04:01
13年03月新橋演舞場 (昼/「妹背山婦女庭訓〜三笠山御殿〜」「暗闇の丑
松」)


女形の演ずる峯峯の一つが、お三輪 娘役の登龍門


「妹背山婦女庭訓〜三笠山御殿〜」5回目。1771(明和8)年、大坂竹本座で、
人形浄瑠璃初演。近松半二らの合作。全五段の四段目後半が、「三笠山御殿」。

今回は、主役を演じたお三輪役者を軸に役者論を書きたい。私が観た配役は、98年
11月、歌舞伎座、00年9月、歌舞伎座、01年12月、歌舞伎座、11年1月、
新橋演舞場、そして今回(13年3月、新橋演舞場)の順。

お三輪:雀右衛門、福助、玉三郎、福助、今回は、初役の菊之助。福助で2回観てい
るが、ほかは、1回ずつ。世代的に見れば、雀右衛門/玉三郎/福助/菊之助。各世
代の歌舞伎の女形の高嶺の花が並んだことになる。このうち、雀右衛門は、亡くなっ
てしまい、もう、生の舞台は観ることができない。玉三郎は、人間国宝になったばか
りで、現在では、女形の最高峰だろう。そして、いずれ、七代目歌右衛門を継ぐであ
ろう福助。さらに、吉右衛門の娘との結婚を機に心機一転しそうな予感のする菊之
助。いずれは、八代目菊五郎になるだろう。私が観ただけでも、女形の錚々たる役者
のピークが連なっていることが判る。つまり、立女形になる資格を証明する演目がい
くつかあるが、「三笠山御殿」のお三輪を演じることが、娘役の登竜門、そういう関
門の一つだということが判るということだ。

この物語は、1)権力争い(蘇我入鹿対藤原鎌足・求女)とそれに巻き込まれた町
娘・お三輪の、2)悲恋物語(求女を巡る橘姫との三角関係)が、織りなすという男
の争いと女の争いが、主軸となる。

上演時間が、およそ1時間50分。竹本の太夫と三味線方が、3組登場する。つま
り、舞台は、3つに分れているということだ。

1)三笠山御殿で暮らす入鹿の権勢を誇る場面。官女たちと酒浸りの日々。花道から
入鹿(おどろおどろしい公家隈。彦三郎)に対立する藤原鎌足の使者・鱶七の登場。
鱶七(松緑)は、なかなかお洒落だ。白と灰色の横縞の衣装に、白と黒の縦縞の肩
衣、長袴姿。首には、細い横縞の長めの手拭いをマフラーのように巻いて、鞘に緑の
房のついた大太刀の二本差し。柄頭の辺りに徳利をぶら下げている。懐手をし、懐か
ら出した両手首を交差させている。江戸歌舞伎荒事の粋のセンスが漲る。

鎌足の「降伏」の意を告げる手紙を持参したが、信用されず、人質になる。首に巻い
ていた長めの手拭いを黒衣に渡し、普通の手拭いを受け取り、ねじり鉢巻にする。長
袴の両脇の糸をほぐして、隙間を拡げ、両脚を出し、長袴を後ろから股間を潜らせ、
左肩に担ぎ上げるなど、何処までも、荒々しく、また、滑稽味も滲ませる。

2)「姫戻り」、花道から入鹿の妹・橘姫(被りをした垢姫の扮装)のご帰還。それ
を追って、赤い苧環を背中の襟に差した求女(黒地に金銀紅の縫い取りで芝露の模様
の衣装。優男のダンディズム)登場。橘姫の恋情を利用して姫に兄を裏切らせ、宝剣
を取り戻そうとする求女。振り返り振り返り、上手に引っ込む橘姫。下手に引っ込む
求女。

3)求女を追って、白い苧環を持ってお三輪(初々しく、若緑の衣装が花道から)登
場。大部屋の立ち役連中が演じる官女(白い衣装に朱の袴姿)たちのお三輪苛め。さ
らに、鱶七によるお三輪殺し。命を求女、こと、藤原鎌足嫡男・淡海に捧げるお三
輪。人形浄瑠璃なら、3部構成。

贅言;人形浄瑠璃の竹本(義太夫節)の太夫たちの名前は、住大夫、源大夫などと
「大夫」の字を使う。歌舞伎の竹本の太夫たちの名前は、葵太夫、愛太夫などと「太
夫」の字を使う。人形浄瑠璃の竹本の太夫たちの方が、歌舞伎より人形浄瑠璃が、先
輩ということで、プライドが高く、「大」の字を使うという。

権力争いより、大きな物語が、実は、町娘の悲恋物語。まず、悲劇の前の笑劇という
作劇術の定式通りで、挿入劇ともいえる、ちょっとした見せ場が「豆腐買い」登場の
場面。豆腐買いは、「ごちそう」の役どころ。上手平舞台から登場する豆腐買い・お
むらは、お三輪に取って、敵か味方か。橘姫と求女の「前祝言」のことをお三輪に告
げて、お三輪の嫉妬心を燃え立たせる。私が観た豆腐買いは、富十郎、勘九郎時代の
勘三郎、猿之助、東蔵、今回の團蔵。團蔵は、14年ぶりの女形。おむらは初役であ
る。いずれも藝達者な役者ばかり。

歌舞伎版「不思議の国のアリス」のように飛鳥時代の「御殿」=「不思議の国」を迷
い込み、求女への恋心と共に、御殿という未知の世界で、彷徨するお三輪=アリスに
とって、官女は敵陣の歩兵軍団という役割だろう。梅の局を始め、桜、柏、楓、桂、
萩、芦、菊と花卉の名前を一字付けた局たち、御殿の歩兵軍団・官女たちは、異次元
から侵入したお三輪を攻撃する。

それは、「虐め」という形で、表現される。御殿の場面の見せ場。菊市郎らの8人の
立役のおじさん役者たちが、魔女のように、可憐な少女アリス=お三輪に対して、如
何に憎々しく演じることができるか。躾指導、歌の強要、体罰などの虐めが執拗に続
く。最後は、体全体を官女らに抱え上げられ、花道へ、放り出される。

これらの虐めが、対極的に、お三輪の可憐さ、儚さ、無力感を浮き立たせる。お三輪
(菊之助)も、ここで虐め抜かれることで、花道七三での、己の袖を噛み、髪を振り
乱しての「疑着のお三輪」への変身のエネルギーを溜め込むことになる。

「官女たちのお三輪虐め」→「鱶七によるお三輪殺し」というふたつの場面を繋ぐ、
ブラックボックスが、疑着のお三輪である。求女、実は、藤原鎌足嫡男・淡海(亀三
郎)の、政敵・蘇我入鹿征伐のために鱶七、実は、金輪五郎今国(藤原鎌足の家臣)
に命を預けるお三輪。疑着の女の血が役立つと、死んで行くお三輪の悲劇が、お三輪
の恋しい人である求女、こと淡海の入鹿に対する権力闘争を助けるという落ちで大団
円。

瓦灯口の定式幕が、取り払われると、奧に畳千帖の遠見。二重舞台の上手から登場し
た鱶七、こと、金輪五郎(松緑)は、御殿に迷い込んだお三輪を平舞台に引き下ろ
し、胸を太刀で刺す。求女の正体を明かし、お三輪に引導を渡す。倒れ込むお三輪。
死んで行く、瀕死のお三輪が平舞台、中央上手寄りに横たわる。二重舞台中央では、
引き抜きで、豪華な馬簾の付いた伊達四天姿に替わった鱶七、こと、金輪五郎。お三
輪の生き血を入鹿退治の横笛に注ぐ。上手から現れた黒衣が、黒幕を自分の背中に拡
げ、遺体となった菊之助を隠しながら、そろそろと上手に移動して、消える。舞台中
央では、金輪と8人の花四天との立ち回り、引張りの見得になったところで、幕。

「疑着のお三輪」で、定評があったのは、六代目歌右衛門だが、残念ながら、私は生
の舞台を観ていない。私が、これまでに観たお三輪では、亡くなった雀右衛門が、い
ちばん虐められていて、可哀想に観えた。玉三郎は、美しかった。福助は、ひ弱そう
だった。菊之助は、儚そうだった。

美男なだけではない、強かな求女は、菊五郎か。今は亡き勘三郎も忘れがたい。梅玉
は、いつもの梅玉。橘姫は、松江時代の魁春か。福助でも、2回観た。鱶七、こと、
金輪は、断然、團十郎。3回観た。荒事の本格派。ダンディだった團十郎も鬼籍に
入ってしまった。吉右衛門は、滑稽味で味があった。今回の松緑の鱶七、こと、金輪
も、テキパキした動きで良かった。入鹿は、断然、十七代目羽左衛門。抜きん出てい
る。こちらは、生の舞台を観ることができた。豆腐買いは、三代目猿之助が印象に残
るが、どの役者も、「ご馳走」だけに、それぞれ、味を出していた。

因にほかの配役では、求女:菊五郎、梅玉、勘九郎時代の勘三郎、芝翫代役の橋之
助、今回の亀三郎。橘姫:福助、松江地代の魁春、福助、芝雀、今回の右近。鱶七:
團十郎、吉右衛門、團十郎、團十郎、松緑。入鹿:羽左衛門、なし、段四郎代役の弥
十郎、左團次、今回の彦三郎。豆腐買い:富十郎、勘九郎時代の勘三郎、三代目猿之
助、東蔵、今回の團蔵。亀三郎の求女、右近の橘姫が、浅草公会堂ならぬ新橋演舞場
に登場したのは、ニュースだろう。團十郎、勘三郎の逝去で、歌舞伎の世代交代が進
む。


余白の演出と音と光が冴える集団劇の魅力


「暗闇の丑松」は、5回目の拝見。長谷川伸原作の新歌舞伎。1934(昭和9)年
6月、東京劇場で初演。主役の丑松は、六代目菊五郎が演じた。「暗闇の丑松」は、
長谷川伸が、講談の「天保六花撰」の人物「丑松」を新たな人物像として造型して、
配役の軸に据えて1931(昭和6)年に雑誌に発表した戯曲である。都合4人を殺
し、女房を自殺に追いやるという、陰惨で、暗い殺人事件の話である。それでも、雑
誌を読んだ六代目菊五郎は、慧眼でこの演目の魅力を見抜き、上演を熱望したとい
う。雑誌発表から3年後、歌舞伎化されて初演となった。配役は、料理人・丑松(六
代目菊五郎)、女房・お米(男女蔵=後の、三代目左團次)ほかだが、脇役は、達者
な役者が揃っていたらしい。今回は、丑松を松緑が初役で勤める。女房・お米は、梅
枝の初役。

確かに、この劇は、集団劇の要素も濃いので、脇の配役が大事。古い資料を見ると、
村上元三演出とある。省略と抑制が効いた場面と大道具の妙。新歌舞伎らしい音と光
の演出。達者な脇役たちの演技。それが、この陰惨な幕末の江戸の殺人事件劇を奥行
きのある芝居に磨き上げたと思う。序幕のお米母のお熊(萬次郎)。お米にちょっか
いを出して噛み付かれる浪人(権十郎)。二幕目の杉屋妓夫(橘太郎)は、丑松の酒
の相手をする。出刃包丁を持って妓楼に暴れ込む料理人祐次(亀寿)。大詰の岡っ引
(亀三郎)は、お今殺しの丑松の後を追う。下帯一つで湯屋裏を飛び回る番頭(咲十
郎)など、印象を残す脇役が多い。彼らの芝居の出来具合で、奥行き、幅、味が出て
来るかどうかが決まってくると言っても過言で無いので、脇役を含めてちょっと詳し
く書き留めておきたい。今回は、配役のバランスも良かった。私が観た主な配役は、
次の通り。

丑松:菊五郎、猿之助、幸四郎、橋之助、今回は、松緑。丑松女房・お米:福助
(2)、笑也、扇雀、今回は、梅枝。四郎兵衛:段四郎(2)、彦三郎、弥十郎、今
回は、團蔵。四郎兵衛女房・お今:萬次郎、東蔵(お熊とふた役)、秀太郎、福助、
今回は、高麗蔵。お米の母・お熊:鐵之助(2)、東蔵、歌女之丞、今回は、萬次
郎。料理人・祐次:八十助時代の三津五郎、歌六、染五郎、獅童、今回は、亀寿。杉
屋の妓夫・三吉:松助、寿猿、錦吾、今回含めて、橘太郎(2)。岡っ引・常松:家
橘、猿十郎、友右衛門、松江、今回は、亀三郎。湯屋の番頭・甚太郎:橘太郎、猿四
郎、蝶十郎、橋吾、今回は、咲十郎。いずれも、筋肉美の役者が勤める。

さて、暗闇で芝居は始まる。序幕「浅草鳥越の二階」。江戸時代の庶民生活では、夜
は油代節約で、この程度の灯りで過ごしていたのだろうと推測される。本舞台は、薄
暗く、誰もいない。隣家の二階、斜め前の家の二階では、それぞれ男女が、うわさ話
をしている。そういう薄暗闇で蠢く科白で、いつしか舞台は進行して行く。陰惨で、
暗い話らしい、巧い幕開きだ。

この芝居では、丑松は、都合4人を殺すのだが、殺人の現場を舞台では直接的に描か
ない。「本所相生町四郎兵衛の家」で、湯屋に行った四郎兵衛(團蔵)の妻・お今
(高麗蔵)が、丑松に胸を刺されて殺される場面を除いて、いっさい、殺し場は、直
接、観客には見せない。高麗蔵のお今は、初役だが、後ろ姿が色っぽい。

例えば、序幕「浅草鳥越の二階」では、お米(梅枝)の母親のお熊(萬次郎)が、丑
松(松緑)と別れさせ妾奉公に出させようとして、お米を何度も折檻する場面は、薄
明かりの中で見せるものの、2階に幽閉されているお米の見張り役の浪人・潮止当四
郎(権十郎)とお熊が、それぞれ階下で戻って来た丑松に殺される場面は、音だけで
表現する。萬次郎のお熊が良い。絞りの浴衣姿に白髪の丸髷。元は遊廓の新造ッ子育
ち。娘を売って、自分の老後資金にしたいのだ。この人は、世話物の庶民造型に味が
ある。

まず、お熊に頼まれて丑松を脅迫するため、2階にいた当四郎が、まず、階下に下り
ていって丑松に殺される。戻って来ない当四郎を不審に思い、階下に様子を見に行っ
たお熊も殺される。ふたりを殺して、蹌踉として2階に上がって来た丑松の出で、ふ
たりが殺されたことを観客に推量させるという、なんとも憎い演出なのだ。歌舞伎の
様式化された「殺し場」は、ここにはない。

自首しようとする丑松の思いを押しとどめて、お米は、2階から隣家の屋根伝いに逃
げることを勧める。いつの間にか、舞台下手の平屋の屋根屋根の上には、真ん円い月
が皓々と照りつけている。物干し場のある窓をがらりと開けると、昼間のように明る
い月の光が、丑松とお米の姿を白々と描き出す。皓々とした月光の下、屋根伝いに地
獄への逃避行に旅立つ破戒男女。そこへ、上手から引幕が追っ手のように迫って来
る。

二幕目第一場「板橋妓楼杉屋の見世」。逃避行の末、丑松は、お米を信頼する兄貴分
の四郎兵衛に預けておいて、更に長い旅に出た。「山坂多い甲州へ女は連れて行かれ
ねえ」と三千歳に言ったのは、直侍、こと、片岡直次郎。しかし、誰でも、女連れの
逃避行は出来ないのだろう。丑松にとっては、それが誤算だった。久しぶりに江戸に
戻って来た丑松は、江戸の入り口のひとつ、板橋宿で宿を取る。お米は、四郎兵衛に
騙されて売られ、板橋宿の妓楼「杉屋」で女郎になっていた。

宿場の妓楼の風俗描写がリアルで、見応えがある。様々な役を演じる脇役たちの演技
も、内実を感じさせる。歌舞伎役者の層の厚さが浮き彫りになる場面だ。二幕目第二
場「板橋妓楼杉屋二階引付部屋」。偶然再会した丑松にお米は、四郎兵衛に売り飛ば
されたという事実を知らせるのだが、兄貴分を信用して、女房を信用してくれない丑
松に失望して、嵐のなか、妓楼裏の銀杏の木で首吊り自殺をしてしまった。舞台で
は、現場は見せない。

この妓楼の場面では、上手の戸外の嵐、激しい雨の降り様が、光と音と役者の演技で
描かれるが、それが、登場人物たちの心理描写に役立っている。これも、巧みな演出
だ。

大詰第一場「本所相生町四郎兵衛の家」。四郎兵衛は若い料理人を何人も抱えた料理
人の元締め。家の前には、「相四」と書いた傘が拡げて干してある。玄関の障子に
は、「相生町四郎兵衛」と看板替わり。湯屋に行って留守の四郎兵衛卓に現れた丑松
の目は、狂気に燃えているようだ。

四郎兵衛の家から湯屋への場面展開前に、江戸の物売りのひとつ、笊を両天秤に担い
だ笊屋が、笊売りの売り声をかけながら舞台下手を通りかかり、そのまま暗転とい
う、これも、また、憎い演出だった。芝居の魅力の出し方を知り尽したような村上元
三の演出だ。四郎兵衛は、團蔵が初役で演じる。この人の憎まれ役は、年期が入って
いる。

また、大詰第二場「相生町松の湯釜前」では、風呂場で起きる四郎兵衛殺人事件も直
接、「殺し場」は描かずに、殺人の前後の人の動きで表現する。いわば、影絵の殺人
事件の現場を、周辺の余白で推測させる演出を取っている。本舞台奥が、上手男湯、
下手女湯。江戸時代の風呂場は、柘榴口の奥の薄暗くて、湯気が籠った空間で見通し
が悪い。そういう場が、殺し場になっているのだから、この演出は、正解だろう。

「釜前」では、湯屋の番頭・甚太郎(咲十郎)が、下帯一つの裸同然の格好のまま、
薪を燃やし、水を埋め、桶を乾燥させ、並べて整理する。その合間に、風呂場に呼ば
れたり、下手上部に設えられた屋根裏部屋の休憩所に階段を駆け上って入ったり、縦
横無尽に巧みに動き回りながらの熱演で、湯屋裏側の釜焚きの生活がリアルに描かれ
る。この場面を観るだけでも、「暗闇の丑松」は、観る価値があると思う。こっそ
り、四郎兵衛を殺すために、終始無言のまま、忍び入り、忍び出て行く丑松がいる。
ポイントは、甚太郎の明るさと丑松の暗さが、対比されないといけない。

幕切れで、湯屋の犯行現場から逃走する丑松のおぼつかない、もつれるような足取り
と同調する形で、どんつく、どんつくと鳴り響く祈祷師の法華太鼓の音。これも効果
的だ。序幕から大詰まで、音の効果を知り尽した新歌舞伎らしい憎い演出が光る。回
向院参の男女が、その前に湯屋裏を覗いて行くという伏線の設定も、心憎い。
- 2013年3月5日(火) 18:42:02
13年02月国立劇場・(人形浄瑠璃第二部/「小鍛冶」「曲輪文章〜吉田屋の段」
「関取千両幟」)


昭和の新作人形浄瑠璃


「小鍛冶」は、昭和の新作人形浄瑠璃。2年前の11年1月、大阪の国立文楽劇場で
観たことがあるので、今回で2回目。能の「小鍛冶」を元に、1939(昭和14)
年、新歌舞伎として、二代目猿之助(後の、初代猿翁)が、東京の明治座で初演した
舞踊劇。人形浄瑠璃としての初演は、2年後の、1941(昭和16)年、大阪四ッ
橋にあった文楽座。

「小鍛冶」は、製鉄などの「大鍛冶」に対して、刀や刃物を作る「小鍛冶」の意だ
が、「小鍛冶」は、日本刀の名工である「三条小鍛冶宗近」の通称として使われると
いう。

前半は、能を写した様式的な松羽目の演出で、「勅命の御剣」、天皇から剣を作るよ
う注文された刀鍛冶の小鍛冶宗近が、「相槌」で刀を打てる相手を求めて稲荷明神に
願をかけに行き、不思議な老人に出会う場面。今回は、清十郎が、主遣いとして顔を
出し、左遣い、足遣いは、面当てを付けている。

暗転で、舞台転換。後半は、森の中の鍛冶場。結界が結んである。白頭に狐の冠を着
けた稲荷明神と刀鍛冶の宗近が、協力して、鋼を鍛える場面となる。主遣いだけでな
く、左遣い、足遣いも、顔を出しての、「出遣い」という演出となる。老人も超人的
な振る舞いを滲ませるが、後半、稲荷明神として登場すると、もう、これは、スー
パーマン。つまり、超人間=神ということになる。歌舞伎なら、宙乗りの世界だろ
う。

竹本:稲荷明神=竹本千歳大夫、三条小鍛冶宗近=豊竹始大夫、橘道成=豊竹靖大
夫、ほか。三味線:豊澤富助ほか。竹本の語りの文章を聞いていると、不思議な「い
とも気高き姿」の老翁の科白として、「十握(とつか)の御剣(ぎょけん)」の故事
(ふるごと、伝承)とはいえ、「東夷を討たせ給ふ」とか、「さしも数万の戎ども、
朝日の霜と消えてんげり」(木村富子作詞)など、戦時色を強めて行く昭和14年と
いう時代を思わせる表現が入っているように思える。

贅言;「十握(とつか)の御剣(ぎょけん)」は、今回、国立劇場で上演される第三
部「妹背山婦女庭訓」の「姫戻りの段」で、求馬が橘姫に「(兄の)入鹿が盗み取つ
たるこそ三種の神器のその一つ。十握(とつか)の御剣(みつるぎ)。奪ひ返して渡
されなば、望みの通り二世の契約。得心なければ叶わぬ縁」と、女心を揺さぶる男の
攻略に使われる。関心のある向きは、第三部の拙劇評参考。

老翁に出会い、帰宅して装束を改め、祭壇を設けた小鍛冶宗近のところへ、虚空から
「詔の剣打つべき時は只今なるぞ、頼めや頼め、ただ頼め」の声と共に稲荷明神が、
荒ぶるような激しさで現れる。以後、宗近は、稲荷明神の「ちやうと相槌、ちやうち
やうちやう」を得て、剣を打ち終える。「勅命の御剣、ただいま今成就仕る」。出来
上がった剣には、表に「小鍛冶宗近」、裏に「小狐」と銘が刻まれていた。天皇の勅
使として、立ち会っていた橘道成は、ずうっと、上手に座っていたが、剣が出来上が
ると満足し、「欣然と領承」。喜んで受け取っていた。「世は太平と希ひ、豊かに励
む生業(なりわい)の、五穀成就や君万歳」という竹本も、戦時色濃厚。

人形遣は、小鍛冶宗近が、吉田文昇。前回拝見した時は、豊松清十郎。老翁、実は、
稲荷明神が、今回は、豊松清十郎。前回は桐竹勘十郎。老翁は、ゆるりと。稲荷明神
を操ってからは、激しい。虚空から、飛び出して来た稲荷明神の化身らしさが、跳ね
飛ぶような所作で、歌舞伎なら宙乗りにしたいように、虚空を飛び跳ねる。「叢雲に
飛び移り、稲荷の峯にぞ帰りける」。ひしひしと伝わって来た静と動の対比が、素晴
らしい。前回の勘十郎も、今回の清十郎も、メリハリがある操り。

勅使・橘道成は、吉田清五郎。前回は、吉田清三郎から改めた文昇だった。こちら
は、ほとんど、動かないというのも、難しい。肚の芝居。人形遣が、11年1月、大
阪の国立文楽劇場から2年経って、今回の国立劇場小劇場の舞台で、ぐるりと一巡し
ているような配役になっているのもおもしろい。

首(かしら)は、宗近が、検非違使。老翁が、鬼一。稲荷明神が、文七。勅使・橘道
成が、孔明。上演時間は、30分。


正月の廓情緒を活写する「吉田屋の段」


「夕霧伊左衛門 曲輪文章〜吉田屋の段」。「文章」の字が、偏と旁で、一字で表記
されている。人形浄瑠璃での初演は、1793(寛政5)年、大坂・道頓堀大西芝
居。史実の大坂・新町遊廓の夕霧太夫は、27歳で逝去。才媛で人気があったので、
没後、追善狂言が数多く作られたという。

上方歌舞伎の「助六」のような演目で、歌舞伎では、仁左衛門(外題は、「夕霧伊左
衛門 廓文章 吉田屋」)、坂田藤十郎(外題は、玩辞楼十二曲の内、「廓文章 吉
田屋」)、最近では、愛之助が伊左衛門を演じるようになった。因に、私が歌舞伎で
観た夕霧は、玉三郎(3)、雀右衛門(2)、福助、魁春、壱(かず)太郎。歌舞伎
では、私も何回も観ているが、人形浄瑠璃は初見。それだけに歌舞伎との比較を随所
に入れながら、舞台をウオッチング。人形浄瑠璃では、歌舞伎より丁寧に見せる。吉
田屋の正月風景。餅つき。太神楽。さらに、大道具の座敷も歌舞伎より豪華である。

歌舞伎で上演される伊左衛門には、ふたつの型がある。松嶋屋型(八代目仁左衛門
型、大阪風)の伊左衛門と成駒屋型(京風)の伊左衛門(いまは、「山城屋型」
か)。だから、外題も微妙に違う。双方とも、江戸歌舞伎から見れば、同じ上方歌舞
伎ながら、衣装、科白、役者の絡み方(伊左衛門と吉田屋女房・おきさや太鼓持ちの
絡みがあるのは、松嶋屋型)など、いろいろ違う。竹本と常磐津の掛け合いは、上方
風ということで仁左衛門も藤十郎も、同じ。そういう意味では、人形浄瑠璃は、後に
歌舞伎化され、松嶋屋型に繋がっている。

贅言(再録);ついでに江戸歌舞伎にも型がある。六代目菊五郎以来、清元で上演す
るだが、私は、観ていない。上演記録を見ると、江戸歌舞伎型での上演は、1991
年12月の歌舞伎座が最後で、勘九郎時代の勘三郎が、伊左衛門を演じていて、相手
役の夕霧は、玉三郎である。勘三郎に改めて合掌。

人形浄瑠璃の舞台に戻ろう。幕が開くと、吉田屋の店先は、迎春準備で忙しい。仲居
や若い者が餅つきをしている。そういう賑やかな動きのあるところで、「東西、東
西」で、太夫や三味線方を紹介する口上を述べるのも、面白い。普通は、無人の舞
台。

竹本:「一臼に、餅花開く餅搗きの」。餅つきで、疲れた若い者(一人遣い)が交代
したり、若い者の打ち込む杵で、臼取り役の仲居(三人遣い)のお松の手を打ってし
まったりして、笑わせる。「門に売り声/『鳳尾(うらじろ)、単葉(ゆずりは)、
田作(ごまめ)でござんしよのお家は金持ち代々福福松吹く風や松』売りの声勇まし
く聞こえける」。仲居のお鶴、お亀のやりとり。病気の夕霧の噂をし、奥から出て来
た吉田屋主人の喜左衛門(人形遣:勘寿)に咎められる。そこへ、下手から、「吹雪
と共に神風の竃賑はふ太神楽(だいかぐら)」(権太夫、獅子太夫)が登場。獅子頭
での舞いや傘の上で手鞠を廻す「曲取り」の藝を見せながら、上手に入る。端場(は
ば)のここまで、竹本は、豊竹睦大夫。

盆廻しで、嶋大夫登場。これから嶋大夫が切場(きりば)を語る。「恋風や、その扇
屋の金山と名は立ち上(のぼ)る夕霧や」で、「太夫道中」の入り込み。舞台には、
下手から夕霧の道行き一行登場。「深き誼(よしみ)の」吉田屋にお座敷がかかり、
病(「秋の末よりぶらぶらと寝たり起きたり面痩せて」で、恋窶れ)を押してやって
きた。一行は、金棒引きの若い者、禿(勘介)、夕霧(勘十郎)、太鼓持(簑次)。
夕霧は、左手を付添いの若い者の肩に置いている。後ろには、大きな蛇の目傘を拡げ
た若い者が付き従う。堂々の入り込み。夕霧には、人形の女形には珍しく「足」があ
る。黒塗りの高下駄を履き、「八文字」に足を運ぶ。再び、奥から走り出て来た喜左
衛門に導かれて一行は、「先づ御座敷へ」と、奥へ入る。

やっと、伊左衛門(玉女)が下手からひとりで登場する。紫地に金銀で文字が書かれ
た、落ちぶれた紙子姿。「冬編み笠の垢ばりて、紙子の火打ち膝の皿、笠ふき凌ぐ忍
ぶ草」の伊左衛門が、暖簾を垂らした吉田屋の内に向って「喜左衛門宿にか、ちょつ
と逢ひたい、喜左、喜左」と呼びかけるが、と油脂が「鼻に扇の横柄なり」。店の若
い者も呆れて、追い払おうと竹箒を振り上げる。邪険に扱われる伊左衛門。

やがて、店先に出て来た喜左衛門が、編笠の中の顔を確認し、勘当された豪商藤屋の
若旦那と知り、以前通りのもてなしをする。まず、伊左衛門は、喜左衛門に縮緬に紅
絹(もみ)裏の羽織を着せかけてもらう。次いで、履いていた草履を喜左衛門が差し
出した上等な下駄に鷹揚に履き替える。喜左衛門は、伊左衛門の脱いだ草履を編笠に
挟み込む。自身は、足袋のまま。身をなよなよさせて、嬉しげに吉田屋の玄関を潜
る。この辺りは、歌舞伎とほぼ同じ。

贅言;歌舞伎の出は花道使用する。例えば、仁左衛門の花道の出は、差し出し(面明
り)。黒衣が、ふたり、黒装束ながら、衣装を止める紐が、人形遣のように赤いのが
印象的であった。背中に廻した長い面明りを両手で後ろ手に支えながら、仁左衛門の
前後を挟んで、ゆっくり歩いてくる。前を行く黒衣は、後ろ歩き。網笠を被り、紙衣
(かみこ)のみすぼらしい衣装を着けた伊左衛門は、ゆるりとした出になる。黒地と
紫地の着物である紙衣(かみこ)は、夕霧からの恋文で作ったという体で、「身を松
(「待つ」にかける)嶋屋」とか「恋しくつれづれに」とか「夕べ」「夢」「かし
こ」などという字が、金や銀で,縫い取られているように見える。明りが、はんなり
とした雰囲気を盛り上げる。仁左衛門が、本舞台に入り込むと、ふたりの黒衣は腰を
落とした横歩きで、下手、袖に引っ込む。

人形浄瑠璃の場面展開。店先の書割が、二つ折りに曲がって上に引き上げられて、居
所替わり(歌舞伎は、書割が上に引揚げられると、奥から座敷が引き出されて来る
(引き道具)。吉田屋の店先は、たちまち、華やかな奥座敷に変身する。

天井に紅白の餅の玉が飾られている。前は、青畳の大広間。上手は、床の間。紅白の
牡丹が描かれた掛け軸。中央に火鉢。下手に炬燵。座敷を取り囲む襖は、銀地に雪持
ちの赤い花卉。下手の襖が開くと、吉田屋の内儀(簑二郎)が、入って来て、隣座敷
に夕霧が阿波の侍客を相手にしていると伝える。後は、歌舞伎同様の展開。

ただし、伊左衛門は、ふたつの襖を開ける。下手側の襖を開けると、吉田屋の中庭が
見える。池のある庭の向こうに座敷があり、灯りがともっている。上手側の花卉の襖
を開けると、歌舞伎でもお馴染みの襖のある部屋が続く。いずれも銀地の襖で、雪持
ちの花卉の後ろは、松、竹、梅と続く。やがて、「思はでうつす月の影むざんやな夕
霧は」で、銀地に梅の襖が開くと、夕霧登場。その部屋は、背景が障子、つまり、も
うその向うは外側ということだ。

夕霧は、首(かしら)は、「傾城」。「娘」の首より、やや、性格がきつそうな表
情。黒地に豪華な牡丹の花の縫い取りの打ち掛け、伊達兵庫の髪型に櫛こうがい、病
み上がりらしく、紫の鉢巻を「病巻」している。

夕霧は、伊左衛門への恋の病で臥せっていて病み上がり、やっと、「復職」したばか
り。伊左衛門は、おとなこどもだが、夕霧は、傾城の風格と病み上がりの風情を同時
に演じる。「申し伊左衛門様(さん)、目を覚まして下さんせ。わしや煩うてな」と
いう夕霧の科白が、可憐で、もの寂しい。夕霧は、現代なら、差し詰め、鬱病だろう
か。そういう夕霧の精神状態も分からぬ、わがまま、拗ねものの伊左衛門。「ころり
とこけてそら鼾」。床にもうひとり三味線引きで登場。夕霧:「身に覚えはなけれど
も、恨みがあらば聞きませう。イヤイヤイヤ寝さしはせぬ寝さしはせぬ」。

竹本:「年立ち帰るあしだにて」で、三味線が、二連で演奏を始める。煙草引き寄せ
吹く煙管」、癪を起こした夕霧に酒を飲ませる。夕霧は、15歳で知り合った伊左衛
門とのこれまでを振り返る。新年には数えの22歳になり、「この夕霧をまだ傾城と
思うてか。ほんの女夫(みようと)ぢやないかいな」。ふたりの間に出来た子は、里
子に出して、早、7歳。

歌舞伎同様の優しい夕霧に拗ねる伊左衛門といういつもの展開。この演目は、いわ
ば、豪商の若旦那という放蕩児と遊女の「痴話口舌(ちわくぜつ)」を一遍の名舞台
にしてしまう、上方喜劇の能天気さが売り物の、明るく、おめでたい和事。他愛ない
放蕩の果てに、突然、放蕩児の勘当が許されたという知らせが届き、夕霧も身請けさ
れ、ハピーエンド。「名を万代の春の花見る人、袖をぞつらねける」。

江戸和事の名作「助六」(作者不詳)同様、「吉田屋」は、1712(正徳2)年の
近松門左衛門原作の「夕霧阿波鳴渡」の上の巻「吉田屋の段」を下敷きに無名氏(作
者不詳)が書き換えた芝居ゆえ、無名の、歴史に残っていないような、しかし、歌舞
伎の裏表に精通した複数の狂言作者が、憑依した状態で、名作を後世に遺し、後世の
代々の役者が、工夫魂胆の末に磨き上げ、いまのような作品を伝えたのだろう。人形
浄瑠璃は、後に歌舞伎化され、1805(文化2)年、江戸の中村座初演。「助六」
が、江戸の遊廓・吉原の街を描いたとしたら、「吉田屋」は、上方の遊廓の風情を描
いたと言えるだろう。上演時間は、80分。


上方の勧進相撲が見られた!


「関取千両幟」は、初見。近松半二らの合作。1767(明和4)年8月、大坂の竹
本座で初演。全九段。二段目の「猪名川内より相撲場の段」が、上演される。当時の
大坂は、新地開発のための費用づくりに勧進相撲が催された。堀江新地、浪花新地で
交互に開催されたという。猪名川は、当時の人気力士「稲川」をモデルにしていると
いう。筋書含めて、長目に記録しておきたい。

当時の相撲の実情を調べた訳ではないが、この芝居にも、大名お抱えの力士として、
猪名川にライバル心を燃やす鉄ヶ獄という力士が登場する。「大坂は初めてなれば、
この相撲しくじるが最後扶持離れぢや」という科白に当時の力士事情が窺える。力
士・猪名川は、芝居の中で、「池田の猪名川」というのが出て来たが、水質の良い猪
名川(大阪空港の傍を流れている)の水を使って池田(大阪府)は、酒造の街だ。猪
名川の対岸にある伊丹(兵庫県)も、酒造の街。猪名川は、酒造家の谷町でも付いて
いるのかもしれない。猪名川も「国々へ名のとおつた者」と言われる。このほか、
「双蝶々曲輪日記」の「角力場」に登場する放駒長吉。素人上がりの力士。いまの相
撲協会のような常雇いの力士の集団で、相撲を見せるのではなく、地域の実業家を谷
町に持つ力士、諸国を流れながら、大名に抱えてもらう力士、実力でのして来たご当
地の力士などをさまざまな力士が混合して、勧進相撲を開催していたのかもしれな
い。

この芝居の筋は、簡単だ。堀江の勧進相撲に参加している猪名川は、夫婦連れで仮住
まい。仮住まいの「猪名川内」を覗いてみよう。玄関を上がると、贔屓筋から寄贈さ
れた品々の品書きが3枚半紙で貼ってある。猪名川関宛で、「清酒 百樽 贔屓」
は、やはり、池だの酒造業者からか。それとも、祝の品だから、数には誇張があるの
か。次いで「米 十俵 北浜」、「鮮魚 沢山 大坂」。中央、床の間には、「摩利
支尊天」の掛け軸が懸けてある。後に、猪名川が八百長相撲に手を染めなければなら
ないかもしれないという境地に追い込まれた時、「摩利支天にも見放され相撲冥加に
つきたのか」という科白が出てくるので、相撲の守護神なのだろう。家の外、「よそ
の軒端(にきば)」、隣家の前に積み物が賑々しく飾ってある。室内に貼ってあった
品書きを裏付けるように菰入りの酒「剣菱」、清酒の樽、米俵などが展示されてい
る。こういう風習は、歌舞伎座の前などの積み物で、いまも伝えられている生きた慣
習だ。

贅言;冒頭の竹本は「芝居は南、米市は北、相撲と能の常舞台、堀江堀江と国々に鳴
り響きたる猪名川」と、当時の大坂地図を偲ばせる。

下手より、青い着流し姿の猪名川(人形遣:玉也)登場。着付けには、「以奈川」と
染め抜かれている。黒い紋付の羽織に袴姿、帯には、横綱という格好の鉄ヶ獄(てつ
がたけ、文司)が続く。大名お抱え力士で対戦したことのない鉄ヶ獄を連れて来たの
だ。途中で出逢ったので、連れて来たと、出迎えた猪名川女房に告げる。奥から出て
来た女房おとわ(簑助)が、一緒に食事でもと誘う。

そこへ、新町遊廓の大坂屋から「錦木(にしきぎ)太夫が身請けの跡金」(二百両)
の催促に来る。猪名川は自分を贔屓してくれる鶴屋の若旦那のために錦木を身請けし
ようと前金に五百両を払っている。きょう中に払えないなら、ほかの身請け口がある
ので、そちらに廻すという。これを聞いた鉄ヶ獄は、ほかの身請け口とは、自分だか
ら、手を引けという。錦木太夫に横恋慕している侍の九平太(くへいた)に騙されて
残金が払えない状態に追い込まれているので、「コリヤ九平太が腰ぢゃな」と相手の
作戦(鉄ヶ獄は九平太の名代で、意趣返し)を読み取るが、それに乗っては若旦那へ
の申し開きが出来ない。

もめているところへ、さらに、「呼遣い」が登場し、きょうの取り組みの対戦相手を
示す「相撲割」を勧進元から届けに来る。もう直き、土俵入りだと急かす「呼遣
い」。取り組み前の緊張感を煽る。「相撲割」を見れば、なんと、「鉄ヶ獄に猪名
川」と書いてある。初顔対戦。

お抱え大名の手前、初日に続いて連敗が出来ない鉄ヶ獄は、錦木をあきらめる代わり
に相撲の勝ちを譲れいう意味の「魚心あれば水心。猪名川。土俵で逢はう」と言っ
て、飯も食わずに出て行く。

きょう中に二百両の工面がつきそうもない猪名川は、考えた末に、八百長で鉄ヶ獄に
勝ちを譲る気になりかける。それを裏で聞いていた女房のおとわが猪名川を落着かせ
ようと食事や髪の乱れを直すようにと勧める。「ソレ髪がきつう乱れてあるぞえ」。
「撫で付けておいてたも」と猪名川。「女房も、押して云はぬ縺れ髪、鬢の、ほつれ
を撫で付ける櫛の背(むね)より夫の胸、映して見たき鏡立て、/映せば/映る顔と
/顔」で、おとわ担当の呂勢大夫と猪名川担当の松香大夫の掛け合い。と言っても、
松香大夫は、最後の「顔」だけ。この場面は、三味線に加えて、胡弓の演奏がある
(鶴澤清公)。この鬢付けの場面は、見せ場だ。

意に添わないまま、八百長を覚悟する夫の胸中を推し量り、女房は夫を責める。「僅
かな金に手詰まつて、難儀さしやんすがわしや悲しいわしや悲しいわいな」。

浅黄幕振り被せで、舞台展開となるが、浅黄幕のままで、三味線引きの曲弾きが披露
された。太夫で残っていた呂勢大夫が、手前の見台を除けて、頭を下げ、「東西、東
西」で、三味線方の鶴澤藤蔵、清志郎の曲弾きを紹介して、一旦、退場。捌と三味線
を使って曲弾き。初めて拝見した。相撲の「初っ切り」に例えて言えば、「三味線の
初っ切り」といったところか。その後、浅黄幕降り落しで、場面は、珍しい土俵へ。
竹本の太夫たちも裃を着替えて再登場。終演予定時間の午後5時半になってしまう。

「響く櫓のとうからと打ち仕舞うたる太鼓の音」、「西は猪名川猪名川、東は鉄ヶ獄
鉄ヶ獄」。舞台の猪名川は、内心、八百長するつもりで土俵に上る。「行司の団扇/
直ぐに付け入る鉄ヶ獄、ずつと両腕差し込ます元来覚悟の猪名川が、既に危ふく見え
たる所へ」。暫く、両力士の取り組みの場面。土俵の後ろの背景は、三層の客席に満
場の観客。幟や櫓が遠見で見える。

そこへ、「進上金子二百両猪名川様贔屓より」の声。竹本:「聞くよりぐつと猪名川
が、……、鉄ヶ獄が諸差を、ほぐして土俵へ引つくり返し」で、逆転勝ち。

場面展開は、引き道具で相撲場の外へ。大道具は、「双蝶々曲輪日記」の「角力場」
に似ている道具立て。木戸が開き、観客が出て来る場面は、そっくり。

「勝ったぞ、女房」と家路を急ぐ猪名川に、駕篭が通りかかり、駕篭に付き添ってい
た新地の北野屋が「二百両の纏頭(はな)」をやった旦那が、この駕篭に乗っている
から紹介するという。「逢うて礼を」と言うので、駕篭の垂れを上げると、なんと、
自分の女房が、北野屋に身を売り、工面した二百両で夫の八百長相撲を防いだという
次第。「コレ関取、お内儀の勤め奉公、志の二百両」、「女房ども、なんにも云はぬ
忝い」。

閉幕間際で明らかにされる猪名川女房のおとわの機転が、芝居のポイント。「忠臣
蔵」六段目の「お軽」のように賢いおとわ。「入相告げる鐘諸共、別れ別れに行く末
は」で、幕。下手に猪名川が残り、駕篭に揺られて上手に入っておとわ。駕篭の後ろ
で、簑助がおとわを操る。駕篭の小窓から顔だけを出しているおとわの淋しさ。簑助
は、退場していたか。夫婦は、下手と上手に泣き別れ。終演は、予定時間を10分過
ぎていた。上演時間は、三味線の曲弾きも入れて55分。

竹本は、猪名川の源大夫が病気休演で、呂勢大夫の代演。口跡もよく、メリハリがあ
る呂勢大夫の語りに満足した。猪名川は、松香大夫、人形遣は、何といっても、おと
わを操った簑助が素晴らしい。おとわは、終始、生身のような動きをしている。滑ら
かな動きで、絶品。静止している時でも、血が通っているように見える。ほかの若
手、中堅では、こういう女形の動きは、まだまだ、出来ない。
- 2013年2月23日(土) 21:33:01
13年02月国立劇場・(人形浄瑠璃第一部/「摂州合邦辻」)


若い女性の「生き血」を啜る? 今月の国立小劇場


「摂州合邦辻」は、1773(安永2)年、大坂北堀江座で初演の時代物。原作は、
菅専助、若竹笛躬(ふえみ)の合作。若竹笛躬は、人形遣出身の狂言作者。「三十三
間堂棟由来」などの合作者の一人だが、生年没年不詳で、歴史上は、いわば無名の作
者群の一人だ。菅専助は、太夫出身の狂言作者で、八百屋お七の「伊達娘恋緋鹿
子」、お半長右衛門の「桂川連理柵」の合作者の一人であるが、こちらだって余り良
く判らない。

「摂州合邦辻」は、人形浄瑠璃で観るのは初めて。歌舞伎では、何回か観ているが、
みどりで上演されるのは、「合邦庵室の場」である。

歌舞伎では、一度、通しで観たことがある。その時の幕構成は、序幕「住吉神社境内
の場」、二幕目「高安館の場」「同 庭先の場」、三幕目「天王寺万代池の場」、大
詰「合邦庵室の場」であった。主筋は、俊徳丸と次郎丸(腹違いの兄)が、高安家の
家督争いをしているという御家騒動もの。それに絡めて、後妻の若い玉手御前が、歳
の余り違わない義理の息子の俊徳丸に懸想をし、毒酒を呑ませて恋慕を迫ろうという
生臭い話だが、筋の結末に逆転が用意されている。俊徳丸は、御家騒動から逃れ、家
督を兄の次郎丸に譲り、合わせて玉手御前の恋情からも逃れようと、置き手紙をし
て、家出をしてしまう。その場面の後が、大坂・天王寺の万代池の場面ということに
なる。今回の上演は、「万代池の段」と「合邦庵室の段」。

「万代池の段」。開幕前に、「デンデレレデン」と賑やかな音が響く。幕が開くと、
春めいて来た大坂天王寺塀外の万代池の辺り。遠くに天王寺の屋根と五重塔が見え
る。舞台中央に蓆掛けの乞食小屋。下手は、紅白の梅の花が咲いている。上手に万代
池。下手より、俊徳丸登場。目が不自由らしい。杖で蓆を上げて、小屋の中に入る。
更に、下手より勧進坊主が、閻魔堂建立の幟を掲げた台車を引きやって来る。天王寺
の西門に向う参詣人を相手に祭文を語り、奉加銭を集める。疲れたと言って、坊主
は、下手の木陰に入り寝てしまう。

そこへ下手より浅香姫が許婚の俊徳丸を探しにやって来る。黒塗りの笠に赤い飾りが
ついている。杖は銀色。乞食小屋から出て来たのは、俊徳丸。面変わりした俊徳丸を
見ても本人とは気がつかない浅香姫。「乞食殿」と呼びかけ、俊徳丸本人に俊徳丸の
行方を聞こうとする。気の弱い俊徳丸は、自分の見苦しい姿を恥じて、名乗りも出来
ず、挙げ句に、俊徳丸は、5日も前、巡礼に旅立ったばかりだと浅香姫に嘘を言う。
「咲き出すも花、散るも花、いづれかこの世に残るべき」。己を隠して、自分の気持
ちを代弁する嘘つきの辛さ哀しさ。再び、小屋に身を隠す俊徳丸。

さらに下手から、家来の入平がやって来て、浅香姫との再会を果たす。ふたりは、足
音を高くし、立ち去った振りをして、乞食の小屋の後ろに隠れて見張ることにする。
再び出て来た俊徳丸は、それを知らずに、心の裡を吐露するので、俊徳丸と判るとい
う次第。

そこへ、浅香姫に横恋慕する次郎丸一行が来たので、立ち廻りとなる。木陰から起き
出てきた勧進坊主、実は、合邦道心が、浅香姫に俊徳丸の勧進の台車に乗せて、引っ
張って逃げろと助言をするとともに、蓆で次郎丸を包み込み、殴りつける、挙げ句
は、担ぎ上げて、万代池に放り込むという大活躍。

竹本は、俊徳丸が三輪大夫、浅香姫が南都大夫、入平が相子大夫、次郎丸が希大夫、
参詣人は、ふたりいて咲寿大夫と小住大夫、勧進坊主、実は、合邦道心は津国大夫と
いうことだが、床の席は、4人分しかない。入れ替わり立ち替わり、自分の役割の竹
本を語ると席を交代するというシステムで、めまぐるしい。三輪大夫は、ソフトな甘
い声。津国大夫は、だみ声。咲寿大夫は、甲高い声。坊主、ふたりの参詣人が消える
と、三輪大夫だけが残る。次いで、浅香姫の南都大夫、入平の相子大夫、次郎丸の希
大夫が座るというやり方だ。

「合邦庵室の段」。大坂天王寺西門にある合邦道心の庵室。先ほどの「天王寺万代池
の場」から、歩いて行ける距離だ。ここの竹本は、盆廻しでの交代で、落着いてい
る。中が、咲甫大夫。前が、津駒大夫。切が、熱演型の咲大夫。咲大夫が登場する
と、大向うから「咲大夫」と声がかかる。

道心の妻が、講中の人たちを招いて、玉手御前こと、合邦夫婦の娘・辻が、高安家嫡
男の俊徳丸に道ならぬ恋をしかけ、殺されたと思っているので、亡き娘の回向をして
もらっている。やがて、講中も、帰る。合邦も現れ、妻に気づかれないように、香を
焚く。父親も、娘の身を心配しているのだ。夜も更け、人目を忍んで、玉手御前が
やって来る。俊徳丸と浅香姫が、合邦庵室に匿われ、保護されていると知って、訪ね
て来たのだ。どこまでも、恋に一途な玉手御前だ。

歌舞伎では、役者の工夫で、顔を隠す頭巾を付けずに、引きちぎった片袖を頭巾代わ
りにして玉手御前が花道から出て来る。竹本:「いとしん/しんたる夜の道、恋の道
には暗からねども、気は烏羽玉の玉手御前、俊徳丸の御行衛(方)、尋ねかねつつ人
目をも、忍び兼ねたる頬冠り包み隠せし」とあるように、暗い夜道を烏の羽のような
暗い気持ちで黒い衣装、黒いお高祖頭巾姿で、人目を忍んで、そっと実家を訪ねてく
る。人形浄瑠璃では、引きちぎった片袖ではなく、ちゃんとした黒いお高祖頭巾を
被っていた。

「母様(かかさん)母様ここ明(開)けて」と外から呼ぶ玉手御前、こと、娘の辻。
庵室内に居る母親は、娘に逢いたい。父親は、「わりやまだ死なぬか、殺さりやせぬ
か」、不義の娘の顔も見たくない。義理と道理の板挟み。

合邦道心は実は親の跡目を継いで、一旦は大名になった武士だが、讒言されて落ちぶ
れて、坊主になり、閻魔堂建立の勧進活動をしている頑固な老人だ。大名の血を引く
というプライドがあるだけに気難しい。娘が、人の道を外したということが、無念で
ならない。継母が、お家の嫡男に恋情を抱くなどけしからんと、玉手御前の行跡を本
心から怒っている。江戸時代の義理を重んじる元武家の真情を出すのか、どんなに
なっても、我が子は可愛い、娘を労る父親の気持ちを優先するのか。その辺りが、合
邦道心の仕どころだろう。一方、母親は、娘に対する一途な愛を通し続ける。

この物語は、狂気の物語であった。義理の母・玉手御前が、先妻の息子に抱く恋情も
狂気なら、父・合邦道心が玉手御前こと、娘の辻を殺すのも狂気だ。玉手御前は、後
妻とは言え、20代の若い女性、夫となった父親より、ほぼ同年齢の息子にひかれる
のも無理は無い。むしろ自然だろう。

玉手御前は、この場面で「口説き」という女形の長科白を2回言う。1回目は、娘と
して、母親への告白、2回目は、恋する母・女として、俊徳丸・浅香姫のふたりへの
嫉妬心を反省も無く、語る場面だが、いずれも、本心を隠しているという二重性のあ
る難しい科白だ。「嫉妬の乱行」。人形の方は、玉手御前も浅香姫も気が強く、俊徳
丸と相手の女(玉手も浅香も)の間に割り込み、割り込み、邪魔立てをする場面を繰
り返す。

玉手御前という「母」と辻という「娘」の二重性という「狂気の装い」に対して、父
親としての合邦道心の怒りが爆発し、娘を殺そうという「狂気」に突き動かされて、
娘に斬り付ける。その挙げ句の玉手御前の「もどり」(再び、「娘」への戻りでもあ
る)があって、手負いの身体で、玉手御前は正気の本心を明かす、という趣向。貞女
の鑑。

最後の場面、玉手御前の告白だが、いつ観てもなかなか内容が腑に落ちない。父親に
斬りつけられて、玉手御前が、実は、俊徳丸に毒酒を飲ませたのは、次郎丸の家督
乗っ取りの悪だくみを知ったので、ふたりの義理ある息子たちを助けようとして、仕
組んだことだという。

「継子二人の命をば、我が身一つに引き受けて、不義者と言われ悪人になつて身を果
たすが、継子大切、夫の御恩、せめて報ずる百分一」。

この告白は、いかに、荒唐無稽が魅力という歌舞伎でも、余りにリアリティが、な
い。まして、俊徳丸の後を追ったのも、治療法を教えて、俊徳丸を本復させるためだ
というのは、取って付けたような話だ。寅年、寅の月、寅の日、寅の時生まれの女の
肝臓の生き血を毒酒に使った鮑の杯に入れて飲めば、本復というのは、いかにも、頭
でっかちで、荒唐無稽な理屈だ。それが、玉手御前の真意で、それに、皆が感心し
て、貞女とあがめるというのは、江戸時代の人の感覚だろう。だが、この荒唐無稽さ
が、歌舞伎の魅力であることも、また、事実だ。「父様、何と疑ひは晴れましてござ
んすかえ」という玉手御前の科白。1748年、25年前の大坂・竹本座で初演され
た芝居の科白に似ている。「仮名手本忠臣蔵」。こちらは、息子と義理の母親の間で
交わされる。

人形遣は、俊徳丸が玉佳(期間後半は、勘市)、合邦道心が玉也、浅香姫が一輔、合
邦女房が簑二郎、玉手御前が和生。

それにしても、今月の国立劇場は、第一部「摂州合邦辻」が、玉手御前という若い女
性の、第三部「妹背山婦女庭訓」が、お三輪という若い女性の、いずれも生き血を使
うために殺されるという、大団円を用意しているのも、なにか、不気味な感じがす
る。

いずれにせよ、論理や倫理を超えて、逆説的なもの(夾雑物)が多重的に存在するの
が、かえって、「摂州合邦辻」という荒唐無稽で、古怪なこの芝居の魅力なのだろ
う。抹香臭い科白も数々。「臨終正念未来成仏」。歌舞伎、人形浄瑠璃は、江戸時代
のヴィジュアルなマスメディア。苦労人の作者たちは、土地柄や地域のピーアール
も、忘れない。「仏法最初の天王寺、西門通り一筋に、玉手の水や合邦が辻と、古跡
をとどめけり」

前にも引用したから、気が引けるが、「摂州合邦辻」という芝居を見るに付けて、折
口信夫を思い出すので、また、引用しておこう。この芝居の基底を見事に言い当てて
いると思う。折口信夫の「玉手御前の恋」という。

「一体浄瑠璃作者などは、唯ひとり近松は別であるが、あとは誰も彼も、さのみ高い
才能を持つた人とは思はれぬのが多い。人がらの事は、一口に言つてはわるいが、教
養については、どう見てもありそうでない。(略)さう言ふ連衆が、段々書いている
中に、珍しい事件を書き上げ、更に、非常に戯曲的に効果の深い性格を発見して来
る。論より証拠、此合邦の作者など、菅専助にしても、若竹笛躬にしても、凡庸きは
まる作者で、熟練だけで書いている、何の『とりえ』(原文では、傍点)もない作者
だが、しかもこの浄瑠璃で、玉手御前と言ふ人の性格をこれ程に書いている。前の段
のあたりまでは、まだごく平凡な性格しか書けていないのに、此段へ来て、俄然とし
て玉手御前の性格が昇って来る。此は、凡庸の人にでも、文学の魂が憑いて来ると言
つたらよいのだろうか。

併し事実はさう神秘的に考える事はない。平凡に言ふと、浄瑠璃作者の戯曲を書く態
度は、類型を重ねて行く事であつた。彼等が出来る最正しい態度は、類型の上に類型
を積んで行く事であつた。我々から言へば、最いけない態度であると思つている事で
あるのに、彼等は、昔の人の書いた型の上に、自分達の書くものを、重ねて行った。
それが彼等の文章道に於ける道徳であつた」。

さらに、折口は書く。「次の人がその類型の上に、その類型に拠つて書くので、たと
ひ作者がつまらぬ人でも、其類型の上にかさねて行くと、前のものの権威を尊重して
書く為に新しいものは前のものよりも、一段も二段も上のものになる事が多い」と。
必ずしも、類型の上に、類型を重ねれば、良いものができるとは思えないが、ひょん
なことから、そういうものが突然変異のように現れる可能性はあるだろう。「併し作
者が凡庸である場合には、却つて、すこしづつ(ママ)よくなる事もある。玉手御前
の場合は、おそらく、それであつたと思はれる」と折口は、推論する。

つまり、無名の狂言作者たちの職人芸で、先達の教えを守り、いわば先達の作品を下
敷きにし、そっくりに手法を守ることが、時として、こういう「連鎖と断絶」あるい
は「蓄積と飛躍」のような効果を生み出すことを知っているのである。そういう幸福
な作品が、「摂州合邦辻」の「合邦庵室の場」であろう。こういう類型の上塗りとい
う浄瑠璃や歌舞伎の特性を主張する折口の文章には、説得力がある。

玉手御前の恋は、狂気の果ての不倫の恋か、正気が企てた偽りの恋か、いやいや、一
途に恋情をぶつける真実の恋か。今回も、判らない。余韻を残しながら帰途につかせ
るのが、芝居の魅力か。
- 2013年2月17日(日) 17:51:04
13年02月日生劇場 (「口上」「吉野山」「新皿屋舗月雨暈」)


「口上」から、始まった。2月5日の日生劇場。定式幕が開くと、緋毛氈の上に幸四
郎がひとりでお辞儀をしている。黒い衣装に茶色の裃。髷は、鉞(まさかり)。ここ
までは、團十郎家の正装に似ている。但し、ついている紋が違う。團十郎家なら、三
升だが、幸四郎は四ツ花菱だった。背景は、浅黄幕が覆っている。上下手には、桜の
遠見(次の「吉野山」で使用するのだろう)の体だが、隠されている。口上は、奈落
への転落事故で大怪我をし、歌舞伎の舞台から遠ざかっていた染五郎の歌舞伎舞台へ
の復帰は、ここが初舞台と、父親としての観客へのお礼の挨拶に終始する。さすが、
おととい(2月3日)の夜に亡くなった團十郎には、全く触れない。しかし、役者の
健康、命の大事さを滲ませているように受け取れた。染五郎の一層の精進、再開場す
る歌舞伎座が、栄えるようにと、締めくくる。時代の科白廻しで言い終えると、上下
正面とそれぞれの「いずれもさま」へ顔を向けて挨拶をする。挨拶が終わると、浅黄
幕が背後から膨らむように近づいて来て、頭を下げ続ける幸四郎を呑み込む。暫くし
て、浅黄幕振り落としで、場面展開。そこは、「吉野山」の舞台。

贅言:5日の夜は、団十郎の通夜(密葬)。高麗屋は、舞台が跳ねた後、喪服に着替
えて、娘二人とともに團十郎自宅の通夜に、弔問に行ったという。終演後、ロビーで
逢った高麗屋内儀の藤間紀子さんには、言わずもがなのことだろうけれど、幸四郎さ
んに、芸道精進も大切だが、「健康管理」にも気をつけて下さいと伝言をお願いし
た。


歌舞伎の舞台復帰を確かめるように丁寧に演じる染五郎の「吉野山」


「道行初音旅〜吉野山〜」は、私は17回目の拝見。年に一回観ている勘定だ。染五
郎の狐忠信を観るのは、初めて。福助の静御前は、3回目。

開幕すると、舞台奥中央から下手に向かって、清元の山台。「恋と忠義はいずれが重
い」。暫く舞台無人で、置き浄瑠璃。花道から静御前(福助)が笠と銀の杖を持った
旅装で登場し、暫くは、七三で踊る。杖を紫の布(ハンカチくらいの大きさ)で覆っ
て、持っている。足元は赤い鼻緒の草履に白足袋。静御前が舞台中央に移動し、鼓を
打つと、花道のスッポンから狐忠信(染五郎)登場し、こちらは、草鞋に黒足袋。奈
落に落ちて大怪我をした染五郎の「奈落からの復活」は、文字通り奈落に通じるスッ
ポンから出現。5ヶ月振りか。「生還」した染五郎も暫くは、花道七三で踊る。怪我
の後遺症ななさそう。大向うからは、「高麗屋」と声がかかるのは、本人も嬉しかろ
う。

染五郎が踊っている間、福助は、中央より上手よりで、静止している。染五郎は、奈
落への転落事故から歌舞伎の舞台へ復帰したばかりなので、歌舞伎の感触をじっくり
味わうように、丁寧に踊っているように見える。ひとつひとつ確かめるように踊る。
忠信が本舞台に移動すると、福助も動き出す。ふたりの踊りがあって、やがて、舞台
中央で、雛人形に見立ててふたりでポースを取るのが見どころ。今回は、「ご両人」
という定番の声は掛からなかった。福助の後見は、ベテランの芝喜松。丁寧に踊る染
五郎に合わせるように踊る福助の所作は、安定感もあり、気品もあり、華もある。

「戦物語」。忠信は屋島での源平合戦の様子を仕方で演じる。景清と三保谷四郎との
「錣引」、佐藤忠信の兄・継信の討ち死する様子を描く。花道から現れた逸見藤太
(亀鶴)と花四天らと静御前・忠信の絡み。藤太は、赤い陣羽織に黄色い水玉の足
袋。後に、この赤い陣羽織と花四天の持つ花槍を使って、藤太は、人形見立ての「操
り三番叟」のパロディを演じてみせる。亀鶴の藤太は、滑稽味が足りない。いい男の
藤太になりすぎていて、失格。

幕切れの所作タテも、染五郎の動きはスムーズ。早間の踊りもオーケー。やがて、ふ
たりで旅装を整え直す。義経のいる川連法眼館(『四の切』)を目指して、静御前狐
忠信の主従ふたりの旅は続く。花道七三から本舞台の亀鶴目指して放る染五郎の編笠
は、本舞台中央にいる亀鶴に一発で届いた。染五郎の勘は狂っていない。大丈夫。観
客席にも安堵の溜息が漏れた。

贅言;この舞台、後見が3人。福助菊には、既に紹介したように、芝喜松。染五郎に
は、錦一。亀鶴には、雁洋。

幕外では、狐忠信の引っ込み。染五郎の着ている紫の衣装の袖口の赤さが、印象的
だった。歌舞伎には華がなければならない。染五郎の歌舞伎舞台への復帰は、無事に
済んだ。起死回生した役者ならではの、今後の精進ぶりを愉しみにしたい。


河竹黙阿弥没後120年


河竹黙阿弥没後120年ということで、黙阿弥原作「新皿屋舗月雨暈(しんさらやし
きつきのあまがさ)」。今回は、09年03月国立劇場同様の通し狂言として「魚屋
宗五郎」の場を含めて、「新皿屋舗月雨暈」として、上演された。私が通しで観るの
は、2回目である。

今回の幕構成は、以下の通り。
序幕「磯部邸 弁天堂の場」、磯部邸の「お蔦部屋の場」。
二幕目「磯部邸 井戸館詮議の場」。
三幕目「片門前 魚屋宗五郎内の場」。
大詰「磯部邸 玄関先の場」、磯部邸の「庭先の場」。

黙阿弥の原作は、怪談の「皿屋敷」の「お菊」に加えて、「加賀見山」の「尾上」を
ベースにして、前半は、時代もので、酒乱の殿の御乱心で殺される妹の腰元・お蔦の
話、後半は、世話もので、殿に斬り殺された腰元の兄の、魚屋・宗五郎の酒乱の復讐
痰という、いわば「酒乱の二重性」が、モチーフだったことが判る。五代目菊五郎に
頼まれて、黙阿弥は、前半は、腰元、後半は、魚屋という菊五郎の二役で、台本を書
いている。殿様を狂わせるほどの美女と酒乱の魚屋のふた役の早替り、それが、五代
目の趣向でもあった。

序幕「磯部邸 弁天堂の場」。磯部主計之介の屋敷。磯部家の重役ながら、うさんく
さい岩上典蔵(桂三)が、登場する。この男は、兄の吾大夫(橘三郎)とともに、家
老の浦戸十左衛門(左團次)と弟の紋三郎(友右衛門)をライバル視していて、浦戸
兄弟を蹴落とし、磯部家の実権を握ろうとしている。さらに、典蔵は、殿様の愛妾・
お蔦(福助)に横恋慕しているということで、権力欲と情欲を抱いている。お蔦を困
らせようと、まず、お家の重宝「井戸の茶碗」を盗み出し、これをネタにお蔦をなび
かせようと屋敷内の弁天堂までやってきた。ところが、盗んだ茶碗を点検しようとし
ているときにお蔦のもとから抜け出てきた猫に纏いつかれ、それを避けようとした弾
みに、茶碗を壊してしまう。思案しているところに、誰か人の近づく気配がする。慌
てて、割れた茶碗を弁天堂の床下に隠すとともに、自分も、弁天堂のなかに姿を隠
す。

猫の声に誘われてお蔦も弁天堂に近くまで、猫を探しにくる。そこを典蔵に襲われ
る。逃げようとあらがっているうちに帯が解けてしまう。典蔵に脇を突かれて悲鳴を
上げて、気絶するお蔦。女性の悲鳴を聞いて駆けつけてきたのが、浦戸紋三郎。倒れ
ているのが、お蔦と判り、介抱する。お蔦は、典蔵に襲われたことを話すが、途中
で、「不義者、見つけた」と大声を出す典蔵によって、慌てた二人は、逃げ出してし
まう。これが、後の悲劇のもとになる。ついで、姿を現した浦戸十左衛門も交えて、
暗闇での、「だんまり」になる。闇のなかで、お蔦の帯は、典蔵に奪い取られてしま
う。帯は、後の詮議の場で、「不義」の証拠として利用される。

磯部邸の「お蔦部屋の場」。これは、「加賀見山」の「尾上部屋」と同じ状況。尾上
の召使い「お初」の代わりに、お蔦の召使い「おなぎ」(高麗蔵)が、居る。典蔵の
大声の効果があって、お蔦と紋三郎の「不義」が、取り調べられる。奪い取られた帯
が、証拠となって、無実の罪を着せられるお蔦。調べの結果に、意気消沈して、お蔦
が、部屋に戻ってくる。おなぎは、なんとかお蔦を励まそうとするが、お蔦は、もの
ごとを悪く悪く考えるタイプで、よけい、落ち込んでしまう。そこへ、お蔦に殿様か
ら呼び出しがかかる。

二幕目「磯部邸 井戸館詮議の場」。二重舞台の館の上手に井戸と柳。井戸のそばに
は、柄杓と桶。さらに、箒。お蔦と紋三郎を陥れて、喜んでいる吾太夫と典蔵の岩上
兄弟。さらなる悪だくみは、酒乱で癇性の殿様に酒を飲ませて、激高させて、お蔦を
手討ちにさせようという作戦を練っている。殿様の主計之介(染五郎)が、姿を見せ
る。不義の場に落ちていたと岩上兄弟が主張する帯を見せられ、酒を飲まされ、さら
に、割れた重宝の茶碗を見せられ、さらに、酒を飲まされ、としているうちに、殿様
は、酔いが回ってくる。冷静な判断停止の状態も近い。

やがて、殿様の呼び出しを受けて、蹌踉とした足取りで、お蔦がやってくる。岩上兄
弟に帯や茶碗を「証拠」に、不義を認めるよう、責め立てられるお蔦。帯も茶碗も、
典蔵の仕業と釈明をするが、典蔵には、せせら笑われる。その様を観ていて、顔に泥
を塗られたと殿様は怒り出す。尋問から折檻へ。典蔵が、庭に降りてくる。舞台上
手、井戸のそばの箒を見つけ、竹の柄だけを取り、お蔦を打擲し始める。殿様は、不
義を認めないお蔦に憎しみを抱き、庭先に降りてきて、自ら、お蔦を折檻する。恨み
を抱きながら、逆海老に反ってみせる福助のお蔦。目に哀感と憎しみが見える。その
挙げ句、お蔦は、殿様に手討ちにされてしまう。岩上兄弟への恨みを募らせながら、
殿の刀で、なぶり殺しにされるお蔦。後ろ向きのまま、すり足で、後ずさりをし、上
手の井戸端まで移動し、そのまま、井戸の中に真っ逆さまに落下するお蔦。俄に、雨
が降り出す。やがて、雨もやみ、月や星が出てくる。だから、「月雨暈」という文字
が、外題に組み込まれている。ここまでは、余り上演されないので、筋書も紹介した
が、次の「魚屋宗五郎」の場面は、よく上演される。この場面だけだと、私が観るの
は、11回目になる。

三幕目「片門前 魚屋宗五郎内の場」。みどりでは、おなじみの「魚屋宗五郎」。
やっと幸四郎の登場である。己の酒乱を承知していて、酒を断ちって、抑制的に生活
をしていた宗五郎(幸四郎)が、妹のお蔦の惨殺を知り、悔やみに来た召使いのおな
ぎ(高麗蔵)が持参した酒桶を女房のおはま(福助のふた役)ら家族の制止を無視し
て全て飲み干してしまう。すっかりでき上がって、酒乱となった勢いで殿様の屋敷へ
一人殴り込みを掛けに行く。妹の遺体と対面し、寺から戻って来た宗五郎におはまは
お茶を出す。この茶碗が、次の展開の伏線となる。まず、お茶を飲み干す。いずれ、
この茶碗で、酒を飲むことになる。禁酒している宗五郎は、供養になるからと勧めら
れても、最初は、きっぱりと断る。宗五郎は酒を飲まない。

やがて、娘の死の経緯を知った父親(錦吾)から、「一杯やれ」と酒を飲むことを勧
められると、1杯だけと断って、茶碗酒をはじめる。家族らも、少しなら良いだろう
と思っている。「いい酒だア」。それが、2杯になり、3杯になる。宗五郎の飲みっ
ぷりに、早間の三味線が、ダブる。酒飲みを煽るように演奏される。場内から、笑い
が漏れる。

酒乱へ向けて、宗五郎の身体から、おかしな気配が漂い出す。宗五郎は、陽気にな
る。強気になる。饒舌になる。茶碗から、酒を注ぐ「片口」という大きな器へと移
る。それを見た家族らから制止されるようになる。攻守逆転である。「もうこうなっ
たらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」と宗五郎も、覚悟をきめる。この辺り
の、幸四郎の科白廻し、所作などは、世話でなかなか良い。

さらに、酔っぱらって、判断力が無くなった宗五郎は皆の眼を盗んで、酒桶そのもの
から直接飲むようになる。「もう、それぎりになされませ」と、女房がとめるが、宗
五郎は聞かない。おなぎへの遠慮もなくなる。そして、全てを飲み尽してしまう。暴
れだし、格子を壊して、家の外へ出て行く。祭囃子が、大きくなり、宗五郎の気持ち
を煽り立てる(音楽による、心理のクローズアップ)。先ほどの早間の三味線とい
い、御簾内の下座音楽といい、この芝居の音楽は、役者を巧く乗せている。花道七三
にて、高麗屋は酒樽を右手に持ち大きく掲げるという、有名なポーズも決まる。

五代目菊五郎が練り上げ、六代目菊五郎が、完成したという酔いの深まりの演技は、
緻密だ。まさに、生世話ものの真髄を示す場面。役者の動き、合方(音楽)の合わせ
方、小道具の使い方など、あらゆることが計算されている。この場面は、酒飲みの動
作が、早間の三味線と連動しなければならない。洗練されている。

幸四郎の宗五郎役を観るのは、私は3回目。様式美を守り、重々しい科白廻しが得意
だった幸四郎が、時代もの役者から肩の力を抜いたほっこりした世話の科白を自然に
廻す役者に変身したことを確信する舞台であった。

この場面で、宗五郎の酔いを際立たせるのは、宗五郎役者の演技だけでは駄目だ。脇
役を含め演技と音楽が連携しているのが求められる。この場面は、出演者のチームプ
レーが巧く行けば、宗五郎の酔いの哀しみと深まりを観客にくっきりと見せられる。
以前に菊五郎が言っていたが、「周りで酔っぱらった風にしてくれるので、やりやす
いんですよ」というように、ここは、チームワークの演技が必要だ。宗五郎女房のお
はま役では、これまで観たところでは、時蔵が、断然良かったと思っている。今回、
2回目の拝見となる福助も、悪くない。生活の匂いを感じさせる地味な化粧。綺麗な
女形たちが、生活臭のある地味な女房役をすると、かえって、新鮮で、新たな魅力の
発見となることが多い。ここまでは、何回観ても飽きない。

今回も感じたが、宗五郎の良いの場面と比べると、前半の殿様の酒酔いの場面は、
もっと洗練さを工夫すべきではないのか。先ほどの菊五郎の言葉を真似れば、「周り
で酔っぱらった風にしてくれ」ない。軸となる役者の工夫も足りなければ、チーム
ワークの演技力も足りない。魚屋宗五郎内の酔いの場面が、素晴らしければ素晴らし
いほど、前半の磯部の殿様の酔いの場面のお粗末さが、浮き上がってくる。洗練され
た芝居と長い間放置され、蜘蛛の巣が架かった芝居とを、同じ狂言だからといって、
ただ、繋ぐと、こういう「落差」を観客に見せつけることになる。

「磯部邸玄関先の場」での科白も、忘れられない。いつも書き写してしまう。「わっ
ちの言うのが無理か無理でねえか、ここは、いちばん、聞いちくりぇ。(略)好きな
酒をたらふく呑み何だか心面白くって、ははははは、親父も笑やあこいつも笑い、
わっちも笑って(ここで、柝を打つように、手を叩く)暮らしやした、ははははは、
ははははは。おもしろかったねえ。喜びもありゃ、悲しみもある」。庶民の幸福は、
皆息災で、貧しくても、毎日、笑って暮らせる暮らしだと強調する辺りの科白も、胸
にジンと来る。宗五郎の科白には、家族思いの庶民の哀感がにじみ出る。まあ、この
科白に「酔いたくて」、観客は、1883(明治16)年の初演以来、130年も、
酔っぱらいの姿を観に、芝居小屋に来ているのかもしれない。

磯部邸の「庭先の場」、酔いが醒めた後の、殿様の陳謝と慰労金で、めでたしめでた
しという紋切り型の結末は、何回観ても、なんともドラマとしては、弱いと思って来
たが、封建時代に殿様を謝らせただけでも、溜飲を下げる庶民の気持ちもありかな
と、没後120年の黙阿弥さんの心根に思いを馳せた。
- 2013年2月15日(金) 10:49:29
13年02月国立劇場・(人形浄瑠璃第三部/「妹背山婦女庭訓」)


荒唐無稽も、なんのその、半二の「躾方」で見せる「妹背山」


「妹背山婦女庭訓」は、人形浄瑠璃で拝見するのは、初めて。歌舞伎でも人気演目の
一つなので、よく観ている。歌舞伎よりも人形浄瑠璃で、より鮮明に見えて来たもの
がある。それは、荒唐無稽な話が、人形を遣うことで劇的空間をきちんと再構築して
しまうという魅力であった。悲劇と喜劇が、あざなえる縄の如くに背中合わせにされ
ている、という作劇術が機能しているのだろう。今回の舞台装置は、同じ近松半二ら
の「妹背山婦女庭訓」でも「山の段」ほど、シンメトリーは明確ではなかった。悲劇
と喜劇が、シンメトリーか。

初演は、1771(明和8)年1月の大坂・竹本座。原作は、近松半二らによる合作
である。当時、80年の歴史を持つ竹本座が、経営の危機に瀕していた。半二が立作
者として竹本座起死回生の執念で書き上げた作品である。半二は、己の執念をどうい
う形で人形劇に結晶させたかが、ポイントになる。

この物語は、1)権力争い(蘇我入鹿と藤原鎌足)とそれに巻き込まれた町娘・お三
輪の悲劇、2)お三輪と烏帽子折求馬(実は、鎌足の息子・藤原淡海=不比等。歌舞
伎では、「求女」)と橘姫(蘇我入鹿の妹)の三角関係が生み出す悲恋物語が、交互
に織りなすという男の争いと女の争いが、背中合わせで主軸となる。ここまでは、何
処の解説書でも書いてあるだろう。

さらに、私の分析では、男の争いと女の争いが、背中合わせになり、それぞれが悲劇
と喜劇としてあざなえる縄の如くに背中合わせにされているという複雑さが、複雑さ
を感じさせずに、細流が、縒り合わされて、より大きな奔流になっていくように、流
れに任せてひたすら流されて行く。そして、流された先は、お三輪の視点に代表させ
れば、それは、「不思議の国のアリス」という物語になる、という仕掛けだ。

まず、脇筋の男女関係から。「道行恋苧環」は、所作事。もて男ひとり(求馬)と女
ふたり(橘姫、お三輪)の三角関係が、三輪山の草深い神社の境内で「景事」という
ヴィジュアルな舞踊劇で表現される。薄暗い中、幕が開くと、浅黄幕が舞台全面を
覆っている。上手の床では、竹本連中。暫く、置き浄瑠璃が続く。「誰と寝(ね)ね
して常闇(とこやみ)の」、「影隠す薄衣」、「包めど香り」など、セクシャルで意
味深な文句が続く。

やがて、「暗き、くれ竹の」で、浅黄幕が振り落とされて、場面展開。舞台中央奥に
赤い鳥居。上に蝋燭の灯のような星の光(実際に蝋燭が多数ぶら下げられている)、
境内を照らすのは、道の両側に立ち並ぶ雪洞(ぼんぼり)。境内にいるのは、橘姫
(人形遣は、勘弥)だけ。薄衣の被(かつ)ぎを眉深(まぶか)に被り、顔を隠して
いる。太夫は、芳穂大夫。下手から姫を追って来たのが求馬(人形遣は、和生)。太
夫は、睦大夫。夜ごと訪ね来る姫に正体を明かせと男は迫るが、女は教えない。

「思ひ乱るるすすき陰」で、更に下手よりお三輪(人形遣は、紋寿)「走り寄り」登
場。太夫は、勢いのある呂勢大夫。地元の造り酒屋の娘、お三輪。恋しい求馬の濡れ
場を見て嫉妬する娘心。「気の多い悪性な」(求馬さん!)「外(ほか)の女子は禁
制と、しめて固めし肌と肌」(私を騙したの)。(そこのお姫さんに)「女庭訓躾
方」(を教えてあげて。これが、外題の謂れか)と、強気のお三輪。「恋は仕勝ちよ
我が殿御」と姫も負けていない。勝った方が勝ち、負けた方が負け。いわば、三角関
係の踊りである。ふたりの女が「ともに縋りつ、手を取りて」で、求馬も橘姫に着て
いる羽織を脱がされてしまう。その拍子に一回転する求馬。主遣いは、容易に回転で
きるが、左遣いは、主遣いの描く円の外を大きな同心円を描くように回るから大変
だ。左遣いが、走って移動する。

「梅は武士、桜は公家よ、山吹は傾城。杜若は女房よ。色は似たりや菖蒲は妾、牡丹
は奥方よ、桐は御守殿、姫百合は娘盛りと」などと、「景事」に相応しい花尽くしの
華麗な文句が太夫の口からは紡ぎ出される。華麗な文句をよそに、姫と娘は、嫉妬の
思いを炎上させる。「睨む荻(おぎ)と/萩(はぎ)/中にもまるる男郎花(おみな
えし)」、「恋のしがらみ蔦かづら、つき纏はれてくるくるくる」。「女郎花」が、
ここでは、「男郎花」になっている。優男。だが、求馬は、本当に優男か。後に明ら
かになる。

苧環の赤い糸を姫の振袖の端に付ける求馬。姫の正体を探ろうと尾行する。同じく白
い糸を求馬の裾に付けるお三輪。求馬の後を追う。それぞれが動けば、糸車は、くる
くる回る。歌舞伎でも、この場面は演じられるが、人形たちが演じれば、一層、幻想
的で美しい。恋は、喜劇さ!

主筋の権力争いでは、大化の改新。眼病を患い目が不自由になり、政治をつかさどれ
ない天皇の代わりの権力代行者を目指すのが、藤原鎌足と蘇我蝦夷、さらに、父親・
蝦夷を欺こうという蝦夷の息子入鹿の野心が、父親を凌ごうとしている。強欲な。三
笠御殿の主・蘇我入鹿側と藤原鎌足側(漁師の鱶七こと、鎌足の家臣・金輪五郎、求
馬こと、鎌足の息子藤原淡海)を軸にして争いは展開する。鎌足は、舞台には登場し
ないから、入鹿対鱶七・求馬(淡海)の対決となる。

「道行恋苧環」と実は、同時進行だったのが「鱶七上使の段」。盆廻しに乗って、太
夫は、文字久大夫。歯切れの良い語り口。新築披露の三笠御殿。蘇我入鹿(人形遣
は、玉輝)は、父を凌ぎ、政敵の鎌足を凌ごうと、すでに、帝のように振る舞ってい
る。入鹿、下手より登場。付き従う官女たち。入鹿の足さばきに、この男の性格が現
れている。足遣いが、目立つ場面(こういうのは、余りない)。「酒池の遊びに酔ひ
疲れ」ほとんど酒乱のように酒浸りの日々。「類なき栄華の殿」。世話をする官女た
ち。「猩々の人形に/見惚れ官女たち」は、更に、酒を勧める。

下手より、「撥鬢(ばちびん)頭の大男」鱶七(人形遣は、玉女)登場。鱶七は、主
の鎌足の「降伏」を伝え、「臣下に属するの印」という、降伏、つまり白旗の使者だ
が、上使らしくない漁師の扮装で、入鹿への献上の酒を毒味と称して、勝手に自分で
飲んでしまったり、通俗的な科白廻しで、鎌足を「鎌どん」と呼んだりして、傍若無
人な無頼振り。型破りな上使である。豪快さと滑稽さが、要求される。

入鹿に不審がられ、人質として留め置かれる鱶七だが、剛胆。一寝入りしようとした
ところに床下から入鹿の家臣に槍を突き出されても平気。2本の槍を結びつけ、「ひ
ぢ枕」にして寝てしまう。官女たちに色仕掛けで迫られても、軽くあしらう。官女た
ちの差出した酒も毒と見抜いて、捨ててしまう。「ハレヤレきつひ用心」と、嘯く。
鱶七は、江戸荒事の扮装、科白、動作で闊歩する。入鹿対鎌足の代理の鱶七の「戦
闘」も、コミカルに描かれる。権力争いも、喜劇さ! 

贅言;歌舞伎では、團十郎演じる鱶七を観た。團十郎の鱶七は、荒事定式の、衣装
(大柄の格子縞の裃、長袴、縦縞の着付)に、撥鬢頭、隈取りに、「ごんす」「なん
のこんた、やっとこなア」などという科白廻しにと、荒事の魅力をたっぷり盛り込
む。二本太刀の大太刀は、朱塗りの鞘に緑の大房。太刀の柄には、大きな徳利をぶら
下げている。腰の後ろに差した朱色の革製の煙草入れも大型。鬘の元結も何本も束ね
た大きな紐を使ってる。上から下まで、すべてに、大柄な荒事意識が行き届いている
扮装。團十郎は、口跡には難があったが、所作や表情は、江戸歌舞伎の特徴である荒
事を代々伝える宗家の貫禄を示していた。その團十郎も、冬を越せず、肺炎を患い、
あっという間に黄泉の「不思議の国」へと立ち去ってしまった。橘姫は、戻って来る
が、團十郎は、もう、戻って来ない。

「姫戻りの段」。「道行恋苧環」の続き。盆廻しで登場した太夫は、咲甫大夫。ま
ず、下手から橘姫が、なぜか、三笠御殿に帰って来る。上手から出て来た官女たちが
枝折り戸を開けて、迎えたので入鹿の妹・橘姫だったことが判る。官女が姫の袖につ
いている赤い糸を手繰り寄せると求馬が下手から現れる。求馬も姫の正体を知る。姫
も求馬の正体を知る。ばれた男女のうち、女は自分を殺して欲しいと男に頼む。男
は、自分と夫婦になりたいならば、兄の入鹿が持っている三種の神器のひとつ、十握
(とつか)の剣を盗み出せと唆す。「恩にも恋は代へられず。恋にも恩は捨てられ
ぬ」。

恋争いも権力争いには負ける。「第一は天子のため」と橘姫も覚悟を決める。求馬
は、橘姫の正体を疑い、恋人になろうとしたスパイなのだった。単なる優男ではな
かった。したたかな精神の持ち主、スパイであった。有能なスパイの狙いが当たった
というわけだ。「たとへ死んでも夫婦ぢやと仰つて下さりませ」と橘姫。「尽未来際
(じんみらいざい)かはらぬ夫婦」と求馬。姫は、スパイの手下になる。


「苧環」を搦めた美男美女の錦絵風。自分との結婚の条件として、兄・入鹿が隠し
持っている「十握の剣」を盗み出すよう娘をそそのかすスパイ・求馬の強かさ。ただ
の美男ではないという求馬。姫は、兄を裏切る。皆々、喜劇さ! 

「金殿の段」。盆廻しで登場した英大夫には、「待ってました」と大向うから声がか
かった。恋の、白い糸が切れて迷子になったお三輪が辿り着いたのは、「不思議の
国」の金の御殿。「金殿(ゴールデンパレス)」という上方風の御殿。人形浄瑠璃で
は、権力争いより、大きな物語が、実は、町娘の悲恋物語という趣向。下手から、お
三輪登場。

まず、悲劇の前の笑劇という作劇術の定式通りで、「豆腐買い」の場面。上手より
「豆腐の御用」(というのが役名。豆腐箱掲げて使いに行くお端女。人形遣は勘寿。
歌舞伎では、通称「豆腐買い」)は、歌舞伎では、ベテラン役者の「ごちそう」の役
どころ(終演後、ロビーのロッカーの前で、加賀屋・中村東蔵さんを見かけた。彼の
「豆腐買い」も良かった。隣にいたのは、ご内儀か。ご夫婦で人形浄瑠璃初日の観劇
とは、勉強熱心!)。

「不思議の国のアリス」のように「金殿(ゴールデンパレス)」=「不思議の国」に
迷い込み、初めて肌を許した恋しい殿御・求馬への恋心と共に、金殿という未知の世
界で、彷徨するお三輪=アリスにとって、道案内の情報をくれる豆腐の御用は、敵か
味方か。下世話な上方言葉で、お三輪を翻弄する。追いかけて来た求馬橘姫ふたりの
祝言のことをお三輪は聞かされてしまう。嫉妬に狂い、判断力を摩耗させるお三輪。
タイムトリップする迷路で出逢った豆腐の御用は、所詮、不思議の国の通行人にすぎ
ない。

求馬の着物の裾につけた筈の、白い苧環は、お三輪=アリスにとって、魔法の杖だっ
たはずだが、有能なスパイに悟られたのか、糸の切れた苧環は、「糸の切れた凧」同
様、タイムトリップする異次元の迷路では、迷うばかり。役に立たなかった。時空の
果てに置き去りにされたお三輪には、もう、リアルな世界への復帰はない。後戻りで
きない状況で、前途には過酷な運命が待ち構えているばかり。

御簾が上がった御殿の長廊下へ上がり込んで侵入してきた異星人・「見慣れぬ女子」
のお三輪を金殿の官女たちは、よってたかって攻撃する。御殿を守る女性防衛隊とし
ては、常識的な対応なのだろう。まして、異物は「恨み色なる紫の/由縁の女とはや
悟り、『なぶつてやろ』と目引き、袖引き」。それは、町娘への「虐め」という形
で、表現される。「道行恋苧環」では姫に対抗して強気の町娘だったお三輪は、ここ
では、虐められっ子にされてしまう。

官女たちは、魔女のように、可憐な少女アリス=お三輪を虐め抜く。「オオめでとう
哀れに出来ました」と官女たち。虐めが対照的に、お三輪の可憐さを浮き立たせる。
言葉の魔力は、悲劇と喜劇を綯い交ぜにしながら、確乎とした悲劇のファンタジーの
世界、「不思議の国」を形成して行く。英大夫の美声が、過酷なファンタジーへと誘
う。

贅言;歌舞伎なら、代々のお三輪役者は、ここで虐め抜かれることで、「疑着の相」
を表現するためのエネルギーを溜め込むことになる。しかし、人形の首(かしら)
は、「娘」のまま、表情を変えないで、歌舞伎と同じ思いを表現しなければならな
い。女の恨みは、凄まじい。

官女たちのお三輪虐めもエスカレートする。「馬子唄」を唄えと強要される。「涙に
しぶる振袖は、鞭よ、手綱よ、立ち上がり」「竹にサ雀はナア、品よくとまるナ、と
めてサとまらぬナ、色の道かいなアアヨ」。だから、この段の通称を「竹に雀」とい
う。悲劇故に、「竹に雀」という穏やかな通称外題を付ける、江戸人のセンス。

この後、近松半二は「官女たちのお三輪虐め」を「鱶七によるお三輪殺し」の場面へ
と繋ぐ。官女たちに虐め抜かれた果てに、お三輪は、恋しい求馬、実は、藤原鎌足の
息子・淡海の、政敵・蘇我入鹿征伐のためにと鎌足の家臣鱶七、実は、金輪五郎の
「氷の刃」に刺されてしまう。「一念の生きかはり死にかはり、付きまとうてこの怨
み晴らさいで置こうか」というお三輪だが、金輪五郎に行き違う隙に脇腹を刺され、
瀕死となりながら、その血が藤原淡海のために、役立つと説得され、「女悦べ。それ
でこそ天晴れ高家の北の方」と、(娘の生き血を笛に塗りたい)金輪のリップサービ
ス。それならばと命を預けるお三輪。恋する人のために死んでも嬉しい娘心を強調
し、半二も観客の血涙を絞りとろうとする。

「疑着の相ある女の生血」が役立つと、半二は、かなり無理なおとしまえを付ける。
死んで行くお三輪の悲劇が、お三輪の恋しい人である淡海の権力闘争を助けるという
大団円。最後まで、筋立てには、無理があるが、劇的空間は、揺るぎを見せずに見事
着地してしまう。

瓦灯口の定式幕が、取り払われると、奧に畳千帖の遠見(手前上下の襖が、銀地に竹
林。奧手前の開かれた襖が、銀地に桜。奧中央の襖が、金地に松。悲劇を豪華絢爛
の、きんきらきんの極彩色で舞台を飾っている)。お三輪の死を確かめると、主遣い
を務めていた紋寿は、左遣いや足遣いを残したまま、勿論、お三輪の「遺体」も置い
たまま、瓦灯口へ退き、上手の舞台裏へ隠れてしまう。「思ひの魂(たま)の糸切れ
し。苧環塚と今の世まで、鳴り響きたる横笛堂の因縁かくと哀れなり」。

鱶七は、衣装引き抜きで、本性を顕して金輪五郎に立ち戻り、攻め来る花四天相手に
大立ち回りのうちに、幕。
- 2013年2月12日(火) 9:21:26
13年1月国立劇場 (「夢市男達競」)


黙阿弥没後120年 菊五郎の「黙阿弥」は、「歌舞伎のおもちゃ箱」 


「夢市男達競(ゆめのいちおとこだてくらべ)」は、1816年に生まれ、1893
年に没した歌舞伎の狂言作者の巨星・河竹黙阿弥の没後120年を記念して国立劇場
が、新春歌舞伎として打ち出した演目だ。昭和時代に入って、上演が途絶えていたも
の。当然、初見。筋書も含めて、記録しておきたい。

本来の外題は、「櫓太鼓鳴音吉原(やぐらだいこおともよしわら)という。初演は、
147年前、1866(慶應2)年、2月の江戸・市村座。明治維新まで、あと2年
という、幕末も最終期、世情も不安定の極みの時期だったろう。7年後、1873
(明治6)年、東京・森田座で再演。黙阿弥は後半部分(薄雲の愛猫、鼠と猫の怪の
対決物語)を書き直し、外題も「関東銘物男達鑑(かんとうめいぶつおとこだてかが
み)」と改めた。前半部分(初代横綱・明石志賀之助と男伊達・夢の市郎兵衛物語)
の再演はあったが、後半部分は埋もれた。それを今回は、後半も視野に入れながら、
一層、市郎兵衛中心の筋に再構成した。西行猫、頼豪鼠という逸話。源頼朝と木曽義
仲の権力闘争、将軍頼朝配下の執権同士(北條時政と大江広元)の争いなども加わ
る。「復活新作歌舞伎」という感じの作品になった。

将軍源頼朝配下の執権北條時政一派と同じく執権大江広元一派の権力闘争をそれぞれ
の家臣の神崎伝内(+杉伴六)対飯島半七郎(+夢の市郎兵衛一家)、それぞれのお
抱え力士の仁王仁太夫対明石志賀之助(史上の人物で初代横綱)という顔ぶれの対比
で展開させる。本来の外題は、「櫓太鼓」(明石志賀之助物語)と「吉原」(傾城薄
雲物語)を意味している。復活上演に当たってつけられた新外題は、「夢の市郎兵衛
物語」を意味している。復活に当たって再構成された実際の舞台展開を見ると、木曾
義仲と巴御前の物語、あるいは、猫の怪と鼠の怪の物語でもある。そういう筋立てを
軸として追いかけながら、幕構成を見ると各場面が、歌舞伎の名場面を下敷きにして
いるということが透けて見えてくる。

序幕第一場「鶴ヶ岡八幡宮の場」、序幕第二場「御輿ヶ嶽の場」、二幕目第一場「鎌
倉御所門前の場」、二幕目第二場「花水橋広小路の場」、三幕目「雪の下市郎兵衛内
の場」、四幕目所作事「旭鞆絵夢浮宝船(あさひのともえゆめのたからぶね)」、五
幕目第一場「大磯京町三浦屋格子先の場」、五幕目第二場「同 薄雲部屋の場」、五
幕目第三場「同 台所の場」、大詰「鎌倉御所の場」という六幕十場が、歌舞伎の名
場面のどこを下敷きにしているかは、各場面ごとに分析しながら観ていこうと思う。

序幕第一場「鶴ヶ岡八幡宮の場」は、歌舞伎では、よく出てくる場面。いわば、鎌倉
時代に設定した時代物では、銀座4丁目のようなスポット。場面の演出として基本的
に「仮名手本忠臣蔵」の大序の鶴ヶ岡八幡宮が原型か。

話の筋立ては違う。源頼朝の治世の鎌倉。歌舞伎の鎌倉は、実は、江戸のパロディで
ある。毎夜、子の刻(午前0時頃)になると、鎌倉市中を大鼠が出没するという。頼
朝は対策がとれず、病気になってしまった。芝居小屋の外も勤王佐幕の争いが続く世
情不安定だが、舞台も大鼠の跋扈という設定で世情不安定だ。黙阿弥は、どういう思
いで芝居の骨格を決めたのだろう。また、観客はどういう思いで舞台を見つめたのだ
ろうか。

嫡男の頼家(萬太郎)が悪霊退散と国土安堵を祈願して、鶴ヶ岡八幡宮に参詣してい
る。将軍源頼朝配下の執権北條時政一派の家臣神崎伝内(團蔵)と同じく執権大江広
元一派の家臣飯島半七郎(梅枝)もそれぞれ主人の名代として参上している。頼家
は、ふたりに悪霊退散の神事として頼朝上覧の相撲開催を命じる。黙阿弥は、ここで
物語の主筋の状況設定をする。それぞれお抱えの力士を推薦するが、対立する両派だ
けに、神崎伝内と飯島半七郎も口論を始めてしまう。

序幕第二場「御輿ヶ嶽の場」。暗転。おどろおどろしい擬音の中、場面展開。鎌倉に
近い御輿ヶ嶽の山中。スポットライトが当たると舞台中央には、墓所のような中に、
戦死した筈の木曾義仲(松緑)の姿が浮き上がる。多数の鼠とともに、更に頼豪阿闍
梨の亡霊(左團次)も現れる。鼠の妖術を操る頼豪阿闍梨の亡霊が、鎌倉の市中に出
没する大鼠を操って世間を騒がせていることが判る。頼豪は、妖術で義仲の命を助け
たので、自分の亡霊と合体し鎌倉方への恨みを晴らそうと持ちかける。頼朝が西行法
師に与えた白銀の猫の置物は、悪霊から身を守る品で、それを手放した頼朝は、い
ま、無防備だというのだ。合体し、頼豪の鼠の妖術をも身につけた義仲は、鎌倉方へ
の報復と天下掌握を目指すことになる。敵役たちを観客に認識させる場面。定式幕が
閉まる。

二幕目第一場「鎌倉御所門前の場」。初代横綱・明石志賀之助物語。本舞台は鎌倉御
所の上覧相撲の日。相撲は、いわば、北條と大江両家の代理戦争。飯島半七郎(梅
枝)の案内で、大江家のお抱え力士・明石志賀之助(菊之助)が、弟子の朝霧島(亀
三郎)を連れて、花道からやって来る。朝霧島が明石志賀之助の対戦相手、北條家の
お抱え力士・仁王仁太夫の悪口を言い募ると御所の門内で聞いていた仁王仁太夫(松
緑)が姿を見せる。仁太夫は因縁を付け、勝ちを譲れと迫る。双方が喧嘩になりそう
になったところへ、門内から行司の吉田善左衛門(田之助)が現れ、喧嘩預かりとす
る。ここは、「双蝶々曲輪日記」の「角力場」の場面のパロディと観た。浅黄幕振り
被せで、場面展開。花道には瓦版売りが登場。やがて、浅黄幕振り落しで、第二場
へ。

「着肉」(厚みのある襦袢)を付けて力士に扮した菊之助の扮装は、立役姿も珍しい
が、それに加えて、美形の女形役者の前代未聞の珍しい「デブ」の格好も見もの。菊
之助はなかなか、美しい力士姿を見せていた。

贅言:相撲好きの田之助が、裃姿で行司の吉田善左衛門役。03年から横綱審議委員
も務めるほどの相撲好きには、こたえられない役回りではないか。

二幕目第二場「花水橋広小路の場」。夢の市郎兵衛(菊五郎)登場の場面。市郎兵衛
と志賀之助の物語。舞台下手に柳、上手に桜。上覧相撲は終わり、志賀之助は仁太夫
に勝ち、「日之下開山(ひのいたかいさん)」という横綱の称号を与えられた。相撲
史上、初代の横綱になった。負けた北條方は、それを遺恨に思い、志賀之助への復讐
を企てている。神崎伝内(團蔵)は、杉伴六(亀蔵)らとともに襲って来るが、志賀
之助の長姉の連れ合いである夢の市郎兵衛(菊五郎)が上手花水橋を渡って、やっと
登場する。武家出身(大江家の元家臣)の侠客らしく鯔背な市郎兵衛は北條の家臣ら
を痛めつける。中でも、杉伴六は市郎兵衛によって、ボディ・ランゲージの道筋案内
を強制されて、いたぶられる。その行為は、後に神崎伝内と杉伴六の仕返しの口実と
して逆用されてしまう。

この道筋案内のボディ・ランゲージの場面は、「伽羅先代萩」の「花水橋」の場のパ
ロディである。志賀之助が着ている丈の長い羽織には、金糸で「日之下開山明石志賀
之助」という縫い取りがある。志賀之助を演じる菊之助は、背中を客席に見せて、場
内の笑いを誘っていた。

それが終わると、舞台背景の黒幕が振り落とされて、川の遠見となるが、鎌倉なら
ぬ、江戸の隅田川を思わせる遠見の登場で、桜満開だ。市郎兵衛の子分一富士仁太郎
(いちふじにたろう、権十郎)が登場するが、この場面では、特に科白がない。一行
は、花道から退場。定式幕が閉まる。

贅言:大相撲史上の横綱は、70人。初代が、明石志賀之助で、六十九代が白鳳翔。
七十代が日馬富士公平。明石志賀之助は、宇都宮藩出身で、身長が2メートルを超す
大男だったようだが、相撲の戦績などの記録は残っていないようだ。国立劇場のロ
ビーには、明石志賀之助の実物大と称する力士像(絵)が、飾ってあった。2階のロ
ビーには、関連展示コーナーがあった。

三幕目「雪の下市郎兵衛内の場」は、市郎兵衛物語。ここは「極付 幡随長兵衛」の
パロディとすぐに判る。市郎兵衛内の屋体の大道具がそうだ。鎌倉雪ノ下にある市郎
兵衛宅。玄関の2枚の障子戸は、「幡随」の替わりに「夢」の一字が、それぞれ書か
れている。玄関を上がって、座敷を見れば、積物の品々を書いた貼出しがある。「反
物一反」「呉服一疋」「清酒一駄」など。更に、その前に剣菱の菰樽があり、飲み口
が栓で止められている。

幡随長兵衛が水野家の恨みを買ったように、市郎兵衛は、花水橋での「道筋案内」の
嫌がらせを含めた仕置きで、北條家の恨みを買ってしまった。北條・大江両家の争い
を拡大しないようにという武家の「ご都合主義」の煽りで、市郎兵衛は大江家から謹
慎を食らってしまう。

花道より、市郎兵衛の女房で、志賀之助の長姉おすま(時蔵)が、息子の市松(大
河)を連れて、戻って来る。大江家に命じられた白銀の猫の置物詮議を踏まえて、謹
慎中の市郎兵衛の替わりに置物を探しの祈願をして来たのだ。「親のためには、なん
でも我慢する」と健気さを見せる小さな市松は市郎兵衛ジュニアの格好の衣装に科白
という演出で、小柄ながら、鯔背な立ち居振る舞いを見せて、場内の観客の笑いと親
しみを「じわ」っと受けていた。「男の中の男でござる」などという科白を気持ち良
さそうに言っていた。こういう幼い年齢から、麻薬のような観客の「じわ」を体験し
てしまうと、役者を辞められなくなると容易に推測される。

神崎伝内と杉伴六がやって来る。北條時政の名代として、先日の市郎兵衛の仕打ちに
対する謝罪を求めに来たのだ。市郎兵衛は、自分に対するふたりからの打擲も同意し
て、おとなしく打たれる。

伝内らが、白銀の猫の置物を見つけて、手に入れたので御所に持って行くと言って立
ち去ろうとする。探していた置物だけに、必死でふたりを引き止める市郎兵衛。上手
の障子の間から出て来た市松も父親に加勢して、騒ぎに飛び込んで来るが、弾みで、
置物を入れた箱から猫が飛び出し、割れてしまう。伝内らは、市松の所為だと難癖を
付け、市松を連れて行こうとする。自分が父親の責任で連れて行くので、この場は、
待って欲しいと言う市郎兵衛。

伝内らが立ち去ると、市松は、父親の役に立つなら命も惜しくないと言う。家族の気
持ちを知った市郎兵衛は、一家心中で責任を取ろうと覚悟を固める。

そこへ、義理の弟の志賀之助が駆けつけ、伝内らが持ち込んだ置物は偽物で、主の大
江広元は、改めて、市郎兵衛の謹慎を解き、置物詮議を命じると伝えに来たので、一
安心。一家心中もせずに済んだ。市郎兵衛は、大磯に置物があるのではないかと推測
し、探しに行くことになった。大磯は、江戸の吉原のパロディである。

四幕目所作事「旭鞆絵夢浮宝船」。いわば、間奏曲。実は、この場面は義仲の夢とい
うパロディ。義仲と巴御前の色模様第一弾。新橋演舞場で、「寿式三番叟」を観たば
かりの私の目には、「旭鞆絵夢浮宝船」は、「寿式三番叟」と同様の役割を担う儀
式、祝祭劇のパロディにも思える。

海原の遠見の背景。上手に長唄連中。下手に四拍子。新年を迎えたことから、初夢の
ように、宝船に乗った七福神が登場する。大せりが奈落に下がっていて、ぽっかりと
口を開けている。せりが上がって来る。まず、帆先。宝の字。宝船に乗って酒宴を開
いているのは、七福神だ。弁財天(時蔵)、毘沙門天(松緑)。寿老人(亀三郎)と
福禄寿(亀寿)の音羽屋兄弟が演じる。恵比寿(梅枝)と大黒天(萬太郎)の萬屋兄
弟が演じる。布袋(亀蔵)は、松島屋の弟。

船を降りた七福神の舞が続くが、いつか、七福神は、弁財天、毘沙門天がいつの間に
か消えて、五福神になってしまう。五福神を乗せた宝船が引き道具で、上手に引っ込
んでしまうと、それに連れて、背景も動き、遠見は、海原から海岸へと変わる。それ
ぞれ正体を顕したのが、下手より毘沙門天ならぬ義仲(松緑)、上手より弁財天なら
ぬ巴御前(時蔵)が、現れる。巴御前と契りを結びたい義仲だが、現実同様、夢の中
でも、夢は叶わず、ふたりは離ればなれになって行く。柝が入り、定式幕が閉まる。

贅言:義仲が求めるものは、鎌倉方を倒すことと巴御前と契りを結ぶこと。つまり、
黙阿弥は、義仲のエネルギーの源泉を権力欲と色欲と見ているというわけだ。

五幕目第一場「大磯京町三浦屋格子先の場」は、「助六」(本家の成田屋の外題は、
「助六由縁江戸桜」。菊五郎の音羽屋の外題は、「助六曲輪菊(すけろくくるわのも
もよぐさ)のパロディ。「大磯」は、既に触れたように、江戸の遊廓「吉原」のパロ
ディ。だから、三浦屋のままだ。下手から、松葉屋。天水桶。そして三浦屋と並んで
いる。

花道すっぽんから虚無僧(松緑)登場。怪しげな雰囲気を漂わせながら、店の中へ。
店の中から贋の置物の一件で、主家・北條家を追放され浪人中の伝内らが三浦屋の傾
城・薄雲(時蔵)に逢わせろと子どものように騒いでいる。憎まれ役は、境遇が変
わっても憎まれ役を続けねばならない。女将のお牧(萬次郎)は、大人の対応をし
て、ふたりを奥へ案内しようとする。そこへ、店内から市郎兵衛(菊五郎)も登場。
黒地に夢の字を白抜きにした衣装で、いかにも男伊達という印象で、颯爽としてい
る。市郎兵衛と神崎伝内(團蔵)、杉伴六(亀蔵)とのコミカルな立ち回り。特に、
亀蔵は、市郎兵衛に着物を数枚の布に切り刻まれてしまうと、中は、ジーンズの袖無
しに半ズボン姿となる。いまテレビでお馴染みの芸人のトレードマークという扮装を
パロディで見せる。松島屋の亀蔵は、「思えば、思えば……、音羽屋」と菊五郎の屋
号で、悔しさをぶつける。いかにも菊五郎劇団らしい演出だ。

花道から三浦屋亭主の四郎左衛門(彦三郎)に先導されて薄雲が、新造の八重垣(右
近)らを連れて戻って来る。薄雲は、茶色地の帯に鶴亀の紋様が縫い取られている。
「助六」の揚巻の役どころか。薄雲を見かけた虚無僧の深見十三郎(松緑)は、薄雲
に一目惚れ。深見十三郎は、実は、義仲なので、妖術を使う。薄雲にも術を使い、自
分に惚れさせる。ここは、義仲と巴御前似の薄雲との色模様という場面。つまり、四
幕目に続いて、義仲と巴御前の色模様第二弾という趣向。

薄雲は、市郎兵衛女房のおすまの妹。だから、時蔵のふた役。市郎兵衛にとって、義
妹となる。猫好きの薄雲。猫嫌いの深見十三郎、実は、義仲が、この場面のキーパー
ソン。定式幕が閉まる。

五幕目第二場「同 薄雲部屋の場」は、猫好きの薄雲(時蔵)。猫嫌いの深見十三郎
(松緑)と薄雲が可愛がっていた猫の玉の亡魂の化身(怪である)、新入り新造の胡
蝶(菊之助)のトライアングルの対立が、基本構図となる。薄雲部屋は、「三千歳直
侍」の「三千歳部屋」や「籠釣瓶」の「八ッ橋部屋」など、吉原物の花魁の部屋を連
想させる。部屋の下手から唐草模様の大風呂敷で覆われている布団。黒地に紅白の梅
と川の流れを図案化した打ち掛けが、衣桁に架かっている。床の間には、紅牡丹が描
かれた掛け軸が飾られている。座敷下手には、火鉢と座布団。上手には、脇息、座布
団、煙草盆。

巴御前そっくりの薄雲と夢で果たせなかった契りを結びたいという深見十三郎、実
は、義仲。鼠の妖術使い。それを阻止しようという猫の亡魂の化身の胡蝶。間に入っ
て、彷徨う薄雲という状況がここのポイント。しっぽりとしたい義仲。妖術に惑わさ
れ忘我の境地に引き込まれそうは薄雲。時々、猫の本性を出して、鼠の義仲を牽制す
る胡蝶。やがて、上手障子の間で怪しい発煙。その中へ飛び込んで、鼠が逃げて、猫
もダイビングで追う。欲求不満の義仲は、まず、色欲が満たされないまま、逃散の憂
き目に。

胡蝶は首に付けていた銀の鈴を落とす。その鈴が、薄雲が愛猫・玉に付けた鈴と気付
き、薄雲は胡蝶の正体を知る。争う猫と鼠のその行き先は、当然ながら……。定式幕
が閉まる。

五幕目第三場「同 台所の場」。猫と鼠の立ち回り、闘争物語。ということで、暗転
の中で、開幕。幕を開ける音がする。パッと点灯すると、三浦屋の台所。だが、様子
が違う。「不思議の国のアリス」の世界。ふたりは、小人化している。台所の道具
は、大きな木々のよう。人参、大根などの野菜類も大きい。竃、配膳台、ざる、壺、
徳利、すり鉢、まな板、包丁、壁の穴など。皆、大きい。まるで、台所の森。

争う鼠と猫。鼠軍団は多数の鼠四天。コミカルな立ち回りが続く。やがて、力つきた
胡蝶。義仲は何処へか逃げる。

暗転、明転で、場面展開。柱に火の用心の貼紙がある。台所が、普通サイズの戻った
頃、市郎兵衛とともに瀕死の胡蝶の元に薄雲が上手から駆けつける。息絶える胡蝶。
市郎兵衛らの元に探していた白銀の猫の置物が、荒唐無稽ながら、突然現れる。本物
の置物を取り戻し、鎌倉御所へご注進と急ぐ市郎兵衛。定式幕が閉まる。

大詰「鎌倉御所の場」。最後は、義仲物語。三浦屋の台所から逃げた義仲(松緑)
は、鼠の妖術を駆使して鎌倉方に襲いかかる。権力闘争中。桜満開の花の御所は、屋
台崩しで壊され、廃御殿になってしまう。花道すっぽんから大鼠が現れる。「伽羅先
代萩」の「床下」とは、逆の展開。これもパロディ。

崩れた御殿の大屋根に大鼠とともに立ちふさがる木曾義仲。そこへ、花道から猫の置
物を持って駆けつけた市郎兵衛(菊五郎)は、置物から出る赤いビーム光で義仲も大
鼠も退治してしまう。義仲最期。すると、廃御殿も、屋台崩しの逆コースで、元の花
の御殿に戻ってしまう。ここは、大蝦蟇登場の「天竺徳兵衛韓噺」のパロディ。義仲
は、権力欲も満たされないまま、合体した頼豪の亡霊とともに滅びる。

そこへ、上手より、半七郎(梅枝)登場。下手より、市郎兵衛女房のおすま(時
蔵)、おすまの弟・力士姿も凛々しい明石志賀之助(菊之助)らが駆けつける。御殿
奥から襖が開くと、病が癒えた頼朝(左團次)、嫡男の頼家(萬太郎)、生き残った
執権大江広元(松緑)が現れる。「並ぶ者無き男達(おとこだて)」。鎌倉方の繁栄
を祈って大団円。皆々、絵面の見得を取るうちに、定式幕が閉まり始める。

贅言:鶴が丘八幡宮の東側、鎌倉市雪ノ下にある旧大佛次郎邸は、邸の近くにあった
市役所の史跡説明板によると、「鎌倉御所の跡」という。

ところで、途中で、演出や配役の変更があった。印刷されて発売された「筋書」に、
変更分がペーパーで入っている。三幕目「雪の下市郎兵衛内の場」は、筋書にあった
仁王仁太夫(松緑)の出番がカットされている。四幕目所作事「旭鞆絵夢浮宝船」の
鳴物連中が、御簾内での演奏の「陰囃子」、舞台での演奏の「出囃子」に変わってい
る。五幕目第一場「大磯京町三浦屋格子先の場」は、薄雲(時蔵)と深見十三郎の絡
む部分が変更になっている。こういうのも、珍しい。筋書の印刷が、編集の「年末進
行」の影響を受けて、新しい演出変更情報が入らなかったのかも知れない。

パロディ、幾つもの物語の綯い交ぜ構成。菊五郎劇団らしい、復活新作歌舞伎の趣
向。菊五郎の男伊達。菊之助の立役(力士)も女形(新造)も魅力的な演技。松緑
は、実は、木曾義仲を軸にした表向きの役(毘沙門天、深見十三郎)に加えて、仁王
仁太郎(力士)、大江広元(執権)と大活躍。時蔵は、巴御前、弁財天、市郎兵衛女
房のおすまと妹の傾城薄雲とこちらも大活躍。

菊五郎にとっての黙阿弥は、なんだろう。黙阿弥は、生涯で、およそ360編の作品
を残し、「江戸演劇の大問屋」(坪内逍遥)と言われるが、菊五郎演出(監修)の
「夢市男達競」は、いわば、「歌舞伎のおもちゃ箱」。パロディとして演出した名場
面の下敷き振りをいくつか指摘したが、もっとあるかもしれない。菊五郎は、それを
胸に秘めながら、笑って、この劇評を読んでいるかもしれない。

初見の演目なので、筋書を含めて、出来るだけ丁寧に劇評を綴ったら長くなった。最
後まで読んで下さった方に感謝。
- 2013年1月20日(日) 11:11:06
13年1月新橋演舞場 (夜/「逆櫓」「七段目」「釣女」)


無念の團十郎休演 幸四郎と吉右衛門兄弟の珍しい「七段目」


夜の部の劇評は、雀右衛門一周忌追善狂言として、「仮名手本忠臣蔵〜七段目」(夜
の部)、「傾城反魂香」(昼の部)を合わせて芝雀論を軸にして書き、次いで、「逆
櫓」、「釣女」について論じたい。「七段目」では、無念の團十郎休演 幸四郎と吉
右衛門兄弟の珍しい共演についての感想も触れておきたい。

「七段目」は、松竹演劇製作部のまとめた上演記録を見ると、みどり上演は、少ない
ことが判る。多くは、通しか、半通しの上演形態が多い。ここの由良之助は、前半で
男の色気、後半で男の侠気を演じ分けなければならない。「七段目」の本筋は、実
は、由良之助より、遊女・お軽と兄の平右衛門が軸となる舞台である。更に主軸を絞
り込めば、それは、お軽に行き着くであろう。

お軽は、前半では、由良之助との、やりとりをし、後半では、平右衛門とのやりとり
をする。そういう意味で、「七段目」のお軽を8回演じている雀右衛門の追善狂言と
して取り上げる意味は、大きいのだろう。雀右衛門が、「七段目」のお軽を最後に演
じたのは、95年2月の歌舞伎座だった。亡くなる17年前ということになる。この
時の由良之助は幸四郎で、平右衛門は團十郎であった。残念ながら、私はこの舞台を
観ていない。

息子の芝雀が、お軽を演じるには、今回で2回目。私は、いずれも観ている。相手役
のうち、由良之助はいずれも幸四郎で、平右衛門は、前回は染五郎、今回は吉右衛門
であった。私にとって、「七段目」のお軽は、とうに雀右衛門から芝雀にバトンタッ
チしている。他の役者のお軽は、玉三郎で3回、福助で3回ということで、「七段
目」は合計8回観ていることになる。

さて、今回の芝雀のお軽は、どうであったか。同じ女形でも、雀右衛門は、母親像を
極めたと思う。傾城、遊女、姫、娘、女房、あるいは悪婆も悪かろう筈はないが、他
の女形が追いつけなかったのは、雀右衛門が演じる母親の情愛の深さであろう。芝雀
は、世話女房が巧い。今回のお軽は、勘平との関係でいえば、女房であり、平右衛門
との関係でいえば、妹であり、由良之助との関係でいえば、遊女である。

丸谷才一説では、お軽という命名には、尻軽(多情)というイメージを感じるという
から、玉三郎の濃艶さの方が、本来のお軽かも知れないが、それなら、二階座敷から
梯子を使って降りて来て、途中で、「道理で、船玉さまが見えるわい」と由良之助に
言われ、裾を直しながら、由良之助を色っぽい目で睨み付ける玉三郎の表情に象徴さ
れる場面が遊女・お軽のハイライトである。

この場面は、今回も、勿論あり、由良之助(幸四郎)とのやりとりがあったが、
芝雀は、玉三郎のようには、ここを強調しなかった。その代わり、芝雀は、その場面
よりも、その後の、兄・平右衛門(吉右衛門)とのやりとりの場面で、色気より、兄
と妹の親愛感を強調する場面で、自分の存在感を出したように思う。芝雀は、妹・お
軽にポイントを置いた。

なによりも、「七段目」の芝雀のお軽は、兄思いの妹であり、ふるさとの父、夫の近
況を兄に尋ねる場面では、勘平の女房であった。そういう意味では、昼の部の「傾城
反魂香」の又平女房のおとくは、芝雀のはまり役のひとつになるだろう。芝雀は、お
とくを演じるのは、今回が4回目である。「傾城反魂香」自体を観るのは、私は今回
で12回目。

この演目は、吃音者の成功譚である。吃音者の夫を支える饒舌な妻の愛の描き方、特
に、妻・おとくの人間像の作り方が、ポイントになる。芝雀のおとくは、雀右衛門の
「母型」というより、芝翫の「世話女房型」に近い。夫を引っ張る「ととかか」を目
指しているのだろうが、「世話焼き」という感じが前面に出てくるが、これはこれ
で、芝雀の持ち味になってしまっている。いずれは、父親の雀右衛門のように、情愛
深い「母型」を目指して欲しい。

贅言;生前の雀右衛門とはある授賞パーティで一緒になり、素顔の雀右衛門と話をし
たことがある。「女方無限」という自伝の本を出した直後であった。その後、数年し
て、息子の芝雀にも、同じ授賞パーティで一緒になり、父親の取った、もっと大きな
賞を目指して下さいと激励をしたことを覚えている。

吉右衛門の又平についてだけ、ちょっと書いておきたい。又平が遺書代わりに石の手
水鉢に描いた起死回生の絵が、手水鉢を突き抜けた時の、「かかあー、抜けた!」と
いう吉右衛門の科白廻しは、追従を許さない。「子ども又平」、「びっくり又平」
と、同じ又平でも、心のありように即して自在に演じる吉右衛門の入魂の熱演を堪能
した。

「七段目」は、今回、当初は、團十郎が由良之助役を演じる筈であった。しかし、1
2月の京都南座を途中休演し、今月の新橋演舞場も休演、3月のル テアトル銀座
(東京)の「オセロー」も休演となっている。無念の休演続きだが、肺炎を引き起こ
していると伝えられていて、寒い時期なので心配だ。大事を取り、4月の新・歌舞伎
座杮葺落大歌舞伎開幕の演目での舞台復帰を目指して欲しい。

その結果、團十郎の代役として、由良之助役を演じたのは、幸四郎であった。弟の吉
右衛門が平右衛門を演じる。こういう顔合わせは、初めてだ。上演記録を見ると、先
代の幸四郎(後の白鸚)が由良之助を演じ、養子に出した息子の吉右衛門が平右衛門
を演じるという組み合わせはあった。しかし、兄弟の共演は、なかった。團十郎の病
気休演は残念だったが、高麗屋と播磨屋という「兄弟」が、こういう組み合わせで同
じ舞台に立つというのは、奇貨としなければならない。

「七段目」の由良之助は、かつては、家老という重職にあった上級武士。志を胸に秘
めて、今は、京都祇園で遊興に耽っているが、前半で男の色気、後半で男の侠気を演
じ分けなければならない。幸四郎は、後半の男の侠気を優先したように見える。平右
衛門は、足軽という下級武士の悲哀を滲ませながら、妹・お軽には、兄としての情愛
を示し、上司の由良之助には配慮をする。そういう役づくりは、吉右衛門は巧い。科
白廻しも、大声で科白を言う幸四郎より、緩怠なく自在に科白廻しを替える吉右衛門
の方が達者だろう。

前にも書いたが、忠臣蔵は武士の意気地の世界を描いている芝居である。そのなかに
出て来るお軽(芝雀)と平右衛門(吉右衛門)は百姓の与市兵衛一家の、娘と息子で
あり、いわば、武士の世界に入り込んだ庶民の代表である。お軽は忠臣のトップ、由
良之助に可愛がられ、平右衛門は足軽ながら、忠臣に加えられるという名誉の場面が
ある。「お供が叶った」という、平右衛門の科白は、それを象徴している。そういう
世界へ、妹とともにより深く入り込んで行く。そういう兄と妹の思いが、芝雀)と吉
右衛門のやり取りから、浮き彫りにされて来た。


「逆櫓」は、6回目の拝見。私が観た樋口次郎は、幸四郎(今回含め、4)、吉右衛
門(2)。幸四郎、吉右衛門とも、所縁の初代吉右衛門の当たり狂言とあって、気の
入った演技で、臨む。一方、権四郎は、左團次(2)、先代の又五郎、歌六、段四
郎。そして、今回の、錦吾。錦吾がよかった。

この芝居で、軸となるのは、松右衛門、実は樋口次郎兼光と松右衛門の義父となる権
四郎だろうが、幸四郎の樋口は、何度か書いているので、今回は、錦吾が演じた権四
郎だけを論じよう。権四郎は、現役を聟の松右衛門に譲って、孫と暮らしている。駒
若丸の身替りに殺された槌松、愛憎渦巻く中、駒若丸を我が孫として、育てて行こう
とする祖父の権四郎は、複雑な事情のキーマンとなるだけに、難役である。

権四郎の駒若丸に対する愛憎は、複雑なものがある。一度は、駒若丸を返せと言って
来たお筆(福助)の態度に対して、怒りを覚え、駒若丸を殺そうとさえ思った。にも
かかわらず、子供の命というものを大切に思い、最後は、自分の機転で、「よその子
供」である若君を助ける。愛憎を超えて、幼い子供を守ろうと権四郎は、源氏方の追
尾から駒若丸を助けるために、畠山重忠(梅玉)に訴え出て、自ら、再び駒若丸を槌
松と思い込むことで、駒若丸の命を守る。

そこには、樋口のような「忠義心」があるわけではない。権四郎には、孫と同様な若
君といえど、「子供」の命に対する、封建時代を超えた愛の普遍性があるのだと思
う。そういう器の大きさが、権四郎役者は、表現しなければならないと思う。脇役で
存在感を出している錦吾は、その辺りを過不足なく演じていた。

贅言:そう言えば、この時の舞台で、畠山重忠を演じていたのが、富十郎で、途中で
病気休演となり、彦三郎が代役に立った。私は、かろうじて、富十郎の最期の舞台を
観ることができた。富十郎の訃報は、翌年、11年1月3日に飛び込んで来た。

「五代目 中村 富十郎 丈/平成二十三年一月三日/急逝致しました。/ここに生
前のご厚誼を深謝し、/謹んでお知らせ申し上げます。/松竹株式会社/新橋演舞
場」


「釣女」は、私は3回目の拝見だが、私の劇評としては、初登場。1883(明治1
6)年初演。狂言の「釣針」を素材にした演目。河竹黙阿弥原作。妻を持とうという
大名と太郎冠者のふたりが縁結びの神として知られる西宮の恵比寿神社に参詣をし、
夢のお告げに従って、釣り竿を用いて、大名は美女(上臈)を、太郎冠者は醜女を釣
り上げるという笑劇である。喜んで早速祝言を挙げる大名と上臈。醜女から逃げる工
夫ばかりしている太郎冠者。ふたつのカップルの対比が、観客席の笑いを誘う。太郎
冠者の役は、12月に亡くなった勘三郎のはまり役。99年12月、歌舞伎座の舞台
で、観ている。醜女の團十郎も印象に残っている。大名は三代目猿之助(現在の二代
目猿翁)、上臈は玉三郎だった。今回は、太郎冠者が又五郎、醜女が三津五郎、大名
が橋之助、上臈は七之助という顔ぶれ。前の舞台の方が、配役が一枚上の感じ。
- 2013年1月13日(日) 11:02:55
13年1月新橋演舞場 (昼/「寿式三番叟」「車引」「戻橋」「傾城反魂香」)


見慣れた演目・馴染みの役者 「戻橋」幸四郎の初役


正月の芝居小屋は、浅草も新橋も、観客席に華やぎがある。晴れ着を着た女性が多
い。新橋では、ロビーで高麗屋のお内儀に逢ったので、幸四郎さんに新年の寿ぎとこ
の一年のご健勝を伝えてもらった。

今月は、去年の2月23日に亡くなった雀右衛門の一周忌追善狂言として、昼の部
は、「傾城反魂香」。夜の部は、「仮名手本忠臣蔵〜七段目」が用意されている。こ
れは、まとめて夜の部の劇評で書きたい。昼の部では、今回の劇評は、劇場での上演
演目順ではなく、「戻橋」から書き進めたい。「戻橋」は、私は初見。幸四郎は初
役。

「戻橋」は、河竹黙阿弥原作の常磐津による舞踊劇。1890(明治23)年、歌舞
伎座で初演。五代目菊五郎が演じた。源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が、京都堀川
に架かる一条戻橋で女の姿をした鬼に出会い、正体を顕したところで片腕を斬り落と
したという伝説を素材としている。渡辺綱は、四天王の筆頭で、酒呑童子、茨木童子
を退治したという話も伝えられる武勇の人。菊五郎は、1883(明治16)年に河
竹黙阿弥原作の「茨木」も初演している。「茨木」「戻橋」とも、五代目菊五郎が選
定した「新古演劇十種」に入っている。明治の新歌舞伎らしく、「活歴」(史実重
視)の演出。

暫く舞台を注視しよう。暗転の中、定式幕が開く。下手に常磐津連中。柳。山遠見。
中央に戻橋。何の花だろう。橋の袂に白い花が咲いている。置き浄瑠璃。花道より、
郎党(児太郎、国生)を連れた渡辺綱(幸四郎)一行が、現れる。綱が戻橋を渡る
頃、花道から被衣(かづき)を頭から被った女性がやって来る。夜更けの道を急ぐひ
とりの女性。綱一行は、怪しみ、物陰に隠れる。花道七三で被衣を取ると、中央下手
側にある月の光に照らされた女性(福助)は美形だ。綱が声を掛ける。帰宅途中だと
いうので、同行を申し出る綱。「水に映りし面影は」。ふたりで橋を渡ると、女性の
顔が水面に映る。美形の筈なのに、鬼形の影が映っているではないか。

小百合が綱を引っ張るように、ふたりは歩みを進める。引き道具の柳は下手へ、橋は
上手に。上手より二条の堂宇が引き出されて来る。ふたりは、客席の通路を歩いて来
て、花道と本舞台の繋の部分に臨時に置かれた階段を上って、本舞台に戻る。堂宇で
休息をとる。素性を語る女性は、五条に住む扇折の娘・小百合と名乗り、舞を披露す
る。ここまでは、美しい美男美女の物語。ただし、男は、疑惑を抱えている。

前半は、そういう形で、綱と小百合の男女の出会いとして、進行する。やがて、不審
に思った綱が小百合の正体(愛宕山の鬼)を暴くという展開になる。「茨木」では、
老女の伯母・真柴(実は、羅生門で綱に片腕を斬り取られた鬼が化けている)が腕を
取り戻しに来る。小百合は、正体を見破られた綱とその郎党と争ううちに片腕を斬ら
れ、逃げて行くという展開になる。

大薩摩の間奏の後、雲の絵柄の道具幕が、まず、振り被せとなり、ついで、場面展開
で、振り落しとなる。鬼女の姿となった福助。大屋根の上での立ち回り。綱が屋根か
ら虚空へ逃げようとする鬼女の腕を斬り落とす。福助は、宙乗りとなる。やがて、定
式幕が閉まる。

贅言;小百合に化けた鬼女は、後日、老女の真柴に化けて、失われた片腕を取り返し
に来るかもしれない。取り戻した腕を付けた鬼女は、また、何時の日か、若い女に化
けて、男をたぶらかしに来るかもしれない。そういう「怨念の循環」の永久活動が黙
阿弥からは滲み出て来るような気がした。そう感じさせるところに、黙阿弥の永遠性
があるのかもしれない。

最近の歌舞伎を観ていると、黙阿弥なくして歌舞伎無しの感が強い。今月の浅草歌舞
伎も、新橋演舞場も、黙阿弥の演目の無い興行は考えられない。4月以降の新・歌舞
伎座杮葺落大歌舞伎もひとつは、黙阿弥の演目が入っている。歌舞伎界は、黙阿弥
様々なのだろう。


見慣れた演目・馴染みの役者


「寿式三番叟」は、4回目の拝見。「寿式三番叟」は、「三番叟もの」の中でも、い
ちばん、オーソドックスなものである。今回は、翁に我當、千歳に魁春、附千歳に進
之介、三番叟に梅玉という顔ぶれ。

緞帳が上がると、舞台中央奥に長唄連中、手前に、四拍子。四拍子の前の大きなせり
が、奈落に墜ちていて、ぽっかりと口を開けている。四拍子の位置から見るとすぐ目
の前の空間から奈落の底まで見えるだろうから、屋根の上に座っているような気分
で、怖いに違いない。

やがて、翁、千歳、手に箱を持った附千歳、三番叟の4人が、せり上がって来る。お
のおの、設けの席に控える。まず、附千歳(進之介)が手に持っていた翁の面箱を翁
に渡すと、露払いとして、ひとりで、舞い始める。

次いで、翁(我當)と三番叟(梅玉)が、ゆるりと出て来るが、翁の我當は足が若干
不自由な感じであるが、それが却って、舞を重厚にしているように感じられた。我當
は面をつけない(梅玉の翁を観たときには、梅玉は、面をつけると、ゆったりと、格
調高く、大間に舞った)。素顔の我當(前回、我當の翁を観た時は、今回同様、素顔
であった)は天下太平などを祈願。壮麗な舞いを納めると、我當は下手の幕のうちへ
と進み、附千歳の進之介は、父親の我當(翁)を追って、ゆるりと引き込む。附千歳
が、持って来た面箱は、面も出さず、紐で括られたまま、舞台に置き放たれている。
やがて、片付けられた。

次いで、三番叟(梅玉)の出番。梅玉は、鼓の早間の拍子に合わせて、地面を踏み固
めるように、「揉みの段」を舞う。揉み出し、烏飛び。次いで、稲穂を連想させる
「鈴の段」。基本的には五穀豊穣を祈るということで、農事を写し取っている。女形
の千歳の魁春と梅玉の舞い。千歳の舞い。再び、三番叟と千歳の舞い。舞というよ
り、儀式のような展開。静かに緞帳が降りて来る。


「車引」は、11回目の拝見。今回は、三津五郎の梅王丸、橋之助の松王丸、七之助
の桜丸。藤原時平は、弥十郎。

梅王丸が、花道から登場し、上手揚げ幕から登場した桜丸と舞台中央で落ち合い、居
所を入れ替わり、深編み笠を取って顔を見せる。藤原時平一行の先触れの金棒引(由
次郎)が通りかかり、藤原時平の吉田神社参籠を知るふたり。ここで、背景の塀が左
右に開き、場面展開。

「車引」は、左遷が決まった右大臣・菅原道真の臣の梅王丸と弟の桜丸が、左大臣・
藤原時平の吉田神社参籠を知り、時平の乗った牛車を停めるという、ストーリーらし
いストーリーもない、何と言うこともない場面の芝居だ。しかし、この演目は、歌舞
伎の持つ色彩感覚、洗練された様式美など、目で見て愉しい、他愛無いが故に、大ら
かな歌舞伎味たっぷりの上等な芝居である。「動く錦絵」のような視覚的に華やかな
舞台。そのシンプルさが、人気の秘密。


「傾城反魂香」は、先に触れたように、雀右衛門一周忌追善狂言なので、長男尾芝雀
論を中心に夜の部の劇評の中でまとめて触れたい。

昼の部の劇評は、シンプルながら、「これぎり」。
- 2013年1月12日(土) 16:20:33
13年1月浅草公会堂 (夜/「毛谷村」「口上」「勧進帳」)


涙か汗か 海老蔵の弁慶熱演 所作台に痕跡発見


夜の部も、今回は海老蔵を軸としているので、「毛谷村」の劇評を後ろに廻して論じ
よう。まず、「口上」。今回は、14年ぶりの浅草出演という海老蔵が、新春興行を
記念して、観客に新年の挨拶をし、成田屋伝来の「睨み」を披露するという趣向。定
式幕が開くと、大きな舞台に海老蔵が被毛氈に座り、ひとりでお辞儀をしている。茶
色の裃姿。鉞(まかり)の髷。成田屋の晴の正装である。

背景は御殿風で、銀色の襖。海老蔵前名の新之助が20代初めのころ、浅草で「勧進
帳」の弁慶を初めて演じた(1999年1月)が、また、今回、ここで、また、弁慶
を演じることができて嬉しい。10数年の体験(注・「勧進帳」の弁慶:今回で6回
目。富樫:8回)を生かしたい。自分は緊張するタイプではないが、初役の時は、緊
張した。「勧進帳」は、初代團十郎が発案し、七代目が、「歌舞伎十八番」として、
ほぼ今のような演出に整えた。更に九代目(注・七代目の息子、八代目の弟。「明治
の劇聖」と言われた)、十一代目(注・七代目幸四郎の長男。海老蔵の祖父)らが伝
えて来た、成田屋に取っていちばん大事なお役であるなどと「勧進帳」の弁慶を紹介
する。その後、「睨み」の披露。裃後見(市川升一、新次)が手伝う。扇子と小刀を
腰に差す。肩衣と衣装の片肩を脱ぎ、真っ赤な襦袢を見せる。三方を左手に持ち、右
足を出して、観客席の奥、上方を睨みつける。大きな目の玉が寄り目になる。拍手の
うちに幕。


海老蔵が口上で述べたように、七代目幸四郎から見れば、次男・松本幸四郎家と長
男・市川團十郎家は、従兄家系である。次男系の孫である当代の幸四郎は、幸四郎家
の九代目。長男系の孫である当代の團十郎は、團十郎家の十二代目。今後順当に精進
すれば、十代目幸四郎は染五郎が継ぎ、十三代目團十郎は、海老蔵が継ぐであろう。
海老蔵の「勧進帳」の弁慶は、そういう系図の中に立ち位置を定めなければならない
運命にある。奇しくも、12年10月新橋演舞場では、昼の部も「勧進帳」、夜の部
も 「勧進帳」という珍しい上演演出があった。昼の部は、弁慶:團十郎、富樫:幸
四郎などで演じ、夜の部では、弁慶:幸四郎、富樫:團十郎という趣向で演じられ
た。「勧進帳」のキーパーソンである弁慶と富樫を従兄同士で交互に演じたわけであ
る。

幸四郎は、「勧進帳」の弁慶を1000回以上演じている。團十郎は、今回の本興行
で36回目の出演というから、こちらも900回近い上演だろう。

私が観た「勧進帳」の海老蔵では、弁慶が今回含めて2回目。前回は、11年12月
日生劇場で観ているが、前回の劇評では、海老蔵の「弁慶は、科白廻しが良くないの
で、現代劇の科白のように聞こえた」と私は書いている。富樫は既に2回観ている。
今回の海老蔵の弁慶で気がついたり、気になったりした演技は以下の通り。

海老蔵の弁慶は、「目玉の弁慶」であった。注意して海老蔵の表情を追っていると、
彼は何かというと目をむいていた。「口上」での「睨み」が尾を引いているのかもし
れないが、ちょっと、繁多すぎやしないか。

弁慶と冨樫が、所作台2枚分まで、詰め寄る「山伏問答」。今回の「山伏問答」は、
科白の内容(言葉)よりも、科白の勢いで押そうとしているように聞こえた。「山伏
問答」は現代語に直すと以下のようになる。

富樫:山伏は、なぜ、「武装」しているのか。
弁慶:山道を踏み開き、害獣や毒蛇を退治する。難行苦行で悪霊亡霊を成仏させる。
富樫:「兜巾(ときん)」を付けている訳は。
弁慶:「兜巾」と「篠掛(すずかけ)」は、武士の甲冑と同じ。腰に利剣、手に金剛
杖。
富樫:(そういう)山伏の出で立ちは?
弁慶:不動明王のお姿をかたどっている。

つまり、山伏は、平時にあっても簡易な甲冑で身を固め、不動明王に似せた武装軍団
である。

関所の番卒・軍内(松之助)が強力を義経ではないかと疑い、富樫(愛之助)に注進
する。弁慶は、義経に似ている強力を「思えば憎し憎し」と言いながら、金剛杖で強
力を打擲する。番卒3人と義経の四天王が、衝突寸前になるクライマックスの場面
だ。それを見て富樫は、弁慶の忠誠心に感じ入り、一行を通過させる(政策決定)決
意を固める。富樫は、上手に引っ込む。

残された義経(孝太郎)は、舞台下手で初めて笠を取って、素顔を見せる。恐れ多い
と弁慶は下手に移動する。義経は堂々とした態度で上手に移動する。身分に拠る居所
替わりである。居所替わりでは、弁慶と義経が、所作台9枚分まで離れる。竹本「判
官御手を」で、上座から弁慶に向けて手を差し伸べる義経の姿を見て感極まる弁慶。
竹本「遂に泣かぬ弁慶が」で、海老蔵の弁慶は、舞台下手の所作台の上に押し伏して
しまう。内部にござを入れた大口袴という弁慶の衣装は、重く、演じる役者に体力、
気力を要求する。

海老蔵が移動した後、海老蔵の居た場所の所作台が濡れているのが見えた。遂に泣か
ぬ弁慶を演じた海老蔵の涙ではないか。それとも汗か。汗をかくにしても、あんなに
大量にかくかどうか。海老蔵に聞けば正解が出るだろうが、私はあれは涙の痕跡では
ないかと思った。海老蔵熱演。涙の後は、四天王の片岡八郎(壱太郎)の前方に暫く
残っていた。気がつくと10分か15分後かに綺麗に消えていた。

富樫一行が、戻って来た。富樫の命により弁慶に番卒が酒を勧める。酒を飲み出す海
老蔵弁慶の飲み方は父親の團十郎弁慶とは違うやり方だったが、ここは父親の團十郎
の飲み方の方が工夫されているように思う。團十郎は、全身で酒を飲むが、海老蔵は
首だけで酒を飲む。大酒飲みの弁慶なら、体全体で好きな酒に向って行くのではない
かというのが、私の解釈であり團十郎の演技である。

前回、難ありと私が書いた海老蔵の科白廻しは、良くなっていた。


「毛谷村」は、愛之助が主役の六助を演じる。定式幕が開くと、六助(愛之助)と微
塵弾正、実は、京極内匠(亀鶴)が、静止した状態で立ち会っている。幕が開き切
り、柝の合図があると、初めて愛之助と亀鶴が動き出す。今回の芝居は、若手が多
い。海老蔵は、座頭らしく、全演目に出演している。「毛谷村」では、老婆を載せた
戸板を担ぐ杣(そま、樵=きこり)の4人として花道から登場する。杣・斧右衛門
だ。微塵弾正に殺された実母の仇を取って欲しいと六助に依頼する。斧右衛門の母親
は、六助が最初に微塵弾正に出会ったとき、微塵弾正が連れていた老婆であった。微
塵弾正がこの老婆に対する孝心を六助に感じとらせ、誤解をさせていた。その真相を
隠すために微塵弾正は、斧右衛門の母親を殺害したと推量される。

微塵弾正、実は、京極内匠は、六助の許嫁のお園(壱太郎)とその母・お幸(植村吉
弥)の連れあいである吉岡一味斎を殺して逃げている。一味斎は、六助の剣術の師匠
であった。そういうことが次第に判る仕掛けとなって舞台は進行する。

壱太郎のお園。女ながら、虚無僧姿に身をやつしたお園登場の場面では、笠で顔が見
えないだけに、男っぽく、大きく見えなければならない。壱太郎の虚無僧姿は、男っ
ぽかった。花道出の足の踏み方、六助との立ち回り、特に子役を左脇に抱えての立ち
回りなどの場面では、力持ちに見えなければならない。そういう男っぽさの後、六助
が、父・一味斎が決めた許嫁と判ると、急に女らしく、色っぽく見せる緩急の対比
が、生きて来る。「お前の女房は私じゃわいなあ。女房じゃ、女房じゃ、女房じゃ」
とはしゃぐ。壱太郎は、この場面以降、腰が丸くなって、艶かしく見え出したから不
思議だ。ここは、柄が、大きく見えたり、小さく見えたり、してほしい場面だけに驚
いた。「毛谷村」のお園は、男姿の虚無僧→力持ちの女性→恥ずかしがりの許嫁→父
の敵討ちを決意する娘と変化しなければならない役柄だ。

忍びの浪人直方源八を壱太郎らと一緒にこのほど名題昇進した片岡松十郎が勤める。
坂田藤十郎の孫、翫雀の長男である壱太郎は、貴重な若い女形だ。「毛谷村」では藤
十郎の型を基本としている。直接的には、今回、孝太郎に指導を仰ぎ、「女武道」と
しての強さを出す場面として、私は初めて観たが、松十郎演じる忍びの浪人直方源八
との立ち回りをしながら、六助に経緯を説明してのけるという演出をとったので、興
味深かった。

原作は、1786(天明6)年大坂道頓堀東の芝居初演の時代物で、作者は、梅野下
風、近松保蔵という、今では、あまり知られていない人たちの合作である。狂言作者
は、有名な人が、当り狂言を残すばかりでなく、無名な人たちも、著作権などない時
代だから、先行作品を下敷きにして、良いところ取りで、筆が走り、あるいは、筆が
滑り、しながら、新しい作品を編み出しているうちに、神が憑依したような状態にな
り、当たり狂言を生み出すことがある。

「毛谷村」も、そのひとつで、さまざまな先行作品の演出を下敷きにしながら、庭に
咲いている梅や椿の小枝を巧みに使って、色彩や形などを重視した、様式美を重視し
た歌舞伎らしい演出となる。その上、敵味方のくっきりした、判り易い筋立てゆえ
か、人形浄瑠璃の上演史上では、「妹背山」以来の大当たりをとった狂言だというか
ら、芝居は面白い。
- 2013年1月10日(木) 11:32:57
13年1月浅草公会堂 (昼/「寿曽我対面」「極付 幡随長兵衛」)


浅草歌舞伎:去年と今年の間には、「世代交代」という川がある


浅草歌舞伎は、去年から観るようになった。花形以下の若手の研修歌舞伎の趣きがあ
り、これはこれで、今後育ち行きそうな役者を見定めることが出来るので面白い。因
にこのところ、浅草歌舞伎常連の感のあった役者で今回出演していないのは、亀治郎
(当代の猿之助襲名)、勘太郎(当代の勘九郎襲名)、七之助、男女蔵、春猿、薪車
など。このうち、猿之助、勘九郎らは、浅草「卒業」の態(但し、10数年後に戻っ
てくる可能性はある)。引き続き今回も出ているのが、愛之助、亀鶴など。久しぶり
に浅草に戻って来たのが、14年ぶりが海老蔵、16年ぶりが孝太郎、23年ぶりが
市蔵。いわば「世代交代」で、最近出始めたのが松也(故松助長男)、壱太郎(翫雀
長男)、新悟(弥十郎長男)、種之助(又五郎次男)、米吉(歌六長男)、隼人(錦
之助長男)、今回初参加が、梅丸(梅玉部屋子)など。彼らは、まさに、研修中だろ
う。復帰組の市蔵を始め、上村吉弥、市川右之助ら藝達者が、脇を固めるという布陣
だ。父親の出演の関係で、去年出ていた種太郎改め歌昇(又五郎長男)、巳之助(三
津五郎長男)らは、今年は新橋演舞場出演だが、来年は浅草出演かもしれない
が……。そういう意味で、去年と今年の間には、世代交代と言う川が流れているよう
な気がする。


浅草歌舞伎昼の部は、河竹黙阿弥原作という2つの狂言が上演される。まず、「寿曽
我対面」。「曽我狂言」は、江戸時代では正月の風物詩になっていた。曽我ものの仇
討話が、宿敵との「対面」だけを取り上げることで、祝典劇になった。「寿曽我対
面」は、主役は曽我兄弟よりも、宿敵の工藤祐経である。仇と狙う曽我兄弟との対面
を許し、後の、富士の裾野での巻狩の場での再会を約し、狩り場の通行に必要な「切
手」(入場券のようなもの)を兄弟に渡すという、太っ腹で、「敵ながら、天晴れ」
という行動様式に日本人は拍手喝采したことだろう。今回は海老蔵が若手の役者衆を
従えて、工藤祐経を演じる。高座に座り込み、一睨みで曽我兄弟の正体を見抜く眼力
を発揮するのが、工藤祐経役者。夜の部の「口上」で、成田屋所縁の「睨み」を披露
する海老蔵には、うってつけの配役かもしれない。この演目は、正月、工藤祐経館で
の新年の祝いの席に祐経を親の敵とつけ狙う曽我兄弟が闖入する。やり取りの末、富
士の裾野の狩場で、いずれ討たれると約束し、狩場の通行証を「お年玉」としてくれ
てやるというだけの、筋らしい筋も無い芝居である。

それでいて、歌舞伎座筋書の上演記録を見ると、巡業などを除いた戦後の本興行だけ
の上演回数でも、断然多い。歌舞伎味のエッセンスのような作品なので、歌舞伎が続
く限り、永久に歌舞伎の様式美の手本になり続ける不易で流行する古典的な作品と言
えるだろう。

この芝居の人気の秘密は、これが動く錦絵だからである。色彩豊かな絵になる舞台
と、登場人物の華麗な衣装と渡り科白、背景代わりの並び大名の化粧声など歌舞伎独
特の舞台構成と演出で、短編ながら、十二分に観客を魅了する特性を持っている。今
回のものは、1885(明治18)年、河竹黙阿弥原作で東京千歳座初演。つまり、
旧派の代表のひとり河竹黙阿弥野心の作だが、洗練された作品で新歌舞伎の範疇に入
る。

工藤館の市松模様の戸が、3枚に折れて、屋敷の上部に仕舞い込まれると、並び大名
たちは、いちばん後ろの列に並んでいる。同列の上手には、梶原親子。その前の座敷
には、工藤祐経(海老蔵)を軸に、いつもの面々。クライマックスを考えると、「対
面」は、3枚重ねの、極彩色の透かし絵のような構造の芝居なのである。並び大名と
梶原親子の絵が、いちばん奥の1枚の絵なら、2枚目の絵には、大磯の虎(米吉)、
化粧坂の少将(梅丸)、小林朝比奈妹の舞鶴(新悟)が並ぶ。3枚目、いちばん前に
置かれた絵は、工藤祐経(両脇に、曽我兄弟の父親を殺した、ヒットマンの近江小藤
太=種之助、八幡三郎=隼人が控えている)と曽我兄弟(五郎=松也、十郎=壱太
郎)の対立の絵である。かなり若返っている。スーパー・フレッシュな顔ぶれではな
いか。「大将」の海老蔵のイメージが、いちだんと強まる。紛失していた曽我家の家
宝・友切丸を持参するだけの役の鬼王新左衛門の亀鶴が、ぐっとベテランに見えるか
ら、面白い。

幕切れの絵面の見得では、曽我兄弟と舞鶴で、富士山。工藤の鶴。鬼王の亀などが形
づくられるなかで、幕となる。


「極付 幡随長兵衛」。この芝居は、村山座(後の市村座のこと)という劇中劇の芝
居小屋の場面が、売り物。「寿曽我対面」初演の4年前、1881(明治14)年、
同じく河竹黙阿弥原作。九代目團十郎主演で、初演された時には、こういう劇中劇構
想は無かった。原作では、芝居小屋ではなく、角力場だった。地方での興行として
は、歌舞伎も相撲も、同じ興行主が仕切っていたケースもあるから、角力場でのトラ
ブルでも筋としては成り立つだろう。

10年後、1891(明治24)年、歌舞伎座。同じく九代目團十郎主演で、黙阿弥
の弟子・三代目新七に増補させて以来、この演出が、追加され、定着した。三代目新
七のアイディアは、不滅の価値を持つ。配役一覧を見ると、幕ひき、附打、木戸番
(これらは、形を変えて、今も、居る)、出方(大正時代の芝居小屋までは、居たと
いうが、今も、場内案内として、形を変えて、居る)、火縄売(煙草点火用の火縄を
売った。1872=明治5=年に廃止された)、舞台番など、古い時代の芝居小屋の
裏方たちの様子が偲ばれるのも、愉しいではないか。観客席までをも、「大道具」と
して利用していて、奥行きのある立体的な演劇空間をつくり出していて、ユニークで
ある。劇中劇の「公平法問諍(きんぴらほうもんあらそい) 大薩摩連中」という看
板を掲げた狂言の工夫は、世話もの歌舞伎の中で、時代もの歌舞伎を観ることにな
り、鮮烈な印象を受ける。江戸時代の芝居小屋の雰囲気が、立体的に伝えられる。

海老蔵の演じる長兵衛は、颯爽とした男気(男伊達)というよりも、人情家の持ち味
を見せるという、いわば、「目くらまし」にあうのでご注意。長兵衛とて、町奴とい
う、町の「ちんぴら集団」の親玉なら、愛之助の演じる白柄組の元締め・水野十郎左
衛門も、旗本奴で、下級武士の「暴力集団」ということで、いわば、「暴力団幹部」
の、実録抗争事件である。だまし討ちの芝居。17世紀半ばに実際に起こった史実の
話を脚色した生世話ものの芝居。九代目團十郎が熱心に取り組んだ「活歴」の世話物
という面白さがある。数多ある長兵衛芝居の中で、実録に重点を置いたゆえ、「極付
(きわめつけ)」の2文字が付く。江戸初期の実在の侠客は、「幡随院長兵衛」(幡
随院の裏手の長屋住まいの、口入れ稼業=人材派遣業で、なにかあれば幡随院のガー
ドマンの役も果たしたから、幡随院長兵衛と渾名された。だが、歌舞伎の外題は、3
文字、5文字、7文字。奇数が原則なので、今回の外題は、「極付 幡随長兵衛」
(7文字)となり、「院」の字が抜けた。

「人は一代(でえ)、名は末代(でえ)」という、男の美学に裏打ちされた町奴・幡
随長兵衛の、愚直なまでの死を覚悟した男気をひたすら引き立て、観客に見せつけ、
武士階級に日頃から抱いている町人層の、恨みつらみを解毒する作用を持つ芝居で、
長兵衛ものは江戸や明治の庶民には、もてはやされただろう。

幡随長兵衛の、命を懸けた「男の美学」に対して、水野十郎左衛門側は、なりふりか
まわぬ私怨を貫く「仁義なき戦い」ぶりで、そのずる賢さが、幡随長兵衛の男気を、
いやが上にも、盛りたてるという演出である。

長兵衛一家の若い者も、水野十郎左衛門の家中や友人も皆、偏に、長兵衛を浮き彫り
にする背景画に過ぎない。策略の果てに湯殿が、殺し場になる。九代目團十郎発案の
柔術を用いた立ち回りなどに明治の新歌舞伎らしい香りが残る。陰惨な殺し場さえ、
美学にしてしまう歌舞伎の様式美の世界が、ここにある。今月の海老蔵が「大将」と
いう演出は、この芝居でも続いている。

男たちが主役の世界なので、数少ないが、女形たちも、光る。特に孝太郎は幡随長兵
衛女房・お時を演じる。「花川戸長兵衛内の場」。死地へ赴く長兵衛に仕立て下ろし
の着物を渡す。「着初め」「きょうの晴れ着」という科白が空しい。いわば、「死に
装束」を着せつけるからである。着替えさせる。仕付け糸を取る。帯を渡す。刀を渡
す。それぞれの所作の度に孝太郎は、海老蔵を見つめる。涙に暮れながら長兵衛に袴
を付け、着物を着せて行く。死地へ赴くやくざの親分を送り出す姉さん(女房)の情
愛が、孝太郎からはじっくり滲み出て来る。子分たちの前で、女としての本音が吐け
ない辛さが、うかがえる。


昼の部上演の前に、浅草歌舞伎新春恒例の「お年玉」(挨拶)があった。私の観た日
は、孝太郎。他の日は、愛之助、亀鶴、松也などが順番で勤める。松嶋屋は。成田屋
の「睨み」の替わりの口上を披露。右足をぐっと出して、「このたびは、白足袋」
と、右足の白足袋を紹介して場内を笑わせていた。
- 2013年1月10日(木) 11:30:00
12年12月新橋演舞場 (夜/「籠釣瓶花街酔醒」「奴道成寺」)


見慣れた「籠釣瓶花街酔醒」も、馴染みの役者が、初役で演じれば……


夜の部の見ものは、「籠釣瓶花街酔醒」。私は9回目の拝見。主筋は、花魁に裏切ら
れた田舎での実直な男による復讐譚という陰惨な話なのだが、江戸時代のディズニー
ランド・吉原のガイドブックのような作品。河竹黙阿弥の弟子で、三代目新七の原
作。

1888(明治21)年、東京・千歳座で初演された世話狂言。近代の新歌舞伎だ
が、江戸時代の古典歌舞伎の風格がある。初演時の、主人公・佐野次郎左衛門は、初
代左團次が演じた。江戸時代に吉原で実際に起きた佐野次郎左衛門による遊女殺しを
元にした話の系譜に属する。

去年11年5月新橋演舞場では、いつもの「吉原見染め」の場面に先立つ、前段から
始まる本格的な通しで観てしまったので、今回のような通常の上演では、面白くない
だろう。通しで観ると、後段の完成度が圧倒的に高いことが、改めて良く判ったか
ら、後段だけの上演が続くというのも、頷けるかもしれない。それに、今回の菊五郎
劇団は、多くが初役に挑戦する。見慣れた「籠釣瓶花街酔醒」、しかも、馴染みの役
者が出演、でも、初役で演じれば、また、違うワンダーランドが見えるかもしれな
い、ということで、幕を開けてみよう。

私が観た次郎左衛門:吉右衛門(3)、勘九郎時代含め勘三郎(3)、幸四郎
(2)、そして今回が初役の菊五郎。八ッ橋:玉三郎(4)、福助(3)、雀右衛
門、そして今回が初役の菊之助。私が観た印象では、最近の上演は、吉右衛門と福助
のコンビか、勘三郎と玉三郎のコンビで、それぞれ、競演という感じで、よろしい。
そこへ、今回、菊五郎と菊之助の親子が、「殴り込み」という感じで参入。

贅言、というか、繰り言:こればかりは、過去にさかのぼれない以上、無い物ねだり
と判っているが、1988(昭和63)年9月の歌舞伎座、24年前が、最後の舞台
だった「伝説」の六代目歌右衛門の八ッ橋を観ていないのが、残念。

では、コンパクトに粗筋を、その後、初役の役者評を書いてみたい。

序幕「吉原仲之町見染めの場」。いつも通り、開幕前に場内は、真っ暗闇になる。暗
闇のなかを定式幕が、引かれてゆく音が、下手から上手へと移動する。そして、止め
柝。パッと明かりがつくと、華やかな吉原の繁華街へ。

「吉原仲之町見染の場」は、桜も満開に咲き競う、華やかな吉原の、いつもの場面。
花道から次郎左衛門(菊五郎)と下男・治六(松緑)のふたりが、白倉屋万八(橘太
郎)に案内されてやってくる。松緑の治六は、力まずに自然体で良い。初役だと思う
が、こういう役は、今の松緑の任に合う。

白倉屋らを見掛けた立花屋長兵衛(彦三郎)が、下手奥から、捌き役で登場し、田舎
者から法外な代金を取る客引きの白倉屋から、吉原不案内のふたりを助ける。

やがて、ふたりは、3組の花魁道中に出くわす。上手から下手へ、七越(松也)、花
道から上手へ、九重(梅枝)、さらに、上手奥から花道へ。八ツ橋(菊之助)それぞ
れの一行が、花魁道中を披露する。行列の長さは、毎回違うが、花魁、茶屋廻り、
禿、番頭新造、振袖新造、詰袖新造、遣手、幇間、若い者という要素は、変わらな
い。

豪華な花魁道中を目の当たりに観た上、八ツ橋の微笑に魂が溶けてしまったような次
郎左衛門は、惚けた表情になってしまう。菊五郎も、こういう人の良い表情は巧い。
菊之助の八ツ橋は、美形で、凛としている。

菊之助の微笑は、先輩方と同じ。花道七三で体が止まって、まず、下を向き、左斜め
に顔をかしげ、次郎左衛門に流し目をし、惚けた表情を観て、笑みが生まれ出す。顔
を正面に戻すと、若い者の左肩に置いてあった右手を放して、暫くして、手を若い者
の肩に戻すと、笑いが顔中に広がるという順番。これは、六代目歌右衛門が完成させ
てしまった手順だろう。

私が観た次郎左衛門は、先に触れたように、吉右衛門(3)、勘九郎時代含め勘三郎
(3)、幸四郎(2)、そして今回が、初役の菊五郎。勘三郎が消えてしまったの
が、何とも、痛ましい。

私の評価では、次郎左衛門完成型とも言える吉右衛門がダントツ。初代の吉右衛門
が、佐野次郎左衛門のキャラクターの骨格を造形したという。初代吉右衛門の佐野次
郎左衛門には、哀愁があったという。その養子が、二代目吉右衛門。真面目さと狂気
との間の、バランスが良いのが、吉右衛門だ。線は、細いが、きちんと実線が続いて
いる。この線は、もう、いわば、ひとつの「公理」とも言えるだろう。

先代の勘三郎も、実兄である初代吉右衛門の代役から始めて、初代の藝の継承、そし
て、次第に、己の味を出して行ったと言われる。亡くなった勘三郎は、十七代目の父
親の味を引き継いだのだ。十八代目勘三郎は、吉原の前半が、コミカルで、巧かっ
た。実直な田舎商人を、客観的に、普通サイズで演じる。軽やかだが、点線という感
じ。十七代目、十八代目の勘三郎の線は、いつ復活するのか。

幸四郎は、狂気の殺人者として、陰惨な色合いが、濃くなる大詰が良い。小から大
へ。実線で、しかも、線が太い幸四郎。その代わり、吉原の前半と後半の振幅が、大
きい。今回の菊五郎は、前半、持ち前の人の良さを滲ませている。しかし、三幕目第
三場「兵庫屋八ツ橋部屋縁切りの場」以降、憎悪をたぎらせ、体内に溜め込んで行く
のが判る。狂気の殺人者というより、正気の確信犯の憎悪である。八ツ橋の菊之助を
睨みつけているのが、印象に残った。本気で怒っているように見えた。

二幕目、第一場「立花屋の見世先の場」。半年後、吉原に通い慣れた次郎左衛門が、
仲間の絹商人(秀調、亀蔵)を連れて八ツ橋自慢に来る場面だ。その前に、八ツ橋の
身請けの噂を、どこかで聞きつけて、親元代わりとして立花屋に金をせびりに来たの
が、無頼漢の釣鐘権八(團蔵)。立花屋長兵衛(彦三郎)、立花屋女房・おきつ(萬
次郎)が、対応。権八の強請を追い返す。次郎左衛門一行が、店に上がると、八ツ橋
(菊之助)が、秘書役の番頭新造の八重咲(芝喜松)らと、店に来る。

権八は、姫路藩士だった八ツ橋の父親に仕えていた元中間。主人の娘を苦界に沈めた
悪。釣鐘権八役は、芦燕が巧かった。権八は、八ツ橋の色である浪人・繁山栄之丞に
告げ口をして、後の、次郎左衛門縁切りを唆す重要な役回りだ。

舞台が廻ると、二幕目、第二場「大音寺前浪宅の場」。花道から風呂帰りらしく手拭
いを持った三津五郎初役の栄之丞登場。ここは、いわば、中継ぎ。ここでは、脇役
で、浪宅の雇い女のおとら(玉之助)や遊郭の兵庫屋から八ツ橋が誂えた着物を届け
に来たお針のおなつ(梅之助)らを演じた大部屋女形が、江戸の庶民の味を出してい
た。幕で場面展開。

三幕目、第一場「兵庫屋二階遣手部屋の場」、舞台が、廻ると、第二場「同 廻し部
屋の場」、そして、さらに、廻ると、最初の見せ場、第三場「同 八ッ橋部屋縁切り
の場」へ。下手、押入れの布団にかけた唐草の大風呂敷、衣桁にかけた紫の打ち掛
け。上手、銀地の襖には、八つ橋と杜若の絵。幇間らが、赤い前掛けを頭に捲き、鏡
獅子のパロディ遊び、座敷を賑やかにしている。「吉原案内」の華やぎを載せた舞台
は、次々と、テンポ良く廻る。いずれも、吉原の風俗が、色濃く残っている貴重な場
面。

場の華やぎとは、裏腹に、人間界は、暗転する。やがて、浮かぬ顔でやって来た八ツ
橋の愛想尽かしで、地獄に落ちる次郎左衛門。八ツ橋「主が嫌だからお断りしますの
さ」。「花魁、そりゃあ〜、あんまり、そでなかろう〜ぜ〜……」という菊五郎の科
白は、次郎左衛門役者の聞かせどころ。我慢を無理矢理溜め込む次郎左衛門。後の噴
火のエネルギーが溜まる。

部屋の様子を見に来た廊下の栄之丞が、襖をそっと開けると、次郎左衛門の目と目が
合う。八ツ橋の愛想尽かしの真意が、一気に「腑に落ちた」という表情の次郎左衛
門。「所詮、ここには、戻りますまい」。「身請けは、思いとどまった……。ひとま
ず、国へ帰るとしましょう……ぜ」。「また、出直してまいりましょう」。立ち上
がって、羽織の紐を止めようとするが、ブルブル震えてmなかなか、止まらない。殺
意が形をなして行く。科白の節々に、大鼓の音が、「かんかん」と附け打のように入
り込む。

菊之助の八ツ橋も、先輩方の演技を踏襲しているように見える。座敷では、突っ張り
切って縁切りをした八ツ橋は、部屋の外に出て、部屋の障子を締め切った後の表情が
大事だ。吹っ切ったような、吹っ切れてないような、戻らない、戻りたいという感情
が駆け巡る。もう一度、正面を向き、観客席に表情を見せて、吹っ切る。一旦後ろを
向き、また、戻り、吹っ切る、という辺りが、肝腎だ。

大詰。さらに、4ヶ月後。「立花屋二階の場」は、お馴染み。妖刀「籠釣瓶」を持っ
た次郎左衛門が立花屋を訪れる。善人も怒れば怖い。正気の確信犯、次郎左衛門の執
念深い復讐。妖刀の力を借りて、すでに殺人者に変身している。それを見抜けなかっ
たのが、八ツ橋にとって、悲劇の始まり。八ツ橋の気を逸らせておいて、足袋を脱
ぎ、座布団の下に隠す次郎左衛門。血糊で足が滑らぬように、周到に準備している。
そこにあるのは、確信犯の入念さ。

寂しげな八ツ橋。顧客を騙した疾しさから、いつもより、余計に可憐に振舞う八ツ
橋。肚に一物で、「この世の別れだ。飲んでくりゃれ」という次郎左衛門から殺意が
迸る。それに気付いて、怪訝な表情の八ツ橋。武家の娘から遊女に落ち、愛する男の
ために実直な田舎者を騙した疚しさを自覚している遊女・八ツ橋の、真面目さが、哀
れ。縁切りの場で見せた武家娘の気の強さが弱まっている。

「世」とは、まさに、男女のありようのこと。「世の別れ」とは、男女関係の崩壊宣
言。崩壊した男女のありようは、時として、命の破滅に繋がる。鬼と夜叉の対立。立
花屋の2階でも、やがて、薄暮とともに、場面は、破滅に向かって、急展開する。妖
刀「籠釣瓶」を持っているから、なお、怖い。黒にぼかしの裾模様の入った打ち掛け
で、後の立ち姿のまま、背中から斬られる八ツ橋の哀れさ。衣装の色彩と役者の所作
という様式美。

斬られた後、逆海老反りになり、それから、徐々に、綺麗に崩れ落ちる。この場面
は、私が見た限りでは、福助が、体の柔軟さを強調して、玉三郎を含めてほかの八ツ
橋役者の追従を許さなかったが、今回、若い菊之助が参入したことで、変わってき
た。綺麗に背中を逆の二つ折りにしてみせた後、ビルが崩れ落ちるように垂直に落下
した。観客席から、思わず、拍手が湧き起こる。私も、この場面で、菊之助の八ツ橋
に魅了された。横たわった八ツ橋の首に刀を立てて、とどめを刺す菊五郎の次郎左衛
門。菊五郎菊之助親子は、菊五郎劇団には、馴染みがないが、観客には見慣れた演目
に新風を吹き込んだと、思う。

薄闇のなかで、妖刀に引きずられて、どんどん濃くなる次郎左衛門の殺意は、引き続
いて、燭台を持って、部屋に入って来た女中お咲(菊三呂)をも、斬り殺す。燭台の
明かりで、血塗られた刀を目にして、逃げようとしたが故に、被害に遭う。周囲の
闇。燭台の明かりに照らし出される殺人者の影。憎悪から確信犯の殺人へ。殺しの美
学は、殺人者の太刀捌きよりも、殺される女形の身体の所作で、表現される。

「籠釣瓶は、良く斬れるなあ〜」と、菊五郎は、妖刀を観客席に突き出すようにし
て、刀に見入る。狂気に魅入られている次郎左衛門の目をしてみせる。魔の表情。吉
原という華やかな街に流れる時の鐘の悲哀。幕。

磨き抜かれた殺しの美学。艶やかで、華やかな吉原を舞台に、男女関係の哀しさが描
かれる。見慣れた芝居、馴染みの役者が描き出す殺しの見せ場が、光る。

贅言;「籠釣瓶花街酔醒」の初役の記録:菊五郎は、次郎左衛門が初役。三津五郎
は、「籠釣瓶花街酔醒」への出演が初めてという。松緑の治六も初役。「籠釣瓶花街
酔醒」への出演が初めてという菊之助が、大役の八ツ橋を初役で勤めて遜色ない。團
蔵の釣鐘権八も初役。このほか、萬次郎、秀調、若手の松也、梅枝(名題昇進)も初
役。


「奴道成寺」は、6回目の拝見。このうち、三津五郎は、今回含めて、4回目。初め
て観たのが、三代目猿之助(二代目猿翁)。ほかに、松緑。踊りの名手、三津五郎
が、やはり巧い。体が動くし、軸が安定している。「奴道成寺」は、1829(文政
12)年、江戸の中村座で初演された「金幣猿島郡(きんのざいさるしまだいり)」
の大切所作事、通称「双面道成寺」という「道成寺思恋曲者(どうじょうじこいはく
せもの)」がルーツ。

狂言師左近が、白拍子花子に扮して、鐘供養に訪れるが、踊っているうちに、烏帽子
がはねて、野郎頭がむき出しになり、ばれてしまう。所化たちの所望で、左近は、正
式に踊り出す。下手の常磐津と舞台奥の長唄の掛け合いなどもあり、盛り上がる。ク
ライマックスの「恋の手習い」では、左近が、「お多福(傾城)」、「お大尽」、
「ひょっとこ(太鼓持)」という3種類の面を巧みに使い分けながら、廓の風情を演
じてみせる。いわば、身体で喋る踊り。「山尽くし」では、花四天と左近がからむ所
作ダテとなる。

贅言;この踊りは、演者も大変だろうが、面を間違えずに師匠に渡す弟子の後見役も
大変だ。今回の後見役は、大和と八大だが、どちらが面を渡す役をやっていたか。八
大か。以前は、三平時代から、三津右衛門の専売特許の感じがあったが、最近は、三
津右衛門の姿をとんと見かけない。実は、2年前の、10年7月で、役者を廃業して
しまった。06年8月に、みの虫とともに名題に昇進し、みの虫は、三津之助、三平
は、三津右衛門を名乗った。折角、名題になりながら、4年で歌舞伎役者廃業と
は……。現在は、菊月喜千寿という名で、歌舞伎の化粧講座などの講師をしている。

今回の所化たちは、彦三郎子息の亀三郎、亀寿。時蔵子息で、名題昇進の萬太郎のほ
か、宗之助、右近、菊市郎、橘太郎、菊史郎、錦弥、錦一、笑野、猿紫。
- 2012年12月16日(日) 17:54:20
12年12月新橋演舞場 (昼/通し狂言「御摂勧進帳」)


「御摂(ごひいき)勧進帳」は、この10年間で4回目の拝見。前回、11年1月新
橋演舞場、「安宅の関」。前々回、05年1月国立劇場「女暫」の入った通し狂言。
この時は、「女暫」の定番で最後に、「舞台番」が付加されていた。最初に観たの
が、02年7月歌舞伎座、澤潟屋版(岡鬼太郎脚色)の「安宅の関」。今回も、通し
狂言で、通しは、これで2回目。但し、今回は、「女暫」ではなく、オーソドックヅ
な「暫」。

「御摂勧進帳」は、初代桜田治助らの原作で、1773(安永2)年11月顔見世興
行、江戸・中村座で初演した全5幕の荒事狂言。そして、二代目猿之助(初代猿翁)
が、大正時代に「安宅の関」を復活した。これが澤潟屋版の原型。さらに、戦後、1
968(昭和43)年、二代目松緑が「通し」の形で復活した。今回は、これをベー
スにした「通し」狂言ということになる。二代目松緑は、国立劇場で2回上演をし、
3回目は、主役を当代の菊五郎に譲り、自分は脇に廻って藝の伝承に努めた。今回
は、当代(四代目)松緑に主役を譲り、二代目松緑の藝を引き継いだ菊五郎は、脇に
廻った。歌舞伎界全体を見渡し、伝統藝のレパートリー保存に力を注ぐという人間国
宝役者の大局観が生きているのだと思う。歌舞伎座の閉場から来年4月の再開場を前
に、人間国宝の富十郎、芝翫、雀右衛門が亡くなり、さらに、今後の歌舞伎界を背
負って行く筈だった勘三郎まで亡くなり、大局観のある歌舞伎役者は皆、危機感を
持っていると思う。そういう時期だけに、じっくり舞台を観てみたい。

さて、「御摂勧進帳」に話を戻そう。現在の舞台を観る私たちは、原作者の桜田治助
(「江戸の花の桜田」と渾名された。1769年には、四代目團十郎一座の立作者に
抜擢された)らの志と大正期に「近代的な解釈を付け加え」て復活した先代猿之助
(初代猿翁)の志、さらに、古い顔見世狂言のおおらかさを求めて、二代目松緑が復
活した「通し狂言」の志、それを孫の当代松緑に引き継ぐ当代(七代目)菊五郎の恩
返しという志も含めて、それぞれ重層化する志を読み取る必要があるのだろうが、今
回は、そこまでは、論じまい。とりあえず、キーとなる演目の初演時を記しておこ
う。「暫」は、1692年初演。「勧進帳」は、初代團十郎によって、原型が演じら
れたのが、1702年。「御摂勧進帳」は、1773年初演。後の1832年に七代
目團十郎によって選定された歌舞伎十八番の「暫」と「勧進帳」のパロディ化を狙っ
た結果を生んだ。

一幕目「暫」は、「山城国岩清水八幡宮の場」。55分の上演。本来の「暫」なら、
鹿島神社の社頭で鎌倉権五郎影政が、「しばらく」と声を掛けた後、花道から登場す
るが、ここは、熊井太郎(松緑)が登場する。前回、国立劇場で観た「女暫」では、
雀右衛門が熊井の妹・初花に扮して登場する。初花ではなく、巴御前が登場する場合
も多い。つまり、名前は、記号でしかない。そういうバリエーションならではの違い
があるが、基本的な筋立ては同じ。

筋は、単純で、権力者の横暴に泣く「太刀下(たちした)」と呼ばれる善人たちが、
「あわや」という場面で、スーパーマン(「女暫」なら、スーパーウーマン)が登場
し、悪をくじき、弱きを助けるという話。ストーリー性よりグラフィックが大事と、
「色と形」という歌舞伎の「絵面」(「見た目」)を大事にする演目。古風な味わい
を残しながら、景気が良く、明るく、元気が出る出し物。

「御摂勧進帳」は、「義経記の世界」なので、「ウケ」には、義経謀反の噂を広め、
頼朝・義経の兄弟の不和を促進し、天下掌握を狙う是明君(彦三郎)の野望がベース
になっている。そして、「腹出し」の代わりに「西宮右大弁」(秀調)、「正親町左
少弁」(右之助)、「下松右中弁」(亀蔵)ら、滑稽な顔をした公家たちが、憎まれ
役、笑われ役を引き受ける。熊井太郎を演じた松緑は、11月の新橋演舞場で一時、
病気休演の仁左衛門の代役で熊谷直実を演じて、ご苦労さまだったけれど、相変わら
ず、「突き抜けた」感じが乏しく、いまひとつ。

二幕目「色手綱恋の関札」は、「越前国気比明神境内の場」。51分の上演。私が観
るのは、今回で2回目。前回は、「女暫」版。一幕目と三幕目の荒事に挟まれた道行
き形式の舞踊劇。義経は、二枚目の優男という演出で、菊之助が演じる。義経の忠
臣、鷲尾三郎は、亀寿。女好きの義経が恋慕する女馬士(まご)お梅、実は、義経の
恋人・藤原秀衡息女・忍の前は、名代昇進の梅枝で、初々しい。鹿島の事触れ(鹿島
明神の神官。御神託を触れ歩く役目)弥五兵衛に扮した、実は、もうひとりの義経の
忠臣でお厩の喜三太は、松緑。3人がいるところへ、追っ手の稲毛入道(亀三郎)と
軍兵たち。喜三太が、彼らを蹴散らし、義経一行は、奥州藤原秀衡の下へ落ちて行
く。いわば、逃避行の途中の話。

三幕目「芋洗い勧進帳」は、「加賀国安宅の関の場」。55分の上演。気付いたと思
うが、一幕目から三幕目まで、タイトルは「国尽くし」になっている。「芋洗い勧進
帳」=「安宅の関」で、歌舞伎十八番「勧進帳」同様、能の「安宅」を素材としてい
るが、「勧進帳」が、荘厳な舞踊劇に収斂して行くのとは違って、荒事藝で滑稽味を
ベースにした荒唐無稽な趣向が見せ場になっている。

弁慶(三津五郎)一行は、義経(菊之助)に従う、常陸坊尊海(錦吾)ら「六」天王
(ほかに、亀寿、宗之助、兄の梅枝とともに名代昇進した萬太郎、尾上右近、廣太
郎)。安宅の関守は、この地の豪族・富樫左衛門家直(菊五郎)のほかに、鎌倉幕府
から遣わされた斎藤次祐家(團蔵)がいる。ふたりは、恰も、「俊寛」で、ご赦免船
の遣いできた康頼と瀬尾に似た雰囲気であり、「勧進帳」では、富樫左衛門(平安時
代末期から鎌倉時代初期の武将・富樫左衛門泰家が、モデルと言われる)が、一人で
体現する内面の葛藤を、ここではふたりに役割分担させている。それぞれが、「親義
経」=富樫と「反義経」=斉藤次を純化させている。演劇的には、よく使われる手法
だろう。見た目が、判り易くなる代わりに、人物造形が、一層的(平べったく)にな
る。

最初、関所にいるのは、花道より現れた斎藤次(團蔵)のほか、出羽運藤太(辰
緑)、新庄鈍藤太(三津之助)らと大勢の番卒。関の陣屋の幔幕に描かれた九曜の紋
は、富樫の紋。舞台下手に大きな松の木がある。
 
次いで、花道から義経(菊之助)、「勧進帳」に比べると地味な衣装の山伏一行は、
早々と怪しまれてしまう。やがて、「待て」という大音声と共に、緋色の衣に毬栗頭
の弁慶(三津五郎)が遅れて花道から登場。咎める関守の番卒たちとやりあう弁慶。
奥から富樫(菊五郎)登場。髪に白梅の枝の飾りを着けてお洒落。冨樫に言われた東
大寺の添え状を持っていないので、替わりに勧進帳を読みあげたいと自ら申し出て、
弁慶は浪々と読み上げる。弁慶は、巻物を奪おうとする番卒たちと巻物を開いたまま
の立ち回りとなる。「勧進帳」のような山伏問答はない。

富樫は「通過オーケー」というが、斎藤次は、強力姿の義経を疑う。弁慶は義経を金
剛杖で打擲し、足蹴にし、更に打擲と「勧進帳」より、荒々しい。これでも疑うかと
斎藤次に詰め寄る。斎藤次が、笠を傾けて顔を隠している強力が義経だと決めつけ
る。弁慶の正体も見抜いている。齋藤次は、有能な官僚なのだろう。弁慶の気迫に押
されるが、それでも斎藤次は、判断がぶれない。弁慶に縄を打たせ、下手の松に縛り
付けさせる。すべてを悟っている富樫の判断で、義経一行に往来切手渡し、関所を通
過させる。富樫と斎藤次が奥へ入ると、弁慶は義経一行を立ち去らせる。

ここから先は、歌舞伎十八番「勧進帳」とは大違い。一行を見送った出羽運藤太、新
庄鈍藤太が弁慶を痛めつけ始める。大声で泣き出す弁慶。通俗日本史の、伝説的人
物・「泣かぬ弁慶」を、歌舞伎は、いろいろな趣向で泣かそうとする。これだけ、大
泣きする弱者が、強者・弁慶のはずがないという作戦だ。いわば、子供だまし。

実際は、義経一行が関所から遠ざかった距離を測っている弁慶。戒めの縄を内側から
力で押しちぎる。引き道具により、舞台下手に大きな天水桶が引き出される。

これ以降、弁慶の関所破りの立ち回りになる。弁慶の大暴れが始まり、運藤太、鈍藤
太を含め、番卒たちの首がことごとく引き抜かれ、天水桶に放り込まれる。天水桶に
よじ上り、桶に差し渡した板に乗り、二本の金剛杖を使って、首を芋洗いのようにか
き回す弁慶。「どうやらこうやら、役を勤め上げることができました」と三津五郎の
口上。これぞ、「芋洗い勧進帳」となる。荒事の豪快さとおおらかな笑劇がミックス
された古劇。ここは、「御摂勧進帳」独自の場面。この場面ゆえに、「御摂勧進帳」
は、後世まで残り、いまも、私たちを楽しませてくれる。

この場面を含めて、「御摂勧進帳」には、江戸荒事の稚戯の味がある。その辺りは、
「古風な味わいのある」と言われる原作者の桜田治助らの工夫なのか、大正期に、こ
れを復活上演し「近代的な解釈を付け加えた」と言う二代目猿之助(初代猿翁)の工
夫なのか(特に、「安宅の関」は、大正期の復活上演時に書き下ろされたらしい
が……)、判らない。いわば、「パロディ勧進帳」という趣向だろう。歌舞伎十八番
が、大人受けのする哲学的な勧進帳なら、こちらは、子どもの受け狙いをする漫画的
な勧進帳であった。

贅言;今回の「御摂勧進帳」の初役記録:菊五郎は、富樫初役。三津五郎も、弁慶初
役。松緑も、熊井太郎、お厩の喜三太とも初役。因に、二代目松緑は、このふた役に
加えて、弁慶も演じた。いずれ、当代の松緑も、祖父の手がけた3役を演じて欲し
い。菊之助も、義経初役。團蔵も、斎藤次初役。亀三郎も、稲毛入道初役など。今回
の菊五郎劇団は、初役挑戦多い。

実は、今回の新橋演舞場は、12・5に観に行った。当日の午前2時半頃、勘三郎が
逝去した。そういう日であった。新橋演舞場の楽屋口には、スチールやビデオのカメ
ラマン、記者らが屯している。楽屋入りする三津五郎や菊五郎の姿を写したり、声を
聞いたりしたいのだろう。あるいは、観客の感想も聞きたいだろう。しかし、観客た
ちは、知りあいと観劇前の興奮状態でしゃべっているようで、いつもと変わらぬよう
に見える。開場後、劇場内の雰囲気も、開幕後の雰囲気も、常と変わらない。勘三郎
逝けども、歌舞伎は不滅。勘三郎も、もちろん、それを望んでいるだろう。

勘九郎、七之助という息子たちは、今月は、京都南座で顔見世興行兼勘九郎襲名披露
興行だから、抜け出せないだろう。親の死に目に遇えない役者稼業の無慈悲と思っ
た。しかし、実際には、京都南座の顔見世興行は、11・30が初日で、12・5
は、初日から数日経っていて、兄弟は、4日の「船弁慶」出番終了後(勘九郎=静御
前、七之助=舟子波蔵)、東京に戻り、容態急変の勘三郎と最期の別れをして、5日
の朝、京都に戻ることができた。

私は、昼の部と夜の部の幕間(1時間20分もある)に建設中の歌舞伎座を見に行
き、青空をバックに上手の破風部分の外観を写真に納めて来た。後ろの高層ビルが、
歌舞伎の神様の劇場への降臨を阻害しなければ良いがと思いながら。
- 2012年12月16日(日) 14:49:07
12年12月国立劇場・(人形浄瑠璃鑑賞教室/「靭猿」、「恋女房染分手綱」)


「靭猿」。歌舞伎では観たことがあるが、人形浄瑠璃は初見。「靭猿」は1706
(宝永3)年ころ、大坂・竹本座で上演された近松門左衛門原作「松風村雨束帯鑑」
の一場面。狂言の「靭猿」が上演されるという劇中劇。舞台背景は、能舞台を模した
「松羽目」で、狂言から人形浄瑠璃化された典型的なもの。竹本は、猿曳が呂勢大
夫、大名が津国大夫、太郎冠者が始大夫、ツレが希大夫と小住大夫。人形遣は、大名
が清五郎、太郎冠者が紋臣、猿曳が文昇、猿が紋吉。猿も三人遣い。

野遊び中の大名と太郎冠者が、猿を連れた猿曳と出会う。猿は、柿の実のついた枝を
持っている。矢を入れる筒(靭)の皮を損ねているので新しい皮と取り替えたいとい
うことを思い出した大名が太郎冠者に命じて、猿皮を貸せと猿曳に強要する。貸せと
言われても、生き物の皮を剥げば、生き物は死んでしまう。猿曳は断るが、弓矢で射
殺してでも、皮を貸せと権力者の大名は脅す。「大名の借ると云ふに何の貸さぬと云
ふことがあらう」と権力を全面に押して来る。矢で射殺したならば、猿の皮革に傷が
つくので、「猿の一打ち」、猿の急所を杖で打って殺そうと猿曳は、逆に提案する。

覚悟を決めた猿曳が杖を振り上げると、打ち殺されるとは知らない猿はいつものよう
に杖を取って船を漕ぐ真似をする。大名は、根は善人なのだろう、この様を見た大名
は、「哀れな事ぢやな」と、情に負けて猿の命を助けることにする。権力者は、誠に
勝手。それでも猿の命が助かったので、猿曳は大名のために武運長久、御家繁昌、息
災延命、富貴万福を祈って、猿とともに舞い踊る。金の御幣を持ち、黒地に赤丸の烏
帽子を被った「猿が参りて能仕(つかまつ)る」。つられて大名も舞に加わる。太郎
冠者も舞に加わる。「楽しうなるこそめでたけれ」。


鑑賞教室なので、間に、「文楽の魅力」という解説が入る。竹本の相子大夫と三味線
方の豊澤龍爾が、竹本と三味線について話をする。人形遣の吉田文哉が人形の遣い方
を説明する。


「恋女房染分手綱」は、「道中双六の段」と「重の井子別れの段」。「恋女房染分手
綱」は、1751(寛延4)年、大坂・竹本座で初演。全十三段。「道中双六の段」
「重の井子別れの段」は、十段目。近松門左衛門原作「丹波与作待夜の小室節」を元
に、吉田冠子、三好松洛が改作。松洛は、後に並木宗輔らとの合作者となり、歴史に
名を残すが、冠子は、三人遣いを考案したほか人形や演出にさまざまな工夫を凝らし
た人形遣の名人・初代吉田文三郎のペンネーム。「重の井子別れ」は、筋立ては、近
松の原作と殆ど変わっていないという。但し、近松は、この場面の舞台を旅の途中の
「水口宿の本陣」としていたが、松洛らは、旅立つ前の「由留木家御殿」としたとい
う。今回の主な出演。竹本:「道中双六の段」、相子大夫、ツレ咲寿大夫。「重の井
子別れの段」、英大夫。人形遣:乳人・重の井(和生)、馬方・三吉(文哉)ほか。

歌舞伎では観ているが、人形浄瑠璃は今回が初見。気がついたところで、歌舞伎との
比較をしておこう。

「恋女房染分手綱〜重の井〜」の場面、由留木家の奥座敷は、歌舞伎では、金地に花
丸の襖、金地に花車の衝立というきらびやかさだが、人形浄瑠璃は、銀地に太い青い
線が斜めに入っていて、渋い感じ。

この芝居のテーマは、封建時代の「家」というものの持つ不条理が、同年の幼い少年
少女たちへ受難を強いるということだろう。由留木家息女として生まれたばかりに東
国の入間家へ嫁に行かなければならない12歳の調(しらべ)姫には、家同士で決め
た結婚という重圧がある。だから、東国へ旅立つのは、「いやじゃ、いやじゃ」とい
う。それゆえに、「いやじゃ姫」と渾名される。

一方、自然薯の三吉という馬方というより、幼い馬子は、実は、由留木家の奥家老の
子息・伊達与作と腰元・重の井との間にできた子だが、不義の咎を受けて、父・与作
は追放される。母・重の井は、実父の命に替えての嘆願で、調姫の乳人になったとい
う次第。だから、公的な立場を堅持し続けなければならないという運命にある。「乳
兄妹」のはずだが、姫の乳兄に馬子がいるということが知れては大変と三吉は、母と
の別れを強いられるという重圧がある。

「道中双六の段」では、嫁に行きたくないと駄々をこねる調姫の機嫌を取り、嫁ぎ行
く先の東国にある江戸の街に興味を持たせようと、館の外にいた馬子の自然薯三吉が
持っていた「江戸で上がり」という道中双六を借り受けて、姫も交えて、お付きの
人々が遊び、姫の機嫌を直すというだけの場面。「一番勝ちに勝色の花のお江戸に着
き給ふ」。遊びながら、姫に江戸の情報を刷り込む。

「重の井子別れの段」。歌舞伎であれ、人形浄瑠璃であれ、「恋女房染分手綱」の、
乳人・重の井役のポイントは、「乳人」という公的な立場を堅持したまま、実子と名
乗りあえずに別れる、息子・与之助(三吉)への抑圧した感情と、それゆえの母の哀
しみが、表現できるかどうかである。ここで対比したいのは、「伽羅先代萩」の政岡
である。重の井と政岡という、ふたりの「乳人」の対比。「伽羅先代萩」の、政岡の
ポイントは、若君の「乳人」という公的立場での、息子・千松への抑圧した感情と、
千松が、己の命を犠牲にして若君の毒味役としての役割を全うした後の、遺体をかき
抱いての、私的な母性の迸りの対比を表現できるかどうかである。

自然薯三吉は、幼い時から社会に出ざるを得ず、揉まれて、苦労をしている。重の井
という名前を聞き、自分の母親に違いないと思うのだが、母親の方は、否定をする。
重の井は、その代わりに金を渡そうとするが、「母様でもない他人に金貰ふ筈がな
い。エエ胴欲な」と泣き出し、拒絶をする。三吉の演技には、そういう大人の事情を
滲ませなければならないから、難しい。

道中に旅立つ調姫へのお慰みに哀しさ辛さをこらえて、三吉は、歌を唄わせられる。
姫の門出を祝う馬子唄。「坂は照る照る。鈴鹿は曇る。土山(つっちゃま)、間(あ
い)の間の、土山(つちやま)、雨が、降る/降る雨よりも親子の涙なかに、しぐる
る雨宿り」。去り行く息子の姿を鏡に映して涙をこらえながら見送る母親・重の井。
重の井が観客席に背を向ける場面で、和生は、左手で人形を操りながら、右手を放
し、打ち掛けの裾を拡げ直した後、自分の体も顔も観客席に向けた。

贅言1):姫君の科白。「かう面白い東とは今まで俺は知らなんだ」。調姫は、道中
双六で一番に江戸に上がって、舞い上がってしまい、嫌がっていた江戸への輿入れも
了解する。「サアサア往こう早往こう」と言うときに、自分のことを「俺」と言って
いたのには、驚いた。

贅言2):もう1つ、驚いた。竹本:「慮外をも、返り短き煙管の煙」。11歳の三
吉が、煙草を吸う場面には、驚いた。子役が演じる歌舞伎では、こういう場面はな
い。
- 2012年12月14日(金) 17:57:01
12年12月国立劇場・(人形浄瑠璃/「苅萱桑門筑紫𨏍〜守宮酒、高野山〜」、
「傾城恋飛脚〜新口村〜」)


「苅萱桑門筑紫𨏍(かるかやどうしんつくしのいえづと)〜守宮酒(いもりさけ)の
段、高野山の段〜」。このうち、歌舞伎の「苅萱桑門筑紫𨏍〜守宮酒」は、99年6
月・歌舞伎座で観ているが、13年以上前で、まだ、私の劇評も詳細な記録がないこ
ろだった。人形浄瑠璃で観るのは、今回が初めて。可能なかぎり、歌舞伎との比較し
てみたいが、十分な比較は難しいだろう。「高野山」は、歌舞伎では観たことがない
ので、楽しみ。

「苅萱桑門筑紫𨏍」とは、何とも難しい外題だ。説教節の「かるかや」を元にした全
五段の時代物。九州・筑紫国の大名加藤繁氏が発心遁世したことで混迷する加藤家の
物語が軸となる。「苅萱桑門」は、加藤繁氏の出家名である苅萱道心(かるかやどう
しん)。「𨏍(いえづと)」は、家に持ち帰る土産。石童丸は、親子の名乗りをしな
いまま、苅萱道心を修行の師とし、後に、母の死に際して、道心が父親であることを
知る。最後に、近隣支配の野望を持つ豊前国の大内之助義弘を家臣が捉えた時に、竹
本:「都へ往きて奏聞とげ命乞ひして得さすべし、それを我が子石童が筑紫へ送る
𨏍」という文句があり、外題の由来となっている。1735(享保20)年8月、大
坂・豊竹座で初演された。並木宗輔、並木丈輔の合作。並木宗輔は、「仮名手本忠臣
蔵」など、歌舞伎・人形浄瑠璃の三大演目の軸になる合作者だが、並木丈輔の詳細は
判らない。

とりあえず、粗筋をコンパクトにまとめておこう。「守宮酒の段」は、処女の「ゆう
しで」と頑固な父親の多々羅新洞左衛門、主なき加藤家を守るため、幼い石童丸を跡
継ぎとして国を治めている執権・監物太郎と妻の橋立、監物の弟の女之助らによる加
藤家の家宝「夜明珠(やめいしゅ)」という珠(たま)をめぐる悲劇。「横雲将軍」
と名乗っている豊前国の大内之助義弘が近隣支配を目論み、筑紫国の加藤家には家宝
提出、家臣の多々羅新洞左衛門には、娘の「ゆうしで」を側室に出すようにと迫って
いる。

「夜明珠」を祀る神事の日。監物の弟・女之助は、美男故に女性問題が絶えず、勘当
されているが、兄の監物に勘当を解いてもらうよう加藤繁氏の御台・牧の方に口添え
を頼みに来た。監物は、大内家からの「夜明珠」提出を拒めば、大軍が攻め寄せて来
ると心配している。

折から、大内家の使者としてやってきたのが、「ゆうしで」と父親の多々羅新洞左衛
門。女之助が「ゆうしで」を迎え、同伴の多々羅新洞左衛門を別間に控えさせる。

見どころ。監物妻の橋立が神事だからと「ゆうしで」にお神酒を勧める。女之助が毒
味をした盃で酒を飲んだ処女の「ゆうしで」は、普段の慎み深さをかなぐり捨てて、
性欲が昂進してしまい、女之助ににじり寄るという積極さ。なにやら企みのある橋立
は、ふたりを奥の間に追いやる。様子を見に来た新洞左衛門に対し、橋立は時間稼ぎ
をする。奥の間から出て来たふたり。「ゆうしで」は「夜明珠」を抱えている。新洞
左衛門が「夜明珠」を改めると、珠は黒い玉にかわっている。贋ものに「すり替え」
られたと新洞左衛門は怒るが、監物は「先達て云ふごとく不浄の女が受け取らば、玉
の光を失ふと云ひしはここぞ」と、処女を失った「ゆうしで」が、受け取ったから、
珠が黒い玉に「変わった」のだと主張する。ここは、この芝居のハイライトの場面。
「御内室の饗応酒、あれなる御酒を飲むよりも、……つい下紐を解きそめて」、性欲
に負けた責任を取り、自死を企てる「ゆうしで」。騙されて娘を死なせてしまった父
親の新洞左衛門がお神酒徳利を割ると、中から番(つがい)の守宮(いもり)が出て
来た。守宮酒は、媚薬とされる。監物・橋立・女之助が仕組んだ策略ではないかを見
抜いた新洞左衛門が女之助に斬り掛かると「ゆうしで」が止める。新洞左衛門は、贋
の玉を切りつけ、この玉こそ娘の敵だといい、本物の「夜明珠」を持って、石童丸と
母親の牧の方に逃げるように勧める。大局観のある父親だ。ふたりに同行しようとす
る女之助の好色さを心配して監物が反対する。女之助は守宮の血を腕に塗り不義の心
がないことを示し、3人は、高野山を目指して旅立つ。女之助の真情と「ゆうしで」
の純粋さが、際立つ場面だ。

99年6月・歌舞伎座の劇評では、私は次のように書いているだけである。当時の劇
評は、簡略だ。

*まず「いもり酒」では宗十郎の「夕(ゆう)しで」は処女とお宝鑑定で、恋をした
処女と「いもり酒」の仕掛け、性体験後の変化はあまり巧く演じられてはいなかった
ように思う。萬次郎の「橋立」は存在感があった。

今回の舞台では、竹本は、「中」が三輪大夫。「奥」が千歳大夫の予定だったが、千
歳大夫病気休演で、呂勢大夫が代演。舞台下手から登場した「ゆうしで」(勘十郎が
遣う)。上手から登場した女之助(勘弥が遣う)。「武道は勿論歌の道恋の道、並ぶ
方なき優男子(やさおのこ)」という女之助。女之助に「ゆうしで」では、「猫に鰹
の引き合はせ」。その上、お神酒を飲まされ、「乱れかかりし、顔の色行儀もくず
れ」という「ゆうしで」。女之助が近づくと、「にじり寄りたる乱れ咲き、花ならば
折れ、折る人は、ぬし様ならでと縋り寄る」。初々しい処女から艶美な女へ。

出会ったふたりを上手の障子の間へ追いやる橋立(簑二郎が遣う)。「それそこを、
じっと引き寄せ引き締めて、……不義淫奔(いたずら)の返り花」と若いふたりを焚
き付けた橋立は、障子の間に近づき、中を窺う。「工(たくみ)の臍(ほぞ)落
ち」。ほくそ笑む。障子の間では「繻子の帯鳴るばかりにて」と臨場感を煽る呂勢大
夫。呂勢大夫も悪くはないが、この場面、あの顔の千歳大夫で観てみたかった、聞い
てみたかった。障子の間で繰り広げられているはずの性愛場面。「祭の最中」とは橋
立の弁。やがて、しびれを切らして新洞左衛門(玉女が遣う)が下手より登場とな
る。「名は新洞左衛門、年は六十」。

人形浄瑠璃でも、「ゆうしで」は、守宮酒を飲んだ後は、態度を激変させたが、性体
験後の変化は、余り強調されない。ここは、仕掛けた橋立が印象を残す。夫の監物
は、女之助が勘当の詫びに来たと聞いて、「思い付きあり」ということで、今回の仕
掛け(罠)のアイディアを出した張本人と思えるが、存在感が弱い。基本的に監物
は、あまり、立場が明確でないように思えた。罠を実行した橋立の方が、強い。「ゆ
うしで」は、騙された上、媚薬の力を借りたとしても、純愛に生きる女性であった。
新洞左衛門からは、父親の娘への情愛が伝わって来た。「年は六十」の父親の最愛の
娘を失った哀しみ、嘆きが良く判る。

「高野山の段」は、55年ぶりの上演。当然、私も初見。「往く空の雲間に近き八葉
の峯に紫雲の棚引きし高野山」。父親の顔を知らない石童丸が、高野山中で修行をす
る者の中に父親がいるのではないかと訪ねて来る。下手から石童丸(簑紫郎が遣う)
登場。上手奥から修行僧が降りて来る。山中で出会ったのが、「苅萱道心」という名
の修行僧(和生が遣う)。修行僧は父親の加藤繁氏なのだが、最後まで父親とは名乗
らない。母の病状を語る石童丸の話に涙を流す修行僧。父親かといぶかる石童丸。恩
愛を打ち払い、ふたりは、そのまま別れて行く。こちらも、父と子の情愛が滲む。原
作者・並木宗輔らしい筋立てだと思う。竹本は、苅萱道心(呂勢大夫の続演)、石童
丸(芳穂大夫)。

首(かしら)は、ゆうしでが、娘。新洞左衛門が、鬼一。女之助が、源太。監物が、
孔明。橋立と牧の方が、老女形。石童丸が、前半は、男子役、後半は、男中子役。


人形浄瑠璃で、「傾城恋飛脚〜新口村の段〜」を観るのも、今回で3回目(11年0
1月・大阪国立文楽劇場、11年05月と今回は、国立劇場)。

国立劇場では、ことしの9月に「冥途の飛脚」を上演したので、「新口村」へ行くま
での場面を観ている。近松門左衛門原作の「冥途の飛脚」(1711年初演)を菅専
助・若竹笛躬の合作で改作したのが、「傾城恋飛脚」(1773年初演)で、このう
ち、「新口村の段」は、いつも歌舞伎などで観ている「恋飛脚大和往来」の原作。

竹本:「口」豊竹靖大夫、「前」豊竹咲甫大夫、「後」竹本文字久大夫。

舞台は、百姓家。下手に、「新口村」の道標。竹本では、「節季候(せきぞろ)」の
風俗が描写される。「薄尾花はなけれども」は、「冥途の飛脚」の「道行相合かご」
での竹本の文句。新口村は、雪景色。「人目を包む頬かぶり、隠せど色か梅川が馴れ
ぬ旅路を忠兵衛、労はる身さえ雪風に、凍える手先懐に、暖められつ暖めつ、……」

死出の道行の果てに、新口村まで、逃げて来た梅川・忠兵衛の登場。「比翼」という
揃いの黒い衣装、裾に梅の枝の模様が描かれている(但し、裏地は、梅川は、桃色、
忠兵衛は、水色)。衣装が派手なだけに、かえって、寒そうに感じる。互いに抱き合
う形の美しさ。ふたりが頼って来た百姓家は、実家ではなく、「親たちの家来も同
然」という忠三郎宅。忠三郎不在で、女房から、大坂での事件を聞かされ、身許を明
かせないまま、「年籠りの参宮」と、ごまかし、忠三郎を呼んで欲しいと女房に使い
を頼む。

家に入ったふたりは、上手の奥の間、「反古障子を細目にあけ」て、吹雪の畠道を通
る人々の中に、老父・孫右衛門がいないかを見守る。桶の口の水右衛門、伝が婆、置
頭巾、弦掛の藤治兵衛、針立の道庵など、忠兵衛顔見知りの村の面々が、寺に法話を
聞きに行く情景が描かれる。忠兵衛は、梅川に、得意げに、人物寸評をする。ここ
は、歌舞伎では、あまりやらない場面。さまざまな人形が登場するのも、おもしろ
い。怪しい巡礼姿の男(実は、八右衛門)が、家内を窺っている。

それと気づかず、忠兵衛「アレアレあそこに見えるのが親父様」で、孫右衛門登場。
「せめてよそながらお顔なりとも拝もうと」と、忠兵衛は、梅川に、遠目ながら、老
父を紹介する。忠兵衛「今生のお暇乞」、梅川「お顔の見初めの見納め」。

孫右衛門は、雪道に転んで、高足駄の鼻緒が切れる。あわてて、飛び出す梅川。家の
中に招き入れ、忠兵衛の代りに、「嫁の」梅川が、父親の面倒を見る。初見ながら、
「嫁の梅川」と悟る孫右衛門。梅川の機転で、再会を果たす忠兵衛と孫右衛門。ここ
は、歌舞伎も同様。巡礼に化けていた八右衛門の知らせで、近づいて来る追っ手の声
を聞き、孫右衛門は、忠兵衛と梅川をよそで捕まれと逃がそうと、百姓家裏の抜け道
を教える。

歌舞伎では、やがて、百姓家の屋体が、上手と下手に、二つに割れて行く。舞台は、
竹林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見に替わる。だが、人形浄瑠璃
では、百姓家暫くそのまま。傘をさして外に出た孫右衛門。暫くあって、百姓家の屋
体全体が、下手に、引き道具。半分ほど、下手に隠れたところで止まると、上手に竹
林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見が、現れる。逃げて行く忠兵衛
と梅川の姿は、もう見えない。

歌舞伎では、この場面では、カップルの役者が、そのまま逃げて行くか、子役の遠見
を使って、遠く、小さくなって行くカップルの姿を描き出す。舞台全体が、真っ白に
なるほど、霏々と降る雪。しかし、人形浄瑠璃では、それほど、雪を降らせずに、む
しろ、たった一人で舞台に取り残される老父の孤独感を描いているように見受けられ
た。説明的な歌舞伎の演出に比べて、人形浄瑠璃では、傘をつぼめて、顔を隠して、
「長き親子の別れ」に対する見えない老父の情をくっきりと観客に印象づける。総じ
て、この演目では、歌舞伎の方が、ビジュアル度(絵面)が高いと思った。

今回の「新口村の段」では、上演途中で、幕が閉まる場面があった。午後5時18分
地震発生であった。1分くらい揺れていたように思う。M7・3。三陸沖が震源地。東
京は震度4。国立劇場では、暫く上演を続けた1、2分後、一旦、幕を閉めて、8、
9分間くらい中断。竹本の文字久大夫が、落着いた声で、「そのまま座っていて下さ
い」という。場内アナウンスもあり。太夫も三味線方も、床に座ったまま、待機。そ
れでも、何人か席を立って帰っていった。道具方か弟子かから、床の三味線方に耳打
ちがある。やがて、「地震が収まったようなので、上演を再開します」という場内ア
ナウンスがあると、おとなしく待っていた観客席から拍手が起こる。5時28分再
開。文字久大夫が、先ほど、一度語った場面をなぞるように語り出す。竹本:「涙の
隙に巾着より、金一包み取り出だし」で、静止して待っていた孫右衛門(玉也が遣
う)と梅川(清十郎が遣う)が、動き出す。中断した後の場面が描き出され、語り継
がれ、「平沙の善知鳥値の涙、長き親子の別れには、やすかたならで安き気も、涙々
の浮世なり」(幕)。午後5時40分頃の終演であった。3回観た「新口村の段」だ
が、生涯忘れられない場面となった。

人形遣は、忠兵衛が、吉田文司。梅川が、豊松清十郎。孫右衛門が、吉田玉也。首
(かしら)は、忠兵衛が、源太。梅川が、娘。孫右衛門が、定之進。
- 2012年12月14日(金) 14:23:07
12年12月日生劇場 (新派「日本橋」)


姉幻想・母なるものへの憧れ・雛人形偏愛


98年前、1914(大正3)年に泉鏡花が自分の小説を戯曲化した作品「日本橋」
が原作。1915(大正4)年3月、東京の本郷座で初演された。初演時の主な配役
は、お孝(喜多村緑郎)、葛木晋三(伊井蓉峰)、清葉(木村操)、お千世(花柳章
太郎)、五十嵐伝吉(小織桂一郎)など。新派劇の古典的な作品である。玉三郎が、
25年ぶりにお孝を演じるというので、「日本橋」を観た。久しぶりの玉三郎の舞台
もさることながら、新派と旧派(歌舞伎)を比較してみたいと思い、日生劇場に足を
運んだ。

登場人物と簡単な芝居の粗筋(場面展開とは違う)。稲葉家のお孝(玉三郎)は、意
地と張りが身上の日本橋芸者。雛妓お千世(斎藤菜月)らを抱えている。ライバル
は、清葉(高橋恵子)。品がよく、内気な性格で、お孝とは正反対。ふたりの間では
男の取り合いもする。元海産物問屋の五十嵐伝吾(永島敏行)も、そのひとり。稲葉
家の2階に屯している。苦学して医学博士になった葛木晋三(松田悟志)は、自分に
よく似た雛人形を形見として残して、行方知れずの旅に出かけてしまった(原作で
は、自分の学費のために妾として身を売った)姉の面影=雛人形に似ているのを清葉
に感じとり、雛祭りの翌晩、7年越しの思いを打ち明けるが、旦那のある身と拒否さ
れてしまう。放生会で雛に飾ってあった栄螺と蛤を一石橋の上から、日本橋川に放り
入れる。嬰児を投げ捨てたと勘違いした巡査に不審尋問されるが、通りかかったお孝
に救われる。お孝も放生会で栄螺と蛤を放り入れに来たのだ。葛木の話を聞き、お孝
は、清葉とのライバル心もあり、その夜のうちに結ばれてしまう。お孝は、伝吾から
葛木に乗り換えた体(てい)。

雪の晩、稲葉家から追い出された伝吾は、お孝と葛木の仲を知って、葛木にお孝と別
れてくれと脅しに来る。執念深さに辟易した葛木は、姉の面影を求めて、雲水姿にな
り行方定めぬ旅に出てしまう。翌年、葛木に去られて憔悴したお孝はうつ病になって
いる。雛妓のお千世がお孝の面倒をみている。街角で、お千世に出会い、お孝の病の
ことを知った清葉が見舞いに来ていると、留守にしていた清葉の家から火が出たとい
う知らせが入る。火事騒ぎに紛れてお孝への復讐心も燃やした伝吾が稲葉家に駆けつ
け、お孝に貰った衣装を身に着けていたお千世らを殺してしまう。伝吾を追いかけ、
路上で伝吾の刀を奪って刺し殺す。自分も毒を呑む。駆けつけた雲水姿の葛木に抱き
抱えられながら、息絶えるお孝。

ご都合の良い粗筋だが、基本的に原作通りの展開。幕と場の構成は以下の通り。
第一幕第一場「一石橋の朧月」、第二場「待合桃園」。第二幕第一場「稲葉家の茶の
間」、第二場「稲葉家の二階」。第三幕第一場「雪の一石橋」、第二場「生理学教
室」。第四幕第一場「桧物町小紅屋前」、第二場「稲葉家の茶の間」、第三場「桧物
町の路上」、第四場「稲葉家の茶の間」、第五場「桧物町の路上」。

若干の補足。一石橋は、旧江戸城の外濠と日本橋川の分岐点に架かった橋。江戸時代
両方の橋詰にふたつの後藤家があり、「五斗(後藤)と五斗(後藤)で、一石(いっ
こく)」ということで、橋の名前がつけられたという。通称・外堀通りが通る。いま
では、「いちこくはし」ともいう。近くに日銀、三越本店がある。橋上を高速道路が
覆い、近くに呉服橋の出入り口がある。

場内暗転の中で、緞帳が上がり、三味線と歌が聞こえるうちにスポットが一石橋を照
らす。第一幕第一場「一石橋の朧月」。舞台背景に大きな朧月が掛かっている。上手
側から葛木が橋を渡って来る。一石橋の舞台奥が上流。手前が下流(日本橋川では、
現在も、上流から常磐橋、一石橋、西河岸橋、日本橋が架かっている)。葛木は、一
石橋の上から、上流側に何かを放り込む。上手から巡査が現れ、葛木を誰何し、やが
て、不審尋問を始める。橋の西詰には、瓦斯灯があり、淡い光を投げかけている。暫
くすると、瓦斯灯の灯りの中にお孝(玉三郎)が現れる。機転を利かせて、葛木を助
ける場面へ続く。

第一幕第二場「待合桃園」では、葛木(松田悟志)を挟んで、上手側に清葉(高橋恵
子)、下手側にお孝がいるが、清葉とお孝は、交互にスポットを当てられ、葛木との
絡みの芝居をする。

第三幕第一場「雪の一石橋」は、橋の大道具が下手側に移っている。舞台は、雪布を
敷き詰めている。上手舞台前に階段が設えられ、客席から相合い傘のお孝と葛木が、
芝居をしながら、舞台に上がって来る。お孝が傘で人力車の見立てをしながら、葛木
を残して一石橋を渡って下手へ退場して行く。やがて、伝吾が、葛木にお孝と別れて
くれと脅す場面に繋がる。

第三幕第二場「生理学教室」。葛木の職場。テーブルの上に雛飾りがある。葛木の姉
似という人形もある。雛祭りの晩の様子。お孝が偲び入れられている。28歳の若さ
で亡くなった鏡花の母・鈴。鏡花は、母を求めて作品化をした作家だ。母が亡くなっ
た後、形見として大事にしていた雛人形を鏡花は、火事で失ってしまっただけに、雛
人形への思い入れは強いのだろう。

第四幕第一場「桧物町小紅屋前」で出て来る地蔵飴屋・仁作(市川笑三)がおもしろ
いキーパーソンだ。まっかな帽子と襟巻き姿が、地蔵なのだろう。雲水姿で放浪の旅
立ちをしたばかりの葛木が通りかかると、数珠を渡そうとする。葛木似の女性から手
渡され、自分を守ってくれた数珠なので、雲水のお守りに渡したいという。姉幻想に
取り付かれた葛木の心を揺さぶる。奇妙な場面として印象に残った。虐めっ子らに囲
まれて困っていたお千世を助ける雲水姿の葛木。困っていたお千世を助けることも出
来ず、困惑しながら黙って見ている異装の飴屋。

第一幕第一場「一石橋の朧月」。葛木に不審尋問した巡査に啖呵。お孝の科白:「女
房と名告(なの)って、一所に詣る西河岸の、お地蔵さまが縁結び……これで出来な
きゃ、世界は暗(やみ)だわ」。西河岸橋は、日本橋川の一石橋と日本橋の間に架か
る橋である。

この後は、「稲葉家の茶の間」、「桧物町の路上」、「稲葉家の茶の間」、「桧物町
の路上」と交互の展開となり、清葉のお孝見舞い、清葉の自宅火災の近場、伝吾のお
千世らの殺し、お孝の伝吾への復讐と自殺という場面に繋がる。最後に残るのは、清
葉と葛木。

旧派と新派。明治の演劇改良運動以降、歌舞伎は旧派として貶められ、新派などの改
良劇が、もてはやされた時期がある。歌舞伎との比較では、大道具は、すべて引き道
具で場面展開された。場面展開は、まだらな照明で、隠されながら、作業をしてい
た。スポットの活用も目立つ。最後は、緞帳が降りて来たが、緞帳に柝の音が被さっ
ている。暗転。カーテンコール有り。

玉三郎についていえば、科白廻しや声が女形の甲(かん)の声でもなく、地声でもな
く、自然な感じで女らしい口跡と受け取れた。新作歌舞伎のような感じ。今回の芝居
には、玉三郎のほかに、歌舞伎役者が出演している。芸妓・千鳥(中村京妙)、芸
者・鶴也(坂東玉朗)、火消し・銀造(坂東功一)、鳶(坂東玉雪)、地蔵飴屋・仁
作(市川笑三)、町女房・およし(坂東守若)。

このほかの配役では、植木屋・甚平(江原真二郎)、巡査・笠原信八郎(藤堂新二)
ら。

全体を通じて感じたのは、舞台から、余り日本橋らしい華やいだ雰囲気が伝わって来
なかったこと。大道具にもう一工夫があれば良かったのかもしれない。
- 2012年12月9日(日) 17:40:47
12年12月国立劇場 (「鬼一法眼三略巻」)


吉右衛門の巧さ堪能


この演目は、通常、通称「菊畑」、「一條大蔵譚」として、それぞれ独立して上演さ
れることが多い。今回は、国立劇場らしく、「鬼一法眼三略巻」4幕として、「清盛
館」を「序幕」として上演する。43年ぶりの上演という。いわば、半通し狂言とな
る。今回の幕の構成は、次の通り。序幕「六波羅清盛館の場」、二幕目「今出川鬼一
法眼館菊畑の場」、三幕目「檜垣茶屋の場」、大詰「大蔵館奥殿の場」。

「鬼一法眼三略巻」は、文耕堂らが合作した全五段の時代浄瑠璃。今回序幕「六波羅
清盛館の場」、二幕目「今出川鬼一法眼館菊畑の場」(通称「菊畑」という)は、本
来の三段目。三幕目「檜垣茶屋の場」、大詰「大蔵館奥殿の場」は、本来の四段目
(「檜垣茶屋の場」、「大蔵館奥殿の場」を合わせて、通称「一條大蔵譚(いちじょ
うおおくらものがたり)」という)。私は、「菊畑」、「一條大蔵譚」として、それ
ぞれ6回拝見しているが、半通しは、初めて。特に、「六波羅清盛館の場」は、初
見。それ以外は、今回で、7回目の拝見となる。

特に、「菊畑」は、歌舞伎の典型的な役どころが揃う(それに伴い衣装も見栄えがす
る)ので、「絵面」、つまり視覚的に舞台映えがするから、良く上演される。

私が観た「菊畑」の主な登場人物。奴役の智恵内、実は、鬼三太(黒の衣装):吉右
衛門(2)、富十郎、團十郎、仁左衛門、幸四郎、そして、今回が、又五郎。奴なが
ら若衆役の虎蔵、実は、牛若丸(紫の衣装):芝翫(2)、勘九郎時代の勘三郎(今
月、亡くなってしまった! 合掌)、菊五郎、染五郎、襲名披露興行の錦之助、そし
て、今回が、梅玉。老け役の鬼一法眼(茶の衣装):富十郎(3)、左團次(2)、
権十郎、そして、今回が、初役の吉右衛門。赤姫役の皆鶴姫(赤の衣装):時蔵
(2)、芝雀(今回含め、2)、雀右衛門、菊之助、福助。そして、憎まれ役の湛海
(白の衣装):正之助時代の権十郎(2)、彦三郎、段四郎、歌六、歌昇時代の又五
郎、そして、今回は、又五郎の息子の歌昇。

次いで、「一條大蔵譚」。私が観た大蔵卿は、吉右衛門(今回含めて、4)、猿之
助、襲名披露興行の勘三郎、菊五郎。常盤御前は、芝翫(2)、鴈治郎時代の藤十
郎、雀右衛門、福助、時蔵、そして、今回が、魁春。鬼次郎は、梅玉(今回含め、
4)、歌六、仁左衛門、團十郎。

今回は、いつもの劇評スタイルは取らずに、人物とそれを演じた役者競べを中心に書
いてみたい。

まず基本は、外題にある通り。吉岡3兄弟(鬼一、鬼次郎、鬼三太)の物語。文耕堂
らの合作は、起伏に乏しく、ドラマチックではないということで、初演が人形浄瑠璃
なのに、今では、人形浄瑠璃では、「菊畑」以外は、ほとんど上演されなくなった。
代わりに、歌舞伎では、人形浄瑠璃にない場面や人物造形で、膨らませ、いわゆる
「入れごと」という「補強」をして、しばしば上演されて来た。今回、人物に注目す
るのは、そういう歌舞伎味を見ておきたいからである。

まず、時の権力者・平清盛、源平に分裂する吉岡3兄弟(鬼一、鬼次郎、鬼三太)、
源氏方、後の義経である牛若丸と恋人皆鶴姫(鬼一の娘)、そして、公家の一條大蔵
卿、妻の常磐御前。一條大蔵卿は、いわば、マージナルマン。権力の対立の構造の中
で、知識人は、如何にふるまうべきか、という時空を超えた普遍的な問題に対して、
ひとつの回答を示している。

今回、平家の総大将・清盛を演じたのは歌六。このところ、脇役で存在感を発揮して
いる。清盛は、兵法書として名高い「三略の虎の巻」を持っていないので、代々、虎
の巻を伝える吉岡家の当主・鬼一法眼に差出すようにと強要している。権力者は、我
慢が苦手だ。御殿の御簾が上がると、中央に清盛。朱の衣に金色の袈裟懸けで入道の
装い。酒乱のようで、家臣らとやり取りしながら、何度も大杯を傾けている。家臣の
播磨広盛(松江)、広盛の意を受けて鬼次郎・鬼三太の兄弟の行方を追う笠原湛海
(歌昇)らは、平家方で動く。

吉岡3兄弟(鬼一、鬼次郎、鬼三太)のうち、長男の鬼一(吉右衛門)は、元源氏方
だが、今は、平家一門の兵法師範。肚は源氏再興だ。二幕目から登場する。鬼一の息
女が、皆鶴姫(芝雀)。父親・鬼一の名代として、清盛館に虎の巻を持参する筈。次
男の鬼次郎(梅玉)は、三幕目から登場し、常磐御前の部屋への侵入を企てている。
鬼三太は、奴智恵内に扮装を変えて兄の鬼一の館に潜り込んでいる。次男と三男は、
源氏方として、いわば諜報活動をしている。

清盛館に皆鶴姫(芝雀)がやってきた。姫に横恋慕する湛海は、公私混同で、姫にス
トーカー行為をする。剣術の試合の体で、長刀で鬼一の一番弟子の湛海をやっつける
皆鶴姫。極めつけの女丈夫でもある。姫は、さらに、虎の巻の替わりに持参した一巻
を読み上げる。清盛専横を非難する諌言書であった。扮装は典型的な赤姫だが、度胸
もある姫だ。

諌言書を書いたのは、清盛の長男・重盛(錦之助)。虎の巻を持参できなかった姫に
事前に諌言書を手渡していたのだ。権力狂いの父親を諌める知将の重盛というところ
か。重盛は、皆鶴姫を支える。しかし、権力者が好き勝手をするのは、当然と嘯く清
盛。虎の巻は、明日持ってこいと、姫に命じる。歌六は、今回もぶれていない。困っ
た親父の清盛を演じる。

「菊畑」では、鬼一(吉右衛門)、鬼三太(又五郎)のほか、清盛館から早々と戻っ
て来たのが、皆鶴姫の供の奴虎蔵、実は牛若丸(梅玉)。吉右衛門の鬼一は、初役。
その後、皆鶴姫(芝雀)らが戻って来る、というお馴染みの場面。源平の時代に敵味
方に別れた兄弟の悲劇の物語という通俗さが、歌舞伎の命。鬼一息女の皆鶴姫の供を
していた虎蔵、実は、牛若丸が、姫より先に帰って来たのを鬼一が咎める。鬼一は、
知恵内(鬼三太)に虎蔵(牛若丸)を杖で打たせようとするが、ここは、「勧進帳」
で弁慶が義経を打擲したのと違って、鬼三太は、牛若丸を討つことが出来ず苦境に落
ち込む。戻って来た皆鶴姫がふたりの正体に気付いていて、急場を救う。鬼一は、鬼
三太や牛若丸には、肚を見せないが、観客には、肚を感じさせなければならない。鬼
一が退場した後、牛若丸は鬼三太を叱る。「裏返し勧進帳」という場面。鬼三太を演
じる又五郎の脇も渋い。

牛若丸と皆鶴姫。美男美女。牛若丸の梅玉は、こういう役ははまり役。後の義経とい
う若武者、若奴虎蔵としての色気。團十郎と同年の梅玉だが、はまり役以外の役柄
に、もうひとつ、抜き出せないでいる。芝雀の皆鶴姫は、ここでも度胸を示す。鬼三
太に牛若丸への恋を貫く姿勢を見せて、動じない。美形の赤姫ながら、なかなかの女
傑ではないか。恋ゆえに、父親鬼一の寝間へ、姫は牛若丸と鬼三太を案内して行く。
芝雀は、正面の表情が、父親の雀右衛門に似て来た。牛若丸らは直談判で、虎の巻を
譲り受けようというのだ。

この後は、「一條大蔵譚」。吉右衛門(一條大蔵卿)と梅玉(鬼次郎)の芝居になっ
てくる。本来、人形浄瑠璃の四段目は、鬼次郎の物語なのだが、主人公の鬼次郎と脇
の人物・大蔵卿が、キャラクターのおもしろさ故に、主と脇が、「逆転」してしま
い、現在上演されるような大蔵卿を軸とする演出が定着してしまった。特に初代吉右
衛門の功績が大きい。

初代以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、今回も巧かった。滑稽さの味は、いま
や第一人者。亡くなった勘三郎も、味があったし、菊五郎も巧かったが、吉右衛門
は、阿呆顔と真面目顔の切り替えにメリハリがある。阿呆顔は、いわば、「韜晦」、
真面目顔は、「本心」、あるいは、源氏の血筋を引くゆえの源氏再興の「使命感」の
表現である。

「檜垣茶屋の場」。白河御所では、能の催し。「大蔵様のように、きょうは、お能、
あすは紅葉……」。終演を待っている仕丁たちが、門前で世間話をしている。仕丁た
ちが去ると、花道から鬼次郎(梅玉)と妻のお京(東蔵)が、やって来る。能の催し
が終わり、大蔵卿(吉右衛門)が、腰元や仕丁たちを連れて、門内から出て来る。大
向うから「大播磨」と声が掛かる。鬼次郎らとクロスするように大蔵卿一行は、花道
へ。門前に佇む鬼次郎。七三で門前を眺める大蔵卿。ふたりの視線が交差する。阿呆
面をしていた大蔵卿が、鬼次郎を認めて、視線を鋭くする。一瞬真顔を見せるのであ
る。「檜垣茶屋」の場面では、唯一の真顔の場面となる。この変化が素晴らしい。
「奥殿」では、阿呆面と真顔を緩怠なく交差させる場面が続くことになるが、そこよ
り、この場面だ。見逃してはならない。鋭い視線で射抜かれたようで、動きの取れな
い鬼次郎を隠すように、定式幕が閉まって行く。

幕外では、一行の引っ込み。大蔵卿、腰元、仕丁の順で、向う揚幕へ。最後に、召し
抱えられたばかりのお京が、大蔵館奥殿に潜り込む使命を帯びて、一行の後について
行く。奥殿には、清盛の愛妾から大蔵卿の妻になった常磐御前が住んでいるのだ。鬼
次郎とお京の夫婦は、常磐御前に直談判を目論んでいる。東蔵のお京は、初役。

大詰「大蔵館奥殿の場」。まず、網代の塀。中央上手寄りに、木戸。下手より、竿燈
を持った梅玉。上手より、行灯を持った東蔵。木戸で出会うふたり。「示し合わせた
両人が、…」で、ふたり揃って、上手袖から、奥殿へ向かう。黒衣が、木戸を片付け
ると、網代塀が、真ん中から割れて、上下に引っ込まれると、そこは、奥殿。

やがて、舞台下手から、鬼次郎らが、現れる。奥殿の御簾が上がると、中には、常盤
御前(魁春)。常磐御前も、義朝の愛妾で、牛若丸(後の義経)らの母であり、平家
への復讐心という本心を胸底に秘めながら、平清盛の愛妾になった後、さらに、公家
の大蔵卿と再婚している。この芝居でも、大蔵館奥殿で楊弓の遊びに興じているが、
実は、これも韜晦。遊びの楊弓の的(黒地に金の的が3つ描かれている)の裏に隠さ
れた平清盛の絵姿で、真情(平家調伏の偽装行為)が判明する仕掛けになっている。
常磐御前は、動きが、少ないが、肚で芝居の進行に乗っていかなければならないの
で、大変だ。御前としての格と存在感を動かずに演じなければならない。魁春は、こ
のところ、時々、六代目歌右衛門そっくりに見えることがある。芝翫、雀右衛門、さ
らに若い勘三郎まで亡くなってしまった歌舞伎界。玉三郎、魁春辺りが、真女形の軸
にならなければならないだろうという思いを強く感じる。

「いまこそ明かす我が本心」と大蔵卿。本舞台から階段へ乗り出す際、飛び上がっ
て、左右の足を段違いに着地する大蔵卿。これも、緊張する場面だ。本心を隠し、的
確に阿呆顔を続ける、抑制的な、器の大きな知識人・大蔵卿は、かなり難しいキャラ
クターであろう。対立の構図の中では、どちらにも与せず、様子を見る。客観的な分
析の時間を稼ぐために擬装する。それだけに、このキャラクターづくりが、主役を演
じる役者の工夫となり、代々の役者が、役づくりを腐心して来たのだと思う。特に、
初代と二代目の吉右衛門は、当り役として、藝を磨いて来た。

金地に大波と日の出が描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換える
など、阿呆と真面目の使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現しなければならな
い大蔵卿を吉右衛門は的確に演じていた。科白廻しと間の取り方も巧い。

平家の知将重盛に引っ掛けた「古歌」の短冊。平家方の八剣勘解由(由次郎)の首と
源氏所縁の重要な宝剣・友切丸を鬼次郎に託す場面の大蔵卿は、公家ながら、一瞬、
颯爽の、武士の顔を垣間見せるが、その後、「命長らえ、気も長らえ」「元の阿呆に
なるだけ」「めでたいのう」などと、韜晦の「つくり阿呆」の顔に戻らなければなら
ない。大蔵卿は、どこまでもしたたかである。

贅言1):女小姓ふたり。「菊畑」で鬼一に付き従う小姓は、振袖姿の女小姓楓(廣
松、友衛門の次男)。「檜垣茶屋」で大蔵卿に付き従う小姓も、やはり、振袖姿の女
小姓で、こちらは、弥生(米吉、歌六の長男)米吉は、ごつい立役顔の父親とは違っ
て、素顔も優しい女形の顔だ。ついでに、もう一人の若女形も紹介したい。「菊畑」
で湛海来訪を告げに花道からやってくる腰元白菊(種之助、又五郎の次男)も、初々
しい。

贅言2):大蔵卿が、客席に顔を向けたまま後ずさりながら階段を昇る場面では、黒
衣が、吉右衛門背後の危機管理をしていた。染五郎も、こういう危機管理を黒衣に任
せていれば、奈落から落ちる事故も防げたかもしれない。
- 2012年12月9日(日) 12:05:02
12年11月新橋演舞場 (夜/「熊谷陣屋」「汐汲」「四千両小判梅葉」)


大役代役初役 松緑の直実


「熊谷陣屋」は、歌舞伎でも人形浄瑠璃でも観ているが、歌舞伎が圧倒的に多い。人
形浄瑠璃の舞台を入れると、私は17回目の拝見。1994年4月の歌舞伎座が初
見。初代白鸚十三回忌追善の舞台で、熊谷直実は、幸四郎が演じた。

以来、96年2月の歌舞伎座で、「陣門」「組打」「陣屋」、今年、2012年3月
の国立劇場の「半通し」(「堀川御所の場」、「兎原里(うばらのさと)林住家の
場」、「生田森熊谷陣屋の場」。「陣屋」では、「入り込み」=相模や藤の方など関
係者が、次々と花道から登場し、熊谷陣屋に入って行く場面=ありという構成。通常
は、舞台中央の襖が開き、既に陣屋に入っている相模が奥から出て来る場面から始ま
る。このうち、序幕「堀川御所の場」は、98年ぶりの復活だった)を観る機会が
あったが、通常は、「熊谷陣屋」のみの「みどり」上演であった。今回は,仁左衛門
の直実で「熊谷陣屋」のみの上演が予定されていたが、初日のみの出演で、2日目以
降は、体調不良で休演となった。松緑が直実役を初演で代演した。

松竹演劇部作成の戦後の主な劇場での上演記録を見ると、当代の松緑が、熊谷直実を
演じた記録はない。「主な劇場」での上演ではない形で、直実を演じているのかもし
れないが(あるいは、表舞台に出なくても、いずれ演じる役として、日頃から精進し
ているのだろう)、本興行では、初役である。それも仁左衛門の直実を想定した配役
の中で、松緑が主役を演じる訳だから、そのプレッシャーたるや、如何に、というと
ころだろう。

祖父の二代目松緑は、直実役を得意とし、13回も演じているから、当代の松緑もこ
れを奇貨として直実役の上演を増やしていって欲しい。そういう意味では、松緑に
とって今回はビッグチャンスであるし、それを生かし切れば、記念すべき初演の舞台
となるであろうと思う。

今回の「熊谷陣屋」劇評は、突然の大役代役初役という松緑のプレッシャーを承知し
ながら、松緑論に絞って書いてみたい。

仁左衛門の直実は、98年2月歌舞伎座、十五代目仁左衛門襲名の舞台(直実:仁左
衛門、相模:雀右衛門、藤の方:玉三郎、義経:團十郎。弥陀六:十七代目羽左衛
門。襲名披露の舞台とあって、配役のバランスが良いだけでなく,豪華だ)と05年
11月歌舞伎座(直実:仁左衛門、相模:雀右衛門、藤の方:秀太郎、義経:梅玉。
弥陀六:左團次。こちらも、配役のバランスは良い)で2回観ている。05年11月
の劇評をコンパクトに引用した上で、今回の松緑の直実と比較するという手法をとっ
てみよう。但し、幾つも比較しなくても良いだろう。

*仁左衛門は、7年前(98年2月歌舞伎座)に比べても、風格のある直実であっ
た。科白も立派、仁も柄も、ぴったり。「敦盛の首」、実は、「小次郎の首」が、直
実から藤の方に見せるために、相模に手渡されるが、仁左衛門の型は、小次郎の首
が、母親の相模に見えるように手渡されるという、独特のものだが、この仁左衛門家
伝の演出は、今回も、納得しながら拝見した。直実と義経のとっては、承知の上での
フィクションとしての「敦盛の首」だが、相模は、わが子、小次郎の首と知ってい
る。ここの登場人物で、真実を知らないのは、義経の四天王を除けば、敦盛の生母・
藤の方だけである。そういうシチュエーションのなかで、所縁の者に首を見せよ、と
いう義経の心も、直実の心も、相模に向いている。相模は、ふたりの意向を胸で受け
止め、藤の方に「敦盛の首」を確認させる前に、小次郎の首としみじみと対面するの
である。そういう意味では、仁左衛門の型は、非常に合理的で納得しやすい。だか
ら、相模を演じる雀右衛門も、たっぷりと母の情愛を込めて、首を抱き締め、抱き締
めしながら、小次郎の首にとっては、フィクションの母になる藤の方へ、「敦盛の
首」を渡す間が普通の型より時間が架かり、充分な見せ場を構成することになる(こ
の場の、フィクションを強制しているのは、実は、皆が、陣屋の奥に、源氏方の梶原
景高が、首実検の様子を窺っていることを知っているからである。ところが、その
後、舞台に登場する景高は、皆の努力の甲斐もなく、「敦盛の首」が、偽首であるこ
とを察知してしまうのは、承知の通りである)。

夕闇迫る陣屋、花道の引っ込みを前に、自分が手をかけて、16歳で殺した息子の全
生涯を思い、「ア、十六年はひと昔、アア夢だ、夢だ」という科白(仁左衛門は、父
の十三代目が「アア夢だ、夢だ」と言わずに、「夢であったな」としみじみと言う通
りに,自分も演じるというが、私の2回の劇評では、そういう風には、記録していな
かったので、今回は是非とも、確かめたかったーー今回、注)で、98年2月、仁左
衛門は、両目に泪を溢れさせた。仁左衛門の直実の泪は、強烈な印象として残ってい
る。

今回の松緑は、どうであったか。大役の代役で、しかも初役。2日目の舞台がどうで
あったか。観ていないので判らないが、私が観た7日目の舞台では、兎に角、科白を
とちらず、演技を途切れさせずに引っ込みまで演じ終えた。しかし、四代目松緑とい
う名跡を襲名した以上(既に触れたように、祖父の二代目は、直実を13回演じた当
り役であった。従って、当代の松緑は、いずれ直実を演じるということで、研鑽を積
んで来たであろう。直実の肚を持ち、義経との対応の場面などで、動かずに座ってい
ても、身内から沁み出るように演じるのは、難しいだろう。

花道から陣屋に戻り、堤軍次のほかに東国に居る筈の妻の相模の姿を認め、不機嫌に
なった直実(松緑)の口からは、重々しく、ゆっくりとした科白が出て来た。それで
いて、科白廻しは平板で、深みや幅、奥行きがない。急遽の代役で、役の掘り下げが
十分ではないのかもしれない。間違えずに科白を言っているだけという感じであっ
た。熊谷直実の人生や経験が滲んで来ない。台本にある科白を松緑がしゃべっている
だけという印象だった。

いつもの猫背も気になる。武将直実の風格ではない。松緑は、元々、人形浄瑠璃の
「首(かしら)」のような顔つきだが、今回は、所作も、オーバーで、人形のような
動きに見える。動きが、表面的で、上滑りしている。2日目以降、私が観た1週間目
までは、演技を途切れさせないだけで、精一杯だったのかもしれない。フィクション
としての、敦盛の首を討ったという武将としての偽りの苦渋の下に、ノンフィクショ
ンとしての、我が子小次郎の首を討ったという父親としての真の情愛を感じさせなけ
ればならない。僧形になってからの鬘が、余り良くないのも改めた方が良い。

まして、同じ舞台に立っているのは、本来、仁左衛門直実に対抗するための配役であ
る。今回、2回目の相模を演じる魁春。魁春は、最近、養父の歌右衛門に演技が似て
来た。小次郎の首を胸に抱え込んでしまうと、「敦盛の首」というフィクションは、
母の情愛からはじき出されてしまう。科白廻しも良い。小次郎の首と周りには悟られ
ないようにしながらも、配慮の外に滲み出る我が子への情愛。直実も義経も、それを
疾うに知っている。

6回目の藤の方を演じる秀太郎。秀太郎の藤の方も、本来は、味があるが、直実対相
模・藤の方というコントラストの構図が、今回は、見えにくかった。直実が掘り下げ
られていないからだろう。藤の方は、直実から差出された首が,我が子敦盛の首では
ないと判りながら、では,「この首は、誰の首」という疑問を持っている。不可解な
まま、相模と直実・義経との対応ぶりを傍観している。相模のかつての上司の藤の方
は、位取りが難しい。弥陀六が背負うことになる鎧櫃の蓋が弥陀六によって開けられ
た刹那、藤の方の不可解さが氷解する。

義経を演じた梅玉は、筋書の上演記録では、9回目の義経。風格のある義経で、科白
廻しも、松緑と比較するのが可哀想なほど自然ながら、深み奥行きもあった。

左團次の弥陀六も、筋書の上演記録では、9回目。「平家の残党刈り集め、恩を仇に
て返さば……、この弥陀六は時を得て、また宗清と心の還俗」という野心を胸の秘め
ている。源氏方ながら平家の敦盛を生き延びさせる直実。その思いを受け止めて、敦
盛を鎧櫃に匿って背負って逃げる弥陀六。源平の戦世を生きるふたりの武将。そうい
う弥陀六を左團次は演じ切る。

こういう厚めの共演者とバランスの取れるのが仁左衛門の存在だった。それが休演を
し、大役代役初役を連日勤めている松緑は、大変だが,頑張っているのだろう。大向
うからは、「音羽屋」「紀尾井町」「四代目」などと、温かい掛け声がかかってい
る。苦しさの果てに未来が開ける。いずれ二代目の味を甦らせるであろう松緑の奮闘
を見守りたい。


「汐汲」は、初見。「松風」の趣向を取り入れた新作の舞踊劇。東京では、初御目見
え。松と砂丘、その向うに海が広がっている。「恋の重荷と思えばほんに憂しと思わ
ぬ潮路かな」。大せりで「蜑女(あま)の苅藻(みるめ)」に扮した坂田藤十郎が、
せり上がって来る。平安時代の中期。須磨に流されていた在原行平は許されて都へ
戻ってしまった。契りを結んでいた娘は残された。恋人への思いを抱いて行きてい
る。苅藻に横恋慕する漁師の此兵衛(翫雀)が、花道から現れ、ストーカーとなり、
苅藻にまとわりつく。それをあしらいながら苅藻は花道を逃げて行く。追いかける此
兵衛。翫雀の襷が、取れかかってしまうが、なんとか、揚げ幕まで持ちこたえる。苅
藻の衣装の引き抜き、此兵衛との所作ダテを含む舞踊劇。


男たちの群像劇


「四千両小判梅葉」を観るのは、2回目だが、15年前なので、劇評は初登場とな
る。それゆえ、粗筋もコンパクトながら書いておこう。

河竹黙阿弥が江戸城の御金蔵破りという幕末の1855(安政2)年に実際に起きた
事件を素材に、30年後の1885(明治18)年に東京の千歳座で初演した実録風
の新歌舞伎作品。当時の風俗資料を活写する芝居だろう。初演時、五代目菊五郎、七
代目市川団蔵を軸に配役された。

河竹黙阿弥は、この事件を2回劇化していて、最初の作品は、事件の4年後、185
9(安政6)年、通称「十六夜清心」、「花街模様薊色縫(さともようあざみのいろ
ぬい)」として、場所、登場人物を変えた古典歌舞伎の手法で初演した(こちらの方
が、今も、時々、上演される)。幕末の黒船来航、安政大地震など不安な世相を踏ま
えて上演された先行作品として、「十六夜清心」の方が、歌舞伎作品としての質は高
い。

序幕第一場「四谷見附外の場」。江戸城の四谷見附門外。堀端におでんと燗酒を扱う
屋台が出ている。賭場から帰る屋敷勤めの中間(ちゅうげん)相手の小商いだ。店主
の富蔵(菊五郎)の近くで、駕篭から降りたのは富蔵の旧主の息子・藤岡藤十郎(梅
玉)。恋敵の伊丹屋の若旦那(松也)の掛け取り金100両を奪い取ろうと暗がりで
待ち伏せする心づもりだ。「どうせ悪事をするなら、大きな仕事をしよう」と、富蔵
は御金蔵破りを唆す。主犯は、町人の富蔵、従犯は、武士の藤十郎というのも、味
噌。

序幕第二場「牛込寺前藤岡内の場」。富蔵と藤十郎が、御金蔵を破り、4000両を
盗み出して、藤岡宅へ戻って来た。千両箱を前に、度胸のない藤十郎の小心から仲違
いするが、藤十郎が謝って関係修復。ふたりは千両箱を寝間の床下に埋める。

二幕目「中仙道熊谷土手の場」。その後、富蔵は、300両を懐に母親に会うため
向った金沢で捕縛され、唐丸籠に乗せられて江戸送りとなった。雪の野遠見の熊谷土
手。土地の親分生馬の眼八(がんぱち・團蔵)が、富蔵の女房に横恋慕して振られた
意趣返しで、八州同心浜田左内(彦三郎)に願って唐丸籠の富蔵に面会をし、罵倒す
る。ついで、熊谷宿でうどん屋を営む別れた女房のおさよ(時蔵)が、娘のお民と舅
(東蔵)を連れて、面会に来る。温情を見せる浜田左内の計らいで、面会が許され
る。親子別れの愁嘆場」。やがて、唐丸籠は、雪の降るなか、本舞台から雪布を敷き
詰めた花道へと去って行く。いつまでも見送るおさよたち。霏霏と降る雪。

三幕目第一場「伝馬町西大牢の場」。歌舞伎では珍しい大牢の場面。初演時から評判
になったという。五代目菊五郎は、代言人(弁護士)出身で千歳座経営に関わった人
物から江戸時代の牢屋に関する資料を提供してもらい、黙阿弥に活用させて、リアル
な牢中を再現させたのだ。牢内での囚人たちのしきたり描写も、細かい。多数の畳を
重ねた上に座る牢名主(左團次)、役付の囚人たち(家橘、権十郎、亀三郎、亀寿、
由次郎ら)は、役割分担している。

富蔵も、二番役で牢名主の秘書役的な存在で、巧く立ち回っている。新入りの審査。
入牢持参金(蔓・つる)の有無で、牢内の待遇を決めるのだ。熊谷無宿勘八と名乗っ
て入牢して来たのは、あの眼八(團蔵)だったので、きめ板という攻め道具で、遺恨
をはらす富蔵。菊之助も掏摸の長太郎で出演。菊之助は珍しく昼夜とも立役ばかり
だった。ほかの囚人たちが、無駄口を利かないから、菊五郎の科白ばかりが多い。
「こんあに科白の多い役もありません」とは、菊五郎の弁。そういう牢内風景が描き
出される。

三幕目第二場「牢屋敷言渡しの場」。舞台中央、牢屋敷内の閻魔堂前に引き出された
富蔵と藤十郎のふたりは、石出帯刀(秀調)、黒川隼人(松江)らによって、磔の刑
に処すると判決を言い渡される。上手の牢内の囚人たちが念仏の題目を唱える中、仕
置き場へ向う場面で、幕。

ということで、戦後12回目の興行の舞台は終わる。戦後、富蔵役は、代々の菊五郎
のほか、二代目松緑(5回)、十七代目勘三郎(3回)が演じた。当代の菊五郎は、
3回目。私は、そのうちの2回を観たことになる。男たちの群像劇で、モノクロの世
界。華やかな場面は、全くなく、女形の出演も、時蔵のみ、それも、庶民の女房の扮
装だけなので、歌舞伎らしい華やかさには欠ける芝居だった。時折、菊五郎が、コミ
カルに演じて、場内を笑わせる程度。
- 2012年11月14日(水) 16:16:46
12年11月新橋演舞場 (昼/「双蝶々曲輪日記〜井筒屋、難波裏、引窓〜」「人
情噺文七元結」)


仁左衛門の休演と馴染みの演目、贔屓の役者


片岡仁左衛門が、新橋演舞場の顔見世大歌舞伎の初日に出演しただけで、体調不良と
いうことで、2日目から休演している。私は、8日目に観に行ったのだが(つまり、
突然の大役代役初演から7日目の舞台)、この日も残念ながら休演だった。今月の仁
左衛門は、昼の部の「引窓」で南与兵衛、後に、南方十次兵衛を演じる予定だった
し、夜の部では、「熊谷陣屋」の熊谷直実を演じる予定だった。

昼の部の代役は、南与兵衛、後に、南方十次兵衛が、梅玉。梅玉は今年の7月大阪松
竹座で南与兵衛、後に、南方十次兵衛を演じたばかりなので、安定感があった。夜の
部の代役は、熊谷直実が、松緑。松竹演劇部作成の戦後の主な劇場での上演記録を見
ると、当代の松緑が、熊谷直実を演じた記録はない。「主な劇場」での上演ではない
形で、直実を演じているのかもしれないが、本興行では、初役である。それも仁左衛
門の直実を想定した配役の中で、松緑が主役を演じる訳だから、そのプレッシャーた
るや、如何に、というところだろう。

祖父の二代目松緑は、直実役を得意とし、13回も演じているから、当代の松緑もこ
れを奇価として直実役の上演を増やしていって欲しい。そういう意味では、松緑に
とって今回はビッグチャンスであるし、それを生かし切れば、記念すべき初演の舞台
となるであろうと思う。

直実役を体験した比較的同世代の橋之助、染五郎に続け 松緑! 。松緑の熊谷直実
評は、突然の大役初演というプレッシャーを承知しながら。それでも、私は、辛口な
がら、夜の部の劇評で松緑論をきちんと書いてみたい。


初見の「井筒屋」という場面


「双蝶々曲輪日記〜井筒屋、難波裏、引窓〜」では、「井筒屋」は、今回初見。上方
味濃厚な歌舞伎。「難波裏」は,2回目だが、前回は、03年1月の国立劇場で、
「角力場」「米屋」「難波裏」「引窓」という構成での拝見だった。「引窓」は、
「みどり(独立上演形式)」で,何回も観ている。

「双蝶々曲輪日記」は、並木宗輔が、千柳の名前で、二代目竹田出雲、三好松洛とい
う三大歌舞伎の合作者トリオで「仮名手本忠臣蔵」上演の翌年の夏に初演されてい
る。濡紙長五郎という相撲取りが、武士を殺した罪で捕らえられたという実際の事件
をもとにした先行作品を下敷きにして作られた狂言だという。本来の物語は、「無軌
道な若者たち〜江戸版『俺たちに明日はない』〜」という内容だ。全九段の世話浄瑠
璃で、いまでは、二段目の「角力場」や八段目の「引窓」が良く上演されるが、「引
窓」は、心理劇という近代性を持っていたため、江戸時代には、あまり上演されな
かった。

今回は、「井筒屋」から「難波裏」へという場面展開での上演である。初見なので、
この部分は、筋書をコンパクトに付けておこう。「井筒屋」は、大坂の九軒にある色
町。藤屋お抱えの遊女・都(時蔵・「引窓」の南与兵衛、後に、南方十次兵衛の女房
になる)や同じく藤屋お抱えの吾妻(梅枝・南与兵衛の友人・与五郎の愛人)に対す
る横恋慕の山崎屋番頭や侍との人間関係が描かれる。井筒屋で話題持ち切りの事件。
今朝起きた太鼓持ち殺しは、与兵衛や与五郎(扇雀)が,実は関係しているが、その
事情は、訪れた与五郎から、都だけが知らされる。殺された太鼓持ちは、与五郎の小
指を食いちぎっている。さらに、与兵衛は、与五郎を救おうと太鼓持ちを殺してし
まったという。都は自分に横恋慕している番頭の権九郎(松之助)に「心中立て」に
小指を切れば言うことを聞くと持ちかけて、番頭を与五郎の身替りに仕立て、与兵衛
を助けようとする。誤認逮捕された番頭は、役人に引き立てられて行く。

贅言;脇役の出来が良い芝居は、幅奥行きが出ておもしろい。昼の部でいえば、「井
筒屋」の場面で井筒屋主人を演じた壽治郎、山崎屋番頭の権九郎を演じた松之助は,
存在感があった。

吾妻に横恋慕する侍とその友人が、吾妻と与五郎の逢瀬の邪魔をする。そこへ現れた
のが関取の濡髪長五郎(左團次)で、長五郎は与五郎に恩義がある。侍らは贔屓の素
人相撲出身の力士・放駒長吉(翫雀)を呼び出す。「双蝶々(長・長)」の外題に
なった長五郎・長吉の対立を浮き彫りになる。土俵でのライバル意識に加えて、それ
ぞれの事情でふたりの間に遺恨が生じたことになる。そして、「難波裏」へ場面展
開。「難波裏」は,殺し場。

贅言;「殺し場」の前に、「濡れ場」ということで、「井筒屋」では、座敷の上手に
「濡れ場」がある。座敷上手奥に六曲の屏風が立ててある。屏風の後ろに黒と赤の男
女の函枕が見える。後ろの床の間には、掛け軸と籠に生けられた切り花。つまり、寝
間(小さなメイク・ラブの空間)の拵えである。芝居の中でも、実際に吾妻(梅枝)
と与五郎(扇雀)が、同衾する場面となる。梅枝の吾妻が、若い遊女を初々しく演じ
ていた。

「難波裏」では、黒幕の背景。月が出たり、月が隠れて「だんまり」になったり、最
後は、暁を告げる七つの鐘の音で、黒幕が振り落ちて、夜明けの遠見になる。吾妻を
無理矢理駕篭に乗せて、件の侍らが花道を走って来る。附け打の音とともに濡髪長五
郎(左團次)が追いかけて来る。長五郎は吾妻を救い出すが、弾みで侍らを殺してし
まう。責任を感じて長五郎は切腹しようとするが、駆けつけた与五郎が長五郎に逃げ
るようにと勧める。長五郎は、手拭いで顔を隠し、「引窓」の舞台となる実母の再婚
先の八幡の里へと逃げ延びて行く。つまり、こちらは、長五郎の物語として、展開さ
れる。

私が観た前回の通しでは、「井筒屋」は上演されず、「米屋」から「難波芝居裏」へ
という場面展開だった。米屋は、放駒長吉の実家なので、こちらは、長吉の物語とし
て展開される。

米屋の倅でありながら、喧嘩に明け暮れている無頼派で、主筋(後に、吾妻に横恋慕
のあげく、吾妻・与五郎を助ける長五郎に殺される武士)から頼まれて飛び入りで土
俵に上がり、濡髪と勝負する素人相撲出身の力士・放駒長吉も、いつの間にか、事件
に巻き込まれて行く。

両親が死に、無頼の弟が商売をそっちのけで、出歩くなか(まるで、与兵衛の放埒時
代を思わせる)、ひとりで米屋を切り盛りする長吉の姉・おせき。竹本で「我が子の
ように弟を、思うは姉の習いなり」とあるように、姉は、弟に濡衣を着せる一芝居を
企んでまで、弟を改心させようと長吉に意見をする。その場面を見ていた長五郎が言
う。「俺も八幡には一人の母者人があれど、五つの時に別れてから逢うたはたった一
度、誰一人意見なぞしてくれる者はないに、わが身は結構な姉を持ち、たとえ山が崩
れて来ようと、姉貴がぐっと受け込んで、我が身に難儀は微塵かからぬ。その姉貴が
今の意見、わが身の事じゃとは思わぬ。一つ一つ俺が身に堪えて腹にしみとおったわ
い」。喧嘩相手の長五郎にここまで言われて、長吉は、改心する。長五郎、長吉は、
これ以降、終生の義兄弟となる。つまり、与兵衛→長五郎→長吉という義兄弟の関係
ができあがる。「米屋」の場面がないと、こういう理解には、至らない。

前回は、場のタイトルが、「難波裏」だけでなく、「難波芝居裏殺し」で、「芝居」
という表現が付いていた。背景は、黒幕で、今期同様だったが、芝居の鳴物が、遠く
聞こえる難波浦の暗がりという想定のようであった。「難波芝居裏殺し」は、「双
蝶々曲輪日記」上演の4年前に初演された同じ作者・並木宗輔らの「夏祭浪花鑑」の
「長町裏」の殺し場に似ているというので、初演時は、不評だったらしい。下敷きの
成否も、水物だ。

この場面、大部分は、「忠臣蔵」五段目の山崎街道に出て来るような稲藁干しが目立
つ黒幕の背景だが、七つの鐘の音とともに、夜明けになれば、この場面の書割は、良
く観ると上手奥に、「今宮天王寺」あたりの遠見の景色が描かれていて、数本の幟が
はためく、芝居小屋が遠望され、本当に黒御簾の鳴物が聞こえてきそうな場所であっ
た。「角力場」では、相撲小屋の前が、芝居の舞台。「難波芝居裏」では、芝居小屋
の裏が、芝居の舞台。原作は、それぞれ趣向を凝らしている。今回の「難波裏」は、
黒幕が振り落とされると、下手に松林がある程度の野遠見だった(もっとも、今回の
座席の都合で、舞台上手奥は見えなかった)。

「引窓」の場面は、9回目の拝見。南与兵衛、後に、南方十次兵衛は、遊び人だった
町人の若者・南与兵衛(大坂で人を殺して国元へ逃げて来たような未軌道な若者)
が、領主の交代で、父親の代まで勤めて来て、父親の死後,空席となっていた郷代官
を世襲することが認められて、南方十次兵衛という代々の名前を襲名することになっ
た。舞台は、その晩の話である。

私が観た南与兵衛、後に、南方十次兵衛は、勘九郎時代の勘三郎、鴈治郎時代の坂田
藤十郎、幸四郎、富十郎、菊五郎、吉右衛門、三津五郎、染五郎、そして今回の梅玉
(仁左衛門の休演代役)。ということで、本来なら、初めて仁左衛門の南与兵衛、後
に、南方十次兵衛を観ることができたのに、観れずに残念であった。次回の楽しみと
しよう。それにしても、9回も観たのに、主役は、誰もダブらず、皆さん、1回ずつ
というのは、それだけ、皆がこの役をやりたがるということか。


「時蔵の、女房三態」


今回の劇評は、いつもと趣向を変えておきたい。題して「時蔵の、女房三態」という
ことで、時蔵に絞って書こうと思う。

今月の時蔵は、昼の部で、「双蝶々曲輪日記」のうち、「井筒屋」の藤屋の遊女・
都、「引窓」の南与兵衛、後に、南方十次兵衛の女房・お早、「人情噺文七元結」の
長兵衛の女房・お兼、夜の部で、「四千両小判梅葉」の野州無宿入墨富蔵の女房・お
さよを演じる。

「双蝶々曲輪日記」の遊女・都と南与兵衛、後に、南方十次兵衛の女房・お早
は、遊女の色っぽさを前半で演じ、後半では、色っぽさを滲ませながら、義母・お幸
と夫の南方十次兵衛との人間関係をスムーズにさせる役割を果たす。女形として、
初々しい娘役、絢爛とした華のある姫様役、色気のある遊女役、しっかり者の武家の
妻役、庶民の女房役、芯のしっかりした局役などこなしながら真女形の道を歩んでい
る時蔵らしい演技だった。

次いで、「人情噺文七元結」の長兵衛の女房・お兼。私が観たお兼役者は、田之助
が、2回。松江時代の魁春が、2回。今回含めて、時蔵も、2回。現在休演中の澤村
藤十郎、鐵之助。

これは、田之助が実に巧かった。田之助は、菊五郎に本当に長年連れ添っている女房
という感じで、菊五郎の長兵衛と喧嘩をしたり、絡んだりしている。いつも白塗りの
姫君や武家の妻役が多い松江が、砥粉塗りの長屋の女房も、写実的な感じで、悪くは
なかった。澤村藤十郎のお兼を観たのは、97年1月だから、間もなく16年近くも
前になり、残念ながら印象が甦って来ない。78年から97年までに、本興行で、9
回演じている上演記録を見ると、元気な頃の藤十郎は、お兼を当り役としていたこと
が判る。相手の長兵衛が、先代の勘三郎、勘九郎時代の勘三郎、吉右衛門、富十郎と
いう顔ぶれを見れば、澤村藤十郎のお兼が、長兵衛役者から所望されていたであろう
ことは、容易に想像される。澤村藤十郎は、リハビリの結果、大分恢復して来たとい
う。来春、再開する歌舞伎座では、いずれ,舞台復帰したいという。今から、楽しみ
にしておきたい。時蔵は、前回の初役の時から脂ののり具合の良い長屋の女房ぶりで
あった。今回も、巧かった。

夜の部では、「四千両小判梅葉」の野州無宿入墨富蔵の女房・おさよを演じたが、こ
れは、長屋の女房・お兼の延長線上の演技だろうが、出番が、二幕目「中仙道熊谷土
手の場」だけである。江戸城の御金蔵を破って大金を盗み出し、逃亡の挙げ句、生き
別れの母に逢いに行き、金沢で掴まってしまった富蔵(菊五郎)が,唐丸籠乗せられ
て江戸に送り返される途中、おさよは、娘のお民、舅の六兵衛(東蔵)とともに富蔵
に逢いに来る。雪景色の凍てつく寒さの熊谷土手、今生の別れの場面である。娘に
も、父親にも、温情で夫との面会を許してくれた役人たちへの配慮をしながら、沸き
上がって来る犯罪者の夫への情愛を押さえきれない女房の真情を描き出していた。江
戸時代の牢屋の芝居だけに、男ばかりの配役の中で、女形は、時蔵のみ。後は、娘を
演じた子役だけ。ハイライトの場面での登場であった。時蔵の女房三態を堪能する舞
台であった。
- 2012年11月12日(月) 17:36:17
12年11月国立劇場 通し狂言「比翼柄比翼稲妻」)


フランス人と観る歌舞伎


今回は、5日目と8日目と2回観劇。2回目は、在日のフランス人たちを軸とするグ
ループへの講演と観劇の会の講師を勤めながらの対応である。毎年実施していて、丸
5年になる。同年に人形浄瑠璃と歌舞伎を鑑賞する時もあり、通算7回目の開催とな
る。そのレジュメを付すので、劇評の部分は、コンパクトにしたい。従って、いつも
の劇評のスタイルとは異なる。

初めて観た「序幕」も、両花道を活用していて、興味深く観た。役者の方は、夏に奈
落へ転落する事故に遭った染五郎が休演をし、幸四郎のふた役(不和伴左衛門と幡随
院長兵衛)を軸に福助の早替りを含む3役(腰元岩橋・後の傾城葛城、お国、院長兵
衛女房お近)が充実していて、見応えがあった。染五郎の代役は、名古屋山三に錦之
助、白井権八に高麗蔵というように振り分けたので、山三と権八の染五郎早替りの演
出が無くなり、名古屋山三の錦之助、白井権八の高麗蔵が、同時に舞台に出て、やり
取りをするという場面になった。ほか、小悪党の又平を演じた弥十郎は、存在感が
あった。

以下、フランス歌舞伎講演レジュメより転載。
   
□今回の幕構成(「通し狂言」という演出)。
序幕=第一場「東海道境木の場」、第二場「鎌倉初瀬(はせ)寺の場」、第三場「本
庄助太夫屋敷の場」。
二幕目=鈴ケ森
三幕目=浅草鳥越山三浪宅の場
大詰=吉原仲之町の場(通称、「鞘当」)

□主な登場人物の関係と配役
不破伴左衛門:幸四郎
 |
名古屋山三:錦之助 ―― 腰元・岩橋〈後の花魁・葛城〉:福助
 |
下女・お国:福助

幡随院長兵衛:幸四郎 ―― お近:福助
 |
白井権八:高麗蔵  /幸四郎のふた役、福助の三役。

* 贅言:染五郎休演関連。染五郎が8月、国立劇場でおよそ3メートル下の奈落に
落ちて、大けがを負い休演、目下治療中。染五郎のふた役(名古屋山三、権八)の代
役は、名古屋山三:錦之助、白井権八:高麗蔵。 /染五郎の早替りは、無くなっ
た。福助のお国→葛城→お国の早替りは、あり。
* 
「奈落」=舞台などの床下。地下室。仏教の地獄の「奈落」に例えた。エレベーター
式に舞台の一部が、奈落と舞台や花道を上下する(昇降装置)。大道具などを上下さ
せる「おおぜり」。役者が利用する「こぜり」、妖怪変化が利用する花道の「スッポ
ン」など。

□解説のポイント
1)江戸・市村座の初演時、七代目市川團十郎(当時、数え33歳)は不破伴左衛門
と幡随院長兵衛を演じた。アンチ・ヒーローとヒーローをふた役で演じ分けるのは、
人形浄瑠璃では味わえない歌舞伎ならではの楽しみ。

2)鶴屋南北原作;1823(文政6)年、江戸・市村座初演の「浮世柄比翼稲妻」
は、四代目鶴屋南北(大南北)原作。当時の読本(小説)・山東京伝作の劇化。不破
伴左衛門・名古屋山三の世界に白井権八・幡随院長兵衛のダブルキャストとする
(「綯い交ぜ」という演出)ことで、全9幕19場という、長丁場の芝居を構築し
た。本来は、カップルも、ダブル・ふた組登場(山三・お国=「歌舞伎の起源」(お
国歌舞伎)=という神話に登場するカップルの名前、権八・小紫)。従って、今で
は、全場面が上演されることはない。「浮世柄比翼稲妻」のうち、「みどり」で、人
気のある「鈴ヶ森」は、良く上演される。次いで、「鞘当」。いずれも、ビジュアル
性の高い場面のみ。

*贅言:「綯い交ぜ」=歌舞伎の作劇法。ふたつ以上の異なる「世界」の登場人物を
絡み合わせて(「趣向」)、別の物語(「狂言」)を作る。馴染みのある登場人物に
新鮮味を持たせる効果がある。

*贅言:「通し」と「みどり」=「よりどりみどり」で、いちばん良いところ=見せ
場を上演(独立上演)という意味。狂言の見せ場ばかりを数本並べて、客を呼び込も
うという興行方式。対するオーソドックスな方式は、今回のような「通し狂言」興行
方式。と言っても、原作通りの「通し」ではない。

3)見どころ;
「鈴ヶ森」:立ち回り、男たちの喜劇。黒幕→幕の振り落とし(場面展開)=映画連
想(光学的な装置がない中で、同様の効果を考案した→歌舞伎には多い)。
「浪宅」:女たちの喜劇と悲劇。名古屋山三・(お国)
「鞘当」「初瀬(はせ)寺」:特に、「鞘当」の両花道(本花道=不破、仮花道=山
三)、様式美の科白、所作。

□幕構成順の見どころ
★序幕=鎌倉・佐々木家のお家騒動。騒動に巻き込まれた権八は、叔父の助太夫を
討って江戸へ出奔する。 → 序幕の意味=物語展開の説明&「鈴ヶ森」「浪宅」
「鞘当」など見せ場への伏線。☆伴左衛門の登場:第一場で、花道七三で深編笠を取
る。第二場で、仮花道から鷹を袱紗の上に据えて登場。

「鞘当」が本番使用の両花道は、第二場でも活用。お家騒動で対立する両派は、白塗
りの佐々木の嫡子で弟の桂之助(大谷友右衛門)の一派と赤面の兄の額五郎(右之
助)の一派が、退場する際、両派が、別々の花道と活用しているので、判り易い。
 
◯序幕の主な人間関係
権八、山三・岩橋(後の葛城) VS 伴左衛門(悪のキーパーソン)

★二幕目「鈴ヶ森」:権八、長兵衛の出会いは、芝居の錦絵になるような見せ場。

◯二幕目の主な人間関係
権八――長兵衛

◯見どころ(立ち回り、黒幕の使い方、海は? バックミュージック?)
1)「立ち回り」:この芝居、権八と長兵衛以外は、殆ど薄汚れた衣装と化粧の「雲
助」ばかりの群像劇で、いわば、下層社会に通じている南北ならではの、下世話に通
じた男たちを軸にした芝居という面もある。逃亡者を見つけ、お上に知らせて、銭に
しようという輩と逃亡者の抗争。立回りでは、小道具を巧みに使って、雲助たちが、
顔や尻を削がれたり、手足を断ち切られたり、という、いまなら、どうなんだろうと
言われかねない描写を、「だんまり」に近い所作立てで、丹念に見せる。男たちの喜
劇。飛脚が,海岸の波との関係を暗示する所作をする。

2)「黒幕」。柝の音で、背景の黒幕が、ぱっと、夜が明ける(=映画のカット画面
切り替えを連想)→海は、どっち側? →客席は、江戸湾。いわば、お客の頭は、波
頭。権八の手紙を燃やす場面で、上手に小さな波の板がある。見落とさないで。

3)「鈴ヶ森」は、もともと初代桜田治助の「契情吾妻鑑(けいせいあずまかが
み)」が、原型で、権八・長兵衛の出逢いが、この段階から取り入れられていたが、
このときの場面は「箱根の山中」だったというので、いまも、「鈴ヶ森」では、江戸
湾の波の音(海の場面)にあわせて、「箱八」(あの「箱根八里は……」の唄)とい
う「山の唄」が、黒御簾で歌われる。

* 贅言:「黒御簾」(陰囃子=伴奏の楽団が、下手の黒い御簾の内側で演奏してい
る)。
 
★三幕目「浅草鳥越山三浪宅(ろうたく)の場」:「鞘当」は、ふたりの浪人、不破
伴左衛門と名古屋山三が国元(鎌倉)出奔後、初めて再会する。物語展開の説明。
「鞘当」への伏線。お国を軸とした女たちの喜劇と悲劇。

◯三幕目の主な人間関係
山三・花魁葛城(元の岩橋) VS 伴左衛門、伴左衛門の家来(又平・お国/お
爪)

◯見どころ(福助のふた役早替り、舞台の細部=江戸の貧乏生活と花魁道中→落語的
な世界、三角関係の名科白、お国の純愛物語=女の純情)

1)「お家騒動もの」=佐々木家のお家横領を企む伴左衛門が仲間とともに、佐々木
家の家臣で、敵対関係(お家横領派と反対派)になる山三の父親・山左衛門ととも
に、権八の父親・兵左衛門を闇討ちにする。山左衛門は、管理責任のある佐々木家家
宝の名刀を奪われている(伴左衛門が、父親の仇ではないかと山三は、疑うようにな
る)。山三と伴左衛門は、吉原の花魁・葛城(元の腰元・岩橋で、山三は、不義発
覚、追放以来、男女の仲が、続いている)を巡る恋敵(伴左衛門の横恋慕)という三
角関係にある。

*贅言:「お国・山三」。このカップルは、阿国(お国)歌舞伎伝説のキャラク
ター。ここでは、下女お国=「あざ娘」の趣向(見世物小屋の蛇使いの娘で、顔の右
頬に痣(あざ)のある「あざ娘」。南北得意の下層の庶民)。

2)筋の展開よりも、南北劇らしい、おもしろさは、舞台の細部に宿っている。例え
ば、山三の住むぼろ長屋では、雨漏りがする。家内で、傘をさして雨をしのぐ山三。
唐傘には、「なごや てりふり町」と書いてある(この唐傘は、お国の真情を知った
山三が、一夜の契りをする場面で、障子の間の出入り口に、「枕屏風」の代わりに使
われるなど、粋な小道具として活用される)。次いで、家の外に置いてあった大盥を
見つけて来ると、それを梁から縄でぶら下げて、「雨受け」の仕掛けとする。へっつ
いで、飯を炊く場面では、燃料不足を補うために又平は、床板をはがしてしまう。そ
れを見つけた大家も、困ったものだと言いながらも、叱りはしないなど、江戸の貧乏
生活に精通した南北ならではの、アイディアが、示される。

「鞘当」のユニフォームとなる山三の「濡れ燕」の衣装も質に入っている。請け出し
の苦労。質屋の通帳(かよい)が、常備されていて、浪宅では、質屋通いは、日常の
ことだと判る。

さらに、卓越なのは、山三を訪ねて吉原から葛城が、禿や新造、幇間など大勢の連れ
を伴って、貧乏長屋に華やかな「花魁道中」を仕掛けて来る。長屋は、華やぎ、浮か
れた大家は、軽業の口上を真似ながら、葛城に長屋の女房としての生活作法を教え出
す始末という、落語的な世界そのものの喜劇的なサービスも、潤沢である。悲劇の前
の笑劇。向う揚幕の前に、長屋の路地の木戸。大家が鍵で管理。

3)最後は、「旦那様命」の刺青を左腕に彫り込んだ山三への純愛の三角関係を清算
するお国の死という悲劇。契り(セックス)の後、「あの葛城は一夜妻。内に残すは
宿の妻」という山三の科白。暗闇の中で、それを聞きながら喜悦のうちに息絶えるお
国が本舞台に残され、花道をひとり吉原に向かう山三という場面で、「浪宅」の場面
は、幕が閉じる。→「鞘当」へ。

★ 大詰「吉原仲之町の場」(通称、「鞘当」):芝居の錦絵になるような見せ場。

◯大詰の主な人間関係
山三。(幡随院長兵衛、権八)  VS  伴左衛門

◯見どころ(両花道、ふたりの衣装比べ、科白・所作の様式美、鞘当、留め(止め)
女の意味)

「衣装」:水色のような縹(はなだ)色の地に雨と濡れ燕模様の衣装(伊達羽織と伊
達小袖と伊達男らしく、伊達尽くし)、深編笠姿の山三は、白塗り、白足袋の着流
し。黒地に茶と緑の雲、朱色の稲妻模様の衣装、深編笠姿の伴左衛門は、砥の粉塗
り、黄色い足袋の着流し。衣装こそ違うものの、二人は、まるで、(「二人もの」の
演目のように、ということは、)ふたりの間に鏡があるかのごとき、左右対称に見え
る所作をする。同調と対比。そのふたつの様式美が、大事だ。

「鞘当」:本舞台中央で、二人がすれ違って、上下が、入れ替わる際に、刀の鞘が当
たって(鞘当て)、武士の面目上、喧嘩になる。鞘が当たり、お互いに抜きあった刀
は、鞘を替えても、ぴったり納まる名古屋家伝来の陰陽の剣。伴左衛門は、名古屋山
三の父親を殺し、刀を奪った容疑濃厚と判る場面だ。
助六」の「股潜り」と同じ。「助六」の「股潜り」も、曽我兄弟による敵討の刀探し
で、同じ意味を持つ場面。「鞘当」の二重性=1)刀探しの挑発=盗まれた刀調べ。
2)葛城を巡る「恋」の鞘当。恋の鞘当(恋敵の争い。この歌舞伎が、語源)→フラ
ンス語では? /「鞘当」の趣向は、これが初めてではない。140年前、初代團十
郎まで遡る。

「留め女」:そういうところへ、長兵衛の女房・お近(福助)が、「留め(止め)
女」として、登場するという趣向。喧嘩の仲裁役という役どころ。「初瀬寺」の場面
でも、「三本傘(からかさ)」で、「留め女」パロディ先取り。後日の対決を約する
ことになる。伴左衛門は、江戸の男伊達の白柄組の頭領となっている。白柄組は、同
じ男伊達の幡随院長兵衛と対立している。長兵衛のところには、権八が匿われてい
る。

一枚の浮世絵葉書のような所作事の芝居。それだけの場面だが、元禄歌舞伎の古風な
味わいを残した舞踊劇で、いかにも、華やかな歌舞伎らしい場面で、代々の役者の工
夫のエッセンスが詰まっている。物語と言うより、3人の役者の持ち味を楽しむ。
- 2012年11月11日(日) 11:10:43
12年10月国立劇場 (通し狂言「塩原多助一代記」)


三津五郎版「塩原多助」


「塩原多助一代記」は明治時代の噺家・三遊亭圓朝原作の人情噺を歌舞伎かしたも
の。三遊亭圓朝原作の人情噺や怪談噺は、いくつも歌舞伎化され、いまも再演されて
いる演目が多いが、「塩原多助一代記」は明治初期に三遊亭圓朝が演じたものをベー
スに1892(明治25)年1月、歌舞伎座で初演された。120年前の新歌舞伎で
ある。河竹黙阿弥の弟子・三代目河竹新七が脚色し、五代目菊五郎の主演で上演され
た。菊五郎は、多助と小平のふた役を演じた。

その後、六代目菊五郎、二代目松緑が引き継いだが、近年は、ほとんど上演されず、
今回は1960(昭和35)年3月の歌舞伎座以来52年ぶり、「通し狂言」として
は、83年ぶりの再演である。私は勿論初見である。従って、劇評ではコンパクトな
がら、あら筋から記録しておきたい。

序幕「上州数坂峠谷間の場」。上州沼田の東、数坂峠(群馬県利根村と白沢村を繋
ぐ。現在の120号線「日本ロマンチック街道」近くの旧道。峠には明治時代に作り
かけた未完の隧道が残っているという)。塩原多助の父親塩原角右衛門は、ふたりい
たという設定で、浪人の実父・塩原角右衛門(團蔵)、母親のお清(東蔵)、子役の
多助の一家が養父となる百姓塩原角右衛門(秀調)と出会う場面。

二幕目第一場「下新田塩原宅門前の場」。前場から14年後。養父母が亡くなり、成
人した多助が塩原家の当主であるが、継母のお亀(吉弥)が、家内を取りしきってい
て、多助もお亀の連れ子のお栄(孝太郎)を嫁にしたこともあって継母兼義母には頭
を押さえつけられている。お亀、お栄は母娘で、出入りの原丹次(錦之助)、その息
子の丹三郎(巳之助)とそれぞれ不倫関係となっている。本家の乱れを心配して分家
の太左衛門(権十郎)が、やってきて、門前で手紙を拾う。舞台は、廻る。以後、第
四場の見せ場への伏線が続く。

二幕目第二場「下新田塩原宅奥座敷の場」。お亀ら4人は、多助を追い出し、塩原家
の財産を横取りしようとしている。下手から、お栄登場。お栄が分家の太左衛門の
娘・お作の多助宛のラブレターを拾って、持って来る。なにやら手紙二題という展
開。続いて、下手から多助(三津五郎)登場。家に戻って来た多助にお作の手紙を元
に不義を言い立てる。舞台奥から、座敷に入って来た太左衛門は状況を察知すると先
ほど拾った手紙を披露する。お栄と丹三郎の恋文ゆえ、太左衛門は、二通の手紙を焼
くことで、いわば「両成敗」の態で、この場を治める。次の手をお亀ら考える。お作
の許嫁の百姓・円次郎(橋之助)の遺恨に見せかけて多助を殺そうという作戦だ。

二幕目第三場「沼田在田圃道の場」。秋霖。雨が降っている田圃道。花道から多助が
愛馬の青を引いて帰って来る。本舞台に来て歩きたがらない青。下手から荷籠を背
負った円次郎が通りかかる。難儀している多助に替わって、円次郎が青の手綱を引く
と青は歩く。多助が替わって手綱を引くと、やはり動かない。そこで、円次郎が青を
引き、上手へ。多助が荷籠を背負って、後を追う。舞台は、鷹揚に廻る。

贅言;青という馬の脚を演じたのは、どの役者だろうか。筋書には、いつものように
名前も載っていないが、じっとしていない馬の動きをきめ細やかに演じなければなら
ず、大変な役だ。特に、今回は、前半では、三津五郎に匹敵する役どころではない
か。

二幕目第四場「沼田在庚申塚の場」。闇夜の中、円次郎が青を引いて通りかかる。
「庚申」と書かれた塚の後ろに隠れて待ち伏せしていた丹次が、多助と間違えて円次
郎を竹槍で突いて上手に逃げ去る。青も上手に逃げ込む。下手から遅れて出て来た多
助。倒れている円次郎に気がつく。苦しい息の下、円次郎は多助に村から逃げろと忠
告をする。下手から再登場した青が多助に近づいて来る。多助は青の手綱を庚申塚の
隣にある松の木に結わえ付ける。いつの間にか雨も上がる。庚申塚の上に細い下限の
月が出る。

いよいよ、名場面。青と多助の別離の場面。浪曲か落語かかは覚えていないが、この
別離の場面だけは、私らの世代は、子供心に覚えている。流行したのか、なぜだろ
う。馬が涙を流す。馬の涙に感動した多助が青の首にすがりつく。多助の袖を銜えて
放さない青。やがて、袖は千切れる。動物でさえ惜別の涙を流すのに、義母や女房
は、自分を殺そうとしていると多助は青に嘆くのだ。名残惜しそうに見返り見返りし
ながら、花道を去る多助。舞台中央の松の木に繋がれたまま、辛い別れにうなだれる
青。

贅言;群馬県みなかみ町に塩原太助翁記念公園があり、園内に太助と青の銅像があ
る。史実の太助は、新治村出身。新治村は、合併後、みなかみ町になっている。

三幕目第一場「横堀村地蔵堂の場」。開幕前、花道に雪布が敷き詰められる。幕が開
くと、雪景色の地蔵堂。雪の中、丹次(錦之助)とお亀(吉弥)が、赤子を抱いて花
道をやって来て、一夜の宿りを乞う。出て来たのは、尼の妙岳(橋之助)。お亀は妙
岳を見て驚く。既知の「またたびお角(かく)」という悪女だったからだ。お角に
は、道連れ小平という悪息子が居る。ふたりは、かつて塩原家に揺すりに来たことが
あった。妙岳、ことお角は、小平が牢死し、自分は尼になり地蔵堂に籠っていると懺
悔して、ふたりを騙す。お亀らが塩原家の財産を奪い、家に火をつけて逃げているこ
とを知っていて、ふたりの人相書きが出廻っているから、ここに隠れるように勧め
て、ふたりの怒気を押さえてしまう。

門口に来た男に何やら合図をするお角。深夜、先の男・継立(つぎたて)の仁助(橘
太郎)が牢死した筈の小平を連れてやって来る。奥から姿を見せたお角が手引きをす
る。衝立で寝間を確保していたお亀らに襲いかかる小平ら。丹次が仁助を斬り捨て
る。立ち回りとなる中、舞台が、廻る。

三幕目第二場「横堀村地蔵堂裏手の場」。雪の山の斜面での立ち回り。下手から出て
来たのは、お角、小平対丹次、お亀。手負いになりながらも丹次はお角追いつき、お
角に斬り付けると、お角は裏手に落ちる。残った小平は手強い。丹次は斬られてしま
う。所持金も奪われる。赤子を抱いたまま逃げ回っていたお亀は、雪の岩場の斜面か
ら足を滑らせて、下手の谷底に落ちて行く。

四幕目「神田佐久間町山口屋店先の場」。現在の秋葉原の近く。山口屋は炭問屋。舞
台下手が店の外。店先には、山形に善の字が白く染め抜かれた暖簾が掛かっている。
店先にはちり取、桶、箒が置いてある。店に上がると、帳場。仕入帳が掛けてある。
上手には蔵の入口が見える。江戸の出た多助は山口屋善右衛門に助けられて、ここで
働いている。

花道より、閉店間際に現れた男は、道連れ小平(三津五郎)であるが、吉田屋の倅八
右衛門と名乗り、卸した炭の代金80両を父親に替わって受け取りに来たと父親が書
いた手紙と証文を見せる。本物の倅八右衛門にしびれ薬を呑ませて、手紙と証文を盗
み、八右衛門に成り済まして、金を取りに来たのだ。しかし、店の奥からこのやりと
りを見ていた多助が、男を小平と見破り、山口屋の若旦那の善太郎(松江)に伝え、
小平の正体を暴いた。八右衛門も下手から駆けつけて来る。開き直る小平。小平は、
善右衛門に店の奥に呼び込まれる。

奥から後ろ向きに出て来た男は、多助(三津五郎)。三津五郎の早替り。多助の手柄
を皆が賞賛する。八右衛門も礼がしたいという。将来、自分が店を持ったら、吉田屋
から千両分の炭を優先的に分けて欲しいと多助は夢を語る。

この「強請場」は、今回の国立劇場上演の補綴で追加された場面。歌舞伎味を付け加
え、三津五郎の善悪ふた役の早替りが見せ場という演出だが、悪の美学?  三津五
郎の悪役ぶりが弱いので、いま、ひとつ。三津五郎は、剽軽な善人を演じると巧い
が、悪役は、仁左衛門などのように悪に徹しきれない。

五幕目「昌平橋内戸田家中塩原宅の場」。ここが、今回の上演では、二幕目第四場
「沼田在庚申塚の場」に次ぐ見せ場になった。序幕の場面から、20年後。多助の実
父・塩原角右衛門は、あの時、もうひとりの百姓塩原角右衛門から借りた50両を元
手に浪々の身から脱し、戸田家への仕官が叶った。屋敷には、引っ越し荷物も開梱し
切れていないほどだが、挨拶回りも済んだ。奥から家中女房として、芝のぶらが出て
来る。養子に出した多助のことが気がかりだが、塩原家が没落したというし、多助の
行方も知れない。

贅言;塩原宅の襖。「十年会一別/征路比相逢/馬首向何処/夕陽千萬峰」と読め
る。

花道から、天秤棒に4つの炭俵をぶら下げて塩原家に炭を運んで来たのは、山口屋に
勤める多助。応対に出たのが中間の三津之助。たまたま荷物の具備櫃についていた名
札を見つけた多助が、内儀に訊ねると、母親のお清と判る。再会を喜び合うふたり。
多助は、父親の顔を拝みたいと申し出るが、障子の間から出て来ようとしない父親
は、「炭屋の下男に用はない」と面会を拒む。嫡男として養家に入りながら、家出を
して、家を没落させたのはけしからんと怒る。

養母・お亀の悪口を言えない多助は、真相を打ち明けず、いずれ、塩原家を再興する
と決意を述べるに留める。障子の間の中は、多助からは見えないが、観客には、多助
と苦渋のやり取りをする父親(團蔵)の表情の変化が、逐一見える。團蔵が、情と理
の板挟みで苦しむ父親像を緩怠なく演じていた。愛馬・青との別れという悲哀。父親
との20年ぶりの対面を我慢する(父と息子の新たな別れでもある)という悲哀。ふ
たつの別れの悲哀が、今回の「塩原多助一代記」の真骨頂と観た。いつも、脇で、憎
まれ役や悪役を演じて来た團蔵にとって晴の舞台になったのでないだろうか。

贅言;この場面だけは、三代目新七の師匠、つまり、黙阿弥が脚色したと伝えられる
という。

大詰第一場「本所四ツ目茶店の場」。山口屋から独立して店を構えた多助だが、「計
り炭」という小売り方式で得意先も増えた。きょうも炭を入れた籠を付けた天秤棒を
担いで、上手から現れ、外売りをしている。茶店で落ち合った親友の明(空き)樽買
の久八(萬次郎)を相手に、独自の金銭哲学をしゃべっている。金は溜め込むより、
商売に使った方がかえって貯まるというのだ。茶店の耳が遠くなった婆を演じた芝喜
松が、良かった。

茶店の前を盲目の女物乞いが子どもに手を引かれて通りかかる。良く見れば、義母の
お亀ではないか。お亀は、多助と知り、これまでのことを詫びる。お栄と丹三郎は、
青に蹴り殺された。青は丹治が殺した。自分は、金を盗み、家に火を付けて丹次とと
もに逃げたが、小平に丹次が殺されたなどと後日談を話す。同情した多助は、過去を
水に流し、お亀親子を自分の持つ長屋に住まわせて面倒を見るという。

茶店の隣は、藤野屋の「庭口」(木札が打ち付けてある)という裏木戸。屋敷の二階
から藤野屋の娘・お花(孝太郎)が、その様子を見ていた。藤野屋に呼ばれた久八
が、藤野屋の娘と父親(秀調)の意向を受けて、多助に娘を嫁がせたいと持ちかけさ
せるが、大店の娘では、一緒に苦労が出来ないと久八に断る多助は、天秤棒を担いで
花道を去ってしまう。その後、木戸から出て来た藤野屋親子は、「あの堅いのが、
こっちの望みだ」。多助の堅実ぶりにますます感じ入ってしまう。この場面では、萬
次郎が味を出していて、なかなか、良い。この人は、女形がベースだが、こういう年
相応な立ち役、それも庶民を演じると存在感があって、良いものだ。芝居の幅や奥行
きが広がる。

大詰第二場「相生町炭屋店の場」。「元祖はかり炭 塩原多助」という看板を掲げた
炭屋。丸に十文字の高張提灯。帳場には、仕入帳が掛けてある。多助の店だ。多助
は、売掛帳をチェックしている。藤野屋の娘との縁談を断った多助は、久八の親類の
娘なら嫁に貰っても良いと答えた。炭屋の若い者(大和ら)が、立ち働いている。

舞台下手から久八(萬次郎)、大家(橘太郎)が現れ、「今夜は、仮祝言だ」と伝え
る。嫁が誰かは多助にも判らない。下手から藤野屋の主人(秀調)が付き添って、振
り袖姿の娘を連れて来た。娘は、お花なのだが、その後、多助の嫁になりたいという
娘の思いを尊重して久八の養女にして下働きを学ばせて来たのだ。騙されたと知った
多助は、最初は怒るが、お花は、着ていた振袖の袖を薪割り鉈で断ち切ってみせ、今
後は、詰袖で共働きするという覚悟を見せたことから、多助も胸襟を開いて、お花を
受入れることにした。

このメデタイ席に吉田屋八右衛門(巳之助)が、千両分の炭を持って来たと言って現
れる。下手から、荷揚人足らが、炭俵を運び込み店先に積み上げて行く。塩原多助一
代記という成功譚の読み上げ終了で、大団円。

圓朝の人情噺は、明治初期の読み物(大衆小説)として、速記された内容が紙に印刷
されて本になった。12万部という、当時としては、ベストセラーズになった。ま
た、独り語りは、役を複数に振り分けられて芝居になった。「売炭翁春馬曳綱」、
「塩原多助経済鑑」、「塩原多助一代記」など。歌舞伎という芝居は、昔から先行作
品を下敷きにして、書替えをして来た。それは、「書替え」狂言として、歌舞伎の台
本のひとつのジャンルにもなって、公認されて来た。書替えは、歌舞伎の狂言作者に
取って、伝統的な職人芸であった。

最後に役者評を少し。先にも記したが、三津五郎は、善人・多助は、喜劇として明る
く演じた。判り易い芝居であった。しかし、歌舞伎味となる早替りの悪役・道連れ小
平が弱かった。山口屋に強請りに来たまま裏口から姿を消した小平のその後は、消息
不明だ。

橋之助は、善人・円次郎と珍しい女形(6年ぶり)の悪女、尼妙岳こと、小平の母・
またたびお角を演じたが、余り印象に残らなかった。東蔵の多助実母・お清も、性悪
女・お栄と善人・お花を演じた孝太郎も、余り仕処がなかったのではないか。

これに対して、武家の塩原角右衛門を演じた團蔵、多助の親友で、ご馳走役の明樽買
の久八を演じた萬次郎、悪女の塩原の後家を演じた吉弥などが、脇で光っていた。三
津五郎長男の巳之助は、歌舞伎役者らしく成長して来たのではないか。巳之助が演じ
た八右衛門は、これまでの上演では登場しなかった人物だという。
- 2012年10月24日(水) 8:11:37
12年10月新橋演舞場 (夜/「曽我綉侠御所染〜御所五郎蔵〜」「勧進帳」)


「曽我綉侠御所染〜御所五郎蔵〜」は、7回目の拝見。馴染みの役者の見慣れた演
目。「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」は、幕末期の異能役者・
市川小團次のために、河竹黙阿弥が書いた六幕物の時代世話狂言。動く錦絵(無惨
絵)ということで、絵になる舞台を意識した演出が洗練されている。役者のキャラク
ター(任)で見せる芝居。

「御所五郎蔵」(「五條坂仲之町(出会い)」、「五條坂甲屋奥座敷(縁切、愛想づ
かし)」、「五條坂廓内夜更(逢州殺し)」の三場)は、良く上演される。今回は、
これに、「五郎蔵内(腹切)」が、付け加えられている。

03年6月の歌舞伎座「黙阿弥没後百十年」の舞台では、「時鳥殺し」を加えた「曽
我綉侠御所染」の通しを一度観たことがある。「名取川」、「長福寺門前」、「浅間
家殺し」が、いつもの三場の前に付き、後ろに「五郎蔵内(腹切)」がつくという場
構成だった。主役の五郎蔵は、仁左衛門が演じた。玉三郎の皐月、左團次の土右衛
門、孝太郎の逢州、留め役は、秀太郎の甲屋女房という配役だった。因に、これまで
私が観た五郎蔵は、菊五郎(3)、仁左衛門(2)、團十郎、そして今回が初役の梅
玉。まあ、菊五郎が得意とするキャラクターだろう。

序幕第一場「五條坂仲之町の場」は、「鞘当」のパロディ。対立するグループの出会
いの場面だ。本来なら両花道を使っての「出会い」という様式美の場面だが、今回
は、「両花道」の演出ではなく、本花道と上手揚げ幕から、それぞれ出て来る(両花
道は、5年前、07年11月の歌舞伎座以来、私は観ていないが、ここは、両花道で
観たいもの。因に11月の国立劇場の「浮世柄比翼稲妻」の「吉原仲之町の場(鞘
当)」は、両花道を使う)。

黒(星影土右衛門=松緑)と白(御所五郎蔵=梅玉)の衣装の対照。ツラネ、渡り科
白など、いつもの演出で、科白廻しの妙。洗練された舞台の魅力。颯爽とした男伊
達・五郎蔵一派(亀寿、廣太郎、米吉、廣松。若手に世代交替)。剣術指南で多くの
門弟を抱え、懐も裕福な星影土右衛門一派(松太郎、辰緑、梅蔵、大蔵)。五郎蔵女
房の傾城・皐月に廓でも、横恋慕しながら、かってはなかった金の力で、今回は、何
とかしようという下心のある土右衛門とそれに対抗する五郎蔵。そこへ、割って入っ
たのが、五條坂の「留め男・甲屋与五郎(幸四郎)の登場という歌舞伎定式の芝居。

序幕第二場「甲屋奥座敷の場」。俗悪な、金と情慾の世界。皐月を挟んで金の力を誇
示する土右衛門と金も無く、工夫も無く、意地だけが強い五郎蔵の対立。歌舞伎に良
く描かれる「縁切」の場面。五郎蔵女房と傾城という二重性のなかで、心を偽り、
「愛想づかし」で、金になびいてみせ、苦しい状況のなかで、とりあえず、200両
という金を確保しようとする健気な傾城皐月(芝雀)。実務もだめ、危機管理もでき
ない、ただただ、意地を張るだけという駄目男・五郎蔵(梅玉)、剣術指南の経営者
として成功している金の信奉者・土右衛門という三者三様は、歌舞伎や人形浄瑠璃で
良く見かける場面。馴染みの役者の見慣れた場面。判っていても、観てしまうという
歌舞伎の様式美の魔力。

「晦日に月が出る廓(さと)も、闇があるから覚えていろ」。花道七三で啖呵ばかり
が勇ましい御所五郎蔵(梅玉)が退場すると、皐月(芝雀)を乗せたまま、大道具
が、廻る。

序幕第三場「廓内夜更の場」。傾城皐月の助っ人を名乗り出る傾城逢州(高麗蔵)
が、実は、人違いで(癪を起こしたという皐月の身替わりになったばっかりに)五郎
蔵に殺されてしまう。駄目男とはいえ、五郎蔵の、怒りに燃えた男の表情が、見物
(みもの)という辺りが、この演目の見どころなので、初役の梅玉では、任に合うか
どうか心配だ。

皐月の紋の入った箱提灯を持たせ、自らも皐月の打ち掛けを羽織った逢州と土右衛門
の一行に物陰から飛び出して斬り付ける五郎蔵。妖術を遣って逃げ延びる土右衛門と
敢え無く殺される逢州。逢州が、懐から飛ばす懐紙の束から崩れ散る紙々。皐月の打
ち掛けを挟んでの逢州と五郎蔵の絵画的で、「だんまり」のような静かな立ち回り。
官能的なまでの生と死が交錯する。特に、死を美化する華麗な様式美の演出も、いつ
もの通り。

二幕目「五郎蔵内腹切の場」。定式、様式美に加えて、誤殺(裏切り者の女房・皐月
を殺したとばかり思っていたら、皐月朋友の傾城・逢州を間違って、殺してしまっ
た)の責任を取って、腹を切る元武士(浅間家の家臣・須崎角弥)の五郎蔵。夫のた
めに主家(放蕩な殿様は浅間巴之丞)の借金200両を工面した傾城・皐月・五郎蔵
女房も、夫のダイイングメッセージを受けて、後追い心中をする。ふたりは、瀕死の
状態で、来世での再会を期して、最後の演奏をする。五郎蔵の尺八と皐月の胡弓の合
奏。梅玉もまあまあ。封建的な価値観、荒唐無稽な筋立てながら、定式と様式美で味
付けされると人気演目になってしまうという摩訶不思議。なにより、「御所五郎蔵」
という役名のネーミングが卓抜ではないか。

馴染みのある演目を贔屓の役者たちが、改めて、なぞり返す。手垢にまみれて見える
か、磨き抜かれて、光って見えるか。燻し銀のごとく、鈍く光る歌舞伎のおもしろさ
は、同じ演目が、いつも、違った顔を見せるということだろう。


七代目を偲び、「孫」の幸四郎、團十郎が「勧進帳」弁慶富樫を交替で「競演」


さて、芸術祭参加。七代目幸四郎「追遠」興行の目玉は、昼夜で連続上演する「勧進
帳」だろう。「たっぷり」と大向うから声がかかりそうな劇評を目指したい。昼の部
の勧進帳では、團十郎が弁慶を演じ、幸四郎が富樫を演じたが、これは、当代では初
めての共演だろう。役を取り替えての共演は、共演というより「競演」と言うべきか
もしれない。海老蔵時代を含め十一代目團十郎と八代目幸四郎では2回共演してい
る。夜の部の「勧進帳」のように幸四郎が弁慶で、海老蔵時代を含めて團十郎が富樫
という配役は、当代でも、2回共演している。

それでは、團十郎と幸四郎の「競演」に対する私の評価を述べてみたい。幸四郎は、
「勧進帳」の弁慶を1000回以上演じている。團十郎は、今回の本興行で36回目
の出演というから、こちらも900回近い上演だろう。私自身は「勧進帳」の舞台
は、何回観て来ただろうか。数えてみると、22回目になる。

私が観た22回の「勧進帳」の配役は、次の通り。( )のなかの数字は、私が観た
回数。

弁慶:幸四郎(今回含め、6)、團十郎(今回含め、7)、吉右衛門(4)、猿之
助、八十助時代の三津五郎、辰之助改めの松緑、仁左衛門、海老蔵。冨樫:菊五郎
(5)、富十郎(3)、梅玉(3)、勘九郎(2)、吉右衛門(2)、團十郎(今回
含め、2)、新之助改めとその後の海老蔵(2)、猿之助、松緑、今回の幸四郎(幸
四郎の富樫は、本興行では、24年ぶり)。義経:梅玉(5)、雀右衛門(3)、染
五郎(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝翫(2)、藤十郎(今回、2)、富十
郎、玉三郎、勘三郎。

團十郎の弁慶で印象に残るのは、04年5月5日の歌舞伎座、息子・新之助の海老蔵
襲名の舞台。團十郎の弁慶について、私は次のように書いている。

*團十郎の弁慶は、いつもにも増して、意欲的で、見応えがあった。海老蔵の冨樫、
菊五郎の義経とも、なかなか見物(みもの)の舞台だ。弁慶と冨樫が、所作台2枚分
まで、詰め寄る「山伏問答」。逆に、弁慶と義経が、所作台9枚分まで離れる「判官
御手を」。いずれも、舞台の広さ、空間を活用した、憎い演出である。それだけ、弁
慶役者は、舞台を動き回る。その動きも、長唄に載せて踊る舞踊劇だから、舞うよう
な演技が必要になる。さらに、内部にござを入れた大口袴という弁慶の衣装は、重
く、演じる役者に体力、気力を要求する。團十郎の弁慶には、息子の襲名披露の舞台
をなんとしても成功させようという気迫があった。役者魂と團十郎代々の将来を担う
長男・海老蔵への情もあったのだろう。それだけに、團十郎は、いつも以上の気力
で、舞台に臨んでいたのではないか。それが、團十郎のなかでも、今回の弁慶を、い
つもとは一味違う素晴しい弁慶にしていたと思う。團十郎の弁慶は、今回(04年当
時)で、3回目だが、いちばん、迫力のある弁慶であった。それほどの、素晴しい弁
慶であった。

しかし、また、それが、体力の限界まで團十郎を追い詰めてしまったのではないか。
いまから、考えれば、團十郎は、体を虐め、白血病に罹るほど、意気込み過ぎていた
のかも知れない。半年前から、本格的に始まった海老蔵襲名披露興行への準備。それ
は、自分の舞台を勤めながら、息子のポスター写真の撮影現場にも立ち会うなど、準
備の進捗状況にも、きめ細かく、目を光らせるということだ(以前に、初日前の歌舞
伎座で舞台稽古を何回か、観ているが、新之助の稽古に客席から浴衣姿の團十郎が、
注文を出している場面に出くわしたことがある。日頃から、息子の藝の精進には、目
を光らせていた)。今回の冨樫などの演技を見れば判るが、海老蔵も父親の期待に答
えようと頑張っていた。

命がけで、演じていた團十郎の体を病魔が襲っていたのかも知れない。(5月10日
から休演)5月5日の舞台で、病魔と戦うそぶりも見せずに、凄まじい弁慶を團十郎
は、演じてくれた。恢復後、再び、さらに奥行きのある弁慶を演じて欲しいと、願う
のは、私だけではない。歌舞伎ファンが、みな、一丸となって、團十郎の恢復を待っ
ている。身の丈の大きな海老蔵の冨樫は、口跡も良く、見栄えがした。また、いつの
日か、親子の役柄を変えて、海老蔵の弁慶、團十郎の冨樫でも、「勧進帳」を観てみ
たい。

ところで、團十郎は、若い頃の、役者としては、致命的欠陥とも言える、自分の口跡
の悪さ(声が籠る)を藝の力で克服して来た努力の人である。手を抜くことができな
い性格だろう。凄い弁慶を見せてくれた團十郎には、頭が下がるが、健康を害してし
まっては、なんにもならない。」

一方、幸四郎の弁慶で印象に残るのは、09年9月歌舞伎座の舞台。その時の劇評は
以下の通り。

*七代目松本幸四郎没後六十年と銘打たれた「勧進帳」は、夜の部の目玉で、見応え
があった。17回目の拝見。今回の配役は、ユニーク。弁慶が、幸四郎、富樫が、吉
右衛門、義経が、染五郎。兄弟と親子の組み合わせ。

もともと、「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、名舞踊、名ドラマ、
と芝居のエキスの全てが揃っている。これで、役者が適役ぞろいとなれば、何度観て
もあきないのは、当然だろう。

今回の幸四郎の弁慶は、七代目が、生涯で1600回演じたという近代一の弁慶役者
だったのを目標に、1000回というラインを越えて、その後も、記録を更新してい
る。今回は、弟の吉右衛門が、富樫でつき合う。ふたりの科白廻しの応酬が素晴らし
い。大向うからは、「ご両人」と、声がかかった。虚実を見分けながら、それを許容
する懐の深い吉右衛門の富樫であった。幸四郎の弁慶は、主人の義経に気持ちを集中
しているのが、判る。危機に際し、刻々と変化する状況を、落ち着いて判断し、義経
警護の責任者として責務を全うする。全ての神経を義経の安全警護という危機管理意
識に使っているのが、判る。」

今回の幸四郎、團十郎の弁慶「競演」で私が感じたことは、幸四郎の弁慶は、先人た
ちの藝を引き継ごうと、いわば「実線」で丁寧に絵を描いているということだと思っ
た。科白廻し、所作に神経を使っているのが判る。

一方、團十郎の弁慶は、この人生来の口跡の悪さもあり、細かなところまで丁寧に描
写するというより、弁慶という人間を丸掴みして、その存在感そのものを再現するこ
とに力を注いでいるように思えた。弁慶の衣装は、幸四郎も團十郎も同じに見えた
が、富樫の衣装は、幸四郎と團十郎では、衣装に描かれた鶴の紋様が大分違う。

山伏問答がおもしろい。

富樫:山伏は、なぜ、「武装」しているのか。
弁慶:山道を踏み開き、害獣や毒蛇を退治する。難行苦行で悪霊亡霊を成仏させる。
富樫:「兜巾(ときん)」を付けている訳は。
弁慶:「兜巾」を「篠掛(すずかけ)」は、武士の甲冑と同じ。腰に利剣、手に金剛
杖。
富樫:(そういう)山伏の出で立ちは?
弁慶:不動明王のお姿をかたどっている。

贅言:今回の昼の部の終演は午後2時半と早い。夜の部の開演が午後4時。入れ替え
の時間が、1時間半もある。楽屋口隣の公演で小休止していたら、楽屋口から普段着
に着替えた藤十郎がお付きの人と一緒に出て来て、停まった自家用車の助手席に乗り
込むところを見かけた。昼の「勧進帳」(午後2時半終演)と夜の「勧進帳」(午後
6時半上演)で、義経を演じる藤十郎には、空き時間が、4時間もある。服装からし
て、ほかの仕事へ出向くという感じではない。自宅へ戻るのか、ホテルで休憩するの
か。義経役の藤十郎で気になったことがひとつある。座った姿勢から立ち上がるとき
に後見が藤十郎の腰を支えていた。

贅言;最後に、今回の興行で使われている「七代目松本幸四郎追遠」という言葉は、
余り聞き慣れない言葉だが、辞書に拠ると、「先祖の徳を追慕して心をこめて供養す
る」とある。
- 2012年10月15日(月) 7:41:42
12年10月新橋演舞場 (昼/「国性爺合戦」、「勧進帳」)


「ある在日中国人一家の帰国」という物語


近松門左衛門原作「国性爺(こくせんや)合戦」は、もともと、17世紀の中国の歴
史、「抗清復明」の戦いと呼ばれた明国再興のために清国に抗戦した歴史、なかで
も、史実の人物、日明混血の鄭成功の物語を題材にしている。史実の鄭成功は、「国
姓爺(こくせんや)」と呼ばれた(「性」と「姓」の字の違いに注意)。鄭成功は、
清に敗れた後、台湾を攻略し、そこを活動の拠点にしたという。

近松門左衛門は、「明清闘記」という日本の書物を下敷きに、「国性爺合戦」を書い
たというから、これは、まさに、「戦記」である。1715(正徳5)年、竹本座で
初演された近松門左衛門原作の人形浄瑠璃は、全五段構成。韃靼に滅ぼされそうな明
の再興を願う和藤内(後に、鄭成功)は、姉(父親の先妻の娘)の錦祥女が、甘輝将
軍に嫁いでいるという縁を利用するため、大陸に渡る。既に韃靼に従っている甘輝将
軍に対して、義弟の和藤内が、日明混血という立場を生かして、実の父母(父親の後
妻)とともに、韃靼征伐への旗揚げ協力を要請に行くという物語である。この芝居
は、本来、和藤内が主人公なのだが、今回の舞台を観ていて感じたのは、いつもと
違って、「ある在日中国人一家の帰国」という視点であった。

その視点で、舞台を観直すと、老一官(歌六)は、その昔、明の官僚だったが、日本
に密航し、日本人の妻・渚(秀太郎)と結婚し、長男・和藤内(松緑)を生んだ。明
滅亡の危機という情報を得て、明再興のため家族を連れて、祖国に戻る。頼るのは、
老一官の先妻の子どもで、長女にあたる錦祥女(芝雀)。錦祥女が明の将軍・甘輝
(梅玉)の夫人になっているからだ。権力者の妻になっている娘を頼って帰国したあ
る在日中国人一家の前に待っているのは、どんな物語か、というところで、歌舞伎の
幕が開く。

贅言;日中問題が、尖閣諸島で外交上の重要な問題になっているときに上演というの
は、タイミングとして微妙かもしれない。門左衛門が描いたのは、明と韃靼の争いに
日本人が協力という構図。まずは、平穏に演舞場の幕は開いた。

「国性爺合戦」は、私は、今回で4回目の拝見である。98年12月、03年4月の
歌舞伎座、10年11月の国立劇場である。私が観た和藤内は、猿之助、吉右衛門、
團十郎、そして今回の松緑。このほかの配役は、錦祥女が、玉三郎、雀右衛門、藤十
郎、そして今回の芝雀。甘輝が、梅玉(今回含め、2)、段四郎、富十郎(病気休演
の仁左衛門の代役)。父・老一官が、左團次(3)、そして今回の歌六。母・渚が、
九代目宗十郎、田之助、東蔵、そして今回の秀太郎。

場面構成は、皆違う。98年は、猿之助一座の、通し狂言で拝見している。この舞台
は、人形浄瑠璃の全五段構成を大事にした場面構成で、筋立てが判りやすかった。こ
の時の、場面構成は、大明御殿、海登の湊、平戸の浜、千里ケ竹、獅子ケ城楼門、甘
輝館、紅流し、元の甘輝館、松江の湊、九仙山、雲門関、龍馬ケ原、石頭城、長楽
城、元の九仙山、南京。ということで、きめが細かかった。

03年は、場面が整理され、コンパクトになっている。平戸海岸、千里ケ竹、獅子ケ
城楼門、甘輝館、紅流し、元の甘輝館。

10年は、序幕「大明御殿、平戸の浦」、二幕目「千里ケ竹」、三幕目「獅子ケ城楼
門」、四幕目「甘輝館、紅流し、元の甘輝館」という構成。

そして、今回は、序幕「獅子ケ城楼門」、第二幕「甘輝館、紅流し、元の甘輝館」
と、ほとんど「みどり」上演に近い。

贅言;今回は、「丸本もの」なのに、定式の「◯幕目」という表記を使わずに、「第
◯幕」としている。

父親・老一官と20年間も逢っていなかった(別れたのが、2歳の時というから、ほ
とんど初対面の印象ではないか)先妻の娘・錦祥女とのやりとり。その後は、初対面
の後妻の渚と錦祥女という、義理の母娘が、重要なポイントになる。その結果、和藤
内が、軸になる場面は、「紅流し」を見届ける場面くらいで、和藤内の存在感が薄い
のではないかと、思う。因に、今回同様の場面構成は、06年6月国立劇場公演で
あった。主役の和藤内は松緑、ほかに錦祥女は芝雀、甘輝は信二郎時代の錦之助、老
一官は秀調、渚は右之助などであった。松緑は、今回の楽屋話で、「荒事としていか
に成立させるか」と言っていたが、和藤内の荒事の存在感を強調するなら、場面構成
を含めて、もう一工夫しないとだめではないのか。

序幕「獅子ケ城楼門の場」。10年の国立劇場での團十郎は、軍師・和藤内として老
いた両親を「連れて」の登場であったが、今回の松緑は、父親と先妻の娘の縁を頼っ
て、父親に「連れられて」の登場という印象であり、最後までその印象が変わらな
かった。獅子ヶ城楼門の場では、和藤内が、金の獅子頭が飾られている楼門の外から
城内に呼び掛け、甘輝ヘの面会を求めるが、断られる。この後、父親と娘の交渉に芝
居の軸が移り、和藤内は、あまり、仕どころが無くなってしまう。

老一官が、娘の錦祥女に逢いたいと申し出る。やがて、楼門の上に錦祥女が現れ、
「親子の対面」となるが、親子の証拠を改めるという場面である。幼い娘に残した父
の絵姿と見比べながら、楼門の上から、月の光を受けて、鏡を使って父親を確かめる
娘。楼門の上と下という立体的な「対面」も、劇的な趣向が良い。歌六(老一官。初
役)と芝雀(錦祥女)の父と娘のやり取りが良い。

贅言;観客席の上から観ていたということもあるかもしれないが、芝雀の俯いた顔
が、なんと、先に亡くなった父親の雀右衛門そっくりになって来たように思える。今
回の興行は、「七代目幸四郎追遠」という標記。そういえば、戦地から復員して来た
当時の友右衛門(後の雀右衛門)を、今後は女形をやりなさいと勧めたのは雀右衛門
の岳父である七代目であった。女形をやったことがない友右衛門の藝質の中に女形の
華が隠されていることを見抜いた七代目の慧眼やいかに、ということだろう。「遅れ
て来た女形」は、その後、真女形の立女形に華開いて行ったことは、皆、承知してい
る通りである。

父と娘と、お互いに本物と知れても、戦時下のことゆえ、異国人の家族は、城内に入
れるなという韃靼王の命令で、入場厳禁という。そこで、母・渚の仕どころとなる。
縄を打たれ、縄付きの人質になるから、義母を城内に入れてほしいと義理の娘に頼
む。渚は、いわば、全権大使の役どころ。それは、聞き入れられる。

和藤内らは、甘輝の面会の是非の判断は、化粧殿(けわいでん)の鑓水(やりみず)
に流す「紅白」の合図(紅=是、白粉=非。後の「紅流し」の場面に繋がる)を決め
て、渚を城内に引き入れる。

第二幕第一場「獅子ケ城内甘輝館(かんきやかた)の場」。花道より甘輝一行登場。
甘輝は、梅玉。だが、この場面の主役は、女形たちである。和藤内の母・渚、甘輝の
妻・錦祥女。上手化粧殿より登場した秀太郎(後妻・渚。初役)と奥より登場した芝
雀(先妻の娘・錦祥女)母娘の関わりの場面が良い。今回は、荒事より、このふたり
の情愛がクローズアップされて来た。

夫婦の縁で、義弟の味方をしては、将軍としての体面が保てない。和藤内に味方する
ためには、妻の錦祥女を殺さなければ韃靼王に対して面目が立たないと、甘輝が、錦
祥女に刀を向ける場面では、両手を縄で縛られていて不自由な渚が、口を使って、ふ
たりの袖をそれぞれに引き、諌める場面が、良い。夫・老一官の先妻の娘への、継母
の情愛が迸って来るのが判る。互いの立場を慮る真情は、いまにも通じる。「口にく
わえて唐猫(からねこ)の、ねぐらを換ゆるごとくにて」という竹本の語りがあるの
で、「唐猫のくだり」という名場面だ。

夫の面目を立て、父と義弟のために、喜んで命を捨てるという錦祥女。継母として
は、義理の娘の命を犠牲にするわけにはいかないという渚。後ろ手に縛られたままで
の秀太郎の演技。家族の情愛、特に、母性愛の見せ場だ。

「甘輝館」の御殿の壁は、緑地に金のアンモナイトの図柄。御殿から鑓水に架かる小
さな橋で繋がる上手の化粧殿は、紫の帳(とばり)が、垂れ下がっている。いずれの
緞帳も、蝦夷錦という。ここで、錦祥女は、左胸に抱えた瑠璃の紅鉢から、紅を流す
のだが、実は、これは、紅では無く、自分の左胸(つまり、心臓)を刺した血である
が、赤布で表現される「紅流し」は、まだ、観客には、底を明かさない。だが、甘輝
が、渚を和藤内の元へ送り返そうと言ったとき、錦祥女は、白糊(おしろい)流し
(=渚解放承諾)と紅流し(=否認)の合図があるから、それを見て和藤内が母を迎
えに来ると答えるが、このときは、もう、錦祥女は、瀕死への坂を転がり始めてい
る。本舞台に落ちた紅布は、水布の上に載せられ、上手へと移動して行く。

第二幕第二場「獅子ケ城紅流しの場」。場面展開となり、御殿の大道具のうち、化粧
殿は、舞台上手に、御殿は、舞台下手に、それぞれ引き込まれる。奥から石橋が引き
出され、舞台前方へと押し出されて来る(大道具の「押し出し」は、九代目團十郎以
降の演出という)。橋の上には、紫地木綿に白い碇綱が染め抜かれた衣装の和藤内が
いる。右手に持った竹の小笠で顔を隠している。左手には、松明。背には、化粧簑を
着けている。舞台奥は、川の上流の体。たちまちにして、場面は城外に早替り。

「赤白(しゃくびゃく)ふたつの川水に、心をつけて水の面」というのが竹本の文
句。橋の下の水の流れを注視している。やがて、紅(赤い布)が、流れて来る。「南
無三、紅(=否認)が流るるワ」で、顔を見せると、和藤内の隈が、一本隈から筋隈
(二本隈)に変わっている。怒りに燃えて、顔に浮き出る血管が、増えていることに
なる。

第二幕第三場「獅子ケ城内元の甘輝館の場」。人質の母を助けようと場内に急ぐ和藤
内。それを阻止しようとする下官たち。和藤内は、下官たちとの立ち回りの末に、黒
衣が、黒幕で包んで持って来た下官の胴人形を下官たちの群れに投げ入れる。人形浄
瑠璃の演出を援用。

石橋などの大道具が、先ほどの手順の逆で、奥へ引き込まれ、化粧殿、御殿など上下
の道具が、再び、押し出されて、「元の甘輝館」の場面へ。巧みな場面展開である。

甘輝館へ乗り込んだ和藤内は、母・渚を助け、縄を解く。甘輝と対決しようとする和
藤内。御殿の御簾を下げて、衣装を替えるふたり。そして、元禄見得対関羽見得での
対決。ハイライトの場面である。そこへ、上手の一間から錦祥女が出て来る。瀕死の
錦祥女。命を掛けた妻の行動に和藤内への助力を約束する甘輝は、さらに、和藤内に
名前を「鄭成功」と改めるように勧める。その一部始終を認めた渚は、義理の娘同様
の志で自死する。ふたりの女性を犠牲にしての大団円。女たちが、物語の主軸になる
と、和藤内は、仕どころが無くなる。和藤内の荒事芝居より、女形たちの情愛芝居の
勝ち。

下手寄りで、両腕をぶっちがえにして、じっとしている和藤内。関節が抜けるほど苦
しいという。すべてを肚で見せる和藤内の場面だが、今回の席では、見えなかった。


「勧進帳」は、昼の部が、弁慶:團十郎、富樫:幸四郎などで演じ、夜の部では、弁
慶:幸四郎、富樫:團十郎という趣向で演じるので、その比較を軸にあわせて論じた
いので、昼の部の劇評は、「これぎり」。
- 2012年10月14日(日) 12:28:38
12年09月新橋演舞場 秀山祭(夜/「時今也桔梗旗揚」「京鹿子娘道成寺」)


細密画の如き、藝の伝承


「時今也桔梗旗揚」は、5回目の拝見。3年前の、09年9月歌舞伎座「秀山祭」で
観ている。武智光秀は、吉右衛門。「時今也桔梗旗揚」(鶴屋南北原作)の原題は、
「時桔梗出世請状(ときもききょうしゅっせのうけじょう)」であったが、明治以
降、現行の外題になったという。「出世」とは、正反対の、「左遷」に逆上した光秀
の「旗揚」(謀反)の物語だからだろう。本来は、五幕十二場。なかでも、序幕の
「饗応」(祇園社)、三幕目の内、本能寺「馬盥(ばだらい)」、「愛宕山連歌(あ
たごやまれんが)」の3場面が演じられるが、最近では、「馬盥」「連歌」の2場面
だけが、演じられることが多い。今回は、前回3年前同様、3場面の上演であった。
この狂言は、いかにも、南北劇らしい、怨念の発生の因果と結末の悲劇を太い実線で
描く。科白廻しも、良いので、楽しみ。

私が観た主な役者たち。武智光秀:吉右衛門(今回含め、2)、十七代目羽左衛門、
團十郎、松緑。小田春永:團十郎、左團次、海老蔵、富十郎、そして、今回が染五郎
代役の歌六。皐月:魁春(今回含め、2)、九代目宗十郎、田之助、芝雀。桔梗:芝
雀(今回含めて、3)、萬次郎、松也。森蘭丸:正之助時代の権十郎(2)、橘太
郎、錦之助、新・歌昇。山口玄蕃(必ずしも、毎回は、出ない):歌昇時代の又五
郎、そして、今回は、錦之助。四天王但馬守:孝夫時代の仁左衛門、九代目三津五
郎、亀蔵、幸四郎、そして、今回は、梅玉。

この芝居は、武智光秀(吉右衛門)が、徹底的に虐められる。光秀は、初代吉右衛門
の当り役。最近続けて、「秀山祭」ゆえ、光秀を吉右衛門で観ている。

以下は、芝居の概要なので、前回の再録。但し、配役名は、判り易いように今回のも
のとした。随時、贅言として、今回の印象などを書き加えた。

序幕「饗応の場」。太政大臣を目前とし、任命の勅使を迎え、饗応する責任者が光秀
だが、鷹狩りから戻って来た暴君・小田春永(歌六)は、光秀の饗応の準備ぶりが、
気に入らないと怒り出す。天幕の紋が、光秀の「水色桔梗」になっているなど、光秀
の方が、目立ちすぎるというのである。用意した器物や珍味も高価すぎると、用意し
てあるものを足で蹴倒す。「華美を尽くせ」と、命じられたのは、(あなたさまでは
ないか)、光秀が、理詰めで諌めると、(だから、余計に)春永は、ますます、激昂
する。その挙げ句、森蘭丸(歌昇、先代の歌昇の長男・種太郎から襲名している)に
鉄扇で光秀を打ち据えろと命じる始末(上司に、こういうタイプの人がいると、苦労
する)。

「絵本太功記」などでもお馴染みの光秀の眉間の傷は、こうしてできたということ
が、良く判る場面だ。春永の側近、蘭丸と力丸(歌昇の弟、種之助)は、ともに、隈
取りをして、ということは、つまり、蘭丸は、荒事で、光秀を打ち据えるというわけ
だ。勅使到着の知らせを聞き、春永は、饗応役を光秀から欄丸に急遽、代えるととも
に、光秀には、領地での蟄居と今後の目通り禁止を申し渡す。鉄扇を見つめる光秀の
内部に禍々しい気持ちが、沸き上がり始める。

贅言;幕が開くと、御殿。御殿の御簾が上がると、光秀。後ろの襖は、銀地にソテツ
が描かれた山水画。襖絵が、重要な場面展開を示しているので、要注意。花道から春
長(歌六)一行登場。

二幕目「本能寺馬盥の場」。金地に紅、白、桃色の牡丹が描かれた襖のある本能寺。
小田春永の宿所である。ここで、光秀は、春永から、再び、辱めを受ける場面、それ
に耐える辛抱立役・光秀の態度、春永に対する謀反の心の芽生え(激情が込み上げ
る)という心理劇で、「馬盥の光秀」と通称される場面である。

これを観ると、「饗応」の場面と重なる印象もあり、最近では、「馬盥」は上演され
るが、「饗応」は省略されがちだ。重複感を嫌うのも、判らないではないが、「饗
応」では、光秀の眉間の傷の謂れが判るから、観客の立場からすれば、やはり、欠か
せない場面だ。それに、鷹狩り姿の春永と勅使を迎える烏帽子大紋という正装に身を
包んだ光秀の対比など「馬盥」の場面より、歌舞伎お得意の、視覚的な対比を意識し
た舞台となっている点も、見逃せない。

「馬盥」では、春永は、例の、春永や義経を演じる役者が、定番で着る「正装」姿、
一方、後に、春永から、久々の目通りを許された光秀は、黒に近い濃紺の裃姿(金地
の家紋が入っている)で登場する。

馬を洗う際に使う馬盥に轡(くつわ)で留めた錦木の花活け(久吉から春永への献上
の品。馬の口取りから取り立てられたのを恩に思っている久吉は、愛い奴と春永が思
う。その隣りにある紫陽花と昼顔の花籠が、光秀の献上と聞き、一日で、色が変わる
紫陽花や昼顔を選ぶとは、何と、嫌みな光秀めと、「春永の世は短い」という当てこ
すりか、光秀の顔を思い出してしまい、春永は、不快になる)、その馬盥を盃替りに
春永から酒を飲まされるなどして、屈辱感で怒り心頭の光秀という場面。


「ぐぐっと、干せ」という、春永の声に背中を押されるようにして、馬盥を左手で持
ち、懐紙を掴んだ右手を添えながら、馬盥の酒を干す光秀。さらに、春永から下賜さ
れたのは、光秀を馬扱いにする「轡」であった怒りに震えながら、轡を袖に入れる光
秀。蘭丸の領地との交換を命じた上に、予てより光秀所望の名剣「日吉丸」を別の家
臣に与え、光秀には、貧窮時代に売り払った妻・皐月(魁春)の切髪が入った箱で
あった。掛け軸と思いながら、蓋を開けた光秀は、驚きながらも、悔しさを押さえ込
もうとする。自分たちの過去を満座の中で、暴露された光秀の無念さ。

歌舞伎は、権力者横暴を畳み掛けるように、描いて行く。怨念のエネルギーを胸中に
蓄積し続ける光秀。春永が、奥へ入った後、花道(花道には、薄縁が敷き詰められ、
畳敷きの廊下の体。向こう揚幕も、座敷の襖になっている)から引き上げる場面で、
紺地の裃、燕手の鬘、額の傷、花道七三で、切髪の入った箱を左手から、右手に持ち
替えて、「箱叩き」をして、「ぐいと」ばかりに、表情を改めて、ポーズをとる吉右
衛門の姿勢は、写真で見る初代そっくり。

贅言;春長を当初は、染五郎が演じる筈だった。休演で歌六が代役に立った。春長
は、光秀を虐めてやろうという確信犯である。イライラする癇癪持ち。歌六の演技を
観ながら、染五郎なら、どう演じたかを想像する。

大詰「愛宕山連歌の場」。謀反の実行(旗揚げ)という(光秀の宿所)「愛宕山連
歌」の場面という形で、芝居は、さらに展開する。一転して、銀地の襖には、荒れ狂
う龍神の絵。衝立も、銀地に統一。山水画だ。

贅言;3つの場面で、襖は、銀地、金地、そして銀地へと変わった。銀地は、山水
画。ソテツから龍神へ。間の金地は、花王と呼ばれる華やかな牡丹の花。場面の基本
的なトーンを襖絵で表現している。

「君、君たれども、臣、臣たらざる光秀」「この切り髪越路にて」「待ちかねしぞ但
馬守。シテシテ様子は、何と何と」で三宝を踏み砕いて、太刀を引っかついだ大見得
など、光秀の無念を表わす名科白が知られる。特に、光秀の謀反の実行は、ここで、
やっと、本心をさらけだし、「時は今天(あま)が下(した)知る皐月かな」と、妻
の名前も織り込んで、妻の恥辱も晴らす辞世の句を読む。耐えに耐えた屈辱を、やっ
と、晴らそうとするのは、観客の気持ちも、同調しているから、名場面となるのだろ
う。

愛宕颪、夜半の風が吹き込み、座敷の灯りが消え、暗闇で、白無垢、無紋の水裃とい
う、死に装束に着替えた光秀。行灯の火が着けられると光秀の謀反の姿が、浮き上
がって来る。光秀介錯のため、春永の上使が、持ち出した「日吉丸」を奪い取り、当
の上使を斬り殺す形で怒りを噴出させる光秀。バタバタとメリハリのある附け打は、
保科幹。黒衣が持ち出した、黒い消し幕で、片付けられる上使の遺体。

それまでの官僚の抑制ぶりと謀反後の、「国崩し」という悪役ぶりの鮮烈な対比。だ
が、それは、日本人好みの、滅びの美学。「しからば、これより、本能寺へ」、「君
のご出馬」という声を背にしながら、向うを見込む吉右衛門の光秀。「待ちかねしぞ
但馬守」で、そこへ駆けつけて来た鎧姿に元結の切れた髪という四王天(しおうで
ん)但馬守(梅玉)が、本能寺での謀反の端緒は、まず、成功と知らせるとともに、
光秀の血刀を拭い、互いに不気味な笑いを浮かべるという、幕切れの名場面。いぶし
銀の如き一枚の錦絵。幕。

そのまま、ここでは、演じられていない「本能寺」の暗殺場面を容易にダブルイメー
ジさせるのは、巧みな演出だ(原作の、本来なら、本能寺客殿の「春永討死の場」に
移るが、そこを演じない方が、余韻が出て来る。つまり、余白の美しさだ)。

光秀の演じ方は、七代目團蔵系と九代目團十郎系とふたつあるという。團蔵系は、主
君に対して恨みを含む陰性な執念の人・光秀。團十郎系は、男性的で陽気な反逆児・
光秀。これは、南北劇らしく怨念の團蔵系の演出が、正論だろう。春永鉄扇で割られ
た眉間の傷、謀反の心を表わしてからの「燕手(えんで)」と呼ばれる鬘など、謀反
人の典型、「先代萩」の仁木弾正そっくりの光秀が現れる。吉右衛門は、もちろん、
團蔵系の演出である。

吉右衛門は、怨念、恨み、つらみの陰気さを滲ませた光秀。花道引っ込みの、「箱叩
き」の、主君から辱めを受けた後の、無念さ、悔しさ、謀反の心の芽生えを表わす息
の吐き方に、それを感じた。地の吉右衛門は、人間的に、光秀より、器も大きいし、
虐められても、謀反を企むような人柄ではないだろうが、「殿、ご乱心」という気持
ちを押さえ込みながら、その境界線上で、ぎりぎりに光秀を演じているという感じが
出ていた。きちんと、初代の藝を引き継ぐ吉右衛門。九代目の團十郎も意識している
のは、さすが。團蔵型をベースに團十郎型の要素も取り入れて、演出を練り上げたの
が初代吉右衛門だ。今後も、細密画のように、細部にも気を配り、全体にも気を配り
しながら、初代の藝を継承し、付け加えしながら、吉右衛門はこの演目を探求して行
くのだろう。


「踊りを通じて父を思い出して」


「京鹿子娘道成寺」は、去年の10月に亡くなった芝翫を忍んで、長男の福助が踊
る。「京鹿子娘道成寺」は、14回目の拝見。今回は、松緑出演で、「押し戻し」が
ある。福助は、「父が踊った通りに勤め、踊りを通じて父を思い出していただけた
ら。崇高に踊りたい」と楽屋話で話していた。

大曲の踊りは、いわば組曲で、「道行、所化たちとの問答、乱拍子・急ノ舞のある中
啓の舞、手踊、振出し笠・所化の花傘の踊、クドキ、羯鼓(山尽し)、手踊、鈴太
鼓、鐘入り、所化たちの祈り、鱗四天、後ジテの出、押し戻し」などの踊りが、次々
に連鎖して繰り出される。ポンポンという小鼓。テンテンと高い音の大鼓(おおか
わ)のテンポも、良く合う。長時間の舞踊で、序破急というか、緩怠無しというか、
破綻のない大曲。舞台と袖との出入りごとに、衣装が変われば、踊りも変わる。なの
に、福助の踊りは、ゆったりと安定している。

私が観た花子役は、勘九郎時代含め勘三郎(4)、福助(芝翫の代役含めて、今回
で、3)、玉三郎、芝翫、菊五郎、雀右衛門、藤十郎、三津五郎、菊之助。

花子は、衣装の色や模様も、所作に合わせて、緋縮緬に枝垂れ桜、浅葱と朱鷺色の縮
緬に枝垂れ桜、藤などに、テンポ良く替わって行く。後ジテの花子は、蛇体の本性を
顕わして、朱色(緋精巧・ひぜいこう)の長袴に金地に朱色の鱗の摺箔(能の「道成
寺」同様、後ジテへの変身)へ。今回は、押し戻しがあるので、花子は、いつもの、
鐘の上での「凝着」の表情の代わりに、赤熊(しゃぐま)の鬘(かつら)に、2本の
角を出し、隈取りをした鬼女(般若・清姫の亡霊)となって、紅白の撞木(しゅもく
=鐘などを打鳴らす棒)を持って、本舞台いっぱいに、12人の鱗四天相手に大立ち
回りを演じる。

「押し戻し」では、松緑が登場する。大向うから「音羽屋」「紀尾井町」。「押し戻
し」とは、怨霊・妖怪を花道から本舞台に押し戻すから、ずばり、「押し戻し」と言
う。「歌舞伎十八番、歌舞伎の花の押し戻し」と、松緑の科白にも、力が籠る。左馬
五郎の出立ちは、竹笠、肩簑を付けている。花道七三で竹笠、肩簑などは、後見が取
り外す。

「義経千本桜」の「鳥居前」に登場する弁慶と同じで、筋隈の隈取り、赤地に多数の
玉の付いた派手な着付け、金地の肩衣、それに加えて白地に紫の童子格子のどてらに
黒いとんぼ帯(「義経千本桜」の方が、6年先行した作品だから、こちらが真似たの
だろう)、高足駄に笹付きの太い青竹を持っている。腰には、緑の房に三升の四角い
鍔が付いた大太刀を差している。下駄を脱いだ足まで、隈取り(隈は、血管の躍動を
表現する)している。「きりきり消えて無くなれーー」と大音声で、鬼女に迫る。

衣装の引き抜きなど福助をきちんとサポートする野郎頭の裃後見の芝喜松に加えて、
福助長男の児太郎が、女形の後見姿でサポートというより、斜め後ろから父親・福助
の踊りぶりを凝視している(筋書の「後見」明記の名前の字の大きさは、児太郎のほ
うが、芝喜松より大きい)。祖父・芝翫から、父・福助へ。福助から児太郎へ。こう
やって芸の全体を覚え、細部を稽古で詰め、伝承して行くのだろう。
- 2012年9月28日(金) 14:25:36
12年09月新橋演舞場 秀山祭(昼/「寺子屋」「河内山」)


染五郎の不在、という意味


8月27日、染五郎が、国立劇場でせり穴から奈落に墜落して、大けがを負った。染
五郎は、9月、10月の新橋演舞場と11月の国立劇場の休演を決めた。その影響
で、09月新橋演舞場「秀山祭」の配役が替わった。昼の部では、染五郎が演じる予
定だった「寺子屋」の松王丸は、吉右衛門が演じた。吉右衛門が演じる予定だった武
部源蔵は、梅玉が演じた。

贅言:松竹が用意した9月のチラシは、染五郎休演による配役の変更などは、済まさ
れていて、染五郎休演などの文字は無く、当初から、染五郎を抜いて配役したような
チラシになっていた。場内の休演代役のお知らせも無く、唯一あるのは、差し替えよ
うが無かった筋書に配役訂正の「お詫び」が挟まれていて、その一片にのみ、染五郎
休演を留めていただけだ。

歌舞伎は、観客の馴染みの役者が出演し、良く知っている内容の芝居をしても、配役
の妙や役者の工夫や趣向を発見しながら楽しめるという伝統芸能ならではのおもしろ
みのある演劇である。染五郎が元気で出ていればおもしろいし、病気や怪我で休演を
してしまっても、替わりの役者の工夫や趣向で、また、別のおもしろさを発見するか
もしれない。経験の豊富な役者たちが、いつでも代役可能な状態で一座を組んでいる
から、役を廻せば、芝居は成立する。9月の新橋演舞場の秀山祭もそうであった。し
かし、やはり最初の配役構想通りであれば、9月に観た舞台より、染五郎の味も加
わっていた訳だから、幅と奥行きは、私が観たものとは違っていただろう。夜の部の
配役も替わったが、それは夜の部の批評で述べたい。

「寺子屋」を観るのは、17回目。9月に秀山祭を催すようになって、初代が得意と
した演目であることから「寺子屋」が上演されることが多いのに気がつく。

今回は、染五郎休演の波紋というテーマで劇評をまとめたい。今回の「寺子屋」は、
「寺入り(入塾)」から演じられる。「寺入り」を観るのは、3回目。「寺入り」を
観たのは、17年前、1995年3月、10年前、2002年2月の、いずれも歌舞
伎座であった。2回とも、「加茂堤」から「寺子屋」までの通しであった。「寺入
り」のない「寺子屋」は、最近では、去年、2011年9月の新橋演舞場であった。
歌昇が武部源蔵を演じて、三代目又五郎を襲名する舞台であった。松王丸は、吉右衛
門が勤めている。

千代(福助)と小太郎が、従者の下男(錦吾)に荷物を持たせて「寺入り」してく
る。涎くりの仕置きの場面、源蔵女房・戸浪(芝雀)との入塾手続きの場面だ。千代
が隣村まで、外出してしまう(外出の意図は、当初は伏せられている)。下男の錦吾
は、乱れた草履を直し、荷物を片付けた後、天秤棒を肩に掛けて座り込み、恰(「安
宅」?)も「勧進帳」の舞台で座り込んだ義経のような格好をして、玄関先で眠り惚
ける。

下男の顔にいたずらをする涎くり(種之助)。下男を起こし、千代と小太郎の入塾手
続きの真似をする涎くりと下男のパロディ。その後の悲劇との対比のための笑劇
(チャリ場)。通常、「寺入り」がない演出の場合は、涎くりが、習字をさぼって
「へのへのもへじ」を書いたりしている。こちらの演出の方が多い。その場合、15
分程度短縮される。

さて、今回、吉右衛門は、武部源蔵に廻り、染五郎に松王丸をやらせる構想だった。
初代の吉右衛門の源蔵が松王丸に対等でぶつかる。当代の吉右衛門も、それをやって
みたかったらしい。染五郎の松王丸がそれをどう跳ね飛ばすか、それが楽しみだと楽
屋話で話していた。ところが、染五郎の怪我休演で、自分が、いつも通り松王丸を演
じることになってしまった。吉右衛門の松王丸は、4回目の拝見となる。相手役の源
蔵は、富十郎が2回、又五郎を襲名したばかりの歌昇、そして今回の梅玉である。吉
右衛門の松王丸と対等と言えるのは、亡くなってしまった富十郎くらいか。

一方、吉右衛門の源蔵は、最近では、2006年9月の秀山祭に幸四郎の松王丸を相
手に演じている。今回は、幸四郎に次いで、息子の染五郎の松王丸を相手にしたかっ
たのであろう。以前に一度「寺子屋」の松王丸を勤めたことがある染五郎は、「松王
丸は、……、憧れのお役です。……、相対するのが叔父(吉右衛門)の源蔵ですから
大変緊張しております。叔父に直接教えを受けるこの上ない機会ですので、その一瞬
一瞬を吸収し、懸命に勤めたい」と言っていた。源蔵と松王丸。どっちが難しいか。
縁もゆかりも無い他人の子どもを大人の都合のために殺さなければならない源蔵の方
が、確信犯的に我が子を犠牲にする松王丸の方が、屈折度が違うか。その辺りに、源
蔵役者のやりがいがあるかもしれないし、初代吉右衛門は、そこに気がつき、役づく
りの工夫を重ねていたかもしれない。

それは、今後に期待するとして、幸四郎対吉右衛門の舞台、06年9月の舞台の劇評
を以下、適宜再録しておこう。吉右衛門は、松王丸対源蔵を先に触れたようなイメー
ジで、この舞台でも演じていただろうと思われるからだ。

*まず、源蔵(吉右衛門)の花道の出である。名作歌舞伎全集「菅原伝授手習鑑」の
「寺子屋」の、いわゆる「源蔵戻り」では、以下のように、書いてあるだけである。

「(竹本)立ち帰る主の源蔵、常に変わりて色青ざめ、内入り悪く子供を見廻し、
 ト向うより源蔵、羽織着流しにて出で来り、すぐ内へ入る」

ところが、吉右衛門は、花道七三で、「はっ」と、息を吐いた。先程まで、村の饗応
(もてなし)と言われて出向いた庄屋で、藤原時平の家来・春藤玄蕃から自宅に匿っ
ているはずの菅秀才の首を差し出せと言われ、思案しながら歩いて来たので、「も
う、自宅に着いてしまったか」という、諦めの吐息であっただろうか。初代の工夫
か。

このように、吉右衛門は、初代の科白廻しや所作を継承しているように見え、科白
も、思い入れたっぷりに、じっくり、叮嚀に、それでいて、力まずに、抑え気味に、
秘めるべきは秘めて、吐き出しているように感じられた。オーバーにならない程度に
抑えながら、リアルに科白を廻す。

一方、兄の幸四郎は、オーバーアクション気味で、気持ちを発散しながら、科白を
言っているという感じだが、「寺子屋」の松王丸の場合は、これが、適切で、浮き上
がって来ないから、おもしろい。幸四郎と吉右衛門の科白廻しの違いや藝の質の違い
がよく判る舞台だ。肚の藝も含めて、源蔵の吉右衛門と松王丸の幸四郎が、静かに火
花を散らしたので、大いに盛り上がったように思う。

次に、いわゆる「首実検」では、以下のように、書いてあるだけである。

「松王首桶をあけ、首を見ることよろしくあって」

ところが、幸四郎の松王丸は、目を瞑ったまま、首桶の蓋を持ち上げる。やがて、目
をあけるが、正面を向いたままで、すぐには、首を見ようとはしない。覚悟を決めた
ようで、徐々に目を下げる。そして、我が子小太郎の首がそこにあるのを確認する。

松王丸は、「むう、こりゃ菅秀才の首に相違ない、相違ござらぬ。出かした源蔵、よ
く討った」。

「(竹本)言うにびっくり源蔵夫婦、あたりをきょろきょろ見合わせり」

思いもかけず、寺入りしたばかりの小太郎の首が、菅秀才の首として、通用してしま
い、驚きと安堵の気持ちで、腰を抜かす源蔵夫婦。だが、騙したはずが、騙されて、
というどんでん返しが展開する。松王丸の方が、役者が一枚上というイメージの場面
ゆえ、松王丸は、3兄弟の長男のイメージに繋がるという次第。」

これは、これで幸四郎・吉右衛門の珍しい兄弟対決の名舞台で、それぞれの緩急は、
今も印象に残る。

今回同様に、吉右衛門が松王丸を演じた舞台は、最近では、去年、2011年9月秀
山祭の新橋演舞場であった。歌昇が武部源蔵を演じて、三代目又五郎を襲名する舞台
であった。既に触れたように、「寺入り」のない「寺子屋」であった。吉右衛門は、
いつも通りの風格のある松王丸だったが、又五郎襲名の歌昇が、初役で武部源蔵を演
じた。初日の舞台を観たが、襲名披露保初日の初役だけに、新・又五郎は緊張してい
るようで、力が入りすぎていて、いくら、時代物で、くっきりとした実線の演技が良
いと言っても、かなり、オーバーアクションを感じた。もう少し、さらり、ゆるりと
やって欲しかった。

さて、今回は、代役で源蔵を梅玉は勤めた。梅玉の源蔵を私は、2回観ている。私
は、今回で3回目になる。梅玉は、吉右衛門のように、初代吉右衛門を意識した演義
はしない。今回もそうであった。

染五郎休演で、「寺子屋」に梅玉を引き出したから、出演した役者の数は、予定と変
わりないが、もし、松王丸(染五郎)対源蔵(吉右衛門)が、先の、幸四郎対吉右衛
門の舞台に準ずるおもしろさがあったとしたら、私たち観客は、おもしろい舞台を先
送りしてしまったというしか無いかもしれない。幅、奥行きが、今回の舞台とは、
違っていただろうと推測する。まあ、それは今後のお楽しみとして取って置きたい。


「河内山」を観るのは、今回で12回目。最近では、今年、2012年2月の新橋演
舞場であった。勘太郎が松江出雲守を演じて、六代目勘九郎を襲名した。このうち、
「河内山」と「直侍」を合わせた通しで2回観ている。これは幸四郎主演。私が観た
河内山宗俊は、吉右衛門(今回含め、5)、幸四郎(4)、仁左衛門(2)、團十
郎。

吉右衛門の河内山は、すっかり安定している。初代は、深い人間洞察を踏まえた科白
の巧さが持ち味だったらしい(実際の舞台を観ることが出来なかったのは、世代的な
不幸である。「菊吉ジジババ」への呪詛か?)が、当代の吉右衛門は、人間洞察の深
さは今も精進しているだろうが、科白の巧さは、当代役者の中では、ぴか一だろう。
悪事が露見すると、河内山の科白も、世話に砕ける。時代と世話の科白の手本のよう
な芝居だし、江戸っ子の魅力をたっぷり感じさせる芝居だ。度胸と金銭欲が悪党の正
義感を担保しているのが、判る。そういう颯爽さが、この芝居の魅力だ。

「河内山」は、大向う好みの芝居だ。無理難題を仕掛ける大名相手に、金欲しさとは
言え、寛永寺門主の使僧(使者の僧侶)に化けて、度胸ひとつで、大名屋敷に町人の
娘を救出に行く。最後に、大名家の重臣・北村大膳(吉之助)に見破られても、真相
を知られたく無い、家のことを世間に広めたくないという大名家側の弱味につけ込ん
で、堂々と突破してしまう。権力者、なにするものぞという痛快感がある。

悪党だが、正義漢でもある河内山の、質店・上州屋での、「日常的なたかり」と、松
江出雲守(梅玉)の屋敷での、「非日常的なゆすり」での、科白の妙ともいえる使い
分け。上州屋では、番頭の役回りが、出雲守の屋敷では、北村大膳の役回りとなるの
ことに気がつくと、黙阿弥の隠した仕掛けが判り、芝居味が、ぐっと濃くなる。

贅言;「天衣紛上野初花」は、1881(明治14)年3月に東京の新富座で初演さ
れた。当時の配役は、河内山=九代目團十郎、直次郎=五代目菊五郎、金子市之丞=
初代左團次。「團菊左」は、明治の名優の代名詞(「菊吉」よりも「團菊左」は、さ
らに上?)。三千歳=八代目岩井半四郎という豪華な顔ぶれ。
- 2012年9月28日(金) 11:25:57
12年09月国立劇場・第二部(「傾城阿波の鳴門」「冥途の飛脚」)


父親に殺される娘の物語「傾城阿波の鳴門」


「傾城阿波の鳴門」は、人形浄瑠璃は初見。歌舞伎でも、余り上演されない。大歌舞
伎同様のスタイルで演じる松尾塾子供歌舞伎で、2回拝見している。

子供歌舞伎の観劇時の記録を元に引用する。
「傾城阿波の鳴門」は、「どんどろ大師の場」。通称「どんどろ」。近松門左衛門作
「夕霧阿波鳴渡」を元に近松半二らの合作で、「傾城阿波の鳴門」に改作し、176
8(明和5)年に大坂・竹本座で初演された。今回(子供歌舞伎)の上演は、更に改
作された「国訛嫩笈摺(くになまりふたばおいずる)」で、大坂上本町の「どんどろ
大師」(土井大炊頭(おおいのかみ)の屋敷にあった「どい殿大師」の「どいどの」
が、「どんどろ」に訛ったと言われる)の門前が舞台になっている。本来は、全十段
の浄瑠璃の八段目「大坂玉造の十郎兵衛内の段」。そこを歌舞伎は、「入れ事」で、
父親の自宅ではなく、「どんどろ大師」門前という公衆の場での母と娘の出会いと別
れに変えた。

今回(国立劇場)は、全十段の浄瑠璃の八段目「十郎兵衛住家の段」として、みどり
上演された。大坂玉造で阿波十郎兵衛は、女房・お弓とともに隠棲している。阿波十
郎兵衛は、阿波徳島の藩主玉木家(蜂須賀家)のお家騒動で紛失した主家の家宝の刀
を探すため、6年前に娘のおつるを女房の実家に預けたまま夫婦で家を出て、大坂で
銀十郎と名前を変えて盗賊の一味に加わっている。娘と父母の悲劇がテーマ。私がこ
れまで観たのは、前半(娘と母親との再会の場面)だけだったが、今回は、後半(父
親による娘殺しとその顛末)も上演した。これは初見である。

その前半:「巡礼にご報謝」。9歳のおつるが、巡礼の旅をしながら大坂に出て来
て、玉造の十郎兵衛住家に偶然辿り着く。出て来た女性を自分の母親とも知らずに、
おつるは身の上話を披露する。母親のお弓は、幼い巡礼の両親の名から巡礼が自分の
娘だと判る。しかし、夫の十郎兵衛とともに夫婦で、盗人稼業をして、家宝の刀を探
しているから、お弓は母子と言えども、本名を名乗れない。追っ手も迫っている、立
ち退けという内容の手紙も届いた。追われている盗人夫婦の娘と判れば、おつるにも
危害が及びかねない。母と名乗らないまま、娘を花道から去らせるが、幼い娘の後ろ
姿を見ているうちに、母情は募り、このまま別れてしまえば、二度と逢えないかもし
れない。「狂気半分、半分は死んでゐるわいの」「今別れてはまた逢うことはならぬ
身の上」。やはり本当のことを言って、母子として名乗り合おう。「連れて戻らう」
と、お弓は、おつるを追いかけて行く。

そして、後半:日暮れとなり、十郎兵衛が、最前の巡礼娘を連れて帰宅する。お弓
は、未だ、戻っていない。乞食たちが金を奪うため娘を襲うとしていたので、十郎兵
衛が助けたのだ。金を持っているかと聞くと、小判があると言う。借金の返済を迫ら
れているので、十郎兵衛は、金を預かろうと申し出るが、娘は拒絶する。大きな声を
出すなと口を押さえていると、娘は窒息死してしまう。

お弓が戻って来る足音がした。十郎兵衛は娘の遺体を布団に隠す。お弓は、夫に娘の
おつるが訪ねて来たと話す。年格好を聞くと、「中形の振り袖に、笈づる掛けて」。
それでは、自分が誤って殺してしまった娘と同じではないか。さらに探しに行こうと
する母親を父親が止める。父:「娘は疾(と)うから戻つてゐるわい」「そこの布団
の内に、よう寝入ってゐるわい」。母:「ヤアコレ、コリヤ娘は死んでゐる。どうし
て死んだ、どうして」。父親は、娘との出会いから、経緯、弾みで死なせてしまった
悔いを語る。父:「物の報ひか、因縁事、コリヤ、堪へてくれよ女房」。母:「そん
ならお前が殺さしやんしたか」。

おつるの懐から十郎兵衛の母からの手紙が出て来た。詮議している主家の家宝の刀は
お家乗っ取りの主犯が盗んで所持していることが判明したという内容だ。折から、
追っ手が近づいて来た気配。夫婦は、娘おつるの遺体とともに家に火をつけて、逃げ
て行く。幕。

その後の粗筋は、お家騒動の主犯の悪計を暴き、十郎兵衛が帰参叶うという大団円が
待っているらしいが、おつるは、何とも薄幸な娘ではないか。

人形遣は、お弓(文雀)、十郎兵衛(玉也)、おつる(公演半ばで、交替。紋吉→玉
翔。私が観たときは、玉翔)ほか。ということで、主役は、お弓を操る人間国宝の文
雀。腰を黒衣姿の人形遣が支えていた。竹本は、「口」が、御簾内で、咲寿大夫→小
住大夫で、私のときは、小住大夫。飛脚の手紙を読む場面の「前」から顔出しで、津
駒大夫。津駒大夫のおつるの声には、若干無理があった。後半の日暮れてからの
「後」が呂勢大夫。


改作前の近松門左衛門原作「冥途の飛脚」を観る


「冥途の飛脚」は、近松門左衛門原作で、1711(正徳元)年、大坂・竹本座初演
と伝えられる。これを菅専助・若竹笛躬の合作で改作した人形浄瑠璃「けいせい恋飛
脚」(1773年)のうち、「新口村の段」は、いつも歌舞伎などで観ている歌舞伎
の「恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい、こいのたよりやまとおうら
い)」の原作で、12月の国立劇場では、人形浄瑠璃「傾城恋飛脚」として上演され
る。今回の上演は、お馴染みの「封印切の段」を挟んで、歌舞伎では上演されたのを
私は観たことがない「淡路町の段」と「道行相合かご」が、前後につくという構成。
特に、改作前の忠兵衛と八右衛門の関係を描いた「淡路町の段」「封印切の段」は、
ふたりの商人としての有能さ無能さを浮き彫りにする近松門左衛門の視点が描かれて
いて歌舞伎とはひと味違って、おもしろかった。改作後は、ふたりは、梅川を巡る恋
のライバルとして描かれ、改作者は、忠兵衛に滅びて行く男の美学を集中したあま
り、八右衛門の人間像を対照的に、より敵(かたき)役の色彩を強められてしまった
嫌いがあるので、商人同士として見れば男気のある八右衛門は、とても新鮮に見え
た。今回の劇評は、そこを軸に書きたい。

贅言;まず、近松門左衛門原作「冥途の飛脚」の「冥途」と「冥土」の違いは? 近
松門左衛門が使っている「冥途」とは、広辞苑によれば、冥途=死者の霊魂が迷い行
く道とある。そして、「冥土」は、どう違うかと言うと、冥土=死者の霊魂が行き着
いた暗黒の世界。近松は、恋の果て人生を破滅させた若いふたりが「迷い行く道」を
描いたのであって、迷いついたゴールである「暗黒の世界」を描いたのではないので
あろう。

改作前の舞台は、今回初見。まず、「淡路町の段」を観る。国立劇場(小劇場)の筋
書には、今回は、「冥途の飛脚」のための地図がついている。養子の忠兵衛が養父の
没後引き継いだ飛脚屋の亀屋のある「淡路町(あわじまち)」は、地図の上では、
「淡路丁」とある。亀屋の経営者になった忠兵衛は、「飛脚屋の鑑」の亀屋が自慢
の、後家となった養母・妙閑の指導も良かったこともあって、「商ひ巧者」、忠兵衛
の経営の舵取りは、順調であった。淡路丁は、堂島川に掛かる天神橋の下流に流れ込
む堀の入り口から数えて、幾つ目か、思案橋西詰近くにある。

亀屋は、店先に紺地に亀屋と白く染め抜いた暖簾を掲げている。暖簾には「飛脚」、
「為替」も白く染め抜かれている。舞台下手が、店先の外。中央から上手の奥が、店
内。手前が、店先。内外とも客とのやり取りをしている。帳場の後ろに売掛帳、仕入
帳、大福帳が掛けてある。

贅言;『鼻紙びんびんと使ふ者は曲者ぢゃ』という文句が聞こえて来た。忠兵衛も
「延(のべ)紙(注:小型の杉原紙。廓などで使う高価な鼻紙。遊蕩、セックスの象
徴)三折づつ入れて出て、なにほど鼻をかむやら戻りには一枚も残らぬ、……、あの
やうに鼻かんでは、どこぞで病も出ませう」。

堅実に飛脚屋を経営していた亀屋忠兵衛だったが、新町遊廓に馴染み、つまり梅川と
恋仲になって、転落し始める。江戸から届く筈の金300両が届いていないと亀屋出
入りの堂島に蔵屋敷のある侍が苦情を言いに来る。ビジネス仲間で親友の八右衛門
も、10日も前に届いている筈の江戸からの為替金50両を受け取っていないと文句
を言いに来る始末。外出先から戻って来た忠兵衛は、店先で見かけた八右衛門に50
両は、梅川のために使ってしまったが、後で返すと泣きつく。それを許す八右衛門。
忠兵衛の母親・妙閑に呼び止められても、男の友情で、忠兵衛の肩を持ち、母親を騙
すのに一役買っている。

夜も更けた頃、江戸からの300両が届く。昼間催促されていた金なので自ら急いで
届けようという忠兵衛。店の者に「夜食しまふてはや寝よ」と気遣いの言葉を残し
て、堂島の蔵屋敷へ届けに出たが、途中の西横堀で、行き先を堂島から梅川の居る新
町に変えてしまう。色恋の前に自制心をなくしている。「心は北へ往く往くと、思ひ
ながらも身は南、西横堀をうかうかと」。「米屋町」「キツネ小路」「氏神(坐摩神
社)」など実際にある地名を織り込んで歌い上げる。「よね=妓・女郎→梅川」。
「狐化かすか南無三宝」。「梅川が用あつて氏神のお誘い」。「行て退けうか措いて
くれうか」と、迷い抜く場面。

この辺りは、亀屋の大道具が、上に引揚げられ、白壁の蔵、材木問屋、町家の遠見と
なり、さらに、引き道具で背景を動かして、効果的。亀屋店先から下手小幕へ入った
忠兵衛は、道具が変わると、やがて、上手小幕から出て来る。分別を失った忠兵衛
は、自ずと着ている羽織を落としても気がつかない。犬に吠えつかれる忠兵衛。「一
度は思案、二度は不思案、三度飛脚。戻れば合わせて六道の冥途の飛脚と」で、豊竹
咲大夫は、語り納め。盆が廻り、豊竹嶋大夫、三味線方は、豊澤富助。いよいよ、
「封印切の段」。その前に、幕間が、30分もある。

贅言;「三度飛脚」とは、東海道の江戸と大坂間を毎月三度飛脚が往復した。当初
は、武家の家来が、後に、町飛脚が往来した。

嶋大夫の第一声。「えいえいえい烏がな烏がな、浮気烏が月夜も闇も、首尾を求めて
な逢はう逢はうとさ(あほうあほうとさ)」。「封印切の段」は、歌舞伎でもお馴染
みだが、八右衛門の描き方が違う。忠兵衛は、恋狂い以後、ビジネスマンとしてだめ
男となってしまっている。いわば、破滅型。八右衛門は、ビジネスマンとして常識人
である。恋狂いの忠兵衛を諌め、破滅を予防しようとする。その対比が、歌舞伎との
違い。改作は、芝居自体を恋物語に軸足を移し、忠兵衛の悲劇性を高めるために、八
右衛門を敵(かたき)役に改めている。

新町遊廓。佐渡嶋町筋、越後町筋、瓢箪町筋の三筋五町の遊廓。佐渡屋町の越後屋
(女主人=あるじ=とて、立ち寄る女郎=よね=も気兼ねせず)が、梅川身請けのた
めに後の封印切(公金横領)の舞台となる。大筋の展開は、歌舞伎と同じだが、梅川
身請けの金を忠兵衛は用意できないからと八右衛門は、店側に予防線を張る。憎まれ
役を買って出ている。しかし、恋狂いの忠兵衛には、これが気に入らない。親友の本
心を悟らず、恥をかかされたと思い込む。もう、商道徳に気を配る注意力はなくなっ
ている。思い込み、勘違い、さらに意地張り。こうなったら、元はいくら優秀な商人
だったとして、もう、判断力無し。忠兵衛は八右衛門の男の友情による制止も聞か
ず、堂島の蔵屋敷に届けるべき公金を横領したにもかかわらず、養子に来たときの持
参金(敷銀)と偽り、梅川身請け金として支払ってしまう。金を節分の豆まきのよう
に投げ合い、拾い合い、投げ合いするふたり(悲劇の中の笑劇=チャリ場=)。最後
に八右衛門は、匙を投げてしまう。呆れながらも「梅川殿、よい男持つてお仕合は
せ」と皮肉を言って、帰ってしまう。

贅言;「封印」は、江戸幕府の御金(おんきん)改役で金座の責任者・後藤家が封印
した小判の包みのこと。「後藤包み」という。公金は、100両単位で「後藤包み」
だったから、忠兵衛が封印を切ったのは、この「後藤包み」を破ったということだろ
う。

誰もいなくなってから梅川に真相を話し、「地獄の上の一足飛び、飛んでたもや」
で、逃避行へ。新町遊廓の西の大門の南にある「砂場」。「果ては砂場を打過て、跡
は野となれ大和路や足に、任せて」で、熱演の嶋大夫の「切」の語り納め。

贅言;地図では、亀屋のある淡路丁から見ると、北に堂島(為替を届けるべき蔵屋
敷)。南西に新町遊廓(梅川が居る)、途中の道筋に行きつ戻りつ思案した西横堀。
死出の道行きのスタート地点の新町遊廓西大門南の砂場。竹本の「砂場を打過(うち
すぎ)て」は、砂場という場所を通過してという意味だが、金銀を砂の如くまき散ら
して、借金やら身請け金をばらまいて転落して行く忠兵衛の姿が、凝視されている。
ここにあった蕎麦屋が、「砂場」の屋号で知られる。

歌舞伎では、雪の「新口村」へ、場面展開するところだが、人形浄瑠璃では、「道行
相合かご」へ。浅黄幕。置き浄瑠璃。柝で幕振り落し。畑の野遠見。笹原薄原。「空
に霙のひと曇り、霰交じりに吹く木の葉」。晩秋。下手から駕篭が出て来て、駕篭か
ら下りるふたり。駕篭を帰して、晩秋の道行き。「里の裏道畦道へ、こちへこち
へ」。これで夫婦になれたと梅川。「京の六条数珠屋町」一目母親にあって死にた
い。忠兵衛は、梅川を「嫁ぢや」と新口村の父親に紹介したい。ふたりは、上手へ。
新口村目指して逃避行。背景が引き道具で下手に引き込まれる。上手に案山子が現れ
る。「往くは恋故捨つる世や哀れはかなき」。ここは、竹本が、梅川:豊竹咲甫大
夫、忠兵衛:豊竹睦大夫ほか総勢5人。

主な人形遣は、妙閑(勘弥)、忠兵衛(和生)、八右衛門(文司)、梅川(勘十
郎)。昼の部で、常習的な知能犯の小悪党・義平次を操った勘十郎は、悲哀の遊女・
梅川の空虚さを操っていた。

贅言:道行きは、雪が霏霏と降る新口村の場面が、やはり美しい。人形浄瑠璃の「新
口村」は、12月に国立劇場(小劇場)で上演されるが、私は既に東京と大阪で2回
観ている。12月は、3回目の拝見になる予定。
- 2012年9月27日(木) 20:46:11
12年09月国立劇場・第一部(「粂仙人吉野花王」「夏祭浪花鑑」)


「粂仙人吉野花王(くめのせんにんよしのざくら)」は、初見。為永太郎兵衛の原
作。どういう人か、知らない。調べてみたが、判らない。作品は久米仙人の伝説を
ベースにした全五段の時代物。1743(寛保3)年に大坂・豊竹座で初演された。
今回演じられた「吉野山の段」は、前年初演された歌舞伎の「雷神不動北山桜」の
「鳴神」の筋を全く下敷きにしている。鳴神上人ならぬ粂仙人に真っ赤な衣装を着せ
るなど、視覚的に洗練しているところ辺りがこの作品の趣向か。

贅言;普通「花王」は、牡丹の異称だが、この外題では、「さくら」と読ませてい
る。吉野と来れば、牡丹というわけにはいかない。

市川宗家の歌舞伎十八番「鳴神」も、1684年の「門松四天王」、その後の「源平
雷伝記」、「成田山分身不動」などの先行作品を経て、「雷神不動北山桜」が完成し
ているので、当時の作劇術の流れとしては、先行作品を平気で下敷きにするのは、不
自然ではないのかもしれない。ちょっとでも新しい趣向が加味されていれば、それは
それでということだったのだろうか。「鳴神」の劇的構造は、前半は、色気のある元
人妻と厳格な青年上人のおおらかなやり取り、後半の騙された、裏切られたという鳴
神上人の怨念の荒事との対比。それは、「粂仙人吉野花王」でも、全く変わらない。

幕が開くと、舞台は、岩山の深山。下手側の岩の下に桜木。中央に滝壺。注連縄が飾
られている(実は、注連縄が結界となっている)。上手側の岩の上に修行小屋。小屋
の壁には、不動明王の絵姿の掛け軸が掛かっている。背景は、木が鬱蒼とした深山の
体。

竹本の太夫は、千歳大夫、三輪大夫、津国大夫、相子大夫までが、登場人物ごとに役
割分担。ほかにふたり。「分け迷ふ」を千歳大夫が独唱し、「山路にかかる」以下か
ら6人合唱。

粂仙人となった粂皇子(聖徳太子の兄)に対抗するのは、「花ます」という名の美
女。仙人となって弟の聖徳太子から三種の神器を奪い、龍神龍女を滝壺に封じ込め
て、雨が降らないようにと嫌がらせをしている粂仙人の行法を破ろうという花ます
は、夫に死に別れた元人妻で、色気紛々という女性。「鳴神」同様の体当たりのお色
気作戦で、仙人を惑わし、破戒させて、滝壺の注連縄を切るという秘策を聞き出し、
雨を降らせてしまう。実は、花ますは、有能な女スパイ、聖徳太子から密命を受け
て、仙人の行法を破りに来ていたのだ。花ます:千歳大夫、人形遣は豊松清十郎。粂
仙人:三輪大夫、同じく玉也など。

この演目のポイントは、人形浄瑠璃の女形には、普通は付けない足をつけて、衣装の
下から見せるという、官能美を強調する演出をとっていること(赤い鼻緒の草履に足
は、白足袋を履いている。人形浄瑠璃で女形が脚を出す演目では、「曾根崎心中」が
有名だが、お初のようにもう少し「白い脚」を出さないと色気を感じない)、色香に
迷わされて騙されたという真相を知って「鬼面の形相」となった粂仙人が、ダイナ
ミックに怒り狂う様を段切りで描かれていることくらいが、観どころか。

千歳大夫ら竹本の太夫たちも白い衣装にピンクの裃姿という辺りも、いつもより洒
落っ気を出している。花ますを操る豊松清十郎は、人形の色香を抑制的にすること
で、逆に、色香を滲ませるという作戦のようだが、その間(あわい)が難しい。


粗暴犯(連続殺人)対常習的な知能犯(詐欺、誘拐)の犯罪バトル


「夏祭浪花鑑」は、1745(延享2)年、大坂・竹本座初演。並木千柳(宗輔)、
三好松洛、竹田小出雲の合作による全九段の世話浄瑠璃。当時実際にあった舅殺しや
長町裏で初演の前年に起きた堺の魚売りによる殺人事件などを素材に活用して、物語
を再構成した。合作3人組は、翌年から、3年続けてヒット作(「菅原伝授手習鑑」
「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」という時代物の史上3大演目)を生み出すことに
なる。その直前の世話物大作が、「夏祭浪花鑑」。私は、歌舞伎では何回か観ている
が、人形浄瑠璃で観るのは、初めて。今回の私の視点は、粗暴犯対知能犯・義平次の
バトルということで劇評を書いてみたい。

今回の場立てには、歌舞伎では、私は観たことがない「内本町道具屋の段」が入って
いる。「住吉鳥居前の段」「釣船三婦内の段」「長町裏の段」は、歌舞伎でもよく上
演される。「住吉鳥居前の段」の後に、「内本町道具屋の段」が入ることで、どう変
わるのかが、今回の私の最大の関心だった。

結論。義平次が、俄然クローズアップされて来た。歌舞伎では、義父の義平次殺しの
団七九郎兵衛が、最後まで主役だが、今回の人形浄瑠璃では、義平次が、団七九郎兵
衛のライバルとして競い合うように見えて来た。題して、粗暴犯(連続殺人)対常習
的な知能犯(詐欺、誘拐)の犯罪バトル。

歌舞伎の場合、物語の主筋は、玉島家の嫡男だが、軟弱な磯之丞と恋仲の傾城琴浦の
逃避行である。ただし、この主筋は、それと判れば、それで済んでしまう。追うの
は、琴浦に横恋慕する大鳥佐賀右衛門。

若いふたりの逃避行を3組の夫婦が手助けする。釣船宿を営む三婦(さぶ)と女房お
つぎ、堺の魚売り・団七九郎兵衛と女房お梶、乞食上がりで、一旦は大鳥佐賀右衛門
に加担していた徳兵衛と女房お辰。

そこへ、副筋として、団七の義父・義平次が、登場する。舅の立場を利用して義平次
が、琴浦の逃避行の手助けをする振りをして、琴浦を大鳥佐賀右衛門の所に連れて行
き、褒美を貰おうとする。その挙げ句、婿と義父との喧嘩となり、弾みで、団七は、
舅を殺してしまう。団七の弾みの人殺しは、2回目。

ところが、「内本町道具屋の段」が加わることで、副筋の「助演」と思えていた義平
次が、主筋に躍り出て来たように思えた。義平次は、玉島家の嫡男・磯之丞を巡る
「お家騒動」を利用して、なにかとうまい汁を吸おうとする常習的な知能犯だった。
義平次の足跡を追ってみれば、それが浮き上がってくる。以下、人形役名後の括弧内
は、人形遣の名前。

手代・清七の名前で磯之丞(勘弥)が奉公している内本町道具屋で、田舎侍が香炉
(浮牡丹)を探し求めて店先に来る。仲買の弥市から清七が預かった香炉が気に入っ
たらしい。55両なら購入したいと言う。番頭の伝八(一輔)が上客と見て侍を奥に
案内する。それを見計らったように弥市(簑紫郎)がやって来たので、清七は弥市に
香炉を売ってくれるように頼む。金額でもめるが、清七が伝八から店の金(公金の為
替)を借りて作った50両で買い上げる。清七は、5両の利ざやを胸算用している。

やがて、店の奥から出て来た田舎侍に清七が香炉を売ろうとすると侍は、買うなどと
言った覚えはないと言い出す。あせる清七に伝八は、先ほど貸した50両を返せと迫
る。50両は既に弥市に支払っているので、無い。

この騒ぎを聞きつけて、奥から出て来た道具屋店主の孫右衛門(亀次)と道具屋に魚
を売りに来ていた団七(玉女)が、侍の正体に気がつく。侍は団七義父の義平次(勘
十郎)だったのだ。偽侍に化けた義平次、清七に店の金を貸した番頭の伝八、仲買の
弥市が組んで、お坊ちゃまで世間知のない清七、こと磯之丞を騙していたのだ。贋の
香炉・浮牡丹を使って手に入れた50両は、3人で山分けする積りだ。義平次は、団
七登場では、勝ち目がないとそそくさと逃げ出す。清七こと、磯之丞と琴浦(清五
郎)は、三婦の家に預けられることになる。

引き道具が、上手側に引かれ、道具屋の下手に番屋が現れる。ビジネスに失敗した清
七は、夜更けに道具屋に忍び込むため戻って来て、経緯があって、弥市を殺してしま
う。

団七は、磯之丞の恋人・琴浦に横恋慕する大鳥佐賀右衛門の家来と喧嘩をして暴行し
た挙げ句、殺してしまった(傷害致死か、殺人か)という廉(かど)で牢に入れられ
ていて、芝居冒頭の「住吉鳥居前の段」では、団七女房お梶の主筋に当たる玉島家の
尽力で出牢し、三婦らが出迎える場面がある。解き放ちが、住吉大社の鳥居前という
ことだった。団七には性格的に粗暴な部分があるのだろう。それが、「長町裏の段」
では、衝動的な義父殺しに発展する。殺人、出獄、義父殺しとなってしまう。

詐欺不成立で内本町道具屋から逃げ出した義平次は、「釣船三婦内の段」では、団七
が不在なのを見抜いたように、団七に依頼されたので、預けている琴浦を引き取りに
来たと三婦の女房のおつぎ(簑二郎)を騙して、琴浦を駕篭に乗せて、連れ去る。こ
の後、団七と徳兵衛(玉輝)、三婦(紋寿)が帰ってくる。琴浦と磯之丞が不在なの
で不審に思うと、磯之丞は、徳兵衛女房のお辰(簑助)が、同道して国元に帰ること
になっていて出かけたということで不審はない。琴浦は、団七に依頼されたと言って
義父の義平次が、連れて行ったとおつぎは言う。義平次にそんな依頼をした覚えのな
い団七は、義平次が、また、琴浦を大鳥佐賀右衛門のところへ連れて行くためにおつ
ぎを騙したと悟り、義平次の後を追って行くといういつもの場面が展開される。

こうして観てくると、義平次が、歌舞伎で描かれる舅の立場を利用して琴浦を連れ出
しただけではなく、義平次は、玉島家の嫡男・磯之丞を巡る「お家騒動」を利用し
て、隙があれば、なにかとうまい汁を吸おうとする常習的な知能犯だったことが、よ
り明確になる。小悪党・義平次対衝動殺人鬼・団七の対決。この発見が、私には、今
回の観劇の最大の収穫であった。

舞台をウオッチングしていて細部で歌舞伎と人形浄瑠璃の違いに気付いたことを列挙
しておこう。今回の「夏祭浪花鑑」では、竹本の太夫たちも、人形遣たちも白い衣
装。

「住吉鳥居前の段」は、筋は、歌舞伎と同じ。細部が違う。下手に石灯籠が二基。緋
毛氈を掛けた床几、立札(六月三十日大抜祭 住吉社)。中央に髪結処「碇床」の小
屋。小屋には、芝居の番付(木の板に竹本座の紋が大きく書いてある。板の上手側に
ある演目は、「曾根崎心中」。大夫は、竹本筑後掾。ここまで大きな字。板の下手側
に場立て案内。観音巡り道行、太夫・竹本筑後掾、ツレ・竹本頼母、三味線・竹沢権
右衛門、作・近松門左衛門とある。竹本座全盛時代の顔ぶれの名前が目白押し)。そ
して、同じく緋毛氈を掛けた床几。立札(六月十四日御田植祭 住吉社)。上手に石
の大鳥居がある。鳥居には、「住吉社」の看板。鳥居奥に太鼓橋が見える。全体とし
て、住吉大社の大鳥居前の体。髪結処の贔屓から贈られた形の大きな暖簾の図柄は、
熨斗。暖簾には「碇床さん江」「ひゐきより」とある。ここは、歌舞伎も人形浄瑠璃
もほぼ同じ。

贅言;歌舞伎で、以前に私がウオッチングしたのでは、髪結処の上手側に「七月三十
日 大祓 當社」、下手側に「七月十五日より二十五日まで 開帳 天王寺」の立札
があった。髪結処の暖簾の上手裏には、見えないが芝居番付が張ってあった。

この場面での登場人物たち、駕篭の乗って来た磯之丞(勘弥)、次いで縄をかけられ
たままで解き放ちを待つ団七(玉女)、磯之丞を探している琴浦(清五郎)、琴浦を
しつこく追って来た大鳥佐賀右衛門(簑一郎)、この時点では大鳥佐賀右衛門に味方
する一寸徳兵衛(玉輝)、境内から戻って来たお梶(勘寿)など、皆、上手側から出
て来た。下手から出て来たのは、出所して来る団七を出迎える三婦(さぶ・紋寿)、
団七女房お梶、息子の市松(勘介)が、最初に顔を見せたときくらいである。

「釣船三婦内の段」は、歌舞伎とほぼ同じ。下手の小幕から水色の傘をさして察そう
と美人のお辰(簑助)が、登場する。お辰は、三婦に磯之丞との仲を疑われたことか
ら、店にあった熱い鉄弓(てっきゅう・大坂の夏祭りには、鯵の焼き物が、定番で
あったが、火鉢の鉄弓で鯵を焼いた)を頬に押し当てて、火傷を作り、「これでも色
気がござんすかえ」という鉄火女であることなど。

贅言;お辰を操る簑助は、白い衣装のほかの人形遣より、やや淡いクリーム色の衣装
を着ている。さすが、きめ細かくお辰を操り、感情の起伏を表わし、人形に命を吹き
込む。三婦を操る紋寿も、やや淡いクリーム色の衣装を着ている。いかつい三婦の首
(かしら・釣船)は、紋寿に似ている。竹本の住大夫が、病気休演で、文字久大夫が
代演。

団七は、柿色の「団七縞」と呼ばれる格子縞の帷子(かたびら・浴衣)の麻の単衣を
着ている。徳兵衛は、色違いの藍色の同じ衣装を着ている。これは、人形浄瑠璃の衣
装で、人形遣の吉田文三郎が考案したということだから、歌舞伎も同様の衣装だが、
これは、人形浄瑠璃の方が、本家。

浅黄幕の振り被せで、場面展開。「長町裏の段」は、リアルでありながら、様式美に
あふれる殺し場が展開される。盆が廻って。竹本の太夫は、団七が竹本源大夫。人形
遣は、玉女。義平次が豊竹英大夫。人形遣は、勘十郎。下手黒御簾からは、祭り囃
子。竹本の語り出しは、英大夫。その後、竹本のふたりは、基本的にそれぞれの科白
を言い合う。人形故の歌舞伎との違いがある。歌舞伎では、団七を視覚的にも男の美
学で磨き上げるが、人形浄瑠璃では、知能犯・義平次と粗暴犯・団七との悪知恵か暴
力かという対比をより鮮明に見せてくれる。下品な義平次を勘十郎は、股を通して渋
団扇で蚊を追うなどの仕草で、嫌みな性格、あくどさなどをしつこくこってりと演出
する。

歌舞伎では、泥の蓮池と釣瓶井戸という大道具を巧く使い、本泥、本水で、いかに
も、夏の狂言らしい凄惨ながらも、殺しの名場面となる。本泥、本水も、人形遣の吉
田文三郎が工夫した趣向だというが、今回の人形浄瑠璃では、本水も、本泥も無し
だった。9月の公演故、夏狂言を強調しなかったのか。

浅黄幕が、上に引揚げられる。舞台下手から繋がる土手の上には柵で囲われた畑。畑
には、夏の野菜が実る。中央に釣瓶井戸。畑は、下手から上手へ塀の内に広がる。上
手手前には、蓮池。やがて、塀の外を通り過ぎる祭りの山車の頭が見えてくるだろ
う。高津神社の夏祭り。鐘と太鼓のお囃子の音。そういう背景の中で、人形ふたりの
殺しの立ち回りが続く。倒れた義平次の身体を跨いだまま、前と後に身体をひねりな
がら、飛んでみせる団七など、立ち回りは、歌舞伎も人形浄瑠璃も同じ。こちらが、
原型か。

そして、義平次が蓮池に落ちると英大夫は退場してしまう。背景は、黒幕から町の夜
景の遠見へ。塀の外を提灯をつけた山車が通る。ただし、歌舞伎に比べて、暗い。当
然ながら、池に落ちただけで、未だ死んだ訳ではないから、やがて、蓮池から勘十郎
に操られる義平次が出て来る。しかし、義平次を語るべき英大夫は退場してしまって
不在。源大夫が息子の三味線方・鶴藤蔵とともに床に居続けるが、黙っている。竹本
無言。三味線の音のみ。舞台では、ナレーション無しで、人形ふたりの死闘が続く。

団七も、最後は、井戸水を桶に入れて身体に掛けて洗い、帷子を着直す。そこへ、舞
台下手から出て来た祭りの神輿(4人で担ぐ)が通りかかる。この辺りは、歌舞伎も
人形浄瑠璃も同じ。

源大夫は、英大夫退場後、床に座ったまま、沈黙をしていたが、最後の場面で、短く
「悪い人でも舅は親」。最後の語り収め、「八丁目、差して」が、「八丁、目指し
て」に聞こえたままで、幕。

歌舞伎では、ここは、「悪い人でも舅は、親」「親父殿、許して下され」という科白
で、やや説明的ではないだろうか。源大夫も、床本の語りを更に短く工夫している。
- 2012年9月27日(木) 10:23:13
12年08月新橋演舞場 (夜/通し狂言「伊達の十役」)


「伊達の十役」は、海老蔵、四代目猿之助の「競演」演目にすべきだろう


「慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみせ) 伊達の十役」は、南北原作。18
15(文化12)年の盆興行に、江戸の河原崎座で初演されている。盆休みというこ
とで、大物の役者は、夏休みに入ったり、そのほかの役者も、地方巡業に行ったりし
てしまい、役者の数が足りない。当時24歳だった七代目團十郎(歌舞伎十八番の制
定者)が、10役(7役?)早替りという、破天荒な企画をした。ただし、七代目
は、今のように政岡は、演じなかったという。女形が演じる役柄の政岡は立ち役が演
じるものではないと思っていたのかもしれない。兎に角、舞台を繋ぐ、ということ
で、早替りの「隙間」が出ても、観客には、寛容してもらい、恥を掻き、紅葉のよう
に、顔を真っ赤にして、汗もかきながら、懸命に務めますよ、というメッセージを込
めた外題が出来上がったという。

七代目初演、南北原作の演目が、きちんと後世に伝えられず、「幻の狂言」
となっていたのを、三代目猿之助が、掘り起こし、79年4月に明治座で、復活上演
した。脚本は、奈河彰輔、演出は、奈河彰輔と猿之助であった。政岡は、この時から
「十役」に加えられた。七代目初演以来、164年ぶりの復活であった。奈河彰輔に
よれば、初演の資料が、ほとんどないまま、歌舞伎年表や初演の絵番付、「伊達の七
役」という古写本などの断片的な資料に加えて、南北作と伝えられるもののうち、
「伊達騒動もの」や「累もの」を参考にしながら作り上げたのが、「伊達の十役」で
ある。

物語の展開は、「伊達競阿国戯場」(「伽羅先代萩」に高尾・累の姉妹の筋を加え
た)の世界である。従って、ストーリーや演劇的品質よりも、早替り(特に、前半
は、ひたすら早替りに徹する。後半は、ほとんど、「伽羅先代萩」の世界)、宙乗
り、大道具の大仕掛けという、猿之助のアイディア「ケレン趣向」重視の演目であ
る。江戸時代の初演時も、新趣向が功を奏して、大入りになったらしいが、「品質の
乏しさ」故か、その後は、再演されなかったという。

贅言;ここで言う前半は、発端「稲村ケ崎の場」。序幕第一場「鎌倉花水橋の場」。
序幕第二場「大磯廓三浦屋の場」。序幕第三場「三浦屋奥座敷の場」。二幕目「滑川
宝蔵寺土橋堤の場」。後半は、「伽羅先代萩」の世界で、三幕目第一場「足利家奥殿
の場」。三幕目第二場「同 床下の場」。四幕目第一場「山名館奥書院の場」。四幕
目第二場「問註所門前の場」。四幕目第三場「同 白洲の場」。

私は今回で3回目の拝見。99年7月の歌舞伎座で、「一世一代」と題した三代目猿
之助(当時59歳、還暦の歳であった。12月に満60歳になった)の「伊達の十
役」を初めて観ている。これは、三代目最後の「伊達の十役」出演となった。

10年1月に新橋演舞場で「伊達の十役」を初演した海老蔵(12月生まれ、当時3
2歳になったばかり。現在、34歳)に拠れば、7月の新橋演舞場の「楼門五三桐」
で三代目猿之助(2003年11月に病に倒れて以来、初めて役を演じる舞台復帰で
あった。6月は、「口上」のみ出演)と初共演した際、終演後、8月に新橋演舞場で
「伊達の十役」を再演する海老蔵に対して、三代目は、「『伊達の十役』は、君ね」
と言ったという。本当にこの後、海老蔵ひとりが軸になって「伊達の十役」を演じ続
けるのだろうか。この演目は、七代目團十郎が1815(文化12)年初演している
ので、その通りに今後推移するなら市川宗家の演目として、10年1月の時点で19
5年ぶりに戻ってきたということになる。今回は、再演である。

三代目猿之助に言わせれば、台本がなく、伊達騒動ものの多くの狂言を参考にしなが
ら、「創意工夫してつくり上げたのだから、復活とはいっても新たな創作に等しい作
品」ということで、事実上、新作歌舞伎であろう。通しで、50回近い早替りがあ
り、主役には300を超える科白があるという。

しかし、前半は、早替りの趣向ばかりが目につく。後半は、ほとんど、「伽羅先代
萩」の世界だが、「伽羅先代萩」の主役・政岡は、真女形の中でも、立女形という第
一人者か、それに近い女形が演じる重い役なので、「伊達の十役」という外題のも
と、立女形という第一人者か、それに近い女形が演じる政岡役を「女形の修業をして
いない役者」が演じるという違和感が私には強く残る。

「伊達の十役」は、復活後、本興行で、11回上演されている。うち、9回は、創意
工夫、洗練好きな三代目猿之助が演じ、磨き上げてきた。すでに、13年前、「一世
一代」という触れ込みの舞台を最後に、「伊達の十役」を当人が演じることは自らが
封印してしまっているし、年齢、体力、体調的にも上演はもう無理だろう。女形では
ないにしても、役者として熟成していた三代目猿之助の政岡ならまだしも、まして
や、海老蔵が政岡を演じるのでは、まだまだ課題が多いと思った。

贅言;実際、松竹演劇部作成の上演記録を見ると、ここ30年ほどで本番の「伽羅先
代萩」で、政岡を演じた役者は、回数は別にして、名前を挙げれば、宗十郎、歌右衛
門、菊五郎、梅幸、芝翫、鴈治郎時代を含めて坂田藤十郎、雀右衛門、玉三郎、福
助、勘三郎、菊之助、そして11年3月の魁春(六代目歌右衛門の養子の中で、初
演)。いずれも真女形か、菊五郎、勘三郎クラスの「兼ねる役者」くらいだ。三代目
猿之助は、私の印象では、「兼ねる役者」系統にかろうじて入るかもしれないが、そ
れにしても、「伽羅先代萩」の本番の政岡は、三代目猿之助も演じていない。

2010年の劇評で、「伊達の十役」の海老蔵版として、猿之助版との比較を書いて
いるので、今回は、そういう課題にも目を配りながら、海老蔵の10年版と今回との
比較に的を絞って書いてみたい。演出の違いも気がつけば、記録しておこう。早替り
の巧拙、大道具の大仕掛けの成否などが、観劇のポイントになると思う。

今回、海老蔵が、早替りで演じるのは、前回同様、まず、「口上」から始まって、仁
木弾正、赤松満祐の霊、絹川与右衛門、足利頼兼、土手の道哲、腰元・累、傾城・高
尾太夫(霊を含む)、乳人・政岡、荒獅子男之助、細川勝元の10役である(「口
上」役者を入れれば、11役になる)。「口上」では、10役のパネルを表示して、
「わたし いちにん(一人)にて、早替りでお見せする。殺し、殺され、騙し、騙さ
れ、死に替わり、生き替わり……。40数回の早替り……。最後まで勤めきれるかど
うか、判りません」などと言いながら、10役の人間関係を善悪対立軸で説明した。
海老蔵は、10役だけに、「いつもの10倍の、ご声援を」と前回同様のギャグを飛
ばして、場内を笑わせた後、舞台中央のセリから、奈落へ下がって行った。

背景のパネルが上がると、発端「稲村ケ崎の場」。前回花道から登場した仁木弾正
(海老蔵)が、今回はせり上がりで、登場する。舞台中央の獄門台に野ざらしの髑
髏。古い鎌が刺さっている。仁木弾正が鎌を抜くと、国を崩そうとして討たれた南朝
の遺臣・赤松満祐の霊(海老蔵)が現れる。弾正は、満祐の息子。悪の遺志を息子に
伝え、「旧鼠の術」を授ける。そこへ、腰元・累との不義で、手討ちになるところを
足利家の家臣に助けられた絹川与右衛門(海老蔵)が、故郷へ戻ろうと通りかかり、
満祐の霊と弾正の密談を聞いてしまう。与右衛門と弾正の立ち回りなど、吹き替えの
役者を使いながら演じられる。与右衛門は、「旧鼠の術」を破る生年月日の人物とし
て、後々、キーパーソンとなることが、観客に知らされる。海老蔵は、仁木弾正→赤
松満祐→仁木弾正→絹川与右衛門→仁木弾正と早替りを見せた。

贅言;「吹き替え」。海老蔵が、新たに登場すると、それまで海老蔵が演じていた役
柄は、扮装は勿論、背丈、体格なども似た吹き替え役者が、後ろ姿を中心にしながら
演じる。つまり、海老蔵と吹き替え役者が、混ぜこぜになりながら、早替りを支え
る。今回も破綻無く、スムーズに替わって行く。以下、このパターンは、随時採用さ
れる。

序幕第一場「鎌倉花水橋の場」。足利家の当主・足利頼兼を遊興の殿様に仕立てた上
で若君の毒殺を企み(「足利家奥殿の場」)、お家乗っ取りを策する弾正と大江鬼貫
ら。まず、毒薬を奪ったのが、土手の道哲(海老蔵)だが、大金欲しさに悪の一味に
加わる。上手から、花水橋を渡って来る駕篭がある。足利家の当主・足利頼兼(海老
蔵)。そのような策謀を知らない足利頼兼は、傾城・高尾太夫のいる大磯の廓に向か
う。背景の黒幕が落ちると、夜明けの遠見となる。弾正一味と足利頼兼の夜明けのだ
んまり。

舞台が、廻ると、序幕第二場「大磯廓三浦屋の場」。頼兼は、(殿様の放蕩ぶりを強
調しようという)弾正から届いた二千両で、高尾太夫を身請けしようとする。当主に
身請けをやめさせようと、足利家の家臣・渡辺民部之助(愛之助)が、腰元・累(海
老蔵)の案内で、花道よりやって来る。累は、実は、高尾太夫の妹である。身請けが
決まり、お礼の挨拶をしに高尾太夫(海老蔵)が、花道より、花魁道中の体で、姿を
見せる。黒地に鮮やかな紅葉の縫い取りのある打ち掛け姿。

与右衛門(海老蔵)が、やって来て、民部之助に弾正らの悪企みを知らせ、足利家へ
の帰参を願い出るが、すでに、遅し。満祐を古鎌で襲った百姓は、高尾太夫・累姉妹
の父親であったことも判る。民部之助「さて、恐ろしき逆縁じゃなあ」などと、いか
にも、南北得意の書き換え狂言らしい科白がある。

舞台が、廻ると、序幕第三場「三浦屋奥座敷の場」。池に浮かぶ大きな屋形船仕立て
という趣向の奥座敷。吊り下げられた提灯に「高尾丸」とある。上手より土手の道哲
(海老蔵)登場。座敷を窺う体。花道より、与右衛門(海老蔵)。部屋の外、下手
へ。座敷の中から障子が開くと、ふたりの新造を従えて、名残りを惜しんでいる高尾
太夫(海老蔵)。高尾太夫に斬り掛かる与右衛門。障子を巧みに使うとともに、後ろ
姿の吹き替えを交えて、高尾太夫と与右衛門の立ち回り。池の中で、恨みを飲んで、
息絶える高尾太夫。亡霊となり、後に、与右衛門を悩ます。土手の道哲が、落ちてい
た古鎌と高尾太夫の打ち掛けを拾う。「しかし、待てよ」で、悪企みに、それらを活
かすことを思いついたらしい。吹き替え役者を使っての、海老蔵の3役早替りであ
る。特に、花道の出逢いでは、歌舞伎定式のゴザと傘を使ってのトリックで、与右衛
門と道哲が、瞬時に入れ替わる。

贅言:池の上手には、水仙の花々。池の中に倒れ込んだ高尾は、台に横たわったま
ま、舞台上手に引っ込む。水仙は、いわば、観客からの目隠し。定式幕が閉まる。

二幕目「滑川宝蔵寺土橋堤の場」。定式幕が、「定式」通りではなく、上手から開い
て行く。舞台下手に、宝蔵寺地蔵供養の石塔。並んで、滑川宝蔵寺堤と書かれた柱。
上手へ、庚申塚の碑、ということで、小高い土橋堤の体。

足利頼兼の後妻に入る許嫁の京潟姫(笑也)は、弾正一味の悪企みを知り、足利頼兼
の下屋敷に向かう。途中、悪の一味に襲われるが、民部之助と累(海老蔵)に助けら
れる。そこへ、さらに、与右衛門(海老蔵)、それを追う道哲(海老蔵)が古鎌を
持って、次々にやって来る。累は、落ちていた古鎌を踏み、足に怪我を負ってしま
う。高尾太夫の霊(海老蔵)も現れ、累に乗り移る。この辺りは、累の世界。

廓帰りの頼兼、弾正も、来合わせて、ということで、早替りのハイライトは、この土
橋堤の場であることが判る。この場面、累、与右衛門、道哲、高尾太夫の霊、頼兼、
弾正と、海老蔵は、6役早替りである。弾正(海老蔵)、民部之助(愛之助)、道哲
(海老蔵)らのほかに、何故か、来合わせた体の局の沖の井(家橘)も加わり、吹き
替えも含めて古鎌を巡る「だんまり」の演出となる。

古鎌は、結局、道哲の手に渡る。弾正は、国崩しの証拠となる密書を川に落とす。京
潟姫とともに小舟に隠れていた与右衛門が、これを拾う。定式幕が、通常の逆に、下
手から閉まる。幕外で、ふたりを乗せた小舟が、花道を行く。

めまぐるしくて、筋は、なかなか頭に入って来ないが、ここまでが、前半。伊達のお
家騒動の伏線というところ。従って、前半は、筋立てを忘れてでも、「細い」が、
「早い」早替りの見せ場を見逃さないように、ひたすら見続けることが肝要。これ
は、そういう芝居だろう。

ここから後半は、「伽羅先代萩」の世界で、三幕目第一場「足利家奥殿の場」。「三
幕目」、役者以外は、すべて「先代萩」の「御殿」の場面をそっくり戴く。早替りが
やや収まり、主要人物は、比較的じっくり、やや「太く」描かれる。

定式幕が開く。「足利家奥殿の場」から「奥殿床下の場」へ。竹本も、定式で、歌舞
伎の竹本(人形浄瑠璃の竹本は、また、違う)・エースの葵太夫登場。ここでは、乳
人・政岡(海老蔵)登場。海老蔵は、政岡、弾正、荒獅子男之助の3役早替り。立女
形の役者が、演じても難しい政岡。果敢に挑んだ海老蔵は、女形の役柄については、
前回同様、まだ、まだ、無理。声も、甲(かん。女形の発生)の声には、ほど遠い。
我が子・千松が八汐(市川右近)になぶり殺しにされた政岡の代表的な科白「三千世
界に子を持った親の心は、皆一つ……」なども、母情も乏しく、科白の間も、もうひ
とつ。所作、特に、背中(女形の藝がある)、肩、顔の表情なども、固い。海老蔵の
政岡は、八汐との小刀を巡るやり取りで、若干、演技に乱れ。

ほかの配役は、弾正妹・八汐(市川右近)、局の松島(児太郎)、同じく局の沖の井
(家橘)、山名持豊奥方・栄御前(萬次郎)など。特に、萬次郎の独特の声音と科白
廻しが、この芝居が歌舞伎だということを再認識させてくれる。右近の八汐は、前回
同様で、2回目だが、右近は、今回も良かった。海老蔵も、政岡より、八汐向きだろ
う。

三幕目第二場「奥殿床下の場」。奥殿の御簾が下がると、長刀を持った6人の腰元が
警固に入る。御簾が上がると、奥殿床下。それに合せるように、やがて、荒獅子男之
助(海老蔵)がせり上がりで登場。足下の大鼠。この場面は、普通の「先代萩」より
長い。荒獅子男之助と鼠とのやり取り。幕になった後、幕外で、警固の侍ふたりと鼠
の立ち回りが、長目に続く。海老蔵の荒獅子男之助から弾正への、早替りの時間を確
保している。準備が整ったらしく、連判状を銜えたまま鼠は、花道七三から、滑り台
を利用して、床下から、さらに、その下の奈落へ落ち込むと、暗転。

暗闇の中、さらに時間が進む。長い。やがて、七三から煙とともに弾正(海老蔵)登
場。眉間に傷をつけられた弾正は、鼠が銜えて逃げた連判状を銜えている。鼠との連
続性。呪文を唱える弾正。顔だけスポットに照らされていて、煙が消えてゆく。それ
以外は、場内の闇に沈む。宙乗りの準備を黒衣たちがしているのだろう。

黒衣たちが離れる。弾正の全身が、宙に浮き始める。弾正は、通常の花道の引っ込み
でも、「雲の上歩くように」演じると言われる。長袴姿の海老蔵は、袴の膝の辺りを
両手に持ち、「宙乗り」ながら、空中を歩いているように両足を動かす。雲の上へ向
かって、歩むというわけだ。

3階席に特設の「向う」(鳥屋。揚幕の変わりに特製のトビラが作られていた)をつ
けて、「宙の花道」は、完結している。この演目は、3階席こそ、特等席となる。今
回は、2階席で観ていた私の真ん前を海老蔵は、前回同様、弾正になりきったような
無表情で、ゆるりと、斜め上へ歩み去って行った。2年前に観た前回は、1月。今回
は、8月。今回は、額に汗も滲み、海老蔵の目がキラキラと光っているのが、印象的
だった。

四幕目第一場「山名館奥書院の場」、第二場「問註所門前の場」、「第三場 問註所
白洲の場」は、「先代萩」の、「足利問註所の場」「大広間刃傷の場」(通称、「対
決」、「刃傷」)と、筋は、ほぼ同じだが、「奥書院の場」(「対決」)、「門前の
場」、「白洲の場」(「刃傷」)など、「先代萩」の展開とは若干違っている。細川
勝元(海老蔵)の出、勝元と弾正の代りの役どころとおぼしき鬼貫(亀蔵)とのから
み(「黙れ、弾正」と糾弾する「先代萩」の名場面の代わりに、第一場「山名館奥書
院の場」では、鬼面詮議の場面がある。)、「門前の場」の、与右衛門、道哲、勝
元、また、「白洲の場」の、弾正、与右衛門、勝元の、海老蔵それぞれの3役早替り
ゆえの、バリエーションであろう。山名左衛門持豊を演じたのは、澤潟屋一門の長
老・寿猿だったが、観ていて、私は亡くなった片岡芦燕を思い出した。ふたりとも味
のある脇役。

おいしい捌き役の勝元は、捌いた後、舞台中央にすっくと立って、静止。定式幕が閉
まる。海老蔵の勝元は、片岡仁左衛門風で、颯爽としていた。女形は、まだまだだ
が、こういう颯爽とした役は巧くなった。

舞台は、鷹揚に廻る。四幕目第二場「問註所門前の場」。前回は、第二場「門前の
場」の勝元から第三場「白洲の場」の弾正への早替りの際、「門前」の門の窓から、
勝元の上半身を出した海老蔵は、大道具が廻って来ると、「白洲の場」では、舞台上
手の白洲に座らされた弾正へと替ってみせた。

今回は、第二場では、(花道から来た)与右衛門→(駕篭の中の)勝元→与右衛門→
道哲→(窓を含めて)与右衛門→(第三場での)弾正という早替りであった。門前下
手の小屋や駕篭と門の羽目板の仕掛けの連動などが、海老蔵の早替りをサポートす
る。ここは、民部之助(愛之助)の勝元(海老蔵)への直訴とその裁きぶりが、ポイ
ント。

四幕目第三場「問註所白洲の場」。「先代萩」と大きく違うのは、「白洲の場」の大
道具の大仕掛け(屋体崩し。大屋根が問註所に降りて来る)の演出。襖と銀地に龍が
描かれた衝立は、「先代萩」では、「対決」と「刃傷」の場面で、問註所と大広間で
別々に使われるが、ここでは、問註所の中での位置をずらしただけで、同じ場所で使
われる。

悪事が露見し、進退窮まって、外記左衛門(市蔵)らとの刃傷となった弾正(海老
蔵)は、妖術を使って、問註所の壁の奥へ姿を消す。問註所の二重舞台が大セリで沈
み込むと、大屋根の上に弾正が現れる。弾正が暗転すると、闇の中で、赤い目が光
る。明転すると、弾正は大鼠へ変身していた。

伏線で示されていたキーパーソン・与右衛門(海老蔵)が駆けつけ、古鎌で己の腹を
切り、自分の命を犠牲にして古鎌に生き血を注ぐと、弾正の妖術は破れ、大鼠の中か
ら弾正(海老蔵)が転げ出て来る。大屋根の大道具が上がると、元の問註所。民部之
助と外記左衛門が、白洲に倒れている弾正のとどめを刺す。

後は、「先代萩」同様の、大団円。「めでたい、めでたい」。勝元姿の海老蔵が、二
重舞台から降りて来て、愛之助(民部之助)、外記左衛門(市蔵)、弘太郎(山中鹿
之介)らと本舞台に座り込み、口上。「今日は、これぎり」で、幕。

海老蔵の早替り、宙乗りと大道具の大仕掛けが売りのテンポのある芝居であったが、
政岡に象徴されるように、総じて、「人物造形」より「人物展開」(早替り)の芝居
と言ったところ。「伊達の十役」は、海老蔵だけの持ち役にはせずに、真女形ではな
いが、女形も出来る四代目猿之助の持ち役にもし、有能なふたりの役者を競い合わせ
る「競演」の演目としたら、観客は喜ぶと思う。「狐忠信」と「伊達の十役」は、海
老蔵、四代目猿之助の「競演」演目にして欲しいと言うのが、実は、今回の劇評のポ
イントである。

贅言;前回、付け加わっていて、私も初見した「大喜利所作事 垂帽子不器用娘(ひ
らりぼうしざいしょのふつつか) 長谷寺鐘供養の場」は、今回は上演されなかっ
た。
- 2012年8月11日(土) 16:33:39
12年08月新橋演舞場 (昼/通し狂言「桜姫東文章」)


今月の新橋演舞場は、例年の「納涼歌舞伎(3部制)」を止めて、「花形歌舞伎(昼
夜2部制)」の上演。昼夜とも、「南北もの」の通し。新橋演舞場近くで再建中の歌
舞伎座は、奥の高層ビルが高々と大分立ち上がり、晴海通りに面した正面の切り妻の
骨格が、形になってきた。


「桜姫」;福助と玉三郎比較


「桜姫東文章」は、3回目の拝見。女形ではない染五郎の桜姫という珍しいバージョ
ンで観たのが、最初だった。2000年11月の国立劇場。染五郎が、珍しく本格的
な女形に挑戦した舞台であった。果敢な挑戦の心意気は多とするが、染五郎は、稚児
にはなれても、姫や女郎には、なれなかった。従って、染五郎の舞台は、今回は、比
較の対象とはせず、脇に置く。

「桜姫東文章」は、南北原作で、1817(文化14)年、江戸河原崎座が初演。清
玄の桜姫への妄執物語に南北は「隅田川もの」を絡めた。初演後、埋もれてしまっ
た。昭和になって再評価され、戦前に復活上演された。特に戦後では、いずれも本興
行の回数で、六代目歌右衛門が2回。今年2月に亡くなった四代目雀右衛門が2回。
先日、62歳で人間国宝に決まった玉三郎は7回。「姫ながら女郎」という愁を秘め
られるのは、玉三郎ならではの役どころであろう。桜姫は、さらに今回含めて福助が
2回。ほかに七之助、そして女形群の中で、例外的に染五郎。

贅言;玉三郎の人間国宝と言えば、歌右衛門、芝翫、雀右衛門と、真女形の人間国宝
が相次いで亡くなったので、立ち役より真女形の人間国宝が優先されたのではないか
という感じもするが、いずれは、人間国宝になると思っていた。次は、仁左衛門ら立
役からの人間国宝か。

私には、「桜姫東文章」のユニークな女郎「風鈴お姫」を演じられるのは、当代では
玉三郎しかいないという思いがある。2004年7月、歌舞伎座で玉三郎の「桜姫東
文章」を初めて観た。玉三郎の前回の桜姫が、1985年の歌舞伎座だったから、1
9年ぶり、私としては、やっと、観ることができたという印象だった。相手役の清
玄・権助は、85年、孝夫時代の仁左衛門から段治郎(現月乃助)に代わってしまっ
ているが……。この頃、怪我をする前の段治郎を玉三郎は、相手役に選んでいた。と
ころで、私の劇評簿に拠ると、この時の玉三郎の舞台には、次のような記述がある。

* 今月の歌舞伎座は、「桜姫東文章」が、昼の部と夜の部に跨がって、「上の巻」
「下の巻」に分けて、上演されたが、劇評を分けて書くのも不自然だし、昼と夜を繋
ぐ構成の興行と思えるので、今回は、昼の部と夜の部を通しにして、劇評を一本にま
とめて、書くことにしたい。

松竹演劇部作成の上演記録に拠ると、この時の上演時間は、幕間・舞台展開のなどの
時間を除いて、4時間半を越えて、4時間32分。今回の上演時間は、3時間18
分。1時間14分短いということになる。端折られた場面は、「稲瀬川/川下」など
だが、さらに、通し上演をせずに、「上の巻」と「下の巻」に変えたことで、時間が
増えた部分もある。昼の部「上の巻」の最後を「三囲堤の場」で、桜姫と清玄のすれ
違いの場面にし、夜の部「下の巻」の最初を「三囲土手の場」として、事実上、同じ
ロケーションながら、こちらを、いわば物語の「承前」の役割を与えて、「だんま
り」の演出とし、その後の見せ場「岩淵庵室の場」に繋げるなど、いつもの演出と違
うので、時間も掛かった。

「桜姫東文章」という外題のうち、「文章」の「文」は青と赤の綾、「章」とは、赤
と白の綾、という意味。つまり、「文章」とは、青、赤、白の綾模様のこと。
青は、権助。赤は、桜姫、白は、破戒後の衣を脱がされた清玄か。

「桜姫東文章」は、吉田家の息女・桜姫が隅田川伝説(梅若殺し)の「東(江戸)」
であやなす男女のあや模様(色事)の意味を加え、それを傍証するように桜姫の弟で
梅若の兄・松若が節目ごとに登場する。梅若殺しの吉田家の仇に権助、実は信夫の惣
太も登場する。権助は、吉田家に盗みに入り、顔を見せぬまま桜姫を犯す。腕の刺青
のみというのが、キーポイント。仇役という正体を隠したまま、桜姫と男女の仲に
なったため、桜姫は、権助を慕うようになる。

桜姫と権助という男女は、いわば、注連縄のように、性的な連想がある。注連縄と
は、もともと、蛇のセックスをイメージしている。「桜谷草庵」の場のエロスは、そ
れをリアルに表現する。この場面は、南北は、「権助、桜姫色合い。いろいろあり。
簾おりる」とだけ書いてあるが、実際の舞台は、かなり、どぎつい。まさしく、あざ
といほどの「濡れ場」。歌舞伎の舞台で、セックスをどぎつく描く場面は、少ない。

男女の役の役者が、お互いに帯を解き合う。着物の前をはだけて、下帯を見せながら
桜姫と抱き合う権助。今回の福助、海老蔵は、ちょっと、ぎくしゃくしていた
が……。簾がおりる前の草庵は、前と左右が開け放たれていて、いわば、「開放され
た密室での情事」。剃髪を待ちながら桜姫がお経を唱えていた仏壇の前に置かれた座
布団。その上に脱ぎ捨てられた小袖の裏返って、真っ赤な裏地が曝された様が、官能
的だった。簾がおりた後も、簾の下から、桜姫の衣装の端が覗いている。見えない
「そこ」での濡れ場の余韻が伺える。残月が、実際にそうするように、誰でも、御簾
のうちの情事を覗き見したがるだろう。

今回の上演構成は次の通り。発端「江の島稚児ヶ淵の場」。序幕第一場「新清水の
場」。序幕第二場「桜谷草庵の場」。二幕目「三囲の場」。三幕目「岩淵庵室の
場」。四幕目「山の宿町権助住居の場」。大詰「浅草雷門の場」。

戦後、三島由紀夫監修・久保田万太郎演出で、六代目歌右衛門が桜姫を演じたときに
は、発端「江の島稚児ヶ淵の場」の場面はなかった。国立劇場で、郡司征勝補綴・演
出で四代目雀右衛門が、演じたときから、「江の島稚児ヶ淵の場」が、始まった。

発端「江の島稚児ヶ淵の場」。今回の劇評では、触れないと言った2000年国立劇
場の舞台は、「両花道」であった。「引幕開けず、そのまま。禅のツトメ、迷子鉦に
なり、本花道より、相承院(そうしょういん)の寺侍、同宿、下男、弓張提灯、六尺
棒を持ち」稚児の白菊丸の名を呼びながら出てくる。「仮花道より、長谷寺の同宿、
下男、弓張提灯、六尺棒を持ち」清玄の名を呼びながら出てくる。双方、本舞台にて
行き会う。やりとりがあり、双方、幕の引付に入ると、時の鐘、浪の音、拍子木にて
引幕が開き始める。
本舞台には、岩組。「江ノ島、児ヶ淵」と書かれた傍示杭。時の鐘、合方の後、花道
より青坊主の清玄(幸四郎)と稚児髷の白菊丸(染五郎)の登場。

今回は。定式の演出で、清玄・白菊丸探し。花道から上手へ。上手から下手へ。人探
し。定式幕が開くと、花道より、清玄(愛之助)と白菊丸(福助)の登場。やがて、
岩組の上で、ふたりのやりとりがあり、南無阿弥陀仏で白菊丸が先に、「あっさり」
投身。清玄、気遅れて、狼狽えて、何度か投身を試みるが果たせない。舞台上手上空
に、細い下限の月。やがて、悪雲(悪運の象徴)か、月は雲に隠される。火の玉、白
鷺の飛び立ち。ここからが、悲劇の始まり。浅黄幕、振り被せで、舞台は、暗転。上
手に桜満開の新清水長谷寺を望み、松之助の口上役登場(大向うからは、「緑屋」と
声が掛かる)で、時は移り、「17年後」と映画ならば、画面にクレジットがひとつ
入るような告知の後、浅黄幕、振り落しで、ぱっと、舞台は、一気に絢爛豪華な17
年後の新清水へ。

序幕第一場「新清水の場」。典型的な「花見」の演出。吉田家の息女・桜姫(福
助)、弟の吉田松若(児太郎)、局の長浦(萬次郎)ら、家臣の粟津七郎(市川右
近)らが付き従う。桜姫は、清玄阿闍梨の手で剃髪をして貰い、亡くなった吉田家の
人々の菩提を弔うために尼になりたいと言う。花道より、高僧となった清玄一行がぞ
ろぞろと登場。……という感じで、芝居は進行することになる。

南北原作の、この物語には、3つの物語が重層している。

1)ひとつは、主役の「桜姫」の物語。桜姫物語は、本質と筋立ての二重性がある。

「桜姫」物語の演劇的な「本質」は、「風鈴お姫」というお姫様女郎という特異な
キャラクター造形に南北が力を注いだということ。お姫様から女郎という「職業婦
人」に脱皮することを重視したように思える。04年、この時の舞台で、私の予想に
違わず、玉三郎は、可愛らしいが、芯はしっかりしている近代女性として、「風鈴お
姫」に辿り着く桜姫を演じてくれたと思う。桜姫は、吉田家に盗みに入ったあげく、
自分を暴行した男(後に、右腕の「釣鐘に桜」の入れ墨で、その男が釣鐘権助だと知
れる)によって、妊娠させられたにもかかわらず、その暴行男に、なんと恋をし、自
分の腕にも男と同じ「釣鐘に桜」模様の入れ墨をし(これが、「女の細腕」ゆえに、
「釣鐘」が、「風鈴」に見えて、渾名が、「風鈴お姫」となる)、一途にその男を慕
い続ける。権助が、かなりの悪だと知れた後も、桜姫の権助に対する「純愛物語」
は、変わらない。夫を助けるために、身を場末の女郎に落としても、平気だ。玉三郎
の「桜姫」は、そういう南北ワールドの荒唐無稽さを演じながら、時空を超えて、普
遍的な、ひとりのユニークな女性の、いわば、「自分探しの物語」(自己の気持ちを
大事にする自立した女性)として、南北ものをリニューアルしてみせたところに真骨
頂があると、私は、思った。

玉三郎の桜姫は、ユニークな自律性を持った、己を通す「自立した女性」というメッ
セージが、くっきりと私の胸に伝わって来た。それは、大詰の「浅草雷門の場」で、
華やかな「お姫さま」に戻って行く前の場面、「権助住居の場」で、自害するつもり
で、不憫な子まで殺して、木戸の外には、多数の捕り方に囲まれている、という、ま
さに、「(私には)明日はない」という状況に己を追い詰めておきながら、木戸に背
を載せて、呆然としていながら、「なにか、満たされたものを秘めている」という表
情の玉三郎の姿を認めたからだ。

南北の桜姫は、最後は、スーパーウーマンの超能力で、吉田家の元の姫君としての桜
姫に「戻って行く」が、玉三郎の桜姫は、「風鈴お姫」のまま、女郎として、永遠に
生き延びて行くという決意をしたのだと思う。私の、幻の舞台では、桜姫は、大勢の
捕り方たちの網の目をくぐり抜けて、火の見櫓に登って行く、ように観えた。・・・
そう、八百屋お七のように。

もうひとつ、「桜姫」物語の「筋立て」は、白菊丸→桜姫→風鈴お姫→桜姫という荒
唐無稽な展開である。桜姫の前世は、清玄が心中し損ねた白菊丸で、桜姫は白菊丸の
生まれ変わり。白菊丸の生まれ変わりから、吉田家の息女・桜姫となった(しかし、
転生への本人の自覚は、乏しいように見受けられる。それは、清玄へのつれなさで表
現される)が、桜姫は、犯された権助の妻になり、夫を助けるために「風鈴お姫」と
いう千住・小塚原の女郎に身を沈める。三幕目「岩淵庵室の場」。四幕目「山の宿町
権助住居の場」。高貴な言葉と下世話な言葉をちゃんぽんにして科白を言う場面が、
今回の南北劇のハイライト。そのあげく、権助が吉田家の仇と知れたら、夫とふたり
の間にできた赤子まで殺して、父や弟の仇をとり、家宝・「都鳥」の一巻も取り戻
し、めでたく桜姫に戻り、お家再興となる。こういう、南北劇特有の荒唐無稽物語と
いうのに相応しい典型的なあらすじである。つまり、筋より、見せ場の趣向重視の作
劇術。

今回の福助は、どうであったか。筋立てより本質を重視した玉三郎のユニークさに対
して、今回の福助は、南北劇特有の荒唐無稽物語という筋書を重視し、定石通りの桜
姫・風鈴お姫であったと思う。福助は、最後には、当然のように吉田家の桜姫に戻っ
て行った。福助の桜姫は、運命に翻弄される、受け身の女性を追跡し続けたように見
える。

桜姫の物語は、序幕第一場「新清水の場」での清玄との出会い。寺内にある「桜谷草
庵の場」(序幕第二場)での権助との濡れ場。二幕目「三囲の場」(歌舞伎に登場す
る三囲神社は、隅田川側から土手越しの鳥居という場面が多いが、今回は、鳥居の向
うに土手越しに隅田川が見える、という珍しい風景)では、お互いに非人同士となっ
た清玄とのすれ違い。雨の降る薄暗闇でのすれ違いであった。三幕目「岩淵庵室の
場」。地蔵堂の草庵。局の長浦(萬次郎)との不義発覚で、清玄同様、寺を追い出さ
れた残月(市蔵)と長浦が、住んでいる。桜姫と権助の子とともに、病み衰えながら
も桜姫への妄執に悶える清玄も身を寄せている。清玄を殺す残月と長浦。残月は、女
郎屋へ女を斡旋するのが、今の生業。判人が桜姫を連れて来る。落雷で息を吹き返し
た清玄と桜姫の諍い。風鈴お姫になってからは、四幕目「山の宿町権助住居の場」に
登場。

2)ふたつ目は、「清玄」の物語。「桜姫東文章」は、梅若殺しという隅田川伝説を
背景に、悲劇の吉田家再興の物語をベースにしているが、この物語は、「清玄・桜
姫」と通称されるように、清玄の桜姫(白菊丸)への、「同性」の恋物語が、これに
絡む。と言うより、「清玄・桜姫」の世界に「隅田川伝説」を持ち込んだともいうこ
とができる。この辺りは、南北の自由闊達な創造力の世界だ。

桜姫の前世の姿として、相承院の稚児・白菊丸がいる。白菊丸と恋仲になった長谷寺
の所化・清玄は、桜姫が、白菊丸の後世の姿と知って、17年後、初恋の人への慕情
を優先して、高僧「阿闍梨」の身分を投げ捨てて、不義の汚名を自ら進んで着る。

「同性」(ホモセクシャル)の恋物語(20代の青年僧と10代前半の稚児の恋)と
が、「異性」の恋慕物語(中年の高僧「阿闍梨」の17歳の姫への恋慕)に変じれ
ば、これは、悲恋にしかならない。性の軸を超えて、生きようとする清玄の人生に
は、元々無理がある。

さらに厳密に言えば、これは、桜姫の前世と現世の物語でもある。いわば、時間の
「過去」と「現在」の両方に生きようとする清玄の人生は、この点でも、無理があ
る。臆病故に白菊丸との心中をしそこなった清玄には、疾しさがある。不条理の世界
を南北は、清玄の視点から睨みつけている。従って、南北は、清玄を惨めな幽霊(後
の「東海道四谷怪談」のお岩のような執念深さは、まだ、ない)にするしかなかっ
た。

桜姫を白菊丸の転生した人と思い込み、桜姫のなかに白菊丸を見続ける清玄の眼中に
あるのは、「男色への純愛」のみ。女の桜姫は、白菊丸という愛しい男を包む包装紙
のようにしか見えていない。そういう意味では、永遠のモラトリアムに生きる青年か
も知れない。中年男の幽霊になっても、ストーカー同様に桜姫のなかの白菊丸を追い
かけ続ける。しかし、そういう妄執の果てに桜姫との諍いの弾みで自害してしまう清
玄。

愛之助の清玄は、仁左衛門が滲み出る。特に、後半の中年の高僧「阿闍梨」としての
風格の表し方は、仁左衛門を思わせる。玉三郎が、歌舞伎座や京都南座で桜姫を演じ
たときは、いずれも、孝夫時代の仁左衛門が、清玄と権助のふた役を勤めた。そうい
う意味では、愛之助には、何時の日か、清玄と権助のふた役を勤めて欲しい。

清玄の物語は、青年時代の発端「江の島稚児ヶ淵の場」。中年期の栄耀栄華の序幕第
一場「新清水の場」。桜姫との不義の濡れ衣を掛けられて、没落の坂を落ちる序幕第
二場「桜谷草庵の場」。破戒僧となった二幕目「三囲の場」。三幕目「岩淵庵室の
場」では、自らが持っていた出刃が弾みで喉に刺さり息絶えるて仕舞う。四幕目「山
の宿町権助住居の場」では、はや、幽霊になりさがる。

3)みっつ目は、「権助」の物語。桜姫を誘惑し、犯して妻とする。己の無頼の生活
のために桜姫を千住・小塚原の女郎「風鈴お姫」として身を沈めさせる。己の欲望の
ままに生きる判り易い悪党である。

没落の坂を落ちる清玄と対象的に序幕第一場「新清水の場」の終わり近い場面で、入
間悪五郎(亀蔵)から桜姫へのラブレターを預かり、序幕第二場「桜谷草庵の場」か
ら本格的に登場する権助、実は、信夫の怱太は、悪知恵を働かせて、右肩上がりで悪
運を呼び込み、桜姫を誘惑し、誑し込んでゆく。三幕目「岩淵庵室の場」。四幕目
「山の宿町権助住居の場」。桜姫を女郎「風鈴お姫」として働かせる。しかし、権助
と桜姫の間に出来た赤子さえ殺してしまう桜姫パワーには勝てず、逆に、桜姫に殺さ
れてしまう。

小悪党を演じる海老蔵の権助は、彼なりの、はまり役であろう。前回の玉三郎を軸に
した上演では、当時の段治郎(現在の月乃助)が、清玄と権助のふた役で演じて、好
評だった。海老蔵も何時の日か、清玄&権助のふた役で、「桜姫東文章」に出演して
欲しい。そもそも、「桜姫東文章」は、清玄と権助の一人ふた役の芝居でもある。本
興行での上演回数、15回のうち、9回は、ふた役という演出。いわば、定式の演
出。

釣鐘権助、実は、信夫の惣太という侍が、吉田家横領を企む入間悪五郎という侍に頼
まれて、「見事」悪企みを成功させる。あげくは、釣鐘権助と名を変えて、(暴行し
た)吉田家の息女・桜姫が慕ってくるのを良いことに、金儲けを企む。桜姫を女郎に
売り飛ばしても、慕われる。自分の出世のために、悪企みの仲間・入間悪五郎をも殺
す。そういう現世的な知恵が廻り、男としての魅力もある悪。権助から見た桜姫は、
きっと可愛らしい女性だったのだろう。酔ったあげく、自分の正体を明かし桜姫に殺
されてしまうが、命が消える最後まで、己を殺した桜姫を権助は可愛らしく思ってい
たのではないか。

悪を貫き通すアンチ・ヒーローの権助。性の強靱さを武器に女を嘲弄してゆく権助。
彼が見た夢は、万事金の世のなか、という近代人の夢ではなかったか。南北は、そう
いう時代を超えた志向の男をきっちり描いた。確かに、猿之助一座でこの芝居を上演
するならば、清玄&権助は、猿之助の役どころである。ということで、亀治郎から襲
名した四代目猿之助には、何時の日か、清玄&権助のふた役で、玉三郎を相手に、
「桜姫東文章」に出演して欲しい。

大詰「浅草雷門の場」。三社祭。この場面は、スーパーウーマン、桜姫の復活で、大
団円。奴・軍助(弘太郎)の背負っていた葛籠から抜け出た体で、赤い消し幕の「振
り落し」という演出で、桜姫(福助)登場。権助に悪の責任を取らせて、桜姫は、元
の吉田家の息女に復活する。福助(桜姫)、松若(児太郎)らに、海老蔵、愛之助、
右近、笑也らが並んで、「昼の部は、これぎり」で、定式幕。

ほかの役者では、残月を演じた市蔵と局・長浦を演じた萬次郎が、良かった。住職の
清玄を陥れ、代わりに住職の座につこうと画策するが、長浦戸の不義発覚で、清玄同
様、追放されてしまう。残月と局・長浦のカップルは、南北お得意のパロディだろ
う。つまり、清玄と桜姫のパロディだ。岩淵庵室の場でのふたりのやり取りが、耳に
残る。病み衰えた清玄をトカゲの毒で殺したものの、桜姫への間男ぶりを攻められて
権助に追い出されてしまう残月「鬼の目に涙のような雨が落ちてきた」。長浦「浮世
じゃなあ」。ふたりで、襤褸傘を刺して、雨の中の道行となる。萬次郎の、あの声音
での科白廻しが、歌舞伎色を強めてくれる。得難い脇役だ。市蔵も、存在感があっ
て、良かった。

こういう役どころは、この辺りを承知で演じないと味が出て来ない。脇が、味のある
演技をすると主軸の演技が生きて来るのは、どんな舞台でも共通している。
- 2012年8月10日(金) 7:07:40
12年07月国立劇場 (鑑賞教室 「毛抜」)


高校生とともに観た「毛抜」


歌舞伎十八番の内「毛抜」は、5回目の拝見。私が観た主役の粂寺弾正:猿之助、段
四郎、(市川宗家の)團十郎、三津五郎、そして今回が、愛之助。歌舞伎鑑賞教室な
ので、高校生が多い。開演前、場内は、喧(かまびす)しい。緞帳が上がって、定式
幕が顔を出すだけで、拍手が来る。どうなることかと思っていたが、本番が始まる
と、静かに観劇していた。「毛抜」は、09年には、大阪の松竹座、名古屋の御園
座、福岡の博多座、歌舞伎座と1年間で4回も上演されている(戦後の本興行では、
初めての記録)ほど、人気の演目。確かに、判り易い。歌舞伎初心の若い人向けの演
目である。

鑑賞教室なので、まず、「歌舞伎のみかた」の教室。講師は、澤村宗之助。今回の
テーマは、女形の化粧と衣装ということで、本番で腰元・若菜を演じる片岡りき弥
が、舞台の上で、化粧をし衣装を着ける様を実演する。私は、以前、国立劇場の大部
屋の楽屋に招かれた時、中村時枝のインタビューを兼ねて、女形が、化粧をし、衣装
を着けるところを見させてもらったことがある。りき弥は、時枝と全く同じプロセス
で、化粧をし、衣装を着け、鬘を着けて行った。最後に、両手の化粧となる。先に両
手の化粧をつけると、衣装を汚してしまうからである。「教室」では、舞台での化粧
や鬘を着ける実演を舞台中央の大型画面で写し出していた。

さて、愛之助は、市川團十郎家の「歌舞伎十八番」のひとつ「毛抜」の粂寺弾正を初
役で演じる。上方歌舞伎の愛之助にとっては、新たなチャレンジである。團十郎の指
導を受けたという。そのせいか、いつもの仁左衛門そっくりの科白廻しは、余り、感
じられなかった。表情などは、仁左衛門そっくりな場面もあったが……。

「毛抜」配役の多様さも、目で観て楽しめる。主演する弾正は、捌き役。悪と善の家
老の対比、家老のそれぞれの弟、息子の代理戦争。若衆、腰元、姫、殿様、若君、百
姓、赤面など、いろいろな役柄が、出そろうから、華やかだし、荒唐無稽な筋も謎解
きのミステリー調でおもしろく、科白も判り易い。まさに、鑑賞教室向きの演目だろ
う。

既に紹介した粂寺弾正を除いて、私が観た主な配役。舞台となる館の主小野春道:友
右衛門(今回含めて、2)、三代目権十郎、歌六、東蔵。春道の息子・小野春風:高
麗蔵(2)、笑三郎、松也、今回が、宗之助。善方の家老・秦民部:秀調(今回含め
て、2)、歌六、市川右近、権十郎。民部の弟・秦秀太郎:門之助、笑也、勘太郎、
巳之助、今回が、高麗蔵。悪方の家老・八剣玄蕃:團蔵(2)、彦三郎、段治郎、今
回が、錦吾。玄蕃の息子・八剣数馬:男寅時代の男女蔵、延夫時代の猿三郎、玉太郎
時代の松江、萬太郎、今回が、廣太郎。髪が逆立つ「奇病」に悩む姫君・錦の前:芝
雀、春猿、亀寿、梅枝、今回が、廣松。腰元・巻絹:宗十郎、門之助、時蔵、魁春、
今回が、秀太郎(足の具合が悪いか)。腰元として仕えていた妹・小磯が、若君・春
風の子を宿して、実家に帰されたが難産の末、亡くなったと詰問に来た百姓姿(褞袍
姿で、鍬を担いで出て来る)の小原万兵衛:段四郎、猿弥、三津之助、錦之助、今回
が、市蔵。

幕が開くと、上手に「歌舞伎十八番の内 毛抜 一幕」という看板。下手に「片岡愛
之助相勤め申し候」とある。本舞台二重の御殿は、小野小町の子孫・小野春道の館。
座敷には、御簾が掛かっている。上手には、花車。下手には、衝立。金地に「三升」
(團十郎家の家紋)が青で書き込まれている(さすが、市川宗家團十郎の指導)。歌
舞伎十八番というのは、歌舞伎の十八番ではなく、團十郎の「家の藝」の十八番(お
はこ)であり、十八番というように、18の演目が、幕末の名優、七代目團十郎に
よって選ばれているので、それに敬意を表している。

家老の弟と息子(高麗蔵と廣太郎)が、立ち会っている。若衆と赤面の対立。腰元・
若菜(りき弥)が、止めに入って来る。止め女の役どころ。どうやら、小野家には、
事情がありそうだ。家宝の小野小町の直筆の短冊(「ことわりやの短冊」という。雨
を降らせる力を持っていると伝えられる)が、無くなったらしい。これがないと、旱
天に雨乞いをしても効果がないという。管理責任者が、家老の秦民部。上手の襖を開
けて八剣玄蕃(錦吾)が登場。以後この家老は、秦民部の責任を追及しながら、万事
傍若無人に振る舞う。奥の下手より、秦民部(秀調)も登場。秦兄弟は、上品な衣
装。八剣父子は、黒地の衣装。立ち居振る舞いも、秦方は、秀太郎が座って襖を開け
るなど礼儀を弁えている。八剣父子とは、対比的に描いている。

御簾が上がると座敷には、豪華な衣装の小野春道ら。御殿うちの金地の襖には、桜の
花の丸模様など、華やか。という感じで、舞台は進行する。短冊は、若君が持ち出
し、紛失してしまったらしいが、果たして……。

やがて、花道から文屋豊秀家の家老・粂寺弾正(愛之助)登場。供侍はふたり。弾正
は、春道の息女と自分の主人文屋豊秀の婚儀のことで文屋家の使者として小野家を訪
れたのだ。小野家のふたりの家老が、平舞台で粂寺弾正の現れるのを待っている。弾
正が現れると、上座へ。小野家のふたりの家老は、下座へ。

御殿奥より、春道の息女・錦の前(廣松)登場。室内なのに、薄衣を頭にかけてい
る。「奇病」にかかっているということで、予定されていた婚儀が遅れているという
のだ。錦の前の婚儀を巡っても、小野家の家老同士が対立している。錦の前の後見
は、黒衣。錦の前が頭に被っている薄衣を八剣玄蕃が取り払うと、髪が逆立つ(黒衣
が、後ろで「髪」の差し金を持ち上げている)。薄衣をかけると、止まる。どうや
ら、姫は、そういう奇病らしい。

粂寺弾正の人気の秘密は、颯爽とした捌き役でありながら、煙草本を持って来た若衆
姿の家老の弟・秀太郎(高麗蔵)や上手襖を開けてお茶を持って接待に出て来た美形
の腰元・巻絹(秀太郎)に、いまなら、セクハラと非難されるような、ちょっかいを
出しては、二度も振られる。巻絹からは、「ピピピピピー」と「拒否権発動」をやら
れてしまう。

それでいながら、観客席に向かって平気で「近頃面目次第もござりません」、「また
しても面目次第もござりません」と弾正が謝る場面もあり、相手が若ければ、男でも
女でも、良いというのか、あるいは、役目を糊塗するために、豪放磊落ぶりを装って
いるのか、真実、人間味や愛嬌のある、明るく、大らかな人柄なのか。歌舞伎の演目
では、数少ない喜劇調の芝居である。若い高校生が多い客席からは、笑いが起こる。
実は、粂寺弾正は、謎解きの思考の滞りをほぐすための気分転換に「ちょっかい」を
出しているのだが、この段階では、観客には判らない。

物語の主筋は、お家騒動。小野春道(友右衛門)家の乗っ取りを企む悪方の家老・八
剣玄蕃(錦吾)の策謀が進むなか、錦の前と文屋豊秀の婚儀が調った。しかし、錦の
前の奇病発症で、輿入れが延期となり、文屋家の家老・粂寺弾正(愛之助)が、乗込
んで来る。待たされている間に、粂寺弾正が、持って来た毛抜で鬚(あごひげ)を抜
いていると、手を離した隙に、鉄製の毛抜が、ひとりでに立ち上がり、「踊り」出
す。「毛抜に足が生えたわ、踊るわ。踊るわ」。不思議に思いながら、次に煙草を吸
おうとして、銀の煙管を置くと、こちらは、変化なし。次に、小柄(こづか。刀の鞘
に添えてある小刀)を取り出すと、刃物だから、こちらも、ひとりでに立つ。いずれ
も、後見の持つ差し金の先に付けられた「大きな毛抜と小柄」が、舞台で「踊る」よ
うに動く。

まあ、そういう「実験」を経て、弾正は、鉄(毛抜も小柄も鉄製)と磁石という「科
学知識」に思い至り、錦の前の奇病も、鉄に関係があるのではないかと天井を睨みな
がら推理する。「名探偵」の推理通り、髪に差している鉄製の櫛笄(くしこうがい)
を取り外すと姫の「奇病」も治まる、という次第。

天井裏に、大きな磁石(実際は、羅針盤=十二支と東西南北が書かれている)を持っ
た曲者が隠れ潜んでいたのを御殿の鴨居にあった槍で退治する。粂寺弾正が曲者から
事情聴取をしようとすると八剣玄蕃は、なぜか、問答無用と曲者を斬り捨てる。

また、腰元として仕えていた妹・小磯が亡くなったと詰問に来た小原万兵衛が偽者と
知っていた粂寺弾正は小原万兵衛に「閻魔大王への紹介状」を持たせて、妹をあの世
まで迎えに行けと勧める。それを聞き、逃げ出した小原万兵衛を倒す。小野春風が小
磯に預けた短冊は、小原万兵衛が盗んでいたと見抜いて、懐を探ると短冊が出て来
る。

こうして元凶の悪家老・八剣玄蕃の策謀は、次第に全貌が解き明かされ、成敗され
て、お家騒動も治まるという、なんとも都合の良い荒唐無稽なお話。誇張の仕方に演
出の目が行き届いていていると思う。

荒唐無稽は、原作者も承知で、羅針盤の磁石は、その象徴。見た目を大事にする歌舞
伎の様式美とも通底するセンスだ。だから、誰も、本来の磁石に戻さないのだろう。
理屈っぽくない大らかさが、喜劇的な荒事の信条だと皆が理解しているからだろう。
「リアリズムから遠くなることで、ものごとの真相に迫る」という芝居の本道のおも
しろさが、ここにはある。

1742(寛保2)年、大坂で初演された安田蛙文(あぶん)らの合作「雷神不動北
山桜」が原作。「毛抜」は、三幕目の場面。二代目、四代目、五代目の團十郎が引き
継ぎ、これは、90年後の1832(天保3)年、七代目團十郎によって、歌舞伎十
八番に選定され、「毛抜」に生まれ変わった。

しかし七代目亡き後、長らく上演されなかった。更に、80年近く経った1909
(明治42)年、二代目市川左團次が、復活上演し、さらに、明治の「劇聖」十一代
目團十郎が、磨きを懸けた。その際、左團次は、いま上演されるような演出の工夫を
凝らしたという。粂寺弾正の推理ぶりを表わす「腹這い」「後ろ向きで座り込み、天
井を睨む」など5種類の見得もおもしろい。これも二代目左團次の工夫という。以
来、上演回数は多い。

粂寺弾正役には、「團十郎型」と「左團次型」があるという。衣装、科白、居所も違
うという。今回の愛之助は、十二代目に指導を受けた「團十郎型」。

初役ながら愛嬌のある愛之助は、演技にメリハリもあり、口跡も良い。じっくりと精
進をし、上方歌舞伎というベースを大事にしながら、今後も江戸歌舞伎にも果敢に挑
戦して欲しい。巻絹を演じたのは、同じく上方歌舞伎の片岡秀太郎。秀太郎も25年
ぶり、2回目の「毛抜」出演という。可愛さではなく色気を感じさせる腰元になるよ
う勤めたという。謎解きのキーパーソンとなるのが、市蔵が演じた小原万兵衛だろ
う。主役の粂寺弾正、対立するふたりの家老とその関係者というだけでは、芝居は成
り立たない。傍役市蔵の演技が光る。錦吾の悪家老ぶりも存在感があった。

明石屋(大谷友右衛門)の子息たち・廣太郎(今年の誕生日で、20歳)、廣松(1
歳下の弟。今回、姫役初挑戦という)の兄弟。この前まで、子役だったのが、成長し
始めている。そういう清新さを感じた。
- 2012年7月12日(木) 7:11:28
12年07月新橋演舞場 (夜/「将軍江戸を去る」「口上」「黒塚」「楼門五三
桐」)


四代目猿之助ら、澤潟屋襲名披露興行


「将軍江戸を去る」を観るのは、5回目。今回の見どころは、澤潟屋襲名披露興行
で、歌舞伎役者として6月、7月と新橋演舞場に「初御目見」した九代目中車こと、
香川照之の舞台ということだ。本来配役的には主役は、将軍・徳川慶喜だが、襲名披
露の祝の舞台という印象もあって、全ての場に出て来る中車の山岡鉄太郎(鉄舟)が
「主演」という感じなのに対して、役回り的にみると、13年ぶり、2回目の将軍・
徳川慶喜を演じる團十郎は、客演というところ。さらに、初役で高橋伊勢守を演じる
海老蔵は、助演というところか。

新歌舞伎なので、定式幕を引くのではなく、緞帳が上り下がりする。第一場は、上野
の山に立てこもり、血気に逸る彰義隊の面々と無血開城を目指す山岡鉄太郎(中車)
や山岡を支援する高橋伊勢守(海老蔵)らとの対立を描く。

第二場は、江戸・上野にある大慈院の一室で、恭順、謹慎の姿勢を示している慶喜
(團十郎)の姿を紹介する。慶喜は、明朝、江戸を去り、水戸へ退隠する手筈なのだ
が、慶喜の心が揺れているのを心配して、やがて、無血開城派の高橋伊勢守(海老
蔵)、山岡鉄太郎(中車)が、やって来るという場面である。

慶喜の外面的には、見えない心理の揺れを、夕闇の中に、月光に照らされて、白く浮
かぶ上手の桜木が、うかがわせるという趣向。人事と自然の対照。だが、実は、原作
の脚本には、この桜木の指定は無いという。だとすれば、何処かの時点で、代々の慶
喜役者のだれかが、思いついて、桜木を置かせ、以降、定式の演出として、受け継が
れているのかも知れない。「勤王の大義」など勤王論議は、真山青果らしい科白劇で
ある。上手の一室で、心のざわめきを抑えながら読書をする慶喜。前半では、夜半に
訪ねて来た山岡の姿は、下手の障子に映る影と声ばかりで演出される。慶喜の科白。
「将軍も裸になりたい時があるのーだ」。團十郎は、「のーだ」という語尾を何回か
繰り返す。

第三場「千住の大橋」は、まだ、夜明け前。舞台も薄暗い。花道を来る将軍一行の先
触れの侍が持つ提灯が明るい。幕府崩壊の暗暁と明治維新の夜明けを繋ぐ場面だろ
う。短いが、「将軍江戸を去る」のハイライトの場面。揺れていた慶喜の心も、退隠
で固まり、「千住大橋の袂まで」御朱引内という江戸の地を去る。駆けつけて来た山
岡鉄太郎が、千住大橋に慶喜の足が掛かると、そこが、江戸の際涯(最果て、最後の
地)だと注意を喚起する場面が、見せ場だ。

さらに、それを受けて、「江戸の地よ、江戸の人よ、さらば……」という慶喜の科白
に象徴される278年の幕政の終焉。「天正十八(1590)年八月朔日(ついた
ち)、徳川家康江戸城に入り、慶應四(1868)年四月十一日、徳川慶喜江戸の地
を退く」。團十郎の科白は、明治期の劇聖と呼ばれた九代目團十郎が考案した「唄う
ような科白のリズム」を伝承している(二代目左團次、十一代目團十郎、三代目寿海
などが伝えて来たとされる。大正、昭和の作品=3部作=を1903年に亡くなって
いる九代目團十郎は勿論演じていない)というが、2回目の團十郎・慶喜の科白廻し
を聞いた今回は、鷹揚さではなく、間延びして聞こえてくる。前回も團十郎はこうい
う科白廻しだっただろうか。余り記憶にない。当代の團十郎は、口跡の悪さという欠
陥を持っているが、今回は、それが出ている感じだ。これに対して、息子の海老蔵は
科白廻しも口跡もよかった。特に、「楼門五三桐」の五右衛門は、後に詳しく述べる
が、良かったと思う。

私が観た慶喜役者は、團十郎(今回含めて、2)、梅玉、三津五郎、吉右衛門。因
に、私が観た山岡鉄太郎役者は、五代目富十郎、勘九郎時代の勘三郎、橋之助、染五
郎、そして今回の中車。

歌舞伎以外の分野では、熟成の俳優・香川照之こと、中車は、新歌舞伎の演技は、合
格点だろう。俳優としてこれまで培って来たもので対抗できるだろう。中車の歌舞伎
役者としての評価は、6月、7月の世話物や新歌舞伎では試されず、様式性の強い時
代物や幼い時から修業を積んでおかないと身に付かないと言われる所作事、つまり、
踊りの演目でこそ、真価が問われると思うので、長い目で観て行こう。

参考のためのガイダンスは、過去に書いたものを再録する。前に読んだ方は、飛ばし
て欲しい。真山青果原作は、「江戸城総攻」という3部作で、大正から昭和初期に、
およそ8年をかけて完成させた新作歌舞伎である。1926(大正15)年初演の第
一部「江戸城総攻」(勝海舟が、山岡鉄太郎を使者に立てて、江戸城総攻めを目指し
て東海道駿府まで進んで来た征東軍の西郷隆盛に徳川慶喜の命乞いに行かせる)、1
933(昭和8)年初演の第二部「慶喜命乞」(山岡が、西郷に会い、慶喜の助命の
誓約を取り付ける)、そして1934(昭和9)年初演の第三部「将軍江戸を去る」
(勝海舟が、江戸薩摩屋敷で、西郷隆盛に会い、江戸城の無血明け渡しが実現する)
という構成である。江戸城の明け渡しという史実を軸に、登場人物たちの有り様(よ
う)を描いている。いずれも、初演時は、二代目左團次を軸にして、上演された。例
えば、第三部では、左團次が、西郷吉之助と徳川慶喜の二役を演じた。

歌舞伎では、必ずしも、原作通り演出されず、例えば、第一部の「江戸城総攻」で
は、「その1 麹町半蔵門を望むお濠端」、「その2 江戸薩摩屋敷」という構成
で、青果3部作の、第一部の第一幕と第三部の第一幕(「江戸薩摩屋敷」では、西郷
吉之助と勝安房守が江戸城の無血開城を巡って会談する場面である)が、上演される
ことが多い。従って、第三部「将軍江戸を去る」は、一般に、第二幕「上野彰義隊」
から上演される。これは、慶喜をクローズアップしようという演出で、演出担当は、
真山青果の娘、真山美保である。今回も、第一場「上野彰義隊の場」、第二場「上野
大慈院の場」、「千住の大橋の場」という構成である。

この芝居では、「生まれいずる日本」とか、「新しい日本」とかいう科白が、何回か
登場する。大正から昭和初期の時代に、このままの科白が舞台で使われたのだろう
か。実際の日本は、「将軍江戸を去る」が、1934(昭和9)年に初演された2年
後、1936(昭和11)年2月には、「二二六事件」が発生し、軍部の政治支配が
強まって行き、1945(昭和20)年の敗戦に向けて、「古い日本」は、国際連盟
から脱退するなど、国際社会のなかで転げ落ちて行く。「新しい日本」が、誕生する
のは、この芝居が初演されてから、10年余も後のことである。真山青果は、そうい
う時世をどう見て、こういう科白を書き付けたのだろうか。半藤一利が指摘するよう
に、「国家の危険な歩みに対して、警鐘を鳴らしたのかもしれない」。あるいは、軍
部も、(英米)列強による日本の蹂躙の危機に抵抗するという方にウエイトを置い
て、枢軸側として、これらの科白を良しとしたのだろうか。「勤王の大義」に、天皇
主義の軍部も許容したのだろうか。これらの科白は、素直に聞けば、ベースにあるの
は、「新しい日本宣言」であろう。したたかな、壮年期の青果劇の科白廻しは、時代
をかいくぐっても、錆び付かなかったということであろうか。


今月の「口上」は限られたメンバーで


定式幕から祝幕へ。6月の「口上」は、澤潟屋一門中堅を含めて16人が並んだが、
今回は、市川宗家の團十郎の仕切りで、5人のみ。6月と同じ祝幕が開くと、皆、顔
を上げて、上手下手中央を向き、お辞儀をする。まず、中央の團十郎が顔を上げる。
頭を下げたままで、上手側隣に海老蔵。下手側隣に、猿之助。続いて下手側へ、中
車。團子の順。新・猿翁は不在。口上の内容の概略を記録しておこう。「口上」中に
役者が使った敬称は略。

まず、團十郎。「二代目猿翁(三代目猿之助)とは、「勧進帳」などで、共演。四代
目猿之助とは、(5年前の)パリ公演(オペラ座)でご一緒だった。向こうでは、フ
ランス語で口上を述べた。私は、チンプンカンプンで、カタカナのフランス語で、自
分で何をしゃべっているのか判らない。四代目はフランス語が堪能で、おっしゃって
いることは判っている。オペラ座についてのアドリブもぺらぺら言っていた。四代目
の父親・段四郎とは、同い年で、若い頃、遊んだ仲間。初御目見の九代目中車は、先
ほど(「将軍江戸を去る」)で、初共演したばかり。初舞台の五代目團子は、私の娘
の市川牡丹に5歳の時から踊りを習っている。襲名披露は他人事とは、思えない。澤
潟屋の繁栄を祈る」。続いて、海老蔵。「新・猿翁は憧れの大先輩。(「狐忠信」
「伊達の十役」など)いろいろ教えて頂いた。本日、ご一緒の舞台で共演できてあり
がたい。四代目は子どもの時から(梨園の)先輩。(6年前の)ロンドン、アムステ
ルダム公演でご一緒だった。その時の思い出は、この場では申し上げられない。大名
跡の継承おめでたい。九代目とは、映画(「出口のない海」)で共演した。その頃、
ご自身の思いをいろいろ聞いていた。歌舞伎への思いが実現した。私も嬉しい。市川
家として、共に精進したい。團子は、6月に地方興行(名古屋・御園座)で襲名口上
のテレビニュースを見ていたら、新・猿翁より立派な役者を目指すと言っていた。澤
潟屋の襲名披露を心より祝う」。

新・猿之助が顔を上げる(一段と大きな拍手)。「市川御宗家の團十郎、海老蔵の挨
拶に感謝。襲名披露では、いろいろな人に世話になっている。熱く、熱くお礼を申し
上げる。市川一門の喜びだ。先輩たちの教えを胸に精進したい。いずれも様も、行く
末永くご声援をお願いしたい」。次いで、中車。「市川御宗家の挨拶を受けて、九代
目中車という名跡襲名に感謝している。八代目中車は、幅広い役柄に取り組んだ。由
緒ある名前を引き継ぎ、重責と思っている。感無量で、生涯かけて名に恥じぬよう精
進して行きたい。ここに控えている五代目團子共々、懸命に精進するので、末永くご
声援を」。口上を待つ間、もそもそしていた團子。「市川團子でございます。一生懸
命、精進しますので、どうぞよろしくご声援を」。再び、團十郎。「ご声援ありがと
うございます。澤潟屋一門を末永く、ずずずぅいーーと、ご支援賜りますようにお願
い申し上ーげ、奉りまする」。再び、皆で顔を上げて、上手下手中央を向き、お辞儀
をするところへ、祝幕が閉めかかる。


四代目、今後精進が期待される「黒塚」の老女・岩手


30分の幕間の間に定式幕が、閉まっている。次は、市川宗家が、初出演する演目の
「黒塚」。これは、「猿翁十種」と呼ばれる演目の一つ。四代目猿之助も、「ヤマト
タケル」同様、今回初役で演じる。今回の襲名披露興行の目玉の演目は、なんといっ
ても、これだろう。私は、3回目の拝見。もちろん、2回とも、三代目猿之助で観て
いるが、17年前と12年前のことなので、今のような形で劇評を記録していない。
劇評初登場なので、きちんと書いておく。この演目は、いずれにせよ、これからは、
四代目の演目として工夫魂胆を経て、次第に熟成されてゆくだろう。

また、暗転のうちに舞台が始まる。舞台中央に小屋。灯りがともっている。障子に
は、老婆の影が大きく写っている。小屋の後ろは、一面の薄(すすき)の原。安達原
だ。舞台中央上空には、細く、大きな三日月がかかっている。下手には、庵戸があ
る。シンプルな舞台装置だが、光と影の演出には、気配りが感じられる。スポットラ
イトも活用されている。やはり、これも新歌舞伎だ。

花道より、阿闍梨(團十郎)一行が、安達原に近づいて来る。「猿翁十種」という澤
潟屋の演目に市川宗家が出演するのは、初めてだ。十二代が代々の團十郎家成田屋。
今回の襲名で四代目を数えることになった澤潟屋。初代猿之助が、20歳の時、18
74(明治7)年、市川宗家に無断で「勧進帳」を演じて、市川家を破門になったこ
とがある。その後、復帰が許されたというのが、成田屋と澤潟屋の歴史にはある。そ
れだけに、「猿翁十種」という澤潟屋の演目に市川宗家が出演するのは、エポックメ
イキングな出来事なのだ。

阿闍梨一行は、弟子の大和坊(門之助)、同じく讃岐坊(右近)、強力の太郎吾(猿
弥)が、随行している。本舞台に来て、阿闍梨は、小屋の主に向って、一夜の宿りを
乞う。簾式の障子を巻き上げて、木戸を開けて出て来たのは、独居老女・岩手(猿之
助)である。糸車を廻しながら、身の上を語る老女。仏の教えにより成仏できると説
く阿闍梨。心が晴れた老女は、一行をもてなすために山へ薪を取りに行く。小屋の中
の閨(ねや)を決して見るなという注意を残して出かける。新・猿之助の科白廻し
は、「ヤマトタケル」の時とは大違いで、太く、低い。花道を行く足取りも猿翁工夫
の独特のものがある。

阿闍梨一行は、勤行をしながら老女の帰りを待つが、強力の太郎吾だけは、閨の中が
気になって仕方がない。そっと覗き見ると、閨の中は、人骨と血の海。老女は、安達
原の鬼女だったのだ。

山から薪を背負って戻る途中の老女。阿闍梨の成仏できるという言葉を思い出して楽
しい気分になっている。月明かりに薄が光る安達原で踊り始める。血相を変えて上手
から逃げて来る太郎吾の姿を見て、阿闍梨一行が、約束を守らなかったと悟った老
女・岩手は、人の心の偽りに怒り、悲しみ、姿をくらませる。

薄の原の中に古塚がある。老女を探し求めていた阿闍梨一行が到着すると、古塚が割
れて、中から後ジテの鬼女の姿を顕した老女が、襲いかかって来る。阿闍梨一行は、
数珠を押し揉み、一心に祈ることで、鬼女の魔力に対抗する。基本的に「紅葉狩り」
や「茨木」などと同じジャンルの演目と言える。

「黒塚」は、1939(昭和14)年に二代目猿之助(後の、初代猿翁)によって、
初演された。二代目猿之助はロシアンバレーまで参考にして所作の手を考えたと言わ
れる。新作舞踊の名作となり、三代目猿之助(二代目猿翁)が、1964(昭和3
9)年に「猿翁十種」として選定した。老女・岩手、実は、鬼女を初代猿翁が、16
回演じ、二代目猿翁が、31回演じた。新・猿之助は、今回、初演。このほか、右近
が、2回演じている。

四代目猿之助は、「代々が命を懸け、その血を注いで舞台を勤めて行くことによって
その名に敦美が増す。襲名とはそういうことなのだと思います」と言っている。「黒
塚」では、特に前半をゆったりと演じていたように思う。


「楼門五三桐」は、終演後にこそ、ドラマがあった


「楼門五三桐」は、今回同様の一幕ものという演出では、3回目の拝見となる。今回
の五右衛門は、初役の海老蔵(但し、海老蔵は、以前に新作歌舞伎の「石川五右衛
門」に主演している)。真柴久吉は、8年ぶりの舞台復帰となった二代目猿翁。いろ
いろ指導している「弟子」の海老蔵との初共演だ。ポイントは、新・猿翁の舞台姿そ
のものだ。


定式幕が開くと、道具幕が、舞台全面を覆っている。道具幕には、満開の桜と南禅寺
山門(楼門)の遠見が描かれている。花道から、久吉家臣の外記之介(弥十郎)ら捕
り方たちが出て来て、本舞台へ。「殿の8年ぶりのご出馬なるか」などと言ってい
る。彼らが上手に引っ込むと、道具幕が上がる。舞台は、更に、全面が浅黄幕で覆わ
れている。振り落しで、南禅寺山門の2階となる。南禅寺の山門の高欄に、どっかり
と腰を下ろした石川五右衛門(海老蔵)。黒地に金銀の縫い取りのある豪華な衣装
で、大盗賊らしい。大煙管で一服しながら、桜満開、春爛漫の景色を愛で、「絶景か
な」と満悦する場面である。豪華な衣装の下は、黒いビロードの衣装。赤鞘に緑の房
を付けた大太刀を腰に差している。一幕10数分という短い場面であるが、柄も大き
い上に、口跡も良い海老蔵は、こういうワンポイントの芝居は巧いし、任に合ってい
る。

やがて、山門が、大せりで上がると同時に舞台前方の中せりも上がって来て、巡礼姿
の真柴久吉(二代目猿翁)の登場だ。合引に座り、後ろから黒衣が支えている。それ
に気がついた石川五右衛門が2階から小柄を投げると、巡礼は、右手に持っていた柄
杓で小柄を受け止めて、「巡礼にご報謝」と言う。猿翁の科白は、たどたどしいが、
聞こえる。柄杓をクルクル振り回す場面では、黒衣が後ろからサポートしいるように
も見えた。そして、見得を決める。黒衣のサポート故に、猿翁が、黒衣という一人遣
いの人形遣に操られているように見えて、不思議な気がした。見得が決まった辺りか
ら、観客席の拍手が鳴り止まない。

舞台で脇を固めるのは、左枝利家(段四郎)、久吉家臣たちの外記之介(弥十郎)、
民部之介(門之助)、隼人之介(右近)、雅楽之介(猿弥)、靭負之介(月乃助)、
主計之介(弘太郎)、右忠太(猿三郎)、左忠太(欣弥)久吉侍女たちの常盤木(笑
也)、呉竹(笑三郎)、紅梅(春猿)。

真柴久吉と石川五右衛門は、ここで決着を付けずに、後日の再会を約して、「さら
ば、さらば」と別れ行くで、定式幕が閉まる。拍手は続き、どんどん強まる。幕が閉
まり切っても、拍手が続く。

そして、本当のドラマが始まる。暫くして、定式幕が、再び、開き始めたのである。
幕が開き切ると、舞台には、新・猿翁らが残っている。袖から、ほかの役者も次々と
出て来る。

定式幕のカーテンコール。観客は、スタンディング・オベーション。熱い、熱い舞
台。舞台中央に立ち上がった二代目猿翁が、両手を上げて、観客の声援に応えた後、
両手の指を交互にして強く握り合わせ、黙って揺さぶっていた。万感の思いを込めた
のだろう。無言の猿翁。手の振りが雄弁だった。劇中の科白、「さらば、さらば」
は、一期一会。「熊谷陣屋」の直実の科白「ああ、夢だア。夢だア」に通じるように
聞こえた。猿翁は、観客席に向って、手で「さらば、さらば」と言ったのではないか
と、思った。メッセージを受け取る観客席も、熱い、熱い。

猿翁が自由な右手を上げて、舞台下手を指し示すと、下手袖から山門の2階にいた石
川五右衛門姿の海老蔵が出て来た。「師匠」の猿翁に頭を下げる。師匠は、海老蔵に
向って手を出し、ふたりは、握手をする。次いで、猿翁は、不自由な左手をちょっと
出して、上手に合図をする。猿翁を後ろから支えていた黒衣が合図を受けて前に出て
来る。猿翁は黒衣に頭巾の前垂れを上げるように促す。黒衣が顔を出す。中車だ。父
子は、和解を演出しているのか。本当に和解しているのか。澤潟屋は、盤石なるか。

私が観たのは、舞台の2日目。こういう場面は、初日、2日だから見受けられた珍し
い場面なのか。それとも、今月は毎日、見せてくれているのか。いずれにせよ、私の
記憶にはきちんと刻まれた場面となり、生涯忘れないだろうと思った。
- 2012年7月10日(火) 8:11:35
12年07月新橋演舞場 (昼/スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」)


澤潟屋の「父子論」


7月の新橋演舞場は、6月が、初代猿翁と三代目段四郎の五十回忌追善プラス襲名披
露興行だったのが変わって、襲名披露興行一本になった。昼の部は、スーパー歌舞伎
「ヤマトタケル」。「ヤマトタケル」は、先月の新橋演舞場夜の部に続いて2ヶ月の
ロングラン。だが、これは珍しくない。これは、スーパー歌舞伎の興行では、いつも
のことだ。それで、私は、先月は観ずに、今月の昼の部を観ることにした。

「ヤマトタケル」は、2回目の拝見で、前回観たのは、17年前であった。95年
4、5月公演の時で、劇場は、やはり、今回と同じ、新橋演舞場だった。右近の出演
日が、毎週水曜日にあり、水曜日の招待券を戴いたので、右近のヤマトタケルを観
た。17年前当時は、歌舞伎を観始めたばかりの時期で、古典的な歌舞伎にこそ関心
のある時期なので、スーパー歌舞伎には、あまり関心が向かなかった。私が観たの
は、95年4月か、5月なのだが、当時は、私も、今のように劇評の記録を残してい
ないので、不明。

今回、17年ぶりに観て、覚えているのは、第二幕第三場「焼津」の場面で、この場
面は、「観たな」と、印象に残っていることが判った。後は、第三幕第二場の「伊吹
山」以降、エピローグまで。本来、猿之助主演の興行だったが、2ヶ月連続の興行
で、毎週水曜日が猿之助の休演日であり、三代目猿之助のヤマトタケルは、結局観な
いままで終わり、四代目猿之助を観ることになった。

「ヤマトタケル」は、梅原猛原作のスーパー歌舞伎(古典歌舞伎の様式性を尊重した
新歌舞伎というのが、当時のキャッチフレーズではなかったか。しかし、実態
は…?)。1986(昭和61)年、新橋演舞場で初演。猿之助スーパー歌舞伎の第
1弾。初演から26年経つ。三代目猿之助の軌跡を象徴する作品の一つだろう。私の
劇評では、今回が初回の掲載となるので、記録の意味でも、粗筋や舞台展開は、それ
なりに詳しく書いておきたいが、私は、今回のテーマは、「父子論」と思ったので、
評論のまとめは、そこに的を絞って書きたい。

開幕前、すでに花道にも黒布が敷き詰められている。暗転のうちに定式幕が引き開け
られる。ジャーという音ばかり暗闇の中で聞こえる。(今回は、最後まで観客席は、
暗いままなので、私のウオッチングメモは、書き留められない。いつもの調子では、
舞台ウオッチングができていないのをお許し戴きたい)。

スポットライトが舞台上手に当てられる。四代目猿之助と九代目中車が並んで座って
いる。劇中口上は、幕開き冒頭から始まった。年若の新・猿之助が仕切る。メモを取
れないので、口上内容の全部は記録できないが、記憶の範囲で、概要を書き留める。

舞台と観客席は、「エネルギーの交流」をするという新・猿之助の演劇論の一端を示
す言葉が、キーワードだと判断した。観客席の「声援」が、舞台の役者のエネルギー
となるということのようだ。観客は、エネルギー溢れる役者の演技を観て、その反応
として「声援を送る」という形で、舞台に参加しているという。つまり、双方向の交
流が大事だということだろう。テレビドラマや映画は、画面からの片方向の流れなの
に、生の舞台、特に歌舞伎は、双方向の流れがある。テレビ、映画で活躍して来た香
川照之(新・中車)ともども、「そう言うのだから、間違いがない」と強調して、観
客席を笑わせる。観客と役者は、いつも、一期一会を大事にしなければ行けない。私
たちは、歌舞伎に命を懸けて、いつもいつも新しい歌舞伎を見せる積りだ。襲名とい
うシステムで芸の伝承を大事にしながらも、絶えず新しさを追求して行きたい。夏の
暑さに負けずに、「熱い、熱いご声援をお願いする」というのが、新・猿之助の口上
の概要であったと思う。

一方、中車は、いろいろあった父親(三代目猿之助)との関係を具体的には言わず
に、それでいて父親が三代目猿之助だったことを踏まえながらも、父親と一緒の舞台
に立てたこと、九代目中車という澤潟屋一門の名跡を継ぐことをとにもかくにも、強
調していたように思う。私の劇評に「父子論」という視点を与えてくれた口上だっ
た。

ふたりの口上が終わると先月も使用した祝幕が、上手から引き閉められて行く。暗転
のうちに緞帳(資生堂寄贈)が上がると、芝居が始まる。紗幕、廻り舞台とセリ、
スッポンを含む花道の組み合わせを積極的に活用する演出の舞台。スーパー歌舞伎
は、いつもの古典的な歌舞伎とは、冒頭からして、ひと味違う。

第一幕第一場「大和の国 ―― 聖宮」。大和国の宮殿。帝(すめらみこと:中車)
と皇后(おおきさき:門之助)がせり上がってくる。帝には、ふたりの息子がいる。
大碓命(おおうすのみこと:猿之助)と小碓命(おうすのみこと:猿之助)。ここ
は、猿之助の早替わりの妙が見せ場。後妻の皇后が、日継(ひつ)ぎの皇子(皇太
子)候補を生んだため、先妻の兄弟、特に、現在皇太子である兄の大碓命は、先行き
不安で疑心暗鬼となっている。兄弟の父親の帝は、愚帝であり、好色である。長男の
嫁である兄橘(えたちばな)姫を含む橘姫姉妹を召し寄せよと言い出すほどだ。妻を
差出せという父親に不信感を抱く大碓命は、兄橘姫と弟橘(おとたちばな)姫の偽者
を差出し、父親を欺く。実は、大碓命は、既に妻の兄橘姫と妻の妹の弟橘姫の双方と
性的関係を結んでいるから、父子の騙し合い、相互疑心暗鬼という構図だ。言うこと
を聞かない兄の大碓命を説得せよと帝は、弟の小碓命に命じる。

第一幕第二場「大碓命の家」。聖宮に出仕しない兄を説得するため弟は兄の屋敷を訪
れる。大碓命(猿之助)は、兄橘姫(笑也)を妻としながら、妻の妹の弟橘姫(春
猿)にも言い寄る。嫌がる弟橘姫。兄は、訪ねて来た小碓命(猿之助)に父親と継母
を殺さないと自分たちが殺されると思い込んでいて、弟にも協力するように要請す
る。驚いた弟が兄を諌めるが、秘密の計略に反対されては、我が身が危ういと逆上し
た兄が弟に斬り掛かり、争いになってしまう。弾みで、大碓命を殺してしまう小碓
命。言い争いから立ち廻りまで、舞台中央の太めの赤い柱を早替わり(大碓命 ←→
 小碓命)の「装置」として活用し、大碓命、小碓命のふたりの吹き替えと早替わり
の後見が、ここは、猿之助を軸に柱の向こうで「大奮闘」している場面だろう。クル
クルと何度も早替わり(大碓命 ←→ 小碓命)を見せるこの場面は、前半の大きな
見せ場となる。

第一幕第三場「元の聖宮」。長男の逆心を父親に知らせないまま、兄死亡の経緯を説
明する次男に父親は激怒。死罪を言い渡そうとする。真相を知っている老大臣(寿
猿)は、命乞いを進言する。帝(中車)は、大和から西の九州を制圧している熊襲征
伐を命じて、小碓命(猿之助)を大和から追放する。

第一幕第四場「明石の浜」。花道から兄橘姫(笑也)が追ってくる。大和から明石の
浜にやって来ていた小碓命に追いつくと、「夫の敵」と襲いかかる。しかし、弟が兄
の名誉を守るため、弁明せずに殺されようとする姿を見て変心する。憎しみは、弟へ
の慕情に替わる。そこへ、小碓命の叔母・倭(やまと)姫(笑三郎)、老大臣(寿
猿)、小碓命を慕う弟橘姫(春猿)も駆けつける。皆に、見送られて小碓命(猿之
助)は、花道を行く。たった一人で征伐の旅に出る小碓命を見送る老大臣らは、せり
下がって行く。

第一幕第五場「熊襲の国 ―― タケルの新宮」。熊襲は、ダブルタケルの国。兄の
タケル(弥十郎)、弟のタケル(猿弥)のふたりが、制圧している。新宮殿完成の祝
宴の真っ最中。琉球や吉備の国から祝の品が届く。遠く、東の蝦夷の国・相模の国造
(くにのみやつこ)ヤイレポ(猿四郎)は、自ら宴席に出席した。踊り女に姿を替え
て、宴席に紛れ込んだ小碓命(猿之助)が大立ち回りの末にタケル兄弟を倒す。真っ
赤な衣装に身を包んだ踊り女姿の猿之助は、艶やかだ。二階建てに組み上げた大道具
とそこに収容されていた酒樽や酒壺をふんだんに使っての大立ち回り。これも、スー
パー歌舞伎らしいスペクタクルな場面となる。兄を倒され、自分も瀕死の重傷を負っ
た弟タケルは、小碓命にタケルの名を継いで欲しいと頼み込む。小碓命は、これを
きっかけに「ヤマトタケル」と名乗ることになった。

第二幕第一場「大和の国 ―― 聖宮」。ヤマトタケル(猿之助)が、帰国した。留
守の間に、老大臣が亡くなり、皇后の側近が新大臣(おおまえつぎみ:猿三郎)に替
わり、継母の息子が皇太子となるなど、タケルの居心地が悪化している。帝は、熊襲
征伐の見返りにタケルに兄の妻、兄橘姫(笑也)と東の地を与えると言い、東の地を
制圧している蝦夷征伐に行けと命じる。タケルは、兄橘姫と婚礼を挙げるものの3日
後に出発させられる。

第二幕第二場「伊勢の大宮」。叔母の倭姫(笑三郎)、弟橘姫(春猿)が暮す伊勢大
宮に立ち寄ったタケルは、父親への不満と葛藤を打ち明ける。タケルは叔母の計らい
で弟橘姫と関係を結び、伊勢の神宝の「天の村雲の剣」を与えられ、投獄へ旅立って
行く。帝から与えられたタケルの従者はタケヒコ(右近)ひとり。タケル恋しさに後
を追って来た弟橘姫も同行することになる。

第二幕第三場「焼津」。17年前観ただろうに、ここまでの場面は、実は、余り記憶
に残っていない。残っているのは、ここからの場面。特に、火攻めに遇う場面。赤い
幕や旗、布などを巧に使って、いわば「群舞」という演出で、タケル一行が、相模の
国造(ヤイレポ:猿四郎)の弟・ヤイラム(猿弥)に誘い込まれた草原に火を掛けら
れ攻められる場面を観て、思い出したのだ。スーパーア歌舞伎らしい演出として、印
象的だったのだ。記憶に残る芝居の印象というのは、そういうものなのだろうと思
う。叔母に貰った剣と火打石で、「毒を持って毒を制する」戦法で、タケル側も別な
場所から火攻めに転じ、難儀を乗り切る。以後、「天の村雲の剣」は「草薙の剣」と
名前を変える。タケルはヤイレポとヤイラムの兄弟を討ち取り、更に、東の地へと攻
め込む。花道七三スッポンから人が現れる。普通なら、妖怪変化の類いが登場する
「空間移動装置」のスッポンに人が現れるというのも、スーパー歌舞伎だからか。タ
ケルを慕う蝦夷の民・ヘタルベ(弘太郎)の登場。

第二幕第四場「走水の海上」。緞帳が上がると、大海原。大船が舞台中央にある。タ
ケル(猿之助)、タケヒコ(右近)、弟橘姫(春猿)、従者・ヘタルベ、相模の国の
占い師・トスタリ(欣弥)なども同乗。船は走水の海上に差し掛かった。白いガスが
水面を表現する。廻り舞台で、回転する船。天気が変わり、雷が鳴り、稲光がする。
「煙」で演出していた水面は、上手から黒衣が下に潜って引き出された大きな浪布を
使った演出に替わる。浪布の下で激しい浪の動きが演出される。落雷で、船の舳先が
壊れる。占い師は弟橘姫を生け贄として海の神に捧げないと船は沈んでしまと告げ
る。ならば、海の皇后になると姫は入水を覚悟する。海の神への嫁入りに相応しく、
畳24畳を海に投げ込ませた後、弟橘姫は、浪布の中へ身を投げる。浪布の下の引き
道具に乗って、下手へ流されてゆく姫。タケルが必死で差出す手も届かない。海中に
没する弟橘姫。浪布は、上手に引き込まれ、海原は、凪いでくる。船は、半回転す
る。鞆が舞台前面に来てタケルを演じる猿之助の見得を合図に緞帳が降りてくる。

火と水で、スーパー歌舞伎のスペクタクルの見せ場を盛り上げる。科白を言う四代目
の声音は、三代目そっくり。初役でタケルを演じる四代目は、兎に角、三代目を真似
ることに徹しているようだ。同じく、初役で演じる夜の部の「黒塚」の老女岩手、実
は、安達原の鬼女」を、どう演じるのか。夜の部が楽しみ。

第三幕第一場「尾張の国造の家」。熊襲征伐、蝦夷征伐を無事済ませたタケル一行
は、大和へ帰る途中、尾張の国造(竹三郎)の館に立ち寄る。大和の皇后(タケルの
継母)の訃報がタケルに伝えられる。義弟の皇太子よりタケルの方が、次の帝になる
可能性が出て来たとして尾張の国造は、娘のみやず姫(笑也)を差出そうとする。タ
ケルを慕いながらも政略結婚は潔しとしないという姫の真情に打たれ、タケルはみや
ず姫と祝言を挙げる。悲劇の前の、ちょっとしたチャリ場(滑稽な場面)。定式の演
出を踏襲。

天つ神に追われ鬼神となった伊吹山の神々が天つ神の子孫である大和の帝に敵対して
いる。帝はタケルの業績を賞賛しながらも、伊吹山に立ち寄り鬼神たちを征伐してこ
いと伝えて来る。父親不信が続くタケル。この辺りは、新・猿翁(三代目猿之助)と
新・中車=香川照之の関係が、頭をよぎるのは、私だけではないだろうという気がし
た。恩讐を越えずに、死境を越えてしまうタケルと帝(すめらみこと)。恩讐を越え
て、父子孫三代のお披露目をした香川照之と新・猿翁。ふたりの間には、役者、男女
関係、父子関係などが、生々しく、浮き上がってくるような気がするが、余りそちら
に気が行くと生々しすぎて、ご免被りたい。さて、タケルの方は複雑な心境ながら、
それゆえの心の隙間を突かれたのか、草薙の剣をみやず姫に預けて、伊吹山に向って
しまう。

第三幕第二場「伊吹山」。タケルが伊吹山に向ったと聞き、脅える鬼神たち。しか
し、山神(弥十郎)はタケルが草薙の剣を姫に預けて来たと聞き、そこにタケルの慢
心があると見抜く。傲慢という気の病につけ込めば勝てると確信する。
ここは、梅原猛の人間哲学が湧き出ている科白だろう。山神の化身である白い大猪が
花道から猛進して来る。猪と闘うタケルは、姥神(門之助)の妖術で雹に打たれて倒
れてしまう。鬼神の配下たちの立ち回りの群像の中に中国から来日して歌舞伎に参加
している「京劇院赴日演出団」のメンバーが参加している。普通の歌舞伎の「トン
ボ」(「空中回転」)に混じって、「地上回転」をクルクルと凄いスピードに加速さ
せて披露する。大部屋の「トンボ」の積りで観ていた人たちは、度肝を抜かれ、一瞬
空白の間があった後、どどっと、拍手が沸いて来たことで、観客の戸惑いぶりが判
る。

第三幕第三場「能煩野(のぼの)」。伊吹山を逃れて伊勢の能煩野まで来たタケル一
行だが、タケルは、既に瀕死。ふるさと大和への思いを馳せながら、生さぬ仲のまま
終わった父親帝(中車)への思い、妻の兄橘姫(笑也)、逢わないまま死別しなけれ
ばならない息子のワカタケル(團子)を幻想しつつ、タケルはいつしか死境を越えて
息絶えてしまう。

第三幕第四場「志貴の里」。タケルの墳墓の地となった志貴(しき)の里。タケルの
葬儀は、立派な御陵(みささぎ)の前で盛大に営まれている。タケルの墳墓に手を合
わせる妻の兄橘姫と息子のワカタケル。タケルの亡がらとともに大和の国に辿り着い
たタケヒコ(右近)とヘタルベ(弘太郎)。皆、白い喪服に身を包んでいる。そこ
へ、帝の使者(月乃助、前の段治郎)が現れ、皇太子も亡くなったので、帝は、タケ
ルの遺児のワカタケルを日継ぎの皇子(皇太子)に決めたと伝える。孫の團子を歌舞
伎役者にするために新・猿翁は、新・中車は……などと、またまた、余計なところと
回線が繋がりそうになる。最後に、父子論としてまとめよう。

エピローグ。
俗人どもが、いなくなった後、墳墓が突然内側から破裂する。そして、白鳥の姿に変
わったタケルが、墳墓の中から飛び出して来る。「天翔ける心」という科白ととも
に、タケルというか、四代目猿之助を引き継いだ二代目亀治郎の「羽化」の姿ではな
いか。墳墓の石段を仕掛け(中央の石段が引っ込み、天辺の敷石がスロープを滑り降
りる)を使って滑り降りる四代目猿之助。そして、花道七三から、宙乗り。宙乗りの
コースは、ふたつある。1回目:七三からから上昇し、花道に沿って観客席2階まで
達すると、一旦、花道七三の上空まで戻る。2回目:次は、観客席3階まで上る。そ
して、3階席の椅子の一部を取っ払って作った特設の「揚げ幕」から吹き出る煙の、
いわば「花吹雪」の中へと姿を消してゆく。四代目猿之助は、最期まで和解できな
かった父親の帝を乗り越えて、「天翔ける」息子タケルを演じた。「ヤマトタケル」
の物語は、終わった。

★カーテンコール。
緞帳が上がらないまま、暫く無人の舞台。脇を固めた役者から舞台に登場し始める。
澤潟屋一門。女形陣。右近。中車。出番が終わっていた人たちも化粧を落とさず、衣
装も脱がず、という状態でカーテンコールに備えていたのが判る。
最後に、再び、墳墓の中から新・猿之助が登場して、カーテンコールの総仕上げとな
り、やっと、幕。先月の初日のカーテンコールでは、原作者の梅原猛、演出担当の
新・猿翁も加わったという。

贅言;私なりに分析したスーパー歌舞伎の座標軸:1)外見的な特徴=早替わり、廻
り舞台とセリの積極活用、大立ち回り、宙乗り。スッポンの使い方は、疑問。2)内
面的な特徴=明確なメッセージ性のある科白。


★★最後に「父子論」。但し、夜の部では、更に、追加の予定。
ここでの「父子論」は、「澤潟屋タケル」論である。2003年11月、三代目猿之
助は、軽い脳梗塞で倒れた。当時は、正しい病名は、一般には伝えられなかった。肝
臓が悪く、体調を崩したというような話だったと記憶している。しかし、実際には、
今回まで8年余も、舞台復帰できなかった。今回、先月の口上に続いて今月の「楼門
五三桐」の真柴久吉役で舞台姿を披露している。左手や顔の表情に麻痺があり、口上
も科白も自由ではなかったが、舞台への執念がひしひしと伝わって来て、さすが、
「猿之助」という印象が強く残った。私は、この「猿之助」を忘れないだろう。

さて、澤潟屋タケルとして新・中車は、香川照之から脱皮できるのか。歌舞伎役者と
して、「猿之助」の息子として認知されるのか。澤潟屋を「天翔ける」のは、当面、
「猿之助」の甥の新・猿之助だろう。甥の支援を受けて、「猿之助」の息子は、恩讐
(91年、父親・猿之助を訪ねた息子・香川照之に対して、父は、「私には息子はい
ない」という趣旨のことを言ったという)を越えて父親と和解したように見える。新
橋演舞場の舞台では、そういう場面が盛んに展開されている。また、マスコミを通じ
て、そういう場面が喧伝されている。

祖父(二代目猿翁)が、孫(團子)を歌舞伎界に入れたいと思ったのも本当だろう
し、父親(香川照之)が、息子(香川「政明」。本名は、二代目猿之助が「政泰」、
三代目猿之助が「政彦」で、香川照之は、澤潟屋の直系の本名「政」を息子に付けて
いた。/因に、四代目猿之助は、「孝彦」で、「彦」の字がついている)をいずれ、
歌舞伎界という「大船」に乗せたいと思っていたことも事実だろう。双方の思惑が一
致して実現したように見える澤潟屋タケルの父子の「和解」は、一筋縄では行かない
ように見える。仕組んだのは、以前から仲が良い亀治郎と香川照之の共同戦線かもし
れない。その辺りの詮索は、私には、どうでも良い。観客としての私たちは、四代目
猿之助が、三代目の藝を継承し、発展させてくれること。九代目中車が、澤潟屋一門
の名傍役として力をつけてくること。團子が、そういう環境の中で、五代目猿之助を
継げるような役者に成長して行く過程を観ることができるかどうかということだろう
(五代目の襲名までは、今の観客の多くも生き延びられないかもしれないが……。

昼の部は、「これぎり」。
- 2012年7月9日(月) 10:19:13
12年06月新橋演舞場 (昼/「小栗栖の長兵衛」「口上」「義経千本桜〜川連法
眼館〜」)


澤潟屋の襲名披露興行

「小栗栖の長兵衛」は、3回目の拝見。私が観た長兵衛は、歌昇時代の又五郎、右
近、そして今回は香川照之改め、九代目中車。まず、八代目中車を簡単に紹介してお
こう。八代目中車は、二代目猿之助(初代猿翁)の弟。1896−1971年。19
53(昭和28)年、八代目中車襲名。八代目幸四郎(初代白鸚)とともに一時、東
宝に移籍した。俗に、「東宝歌舞伎」という。その後、皆、「松竹歌舞伎」に復帰。
現在は、歌舞伎役者全員が、「松竹歌舞伎」。

今回のポイントは、三代目猿之助の長男とはいえ、中年期、途中から歌舞伎の世界に
飛び込んで来た熟成された「俳優」である香川照之が「歌舞伎役者」九代目中車に、
無事に化けきれるか、ということだろう。

私の印象を先に言ってしまうと、科白廻し熱演だが、オーバーアクションもあり、未
だ、歌舞伎との距離感の取り方を模索しているという感じがした。例えてみれば、
「歌舞伎」というジクソーパズルに入り込んだ1枚のピースが、なにか違うという感
じも残ったが、それは今後の精進で化けて来るかもしれないという予感も感じたの
で、未だ、なんとも言えない。今後の舞台を観続けるしかないだろう。

「小栗栖の長兵衛」のテーマは「豹変」だろう。飲んだくれで、ジコチュウな人間・
長兵衛は少しも変わらないのに、彼を取り巻く人間関係の「豹変」ぶりが、浮き上
がってくるという趣向。権力や名誉に弱い大衆の心理や人間性を風刺する喜劇。岡本
綺堂原作で、1920(大正9)年、東京の明治座で初演された、数少ない「大正歌
舞伎」の演目。

話は、小栗栖村の暴れ者・長兵衛の物語だ。前半は、酔っぱらいで村の嫌われ者の行
状記。花道から中車登場。きょうも、長兵衛は、野遠見の上手奥に描かれている八幡
様の巫女・小鈴(春猿)を連れ出している。小鈴を村の茶店の床几に座らせ、酌を強
要するなど、いつものように村内で傍若無人な振る舞いをしている。春猿は、太った
のか、いつもの美形の印象ではない。茶店には、売り物で、台に載せた桃、瓜。軒に
吊るした草鞋、懐紙などがあり、リアルである。これらの道具は、後の、長兵衛大暴
れの立ち回りのための伏線となる。暴れるのを止めに入った父親・長九郎(寿猿)に
長兵衛は傷を負わせてしまう。皆に迷惑をかけるので、困り果てた村人たちは協力し
て長兵衛を取り押さる。長兵衛は簀巻きにされてしまう。

後半は、上手から「人探し」に現れた秀吉の家臣・堀尾茂助(段治郎、改め、月乃
助)の詮議の結果、明智光秀を竹槍で討った手柄者が長兵衛と判る。ここから、村人
は態度をがらりと変えて、長兵衛は英雄視されるという展開。

贅言;長年の無理がたたって膝を故障し、手術、リハビリで、3年前から休演してい
る段治郎は、去年の12月に二代目月乃助に「改名」したが、今月の新橋演舞場が月
乃助としては、初お目見えであった。詮議の場面を終えると、颯爽と花道を去って
行った。

私が最初に観た長兵衛は、歌昇時代の又五郎で、熱演派の歌昇の長兵衛は、なかなか
良かった。右近は、調子を張り過ぎていて、科白もいわゆる「名調子」になり過ぎて
いて、「唄ってしまい」、違和感があった。右近の科白廻しは、三代目猿之助(二代
目猿翁)に似ているのが判り過ぎて、「興を削ぐ感じがした」と、当時の劇評に私は
書いている。今回の中車も、大熱演だが、右近の時の印象に近いと思う。

この演目は、創意工夫の人・初代の猿翁が得意としたという。猿翁は、長兵衛の演じ
どころは、1)酒を飲んで暴れる場面の立ち回りを工夫した。酒に酔っているという
ことを観客に意識させ続ける。写実とも歌舞伎風とも撮れるように演じるのが肝腎と
いう。2)明智光秀を竹槍で刺した(その結果、光秀落命、あるいは、重傷で、同行
の家臣が介錯したという、二説がある)ことで、大手柄で秀吉から恩賞が与えられる
と伝えられたが、酔っぱらっているので、半信半疑であることを科白ではなく、表情
で観客に伝える。中車は、映像が残っているので、それを見て初代猿翁の演技を真似
たという。「どれだけ私が真似ることができるか」と、中車が言っているが、真似る
ことを極め、そこを突き抜けた時に、中車は歌舞伎役者になるのかもしれない。

酒に酔って、乱暴狼藉をしている長兵衛が酔いの勢いと酔っ払いのいい加減さを両立
させていることを感じさせることが必要だろう。今回の中車は、酔っ払いを真面目に
演じてしまっている。それでは、「力の入った」酔っ払いにはなっても、「いい加減
な」酔っ払いには、ならない。つまり、本当の酔っ払いには、なっていない。いかに
も、酔っ払いを演じているという感じが抜けないのだ。中車の課題は、「歌舞伎コン
プレックス」からの脱却を力まずに成し遂げ、香川照之として熟成させて来た俳優の
味を活かしながら、伝統芸能の歌舞伎役者の持ち味を取り入れて、自分の歌舞伎役者
像を再構築することだろうと、思う。

このほか、長兵衛の妹・おいねが笑三郎、その連れ合いが門之助、馬士が右近、庄
屋・与茂作が欣弥、庄屋とともに長兵衛に説教をする住職に猿弥などが脇を固める。

贅言;黒鉄ヒロシ「新・信長記」が、ちょうど刊行されたばかりだ。小栗栖村の長兵
衛さんも、「光秀の首」という章に出て来るので、関心のある人は、どうぞ。


お待たせ!! 「口上」

観客お目当ての「口上」。今回の趣向は初代猿翁・三代目段四郎五十回忌追善興行
(ここは、6月の興行)「兼」二代目猿翁・四代目猿之助・九代目中車襲名披露・五
代目團子初舞台興行(ここは、6月、7月2ヶ月続きの興行)。初代猿翁(二代目猿
之助)は三代目猿之助(二代目猿翁)の祖父、三代目段四郎は三代目猿之助の父とい
う関係だ。猿之助という名前は、初代以来、139年間、一日の空白もなくなく受け
継がれて来た名前だ。大概、間が空いて、引き継がれて行くことが多いから、これも
珍しい。

こういう場合、どういうことを優先的に決めるのだろうか。推測してみた。いかの3
点くらいがポイントか。

1)所縁の演目。2)配役。3)各人の「所縁度」の紹介。

1)では、初代猿翁の当り役から、「小栗栖の長兵衛」は、初代が初演。松竹の上演
記録(本興行)に拠れば、以来、初代は3回演じている。次いで、三代目段四郎がや
はり3回。三代目猿之助が初演したのは、大阪新歌舞伎座1965年9月。以後、三
代目猿之助は演じていない。歌舞伎座で初演されたのは、当代の段四郎で、1976
年だ。段四郎は3回演じている。九代目八百蔵が2回、後は、私が観た又五郎、右
近、中車ということだ。今回中車は、初代猿翁を真似て演じた。中車が初代の所縁を
意識して上演したというわけだ。筋書の上演記録を見ると、初代猿翁・三代目段四郎
五十回忌追善、九代目中車襲名披露」と明記されている。中車が主役だ。「義経千本
桜〜川連法眼館〜」は、「狐忠信」で三代目猿之助の代表作(「猿之助四十八撰」)
の一つ。亀治郎改め、四代目猿之助襲名披露の最有力演目であることに誰も異論がな
いだろうから、ここでは述べなくても良いだろう。筋書の上演記録を見ると、初代猿
翁・三代目段四郎五十回忌追善、四代目猿之助襲名披露」と明記されている。新猿之
助が主役だ。

2)「配役」では、「小栗栖の長兵衛」は、中車を軸に澤潟屋一門で固める。もう一
つのポイントは、怪我をして3年間、舞台から遠ざかってリハビリに努めていた段治
郎が休演中に改名した月之助として、初めての舞台に出ることだろう。「口上」にも
列座して、一緒に襲名の披露をすべきところを膝が完全に直り切っていないそうで正
座ができず、「口上」の舞台に出られない旨、新猿之助が紹介していた。「義経千本
桜〜川連法眼館〜」は、四代目猿之助の狐忠信に大物の義経を配する。上方歌舞伎の
大御所、歌舞伎界の真女形の筆頭、坂田藤十郎が初役で演じる。静御前の秀太郎も、
目玉だろう。これも、初役で演じる。

3)各人の「所縁度」の紹介では、舞台の口上に耳を傾けよう。合わせて、楽屋話に
も眼を配ろう。

まず、祝幕。贈り主は、いつもの企業名ではなく、「福山雅治より」(幕の上手)と
ある。幕の中央には図案化された隈取りが、黒、朱、青、黄色で線描されている。幕
の上手に、「澤潟」の紋、下手に「三ツ猿」の紋。幕が上手に向って開いて行く。

新猿之助らは、皆、茶色の肩衣袴姿で、鉞(まさかり)と呼ばれる髷。この髷は、市
川宗家礼式の髷。先が、平べったくなっていて、切れ味が良さそう(?)。三代目猿
之助改め、二代目猿翁の姿がない。ほかの役者は、藤十郎を始め、それぞれの家紋と
家所縁の色の肩衣袴姿。女形の身なりは上手の、秀太郎。下手の澤潟屋一門の女形連
中(春猿、笑三郎、笑也)。背景の襖には、クリーム地に竹の子が描かれている。上
手から初代猿翁、三代目段四郎のモノクロ写真が飾られている。

中央にいる藤十郎が顔を上げて、挨拶をし始める。「五十年忌追善興行」のことのみ
をいう。初代猿翁の「おじさん」と三代目段四郎の「お兄さん」の思い出を述べる。
そして、その追善を機に二代目猿翁・四代目猿之助・九代目中車襲名披露・五代目團
子初舞台と付け加える。途中、文書を読み上げそれぞれの襲名を披露する。「いずれ
も様も、行く末永く、ご贔屓に」と口上の決まり文句で締めくくる。

次いで、藤十郎の下手に居た段四郎。「父と祖父の五十回忌(1963年同年に相次
いでなくなっている)を兄(二代目猿翁)とともに迎えられるとは思わなかった。感
無量。お礼を申し上げたい」。四代目猿之助、九代目中車、五代目團子を紹介する。
次が弥十郎。「25歳で父を亡くし、お兄さん(三代目猿之助)にはいろいろ指導を
受けた。思い出も尽きることがない。自分の今日があるのは、お兄さんのお陰。四代
目猿之助さんの初舞台で抱っこをしたまま演技をした。中車さん、團子さんにも思い
出はある。團子さんには、今も遊んで貰っている(笑い)」。

以下、上手隣へ順に。まず、門之助。「父親の七代目門之助が、猿之助一座の立女形
を務めたのが縁。新旧の猿之助さんとは、一緒にいたずらもし、ハラハラドキドキし
た仲だ」。寿猿。(三代目段四郎の弟子になり、60有余年、その後、)「初代猿翁
に入門。それから50年余。4人の襲名披露嬉しい」(当代の段四郎、中車、四代目
猿之助、五代目團子を抱っこした)。竹三郎。「師匠(四代目尾上菊次郎)が初代猿
翁の一座に居た。澤潟屋一門の増々の繁栄を祈る」。秀太郎は、上手の端。女形姿。
「子役時代に初代猿翁に世話になった。あらゆることに活躍する役者であった。八代
目中車にも世話になった。九代目中車には、素敵な歌舞伎役者になって欲しい。團子
さんにもご支援を」。上手側は、秀太郎で終わり。

下手へ移る。下手の端は、右近。相変わらず、口跡が良いね、この人は。「澤潟屋の
繁栄を宜しくご支援のほど」。上手隣へ順に。猿弥。同じく、「澤潟屋の繁栄をご支
援」。春猿。「ますますの精進を誓う」。笑三郎。「千秋楽まで、この賑わいを」。
笑也。「新しい猿之助さんと一緒に懸命に努めたい」。

茶色の肩衣袴姿の一団の中から、亀治郎改め、四代目猿之助が、すくっと顔を上げ
る。30年間馴染んだ二代目亀治郎から四代目猿之助へ変わります(拍手)。眼に見
える存在、眼に見えない存在(意味不詳だが、眼に見える存在=現在(亀治郎)か
ら、眼に見えない存在―未来(新猿之助)へということと理解した)。熱い熱い熱い
ご支援を賜りたい。段治郎改め、月乃助も襲名披露の舞台に並ぶ筈だが、膝を痛めて
いて、正座ができないので、口上では並んでいないが、お詫びをしたい。襲名とはな
にか。いままでの役者ではなく、心血を注ぐことで、あらたな役者像が浮かんで来
る。あらたな役者像を目指して、この一命を歌舞伎に掛けるので、熱い熱いご支援を
お願いしたい」。

続いて、下手隣へ、九代目中車。「父・三代目猿之助と祖父初代猿翁の五十回忌追善
の舞台で、名跡襲名させて頂くことになった。七代目中車は、戦前大活躍した。秀太
郎さんの紹介にあったように、戦後の八代目は祖父初代猿翁の弟。私が九代目中車を
継ぎ、感無量(眼を潤ませて、興奮気味)。歌舞伎の舞台には、私は初めてのお目見
えだが、生涯をかけて精進して、九代目中車の名前を名乗る責任を果たしたい。(下
手隣の息子の方を向き)息子の五代目團子とともに親子で懸命に精進します」。更
に、下手隣へ、五代目團子。「市川團子でございます。猿翁のおじいさまよりずうっ
と立派な俳優になるのが夢です(拍手)。ご声援を宜しくお願いします」。

ここで、舞台中央の藤十郎が、顔を上げて「二代目猿翁が、控えているので呼ぶ」と
告げる。初代猿翁や三代目段四郎の遺影が上がり、襖が開く。奥より台に乗せられた
新猿翁がふたりの裃後見が押す台で引き出されて来る。四代目猿之助と九代目中車の
間に入り込んで来る。新猿翁は茶色の肩衣と袴、黒の紋付、鉞の髷。膝に両手を置い
て正座しているが、左手は、麻痺しているようだ。目つきも、以前とは違うような感
じだ。「猿翁でございます。隅から隅まで、ずず、ずいーと、乞い願い上げ奉ります
る」(「隅から」以降は、ところどころ、聞き取りにくいが、まあ、判る)と挨拶。
直ちに、藤十郎が「澤潟屋一門に増々のご支援を。いずれも様のご贔屓を隅から隅ま
で、ずず、ずいーと、乞い願い上げ奉りまする」。

この後、全員が一斉に顔を上げて、下手、上手、正面を向いて挨拶。3回繰り返す。
新猿翁は、左右には、首が回るが(ガクガクという感じだが)、正面を向いて、最後
にお辞儀をするのが不自由そうであった。72歳。澤潟屋一門の頂点に立つ最良の
日々が続くが、疲れないと良いのだが……。

贅言;口上のメモを取れきれないので、各人の言ったことは、概要の一部。できるだ
け、紋切り型ではない部分を記録したつもり。最初は、猿之助が不在で、どういうこ
とかなと思ったが、体の不自由な三代目猿之助に配慮した、趣向があって、台に乗っ
て登場して来たので、安心した。裃後見のふたりの弟子たちに台ごと押し出されてき
た。先にも触れたが、猿之助という名前は、初代以来、139年間、一日も途切れず
に連綿と続いている。四代目襲名で、更にその記録は続く。猿之助の不在と存在に、
はらはらどきどき、安心。7月の口上は、二代目猿翁抜きで、新猿之助、中車の襲名
披露と團子の初舞台披露。坂田藤十郎に替わって、團十郎、海老蔵の親子が出演。二
代目猿翁は、「楼門五三桐」で、真柴久吉役で登場する予定。


「狐忠信」 四代目猿之助と海老蔵を競い合わせよう!

「義経千本桜〜川連法眼館〜」は、3人の主人公(平知盛、いがみの権太、狐忠信)
がいる長大な叙事詩でもある「義経千本桜」の中で、上演回数の多い人気演目。私
は、三代目猿之助主演の96年12月歌舞伎座が、初見。今回は14回目となる。私
が観た狐忠信は、以下の通り。澤潟屋型:三代目猿之助(3)、海老蔵(3)、右
近、四代目猿之助、音羽屋型:菊五郎(4)、松緑、勘九郎時代の勘三郎。澤潟屋型
は、いろいろ三代目が工夫しているが、「宙乗り」が売り物。音羽屋型は、伝来のも
ので、「宙乗り」が無い。代わりに上手の桜木を木の陰にある「ちょうな」という道
具(簡易エレベーターのような装置)に乗り、すうッと、上って行く。

「義経千本桜〜川連法眼館〜」では、狐が忠信に変身したように、この演目では初め
て観る亀治郎が、亀治郎から四代目猿之助に変身するかどうか。三代目との比較は、
勿論だが、ほかの狐忠信との比較、右近、特に、海老蔵との比較をしてみたい。

猿之助不在は、狐忠信を2000年9月、大阪松竹座で上演している。還暦を超え、
61歳の舞台だ。2ヶ月前の7月、猿之助は、「猿之助百三十年記念」(初代の襲名
から130年)と銘打ち、歌舞伎座で上演している。その舞台を私は観ている。以
下、00年7月の劇評を加筆訂正しながら、抜粋を転載。

*00年7月歌舞伎座。猿之助では、3回目の拝見。三代目の狐忠信は、狐と言うよ
り、人間忠信らしく演じる。ときどき、狐忠信を感じさせるだけだ。ところが、「川
連館」では、唯一、人間忠信(本物の佐藤忠信)が出てくることもあって(一度だ
け、館上手の障子を開けて、佐藤忠信が、姿を見せる)そのあと出てくる忠信は、狐
らしく、狐らしくというように演じる。本興行だけで39回目(その後の、大阪松竹
座を加えると、生涯で本興行40回を演じたことになる)という猿之助の演技は、6
1歳という年齢を、ときどき感じさせながら、それをカバーしきっていたように思
う。年齢は、舞台の裏表を使った仕掛けによる早替わりでは、感じさせないが、もろ
に舞台に出ているところで素早い動きをする場面で老いも見られたが、それはそれ
で、ご苦労様という気持ちを観客のなかに生じさせると言うのは、この人の強みだろ
う。

この舞台でも、宙乗りを含めて、猿之助忠信は、安定感のある舞台で堪能させてくれ
た。体力による外連が売り物のひとつだった猿之助、体力の衰えをカバーする演技の
円熟さ。円熟さで、狐忠信をカバー出来なくなる日が、いずれは来るのだろう(3年
後、03年11月が、その日だとは想像だにしなかった)。」

1970年7月の歌舞伎座で始まった澤潟屋一門の7月興行は、当初昼の部だけで
あったが、4年後からは、夜の部も加わり、昼夜通しとなった。それは、2003年
11月の発病で崩れ去ってしまった。2012年7月、新橋演舞場で、澤潟屋一門の
7月興行が久しぶりに復活する。今後は、四代目猿之助の活躍如何で、定着するかど
うか。来年から7月興行復活となれば、新歌舞伎座での披露であろう。四代目猿之助
の狐忠信は、61歳の最後の三代目の舞台に比べて、36歳の最初の四代目の舞台
は、乗るタイプの亀治郎が残っていて、動きも激しく、それでいて、軽やかで、安心
してみていられたので、まずは、成功であったとだけ、書いておこうか。

次は、海老蔵との比較をコンパクトに記録しておきたい。三代目猿之助は、狐忠信を
右近に教えた。三代目の病後、半年余り、2004年7月の歌舞伎座で右近初役を軸
に狐忠信を上演した。右近は、以来、05年に掛けて、3回上演している。海老蔵
は、三代目の指導を仰ぎ、06年11月の新橋演舞場で初演している。海老蔵は、以
来、10年9月の京都南座でまで5回上演している。

澤潟屋型の演出を選択した海老蔵。澤潟屋型は、外連味の演出が、早替りを含め、動
きが、派手で、いわゆる「宙乗り」を多用する。狐が本性を顕わしてからの動きも、
活発である。

一方、四代目猿之助は10年8月の「亀治郎の会」、11年5月の明治座、そして今
回の新橋演舞場ということで、3回目の上演となる。いずれも、澤潟屋型の「宙乗
り」のある狐忠信だ。「宙乗り」のない狐忠信は、菊五郎を始め、いろいろな役者が
演じている。どの舞台も、愉しみにして、そのうち、誰が、三代目の芸を引き継ぎ、
発展させて来るか、今から愉しみにしている。

四代目猿之助は、静御前の打つ初音の鼓の音に引かれて、御殿の階(きざはし)か
ら、出現する。やがて、忠信の衣装を付けた狐は、下手の御殿廊下から床下に落ち込
み、本舞台二重の御殿床下中央から、素早く、白無垢の狐姿で現れる。本舞台二重の
床下ばかりでなく、天井まで使って、自由奔放に狐を動かす。狐は、下手、黒御簾か
ら、姿を消す。上手、障子の間の障子を開け、本物の佐藤忠信(猿之助の、早替りふ
た役)が、暫く、様子を伺い(これは、「東海道四谷怪談」の「戸板返し」の演出の
応用で、立体的に工夫された衣装の顔の部分に、鬘を着けた顔だけを出しているだけ
で、佐藤忠信の衣装は、着けていないのではないかと思った)、やがて障子を閉め
る。再び、狐忠信は、天井の欄間から姿を表わす。

さらに、吹き替えも活用する。荒法師たちとの絡みの中で、白無垢の衣装を両肩脱ぎ
にした本役と吹き替えは、舞台上手の桜木の陰で入れ代わり、吹き替え役は、暫く、
横顔、左手、のちに右手も加えての所作で観客の注意を引きつける。吹き替えが、全
身を見せると、二重舞台中央上手の仕掛けに滑り降り、二重舞台の床下へ姿を消す。
やがて、花道スッポンから四代目が、飛び出してくる。再び、荒法師たちとの絡み。
法師たちに囲まれながら、いや、隠されながら、本舞台と花道の付け根の辺りで、
「宙乗り」の準備。時間稼ぎの間に、衣装の下に着込んで来たコルセットのようなも
のとワイヤーをきちんと結び付ける。

さあ、「宙乗り」へ。中空へ舞い上がる。恋よ恋、われ中空になすな恋と、ばかり
に・・・。3階席周辺の「花道」、つまり、ここでは、「宙道(そらみち)」での
引っ込みでは、向う揚げ幕ならぬ、桜吹雪の中に突っ込んで行った。

こうして、今回の四代目猿之助の狐忠信の動きを追ってみると、海老蔵の劇評で私が
書いていたことと、寸分違わずという感じだと判った。つまり、海老蔵も、四代目猿
之助も、三代目に忠実で、全く同じことをなぞっていることが判る。

四代目も、海老蔵も親の皮で作られた初音の鼓を持ち、親子交歓の情を滲ませなが
ら、「空中遊泳」しているように見えた。四代目も、海老蔵も、彼らの科白にダブル
ように澤潟屋の声音が聞こえて来るような錯覚に捕われるほど、ふたりとも、澤潟屋
の科白廻しもなぞっているのが判る。

若さ、強さを持ち合わせた若き日の猿之助によって、さまざまに仕掛けられ、磨きが
掛けられて来た「外連」の切れ味。身体の若さ、強さは、若いふたりの歌舞伎役者に
よって再現され、私は観たことがない若い猿之助も、かくやと思わせるものがある。
ヤング猿之助復活。

特に、「宙乗り」の際の、脚の「くの字」にする角度や体を水平に保つことに漲る海
老蔵や四代目猿之助の若さ(ふたりとも30代、2歳違いで四代目が上)は、猿之助
の愛弟子・右近(48歳)でも、感じられなかった強靱さで、驚きである。

三代目は、海老蔵や四代目の、若さ、強さを見抜き、本腰を入れて、「四の切」の後
継を海老蔵や四代目に決めたのだとすると、歌舞伎ファンにとっては、まだまだ、未
熟ながら、強靱な若さを持った将来の忠信役者を誕生させたということだろう。ふた
りには、良きライバルとして、三代目の思い、つまり、体力の強靱さを、さらに、
テーマの強靱さに拡げて行って欲しい、という思いを受け止めて欲しい。06年11
月新橋演舞場の舞台から、08年7月歌舞伎座、さらに、10年8月歌舞伎座の舞台
と、2年ごとに演じられてきた海老蔵の「狐忠信」は、今月の四代目の舞台を観てし
まうと、実現しないのだろうと思うが、まだまだ、どちらかに決めずに、ふたりを競
わせて、より良き狐忠信を見せて欲しいとどん欲な観客は、思っているのではないだ
ろうか。海老蔵の狐忠信も、また、観てみたい。
- 2012年6月10日(日) 14:40:07
12年06月国立劇場 (鑑賞教室「俊寛」)


「俊寛」は、今回で12回目の拝見なので、劇評もコンパクトに記録しておきたい。
近松門左衛門原作の時代浄瑠璃で、1719(享保4)年、大坂の竹本座で,初演さ
れた。290年前の作品である。南海の孤島・鬼界ケ島が舞台。島の名前に「鬼」と
いう字があるように、現世の地獄のような島。ここで、都に似ていることと言えば、
太陽と月があるということだけと、門左衛門は、孤絶を強調する。

私が観た俊寛は、幸四郎(4)、吉右衛門(4)、仁左衛門、猿之助、勘三郎、そし
て今回が橋之助という顔ぶれ。橋之助の「俊寛」は、芝居にテンポがあり切れが良い
が、逆に、良すぎて余韻余白に乏しい。何とも劇評子は勝手なことを言うものだと我
ながら思う。「程よいのが良い」というのは、皮膚感覚に近いが、そういう感じが
残ってしまう。橋之助のテンポの良さは、本人に言わせれば、鹿ケ谷でクーデターを
謀った俊寛は、30歳代でバイタリティに溢れている、という解釈から、引き出され
ているようだ。それも良し。私には、2年ぶりの「俊寛」の舞台である。

この芝居のポイントは、いつも書いているが、俊寛の最後の表情の変化にある。

近松門左衛門は、「思い切っても凡夫(ぼんぷ)心」という言葉を書いて、犠牲の精
神を発揮し、決意して島に居残ったはずなのに、都へ向けて遠ざかり行く船を追いな
がら、「都への未練を断ち切れない」俊寛の、不安定な「絶望」あるいは、絶望の果
ての「虚無」を幕切れのポイントとした。

多くの役者は、遠ざかり行く船に向って「おーい」「おーい」という俊寛の最後の科
白の後、絶望か、虚無か、どちらかの表情をする。「半廻し」の舞台が廻って、絶海
の孤島の岸壁の上となった大道具の岩組に座り込んだまま、幕切れを待っている時の
表情のことだ。昔の舞台では、段切れの「幾重の袖や」の語りにあわせて、岩組の松
の枝が折れたところで、幕となった。

しかし、初代吉右衛門系の型以降、いまでは、この後の場面で俊寛の余情を充分に見
せるような演出が定着している。どの役者も、そこがやりがいと思って演じるので、
ここが、最大の見せ場として定着している。

なんどか書いているが、俊寛役者の幕切れの表情三態をまとめておこう。

(1)「ひとりだけ孤島に取り残された悔しさの表情」:「凡夫」俊寛の人間的な弱
さの演技で終る役者が多い。弱い人間の悔しさは原作のベースにある表情であろう。

(2)「若いカップルのこれからの人生のために喜ぶ歓喜の表情」:身替わりを決意
して、望む通りになったのだからと歓喜の表情で終る役者もいる。私は生の舞台を観
ていないが、前進座の、歌舞伎役者・故中村翫右衛門、十三代目仁左衛門が、良く知
られる。吉右衛門は、従来、虚無的であったのを変えて、最近の、07年1月歌舞伎
座の舞台では、「喜悦」の表情を浮かべた「新演出」だった。初めて、喜悦の「笑う
俊寛」を私は、この時、観たことになる。

(3)「一緒に苦楽を共にして来た仲間たちが去ってしまった後の虚無感、孤独感、
そして無常観」:苦悩と絶望に力が入っているのが幸四郎。能の、「翁」面のよう
な、虚無的な表情を強調した仁左衛門。仁左衛門は「悟り」のような、「無常観」の
ようなものを、そういう表情で演じていた。「虚無」の表情を歌舞伎と言うより現代
劇風(つまり、心理劇。肚で見せる芝居)で、情感たっぷりに虚しさを演じていた猿
之助。勘三郎演ずる俊寛の最後の表情も、(3)の系統で、「虚無的」な、「無常
観」が感じられた。これら多くの役者は、吉右衛門と違って、こういう傾向にあるよ
うに見受けられる。

この場面、台本に記された科白は「おーい、おーい」だけなのである。まず、この
「おーい」は島流しにされた仲間だった人たちが、都へ向かう船に向けての言葉であ
る。船には孤島で苦楽を共にした仲間が乗っている。島の娘と、ついさきほど祝言を
上げた仲間がいる。そういう人たちへの祝福の気持ちと自分だけ残された悔しい気持
ちを男は持っている。揺れる心。「思い切っても凡夫心」なのだ。時の権力者に睨ま
れ、都の妻も殺されたことを初めて知り、妻殺しを直接手掛けた男をさきほど殺し、
改めて重罪人となって島に残ることにした男が叫ぶ「おーい」なのだ。「さらば」と
いう意味も、「待ってくれ」「戻ってくれ」という意味もある「おーい」なのだ。別
離と逡巡、未練の気持ちを込めた「最後」の科白が「おーい」なのだろう。

これは、芝居の「最後の科白」でもあるが、俊寛の「最期の科白」でもある。ひとり
の男の人生最期の科白。つまり、岩組に乗ったまま俊寛は、この後、どう生きるのか
ということへの想像力の問題が、そこから、発生する。

橋之助はどうであったか。極めて、オーソドックスに演じていたように思うが、権力
者への反抗心を感じさせる幕切れの「睨み」は、彼なりの新解釈で、違うかもしれな
い。

仲間を乗せた船を舞台上手で見送ると、そのまま、客席の方に向き直る。客席上手方
向に船が行くという想定で演技をしている。船の移動に合わせて上手より下手に徐々
に移動し、舞台中央に来て、正面を向く。その後、一気に下手に移動。さらに、花道
七三へ。

花道揚げ幕方向から押し寄せて来た浪布に押されるようにして後ずさる。舞台の地絣
も大道具の手ではぎ取られて行く。下には、浪布が敷き詰められている。橋之助は一
気に中央へ。次いで、下手へ。そして、岩組へ登って行く。岩組はゆるりと廻り続け
ており、いつのまにか、岩組の下手は浪布ばかり。岩組が海原に浮かぶ孤島だと判
る。橋之助は一旦、岩組から滑り落ちる。再び登る。岩組が舞台中央に止まる。岩組
に登り終わった橋之助の俊寛は、遠くなった船影を見ながら視界を遮る岩組の上に生
えた松の枝を折る。折った枝を無造作に後ろの海へ投げ捨てる。ここは、いつもと
違っている。これに似た場面は、一度だけ観たことがある。

10年2月の歌舞伎座。勘三郎の俊寛は折った松の枝を下へ、舞台の上手の方向へ、
突き飛ばしていた。「海中」に落ちた松の枝というのは、私は、この時初めて観た。
今回は、さらに、枝を投げ捨てていた。もっと、積極的な行為だろう。

橋之助は、「おーい、おーい」と言い続けていたが、枝を投げ捨てた後は、泣いてい
た(虚無感より、悔しさが、感じられた)。やがて、泣き止んで黙り込むと、右手を
上げて船影を睨みつける。未だ、権力者清盛への反抗心が消えていないのだろう。上
使暗殺という罪を負って、ひとりだけ鬼界ヶ島に居残り続けることになる覚悟に揺ら
ぎはないようだ。

大向うからは、「成駒屋」「三代目」などと声が掛かる。下座では、「千鳥の合方」
が演奏され続けている。浪が押すように高く、あるいは、引くように低く……
(幕)。

ほかの役者では、まず、瀬尾。憎まれ役の瀬尾太郎兼康を演じる役者は、ほんとう
は、得なのである。あれだけ、憎々しい役を演じれば、観客に印象を残す。逆に、高
みの見物を決め込み、舞台展開の、その時は、観客から同感され、拍手される丹左衛
門尉基康より、劇場を離れてもなお印象が残るのは、憎々しい瀬尾太郎兼康である。
ふたりは、時の権力者・平清盛の配下。私が観た瀬尾は、左團次(5)、段四郎
(4)、富十郎、彦三郎、そして今回は、團蔵。丹左衛門は、梅玉(4)、九代目宗
十郎、吉右衛門、歌六、三津五郎、芝翫、富十郎、仁左衛門、そして今回は、権十
郎。瀬尾と丹左衛門は、特定の役者以外は、皆、1回ずつしか見ていない、というこ
とは、はまり役としている役者とそうでない役者で、随時演じ分けているという傾向
が見て取れる。

鑑賞教室ゆえ、抜擢の配役。いつも脇で演じている芝喜松と芝のぶにも、大きな役が
廻っていて、良かった。芝喜松は今回、平康頼(砥粉塗り)。芝のぶは丹波成経(白
塗り)で、千鳥の恋人。いつもの女形の色気とは違う好青年ぶりも良い。科白廻しも
良い。いずれも、鹿ヶ谷のクーデター謀議では、俊寛の仲間。配役の番付が、橋之
助、児太郎、芝喜松、芝のぶと並ぶのが嬉しい。

もうひとり、印象に残る役は、千鳥であろう。松江時代を含む魁春(4)、福助
(3)、亀治郎、孝太郎、芝雀、七之助、そして今回は、福助長男の児太郎。児太郎
は、まだまだ、所作が固い。初々しい娘なりの色気も欲しいが、それを感じさせな
い。声も、不十分。本来ここは、「鬼界ヶ島に鬼は無く」と千鳥の科白。後は竹本が
引き取って、「鬼は都にありけるぞや」と繋がる妙味。千鳥のひとり舞台の見せ場な
のである。若い児太郎は、雀右衛門の千鳥が目標という。その意気や良し。今後の精
進と成長ぶりを愉しみとしよう。

竹本の谷大夫は、体を前後に振っての熱演ぶりで彼も印象に残る。
- 2012年6月6日(水) 11:19:28
12年05月国立劇場・第二部(「傾城反魂香」「艶容女舞衣」「壇浦兜軍記」)


国立劇場は、あすが、千秋楽。
第二部は、いずれも、歌舞伎で馴染みのある演目であり、人形浄瑠璃では、「艶容女
舞衣」以外は、初見なので、歌舞伎と人形浄瑠璃との違いで、私が気付いたことを記
録しておきたい。


改作「傾城反魂香」の舞台

「傾城反魂香」は1708(宝永5)年、大坂・竹本座で初演された。後に、171
9(享保4)年歌舞伎化されている。この舞台で、近松門左衛門原作のお家騒動もの
から脱して、又平は主人公に躍り出た。歌舞伎では、何回も観ているが、人形浄瑠璃
で拝見するのは、私は初めて。歌舞伎との違いをチェックしておきたい。

「傾城反魂香」では、歌舞伎との違いで、最初に気がついたのは、修理之介が絵から
抜け出て騒がせている虎を筆で消す場面。歌舞伎では、将監の屋敷から外に出た修理
之介が竹藪に潜む虎と正対して、筆で消すが、人形浄瑠璃では、屋敷の部屋の中に居
たまま、虎の絵には、横向きで虎を消していた。また、歌舞伎では、師匠の将監から
名字帯刀を許された後、浮き浮きとしながら、正装の裃袴姿に着替えるが、人形浄瑠
璃では、着替える場面がない。又平は、初めから裃姿。

さらに、又平が描き、手水鉢突き抜けて、向こう側に自画像の姿絵(女房の勧めで、
又平は手水鉢を墓の石塔と想定し、戒名の代わりに自画像を描いて、自害しようとす
る場面)が浮き上がるが、その手水鉢を将監が斬ると又平の吃りが治るという奇蹟の
場面がある。「直った直った」。また、又平が早口言葉を言って、吃音が治ったこと
をことさらに強調している。「傾城反魂香」は歌舞伎作者から人形浄瑠璃作者に転じ
た近松門左衛門が歌舞伎味を活かしながら、人形浄瑠璃の台本を書いた。門左衛門原
作を、後に吉田冠子(人形の三人遣いを創案した人形遣の吉田文三郎のペンネーム)
らによって、又平の見せ場(人形の動きを重視した)を増やすために改作されている
が、今回は、その改作の台本を使用しているので、吃音が治り、早口言葉を言う場面
が出て来る。

さらに姫君救出の命を受けた又平が、肩衣の両肩を脱いで出立するが、歌舞伎では、
正装で出かける。歌舞伎で12回観て来たので、初めて観る人形浄瑠璃の場面展開
は、未だ、馴染めなかった。竹本は、切場を住大夫が語る。人形遣は、又平を玉女、
女房のおとくを人間国宝女形遣の第一人者文雀が遣う。

歌舞伎では、人間国宝の吉右衛門の又平が、手水鉢に自画像を描き、1尺余(30セ
ンチ以上)の石を抜けて、向こう側に絵が抜き出る場面で、「かかあー、抜けた!」
という吉右衛門の科白廻しは、追従を許さないという印象があるが、竹本が、淡々と
語るだけで、ここは、歌舞伎の演出と人形浄瑠璃の演出の違いの象徴的な場面だろ
う。


「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」はミステリアスな舞台。

「艶容女舞衣」は1772(安永元)年、大坂・豊竹座で初演。竹本三郎兵衛、豊竹
応律、八民平七(何やら曰くありげなペンネーム)という、今では人物の詳細が判ら
ない作者たちの合作。通称は、「酒屋」のほかに、「三勝(さんかつ)半七」。見せ
場の「酒屋の段」が、歌舞伎化されたのは、明治に入ってからという。作品成立の経
緯も良く判らないが、「去年の秋の煩(わずら)ひに……」や「今頃は、半七様(は
んしっつあん)、どこにどうしてござろうぞ」という竹本の語りが人口に膾炙してい
るのもミステリアス。

「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)〜酒屋〜」は歌舞伎と人形浄瑠璃で、私
は1回ずつ観ている。今回の人形浄瑠璃は2回目。歌舞伎では、上演回数が少ない上
方の世話物。歌舞伎独特の見どころの一つは、同じ役者がお園から半七へ、早替わり
する場面。人形浄瑠璃では、真似の出来ない歌舞伎味がある。

親の世代の価値観と息子・娘の世代の価値観との間に引き裂かれたが故の悲劇が、
テーマ。封建時代の価値観は、「親の誠」を強調する。子供の危機を親の価値観だけ
で、乗り切ろうとして悩む。そういう意味では、古くさい封建的なテーマの演目なの
だが、なぜか、そういう「情宣的な」意味合いを忘却してしまうおもしろさが、この
演目にはある。この近代性はなんだろう。

まず、人間関係を整理する。酒屋の「茜屋」主人・半兵衛と息子の半七。半七には、
妻のお園のほかに結婚前からの愛人で、女舞の芸人・三勝(さんかつ)と二人の間の
娘・お通が、いる。これが、悲劇のもと。半七と三勝を添わせていれば、芸人が、酒
屋の跡取りの女房という課題は、いずれ、直面するとしても、両親と子供のいる夫婦
という家族は、なんの懈怠もない。なのに、両親は、芸人の嫁入りを認めず、親の価
値観で、息子の嫁を決めて、押し付けた。息子は、家を出てしまい、家に寄り付かな
い。娘の嫁ぎ先の婚家の状況を知ったお園の実父の宗岸(そうがん)は、娘婿の不実
に怒り、娘を実家に連れ戻してしまう。三勝には、自分の父親の代からの借金があ
り、妾奉公の話が持ち上がっている。半七は、親に相談できないから、友人の善右衛
門に借金を申し込むが、三勝に横恋慕している善右衛門との葛藤から、半七は、善右
衛門を殺してしまい、お尋ね者となってしまう。悲劇は、悲劇を生み続ける。

実家に戻っても、半七を恋い慕い、泣き暮れる娘のお園を不憫に思い、実父の宗岸
は、お園を婚家に連れて、恥ずかしながらと、復縁を願いに行く。義母は、温かく迎
えてくれるが、なぜか、代官所から戻ったばかりという義父は、一旦実家に戻ったの
だから、婚家には、入れないと冷たい。しかし、義父の半兵衛は、この時、既に、息
子・半七の犯行を知っていたので、嫁のお園をいずれは、死刑になる犯罪者の連れ合
いにしたままにしておけないと、心を鬼にしての振る舞いだった。半兵衛が、着物を
脱ぐと、その下は、縄で、縛られている。逃走中の息子の代わりに親が、懲罰を受け
ていたのだ。息子が、捕まらない限り、親の縄目は、ほどかれない。

双方の親たちは、お互いに、息子や娘たちに尽くそうとばかりする。それでよいの
か、というのは、現代の価値観。原作では、子どもたち抜きの「親の誠」とばかり
に、親を持ち上げる。義父母も実父も、お園の将来を考えてということで、奥に引き
こもり、善後策を練る。娘・嫁を無視して、親たちだけで対策を練るところが、この
時代らしい。

「跡には園が憂き思ひ」で、お園は、抱き柱で、クドキとなる。性生活を拒否された
妻の閉塞感のまま夫を案じる。「今頃は半七様(はんしっつあん)、どこでどうして
ござろうぞ。今更返らぬことながら、私(わし)といふ者ないならば、舅御様もお通
に免じ、子までなしたる三勝殿を、とくにも呼び入れさしやんしたら、半七様の身持
ちも直り御勘当もあるまいに、思へば思へばこの園が、去年の秋の煩(わずら)ひ
に、いつそ死んでしまふたら、かうした難儀は出来まいもの。お気に入らぬと知りな
がら、未練な私が輪廻ゆゑ」という、人口に膾炙した名科白が語られる。この名科白
で、外題のテーマが、逆転してしまう。お園には半七への恨みは無く、自分が、半七
と三勝の間に入って来たことが、全ての原因と、自分を責める。今なら、自立心の無
い女性と非難されるかもしれないし、ここまで、自虐的になると、今の若い人たちの
ように「鬱病」を発症しかけないなと、余計な心配をする。

お園(首=かしらは、娘)を操るのは、人間国宝で、女形遣の第一人者簑助。前回観
た時は、同じく人間国宝の文雀。文雀の時、主遣として、お園を操っているというよ
り、文雀は鬱病のお園を気遣い、ひたすら、お園に添い従っているだけのように見え
る。それほど、人形は、独立して、生きているように見えた。簑助は、むしろお園の
出番ではない時の、繋のきめ細やかさ。「待ちの場面」での気遣いが細かいのだ。空
閨に耐え抜いているお園の切なさ、苦しさを絶えず、表現し続けているように思え
た。震え続けるお園の顎の動き。女形名人の至芸だろう。

お園が、座敷から、外へ身を乗り出し、外から座敷を見るために、後ろ姿になる場面
では、座敷と外の境で、足遣が、別の担当者に交代した(いわば、四人遣か)。さら
に、後姿を客席に見せるお園の「後ろ振り」を簑助は、左手の主遣いだけで右手を放
し、颯爽と見せる(人形の右手は、左遣が支えている)。前回の文雀は、まるで、お
園を優しく抱きしめるようにしていた。簑助は、お園を支え上げて、きりりと自立さ
せたように見える。簑助は見せ場の華やかさ優先と観た。お園が、再び、座敷に上が
ると、足遣が、元の担当者に戻った。

お園が、自分を責めていると赤子のお通が、奥から、はい出して来る。ここで、お園
も、赤子が、お通であることを知る。親たちも、それを知り、慌てる。お通は、一人
遣で若い玉彦が操る。お通が身につけていたお守りの中を見ると、半七が書いた「書
き置き」が出て来る。そこには、半七が、善右衛門を殺めてしまったこと、お通のこ
と、両親への感謝、お園には、未来で夫婦になろうなどと書いてある。孫のお通を抱
き上げ、悲嘆に暮れる半兵衛夫婦。未来の夫婦という夫の言葉を心のよりどころに、
夫の行く未を案じるお園。息子と嫁の価値観は、はなから、世間体を優先する親の価
値観に負けてしまっている。

やがて、下手から、手拭いで頬被りをした男と紫頭巾で顔を隠した女が、登場する。
追っ手を逃れて、実家の様子を窺いに来た半七と三勝のふたり連れ。店の外には、茶
の縦縞の衣装を着た半七が、己が名乗り出て捕縛されるなりしないと、親の縄目が解
けないので、黒地の喪服のような衣装の三勝とともに、これから、心中をしようと覚
悟している。陰ながらの暇乞い。死に行く息子の別れの儀式である。

頭巾をとり、顔を見せて、乳が張ると胸を押さえる三勝が、哀れ。店のうちでは、ひ
もじいと泣く娘のお通。年老いた親たち、子の無い嫁では、赤子に乳も与えられな
い。「アアとは云うものゝ乳もなく」と婆。木戸の外では、その声を聞きつけて、
「乳はここにあるものを、飲ましてやりたい、顔みたい」と三勝。「悲しさ迫る内と
外」。木戸を挟んで、ふたつに引き裂かれた悲劇が、上手と下手という別々の空間を
形成しながら、同時に進行するのも、おもしろい。視覚的で、説得力がある。ここ
が、この演目の演劇的な近代性ではないかと思っている。

もうひとつの近代性。芝居の物語や価値観は、無名の作者の合作だけに、どちらかと
いうと、紋切り型なのだが、伝えられる情報の意味内容というようなものを越えて、
現代の私たちの心に響いてくるものがあるように感じられる。封建的な価値観を見せ
つけられていながら、そういうものを問題としない、普遍的なもの。それは、苦境の
悲しみにも人間の営み故の、美しさがあるということだろうか。原作者たちは、歴史
的には無名だが、誰かが、「憑依」の状況に陥って、この作品を書き上げたのではな
いか。その「憑依」が、歌舞伎のように、生身の役者ではなく、時空を超えうる人形
という形をとることで、情報の実際的な意味内容を越えて(あるいは、消し去っ
て)、感性としてのみ、私の胸に鋭く突き刺さってくるのかもしれない。

贅言;(ミステリー・1)。謎の女。女舞の芸人美濃屋三勝は、当初、謎の女として
登場し、酒屋の「茜屋」で、贈答用の酒を買い、丁稚に配達を頼み、途中で、自分が
抱いて来た赤子を丁稚に預けたまま、姿を消してしまう。最後の場面、「大和五条の
茜染め、今色上げし艶容。その三勝が言の葉をここに、写して留めけれ」で、幕。竹
本の床本に三勝の「艶容(はですがた)」とあるのを見ると、外題の「艶容女舞衣」
には、「女舞」の芸人・三勝のことばかりが、書かれているのが判る。いまの舞台で
は、初めと終わりにしか出てこない三勝だが、通称は、「三勝半七」なのだ。元禄年
間に、実際にあった心中事件を素材にしている「三勝半七の世界」というのが、正
解。本当は、半七の書き置き(ミステリーの謎を解く鍵)を皆で読む場面が、見せ場
だったのだが、派手な節回しの「今頃は半七様……」というお園のクドキが、ポピュ
ラーになり、いつしか、主客逆転。従って、外題には、いまでは実質的な主役となっ
ているお園の気配が少しも入っていないという辺りが、かえって、私には、おもしろ
い。

このほか、宗岸(首=かしらは、定の進)は紋寿。半兵衛(首=かしらは、舅)は玉
也。半兵衛女房(首=かしらは、婆)は勘寿。半七(首=かしらは、源太)は勘市。
三勝(首=かしらは、娘)は紋臣。

竹本は、中が松香大夫、次いで、情味の嶋大夫。嶋大夫は、相変わらの熱演で、切の
源大夫に繋ぐ。このところ体調不良で、途中で交替したり、休演したりが目立った源
大夫が最後まで語り終えた。盆廻しで登場した源大夫が、事前に気合いを入れていた
のが、痛々しい。しかし、声量や体力の衰えは隠せない。

贅言;(ミステリー・2)。玄関と暖簾口。茜屋には、玄関(自宅)と暖簾口(店)
が並んでいる。主人と客は、玄関から出入りをし、丁稚の長太は、暖簾口からで入り
していたので、そういう区別があるのかなと思っていたら、長太も後の方では、玄関
から出入りしていたので、これもミステリー。

今回印象に残ったのは、お園の実父の宗岸。父親同士の科白。
「半七が身の難儀。こなたも勘当してしまひ、おれも娘を取り戻したら、親にかゝる
首綱もなく、よいことしたと世間から、褒める人もあろうが、親となり舅となるが、
マヽヽ大抵は深い縁かいなう。かういう仕儀になつた時は、ほめらるゝより笑はれる
が親の慈悲」という価値観。世間から褒められるより、笑われる親になりたい。娘へ
の愛情優先、親としての危機管理か。


木の節の指を遣って、三種の楽器を演奏するように見せる妙味

「壇浦兜軍記」は、1732(享保17)年、大坂・竹本座で初演。文耕堂、長谷川
千四の合作。翌年、歌舞伎化された。全五段に時代物だが、「琴責」という趣向で人
気演目となり、この場面のみが、伝えられた。「壇浦兜軍記」は、歌舞伎では、何回
か観ているが、人形浄瑠璃では、今回が初見。歌舞伎では、玉三郎のみが、五条坂の
遊君・阿古屋を演じる。以前は、六代目歌右衛門が演じたが、当代では、玉三郎以外
は、演じない。ほかの女形は、胡弓の演奏ができないからだと言われる。

人形浄瑠璃「壇浦兜軍記」では、人形遣たちは、どの人形も主遣いは皆、肩衣を付け
ている。中でも、阿古屋を操るのは、出遣いで、皆、顔を見せている。阿古屋の主遣
は勘十郎、左遣が一輔、足遣は、人形の足元にいる故に判定できず(主遣以外は、と
も筋書に名前なし)。舞台は、堀川御所。源氏方笹竜胆の家紋が光る。

この演目のテーマは、「女は強し」で、平家の残党で恋人(事実上の夫)・景清の行
方を追及された阿古屋は、堀川御所禁裏守護職の知将・秩父重忠(人形遣は和生)の
妙策「琴責」(「琴、三味線、胡弓」の演奏ぶりで、供述を得よう)という奇抜な趣
向の妙手の狙いをくぐり抜けて、心の動揺も見せずに、景清を守り抜く。

まあ、それだけの場面。切場でもないのに、人形による三種の楽器の演奏振り(舞台
から離れた床では、鶴澤寛太郎が、演奏を担当する)で人気の場面になっている。木
の節で繋がった人形の指が滑らかに演奏しているように見せる妙味があるからだろ
う。

阿古屋は、琴の演奏では、「菜蕗(ふき)」で、懐かしい夫との馴初めを伝えなが
ら、夫の行方は知らないと主張する。「影といふも、月の縁。清しといふも、月の
縁。かげ清き、名のみにて、映せど、袖に宿らず……」。

重忠「シテ景清とその方が馴初めしは」と問えば、阿古屋「何事も昔となる恥づかし
い物語」で、黒地に牡丹が描かれた打ち掛けを脱ぎ、帯を解き、細引き一つのエロ
チックな姿になる。

阿古屋の色気に負けぬ重忠「聞き届けしが詮議は済まぬ。この上は三味線を引け
い」。次いで、三味線の演奏で、「班女」を取り上げ、「翆帳紅閨に、枕並ぶる床の
うち。……、それぞと問ひし人もなし」、独り寝の寂しさを表わす。さらに、胡弓の
演奏では、「相の山」「鶴の巣籠」で、「夢と覚めては跡もなし」、夫を思う切なさ
を奏でる。三種の楽器の演奏の世界に没入し、知将・重忠の陥穽に陥らないように阿
古屋はしたのだろうと思う。エロチックな姿になったのは、重忠を悩ますという意図
よりも、景清との寝間の思い出をかきたてる己への作戦だったのではないか。

重忠「阿古屋が拷問只今限り。景清が行方知らぬと云ふに偽りなき事見届けたり。こ
の上には構ひなし」で、体を張っての抵抗で阿古屋は、無罪放免される。

阿古屋を操った勘十郎は、いつものように動きにメリハリがあるが、簑助がお園でみ
せたような情の表現での細やかさは無い。阿古屋も、耐えている細やかさが必要だろ
う。これが、この人の今後の課題だろうと思う。寛太郎の演奏振りと勘十郎の演奏場
面の阿古屋の操りぶり、特に、手や指の動きは、さすが、素人目には、人間も人形も
同じように見える。

前半では、重忠の家臣・榛沢六郎が、阿古屋を詮議するが、重忠と同席に並ぶ岩永左
衛門が、手ぬるいと決めつける。「知らぬ事は是非もなし。……、いっそ、殺してく
ださんせ」と身を投げ出す阿古屋。阿古屋も、「八陣守護城」の雛絹も、口では、そ
ういう科白を吐くが、どうしてどうして、辛抱強い。「いっそ、殺して」は、人形浄
瑠璃や歌舞伎の科白の常套句で、よく耳にする。そこで、重忠は、先の「琴責」を思
いつくという段取り。

阿古屋の演奏振りが見せ場だが、物語的には、これで終わりというそれだけの場面。
実は、今回、この演目の歌舞伎にはない人形浄瑠璃のおもしろさを発見した。岩永左
衛門がおもしろいのだ。

「琴責」の前に、岩永は「阿古屋めに水喰らはす用意用意」と呼ばわっていたが、重
忠が「玉琴、三味線、胡弓」を持って来させると、「コリヤなんぢや」と嘲弄する。
それなのに、阿古屋の演奏が次々と披露されるとその演奏に乗って阿古屋の演奏振り
の真似をしたり、奏でられる音楽に感心して聞き入ったりする仕草をする。

岩永の人形遣は、玉志。その操りは、岩永の「邪智佞奸」よりも、「虎の威を借る
狐」の滑稽振りを強調しているように思えて、おもしろい。阿古屋の演奏をなぞるよ
うな動作を続けて、客席から笑いを取っていた。

竹本の床本には、「岩永は拍子もなく調子も乗らぬ三味線の、…… 秩父は正しき本
調子」とあるばかり。玉志の工夫なのか、ほかの人形遣も、岩永を操る時は、こうい
う演出を使うのかどうか知らない(多分、後者だろう)が、拷問、陣門という、この
場面で、この演出、歌舞伎より楽しめた。

竹本は、阿古屋が津駒大夫、重忠が千歳大夫、岩永が咲甫大夫、榛沢が南都大夫の掛
け合い。三味線は、寛治、ツレ喜一郎、三曲寛太郎。
- 2012年5月27日(日) 15:15:22
12年05月国立劇場・第一部(「八陣守護城」「契情倭荘子」)


「八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)」。中国伝来の「八陣」という遊軍を
活かした戦略で、肥後本城(ひごのほんじょう=しゅごのほんじょう)を守った加藤
清正の物語。1807(文化4)年、大坂道頓堀大西芝居が初演。全十一段の時代
物。小田軍が北条軍と闘い、正清が本城を死守したという筋立て。加藤正清(加藤清
正)ものの世界。

今回は、四段目(門前の段、毒酒の段、浪花入江の段)と八段目(主計之介早討の
段、正清本城の段)が、上演された。結構、ミステリーな芝居だ。ミステリーぶり
は、順次、解明しよう。

私は、歌舞伎でも人形浄瑠璃でも、初見の演目なので、記録を兼ねて筋立てもコンパ
クトに書いておきたい。史実の加藤清正は、ここでは、加藤正清。忠臣・加藤正清は
小田家の若君・春若の守役で、春若は史実の豊臣秀頼。

ほかの登場人物を史実に当てはめてみると、北条時政(春若の後見役)が徳川家康、
船頭に扮していた軍師・児嶋(ごとう)元兵衛が後藤又兵衛、加藤の嫡男・主計(か
ずえ)之介が加藤忠広、時政の重臣・森三左衛門が池田三左衛門、隣国の軍師・大内
義弘は島津義弘をモデルにしている。

つまり、大雑把に言えば、北条時政―森三左衛門対小田春若―加藤正清・主計之介と
言う対立軸に加藤側の助っ人軍師/児嶋元兵衛、大内義弘が絡む。これに、森三左衛
門の娘・雛絹と主計之介の恋がぶら下がっている。

「花の都の東山……」(竹本)。「門前の段」では、桜が満開の東山仮御所の門前で
の下手から現れた正清(人形遣は、玉女)と上手から現れた森三左衛門(人形遣は、
和生)の出会いが短く描かれる。御所では、正清の幼い主君・春若への将軍宣旨の詔
がある。勅使を迎える準備をしている。幼君の後見役の重臣と守役なら協力して当た
り前だが、実は、三左衛門の主君・時政は、幼君を亡き者にし、己が天下を掌握しよ
うという野望を持っている。忍び寄る危機を感じ取っている正清は幼君を本国に留め
たままの代理出席で、勅使を迎えようとしている。正清のそういう気持ちを滲ませる
伏線の舞台。門前の書割が上がると……。


ミステリー・1)「毒酒の段」。加藤正清は、毒酒を呑んだのか、呑んだ振りをした
のか。「八陣」とは、今日的にいえば、「ミステリー戦法」とでも言えば、イメージ
が合うかもしれない。

「毒酒の段」が、最初の見せ場。前段は、雛絹(上手から登場。人形遣は、清十郎)
と主計之介の仲を妬み、雛絹に横恋慕する時政の家臣・鞠川玄蕃(人形遣は、玉佳)
でチャリ(笑劇)場。玄蕃の横恋慕を雛絹の母(三左衛門の妻)柵(しがらみ、人形
遣は、簑二郎)が、たしなめる。勅使接待の御馳走役の主計之介(人形遣は、勘弥)
が見回りに来る。恋人を口説く雛絹。再び現れた玄蕃はふたりの仲を不義密通だと騒
ぎ立てる。そこへ現れたふたりのそれぞれの父親・正清と三左衛門は、なぜか、不義
の咎とばかりに息子と娘をそれぞれの親が手討ちにしようとする(この辺りは、封建
的で違和感がある)。若いふたりの救いの神はなんと時政(人形遣は、玉輝)。奥か
ら現れ、ふたりを、いまから夫婦にしろという。夫婦なれば、不義ではない。不義
は、不倫(婚外)ということだったのだろう。夫婦になれたふたりは時政に感謝をす
る(時政になにか下心があるのではないか)。さらに、時政は、直後に癪(腹痛)を
起こして苦しみ出す。勅使迎えは、重臣で、雛絹の父親・三左衛門が代理で対応する
ことになった。策士・時政はなにやら戦略を考えているようだ。

勅使がやって来る。春若を将軍に任じるという。若い将軍なので、後見役を正式に時
政に命じる。儀式として春若の代理役の正清と時政の代理役の三左衛門に「天盃」が
手渡される。正装で天盃の酒を呑むふたりの代役たち。この場面が、ミステリーで
あった。先に呑んだのは三左衛門、次いで呑んだのが正清だが、三左衛門はあきらか
に呑んでいた。しかし、正清は、袂で盃を隠すようにしていたので、実際に呑んだの
かどうか、客席からは判りにくくしていた。実は、これは劇中の人々を騙し、観客を
騙す演出方法なのであった。というのは、この酒は、時政が仕込んだ毒酒だったから
だ。先に苦しみ出した三左衛門の様子を見て、正清は、毒酒と承知で呑んでいるとい
う演出もあるという。

勅使が帰り、正清も息子の嫁となった雛絹を連れて国元に帰るために立ち去る。する
と、三左衛門の具合が悪くなり、苦しみ出す。奥にいる時政に向けて「正清を謀り、
本懐だろう」というのである。奥から姿を現した時政は、逆心を明らかにし、春若の
忠臣・正清を亡き者にし、天下を握ろうというのだ。主君・時政の謀略を知りなが
ら、三左衛門は毒酒を呑んだのだ。命を投げ出して主君に諌言する三左衛門。聞く耳
を持たない時政は、家臣の早淵久馬に追跡をして正清が死んだかどうか、確認しろと
命じる。時政のこうした態度に抗議して、三左衛門切腹をしてしまう。雛絹は、主計
之介と添えた喜びもつかの間、実父を失ってしまう。舅は果たしてどうなるのか。三
左衛門同様に、やがて毒が回り、亡くなってしまうのかどうか。というところで、
幕。


大道具が、ダイナミックな舞台展開

「浪花入江の段」は、人形浄瑠璃の大道具としては、大仕掛け。幕が開くと、浅黄幕
が舞台全面を覆っている。振り落しで、大海原。朱塗りの大きな船が登場する。障子
が開くと、船には、正清と嫁の雛絹が乗っている。毒酒を呑み、体の異常に耐えてい
る正清だが、それらしくは見えない。下手より時政の使者・早淵を乗せた舟が近づい
て来る。正清の生死確認のためだが、元気そうな正清を見て驚く。同じ毒酒を呑んだ
筈なのに三左衛門は亡くなり、正清は異常なさそうなので不審がりながら、下手に引
き返して行く。船中では、雛絹に琴を弾かせ、盃を傾ける正清。琴の演奏は、今回の
第2部の「壇浦兜軍記(阿古屋の琴責)でも、披露される。ここは、琴演奏は、床の
鶴澤清公。木で節を繋いだ人形の指で琴を演奏しているように見せるのが、人形遣の
力量。清公の演奏に合わせて挑戦するのは、豊竹清十郎。


ミステリー・2)舳先で大笑いする正清は、元気!?

次いで、鞠川も早船で追いかけて来る。時政からの餞別を届けに来たというのが口実
で、やはり、正清の生死を確認に来た。餞別の鎧櫃を船に載せる。鞠川も不審げに引
き返す。鎧櫃には、曲者が潜んでいて、正清暗殺に飛び出して来る。曲者を蹴倒し、
海中へ落とす。正清は、気分が悪くなり、懐紙で口を覆った後、懐紙を海中に捨て
る。懐紙には、血の跡がついている。顔色が悪くなった正清に気がついたのは、雛絹
だけ。観客のうち、どれだけの人が懐紙の血痕に気がついたかどうか。正清は、船の
正面を向き、舳先に移動する。船が、廻り舞台のように鷹揚に廻る。「アア、コリ
ヤ、船子ども清めの船唄々々、ムムハハムムハハハハは」水夫たちに船唄を歌わせ、
「毛剃」の九右衛門のように舳先に立ち尽くし、気丈にも大笑いする。この段の竹本
は、役割分担の掛け合い。正清は、英大夫。幕が閉まり、盆が廻っても、英大夫の声
が響いて来る。乱世に生きる武将の逞しさ。


ミステリー・3)「主計之介早討の段」。病気治療か物忌みか。毒酒を呑んでも、1
00日間生長らえた男・加藤正清。

ここでは、物忌みと称して正清は、別間で百日の引きこもりを続けている。きょう
が、ちょうど100日目。満願の日だ。病気の噂を打ち消そうという策略が、百日の
物忌み。毒酒を呑みながら、100日間も生き延び続けている超人が、正清という設
定だ。病か、本当の物忌みか。時政側は、真相を知りたがる。正清の身辺には、嫁の
雛絹しかを近づけていない。妻の葉末も別間の障子越しにやり取りするだけ。妻にも
真相は知らせていない。時政の命を受けて鞠川が、様子を見に来る。隣国の軍師・大
内義弘(人形遣は、勘寿)を連れて来る。大内は鞠川の目を盗んで葉末に正清の様子
を聞く。

さらに、正体不明の自称船頭という灘右衛門(人形遣は、玉也)が見舞いと称して訪
ねて来る。酒樽と藁包みを持参し、酒樽を大内の頭上に投げ渡す猛者ぶり。大内も灘
右衛門も星の異変から正清の身を案じて訪ねて来たのだ。

さらに、主計之介も早駕篭(早討ち)で到着する。時政の命で父・正清の様子を見に
来たのだという。「最早ご逝去なされたか」と母親の葉末に尋ねる。正清に付き添っ
ている雛絹に聞くのがいちばんだと息子に教える葉末。


ミステリー・4)「正清本城の段」。騙すのは、まず、家族から。騙されるのは、時
政と観客。

「正清本城の段」。1時間を切場を咲大夫がひとりで語り切る。正清が引きこもる別
間の庭に忍び寄る主計之介。別間の障子は締め切られている。別間の上手横の出入り
口から庭へ出て来た雛絹。別れたままの夫に逢えて喜ぶ雛絹に正清の様子を訪ねる主
計之介。食も細り、草の根を食べていると教える若妻。陰で聴いていた葉末も上手か
ら姿を見せる。

そこへ下手から多数の鼠が差し金で操られて現れる。木戸が、下手に片付けられる。
鼠たちは雛絹が出て来たところから、別間に侵入する。障子が開かれ、百日の物忌み
の結果、「百日」の鬘姿。正清が姿を見せる。妖術で鼠に化けていた鞠川が正体を顕
す。正清は鞠川を散々懲らしめ、「正清は存命」と時政に伝えるようにと告げて、鞠
川を解き放つ。

主計之介は、時政から預かったという書状を父・正清に渡す。春若君の守護もせず
に、時政の使いになって父親の様子を見に来るとはけしからんと怒る正清。雛絹が恋
しいかと、書状を見もせずに引き裂く。主計之介は妻の雛絹にもベユの書状を渡して
去って行く。

書状を見て泣き出す雛絹。下手から実母の柵(実は、主計之介とともに、正清生死確
認の密命を帯びている。早駕篭の主計之介より遅れて到着)が「がんどう(強盗提
灯,龕灯)を持って現れる(夜中に遅れてやって来たということか)。柵は、「熊谷
陣屋」の相模のように、子の死に目に遇うためにやって来たようなものだ。主計之介
の書状は雛絹への離縁状だった。雛絹との縁結びをしたのは時政だったので、雛絹と
離縁をすることで、時政への恩を捨て、春若君に忠義を尽くそうということだと判
る。父の三左衛門も亡くなり、夫の主計之介にも去られて絶望した雛絹は、懐剣で自
害しようとする。

実母・柵と義母・葉末が雛絹をかき抱いて泣き叫んでいると、再び、別間の障子が開
いて、鎧兜に身を固め、手に白旗を持った正清が登場する。白旗には、「南無妙法蓮
華経 加藤主計之介清郷 妻雛絹」と墨痕も鮮やかに書かれている。父親は息子が幼
い主君のために討ち死にする覚悟であると悟り、雛絹にあの世で息子・主計之介と添
い遂げよと伝える。それを聞き心穏やかになった雛絹は息絶える。正清の顔色が青ざ
める。人形の首(かしら)の目の下が一瞬のうちに青くなる。

一同が嘆いていると、船頭の灘右衛門(丹前を着て、頭には、手拭いを巻いている)
が、下手から状箱を持って駆けつける。主計之介が何者かに攫われたと告げる。上手
から大内義弘も先ほどの藁包みを持って現れる。藁包みからは、名剣「七星丸」が出
て来る。剣は灘右衛門、実は、児嶋元兵衛(馬簾付きの豪華な四天姿に変わる)に渡
される。状箱に入っていた書状によると、主計之介は小田方の佐々木高綱に保護され
たと判る。天井より、北斗七星が、降りて来る。

正清は、百日の満願で、大内と児嶋のふたりの軍師が味方につき、春若守護に見通し
がついたと青ざめた顔で喜びながらも苦しむ。緊張感で押さえ込んでいた毒が全身に
廻り始めたのだろう。ここが、この芝居の見せ場。

別間の大道具が、奥へ引き下がる。大内と児嶋は、上手へ。天井から城門の書割が降
りて来て、城外へと場面展開。すると、上手から下手へ、大内、児嶋らが行く。城門
がセリ下がって、舞台奥から見えて来たのは天守閣。天守閣に登っているのは正清。
下手より、大内、児嶋らが登場。正清は、間近に迫った死期を悟りながら、大内、児
嶋らの一行を見送るのであった。

贅言;人形浄瑠璃の舞台としては、珍しく大道具が活躍し、舞台がダイナミックに展
開するのも、見どころ。廻り舞台が使えない人形浄瑠璃の舞台だけに、引き道具の使
い方を工夫しているのだろう。

この演目の原作者は、中村魚眼、佐川藤太の合作。作者たちの人物詳細は判らない。
無名の作者たちの作品が、歴史の波に呑み込まれずに生き残る。これも、そのひと
つ。ただし、私などは、芝居が主張する男の論理を軸にした作者たちの価値観には、
違和感を感じる。雛絹の母、柵を応援してしまう。


「契情倭荘子(けいせいやまとぞうし)」蝶の道行。珍しい死後の世界の道行きとい
う所作事の演目。1784(天明4)年が初演。最初は歌舞伎、後に人形浄瑠璃化さ
れた。今回の振付けは尾上墨雪(当時は、二代目尾上菊之丞)。初演は1969(昭
和44)年、大阪朝日座。曲は、三代目野澤吉兵衛が、作曲したという。

幕が開くと、浅黄幕が舞台全面を覆っている。振り落しで、小巻と助国登場。小巻
は、竹本の呂勢大夫の高い声が響く。「世の中は、夢か現か、ありてなき蝶となりし
が現にて、蝶となりしが夢かとも」で、振り落し。死出の道行のふたり。主家の若君
と許婚の姫の身替わりになって、命を落とされた小巻と助国のふたり。死んで蝶に
なった小巻は朱、助国は水色の衣装。背景は、紅葉と牡丹、菊の花。舞い遊ぶふたり
は在りし日を回顧する。何時しかふたりは、地獄に堕ちる。衣装を替えて、白地に蝶
の紋様の揃いを着る。宙を飛ぶ蝶たち。責め苦で、狂うように、激しく、早間に踊
る。人形遣は、小巻が一輔、助国が幸助と若いふたり。助国の竹本は、睦大夫。ほか
に4人の大夫がつく。三味線方は、鶴澤清治のほかに4人。重連は、歌舞伎の演出を
引き継いだのか。死人を演じる人形たちが哀れさを誘う。

歌舞伎では、「蝶の道行」という外題で演じられる。何回か拝見した。99年4月、
05年8月、09年6月の歌舞伎座。いずれも武智鉄二構成・演出。初見は、梅玉、
時蔵のコンビ。2回目が、染五郎、孝太郎のコンビ。3回目が、梅玉、福助。

例えば、09年6月の歌舞伎座。幕開き。薄暗い中、上手に葵太夫ら竹本4連。人形
浄瑠璃を紺地に白い蝶を染め抜いた肩衣を附けている。「世の中は 夢か うつつ
か・・・」。光学的な演出だと思うが、暗闇でも光る番の蝶が、観客席の上空を飛び
交う。4年前の前回は、ふたりの黒衣が操る差し金の先に、光る番の蝶が、舞ってい
た。やがて、この世で結ばれることの無かった小槙(福助)が、舞台中央から現れ
る。薄手の打ち掛けを頭からかぶり、くるりと一回転してから、それを取ると、ス
ポットが、福助の顔を浮かび上がらせる。一踊りした後、福助は、中央のせりで下が
り、一旦、姿を消す。一方、花道スッポンから、助国(梅玉)が、せり上がって来
る。歌舞伎では、小槙と助国。書割に描かれた紫陽花、菖蒲、牡丹、菊などの花々
が、大きい。蝶の化身、亡霊のふたりは、人間の大きさではないことをうかがわせる
演出だ。紫と赤の牡丹の間から姿を見せた小槙が、助国に合図をする。寄り添うよう
に、踊り出すふたり。ふたりとも、黒地に絹の縫い取りで蝶の模様が描かれている。
大きな蝶は、助国。小柄な蝶は、小槙。ふたりの衣装を引き抜くと、小槙は、白地に
赤い太めの縦縞。助国は、白地に紺の太めの縦縞で、街場の若い夫婦の華やぎを感じ
させる。小槙は、赤子を抱く所作を交えながら去年の出会いの様子を楽しげに踊る。

薄暗くなると、福助は、上手へ。梅玉は、狂ったように舞いながら、下手へと、それ
ぞれ交代で引っ込む。髪を乱した小槙が、再び、登場。舞台は、光学的な処理で、紅
蓮の炎に包まれ、舞台は、赤く燃え上がる。「修羅の迎えはたちまちに 狂い乱れる
地獄の責・・・」で、ふたりが、地獄の責め苦に遭う場面へと移る。草の露で、断末
魔のふたり。逆海老で、折り重なり、断続的な痙攣に苦しみながら、やがて、息絶え
るふたり。ふたりの上に枯れ葉が、降り掛かる。この演目は、観るたびに、演出が派
手になって来るが、その分だけ、歌舞伎の味から遠のくように感じられる。

こうして比較してみると、歌舞伎の演出は派手で、人形浄瑠璃の方が、地味だと判
る。
- 2012年5月26日(土) 17:21:04
12年05月新橋演舞場 (夜/通し狂言「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづ
き)」)


「椿説弓張月」は、10年ぶりに拝見する。10年前の舞台で、今も強烈に残ってい
るのは、抜擢された猿四郎の場面である。三島由紀夫のエロティシズム美学の典型的
な場面であった。猿四郎の鍛え抜かれた肉体美と女形たちの残虐な行為が、印象的で
あった。初演の翌年の同じ11月に亡くなった三島由紀夫の狙い通りにこの役を猿四
郎が演じるのは、三島が亡くなってから、32年後を待たなければならない。生きて
いたとしたら、三島は、喜寿を超えて、やっと望み通りの役者に出会えたのだろう
に……。でも、それも、もう10年前の話。三島由紀夫没後、42年、今回は、誰が
この役を演じるのか。密かな期待を持って、新橋演舞場の木戸を潜った。

1970年11月に自衛隊に突入して自害した三島歌舞伎の集大成ともいえる作品。
「椿説弓張月」は、1969(昭和44)年11月・国立劇場で初演され、(1年後
に、三島逝去。享年45歳)、没後17年に当たる1987年11月・国立劇場で1
8年ぶりに再演、2002年12月・歌舞伎座でさらに、15年ぶりに再々演、そし
て今回、新橋演舞場で、10年ぶりに4回目の上演となった。初演時は、三島由紀夫
本人が演出、歌舞伎役者の演技論(役柄を類型化することで、馴染みの演目は、ほと
んど稽古することなく上演できるという歌舞伎独特の演技論)などに絶望し、人形浄
瑠璃での上演に向けて、準備を始めた。途中まで(上・中・下の巻という構成で、上
の巻だけ、人形浄瑠璃の台本があるという。中と下は、未完のまま)、人形浄瑠璃の
台本に書き換えながら、逸る政治的思考に押し流されて1年後に事件を起こして、自
害して果ててしまい、「椿説弓張月」の人形浄瑠璃化は、実現できなかった。三島の
人形浄瑠璃での「椿説弓張月」は、是非とも、観てみたかった。三島の文才は、歌舞
伎より、人形浄瑠璃が受け皿となる可能性があったと私には思われるが、それは、今
回のテーマではない。

全三幕八場で構成。初演時の配役は、為朝:八代目幸四郎(先代、後の初代白鸚)、
白縫姫:玉三郎、紀平治:八代目中車(松竹演劇制作部作成の上演記録では、「九代
目」とあるが、間違いではないか)、高間太郎:猿之助、武藤太:段四郎、阿公:二
代目鴈治郎、寧王女:五代目訥升(後の九代目宗十郎)など。白縫姫を演じた玉三郎
は、当時は、10代で、未だ無名に近かった。三島の慧眼で抜擢、後の人気役者のス
タートを切った。

これが、18年後の再演では、為朝:幸四郎、白縫姫:四代目雀右衛門、紀平治:十
七代目羽左衛門、高間太郎:五代目勘九郎(勘三郎)、武藤太:四代目助五郎(後の
源左衛門)、阿公:九代目宗十郎、寧王女:四代目雀右衛門(ふた役)など。演出
は、三島演出を受け継ぐ織田紘二であったか。

さらに、私が観た10年前の歌舞伎座の舞台では、為朝:猿之助、白縫姫:玉三郎、
紀平治:歌六、高間太郎:五代目勘九郎(勘三郎)、武藤太:猿四郎、阿公:五代目
勘九郎(勘三郎)、寧王女:春猿など。当時の勘九郎、当代勘三郎が、ふた役を演じ
ているのは、高間太郎役を予定していた段四郎が、直前になって、病気休演となり、
勘三郎が、代役を務めた。演出は、猿之助。今回は無いような、宙乗りの演出も取り
入れている。元々、三島は、当時の歌舞伎に飽き足らなくて、後の猿之助演出の「猿
之助歌舞伎」、「スーパー歌舞伎」のようなものを歌舞伎の理念(義太夫歌舞伎を
ベースにしながら歌舞伎の様式美を強調する新作歌舞伎)として志向していたので、
三島の意図と合うかどうかは別にして、ここで、猿之助が、演出する意味は、あった
のだろうと思う。

そして、今回は、初演時から三島演出を手伝っていた織田紘二の演出ということで、
三島歌舞伎の原点帰りと言えるかもしれない。

初演から43年経った今回の配役は、為朝:染五郎、白縫姫:七之助(染五郎と七之
助は、平成中村座公演と掛け持ち)、紀平治:歌六、高間太郎:愛之助、武藤太:薪
車、阿公:翫雀、寧王女:七之助(ふた役)など。三島を知っているのは、歌六など
限られた役者だけだろう。

4回の公演のうち3回が、高麗屋一門を軸に演じられていることは、注目される。三
島と八代目幸四郎の関係が、起点になっているのだろう。3回目のみ、澤潟屋一門。
猿之助歌舞伎は、三島も許容範囲だったかもしれない。八代目、九代目の幸四郎の流
れを汲み、今回は、将来の十代目幸四郎を継ぐべき染五郎が為朝を演じる。玉三郎の
容色が衰えて来た今、白縫姫は、菊之助か七之助か。私は菊之助で観てみたいが、今
回の七之助は、許容範囲か。

そして、三島のエロティシズム美学のためだけに、ちょっとの間出て来て、科白も少
なく、それでいて強烈な印象を10年後も私に持ち続けさせた武藤太役者。今回は、
薪車であった。この人も、肉体を鍛えている。格闘技観戦が趣味というが、キン肉マ
ンは、その影響かどうか。坂東竹志郎から、7年前に四代目薪車を襲名した。見込ま
れて竹三郎の芸養子になった。歌舞伎座襲名の舞台で、師匠の竹三郎が、2階席奥の
補助席に座って、薪車の出番の舞台を熱心に観ていたのを私は目撃している。初舞台
から14年。力をつけて来たと言えるだろう。

三島歌舞伎は、「擬古典」の新作歌舞伎だけに、緞帳を使わない。定式幕で、開け閉
めする。開幕すると、浅黄幕が舞台全面を覆っている。振り落しで、伊豆大島の岩山
の場面。頂上に近い鳥居の前に為朝(染五郎)、下に向って三角形を作るように、上
手に紀平治(歌六)、下手に高間太郎(愛之助)が、目を閉じて、動かない。「仮名
手本忠臣蔵」の大序の模倣。竹本が、役名の為朝と言えば、染五郎は目を開けて、動
き出す。紀平治の歌六、高間太郎の愛之助も、同様。歌舞伎の様式美を大事にしてい
る。以下、鬼才・三島らしく歌舞伎の先行作品を随所にちりばめているから、そうい
うものを見抜く歌舞伎の知識のある人には、楽しい舞台である(「金閣寺」の雪姫の
パロディ。「奥州安達ヶ原」の「一つ家」の岩手のパロディ。「弁慶上使」のパロ
ディなど)。さて、それはさておき、先へ進もう。

まず、テーマ。滝沢馬琴原作の「椿説弓張月」は、「保元の乱」で崇徳院方につき、
一族でひとりだけ生き長らえた源為朝の波乱万丈の物語だが、三島版「椿説弓張月」
では、「転生」がテーマ。従って、キーパースンは、為朝の妻であり、舜天丸(すて
まる)の母である白縫姫ではないかと、思う。というのは……。

白縫姫は、為朝や舜天丸らと九州から都へ攻め上る航海中、嵐のため、海に落ちた舜
天丸の後を追って、入水、死後、黒揚羽に変身し、為朝と、実は、助かった舜天丸の
ふたりの加護をするが、為朝が辿り着いた琉球で、お家乗っ取りを策謀する大臣一派
と対抗する王女・寧王女(ねいわんにょ)に自分の霊を宿すという「転生」をする
(今回は、七之助のふた役)など、三島の遺作「豊饒の海」に描かれた「転生譚」に
通じる人物である。だから、初演時、三島は、磨かれる前の、若い玉三郎を発見し、
抜擢した。

もうひとつのテーマは、「ダイイング・メッセージ」。初演の1年後に自害する三島
由紀夫は、この作品にダイイング・メッセージを込めていたと思われる。「死の影」
は、冒頭、「上の巻 伊豆国大嶋の場」から、ほの見える。伊豆大島に流された為朝
(染五郎)は、崇徳上皇の後を追って、「殉死」したがっている。東から西へ彷徨う
為朝。波乱万丈の生涯の果てに、為朝は、琉球國の安寧に力を貸し、息子(舜天丸)
で、琉球の王になった舜天王(しゅんてんおう・鷹之資)に後事を託すことになる。
8月25日、崇徳上皇の命日の前夜、ガジュマルの大木のある運天海浜の上空に大き
な弓張月(舞台上手に映し出される)がかかるなか、遠く、春に平家が滅びたという
報を胸に、念願の殉死を果たす(「下の巻 第三場・運天海浜宵宮の場」)。

「葉月も末の弓張月は、『為朝の形見』と思いやれ」という内容の遺言をして、黄泉
の國から迎えとして遣わされ、海上に現れた(浪布を敷き詰めた花道七三から登場)
白馬に跨がり、昇天して行く(猿之助演出では、「宙乗り」)。「平清盛憎し、崇徳
上皇に申し訳なし」と念じた果ての、覚悟の自害であった。怨念一徹の生涯は、三島
の最大のダイイング・メッセージだろうか。

10年前の猿之助演出では、宵宮の神事を催す為朝らが正装で勢揃い。白馬が現わ
れ、昇天する為朝。馬の足が入った白馬が、下手袖に引っ込むと、下手奥からからく
りの白馬が代わりに出て来る。車のついた台の上に乗っている白馬は、花道で、宙乗
りのワイヤーが取り付けられ、台からも離れ、猿之助を乗せ、花道上の「宙道(そら
みち)」へ、舞い上がる。今回は、染五郎為朝は、白馬に乗って、花道を去る。

今回の舞台を追いかけよう。「上の巻」、為朝の伊豆大島での現地妻になった悪代官
の娘・簓江(ささらえ・芝雀)は、為朝との間に、男女二子をなしていたが、為朝追
討の平家の先触れとして攻めて来た悪代官である父方の軍兵に追われ、娘・島君を道
連れに岩山から海に身を投げ入水する。

軍兵に立ち向かった息子・為頼(玉太郎)も、傷を負い、父・為朝に出逢ったのを幸
いに、父に介錯をしてもらう。首を斬り落とされた体の玉太郎は、首を草むらに隠し
ているが、子役とはいえ、首以外を舞台に曝して、横たわっている様は、結構、グロ
テスクな感じがする。自衛隊乱入事件を起こし、隊員にクーデターを呼びかけ、事な
らずと悟ると、切腹し、楯の会の青年たちに己の首を切らせ、胴と首が切り離された
まま放置されている42年前の現場写真を思い出してしまう。

前回、島を離れることになる為朝の場面では、舟が、2艘。舞台下手には、花道の地
絣が向う揚幕に引き込まれ、浪布が下から現われる。花道から繋がる本舞台の下手一
部も、浪布。上手も、一部が浪布。下手の浅瀬から、為朝と紀平治が花道から流れ着
いた舟に乗り込む。上手に現れた舟には、高間夫妻が乗り込む。やがて、2艘の舟
は、大島を離れる。

前回の舞台では、本舞台浅瀬には、舟が3艘あった。再挙を図る為朝と紀平治。白縫
姫を訪ねる高間夫婦。4人が浅瀬を渡り、それぞれ舟に乗り込む。ふたりずつ、2艘
の舟に、別々に乗り込む。上手揚幕に漕ぎ出す高間夫婦。花道へ漕ぎ出す為朝と紀平
治。前回、残された舟は、藁屋根のついた屋形船。誰が乗っているか、判らない。や
がて、屋形から人が出て来て、為朝と紀平治の舟を追う。裏切り者、猿四郎の武藤太
だった。猿四郎は、上の巻と中の巻の登場していた。白縫姫に「つきまとう」裏切り
者・武藤太を伏線として出していた。今回、武藤太は、中の巻のみで、いきなり囚わ
れ人として出て来る。ちょっと、違和感がある。

大島から逃れた為朝は、崇徳上皇の御陵を訪ねるが(「中の巻 第一場・讃岐国白峯
の場」)、現れた崇徳上皇の霊(翫雀)らに諭される。「肥後国へ行け、自分たちの
霊力で為朝らを助ける」と言われ、為朝は自害を留まる。

薄闇の舞台では、下手に御陵があり、珍しく黒布が敷き詰められた花道(幕間で見て
いたら、花道には、下から、地絣、浪布、雪布、黒布が敷き詰められていた)から登
場した為朝は、崇徳上皇の霊一行との出会いというモノトーンの幻想的な舞台演出と
なる(子役を使った「遠見」の演出も交えて、丁寧な演出)。下手の御陵を離れ、舞
台上手に移動し、切腹を試みようとした為朝は、引き道具に載せられて下手の御陵傍
まで移動させられた(為朝の移動は、廻り舞台のような動きだが、下手の御陵が動い
ていないので、引き道具と判る)。霊たちと一献しながら諭され、同意すると、霊た
ちは、たち消えて去る。

その後、再会した忠臣・紀平治(歌六)とともに、為朝は、九州・肥後国に向かう。
花道は、黒布が抜かれ、雪布が現れる。雪景色の「第二場・肥後国木原山中の場」
で、大猪退治をし、それを褒める猟師の陰謀で、しびれ酒を飲まされ、囚われの身と
なるが、連れて行かれた先の同じ山中の「第三場・同じく山塞の場」で、妻の白縫姫
(七之助)、息子の舜天丸(鷹之資)とも、再会する。その間に挟まれた場面が、見
どころ。薪車の演じる武藤太(今は裏切り者として白縫姫を付けねらうが、以前は為
朝の家来)折檻の場面となる。

御殿の階(きざはし)に後ろ手に縛られ、裸で横たえられた武藤太。無表情で、代わ
る代わる武藤太に太い竹釘を打ち込む腰元たち。ザンバラ髪、下帯一つの裸に剥かれ
た武藤太は、白縫姫の発案した仕置きで、姫が奏でる琴の「薄雪の曲」の演奏に合わ
せて、腰元たちに武藤太の裸に先の尖った竹筒状の竹釘を木槌で打ち込ませる。下帯
姿の裸体の肉体美。三島が実践していた筋肉美のイメージ。男の裸体に竹釘責め、琴
責めをする白縫姫と腰元たち。腰元たちが粛々と打ち込む度に、裸身に鮮血が流れ
る。裸体を汚した血で、白い下帯が、赤く染まって行く。憎しみとサディズムの極致
の、愉悦の表情を交えながら、裏切り者を仕置きする白縫姫。表情を消して目を瞑
り、徐々に近付く死を従容と迎える薪車の武藤太。やがて、悶絶して死んでしまう武
藤太。三島が自ら演じ、写真を残した「聖セバスチャンの殉死」そのものの場面。

白縫姫は、武藤太の死を確認するために階近くまで出て来る。白縫姫は、「ああ、死
に絶えたか。狼の餌食にしいや」と嘯く。10年前、私が観た舞台では、再演の玉三
郎は、初演時にした演技を大事にして、演じたと語っていた。当時、息を呑む観客た
ちの緊迫感が、場内に満ちているのが判った。今回は、それが弱かった。この場面で
は、今回の七之助は、まだ、玉三郎には、叶わない。ここは、「金閣寺」の松永大膳
に折檻される雪姫のパロディと言われる。桜吹雪の雪姫。白銀の世界で赤い血を流す
武藤太。逆転させる三島美学の極地。

初演時、武藤太役を演じた段四郎によれば、初演時に演出を担当した三島から「武藤
太は、肉襦袢を着けずに、裸に下帯ひとつで演じてほしいと言われたが、当時は、痩
せていたので、ボディビルで鍛えていた映画俳優に吹き替えを頼んだ」と語ってい
る。再演時の助五郎は、太り気味であったろうから、猿四郎が、初めて、三島美学を
体現したのだ。

前回の猿四郎(当時36歳)、今回の薪車(先月で、40歳)になって、肉体派の歌
舞伎役者が、三島演出通りに演じることが出来たと言えるだろう。三島版「椿説弓張
月」美学の、エロティシズムの、最も象徴的な場面である。

贅言;10年後の「椿説弓張月」上演を目指して、大部屋の20歳代の立役で、武藤
太役を狙って、今から、筋肉美のトレーニングに入っている役者がいないのかな。い
るかもしれない。平成生まれの世代だね。

花道は、雪布から、浪布へ。「中の巻 薩南海上の場」は、スーパー歌舞伎調の大ス
ペクタクル。平家征伐に薩南海上に2艘の大船を繰り出し、都のある東に向かった為
朝一行は、途中で嵐に遭い、浪に揉まれているうちに、高間太郎(愛之助)、磯萩
(福助)夫婦が、波に呑まれ、次いで、もう1艘の船に乗っていた舜天丸も海中に没
する。舜天丸を助けようと飛び込む紀平治も、姿が見えなくなる。息子を失った哀し
みのあまり、白縫姫は、弟橘姫の故事にならい、入水をして、嵐をしずめようとす
る。亡くなった白縫姫の身替わりか、嵐の海中から飛び立つ黒揚羽蝶(黒衣が差金で
操作)。為朝の船を沈没から救う烏天狗の群。

前回、遠くに島が見える海の道具幕に隠された舞台は、幕が開くと、「毛剃」(博多
小女郎浪枕))に登場する大船が、舞台に現われる。大船には、為朝、白縫姫、舜天
丸、紀平治、高間夫婦、郎党5人の11人が乗っていた。今回は、2艘。やがて、時
化て来る。浪布の下に人が入り、布を上下に揺すぶりながら、という演出は、基本的
に同じ。前回は、大船が廻り舞台を使わずに、船のなかの操縦で、自動的に廻る。船
の正面前部が、舞台中央にくると、船の先端に立ちふさがった猿之助の為朝は、毛剃
九右衛門同様、睨みを利かした。「毛剃」のパロディ。今回は、大セリの上に載せた
船を前後に揺さぶっていた。暗転で舞台が廻り、もう1艘の船も船がふたつに割れ、
帆柱も折れてしまう。

その後、大海原の大岩に辿り着いて助かった高間夫婦だが、海原に船影一つ見えない
孤独さに耐えかねて、太郎が磯萩を殺し、自分も切腹して心中する。ふたりの遺体を
呑み込む大波が、大岩を没しさせる。一方、舜天丸は、紀平治に助けられ、黒揚羽に
導かれ、現われた巨大な怪魚の背に乗り、いずこかへ向かう。二艘の船、遠ざかる孤
島を描く数枚の道具幕、大セリ、廻り舞台、花道七三など歌舞伎の舞台機構を縦横に
駆使して演出される大スペクタクル。

「下の巻」は、琉球のお家騒動。策謀家の大臣・利勇(由次郎)や大臣を唆していた
王子の伝役(こもりやく)の阿公(くまぎみ・翫雀)も、最後は、死ぬ。自分の孫を
王子にしようとしていた阿公は、謀事が発覚した挙げ句、王子を殺害する。都合、1
1人が、死ぬ。大臣に殺されながら、生き残るのは、白縫姫の霊で甦える寧王女(ね
いわんにょ・七之助のふた役)だけだ。死の影の濃さこそ、三島の企図であろう。

三島は、生涯で6本の新作歌舞伎を書いたという。最初が、芥川龍之介の「地獄変」
を基にした作品。最後が、滝沢馬琴の「椿説弓張月」を基にした、今回の作品。

夫婦宿を営む阿公(くまぎみ)は、「奥州安達ヶ原」の「一つ家」の岩手のパロ
ディ。寧王女(七之助)に味方する鶴(松江)と亀(松也)兄弟の母は、実は、阿公
の娘であり、娘の父、つまり、阿公が契った相手は、なんと、為朝護衛の紀平治だっ
た。ここは、「弁慶上使」のパロディ。阿公は、今回の翫雀より、
前回の勘三郎が、巧かった。前回の亀役は、亀治郎。鶴は、笑也。

この演目は、初演時は、正味4時間15分だったのが、再演時、4時間10分、猿之
助演出では、3時間15分に短縮。今回は、織田紘二演出に戻り、3時間55分とい
うことで、再演時の尺に戻った格好。是非とも、観ておいた方が良いだろう。

役者の演技の方は、若手花形の意欲作というところか、今後の熟成を待とう。染五郎
は、このところ、乱歩歌舞伎などの新作歌舞伎に意欲的なので、愉しみだ。10年後
の、次回上演辺りが、染五郎為朝(50歳)の熟成の舞台かもしれない。
- 2012年5月7日(月) 7:25:06
12年05月新橋演舞場 (昼/「西郷と豚姫」「紅葉狩」「女殺油地獄」)


「紅葉狩」の福助が、愛之助の「女殺油地獄」に挑戦


團菊祭が、歌舞伎座の建替えとともに、大阪の松竹座に移ってしまい(歌舞伎座再開
とともに、戻ってくるのだろうな)、5月の新橋演舞場は、歌舞伎座時代の納涼歌舞
伎のように花形役者の研鑽の場になってしまった。

「西郷と豚姫」は、3回目の拝見。1917(大正6)年、初演。大正時代の新歌舞
伎(池田大伍作)の代表作。豚姫物語。主役のお玉、醜女の深情けが良い。揚屋の芸
妓や舞妓にも慕われる性格の良い女性(職場にも、居そうだね)。

悲劇を底に秘めた喜劇である。私が観た配役。西郷隆盛:吉右衛門、團十郎。今回
は、初役の獅童。お玉:勘九郎時代の勘三郎。今回は、初役の翫雀。吉右衛門の西郷
は、誠実さが感じられた。團十郎の西郷は、器の大きさを感じた。西郷隆盛役は、團
十郎の当り役のひとつになるのではないか、と前回書いている。獅童の西郷は、大き
く見せようと科白廻しをゆったりさせているが、それが、オーバーアクションになっ
てしまっていて、成功していない。團十郎の西郷を目標にすべし。勘三郎のお玉は、
「西郷と豚姫」という芝居の持ち味である、喜劇味と哀愁の共存は、勘九郎が体現し
ていて、存在感があった。これに対して、今回の翫雀は、お玉の喜劇性を強調しすぎ
ている。とっとっと、ちょこちょこ、というような歩き方をして、必要以上に笑わせ
ようとしている。もう少し、押さえた方が良いのでないか。

ほかの配役では、私が観た岸野は、2回とも福助。今回は、初役の松也。大久保市助
は、2回とも東蔵。今回は、初役の松江。幕開きから、独り離れて、つくねんと物案
じ顔の舞妓の雛勇は、宗丸時代の宗之助、松也。今回は、初役の児太郎。児太郎は、
踊りも含めて、寂しすぎる。芸妓役に成駒屋の脇役、芝喜松、芝のぶが出ている。特
に、芝のぶは、歳を取らないねえ。いつまでも、颯爽としている。人斬り半次郎(後
の桐野利秋)は、初役の亀鶴。市助(後の大久保利通)も、初役の松江。

今回は、特に、岸野を演じた松也が、良かった。存在感があった。9年前、雛勇を演
じたころと比べると、中身に実が詰まって来たという感じがする。鄙勇を2回演じた
時に、岸野を演じる芝雀や福助を見て、工夫して来たのだという。芸熱心や、良し。
児太郎が、10年後くらいに同じように成長し、岸野に挑戦するようになっていて欲
しいと思った。

贅言:9年前に私が書いた劇評では、松也について次のように書いている。
* 松助の長男・松也は、来月で19歳。父親に似ず、美形の真女形候補になるかど
うか。最近、さまざまな役に果敢に挑戦していて、進境著しいと思いながら、私は、
松也の舞台を愉しみに観ている。

自画自賛めくが、今回の舞台を観ていて、私の予想は、今のところ、的中していると
思った。いかがだろうか。

階段箪笥には、招き猫や銚子が並んでいる。上の方の席から舞台を観ているので、死
角に入り、ほかが見えないが、揚屋の風俗が滲んでいる。

いずれにせよ、今回の配役は、初役が多い。花形の研鑽、ウオーミングアップという
ような舞台だった。明治維新で大業を担う前史時代の青年西郷と京都三本松の揚屋の
仲居・お玉の純愛物語。いわば、「デブデブのラブラブ」物語。ふたりのデブデブ
(西郷と豚姫こと、お玉)の存在感が、喜劇の味わいを左右する芝居。若い人たちの
純愛が、時代に裂け目に落っこちる。そこから心中へと悲劇的になるかと思いきや、
西郷は、時代に必要とされる時の人として浮上し始め、表に出て行く。本当かどうか
は知らないが、史実の裏には、お玉(のような女性)が取り残される、というイメー
ジだろう。

幕切れ近く、舞台が鷹揚に半廻しで回ると、店の外。夜景の町の遠見。お玉を残し
て、西郷は、花道を行く。捨てられたのに、笑みを浮かべて、去り行く西郷にゆっく
りと頭を下げるお玉が、醜女ながら、可憐だ。


メリハリが利いた福助の「更科姫」


「紅葉狩」は、9回目の拝見となる。9回分の上演記録を見ると、私の観た更科姫
は、7人。玉三郎(2)、福助(今回含め、2)、芝翫、雀右衛門、菊五郎、海老
蔵、勘太郎。芝翫、雀右衛門が、このところ、相次いで亡くなった。菊五郎を別格と
すれば、玉三郎、福助が、今後、更科姫を軸となって演じて行くことだろう。今回
は、福助の更科姫を論じたい。

「紅葉狩」は、能を素材に、七代目のし残した新歌舞伎十八番を制定した九代目團十
郎が、松羽目物の演目にせずに、活歴風の舞台に仕立てた。1887(明治20)年
の初演である。黙阿弥の原作で、能の「紅葉狩」と違って、鬼女を赤姫にして、竹
本、長唄、常磐津の三方掛合の華やかな歌舞伎舞踊劇に仕立てられている。

前シテの更科姫が、後ジテで鬼女に変るので、女形が演じる場合、後ジテの鬼女の演
じ方が難しい。女形は、女形の柔らかな所作の姫の中から狷介な「鬼を滲みださせ
る」ことに、皆、工夫を重ねてきた。ここがポイント。

「紅葉狩」は、「豹変」がテーマである。更科姫、実は戸隠山の鬼女への豹変が、
ベースであるが、赤姫の「着ぐるみ」という殻を内側から断ち割りそうな鬼女の気配
を滲ませながら、幾段にも見せる、豹変への深まりが、更科姫の重要な演じどころで
ある。観客にしてみれば、じわじわ滲み出して来る豹変の妙が、観どころ。見落して
は、いけない。豹変への筋道を、恰も薄紙を剥ぐように見せる工夫も、並み大抵のこ
とではない。

福助の更科姫は、「二枚扇」という、ふたつの扇子を使った踊りの場面も安定してい
た。動きが、滑らか。

体調が悪かったのか、先に亡くなった福助の父親・芝翫が、扇を落とす場面を観たこ
とがある(14年前、1998年11月の歌舞伎座)が、上演記録を見ると、この月
が、芝翫の「紅葉狩」の舞い納めだった。

それに先立つ、局田毎(高麗蔵)との連舞は、田毎の黒い衣装と更科姫の赤い衣装
が、対称になって美しい。侍女・野菊(児太郎)の踊りは、前座(起)。コミカルな
腰元・岩橋(吉之助)の踊りは、チャリ=喜劇(承)、田毎と更科姫の連舞(転)、
「二枚扇」披露(結)という展開。これが終わると、福助の更科姫は、表情が俄にこ
わばり、所作も荒々しく、上手揚幕に引っ込む。

贅言;福助の後見は、珍しく野郎頭の髪に裃姿の芝喜松。ベテランらしく、きっちり
と福助をサポートしていた。上の席から観ていたので、次々と出す扇が、緋色の布で
作った扇子入れ(恰も、電気工事などをする人たちの七ツ道具入れのように出来てい
る)に入っている。扇子の大きさ、色合いと模様、出す順番が間違えないように整理
できているのを発見した。

福助の豹変のための時間稼ぎは、愛之助の山神の登場。鬼女の術にはまり、眠りこけ
る平維茂(獅童)、右源太(種之助)、左源太(隼人)を覚醒させ、鬼女と対決する
準備をさせることも山神の大事な役割だ。

竹本の「一天俄に・・・」で、三味線も、早弾きとなる。福助の後ジテは、荒々し
い。鬼女の隈取り。「鏡獅子」の獅子の精(女形の獅子の精)さながらに、左巴、右
巴、髪洗いなど、きっぱりとこなす。舞台中央の巨大な松の木に登り、大枝を持ち上
げ、毒々しい口を大開する。更科姫から鬼女へ。メリハリの利いた鬼女豹変ぶりで
あった。

玉三郎の「紅葉狩」の2回目を観たのは、10年前、02年12月の歌舞伎座。玉三
郎は、姫としての色気を眼では現したまま、所作で、いつもの、真女形の姫とは違
う、荒々しさで鬼女を滲ませていた。玉三郎の更科姫も、そろそろ、観たい頃合い
だ。

今回の配役。更科姫、実は、鬼女:福助、平維茂:獅童、山神:初役の愛之助、右源
太:種之助、左源太:隼人、局田毎:初役の高麗蔵、野菊:児太郎、岩橋:吉之助。
かなり若返っている。


愛之助の与兵衛は、仁左衛門のコピー


「女殺油地獄」は、5回目の拝見。これまで私が観た主役の与兵衛は、仁左衛門
(2)、染五郎(2)で、今回の愛之助は、初めてである。愛之助が与兵衛を演じる
のは、3回目だが、東京で演じるのは、今回が初めて。今回の劇評は、与兵衛に絞っ
て論じたい。

今回の配役は、与兵衛:愛之助、お吉:初役の福助、七左衛門:翫雀、徳兵衛:歌
六、おさわ:秀太郎ほか。

この演目は、なんといっても、与兵衛は、仁左衛門の当り役だった。3年前、09年
6月の歌舞伎座で、仁左衛門は、「一世一代」見納めとし演じ終わり、後の与兵衛役
は、若手に譲った。若い頃から、体当たりで、与兵衛を演じ続けた仁左衛門は、自分
が熟成すると共に、相手役のお吉に雀右衛門という名女形を迎えて、コンビをも熟成
させた。与兵衛初演から45年間に本興行で、12回演じた。

仁左衛門以外に、近年、与兵衛を演じたのは、染五郎の後に、愛之助、亀鶴、獅童、
海老蔵(大阪松竹座の海老蔵休演で、仁左衛門代演の場面もあったが)という顔ぶれ
だから、まさに、与兵衛を演じる舞台は、すでに、次の世代へ廻っているといえるだ
ろう。染五郎は、28歳と38歳で、2回、与兵衛を演じている。今回の愛之助は、
大阪の舞台を私は観ていないので、何とも言えないが、今回の舞台では、愛之助は、
3月に40歳になったばかりだから、2回目の染五郎(11年2月、ル テアトル銀
座で上演)の年齢に近い。染五郎対愛之助の演じ争いは、観客の愉しみ。

「女殺油地獄」という芝居は、現代風にいえば、父親が亡くなり、従業員から社長に
なった義父・徳兵衛に、大好きな母親を従業員に取られて不満を持つ次男の転落記。
父を失い、母を取られた甘えん坊次男の「喪失の悲哀」の物語。

長男は、分家して、よそで店を構えている。与兵衛には、屈託がある。不良仲間との
付き合い。家庭内暴力。母の再婚の後、唯一、自分を理解してくれる近所の優しい姉
さんへの思慕と無心。それが断られると、衝動的に、母親に次ぐ、心の支えだったそ
の姉さんを殺し、金を奪って逃げるという犯罪者になる。その挙げ句、何食わぬ顔を
して、姉さんの法事に顔を出して、姉さんの連れ合いに見破られて捕まってしまうと
いう、無軌道な青年の物語。そこから浮き上がってくるのは、最近も、あちこちでお
きている若い犯罪者の人間像に極めて似ている、つまり、何処にでも居る現代的な青
年像である。

「女殺油地獄」は、江戸時代に実際に起きた事件をモデルに仕組んだと言われる。江
戸の人形浄瑠璃から明治の末年になって、歌舞伎化されたという、いわば、埋もれて
いた演目。復活狂言として、歌舞伎化されたのは、明治40(1907)年で、東京
の地芝居(小芝居)で上演された。その後、明治42(1909)年、渡辺霞亭の台
本で、大阪の朝日座で上演された。坪内逍遥の再評価が、きっかけという。

戦後は、勘三郎、寿海、延若らが、主人公を演じたが、この演目の上演継続を決定づ
けたのは、この不遇な演目の魅力を嗅ぎ付けた20歳の青年役者・片岡孝夫であっ
た。それにしても、この外題は、秀逸ではないか。ずばりと、ラストシーンを言い表
している。

浄瑠璃は、1721(享保6)年、初演の近松門左衛門原作の作品。史実かどうか
は、確証がないらしい。近松お得意の「心中もの」ではなく、ただただ無軌道な、放
蕩無頼な、23歳の青年が、暴走の果てに、近所の、商売仲間の、姉のように優しく
気遣ってくれる、年上の、若い人妻(27歳)に対して、甘えて、親から貰った金を
懐に入れたばかりというのに、ねだった借金を断られたからということで、拗ねて、
相手を殺してしまうという惨劇。それだけに、「心中もの」のような、色香もなかっ
たので、初演時は、大衆受けがせず、1721(享保6)年、旧暦の7月、人形浄瑠
璃の竹本座で、たった1回限り公演されただけで、その後、上演されなかったし、歌
舞伎としても、上演されなかったという。思うに、時空を超えた、近代性の強い劇
だったゆえ、与兵衛は、いわば、「早く来すぎた青年像」だったのだろう。

閑話休題:喧嘩の弾みで、与兵衛が、通りかかった馬上の武士を含む一行に泥を投げ
つけ、一行に参加していた母方の伯父に無礼をとがめられる。すごすごと立ち去る与
兵衛に対して、茶屋の前での喧嘩は迷惑と茶屋の女房は、亭主を連れて来る。去ろう
とする与兵衛を通りかかった馬子とともに、3人で笑いも恩威するのは、後の悲劇を
前にしたチャリ場(笑劇)である。この場面、いつも、演じていたかな。

さて、今回は、愛之助。愛之助の与兵衛は、花道に登場した途端、仁左衛門かと思わ
せる。この後、随所で、仁左衛門を思い起こさせたほど、仁左衛門そっくりであっ
た。愛之助は、とにかく、当面は、暫く、仁左衛門のコピーに徹する。仁左衛門そっ
くりに演じることも、芸のうちと割り切ることも大事だろう。「そっくり」が、巧く
できるようになれば、いずれ、自ずから熟成をして来るだろう。その時に、「そっく
り」を脱して、愛之助独自の役づくりへ進んで行けば良い。

贅言;今回は、2日目で拝見。初日を無事終えて、2日目の演技ということで、愛之
助も安定した熱演ぶりで、良かった。油(実は、布海苔)まみれの体で、花道を引っ
込む。昼の部の終演時間は、午後3時54分。夜の部の開演時間は、午後4時半。3
0分余りの間に、布海苔まみれの舞台を掃除し、「椿説弓張月」の「上の巻 伊豆国
大嶋の場」を準備しなければならない。大道具方は、大変だったろう。

片岡仁左衛門が、「一世一代」で、演じ終えた与兵衛役は、今後、花形クラスでは、
誰の当たり芸になるのか。花形役者の出世役という機能を果たして来た「与兵衛役」
という装置。すでに3回演じている染五郎を始め、今回で3回目を演じている愛之
助、亀鶴、獅童、海老蔵ら。そして、相手役のお吉は、すでに5回演じている孝太
郎、2回演じている亀治郎、笑三郎ら。それに加えて、今回は、中堅で、いずれ(歌
舞伎座再開記念襲名辺りは、どうだろうか)七代目歌右衛門を継ぐであろう福助が初
役で、参加して来た。「女殺油地獄」というブラックボックスで、若手たちが演じる
舞台が、この先にどういう形で見えてくるのか。愉しみだ。

与兵衛は、関西で言う「ぴんとこな」の青年像。屈託、甘え、拗ね、頼りなさ、不安
定さ、不思慮、危うさ、狂気などの果てに、発作的に、攻撃的な犯罪に走る、現代の
犯罪青年にも通じるようなリアリティを感じさせる青年像を仁左衛門は、作り上げて
くれた。

贅言;私が観た最高の「女殺油地獄」は、98年9月・歌舞伎座で仁左衛門(与兵
衛)、雀右衛門(お吉)という重厚なコンビでの舞台であった。上方の味が染み込ん
でいる仁左衛門の演技。女房役や母親役の演技に定評のある雀右衛門の若い女房。雀
右衛門は、先に亡くなってしまったが、この演目の当代では、最高の配役であったと
思う。それだけに、「女殺油地獄」の「仁・雀」コンビの舞台は、すでに、「完成」
していただけに、いつまでも、語り継がれるだろう。若手たちも、この舞台を目標に
精進して欲しい。
- 2012年5月6日(日) 15:23:55
12年04月国立劇場 開場45周年(通し狂言「絵本合法衢」)


去年3月大震災で、公演途中で中止となった演目復活


「絵本合邦衢(えほんがっぽうがつじ)」は、南北原作の歌舞伎だが、最近では、1
992(平成4)年、新橋演舞場で、孝夫時代の仁左衛門が初演し、2011年3月
の国立劇場での上演が、19年振りの再演であった。

しかし、ご承知のように、3月11日午後2時46分に東日本は、大震災に見舞われ
た。5日に初日を迎えた国立劇場は、27日の千秋楽まで、毎日、芝居が続く筈だっ
た。結局、「絵本合邦衢」は、5日、6日、7日、8日、9日、10日と演じられ
た。11日は、午後4時からの夜の部の日で、午後2時46分の発災時は、幸いにし
て、上演中ではなかった。但し、主役の仁左衛門らは楽屋入りしていた。しかし、開
演の1時間余前ということで、国立劇場の前には、開場を待つ人々が居り、発災後、
帰宅困難になった人々、約160人が、国立劇場のロビーで一夜を明かしたという。
11日の夜の部(午後4時開演)と12日(午後0時半開演)休演の後、13日、1
4日(いずれも午後0時半開演)は、上演が再開されたものの、14日から東電が実
施した計画停電で、交通機関が大きく麻痺する影響があり、劇場に行けない観客が多
かったため、結局、14日迄の8日間の上演で打ち切りとなった。閉幕前に、仁左衛
門と左團次、時蔵が、芝居を止めて舞台に座り込み、観客席に向けて「こんにちはこ
れぎり」というべきところを、14日には、「当月はこれぎり」と、悔しい思いとい
ずれの再演を胸に秘めながら言ったと、仁左衛門は、思い出す。

その思いの通りに、1年1ヶ月後、改めて、上演し直すこととなった。年度を越え
て、「国立劇場開場四十五周年記念公演」(2011年度)という特別待遇での公演
である。主な配役は、前回とほとんど変わらない。上村吉弥の代わりに秀太郎が、立
場の太平次女房お道を演じ、前回、段四郎が演じた高橋瀬左衛門を左團次が、去年も
演じた弟の高橋弥十郎とのふた役で演じた。

「絵本合邦衢」は、1810(文化7)年、江戸の市村屋で初演された。1804
(文化元)年の「天竺徳兵衛韓噺」の成功以降、成熟期に入った四代目鶴屋南北ら
が、合作で書き下ろした。当時の南北劇の常連、五代目松本幸四郎、二代目尾上松助
(後の、三代目尾上菊五郎)、三代目坂東三津五郎、五代目岩井半四郎らが、出演し
た。五代目松本幸四郎のキャラクターが、南北に、史実からモデルにした大学之助と
いう暴君のほかに、立場=たてば=の太平次という、飛脚上がりの市井の無頼を、瓜
二つの登場人物という設定で発想させた。

勧善懲悪が、当時のモラルだったが、それに縛られない自由な人間の魔性、それは、
悪というものをこれまでとは違う発想で見るという南北ならでは、発想が無ければ、
誰も気がつかない視点であっただろう。それは、また、文化文政期の爛熟の世相を作
り上げていた、社会の底辺に生きる大衆のエネルギーを見抜いた南北の卓見であった
だろう。頭で感知しようとする知識人には、気がつかないが、肌で感知する大衆に
は、日常的に馴染んでいる視点であった。それを同じ大衆と通底する市井の劇作家・
南北は、汲み上げて、狂言に結実させたと言えるだろう。

「絵本合邦衢」は、1656(明暦2)年、加賀前田家一門の前田大学之助という殿
様が、高橋清左衛門を殺め、後に、弟の高橋作右衛門に仇討されたという、実際に
あった事件を素材にし、演劇的な悪を純化させるという発想で、瓜二つの人物(左枝
大学之助、返り討ちを請け負った、いまば、配下の立場の太平次)を作り、物語にダ
イナミズムを持ち込んだ。悪の力の増殖装置。今回の南北の最大の仕掛けは、別の人
格ながら、瓜二つの人物という発想をしたことだろう。

通常の仇討物語とは違って、仇討を狙う側が、次々と返り討ちに遭うという異常な物
語である。悪知恵は、悪人ほど、働く。そういう連中が、連戦連勝の場面が、相次ぐ
という芝居。物語が展開しても、正義の秩序は、なかなか、恢復しない。悪は、悪運
強く、暴れまくる。極悪の痛快ささえ、観客には、感じられる。

文化文政期から、幕末期まで、再演が重ねられたが、明治期に入ると、文明開化を標
榜する高尚趣味の陰に追いやられ、上演されなくなった。息を復活したのは、大正ロ
マンの時期(1926年)。戦前戦中期は、再び、陰に追いやられ、復活は、196
5(昭和40)年であった。最近では、仁左衛門が、再演を続けている。


荒唐無稽な芝居の愉しみ方


時代物の序幕。第一場「多賀家水門口の場」。開幕すると、早速、殺し場。中間が、
多賀家の中間の首を絞めている。水門口が開き、左枝大学之助に命じられて多賀家の
重宝「霊亀の香炉」を盗み出した関口多九郎が出て来る。外にいた中間に重宝を持っ
て行かせようとすると、大きな用水桶の陰から、深編笠を被って現れた武士、実は、
左枝大学之助(仁左衛門)が、口封じのために、無造作に、中間を斬り捨てる。重宝
は、関口多九郎自身が持って行けと、命じる。再び、用水桶の陰に戻る左枝大学之
助。花道から、多賀家の忠臣・高橋瀬左衛門(左團次、前回は段四郎)が、中間を連
れて、やって来る。暗闇の中、足が当たって、ふたりの遺体を発見する。用水桶の陰
から。再び、現れた大学之助は、後ろから、中間を斬り捨てる。花道七三で、大学之
助は、暗闇の中、不審な雰囲気を感じている瀬左衛門に小柄を投げ打つ。幕が閉ま
り、幕外の花道七三で、深編笠を取り、初めて、仁左衛門は、観客に顔を見せる。幕
外の引っ込みでは、悠然と、現場を去って行く。こういう感じで、大学之助はいとも
無造作に人を殺して行く。これが、今回の南北劇の通奏低音となる。

序幕第二場「多賀領鷹野の場」。山々の見える、野遠見。舞台下手に、「多賀領高橋
瀬左衛門支配地」と書かれた立杭がある。下手奥に、2本の松や2基の藁ボッチ。鳴
子も見える。実りの秋。舞台中央に庚申の石碑。上手に、2本の松。舞台中央では、
領民の百姓たちが、雑草を刈った後の小休止中で、お茶を飲んでいる。花道より、京
の道具商田代屋の養女・お亀(孝太郎)と養子の与兵衛、実は、高橋瀬左衛門の末
弟・孫三郎(愛之助)が、お亀の実家に行く旅の途中である。愛之助は、仁左衛門
そっくりに見える。鷹狩りの途中で、秘蔵の鷹(小霞)を見失った大学之助一行が、
無断で他領に踏み込んで来る。大学之助は、黒羽織の華麗な着付けに、高価な鹿革の
袴を付けている。狩りの帽子、弓、槍、折畳みの椅子、長持ちなどを家来に持たせて
いる。家来経ちの態度も、横柄である。殿様でありながら、統治能力を欠き、私利私
欲を行動原理とする権力者・大学之助は、癇癖で、育ちも毛並みも良いが、人格的に
問題のある人間の冷酷さが滲んでいる。大学之助は、早速、お亀に目をつけ、その場
でいきなり妾になれと申し入れる有様、大学之助は、人殺しという暴力も平気なら、
女好きで、性欲も強いのだろう、ということが判る。歌舞伎で、「国崩し」と呼ばれ
る、アンチ・スーパー・ヒーローを極端化させた人物造形である。

そこへ、花道より、通りかかった領地の地頭(支配役)の高橋瀬左衛門が、与兵衛、
実は、瀬左衛門末弟の孫三郎とお亀を助ける。大学之助の鷹は、地元の百姓と子供・
里松が、見つけるが、百姓と子どもが、お互いに引き合ううちに、鷹を死なせてしま
う。それを怒った大学之助は、俄に形相を変えて無造作に里松を斬り殺してしまう。
激躁になると、欲望以外何も弁えないように見える。里松は、お亀の父親・佐五右衛
門と後添えの間に出来た弟だった。非藝を載せて大道具(舞台)は、鷹揚に廻る。

序幕第三場「多賀家陣屋の場」。陣屋では、瀬左衛門と瀬左衛門の末弟・孫三郎こ
と、与兵衛、与兵衛の許婚・お亀が、顔を揃えている。大学之助の顔が、店に出入り
している立場の太平次という男にそっくりだと噂している。後のための、伏線であ
る。瀬左衛門は、道具商の弟に主家から盗まれた重宝の「霊亀の香炉」の探索を依頼
する。瀬左衛門は、先日、暗闇で受け止めた小柄が、主筋の大学之助のものではない
かと疑っている。花道から、大学之助一行が、板に里松の遺体を載せてやって来る。
他領ながら、ずかずかと入り込み、子どもの親を詮索するためだ。瀬左衛門は、主家
の、もうひとつの重宝「菅家の一軸」の件で、大学之助を諌めるが、諌言を受けた風
を装おっていた大学之助は、隙を見て瀬左衛門(吹き替えになっている)を背後から
槍で突き、殺す。さらに、瀬左衛門殺しの濡れ衣を着せるために、同行していた配下
をも、殺す。こういう行動を見ていると、大学之助の殺人は、ある目的の元にかなり
計画的に進められているのが、伺える。

瀬左衛門の次弟の弥十郎(左團次)が、早替わりで上手から(前回は、ふた役ではな
いので、花道から)、やって来ると、配下が、瀬左衛門を殺したので、自分が、配下
を誅殺したと大学之助は嘘を言う。弥十郎は、不審に思う。

大学之助という殿様は、なんとも、無造作に人を殺す。そういう虚無的な人間を序幕
では、仁左衛門は、悪のスケールの大きさを示すように、ほとんど表情を変えずに演
じているように見える。悪役の色気もある。幕外の花道七三まで、深編み笠を被り続
けて、初めて、笠を取り顔を見せるという演出が成功している。一気に、悪の華が、
大輪を開くという印象になる。それが、なんとも凄まじく、存在感がある。左團次の
瀬左衛門と弥十郎のふた役も、良い。特に、我が子が大学之助の手討ちにあったと聞
いて駆けつけた佐五右衛門夫婦の喪失の悲哀に対して示す情愛の場面が良い。

世話物の二幕目。第一場「四条河原の場」。南北の持ち味は、世話物。二幕目から三
幕目が、この芝居の見どころである。幕が開くと、舞台下手にむしろ掛けの見世物小
屋。「ろくろ首」「蛇をんな」「大いたち」などの看板が掲げられている。隣には、
見せ物見物客を当て込んだお休み処の茶店がある。その隣に、柳の木。背景は、山と
四条大橋の遠見。中央に、乞食小屋風のむしろ掛け。上手は、橋詰の石段。この石段
は、後に、仁左衛門演じる、侍上がりの色悪・立場の太平次が現れることになる。こ
の瞬間で大学之助と太平次の顔は似ているが、全くの別人をふた役で演じるという、
この芝居のポイントの度合いが測られてしまう。

ここで登場する人間関係を整理しておこう。道具商田代屋に出入りする太平次(仁左
衛門)は、血も繋がっていないのに大学之助にそっくり。茶店で働いている太平次女
房お道(秀太郎、前回は吉弥)が、下手から現れる。蒲鉾型の乞食小屋風のむしろ掛
けを揚げると、太平次に懸想するうんざりお松(時蔵)の登場。お松は、14歳で勘
当されて家出をし、25歳になるまでに、亭主を16人持ったという豪の者、色香十
分な見世物小屋の頭分。つまり、この三角関係を太平次は、利用する。道具商田代屋
の番頭(松之助)は、太平次側のスパイで、お松から、毒蛇の血を仕入れる。この毒
で、店の養子である与兵衛(瀬左衛門の末弟・孫三郎)を殺して、お亀と世帯を持ち
たいと番頭は妄想している。大学之助から預かった重宝の香炉を勝手に、質入れして
しまった関口多九郎も、香炉を取り戻したいと思っている。太平次は、お松に田代屋
へ強請に行かせる。大悪、小悪たちが、それぞれ、勝手に悪だくみをしているのが、
判る。舞台は、廻る。

第二場「今出川道具屋の場」。つまり、田代屋の店先。大店である。店奥の帳場に
は、大福帳と売掛帳がある。はあン道から、佐五右衛門(市蔵)が、登場し、店に入
る。次いで、うんざりお松(時蔵)が、下手から、単身、田代屋に乗り込んで来る。
応対するのは、与兵衛とお亀の養母で、後家の店主おりよ(秀調)。お松は、おりよ
を相手に、与兵衛との密通をでっちあげ、偽の起請を持ち込み、強請り始める。外出
中の与兵衛の替わりにお亀(孝太郎)を連れ去ろうとする。出来レースの店の番頭
(松之助)が、素知らぬ顔をして仲介に入り、お亀を連れ出さない替わりに、件の香
炉を渡したらとおりよに悪助言をする。下手袖から出て来て、外で様子を窺っていた
太平次(仁左衛門)も、店内に入って来る。兄の仇討をするために、養家に迷惑をか
けないように、勘当を願っている与兵衛(愛之助)が、花道より、戻って来る。おり
よは、わざと与兵衛とお亀を勘当にする。おりよは、ふたりに「霊亀の香炉」を持た
せる。ふたりは、花道を遠ざかる。おりよは、番頭が持ち込んでいた毒酒を太平次が
勧めるままに、飲んでしまい、やがて苦しみ出す。おりよにとどめを刺し、お松と共
に、おりよの金を奪って花道から逃げる太平次。倒れたおりよを乗せたまま、舞台は
廻る。太平次とお松は、花道をゆっくりと揚幕に向って歩むが、そのまま、向う揚幕
に入りはしない。花道半ば、途中から、くるりと向きを変えて、ふたりは花道を逆戻
りして、本舞台に入ると、そこは、妙覚寺裏手の墓場、という趣向だ。原作では、
「沼津」のように、客席に下りて、間の通路の歩き、花道から戻って来るという演出
だそうだが、花道逆戻り、という演出も、おもしろいと思った。

第三場「妙覚寺裏手の場」。下手に大きな柳の木がある墓場。中央に古井戸。上手
は、土塀。土塀の後ろに、大きな三日月が出ている。しつこいお松に嫌気のさした太
平次は、水を汲む隙を見て、お松を釣瓶の縄で首を絞めて殺し、古井戸に投げ込む。
やがて、瀬左衛門の次弟の弥十郎(左團次)と妻の皐月(時蔵)の夫婦が、通りかか
る。つまり、ここは、時蔵の早替わりが、見せ場。さらに、与兵衛とお亀のカップル
も、上手からやって来て、5人で世話だんまりとなる。次の場面、世話物第2弾「三
幕目」への転換(つなぎ)の場面だが、この辺りの演出は、最近の入れ事という。

二幕目では、時蔵の悪女振りが、魅力的。うんざりお松は、悪婆と呼ばれるキャラク
ターだが、時蔵は、官能的で、古風な風貌も幸いして、好演。科白廻しには、もう一
工夫欲しい。太平次役の仁左衛門は、重々しい大学之助とがらりと変わり、軽妙に、
愛嬌もある小悪党というイメージで、太平次を演じている。元は、武士という感じが
弱いか。いがみの権太風になりすぎている。
 
三幕目も、世話物。新たに、追加参加する人間関係を見ておこう。第一場「和州倉狩
(くらがり)峠」。黒幕、下手に「倉狩峠」の木杭のみのシンプルな舞台。駕篭かき
と飛脚、それに与兵衛とお亀の行方を追う大学之助家臣の島本段平(當十郎)などが
居る。島本段平は、駕篭に乗り、下手の幕内に入る。黒幕振り落しで、場面転換。第
二場「倉狩峠一つ家の場」が、三幕目のメイン。花道の出入りが多い。お亀に執心の
大学之助に命じられて、与兵衛とお亀の行方を追う家臣の島本段平を乗せた駕篭が、
下手から現れて、一つ家に着けられる。

峠の一つ家は、「立場(たてば)」で、立場とは街道や峠を行く旅人が、人馬を替え
たり、貨客を送り継いだりする宿駅のことである。舞台下手には、「立場茶屋」の木
杭がある。舞台中央の、一つ家には、「丸に太」という紋が、書き込まれている。
「立場の太平次」とは、この宿駅を営む所からの渾名であろう。表も裏も悪殿様の大
学之助と顔こそ、瓜二つとはいえ、太平次は、表向きは、立場の主として善人面をし
ているが、裏は、大学之助同様の悪人ということで、より根性の悪い男である。この
一つ家に、お亀の妹のお米(梅枝)が、滞在している。高橋瀬左衛門配下で、夫の孫
七(高麗蔵)とはぐれて困っている所を親切そうな太平次に助けられて、連れて来ら
れた。太平次は、お米を売り飛ばして、稼ごうとしている。さらに、孫七が、敵対す
る高橋瀬左衛門配下と知って、見つけ次第、殺そうという心づもりである。現れた段
平を太平次は、奥に通す。

太平次の女房・お道(秀太郎)は、太平次とは、異なる。花道から与兵衛とお亀を連
れて、立場に案内して来る。道中で、自病の癪に冒された与兵衛。路銀を使い果たし
困っているふたりに太平次は、お亀を大学之助の妾に世話してあげると持ちかける。
段平が、支度金50両を用意している。仇討を果たすためには、敵に近づかなければ
ならないと苦渋の選択をして、妾奉公を承知するお亀と与兵衛。お亀が、駕篭に乗せ
られて去ると、太平次は、与兵衛の持っている「霊亀の香炉」を取り上げようとし
て、拒まれる。さらに、大学之助の息のかかった峠の飛脚や雲助らが、与兵衛を襲
う。与兵衛の手助けをする振りをしながら、太平次は与兵衛の脚を鉈で切りつける。
「摂州合法辻」の脚の不自由な俊徳丸のパロディであろう。太平次は与兵衛に逃げろ
と言って、峠の古宮へ行かせる。足を庇って右手で杖を突き、左手に提灯を持たされ
た与兵衛は、大事な香炉を何処に隠し持っているのだろう。太平次は、与兵衛殺害の
現場を己の営む「立場」でなく、「古宮」に移そうという企みがある。

お米は、縛られて2階に押し込められる。お道は、与兵衛を助けようと古宮に向か
う。お米を探していた孫七が、立場にやって来る。太平次は、お米を連れて来ると孫
七を騙して、出かける。お米を助け出す孫七。

第三場「倉狩峠古宮の場」。舞台が、鷹揚に廻る。舞台下手に、「倉狩峠」の木杭。
中央上手寄りに、古宮。与兵衛を殺そうとやって来た太平次が、古宮の戸を開ける
と、すでに、与兵衛を逃がしたお道が居るが、それに気付かず、太平次は女房に斬り
つける。お道は、太平次と飛脚に殺されてしまう。殺されるお道は、善人だけに、殺
される哀れさが欲しい。元腰元の感じが弱い。刀を担いだ太平次が、花道を引っ込
む。

第四場「元の一つ家の場」。舞台が、逆に、廻る。孫七・お米夫婦を殺しに戻って来
た太平次は、孫七に向かう。暗闇で、孫七は、誤って、お米を斬ってしまう、孫七
も、太平次に殺されてしまう。お米にとどめを刺す太平次。嬲り殺しにされる夫婦。
悪びれずに、平気で、人殺しを続ける太平次。善人面と性根の悪さの共存が醸し出
す、ユーモラスでさえある殺し場は、仁左衛門歌舞伎の新しい魅力だろう。悪党を乗
りに乗った仁左衛門が、軽妙な演技で演じて行く。「先代萩」の八汐に続く、悪役、
憎まれ役であるが、悪とはいえ、スーパーマンの造形は、仁左衛門の芸域を拡げる悪
の華が咲き競っているように思う。第二場、第三場、第四場という、廻り舞台の往復
が、今回の世話場のハイライト。

三幕目では、仁左衛門の太平次ぶりが、ポイント。大学之助との違いをどう描くか。
歌舞伎界では、このところ、富十郎、芝翫、雀右衛門と人間国宝が相次いで逝去し
た。次の人間国宝として、仁左衛門、幸四郎、團十郎辺りが、候補になるであろう
が。仁左衛門は、「絵本合邦衢」のふた役の演技で、頭一つ飛び出したいところ。

大詰第一場「合法庵室の場」。世話物に時代物が入り込んで来る。ここからは、世話
物の太平次とダブらせながら時代物の大学之助をひとつの頂点とするふたつの三角関
係を押さえると、理解し易い。1)大きな三角関係は、殺人鬼の悪殿様・大学之助
(仁左衛門)に対する合法、実は、高橋瀬左衛門の次弟で弥十郎(左團次)と妻・皐
月(時蔵)の夫婦が作る。その内側にイメージする、2)小さな三角関係は、殺人鬼
の悪殿様・大学之助に対する与兵衛(愛之助)とお亀(孝太郎)のカップルが作る。
合法庵室にいるのは、弥十郎と末弟の与兵衛だが、養子に出た与兵衛を兄の弥十郎
は、顔を知らないという設定だ。

支度金をもらい、大学之助のところに妾奉公に行ったお亀は、既に、大学之助によっ
て、殺されている。肉体は、大学之助に従わざるを得ないとしても、心は、大学之助
の意に添わなかっただろう。そういう心の動きには、敏感な大学之助だったろうし、
あるいは、仇討を焦り、逆に、返り討ちにあったのだろう。お亀は、与兵衛の夢枕に
立ち、悔しさを訴えて消える。病気の上に、太平次に鉈で切られた脚が不自由な与兵
衛は、舞台下手から豪華な駕篭に乗って現れた大学之助に重宝のふたつとも、大学之
助が入手していることやお亀の最期を告げられると、切腹してしまう。大笑いの声を
響かせながら、再び、駕篭に乗って下手に入る大学之助。性悪な人間が、権力の座に
つくと、こういう行動をするのか、というのが、「暴力装置」と化した大学之助とい
う殿様だ。

花道から合法、実は、高橋瀬左衛門の次弟で弥十郎が、現れる。苦しい息の下で、弥
十郎に告げる与兵衛の言葉に、弥十郎は、ふたりが、同じ、仇討を狙う兄弟だったこ
とを知る。冷徹な大学之助は、用済みの太平次の殺害を配下に命じるというのは、新
演出らしい。仇討のすべての構造(ふたつの三角形)を理解した弥十郎は、舞台下手
から現れた妻の皐月と共に、花道から大学之助を求めて向かって行く。本舞台は、浅
黄幕が振り被せとなり、場面展開。

第二場「閻魔堂の場」。浅黄幕が振り落とされると、舞台中央には、巨大な閻魔像。
下手に、「合法ヶ辻閻魔建立」の木杭。舞台上手と下手に松並木。舞台下手袖から
やってきた大学之助一行の行列を襲おうと弥十郎と皐月の夫婦が、花道から近づいて
来る。夫婦は、配下を追い払った後、行列の駕篭に近づき刀を駕篭の中に差し込む
が、駕篭に載せていたのは、鎧のみ。大学之助は、いなかった。

仇討に失敗したとして、弥十郎と皐月は、観客席に背を向けて自害してしまう。する
と、巨大な閻魔像の後ろから、不適な笑いを浮かべて、大学之助が、出て来る。背景
の黒幕が落ち、山と松の遠見となる。偽りの自害を演じていた夫婦は、近づいて来た
大学之助に斬り掛かり、なんとか、仇討を果たす。大学之助は、乱れ苦しみ、倒れ
る。兄の高橋瀬左衛門が刺された槍先を持ち込んでいた弥十郎は、槍先で、大学之助
にとどめを刺す。

芝居を終えたムックリと起き上がり、仁左衛門と共に、左團次、時蔵と並んで座り、
「まず、こんにちは、これぎり」の口上。

大学之助に返り討ちに遭った人々や濡れ衣を着せられて殺された人々、太平次に殺さ
れた人々など、実に、多く人たちが犠牲になった物語も、やっと、大本の殺人鬼がし
とめられて、幕となった。正義の秩序の恢復は、善人の側(弥十郎と皐月)の、自害
の偽装という姦智で、最後の最後に、実現できた。幕切れは、時代に戻っていて、大
きさを感じた。

最後に全体を通しての役者評。

「絵本合邦衢」、3回目の主役を演じる仁左衛門は、瓜二つという想定ながら、主家
横領を狙う謀反人(国崩し)で、「血も涙も無い」徹底的に冷徹一筋な殿様・大学之
助と善人面と悪党の対比が魅力の、飛脚上がりの立て場の主、市井の小悪党(殺人請
け負い人でもある)・太平次を見事に演じ分けたと思う。この演じ分けは、武士と町
人というだけに留まらず、言葉、身のこなし、氏素性から来る雰囲気、人柄など、全
く、違う人物を感じさせなければならない。それでいて、両人とも、仁左衛門独特の
悪の魅力で、彩られている。大学之助は、どんどん、善人たちを返り討ちにしてしま
うし、幼い子供でも、容赦なく殺してしまう。殺人に快楽さえ感じるほど、人格が壊
れてしまっている、殺人鬼の名前通りの人物だ。太平次は、大学之助から返り討ちを
請け負った殺し屋と立場の主という、二つの顔を使い分ける。武家上がりの太平次に
は、金の力で、再び、武士に戻りたいという気持ちが強かったのだろうが、その辺り
は、ちょっと弱かった。その挙げ句、用済みとなれば、大学之助の配下に殺される運
命が待っている。いずれにせよ、仁左衛門が、演じ分ける二人の人物は、悪をベース
にしながら、社会的な規範に捕われずに行動できるスーパーマン的な魅力を感じさせ
る。

太平次に付き合う、蛇をんなこと、うんざりお松と弥十郎を補佐する妻・皐月を演じ
分けた時蔵。特に、うんざりお松は、美人ながら、封建的な身分社会では、人外に置
かれた女性だ。惚れた男のためには、罪を犯すのも厭わない。その挙げ句、惚れた男
に絞め殺されてしまう。太平次とのコンビでは、ユーモラスな雰囲気を出すことも要
求される。

時代物の部分だけの出演では、お家騒動の中で、だまし討ちされた高橋瀬左衛門(去
年は段四郎)と次弟の弥十郎は、去年と違って左團次のふた役。それぞれ二役を演じ
た仁左衛門、時蔵、左團次は、お疲れさま。

重要な脇役カップルの与兵衛、こと末弟の孫三郎(愛之助)とお亀(孝太郎)。
愛之助は、辛抱立役振りが、もう少し欲しかった。お亀の妹・お米(梅枝)と孫七
(高麗蔵)の夫婦。さらに、善良で働き者、悪と善、非日常と日常、という南北の世
界を結んだ太平次女房・お道(秀太郎、去年は吉弥)なども、印象に残った。

贅言;大地震.大津波、原発事故に伴う放射能被爆という三重苦に見舞われた東北・
北関東の再興には、国家・社会を上げて総力戦で、尽力しても、戦後復興並に、長い
時間がかかるだろうが、舞台閉鎖を余儀なくされ、いわば、原発事故の二次被害を
被った仁左衛門熱演の舞台は、1年1ヶ月振りに復活した。「願わくば、仁左衛門を
軸に、同じ顔ぶれで、再演される日が来ることを期待したい」と去年の3月に私は書
いたが、ほぼ、希望通りの形で、今回、それが実現したのは、ご同慶の至り。
- 2012年4月5日(木) 6:34:51
12年04月新橋演舞場 (夜/「仮名手本忠臣蔵〜五段目から十一段目まで〜)


「五段目」「六段目」は、亀治郎最後の舞台


亀治郎は、今月の舞台で亀治郎を終える。亀治郎掉尾を飾る花形歌舞伎「仮名手本忠
臣蔵」では、昼夜で、勘平を演じる。昼の部では、道行「落人」の勘平。夜の部で
は、「五段目 山崎街道鉄砲渡の場」と「同じく 二つ玉の場」であり、「六段目 
与市兵衛内勘平腹切の場」である。夜の部の亀治郎アワーの特徴は、今回ここだけ上
方歌舞伎の演出を取入れていることだろう。実は、同じ「仮名手本忠臣蔵」でも通常
私たちが観ている舞台は、江戸型の演出の舞台である。上方型の演出は、実はかなり
違うが、滅多の上演しないので、馴染みがない。

私は、2002年11月の国立劇場で、一度拝見している。国立劇場の舞台は、鴈治
郎の七役早替りと上方演出と言うのが、キャッチフレーズであった。鴈治郎の七役早
替りの配役:師直、由良之助、勘平、定九郎、与市兵衛、平右衛門、戸無瀬。

今回は、亀治郎が、2002年の国立劇場の舞台に出演(大序の足利直義と九段目の
小浪で出演)した際、上方演出が「印象に残って」魅了されたので、今回は、藤十郎
に指導を仰ぎ、勤めているという。そのポイントを記録しておこう。

勘平(亀治郎)が切腹に至る「与市兵衛内」では、何といっても、勘平の衣装が、写
実的で、江戸より上方の方が、地味だ。江戸歌舞伎のように帰宅したら、派手な紋付
に着替えたりしない。猟から戻ってきたときと同じような着物の控えに着替えるだけ
だ。黒い紋付を着るのは、「最期」の場面。義母のおかや(竹三郎)らに疑いをかけ
られ死んでゆくときに、黒い紋付を義母のおかやが、肩から勘平の背中にかけてや
る。背を向けて、勘平と「二人侍」のやり取りを聞いていたが、疑いが晴れた後、向
き直り、勘平に紋付を着せてやるのである。そう、道行「落人」では、お軽が何度も
背中から勘平を抱きしめてやったように、祇園に身売りをして居なくなってしまった
お軽の替わりに義母のおかやが、死に逝く勘平の背中を抱いてやるのだ。「お疑いは
晴れましたか」と、勘平は、1回目は、おかやに、2回目は、二人侍に向って、言
う。

また、猟師仲間が担ぐ戸板に載せられて運び込まれた与市兵衛の遺体(等身大の人
形)が、上手、障子の間に引き入れられるのも、江戸型とは違う。江戸型では、遺体
は、素直に座敷の奥に安置される。四畳半程度の障子の間に戸板ごと遺体を入れる難
しいようで、戸板の端に当たって、障子が一枚はずれてしまったが、猟師仲間は、芝
居のようにさりげなく外れた障子を填め直していた。

この場面で、何と言っても、いちばんの違いは、勘平切腹の演技もの違いだろう。義
母も、訪ねてきた大星方の通称「二人侍」の不破数右衛門(亀三郎)と仙崎弥五郎
(亀寿)も、勘平には背を向けている。障子の間に入って与市兵衛の遺体の傷の具合
を調べている。誤って義父を鉄砲で撃ってしまったと思い込んで、自害する勘平の証
言と違って、与市兵衛の傷は、刀傷だったことを大声で告げたりしている。そういう
声も聞こえないほど、激鬱状態に落ち込んでいる勘平は、「自死念虜」という思いに
つけ込まれていて、周りの声を聞く耳を持てない状態になっている。へたり込んでい
る勘平の様子を誰かが視覚で監視し、行動で止めなければならない場で、誰も勘平を
注視せずに放っておいたので、死なせてしまったのだ。

座敷きの下手奥の隅、つまり、死期を悟った動物が、物陰に死にに逝くように、勘平
は、家内に居る誰にも気づかれないように、また、観客席にも背を向けて気づかれな
いように、隅っこでそっと腹を切る。与市兵衛の傷を刀傷と断じたことで、勘平の義
父殺しという冤罪は晴れるが、下手奥で、切腹をした勘平は、腹に刀を刺した瀕死の
状態のまま、片足でとんとんという不自由な感じで、介護されながら座敷を斜め一直
線にゆっくり移動し、上手、障子の間の柱までやって来て、与市兵衛の遺体を見る。
その上で、やっと、座敷中央に移動する。江戸歌舞伎では、最初から座敷中央で、
座ったままで、腹切りをする。判官は、「切腹」、勘平は、「腹切」と見出しも違
う。

「色に耽ったばっかりに、大事なところに居り申さず」という歌舞伎の入れごとの科
白は、上方型の演出にはない。猪と間違えて撃った定九郎から奪った(義父が奪われ
たものを取り戻した)50両とお軽の身売りの残金として、義母のおかやが一文字屋
お才から受け取った50両のあわせて100両を献金し、連判状に名を連ねて、やっ
と、46番目の塩冶浪士となる勘平。息絶えかかる勘平に黒い紋付を着せかけるおか
や。竹三郎のおかやは、堂々たるもので、存在感がある。勘平に合掌をさせないの
も、江戸との違いか。福助のおかるは、初々しい。一文字屋お才は、亀鶴。今回憎ま
れ役の側に回っている亀鶴だが、ここは、ごちそうの役どころ。

勘平役の亀治郎は、熱演。亀治郎最後の舞台ということで、初日から力が入っている
のだろう。亀治郎は、勘平の腹切で果て、狐忠信の猿之助で甦る。

今回の熱演は、ほかには、後で触れる染五郎。「熟」演振りを発揮したのは、昼の部
の師直役の松緑。脇では、「三段目」の鷺坂伴内役の橘太郎、「六段目」のおかや役
の竹三郎も、熱演で存在感があった。竹三郎は、8回目のおかや。

竹三郎熱演の通り、実は、「六段目」で重要な女形は、お軽の母であり、与市兵衛の
妻であるおかやである。勘平に早とちりで切腹を決意させるのは、与市兵衛を殺した
のは、縞の財布を持ち帰った勘平ではないかと疑い、勘平を攻め立てたおかやの所為
である。他人の人生に死という決定的な行為をさせるエネルギーが、おかやの演技か
ら迸らないと、この場面の芝居は成り立たない。「六段目」では、おかやには、勘平
に匹敵する芝居が要求されると思う。

獅童は、昼の部では、初めてという「大序」と「三段目」で、桃井若狭之助と「五段
目」の斧定九郎(2回目)であった。定九郎は、ちょこっとしか出てこないが、中村
仲蔵の工夫以降、歴代の役者が磨いてきた重要な役で、これも、約束事が多い割に
は、動ける場所が限定されていて、定規を当てているような演技が続く。与市兵衛を
殺して、50両を奪い、一旦は、花道へ逃げて行く。黒い衣装に傘をさしている定九
郎の姿は、花道から本舞台に華やかに繰り込む華のある助六とは逆ながら、隠花植物
のような華を感じさせる。まるで、「逆助六」ではないか。花道を行きかけて、向う
揚幕から誰かが来る気配を察し、本舞台に戻る定九郎に待っているのは、死の世界。

猪と間違えられ、勘平の鉄砲で撃たれ、血を流して倒れる場面がある。定九郎役者
は、敷物の上の限られた空間で倒れ込み、以後、舞台が廻って、暗闇の袖に引き込ま
れてゆくまで動かずにいるので、結構、大変だろう。それでいて、科白は一つ。「五
十両」。一瞬の残酷美に獅童は、掛けた。


七代目歌右衛門の予兆・福助の舞台


「七段目」では、まず女形の福助。昼の部の道行で姉さん女房振りを見せて、積極的
だったお軽は、「六段目」では、存在感が今ひとつ。だが、「七段目」になると、む
くむくと存在感を強めて来る。「七段目」では、由良之助を相手に、遊女としての色
気を見せるし、兄の平右衛門に対してすら、妹を越える色気を見せるからである。
「七段目」の福助・お軽は、今回含めて、9人の平右衛門を相手にして来たと言う。
三津五郎、吉右衛門、段四郎、仁左衛門、富十郎、橋之助、幸四郎、染五郎、そして
今回が、松緑。父親の芝翫亡き後の福助には、多分、1年後に迫った歌舞伎座再開辺
りで、七代目歌右衛門襲名などという話が出てくるのでないかという予感が私にはあ
る。充実の福助の舞台は、安定感があり、落着いた気持ちで観ていられる。

平右衛門を演じた松緑だが、平右衛門は、3回目ということで、これまでの延長線上
の演技であった。初めて演じた師直で、エネルギーの大半を使ってしまったのか、猫
背が戻り、新味にも欠ける。若さが出ては、芝居が壊れるとして、老けの持つ不自由
さを我慢しながら演じた師直と従来通りの感覚で演じ続けた平右衛門の演技との差が
出たと感じた。

「七段目」の本筋は、実は、由良之助より、遊女・お軽と兄の平右衛門が軸となる舞
台である。ここは、07年2月の歌舞伎座で観た玉三郎と仁左衛門が、よかった。当
時の劇評を見ると、ふたりが、「たっぷり、愉しく演じていて、2月の通し上演で、
ぴか一の舞台であった」と私は、書いている。玉三郎の本領発揮の、濃艶なお軽にな
るのだが、福助は、濃艶さより、兄に向かって、可愛らしい色気を出していた。

染五郎は、昼夜通しで、全段を通じて、由良之助を演じ続けたが、私が観た由良之助
は、幸四郎、吉右衛門、藤十郎、團十郎、仁左衛門という人たち。今の染五郎は、若
いし、まだまだ、先達のレベルには、届かない。染五郎も、目を瞑って、科白回しを
聞いていると、父親の幸四郎にそっくりだと判る。実線でくっきりと描こうという姿
勢が伝わってくる熱演振りだが、体型で比較するのは、おかしいけれど、体型通り
に、お互いの実線は、太さが違うようだ。染五郎の実線は、まだまだ、父親に比べて
細いと思った。太ければ良いと言えない所に高麗屋親子の課題があると思っている。

これまで私が観た「七段目」の由良之助では、吉右衛門が良かった。ここの由良之助
は、前半で男の色気、後半で男の侠気を演じ分けなければならない。

「七段目」で、仲居を演じる大部屋の女形たちが、「見立て」に参加する。仲居の科
白は、当人の工夫なので、皆、張り切る。今回は、ローソク立てを持ち出して、「ス
カイツリー」に見立てた科白で、会場の笑いを取っていた。

「十一段目」は、あっさり。今回は、雑誌で言えば、表紙のような感じの「高家表門
討入りの場」、暗転、明転で、グラビアのような「同じく 奥庭泉水の場」へ、廻っ
て(小林平八郎=亀鶴の遺体が、裏舞台の闇へ、呑み込まれて行く)、後書きのよう
な「同じく 炭部屋本懐の場」で、ここで、勝ちどきを上げて、「引揚の場」はな
かった。

贅言;「襲名」について。松緑の師直は、見応えがあった。松緑は、既に祖父が大き
くした名前を引き継いでいる。亀治郎は、6月から四代目猿之助を襲名する。菊之助
は、菊五郎を襲名するためには、立役の幅も広げた方が良い。染五郎は、幸四郎の後
を追っているが、まだ、線が細い。福助は、いずれ、七代目歌右衛門を襲名するだろ
う。「まだある、まだある」。さて、人気先行の獅童は、どうなるのか。萬屋系で獅
童が継げそうな名前は、余りなさそうだが、祖父の三代目時蔵の兄に初代吉右衛門が
いる。遠い将来を見通せば、娘しかいない二代目吉右衛門家に養子に入るなどして、
三代目を狙うというのはどうだろうか。
- 2012年4月3日(火) 9:23:50
12年04月新橋演舞場 (昼/通し狂言「仮名手本忠臣蔵〜大序から道行まで」)


通し狂言「仮名手本忠臣蔵」は、8回目の拝見となる。みどり狂言の舞台も、何回も
観ているので、今回は、若手の花形歌舞伎での本格的な通し狂言ということで、この
サイトの劇評としては、珍しく役者論で行きたいと思う。浅草公会堂に出ていた亀治
郎や獅童らの若手が、中堅の福助のほか、やはり若手花形の染五郎や菊之助、松緑な
ども含めて大集合となった。こういう移動振りを見ていると、来年の浅草歌舞伎は、
若手花形の間でも、世代交代が進むであろう。

若手花形勢ぞろいの通し狂言「仮名手本忠臣蔵」であっても、歌舞伎の様式美を重ん
ずることは変わらない。開幕前の口上人形による「役人替名(配役紹介)」は、定式
通り。エヘン、エヘンと伴内並に咳をしながら、松緑から、菊之助、獅童、亀三郎、
亀寿……などと、読み上げて行く。開幕も、ゆっくり、「東〜西、東〜西」「トザ
イ、東〜西」へ。幕内からの声が響く。「大序」の開幕。床(ちょぼ)の御簾内で竹
本の語りが始まり、人形になっていた役者たちは、「足利直義」の名前から亀寿が、
「高師直」で松緑が、という具合に顔を上げて、動き出す。大向うから、声がかかり
出すが、「音羽屋」が多いこと。8人もいた。「オトーワヤ」、「…ワヤ」。

昼の部の劇評のポイントを絞ってみた。私が選んだポイントは、1)初挑戦の松緑の
老け役。2)福助、染五郎、菊之助は、いずれ襲名するであろう歌右衛門、幸四郎、
菊五郎と比較してみた。3)最後の亀治郎の舞台(4月の舞台で、亀治郎は終わり、
6月の舞台からは、四代目猿之助を襲名する)。一部の役者は、昼夜通しでも触れる
ことになるだろう。どちらに重きを置くかは、書いてみないと判らない。

1)初挑戦の松緑の老け役。師直初役の松緑は「大序 鶴ケ岡社頭兜改めの場」と
「三段目 足利館松の間刃傷の場」で、披露する。私が観た師直役者の顔ぶれは、以
下の通り。羽左衛門、冨十郎(3)、吉右衛門、鴈治郎時代の藤十郎、幸四郎、そし
て今回が、37歳の松緑。こういう顔ぶれを見ると、松緑が、花形歌舞伎とはいえ、
というか、花形歌舞伎で、「仮名手本忠臣蔵」の通しは、やらない、あるいは、やっ
ていない訳だから、抜擢の感じがする。歌舞伎では、老け役を演じるのが難しい。特
に、女形はそうだが、立ち役だって難しい。若手の役者が、老け役に挑戦できるの
は、実力検査の意味があるだろう。特に、悪の老け役は、芝居に縦軸を据えることに
なる。

老け役のメイクをした顔を見れば、その善し悪しはすぐに判る。化粧をして、シワシ
ワを線で描いただけなのか、化粧を感じさせずに、老け役の、虚構の年齢が虚構に見
えず、内面から年齢を感じさせる存在感を持っているように見えるのか。演技が始ま
らないうちから、直感的に判別できる。

「ぢいさんばあさん」という森鴎外原作・宇野信夫脚色の新作歌舞伎を観る度に思
い、この劇評でもたんびに書いているのだが、玉三郎は、何回挑戦しても、「ばあさ
ん」になれない。玉三郎と松緑を比較するために、ある演目を引き合いに出そう。

去年の12月、松緑は「茨木」を演じた。茨木童子を演じる役者は、前半は、老女の
真柴の品格、母性、後半は、鬼(茨木童子)の凄みを表現しなければならない。真柴
の中に鬼を滲ませるのは、年季の入った役者でないと難しい。この役は、外に溢れ出
ようとする茨木童子の正体を小さな老女の身体のなかに、いわば、封じ込めながら演
じなければならない。ともすると、老女の身体を裂き破って、鬼が噴出してこないと
も限らないというエネルギーを秘めながら、それを感じさせずに、粛々と演じる。

私が観た茨木童子は、芝翫(01年11月の歌舞伎座)、玉三郎(04年2月の歌舞
伎座)で観ている。そして松緑(11年12月の日生劇場)。この3人の役者は、年
齢、あるいは、年輪を比較するのに適度な世代の差があり、良いだろうと、思う。

玉三郎の真柴は、白髪、白塗の玉三郎は、美形過ぎて、老婆に見えなかった。白髪の
人形のようで存在感がない。玉三郎の真柴は、平板で、品格のある老婆の皮を被った
鬼(童子)という二重性の表現が、芝翫と比べると弱かった。しかし、唐櫃に隠され
ていた鬼の左腕を見せて貰う場面では、左腕を観たとたん、玉三郎の白塗の顔が口元
を中心に醜く歪んで、表情を激変させる。この片腕をつかみ取る場面は、芝翫より迫
力があった。

芝翫は、どうであったか。所望されて、真柴は一さし舞う。片腕を無くしてい
る茨木童子と真柴の二重性を芝翫は、小さな身体に閉じこめているだけに、春夏秋冬
の景色を唄い、そして、舞いながら、ときどき、童子のぼろが出て、扇を取り落と
す。この舞は、伯母・真柴が、徐々に溶け始め、茨木童子の本性が、姿を現す。やが
て、渡辺綱に持ちかけ、唐櫃に隠されていた鬼の左腕を見せて貰う真柴。形相が見る
見る変わった後、片腕をつかみ取る茨木童子。表情を闊達に変える芝翫は、さすがに
巧かった。

玉三郎よりも更に若い松緑では、なお難しかろう。物忌みも明日までとなった渡辺綱
の所へ、花道から真柴がやって来る。この出で決まった。いつもの猫背の松緑ではな
いのだ。それでいて身長1メートル73センチの松緑が、老女らしく小さく見えたか
ら不思議だ。以前観た玉三郎より、今回の松緑の方が良い。老婆になっているから
だ。

松緑は、このときの舞台を評価されたのだろう。今回は、師直を射止め、そして、猫
背を感じさせずに、師直を演じた。国民的な仇討物語の「忠臣蔵」仇討ちに観客が喝
采を贈るためには、仇を充分に感じさせる敵が必要だ。「兜改め」では、セクハラ。
「喧嘩場」では、パワハラ。やりたい放題。

その場合であっても、敵は、魅力的でなければならない。愛憎の対象となる為には、
愛されて憎まれる師直のような人物が必要になる。悪でありながら品と格のある人
物、男の魅力、特に色気も必要だろう。そういう人物として歴代の師直役者は、演じ
てきた。ここに、37歳の若手の師直が誕生したことは、嬉しいことだ。私が観た師
直は、羽左衛門、冨十郎、吉右衛門、鴈治郎時代の藤十郎、幸四郎。立役の色気ばか
りではなく、冨十郎、藤十郎などは、女形の色気も滲ませている場合もある。松緑
は、羽左衛門、幸四郎のタイプかもしれない。

後、20年くらいしたら、松緑で、再び、真柴や師直を観てみたいが、どうだろう
か。相応に年を取り、役には見えやすくなっているだろうが、それだけでなく、今よ
り、さらに充実した真柴や師直になっていることを期待したい。松緑も50歳代後半
で、役者として油も乗り切っていることだろうが、観客の私の方が、生きているかど
うか。「これを第一歩に生涯かけて勤め続けていければと思っています」と、松緑は
「茨木」を演じたときに言っているが、今回も同じ心境ではないか。いずれにせよ、
このところの松緑は熱演、熟演であり、将来を期待させてくれたと思う。松緑は、同
世代の役者の群から、大人へと脱皮した感がある。

ただし、今回の松緑には注文がある。演技をしているときは、師直という老人になっ
ているが、演技をしないで正面を向いて、控えている場面では、素の若い松緑に戻っ
てしまい、緊張感が持続していないように見えたのは、残念であった。そういう場面
でも、観客に全身を曝している以上、肚で意識を持続させなければならないだろう。

夜の部の「七段目 祇園一力茶屋の場」での寺岡平右衛門役での松緑には、また、別
の評価がある。一力茶屋のお軽では、福助は、今回、9人目の平右衛門役者を迎え
る。松緑は、平右衛門を演じるのは、3回目だ。

2)福助、染五郎、菊之助は、いずれ襲名するであろう歌右衛門、幸四郎、菊五郎と
比較してみた。福助は、昼の部では、「道行旅路の花聟」に出演する。お軽では、お
軽の役で、相手の勘平は、亀治郎。6月に四代目猿之助を襲名する亀治郎は、今月の
舞台で亀治郎の名前から脱皮する。最後の舞台の口開けとあって張り切っていた。特
に、夜の部、最初の演目「五段目 山崎街道鉄砲渡の場」と「同じく 二つ玉の場」
であり、「六段目 与市兵衛内勘平腹切の場」である。

舞台の幕が開くと、浅黄幕。振り落しで、明転の効果狙い。あるいは、暗闇で、ふた
りにスポットライト効果。実際に、この場面は、夜の道行なのだ。舞台中央のふたり
が現われる。笠で顔を隠す勘平(亀治郎)。茶色い道行コートのようなもので、上半
身を隠すお軽(福助)。いつもの「落人」と違う雰囲気。道行の福助は、初めての年
下の勘平である亀治郎を背後から5回も肩を抱き、このうち、4回は、肩を押し下げ
て、勘平をしゃがませる場面があった。仕事をしくじり、主を切腹に追い込んでし
まったことを苦にして鬱気味で、闇夜の道行とて、暗闇の中で「死にたい、死にた
い」と言い続ける勘平の気持ちをくじけさせないように徹夜で歩き続け、心配で心配
で堪らないという姉さん女房的な気持ちが強くにじみ出ていたと思う。自死念虜の勘
平。「お軽、さらばじゃ」。2回も、刀を取り上げ、お軽は逃げる。後を追う勘平。

コケコッコーで夜が明けて、不安な夜が、とりあえず終わったので、一安心というと
ころが良く判った。「ひとまず、この場を立ち退かん」で、危機が去ったことが判
る。この舞台は、そういう夜間道行の想定なのだが、実際の舞台は、富士山が舞台中
央にある菜の花畑の遠見に、桜が満開の松並木という拵えで、明るく華やかであるか
ら、シチュエーションを気がつかない人も多いだろう。猿弥の伴内が、滑稽味を売り
まくる。いつもと違って、下手から閉幕。伴内は、幕に押され、途中から逆に幕を引
いて行く。

勘平の鬱の虫は、勘平の身中に巣食っていて、後に、勘平を食い荒らすが、そういう
ことを込めて、福助と亀治郎は、夜の部「六段目 与市兵衛内勘平腹切の場」で描こ
う。ここでの批評は、亀治郎の最後の舞台批評が軸になるだろうか。

染五郎も、昼夜通しで、大星由良之助を演じる。昼の部では、「四段目 扇ヶ谷塩冶
判官切腹の場」、「同じく 表門城明渡しの場」。夜の部では、「七段目 祇園一力
茶屋の場」。まあ、あまり触れないが、「十一段目」も。特に、お軽の福助との絡み
で、幸四郎、歌右衛門の比較が、軸になろうか。

ここでは、昼の部にしか出てこない菊之助について触れておこう。「大序 鶴ケ岡社
頭兜改めの場」と「三段目 足利館松の間刃傷の場」、「四段目 扇ヶ谷塩冶判官切
腹の場」に出演する。女形の菊之助は、年齢の割に、既に熟成感さえ漂うほどで、私
の劇評でも、いつも点数が甘くなる。今回は、悲劇の主人公塩冶判官役という、さっ
そうとした立役で凛々しい。しかし、松の間でねちねちと嫌がらせをする師直に対し
て、激躁状態になり、大所高所も、前後も、見境が付かなくなる狂気の殿様を演じて
いる。師直に斬りつけた後、取り押さえられる前に、上手廊下奥へ逃げ去った師直を
目掛けて、抜き身の刀を投げかける。将軍家の廊下で、この振る舞い、お家断絶もや
むを得まい。

判官切腹の場面。「由良之助か。待ちかねたやわい」目を瞑って判官の科白回しを聞
いていると、ときどき、菊五郎の顔が浮かんでくるほど、良く似ていた。歌舞伎役者
に大向こうから「親父さんそっくり」と声がかかるというのは、ある意味では、御曹
司の役者には、賛美のかけ声となる。ただし、菊之助の場合、初日には、そういうか
け声がかからなかったし、松の間での、虐められ振りも、これは、虐める側の松緑に
も関係するが、少々物足りない感じがした。押さえ込んでいた気持ちが、激躁状態
で、狂気に変わる辺りも、物足りない。菊之助が、菊五郎に脱皮するためには、女形
と同様に、立役もソツなくこなせるようにならなければならないだろう。

由良之助の登場。「高麗屋」「……らいや」などの大向うの声。二畳の畳を裏返し、
白布を敷き詰め、四方に樒を飾る。切腹し果てた後、横たわる判官の遺体。駕篭が来
る。二畳を取り囲む諸士たちの人垣。白布を持ち上げ包み隠し、そのまま、駕篭に近
寄る。菊之助は、無事、駕篭の中に隠れたようだ。上手から、白装束に改めた顔世御
前(松也)。自分の髪を切った束を由良之助に渡して、駕篭に入れさせる。操を守り
尼になったのだ。由良之助の輿についている黒塗り地に金の家紋の入った印籠が、き
らりと光る。諸士たちが、腕で駕篭を抱え、花道を通って行く。諸士の列の後に顔世
御前と腰元たち(中には、芝のぶも)。花道を仮の葬列が続く。

城明け渡し。鴉が、カーと鳴いた。表門が引き道具で、徐々に下がって行く。由良之
助の幕外の引っ込み。幕外に出た三味線は、送り三重。染五郎論は、夜の部で。

3)最後の亀治郎の舞台(4月の舞台で、亀治郎は終わり、6月の舞台からは、四代
目猿之助を襲名する)。ということで、亀治郎も、「道行」だけでは、年下の鬱状態
の青年像しか描けず、亀治郎最後の舞台の熱演振りは、伝えられない。夜の部の舞台
に触れなければ亀治郎を描けないので、夜の部の批評に登場してもらおう。というこ
とで、昼の部は、これぎり。
- 2012年4月2日(月) 21:29:00
12年03月新橋演舞場 (夜/「佐倉義民伝」「唐相撲」「小さん金五郎」)


「子別れ」が、山場の「農民劇」


「佐倉義民伝」は、3回目の拝見。私が観た宗吾は、今回含めて2回目の幸四郎、勘
九郎時代の勘三郎。勘九郎で初めて「佐倉義民伝」を観たのは、ざっと、10年前に
なる。宗吾霊350年を記念していた。今回は、宗吾霊360年を記念と銘打ってい
る。原作は、三代目瀬川如皐。初演は、江戸中村座で、1851(嘉永4)年。全7
幕だが、現代では、「甚兵衛渡し」「子別れ」「直訴」の3場面が演じられる。本来
は、反権力劇だが、歌舞伎では、「子別れ」が、山場となる。

序幕では、印旛沼の渡し、佐倉の木内宗吾内、同裏手へと、いずれも雪のなかを舞台
が廻り、モノトーンの場面が展開する。二幕目では、翌年の春、桜が満開の江戸・上
野の寛永寺。多数の大名を連れた四代将軍家綱の参詣に、命を懸けて直訴するという
場面だ(前回、4年前の12月、幸四郎主演の歌舞伎座では、深まり行く秋、錦繍
だった)。本外題は、「東山桜荘子」で、「桜」は、「佐倉」に掛けているだろう
が、やはり、「春」が良いのだろう。いずれの季節にせよ、燦然と輝く朱塗りの太鼓
橋である通天橋(吉祥閣と御霊所を結ぶが、死の世界に通じる橋でもあるだろう)
が、舞台上手と下手に大きく跨がっている(遠見中央に、寛永寺本堂が望まれる)。
宗吾と将軍を隔てる「太鼓」橋でもある橋としたとの落差が大きい)。宗吾は、橋の
下に姿を見せ、将軍警護の侍の阻止の編み目を潜って、直訴状を将軍に渡そうとす
る。雪の白さと満開の桜色との対比。

開幕前、花道には、雪布が敷き詰められている。幕が開くと、「印旛沼渡し小屋の
場」。雪の舟溜まりに、小舟が舫ってある。上手奥から登場した役人たちは、宗吾帰
郷を警戒する非常線を敷いている。暫くして、宗吾(幸四郎)が、花道から姿を現
す。

「願いのために江戸へ出て、思いのほかに日数を経、忍んで帰る故里も、去年の冬に
ひきかえて、田畑もそのまま荒れ果てて、村里ともにしんしんと、人気もおのずと絶
えたるは、多くの人も離散して、他国へ立ち退くものなるか」。

この名科白で、この芝居の原点は、すべて語られている。土手に上がる傾斜のある道
で、滑って転ぶ幸四郎。被っている笠の雪が、どさりと落ちる。実線でくっきりとし
た演技をする幸四郎は、こういう芝居は、得意だ。いつもながら、思い入れたっぷり
に熱演している。何回か、こういう場面が繰り返される。私には、味が濃すぎてしま
う。将軍への死の直訴を胸に秘め、江戸を中心に降った大雪を隠れ簑に、一旦、江戸
から故郷へ戻り、家族との永久(とわ)の暇乞いをし、また、江戸の戻ろうとしてい
る。

この場面は、渡し守の甚兵衛が、肝心だ。今回は、左團次。私が観た甚兵衛は、3人
で、先代の二代目又五郎、段四郎。又五郎は、病気休演した段四郎の代役だった。先
代の又五郎は、それを含めて、3回、渡し守を演じている。

警戒で見回りに来た役人には、狸寝入りをしていたと思われる甚兵衛が、恩ある宗吾
の声を聞き取ると、慌てて起き上がり、小屋の戸を開け、急いで、宗吾をなかに引き
入れる。小屋のなかにあった竹笠で、甚兵衛は、焚火を消す。火の灯りが洩れて役人
に宗吾と知られるのを警戒してのようだ。この辺りに、農民の抵抗劇の色合いが、滲
み出ている。やがて、禁を破り、舫いの鎖を斧で切り離した甚兵衛は、宗吾を乗せ
て、舟を出す。雪下ろし、三重にて、舟は、上手へ移動する。

ふたりを乗せた舟を隠すように霏々と降る雪。甚兵衛の命を掛けた誠意が、宗吾の人
柄を浮き上がらせる。甚兵衛初役の左團次が良い。私が観た甚兵衛役者は、又五郎も
段四郎も、良かった。史実では、家族と最期の別れをした宗吾を対岸に送った後、罪
を問われる前に、入水自殺をしたという。印旗沼の畔に甚兵衛翁の碑と供養塔が、今
もある。

舞台が廻り、山場の「子別れ」の場面へ。まず、佐倉の「木内宗吾内の場」は、珍し
く上手に屋根付きの門がある。下手に障子屋体。いずれも、常の大道具の位置とは、
逆である。座敷では、宗吾の女房おさん(福助)が、縫い物をしている。私が観たお
さんは、3回とも、福助。宗吾の子どもたちが、囲炉裡端で遊んでいる。長男・彦七
(金太郎)、次男・徳松に加えて長女・おとうもいる。さらに、障子屋体に寝ている
乳飲み子もいる。子だくさんなのだ。

村の百姓の女房たちが、薄着で震えている。おさんは、宗吾との婚礼のときに着た着
物や男物の袴などを寒さしのぎにと女房たちにくれてやる。後の愁嘆場の前のチャリ
場(笑劇)で、客席を笑わせておく。女房たちが、帰った後、上手から宗吾が出て来
る。家族との久々の出逢い。

女房との出逢い、目と目を見交わす、濃艶さを秘めた情愛。子どもたち一人一人との
再会。父に抱き着く子どもたち。子から父への親愛の場面。父から子への情愛。双方
向の愛情が交流しあう。幸四郎は、それぞれをいつもの思い入れで、じっくりと演じ
て行く。染五郎の長男、幸四郎の孫の金太郎始め子役たちも、熱演で応える。

雪に濡れた着物を仕立て下ろしに着替える宗吾。手伝うおさんは、自分が着ていた半
纏を夫に着せかける。しかし、妻との交情もほどほどに、宗吾一家の再会は、永遠の
別れのための暇乞いなのだ。宗吾は、下手の障子屋体の小部屋に、なにやらものを置
いた。自分がいなくなってから、おさんに見せようとした去り状(縁切り状)であ
る。

いつも良く判らない登場人物が、幻の長吉。宗吾と幻の長吉(梅玉)とのやりとり、
長吉を追う捕り手は、やがて、己にも追っ手が迫って来る宗吾への危険信号でもあ
る。捕り手に衣類を剥ぎ取られ、半裸で逃げた長吉の、雪の上に脱ぎ捨てられた下駄
が、宗吾のあすは我が身を伺わせるという演出。幻の長吉は、そういう劇的効果を
狙っただけの役回り。

去り状をおさんに見られた宗吾は、仕方なく、本心を明かす。将軍直訴は、家族も同
罪となるので、家族大事で縁切り状を認めていたのだ。離縁してでも、家族を救いた
いという宗吾。夫婦として、いっしょに地獄に落ちたいというおさん。その心に突き
動かされて去り状を破り捨てる宗吾。「嬉しゅうござんす」と、喜びの涙を流す福助
も、熱演。

親たちの情愛の交流を肌で感じ、子ども心にも、永遠の別れを予感してか、次々に、
父親に纏わりついて離れようとしない子どもたち。皆、巧い。「子別れ」は、歌舞伎
には、多い場面だが、3人(正確には、乳飲み子を入れて4人)の子別れは、珍し
い。それだけに、こってり、こってり、お涙を誘う演出が続く。役者の芸で観客を泣
かせる場面。幸四郎は、こういう芝居は、自家薬籠中であろう。いつもながらのオー
バーアクション気味の演技。特に、長男・彦七は、宗吾の合羽を掴んで放さない。垣
根を壊して、家の裏手へ廻る宗吾の動きに引っ張られてついて行く。舞台とともに、
半廻りして、移動する父と子。最後は、息子を突き飛ばす父親。雪は、いちだんと
霏々と降り出す。

肉親との別れに、雪は、効果的だ。別れを隔てる雪の壁。本舞台では、家の中から、
いまや、正面を向いた裏窓の雨戸を開けて、顔を揃えたおさんと子どもたちが泣き叫
ぶ。振り切って、振り切って、花道を逃げるように行く宗吾。農民の反権力の芝居
は、歌舞伎では、親子の別れの人情話になってしまう。「歌舞伎では家族愛、それを
断ち切ってまで人民のために命を捧げる。その人間性を描くことがお芝居の魅力」と
は、幸四郎の弁。

二幕目「東叡山直訴の場」では、開幕すると、浅葱幕が、舞台全面を覆い隠してい
る。幕の両脇、上手と下手から出て来る警護の侍4人。警護の厳しさを強調して、再
び、幕内に引っ込むと、浅葱幕が、振り落とされて、春爛漫の寛永寺。燦然と輝く朱
塗りの太鼓橋である通天橋が、舞台の上手と下手を結ぶ。将軍・家綱公(染五郎)
が、松平伊豆守(彦三郎)ら大名たちを引き連れて、通天橋を渡って行く。橋の下に
現れた宗吾だが、橋の高さに届かぬ直訴状を折り採った桜の小枝に結び付ける。しか
し、還御の際、戻って来て橋の中央、太鼓橋の最も高い所に立つ将軍に直訴状が届か
ぬうちに、捕らえられてしまう。

この場面では、宗吾に次いでしどころがあるのは、松平伊豆守を演じる彦三郎。「知
恵伊豆」こと、松平伊豆守が、知恵のある裁き方をする。つまり、直訴状を将軍に聴
かせるために読み上げた後、形式的には、直訴御法度なので、受け付けないが、直訴
状の上包み(封)を投げ捨て、中味を袂に入れて、保管するという見せ場を創る。美
味しい役どころ。彦三郎の古めかしい科白廻しが、こういう場面では、効果的だと判
る。

この結果、佐倉城主・堀田上野之介の悪政は、将軍家に知られるところとなり、領民
は救済される。しかし、封建時代は、形式主義の時代だから、宗吾一家は、離縁をせ
ずに、おさんが覚悟したように乳飲み子も含めて家族全員が、皆殺しにされる。だか
ら、没後、360年経っても、宗吾は慕われる。

贅言;この芝居は、本来、「木綿芝居」という、地味な農民の反権力の劇である。1
945年の敗戦直後に、「忠臣蔵」など切腹の場面などがある歌舞伎は、戦前の軍国
主義を支えた封建的な演劇だということで、GHQによって暫くの期間禁じられた
が、そういう動きのなかで、「佐倉義民伝」は、デモクラティックな芝居として、敗
戦からわずか3ヶ月後の11月には、東京劇場で、上演が許可された。早々と歌舞伎
復活の一翼を担ったことになる。初代の吉右衛門の宗吾、美貌の三代目時蔵のおさ
ん、初代吉之丞の甚兵衛、七代目幸四郎の伊豆守、後の十七代目勘三郎のもしほの家
綱などという配役であった。


喜劇風の舞踊劇


「唐相撲」は、初見。1954(昭和29)年3月、歌舞伎座で初演された。二代目
松緑、三代目左團次らが出演。これまでに、3回上演されていて、今回が4回目。歌
舞伎化される前年に、百年ぶりの狂言の復活上演を松緑が観て、歌舞伎の舞踊化を思
いついたという。元々の狂言は、何時、誰が作った作品かは、私には判らないが、中
国を舞台に日本人の力を誇示するような内容で、ナショナリスティックな感じがす
る。喜劇風の舞踊劇。菊五郎が、どんな演出で現代化するかが愉しみ。

幕が開くと、上下手は、クリーム地に竹林。中央奥は、大きな松と岩山。舞台上手に
は、皇帝の御座所がある。唐の時代の中国の宮廷を舞台に帰国を申し出た日本人の相
撲取りが、中国人を投げ飛ばすという話。筋は単純だが、唐風の衣装、大道具、唐風
の官人、官女が20人以上も出るので、簡単には、上演しにくい。

相撲取りの役名が、「日本人」(菊五郎)とあるだけなのが、笑いを誘う。唐の方
も、「皇帝」(左團次)、「皇后」(梅枝)、「通辞」(團蔵)、「通辞夫人」(萬
次郎)で、「通辞夫人」のみ、「坐亜彩」と名前があるが、ほかは無名であるから、
おもしろい。官人のうち、一部のみ名前がある。「珍玄斉」(亀三郎)、「空針斉」
(亀寿)、「鉢芳斉」(松也)、「昆林斉」(萬太郎)。敢えて、仮名を振らなかっ
たが、仮名を振れば、そういう読み方の名前ならば、ない方が良いと言うかも知れな
い。

筋は、日本で名を成したモンゴルの相撲取りが、となれば、現代の話だが、芝居で
は、日本人の力士が、唐の皇帝に召し抱えられていたが、望郷の念が募り、帰国した
いと申し出たので、皇帝は願いを聞き届けた。別れの名残りに、もう一度、相撲と観
ておきたいと、惜別の相撲が披露される。褒美は、玉扇。それを得ようと、日本人の
相撲取りを相手に唐の力自慢が、次々に挑戦するが、皆、プロには及ばず、負けてし
まう。皇帝は、悔しくなって日本人に褒美だとたらふくの酒を呑ませた上で、舞まで
舞わせて、酔いを深くさせ、最後には、相撲の相手として登場した皇帝自身も負けて
しまう。「優勝」をし、皇后の玉扇を取り上げた日本人の相撲取りは、悠々と花道を
去って行く。そういう単純なストリーの踊りだ。舞台や登場人物は、唐風(つまり、
「異国風(エキゾチック)」ということ)だが、下座音楽は、いつもの演奏で、馴染
みのある曲風が、背後を飾る、コミカルな舞踊劇。


縺れた男女の模様が解(ほぐ)れた



「小さん金五郎」は、初見。大坂の芝居町・道頓堀の歌舞伎役者金屋金五郎と籠屋町
の湯女小さんとの悲恋話は、元禄時代の実話。当時のメディアである歌祭文やはやり
歌で、巷間を賑わせ「小さん金五郎もの」として、歌舞伎のひとつの世界を作った。
その流れのなかで、1934(昭和9)年、大阪歌舞伎座(当時)で上演されたの
が、大森痴雪原作の一幕もの「小さん金五郎」で、その後、戸部銀作が補綴し、今回
が、4回目の上演である。金五郎は、歌舞伎役者ではなく、髪結い。小さんは、芸妓
という設定だ。

第一場「安井天神の場」。下手にお休み処。上手は、大坂安井天神の境内。お百度の
石と石の狛犬がある。舞台中央奥は、大坂の街の遠見。安井天神は、お百度参りで知
られる。「お百度参り」のように、若い男女が入れ替わり、立ち替わり、次々と現れ
る。上手奥から、願掛けの男も女も、クルクル廻る。綾なされる男女の恋模様が、こ
の芝居のテーマだ。

桜が満開の安井天神。広瀬屋の若旦那新十郎(團蔵)は、太鼓持ちの六ツ八(松江)
や仲居を引き連れてやって来た。大村屋の芸妓お糸(梅枝)も現れる。六ツ八は、実
は、木津屋の若旦那六三郎。お糸に入れあげて、店の大事な茶入れを質入れしてしま
い、勘当され、太鼓持ちに身を窶している。新十郎は、六三郎とお糸を代理として、
お百度を踏みにいかせる。そんな様を観ていた女髪結いのお鶴(秀太郎)は、実は、
左腕に「金五郎命」と彫り込んでいる。しかし、金五郎からは見向きもされない。新
十郎自身は、小さんに惚れているが、小さんは、現れない。そこへ、千草屋の娘・お
崎(右近)が、やって来る。お崎は、六三郎の許婚という具合に、それぞれの男女の
仲が、いかに縺れているかを提示するのが、第一場だ。金屋橋の金五郎(梅玉)が、
やっと登場するが、小さんは、まだ、現れない。お糸が嫌う福屋の客がお糸を呼んで
いるというので、金五郎は、お糸と仮の情夫(いろ)になって、客にお糸から手を引
かせようとするなど、縺れた男女の糸が観客には、何がなにやら判り難くなって来た
頃、芸妓額の小さん(時蔵)が、駕篭に乗って、花道から通りかかる。小さんに走り
よったお糸が、すがって泣くので、訳を聞きただす。

舞台が廻ると、第二場「福屋の離座敷の場」。安井の料理屋・福屋。その離で、金五
郎と六三郎が、何やら、相談をしている。勘当を許してもらう相談だ。質入れした茶
入れの代金、50両は金五郎が手当をすることにしたが、金策のめどが立たない。そ
こへ、お糸から六三郎の仲を相談された小さんが、金五郎に相談に来る。金五郎は、
許婚同士の六三郎とお崎を結婚させようとする。双方とも、それでは顔が立たないと
喧嘩別れをしてしまう。

新十郎が来たので、訳を話す小さん。新十郎は、小さんの心意気に惚れ込み、50両
を用立ててやる。新十郎の感謝する小さん。第二場も、縺れる男女関係の展開が続
く。時蔵の小さんは、色っぽい。

第三場「勝曼坂の場」。春雨が降る勝曼坂。上手石段の上から現れたのは番傘を差し
た金五郎。金五郎は、金の工面がまだ出来ない。同じく、上手石段の上から現れた小
さんは、50両を持っている。立ち回るふたり。さらに上手石段の上から、お鶴も加
わる。その最中に、石段から転げ落ちるお鶴。立ち回っているうちに心が解け合う小
さんと金五郎。だから、男女の喧嘩は、当てにならない。巻き込まれないようにしよ
う。武芸の腕を褒められて、出自を明かす小さん。すると、小さんは、金五郎の許婚
だったことが判るという太平楽な話。馬鹿馬鹿しい。

そこへ、下手石段の上から六三郎とお崎がやって来る。金五郎は、小さんが工面した
50両を六三郎に渡す。茶入れを取り戻す目処がついた六三郎。相合い傘に入るお崎
と六三郎。お糸と新十郎も、相合い傘で現れる。縺れていた男女関係が、ほぐれる
と、3組のカップル誕生となる。転げ落ちた石段下で息を吹き返したお鶴だけ、ひと
り、仲間はずれ。絵空事のような男女のもつれと解きほぐしの展開の仲で、仲間はず
れにされたお鶴を演じた秀太郎が、達者な芸で、最も、存在感があった。そういう展
開だけの話。上方ネタの芝居で、皆さん、初役ということだ。先代の三代目梅玉に絡
む演目ということで、梅玉を軸に、時蔵と秀太郎が絡むと言えば、ハナから、判り易
かったかもしれない。
- 2012年3月25日(日) 18:03:25
12年03月新橋演舞場 (昼/「荒川の佐吉」「仮名手本忠臣蔵〜山科閑居〜」)


ふたつの「成長物語」


「荒川の佐吉」は、6回目の拝見。真山青果作の科白劇。時代物と違って、数少ない
青果の「世話物」の秀作である。私が観た佐吉は、仁左衛門(3)、猿之助、勘九郎
時代の勘三郎、そして、今回が、染五郎である。この芝居のポイントは、父親の情
味。

95年7月の歌舞伎座で、最初に観た佐吉は猿之助(6回演じている。私は、最後の
猿之助佐吉を観たことになる)で、いまも、印象に残る。最近は、連続して、仁左衛
門。仁左衛門は、孝夫時代(4回)から、佐吉を演じていて、彼の当り役(これま
で、通算7回演じている)のひとつである。仁左衛門の佐吉は、爽やかで印象的だっ
た。父親の情味が滲み出ていて良かった。母親の情愛は、先に亡くなった雀右衛門を
右翼とする。仁左衛門は、父親の情愛では、やはり、右翼ではないか。今回は、初役
の染五郎と仁左衛門の比較という視点で、論じたい。初役の演技を右翼の、それも
「松嶋屋のおじさん=仁左衛門=に稽古を見ていただき、あの素敵な佐吉をめざした
い」という仁左衛門の演技と比べるのは、酷かもしれないが、そうしよう。

この物語は、ふたつの「成長の物語」が、接ぎ木のように重ねられている。まず、ひ
とつは、三下奴・佐吉の成長の物語。

今回のほかの配役は、以下の通り。政五郎(幸四郎)、清五郎(高麗蔵)、辰五郎
(亀鶴)、郷右衛門(梅玉)、仁兵衛(錦吾)、お新(福助)、お八重(梅枝)な
ど。福助のお新を観るのは、3回目。梅枝のお八重は、初々しい。高麗蔵は、久しぶ
りの立役。

序幕・第一幕「江戸両国橋付近出茶屋岡もとの前」では、江戸の両国橋の両国側の喧
噪を描く。街の悪役が、田舎者の親子連れに難癖をつける。地元のやくざの親分・鐘
馗の仁兵衛(錦吾)の三下奴・佐吉(染五郎)が、義侠心を出す場面で、後の伏線と
なる。この辺りは、染五郎も、いつもの染五郎の役どころ。滑稽味も入れて、まずま
ず。喧嘩の末、親分の仁兵衛が、浪人・成川郷右衛門(梅玉)に斬られる。郷右衛門
初役の梅玉は、良い。虚無的な浪人から、「有能な」やくざの親分になる。出会いの
三下から7年後、成長した佐吉に討たれる。

序幕・第二場「向う両国鐘馗の仁兵衛の家」。親分が斬られて、慌ただしい。見舞い
と称して現れた郷右衛門が、仁兵衛の縄張りを譲り受けたいと不敵にも宣言。抗議す
る子分の清五郎(高麗蔵)は、あっさり、郷右衛門に殺されてしまう。

二幕目・第一場「本所清水町辺の仁兵衛の家」。浪人から親分に変身した郷右衛門
(梅玉)に縄張りを奪われた仁兵衛は、一家も解散し、娘のお八重(梅枝)らととも
に、裏長屋で閉塞している。長屋を巡る溝が雰囲気を出す。鬱陶しい雨の日である。
甲州の使いから戻った佐吉が訪ねて来る。佐吉は、早速親分の生活を助けようとす
る。いかさま博打で、ひと山当てようと仁兵衛は、佐吉が止めるのを振り切って、出
かけて行く。

二幕目・第二場「法恩寺橋畔」というシンプルな場面は、いつ観ても、印象的だ。佐
吉は、お八重の姉・お新(福助)が生んだ盲目の赤子・卯之吉を寝かし付けようと橋
の辺りを歩いている。舞台中央に据えられた法恩寺橋には、人ッ子ひとりいない。橋
の下手袂に、柳の木が、一本。上空には、貧しい街並を照らす月があるばかり。佐吉
のひとり芝居の場面だが、ポイントは、親子の情愛の表現。父親替わりだが、実の父
親のような情愛の表現が要求されるが、染五郎は、仁左衛門には、ここは、まだま
だ、及ばない。今後の染五郎の課題と観た。この場面では、いかさま博打が発覚して
親分の仁兵衛が殺されたことを佐吉に知らせに来るのが、極楽徳兵衛(宗之助)。か
つての佐吉の兄貴分だが、いまでは、寝返って郷右衛門の身内になっている。女形の
宗之助には、珍しい立役。

三幕目・第一場「大工辰五郎の家」。7年後。向う両国にある佐吉の弟分の辰五郎
(亀鶴)の家。佐吉は、卯之吉とともに、居候している。卯之吉は、すっかり、佐吉
になついている。その後、子宝に恵まれないお新は、盲目故に里子に出した卯之吉を
取り戻そうとしている。白熊の忠助(幸太郎)が、卯之吉を無理矢理連れ戻そうとす
るので、佐吉は、夢中で、手元にあった手斧で忠助を殺してしまう。「捨て身になれ
ば恐れる相手はいない」と佐吉が悟る場面。脱皮する佐吉を染五郎が描けるかが、ポ
イント。世話物ながら、この辺りから、真山青果の科白劇が光り出す。口べたの青年
佐吉が、決め科白も勇ましい大人の佐吉に成長して行く。仁兵衛の仇討ちを決意し、
花道を掛けて行く佐吉。

この後は、もうひとつの成長の物語が始まる。この盲目の赤子・卯之吉の物語。佐吉
は、義理の息子・卯之吉を育て上げてきた。その過程で生まれた父親としての情愛、
それに佐吉本来の「男気のダンディズム」が絡む。大きくなった卯之吉が、見えない
眼でも、父親の帰りを逸早く悟り、「おとっちゃん、お帰り」とすり寄って行くと、
佐吉が卯之吉を、ほんとうに愛おしそうに抱く場面が何回かあるが、ここも、仁左衛
門は、実に丁寧に演じていた。しかし、卯之吉を生みの親のお新(福助)に返さなけ
ればならなくなるエピソードも挟まれる。父親の情味から「俺ア、嫌だアあ」と、佐
吉。だが、男気が、父親の情愛を超えてしまう。この切り替えも、染五郎より、仁左
衛門が巧かった。

三幕目・第二場「向島請地秋葉権現の辺」で、佐吉は、親分の仇を討ち、郷右衛門を
殺す。それを見届けるのが、政五郎で、政五郎は、登場の仕方も、花道から駕篭に
乗って姿を見せるなど、幡随院長兵衛を意識した人物造形になっているので、なによ
り、貫禄が要求される。初役ながら、幸四郎の貫禄ぶりも、大きくて良い。染五郎の
芝居の年期のレベルが違う。

四幕目・第一場「両国橋附近佐吉の家」。大川端(隅田川)両国橋付近に構えた佐吉
の新しい家。親分の縄張りも取り戻した。立派な家の上手、床の間に色紙を掛け軸に
直したものが飾られている。「敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」と書いて
ある。床の間の近くに置かれた大きな壺にも桜の木が差し込んである。桜から桜へ。

四幕目・第二場「長命寺前の堤」。この場面も、印象的。薄闇のなか、佐吉の登場。
曉闇から、夜が明けて行く。大川端の遠見。双子の山頂の筑波山が見える。堤には、
6本の桜木。すっかり明け切る。この夜明けの光量の変化の場面が、実に美しい。お
八重との再会。政五郎の見送り。辰五郎も背負った卯之吉を連れて見送り。草鞋を履
き、江戸を離れ、遠国の奥州へ旅立つ佐吉へ餞の言葉を述べる政五郎の科白に「朝日
に匂ふ山桜花」が出て来て、前の場の舞台の設えが、この台詞のための伏線になって
いることが判るという趣向。「惜しい男を旅に出すなア」と、政五郎の科白。散り掛
かる桜の花びらのなかで、卯之吉を抱きしめ、遠ざかる佐吉を泣きながら見送る辰五
郎の科白。「やけに散りやがる桜だなア」
で、幕。


ふたつの家族の物語


「仮名手本忠臣蔵〜山科閑居〜」、通称「九段目」は、6回目の拝見。この芝居は、
登場人物の構成が、重層化しているのが、特徴。3人ずつで構成される2組の家族。
3組の夫婦(許婚同士も含む)。死に行く3人の男たち。残される3人の女たち。

ふたつの家族とは、説明する迄もなく、大星由良之助一家と加古川本蔵一家のことで
ある。

私が観た「九段目の加古川本蔵」:十七代目羽左衛門、仁左衛門、段四郎、團十郎、
そして今回を含めて2回目の幸四郎である。戸無瀬:菊五郎、玉三郎(2)、鴈治郎
時代ふくめ、今回で2回目の藤十郎、芝翫。小浪:菊之助(3)、勘太郎時代の勘九
郎、亀治郎、今回が、福助。福助は、初役。藤十郎の戸無瀬をくっきりと目に焼き付
けていることだろう。

「九段目の加古川本蔵」は、「三段目の加古川本蔵」とは違って、塩冶側から見て、
裏切り者ではない。まして、由良之助の長男・力弥と許嫁の仲にあった本蔵の娘・小
浪、後妻の戸無瀬に、思いを遂げさせようと、加古川一家は、文字どおり全員が命を
掛けて大星家に働きかける場面である(死ぬ気の戸無瀬と小浪、実際に死ぬ本蔵)。
今回は、本蔵(幸四郎)、戸無瀬(藤十郎)、小浪(福助)という配役。

それにひきかえ、大星家の面々は、印象が薄い。由良之助の妻のお石(時蔵)は、仕
どころがたっぷりあるが、力弥(染五郎)、由良之助(菊之助)となるに連れて、存
在感が薄くなる。特に、由良之助は、肚で演じる部分が多い。内面的なのだから、外
面的な存在感は、薄くなる。

私が観たお石:玉三郎、勘九郎時代の勘三郎(2)、魁春(2)、そして今回が、時
蔵。力弥:八十助時代の三津五郎、孝太郎、玉太郎時代の松江、新之助時代の海老
蔵、今回含めて2回目の染五郎。由良之助:孝夫時代の仁左衛門、富十郎、鴈治郎時
代の藤十郎、幸四郎、吉右衛門、今回が、菊之助。由良之助は、毎回、顔ぶれが立派
だが、七段目とは違い、九段目では、そもそも存在感が薄い。時蔵は、初役。菊五郎
も、初役。

ふたつの家族といっても、メインは、加古川一家であり、大星一家は、いわば、松の
廊下の、敵役の加古川一家を浮き立たせるための、サポート役にしかすぎないように
見受けられる。加古川一家は、まさに、命がけで、「大星家への忠義」を歌い上げ、
是が非でも、娘の小浪の一夜の契りを実現させてしまう。

「恋と忠義はいずれが重い」とは、「義経千本桜」の「吉野山」の道行の場の浄瑠璃
「道行初音旅」の冒頭の文句であるが、「山科閑居」では、本蔵の忠義と小浪の恋と
いう、どちらも重い課題を、後妻であり、継母であるという、戸無瀬の、「義理の家
族」ゆえに純化させた強い意志力で、忠義も恋も、どちらも両立させてしまう。緊迫
感のある場面となる。芝翫が逝き、雀右衛門が逝き、歌舞伎界の立女形、数少ない人
間国宝の藤十郎が、迫真の演技で戸無瀬を演じ切る。品位も貫禄もある母親像を構築
した。「花道の出で、役の華≠ニ立女形の大きさを表さねばならない」という藤十
郎は、その思いを外面化した。今回で、10回目の戸無瀬である。丸本歌舞伎(義太
夫もの)の女形の中でも、重量級の演目。加古川家に後妻に入ったが、義理の娘・小
浪とは、さして歳が違わないという設定ながら、役割は、母親。役割が、人間の品格
を作る、という典型のようなもの。女ながら、両刀二本差しで登場。加古川家を代表
しての訪問ということなのだろう。

福助の小浪は、可憐。色気が濃すぎないか。小浪は、脱いだ白い打掛けを、恰も、切
腹をする武士が使用する二畳台のように敷き、その上に座る。上手奥から、「御無
用」とお石の声がかかる。戸無瀬を演じる藤十郎、お石を演じる時蔵が対抗する、緊
迫した名場面だ。この場面では、「御無用」という声を含め、勘三郎の演じたお石
が、今も印象に残る。

下手から、尺八の音とともに現れた加古川本蔵。幸四郎の本蔵は、科白廻しも、所作
も、ハイテンションの「熱演」。本蔵から見れば、後妻の戸無瀬、愛娘の小浪、娘婿
の力弥、婿の両親の由良之助とお石という濃密な人間関係が、息苦しいだろう。松の
廊下事件以後、いわば、職場の義理で、公的には、「敵対関係」に落ち入った、娘の
許婚一家・大星家との私的な和解を実現するために、命を掛けた。一家が、全員の協
力で、それに成功する物語が、「九段目」の加古川一家なのだということが、良く
判った。本蔵の小浪への愛情が、本流となって、溢れ出て来る。

一方、大星一家は、お石こそ、戸無瀬、小浪という、「義理」の母子に対して、力弥
の嫁となる小浪との関係を通じて、もうひと組の「義理」の母子という関係から、加
古川一家と対等に立ち向かうが、由良之助と力弥は、影が薄い(やがて、死ぬゆく父
子でもある)ために、大星一家そのものの影も薄くなる。ふたつの家族は、舞台こ
そ、大星一家の閑居だが、舞台の主役は、加古川一家というのが、「山科閑居」とい
う芝居の実質なのだろう。

力弥の槍で刺され、瀕死の怪我、苦しい息のもと、いろいろ重要な情報を大星親子に
伝えなければならない。幸四郎は、いつものように骨太に本蔵を演じて行く。本蔵を
両脇から支える赤い衣装の戸無瀬、白無垢の小浪。小浪は、ほとんど同じ姿勢で動か
ない。静止画の中で、本蔵だけが動く。それでいて、不自然ではないのが、歌舞伎の
妙味。生と死。死を覚悟して、嫁ぎに来た母子の間を、暫し、静かな時間が流れる。
この3人が、主役ですよと印象づける場面だった。

4月の新橋演舞場は、今回の九段目を除いて、昼夜通しで「仮名手本忠臣蔵」を上演
する。出演するのは、花形や若手。
- 2012年3月19日(月) 14:35:34
12年03月国立劇場 開場45周年(「一谷嫩軍記〜流しの枝・熊谷陣屋」)


初めて観る構成と場面:「流しの枝(え)」からお馴染みの「熊谷陣屋」へ


「熊谷陣屋」は、歌舞伎でも人形浄瑠璃でも観ているが、歌舞伎が圧倒的に多い。人
形浄瑠璃の舞台を入れると、今回は、16回目の拝見となる。今回は、国立劇場での
普段観られない珍しい構成と場面がある「復活上演」という試みもあるので、特に初
めて観た場面を中心に劇評をまとめたい。

今回の構成は、以下の通り。序幕「堀川御所の場」、二幕目「兎原里(うばらのさ
と)林住家の場」、三幕目「生田森熊谷陣屋の場」となる。このうち、序幕「堀川御
所の場」は、98年ぶりの復活。

序幕「堀川御所の場」では、御所の御簾が上がると、義経(三津五郎)。序幕は、義
経が軸となる。平家一門を都から追い出した義経は、金地に義経の家紋「笹竜胆」を
掲げた襖が、輝かしい堀川御所に、妻の卿の君の父親・平時忠(家橘)を呼びつけ、
平家方にあった三種の神器のうち、鏡、神璽などの二種類を持って来させていた。そ
こへ、歌人五条三位俊成の娘・菊の前(門之助)が、父俊成の使いとしてやって来
て、ある和歌を俊成が編纂する「千載和歌集」に掲載しても良いか、義経の判断を尋
ねに来る。その歌が、平家方の薩摩守忠度(ただのり)の歌だと知りながら、義経
は、是と言う。平家を裏切って、神器を盗んで来た時忠は、薩摩守忠度の歌と知って
いるだけに反対する。義経は、歌を書いた短冊を預かり、菊の前を帰す。御簾が下が
り、義経は姿を隠す。

花道より、熊谷直実(團十郎)が、黒地に家紋を染め抜いた正装姿でやって来て、義
経に出陣を促す。応対する義経の下手側横には、桜の一枝が置いてある。家臣に持っ
て来させた制札を義経は、直実に渡す。後の「熊谷陣屋」で、重要な道具となる例の
制札(弁慶が書いたという「一枝(いっし)を伐らば、一指(いっし)を剪るべし」
=「一枝伐ったら、一指切るよ」という暗号=敦盛救済を命じる文章)である。直実
は、それを持って、ある決意を胸に秘め、戦場へと向かう。舞台下手に制札を持った
直実、上手に桜の枝を持った義経。引張りの見得で、幕ということで、序幕は、伏線
の場面。

これらの場面は、次の展開へ向けてふたつのベクトルがある。ひとつは、二幕目「兎
原里林住家の場」(通称「流しの枝(え)」)へ。もうひとつは、お馴染みの三幕目
「生田森熊谷陣屋の場」へ。

では、まず、二幕目「兎原里林住家の場」(通称「流しの枝」)。人形浄瑠璃では、
二段目の「切」。歌舞伎では、37年ぶりの上演。序幕にて、先ほど触れたような発
端のエピソードがあり、そこから物語が流れ込む。→薩摩守忠度の物語。今回は上演
されないが、時々上演され、お馴染みの「陣門・組打」は、人形浄瑠璃の二段目の
「口」で、こちらは、「熊谷陣屋の場」へと物語が流れ込む。→熊谷直実の物語。

二幕目の粗筋をざっと押さえると、次のようになる。幕が開くと、舞台中央に百姓
屋、下手に木戸。舞台下手側の遠見は、山並みと川。摂津国兎原里という田舎の風
情。竹本は、床(ちょぼ)の出語りで、御簾を上げている。泉太夫。

俊成家に奉公をし、菊の前の乳母だった林(秀調)の住家。いわば、キャリアウーマ
ンの引退後の一人暮らし。でも、気楽ではない。勘当した一人息子・太五平(たごへ
い・弥十郎)が家重代の刀を盗みに忍び込む。源平の争いの世ゆえ、戦場に赴き、ど
ちらかの首を拾って、恩賞を得ようというつもりだ。馬鹿な息子ほど可愛い、という
母情に負けて、息子を送り出す。

花道から赤姫の衣装に身を包んで、簑を付け、黒塗りの笠に杖を持ってという、旅装
の菊の前が、許婚の薩摩守忠度の消息を追って、やって来る。偶然にも、林の住家に
は、薩摩守忠度が、身を隠していた。それを知り、喜ぶ菊の前。その様子を家の奥で
見ていたのが、太五平をスカウトにきていた人足廻し茂次兵衛(三津之助)で、褒美
目当てに源氏方の大将・梶原平次景高へ「ご注進」に行く。

菊の前の来訪に、障子の間の奥から姿を見せた薩摩守忠度(團十郎)は、「縁切り
話」で応える。姫には冷たいようだが、歌道の師である俊成方が、風前の灯の運命と
なっている平家方との関係を源氏方に疑われるのを避けようという配慮だという。

遠寄せの鐘太鼓が鳴り響き、花道から梶原平次景高(市蔵)が、軍兵を連れてやって
来る。薩摩守忠度は、歌も読むが、剣も強いので、梶原や軍兵を蹴散らす。畳を外し
ての立ち回り。畳の陰で額に傷を付ける團十郎。百姓家の手水の柄杓で、傷を洗う仕
草。

そこへ、花道から源氏方の岡部六弥太忠澄(三津五郎)が現れる。背中に短冊を付け
た桜の枝を差している。義経から薩摩守忠度の歌を(平家方ゆえ)「詠み人知らず」
ながらも、「千載和歌集」に掲載すると伝えに来たのだ。義経の許可の証として、菊
の前から預かった短冊を山桜の流し枝に結びつけて、持参したのだ。歌人としての本
望成就を喜ぶ薩摩守忠度は、岡部六弥太忠澄に生け捕られるなら満足と縄にかかろう
とする。しかし、岡部六弥太忠澄は、戦場で相見えようと、薩摩守忠度が陣所に戻る
ための馬を用意する舞台下手から、引き出される馬。薩摩守忠度との別れを惜しむ菊
の前。男の友情か、武士の情けか。岡部六弥太忠澄は、薩摩守忠度の上着の右袖を切
り取り、林を介して菊の前に、形見として渡す。

こういう展開のうちに、林の住家は、木戸が運び去られ、百姓家が上手に引き込ま
れ、舞台は、下手半分は、山深い野遠見となる。舞台下手から、馬上の薩摩守忠度、
岡部六弥太忠澄、平舞台へ降りて来た菊の前、そして林と並んで、引張りの見得に
て、幕。これにて、薩摩守忠度の物語は、終わる。

三幕目「生田森熊谷陣屋の場」は、毎年のように演じられるお馴染みの場面だ。しか
し、今回は、最近では、余り上演されない本来の冒頭部分から上演してくれた。「入
り込み」という、関係者が、次々と花道から登場し、熊谷陣屋に入って行く場面が続
く。幕が開くと、下手に桜の木。上手側は、陣屋。木戸や屋敷の床が、いやに白っぽ
い。白塗りのような感じさえするが、白木のようだ。制札の前にいつもいる村人がい
ない。制札も、静かに建っている。竹本は、床の出語りと本舞台には、山台の盆廻し
がある。床の出語りは、道太夫。山台は、無人。

まず、花道から、旅装の相模(魁春)一行。若党や中間を連れている。「お国元から
奥様のおこし」。木戸の内に入ると、旅装の打ち掛けをよそ行きに着替える。奥から
は、堤軍次(巳之助)が出て来る。木戸の外に待機していた若党らは、相模の許しが
出たので下手に入る。警備の必要な陣屋とて、木戸は、すぐ閉める。

花道より、藤の方(東蔵)が陣屋を訪ねて来る。木戸前で、おとなう声を上げる。女
の声とて、軍次に替わって様子を見に行く相模。木戸を開けると、相手が、大内の女
官時代の恩人・藤の方と知れる。藤の方から、夫の熊谷直実が、藤の方の息子・敦盛
を殺したので、敵討に来たと聞かされ驚く相模。藤の方は木戸から入り、座敷に上が
り、上手の障子の間へと入る。熊谷直実帰宅の際に敵を討とうと隠れたのだ。

「掛かるところへ梶原平次景高」で、花道から梶原(市蔵)登場。平家方の敦盛の供
養塔を建てたのが、熊谷直実ではないかと疑っている。熊谷直実が帰って来たら、詮
議しようと証人になる石屋を引き連れて来たのだ。軍次は、木戸を開けて待ってい
る。梶原が入っても、木戸は開けたままにされている。梶原は、軍次とともに奥へ入
る。

軍兵に縄打たれて連行されて来たのが、石屋の弥陀六(弥十郎)。弥陀六が木戸の中
に連れ込まれると、軍兵が、やっと、木戸を閉める。ここまでの場面は、普通の上演
では、省略されている。

竹本が、床の出語りから本舞台の山台盆廻しに替わる。床の御簾が下りて来る。盆廻
しに乗って竹本は、喜太夫登場。ここから、いつもの場面で、奥の襖が開き、相模が
出て来る。やがて、花道から熊谷直実の登場となるだろう。

熊谷直実は、團十郎(薩摩守忠度とのふた役)。陣屋の場面は、13年ぶりという。
先に陣屋の奥に入っていた義経は、三津五郎(岡部六弥太忠澄とのふた役)。場面展
開は、直実の敦盛討ちの武勇談、敦盛の青葉の笛、敦盛の首実検、直実の出家(演出
によっては、熊谷夫婦で旅立つ場面もある。本来の竹本:「お暇申すと夫婦連れ」)
など、いつもの通り。

ほかの役者では、菊の前の門之助。歌舞伎での上演が途絶えていただけに人形浄瑠璃
のビデオで演技の工夫をしたという。98年ぶりの「堀川御所」は、書き物しか資料
が無いだろう。弥陀六を演じた弥十郎は、太五平とのふた役。

人形浄瑠璃では、三段目。並木宗輔の絶筆。四段目以降は、別の作者らが書き次い
で、全五段を完成させた。
- 2012年3月17日(土) 15:15:55
12年02月国立劇場(人形浄瑠璃) (第3部/「菅原伝授手習鑑〜寺子屋〜」
「日本振袖始」)


人形浄瑠璃で観る「寺子屋」


「菅原伝授手習鑑」は、「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」と並んで、歌舞伎・人形
浄瑠璃の史上三大演目と言われる。なかでも、「菅原伝授手習鑑」は、トップバッ
ターの栄光に輝く。今回、人形浄瑠璃では、「寺子屋」を初めて拝見するが、歌舞伎
では、私は15回観ている。「寺子屋」では、松王丸と千代の夫婦と源蔵と戸浪の夫
婦が両輪をなす。ふた組の夫婦の間で、ものごとは展開する。「寺子屋」は子ども殺
しに拘わるふた組のグロテスクな夫婦の物語なのである。一組は我が子を恩人の息子
の身替わりとして殺させるようにしむける。もう一組は身許も判らない他人の子を大
人の都合で身替わりとして殺してしまう。

一組目の夫婦は松王丸・千代。先に子どもを連れて入学して来た母親(千代)とその
夫だ。夫は秀才の首実検役として、藤原時平の手下・春藤玄蕃とともに寺子屋を訪ね
て来る松王丸である。

実は、源蔵の「心中」を除けば、物語の展開の行く末のありようを「承知」している
のは松王丸で、彼が妻と計らって、自分の息子・小太郎を源蔵が殺すよう企んでい
る。千代は息子の死後の装束を文机のなかに用意して、入学していたし、松王丸も春
藤玄蕃の手前、源蔵に対して、「生き顔と死に顔は、相好(そうごう、顔付き、表
情)が変わるからと、贋首を出したりするな」などと、さんざん脅しを掛けながら、
実は、贋首提出に向けて密かな「助言」(メッセージ)を送っているのである。

二組目の夫婦は武部源蔵・戸浪である。匿っている菅丞相の息子・秀才の首を藤原時
平方へ差し出すよう迫られている。なぜか、ちょうど「この日」、母親に連れられ
て、新たに入門して来た子供(松王丸の息子・小太郎)がいる。この子は野育ちの村
の子とは違って、品が有る。この子を秀才の身替わりに殺して、首を権力者に差し出
そうかと、源蔵は苦渋の選択を迫られているのである。妻の戸浪に話すと、「鬼に
なって」そうしろと言う。悩んだ挙げ句、「生き顔と死に顔は、顔付きが変わるか
ら、贋首を出しても大丈夫かも知れない」、「一か、八か」(ばれたら、己も死ねば
良い、相手も斬り殺してやる)と、他人(ひと)の子供を殺そうと決意する源蔵夫婦
は「悩む人たち」では有るが、実際に小太郎殺しをする直接の下手人であり、まさ
に、鬼のような、グロテスクな夫婦ではないか。

今回の構成は、「寺入りの段」「寺子屋の段」。歌舞伎でも時々は演じられるが、普
段は省かれることが多いのが「寺入りの段」である。右大臣だった菅丞相の旧臣・武
部源蔵は、芹生(せりょう)の里で寺子屋を開いている。源蔵・戸浪(人形遣:桐竹
勘寿)の夫婦は菅丞相の息子・秀才(人形遣:桐竹勘次郎前半は、一人遣い)を密か
に匿っているが、左大臣の藤原時平は執拗に秀才を探しまわっている。芝居の場面で
は、見つかるのも時間の問題という切迫した状況になっている。この寺子屋に、なぜ
か、鄙には稀な品の良い母親(実は、松王丸女房の千代。人形遣:吉田文雀)が息子
(小太郎。人形遣:吉田簑次)を連れて入門を頼みに来る。寺子屋への入門なので、
「寺入り」である。歌舞伎では、「寺子屋」の冒頭に次ぐ部分の演出として、演じら
れることがある。

入門お手続きを済ませると、母親は隣村まで所用を果たしに行くと子どもを預けて、
そそくさと出かけててしまう。「悪あがきせまいぞ」と、なぞのような言葉を小太郎
に投げかけて……。

母親の千代を操る吉田文雀が随分痩せているように見える。段差のある所に移動する
際は、足遣いが文雀の腰をさりげなく押して、サポートしていたのが、気にかかっ
た。似たような場面を前に観たことがある。数年前の歌舞伎座で、雀右衛門が出演し
ていた際だ。何の演目だったか、今は思い出せない。座っている状態から立とうとし
たのか、腰を落としている状態から立とうとしたのか。そういう場面で、後見がさり
げなく雀右衛門の腰を押し上げていた。竹本は、豊竹睦大夫。「跡追ふ子にも引かさ
るゝ、振り返り、見返りて、下部」まで。

続いて、山場の「寺子屋の段」。竹本は、竹本津駒大夫に交代。三味線方は、人間国
宝の鶴澤寛治。「引き連れ、急ぎ往く」で、竹本津駒大夫は語り出す。この段、前
は、竹本津駒大夫で、切は、豊竹嶋大夫。

村の「振舞(庄屋宅での饗応に参加。実は、「饗応」は偽りで、藤原時平の家来・春
藤玄蕃と松王丸に庄屋立ち会いで引き合わされて、匿っている菅秀才の首を差し出
せ、という強談判をされる)」から戻って来た源蔵(人形遣:吉田和生)の顔色が蒼
ざめている。しかし、戸浪がきょう寺入りした新入生の小太郎を引き合わせると、
「忽ち面色和らぎ」、庄屋宅での事情を説明する。源蔵は小太郎を身替わりにして
「秀才の首」だと偽って差し出す作戦を妻に明かす。ばれたら、関係者皆殺しにしよ
うと言う。源蔵は筆も立つが剣も立つ。

ここへ、頃や良しとばかりに藤原時平の家来・春藤玄蕃(人形遣:吉田文司)と秀才
の首の検分役として松王丸(人形遣:吉田玉女)がやって来る。胸に秘策を秘めた松
王丸は、玄蕃を騙して我が子・小太郎の首を菅秀才の首と認定する。それを信じて玄
蕃は小太郎の首を抱えて帰って行く。病気療養中に特別任務を果たした松王丸も「駕
篭に揺られて立ち帰る」。ここまで、津駒大夫の語り。盆廻しで、嶋大夫登場。

贅言:「菅原伝授手習鑑」は、人形浄瑠璃が先行作で、後に、歌舞伎化された。松王
丸が着ている衣装の紋様「雪掛け松」は、本来、人形の松王丸が着ている衣装ではな
かったが、歌舞伎の松王丸が着ていて評判になり、その後、何時の時代か、人形浄瑠
璃に逆輸入された。

「夫婦は門の戸ぴつしやり閉め……」と嶋大夫のだみ声が語り出す。懸念した「作
戦」が、思い以上に見事に成功してしまい、気が抜けた源蔵・戸浪。そこへ、隣村で
の用事を済ませた小太郎の母親・千代が、次いで、松王丸が現れ、源蔵・戸浪の「作
戦」の前に、松王丸・千代の「作戦」があったことが判るという謎解きの場面。嶋大
夫は、息を短くつきながら早口で語りかけるが、これが場面の切迫感を盛り上げ、早
間に展開する真相解明に驚く源蔵・戸浪の、いわば、息の上がった興奮ぶりを印象づ
けていて効果的だった。文雀の腰を足遣いや4人目の人形遣が、ときどき、さりげな
く押し上げてサポートしているのに、気がつく。

息子を亡くし泣き暮れる千代。小太郎の最期を源蔵に聞き、我が子を褒める松王丸。
この辺り、嶋大夫の語りの表情が豊かで、私は人形の動きより、嶋大夫の笑い、泣
き、と変化する表情に目が行きがちだった。

菅秀才(人形遣は、三人遣いになった)は母親と再会する。恩人の妻子を交えて、グ
ロテスクな二組の夫婦は、一人犠牲になった小太郎の首の無い遺体を菅秀才の遺体と
偽って野辺送りをする。舞台には、名曲の「いろは送り」が流れる。松王丸と千代の
夫婦は、歌舞伎なら、下に白無垢麻裃の死に装束を着ている(人形浄瑠璃の竹本の文
句は、「哀れや内より覚悟の用意、下に白無垢麻裃」で、歌舞伎の演出の方が、正し
い)が、人形の松王丸と千代は、一旦奥へ入って、着替えをした体で改めて出て来
た。この演目も人気演目ゆえに、歌舞伎では、「入れごと」がいろいろあるが、それ
の解説はここでは省略。人形浄瑠璃が、原型に近いのだろう。

贅言;歌舞伎の女形の人間国宝だった雀右衛門が、2月23日に亡くなった。201
0年1月19日の歌舞伎座夜の部に一日だけ出演した「春の寿」が、最後の舞台だっ
たが、私は観ることができなかった。2年ぶりの雀右衛門歌舞伎座出演であった。私
はこの月は別の日に観に行っていて、雀右衛門の替わりに魁春の舞台を観た。雀右衛
門は、その2年前の08年2月「初代白鸚二十七回忌追善興行」の歌舞伎座夜の部の
「口上」だけに出演したが、私が観た雀右衛門の舞台姿は、これが最後であった。

母情を描いて最高の役者・雀右衛門は踊りも名手であった。所作事の、静止した姿で
は、やはり、最高のポーズを見せてくれた。それ以前の舞台辺りから、私は雀右衛門
の足腰の衰えを感じ始めていた。気配りをした静止のポーズが、取れなくなっている
のを感じた。今回の人形浄瑠璃の舞台でも、人形の女形遣いの文雀の足腰の衰えを私
は感じ始めた。今月の新橋演舞場の「河内山」の舞台では、松嶋屋3兄弟の揃い踏み
ながら、長男の我當の足の不具合も、気にかかる。皆さん、無理せず、末永くご活躍
を。


新演出の八岐大蛇


「日本振袖始」は、人形浄瑠璃では今回初見。歌舞伎では、11年11月国立劇場・
開場45周年公演で観たばかり。歌舞伎の「日本振袖始」は、原作近松門左衛門だ
が、戸部銀作の脚色であった。人形浄瑠璃の「日本振袖始」は、原作近松門左衛門で
補綴・補曲は、人間国宝の三味線方・鶴澤清治である。

1718(享保3)年、まず、大坂竹本座の人形浄瑠璃で初演され、同年中に大坂角
の芝居で歌舞伎化された。近松は世話物で風靡した後、時代物に挑戦をし、古代から
当時の現代までの日本史全体を劇化しようという構想があったのかも知れない。「振
袖始」という外題は「櫛名田姫(芝居では、「稲田姫」という)」の熱病を癒すのに
素盞鳴尊(すさのうのみこと)が、姫の着物の両袖の下を「脇明け」(着脱を楽にす
る)にするため刀で切り裂いて袖を振り袖にし、発熱時の体内の熱気を外に逃したと
いう伝説に基づいているという。

今回は、「大蛇(おろち)退治の段」の上演。一昨年、大坂で復活上演した。東京で
の公演は、今回が初演だ。竹本は、岩長姫:豊竹呂勢大夫、稲田姫:豊竹咲甫大夫、
素盞鳴尊:豊竹芳穂大夫ほか。三味線方は、鶴澤清治ほか。人形遣は、岩長姫:桐竹
勘十郎、稲田姫:吉田一輔、素盞鳴尊:吉田幸助、爺:吉田玉勢ほか。振付けは、日
本舞踊の尾上墨雪。

奥出雲の簸(ひ)の川川上は、竹本の文句では「人も通はぬ絶壁の、……」で、鬱蒼
とした深山の体。急流の川と岩が目立つ。歌舞伎の場合、上手寄りには、生け贄を待
機させる高棚(荒木の柱、小屋の体)があるが、今回は岩組の上の2本の巨木に注連
縄が渡されているだけ。舞台中央から下手にかけて、程よく、毒酒の入った8つの壺
が置かれている。これは歌舞伎とほぼ同じ。竹本は合唱と独唱で緩急自在に語る。

爺に伴われて輿に乗った稲田姫が人身御供に連れて来られる。白無垢の衣装に赤い帯
を付けた稲田姫は、素盞鳴尊から持たされた「蠅斬(はばきり)の剣」を袂の中に密
かに隠している。輿は下手から現れ、上手の棚へ移動。「時は亥も過ぎ夜半の
雲」。夜半、黒地に銀の鱗模様の衣装を着た岩長姫が登場。稲田姫に襲いかかる前
に、壺の酒の芳香に迷わされて呑み始める。酔って行く岩長姫を勘十郎は官能的に操
る。その挙げ句、後ジテの八岐大蛇(やまたのおろち)の正体を顕してしまう。大蛇
の人形は石見神楽をモデルにしたという。頭に茶色の角をはやし、緑地と赤地に金の
鱗が描かれた4体の大蛇が、八岐大蛇を表わす。1体の大蛇には、体内に入って頭を
遣う人と胴を遣う人で構成される。見せ場では、胴の部分にふたりの人形遣が入っ
て、動きを複雑にした。人形の遣い方が、普通の人形の時とは、かなり違う。

やがて、下手から現れた素盞鳴尊と大蛇は一騎打ちとなる。毒酒で悶絶した挙げ句、
大蛇は素盞鳴尊によって首を切られてしまう。大蛇の体内に呑み込まれていた稲田姫
が助け出される。大蛇の腹を割いて現れた稲田姫の手には、「蠅斬(はばきり)の
剣」と岩長姫から取り戻した「十握(とつか)の宝剣」が握られている。素盞鳴尊の
「出来したり出来したり」で、「十握(とつか)の宝剣」は「天の叢雲(あまのむら
くも)の剣」と名を替えて、全てめでたしとなる。
- 2012年2月26日(日) 18:13:23
12年02月国立劇場(人形浄瑠璃) (第2部/「義経千本桜〜すしや〜」「五十
年忌歌念仏」)


歌舞伎の「義経千本桜〜すしや〜」の登場する権太は、顔に黒子があるが、人形浄瑠
璃に登場する権太には、黒子が無い。歌舞伎の権太には、役者によっていろいろな型
が伝わっていて、それぞれ工夫魂胆の跡があって、それをきちんと受け止めるのも確
かに楽しい。例えば、「黒子」伝説の原初は、五代目幸四郎・「鼻高幸四郎」と渾名
された役者で、左の眉の上に黒子があり、鼻高の容貌を活かした凄みで権太役を当り
役としたゆえに、その後、権太を演じる役者は、皆、左の眉の上に黒子を描いてい
る。

冒頭から、閑話休題。国立劇場では、去年の2月の人形浄瑠璃公演で、「義経千本
桜〜渡海屋・大物浦〜」を上演した。「知盛」版の「義経千本桜」である。今年の2
月の公演では、「義経千本桜〜すしや〜」の上演で、「いがみの権太」版の「義経千
本桜」である。この流れで行くと、来年の2月は、「四の切」の上演で、「狐忠信」
版だろう。今年の第3部公演では、「菅原伝授手習鑑〜寺子屋〜」が上演されてい
る。去年の2月は、「菅原伝授手習鑑〜車引・佐太村〜」だったから、来年の2月
は、「菅原伝授手習鑑」は、上演せず、別の演目を選ぶのではないかと思われる。

さて、今回の「義経千本桜〜すしや〜」である。「椎の木の段」(竹本は、口が、豊
竹芳穂大夫、奥が、豊竹松香大夫)「小金吾討死の段」(竹本文字久大夫)「すしや
の段」(竹本住大夫、切が、竹本源大夫代演英大夫、後が、竹本千歳大夫)。大夫の
顔ぶれを見て、今回の公演では、この第2部が、全席売り切れになった。第1部、第
3部は、第2部に比べると売れ行きが劣ったようだ。

馴染みの演目を初めて人形浄瑠璃で観たが、歌舞伎が役者の工夫魂胆で、いろいろな
演出をちりばめているのに比べたら、人形浄瑠璃の演出は、より原型に近いのではな
いかと思った。そういう目で、今回の舞台の覗いて見た。

「義経千本桜〜すしや〜」の主筋は、平維盛一家の流転の物語である。維盛を匿った
大和下市(吉野)「すしや(つるべすし)」一家が、悲劇に捲き込まれる。小悪党の
「いがみの権太」が、意外や、複雑なパーソナリティの持ち主で、事実上の主役とな
る。

「椎の木の段」では、追っ手から逃れた維盛の御台所若葉の内侍(人形遣:吉田文
昇)、若君の六代(人形遣:吉田玉翔)、お付きの家臣・主馬小金吾(人形遣:吉田
玉志)の一行が、いがみの権太(人形遣:桐竹勘十郎)と出会う場面。権太は、小金
吾の荷物と自分の荷物を取り替え、不審に思って他人の荷物を開けてしまった小金吾
に言いがかりをつける、「取り替え詐欺」の手口で、自分の荷物には、20両という
金が入っていたのに、それが無い、盗んだだろうと騒ぎ立てる。その挙げ句、先を急
ぐ一行から20両を脅し取る。

権太は、小悪党の悪(わる)ぶりと子煩悩な愛嬌者という二面性を持つ無頼漢として
の印象を観客に与える。勘十郎の扱う権太の動きは、いつもながら、自由闊達で、緩
怠が無い。人形を扱う勘十郎の表情も、小悪党に見える。若君の六代は、逃走中とい
うのに、御殿にでもいるような「正装」をしていて、おかしいが、判り易いことは判
り易い。

椎の木のあるお休みどころの背景が上がって、竹林が出て来る居所替わり。「小金吾
討死の段」では、追っ手に追いつかれる。小金吾は、若葉の内侍と六代を逃れさせる
が、自分は追っ手に取り巻かれてしまい、最期を遂げる。立ち回りでは、追っ手の軍
兵の顔が小金吾の刀でスライスされる。「鈴ヶ森」の場面にも同じ演出があるが、
「鈴ヶ森」の方が、後から真似たのだろうなと推測する。この場面の立ち回りは、歌
舞伎よりシンプル。まあ、「大ぜい」と呼ばれる一人遣いの人形遣たちが、歌舞伎の
ように、立ち回りで、大部屋役者の見せ場を作る必要もないだろうから。

その後、遺体として闇夜の道端に横たわる小金吾につまずいた権太の父親の弥左衛門
(人形遣:吉田玉也)は、何を思ったか(自分が経営する「すしや」に匿っている維
盛の身替わりに「偽首」として利用しようと思いついたのだ)、小金吾の首を斬り落
として、自分が着ていた羽織に包んで持ち帰る。

「すしやの段」は、山場。「つるべすし(釣瓶鮓)」は、元海賊の主人・弥左衛門と
妻、娘のお里(人形遣:吉田簑助)で営んでいる。維盛は、弥助(人形遣:桐竹紋
寿)の名前で、働いている。お里は、鄙には稀なシティボーイの弥助の正体も知らず
に恋心を抱いている(その夜、奥の部屋に布団を敷いたお里は、維盛用にと自分の赤
い函枕に男枕=黒い函枕を並べて、性への誘いをしていることが判る。お里を操るの
は、簑助。人形の女形を遣う第一人者。華やかに、哀れに、じっくり遣う。歌舞伎で
は、お里と弥助の関わりを、もっと濃密に、描く)。

素行が悪く勘当されて別に所帯を持っている長男が権太で、権太には、妻の小仙と息
子の善太がいる。権太は、息子に甘い母親に金をせびりに来る。母親も、そういう権
太を可愛がっている。この場面は、歌舞伎ほどではないが、比較的こってり見せる。
父親が戻って来る気配を察知した権太は、母からせしめた金を空の鮓桶に隠して、自
分も奥に隠れる。

夜、戻って来た弥左衛門の行動も不審だ。羽織に包んで隠し持って来た首を同じよう
に鮓桶に隠す。出てきた弥助に鎌倉より梶原平三が維盛の行方を探していると告げ、
上市村に逃げるようにと勧める。「すしや」の頭からここまで、住大夫の語りで進
行。

「神ならず仏ならねば……」から、次は、源大夫代演の英大夫の語りとなる。逃亡に
疲れ果て、一夜の宿りを求めて、親子(若葉の内侍と六代)がやって来る。維盛親子
の再会が叶う場面だ。弥助の正体を知ったお里は、維盛一家を上市村に逃す。奥で立
ち聞きしていた権太は、鎌倉方へご注進にしようと金を入れた筈の鮓桶を持って駆け
出す。止めようと後を追う弥左衛門は、途中で梶原(人形遣:吉田玉輝)一行とぶつ
かってしまう。

弥左衛門は、維盛を匿っていた非を詫びるともに、すでに維盛の首を討ち取ったと告
白する。そこへ、権太の声が掛かる。維盛の首を抱え、若葉の内侍と六代を縛り上げ
て、連れてきたという。梶原は、権太に褒美として頼朝から下された陣羽織を与え
て、首と親子を連れて、機嫌良く帰って行く。ここまで、英大夫の語り。

「引つ立て立ち帰る」からは、千歳大夫が、修羅場を「賑やかに」語り出す。本物の
維盛が殺されたと思い込んだ弥左衛門は、「憎さも憎しとひん抱かへぐつと突つ込む
恨みの刃」、権太の脇腹を刀で刺す。苦しい息の中、権太は、自分が仕掛けた絡繰り
で、梶原を騙し、維盛一家を救ったことを告白し、合図の笛を吹いて、維盛一家を呼
び寄せる。若葉の内侍と六代の身替わりになったのは、自分の妻子だったと告げる。

さらに、ドンテン返し。梶原が権太に与えた陣羽織には仕掛けがしてあり、羽織の裏
に和歌が書かれていて、メッセージを伝える。羽織の縫い目を解くと、袈裟と数珠が
隠されていた。かつて、維盛の父親・重盛に助けられたことのある頼朝は、息子の維
盛の命を助け、出家させようという配慮であった。維盛一家は、文覚上人のところへ
落ち延びて行く。権太は、一躍、悲劇の主人公としなるが、両親、妻子と別れて死ん
で行く。勘十郎の操る権太は、最後まで、じっくり、くっきり見せてくれた。

人形浄瑠璃では、こういう筋立てが大夫たちの語りで、くっきりと観客に伝わって来
る。歌舞伎役者の科白廻しとは、ひと味違う魅力がある。


「五十年忌歌念仏」は、歌舞伎でも観たことがない。全くの初見。お夏清十郎の物
語。「笠物狂の段」。定式幕が開くと、舞台は、浅黄幕が覆っている。置き浄瑠璃の
後、「千(ち)ト」「観(かん)ずれば夢の世や」の「ト」を合図に、幕が振り落と
される。舞台は、海辺の松並木。道端に燈籠(あるいは、燈台の役割か)がある。清
十郎の妹おしゅんと清十郎の許婚のおさんが、歌比丘尼姿で、清十郎の行方を探して
いる。そこへ、清十郎恋しさに物狂いとなったお夏もやって来る。清十郎は、主家の
金を盗んだという濡れ衣を被せられて、追い出されている。店の朋輩の仕業と真相が
分かった際、清十郎は、怒りの余り、誤って別の朋輩を殺してしまい、逃亡してい
る。清十郎が逃げる際に菅笠を被っていたので、お夏は、菅笠姿の旅人を追いかけて
いる。だから、「笠物狂」。いつしか、暗さが勝り、夕景の海に替わっている。夕闇
が濃くなる中、お夏は、残される。

逃亡者清十郎は、お夏の願いも空しく、舞台には登場して来ない。お夏の前には、清
十郎は現れない。お夏を操っているのは、豊松清十郎。つまり、清十郎は、お夏の背
後にいる。だから、永遠にお夏は清十郎には逢えないだろう。
- 2012年2月25日(土) 17:59:38
12年02月国立劇場(人形浄瑠璃) (第1部/(「彦山権現誓助剣」)


「毛谷村」の前後を解明


国立劇場の人形浄瑠璃公演は、2月20日で千秋楽になったが、諸般の事情で劇評を
掲載できなかった。自分の観劇の記録という意味で掲載しておきたい。
観劇後でも、私の劇評を読んで観劇体験をなぞり直すという人もいるので、その人た
ちのためにも掲載しておきたい。

「彦山権現誓助剣」は、歌舞伎では、「毛谷村」の場面が、よく上演される。私も何
度か観ているが、人形浄瑠璃で観るのは初めてなので、愉しみにして国立劇場小劇場
に入った。

09年4月歌舞伎座の舞台まで、「毛谷村」は5回観ている。主役の六助は、百姓な
がら、剣術の名人である。歌舞伎では、幕が開くと、六助と微塵弾正、実は、京極内
匠が、立ち会っている。先頃、実母を亡くしたばかりの六助は、病身の老母に仕官姿
を見せたいという微塵弾正の情にほだされて「八百長」の約束ができていたらしく、
六助は、微塵弾正に勝ちを譲る。にもかかわらず、偽りの勝ちを占め、立ち会いの領
主の家臣とともに去る際、微塵弾正は、急に態度を変えて、六助の眉間を割って、出
かけて行くが、六助は、母親への孝行を忘れてくれるなと、鷹揚に送り出す人の良さ
を見せる。

今回初めて観た人形浄瑠璃では、「杉坂墓所の段」「毛谷村の段」「立浪館仇討の
段」と、丁寧に場面展開してくれるので、判り易い。幕が開くと、六助が亡き母の墓
前で手を合わせている。人形遣は、玉女。後ろ向きのまま、動かない。開幕後、暫く
は、後ろ姿のままというのも珍しい。

初見の「杉坂墓所の段」。時代は、真柴久吉(豊臣秀吉)の朝鮮出兵前夜という落着
かないご時世。老女を背負った浪人が通りかかる。六助の名前を確かめた浪人は、
「毛谷村の六助に勝った者は、召し抱える」という豊前国主の高札を読んだので、老
母を安楽に暮らさせたいので、勝負に負けて欲しいと、意外なことを言う。母親を亡
くしたばかりの六助は、微塵弾正という浪人(実は、京極内匠という男で、六助の師
匠だった吉岡一味斎を闇討ちにしている。一味斎の妻・お幸、姉娘・お園、妹娘・お
菊=京極内匠に返り討ちに遭ってしまう、お菊の息子・弥三松=やそまつ=は、敵討
の旅に出ている)の孝行心に感じ入り承諾し別れる。

六助が、水を汲みに行った隙に一味斎の若党が、弥三松を連れて通りかかる。だが、
ふたりを追って来た京極内匠一味に斬られてしまう。戻って来た六助が、京極内匠一
味を追い払うが、弥三松を残して、若党は死んでしまう。六助は、弥三松を連れて毛
谷村の自宅へ戻る。この場面を観れば、六助と浪人・微塵弾正、実は、京極内匠の関
係が、良く判る。竹本は、御簾内で語る、口が豊竹希大夫、盆廻しで登場し、出語り
となる、奥が豊竹英大夫。人形遣は、玉女のほかに、微塵弾正、実は、京極内匠が、
玉輝。

「毛谷村の段」。お馴染みの毛谷村の場面では、六助宅の横に、高札があり、「六助
に勝ったら、五百石で召し抱える 領主」という趣旨が,書かれている。六助と微塵
弾正、実は、京極内匠が、立ち会っている。この場面の展開は、歌舞伎と同じ。六助
は、微塵弾正に勝ちを譲る。にもかかわらず、偽りの勝ちを占め、立ち会いの領主の
家臣とともに去る際、微塵弾正は、急に態度を変えて、六助の眉間を割って、出かけ
て行く。

六助は、弥三松の名前も聞き出していないので、師匠の娘・お菊の遺児だと知らない
まま、弥三松の小袖を門口に干す。その小袖を見て老女が、宿を乞うので、奥で休息
するように言う。さらに、小袖を見て虚無僧姿の女性が訪ねて来る。弥三松は、この
女性を見て、「伯母さま」と呼びかける。女性は、弥三松の母・お菊の姉のお園だっ
た。杉坂での弥三松との出会いを六助がお園に話すと、お園は、自分は、六助の女房
だと言う。すでにお園と六助は、お互いに直接は面識がなかったが、許婚の間柄だっ
たのだ。お園が、これまでの経緯を話していると、奥から出て来た老女は、お園の母
と判り、吉岡一味斎の遺族は、改めて、六助に京極内匠を討つことを依頼する(弟子
が、師匠の奥方や娘を知らなかったというのも、荒唐無稽だが、目を瞑ろう)。

そこへ、村人が老女の遺体を運んで来る。仲間の斧右衛門の母親の遺体だという。変
わり果てた老女は、六助が感じ入った孝行心のある浪人・微塵弾正の「母」だったと
判り、怒る六助。お幸が、浪人の人相風体を尋ねると、京極内匠とそっくりではない
か。微塵弾正、実は、京極内匠という絡繰りを知った六助は、御前試合で意趣返しを
し、さらに一味斎遺族に敵討をさせると誓う。身なりを整えた六助にお園は、舞台下
手の紅梅(ただし、花は桃のように見える)の一枝を、お幸は、上手の白い椿の一枝
を差し出し、六助の武運を祈る。一同は、御前試合の行われる小倉に向けて出発す
る。

竹本は、中が豊竹咲甫大夫、切が豊竹咲大夫。人形遣は、玉女、玉輝のほかに、お幸
が勘弥。お園が和生。

「立浪館仇討の段」も、初見。この段は、国立劇場では、35年ぶりの上演という。
豊前の国主・立浪家の館。駆け込んで来た六助が、微塵弾正との再試合を申し込む
が、弾正は相手にしない。執権の轟伝五右衛門が事情を悟り、一味斎の仇討ちを願い
出た六助を許す。だまし討ちを試みる微塵弾正をあしらい、さらに同道した一味斎遺
族らに仇討ちをさせ、本懐を遂げさせる。

ミステリーじみた仕立ての話だが、解き明かされれば単純な話。でも、今回の人形浄
瑠璃の丁寧な筋の展開で、良く判る。原作は、1786(天明6)年の初演で、作者
は、梅野下風、近松保蔵という、今では、あまり知られていない人たちである。全十
一段の時代物。今回は、山場の八段目から十一段目を上演。お馴染みの「毛谷村」
は、九段目。

狂言作者は、有名な人が当り狂言を残すばかりでなく、無名な人たちも、著作権など
ない時代だから、先行作品を下敷きにして、良いところ取りで、筆が走り、あるい
は、筆が滑り、しながら、新しい作品を編み出しているうちに、神が憑依したような
状態になり、当たり狂言を生み出すことがある。「毛谷村」も、そのひとつで、さま
ざまな先行作品の演出を下敷きにしながら、庭に咲いている梅や椿の小枝を巧みに
使って、色彩や形などを重視した、様式美を重視した歌舞伎らしい演出となる。その
上、敵味方のくっきりした、判り易い筋立てゆえか、人形浄瑠璃の上演史上では、
「妹背山」以来の大当たりをとった狂言だという。
- 2012年2月25日(土) 12:28:16
12年02月新橋演舞場(夜/「鈴ケ森」「口上」「春興鏡獅子」「ぢいさんばあさ
ん」)


女形の巨星墜つ! 雀右衛門逝去


この劇評を書いている途中(2・23)、雀右衛門逝去の報が届いた。91歳。去年
から歌舞伎界は、名優を相次いで失って来た。富十郎、芝翫、そして今回は、雀右衛
門である。いずれも人間国宝。女形の重鎮たち。歌舞伎座の再建を来春に控えて、当
面、歌舞伎界は、女形の軸を欠いたまま厳しい時代が続くかもしれない。「ぢいさん
ばあさん」の福助に「成駒屋!」と声がかかった。この舞台を観ている時は、雀右衛
門逝去の前であったが、私は、芝翫を思いながら、江戸の「成駒屋」の女形の最年長
は、当面、この福助なのだなあ、と感慨深く思ったものだ。「大成駒」「神谷町」と
声のかかる芝翫は、孫の六代目勘九郎襲名の舞台にも出たかっただろうな。そして、
雀右衛門も逝ってしまった。


播磨屋と中村屋の科白廻しを楽しむ


「鈴ケ森」を観るのは、8回目。「鈴ヶ森」を私が初めて観たのは、94年4月の歌
舞伎座。初代白鸚十三回忌追善の舞台であった。40歳代の後半から歌舞伎を見始め
たが、その最初の芝居の一つが、「御存(ごぞんじ) 鈴ヶ森」で、幸四郎の幡随院
長兵衛と勘九郎時代の勘三郎の白井権八だった。今回は、その権八を病後の勘三郎が
長男の勘太郎の勘九郎襲名披露の舞台で演じる。長兵衛は、吉右衛門。

08年3月の歌舞伎座は、芝翫の権八、富十郎の長兵衛で、ふたりとも、亡くなって
しまった。ふたりとも人間国宝であった。従って、富十郎と芝翫の「鈴ヶ森」は、歌
舞伎の生きた手本であった。科白廻しが、まず、立派。味わいがある、滋味豊かな芝
居であった。

私が観た権八:芝翫(2)、勘九郎時代を含む勘三郎(今回含め、2)、菊之助、染
五郎、七之助、梅玉。長兵衛:幸四郎(2)、吉右衛門(今回含め、2)、團十郎、
羽左衛門、橋之助、富十郎。

「お若けーえの、お待ちなさんせーえや」。吉右衛門は、南北の科白を、緩怠ない科
白廻しで、堪能させてくれた。存在感のある、器の大きな長兵衛だった。時折、入る
三味線の音が、蜩の鳴き声のように聞こえて、効果的だ。勘三郎の権八は、18年ぶ
り。私も18年ぶりに勘三郎の権八を観る。権八は、いつもの鶸色の着付け。勘三郎
の科白廻しも、独特のものがある。双方名調子。

ふたりとも花道から駕篭に乗って登場する。刑場のある海辺の鈴ヶ森。晴れていれ
ば、江戸湾越しに安房上総まで一望できるという。今回座った新橋演舞場の3階席右
側第1列は、舞台の上手半分が見えない。そういう座席では、吉右衛門と勘三郎の科
白廻しだけをラジオのように聞く。それは、逆に科白に集中するので、おもしろくふ
たりのやり取りを聞いた。ふたりとも、楽しみながら科白を言っているように思え
た。大向うからは、「ご両人」「中村屋」「播磨屋」などと声がかかる。

この芝居、権八と長兵衛以外は、殆ど薄汚れた衣装と化粧の「雲助」ばかりの群像劇
で、いわば、下層社会に通じている南北ならではの、下世話に通じた男たちを軸にし
た芝居だという面もある。逃亡者を見つけ、お上に知らせて、銭にしようという輩と
逃亡者の抗争。立回りでは、小道具を巧みに使って、雲助たちが、顔や尻を削がれた
り、手足を断ち切られたり、という、いまなら、どうなんだろうと言われかねない描
写を、「だんまり」に近い所作立てで、これでもか、これでもかと、丹念に見せる。
先に、国立劇場で観た人形用瑠璃の立ち回りでも、人形の面が削がれていた。どちら
が、先に考案したのか。人形浄瑠璃だろうなと推測してみる。歌舞伎は、そのアイ
ディアを戴き、「入れごと」にしたのかもしれない。

さらに、主軸となるふたりのうち、白井権八は、美少年で、剣豪、さらに、殺人犯
で、逃亡者。幡随院長兵衛は、男伊達とも呼ばれた町奴を率いた侠客で、まあ、暴力
団の親分という側面もある人物。逃亡者と親分とが、江戸の御朱引き(御府内)の外
にある品川・鈴ヶ森の刑場の前で、未明に出逢い、互いに、意気に感じて、親分が、
逃亡者の面倒を見ましょう、江戸に来たら、訪ねていらっしゃい、ということにな
り、「ゆるりと江戸で(チョーン)逢いやしょう」というだけの噺。柝の音で、ぱっ
と、夜が明ける。客席は、江戸湾。観客の頭は、波頭。

「鈴ヶ森」は、もともと初代桜田治助の「契情吾妻鑑(けいせいあずまかがみ)」
が、原型で、権八・長兵衛の出逢いが、この段階から取り入れられていたが、このと
きの場面は「箱根の山中」だったというので、いまも、「鈴ヶ森」では、江戸湾の波
の音にあわせて、「箱八」(あの「箱根八里は……」の唄)という「山の唄」が、歌
われても、違和感が無いから不思議だ。


「口上」は、勘三郎が仕切り、上手下手の両翼を吉右衛門、仁左衛門が、固める。六
代目勘九郎襲名を寿ぐ祝幕が開くと、15人の歌舞伎役者が平伏している。クリーム
色地の欄間には、金色の雲。「舞鶴」に寿の文字。金地の「角切銀杏」の家紋。襖に
は松の絵。クリーム色地の裃を付けた勘三郎の挨拶。「初日から今日まで賑々しくご
来場下さり、いずれも様のお陰」と観客へのお礼の弁。「二代目勘九郎は、元禄元年
生まれ、五代目は、私……」と勘九郎の歴史を披露する。勘三郎の口上の後、隣上手
に座っていた我當から上手へとそれぞれの口上が続く。「勘九郎さんは、真面目が取
り柄」と我當。三津五郎は、同学年で、仲良しの勘三郎の病気恢復にとって、新勘九
郎の長男誕生が、何よりの薬になると、勘三郎の体調を気遣う。弥十郎は、勘三郎と
三津五郎より学年が一つ下。芝雀、秀太郎、吉右衛門と続き、上手側が終わると、最
下手の仁左衛門へ。

仁左衛門は、「連日の大入り」と中村屋一門の隆盛を讃える。仁左衛門から順番に上
手へ。東蔵、扇雀、錦之助。橋之助は、「成駒屋」兄弟の弟という立場から、「中村
屋」兄弟の弟の七之助を気遣い口上。次いで、福助、「芝翫は、孫(勘九郎)の晴れ
姿に目を細めているだろう」。ここからは、中村屋で、まず七之助、「幼いころから
ずうっと、優しい兄で、5歳、3歳で、揃って初舞台を踏んでから、一緒にここまで
きた」。襲名披露のご本人の勘九郎、「父が46年間背負っていた名前」とその重さ
を強調する。そして父親の勘三郎に戻る。場内の暖かい拍手のうちに、幕。


「春興鏡獅子」では、新勘九郎が、小姓弥生、後に、獅子の精を演じる。勘太郎は、
12年前、2000年4月、歌舞伎座で、一度演じている。

「春興鏡獅子」は、今回で、12回目。私が観たのは、勘三郎(勘九郎時代含め、
4)、海老蔵(新之助時代含め、3)、菊之助(丑之助時代含め、2)、勘太郎(今
回含め、2)、染五郎。やはり、勘三郎の「鏡獅子」が、いちばん安定している。

以下、12年前の勘太郎評から拾ってみる。長い引用だが、勘太郎の過去と現在が透
けて見えるので、途中は、随時、はしょりながら再掲載する。

*「鏡獅子」は、勘太郎(18歳)が初挑戦。95年9月が新之助(17歳)、96
年5月が菊之助襲名(19歳)。明治26年、九代目團十郎が初演のとき、
これは「年を取ってはなかなかに骨が折れるなり」と言ったそうだが、若くないと体
力が続かないだろうし、若すぎると味が出ないだろうし、なかなか難しい演目だ。さ
て、勘太郎と菊之助の「鏡獅子」に絞って、両者を比較する形で論じたい。「鏡獅
子」は前半は、小姓・弥生の躍りで、女形の色気を要求される。後半は、獅子の精
で、立役の豪快さを要求される。その二つながらを成功させると、若手役者のなかか
ら、頭角を現わすという仕組みだ。そういう意味で、獅子ならぬ龍を目指す、若手の
「登竜門」とも言うべき演目であろう。まあ、後に一流となる歌舞伎役者は、皆これ
をこなして、大きな役者になったのだろう。そういう意味で見ると、前半は、菊之助
の方が、身体の線が柔らかくて良かった。勘太郎の弥生は、身体の線が堅い。女形の
衣裳の下に、青年の身体が透けて見えてしまい、まだまだという感じだった。

一方、後半の方は、逆に勘太郎の方が、青年の身体を生かして、きびきびとしてい
た。向こう揚幕が、引かれて獅子の精が姿を見せる。花道の出、一旦本舞台近くまで
来た後、後ろ向きで素早く戻る。多分、舞台の一点を見つめたまま、まっすぐ「逆
走」する練習を繰り返すのだろう。再び、本舞台へ。「髪洗い」、「巴」、「菖蒲
打」などの獅子の白い毛を振り回す所作を連続して続ける。大変な運動量だと思う。
こういう一連の動きを観ていると、体操競技の規定問題を思い出した。規定の種目を
組み合わせて、一連の動きとして体操を採点する。客席に審査員がいるなら、専門家
の目で、「髪洗い、良し」、「巴、もう少し」、「菖蒲打、まだまだ」などと、採点
しているような気がする。「菖蒲打」は、六代目菊五郎が巧く、余人の追随を許さな
かったと言う。

この演目で、いちばん難しいと思うのは、前半と後半の替り目となる弥生の花道の
引っ込みだろう。手に持っている獅子頭の力に引っ張られるようにグイグイ身体を
「引き吊られて」行かなければならない。獅子頭を掲げて、引っ込んでゆくというの
では、駄目だ。女性の心持ちが、見えない力で一変し、獅子のために狂う。狂うまい
とする、醒めた弥生の心も残る。意識の分離化の過程で、弥生の身体が二つにさける
寸前のようになる。そして、結局、獅子の力に負けて、女体は、実体を失い、獅子の
精に「化身」してしまう。だから、獅子の精には、女体の片鱗もないはずだ。

さて、それでは菊之助、勘太郎の「鏡獅子」の規定問題の評点は、いかに。前半は菊
之助が上、後半は勘太郎が上。弥生の引っ込みは、二人ともまだまだ。六代目の「鏡
獅子」は、映像でしか見たことがないが、六代目の弥生は獅子頭に身体ごと引き吊ら
れて行くように見えたものだ。菊之助、勘太郎とも、得意な分野は更に工夫魂胆、不
得意な分野は更なる精進。

以上で、引用を終わる。
「鏡獅子」は、六代目菊五郎が、磨き上げた演目で、「まだ足りぬ 踊り踊りて あ
の世まで」という辞世を残したように、奥の深い舞踊劇だ。12年経って、勘九郎
は、初演の欠点を克服した部分もあれば、まだまだという部分もある。いずれにせ
よ、さらに精進して、「踊り踊りて」欲しい。父親の勘三郎は、「春興鏡獅子」は、
「頂点のない特別な踊り」だという。勘九郎は、まず、父の背中を見ながら、後を追
う。今回は、七之助が、後見を務めた。鬘を着けた裃後見であった。


「ぢいさんばあさん」。今回は、三津五郎と福助のコンビ。中村屋ファンだろうか。
「ぢいさんばあさん」を観ずに、「鏡獅子」終了で、帰る人も結構いた。でも、この 
「ぢいさんばあさん」は、なかなか良かった。この演目は、「ばあさん」役者が、結
構難しい。玉三郎のるん役を2回観たが、白塗りが綺麗すぎて、ばあさんに見えな
かった。私は、今回で5回目の拝見。以下は、森鴎外原作小説・宇野信夫新作歌舞伎
の構造を私が書いたものだが、これも再録しておきたい。芝居の節目節目の印象的な
科白は、森鴎外の原作にはなく、宇野信夫の作ったものだからだ。

*「ぢいさんばあさん」は、森鴎外原作の小説「ぢいさんばあさん」を宇野信夫が歌
舞伎化した新作歌舞伎の作品。1951(昭和26)年、7月、東西の歌舞伎座(当
時は、歌舞伎座が東京と大阪にふたつあり、特に、東京の歌舞伎座は、1945年戦
災で焼失し、復興したばかりであった。その歌舞伎座が、目下、「さよなら公演」中
で、5月以降、取り壊される)で、初演された。

事件に巻き込まれて37年間も、離別の生活を余儀なくされた夫婦の物語。劇中で
は、「新しい暮らし」という科白が、ぢいさんばあさんの夫婦と若い甥の夫婦の2組
から、同じように、発せられる。特に、若い頃、短い結婚生活をしただけに、互いに
恋いこがれていた再会後の場面で、老夫婦は、「余生ではない、生まれ変わって、新
しい暮らしを始めるのだ」と、強調する科白を言う。

それにしても、世代を越えて、「新しい暮らし」を宣言するというのは、何故かと思
い、森鴎外の原作を読んでみたら、原作には、若い夫婦が、そもそも出て来ないし、
ぢいさんばあさんの科白にも、「新しい暮らし」などというものは、出て来ない。ま
さに、宇野歌舞伎の独創の科白であったことが判る。

そして、その科白の意味するところは、なにかを考えていたら、1951(昭和2
6)年という初演の「時期」にその秘密があるのではないかと見た。敗戦直後の混乱
も、6年経過し、幾分落ち着いてきたのだろう。戦後の新しい生活がスタートしよう
としている。それを宇野信夫は、歌舞伎の舞台でも、表現しようとしたのだろう。つ
まり、宇野は、敗戦後の日本人の生活にダブるように、明治の文豪森鴎外の作品「ぢ
いさんばあさん」をもとにしながら、別の新作歌舞伎の作品に作り替えたことだろ
う。宇野信夫にとって、戦後とは、新しい暮らしの始まりであった。

因に、原作の「ぢいさんばあさん」では、江戸の麻布龍土町の三河國奥殿の領主松平
家の屋敷内にある宮重久右衛門という人の隠居所作りの話から始まって、久右衛門の
兄に当たる美濃部伊織と妻のるんの話が、語られて行く。

ふたりの年寄りの経て来た人生は、歌舞伎で語られるものとほぼ同じだが、芝居で
は、美濃部伊織と妻のるんが若いころ住んでいた家にぢいさんとばあさんが37年ぶ
りに帰って来ることになっている。芝居では、弟の久右衛門も亡くなっていて、引き
続き、甥の宮重久弥と妻のきくが、伯父夫婦の家を守っていたことになっている。

この辺りの設定が、まさしく宇野の独創で、まず、伯父夫婦に家を引き渡した若い甥
夫婦に、別の家で。自分たちの「新しい暮らしが始まる」と言わせる。さらに、ぢい
さんばあさんの夫婦にも、自分たちの生活が、失われた時を求めるだけでなく、ま
た、老い先短い「余生ではなく、生まれ変わって、新しい暮らしをはじめるのだ」と
言わせる、という、新しい暮らしの、いわば、「二重奏」という趣向になる。

さて、以上で引用終わり。私が観た「ぢいさんばあさん」の主な配役は、次の通り。
美濃部伊織:仁左衛門(2)、團十郎、勘九郎時代の勘三郎、今回は、三津五郎。
妻・るん:菊五郎(2)、玉三郎(2)、今回は、福助。

最後に、コンパクトに役者論。
私が観た3人のばあさんは、菊五郎のるんが、定評がある。玉三郎は、若い綺麗なば
あさんになってしまっている。白塗りで、まだまだ、ばあさんとして、枯れていな
い。薄い、砥の粉など、綺麗な老け役の化粧の工夫も欲しい。今回、初役のるんに挑
戦した福助のばあさんは、菊五郎と玉三郎の中間という印象で、悪くはなかった。玉
三郎のように「綺麗」ではなく、「可愛らしい」ばあさんであった。その辺りに、る
ん役の秘訣が隠されているのかもしれない。
- 2012年2月24日(金) 12:24:43
12年02月新橋演舞場(昼/「鳴神」「土蜘」「河内山」)


六代目勘九郎の襲名披露


新橋演舞場の場内に入ると舞台には、祝い幕。クリーム色をベースにオレンジ色の縞
模様。多数の小さな鶴が白抜きで、シルエットを描いている。幕の上手には「の
し」、贈り主の「フジテレビジョン」。中央に、「角切銀杏」という勘三郎家の家
紋。下手には、「六代目中村勘九郎丈江」とある。27日が千秋楽。

今月は、昼夜通しで、勘九郎襲名披露興なので、それを軸に劇評をまとめたい。当代
の勘三郎は、初舞台から勘九郎であった。勘三郎の長男・勘太郎は、その父が46年
間も名乗っていた名前を今回引き継いだわけだ。勘九郎という名前は、勘三郎家に
とって、決して大名跡という名前ではない。今回で、六代目。一方、勘三郎という名
前は、歌舞伎の歴史の初源から輝く大名跡であり、全ての役者の手に届かない十八代
目を数えている。江戸歌舞伎の宗家、團十郎の名前でさえ、当代でやっと十二代目で
あるから、その由緒は、輝くばかりだ。勘太郎の父親の勘九郎は、可愛らしい、ある
いは、達者な子役の勘九郎から十八代目勘三郎襲名の直前まで、勘九郎という名前を
背負っていた役者である。観客の多くも、長年馴染んだ勘九郎というイメージを背
負ったまま、舞台を観ている。父親と馴染みの観客という、ふたつの大きな山に挟ま
れた谷間のような状態で、勘太郎は勘九郎という名前を引き継いだ。そういう意味で
新勘九郎には普通の襲名とは違うプレッッシャーもあるだろうと思う。

歌舞伎役者は、なぜ、名前を変えるのか。名跡を継げば、名跡のイメージを追い風に
して、大きく成長する役者もいるだろうし、大きな名前に負けて沈んでしまう役者も
いるのではないか。海老蔵が、いつか、代々の團十郎の名前を引き継いで、十三代目
團十郎を名乗るのであれば、それは、江戸歌舞伎の宗家の主に成長するという真っ当
なイメージがある。勘三郎家で、そういうイメージの名前は、父親が継いでいる十八
代目勘三郎という名前だけだ。そもそも勘三郎家には、勘三郎という名跡だけが、孤
高のように聳えているだけで、ほかの名前が無い。團十郎家なら、新之助→海老蔵→
團十郎という出世魚のようにイメージの固定した名前がある。菊五郎家なら、丑之助
→菊之助→菊五郎。歌右衛門家なら、児太郎→福助→芝翫→歌右衛門というように。
このコースで行けば、先代、つまり、「親父そっくり」と大向うから声がかかれば、
その息子は、順調に成長していることになる。勘九郎という名前は、そうはいかな
い。「親父そっくり」では、勘九郎にはなれても、その先の勘三郎への展望は開けな
いだろう。

ところが、勘三郎家には、勘三郎しか無い。勘九郎が、大きな名前になったのは、偏
に、当代勘三郎の五代目勘九郎の精進のお陰だ。勘太郎改め、30歳の新勘九郎は、
まず、勘九郎という名前に染み付いた父親のイメージを潔く脱ぎ捨てなければならな
い。何年掛かることか。そして、五代目勘九郎という父親のイメージを脱ぎ捨てた後
は、六代目勘九郎という、全く違い味わいの役者のイメージを目指さなければならな
いし、その新勘九郎のイメージが、年老いて消えて行く観客から離れながら、若い観
客と一緒に「同伴」して行くように成長して行かなければならない。前の色を消し
て、新しい色に塗り替えるという、いわば、普通の襲名ではない苦労をしなければな
らない。これは、結構大変なのではないだろうか。

そういうことを考えながら、新橋演舞場の後半の舞台を観に行った。まず、昼の部。
襲名披露の舞台だから、襲名披露のご本人の舞台から劇評を始めよう。そして、今回
は、「役者の襲名」がテーマだから、ご本人の舞台、「土蜘」から劇評の筆を下ろそ
うと思う。

「新古演劇十種のうち 土蜘」は、5回目の拝見。「新古演劇十種」とは、五代目菊
五郎が、尾上家の得意な演目10種を集めたもの。團十郎家の「歌舞伎十八番」と同
じ趣旨。能の「土蜘」をベースに明治期の黙阿弥が、五代目菊五郎のために作った舞
踊劇。黙阿弥の作劇術の幅の広さを伺わせる作品。この演目は、日本六十余州を魔界
に変えようという悪魔・土蜘対王城の警護の責任者・源頼光とのバトルという、なに
やら、コンピューターゲームや漫画にありそうな、現代的な、それでいて荒唐無稽な
テーマの荒事劇。「凄み」が、キーポイント。

主役の僧・智籌(ちちゅう)、実は、土蜘の精は、私が観た舞台では、孝夫時代の仁
左衛門、團十郎、吉右衛門、菊五郎、そして今回の新勘九郎で5人目となる。この顔
ぶれを観れば、新勘九郎を先輩の実力役者たちと比較して論ずるのは、まだ、酷だろ
うと察しがつく。勘九郎自身は、3年前の1月、浅草歌舞伎で「土蜘」に挑戦してい
て、今回で2回目だが、父親の勘三郎は演じたことが無い。17年前の8月の歌舞伎
座で初演した橋之助の教わって、演じているという。8月の歌舞伎座は、「納涼歌舞
伎」で、浅草歌舞伎ほどではないが、若手が大きな役に挑戦する舞台であって、例え
は悪いかもしれないが、「一軍」の舞台というイメージでは無いだろう。父親の勘九
郎も、8月の歌舞伎座の「納涼歌舞伎」の舞台を利用して、大きな役に挑戦したか
ら、新勘九郎襲名の新橋演舞場の舞台は、歌舞伎座8月の「納涼歌舞伎」の舞台とい
う所なのかもしれない。

源頼光(三津五郎)の病が癒え、見舞いに来た平井保昌(橋之助)と対面する。保昌
が引っ込むと、侍女の胡蝶(福助)が、薬を持って出て来る。暫く外出が出来なかっ
た頼光は、胡蝶に都の紅葉の状態を尋ねる。

「その名高尾の山紅葉 暮るるもしらで日ぐらしの・・・」

舞に合わせて、あちこちの紅葉情報を物語る胡蝶。穏やかな秋の日が暮れて行く。や
がて、夜も更け、闇が辺りを敷き詰める頃あい、頼光は、俄に癪が起こり、苦しみは
じめる。比叡山の学僧と称する僧・智籌(勘九郎)の出となる。蜘蛛の精という化生
としての正体を顕さないまま、「スッポン」でも無く、智籌花道のフットライトも付
けずに、音も無く、不気味に、できるだけ、観客に気づかれずに、花道半ばまで行か
ねばならない。勘九郎は、この辺りは、巧く演じていた。

智籌は、頼光の病気を伝え聞き、祈祷にやって来たと伝える。頼光に近づこうとする
智籌の影を見て、化生の者を覚った音若(宜生)が、声も鋭く、智籌を制止し、睡魔
に襲われていた頼光を覚醒させる正体を暴かれて、二畳台に乗り、数珠を口に当て
て、「畜生口の見得」をする智籌。千筋の糸(蜘蛛の糸)を投げ捨てるなど自ら魔性
の暴露をする。

間狂言は、能の「石神」をベースにしたもの。番卒の太郎(吉右衛門)、次郎(仁左
衛門)、藤内(勘三郎)という顔ぶれは、襲名披露の舞台ならではのご馳走である。

後半、引き回(蜘蛛の巣の張った古塚を擬している)を裃後見が運んで来る。中に
は、勘九郎が入っているはず。やがて、保昌らが古墳を暴くと、中から、茶の隈取り
をした、後ジテ・土蜘の精(勘九郎)が出て来る。千筋の糸を何回も何回もまき散ら
す土蜘の精。頼光の四天王や軍兵との立ち回り。歌舞伎美溢れる古怪で、豪快な立回
りである。能と歌舞伎のおもしろさをミックスした明治期の黙阿弥が作った松羽目舞
踊の大曲。


「鳴神」は、4回目の拝見。幕末の團十郎である七代目團十郎が制定した「歌舞伎十
八番」では、ほとんど演じられない演目もあるが、良く演じられる演目もある。「勧
進帳」「助六」「暫」と並んで良く演じられる演目の一つに「鳴神」も入るだろう。

私にとって、「鳴神」で、印象に残るのは、97年9月の歌舞伎座。鳴神上人は、團
十郎が演じ、雲の絶間姫は、芝翫が演じた。これは、鳴神上人も、雲の絶間姫も、印
象深く、今も、目の前に浮かんで来る。次に、印象に残るのは、雲の絶間姫の方で、
時蔵が演じていた。05年1月歌舞伎座で、それまで、厳しいことしか書かなかった
私の時蔵論が、「角を曲がった」、つまり、転換した舞台であった。美形、色気、品
位。それほど、時蔵の雲の絶間姫が、それまで時蔵が演じた「赤姫」とは、印象が異
なっていたのだ。己の肉体を武器にして、闘う。その際の、雲の絶間姫の喜悦の
表情が、この姫役のポイントだと思う。

さて、今回は、七之助の雲の絶間姫と橋之助の鳴神である。「鳴神」の劇的構造は、
前半は、色気のある元人妻と厳格な青年上人のおおらかなやり取り、後半の騙され
た、裏切られたという鳴神上人の怨念の荒事との対比である。橋之助は、16年前に
初演し、今回で5回目の鳴神であるが、私が観るのは、今回が初見。七之助の雲の絶
間姫は、2回目の出演だが、私が観るのは、今回が初見。

修行に明け暮れ法力を身につけ、戒壇建立を条件に天皇の後継争いで、今上(きん
じょう)天皇(女帝となるはずの女性を「変成男子(へんじょうなんし)の法で男性
にした」の誕生を実現させたのにも関わらず、君子豹変すとばかりに約束を反古にさ
れ、朝廷に恨みを持つエリート鳴神上人。幼いころからのエリートは、勉強ばかりし
ていて、頭でっかち。青春も謳歌せずに、修行に励んで来たので、高僧に上り詰めた
にもかかわらず、いまだ、女体を知らない。童貞である。また、権力を握ったもの
は、それ以前の約束を無視する。権力者は、嘘をつく。どこでも、どこの時代でも、
同じらしい。まして、無菌状態で、生きて来たような人は、ころっと、騙される。歌
舞伎は、さすが、400年の庶民の知恵の宝庫だけに、人間がやりそうなことは、み
な、出て来る。

勅命で上人の力を封じ込め、雨を降らせようとやってきたのが、朝廷方の女スパイ
(大内第一の美女という)で、性のテクニックを知り尽した若き元人妻・雲の絶間姫
という、いわば熟れ盛りの熟女登場というわけだ。朝廷方の策士が、鳴神上人の素性
を調べ、「童貞」を看破、女色に弱いエリートと目星を付けた上での作戦だろう。

修行の場の壇上から落ちる鳴神上人。この芝居では、壇上からの落ち方が、いちばん
難しいらしい(ここで、上人役者は、精神的な堕落を表現するという)。上人は、自
ら、姫を誘って、酒を呑む。酩酊を見抜かれ、「つかえ」(「癪」という胸の苦し
み)の症状が起きたとして偽の病を装う雲の絶間姫。生まれて初めて女体に触れると
いう鳴神上人の手を己のふくよかな胸へ入れさせるなど、打々発止の、火花を散らし
た挙げ句、見事、喜悦の表情に表現された雲の絶間姫の熟れた肉体が勝ちを占める。
荒事の芝居ながら、官能的な笑いを誘う。いつ観ても、おもしろい場面だ。

もっとも、今回は、細身の七之助の雲の絶間姫なので「熟れた肉体」というわけには
いかない。女スパイとしての鋭さはある。橋之助の鳴神上人は、安定していて、生ま
れて初めて触れた女体の官能に酔いしれる様が、実感できた。若い女体の奥深く癪を
治しながら、「よいか、よいか」と別の快楽へ転げ落ちて行く橋之助の鳴神上人。そ
の挙げ句、「柱巻きの大見得」「後向きの見得」「不動の見得」など、怒りまくり、
暴れまくる様を上人は見せる。数々の様式美にまで昇華させた歌舞伎の美学。最後
は、花道での飛び六法(大三重の送り)にて、幕。


仁左衛門の河内山


「天衣紛上野初花」は、1881(明治14)年3月に東京の新富座で初演された。
当時の配役は、河内山=九代目團十郎、直次郎=五代目菊五郎、金子市之丞=初代左
團次。「團菊左」は、明治の名優の代名詞。三千歳=八代目岩井半四郎という豪華な
顔ぶれ。

原作者の河竹黙阿弥は、幕末明治期の歌舞伎狂言作者。七五調の科白と「白浪(盗賊
=中国の「白波賊」から由来)もの」が得意。黙阿弥の渾名は、白浪作者。いまも、
上演回数トップの人気作者。

「河内山」は、今回で、11回目。このうち、通し「河内山」と「直侍」を合わせた
通しで2回観ている。私が観た河内山宗俊は、吉右衛門(4)、幸四郎(4)、仁左
衛門(今回含め、2)、團十郎。

仁左衛門の河内山は、04年11月に歌舞伎座で一度観ている。仁左衛門は、この時
が初演で、それ以来今回で4回、河内山を演じている。

「河内山」は、科白回しが難しい芝居だ。それも、無理難題を仕掛ける大名相手に、
金欲しさとは言え、寛永寺門主の使僧(使者の僧侶)に化けて、度胸ひとつで、大名
屋敷に町人の娘を救出に行く。最後に、大名家の重臣・北村大膳に見破られても、真
相を知られたく無い、家のことを世間に広めたくないという大名家側の弱味につけ込
んで、堂々と突破してしまう。権力者、なにするものぞという痛快感がある。悪党だ
が、正義漢でもある河内山の、質店・上州屋での、「日常的なたかり」と、松江出雲
守の屋敷での、「非日常的なゆすり」での、科白の妙ともいえる使い分け。上州屋で
は、番頭の役回りが、出雲守の屋敷では、北村大膳の役回りとなるのに気がつくと、
黙阿弥の隠した仕掛けが判る。

悪事が露見すると、河内山の科白も、世話に砕ける。仁左衛門は、口跡も良い。時代
と世話の科白の手本のような芝居だし、江戸っ子の魅力をたっぷり感じさせる芝居
だ。度胸と金銭欲が悪党の正義感を担保しているのが、判る。そういう颯爽さが、こ
の芝居の魅力だろう。幸四郎や吉右衛門が得意とする科白廻しだが、それを東京育ち
とは言え、上方歌舞伎の名跡を継ぐ仁左衛門の科白廻しも悪くない。最後の「馬鹿
めーー」という仁左衛門の科白は、江戸っ子そのもの。偽の使僧ながら、貫禄充分。
この一言で、江戸の庶民の溜飲を下げさせた気持ちが現されていた。

このほかの役者では、由次郎の北村大膳が良い。由次郎は、大分老けた。科白廻し
も、ゆっくりになっているが、それが独特の味わいを醸し出している。河内山の正体
を見抜いた松江出雲守邸の重役・北村大膳は、権力に胡座をかいているが、危機管理
者としては、失格者、つまり、上州屋質店の番頭と同格に北村大膳を描いているから
だ。大膳役は、私は芦燕の贔屓だった。駄目な中間管理職の雰囲気を巧みに出してい
た。こういう人は、どこの職場にもいるのではないか。芦燕の、狡そうな、それでい
て、駄目そうな大膳の描き方が、やはり、巧いのである。芦燕は、去年の12月に逝
去。同じく、実務の危機管理の失格者が、上州屋の番頭・伝右衛門。今回も、松之助
は、軽率な上州屋の番頭をリアルに、巧く演じていた。太っていて、ぎょろ目で、質
屋の番頭そのものになりきっている。仁左衛門の河内山が、いっそう、颯爽として見
えてくる。脇にこういう役者がいると、主役もやりやすいし、舞台に奥行きが出る。

松江出雲守は、癇癪もちの殿様。いまなら、セクハラだ。梅玉が、こういう役は巧い
が、今回は、勘九郎が初役で演じた。このほか、腰元・浪路に隼人。近習頭・宮崎数
馬に、隼人の父親の錦之助。親子のコンビだ。家老・高木小左衛門に東蔵。先の上州
屋では、後家のおまきに秀太郎、和泉屋清兵衛に我當ということで、ここも安定して
いる。上州屋の場面は、松嶋屋3兄弟揃い踏み。
- 2012年2月23日(木) 16:05:51
12年01月新橋演舞場(夜/「矢の根」「連獅子」「神明恵和合取組 め組の喧
嘩」)


富十郎の1周忌追善、君は、六代目富十郎襲名舞台を観ることが出来るか


2011年1月3日。五代目富十郎が亡くなった。81歳であった。私は、2010
年11月、新橋演舞場、夜の部の初日に、「逆櫓」の畠山重忠役の富十郎を観たのが
最後になった。富十郎は、この後、11月17日から休演してしまった。 2011
年1月は2日から始まる新橋演舞場・初春大歌舞伎(夜の部)の「寿式三番叟」に、
翁役で出演予定だったが、初日から休演していた。つまり、2010年11月16日
の新橋演舞場の舞台が富十郎の最期の舞台となった訳であるから、私は最期の月の舞
台を拝見していた。

その富十郎の1周忌追善狂言が「連獅子」。富十郎の嫡男・鷹之資が富十郎没後の後
見人吉右衛門とともに、「連獅子」を演じている。吉右衛門は36年振りの「連獅
子」出演だ。所作事を得意としない吉右衛門は、少なくとも本興行では、この1回し
か「連獅子」に出演していない。相手(仔獅子の精)は、精四郎(後の澤村藤十郎、
現在、病気休演中)であった。兄の幸四郎は、息子の染五郎を相手に、既に5回出演
している。因に、富十郎は、6回演じている、相手役は、猿之助(2)、梅玉
(2)、初代辰之助、松緑(二代目辰之助)。いずれ、鷹之資を相手に踊りたかった
演目だと思う。

生前の富十郎と吉右衛門の関係をベースに、養父(母方の祖父)初代吉右衛門を10
歳で亡くした吉右衛門らしい人柄が溢れた対応だと思った(当時、実父の八代目幸四
郎は、生存)。

「五世中村富十郎 思い出の舞台」と名付けた写真パネル展示が、新橋演舞場1階ロ
ビー(上手側)で催されていた。と言っても、『船弁慶』((2003年11月、歌
舞伎座。知盛の霊役)や『二人椀久』(1997年、フランス公演。椀久役。相手の
松山太夫役は、雀右衛門)などの舞台写真が、平成元年から22(2010)年9月
(新橋演舞場、『うかれ坊主』で、願人坊主役)までの7枚が展示されているだけで
寂しかった。歌舞伎座なら、せめて、2階のロビーで遺品とともに展示できたであろ
うにと残念に思う。


「連獅子」は、吉右衛門の狂言師右近(後に、親獅子の精)を相手に鷹之資が、狂言
師左近(後に、仔獅子の精)踊る。鷹之資の藝の精進は、これからだが、吉右衛門が
踊りながら、随所で鷹之資に気遣っているのが感じられた。「播磨屋」とともに、
「天王寺屋」と大向うも気を使っている。去年の正月は「若天王」という掛け声も
あったが、今年は、富十郎の後継者として堂々と「天王寺屋」と、声がかかってい
て、清々しい。

吉右衛門の弁:去年、富十郎の四十九日が過ぎてから鷹之資の「後ろ盾」という要請
があったという。幼くして、父親を失った気持ちも判るので、六代目襲名まで、支援
して行きたい。連獅子共演については、「親子の情愛を大切に、天王寺屋のお兄さん
の気持ちになって勤めさせていただきます」。鷹之資の弁:「『首で振るのではなく
体で振って、ちゃんと毛を見るんだよ』と(父が)教えてくれたことがあり、それが
心に強く残っています」。

それにしても、私たちは六代目富十郎襲名舞台を観ることが出来るだろうか。10年
後なら可能だろうが、まだ、早いか。20年後では、私の場合、生きているかどう
か。それは私より年上の吉右衛門も、そうだろう。その吉右衛門が「六代目襲名ま
で、支援して行きたい」と言っているのだから、それに期待しよう。鷹之資も藝道精
進して、一日も早く六代目襲名に漕ぎ着けて欲しい。


「矢の根」は6回目の拝見。これまで私が観た曽我五郎は、三津五郎(今回含め、
3)、橋之助、羽左衛門病気休演代理の彦三郎、男女蔵。

舞台上手に「歌舞伎十八番 矢の根」、下手には「五郎時致 坂東三津五郎相勤め申
し候」の看板がかかっているだろう。今回の席からは、「五郎」しか読めない。舞台
上手の白梅、下手に紅梅。大薩摩の置き浄瑠璃。正面、二重の三方市松の揚障子が、
「よせの合方」で上がる。若さを強調する車鬢、筋隈に、仁王襷、厚綿の着付けの両
肩を脱いだ三津五郎の五郎が炬燵櫓に(合引)を載せて、その上に腰を掛けている。
15歳の少年という想定。歌舞伎らしい様式美と荒事の勢いが大事。科白は正月の食
膳のつらね。七福神をこき下ろす悪態(悪口を言う)は大薩摩(国立劇場の歌舞伎鑑
賞教室では、上下に字幕が出て、浄瑠璃の語りを明示したが、新橋演舞場では、そう
いうことはない)と科白の掛け合い。

筋は単純である。廻り廊下を持った能の舞台のような、作業場のような板敷きの御殿
で、五郎が矢の根(矢の一先端にある鉄製の鏃)を黒塗りの桶に入れた四角い研ぎ石
で研いでいる。室内には、矢の根が10数本立てかけてある。大薩摩の家元・主膳太
夫(歌六)が五郎の所へ年始に来る。土産に持って来た宝船の絵で五郎が初夢を見
て、兄の曽我十郎(田之助)が敵の工藤家にとらわれていることを知り、通りかかっ
た大根売りの馬士(秀調)の馬を奪って兄を助けに行くというだけの話。

「馬は大根春商(あきない)」という語り。大根売りの馬子から、背に載せていた二
束(数本ずつ)の大根を叩き落として、取り上げた裸馬に股がり馬の引き綱を手綱代
わりに、(後見が別に用意していた)大根を鞭代わりにして、花道を走り去る。馬士
の秀調に味がある。

大道具の色彩が豊かで、絵画美を強調する演目。音楽の荒事、大薩摩もあり、豪快
で、正月興行向き。いわば、荒事の儀式劇であり、江戸の芝居小屋の楽屋風俗を活写
する意味もある。

「矢の根」は歌舞伎十八番のなかで、もっとも短い演目。身長が1メートル63セン
チと小柄な三津五郎が、実際、大きく観える。「矢の根」は役者を大きく見せる演目
でもある。

踊り上手の三津五郎に演じさせると、この演目は荒事の所作事という面が、良く判
る。体の縦の軸が安定している三津五郎は踊りのように重心を移動させながら、節目
節目に荒事の演出を交えて、舞って行くようだ。見慣れている演目でも、三津五郎に
演じさせると、飽きない。まさに、「春商」だ。五郎の仁王襷を締め直したり、後見
の見せ場もある。手際よく済ませると拍手が来たりする。鬘を着けた裃後見は大和と
八大。

それにしても、5人しかいない歌舞伎の人間国宝の田之助が十郎初役で、「夢どろ」
の太鼓に合わせて、ちょいの間の出番で、昼夜通じてこれだけの出演というのは、い
かにも寂しい。今年8月で傘寿(80歳)になる。体調などの問題もあるのかもしれ
ないが、脇の味のある演技を観て来ただけに残念である。


「神明恵和合取組 め組の喧嘩」。「め組の喧嘩」は、4回目の拝見。1890(明
治23)年、東京・新富座初演。竹柴其水原作。菊五郎劇団は大部屋役者を大勢出演
させての、大立ち回りが好きで、こういう演目を良く演じる。鳶と相撲取りが、些細
なことから仲間を引き連れての大立ち回りというだけの話。昼の部の「加賀鳶」のお
もしろさには、及ばない。「加賀鳶」は小悪党という普遍的な、何処にでもいそうな
人間味を描いているが、「め組の喧嘩」は、喧嘩という事件を描いているだけだから
だ。

但し、私が好きなのは正月の遊廓風景、宮地芝居小屋前、「音羽山佐渡嶽」など18
組(36人)の取り組みが書かれたビラを貼付けた相撲小屋前などの大道具、辰五郎
倅のおもちゃなどの小道具、江戸の庶民の風俗を忍ばせる場面があちこちにあること
だ。毎回、舞台をウオッチングしてしまうのは、そのためだ。

最初に観たのは96年5月の歌舞伎座、菊五郎の辰五郎で拝見。九代目(先代)三津
五郎が喧嘩の仲裁役の焚き出し喜三郎で出演。鳶の辰五郎の喧嘩相手、相撲取りの四
ツ車が左團次だった。2001年2月の歌舞伎座は十代目三津五郎の襲名披露の舞
台。辰五郎役を新・三津五郎に譲り、菊五郎は喜三郎役に廻っていた。四ツ車は富十
郎。07年5月の歌舞伎座、辰五郎が菊五郎、喜三郎は梅玉、四ツ車は團十郎。そし
て、今回は、辰五郎が菊五郎、喜三郎は梅玉、四ツ車は左團次。

このほかでは、今回は、九竜山に又五郎、(以前観たのは、海老蔵、左團次、團
蔵)、辰五郎女房・お仲に時蔵(今回で、3。田之助)で、お仲は今回も含めて、時
蔵が良かった。菊五郎・時蔵の夫婦は味がある。火消しの頭(かしら)のかみさんの
貫禄が滲み出ていた。藤松は珍しく女形の菊之助(以前は、辰之助時代の松緑
(2)、梅玉)で、江戸っ子の空威張りを地声で演じていた。

以下、舞台ウオッチング。いつもと違うものを舞台に発見できないか。

序幕第一場「島津楼広間の場」では、上手横、床の間の掛け軸が日の出に松と鶴で、
いかにも江戸の正月風景。お飾りも古風。藤松(菊之助)が、他人の座敷で騒ぎを起
こした後、始末をつけるために颯爽と入ってきた菊五郎の辰五郎。そういえば、頭は
干支の名前だ。頭として武士や相撲取りからの嫌味もぐっと我慢の場面の後、「大き
におやかましゅうござりました」と言いながら、力任せに障子を閉める(「覚えてい
ろ」の気持ち)。「春に近いとて」の伴奏。続いて、獅子舞が部屋に入って来て、気
分転換。大道具、鷹揚に廻る。

序幕第二場「八ツ山下の場」。舞台上手に標示杭。それには、こう書いてある。「関
東代官領江川太郎左衛門支配」。つまり、品川の「八ツ山下」からは「関東」、つま
り、江戸の外というわけだ。ふたつの立て札もある。「當二月二十七日 開帳 品川
源雲寺」、「節分会 平間寺」。立春前の江戸の光景。

提灯を持った尾花屋女房おくら(芝雀)に送られて来る四ツ車(左團次)を待ち伏せ
る辰五郎(菊五郎)は、意外と粘着質な男だ。「颯爽のイメージが損なわれるぜ、
頭」。焚き出しの喜三郎を乗せた駕篭が通りかかり、彼も絡めて、いわゆる「だんま
り」になる。「世話だんまり」。ここも、大詰めへの伏線。

二幕目「神明社内芝居前の場」。大歌舞伎とは違い、いわゆる宮地芝居の小屋だが、
江戸の芝居小屋の雰囲気を絵ではなく、立体的な復元として観ることができる愉し
さ。こういう大道具も私は大好きだ。出し物は「義経千本桜」だが、「大物の船櫓」
と「吉野の花櫓」というサブタイトルがある。船と花の櫓。ほかに「碁太平記白石
噺」(これには「ひとま久」と書いてある)、「日高川入相花王(いりあいざく
ら)」(これには「竹本連中」とある)という看板。さらに、芝居小屋の上手上部に
鳥居派の絵看板が3枚。絵柄から演目は、上手から「大物浦」、「つるべ鮨」、「狐
忠信」。大入の札。小屋の若い者が、「客留」の札を貼る。座元の名前を大きく書い
た看板の両側には、役者衆の名前。尾上扇太郎、中村かん丸など。

お仲(時蔵)、おもちゃの文次(松也)に連れられた辰五郎倅・又八(大河=松緑長
男)らが持っている物。籠に入った桜餅、ミニチュアの「め」組の纏。お馴染みの剣
菱の薦樽。この後、ここでも、鳶と相撲取りの間でトラブルが起こる。間に立つ座元
の江戸座喜太郎(彦三郎)が渋い。これも、後の喧嘩への伏線。

三幕目「浜松町辰五郎内の場」では、焚き出しの喜三郎(梅玉)方から、酔って帰っ
てきた辰五郎(菊五郎)に勝ち気な女房のお仲(時蔵)が言う。「六十七十の年寄り
ならば知らぬこと」、若い辰五郎に意気地が無いとつっかかり、喧嘩を煽り立てる。
倅の又八(大河)は、父ちゃん子らしく、「おいらのちゃんを、いじめちゃあいや
だ」と、辰五郎の肩を持ち観客席の笑いを誘う。辰五郎に頼まれて、水を持ってくる
など、甲斐甲斐しい。松緑の息子、大河は、尻を捲る場面では、毎回2回捲ってから
座り込むので、場内の笑いを誘う(父親の松緑は、今月は、玉三郎一座に参加してい
て、「ル テアトル銀座」出演なので、大河ひとりで、新橋演舞場出演。えらい
ね!)。時蔵のお仲は、いわゆる、小股の切れ上がった江戸の女。酔い覚めの水を呑
んだ辰五郎「下戸の知らねえ、うめえ味だな」。又八、お仲も、水を呑む。(竹本の
文句が被さる)「浮世の夢の酔醒めに、それと言わねど三人が呑むは別れの水盃」と
いうことで、死をも決意した本心を明かし、喧嘩場へ。

大詰の「喧嘩場」は、定式幕で仕切りながら、廻り舞台の機能を生かして、第二場
「角力小屋の場」、第三場「喧嘩の場」、第四場「神明社境内の場」が効率的に場面
展開する。最後に仲介に入る喜三郎(梅玉)は梯子に乗り、騒ぎの真ん中に、いわ
ば、空から仲裁に入る。喜三郎は着ていた2枚の法被(蛇の目と万字の印)を脱ぎ、
鳶の方へは、「御月番の町奉行」の印を強調、一方、相撲取りの方には、「寺社奉
行」の印を見せつけ、「さ、どっちも掛りの奉行職、印は対して止まるか」と喧嘩を
おさめる。颯爽の梅玉。

この場は大部屋の立役たちも充分に存在感を誇示する場面がある。小屋の屋根に、勢
いを付けて下から駆け昇り、上の者が手を引っ張って引き上げるなど。巧く乗れた
ら、拍手を惜しまず。
- 2012年1月15日(日) 18:53:10
12年01月新橋演舞場(昼/「相生獅子」「祇園祭礼信仰記 金閣寺」「盲長屋梅加
賀鳶」)


道玄と伝右衛門の通じ合う妙味


「盲長屋梅加賀鳶」は、8回目の拝見。今月は、新春浅草歌舞伎で、亀治郎主演の
「敵討天下茶屋聚」を観ているので、今回の劇評は、道玄と伝右衛門の対比、あわせ
て、菊五郎と亀治郎の比較も踏まえてまとめてみようと思う。触媒に利用させてもら
うのは、富十郎と猿之助という装置だ。

この芝居は、河竹黙阿弥の原作で、本来は、「加賀鳶」の梅吉(道玄と二役早替わ
り)を軸にした物語と窓のない加賀候の長屋「盲長屋」にひっかけて、盲人の按摩
(実際は、贋の盲人だが)の道玄らが住む本郷菊坂の裏長屋の「盲長屋」の物語とい
う、ふたつの違った物語が、同時期に別々に進行する、いわゆる「てれこ」構造の展
開がみそだが、最近では、序幕の加賀鳶の勢揃い(「加賀鳶」の方は、「本郷通町木
戸前勢揃い」という、雑誌ならば、巻頭グラビアのような形で、多数の鳶たちに扮し
た役者が勢ぞろいして、七五調の「ツラネ」という独特の科白廻しを聞かせてみせる
という場面のみが、上演される)を見せた後、加賀鳶の松蔵が、道玄の殺人現場であ
る「御茶の水土手際」でのすれ違い、「竹町質見世」の「伊勢屋」の店頭での強請の
道玄との丁々発止、という接点で、ふたつの物語を結び付けるだけで、道玄の物語に
収斂させている。

道玄は、偽の盲で、按摩だが、殺しもすれば、盗みもする、不倫の果てに、女房にド
メスティク・バイオレンスを振るうし、女房の姪をネタに姪の奉公先に強請にも行こ
うという、小悪党。それでいて、可笑し味も滲ませる人柄。悪党と道化が、共存して
いるのが、道玄の持ち味の筈だ。初演した五代目菊五郎は、小悪党を強調していたと
言う。六代目菊五郎になって、悪党と道化の二重性に役柄を膨らませたと言う。現在
の観客の眼から見れば、六代目の工夫が正解だろうと思う。偽の盲で、按摩、小悪
党、可笑し味も滲ませる人柄。「悪党と道化が、共存しているのが、道玄の持ち味」
と書けば、「敵討天下茶屋聚」の伝右衛門を思い出す人は、多いだろう。それは、後
述。

私が観た梅吉と道玄の二役は、富十郎(2)、幸四郎(2)、菊五郎(今回含め、
2)、猿之助、團十郎。

印象に残るのは、道玄役では、團十郎が普段から剃っている頭と生来の大きな目玉の
効用があり、よかった。最初にこの演目を観た富十郎も、大詰第二場の「加州候表門
の場」が、印象に残る。今回の菊五郎も、こういう役は巧いが、大詰の場面は、富十
郎に叶わない。私が見た道玄では、小悪党の凄み、狡さと滑稽さをバランス良く両立
させて、ピカイチだったのは、富十郎であった。猿之助は、2001年2月大坂松竹
座と2003年7月歌舞伎座で道玄を演じている。今月の菊五郎と亀治郎を論じるた
めに、富十郎と猿之助を私の劇評データベースから引き出して、まず、比較しておこ
う。以下は、03年7月の歌舞伎座の劇評。

*ハイライトは、2つある。そのひとつ、伊勢屋の「質見世」の、道玄強請場面で
は、小悪党ぶりは、さすが、猿之助は、巧い。だが、富十郎の達者さには、及ばな
い。上には、上があるもので、特に、狡さ、滑稽さでは、富十郎に先輩の風格があ
る。凄みは、同格か。ハイライトの、その2。「道玄内」から「赤門」の場面での、
滑稽味は、断然、富十郎に軍配が上がる。逃げる道玄。追う捕り方。特に、「赤門」
は、闇に紛れて、追う方と追われる方の、逆転の場面で、どっと笑いが来ないと負け
である。この出方が、富十郎の方が、巧かった。この場面、猿之助は、真面目過ぎ
て、面白みがない。「道玄内」は、以下に出て来る「借家」、「赤門」は、「表門」
と同じ場面。

猿之助は、「加賀鳶」出演に先立つ1987(昭和62)年明治座で「敵討天下茶屋
聚」を初演し、その後、5回演じている。猿之助は道元のエキスを、まず「敵討天下
茶屋聚」の伝右衛門で試しているのではないか。「東寺貸座敷の場」は、「菊坂道玄
借家の場」に、また、「住吉の宮境内の場」は、「加州候表門の場」に、アナロジー
されているように思える。

「貸座敷」と「借家」は、伝右衛門と道玄の残忍さを強調する。「境内」と「表門」
は、追いつ追われつのおもしろさを強調する。逃げる道玄。追う捕り方。ここは、遊
びが必要。特に、「表門」は、月が照ったり、隠れたりしながら、闇に紛れて、追う
方と追われる方の、逆転の場面で、どっと笑いが来ないと負けである。富十郎は、
どっと来た。今回、菊五郎は、この場面、おもしろみが少なかった。09年5月の歌
舞伎座で観た菊五郎は、緩怠なく演じきっていたのだが、今回は、それに及ばない。

一方、亀治郎は、おもしろみを意識的に横溢させていた。古典の「矢の根」のパロ
ディを取り入れるなど、ドタバタ劇を徹底させて、なおそれを思い切って突き抜けよ
うとしているように思える。何度も、笑いがどっと来た。詳しくは、既に掲載済みの
「新種浅草歌舞伎」の夜の部の拙稿の劇評を見て欲しい。

「加賀鳶」の「表門」の場面は、私が観た猿之助も真面目に逃げ過ぎて、おもしろ味
が少なかった。亀治郎演じる今回の「敵討天下茶屋聚」の伝右衛門は、基本的に猿之
助演出なのだろうが、覚めながらも笑劇に撤した亀治郎には、将来的に「猿之助を超
える新・猿之助」になる可能性があると感じた。猿之助演出と亀治郎のオリジナリ
ティが、何処で線が引けるのか判らないが、今月の舞台は、亀治郎のオリジナリティ
の可能性を私に予兆させてくれた。こういう役どころでは、亀治郎は、まず、富十郎
を研究し、そのエキスを吸収することだろうと思った。亀治郎の「加賀鳶」をいつか
観てみたい。


菊之助初役の雪姫


「祇園祭礼信仰記 金閣寺」では、菊之助の「雪姫」に注目。「金閣寺」は、7回目
の拝見。私が観た雪姫は、雀右衛門(2)、玉三郎(2)、福助(2)、今回は、初
役の菊之助。9年前の、03年10月、歌舞伎座。雀右衛門の雪姫は、「一世一代」
の演技という感じの緊張感を維持した素晴しい舞台であった。雀右衛門の雪姫は、こ
の舞台が最後だろう。玉三郎、福助の雪姫も、それぞれ味があるが、フレッシュ菊之
助の雪姫は、いかに。今回は、大膳には触れずに、初役の菊之助と歌六についてのみ
触れる。

可憐な姫であり、色気を滲ませる人妻であり、雪舟の孫という絵描きの血を引く、芸
術家としての芯の強さもありで、難しい役どころ。「三姫」という難役の姫の代表格
たる由縁だ。

雪姫は、最初は金閣寺に繋がるお堂に幽閉されている。横恋慕の松永大膳(三津五
郎)に虐められる。やがて、大膳が持っていた刀が、名刀「倶利伽羅丸」だと知り、
大膳が父親雪村を殺した敵と判る。大膳は、雪姫の夫も幽閉していて、雪姫が従わな
いので、夫の狩野直信(歌六)を処刑させることにし、引き立てさせる。両手と上半
身を縄で縛られ、その縄で桜木に繋がれていて不自由な雪姫は、引き立てられる夫と
今生の別をする場面が良い。可憐な姫の中にある人妻の色気が滲み出てくる。菊之助
からは、夫への情愛が科白の無い表情の演技だけで十分に伝わって来た。

一方、同じく初役で狩野直信を勤めた歌六も、難しい役どころ。上手から引き出さ
れ、雪姫と対面し、下手から花道へ引き立てられて行くだけの出番。妻を助けられな
い縄目の逆境で、先に死にに行く身。その悲哀を、これもまた、科白の無い表情で判
らせなければならない。雪姫に負けない色気と気品が必要。私が観た狩野直信は、九
代目宗十郎、秀太郎、時蔵、勘三郎、梅玉、芝翫、そして、今回の歌六。歌六も、も
うひとつだったが、こうして7人の狩野直信を思い浮かべて見ても、これぞ、という
印象がよみがえって来ないから、難しい。強いていえば、10年7月、新橋演舞場の
芝翫か。その時の劇評では、「芝翫は、古風なつっころばしの風情が、いい」と私は
書いている。ポイントは、和事の隠し味か。

ハイライトは、「爪先鼠」の場面。長い縄で上手の桜の木に縛り付けられた雪姫。木
に体をぶつけて、桜の花弁を散らせ始める。その後、動き回る雪姫に合わせるよう
に、最初は、ひらひらと、クライマックスは、霏々と、降る。雪姫は、桜の木から大
量に落ちてきた花弁を着物の裾を使って集め、花弁の中に足の指で鼠の絵を描く。命
を吹き込んだ鼠に自分を縛っている縄を食いちぎらせて、自由の身になる。食いちぎ
られた縄は、大中小と、三つに切られていた。小道具方も、藝が細かい。

「これがこの世の別れ」という竹本葵太夫の語りから、鼠が雪姫の縄を食いちぎる所
までは、菊之助の一人芝居に、竹本2連で支援、葵太夫に加えて、道太夫も語る。


夜は、荒事の「連獅子」、昼は、女形の「相生獅子」


「相生獅子」は、3回目の拝見。1734(享保19)年、江戸の中村座で初演。初
代瀬川菊之丞出演。「石橋もの」の系譜。江戸時代の長唄舞踊で、「男獅子女獅子の
あなたへひらり」という文句から、相生と名付けられた。本外題は、「風流相生獅
子」。女ふたりながら、男女の恋愛模様を描く。初代の瀬川菊之丞が初演。一人で
踊ったり、ふたりで踊ったり、また、そのふたりが、傾城だったり、姫だったりす
る。

今回は、姫ふたりで、魁春、芝雀。魁春は、初役である。芝雀は、3回目、私が芝雀
を観るのは、2回目。このほか、私が観たのは、孝太郎(2)、福助。舞台は、ク
リーム地に紅白の牡丹が描かれた襖が、上下手にそれぞれ開くと、雛壇に乗った長唄
連中登場。さらに、この雛壇が上下手に開くと、奥からふたりの姫が、二畳台に乗っ
たまま押し出されて来る。裃後見(鬘無し)と黒衣が押している。それぞれ、紅と白
(クリーム色)の衣装、黒地に牡丹模様の帯。白の方が上なので、魁春が勤める。紅
の方は芝雀。

前半、房の付いた金地(表)と銀地(裏)の扇子を持つ。次いで、紅白の「手獅子」
(扇子を利用した獅子頭)。さらに、金地に赤い模様の2本の扇子「二枚扇」へ。ふ
たりの姫が、花や蝶に戯れる獅子の様子を四季とともに描く。「手獅子」を「獅子
頭」にして「石橋もの」の定番を演じ、後見の操る差金の蝶を追って花道から引っ込
む。

後半、花道から現れたふたりは、紅白の長い毛に鈴のついた「扇獅子」を頭に載せ
て、前半の紅と白の衣装を両肩脱ぎにし、裾を引いた姿。下は、いずれもピンクの衣
装。金地に紅白の牡丹が描かれた扇子。紅白の牡丹の枝を持っている。それぞれ、紅
白で、対比的。「獅子の狂い」女形の髪洗いは、獅子らしい力強さとともに、姫らし
い艶やかさ、華やかさを滲ませる。「扇子」→「手獅子」→「獅子頭」→「扇獅子」
という扇子から獅子への変化も、女形の獅子らしくて、華麗。最後は、ふたりして二
畳台に乗って、ポーズ。緞帳が下りて、幕。ベテランと中堅の女形たちの安定した踊
りを堪能した。夜の部の荒事の「連獅子」に対して、女形の「連獅子」。
- 2012年1月15日(日) 16:07:20
12年01月国立劇場 開場45周年(通し狂言「三人吉三巴白浪」「奴凧廓春
風」)


「三人吉三」当代の理想の配役は?


「通し」で拝見するのは、4回目。04年2月、歌舞伎座以来、8年ぶり。04年以
降では間に、「大川端」のみの一幕ものは、一昨年、10年4月の歌舞伎座などを含
めて3回観ていて、それ以前を加えれば「みどり」は5回、「通し」「みどり」の両
方通算では、9回目の拝見となる。今回の特徴は、大詰「本郷火の見櫓の場」で、両
花道を使って、河竹黙阿弥原作の指定通りの演出としたということなので、大詰の舞
台を詳しく書き、ほかは、コンパクトにまとめたい。この両花道を使う演出は、00
年2月、歌舞伎座でも観ている(この場合、廻り舞台も使っていた。今回、廻り舞台
は無し)が、今回の方が、印象的だった。過去に書いた私の劇評では、今のように舞
台の流れをきちんと記録する書き方をしていない。ではまず、大詰の舞台から。次い
で、複雑な筋立てのほぐしておいて、役者論。今回の劇評は、そう言う構成で行きた
い。

大詰「本郷火の見櫓の場」では、幕間に、大道具方の手で両花道に雪布を敷き詰める
作業が始まった。定式幕が開くと、雪景色の本郷。舞台下手袖には、霞み幕(後に、
清元連中登場)。下手、障子に「火の番」と書かれた火の番小屋。大きな木戸を挟ん
で、上手側、舞台中央に火の見櫓。上手から町人3人が出て来て口々に己の事情を言
い立て、いつもより厳格に木戸を開けない理由を火の番小屋の番太(幸太郎)に聞い
ている。火の見櫓に町役人の「触書之事」という文書が打ち付けてあるので、読めと
つれない。吉祥院から逃げた3人の吉三を追い詰めるため、江戸中の木戸が閉められ
たのだという。

両花道のうち、上手側の仮花道からは、蓆で上半身を隠した赤い衣装のお嬢吉三(福
助)、本花道からは、同じく蓆で上半身を隠した黒い着流し姿のお坊吉三(染五郎)
が、雪道をそろりそろりと歩いて来る。花道七三で蓆を開けて、観客席に顔を見せる
ふたり。それぞれ本舞台に上がり、やがて、お互いに気付き、木戸越しに再会する。
手配のお嬢吉三とお坊吉三の首の替わりに双子の妹と弟の首をお上に提出したが、計
略露見で囚われの身となっている和尚吉三を助けたいというふたり。この厳重な警備
では、それも叶わない。

火の見櫓に昇って、太鼓を叩けば、手配の3人の吉三が捕まった合図という事を知
り、火の見櫓のある木戸うちにいるお嬢吉三は、違法を覚悟で太鼓を叩く決意をす
る。お坊吉三は、それを支援するため、火の番小屋のある木戸内で捕り方と立ち回り
をする決意をする。下手では、お坊吉三と捕り方2人、上手では、お嬢吉三と捕り方
4人と、それぞれ立ち回りとなる。捕り方を退け、火の見櫓に昇るお嬢吉三。やが
て、木戸の上手側は、火の見櫓ごと、大せりでせり下がる。下手側は、お坊吉三と捕
り方が、火の番小屋の屋根で立ち回り。映画なら、カメラを上空に向けて、屋根上、
櫓上での立ち回りというシーンだろう。

櫓が再びせり上がって来る。お坊吉三の染五郎は、屋根上の捕り方たちを退けて、屋
根から木戸へ飛び移り、木戸の上手側に下りて来る。お嬢吉三の福助が、ご法度の太
鼓を叩き始める。定め通り、番太が木戸を開ける。花道からは、逃げてきた和尚吉三
の幸四郎が、姿を見せる。木戸の上手側で、3人の吉三が勢ぞろいする。

上手から八百屋久兵衛(寿猿)も「八百久」の提灯を持って現れる。八百久、こと八
百屋久兵衛は、女の子として育てられた、誘拐されたままだった男の子・お嬢吉三の
実父であり、お坊吉三の実家(安森家)出入りの業者であり、和尚吉三の双子の妹弟
のうち、捨てられた弟の十三郎の育ての親という、黙阿弥独特の血縁話の典型的な、
関係の濃さを象徴する人物。後のことを八百久に託して、三人吉三は、三つ巴になっ
て、刺し違えようと、捕り方たちに向かって行く、という場面で、引張りの見得とな
り、「三人吉三巴白浪」という外題通りに、3人の犯罪者たちの芝居は、無事閉幕。

そもそも「三人吉三巴白浪」は、河竹黙阿弥が、自分の作品のなかでも、生涯愛着を
持った生世話物の傑作である。「八百屋お七」の世界を借りて、安森家が将軍家から
預っている名刀・庚申丸が何者かに盗まれ、お家断絶になっているため、名刀を探し
出そうとする「お家再興もの」に加えて、通人・小道具商木屋文蔵の倅・文里(ぶん
り)と遊女・一重(ひとえ・安森家長女、つまり、お坊吉三の妹)の「情恋哀話」と
いう3つの要素が演劇構成をなす。

1)「八百屋お七」の世界が援用され、お七→お嬢吉三(「八百久」の実子で、幼い
ころ誘拐され、旅役者の女形出身で、おとせから問題の百両を奪い、おとせを大川に
蹴落とす、いまでは、女装の盗人となっている)という設定で、「吉祥院」の場、
「火の見櫓」の場の主役で、「演劇」的には、これが、「三人吉三」の主軸となって
いる。

2)安森家の「お家再興もの」が、物語の本来の「主筋」としてあり、安森家長男・
吉三=お坊吉三(お家断絶で、浪人の身で、強盗も辞さない不逞の族(やから)。後
にお嬢吉三と同性愛の間柄となる)、それに、名刀・庚申丸探しという形で、糾(あ
ざな)える縄のごとく、舞台の展開に、絶えず、見え隠れしている。

3)「副筋」の文里・一重の「情恋哀話」の部分は、「丁字屋」などの場面として
残っているが、あまり上演されない。上演される場面では、木屋の手代・十三郎(小
道具商として、川底から見つけた庚申丸を売った代金百両を夜鷹との遊興の途中で落
としてしまうが、遊び相手の夜鷹で、伝吉の娘・おとせが拾っていて、十三郎を探し
て届けようとする。後に、十三郎とおとせは、双子と判るが、すでに近親相姦の関係
になっていて、それが悲劇を生む)という登場人物として残っている。

4)これらを、いわば「接着」するのが、三人吉三の兄貴分の和尚吉三(所化上がり
の巾着切、いまでは、盗賊)を軸にした「肉親縁者の因果もの」。伝吉(和尚吉三の
実父で、安森家から庚申丸を盗んだ盗人でお坊吉三の実父を殺している。いまは、夜
鷹宿の主人。後に、お坊吉三に殺され、お坊吉三は、結果的に、敵討の本懐を遂げた
事になるが、当初は、義理の兄貴分の実父を殺したと思い込んでしまう)。このほ
か、伝吉の次男・十三郎と長女・おとせ(ふたりは、双子ながら、出生の秘密を知ら
ず、恋仲になり、知らぬこととはいえ、近親愛に耽る)。お嬢吉三の実父で、十三郎
の養父・「八百久」こと、八百屋久兵衛が、絡む。

複雑な筋立てがほぐれたと思う。上演過多気味の舞台なので、今回の劇評は、役者論
で締めくくりたい。今回の3人の吉三は、和尚吉三が幸四郎、お坊吉三が染五郎、お
嬢吉三が福助だが、福助は、初日前に体調を崩していたと伝え聞いたように、声に元
気がなかったし、幸四郎も、声が出切っていなかったように感じたので、ベストコン
ディションではないと思われた。染五郎のお坊吉三は、「大川端」の一幕ものを含め
て、何回か観ている。

私が、2000年2月の歌舞伎座で観た時の配役は、和尚吉三が團十郎、お坊吉三が
吉右衛門、お嬢吉三が菊五郎。04年2月の歌舞伎座では、和尚吉三が團十郎、お坊
吉三が仁左衛門、お嬢吉三が玉三郎。これに比べると、今回は、和尚吉三が幸四郎、
お坊吉三が染五郎、お嬢吉三が福助ということで、お坊吉三、お嬢吉三が、やはり、
見劣りするのは、否めない。

なかでも、團十郎の和尚吉三は、この人の生涯の当り役になるのではないかという印
象を私は持っている。今回の幸四郎も、これを超えてはいなかった。玉三郎のお嬢吉
三は、見た目は綺麗だが、科白廻しに難があったという印象が残っているので、菊五
郎に軍配が上がる。お坊吉三は、私の印象では、仁左衛門。ということで、私の三人
吉三の配役は、和尚吉三が團十郎、お坊吉三が仁左衛門、お嬢吉三が菊五郎というこ
とになる。お坊吉三は、御家人崩れで、かつては侠客も経験した腕っ節も強い悪(わ
る)なので、仁左衛門が巧いが(そう言えば、去年の3月11日の東日本大震災で、
途中打ち止めにされてしまった仁左衛門の悪役の極みとも言うべき「絵本合法衢(え
ほんがっぽうがつじ)」(南北原作)は、国立劇場で、4月興行で復興上演される。
私は、去年の3月、震災前々日の9日に観劇している)、幸四郎も和尚吉三より良さ
そうな気がする。幸四郎は、和尚吉三を演じても、お坊吉三は演じていないのではな
いか。是非、演じて欲しい。

「大川端」が、歌舞伎錦絵のような様式美と科白廻しで、これはこれで、いつ観ても
充実感がある。一方、二幕目の「割下水土左衛門伝吉内の場」ほかや三幕目の「巣鴨
在吉祥院本堂の場」ほかは、世話場では、このところ世話物の出演に熱心な幸四郎ら
しいく見応えがあった。伝吉は、今回は、錦吾。これは、羽左衛門、左團次で観て来
た。こういう役は、苦渋を底に秘めた羽左衛門が巧かった。左團次は、その羽左衛門
に直に習ったというから、強い。いずれ、松助あたりが、伝吉役に精進してくるかと
期待していたら、亡くなってしまった。

「割下水土左衛門伝吉内の場」では、暗い話が展開する前に、チャリ(笑劇)場とし
て、「大川端」のパロディが、夜鷹たちによって演じられるが、この場面はいつ観て
もおもしろい。藝達者な脇の女形たちが熱演するからだが、今回は、おいぼ:幸雀、
おはぜ:芝喜松、おてふ:芝のぶ、というトリオ。特に、私ご贔屓の芝のぶの「汚れ
役」ぶりも、悪くなかった。「巣鴨在吉祥院本堂の場」では、堂守の源次坊に錦弥。
和尚吉三の双子の妹弟は、妹おとせが高麗蔵、弟十三郎が友右衛門。「八百屋お七」
のパロディという演劇構造だけに、「八百久」が節目節目に出てくるが、今回は、寿
猿が演じた。


105年ぶりの復活上演


「奴凧廓春風」は、初見。三段返しの所作事で、「大磯毎鶴屋格子先」「大磯八丁
堤」「富士野猪退治」(原作は、「両国鎌倉屋の場」、曽我ものでアレンジ)の3部
構成。河竹黙阿弥原作で、1893(明治26)年、東京・歌舞伎座初演。黙阿弥原
作の初演が、「東京・歌舞伎座」というところが、良い。幕末から明治中期まで生き
延びた歌舞伎界の「傑物」(門左衛門、南北、そして黙阿弥)らしい。初演直後、黙
阿弥逝去で、絶筆作品。それの105年ぶりの復活上演というのが、嬉しい。奴凧と
曽我ものを結びつけたアイディア。

「大磯毎鶴屋格子先」では、新春の大磯遊廓。大見世の舞鶴屋の暖簾の掛かった格子
先。助六の「三浦屋」を思い出す。舞台上下に「仲之町竹村伊勢」の積みもの。天井
近くには、紅白の梅の小枝。華やかな舞台だ。曽我十郎(染五郎)が、家来の奴・赤
沢十内(高麗蔵)をつれて、深編笠を被って仮花道から登場。少し間を置いて、十郎
の恋人傾城大磯の虎(福助)が、黒地に紅白梅の縫い取りのある打ち掛けを着て新造
小藤(廣太郎)らをつれて、ミニ花魁道中の体で、本花道から登場。痴話喧嘩の元が
十郎の敵討の相手工藤祐経接近のためと知れて、仲直り。傾城の「くどき」と十郎の
「物語」。それだけの場面だが、廓の正月気分を観客席にもお福分け。凧、独楽、羽
根、小槌などが描かれた道具幕が振り被せとなり、幕。

「大磯八丁堤」では、幸四郎の孫、染五郎長男・金太郎が奴凧を持って花道から駆け
足で登場。七三で見得。凧揚げをしようというわけだ。金太郎は、国立劇場初出演。
遅れて、爺の幸四郎が花道から登場。駄々をこねる孫と爺が、「正札附根元草摺」の
振り。舞鶴屋の大旦那・朝蔵。幸四郎の「風の様子を」という科白をきっかけに、道
具幕、振り落しとなり、「大磯八丁堤」へ。丘の上からの麓を臨む野遠見。舞台の下
手に白梅。上手に紅梅。爺と孫の凧揚げ風景。舞台中央に金太郎を残して、幸四郎は
凧を持って、舞台下手奥へ。ここで、凧は、人間奴凧(染五郎)になる。やがて、奴
凧は宙乗りへ。高麗屋三代揃い踏み。

凧、宙に舞う。「歩く奴」が、歩かずに宙乗りの所作事を披露。糸で手繰られたり、
風に翻弄されたりする場面を入れながら、逆様になったりの珍しい踊りを披露。幸四
郎と金太郎がせり下がると、大道具は、上下手に引き込まれ、彩りのある雷雲を背景
に奴凧の宙乗り。上手寄り、宙乗りの鳶。やがて、凧の糸が、大猪に切られて、奴凧
は、酎乗りで、くるくる回りながら、せり穴を落ちて行く。

富士山が大せりで、せり上がってきて、舞台奥に裾野を見せた富士山。上下手に松並
木。「富士野猪退治」。暴れる猪に対抗するのは、早替わりの染五郎演じる富士の仁
太郎。馬簾(ばれん)の付いた四天姿の狩人。仁田(にたんの)四郎に倣い、猪に逆
乗りして押さえ込む仁(に)太郎。富士山に初日の出。山鯨(猪)の初荷に感謝。染
五郎の3役早替わりの奮闘。「国立は一富士二高(麗)三揃い」の舞台。
- 2012年1月14日(土) 17:24:28
12年1月浅草公会堂(夜/「敵討天下茶屋聚」)


新春浅草歌舞伎は、夜の部の方が、おもしろい。


「敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがぢゃやむら)」は、3回目の拝見。98年12
月の歌舞伎座、猿之助主演。元右衛門による兄殺しの場が印象的だった。11年05
月新橋演舞場。幸四郎主演、ふた役早替わりの、170年ぶりの復活。そして、今回
の亀治郎主演はもちろん澤潟屋版で、猿之助演出が冴えていておもしろかった。私は
観ていないが、亀治郎は10年4月、金丸座こんぴら歌舞伎で初演している。

芝居は慶長年間(1600年前後)に大坂・住吉の殿下(天下)茶屋で実際に起きた
敵討を素材にしている。歌舞伎での初演は、1781(天明元)年12月、大坂・道
頓堀、角の芝居で、藤川山吾座という小屋で上演された。元々は初代奈河亀輔(なが
わかめすけ)原作の「大願成就殿下茶屋聚(たいがんじょうじゅてんがぢゃやむ
ら)」、弟子の奈河七五三助(しめすけ)原作の「連花茶屋誉文臺(れんがぢゃやほ
まれのぶんだい)」という作品が作られ、同時期に、角の芝居のほか、中の芝居でも
競演され、話題になった。このうち、奈河亀輔原作「大願成就殿下茶屋聚」は好評大
入りで、翌年2月まで上演が続いた。

初代の奈河亀輔は奈良の生まれで、奈良・河内で遊んで身が定まらなかったのを洒落
て、「奈河」という名字を付けたという。初代並木正三に師事。後に、大坂・中の芝
居の立作者を務めた。時代物を得意とし、中古歌舞伎作者の祖といわれる。「競(は
でくらべ)伊勢物語」、「伽羅先代萩」などは、今も、上演される名作だ。二代目は
弟子の奈河七五三助ではなく、別の弟子の奈河篤助が継いだ。

今回上演の「敵討天下茶屋聚」はその後の改作を集大成したもので、原作者は二代目
奈河亀輔と並木十輔。いずれの人物も、経歴など詳細不明。およそ50年後、183
5(天保6)年、四代目大谷友右衛門が江戸の中村座で主役の安達元右衛門を演じ
て、評判となり、「友右衛門の元右衛門か、元右衛門の友右衛門か」と言われたとい
う。早瀬兄弟の敵討物語から裏切り者・元右衛門の物語に転換した。現在の元右衛門
の演出は、この時の友右衛門の工夫が基になっているという。さらに、幕末の四代目
小團次、近代の六代目菊五郎、初代猿翁が、磨き上げた。

誠実な小人物だったが、酒好きで、酒乱の癖があり、それが敵側に利用されて酒を飲
まされ、やがて、主家を裏切り、実兄を殺し、敵側に付く小悪党になり下がるという
人物造形が、まかり間違えば自分もそうなりかねないという危うさ、誰もが小悪党に
なりうるという危うさ、この辺りが江戸の庶民の共感を得たのだろう。

安達元右衛門・東間三郎右衛門のふた役という演出は、1843(天保14)年7
月、京都四条南側大芝居で初めて取り入れられた。8年前の初演以来、当り役となっ
た大谷友右衛門が、この舞台で、ふた役早替わりで演じた。11年05月新橋演舞場
では、幸四郎が、それ以来、およそ170年振りに、このふた役早替わりに挑戦した
が、今回は安達元右衛門が亀治郎、東間三郎右衛門が愛之助。その代わりに亀治郎は
執権の片岡造酒頭という捌き役をふた役で演じる。

「東寺貸座敷の場」は、私が観た猿之助も、幸四郎も、今回の亀治郎も、おもしろく
演じたが、やはりいちばん印象に残っているのは最初に観た猿之助だった。亀治郎の
魅力はその場面ではなく、猿之助の舞台は記憶も定かでないが、去年、幸四郎が演じ
た場面では、あっさりとした演出だったのを、今回、亀治郎がこってり演じた演出
(猿之助演出)の方がおもしろかったので、そこを軸に書いてみたい。

その前に配役を紹介したい。役名は、一部、それぞれ、少しずつ違っているが、それ
ぞれの舞台での名前を優先し、そのままとした。

今回の主な配役は次の通り。
安達元右衛門と大坂城執権・片岡造酒頭:亀治郎。東間三郎右衛門:愛之助。早瀬伊
織:亀鶴。伊織妻・染の井:春猿。伊織の弟・早瀬源次郎:巳之助。元右衛門の兄・
安達弥助:男女蔵。染の井妹、源次郎許嫁・葉末:壱太郎。人形屋幸右衛門:薪車。

因に前回の主な配役は次の通り。
元右衛門・東間三郎右衛門のふた役:幸四郎。伊織:梅玉。染の井:魁春。源次郎:
錦之助。葉末:高麗蔵。弥助:弥十郎。坂田庄三郎:友右衛門。京屋萬助:歌昇。片
桐造酒頭:歌六。早瀬兄弟の父・玄蕃頭:段四郎。人形屋幸右衛門:吉右衛門。

因に、前々回の主な配役は次の通り。
元右衛門:猿之助。東間三郎右衛門:段四郎。伊織:梅玉。染の井:松江時代の魁
春。源次郎:門之助。弥助:歌六。人形屋幸右衛門:東蔵。

こういう配役を見ると、今回の舞台は澤潟屋一門の亀治郎だから、当然ながら猿之助
版だが、その特徴は元右衛門が「あっけなく斬られてしまう」場面が、大いに膨らま
されて大爆笑のチャリ場に化けた大詰第三場「住吉の宮境内の場」であろう。

まず、物語の前提を説明しておこう。西国の大名浮田中将秀秋を亡き者にし、お家
乗っ取りを画策する家老一派の東間三郎右衛門らにだまし討ちに遭って殺された相家
老の早瀬玄庵の長男の伊織、次男の源次郎が、妻やその妹で源次郎の許嫁とともに、
盗まれた御家の重宝の色紙(紀貫之筆)を探し、また、父親を殺した東間三郎右衛門
を探し求めて、敵討の旅に出る。早瀬方の中間、安達元右衛門が酒癖の悪さを利用さ
れて敵討の途上で、東間三郎右衛門方に寝返り、兄の同じく早瀬方の中間の安達弥助
を殺したり、早瀬方の金を奪ったりするなどすっかり小悪党になってしまう。敵討の
途上で家臣が裏切りをする物語という視点が新しい。

ここからが、今回の芝居。
序幕「四天王寺の場」。四天王寺門前の舞台は下手より、易者の占い所(幸四郎版の
時は、易者に扮していたのは、三郎右衛門の弟・大蔵で、早瀬勢を見張るスパイ役で
あった)、茶屋(障子に「酒肴」の文字、同じく旗)、四天王寺の門。背景の書割は
五重塔や御堂の大屋根の遠見。

花道から早瀬伊織の妻・染の井(春猿)と源次郎の許嫁・葉末(壱太郎)のふたりが
登場。敵討のため先に国元を出た早瀬兄弟を追って来たというわけだ。まだ、巡り遇
えない。境内の参詣客の中にいないか。ふたりは境内に入って行く。

上手から、深編笠で、黒の着流し姿の侍が顔を見せないまま、町人たちに大坂城の執
権・片岡造酒頭に間違えられる場面は、後の伏線。深編笠で顔が見えないが、実は、
この男が敵の東間三郎右衛門であった。三郎右衛門は四天王寺の境内へ入って行く。

花道から早瀬兄弟(兄伊織:亀鶴、弟源次郎:巳之助)と中間の弥助(男女蔵)が登
場。茶店で、一服。さらに花道から深編笠で、黒の着流し姿の侍が登場。早瀬主従は
この侍が三郎右衛門ではないかと疑い討ちかかるが、別人と判明。深編笠で顔が見え
ないが、この侍は片岡造酒頭であった。多分、亀治郎の吹き替え。侘びる早瀬主従。
3人で境内へ。深編笠の侍も境内へ入って行く。四天王寺門前の場面ゆえ、参詣客の
中に敵がいないかと探し回っている所為で、関係者の出入りが激しい。

そこへ、遅れてやって来たのが早瀬家の中間・元右衛門(亀治郎)、花道で酔っぱ
らった中間にからまれる。「酒というものは、始末に負えねえ」と、自分のかつての
不行跡を棚に置いて嘯く。主人の横死の際、酩酊していたのに腹を切らずに許され、
それ以降禁酒を誓って、兄の弥助と共に早瀬兄弟の敵討の旅の供をして来たのだ。

茶店で、早瀬兄弟らが参詣から戻って来るのを元右衛門が待っていると、東間家の奴
(中間)で旧知の腕助が花道からやって来る。東間の居処を質す元右衛門に対して腕
助は、酒を勧めながら先ほどの別の中間が落として行った鑑札を見せて、今は、「片
岡」というところに奉公しているからと嘘をつく。

この時代の中間たちは「渡り中間」と言って、今で言う非正規職員で、奉公先を替え
ながら暮していた。雇い主の方もお城に上がる時など、必要な時だけ、中間を臨時に
雇った方が、経費が掛からない。腕助の懐から落ちた密書を見つける元右衛門だが、
見られては困るので、折から、境内から出て来た深編笠の侍、つまり、三郎右衛門が
元右衛門に当て身を食らわせ、気絶させる。気を失った元右衛門に三郎右衛門と腕助
のふたりで、茶店にあった大きな酒瓶の酒を柄杓ごと無理矢理に飲ませて酔わせ、ふ
たりとも物陰に姿を隠してしまう。

戻って来た早瀬主従、特に、兄の弥助は禁酒を破った弟の元右衛門を許せない。伊織
は弥助に兄弟の縁を切らせることで、元右衛門を勘当する。元右衛門を弥助は茶店内
に連れ込む。幸四郎の舞台では、元右衛門と三郎右衛門のふた役早替わりなので、茶
店に連れ込んだ後は、元右衛門の吹き替えが活躍する。今回はここでは吹き替え無し
の筈だが、元右衛門は後ろ向きのまま、茶店の中で倒れて寝ている。早瀬主従は立ち
去る。

眠りから覚めたが、泥酔している亀治郎の元右衛門は腕助によって駕篭に乗せられ
る。何故か、亀治郎は駕篭の後ろに廻って、駕篭に乗り込もうとする。観客に顔を見
せた後、亀治郎は駕篭に倒れ込む。多分、この際、元右衛門の吹き替えが駕篭に倒れ
込み、亀治郎は茶屋の中を抜けて、早替わりの準備へ向かうのだろう。腕助は元右衛
門を駕篭に乗せて、花道から連れ去る。駕篭に乗った元右衛門は脚を出して、存在感
をアピールする。

上手、境内より、深編笠の侍が出て来る。茶店の下手側より、もうひとりの深編笠の
侍が出て来る。ふたりは舞台中央ですれ違い、深編笠を取ると、上手に愛之助の三郎
右衛門、下手に片岡造酒頭の亀治郎が立っているという趣向。「車引」のパロディ。
やっと、亀治郎と愛之助が顔を見せる。ふたりは互いに牽制しあっている。

二幕目「東寺貸座敷の場」。貸座敷とは、借家住まいのこと。敵を追い、奪われた色
紙を探す早瀬主従が祇園町の井筒屋の世話で借りた京・東寺近くの借家に住んでい
る。滞在期間を考えれば、旅館に泊まるより一軒借りた方が安いのだろう。源次郎は
心労で目を患ってしまった。弥助が、偶然出会った伊織の妻・染の井とともに源次郎
を介抱している。源次郎許嫁の葉末とは、はぐれてしまった。兄の伊織は出かけてい
る。

そこへ、通りかかった物乞いの按摩を弥助が呼び入れると、按摩は弟の元右衛門で
あった。弥助は早瀬兄弟に勘当の許しを請おうと弟に話し、とりあえず、戸棚に身を
隠すように勧める。

京都室町の道具屋で、探している色紙らしいものが見つかったという噂を聞き込んで
来た井筒屋が知らせて来たが、売価は二百両という。金の工面をどうするか。これを
奥で聞いた染の井は自ら身売りをして、金の都合をつけたいという。井筒屋の仲立ち
で兄嫁の身売りをし、その金で色紙を買い求めることになり、受け取った手付けの百
両は源次郎の枕の下に保管する。

戸棚の中で話を聞いていた元右衛門は、ここで、「悪の発心」へ。元右衛門はそれを
隠して、兄から古着や小銭をもらい、一旦、家を出る。花道に向かうと見せて、七三
で盲人なのに目を見開き、頭巾を取り去る。贋盲人の本性顕すという場面だ。本舞台
に戻り、家の後ろの藤棚を登る。この場面で、幸四郎の舞台では舞台が4分の1の廻
りとなったが、浅草公会堂では廻り舞台は使えない。藤棚は家の脇にある。でも、そ
の後の展開は余り変わらない。井戸を足場に昇った藤棚の上をうろうろしながら、元
右衛門は家内の様子を探り、藤棚の隙間から脚を落としたり、五月蝿い蚊を追い払っ
たり、亀治郎も、幸四郎も、猿之助も、この場面は観客席を笑わせる。印象的なシー
ンだ。

弥助も物音に気づきながら猫と思い込む。亀治郎は屋根の上で猫の鳴きまねをする。
弥助は用心にと開いていた天窓を閉める。元右衛門は、すでに、百両を盗み取ろうと
いう小悪党になり切っている。この場面は、今回の亀治郎よりも、前回の幸四郎より
も、前々回観た猿之助の方が巧かった。ユーモアのある仕草は猿之助が巧い。亀治郎
には、まだ、猿之助のような「重さ」がない。さて、コミカルな芝居は、後の、悲劇
を予兆する。歌舞伎の定式。

階下で弥助が寝入ったのを確かめ、天窓を開け下に降りる元右衛門。神棚の酒を飲ん
だり、行灯の油を障子の敷居に流し込んだり、源次郎の枕元から刀を盗んだり、準備
をした挙げ句、躊躇せずに兄の弥助を殺す弟の元右衛門。さらに、源次郎の枕元に
あった百両も盗む。深夜戻って来た伊織とも立ち回りとなる。伊織の脚に斬りつけて
深手を負わせて、元右衛門は逃げる。幕外の引っ込み。「盲長屋梅加賀鳶」の小悪党
の偽按摩・竹垣道玄を連想させる場面だ。

大詰第一場「福島天神の森の場」。森は河川敷に広がっているようだ。舞台中央に、
むしろ掛けの乞食小屋の体(てい)。剣菱の菰のむしろを入り口に下げている。小屋
の上手には地蔵像。源次郎の眼病は治ったが、伊織は足腰が立たなくなってしまっ
た。ふたりはホームレスの生活をしている。辺りを仕切る小屋頭伝吉(三津之助)の
世話を受けながら、敵討ちの機会を狙っている。

源次郎は、三郎右衛門らしい浪人がいるという噂を確かめようと出かける。夜も更け
て、小屋に一人いる伊織を襲う元右衛門と腕助。手負いとなった伊織に冥土の土産と
ばかりに、これまでの経緯を聞かせる元右衛門。兄の弥助を殺し、金を奪い、伊織の
脚を斬ったことを小出しにする。「まだ、ある」「まだ、ある」と己の旧悪を自慢げ
に嘯く元右衛門。小屋の中に忍び込んでいた三郎右衛門が伊織を背後から刺す。小屋
から出て地蔵を蹴倒して、台座に座り込む悪党・三郎右衛門。紫の衣装で、立敵のな
りだ。怒った伊織は渾身の力を出して、三郎右衛門に一太刀浴びせるが、軽傷のよう
だ。「お旦那、お旦那」と猫なで声を出しながら、三郎右衛門の傷の手当をする亀治
郎の元右衛門。伊織を返り討ちとばかりに、嬲り殺しにした三郎右衛門らは冷酷にも
その場を立ち去る。

舞台は背景の黒幕が振り落しで月夜の野遠見となる。やがて、月も隠れる。三郎右衛
門を見つけられずに戻って来た源次郎は、暗闇の中兄の惨い遺体に気づく。兄の遺体
を小屋の中にしまい込む源次郎。再び、月が出て来る。源次郎は腕助と手下の物乞い
に襲われ、川へ投げ込まれてしまう。

暗転のまま、舞台が替わると、大詰第二場「天神の森川下の場」。やがて、源次郎
は、上手の浅瀬から這い上がって来る。投げ込まれただけで傷も無く、無事だったよ
うだ。しかし、敵討も絶望となったと思い込み、切腹しようとする源次郎。花道よ
り、旅姿の人形屋幸右衛門(薪車)が登場し、源次郎を助ける。幸右衛門は、いまは
町人だが、かつては早瀬家に仕えていたので、助力したいと想い早瀬主従の行方を探
していたと申し出る。行方が判らなかった葉末を同道している。祇園町にいる染の井
も身請けしたいと言う。そこへ現れた腕助を掴まえ、早瀬勢の敵討体制を再構築す
る。

幕が開くと、大詰第三場「住吉の宮境内の場」。天下茶屋村に近い住吉神社。今回の
ハイライトはこの場面。幸四郎の舞台では、コンパクトだった場面。伊藤将監と名を
変えた東間三郎右衛門の一行が、仕える大江家の代参で住吉神社へ向かう。行列の最
後に、元右衛門が得意げに槍を抱えもって付いている。敵討の身支度を整えた姿を見
て腰を引き、お追従をいう元右衛門のずるさ。コミカルな立ち回り。早瀬勢に押され
逃げ回るが、早瀬勢にあっさり殺されてしまう。

猿之助の舞台は、どうであったか。余り覚えていないので、印象に残っていないのだ
が、そもそもは猿翁の工夫がベースになっているというから、猿之助も演じたのだろ
う。今回も猿之助演出で、これを十二分に活かす。

亀治郎は演出猿之助の期待に答える。舞台は中央から下手に掛けて絵馬堂。その上手
に太鼓橋。奥に住吉神社。上手の袖近くには馬小屋。「御神馬」と書かれた木札が打
ち付けてある。絵馬堂の2階には、絵馬が掛かっている。下手から、横から見た宝
船。神馬。正面から見た宝船の、3枚の絵馬が見える。船の間に、なぜ、神馬なの
か。これも伏線。

花道から早瀬勢の源次郎(巳之助)、染の井(春猿)、葉末(壱太郎)の3人が、登
場。早瀬兄弟に親身だった小屋頭伝吉や捕まって改心した腕助も助っ人だ。花道から
浪人姿の伝右衛門が酔いどれで歩いて来る。腕助ら早瀬勢に気付き、騙して上手へ逃
げようとするが、追いかけられる。追いつめられて逃げ惑う伝右衛門と早瀬勢との追
いかけっこが続く。絵馬堂の前に「雷おこし」の出店を婆が出す。それを追い出し、
婆の手拭いと上着を奪い、婆に化けて早瀬勢をごまかす。やがて、それもばれて、絵
馬堂の二階に上がり込む。神馬の絵馬を蹴落とし、亀治郎が絵馬の神馬の格好をす
る。場内爆笑。「吉祥院」のお嬢吉三のパロディ。それもばれて、絵馬堂の二階から
逃げ下りて来る。腕助や伝吉と太鼓橋に昇って追いかけっこ。太鼓橋の天辺から3人
揃って滑り落ちて来る。舞台から飛び降り、本舞台と花道七三の間を逃げ惑い、その
挙げ句、舞台を下りて客席に逃げ込み、観客の振りをする亀治郎。それもばれて、上
手から舞台に上がり直し、附け打をどかせて附けを打つ亀治郎。馬小屋から神馬を引
き出し、それに乗る伝右衛門。手には大根を持っている。「矢の根」のパロディ。本
舞台と花道七三の間を逃げ惑う。小屋に戻る神馬から、小屋の入り口に仕掛けられた
手摺につかまり、体操宜しく「演技」。飛び降りると、もう逃げ場が無い。初日ゆえ
のテンションの高さか、千秋楽までこの調子で演じるのか。いずれにせよ、斬られて
倒れ込む。亀治郎を横たわせたまま、せりで下がり、早瀬勢の3人が花道から退場す
ると、暗転。

大詰第四場「天下茶屋村敵討本懐の場」。ここは従来通り。天下茶屋村の松林。伊藤
将監と名を変えた東間三郎右衛門の一行が、仕える大江家の代参で住吉神社へ向かう
場面。舞台上手より行列の先頭が出て来る。花道より源次郎、染の井、葉末に加え
て、幸右衛門(薪車)が現れる。女たちは白い衣装に黒い帯、頭には、白い鉢巻き。
源次郎も白い衣装に鉢巻き。舞台中央に停まった駕篭の中から伊藤将監と名を変えた
東間三郎右衛門が姿を現す。大坂方の自分に刃を向けるのは天下の大罪と脅す。そこ
へ、花道より大坂城執権の片岡造酒頭(亀治郎)が現れ、淀の方より敵討の承諾を得
ていると言い、さらに、御家の重宝の色紙を手渡す。源次郎が三郎右衛門を討取り、
本懐を遂げる。亀治郎「めでたいめでたい」の後、「東西」で口上へ。亀治郎、巳之
助、春猿、壱太郎、薪車の5人が、舞台中央に座り込み、「まず、こんにちは、これ
ぎり」で、幕。
- 2012年1月5日(木) 13:31:16
12年1月浅草公会堂(昼/「南総里見八犬伝」「廓文章」)


ひたすら、亀治郎は、猿之助に似せ、愛之助は、仁左衛門に似せ


「南総里見八犬伝」は、御存知曲亭馬琴(筆名は、「曲亭馬琴」が正しく、「滝沢馬
琴」を名乗ったことは無いという。本名、滝沢興邦=おきくに=という)原作の長編
読本(28年かけて完成した98巻、106冊の作品)、今の分類なら長編伝奇小説
の劇化。

「南総里見八犬伝」の主筋は、室町幕府に与する関東管領に対抗して敗れた鎌倉方
の、落ち武者、安房の里見家一統の復讐譚である。生まれながらにして8つの玉
(仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌)をそれぞれが持つ八犬士は、ミラクルパワーを
駆使して里見家を助け、管領に打ち勝ち、関東に平和を齎すという勧善懲悪物語。ひ
とつの世界を構築する大きな流れに、さまざまなエピソードが、細かく、複雑にぶら
下がるというのが、馬琴ワールドというわけだ。

最初の劇化は、1834(天保5)年。以来、里見城落城から対牛楼まで、中味の構
成を変えながら、狂言作者の腕の見せ所とばかりに、手を変え、品を変え、趣向を凝
らして来た。大入になったものもあるが、不入りも多かったと伝えられる。戦後の上
演記録を観ても、構成は、まちまちで、なかなか、これは、決定版という定まりがな
い。猿之助一座の通し上演でも、毎回、少しずつ構成が違う。「南総里見八犬伝」の
拝見は、4回目だが、すべて構成は違っていた。

今回は、「発端」の「富山山中の場」から、「序幕」の「大塚村庄屋蟇六(ひきろ
く)内の場」、「二幕目」の「円塚山(まるづかやま)の場」までの構成だが、全体
的に、いわば、八犬士勢ぞろいという「序」で終わり。石川耕士の新脚色だが、19
47(昭和22)年の渥美清太郎版がベース。「さてこれから」が、ないまま、終
演。

見どころは、本筋よりも、浅草公会堂恒例、新春浅草歌舞伎の担い手である花形役者
連中の、いわば「世代交代」というところか。亀治郎、愛之助、男女蔵、亀鶴、春
猿、薪車らに加えて、平成生まれ(元年から5年)の御曹司たち、歌昇を襲名した種
太郎(又五郎長男)と弟の種之助(又五郎次男)、巳之助(三津五郎長男)、壱太郎
(翫雀長男)、米吉(歌六長男)、隼人(錦之助長男)が、ぞろぞろ出て来る。まさ
に、明日の歌舞伎界をになう若手の「顔見世」の感がある。

今回の主な配役は、庄屋蟇六と犬山道節:亀治郎、庄屋女房亀篠:竹三郎、金碗(か
なまり)大輔と代官の簸上宮六(ひがみきゅうろく):男女蔵、里見家息女伏姫:春
猿、犬飼現八:愛之助、網干左母二郎:亀鶴、犬塚信乃:歌昇、浜路:壱太郎、下男
額蔵、実は、犬川荘介:薪車、犬村大角:巳之助、犬田小文吾:種之助、犬坂毛野:
米吉、犬江親兵衛:隼人の八犬士ほか。明治期の「劇聖」と呼ばれた九代目團十郎
は、好んで、犬山道節と大塚蟇六のふた役を演じたという。亀治郎の演じたふた役
は、九代目團十郎以来かもしれない。

「発端」の「富山山中の場」は、定式幕(歌舞伎座や新橋演舞場の幕=守田座=と
違って、国立劇場と同じ幕=市村座=だった)が開くと、浅黄幕が、覆っている。花
道から、ふたりの所化が、「聞いたか坊主」。本舞台浅黄幕前でのやりとり。差し詰
め、昔のワイドショーというところだ。

所化が上手寄りの幕内に入ると、浅黄幕が、振り落とされて、富山山中。舞台中央に
谷川と上手寄りには、入り口に笹竹につけた注連縄飾りで結界を作った祠がある。舞
台中央には、里見家息女伏姫と城主里見義実の愛犬八房。ここでは、姫と犬の間に生
まれた八犬士誕生秘話をコンパクトに描く。八房は、城主の約束により、里見家の危
難の際、敵将を殺したことで、里見家の伏姫の「夫」となったという。懐妊した伏姫
は、それを恥じて八房ともども死のうとしている。春猿の伏姫は、「鳴神」の「雲絶
間姫」のような雰囲気。

花道から登場した里見家の忠臣・金碗大輔(男女蔵)は、それを悟り、八房と伏姫を
ひとつ玉で、撃ち殺す。その大輔は、「忠臣蔵」の「五段目・二つ玉」の猟師姿の勘
平のよう。里見家の守護神・洲崎明神のお告で、体内の子は、里見家を再興する勇士
になるということから、伏姫は、女ながら懐剣で切腹する。すると、伏姫の胎内か
ら、8つの光り輝く緑の玉が飛び出す。ふたりの黒衣の持つ差し金が、8つの玉を操
る。やがて、暗転。

「序幕」の「大塚村庄屋蟇六(ひきろく)内の場」は、座敷の行灯が、暗い場内にぼ
うと浮かぶと、やがて、明転。世話もののチャリ場(笑劇)で、養女を代官のところ
に輿入れさせて持参金を得ようという魂胆の庄屋蟇六・亀篠(かめざさ)という老夫
婦とこの家に隠棲している八犬士のひとり犬塚信乃と恋仲の庄屋養女浜路の対抗を軸
にしている。

亀治郎の老け役、庄屋蟇六と若手花形に混じって、ベテランの味をきらりきらりと見
せる亀篠役の竹三郎の演技が見どころ。若い連中に混じった竹三郎は、実に良い。老
け役の亀治郎は、父親の段四郎そっくりだが、科白廻しは、伯父の猿之助そっくり。
目を瞑って聞いていると猿之助が、「復活」しているように聞こえる。

若いふたりの犬塚信乃(歌昇)と浜路(壱太郎)の恋仲を裂き、持参金という金の力
で、浜路をわがものにしようと庄屋に働きかける代官簸上宮六(男女蔵)が、滑稽役
で笑わせる。里見家のお家再興を願い出発する犬塚信乃とその後を追いたい浜路の気
持ちを悪用して誘い出す網干左母二郎(あぼしさもじろう・亀鶴)。壱太郎の若女形
も良い。

贅言;普通なら、「酒樽」と「油単(ゆたん)」(ひとえの布や紙に油をしみ込ませ
たもの。湿気や汚れを防ぐので、箪笥や調度の覆い、敷物、風呂敷などに用いた)を
使って「獅子舞い」に見立てる所を金龍山浅草寺と干支の辰に因んで、亀治郎の意地
悪爺さんは、「龍の舞い」(「酒樽」を龍の首に見たて、棒を組み合わせて操る。油
単は胴に見立てる)を見せる。

5分の休憩後、今回の最大の見せ場「二幕目」の「円塚山(まるづかやま)の場」。
上手に小屋。下手に巨木。中央に、「火定(かじょう)の坑(あな)」(火定=修行
者が自ら焼身死することによって入定するという儀式)の石段。このなかへ、寂莫上
人が、入定しようと飛び込んだという想定。

ここでは、八犬士たちが、勢ぞろいする。寂莫上人、実は、「忠」の玉を持つ犬山道
節(亀治郎)は、紫の衣装ながら、斧定九郎の雰囲気。ほかに「信」の玉を持つ犬飼
現八(愛之助)、「孝」の玉を持つ犬塚信乃(歌昇)、「礼」の玉を持つ犬村大角
(巳之助)、「義」の玉を持つ犬川荘介(薪車)、「悌」の玉を持つ犬田小文吾(種
之助)、「智」の玉を持つ犬坂毛野(米吉)、「仁」の玉を持つ犬江親兵衛(隼人)
の八犬士によるだんまり。倒れたまま、亀治郎は、一旦、せりで下がって、奈落へ消
える。下手巨木のウロより再登場し、最後に花道から退場する犬山道節。背景の黒幕
が、振り落としで、山中の遠見。道節に扮した亀治郎が、花道で、捕り手との立ち回
り。馬連を付けたきらびやかな四天姿で、六法による花道の引っ込みを見せた。


「はんなり(華あり)」した上方和事の「夕霧伊左衛門 廓文章 吉田屋」。


「吉田屋」は、8回目の拝見。私が観た伊左衛門は、仁左衛門が、5回目(外題は、
「夕霧伊左衛門 廓文章 吉田屋」)で、鴈治郎時代を含め、坂田藤十郎が、2回
(こちらの外題は、玩辞楼十二曲の内、「廓文章 吉田屋」)。愛之助の伊左衛門
は、初見。

私が観た夕霧は、玉三郎(3)、雀右衛門(2)、福助、魁春、そして、今回が、壱
(かず)太郎。

伊左衛門には、ふたつの型がある。松嶋屋型(八代目仁左衛門型、大阪風)の伊左衛
門と成駒屋型(京風)の伊左衛門(いまは、「山城屋型」か)は、上方歌舞伎なが
ら、衣装、科白(科=演技、白=台詞)、役者の絡み方(伊左衛門と吉田屋女房・お
きさや太鼓持ちの絡みがあるのは、松嶋屋型)など、ふたつの型は、いろいろ違う。
竹本と常磐津の掛け合いは、上方風ということで仁左衛門も藤十郎も、同じ。

贅言;一方、江戸歌舞伎では、六代目菊五郎以来、清元だが、私は、観ていない。上
演記録を見ると、江戸歌舞伎での上演は、1991年12月の歌舞伎座が最後で、勘
九郎時代の勘三郎が、伊左衛門を演じていて、相手役の夕霧は、玉三郎である。

仁左衛門の、花道の出は、差し出し(面明り)。これも、松嶋屋の型である。黒衣
が、ふたり、黒装束ながら、衣装を止める紐が、人形遣のように赤いのが印象的で
あった。背中に廻した長い面明りを両手で後ろ手に支えながら、仁左衛門の前後を挟
んで、ゆっくり歩いてくる。前を行く黒衣は、後ろ歩きだが、多分、面明かりの長い
柄で方向感覚のバランスを取り、無事に直進しているのだろうと思う。網笠を被り、
紙衣(かみこ)のみすぼらしい衣装を着けた伊左衛門は、ゆるりとした出になる。黒
地と紫地の着物である紙衣(かみこ)は、夕霧からの恋文で作ったという体で、「身
を松(「待つ」にかける)嶋屋」とか「恋しくつれづれに」とか「夕べ」「夢」「か
しこ」などという字が、金や銀で,縫い取られているように見える。明りが、はんな
りとした雰囲気を盛り上げる。仁左衛門が、本舞台に入り込むと、ふたりの黒衣は腰
を落とした横歩きで、下手、袖に引っ込む。

以上が、松嶋屋型の伊左衛門の花道の出。さて、ここで、クイズ。今回私が初めて観
た愛之助の舞台は、どっちの型であっただろうか。答えは、簡単だろう。

愛之助は、仁左衛門が演じた通りに演じ続ける。じっと凝視していても、いつの間に
か、舞台から、愛之助が消えて、仁左衛門がそこにいるように錯覚される。松嶋屋型
の伝承。

吉田屋の前で、店の若い者に邪険に扱われる伊左衛門。やがて、店先に出て来た吉田
屋喜左衛門(竹三郎)が、編笠の中の顔を確認し、勘当された豪商藤屋の若旦那と知
り、以前通りのもてなしをする。まず、伊左衛門は、喜左衛門の羽織を貸してもら
う。次いで、履いていた草履を喜左衛門が差し出した上等な下駄に鷹揚に履き替え
る。身をなよなよさせて、嬉しげに吉田屋の玄関を潜る。その直後、我當演じる吉田
屋喜左衛門なら、伊左衛門から預かった編笠を持ち、自分の履いている袴を持ち上げ
て、伊左衛門
のパロディを演じてみせて、客席の笑いを取るところだが、今回の竹三郎は、そこま
ではやらなかった。

それでも、舞台には、正月準備の華やぎがあるだけに、若い女性の着物姿が目立つ正
月二日の浅草公会堂の場内は、タイムトリップしたように、一気に、江戸時代の上方
の、正月の遊廓の世界に引き込まれて行く。

吉田屋の店先にあった注連飾りは、観客席からは、見えにくい紐に引っ張られて、舞
台上(手)下(手)にそれぞれ消えて行く。店先の書割も、上に引き上げられて、吉
田屋の店先は、たちまち、華やかな奥座敷に変身する。下手、紅梅が描かれた金地の
襖が開くと、愛之助演じる伊左衛門が、入って来る。迎える仲居たち。

この演目は、いわば、豪商の若旦那という放蕩児と遊女の「痴話口舌(ちわくぜ
つ)」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の能天気さが売り物の、明るく、おめ
でたい和事。他愛ない放蕩の果ての、理屈に合わない不条理劇(閉幕近くに突然、放
蕩児の勘当が許され、身請けの千両箱が、どっと届けられる)が、楽しい舞台になる
という不思議。

さて、舞台は、「むざんやな夕霧は」で、やがて、夕霧登場。壱太郎演じる夕霧は、
伊左衛門への恋の病で臥せっていて病み上がり、やっと、「復職」したばかり。間の
悪いことに、阿波の大尽の相手をしているところへ伊左衛門がやって来て、嫉妬する
やら拗ねるやら。伊左衛門は、おとなこどもだが、夕霧は、傾城の風格と病み上がり
の風情を同時に演じる難しい役どころだ。「もうし伊左衛門さん、目を覚まして下さ
んせ。わしゃ、煩うてなあ」という夕霧の科白が、可憐で、もの寂しい。夕霧は、現
代なら、差し詰め、鬱病だろうか。

配役の、もう一つのポイント。今回の吉田屋女房・おきさは、春猿。この役では、秀
太郎に定評がある。吉田屋の夫婦は、この芝居のもう一組のカップル。竹三郎・春猿
の夫婦と我當・秀太郎の夫婦では、比べるのが可哀想か。

江戸和事の名作「助六」同様、「吉田屋」は、無名氏(作者不詳)による芝居ゆえ、
無名の、歴史に残っていないような、しかし、歌舞伎の裏表に精通した複数の狂言作
者が、憑依した状態で、名作を後世に遺し、後世の代々の役者が、工夫魂胆の末に磨
き上げ、いまのような作品を伝えたのだろう。「助六」が、江戸の遊廓・吉原の街を
描いたとしたら、「吉田屋」は、上方の遊廓の風情を描いたと言えるだろう。

楽しむポイントのひとつは、正月の上方の廓の情緒が、舞台から、匂いたち、滲み出
て来るかどうか。不条理の「条理」など気にせずに、楽しめばよいという芝居だろ
う。

仁左衛門の伊左衛門は、かなり意識して、「コミカルに」演じている(「三枚目の心
で演じる二枚目の味」)。表現は悪いかもしれないが、「莫迦殿様」風の、甲高い声
で、コミカルに明るい科白回しで、仁左衛門は、伊左衛門を演じる。男の可愛らしさ
と大店の若旦那の格の二重性。その辺りは、表情、所作、科白廻しを仁左衛門に似せ
る努力をしている愛之助の今後の課題だろう。まず、コピーに撤し、外形を似せ尽く
して、いずれ内面の独自の味わいを出すようにする。

阿波の大尽の座敷に夕霧が出ていると聞き、座敷まで出向く伊左衛門。ちんちんべん
べんちんちんべんべんという三味線の音に急かされるように、急ぎ足。舞台の座敷上
手の銀地の襖をあける伊左衛門。距離感を出すために、細かな足裁きで、コミカルに
奥へ奥へと進んで行く伊左衛門。この足の運びが、愛之助は、まだまだ、仁左衛門に
及ばなかった。足と腰の動きに余白が無いのだ。それゆえに、奥の座敷まで行くとい
う距離感が出ない。私は、ここの落差も気になった。

伊左衛門が通過する襖は次の通り。雪を冠した花卉が描かれた銀地の襖、次いで、鶴
が描かれた金地の襖、また、紅梅が描かれた銀地の襖(これは、舞台下手の白梅が描
かれた金地の襖と対になっているのだろう)、そして、最後の障子の間へと行き着
く。その後、夕霧の出で、障子が開くと、その内側には、松林が描かれた銀地の襖が
あった。襖のある所には、幾つもの座敷があるという想定だろう。
- 2012年1月4日(水) 17:14:49
11年12月国立劇場 開場45周年(「奥州安達原」)


男たちの戦争、女たちの情話。黒い世界に赤い薔薇。


歌舞伎の「奥州安達原」は、何回か観ているが、普通、良く上演されるのは、人形浄
瑠璃でいえば、三段目に当たる「環宮明御殿の場」、通称「袖萩祭文」の場面で、9
9年12月、歌舞伎座、06年1月、歌舞伎座で拝見している。01年1月には、国
立劇場で、「奥州外ヶ浜の場」、「善知鳥(うとう)文治住家の場」、「環宮明御殿
の場」を歌舞伎の通しで観た。吉右衛門の主演であった。通しで観ると、良く判るの
だが、平安時代末期に奥州に、もうひとつの国をつくっていた奥州豪族安倍一族の物
語。「西の国・日本」から見れば、「俘囚の反乱」で、日本史では「前九年の役」と
呼ばれた源頼義・八幡太郎義家の奥州征伐に対して、安倍頼時の息子たち、貞任・宗
任の兄弟らいわば「残党」が再興を図り、抵抗するという史実を下敷きにしながら、
そこは荒唐無稽が売り物の人形浄瑠璃の世界。史実よりも半二ら作者の感性の赴くま
ま、換骨奪胎に自由に作り上げられる「物語の世界」。

今回は、01年1月の国立歌舞伎の場面を人形浄瑠璃で、それぞれ初めて拝見するこ
とになった。今回の段組の構成は、「外が浜の段」、「善知鳥文治住家の段」、「環
の宮明御殿の段」である。

近松半二らの合作の全五段、丸本の時代物。人形浄瑠璃は、1762(宝暦12)年
9月、大坂竹本座で初演。舞台は、いつもの半二ものと違って、シンメトリーではな
い。「奥州」が実際に舞台になるのは、今回の舞台で言えば「外が浜の段」、「善知
鳥文治住家の段」であって、通称「袖萩祭文」の「環宮明御殿の段」は、雪が降る場
面で有名だが、実は京の都。「外が浜の段」、「善知鳥文治住家の段」は、時代物の
なかの世話場。

その「外が浜」は、生き物を殺めて生活の糧とする漁師や猟師の住む「人外境」とい
う意味の「外が浜」だという。被差別地域の対抗魂が「俘囚の反乱」という「西の
国・日本」の史観の記述に対抗する半二らの作者魂には、あるのだろう。そういう演
劇空間として「外が浜」はある。だから、「外が浜」は、奥州でもさらに北の果てに
設定されている。

「外が浜の段」。竹本は、前半の「口」が、豊竹希大夫。三味線方は、鶴澤清公。盆
廻しで、後半の「奥」が、豊竹咲甫大夫。三味線方は、鶴澤清友。「外が浜の段」で
は、幕が開くと、浜辺の場面。上手に小舟。下手より病気の息子・清童を気にかけて
いる猟師善知鳥文治の女房・お谷登場。小舟から飛び出して来た海士の長太がお谷に
言いよるなどチャリ場(笑劇)を交えて展開する。代官の鵜の目鷹右衛門が、庄屋た
ちに金の札の付いた鶴は、源氏の氏神のお使いなので捉えてはならないと触れて廻
る。後の伏線である。医者から息子の薬を受け取って戻るお谷は、夫の文治に出会
う。文治は、息子の薬代のために金策に行く。金貸しの外が浜南兵衛が、金の返済を
求め、お谷の身を質に取ろうとする。それを長太が邪魔をする。その隙に逃げるお
谷。男たちは、金と色の欲の世界。鶴の鳴き声が聞こえ、簑と笠を着けた男が、鶴を
撃ち取り、小舟に飛び乗って、上手へ去って行く。

主な配役の人形遣は、文治が、吉田和生。妻のお谷が、吉田簑二郎。南兵衛、実は、
安倍宗任が、吉田玉也。

居所替わりで、「善知鳥文治住家」へ、大道具は、引き道具となる。
「善知鳥文治住家の段」。盆廻しで、竹本は、前半の「中」が、竹本津国大夫。三味
線方は、豊澤龍爾。盆廻しで、後半の「奥」が、竹本文字久大夫。三味線方は、野澤
錦糸。

文治、お谷の息子・清童(実は、安倍貞任の子。文治は安倍頼時の家臣・鳥海前司安
秀の子で、鳥海文治安方という)が、病気で寝付いている。お谷も付き添っている。
そこへ年行司の庄右衛門が、御触書を持て来る。お谷は、文字が読めないので、庄右
衛門が読み聞かせをする。金の札の付いた鶴が殺されていたので、犯人を捜せば、褒
美を与えるという内容であった。

庄右衛門が去ると、南兵衛が廓の亭主を連れてやって来る。借金の片にお谷を身売り
させようという魂胆だ。文治が戻って来て、金の札を南兵衛に投げ出し、不足分は、
日暮れまでに工面するという。亭主を返し、残金をもらうために、家に居座るという
南兵衛は、奥へ入って行く。文治は、主君安倍貞任の子供・清童の薬代欲しさに鶴を
殺してきたのだ。残りの借金を返そうと、賞金欲しさに自訴を企てる文治。同じく薬
代欲しさに自分の身を廓に売れと訴えるお谷。さらに、文盲故に、亭主の書いた、達
筆の自訴の手紙を、それとは知らずに代官所に届けるお谷。文治は、犯人は、奥にい
る南兵衛だと書いてあると、お谷を騙すが、実は、自首の訴状だ。

仏壇に向かい、主君の回向をする文治。奥からも弔いの声が聞こえて来る。素襖に立
烏帽子姿の南兵衛が現れる。南兵衛は、文治の主君・安倍頼時の子、安倍宗任だと文
治に明かす。ふたりは、安倍頼時の最期の様子を語り合う。

褒美の金を受け取って代官所から戻って来たお谷。付いてきた捕り手たちは、文治に
縄を掛けて連れて行こうとする。真相を知ったお谷は、嘆く。父の捕縛を知り、その
ショックで、清童は、死んでしまう。ふたりの世話場を見て、文治の身代わりを申し
出るのが、南兵衛に戻った安倍宗任(安倍貞任の弟)で、南兵衛は、文治の替わりに
囚われの身となって源義家のいる京に行き、父・頼時の敵義家を討とうと目論んだの
だ。主君の息子を死なせてしまった責任を取って、文治は切腹しようとするが、宗
任、こと、南兵衛は、それを留めて、京へ引かれて行く。

「環の宮明御殿の段」。竹本は、通称「敷妙上使」で知られる「中」が、豊竹芳穂大
夫。三味線方は、鶴澤寛太郎。盆廻しで、通称「矢の根」の「次」は、竹本相子大
夫。三味線方は、鶴澤清丈。盆廻しで切場の、通称「袖萩祭文」の「前」は、竹本千
歳大夫。三味線方は、豊澤富助。人形の三味線のバチ使い(左遣いが操る)が、床に
座って実際に三味線を演奏する三味線方のバチ使いと連動しているように見える。盆
廻しで、通称「貞任物語」「後」は、豊竹呂勢大夫。三味線方は、鶴澤燕三。

人形浄瑠璃では、舞台は、普通の御殿に見えるが、歌舞伎では、大分違う(後述の
「贅言」で、どう違うか、書いてみた)。さて、御殿では、誘拐されて行方不明の環
の宮(皇弟)の代わりに宮の守役・平{仗直方と妻の浜夕が、留守を守っている。直
方夫妻には、ふたりの娘がいる。妹は、義家の妻・敷妙、姉は、安倍貞任の妻・袖
萩。

敷妙が、夫義家の使者としてやって来る。行方不明の宮捜索の期限はきょうまで。義
家は、義父を捉えなければならない。やがて、義家が現れると、直方は環の宮が攫わ
れた証拠を示す書状を示す。犯人は、安倍貞任と宗任が、謀叛の際の旗印に宮を攫っ
たと推測し、さらに、鶴殺しの犯人として奥州で捉えた南兵衛を宗任ではないかと冷
静な義家は、睨んでいる。

桂中納言が、直方の見舞いにやって来て、風雅にも白梅の小枝を差し出す。南兵衛
が、引き立てられ、詮議が始まる。義家は、南兵衛に宗任と呼びかけたり、宗任の父
親頼時からの矢を受けた義家の父親・頼義の白旗を見せたり、その時の矢尻を投げつ
けたりして挑発するが、南兵衛は、素知らぬ顔。中納言も、田舎者は、白梅の名も知
らぬだろうと馬鹿にすると、南兵衛は、投げつけられた矢尻で自分の肩を傷つけ、そ
の血で白旗に一首認める。「和が國の梅の花とは見たれども大宮人はいかがいふら
ん」。この和歌で南兵衛は、宗任と見破られてしまう。

夕暮れ時になり、下手、御殿の外に袖萩が娘のお君に手を引かれてやって来る。通称
「袖萩祭文」の場面。御殿では、父親の直方が、外の人の声に気がつき、それが、昼
間、七条朱雀堤で見かけた娘の袖萩と判り、戸を閉めてしまう。次いで、母親の浜夕
が気付き、娘のみすぼらしさ故に知らぬ振りをする。袖萩は、歌祭文の文言に託し
て、親不孝を詫びる。袖萩の悲劇的な要素を、増幅するのが娘のお君。袖萩の祭文の
語りとお君の踊り、さらに霏々と降り続く雪が、愁嘆場の悲しみを盛り上げる。直方
夫婦も、本心は、娘に声を掛けたい、孫娘も、この手に抱きたいと思っている。袖萩
とお君の母子。浜夕と袖はぎの母子という二重性が、母情を重層的にかき立てる。

贅言;歌舞伎では、御殿は、シンメトリー志向の近松半二の舞台らしさが出てくる。
上手、下手の舞台が対照的に作られている。下手は「白の世界」、上手は「黒の世
界」。下手は、白い雪布と雪の世界。上手は、上方風の黒い屋体(黒い柱、黒い手す
り、黒い階段)。所作舞台もいつものまま(但し、上手にある手水鉢と竹には、若干
の雪)。袖萩は、花道から本舞台に上がっても下手の木戸の外だけで終始演技をす
る。白い雪の世界は、悲劇の女性の世界。雪衣も、こちらだけ登場する。上手木戸の
うちには黒衣と言う、対照的な演出。

袖萩の「女の世界」は、ここから、義家対安倍兄弟の対立という「男の世界」にリン
クして行く。

直方が、何処の馬の骨とも知らぬ浪人と駆け落ちした袖萩を攻めると、袖萩は、夫と
なった浪人・「黒沢左中」は仮の名で、実は、筋目正しい武士だとして、証拠の紙を
見せると、「奥州安倍貞任」とあり、宮誘拐の書状の筆跡と同筆と判る。ならば、尚
更許せぬと直方は、怒る。癪を起こし、雪の中で倒れ込む袖萩。お君が、自分の着物
を脱いで母親に着せるが、お君は、裸同然の格好になる。見かねて、自分の打ち掛け
を垣根越しに投げ与える浜夕。

正体が暴かれた宗任だが、義家から許される。直方も、宮探索の期限終了になり、切
腹の用意をする。木戸の外にいる袖萩は、父親の追いつめられた状況も知らずに、父
親を討てと義弟の宗任から攻められ、己の身を嘆いて自害する。夫と娘を同時に亡く
した浜夕の嘆き。桂中納言は、謀反人安倍貞任の縁者だから死ぬのも仕方ないと、な
ぜか冷ややかに言い放ち、立ち去ろうとする。義家は、中納言を呼び止め、中納言
が、実は、安倍貞任と見抜いていたことを明らかにする。安倍兄弟の謀叛の企みは失
敗する。貞任は、娘のお君に心引かれながらも、宗任とともに、立ち去る。

主な配役の人形遣は、平{仗直方が、吉田玉輝。妻の浜夕が、吉田勘弥。敷妙が、吉
田文昇。源義家が、吉田幸助。桂中納言、実は、安倍貞任が、吉田玉女。袖萩が、桐
竹勘十郎。お君が、吉田簑次。袖萩とお君の母娘を操ったのは、勘十郎と簑次の父子
であった。

もうひとつの贅言;今回演じられなかった「奥州安達原」の四段目、通称「一つ家」
は、能の「安達原」、「黒塚」(能には、良くあるが、流派によって演目の名前が違
う)、猿之助が良く演じる新歌舞伎「黒塚」でも知られる。私は、2000年7月、
歌舞伎座で拝見。「一つ家」に出てくる新羅三郎義光は、甲斐源氏の元祖と言うこと
で、山梨では有名。

歌舞伎の方が、舞台がシンメトリーを重視していて、見応えがあった。叙事詩として
は、人形浄瑠璃が判り易い。男たちの戦争のなかに、袖萩祭文の女たちの情話(特
に、母情の二重奏)が、一輪の赤い薔薇のように突き刺さっているというのが、この
芝居だろう。
- 2011年12月21日(水) 21:05:03
11年12月日生劇場 (夜/「錣引」「口上」「勧進帳」)


「錣引(しころびき)」は、初見。1861(文久元)年、江戸の市村座で初演。平
家物語の屋島の合戦の際、平景清と源氏方の美尾谷十郎の一騎打ちで、景清が美尾谷
十郎の兜の「錣」(戦闘で、武士の頭を守る「鉢」の下に垂らす部分のこと。後頭部
や首廻りを守る)を引きちぎったという伝説を素材に河竹黙阿弥が原作を書いた。歌
舞伎や人形浄瑠璃の登場人物としては、美尾谷十郎は、美尾谷四郎となる。初演時の
配役は、河原崎権十郎、後の九代目團十郎が、景清を演じ、相手の美尾谷四郎は、四
代目芝翫が演じた。九代目團十郎は、当り役とした。後に七代目幸四郎も、景清を演
じた。

今回の主な配役は、順礼七兵衛、実は、上総悪七兵衛景清は、染五郎。虚無僧次郎
蔵、実は、三保谷四郎は、松緑。

源平合戦の時代。幕が開くと、舞台下手に「摂州摩耶山」と書かれた立ち杭がある。
摂州摩耶山の観音堂に平家方の上総五郎兵衛忠光の妹伏屋(笑也)が、長谷三郎(亀
寿)らを連れて、蛭巻(ひるまき)の長刀(なぎなた)を奉納するために、八声(や
こえ)の名鏡を携えて参詣に来た。源氏方の岩永左衛門の郎党木鼠次段太(市蔵)
は、脅して仲間に引き込んだ僧とともに、伏屋一行を襲う。次段太は、伏屋から奪っ
た名鏡を谷底に落としてしまう。次段太、伏屋とも、鏡を求めて谷底に下りて行く。

大せりで、大道具が上がると、谷底に替わる。谷底では、乞食に身をやつした順礼七
兵衛(染五郎)と虚無僧次郎蔵(松緑)が、一緒に焚火を囲んで暖を取っている。舞
台下手は、ウロのある大きな木。上手は、小屋。それぞれの仮の寝床か。偶然一緒に
なったふたりは、正体を明かさずに身の上話をしている。そこへ、名鏡が、落ちて来
る。焚火が消えたので、ふたりは別れて行く。

伏屋が来て、名鏡を探し当てる。遅れて来た次段太は、手に長刀を持っている。立ち
回りになり、雲が月を隠すと、お馴染みの「だんまり」へ。その結果、長刀は、次段
太から、七兵衛の手に渡り、次段太は、七兵衛に斬られる。次郎蔵は、長谷三郎と伏
屋を斬り捨て、名鏡を手に入れる。

花道へ立ち去ろうとする七兵衛を次郎蔵が呼び止める。「悪七兵衛景清待て」。次郎
蔵は、七兵衛の正体を見抜いていた。次郎蔵は、自分は、三保谷四郎だと名乗り、刀
を抜いて立ち回りとなる。互いに錣を引き合いながら、力の強さを競う。豪傑同士の
力比べと言うのが、この芝居の見せ場。黒幕が落ちると、谷底の背景は、海の遠見に
替わる。やがて、沖に大きな朝日が昇る。歌舞伎の荒事の様式美を楽しむ。それだけ
の芝居。昼の部の「碁盤忠信」の幕切れも、この「錣引」の幕切れも、似たような印
象のまま、引張りの見得で幕。


「口上」。定式幕が開くと、緋毛氈の上に3人。肩衣無し、紋付袴姿で、3人の口上
となる。「七代目松本幸四郎襲名百年」ということなので、松本幸四郎家の嫡男・染
五郎が、仕切る。染五郎は、祖父が、七代目の次男の八代目幸四郎。次いで、松緑、
祖父が七代目の三男の二代目松緑。海老蔵、祖父が七代目の長男の十一代目團十郎。
この順序で、口上をいう。

染五郎「七代目の紹介をし、襲名披露百年に当たることを宣伝する。松緑は、昼の部
で、音羽屋の家の藝「茨木」を演じたことを強調する。若い3人の「勧進帳」の配役
紹介。海老蔵「七代目幸四郎が、1600回も弁慶を演じたので、自分もそれを目標
にしたい」。最後に、染五郎が引き取り、「緊張した」と白状して、場内を笑わせて
いたが、総じて、いつもの「口上」の客を笑わせるおもしろさや華やかさに欠ける印
象の地味な口上だった。


「勧進帳」は、数多く観ているが、海老蔵の弁慶は、初めて拝見した。今回の義経
は、染五郎。富樫は、松緑。3人とも、将来の歌舞伎界を背負って行く立場の役者だ
けに、今回は、厳しくなるので、あまり、書かないでおこう。

私がこれまで観た海老蔵の「勧進帳」では、海老蔵は弁慶を演じていない。海老蔵の
富樫は、観ている。海老蔵は、新之助時代を含めると、富樫を7回演じている。弁慶
も、新之助時代を含めて、3回演じていて、今回が、4回目。

これからも、弁慶や富樫を演じて行くのだろう。但し、今回の弁慶は、科白廻しが良
くないので、現代劇の科白のように聞こえた。厳しくいえば、歌舞伎になっていな
い。軸になる弁慶が、歌舞伎になっていないと全体も緩んで来る。

松緑の富樫は良かった。染五郎の義経は、優美だが、線が細い。染五郎もいずれ幸四
郎になるのだから、弁慶に挑戦するだろう。海老蔵の弁慶も、もっと、磨きが欲し
い。松緑の弁慶も染五郎の弁慶も観てみたい。今回の3人が、それぞれ、弁慶を交代
して勤め続け、精進して欲しい。團十郎、幸四郎、松緑へと成長しつつ、弁慶を演じ
て行くのだろう。花形役者たちの将来の、充実の舞台をいまは夢見ておこう。いず
れ、この3人の誰かの弁慶を軸に、こってりと、「勧進帳」の劇評を書いてみたい。
- 2011年12月19日(月) 21:19:55
11年12月日生劇場 (昼/「碁盤忠信」「茨木」)


今月は、新橋演舞場での歌舞伎上演は、無し。日生劇場で、花形歌舞伎。「七代目松
本幸四郎襲名百年」という触れ込み。昼夜とも、劇評は、コンパクトに書きたい。

「碁盤忠信」は、幸四郎が、1911(明治44)年、七代目襲名披露の舞台で演じ
て以来、100年ぶりの復活狂言。私も誰も、皆、初見。義経の忠臣・佐藤忠信と言
えば、人間の忠信よりも、「義経千本桜」に登場する狐忠信の方が、知られている。
「義経千本桜」でも、人間忠信も、ちらりと出て来るが、狐忠信の存在感には、及ば
ない。今回は、狐忠信ではなく、人間忠信の芝居で、忠信は、松本幸四郎家の嫡男・
染五郎が、演じる。元々は、1694(元禄7)年、大坂岩井半四郎座で初演され
た。

粗筋を簡単に記録しておこう。
第一幕第一場「勝手宮社前の場」。吉野山にある勝手宮。義経が落ち延びた先の吉野
で山法師の闇討ちに遭い、逃げて来た所。義経は、亀三郎。静は、春猿。佐藤忠信
(染五郎)が、駆けつけて来る。忠信は、自分が殿(しんがり)を守るので義経一行
は、奥州へ下向するようにと勧める。自らの姓名を忠信に譲り、さらに源氏の重宝
「倶利伽羅丸」を与える。追って来た山法師たちを迎え撃ち、自分は、「義経」だと
名乗る忠信。

第二幕第一場「堀川御所の場」。義経が住んでいた堀川御所は、荒れ果てている。忠
信は、ここに匿われている。忠信の女房小車は、今は亡いが、小車の父親の小柴入道
(錦吾)は、忠信を匿っていると装いながら、忠信の命を狙っている。忠信に酒を飲
ませる。酒に酔い、碁盤を枕に眠る忠信。小車の霊(高麗蔵)が、父親を諌め、気絶
させ、眠っている忠信に父の企みを知らせる。目覚めた忠信は、入道を懲らしめる。
入道に酒肴を売りに来たお勘(笑三郎)は、物陰で、この様子を見ていた。

第二幕第二場「同 奥庭の場」。義経の鎧を着た忠信は、片手に持った碁盤を振り回
しての立ち回り。この場面が、ハイライトという。節分にことよせて、碁石を撒い
て、入道らの敵を退治する。最大の見せ場は、お勘の注進を受けて駆けつけた横川覚
範(海老蔵)によって、忠信は、押し戻しとなっての荒事の立ち回りを見せる。それ
だけの芝居。染五郎と海老蔵の競い合いが、見もの。荒事の科白、隈取り、大太刀、
衣装など様式美を楽しむという趣向だけの芝居。


「茨木」は、1883(明治16)年、東京新富座で初演。五代目菊五郎が、茨木童
子を演じた。五代目五代目菊五郎が選定した「新古演劇十種」のひとつ。松羽目の舞
台を使うが、能取りもの(能狂言を素材とした作品)ではない。新歌舞伎で、作詞
は、河竹黙阿弥原作。

羅生門で鬼の片腕を斬った渡辺綱が物忌みをしている所へ、伯母の真柴が訪ねて来
る。真柴は、実は、片腕を斬られた鬼・茨木童子の化身。鬼は真柴に化けて斬られた
片腕を取り返しに来たのだ。腕を巡る攻防。後ジテで、鬼女の正体を顕した真柴と綱
の立ち回りが、見せ場。

「茨木」は、3回目の拝見。茨木童子は、芝翫(01年11月の歌舞伎座)、玉三郎
(04年2月の歌舞伎座)で観ている。今回は、松緑。茨木童子を演じる役者は、前
半は、老女の真柴の品格、母性、後半は、鬼(茨木童子)の凄みを表現しなければな
らない。真柴の中に鬼を滲ませるのは、年季の入った役者でないと難しい。この役
は、外に溢れ出ようとする茨木童子の正体を小さな老女の身体のなかに、いわば、封
じ込めながら演じなければならない。ともすると、老女の身体を裂き破って、鬼が噴
出してこないとも限らないというエネルギーを秘めながら、それを感じさせずに、
粛々と演じる。

玉三郎の真柴は、白髪、白塗の玉三郎は、美形過ぎて、老婆に見えなかった。白髪の
人形のようで存在感がない。玉三郎の真柴は、平板で、品格のある老婆の皮を被った
鬼(童子)という二重性の表現が、芝翫と比べると弱かった。しかし、唐櫃に隠され
ていた鬼の左腕を見せて貰う場面では、左腕を観たとたん、玉三郎の白塗の顔が口元
を中心に醜く歪んで、表情を激変させる。この片腕をつかみ取る場面は、芝翫より迫
力があった。

芝翫は、どうであったか。所望されて、真柴は一さし舞う。片腕を無くしてい
る茨木童子と真柴の二重性を芝翫は、小さな身体に閉じこめているだけに、春夏秋冬
の景色を唄い、そして、舞いながら、ときどき、ぼろが出て、扇を取り落とす。この
舞は、伯母・真柴が、徐々に溶け始め、茨木童子の本性が、姿を現すプロセスでもあ
る。やがて、渡辺綱に持ちかけ、唐櫃に隠されていた鬼の左腕を見せて貰う真柴。形
相が見る見る変わった後、片腕をつかみ取る茨木童子。ドラマのクライマックス。表
情を闊達に変える芝翫は、さすがに巧かった。

玉三郎よりも更に若い、36歳の松緑では、なお難しかろう。物忌みも明日までと
なった渡辺綱(海老蔵)の所へ、花道から真柴(松緑)がやって来る。この出で決
まった。いつもの猫背の松緑ではないのだ。それでいて身長1メートル73センチの
松緑が、老女らしく小さく見えたから不思議だ。以前観た玉三郎より、今回の松緑の
方が良い。

「後(のち)ジテ」で、代赭隈、白頭(しろがしら)という獅子のような長い髪の鬘
に金の角を二本生やしている。鬼の本性を顕わした茨木童子と渡辺綱との立ち回り。
幕外になると、茨木童子は、片手だけの「変化六法(方)」を踏んで、宙を飛ぶよう
にして引っ込んで行く。

今回、松緑の「茨木」を観たことで、玉三郎の「茨木」を改めて、観てみたいと思っ
た。前回の上演から、後、2年余りで、10年になる。頃合いではないか。さらに欲
を言えば、後、20年くらいしたら、松緑で、再び、「茨木」を観てみたいが、どう
だろうか。松緑も50歳代後半で、役者として油も乗り切っていることだろうが、観
客の私の方が、生きているかどうか。どちらが、私の観た芝翫の「茨木」に近づいて
いるか。「これを第一歩に生涯かけて勤め続けていければと思っています」と、松緑
は言っている。いずれにせよ、今回の松緑は、熱演であり、将来を期待させてくれた
と思う。

海老蔵の渡辺綱は、姿は良いが、風格に欠ける。以前観た父親の團十郎の渡辺綱は、
後半の隈取りも含めて、迫力あった。幕切れの口を大きく開いた團十郎の大見得は、
風格があった。父親から、もっと学ばなければならない。
- 2011年12月19日(月) 15:58:48
11年12月国立劇場 人形浄瑠璃鑑賞教室(「曾根崎心中」)


「曾根崎心中」は、歌舞伎の見せ場は、「天満屋」だが、人形浄瑠璃の見せ場は、
「天神森の段」であろう。歌舞伎の「曾根崎心中」は、坂田藤十郎のお初で、何回も
観ているが、人形浄瑠璃の「曾根崎心中」は、今回で、2回目の拝見。

「曾根崎心中」は、1703(元禄16)年5月、史実の事件を元に書かれた近松門
左衛門原作で、大坂竹本座で初演された。事件は、上演の1ヶ月前、4月に起きた。
大坂北新地天満屋の遊女・お初と大坂内本町の醤油問屋平野屋の手代・徳兵衛が、大
坂梅田曾根崎露天神の森で心中したという。歌舞伎の台本を書いていた近松が、人形
浄瑠璃のために初めて書いた世話浄瑠璃の第1作である。人形浄瑠璃では、1955
(昭和30)年1月、野澤松之輔の脚色・作曲で、復活され、現在まで、上演を重ね
ている。

現在上演されている歌舞伎の「曾根崎心中」は、戦後のもので、宇野信夫脚色演出だ
が、これは宇野信夫作というべき脚色が、随所になされた、いわば「新作歌舞伎」と
もいうべきものである。藤十郎が、中村扇雀から中村鴈治郎、そして坂田藤十郎へと
出世魚の如く名前を変えながら、60年近く演じ続けている。

人形浄瑠璃の近松原作も、「虚実皮膜の論」を標榜する近松らしく、史実に付け加え
のあるフィクションで、憎まれ役の油屋九平次の登場は「金」の話を明確にし、追い
つめられて行く徳兵衛の立場をくっきりと浮かび上がらせて、心中の動機が大衆にも
判り易いようにした近松の工夫である。油屋九平次(通称、あぶく)、バブルのよう
な男の登場である。人形浄瑠璃では、歌舞伎より原作に近い形で今も上演される。

人形浄瑠璃の段組は、「生玉社前の段」「天満屋の段」「天神森の段」となる。歌舞
伎でも、ほぼ同じで、「生玉神社境内」、「北新地天満屋」、「曾根崎の森」。歌舞
伎では、死の道行きでスポットライトを使うほか、暗転、暗い中での、2回の廻り舞
台、閉幕は、緞帳が降りてくるという古典的な歌舞伎らしからぬ新演出で見せる。

それに比べると、人形浄瑠璃は、近松の書いた竹本の文句を忠実になぞり、オーソ
ドックスな演出を守っているように見受けられる。

「生玉社前の段」では、伯父の店で働く徳兵衛は、得意先回りの途中で、境内に立ち
寄り、お初の姿を見かけた。徳兵衛とお初のやり取り。この件(くだり)は、歌舞伎
も人形浄瑠璃も、同じ。伯父から徳兵衛に持ちかけられた縁談の持参金を友人の九平
次に貸したら、だまし取られてしまったということで、後の事件への伏線が描かれ
る。今回は、豊松清十郎が、お初を操り、徳兵衛は、吉田玉女が、操る。竹本は、豊
竹睦大夫。三味線方は、野澤喜一朗。

「生玉社前の段」の背景が、歌舞伎とは違う。歌舞伎では、生玉神社の傾斜のある境
内という設定で、舞台を下手から中央まで覆う藤棚越しに石段が見えるだけという閉
塞感があるが、人形浄瑠璃では、丘の上の生玉神社らしく、山々を見通せる遠景とい
う設定で、開放感がある。遠景の手前の藤棚も下手だけ、舞台中央には、石灯籠、上
手は、「はすめし」が売り物の茶屋の入り口。歌舞伎では、徳兵衛を見かけた藤十郎
のお初が茶屋の暖簾をかき分けて飛び出して来るが、人形浄瑠璃では、お初は、茶屋
の格子内で姿を見せ、むしろ、徳兵衛が、茶屋の中へ入って行く。

「天満屋の段」。徳兵衛のことを案じて、ふさぎ込んでいるお初。顔を隠し、編み笠
姿でやってきた徳兵衛。お初は、徳兵衛を店の誰にも見つからぬように、打ち掛けの
下に隠して、店内に連れ込む。徳兵衛は、縁の下に隠れ込む。やがて、酔っぱらって
やって来た九平次は、得意げに、徳兵衛の悪口を言い立てる。
縁の下で、怒り出す徳兵衛をお初は、足の先で、押し鎮める。人形浄瑠璃の女形は、
足が無く、着物の裾で足を演じるのだが、この場面だけは、特別に、足(右足のみ)
を出して、操る。お初の足遣いは、縁の下の外に出て、右足を操る。お初は、縁の端
に座り込み、店の者や九平次を相手にしながら、時々、独り言を装って、縁の下の徳
兵衛に話しかけたり、足先で、合図したりする。心中の約束も、ここで、果たす。

「独り言になぞらへて、足で問へば
下には頷き、足首とつて咽喉笛撫で、『自害する』とぞ知らせける」。

九平次も去り、店の者も、寝静まり、いよいよ、暗闇の中、心中決行の現場へと出向
くお初と徳兵衛。天満屋の下女との絡みが、悲劇の前の喜劇。チャリ場である。明か
りを付けようと、火打石を打つ下女の動作に合わせて、「『丁』と打てば そつと明
け 『かちかち』打てば そろそろ明け、合はせ合はせて身を縮め、袖と袖とを槙の
戸や、虎の尾を踏む心地して」、店先の車戸を開ける徳兵衛とお初。緊迫感が、高ま
る。ここも、名場面だ。竹本の語りは、竹本津駒大夫。三味線方は、鶴澤藤蔵。

人形浄瑠璃では、下手の小幕の中へ、徳兵衛に引っ張られるようにお初が続いて、
幕。これが、歌舞伎では、花道七三で、戦後の歌舞伎に衝撃を与えた、当時の21歳
の二代目扇雀のお初、実父の鴈治郎の徳兵衛の居処替り。咄嗟の演技から生まれた瞬
発力のある演出で、お初が、積極的に先行して死にに行く、道行きの新鮮さがあり、
天満屋の縁の下の場面から死の道行きの場面までが、歌舞伎の見せ場だ。

一方、人形浄瑠璃では、「此の世の名残り夜も名残り」という近松原作の古風な竹本
の語りで始まる「天神森の段」が見せ場。「天神森の段」では、ふたりの歩みに被さ
る鐘の音、「数ふれば暁の、七ツの時が六つ鳴りて、残る一つ今生の、鐘の響きの聞
き納め」(午前4時)。背景の書割の夜空の上手に輝く女夫星、「北斗は冴えて影う
つる星の妹背の天の河」。

花道の出から「曾根崎の森」へ直結する歌舞伎と違って、人形浄瑠璃では、まずは、
手拭いで顔を隠したお初と編み笠姿の徳兵衛は、梅田の橋を渡る。ふたりの周りに出
現する人魂。怖がるお初に、「まさしくそなたとわしの魂」と諭す徳兵衛。人形浄瑠
璃では、徳兵衛が、お初をリードする。数えで、25歳の徳兵衛と19歳のお初(史
実のお初は、数えで21歳)。近松は、ふたりとも、厄年にした。

竹本の大夫たちは、お初の南都大夫、徳兵衛の芳穂大夫のほか、3人の大夫の、あわ
せて5人で対応。独唱したり、合唱したり、起伏のある、メリハリのある語りが、緩
急自在で、聞き応えがある。三味線方は、鶴澤清志郎ら4人。

梅田の橋が、引き道具で、下手へ、引っ込む。ふたりも、一旦は、上手に入る。背景
の夜空が、しらじらと、明けて来て、女夫星も消える頃、お初徳兵衛のふたりが、上
手から再登場する。背景の木々も、居所替わりで、「天神森」へ。
竹本の文句通りに大道具が展開する。

冥途の両親にお初を嫁だと紹介すると話す徳兵衛。この世に残す両親を気遣うお初。
お初に覚悟を促す徳兵衛。お初の帯をふたつに裂いて、結ぶ。結ばれた白布の帯で、
ふたりの体をしっかりと繋ぐふたり。打ち掛けを脱ぐと、死に装束のお初は、「早う
殺して殺して」と言う。死に装束ながら、お初の締めた赤い帯が、若い女性らしい。

人形浄瑠璃では、竹本「寺の念仏の切回向」とあり、独唱と合唱で、「南無阿弥陀
仏」を、4回繰り返した後、「南無阿弥陀仏を迎へにて、哀れこの世の暇乞ひ。長き
夢路を曾根崎の、森の雫と散りにけり」と、抹香臭い、古怪な味を保っている。

徳兵衛は、脇差しでお初の胸を刺して殺すと、自分の首をかき斬って……。お初の体
の上に、抱き合うように、倒れ込む徳兵衛。重なったふたりの遺体に、幕が閉まる。
人形浄瑠璃では、ふたりの死に行く様を、歌舞伎よりリアルに演じる。

お初は、九平次に大金を騙しとられた徳兵衛に同情して、死んで行く。お初は、観音
様のような慈悲の心で、徳兵衛の心を包んで行く。

歌舞伎でも、人形浄瑠璃でも、初演以降、現在までほとんど上演されないのが、「曾
根崎心中」の序、「大坂三十三ヶ所観音廻り」。「観音廻り」は、大坂の33ヶ所の
「札所廻り」のことで、西国33ヶ所廻りの替わりに廻れば、同じような効用がある
という。つまり、大願成就、浄土に行けるというわけだ。田舎のお大尽に連れられて
観音廻りをさせられてということで、いわば、「大坂観光」のガイドを兼ねて、お初
はおつきあいをする。「観音廻り」を終えて、夕暮れ。生玉(生國魂)神社でひとや
すみというのが、今、最初に上演される「生玉社境内」の場面だ。従って、お初に
は、「衆生済度(しゅじょうさいど)」を願う観世音菩薩がイメージされているとい
う。「衆生済度」は、仏教の用語。辞書に拠ると、「衆生」は、生きとし生けるも
の。人間を含むすべての生きもの。「済度」は迷う衆生を悟りの境地に導くというこ
と。つまり、お初は、今や、大阪では、「お初天神」ということで、神さま仏さまの
存在になっているが、これは、実は正解で、お初は、近松の原作の時から、「観音廻
り」から「曾根崎の森」の心中に至る過程で、「観音さま」になって行く物語という
性格があるという見方もできる。お初は、死を全く恐れていない。
- 2011年12月19日(月) 13:41:49
11年12月国立劇場 開場45周年(「元禄忠臣蔵」)


昭和の新歌舞伎の巨編である真山青果作「元禄忠臣蔵」の原作は、10演目あり、
「大石最後の一日」が、二代目左團次の大石内蔵助などで、1934年2月に歌舞伎
座で初演されて以降、1941年11月の「泉岳寺の一日」まで、7年余に亘って書
き継がれ、それぞれが、その都度、上演されてきた。

三大歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」が、物語ならば、「元禄忠臣蔵」は、科白をたっぷ
り書き込んで、事件を検証するドキュメンタリー小説だろう。

その後、「元禄忠臣蔵」は、06年10月から12月にかけて、国立劇場では「江戸
城の刃傷」「第二の使者」「最後の大評定」(以上は、10月)、「伏見撞木町」
「御浜御殿綱豊卿」「南部坂雪の別れ」(以上は、11月)、「吉良屋敷裏門」「泉
岳寺の一日」「仙石屋敷」「大石最後の一日」(以上は、12月)の全てを演じられ
たことがある。3ヶ月に亘る通しでの上演は、この時が、初めてであった。

このほか、70年12月の国立劇場での上演は、「江戸城の刃傷」「第二の使者」
「南部坂雪の別れ」「吉良屋敷裏門」「仙石屋敷」「大石最後の一日」の6演目で
あった。

09年3月歌舞伎座では、09年1月から始まった「歌舞伎座さよなら公演」の一環
としての上演で、「江戸城の刃傷」「最後の大評定」「御浜御殿綱豊卿」「南部坂雪
の別れ」「仙石屋敷」「大石最後の一日」の6演目が演じられた。

今回の国立劇場の上演は、「江戸城の刃傷」「御浜御殿綱豊卿」「大石最後の一日」
の3演目の上演である。

通し狂言では、結論的に言えば、良く演じられる演目は、役者に拠る工夫を含めて、
洗練されてきているが、「通し」の時にのみ、稀に演じられる演目は、熟成度が低い
という嫌いが一般的にも、良くある。今回の演目は、私もそれぞれ「みどり」で、何
回か観ている作品である。特に、今回は、歌舞伎界で随一の科白廻しの出来る吉右衛
門が人間国宝になってから初めて科白の真山科白劇に挑戦するので、科白廻しを楽し
もうと思う。

「江戸城の刃傷」では、場割は、以下の通り。緞帳が上がると、「江戸城内松の御廊
下」(「江戸城内御用部屋」という場合もある。実際には、廊下の手前の「御用部
屋」であるから、「御用部屋」の方が、正解だと思う)、緞帳の下げ、上げで、場面
展開。「田村右京太夫屋敷大書院」。「廻り」で場面展開。「同 小書院」。緞帳が
下がる。「御浜御殿綱豊卿」では、緞帳が上がると「御浜御殿松の茶屋」。緞帳の下
げ、上げ。「御浜御殿綱豊卿御座の間」。「廻り」で場面展開。「同 入側お廊
下」。逆に廻ると「同 元の御座の間」。暗転し、明転すると、同じような夜の時間
で、「同 御能舞台の背面」。緞帳が下がる。「大石最後の一日」では、緞帳が上が
ると「細川屋敷下の間」。緞帳の下げ、上げ。「同 詰番詰所」。暗転、明転で、
「同 大書院」「同 元の詰番詰所」。

これでお判りと思うが、座敷、あるいは、実質的な座敷で、議論をする場面
が、多いのである。青果の科白劇独特の熱っぽい議論が、「元禄忠臣蔵」の魅力に
なっている側面があるものの、科白劇は、概ね、役者が座ったままで、議論をするた
め、見た目の変化が少ないため、ドラマチックな所作の見せ場が少ないという恨みが
ある。それは、科白劇、心理劇より、様式美を重視し、何よりも、庶民に判り易くす
るために、外形的な所作を重視した歌舞伎劇の味から離れてしまうという傾向に陥っ
てしまう。戦前の新歌舞伎、あるいは、戦後の新作歌舞伎は、そういう意味で、私の
(旧派)歌舞伎の好みから言えば、あまり、おもしろくない。

「江戸城の刃傷」では、浅野内匠頭が、江戸城の松の廊下で、吉良上野介に斬り掛か
る刃傷の場面から、田村屋敷での切腹の場面までを演じる。浅野内匠頭は、梅玉。現
場近くの御用部屋。部屋の向うの廊下を逃げる吉良上野介の姿が、部屋越しに見え
る。御用部屋へ連れ込まれた浅野内匠頭。まだ、興奮している。浅野内匠頭の取り調
べをする多門(おかど)伝八郎は、歌六が演じる。まさに、警察の現場検証のような
場面だ。廊下を忙しげに行き交う人たちの姿も見える。現場の臨場感を重視してい
る。浅野内匠頭は、切腹、吉良上野介は、お咎め無しという公儀の裁定に異を唱える
多門伝八郎が、印象に残る。歌六は、こういう脇役を演じるのが巧い。「田村右京太
夫屋敷大書院」は、検察庁。起訴を検討する検察の場。「同 小書院」は、裁判所。
判決を言い渡す場面。最後の浅野内匠頭切腹の場面でも、多門伝八郎の機転で、浅野
内匠頭の家臣片岡源五右衛門(歌昇)を庭先の桜の木の下に待機させて、主君との最
後の別れ、切腹の見届けをさせるなど、人情味のある、おいしい役どころである。実
際には、切腹の場面を感じさせながら、緞帳は下りて来る。田村右京太夫には、東
蔵。

「御浜御殿綱豊卿」は、真山科白劇では、華のある場面ゆえ、おそらく「元禄忠臣
蔵」でも、最も上演回数が多いのではないだろうか。

史実の綱豊(1662−1712)は、16歳で、25万石の徳川家甲府藩主にな
る。さらに、43歳で五代将軍綱吉の養子になり、家宣と改名。その後、1709
年、46歳で六代将軍となり、3年あまり将軍職を務めた人物。享年50歳。「生類
憐みの令」で悪名を残した綱吉の後を継ぎ、間部詮房、新井白石などを重用し、前代
の弊風を改革、諸政刷新をしたが、雌伏の期間が長く、一般にはあまり知られていな
い。

「御浜御殿綱豊卿」では、将軍就任まで7年ある元禄15(1702)年3月(赤穂
浪士の吉良邸討ち入りまで、あと、9ヶ月)というタイミングで、綱豊(39歳)を
叡智な殿様として描いている。御浜御殿とは、徳川家甲府藩の別邸・浜御殿、浜手屋
敷で、いまの浜離宮のことである。

〈浅野家家臣にとって主君の敵〉吉良上野介・〈「昼行灯」を装いながら、真意を隠
し京で放蕩を続ける〉大石内蔵助・〈密かに敵討ちを狙う〉富森助右衛門ら江戸の赤
穂浪士。そういう構図を知り抜き、浅野家再興を綱吉に上申できる立場にいながら、
赤穂浪士らの「侍心」の有り様を模索する綱豊(綱豊自身も、次期将軍に近い位置に
いながら、いや、その所為で、「政治」に無関心を装っている)。綱豊の知恵袋であ
る新井勘解由(白石)、後に、七代将軍家継(家宣の3男、兄二人が、夭死し、父も
亡くなったので、わずか4歳で将軍になったが、在職4年ほどで、7歳で逝去。父親
同様、間部詮房、新井白石の補佐を受け、子どもながら、「聡明仁慈」な将軍だった
と伝えられる)の生母となる中臈お喜世(芝雀)、お喜世の兄の富森助右衛門(又五
郎)、奥女中の最高位の大年寄になりながら、後に、「江(絵)島生島事件」を起こ
し、信州の高遠に流される御祐筆江島(魁春)は、お喜世を庇いだてするなど、登場
人物は、多彩で、事欠かない。

この演目では、「真の侍心とはなにか」と真山青果は、問いかけて来る。キーポイン
トは、青果流の解釈では、「志の構造が同じ」となる綱豊=大石内蔵助という構図だ
ろうと思う。内蔵助の心を語ることで、綱豊の真情を伺わせる。いわば、二重構造の
芝居だ。

赤穂浪士らの「侍心」に答えるためには、浅野家再興より浪士らによる吉良上野介の
討ち取りが大事だと綱豊(吉右衛門)は、密かに考えている。富森助右衛門との御座
の間でのやり取りは、双方の本音を隠しながら、それでいて、嘘はつかないという、
火の出るようなやり取りの会話となる。いわば、情報戦だ。

しかし、綱豊の真意を理解し切れていない助右衛門は、妹・お喜世の命を掛けた
「嘘」の情報(能の「望月」に吉良上野介が出演する)に踊らされて、「望月」の衣
装に身を固めた「上野介」(実は、綱豊)に槍で討ちかかるが、それを承知していた
綱豊は、助右衛門を引き据え、助右衛門らの不心得を諭し、綱豊の真意(それは、つ
まり、大石内蔵助の本望であり、当時の多くの人たちが、期待していた「侍心」であ
る)を改めて伝え、助右衛門を助ける(あるいは、知将綱豊は、こういう事態を想定
してお喜世に嘘を言うように指示していたのかもしれない)。槍で突いてかかる助右
衛門と綱豊との立ち回りで、満開の桜木を背にした綱豊に頭上から花びらが散りかか
るが、この場面の「散り花」の舞台効果は、満点。

その後、何ごともなかったかのように沈着冷静な綱豊は、改めて、姿勢を正し、「望
月」の舞台へと繋がる廊下を颯爽と足を運びはじめる。綱豊の真意を知り、舞台下手
にひれ伏す助右衛門。上手に控える中臈や奥女中。まさに、一幅の絵となる秀逸の名
場面である。前半は、科白劇で、見どころを抑制し、後半で、見せ場を全開する。こ
のラストシーンを書きたくて、真山青果は、この芝居を書いたのでは無いかとさえ思
う。それほど、良く出来た場面であると観る度に感心する。「元禄忠臣蔵」で、最も
ドラマチックであり、絵面的にも、華麗な舞台だから、ダントツの再演回数を誇るの
も、頷けよう。勿論、科白廻しに定評のある吉右衛門の科白の数々には、堪能した。

「大石最後の一日」は、吉良邸への討ち入りから、一月半ほど経った、元禄十
六年二月四日。江戸の細川家には、大石内蔵助ら17人が、預けられ、幕府の沙汰を
待つ日々を過ごしている。身の処し方は、公義に預けているので、執行猶予の、モラ
トリアムな時間を過ごしている。浪士たちが着ている鼠色の無地の着物と帯は、恰
も、「囚人服」のような味気なさ。ほかの浪士たちが、綺麗に月代を剃っているの
に、大石内蔵助(吉右衛門)だけは、「伸びた月代」である。皆のことに気を配り、
世間に気を配り、幕府に気を配るリーダーの真情と苦労が、あの「伸びた月代」だけ
でも、伺える。幕府の上使荒木十左衛門(東蔵)から切腹の沙汰が下るという告知を
受けるとともに、さらに、浅野内匠頭切腹の際には、お咎め無しだった吉良上野介側
も、息子の流刑とお家断絶の情報も、役目を離れて、上使からもたらされる。大石内
蔵助は、「ご一同様、長い月日でござりましたなー」と思い入れたっぷりの科白を
きっぱりと言う。

この芝居は、どういう人生を送って来ようと、誰にでも、必ず訪れる「人生最後の一
日」の過ごし方、という普遍的なテーマが隠されているように思う。例えば、癌を宣
言され、残された時間をどう使うか。あす、自殺しようと決心した人は、最後の一日
をどう過ごすのか。つまり、人間は、どういう人生を送り、どういう最後の日を迎え
るか。原作者の真山青果は、それを「初一念」という言葉で表わす。それは、大石内
蔵助の最後の日であるとともに、ほかの浪士たちにとっても、最後の日である。さら
に、芝居は、死に行く若い浪士、磯貝十郎左衛門(錦之助)の恋の「総括」を描いて
行く。

その一日を、最後の一日と思わずに、恋しい未来の夫の真情をはかりたいと若い女
が、小姓姿で、細川家に忍んで来る。吉良邸内偵中の磯貝十郎左衛門と知り合い、婚
約したおみの(芝雀)である。おみのは、その一徹な気性から細川家を浪人した乙女
田杢之進のひとり娘であった。結納の当日、姿を消した十郎左衛門にとって、自分と
の婚約は、内偵中の、「大志」のために利用した策略だったのか、それとも、ひとり
の女性への真情だったのか。思い迷う娘は、男心を確かめたくなったのである。大石
内蔵助は、男の心を確かめようとする、そういう女心を嫌い、また、若い十郎左衛門
に心の迷いを起こさせないようにと、おみのを十郎左衛門に逢わせることを、一度
は、拒絶する。

「偽りを誠に返す」というおみのの言葉に感じ入った大石内蔵助の計らいで、「夫・
磯貝十郎左衛門」との対面を果たし、男の真情を察知した「妻・おみの」は、お沙汰
が下り、切腹の場へ出向く「夫」に先立ち、自害して果てる。この場面は、「後追い
心中」ならぬ、一種の「前倒し心中」であると、私は、前回まで思っていたが、それ
は違うだろうと、今回は考えた。一種の殉死ではないかというのが、私の新しい解釈
だ。男女の相対死は、やはり、ともに死ななければならない。人形浄瑠璃の「曾根崎
心中」を再び拝見して、強くそう思ったのである。そうだとすると、おみのと十郎左
衛門の死は、十郎左衛門の死に殉ずるおみのの「殉死」という解釈が、正しいだろ
う。つまり、青果は、大石大石内蔵助らが、侍の心で、殉死したと考えたように、そ
れへの伏線として、おみのの十郎左衛門への「殉死」を印象づけることで、大義の忠
臣たちの「殉死」を際立たせたのではないか。「仮名手本忠臣蔵」に、おかる勘平の
ものがたりがあるように、「元禄忠臣蔵」には、おみの十郎左衛門のものがたりがあ
るのである。「大石最後の一日」は、1934(昭和9)年2月に歌舞伎座で初演さ
れているのである。戦時色に染まっていない訳がない。

やがて、大石内蔵助たちは、自害の場となる細川家の庭に設えられた「仮屋」へと花
道を歩んで行く。薄暗い花道横は、黄泉の国への回路であった。

そういう人々の「最後の日」に立ち会う人々にとっても、また、その日は、人生での
印象的な、数少ない日のひとつになるだろう。細川家の堀内伝右衛門(歌六)も、そ
の一人。以前観た歌六の堀内伝右衛門は、印象薄かったが、今回は、良かった、この
ところ、脇役で存在感のある演技をしていた歌六なので、その蓄積が生きて来たのだ
ろう。
- 2011年12月10日(土) 18:00:57
(訂正)

11月の国立劇場の劇評のうち、「曾根崎心中」で、お初を演じる藤十郎の年齢は、こ
としの大晦日で、「米寿」(80歳)と誤記しました。もちろん、「傘寿」(80歳)
の誤りで、訂正します。
- 2011年11月11日(金) 10:25:06
11年11月国立劇場 開場45周年(「日本振袖始」「曾根崎心中」)


10月から来年4月に掛けて国立劇場は「開場45周年」記念の公演を続ける。11
月の歌舞伎公演は「日本振袖始」と「曾根崎心中」。いずれも、原作は筆名・近松門
左衛門だ。ただし、今回上演されるのはふたつとも近松の原作そのものではない。
「日本振袖始」は戸部銀作の脚色。「曾根崎心中」は宇野信夫の脚色と演出である。

近松門左衛門(1653年生まれー1724年没)は武家出身の最初の浄瑠璃作者。
従来、浄瑠璃作者は無名の職人衆だった。近松門左衛門という名前は筆名。近松は名
文で人気を博し、署名入りで書ける浄瑠璃作者の走りとなった。竹本義太夫(165
1年生まれー1714年没)と共に、人形浄瑠璃の人気を支えた。

「日本振袖始(にほんふりそではじめ)」は、私は3回目の拝見。1998年6月と
2008年9月の、いずれも歌舞伎座だった。岩長姫(いわながひめ)、実は、八岐
大蛇(やまたのおろち)は、いずれも玉三郎。

江戸時代、江戸の歌舞伎では、「神代もの」は、当たらないと言われていた。当時の
原作外題は「日本振袖始」と書いて、「にっぽんふりそでのはじまり」と読ませた。
1718(享保3)年、まず、大坂竹本座の人形浄瑠璃で初演され、同年中に大坂角
の芝居で歌舞伎化された。近松は、世話物で風靡した後、時代物に挑戦をし、古代か
ら当時の現代までの日本史全体を劇化しようという構想があったのかも知れない。
「振袖始」という外題は「櫛名田姫(芝居では、「稲田姫」という)」の熱病を癒す
のに素盞鳴尊(すさのうのみこと)が、姫の着物の両袖の下を「脇明け」(着脱を楽
にする)にするため刀で切り裂いて袖を振り袖にし、体内の熱気逃したという伝説に
基づいているという。91年後の1809(文化6)年、江戸では初めて、市村座で
上演されたが、素盞鳴尊を演じた七代目團十郎が「睨み」で病気を治したにもかかわ
らず、また、近松の原作ものにもかかわらず、江戸の庶民には受入れられず、「古代
過ぎて不評なり」であったという。

私が観た岩長姫、実は、八岐大蛇:玉三郎(2)、今回は、魁春。稲田姫:芝雀、福
助、今回は、梅丸(梅玉の部屋子で、15歳。可愛い、抜擢の配役!)。素盞鳴尊:
左團次、染五郎、今回は、梅玉。

開幕すると、序幕「出雲国簸(ひ)の川川岸桜狩の場」。これまで見た演出では、こ
の場面は無かった。今回、国立劇場のスタッフが原作の初段から四段までの内容を一
幕ものに補綴して新たに作ったというので、興味深く拝見した。

初見なので序幕の粗筋を書いておこう。二幕目も玉三郎版とは、いろいろ違う。桜満
開の簸(ひ)の川が流れる土地の長者の娘が、稲田姫で、姫の良縁成就を願って、
「恋教え鳥」の鶺鴒(せきれい)を掴まえようと侍女ら(松江ほか)が追いかけてい
る。黒衣が差し金の先に付けた鶺鴒を操る。鶺鴒は、飛び回るだけでなく、尾を動か
し、羽を動かしで、実に巧妙に動く。上手の幔幕の中から出て来た稲田姫(梅丸)は
発熱で具合が悪い。めまいを起こして倒れる。花道からやって来た素盞鳴尊(梅玉)
が姫を介抱する。介抱の方法が、姫の着物の両袖の下を「脇明け」にするため刀で切
り裂くというもので、これが、「振袖」の起源という訳だ。これを奇縁に素盞鳴尊
は、幕の内へ、姫と姫の母(東蔵)に誘われて入って行く。浅黄幕の振り被せとな
り、場面展開。

舞台前面を覆っていた浅黄幕の振り落し。幕の内では、上手に緋毛氈を敷き、素盞鳴
尊のための小宴の席。舞台中央では、稲田姫が琴の演奏を終えた体(てい)。素盞鳴
尊は返礼に一首認める。下手に姫の母や乳母(歌江)らが同席している。そこへ、家
人が慌てて駆け込んで来る。簸(ひ)の川の川上に棲む八岐大蛇から今年の生け贄
が、稲田姫になったことを知らせて来たのだと言う。姫の発熱もそれが原因だった。
そこで、素盞鳴尊が正体を明かし、実は、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の姉の
岩長姫に「十握(とつか)の宝剣」を騙しとられたというのだ。悪鬼に姿を変えた岩
長姫を「羽々斬(はばきり)の剣」でまさに八つ裂きにしたが、これが、八岐大蛇に
なったのだという。素盞鳴尊は、生け贄となる稲田姫に「はばきりの剣」を隠し持た
せて、秘策を授ける。

10分間の幕間を挟んで、二幕目「出雲国簸(ひ)の川川上の場」。ここからは、基
本的に見慣れた舞台になる。八岐大蛇は、化身も醜女の岩長姫で、この醜女が美女た
ちに逆恨みの気持ちを抱いて、毎年美女を喰い殺すという話である。

幕が開くと、竹本出語り。序幕で、「床」の出語りをひとりでやっていた葵太夫を挟
んで、3人の太夫(道太夫ほか)が山台後列に並ぶ。前列には、鶴澤寿治郎ら三味線
方が3人。簸(ひ)の川川上は、鬱蒼とした深山の体。舞台中央から下手にかけて、
程よく、8つの壺が置かれている。上手寄りには、生け贄を待機させる高棚(荒木の
柱、小屋の体)がある。

高棚の御簾が上がると、人身御供にされ、白無垢の振り袖に水色帯を付けた(死に装
束)稲田姫が泣いている。竹本「時は亥も過ぎ夜半の雲」。花道七三から赤姫の扮装
で白布に黒雲模様のかつぎで上半身を隠した何者かが上がって来る。かつぎを取ると
岩長姫(魁春)なのだが、魁春の眼が、異様にぎらついている。凄まじい表情が、こ
の眼だけで充分に伝わって来る。2回見た玉三郎の岩長姫では、この眼のギラツキの
印象は無かった。ここは、魁春の勝ち。岩長姫の出現で、稲田姫は高棚の床に倒れ込
んでしまう。以後、微動だにしない。

贅言;この演目は、1971年12月、国立劇場で戸部銀作脚色・演出で六代目歌右
衛門が初演した。歌右衛門は1984年5月の歌舞伎座でも再演しているが、その
後、芝翫(3回)、玉三郎(6回)、猿之助(2回)などが演じている。特に、玉三
郎は、真女形として、歌右衛門の後継者を目指そうという思いが強いだろう。一方、
歌右衛門の養子として、父子だという意識が強い魁春(歌右衛門の俳号を芸名にして
いる)は、自分も六代目の後継者という意識が当然強く、密かに玉三郎にライバル心
を燃やしていることだろう。

八岐大蛇の化身で、醜女の赤姫とはいえ、若い女性(岩長姫)が、生け贄の若い女性
(稲田姫)を呑み込もうとする、妖しくも、エロチックな場面へと展開して行く。

岩長姫は、後見にかつぎを渡すと同時に両端に朱の房が付いた扇子(表が金地、裏が
銀地)を受け取る。素盞鳴尊が予め置いてあった8つ壺は、実は酒瓶。壺から流れて
来た酒の匂いに岩長姫に化けていた八岐大蛇は負けてしまう。扇子は、やがて、盃の
見立てとして使われる。瓶に近づいた八岐大蛇は、毒酒とも知らずに、瓶の中味を
次々と呑み込んで行く。酔いを深めながら魁春が踊るのが、「八雲猩々(やくもしょ
うじょう)」。二幕目前半の見どころ。

途中で、魁春は扇子を替える。金地銀地の扇子から赤地に多数の丸い金の模様が入っ
た扇子へ替わる。良く見ると、替わった扇子の丸い金の模様は、赤姫の衣装の紋様に
似ている。双眼鏡で見ると、同じものだと判明した。扇子は盃であると同時に姫の体
の一部でもあるのだろう。扇子の交換は、金から赤へ、酔いの深まりを現すという。
歌右衛門の工夫だそうだ。私には、更に、赤地の扇子は、大蛇の尻尾のように見え
た。岩(山路)の陰に隠れている間、後見は、後ろ向きのまま、魁春から受け取った
赤地の扇子をその高さを維持しながら持ちこたえていた。やがて、赤姫の衣装のま
ま、髪をザンバラにした魁春が再登場し、赤地の扇子を受け取って行く。

死に装束が清楚に見えた稲田姫は、まるで、裸身のまま横たわっているように見えて
来る。岩長姫の所作の間、微動だにしない。これも辛かろう。やがて、岩長姫が、高
棚の稲田姫に気付き、裂けた口を大きく開けて、稲田姫を呑み込もうとする。瞬間、
気付く稲田姫。起き上がるが、上からのしかかるようにして、岩長姫は稲田姫を呑み
込もうと迫って来る。それを避けようと逆海老に反り返る稲田姫。そこへ、上から高
棚の御簾が下がって来る。この行為は、限りなくセックスに近いだろう。様式美で守
られた歌舞伎の性愛表現である。

上手の竹本連中の山台が霞幕で覆われる。下手奥から大薩摩連中の登場。音楽の荒
事。鳥羽屋里長、三味線方は、杵屋栄津三郎。終わると、霞幕が除(よ)けられ再
び、竹本連中。花道より、衣装を改めた素盞鳴尊登場。

高棚の御簾が上がって、赤い袴の巫女姿で、白地に黒雲模様の打ち掛け、4本の金色
の角を生やした鬼女の魁春。ぶっかえりで、衣装を替えると、金地に黒い鱗模様とな
り、まさに大蛇の体。

上手奥から高棚の中へ、八岐大蛇の分身(魁春と全く同じ扮装)の7人が飛び込んで
来て、魁春を囲む。魁春を入れて、8つの身に変じている。八岐大蛇が、いよいよ、
正体を顕したのだ。8つの身は、分身であり、また、大蛇の全身でもある。所作で8
人は繋がって、一つになってみせたり、分裂してみせたりしながら、大蛇の大きさを
表現する。魁春は赤く塗られた舌を出してみせる。八岐大蛇は果敢に素盞鳴尊に立ち
向う。立回りでは、互角の戦いが続く。魁春が舞台上手寄りの岩に接近すると、背後
から、八岐大蛇の腹を中から「羽々斬(はばきり)の剣」で突き破って、出て来た体
で、稲田姫が姿を見せる。

「羽々斬(はばきり)の剣」と八岐大蛇から取り戻した「十握(とつか)の宝剣」の
2刀を素盞鳴尊に手渡す稲田姫。ふたつの剣を持った素盞鳴尊は、八岐大蛇を退治す
る。舞台下手から上手に向けて、稲田姫(梅丸)、素盞鳴尊(梅玉)、八岐大蛇(逆
立ちの分身、逆L字形になる分身たち、立ち上がる魁春へと連なる。それが、連鎖し
て見えて来ると、引張りの見得となり、幕。

贅言:2008年歌舞伎座の舞台の劇評で、私は次のように書いている。今回の演出
とは、大分違う玉三郎と福助の舞台だ。

*やはり、岩戸が閉め切られる前の一瞬が、最大の見せ場だった。裸身のような衣装
で、下になった稲田姫の福助は、海老反りになる。打掛けを頭から被った玉三郎の岩
長姫は、稲田姫の体の上に、のしかかってゆく。女性(にょしょう)の裸身を呑み込
もうとする八岐大蛇の姿が、二重写しに見える。その瞬間。それに合わせるように岩
戸は、閉め切られてしまった。レズビアンの極地のような、輝かしい性愛の場面が、
一瞬のうちに立ち消える。よくぞ、見落さなかったと思う瞬間であった。


藤十郎と翫雀の、珠玉の「曾根崎心中」


「曾根崎心中」は、今回で4回目。お初は、鴈治郎時代を含めて、いずれも藤十郎
で、4回目。徳兵衛は、いずれも翫雀で、4回目。今回は、いつもの劇評と趣向を変
えて、俳優論、演技論より、テキスト論で行こうと思う。

今回の「曾根崎心中」は近松門左衛門の原作を宇野信夫が戦後に脚色したもの。19
53年、新橋演舞場。21歳の二代目扇雀が初演で、好評。扇雀から鴈治郎、そし
て、坂田藤十郎へ。今年の大晦日で、米寿(80歳)になる藤十郎は、60年近くも
この狂言を演じ続けている。それでいて、いまなお、日々新たな工夫魂胆の気持ちを
持ち続けている藤十郎の舞台を愉しもう。しかし、この演目は、いつも、客席が暗い
ので、ウオッチングのメモがほとんど取れないのが、遺憾。舞台を思い出しながら、
書いている。

定式幕で幕が開きながら、「生玉神社境内」、「北新地天満屋」、「曾根崎の森」へ
の展開に向けて、死の道行では、スポットライトを使うほか、暗転、暗い(薄明るい
程度で、ほとんど暗闇)中での、2回の廻り舞台、それでいて閉幕は緞帳が降りてく
るという定式重視の「丸本もの」の歌舞伎らしからぬ「珍(新)」演出で見せる。古
典劇と新作歌舞伎の演出が二重構造になっているという異色の舞台。基本は、宇野演
出の、新作歌舞伎とも言うべき「近松劇」であろう。

ところで、歌舞伎の「曾根崎心中」の最初の上演は、外題はこのままだが、近松原作
ではない。記録に拠ると、1703(元禄16)年4月7日に心中事件が起こると、
15日には、早くも大坂の竹島座で「曾根崎心中」の外題で歌舞伎化された。次い
で、京阪の各座で競演された。近松門左衛門原作は、事件から一ヶ月後の(それで
も、当時の感覚では、決して遅くない)5月7日に人形浄瑠璃の竹本座で演じられ
た。これが、人形浄瑠璃でも、歌舞伎でも、300年余も残る、史上初めての「世話
狂言」の誕生であった。

曾根崎心中と言われた事件だが、「曾根崎心中」には、3つの「曾根崎心中」があ
る。

1)	史実の心中事件には、憎まれ役の九平次はいないという。1703(元禄16)
年、江戸の支店に転勤(栄転のはず)することになった大坂内本町の醤油問屋平野屋
の手代・徳兵衛と田舎のお大尽に身請けされることになった天満屋の芸子・お初が、
東西に引き裂かれるのを悔やんで、大坂の梅田堤で心中をし、ふたりとも亡くなっ
た。
2)	近松原作は、史実に付け加えのあるフィクションで、憎まれ役の油屋九平次の登
場は「金」の話を明確にし、追いつめられて行く徳兵衛の立場をくっきりと浮かび上
がらせて、心中の動機が大衆にも判り易いようにした近松の工夫である。油屋九平次
(通称、あぶく)、バブルのような男の登場である。それは、人形浄瑠璃で上演さ
れ、歌舞伎より原作に近い形で今も上演される。歌舞伎でも、人形浄瑠璃でも、初演
以降、現在までほとんど上演されないのが、「曾根崎心中」の序、「大坂三十三ヶ所
観音廻り」。「観音廻り」は、大坂の33ヶ所の「札所廻り」のことで、西国33ヶ
所廻りの替わりに廻れば、同じような効用があるという。つまり、大願成就、浄土に
行けるというわけだ。田舎のお大尽に連れられて観音廻りをさせられてということ
で、いわば、「大坂観光」のガイドを兼ねて、お初はおつきあいをする。「観音廻
り」を終えて、夕暮れ。生玉(生國魂)神社でひとやすみというのが、今、最初に上
演される「生玉神社境内」の場面だ。従って、お初には、「衆生済度(しゅじょうさ
いど)」を願う観世音菩薩がイメージされているという。「衆生済度」は、仏教の用
語。辞書に拠ると、「衆生」は、生きとし生けるもの。人間を含むすべての生きも
の。「済度」は迷う衆生を悟りの境地に導くということ。つまり、お初は、今や、大
阪では、「お初天神」ということで、神さま仏さまの存在になっているが、これは、
実は正解で、お初は、近松の原作の時から、「観音廻り」から「曾根崎の森」の心中
に至る過程で、「観音さま」になって行く物語という性格があるという見方もでき
る。お初は、死を全く恐れていない。
3)	宇野信夫脚色演出だが、これは宇野信夫作というべき「曾根崎心中」である。藤
十郎が、中村扇雀から中村鴈治郎、そして坂田藤十郎へと出世魚の如く名前を変えな
がら、60年近く演じ続けている戦後歌舞伎の「曾根崎心中」は今回も上演される
バージョンである。藤十郎のお初は性愛の喜びを知ったばかりに、それさえ求められ
れば、なにもいらないという感じの若い女性で、怖いもの無し。節目節目には、メリ
ハリを感じさせながら、ぐいぐいと徳兵衛を引っ張って行く。それでいて、若さの持
つ華やぎと軽さを滲ませている。年上の徳兵衛はそういう若い女性に半ば、手を焼き
ながらも、魅かれて行く。生玉神社境内では、伯父の内儀の姪との縁談を断ったとい
う徳兵衛(翫雀)の話を聴いて、無邪気に手を叩く。◯◯ギャルという、現代的な若
い女性のような行動を取るお初。気持ちを素直に外に表す女性なのだろう。藤十郎の
「お初」は年齢を感じさせない初々しさで、お初は永遠に「今」を生き続ける若い女
性、時空を超えた永遠の娘として見えて来る。宇野信夫は、また、近松原作では、平
野屋の主人として名前だけ出て来る伯父の九右衛門を独自に登場させる。九右衛門は
徳兵衛を騙りに掛けた九平次を懲らしめ、徳兵衛の潔白を解明しながら、既に死の道
行に出てしまい行方不明の徳兵衛とお初の心中を思いとどまらせることができなかっ
たという挿話を入れて、名誉恢復を知らないで死に行くという、心中劇の無念さを強
調して描いている。「わしも、いっしょに、死ぬるぞなあ」、藤十郎のお初の眼が光
る。新演出も歌舞伎味に不調和にならず、「新作歌舞伎の近松劇」という現代劇の不
幸な恋愛劇がバランスを崩さないで成立している。

暗転。暗い中、舞台は、幕を閉めずに、廻る(藤十郎襲名以降の新たな演出であ
る)。「曾根崎の森の場」。「此の世の名残り夜も名残り、死ににゆく身をたとふれ
ば、仇しが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ」。以下、竹
本の糸に乗っての舞踊劇。科白より所作。所作の豊かさ巧みさでは、藤十郎は、歌舞
伎界でも一、二を争う。「あーー」という美声が哀切さを観客の胸に沁み込ませる。
お初の表情には、死の恐怖は、ひとかけらも無い。お初徳兵衛は、浄土へ向かう「死
の官能」である。お初は、まるでセックスをしているような喜悦の表情になってい
る。そこにいるのは、お初その人であって、それを演じる坂田藤十郎もいなければ、
人間・林宏太郎もいなければ、ひとりの男もいない。死ぬことで、時空を超えて、永
遠に生きる若い女性性そのものの。お初がいるばかりだ。死に行く悲劇が永遠の喜悦
という、大人向けの、アダルトファンタジーこそ、「曾根崎心中」の真髄だろう。

藤十郎定番の「曽根崎心中」は、さらなる完成を目指して、今後も演じられて行くだ
ろう。死に行く悲劇が永遠の喜悦という、透き通るようなエロティシズムを残して、
いま、緞帳幕が下りて来る。

「心中」とは、精神的な行為。ここでは、恋愛関係にある男女の相対死に限定。相手
を独占、誰にも渡したくない、肉体的には滅びでも、死の寸前までお互いの「心の中
で、生きれば良い」(だから、日本語では、「心中」と書く)というもの。「曾根崎
心中」の構造→封建的道徳による身体性の拘束を逃れて、精神性の自由を求める→普
遍性は時空を超える。

歌舞伎や人形浄瑠璃で、「心中(情死)もの」というジャンルがある。元禄歌舞伎の
上方の演目の特徴として、「心中もの」というジャンルが確立された。「心中もの」
は、歌舞伎では、17世紀後半の上演されたものが最初と言われる。大坂の遊廓で遊
女と客が情死した事件があり、それを大坂の3つの芝居小屋で舞台化して競演した。
以後、歌舞伎では、少なくとも15種類以上の「心中もの」が元禄時代に上方で上演
されたという。「心中もの」は歌舞伎に限らず、歌謡、人形浄瑠璃でも上演され、当
時は一種のブームになった。やがて、江戸にも波及。「曾根崎心中」はその代表作と
言える。「心中もの」の作者としては、近松門左衛門のほかに、紀海音(きのかいお
ん)など。「心中もの」の流行に現世逃避、社会不安の影を感じた当時の政府、徳川
幕府は、1772(享保7)年と73(享保8)年と立て続けに禁止令を発し、心中
事件の文芸化を抑制したほどである。

国立劇場は、「開場45周年」記念の公演を来春まで続ける。12月は、吉右衛門の
「元禄忠臣蔵」。来年1月は、幸四郎の「三人吉三巴白浪」と「奴凧廓春風」、3月
は、團十郎の「一谷嫩軍記」、そして、殿の4月は、今年の3月11日の地震以降、
途中休演してしまった仁左衛門主演の「絵本」の「再演」とういうか、仕切り直しの
公演をする。
- 2011年11月9日(水) 15:23:37
11年11月新橋演舞場 (夜/「外郎売」「京鹿子娘道成寺」「髪結新三」)


「外郎売」:成田屋VS音羽屋


今回が七代目梅幸の十七回忌と二代目松緑の二十三回忌の追善興行であることに関し
ては昼の部で触れたので、ここでは触れない。夜の部では、昼の部のように全て10
回以上観た演目ばかりという訳ではないけれど、「回忌もの」となれば、やはり馴染
みの演目が続く。ここも演目を軸に役者論を述べて、コンパクトにまとめてみたい。

「外郎売(ういろううり)」は5回目の拝見。市川團十郎宗家の家の藝を示す歌舞伎
十八番のひとつ。私が観た外郎売、実は、曽我五郎は團十郎(2)、松緑(今回含
め、2)、新之助時代の海老蔵。ということで、成田屋対音羽屋の対決だ。

松竹発行の歌舞伎座同様の、新橋演舞場「筋書」に掲載されている上演記録を見る
と、1980年の野口達二の改訂版(荒事の味を濃くし、「対面」の趣向を取り入
れ、一幕ものとして充実させた)からしか記載が無く、それ以前の記録はここでは判
らない。それによると、本興行では最近30年で20回上演。成田屋(13:海老蔵
時代を含め、團十郎9、新之助時代の海老蔵4)に対する音羽屋(6:左近・辰之助
時代を含め、すべて松緑6)で、残りの1回は松嶋屋で、去年、京都南座で愛之助が
出演している。

團十郎は「外郎売」を予定していた04年6月の歌舞伎座の舞台を白血病の発症で休
演。代役は松緑が勤めた。2年後の06年5月の歌舞伎座では病を克服して舞台復帰
を図る際に、「外郎売」を選んだ。更に、再発で休演に追い込まれたが、地獄の苦し
みの闘病生活をへて復活。09年1月国立劇場の舞台、2回目の復帰を歌舞伎十八番
「象引」で果たし、同年の顔見世月の11月には、歌舞伎十八番「外郎売」で復帰の
年を締めくくる。歌舞伎十八番には、当然ながら、宗家としての思い入れが強い。こ
うした経緯を見れば、中でも「外郎売」こそは、という思いも團十郎には強いのだろ
うと容易に推測できる。

一方、松緑も左近時代、13歳初役で、1989年1月国立劇場で「外郎売」を演じ
た際、祖父の二代目松緑が工藤祐経で共演している。それだけに、四代目松緑として
も二代目から引き継いだ演目という思い入れが強いだろう。

成田屋では外郎売、実は、曽我五郎を團十郎から海老蔵へ引き継がれて行くだろうか
ら、海老蔵も海老蔵になって初めてという触れ込みで、「外郎売」をいずれ演じるだ
ろうし、松緑はとりあえず、祖父の藝をなぞりながらひとりで演じ続けて行くだろ
う。当分、この演目は折々に、成田屋対音羽屋の競演が続くと思うので、愉しみな演
目になった。

この演目はもともと「動く錦絵」のような狂言。筋が単純な割に登場人物が多くて、
見た目が多彩。歌舞伎に登場するさまざまな役柄が勢揃いし、しかも、きらびやかな
衣装で見せる。華やかな、歌舞伎のおおらかさを感じる演目だ。それと、曽我五郎の
早口の「言い立て」の妙という、これも判り易い演出だ。まさに、初心者の歌舞伎入
門向けの出し物と言えよう。そこで、この劇評では初心者向けに舞台を出来るだけ再
現しておこう。歌舞伎座と新橋演舞場との舞台の大きさ(特に、幅)の違い、軸とな
る役者の違い(この役者が、古典ものの場合、その舞台の事実上の演出家となる場合
が多い)で、筋立てや演出の細部が異なってくるのが、歌舞伎だ。ただし、今回は若
手が多く、配役が小粒だ。まず、その配役を見ておこう。

外郎売、実は、曽我五郎(松緑)、工藤祐経(三津五郎)、朝比奈(権十郎)、舞鶴
(萬次郎)、大磯の虎(梅枝)、化粧坂少将(右近)、曽我十郎(松也)。

例えば、5年前の06年5月の歌舞伎座では、外郎売、実は、曽我五郎(團十郎)、
工藤祐経(菊五郎)、朝比奈(三津五郎)、舞鶴(時蔵)、大磯の虎(萬次郎)、化
粧坂少将(家橘)、曽我十郎(梅玉)。役者の顔ぶれを比較するだけでも、スケール
の違いがはっきりする。

開幕すると、まず、浅黄幕。上手に長唄連中。花槍を持った工藤方の10人の奴が花
道から登場。浅黄幕の脇の左右、つまり舞台の上手と下手には、大木の林が見える。
奴たちは、我らの殿様は富士の狩り場の総奉行を鎌倉幕府から依頼され、無事、準備
も整い、大磯で休息と誇らしげな話をする。奴たちは、警護役。いわば、ガードマ
ン。奴たちは、半分に別れて浅黄幕の上手と下手から幕内へ入って行く。

浅黄幕が舞台前面に膨れて来て、柝を合図に振り落としで、大勢が板付きになってい
る華やかな舞台が現れる。登場人物がいきなり全員揃うという演出。ワイドなデジタ
ルテレビにスイッチが入った感じを江戸時代から歌舞伎の観客はすでに味わっていた
のだと思う。

本舞台中央に二重舞台、破風のある古風な建物。大磯の廓の体。上手奥に新造5人。
下手奥に並び大名5人。後の人たちは平舞台にいる。中央に工藤祐経(三津五郎)、
工藤の上手側に大磯の虎(梅枝)、化粧坂の少将(右近)、工藤の下手側に遊君喜瀬
川(菊史郎)、亀菊(菊三呂)。さらに上手に向けて珍斎(亀三郎)、梶原親子(景
高=菊市郎、景時=亀蔵)、八幡三郎(萬太郎)。さらに下手に向けて朝比奈三郎
(権十郎)、妹の舞鶴(萬次郎)、近江小藤太(亀寿)。

富士山の背景に、上手に紅梅、下手に白梅。さらに、上下には林。工藤祐経は「朝日
さす峰の白雲むら消えて、……、ハテ、麗らかな眺めじゃなァ」とくつろいでいる。
酒となり、工藤は、舞台の前に誂えた席に出て来るいつもの演出とは違って、二重舞
台の奥に設けられた席へ上がって行く。いつもの舞台とは逆だ。この演出の違いは、
新橋演舞場の本舞台が歌舞伎座より幅が狭い故だろうか。

大磯の廓で休憩中の工藤祐経一行の宴に、「小田原名物、ういろう……」、折りから
聞こえて来たのは外郎売の声。祐経の命を受けて朝比奈三郎が、花道付際へ行き、
「急いで、これえ」と呼び入れると、向う揚幕のうちから、「有り難うござります
る」と答える声。いよいよ、外郎売(松緑)が花道から「対面三重」の鳴り物入りで
登場。裃後見が付き従って来る。「ういらう」と書いた葛籠を背負っている。

松緑は草履を脱いで、舞台中央へ行き、座り込むと劇中口上へ。13歳の初役を思い
出してか、「私に取りましては思い出深い狂言」などと挨拶。

裃後見がふたり。ひとりの鬘の髷が、「鉞(まさかり)」になっている。これは、市
川家のみの髷と思って顔を見ると、この後見は、なんと、團蔵。もうひとりの後見は
辰緑。團蔵は松緑に外郎(薬用)を渡した後、朝比奈の後ろに姿を埋め込んだ。

贅言;誰かが演技している間、静止する役者が大勢いるので、皆、椅子の役割を果た
す「合引」を利用するが、松緑だけが板の上に赤い座布団を載せた合引で、ほかは、
板のままで黒い。普通、赤い座布団を載せた合引は女形が使うことが多いが、今回は
松緑のみ、赤。ほかは女形の萬次郎らも含めて、皆、黒。

珍斎が外郎売に名を尋ねると、実は、曽我五郎だけに、躊躇した挙げ句、「ウム、尾
上松緑にござりまする」と、お茶を濁すが、観客は喜ぶ。これも江戸時代のテレビ並
みのコマーシャル。

東西声が入り、そして、この演目の見どころ、外郎売早口の「言い立て」となる。い
よいよ見せ場、というか語り場というか、見どころ聞きどころ。外郎売得意の早口で
の薬の効用の宣伝だ。テレビの番組中のコマーシャルと一緒の効果を狙う。口跡は、
難の残る團十郎より松緑の方が良いので、ここは、聴き易い。

珍斎が戯(たわ)けの役どころで、からむチャリ場。珍斎を演じる亀三郎は早口に挑
戦するが、敗退。工藤から「大戯け」と叱られる始末。裃後見の團蔵が外郎売の背
負って来た葛籠を下手奥へしまい込む。本心を滲ませて工藤祐経に近づこうとする外
郎売。大磯の虎、化粧坂の少将が遮る。さらに、舞鶴、喜瀬川、亀菊、朝比奈、珍斎
らが出て、振りごと。下手に設えられた緋毛氈の消し幕で、外郎売を隠す。

やがて、消し幕が外され、外郎売は正体を顕す。前髪付きの鬘に、緋縮緬の襦袢、肌
脱ぎ、曽我五郎の出で立ちで、松緑が再登場。工藤祐経を父親の敵と狙う。曽我もの
の「対面」と同じ場面となる趣向。

以前に観た舞台では曽我十郎が出て来なかったが、今回は十郎を松也が演じる。十郎
は花道から登場。

十郎欠席の時の五郎の科白では、「兄十郎この場におらば、手を空しゅうは帰るま
じ、チェッ、残念な」。これを受けて、工藤が「アイヤ、手を空しくは帰すまじ、
……、祐経が寸志のはなむけ」と袱紗包み(狩り場の絵図面)を五郎に投げ与える。

今回は名乗りを上げて工藤を討とうとする兄弟に朝比奈が「兄弟(きょうでえ)ふた
り力を合わせて」と呼びかけ、工藤はやはり袱紗包み(狩り場の絵図面)を十郎に投
げ与える。融通無碍な歌舞伎の自由さ。

奴たちが上手と下手に分れて花槍を使って、富士山の輪郭をなぞるように裾野を描
く。富士山頂の位置には工藤祐経を演じる三津五郎が立ち上がる。引張りの見得で、
幕。


絶品への予兆。菊之助の「京鹿子娘道成寺」


「京鹿子娘道成寺」は13回目の拝見。新橋演舞場の「筋書」の上演記録や楽屋話で
は、菊之助は、12年前、1999年1月の浅草公会堂公演以来、2回目という。な
らば、私は初見、ということになるが、これには、から繰りがある。というのは、私
は「京鹿子娘道成寺」のバリエーションである「道成寺もの」を幾つも見ているし、
特に、「娘二人道成寺」は、09年2月の歌舞伎座の舞台までに6回拝見している。
このうち、玉三郎・菊之助の舞台は、3回目拝見。これがどんな舞台かというと、次
のようなものである。以下、私の劇評(09年2月の歌舞伎座)をベースにコンパク
トに紹介する。

*04年1月の歌舞伎座で、玉三郎と菊之助が花子の生身(菊之助の花子は、花道か
ら登場)と生霊(玉三郎の花子は、「すっぽん」から出入り)という「花子の立体化
(生身と生霊)」を演じた。これは、花子・桜子という、通常の別人格の「娘二人道
成寺」では無い。ふたりは、「二人」ではなく、一人なのだ。いわば、ダブル花子。
白拍子花子の光と影。玉三郎と菊之助は、今回、さらにこなれてきて、充実の上乗せ
をしてくれたから、今後とも花子・桜子の「娘二人道成寺」は、上演しにくいかもし
れない。まさに、ふたりの真女形の官能。女性では出せない女形の極め付けの官能の
美とは、こういうものではないかというのが正直な印象である。「鐘に恨み」の玉三
郎の凄まじい表情と柔らかで愛くるしい菊之助のふくよかな表情の対比。夜叉と菩薩
が住む女性(にょしょう)の魔は、女性では表現できないだろう。男が女形になり、
女形が、娘になり、娘が蛇体になるという多重的な官能の美。これぞ、立体化された
「娘二人道成寺」の真髄だろうと思う。

菊之助は、12年の間に「京鹿子娘道成寺」こそ演じていないものの、「娘二人道成
寺」は、この7年間に玉三郎と共に3回上演している。「娘道成寺」という演目で
は、歌右衛門、芝翫亡き後、雀右衛門休演中、という状況で、今や第一人者の玉三郎
の傍で舞台を勤めて来た蓄積は大きい。菊之助は、今回で「娘道成寺」は、5回目と
言って良いだろう。そういう意味では、私も、「娘道成寺」は、19回観ていて、菊
之助では、4回目の拝見となる。「道成寺もの」のバリエーションでは、ほかにも、
「男女道成寺」などがある。

「京鹿子娘道成寺」は長時間の舞踊で、序破急というか、緩怠無しというか、破綻の
ない大曲の所作事。「京鹿子娘道成寺」は、いわば組曲で、「道行、所化たちとの問
答、乱拍子・急ノ舞のある中啓の舞、手踊、振出し笠・所化の花傘の踊、クドキ、羯
鼓(山尽し)、手踊、鈴太鼓、鐘入り、所化たちの祈り、鱗四天、後ジテの出、押し
戻し」などの踊りが、逆海老に体を反り返させる所作も含めて、次々に連鎖して繰り
出される。ポンポンという小鼓。テンテンと高い音の大鼓(おおかわ)のテンポも良
く合うが、舞台と袖との出入りごとに衣装が変われば、踊りも変わるので、テンショ
ンを保つのも大変なはず。実は、かなり烈しい踊りで、役者は日頃からの体力維持が
要求される。

花子は衣装の色や模様も、所作に合わせて、後見の「引き抜き」などの助けを借り
て、緋縮緬に枝垂れ桜、浅葱と朱鷺色の縮緬に枝垂れ桜、藤色、黄色地に火焔とお幕
の紋様などに、テンポ良く替わって行く。道成寺の鐘の中に花子が入り込む演出で
は、後ジテの花子は蛇体の本性を顕わして、朱色(緋精巧・ひぜいこう)の長袴に、
金地に朱色の鱗の摺箔(能の「道成寺」同様、後ジテへの変身)へと変わって行く
が、今回の菊之助は鐘の中に入らずに、娘の衣装のまま、鐘の上に上がって行く演出
の方だった。この演出では、15年前、1996年4月の歌舞伎座、雀右衛門の花子
が、私の眼底には今もくっきり残っている。

菊之助の踊りは若いだけに柔軟な肉体を十二分意に発揮し、メリハリがあり、気品が
あり、華があり、細部も正確で、見事だった。振り、所作の間に、若い娘らしい愛ら
しさが滲み出ていて、絶品の予兆(いずれ、年齢的に体力が衰えて行く玉三郎と当面
体力を維持できる菊之助とは、いずれ交差し、菊之助は、玉三郎を越えて行くだろ
う)がする。

雀右衛門の花子に向かって、菊之助よ、進め!


「梅雨小袖昔八丈〜髪結新三〜」は、7回目の拝見。明治に入ってから、黙阿弥が落
語を元に書き上げた江戸人情噺である。五代目菊五郎のために書き下ろした。

序幕第一場「白子屋見世先の場」。序幕第二場「永代橋川端の場」。(暗転、太鼓の
よる雨の音で、開幕。夕暮れから夜へ)二幕目第一場「富吉町新三内の場」。(廻
る)第二場「家主長兵衛内の場」。(逆に廻る)第三場「元の町新三内の場」という
構成。前半の殺伐劇が、後半は落語的世界に変わる。その妙がおもしろい世話ものの
傑作である。

私が観た新三は、菊五郎(今回含め、3)、勘九郎時代を含め勘三郎(2)、幸四郎
(2)。私は、菊五郎の新三が好きだ。今回も、菊五郎は自家薬籠中の演技で、安定
している。勘三郎は菊五郎に比べて、科白を謳い上げてしまう。新三内の場での街の
顔役・源七との喧嘩で、新三「強い人だから返されねえ」などと、気っ風(きっぷ)
の良い科白があり、これは明治の庶民も喝采を送ったのではないか。源七と新三のや
り取りで、「四十を越えて」とか、「そこがやっぱり年の所為だ」などと、人生50
年時代らしい明治の科白が聞こえて来る。黙阿弥ものとしても幕末期に上演された七
五調の江戸歌舞伎とは違う。「科白劇」という意味でも、これはやはり明治の歌舞伎
なのだろう。

これは、現代的な言い方をすれば、新旧江戸っ子の対立の中で、「自立」を目指す
ニューカマーの青年の物語。上総生まれの「江戸っ子」を気取る、ならず者の入れ墨
新三(「上総無宿の入れ墨新三」という啖呵を切る場面がある)。深川富吉町の裏長
屋住まい。店を持たず、廻り(出張専門)の髪結職人。立ち回るのは、日本橋、新材
木町の材木問屋。江戸の中心地の老舗だ。老舗に出入りする地方出の、新江戸っ子。
つまり、ニューカマーというわけだ。江戸が都市として膨張し、地方から多くの人た
ちが流れ込んで来た。3代目にならないと、本当の江戸っ子と言わないという旧江
戸っ子に対抗するためには、新江戸っ子は、「過剰に」江戸っ子ぶりを演じなければ
ならない。伸し上がるために、彼が考えたのが婦女かどわかしによる蓄財作戦。

黙阿弥は、江戸の季節感をふんだんに盛り込むことで、逆に、人事の悲劇を際立たせ
る。梅雨の長雨。永代橋。雨のなかでの立ち回り。梅雨の晴れ間。深川の長屋。初鰹
売り(ベテランの菊十郎)。朝湯帰りの新三の浴衣姿。旧江戸っ子の代表としての、
町の顔役や長屋の世慣れた大家夫婦(三津五郎、亀蔵)。深川閻魔堂橋での立ち回り
など。主筋の陰惨な話の傍らで、この舞台は江戸下町の風物詩であり、人情噺であ
る。

この芝居は、元が落語の「白子屋政談」という人情噺だけに、落語の匂いが滲み出
す。1727(享保12)年に婿殺し(手代と密通し、婿を殺す)で死罪になった
「白子屋お熊」らの事件という実話もの。特に後半の「二幕目」の深川富吉町の「新
三内」と「家主長兵衛内」の場面がおもしろい。切れ味の良い科白劇は黙阿弥劇その
ものだが、おかしみは落語的だ。その典型が家主の長兵衛(三津五郎)と新三のやり
とりの妙。この科白劇の白眉。特に老け役の三津五郎が良い味を出していた。今月、
4役を演じる三津五郎だが、長兵衛役が秀逸だった。亀蔵が演じる家主女房・おかく
も異色。このふたり同士、あるいは、ふたりと新三のやりとりは、漫才のようにテン
ポもあり、間も良かった。

白子屋手代の忠七を演じたのは、時蔵。さらに、芝居に一味添えるのが、下剃勝奴
だ。私が観た下剃勝奴は、染五郎(3)、八十助時代の三津五郎、松緑、市蔵、そし
て今回は、菊之助。勝奴は新三の芝居の隙間を巧みに埋めながら、味を出していた。
新三の役割をくっきり見せる調味料の役どころと見た。傍役のキャラクター作りが、
黙阿弥は巧い。

今月、「魚屋宗五郎」では、松緑演じる小奴三吉と「髪結新三」では、菊之助演じる
下剃勝奴のふたりが、いずれも住み込みの若い者で、似たような立場の役どころ。こ
れは、松緑が巧く、いかにもこの時代の下積みの若者らしい屈折感を滲ませていて味
が出ていた。菊之助は「道成寺」の花子で、今回は力を出し切ったようで、ここで
は、軽く付き合っているという感じだった。

「髪結新三」が、基本的に笑劇だというのは、家主夫婦の出来に掛かっている。娘を
攫って慰みものにする、金を強請る、手代を脅迫するならず者、小悪党という新三
も、ニューカマーとして、江戸の機微には疎いという、とんまで、単純なところがあ
る。世知に長けた家主にあしらわれる。貸家では、「入居お断り」が多い刺青者の
ニューカマーを大目に見て、新三に長屋の部屋を貸しているのが、この大家・長兵衛
の強み。長兵衛の権力の源泉は、ここにある。抜け目のない長兵衛は、その権力をち
らつかせながら、長屋の住民がらみのトラブルを解決しては、いつも関係者から「お
礼金」を引き出しているのだろう。そういう下世話なリアリズムがこの芝居の魅力に
なっている。人情歌舞伎の名作のひとつだろう。
- 2011年11月4日(金) 15:07:53
11年11月新橋演舞場 (昼/「傾城反魂香」「道行初音旅〜吉野山〜」「魚屋宗
五郎」)


馴染みの演目を新たな配役や「視線」で楽しむ方法


いずれも、10回以上観ている演目ばかりなので、舞台ウオッチングで改めて気がつ
いたことなどを記録するほかは、今回は、役者論を軸にして書いてみたい。従って、
コンパクトになる。昼の部の役者論では、梅幸と松緑の孫である菊之助と松緑のペア
論、次いで、菊五郎、三津五郎、時蔵を軸に論じることにする。

以前にも書いたかもしれないが、「傾城反魂香」と「魚屋宗五郎」は、部分的に嫌い
な場面がある。「傾城反魂香」では、処遇改善を求めて、夫婦で師匠の所に要請に行
く際、「吃り」という障害を強調する場面、また、それに対して師匠に「差別意識」
があることが浮き彫りにされる場面である。また、「魚屋宗五郎」では、前半は、妹
が殿様に殺され、悲しみと恨みつらみを述べながら、妹の同僚が持参した弔問の酒を
飲み干して、羽目を外して行く場面は、いつ観てもおもしろいのだが、最後の場面
で、酔いが覚めてから殿様にへつらう調子が出てくる場面が嫌いである。

さて、今回は、七代目梅幸の十七回忌と二代目松緑の二十三回忌の追善興行である。
音羽屋一門の舞台である。従って、大向うから掛かる屋号の掛け声も、共演の田之助
(夜の部のみの出演。もったいない使いからをされているが、ご本人の体調などの所
為なのだろうか)への「紀伊国屋」、左團次への「高島屋」、三津五郎への「大和
屋」、時蔵への「萬屋」、團蔵への「三河屋」、萬次郎への「橘屋」などのほかは、
「音羽屋」一色に近い感がある。従って、菊之助と松緑が共演する場面では、「音羽
屋」では、どちらを声援しているか判らないので、菊之助には、「五代目」、松緑に
は、「紀尾井町」「四代目」と声が掛かる。菊五郎なら、「七代目」である。勿論、
両方への場合は、「音羽屋」。「吉野山」では、音羽屋のふたりのポーズには、「ご
両人」と声が掛かる。

梅幸と松緑ペアの内、私が生の舞台を観ることができたのは、梅幸だけ。従って、私
の観劇歴は、16年余にしかならない。松緑は、テレビなどで観ただけだ。このペア
の所縁を触れるなら、ペアの「息子たち」、当代、つまり、七代目菊五郎と三代目
(追贈)松緑(生前ならば、初代辰之助)のペア論を論じたいところだが、40歳で
早世した辰之助は、当代の舞台としては存在せず、従って論じようがない。そこで、
ここでは、「孫たち」を論じることにしよう。ならば、上演演目順には拘らずに、孫
ペアの舞台、「道行初音旅〜吉野山〜」から、劇評の筆を下ろそう。「道行初音旅〜
吉野山〜」は、私は16回目の拝見。年に一回観ている勘定だ。

今回の静御前は、菊之助、狐忠信は、松緑。このペアでは、08年11月、新橋演舞
場で上演しているが、私は観ていないので、今回が初見。そもそも松緑の吉野山が、
初見。菊之助の静御前は、3回目。過去2回の相手役・狐忠信は、菊五郎。松緑は、
楽屋で「菊之助さんとはこれからふたりの『吉野山』をつくりあげて行きたい」と
語っているが、まさに、これからふたりで精進を重ねてよりよい出しものにして欲し
い。その成長過程の、今回は「途上」と思いながら、舞台を観ていた。

開幕すると、舞台奥中央から下手に向かって、清元の山台。暫く舞台無人で、置き浄
瑠璃。花道から静御前(菊之助)が登場し、暫くは、七三で踊る。赤い鼻緒の草履に
白足袋。大向うからは、「音羽屋」「五代目」。菊之助は、「桜が満開の吉野山で踊
る風情を大事にして勤め」ていると言う。静御前が舞台中央に移動し、鼓を打つと、
花道のスッポンから狐忠信(松緑)登場し、こちらは、草鞋に黒足袋。暫くは、七三
で踊る。大向うからは、「音羽屋」「紀尾井町」「四代目」。松緑は、「『四の切』
につながる忠信をお見せできれば」と語っている。

松緑が踊っている間、菊之助は、中央より上手よりで、静止している。松緑が本舞台
に移動すると、菊之助も動き出す。ふたりの踊りがあって、やがて、舞台中央で、雛
人形に見立ててふたりでポースを取る見どころでは、「ご両人」と大向うから声が掛
かる。菊之助は、「3之助」(辰之助=松緑、新之助=海老蔵、丑之助=菊之助)か
ら、とうに脱皮しており、踊りには、安定感もあり、気品もあり、華もある。松緑
は、まだ、どこかに「辰之助」の破片が引っ付いていて、特に、私には彼が猫背なの
が、気になる。まだ、脱皮前という感じ。ふたりの祖父のペアの舞台写真、特に、
ポーズを見ると、孫より祖父のペアの方が、顔が立派だ。藝の蓄積が滲み出たが故
の、立派さだろうと、思う。

清元と竹本の掛け合いは、喜太夫が、鳴門太夫とともに、「床」で御簾を上げての出
語り。喜太夫は体が一回り小さくなったような感じがした。

忠信は屋島での源平合戦の様子を仕方で演じる。花道から現れた逸見藤太(團蔵)と
花四天らと静御前・忠信の絡み。藤太は、赤い陣羽織に黄色い水玉の足袋。後に、こ
の赤い陣羽織と花四天の持つ花槍を使って、藤太は、人形見立ての「操り三番叟」の
パロディを演じてみせる。やがて、義経のいる川連法眼館(『四の切』)を目指し
て、ふたりの旅は続く。

贅言;松緑は、途中で、持っていた扇(表裏が、金と銀地に赤い日の丸の紋様)を自
分の膝に当てて落とす。因に、静御前の扇子は小振りで、金銀の無地。隅に朱の房が
付いている。花道七三から團蔵宛に放る松緑の編笠が本舞台中央にいる團蔵に届か
ず、花四天がカバーをしていたなど、初日らしいミスが目立つ。この後、團蔵は、こ
の笠を使い、仏像の後光の見立てで、ポーズをとる。この舞台、後見が3人と多い。
菊之助には、菊史郎、松緑には、辰緑、團蔵には、茂之助。

幕外では、狐忠信の引っ込み。松緑の着ている衣装の袖口の赤さが、印象的だった。
いずれにせよ、ふたりの「吉野山」は、役者として花形から中堅へ向けて成長して行
く、今後の精進ぶりを時々見せてもらいたい。

贅言:1年前の8月、新橋演舞場で初めてNHKの元アナウンサーで、現役の大向うで
あり、歌舞伎評論家・エッセイストである山川静夫さんと逢った。職場の大先輩でも
ある。私も長年の間通っていた歌舞伎座では、ロビーで逢ったことが無かった。新橋
演舞場では、山川さんが芝居小屋に来るパターンが判っているので、この1年間に、
その後も何度かお逢いしていて、その都度、短い言葉を交わしている。確か、喜寿
(1933年生まれ)を越えている筈だが、大病を克服した後も余り変わらず、ふっ
くらとしていて、お元気そうだった。今回も、大勢の大向うの人たちと一緒だったの
で、短い挨拶だけに留めた。


嫌いな演目でも、楽しみ方を見つける


「傾城反魂香」は、12回目の拝見。私が観た又平おとくの夫婦たち。又平:吉右衛
門(5)。富十郎(2)、團十郎(2)、三津五郎(今回含め、2)、猿之助。おと
く:雀右衛門(2)、芝翫(2)、鴈治郎時代を含めて藤十郎(2)、時蔵(今回含
め、2)、芝雀(2)、勘九郎、右之助(巡業で、相手は團十郎)。

これは、夫婦の情愛の芝居であるが、現代風に言うなら、タレント(又平)を売り出
そうとするマネージャー(おとく)の物語でもある。琵琶湖畔で、お土産用の大津絵
を描いて、糊口を凌いでいた又平が、女房の励ましを受けて、弟弟子にも抜かれて行
くような、だめな絵師としての烙印を跳ね返し、土佐光起という名前を貰うまでにな
る。私が観た又平では、新しく人間国宝になった吉右衛門が、やはりダントツであ
る。特に、又平が遺書代わりに石の手水鉢に描いた起死回生の絵が、手水鉢を突き抜
けた時の、「かかあー、抜けた!」という吉右衛門の科白廻しは、追従を許さない。
「子ども又平」、「びっくり又平」と、同じ又平でも、心のありように即して自在に
演じる吉右衛門の入魂の熱演は、今回の三津五郎も色あせる。三津五郎は、歌舞伎役
者の中でも、抜群の踊りの名手、又平の踊りは、いわば素人の藝で無ければならな
い。師匠に評価され、手も脚も自然に舞い出すという感じで、名人のような巧い踊り
になってしまってはいけない。

吃音者の夫を支える饒舌な妻の愛の描き方、特に、妻・おとくの人間像の作り方が、
もうひとつのポイントになる。先に亡くなった芝翫は「世話女房型」であった。高齢
で舞台から遠のいている雀右衛門は「母型」。今回の時蔵は、姉さん女房で、マネー
ジャー型だった。時蔵は、梅幸直伝という。

土佐将監の「山科閑居」。絵師の家らしく、文化の香りが高い。襖には、五言絶句の
漢詩。「山中何所有 嶺上多白雲 只可自怡悦 不堪持寄君」。閑居の孤高の心境
か。彦三郎の土佐将監は、今回含めて、3回目。今は亡き又五郎の将監は。味があっ
た。専門家として、又平の技量の評価には厳しいが、生真面目な又平の性格は、買っ
ている。芦燕も、また、別の味。

将監の北の方は、今回含めて2回目の秀調だったが、北の方で定評のあるのは、吉之
丞で、私は6回拝見している。科白は少ないが、又平の応援団として表情、仕草、肚
を観客に伝えなければならない。夫に逆らわないが、同調もしていない。吉之丞のい
ぶし銀のような、着実な演技が、観客の脳裏に刷り込まれているのに気づくようにな
る。こういう役者が、出ていると、舞台は、奥行きが出てくる。

土佐将監は、土佐派中興の祖として、土佐派絵画の権力者だったが、「仔細あって先
年勘気を蒙り」、目下、山科で、閑居している。北の方は、夫・将監と不遇の弟子・
又平との間で、バランスを取りながら、壺を外さぬ演技が要求される難しい役だ。

雅楽之助は、権十郎。本興行では、初役。この役で馴染みのあるのは、ことし又五郎
を襲名した歌昇だった。一方、修理之助は、松也。清新な役どころであった。


足軽の「発見!」


「魚屋宗五郎」は、10回目。このうち、09年03月国立劇場では、珍しく通し狂
言として「魚屋宗五郎」の場を含めて、「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあ
まがさ)」を拝見したが、通常は、今回のように江戸は芝の「魚屋宗五郎内」に加え
て、「磯部邸玄関」と「同 庭先」が、上演される。先に述べたように、この「庭
先」が、私は嫌いである。

それでも、私の好きな場面や科白がある。妹が殿様に殺され、弔問に訪れた妹お蔦の
同僚の召使・おなぎ(菊之助)から、事の真相を聴かされて、宗五郎(菊五郎)は。
「もうこうなったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」。これは、小気味の良
い科白だ。「芝片門前魚屋内の場」から「磯部屋敷」の場面のうち、前半の「玄関先
の場」までの、酔いっぷりと殴りこみのおもしろさ。

「磯部邸玄関先の場」での科白も、忘れられない。「わっちの言うのが無理か無理で
ねえか、ここは、いちばん、聞いちくりぇ。(略)好きな酒をたらふく呑み何だか心
面白くって、ははははは、親父も笑やあこいつも笑い、わっちも笑って(ここで、柝
を打つように、手を叩く)暮らしやした、ははははは、ははははは。おもしろかった
ねえ。喜びもありゃ、悲しみもある」。庶民の幸福は、皆息災で、貧しくても、毎
日、笑って暮らせる暮らしだと強調する辺りの科白も、胸にジンと来る。宗五郎の科
白には、家族思いの庶民の哀感がにじみ出る。まあ、この科白に「酔いたくて」、観
客は、1883(明治16)年の初演以来、125年も、酔っぱらいの姿を観に、芝
居小屋に来ているのかもしれない。

今回も、菊五郎の宗五郎を堪能した。菊五郎で拝見するのは、3回目である。五代目
菊五郎が練り上げ、六代目菊五郎が完成したという、酔いの深まりの演技は、緻密
だ。演出的には、計算をしている訳だが、舞台を観ている観客には、演技ではなく、
本当に酔っぱらって行くように感じさせることが必要だ。まさに、生世話ものの真髄
を示す場面だ。菊五郎は、初演時、二代目松緑から直伝された際、「計算して飲んで
いるから、おもしろくないよ」と注意されたと言う。役者の動き、合方(音楽)の合
わせ方、小道具の使い方など、あらゆることが、本当は計算されている。この場面
は、酒飲みの動作が、早間の三味線と連動しなければならない。消しゴムを使うよう
に、計算式を消してしまう。それで、洗練されて行く。

この場面で、宗五郎の酔いを際立たせるのは、宗五郎役者の演技だけでは駄目だ。脇
役を含め演技と音楽が連携しているのが求められる。この場面は、出演者のチームプ
レーが、巧く行けば、宗五郎の酔いの哀しみと深まりを観客にくっきりと見せられ
る。以前に菊五郎が言っていたが、「周りで酔っぱらった風にしてくれるので、やり
やすいんですよ」というように、ここは、チームワークの演技が必要だ。宗五郎女房
のおはま役では、今回で3回目の拝見となる時蔵が、断然良いと思っている。生活の
匂いを感じさせる地味な化粧。時蔵は、色気のある女形も良いが、生活臭のある女房
のおかしみも良い。

脇役で大事なのが、小奴・三吉である。三吉は、松緑(今回含めて、2)、染五郎
(2)、正之助時代含めて、権十郎(2)、十蔵時代の市蔵、獅童、勘太郎、亀寿と
7人を観ているが、松緑の三吉は、今回も良かった。剽軽な小奴の味が、松緑には
あった。どさくさに紛れてお蔦の同僚のおなぎ(菊之助)のお尻に触って、おなぎの
体を移動させようとして、おなぎに睨まれるなど秀逸だった。松緑の息子藤間大河
が、酒屋の丁稚で出演し、口跡も良く、落着いていて、達者な子役ぶりを見せた。
「音羽屋」「大河」の掛け声あり。宗五郎宅の玄関先での大河と松緑の科白のやりと
りでは、松緑の表情に父親の情愛が滲んでいて、微笑ましかった。宗五郎宅で、母親
と弔問に来た近所の茶屋の娘で、お蔦の友人のおしげを演じた右近は、線香を手向け
る際に座った足を拡げたままにしていたが、江戸時代の娘が、こんな不調法をする筈
がない。歌舞伎役者なら、基本を身に付けなければならない。

結句。宗五郎はおなぎが持って来た酒樽の酒を全て飲み尽してしまう。暴れだし、格
子を壊して、家の外へ出て行く。祭囃子が、大きくなり、宗五郎の気持ちを煽り立て
る(音楽による、心理のクローズアップ効果)。この芝居の音楽は、随所で役者を巧
く乗せている。

花道七三にて、菊五郎は酒樽を右手に持ち、大きく掲げる。見どころのポーズも決
まっている。

贅言;「磯部邸玄関」「同 庭先」などでは、足軽(八重蔵、咲十郎)が登場する。
足軽は、中間と同格か、やや上、家臣よりは下くらいの扱いだが、舞台を観ている
と、ホテルなどの「ドアマン」(大きなホテルのドアマンは、ホテルの顔で、フロン
トまで繋ぐ重要な役どころ)のように、屋敷の外を管理しているようで、屋敷内へは
上がらなかった。座る時も、裃姿の家臣らは、身分に応じて板の間か座敷に座るが、
羽織姿の足軽は、外にかがみ込むように座り込み(門番として棒を持っている時は、
ふたりの棒を揃えて、その上にふたり並んで座り込む、庭先などでは、地面にかがみ
込む)、両手も家臣のように膝に置くのではなく、両足を抱きかかえるようにしてい
た。まるで、江戸時代にタイムスリップしたようで、私は興味深く拝見した。本など
読んでもこういう説明はない。いままで気づかなかったね、こういう細部には……。
歌舞伎のこういう細部の伝承は、時代考証というよりも、役者間の先輩から後輩へ、
それぞれでの口伝なんだろうね、きっと。
- 2011年11月3日(木) 17:07:54
11年10月国立劇場 開場45周年(通し狂言「開幕驚奇復讐譚」)


権力悪暗殺に挑む男・女のテロリスト


「開幕驚奇復讐譚(かいまくきょうきあだうちものがたり)」は復活狂言的要素を持
つ「新作」歌舞伎である。基本は、江戸後期の戯作者・曲亭馬琴(1767―184
8年)が執筆した「開巻驚奇侠客伝(かいかんきょうききょうかくでん)」を原作と
している。1832年から刊行されたが、途中で絶筆となったので、未完の作品。原
作は、当初、劇化もされていない。1865(慶応元)年になって、河竹黙阿弥が
「開巻驚奇侠客伝」を初めて劇化した。その作品「菖蒲太刀対侠客(しょうぶだちつ
いのきょうかく)」を今回は参考にはしている。その上で、国立劇場文芸課は、新作
歌舞伎の書き下ろしとして脚本を作っている。菊五郎の監修ということで、彼のアイ
ディアも随所に行かされ、新作歌舞伎として国立劇場開場45年シリーズの第1弾と
して、初演されたというわけだ。従って、過去の上演作品の復活ではない。

時代と世話の綯い交ぜで、複雑なストーリーを持つので、筋を追いながら観ようとす
ると、同じ顔の役者が全く違う何役をも兼ねているので観る側は混乱して来る。そこ
で、基本となる時代物をベースに主筋を探っておくと判り易い。

重要な登場人物は、男女ふたりのテロリストである。時代は、足利将軍義満(三
代)、義持(四代)の時代。60年続いた南北朝の対立を経て、義満が南北朝を合体
させた後、いわゆる「後南朝」(足利幕府と北朝が主導権を握り、合体は、形式的で
南朝派の不満が蓄積し始める)の時代である。

芝居では、南朝方の3つの復讐劇と家宝の一巻(巻物)の探索が、展開される。なか
でも、冒頭から最後まで出続けるのが、いずれも、南朝方で、新田家の「系図の一
巻」という一巻を追う新田義貞の末裔・新田小六である。途中から登場し、最後は足
利将軍暗殺を成功させる楠(楠木)正成の末裔・姑摩姫である。テーマは南朝復興と
足利将軍家への復讐劇である。一方、危機感を募らせる将軍家は新田、楠の一族絶滅
を図る。

姑摩姫が暗殺術のスキルアップに利用するのが仙女の術で、仙女の師弟の秘術伝授の
場面で、話題の「両宙乗り」という珍しい演出を観ることが出来る。復活狂言ものら
しく、時代と世話が、物語に奥行きとふくらみを持たせている。

まず、キーパーソン・新田小六の後を追おう。新田家の当主・貞方が箱根の郷士・藤
白安同(ふじしろやすとも)の闇討ちに遭って殺され、家宝の「系図の一巻」が奪わ
れてしまう。貞方の嫡男・新田小六が復讐の旅に出ている。その後出世した藤白安同
は、相模国の守護代になっている。藤白が家族らと共に温泉の別荘に滞在しているこ
とを突き止めた小六は若党の野上復市(のがみまたいち)とともに藤白を襲い、仇討
を果たすが、一巻を見つけ出すことができないので、漂泊の旅に出る。

一巻は藤白の妻の長総(ながふさ)が持ち出して、出奔してしまっている。長総には
家臣の小夜二郎(さよじろう)が付き従う。

一巻を探し求めながら剣術修行の旅を続ける小六は、途中、南朝の拠点となった吉野
の後醍醐天皇陵を訪れ、南朝再興を誓った後、山中で道に迷ってしまう。仙女の九六
媛(くろひめ)が現れる。仙女が、小六を迷わせ、器量を確かめたのだ。南朝再興の
ためのパートナーとして将来出会う姑摩姫への協力を依頼し、小六も承諾する。仙女
は小六に霊薬を渡す。

小六と復市は足利家の重臣北畠家の領地(伊勢)・上多気(かみたげ)宿で一巻を探
している。大和へ向かう長総と小夜二郎も、宿場を通りかかる。

飼坂(かいさか)峠で難に遭う長総と小夜二郎。そこへ通りかかる小六と復市。瀕死
の小夜二郎を助けるが、すでに虫の息。小夜二郎は一巻を持っていなかったが、楠家
の人物を証明する脇差を持っていた。長総は、いない。実は、小夜二郎は楠家の末裔
で、姑摩姫の弟だと後に判る。小六と復市は、河内国にいる楠家の重臣を頼って行
く。

河内国千剣破(ちはや)村。小六と復市は小夜二郎殺害の犯人と思われる木綿問屋の
綿四郎を探し当てた。小六の尋問にしらを切る綿四郎。驚いたことに長総は綿四郎の
女房・おふさとして現れる。そして、おふさが「系図の一巻」を持っていることが判
る。復市らの加勢を得て小六は一巻を取り戻す。綿四郎が、盗賊の荷二郎(にじろ
う)と判るが、さらに、荷二郎は長い間行方知らずだった復市の不実の父親・野上秀
行と判る。秀行は、女房の長総を殺し、息子の復市に自分を殺させ、野上家再興を
祈って息絶える。

一方、もうひとりのテロリスト・姑摩姫は、吉野山中で仙女の九六媛の許、仙術の修
行に励んでいる。「剣侠の術」の会得を目指す。やがて、九六媛は姑摩姫に「空中飛
行の術」を伝授する。術を会得した姑摩姫は、空中回転を繰り返しながら、師匠とと
もに天高く飛んで行く。

山城の北山にある金閣。屋上に忍び込んだのは姑摩姫。「剣侠の術」を使って姿を消
したまま、三代将軍義満暗殺に成功する。義満は突然死を遂げたことになる。さらに
義満から将軍職を受け継いだ四代将軍義持も暗殺しようと「空中飛行の術」を使って
室町御所に向かおうとするが、術が効かない。足利家の重臣たちに傷を負わされてし
まう。ここへ、新田小六が現れ、仙女の霊薬を姑摩姫に飲ませると姫は全快する。

やがて、義持ら一行が駆けつけ、姑摩姫と小六を包囲するが、足利方の管領のひとり
斯波義将の計らいで、ふたりのテロリストは、身柄を斯波預かりにするという形で、
大団円となる。

さて、これで筋は判ったので、次は、配役と演出、役者たちが舞台でどう演じたかに
移ろう。

発端「新田貞方討死の場」。暗転。開幕では舞台からライトが客席を照らすので、目
がくらむ。大せりで三代将軍足利義満(田之助)ほか、管領の畠山満家(彦三郎)ら
足利家家臣たちがせり上がって来る。最初、義満は観客席に背を向けている。背景は
山城国北山の麓に作られた総金箔張りの高楼。

暗転後、ふたつの首だけが、提灯のように暗闇の舞台に浮かぶ。上手に藤白安同(権
十郎)、下手に新田貞方(松緑)。闇討ちに遭い、顔が斬られる貞方。南朝再興に必
要な新田家の「系図の一巻」が、奪われる。歌舞伎とは、ひと味違う演出にとまどう
舞台。

序幕「相模 箱根賽の河原の場」。舞台下手に「賽の河原道」の杭。下手奥に小さな
滝が見える。上手には地蔵、小さな墓石。貞方の嫡男・小六(松緑)は藤白への復讐
の旅の途中。舞台中央、松の木下で木株に腰掛けて居眠りをし、父暗殺の夢を見てい
た。背景は紅葉の湖。人の気配で、小六は松の木の後ろの薮に身を隠す。花道から箱
根山に紅葉狩りに来た藤白一行が現れる。癇性な藤白は、酒を飲み、ながらも不機
嫌。諌言する妻の長総(ながふさ・時蔵)。うるさい妻に離縁を言い渡す藤白。一行
に混じっている小夜二郎(菊之助)は、そういう仕打ちを受ける長総を不憫に思って
いる。

一行が上手奥へ立ち去った後、この様子を陰で見ていた小六が、再び現れる。そこへ
小六に同行していた乳母の母屋(おもや・萬次郎)と復市(またいち・梅枝)が下手
奥から戻って来る。母屋に見送られて小六と復市は、上手奥へ藤白の後を追う。

舞台が廻ると、「相模 底倉温泉藤白家浴館の場」。藤白の別荘「浴館」。紅葉と
月。小六と復市は、別荘内に忍び込み、藤白を討ち果たすが、「系図の一巻」を見つ
けることができない。別荘の裏から長総と小夜二郎が出て来て、藤白が殺されたこと
を知る。長総は一巻を持っていて、思いをかけていた小夜二郎を伴って、出奔する。
小六と復市は、ふたりを取り逃がしてしまう。

二幕目「大和 吉野山中の場」。照明と廻り舞台、幾つものせりをコンピュータ操作
で活用して、人工的な仙境を表現する。仙女の九六媛(くろひめ・菊五郎)が楠姑摩
姫(こまひめ・菊之助)に仙術を伝授する場面。アメリカの音楽家、レディー・ガガ
風の銀地の奇抜な衣装で仙女のパフォーマンスをするのは、菊五郎のアイディアと
か。姑摩姫も、緋色一色の衣装で、ここは、ふたりとも洋風。ここは歌舞伎ではな
い。

ふたりの修行とは別に、途中、九六媛の術で、誘い出されて山中へ迷い込んで来た小
六も青い衣装の上に金地の衣装を重ねて着ている。

見せ場は「空中飛行の術」を伝授する場面。九六媛、姑摩姫のふたりが客席の左右天
井近くに同時に上る「両宙乗り」。初めて観る演出だ。本花道の上を会得した術を
使って姑摩姫は、サーカスのように2回も空中回転を繰り返しながら、天高く飛んで
行く。仮花道は、作られなかったけれど、本花道の七三に当たる部分まで張り出した
臨時の仮花道が作られ、大口真神(おおぐちのまがみ)の白狼に乗った九六媛も宙乗
りを披露する。

三幕目「伊勢 上多気宿(かみたげのしゅく)街道筋の場」。下手にヨシズの御休
処。松並木。上手に「いせミち」という石柱が立っている。野遠見の上手奥に城が見
える。上手揚げ幕より小六と復市が登場し、下手奥へ入る。花道より長総と小夜二
郎。茶屋で休む。若い男と中年の女のふたり連れに絡むならず者の男たち。困惑する
ふたりを突如現れて助ける奈良屋綿七(菊五郎)。木綿問屋だと名乗る。初旅だとい
うふたりに自分の定宿への同行を提案する。親切男に気を許し同道して、上手奥へ入
る3人。

大道具が廻ると、「伊勢 上多気宿旅籠屋の場」。旅籠の「金屋」に入った一行。宿
の亭主(團蔵)も挨拶に来て。酒盛りとなる。同宿の「撫子一座」が、金メダルを
取った女子サッカーチームのユニフォーム風の衣装(背に背番号、十、九、十八。胸
に日の丸を付けている)で、参加。盛り上がり、酔いも進み、若い小夜二郎に物足り
なさを覚え始めた長総は、小夜二郎が風呂場に行った間に親切な中年男の綿七に粉を
欠ける始末。

大道具が廻ると、「伊勢 上多気宿旅籠屋店先の場」。帳場には、宿帳が2冊ある。
一夜明けると、綿七は、すでに早立ち。長総と小夜二郎の有り金や荷物が盗まれてい
た。亭主は綿七の分の宿代も払えと請求する。金のないふたりに帳場で預かっていた
一巻を売却して支払いに充てろと強く迫るので、長総は小夜二郎の脇差で亭主を刺殺
してしまう。花道へ慌てて逃げるふたり。幕で場面展開。

幕が開くと、「伊勢 飼坂峠の場」。薮の中から出て来た長総と小夜二郎。逃亡者の
高ぶりか、夫婦になろうと長総は小夜二郎に持ちかける。契りを結ぶために峠の避難
小屋に入ろうと小夜二郎が長総の手を引いて行く。小屋に入った途端、小夜二郎は小
屋のなかにいた綿七こと、実は、木綿張荷二郎(ゆうばりにじろう)という盗賊に腹
を刺されて瀕死の重傷を負う。街道筋にいたならず者は荷二郎の配下で、いまも付き
従っている。ふたりは、一味にまんまと騙されたのだ。「色に耽ったばっかりに」と
「仮名手本忠臣蔵」の勘平の科白を使って、小夜二郎を諌めながら、荷二郎は小夜二
郎を殺して、長総を奪う気だ。年増女の色香に迷った代償のように嬲り殺しにされる
小夜二郎を見て、心変わりをした長総は進んで荷二郎にすり寄って行く。多情な女
だ。ふたりは上手奥へ入って行く。

配下たち小夜二郎にとどめを刺そうとすると、花道より小六と復市が現れ、小夜二郎
を助けようとするが、すでに、小夜二郎は虫の息。系図の一巻も所持していない。た
だし、小夜二郎が持っていた脇差は菊水の紋入りなので、楠家の所縁の人物と判る。
小六と復市は楠家の重臣のいる河内国へ向かう。幕で場面展開。

幕が開くと、四幕目「河内 千剣破村木綿張荷二郎内の場」。花道から菊五郎が戻っ
て来る。家に入り、座敷奥の暖簾から奥へ入る。時蔵は、上手障子の間から出て来
て、暖簾の奥へ入る。花道から楠家重臣隅屋小一郎(團蔵)に案内されて小六と復市
は小夜二郎殺害の犯人と思われる人物として木綿問屋の赤阪屋綿四郎宅を探し当て
た。

綿四郎(菊五郎)と長総は一緒に暮している。時蔵は、悪婆風の女房・おふさになっ
ている。おふさは、「系図の一巻」を持っていた。復市らの加勢を得て小六は一巻を
取り戻す。綿四郎が実は、盗賊の荷二郎(にじろう)と判るが、さらに、荷二郎は長
い間行方知らずだった復市の不実の父親・野上秀行と判る。黒衣に鬘の元結いを外さ
せて、ざんばら髪になった秀行は、長総を殺し、復市に自分を殺させ、髪を口にくわ
えて合掌をし、野上家再興を祈って息絶える。隅屋が介添え役を務める。定式通り、
悪人の戻り(改心)の場面。幕で場面展開。

幕が開くと、大詰「山城 北山金閣の場」。浅黄幕の前で、足利家家臣4人登場。中
国の明王朝の皇帝から、日本国王の称号を得たとして義満祝賀が金閣で催される。家
臣が引っ込むと、浅黄幕振り落しで、総金箔張りの高楼「金閣」の2階。桜が満開。
背景は、天空。屋上に忍び込んだ姑摩姫と花四天の立ち回り。2階なのに、舞台上手
下手に網代塀があるのは、おかしくはないか。金閣の1階大屋根から下は幕で隠され
ている。前面に桜。

大屋根の下を覆っていた幕が外されると、大せりで金閣が上がって行く。前面の桜
は、舞台の左右に引き込まれる。背景は、庭の遠見。やっと、舞台上下の網代塀が生
きて来る。金閣の1階では、祝宴で、義満が椅子に座っている。周りに家臣ら。姑摩
姫は「剣侠の術」を使って己の姿を消したまま、剣を投げつけ、三代将軍義満暗殺に
成功する。姑摩姫は煙と共に消える。義満は突然死を遂げたことになる。誰も気がつ
かない。重臣(亀寿ら)たちが気づいた時には、義満は、すでに息をしていない。

本舞台下手、金閣の庭の隅のせり穴から、せり上がりで姑摩姫が姿を見せる。

さらに義満から将軍職を受け継いだ四代将軍義持も暗殺しようと、姑摩姫は「空中飛
行の術」を使って室町御所に向かおうとするが、術が効かない。足利家の重臣たちに
傷を負わされてしまう。花道から新田小六が現れ、仙女の霊薬を姑摩姫に飲ませると
姫は全快する。

やがて、義持(時蔵)ら一行が駆けつけ、姑摩姫と小六を包囲するが、上手から現れ
た足利方の管領のひとり斯波義将(菊五郎)の計らいで、ふたりのテロリストは身柄
を斯波預かりにするという形で、大団円となる。「ふたりは足利家から見れば、反逆
だが、主君への忠孝である。義満の死因は不明だ」というのが、斯波の理屈。義持も
「父親の義満は、天皇に不忠であった」と納得してしまう。

花道七三に姑摩姫と小六、御殿に義持ともうひとりの管領の畠山満家(彦三郎)、奥
に家臣4人、上手に管領斯波義将で、引張りの見得で幕。

贅言;今回は、筋書におもしろいものが入っていた。「演出の都合により、配役・す
じがきが……変更」というお知らせ。筋書印刷段階までは、二幕目「大和 吉野山中
の場」で、「九六媛の仙童女田鶴」(右近)が、登場するという演出だったのだろう
が、その後、変更があって、「九六媛の仙童女田鶴」は、筋書のみでの登場で、今回
の舞台では登場しなくなった。ここでの出番の無くなった右近は、実際に芝居では、
大詰「山城 北山金閣の場」で、足利の重臣赤松満雅の役で、亀寿、萬太郎と一緒
に、3人(筋書では、ふたり)で姑摩姫に斬りつけている。休演の訂正は、ままある
が、こういう演出の変更による訂正は、珍しい。

松緑、菊之助以外では、菊五郎は、猿之助が病気休演中で、ケレン(外連)の芝居が
少なくなった穴を埋めるように、国立劇場での復活ものの通し狂言上演で、いろいろ
新しい試みに積極的に挑戦している。このパワーは、猿之助に負けていない。人間国
宝の歌舞伎役者は、現在、雀右衛門、藤十郎、芝翫、田之助、菊五郎、吉右衛門の6
人と、一頃に比べて少なくなってきただけに、菊五郎の頑張りが目立つ。時蔵が、悪
婆に古風な色っぽさで、独自の境地を歩んでいる。

新作歌舞伎としての「開幕驚奇復讐譚」のポイントは、主筋では、小六の一巻探しに
筋を通したこと、姑摩姫が将軍殺しを成功させたこと、姑摩姫と小六が最後に出会っ
たことなど。脇筋では、世話の軸になる木綿張荷二郎、多情な女、ある意味では、自
立した女としての長総・おふさ、それに、幼い時行方不明になった姑摩姫の弟として
の小夜二郎などと人物造形を膨らませたこと、その結果、四幕目「河内 千剣破村木
綿張荷二郎内の場」は、新作歌舞伎だけの創作場面になったという。ブラックボック
スが、出現したことになる。
- 2011年10月9日(日) 16:37:20
11年10月新橋演舞場 花形歌舞伎(夜/通し狂言「當世流小栗判官」)


来年、猿之助を襲名することになった亀治郎の「小栗判官」


通し狂言「猿之助四十八撰の内 當世流小栗判官(とうりゅうおぐりはんがん)」
は、14年前、1997(平成9)年7月の歌舞伎座で私は一度見ているが、これは
猿之助主演では、最後の舞台になっている。猿之助は1983(昭和58)年に初め
て復活上演をしてから、7回演じ続けたことになる。

元々「小栗判官伝説」は、語り物の源流である説経節から古浄瑠璃などを経て伝えら
れて来た古い物語だが、元禄時代に近松門左衛門が「當流小栗判官」の原作を書いて
いる。しかし、明治期以降、歌舞伎や人形浄瑠璃では、上演されなくなった。197
4(昭和49)年、大阪朝日座で、80年ぶりに復活上演され、さらに1983(昭
和58)年、猿之助主演「當『世』流小栗判官」の舞台に繋がる。

猿之助の病気休演以降では、5年前、2006年の3月、国立劇場で、右近が師匠の
芸の伝承ということで上演したことがある。今回は猿之助の甥の亀治郎が初めて上演
したが、亀治郎(二代目)は、来年6月に伯父の猿之助という名を四代目として襲名
することになった(当代・三代目猿之助は、二代目猿翁を襲名するが、舞台に出るこ
とはないであろう)ので、今後は本格的に「猿之助四十八撰」の演目を、澤潟屋の家
の芸として積極的に上演することになるだろうと、思う。

贅言;亀治郎の猿之助襲名には、猿之助の長男で、梨園の役者からは、いわば「追
放」されていた俳優・香川照之の戦略が垣間見られる。香川は亀治郎の四代目猿之助
襲名にあわせて、40歳代半ばで初めて梨園入りする。猿之助家中興の祖、二代目猿
之助・初代猿翁(三代目猿之助の祖父)の弟・八代目市川中車の名前を引き継ぎ、香
川は九代目中車を襲名し、俳優として定評のある有能な力量をベースに「遅れて来た
歌舞伎役者」に挑戦する。当面は、香川照之と市川中車の二枚看板を掲げる。私の予
感では、時代物は、いきなりでは無理だろうが、世話物などでは、十分に力を発揮し
そうな気がする。当代猿之助が、脳梗塞で倒れた翌年に生まれ、ことし7歳になる香
川の息子・政明には、140年続く猿之助家の由緒ある幼名「團子(だんこ)」の五
代目を襲名させ、梨園の御曹司として、「普通」のスタートを切らせる。團子は二代
目猿之助、その長男の三代目段四郎、三代目猿之助、その弟の四代目段四郎(亀治郎
の父)が四代引き継いで来た名前だから、政明は、猿之助家の「乗らねばならぬ船
(香川照之の発言)」に父親・香川の執念で乗ったことになる。これが香川にとって
も、三代目にとっても利害が一致し、恩讐を越えた復縁のための共通のキーワードと
なったと思われる。五代目團子は初舞台の口上で、先輩役者がよく使う、常套句の
「海のものとも山のものともつかない」が、来月で36歳になる甥の亀治郎が四代目
猿之助を名乗り続け、精進をし、例えば、20年後、30年後に「本家の跡取り」で
ある團子が成長して、五代目猿之助を襲名するような環境が整うのかどうか。そうい
う期待が、当代猿之助にもあるのだろう。こればかりは今の段階では全く判らない
が、亀治郎は歌舞伎界全体のてこ入れのためという大局観を持ち、それでも良いと
思っているのだろう。

さて、前回14年前に拝見した猿之助上演の劇評はここでは記録していないし、5年
前の右近の舞台は観ていなかったので、このサイトでは、「當世流小栗判官」の劇評
は初めて掲載することになる。今回は、コンパクトながら、筋も含めてきちんと記録
しておきたい。

復活狂言は復活するまで長い間上演されなかった狂言という意味だから、なにか、そ
れ以前の時代に受入れられず、上演されない理由があった。歌舞伎は、再演されるこ
とで、役者を始め芝居の関係者の目や手で改良を加えられ、洗練されて行くという性
質がある。再演されないということは、時代のニーズに合わず、それゆえにそういう
洗練というブラシュアップが施されないということであるから、いわば悪循環で
増々、再演され難くなる。再演が相次ぐ作品は逆に増々、洗練される。共通している
ことは筋立てが複雑で判り難いということだ。

そこで、ここでは筋立てを大局的に見て、判り易いように整理しておきたい。まず、
この狂言は時代物と世話物の混交だが、時代物がベースになっていることを承知する
と判り易い。時代は足利将軍の世。時代ものに挿入される「時代世話」の部分は、物
語の「ふくらまし」と思えば良い。バリエーション。芝居という見せ物の話をおもし
ろくするための、つまり、枝筋の話だ。

「小栗判官」では、基本は兄の横山郡司(常陸国領主)家の乗っ取りを企む弟・横山
大膳(相模国領主)の仕掛けるお家騒動の物語である。横山大膳と息子たちは、横山
郡司の暗殺と息女・照手姫(許婚が小栗判官)の連れ去り、管領家から預かりの重宝
の盗み出しを企み、そして実行する。大膳館に幽閉される照手姫。管領家の上使とし
て、大膳館に乗り込んでくるのが小栗判官。彼は、公私ともに許婚の照手姫の行方を
詮議している。照手姫をサポートするのが局の藤波と奴の三千助。照手姫を救出し、
行方をくらます。判官は照手姫との再会を念じて、後を追う。あわせて重宝も探そう
とする。追いつ追われつの展開で、いつしか判官とともに漂泊する照手姫が、実は、
キーパーソンだから、彼女の追跡をしておくことが大事だ。

大膳館から逃れた照手姫は琵琶湖に飛び込んで逃げ、琵琶湖の畔の堅田浦の漁師浪七
(漁師の浪七は、元武士で判官に仕えていた)とお藤夫婦に助けられ、浪七宅に匿わ
れているが、お藤の兄の胴八が隠れていた照手姫を見つけ、金になると睨んで、葛籠
に押し込めて担いで連れ去る。更に葛籠を舟に載せて、琵琶湖へ漕ぎ出す。

必死の浪七は己の腹に刀を突き刺し、龍神に祈念をして逆風を巻き起こし、舟を戻さ
せて、照手姫を助け出す。胴八を斬り殺し姫の舟を琵琶湖の瀬田に向かわせる。

人買いの手で遊女に売られる所だった照手姫は、美濃の国・万福長者の後家(照手姫
の父親・郡司家に奉公したことがある)に助けられ、この家の下女として働いてい
る。そこへ万福長者の娘を助け、長者宅に管領家預かりの重宝があるという噂を聞き
つけ、娘の婿にと請われたのを好機として判官がやって来る。照手姫との再会。後家
は判官や照手姫の事情を理解し、ふたりを援助するが、弾みで長者の娘を死なせてし
まう。怨念を抱いて横死した娘の祟りで、判官は足腰の立たない体になってしまう。

道行。判官を車に乗せて照手姫が熊野山中に湯の峯にいる遊行上人を訪ねて来る。上
人の法力で判官の病が癒える。判官は常陸国を乗っ取っていた横山大膳を討伐するよ
うに将軍家から命じられる。しかし、熊野から常陸国は余りにも遠い。熊野権現の加
護で、絵馬堂の神馬を描いた白い絵馬が抜け出して、シルエットの黒い絵に替わる
と、白馬は判官と照手姫を乗せて、天空高く飛び上がり、常陸国へ向かう。

常陸国の山中、華厳の大滝に築いた要塞にいる横山大膳親子。小栗判官は局藤浪を
伴った照手姫ほかとともに到着し、親子に降伏を求めるが、拒絶されて争いとなる。
大膳親子が討取られお家騒動は終結となる。

この主筋に時代世話の場面が随所に付加され、荒唐無稽ながら物語は膨らみ、見せ物
としての芝居が肉付けされて行く。そこで、舞台で展開された各場面の流れを主な配
役を見ながら追っておこう。

序幕第一場「鶴ケ岡八幡宮社前の場」。照手姫(笑也)の一行(局藤浪=竹三郎、奴
三千助=猿四郎)が、叔父の横山大膳(段四郎)の還暦を祝いに来る。大膳の息子た
ち、次郎(猿弥)、三郎(薪車)が出迎える。大膳親子の悪だくみを知って姿を見せ
た照手姫の父親・郡司(寿猿)は花道から現れた大膳を含めて親子らに殺されてしま
う。

序幕第二場「横山大膳館の場」。金地に花丸の襖。簡略な松の絵が押された銀地の衝
立。後に、破られる運命。後ろ手に縛られて幽閉されている照手姫。花道から素襖に
長袴姿の上使として現れた判官(亀治郎)には、荒馬の鬼鹿毛を解き放す。徹底抗戦
の大膳派という所か。下手の襖を破り室内に暴れ込んで来た馬の手綱を掴んだり、首
を押さえたり、顔を叩いたりして調教をし、乗りこなす判官。見どころは、乗馬した
まま碁盤の上に馬の後ろ脚だけで立ち上がってみせる「碁盤乗り」の場面。ふたりの
馬の足役は力技で大変だろうが、最後は、黒衣ふたりがサポートして、馬の上半身を
目立たないワイヤーで釣り上げさせて見事に立ち上がらせた。
この場面は観客からの拍手喝采だった。大膳が投げた小柄が証拠となり、兄の横山郡
司殺しが大膳親子の仕業と判明する。

二幕目第一場「近江国堅田浦漁師浪七住家の場」。幕間に、花道には、浪布が敷き込
まれ、さらにその上に地絣が敷き込まれる。幕が開くと、浪七住家の二重舞台は、
「高足」という2尺8寸(およそ84センチ)という高い床となっている。これも後
の伏線。

浪七(亀治郎)は、元は判官家臣の美戸小次郎。お藤(春猿)宅に婿入りしている。
同居しているお藤の兄・胴八(右近)は身持ちが悪い。馬士の四郎蔵(猿弥)は照手
姫を捜し出して金儲けをしようと判官の元家臣が義弟に当たる胴八に持ちかける。手
付け金を受け取る胴八。漁から戻って来た浪七は胴八の話に乗った振りをし金を見る
と将軍足利家の金蔵から盗み出された金の刻印が打ってあった。浪七は家族に内緒で
床下に照手姫を匿っていた。照手姫を判官の元に連れ帰り、帰参の機会にしようとし
ている。橋蔵(獅童)が登場し、チャリ場(笑劇)となる。金儲けのために偽代官に
なり、浪七らを騙す役。獅童:「村芝居で、『一心太助』で出たことがある」と観客
を笑わせる。しかし、ちょっと足りない役の所為で偽代官に扮するが、巧く行かず失
敗。「見下げ果てたお人じゃなあ」と浪七に言われ、花道七三での捨て科白(アドリ
ブ)で、(昼の部の一心太助・将軍家光役と比べて、あるいは、主役の亀治郎に比べ
て)「余りにも役が悪い」「負けておりません。やらせていただきます」と音楽を
バックに場内を笑わせる獅童。照手姫を葛籠に押し込んで担ぎ上げ、さらにそれを止
めようとする妹のお藤を刺して逃げる愚兄の胴八。聟の浪七は義兄胴八の後を追う。

贅言;澤潟屋一門が軸となる演目だから、大向うからの掛け声は、屋号の「澤潟屋」
よりも、「笑也」「右近」「笑三郎」「猿弥」などの個人名が多い。亀治郎には、
「亀治郎」ではなく、「澤潟屋」と掛かっていた。来年6月からは、当代の猿之助に
代わって、四代目猿之助として、澤潟屋一門を引っ張って行かなければならない。先
月のマスコミ発表に始まって、来年6月の襲名披露興行の成功まで、亀治郎の多忙は
続くだろうが、飄々とこなしそうな気がする。「亀ちゃん」という愛称が無くなるの
は淋しい。

幕外。湖上の風景と松林が描かれている道具幕が定式幕とは逆に下手より上手へ向け
て徐々に「閉まって」来る。一種の振り被せ効果。ただし、振り被せのような一瞬の
場面展開ではない。幕外の場面は、猿三郎ら4人の漁師。「遺恨も右近もあるかい。
あの右近の言うことにゃ、胴八目の言うことにゃ」などと笑わせる。

二幕目第二場「堅田浦浜辺の場」。道具幕が上手から下手に定式幕とは逆に「開
く」。本舞台は湖上の道具幕。花道は地絣が除けられて浪布に。胴八らを乗せて上手
から現れ、本舞台を通り、花道へ向かう舟。湖上遥かに漕ぎ出した胴八の舟には、照
手姫を押し込めた葛籠が載っている。葛籠から姫の派手な赤い衣装の袖がこぼれ出て
いる。一旦、向う揚げ幕のなかに入る舟。

湖上の道具幕が振り落とされると、本舞台中央に湖上の大岩組。岩組の上で、亀治郎
と漁師たちの立ち回り。本舞台の床には地絣が残っていて、湖畔の浜の体。やがて、
花道から大岩組の方へ浪布が現れて来る。「戻し給え」。命と引き換えに龍神に加護
を求め、逆風で舟を戻そうと浪七は大岩組の上で切腹して腸をつかみ出すというグロ
テスクな場面。大量の血糊が、大岩組の斜面を流れ落ちる。神の加護があり、逆進で
戻ってくる舟。岩組の上で右近と派手な立ち回りをしながら、渾身の力を込めて言う
亀治郎の科白廻しは、目を瞑って聞いていると、当代の猿之助がしゃべっているよう
に聞こえる。

昼の部の愛之助の「義賢最期」の科白廻しがこの演目の師匠の仁左衛門そっくりな
ら、夜の部の亀治郎の「小栗判官」のこの場面は猿之助の科白廻しにそっくり。あ
あ、花形歌舞伎での芸の伝承とは、こういう形で行われるのだと思いながら聞いてい
た。

大岩組は、2段階に亘って廻り、湖上の孤島のようになる。そして、照手姫を送り出
し、舟は再び、向う揚げ幕のなかに入る。胴八を倒したものの、自らも大岩組から逆
様に落ちかかり、やがて息絶える浪七(亀治郎)。

三幕目第一場「美濃国青墓宿宝光院門前の場」。早くも、娘役のお駒に早替わりした
亀治郎。万福長者「萬屋」の後家(笑三郎)と娘のお駒(亀治郎)の一行が花道から
出て来る。早替わりの効果を観客に見せようと後ろを向き、顔を客席の2階、3階を
振り仰ぐ亀治郎。ここは、お駒(亀治郎)が判官(亀治郎)と遭遇する場面。亀治郎
の早替わりが見どころ。

門前の舞台は、下手に御休処。中央に色づいた銀杏の大木。「開帳」とのみ書かれた
立て札。上手の宝光院門内へ消えるお駒。花道から現れる着流し姿の判官(亀治
郎)。判官は一旦、宝光院門内へ入る。門内から出て来たお駒が、浪人者たちにから
まれる。門内に逃げるお駒。再び出て来る亀治郎の判官。判官は、ここで編み笠を付
ける。お駒にからんだ浪人者たちを懲らしめる。立ち回りの途中で、御休処のなかへ
入る亀治郎。編み笠の判官が、また、出て来るが、これは吹き替え。亀治郎は、御休
処の裏で、お駒に早替わりしていることだろう。門内から出て来るお駒の亀治郎は、
花道を立ち去る亀治郎吹き替えの判官の後ろ姿をうっとり眺めながら、判官への恋に
落ちる。花道の後追い。これは、後のための伏線。

三幕目第二場「美濃国青墓宿万福長者内風呂の場」。難を逃れ助けられたものの名前
を「小萩」に変えて、下女として水汲みと風呂焚きに働き、女中頭の虐めにあう照手
姫。今夜がお駒と小栗判官の祝言と聞き嫉妬する姫。再会しても、判官に恨みごとを
述べる照手姫。

三幕目第三場「美濃国青墓宿万福長者内奥座敷の場」。判官は祝言より、実は萬屋に
保管されているという管領家預かりの重宝が目当て。後家に正直に真意を語ると、後
家も自らの素性を明らかにし、主家の息女・照手姫と判官のために助力したいと告げ
る。娘のお駒に判官をあきらめるように諭すが、恋に狂ったお駒は,聞かない。恋敵
とばかりに照手姫に刃を突きつける始末。止めようと中に入った弾みに後家はお駒を
斬ってしまい、最後は娘の首も落とす。ここも、亀治郎の判官とお駒の早替わりが見
どころ。お駒の死霊は、判官の足腰を萎えさせてしまう。若い女性の怨念は怖いとい
うのが、作り手の思想か。

三幕目第四場「熊野国湯の峯の場」。雪景色。せりで上がって来る照手姫と判官。判
官は、照手姫の引く車に乗せられている。顔には痣がある。まず、ふたりの道行。竹
本連中。黒衣に替わり、雪衣がふたりをサポートする。

熊野山中で修行する遊行上人(愛之助)一行が花道から現れる。遊行上人に出会い、
熊野権現霊湯の効果で障害も恢復。霊験新たか。ゴザの消し幕の裏で、判官は湯浴み
の修行。猿四郎の奴・三千助が花道で注進。それを受けた後、花道七三で判官と照手
姫が白馬にまたがり、ワイヤーを付けて宙乗りの場面へ。笑也は馬の後部に横座りだ
から不安定ではないのか。どこか見えない所で止めているのだろう。亀治郎は馬を操
りながら、途中でわざと揺らして見せて、観客をひやりとさせる。

三幕目第五場「常陸国華厳の大滝の場」。本舞台は道具幕の振り被せと振り落しで、
場面展開。雪の大滝の場面へ。兄の郡司家の乗っ取りの後、反足利将軍色を打ち出し
て来た横山大膳親子が、大せりに載って上がって来る。いまや、立派な国崩しの大膳
親子と判官、照手姫らとの対決で、芝居は一気に大団円。

この場面での新たな出演は、足利将軍家の上使・上杉安房守(獅童)、横山郡司の長
男・太郎(右近)、今出川頼房(笑三郎)、近藤釆女之助(春猿)。皆が勢ぞろいし
たところで、天井の葡萄棚に設えた雪籠から四角い紙の雪片が降って来る。途中で
どっと大量に白い塊が落ちて来て、一瞬、舞台が見えなくなる。観客席にも吹き出し
て来る。

悪い連想だが、福島原発の水素爆発時の見えない放射能が見えたような気がした。歌
舞伎の力は観客の想像力を異常にかき立てるのか。

「吹雪」が収まり、雪の見通しが良くなった頃、出演者が舞台前面に座り直し、「こ
んにちは、これぎり」で、幕。

贅言;終演後、本舞台傍まで行ってみたら、舞台はもちろんだが、客席にも大量に雪
片が落ちていたし、ロビーの廊下から正面入り口の辺りまで、雪片は続いていた。
- 2011年10月8日(土) 17:36:06
11年10月新橋演舞場 花形歌舞伎(昼/「義賢最期」「京人形」「江戸ッ子繁盛
記」)


仁左衛門の芸を引き継ぐ愛之助


原作・並木宗輔ほかの「義賢最期」「義賢最期」は、今回で3回目の拝見。2000
年6月、03年8月、いずれも歌舞伎座で、それぞれ、仁左衛門、橋之助の主演で
あった。今回は、愛之助で、私は、初見。愛之助自身は3回目の主演という。松竹が
まとめた戦後の主な劇場での「義賢最期」上演記録では、今回を含めて19回で、こ
のうち、孝夫時代を含めて仁左衛門主演は、9回と圧倒的に多い。次いで、今回含め
て愛之助が確かに3回、猿之助、市川右近、橋之助が、それぞれ2回、海老蔵が1回
ということだ。東京の舞台では、初演という松嶋屋一門の愛之助の演技の特徴は、な
んといっても、仁左衛門そっくりということだろう。

確かに、仁左衛門の「義賢最期」は、特徴がある。仁左衛門は、独特の様式的で、特
殊な演出に執念を燃やしているように見受けられる。特に、最後の力を振り絞り、瀕
死の人形のような形で立ち上がるときには、仁左衛門は一際大きく見えたものだ。今
回の観劇では、愛之助がこの場面をどう演じるかが、一つのポイントだろう。

「源平布引滝」は、なかなか通しでは上演されない。良く上演されるのは、三段目切
にあたる「実盛物語」。「義賢最期」は、二段目の切にあたる。上演記録では、19
65年、孝夫は、大阪中座の舞台で、この狂言を復活させて以来、この役に取り組ん
できた。私が観た舞台は、11年前、2000年6月歌舞伎座で、本興行では8回目
の主演であり、さらに仁左衛門襲名後初めてであり、まさに一世一代、円熟の義賢で
あった。以後、仁左衛門は、03年1月大阪松竹座で演じただけである。愛之助は、
それから3年後、06年1月に同じ大阪松竹座で、初主演を果たした。その際、仁左
衛門は、「手取り足取り教え」たという。仁左衛門の当たり役は、愛之助に引き継が
れた。大阪松竹座、四国こんぴら歌舞伎金丸座と演じ続けて、愛之助は、東京の新橋
演舞場に乗り込んで来た。

幕が開くと、世は平家全盛。琵琶湖近くの館に住む木曽義賢の後妻葵御前(春猿)と
先妻の娘待宵姫(新悟)が、義賢の身を案じている。金地に松の巨木の襖。いつもの
御殿に、二重舞台上手寄りの縁に松の盆栽。近くの平舞台に石の手水鉢。

近江の国の百姓九郎助(錦吾)と娘の小万(笑三郎)が、息子の太郎吉を連れて花道
からやって来る。7年前に家族を残して家を出たまま行方が判らなかった夫の居所が
知れたのだ。夫は、いまは折平と名を変えているという。折平不在なので、待宵姫が
会うことにする。待宵姫は、折平と恋仲なので、折平の妻と子が現れてびっくりす
る。

やがて、大道具方が、木戸を持って来ていつものところに据えると、外出先から折平
(獅童)が戻って来る。折平は、実は、多田蔵人行綱という源氏の一族なのだ。とい
うことは、小万は多田蔵人行綱の奥方ということになる。

行綱は、複雑な人だから、ちょっと、ここで整理をしておこう。行綱=摂津源氏の棟
梁→俊寛らが罰せられた「鹿ヶ谷の陰謀」を平清盛に密告し、平家方へ→平家打倒の
木曾義仲に呼応する→義仲に離反し、頼朝につく→後に平家滅亡後、頼朝から追放さ
れる。芝居では、折平という奴になり、木曽義賢に仕えている、というのが、現在の
行綱なのだ。

義賢(愛之助)は、松王丸風の五十日鬘に紫の鉢巻きを左に垂らし、という病身の体
で館に引きこもっている。折平が戻ったと聞いて、奥から登場する。右手に持った刀
を杖のように使っている。

義賢は、頼朝や義経の父親・義朝の腹違いの弟。つまり、頼朝や義経の叔父に当た
る。皇太子守護の「帯刀」(護衛官)だったので、「帯刀先生(たちはきせんじょ
う)」、「木曽先生(きそのせんじょう)」と呼ばれた。木曾義仲の父親。

二重舞台の上手に羽のような形をした手の付いた木製の植木鉢に小松が植え込んであ
る。さらに、その手前の平舞台にある手水鉢の、左上の角に斜めに線が入っている。
折平が登場する場面で、義賢が折平の正体を多田蔵人行綱と見破った上で、先ほどの
植木鉢の手を利用して小松を引き抜き、庭の手水鉢に松の根っこを打ち付けると、手
水鉢の角が欠け落ちる。これが「水の陰、木の陽」ということで、源氏への思いの証
となり、折平が義賢に心を開くきっかけとなるという仕組みだ。ふたりはともに、源
氏再興を誓い合う。

平家に降伏した義賢だが、本心は源氏再興への熱い思いがあり、平清盛から奪い返し
た源氏の白旗(笹竜胆の紋が黒く染め抜かれている)を隠し持っている。これが折平
の妻・小万に託されことになる。旗を巡るせめぎ合いが長い物語の一つの筋で、それ
ゆえに、外題の「布引」は、「布」=旗、「引」き合う=奪い合うで、実際の地名の
布引滝に引っかけているのだろう。

ここへ、清盛の上使ふたり高橋判官(延郎)と長田太郎(當十郎)が、白旗の詮議に
来る。清盛への忠誠心の現れとして義賢の兄・義朝の髑髏を足蹴にしろと迫る。とこ
ろが、本心を隠し仰せなくなった義賢は髑髏を足蹴にできない。逆に、上使のひとり
で、義朝を討った長田太郎の頭を髑髏で叩いて、殺してしまう。高橋判官を取り逃が
したので、やがて平家の討手がやって来ると覚悟する。折平に待宵姫を預け、身重の
葵御前を折平の妻小万の父親九郎助に託す。さらに大事の白旗は小万に託す。自分は
討ち死にを覚悟する。

この討ち死にの場面が最大の見せ場になる。平家の軍勢が進野次郎(薪車)に率いら
れて花道から攻めて来る。義賢は襖の奥から水色の素襖大紋の礼服姿で現れる。義賢
は、鎧兜を付けるのは、卑怯だという価値観の持ち主。だから、最後の戦いでも、鎧
兜を身に着けずに、素襖大紋のままで、大立ち回りとなる。平家方の関心を己に引き
付けて、関係者を無事に落ち延びさせ、源氏の再挙に結び付けたいがためである。

迫り来る平家の軍勢の描き方がおもしろい。小万の父親・九郎助は、孫を背中合わせ
になるように背負い、二人も軍勢とやり合う。子役も後ろ前で逆に背負われたまま、
節目では見得をするからおもしろい。そういうくすぐりがあってから、いよいよクラ
イマックスに入る。

この芝居は、立ち回りのダイナミズムが、芝居の暗さを救う演目である。その立ち回
りに、2ケ所、義賢の見せ場がある。その見せ場は、歌舞伎名作全集の台帳(台本)
には、殆ど書かれていない。つまり、役者の工夫で生まれて来た演出なのだろう。

屋体奥の襖(戸板)がすべて倒れ、義賢が平家の軍勢とともに躍り出てくる。奥は、
いわゆる千畳敷だ。御殿の階段に襖を裏返して敷き、その傾斜を利用して軍勢の独り
が転げ落ちる。襖に囲まれる義賢。

やがて、襖に義賢を乗せたまま、襖が底のない四角い箱のように組み立てられ、
その上に立つ義賢。軍勢が手を離すと、箱は菱形に変形をしながら、やがて、横に崩
れる。「戸板返し」という。そういう一連の動きの間、義賢は、襖に乗ったまま一緒
に崩れ落ちてくるのだから、非常に危険な演技だ。箱が組み立てられた一瞬、高さは
2メートル以上はあろうか。その上に、愛之助が立つ。このとき、仁左衛門は、かな
り大きく見えた。芸の大きさと実際の柄の大きさの相乗効果を仁左衛門はたっぷりと
見せてくれた。愛之助は、まだ、そこまで大きく化けはしない。

合戦らしく矢が無数に飛び、柱などに刺さる矢もある。適宜、黒衣が、矢を片付け
て、次の展開への準備。

義賢も瀕死の重傷だ。白旗も奪われたり、奪い返したり。後ろから抱え込まれた義賢
は、己と後ろの進野次郎ごと刀で刺し貫くという凄さだ。二重舞台に倒れ込んだ後、
最後の力を振り絞って、手足をだらりと下げて、瀕死の人形の体で、立ち上がる義
賢。幽玄で、能の後ジテを連想させる。

一世一代。ここの仁左衛門も、また、大きく見えた。さらに、素襖の大紋の裾を大き
く左右に拡げたまま仁王立ちになり、高二重の屋体から平舞台めがけて、階段(「三
段」)に倒れ込む。仏像が、立ったまま倒れるように見えることから、「仏倒し」。
これもかなり迫力がある。その上で、階段の傾斜を利用して滑り落ちて、息が絶え
る。義賢の瀕死ぶりを、観客に視覚的に理解させるためには、平らな舞台より、斜面
の舞台、つまり、「三段」が、最上の舞台と気が付いているのだろう。体調の不安
定、精神の不安定、義賢の、そういう心身共に瀕死状態を三段が、見事に象徴してい
る。

「殺され方の美学」という舞台だが、危険な演技を含めて、すっかり得意芸にしてい
る仁左衛門の演技は、最後まで安定していて、見応えがあった。愛之助は、まだ、観
ていて不安感が生じる。愛之助が、仁左衛門の芸をマスターし、何時の日か、自分流
に染め上げて、大きな愛之助を見せてくれるのを愉しみにしておきたい。


「銘作左小刀 京人形」は、3回目の拝見。02年5月、05年8月の歌舞伎座。そ
れぞれ菊五郎、橋之助の主演であった。今回は、左甚五郎を市川右近が演じる。京人
形の精は、笑也。

幕が開くと、左甚五郎宅。二重舞台中央に大きな木箱。京人形と書いてある。木箱の
隣には、茶色地に白抜きで、柳の木が染め抜かれた暖簾がかかっている。座敷下手の
奥の棚に、12体の木彫りの人形。なかには、半分しかで掘られていないものもあ
る。棚の下には、彫り物の道具箱とちょうな、木槌などの道具がある。すべて、彫物
師宅の体。本舞台下手には、霞み幕。

花道から、左甚五郎(右近)が、帰って来る。迎える女房のおとく(笑三郎)。
右近の科白をきっかけに、霞幕がはずされ、常磐津が始まる。

京人形(笑也)は、華麗であり、さらに女の命という手鏡を胸に入れると、恰も電池
を入れたロボットのように、活発に動き出す趣向が見せ場。木彫りの人形は、左甚五
郎が見初めた京の郭の遊女・小車太夫に似せて作った。しかし、男の名人が魂を入れ
て作った、左甚五郎入魂の人形だけに、命を吹き込まれると同時に、男の気持ちも人
形の中に封じこまれてしまった。それが、小車太夫の手鏡を胸に入れると女っぽくな
る。人形の動きは、男女の所作を乗り入れている形だ。笑也の人形ぶりは、そういう
男と女の、いわば、「ふたなり」のような奇妙なエロチシズムが滲み出てくる。そう
いう寓話的で不思議な所作事だ。

下手、霞幕で隠されていた常磐津連中の「よそごと浄瑠璃」に続いて、屋体の上手、
障子の陰から、やがて、長唄連中。京人形と左甚五郎の対称的な所作事は、「二人道
成寺」を思わせる。大工たちとの立ち回りは、所作立てで、大工仕事のさまざまな仕
方を踊りで表す。

京人形とのやりとりは、人形を箱に納めてしまえば、終り。匿っていた井筒姫の話
に、突然展開する。井筒姫(春猿)を逃がす甚五郎なのに、仇と勘違いした井筒姫の
下男・奴照平(猿弥)が、甚五郎の右腕を斬り付ける。誤解は溶けて、井筒姫を照平
に託すが、これ以後、甚五郎は、左手だけで彫り物を作るようになり、やがて、左甚
五郎と呼ばれるようになるという、甚五郎由来話。ただし、「左」という姓は、木工
の内匠(たくみ)の多い「飛騨」出身という地名が、訛ったものという説もある。

このほか、甚五郎女房・おとくに、笑三郎。井筒姫を捜して連れ去ろうとする栗山大
蔵に猿四郎など。


歌舞伎というより、時代ものの喜劇


「江戸ッ子繁盛記」は、初見。福田善之原作の新作歌舞伎。1967(昭和42)
年、歌舞伎座で初演された。映画俳優の方が知名度が高い、中村錦之助、後に萬屋錦
之介が、1967年から1989年まで、歌舞伎座、大阪新歌舞伎座、名古屋御園座
などで7回、一心太助と将軍家光のふた役を演じた。今回は、萬屋錦之介の甥に当た
る獅童が初役で演じる。

第一幕第一場「江戸日本橋」、第二場「魚河岸」、第三場「江戸城中書院」、第四場
「大久保彦左衛門屋敷居室・裏木戸」という場割でも判るように、江戸の庶民の生活
や風俗と江戸城や武家屋敷で繰り広げられる将軍暗殺というお家騒動が、交互に演じ
られる。暗殺阻止の対策として、太助と家光の顔がそっくりだという想定で、大久保
彦左衛門(猿弥)のアイディアを活かしてふたりが入れ替わる。太助は、窮屈な将軍
生活にイライラ、家光は庶民の生活に困惑。そういうふたりを取り巻く状況の齟齬
が、喜劇として描かれるという趣向だ。そのための早替わりも、見どころだ。

暗転のなかで開幕。夜明け前の「日本橋」。橋の袂に「開帳 水天宮」と書かれた立
て札。挿絵風の背景。天井から長屋風の背景画が降りて来て、上手と下手から河岸の
魚屋たちが、魚を載せたせり台を押して出て来ると「魚河岸」に場面展開。

「江戸城中書院」は、金地に松の襖絵。欄間も、松。廊下の外に広がる庭にも、松。
徳川は、元々松平家。家光の政治に不満を持つ鳥居甲斐守(愛之助)らが、密かに家
光の弟忠長を将軍に就けようと画策している。家光の一大事に駆けつけた大久保彦左
衛門に扮する猿弥が良い存在感を出している。老け役に良い味を出している。将軍毒
殺を心配し、持って来た寿司を将軍に食べさせながら将軍に似た太助を思い浮かべ
る。

神田駿河台にある大久保彦左衛門屋敷。居室に呼ばれた太助に彦左衛門は、計画を話
す。裏木戸は、幕外。太助と家光の入れ替え作戦スタート。

贅言;屋根を付けない大道具は、立松和平原作、三津五郎主演の「道元の月」も、そ
うだったが、かえって立体感が出て見易い。

第二幕第一場「神田三河町源兵衛長屋太助の家」、第二場「城中将軍寝所」、第三場
「神社境内」、第四場「魚河岸」。魚屋太助と入れ替わって長屋に住み込んだ家光。
様子がおかしい。「殿様病」だとごまかす。家光に化けて江戸城大奥に入った太助。
御台所(高麗蔵)に迫られ、慣れない大奥の生活に困惑する太助。御台所付きの侍女
の豊乃(吉弥)は、鳥居甲斐守側のスパイ。将軍暗殺に魚河岸乗っ取りを画策する業
者の話もからみ、太助と家光の早替わりの場面もある。やがて、替え玉作戦は、敵
方・鳥居甲斐守に見抜かれてしまう。

第三幕第一場「城中御座の場」、第二場「源兵衛長屋の場」、第三場「千住あたりの
道の場」。太助が家光だと確信した鳥居甲斐守は、家光を魚屋太助として殺すように
配下に命じる。それに対抗する大久保彦左衛門一派。なぜか、場面に、急に「の場」
が付き出したら、立ち回りの場面が増え、芝居は大団円へ向かう。

歌舞伎というより、時代物の喜劇という芝居であった。獅童は、コミカルに太助と家
光を演じ分けていた。このほかの出演では、亀治郎が太助の女房お仲、門之助が家光
の太助を警護する柳生十兵衛、右近が大久保彦左衛門用人喜内、我當が老中松平伊豆
守など。
- 2011年10月6日(木) 7:05:29
11年09月国立劇場(人形浄瑠璃) (第二部/「ひらかな盛衰記」「紅葉狩」)


「三段目」全体が丁寧に演じられる「ひらかな盛衰記」


「ひらかな盛衰記(せいすいき)」は、源平合戦の木曽義仲討ち死に描いた時代物の
人形浄瑠璃。文耕堂ほかの合作。1739(元文4)年、人形浄瑠璃の大坂竹本座で
初演。「ひらかな」とは、「源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)」を庶民が、「ひ
らかな」を読むように、分かりやすく作り替えたという意味が込められている。江戸
庶民に馴染みのある通俗日本史解説という趣向だ。平家と木曽義仲残党、それに源氏
の三つ巴の対立抗争の時代。全五段の時代浄瑠璃の三段目が、通称「逆櫓(さか
ろ)」で、良く上演される。歌舞伎では、5回拝見。人形浄瑠璃では、今回含めて、
2回目。但し、今回は、「逆櫓の段」の前に、普段余り上演されない「大津宿屋の
段」「笹引の段」が、上演され、「三段目」全体が、丁寧に演じられるのが、ポイン
トだ。

「三段目」全体は、旅先で源平の争いに巻き込まれ、孫の槌松(つちまつ)と義仲の
一子・駒若丸を取り違えて連れてきてしまった松右衛門、実は、樋口次郎と義父・権
四郎に加えて、槌松として育てられている駒若丸のことを聞き付け、駒若丸を引き取
りに来た腰元・お筆の3人が、キーパーソン。「逆櫓」だけの上演では、お筆の供述
(「物語」=思い出や過去の出来事を述懷する)で、初めて槌松が、駒若丸の身替わ
りに殺されたことが、判明することになるが、今回のような演出だと時系列的に情報
が発せられるので、槌松が身替わりで殺されるのは、お筆の供述を待たずに、観客に
伝えられる。それゆえ、歌舞伎では、今回のように三段目全体を上演することは無い
のだろう。「源平布引滝」が、人形浄瑠璃で上演される時、「実盛物語の段」の前
に、「竹生島遊覧の段」を上演することがあるが、「物語」で供述される内容の場面
を見せてしまうのと同じだ。

贅言;この「物語」という演出形式は、歌舞伎の場合、先行の能狂言の演出から取り
入れられ、特に元禄歌舞伎以降、洗練されたという。

「大津宿屋の段」では、舞台は、左右対称。真ん中に暖簾を下げた宿屋「清水屋」の
出入り口。左右に部屋がある。上手の部屋に泊まるのは、山吹御前・若君の駒若丸に
同行したお筆、お筆の父親・鎌田隼人ら義仲残党一行。下手の部屋に入るのは、三井
寺参詣の旅の帰途に大津の宿で同宿した摂津国福島(大坂)の船頭権四郎一行(権四
郎、娘のおよし、孫の槌松)。たまたま同宿したことで、権四郎一行が、悲劇に巻き
込まれる。

竹本は、太夫が、豊竹松香大夫、竹本津国大夫ら9人。三味線方が、鶴澤清友、ツレ
寛太郎。人形遣いは、山吹御前一行では、お筆の和生ほか。権四郎一行では、権四郎
の玉也、およしの勘弥ほか。権四郎は、「六十路に色黒き達者作りの老人」で、還暦
過ぎのお年寄り。

義仲残党一行が,再び、梶原の家臣・番場忠太らに取り囲まれた夜中の残党狩りの混
乱のなか、権四郎一行のうち、年齢3歳で同じ年という、孫の槌松が、駒若丸と間違
えられて義仲残党一行に紛れて連れ去られてしまう。

この場面のおもしろさは、昔の宿屋の情景が生き生きと描かれること。隣室でむずか
る駒若丸の声(「何の頑是も泣き出だす駒若君のやんちや声」)を聞きつけて、同じ
ような年齢の孫のいる権四郎が、大津でお土産に買った大津絵を一枚「童すかし」に
とプレゼントする場面などは、「大津宿屋」の場面を省略し、「逆櫓」で、過去の出
来事だけをお筆に物語らせる演出では、楽しめない。安宿で、費用がかかる行灯の油
代を倹約するため、「両方兼ねたこの行灯」が、その後の展開の伏線。

夜中の残党狩りの詮議で混乱。大人たちが微睡んだ後、それぞれの部屋を出て遊んで
いた駒若丸と槌松が、件の行灯を引っ張り合って、「こなたが引けばあなたも引き突
き戻せば押し返し」で、遊んでいたのが、「土器(かわらけ)揺り込み、行灯ばつた
り真つ暗闇」。灯りが消えた中で、それぞれの一行は、「危ふさ怖さも暗紛れ」(子
どもを取り違えて、連れて行ってしまう)。

「笹引の段」は、宿屋の裏手。田畑を隔ての大藪。「風も烈しき夜半の空、星さへ雲
に覆はれて、道もあやなく物凄き」。暗闇の中、若君(実は、槌松)を抱いたお筆
は、山吹御前の手を引き連れて、薮まで逃げて来る。そこへ追っ手が現れ、お筆と立
ち回りになる。逃げる追っ手を下手へ追いかけるお筆。山吹御前と若君が残される。
上手から、隼人と番場忠太が斬り結びながら現れる。隼人は、忠太に討たれてしま
う。忠太は、さらに山吹御前と若君に襲いかかる。若君は、忠太によって首を刎ねら
れてしまう。お筆が戻って来るが、父親の隼人と若君の死を知る。竹本は、盆廻しで
登場、呂勢大夫。三味線方は、人間国宝の鶴澤清治。

しかし、暗闇の中、若君の遺体に触れると「笈摺(おいずる)=巡拝の際に着る袖の
ない法被」の手触り。これは、若君の遺体ではないとお筆は気がつく(夢中で、抱い
て逃げて来たので、それまでは気がつかなかったのか?)。宿で隣り合った一行の孫
と取り違えていたことを初めて知る。お筆が、殺されたのは若君ではないと山吹御前
に伝えるが、安堵して緊張感が緩んだのか、矢吹御前は、息絶えてしまう。

お筆は、父親の敵を討つとともに若君探索を決意しながら、山吹御前の遺体を薮にあ
る笹竹を切り取り、竹を橇のようにして、山吹御前の遺体を載せて、曳いて行く。こ
の場面は、歌舞伎では上演されない。人形浄瑠璃独特の演出だ。ここは、ひとりで取
り残されたお筆の悲哀が静かに豊かに描かれる。一旦、幕。

「松右衛門内より逆櫓の段」では、いつもの展開。まずは、「松右衛門内の段」。屋
敷の下手に松の枝が見える。後の伏線。人形遣いは、松右衛門、実は、樋口次郎が、
玉女。畠山重忠が、玉輝。

通称「茶呑話」の場面では、田舎の船頭宅で、近所の人たちが「お茶参れ」で招かれ
て、槌松の父親の三回忌。槌松が、巡礼に行く前は、「色黒に肥え太りて、年より背
も大柄」だったのに、戻って来たら、「顔もすまひも変わつて、背も低う弱弱と」な
り、「面妖な事」と噂すれば、権四郎は、「ありや前の槌松ぢやござらぬ」と、呑気
に「悲劇の真相」が語られる。「中」の竹本は、豊竹咲甫大夫、三味線方は、野澤喜
一朗。

騒ぎから逃れて生きのびた権四郎、およし、それに「取り違え子」の駒若丸。自宅に
戻った権四郎は、駒若丸を孫の代わりに育て、娘およしを再婚させる。婿入りし、松
右衛門の名前を引き継いだのは、樋口次郎兼光(木曽義仲残党)であるが、正体を明
かさないまま駒若丸を陰ながら守る。松右衛門、実は、樋口次郎兼光は、権四郎に家
伝の船の操縦法である「逆櫓」の術を取得する。


「切」の竹本は、豊竹咲大夫。三味線方は、鶴澤燕三に替わると、「逆櫓の段」。
「光を添へぬらん 妻恋ふ鹿の果てならで」。咲大夫は、大きくゆったりと語り出
す。駒若丸を取り戻そうと、尋ねて来たのがお筆。経緯を語るお筆は、大津の宿の出
来事を明かす。

お筆が現れると、樋口次郎は、身元を顕し、源氏への復讐の真意を明かす。しかし、
計画の裏をかかれ、源氏方の畠山重忠に捕えられてしまう。樋口を訴人したのは権四
郎の機転で、駒若丸は、孫の槌松として、源氏の手から逃れることができるという展
開。

舞台は、松右衛門を軸に展開するが、実は、歌舞伎であれ、人形浄瑠璃であれ、キー
パーソンは、権四郎である。権四郎の駒若丸に対する愛憎は、複雑なものがある。駒
若丸のために、実の孫の槌松は殺されている。一度は、駒若丸を返せと言って来たお
筆の態度に対して、怒りを覚え、駒若丸を殺そうとさえ思った。にもかかわらず、子
供の命というものを大切に思い、最後は、自分の機転で、「よその子供」である若君
を孫だと主張して助ける。愛憎を超えて、幼い子供を守ろうと権四郎は、源氏方の追
尾から駒若丸を助けるために、畠山重忠に訴え出て、自ら、再び駒若丸を槌松と思い
込むことで、駒若丸の命を守る。

そこには、樋口のような「忠義心」があるわけではない。権四郎には、孫と同様な若
君といえど、「子供」の命に対する、封建時代を超えた愛の普遍性があるのだと思
う。

松右衛門宅の裏は、海。船中の場面への展開は、海原の道具幕が、振り被せ。下手か
ら舟に乗った松右衛門ら4人登場。松右衛門のほか、船頭らが「逆櫓」の稽古をして
いる。松右衛門が、船頭らに教えている。ところが、教えを請う筈の船頭らは、隙を
見て、松右衛門に襲いかかる。船中の立回りの後、浜辺に戻る。海原の背景が天井に
引揚げられて替り、松も、中央に移動して来る。浜辺に戻っても両者の争いは続く、

人形浄瑠璃では、余り見せない場面で、今回は上演する見せ場は、樋口の「物見」。
遠寄せの陣太鼓を受けて、樋口次郎は、舞台中央の大きな松に登り、大枝を乗り越
え、その上野大枝を持ち上げての物見をする。遠寄せの陣太鼓は、樋口を捕らえる軍
勢の攻めよる合図だった。

権四郎が若君を連れていながら、若君の正体は隠し、代りに松右衛門の正体を樋口次
郎だとばらすことで、畠山重忠に訴人する。

捨て身で、駒若丸を救うという奇襲戦法に出たのだ。樋口次郎危うし、被害を最小限
度にとどめてと思っての権四郎の機転が、槌松・駒若丸の、いわば二重性を利用し
て、「娘と前夫の間にできた子・槌松」を強調して、駒若丸を救うことになる。子供
の取り違えを、「逆櫓」ならぬ、「逆手」にとって若君を救うという作戦である。樋
口も、権四郎の真意を知り、かえって、義父への感謝の念を強くして、己の死を了解
するという場面だ。「父と言わずに暇乞ひ」と樋口。「『樋口樋口、樋口さらば』と
幼子の誰れ教へねど呼子鳥」。

武士にできなかったことを、実の孫を犠牲にしながら、さらに、その恨みを消しなが
ら、一庶民の権四郎が成し遂げる。そうと知って、納得して、おとなしく縄に付く樋
口次郎。事情を知っていながら、権四郎の思い通りにさせる畠山重忠。

そういう封建時代に、封建制度の重圧に押しつけられてきた江戸の庶民の、大向こう
受けするような芝居が、この「逆櫓」の場面なのだ。人形浄瑠璃や歌舞伎に多い「子
殺し」という舞台が連綿と続く歌舞伎・人形浄瑠璃の世界の中で、権四郎のような人
物に出会うと、私はほっとする。きっと、江戸の庶民たちも、こういう武家社会の道
徳律には、従いながらも、反発していただろう。

竹本の語り納めは、「世は逆様の逆櫓の松ろ、朽ちぬその名を福島に枝葉を今に残し
ける」で、被爆地福島への鎮魂、復旧祈願。


「紅葉狩」は、更科姫の3人出遣いが珍しい


歌舞伎では、何回も観ている「紅葉狩」だが、人形浄瑠璃は、私は初見。国立劇場で
は、17年振りの上演という。「紅葉狩」は、能を素材に、「新歌舞伎十八番」を選
定した九代目團十郎が、松羽目物にせずに、活歴風の舞台に仕立てた。初演は、18
87(明治20)年。黙阿弥の原作で、能の「紅葉狩」と違って、鬼女を赤姫にし
て、竹本、長唄、常磐津の三方掛合の華やかな歌舞伎舞踊劇に仕立てられている。

人形浄瑠璃は、更に新しく、およそ50年後。初演は、1939(昭和14)年、大
阪の四ツ橋文楽座。作詞は、紫紅山人。人形浄瑠璃では、琴の演奏も加わって更科姫
の妖艶な舞いと、後ジテの鬼女の本性を顕した後の、勇壮な立ち回りが見もの。

竹本は、豊竹英大夫、竹本三輪大夫ら5人。三味線方は、鶴澤清介ら3人。さらに、
箏曲が加わり、豊澤龍爾ら2人。

下手から、平維盛は、歌舞伎と違って従者を連れずにひとりで登場。更科姫は上手奥
から、登場。主遣いは、豊松清十郎。出遣いなので、左遣いが、一輔。足遣いが、簑
次と判る。清十郎も、肩衣、袴が、赤姫姿の更科姫の帯の黄色に合わせてという、派
手な演出。左遣いと足遣いは、普通に紋付と袴姿。こちらは、腰元を連れている。幻
想的な紅葉の中、宴を張る更科姫たち。招かれて酒を馳走になる平維盛。酩酊し眠り
込む。八幡大神の使い山神が現れて、平維盛に警告をするのも、歌舞伎と同じ。「二
枚扇」という、ふたつの扇子を使った踊りの場面。左遣いの一輔と主遣いの清十郎
が、呼吸を合わせて、巧く扇を空中で回転させていたが。以前観た歌舞伎では、体調
が悪かったのか、芝翫が、扇を落とす場面を観たことがある。ひとりで、やっても難
しいだろうに、ふたりで呼吸を合わせて、恰もひとりの更科姫がやってるように見せ
るのも難しかろう。

後ジテで、更科姫が鬼女の本性を顕すと、清十郎らは、衣装を替えて、こちらも、後
ジテ。主遣いは、出遣いだが、残りのふたりは、いつもの顔を隠した衣装に着替えて
いる。

鬼女も「逆櫓」の樋口次郎の「物見」ではないが、松の木に登り、枝を握り静止する
のは、歌舞伎同様の演出。
- 2011年9月14日(水) 11:46:26
11年09月国立劇場(人形浄瑠璃) (第一部/「寿式三番叟」「伽羅先代萩」
「近頃河原の達引」)


東日本震災、原発震災のダブルパンチに負けぬよう、「寿式三番叟」


「寿式三番叟」は、人形浄瑠璃で1回、歌舞伎で3回拝見している。人形浄瑠璃は、
今回で2回目。人形浄瑠璃であれ、歌舞伎であれ、「寿式三番叟」は、能の「翁(お
きな)」がベース。だから、能取りものらしく、幕が開くと、舞台には能舞台があ
る。能舞台下手に橋懸かり。鏡板には、定番の老い松。老い松ながら、左右に枝を拡
げて、緑豊かな一本の松。舞台の上手と下手には、竹林。

基本は、「かまけわざ」(人間の「まぐあい」を見て、田の神が、その気になり(=
かまけてしまい)、五穀豊穣、子孫繁栄、ひいては、廓や芝居の盛況への祈りをもた
らす)という呪術である。「三番叟」は、江戸時代の芝居小屋では、早朝の幕開き
に、舞台を浄める意味で、毎日演じられた。だから、「演目」というより、一日の始
まりの儀式に近い。「儀式曲」ともいう。今回は、国立劇場開場45周年記念公演
(11年9月から12年4月まで)の幕開きに国立劇場の大小劇場ともに浄めるとい
う意味で、記念公演全体の最初の出し物に選ばれたのだろう。

人形浄瑠璃の場合、「孔明」という肌色の首(かしら)を使う「翁」の人形が、さら
に、不思議な微笑をたたえた「翁面」つけることで、神格化するという約束になって
いる。下手の五色の幕から、白塗りの首の「若男」の千歳(せんざい)が、黒漆塗り
の面(めん)箱(「翁」面が入っている)を持って登場する。

やがて、翁も登場。さらに、ふたりの三番叟。全員そろったところで、「とうとうた
らり たらりら」。千歳の颯爽とした舞。上手で、翁は、後ろを向いている間に、
「翁面」をつけている。面を付け終わると前を向く。荘重な翁の舞。金地の雲と海を
泳ぐ亀。亀の背中に生えている松。松の近くを飛ぶ鶴。そういうシュールな図柄が描
かれた古風な扇を拡げる。終わると、翁は、左手で顔を隠して面を外して、客席に向
かって礼をすると、下手へ退場。

続いて、人形浄瑠璃の「寿式三番叟」では、首が、肌色の「又平」、白塗りの「検非
違使」という、ふたつの人形の三番叟がテンポよく踊り始める。金と黒の横縞模様
に、日の丸のような赤い丸が縫い付けられた剣先烏帽子を被り、半素襖という衣装を
着用。人形ならではの、躍動的な動きで、激しく、賑やかに舞う「揉みの段」。地面
を固めるので、足音も大きい。続いて、千歳から、三方に載せられた鈴、稲穂を象徴
する鈴が手渡されて、「鈴の段」へ。

千歳は、面箱を持ち、退場。残されたふたりの三番叟は、舞台の東西南北に動き回
り、種を撒く所作。主遣いに、ぴったりくっつきながら、足遣いは、人形の脚を大き
く振り動かしながら、移動する。それ故に、「又平」の三番叟は、くたびれてしま
い、フラフラになったという所作の後、舞台の下手に座り込んで、一休みをしてい
て、「検非違使」の三番叟に注意される始末。

今回は、翁を人間国宝の住大夫、千歳を文字久大夫、三番叟を相子大夫、芳穂大夫ら
6人の大夫。三味線方が、野澤錦糸ら6人。12人(前回09年5月国立劇場は、更
に豪華で、18人が、2段の雛壇で、舞台正面奥に並ぶので、迫力があった。今回
は、上手の定位置で、山台の1段)。人形遣は、千歳を勘十郎、翁を人間国宝の簑
助、三番叟の「又平」を幸助、「検非違使」を一輔。

今回は、簑助がゆるりと格調高く、大間に舞う。天下太平などを祈願。大人(たいじ
ん)らしい翁を演じていた。三番叟は、前回見た勘十郎・玉女のコンビに比べると、
動きのメリハリが弱い。勘十郎の千歳は、安定していた。

「三番叟」は、連れ舞が見どころ。連れ舞では、「ダンダンダンダン」という足踏み
の音。「テケテンテンテケテンテン」「スッテンスッテンスッテンスッテン」という
三味線の音。なんとも、賑やかで、陽気で、元気が出る演奏。五穀豊穣、子孫繁栄。
平和祈願。特に、今回は、外題の頭に「天下太平 国土安泰」を明記して、東日本大
震災復興祈願を前面に押し出しただけに、観客も奮い立つ。

歌舞伎の「寿式三番叟」を私が最後に観たのは、11年1月の歌舞伎座で、富十郎が
病気休演で欠場し、そのまま、亡くなってしまった(翁が、富十郎と梅玉のダブル
キャストだったので、梅玉が一人で翁を勤めた)。


全身竹本語りの嶋大夫の「飯(まま)炊き」


「伽羅先代萩」(御殿の段)は、歌舞伎では何度も観ているが、人形浄瑠璃は、初め
て拝見。今回は、歌舞伎との違いを主に2点だけ書き留めておきたい。通称「飯炊
き」終演後、幕間に豊竹嶋大夫の楽屋を訪ねる約束になっているので、そのこともコ
ンパクトに書き留めておきたい。

「伽羅先代萩」は、足利頼兼のお家騒動という想定の芝居だが、史実の「伊達騒動」
を下敷きにしている。舞台は、足利家の江戸屋敷、御殿の間。幕が開くと、恒例の口
上で竹本を語る嶋大夫と三味線方の竹澤團七が、紹介される。御簾が上がると、乳母
の政岡を軸に上手に鶴喜代君、下手に政岡の実子で、若君の毒味役として仕える千松
が、並んでいる。御殿の金地の襖には、丸い竹の輪の中に雀が描かれている。足利家
の紋章。歌舞伎なら上手に、金地に花車が描かれた衝立があるが、人形浄瑠璃は、障
子の間がある。歌舞伎なら御殿の座敷には、下手側に茶の湯の道具が置いてあるが、
この舞台では、そういう道具は見えない。ここは、子ども達のひもじさに耐える姿
が、見どころである。先に用意された食事を若君毒殺の懸念を抱く政岡の指示に従っ
て食べなかった若君と千松の子ども達の空腹比べが、哀しい。代わりに、政岡は、自
分が吟味した米や茶道具を使って、飯を炊く。待つ間、千松は、「お腹がすいても、
ひもじうない、何ともない」と、嶋大夫が語るが、この科白は、歌舞伎の子役独特の
科白廻しで聞き慣れて来た身には、嶋大夫の「語り」で、ひと味違うからおもしろ
い。

やがて、政岡が、打ち掛けを脱いで、真っ赤な衣装を見せて、上手へと移動すると、
障子の間の障子が開いて、そこに、茶の湯の道具が揃っているのが判る。つまり、歌
舞伎と人形浄瑠璃では、茶の湯の道具の置き場所が違う。ということは、政岡の飯炊
きを演じる場所が違うということである。

江戸屋敷で繰り広げられるお家騒動に巻き込まれた政岡は、若君の命を狙う敵たちに
八方から囲まれている。特に、若君の口に入るものは、警戒しなければならない。国
の表から出て来た息子の千松を若君の毒味役に使ってまで、つまり、我が子の命を楯
にしてまで、若君大事と緊張した日々を送っている。こうした異常心理の中で、若君
の乳母として、我が子の母として、二つの情を肚に押さえ込みながら、政岡は、存在
しなければならない。嶋大夫は、元来熱演型であるが、床本を置いた見台を掴んだ
り、思わず、背伸びをしたりしながら政岡ばかりでなく、時に若君を、時に千松を、
全身を使って語り尽くす。

贅言;歌舞伎に無いのは、若君のお膳のお下がりを食べる「ちん」という名の犬が出
てくる場面がある。お互いに空腹堪え難き状況で、千松が、若君の機嫌を取らされる
場面で、犬が一役買う。

もうひとつ、歌舞伎と違うと思ったのは、八汐の動きだった。梶原平三景時の奥方、
栄御前が、若君暗殺の毒入りの菓子を頼朝より授かったと言って持って来る。千松
は、政岡に言われる前に毒入りの菓子を食べて、菓子折りを蹴散らし、若君を救う。
若君暗殺失敗の証拠隠滅を図る八汐の動きが、歌舞伎より素早いということだ。ため
らいも無く幼い子どもを嬲り殺しにする八汐。栄御前が、我が子が殺されても動じな
い政岡の態度を誤解し、お家騒動の企みを打ち明ける。栄御前が、退場し、我が子の
遺体(千松の遺体は、栄御前らの芝居の間、歌舞伎と違って、一時、舞台から消えて
いて、後に、また、現れた)を抱き上げ、「後には一人政岡が」残り、「溜め涙、せ
き入り、せき上げ嘆」く。それを物陰から見ていた八汐は、栄御前のようには、政岡
に騙されず、「何もかも様子は聞いた。此方の工みの妨げ女、己も生けては置かれ
ぬ」と、政岡に斬り掛かるが、政岡の方が、剣さばきが巧みで、八汐は、逆に殺され
てしまう。八汐は、自爆型のテロリストなのだ。この一連の八汐の動きが、人形浄瑠
璃の方が、歌舞伎よりテンポがある。

贅言;歌舞伎では、千松を刺し貫き、「お家を思う八汐の忠義」と言い放つのは、八
汐自身だが、人形浄瑠璃では、「殺したは八汐が働き、さすが渡会銀兵衛が妻程あ
る」と栄御前が言う。

首は、登場する女達、政岡も、栄御前も、沖の井も、小巻も、「老女形」という類型
化された顔を見せているのに、八汐の首は、「八汐」という独特の首を使う。

竹本は、山場を語る「切」が、嶋大夫。それに続く「奥」が、津駒大夫で、こちらの
三味線方は、人間国宝の鶴澤寛治。主な人形遣いは、政岡が、紋寿。憎まれ役の八汐
が、簑助。栄御前が、文雀だった。

☆幕間に嶋大夫の楽屋を訪ねる。事前に電話で、楽屋訪問の約束をしていた。以下、
敬称略。

来年の3月で、卒寿(つまり、現在は、79歳)の嶋大夫の言葉で、印象に残ったも
の。語りは、「役になり切る」。つまり、嶋大夫の中に、政岡も、若君も、千松も、
栄御前も、八汐も、皆、入っていて、それらの人物達が、取っ替え引っ替え出て来
て、語り出すのだと言う。だみ声に近い渋い声と全身を使っての熱っぽい語り。舞台
では、座っていることが多いのと、大夫は、語りのときには、「尻ひき」という台に
座っているので、大きく見えるが、楽屋の暖簾前で出迎えてくれた嶋大夫は、1メー
トル50センチくらいと小柄だった。舞台に立つ毎日が、「きょうが最後。あすは考
えない」と思っているという。「あす、こうしよう」とは考えていない。「きょうや
るべきことは、きょうやる」そうだ。15歳から、この道に入り。65年。全身で語
るのも、「自然にそうなるだけ」。また、今後も機会を見て、楽屋に訪ねることを約
束して、短い楽屋訪問を終えて、再び、小劇場の座席に戻った。


次は、「近頃河原の達引」。歌舞伎では、06年3月、歌舞伎座の舞台を観たことが
ある。人形浄瑠璃で観るのは、初めて。竹本の語りは、「前」が、千歳大夫。「切」
が、人間国宝の源大夫。三味線方は、息子の藤蔵。「達引」とは、意地を立て通し
て、張り合うことの意。お俊・伝兵衛の心中事件は、聖護院の森で、実際にあったと
いう。祇園の遊女丹波屋のお俊と恋仲の井筒屋の若旦那・伝兵衛と横恋慕の侍・横溝
官左衛門の三角関係の果てに、京・鴨川の四條河原で、伝兵衛による横溝官左衛門殺
しに発展し、その後の逃避行の場面が、「堀川猿回しの段」である。

さて、「堀川猿回しの段」。京の堀川にあるみすぼらしい家。お俊の実家だ。上手、
障子の間からおしゅん(俊)の母親が出て来る。母親は、目が悪い。三味線教室を開
いている。母親の人形を操る主遣いは、勘壽。弟子のおつるが、稽古に来る。人形に
三味線を弾かせる場面が、結構、見せ場になっている。三味線の糸を押さえる人形の
指の動きが、実にリアルなのだ。左遣いは、右手で、人形の左手、この場合は、指を
動かしている。左手で、三味線の上の方を固定するための支えを持っている。三味線
の稽古の場面は、三味線方の豊澤富助にツレ三味線の豊澤龍爾が付き、二連の演奏と
なる。

今回の席は、上手側の斜め前の方で、三味線方、大夫、本舞台が、一つの視野に収ま
る席だったので、人形の指の動きと三味線方の指の動きが、同じように動いているの
が、一目で観えたので、余計そう感じたのかもしれない。

稽古が終わった頃、お俊の兄の猿回しの与次郎が帰って来る。与次郎の主遣いは、勘
十郎。お俊も、実家に身を寄せている。お俊の主遣いは、簑二郎。侍殺しで、奉行所
の役人に追われる伝兵衛は、いずれ、実家にいるお俊を頼りに逃げ込んで来るかもし
れない。そうなれば、いずれ、奉行所の手が入る可能性は、大である。伝兵衛が来れ
ば、お俊は、恋人との逃避行が始まるかもしれない。心中を企てるかもしれない。そ
こで、母と兄は、妹に殺人者への「退き状」(女からの縁切り状)を書かせる。そう
いう危機感に裏打ちされた切迫した状況で芝居は進む。

しかし、そこは、上方歌舞伎。笑劇(チャリ場)を忘れない。庶民の日常生活の細か
な描写も、嬉しい。与次郎は、棚の上から、出がけに用意してあったと思われる食事
の盆を取り出し、内輪の柄を使って、七輪の炭を叩いて、火の起こりを良くし、食事
を温める。目の不自由な母親の代わりに日頃から自分で自分の食事などは、調理して
いるのだろうと推測される。逃げて来た妹のために布団を敷いてやる。自分の着てい
た着物を脱いで妹の布団にかけてやる。自分の布団は、掛け布団を柏にして、柏餅の
餡のように挟まって寝につく(ここで、千歳大夫から源大夫に交代)。

「鐘も哀れ添ふ」。夜半の暗闇で、人目を偲んでやってきた伝兵衛と、そっと迎えに
出るお俊、物音で眼を醒ました妹思いの与次郎は、伝兵衛とお俊とを会わせまいとし
て、外に出たお俊を家に引き入れて、門口の鍵を掛けるのだが、その際に、お俊と伝
兵衛を間違えて、伝兵衛を引き入れて、お俊を外に出したままにしてしまう。「コレ
イナア兄さん。わしや表にゐるわいな」。

与次郎が灯りを付けてみると、家の中にいるのは、伝兵衛で、お俊は、閉め出され
て、家の外にいる。伝兵衛の主遣いは、文司。お俊が書いた「退き状」を見せると、
それは退き状ではなく、伝兵衛と運命を共にするという母と兄への「書き置き」だっ
た。それを読み聞かされた伝兵衛は、「そなたは科の身の上、ともに死んではお二人
の嘆き」とお俊の母と兄を思いやる。それを聞いたお俊は、「そりや聞こえませぬ伝
兵衛さん」。「一緒に死なして下さんせ」。

母と兄は、お俊と伝兵衛の仲を認め、祝言を上げさせ、逃避行の道行に送りだす。お
俊と伝兵衛は、「新口村」の梅川忠兵衛のコンビのように、黒の揃いの衣装に身を包
み、旅立つ(死出の道行は、合作者たちの意図にあり、与次郎の母が近所の娘に教え
る「鳥辺山」の唄の稽古、与次郎が猿に舞わせる唄が、お初徳兵衛の祝言の唄、つま
り「曽根崎心中」の唄というから、念が入っている)。

しゃくり泣き、「アア伝兵衛さんの泣かしやるも道理ぢや、またおしゅんの泣きやる
も道理ぢや」という与次郎の科白から、竹本無しで、三味線方が、二連の演奏。ツレ
三味線は、鶴澤清馗。猿回し与次郎の使う猿達の芝居を上手でお俊、伝兵衛、母親
が、動かずに観ているという状況になる。やがて、ふたりの逃避行の大団円へ。ふた
りは、編み笠で顔を隠して猿回し姿の夫婦連れで、逃げることになる。歌舞伎だと、
「与次郎人情噺」が、主軸となっているが、人形浄瑠璃では、お俊伝兵衛の逃避行の
物語という色合いが強い。

猿回しの与次郎は、二匹の猿を使って、祝言と別れの水盃を交わす場面を滋味たっぷ
りに演じる。猿は、人形遣いの一人遣いで、手袋のように二匹の猿を使う。この猿の
場面は、秀逸だった。

贅言;この場面は、歌舞伎では、子役が演じたり、本当の猿を使ったりした時期もあ
るというが、いまでは、糸を使った操り人形の猿を登場させる。そのように変えたの
が、十三代目仁左衛門の工夫だという。これはこれで、おもしろい。

途中で、源大夫の体調が悪くなり、弟子に連れられて退場。代わりに、津駒大夫が、
さっと、交代をし、間もあけずに、語り続けた。但し、肩衣を付けずに、紋付のまま
の出演。
- 2011年9月10日(土) 16:58:20
11年09月新橋演舞場 秀山祭(夜/「沓手鳥孤城落月」「口上」「車引」「石川
五右衛門」)


見慣れた演目で、安定した襲名披露


坪内逍遥原作の新歌舞伎「沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)」は、
6回目の拝見。かろうじて、16年前、1995年歌舞伎座で、歌右衛門の淀の方を
観ている。歌右衛門体調不調で、途中から、雀右衛門が代役で勤めた舞台だ。私が観
た淀の方は、歌右衛門、雀右衛門(代役ではない時)、芝翫(今回含め、4)とな
り、最近では、続けて芝翫を観ているので、私の淀の方は、芝翫の印象ばかり強く
なってしまった。初日に出演した芝翫は、体調不調で、2日目から休演。福助が代
演。

淀の方と秀頼は、今回も、「認知症の母親と息子」というように置き換えて観えて来
た。母と自分の現況を思い、なんとも、現代的なテーマの芝居で、身につまされてく
る。特に、芝翫の淀の方は、その印象が強い。

戦場となった大坂城の「糒倉(ほしいぐら)」(第二場「城内山里糒倉の場」)は、
現代的な家庭劇の場に転じても、おかしくないから不思議だ。「いかなる恥辱も母上
にはかえられぬ」という、認知症の老母をかばい、大将として降伏を決断する心は、
同じ境遇にいる我が同年代には、時空を超えて普遍的な意味を伝えてくれる。

それだけに、淀の方の芝居では、狂気と正気の間を彷徨う淀の方をいかに迫力あるよ
うに演じるかがポイントだろう。自尊心の果てに狂気に見舞われた淀の方(歌右衛門
や雀右衛門の狂気は、そういう感じだった)も、芝翫の場合、長期の時間の流れの中
で、認知症になって行った老母の様子が、いっそう、味のある芝翫独特の表情で演じ
ていて、すっかり定着して来たように思う。

芝翫の「狂気」の演技としては、淀の方の狂気にとどまらずに、「摂州合邦辻」の玉
手御前、「隅田川」の班女にも共通する狂気の表現の積み重ねの成果でもあると思う
が、いかがであろうか。それにしても、淀の方は、芝翫迫真の演技で、重苦しくも、
見応えがあった。

吉右衛門は、第二場に秀頼と共に、側近・氏家内膳として登場する。今回秀頼を演じ
たのは、初役の又五郎。又五郎という名跡を継ぎ、大きな役が廻って来たということ
だろう。新又五郎は、「襲名」で、名跡を手に入れたが、先代の又五郎は、35歳で
亡くなった父親の名前を継いで、生涯をかけてその名前を自力で大きな名跡に育てて
来た。育てた先代の又五郎。手に入れた新又五郎。新又五郎には、その重圧に負けず
に、姿形も芸風も違う新しい又五郎像を造って行って欲しい。

第一場「二の丸乱戦の場」(通称「乱戦」)は、第二場の降伏への背景説明として描
かれる戦闘の場面で、まさに「活劇」である。前回、城門の石段を斜めにずらしてい
て、観客席からは、多角的に活劇が見えて、なかなかよろしかったのだが、今回は、
普通に戻ってしまった。

若い裸武者は、福助の長男・児太郎。立ち回りの後、鉄砲で撃たれ、城門の石段を下
帯一つの裸姿で、一気に転げ落ちるという壮絶さと裸ゆえの滑稽味という、ふたつの
役割を担わされている難しい役だ。玉太郎時代の松江(2)、勘太郎、七之助、橋之
助の長男・国生、そして今回は、児太郎が演じるのかと、顔ぶれの変遷を観ると感慨
も新たなものがある。

贅言;三階席では、中村又五郎と染め抜いた半纏姿の男たち数人が、「播磨屋」など
と掛け声をかける「大向う」をやっていた。昼の部では、三階席の上手ロビーで、山
川静夫さん(78歳)に逢った。「お元気ですか」と声を掛けたら、「へたっていま
す」と笑わせてくれた。山川さんも昼の部のみ三階席で、大向うをやっていた。夜の
部には、姿をお見かけしなかった。襲名披露の「口上」があるのにと思ったが、初日
は、昼の部のみでお帰りになったのだろうか。確かに、昼夜通しで歌舞伎を観ると疲
れる。座席も狭いし、椅子は堅いしで、腰が痛くなる。まして大向うは、立ち見だか
ら、余計疲れるだろう。私も、午前10時半に劇場に入り午後8時半過ぎまで昼夜通
しで、10時間余も劇場にい続けると、「へたってしまう」ようになった。昼の部と
夜の部の入れ替えで、一旦外に出て、近くの公演で休憩している時、すぐ傍の木でミ
ンミンゼミが鳴いていた。下半身を前後に大きく動かす度にミン、ミンと鳴くのを間
近で観察もし写真も撮った。鳴き止んだら、動きを止めてしまった。


「口上」は、「高(たこ)うはござりますが……」と、総合司会芝翫で進行。大向う
からは、「大成駒」「成駒屋」。まず、播磨屋の総師・吉右衛門の挨拶から上手へ。
吉右衛門:先代の又五郎は初代吉右衛門のところで修業をしたので、(自分は)公私
ともに指導を受けた。その名前を(歌昇が)襲名するので宜しくお願いしたい。魁春
(女形姿):播磨屋一門の益々のご繁栄を。福助(女形姿):新又五郎とは、同世
代。新歌昇は、勉強中で、以前からかわいがって来た。松緑:新又五郎は、大切な先
輩。新歌昇は、弟のように思っている。芝雀(女形姿):新又五郎は、子役の時から
一緒。東蔵:新又五郎は、後輩の面倒見が良い。ふたりと播磨屋一門の繁栄を。藤十
郎:先代の又五郎の若い頃は、私も若い頃(笑い)。(自分も経験したが)襲名する
と後が大変(笑い)。ここまでが、上手側。次いで、下手から中央へ。梅玉:新又五
郎を(自分は)「光ちゃんと呼んで来た。これからも「光ちゃん」。段四郎:いずれ
もさま(観客)へのお礼。染五郎と種之助(新歌昇の弟)は、紋切り型(ベテランほ
ど、私事を交えて挨拶するが、若い人は、「宜しく」という趣旨の紋切り型の挨拶が
多い。「余り余計なことは言うな」というような雰囲気があるのかな)。錦之助:一
族の一人として。歌六:弟を宜しく。先代の又五郎は、大恩人。新又五郎:名跡を襲
名し、ひとかどの役者に慣れるように精進したい。芝翫の休演で、口上の司会役は、
2日目以降、誰がしたのだろう。吉右衛門だろうな。


「車引」は、私も10回目の拝見。見慣れた演目だが、又五郎、吉右衛門、藤十郎と
バランスよく、見応えがあった。吉右衛門は、兄の幸四郎同様、父親の白鸚に教わっ
たという白地に松の模様の衣装で松王丸を務めた。芝翫に、大向うから「大成駒」と
いう掛け声は、何度も聞いているが、今回は、「車引」の吉右衛門登場で、「大播
磨」、「播磨屋」という掛け声が掛かった。私は、吉右衛門に「大」の字がついたの
を初めて聞いた。芝翫同様人間国宝になったので、大向うも変わったのかも知れな
い。それにしても、同じ人間国宝でも、雀右衛門には、「大(おお)京屋」とか「大
京」と掛かったのを聞いたことがない。どこかの会社と間違えるか。向うは、「だい
きょう」だ。人間国宝では、「大音羽」、「大山城」、「大紀伊国」なども、私はこ
れまでのところ聞いたことがない。

贅言;新又五郎は、夜の部は、忙しい。「沓手鳥孤城落月」から「口上」に出て、
「車引」までの幕間に、梅王丸の扮装を整える。「口上」の鬘、裃姿から、衣装を何枚
も重ね、大太刀3本を差す梅王丸に着替えるのには、5人掛かりの手が必要だそう
だ。戦場のような騒ぎで、表より、裏の方が大変という。

「菅原伝授手習鑑」の三つ子(梅王丸、松王丸、桜丸)は、三つ子を強調するため、
紫色の太い格子柄の衣装を脱いでも、同じような衣装を着ることが通例だが、幸四郎
家では、松王丸だけ、ほかのふたりが着るような赤地の衣装を着ない。後の「悲劇」
(松王丸が、嫡男の小太郎を菅原道真の若君の身替わりに殺させる)を滲ませるとい
う考え方らしい。今回は、梅王丸(又五郎)は、赤字に梅の花の模様。松王丸(吉右
衛門)は、白地に松の模様。桜丸(藤十郎)は、薄い紅色地に桜の花の模様。梅王丸
が、花道から登場し、上手揚げ幕から登場した桜丸と舞台中央で落ち合い、居所を入
れ替わり、深編み笠を取って顔を見せると、又五郎には、「待ってました!」と大向
うから声が掛かった。又五郎も、梅王丸は、本名の時代、歌昇の時代と勤めて来たの
で、「寺子屋」初役の源蔵のように気負いもなく、きちんと勤めていて、安心で来
た。

「車引」は、左遷が決まった右大臣・菅原道真の臣の梅王丸と弟の桜丸が、左大臣・
藤原時平の吉田神社参籠を知り、時平の乗った牛車を停めるという、ストーリーらし
いストーリーもない、何と言うこともない場面の芝居だ。しかし、この演目は、歌舞
伎の持つ色彩感覚、洗練された様式美など、目で見て愉しい、他愛無いが故に、大ら
かな歌舞伎味たっぷりの上等な芝居である。「動く錦絵」のような視覚的に華やかな
舞台。逆説的だが、見慣れた演目で、安定した襲名披露、というのは、企画の勝利。
又五郎襲名披露の演目に相応しく、安心して楽しめた。


「増補双級巴 石川五右衛門」は、1861(文久元)年、初演。近松門左衛門作
「傾城吉岡染」や並木五瓶「金門五三桐」など「五右衛門もの」は、多い。そういう
五右衛門ものを戸部銀作が再構成したのが、本作。私は2回目の拝見。
盗人や強請の悪党が、権威に化けて、権力者を騙すという意味では、「河内山宗俊」
にも通じる。いずれも、最後は、権力者への科白、「馬鹿めえ!」というのも、庶民
の気持ちを代弁している。

前回は、12年前、1999年9月の歌舞伎座。主な配役は、五右衛門が、吉右衛門
(今回は、染五郎)、久吉が、富十郎(今回は、松緑)。五右衛門の父親・次左衛門
が、芦燕(今回は、錦吾)。前回は、今は無き歌舞伎座3階最奥の補助席「4」(4
階幕見席のすぐ下)と1階「り・5」で、同じ舞台を2回観た。今回は、新橋演舞場
の3階下手側「11」で観た。この席は、宙乗りの五右衛門のフィニッシュを目の前
で観ることが出来る。

幼なじみの五右衛門と久吉(豊臣秀吉)の物語。成人して、片方は天下の権力を狙う
久吉、片方は、勅使に化けた天下の盗人五右衛門となって、再会。再会で、幼心を取
り戻したのもつかの間、互いに争う。政治家の天下取りに、さも似たり。久吉に追わ
れた五右衛門は、葛籠に隠れて、宙を飛ぶ。宙乗りの「葛籠抜け」が、最大の見せ
場。五右衛門演じる染五郎の「葛籠背負(しょ)ったが、おかしいか。……馬鹿め
え!」。最後は、南禅寺山門の階上と階下で対立。久吉演じる松緑が、「巡礼にご報
謝」。

序幕第一場「大手並木松原の場」五右衛門の配下が、呉羽中納言(桂三)を襲う。中
納言は、身ぐるみ脱がされて半裸姿ながら烏帽子を付けているというおかし味。「麿
にも衣装」、「麿は麿でも、マロハダカ」という中納言の科白は、江戸庶民の「権力
批判」が感じられておもしろい。呉羽中納言が、花道から、ぼやきながら退場する
と、本舞台は、居どころ替り。松並木の書割は、天井に引揚げられたり、ふたつに割
れたりして上手下手へと引き込む。後ろから、桜並木の書割が現れて、場面展開。

序幕第二場「洛西壬生村街道の場」。花道から駕篭の一行。上手揚幕から五右衛門扮
する呉羽中納言一行。舞台中央に差し掛かると駕篭から降りた久吉が、中納言一行を
通す。ここまで、五右衛門役の染五郎には、余り仕どころがない。

二幕目第一場「足利館別館奥御殿の場」。金地の襖に孔雀の絵と桐の花(久吉家紋に
なる)、本舞台上手に金地に花車が描かれた衝立。久吉が、偽の勅使(中納言)を迎
える。五右衛門の父親をキーパーソンにして、交渉上手な久吉。妖術で対抗する五右
衛門。

二幕目第二場「足利館別館奥庭の場」。並び大名たちを尻目に、上手天井から葛籠が
現れて宙を飛び、下手天井に消える。暗転。花道七三の辺りから、五右衛門の「葛籠
抜け」へ。宙乗りの見せ場。

大詰「南禅寺山門の場」。馴染みの名場面。定式幕が開くと、浅黄幕。上手の幕裏か
ら白鷹登場。鷹の行方を追う久吉の家臣(廣太郎・友右衛門長男と種之助・又五郎の
次男)がそれぞれ、上手と下手幕裏から登場。後の場面を考慮して、鬘や衣装を隠し
て、頭に手拭いを捲いてのどてら姿。ふたり揃って、下手から幕裏へ入る。

浅黄幕振り落としで、お馴染みの桜満開の南禅寺山門階上の場面へ。五右衛門が、長
い煙管を吹かしている。後は、いつもの展開。大せりで、山門が持ち上がる。桜満開
の書割を黒衣4人が、上手と下手に片付ける。山門階下には、巡礼姿の久吉。山門の
朱の柱には、久吉が、科白で言う、「石川や浜の真砂は尽きぬとも……」の歌が落書
きされている。
- 2011年9月4日(日) 8:12:33
11年09月新橋演舞場 秀山祭(昼/「舌出三番叟」「新口村」「寺子屋」「勢獅
子」)


「勢(きおい)」より「気負い」の新・又五郎の初日


今月は、初代吉右衛門所縁の「秀山祭」。毎年9月は、播磨屋一門のお祭り「秀山
祭」が、すっかり定着した。今年の「秀山祭」は、二代目吉右衛門の「人間国宝」認
定と歌昇・種太郎親子の、又五郎・歌昇への襲名披露という二つの祝い事が、重なっ
た。新橋演舞場には、開演前の観客の行列振りを取材するテレビカメラが、何台も並
んでいた。その割に、劇場内では、空席が目立った。台風12号接近中という空模様
も、遠来の客の人出に影響したのかもしれない。

祝祭の最初の出し物は、「舌出三番叟」。演じながら舌を出すという滑稽味が、売り
物の三番叟。今回は「再春菘種蒔(またくるはるすずなのたねまき) 舌出三番叟
(しただしさんばそう)」という外題で演じられている。

「舌出三番叟」は、今回で私は4回目の拝見だが、外題は、「種蒔三番叟」だった
り、「舌出三番叟」だったりしたが、中身は変わらない。更に、演奏も、清元、長
唄、あるいは清元と長唄の掛け合いであったりする。融通無碍。歌舞伎では、いろい
ろな三番叟が演じられる。

このように「三番叟もの」は、いろいろバリエーションがあるが、基本は能の
「翁」。だから、「かまけわざ」(人間の「まぐあい」を見て、田の神が、その気に
なり(=かまけてしまい)、五穀豊穣、ひいては、廓や芝居の盛況への祈りをもたら
す)という呪術である。それには、必ず、「エロス」への祈りが秘められている。そ
れだけに、基本的には五穀豊穣を祈るという意味合いは同じ。「舌出三番叟」、「操
三番叟」、「二人三番叟」、「式三番叟」など。私も、また、さまざまな「三番叟」
を拝見してきた。それだけに、「三番叟」は、「翁」同様に伝える基本的なメッセー
ジよりも、その趣向を生かさないと観客に飽きられる。趣向とは、江戸庶民の意向を
代弁して、「洒落のめす」心が、必要となる。

「種蒔三番叟」は、「再春菘種蒔(またくるはるすずなのたねまき)」とあるよう
に、「菘」の種を蒔き、春が、再び来れば、菘は、稔ることを祈願している。初代の
中村仲蔵から教えられた三番叟を三代目の歌右衛門が記憶を辿りながら踊るという趣
向があり、「その昔秀鶴(ひいずるつる)の名にし負う」とか、「目出とう栄屋仲蔵
を」(このくだりで舌を出す)などという文句があるが、「秀鶴」は、仲蔵の俳号、
栄屋は、仲蔵の屋号である。

今回は、三番叟に染五郎、千歳に父親の名前を継いで、四代目歌昇を襲名した種太郎
が、出演する。父親の歌昇は、三代目又五郎を襲名する。そういう襲名興行の最初の
出し物であるから、「祝祭」の意味が込められている。あるいは、8月の舞台同様、
東日本大震災の被災地の復興への願いも込められているかもしれない。

舞台には、祝幕が、飾られている。金地の幕は、上手に赤で「のし」の伝統のデザイ
ン化された文字が染められている。その下に、青いスポンサー名。中央には、くすん
だ、落着いた色合いの揚羽蝶の家紋(吉右衛門家の紋)が、大きく染め込まれてい
る。下手には、「三代目中村又五郎丈江」、やや小さく「四代目中村歌昇丈江」と、
勘亭流の歌舞伎文字で黒々と書かれている。

初代吉右衛門と今回襲名のふたりの関係を見ておこう。初代吉右衛門は、「播磨屋」
三代目中村歌六の長男。次男が、三代目時蔵。三男が、「中村屋」十七代目中村勘三
郎(当代の十八代目勘三郎の父親)。「播磨屋」初代吉右衛門は、普通なら、長男と
して四代目歌六となる筈が、初代吉右衛門として、独自の芸風を完成させた。その初
代吉右衛門の孫で、祖父の所へ養子に入り「息子」となったのが、当代の二代目吉右
衛門(父は、八代目松本幸四郎、兄は、当代の九代目幸四郎)。初代吉右衛門の弟の
三代目中村時蔵の長男は、二代目歌昇のまま病気で役者廃業してしまうが、後に追贈
されて四代目歌六となる(次男が、四代目時蔵で、当代の五代目時蔵の父親。時蔵
は、四代目までは、「播磨屋」、五代目からは、「萬屋」。三男が、二代目中村獅童
の父親の初代獅童、後に廃業。四男が、中村錦之助、後に、萬屋錦之助。錦之助が、
屋号を「播磨屋」から「萬屋」に変える)。四代目歌六の長男が当代の五代目歌六。
その弟(三代目歌昇)が今回三代目又五郎を襲名した。同時に四代目歌昇を襲名した
のが、その息子ということだ。

歌昇は、先に、兄の五代目歌六と共に「萬屋」一門から離れて、元々の播磨屋一門に
戻ったが、現在の播磨屋一門を率いる吉右衛門には、脇役の人間国宝だった二代目
「又五郎」(二代目又五郎は、初代の長男で、父親が若くして亡くなったので、初代
吉右衛門に預けられ、生涯、又五郎の名前を変えずに、人間国宝にまでなった)の名
前を誰かに継がせたかったのだろうと思う。それが、今回の歌昇の又五郎襲名に繋が
る伏線だったのではないか。

贅言;一度、私は、銀座の雑踏のなかで、又五郎を見かけたことがある。小柄な又五
郎は、和服を着てゆるりとした歩調で歩いていた。周りに人たちは、気づいていな
かったが、遠くから近づいてくる又五郎を見て、私は、現代の雑踏のなかにいても、
周りに溶け込まず、丁髷こそ結っていなかったが、江戸時代の人が歩いてくるような
気がして、彼が近づき、傍らを通り過ぎるまで、立ち止まって、見ていた。まるで、
映画を観ているような感じだったことを覚えている。

黒地に松竹梅の縫い取りのある衣装を着て、染五郎演じる三番叟は、下着は赤、足袋
は、黄色、背中に鶴の絵を背負う衣装という派手な格好で、厳かに舞い始める。「揉
み出し」、「烏飛び」などを見せながら、尻餅をついて、滑稽に腰を擦ってみせ、観
客を笑わせる。

次いで、新歌昇の千歳が、華やかに、「七五三の祝い」をゆったりと踊り継ぐ。ふた
り揃って、「嫁入りの踊り」となる。ゆらゆらとふたりの所作が連動して、と長持歌
に合わせて行く。「さても見事なこがね花」と、手踊り。最後に、三番叟が、鈴を振
りながら種まきをする様を踊る。やがて、緞帳が降りて来る。


「恋飛脚大和往来 新口村」、私は6回目の拝見。そのうち、3回は、仁左衛門が、
忠兵衛と父親の孫右衛門の早替りという趣向であった。藤十郎の忠兵衛は、今回含め
て、私は2回目。梅川は、福助。孫右衛門は、歌六。

花道には、白い布が敷き詰められている。定式幕が開くと、まず、浅葱幕が、舞台を
覆っている。振り落としで、「新口村」。

この場面、ずうっと雪が降り続いているのを忘れてはいけない。梅川が、「三日なと
女房にして、こちの人よと」請願した希望の地、忠兵衛の父親が住む在所である。忠
兵衛の知り合いの百姓・忠三郎の家の前。雪のなか、一枚の茣蓙で上半身を隠しただ
けの、男女が立っている。黒御簾からは、どおん、どおんと、大間に太鼓の音が聞こ
えて来る。雪の音だ。天井から雪が降って来る。

ふたりの上半身は見えないが、「比翼」という揃いの黒い衣装の下半身、裾に梅の枝
の模様が描かれている(但し、裏地は、梅川は、桃色、忠兵衛は、水色)。衣装が派
手なだけに、かえって、寒そうに感じる。やがて、茣蓙が開かれると、梅川(福助)
と忠兵衛(藤十郎)。絵に描いたような美男美女。ふたりとも「道行」の定式どおり
に、雪のなかにもかかわらず、素足だ。足は、冷えきっていて、ちぎれそうなことだ
ろう。茣蓙を二つ折り、また、二つ折りと鷹揚に、二人で、叮嚀に畳み、百姓屋の納
屋にしまい込む。梅川の裾の雪を払い、凍えて冷たくなった梅川の手を忠兵衛が息で
暖め、己の懐に入れ込んで温める。忠兵衛を直接知らない百姓家の女房(吉弥)に声
を掛け、不在の夫・忠三郎を迎えに行ってもらう。家のなかに入るふたり。

やがて、花道から歌六の孫右衛門登場。逃避行の梅川・忠兵衛は、直接、孫右衛門に
声を掛けたくても掛けられない。百姓家の窓から顔を出すふたり。ところが、本舞台
まで来た孫右衛門は、雪道に転んで下駄の鼻緒が切れる。あわてて飛び出す梅川。見
慣れぬ美女が、懇切に世話をするので、息子の封印切り事件を知っている父親は女が
息子と逃げている梅川と悟る。忠兵衛の代りに、「嫁の」梅川が父親の面倒を見る。
梅川と孫右衛門のやりとりを家のなかから障子を開けたり、締めたりしながら、様子
を窺うことで、忠兵衛の心理が浮かび上がる。寺に寄進する予定だった金を「嫁」に
逃走資金として渡す父親。

「めんない千鳥」(江戸時代の子供の遊び。目隠しをした「鬼ごっこ」のこと)で、
目隠しを使って、梅川は、外に飛び出した忠兵衛と孫右衛門を会わせる。目隠しも梅
川が外してあげて、親子の対面。家の裏から逃げよと父親が言う。ふたりが百姓家に
入ると、やがて、書割がふたつに割れて、百姓家の屋体は、物置ごと上手に引き込ま
れる。

舞台は展開。百姓家の裏側、竹林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見
に替わる。黒衣に替わって、白い衣装の雪衣(ゆきご)が、舞台奥からすばやく出て
来て、本舞台に残った道具(孫右衛門が使っていたゴザと椅子)を片付ける。逃げて
行く梅川・忠兵衛は、子役の遠見を使わず、福助と藤十郎のまま。霏々と降る雪。雪
音を表す「雪おろし」という太鼓が、どんどんどんどんと、鳴り続ける。さらに、時
の鐘も加わる。憂い三重。竹林をくぐり抜けて、舞台上手から下手へ進んだ後、下手
から上手へスロープを上がって行くふたり。白黒、モノトーンの世界に雪が降り続
く。小さなお地蔵さまの首にかかった涎掛けが、赤い色が印象的。孫右衛門がよろけ
ると、木の上に積もっていた雪が落ちる。孫右衛門も、鼻緒の切れた下駄を梅川に紙
縒りで応急措置をしてもらったが、結局履かずに素足のまま。逃げる方も逃がす方
も、素足で我慢。

藤十郎は、梅川も忠兵衛も演じて来た。今回は、福助の梅川と初共演。歌六は、初め
ての孫右衛門役に挑戦。上演時間も、40分サイズと最小限に絞り込んだ緊迫の「新
口村」であった。


「菅原伝授手習鑑 寺子屋」は、襲名披露の祝幕が、掛かっている。やがて、上手か
ら定式幕が、押して来て、いわば、幕の早替り。柝が鳴り始める。定式幕は、下手か
ら上手へと移動して行く。

国立劇場の前進座公演もふくめて、今回で16回目の拝見。今回の主な配役。松王丸
は吉右衛門。千代は、魁春。源蔵は、又五郎。戸浪は、芝雀。園生の前は、福助。玄
蕃は、段四郎。松王丸は、今回、人間国宝に認定されてから、初めての吉右衛門が演
じる。吉右衛門で、観るのは、3回目。吉右衛門は、いつもの吉右衛門で、人間国宝
になって、最初の舞台だが、安定感があった。

又五郎襲名の歌昇が、初役で武部源蔵を演じる。初日の舞台を観たが、襲名披露保初
日の初役だけに、「勢獅子」ではないが、力が入りすぎていて、いくら、時代物で、
くっきりとした実線の演技が良いと言っても、かなり、オーバーアクションを感じ
た。もう少し、さらり、ゆるりとやって欲しかった。夜の部の「車引」は、午前中の
緊張感が少しは弱まったのか、こちらの梅王丸は、よかった。

「寺子屋」では、松王丸と千代の夫婦と源蔵と戸浪の夫婦が、両輪をなす。ふた組の
夫婦の間で、ものごとは、展開する。「寺子屋」は、子ども殺しに拘わるふた組のグ
ロテスクな夫婦の物語である。

1組目の夫婦は、武部源蔵(又五郎)・戸浪(芝雀)である。初めて、「寺入り」
(寺子屋に入学)した見知らぬ子どもを上司の息子(菅丞相の息子・秀才)の身替わ
りに殺してしまう。源蔵は、苦渋の選択を迫られて、妻の戸浪に話すと、「鬼になっ
て」そうしろと言う。悩んだ挙げ句、「生き顔と死に顔は、顔付きが変わるから、贋
首を出しても大丈夫かも知れない」、「一か、八か」(ばれたら、己も死ねば良い)
と、他人(ひと)の子供を殺そうと決意する源蔵夫婦は、まさに、鬼のような、グロ
テスクな夫婦ではないか。

2組目の夫婦は、松王丸(吉右衛門)・千代(魁春)。自分の子どもに因果を含め、
恩人の子の身替わりになれとそそのかし、親の都合通りに死んでくれた息子を「持つ
べきものは、子でござる」と嘯く。千代は、息子の死後の装束を文机のなかに、用意
して、入学していたし、松王丸も、春藤玄蕃の手前、源蔵に対して、「生き顔と死に
顔は、相好(そうごう、顔付き、表情)が変わるからと、贋首を出したりするな」な
どと、さんざん脅しを掛けながら、実は、贋首提出に向けて、密かな「助言」(メッ
セージ)を送っている。

幕切れ前の「いろは送り」の場面では、松王丸が乗り、園生の前が乗って来た駕篭
が、下手に置かれると、源蔵の家の木戸が、大道具方によって片付けられるが、さら
に、黒衣も、「片付け」に加わって、木戸のうちに置いてあった草履を全て持って
行ってしまった。やがて、戸浪が首のない小太郎の遺体(人形)を奥から抱えて出て
来て、駕篭のなかに安置する。駕篭から平舞台全面が、「告別式」の場となる。駕篭
も、屋敷内の置かれているという想定だ。二重舞台に残った園生の前と菅秀才を除く
全員が、平舞台に座って、葬式を進行させる。平舞台のグロテスクなふた組の夫婦
は、全員素足だった。園生の前を演じた福助は、白足袋を履いていた。


曽我物の「勢獅子」は、4回目の拝見。定式幕が開くが、浅黄幕が、舞台を覆ってい
る。下手に、常磐津の人間国宝・一巴太夫ら常磐津連中。今は日枝神社の祭礼「山王
祭」を舞台に映すが、元は曽我兄弟の命日、5月28日に芝居街で催された「曽我
祭」を映したという。だから、今回も鳶頭は曽我兄弟の仇討の様子を踊ってみせる。
「夜討曽我」。手古舞たちの端唄模様の「クドキ」、鳶頭の「ぼうふら踊り」、

舞台上手は、茶店とご祭礼のお神酒所。中央には、ご祭礼の門。背景の書割には、江
戸の街の商店が並ぶ。下手の積物は、剣菱の菰樽。江戸の粋と風情が、舞台いっぱい
に溢れる。

鳶頭は、梅玉、松緑、新歌昇、松江、亀寿、種之助(新歌昇の弟)。手古舞の女形た
ち(米吉・歌六の長男、隼人・錦之助の長男ら)を連れて、祭りに参加している。歌
昇と松緑のふたりが、「獅子舞」で達者な踊りを披露。獅子の狂い。百獣の王 ・獅
子の演目だけに、手古舞の女形たちが、百花の雄・牡丹が描かれた扇子を二つ組み合
わせて、蝶々に見立てて、踊っていた。獅子と蝶々は、定番。さらに、お神楽見立て
の、おかめ、ひょっとこ、大尽の面を被っての「ひょっとこ踊り」。祭りの描写だ
が、舞台いっぱいに大勢の出演者が勢ぞろいしての舞い納め。襲名披露の昼の部終演
を盛り上げるのが狙い。
- 2011年9月3日(土) 10:33:36
11年08月新橋演舞場 (第三部/「宿の月」「怪談乳房榎」)


「宿の月」は、初見。1955(昭和30)年、初演された、狂言風舞踊劇。扇雀、
橋之助。新婚時代から強気の妻が、中年になり、金の亡者の恐妻かと思い気や意外と
純愛というのが、落ち。

緞帳が上がると、春の月の夜。一段目:まず、上手から角隠し姿のおつる(扇雀)、
続いて下手から亀太郎(橋之助)登場という、女性上位の若いカップルが、祝言を挙
げる。扇を使って、三三九度の所作。扇は、盃にも、瓶子にも、手拭いにもなる。
リードするのは、おつる。仲人役は、天空の月のみ。

二段目:子宝が授かる。赤子も、扇で表現する。観念的な能狂言の良い所。子煩悩な
亀太郎。赤子に甘い夫を戒める妻。夫婦のズレと微妙に変わる力関係が、コミカルに
描かれる。扇雀は、下手に退場。橋之助は、上手に退場。

三段目:秋風と共に、妻の立場が、いちだんと強まる。ふたりは、着替えて、登場。
下手から、まず、扇雀。次いで上手から橋之助。金(小判)だけが頼りという妻。妻
に押され気味の夫。外で怪しい物音。外の様子を見に行かされる夫。亀太郎は一計を
案じ、盗人に斬られたという「狂言」を思いつく。夫を心配し、「姿なき盗人」に金
を放り出し、夫の命乞いをする妻。この辺りから、夫婦の風向きが変わる。恐妻の筈
だったのが、夫思いの愛情を示す妻としての本性を顕す。「どこにも障りはないよう
なあ」。ふたりは、新婚時代に戻り、夫婦愛を謳歌する。風も止み、雲も切れた。月
がでて来た。今宵ふたりの宿の月。「宿」の月とは、宿=自宅で見る月の良さ(日常
生活の大切さ)を謳い上げていることが判る。


勘太郎の「怪談乳房榎」は、勘三郎の最短バージョンで、もの足らない


「怪談乳房榎」は、3回目の拝見。これまでの2回は、いずれも勘三郎。息子の勘太
郎が初役で勤める舞台は、もちろん初見。

「怪談乳房榎」は、人情噺、怪談噺を得意とした幕末から明治に掛けて活躍した落語
家・三遊亭圓朝の原作である。1888(明治21)年に新聞に掲載され、1897
(明治30)年9月、真砂座で初演された。当時は、うわばみ三次は、登場していな
い。三次は、1914(大正3)年8月、京都南座で、初代延二郎(後の、二代目延
若)のときに、三役早替りの趣向のために、創作された小悪党で、以後、定着した。

「父の演じた通りにします」。勘太郎は、兎に角、父親を真似ることを今回の上演の
目標にしたようだ。一応それをこなしている様に見えるが、形だけで、「三次の凄
み、正助の愛嬌、重信の重み」、父親の域に達するのは、まだまだ、精進必要。それ
だけに、将来が愉しみ。

「怪談乳房榎」の上演は、歌舞伎座の「納涼歌舞伎」では、4回。今回は、新橋演舞
場では、初めての上演になる。前回、2年前の歌舞伎座の舞台は、勘太郎の父親、勘
三郎の四役早替りで観ている。9年前、2002年歌舞伎座の舞台も、主役は勘三郎
だが、この時、勘三郎は、三役早替りだった。私は、この演目は、3回目の拝見。勘
三郎は、勘九郎時代を含めて、本興行で、歌舞伎座、大阪中座(今は、ない)、京都
南座で、あわせて6回上演している。回を追うごとに、勘三郎らしい工夫をこらして
いるのだろうが、一方では上演時間が短くなっている。筋を丁寧に演じることを省略
し、「早替り」という外連(けれん)優先の演出である。2時間41分から始まっ
て、1時間41分へ。勘太郎版「怪談乳房榎」は、この最短のバージョンで、演じら
れた。それについては、後述する。

今回の配役は, 人気絵師菱川重信、重信下男の正助、無頼のうわばみ三次の三役早替
りと父親勘三郎同様に三遊亭圓朝も演じ、都合四役を勘太郎が初役で演じる。憎まれ
役の磯貝浪江は、「納涼歌舞伎」では、すべて橋之助が演じていたが、今回は獅童初
役。重信妻のお関は、2回とも福助で観ているが、今回は、七之助初役。

勘太郎の早替りは、吹き替えを含めてテンポがあるが、勘三郎同様にめまぐるしく
て、演技より、早替り優先で、少し、興が削げた感じは、今回も変わらなかった。三
次→正助→重信のいくつかの場面の早替りがあるが、この芝居は、正助が、主役だろ
う。正助をきちんと演じないと、「怪談乳房榎」の主役は、勤まらない。

序幕「隅田堤の場」。茶屋の女お菊は、ベテランの小山三。「扇折(扇の地紙折り、
という職業があったのだろう)」の竹六を演じる小三郎は茶店を訪れる場面で、先輩
役者の小山三に敬意を表する楽屋「口」のような感じで、「いつもお若くて結構だね
え」と呼びかける。真意を判ったと思われる観客からは、小山三への敬老共感の笑い
が漏れる。竹六は、茶店の先客お関にも愛想良く、「いつもお元気そうで何よりだ
ね」、お関のお供の女中お花(芝のぶ)にも、「いつもお美しいねえ」と声をかける
から、楽屋「口」とも商売柄とも言えるような滋味があり、役者の人柄にあった愛想
良さ、あるいは登場人物のキャラクターなのだろう。

この場面のポイントは、憎まれ役となる磯貝浪江(獅童)が、泥酔した国侍らに絡ま
れた女将の急場を掬う場面である。女将は、江戸評判の浮世絵師・菱川重信の妻・お
関で、磯貝浪江がお関と知り合うきっかけ作りの場面だ。この絡みは、そうとは説明
されていないが、絵師になりたいという磯貝浪江が、菱川重信の妻・お関に近づくた
めに、国侍らに金を出して仕組んでいたとしても、おかしくはない。

磯貝浪江は、歌舞伎独特の「色悪」(美男の悪役)というキャラクターだろう。その
ほか、菱川重信の下男・正助(勘太郎)が花道から出て来て、用事があるからとすぐ
に下手へ引っ込むが、たちまち、本舞台中央の御休処の奥から姿を現すうわばみ三次
(勘太郎)へと勘太郎は早替わりをしてみせる。

しかし、この序幕の魅力は、早替りの予兆だけでなく、実は、もうひとつある。つま
り、江戸の街と庶民が描かれるということだ。幕が開くと、背景の隅田川と向こう岸
に見える待乳山の書割のある堤の場面では、梅若伝説で知られる梅若塚近くの茶店に
立ち寄る花見客たちの姿が活写される。扇折竹六(小三郎)や重信妻のお関に付き
添って来た女中お花(芝のぶ)は、茶店の女・お菊(小山三)に茶を勧められても床
几に座らず、竹六は地面に膝を着き、お花は、立ったままでお茶を飲み、お関の赤子
も抱いていた。お関は、ゆるりと床几に座る。身分の違いというルールのあった江戸
の習慣を滲ませる。

このほか、茶屋の前を酔客、花見客、国侍などが、通る。2002年に私が初めて観
た「怪談乳房榎」では、外題の謂れとなった、赤塚の松月院にある乳房榎に張り付け
られた乳房の絵馬や榎の樹液を採取する竹筒、境内を通る礼拝の男女などの姿にも、
更に、江戸の町人たちの習俗が、伺えたが、前回の勘三郎の舞台同様、今回も、これ
らの場面は、省略されていて、残念であった。定式幕が閉まる(この演目では、廻り
舞台ではなく、幕に拠る場面展開を多用した)。

二幕目第一場「柳島重信宅の場」。磯貝浪江は、お関の縁でまんまと重信の弟子に
なって2ヶ月が経った。皆に気配りをする磯貝は、菱川家中の評判が良い。しかし、
重信が、高田馬場近くの寺の本堂の天井画を描くのを頼まれ、夜更けにも拘らず出立
してしまい、ひとり残ったお関が、長男の真与太郎(まよたろう)を寝かし付けよう
と蚊帳に入って行くと、磯貝は豹変する。前回、この場面では、お関を演じた福助
は、蚊帳に入る際、入る予定の蚊帳の辺りにいたと思われる蚊をばたばたという感じ
で、追っ払った上で、すばやく、蚊帳のなかに入っていったが、こういう辺りに江戸
の庶民の、夏の生活習慣が、活写されていて、おもしろい。今回の席では、この場面
が見えなかったのは、残念。

蚊帳のなかで、お関が幼子を寝かしつけていると、家中に男一人しかいないという状
況を悪用して、不埒にも母子の寝間近くまで、磯貝は、「挨拶に来た」という。磯貝
は家中を眺め、辺りの様子を伺った上で、急な差し込みが起こった、「痛い、痛い」
と言って、仮病を使う。お関を蚊帳の外に誘い出そうという肚だ。このあと、磯貝
は、態度を急変させてお関に不義を仕掛ける。この場面、初めて観たときは、蚊帳が
あるため、「四谷怪談」のお岩、伊右衛門の夫婦の寝間の場面を連想させたが、今回
は、前回同様、蚊帳の外での演技で、あっさりとしていて、お関の不安感を感じさせ
るだけで、演劇空間としては、ちょっと、薄味であった。

舞台が鷹揚に廻り、二幕目第二場「高田の料亭花屋の二階の場」へ。ここでは、磯貝
浪江が、お関の叔父が仕える家の金蔵を破り御用金二千両を奪った犯人の佐々繁とい
うのが本名で、「佐々の旦那」と呼びかけたうわばみの三次が、その昔からの盗人仲
間だったことが判る。旧悪を種に旦那を脅す三次。「白蛇(はくじゃ)が出るのは柳
島」というのは、三次の科白。「柳島重信宅」の地名を織り込み、「蛇の道は蛇」と
小悪党は、悪ぶる。

この場面も芝居の見どころは、勘太郎の早替り。二階の場面の後、階段を降りる場面
で、勘太郎は、三次から正助への早替りを見せる。三次の顔、鬘を階段上から客席
に、長めに見せておきながら、多分、階段下の見えない部分で、勘太郎は、三次の衣
装から短かめの正助の衣装に脱ぎ替えているようだ。そして、階下に降りたとたん、
客席から見えない場所で、鬘を替え、手ぬぐいを持ち、正助になるのだろう。正助に
なり替わった勘太郎が上がって来る。

磯貝は、正助に料理や酒を勧め、五両を渡したり、兄になってほしいとか、重信が、
自分の父の仇だとか、適当なことを言ったりして、重信殺しに誘い込もうとする。肚
に一物のある磯貝は、重信に恩義を感じていて抵抗する正助をおだてて兄弟の盃をか
わそうとする。「兄弟」ということで、勘太郎と獅童は、顎が、似ているなどと捨て
台詞(アドリブ)を発して、場内を笑わせる。

二幕目第三場「落合村田島橋の場」は、暗闇に蛍が飛び、地蔵のある橋の袂の土手と
いう寂しい所。「累」や「四谷怪談」でお馴染みの殺し場の舞台。蛍狩りでほろ酔い
となった重信は、帰途についた所。磯貝は正助に手伝わせて、主の重信を殺す。

圓朝の、この怪談噺は、もともと、幕末の江戸の地名が随所に出て来る。隅田川、柳
島から高田馬場、高田馬場近くの落合、さらに十二社(じゅうにそう)は、新宿角
筈、そして、今回も省略されたが、練馬の赤塚へと場面は、江戸の街を東から北西へ
展開する。方角的には、「四谷怪談」の逆コースを行っていることになる。たぶん、
圓朝は、鶴屋南北の「四谷怪談」を下敷きにしているのだろう。

ここの勘太郎の見せ場は、磯貝に殺される重信の場面で、勘太郎は、正助→重信→正
助→三次へと早替りを見せる。花道から正助登場。上手から磯貝登場。ふたりは、重
信を待ち伏せするために傍らの薮に隠れる。重信の勘太郎は、また、花道から現れ
る。吹き替えを使っての早替り、正助、三次の早替りでは、花道でのすれ違いは、よ
く使う演出。定式の、傘と菰を使っての早替りだ。三次は、磯貝の落とした印籠を拾
う。後日の脅しの材料を手に入れたことになる。柝の合図で、背景の黒幕が落ち、野
遠見に替わる。獅童は花道に消え、三次役の勘太郎が舞台に残る。

二幕目第四場「高田南蔵院本堂の場」。講中の人々が、重信が殺されたことも知らず
に、待っている。花道から正助登場。師の死を知らせに来る。下手講中の輪の中に入
れられ、正助は、奥へ。花道七三から重信の霊登場。重信の幽霊は画竜点睛を欠く、
未完成の天井画「双龍之図」の眼を入れに現れたのだ。その後、幽霊は、舞台中央の
仏壇の裏へ、回転して消える。消えた重信から、勘太郎は、正助への早替りで、下手
下手講中の輪の中から現れる。

三幕目「菱川重信宅の場」。先の柳島の重信宅とは、別の屋敷。重信宅では、重信が
亡くなって、百か日の法要が営まれる。磯貝は、正助に重信の子・真与太郎を殺すよ
うそそのかす。磯貝は、犯罪者の心理として、幼い赤子に真相を知られているような
気がしているのだ。殺しの現場で拾った印籠を持ち脅しに現れた三次は、磯貝に口止
め料として、三百両を要求する。金と引き換えに、正助と真与太郎を殺すよう言い含
める磯貝。どちらも、小悪党だ。

大詰「角筈十二社大滝の場」では、滝は、本水。磯貝にそそのかされて重信の子・真
与太郎を滝に捨てに来た正助と重信の幽霊のやり取り、さらに、三次と正助との殺し
あい。夏らしい本水とドライアイスを使っての大滝の場面。正助→重信の霊→正助→
三次→正助などという勘太郎のテンポの早い立ち回りと早替りが見せ場。吹き替え、
マイクを使ってと思われる声のみの出演(録音か?)も含むが、芝居のテンポは、早
い。蓑笠、傘などの小道具が、そのテンポアップをサポートする演出の巧さ。岩屋の
洞穴なども使って、めまぐるしく、早替りの場面が続く。ゆっくり、演技を観ること
も出来ない。演技も、おおざっぱになっている。勘太郎は、良しも悪しも、勘三郎の
真似のままで、幕。

圓朝の道具幕(贔屓より寄贈の体)が現れて、幕外では、本舞台中央のセリ上がりか
ら、圓朝に扮した勘太郎が、上がって来る。前回の段三郎四役早替わり初演の時は、
筋書きにも、書かれずに隠されていた四役目の早替りの趣向だったが、今回は、筋書
に勘太郎の配役と明記。一席口上。前回、勘三郎は、「納涼歌舞伎」の再開は、新歌
舞伎座でと挨拶。そういえば、新橋演舞場の今月は、「納涼歌舞伎」ではなく、「花
形歌舞伎」だったっけ。若手の修練の舞台というわけだ。最後は、緞帳が降りて来
て、幕。

贅言:本来は、大詰第二場「乳房榎の場」があるが、今回は、前回同様省略。50分
くらい短いか。刈り込みすぎて、早替りという趣向が、前面に出過ぎたかもしれな
い。注連縄を飾った大榎、木の洞がおどろおどろしい(案の定、やがて、ここに重信
の幽霊が現れる)、乳の出を良くしたいという願を掛けるため、描かれた乳房の絵
馬、御利益のある榎の樹液を採取する竹筒が、それぞれ、大木のあちこちに付けられ
ている。この場面は、特異で、印象的だった。これが省略された舞台しか知らないと
「怪談乳房榎」の印象は、かなり違ったものになる。

磯貝と再婚し、子ができたものの乳が出ないので、磯貝とともにやってきたお関、改
心した正助が育てて来た重信の子・真与太郎は、ここで育てられていた。怪談噺、因
縁噺らしい、大団円が用意されていた。幽霊の登場、霊力による小鳥たちの攻撃、磯
貝に過って殺されるお関、正助、真与太郎に仇を討たれる磯貝という後日談の場面
が、省略されてしまっている。落語なら、因縁噺の落ちが無ければ、終わらないが、
歌舞伎なので、夏らしく、本水の立ち回り、早替りで幕という演出を勘三郎が考え、
息子の勘太郎も、継承したということだろう。
- 2011年8月23日(火) 6:48:34
11年08月新橋演舞場 (第二部/「東雲烏恋真似琴」「夏 魂まつり」)


G2作・演出の新作歌舞伎「東雲烏恋真似琴」の評判


「東雲烏恋真似琴(あけがらすこいのまねごと)」は、G2作・演出の初めての新作
歌舞伎。今回が初演だから、生まれたての、ぴっかぴかの新作歌舞伎だね。亡くなっ
た女房そっくりの人形と暮した男の物語。寝る時も一緒、食事をするのも一緒。一緒
に暮らしているうちに不思議なことが起る。人形を介して人間模様を描く、大人向け
のファンタジー。一目惚れの純愛は、人形に命を吹き込み、思わぬ展開になる。種本
は、1779(安永8)年に刊行された浮世草子「実話東雲烏(じつばなしよあけが
らす)」(巻三の二)をベースにしているという。

とりあえず、初見の演目なので、コンパクトながら筋を追っておこう。何故か、開幕
前から、「幕が開いている」。舞台一面に大きな「厨子」を思わせる構造物がある。
それを観客にさりげなく見せておいて、やがて、暗転。新作歌舞伎の常で、場内は暗
くて、メモが取れない。

序幕第一場「左宝月(ひだりほうげつ)庵の場」。明転すると、そこは山里にある人
形師・左宝月(獅童)の工房。宝月は左甚五郎の末裔である。役者が扮する人形があ
る。さらに、宝月が、舞台上手の紐を引っ張ると、大せりが上がって来て、10体の
生き人形が入った2段重ねの棚が奈落から現れるなど歌舞伎の舞台機構を生かした演
出が、効果的である。

ここへ幕府勘定吟味役潮田軍蔵の遣い藤川新左衛門(橋之助)が江戸から訪ねて来
る。堅物の新左衛門は、上司に忠実で、軍蔵が入れあげている吉原の花魁・小夜そっ
くりの人形製作の依頼をする。

序幕第二場「亀戸天神茶店の場」。大道具が、ゆるりと半分廻ると、大きな厨子のよ
うな構造物。「厨子」の扉が開くと、大勢の人々が行き交っている。亀戸天神境内の
茶店。新左衛門を見初めた伊勢屋の娘お若(七之助)と伊勢屋徳兵衛(亀蔵)が、新
左衛門の母親お弓(萬次郎)と弟秋之丞(勘太郎)とともに新左衛門の到着を待って
いる。見合いなのだ。結婚の意志のない新左衛門は、すっぽかす。残って待っていた
伊勢屋に遅れて来た新左衛門は、縁談の意志がないと断る。そこへ職場の同僚・関口
多膳(扇雀)が、やって来て軍蔵が小夜を身請けすることになったと伝える。実は、
多膳と小夜は、恋仲。新左衛門に小夜の間夫と名乗り出て、上司の勘定吟味役・潮田
軍蔵に小夜をあきらめるように進言してくれと依頼する。新左衛門は、渋々、引き受
けるが……。

序幕第三場「吉原仲之町井筒屋の場」。大道具が、ゆるりと廻ると、吉原の引き手茶
屋「井筒屋」の2階座敷。軍蔵(弥十郎)の酒宴で、初めて廓に来た新左衛門。小夜
の人形を作るために実物を拝見しようと訪れた宝月も同席。やがて、小夜(福助)が
現れる。堅物なのに新左衛門は、美しい小夜に一目惚れ。宝月は、小夜の人形を作る
と手に負えなくなるという予感から製作拒否の返事。軍蔵は、小夜の身請け話を出す
と多膳が、新左衛門間夫説を主張して抵抗。ならばと、軍蔵は、小夜と新左衛門の祝
言をしろと言い出す。宝月も堅物新左衛門の祝言の祝いならばと小夜人形を作ること
を承諾する。新左衛門は、真情の印に亀戸天神の「鷽替え(うそかえ=嘘を誠に変え
る、願い事を叶える)」の護符を許婚となった小夜に手渡す。

序幕第四場「大川端夜鷹蕎麦屋の場」。大道具が、ゆるりと廻ると、せり上がった大
川端に、夜鷹蕎麦屋(橘太郎)の屋台がある。新左衛門の弟の秋之丞(勘太郎)が、
お若(七之助)を気遣って兄の所行を嘆いている。吉原方向で火事の報。秋之丞が様
子を見に行く。小夜に振られて泥酔の多膳(扇雀)が、現れる。小夜も火事から逃げ
て来る。復縁を迫る多膳。拒む小夜。多膳は、小夜を斬り捨てる。目撃者の蕎麦屋
は、多膳に追われ、大川に蹴落とされる。さらに、未練を残しながら瀕死状態の小夜
をも大川に落とし込み、多膳は逃げてしまう。

序幕第五場「小夜捜索の場」。大道具が、ゆるりと半分廻ると、例の大きな厨子風構
造物。大道具方がそこに欄干のみを置くと、大川端の体。火事から逃げて、吉原の遊
女たちは、散り散りになった。許婚の小夜の行方を探す新左衛門。やがて、溺死体の
小夜が見つかるが、新左衛門は、祝言を前に、殺されてしまった小夜の死を認めよう
としない。「小夜は生きている」、新左衛門は、精神的におかしくなっている。お若
は、新左衛門の世話をしたいと、嫁ではなく、女中として新左衛門宅に住み込む。

序幕第五場「藤川家屋敷の場」。大道具が、ゆるりと半分廻ると、3週間後の藤川家
の屋敷。勤めを怠る新左衛門のことを案じて多膳が、職場復帰を忠告しに来る。新左
衛門は、小夜が見つかったと言って、宝月作の小夜人形を持って来る。人形に話しか
ける新左衛門の様子を見て、母親のお弓(萬次郎)は、新左衛門の話に合わせるよ
う、家中の者に命じる。ここからは、人形(マネキン=真似琴(まねきん)=真似
事)が中心となる喜劇が始まるが、幕間へ。定式幕が、閉まる。

第二幕第一場「藤川家屋敷の場」。定式幕が開くと、さらに、1週間後の藤川家の屋
敷。小夜人形を中心にした生活が続いている。新左衛門は、小夜を奥方として扱う。
恋の真似事。家人たちは、困惑しながら、話を合わせる。人形に振り回される人々を
コミカルに描く。歌舞伎のチャリ場(笑劇)。兄に似て、真面目、純愛で、兄嫁候補
に過ぎないお若に同情する弟の秋之丞は、兄を正気に戻すために、小夜殺しの下手人
探しを始める。

第二幕第二場「江戸城中之間の場」。大道具が、ゆるりと廻ると、江戸城中之間。宿
場復帰した新左衛門は、上司や同僚たちに小夜との生活を楽しげに報告する。職場の
同僚で、小夜殺しの下手人・多膳は、新左衛門の話を聞いて、もしや小夜が生き返っ
たのではと動揺する。

第二幕第三場「江戸城石垣前の場」。大道具が、ゆるりと半分廻ると、例の厨子風構
造物。石垣の体。江戸城石垣前。多膳の刃から大川へ逃れて助かった夜鷹蕎麦屋の橘
太郎が、自分が目撃した小夜殺しの場面を新左衛門に語り、藝達者振りを見せつけ
た。歌舞伎味を濃厚にして演じている役者が少ないので、橘太郎の演技は、目立って
効果的。

大詰「藤川家屋敷の場」。小夜は、人形から福助に替わる。ここからは、福助が本格
的に主役となる場面。生きた人形が、新左衛門にいろいろと焚き付けて、割る時絵
は、喜劇を悲劇に変える。「歴史は繰り返す。初めは、悲劇。2度目は、喜劇」とい
う常套句とは、逆の展開。やがて、多膳は、小夜殺しを自白する。小夜も消えて、人
形が残る。新左衛門の橋之助が、屋敷を出ると花道七三で死霊となった小夜の福助と
不思議な道行という格好で、幕。

贅言1);観終わって思い起こせば、序幕第二場「亀戸天神茶店の場」。大道具が、
ゆるりと半分廻ると、大きな厨子のような構造物。「厨子」の扉が開くと、と冒頭近
くで書いたが、実は、そこは、亀戸天神境内の茶店ではなく、新橋演舞場の客席に
座ったまま、私たちは、厨子の中に吸い込まれていたのではなかったのか。見ていた
夢は、人形たちのワンダーランド彷徨。廻り舞台は、廻り灯籠のように、クルクル廻
る。

贅言2);新作歌舞伎は、歌舞伎味が稀薄。それを補うように廻り舞台を盛んに使っ
ていた。せり、スッポンは、薬味のように少々。役者では、先に触れたように、夜鷹
蕎麦屋の役の橘太郎、新左衛門の母お弓を演じた萬次郎のふたりが、随所にほどよく
歌舞伎味を滲ませていたのが、印象に残った。ほかの役者では、芝のぶが、人形「浮
舟」、花魁三千歳で、私の目を楽しませてくれた。

歌舞伎作品とは、味わいが違うと思うが、今回は、おもしろい演劇空間を堪能した。
評判は? →観客席の反応もまずまずのようだった。歌舞伎座、去年から新橋演舞場
と、納涼歌舞伎では、毎年、人気作家に歌舞伎作品への挑戦を促しているようだが、
野田秀樹作品を除けば、歌舞伎作品としても成功した例は少ないように思う。


「夏 魂まつり」は、初見。明治大正を生きた歌人・九條武子の舞踊詩「四季」のう
ちの「夏」。その歌詞を使い、1928(昭和3)年、新たに創作された新作舞踊。
歌舞伎では、1943(昭和18)年、初演。今回は、東日本大震災被災者鎮魂の上
演で、曲は、常磐津に改められ、振付けも工夫し直した。京、大文字の送り火。本物
の方は、岩手県陸前高田市の松の放射能汚染をめぐる京都市政の腰の定まらない対応
で、批判を浴びたが、こちらは、スムーズに鎮魂をした。父、息子(福助、橋之
助)、孫(国生、宜生)と芝翫一家の出演。特に、橋之助親子を軸に福助が助っ人参
加。

緞帳が上がると、京の加茂川。8月16日。如意ヶ嶽の大文字の送り火。太鼓持(国
生)と舞妓(宜生)が踊っている。せり上がりで、若旦那の栄太郎(芝翫)と芸者お
駒(橋之助)が、床几に座ったまま現れる。更に、花道から芸者お梅(福助)が、参
加して来る。

「大成駒」「成駒」「神谷町」などと、大向うから声がかかる。

常磐津で、「三十六峰むらさきに 暮れゆく鐘は 魂まつり」

やがて、大文字が赤々と浮かび上がる。芝翫一家は、客席に背を向け、大文字に向
かって、揃って、一礼。楽屋の芝翫の弁「魂を送る。東日本大震災で亡くなられた方
たちへの、鎮魂の思いを込めます」。

正面に向き直った芝翫一家は、静止体制に入る。故人の鎮魂。過ぎ行く夏への惜別。
- 2011年8月22日(月) 9:08:16
11年08月新橋演舞場 (第一部/「花魁草」「伊達娘恋緋鹿子 櫓のお七」)


「新」歌舞伎と「新作」歌舞伎の違いは?


新歌舞伎は、明治以降から戦前にかけて作られた歌舞伎作品。新作歌舞伎は、戦後作
られた歌舞伎作品という違いがある。幕末までに作られた作品は、江戸歌舞伎と呼ば
れる。北條秀司作の新作歌舞伎は、「北條歌舞伎」と呼ばれる。「花魁草(おいらん
そう)」は、1981(昭和56)年、歌舞伎座で初演された北條秀司作・演出の新
作歌舞伎。私は、初見。今回で、本興行、3回目の上演である。1855(安政2)
年10月に江戸を襲った大地震の被災者の物語。明日への希望の物語に年の離れた
カップルの純愛をダブらせた構成。飛躍する年下の男と病み行く年上の女の接点に心
温まる物語があった。初見なので、筋書も含めて、少し詳しく記録しておきたい。

序幕第一場「中川の土手」。安政大地震の翌朝。舞台は、真っ暗な中で幕が開く。夜
明け前、日光方面に通じる中川沿いの街道。舞台手前は、中川。奥が、日光街道の土
手。薄明かりの土手をシルエットの人々が通る。段々、明るくなって行く。河原で一
夜を明かした職人が起き上がって、被災のことを話題にしながら連れだってどこかへ
行く。薄の中から起き上がった青年は、江戸の芝居町、浅草の猿若町の大部屋役者・
幸太郎(獅童)。楽屋着のまま逃げて来た。楽屋口で、地震に襲われたと言う。中川
の水で、喉を癒す。江戸に戻ろうとして草むらで寝ていた吉原の女郎・お蝶(福助)
の足を踏んでしまう。部屋着姿で、いかにも女郎という格好。ふたりとも着の身着の
まま江戸から逃げて来たと判り、意気投合する。そこへ、栃木宿の百姓米之助(勘太
郎)が、下手から小舟で中川を上って来る。お蝶は、持ち前の愛嬌で、栃木宿まで、
幸太郎共々、舟に乗せてもらうことになる。愛嬌のある福助には、ぴったりの役どこ
ろ。勘太郎は、とぼけた、気の良い百姓を演じ、獅童も、優しい、気使いの出来る青
年を演じる。善人たちの芝居が、始まるという予感。

序幕第二場「日光街道栃木宿の農家」。震災から1年後の秋。日光街道近くの農家。
お蝶と幸太郎は、米之助の母屋の裏の農具置き場を住まいとしてふたりで暮してい
る。幸太郎は、地元の名産品の達磨作りの内職をしている。お蝶は、幸太郎より年が
上なのを恥じて、おばと称している。舞台下手に赤い実を付けた柿の木。住まいの床
下には、薪の束が仕舞われている。上手は、米之助の住む農家の裏手。物干がある。
農家と幸太郎らの住まいとの間に、小さい祠がある。庭先に塗った達磨や唐辛子が干
してある。宿場の芝居小屋「栃木座」で興行をする嵐重蔵一座が、「チンドン屋」風
に、宣伝に来る。近くの豪農の娘お糸(新悟)が、若い幸太郎に栃木座の芝居や羽生
のかさね祭りに行こうと誘いに来たり、幸太郎に仕事を世話している江戸の達磨問屋
の主人(市蔵)が立ち寄ったりする。お蝶は、幸太郎に好意を寄せる若い娘のお糸に
嫉妬する。幸太郎は、お蝶の気持ちも忖度せず、貰って来た花魁草を祠の前に植え
る。お蝶は、幸太郎に江戸に戻って、舞台に出たくないのかと尋ねるが、幸太郎は、
お蝶とふたりで、ここで暮したいと言う。幸太郎が仕事で外出すると、母屋の米之助
が、訪ねて来て、お蝶に祝言をして、正式の夫婦になれと勧める。お蝶は、嫉妬心か
ら、昔裏切った男を殺したという過去を持つ。お蝶の母親も、同じ犯罪を犯している
という。母と同じ、殺人者の血が流れていることを怖がっていると米之助に告白する
お蝶。お蝶を慰める米之助。米之助と入れ替わりに上手からでて来た米之助の妻・お
松(芝のぶ)が、物干に干していた衣類を取り込む。

街道では、猿楽町の芝居茶屋の女将お栄(扇雀)、座元の勘左衛門(弥十郎)、妻の
お八重(高麗蔵)が、日光詣の帰り道に通りかかる。お栄は、幸太郎らしき男を見か
けたと騒いでいる。立ち寄った農家が、米之助宅。女房のお松から、見かけた男が、
「幸太郎」という名前だと聞かされて、幸太郎の帰りを待つことにする。帰って来た
幸太郎は、座元から江戸の芝居への復帰を誘われて舞い上がる。傍らで話を聞いてい
たお蝶は、そっと引きこもる。お蝶も一緒に江戸に戻ることになったが、お蝶は、幸
太郎を江戸まで送ったら、一人で戻って来る決心だと米之助には話す。殺人を犯し
て、心を汚し、女郎の暮らしで、身を汚したゆえに、前途ある若者の人生に汚点は付
けられないと身を引く年上の女。この場面、百姓夫婦の米之助とお松、ふたりの生活
に馴染んでいるお蝶と幸太郎を包み込む栃木宿の雰囲気。それに対して、江戸者の芝
居茶屋の女将お栄、座元の勘左衛門と妻のお八重の一行の雰囲気の違いが、見せ場だ
ろう。

第二幕第一場「日光街道栃木宿の農家」。6年後の夏。序幕第二場の農家と同じ大道
具だが、黄色く色づいていた木々は、いまは、緑も濃い。祠の前には、花魁草が、ピ
ンクの花を咲かせている。幸太郎らが住んでいた住まいには、女按摩(芝喜松)の施
療場になっている。客(亀蔵)が、宿場の芝居小屋「栃木座」で興行する江戸の歌舞
伎役者淡路屋若之助を話題にして、盛り上がっている。裃袴姿もきりりとした人気役
者若之助(獅童)は、幸太郎の6年後の晴れ姿だ。お蝶を訪ねて、かつての住まいを
訪れる。米之助とお松は、幸太郎の出世振りを喜ぶが、幸太郎が逢いたいお蝶の姿が
見えない。病気の療養で、山の上の湯場に行くと言って出て行ったまま、行方不明だ
という。獅童は、純朴な青年役者若之助を印象づける。

第2幕第二場「巴波(うずま)川の橋の上」。宿場の巴波川に架かった橋の上には、
歌舞伎役者の舟乗り込みを見ようという人たちで、ごった返している。舟乗り込み
は、見えない。「淡路屋」「淡路屋」と屋号が飛び交う。舟が通り過ぎると見物人た
ちも、ひとりふたりと去って行く。頭巾を被った女ひとりが橋の上に取り残される。
頭巾を取ると、女は、病み上がりのお蝶。お蝶は、立派になった幸太郎の姿を見て、
喜び、涙を流し、幸太郎を見送る。「幸ちゃんに逢いたい……」。暗転の中で、福助
の泣き声が、何時までの続くうちに、緞帳が降りてくるのが判る。幕。福助は、年上
で、病身の女の悲哀を滲ませる。

贅言:獅童が江戸の歌舞伎役者を演じるので、楽屋風景が垣間見られるかと愉しみに
していたが、そういう場面は、残念ながらなかった。


「櫓のお七」という歌舞伎は、主なものでも、外題が、5つもある!


歌舞伎で「八百屋お七」の世界と呼ばれるテーマがある。1682(天和2)年12
月に江戸で起きた大火の翌年、恋狂いの果てに放火未遂事件を起こして死罪になった
八百屋お七の事件を素材にした芝居(原作は、井原西鶴の「好色五人女」で、その
後、歌舞伎や人形浄瑠璃の素材になった)だ。

今回の「伊達娘恋緋鹿子 櫓のお七」筋書の上演記録が、不親切。記録だけ見ると、
私は初見になるが、実は、3回目の拝見。通称「櫓のお七」には、幾つも外題があ
る。1773(安永2)年、菅専助作「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがの
こ)」。1809(文化6)年、福森久助作「其往昔恋江戸染(そのむかしこいのえ
どぞめ)」。1856(安政3)年、河竹黙阿弥作「松竹梅雪曙(しょうちくばいゆ
きのあけぼの)」。「松竹梅湯島掛額」は、福森久助作「其往昔恋江戸染」の「吉祥
院」の場(通称「お土砂」)と河竹黙阿弥作「松竹梅雪曙」の「火の見櫓」の場のふ
たつを繋ぎ合わせて上演している(「松竹梅湯島掛額」という外題で、「お土砂」だ
けを上演する場合もある)。いずれも、火の見櫓の場面は通称「櫓のお七」と呼ばれ
る。

櫓でお七が打つ太鼓が、本来の半鐘から変わったのは、1809(文化6)年、福森
久助作「其往昔恋江戸染」で、この場面を演じた五代目岩井半四郎の工夫。途中か
ら、お七が、「人形振り」という所作(人形浄瑠璃は、人形が役者のように演じる
が、こちらが、逆に、役者が、人形のように演じる)を工夫したのは、1856(安
政3)年、河竹黙阿弥作「松竹梅雪曙」で、この場面を演じた四代目市川小團次の工
夫。

今では、櫓の上には、太鼓があり、お七は、途中から人形振りで演じるというケース
が多い。主役となる役者のこだわりで、原点に戻ることもあるかもしれないが、私が
観た3回の舞台では、今回を含めて、細部は違うが、大まかな所は、皆、同じ。先行
作品を下敷きにし、良い工夫があれば、積極的に取り入れるというのは、歌舞伎の融
通無碍の典型。「しゃばけ」シリーズで人気の作家畠中恵の最新作品集「やなりいな
り」の中の「こいしくて」に、「八百屋お七」が、作中で話題になる場面があり、こ
こでは、江戸の京橋の橋姫様(橋の神として、橋の結界を守っている)が、ある時、
恋狂いで橋から離れて結界を無にしてしまい多数の疫神たちが江戸の街中に押し寄せ
て来るというストーリーが展開される。

私が、観た舞台は、次の通り。97年4月歌舞伎座で、通称「紅長(べんちょ
う)」・「松竹梅湯島掛額」を観ている。お七は、福助。次が、03年11月歌舞伎
座で、やはり「松竹梅湯島掛額」で、この時のお七は、菊之助。今回は、「伊達娘恋
緋鹿子」で、お七は、七之助。

「櫓のお七」は、「松竹梅湯島掛額」の「四ツ木戸火の見櫓の場」。この「松竹梅湯
島掛額」は、1809(文化6)年の福森久助作「其往昔恋江戸染」の「吉祥院」の
場面は、ほぼそのままで、火の見櫓の場面は、47年後の、1856(安政3)年に
河竹黙阿弥が「伊達娘恋緋鹿子」をベースにして書いた「松竹梅雪曙」の「火の見
櫓」の場面を採用するようになり、いまのように演じるようになったという。「火の
見櫓」の場」は、今では、「松竹梅湯島掛額」も、「松竹梅雪曙」も、通称は、「櫓
のお七」というようだ。今回は、「伊達娘恋緋鹿子」という外題を採用し、上演記録
も、戦後本興行で上演された「松竹梅雪曙」、「伊達娘恋緋鹿子」、「櫓のお七」と
いう外題の舞台のみ(10回分)を記載しているが、今回を含め私が観た「火の見櫓
の場」では、火の見櫓の上には、人形浄瑠璃のように半鐘ではなく、太鼓がぶら下
がっているし、お七は、途中で、「人形振り」という役者が、人形になってみせる所
作を披露するのは、基本的に同じだ。それならば、上演記録も、同じ演目として記録
してくれた方が、使い易いのではないか。両方の「火の見櫓」の場面を合わせれば、
戦後の上演回数は、ざっと、2倍になる。

贅言;人形浄瑠璃では、櫓に上ったお七は、歌舞伎のように太鼓ではなく半鐘を叩
く。半鐘から太鼓に替わったのは、既に触れたように五代目岩井半四郎がお七を演じ
た時に工夫をし、以来、歌舞伎では、半鐘の代わりに太鼓を打つようになった。

私が観たお七は、福助、菊之助、七之助。菊之助に指導をした玉三郎本人の舞台を観
ていないのが残念だが、私が観た中では、菊之助の舞台が印象に残っている。14年
前、1997年に観た福助のお七も良かったが、8年前、2003年に観た菊之助の
お七は、堪能した。

この場面は、白と黒のモノトーンの雪景色の町家の風景。舞台中央に火の見櫓。上手
の番小屋。下手に木戸。火の見櫓には、看板が打ち付けてある。「掟 この太鼓をミ
ダリに打つべからず (略) 町役人」と書いてある。吉三郎に逢いたいというお七
(七之助)に付き添って店の女中お杉(芝喜松)が、現れる。ふたりは、本舞台上手
よりに臨時に設けられた階段を降りて、客席へ。客席の間を通りながら、捨て科白
(アドリブ)を交えて、観客にサービスする。やがて、下手本舞台に臨時に設けられ
た階段を上って、花道へ。向う揚げ幕のうちにいる木戸番とお杉のやり取りがある。
「木戸を通して欲しい」と頼むが、木戸番は、拒否する。お七は、本舞台に戻ると、
いよいよ、「人形振り」へ。舞台上手にあった霞幕が取り除かれ、竹本連中の出語
り。下手で、人形遣の扮装をして、口上。竹本の太夫や三味線方を紹介する。人形浄
瑠璃の演出形式を真似ている。

赤を基調にしたお七の艶やかな衣装だけが引き立つ。さらに、お七の所作が、「人形
振り」に変化する場面で使われる赤い消し幕の色彩感覚も見事だ。ふたりの黒衣が、
赤い消し幕で、お七とふたりの人形遣(黒衣に似た扮装だが、朱の紐を付けているの
で、違いが判る)を隠す。ここは、単純ながら、優れた演出だと、思う。場内の観客
の視線を、この単純な趣向で、一点に集中させることができるからだ。

朱の消し幕が、外されると、七之助は、後ろ向き。そのまま、舞台前方に移動する。
人形を運んで来るという感じ。人形遣がふたりなのは、役者による「人形振り」で
は、足遣いが不要だからだ。先ほど口上を述べた人形遣いは、舞台下手に雪布で覆わ
れた板の上に立ち、足踏みをして、人形の足音を表現する役回りもある。

特に、ふたりの人形遣が人形になっている七之助を横抱きにする場面への展開は、見
せ場だ。左遣いが、さりげなく「持ち場」を離れて、主遣いの後ろに並び、七之助の
跳躍に合わせて、横抱きにする。

菊之助の「人形振り」は見事だった。今回の七之助も、一生懸命やっているが、まだ
まだ。所作が、ぎこちないし、メリハリがない。途中、人形に文を読ませたり、衣装
の引き抜きもあったりするのは、菊之助も同じだった。

人形に梯子を上らせようとして、途中で落ちかける。ふたりの人形遣は、再び、お七
を横抱きにして花道に移動する。人形遣は、お七を七三に置いたまま、観客に礼をし
て、舞台下手に引っ込む。

お七は、花道七三で、人形から、再び、血の通った役者七之助に戻る。本舞台へ帰っ
たお七は、再び、櫓の梯子を上り始める。七之助という役者が。梯子から火の見櫓に
上がる。この場面では、お七が、太鼓を叩くと、上から(天井の葡萄棚から)霏々と
雪が降り始める。上手からお杉が、吉三郎が探し求めていた吉三郎家の家宝の名刀を
持って来て、お七に渡す。緊急の合図である太鼓の音で開いた木戸を通り抜けて、お
七は、吉三郎に逢いに行く。
- 2011年8月21日(日) 10:04:08
11年07月新橋演舞場 (夜/「吉例寿曽我」「春興鏡獅子」「江戸の夕映」)


新橋演舞場は、きょうが、千秋楽。私の劇評も、千秋楽に、なんとか、掲載が間に
合った。

「吉例寿曽我」(「鶴ヶ岡石段」「大磯曲輪外」)は、1900(明治33)年、東
京明治座で初演。竹柴其水原作「義重織田賜(ぎはおもきおだのたまもの)」の序幕
「吉例曽我」の「石段より曲輪通い」を元にしている。ただし、「鶴ヶ岡石段」の場
面、舞台全面に設定される大きな石段を使って、いわば、立体的に披露される立ち回
りは、1806(文化3)年に、先行作品を書いた鶴屋南北の「梅柳魁曽我(うめや
なぎさきがけそが)」が、最初の発想だという。

私は、3回目の拝見。最初は、99年12月の歌舞伎座で、猿之助演出、猿之助一門
総出。主な配役は、段四郎の工藤祐経、歌六の近江小藤太、猿弥の八幡三郎、右近の
曽我五郎、笑也の十郎、春猿の化粧坂少将、亀治郎の大磯の虎(今回の新橋演舞場の
筋書では、笑三郎となっているが、間違いではないのか。当時、私が書いた劇評で
は、亀治郎となっている)など。「大磯廓舞鶴屋」「鶴岡八幡宮石段」「同高殿」と
いう構成で、五郎・十郎の「対面」の物語をベースに「助六」あり、「忠臣蔵」あ
り、「ひらがな盛衰記」あり、「五右衛門」ありで、おもしろかった。病気休演後、
舞台から離れたままの猿之助は、当時は、まだ、病気の予感すらないなかで、190
0年の作品を借りて、1999年を曽我物の名場面オンパレードという方式で締めく
くろうとしたのではないかと思われる。

2回目は、2006年3月、歌舞伎座。出演は松嶋屋一門で、主な配役は、我當の工
藤祐経、進之介の近江小藤太、愛之助の八幡三郎、翫雀の曽我五郎、信二郎時代の錦
之助の十郎、家橘の化粧坂少将、芝雀笑の大磯の虎など。今回同様の、本来の「鶴ヶ
岡石段」「大磯曲輪外」という構成。

見せ場のひとつは、「石段」のだんまりもどきの立ち回りから、「がんどう返し」と
いう趣向で「大磯曲輪外」(最初に観た場面では、「高楼の場」)へ、大道具が変わ
る場面。

今回は、澤潟屋一門。定式幕が開くと浅葱幕が舞台を覆っている。まず、奴ふたりの
芝居がある。花道から出て来た八幡三郎方の奴、白塗の色内(猿三郎)と近江小藤太
方の奴、砥の粉塗の早平(猿四郎)が、本舞台にあがり、幕の前で争う。一巻(近江
方の謀反の密書)を争奪するお家騒動という前説。早平が所持する一巻を色内が奪お
うとしている。やがて、柝の合図で浅葱幕が、振り落され、鶴ヶ岡石段の場面とな
る。全面に天上まで届きそうな大きな石段。舞台上手に紅梅、下手に白梅。舞台下手
の天上近くに雲。

花道から砥の粉塗の近江小藤太(右近)が、下駄を履き、蛇の目傘をさして、助六気
取りで登場。次いで、上手揚幕から、白塗の八幡三郎(猿弥)も、下駄を履き、蛇の
目傘をさして出て来る。茶色い肩衣は、それぞれの家名入り。黒い衣装は、ふたりと
も、工藤の家臣として、工藤家の家紋入り。足袋は、黄色。ふたりは、以前に工藤祐
経の命を受けて、曽我兄弟の父親河津三郎を殺している。今では、近江は工藤家の執
権劔沢弾正と結託している。八幡は、工藤家を守る立場。「対面」では、ペアの感じ
の近江と八幡が、対立しているのが、おもしろい。

八幡が、早平から色内に奪わせた一巻の密書を見せびらかし、近江を牽制したことか
ら、両者の争いとなり、石段を使った、いわば立体的な立回りの場面となる。科白
は、ほとんどなく、途中から「だんまり」(闇のなかの、ゆるやかな争い)の立回り
が続く。江戸のセンスは、死闘という立ち回りさえも、優雅である。下座音楽は、
「石段の合方」。

やがて、石段の大道具は、上手と下手に分解されて引き込むが、ふたりを石段に乗せ
たまま、「がんどう返し」で、場面展開。石段の下からは、富士山の遠景が現れる。

場面展開後、舞台は、背景の富士山を中央に、裾野の上手に紅梅、下手に白梅(さら
に、その下手に小さな紅梅)。雲が棚引いている。「大磯曲輪外の場」。「曲輪外」
とは、曲輪の近くという意味。

大道具が止まると、舞台中央には、3人の黒衣が現れ、掲げ持つ赤い消し幕が、大せ
りの穴を隠す。消し幕が取り除かれると、やがて、源頼朝の重臣・工藤祐経(梅玉)
を軸に、曽我兄弟の後見人・朝比奈三郎(男女蔵)、秦野四郎(弘太郎)、それに、
大磯廓の遊女たち、十郎の愛人・大磯の虎(笑三郎)、五郎の愛人・化粧坂少将(春
猿)、喜瀬川亀鶴(梅丸)、そして、工藤祐経を父の仇と狙う曽我十郎(笑也)と五
郎(松江)の兄弟。敵味方入り乱れての、8人(前回は、9人)全員が、大せりに
乗って一挙の登場。前回から、ひとり欠けたのは、梶原源太であった。全員が、きら
びやかな衣装を纏い、静止した姿は、一幅の錦絵のようだ。特に、大磯の虎(笑三
郎)、五化粧坂少将(春猿)が、花魁姿で濃艶さを競う。喜瀬川亀鶴(梅丸)は、華
麗。

工藤祐経が、先ほどの密書の一巻を取り出したことから、8人入り乱れての「だんま
り」となる。動く錦絵だが、科白なしで、見栄えで、それぞれの人物の存在感を出さ
なければならない。まあ、「顔見世」という演出で、それだけの演目だが、眼で見る
歌舞伎らしい演目でもある。誰が主役ともいえない芝居だが、曽我ものゆえに、工藤
祐経対曽我兄弟という構図。初心者には、判り易い。

「吉例寿曽我」は、今回のような「鶴ヶ岡石段」と「大磯曲輪外」(あるいは、「石
段より大磯廓まで」で、30分足らずの上演)は、必須の場面だが、私が初めてこの
演目を観た時のように、「大磯廓舞鶴屋」「鶴岡八幡宮石段」「同高殿」という構成
(およそ60分)や1973年1月の国立劇場の上演のように「鎌倉鶴ヶ岡社頭」
「鶴ヶ岡八幡石段」「大磯海辺」「江戸吉原仲の町」「吉原三浦屋店先」へと、「助
六」劇に突き進んで行く演出もある(3時間前後)。この時は、先代の幸四郎(後の
初代白鸚)を軸に曽我五郎(初代辰之助、後に三代目松緑を追贈)、十郎(七代目梅
幸)などの出演で、上演された。いずれ、当代の幸四郎が、長尺版に挑戦するのでは
ないか。

夜の部の、このほかの演目の「春興鏡獅子」と「江戸の夕映」は、海老蔵を軸にした
劇評、海老蔵論で書いたので、省略。そちらを参照。「春興鏡獅子」は、今回で、1
1回目。私が観たのは、勘三郎(勘九郎時代含め、4)、今回の海老蔵(新之助時代
含め、3)、菊之助(丑之助時代含め、2)、勘太郎、染五郎。やはり、勘三郎の
「鏡獅子」が、いちばん安定している。
- 2011年7月26日(火) 20:52:49
11年07月新橋演舞場 (昼/「義経千本桜〜鳥居前〜」「勧進帳」「楊貴妃」)


海老蔵論を除いて、昼の部の劇評をまとめようとすると、「義経千本桜〜鳥居前〜」
を論じることになる。三大歌舞伎の一つ、「義経千本桜」は、3人の主人公がいる。
平知盛、狐忠信、そして、いがみの権太だ。全五段の作品で、二段目の口に当たる
「義経千本桜〜鳥居前〜」では、義経がちゃんと出てくる。「さしたる用はなけれど
も、かかる所へ義経が」で、田舎歌舞伎では、どんな芝居でも、義経が出て来ないと
観客が満足しないという「神話」があった。出て来た義経、「さしたる用がなけれ
ば」義経退場となるが、素人の義経役者は、とにかく、舞台に出たので満足するし、
白塗りで、豪華な衣装の義経を観た村のおばあちゃんも、満足する。私も「鳥居前」
を観るのは、10回目になるが、ここの義経は、いろいろ用がある。

さて、「鳥居前」は、女性を残して旅立つ男の物語だ。歌舞伎で、「女性を残して旅
立つ男の物語」と言えば、私などは、「雪夕暮入谷畦道 三千歳直侍」の物語が思い
浮かぶ。捕り手に追われている小悪党の直次郎は、高飛びする前に入谷の寮(吉原の
大店の別邸)で、出養生する三千歳に逢いにくる。弟分の暗闇の丑松に裏切られ、密
告されて捕り手に囲まれるが、なんとか包囲網を破り逃げて行く。三千歳が、自分も
連れて逃げて欲しいと直次郎に懇願するが、甲州へ逃げる心づもりの直次郎は、「山
坂多い甲州へ女を連れていかれねえ」「三千歳、もう、この世では、逢わねえぞ」等
という科白を残して行く。

さて、義経も直次郎とさしてかわらない。兄の頼朝から「謀叛あり」と嫌疑を持たれ
た義経は、義経を討てと命じられた土佐坊が、義経の住む京の堀川御所に攻め立てて
来た時、騒ぎを鎮めたかったのに忠臣武蔵坊弁慶が、土佐坊を逆に討取ってしまった
ので、京に留まることができなくなり、義経(門之助)一行は、伏見稲荷に道中の無
事を祈願するために参詣する。そこへ、義経の愛人である静御前(笑也)が、一緒に
連れて行って欲しいと追いかけてくる。花道七三でも止まらずに、一気に本舞台へ。
しかし、鳥居前で、「女に長旅は、無理だ(女を連れていかれねえ)」と義経は、静
御前に帰るよう諭す。

武蔵坊弁慶(猿弥)が、遅れてやってくる。こちらも、花道七三でも止まらずに、一
気に本舞台へ。義経は、お前の所為で都落ちだと軍扇で弁慶を叩く。叩かれて泣く弁
慶。静御前が、これを取りなしてくれたので、「以後は、きっと慎みおろう」と、弁
慶は、義経一行に同行することを許される(ならば、私も…)。静御前は、弁慶に恩
を売った心積りで、弁慶に義経に仲立ちして欲しいと頼むが、弁慶は、拒否をし、静
御前に都へ戻れと言うばかり(弁慶の恩知らず!)。義経も、自分の形見にと初音の
鼓を静御前に与え、鼓と静御前を、犬かなにかのように、鳥居前の梅の木に縛り付け
て、伏見稲荷の境内に入って行く(義経の意地悪!)。

そこへ、頼朝方の追っ手である早見藤太(寿猿)が、花四天の手勢を連れて花道から
現れる。いつもなら、藤太と花四天たちが、花道で、チャリ(笑劇)の一芝居という
場面だが、今回は、カット。藤太が、花道七三で本舞台上手を覗き込み、「女武者が
いる」とだけ言って、一行は、本舞台に移動し、静御前を連れて行こうとする。

そこへ現れたのが、故郷に帰っていた筈の義経の家臣・佐藤忠信(右近)。藤太と花
四天たちを追い払い、中でも藤太は、踏み殺して静御前を救出する。そこへ、境内か
ら義経一行は戻って来て、静御前を救った褒美として、忠信に源九郎という名前と着
用していた鎧を与え、更に、厄介払いとばかりに、静御前を連れて都まで送って欲し
いと頼む。(随分身勝手な義経)。実は、佐藤忠信は、本物の佐藤忠信ではなく、初
音の鼓の革に使われた狐夫婦の息子が、化けていた。静御前との道行きを前に、超能
力で本性を覗かせる狐忠信、というところで、「鳥居前」は、幕。

右近が、よかった。所作がてきぱきとし、口跡もメリハリがあり、ダイナミックで、
良い忠信であった。もともと、7月の歌舞伎座の興行は、右近の師匠の猿之助(澤潟
屋)一座の指定席だったが、猿之助病気休演以降は、玉三郎を頭に置き、澤潟屋一門
が、脇を固める興行となり、最近では、猿之助に指導を受けたという海老蔵が、玉三
郎に替わり澤潟屋一門に入り込み、軸となって芝居をしている。それだけに、今回の
「鳥居前」では、右近を軸にした澤潟屋一門の芝居なので、35分程度と上演時間
は、いつもより短いとはいえ、右近が張り切っているのが、伝わってくる。3人の花
四天の組んだ背に一気に飛び乗ったり、花道の幕外の引っ込みで、ふたりの力者を相
手に立ち回りをしたり、最後は、狐六法で、引っ込んだり、楽しそうであった。


「勧進帳」と「楊貴妃」についての劇評は、「海老蔵論」で、論じたので、簡単に残
余の部分を記すに留める。「楊貴妃」でが、第一幕「道教の観」の場面で、後の楊貴
妃である天真(福助)に花を届けに来た女道士(歌江)に応対する女中(喜昇)が、
科白も多いし、出も多いのでやりがいがあったろう。筋書に舞台写真と名前が出てい
るのも、嬉しい。「勧進帳」は、いつ観ても、完成された芝居だ。
- 2011年7月25日(月) 20:44:09
11年07月新橋演舞場 (昼/「義経千本桜〜鳥居前〜」「勧進帳」「楊貴妃」)


謹慎明けの海老蔵論


今回の劇評は、いつもと違って、昼の部、夜の部を通して、まず、「市川海老蔵論」
をまとめてみたい。ついで、昼の部、夜の部という構成にしたい。

海老蔵は、去年の11月25日に事件に捲き込まれ(あるいは、事件を起こし)て、
大けがをした。事件については、示談となり、海老蔵に大けがを負わせた相手が、処
罰された。海老蔵の事件前後の言動から見ると、アルコール依存症の疑いが強いと思
うが、爾来、7ヶ月余舞台を遠ざかって謹慎をしていた。8月には、子どもが生まれ
る予定という。役者は、私生活より舞台での存在感が大事だろうから、海老蔵につい
ても、私生活を云々する気はない。あくまでも事件前に舞台で観た海老蔵と今月久し
ぶりに舞台で観た海老蔵に絞って、いつもの視点で、海老蔵論を書いてみたい。しか
し、「謹慎明け」の海老蔵という印象は、観客の側でも、拭い去ることはできないだ
ろうし、実際、私も、そういう視点で、海老蔵の舞台を観てしまった。

まず、海老蔵の昼の部では、「勧進帳」の富樫である。弁慶は、父親の團十郎が務
め、義経は、梅玉が務めた。海老蔵は、新之助時代を含めると、富樫を今回を含めて
7回演じている。弁慶も、新之助時代を含めて、3回演じている。新之助から、十一
代目海老蔵を襲名し、その襲名披露の舞台である04年5月の歌舞伎座でも、「勧進
帳」を選び、富樫を演じた。つまり、海老蔵に取って、團十郎家の家の藝として、歌
舞伎十八番「勧進帳」は、役者人生の節目に選び取る演目といえるのだろう。襲名披
露と謹慎明け、どちらも、役者人生に取っては、重かろうと思う。

その時の舞台の劇評をひもとくと、
*團十郎の弁慶は、いつもにも増して、意欲的で、見応えがあった。海老蔵の冨樫、
菊五郎の義経とも、なかなか見物(みもの)の舞台だ。弁慶と冨樫が、所作台2枚分
まで、詰め寄る「山伏問答」。逆に、弁慶と義経が、所作台9枚分まで、離れる「判
官御手を」。いずれも、舞台の広さ、空間を活用した、憎い演出である。それだけ、
弁慶役者は、舞台を動き回る。その動きも、長唄に載せて踊る舞踊劇だから、舞うよ
うな演技が必要になる。さらに、内部にござを入れた大口袴という弁慶の衣装は、重
く、演じる役者に体力、気力を要求する。團十郎の弁慶には、息子の襲名披露の舞台
をなんとしても成功させようという気迫があった。役者魂と團十郎代々の将来を担う
長男・海老蔵への情もあったのだろう。それだけに、團十郎は、いつも以上の気力
で、舞台に臨んでいたのではないか。それが、團十郎のなかでも、今回の弁慶を、い
つもとは一味違う素晴しい弁慶にしていたと思う。團十郎の弁慶は、今回(04年当
時)で、3回目だが、いちばん、迫力のある弁慶であった。それほどの、素晴しい弁
慶であった。

しかし、また、それが、体力の限界まで團十郎を追い詰めてしまったのではないか。
いまから、考えれば、團十郎は、体を虐め、白血病に罹るほど、意気込み過ぎていた
のかも知れない。半年前から、本格的に始まった海老蔵襲名披露興行への準備。それ
は、自分の舞台を勤めながら、息子のポスター写真の撮影現場にも立ち会うなど、準
備の進捗状況にも、きめ細かく、目を光らせるということだ(以前に、初日前の歌舞
伎座で舞台稽古を何回か、観ているが、新之助の稽古に客席から浴衣姿の團十郎が、
注文を出している場面に出くわしたことがある。日頃から、息子の藝の精進には、目
を光らせていた)。今回の冨樫などの演技を見れば判るが、海老蔵も父親の期待に答
えようと頑張っていた。

命がけで、演じていた團十郎の体を病魔が襲っていたのかも知れない。(5月10日
から休演)5月5日の舞台で、病魔と戦うそぶりも見せずに、凄まじい弁慶を團十郎
は、演じてくれた。恢復後、再び、さらに奥行きのある弁慶を演じて欲しいと、願う
のは、私だけではない。歌舞伎ファンが、みな、一丸となって、團十郎の恢復を待っ
ている。身の丈の大きな海老蔵の冨樫は、口跡も良く、見栄えがした。また、いつの
日か、親子の役柄を変えて、海老蔵の弁慶、團十郎の冨樫でも、「勧進帳」を観てみ
たい。

ところで、團十郎は、若い頃の、役者としては、致命的欠陥とも言える、自分の口跡
の悪さ(声が籠る)を藝の力で克服して来た努力の人である。手を抜くことができな
い性格だろう。凄い弁慶を見せてくれた團十郎には、頭が下がるが、健康を害してし
まっては、なんにもならない。

7年前の海老蔵襲名披露の舞台を絶賛した身に取って、そういう目で、今回の謹慎明
けの舞台を観ると、海老蔵も,物足りなかったし、團十郎も,海老蔵襲名披露時の失
敗を繰り返さないようにしているのか、疲れを隠さず、團十郎は、体に切れが悪く、
実際に疲れていたように見えた。海老蔵は、謹慎中に、大分痩せたようで、頬や顎の
線が鋭角的だった。白塗りの顔、長身で、口跡も良い筈で、本来なら見栄えのする富
樫なのだ。しかし、舞台が進行するにつれて、海老蔵の富樫がなにか変だな、疲れて
見える團十郎もなにか変だなという、ふたつの「変だな」が、私の胸中に生じ始めて
いた。ふたつの「変だな」は、私の中で、次のように解析された。劇中の富樫は、本
来、義経一行を見逃す立場であり、見て見ぬ振りで、いわば「許す人」なのに、謹慎
明けの役者・海老蔵は、観客に「許しを請う」立場であり、いわば「許されようとす
る人」ということで、全く、立場が逆転しているという違和感があった。立場の逆転
した役者が、逆転した立場に立てる訳がない。海老蔵の、何が足りないと言って、ま
だ、「立場」が足りないのである。それが、今回の「勧進帳」の失敗の最たるものだ
ろうと思った。その印象は、今回、海老蔵が演じたほかの役での演技にも、通底して
いるように、私には思われた。以下、その弁を書いてみよう。

「楊貴妃」は、私は、今回初見。大佛次郎原作の新作歌舞伎である。1951(昭和
26)年6月、新派新劇合同公演として歌舞伎座で、初演された。歌舞伎役者だけで
上演されたのは、2年後の、1953(昭和28)年7月であった。最近では、19
97年12月、国立劇場で上演され、楊貴妃は、今回同様、福助が演じた。海老蔵
は、高力士を初役で演じる。前回の高力士は、当時の八十助、いまの三津五郎が演じ
た。

この芝居は、第一幕で、「天真」時代の楊貴妃が、まず,描かれる。道教の寺院に引
きこもって暮している天真(福助)は、一度結婚に失敗している。天真の3人の姉
が、若くして隠居生活をしている天真を慰めにくる。姉たちは、笑三郎、春猿、芝の
ぶが、演じる。玄宗皇帝の側近で、最近寺院を訪ねて来た美丈夫の高力士(海老蔵)
を宦官と知らずに天真は恋をする。玄宗皇帝に仕える天真の従兄(権十郎)は、天真
を皇帝の傍で仕えさせ、あわよくば、天真寵愛とともに、楊一族の立身出世を目論も
うとしている。高力士が、女体に接することができない宦官と従兄から知らされ、天
真はがっかりする。玄宗皇帝に見初められた天真。皇帝の使者として天真を迎えにく
る高力士に冷笑を浮かべながら、宮中へ輿入れをして行く。

第二幕「宮中の牡丹園」。10年後。皇帝(梅玉)に寵愛される天真は、名前も楊貴
妃と改めている。姉たちや従兄など楊一族も、英達している。立場が、逆転した楊貴
妃と高力士。楊貴妃は、高力士を誘惑し、高力士が、その気になると無礼だと叱りつ
けて、もてあそぶ。気持ちの熱情と体の機能の無力に苦しむ高力士。凄艶な笑みを浮
かべながら、その様を冷淡に見つめる楊貴妃。

皮肉屋の詩人として李白(東蔵)が、現れる。李白は、楊貴妃を傾国の美女と謳う
が、楊貴妃は、李白を嫌い、宮中より追放してしまう。

安禄山の乱が、伝えられる。安禄山派、君側から楊一族を排除するように求めてく
る。皇帝と楊貴妃、高力士の三角関係が、浮かび上がる中、政治が、一気に、表に出
てくる。

第三幕「馬嵬(ばかい)駅」。更に、1年後。戦乱の世に替わった。戦火は、広がる
ばかり。楊貴妃も侍女たちと逃げ延びてくる。高力士と玄宗皇帝もやってくる。敵方
の要求は、楊貴妃の引き渡しである。悩む皇帝。高力士は楊貴妃を敵に引き渡すよ
り、皇帝が、自らの手で、楊貴妃を殺すように進言する。皇帝は、己にはできないか
ら、高力士に楊貴妃殺害を依頼する。ここからが、高力士の本領発揮の場面となる。
エロスとタナトス。性的に不能の宦官・高力士は、エロスは、武器にならなかった
が、タナトスならば、武器になる。勅命を粛々と受け止める高力士。自らの手で、楊
貴妃の命を殺めるという喜びにうち震える。抵抗する楊貴妃を仕留める高力士は、冷
然と楊貴妃の、死しても、美しい肉体を見つめる。それを呆然と見守る玄宗皇帝。

権力者の代行として、心に秘めて来た最愛の女性の生涯を閉じる喜び。海老蔵の高力
士は、白塗り、鋭角的な顔の線、痩身で長身という柄を生かして、許されざる犯罪者
の立場を冷徹に演じていて、「勧進帳」の富樫より、良い出来だったと思う。それ
は、まだ、こちらの方が、海老蔵の立場として、足元が落着く部分があるということ
だろうと思った。昼の部で、富樫と高力士を演じる海老蔵を観て、今回の役者海老蔵
の立ち位置を改めて、再確認した。

続いて、夜の部の海老蔵も観ておこう。海老蔵は、新歌舞伎十八番「春興鏡獅子」と
大佛次郎原作の新作歌舞伎「江戸の夕映」に出演する。

「鏡獅子」は、海老蔵は、新之助時代を含めて、今回で、4回目の出演である。私
は、2回目の拝見となる。前回は、04年6月の歌舞伎座、海老蔵襲名披露の舞台で
あった。その時の劇評は、以下の通り。

*前半は、小姓・弥生の躍りで、女形の色気を要求される。後半は、獅子の精で、荒
事の立役の豪快さを要求される。海老蔵の弥生は、残念ながら、なかなか、女性に見
えてこない。もうひとつのポイント。六代目菊五郎の「鏡獅子」は、映像でしか見た
ことがないが、六代目の弥生は獅子頭に身体ごと引き吊られて行くように見えたもの
だ。将軍家秘蔵の獅子頭には、そういう魔力があるという想定だろう。ここが、前半
と後半を繋ぐ最高の見せ場だと私は、思っている。だから、どの役者が「鏡獅子」を
演じても、観客は、このポイントは、見逃さないだろう。私も、そうだ。海老蔵も、
祭壇から受け取った、ひとつの獅子頭に「引き吊られて」、というところまで、まだ
まだ、行かない。

後半に入って、「髪洗い」、「巴」、「菖蒲打」などの獅子の白い毛を振り回す所作
を連続して演じる。大変な運動量だろう。メリハリもあり、全身をバネのようにして
ダイナミックに加速する海老蔵の毛振りは、いかにも、若獅子らしく、見応えがあっ
た。この辺りは、さすがに、巧い。右足を上げて、左足だけで立ち、静止した後の見
得も、決まっている。海老蔵は、これをしたかったのだろうと思った。

今回の「鏡獅子」は、どうだったか。残念ながら、前回の劇評を丸々書き写しても、
変わらない。つまり、今回も、前半の海老蔵は、ダメであった。前半、海老蔵は、や
はり、女性に見えない。当代の團十郎も、六代目新之助時代に、東横ホールで1回、
十代目海老蔵襲名披露の時に、大阪の新歌舞伎座で1回演じているだけで、十二代目
團十郎になってからは、一度も演じていない。

「鏡獅子」後半では、海老蔵の動きは、今回も、メリハリもあり、全身をバネのよう
にしてダイナミックに加速する様も調子に乗っていた。海老蔵の毛振りは、いかに
も、若獅子らしく、見応えがあった。この辺りは、さすがに、巧い。右足を上げて、
左足だけで立ち、静止した後の見得も、決まっている。大向うから、「お見事」とい
う掛け声が掛かった。会場には、多くの溜め息が、吐かれた。ジワも、ある。海老蔵
は、今回、初めて得意そうな表情をした。海老蔵にとって、力一杯の毛振りは、今回
の事件に対する一種の「禊ぎ」の表出だったのではないか。海老蔵は、この観客の反
応を期待し、観客席から期待通りの反応があったので、昼の部よりは、満ち足りた表
情で立ち続けていたと思う。

大佛次郎原作の新作歌舞伎「江戸の夕映」で、海老蔵の「謹慎明け」の舞台は、ピリ
オドを打てるだろうか。

「江戸の夕映」は、小説家・大佛次郎が、海老蔵時代の十一代目團十郎のために歌舞
伎の戯曲を書いたもののうちの第2作で、初めての世話物であった。先代の團十郎が
亡くなってからは、当代の團十郎が、十代目海老蔵時代に3回演じている。

幕末から明治へ、世の中が大きく変わるとき、歴史上の人物ではない普通の武士は、
歴史の歯車に翻弄されて、どういう人生を強いられたかを描いた。初演は、1953
(昭和28)年3月。主な配役は、旗本・本田小六に海老蔵時代の十一代目團十郎、
同じく旗本・堂前大吉に二代目松緑、柳橋芸者・おりきに七代目梅幸。つまり、本田
小六が、主役なのだ。

私は、「江戸の夕映」を3回観ている。私が観た本田小六:海老蔵(今回含めて、
2)、八十助時代に三津五郎。堂前大吉:左團次、松緑、今回は、團十郎。團十郎
が、大吉を演じるのは、初めてである。おりき:時蔵、菊之助、今回は、福助。

朋友の旗本ふたりが、歴史の激流のなかで、対照的な生き方をする。徳川幕府が崩壊
し、明治になり、江戸は、東京になった。

序幕第一場「築地河岸」、第二場「舟宿網徳」、第三場「元の築地河岸」。築地河岸
の辺りでも、官軍の兵士たちが、我が物顔で歩き回っている。占領軍の威光を笠に着
ている。それに我慢がならないと、許嫁のお登勢(壱太郎)を棄てて、函館で抵抗す
る幕軍に加わるため、江戸湾に停泊中の軍鑑に乗り込もうというのが、本田小六(海
老蔵)。敗れて密かに江戸に戻って無聊な生活を送る本田小六と新しい時代に抵抗せ
ずに流されながら、巧く流れに乗り、武士を見限り、町人として生まれ変わって、生
活しようとする堂前大吉。

贅言;なぜか、新作歌舞伎ながら、大佛次郎劇は、昼の部の「第一幕」ではなく、夜
の部は、「序幕」という江戸歌舞伎の「記号」を使っている。それでいて、「序幕」
の次に、「二幕目」を使わずに、「第二幕 町の碁会所」というように、「第二幕」
を使っている。

第三幕「飯倉坂下の蕎麦屋」。物語の主軸は、小六(海老蔵)とお登勢(壱太郎)の
再会劇。男の意地と女の誠意の勝負は、女の勝ち。團十郎が、小六ではなく、大吉を
演じると大吉の方が主役に見えるから、おもしろい。

第三幕「飯倉坂下の蕎麦屋」の場面が良い。蕎麦屋の座敷の奥で、ひっそりと無聊の
酒を呑む小六は、「雪暮夜入谷畦道」の直次郎が酒を呑む場面を思い出させる。入谷
の蕎麦屋と違うところは、外は、雪ではなく、雨が降っている。蕎麦屋から、丁稚
が、傘をさして、蕎麦の出前に出かける。なぜか、小僧は、長い花道を出前に出かけ
て行く。これは、後の伏線。小僧の出前を観客に印象づける演出だ。

蕎麦屋で偶然、大吉は小六と再会する。大吉からかつての許嫁お登勢との再会を勧め
られたのにも小六は従わないで、いじけている。欝然として、ひとりで酒を飲んでい
る。大吉と小六が、蕎麦屋の店内で、そういうやり取りをしているところで、蕎麦屋
の前の道をおりき(福助)とお登勢が、傘をさして早足で、通り過ぎ、花道をどんど
ん行ってしまう。観客をハラハラさせる。大吉が言う。「(盃を)受けてくれねえ
か」。小六は、かたくなに拒んでいたが、やがて、手を上に伸ばして、そうっと受け
取る。そして、口に持って行く。観客席からは、期せずして、拍手が巻き起こり、大
向うからは、「成田屋」と、父親の團十郎より、謹慎明けの海老蔵に声が掛かる。海
老蔵に対する観客の「許し」のメッセージが、届いた瞬間だ。

蕎麦屋の小僧から知らせを受けておりきとお登勢が、小六のところへ、駆け付けて来
た。お登勢が、静かに小六に語りかける。「ご無事でよござんした」。江戸の女のラ
ブコールである。静かに見つめ合うふたり。やがて、舞台下手の空の一部が、明るみ
始め、最後は、真っ赤な夕焼けとなる。

ふたりの再会の場面が、輝くという趣向だ。若いふたりの再会の場面を邪魔しないよ
うにと店の外に出た大吉とおりき。本舞台から花道に付け根の辺りに佇むふたり。
「きれいな夕焼け」とおりきは、大吉に呟く。大吉、おりきの顔に夕日が照りつけ
る。

夕映とは、小六とお登勢という、若いふたりの人生のこれからの輝き、そういう意味
合いと江戸の黄昏、暮れ切る前の光芒という意味合いもあるのだろう。滅び行く江戸
の美意識。滅びの美学。大佛の芝居は、抑制が効いている。細部まで計算されている
ように見受けられた。そういえば、初演の演出は、大佛次郎本人だったという。今回
は、前回に引き続き、海老蔵父の團十郎の演出。

海老蔵の「謹慎明け」は、誰の演出だろうか、「勧進帳」「楊貴妃」「春興鏡獅子」
「江戸の夕映」と通しで観ると、一つの意志が働いていて、そのベクトルが機能し、
海老蔵もそれにのって、また、観客も随伴をし、海老蔵「復帰」に一役買ったように
思う。團十郎の演出だろうか。ステージパパ、健在だが、海老蔵の自立も、もう少
し、時間がかかるか。


「昼の部」劇評は、別稿を予定。
- 2011年7月25日(月) 18:07:12
11年07月国立劇場 (歌舞伎鑑賞教室「義経千本桜〜渡海屋・大物浦〜」)


「義経千本桜〜渡海屋・大物浦〜」は、9回目の拝見。「義経千本桜」は、多重的構
造の上、全五段の長い狂言で、3人の主役が、夫々の物語を紡ぐのだが、二段目に当
たる「渡海屋・大物浦」では、銀平、実は、知盛が、主役である。今回は、高校生向
けの歌舞伎鑑賞教室。いつもより、若い役者が配役される。

私が観た主な配役。まず,主役の「渡海屋」の銀平、実は、知盛:吉右衛門(3)、
團十郎、猿之助、仁左衛門、幸四郎、海老蔵。そして今回は、松緑が、抜擢された。
お柳、実は、典侍の局:魁春(今回含めて、2)、芝翫(2)、雀右衛門、宗十郎、
福助、藤十郎、玉三郎。義経:梅玉(3)、八十助時代の三津五郎、門之助、福助、
友右衛門、富十郎。そして今回は、松也。弁慶:團蔵(今回含めて、5)、段四郎
(2)、左團次(2)。相模五郎:歌六(3)、先代の三津五郎、歌昇、三津五郎、
勘九郎時代の勘三郎、権十郎。そして今回は、亀三郎。入江丹蔵:歌昇(2)、松
助、猿弥、信二郎時代の錦之助、三津五郎、高麗蔵、市蔵。そして今回は、亀寿。

こういう横並びの配役を眺めれば、今回のポイントは、初役に挑戦という松緑の脱
皮、松也の成長とともに、ベテランで、同じ役を何回も演じている魁春、團蔵との共
演の意味などを探る必要がある。高校生対象の歌舞伎鑑賞教室ゆえ、いつもよりテン
ポのある舞台展開で、コンパクトな演出だったので、その辺りを軸に劇評をまとめて
みたい。

「渡海屋・大物浦」は、渡海屋の店先、渡海屋の裏手の奥座敷、大物浦の岩組と三つ
の場面から構成される。

捌き役の銀平は、平家の貴人・知盛に衣装も品格も、変身するのが、見どころ。渡海
屋では、花道からアイヌ文様の厚司(あつし・オヒョウの樹皮から採った糸で織った
織物)姿で、外出先から戻って来た銀平は、義経一行を偵察に来た北条時政の家来と
称する「鎌倉武士たち(探偵団の扮装なのだが)」を追っ払うなど、ひとしきり演じ
た後、上手の二重舞台の障子(納戸)に一旦入る。

義経一行が、船出をして、日も暮れて来た。障子が開くと、銀烏帽子に白糸緘の鎧、
白柄の長刀(鞘も白い毛皮製)、白い毛皮の沓という白と銀のみの華麗な鎧衣装で身
を固めた銀平(銀色の平氏)、実は、知盛の登場となる。源平の戦いで、滅びた筈の
平家の3人の大将は、行方不明なだけで、実は、生きていた。知盛も、そのひとり、
密かに知盛の行方を追っていたのが、義経一行という設定。

知盛は、「船弁慶」の後ジテ(知盛亡霊)に似た衣装を着ているので、下座音楽で
は、謡曲の「船弁慶」が、唄われる。白銀に輝くばかりの歌舞伎の美学。そこへ白装
束の亡霊姿の配下たち。白ずくめの知盛一行の方が、死出の旅路に出る主従のイメー
ジで迫って来るように見える。

華麗な衣装は、悲惨な衣装に替わる。手負いとなり、先ほどの華麗な白銀の衣装を
真っ赤な血に染めて、向う揚幕の向うから、逃れて来た知盛。隈取りをし、血にも染
まっている。さらに、義経主従に追い詰められた岩組の上で、知盛は、碇の綱を身に
巻き付け、綱の結び目を3回作る。瀕死の状態にもめげず、重そうな碇の下にやっと
のことで、身体を滑り込ませて持ち上げて、碇を海に投げ込む。綱の長さ、海の深さ
を感じさせる間の作り方。綱に引っ張られるようにして、後ろ向きのまま、ガクンと
落ちて行く、「背ギバ」と呼ばれる荒技の演技。

この場面で、松緑は、瀕死の知盛が、生き返ったように見えてしまった。吉右衛門等
では感じなかったことだが、松緑の知盛は、「元気」に綱の結び目を作っているよう
に見えたのだ。仁左衛門、吉右衛門、そして松緑の年齢に近い海老蔵とも、初役の舞
台で、知盛を見たが、さすが、仁左衛門、吉右衛門は、安定していて、緩怠がなかっ
たが、松緑、海老蔵は、むしろこれから同じ役の体験を積んで、精進して行くのだろ
う。以下、コンパクトに比較。

仁左衛門の初役の舞台では、「大物浦」で、傷ついた知盛は、胸に刺さっていた矢を
引き抜き、血まみれの矢を真っ赤になった口で舐めるという場面があった。「大物
浦」で源氏方と壮絶な戦いをする知盛の姿は、理不尽な状況のなかで、必死に抵抗す
る武将の意地が感じられた。上方訛りの科白を言う知盛の科白廻しも新鮮に聞こえ
た。

吉右衛門の初役は、01年4月の歌舞伎座。名場面を吉右衛門が、隙間のない演技で
埋めて行ったのは、さすが。初役の不安感など感じられない。吉右衛門は、初役なが
ら安定した演技で十全の銀平。

柄が大きい海老蔵は、演技以前に存在感がある。海老蔵の大きな目も、父親譲りで、
魅力的である。口跡も、父親の團十郎に似ず、はっきりしていて、良く通るが、声量
の調節が、不十分で、大きすぎた。柄の大きさも、合わせて、演技が大味になる可能
性がある。松緑は、顔つきが変わって見えた。写真を見ると、父親の初代辰之助(三
代目松緑を遺贈された)に似て来たように思えるが、これは進歩だろう。残念なが
ら、猫背な感じは変わらなかった。知盛が、入水する場面は、立役の藝の力が、必
要。ここは、滅びの美学。口跡は、松緑も、良い。脱皮しつつある松緑という気がし
た。

初役で義経を演じた松也。芝居に先立ち、鑑賞教室特例の「歌舞伎のみかた」解説役
を務めた松也は、しっかりして来た。しかし、私が観ただけでも、義経役者を並べて
みれば、梅玉(3)、八十助時代の三津五郎、門之助、福助、友右衛門、富十郎。そ
して今回は、松也となる。まだまだ、精進が必要で、正体を隠しながらも、品格がに
じみ出る「渡海屋」の義経と源氏の大将の一人として平家の大将・知盛や典侍の局と
対峙する義経の違いを出せなければならないだろう。本人も、楽屋話で、「威厳と品
位」と言っているが、今後の精進に期待したい。また、義経は、知盛らを追う立場な
がら、自身も、兄頼朝には、追われる立場という複雑さも、出さなければならない。
結構、難しい役どころだ。

魁春が演じる典侍の局は、2回目。平家方の戦場のトップは、知盛だが、留守部隊の
トップ、つまり、安徳帝を守りながら、局たちを束ねているのは、典侍の局である。
典侍の局は、そういう貫禄を滲ませなければならない。私が最近観たお柳、実は、典
侍の局を比較すると、銀平女房お柳では、魁春。典侍の局では、玉三郎が、よかっ
た。戦況不利を悟り、次々に海へ飛び込む局たち。「いかに八大龍王、恒河の鱗、君
の御幸なるぞ、守護したまえ」と客席の方を向いて唱え、安徳帝とともに入水する覚
悟の典侍の局は、立女形の役どころ。魁春は、留守部隊トップの貫禄が滲んで来る。
芝翫、雀右衛門、藤十郎の貫禄に、引けを取らない。

局たちが、次々に入水した後、安徳帝を守ろうとする義経一行の四天王に阻止され、
典侍の局は、入水断念とならざるを得ない。海原を描いた道具幕(浪幕)が、振り被
せとなり、舞台替り。幕を振り落とすと、知盛の最期の見せ場となる大物浦の岩組の
場へ転換となる。テンポのある舞台展開が、進む。

岩組からの入水へ向かうしかない瀕死の知盛を見て、安徳帝の後事を義経に託して、
自害する。私には、知盛と典侍の局の「心中」のような印象を、今回も受けた。松緑
の知盛が、魁春の典侍の局に胸を借りたという所か。

上手にいた義経一行は、舞台下手に移り、上手は、死に行く知盛に敬意を表して空け
る。知盛は、上手から、舞台中央の岩組に登り行く。入水まで見守る義経一行と安徳
帝。

團蔵は、今回コンパクトな場面展開の所為で、「渡海屋」では,登場せず。岩組のみ
の出。知盛入水の場面の後、義経主従が,花道から引っ込む。頼朝に追われ、九州へ
逃れる主従の今後の苦難を一人残った弁慶は、体現しながら、ホラ貝を鳴らす。弔意
の演奏で、敵ながら、あっぱれの死に様を見せた知盛への、弁慶の男気が、伝わって
来て、物悲しい。幕外の引っ込みでは、逃避行の松也の義経より、主役を取るのは、
ベテラン團蔵・弁慶だ。

亀三郎、亀寿の音羽屋兄弟も、抜擢。相模五郎(亀三郎)と入江丹蔵(亀寿)は、役
どころの前半(偵察探偵団の笑劇)と後半(悲壮な、ご注進。注進をする相手は、留
守部隊のトップ、典侍の局である)の場面で、持ち味の違いをきっちりと見せなけれ
ばならない。正体も、後半で、顕す。前半、銀平にやっつけられ、「魚尽くしの負け
惜しみ」(サメ=鮫ざめのアンコウ=鮟鱇雑言、イナダ・ブリ=田舎武士だとアナゴ
=穴子って、など)を言い、観客を笑わせる滑稽な、しかし、印象に残るお得な役ど
ころは、ドラマツルーギーとしては、大事である。全体に平家にとって、悲劇の物語
だけに、相模五郎と入江丹蔵による笑劇は、観客の気分転換にもなる。

実は、ふたりとも、平家方が化けた探偵団で、相模五郎は、前半では、銀平(知盛)
との、合意の「やらせ」の芝居で、知盛を追いながら、兄の頼朝に追われる旅の途
中、奥の部屋を借りている義経一行への「聞かせ」をしているのである。後半の典侍
の局へのご注進では、「泳ぎ六法」や幽霊の手付きで、悲劇の果てに、近づく冥界を
匂わせる。入江丹蔵は、T字型の柄の形から、船の櫂に仕込んでいたと思われる刀を
持ち、丹蔵は、敵方の郎党と立回りをしながらの、苦しい戦場報告で、相模五郎より
も、さらなる、平家方の苦境が滲み出る。最期は、郎党とともに串刺しのまま、海に
身投げをする。

贅言;松也解説による「歌舞伎のみかた」では、附け打や下座音楽など、縁の下の力
持ちの大切さを紹介してくれた。特に、大太鼓で、雨の音、雷の音、川の水音、海の
波音。更に,遠寄せの音などを聞かせてくれて、良く判った。
- 2011年7月8日(金) 17:55:45
11年06月新橋演舞場 (夜/「吹雪峠」「夏祭浪花鑑」「色彩間苅豆」)


初めて観た吉右衛門の団七九郎兵衛の奇妙


「吹雪峠」は、初見。1935(昭和10)年、東京劇場で初演。出演は、二代目左
團次の直吉、二代目猿之助の助蔵、二代目市川松蔦のおえん。宇野信夫の大劇場公演
第一作。今回は、染五郎の直吉、愛之助の助蔵、孝太郎のおえん。

開幕前から、花道に敷き詰められた雪布で、芝居は、情報を観客に発信している。芝
居は、既に始まっている。時代は、幕末。武蔵の八王子に居を構える助蔵とおえん
は、駆け落ち者。甲斐の身延山へ参詣に行った帰り道。ふたりは、夜中の峠越えをし
ていて、荒れ狂う吹雪に巻き込まれ、道に迷う。幕が開くと、暗闇の下手奥に、薄く
浮かび上がるふたりの姿。吹雪に難儀をしている。新歌舞伎らしく、吹雪の効果音。
大道具、半廻しで、小屋が、舞台中央に移動してくる。

助蔵(愛之助)とおえん(孝太郎)は、やっと、見つけた無人の山小屋に避難する。
吹雪の音も消え、暖を取り、一心地ついたふたり。おえんは、直吉というヤクザ者の
元女房。助蔵は、直吉の弟分。つまり、兄貴の女房に懸想をし、その挙げ句、3年前
に駆け落ちをした。今でも、兄貴が探しにくるのでは、おびえながら暮している。気
を病み、病を呼び込んでしまったようだ。お互いを労りあう夫婦。

薄暗い下手袖から、もう一人の旅人。三度笠に合羽姿。こちらも、吹雪で難儀してい
る。彼も、小屋を見つけて、入ってくる。焚火で暖を取ろうと近づいて来た男を良く
見ると、なんと、皮肉なことに直吉(染五郎)だった。夫婦は、兄貴に謝る。直吉
は、逃げられた最初こそ、ふたりの行方を追ったが、今では、気にしていないと言
う。夫婦は、直吉に感謝する。

安心したせいか、急に咳き込み始める助蔵。おえんは、直吉の目を気にすること無
く、いつものように、常備薬を噛み砕き、助蔵に口移しに薬を飲ませる。性愛のよう
に抱き合うふたり。見せつけられて、嫉妬心に火がついた直吉は、突然怒り出す。ふ
たりに小屋から出て行って欲しいと要求する。直吉は、あからさまなふたりの行為
で、おえんへの未練を思い出したのだ。目の前から、消えて欲しい。

夜中の吹雪の峠道に出られる筈も無い。助蔵とおえんは、朝になったら出て行くか
ら、それまでは、居させて欲しいと頼み込むが、殺気立った直吉は、それを許さな
い。直吉は、道中差しを抜き放つ。

助蔵とおえんは、それぞれ、命乞いをし、互いを罵りあい、自分だけは、命を助けて
欲しいと言い出す始末。ふたりの駆け落ち者の勝手な言動に侮蔑の笑いをぶつける直
吉は、「色より恋より情けより、命を大事に生き延びろ」と言い捨てると、一人外に
出てしまう。舞台は、半廻しで戻る。吹雪の効果音が、再び大きくなる。大道具は、
冒頭と同じ位置に戻る。染五郎は、本舞台から花道へ。さらに、花道七三の「スッポ
ン」に設定された峠の坂道を降りて行く。

峠の避難小屋という密室で、訳ありの三角関係の心理劇。いかにも、気鋭の新人・宇
野信夫のデビュー作らしく、テーマは明確だが、新歌舞伎としては、歌舞伎らしい
「遊び」が欲しい。例えば、江戸時代の南北なら、江戸の下層庶民の暮らしぶりを書
き込むだろう。遊びが、芝居を膨らませているのが、南北劇の魅力の一つだと思う
が、宇野信夫のデビュー作には、そういう膨らましが、乏しく、とんとんと図式的な
テーマが、運んでしまう。例えば、駆け落ち者の八王子での生活振りを伺わせるよう
な場面があれば、リアリティが増すように思う。

贅言;「命を大事に生き延びろ」とは、原発事故以来、漏れ続ける放射能汚染におび
える人びとへのメッセージかと、勘ぐってしまう。6・11。東日本大震災による原
発事故から、ちょうど、3ヶ月。全国各地では、約140ヶ所で、反原発、脱原発の
集会やデモが、繰り広げられた。「脱原発100万人アクション」。これに呼応し
て、フランス、オーストラリア、香港、台湾などでも、集会やデモがあったという。


「夏祭浪花鑑」は、1745(延享元)年、大坂の竹本座で初演。人形浄瑠璃・歌舞
伎狂言作者のゴールデンコンビ、並木千柳(宗輔)、三好松洛を軸にした合作。全九
段の世話浄瑠璃は、当時実際にあった舅殺しや長町裏で、初演の前年に起きた堺の魚
売りの殺人事件などを素材に活用して、物語を再構成した。最近では、勘三郎が、海
外公演やシアターコクーン、平成中村座で、繰り返し、熱心に上演活動を繰り広げて
いる。私は、4回目の拝見。私が観た団七は、猿之助、幸四郎、海老蔵、そして、今
回が、吉右衛門である。勘三郎は、観ていない。

初めて観たのは、97年7月、歌舞伎座で、澤潟屋一門の舞台。元気だった猿之助
が、団七を演じた。その後、99年6月、09年7月、いずれも歌舞伎座。そして、
今回は、新橋演舞場。

私が観た主な配役。団七:猿之助、幸四郎、海老蔵、今回は、吉右衛門。徳兵衛:右
近、梅玉、獅童、今回は、仁左衛門。三婦:歌六(今回含め、2)、富十郎、市蔵
(猿弥休演で、代役)。義平次:段四郎(今回含め、2)、幸右衛門、市蔵。徳兵衛
女房お辰:笑三郎、雀右衛門、勘太郎、今回は、福助。団七女房お梶:門之助、松江
時代の魁春、笑三郎、今回は、芝雀。三婦女房おつぎ:竹三郎、鉄之助、右之助、今
回は、芝喜松。磯之丞:笑也(2)、友右衛門、今回は、錦之助。傾城琴浦:春猿
(2)、高麗蔵、今回は、孝太郎など。

こうして、横並びで見ると、団七と義平次が軸になり、三婦、お辰が、見せ場がある
という配役だということが判る。今回の舞台を再現しながら、海外でも、若い人たち
にも人気の演目は、どういう筋立てかと言うと……。

物語の主筋は、玉島家の嫡男だが、軟弱な磯之丞と恋仲の傾城琴浦の逃避行である。
ただし、この主筋は、それと判れば、それで済んでしまう。追うのは、琴浦に横恋慕
する大島佐賀右衛門。

若いふたりの逃避行を3組の夫婦が手助けする。釣船宿を営む三婦(さぶ)と女房お
つぎ、堺の魚売り・団七と女房お梶、乞食上がりで、大島佐賀右衛門に加担していた
徳兵衛と女房お辰。そこへ、副筋として、団七の舅の義平次が、登場する。舅の義平
次が、琴浦の逃避行の手助けをする振りをして、琴浦を大島佐賀右衛門の所に連れて
行き、褒美を貰おうとする。その挙げ句、婿と義父との喧嘩となり、弾みで、団七
は、舅を殺してしまう。

序幕「住吉鳥居前の場」は、中央から上手に石の大鳥居がある。鳥居には、「住吉
社」の看板。髪結処「碇床」の小屋が、舞台下手半分を占める。全体として、住吉大
社の大鳥居前の体。

髪結処の贔屓から贈られた形の大きな暖簾には、吉右衛門主演とあって、暖簾中央に
は吉右衛門家の「揚羽蝶」の紋が染め抜かれている。図柄は、熨斗。暖簾の上手に
「ひゐきより」、下手に「碇床さん江」とある。

髪結処の上手側に「七月三十日 大祓 當社」、下手側に「七月十五日より二十五日
まで 開帳 天王寺」の立て看板がある(後に、「小道具」として、使われる)。髪
結処の暖簾の上手裏には、見えないが芝居番付(後に、「小道具」として、使われ
る)が張ってある。歌舞伎には、このように、細部に凝った仕掛けが、「遊び」も含
めて、仕込まれていることが多い。

団七は、堺の魚売りだが、大島佐賀右衛門家の中間との喧嘩沙汰で、中間を死なせて
しまい投獄されていた。団七女房お梶(芝雀)の主筋に当たる玉島家の配慮で減刑さ
れ、出牢が許された。解き放ちが、住吉大社の鳥居前ということだ。まず、花道か
ら、そのお梶が、子の市松(金太郎)を連れて、老侠客の釣船の主・三婦と一緒に、
団七を迎えに来た。三婦(歌六)は、右の耳に飾りのようにして、数珠を掛けてい
る。喧嘩早い性格を戒めるおまじないだ。お梶は、予定より早く来過ぎたので、市松
と一緒に大社にお参りに行く。

そこへ、上手から駕篭が到着。玉島磯之丞(錦之助)が、降りて来たが、和事ののっ
ぺりした色男の扮装。磯之丞が、法外な駕篭代を巻き上げられそうになっているのを
見て、三婦は男気を出して磯之丞を助けて、駕篭かき(「こっぱの権」と「なまこの
八」のふたり)立寄先として「釣船・三婦」を紹介する。磯之丞は、花道から、退
場。

その後、三婦は、碇床に入り、団七の解き放ちを待つ。暫くして、むさ苦しい囚人姿
で、上手から役人に連れられて来たのが、団七(吉右衛門)。出迎えた三婦に招き入
れられて、碇床に入る。着替えと髪を結い直すためだ。着替えで、肝心の下着を忘れ
て来たという三婦が、碇床の下剃三吉(吉之助)に、自分の締めている赤い下帯を外
して渡すというチャリ場(笑劇)があるが、これは、後の伏線となるから、覚えてお
くとおもしろい。

三婦は、花道から退場。先に行かせた磯之丞の後を追い自宅へ向かう。つづいて、上
手奥から鳥居の下を潜って、傾城琴浦(孝太郎)が、恋人の磯之丞の行方を訊ねて来
る。続いて、琴浦に横恋慕の大島佐賀右衛門(由次郎)が、琴浦を追いかけて来て、
琴浦にしつこく言い寄る。

そこへ、髪結処から出て来たのが団七。団七は、青々と月代を剃り上げて、「首抜
き」という首から肩にかけて、大きな揚羽蝶の紋を染め抜いた白地の浴衣を着てい
て、とても、すっきりしている。裾前には、「播磨屋」と屋号が染め抜かれている。
琴浦を助け、磯之丞の立寄先に向かわせる。

この際、団七は、佐賀右衛門を懲らしめる所作で、佐賀右衛門の身体を使って(ボ
ディ・ランゲージ)、琴浦に磯之丞の立寄先(釣船・三婦)の道順の案内をする。
「黒塀、松の木、石地蔵、石橋」などと形態模写をさせる。「先代萩」の「花水橋の
場」の趣向と同じだ。「逃げれば、追う」の、ロード・ムービングの展開である。

団七も、琴浦に続こうとすると、鳥居下から佐賀右衛門に加担する徳兵衛が、「こっ
ぱの権」と「なまこの八」を連れて、琴浦を返せと追ってくるので、団七と徳兵衛の
間で、喧嘩になる。先ほどの立て看板が、引き抜かれて、ふたりの立ち回りの小道具
として使われる。そこへ戻って来たお梶が、芝居番付を小道具に使って、仲裁する。
団七の喧嘩相手が、徳兵衛と知り、驚くお梶。実は、乞食の身に落ちていた徳兵衛を
助けたことがあるのだ。恩あるお梶とその夫の団七に詫びて、女房お辰との関係で、
同じく主筋の玉島家の磯之丞のために役立ちたいと言う。皆、釣船・三婦(磯之丞の
立寄先)へと急ぐことになった。

二幕目「難波三婦内の場」。店先に献燈と書かれた提灯がぶら下がっている。祭り気
分をもり立てる。今では、磯之丞(錦之助)は、ここに匿われている。磯之丞と琴浦
(孝太郎)が、店先の座敷で痴話喧嘩をしている。三婦(歌六)が戻って来て、女房
のおつぎに逃避行中のふたりのことを注意して、ふたりを奥へ隠す。

花道から徳兵衛女房お辰(福助)が訪ねて来る。徳兵衛の故郷に戻るので、挨拶に来
たのだ。これを聞いた三婦女房おつぎ(芝喜松)が、お辰にとっても、主筋に当たる
玉島家の磯之丞を預けようと持ちかけるが、外から戻って来た三婦は、男が立たない
と叱る。女ながら男気のあるお辰は、怒る。三婦は、美貌のお辰が、色気がありすぎ
るので、徳兵衛のためにも、磯之丞が、お辰と間違いを起こすことを懸念したのだ。

お辰は、黒地の帷子(かたびら)に白献上の帯という粋な着物姿で、さらに、傾城や
女郎の役のように、右襟を折り込み、裏地の水色を見せるような着物の着方をしてい
るから、やはり、色っぽい女という設定だ。お辰は、店にあった熱い鉄弓(てっきゅ
う・大坂の夏祭りには、鯵の焼き物が、定番であったが、火鉢の鉄弓で鯵を焼いた)
を頬に押し当てて、火傷を作り、「これでも色気がござんすかえ」という鉄火女であ
る。びっくりした三婦は、お辰に磯之丞を預けることにした。三婦は、花道へ。しつ
こい佐賀右衛門を懲らしめに出かけて行く。

おつぎが、お辰の行為を夫の徳兵衛が、責めるのではと心配すると、福助のお辰は、
「こちの人の好くのはここ(顔を指差す)じゃない、ここ(胸・心を差す)じゃわい
なア」と胸を叩く所に、お辰の心意気が現される。ここまでが、芝居の前半である。

贅言;以前にこの芝居を観た時、義平次を演じる猿弥休演で、市蔵が、三婦と義平次
のふた役を演じた。団七の女房お梶の父親の義平次は、婿の団七に琴浦を預かるよう
にと頼まれたと嘘を言って、駕篭を伴って来る。応対した三婦女房おつぎは、騙され
て、義平次に琴浦を引き渡してしまうという場面だが、義平次は、深編み笠を被った
ままで対応していたので、ふた役の時間稼ぎで、吹き替えの役者が、市蔵の代わりに
義平次を演じているのかと思っていたが、今回、ふた役ではない段四郎も、深編み笠
で顔を隠したまま、演じていたので、吹き替えでなくても、こういう演出をするのか
と思った次第。

お辰に連れられて磯之丞が去ると団七の女房お梶の父親の義平次が、花道から現れ
る。婿の団七に琴浦を預かるようにと頼まれたと嘘を言って、駕篭を伴って来た。疾
しいからか、義平次は深編み笠を被ったままで顔を見せない。応対した三婦女房おつ
ぎは騙されて、義平次に琴浦を引き渡してしまう。義平次は駕篭と共に花道から、急
いで退場。

やがて、花道から、三婦が団七(吉右衛門)、徳兵衛(仁左衛門)を伴って、戻って
来る。花道から本舞台に入って来る団七は、柿色の「団七縞」と呼ばれる格子縞の帷
子(かたびら・浴衣)の麻の単衣を着ている。徳兵衛は、色違いの藍色の同じ衣装を
着ている(人形浄瑠璃の衣装で、人形遣の吉田文三郎が考案したという)。酒を飲む
ために奥に向かった三婦と徳兵衛。

店先に残った団七は、三婦女房のおつぎから琴浦の話を聞いて、義平次によって、琴
浦が勾引(かどわか)されたことを知ると、血相を変えて、花道から義平次と駕篭の
後を追って行く。

若いふたりの逃避行。3組の夫婦がサポートしていたが、その結果は? 磯之丞は、
お辰が無事に連れ出したが、琴浦は、騙されて、義平次に勾引された。ここまでが、
伏線。

クライマックスは、大詰「長町裏の場」。縄をかけた駕篭とともに逃げる義平次(段
四郎)らに花道辺りで追いついた団七九郎兵衛(吉右衛門)と義平次が喧嘩になり、
最後は、リアルでありながら、様式美にあふれる殺し場が展開される。「九郎兵衛の
男が立ちませんのじゃ」。「そんな顔をして親を睨むとヒラメになる」。最初、ねち
ねちと団七をいじめる義平次とそれに耐える団七の姿が描かれる。尻を捲って悪たれ
をつく義平次。顔から脚、尻まで不気味に茶色だ。

5回目の義平次役(3回は、猿之助団七に付き合う。1回は、坂田藤十郎。吉右衛門
とは、今回が、初めて)という段四郎は、熱演だが、4回目の団七役という吉右衛門
の演技と少しずつ齟齬が感じられる。所作の間などに隙間が見えるのだ。噛み合ない
という感じ。「貫禄があり過ぎ、初日近くは動きの切れがよくなかった」という劇評
もあったが、初日から1週間も経っているのに、「動きの切れ」が、やはり良くな
い。

泥の蓮池と釣瓶井戸という大道具を巧く使い、本泥、本水で、いかにも、夏の狂言ら
しい凄惨ながらも、殺しの名場面となる(本泥、本水も、人形遣の吉田文三郎が工夫
した趣向だという)。団七は、帷子も脱いで、赤い下帯一つになる(碇床の場面の、
あの下帯である)。裸体には、全身の刺青。

下手の坂を昇ると、土手の上には柵で囲われた畑。畑には、夏の野菜が実る。畑は、
下手から上手へ塀の内に広がる。塀の外を通り過ぎる祭りの山車の頭が見える。高津
神社の夏祭り。鐘と太鼓のお囃子の音。そういう背景の中で、泥まみれになりなが
ら、ふたりの殺しの立ち回りがつづく。「親殺し」と叫ぶ義平次。「ひとが聞いたら
ホンマにします」と団七。殺しの中にも、笑いを滲ませる科白廻し。倒れた義平次の
身体を跨いだまま、前と後に身体をひねりながら、飛んでみせる団七。弾みで、殺さ
れてしまう義平次は、泥の池に蹴落とされてしまう。

団七も、最後は、井戸水を桶に4杯も掛けて、身体を洗い、帷子を着直す。そこへ、
舞台上手から、祭りの神輿が通りかかる。そのお囃子にあわせながら、神輿連中の手
拭いを奪い、顔を隠す団七。さらに、団七は、神輿連中に紛れて、現場なら逃げて行
く筈であった。ところが、身繕いに手間取ったのか、初めからそういう演技なのか、
吉右衛門は、「紛れず」に、神輿連中が、花道から姿を消してから、後を追って行っ
た。義平次の段四郎と噛み合なかったズレが、ここに、一気に集約されているように
感じられたが、ほかの団七役者が演じるように、ここは、神輿連中に「紛れて」行く
演出の方が、お囃子の高まりと絡まって、緊迫感があって良い。「悪い人でも舅は、
親」「親父殿、許して下され」。荒唐無稽な筋立てを、歌舞伎の様式美で、一気に観
客を引っ張ってしまうという芝居。

ほかの役者評も少し。琴浦を演じた孝太郎と磯之丞を演じた錦之助の、若いカップル
は、ロード・ムービングを縫い繋ぐ1本の赤い糸。三婦を演じた歌六の格好良さは、
光る。団七の吉右衛門と徳兵衛の仁左衛門の絡みは、点景。3人の男たちの女房役で
は、科白も含めて、徳兵衛女房お辰の福助に存在感。団七女房お梶の芝雀は、序幕の
み。三婦女房おつぎの芝喜松は、二幕目のみだが、三婦とお辰の花道退場をそれぞれ
送る場面で、余韻があり、印象を残す。


通称「かさね」、「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」は、4回目の拝
見。こちらは、コンパクトにまとめたい。下総の羽生村の鬼怒川に伝わる累(かさ
ね)伝説。嫉妬深い醜女の怨念の物語。「かさねもの」は、歌舞伎の一つの世界。
「色彩間苅豆」は、1823(文政6)年、江戸森田座初演。南北原作。清元の道行
浄瑠璃の一場。一時期、上演が廃れた。1920(大正9)年、十五代目羽左衛門の
与右衛門、六代目梅幸のかさねで、この一場のみ復活。

私が観た与右衛門:孝夫時代の仁左衛門、吉右衛門、三津五郎、今回は、2回目とい
う染五郎。かさね:玉三郎、雀右衛門、福助、今回は、本興行で初役の時蔵。

場内が暗くて、メモが取れない。幕が開くと、浅黄幕が、舞台全面を覆っている。舞
台上手と下手から、簑と笠を着けたふたりの捕り手が、それぞれ出てくる。百姓の助
太夫が殺された。与右衛門を百姓殺しの容疑で、追っている。ふたりは、舞台を横切
り、途中でクロスした後、それぞれ、上手下手に入る。浅黄幕、振り落し。

与右衛門は、同じ家中の腰元かさねと不義密通をし、屋敷を追われる。羽生村の木下
(きね)川の土手。下手に、「木下川」と書いた杭が立っている。上手は、水門と
橋。前半は、美しい男女の道行。花道から、ゴザで雨をよける与右衛門とそれを追っ
て、傘をさした腰元かさねが、続く。身ごもっているかさねは、与右衛門にうらみご
とを言う。

卒塔婆に載って、さびた鎌が刺さっている髑髏が、流れてくる。ここからは、後半の
恨み節。土手を降りて、卒塔婆を拾い上げた与右衛門は、卒塔婆に「俗名助」と書い
ているのを見て、慌てて卒塔婆を二つに折り、捨ててしまう。髑髏は、自分が殺した
百姓の助太夫と判ったからだ。鎌で髑髏を割ると、かさねが、顔を押さえて苦しみ出
して、草むらに倒れてしまう。

背景の黒幕が落ちると、木下川の見える野遠見。与右衛門を追って、捕り手が来る。
捕り手を追い払うが、捕り手の落とした手紙を拾う。与右衛門の罪状が書いてある。
逃げようとする与右衛門。草むらから現れ、観客席に後ろを向けたまま、かさねが、
与右衛門を引き止める。いざっているかさね。なんだか、変な動きだ。かさねの顔を
見て、与右衛門は、驚く。醜く変わっているからだ。下を向いたまま、正面に向き直
るかさね。次第に顔を上げて、かさねは、ようやく、観客席に顔を見せる。お岩さま
のような顔。かさねに愛想を尽かした与右衛門は、かさねに鎌で斬りつける。鏡を出
して、無理矢理かさねに顔を見させる。悲鳴を上げるかさね。

与右衛門が殺した助太夫は、かさねの父親。与右衛門は、かさねの母親とも男女の
仲。真相を知ったかさねは、与右衛門につかみかかる。ふたりの立ち回り。その果て
に、かさねは、与右衛門に殺されてしまう。花道から逃げようとするが、亡霊となっ
たかさねの怨念で、七三で鎌を口にくわえたまま与右衛門は、前へ進めない。逆に、
引き戻されてしまう。恋の逃避行を夢見たかさねは、絶望の果てに狂って行く。自分
の犯行の数々を承知で、怨念に祟られた与右衛門の悪夢。その行違いが生む緊迫感。
それが、「色彩間苅豆」という不幸な美男美女の「残酷絵巻」の道行の構造だろう。
- 2011年6月12日(日) 17:35:43
11年06月新橋演舞場 (昼/「頼朝の死」「梶原平三誉石切」「連獅子」)


昼の部の目玉は、戦後初、ジイジと孫の共演する「連獅子」


「頼朝の死」は、私は6回目の拝見。新橋演舞場では、去年の10月に上演したばか
り、同じ劇場で、配役を変えて、短期間で再演するというのも、珍しい。同じ演目の
上演が多い歌舞伎座でも、上演記録を見ると、数年に一回の割合だ。そういう意味で
は、「頼朝の死」は、「新歌舞伎」(明治から戦前までの作品。戦後、製作・初演さ
れた歌舞伎作品は、「新歌舞伎」と区別して、「新作歌舞伎」という)の、名作群の
一つである。再演回数から見れば、新歌舞伎の古典的な作品といえる。真山青果(1
878–1948)の原作。青果は、緻密な科白劇の名作を数多く書いている。旧制
高等学校の医学部中退で、明治の作家小栗風葉に師事し、一時は、小説家を目指した
という。大正末期に、歴史劇の執筆に乗り出し、昭和期の前半に、活躍した。

「頼朝の死」は、1932(昭和7)年に、二代目左團次の頼家、五代目歌右衛門の
政子で、初演された。

頼朝夫人(北条時政の長女)・尼御台政子の侍女・小周防の寝所へ入り込もうとした
「曲者」として、頼朝が殺されたことが全ての始まり。将軍の死のスキャンダル隠し
が、テーマ。真相を知っているのは、宿直の番をしているときに曲者を斬った畠山重
保。小周防は重保を密かに愛しているが、薄々感づいている重保はそれを拒否してい
る上、斬り捨てた曲者が頼朝と知り、死にたいほど苦しんでいる。

真相を知っているのは、重保に加えて、息子の二代将軍頼家の上にたち、政権の真の
実力者として、頼朝の死のスキャンダルを隠している頼朝夫人・尼御台政子(尼将軍
と呼ばれた)と頼朝の家臣・大江広元を含めて3人だけ。

3人には、秘密を共有しているという心理があるが、図らずも「主(科白では、
「しゅ」ではリズムが出ない所為で、「しゅう」と言い回していた)殺し」となっ
て、苦しんでいるのは、重保のみ。真相と大義の狭間にあるのは、個人的なふたつの
苦しみ。重保は、真相を知っている苦しみと自分が主殺しをしてしまったことの苦し
み。

頼家は、知らない苦しみ。ふたつの苦しみが、最後まで、対立する。政子、広元は、
真相を知っていても、それは、個人的な苦しみではなく、「家は末代、人は一世」と
いう政子の科白に象徴されるように、家を守る大義、天下政道という大義のためとい
う別次元の価値観を持っていて、トラブル処理に徹すれば、個人的には、苦しくなく
なるという構図になっている。危機管理をして、乗り越えようとしているので、個人
的に苦しんでいる暇はない。逆に言えば、大義の持つ怖さも、うかがえる。個人的な
感覚が麻痺してしまう。

政子と広元は、家の大義のためにという強固な意志を持ち、揺るぎが無い。スキャン
ダル隠しを仕掛けた人たち(政子、広元)、踊らされた人たち(重保、小周防)、踊
る人(頼家)。それぞれのスタンスで、揺らいだり、揺らがなかったり、青果劇のお
もしろさ。頼朝の嫡男・頼家は、真相を知らされず、彼も狂おしいほど悩み、真相究
明を続けているが、真相に近い疑惑までは辿り着いたが、そこから最後の詰めができ
ないでいる。「ええ、言わぬか重保、ええ、言わぬか広元」というのは、真相究明に
いらだつ頼家の科白。頼家は真相にたどり着けないいらだちが募る。

登場人物の心理描写を軸にした科白劇で、権力者のスキャンダルを仕立てた一種のミ
ステリー作品である。真相解明の展開ゆえ、伏線として描き出された点線の上に、次
第次第に、実線で、くっきりと描かれるタッチが、おもしろい。設計図が、明確な芝
居だ。

これまで私が観た主な配役。頼家:梅玉(3)、八十助時代の三津五郎、吉右衛門、
今回は、染五郎が初役で演じる。重保:歌昇(3)、染五郎、錦之助。今回は、愛之
助が初役で演じる。小周防:福助(3)、孝太郎(今回含め、2)、芝雀。尼御台政
子:富十郎(2)、宗十郎、芝翫、魁春、今回は、時蔵(戦後の本興行の記録には無
いので、初役か。あるいは、別な形で、演じているか)。大江広元:歌六(2)、秀
調、吉右衛門、左團次、今回は、歌昇が初役で演じる。中野五郎:右之助(今回含
め、2)、家橘、芦燕、東蔵、吉之助。8ヶ月前と同じ配役なのは、孝太郎と右之助
のみ。


贅言;新歌舞伎なので、下手から上手に引き開ける引き幕の定式幕ではなく、緞帳が
上がる。幕が、「上がる」と、序幕「法華堂の門前の場」。続いて、第二幕「将軍家
御殿の場」。新歌舞伎なので「序幕」は、本来、「第一幕」、次いで、「第二幕」と
なる筈で、おかしいのだが、去年10月の新橋演舞場は、今回同様、「序幕」になっ
ている。「序幕」なら、次いで「二幕目」。夜の部の「夏祭浪花鑑」は、「序幕」、
「二幕目」、「大詰」と、ちゃんとオーソドックスになっている。09年12月の国
立劇場の「頼朝の死」は? と、調べてみたら「第一場」、「第二場」(第一幕、第
二幕と同じカウント方式)。

ここで、コンパクトに役者論を記録しておこう。
真相を知らされず、いらだち、狂おしいほどに悩み抜きながら、真相究明を続けてい
るのが、頼朝の嫡男で、将軍の頼家。頼家は、このところ、様々な役に積極的に取り
組んでいる染五郎が、初役で演じた。大人の世界に入れてもらえない、形式的な権力
者。ポストと実態の狭間で苦悩する権力者見習い。私が観たところでは、このいらだ
つ頼家は、梅玉が、巧く演じていた。こういう役は、梅玉は巧い。正しく、しかし、
若さ故、正しくとも空回りする、一直線な男・頼家を熱演していた。「酒を持て、酒
だ!」。一直線ゆえ、いらだつと酒に走る頼家。アルコール依存症気味。大人に成り
きれない、発達障害か。その感情の起伏の激しさ。この芝居では、皆、大泣きする場
面が多いが、頼家の大泣きは、いちだんと激しい。青春の悩み、という風に見れば、
普遍的なテーマが、浮き彫りにされる。初役の染五郎は、そこまで見抜いていないよ
うに見受けられた。まだ、梅玉と比較できない。

そんな頼家の前には、「事も愚かや。家は末代、人は一世じゃ」と最後に言い切る冷
静の人・政子の壁が、大きく立ちはだかる。政子を演じる時蔵は、小周防役は、40
年前の梅枝時代から3回演じているというが、その時、政子を演じた先代の勘三郎の
「科白が、時代だった」という印象を大事にして、今回は、演じたという。歌昇演じ
る大江広元との目と目の演技、肚と肚との演技が、難しい役どころだ。斜めに顔を伏
せ気味である。

頼家同等に重要な役の重保は、私が見た舞台では、歌昇が、圧倒的に多かった。熱演
だし、すっかり、重保役者になっている。今回初役の愛之助は、歌昇に比べると、熱
気が乏しい。今後の精進を期待したい。

小周防役の孝太郎は、3回目だが、私は、前回に続いて、2回目の拝見。この時代の
美しい女性は、美しさ故に、思う男(重保)への真情と役割(政子の秘書役、それ故
に、頼朝に懸想され、夜這いをかけられる)に引き裂かれ、その挙げ句、思う男への
真情吐露という甘い思いを権力者の口封じのために、思う男その者から殺されるとい
う悲劇の主人公でもある。後半は、小周防も、重保も、お互いの感情の動きを悟られ
ないようにする為か、高位の将軍の前だからか、面を伏せた姿勢が多い。

その歌昇は、今回は、初役で、大江広元に挑む。ひと言でいえば、熱演・重保の
「動」から、肚藝の広元の「静」へ。本人も、小周防や重保と違って、歴史の記録者
という役どころで、じっと正面を向いて、事態の推移を冷静に見守りながら、真の権
力者政子との連繋に神経を張りつめているという役どころでは、もどかしかったので
はなかったか。それとも、肚で、そういう演技をし続けていたか。前回同様、右之助
が演じた中野五郎は、孤独な将軍・頼家の耳目となり、いろいろな情報を伝える隠密
の役どころ。職務に忠実な役廻りをきちんと演じていて、存在感があった。

贅言1);歌昇は、今月は、歌昇という役者名では、新橋演舞場最後の舞台。9月の
新橋演舞場の舞台では、脇役の人間国宝だった二代目又五郎の名を継いで、三代目又
五郎を襲名する。小柄、細面の又五郎とは、全く違う印象だが、又五郎の名前をさら
に、大きくして欲しい。

贅言2);私は、生前の又五郎を銀座4丁目の雑踏の中で見かけた事があるが、遠く
からでも、一般に人たちと違う雰囲気で、近づいてくるのが判ったのを覚えている。
まだ、元気な頃で、和服姿で、周囲に溶け込んでいるようで、溶け込んでいない。ま
るで、江戸の人が、タイムスリップして、現代の銀座の雑踏をすたすたと自然に歩い
ているように見えて、なにか、奇妙な感じがしたのを覚えている。


馴染みの演目、馴染みの役者


12回目の拝見となる「梶原平三誉石切」。私が見た梶原平三役者は、ここ10年く
らいは、5人のまま。富十郎(3)、幸四郎(3)、吉右衛門(今回含め、3)、仁
左衛門(2)、團十郎。舞台を見る回数は、増えても、それぞれの再演には、なぜ
か、この5人の廻しのような感じになっている。大阪松竹座へ行けば、当時の鴈治
郎、いまの、坂田藤十郎の梶原も観ることが出来たろうし、名古屋の御園座へ行け
ば、新進の染五郎の梶原も観ることが出来たろうが、この5人で廻して、上演してい
る面も、確かにある。

それぞれ、軸となる梶原役者で、演出も少し変わる。例えば、10年1月歌舞伎座
「梶原平三誉石切」では、幕が開くと、浅黄幕が、舞台を被っている。浅黄幕が、振
り落とされると、大庭三郎一行と梶原平三一行が、大鳥居を軸に、上手と下手に分れ
ている。主役の梶原平三を演じる幸四郎が、まず、科白を言い始める。鶴ケ岡八幡宮
の拝礼を終えた梶原平三というシチュエーションになっているという想定だった。今
回は、違っていた。幕が開くと、浅黄幕が、舞台を被っているというのは、同じだ
が、梶原平三一行は、舞台には出ていない。梶原平三方の大名(種太郎、種之助、米
吉、吉之助)らだけが、大庭三郎方の大名らと共に、弓の稽古という設定で、大庭三
郎(段四郎)一行に混じって、下手の床几に座っている。

そこへ、花道から、黒地に白い唐草模様、金の対の矢羽根が縫い取られた衣装の梶原
平三が、一行とともに参詣にやってくる。これが、本来の演出。源頼朝と石橋山の戦
いで勝利した平家方の大庭三郎と俣野五郎(歌昇)の兄弟一行が、先に参詣に来てい
て、舞台に居る所へ、花道から、同じように参詣に来た梶原平三一行と鉢合わせする
という形。今回は、オーソドックスである。大庭三郎と俣野五郎の兄弟も、梶原平三
も、同じく平家方だが、反りが合わないというのが、物語の伏線になっている。

この後、「石切梶原」の芝居だから、「刀の目利き」「二つ胴」「手水鉢の石切」と
いう、お馴染みの場面が、続く。

梢の聟が、源氏方で、戦に敗れた源氏方の再興のために、金が要るという真意を胸に
秘めながら、六郎太夫は、娘のために家宝の大事な刀「八幡」を、以前から欲しがっ
ていた平家方の大庭三郎に売らざるを得ない。大庭三郎は、居合わせた刀の目利きの
名人の梶原平三に目利きを頼んだが、六郎太夫の申し出た売値が、300両と高いの
で、弟の俣野五郎が、梶原平三の目利きだけでは、当てにならない。試し切りをさせ
よと兄に知恵を付ける。

その結果、囚人をふたり重ねて、胴切りにする「二つ胴」という試し切りの秘術を梶
原が披露することになったが、あいにく、試し切りに適当な囚人は、剣菱呑助一人し
か居ない。どうしても金が欲しい、六郎太夫は、己の命を投げ出して試し切りの「素
材」となることを覚悟するが、それを知った娘の梢は、父親を助けようとする。そう
いう父と娘の情愛を梶原平三は、機転を利かせて、試し切りもし、六郎太夫も、助け
る方策を考え出す。

贅言;囚人・剣菱呑助は、実は、ご馳走役で、囚人服にむさ苦しいヒゲと頭で、
縛られたまま、酒尽くしのチャリの科白を言う。地方興行だと、アドリブで、地元の
酒の名前を入れて、ちゃっかり宣伝をして、地方の客を笑わせる。六郎太夫は、後ろ
手に縛られたまま、敷き詰めたゴザにうつぶせになる。囚人は、やはり、縛られたま
ま、六郎太夫の体の上に、仰向けに横たえられる。尻と尻を合わせる形となる。ふた
りの牢役人たちは、一旦引っ込んだ囚人を重そうに抱きかかえながら、登場する。囚
人が、人形に替わっていると観客には、判らないようにふたりを重ねなければならな
い。

試し切りで、騙された大庭三郎と俣野五郎の兄弟は、目利き違いの刀を買わずに済ん
だと悪たれを吐いて、得意げに退散する(歌昇としては、最後の場面)。その後、目
利き通りの名刀だということを梶原は、「手水鉢の石切」という奇策で証明する。

吉右衛門の演技を注視していたが、「二つ胴」では、團十郎が、ぽんと撥ねるように
軽快な刀遣いをしたのとは違って、刀の刃を囚人(身替わりの人形)の胴に押し付け
て、包丁で、魚などを切る時のように、刃を前へ押し引くような切り方をしていた。

團十郎はこの場面、腰を落として刀を降り下ろすとき、呑助の身体で刀身を、いわば
「バウンド」させるようにする。つまり、刀身を一旦呑助の身体に降り下ろしなが
ら、すぐに持ち上げる。その結果、呑助の胴は、まっぷたつに斬れるが、下の六郎太
夫は、後ろ手に縛られていた縄のみが切られて、六郎太夫は、無事で、かすり傷さえ
ないと言うことになる。

「手水鉢の石切」の場面では、吉右衛門は、客席に背中を見せて、やはり「二つ胴」
同様に、刀の刃を石製の手水鉢に押しあてるようにじっと止めたまま、いわば、前へ
向けて押し切るようにして、鉢をまっぷたつに割ってみせた。これは、初代の吉右衛
門の演出なのだろう、吉右衛門の兄の幸四郎も、同じように演じていた。特に、石製
の手水鉢を切る場面は、昔から、役者によって、いろいろな演出が工夫されて、伝え
られている。主なものは、3つ。初代吉右衛門型、初代鴈治郎型、十五代目羽左衛門
型。

このうち、十五代目羽左衛門型の團十郎の梶原は、手水鉢の向う側に廻り、顔を客席
に向けて石の手水鉢を切る。さらに、六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立
たせて、手水鉢の水にふたりの影を映した上で、鉢を斬る場面を前向きで見せた後、
ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出してくる。

この際、團十郎の梶原は刀を手水鉢に叩き付けるように降り下ろした。手水鉢を見事
まっぷたつに切った後、團十郎は、手水鉢の間から飛び出して来た。十五代目羽左衛
門が初めて演じた時は、「桃太郎」の誕生のようだと批判されたという。仁左衛門
も、同じように十五代目羽左衛門型。

初代鴈治郎型も、いろいろ工夫をした人で、初代鴈治郎型は、手水鉢の向うに廻っ
て、客席に前を見せるが、飛び出しては来ない。また、場所が鶴ヶ岡八幡ではなく、
原作通りの鎌倉星合寺である。最初に見た時、富十郎は、この鴈治郎型だったが、場
所は鶴ヶ岡八幡と筋書には書いてあったと、思う。

その後観た富十郎は、羽左衛門型で、手水鉢の向うに廻り、さらに、六郎太夫と娘の
梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、手水鉢の水にふたりの影を映した上で、手水
鉢を斬る場面を前向きで見せた。しかし、その後、ふたつに割れた手水鉢の間から飛
び出してくるのではなく、ゆるりと歩いて出て来た。

幸四郎は、吉右衛門のように、後ろ向きで、手水鉢を切り分ける。つまり、初代吉右
衛門型。この場面、「剣も剣」、「斬り手も斬り手」という科白の後、大向うから
「役者も役者」と声が掛かったりもする。

吉右衛門は、真意を隠したまま、梶原、六郎太夫、娘の梢と手を繋いで見せ、石の手
水鉢と親子の見物のポイントを測ってみせる等など、親子への気遣いぶりを見せる。
「二つ胴」の試し切りでは、命拾いした親子が、それを確認する間、ひとり、名刀の
刃をしきりに、何度も何度も、角度を変えながら見入っていたのが、印象的だった。
六郎太夫を助けたことなぞ、大したことではなく、六郎太夫を助けようと思うように
刃を動かした結果、その通りの答えを出した名刀の切れ味にひたすら感心していると
いう体であった。


さて、昼の部の目玉は、なんと、馴染みの「連獅子」であったとは、歌舞伎の不思議
さよ。「連獅子」は、河竹黙阿弥作詞の長唄舞踊で、1872(明治)5年、東京の
村山座で初演された新歌舞伎である。私が観た「連獅子」は、今回で、13回目。
「連獅子」では、親子で演じるパターンがある。それぞれの親子「連獅子」は、愉し
みである。立ち役の役者が、親子で、「連獅子」を踊るのは、息子の成長を図るメル
クマールになるだろうから、親子で演じられる年齢に息子が到達するのを、皆、待ち
望んでいるだろう。

吉右衛門のように、親子で演じたくても、息子の役者がいなければ、実現不能とい
う、厳しい演目でもあるのだ。菊五郎のように、息子の菊之助が、女形でも、演じら
れない。あるいは、演じ難い(実際に、本興行の上演記録を見ても、菊五郎は、踊っ
ていない)。しかし、仁左衛門は、女形の息子・孝太郎と、「連獅子」を踊ってい
る。それぞれの思惑もあるのかもしれない。

「連獅子」は、兄弟、伯父甥でも、踊れる。澤潟屋は、親子ではなく、伯父と甥(猿
之助と亀治郎)で、私も、2回観ているが、演目の中身から行っても、親子の共演
は、演じる方も、観る方も、感慨深いものがある。

私が観た「連獅子」の親子。高麗屋親子(4)、中村屋親子(3。ただし、2回は、
「三人連獅子」であったし、今後も、中村屋は、「三人連獅子」だろう。これは。逆
に言えば、当面は、中村屋にしかできない貴重な「三人連獅子」だろう。)。松嶋屋
親子、そして、大和屋親子。

成田屋親子は、歌舞伎座では、上演していないので、私が観た團十郎は、松緑と踊っ
ていたのを観た。03年10月の歌舞伎座であった。以後、大病をした團十郎は、体
力のいる「連獅子」を踊っていない。團十郎と海老蔵の「連獅子」を観てみたいが、
團十郎・海老蔵の「連獅子」は、未だ、実現していない。不祥事を起こした海老蔵の
舞台復帰は、7月の新橋演舞場を予定しているが、團十郎との共演の演目は、昼の部
の「勧進帳」(團十郎が、弁慶で、海老蔵が、富樫)であって、「連獅子」ではな
い。

海老蔵が、前名の新之助時代に團十郎と踊った舞台は、02年の松竹座(大阪)、9
3年の御園座(名古屋)、89年歌舞伎座と3回あるが、新之助、改め、海老蔵襲名
後は、團十郎と踊っていない。是非とも、團十郎の体力恢復を待っ
て、團十郎・海老蔵の「連獅子」を実現して欲しいと思う。

さて、今回の「連獅子」は、仁左衛門と長男・孝太郎の長男・千之助である。つま
り、祖父と孫の共演である。筋書掲載の楽屋話で、仁左衛門は、「千之助は小さい頃
から私と『連獅子』を踊りたいと言っていました。おじいさんと孫ふたりで親獅子、
仔獅子は、本興行では戦後初めてのようです。(略)孫となるとジジバカ≠ナ、嬉
しさ八十パーセント」だと、言っている。父親の孝太郎は、「こんなに早く実現する
とは思いもしませんでした。まるで自分が出演しているような心持ちで、親としては
ハラハラドキドキして」いるという。

さて、肝心のその舞台だが、緞帳が上がると、暫く無人で、長唄が、場内に響く。四
拍子に替わると、舞台下手の幕が上がり、左手に金の獅子頭を持ち、黒地に紅白の牡
丹絵柄の袴、大柄な白と紫の市松模様に中啓の絵柄の着物を来た狂言師の登場とな
る。右手に金地の扇子。祖父も孫も、同じ衣装で、白い大獅子と赤い仔獅子は、左右
対称に動く。千之助の動きも、祖父に厳しく仕付けられているのか、天性のものもあ
るのか、メリハリも利いて、なかなか、堂に入っている。逆海老などの所作も軽やか
でいて、安定もしている。親獅子が、仔獅子を千尋の谷に突き落とす場面では、コロ
コロと回転させて、崖を転げ落ちるように見える。花道七三で、観客席に背を向け
て、座り込む千之助。

間狂言(あいきょうげん)の「宗論」(愛之助と錦之助)の後、後ジテの場面。白毛
の親獅子の精、赤毛の仔獅子の精の登場。親獅子が、花道から本舞台に続く辺りに達
したのを確認して、仔獅子は、花道揚げ幕を出てくる。親獅子が、本舞台に設えられ
た「二畳」の台(赤に、緑の縁取りがある)に上がる頃、仔獅子は、花道七三に到着
する。珍しく、「二畳」が、3つ持ち出され、左右対称(但し、上手は、白の牡丹、
下手は、赤の牡丹)の上に、もうひとつが、橋のように載せられ、山形になる。獅子
の座は、「石橋(しゃっきょう)」の見立てのようだと気づく。本舞台では、ふたり
で、むき身の隈取り、長い毛を左右に降る「髪洗い」、ダイナミックに回転させる
「巴」、毛を舞台に叩き付ける「菖蒲叩き」などの所作があるが、これを千之助も、
仁左衛門に遅れを取ること無く次々と展開させる。獅子の座で、両手を拡げて、肩を
上げる親獅子。

まあ、例えば、幸四郎と染五郎の演じる親子の獅子は、安定した、緩怠のない獅子の
舞いであった。幸四郎は、大きく、正しく、舞う。染五郎の仔獅子の舞は、勢いが良
い。動きもテキパキしている。そういう脂の乗った親子の「連獅子」とは、仁左衛門
と千之助の「連獅子」は、もちろん、格差があるけれど、将来が愉しみな千之助の舞
台だった。

贅言;獅子や獅子の精の場面では、後見の松之助、仁三郎が、鬘に裃と袴を付けた格
好で、仁左衛門千之助のふたりをサポート。「二畳」設営など、ほかの準備やサポー
トでは、最大時で、4人の弟子が、鬘に紋付、袴を付けた格好で、「宗論」を含めて
サポート。

若い者が、精進の果てに未熟さを乗り越えれば、親は、追い越される。また、連獅子
の所作は、体力の勝負であろう。年齢の違いと藝の違いが出て来る。いずれ、さら
に、何かが、付け加わり、積み上げられ、若い者は、一人前になって行くのだろう。
そういう目で見れば、代々続く役者の家系では、やがて、谷に落されるのは、仔獅子
では無く、親獅子ではないかという思いがする。

そういう思いを私に抱かせながら、舞台中央に、祖父と孫が、「二畳」の上と下で、
まっすぐ並ぶと、緞帳が、静かに降りてきて、幕。
- 2011年6月10日(金) 18:42:58
11年06月国立劇場 (歌舞伎鑑賞教室「義経千本桜〜河連法眼館〜」)


群馬県の館林高校ほかの高校生たちと一緒に国立劇場の歌舞伎鑑賞教室に参加した。
今回の演目は、「義経千本桜〜河連法眼館〜」。1747(延享4)年に、大坂竹本
座で初演された。二代目竹田出雲、三好松洛、並木千柳(宗輔)の合作。人形浄瑠璃
が原作で、翌年歌舞伎化された。「義経千本桜〜河連法眼館〜」は、人形浄瑠璃の四
段目のクライマックスの場面で、通称「四の切り」と呼ばれる人気狂言である。

今回、狐忠信(源九郎狐)と佐藤忠信のふた役を演じるのは、珍しく、翫雀である。
初役に挑戦した。捌き役の侍と狐の化身が、同一人物を装いながら、別の人格という
のが、難しい。それを一人に役者が、ふた役で演じなければならないので、さらに、
難しい。狐は、また、超能力を発揮するので、それも、やはり、難しい。それだけ
に、名優たちは、この役に挑み、工夫魂胆に明け暮れた。ほかの配役は、義経:亀
鶴、静御前:壱太郎(翫雀長男)、亀井六郎:巳之助(三津五郎長男)、駿河次郎:
隼人(錦之助長男)、河連法眼:家橘、法眼妻・飛鳥:竹三郎ほか。御曹司が多い舞
台。

「義経千本桜〜河連法眼館〜」については、菊五郎の代々、特に、幕末から明治にか
けて、五代目、六代目が、音羽屋型として、藝を磨いて来た。また、近代では、猿之
助が、狐の超能力の表出に外連味という演出を付け加えて、独自の澤潟屋型を作り上
げて来た。

特に、「河連法眼館の場」は、元気だった頃、猿之助が、狐忠信の退場を、いわゆる
「宙乗り」という演出で何回も演じたことで知られる演目だ。これは、澤潟屋型とし
て定着している演出。脳硬塞による病気休演中で、演じることができなくなった猿之
助に代わって、最近では、海老蔵が、澤潟屋型の演出を猿之助から直々に指導を受け
て、継承している。私は、この演出の舞台を猿之助、市川右近、海老蔵と、10回以
上も観ている。

一方、狐忠信の退場に「宙乗り」を使わず、「ちょうな」という装置を使って、舞台
上手の桜木によじ上る(というか、木の幹に添って、エレベーターよろしく、昇って
行く)という演出をするのが、菊五郎に代表される音羽屋型だ。音羽屋型は、五代
目、六代目の菊五郎が、工夫を重ねて作り上げた。狐忠信の物語は、兄の頼朝に追わ
れて大和国の吉野山に身を潜めた史実と大和地方に伝わる源九郎狐の伝説を巧みに絡
めあわせて、狐の一途な親子の情愛と兄に憎まれて逃げ回る人間・義経の哀しみと
が、対照的に描かれた。この演出の舞台も、何回か観ている。今回の翫雀の狐忠信
も、音羽屋型の演出で上演された。澤潟屋型も、音羽屋型も、筋立てそのものに大き
な違いはない。

「澤潟屋型」
猿之助の舞台復帰が叶わないので、例えば、08年7月、歌舞伎座で上演された海老
蔵の澤潟屋型の演出の舞台での、狐忠信の動きを再現してみよう。澤潟屋型は、狐の
超能力を表現するために、外連味の演出が、早替りを含め、動きが、派手で、「宙乗
り」を多用する。狐が本性を顕わしてからの動きも、活発である。佐藤忠信の衣装を
付けた狐は、静御前の打つ初音の鼓の音に誘われて、河連法眼館の御殿(二重舞台)
に上がる階段のところに突然姿を現す。狐忠信の正体を解明しようとする静御前との
やり取りの後、庭先から下手の御殿廊下に上がり、さらに、廊下から床下に落ち込む
ようにして、姿を消す。本舞台二重の御殿床下中央から、素早く、白狐姿に変えて現
れる。衣装は、「毛縫い」という白い糸で覆われているが、基本は、着物である。本
舞台二重の床下ばかりでなく、天井まで使って、自由奔放に狐を動かす。「欄干渡
り」では、(幅を付けた)御殿手すりを渡ってみせる。狐は、下手、黒御簾(ここ
は、あるいは、柴垣)から、姿を消す。上手、障子の間の障子を開け、本物の佐藤忠
信(海老蔵の、早替りふた役)が、暫く、様子を伺う。再び、狐忠信は、天井の欄間
から姿を表わす。義経から狐忠信の両親の皮で作った初音の鼓を贈られて喜ぶ。澤潟
屋型の狐忠信は、さらに、吹き替えも活用する。荒法師たちとの絡みの中で、本役と
吹き替えは、舞台上手の桜木の陰で入れ代わり、吹き替え役は、暫く、横顔、左手の
所作で観客の注意を引きつける。吹き替えが、全身を見せると、二重舞台中央上手の
仕掛けに滑り降り、姿を消す。やがて、花道スッポンから海老蔵が、飛び出してく
る。再び、荒法師たちとの絡み。法師たちに囲まれながら、いや、隠されながら、本
舞台と花道の付け根の辺りで、「宙乗り」の準備。時間稼ぎの間に、衣装の下に着込
んで来たコルセットのようなものとワイヤーをきちんと結び付ける。さあ、「宙乗
り」へ。中空へ舞い上がる。「恋よ恋、われ中空になすな恋」と、ばかりに・・・。
3階席周辺の「花道」、つまり、ここでは、「宙道(そらみち)」での引っ込みで
は、桜吹雪の中に突っ込んで行った。

澤潟屋型の演出を選択した海老蔵の舞台は、10年8月の新橋演舞場でも、観てい
る。海老蔵が、「川連法眼館」の狐忠信を演じるのは、4回で、このうち、私は、0
6年11月新橋演舞場、08年7月歌舞伎座、10年8月の新橋演舞場と3回拝見し
ている。澤潟屋型は、外連味の演出が、早替りを含め、動きが、派手で、いわゆる
「宙乗り」を多用する。狐が本性を顕わしてからの動きも、活発である。

若さ、強さを持ち合わせた若き日の猿之助によって、さまざまに仕掛けられ、磨きが
掛けられて来た「外連」の切れ味。身体の若さ、強さは、若い海老蔵によって再現さ
れ、私は観たことがない若い猿之助も、かくやと思わせるものがある。特に、「宙乗
り」の際の、脚の「くの字」の、角度に漲る若さは、猿之助の愛弟子・右近でも、感
じられなかった強靱さで、驚きである。澤潟屋は、海老蔵の、若さ、強さを見抜き、
本腰を入れて、「四の切」の後継を右近ではなく、海老蔵に決めたのだとすると、右
近にとっては、非情な師匠も、歌舞伎ファンにとっては、まだまだ、未熟ながら、強
靱な若さを持った将来の忠信役者を誕生させたということだろう。海老蔵には、猿之
助の思い、つまり、体力の強靱さを、さらに、テーマの強靱さに拡げて行って欲し
い、という思いを受け止めて欲しい。もう、海老蔵を抜きにして、澤潟屋型の狐忠信
論を論じることはできなくなっている。

「音羽屋型」
菊五郎の狐忠信を私は、4回観ている。例えば、09年10月の歌舞伎座の舞台を再
現すると、御殿(二重舞台)の階段から,湧き出るように衣装をつけた狐忠信が登場
するのは、澤潟屋型も音羽屋型も同じ。二重舞台の上で、静御前とのやり取りがあっ
て、やがて、本舞台へ。本舞台から、足がかりを使って、下手の御殿廊下へ上がる。
御殿廊下が、横へ倒れ、忠信は、廊下の板を滑るように床下へ落ち込み、一旦姿を消
す。白狐姿に替わって、上手二重舞台の壁のところから出て来て、本舞台へ。先ほど
とは、違う場所の足がかりを使って、本舞台から御殿の手すりを乗り越え、二重舞台
へ。「欄干渡り」では、(幅を付けた)御殿手すりを渡ってみせる。下手、柴垣の裏
に仕掛けてある水車のようなものを使って、横滑りで、下手奥へ隠れ込む。やがて、
二重舞台の床下から再び現れる。義経から、初音の鼓を贈られて喜ぶ。やがて、花道
から現れた荒法師たちとの絡みがあって、上手桜木に寄り添い、桜木に仕掛けられた
「ちょうな」という装置を使って、舞台上手の桜の木によじ上って、静止をすると、
幕。

そういう対照的な舞台を観て来た立場から見ると、さて、今回の国立劇場の舞台は、
どうだったろうか。翫雀の狐忠信は、基本的に音羽屋型で、菊五郎の動線を辿る。翫
雀の曾祖父の初代鴈治郎は、狐忠信が、客席の中から登場するという演出をとったと
いうが、今回の翫雀は、当代の菊五郎の監修を受けて、オーソドックスに音羽屋型を
演じたと思う。

翫雀は、楽屋話では、次のように語っている。「うちの家系では、縁の遠い役ですか
ら、演じる機会がめぐってくるとは思いもしませんでした。(略)狐の自在で軽やか
な動きはエンターテインメントです」と言っている。私が観た舞台は、初日から5日
目で、疲れが出始める時期なのか、翫雀の狐忠信の動きは、「自在で軽やか」という
感じではなく、少し、がっかりした。まあ、猿之助は、こういう激し動きで、病気を
呼び込んだ一面もあるかもしれないので、その辺りは、役者衆も要注意。翫雀の狐忠
信と佐藤忠信との演じ分けは、狐詞(きつねことば)の化身振りと颯爽とした侍振り
とで、メリハリが、効いていたように思う。翫雀さんとは、先月末の、芸能関係の授
賞式のパーティで、ご一緒し、今月の国立の舞台について話をした。改めて、受賞お
めでとうと言っておきたい。

静御前を演じたのは、翫雀長男の壱太郎。二十歳の静御前である。壱太郎は、「河連
法眼館の場」上演の前に、「歌舞伎のみかた」を高校生に紹介する解説役を担当し
た。幕間(休憩)を挟んで、魅力的な赤姫姿の静御前に変身してみせた。義経は、亀
鶴。出演者に若手が多いので、中堅という感じであった。狐の親子の情にほだされ、
己の肉親の情の薄さを滲ませる。河連法眼は、ベテランの家橘。衆徒たちとの義経詮
議の評定を終えて帰宅する花道の出から、妻の飛鳥の心情(兄が、頼朝方、夫は、義
経を匿っている。河連法眼は、評定の結果、義経を討つことにしたと持ちかける)を
試す。それを踏まえて、飛鳥が、自害しようとする件(くだり)も、普段の上演で
は、省略されることが多い場面だが、超ベテランの竹三郎の演じる法眼妻・飛鳥とと
もに、きちんと演じて、印象が残った。
- 2011年6月8日(水) 21:05:45
11年05月新橋演舞場 (夜/「籠釣瓶花街酔醒」「あやめ浴衣」)


いつもいつも、見応えのある「籠釣瓶花街酔醒」は、
                      やはり、後段がおもしろいのだ


夜の部の見ものは、「籠釣瓶花街酔醒」。主筋は、花魁に裏切られた田舎での実直な
男による復讐譚という陰惨な話なのだが、江戸時代のディズニーランド・吉原のガイ
ドブックのような作品。もう、8回も観ている。河竹黙阿弥の弟子で、三代目新七の
原作。1888(明治21)年、東京・千歳座で初演された世話狂言。新歌舞伎だ
が、江戸時代の古典歌舞伎の風格がある。初演時の、主人公・佐野次郎左衛門は、初
代左團次が演じた。江戸時代に吉原で実際に起きた佐野次郎左衛門による遊女殺しを
元にした話の系譜に属する。今回は、いつもの「吉原見染め」の場面に先立つ、前段
から始まるが、こうして通しで観ると、後段の完成度が圧倒的に高いことが、改めて
良く判った。

私が観た次郎左衛門:吉右衛門(今回含め、3)、勘九郎時代含め勘三郎(3)、幸
四郎(2)。八ッ橋:玉三郎(4)、福助(今回含め、3)、雀右衛門。私が観た印
象では、最近の上演は、吉右衛門と福助のコンビか、勘三郎と玉三郎のコンビで、そ
れぞれ、競演という感じ。

こればかりは、過去にさかのぼれない以上、無い物ねだりと判っているが、1988
(昭和63)年9月の歌舞伎座、23年前が、最後の舞台だった「伝説」の六代目歌
右衛門の八ッ橋を観ていないのが、残念。

今回は、普段は、上演されない場面が、前後に付くので、その辺りの紹介を軸にしな
がら、できるだけ、コンパクトに劇評を書きたい。

初めて、拝見した場面(発端から、序幕、二幕目までと大詰第一場)。
発端「戸田川原お清殺しの場」。中仙道の渡船場に近い戸田川の川原。中仙道の街道
風景が描かれる。下手奥から、乞食姿のお清(歌江)が、姿を見せる。女郎時代に佐
野次郎左衛門の父親の次郎兵衛と深い仲になり、そのまま、女房になった。病気にな
り、次郎兵衛に捨てられた。今は、乞食の身。上手から、次郎兵衛(段四郎)が、登
場。「佐野」の焼き印か、笠に書いてある。偶然通りかかった次郎兵衛を見つけ、逃
げようとする元の夫にその後のことを話す。あれから、3年、次郎兵衛は、故郷の佐
野に戻って婿入りで、再婚をし、子ども(つまり、次郎左衛門)もいるので、次郎兵
衛は、復縁しない替わりに、金を渡そうとする。お清は、納得せず、佐野の家族のと
ころに怒鳴り込むと次郎兵衛を脅す。切羽詰まった次郎兵衛は、柳の木の下で、お清
を殺し、川の中へお清を投げ入れて、逃げてしまう。お清に斬りつけた次郎兵衛は、
一旦花道に逃げるが、戻って、3回刺して、「附け」入りで、とどめを刺す。お清に
渡した財布も惜しくなっって、取り戻す。再び、花道から逃げる。葦原にいた僧侶の
空月(橘三郎)が、犯行の一部始終を見ていて、次郎兵衛が落としていった手拭いを
拾う。僧侶が鳴らす鉦が、哀調。幕。

序幕「野州千貫松原の場」舞台中央に、絹商人・佐野次郎左衛門(吉右衛門)が、伐
り株に腰を掛けて眠っていた。微睡みから目覚める。「ああ、夢かア」。今の場面
は、次郎左衛門が見た夢。16年前に、父親が犯した殺人事件の夢。父親は、お清殺
しの祟りで、非業の最期を遂げたし、自分も、痘痕顔になったという。ということ
は、次郎左衛門は、17、8歳ということになるのか。それとも、子持ちの女のとこ
ろに婿入りしたのか。それなら、大きな子どもが(次郎左衛門)いてもおかしくはな
いが……。いつものように、「吉原仲之町見染めの場」から、この芝居を観ると、次
郎左衛門は、中年男というイメージだったが、子持ちの女のところに婿入りでもない
限り、青年商人ということになるのではないだろうか。

江戸から佐野へ急ぐ次郎左衛門は、江戸で集金した掛け取りの金を懐にたっぷり持っ
ているのか、金は、手形か為替で、既に送ってあるのか。持ってると踏んで、街道で
悪事を働く盗賊の「盲の文次」(錦之助)が同じく盗賊の「腹太弥七」(松江)、手
下の「禿げ山の松蔵」(種太郎)、「赤目の卯左吉」(種之助)、「土龍の石松」
(米吉)、「やらずの武太郎」(吉之助)ら、二つ名前を持つ連中を引き連れて、上
手から現れて、次郎左衛門から金を奪おうと取り囲む。そこへ、花道から、通りか
かった武士の都筑武助(歌六)が、盗賊たちを追い払い、次郎左衛門を助ける。恩義
に感じた次郎左衛門は、都筑武助を自宅に連れて行くために、上手から、引っ込む。

二幕目第一場「佐野次郎左衛門内の場」。次郎左衛門(吉右衛門)が連れ帰った都筑
武助(歌六)が、病の床についている。下男の治六(歌昇)が、都筑の病を心配して
いる。次郎左衛門は、都筑の平癒のため、僧侶の空月(橘三郎)に加持祈祷を頼ん
だ。奥から、ふたり揃って出て来る。次郎兵衛の位牌に気がついた空月は、次郎左衛
門に父親の犯行を思い出し、息子に語る。次郎左衛門も、慎みが、必要だと説教をす
る。空月は、下手から退場。次郎左衛門は、奥へ戻る。堅気になったという盲の文次
(錦之助)が、都筑の知り合いだというおとし(秀太郎)とお千代(壱太郎)を案内
して花道をやって来る。おとしは、都筑が仕える本田家中の高松安之進の妻で、お千
代は、その娘で、都筑の許嫁。次郎左衛門は、礼を言って、小金を握らせ、文次を引
き取らせるが、肚に一物ある文次は、生け垣の陰に隠れて、家内の様子を窺い出す。

次郎左衛門は、ふたりに都筑の容態が悪いことを伝える。ふたりは、次郎左衛門に案
内されて、奥へ導かれる。文次は、やって来た弥七と手下たちに都筑の死が近いこと
を教える。連中は、次郎左衛門の家に忍び込むことを企てる。

舞台が、鷹揚に廻ると、第二場「佐野次郎左衛門奥の間の場」。おとしとお千代(許
嫁とその母)が、都筑を介抱している。死を覚悟している都筑(歌六)。ふたりに形
見分けをする。次郎左衛門には、都築家に伝わる家宝の妖刀「籠釣瓶」を渡す。後
の、大量殺人の凶器となる。「籠釣瓶」という命名は、水(血だろう)も溜まらぬ
「籠製の釣瓶」のように、良く切れるという村正の妖刀だからだ。一生抜かなけれ
ば、身に祟りは無いが、抜いてしまうと、身に過ちが生ずるからと注意をする。

店から呼ばれて、店先に戻る次郎左衛門。都筑の死が近いことを知って、用心棒によ
る妨害の心配が無くなったとして、文次たちが、奥の間まで、入り込み、仕返しに
やって来る。次郎左衛門らが、防戦をし、文次と弥七を斬り倒すが、病床の都筑も、
死んでしまう。

まあ、こういう展開で、痘痕の謂れと妖刀「籠釣瓶」を次郎左衛門が、所持している
ことの由来が判る程度で、確かに、「吉原仲之町見染めの場」から後の、各場面の緊
迫感と比べると、省略されてしかるべき場面だったということが、良く判る。それ
が、判ったことが、最大の収穫だろう。ここで、幕間。30分。

三幕目「吉原仲之町見染めの場」。ここからは、吉原のメインストリートから始まっ
て、四幕目第一場「立花屋見世先の場」は、吉原の大店の店先、五幕目第一場「兵庫
屋二階遣手部屋の場」は、客引きの遣手の部屋、五幕目第二場「兵庫屋廻し部屋の
場」は、大衆向けの廻し部屋、五幕目第三場「兵庫屋八ツ橋部屋縁切りの場」は、V
IP用の花魁の部屋など、吉原の大店の内部を案内する芝居となる。間に挟まれるの
は、四幕目第二場は、八ツ橋の情人・繁山栄之丞の自宅「大音寺前浪宅の場」。

三幕目「吉原仲之町見染めの場」。いつも通り、開幕前に場内は、真っ暗闇になる。
暗闇のなかを定式幕が、引かれてゆく音が、下手から上手へと移動する。そして、止
め柝。パッと明かりがつくと、華やかな吉原の繁華街へ。

「吉原仲之町見染の場」は、桜も満開に咲き競う、華やかな吉原の、いつもの場面。
花道から次郎左衛門(吉右衛門)と下男・治六(歌昇)のふたりが、白倉屋万八(吉
三郎)に案内されてやってくる。二幕目第二場から、どのくらい年月が経っているの
だろうか。江戸へ出てくる度に八ツ橋の元に、足しげく通いとあるから、数年から1
0年ということだろうか。それでも、今回のように通しで観ていると、30前という
勘定にしかならないが……。

白倉屋らを見掛けた立花屋の大御所お駒(芝翫)が、下手奥から、捌き役で登場し、
田舎者から法外な代金を取る客引きの白倉屋から、吉原不案内のふたりを助ける。普
通は、この場面、立花屋主人の長兵衛(東蔵)の役割だが、今回は、「大成駒」の芝
翫の出番で、花を添えた。芝翫の声量が不足気味。大向うからは、「大成駒」「神谷
町」の掛け声。

やがて、ふたりは、花魁道中に出くわす。最初は、花道から上手へ、九重(芝雀)一
行17人、さらに、舞台中央奥から八ツ橋(福助)一行20人が、花魁道中を披露す
る。行列の長さは、毎回違うが、花魁、茶屋廻り、禿、番頭新造、振袖新造、詰袖新
造、遣手、幇間、若い者という要素は、変わらない。八ツ橋一行の中には、番頭新造
八重咲(芝のぶ)もいて、昼の部の茶屋の町娘とは違う色気を見せている。

豪華な花魁道中を目の当たりに観た上、八ツ橋の微笑に魂が溶けてしまったような次
郎左衛門は、惚けた表情になってしまう。吉右衛門は、こういう人の良い表情も巧
い。

福助の微笑は、花道七三で体が止まって、まず、下を向き、左斜めに顔をかしげ、次
郎左衛門に流し目をし、惚けた表情を観て、笑みが生まれ出す。顔を正面に戻すと、
若い者の左肩に置いてあった右手を放して、暫くして、手を若い者の肩に戻すと、笑
いが顔中に広がるという順番。

私が観た次郎左衛門は、先に触れたように、吉右衛門(今回含め、3)、勘九郎時代
含め勘三郎(3)、幸四郎(2)ということで、8回観た芝居だが、実際には、3人
の役者しか観ていない。

私の評価では、吉右衛門がダントツ。初代の吉右衛門が、佐野次郎左衛門のキャラク
ターの骨格を造形したという。初代吉右衛門の佐野次郎左衛門には、哀愁があったと
いう。その養子が、二代目吉右衛門。真面目さと狂気との間の、バランスが良いの
が、吉右衛門だ。線は、細いが、きちんと実線が続いている。先代の勘三郎も、実兄
である初代吉右衛門の代役から始めて、初代の藝の継承、そして、次第に、己の味を
出して行ったと言われる。当代の勘三郎は、先代、父親の味を引き継ぐ。勘三郎は、
吉原の前半が、コミカルで、巧い。実直な田舎商人を、客観的に、普通サイズで演じ
る。軽やかだが、点線という感じ。幸四郎は、狂気の殺人者として、陰惨な色合い
が、濃くなる大詰が良い。小から大へ。実線で、しかも、線が太い幸四郎。その代わ
り、吉原の前半と後半の振幅が、大きい。

四幕目、第一場「立花屋の見世先の場」。半年後、吉原に通い慣れた次郎左衛門が、
仲間の絹商人(由次郎、桂三)を連れて八ツ橋自慢に来る場面だ。その前に、八ツ橋
の身請けの噂を、どこかで聞きつけて、親元代わりとして立花屋に金をせびりに来た
のが、無頼漢の釣鐘権八(弥十郎)。立花屋主人・長兵衛(東蔵)、立花屋女房・お
きつ(魁春)が、対応。権八の強請を追い返す。次郎左衛門一行が、店に上がると、
八ツ橋(福助)が、秘書役の番頭新造の八重咲(芝のぶ)らと、店に来る。

権八は、姫路藩士だった八ツ橋の父親に仕えていた元中間。主人の娘を苦界に沈めた
悪。釣鐘権八役は、芦燕が巧かった。権八は、八ツ橋の色である浪人・繁山栄之丞に
告げ口をして、後の、次郎左衛門縁切りを唆す重要な役回りだ。

舞台が廻ると、四幕目、第二場「大音寺前浪宅の場」。梅玉の栄之丞登場。梅玉は、
こういう役は、巧い。ここは、いわば、中継ぎ。ここでは、脇役で、浪宅の雇い女の
おとらや遊郭の兵庫屋から八ツ橋が誂えた着物を届けに来たお針のおなつらを演じた
大部屋さんが、江戸の庶民の味を出していた。誂えたばかりの着物に着替えて、栄之
丞と権八は、下手奥から吉原へと出かけて、幕。

五幕目、第一場「兵庫屋二階遣手部屋の場」、舞台が、廻ると、第二場「同 廻し部
屋の場」、そして、さらに、廻ると、第三場「同 八ッ橋部屋縁切りの場」へ。下
手、押入れの布団にかけた唐草の大風呂敷、衣桁にかけた紫の打ち掛け。上手、銀地
の襖には、八つ橋と杜若の絵。幇間らが、赤い前掛けを頭に捲き、鏡獅子のパロディ
遊び、座敷を賑やかにしている。「吉原案内」の華やぎを載せた舞台は、次々と、テ
ンポ良く廻る。いずれも、吉原の風俗が、色濃く残っている貴重な場面。

贅言;部屋の外の廊下では、室内履きが必要なので、客たちは、草履を履いている。
従業員は、足袋だけで、草履は無し。傾城たちは、底が厚めの草履を履いている。

場の華やぎとは、裏腹に、人間界は、暗転する。やがて、浮かぬ顔でやって来た八ツ
橋の愛想尽かしで、地獄に落ちる次郎左衛門。「花魁、そりゃあ〜、あんまり、そで
なかろう〜ぜ〜……」という吉右衛門の科白は、先代ゆずり。次郎左衛門役者の聞か
せどころ。

部屋の様子を見に来た廊下の栄之丞が、襖を、そっと開けると、次郎左衛門の目と目
が合う。八ツ橋の愛想尽かしの真意が、一気に「腑に落ちた」という表情の次郎左衛
門。「所詮、ここには、戻りますまい」。「身請けは、思いとどまった……。ひとま
ず、国へ帰るとしましょう……ぜ」。「また、出直してまいりましょう」。科白の
節々に、大鼓の音が、「かんかん」と附け打のように入り込む。

福助の八ツ橋は、部屋の外に出て、部屋の障子を締め切った後の表情が良い。吹っ
切ったような、吹っ切れてないような、戻らない、戻りたいという感情が駆け巡る。
もう一度、正面を向き、観客席に表情を見せて、吹っ切る。一旦後ろを向き、また、
戻り、吹っ切る、という表情をする。

大詰。さらに、4ヶ月後。まず、いつもは上演されない第一場「兵庫屋九重部屋の
場」。八ツ橋之裏切りの場でも、絶えず、次郎左衛門のことを案じて、後ろから寄り
添っていた九重。八ツ橋を部屋に呼び入れた九重は、その後音沙汰の無い次郎左衛門
のことを話題にし、八ツ橋に対し、次郎左衛門に詫びをしろと諭す。そこへ、遣り手
が、立花屋に次郎左衛門が来たと伝えに来る。九重は、八ツ橋に、一緒に詫びにいっ
てあげるという。

贅言:傾城は、脱ぎ捨てた草履を直したりしない。皆、他の者がしてくれる。それく
らい気位が高い。

舞台が廻ると、第二場「立花屋二階の場」は、お馴染み。妖刀「籠釣瓶」を持った次
郎左衛門が、久しぶりに立花屋を訪れる。次郎左衛門の執念深い復讐。妖刀の力を借
りて、善人は、すでに、狂気の悪人に変身している。それを見抜けなかったのが、八
ツ橋にとって、悲劇の始まり。八ツ橋の気を逸らせておいて、足袋を脱ぎ、座布団の
下に隠す次郎左衛門。血糊で足が滑らぬように、周到に準備している。そこにあるの
は、確信犯の覚悟。

寂しげな八ツ橋。顧客を騙した疾しさから、いつもより、余計に可憐に振舞う八ツ
橋。肚に一物で、「この世の別れだ。飲んでくりゃれ」という次郎左衛門から殺意が
迸る。それに気付いて、怪訝な表情の八ツ橋。武家の娘から遊女に落ち、愛する男の
ために実直な田舎者を騙した疚しさを自覚している遊女・八ツ橋の、真面目さが、哀
れ。

「世」とは、まさに、男女のありようのこと。「世の別れ」とは、男女関係の崩壊宣
言。崩壊した男女のありようは、時として、命の破滅に繋がる。鬼と夜叉の対立。立
花屋の2階でも、やがて、薄暮とともに、場面は、破滅に向かって、急展開する。裏
切られた実直男ほど、恐いものはない。妖刀「籠釣瓶」を持っているから、なお、怖
い。黒にぼかしの裾模様の入った打ち掛けで、後の立ち姿のまま、背中から斬られる
八ツ橋の哀れさ。衣装の色彩と役者の所作という様式美。

斬られた後、逆海老反りになり、それから、徐々に、綺麗に崩れ落ちる。この場面
は、私が見た限りでは、福助が、体の柔軟さを強調して、ほかの八ツ橋役者の追従を
許さない。今回も、綺麗に背中を逆の二つ折りにしてみせた。

薄闇のなかで、妖刀に引きずられて、どんどん濃くなる吉右衛門の狂気は、引き続い
て、燭台を持って、部屋に入って来た女中お咲(芝喜松)をも、斬り殺す。燭台の明
かりで、血塗られた刀を目にして、逃げようとしたが故に、被害に遭う。周囲の闇。
燭台の明かりに照らし出される殺人者の影。憎悪から狂気へ、無軌道の殺人へ。殺し
の美学は、殺人者の太刀捌きよりも、殺される女形の身体の所作で、表現される。

「籠釣瓶は、良く斬れるなあ〜」と、吉右衛門は、妖刀を観客席に突き出すようにし
て、狂気に魅入られている次郎左衛門の目をしてみせる。吉原という華やかな街に流
れる時の鐘の悲哀。

今回は、久し振りに、第三場「立花屋大屋根捕物の場」がある。この場面だけは、前
にも観たことがある。妖刀に引きずられて、壁をぶち破り、大屋根に飛び出す次郎左
衛門は、妖刀の魔力に負けて、次々と殺人を犯す。駆けつけた栄之進や権八とも立ち
会い、権八を斬り捨てる。栄之進との対峙では、加勢する鳶の者たちの梯子に押さえ
つけられて、立ち往生となる。吉原の遠見の前で、捕り方たちと大立ち回りも、遂
に、大団円で、柝、幕。

磨き抜かれた殺しの美学。艶やかで、華やかな吉原を舞台に、男女関係の哀しさが描
かれる。狂気と殺しの見せ場が、光る。


「あやめ浴衣」は、1859(安政6)年、三代目芳村伊三郎襲名披露で発表された
長唄。元々は、浴衣の宣伝を兼ねた演奏曲。いまなら、さしずめ、シーエムソング。
明治になって、振りが付き、舞踊化されたという。私は、初見。端午の節句に菖蒲を
染め込んだ浴衣を着ましょうということで、「あやめ浴衣」と命名したという。今回
は、浴衣ではなく、元禄風にアレンジして歌舞伎舞踊となった。セリ上がりで、3人
登場。白、紫、青の衣装。男は、水色の足袋。女は、ピンクの足袋。扇子は、緑地に
金の模様。朱の地に金の模様。あやめ模様で、初夏の爽やかさという季節感、若い男
ふたり(歌昇、錦之助)と若い女ひとり(芝雀)という3人舞踊で、恋模様を滲ませ
て、舞台上手に、長唄。下手に、四拍子に加えて、箏。最後は、静止。そこへ、緞帳
が降りて来る。
- 2011年5月29日(日) 9:25:19
11年05月新橋演舞場 (昼/「敵討天下茶屋聚」)


「敵討天下茶屋聚」は、2回目の拝見。前回は、1998年12月の歌舞伎座。主演
は、猿之助であった。このサイトを開設する前に観ているので、当然、劇評の記録
は、サイトには残っていない。初登場であるから、今回の劇評は、少し詳しく書いて
おきたい。

これは、今なら、テレビのワイドショーもので、実際に、慶長年間(1600年前
後)に大坂・住吉の天下茶屋で起きた敵討を素材にしている。つまり、事件の再現も
のという狂言だ。歌舞伎での初演は、1781(天明元)年12月、大坂・道頓堀、
角の芝居で、藤川山吾座という小屋で上演された。元々は、初代奈河亀輔(ながわか
めすけ)原作の「大願成就殿下茶屋聚(たいがんじょうじゅてんがぢゃやむら)」、
弟子の奈河七五三助(しめすけ)原作の「連花茶屋誉文臺(れんがぢゃやほまれのぶ
んだい)」という作品が作られ、同時期に、角の芝居のほか、中の芝居でも競演さ
れ、話題になった。このうち、奈河亀輔原作「大願成就殿下茶屋聚」は、好評で、翌
年2月まで上演が続いた。

贅言;「天下茶屋」と言えば、大阪の西成区の地名であるが、「殿下茶屋」が、本来
らしい。というのは、その昔、太閤殿下であった豊臣秀吉が、住吉神社に参詣したお
り、この地の茶屋で、お茶を飲んだことから、「太閤殿下の茶屋」に由来するとい
う。

初代の奈河亀輔は、奈良の生まれで、奈良・河内で遊んで、身が定まらなかったのを
洒落て、「奈河」という名字を付けたという。初代並木正三に師事。後に、大坂・中
の芝居の立作者を務めた。時代物を得意とし、中古歌舞伎作者の祖といわれる。「競
(はでくらべ)伊勢物語」、「伽羅先代萩」などは、今も、上演される。二代目は、
弟子の奈河篤助が、継いだ。

今回上演の「敵討天下茶屋聚」は、その後の改作を集大成したもので、原作者は、二
代目奈河亀輔、並木十輔。いずれの人物も、詳細不明。およそ50年後、1835
(天保6)年、四代目大谷友右衛門が、江戸の中村座で、主役の元右衛門を演じて、
評判となり、「友右衛門の元右衛門か、元右衛門の友右衛門か」と言われたという。
現在の元右衛門の演出は、この時の友右衛門の工夫が、基になっている。誠実な小人
物だが、酒好きで、酒乱の癖があり、やがて、主家を裏切り、実弟を殺し、敵側に付
くという人物造形が、まかり間違えは、自分も、そうなりかねないという危うさ、誰
もがなりうるという危うさ、この辺りが、江戸の庶民の共感を得たのだろう。

また、元右衛門・東間三郎右衛門のふた役という演出は、1843(天保14)年7
月、京都四条南側大芝居で、初めて取り入れられた。8年前の初演以来、当り役と
なった大谷友右衛門が、この舞台で、ふた役早替わりで、演じた。今回は、幸四郎
が、それ以来、およそ170年振りに、このふた役に挑戦する。

今回の主な配役は、次の通り。
元右衛門・東間三郎右衛門のふた役:幸四郎。伊織:梅玉。染の井:魁春。源次郎:
錦之助。葉末:高麗蔵。弥助:弥十郎。坂田庄三郎:友右衛門。京屋萬助:歌昇。片
桐造酒頭:歌六。早瀬玄蕃頭:段四郎。幸右衛門:吉右衛門。

因に、私が観た前回の主な配役は、次の通り。
元右衛門:猿之助。東間三郎右衛門:段四郎。伊織:梅玉。染の井:松江時代の魁
春。源次郎:門之助。弥助:歌六。幸右衛門:東蔵。

序幕第一場「浮田館広庭の場」。西国の大名浮田中将秀秋の館。池のある茅葺きの四
阿の前で、大勢の田楽師(廣太郎、廣松ら)が招かれて、家臣たちの前で踊りを披露
している。緊迫した政治状況にも拘らず遊び暮している、遊興派の殿様・浮田秀秋を
亡き者にし、お家乗っ取りを画策する家老の岡船岸之頭(桂三)、東間三郎右衛門の
弟・大蔵(幸太郎)が、上手から、登場する。対抗するのは、相家老(同格の家老
職)の早瀬玄蕃頭(段四郎)、長男の伊織、次男の源次郎。このうち、早瀬玄蕃頭
も、遅れて上手から、登場。岸之頭らは、浮田家重宝の源頼朝直筆の色紙を東間三郎
右衛門に盗み出させ、早瀬一派の失脚を目論んでいる。

折しも、大坂城から上使として、執権の片桐造酒頭(歌六)が、花道からやって来
る。浮田家謀叛の疑いという。両家老の早瀬玄蕃頭、岡船岸之頭が、揃って上使を迎
える。岡船岸之頭らは、色紙紛失を申し出ると、剣の遣い手である早瀬玄蕃頭は、岡
船岸之頭の悪計を暴露し、岸之頭の腹を突き、気絶させてしまう。岡船岸之頭の懐か
ら色紙を取り戻す玄蕃頭。岸之頭らは、後ろ向きになり、舞台から、一旦姿を消した
という体(てい)。

その結果、浮田家の疑いが晴れ、片桐造酒頭は、花道より立ち去る。岸之頭は、玄蕃
頭によって、切腹を偽装される。玄蕃頭は、花道より退場。挙げ句、大蔵に介錯を頼
み絶命。残された東間三郎右衛門と弟・大蔵は、早瀬玄蕃頭らへの復讐を誓う。ここ
は、今後の展開のための伏線。

館外の大手先(堀と松並木)を描いた道具幕が、降り被せとなり、場面展開。道具
幕、振り落しの後、堀端の大道具とともに、幸四郎、段四郎が、せり上がって来て、
第二場「浮田館大手先の場」。ここからは、吹き替えを含めて、幸四郎が、東間三郎
右衛門と安達元右衛門のふた役を演じるので、幸四郎の動きを軸に可能な限りきちん
と記録しておきたい。

下城途中の早瀬玄蕃頭が、東間三郎右衛門(幸四郎)によって、討たれる。三郎右衛
門は、左の額にホクロがある。玄蕃頭の懐から色紙を取り戻した三郎右衛門は、奪っ
た色紙を弟の大蔵に託す。ここへ、酩酊した中間が、現れる。三郎右衛門は、中間が
着ていた合羽と笠を奪う。中間は、早瀬玄蕃頭方の中間で、元右衛門(幸四郎のふた
役なので、従って、ここは、吹き替え)。三郎右衛門の幸四郎は、奪った合羽を羽織
り、笠をかざして、花道を立ち去る。中間は、後ろ姿のまま、松の後ろに姿を消す。
上手から、玄蕃頭の次男・源次郎(錦之助)が現れ、父親・玄蕃頭の遺体に気がつ
く。花道から、玄蕃頭の長男・伊織(梅玉)が、中間の安達弥助(弥十郎)を連れて
登場。兄弟は、父親の遺体の傍らに落ちていたやりの穂先で、父親の敵は、東間三郎
右衛門と知る。

物陰から現れたのは、安達弥助の兄で、同じく、早瀬家の中間・安達元右衛門(幸四
郎)。玄蕃頭のお供をしていたはずなのに、館内の宴で振る舞われた酒で酩酊して、
主人より遅れてやって来て、三郎右衛門に笠や合羽を奪われたのも、知らない。正体
を無くしているので、記憶も無いのだ。主人の大事な場面にも、居合わせず、という
勘平みたいな中間だ。こうした兄の不行跡を嘆く弟の弥助。ここまでが、浮田家のお
家騒動と早瀬、東間の敵討の構図の紹介というところ。

二幕目「四天王寺の場」。四天王寺門前の舞台は、下手より、易者、茶屋(障子に
「酒肴」の文字、同じく旗)、朱塗りの四天王寺の門。背景の書割は、五重塔や御堂
の大屋根の遠見。茶店の娘は、我が「芝のぶ」。相変わらず、爽やかな町娘。

花道から早瀬伊織の妻・染の井(魁春)と源次郎の許嫁・葉末(高麗蔵)のふたり
が、登場。敵討のため国元を出た早瀬兄弟を追って来たというわけだ。易者が、この
ふたりに気づいた。易者は、東間大蔵が、変装していた。上手から、深編笠で、黒の
着流し姿の侍が、顔を見せないまま、大坂城の執権・片桐造酒頭に間違えられる場面
は、後の伏線。この男に大蔵が、兄者と呼びかける。兄者ということは、三郎右衛門
という暗示。ただし、ここは、吹き替え。これも、伏線。大事の色紙を己の遊興費の
ために質入れしてしまった大蔵は、早瀬家の関係者を見かけたことを告げながら、
兄・三郎右衛門を伴って、境内へ。

花道から早瀬兄弟と中間の弥助登場。茶店で、一服。花道から深編笠で、黒の着流し
姿の侍が、登場。早瀬主従は、この侍が、三郎右衛門ではないかと疑い、討ちかかる
が、別人と判明。侍は、片桐造酒頭(歌六)であった。侘びる早瀬主従。3人で、境
内へ。深編笠の侍も、境内へ。

そこへ、遅れてやって来たのが、白塗りの中間・元右衛門(幸四郎)。花道で酔っぱ
らった中間にからまれる。「酒というものは、始末に負えねえ」と、自分の不行跡を
棚に置いて、嘯く。主人の横死の際、酩酊していたのに、許され、それ以降、禁酒を
誓って、弟の弥助と共に、早瀬兄弟の敵討の旅の供をして来た。

茶店で、早瀬兄弟らが、参詣から戻って来るのを待っていると、旧知の奴・腕助(錦
吾)がやって来る。東間の居何処を質す元右衛門に対して砥の粉塗りの腕助は、先ほ
どの別の中間が落として行った鑑札を見せて、今は、片桐造酒頭のところに奉公して
いると嘘をつく。腕助の懐から落ちた密書を見つける元右衛門だが、折から、境内か
ら出て来た大蔵が、仲間の腕助を助けて、元右衛門に当て身を食らわせ、気絶させ
る。気を失った元右衛門にふたりで、酒瓶の酒を柄杓ごと無理矢理に飲ませて、酔わ
せ、ふたりとも、物陰に姿を隠す。

戻って来た早瀬主従、特に、弟の弥助は、禁酒を破った兄の元右衛門を許せない。伊
織は、弥助に兄弟の縁を切らせることで、元右衛門を勘当する。元右衛門(幸四郎)
を弥助は、茶店内に連れ込む。元右衛門の吹き替えが、後ろ向きのまま、茶店ら出て
来る。元右衛門は、酩酊している。後ろ向きで、寝転ぶ。元右衛門を残して、早瀬主
従は、立ち去る。大蔵と腕助は、吹き替えの元右衛門を駕篭に乗せて、花道から連れ
去る。

上手、境内より、深編笠の侍が出て来る。茶店の下手側より、もうひとりの深編笠の
侍が出て来る。ふたりは、舞台中央で、すれ違い、深編笠を取ると、上手に幸四郎の
三郎右衛門、下手に片桐造酒頭の歌六が、立っているという趣向。ふたりは、互いに
牽制しあっている。

三幕目「東寺貸座敷の場」。貸座敷とは、借家住まいのこと。敵を追い、奪われた色
紙を探す早瀬主従が、住んでいる。源次郎は、心労で、目を患ってしまった。偶然行
きあった染の井が、弥助とともに、源次郎を介抱している。

京都室町の道具屋で、探している色紙らしいものが見つかったと噂を聞き込んで来た
同業の井筒屋(吉之助)が、知らせて来たが、売価は、二百両という。改めて、井筒
屋は、道具屋を確認しに行く。

そこへ、通りかかった按摩を弥助が呼び入れると、按摩は、偽盲人の元右衛門であっ
た。弥助は、早瀬兄弟に勘当の許しを請おうと兄に話し、とりあえず、戸棚に身を隠
すように勧める。井筒屋が、再びやって来て、色紙を持っている道具屋が判ったとい
う。金の工面をどうするか。染の井は、身売りをして、金の都合をつけたいという。
兄嫁の身売りの金で色紙を買い求めることになり、二百両は、源次郎の枕の下に保管
する。

戸棚の中で話を聞いていた元右衛門は、ここで、「悪の発心」へ。元右衛門は、それ
を隠して、一旦、家を出る。花道に向かうと見せて、本舞台に戻り、家の後ろの藤棚
を登る。この場面で、舞台は、4分の1の廻りとなる。藤棚の上をうろうろしなが
ら、幸四郎の元右衛門は、家内の様子を探り、観客席を笑わせる。

弥助も、物音に気づきながら、猫と思い込む。用心にと開いていた天窓を閉める。元
右衛門は、すでに、二百両を盗み取ろうという小悪党になり切っている。この場面
は、幸四郎より、前回観た猿之助の方が巧かった。ユーモアのある仕草は、猿之助が
巧い。コミカルな芝居は、後の、悲劇を予兆する。

階下で、弥助が寝入ったのを確かめ、天窓を開け、下に降りる元右衛門。躊躇せず
に、弟の弥助を殺す兄の元右衛門。源次郎の枕元の二百両も盗む。戻って来た伊織と
も立ち回りとなる。伊織の脚に斬りつけ、深手を負わせて、元右衛門は、逃げる。幕
外の引っ込み。

四幕目第一場「福島天神の森の場」。舞台中央に、むしろ掛けの乞食小屋の体(て
い)。剣菱の菰のむしろを入り口に下げている。小屋の上手には、地蔵像。源次郎の
眼病は治ったが、伊織は、足腰が、立たなくなってしまった。生け捕りにされたとい
う「河太郎」が、物乞いに連れられて小屋の前を通る。河太郎は、河童のような黒い
面をつけていて、不気味だ。実は、この河太郎は、東間の中間・腕助が、扮装して、
早瀬兄弟の様子を探りに来たのだ。

源次郎は、三郎右衛門らしい浪人がいるという噂を確かめようと、出かける。夜も更
けて、小屋に一人いる伊織を襲う元右衛門(幸四郎)と腕助。手負いとなった伊織に
冥土の土産とばかりに、これまでの経緯を聞かせる元右衛門。怒った伊織は、元右衛
門に一太刀浴びせる。軽傷だが、腕助に介護されて、下手に引っ込む元右衛門。やが
て、乞食小屋の中から、くすんだ紫の衣装の三郎右衛門(幸四郎)が、姿を見せる。
ふた役早替わりの妙味。地蔵蔵を蹴倒して、台座に座り込む悪党・三郎右衛門。伊織
を嬲り殺しにした三郎右衛門は、冷酷にも、その場を立ち去る。懐手のまま、腕を組
み、花道から退場する幸四郎のふてぶてしさ。

舞台は、背景の黒幕が落ち、月夜の野遠見となる。三郎右衛門を見つけられずに戻っ
て来た源次郎は、兄の惨い遺体に気づく。附け打の音と共に、兄の遺体を薮裏に埋葬
する源次郎。無事埋葬は済ませるが、源次郎は、腕助と手下の物乞いに襲われ、下手
奥の枝川へ投げ込まれてしまう。

暗転のまま、舞台が廻ると、第二場「枝川川下の場」。花道より、旅姿の人形屋幸右
衛門(吉右衛門)が、登場。下手に座り込み、休憩の体(てい)。やがて、源次郎
は、上手の浅瀬から、這い上がって来る。投げ込まれただけで、傷も無く、無事だっ
たようだ。しかし、敵討も絶望となり、切腹しようとする源次郎。それを止める幸右
衛門は、いまは、町人だが、かつては、早瀬家に仕えていたので、助力したいと早瀬
主従の行方を探していたと申し出る。同じく恩義を感じている京屋萬助のところへ案
内したいというので、ふたりは、花道へ向かう。ここは、幕で、舞台展開。

大詰第一場「天下茶屋村松並木の場」。いよいよ、敵討へ。正義の味方・幸右衛門の
お陰で、染の井は、身請けされ、源次郎は、許嫁の葉末にも再会した。天下茶屋村の
松並木。舞台中央に、「天下茶屋村」と書かれた道標。遠見は、住吉神社。花道から
染の井、源次郎、葉末の3人が、登場。女たちは、白い衣装に黒い帯、頭には、白い
鉢巻き。源次郎も、白い衣装に鉢巻き。舞台上手から京屋萬助(歌昇)と坂田庄三郎
(友右衛門)が、登場。このふたりは、早瀬側の助っ人。

「住吉大明神のお導き」とは、源次郎の科白。坂田庄三郎は、一旦、上手に引っ込
む。早瀬家の3人と萬助を加えた4人は、下手に隠れる。花道より、いまは、伊藤将
監と名を変えた東間三郎右衛門の一行が、仕える大江家の代参で、住吉神社へ向かう
のを4人は、待ち受けるという構えである。一行が、本舞台を通り過ぎる。行列の最
後に、元右衛門が、得意げに槍を抱えもって付いている。

まず、元右衛門に向かう早瀬家の人びと。敵討の身支度を整えた姿を見て、腰を引
き、お追従をいう元右衛門のずるさ。コミカルな立ち回り。元右衛門の幸四郎は、小
悪党は、コミカルに、ということで、この趣向は成功している。早瀬勢に押され、逃
げ回り、一旦、裏を廻って後ろ姿で出て来て、観客に吹き替えに替わっていると思わ
せて、顔を見せると、まだ、幸四郎のまま。二度目に、裏へ廻って、後ろ姿で出て来
ると、今度は、早瀬勢に殺された吹き替えは、後ろ姿のままで、裏へ引っ込む。明転
のまま、舞台は、廻る。

第二場「住吉社仇討本懐の場」。住吉神社境内。大道具は、下手から社務所、石灯籠
と鳥居。舞台下手より、行列の先頭が出て来る。上手より、坂田庄三郎(友右衛門)
が、鳥居を潜って、再び登場して、行列を止める。警護の侍らが、庄三郎と立ち回
り。石灯籠の下手、社務所の横に駕篭が置かれる。警護の侍を追う形で、庄三郎ら
は、上手に入って行く。入れ替わるように、上手から、早瀬家の3人と萬助が、登
場。名乗りを上げて、駕篭に向かう。駕篭の中から、伊藤将監と名を変えた東間三郎
右衛門(幸四郎)が、姿を現す。立ち回りがあって、途中で、「東西東西」で口上
へ。幸四郎、錦之助、歌昇、魁春、高麗蔵の5人が、舞台中央に座り込み、「こんに
ちの狂言は、これぎり」で、幕。

この芝居は、冒頭述べたように、実際にあった敵討を素材にした江戸のワイド
ショー、テレビである。文字情報は、瓦版で伝えられても、庶民の興味に応えきれな
いから、不十分。視覚的にも情報を享受しようと思うと芝居しかない。昔も今も、庶
民の情報への要求は、変わらない。事件から数十年経っても、観客を喜ばせるように
するためには、同じ素材ながら、書き替え、書き替えをする。書き換えなら先行作品
を下敷きにすれば良いので、無名の作者でも、対応できるだろうと、この作品も、今
の上演の形になるためには、何度も改作された。

さらに、興行者側からすれば、台本の工夫にも、限界がある。普通の芝居では、話題
性も、もうひとつだろうから、主役の早替わりというような趣向を取り入れたらどう
かと発想するだろうし、演じる役者の側も、それなら何役早替わりというようなアイ
ディアを出して来るだろう。

ならば、大道具も、こう工夫して、廻り舞台、引き道具などを使っての居どころ替り
なども試みようということになり、現在も、上演されるような形に落ち着く。幸四郎
の今回の早替わりは、実に、およそ170年振りという。喜寿近い役者が、苦労の多
い初役に取り組む、その心意気や良しである。そうは言っても、評者は、遠慮なく、
表現の良し悪し、藝の良し悪しだけを客観的に評価しなければならない。情は禁物。
幸四郎のふた役の出来は、さて、どうか。

私の回答。小悪党の元右衛門は、既に触れたように、コミカルで、おもしろく拝見し
た。前回見た猿之助は、ふた役ではやらずに、元右衛門は、猿之助だが、東間三郎右
衛門は、段四郎ということで、人物をわけて、ひたすら、元右衛門の小悪党振りに全
精力を注ぎ込んだ。軽妙さは、猿之助の方が、幸四郎よりあったが、これは、幸四郎
の持ち味に、元々欠けるものであろうから、仕方が無い。

しかし、元右衛門と三郎右衛門の演じ分けを比べれば、元右衛門の方が、完成度は高
かったように思う。つまり、お家騒動の震源地の三郎右衛門は、元右衛門より、存在
感が無く、弱かったように思う。お家騒動の悪人は、「国崩し」と呼ばれる、大悪人
でなければならないのだが、小悪人をコミカルに演じても、ドラスティックな大悪人
の凄みが、今回の三郎右衛門からは、感じられなかった。今後の、もう一工夫を幸四
郎には、期待したい。
- 2011年5月28日(土) 14:52:17
11年05月明治座(夜/「怪談牡丹灯籠」、「高坏」)



「旧かな」味の芝居と「新かな」味の芝居


明治座で、歌舞伎を観るのは、初めて。明治座の内部に入るのも初めて。劇場は、エ
スカレーターで上がった3階が、劇場1階となる構造になっている。舞台は、横長な
ので、どの階も、舞台が意外と近い。定式幕は、歌舞伎座と同じで、昔の守田座の
幕。

通し狂言「怪談牡丹灯籠」は、1974(昭和49)年7月に文学座のために、大西
信行が、書き下ろした。新作歌舞伎として歌舞伎役者だけで演じたのは、1989
(平成元)年6月、新橋演舞場の舞台だった。「怪談牡丹灯籠」という外題は、
元々、原作である圓朝の人情噺(怪談噺)のもの。1884(明治17)年、圓朝
は、中国の怪異小説を元に江戸の世話物の世界に移し変えて、人情噺を作り上げた。
ところが、歌舞伎の外題は、三文字、五文字、七文字などと、奇数で構成するところ
から、人情噺が、三代目河竹新七(黙阿弥の弟子)によって歌舞伎に移された189
2(明治25)年の時点で、「怪異談牡丹灯籠」と七文字外題になった。新七は、五
代目菊五郎のために書き下ろした。この七文字外題の河竹新七版「牡丹灯籠」を私
は、1回観たことがある。2002(平成14)年、9月の歌舞伎座で、37年ぶり
に上演されたときだ。筋は、かなり違う。最近では、今回同様、大西信行版「怪談牡
丹灯籠」という六文字外題バージョンが、上演される。これを観るのは、今回で、4
回目となる。

「牡丹灯籠」と言えば、お露と新三郎のカップルの物語と思いがちだが、このふたり
は、幽霊噺のイントロというかグラビアみたいなもので、本筋のストーリーからは、
外れている。本筋の方は、お峰・伴蔵、お国・源次郎というふた組の夫婦の人情噺な
のだ。圓朝原作でも、ふた組の男女の物語が、「てれこ」に展開するが、特に、大西
版では、中でも、お峰・伴蔵夫婦の悲劇の物語がクローズアップされ、主調音になっ
ている。大西版では、圓朝は、円朝になっている。

今回の主な配役は、伴蔵・新三郎のふた役:染五郎、お峰・お露のふた役:七之助、
宮野辺源次郎:亀鶴、お国:上村吉弥、飯島平左衛門:門之助、乳母お米:萬次郎、
船頭・円朝のふた役:勘太郎。

上演中、客席は、暗闇に潜む形となるので、いつものように、客席で、メモを取るこ
とができないので、記憶で書き付ける。記憶違いは、ご容赦。

幕が開くと、第一幕第一場「大川の船」。舞台の背景は、川のある夜の町遠見。だ
が、川には、浪布が敷き詰めて無い。剥き出しの檜舞台の上を内部に緋毛氈を敷いた
舟が、上手揚幕から出て来る。飯島家の息女・お露(七之助)と乳母のお米(萬次
郎)が乗っている。舟を操っているのは、飯島家出入りの医者だ。萩原新三郎とお露
を引き合わせたのが、この医者。お露は、新三郎に恋焦がれて、恋患いとなる。大川
へ出て、気晴らしの舟遊び。舟が、花道手前の本舞台で停まる。

下手から、もう一艘の舟が登場。簾と障子で、密室を作る屋形船。江戸時代の、いわ
ば、動くラブホテル。お互いに誰が乗っているか、知らずに、すれ違う舟と舟。屋形
船が、中央で停まると簾が開く。飯島家の後添えで、下女上がりのお国(吉弥)、飯
島家隣家の次男坊・宮野辺源次郎(亀鶴)。不義を重ねるふたりは、お国の夫・飯島
平左衛門殺しの打ち合わせをしている。寡黙な船頭は、後ろ姿しか見せない。お露ら
を乗せた舟が、花道を引っ込んで行くと、舞台暗転。透けた幕が、降りて来る。なぜ
か、下手の屋形船の船頭にスポットが当たる。

船頭は、花道へ向かうと、半纏を脱ぎ、羽織に着替える。船頭変じて、円朝(勘太
郎)の登場となる。舞台中央に高座がせり上がって来る。円朝は、高座に近づく。こ
こから、第二場「高座」ということで、円朝は、「正本怪談ばなし牡丹灯籠」の続き
読みをする。「牡丹灯籠」が、もともと、三遊亭円朝自作の人情噺だったことから、
大西版では、高座に上がる円朝を随時効果的に使う。噺は、お露新三郎の恋物語。父
親の平左衛門に新三郎との結婚を反対され、気を病んで亡くなったお露。お露の後を
追って、自害した乳母のお米。高座後ろに浮かび上がった、第三場「新三郎の家」で
は、新三郎(染五郎)が、お露の位牌に日夜線香を手向けている。前景となった高座
は、セリ下がり始める。

盆の十三日。回向の用意をする新三郎をお露・お米が、尋ねて来る。死んだはずが、
まだ、健在というふたり。死霊と知らずに、騙されて、お露らを座敷きに導き入れる
新三郎。お米は、新三郎とお露に枕を交わすように勧める。ふたりは、上手の障子の
間へ。丸い窓障子からふたりの情事の場面が見える。新三郎が、骸骨のお露と抱き
合っているのが見える。そこへ尋ねて来た伴蔵らは、驚いて逃げ出す。

贅言;今回のお米は、萬次郎。私が、過去3回観たお米は、吉之丞で、吉之丞のお米
は、絶品だった。両肩を極端に下げ、両腕をだらりと垂れ下げた「死霊ぶり」は、い
つ観ても逸品だ。動きも、遠心力を利用するように滑らかに動く。それは、同じ死霊
のお露役を演じる役者たち(私が観たのは、孝太郎、勘太郎、七之助=今回含めて、
2回)と比較すれば、良く判る。なかなか、両肩が、吉之丞のようには、下がらない
のだ。このあたりに、キャリアの差が、はっきり表れる。萬次郎も、吉之丞に比べる
と、「死霊ぶり」は、落ちる。この吉之丞の「死霊ぶり」を観るだけでも、「牡丹灯
籠」は、見応えがあったのに、残念。

第四場「平左衛門の屋敷」。お露が亡くなったことから、お国(吉弥)は、不倫相手
の源次郎(亀鶴)を養子にしようとしている。取り合わない平左衛(門之助)を殺そ
うとお国は、源次郎にけしかける。発情したお国と源次郎が、抱き合って、いちゃつ
いている。そこへ、平左衛門が現れて、不義身通の現場を押さえたとして、源次郎を
手討ちにしようとするが、お国が、平左衛門の邪魔立てをして、ふたりで、平左衛門
を殺してしまう。更に、そこへ灯りを持って来合わせた女中のお竹(新悟)も、ふた
りは、殺してしまう。ふたりは、平左衛門の金を奪って、蓄電する。

第五場「伴蔵の住居」。女房のお峰(七之助)のところへ新三郎の下男・伴蔵(染五
郎)が、戻って来る。なにか、様子がおかしいが、伴蔵は、お峰には、何も言わな
い。蚊帳のなかで、晩酌をする伴蔵。宙を飛ぶ牡丹灯籠。蚊帳のなかで、誰かと話を
している伴蔵。不審がるお峰。第六場「高座」。花道七三に高座に乗った円朝が姿を
現す。お露とお米の死霊に生気を奪われ、死相が滲み出る新三郎の話。このままで
は、新三郎は、ふたりの死霊に取り殺されてしまうと占い師は、言っているという。
家のあちこちに守り札を貼り、金無垢の尊像を備え、お露らの死霊を遠ざけようとす
る新三郎。

贅言;この「伴蔵の住居」場面では、伴蔵・お峰夫婦のふたりのやりとりは、2回観
た福助のお峰が、何と言っても、お侠で秀逸。江戸の生世話ものの科白のやりとりの
妙味があった。玉三郎のお峰も観たが、玉三郎の場合、美貌は生かせても、福助ほど
のお侠の味は出せない。今回の七之助も、まだまだ。なにしろ、科白が、現代劇なの
だ。

第七場、再び「伴蔵の住居」。上手上空に、宙を飛ぶ牡丹灯籠。下手にお露とお米の
死霊が、伴蔵に新三郎の家のお札を剥がして欲しいと頼みに来る。お峰は、その謝礼
が百両と聞き、お札を剥がせと伴蔵を唆す。再び、現れたお露とお米の霊にお札剥が
しを請け負う伴蔵。お礼にと、天井から、百両が降って来る。よろこぶお峰と伴蔵。
第八場「萩原家の裏手」。家から梯子を持ち出した伴蔵は、ふたりの死霊と共に新三
郎の家に向かう。大道具が、廻る。梯子に乗り、高いところのお札を剥がす伴蔵。お
札が、剥がされ、これ幸いと家の中に入る牡丹灯籠。第九場「新三郎の家」。骸骨の
お露に取り殺される新三郎。お露は、恋しい新三郎とあの世への道行きを楽しんでい
るだけかもしれない。

誰もが知っている牡丹燈籠のカランコロンという下駄の音で、夜な夜な新三郎宅を訪
れる、鬼気迫る場面で有名な噺は、落語で言えば、ちょっと長めの枕というところ。
圓朝の人情噺でも良く知られている新三郎とお露のくだりは、実は、「牡丹灯籠」の
イントロに過ぎないというわけだ。つまり、歌舞伎では、怪談噺と世話物が綯い交ぜ
になっていて、本筋は、世話物の人情噺というわけだ。

お露、お米の死霊に頼まれて、新三郎を守っていた死霊封じの札をとってやり、死霊
から百両をもらった伴蔵とお峰の夫婦の話が本筋となる。後半は、伴蔵・お峰の夫婦
の後日談。

第二幕は、利根川ぞいの栗橋の宿場近辺に舞台が移る。この時代、悪事を働き、江戸
に居ずらくなった連中が、逃げる街道は、奥州街道・日光街道で、野州栗橋は、まさ
にそのルート上の宿場。

第二幕第一場「野州栗橋の宿はずれ」。河原の蓆小屋に住む源次郎と料理屋・笹屋に
酌婦として住み込みで働くお国のふたり。平左衛門の屋敷から盗んだ金などを奪われ
てしまい、平左衛門との斬りあいの際に、刺された傷が元で足萎えになった源次郎。
ときどき、蓆小屋に通う酌婦勤めのお国。殺人事件の逃亡者の生活は、哀れだ。

第二場「高座」。高座の円朝が、時間経過を物語る。死霊から貰った謝礼の百両を元
に関口屋という荒物屋を栗橋の宿場で営み、景気の良い伴蔵・お峰夫婦と宿場はずれ
の河原暮らしの源次郎・お国夫婦。明暗を分けたカップルが、相互に絡みながら展開
する。お国と伴蔵の男女関係が、ふた組の夫婦を繋ぐ接点となり、ふた組のカップル
の、それぞれの破滅が始まる。「てれこ」になっていたふた組の夫婦が、ここから
は、「綯い交ぜ」となる。

第三場「関口屋の店」。悲劇のなかに、笑いをもたらすのは、亀蔵の演じる馬子の久
蔵だが、これは、すでに2回観た勘九郎が巧かった。もう1回は、三津五郎。久蔵に
金をやり、酒を呑ませて、伴蔵の行状を白状させるお峰。ふたりのやり取りの滑稽味
は、とても、重要である。悲劇の前の笑劇(チャリ場)。

第四場「関口屋の店 夜更け」。久蔵から仕入れた情報を元に、お峰は、お国とのこ
とで、帰って来た伴蔵を追及する。お峰に負けた伴蔵は、仲直りを申し出る。昼間、
江戸から訪ねて来たお峰の旧友・お六を一緒に住まわせることにしたお峰だが、夜更
け、お露の死霊がお六に憑き、真相がばれそうになって、夫婦で慌てる。

第五場「夜の土手の道」。野州栗橋の宿はずれの夜の場面。お国が、お菊(宗之
助)、お梅(新悟)の酌婦仲間と一緒に、源次郎の住む河原を通りかかる。お梅の姉
が、自分たちが手にかけたお竹だと知り、改めて、罪に意識におののく。一方、お国
に引っ張られてここまで来た源次郎は、足の傷の所為もあり、気が弱くなっている。
鬱屈している。思い出せば、きょうは、平左衛門とお竹の命日。なぜか、群れ飛ぶ人
魂のような、螢に惑わされ、螢に斬りかかったはずの刀を自らの背中から身体に貫通
させてしまう源次郎。それと知らずに、暗闇の中で、源次郎にすがりつき、源次郎の
腹に突き出ていた刀に突き刺されるお国。彼女らが殺した平左衛門やお竹の霊が、螢
になって現れ、お国、源次郎に祟ったのではないかと、観客たちも思う。お国・源次
郎の死後も、螢は、乱舞し続ける。「滅びの美学」。新七版では、ここは、ふたり
が、敵を討たれる場面だったが……。

第六場。遠雷轟く「幸手堤」。栗橋から程近い。ここで、もうひとつの「滅びの
美学」が始まる。死霊の取り憑いたお六を残して逃げて来た伴蔵・お峰の夫婦だが、
どうやら伴蔵に死霊が取り付いているようで、金無垢の尊像を掘り出すと称して、連
れ出して来たお峰を伴蔵は、殺してしまう。ふたりの間で、死闘が始まる。本水を
使った殺し場。殺されたお峰は、橋の上から、川に落ちる。川の中から現れたお峰
は、伴蔵の足を引っ張り、川の中に引きずり込む。大西版では、怪談の死霊の物語よ
りも、人情噺の人間の物語の方が、おもしろく、おかしく、哀しい。お露らの死霊の
超能力によって操られた伴蔵は、いわば、死霊の代行者として、お峰を殺し、殺され
たお峰の超能力によって、伴蔵自身も冥界に引き込まれる。つまり、お露ら死霊か
ら、百両を巻き上げた因果が報いて、ふたりとも、取り殺されるという、因果応報の
物語。

歌舞伎は、原作の味と香を損なわなければ、時代時代に合わせて、「傾(かぶ)く」
演出を工夫するのは、良いことであると、私は思っている。4回観た「怪談牡丹灯
籠」では、3回は、仁左衛門、勘三郎、三津五郎ら、今回の配役の、いわば、親の世
代の舞台であった。今回は、勘太郎、七之助ら、息子たちの芝居。舞台の運びは、あ
まり変わらないが、親の世代の舞台が、「旧かな」の味なら、息子の世代の舞台は、
「新かな」の味という感じで、音響・照明効果も含めて、歌舞伎味というより、現代
劇の味わいが濃かった。言葉を変えて言えば、親の世代の芝居が、つなぎ目も滑らか
な「動画」なら、息子の世代の芝居は、静止画を繋ぎあわせた「紙芝居」のようで、
特に、つなぎ目が、弱い感じがした。そういう部分に、歌舞伎は、年期がかかるのだ
ろうと痛感した。


「高坏(たかつき)」を観るのは、今回で5回目。次郎冠者を演じる勘三郎のタップ
ダンスが見物という演目。今回は、長男の勘太郎が踊る。祖父で、先代の勘三郎が得
意とした演目。父親の当代勘三郎が引き継ぎ、長男の勘太郎が、受け継ぐ。

1933(昭和8)年に、六代目菊五郎が、初演した新作舞踊。原作は、久松一声。
宝塚歌劇の作者の経歴を持つ。当時流行していたタップダンスを取り入れた「松羽目
もの」というか、「桜羽目もの」というか、満開の桜を背景に狂言形式の演出をする
喜劇的な長唄の舞踊劇。

花見に来た大名(亀蔵)から盃を載せる台の「高坏」を忘れて来た次郎冠者に高坏を
買いにやらせる。しかし、高坏が、どういうものか知らない次郎冠者は、通りかかっ
た高足(高下駄)売り(亀鶴)に騙されて、一対の高足を買わされてしまう。

言葉の巧い高足売りと意気投合した次郎冠者は、ともに、酒を呑み、酔っぱらった挙
げ句、高足を履いて、たっぷりタップダンスを興じるというだけのもの。

タップダンスの始まる場面では、大向こうから、病気休演中の父親勘三郎同様、
「待ってました」と掛け声がかかっていたが、それに応える父親の愛嬌たっぷりの表
情は、勘太郎では、まだ、出せていない。ずんぐりした体型の勘三郎の次郎冠者は、
腰が低く、安定しているので、高下駄を履いて踊るタップダンスが巧かったが、細身
で、長身の勘太郎では、そういう安定感は、乏しい。科白廻しは、勘三郎の口移しと
いう感じで、「おやじ、そっくり」と大向うから声が掛かる場面だが、掛からず、仕
舞い。所作や表情は、勘三郎の存在感には、勘太郎は、まだまだ、及ばない。それだ
けに、いま、暫くは、勘三郎を目標に頑張ればよろしい。
- 2011年5月27日(金) 17:18:22
11年05月国立劇場(人形浄瑠璃) (第二部/「二人禿」「絵本太功記」「生写
朝顔話」)


先行作品の下敷き振りを、チェック!


「二人禿(ににんかむろ)」は、初見。1941(昭和16)年、初演の新作。京の
廓・島原。女郎(遊女)に仕える少女の禿(かむろ)が、華やかな振り袖姿で、踊
る。「禿」は、行儀見習いの少女。姉女郎に付き、女郎になる作法などを学ぶ。雑用
に追われる日々を愚痴りながら、踊る。数え歌に合わせて羽根つき。「てんてん手鞠
の糸様可愛」で、鞠突き。春風に浮かれでた禿たちの描写。大夫は、竹本南都大夫ら
5人。三味線方は、竹澤團吾ら4人。人形遣いは、文昇、一輔。


「太十」文雀のさつきは、途中休演


「絵本太功記」は、歌舞伎では、何度か観ているが、人形浄瑠璃は、初見。「尼ヶ崎
閑居の場(人形浄瑠璃では、「夕顔棚の段」と「尼ヶ崎の段」に分れる)」。全十三
段の人形浄瑠璃は、明智光秀が織田信長に対して謀反を起こす「本能寺の変」の物語
を基軸にしている。このうち、十段目の「尼ヶ崎閑居の場」が、良く上演され、「絵
本太功記」の「十段目」ということで、通称「太十」と呼ばれる。本来は、一日一段
ずつ演じられたので、「十段目」は、「十日の段」と言ったらしい。これは、ある家
族の悲劇の物語だろう。

1799(寛政11)年、大坂角の芝居で、初演。原作者は、今から見れば、無名の
人たちで、合作。無名の作者たちによる合作の名作は、先行作品の有名な場面を下敷
きにしている場合が、多いが、時に、憑依した状態で、筆が進み、名作に「化ける」
こともある。これも、そのひとつ。

「東風(ひがしふう)」という人形浄瑠璃の「豊竹(とよたけ)座」伝統の艶麗華麗
な節廻しで、竹本の語りが入る。江戸時代、人形浄瑠璃の竹本座に出演していた豊竹
越前少掾(後の豊竹若太夫)の美声から始まった語りが、竹本座に対抗して豊竹座を
興すことになる。

時代物の典型的なキャラクターが出揃う名演目の狂言。私は、歌舞伎では、4回観て
いる。私が観た主な配役。座頭の位取りの立役で敵役の光秀:團十郎(3)、幸四
郎。立女形の妻・操:雀右衛門(2)、芝翫、魁春。光秀に対抗する立役の久吉:宗
十郎、我當、橋之助、菊五郎。花形の光秀の息子・十次郎:染五郎、新之助時代の海
老蔵、勘九郎時代の勘三郎、時蔵。若女形役の、十次郎の許嫁・初菊:福助(2)、
松江時代の魁春、菊之助。老女形の光秀の母・皐月:権十郎、田之助、東蔵、秀太
郎。

こうした役者の顔ぶれを見ると、それぞれ、持ち味が違いながらも、そのおもしろさ
が、想像されるだろう。この狂言は、歌舞伎でも、濃厚な時代色が売り物。歌舞伎の
典型的な役割が揃うという意味でも、人気狂言である。

人形浄瑠璃では、首(かしら)は、光秀:文七、操:老女方、久吉:検非違使、十次
郎:若男(前半)、源太(後半)、初菊:娘、さつき(皐月):婆。顔は、類型化さ
れてしまう。ただし、人形遣いのより味わいが異なる。今回の、人形遣いは、光秀:
勘十郎、操:和生、久吉:玉志、十次郎:勘彌、初菊:簑二郎、さつき(皐月):文
雀。こういう顔ぶれを見ると、人形の性格などが、浮かんで来るから不思議だ。とこ
ろで、人間国宝の文雀は、私が観た3日後、舞台で息苦しくなり、入院し、翌日から
休演となってしまった。2、3週間の療養が必要という。私が観たときも、元気が無
いように見受けられた。

人形浄瑠璃では、歌舞伎では、あまり上演されない「夕顔棚の段」が、上演される。
尼崎の閑居(尼ヶ崎庵室)。幕が開くと、「ドンツクドンツク」という音とともに、
「妙見講」の題目「南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経」と経を読む近隣の百姓たちが、
声がする。光秀の母・さつきが、光秀謀叛を怒り、独居している。庵室の下手の軒先
に、夕顔棚があり、花も咲いている。上手には、植木鉢の夕顔の花も咲き競ってい
る。舞台下手に、竹藪と井戸。百姓たちは、読経の後は、「高咄し」(世間話)を咲
かせている。「武智というふ悪人が、春長様を殺して大騒動」と喧しい。

光秀の妻・操と息子十次郎の許婚・初菊が、訪ねて来る。そこへ、一人の旅僧が、一
夜の宿を求めて来る。風呂を焚き、僧に勧めるさつき。僧の後を付けて来たらしい光
秀が、「心得がたき旅僧」と、生垣の外から伺っているのに、さつきは、気づく。見
あわす親子。ここが、後の展開の伏線。姿を隠す光秀。湯殿に入る僧。

さらに、出陣を前に、十次郎が、訪ねて来る。喜んで、十次郎と初菊の祝言をしよう
というさつき。初菊は、喜ぶが、十次郎は、討ち死にを覚悟しているので、複雑な心
境。十次郎を残して、女たちは、奥に入る。

「尼ヶ崎の段」(歌舞伎では、「尼ヶ崎閑居の場」)。女たち「ひと間に入りにけ
り」十次郎「残る莟の花一つ」。竹本は、盆廻し。「前」で、英大夫。

無名な作者たちの「先行作の下敷き振り」を簡単に見ると、次のようなことが判る。
舞台中央正面奥の暖簾口から出て来る十次郎、紫の肩衣と袴姿は、赤い衣装に紫の肩
衣を着けた「本朝廿四孝」の、通称「十種香」の、武田勝頼の出に、そっくり。謙信
館と庵室、暖簾と襖など、衣装だけ同じで、周りの環境が違うというミスマッチが、
余計に、観る者の違和感を感じさせて、それが、逆におもしろいから、歌舞伎ってい
うものは、可笑しみがある。次いで、上手障子の間から出て来る初菊も、赤姫の衣装
だから、「十種香」の、八重垣姫に、良く似ている。その後、出陣のため、鎧兜に身
を固めた十次郎は、いつもの義経典型のイメージを思わせる。つまり、オリジナリ
ティなど、ないのだ。むしろ、オリジナリティの無さ=馴染み深さこそ、売り物なの
だ。

討ち死に覚悟の十次郎は、初菊が、祝言などせずに、「無傷」のまま、他家に嫁入り
してくれと呟く。これを陰で聞いた初菊は、上手の襖より出て来て、出陣をとどまれ
と泣いて頼む。しかし、拒絶され、鎧兜に身を固めた十次郎と初菊の祝言は、さつ
き、操も列席して執り行われる。いつのまにか、上手の植木鉢も、下手の井戸も、舞
台からは、消えている。

贅言;歌舞伎の「太十」の見どころは、ふたつある。その一つが、十次郎と初菊の恋
模様。その象徴的な場面を歌舞伎では、「入れ事」とした。いわゆる「兜引き」の場
面で、初菊役者は、糸に乗って人形のように動きながら、重い兜を自分の衣装の袖に
載せて、苦労して、ゆっくりと引っ張って暖簾口から奥に入って行く。人形浄瑠璃で
は、鎧櫃を抱えて、初菊は、十次郎の後について、入って行くので、見どころになら
ない。

陣太鼓の音が聞こえ、戦場に向かう十次郎。泣き伏す初菊。そこへ、旅の僧が、風呂
が沸いたと告げに来る。皆、奥へ入る。

盆廻し。竹本の「切」は、咲大夫。「月漏る片庇(かたびさし)」で語り出す。相三
味線は、鶴澤燕三。「ここに苅り取る真柴垣」「夕顔棚のこなたより、現れ出でたる
武智光秀」の名場面で、光秀は、下手竹藪より出て来る。菱皮の鬘に白塗り、眉間に
青い三日月型の傷という、髑髏のような顔で、おどろおどろしい光秀。簑を纏い笠を
右手に持っている。竹を斬り、竹槍を作る。庵室に入り、風呂に近づくと、「只ひと
討ち」と、湯殿に竹槍を差し込む。「わつと玉ぎる女の泣き声」。湯殿から、黒い布
を被った体で、「七転八倒」傷ついたさつきが現れる。光秀の意図を察知したさつき
が、僧、実は、真柴久吉の身替わりになっていたのだ。命をかけて息子の主君殺しを
諌めるさつき。「主を殺した天罰の報いは親にもこの通り」。さらに、妻の操が、光
秀を諌める場面も、見どころ、聞きどころ。だが、「武門の習ひ天下のため」と訴え
る光秀。

陣太鼓が鳴り、「血は滝津瀬」、戦場で傷ついた十次郎が、戻って来る。気を失い、
父親から薬を飲まされ、活を入れられ、虫の息で、父親に戦況を報告する息子の「物
語」。光秀の身を案じて、戦況を伝え、退却を勧めるために戻って来たのだ。「もう
目が見えぬ、父上、母様、初菊殿。名残惜しや」。「十八年の春秋を刃の中に人と成
り」(「熊谷陣屋」の小次郎は、16歳だった。十次郎は、18歳で、死んで行
く)。孫が不憫だと嘆く祖母のさつき。息子を亡くす母の操。夫と一緒に死にたいと
悶える嫁の初菊。自分が原因で、家族に降り掛かった悲劇を悟り、妻と嫁に責めら
れ、非難され、光秀も、涙を浮かべる。操、初菊、さつきが、泣き崩れる中、「さす
が勇気の光秀も」、初めて「こたへかねて、はらはらはら、雨か涙の汐境」、涙を流
す。竹本の「大落とし」(クライマックス)の場面。

庵室の道具が、引き道具で、やや上手に引っ込められ、下手の薮の一部も、さらに下
手に引っ込められる。空いた下手の空間には、大きな「すね木の松」が出て来る。
「団七走り」と呼ばれる手足を前後に大きくのばす振りで松に駆け寄る光秀。反逆の
道を選んだ悲劇の英雄光秀の見せ場、さらに、松の木の傍で背中を見せて見得をする
光秀。人形遣いは、勘十郎。松によじ上る光秀。松の枝にまたがり、更に、上の枝を
押し上げて、物見をする。動きの少なかった光秀のハイライトの場面。

歌舞伎なら、大道具(舞台)が廻って、花道七三に一旦出た光秀が、本舞台に戻って
来て、庭先の大きな松の根っこに登り、松の大枝を持ち上げて、辺りを見回す場面。

人形浄瑠璃では、背景の黒幕が、振り落しとなり、海の遠見となる。「敵か味方か。
勝利いかに」。海上に浮かぶ多数の軍船が見える。「千成瓢の馬印」ということで、
久吉方と判る。光秀の負け戦。

これは、「ひらかな盛衰記」の、通称「逆櫓」の、「松の物見」と言われる場面のパ
ロディだ。

久吉の軍団登場。座敷上手の襖を開けて、陣羽織姿の久吉登場。「対面せん」。夕顔
棚を水平に斬る久吉。さつきは、光秀の償いのためと久吉に訴えて、十次郎と共に息
絶える。さつきの主遣い・文雀、十次郎の主遣い・勘彌は、姿を消す。下手に、加藤
清正が、軍兵を連れて現れる。極まった光秀。京都山崎の天王山での決戦を約束する
久吉。

もうひとつの見どころが、光秀と久吉の拮抗。特に、光秀の謀反を諌めようと久吉の
身替わりになって息子の光秀に竹槍で刺される母の皐月の場面などという、いくつか
の見せ場がある。皐月は、瀕死の重傷のまま、孫の十次郎と一緒に、息を引き取るタ
イミングまで、じっとしている場面が長いので、歌舞伎では、これも辛かろうと、思
うが、人形浄瑠璃では、瀕死のまま横たわっているのが、不自然ではない。さつき
が、死に絶えると、主遣いの文雀は、低い姿勢で、姿を消す。後は、面を隠した人形
遣いの一人遣いとなる。

贅言;先行作品の下敷き振りをチェックしてみよう。まず、「十種香」は、1766
(明和3)年に、人形浄瑠璃、大坂の竹本座で初演され、同じ年のうちに、歌舞伎、
大坂中の芝居で、初演されている。「太十」初演の、33年前だ。また、「ひらかな
盛衰記」は、更に、古く、1739(文元4)年に、人形浄瑠璃、大坂の竹本座で初
演され、翌年、歌舞伎、大坂角の芝居で、初演されている。「太十」初演の、60年
前だ。

「真柴が武名仮名書きに、写す絵本の太功記と末の、世までも残しけり」で、幕。

歌舞伎と人形浄瑠璃の演出の違いで、大きいのは、「兜引き」が無かったこと。廻り
舞台の装置の無い人形浄瑠璃では、当然だが、「物見の松」で、光秀が登る松の木へ
の舞台展開が、引き道具になっている。場面場面の展開が、「段」構成である人形浄
瑠璃の方が、伏線を活用していて、筋の展開にメリハリがあること。最近観た歌舞伎
の團十郎の光秀は、不気味な大きさを感じさせたが、まあ、これは、團十郎の藝の力
だろう。人形浄瑠璃の光秀には、そういう不気味さは無かった。むしろ、人間臭い光
秀であった。正義感故、主殺しに加えて、敵と誤って、母を殺す。父の正義感の犠牲
になる息子も死なせてしまう。苦渋の人生の最期を光秀は、演じなければならない。

さつき、光秀、操、十次郎、初菊という、5人家族は、戦世の権力闘争に巻き込ま
れ、悲劇のうちに、滅びようとしている。


「写生朝顔話」も、先行作品の下敷き、多し


「写生朝顔話」は、歌舞伎では観ているが、人形浄瑠璃は、初見。今回の上演の段構
成は、「明石浦船別れの段」「宿屋の段」「大井川の段」ということで、海、陸、川
と変化に富む。ただし、原作が、講釈師・司馬芝叟(詳細不明)の長咄(人情話)
「朝顔日記」を元に作られたので、話の構造は、荒唐無稽で、筋もシンプルだ。これ
も、先行作品をいくつか、下敷きにしている。「絵本太功記」同様の、無名の原作者
による憑依の作劇に近いのではないか。1832(天保3)年、大坂・稲荷社内竹本
木々大夫座初演というから、宮地芝居の系統だろう。

後の儒学者熊沢蕃山がモデルという宮城阿曽次郎と岸戸藩家老・秋月弓之助の息女・
深雪とのすれ違いのラブロマンスとお家騒動の物語だが、専ら、ラブロマンスの場面
が、演じられる。

「明石浦船別れの段」。竹本「わだつみの浪の面照る月影も」。明石浦の海原、月が
照っている。舞台中央に、大きな船。秋月弓之助一行の帰国船。風待ちをしている。
船の横腹に障子の窓。障子には、雷の絵。下手より、小舟に乗った宮城阿曽次郎登
場。人形遣いは、主遣いも、顔を隠している。障子の内では、深雪が、琴を演奏して
いる。「露の干ぬ間の朝顔を、照らす日影のつれなきに」。歌の文句は、阿曽次郎
が、宇治の蛍狩りの際、扇に書いて深雪に与えた朝顔の歌。訝しんでいると、障子の
窓が開き、家族とともに、お家騒動で急遽、父親らと共に国元へ帰る予定という恋人
の深雪と再会した。深雪が、喜んで小舟に乗り移って来る。事情を聞いた上で、阿曽
次郎と深雪のラブシーンとなる。「ひつたり抱だき月の夜の、影も隔てぬ比翼鳥、離
れがたき風情なり」。小舟の船頭は、照れくさそう。同道したいという深雪。それを
許す阿曽次郎。家族へ書き置きを残そうと、一度、船に戻る深雪。風が吹き始め、船
は、そのまま出て行ってしまう。「こはなんとせん、かとせん」。小舟に戻れない深
雪は、船の上から、朝顔の歌を書いた扇を小舟に投げ込む。「後しら浪の隔ての船、
つながぬ縁ぞ」。

「宿屋の段」。「入りにけり」。竹本、「切」の語りは、嶋大夫。三味線方は、團
七。琴は、寛太郎。

舞台は、下手から、階段、控えの部屋、床の間、部屋の体。人形遣いは、顔を出して
いる。駒沢次郎左衛門、こと、阿曽次郎の主遣いは、玉女、朝顔、こと、深雪の主遣
いは、簑助。

今は、駒沢次郎左衛門と名を変えた阿曽次郎は、島田宿の宿屋で、衝立の歌に目を留
める。お家横領を企む悪家老一味の岩代多喜太と、故あって、同道している。岩代
は、駒沢を毒殺しようとしているので、油断がならない。

衝立には、深雪と自分しか知らない、あの「朝顔の歌」が、書いてある。宿の亭主に
問うと、流浪の果て、盲目となり、島田宿に流れ着いた朝顔という女が、書いたとい
う。朝顔は、深雪ではないかと思った次郎左衛門は、女を呼び寄せさせる。「もし云
い交はせしわが妻か」。そこへ、折悪しく、岩代も、戻って来る。杖を頼りに歩く瞽
女、盲目の女は、やはり、深雪だった。探しあぐねた恋人が、目の前にいるのも気づ
かず、琴を弾き、歌を歌い、鳥目を戴く稼業の朝顔。「露の干ぬ間の朝顔を、照らす
日影のつれなきに、哀れひとむら雨のはらはらと降れかし」。

簑助の朝顔の琴演奏と床の寛太郎の琴演奏を比較すると、手の動きは、違うのだか
ら、人形に託する簑助の琴の演奏振りは、フィクションなのだが、人形の身体の動
き、手の動き、全体的な柔らかさなどから、いかにも、人形の朝顔が、本当に、琴を
演奏しているように見えるから、不思議だ。

岩代に要請されて身の上話も披露させられる。中国地方の生まれで、「様子あつての
都の住居。ひと年宇治の蛍狩りに焦がれ初めたる恋人と」別れてしまい、「身の終は
りさへ定めなく恋し恋しに目を泣き潰し」などと語る朝顔は、やはり深雪だった。だ
が、駒沢は、岩代の手前、朝顔に「阿曽次郎」だと名乗れない。「もしその夫が聞く
ならば、さぞ、満足に思ふであらう」というのが、精一杯。阿曽次郎の声を忘れてし
まったのか、深雪よ。

岩代が、部屋に戻ったので、朝顔、こと、深雪を呼び戻して欲しいと頼むが、深雪
は、すでに清水へ向けて宿を立ち去っていた。一筆書いた扇と金子、眼病が治る秘法
の目薬を亭主の徳右衛門に頼む駒沢次郎左衛門、こと、阿曽次郎。すれ違いのラブロ
マンス。「マ、よくよく縁の」と、残念がる。

駒沢次郎左衛門と岩代多喜太が、夜明け前に旅立つと、深雪が戻って来る。扇に書か
れた絵と文字(「金地に一輪朝顔。露の干ぬ間が書いてある。裏に、『宮城阿曽次郎
こと、駒沢次郎左衛門』とかいてあるぞや」)で、駒沢次郎左衛門が、阿曽次郎と知
る深雪。「エエ、知らなんだ」。「年月尋ぬる夫でござんすわいなあ」。夜の明けぬ
暗い夜道、降り始めた雨も厭わず、「たとへ死んでも厭ひはせぬ」。激しい情愛の濃
い、意志も強い女性。後を追う深雪。情の人・嶋大夫は、女形言葉と言うより、地の
大阪なまりを生かしながら、深雪に乗り移ったように、語り納める。

この段、人形遣いは、朝顔、こと、深雪は、簑助。駒沢次郎左衛門、こと、阿曽次郎
は、玉女。徳右衛門は、玉輝。簑助は、いつものように、丁寧に、柔らかく、自分の
表情を押さえながら、頭の中では、女形の人形に意識を伝え切っているように、操っ
て行く。玉女は、太めの体躯同様に、いつものことながら、どっしりと肚で深雪を受
け止めているのが、判る。

「大井川の段」。人足たちの担ぐ輿に乗り、駒沢次郎左衛門と岩代多喜太葉、大井川
を渡る。「夫を慕ふ念力に、道の難所も見えぬ目も厭わぬ深雪」。遅れて、深雪が、
岸辺にたどり着くと、夫らは、川を渡ったものの、「俄の大水」で川止めになったい
た。悲嘆にくれる深雪を助ける秋月家の奴・関助と宿の亭主・徳右衛門。

徳右衛門、実は、古部三郎兵衛は、幼いころから深雪を育ててくれた乳母の浅香の父
親だったということも判る。古部三郎兵衛は、甲子の年の生まれで、この年の「男子
の生血」と駒沢次郎左衛門から託された目薬を調合すると眼病は治るという。おのれ
の腹に短刀を刺した三郎兵衛の血で調合した薬を飲んだ深雪の目は、見えるようにな
る。命を投げ出した乳母の父親に感謝し、「わが夫の情けにあまる賜物」に感謝する
深雪。「露の干ぬ間の朝顔も、山田の恵みいや増さる、茂れる朝顔物語、末の世まで
も著し」。阿曽次郎への再会に気持ちを高ぶらせる深雪。戦後を風靡したラジオドラ
マの「君の名は」のような、すれ違いのラブロマンス。「絵本太功記」の悲劇の家族
は、潰されたが、「生写朝顔話」の悲劇の夫婦は、やっと、ハピーな大団円が待って
いる予感、余韻で、幕。

贅言;先行作品の下敷き振りをチェックしてみよう。下敷きにしている先行作品は、
主なもので、3つある。「生写朝顔話」の舞台の場面順で見ると、まず、1832
年、初演の「生写朝顔話」より、100年前の、1732(享保17)年に、人形浄
瑠璃の大坂・竹本座で初演された「壇浦兜軍記」の「阿古屋琴責の段」。舞台で琴を
弾く場面がある。琴の演奏を通して、自分の心情を語る。次に、70年前の、176
2(宝暦12)年に、人形浄瑠璃の大坂・竹本座で初演された「奥州安達原」の「袖
萩祭文の段」。目を泣きつぶし盲目となった袖萩が、祭文にことよせて身の上を語る
場面がある。さらに、90年前の、1742(寛保2)年に、人形浄瑠璃の大坂・豊
竹座で初演された「道成寺現在蛇鱗」(安珍清姫伝説)の「日高川の段」。恋しい男
を追って、川を渡る場面がある。
- 2011年5月16日(月) 11:45:33
11年05月国立劇場(人形浄瑠璃) (第一部/「源平布引滝」「口上」「傾城恋
飛脚」)


「襲名披露口上」に人気


今月の国立劇場は、人形浄瑠璃の「襲名披露の口上」が売り物の舞台である。前売り
のチケットも、いつもに増して、競争率が高かった。

人形浄瑠璃の「源平布引滝」は、2000年2月の国立劇場(小劇場)で観たことが
ある。「源平布引滝」の三段目・四段目の上演であった。全五段の「源平布引滝」
は、並木千柳(宗輔)、三好松洛の合作。今回の上演は、三段目のみ。三段目の段構
成は、「矢橋の段」、「竹生島遊覧の段」、「九郎助内の段(更に、今回のように、
細分すれば、「糸つむぎの段」「瀬尾十郎詮議の段」「実盛物語の段」となる)」。

三段目の前半は、「矢橋の段」、「竹生島遊覧の段」で、ここは、歌舞伎なら、通
称・「実盛物語」で、斎藤別当実盛が「物語る」もののうち、再現される「過去の場
面」となるので、歌舞伎では、あまり上演されないが、小まんという女性が、琵琶湖
を泳いで渡るという勇壮な場面なので、人形浄瑠璃では、むしろ、見せ場として上演
される。後半の「九郎助内の段」は、歌舞伎では、通称・「実盛物語」として、その
まま上演される。

歴史上の3大歌舞伎と言われる「菅原伝授手習鑑」、「義経千本桜」、「仮名手本忠
臣蔵」が3年間(1746年から48年まで)続けて、ヒット人形浄瑠璃として、竹
田出雲・千柳・松洛らの合作で上演された翌年(1749年)、「源平布引滝」は、
ヒットメーカー千柳・松洛のコンビの作品として竹本座で初演された。「源平布引
滝」も、名作と言われ、「平家物語」や「源平盛衰記」を題材に、平清盛、木曽義
賢・義仲、多田蔵人行綱、斎藤実盛と手塚太郎光盛らが登場する源平闘争の絵巻であ
る。

本来なら初段の大内山で後白河法皇が源氏の白幡(旗)を木曽義賢に賜るのが清盛の
恨みを買い、平家方、源氏方の「旗をめぐる争い」が始まる。布引滝(生田川上流
で、神戸市東部の布引山中に、雄滝と雌滝が、今もある)の龍神の憤り。「布引」と
は、「旗(布)」をめぐる「争い(引き合う)」を象徴させてのネーミングだろう
か。

「矢橋の段」では、竹本の語り(豊竹つばさ太夫)は、上手の御簾内で語る。暫く、
無人の舞台。白旗を持って逃げる小まん(首=かしらは、老女方)を、平家方の塩見
忠太(首は、端敵)が一人遣いの家来の人形とともに、追っ掛けてくる。「義経千本
桜」の早見藤太のように滑稽な場面。小まんは、女武道で、強い。彼女を押さえつけ
て、掴まえようとする家来どもをぽんぽん放り投げる。家来たちは、役者の「トン
ボ」のように、大きな空中回転で、次々に倒れ込む。

やがて、逃げ場を失い、琵琶湖へ飛び込む小まん。舞台中央から上手へ泳ぎ込む。浅
黄幕が、振り被せとなる。前回見た時は、舞台の書割と「手摺(てすり)」と呼ばれ
る、観客席に最も近い板が、それぞれ、上手と下手へ移動する「居処替わり」という
演出で、場面展開がなされた。

上手横の竹本の床へ、4人の太夫が出て来ると、浅黄幕の振り落しで、舞台が変わ
り、「竹生島遊覧の段」となる。舞台には平宗盛(首は、若男)の乗る朱塗りの大き
な御座船がある。清盛の代参で竹生島詣での帰りである。背景の中央寄りやや下手
に、月が煌煌と出ている。振り落しの方が、場面展開が、鮮やかで、派手である。

やがて、下手より実盛(首は、文七)を乗せた小船が近付いて来る。実盛は、源氏の
血縁者探しを清盛から命じられている。宗盛の臣下の、飛騨左衛門(首は、金時)に
祝宴への参加を呼びかけられ、実盛は、御座船に乗り移る。船の横腹が、いわば「引
き戸」仕掛けになっていて、三人遣いとともに、御座船に乗り移る。小舟は、御座船
より遅いのだろう、やがて、後ろ向きのまま、遅れるように、下手に入って行く。

白旗を銜えて、小まんが、舞台下手から泳ぎ出てくる。疲れたのだろう、一度は、流
されて、下手に引き込む。もう一度、泳ぎ出て来て、舞台中央に顔を出していた岩の
上で、休む。御座船に乗り移っていた実盛が、そういう小まんを見つけて、紐を付け
た櫂を投げて、小まんを助けて、船に引揚げる。しかし、小まんは、助けられた船
が、平家方の船と知り、なぜか、身を震わせる。舞台下手より、さらに、もう一艘の
小舟が出て来る。乗っているのは、小まんを追って来た塩見忠太で、小まんの正体が
ばれてしまい、源氏の重宝・白旗が、平家方に奪われそうになる。小まんを襲う風を
装い、実盛は、白旗を握った小まんの手を斬り落とし、白旗を水中に逃す。


ここで、一旦、幕。九代目竹本源大夫と二代目鶴澤藤蔵親子の襲名披露となる。大舞
台全体に多数の役者が勢ぞろいする歌舞伎の襲名披露のような華やかさは無いが、幕
が開くと、舞台には、上手から、鶴澤寛治、竹本住大夫、綱大夫改め、源大夫、清二
郎改め、藤蔵、鶴澤清治の順で、平伏している。そして、住大夫のしきりで、「口
上」となる。藤蔵を除けば、舞台にいるのは、皆、人間国宝。

歌舞伎なら、観客のことを「いずれもさま」と言うところだが、こちらは、「御贔屓
皆々様」と言うようだ。源大夫は、4月には、大阪の国立文楽劇場で、襲名披露をし
ているが、体調が悪く、口上だけで、舞台は休演したと住大夫が、紹介していた。今
月は、「実盛物語」の前半を披露すると述べる。源大夫の上演付きの襲名披露は、国
立劇場が、最初と言うことになる。三味線方の重鎮の寛治、次いで、清治が、挨拶を
続ける。特に、清治は、清二郎の師匠だけに、入門して来た頃の、少年時代の清二郎
のエピソードなどを披露して、場内を笑わせる。「入門初日は、体調を崩して、稽古
ができなかった」。「父親の九代目源大夫さんとは、夜の課外授業も、ご一緒する」
とか。「襲名する清二郎祖父の初代藤蔵の華やかな芸風を再現して欲しい」などな
ど。最後に、再び、住大夫が、ロビーで行っている東日本大震災の義援金募集を知ら
せて、口上は終わる。襲名披露の当人たちの挨拶は、ない。歌舞伎なら、当人が必
ず、口上したり、睨んだりする。

贅言;因に、第一部のロビーでは、義援金募集に、人形も助っ人に出ていて、私が見
た場面では、吉田和生が、赤姫を使って、募金者と握手をしたり、ツーショット写真
撮影に応じたりしていた。途中から参加した勘十郎も、舞台では掛けない眼鏡をかけ
て、募金を呼びかけていた。第二部のロビーでは、人形や人形遣いは出ておらず、竹
本か三味線方かが、対応していたようだった。わが連れも、募金の際、和生さんと赤
姫と本人のスリーショットで、私が携帯電話で撮影をした。和生さんは、撮影に協力
的で、写真の撮れ具合まで、心配してくれたので、写真をお見せした。


続いて、「糸つむぎの段」。九郎助住居。竹本は、御簾内の語り(豊竹咲甫大夫)暫
く、舞台は、無人。住居の奥から九郎助女房・小よし(首は、婆)が、出て来る。こ
こからは、ほぼ歌舞伎と同じ。身重の葵御前(首は、老女方)が匿われている。九郎
助の甥・矢橋仁惣太が、葵御前かどうか、確認をしに来るが、追い返す。

「瀬尾十郎詮議の段」では、竹本が、住大夫に替わる。舞台には、再び、奥より、小
よし登場するが、後ろ向きになり、暫し静止。「東西東西」で、太夫と三味線方の紹
介後、小よし、前を向く。住大夫「うちと、出でて行く」を、ゆったりと、大きく、
語り出す。住大夫は、だみ声と澄んだ声を使い分けながら、語る。語りは、派手で、
華がある。

小まんの息子太郎吉と父親の九郎助(首は、武氏)が、琵琶湖の鮒漁から戻って来
る。網の中には、白い絹を握った片腕。絹は、源氏の重宝、白旗。ならば、これは、
小まんの腕か。矢橋仁惣太の密告で、斉藤実盛と瀬尾十郎(首は、大舅)が、葵御前
を調べようとやって来る。木戸を叩く。葵御前は、上手、障子の中へ、隠れる。葵御
前(源氏方)と実盛(元は、源氏の家臣、今は、平家の家臣)、瀬尾十郎(平家方)
の三角関係で、葵御前を巡って、やりとり。実盛を信頼して、九郎助は、葵御前の生
まれたばかりの子だと言って、小まんの腕を持ち出して来る。苦笑いする瀬尾。住大
夫の「ムムハハ……」という笑い声が、圧巻(途中で、下手御簾内から付け打ちの音
も入る)。だが、実盛は、あり得ることだとして、この村を「手孕(てはらみ)村」
と名を改めよと言う始末。瀬尾は、「腹に肘があるからは、胸に思案がなくちや叶は
ぬて」、清盛に注進と言って、「逸足(いちあし)」で語り終わり、瀬尾は、下手へ
退場。ここで、盆廻し。

住大夫が引き込み、盆廻しで、金地の衝立を背に、今月の主役、源大夫、藤蔵親子の
登場。ふたりお揃いの金地の肩衣が、襲名披露の華やかさを感じさせる。

「東西東西」で、太夫、相三味線の紹介の間、舞台の九郎助(主遣いは、和生)、葵
御前(主遣いは、清十郎)、実盛(主遣いは、玉女)は、今度は、前向きで、静止し
ている。

「実盛物語の段」の語り出しでは、「出して走り行く」。源大夫の声は、押さえ気
味。長く長く語り、大きさを出す。元々、地味で、手堅い語り。ただし、病後のせい
か、声が細い。実盛は、小まんの腕を斬ったのは自分だと告白する。実盛「物語」ら
しく、先ほどの「竹生島遊覧の段」の場面を再現して、「物語る」。竹本「と涙交じ
りの物語」で、語り終わり、源大夫、盆廻し。英大夫に交代。英大夫も、背にする衝
立は、銀地ながら、源大夫同様の金地の肩衣。一旦、盆廻しに乗り、裏へ消えた三味
線方の藤蔵が、再び現れ、英大夫の隣に座りなおす。

贅言;藤蔵は、この後、演奏の途中で、三味線の糸が切れてしまい、結び直す場面が
あった。

小まんの息子の太郎吉は、母の敵と実盛を睨む。村人によって、小まんの遺体が運び
込まれる。瀬尾が、隠れて、付いて来るが、一旦、下手の奥に身を隠す。腕を繋ぐ
と、小まんが生き返るが、遺体の人形は、モノとして、運ばれて来る。「手摺」の裏
側に姿を隠している主遣いの勘壽が、小まんが、生き返った場面だけ、下から顔を覗
かせて、小まんを操る。遺体の周りを取り囲む多数の人形と人形遣いたちで、押しつ
ぶされそうな勘壽。甦った小まんは、最期の生命力を振り絞って、「言いたいことが
ある」と告げると、すぐに、息絶えてしまう。勘壽は、再び、低い姿勢で姿を消す。
小まんは、一人遣いになる。小まんの身の上話は、太郎吉が、語り出す。テレパシー
交信を無事終えたのだろう。サイエンスフィクションの世界。小まんは、平家某の娘
という。

やがて、葵御前が、産気づき、後の木曾義仲となる赤子を産み落とす。戻って来る瀬
尾。小まんの遺体を蹴飛ばす。太郎吉が、瀬尾を刺す。瀬尾は、実は、小まんの父
親。つまり、太郎吉の祖父。平家某とは、瀬尾だったのだ。自分の命を太郎吉の手柄
とさせる瀬尾(主遣いは、勘十郎)。瀬尾の死後、勘十郎は、低い姿勢で姿を消す。
九郎助女房小よしが、瀬尾の首を生まれたばかりの若君・駒王丸に届ける。葵御前
は、太郎吉を駒王丸の家来第一号とする。実盛は、太郎吉が成人したら、戦場で討た
れようと約束する。白髪を染めて、若々しく振るまい、太郎吉が、見間違えないよう
に工夫すると言う。時空を自在に行来する物語。サイエンスフィクションの世界。

実盛が、背から前へと向きを変えて、馬に乗る場面では、主遣いの動きに合わせて、
左遣いが、馬の反対側に移動する。足遣いは、持つ足が無くなるので、主遣いの玉女
の太めの腰に両手をかける。馬は、脚をだらりと下げていて、馬を操るのは、一人遣
い。中腰だろうか、ほかの人形遣いより、低い姿勢で、馬の中から馬を操っている。

歌舞伎で「馬の足」といえば、大部屋役者の役割だが、人形遣いの足遣いというの
は、なり違う。足遣いによる人形の脚の動きが、人形の「生き死に」の印象を強く左
右する。人形浄瑠璃の場合、歌舞伎の生身の役者が持つ「生命的な雑音」のようなも
のを持ち得ない人形という客体が、雑音を排して、逆に「物語(=物を語る)」とし
ての、人物像をきっちり描く。勿論、人形に命を吹き込む司令塔は、主遣いだが、左
遣い、足遣いとのハーモニーが大事。その結果で、舞台で演じられる演劇の物語性
を、生身の役者よりも、より深めるということになる場合もある。


近松門左衛門原作の「冥途の飛脚」(1711年初演)を菅専助・若竹笛躬の合作で
改作した「傾城恋飛脚」(1773年)のうち、「新口村の段」は、いつも歌舞伎な
どで観ている「恋飛脚大和往来」の原作。今回2回目の拝見。

「新口村の段」。歌舞伎では、飛脚問屋の養子で、公金の「封印切り」を犯し、故郷
へ逃れる忠兵衛と新口村の豪農の老父・孫右衛門をふた役、早替わりでやる演出があ
るが、役者出演ゆえの演出だろう。人形浄瑠璃では、早替りする意味がない。

今回の人形浄瑠璃では、まず、幕が開くと、竹本の「口」は、御簾内で語り始める
(竹本相子大夫)。竹本では、「節季候(せきぞろ)」の風俗が描写される。節季
候。古手買。巡礼(怪しい振る舞い)が、訪れる舞台は、百姓家。一人遣いが続く中
で、巡礼のみ、三人遣い。下手に、「新口村」の道標。

竹本は、「前」で、盆廻し。床の出語りに、替わる。「前に差しかかる」「落人のた
めかや今は冬枯れて」で、舞台には、雪が降り出す。竹本:豊竹千歳大夫。三味線:
豊澤富助。

「人目を包む頬かぶり、隠せど色か梅川が馴れぬ旅路を忠兵衛、労はる身さえ雪風
に、凍える手先懐に、暖められつ暖めつ、……」死出の道行の果てに、新口村まで、
逃げて来た忠兵衛の登場。少し遅れて、梅川。「比翼」という揃いの黒い衣装、裾に
梅の枝の模様が描かれている(但し、裏地は、梅川は、桃色、忠兵衛は、水色)。衣
装が派手なだけに、かえって、寒そうに感じる。互いに抱き合う形の美しさ。ふたり
が頼って来た百姓家は、実家ではなく、「親たちの家来も同然」という忠三郎宅。梅
川は、一旦、下手奥に入る。忠兵衛は、先に家に入る。忠三郎不在で、女房から、大
坂での事件を聞かされ、身許を明かせないまま、「年籠りの参宮」と、ごまかし、忠
三郎を呼んで欲しいと女房に使いを頼む。傘をさして、出かける女房。

家に入ったふたりは、座敷から、さらに、上手の奥の障子の間へ、「反古障子を細目
にあけ」て、吹雪の畠道を通る人々の中に、老父・孫右衛門がいないかを見守る。舞
台を下手から上手へ歩き去る場面なので、人形は、主遣いと足遣いのみの、二人遣
い。桶の口の水右衛門、伝が婆、置頭巾、弦掛の藤治兵衛、針立の道庵など、忠兵衛
顔見知りの村の面々が、寺に法話を聞きに行く情景が描かれる。傘を持った針立の道
庵のみ、三人遣い。途中で、正面を向き、所作があるから、左遣いが、加わってい
る。忠兵衛は、梅川に、得意げに、人物寸評をする。ここは、歌舞伎では、あまりや
らない場面。さまざまな人形が登場するのも、おもしろい。怪しい巡礼姿の男、実
は、忠兵衛の後を追って来た八右衛門(主遣いは、勘十郎の息子・簑次)が、家内を
窺っている。

それと気づかず、忠兵衛「アレアレあそこに見えるのが親父様」で、孫右衛門登場。
「せめてよそながらお顔なりとも拝もうと」と、忠兵衛は、梅川に、遠目ながら、老
父を紹介する。忠兵衛「今生のお暇乞」、梅川「お顔の見初めの見納め」。歌舞伎で
は、ふたりは、物置に隠れているが、人形浄瑠璃では、百姓家の座敷や上手の障子の
間を使う。後に、家に入って来る孫右衛門も、座敷で、ふたりとやり合う。歌舞伎で
は、孫右衛門とふたりのやりとりは、雪の降る路上である。

この後、竹本は、盆廻しで、「後」になる。「涙に咽びゐる」。竹本:竹本津駒大
夫。三味線:鶴澤寛治。百姓家の障子の間では、梅川・忠兵衛が、抱き合っている。
外では、「老足(ろうそく)の」孫右衛門は、滑りを止めようとして、雪道に転ん
で、高足駄の鼻緒が切れる。あわてて、家から飛び出す梅川。家の中に招き入れ、忠
兵衛の代りに、「嫁の」梅川が、父親の面倒を見る。懐紙を使って、紙縒りを作り、
鼻緒代わりにしようとする。見慣れぬ初見の人ながら、「嫁の梅川」と悟る孫右衛
門。障子の間にいる忠兵衛に聞かせるように、親の気持ちを梅川に語る。大坂の養父
が、身替わりに縄掛けられて、牢に入れられたという。孫右衛門「名乗つて出い」、
陰でふたりのやりとりを聞いていた忠兵衛が、障子の間から飛び出すが、「今ぢやな
い」と言われ、孫右衛門に押し戻されて、障子の間へ戻る。

梅川「親子は一世の縁とやら、この世の別れにたつた一目逢うて進ぜて下さんせ」
で、障子の間から座敷に飛び出す忠兵衛。「めんない千鳥」(目隠しをする)という
梅川の機転で、再会を果たす忠兵衛と孫右衛門。「親子一世の暇乞ひ」。家の内外を
除けば、ここは、歌舞伎も同様。巡礼に化けていた八右衛門の知らせで、近づいて来
る追っ手の声を聞き、孫右衛門は、忠兵衛と梅川をよそで捕まれよと、「奥へ突きや
り突きやり」逃がそうと、百姓家裏の「御所(ごぜ)街道」への抜け道を教える。家
内を通り、上手へ退場するふたり。

歌舞伎では、やがて、百姓家の屋体が、上手と下手に、二つに割れて行く。舞台は、
竹林越しの御所街道と雪山の嶺が連なる雪遠見に替わる。だが、人形浄瑠璃では、百
姓家暫くそのまま。傘をさして杖を突き、外に出た孫右衛門。暫くあって、百姓家の
屋体全体が、下手に、引き道具。半分ほど、下手に隠れたところで止まると、裏口
が、舞台中央の位置になる。上手に竹林越しの御所街道と雪山の嶺が連なる雪遠見
が、現れる。逃げて行く忠兵衛と梅川の姿は、もう見えない。百姓屋の裏木戸が開い
たままになっているという、細部に拘るリアルさ。

歌舞伎では、この場面では、カップルの役者が、そのまま逃げて行くか、子役の遠見
を使って、遠く、小さくなって行くカップルの姿を描き出す。舞台全体が、真っ白に
なるほど、霏々と降る雪。しかし、人形浄瑠璃では、それほど、雪を降らせずに、む
しろ、たった一人で舞台に取り残される老父の孤独感を描いているように見受けられ
た。説明的な歌舞伎の演出に比べて、人形浄瑠璃では、リアルな表現に撤している。
傘をつぼめて、顔を隠して、それがかえって、「長き親子の別れ」に対する見えない
老父の情をくっきりと観客に印象づける。「涙涙の浮世なり」。(幕)。

人形浄瑠璃は、「内」に拘る。百姓家を巧く使うことで、リアルな物語にする。歌舞
伎は、「外」に拘る。屋外に降る雪を強調することで、ふたりの衣装の黒を引き立た
せ、幻想的なまでに、白と黒の世界を浮き彫りにする。つまり、人形浄瑠璃は、逃亡
者の若いカップルのリアルな物語を強調するのに対して、歌舞伎は、雪の逃避行の、
いわば、舞台全体の視覚性を強調するファンタジーなのではないか。

人形遣いは、忠兵衛が、豊松清十郎。梅川が、ベテランの桐竹紋壽。孫右衛門が、中
堅の吉田玉也。皆、淡々と遣っているように見受けられた。首(かしら)は、忠兵衛
が、源太。梅川が、娘。孫右衛門が、定之進。表情を消して、人形に観客の視線を集
めようとする人形遣いもいれば、簑助や勘十郎のように、人形と同様の感情の流れを
隠そうとしない人形遣いもいる。どちらも、テレパシーで感情の交流をしているの
が、判るから不思議だ。
- 2011年5月15日(日) 10:55:25
11年04月新橋演舞場 (夜/「絵本太功記」「男女道成寺」「権三と助十」)


團十郎の、濃厚な時代色


夜の部も、初日の新橋演舞場は、空席が目立つ。放射能汚染も、連日伝えられる数字
に「麻痺」してきていやしないか。私たちも、感度が鈍くなっている。ことしは、夏
の歌舞伎の巡演も、東北は無し。避難地域を拡げなくて、大丈夫ではないのか。昼の
部と違って、3階のロビーでは、山川静夫さんの姿もある。1回のロビーでは、梨園
の夫人たちが、お馴染み客の対応をしている。昼の部の劇評は、長くなってしまった
が、夜の部は、コンパクトにまとめたい。

まず、夜の部のハイライトから。「絵本太功記」は、「尼ヶ崎閑居の場」。十三段の
人形浄瑠璃は、明智光秀が織田信長に対して謀反を起こす「本能寺の変」の物語を基
軸にしている。十段目の「尼ヶ崎閑居の場」が、良く上演され、「絵本太功記」の
「十段目」ということで、通称「太十」と呼ばれる。本来は、一日一段ずつ演じられ
たので、「十段目」は、「十日の段」と言ったらしい。1799(寛政11)年、大
坂角の芝居で、初演。原作者は、今から見れば、無名の人たちで、合作。

無名の作者たちによる合作の名作は、先行作品の有名な場面を下敷きにしている場合
が、多い。

例えば、今回の通称「太十」では、まず、「尼ヶ崎閑居の場」の、尼ヶ崎庵室の十次
郎の出。舞台中央正面奥の暖簾口から出て来る十次郎、赤い衣装に紫の肩衣を着けた
姿は、「本朝廿四孝」の、通称「十種香」の、武田勝頼の出に、そっくり。謙信館と
庵室、暖簾と襖など、衣装だけ同じで、周りの環境が違うというミスマッチが、余計
に、観る者の違和感を感じさせて、それが、逆におもしろいから、歌舞伎っていうも
のは、可笑しみがある。次いで、上手障子の間から出て来る初菊も、赤姫の衣装だか
ら、「十種香」の、八重垣姫に、さも似たり。その後、出陣のため、鎧兜に身を固め
た十次郎は、いつもの義経典型のイメージを思わせる。

「尼ヶ崎閑居の場」から、大道具(舞台)が廻って、花道七三にいた光秀が、本舞台
に戻って来て、庭先の大きな松の根っこに登り、松の大枝を持ち上げて、辺りを見回
す場面は、「ひらかな盛衰記」の、通称「逆櫓」の、「松の物見」と言われる場面の
パロディだ。

まず、「十種香」は、1766(明和3)年に、人形浄瑠璃、大坂の竹本座で初演さ
れ、同じ年のうちに、歌舞伎、大坂中の芝居で、初演されている。「太十」初演の、
33年前だ。また、「ひらかな盛衰記」は、更に、古く、1739(文元4)年に、
人形浄瑠璃、大坂の竹本座で初演され、翌年、歌舞伎、大坂角の芝居で、初演されて
いる。「太十」初演の、60年前だ。

いずれも、今で言えば、著作権違反の盗作(パクリ)ということになるが、当時は、
知的財産権などという考え方は、世に存在しない時代だから、原作者も、思いついた
趣向の一つと得意だろうし、観客の方も、ただ、ひたすら、おもしろがっていただけ
だろう。

時代物の典型的なキャラクターが出揃う名演目の狂言。私は、4回目の拝見。私が観
た主な配役。座頭の位取りの立役で敵役の光秀:團十郎(今回含め、3)、幸四郎。
立女形の妻・操:雀右衛門(2)、芝翫、そして今回は、初役の魁春。光秀に対抗す
る立役の久吉:宗十郎、我當、橋之助、そして今回は、初役の菊五郎。花形の光秀の
息子・十次郎:染五郎、新之助時代の海老蔵、勘九郎時代の勘三郎、そして今回は、
初役の時蔵。若女形役の、十次郎の許嫁・初菊:福助(2)、松江時代の魁春、そし
て今回は、菊之助。老女形の光秀の母・皐月:権十郎、田之助、東蔵、そして今回
は、秀太郎。

「太十」の見どころは、ふたつある。前半が、十次郎と初菊の恋模様、後半が、光秀
と久吉の拮抗。前半では、「兜引き」の場面で、初菊初役の菊之助も、糸に乗って、
叮嚀に演じていたのが印象に残る。後半では、特に、光秀の謀反を諌めようと久吉の
身替わりになって息子の光秀に竹槍で刺される母の皐月の場面などという、いくつか
の見せ場がある。皐月は、瀕死の重傷のまま、孫の十次郎と一緒に、息を引き取るタ
イミングまで、じっとしている場面が長いので、これも辛かろうと、思う。「封印
切」で、おえんを演じ、上方歌舞伎の味を堪能させてくれた秀太郎が、初役で演じ
る。戦争に巻き込まれた家族の悲劇が、それぞれの立場で描かれる。

まあ、そうは言っても、「太十」は、光秀の芝居。夜も更けると、下手奥竹林より、
簑・笠で、顔や姿を隠した「現れ出たる武智光秀」。大向うから、「待ってました」
の掛け声で、團十郎の登場。簑を外し、笠を上によけると、大鎧に身を固め、菱皮の
鬘に白塗り、眉間に青い三日月型の傷という、髑髏のような顔で、おどろおどろしい
光秀。正義感故、主殺しに加えて、誤って、母を殺す。父の正義感の犠牲になる息子
も死なせてしまう。苦渋の人生の最期を演じなければならない。團十郎は、敵役なが
ら、眼光鋭く、時代物の実悪の味を良く出している。

無言劇のように、科白の少ない悲劇の主人公光秀を團十郎は、重厚ながら、細かいと
ころにこだわらない、懐の大きさで演じていた。頭を前後に大きく振るなど、浄瑠璃
の人形の動きを模したと思われる不自然な所作も、古怪な時代物の味を濃くしてい
て、良かった。光秀の難しさは、いろいろ動く場面より、死んで行く母親(特に、母
親の皐月は、自ら、久吉の身替わりを覚悟したとは言え、過って、息子・光秀に殺さ
れるのだ)と敗色の濃い父親の気持ちを先取りして、死んで行く息子・十次郎を見な
がら、じっとしている不気味さだろう。悲劇の源泉は、己の責任という自覚にもかか
わらず、表情も変えずに、舞台中央で、眼だけを動かし、じっとしている不気味な
男、光秀。まさに、「辛抱立役」という場面で、こういう場面は、外形的な仕どころ
がないだけに、肚の藝が要求され、難しいのではないかと、いつも感じる。

この場面は、下手側の平舞台に初菊(菊之助)と傍で倒れ込んでいる十次郎(時蔵)
のカップルがいる。中央、二重舞台の上に光秀(團十郎)、二重舞台の上手側に光秀
の妻で、十次郎の母・操(魁春)と傍で倒れ込んでいる光秀の母・皐月(秀太郎)が
居る。いずれも、ほかが芝居をしているときは、固まったように、動かない。

十次郎が、父の光秀を気遣う科白を言う。やがて、初菊に見守られながら、息を引き
取る。息子の死にも、無表情の光秀。次いで、十次郎と初菊の芝居の最中は、固まっ
たように、動かずに居た操と皐月が、芝居を始める。十次郎の孝行心を聞き、光秀を
避難していた皐月も、操の介護も空しく、息絶える。操と初菊が、泣き崩れる中、
「さすが勇気の光秀も」、初めて「こらえかねて、はらはらと」涙を流す。竹本の
「大落とし」。

そういう歌舞伎独特の演劇進行は、よく考えれば、映画的ではないかと気がついた。
つまり、3組の演者が、同時に同じ空間に居るが、演技をするのは、いわば、カメラ
のレンズが、アップで役者を捕え、あたかも、監督の「スタート」という合図の声が
掛かったように、演技をするからである。特に、時代物の歌舞伎では、同じ空間に役
者が居ながら、後ろを向いているときは、見えないという約束。前や斜めを向いてい
ても、固まって、動かないときは、見えないという約束がある。

段切れで、向う揚げ幕の中から、遠寄せの陣太鼓の音(この遠寄せの音は、役者の演
技のきっかけとして、何度も、使われるが、効果的だ)。光秀は、一旦、花道七三へ
行き、舞台が廻って、再び、本舞台に戻り、「物見の松」という松の巨木の根っこに
登る。戦場の大局を知り、死を覚悟する光秀。もう一度、花道七三に行く。その隙に
大道具は、元に戻っている。

花道向うより、佐藤正清(三津五郎)、二重舞台の上に、上手より四天王(真柴郎
党)を連れた久吉(菊五郎)。正清に押し戻されて、花道七三にいる光秀(團十郎)
が、三角形を作ることになる。本舞台下手からは、久吉の軍兵たち。光秀は、芝居の
中では、敗者だが、芝居の主役は、團十郎なので、團十郎が、二重舞台の中央に上が
り、下手の三津五郎、團十郎、上手の菊五郎と、3人は、やがて、本舞台で、斜めの
直線になる。この後、引っ張りの見得で、幕。この辺りの、3人の線の動きは、計算
されている。團十郎の、濃厚な時代色に魅了される芝居だ。

馴染みの演目ながら、初役で演じる役者が5人と多く、清新感もあったのではない
か。


「男女道成寺」は、4回目の拝見。今回の舞台をコンパクトに書きたい。幕が開く
と、太めの紅白の横縞の幕を背景に、舞台中央に大きな鐘が宙づりになっている。幕
が上がると、やがて、背景は、紀州道成寺の遠景で、「花のほかには松ばかり」とい
う満開の桜の景色となる。下手に桜木。「鐘供養當山」の立札。その昔、恋に破れた
清姫の怨念で、焼き尽くされた鐘が、再興されたのだ。

私が観たのは、初めが、94年5月、丑之助時代の菊之助と菊五郎の親子。次いで、
04年9月、福助、橋之助の兄弟。07年4月、勘三郎、仁左衛門。いずれも、歌舞
伎座で、拝見。今回は、松緑と菊之助。

この演目は、「二人道成寺」のように、花子、桜子のふたりの白拍子として登場する
が、途中で、桜子の方が、実は、といって、狂言師・左近として正体を顕わすところ
にミソがある。今回は、菊之助の花子と松緑の桜子、実は、狂言師・左近という配
役。「二人道成寺」もどきの、イントロダクションでは、立役の松緑が、女形の踊り
を無難にこなしている。菊之助は、さすがに、安定した踊り。やがて、左近の正体露
見で、まず、所化に囲まれて、頭のみ、野郎頭とし、つまり、桜子の鬘を取り、左近
の地頭という形(なり)となった後、コミカルに対応。衣装を変えて、すっきりと再
登場する松緑。いつもの「道成寺もの」同様に、引き抜き含めて、何度も衣装を変え
る。華も実もある実力者の舞台。松緑、菊之助ともに、「音羽屋」の屋号が、掛か
り、加えて、「ご両人」という掛け声も、大向こうから掛かる。昼の部では、姿を見
せなかった大向うの山川静夫さん(エッセイストで、日本放送協会の元アナウン
サー)の声も、夜の部では、加わっている。

今回の所化の数は、12人と、やや少なめ。花道から登場する「聞いたか坊主」で
は、亀三郎がリーダーシップを取る。亀壽、梅枝、種太郎、萬太郎、巳之助、隼人、
小吉などと、かなりフッレシュな顔ぶれ。大団円に向かう花四天は、18人。三味線
の早弾き。鐘が、落ちて来て、花子(菊之助)は、鐘の上に上がって蛇体(赤地に金
の鱗模様の衣装)の清姫の霊として正体を顕して、見得、左近(松緑)は、同じく、
蛇体(黒地に金の鱗模様の衣装)の正体を顕して、平舞台で見得。


「権三と助十」は、2回目の拝見。大岡政談もののひとつ。1926(大正15)
年、歌舞伎座初演、岡本綺堂原作、江戸の庶民の生活風俗を描いた世話物の新歌舞
伎。落語の人情話に通じる感性が見もの。筋とは、あまり関係ないが、長屋の井戸替
えは、見もの。舞台の上手から、ぞろぞろ長屋に住人たちが出て来て本舞台を横切
り、下手から花道にまで大勢の人で溢れる。長屋の男と女房、子供たちなど40数人
が、井戸の水をすっかり汲み上げて、井戸の掃除をする綱を持って、出入りするだけ
でも、観客は、心豊かになる。

長屋の住人の、兄弟喧嘩や夫婦喧嘩が、喜劇調で描かれる。家主が、仲裁に入る。菊
五郎劇団お得意の人情喜劇。5年前、06年5月の歌舞伎座。前回の配役は、皆、善
人ばかり。長屋の家主(左團次)、篭籠かき権三(菊五郎)、その女房(時蔵)と助
十(三津五郎)と助八(欣十郎)の兄弟、猿回し(秀調)、願人坊主(市蔵、亀
蔵)、唯一の敵役の勘太郎に團蔵。

今回の配役も、菊五郎劇団だけに、菊五郎が、欠席以外は、大筋、前回の配役を踏襲
していると見てよいだろう。長屋の家主(左團次)、篭籠かき権三(三津五郎)、そ
の女房(時蔵)と助十(松緑)と助八(亀三郎)の兄弟、猿回し(秀調)、願人坊主
(亀寿、巳之助)などのほか、以前の長屋の住人で、殺人犯の汚名を着て、獄死した
という小間物屋彦兵衛(菊十郎)の息子の彦三郎(梅枝)が、大坂から父親の無実を
晴らそうとやって来た。やがて、権三と助十の目撃証言が、功を奏して、真犯人・勘
太郎(市蔵)が、浮かび上がる。いわば、人情ミステリの色合いが濃くなる。勘太郎
は、真犯人なのか。彦兵衛は、冤罪のまま、獄死したのか。ミステリゆえに、詳細
は、紹介しないが、宮部みゆきの時代小説を読むように、江戸の風が、舞台から吹き
付けて来るような人情劇。

前回、團蔵の憎まれ役は、存在感があり、他を圧倒する勢いだったが、今回の市蔵
も、不気味さを秘めていてよかった。真犯人・勘太郎の出来具合で、この芝居は、善
し悪しが決まるだろう。松緑の助十も、肉感的な存在感があり、いかにも、江戸の長
屋に居そうな人物を造形していた。権三の女房を演じた時蔵の、美形ではない、長屋
の女房は、前回同様、味がある。いろいろな役をやるから、「萬屋」だと、時蔵は言
う。権三を演じた三津五郎は、こういう役がやりたくて、役者をしているのだろうと
いう思いが伝わって来る。ユーモラスで、本人が、愉しそうに演じているようだ。左
團次の家主は、独特の味で、いつもながら、絶品。秀調の猿回しもペーソスがある。

元のように、舞台に集中して、歌舞伎を楽しめるようになりたい。
- 2011年4月6日(水) 6:56:28
11年04月新橋演舞場 (昼/「お江戸みやげ」「一條大蔵譚」「恋飛脚大和往
来〜封印切〜」)


昼の部のハイライト:藤十郎の「封印切」、濃厚な上方味を堪能


3・11の大震災・大津波・原発事故に拠る放射能汚染の広がりという日本の歴史に
残る大被害は、まだ、進行している。3月の東京の歌舞伎のうち、国立劇場は、15
日以降、休演になったが、松竹直営の新橋演舞場は、休まず、千秋楽を迎えた(11
日の当日は、どうだったのか、調べてはいないが)。4月も、まだ、余震不安という
心理が、観客の側には、あると、思う。少なくとも、私には、あった。チケットは、
取ってしまったけれど、前日にでも、大きな余震か原発の大きな事故でも追加されれ
ば、昼夜通しのチケットを無駄にしようと思っていた。初日のチケットを取っていた
のだが、まあ、いつものように午前10時半の開場前に演舞場の前に到着したら、会
場前の賑わいの、人の群が、いつもの3分の1という印象だった。場内に入っても、
空席が目立つ。上演中、薄暗い客席で、ぐらっと来たら、困るという不安を押し隠し
て、私も、座席に座った。

川口松太郎原作の新作歌舞伎「お江戸みやげ」。1961(昭和36)年、明治座
で、初演。「お江戸みやげ」を私が観るのは、3回目。96年1月と01年4月の歌
舞伎座。お辻は、芝翫で、観ている。戦後の本興行で10回上演しているが、最初の
3回は、十七代目勘三郎、6回は、芝翫。すっかり芝翫の当たり役になっている。お
辻は、芝翫以外に考えられないというほどの配役だが、今回、病気療養中の当代勘三
郎より早く、立ち役の三津五郎が、初役で、お辻に挑戦する。私は、勘九郎が、そろ
そろ、芝翫とも違いながら、お辻役に味を出す年齢になるだろうと、期待をしてき
た。先代の勘三郎のとき、相手役のおゆうは、守田勘弥だったから、将来は、逆の配
役のような気がするが、勘九郎と玉三郎という名コンビを夢見たいと書いたことがあ
る。それが、なんと、意外にも、三津五郎が、お辻に挑戦するという。「意外な役に
出会った時こそ収穫があります」と、三津五郎は、楽屋でしゃべったらしい。なら
ば、それを愉しみにと思いながら、空席の目立つ落ち着かない座席に座った。三津五
郎の相手役のおゆうは、立役の翫雀。三津五郎も愉しみだが、立役の翫雀も、女形を
どう演じるか。これも、愉しみなので、少し詳しく書こう。

この芝居のもうひとつの魅力は、大歌舞伎と違って、「宮地芝居」と呼ばれる社寺の
境内で上演される東京小芝居の裏舞台が覗けるというところ。その辺りにも、ウオッ
チングの双眼鏡を向けながら、劇評を書いてみたい。

緞帳が上がると、湯島天神の境内。上手が、宮地芝居の暖簾口。笹尾長三郎一座の芝
居が掛かっている。舞台上手奥が、湯島天神へ繋がっているようだ。舞台は、芝居小
屋の暖簾口の外にある芝居茶屋「松ヶ枝」の内部。店先で、角兵衛獅子の兄弟が、弁
当を使わせてもらっている。常磐津の師匠・文字辰を演じる扇雀が、茶屋の緋毛氈を
掛けた床几に座っている。養女のお紺と待ち合わせをしているが、お紺が、来ない。
お紺は、宮地芝居の役者・「阪」東栄紫と恋仲なのだ。文字辰は、お紺を相模屋の旦
那の妾にして、安楽な生活を企んでいる。お紺を探しに湯島天神の方に出かけて行
く。

結城から江戸に出て来た呉服行商人のお辻(三津五郎)・おゆう(翫雀)が、下手奥
から登場する。商売を終えて、結城に帰る前に、ここで一休みという心づもりだ。ふ
たりとも、後家のおばあさんという設定だが、おゆうは、稼いだ金で食べたいものを
食べ、呑みたいものを呑むというのを愉しみにしている。姉貴分のお辻は、金に几帳
面で、倹約家である。価値観の違うふたりという設定が良い。ふたりは、金の遣い方
で、対立しながら、そんなやりとりを楽しんでいるようだ。そこへ、芝居小屋の暖簾
口からお紺(孝太郎)が出て来る。芝居の合間に、阪東栄紫(錦之助)も、出て来
る。お紺と上方へ、逃げるつもりで、お紺を「松ヶ枝」の女中(右之助)に匿っても
らおうとしている。女形の市川紋吉(萬次郎)も、出て来る。このあたりの川口松太
郎のドラマツルーギーは、憎いくらいに巧い。

贅言;立役の阪東栄紫と女形の市川紋吉の地頭(じあたま)が、おもしろい。江戸時
代の役者の地頭は、現代では、当然鬘(かつら)だが、髷(まげ)が、月代の上に
載っていない。なんか、違和感があり、変な感じだ。そこで、双眼鏡を覗いて、良く
見ると、髷のあるべき場所からずれた鬘が、小さくまとめた横髪にへばりついてい
る。つまり、髪全体を小さくし、できるだけ、丸くまとめて、別の鬘を被り易くして
いる。女形の地頭(鬘)も、同じく、変だ。

このほか、「松ヶ枝」の壁には、掛かっている木の看板が、掛かっている筈だが、今
回の座席からは、見えない。舞台上手に「巡拝講中」、「三島講」、「金平月参
講」、「安中講」、「伊勢年参講」、真ん中から下手に「本石町講中」などの額が掲
げてあり、天保二年三月吉日と書かれている。額には、ほかと同じように、個人名や
屋号を書いた木札が入っている。

芝居の始まりの囃子が聞こえて来ると、おゆうは、幕見をしたくなり、ふたり分の料
金八百文を芝居茶屋の女中(右之助)に払い、さっさと芝居小屋に入って行く。後を
追う、お辻。

次の場面は、茶屋の奥にある座敷。この場面では、笹尾長三郎一座の芝居の辻番付
(ポスター)が、下手の廊下に貼ってある。番付には、「楼門五三桐 笹尾座」とあ
る筈。こういう細部を観るのは、楽しいが、惜しむらくは、宮地芝居の楽屋内の場面
がない。川口松太郎も、そこまでは、サービスしてくれない。

笹尾座の花形・阪東栄紫の座敷。お紺が、舞台を終えた栄紫の着替えを手伝ってい
る。ここが、花形の楽屋代わりか。でも、残念ながら、そんな雰囲気は無い。栄紫の
鬘は、普通の立役の鬘に変わっている。これが、江戸の役者の地頭だろう。田舎から
の客が、栄紫に挨拶をしたいと言っているという。お辻とおゆうが、座敷に入って来
る。初めて江戸の芝居の役者を観て、のぼせてしまったお辻。おゆうが、興味のまま
に、座敷の奥の別の間を開けると、そこは、寝室。赤い布団に、ふたつの枕。濃艶な
室内に、慌てて、襖を閉めるおゆう。お辻は、緊張しているのか、ぼうとしているの
か、ものに動じない。やがて、上手障子の間から、阪東栄紫が、戻って来る。丸い障
子の間には、内側に、行灯がついているのが判る。これも、色っぽい。

しかし、お辻と栄紫の間では、色模様というほどのことも無く、酒のやり取りをし、
栄紫の手を握っただけで、感激し、役者に一目惚れをしてしまうお辻。純朴な、田舎
育ちのおばあさんは、舞い上がってしまう。この辺りは、芝翫が、巧かった。

お紺が入って来て、お紺の養母の文字辰が、入って来て、お辻にも、阪東栄紫・お
紺・文字辰を巡る人間関係と問題の所在が、判る。その上で、お辻は、普段は始末屋
なのに、酔った勢いも手伝って、江戸で稼いだ虎の子の13両あまりを財布ごと差し
出し、若いふたりのに、上方で添い遂げるよう進める。おゆうが止めるのも聞かない
お辻。生まれて初めて、男に惚れて、それが、若いふたりの門出になる。そのため
に、一世一代の散財をお辻はするである。暗転して、場面展開。

暗転からじわじわ明るんでくると、夜更けの湯島天神境内である。石灯籠に灯りが
入っている。境内上手に紅白梅。下手に白梅。奥は、江戸の町遠見。お紺と上方へ向
かう前に、最後にお辻に逢った栄紫は、着ている長襦袢の片袖を引き裂いてお礼に渡
す。上方に向かうふたりを花道に見送るあたりのお辻は、「一本刀土俵入」の駒形茂
兵衛を送るお蔦のように私には見える。花道七三で、去り行く阪東栄紫の後ろ姿に向
けて、「大和屋」と声をかける大和屋・坂東三津五郎。13両あまりの金と引き換え
に渡された役者の片袖、それがお辻の「お江戸みやげ」というわけだ。田舎のおばあ
さんの恋心が、江戸土産の正体だ。

さて、その他の出演者評を少し。芝翫出演の場合、私が観た相手役のおゆうは、田之
助、富十郎で、いずれも、太めのおばあさんに、何とも味があった。おゆうは、太め
が良いだろう。ということで、結論を先に言ってしまえば、翫雀のおゆうも、人間国
宝・田之助、富十郎のふたりに負けない太めの、味のある、おばあさんを作り上げて
いた。肝心の三津五郎のお辻の方は、芝翫に及ぶべくもなく、残念だった。なにか、
人物造形の味わいに余韻が無いのだ。来るべきお辻像は、病気恢復後の勘三郎の工夫
に期待したい。

この芝居は、脇で支える人物も大事。まず、堅物のお辻が、役者狂いする相手の宮地
芝居の役者役の阪東栄紫は、今回、錦之助。私が以前に観たのは、勘九郎時代の勘三
郎(勘三郎は、いずれ、お辻をやるだろう)、梅玉。栄紫の恋人・お紺は、今回、孝
太郎。私が以前に観たのは、2回とも、福助で、これも適役だった。蓮っ葉で、お侠
な江戸下町の娘の味を出している。孝太郎も、まずまず。憎まれどころの常磐津の師
匠・文字辰は、養女のお紺の母で、宮地芝居の役者風情に娘はやれないという立場。
今回は、扇雀が、初役で演じる。私が以前に観たのは、澤村藤十郎、松江時代の魁
春。芝居茶屋の女中を演じた右之助も、脇で存在感のある役づくりをしていて良かっ
た。


「一條大蔵譚」は、6回目の拝見。今回は、檜垣、奥殿。私が観た大蔵卿は、吉右衛
門(3)、猿之助、襲名披露の勘三郎、そして今回は、菊五郎。常盤御前は、芝翫
(2)、鴈治郎時代の藤十郎、雀右衛門、福助、そして今回が、時蔵。鬼次郎は、梅
玉(3)、歌六、仁左衛門、そして今回は、團十郎。このほか、今回は、鬼次郎女房
のお京は、菊之助など。

初代以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、巧かった。滑稽さの味は、いまや第一
人者。勘三郎も、菊五郎も巧いが、吉右衛門は、阿呆顔と真面目顔の切り替えにメリ
ハリがある。

最近の社会現象に当てはめてみれば、阿呆顔は、いわば、「偽装」、真面目顔は、
「本心」あるいは、源氏の血筋を引くゆえの源氏再興の「使命感」の表現である。

序幕「檜垣茶屋の場」。白河御所では、能の催し。終演を待っている仕丁たちが、門
前で世間話をしている。仕丁たちが去ると、花道から鬼次郎(團十郎)と妻のお京
(菊之助)が、やって来る。世間の不安を吹き飛ばすように、大向うから、「成田
屋」「音羽屋」と、力強い屋号が飛び交う。この場面では、茶屋の亭主と鬼次郎夫婦
とのやり取りは、偽装の伏線が張り巡らされているが、ここでは、種明かしはしな
い。能の催しが終わり、大蔵卿(菊五郎)が、腰元や仕丁たちを連れて、門内から出
て来る。その前に、ふたつあった茶屋の床几の一つを黒衣が片付けるが、残る一つを
クローズアップさせる効果があり、さらに、後に、大蔵卿との絡みで、この床几が、
効果的な役割を果たす場面があるからである。鬼次郎らとクロスするように大蔵卿一
行は、花道へ。門前に佇む鬼次郎を隠すように、定式幕が閉まる。幕外では、一行の
引っ込み。大蔵卿、腰元、仕丁の順で、向う揚幕へ。最後に、召し抱えられたばかり
のお京が、続く。

大詰「大蔵館奥殿の場」。まず、網代の塀。中央上手寄りに、木戸。下手より、竿燈
を持った團十郎。上手より、行灯を持った菊之助。木戸で出会うふたり。「示し合わ
せた両人が、…」で、ふたり揃って、上手袖から、奥殿へ向かう。木戸は、黒衣が、
片付ける。網代塀が、真ん中から割れて、上下に引っ込まれると、そこは、奥殿。

やがて、舞台下手から、鬼次郎らが、現れる。奥殿の御簾が上がると、中には、常盤
御前(時蔵)。時蔵の演じた常磐御前も、義朝の愛妾で、牛若丸(後の義経)らの母
であり、平家への復讐心という本心を胸底に秘めながら、平清盛に身を任せた後、さ
らに、公家の大蔵卿と再婚している。この芝居でも、大蔵館奥殿で楊弓の遊びに興じ
ているという「偽装」をしている(それは、後に、楊弓の的=黒地に金の的が3つ描
かれている=裏に隠された平清盛の絵姿で、判明する仕掛けになっている)。常磐御
前は、動きが、少ないが、肚で芝居の進行に乗っていかなければならない。

偽装と本心をクロスさせる大蔵卿のコントラストの、いわば、触媒役を演じるのが、
鬼次郎とお京(弁慶の姉である)の夫婦役である。本来、この作品は、全五段の時代
浄瑠璃で、外題は、「鬼一法眼三略巻」で、吉岡家の鬼一法眼、鬼次郎、鬼三太の3
兄弟の物語であった。四段目が、鬼次郎の物語なのだが、主人公と脇の人物・大蔵卿
が、キャラクターのおもしろさ故に、主と脇が、逆転してしまい、そういう演出が定
着してしまった。

源義朝の旧臣で、忠義心に燃える鬼次郎は、奥殿に忍び入ってまで、常磐御前の本心
を探り、源氏再興の意志が無いのならと懲らしめに来る、いわば、夫婦でスパイ役で
ある。清盛方の勘解由(團蔵)との立回りでは、太刀を抜いて斬り掛かる勘解由を黒
地に星座が描かれた扇子一本で対峙し、勘解由が己の持つ太刀を、鬼次郎の持つ扇子
で押しつけられ、己の肩を斬ってしまうなど、鬼次郎は、かなりの剣豪でもある。ま
た、大蔵卿が、本心を平家側には、覚られないようにしながら、観客に本心を見せる
のは、鬼次郎あてのシグナルの場合である。鬼次郎とは、目と目で、コミュニケー
ションを図る。常磐御前も、鬼次郎に向けて、情報を発信している。しかし、彼女の
動きは少なく、地味なので、気がつき難い。こうして注意深く舞台を観ていると、芝
居の要にいるのが、鬼次郎であるから、彼が、本来の主役であるということが判るの
である。

「いまこそ明かす我が本心」と大蔵卿。本舞台から階段へ乗り出す際、飛び上がっ
て、左右の足を段違いに着地する大蔵卿。これも、緊張する場面だ。本心を隠し、的
確に阿呆顔を続ける、抑制的な、器の大きな知識人・大蔵卿は、かなり難しいキャラ
クターであろう。それだけに、このキャラクターづくりが、主役を演じる役者の工夫
となり、代々の役者が、役づくりを腐心して来たのだと思う。金地に大波と日の出が
描かれた扇子を使いながら、阿呆と真面目の表情を切り換えるなど、阿呆と真面目の
使い分けを緩急自在な、緩怠なき演技で表現しなければならない大蔵卿。

清盛方の勘解由(團蔵)と勘解由女房・鳴瀬(家橘)は、哀しい。やがて、自害する
運命にある鳴瀬。遺体となった成瀬は、黒い消し幕で、消えて行く。深手の末に、大
蔵卿に首を落される勘解由。「死んでも褒美の金が欲しい」という勘解由の科白は、
いつも印象に残る。こういう役は、團蔵は、巧い。勘解由の首と源氏所縁の重要な宝
剣・友切丸を鬼次郎に託す場面の大蔵卿は、公家ながら、一瞬、颯爽の、武士の顔を
垣間見せるが、その後、「めでたいのう」などと、偽装の阿呆顔に戻らなければなら
ない。さすが、菊五郎で、緩急の科白廻しは、見事だった。


昼の部のハイライト:藤十郎の「封印切」、濃厚な上方味を堪能


「恋飛脚大和往来〜封印切〜」は、8回目。このうち、「新口村」との通しで観たの
は、05年6月と07年10月の、いずれも、歌舞伎座で、2回ある。忠兵衛は、鴈
治郎時代を含めて藤十郎(今回含め、4)、扇雀(2)、勘九郎時代の勘三郎、染五
郎。梅川は、孝太郎(2)、時蔵(2)、扇雀(今回含め、2)、愛之助(2)。八
右衛門は、孝夫時代を含めて仁左衛門(3)、三津五郎(今回含め、2)、六代目松
助(2)、我當。「新口村」なら、忠兵衛役の仁左衛門は、結構、「封印切」では、
八右衛門を演じているのである。このほか、重要な脇役であるおえんが、秀太郎(今
回含め4)、竹三郎(2)、東蔵、田之助。治右衛門が、秀調(2)、芦燕、富十
郎、左團次、東蔵、歌六、今回が我當。

「封印切」の演出には、上方型と江戸型がある。いくつか、違う演出のポイントがあ
る。この劇評では、この分類については、前にも書いているが、今回は、上方型に
絞って、書いてみたい。

上方型の演出では、井筒屋の店表の場面。大道具の2階の階段が違う(階段箪笥が、
仕込まれた階段は、それだけで、上方味が、滲んで来る。階段箪笥の前に、火鉢が置
いてある。この火鉢は、後に、忠兵衛対八右衛門の対決の際の、重要な小道具とな
る)などという点は、判りやすいが、例えば、井筒屋の裏手の場面は、「離れ座敷」
(江戸型は、井筒屋の「塀外」の場面となる)などの違いがある。

私が8回観た舞台では、江戸型は、勘九郎時代の勘三郎が忠兵衛を演じた96年11
月と染五郎が忠兵衛を演じた05年6月の、いずれも歌舞伎座の舞台だけで、あと
は、すべて上方型であった。今回も上方型で、さらに忠兵衛の坂田藤十郎、梅川の扇
雀、おえんの秀太郎、治右衛門の我當という顔ぶれを見れば、上方型も、極度に「純
粋系」であることが、容易に知れよう。憎まれ役の八右衛門を演じたのは、坂東三津
五郎。三津五郎は、初代が、竹田巳之助という大坂の浜芝居育ちの役者で、上坂した
初代坂東三八に見込まれて弟子養子となり、20歳代の初めに江戸下がりし、坂東三
津五郎を名乗った。和実に長けていたが、森田座に出演中、30歳代の後半という若
さで、楽屋で亡くなった。以後、三津五郎は、当代の、十代目まで、「坂東」、関
東、つまり、江戸育ちの役者である。三津五郎の八右衛門は、科白廻しも含めて、純
粋系の上方歌舞伎では、味わいに違和感があると思うが、観劇後の私の印象も、変わ
らない。

「新町井筒屋の場」。花道から現れた忠兵衛(藤十郎)。井筒屋の店先の場面で、お
えん(秀太郎)を呼び出した忠兵衛が、黒塀に貼り付き、蝙蝠の真似をする演技、ま
た、一旦、本舞台の井筒屋店先まで行き、店のなかを覗き込んで、梅川とおえんが畳
算(恋占い)をしている場面を知り、花道七三まで戻り、「ちっととやっととお粗末
ながら梶原源太は俺かしらん」と言う辺り、悲劇の前の笑劇(チャリ場)。鴈治郎
は、早口の大坂言葉で、科白を言うので、聞き分け難いかもしれないが、これが、藤
十郎の忠兵衛の味わい。梶原源太は、色男の代名詞。

そして、見せ場は、大道具(舞台)が、鷹揚に回って、井筒屋の裏手の「離れ座
敷」。(下手)外から木戸(切戸)を押し開けて入ってきた藤十郎の忠兵衛。座敷か
ら離れに、ゆるりと入ってきた扇雀の梅川。ふたりは、手探りで、互いを捜し合う。
手の音で、位置を確かめあう。大向うから、「ご両人」と声が掛かる。ふたりを導き
入れたおえんは、ふたりに忠告をする。「じゃらじゃらとしていないで、どうなら、
どう、こうなら、こうとしなしゃんせ」。しかし、最後まで、忠兵衛は、「じゃら
じゃら」している。それが、なし崩しに地獄へ梅川を連れて逃げる忠兵衛という男の
「性根」であろう。

庭と離れの部屋のなか、ふたりがいる場所は、決して、密室ではない。開け放たれた
部屋。しかし、闇が開放された空間を密室に仕立て上げる。「闇の密室」。そういう
空間で、ふたりの「手」が、闇のなかで、触れ合ったり、離れたりする場面が、何回
か繰り返される。庭に降りるために、足で、踏み石の上に置かれた下駄を探り当てる
梅川。背中合わせに三角形を創るふたり。前に座り込んだ忠兵衛の肩に、後ろから手
を掛ける梅川。その両手を優しく包む忠兵衛。「さいなら」と意地悪を言う忠兵衛。
袂のなかの左手で、別れの合図をする。別れが悲しいと、泣く梅川。「お前も、よっ
ぽど、泣きミソやなあ」と甘く言う忠兵衛。真情を告げあい、仲直りをするふたり。
手を繋ぎ合うふたり。そういう「手」を中心にした所作が続く。ユーモラス、エロ
チック、ジェラシーなどが、若い男女の間に行き交う色模様の正体だ。

暗闇のなかでの、ふたりの「手の触れ合い」という所作を強調することで、「濃密な
エロス」を描くことができる。これが、江戸型のような、塀の外では、いくら暗闇が
支配しているとは言っても、そこに、闇の密室は、出現しない。この場面だけでも、
上方型の方が、余白が多くて、見応えがあると、いつも、思う。

再び、廻り舞台が、戻って、井筒屋の店先へ。2階の部屋は、梅川と忠兵衛が、使っ
ていたことが、後で判る。八右衛門は、忠兵衛の懐具合を見抜いた上で、喧嘩を仕掛
け、小判の包み(封印)を火鉢に打ち当てて音を出させて、封印を破らせるという
「戦略」通りに、公金の「封印切」という重罪を忠兵衛に犯させる。その上で、忠兵
衛の周りに散らばった証拠の封印の紙片を、自らわざと落した手拭を拾う振りして、
盗み出す。外に出て、井筒屋の店先の灯で公金の封印を確認し、八右衛門は、お上に
密告に行く。障子が開け放たれた2階の部屋に残された朱塗りの行灯が、エロチック
な雰囲気を残して、空しい。

この場面、私は、鴈治郎時代の藤十郎と我當、あるいは、鴈治郎時代の藤十郎と仁左
衛門(富十郎の代役だった)で観たことがあるが、忠兵衛対八右衛門の、上方言葉で
の、丁々発止は、子どもの喧嘩のようでたわいないのだが、それが、いつか、公金横
領の重罪を犯す行為になだれ込んで行く、最高の見せ場を作る。横領行為に移ると、
科白も少なめで、三味線の音と所作で、忠兵衛の緊迫感を盛り上げて行く。それだけ
に、その前の、丁々発止の上方言葉のやり取りは、重要だ。

これが、藤十郎と言えども、三津五郎相手では、同じようには行かない。実は、藤十
郎と三津五郎の組み合わせは、07年10月の歌舞伎座が、最初で、今回は、2回目
だが(ということは、藤十郎も、三津五郎相手でも、悪く無いと思っているのだろ
う)、まだ、私には、馴染まない。

贅言;「上方語」とは、山城屋・成駒屋や松嶋屋の系統が、上方和事などで使う科白
廻しだが、因に、「江戸語」とは、南北の生世話ものに出て来る下町の庶民の使う科
白廻しの言葉である。

忠兵衛は、大和という田舎から出て来たゆえに、生き馬の目を抜くような都会大坂の
怖さを知らず、脇の甘い、小心なくせに、軽率で剽軽、短気で、浅慮な「逆上男」で
ある。地に足が着いていない。女性に優しいけれど、エゴイスト。セルフコントロー
ルも苦手な男。震える手で、次々と封印を切ってしまう。破滅型。封印を切り、死へ
の扉を開けてしまう。藤十郎は、羽織の使い方から足の指先まで計算し尽くした演技
で、上方男を完璧に描いて行く。逆上して、封印切をした後、忠兵衛の腹の辺りか
ら、封印を解かれた小判が、血のように迸る場面は、いつ見ても、圧巻だ。

花道の引っ込みは、同じ上方型とはいえども、松嶋屋の型と成駒屋の型とは違う。梅
川・忠兵衛が手を繋いで行く「死出の道行」が、松嶋屋の型。一方、梅川を仲居や太
鼓持と共に、先に行かせて、遊廓の西の大門(出入り口)での別れをさせておいて、
忠兵衛のみが、「ゆっくり」と舞台に残り、世話になったおえんへの礼(門出の祝儀
とあわせて、自分らの弔いの費用を渡す)もたっぷりに、また、大罪を犯した「逆上
男」の後悔の心情をも、たっぷり見せるのが、成駒屋の型。今回の山城屋は、当然、
成駒屋型。柝の頭で、上手より、定式幕が、ゆっくりと閉められて行く。七三から、
急に早足になる忠兵衛。井筒屋の門口に、魂の抜かれたように佇むおえん。おえんを
隠すように、幕が、通り過ぎて行く。
- 2011年4月4日(月) 11:35:33
11年03月国立劇場 (通し狂言「絵本合邦衢」)


非日常の日々、日常的な芝居見物の有り難み


2011年3月11日、午後2時46分。東京の国立劇場で上演中の南北作「絵本合
邦衢(えほんがっぽうがつじ)」は、東北関東大震災に直撃された。午後0時30分
から開幕した「絵本合邦衢」は、仁左衛門を主役にした時代物の序幕の芝居の後、3
0分の休憩時間には、多くの観客が、昼食の弁当などを使った。リラックスした芝居
見物気分が、広がっている。ここまでは、いつもの、日常的な国立劇場であった。

舞台では、2時頃から始まった二幕目の場面が、進行中だった。私は、当日、国立劇
場にいた訳ではないので、場内の詳細は、判らないが、大揺れを感じた瞬間、観客た
ちは、座席にしがみついたことだろう。長く続いた揺れが収まった後、観客の間で、
大混乱が起こっただろうことは、容易に推測がつく。上演途中ながら、歌舞伎公演
は、中止された。

5日に初日を迎えた国立劇場は、27日の千秋楽まで、毎日、芝居が続く筈だった。
結局、「絵本合邦衢」は、5日、6日、7日、8日、9日、10日と演じられ、11
日は、途中で、中止、13日と14日は、上演が再開されたものの、14日から東電
が実施した計画停電で、交通機関が大きく麻痺する影響があり、劇場に行けない観客
が多かった。

15日からは、千秋楽の27日まで全面的に中止が決定された。つまり、「絵本合邦
衢」は、8日間、上演されたけれど、後は、中止となった。私は、かろうじて、震災
前々日の9日に観劇することが出来た。非日常的な殺人鬼たちを描く南北の世界を仁
左衛門が熱演した貴重な舞台を記録しておくために、コンパクトながらここに劇評を
書き留めておきたい。歌舞伎は、非日常の世界を描き、観客は、日常的な芝居見物を
愉しむ。今の日本は、大地震・大津波・原発事故とそれに伴う放射能汚染の広がりと
いう、非日常的な光景が、日々、私たちの目の前にある。


荒唐無稽な芝居の愉しみ方


「絵本合邦衢(えほんがっぽうがつじ)」は、1810(文化7)年、江戸の市村屋
で初演された。1804(文化元)年の「天竺徳兵衛韓噺」の成功以降、成熟期に
入った四代目鶴屋南北らが、合作で書き下ろした。当時の南北劇の常連、五代目松本
幸四郎、二代目尾上松助(後の、三代目尾上菊五郎)、三代目坂東三津五郎、五代目
岩井半四郎らが、出演した。五代目松本幸四郎のキャラクターが、南北に、史実から
モデルにした大学之助という暴君のほかに、立場=たてば=の太平次という、飛脚上
がりの市井の無頼を、瓜二つの登場人物という設定で発想させた。

勧善懲悪が、当時のモラルだったが、それに縛られない自由な人間の魔性、それは、
悪というものをこれまでとは違う発想で見るという南北ならでは、発想が無ければ、
誰も気がつかない視点であっただろう。それは、また、文化文政期の爛熟の世相を作
り上げていた、社会の底辺に生きる大衆のエネルギーを見抜いた南北の卓見であった
だろう。頭で感知しようとする知識人には、気がつかないが、肌で感知する大衆に
は、日常的に馴染んでいる視点であった。それを同じ大衆と通底する市井の劇作家・
南北は、汲み上げて、狂言に結実させたと言えるだろう。「絵本合邦衢(えほんがっ
ぽうがつじ)」は、1656(明暦2)年、加賀前田家一門の前田大学之助という殿
様が、高橋清左衛門を殺め、後に、弟の高橋作右衛門に仇討されたという、実際に
あった事件を素材にし、演劇的な悪を純化させるという発想で、瓜二つの人物(左枝
大学之助、返り討ちを請け負った、いまば、配下の立場の太平次)を作り、物語にダ
イナミズムを持ち込んだ。悪の力の増殖装置。今回の南北の最大の仕掛けは、別の人
格ながら、瓜二つの人物という発想をしたことだろう。

通常の仇討物語とは違って、仇討を狙う側が、次々と返り討ちに遭うという異常な物
語である。悪知恵は、悪人ほど、働く。そういう連中が、連戦連勝の場面が、相次ぐ
という芝居。物語が展開しても、正義の秩序は、なかなか、恢復しない。悪は、悪運
強く、暴れまくる。極悪の痛快ささえ、観客には、感じられる。

文化文政期から、幕末期まで、再演が重ねられたが、明治期に入ると、文明開化を標
榜する高尚趣味の陰に追いやられ、上演されなくなった。息を復活したのは、大正ロ
マンの時期(1926年)。戦前戦中期は、再び、陰に追いやられる。復活は、19
65(昭和40)年。最近では、1992(平成4)年、新橋演舞場で、孝夫時代の
仁左衛門が、初演し、今回の上演が、19年振りの再演である。私は、今回が、初
見。つまり、大正期以降、6回しか、上演されていないので、演目として、まだま
だ、磨きが必要なのだ。


まず、4幕12場のストーリー構成をできるだけ簡単に見ておこう。

時代物の序幕。第一場「多賀家水門口の場」。開幕すると、早速、殺し場。中間が、
多賀家の中間の首を絞めている。水門口が開き、左枝大学之助に命じられて多賀家の
重宝「霊亀の香炉」を盗み出した関口多九郎(橘太郎)が出て来る。外にいた中間に
重宝を持って行かせようとすると、大きな用水桶の陰から、深編笠を被って現れた武
士、実は、左枝大学之助(仁左衛門)が、口封じのために、無造作に、中間を斬り捨
てる。重宝は、関口多九郎自身が持って行けと、命じる。再び、用水桶の陰に戻る左
枝大学之助。花道から、多賀家の忠臣・高橋瀬左衛門(段四郎)が、中間を連れて、
やって来る。暗闇の中、足が当たって、ふたりの遺体を発見する。用水桶の陰から。
再び、現れた大学之助は、後ろから、中間を斬り捨てる。花道七三で、大学之助は、
暗闇の中、不審な雰囲気を感じている瀬左衛門に小柄を投げ打ち、深編笠を取り、初
めて、観客に顔を見せた後、幕外の引っ込みで、悠然と、現場を去って行く。こうい
う感じで、大学之助はいとも無造作に人を殺して行く。これが、今回の南北劇の通奏
低音となる。

序幕第二場「多賀領鷹野の場」。山々の見える、野遠見。舞台下手に、「多賀領高橋
瀬左衛門支配地」と書かれた立杭がある。下手奥に、2本の松や2基の藁ボッチ。舞
台中央に庚申の石碑。上手に、2本の松。舞台中央では、領民の百姓たちが、夏草を
刈っている。花道より、京の道具商田代屋の養女・お亀(孝太郎)と養子の与兵衛、
実は、高橋瀬左衛門の末弟・孫三郎(愛之助)が、お亀の実家に行く旅の途中であ
る。鷹狩りの途中で、秘蔵の鷹(小霞)を見失った大学之助一行が、やって来る。殿
様でありながら、統治能力を欠き、私利私欲を行動原理とする権力者・大学之助は、
お亀に目をつけ、妾になれと申し入れる有様、大学之助は、人殺しという暴力も平気
なら、女好きで、性欲も強いのだろう、ということが判る。歌舞伎で、「国崩し」と
呼ばれる、アンチ・スーパー・ヒーローを極端化させた人物造形である。そこへ、通
りかかった領地の地頭(支配役)の高橋瀬左衛門が、与兵衛、実は、瀬左衛門末弟の
孫三郎とお亀を助ける。大学之助の鷹は、地元の百姓と子供・里松が、見つけるが、
お互いに引き合ううちに、鷹を死なせてしまう。それを怒った大学之助は、里松を斬
り殺してしまう。里松は、お亀の父親と後添えの間に出来た弟だった。大道具(舞
台)は、鷹揚に廻る。

序幕第三場「多賀家陣屋の場」。陣屋では、瀬左衛門と瀬左衛門の末弟・孫三郎こ
と、与兵衛、与兵衛の許婚・お亀が、顔を揃えている。大学之助の顔が、店に出入り
している立場の太平次という男にそっくりだと噂している。瀬左衛門は、道具商の弟
に主家から盗まれた重宝の「霊亀の香炉」の探索を依頼する。瀬左衛門は、先日、暗
闇で受け止めた小柄が、主筋の大学之助のものではないかと疑っている。花道から、
大学之助一行が、やって来る。瀬左衛門は、主家の、もうひとつの重宝「菅家の一
軸」で、大学之助を諌めるが、大学之助は、瀬左衛門を背後から槍で突き、殺す。さ
らに、瀬左衛門殺しの濡れ衣を着せるために、同行していた配下をも、殺す(ここま
でで、殺された人数、6人)。瀬左衛門の次弟の弥十郎(左團次)が、花道から、
やって来ると、配下が、瀬左衛門を殺したので、自分が、誅殺したと嘘を言う。弥十
郎は、不審に思う。

世話物の二幕目。第一場「四条河原の場」。南北の持ち味は、世話物。二幕目から三
幕目が、この芝居の見どころである。幕が開くと、舞台下手にむしろ掛けの見世物小
屋。「ろくろ首」「蛇をんな」「大いたち」などの看板が掲げられている。隣には、
見せ物見物客を当て込んだお休み処の茶店がある。その隣に、柳の木。背景は、山と
四条大橋の遠見。中央に、乞食小屋風のむしろ掛け。上手は、橋詰の石段。この石段
は、後に、仁左衛門演じる、侍上がりの色悪・立場の太平次が、現れることになる。

ここで登場する人間関係を整理しておこう。道具商田代屋に出入りする太平次(仁左
衛門)は、血も繋がっていないのに大学之助にそっくり。茶店で働いている太平次女
房お道(吉弥)。太平次に懸想するうんざりお松(時蔵)は、25歳、色香十分な見
世物小屋の頭分。つまり、この三角関係を太平次は、利用する。道具商田代屋の番頭
(松之助)は、太平次側のスパイで、お松から、毒蛇の血を仕入れる。この毒で、店
の養子である与兵衛(瀬左衛門の末弟・孫三郎)を殺して、お亀と世帯を持ちたいと
妄想している。大学之助から預かった重宝の香炉を勝手に、質入れしてしまった関口
多九郎も、香炉を取り戻したいと思っている。太平次は、お松に田代屋へ強請に行か
せる。大悪、小悪たちが、それぞれ、勝手に悪だくみをしているのが、判る。

第二場「今出川道具屋の場」。つまり、田代屋の店先。大店である。店奥の帳場に
は、大福帳と売掛帳がある。うんざりお松が、花道から、単身、田代屋に乗り込んで
来る。応対するのは、与兵衛とお亀の養母で、店主のおりよ(秀調)。お松は、おり
よを相手に、与兵衛との密通をでっちあげ、偽の起請を持ち込み、強請り始める。外
出中の与兵衛の替わりにお亀を連れ去ろうとする。店の番頭が、素知らぬ顔をして、
件の香炉をお亀の替わりに渡したらとおりよに悪助言をする。下手袖から出て来て、
外で様子を窺っていた太平次も、店内に入って来る。兄の仇討をするために、養家に
迷惑をかけないように、勘当を願っている与兵衛が、花道より、戻って来る。おりよ
は、わざと与兵衛とお亀を勘当にする。おりよは、ふたりに「霊亀の香炉」を持たせ
る。ふたりは、花道を遠ざかる。おりよは、番頭が持ち込んでいた毒酒を飲んでしま
い、苦しみ出す。おりよのとどめを刺し、お松と共に、おりよの金を奪って花道から
逃げる太平次。倒れたおりよを乗せたまま、舞台は廻る。太平次とお松は、花道を
ゆっくりと歩み、花道半ば、途中から、くるりと向きを変えて、花道を逆戻りして、
本舞台に入ると、そこは、妙覚寺裏手の墓場、という趣向だ。

第三場「妙覚寺裏手の場」。下手に大きな柳の木がある墓場。中央に古井戸。上手
は、土塀。土塀の後ろに、大きな三日月が出ている。しつこいお松に嫌気のさした太
平次は、隙を見て、お松(時蔵)を釣瓶縄で絞め殺し、古井戸に投げ込む。瀬左衛門
の次弟の弥十郎(左團次)と妻の皐月(時蔵)の夫婦が、通りかかる。つまり、ここ
は、時蔵の早替わりが、見せ場。さらに、与兵衛とお亀のカップルも、やって来て、
世話だんまりとなる。次の場面、世話物第2弾への転換(つなぎ)の場面。

三幕目も、世話物。新たに、追加参加する人間関係を見ておこう。第一場「和州倉狩
峠」。黒幕、下手に「倉狩峠」の木杭のみのシンプルな舞台。黒幕振り落しで、場面
転換。第二場「倉狩峠一つ家の場」が、三幕目のメイン。花道の出入りが多い。お亀
に執心の大学之助に命じられて、与兵衛とお亀の行方を追う家臣の島本段平(當十
郎)。峠の一つ家は、「立場(たてば)」で、街道や峠を行く旅人が、人馬を替えた
り、貨客を送り継いだりする宿駅のことである。舞台下手には、「立場茶屋」の木杭
がある。舞台中央の、一つ家には、「丸に太」という紋が、書き込まれている。「立
場の太平次」とは、この宿駅を営む所からの渾名であろう。表も裏も、悪殿様の大学
之助と顔こそ、瓜二つとはいえ、太平次は、表向きは、立場の主として善人面をして
いるが、根は、大学之助同様の悪人ということで、より根性の悪い男である。この一
つ家に、お亀の妹のお米(梅枝)が、滞在している。高橋瀬左衛門配下で、夫の孫七
(高麗蔵)とはぐれた困っている所を太平次に助けられて、連れて来られた。太平次
は、お米を売り飛ばして、稼ごうとしている。さらに、孫七が、敵対する高橋瀬左衛
門配下と知って、見つけ次第、殺そうという心づもりである。現れた段平を太平次
は、奥に通す。

太平次の女房・お道(吉弥)は、太平次とは、異なる。与兵衛とお亀を連れて、立場
に案内して来る。道中で、病に冒された与兵衛。路銀を使い果たし困っているふたり
に太平次は、お亀を大学之助の妾に世話してあげると持ちかける。段平が、支度金五
十両を用意している。仇討を果たすためには、敵に近づかなければならないと苦渋の
選択をして、妾奉公を承知するお亀と与兵衛。お亀が、駕篭に乗せられて去ると、大
学之助の息のかかった峠の飛脚や雲助らが、与兵衛を襲う。与兵衛に手助けをする振
りをしながら、与兵衛の脚を鉈で切りつける。「摂州合法辻」の脚の不自由な俊徳丸
のパロディであろう。与兵衛に逃げろと言って、峠の古宮へ行かせる。太平次は、与
兵衛殺害の現場を立場でなく、古宮に移そうという企みがある。お米は、縛られて2
階に押し込められる。お道は、与兵衛を助けようと古宮に向かう。お米を探していた
孫七が、立場にやって来る。太平次は、お米を連れて来ると孫七を騙して、出かけ
る。お米を助け出す孫七。

第三場「倉狩峠古宮の場」。舞台が、鷹揚に廻る。舞台下手に、「倉狩峠」の木杭。
中央上手よりに、古い宮。与兵衛を殺そうとやって来た太平次が、古宮の戸を開ける
と、すでに、与兵衛を逃がしたお道が居る。お道は、太平次と飛脚に殺されてしま
う。第四場「元の一つ家の場」。舞台が、逆に、廻る。戻って来た太平次は、孫七に
向かう。暗闇で、孫七は、誤って、お米を斬ってしまう、孫七も、太平次に殺されて
しまう。お米にとどめを刺す太平次。悪びれずに、平気で、人殺しを続ける太平次。
善人面と性根の悪さの共存が醸し出す、ユーモラスでさえある殺し場は、仁左衛門歌
舞伎の新しい魅力だろう。「先代萩」の八汐に続く、悪役、憎まれ役であるが、悪と
はいえ、スーパーマンの造形は、仁左衛門の芸域を拡げる悪の華が咲き競っているよ
うに思う。第二場、第三場、第四場という、廻り舞台の往復が、今回の世話場のハイ
ライト。

大詰第一場「合法庵室の場」。ここからは、二つの三角関係を押さえると、理解し易
い。1)大きな三角関係は、殺人鬼の悪殿様・大学之助(仁左衛門)に対する合法、
実は、高橋瀬左衛門の次弟で弥十郎(左團次)と妻・皐月(時蔵)の夫婦が作る。そ
の内側にイメージする、2)小さな三角関係は、殺人鬼の悪殿様・大学之助に対する
与兵衛(愛之助)とお亀(孝太郎)のカップルが作る。合法庵室にいるのは、弥十郎
と弟の与兵衛だが、養子に出た与兵衛を兄の弥十郎は、顔を知らないという設定だ。

支度金をもらい、大学之助のところに妾奉公に行ったお亀は、既に、大学之助によっ
て、殺されている。肉体は、大学之助に従わざるを得ないとしても、心は、大学之助
の意に添わなかっただろう。そういう心の動きには、敏感な大学之助だったろうし、
あるいは、仇討を焦り、逆に、返り討ちにあったのだろう。お亀は、与兵衛の夢枕に
立ち、悔しさを訴えて消える。病気の上に、太平次に鉈で切られた脚が不自由な与兵
衛は、舞台下手から現れた大学之助に重宝のふたつとも、大学之助が入手しているこ
とやお亀の最期を告げられると、切腹してしまう。再び、下手に入る大学之助。

花道から合法、実は、高橋瀬左衛門の次弟で弥十郎が、現れる。苦しい息の下で、弥
十郎に告げる与兵衛の言葉に、弥十郎は、ふたりが、同じ、仇討を狙う兄弟だったこ
とを知る。冷徹な大学之助は、用済みの太平次の殺害を配下に命じる。仇討のすべて
の構造を理解した弥十郎は、舞台下手から現れた妻の皐月と共に、大学之助に向かっ
て行く。浅黄幕が、振り被せとなり、場面展開。

第二場「閻魔堂の場」。浅黄幕が、振り落とされると、舞台中央には、巨大な閻魔
像。下手に、「合法ヶ辻閻魔建立」の木杭。舞台上手と下手に松並木。舞台下手袖か
らやってきた大学之助一行の行列を襲おうと弥十郎と皐月の夫婦が、花道から近づい
て来る。夫婦は、配下を追い払った後、行列の駕篭に近づき刀を駕篭の中に差し込む
が、駕篭に載せていたのは、鎧のみ。大学之助は、いなかった。

仇討に失敗したとして、弥十郎と皐月は、自害してしまう。すると、巨大な閻魔像の
後ろから、不適な笑いを浮かべて、大学之助が、出て来る。背景の黒幕が、落ち、松
の遠見となる。自害の振りをしていた夫婦は、近づいて来た大学之助に斬り掛かり、
なんとか、仇討を果たす。大学之助は、乱れ苦しみ、倒れるが、ムックリと起き上が
り、仁左衛門と共に、左團次、時蔵と並んで座り、「まず、こんにちは、これぎり」
の口上。

大学之助に返り討ちに遭った人々や濡れ衣を着せられて殺された人々、太平次に殺さ
れた人々など、実に、多く人たちが犠牲になった物語も、やっと、大本の殺人鬼がし
とめられて、幕となった。正義の秩序の恢復は、善人の側の、自害の偽装という姦智
で、最後の最後に、実現できた。


最後に役者評を少し。


「絵本合邦衢」、2回目の主役を演じる仁左衛門は、瓜二つという想定ながら、主家
横領を狙う謀反人(国崩し)で、「血も涙も無い」徹底的に冷徹一筋な暴君・大学之
助と善人面と悪党の対比が魅力の、飛脚上がりの立て場の主、市井の小悪党(殺人請
け負い人でもある)・太平次を見事に演じ分けた。この演じ分けは、武士と町人とい
うだけに留まらず、言葉、身のこなし、氏素性から来る雰囲気、人柄など、全く、違
う人物を感じさせなければならない。それでいて、両人とも、仁左衛門独特の悪の魅
力で、彩られている。大学之助は、どんどん、善人たちを返り討ちにしてしまうし、
幼い子供でも、容赦なく殺してしまう。殺人に快楽さえ感じるほど、人格が壊れてし
まっている、殺人鬼の名前通りの人物だ。太平次は、大学之助から返り討ちを請け
負った殺し屋と立場の主という、二つの顔を使い分ける。武家上がりの太平次には、
金の力で、再び、武士に戻りたいという気持ちが強かったのだろう。その挙げ句、用
済みとなれば、大学之助の配下に殺される運命が待っている。いずれにせよ、仁左衛
門が、演じ分ける二人の人物は、悪をベースにしながら、社会的な規範に捕われずに
行動できるスーパーマン的な魅力を感じさせる。

太平次に付き合う、蛇をんなこと、うんざりお松と弥十郎を補佐する妻・皐月を演じ
分けた時蔵。特に、うんざりお松は、美人ながら、封建的な身分社会では、人外に置
かれた女性だ。惚れた男のためには、罪を犯すのも厭わない。その挙げ句、惚れた男
に絞め殺されてしまう。太平次とのコンビでは、ユーモラスな雰囲気を出すことも要
求される。

時代物の部分だけの出演で、お家騒動の中で、だまし討ちされた高橋瀬左衛門(段四
郎)と次弟の弥十郎(左團次)。重要な脇役カップルの与兵衛、こと末弟の孫三郎
(愛之助)とお亀(孝太郎)。お亀の妹・お米(梅枝)と孫七(高麗蔵)の夫婦。さ
らに、善良で働き者、悪と善、非日常と日常、という南北の世界を結んだ太平次女
房・お道(吉弥)なども、印象に残った。


非日常の芝居は、作者の意図の上で展開するから、必ず、終幕を迎えるが、発生源が
特定されずに、放射能をまき散らし続けた原発事故は、発生以来、2週間経った現在
になっても、収束しない。11日以来、1週間近く続いた断水生活を始め、余震の揺
れや計画停電、広がる放射能汚染対応が、我が家でも、今も続く中で、たびたび、中
断される時間の断片を集めるように、細切れの時間を見つけては、「こんな中で、劇
評なんか書いて」という、家族の白い目にも、耐えながら、書き続けた。大災害だか
らこそ、「芝居心」という、日常性の維持の大切さを噛み締めながら、兎に角、なん
とか、つぎはぎつぎはぎで、劇評をまとめあげて、書き終えた。悪の代行装置として
の歌舞伎。代行装置は、イマジネーションが、エネルギーで、心の底に溜まった悪の
ストレスを解放し、日常生活の悪と善とのバランスを恢復してくれる。

いつものように構想をチェックし、内容を点検・精査する暇もないので、アイディア
も思い突きのままむき出しだろうし、また、キーの打ち込みも杜撰で、誤字誤植もあ
るだろうが、お許し戴きたい。

原発事故の方も、視界不良の対応策が、続く。早く、放射能をまき散らし続けると共
に、より大きな爆発事故を誘引しかねない、大本の元凶を突き止め、事態を収束させ
て、国民の間に広まっている不安感を終息させて欲しいと、思う。目下、日常化して
いる非日常という悪。東日本では、日常生活という善の恢復は、見通しが立っていな
い。

大地震.大津波、原発事故に伴う放射能被爆という三重苦に見舞われた東北・北関東
の再興には、国家・社会を上げて総力戦で、尽力しても、戦後復興並に、長い時間が
かかるかもしれないだろうが、舞台閉鎖を余儀なくされ、いわば、原発事故の二次被
害を被った仁左衛門熱演の舞台は、いずれ、近いうちに、願わくば、仁左衛門を軸
に、同じ顔ぶれで、再演される日が来ることを期待したい。そして、櫓を上げた劇場
の外では、槌音高く、東北復興の気運を後押しして欲しい。

幻となってしまった「絵本合邦衢」の千秋楽(27日)を控え、前日(26日)まで
に、なんとか脱稿したので、とりあえず、掲載する。
さて、書籍が散乱している書斎を片付け始めようか。
- 2011年3月26日(土) 14:02:52
11年03月国立劇場 (通し狂言「絵本合邦衢」)


非日常の日々、日常的な芝居見物の有り難み


2011年3月11日、午後2時46分。東京の国立劇場で上演中の南北作「絵本合
邦衢(えほんがっぽうがつじ)」は、東北関東大震災に直撃された。午後0時30分
から開幕した「絵本合邦衢」は、仁左衛門を主役にした時代物の序幕の芝居の後、3
0分の休憩時間には、多くの観客が、昼食の弁当などを使った。リラックスした芝居
見物気分が、広がっている。ここまでは、いつもの、日常的な国立劇場であった。

舞台では、2時頃から始まった二幕目の場面が、進行中だった。私は、当日、国立劇
場にいた訳ではないので、場内の詳細は、判らないが、大揺れを感じた瞬間、観客た
ちは、座席にしがみついたことだろう。長く続いた揺れが収まった後、観客の間で、
大混乱が起こっただろうことは、容易に推測がつく。上演途中ながら、歌舞伎公演
は、中止された。

5日に初日を迎えた国立劇場は、27日の千秋楽まで、毎日、芝居が続く筈だった。
結局、「絵本合邦衢」は、5日、6日、7日、8日、9日、10日と演じられ、11
日は、途中で、中止、13日と14日は、上演が再開されたものの、14日から東電
が実施した計画停電で、交通機関が大きく麻痺する影響があり、劇場に行けない観客
が多かった。

15日からは、千秋楽の27日まで全面的に中止が決定された。つまり、「絵本合邦
衢」は、8日間、上演されたけれど、後は、中止となった。私は、かろうじて、震災
前々日の9日に観劇することが出来た。非日常的な殺人鬼たちを描く南北の世界を仁
左衛門が熱演した貴重な舞台を記録しておくために、コンパクトながらここに劇評を
書き留めておきたい。歌舞伎は、非日常の世界を描き、観客は、日常的な芝居見物を
愉しむ。今の日本は、大地震・大津波・原発事故とそれに伴う放射能汚染の広がりと
いう、非日常的な光景が、日々、私たちの目の前にある。


荒唐無稽な芝居の愉しみ方


「絵本合邦衢(えほんがっぽうがつじ)」は、1810(文化7)年、江戸の市村屋
で初演された。1804(文化元)年の「天竺徳兵衛韓噺」の成功以降、成熟期に
入った四代目鶴屋南北らが、合作で書き下ろした。当時の南北劇の常連、五代目松本
幸四郎、二代目尾上松助(後の、三代目尾上菊五郎)、三代目坂東三津五郎、五代目
岩井半四郎らが、出演した。五代目松本幸四郎のキャラクターが、南北に、史実から
モデルにした大学之助という暴君のほかに、立場=たてば=の太平次という、飛脚上
がりの市井の無頼を、瓜二つの登場人物という設定で発想させた。

勧善懲悪が、当時のモラルだったが、それに縛られない自由な人間の魔性、それは、
悪というものをこれまでとは違う発想で見るという南北ならでは、発想が無ければ、
誰も気がつかない視点であっただろう。それは、また、文化文政期の爛熟の世相を作
り上げていた、社会の底辺に生きる大衆のエネルギーを見抜いた南北の卓見であった
だろう。頭で感知しようとする知識人には、気がつかないが、肌で感知する大衆に
は、日常的に馴染んでいる視点であった。それを同じ大衆と通底する市井の劇作家・
南北は、汲み上げて、狂言に結実させたと言えるだろう。「絵本合邦衢(えほんがっ
ぽうがつじ)」は、1656(明暦2)年、加賀前田家一門の前田大学之助という殿
様が、高橋清左衛門を殺め、後に、弟の高橋作右衛門に仇討されたという、実際に
あった事件を素材にし、演劇的な悪を純化させるという発想で、瓜二つの人物(左枝
大学之助、返り討ちを請け負った、いまば、配下の立場の太平次)を作り、物語にダ
イナミズムを持ち込んだ。悪の力の増殖装置。今回の南北の最大の仕掛けは、別の人
格ながら、瓜二つの人物という発想をしたことだろう。

通常の仇討物語とは違って、仇討を狙う側が、次々と返り討ちに遭うという異常な物
語である。悪知恵は、悪人ほど、働く。そういう連中が、連戦連勝の場面が、相次ぐ
という芝居。物語が展開しても、正義の秩序は、なかなか、恢復しない。悪は、悪運
強く、暴れまくる。極悪の痛快ささえ、観客には、感じられる。

文化文政期から、幕末期まで、再演が重ねられたが、明治期に入ると、文明開化を標
榜する高尚趣味の陰に追いやられ、上演されなくなった。息を復活したのは、大正ロ
マンの時期(1926年)。戦前戦中期は、再び、陰に追いやられる。復活は、19
65(昭和40)年。最近では、1992(平成4)年、新橋演舞場で、孝夫時代の
仁左衛門が、初演し、今回の上演が、19年振りの再演である。私は、今回が、初
見。つまり、大正期以降、6回しか、上演されていないので、演目として、まだま
だ、磨きが必要なのだ。


まず、4幕12場のストーリー構成をできるだけ簡単に見ておこう。

時代物の序幕。第一場「多賀家水門口の場」。開幕すると、早速、殺し場。中間が、
多賀家の中間の首を絞めている。水門口が開き、左枝大学之助に命じられて多賀家の
重宝「霊亀の香炉」を盗み出した関口多九郎(橘太郎)が出て来る。外にいた中間に
重宝を持って行かせようとすると、大きな用水桶の陰から、深編笠を被って現れた武
士、実は、左枝大学之助(仁左衛門)が、口封じのために、無造作に、中間を斬り捨
てる。重宝は、関口多九郎自身が持って行けと、命じる。再び、用水桶の陰に戻る左
枝大学之助。花道から、多賀家の忠臣・高橋瀬左衛門(段四郎)が、中間を連れて、
やって来る。暗闇の中、足が当たって、ふたりの遺体を発見する。用水桶の陰から。
再び、現れた大学之助は、後ろから、中間を斬り捨てる。花道七三で、大学之助は、
暗闇の中、不審な雰囲気を感じている瀬左衛門に小柄を投げ打ち、深編笠を取り、初
めて、観客に顔を見せた後、幕外の引っ込みで、悠然と、現場を去って行く。こうい
う感じで、大学之助はいとも無造作に人を殺して行く。これが、今回の南北劇の通奏
低音となる。

序幕第二場「多賀領鷹野の場」。山々の見える、野遠見。舞台下手に、「多賀領高橋
瀬左衛門支配地」と書かれた立杭がある。下手奥に、2本の松や2基の藁ボッチ。舞
台中央に庚申の石碑。上手に、2本の松。舞台中央では、領民の百姓たちが、夏草を
刈っている。花道より、京の道具商田代屋の養女・お亀(孝太郎)と養子の与兵衛、
実は、高橋瀬左衛門の末弟・孫三郎(愛之助)が、お亀の実家に行く旅の途中であ
る。鷹狩りの途中で、秘蔵の鷹(小霞)を見失った大学之助一行が、やって来る。殿
様でありながら、統治能力を欠き、私利私欲を行動原理とする権力者・大学之助は、
お亀に目をつけ、妾になれと申し入れる有様、大学之助は、人殺しという暴力も平気
なら、女好きで、性欲も強いのだろう、ということが判る。歌舞伎で、「国崩し」と
呼ばれる、アンチ・スーパー・ヒーローを極端化させた人物造形である。そこへ、通
りかかった領地の地頭(支配役)の高橋瀬左衛門が、与兵衛、実は、瀬左衛門末弟の
孫三郎とお亀を助ける。大学之助の鷹は、地元の百姓と子供・里松が、見つけるが、
お互いに引き合ううちに、鷹を死なせてしまう。それを怒った大学之助は、里松を斬
り殺してしまう。里松は、お亀の父親と後添えの間に出来た弟だった。大道具(舞
台)は、鷹揚に廻る。

序幕第三場「多賀家陣屋の場」。陣屋では、瀬左衛門と瀬左衛門の末弟・孫三郎こ
と、与兵衛、与兵衛の許婚・お亀が、顔を揃えている。大学之助の顔が、店に出入り
している立場の太平次という男にそっくりだと噂している。瀬左衛門は、道具商の弟
に主家から盗まれた重宝の「霊亀の香炉」の探索を依頼する。瀬左衛門は、先日、暗
闇で受け止めた小柄が、主筋の大学之助のものではないかと疑っている。花道から、
大学之助一行が、やって来る。瀬左衛門は、主家の、もうひとつの重宝「菅家の一
軸」で、大学之助を諌めるが、大学之助は、瀬左衛門を背後から槍で突き、殺す。さ
らに、瀬左衛門殺しの濡れ衣を着せるために、同行していた配下をも、殺す(ここま
でで、殺された人数、6人)。瀬左衛門の次弟の弥十郎(左團次)が、花道から、
やって来ると、配下が、瀬左衛門を殺したので、自分が、誅殺したと嘘を言う。弥十
郎は、不審に思う。

世話物の二幕目。第一場「四条河原の場」。南北の持ち味は、世話物。二幕目から三
幕目が、この芝居の見どころである。幕が開くと、舞台下手にむしろ掛けの見世物小
屋。「ろくろ首」「蛇をんな」「大いたち」などの看板が掲げられている。隣には、
見せ物見物客を当て込んだお休み処の茶店がある。その隣に、柳の木。背景は、山と
四条大橋の遠見。中央に、乞食小屋風のむしろ掛け。上手は、橋詰の石段。この石段
は、後に、仁左衛門演じる、侍上がりの色悪・立場の太平次が、現れることになる。

ここで登場する人間関係を整理しておこう。道具商田代屋に出入りする太平次(仁左
衛門)は、血も繋がっていないのに大学之助にそっくり。茶店で働いている太平次女
房お道(吉弥)。太平次に懸想するうんざりお松(時蔵)は、25歳、色香十分な見
世物小屋の頭分。つまり、この三角関係を太平次は、利用する。道具商田代屋の番頭
(松之助)は、太平次側のスパイで、お松から、毒蛇の血を仕入れる。この毒で、店
の養子である与兵衛(瀬左衛門の末弟・孫三郎)を殺して、お亀と世帯を持ちたいと
妄想している。大学之助から預かった重宝の香炉を勝手に、質入れしてしまった関口
多九郎も、香炉を取り戻したいと思っている。太平次は、お松に田代屋へ強請に行か
せる。大悪、小悪たちが、それぞれ、勝手に悪だくみをしているのが、判る。

第二場「今出川道具屋の場」。つまり、田代屋の店先。大店である。店奥の帳場に
は、大福帳と売掛帳がある。うんざりお松が、花道から、単身、田代屋に乗り込んで
来る。応対するのは、与兵衛とお亀の養母で、店主のおりよ(秀調)。お松は、おり
よを相手に、与兵衛との密通をでっちあげ、偽の起請を持ち込み、強請り始める。外
出中の与兵衛の替わりにお亀を連れ去ろうとする。店の番頭が、素知らぬ顔をして、
件の香炉をお亀の替わりに渡したらとおりよに悪助言をする。下手袖から出て来て、
外で様子を窺っていた太平次も、店内に入って来る。兄の仇討をするために、養家に
迷惑をかけないように、勘当を願っている与兵衛が、花道より、戻って来る。おりよ
は、わざと与兵衛とお亀を勘当にする。おりよは、ふたりに「霊亀の香炉」を持たせ
る。ふたりは、花道を遠ざかる。おりよは、番頭が持ち込んでいた毒酒を飲んでしま
い、苦しみ出す。おりよのとどめを刺し、お松と共に、おりよの金を奪って花道から
逃げる太平次。倒れたおりよを乗せたまま、舞台は廻る。太平次とお松は、花道を
ゆっくりと歩み、花道半ば、途中から、くるりと向きを変えて、花道を逆戻りして、
本舞台に入ると、そこは、妙覚寺裏手の墓場、という趣向だ。

第三場「妙覚寺裏手の場」。下手に大きな柳の木がある墓場。中央に古井戸。上手
は、土塀。土塀の後ろに、大きな三日月が出ている。しつこいお松に嫌気のさした太
平次は、隙を見て、お松(時蔵)を釣瓶縄で絞め殺し、古井戸に投げ込む。瀬左衛門
の次弟の弥十郎(左團次)と妻の皐月(時蔵)の夫婦が、通りかかる。つまり、ここ
は、時蔵の早替わりが、見せ場。さらに、与兵衛とお亀のカップルも、やって来て、
世話だんまりとなる。次の場面、世話物第2弾への転換(つなぎ)の場面。

三幕目も、世話物。新たに、追加参加する人間関係を見ておこう。第一場「和州倉狩
峠」。黒幕、下手に「倉狩峠」の木杭のみのシンプルな舞台。黒幕振り落しで、場面
転換。第二場「倉狩峠一つ家の場」が、三幕目のメイン。花道の出入りが多い。お亀
に執心の大学之助に命じられて、与兵衛とお亀の行方を追う家臣の島本段平(當十
郎)。峠の一つ家は、「立場(たてば)」で、街道や峠を行く旅人が、人馬を替えた
り、貨客を送り継いだりする宿駅のことである。舞台下手には、「立場茶屋」の木杭
がある。舞台中央の、一つ家には、「丸に太」という紋が、書き込まれている。「立
場の太平次」とは、この宿駅を営む所からの渾名であろう。表も裏も、悪殿様の大学
之助と顔こそ、瓜二つとはいえ、太平次は、表向きは、立場の主として善人面をして
いるが、根は、大学之助同様の悪人ということで、より根性の悪い男である。この一
つ家に、お亀の妹のお米(梅枝)が、滞在している。高橋瀬左衛門配下で、夫の孫七
(高麗蔵)とはぐれた困っている所を太平次に助けられて、連れて来られた。太平次
は、お米を売り飛ばして、稼ごうとしている。さらに、孫七が、敵対する高橋瀬左衛
門配下と知って、見つけ次第、殺そうという心づもりである。現れた段平を太平次
は、奥に通す。

太平次の女房・お道(吉弥)は、太平次とは、異なる。与兵衛とお亀を連れて、立場
に案内して来る。道中で、病に冒された与兵衛。路銀を使い果たし困っているふたり
に太平次は、お亀を大学之助の妾に世話してあげると持ちかける。段平が、支度金五
十両を用意している。仇討を果たすためには、敵に近づかなければならないと苦渋の
選択をして、妾奉公を承知するお亀と与兵衛。お亀が、駕篭に乗せられて去ると、大
学之助の息のかかった峠の飛脚や雲助らが、与兵衛を襲う。与兵衛に手助けをする振
りをしながら、与兵衛の脚を鉈で切りつける。「摂州合法辻」の脚の不自由な俊徳丸
のパロディであろう。与兵衛に逃げろと言って、峠の古宮へ行かせる。太平次は、与
兵衛殺害の現場を立場でなく、古宮に移そうという企みがある。お米は、縛られて2
階に押し込められる。お道は、与兵衛を助けようと古宮に向かう。お米を探していた
孫七が、立場にやって来る。太平次は、お米を連れて来ると孫七を騙して、出かけ
る。お米を助け出す孫七。

第三場「倉狩峠古宮の場」。舞台が、鷹揚に廻る。舞台下手に、「倉狩峠」の木杭。
中央上手よりに、古い宮。与兵衛を殺そうとやって来た太平次が、古宮の戸を開ける
と、すでに、与兵衛を逃がしたお道が居る。お道は、太平次と飛脚に殺されてしま
う。第四場「元の一つ家の場」。舞台が、逆に、廻る。戻って来た太平次は、孫七に
向かう。暗闇で、孫七は、誤って、お米を斬ってしまう、孫七も、太平次に殺されて
しまう。お米にとどめを刺す太平次。悪びれずに、平気で、人殺しを続ける太平次。
善人面と性根の悪さの共存が醸し出す、ユーモラスでさえある殺し場は、仁左衛門歌
舞伎の新しい魅力だろう。「先代萩」の八汐に続く、悪役、憎まれ役であるが、悪と
はいえ、スーパーマンの造形は、仁左衛門の芸域を拡げる悪の華が咲き競っているよ
うに思う。第二場、第三場、第四場という、廻り舞台の往復が、今回の世話場のハイ
ライト。

大詰第一場「合法庵室の場」。ここからは、二つの三角関係を押さえると、理解し易
い。1)大きな三角関係は、殺人鬼の悪殿様・大学之助(仁左衛門)に対する合法、
実は、高橋瀬左衛門の次弟で弥十郎(左團次)と妻・皐月(時蔵)の夫婦が作る。そ
の内側にイメージする、2)小さな三角関係は、殺人鬼の悪殿様・大学之助に対する
与兵衛(愛之助)とお亀(孝太郎)のカップルが作る。合法庵室にいるのは、弥十郎
と弟の与兵衛だが、養子に出た与兵衛を兄の弥十郎は、顔を知らないという設定だ。

支度金をもらい、大学之助のところに妾奉公に行ったお亀は、既に、大学之助によっ
て、殺されている。肉体は、大学之助に従わざるを得ないとしても、心は、大学之助
の意に添わなかっただろう。そういう心の動きには、敏感な大学之助だったろうし、
あるいは、仇討を焦り、逆に、返り討ちにあったのだろう。お亀は、与兵衛の夢枕に
立ち、悔しさを訴えて消える。病気の上に、太平次に鉈で切られた脚が不自由な与兵
衛は、舞台下手から現れた大学之助に重宝のふたつとも、大学之助が入手しているこ
とやお亀の最期を告げられると、切腹してしまう。再び、下手に入る大学之助。

花道から合法、実は、高橋瀬左衛門の次弟で弥十郎が、現れる。苦しい息の下で、弥
十郎に告げる与兵衛の言葉に、弥十郎は、ふたりが、同じ、仇討を狙う兄弟だったこ
とを知る。冷徹な大学之助は、用済みの太平次の殺害を配下に命じる。仇討のすべて
の構造を理解した弥十郎は、舞台下手から現れた妻の皐月と共に、大学之助に向かっ
て行く。浅黄幕が、振り被せとなり、場面展開。

第二場「閻魔堂の場」。浅黄幕が、振り落とされると、舞台中央には、巨大な閻魔
像。下手に、「合法ヶ辻閻魔建立」の木杭。舞台上手と下手に松並木。舞台下手袖か
らやってきた大学之助一行の行列を襲おうと弥十郎と皐月の夫婦が、花道から近づい
て来る。夫婦は、配下を追い払った後、行列の駕篭に近づき刀を駕篭の中に差し込む
が、駕篭に載せていたのは、鎧のみ。大学之助は、いなかった。

仇討に失敗したとして、弥十郎と皐月は、自害してしまう。すると、巨大な閻魔像の
後ろから、不適な笑いを浮かべて、大学之助が、出て来る。背景の黒幕が、落ち、松
の遠見となる。自害の振りをしていた夫婦は、近づいて来た大学之助に斬り掛かり、
なんとか、仇討を果たす。大学之助は、乱れ苦しみ、倒れるが、ムックリと起き上が
り、仁左衛門と共に、左團次、時蔵と並んで座り、「まず、こんにちは、これぎり」
の口上。

大学之助に返り討ちに遭った人々や濡れ衣を着せられて殺された人々、太平次に殺さ
れた人々など、実に、多く人たちが犠牲になった物語も、やっと、大本の殺人鬼がし
とめられて、幕となった。正義の秩序の恢復は、善人の側の、自害の偽装という姦智
で、最後の最後に、実現できた。


最後に役者評を少し。


「絵本合邦衢」、2回目の主役を演じる仁左衛門は、瓜二つという想定ながら、主家
横領を狙う謀反人(国崩し)で、「血も涙も無い」徹底的に冷徹一筋な暴君・大学之
助と善人面と悪党の対比が魅力の、飛脚上がりの立て場の主、市井の小悪党(殺人請
け負い人でもある)・太平次を見事に演じ分けた。この演じ分けは、武士と町人とい
うだけに留まらず、言葉、身のこなし、氏素性から来る雰囲気、人柄など、全く、違
う人物を感じさせなければならない。それでいて、両人とも、仁左衛門独特の悪の魅
力で、彩られている。大学之助は、どんどん、善人たちを返り討ちにしてしまうし、
幼い子供でも、容赦なく殺してしまう。殺人に快楽さえ感じるほど、人格が壊れてし
まっている、殺人鬼の名前通りの人物だ。太平次は、大学之助から返り討ちを請け
負った殺し屋と立場の主という、二つの顔を使い分ける。武家上がりの太平次には、
金の力で、再び、武士に戻りたいという気持ちが強かったのだろう。その挙げ句、用
済みとなれば、大学之助の配下に殺される運命が待っている。いずれにせよ、仁左衛
門が、演じ分ける二人の人物は、悪をベースにしながら、社会的な規範に捕われずに
行動できるスーパーマン的な魅力を感じさせる。

太平次に付き合う、蛇をんなこと、うんざりお松と弥十郎を補佐する妻・皐月を演じ
分けた時蔵。特に、うんざりお松は、美人ながら、封建的な身分社会では、人外に置
かれた女性だ。惚れた男のためには、罪を犯すのも厭わない。その挙げ句、惚れた男
に絞め殺されてしまう。太平次とのコンビでは、ユーモラスな雰囲気を出すことも要
求される。

時代物の部分だけの出演で、お家騒動の中で、だまし討ちされた高橋瀬左衛門(段四
郎)と次弟の弥十郎(左團次)。重要な脇役カップルの与兵衛、こと末弟の孫三郎
(愛之助)とお亀(孝太郎)。お亀の妹・お米(梅枝)と孫七(高麗蔵)の夫婦。さ
らに、善良で働き者、悪と善、非日常と日常、という南北の世界を結んだ太平次女
房・お道(吉弥)なども、印象に残った。


非日常の芝居は、作者の意図の上で展開するから、必ず、終幕を迎えるが、発生源が
特定されずに、放射能をまき散らし続けた原発事故は、発生以来、2週間経った現在
になっても、収束しない。11日以来、1週間近く続いた断水生活を始め、余震の揺
れや計画停電、広がる放射能汚染対応が、我が家でも、今も続く中で、たびたび、中
断される時間の断片を集めるように、細切れの時間を見つけては、「こんな中で、劇
評なんか書いて」という、家族の白い目にも、耐えながら、書き続けた。大災害だか
らこそ、「芝居心」という、日常性の維持の大切さを噛み締めながら、兎に角、なん
とか、つぎはぎつぎはぎで、劇評をまとめあげて、書き終えた。悪の代行装置として
の歌舞伎。代行装置は、イマジネーションが、エネルギーで、心の底に溜まった悪の
ストレスを解放し、日常生活の悪と善とのバランスを恢復してくれる。

いつものように構想をチェックし、内容を点検・精査する暇もないので、アイディア
も思い突きのままむき出しだろうし、また、キーの打ち込みも杜撰で、誤字誤植もあ
るだろうが、お許し戴きたい。

原発事故の方も、視界不良の対応策が、続く。早く、放射能をまき散らし続けると共
に、より大きな爆発事故を誘引しかねない、大本の元凶を突き止め、事態を収束させ
て、国民の間に広まっている不安感を終息させて欲しいと、思う。目下、日常化して
いる非日常という悪。東日本では、日常生活という善の恢復は、見通しが立っていな
い。

大地震.大津波、原発事故に伴う放射能被爆という三重苦に見舞われた東北・北関東
の再興には、国家・社会を上げて総力戦で、尽力しても、戦後復興並に、長い時間が
かかるかもしれないだろうが、舞台閉鎖を余儀なくされ、いわば、原発事故の二次被
害を被った仁左衛門熱演の舞台は、いずれ、近いうちに、願わくば、仁左衛門を軸
に、同じ顔ぶれで、再演される日が来ることを期待したい。そして、櫓を上げた劇場
の外では、槌音高く、東北復興の気運を後押しして欲しい。

幻となってしまった「絵本合邦衢」の千秋楽(27日)を控え、前日(26日)まで
に、なんとか脱稿したので、とりあえず、掲載する。
さて、書籍が散乱している書斎を片付け始めようか。
- 2011年3月26日(土) 12:01:58
11年03月新橋演舞場 (夜/「源氏物語 〜浮舟〜」「水天宮利生深川」「吉原
雀」)


少女コミック版の源氏物語か


「源氏物語 〜浮舟〜」は、2回目。源氏物語の「宇治十帖」を再構築した北條秀司
の原作で、源氏物語の登場人物たちが、「君を幸せにする」などと現代劇の科白廻し
で科白のやり取りをする。芝雀に言わせれば、現代劇ではないにもかかわらず、こう
いう科白なので、「古典の科白より難しい」という。性と愛をテーマに、好色な中年
男と純情な青年、ふたりの間に挟まれ、心と身体が引き裂かれる美少女の、三角関係
を描いた「少女コミック」掲載漫画のような源氏物語であった。

主な登場人物を整理しておこう。
匂宮(吉右衛門)=光源氏の孫(となっているが、光源氏と契ったことのある明石の
君が今上天皇との間にもうけた皇子)。光源氏縁りの二条院のいまの主。光源氏縁り
(異母弟の娘、つまり、姪)である大君の妹、中の君(魁春)との間に子をもうけ
る。こちらが、どちらかと言えば、正統光源氏縁りの人である。女性の心と身体を知
り尽し、自由奔放に振る舞うプレイボーイ。平気で嘘のつける人。浮舟と薫大将の間
に押し入り、浮舟と身体の関係を作ろうとしている。
歌舞伎では、1953(昭和28)年の初演以来、長く、先代の勘三郎が演じた。
薫大将(染五郎)=光源氏と女三の宮の子とされているが、実は、柏木と女三の宮の
子。源氏からみれば、不倫の子。光源氏と「縁」こそあれ、「縁り(所縁、由縁)」
は無い。亡くなった宇治の大君に、いまも恋している。宇治の大君は、浮舟の異母
姉。大君に生き写しの浮舟に魅かれているが、純愛路線で迫る。肉欲と精神的な愛を
区別する理想主義者。つまり、女性の心と身体の関わりに無頓着な男。浮舟は、それ
故に、匂宮と薫大将の間に挟まれて、苦悩する。
浮舟(菊之助)=宇治の大君や中の君の異母妹、ということは、やはり、光源氏縁り
の人。熊谷直実の妻・相模のように東国からやって来た。雛には、稀な美女である。
都の女性と違い、雛の美女は、エキゾティズムで、男心を誘う。その上、浮舟は、匂
宮のレイプで、官能に目覚めてしまい、浮舟に大君の面影を求める薫大将と若い女性
好きの匂宮の間で、心と身体を引き裂かれる運命の女性。母中将の淫乱な血を恐れて
いる。
浮舟母・中将(魁春)=光源氏の異母弟・宇治の八条の宮との間にできた娘の浮舟を
匂宮に捧げる策士。女性の心と身体の関わりを、体験的にも熟知している。高齢なが
ら、いまも男を求めている淫奔な女性。その母親の血が流れているので、浮舟は、不
安感を募らせる。
浮舟異母姉・中の君(芝雀)=匂宮の奥方。若君を出産したばかりなのに、夫の匂宮
は、浮舟と薫大将の間に押し入り、浮舟と性的な関係を結ぼうとしているので、悩
む。薫大将と浮舟の結婚を望んでいる。
時方(菊五郎)=匂宮に随身する立場。
弁の尼(東蔵)=浮舟に琴を教えている。浮舟と薫大将の仲を気にかけて、手助けを
する。

吉右衛門、染五郎、菊之助、魁春、芝雀、菊五郎、東蔵、いずれも皆、初役で挑む。
私が観た前回の舞台では、匂宮は、勘九郎時代の勘三郎、薫大将は、仁左衛門。浮舟
は、玉三郎。中将は、秀太郎。中の君は、魁春。時方は、染五郎。弁の尼は、家橘。

第一幕「二条院の庭苑」では、秋の夜、主な登場人物が顔を見せる。第二幕「宇治の
山荘」では、浮舟の日常生活の屈託が描かれる。心を寄せあう浮舟と薫大将だが、多
忙を理由に薫大将は、滅多に、宇治に姿を見せない。隙をつくように、匂宮からは、
恋文も届くし、立ち寄りにも来る。第三幕「二条院の庭苑」。葵祭も終わり、二条院
の庭苑は、夏めいて来る。匂宮と浮舟の関係を中の君は、心配し、訪ねて来た薫大将
に浮舟との結婚を急ぐように忠告する。

そして、山場へ。第四幕第一場「宇治の山荘」では、夏の夜、寝静まった時間を見計
らって、匂宮が、供を連れて、忍んで来る。浮舟の母・中将は、匂宮を浮舟の寝所に
進んで案内する。第二場「浮舟の寝所」。中将に手引きされて匂宮は、遂に、浮舟の
寝床を襲う。浮舟の必死の抵抗にも拘らず、強引に関係を結ぶ匂宮。手練手管を知り
尽くした中年男に、若い娘は、ひとたまりもない。菊之助の儚さは、きちんと伝わっ
て来た。

第五幕第一場「宇治の山荘」。翌々日。匂宮が、中将と酒を酌み交わしている。無理
矢理、身体の関係を付けられてしまった浮舟は、出家したいと言う。薫大将が、遅れ
ばせながら、山荘を訪ねて来る。浮舟と契ったと薫大将に告げる匂宮。浮舟とふたり
になった薫大将は、浮舟を責める。

第二場「宇治川のほとり」。舞台上手、宇治川のほとりで、倒れている浮舟。書割
が、上に移動すると、横たわっている浮舟を乗せたまま、舞台が廻って来る。立ち上
がる浮舟。入水するのか、引き裂かれた心と身体のまま、彷徨い続けるのか。自死を
ほのめかしながら、舞台中央、奥へ向かって行く浮舟。そして、止まり、そこで、半
身後ろ向きになる浮舟。静かに、緞帳が降りてくる。

つまり、不倫の子、薫大将以外は、皆、光源氏の縁りの人たち。光源氏の女性との契
りは、殆どレイプである。そういう男女関係の時代を考えれば、匂宮の肉欲第一主義
は、正統光源氏のやり方なのである。匂宮と浮舟母・中将の側にリアリティがある。
欲望派は、現実的で、強い。純愛派は、理想的で、弱いという図式。

欲望派は、匂宮。参謀格が、浮舟母・中将、匂宮の供(側近、秘書の類い)の時方、
で時方の恋人で浮舟侍従、匂宮夫人・中の君(ただし、この人は、匂宮の浮気に悩
み、異母妹の浮舟と薫大将に同情的である)。

純愛派は、薫大将と浮舟。浮き舟支援の、弁の尼、女房・右近。

こうして区分けしてみると、圧倒的に「欲望派」の舞台であることが判る。こういう
区分けをすると、欲望派=腹黒、純愛派=正義、などという紋切り型の分類になりが
ちだ。だから、観客は、純愛派である薫大将に声援ならぬ拍手を送ることになる。図
式的に観察すると、本質が、良く判る芝居である。

そういう図式の中で、苦労するのが、浮舟。まさに、浮舟物語。浮舟は、かわいらし
い女性であり、人間的に生きようとしながら、正直さゆえに、心と身体が引き裂か
れ、身体に引っ張られ、官能に引き吊られて、浮舟は、結局、自虐への道をひた走
る。

さらに、もうひとり、心と身体が引き裂かれている女性が、いる。浮舟の異母姉であ
り、匂宮の妻である中の君である。こちらは、匂宮の若君を生んだが、その後は、匂
宮に疎んぜられていて、夫より、浮舟、薫大将を支援している。「北條源氏」の「浮
舟の巻」は、女性の官能とは、なにか。官能の苦しみとは、なにかというのが、テー
マだと判る。

匂宮を演じた吉右衛門は、珍しく、好色な悪役を演じ、「新しい女が、出来たときの
心地よさ」「(性の喜びを知った)浮舟の身体は、もう元に戻らないのだよ」など
と、嘯く科白もあり、吉右衛門の魅力の幅をさらに拡げたと、思う。菊之助の浮舟の
寝所に忍び込み、浮舟をレイプする場面は、妖しく、官能的であった。菊之助の浮舟
も、初心な若い女性としての存在感があり、見応えがあった。


十七代目勘三郎の上手さを実感させる


「水天宮利生深川」は、3回目。「水天宮利生深川」は、1885(明治18)年2
月、東京千歳座(いまの明治座)が初演。河竹黙阿弥の散切狂言のひとつ。明治維新
で、没落した武家階級の姿を描く。五代目菊五郎の元直参(徳川家直属)の武士(お
目見え以下の御家人か)・船津幸兵衛、初代左團次の車夫三五郎などの配役。戦後
は、十七代目勘三郎が、得意とした演目。粗筋は、陰々滅々としているが、勘三郎の
持ち味が、それを緩和して、人情噺に仕立て上げて来た。最近では、1990(平成
2)年1月の国立劇場で、團十郎、06年3月の歌舞伎座で、幸四郎が演じている。
07年12月の歌舞伎座で、当代勘三郎が、勘三郎になって、初めて幸兵衛を演じ
た。先代の父親以来、23年ぶりの勘三郎の幸兵衛、家の藝、念願の初役であった。
つまり、私は、今回含めて、幸四郎で、2回。勘三郎で、1回、観たことになる。

深川浄心寺裏の長屋が舞台。上手に墓地。あちこちに、雪が残る。寒々しい。幸兵衛
(幸四郎)は、武芸で剣道指南もできず、知識で代言人(今の弁護士)もできず、貧
しい筆職人として、生計を立て、ふたりの娘(梅丸ほか)と乳飲み子の息子を抱え、
最近、妻を亡くし、上の娘は、母が亡くなったことを悲しむ余り、眼が不自由になっ
ている。筆作りも軌道には、乗っていないようだ。知り合いの善意に支えられ、辛う
じて一家を守っているが、いつ、緊張の糸が切れてもおかしくない。支えになってい
るのは、神頼み。水天宮への信仰心。東京の人形町にある安産の神様で知られる水天
宮は、本来、平家滅亡の時に入水した安徳天皇らを祭る水神。幸兵衛が、乏しい金の
なかから買って来る水天宮の額には、碇の絵が描かれている。これは、「碇知盛」で
知られる平知盛が、歌舞伎の「義経千本桜」では、身を縛った碇を担いで重しの碇と
ともに、大岩の上から身投げしたという設定になっているので、紋様として使われた
のだろう。

また、黙阿弥は、気の狂った幸兵衛に、箒を薙刀に見立てて、知盛の出て来る、別の
演目「船弁慶」の仕草をさせる趣向も、取り入れている。他所事浄瑠璃では、志佐雄
太夫らが、幸兵衛の哀れさを強調する。これも、幸兵衛発狂の伏線となる(前回、0
7年12月には、美声の長老・延寿太夫らが、美声を聞かせてくれた)。

そういう脆弱さが伺える幸兵衛一家が、陰々滅々と描かれる。そして、案の定、金貸
しの因業金兵衛(彦三郎)と代理の代言人の安蔵(権十郎)から、借金の催促をさ
れ、僅かな金も奪われるように、持ち去られてしまう。危機管理ゼロ。

結局、幸兵衛が思いつくのは、一家心中。あげく、子どもを手にかけることが出来な
いことから、心中もままならずで、己を虐め抜き、遂に、発狂するという話の展開に
なる。幼い赤子を抱えて、海辺町の河岸へ行き、身投げをする。

しかし、こういう脆弱な男に良くあるように、自殺も成功せず、死に切れずに、助け
られる。それが、水天宮のご利益という解釈。「来年は、良い年になりますように」
と、全ては、ハッピーエンドとなる安直さで、前向きに、生きて行こうと決意する。
それだけの話。人生、思う通りにならないのは、世の常。足元を固めて、一歩一歩、
前に歩いて行くしかないのは、最初から判り切っていることだろう。

幸四郎は、発狂場面を含めて、実線の、くっきりとした演技で、思い入れたっぷりに
演じる。十七代目勘三郎の舞台は、残念ながら観ていないが、ビデオなどで拝見する
と、科白廻し一つ取ってみても、肩に力が入っていない。さらりと、科白を言ってい
る。科白も、普通の口調で、演技ではなく、自然と幸兵衛になりきっていたし、狂気
もするっと、境を超えていたのを思い出す。前回の勘三郎も、そうだが、幸四郎は、
肩に力が入りすぎている。正気から発狂するという「異常な状況」を表現するだけ
に、「異常」なほどのオーバーアクションでは、かえって説得力を殺ぐことになる。
抑え気味に演じて、正気から狂気へが、観客の腑に落ちるように、役になり済ますこ
とが出来ないものかと、思う。これは、十七代目勘三郎が、いかに上手かったかとい
うことだろう。

このほか、脇に廻った豊富な役者たちでは、車夫・三五郎(松緑)、長屋の差配人・
与兵衛(錦吾)、巡査・民尾保守(友衛門)、長屋の女房たち(紫若ら)ほかに、元
直参ながら、剣道指南で巧く、新しい世の中を生き抜いている萩原の妻・おむら(魁
春)などが、印象に残るが、散切ものらしい配役の妙(車夫、巡査、代言人などが登
場)が、明治初期の風俗を記録していて、おもしろい。


「吉原雀」は、5回目。長唄で、今回含め、4回。清元で、1回。今回は、夜の部の
右歌衛門10年祭追善狂言。

「吉原雀」は、1768(明和5)年、初演の、顔見世狂言用の複雑な筋立ての舞踊
劇で、本来の外題(名題)は、「教草吉原雀」だった。明治以降、新たな振付けで、
復活され、原作とは違う独立した筋に変わった。

「吉原雀」は、生き物を解き放す「放生会(ほうじょうえ)」の日に、解き放し用の
小鳥を売りに夫婦の「鳥売り」吉原にやってきた。廓の風俗や遊女と客のやりとりを
仕方噺仕立ての所作事で表現をするようになった。

夫婦が、夫婦のままで終わるのと、鳥の精の正体を現すなど、演出に違いがあるが、
今回は、夫婦のまま、という歌右衛門版での上演であり、最近のスタンダード版でも
ある。

05年6月、歌舞伎座で、「教草吉原雀」の外題で、鳥刺しが登場し、夫婦が、鳥の
精としての正体を現す舞台を観たことがある。この時の、鳥刺しには、歌昇。鳥売り
の夫婦は、最後は、ぶっかえりで、つがいの雀の精になるところが、ミソであった。
二段を使った大見得で、夫婦雀は、確かに昇天して行った。きりりと、下手、平舞台
の鳥刺し。この対立が、美しく、晴れやかな舞台となった。今回は、舞台中央、鳥売
りの夫婦の見得で、幕。

今回は、梅玉と福助が、夫婦の鳥売りを演じる。これまで私が観た配役は、以下の通
り。鳥売りの男;新之助時代の海老蔵、菊五郎、梅玉(今回含め、2)。鳥売りの
女:玉三郎、菊之助、雀右衛門、魁春、そして今回は、福助。菊五郎・菊之助で観た
99年3月の歌舞伎座の舞台が、清元で、私が観たほかの舞台は、皆、長唄であっ
た。

梅玉は、36年前、八代目福助時代に歌右衛門と踊っている。それ以来、6回目。福
助は、児太郎時代に、富十郎と福助時代の梅玉と、それぞれ踊っている。今回のコン
ビは、21年振り。
- 2011年3月9日(水) 10:17:48
11年03月新橋演舞場 (昼/「恩讐の彼方に」「伽羅先代萩 〜御殿、床下〜」
「御所五郎蔵」)


魁春、渾身の「政岡」なるか  


新橋演舞場では、2月は、歌舞伎の上演がなかった。今月は、10年前、3月末に逝
去した六代目歌右衛門の十年祭追善狂言を交えての、3月代歌舞伎。昼の部の劇評で
は、29年振りの上演という「恩讐の彼方に」と歌右衛門十年祭追善狂言「伽羅先代
萩 〜御殿、床下〜」を軸に書いてみたい。

まずは、歌右衛門兄弟養子の弟・魁春が、初役で、政岡を演じる貴重な「伽羅先代萩
 〜御殿、床下〜」から。この芝居は、足利頼兼のお家騒動という想定の芝居だが、
史実の「伊達騒動」を下敷きにしている。

魁春、渾身の政岡。開幕、御殿の御簾が上がると、魁春演じる政岡が立っている。初
日の舞台、大向うから、「加賀屋」という声と並んで、「そっくり」という声も掛か
る。

立役の大役、「仮名手本忠臣蔵」の由良之助に匹敵する女形の大役が、政岡である。
五代目歌右衛門の当り役を、戦後、息子の六代目歌右衛門は、まだ、六代目芝翫の時
代から、演じ続けて来た。昭和の時代を通じて、本興行で、歌右衛門は、政岡を16
回演じて来た。江戸屋敷で繰り広げられるお家騒動に巻き込まれた政岡は、若君の命
を狙う敵たちに八方から囲まれている。特に、若君の口に入るものは、警戒しなけれ
ばならない。国の表から出て来た息子の千松を若君の毒味役に使ってまで、つまり、
我が子の命を楯にしてまで、若君大事と緊張した日々を送っている。こうした異常心
理の中で、若君の乳母として、我が子の母として、二つの情を肚に押さえ込みなが
ら、政岡役者は、演じ続けなければならない。

六代目歌右衛門には、ふたりの養子とひとりの芸養子がいるが、実は、この3人と
も、政岡を演じてはいない。本興行で、ここ30年間に、政岡を演じたのは、次の通
りである。

宗十郎、歌右衛門、菊五郎、梅幸、芝翫、鴈治郎時代を含めて、坂田藤十郎、雀右衛
門、玉三郎、福助、勘三郎、菊之助。

今回、六代目歌右衛門の養子として初めて、魁春が、政岡を演じる。魁春自身は、
「二十年、三十年このかた、自分が演(や)れるとは考えてもみなかったお役です。
父(歌右衛門)の十年祭追善狂言ということで、この役をさせていただきたいと思い
ます。(略)魁春の政岡になっていると受け止めていただけるよう演じたいです」
と、述べている。

先ほど、書いたように、初日の舞台から、「そっくり」と、大向うから、声が掛かっ
ていた。初日だから、「ご祝儀」の掛け声だったかもしれないが、さはさりながら、
「そっくり」とは、つまり、養父の六代目歌右衛門の演技にそっくりという意味だ。
私は、残念ながら、歌右衛門の政岡を実際には観ていない。歌右衛門の政岡は、昭和
という時代の終焉と共に、演じられなくなっていたからだ。残っている資料などを読
むと、歌右衛門は、政岡を演じるに当って、細部に拘らずに、政岡のトータルとして
の品格をなによりも重んじたらしいし、乳母という「役人」としての役割と実子を殺
される「母親」の立場への、心理の変化を肚に収めた演技で、終幕近くで、母の激情
を迸らせるという政岡像を作り上げて来たようだ。私には、1回しか観ていないが、
雀右衛門の母親像が、今も、目に残っている。

魁春は、政岡こそ、演じる機会には、恵まれなかったが、「伽羅先代萩 〜御殿〜」
には、重臣の妻の一人、「沖の井」役、「松島」役、「澄の江」役で、11回も出演
していて、歌右衛門の政岡とも、5回共演している。つまり、同じ舞台で、歌右衛門
の政岡を観ているし、「沖の井」、「松島」、「澄の江」を演じるための、アドバイ
スも受けているであろう。さらに、今回は、改めて、歌右衛門甥である長老の芝翫に
「お力を借りて」と、言っている。

実際、クライマックスの「飯(まま)炊き」の場面などでは、ちょっとした表情や仕
草で、六代目歌右衛門の面影が、甦っているように、私にも見えたことは確かだっ
た。貴重な場面をいくつか観ることが出来たと思う。

だからといって、将来、魁春が、七代目歌右衛門を継ぐ可能精はないだろうと私は思
う。七代目は、おそらく、福助が継ぐのだろう。歌右衛門系統の「先代萩」で、一門
の長老・芝翫の表現を借りれば、「一家一門が勢ぞろいしての」上演ということにな
る。因に、主な出演者の相関関係を見ると、次のようになる。

政岡:魁春(歌右衛門養子)。初役。
八汐:梅玉(歌右衛門養子)。3回目。
栄御前:芝翫(歌右衛門甥)。3回目。政岡を何回も演じている。今回は、一門の後
見役。
沖の井:福助(芝翫長男)。2回目。
松島:東蔵(歌右衛門芸養子)。3回目。
澄の江:松江(東蔵長男)。珍しく、女形。18年前、玉太郎時代に、一度、演じて
いる。
千松:玉太郎(松江長男、東蔵の孫)

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。歌右衛門の兄弟養子の兄
の梅玉が、八汐を演じた。

八汐は、仁左衛門(孝夫時代を入れて、4)、團十郎(2)、梅玉(今回含め、
2)、勘九郎時代の勘三郎、段四郎。八汐は、お家騒動を企む兄の仁木弾正の意を受
けて、若君殺しを狙うテロリストだから、若君の毒味役で、実際に、若君暗殺の邪魔
立てをした千松と母親の政岡とに、冷酷に対決する。千松が、毒味をして、苦しんだ
証拠の菓子をさりげなく袂に入れて、証拠隠滅を図る。冷徹で、冷静なテロリストと
いう性根を持たないと、八汐は演じられない。千松を刺し貫き、「お家を思う八汐の
忠義」と言い放つ八汐。最後は、政岡に斬り掛かり、逆に、殺されてしまう。自爆型
のテロリストなのだ。

「伽羅先代萩」は、私は、10回目の拝見。通し狂言興行構成では、「花水橋」「竹
の間」「御殿(奥殿)」「床下」「対決」「刃傷」となる。私が観た10回の舞台の
うち、「花水橋」(7)、「竹の間」(5)、「御殿」(10)、「床下」(1
0)、「対決」(6)、「刃傷」(6)。今回は、みどり興行で、「御殿」「床下」
のみだが、「御殿」は、欠かせない場面だということが判るだろう。

「御殿」「床下」では、前半は、政岡、八汐の「女の戦い」だが、後半は、「男の戦
い」。それを繋ぐ場面が、「床下」。今回、この短い場面の配役は、仁木弾正に幸四
郎。荒獅子男之助に歌昇。歌舞伎味の醍醐味を感じた。幕外の仁木弾正の影が、海坊
主のように、大きく定式幕に投影されて……、今回、「男の戦い」は、余韻を残し
て、幕。

魁春、渾身の政岡なるか。魁春は、後半、母親としての激情の発露の、瞬発の場面が
弱かったように思えたが、私にとっては、随所で、歌右衛門の面影が、甦られされ、
魁春を軸にした「御殿」は、今月の昼の部のハイライトであったと、思う。


「恩讐の彼方に」は、菊池寛原作の小説。原作者の手で、戯曲化され、1920(大
正9)年に帝国劇場で初演された。その後、新国劇や人形浄瑠璃で上演され、195
6(昭和31)年、大阪中座で、六代目簑助(後の、8代目三津五郎)などで、歌舞
伎化された。新作歌舞伎の作品。1982(昭和57)年、歌舞伎座で上演されて以
来、29年振りの上演なので、私は、初見。

第一幕「江戸田原町 中川三郎兵衛の邸」。旗本の中川三郎兵衛(團蔵)が、中間の
市九郎(松緑)に斬り掛かる。妾のお弓(菊之助)と市九郎の不義発覚の結果だ。だ
が、やり合ううちに、逆に、市九郎の主殺しとなってしまい、市九郎は、お弓に引っ
張られて、主人の金を盗み、ふたりで逃亡する。

第二幕第一場「木曾街道鳥居峠茶店の店先」。2、3年後。ふたりは、峠の茶店を営
んでいるが、実は、ここは、盗人宿。お弓が峠越えの旅人を物色し、市九郎が後を追
い、強盗をするという仕掛けだ。旅の夫婦の、若妻に、芝のぶが、登場する。

第二幕第二場「同 店の奥の部屋」。2時間後。顔を見られた若妻を殺して、盗んだ
金50両や奪った若妻の衣類を持ち帰った市九郎。若妻の鼈甲、笄がないと非難する
お弓。このカップルは、女が、あくまでも、主導的だ。盗人が嫌になったという市九
郎に替わって、若妻の遺体のあるところまで行き、鼈甲、笄を抜き取りに行こうとす
るお弓。お弓を演じる菊之助は、ここまでの出番だが、強気な女の存在感がある演技
で、見応えがあった。花道を前傾姿勢で、若妻殺しの現場に直行しようという気迫が
伝わって来た。浅ましい女を見限り、姿を消す市九郎。

第三幕第一場「九州耶馬渓青の洞門入口」。23年後。鎖渡しのある難所の耶馬渓。
洞窟の中で、石工たちが、洞門を作ろうとしている。言い出しっぺは、旅の僧侶だっ
た了海。ここに居着いて、洞門づくりに取り組んでいる。了海、実は、市九郎の現在
の姿だ。主殺しの罪を苦しみ、贖罪として、難所を渡る人々を助けようと20年前か
ら、一人で岩盤に向かい合って来たのだ、今では、村の者たちも手助けをしている。
15年余り、仇を探して諸国を回っていた中川三郎兵衛の息子・実之助(染五郎)
が、やっと、仇の市九郎、今の、了海の居処を探り当てて、やってきた。洞窟から出
て来て、それを知った了海は、罪を認めて、実之助に討たれようとするが、石工頭の
岩五郎(歌六)や村の者たちが、了海を守り、妨害する。実之助も、洞門完成まで待
つことにする。

第二場「洞門内部」。ひとり岩盤に向かい鎚を振る了海に刀を抜いて迫る実之助。し
かし、一心不乱に鎚を振る姿に、了海の大願成就まで、待つ決心をする。第三場「洞
門内部」。さらに、1年後。やがて、ふたりで鎚を振るうちに、洞門が、貫通する。
第四場「深い谷を見下す岩場」。開通した洞門の向こう側に這い出たふたり。大願成
就を果たした了海は、実之助に討たれて、本懐を遂げさせようと申し出るが、実之助
は、すでに、当初に心境から変化していて、恩讐を越えて、了海を生かそうとする。

この芝居は、ふたりの男の心の変化を描くものだろうが、松緑は、市九郎から了海へ
の心の変化が、弱いように思った。了海には、「俊寛」のような部分があり、「思い
切っても凡夫心」というような揺らぎというか、奥行きというか、そういうものを感
じさせてくれないと、図式的すぎる展開になりがちだと思うが、どうだろうか。染五
郎演じる実之助の心の変化は、いわば、同宿をして、同じ目的に向かっているうち
に、恩讐を越えてしまうという点は、判り易い。それにしても、全く、転向しなかっ
たお弓という女は、凄い。その凄さを菊之助は、演じ切ったと思う。

贅言:似たような洞窟の内部の場面が続くが、内部は、3ヶ所あり、場内暗闇で、仔
細は判りづらいが、それぞれ、大道具を工夫していたのも、興味深かった。


「御所五郎蔵」は、6回目の拝見。「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞ
め)」は、幕末期の異能役者・市川小團次のために、河竹黙阿弥が書いた六幕物の時
代世話狂言。動く錦絵(無惨絵)ということで、絵になる舞台を意識した芝居だ。
「御所五郎蔵」(五條坂仲之町甲屋(出会い)、五條坂甲屋奥座敷(縁切、愛想づか
し)、五條坂廓内夜更け(逢州殺し)の三場)は、良く上演される。03年6月の歌
舞伎座「黙阿弥没後百十年」の舞台では、「時鳥殺し」を加えた「曽我綉侠御所染」
の通しを一度観たこともある。

序幕「五條坂仲之町甲屋の場」は、両花道を使っての「出会い」の様式美の場面だ
が、今回は、「両花道」の演出ではなく、本花道と上手揚げ幕からの出である。黒
(星影土右衛門=吉右衛門)と白(御所五郎蔵=菊五郎)の衣装の対照。ツラネ、渡
り科白など、いつもの演出で、科白廻しの妙。洗練された舞台の魅力。颯爽とした男
伊達・五郎蔵一派(権十郎、亀三郎、亀寿、右近)。剣術指南で多くの門弟を抱え、
懐も裕福な星影土右衛門一派(吉三郎、吉五郎、蝶十郎、錦弥)。廓でも、皐月に横
恋慕しながら、かってはなかった金の力で、今回は、何とかしようという下心のある
土右衛門とそれに対抗する五郎蔵。そこへ、割って入ったのが、仲之町の「留め女・
甲屋女房、お京(芝雀)。

二幕目第一場「同 甲屋奥座敷の場」。俗悪な、金と情慾の世界。皐月を挟んで金の
力を誇示する土右衛門と金も無く、工夫も無く、意地だけが強い五郎蔵の対立。歌舞
伎に良く描かれる「縁切」の場面。五郎蔵女房と傾城という二重性のなかで、心を偽
り、「愛想づかし」で、金になびいてみせ、苦しい状況のなかで、とりあえず、実を
取ろうとする健気な傾城皐月(福助)、実務もだめ、危機管理もできない、ただた
だ、意地を張るだけという駄目男・五郎蔵、金の信奉者・土右衛門という三者三様
は、歌舞伎や人形浄瑠璃で良く見かける場面。「晦日に月が出る廓(さと)も、闇が
あるから覚えていろ」。啖呵ばかりが勇ましい御所五郎蔵。福助演じる皐月を乗せた
まま、大道具が、廻る。

二幕目第二場「同 廓内夜更けの場」。傾城皐月の助っ人を名乗り出る傾城逢州(菊
之助)が、実は、人違いで(癪を起こしたという皐月の身替わり)五郎蔵に殺されて
しまう。駄目男とはいえ、五郎蔵の、怒りに燃えた男の表情が、見物(みもの)とい
う辺りが、物語より、舞台での、形容(かたち)を大事にする、「傾(かぶ)く」芝
居、歌舞伎の奥深さの魅力だろう。

皐月の紋の入った箱提灯を持たせ、自らも皐月の打ち掛けを羽織った逢州と土右衛門
の一行に物陰から飛び出して斬り付ける五郎蔵。妖術を遣って逃げ延びる土右衛門と
敢え無く殺される逢州。逢州が、懐から飛ばす懐紙の束。皐月の打ち掛けを挟んでの
逢州と五郎蔵の絵画的で、「だんまり」のような静かな立ち回り。官能的なまでの生
と死が交錯する。特に、死を美化する華麗な様式美の演出も、いつもの通り。吉右衛
門と菊五郎で、様式美溢れる芝居を定式に則り、たっぷり見せる。ふたりで、睨み
合って、幕。
- 2011年3月4日(金) 14:56:45
11年02月国立劇場 (人形浄瑠璃・第3部「義経千本桜」)


人形遣の早替り(狐→忠信)・歌舞伎と人形浄瑠璃の演出の違い


第3部の「義経千本桜」は、「渡海屋・大物浦の段」、「道行初音旅」という構成
で、知盛物語を主軸に据えて、狐忠信と静御前の「道行」を添えたという形。あるい
は、2月興行のサブタイトル的にいえば、「狐物語」で、第1部が、狐の化身の母親
が、「狐に戻る」話だとすれば、第3部は、佐藤忠信という武士に、「狐が化ける」
話だと言えよう。第1部の、葛の葉→狐の化身→白狐の早替わりも、おもしろけれ
ば、第3部の、狐→忠信の、「人形遣ごとの早替わり」も、歌舞伎では考えられない
演出で、おもしろかった。このほか、歌舞伎ではやらない人形浄瑠璃の演出で、目に
ついた、あれこれを記録しておきたい。荒唐無稽で、くだらないかもしれないが、こ
ういう細部の違いに、意外と奥深い大衆芸能としての歌舞伎や人形浄瑠璃の魅力があ
ると思っている。

まず、「渡海屋の段」。
歌舞伎の場合、「渡海屋の場」で、船宿の主・渡海屋銀平を演じる役者は、「大物浦
の場」では、「実は、中納言知盛」ということで、知盛も、演じる。ところが、人形
浄瑠璃では、「首(かしら)」が、替わる。渡海屋銀平では、「検非違使」の首だっ
たのが、中納言知盛では、「文七」(関東は、「ぶんしち」、関西は、「ぶんひ
ち」)に替わる。ともに、実のある役どころの「首」だが、「文七」は、より悲劇生
が高まる。歌舞伎役者が、悲劇生の高まりを隈取りなどで表現するノと同じように、
観ていても、違和感は無い。あるいは、初心の観客には、まさに、「首のすげ替え」
だが、気がつかないかもしれない。

人形浄瑠璃の舞台では、歌舞伎と違って、上手側に、海辺があり、船がもやってい
る。歌舞伎の場合は、舞台下手に、遠見の海原が見えるだけ。人形浄瑠璃も、下手
は、遠見の海原。ここは同じだが、下手袖に岩組の一部が見えるのは、人形浄瑠璃。
歌舞伎の場合、「渡海屋の場」と「大物浦の場」は、別の場面で、間に、「渡海屋の
裏手の奥座敷の場」があるが、人形浄瑠璃は、どうなるだろうか。

歌舞伎なら、花道からアイヌ文様の厚司(オヒョウの樹皮から採った糸で織った織
物)姿で傘をさした銀平役者が登場するが、人形浄瑠璃では、大きな碇を、軽々と
(?)担いでいるが、アイヌ文様の厚司は、着ていなかった。義経一行を探索中の鎌
倉武士と銀平のやり取りで、銀平が、碇も、巧く使い(歌舞伎では、碇は、知盛の場
面で、使うので、ここでは出て来ない)武士を追い払った後、前から船宿に泊まり、
悪天候ゆえ、船待ちをしていた義経一行は、雨が、弱まったという判断で、出立する
ことになるが、歌舞伎では、簑笠を着けた一行は、舞台下手側から花道へ向かうとい
う演出だったが、人形浄瑠璃では、上手側の海辺にもやっていた船に、乗船場から義
経一行が乗り込む。船は、船頭が操り、海へ、つまり上手の小幕の内へ、乗り出して
行った。ここまで、竹本は、竹本文字久大夫。

「階段の体(てい)」の構造があり、舞台上手、2階になっている障子の間を開ける
と、白糸縅(しらいとおどし)に白柄(しらえ)の長刀を持った銀平、じつは、知盛
が、姿を現すのは、歌舞伎も、人形浄瑠璃も、同じ。義経を狙う平家一族の正体を顕
す。義経一行の乗った船を追い、大物浦の海上にて決戦という意気込み。ここの竹本
は、豊竹英大夫。

「大物浦の段」。
この後、歌舞伎なら、「渡海屋の裏手の奥座敷の場」へ替わるが、人形浄瑠璃では、
大道具は、渡海屋の場面のまま。盛装に衣装を改めた幼い安徳天皇、典侍局(すけの
つぼね)が、納戸口の暖簾(海星か栄螺の文様)をかき分け、奥から出て来る。下手
から駆けつけて来た知盛郎党が、劣戦の報の、ご注進となる。ならばと、座敷奥の障
子を開けると、大物浦が遠見で見える。海上には、2艘の船。やがて、船の提灯松明
が一度に消え、知盛らの負けの合図が、伝わって来る。船も、沈没してしまう。障子
を閉めると、もう一人の知盛郎党も、今度は、敗戦という続報の、ご注進。「冥途の
御供仕らん」と言うなり、切腹をし、入水。さあ、極まった、という状況。典侍局
は、安徳天皇を連れて、外に出る。

庭先から船着き場まで、舞台前面に白布が敷き詰められた後、安徳天皇が、庭先に出
て来る。渡海屋の大道具が、半分、上手に引っ張り込まれ、舞台は、居どころ替りと
なる。そして、典侍局とともに、入水しようとすると、義経が、ふたりを助ける。や
がて、重い傷を負った知盛が、戻って来る。上手、渡海屋の中に居る安徳天皇と典侍
局は、義経の保護下にある。下手には、知盛。知盛と義経一行との最後の闘い。この
辺りは、歌舞伎とほぼ同じ。

「知盛入水の段」。
歌舞伎なら、海原を描いた道具幕(浪幕)が、振り被せとなり、舞台替り。幕を振り
落とすと、知盛の最期の見せ場となる大物浦の岩組の場へ転換となる。人形浄瑠璃で
は、大道具が、上手に引き込まれ、下手にあった岩組も、舞台中央に出て来る。

義経が、安徳天皇を守ると知り、典侍局が、自害すると、知盛も、後は、己の命の処
理のみに関わることになる。天皇は、己の守り手を平家から源氏に鞍替えをしてい
る。その場面、歌舞伎の場合では、岩組は、海辺沿いにある。

ところが、人形浄瑠璃では、岩組は、海中にあるという設定になる。絶海の孤島で、
果たして、どうなることかと思いながら私は、観ている。

そこで、私の頭に浮かんで来たのは、絶海の孤島(大岩)という、心理状況の描写に
原作者は、己の思いを込めて、観客にメッセージを発信しているのかもしれないとい
う思いだ。「知盛の孤独」という心象風景が、絶海の孤島というイメージなのかもし
れない。

そう思いながら舞台を観ていると、やがて、下手小幕から、知盛は、船に乗って登場
する。そして、舞台中央で、人形遣の玉女らと共に、岩組に乗り移る。悪天候の余波
が続く荒ぶる海とあって、船は、激しい流れに乗っているようで、無人のまま、上手
に早間で流されて行く。

大碇を担いで、岩組の天辺によじ上った知盛は、大碇を頭上に担ぎ上げる。「さらば
さらば」という絶叫。知盛は、碇の綱を身体に巻き付け、後ろ向きにゆっくりと倒れ
込んで行く。両足を高々と上げ、ゆっくりゆっくり墜落して行く。

歌舞伎では、後ろ向きのまま、知盛役者は、重い大碇に引っ張られて、ガクンと落ち
て行く、「背ギバ」と呼ばれる荒技の演技を示す。人形浄瑠璃では、絶海の大きな岩
組で、大碇を頭上に持ち上げて、両足を高々と上げ、ゆっくりゆっくり墜落して行
く。「ゆっくりゆっくり」は、重い大碇の綱を身体に縛り付けているという、合理性
から判断すれば、おかしかろう。歌舞伎のように、「ガクンと落ちて行く」べきであ
ろうが、なぜか、墜落して行く知盛の姿は、歌舞伎より、人形浄瑠璃の方が、緊迫し
た場面になっているので、逆に、感心した。竹本、「切」の語りは、豊竹咲大夫。

さて、人形遣たちの寸評を掲げておこう。女房おりう、実は、典侍局を操ったのは、
和生。いつもながらの表情で、淡々と、そして丁寧に扱う。娘お安、実は、安徳天皇
を操ったのは、足遣10年を卒業した簑次。勘十郎の息子で、簑助に師事している。
お安とおりうは、役割ゆえに、並んで操ることが多い。淡々と、丁寧に、つまり、安
定的に、きめ細かい人形の操りぶりを和生が、見せるので、どうしても、傍に居る簑
次のお安の操りぶりと比較してしまう。経験の浅い簑次の操り方は、どうしても、ぎ
くしゃくしてしまう。あるポーズから、次のポーズに移って行く、というイメージな
のだ。つまり、和生は、動画の動きで、人形は、きめ細かく所作をして行くが、簑次
は、何枚かの静止画を、紙芝居のように、繋げているという印象なのだ。また、両手
の袖先をあわせる場面では、主遣と左遣の呼吸が合わなければ出来ないが、簑次の場
合は、主遣が操る人形の右手と左遣の操る人形の左手の位置が、ぴたっとして来ない
し、袖のうちになければならない人形の右手の下の人形遣の右手袋が、見えてしまっ
ていた。なにか、簑次だけを俎上に上げたようで、気の毒ではあるが、これは、若手
一般の操りぶりに共通する課題だろう。

まあ、これが、キャリアの差ということであって、簑次が、今後、10年20年の経
験を積んで行くことで、和生や父親の勘十郎、師匠の簑助らの世界へ迫って行くとい
うことだろうと、思う。

渡海屋銀平、実は、中納言知盛を操った玉女は、動きがダイナミックで、見応えが
あった。太めの身体で、岩組によじ上ったときは、ちょっと、大変そうだった。


「道行」では、勘十郎も、早替り


「道行初音旅」あるいは、「吉野山」。
歌舞伎の演出。幕開きの、置き(序奏)浄瑠璃、無人の舞台は、吉野山全山満開の桜
が爛漫と咲き誇り、「花のほかにも、花ばかり」、という感じである。花道から静御
前が、赤姫姿で登場する。赤い鼻緒の草履に、白足袋。やがて、静御前が、初音の鼓
を打ち鳴らすと、花道・スッポンから忠信登場。黒地に源氏車の図案を縫い込んだ衣
装、草鞋に、黒足袋。

義経の御着長(鎧)と義経の顔に見立てた鼓を桜の木の下に置いて、ふたりの舞い。
九州行きに失敗をした義経は、吉野山にいる。静御前と忠信の義経への思い。さら
に、忠信は、源平の闘いで亡くなった兄継信への思い。

「かかるところへ、逸見藤太」で、後に大勢の花四天を引き連れて、登場する藤太
は、赤い陣羽織に黄色い水玉の足袋。静御前と忠信の道行きを邪魔する所作ダテを見
せる。

というのが、歌舞伎の典型的な演出だろう。

今回は、人形浄瑠璃の「道行初音旅」を、私は、初めて、拝見するので、愉しみにし
ていた。忠信、実は、源九郎狐を操るのは、桐竹勘十郎、静御前を操るのは、吉田簑
助という師弟コンビ。いやあ、素晴らしかった。今月の国立の人形浄瑠璃は、この演
目が最高だったと思う。

まず、幕が開くと、舞台は、紅白横縞の幕で全面的に覆われている。「恋と忠義はい
づれが重い、かけて思ひははかりなや。忠と信の武士に君が情けと預けられ、静かに
忍ぶ都をば後に見捨てて旅たちて」で、始まる竹本。

「大和路、さして慕ひ行く」で、柝が入り、紅白の幕が振り落とされて、舞台中央に
は、赤姫姿の静御前。操る簑助は、盛装の、だが、ちょっと派手な裃姿で、出遣い。

下手、小幕の内より、白狐。一人遣いで操るは、勘十郎。白い衣装に狐火の文様。裃
は付けていない。狐の姿は、静御前には、見えていない様子。主人になつく犬のよう
な仕草をする白狐。首長の狐の頭と胴に手を入れて巧みに動物の所作を演じる勘十
郎。耳の動き、目の動きなど。

舞台背景いっぱいの桜の山。やがて、山の前にある桜のブッシュの陰に、狐が飛び込
む。ブッシュの外に出ている尻尾を狐は、いつまでも、振っていると思ったら、時間
稼ぎ。桜のブッシュが、前に倒されると、陰から狐忠信が、黒い衣装に義経の御着長
(鎧)を背負って、飛び出して来る。竹本「谷の鶯な、初音の鼓…きごう、遅ればせ
なる忠信が旅姿。背(せな)に風呂敷をしかと背たら負うて」。

狐から、忠信への早替り。驚いたのは、勘十郎も、裃姿の盛装で、飛び出して来たこ
とだ。歌舞伎では、役者の早替りは、いろいろ観ているが、人形遣まで、早替りをす
るとは、……。

後は、歌舞伎の演出と同じような感じで、所作事の舞台は進む。簑助の操る静御前の
動きは、実に、きめ細かい。顔の表情を含めて、全てが、自然な流れで、流れて行
く。一方、勘十郎が操る忠信の動きは、ダイナミックで、メリハリが利いている。ふ
たりが寄り添うときの手先を入れた袖のあわせ方も、互いにぴたっと決まっている。
こうなるまでに、10年、20年の修行が大事なのだろう。足遣10年、左遣10
年、主遣15年。35年のキャリアを積んだ上で、やっと、自分の持ち味を開拓する
境地に入って行くのだろう。20歳で、この世界に入ったとして、修業終了が55
歳。その先が、本当の境地で、10年、20年と工夫魂胆が続く。

忠信の扇子は、裏表とも、黒地に赤丸。静御前の扇子は、無地の金と銀。扇子が、上
手の簑助から、下手の勘十郎に投げられる。安定した飛行で、扇子が飛び、受け止め
られる。柔らかい所作のなかで、ダイナミックな動きが、違和感なく、紛れ込んでい
る。

贅言;歌舞伎の、「かかるところへ、逸見藤太」は、人形浄瑠璃では、場面がなかっ
た。本来、通し上演では、藤太は、序の切の伏見鳥居前で、殺されるから、この段階
で出てくるのは、おかしい筈だが、「知盛」「いがみの権太」「忠信」と実質的に3
部制の長い狂言が、一挙に上演されることはないので、藤太さんは、時に、名前を変
えながらも、いまでは、両方に出て来て、場内を笑わせている。
- 2011年2月18日(金) 11:28:47
11年02月国立劇場 (人形浄瑠璃・第2部「菅原伝授手習鑑」)


父親の情愛:白太夫が見通していたもの


第2部の「菅原伝授手習鑑」は、「道行詞甘替」「吉田社頭車曳の段」「茶筅酒の
段」「喧嘩の段」「桜丸切腹の段」という構成で、つまり、「桜丸物語」である。

さて、「加茂の堤の段」では、天皇の弟・斎世親王と菅丞相の養女・苅屋姫の逢引の
手引きをして、菅丞相左遷の口実を政敵・藤原時平に与えるきっかけを作ってしまっ
た桜丸と八重の夫妻。桜丸は、斎世親王と菅丞相の息女・苅屋姫の逃走を手助けする
場面が、「道行詞甘替(みちゆきことばのあまいかい)」である。歌舞伎では、あま
り演じられない。私は、観たことがない。今回は、初見なので、愉しみにしていた。

「道行詞甘替」。浅黄幕が、振り落とされると、野遠見を背景とした街道。上手に白
梅。下手に紅梅。舞台中央に飴屋。「サアサア子供衆、買うたり買うたり。飴の鳥ぢ
や飴の鳥。……。桜飴を買はつしやい、桜飴。桜飴。」飴屋に扮しているのは、桜
丸。両天秤の道具を担いでいる。荷箱には、「さくらあめ」と書いてある。実は、ふ
たつの荷箱の中には、斎世親王と苅屋姫が匿われているという想定。苅屋姫の実母を
頼り、土師の里へ向かう。人目の多い「町を過ぐればここぞよし」で、岩清水で、ふ
たりを窮屈な箱の中から出して差し上げる。

そこは、道行。「枕取る手に寝て解く帯の、いかいお世話いかい」という官能的な文
句もちりばめながら、竹本は、呂勢大夫5人が、語り分ける。飴を買いに寄った里の
女房と娘の会話から、菅丞相が九州へ配流されると知り、菅丞相の居る安井の浜へ向
かうことになる。

「吉田社頭車曳の段」は、歌舞伎でもお馴染み。私は、人形浄瑠璃で、この場面を観
るのは、初めて。歌舞伎では、時平は、「公家悪」という、超能力者に扮するため
に、青黛(せいたい)という青い染料を使って「公家荒(あれ)」という隈取りをす
る。人形は、隈取りはしない。時平の「首(かしら)」は、「口あき文七」を使う。
そう言えば、隈取りをしない時平を、歌舞伎でも観たことがある。10年1月の歌舞
伎座。金冠白衣の衣装に、王子という長髪の鬘をつけた富十郎が、隈取りをせずに、
大きく口を空けて、舌を出し、梅王丸と桜丸を威嚇することもせず、藝としての肚や
品格で、超能力者ぶりを観客に伝えた舞台。富十郎は、五代目幸四郎や初代吉右衛門
の化粧の写真を見て、隈取り無しで藤原時平を演じたという。その富十郎も、今年1
月、亡くなってしまった。

もうひとつだけ、梅王丸、桜丸の兄弟をあざ笑う時平の笑いは、竹本の床本では、
「ハレ命冥加なうづ虫めら、ムムハハ、ムムハハ、ハハハハ」とあるだけだが、舞台
では、長々と、さまざまな色合いの笑い声を立てる。それ故に、別に、「時平の七笑
い」という演目も生まれた。

「茶筅酒の段」「喧嘩の段」「桜丸切腹の段」。これらは、歌舞伎では、「賀の
祝」、あるいは、「佐太村」というタイトルで演じられる。情の大夫、住大夫の語り
は、七十歳(古稀)の祝いとして、菅丞相から賜った白太夫と改名した三つ子(梅王
丸、松王丸、桜丸)の父親の情愛をたっぷりと描く。今回は、「父親の情愛:白太夫
が見通していたもの」というテーマで、劇評をまとめてみたい。

「茶筅酒の段」「喧嘩の段」は、いわば、「笑劇」仕立て。つまり、クライマックス
の「桜丸切腹の段」をもり立てるための伏線。ウオッチングで気がついたことのみ、
書き留める。「茶筅酒の段」の竹本では、四郎九郎(「シロ・クロ」から白太夫への
改名を引っ掛けて、「白黒まんだらかいは、掃き溜めへほつて退け」という文句が出
て来る。百姓・十作が、鍬を足で蹴飛ばして肩に担ぎ上げる仕草の農民振りが客席を
笑わせる。「茶筅酒」というのは、なにか。今では、馴染みがないが、古稀の祝いに
内祝いとして餅を配った際、祝い事なので、餅の上に酒をふりかける。「茶筅」、つ
まり、茶さじのようなもの。酒を振りかけるにしても、塩なら、ひとつまみ。料理な
ら、小さじ一杯という感じ。酒好きの十作では、もの足りない。だから、十作は、
「それはめでたい」と言いながら、「名酒呑まねば」四郎九郎から白太夫とは呼べな
いと言う。そこで、白太夫は、餅の上に「茶筅」の先で「酒塩打ってやった」のに、
「まだ呑み足らぬか」と茶化す。十作も、負けていない、「それで聞こえた(道理
で)。嬶が酒臭い餅ぢやと云うた」と、逆に、茶化す。作者は、悲劇の時間の到来を
遅らせたがっているように、「茶筅酒の段」では、茶化しあい、出来れば、お茶にし
て、悲劇のをないものにしたい、というようなメッセージが、私には伝わって来る。

歌舞伎とは違って、三つ子の嫁たちの衣装が、みな、鶸(ひわ)色だったが、裾模様
の絵柄が、梅、松、桜とそれぞれの連れ合いに合わせていた。桜丸女房・八重のみ、
眉が描かれた「娘」の首(かしら)に、赤い襦袢に朱色模様の帯。ほかのふたりは、
眉を剃った「老女形」に黒い帯。

「喧嘩の段」。喧嘩の場面は、歌舞伎が、子供みたいな取っ組み合いの場面になって
いるのと比べて、まさに、大人の喧嘩、菅丞相対藤原時平の政争の、召人同士の代理
戦であった。その挙句、梅、松、桜と植えてある庭木のうち、歌舞伎なら、桜の小枝
を折ってしまう場面で、人形浄瑠璃では、桜の立ち木そのものを折り倒してしまう。
「土際四五寸残る」と竹本にもある。また、歌舞伎では、荒事の演出らしく、ふたり
が、稚児っぽく、「おいらは知らぬ」と言い合うが、人形浄瑠璃には、そういう科白
は、ない。「入れ事」としての歌舞伎の洒落っ気だろうが、竹本では、語りにくい科
白であることは、確かだ。人形浄瑠璃では、歌舞伎ほど、積極的に笑いを誘おうとは
していないが、笑いを誘う喧嘩場であることには、まちがいない。
 
「桜丸切腹の段」では、八重が、待っても、待っても、姿を見せなかった桜丸は、既
に、早々と来ていて、白太夫とは、いろいろ話し合っていたようだが、八重には、お
くびにも出さないで、「刀片手に、につこと笑ひ、納戸口から、黒い衣装で静かに登
場。死を覚悟している。陰に籠った役で難しい。奥から座敷きへの登場の瞬間が大事
だ。大筋は、歌舞伎と同じ演出。

「賀の祝」全体を通じて、三つ子の子供たちに対して、私に伝わって来た白太夫の
メッセージは、「父親の情愛」として、以下の、3つのことが認められた。

1)	申し出拒否:梅王丸夫婦は、八重(桜丸夫人)の面倒を見よ。
梅王丸と松王丸が、父親にまず、「書き付け」を渡す。白太夫は、2通の書き付けを
読んだ上で、梅王丸に返事をする。梅王丸の書き付けには、地方へ左遷される菅丞相
の身の回りの世話をするために、暇(親の許し)を戴きたいと書いてある。「恩を知
らねば人面獣心」と言いながら、白太夫は、これを拒否する。
そんなことは、ワシでも出来る。そなたは、菅一家のためになすべきことがあるだろ
うと諭すが、実は、白太夫は、別のことを梅王丸にやらせようと考えていた。それ
は、後の場面で、明らかになるが、ここは、舞台転換を大事にする芝居の舞台ではな
いので、お知らせすると、切腹する桜丸の後に残されるいちばん若い嫁の八重の面倒
を長男である梅王丸夫妻に見よというメッセージが隠されている。封建時代の価値観
で作られている芝居ゆえ、長男なんだから、目先の主人の面倒ばかりでなく、白太夫
一族の全体への目配りもせよということだろう。

2)	申し出許諾:松王丸は、主人の藤原時平を裏切り、桜丸の仇を取れ。勘当
の申し出は、松王丸の親兄弟への配慮。
次に、書き付けで申し出たのは、次男の松王丸。書き付けの内容は、「勘当を受けた
い」というもの。「神武天皇様以来(このかた)、珍しい願ひぢやな」と茶化して、
聞き届ける。松王丸が、「親子兄弟の縁を切る」ということは、? 行動を起こした
後の、親兄弟への波及を防ぐ。そういうことは、白太夫は、承知の助。「主人(時
平)への忠義」とカムフラージュする松王丸をよそに、そういう忠義は「蟹忠義」。
「横に取つて行く道」だと、貶める。「人外め」と、けなし、竹箒で追い払うが、親
の本心は、息子の「主人への謀叛」(それは、「寺子屋の段」で、実子・小太郎の命
を犠牲にして、菅丞相の嫡男・秀才の命を助ける大芝居を松王丸が打つ)という所存
があることを、既に見抜いているから、出て来る科白であり、親子の「言外の会話」
だあと思う。

3)	桜丸の自害は、阻止できない以上、きちんとやらせるのが、父親の情。不
機嫌ゆえの上機嫌という異常心理。
竹本の文句も、大夫によって、大きく変わる訳ではないが、桜丸の覚悟の自害を食い
止めたいという白太夫の気持ちを肚に込める大夫もいれば、住大夫のように、やむを
得ない自己責任なら、桜丸にきちんと取らせるために、粛々と手順を踏ませようとす
る父親像を描こうとする大夫も居る。

それは、次のようなやり取りで、良く判るだろう。
「訳を聞かして、聞かして」と、気が違ったように、桜丸に詰め寄る八重。それを無
視して、竹本:暫くあつて白太夫、はみだし鍔の小脇差、三方に乗せしを乗せしを
と、出づるも老いの足弱車、舎人桜が前に置き「用意よくば、疾(と)く疾(と)
く」と

で、白太夫と桜丸は、自害の手順を調整済みということが、窺える。
死の覚悟をしている息子。最早、ほかに進むべき道はなしとして、粛々と、段取り良
く、息子を死なせようとする父親。ふたりの「狂気」を覚醒させようと、気が違った
ように騒ぎ立てる八重のみ、正気。「コリヤ何ぢや親父様、桜丸殿どうぞいなう。何
で死ぬのぢや腹切るのぢや」。竹本:(八重の)悶え焦がるる有様は、物狂はしき風
情なり。

賀の祝の朝、いつもより早く起きた父親が門の戸を開ければ、桜丸が、既に佇んでい
た。事の次第、死の覚悟を語る桜丸。委細承知となった父親は、自分が合図をするま
で、「納戸の内に隠れてゐい」と、後は、芝居で見せた通りの段取り。

そう言えば、白太夫は、妙に機嫌が良かった。「茶筅酒の段」でも、十作が、去った
後、「ハハハハ」「ホホホホ」「ハハハハ」「ホホホホ」と、船で早々と戸着下八重
とは、「嫁と舅の睦まじさ」。嫁3人が、揃った後も、上機嫌だった義父。今から考
えれば、桜丸の悲劇を控えて、異常に気が高ぶる心理状態が招来させた不機嫌変じた
上機嫌であったか。氏神様にすがった扇の占い。喧嘩場の桜木の根元からの倒壊も、
神のお告げ。老いた父親は、そう理解し、そう悟った。

そう、全てを見通していた白太夫の孤独が、この芝居では、描かれている。切なく、
悲しい芝居。住大夫の語り。白太夫は、勘十郎が操り、桜丸は、師匠の巳之助が操
る。一人、正気で、夫の自害阻止の熱き思いを全身でぶつける八重を操るのが、清十
郎。世代を跨いで、人形遣の巧者が、競演する場面は、秀逸だった。
- 2011年2月14日(月) 7:10:43
11年02月国立劇場 (人形浄瑠璃・第1部「芦屋道満大内鑑」「嫗山姥」)


第1部ということで、開演時間の15分前から、浅黄幕を目に、2人遣い(主遣と足
遣。主遣が、人形の左手も遣う。つまり、主遣は、首を遣うが、操らない)で、「三
番叟」上演。


母親の情愛(人形の早替わり:葛の葉→狐の化身→白狐)


歌舞伎では、何回も観ているが、人形浄瑠璃では、初めて観る「芦屋道満大内鑑」
は、「葛の葉子別れの段」、「蘭菊の乱れ」という構成。今回は、歌舞伎と人形浄瑠
璃の演出の違いを軸に書いてみたい。

この狂言は、竹田出雲らの原作で、全五段の時代物。芦屋道満と安倍保名の対立が主
軸で、外題に、「芦屋道満」とあるが、芦屋道満は、この芝居の主人公・安倍清明に
とっては、父・保名の仇。「葛の葉子別れの段」、「蘭菊の乱れ」では、芦屋道満
は、登場しない。長じて陰陽師として著名な安倍清明になる童子丸(このとき、5
歳)の出生の秘密(異類婚姻譚)がメイン。安倍清明は、天文道を学びながら、出世
して行き、最後は、芦屋道満を倒して、父の仇を取り、天文博士になる。

四段目口の「葛の葉子別れの段」では、前半が、通称「機屋」、後半が、通称「子別
れ」。機屋と座敷のある安倍邸の下手、背景の遠見に、三重塔が見えるが、阿倍野の
住吉天王寺とは、竹本の文句。「隣柿の木を、十六七かと思うて覗きやしをらしや、
色づいた」16、7の所処女を思わせる色っぽい文句ではないか。

歌舞伎では、「機屋」で、狐の化身の「女房」・葛の葉と保名が亡くした許嫁の「榊
の前」(道満、保名の対立に巻き込まれ、自害、保名は、許婚を亡くしたショック
で、狂ってしまう。「保名」という所作事は、この狂気をテーマにした演目)の妹
で、本来の恋人・葛の葉姫とのふた役早替りの妙が、見どころ。

贅言:このとき、歌舞伎では、両親とともに、訪ねて来た葛の葉姫らが、舞台下手の
物置に隠れる場面があるが、早替わりの必要のない人形浄瑠璃でも、同じ場面があっ
た。歌舞伎の場合、早替わりのための「入れ事かなと思っていたのに、推測はずれを
知った次第。

人形浄瑠璃では、葛の葉は、「老女方」の首、葛の葉姫は、「娘」の首で、まったく
の別の物で、ともに、「葛の葉」ということだが、特別の趣向はない。

今回、葛の葉は、人間国宝の吉田文雀が操る予定だったが、病気休演で、弟子の吉田
和生が、代役を勤めた。和生が遣う予定だった安倍保名は、玉女が、操った。

「子別れ」では、正体を現し、去って行く白狐が、家の裏手の障子に別れの文句(短
歌「恋しくば訪ね来てみよ・・・」)を書き連ねて行く。歌舞伎では、最大の見せ場
で、「曲書き」という手法で、下から上に向かって文字を書いたり、「信太の森のう
らみ葛の葉」のうち、「信太の森の」の部分を裏文字(文字が裏返っている)で書い
たり、右手を幼子と繋ぎ、左手で書いたり、幼子を両手で抱きしめて、筆を口に銜え
て書いたりする上、書いてゆく文字の巧さが見せ所となるので、人形浄瑠璃では、こ
の場面をどう演じるのかが、私の興味の対象であったが、そういう場面はなく、座敷
奥のふすまを開けると、その向うに3枚の障子があり、裏文字も含めて、すでに書か
れてあった。

その代わり、別な演出で、人形浄瑠璃のおもしろさを堪能した。狐の化身葛の葉は、
6年前に、狐狩りで追いつめられた際、保名に助けられる。それに恩義を感じて、葛
の葉姫に化けて、保名と夫婦になり、5年前、男の子を出産した。安倍童子と名付け
られた男児は、現在5歳。やんちゃな盛りで、虫を足でつぶしたりして遊んでいる。
母親の葛の葉は、生き物への愛情を持つようにと幼児をしつける。「機屋」の場面で
の、機織りまでは、幼児のことを気にかけている普通の母親。ところが、本物の葛の
葉姫とその両親信太庄治司夫妻が、6年間も音信不通だった保名を探し当て、訪ねて
来たことで、偽の葛の葉のことが、発覚してしまう。保名は、本物の葛の葉姫と結婚
をし、子までなしたと思っているので、本物の葛の葉を見ても、「衣服(葛の葉姫
は、赤姫の扮装)を着せ替へ今連れて来たやうに見せ、この保名を困らせてお笑ひな
されうためか。女房も女房、今初めて来たやうに所体をつくつて何ぢや」と、いう始
末。

しかし、やがて、化身の正体が顕われる場面が来る。童子の母親は、「われは誠は人
間ならず」と言わざるをえなくなる。「蘭菊の千年近き狐ぞや」で、人形の早替わり
となる。衣装の引き抜きで、首は、女房・葛の葉のまま、白無垢の「毛縫い」という
衣装に早替りすることで、狐の本性を顕す。狐の化身は、「夫の大事さ大切さ(略)
畜生三界は人間よりは百倍ぞや」と、人間界を批判するが、保名らに童子を託し、消
えて行く。葛の葉の人形が、舞台の舟底へ、倒されて、人形の中からという印象で、
和生の手で、一人遣いで操られる白狐が、飛び出して来る。白狐は、やがて、和夫と
ともに、下手、小幕の中に姿を消す。竹本:「抱きし童子をはたと捨て形は消えて失
せにける」。この場面の変転が、ダイナミックで、テンポが良い。歌舞伎では、見ら
れない演出。

安倍童子にしてみれば、母親が突然いなくなった。顔はそっくりながら、剃っていな
い眉を持つ、若い女性・葛の葉姫が、「私が、ママよ」とばかりに、「コレ坊ンち今
からこの母が身に替へていとしがる」と抱いても、童子は、「乳を探して」、「イヤ
イヤこの母様はそでない」と拒絶する。安倍童子にとって、情愛深い母と狐の超能力
のバランスの妙を5年間の生活の中で、体得しているから、若くて、むっちりした乳
房なぞ、関心ない。夫の保名も、「狐を妻に持つたりと笑ふ人は笑ひもせよ」と嘯
く。「葛の葉。童子が母よ女房よ」。童子「母様どこへ行かしやつた。母様なう」と
は、メール用語のように、「ナウ」い。

竹本の「切」は、嶋大夫が、独特の、ねちっこい口調で、言葉が繋がりつながりしな
がら、好演。「切」で、嶋大夫が、「ついたる折から」と語り出すまで、人形遣は、
静止している。前半の語り、「中」担当の三輪大夫は、「溜め息」の「き」を長々と
引っ張って、「盆廻し」にて、嶋大夫と交代した。

「蘭菊の乱れ」は、道行。浅黄幕が、振り落とされると、後ろ髪を引かれる思いで、
和泉なる信太の森へ向かう狐葛の葉。母親らしい黄土色の衣装。だが、黒い塗り笠の
下の顔には、狐口がある。母親から千年狐に戻りつつある狐葛の葉。犬の声や猟師の
気配に戦きながら、童子への思いに負け、阿倍野の芦垣の、6年間も、家族で暮した
家のある方角へ振り返れば、母の情愛が体内より溢れ出て、前を向いた狐葛の葉は、
女房葛の葉の顔つきに戻ってしまう。「今は悔やまなじ嘆かじと、言えど乱るる蘭菊
を分けつつ行けば」で、この文句が、外題になる。山々の遠見。狐火のような灯り
は、「るり灯」という。信太の森に近づけば、女房の葛の葉の衣装は、さらに、白地
に狐火へ。黒塗りの笠が、飛ばされ、廻され、……。

竹本は、豊竹呂勢大夫ら、5人。三味線も、鶴澤清治ら5人。華麗な舞台。

歌舞伎なら、雀右衛門、藤十郎、魁春、福助ら、私が観た女形たちは、母親の情愛を
如何に滲ませるかに腐心する演目。


女形のおしゃべりが見どころの「嫗山姥(こもちやまんば)」


父親を殺された坂田時行と妹・糸萩の仇討話が主筋(武士の論理)だが、荒唐無稽
で、くだらない歌舞伎・人形浄瑠璃ゆえ、副筋(町人の論理)で、女形の「おしゃべ
り」という趣向で、狂言作者は、勝負をしようとする。芸能者のまさに、鑑ではない
か。

この演目の特徴は、人形浄瑠璃でも、そうだけれど、歌舞伎なら、普段は、口数の少
ない女形が「しゃべり」の演技を見せるという近松門左衛門作には、珍しい味わいの
ある笑劇(ちゃり)である。歌舞伎では「大納言兼冬館の場面」だが、人形浄瑠璃で
は、「廓噺の段」、さらに、通称「しゃべり」という。

歌舞伎では、大納言兼冬館の塀外の場面。やがて、花道から、黒と紫の「文反古(ふ
みほご)」をはぎ合わせた着付け(紙子)姿の、恋文屋(一筆で、叶わぬ恋も叶わせ
ましょう)・八重桐が登場するが、人形浄瑠璃では、大道具は、最初から、塀内の館
の一室。荻野屋の傾城出身の八重桐は、下手小幕から直接、登場。八重垣は、結婚が
延期されて鬱々とした日々を送っている大納言兼冬の息女・潟澤姫に憂さ晴らしをと
請われて、自分の身の上話をする羽目になるのだが、廓育ちの傾城だけに、身の上話
は、廓話になってしまう。それでも、頭脳明晰な八重垣は、すでに屋敷を訪れている
夫で、煙草売りの煙草屋源七に身をやつしている坂田蔵人時行(「首」は、源七。八
重垣が、大納言兼冬館の塀外で聞きつけた三味線の小唄は、夫婦の秘密だったから、
時行の仕業だと八重垣には、すぐ判った)に当てこすり、きちんと、身の上話(夫婦
喧嘩話)を当事者には、判るように、織り込んで語る。

やがて、八重垣と時行のふたりきりになり、父親の仇は、妹が既に討ったとか、妻・
八重垣の恨みつらみの話を聞かされ、自害する時行。時行の魂は、八重垣に食いとら
れ(つまり、セックス。その結果としての受胎を象徴する場面がある)、後の、坂田
金時(幼名は、怪童丸)を生むことになるが、この場面では、出産せず、早々と、神
通力を得た己が、山姥という怪力女に変身として大活躍する。つまり、八重垣は、怪
力少年・怪童丸(お伽噺の金太郎でもある)を産み落とすことになる。金太郎の母に
なる人の、「金太郎伝説」を先取りするような芝居。

人形浄瑠璃では、八重垣の「首」は、木基本は、娘で、山姥に変した時(2回ある)
には、「角なしのカブ」に替わる。現代のドラマ風にいえば、女誑しの夫としっかり
妻の物語。夫も、夫婦喧嘩の果てに自害し、息子の身体を借りて、甦るという物語で
もあるだろう。

時行は、玉女が操り、八重垣は、ベテランの紋壽が、操るが、この演目は、基本的に
八重垣の物語で、特に、女形の「しゃべり」は、独壇場で、八重垣の仕方話を描く紋
壽の丁寧な人形の遣いぶりが、印象的だった。竹本の「切」は、重厚な綱大夫。綱大
夫は、4月の大阪文楽劇場で、九代目源大夫を襲名するので、綱大夫としての東京で
の舞台は、今月が最後となる。5月の国立劇場(小劇場)でも、襲名披露をする。
- 2011年2月13日(日) 21:00:44
11年02月テアトル歌舞伎 (第2部/「女殺油地獄」)


「女殺油地獄」:4つの舞台・比較と分析


「女殺油地獄」は、私は、4回観ているが、今回は、趣向を変えて、第1部同様に、
「比較と分析」という手法で、劇評を書こうと思う。「比較と分析」すべき対象は、
いろいろあるだろうが、そのうち、与兵衛・お吉のコンビを軸にして、私がこれまで
に観た舞台を思い出せば、「4つの配役のパターン」に収斂されるように思う。主役
の与兵衛は、仁左衛門で2回、染五郎で2回である。

1)98年9月・歌舞伎座で観たのが、珠玉のごとき、与兵衛:仁左衛門・お
  吉:雀右衛門。
2)09年6月・歌舞伎座で、仁左衛門「一世一代」見納めとなった与兵
  衛がみごとだった。仁左衛門・与兵衛の最後の相手役・お吉には、息
  子の孝太郎を選んだ。孝太郎も、この時点で、お吉を演じて、年になる。
3)01年9月・歌舞伎座の、与兵衛:染五郎・お吉:孝太郎。
4)11年2月・ル テアトル銀座の、つまり、今回の、与兵衛:染五郎・
  お吉:亀治郎。今回、染五郎は、この時以来、10年振りで、3回目
  の与兵衛役に取り組む。亀治郎のお吉は、2回目。お吉役は、秀太郎に指
  導を受けたという。この演目で、染五郎・亀治郎の共演は、初めて。

若い頃から、体当たりで、与兵衛を演じ続けた仁左衛門は、自分が熟成すると共に、
相手役のお吉に雀右衛門という名女形を迎えて、コンビをも熟成させた。与兵衛初演
から、年後の、おととし、「一世一代」ということで、このときの舞台を最後に、自
分の与兵衛を封じ込めて、後は、次の世代の立役に与兵衛を手渡した。あわせて、相
手役のお吉も、息子の孝太郎に継がせた。その孝太郎とコンビを組むことで、仁左衛
門の与兵衛の息づかいを継承したのが、染五郎で、10年後の今回は、染五郎は、相
手役のお吉に亀治郎を選び、伝承の輪を、さらに、拡げようとしている。今回の上演
は、そういう流れの中で、行われているということを見逃してはならないだろう。

「女殺油地獄」という芝居は、現代風にいえば、父親が亡くなり、従業員から社長に
なった義父に不満を持つ次男の転落記。長男は、分家して、よそで店を構えている。
仁左衛門が演じる与兵衛には、屈託がある。不良仲間との付き合い。家庭内暴力。唯
一、自分を理解してくれる近所の優しい姉さんへの無心。それが断られると、衝動的
に、殺人をし、金を奪って逃げるという犯罪者になる。その挙げ句、何食わぬ顔をし
て、姉さんの法事に顔を出して、姉さんの連れ合いに見破られて捕まってしまうとい
う、無軌道な青年の物語で、そこから浮き上がってくるのは、最近も、あちこちでお
きている若い犯罪者の人間像に極めて似ている、つまり、何処にでも居る現代的な青
年像である。

「女殺油地獄」は、江戸時代に実際に起きた事件をモデルに仕組んだと言われる。江
戸の人形浄瑠璃から明治の末年になって、歌舞伎化されたという、いわば、埋もれて
いた演目。

浄瑠璃は、1721(享保6)年、初演の近松門左衛門原作の作品。史実かどうか
は、確証がないらしい。近松お得意の「心中もの」ではなく、ただただ無軌道な、放
蕩無頼な、23歳の青年が、暴走の果てに、近所の、商売仲間の、姉のように優しく
気遣ってくれる、年上の、若い人妻(27歳)に対して、甘えて、親から貰った金を
懐に入れたばかりというのに、ねだった借金を断られたからということで、拗ねて、
相手を殺してしまうという惨劇。それだけに、「心中もの」のような、色香もなかっ
たので、初演時は、大衆受けがせず、1721(享保6)年、旧暦の7月、人形浄瑠
璃の竹本座で、たった1回限り公演されただけで、その後、上演されなかったし、歌
舞伎としても、上演されなかったという。思うに、時空を超えた、近代性の強い劇
だったゆえ、いわば、「早く来すぎた青年像」だったのだろう。

復活狂言として、歌舞伎化されたのは、明治40(1907)年で、東京の地芝居
(小芝居)で上演された。その後、明治42(1909)年、渡辺霞亭の台本で、大
阪の朝日座で上演された。坪内逍遥の再評価が、きっかけという。戦後は、勘三郎、
寿海、延若らが、主人公を演じたが、この演目の上演継続を決定づけたのは、この不
遇な演目の魅力を嗅ぎ付けた20歳の青年役者・片岡孝夫であった。1964(昭和
39)年に、大阪朝日座で上演されて以来のことだった。孝夫時代には、9回演じて
いる。孝夫は、仁左衛門になってからも演じ続け、都合12回(海老蔵の代演の1回
も含む)も与兵衛を演じたことになる。私は、孝夫時代の仁左衛門の舞台は、観てい
ない。観ているのは、仁左衛門時代の舞台だけだ。

4つの舞台短評。
1)98年9月・歌舞伎座で仁左衛門(与兵衛)、雀右衛門(お吉)という重厚なコ
ンビで拝見した「女殺油地獄」。この舞台は、とても良かった。上方の味が染み込ん
でいる仁左衛門の演技。女房役や母親役の演技に定評のある雀右衛門の若い女房。こ
の演目の当代では、最高の配役であったと思う。それだけに、「女殺油地獄」の
「仁・雀」コンビの舞台は、すでに、「完成」していただけに、いつまでも、語り継
がれるだろう。

2)09年6月・歌舞伎座は、仁左衛門が、「一世一代」で与兵衛を演じた、見納め
になる舞台だった。高齢で雀右衛門も、舞台に立てなくなり、このとき、仁左衛門
は、与兵衛には、「藝の若さ」だけでは、十分に演じきれない、「生の若さ」が必要
だということで、演じ納めにするといった。20歳のとき、初役で演じた与兵衛。以
来、様々な年齢で、工夫を重ねながら演じて来ただけに、「生の若さ・藝の若さ」の
対比という仁左衛門の問題意識には、説得力がある。様々な年齢で演じ直すたびに、
発見があったという。

3)「生の若さ」で、与兵衛役にチャレンジし始めたのは、染五郎である。私は、0
1年9月・歌舞伎座で、若い染五郎(与兵衛)、孝太郎(お吉)という花形コンビの
舞台を観ている。歌舞伎座の筋書きの上演記録を見ると、与兵衛を演じたのは、染五
郎の後に、愛之助、亀鶴、獅童、海老蔵(大阪松竹座の海老蔵休演で、仁左衛門代演
の場面もあったが)という顔ぶれだから、まさに、与兵衛を演じる舞台は、すでに、
次の世代へ廻っているといえるだろう。染五郎は、今回は、亀治郎を相手役に選んで
のチャレンジである。

4)染五郎・与兵衛の演技を分析する場合、やはり、「比較」をするのは、仁左衛門
にならざるをえないだろう。

仁左衛門の「一世一代」の与兵衛は、「生の若さ」に負けないように、「藝の若さ」
を発揮して、11年前の舞台が、決して、「完成」していたわけではないということ
を改めて示すとともに、また、いちだんと味わいのある演技を見せてくれた。「演じ
納め」に掛ける仁左衛門の意気込みが伝わって来る充実の与兵衛であった。関西で言
う「ぴんとこな」の青年像。屈託、甘え、拗ね、頼りなさ、不安定さ、不思慮、危う
さ、狂気などの果てに、発作的に、攻撃的な犯罪に走る、現代の犯罪青年にも通じる
ようなリアリティを感じさせる青年像を作り上げてくれた。

これに対して、染五郎は、私が初めて観た、2001年9月の歌舞伎座の舞台では、
発作的に犯罪に走る、現代の犯罪青年にも通じるようなリアリティを感じさせる青年
像を作り上げた。28歳の染五郎。明るさ、頼りなさ、不安定さ、虚勢の持つ不思
慮、危うさ、甘ったれ、甘さ、そういう言葉で表現される、強がる癖に、脆弱な青年
像を染五郎は、多分、演技というよりも、彼自身の持ち味が幸いする形で与兵衛とい
う人物に投影できたのではないか。あれから、10年。38歳になった染五郎。染五
郎は、今回も積み上げて来た己の与兵衛像を積み上げ、踏襲してきているが、今回
は、少し、虚勢を張ったやんちゃな青年というより、所作が、逆に、餓鬼っぽく演じ
すぎなかっただろうか。

もうひとつ、例えば、若い役者なら、演技というよりも、年齢や持ち味で、出せるよ
うなエネルギーも、仁左衛門の場合は、藝の力を通じて、与兵衛に投影しているよう
に見受けられた。それには、多分、不良青年に慕われる若い人妻・お吉を演じた孝太
郎が、父子の年齢と自分の年齢を逆転させて、年上の優しい、けれど、分別のある大
人の女を過不足なく演じていたということを、合わせ鏡のようにして見逃さないよう
にしなければならないだろう。今回は、38歳の染五郎と35歳の亀治郎のコンビで
あるから、66歳の仁左衛門と43歳の孝太郎のコンビの時のような、そういう「親
子の逆転」の妙はなく、「兄弟の逆転」程度か。その結果、染五郎と孝太郎のコンビ
路線の延長線上にあるのは、「逆転」ではなく、むしろ、生の年齢という「展開」だ
ろうと思った。

人が良く、世話好きで、姉が弟のような青年のことを心配するという気持ちが、年上
の女の魅力となって、青年には、感じ取られる。近松原作のお吉は、豊満なイメー
ジ。不出来な弟をかわいがる姉、それでいて、豊満な肉体を持つ孝太郎のお吉像は、
好演だった。甘えられる相手ゆえに、この人なら、「欲望を聞いてもらえる」、い
や、「殺さしてさえ、もらえる」という与兵衛の歪んだ心情。そういう殺す者と殺さ
れる者の齟齬が、悲劇を生む。そういう感じを孝太郎は、巧みに演じた。孝太郎は、
このとき、01年6月、博多座以来、8年間で、5回目の上演であり、数を積み重ね
てきてきて、私が最初に観たお吉(孝太郎としては、2回目の出演だった)から、大
きく成長していた。


不協和音:二つの科白「不義になって、貸して下され」、「死にとうない」


三幕目・第一場「豊嶋(てしま)屋油店の場」が、ハイライト。大人社会の常識通
り、お吉は、青年に対する善意ゆえに、「不義になって、(金を)貸してくだされ」
と甘えたことを言う青年与兵衛の衝動を拒否して、甘えさせた、未熟な青年の怖さを
知った途端、殺されてしまう。「殺そう」と、逃げる姉さんを追いかけているうち
に、青年与兵衛の頭の中で、ゲームのように、殺すという行為自体が、目的化して行
く。殺しを楽しむ無軌道青年。最近も、途絶えることなく発生する、狂気にたぶらか
されて、現代の若者たちが、共同幻想の果てに作り上げる、「理由なき犯罪」という
自分たちだけの世界に通じるものが、ここにはある。というのは、与兵衛は、犯行に
走るきっかけとなる借金を断られる前に、実は、与兵衛に渡して欲しいと両親が、そ
れぞれ、別々に、お吉に預けていた金(金額は、判らないが)を受け取っている。そ
れも、両親が別々にお吉に金を預けに来た様を物陰から見ていて、両親が去った後、
お吉のところへ訪ねて来たとき、両親の金を渡され、両親のためにも、真人間になる
とお吉に誓っていたからだ。誓いを信用されなかったから、優しい姉さんを殺してし
まうのか。日常の感情から逸脱した、激情が急に迸ってしまい、制禦不能になってし
まったのか。「不義になって、(金を)貸してくだされ」という科白の真意は、「金
ではなく」、「不義(密通)」、「不義になって、(身体を)貸してくだされ」、つ
まり、若い年上の人妻への、制禦なき欲情の果てなのだろうか。「現代青年」与兵衛
への解釈は、時空を超えて永久に刷新される装置に繋がっているような気がする。

お吉の方は、善意が、結果として、世間の眼が期待する方向(年上の若妻と青年の不
倫という瓦版的興味)に、そういう「隙」(不倫への誘い)を与兵衛に感じさせると
いうことに気が付かない。多分、なぜ殺されるのか、よく判らないまま、殺されたの
ではないか。

亀治郎のお吉は、大声で、「死にとうない」と絶叫し、逆海老の姿勢のまま、息絶え
てしまう。身体が締まっている亀治郎の「女体」は、孝太郎の豊満さとは、違う。こ
の逆海老は、お吉の「生の若さ」を強調する亀治郎の演技だった。「死にとうない」
というお吉の科白に、「なぜ殺されるのか、よく判らない」という思いが、込められ
ていたのかどうか。孝太郎は、与兵衛のような未熟な、甘ったれの青年に慕われる年
上の、気の強い、若い人妻・お吉の危うさを滲み出させることに成功していたが、亀
治郎のお吉は、この場面以外は、気が強い、若い女というだけの印象で、総じて、味
わいが少なく、さらに、肉体的にも、若い、豊満な肉体を持った人妻としての存在感
が薄いように感じた。気は強いが、人が良く、世話好きで、姉が弟のような青年のこ
とを心配するという気持ちも、弱かったのではないか。お吉を演じる孝太郎と亀治郎
では、まだ、孝太郎に軍配が上がるが、課題が多いだけに、化けると、大化けする予
感もある。いずれ、脱皮した亀治郎のお吉を期待したい。


何にも増して、「空間」が、必要な舞台


ところで、第1部の劇評でも、若干触れたが、本舞台が狭かったことが、「女殺油地
獄」の芝居としての空間を狭めてしまったのではないか、と言う危惧である。もう一
度、言おう。今回の上演の最大の欠点は、「ル テアトル銀座」という歌舞伎上演で
は、「臨時の舞台」となった劇場の構造にある。まず、舞台が、狭い。印象論だが、
上手と下手の幅は、歌舞伎座の半分くらいか、3分の2くらいか。いずれにせよ狭
い。花道は、客席を削って、短い臨時に作られた、まさに、仮花道だ。また、舞台の
奥行きが、浅くて、本来の舞台から、こちらも、客席を削って、舞台が前へせり出す
ように、「付け焼き刃」をした上、舞台の高さも、部分的にかさ上げしている。かさ
上げの中に、廻り舞台の機能も盛り込んだのだろうか。小ぶりの廻り舞台は、場面場
面の展開で、使われていたが、せりの装置は、なかった。

その結果、特に、豊嶋屋の殺人現場では、舞台空間が、なんとも、狭く感じた。殺人
現場となる店先も狭ければ、奥の座敷も狭い。殺人現場となる店先では、そこに置い
てある油の入った樽が次々に倒され、なかの油が、舞台一面に流れ出るというのが、
本来の見せ場だが、今回は、「樽が次々に倒され」るという状況にはならなかった。
ひとつだけが、倒されたような感じだった。

座敷に逃げるお吉を追って、与兵衛は、油まみれのままにじり寄る。ふたりの衣裳も
「油まみれ」に見える。お吉の解けた帯が、油まみれになり、土間に長々と延びてい
る。本来なら、油で脚を取られないように、与兵衛は、帯の上を渡って行く。不条理
劇を象徴する、見事な場面が、延々と展開するのだが、そういう余白の演技がなく、
ぎりぎりいっぱいで、それで、全てという印象だった。お吉を演じる亀治郎は、倒さ
れながら、後ろ向きで、観客の目には、止まらないように、気遣いながら、鬘の髪が
ほぐれるようにしたり、着ている着物が、はだけるようにしたりするのだろうが、そ
ういう演技以外の動きも、本舞台の奥行きが浅いため、見えてしまった。


いつもと違う通しの舞台のおもしろさ


今回は、第1部、「お染の七役」、第2部、「女殺油地獄」の上演という形を取った
ので、「女殺油地獄」の方は、いつもは、あまり上演されない場面を観ることが出来
た。これは、良かったと思う。

まず、序幕・第一場「野崎参り屋形船の場」は、初見。本舞台前面は、川。奥に、土
手がある。当時の野崎参りは、川面を行く船と土手の街道を行く人たちとの間で、互
いにののしり合うという風習があったという。近松原作の床本では、こう描写され
る。

「まだ肌寒き川風を、酒にしのぎてそゝり往く、野崎参りの屋形船、徒歩路(かち
じ)ひろふも諸共に、開帳参りの賑はしや」

口論をしながら、賑やかに野崎観音へ向かったという。つまり、現代ならバスで、宴
会しながら行く人、グループで歩いて行く人、こもごもで、車ならぬ、屋形船で酒を
酌み交わしながら往く人たちと歩いて行く人たち同士の間で、賑やかに喧嘩をしなが
ら、参詣するというところだろう。そういう風景が、今回は、会津の大尽と新町の芸
者小菊(高麗蔵)を乗せた船を含む、2艘の船が、雁行する形で、街道と川面の船、
また、船同士の口論という形で、描かれていて、おもしろかった。舞台は、廻って、
土手の向こう側へ。第二場「徳庵堤茶屋の場」。ここは、いつも通りの展開。

そして、三幕目・第一場「豊嶋屋油店の場」が、終わった後に、第二場「北の新地の
場」と第三場「豊嶋屋逮夜の場」が、上演された。これも、私は、初見。

本来、「豊嶋屋油店の場」では、花道も、「油まみれ」になるのだが、今回は、「殺
し場」の後に、北新地の「花屋」、お吉の「逮夜」(三十五日の法事)の場面での与
兵衛の逮捕という場面が続くので、花道、本舞台とも、初めから、地絣を敷き詰めて
いて、汚れないようにしている。

新地の「花屋」の場面では、陰惨な殺し場の雰囲気をがらりと変えるようにして、舞
台が、「明転」すると、華やかな店先の場面が、現れる。与兵衛の叔父の山本森右衛
門(錦吾)が、豊嶋屋の若妻殺しが、与兵衛の仕業ではないかと心配している様子が
描かれる。「惨劇の後の、笑劇」という定式通りで、華やか。

やがて、綺麗な若旦那姿に戻った与兵衛が、奪った金で、借金を返して、気分も晴れ
やか、「小菊」を連れて、客席の中程、後方から、場内に姿を見せる。客席を練り歩
きながら、愛嬌を振りまき、アドリブで、観客を沸かせる。舞台に近づいて行き、や
がて、舞台下手に設けられた階段から、本舞台に上がって行く。暫しの笑劇の後、与
兵衛が、花道揚幕から姿を消す。再び、舞台には、悲劇が近づいて来る。大道具が、
廻って、豊嶋屋の店先の、逮夜(三十五日の法事)の場面へ。

悲しみに包まれる豊嶋屋へ向かおうと、花道より、与兵衛が、姿を見せる。座敷で
は、同行衆が、念仏を上げていたが、そのまえに、天井から落ちて来た血染めの書き
付けを見て、お吉の夫・豊嶋屋七左衛門(門之助)らが、お吉殺しの犯人は、与兵衛
と疑っている。露とも、それを知らない与兵衛は、同行衆の念仏に加わろうとする
が、拒絶される。外には、取り方の役人衆が、与兵衛の行方を追い、店の外を固めて
いる。

七左衛門らに追及されて、店の外へ逃げる与兵衛。舞台は、半廻しで、廻る。血染め
の袷を証拠として突きつけられ、役人に捕縛されても、最後まで、抵抗する与兵衛
は、無軌道な現代青年そのものだった。


若い主役といぶし銀の老脇役というふたつの世代


ほかの役者にも、少しは触れておこう。二幕目「河内屋内の場」で、拗ね者、与兵衛
による「家庭内暴力」の場面が、描かれた後、与兵衛の義父・徳兵衛(彦三郎)と実
の母親のおさわ(秀太郎)の演技が、善い。徳兵衛は、店の従業員から先の主人で・
与兵衛の実父の死後、義父になったという屈折感がある。実際、そういう家庭環境へ
の不満が、与兵衛を愚連(ぐれ)させている。つまり、義理の息子を甘やかしている
(大坂弁なら、「甘やいて」か)。気が弱いながら、そういう自覚があるがゆえに、
手に余る与兵衛が、妻であり、与兵衛の実母であるおさわらに家庭内暴力を振るう様
を見て、遂に、徳兵衛は、義理の息子を店から追い出すが、追い出した後、与兵衛の
姿が、恩のある先の主人にそっくりだと悔やむような実直な男だ。彦三郎は、貴重な
脇役だが、科白廻しが、世話物でも、時代がかってしまうという弱点があるのだが、
今回は、意識的に押さえたのか、科白が、いつもよりは、聞き易かった。

秀太郎のおさわは、いつものことながら、巧い。いまの夫に気兼ねしつつ、ダメな息
子を見放せない。夫に隠れて、追い出す息子を見送るが、夫に気づかれたときに、夫
と目をあわすタイミングの巧さ。ふたりのベテランの役者の演技の妙。「ダメな子ほ
ど、可愛い」と言われる世間智の説得力を老夫婦の心の陰りを通じて、十二分に見せ
てくれた。若いふたりの主役たちでは、埋められない部分で燻し銀のような演技力を
発揮している。

お吉の夫・豊嶋屋(てしまや)七左衛門を演じたのは、今回は、門之助だったが、こ
れは、前回演じた友右衛門のほうが、深みがあった。友右衛門は、傍役ながら、事件
に繋がる無軌道な青年と若い人妻の世界。弱い老夫婦の世界。ふたつの世界の間にあ
る、幻想ではない、おとなの常識を観客に思い出させる存在だった。出番は、控えめ
だが、仕事、仕事に追われる男の慌ただしさと堅固さを、主人「不在がち」による豊
嶋屋の危うさ、要所要所で、そういう存在感として友右衛門の演技は、示していた
が、今回の門之助からは、そういうメッセージは、伝わって来なかった。

贅言:前回、01年9月・歌舞伎座。豊嶋屋の帳場には、大福帳と「金銀出入帳」が
掛けてあった。特に、当時、銀本位制度をとっていた上方の商家らしい「銀」という
字が、「生世話もの」の舞台のリアリティをさりげなく主張していたが、今回は、帳
場には、大福帳と「仕入帳」しかなかった。こういう細部のリアリティには、気を
使って欲しい。因に、河内屋の帳場には、大福帳ばかり、ふたつあった。

片岡仁左衛門が、「一世一代」で、演じ終えた与兵衛役は、花形クラスでは、誰のあ
たり藝になるのか。花形役者の出世役という機能を果たして来た「与兵衛役」という
装置。3回演じている染五郎を始め、2回演じている愛之助、亀鶴、獅童、海老蔵
ら。そして、相手役のお吉は、5回演じている孝太郎、2回演じている亀治郎、笑三
郎ら。どういう舞台が、この先に見えてくるのか。愉しみだ。

あるいは、中堅クラスの勘三郎や翫雀らが、仁左衛門に代わって、玉三郎、秀太郎、
菊五郎らのお吉を相手に、脂ののった舞台を演じるのか。いずれにせよ、「女殺油地
獄」は、時空を超えた演劇的な深みを持つ演目だけに、新たな地平を描く舞台にして
欲しい。
- 2011年2月6日(日) 18:28:03
11年02月テアトル歌舞伎 (第1部/「於染久松色読販」)


玉三郎と亀治郎の「お染七役」


7年余り前、03年10月の歌舞伎座で、「於染久松色読販」は、観ているので、今
回は、2回目の拝見。前回は、玉三郎の七役。今回は、亀治郎の七役。亀治郎は、初
役で、挑戦する。今回の劇評は、第1部、第2部とも、「比較と分析」という視点で
書いてみたい。ここでは、玉三郎・亀治郎、ふたりの対比を主軸に、追いかけてみた
い。

四代目鶴屋南北(1755−1829)の作品。長い下積み生活の果てに、50歳を
前に、立作者になった南北は、満74歳で亡くなるまでの、四半世紀に及ぶ「中年
期」、いや、当時の寿命を考えれば、50歳というのは、現在なら、「定年後」の年
齢ではないか。その「第2の人生」の時期こそ、彼にとっては、充実の「青春期」で
あったかも知れない。第2の人生を「青春期」として過ごした希有な例のひとつが、
南北の人生であったと、思う。伊能忠敬も、「定年後」に、全国を歩き回り、詳細な
日本地図を作っている。第2の人生に入った団塊の世代は、南北が好き?

まあ、そういう時期ではあっても、所詮、水ものの興行の世界だ。当たり外れもあ
る。1年余りの不当たりの後、南北が、久しぶりに当てたのが、1813(文化1
0)年、森田座初演の「於染久松色読販」であった。お染久松の世界に早替わりの趣
向などを持ち込んだ。五代目岩井半四郎の七役が、当たった。

これは、大坂のお染め久松の物語を江戸に移すという発想をベースに、主家の重宝・
短刀「牛王義光(ごおうよしみつ)」探しと、七役のうち、「土手のお六」と鬼門の
喜兵衛の強請が絡む場面とお染久松の喜兵衛殺し辺りは、ストリーに即した芝居だ
が、基本は、「お染の七役」と言われるように、早替りを、いかにテンポ良く見せる
かという、「ケレン」重視の趣向だ(それゆえか、南北は、2年後の、1815(文
化12)年、土手のお六を本格的に軸にした芝居「杜若艶色紫(かきつばたいろもえ
どぞめ)」を書き、やはり、五代目岩井半四郎に主演させて、江戸の河原崎座で初演
する)。立作者になったものの、1年余も、ヒットが飛ばせず、不当たり続きの南北
が、当時、流行の早替りの演出を取り入れた、捨て身の趣向が当たったのだろう。燃
える第2の人生。しあkし、芝居としての完成度は、高くないと思うが、この時期の
「早替わりもの」の代表作の一つだろう。

近年の演出の工夫では、大雑把にいうと、昭和になってから、前進座の歌舞伎で上演
され、渥美清太郎が、早替わりを手際良く脚本にまとめたが、ここでは、お家騒動の
部分を割愛したという。その後、武智鉄二版などがあり、雀右衛門、玉三郎、児太郎
時代の福助などが、主役を演じた。1991年、猿之助が、序幕で、いきなり、「お
染七役早替わり」を全て見せるという趣向と、原作尊重で、お家騒動の筋をも、改め
て取り込んだ、新しいバージョンで上演をした。

さて、今回の亀治郎の勤める七役は、お染(質屋「油屋」のお嬢さん。「町娘」)、
久松(元は、武士の子息だが、いまは、油屋の丁稚で、お染と恋仲。「若衆」)、竹
川(久松の姉で、「奥女中」。久松と共に、父親の仇と重宝・短刀の行方を追ってい
る)、小糸(お染の兄と恋仲の柳橋の「芸者」)、土手のお六(竹川の、元の召使
い。いわゆる「悪婆(あくば)」である。竹川に頼まれて、重宝を買い戻す資金調達
を非公正な方法で狙っているが、どうも、それだけの人物では、なさそうだ)、貞昌
(油屋を経営する「後家」、つまり、お染の継母。資金繰りに苦労をしていて、金を
目当てに、お染をどこかに嫁入りさせようと企んでいる)、お光(久松の許婚。「田
舎娘」)である。

例えば、序幕の早替わりのみを紹介すると、序幕・第一場「柳島妙見の場」では、舞
台上手に、妙見社の大鳥居、妙見大菩薩の提灯など、下手に、妙見茶屋、浄瑠璃塚、
松の木などという大道具の仕立てで、参拝者が行き交う妙見社の賑わいを背景に芝居
が進行する。私が、薄暗闇の客席で付けた手元のメモを元に、亀治郎の早替わりを大
雑把に追うと、「吹き替え(役者)」も適宜、使いながら、お染(花道から鳥居内
へ)→久松(上手揚幕から下手へ)→お光(上手より鳥居内へ)→竹川(鳥居内の下
手奥から花道揚幕へ)→小糸(花道揚幕から鳥居内へ)→貞昌(花道より駕篭で。茶
屋の中へ。茶屋の暖簾を分けて、出て来て、茶屋の前で、再び、駕篭に乗り、揚げ幕
へ)→お六(下手奥より別の駕篭で)、という具合だったのではないか(メモの不備
で、若干、不正確かもしれないが、動線は、押さえてあるだろう)。

先に触れたように、序幕・第一場に引き続く、第二場「橋本屋座敷の場」まで、早替
わりの趣向優先である(ここでは、大雑把に書くと、奥下手より上手障子の座敷へ久
松→奥からお染→襖中央奥へ入る。暖簾の奥から小糸→中央襖の奥へ。上手、障子の
間の簾を上げると、障子の間に竹川)。

芝居らしい芝居が、始まるのは、花道揚幕から、染五郎演じる鬼門の喜兵衛が、登場
する第三場「小梅莨屋の場」から。芝居は、お六(亀治郎)と夫の鬼門の喜兵衛(染
五郎)の油屋への強請(ゆすり)が主筋で、お染・久松の喜兵衛殺しが、副筋という
感じである。だから、外題には、「お染久松」とあり、そちらを前面に出している
が、それは、「お染もの」の人気にあやかったのではないか。江戸社会の底辺を逞し
く生きる「お六喜兵衛」(後の、「杜若艶色紫」の原型が、ここには、ある)の方
が、芝居としては、おもしろい。お染の七役を含めて、人間関係をざっと押さえてお
こう。

浅草の質屋・油屋。後家の、貞昌が、店を仕切っているが、資金繰りが苦しいらし
い。家族は、息子・多三郎、娘・お染の3人。多三郎は、柳橋の芸者小糸と恋仲。お
染は、店の丁稚・久松と恋仲。久松の姉・竹川は、奥女中で、お家の重宝・短刀(牛
王義光)を盗まれ、責任を取って、切腹した父の汚名をそそぐために、丁稚となった
久松とともに、失われた重宝・短刀と折り紙(保証書)の行方を探している。久松に
は、さらに、乳(ち)兄弟で、久作というのが、親代わりになっていて、久作の世話
で、お光を許嫁にしている。お染・久松・久作・お光は、「お染久松の世界」そのも
のを踏襲している。竹川の、元の召使いの、お六は、鬼門の喜兵衛という悪党と夫婦
になり、「土手のお六」などという、「飾り」のついた名前を持つ、「悪婆」だが、
実は、元の上司である竹川に頼まれて、探索中の重宝・短刀を買い戻す資金の調達を
頼まれている。

序幕・第一場「柳島妙見の場」から、第三場「小梅莨屋の場」までは、亀治郎の七役
紹介という場面が続く。亀治郎の早替わりが、演出の妙というところだが、早替わり
は、一人では出来ない。チームプレーが必要だ。そういう意味では、亀治郎のバック
には、早替わりに馴れている澤潟屋一門の面々が、控えているから手慣れたものだ。
私が、舞台を観たのは、初日だったが、早替わりは、テンポも良く、ほころびもな
く、進んだ。前回の玉三郎の早替わりのときは、連繋の「間」に、「ちょっと」とい
う場面もあった。そういう意味では、早替わりの連繋は、玉三郎より、亀治郎の方
が、巧く行っていた。

ただし、女形6役のうち、お六を除けば、お染、お光は、区別がつきにくいし、小
糸、竹川、貞昌も、年齢、衣装は違うものの似た印象で、判りにくい。性別が異な
る、立役の久松さえ似た印象になる。早替わりの苦労が見えて来ない嫌いがある。苦
労して早替わりを演じているということを観客に判らせるのも、演出のうちかもしれ
ない。そういう意味では、玉三郎のときのように、「ちょっと」という場面があった
方が、良かったかもしれない。

ところで、今回の上演の最大の欠点は、「ル テアトル銀座」という歌舞伎上演で
は、「臨時の舞台」となった劇場の構造にある。まず、舞台が、狭い。印象論だが、
上手と下手の幅は、歌舞伎座の半分くらいか、3分の2くらいか。いずれにせよ狭
い。花道は、客席を削って、短い臨時に作られた、まさに、「仮」花道だ。また、舞
台の奥行きが、浅くて、本来の舞台から、こちらも、客席を削って(かどうか)、舞
台が前へせり出すように、「付け焼き刃」(?)をした上、舞台の高さも、部分的に
かさ上げしている。かさ上げの中に、廻り舞台の機能も盛り込んだのだろうか。小ぶ
りの廻り舞台は、場面場面の展開で、使われていたが、せりの装置は、なかった。舞
台上手の附け打が座る場所も、本来の本舞台より、一段低くなっているという変則さ
だ。

ということで、歌舞伎を常に演じる、あるいは、ほぼ常に演じる劇場での、「お染の
七役」なら、使ったであろうセリも、花道スッポンも、亀治郎は仕えなかった。その
結果、お染七役の早替わりが、猿之助バージョンの、本来の展開と異なったような気
がするが、どうだろうか。

そうは言っても、お六が登場するまでの早替わりは、亀治郎も、玉三郎も、目まぐる
しく替って見せるばかりで、こういう場面では、筋立てが、判りにくい。「吹き替え
(役者)」と本人を見間違えずに居るだけでも、大変だ。役者側は、本人も、「吹き
替え」も、なんとか、観客の目を「ごまかそう」と、する訳だし、私の方は、ごまか
されずに、見抜いてやろうとする訳だしということで……、でも、この対決は、私の
方が勝ったのではないか。舞台の上下、奥、花道での出入りなど全て、亀治郎の動線
を見抜くことができたと思う。

まあ、それはさておき、ここは、筋立てを気にせずに、目まぐるしく替っても、「吹
き替え」を含めて、正面から見せる役者の顔は、替らずに亀治郎ばかりという演出の
妙を堪能するだけで、良いのかも知れない。

芝居としての見どころは、序幕・第三場「小梅莨屋の場」から、二幕目・第一場「瓦
町油屋の場」いわゆる、「質店・油屋強請」の場面までである。 序幕・第三場「小
梅莨屋の場」は、「悪婆」という独特の女形の型のあるお六(亀治郎)と鬼門の喜兵
衛(染五郎)の夫婦の登場。「悪婆」は、男のような気っぷの良さと美しい女の魅力
の両方を兼ね備えた女形というのが売り物である。

実は、重宝・短刀紛失の鍵を握る男が、実は、この喜兵衛。盗んだ重宝・短刀を売り
払い、百両という金を手に入れ、すでに、使い込んでしまっていた。本当の悪人は、
こいつだが、なかなか、尻尾を顕さない。金の工面にと、喜兵衛が思いついたのが、
質店・油屋に対する強請(ゆすり)だが、これが、油店の番頭に殴られた結果、死ん
でしまったという難癖をつけて、強請に使った「遺体」(お六の弟と言う触れ込みだ
が、実は、油屋丁稚の久太)が、河豚を食べて、毒に当たり、仮死状態だったのが、
息を吹き返すという杜撰な強請で、化けの皮がはがれる。幕外、遺体を運んで来た駕
篭かきもいなくなり、お六と喜兵衛は、捨て科白(アドリブ)を言いながら、お六
が、駕篭の前棒を担ぎ、喜兵衛が、後棒を担ぎして、花道を立ち去って行く場面は、
場内の笑いを誘う。

前回は、團十郎が喜兵衛を演じた。團十郎の喜兵衛は、意外と、泰然自若としてい
た。小悪党のくせに、大物なのか、小物なのか判らないという、おもしろい男。團十
郎は、喜兵衛に、そういう味付けを施していた。染五郎は、どうだろうか。

他人(ひと)に頼まれて、自分が、重宝・短刀を盗み出して、油屋へ質入れをし、そ
の金百両を使い込んでしまい、依頼主から重宝・短刀の返還を催促されて、質入れを
した店に、偽の「遺体」を持ち込んで強請をかけ、百両をせしめようとして、それが
失敗するや、質店裏手の土蔵に預けた重宝・短刀(牛王義光)盗みに入る。その挙げ
句、盗みに入った土蔵に押し込められていた久松に見つけられ、元武士の久松に刀
(牛王義光)を奪われて、逆に、斬り殺されるという、発想の単純な小悪党である。
そのあたりの人物の描き方が、團十郎は、巧かった。久松は、ここで、探していた
重宝・短刀(牛王義光)を取り戻したことになる。

この男を團十郎が、過不足なく演じていて、前回、私は、今回の南北劇では、最大の
見どころは、團十郎の、この芝居だろうと、思った。だから、染五郎が演じる鬼門の
喜兵衛が、(臨時に作られた短い)花道揚幕から、登場し、久松に殺されるまで、つ
まり、「小梅莨屋」から、「油屋」、「油屋裏手土蔵」までの場面は、染五郎が、團
十郎とどこまで違う芝居が出来るか、じっくり観ようと思った。

今回の染五郎には、まだ、そこまでの味わいを出す余裕はないかもしれない。團十郎
の演じた鬼門の喜兵衛の、幅と奥行きは、染五郎からは、滲み出て来なかった。染五
郎も、小悪党にはなっているのだが、それも、まだ、餓鬼っぽい小悪党、不良少年と
いう感じだった。これは、今回の公演で、第2部「女殺油地獄」で演じた河内屋与兵
衛の演技でも、同様の印象を持った。

この場面で、さらに、お六も、比較してしまうと、玉三郎の「悪婆」振りに比べる
と、亀治郎のは、やはり、弱い。悪婆・お六をなぞっているのだが、玉三郎のよう
に、内面から滲み出てくるものが感じられない。玉三郎と亀治郎、團十郎と染五郎を
「比較と分析」すると、前回の方が見応えがあっただけに、従って、今回は、めまぐ
るしいまでの早替わりの芝居という印象が、一層、強くなった。

幾つも続く、早替わりの中でも、ハイライトの場面は、特に、二幕目・第二場「油屋
裏手二階」の場面であろう。まず、本舞台中央から下手寄りの二階座敷で、大きな屏
風一枚を巧みに使いながら、久松(亀治郎)の子を宿して臥せっているお染(亀治
郎)、とそれを知らずに、お染に精兵衛(友衛門)と結婚するよう勧める母親の貞昌
(亀治郎)の、早替わり、また、中央から上手寄りの質屋の蔵に閉じ込められた久松
も、含めた、早替わりの3役を、巧みに、「吹き替え」を使いながら、亀治郎がひと
りで演じて行くのだが、亀治郎の早替わりを支える舞台裏の手際は、大変だろう。そ
れだけに、見応えがあった。

とまれ、この芝居は、亀治郎の早替りの妙と、土手のお六と鬼門の喜兵衛團十郎の絡
む場面という、ふたつの見どころを見逃さなければ、良いだろう。

ほかの役者では、偽の「遺体」にならされた丁稚の久太(弘太郎)の、「遺体ぶり」
が、達者で、大向うからも「弘太郎」と声が掛かるなか、笑いを誘う。前回は、橘太
郎が、久太を演じたが、硬直している体を表現するのは、かなり難しいと観た。横倒
しにされた棺桶から、飛び出す、死体の硬直ぶりは、見逃せない場面だ。「笑劇」の
おもしろさは、役者の真剣な演技で、裏打ちされる。

大詰「向島道行」の場面は、三囲社の大鳥居が、隅田川の土手下に見える。「心中翌
(あした)の噂」という常磐津舞踊として、独立して、演じられることもある場面。
外題は、「道行浮塒鴎(みちゆきうきねのともどり)」で、「於染久松色読販」の初
演から、12年後の、1825(文政8)年、同じく南北の作詞で、中村座で、初演
された。

お染(亀治郎)、久松(亀治郎)、お光(亀治郎)、お六(亀治郎)の早替りに、女
猿廻しお作(笑也)と船頭長吉(亀鶴)が、からむ。例えば、一場面の動きを見る
と、久松(亀治郎)が、花道揚幕より、本舞台へ。花道の後ろに、隠し戸が、切られ
ていて、次に花道揚幕から駕篭に乗って出て来たお染(亀治郎)が、この位置で、駕
篭の簾を開けて、顔を見せるという演出。「吹き替え」も、巧みに使いながら、お光
(亀治郎)も、登場。主役の早替わりにからむのは、前回は、女猿廻しお作(亀治
郎)と船頭長吉(松緑)のコンビだった。

死の覚悟をしているお染、久松のところへ、お六が、重宝・短刀の折り紙(保証書)
を持って、駆けつけて、大団円となる。「悪婆」のお六は、なんとも、粋で、カッコ
いいということが、判る。このほか、南北作品らしく、江戸の庶民の風俗の描写が、
細かいのも、隠された愉しみの一つである。
- 2011年2月6日(日) 18:23:25
11年01月国立文楽劇場 (「鶊(ひばり)山姫捨松」「傾城恋飛脚」「小鍛
冶」)


用事があって、阪神・淡路大震災から16年(「熊谷陣屋」の熊谷直実の科白では、
「十六年は、一昔、ああ、夢だア。夢だア」となる)になる1月17日午前5時46
分を含めて、神戸.大阪に行って来た。十七回忌の法要も、あちこちの現場で、行わ
れたろうが、私も、牧師も、神父も、僧侶も参加した宗派を超えてカソリック教会の
法要に参加して来た。その帰途、大阪で、途中下車をして、大阪・日本橋の「国立文
楽劇場」を覗いて来たので、その劇評をまとめたい。


姫と言えども、継子虐めされる


「鶊(ひばり)山姫捨松」のうち、「中将姫雪責の段」は、三段目。私は、初見。右
大臣藤原豊成の一人娘・中将姫と言えども、継母による虐めは、堪え難い。父親は、
母親には、なにも言わない。家庭内で、発言力を持たない、無力な父親(あるいは、
母親)と横暴な継母(あるいは、継父)に挟まれて苦しむ子どもという構図は、父親
や母親の立場を変えれば、もっと普遍的な意味合いを持ち、現代でも、見受けられる
ものだろう。

1740(元文5)年、大坂の豊竹座で、初演された並木宗輔原作の人形浄瑠璃「鶊
山姫捨松」は、奈良・当麻寺に伝わる中将姫伝説(当麻曼荼羅の発願者とされる中将
姫は、継母による虐めを受けて、鶊山に捨てられ、曼荼羅を織って、成仏をしたとい
う)を元に、並木宗輔は、権力闘争の激しかった奈良時代の称徳天皇の時代背景の中
に、伝説を再構築して、皇位継承を巡る権力争いとそれに伴う家庭内の対立の中で、
虐められ、責められる子どもの話として、創作した。初見の演目なので、基本的なこ
とを少し詳しく記録しておきたい。

芝居の背景となる人間関係は、次の通り。
長屋王子は、称徳天皇の後に、実子の春日丸を皇位に着けようと企んでいて、最後
は、野望を実現させる。大弐・藤原広嗣と春日丸の乳母から右大臣藤原豊成の後妻に
入った岩根御前は、長屋王子派である。中将姫の父親・右大臣藤原豊成は、称徳天皇
派である。つまり、中将姫の「両親」は、実父は、天皇派で、継母は、王子派と、そ
れぞれ分かれて争っている。中将姫に仕える「桐の谷」(豊成の家臣・晴時の妻)
は、無実の中将姫の味方である。一方、同じ豊成の家臣・景勝の妻で、同僚の「浮
舟」は、岩根御前に肩入れしているらしい。

長屋王子は、天皇を呪詛してまで、退位させようとするが、中将姫が、天皇から預
かっている仏像(観音)が、それを妨害しているらしい。そこで、王子は、岩根御前
を使って、仏像を盗ませる(その結果か、長屋王子派、野望を実現させることにな
る)。岩根御前は、継子である中将姫が、好きではない。憎んでいる。天皇の大事な
仏像を「紛失」した責任を中将姫に取らせようとする。岩根御前が、仏像を盗んだこ
とを中将姫は、感づいているようだが、継母とはいえ、母親なのだからと、岩根御前
のことを庇っているらしい。それも、岩根御前には、気に入らない。継母は、中将姫
を幽閉している。しかし、父親の豊成卿は、何も言わない。ある冬の寒い日、継母
は、中将姫を庭先に連れ出し、折檻しようとする。岩根御前は、中将姫に虚偽の白状
をさせると言うより、己らの犯行を感づいたらしい、邪魔な継子を殺そうとしている
のである。

竹本:竹本千歳大夫、三味線:鶴澤清介。
まず、幕が開くと、桐の谷と浮舟が、中将姫と岩根御前の立場で、いわば「代理戦
争」をしている。桐の谷「また、継母が邪魔したか」。浮舟「仏のような御台様を、
仮初にも継母呼ばはり」。その様子を見ていた岩根御前が、桐の谷を追い払い、浮舟
を我が部屋へ入れる。そこへ「御入り」の知らせで、やって来た藤原広嗣(大弐に左
遷され、称徳天皇を恨んで、皇位継承に全てをかけている)も、岩根御前の肩を持
ち、姫殺しを提案する。表向きは、仏像紛失について調べているうちに、中将姫を凍
死させてしまったということで意見が一致する。「割竹持つて姫をこれへ引つ立て来
れ」。

この後、「切」になる。

竹本:豊竹嶋大夫、三味線:鶴澤清友、胡弓:豊澤龍爾。
「あら労しの中将姫/七日七夜は泣き明かし明くる八日の朝の雪、我を責め苦の種と
なり」で、中将姫は、俯いた赤姫として、上手から登場する。庭先に引きずり出され
た姫は、赤い着物を剥ぎ取られ、割竹で、打たれる。追い払われながらも、庭の門口
に駆けつけた桐の谷が、自分の着ていた打ち掛けを脱いで、枝折戸の外から、中将姫
の近くへ投げ込む。岩根御前は、更に、いきり立ち、自ら姫を打擲し始める。桐の谷
は、枝折戸を蹴破って、止めに入る。浮舟は、岩根御前をかばって、桐の谷に打ちか
かる。またもや、ふたりの争いになる。

ふたりの争いを止めようと割って入った中将姫の急所に竹が当たって、姫は、「ウン
とばかりに息絶えたり」。浮舟が、狼狽えて騒ぐと、継母も、広嗣も驚く。「豊成公
へ知れぬうち、拙者はお暇」「自らも宿には居ぬふり」と、ふたり揃って、逃げ出し
てしまう。

ところが、ここで、どんでん返しがある。浮舟「そもじと私が仲悪うして見せたので
うまうま一ぱい参つた猫又婆」。中将姫「そなた衆が教えた通り死んだ振りをしてゐ
たが、後で知れても大事ないかや」。浮舟、桐の谷の共闘で、姫を鶊山へ隠す作戦
だったのだ。

その時になって、やっと現れた中将姫の実父豊成卿は、春日丸に皇位が譲られた今、
春日丸の父親・長屋王子に与する妻の岩根御前を批判すれば、称徳前天皇の立場が悪
くなると懸念して見て見ぬ振りをしていたが、豊成卿は、改めて、ふたりに中将姫の
ことを託して、鶊山への隠匿を願うのであった。「親ぢやもの、子ぢやもの、心の内
の悲しさは鉛の針で背筋を断ち切らるゝもかくやらん」。言い訳も、うるさい。なん
という、ダメな父親か。

人形遣は、中将姫が、女形遣いのベテランで人間国宝の吉田文雀。代理戦争をするふ
たりのうち、浮舟が、吉田清五郎。桐の谷が、吉田簑二郎。岩根御前が、いつも無表
情の吉田玉也。広嗣が、吉田勘緑。豊成卿が、桐竹勘壽。首(かしら)は、浮舟と桐
の谷は、老女形。岩根御前は、八汐。中将姫は、娘。豊成卿は、孔明。広嗣は、陀羅
助。

玉也の操る岩根御前は、中将姫を激しく虐め抜く。行儀の良い中将姫は、それを受け
ながらも、静かに苦しむ。寒さにも、打擲の痛さにも、耐える。綺麗で、可哀想なお
姫様を演じるとは、文雀の弁。


同じ原作ながら、歌舞伎と人形浄瑠璃の演出の違い


近松門左衛門原作の「冥途の飛脚」(1711年初演)を菅専助・若竹笛躬の合作で
改作した「傾城恋飛脚」(1773年)のうち、「新口村の段」は、いつも歌舞伎な
どで観ている「恋飛脚大和往来」の原作。しかし、今回初めて観たところ、歌舞伎の
演出と人形浄瑠璃の演出は大分違うので、その辺りを書いてみたい。

「新口村の段」。歌舞伎では、飛脚問屋の養子で、公金の「封印切り」を犯し、故郷
へ逃れる忠兵衛と新口村の豪農の老父・孫右衛門をふた役、早替わりでやる演出があ
るが、役者出演ゆえの演出だろう。人形浄瑠璃では、早替りする意味がない。

竹本:豊竹靖大夫。三味線:鶴澤寛太郎。
今回の人形浄瑠璃では、まず、幕が開くと、竹本は、御簾うちで語り始める。竹本で
は、「節季候(せきぞろ)」の風俗が描写される。舞台は、百姓家。下手に、「新口
村」の道標。

出語りに、替わって。

竹本:豊竹呂勢大夫。三味線:鶴澤清治。
「人目を包む頬かぶり、隠せど色か梅川が馴れぬ旅路を忠兵衛、労はる身さえ雪風
に、凍える手先懐に、暖められつ暖めつ、……」
死出の道行の果てに、新口村まで、逃げて来た梅川・忠兵衛の登場。「比翼」という
揃いの黒い衣装、裾に梅の枝の模様が描かれている(但し、裏地は、梅川は、桃色、
忠兵衛は、水色)。衣装が派手なだけに、かえって、寒そうに感じる。互いに抱き合
う形の美しさ。ふたりが頼って来た百姓家は、実家ではなく、「親たちの家来も同
然」という忠三郎宅。忠三郎不在で、女房から、大坂での事件を聞かされ、身許を明
かせないまま、「年籠りの参宮」と、ごまかし、忠三郎を呼んで欲しいと女房に使い
を頼む。

家に入ったふたりは、上手の奥の間、「反古障子を細目にあけ」て、吹雪の畠道を通
る人々の中に、老父・孫右衛門がいないかを見守る。桶の口の水右衛門、伝が婆、置
頭巾、弦掛の藤治兵衛、針立の道庵など、忠兵衛顔見知りの村の面々が、寺に法話を
聞きに行く情景が描かれる。忠兵衛は、梅川に、得意げに、人物寸評をする。ここ
は、歌舞伎では、あまりやらない場面。さまざまな人形が登場するのも、おもしろ
い。怪しい巡礼姿の男が、家内を窺っている。

それと気づかず、忠兵衛「アレアレあそこに見えるのが親父様」で、孫右衛門登場。
「せめてよそながらお顔なりとも拝もうと」と、忠兵衛は、梅川に、遠目ながら、老
父を紹介する。忠兵衛「今生のお暇乞」、梅川「お顔の見初めの見納め」。

この後、「切」になる。

竹本:竹本綱大夫。三味線:鶴澤清二郎。
孫右衛門は、雪道に転んで、高足駄の鼻緒が切れる。あわてて、飛び出す梅川。家の
中に招き入れ、忠兵衛の代りに、「嫁の」梅川が、父親の面倒を見る。初見ながら、
「嫁の梅川」と悟る孫右衛門。梅川の機転で、再会を果たす忠兵衛と孫右衛門。ここ
は、歌舞伎も同様。巡礼に化けていた八右衛門の知らせで、近づいて来る追っ手の声
を聞き、孫右衛門は、忠兵衛と梅川をよそで捕まれと逃がそうと、百姓家裏の抜け道
を教える。

歌舞伎では、やがて、百姓家の屋体が、上手と下手に、二つに割れて行く。舞台は、
竹林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見に替わる。だが、人形浄瑠璃
では、百姓家暫くそのまま。傘をさして外に出た孫右衛門。暫くあって、百姓家の屋
体全体が、下手に、引き道具。半分ほど、下手に隠れたところで止まると、上手に竹
林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見が、現れる。逃げて行く忠兵衛
と梅川の姿は、もう見えない。

歌舞伎では、この場面では、カップルの役者が、そのまま逃げて行くか、子役の遠見
を使って、遠く、小さくなって行くカップルの姿を描き出す。舞台全体が、真っ白に
なるほど、霏々と降る雪。しかし、人形浄瑠璃では、それほど、雪を降らせずに、む
しろ、たった一人で舞台に取り残される老父の孤独感を描いているように見受けられ
た。説明的な歌舞伎の演出に比べて、人形浄瑠璃では、傘をつぼめて、顔を隠して、
「長き親子の別れ」に対する見えない老父の情をくっきりと観客に印象づける。「涙
涙の浮世なり」。(幕)。

人形遣は、忠兵衛が、中堅の吉田和生。梅川が、ベテランの桐竹紋壽。孫右衛門が、
中堅の吉田玉女。皆、淡々と遣っているように見受けられた。首(かしら)は、忠兵
衛が、源太。梅川が、娘。孫右衛門が、定之進。


荒ぶる神ならぬが、稲荷明神の激しさ


「小鍛冶」も、私は、初見。能の「小鍛冶」を元に、1939(昭和14)年、新歌
舞伎として、二代目猿之助(後の、猿翁)が、東京の明治座で初演した舞踊劇。人形
浄瑠璃としての初演は、2年後の、1941(昭和16)年、大阪四ッ橋にあった文
楽座。前半は、能を写した様式的な松羽目の演出で、天皇から剣を作るよう注文され
た刀鍛冶の小鍛冶宗近が、「相槌」で刀を打てる相手を求めて稲荷明神に願をかけに
行き、不思議な老人に出会う場面。後半は、白頭に狐の冠を着けた稲荷明神と刀鍛冶
の宗近が、協力して、鋼を鍛える場面となる。後半は、主遣いだけでなく、左遣い、
足遣いも、顔を出しての、出遣いという演出となる。

竹本:竹本三輪大夫、文字久大夫ほか。三味線:豊澤富助ほか。
竹本の語りの文章を聞いていると、不思議な「いとも気高き姿」の老翁の科白とし
て、「草薙の御剣」の伝承とはいえ、「東夷を討たせ給ふ」とか、「さしも数万の戎
ども、朝日の霜と消えてんげり」(木村富子作詞)など、昭和14年という時代を思
わせる表現が入っているのが気になるのは、過剰な反応か。

老翁に出会い、帰宅して装束を改め、祭壇を設けた小鍛冶宗近のところへ、虚空から
「勅の剣打つべき時は只今なるぞ」の声と共に稲荷明神が、荒ぶるような激しさで現
れる。以後、宗近は、稲荷明神の「相槌」を得て、剣を打ち終える。出来上がった剣
には、表に「小鍛冶宗近」、裏に「小狐」と銘が刻まれていた。天皇の勅使として、
立ち会っていた橘道成は、ずうっと、上手に座っていたが、剣が出来上がると満足
し、喜んで受け取っていた。

人形遣は、小鍛冶宗近が、豊松清十郎。清十郎は、いつもの無表情ながら、淡々と操
る。老翁、実は、稲荷明神が、桐竹勘十郎。老翁は、ゆるりと。稲荷明神を操ってか
らの勘十郎は、激しい。虚空から、飛び出して来た稲荷明神の化身らしさが、ひしひ
しと伝わって来た静と動の対比が、素晴らしい。勅使・橘道成が、吉田清三郎改め、
文昇。ほとんど、動かないというのも、難しい。肚の芝居。首(かしら)は、宗近
が、検非違使。老翁が、鬼一。稲荷明神が、文七。勅使・橘道成が、孔明。
- 2011年1月22日(土) 11:57:35
11年01月国立劇場 (通し狂言「四天王御江戸鏑」)


こういう荒唐無稽な芝居は、各場面を兎に角、楽しむ


「四天王御江戸鏑(してんのうおえどのかぶらや)」は、1815(文化12)年、
江戸の中村屋で初演された顔見世狂言。晩年は、中村座専属で、四代目鶴屋南北のラ
イバル的な存在だった福森久助(炭問屋の若旦那から、芝居に溺れて、勘当され、狂
言作者になった)らが、五代目松本幸四郎、三代目坂東三津五郎、三代目尾上菊五
郎、七代目市川團十郎の4人を四天王に見立てて原作を書いた。三代目尾上菊五郎、
七代目市川團十郎は、襲名披露の舞台でもあった。狂言作者で、蔵を建てたのは、南
北と久助のふたりだけだといわれるほどである。

座組に合わせて書き下ろされる「顔見世狂言」は、座組が異なると上演し難いため、
「四天王御江戸鏑」も、再演の機会に恵まれず、今回の上演が、実に、196年振り
の復活上演という。従って、私も、初見である。「顔見世狂言」独特の約束事ゆえの
複雑な構造、展開を、国立劇場では、換骨奪胎して、現代の歌舞伎狂言に改めたとい
う。

劇的な「世界」は、「前太平記」。平安中期の武将・源頼光朝臣と家臣の四天王(渡
辺綱、碓井貞光、酒田公時、卜部季武)、一人武者の平井保昌。敵対する平将門一族
(相馬太郎良門ら)という図式。それに加えて、三代目尾上菊五郎襲名披露の調味料
として、市村羽左衛門から初代尾上菊五郎に伝わった菊五郎家の「家の藝」である
「土蜘蛛」という妖怪を登場させるという趣向である。

まず、誰もが、今回初見ということなので、復活上演のストーリー構成をできるだけ
簡単に見ておこう。

序幕の「相馬御所の場」。開幕すると、紅白の横縞の幕が、舞台を覆っている。なに
か、運動会というか、余興の匂いのする感じだ。毛槍を持った奴たちが、花道から出
て来て、幕の前を通り、上手に入って行く。振り落しで、舞台が現れる。舞台中央、
上手に、真鯛太郎塩焼(菊市郎)。下手に寒鰤次郎照焼(菊史郎)。上段に星鮫入道
蒲鉾(彦三郎)、鰊の局(萬次郎)。「暫」のパロディだろう。引き道具で、菊五郎
の扮する相馬太郎良門が、中央に張り出して来る。緑の龍神が、上手と下手から出て
来て、龍の舞を踊り、花道へ立ち去る。

かつて「吾妻の内裏」と謳われ、栄耀栄華を誇った「相馬御所」では、平将門が、朝
敵として源氏に討伐されてから廃墟と化していた。将門の遺児・相馬太郎良門(よし
かど)が、源氏への復讐に燃え、天下掌握を狙う場面が、御所を竜宮城に見立てた趣
向の宴の場で、繰り広げられる。家臣たちは、皆、海の生物の仮装をして騒いでい
る。幕が、取り払われると、山の遠見で、相馬御所の現実に立ち戻る。すべて、竜宮
城の見立てだったことが、はっきりする。

石雲法印(大蔵)が、三種の神器のひとつ、「内侍所の御鏡」を都の一条院から盗み
出して、届けに来た。良門は、召し上げられたままになっている相馬家の家宝「繋馬
の旗」を奪還し、帝の地位に着き、天下掌握を狙うという決意を語る。良門の伯母真
柴(田之助)が、源氏に恨みを抱く葛城山の土蜘蛛と連繋するようにと、助言する。

二幕目の「一条戻橋の場」。渡り巫女・茨木婆(時蔵)に土蜘蛛の蘇生を頼んだ法印
が、殺されて良門からせしめた大金は、盗賊に奪われてしまう。舞台奥から現れた盗
賊は、袴垂保輔(松緑)。「内侍所の御鏡」の守護役に任じられながら、「内侍所の
御鏡」を盗まれてしまった源頼光(時蔵)一行が、花道から通りかかる。頼光は、
「繋馬の旗」を持っている。

それを狙う茨木の婆(時蔵)は、呪術を使って、大土蜘蛛を出現させ、源頼光(時
蔵)一行を襲わせる。謎の傾城(菊之助)、良門(菊五郎)、真柴(田之助)、保輔
(松緑)、頼光(時蔵)、頼光従者の国岡(松也)が、「内侍所の御鏡」と「繋馬の
旗」を巡って、敵味方両者が交錯する古風な「だんまり」の演出。「内侍所の御鏡」
は、保輔が、「繋馬の旗」は、茨木婆が、手に入れる。つまり、神器や家宝のここま
での推移を整理すると、「内侍所の御鏡」:頼光→法院→良門→保輔。「繋馬の
旗」:将門→源氏方→頼光→茨木婆。

化身していた傾城から本性に戻った葛城山に棲む土蜘蛛の精(菊之助)が、花道七三
から出現し、そのまま、上方へのぼり続け、幕外の、「土蜘蛛の宙乗り」へ。土蜘蛛
の精は、己の敵の源頼光の敵、良門(菊五郎)は、敵の敵で、つまり、味方というこ
とで支援する。頼光と茨木婆の二役を演じる時蔵は、吹き替えを使って、この場面を
凌ぐ。

舞台が、廻ると、三幕目第一場は、「羅生門河岸中根屋格子先の場」。吉原の最下級
の女郎屋の風俗を取り入れた世話場で、鳶頭・中組の綱五郎に変装した渡辺綱(菊五
郎)が、鳶の若い者に奢ったり、「繋馬の旗」を詮議したりしている。花売の茨木婆
(時蔵)の登場。娘の花咲に入れあげている伴森右衛門(團蔵)に逢いに来たのだ。
森右衛門は、頼光の重臣・平井保昌の家来だが、実は、良門側のスパイ。

第二場「同 二階座敷の場」。綱五郎奢りの宴席では、禿による「三宅坂AKB」も出
演。こういうのは、菊五郎好みの演出だろう。中根屋女郎の花咲(菊之助)、その母
親の茨木婆(時蔵)が、綱五郎にからみ、お互いを探りあう伏線の場面だ。綱五郎ら
の宴席が、やかましいと怒り出す森右衛門とのトラブルの場面だが、ここでは、通称
「紅長」の、「松竹梅湯島掛額」の「お土砂」の趣向が取り入れられて、場内の笑い
を誘う。出演者、会場からのカメラマン、それを静止する案内嬢、幕引きなど、最後
は、座敷の柱まで、ぐにゃりとなる。「松竹梅湯島掛額」は、「四天王御江戸鏑」の
先行作品で、1809(文化6)年に初演された演目。原作は、同じく、福森久助で
あるから、同じ作者が、「お土砂」の趣向を再利用したということだ。ここは、今回
の復活上演でも、196年前のほぼ原作通りにしてあるという。

第三場「同 花咲部屋の場」。艶やかな孔雀の模様が縫い込まれた打ち掛けが、衣桁
に掛かっている。綱五郎、実は、渡辺綱(当代、七代目菊五郎)と花咲、実は、土蜘
蛛の精(三代目菊五郎襲名時の配役を菊之助が演じている。ただし、三代目の初演時
には、頼光と土蜘蛛の精を早替りで演じたという)の色模様の場面だが、土蜘蛛の精
は、蜘蛛を使って、綱五郎の手紙を盗ませるなど、本性の一端を示す。ここは、渡辺
綱と茨木童子のパロディ。頼光からの密書を取り戻した綱五郎は、密書を燃やしてし
まう。花咲は、母親の茨木婆と相談して、綱五郎に夫婦になりたいと持ちかける。承
知をし、杯事を交わす綱五郎。役人の衣装に身を固めた森右衛門が、現れ、綱五郎を
頼光館へ、連れて行くことになる。

四幕目の第一場「二条大宮源頼光館の場」。金地の襖に花丸の豪華な模様が描かれて
いる。原因不明の熱病に悩まされる頼光(時蔵)。当主に代わって館を守る平井保昌
(松緑)。「内侍所の御鏡」の詮議の刻限が、明日に迫っており、一条院から使者と
して弁の内侍が来る。弁の内侍の許婚の渡辺綱は、「繋馬の旗」の詮議で武蔵国へ
行っていて留守。渡辺綱にそっくりな綱五郎(実は、本物の渡辺綱)に急場を救って
もらいたいというのが、平井保昌の頼みだった。渋々引き受ける綱五郎。弁の内侍
(梅枝)が、到着した。弁の内侍は、頼光への病気見舞いとして、水破兵破(すいは
ひょうは)の2本の鏑矢を平井保昌に託す。渡辺綱に化けた綱五郎は、覚えた武家言
葉を忘れて町人言葉で、期限の延長を願う始末。許婚の願いならばと、弁の内侍は、
承諾する。「夫」の綱五郎を心配して、花咲と母親の茨木婆がやって来る。「許婚」
の渡辺綱に祝言の杯事を迫る弁の内侍。茨木婆は、弁の内侍に「内侍所の御鏡」を渡
してくれたら綱五郎との仲を取り持とうと持ちかける。弁の内侍は、「内侍所の御
鏡」が、自分の手元に戻って来たら、と、受け入れてしまう。使命を忘れて、なん
て、奴だろう!

綱五郎は、実は、本物の渡辺綱で、茨木婆が、「繋馬の旗」を持っていることを悟っ
ていたので、茨木婆・花咲親子、森右衛門が、相馬一派と見抜いていた。茨木婆も、
正体を明かし、自分は、茨木童子だと名乗ったので、渡辺綱は、茨木童子を成敗し、
「繋馬の旗」も取り脅す。残るは、「内侍所の御鏡」だけとなった。

第二場「同 寝所の場」。木の扉を開けて、頼光の寝所に盗賊の袴垂保輔(松緑)
が、忍び込む。「内侍所の御鏡」を頼光に届けに来たのだ。頼光暗殺を狙う森右衛門
も、忍んで来る。森右衛門は、保輔に殺されてしまう。保輔は、実は、平井保昌だっ
たのだ。盗賊に化けて、鏡の探索をしていたのだ。しかし、頼光は、武士にあるまじ
き行為と保昌を非難する。「黙れ、保昌!」大局観のない奴。なんとも、情けない上
司。絶望して、自害する保昌。

隙をついて、花咲、実は、土蜘蛛の精は、頼光を襲う。ぶっかえりで正体を現したこ
とを表現する。家重代の名剣「膝丸」で、応戦し、土蜘蛛を傷つける頼光。名剣の力
で、熱も本復する。紫の鉢巻きも外れる。土蜘蛛は、怪我をもろともせず、「内侍所
の御鏡」を奪って、逃げて行く。菊之助は、花道スッポンから出入りする。鏡を奪わ
れて悔やむ頼光の前に、死んだ筈の保昌が現れる。自害したのは、双子の弟・保輔
(右頬に黒子があった)で、粗暴な性格が災いして、家から追放され、身を落とし、
本物の盗賊になっていたが、「だんまり」の場面で、偶然、「内侍所の御鏡」を手に
入れ、保昌と相談をした結果、保昌に成り済ました保輔に偽の鏡を持たせていたとい
うトリックを語る。従って、土蜘蛛の精が持ち去った「内侍所の御鏡」は、偽物だっ
たと伝える。めでたしめでたし、という荒唐無稽さも、歌舞伎の魅力。

土蜘蛛が、北野天満宮に隠れたと知らされた頼光は、保昌に水破兵破の2本の鏑矢を
持たせて、天満宮に向かわせる。

大詰「北野天満宮の場」。岩屋の洞窟。大きな蜘蛛の巣。出陣した相馬太郎良門は、
頼光の四天王に追いつめられ、土蜘蛛とともに、天満宮に潜伏している。土蜘蛛(菊
之助)は、妖術を使って、天満宮を火の海にする。幕が、下から上がって来る。赤い
焔は、赤い光で、表現される。菊之助と松緑の立ち回り。水破兵破(すいはひょう
は)の2本の鏑矢を持つ保昌(松緑)は、水破の矢を土蜘蛛の急所に撃ち込む。松緑
は、スッポンの中に、階段を付け、そこから、矢を居る。土蜘蛛の死と共に、幻の焔
は、消え失せる。

北野天満宮の境内。御殿がせり上がって来る。次いで、松緑は、同じく、スッポンか
ら兵破の矢を良門(菊五郎)目掛けて、撃ち込むが、勇猛剛毅な良門は、素手で矢を
つかみ取ってしまう。その矢には、相馬家の家宝の「繋馬の旗」(平家の赤旗)が、
結びつけられていた。無事即位した一条院は、良門を助け、旗を良門に返したのだ。

本舞台には、源頼光(時蔵)、一人武者の保昌(松緑)、四天王のうち、貞光(亀三
郎)、公時(亀寿)、季武(萬太郎)の3人、国岡(松也)、忠政(右近)、右大臣
藤原兼家(團蔵)、一条院(菊之助)が、敵方・良門(菊五郎)を取り囲んで、大団
円。

舞台で観ていても、こういう筋立ては、実は、判り難い。舞台を観ているときは、判
り難い筋を追わずに、大きな流れ、つまり、敵対する者の対立を押さえる程度で、む
しろ、舞台で演じられるものを小さなものでも、見逃さないようにした方が良い。各
場面をそれぞれ独立したものと思って、楽しめば良いと思う。場面事の見どころをさ
え見失わないように気をつけていれば、こういう荒唐無稽な筋立ての、しかし、古風
な歌舞伎味たっぷりの芝居のおもしろさは、堪能できると、思う。

最後に役者評を少し。
主軸の菊五郎は、敵の大将・相馬太郎良門と源頼光の四天王の一人・綱五郎、実は、
渡辺綱のふた役を演じると共に、演出の勘所を押さえる役回り。菊之助は、花咲、実
は、土蜘蛛の精と一条院のふた役。三代目菊五郎種名披露時の家の藝を伝承する。時
蔵は、こちらの大将・源頼光と敵方の渡り巫女・茨木婆。
「茨木」のパロディ。土蜘蛛の精の化身・花咲の「母」を名乗る。渡り巫女としての
呪術を使って、土蜘蛛を蘇生させたのだから、「母」には、違いないか。田之助は、
出番は、少なかったが、良門伯母・真柴という重厚な役どころ。松緑は、盗賊の袴垂
保輔と一人武者の平井保昌という双子の兄弟を演じる。右頬に黒子を着けたり、取っ
たり。團蔵は、憎まれ役のスパイ・伴森右衛門と最後は、偉い右大臣藤原兼家で颯爽
と。萬次郎(鰊の局)と権之助(皮肉の喜兵衛)は、脇で、味のある役を勤めてい
た。彦三郎は、星鮫入道蒲鉾。亀三郎は、鳶の者と四天王の一人、碓井靫負尉貞光。
亀寿は、鳶の者と四天王の一人、酒田主馬祐公時。橘太郎は、鳶の者。

さて、若手が、大勢出ていて、フレッシュ。今春高校を卒業し、歌舞伎に専念すると
いう右近は、良門の妹・七里姫と豊後次郎忠政のふた役。松也は、頼光家臣の巨勢隼
人之助国岡。梅枝は、一条院使の弁の内侍。萬太郎は、四天王の一人、卜部解由季
武。
- 2011年1月21日(金) 17:54:47
11年01月新橋演舞場 (夜/「寿式三番叟」「源平布引滝〜実盛物語〜」「浮世
柄比翼稲妻〜浪宅・鞘当〜」)


富十郎亡き、「寿式三番叟」


夜の部は、「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)」を中心にして書き、
そのほかは、コンパクトにまとめたい。まず、「寿式三番叟」だが、3回目の拝見。
しかし、「寿式三番叟」という正式の外題で観るのは、初めて。過去に観た「寿式三
番叟」の外題は、08年3月、歌舞伎座で、「春の寿」という総題の下、「三番叟、
萬歳、屋敷娘」という舞踊三題の競演、つまり、3つの所作事を繋げて見せる趣向
で、「三番叟」を観たし、09年1月、歌舞伎座では、「祝初春式三番叟」という外
題で観ている。いずれも中身は、「寿式三番叟」であった。今回は、能に近い、本格
的な「三番叟」の上演で、珍しい。「寿式三番叟」は、「三番叟もの」の中でも、い
ちばん、オーソドックスなものであるが、「三番叟もの」のバリエーション(「舌出
し三番叟」「操り三番叟」など)は、私も多数観ている。

基本は能の「翁」。だから、「かまけわざ」(人間の「まぐあい」を見て、田の神
が、その気になり(=かまけてしまい)、五穀豊穣、ひいては、廓や芝居の盛況への
祈りをもたらす)という呪術である。それには、必ず、「エロス」への祈り(色気)
が秘められている。「三番叟」は、江戸時代の芝居小屋では、早朝の幕開きに、舞台
を浄める意味で、毎日演じられた。色気で舞台を浄めるところが、なんとも、歌舞伎
的だ。だから、出し物と言うより、儀式に近い。儀式曲ともいう。太夫元が演じる
翁、若太夫が演じる千歳(せんざい)、座頭が演じる三番叟という組み合わせだ。

今回は、当初、翁に富十郎と梅玉、千歳に魁春、附千歳に鷹之資、三番叟に三津五
郎、という配役だったが、富十郎の病気休演で、翁は、梅玉ひとりになり、富十郎の
逝去に伴い、そのままで、演じられ続けている。

中央奥に長唄連中、手前に、四拍子。四拍子の前の大きなせりが、奈落に墜ちてい
て、ぽっかりと口を開けている。四拍子の位置から見ると奈落の底まで見えるだろう
から、屋根の上に座っているような気分であるに違いない。

やがて、翁、千歳、手に箱を持った附千歳、三番叟の4人が、せり上がって来る。お
のおの、設けの席に控える。まず、附千歳が、手に持っていた翁の面箱を翁に渡す
と、露払いとして、ひとりで、舞い始める。「若天王」「天王寺屋」という声が、大
向うから掛かる。鷹之資は、健気な感じで舞う。筋書に残された父親・富十郎の息
子・鷹之資への言葉。

「大空を飛ぶような、そんな心意気が出れば素晴らしい」。

次いで、翁と三番叟が、ゆるりと出て来るが、翁の梅玉だけが、面をつけると、ゆっ
たりと、格調高く、大間に舞う。天下太平などを祈願。壮麗な舞いを納めると、梅玉
は、下手の幕のうちへと進み、附千歳は、翁と共に、ゆるりと引き込む。附千歳が、
持って来た面箱は、舞台に置いたままである。

次いで、三番叟の三津五郎の出番。三津五郎は、鼓の早間の拍子に合わせて、地面を
踏み固めるように、「揉みの段」を舞う。揉み出し、烏飛び。次いで、「鈴の段」。
基本的には五穀豊穣を祈るということで、農事を写し取っている。女形の千歳の魁春
と三津五郎の舞い。千歳の舞い。再び、三番叟と千歳の舞い。


SF漫画風の喜劇「源平布引滝〜実盛物語〜」


並木宗輔ほかによる合作「源平布引滝」の三段目に当る「実盛物語」は、8回目の拝
見。源平の争いが続く中、平治の乱に敗れた源義朝の弟・木曾義賢の妻・葵御前は、
懐妊中の身で、琵琶湖の畔の百姓・九郎助宅に匿われているが、葵御前のことを訴人
する者があり、平家方の斉藤別当実盛と瀬尾十郎が、詮議に赴いて来た。厳格に調べ
を進めようとする瀬尾十郎と源氏の恩を忘れずに、葵御前をなんとか見逃そうとする
斉藤別当実盛の対比が、芝居の縦軸となる。

この狂言の本質は、「SF漫画風の喜劇」である。主人公は、実盛ではなく、太郎吉
(後の、手塚太郎)であり、実盛は、まさに、「物語」とあるように、ものを語る
人、つまり、ナレーター兼歴史の証人という役回りである。

ここでは、「平家物語」の逸話にある「実盛が白髪を染めて出陣した」ことの解明
が、時空を超えて、試みられている。母の小万が実盛に右腕を切り取られて、亡く
なったと知った太郎吉は、幼いながらも、母親の仇を取ろうと実盛に詰め寄る。実盛
は、将来の戦場で、手塚太郎に討たれようと約束する。そういう眼で見ると、歴史の
将来を予言する「実盛物語」は、まさに、SF漫画風の喜劇ということになる。

このように、太郎吉を主軸にした視点で観ると、並木宗輔らが、隠し味に使っている
「笑劇」的要素が、見えてくるから不思議だ。例えば、白旗(源氏の白旗)を握って
いる小万の右手は、太郎吉のみによって、白旗を放すための指が緩められる。太郎吉
にとって、母の小万が亡くなっているというのは、悲劇だけれど、一旦、亡くなった
筈の母が、太郎吉が、「俺が採った」という白旗を握りしめた右腕を母の遺骸に繋げ
ると、一時とは言え、母が蘇生する喜びの方に、ここは、重点が置かれている。太郎
吉は、過去に遡るかのように、殺された母を生かし、未来を先取りするかのように、
実盛に対する母の敵討を予約する、いわば、超能力を持った少年である。こういう発
想は、まさに、SF漫画的では、ないか。

探索に来た平家方の瀬尾十郎の詮議に対して、木曽義賢の妻・葵御前が、産んだ
「子」が、「小万の右手」だというのも、漫画的発想である。それを実盛は、真面目
な顔をして「今より此所を・・・手孕(てはらみ)村と名づくべし」などと言ってい
る。また、これを受けて、瀬尾も、「腹に腕があるからは、胸に思案がなくちゃ叶わ
ぬ」などと返している。まさに、漫画的な科白のやり取りだ。小万が、実は、百姓・
九郎助と小よし夫婦の娘ではなく、瀬尾十郎の娘であり、太郎吉は、瀬尾にとって、
「孫」に当たるという「真相」も、漫画的である。

2000年2月に、国立劇場で、人形浄瑠璃の「源平布引滝」を通しで拝見した。こ
の演目は、SF漫画的に時空を自在に交差させるものだけに、人形浄瑠璃の方が、物
語の展開や表現に深みがある。役者が誰というより、人形の超時空性の方が、相応し
い演目だから、人間より、人形の方が、素直に演じられるのだろうと思う。

そうは言っても、歌舞伎では、やはり、実盛役者が、この芝居の主役である。私が観
た斎藤実盛役で言えば、吉右衛門、富十郎、勘九郎時代の勘三郎、菊五郎、新之助時
代の海老蔵、仁左衛門(2)そして、今回は、團十郎。

2回観た仁左衛門の実盛は、颯爽としていて、華があって、見栄えがした。科白の緩
急、表情の豊かさ、竹本の糸に乗る動きなど堪能した。今回の團十郎は、特に、子役
の演じる「太郎吉」への視線に感情が込められていたように感じられた。團十郎の息
子の海老蔵事件の波紋が広がる中だけに、子に対する父親の感情が、太郎吉への実盛
の視線に重なっているように見受けられたのは、こちらの感情移入過多かもしれない
が、そういう印象が、私の胸中に伝わって来たのも事実だ。

18年振りだが、今回で6回目という瀬尾十郎を演じた段四郎は、渋い傍役に味があ
る。段四郎は、過去の5回は、兄の猿之助の実盛を相手に演じて来たが、今回は、初
めて、團十郎を相手に演じる。「黙れ、おいぼれ」と九郎助を叱るなど憎まれ役であ
るが、最後に、孫思いの人の善い老人に戻る(いわゆる、「モドリ」)など、奥行き
のある役だけに、奥深さが滲み出て来ないと、人物造形として、ここの瀬尾は、不十
分となる。

福助が演じた葵御前は、身をやつしての産前、産後、盛装してのと、3回姿を変える
ので、それぞれの違いの出し方が難しい。魁春が演じた小万は、この場面では、遺骸
の役で、ほとんど動かないが、一時の甦り(黄泉帰り)で、一瞬の芝居に存在感を掛
けなければならないから、これも難役だ。


落語と錦絵の世界


1823(文政6)年、江戸・市村座初演の「浮世柄比翼稲妻」は、四代目鶴屋南北
原作。全9幕19場という、長丁場の芝居。従って、今では、全場面が上演されるこ
とはない。

「浮世柄比翼稲妻」のうち、人気のある「鈴ヶ森」は、良く上演される。次いで、
「鞘当」か。09年9月歌舞伎座では、「鈴ヶ森」と「鞘当」を通して観たことがあ
る。今回は、「浅草鳥越山三浪宅」と「鞘当(吉原仲之町)」が、通しで上演される
というので、愉しみにしていた。「浪宅」から「鞘当」への流れは、判り易い。私
が、「浪宅」を観るのは、初めてである。

「鞘当」は、ふたりの浪人、不破伴左衛門と名古屋山三が、登場する「稲妻草紙」の
世界。「鈴ヶ森」は、小紫と権八の「比翼塚の世界」。全く違う世界が、ひとつにな
り(「綯い交ぜ」という)、南北独特の世界へと昇華しして行く。佐々木家のお家横
領を企む伴左衛門が、佐々木家の家臣で、敵対する山三の父親・山左衛門とともに、
権八の父親・兵左衛門を闇討ちにする。山左衛門も、何者かに殺され、刀を奪われて
いる(伴左衛門が、父親の仇ではないかと山三は、疑っている)。山三と伴左衛門
は、吉原の花魁・葛城(元の腰元・岩橋で、山三は、不義発覚、追放以来、男女の仲
が、続いている)を巡る恋敵というところから、物語は始まっているのだが、最近で
は、通しでは、滅多に上演されない。お家騒動という権力争いと男女の恋物語は、歌
舞伎のオーソドックスな構造のひとつ。

今回は、山三浪宅の場面では、浪人となり、父親の仇を捜す山三(三津五郎)と山三
に恋する下女お国(福助)、山三と恋仲の葛城(福助)の、三角関係が、軸となる。
これに、お国の父親・浮世又平(弥十郎)と、吉原の遣手・お爪(右之助)が、から
む。お爪は、伴左衛門に頼まれたと言って、又平に山三を殺すための毒を手渡される
(お爪も、又平も、実は、伴左衛門の家来衆なのだ)。誤って、毒入りの酒を飲ん
で、命を落とすのは、又平とお国の親子という皮肉な結末。

そういう筋の展開よりも、南北劇らしい、おもしろさは、舞台の細部に宿っている。
例えば、ぼろ長屋では、雨漏りがする。家内で、傘をさして雨をしのぐ山三。唐傘に
は、「なごや てりふり町」と書いてある。次いで、家の外に置いてあった大盥を見
つけて来ると、それを梁から縄でぶら下げて、「雨受け」の仕掛けとする。へっつい
で、飯を炊く場面では、燃料不足を補うために又平は、床板をはがしてしまう。それ
を見つけた家主も、困ったものだと言いながらも、叱りはしないなど、江戸の貧乏生
活に精通した南北ならではの、アイディアが、示される。さらに、卓越なのは、山三
を訪ねて吉原から葛城が、禿や新造、幇間など大勢の連れを伴って、貧乏長屋に華や
かな「花魁道中」を仕掛けて来る。長屋は、華やぎ、浮かれた大家は、軽業の口上を
真似ながら、葛城に長屋の女房としての生活作法を教え出す始末という、落語的な世
界そのものの喜劇的なサービスも、潤沢である。

最後は、「旦那様命」の刺青を左腕に彫り込んだ純愛のお国の死という悲劇。「葛城
は一夜妻。内に残すは宿の妻」という山三の科白。暗闇の中で、それを聞きながら、
息絶えるお国が、本舞台に残され、花道をひとり吉原に向かう山三という場面で、
「浪宅」の場面は、幕が閉じる。

「鞘当」では、桜満開の江戸新吉原仲之町が舞台。幕が開く前に、下手の大薩摩連中
で、繋の一駒(くさり)。大薩摩連中退場で、幕が開くと、華やかな吉原の町並み。

花道から浪人・不破伴左衛門(橋之助)、上手から浪人・名古屋山三(三津五郎)
が、それぞれ登場する。この場面は、両花道を使ったり、花道・上手の登場人物の出
が、替わったり、いろいろある。

水色の地に濡れ燕模様の衣装に深編笠姿の山三は、白塗り、白足袋の着流し。黒地に
茶と緑の雲、朱色の稲妻模様の衣装に深編笠姿の伴左衛門は、砥の粉塗り、黄色い足
袋の着流し。衣装こそ違うものの、二人は、まるで、「二人もの」の演目のように、
ということは、ふたりの間に鏡があるかのごとき、左右対称に見える所作をする。同
調と対比。そのふたつの様式美が、大事だ。古典の様式的な美を意識した舞台。本舞
台中央で、二人がすれ違って、上下が、入れ替わる際に、刀の鞘が当たって、武士の
面目上、喧嘩になる。鞘が当たり、お互いに抜きあった刀は、鞘を替えても、ぴった
り納まる名古屋家伝来の陰陽の剣。伴左衛門は、名古屋山三の父親を殺し、刀を奪っ
た容疑濃厚と判る場面だ。

そういうところへ、引手茶屋女房・お梅(福助)が、「留め(止め)女」として、登
場するという趣向。喧嘩の仲裁役という役どころ。後日の対決を約することになる。

渡り科白を聞かせながら、一枚の浮世絵葉書のような所作事の芝居。それだけの場面
だが、元禄歌舞伎の古風な味わいを残した舞踊劇で、いかにも、華やかな歌舞伎らし
い場面で、代々の役者の工夫のエッセンスが詰まっている。物語と言うより、3人の
役者の持ち味が見どころ。

私が観た山三では、梅玉、菊之助、染五郎、そして、今回の三津五郎。伴左衛門で
は、橋之助(今回含めて、2)、松緑(2)。茶屋女房は、芝雀(3)、今回は、お
国・葛城・お梅の3役と大活躍の福助。要するに、山三・伴左衛門の敵対コンビの三
津五郎・橋之助の芝居というより、福助を主軸にした芝居という印象が強かった。福
助の多重的な魅力を売り物にした芝居である。
- 2011年1月21日(金) 12:02:30
11年01月新橋演舞場 (昼/「御摂勧進帳」「妹背山婦女庭訓〜三笠山御殿」
「寿曽我対面」)


新橋演舞場の「寿初春代歌舞伎」という筋書に「お客様各位」というメモが、挟まれ
ている。原文は、次の通り。

「五代目 中村 富十郎 丈/平成二十三年一月三日/急逝致しました。/ここに生
前のご厚誼を深謝し、/謹んでお知らせ申し上げます。/松竹株式会社/新橋演舞
場」

歌舞伎の人間国宝のひとり、81歳の富十郎が、亡くなってしまった。私は、201
0年11月、新橋演舞場、夜の部の初日に、「逆櫓」の畠山重忠役の富十郎を観たの
が最後になった。富十郎は、この後、11月17日から休演してしまった。 201
1年1月は、2日から始まる新橋演舞場・初春大歌舞伎(夜の部)の「寿式三番叟」
に、翁役で出演予定だったが、初日から休演していた。つまり、2010年11月1
6日の新橋演舞場の舞台が、富十郎の最期の舞台となった訳である。口跡の良い、メ
リハリのある演技が出来る数少ない役者だった。存在感のある役者が、2年後の春に
控えた歌舞伎座の再開を待たずに亡くなってしまった。改めて、哀悼の意を表した
い。


「江戸の花」初代桜田治助と大正期のチャレンジャー初代猿翁


さて、昼の部、最初の演目、「御摂(ごひいき)勧進帳〜安宅の関〜」は、2回目の
拝見。前回は、02年7月歌舞伎座。「御摂勧進帳」は、初代桜田治助らの原作で、
1773(安永2)年、江戸・中村座初演のものを二代目(つまり、先代)猿之助
(猿翁)が、大正時代に「復活」した荒事の狂言。従って、現在の舞台を観る私たち
は、原作者の桜田治助(「江戸の花の桜田」と渾名された。1769年には、四代目
團十郎一座の立て作者に抜擢された)らの狙いと大正期に復活した先代猿之助(初代
猿翁)の志というものを読み取る必要があると思うが、何処まで書けるかは、今後の
課題だと思うが、とりあえず、そういう問題意識を持っているので、今回は、その辺
りにポイントを絞って試論として書いてみたい。その代わり、何度も観ている、「御
殿」や「対面」の劇評は、コンパクトにした。

弁慶(橋之助)一行は、義経(錦之助)に従う、常陸坊尊海(柱三)ら「六」天王。
当初は、義経と六天王のみの登場。安宅の関守は、この地の豪族・富樫左衛門家直
(歌六)のほかに、鎌倉幕府から遣わされた斎藤次祐家(弥十郎)がいる。ふたり
は、恰も、「俊寛」で、ご赦免船の遣いできた康頼と瀬尾に似た雰囲気であり、「勧
進帳」では、富樫左衛門(平安時代末期から鎌倉時代初期の武将・富樫左衛門泰家
が、モデルと言われる)が、一人で体現する内面の葛藤を、ここではふたりに役割分
担させている。それぞれが、「親義経」=富樫と「反義経」=斉藤次を純化させてい
る。演劇的には、よく使われる手法だろう。見た目が、判り易くなる代わりに、人物
造形が、一層的(平べったく)になる。

最初、関所にいるのは、斎藤次のほか、出羽運藤太、新庄鈍藤太らと大勢の番卒。関
の陣屋(幔幕の九曜の紋は、富樫の紋)上手に巨大な天水桶が、下手に大きな松の木
が、いわくありげに置かれている。
 
義経一行は、早々と怪しまれてしまう。やがて、「待て」という大音声と共に、朱色
の衣装に身を固め、毬栗頭に紅隈取をした荒法師姿の弁慶登場。咎める関守の番卒た
ちとやりあう弁慶。番卒たちが、「ありゃ」「おりゃ」「べんけい」などと化粧声を
かける。2回目の拝見で気がついたが、これは、「暫」のパロディではないのか。清
原武衡が、加茂義綱らを捕えて、首を刎ねようとする場面で、「あわや」という時
に、「暫く」と声をかけて、花道から登場する鎌倉権五郎の役どころが、弁慶であ
る。「暫」は、1692年の初演と伝えられ、「御摂勧進帳」は、1773年が、初
演である。「勧進帳」は、初代團十郎によって、原型が演じられたのが、1702年
で、今のような形に改められて歌舞伎十八番のうちとして、初演されたのは、團十郎
の名跡を息子の八代目に譲った五代目海老蔵(元、七代目團十郎)が弁慶を演じた1
840年である。八代目團十郎は、この時、義経を演じている。「御摂勧進帳」は、
「暫」を下敷きに、原型の「勧進帳」の世界を表現したということになる。

国立劇場の「御摂勧進帳」は、残念ながら、観ていないが、上演記録を見ると、「御
ひいき勧進帳」(利倉幸一補綴)という外題にして、「暫/色手綱恋の関札/芋洗い
勧進帳/安宅の関」という構成で、4回上演している。次には、国立版を是非、観て
みたい。

やがて、奥から富樫も髪に白梅の枝の飾りを着けて、お洒落に登場。冨樫に言われ
て、何も書いていない勧進帳の巻物(表が白で、裏が、黒)を取り出して、浪々と弁
慶が読み上げる場面は、「勧進帳」と同じだが、「勧進帳」では、舞台の下手側に弁
慶、上手側に富樫という位置づけ(同じ平面にいて、向き合うので、巻物の中身は、
見え難い)になるが、「御摂勧進帳」では、二重舞台の上に、富樫や斉藤がいて、そ
の前面、平舞台に弁慶がいて、弁慶は、観客席の方を向いて勧進帳を読み上げるの
で、富樫らは、後ろから弁慶の持っている勧進帳を覗き込める状況になっている。勧
進帳の文字まで判らないとしても、巻物の黒地に何も書いていないということは、こ
れでは、丸判りなのではないのか。さらに、「勧進帳」では、重要なポイントとなる
山伏問答もない。

前回の舞台の劇評では、「二重舞台の陣屋から斎藤次が、懐から眼鏡を取り出して、
勧進帳を覗こうとする。平舞台で、巻物を閉ざして、はったと睨む弁慶。二重を巧く
使った立体的な対立の場面」と私は書いたが、今回は、むしろ、上記のような感想を
抱いた。こういう印象の変化が、歌舞伎のおもしろさである。
 
弁慶は、巻物を奪おうとする番卒たちと巻物を開いたままの立ち回りとなる。弁慶
が、後ろを向けば、観客席からも何も書いていない黒地が見える。ここは、「勧進
帳」でも、にたような場面になる。巻物の裏表が、見えてしまうが、お構いなし。弁
慶が、空で、勧進帳の文句を唱えているのを、わざと、見せつけているようだ。ここ
は、「勧進帳」でも、似たような場面になる。

斎藤次が、笠を傾けて顔を隠している強力が義経だと決めつける。弁慶の正体も見抜
いている。齋藤次は、有能な官僚なのだろう。見破られそうになると、弁慶は、金剛
杖で義経を打ち付けるが、その際、前回の舞台では、義経の被っている笠を飛ばし
て、義経の顔を見せつける。そこまでやるなら、お供の、強力は、義経ではないであ
ろうと思わせる作戦が功を奏する。終始、義経の顔を隠したまま、義経を打ち据える
「勧進帳」とは、演出が違う。今回は、義経の顔を見せはしなかったが、義経の着て
いる水色の衣装には、白抜きの「笹竜胆」(義経の紋)が、くっきりと浮き上がって
いて、義経と判る仕組み。すべてを悟っている富樫の判断で、義経一行に往来切手渡
し、関所を通過させる。疑っている斎藤次は、富樫の判断には不満だが、地元判断優
先という、これまた、官僚的な常識で、黙認する。舞台上手から消える義経一行。

収まらない斎藤次は、弁慶かもしれない荒法師を陣屋に残す。弁慶は、番卒らに縛り
上げられる。皆に袋叩きにされる弁慶。大泣きする弁慶。通俗日本史の、伝説的人
物・「泣かぬ弁慶」を、歌舞伎は、いろいろな趣向で泣かそうとする。これだけ、大
泣きする弱者が、強者・弁慶のはずがないという作戦だ。いわば、子供だまし。斎藤
次らの調べに対して、弁慶も、「まことの弁慶ではない」と供述する。
 
義経一行が関所から遠ざかった距離を推し量る弁慶。斎藤次らの答えで、「二里」で
は、近すぎる。まだまだ。「三里?」。 ならば、もう良いか。弁慶は、自分が弁慶
だと白状し、弁慶を縛っていた縄を縛られたまま、内側から引きちぎる。怪力弁慶の
面目躍如。これ以降、弁慶の関所破りの立ち回りになる。大道具も、左右に引かれ
て、陣屋から外の海岸の場面に替わる。舞台中央に、先ほどまで、舞台上手にあった
ものより、いちだんと大きな天水桶が、人力で押し出されて来る。

弁慶は、番卒たちの首を次々に引きちぎる。16人の番卒たちは、赤い消し幕を背中
から出して首を隠す。引きちぎられた首は、舞台前方に押し出されてきた大天水桶に
投げ入れられる。運藤太、鈍藤太は、最初は、ちぎられた首を球にして、ホッケーの
ような遊びをしているが、やがて、ふたりの首も弁慶のよって、引きちぎられてしま
う。
 
ころは、良し。桶の後ろからせり上げに乗って、桶に渡された板の上に上がる橋之助
弁慶。「いずれもさまのおかげで、役を勤め上げることができました」との口上。
やっとこどっこい、うんとこな。板の上に立ちはだかり、2本の金剛杖を使って首を
芋洗いのように、もみしだく弁慶。別称「芋洗い勧進帳」。荒事の豪快さとおおらか
な笑劇がミックスされた古劇。ここは、「御摂勧進帳」独自の場面。この場面ゆえ
に、「御摂勧進帳」は、後世まで残り、いまも、私たちを楽しませてくれる。
 
今度は、桶のなかから首が次々に飛び出してくる。ありゃ、おりゃ。玉を数えている
ようだ。こりゃ、こりゃ、まるで、運動会の玉入れ競争のノリだ。紅白の玉をそれぞ
れの駕籠に入れ、終わると、戦果の玉の数を数える。あの場面だ。
 
この場面を含めて、「御摂勧進帳」には、江戸荒事の稚戯の味がある。その辺りは、
「古風な味わいのある」と言われる原作者の桜田治助らの工夫なのか、大正期に、こ
れを復活上演し「近代的な解釈を付け加えた」と言う二代目猿之助(初代猿翁)の工
夫なのか(特に、「安宅の関」は、大正期の復活上演時に書き下ろされたらしい
が……)、いまは、調査不足で、詳細は、判らない。しかし、復活者としての工夫が
あるとすれば、という条件付きだが、前回の劇評で書いたのと同じ印象を今回も持っ
たので、再録しておきたい。

*研究熱心な先代の猿之助は、かなり、「確信犯」として、歌舞伎十八番の「勧進
帳」と違う味わいを狙ったということだろう。いわば、「対極・勧進帳」、「パロ
ディ勧進帳」と言ったところだろう。向うが、大人受けのする、哲学的な勧進帳な
ら、こちらは、子どもの受け狙いをする漫画的な勧進帳。


歌舞伎版「不思議の国のアリス」


「妹背山婦女庭訓〜三笠山御殿〜」は、4回目の拝見。私が観た配役は、98年11
月、歌舞伎座、00年9月、歌舞伎座、01年12月、歌舞伎座、そして今回の順。
お三輪:雀右衛門、福助、玉三郎、今回は、福助。求女:菊五郎、梅玉、勘九郎時代
の勘三郎、今回は、病気休演の芝翫の代役で、橋之助。橘姫:福助、松江、福助、今
回は、芝雀。鱶七:團十郎、吉右衛門、團十郎、今回は、團十郎。入鹿:羽左衛門、
なし、段四郎の代役で、弥十郎、今回は、左團次。豆腐買い:富十郎、勘九郎時代の
勘三郎、猿之助、今回は、東蔵。

こちらは、テキストして、詳細に検証すると、ストーリーの、あまりの荒唐無稽さに
呆れ果ててしまうのだが、テキストの印象と舞台の印象が、また、違うという所に、
この演目の強(したた)かさがあり、それが、まさに、歌舞伎の強かさであるから、
まさに、怪物である。

今回の劇評は、役者評を中心にコンパクトにしておきたい。この物語は、1)権力争
いとそれに巻き込まれた町娘・お三輪の、2)悲恋物語が、織りなすという男の争い
と女の争いが、主軸となる。

まず、権力争いでは、蘇我入鹿と鱶七・求女こと、藤原淡海を軸にする。團十郎で、
3回目の拝見となる鱶七は、荒事定式の、衣装(大柄の格子縞の裃、長袴、縦縞の着
付)に、撥鬢頭に、隈取りに、「ごんす」「なんのこんた、やっとこなア」などとい
う科白廻しにと、荒事の魅力をたっぷり盛り込む。二本太刀の大太刀は、朱塗りの鞘
に緑の大房。太刀の柄には、大きな徳利をぶら下げている。腰の後ろに差した朱色の
革製の煙草入れも大型。鬘の元結も何本も束ねた大きな紐を使ってる。上から下ま
で、すべてに、大柄な荒事意識が行き届いている扮装。

團十郎は、江戸歌舞伎の特徴である荒事を代々伝える宗家の貫禄を示す。息子海老蔵
の引き起こした「事件」で、父親としての胸中は、苦しいのだろうが、役者として
は、豪快で、大らかで、古風な歌舞伎味を出している。

贅言;二重舞台の「三笠山御殿」は、近松半二得意のシンメトリー。高足の二重欄
干、御殿の柱、高欄階(きざはし)、も黒塗り。人形浄瑠璃なら、「金殿」という上
方風の御殿に、鱶七は、江戸荒事の扮装、科白、動作で闊歩する。人形浄瑠璃なら、
「鱶七上使の段」と、そのものずばりのネーミングになっている。

権力争いの、もう一人の主役は、求女こと、藤原淡海で、求女は、人形浄瑠璃なら、
「姫戻りの段」の場面で、登場。橘姫が、被衣(かつぎ)を被りお忍び姿で戻って来
る。出迎える官女たち。その一人が、姫の振袖の袂についている赤い糸を手繰ると、
「苧環」を持った求女がやって来るという趣向だ。姫様の恋人だと官女たちが喜ぶ。
求女も、やっと、橘姫の正体、つまり、藤原鎌足(淡海は、その息子)の政敵・蘇我
入鹿の妹と知る。求女は、橘姫の正体を疑い、恋人になろうとしたスパイなのであ
る。有能なスパイの狙いが、どんぴしゃりと当たったということだ。「苧環」を搦め
た美男美女の錦絵風。自分との結婚の条件として、兄・入鹿が隠し持っている「十握
(とつか)の御剣(みつるぎ)」(三種の神器のひとつ)を盗み出すよう娘をそその
かすスパイ・求女の強かさ。ただの美男ではないという求女。求女は、亡くなった富
十郎より、1歳上で、82歳の芝翫が演じる予定だったが、病気休演で、代役の橋之
助が、演じるが、ここは、芝翫で初役の求女を観たかった。

権力争いより、大きな物語が、実は、町娘の悲恋物語。まず、悲劇の前の笑劇という
作劇術の定式通りで、「豆腐買い」。豆腐買いの東蔵は、「ごちそう」の役どころ。
「不思議の国のアリス」のように飛鳥時代の「御殿」=「不思議の国」を迷い込み、
求女への恋心と共に、御殿という未知の世界で、彷徨するお三輪=アリスにとって、
豆腐買いは、敵か味方か。

タイムトリップする迷路で出逢った、異次元の通行人にすぎないのだが、求女の着物
の裾につけた筈の、白い苧環は、お三輪=アリスにとって、魔法の杖だったはずだ
が、有能なスパイに悟られたのか、糸の切れた苧環は、「糸の切れた凧」同様、タイ
ムトリップする異次元の迷路では、役に立たなかった。時空の果てに置き去りにされ
たお三輪には、どんな運命が待ち構えているのか。

御殿の官女たちは、異次元から侵入したお三輪を攻撃する。御殿を守る防衛隊として
は、常識的な対応だろう。それは、「虐め」という形で、表現される。「御殿」の、
前の場面、「道行恋苧環」では強気の町娘だったお三輪は、ここでは、虐められっ子
にされてしまう。この場面が、「御殿」では、本編中の本編だろう。吉三郎らの8人
の立役のおじさん役者たちが、魔女のように、可憐な少女アリス=お三輪に対して、
如何に憎々しく演じることができるか。それが、対照的に、お三輪の可憐さを浮き立
たせる。お三輪(福助)も、ここで虐め抜かれることで、「疑着のお三輪」への変身
のエネルギーを溜め込むことになる。

上手、奧からは、求女と橘姫との婚礼準備の進捗をせかせるように、効果的な音が、
続く。1)ドン、2)チン、チン、チン、3)ドン、ドン、ドン、4)とん、とん、
とん。これが、規則的に繰り返される。下手、黒御簾からは、三味線と笛の音。舞台
では、次第に高まる緊張。官女たちの虐めもエスカレートする。さりげない効果音的
な演奏が、場を引き立てる。音と絵のシンフォニー。

そして、お三輪のクライマックスは、疑着のお三輪。「官女たちのお三輪虐
め」→「鱶七によるお三輪殺し」というふたつの場面を繋ぐ、ブラックボックスが、
疑着のお三輪である。憎しみのエネルギーを溜め込んだ強いお三輪の復活だが、
……。

しかし、ひとたび、弱さを見せたお三輪は、「道行恋苧環」のようには、強さを維持
できない。次に迎える悲劇を暗示している。求女、実は、藤原鎌足の息子・淡海の、
政敵・蘇我入鹿征伐のために鱶七、実は、金輪五郎今国(藤原鎌足の家臣)に命を預
けるお三輪。疑着の女の血が役立つと、死んで行くお三輪の悲劇が、お三輪の恋しい
人である淡海の権力闘争を助けるという大団円。

瓦灯口の定式幕が、取り払われると、奧に畳千帖の遠見(これが、「弁慶上使」のも
のと同じで、手前上下の襖が、銀地に竹林。奧手前の開かれた襖が、銀地に桜。奧中
央の襖が、金地に松。悲劇を豪華絢爛の、きんきらきんの極彩色で舞台を飾ってい
る)

亡くなったお三輪の遺体が平舞台、中央上手寄り。二重舞台中央では、豪華な馬簾の
付いた伊達四天姿に替わった鱶七と10人の花四天との立ち回りになったところで、
幕。

私が、これまでに観たお三輪では、雀右衛門が、いちばん虐められていて、可哀想に
観えた。美男なだけではない、強かな求女は、菊五郎か。橘姫は、魁春(松江時代に
観た)。鱶七は、断然、團十郎。入鹿も、断然、羽左衛門。豆腐買いは、今回の東蔵
含めて、それぞれ、味を出していた。


科白廻しも堪能の、「対面」


「寿曽我対面」は、7回目の拝見。曽我ものの仇討話が、宿敵との「対面」だけを取
り上げることで、祝典劇になった。江戸の庶民は、正月の松飾りのように、あるい
は、江戸っ子の初夢の「一富士二鷹三茄子」(いずれも、共通イメージは、「高いも
の」。一は、標高、二は、「鷹=「貴(たか)い」と語呂合わせ、三は、初物で値が
高い。また、「なす」は、「成す」で、成就祈願」とのダブルイメージもありで、富
士=曽我ものとして、鎌倉初期の武士の兄弟は、能に、人形浄瑠璃に、歌舞伎にと、
18世紀初め以来、「曽我狂言」の主人公として、登場した。また、「一富士」は、
曽我兄弟。「二鷹」は、赤穂浪士。「三茄子」は、荒木又右衛門。いずれも、仇討も
の。日本三大仇討の初夢だという説があるという。

「曽我狂言」は、江戸時代では、正月の風物詩になっていた。「寿曽我対面」は、主
役は、曽我兄弟よりも、宿敵の工藤祐経である。仇と狙う曽我兄弟との対面を許し、
後の、富士の裾野での巻狩の場での再会を約し、狩り場の通行に必要な「切手」を兄
弟に渡すという、太っ腹で、「敵ながら、天晴れ」という行動様式に日本人は、拍手
喝采したのだろう。

私が観た工藤祐経:富十郎(2)、團十郎(2)、三津五郎、幸四郎、そして、今回
は、吉右衛門。高座に座り込み、一睨みで曽我兄弟の正体を見抜く眼力を発揮するの
が、工藤祐経役者。この演目は、正月、工藤祐経館での新年の祝いの席に祐経を親の
敵と狙う曽我兄弟が闖入する。やり取りの末、富士の裾野の狩場で、いずれ討たれる
と約束し、狩場の通行証を「お年玉」としてくれてやるというだけの、筋らしい筋も
無い芝居である。それでいて、歌舞伎座筋書の上演記録を見ると、巡業などを除いた
戦後の本興行だけの上演回数でも、断然多い。歌舞伎味のエッセンスのような作品な
ので、歌舞伎が続く限り、永久に、歌舞伎の様式美の手本になり続ける不易で、古典
的な作品と言えるだろう。

その秘密は、この芝居が、動く錦絵だからである。色彩豊かな絵になる舞台と、登場
人物の華麗な衣装と渡り科白、背景代わりの並び大名の化粧声など歌舞伎独特の舞台
構成と演出で、短編ながら、十二分に観客を魅了する特性を持っているからだと、思
う。

また、歌舞伎の主要な役柄が揃い、一座の役者のさまざまな力量を、顔見世のように
見せることができる舞台であり、さらに、中味も、正月の祝典劇という持ち味のある
演目であることから、特に、11月の顔見世興行や正月新春興行に上演しやすいとい
うこともあろう。

さて、舞台。今回の昼の部は、大向うから、屋号を呼びかける声が少なかったが、さ
すが、「対面」では、声が掛かり出す。工藤館の市松模様の戸が、3枚に折れて、屋
敷の上部に仕舞い込まれると、並び大名たちは、いちばん後ろの列に並んでいる。同
列の上手には、梶原親子(由次郎、吉之助)。その前の座敷には、工藤祐経(吉右衛
門)を軸に、いつもの面々。クライマックスを考えると、「対面」は、3枚重ねの、
極彩色の透かし絵のような構造の芝居なのである。並び大名と梶原親子の絵が、いち
ばん奥の1枚の絵なら、2枚目の絵には、大磯の虎(芝雀)、化粧坂の少将(巳之
助)、小林朝比奈(歌昇)が並ぶ。3枚目、いちばん前に置かれた絵は、工藤祐経
(両脇に、曽我兄弟の父親を殺した、ヒットマンの近江小藤太=松江、八幡三郎=種
太郎が控えている)と曽我兄弟(五郎=三津五郎、十郎=梅玉)の対立の絵である。

今回は、科白廻しの良い役者が揃っていたので、姿もさることながら、声も良かっ
た。吉右衛門の工藤祐経は、貫禄があった上に、科白廻しが、よいだけに、聞き応え
がある。高座に座り込んでからも、風格のある立派な祐経で、両脇の近江小藤太、八
幡三郎を従えて、堂々の押し出しである。曽我兄弟では、白塗りに剥き身隈の五郎を
演じた三津五郎が、若さと血気の五郎を体現するような高めの声で、科白を言ってい
た。稚気と力強さを感じさせる勢いがあって、良かった。もうひとり、小林朝比奈を
演じた歌昇が、いつもながらの、明晰な口跡で、時代物のなかで、荒事の庶民的な、
世話な科白を一字一句、しっかりと言っていて、聞きでがあった。

ほかに、曽我兄弟に家宝の友切丸を見つけだし、届ける鬼王新左衛門に、歌六。巳之
助が、珍しく、化粧坂の少将役という女形。
- 2011年1月20日(木) 18:48:08
10年11月新橋演舞場 (昼/「御摂勧進帳」「妹背山婦女庭訓〜三笠山御殿」
「寿曽我対面」)


新橋演舞場の「寿初春代歌舞伎」という筋書に「お客様各位」というメモが、挟まれ
ている。原文は、次の通り。

「五代目 中村 富十郎 丈/平成二十三年一月三日/急逝致しました。/ここに生
前のご厚誼を深謝し、/謹んでお知らせ申し上げます。/松竹株式会社/新橋演舞
場」

歌舞伎の人間国宝のひとり、81歳の富十郎が、亡くなってしまった。私は、201
0年11月、新橋演舞場、夜の部の初日に、「逆櫓」の畠山重忠役の富十郎を観たの
が最後になった。富十郎は、この後、11月17日から休演してしまった。 201
1年1月は、2日から始まる新橋演舞場・初春大歌舞伎(夜の部)の「寿式三番叟」
に、翁役で出演予定だったが、初日から休演していた。つまり、2010年11月1
6日の新橋演舞場の舞台が、富十郎の最期の舞台となった訳である。口跡の良い、メ
リハリのある演技が出来る数少ない役者だった。存在感のある役者が、2年後の春に
控えた歌舞伎座の再開を待たずに亡くなってしまった。改めて、哀悼の意を表した
い。


「江戸の花」初代桜田治助と大正期のチャレンジャー初代猿翁


さて、昼の部、最初の演目、「御摂(ごひいき)勧進帳〜安宅の関〜」は、2回目の
拝見。前回は、02年7月歌舞伎座。「御摂勧進帳」は、初代桜田治助らの原作で、
1773(安永2)年、江戸・中村座初演のものを二代目(つまり、先代)猿之助
(猿翁)が、大正時代に「復活」した荒事の狂言。従って、現在の舞台を観る私たち
は、原作者の桜田治助(「江戸の花の桜田」と渾名された。1769年には、四代目
團十郎一座の立て作者に抜擢された)らの狙いと大正期に復活した先代猿之助(初代
猿翁)の志というものを読み取る必要があると思うが、何処まで書けるかは、今後の
課題だと思うが、とりあえず、そういう問題意識を持っているので、今回は、その辺
りにポイントを絞って試論として書いてみたい。その代わり、何度も観ている、「御
殿」や「対面」の劇評は、コンパクトにした。

弁慶(橋之助)一行は、義経(錦之助)に従う、常陸坊尊海(柱三)ら「六」天王。
当初は、義経と六天王のみの登場。安宅の関守は、この地の豪族・富樫左衛門家直
(歌六)のほかに、鎌倉幕府から遣わされた斎藤次祐家(弥十郎)がいる。ふたり
は、恰も、「俊寛」で、ご赦免船の遣いできた康頼と瀬尾に似た雰囲気であり、「勧
進帳」では、富樫左衛門(平安時代末期から鎌倉時代初期の武将・富樫左衛門泰家
が、モデルと言われる)が、一人で体現する内面の葛藤を、ここではふたりに役割分
担させている。それぞれが、「親義経」=富樫と「反義経」=斉藤次を純化させてい
る。演劇的には、よく使われる手法だろう。見た目が、判り易くなる代わりに、人物
造形が、一層的(平べったく)になる。

最初、関所にいるのは、斎藤次のほか、出羽運藤太、新庄鈍藤太らと大勢の番卒。関
の陣屋(幔幕の九曜の紋は、富樫の紋)上手に巨大な天水桶が、下手に大きな松の木
が、いわくありげに置かれている。
 
義経一行は、早々と怪しまれてしまう。やがて、「待て」という大音声と共に、朱色
の衣装に身を固め、毬栗頭に紅隈取をした荒法師姿の弁慶登場。咎める関守の番卒た
ちとやりあう弁慶。番卒たちが、「ありゃ」「おりゃ」「べんけい」などと化粧声を
かける。2回目の拝見で気がついたが、これは、「暫」のパロディではないのか。清
原武衡が、加茂義綱らを捕えて、首を刎ねようとする場面で、「あわや」という時
に、「暫く」と声をかけて、花道から登場する鎌倉権五郎の役どころが、弁慶であ
る。「暫」は、1692年の初演と伝えられ、「御摂勧進帳」は、1773年が、初
演である。「勧進帳」は、初代團十郎によって、原型が演じられたのが、1702年
で、今のような形に改められて歌舞伎十八番のうちとして、初演されたのは、團十郎
の名跡を息子の八代目に譲った五代目海老蔵(元、七代目團十郎)が弁慶を演じた1
840年である。八代目團十郎は、この時、義経を演じている。「御摂勧進帳」は、
「暫」を下敷きに、原型の「勧進帳」の世界を表現したということになる。

国立劇場の「御摂勧進帳」は、残念ながら、観ていないが、上演記録を見ると、「御
ひいき勧進帳」(利倉幸一補綴)という外題にして、「暫/色手綱恋の関札/芋洗い
勧進帳/安宅の関」という構成で、4回上演している。次には、国立版を是非、観て
みたい。

やがて、奥から富樫も髪に白梅の枝の飾りを着けて、お洒落に登場。冨樫に言われ
て、何も書いていない勧進帳の巻物(表が白で、裏が、黒)を取り出して、浪々と弁
慶が読み上げる場面は、「勧進帳」と同じだが、「勧進帳」では、舞台の下手側に弁
慶、上手側に富樫という位置づけ(同じ平面にいて、向き合うので、巻物の中身は、
見え難い)になるが、「御摂勧進帳」では、二重舞台の上に、富樫や斉藤がいて、そ
の前面、平舞台に弁慶がいて、弁慶は、観客席の方を向いて勧進帳を読み上げるの
で、富樫らは、後ろから弁慶の持っている勧進帳を覗き込める状況になっている。勧
進帳の文字まで判らないとしても、巻物の黒地に何も書いていないということは、こ
れでは、丸判りなのではないのか。さらに、「勧進帳」では、重要なポイントとなる
山伏問答もない。

前回の舞台の劇評では、「二重舞台の陣屋から斎藤次が、懐から眼鏡を取り出して、
勧進帳を覗こうとする。平舞台で、巻物を閉ざして、はったと睨む弁慶。二重を巧く
使った立体的な対立の場面」と私は書いたが、今回は、むしろ、上記のような感想を
抱いた。こういう印象の変化が、歌舞伎のおもしろさである。
 
弁慶は、巻物を奪おうとする番卒たちと巻物を開いたままの立ち回りとなる。弁慶
が、後ろを向けば、観客席からも何も書いていない黒地が見える。ここは、「勧進
帳」でも、にたような場面になる。巻物の裏表が、見えてしまうが、お構いなし。弁
慶が、空で、勧進帳の文句を唱えているのを、わざと、見せつけているようだ。ここ
は、「勧進帳」でも、似たような場面になる。

斎藤次が、笠を傾けて顔を隠している強力が義経だと決めつける。弁慶の正体も見抜
いている。齋藤次は、有能な官僚なのだろう。見破られそうになると、弁慶は、金剛
杖で義経を打ち付けるが、その際、前回の舞台では、義経の被っている笠を飛ばし
て、義経の顔を見せつける。そこまでやるなら、お供の、強力は、義経ではないであ
ろうと思わせる作戦が功を奏する。終始、義経の顔を隠したまま、義経を打ち据える
「勧進帳」とは、演出が違う。今回は、義経の顔を見せはしなかったが、義経の着て
いる水色の衣装には、白抜きの「笹竜胆」(義経の紋)が、くっきりと浮き上がって
いて、義経と判る仕組み。すべてを悟っている富樫の判断で、義経一行に往来切手渡
し、関所を通過させる。疑っている斎藤次は、富樫の判断には不満だが、地元判断優
先という、これまた、官僚的な常識で、黙認する。舞台上手から消える義経一行。

収まらない斎藤次は、弁慶かもしれない荒法師を陣屋に残す。弁慶は、番卒らに縛り
上げられる。皆に袋叩きにされる弁慶。大泣きする弁慶。通俗日本史の、伝説的人
物・「泣かぬ弁慶」を、歌舞伎は、いろいろな趣向で泣かそうとする。これだけ、大
泣きする弱者が、強者・弁慶のはずがないという作戦だ。いわば、子供だまし。斎藤
次らの調べに対して、弁慶も、「まことの弁慶ではない」と供述する。
 
義経一行が関所から遠ざかった距離を推し量る弁慶。斎藤次らの答えで、「二里」で
は、近すぎる。まだまだ。「三里?」。 ならば、もう良いか。弁慶は、自分が弁慶
だと白状し、弁慶を縛っていた縄を縛られたまま、内側から引きちぎる。怪力弁慶の
面目躍如。これ以降、弁慶の関所破りの立ち回りになる。大道具も、左右に引かれ
て、陣屋から外の海岸の場面に替わる。舞台中央に、先ほどまで、舞台上手にあった
ものより、いちだんと大きな天水桶が、人力で押し出されて来る。

弁慶は、番卒たちの首を次々に引きちぎる。16人の番卒たちは、赤い消し幕を背中
から出して首を隠す。引きちぎられた首は、舞台前方に押し出されてきた大天水桶に
投げ入れられる。運藤太、鈍藤太は、最初は、ちぎられた首を球にして、ホッケーの
ような遊びをしているが、やがて、ふたりの首も弁慶のよって、引きちぎられてしま
う。
 
ころは、良し。桶の後ろからせり上げに乗って、桶に渡された板の上に上がる橋之助
弁慶。「いずれもさまのおかげで、役を勤め上げることができました」との口上。
やっとこどっこい、うんとこな。板の上に立ちはだかり、2本の金剛杖を使って首を
芋洗いのように、もみしだく弁慶。別称「芋洗い勧進帳」。荒事の豪快さとおおらか
な笑劇がミックスされた古劇。ここは、「御摂勧進帳」独自の場面。この場面ゆえ
に、「御摂勧進帳」は、後世まで残り、いまも、私たちを楽しませてくれる。
 
今度は、桶のなかから首が次々に飛び出してくる。ありゃ、おりゃ。玉を数えている
ようだ。こりゃ、こりゃ、まるで、運動会の玉入れ競争のノリだ。紅白の玉をそれぞ
れの駕籠に入れ、終わると、戦果の玉の数を数える。あの場面だ。
 
この場面を含めて、「御摂勧進帳」には、江戸荒事の稚戯の味がある。その辺りは、
「古風な味わいのある」と言われる原作者の桜田治助らの工夫なのか、大正期に、こ
れを復活上演し「近代的な解釈を付け加えた」と言う二代目猿之助(初代猿翁)の工
夫なのか(特に、「安宅の関」は、大正期の復活上演時に書き下ろされたらしい
が……)、いまは、調査不足で、詳細は、判らない。しかし、復活者としての工夫が
あるとすれば、という条件付きだが、前回の劇評で書いたのと同じ印象を今回も持っ
たので、再録しておきたい。

*研究熱心な先代の猿之助は、かなり、「確信犯」として、歌舞伎十八番の「勧進
帳」と違う味わいを狙ったということだろう。いわば、「対極・勧進帳」、「パロ
ディ勧進帳」と言ったところだろう。向うが、大人受けのする、哲学的な勧進帳な
ら、こちらは、子どもの受け狙いをする漫画的な勧進帳。


歌舞伎版「不思議の国のアリス」


「妹背山婦女庭訓〜三笠山御殿〜」は、4回目の拝見。私が観た配役は、98年11
月、歌舞伎座、00年9月、歌舞伎座、01年12月、歌舞伎座、そして今回の順。
お三輪:雀右衛門、福助、玉三郎、今回は、福助。求女:菊五郎、梅玉、勘九郎時代
の勘三郎、今回は、病気休演の芝翫の代役で、橋之助。橘姫:福助、松江、福助、今
回は、芝雀。鱶七:團十郎、吉右衛門、團十郎、今回は、團十郎。入鹿:羽左衛門、
なし、段四郎の代役で、弥十郎、今回は、左團次。豆腐買い:富十郎、勘九郎時代の
勘三郎、猿之助、今回は、東蔵。

こちらは、テキストして、詳細に検証すると、ストーリーの、あまりの荒唐無稽さに
呆れ果ててしまうのだが、テキストの印象と舞台の印象が、また、違うという所に、
この演目の強(したた)かさがあり、それが、まさに、歌舞伎の強かさであるから、
まさに、怪物である。

今回の劇評は、役者評を中心にコンパクトにしておきたい。この物語は、1)権力争
いとそれに巻き込まれた町娘・お三輪の、2)悲恋物語が、織りなすという男の争い
と女の争いが、主軸となる。

まず、権力争いでは、蘇我入鹿と鱶七・求女こと、藤原淡海を軸にする。團十郎で、
3回目の拝見となる鱶七は、荒事定式の、衣装(大柄の格子縞の裃、長袴、縦縞の着
付)に、撥鬢頭に、隈取りに、「ごんす」「なんのこんた、やっとこなア」などとい
う科白廻しにと、荒事の魅力をたっぷり盛り込む。二本太刀の大太刀は、朱塗りの鞘
に緑の大房。太刀の柄には、大きな徳利をぶら下げている。腰の後ろに差した朱色の
革製の煙草入れも大型。鬘の元結も何本も束ねた大きな紐を使ってる。上から下ま
で、すべてに、大柄な荒事意識が行き届いている扮装。

團十郎は、江戸歌舞伎の特徴である荒事を代々伝える宗家の貫禄を示す。息子海老蔵
の引き起こした「事件」で、父親としての胸中は、苦しいのだろうが、役者として
は、豪快で、大らかで、古風な歌舞伎味を出している。

贅言;二重舞台の「三笠山御殿」は、近松半二得意のシンメトリー。高足の二重欄
干、御殿の柱、高欄階(きざはし)、も黒塗り。人形浄瑠璃なら、「金殿」という上
方風の御殿に、鱶七は、江戸荒事の扮装、科白、動作で闊歩する。人形浄瑠璃なら、
「鱶七上使の段」と、そのものずばりのネーミングになっている。

権力争いの、もう一人の主役は、求女こと、藤原淡海で、求女は、人形浄瑠璃なら、
「姫戻りの段」の場面で、登場。橘姫が、被衣(かつぎ)を被りお忍び姿で戻って来
る。出迎える官女たち。その一人が、姫の振袖の袂についている赤い糸を手繰ると、
「苧環」を持った求女がやって来るという趣向だ。姫様の恋人だと官女たちが喜ぶ。
求女も、やっと、橘姫の正体、つまり、藤原鎌足(淡海は、その息子)の政敵・蘇我
入鹿の妹と知る。求女は、橘姫の正体を疑い、恋人になろうとしたスパイなのであ
る。有能なスパイの狙いが、どんぴしゃりと当たったということだ。「苧環」を搦め
た美男美女の錦絵風。自分との結婚の条件として、兄・入鹿が隠し持っている「十握
(とつか)の御剣(みつるぎ)」(三種の神器のひとつ)を盗み出すよう娘をそその
かすスパイ・求女の強かさ。ただの美男ではないという求女。求女は、亡くなった富
十郎より、1歳上で、82歳の芝翫が演じる予定だったが、病気休演で、代役の橋之
助が、演じるが、ここは、芝翫で初役の求女を観たかった。

権力争いより、大きな物語が、実は、町娘の悲恋物語。まず、悲劇の前の笑劇という
作劇術の定式通りで、「豆腐買い」。豆腐買いの東蔵は、「ごちそう」の役どころ。
「不思議の国のアリス」のように飛鳥時代の「御殿」=「不思議の国」を迷い込み、
求女への恋心と共に、御殿という未知の世界で、彷徨するお三輪=アリスにとって、
豆腐買いは、敵か味方か。

タイムトリップする迷路で出逢った、異次元の通行人にすぎないのだが、求女の着物
の裾につけた筈の、白い苧環は、お三輪=アリスにとって、魔法の杖だったはずだ
が、有能なスパイに悟られたのか、糸の切れた苧環は、「糸の切れた凧」同様、タイ
ムトリップする異次元の迷路では、役に立たなかった。時空の果てに置き去りにされ
たお三輪には、どんな運命が待ち構えているのか。

御殿の官女たちは、異次元から侵入したお三輪を攻撃する。御殿を守る防衛隊として
は、常識的な対応だろう。それは、「虐め」という形で、表現される。「御殿」の、
前の場面、「道行恋苧環」では強気の町娘だったお三輪は、ここでは、虐められっ子
にされてしまう。この場面が、「御殿」では、本編中の本編だろう。吉三郎らの8人
の立役のおじさん役者たちが、魔女のように、可憐な少女アリス=お三輪に対して、
如何に憎々しく演じることができるか。それが、対照的に、お三輪の可憐さを浮き立
たせる。お三輪(福助)も、ここで虐め抜かれることで、「疑着のお三輪」への変身
のエネルギーを溜め込むことになる。

上手、奧からは、求女と橘姫との婚礼準備の進捗をせかせるように、効果的な音が、
続く。1)ドン、2)チン、チン、チン、3)ドン、ドン、ドン、4)とん、とん、
とん。これが、規則的に繰り返される。下手、黒御簾からは、三味線と笛の音。舞台
では、次第に高まる緊張。官女たちの虐めもエスカレートする。さりげない効果音的
な演奏が、場を引き立てる。音と絵のシンフォニー。

そして、お三輪のクライマックスは、疑着のお三輪。「官女たちのお三輪虐
め」→「鱶七によるお三輪殺し」というふたつの場面を繋ぐ、ブラックボックスが、
疑着のお三輪である。憎しみのエネルギーを溜め込んだ強いお三輪の復活だが、
……。

しかし、ひとたび、弱さを見せたお三輪は、「道行恋苧環」のようには、強さを維持
できない。次に迎える悲劇を暗示している。求女、実は、藤原鎌足の息子・淡海の、
政敵・蘇我入鹿征伐のために鱶七、実は、金輪五郎今国(藤原鎌足の家臣)に命を預
けるお三輪。疑着の女の血が役立つと、死んで行くお三輪の悲劇が、お三輪の恋しい
人である淡海の権力闘争を助けるという大団円。

瓦灯口の定式幕が、取り払われると、奧に畳千帖の遠見(これが、「弁慶上使」のも
のと同じで、手前上下の襖が、銀地に竹林。奧手前の開かれた襖が、銀地に桜。奧中
央の襖が、金地に松。悲劇を豪華絢爛の、きんきらきんの極彩色で舞台を飾ってい
る)

亡くなったお三輪の遺体が平舞台、中央上手寄り。二重舞台中央では、豪華な馬簾の
付いた伊達四天姿に替わった鱶七と10人の花四天との立ち回りになったところで、
幕。

私が、これまでに観たお三輪では、雀右衛門が、いちばん虐められていて、可哀想に
観えた。美男なだけではない、強かな求女は、菊五郎か。橘姫は、魁春(松江時代に
観た)。鱶七は、断然、團十郎。入鹿も、断然、羽左衛門。豆腐買いは、今回の東蔵
含めて、それぞれ、味を出していた。


科白廻しも堪能の、「対面」


「寿曽我対面」は、7回目の拝見。曽我ものの仇討話が、宿敵との「対面」だけを取
り上げることで、祝典劇になった。江戸の庶民は、正月の松飾りのように、あるい
は、江戸っ子の初夢の「一富士二鷹三茄子」(いずれも、共通イメージは、「高いも
の」。一は、標高、二は、「鷹=「貴(たか)い」と語呂合わせ、三は、初物で値が
高い。また、「なす」は、「成す」で、成就祈願」とのダブルイメージもありで、富
士=曽我ものとして、鎌倉初期の武士の兄弟は、能に、人形浄瑠璃に、歌舞伎にと、
18世紀初め以来、「曽我狂言」の主人公として、登場した。また、「一富士」は、
曽我兄弟。「二鷹」は、赤穂浪士。「三茄子」は、荒木又右衛門。いずれも、仇討も
の。日本三大仇討の初夢だという説があるという。

「曽我狂言」は、江戸時代では、正月の風物詩になっていた。「寿曽我対面」は、主
役は、曽我兄弟よりも、宿敵の工藤祐経である。仇と狙う曽我兄弟との対面を許し、
後の、富士の裾野での巻狩の場での再会を約し、狩り場の通行に必要な「切手」を兄
弟に渡すという、太っ腹で、「敵ながら、天晴れ」という行動様式に日本人は、拍手
喝采したのだろう。

私が観た工藤祐経:富十郎(2)、團十郎(2)、三津五郎、幸四郎、そして、今回
は、吉右衛門。高座に座り込み、一睨みで曽我兄弟の正体を見抜く眼力を発揮するの
が、工藤祐経役者。この演目は、正月、工藤祐経館での新年の祝いの席に祐経を親の
敵と狙う曽我兄弟が闖入する。やり取りの末、富士の裾野の狩場で、いずれ討たれる
と約束し、狩場の通行証を「お年玉」としてくれてやるというだけの、筋らしい筋も
無い芝居である。それでいて、歌舞伎座筋書の上演記録を見ると、巡業などを除いた
戦後の本興行だけの上演回数でも、断然多い。歌舞伎味のエッセンスのような作品な
ので、歌舞伎が続く限り、永久に、歌舞伎の様式美の手本になり続ける不易で、古典
的な作品と言えるだろう。

その秘密は、この芝居が、動く錦絵だからである。色彩豊かな絵になる舞台と、登場
人物の華麗な衣装と渡り科白、背景代わりの並び大名の化粧声など歌舞伎独特の舞台
構成と演出で、短編ながら、十二分に観客を魅了する特性を持っているからだと、思
う。

また、歌舞伎の主要な役柄が揃い、一座の役者のさまざまな力量を、顔見世のように
見せることができる舞台であり、さらに、中味も、正月の祝典劇という持ち味のある
演目であることから、特に、11月の顔見世興行や正月新春興行に上演しやすいとい
うこともあろう。

さて、舞台。今回の昼の部は、大向うから、屋号を呼びかける声が少なかったが、さ
すが、「対面」では、声が掛かり出す。工藤館の市松模様の戸が、3枚に折れて、屋
敷の上部に仕舞い込まれると、並び大名たちは、いちばん後ろの列に並んでいる。同
列の上手には、梶原親子(由次郎、吉之助)。その前の座敷には、工藤祐経(吉右衛
門)を軸に、いつもの面々。クライマックスを考えると、「対面」は、3枚重ねの、
極彩色の透かし絵のような構造の芝居なのである。並び大名と梶原親子の絵が、いち
ばん奥の1枚の絵なら、2枚目の絵には、大磯の虎(芝雀)、化粧坂の少将(巳之
助)、小林朝比奈(歌昇)が並ぶ。3枚目、いちばん前に置かれた絵は、工藤祐経
(両脇に、曽我兄弟の父親を殺した、ヒットマンの近江小藤太=松江、八幡三郎=種
太郎が控えている)と曽我兄弟(五郎=三津五郎、十郎=梅玉)の対立の絵である。

今回は、科白廻しの良い役者が揃っていたので、姿もさることながら、声も良かっ
た。吉右衛門の工藤祐経は、貫禄があった上に、科白廻しが、よいだけに、聞き応え
がある。高座に座り込んでからも、風格のある立派な祐経で、両脇の近江小藤太、八
幡三郎を従えて、堂々の押し出しである。曽我兄弟では、白塗りに剥き身隈の五郎を
演じた三津五郎が、若さと血気の五郎を体現するような高めの声で、科白を言ってい
た。稚気と力強さを感じさせる勢いがあって、良かった。もうひとり、小林朝比奈を
演じた歌昇が、いつもながらの、明晰な口跡で、時代物のなかで、荒事の庶民的な、
世話な科白を一字一句、しっかりと言っていて、聞きでがあった。

ほかに、曽我兄弟に家宝の友切丸を見つけだし、届ける鬼王新左衛門に、歌六。巳之
助が、珍しく、化粧坂の少将役という女形。
- 2011年1月20日(木) 18:46:13
10年12月国立劇場 (「仮名手本忠臣蔵」)


「仮名手本忠臣蔵」を「由良之助物語」にするという趣向


国立劇場の「仮名手本忠臣蔵」は、高麗屋一門が軸になる公演。去年の11月、歌舞
伎座の「さよなら公演」で、歌舞伎座最後の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の上演は、
今年は、国立劇場で、ということになった。ところが、今回は、通常の「仮名手本忠
臣蔵」ではなく、いわば「大星由良之助物語」であった。半通しの構成が、「三段
目」「四段目」「道行旅路の花聟」「七段目」「十一段目」で、「由良之助物語」が
テーマなら、軸となるのは、「四段目」、「七段目」というのが判る。いわば、由良
之助銘々伝という趣向である。

今回の劇評では、ポイントを3つに絞り込む。まず、1)こういう趣向が良いかどう
かを見てみよう。銘々伝といえば、「仮名手本忠臣蔵」では、脇筋の「五段目」「六
段目」の早野勘平の物語は、フィクションながら、銘々伝である。「七段目」の後
半、寺岡平右衛門も、銘々伝であろう。「九段目」の由良之助も、銘々伝であろう。
今回、高麗屋は、更に大きな由良之助の銘々伝という構想を「仮名手本忠臣蔵」の上
に、浮き彫りにしてみせようとした。その趣向は、まず、良しとすることが出来るだ
ろう。だとすれば、次に、見るべきは、2)そういう趣向に基いて構成された段組み
が、狙い通りであったかどうかというのが検討課題であろう。

つまり、「三段目」は、足利館(史実の、江戸城)松の間の、通称「刃傷場」で、由
良之助は、「いまだ、参上つかまりません」であるから、登場しないのだが、史上の
赤穂事件と呼ばれる一連の事件の発端である。この場面自体は、由良之助銘々伝に
は、ならないが、事件の発端ということで、高麗屋は最初に置いたのだろうと思われ
る。「三段目」「四段目」「道行旅路の花聟」「七段目」「十一段目」という構成に
は、実質4時間という上演時間の制約がある。この構成は、よく考えられていると思
うが、「山科閑居」という「九段目」の由良之助が出て来ないのが、最大の難点であ
る。由良之助物語というのなら、思い切って、「三段目」を止めて、「四段目」から
始めても良かったかもしれない。後に、触れるが、「十一段目」も、無しで良いかも
しれない。それでも、「九段目」は、時間の制約で、入れられないかもしれない。

「四段目」は、鎌倉・扇ヶ谷の「塩冶判官切腹の場」で、主役の由良之助が、登場す
る。切腹後の判官(染五郎)は、禁治産者になってしまい、専ら、由良之助の芝居で
ある。花道に現れた由良之助と舞台中央の判官、上手の上使の一人・石堂右馬之丞
(左團次)の三角形が、安定している。石堂は、塩冶家に同情的である。三角形の両
脇に、下手は、力弥(高麗蔵)、上手は、もうひとりの上使で赤面(あかっつら、憎
まれ役)の薬師寺次郎左衛門(彦三郎)が居て、芝居の幅を広げている(二重になっ
た三角形の効果)。腹を切った苦しみの中で、染五郎の判官は、「かたみ」という言
葉に、「かたき」という意味を滲ませる。幸四郎は、「委細」(承知)と、短いが、
大きく胸を叩き、今際(いまわ)の際(きわ)の判官の耳に意思を伝達する。判官
は、もう、意識ももうろうとしているかもしれない。仮名手本忠臣蔵を由良之助物語
に変えたのだから、幸四郎は、太い実線で、くっきりとした由良之助蔵を構築しよう
とする。

判官の遺体を駕篭に乗せた後、焼香となるが、まず、顔世、そして、筆頭家老の斧九
太夫、由良之助の順で行い、藩士代表(選手会の会長のような立場)の原郷右衛門
(友右衛門)が、焼香する際には、力弥、藩士たち、腰元たちも、一緒に頭を下げ
る。判官の遺体を載せた駕篭は、4人の藩士たちが、肩で担がずに、腕で支えて移動
させた。「手掻き」(「駕篭掻き」ではない)という。その後、駕篭は花道から移動
して行く。舞台の下手袖奥に見えなかった大勢の藩士たちが、ゾロゾロと出て来て、
花道を行く駕篭に同行し始める。

続く「表門城明け渡しの場」まで、由良之助の行政能力が発揮される場面が続く。捌
き役の由良之助だ。特に、表門城明け渡しの場面は、由良之助の独り舞台。藩論をま
とめるとともに、密かに、自らも敵討ちへの決心をする大事な場面だ。幸四郎得意の
場面。「待ってました」と、大向うからも、声がかかる。幸四郎からは、能吏として
の由良之助蔵が、きちんと伝わって来る。

由良之助のゆるりとした動きに合わせて、大道具の城門が、およそ3回に分けて、上
手を中心に円を描くように下手側だけ、すうっ、すうっと徐々に遠ざかる「引き道
具」(大道具に、「車」が、ついている。後ろで、引っ張って、道具を下げる)にな
るのは、いつ観ても良い。舞台前面にいる幸四郎は、あまり動かずに提灯の塩冶家の
家紋を外して、袖に閉まったり、判官が切腹に使った腹切り刀の血を嘗めたり、肚の
内をじっくり、安定的に、観客に見せながら、それでいて、城から遠ざかるという状
況をきちんと伝える卓抜な演出である。

「四段目」は、事件の発生と結果を受けて、その影響を由良之助が、如何にてきぱき
と処理をしたかが描かれる。そして、幕外の「送り三重」(三味線の演奏)での、由
良之助の花道の引っ込み。「熊谷陣屋」の熊谷直実の引っ込み同様、歌舞伎の渋い魅
力を満喫できる場面である。

「道行 旅路の花聟」から、「七段目」へ飛躍する構成は、どうだろうか。「道行 
旅路の花聟」は、「三段目」の「裏門」のバリエーション。勘平とお軽。別称、「落
人」、「三段目の道行」とも言う。所作事(舞踊劇)「道行」は、苛めだ、刃傷だ、
切腹だ、復讐だと、鬱陶しい「仮名手本忠臣蔵」の前半の、気分直しの場面だ。いわ
ば、間奏曲。忠義の物語という本筋に対するパロディ。

上手から下手へ、逆に幕が開く(閉幕のための伏線)と、浅黄幕。やがて、浅黄幕
が、振り落とされて、明転効果。気分一新。夜の想定なのに、明るい。「道行旅路の
花聟」は、所作事で、歌舞伎の演目構成の常式で、付加される。華やかな勘平とお軽
の道行である。伴内役の亀鶴は、最後に、トンボを返して、藝の細かいところを見せ
た。下手から、定式幕が迫って来ると、逃げる。ついで、幕を持ち、閉めるのを手伝
う。そのためにも、定式幕は、開幕の仕方が、いつもの逆にしなければならないの
だ。

その後、「五段目」「六段目」抜きで、いきなり、「七段目」には、繋げ難いので、
苦肉の策として、花道七三のスッポンから、講談師・旭堂南左衛門が特別出演で、登
場し、「五段目」「六段目」の概要を説明すると共に、講談調を強調するために、
「十一段目」の参加人員数などをテンポ良く予告して、後半への観客の興味を喚起す
るという作戦だろう。「道行」が、「七段目」のお軽へと繋がっているが、「道行」
は、由良之助物語ではない。悩ましいところだ。

「七段目」も、前半は、由良之助に収斂するように、由良之助が関わらない部分を省
略している。いわゆる、「吊り燈籠の灯りを照らし」で、由良之助が手紙を見る場面
から、事実上始まる。斧九太夫、鷺坂伴内などは、出て来るが、従って、通称の、
「見立て」や「三人侍」、力弥の出などの場面も無い。後半は、お軽、兄の平右衛門
の物語で、それに、斧九太夫が、殺される絡みがあるだけ。ここでは、由良之助の、
いわば「騙しの戦術」が披露され、前半は、戦術家としての由良之助の姿が描かれ、
後半は、平右衛門・お軽の兄妹の懸念を払拭してみせる捌き役。由良之助物語のハイ
ライトになる場面だろう。「七段目」の由良之助を幸四郎で観るのは、私は、3回
目。これまで私が観た「七段目」の由良之助では、吉右衛門が良かった。ここの由良
之助は、前半で男の色気、後半で男の侠気を演じ分けなければならない。

そして、今回は、一気に、大団円の「十一段目」へ。やはり「九段目」が、欲しい。
時間の制約で、難しいのは、判っているが、「九段目」のない由良之助銘々伝は、由
良之助物語を構成しないのではないか。「十一段目」は、とって付けたような、討ち
入りの場面で、見た目は、おもしろいが、芝居としては、薄っぺらである。討ち入
り、チャンバラ、本懐、引揚げと、いわば、4枚の紙芝居の絵を見せられるようで、
結局、それだけのものだろう。歌舞伎の舞台としては、ほかの場面とレベルが違い過
ぎる。

浅黄幕の振り落しで、師直邸の表門に塩冶浪士(22人)が勢揃い。大道具が、廻っ
て、奥庭へ。さらに、廻って、炭部屋、両国橋引き上げの場へ。一行は、舞台正面奥
から、橋を渡って登場する。改めて、勢揃いすると、記念写真風になる。

討ち入りでは、染五郎の演じる平右衛門の姿が見えなかった。両国橋引き上げの場で
は、上手の隅っこにほかの浪士群とは離れて、ひとりで立っている。木槌を持ってい
る。着ている上衣も、袖無しで、ほかの浪士とは、扮装が違う。足軽の身分だから
だ。花道を引揚げて行くのも、列の最後についた。殿(しんがり)の由良之助の前に
当たるから、浪士群の最後というより、由良之助の露払いという格好だ。

今回は、ここでは、敵討ちの実践家としての由良之助と由良之助軍団である塩冶浪士
団の戦闘ぶりが描かれ、無事本懐を遂げて、高師直を討ち果たし、判官切腹の時、上
使として、見分に来た石堂右馬之丞(左團次)に祝福される様を紹介する。

由良之助物語の趣向、それに沿った段構成の是非を見て来たが、3)最後に、配役の
妙を見てみよう。まず、幸四郎は、「三段目」で、初役の師直を演じたのは、良かっ
た。役職の権威、権勢を振りかざして、新参者を虐める「いじめ上司」の典型的な人
物像を幸四郎は、くっきりと描く。通常、この場面は、金地に巨松が描かれた「松の
間」というより、「松の廊下」という感じで、テンポ良く、刃傷事件までの展開とな
るが、今回は、「松の間」という密室で、じっくりと師直は、判官をいたぶる様が、
じっくりと描かれる。「判官、酒(ささ)召されたか」「井の中の鮒」「鮒じゃ、鮒
じゃ」などという虐めの科白は、泥酔した「鮒」ではなく「海老」を連想させ、「海
老蔵事件」を思い起こさせてしまうような気がして、苦笑がこぼれ出て来る。そう言
えば、團十郎も幸四郎も、祖父同士(十一代目團十郎、初代白鸚)は、兄弟であるか
ら、染五郎と海老蔵は、祖父から見れば、親戚筋の孫同士に当たる。

「大序」から、「三段目」までは、元々、師直銘々伝の趣きがある。師直役者は、色
と欲という前半のテーマの主役なのだ。憎しみあり、滑稽味あり、強かさあり、狡さ
あり、懐の深さありで、多重な性格を滲み出す憎まれ役で、場面場面で、実に滋味と
もいうべき演技が要求される。顔世御前ヘの横恋慕、若狭之助への苛めと賄賂を受け
取ってからの諂(へつら)い、そして判官ヘの苛めなどで、師直という男の全体像の
スケールを構築しなければならない。

幸四郎は、由良之助のような颯爽とした役どころより、こういう滋味のある敵役を演
じきれる年齢になって来たように思う。幸四郎が、巨悪・師直を演じるのは、初役だ
が、良かった。巨悪と言えば、ロッキード事件で、政治経済の表舞台に顔を見せた闇
の巨悪たちを思い出すが、幸四郎の言動を観ていると、1976年に取材したロッ
キード事件の人物像を彷彿とさせてくれた。

「摂州合邦辻」で、菊五郎が、主役の玉手御前を菊之助に譲り、自分は、合邦道心の
役に廻って、家の藝の伝承をしてみせた。そして、その試みが成功したように、幸四
郎も、脇に廻って、初役を演じ、己の役柄を大きく、深くしたように思う。幸四郎
も、いずれ近いうちに染五郎に由良之助を譲り、師直役に廻るというような機会が増
え、役者としての年輪を大きくする場面が増えてくるのではないか。家の藝の伝承も
始めて欲しい。

幸四郎演じる由良之助は、地方の城代家老。殿様の不祥事が無ければ、歴史に登場し
ない人物だろう。由良之助銘々伝として、スポットを当てたところ、この時代、地方
にも、こういう人物がいたという物語が浮き彫りにされて来た。現代なら、さしず
め、一地方の地方自治体の助役クラスの人物。能吏でもあり、人間としての器量も大
きい。そういう人物を幸四郎は、じっくりとあぶり出していた。

染五郎は、今回、3役で、持ち味の平右衛門以外は、初役で演じた。判官と勘平であ
る。判官は、「三段目」では、正装の烏帽子大紋姿という大名たちに混じって、ひと
りだけ違う裃姿で目立つという「虐め」を受けながら、師直役の幸四郎と丁々発止の
演技を見せた。幸四郎の師直が良かったので、染五郎の場面も生きて来た。勘平は、
「道行」の勘平で、これは、染五郎なら、これまでの延長線上だろう。ということ
で、染五郎が、由良之助を演じる時代が、近づいて来ているように思われた。

福助は、「三段目」の顔世御前と「道行」、「七段目」のお軽。「三段目」の顔世御
前は、白い衣装に着替え、髪を切り、白い衣装の腰元たちと奥から出て来る。ひたす
らしめやかに演じる。腰元の中に、芝のぶがいる。喪服の芝のぶも、美しい。「道
行」のお軽は、失意の勘平を実家へ連れて行くという訳ありの旅ながら、いわば、事
実上の新婚旅行で、福助も、浮き立つよう。「道行」は、勘平にとっては、主人の大
事なところに居合わせなかったという失敗を悔いながらの都落ちだが、不幸なこと
も、前向きに考えて、絶えず、前進できるタイプのお軽には、嬉しい旅なのだ。こう
いうニュアンスの出し方が、福助は巧い。「七段目」のお軽は、勘平のために祇園に
身を売り、勘平の悲劇を平右衛門から聞かされる辛い立場だ。福助のお軽は、遊女に
なじんだ色気がありながら、最後まで、勘平さんのことを心配しているという真情も
滲んでいた。

左團次は、石堂右馬之丞というおいしい役どころで、出番は少ないが、「四段目」と
「十一段目」に颯爽と登場。

贅言;取り壊された歌舞伎座で、最後の「仮名手本忠臣蔵」を観たのが、去年の11
月。もう、あれから1年以上が経ったのだ。今回、国立劇場に12月14日に観に
行ったら、旧暦の「討ち入りの日」と同じ日付ということで、入り口で、「『仮名手
本忠臣蔵』ご観劇記念」の絵はがきをくれた。13日から15日までの3日間限定の
プレゼントだった。
- 2010年12月15日(水) 11:51:50
10年12月日生劇場 (「摂州合邦辻」「達陀」)


「藝の伝承」の現場を観る


歌舞伎座が建替えで、取り壊されてしまったので、松竹主催の東京の歌舞伎は、新橋
演舞場のほか、日生劇場、ル テアトル銀座、それに、新春恒例の浅草公会堂など
で、上演されている。今月は、新橋演舞場の歌舞伎は、上演されないので、菊五郎一
座初出演という日生劇場の歌舞伎を観に行った。この劇場は、歌舞伎をするには、間
口が狭い。花道は、菊五郎の意向で、作られていた。七三のスッポンもあるが、劇場
床下には、奈落があり、スッポンは、そこに通じているのだろうか。今回は、「達
陀」で、青衣の女人を演じる時蔵が、スッポンから出入りをしていた。本舞台の天井
には、破風屋根風のものが、貼付けられていた。今回の演目は、「摂州合邦辻」と
「達陀」である。「摂州合邦辻」は、菊五郎から息子の菊之助に主役を譲る、つま
り、菊五郎家の藝の伝承の舞台なので、愉しみにして、観に行った。「達陀」も、発
案者の二代目松緑の没後、菊五郎が預かっていたのを孫の四代目松緑に伝承し、戻す
舞台である。


狂気と正気 戻りと一途


私は、「摂州合邦辻」は、3回目の拝見になるが。通しで観るのは、今回が初めて。
そういう意味でも、愉しみだ。「摂州合邦辻」は、1773(安永2)年、初演の時
代物で、原作は、菅専助、若竹笛躬(ふえみ)の合作。若竹笛躬は、「三十三間堂棟
由来」の合作者の一人で、いわば無名の作者群の一人だ。

初めて観たのは、もう、14年も前になる。96年9月、歌舞伎座で拝見。その後、
01年5月、同じく、歌舞伎座。私が観た主な配役は、高安家の奥方・玉手御前は、
芝翫、菊五郎、そして、今回は、菊之助。玉手の実父・合邦は、羽左衛門、團十郎、
そして、今回は、菊五郎。高安家の嫡男・俊徳丸は、田之助、新之助時代の海老蔵、
そして、今回は、梅枝。俊徳丸の許嫁・浅香姫は、福助、菊之助、そして、今回は、
尾上右近。浅香姫付きの奴・入平は、先代の三津五郎、左團次、そして、今回は、松
緑。合邦の女房・おとくは、又五郎、田之助、そして、今回は、東蔵。更に、今回
は、通しなので、前々回、前回には、登場しなかった人物もいる。高安家の家老の奥
方・羽曳野は、時蔵。高安家の殿様は、團蔵。

まず、「摂州合邦辻」というと、最初に観た芝翫の玉手御前の印象が強烈だった。そ
れについては、拙著「ゆるりと 江戸へ」のなかで、こう書いている。

「この時は、西の桟敷席と花道の間の、縦に細長い座席群の後で、花道の横の席で
あった。花道の両脇に埋め込まれたライトに明かりが点いた。『さあ芝翫が出てくる
ぞ』私は後を振り向いた。近くの席の誰もまだ後を振り向いたりなどしていない。
『鳥屋(とや)』と呼ばれる花道へ出るための溜まり部屋の揚幕がサッと開かれた。
鳥屋にいる、いわば花道への出を待つ芝翫の姿が目に入ったばかりではない。すっか
り玉手御前になりきっている、異様な表情の芝翫と視線が合ってしまった。その異様
な表情に負けた私は一瞬目をそらしてしまったが、役になりきっている芝翫はそろそ
ろと近付いてくる。若い継母で継嗣の俊徳丸と恋仲になっているという異常な人間関
係が展開するドラマの始まりである。玉手御前の芝翫は虚ろな足取りで花道を左右に
ヨロヨロしながら私のすぐ横を通り過ぎ、本舞台に近付いて行く」

本では活字になるので、通称「どぶ」と呼ばれる座席群(1等席)の、俗称を使わな
かったが、前々回、96年の時は、「どぶ」の最後の列の上手側、「よ・36」の席
だった。後は、江戸時代なら「なかの歩み」と呼ばれた通路で、今はなき歌舞伎座の
場合は(こう書かないといけないのか。この通路も消えてしまった)、この通路は、
1等席と2等席の境であった。前回は、01年の時は、「を・38」の席だから、9
6年より3列前の、2つ下手に寄った席で(このころは、座席順は、前から「いろ
は」、左右は、上手側から「123」であったが、その後、「いろは」は、どの劇場
とも、共通の「ABC」に変わり、「123」も、下手側から変わってしまった)、ま
あ、前に観た2回は、ほぼ同様のポジションだったので、以下のような、比較をした
という次第。今回は、劇場も、歌舞伎座ではなくて、日生劇場だし、座席も、2階席
の上の方だから、そういう比較はできない。

96年の私は、芝翫が出てくるぞと、思っていたら、花道に出てくる前の玉手御前に
なりきった芝翫といきなり視線が合ってしまい、吃驚したわけだが、01年の私も、
早めに、後を振り向いた。鳥屋の揚幕がサッと開かれた。だが、鳥屋のなかは、見え
ない。暫くして役者が出て来た。
玉手御前か、菊五郎か。
「菊五郎が出てきた」。異様な表情でもなかった。いつもの菊五郎の視線であった。
菊五郎の玉手御前は、「虚ろな足取りで花道を左右にヨロヨロ」せず、颯爽とした足
取りで、私の近くの「横を通り過ぎ、本舞台に近付いて行く」ではないか。

引きちぎった片袖を頭巾代わりにした玉手御前は、竹本の「しんしんたる夜の道、恋
の道には暗からねど、気は烏羽玉の玉手御前、俊徳丸の御行衛、尋ねかねつつ人目を
ば、忍び兼ねたる頬冠り」とあるように、暗い夜道を烏の羽のような暗い気持ちで人
目を忍んで、そっと歩いてくる場面ではないのか。菊五郎は、91年の新橋演舞場で
も玉手御前を演じている。菊五郎は、「僕は玉手は俊徳丸に本当に惚れていて、それ
だからこそ自分の命を捨てて助けたと思ってるんです」と語っているが、いろいろ解
釈ができる演目だから、どう工夫して演じても良いわけだけれど、「物語」の伝える
イメージを思えば、私は01年に玉手御前を演じた菊五郎よりも、96年に初役で演
じた芝翫の方が、この場面は正解なような気がしたものだ。

芝翫か、菊五郎か。玉手御前は、義理の息子とはいえ、お家の嫡男に惚れた玉手御前
は、「狂気か、正気か」というのが、今回も、テーマになるだろう。菊之助は、どう
いう玉手御前をイメージしているのか。それが今回の愉しみ。

鳥屋の中の菊之助の様子を窺える座席ではないし、そういう比較は、最初からあきら
めていたが、今回は、これまでと違って、通しで観ているので、序幕「住吉神社境内
の場」、二幕目「高安館の場」「同 庭先の場」、三幕目「天王寺万代池の場」、大
詰「合邦庵室の場」を通して、玉手御前を観続けた。今回も、結局、菊之助の演じた
玉手御前は、「狂気か、正気か」というテーマを考え続けたことになる。場面を追っ
て、観て行こう。

序幕「住吉神社境内の場」。河内国の大名、高安通俊の奥方・玉手御前(菊之助)と
嫡男の俊徳丸(梅枝)は、供の腰元、供侍などを連れて、花道から出て来る。病気療
養中の当主・高安通俊の代わりに嫡男の俊徳丸が、代参という訳だ。父の病気平癒も
祈願する。一行は、上手の鳥居を潜って、住吉神社の奥へ入って行く。当時の住吉神
社は、海辺の傍にあり、舞台の遠見も、中央は、海辺と松の光景。下手には、御休処
があり、その右手に、燈台がある。

この様子を鳥居のうちに潜んで窺っていたのが、俊徳丸の異母(通俊側室)兄の次郎
丸(亀三郎)らで、父親の通俊の病気をきっかけに、家督を相続した俊徳丸を亡き者
にするとともに浅香姫を手に入れ、自分が高安家の家督を継ごうと企んでいる。この
芝居も、歌舞伎で良くあるお家騒動が、からんでいるということだ。

俊徳丸が、戻って来ると、浅香姫(尾上右近)、奴・入平(松緑)も姿を見せる。序
幕らしい、伏線だ。神楽の奉納を終えた玉手御前も、戻って来て、供の者たちに緋毛
氈を敷かせ、宴の準備をさせる。供の者たちを去らせて、玉手御前は、俊徳丸とふた
りきりになると懐から鮑の杯を取り出し、酒を注ぎ、まず、自分が飲み、次いで、俊
徳丸に飲ませる。この杯は、夫婦の契りだと玉手御前は、宣言をし、俊徳丸を驚かせ
る。玉手御前は、俊徳丸の生母付きの腰元だったが、殿様に後妻にと望まれたので、
俊徳丸の継母になったのだった。しかし、俊徳丸とは、年もあまり違わないし、以前
から、「若君」に対して恋心を持っていたと告白する始末である。義理の母子で、そ
ういう関係にはなれないと拒絶する俊徳丸。菊之助の玉手御前は、なんとも、積極的
であるお家騒動勃発の中で、それまで抑えていた息子、かつての若君への恋情が、暴
発したという想定だ。狂気か、正気か。毒酒が廻り、俊徳丸の体が、おかしくなりは
じめる。

二幕目「高安館の場」。住吉参詣から戻った俊徳丸は、毒酒の所為で、顔の左目の辺
りが崩れてきて、左目の視力も落ちて来たので、引きこもりになってしまった。玉手
御前が、俊徳丸を見舞いに来たが、家老の奥方羽曳野(時蔵)は、玉手御前の邪心、
俊徳丸への恋情を察して、反対をする。玉手御前は、元は、高安家に仕える腰元。羽
曳野は、家老夫人ということで、玉手御前の、いわば以前の上司に当たる。羽曳野に
は、玉手御前の俊徳丸への恋情に対する反発に加えて、元上司として、元部下の非常
識な行動に対する怒りという思いもあるだろう。

さらに、高宮中将と名乗る勅使(権十郎)が、来たという知らせが入る。病を押して
殿様の通俊(團蔵)が、応対に出て来る。嫡男で家督を相続した俊徳丸に参内するよ
うに要請をしに来たという触れ込みだが、実は、この勅使は、偽物で、次郎丸が、浪
人の桟図書(かけはしずしょ)に化けさせたのだが、化けの皮は、剥がされていな
い。殿様の通俊は、影が薄い。先妻を亡くし、若い腰元を後妻に迎え、房中過多で、
腎虚にでもなってしまったという風情だ。

このやり取りを陰で聞いていた俊徳丸は、家督を次郎丸に譲り、玉手御前の恋情から
も逃れようと、置き手紙をして、家出をしようとしている。そこへ現れた玉手御前
が、一緒に連れて逃げてくれと俊徳丸に迫るので、俊徳丸は、玉手御前を(奥への合
図に使っている)鈴の紐で縛り上げて、ひとりで、逃げて行く。嫡男出奔という手紙
を読んで嘆く父親、それを聞いて、喜ぶ次郎丸。家庭崩壊の高安家である。

「高安館 庭先の場」。夜も更け、雪も降って来た。玉手御前は、俊徳丸を追って、
家を出ようとしている。それを察知した羽曳野が、阻止をしようとして、女同士の立
ち回りとなる。羽曳野の体を張った行動には、先ほども触れたように、元上司として
の意地が感じられた。しかし、若さの玉手御前が勝ち、俊徳丸の後を追って行く。

三幕目「天王寺万代池の場」。あれから、季節も移る。大坂天王寺境内の万代池の辺
り。参詣人で賑わっている。舞台上手は、石の大鳥居。鳥居の外側には、乞食小屋が
ある。奴入平は、花道より、俊徳丸の行方を追ってやって来た。俊徳丸の人相着衣を
参詣人に聞いて、下手袖に入って行く。花道からは、閻魔堂建立と染め抜かれた紅白
の旗を立て、閻魔像の首を載せた車を引いて巷間を勧進して廻っている合邦道心(菊
五郎)が、やって来る。念仏踊りを披露し、参詣人から、寄進をしてもらう。疲れた
と言って、木陰に車を押し込み、寝込んでしまう。

乞食小屋から出て来たのは、俊徳丸。やがて、花道を来た浅香姫は、それに気づか
ず、俊徳丸に俊徳丸の行方を聞こうとする。気の弱い俊徳丸は、名乗りも出来ず、泣
いてばかり居る。挙げ句に、俊徳丸は、巡礼に旅立ったと嘘を言う。

俊徳丸を訪ねあえずに戻って来た入平は、浅香姫との再会を果たし、ふたりは、不審
な乞食小屋を見張ることにする。再び出て来た俊徳丸を掴まえ、入平は、ふたりの仲
を取り持つ。浅香姫も、気丈だ。難病で、顔を崩し、眼が見えなくなった俊徳丸を探
し求めて、慕い続ける。玉手御前同様に、気が強いのではないか。それにしても、俊
徳丸は、気が弱い、ダメな男だ。玉手御前も、浅香姫も、正気なのだろう。「摂州合
邦辻」は、俊徳丸を軸にして、見直せば、正気で、気の強い、ふたりの女性に挟まれ
た、ダメ男の物語。

だとすれば、菊五郎の玉手御前の解釈が、正解なのかもしれない。そして、「摂州合
邦辻」の中でも、上演回数の多い、いつもの「合邦庵室の場」を新たな目で、見直さ
なければならないだろう。

大詰「合邦庵室の場」。大坂天王寺西門にある合邦道心(菊五郎)の庵室。先ほどの
「天王寺万代池の場」から、歩いて行ける距離だ。道心の妻・おとく(東蔵)が、講
中の人たちを招いて、玉手御前こと、合邦夫婦の娘・辻が、高安家嫡男の俊徳丸に道
ならぬ恋をしかけ、殺されたと思っているので、亡き娘の回向をしてもらっている。
やがて、講中も、帰る。合邦も現れ、おとくに気づかれないように、香を焚く。父親
も、娘の身を心配しているのだ。夜も更け、人目を忍んで、玉手御前がやって来る。
俊徳丸と浅香姫が、合邦庵室に匿われていると知って、訪ねて来たのだ。どこまで
も、恋に一途な玉手御前が、菊之助に拠って、描かれて行く。

一方、母親は、娘に逢いたい。父親は、不義の娘の顔も見たくない。合邦道心は難し
い役だ。親の跡目を継いで、一旦は大名になったのが、讒言されて落ちぶれて、坊主
になり、閻魔堂建立の勧進活動をしている頑固な老人だ。大名の血を引くというプラ
イドがある。娘が、人の道を外したということが、無念でならない。継母が、お家の
嫡男に恋情を抱くなどけしからんと、玉手御前の行跡を怒っている。江戸時代の義理
を重んじる元武家の真情を出すのか、どんなになっても、子は可愛い、娘を労る父親
の気持ちを優先するのか。その辺りが、合邦道心役の仕どころだろう。菊五郎は、初
役だが、さすがに、味を出している。生前一度だけ観た羽左衛門の合邦道心は、良
かった。羽左衛門は、本興行の舞台だけでも合邦を8回演じている。彼の風格は、こ
ういう複雑で、多層的な人格を持つ役柄にぴったりだった。

この物語は、狂気の物語であった。義理の母・玉手御前が、先妻の息子に抱く恋情も
狂気なら、父・合邦道心が玉手御前こと、娘の辻を殺すのも狂気だ。玉手御前は、後
妻とは言え、20代の若い女性、夫となった父親より、ほぼ同年齢の息子にひかれる
のも無理は無い。こうして観て来ると、菊之助の描き出した玉手御前は、通しの舞台
を通して、一直線に、好きな人に向かって迫って来るようだ。一途に、自分の恋情を
ぶつけてくる。戸惑って逃げるだけの俊徳丸。菊之助も、父親の菊五郎同様に、「真
実の恋」説なのだろう。それが、素直に伝わって来る。菊之助は、今年の5月に、大
坂松竹座で、「合邦庵室の場」だけの、みどり上演をして、好評だったということ
だ。その実績を踏まえて、今年最後の舞台で、通し狂言として、「摂州合邦辻」を上
演することが出来た。

玉手御前は、この場面で「口説き」という女形の長台詞を2度言う。娘として、母・
おとくへの告白、恋する母・女として、俊徳丸・浅香姫のふたりへの嫉妬の場面だ
が、いずれも、本心を隠しているという二重性のある難しい台詞だ。玉手御前という
「母」と辻という「娘」の二重性という「狂気の装い」に対して、父親としての合邦
道心の怒りが、娘を殺すという「狂気」として、娘に斬り付ける。その挙げ句の「も
どり」(再び、「娘」への戻りでもある)で、手負いの身体で、正気の本心を明かす
玉手御前。確かに難しい演技だ。先人たちが工夫して来た藝の型を積み上げ、継承し
ながら、新たな挑戦を試みる。その結果、菊之助は、通し狂言として、「合邦庵室の
場」にクライマックスを迎えるように、すべて、「正気」の玉手御前というスタンス
で、演じ通した。これは、新しい解釈だ。

菊之助の一途な、玉手御前の恋情。それと裏腹になるのが、最後の場面での玉手御前
の告白内容だ。父親に斬りつけられて、玉手御前が、実は、俊徳丸に毒酒を飲ませた
のは、次郎丸の悪だくみを知ったので、ふたりの義理ある息子たちを助けようとし
て、仕組んだことだという告白以下は、いかに、荒唐無稽が魅力という歌舞伎でも、
余りにリアリティが、ない。まして、俊徳丸の後を追ったのも、治療法を教えて、俊
徳丸を本復させるためだというのは、取って付けたような話だ。寅年、寅の月、寅の
日、寅の時生まれの女の肝臓の生き血を毒酒に使った鮑の杯に入れて飲めば、本復と
いうのは、いかにも、頭でっかちで、荒唐無稽な理屈だ。それが、玉手御前の真意
で、それに、皆が感心して、貞女とあがめるというのは、江戸時代の人の感覚だろ
う。だが、この荒唐無稽さが、歌舞伎の魅力であることも、また、事実だ。この部分
を菊之助は、一滴の血になって、好きな男の体内に入って、生き続けるというイメー
ジで、玉手御前の最後を想定したという。

現代の私たちは、それはそれとして、横に置きながら、芝翫、あるいは、菊五郎の、
玉手御前の狂気か、正気か、というイメージ。あるいは、菊五郎から菊之助に継承さ
れた真実の恋説の両方を楽しむ、というイメージ。あるいは、菊之助が育て始めた永
遠に好きな男の体内で生き続けると「聖処女伝説」というイメージ。そういう逆説的
なものが多重的に存在しうるのが、「摂州合邦辻」という古怪な芝居の魅力だろう。

こうして見て来ると、玉手御前の演じ方は、3つあったように思う。1つ目は、芝翫
が演じるようなオーソドックスな解釈。つまり、玉手御前が、狂気を装って、俊徳丸
をお家騒動から助けるために、毒酒を飲ませて、一時的に奇病にさせ、更に、「もど
り」で、己の身を犠牲にして、俊徳丸の奇病を治したという顛末。玉手御前は、貞女
となる。2つ目は、菊五郎の演じた解釈で、玉手御前が、正気のまま、「毒酒と寅尽
くしの女の生き血」という迷信を含めて、すべて、俊徳丸への純愛で、貫いたという
顛末。3つ目は、正気の純愛を貫いたことと一見似ているが、すべて、狂気のなせる
技で、俊徳丸への玉手御前の思い込みと妄想で、狂女の真実を貫いたという顛末。

最後に、参考までに、折口信夫の「玉手御前の恋」という文章を紹介したい。

「一体浄瑠璃作者などは、唯ひとり近松は別であるが、あとは誰も彼も、さのみ高い
才能を持つた人とは思はれぬのが多い。人がらの事は、一口に言つてはわるいが、教
養については、どう見てもありそうでない。(略)さう言ふ連衆が、段々書いている
中に、珍しい事件を書き上げ、更に、非常に戯曲的に効果の深い性格を発見して来
る。論より証拠、此合邦の作者など、菅専助にしても、若竹笛躬にしても、凡庸きは
まる作者で、熟練だけで書いている、何の『とりえ』(原文では、傍点)もない作者
だが、しかもこの浄瑠璃で、玉手御前と言ふ人の性格をこれ程に書いている。前の段
のあたりまでは、まだごく平凡な性格しか書けていないのに、此段へ来て、俄然とし
て玉手御前の性格が昇って来る。此は、凡庸の人にでも、文学の魂が憑いて来ると言
つたらよいのだろうか。

併し事実はさう神秘的に考える事はない。平凡に言ふと、浄瑠璃作者の戯曲を書く態
度は、類型を重ねて行く事であつた。彼等が出来る最正しい態度は、類型の上に類型
を積んで行く事であつた。我々から言へば、最いけない態度であると思つている事で
あるのに、彼等は、昔の人の書いた型の上に、自分達の書くものを、重ねて行った。
それが彼等の文章道に於ける道徳であつた」。

さらに、折口は書く。「次の人がその類型の上に、その類型に拠つて書くので、たと
ひ作者がつまらぬ人でも、其類型の上にかさねて行くと、前のものの権威を尊重して
書く為に新しいものは前のものよりも、一段も二段も上のものになる事が多い」と。
必ずしも、類型の上に、類型を重ねれば、良いものができるとは思えないが、ひょん
なことから、そういうものが突然変異のように現れる可能性はあるだろう。「併し作
者が凡庸である場合には、却つて、すこしづつ(ママ)よくなる事もある。玉手御前
の場合は、おそらく、それであつたと思はれる」と折口は、推論する。

つまり、無名の狂言作者たちの職人芸で、先達の教えを守り、いわば先達の作品を下
敷きにし、そっくりに手法を守ることが、時として、こういう「連鎖と断絶」あるい
は「蓄積と飛躍」のような効果を生み出すことを知っているのである。そういう幸福
な作品が、「摂州合邦辻」の「合邦庵室の場」であろう。こういう類型の上塗りとい
う浄瑠璃や歌舞伎の特性を主張する折口の文章には、説得力がある。


歌舞伎離れした舞踊劇


「達陀(だったん)」を拝見するのは、3回目。14年前、96年2月歌舞伎座、6
年前、04年3月歌舞伎座。私が観た主な配役。僧集慶は、菊五郎(2)、今回は、
松緑。青衣(しょうえ)の女人は、雀右衛門、菊之助、今回は、時蔵。堂童子は、先
代の三津五郎、松緑、今回は、亀寿。「達陀」は、3月12日に、奈良の東大寺二月
堂で行われる修二会の行、通称「お水取り」をテーマにした舞踊劇。二代目松緑、つ
まり、松緑の祖父の発案で作られた新作舞踊を菊五郎が引き継ぎ、工夫を重ねてきた
演目。それが今回、菊五郎から、松緑に戻されたということになる。

荒行に取り組む集慶の胸に浮かんできた煩悩・幻の女性が、青衣の女人である。煩悩
と修行の対立。物狂の上に浮かぶ女人としては、「二人椀久」の椀屋久兵衛にとって
の、遊女・松山や、「保名」の安倍保名にとっての、榊前などがいる。今回は、荒行
の果てに、「物狂」に似た心境で浮かぶ女人という共通性があると思う。エロスに負
けない修行の大切さ。そういう意味では、歌舞伎の演目のひとつの普遍的なテーマの
追求と言えるだろう。それを「達陀」は、ダンスまがいの、立役たちの力強い舞踊劇
に仕立てた。演出も、歌舞伎の域を超えている。青衣の女人は、立役ばかりの群舞の
中で、印象に残る。

二月堂のシルエットに、舞台上手に天へ向けて昇る階段、回廊など象徴的な大道具。
大松明の行列。シルエットや透けて見えるスクリーンを舞台の左右に使うなど、映画
的な手法も取り入れている。青衣の女人は、桜の精というようなイメージも伝わって
来た。舞踊というより、体操のような激しい動き、「五体投地」という荒行のイメー
ジを大部屋役者たちの「とんぼ」を主体にした群舞の振り付けなどで工夫している。
所作というより、立ち回りのようなアクション。念仏部分は、録音を使っていた。生
の科白廻しと録音の併用。映画的な音響効果の使用。新しい試みにかける意気込み
は、伝わってくるが、私は、あまりに歌舞伎からはなれているように思える。青衣の
女人は、花道七三のスッポンから現れ、後に、スッポンから消えるという辺りは、歌
舞伎を意識している。私個人は、あまり好きではない演目だが、当代の松緑が、今
回、それを引き継いだ。
- 2010年12月14日(火) 18:30:53
10年12月国立劇場 (人形浄瑠璃・鑑賞教室「伊達娘恋緋鹿子」「三十三間堂棟
由来」)


「伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段」 人形だけが、のぼり往く


八百屋お七の物語。人形浄瑠璃鑑賞教室は、「人形浄瑠璃入門」趣向の高校生向けを
主体とし、残りの席を一般客にも開放しているというスタイル。通称、「櫓のお
七」、今回は、火の見櫓をお七がのぼるというハイライト場面のみの上演。菅専助ら
の原作、全八段構成の世話物で、1773(安永2)年、初演。「火の見櫓の段」
は、主遣が、背中から手を入れて、人形を動かす人形浄瑠璃でありながら、観客席に
背中を見せて、お七ひとりが、(見えない人形遣に導かれながら)火の見櫓のはしご
段を、どうやってのぼるのか、という辺りが、観客の興味を引くことだろう。

歌舞伎の定式幕とは、逆に、上手から下手に幕が開くと、舞台は、浅黄幕に覆われて
いる。竹本と三味線方の紹介の口上も無く始まり、浅黄幕の振り落とし。すでに、お
七は、手紙を持ち、雪の降る中、黒塗りの火の見櫓の前に立って居る。

竹本「降り積もる、雪にはあらで恋といふ、その愛しさの心こそ、いつかは身をば崩
れはし」、(雪=往きと恋=来い)という言葉遊びをちりばめながら、「火の見櫓の
段」では、雪が降り積もるなか、江戸の町々の木戸を閉める合図となる鐘が鳴り始め
る。本来なら、秘剣を盗んで来たお杉、盗まれたことに気づいてお杉を追いかける武
兵衛、弥作が、追いつき、武兵衛の邪魔をする、というドタバタのチャリ場のなか、
お七は、火の見櫓にのぼり、禁断の鐘を鳴らして、秘剣を持ったお杉に木戸を通らせ
ると、自分も、お杉の後を追って行く、という筋立てになる筈だが、今回の鑑賞教室
では、お七の人形のみ登場して、お七自身が、金の力で秘剣を手に入れた武兵衛から
剣を奪い、吉三郎の元に届けるために、火の見櫓にのぼって、鐘を叩き、木戸を開け
させてみせるという乙女の一途な恋物語の話になっている。偽りの半鐘を鳴らしたか
らには、お七は、火あぶりの刑になるという過酷な運命が待っている。「焼き殺され
ても男ゆゑ、少しも厭はぬ大事ない。思ふ男に別れては所詮生きてはゐぬ体、炭にも
なれ灰ともなれ」とは、お七の決意。これも、激しい。

ここでの人形遣の動き。三人遣の人形遣に加えて、もうひとりも協力して、4人掛か
りで、お七の「浅黄と緋の麻の葉の段鹿子」の衣装から、肌脱ぎさせて、下に着てい
た緋縮緬の長襦袢を見せる。やがて、ある決意をして、火の見櫓に近づいたお七。首
を長い髪ごと、ダイナミックに前後に振る。いよいよ、櫓のはしご段に取り付いたお
七。お七の「右手」と首を櫓のなかにいる別の人形遣が、握って、お七の体を支えて
いるようだ。それを確認した主遣(桐竹紋臣)と左遣は、一旦、人形から離れる。足
遣のみ残り、お七を下から支える。お七の人形は、体を揺すりながら、はしごに取り
付いて行く。それを見届け、主遣と左遣、ふたりとも、櫓の裏側へ廻って行く。裏側
に廻った主遣は、お七の首(かしら)と「左手」を、左遣は、「右手」を操る部分を
握っているのではないか。左手と右手の遣い手が、逆になるのではないか。

傍で観ると判るのだが、櫓のはしご段の両脇が、割れ目のある「幕」のような形に
なっていて、そこから、人形遣は、人形の操る部分を握れるし、人形の顔の一部も覗
かせることができるように仕掛けてあるようだ。つまり、櫓の裏側から、人形遣が、
ほとんど、姿を見せずに、人形が櫓のはしご段をのぼることができるという演出に
なっている。確認した訳ではないが、客席から窺い知るに、左遣が、人形の「右手」
を持ち、徐々に引揚げる。裏側にたどり着いた主遣が、人形の「左手」と背中斜めに
顔を向けた格好のお七の首を「激しく」操りながら、はしご段をのぼるという形で、
人形の所作や表情を演出するということのようだ。首の動きが、激しくなることで、
正規の主遣に替わったということが推量される。櫓の上に到達し、お七の人形遣たち
は、皆、定位置に着き、本来の操り手に戻る。そうすると、お七は、右手で、鐘木を
握り、禁断の半鐘を叩き始める。

この演出は、近代の女役の人形遣の名手と言われ、1962年に亡くなった吉田文五
郎が、考案したという。初演の1773年以来、百数十年間は、先達たちは、吉田文
五郎とは、違う演出で、お七を櫓にのぼらせていたというわけだ。文五郎が考案演出
した、いまのようなお七の、人形としての動きは、ダイナミックで、表情もあり、何
度観ても、感動する場面だと、思う。


この後、「文楽の魅力」というタイトルの解説。竹本相子(あいこ)大夫と鶴澤清丈
(三味線方)のふたりが、大阪弁で、漫才のような口調で、やり取りしながら、竹本
と三味線の役割を説明する。ついで、人形遣の桐竹紋臣(もんとみ)が、人形の遣い
方を説明する。


「三十三間堂棟由来」は、草木成仏(自然保護)


「三十三間堂棟由来」は、人形浄瑠璃で、私が観るのは、初めて。歌舞伎でも、大歌
舞伎では、私は、観たことがない。6年前の、04年8月、国立劇場小劇場で、松尾
塾子供歌舞伎公演で、「卅三間堂棟由来」を観たことがあるだけだ。その時の構成
は、序幕「熊野山中鷹狩の場」二幕目「平太郎住家の場」三幕目「和歌ノ浦木遣音頭
の場」というものだった。

「三十三間堂棟由来」は、1760(宝暦10)年、大坂豊竹座で初演された。原作
は、若竹笛躬、中邑阿契の合作という。ふたりとも、どういう人物か、詳細は判らな
い。本来は、「祇園女御九重錦(ぎおんにょごここのえにしき)」という全五段の浄
瑠璃。三段目が、「平太郎住家の段」。柳の木の精の化身の女性と前世が、木だった
男性の「異類婚姻譚」で、1734(享保19)年に初演された「葛の葉子別れ」を
下敷きにしていると言われる。今回の人形浄瑠璃の構成は、「鷹狩の段」「平太郎住
家より木遣り音頭の段」(この部分が、「三十三間堂棟由来」と称される)となって
いる。

「鷹狩の段」。いつもの口上で、開幕。竹本津国大夫、南都大夫、豊竹芳穂大夫、始
大夫、希大夫の5人の語り分け。三味線方は、竹澤宗助が、ひとりで、付き合う。熊
野の山中の谷にある柳と茶店。鷹狩りの一行が、鷹を放ったところ、鷹の足緒が、柳
の梢に引っかかってしまった。鷹を助けるために、柳の木を切ろうとするが、父の仇
を求めて老母を背負い、熊野権現に日参する曽根平太郎が、一矢で鷹の足緒を射切
り、柳は、切られずに済む。一行の家来の時澄が、弓自慢をした際に、平太郎の父の
仇と判ったが、仇を打つには、時期尚早と次の機会を待つことにする。その様子を見
ていた茶屋の女主人お柳が、疲れた老母と平太郎を家に誘う。山中に美人が居るの
で、いぶかる平太郎。お柳は、積極的で、「わしを女房に持たしやんしたらよかろう
が」とまで言って迫って来る。その後、ちょうど、通りかかった白河法皇一行も、謀
叛人に取り囲まれるが、平太郎が助ける。

「平太郎住家より木遣り音頭の段」。「ふだらくの、岸を南に三熊野の」。中の語り
は、豊竹咲甫大夫。三味線方は、鶴澤清志郎。その5年後。紀州三熊野。柳のあった
宿(しゅく)の隣。平太郎とお柳は、夫婦になっていて、子どものみどり丸と老婆と
住んでいる。平太郎の不在時に、法皇の使いが、やって来て、先年のお手柄の褒美を
持参すると共に、お柳の茶店の傍にあった柳の木の梢に髑髏があり、それが祟って、
法皇を頭痛で苦しめているので、切り倒し、棟木にして、三十三間堂を建てて、髑髏
を納めるようにと院宣が下ったと告げる。

「夢をや結ぶらん」で、語りが、大きくなって、奥の語りへ。豊竹英大夫。三味線方
は、鶴澤清介。お柳は、帰宅した平太郎に柳の木の話をするが、平太郎が、みどり丸
と一緒に寝入った後、お柳は、独白する。自分が、実は、柳の精で、平太郎も、実
は、前世では椰(なぎ)の木で、柳と椰は、前世では、一つの木だった。

法皇の前世は、修験者で、この修験者が、一つの木を柳と椰に分けた。伐り取られた
椰の木は、平太郎に生まれ変わり、残った自分は、柳の精として、女人に姿を変え
て、平太郎に出会うのを待っていた。鷹狩りで、柳の木が、切られそうになったのを
平太郎が助けてくれたので、ふたりは、前世の夫婦に戻っただけだ。

やがて、次の宿にある柳の木が、斧で切られる音が、風に乗って、聞こえて来た。若
緑の衣装を来たお柳は、身を切られて、苦しみ始める。夫と息子に別れを告げて、姿
を消してしまう。お柳の子別れの「くどき」が、見せ場。

母を求めて、泣く、みどり丸。壁の中から姿を見せたお柳は、柳の木から持って来た
問題の髑髏を平太郎に渡して、再び姿を消す。若緑の衣装を着たお柳が、下に、下か
ら、白い衣装を着たお柳の人形が、上にと、一瞬のうちにすり替えられる。一人遣の
お柳は、和生と共に、住家の下手の外壁のうちに消えてしまう。

引き道具で、場面展開。舞台の天井から熊野川の遠見が降りて来る。左右(上手と下
手)から出て来る松の並木。熊野街道へと早替わり。次の宿の柳の元に急ぐ平太郎と
みどり丸。伐り倒された柳の大木が、木遣り音頭にのせられて、一人遣の木遣り人足
たちが曳く綱に引っ張られて、熊野の街道筋を新宮まで運ばれて行く。しかし、途中
で、動かなくなってしまう。
母が、みどり丸に、子別れをしたいのだ。

平太郎とみどり丸が、その現場に駆けつける。平太郎は、みどり丸に綱を引かせて欲
しいと頼む。平太郎が、木遣り音頭を歌い、みどり丸が、綱を引くと、大木は、動き
始める。

「草木成仏」。いわば、自然保護を訴えるような芝居。四半世紀前の、先行作品「葛
の葉」(狐の親子)を下敷きにして、無名の作者たちが、書き上げた作品で、やは
り、「葛の葉」に比べると、話も、趣向も、ドラマ的な盛り上がりも、薄っぺらだ。
唯一、柳の木を伐り倒す場面が、風に乗って、遠くから聞こえて来るという設定。身
内の苦しさを、和生が、所作少なく、身を締めながら、表現するところは、見応えが
あった。前半は、娘の首。後半は、老女形の首。柳の木が、ほっそりと佇み、運命を
受け入れているような顔をして、終始、穏やかに、お柳に寄り添っていた。

このほか、平太郎を操るのは、玉女。いつものように、淡々とした表情。老母は、簑
二郎。困惑顔で、操る。

2月の国立劇場は、その先行作品である通称「葛の葉」、「芦屋道満大内鑑」が、上
演されるので、また、改めて、比較したい。
- 2010年12月12日(日) 16:41:29
10年12月国立劇場 (人形浄瑠璃「由良湊千軒長者」「本朝廿四孝」)


今回は、12・3、4と続けて、同じ舞台を観た。4日には、在日フランス人協会な
どの人たちのグループを相手に、人形浄瑠璃や演目についてミニ講演をし、その後、
一緒に観劇をした。3日は、そのための下見として、舞台を観た。


まず、国立劇場での人形浄瑠璃初演という「由良湊千軒長者(ゆらのみなとせんげん
ちょうじゃ)」。原作:竹田小出雲、近松半二ほかで、1761(宝暦11)年、大
坂・竹本座初演。時代物全三段のうち、「山の段」。通称「安寿とつし(づし、対)
王」、あるいは、「三荘太夫」。

三荘太夫とは、丹後の国の成合(なりあい)、橋立、由良の3つの荘の地頭のこと。
奥州の領主・岩木政氏が、暗殺され、御台所と遺児の安寿姫とつし(づし、対)王
は、家老の計らいで逃げて来た。岩木家の旧臣が、岩木家再興の軍資金集めのためと
言いながら、旧主一族の御台所を佐渡に、姉弟を三荘太夫のところに身売りしてし
まった。実は、三荘太夫こそ、姉弟の父親殺しの真犯人。三荘太夫は、姉弟をこき使
う。

「陸奥風土記」や説教節「さんせう太夫」などに伝わる「三荘太夫」と「安寿とつし
(づし、対)王」の物語は、日本の昔話として、日本人は、子供の頃から親しんでい
る。

三荘太夫の、障害者という、実の娘(おさん)の因果話(通称、「鶏娘」)は、子供
向けの昔話には、出て来ない。三荘太夫一族の因果話も含めて、血の犠牲と因果な運
命が奇蹟を作るという、近代以前の色合いの濃い物語。歌舞伎でも、人形浄瑠璃で
も、あまり上演されない演目。今回の上演は、こき使われて疲れ果てながら、互いを
いたわる姉と弟の場面のみ。

珍しい見どころは、ひとつ。人形浄瑠璃の女役の人形は、足がないのが普通である。
足を出すので有名な演目は、「曾根崎心中」で、「曾根崎心中」のお初の人形は、天
満屋の場面で、縁の下に隠れる徳兵衛に足で自分の気持ちを伝えるという見せ場があ
るので、足がある。そのほかの女役の人形は、足がなく、着物の裾で足のように見せ
かけているだけである。ところが、潮汲みに浜に降りる安寿は、足があり、赤い鼻緒
の草履を履いていた。

贅言;「由良湊千軒長者」は、今回、一幕ものの「山の段」として上演されていて、
舞台もシンプル。岩山の上から奥へ浜を見下ろすという体の背景画という構造だ。大
道具は、舞台上手の岩山の小高いところにある松の木一本だけ。背景画に松の木を描
き込んでも、済んでしまいそう。ところが、この松は、重要な役どころがある。幕切
れ間近で、下手から奥の浜へ向かおうとする安寿と姉を気遣い、別れを惜しむつし
(づし、対)王が、「抱き柱」のように、松の木に抱きつく見得の場面で、閉幕とな
るからだ。舞台にあるものは、必ず、役割がある。


スパイ映画のようなサスペンス仕立て


さて、メインとなる「本朝廿四孝」は、近松半二、三好松洛らの原作で、全五段構成
の時代物。1766(明和3)年、大坂竹本座で、初演。今回の上演は、全五段のう
ち、「三段目」だけのみどり上演。口の「桔梗原の段」では、越後の長尾方の執権
(越名弾正)・妻入江。甲斐の武田方の執権(高坂弾正)・妻唐織という、執権同士
の領地争いから、武田方の軍師として有名な「山本勘助」の名札を付けた捨て子の保
護争い(争うのが、双方の奥方同士で、唐織の発案で、赤子が、どちらの乳を飲むか
で、決着をつけようという争いなので、これも、パロディで、通称「乳争い」とい
う)。

「三段目」の見せ場は、「景勝下駄の段」、「勘助住家の段」。このうち、いわゆ
る、通称「筍掘り」(三段目全体を総称して、「筍掘り」とも言う)とも言われる場
面は、実は、山本勘助の未亡人・越路が我が子の兄弟に仕掛けた、兵書(軍法奥義の
書)探し、「勘助襲名」決定のための策略。横蔵・慈悲蔵の兄弟が、敵味方に分かれ
て、母への孝行と主への忠義を競い合う。「筍掘り」などという通称でも判るよう
に、この対立も、パロディの工夫が、趣向となっている。

全五段構成では、日本の戦国時代(15世紀後半から16世紀後半)のうち、武田信
玄と長尾謙信の争いがテーマで、サスペンス仕立てのファンタジー=足利将軍(義
晴)の暗殺事件があり、将軍家を守るために、長尾謙信と武田信玄が、不和を装い、
嫡男の身替わりを立てようとするなどした上で、偽装の争いを仕掛け、将軍暗殺の真
犯人(斎藤道三)あぶり出しを狙う作戦の物語。主な人物の行動には、二重三重の裏
があるので、筋は、複雑怪奇。簡単には、説明し難い。外題は、中国の「廿四孝」の
もじりで、中国の古書「廿四孝」の故事が、エピソードとして、随所に埋め込まれて
いる。

近松半二の父親は、竹本座の文藝顧問、近松門左衛門と親交あり。半二は、青年時代
は、放蕩生活を送ったといわれるが、二代目竹田出雲に弟子入りした。近松にも私淑
し、近松姓を名乗った。半二は、時代物を得意とし、作風は、重厚で、変化に富み、
それゆえに、複雑な技巧を凝らした筋構成が多い。舞台装置は、視覚面を重視し、左
右対称の大道具など、斬新で、印象的な舞台を作り上げる。筋や登場人物も、対比を
好む。

例えば、今回の「桔梗原の段」では、本舞台中央に「榜示杭(標)」があり、上手側
に「越後之国」、下手側に、「甲斐之国」と書いてある。桔梗原の遠景に山々、高山
は、雪を冠っているのが見える。下手より、武田方の高坂家の奴ふたり(それぞれ、
一人遣い)が、国境周辺で、秣(まぐさ)を刈り始める。上手からも、長尾方の越名
家の奴ふたりが、秣を刈ろうとやってくるが、自領に入り込んで、秣を刈っている高
坂家の奴を見つけ、争いとなる。さらに、両家の奥方が出て来て、奴同士の喧嘩が、
奥方同士の喧嘩に発展することで、甲斐領の武田家と越後領の長尾家、それぞれの執
権同士(高坂家と越名家)の対立が、浮かび上がってくるという趣向だ。上手下手
と、左右対称を重視しながら、奴同士、奥方同士、執権同士というように、同じ身分
のものたちが、等しく出て来て、芝居をする。

一旦両家の人たちが引っ込んだ後、数え年で、3歳というから、満年齢なら、1歳半
くらいの、実子の峰松を慈悲蔵が、捨てに来るが、捨てた場所が「榜示杭」の前、高
坂家の奴が、都合良く、置いて帰った秣狩りの籠の中。さらに、捨子につけた札に軍
師「山本勘助」の名があることから、慈悲蔵が去った後、再び、両家の人たちが、現
れて、今度は、勘助所縁の赤子をめぐって、武田家と長尾家の執権同士を巻き込んで
の、対立となる。

ふたりの執権は、いずれも、名を弾正というが、越名は、槍が得意で、「槍弾正」。
高坂は、平和主義者で、逃げが得意な「逃げ弾正」という。再び登場した奥方同士の
争いは、先ほど触れたように、通称「乳争い」。空腹で泣く赤子に乳を飲ませようと
する。赤子が、乳を飲みつく方が、勝ち。ところが、赤子は、双方の乳を飲まない
で、泣きわめき続ける。そこで、赤子の泣き止んだ方が勝ちとなり、越名家側は、入
江と弾正が、ふたりで、赤子の機嫌を取ろうとするが、赤子は泣き止まない。高坂家
の唐織が、抱いて、泣き止ましたというので、高坂家が勝った、ということで、高坂
家の面々が、引揚げて行く。

桔梗原の場面では、慈悲蔵の出入りの場面以外は、両者の登場人物の数、役どころ、
衣裳など、すべて、左右の釣り合いが取れていて、よきところにて、対称の妙を発揮
する、という体。人形の首(かしら)も、奴は、皆同じ。高坂家の妻・唐織は「老女
形」(歌舞伎なら、「片はずし」の役どころ)、越名家の妻・入り江は、「八汐」
(先代萩の、あの敵役の「八汐」である)。執権同士では、高坂弾正が、「孔明」
(辛抱立役の首)で、越名弾正が、「金時」(太い眉毛の厳つい首)。越名家の首で
ある、「八汐」も「金時」も、怖い顔のつくりなので、これでは、ふたりで、あやし
ても、赤子が泣き止む筈がない。

この争いは、要するに、「山本勘助」という軍師の息子たち、山本家の長男・横蔵と
次男・慈悲蔵を武田家と長尾家が、奪い合うという話が、究極の目的なのだが、それ
は、追々明らかになって来るという趣向だ。この大きな流れを承知していないと、複
雑な筋、「実は、実は、」という二重、三重の、人格を持った主たる登場人物に惑わ
され、理解が未消化のママ、引き回されて、何がなんだか判らなくなる恐れがある。
大きな流れを承知しておき、後は、場面場面を楽しむというのが、半二劇を楽しむコ
ツだろうと思う。

「本朝廿四孝」全五段の対立の構図を見ておくと、大将・武田信玄対長尾謙信、嫡
男・武田勝頼対長尾景勝、横蔵(後に、二代目山本勘助)対慈悲蔵(実は、直江山城
之助)の兄弟、謙信息女の八重垣姫対腰元、実は、斎藤道三の息女濡衣で、それに加
えて、嫡男のそれぞれについての身替わり話の対比など、複雑な筋が難点ながら、大
衆受けする華やかさもあり、半二劇の中では、「近江源氏先陣館」、「妹背山婦女庭
訓」などの作品とならんで、「本朝廿四孝」は、現代まで、上演頻度は高い。

さて、「景勝下駄の段」。慈悲蔵と横蔵の対比が、ここからの見せ場。当初は、愚兄
賢弟という見立て。兄の横蔵は、樵、男やもめでありながら、どこかから連れて来た
次郎吉という赤子を育てている。荒くれ、弟・慈悲蔵の女房・お種に懸想するような
横道者だが、実は、深慮遠謀の人。後に武田方の軍師・山本勘助になる人物。慈悲蔵
は、お種との間に、峰松という赤子がいる。母親や兄への孝養が厚い。慈悲蔵は、横
蔵の意向を踏まえた母親の命令に従い、孝行のためと割り切って、桔梗原の国境で、
我が子・峰松を棄ててまで、お種に兄の子・次郎吉を育てさせている。横蔵が連れて
来た次郎吉は、実は、自分の子ではなく、足利将軍家の若君(義晴と賤の方の子・松
寿君)である。産後の肥立ちが悪く、なくなってしまった賤の方の意向を引き継い
で、若君を匿いながら、育てている。その対比を際立たせる「触媒」の役をするの
が、兄弟の母親で、歌舞伎なら、いわゆる「三婆」と呼ばれる老け女形の難しい役ど
ころの一人・越路が、キーパーソン。越路は、夫の勘助という名前をふたりの息子の
どちらに継がせるか、悩んでいる。

贅言;人形浄瑠璃では、当初、母親には、名前がなかったが、歌舞伎化されて、母親
の役が重くなり、越路、深雪などの名が付き、逆に、人形浄瑠璃でも、その名が使わ
れるようになったという。首は、「婆」。

いろいろ策を労する越路。慈悲蔵とのやり取りで、勢い余って、自分が履いていた黒
塗りの下駄を飛ばしてしまう(足のない女役の人形なのに、なぜか、下駄を履いてい
る)。その下駄を拾ったのが、長尾家の嫡男・景勝。越路の息子たちのうち、兄の横
蔵を召し抱えたいとやって来たのだ。この場面から、この段は、通称「景勝下駄の
段」という。元から長尾家側という真情を持つ越路は、景勝の申し出を快諾した
が……。

「景勝下駄の段」を含めて、大きく見れば、ここは、基本的に「勘助住家」という舞
台。「勘助住家」の長い舞台を分けた、通称を並べてみると、「景勝下駄」、「八寒
地獄(寒さに関わる8つの地獄という意味)」、「筍掘り」(あるいは、「竹の
子」、さらに、「炬燵櫓」)、「勘助物語」などとなる。通称がたくさんつくという
ことは、この難解な芝居が、いかに、江戸の大衆に愛されたかが偲ばれる。

この後、より複雑な構成の舞台に入るので、ここからは、舞台という「空間」を追っ
かけるより、主な登場人物を整理し、「時系列的」に見た方が、理解し易いと思われ
る。

横蔵:兄。山本勘助の遺児で、越路の息子。景勝に良く似ている横蔵は、長尾景勝の
身替わり(影武者)としてスカウトされようとする。実は、景勝は、自分の身替わり
に横蔵に切腹をさせようと目論んでいる、つまり、長尾景勝が、欲しいのは、横蔵の
身柄というより、自分に良く似ている横蔵の生首が欲しいのだ(景勝と横蔵、ふたり
の首は、「文七」という悲劇の主人公に用いられる首で、顔が似ているのだから、同
じ首が登場しても、おかしくはない)。

母の越路も、弟の慈悲蔵(因に、「検非違使(けんびし)」という首で、眉目秀麗の
主役級の首)も、長尾方ということが、やがて知れるが、家族に包み込まれているだ
けでなく、(舞台には登場しないが、)実際に勘助住家を長尾景勝の軍兵に包囲され
た横蔵は、自ら、景勝が持ち込んだ「腹切り刀」を取り上げ、己の目を抉り出し、人
相を変えてしまい、景勝の身替わりとしてのメリットを無くして、申し出を拒否す
る。こうして横蔵は、父・山本勘助の名を引き継ぎ、足利将軍家を支えることを約束
していた武田方へ連なることを表明する。

後に、武田方の軍師・二代目山本勘助となる横蔵は、信玄の臣下・高坂昌信の記述の
体を取って書かれた信玄・勝頼の軍法などをまとめた、甲州流の軍学書である「甲陽
軍艦」に出て来る山本勘助(川中島の合戦で戦死と伝えられる)は、独眼雙脚である
ので、二代目も、左足を怪我し、右目を自ら傷つけなどして、父同様に、独眼雙脚と
なったという通俗日本史的な知識を元にしたエピソードを原作者は、周到に添えてい
る。

慈悲蔵:弟。山本勘助の遺児で、越路の息子。実は、母の越路と計らって、すでに、
長尾方の家臣・直江山城之助になっている。「直江氏」は、実は、母の出身家系。母
と協力をして、横蔵を長尾方に付けさせようと、我が子・峰松を殺すのは、実は、慈
悲蔵である。そういう非常な面も持っている有能な武士である。結局、「山本氏」の
父の名「勘助」を受け継いだ横蔵の計らいで、兵書の方は、慈悲蔵が、譲り受けるこ
とになる。

越路:山本勘助の妻。横蔵・慈悲蔵兄弟の母親。山本勘助亡き後、自ら、「勘助」の
名を引き継いでいる。長尾家領地の「直江氏」の出身ということで、慈悲蔵、実は、
直江山城之助と共に、長尾家に組みしているが、長男の横蔵も、長尾家側に引きつけ
ようと策している。その代わりとして、表向き、慈悲蔵に辛く当たり、逆に、横蔵を
甘やかし、増長させるが、後に、態度を豹変させる。越路は、結構、冷酷で、慈悲蔵
に我が子・峰松を殺させたり、横蔵に切腹を迫ったりするという、強い母である。

お種:慈悲蔵の女房(実は、将軍足利家の腰元・八つ橋、その時期に、慈悲蔵と恋仲
=不義の仲になった。首は、唐織と同じ、「老女形」ということで、重い役どころ)
は、知らぬこととは言いながら、我が子・峰松を夫の慈悲蔵に捨て子にされてしま
う。さらに、武田方の唐織が、慈悲蔵を武田方に付けさせようとして、雪の戸外に峰
松を置き去りにして行く。極寒の中、我が子の命が危険に晒される場面は、お種の独
演の名場面で、通称「八寒(はつかん)地獄」という。竹本の「外に泣く声八寒地
獄」で、戸外の木戸の傍で、盥に入れられ、笠をかぶせられただけという格好で、寒
さに震える峰松(一人遣いの人形)と室内で泣きわめく横蔵が連れて来た養子の次郎
吉(実は、足利将軍家の嫡男だが、人形としては、小道具に近い)という、ふたりの
赤子の間で、母性を引き裂かれ、葛藤に苦しむ。慈悲蔵が、腰下げの紐鐉(ひもかき
がね)で、「錠の代わりの真結び」で結んでしまい、木戸が開かない。外からの峰松
の鳴き声にいたたまれず、座敷から庭の雪の中に、素足で、飛び降りて来るお種。そ
の果てに、お種は、格子戸を破り抜き、髪をさばき、「砕けよ破(わ)れよの念力」
にと、女の念力を見せつける。歌舞伎なら、雀右衛門の役どころ。

そういうことを踏まえた上で、舞台の「勘助住家の段」を観よう。前半は、大道具の
居どころ替りで、住家裏手、雪の竹林。筍掘りに向かう慈悲蔵を軸に、竹やぶでの、
鍬(くわ)を持った慈悲蔵と鋤(すき)を持った横蔵の争い(殺陣、立ち回り)は、
静止した形を重視し、様式美を強調した所作が続く、ハイライトの場面。季節外れの
「筍掘り」は、実は、越路が仕掛けた、兵書探しのための謎掛け。ある筈のない冬の
筍掘りに見立てて、雪の中に埋められていた兵書(軍法奥義の書)争奪の争い。だ
が、これも、人形浄瑠璃では、実は、埋められていたのは、兵書ではなく、「源氏の
白旗」という趣向。埋めていたのは、横蔵ということで、この立ち回りは、横蔵が、
慈悲蔵の「筍掘り」を邪魔するための立ち回りであったと、判る。兵書は、一間(つ
まり、上手の障子の間)に母の越路が、隠していたのであり、横蔵の勘助襲名のため
の策だったことが判って来る。

この後、竹林は、再び、早替わりで、「勘助住家」に戻るが、漢詩が書かれた襖のあ
る、武家風の座敷の「住家」に変わっている。そこに登場した越路が、ふたりの喧嘩
に割って入る。

慈悲蔵を下がらせた後、越路は、これまでの態度を一変させて、横蔵に景勝の影武者
になるよう迫る。長尾景勝が、主従の品として置いて行ったのは、白装束と九寸五分
の刀、つまり、腹切り刀だった。影武者どころか、切腹をして、景勝似の生首を差し
出せと、母は言うのだった。

越路と慈悲蔵、実は、長尾家の家来・直江山城之助は、元から長尾家の陣営。足利将
軍の若君を保護する横蔵は、足利方に連なる武田方なので、これを拒否し、己の右目
を抉り、人相を変えて、景勝の身替わりは無理という状況を作るほどの剛の者だっ
た。

その器量を評価して、母の越路は、夫・勘助の名跡と兵書を横蔵に譲ろうとする。横
蔵は、勘助の名跡は引き継ぐことは承諾するが、兵書は、弟慈悲蔵に譲る。横蔵は、
すでに、武田信玄の命で、足利将軍家の世継ぎの若君を我が子・次郎吉として、匿い
育てていたことを公表する。横蔵は、「ぶっかえり」という早替わりで、衣装を赤地
錦なり、白旗の旗竿代わりに竹を切り取るなどして、いくつかの見得を連発し、最後
は、赤地錦を拡げての大見得で決まる。三人遣いの人形も、「ぶっかえり」では、遊
軍の人形遣も参加して、四人遣い。大団円では、バタバタという感じで、「実は、実
は、」が、連発されるので、観客は、混乱しがちだ。


ところで、人形浄瑠璃では、人形そのもの、人形、竹本、三味線のそれぞれの担当
者、舞台全体というように、見るものが多い。基本は、人形の動きを軸として観るわ
けだが、人形の動きだけでなく、人形遣の表情・動きを観ることも愉しみの一つだ。
今回は、慈悲蔵:勘十郎、横蔵:玉女、勘助母・越路:和生、慈悲蔵女房・お種:清
十郎などに注目した。

慈悲蔵を扱った勘十郎の「後ろ振り」が、おもしろかった。勘十郎は、右手を引っ込
めて、袂に隠し、左手だけで、人形を支え、首を操る形で、慈悲蔵の背を反らせて、
後ろに振り向かせる。後に自ら殺すことになる我が子・峰松への惜別の場面だし、雪
深い中を雪から足を引き抜き、引き抜き歩く様が浮かんで来る。

横蔵を操る玉女は、相変わらず、無表情に近い、淡々とした表情で、終盤、派手に動
き回る横蔵に付き従う。越路を扱う和生は、策略家の老母を非情ながら、じっくり描
く。お種の清十郎は、引き裂かれる母情を懇切に表現して、どこまでも、付き添って
行く。

さらに、竹本の大夫の動きを観る。熱演型、冷静型などいろいろで、表情など語りぶ
りを観るのも興味深い。今回は、桔梗原の「奥」では、熱演型の三輪大夫。勘助住家
の「前」では、津駒大夫のだみ声が、横柄で、「横」紙破りの横蔵にぴったりと寄り
添う。どの大夫も、男の役では、太い声を出し、女の役では、高い声を出す。

三味線方の動きも注目。淡々としている人が多いが、コンサートマスター役は、三味
線方が勤めている。今回は、5人登場。立ち役の場面では、太三味線のバチを叩き付
けるように音を響かせ、女形の場面では、音を丸めるように弾きこなす。

観客としては、時々、舞台全体を眺望するなど、自分の関心に従って、角度を変えな
がら観るのが、「重層的」な演劇である人形浄瑠璃を「総合的」に楽しむコツ。

人形浄瑠璃は、人物名や衣装は違うが、顔を見ると全く同じだと判る。役柄の性根に
合わせて、首(かしら)を選ぶ。操り人形の動きと竹本(ナレーション)で、心理描
写を深めることで、同じ顔でも、苦にならない。ひとつの表情が、固定している人形
の筈なのに、角度や陰りによって、様々な表情が伝わって来る不思議さが、人形浄瑠
璃の魅力である。だから、人形浄瑠璃は、ある意味では、歌舞伎より、演劇的に奥深
く(つまり、難しく)、また、演じるのが、生身の役者(人間)ではなく、「超人的
な」人形だから、襞深くまでドラマチックに表現ができる。つまり、人形浄瑠璃は、
「内」も、重視する。人形遣の持ち味は、勿論あるが、生身の役者が登場する歌舞伎
ほど、生々しくない。心理劇として、人形浄瑠璃の方が、より、大人向けと言えるだ
ろう。

人形は、人間にそっくりな動きをするのではなく、人形ならではの動きをする。時に
は、人間なら不自然と思える動きも人形らしく動くことで、人間よりもリアルに心理
描写が出来るというのも、不思議ではないような気がする。

その秘訣の一つに「チョイの糸」という仕掛けがある。首の中に仕込まれる「ノド
ギ」(喉、首=くび)と首(かしら)の後ろを鯨のヒゲでむすんだ先につく糸。主遣
いは、手板(操作板)を下から支え持つ左手の薬指と小指に、この糸を引っ掛けてい
る。人形遣が、緊張したり、ゆるんだりすると、微妙に動く。人形遣いの息使いに
よって人形も息を呑んだり吐いたりする。人形が生きているように見える。活発に動
く時より、こうした微妙な動きの方が、存在感があるという不思議さ。
- 2010年12月6日(月) 11:46:49
10年11月国立劇場 (「国性爺合戦」)


「国性爺(こくせんや)合戦」は、もともと、17世紀の中国の歴史、「抗清復明」
の戦いと呼ばれた明国再興のために清国に抗戦した歴史、なかでも、史実の人物、日
明混血の鄭成功の物語を題材にしている。史実の鄭成功は、「国姓爺(こくせん
や)」と呼ばれた。鄭成功は、清に敗れた後、台湾を攻略し、そこを活動の拠点にし
た。

近松門左衛門は、「明清闘記」という日本の書物を下敷きに、「国性爺合戦」を書い
たというから、これは、まさに、「戦記」である。1715(正徳5)年、竹本座で
初演された近松門左衛門原作の人形浄瑠璃は、全五段構成。韃靼に滅ぼされた明の再
興を願う和藤内(後に、鄭成功)は、姉(父親の先妻の娘)の錦祥女が、甘輝将軍に
嫁いでいるという縁を利用するため、大陸に渡る。韃靼に従っている甘輝将軍に対し
て、義弟の和藤内が、日明混血という立場を生かして、実の父母(父親の後妻)とと
もに、韃靼征伐への旗揚げ協力を要請に行くという物語である。

「戦記」ながら、見どころは、和藤内から見て、実母の渚と腹違いの姉の錦祥女とい
う、義理の母娘が、重要なポイントになる、というのがおもしろい。今回も、ベテラ
ンの女形が、藤十郎と東蔵が、熱演で、充実の舞台を見せてくれた。

「国性爺合戦」は、私は、3回目の拝見している。98年12月、03年4月の歌舞
伎座である。私が観た和藤内は、猿之助、吉右衛門、そして、今回が、團十郎。この
ほかの配役は、錦祥女が、玉三郎、雀右衛門、今回が、藤十郎。甘輝が、段四郎、仁
左衛門、今回が、梅玉。父・老一官が、左團次(今回含め、3)。母・渚が、九代目
宗十郎、田之助、今回が、東蔵。

98年は、猿之助一座の、通し狂言で拝見している。この舞台は、人形浄瑠璃の全五
段構成を大事にした場面構成で、筋立てが判りやすかった。この時の、場面構成は、
大明御殿、海登の湊、平戸の浜、千里ケ竹、獅子ケ城楼門、甘輝館、紅流し、元の甘
輝館、松江の湊、九仙山、雲門関、龍馬ケ原、石頭城、長楽城、元の九仙山、南京。
ということで、きめが細かかった。

03年は、場面が整理され、コンパクトになっている。平戸海岸、千里ケ竹、獅子ケ
城楼門、甘輝館、紅流し、元の甘輝館。

そして、今回は、序幕「大明御殿、平戸の浦」、二幕目「千里ケ竹」、三幕目「獅子
ケ城楼門」、四幕目「甘輝館、紅流し、元の甘輝館」という構成。03年同様に、刈
り込まれているが、序幕に「大明御殿」が、付け加えられ、歌舞伎では、珍しい「唐
物」(異国情緒豊かなエキゾチズム)らしさにアクセントをつける開幕となった。

序幕「大明御殿の場」では、重臣の右軍将・李蹈天(翫雀)の裏切りで、明が韃靼に
攻め込まれ、滅亡。忠臣の大司馬将軍・呉三桂(右之助)の機転で、明の皇帝思宗烈
(家橘)の妹・「栴檀皇女」(亀鶴)は、城外へ逃れる。今回は、人形浄瑠璃以上
に、皇帝思宗烈の殺害の場面を強調したという。家橘の皇帝は、科白も、判り易く、
成功している。

序幕「平戸の浦」では、海の遠見の道具幕の振り落としで、海岸の岩場の上に漁師・
和藤内(團十郎)がいる。團十郎、2度目の和藤内だが、20年前、90年11月の
国立劇場は、「千里ケ竹の場」からの上演で、この場面は、團十郎初役。幕が開く
と、團十郎は、後ろを向いている。海の彼方の水平線を睨んでいるという体。歌舞伎
の時代物では、珍しい、幕開きだ。振り向けば、隈取り無しの漁師・和藤内。

鴫と蛤の争う場面。通称「鴫蛤(しぎはま)」は、いかにも、稚味(ちみ)溢れる、
荒唐無稽な歌舞伎らしい、おおらかな場面で、楽しい。この場面、文字通り、いわゆ
る、「漁夫の利」ということだろうが、和藤内の目前で、鋭い嘴を持つ鴫が、固い殻
で身を覆った蛤を攻め立て、結局、蛤の貝殻に鴫は、嘴を挟まれ動きが取れなくな
る。それを和藤内が、両方ともつかみ取る。「両雄戦わしめてその虚を討つ」という
軍法だと漁師・和藤内は、悟り、軍師・和藤内への変身を決意する場面が、象徴的に
演じられる。鴫、蛤は、黒衣たちが、それぞれ操る。

月の平戸の浦に、漂流した唐船。唐船には、明の皇帝思宗烈の妹・栴檀皇女(亀鶴)
が、乗っていた。滅ぼされた明から、海上へ逃れて来たのだ。そこへ、和藤内の父
親・老一官(左團次)と母親の渚(東蔵)が、現れる。栴檀皇女の哀れな姿を見て、
自分たちの祖国・明へ皆で渡り、韃靼と争っている明と韃靼の「両国を只一呑みに、
我が日の本の名を上げん」というわけだ。目指すは、縁のある甘輝将軍の所へ。ひと
りに唐船に乗り込む和藤内。別の船で、明に渡るため、上手で見送る父母と栴檀皇
女。船の頭に和藤内を乗せたまま、船は、半廻しで、舞台正面中央へ。和藤内の決意
を睨みで表現する團十郎。

栴檀皇女を日本へ残すために、私が観た、前回、前々回とも和藤内の女房として、小
むつが、登場したが、今回は、無しだった。それに伴い、皆々だんまりの立ち回りや
竹本に替わる大薩摩で、豪快にセリ上がって来る和藤内(大柄の格子縞模様の衣装。
大きな煙管。全編を通じて用いられる荒事演出への、スタートという場面)が、省略
されたのは、残念。この場面は短く、歌舞伎では、あまり演じられないというが、古
典味がある良い場面であった(前回、前々回とも、歌舞伎座では、この場面は、上演
された。小むつは、魁春、笑也が、それぞれ演じており、配役で判るように、重要な
場面であった)。

二幕目「千里ケ竹の場」。通称「虎狩り」。舞台は、日本から中国へ移る。中国に
渡った和藤内一家。いわゆる虎退治の場面である。舞台一面、丈の大きな竹林の体
(てい)。大虎と一本隈の和藤内と母・渚が、セリ上がって来る。赤地の呉絽(ご
ろ)に金色の真鍮鋲打ちの胴丸を着ている和藤内。「義経千本桜」の「鳥居前」の弁
慶と同じ衣装。和藤内には、強力無双の弁慶と同じ力が、宿っているという様式的な
表現が、この衣装なのだろう。ここは、母を守って、虎退治をするヒーロー和藤内の
ハイライトの場面。

大坂の竹本座で、人形浄瑠璃として初演され、京の都万太夫座で、歌舞伎として初演
され、さらに、上方育ちの演目が、江戸で上演される際に、二代目團十郎が、いまの
ような荒事の演出を持ち込んだという。

虎は、以前は、前足役と後足役のふたりが、着ぐるみの中に入っていたが、今回は、
ひとり。例に拠って、誰が演じているかは、筋書の配役一覧には、載っていない。や
がて、母・渚が差し出した「天照皇太神宮」の護符を和藤内が、虎に向かって差しつ
けると、虎は、おとなしくなる。和藤内、護符を振り上げての元禄見得。兎に角、メ
リハリは、荒事演出。護符の力は、日の本の神の国というわけか。やがて、安大人
(市蔵)が、大勢の官人を連れて、「義経千本桜」の「早見藤太と花四天」よろし
く、立ち廻りとなる。安大人は、和藤内に投げ付けられ、「岩に熟柿を打つごとく、
五体ひしげて失せにける」。和藤内が、大太刀を振るうと、大勢の官人たちの、首の
代わりに、髪の毛が切り落とされ、日本流の月代に早替わりとなる。「天照皇太神
宮」の護符といい、月代といい、直裁なナショナリズム的表現。

三幕目「獅子ヶ城楼門の場」、四幕目「獅子ヶ城内(甘輝館、紅流し、元の甘輝館)
の場」が、「国性爺合戦」で、いちばんの見どころとして、演じられる。軍師・和藤
内は、老いた両親を連れての登場である。ファミリーで戦争へ行くという発想も、衝
撃的であるし、非日常的なものがある。

三幕目、四幕目は、戦のなかで翻弄されるふたつの家族の物語。和藤内一家と和藤内
の義理の姉・錦祥女(藤十郎)、そして錦祥女の夫・甘輝(梅玉)の夫婦が、物語の
軸になる。藤十郎は、37年振りの錦祥女。梅玉は、初役。

まず、三幕目「獅子ヶ城楼門の場」では、和藤内が、金の獅子頭が飾られている楼門
の外から城内に呼び掛け、甘輝ヘの面会を求めるが、断られる。この後、和藤内は、
暫くは、あまり、仕どころが無い。

次に、老一官が、娘の錦祥女に逢いたいと申し出る。やがて、楼門の上に錦祥女が現
れ、「親子の対面」となるが、親子の証拠を改めるという場面である。幼い娘に残し
た父の絵姿と見比べながら、楼門の上から、月の光を受けて、鏡を使って父親を確か
める娘。楼門の上と下という立体的な「対面」も、劇的な趣向が良い。

父と娘と、お互いに本物と知れても、戦時下のことゆえ、異国人の家族は、城内に入
れるなという韃靼王の命令で、入場厳禁という。

そこで、母・渚の仕どころとなる。縄を打たれ、縄付きの人質になるから、義母を城
内に入れてほしいと義理の娘に頼む。渚は、いわば、全権大使の役どころ。それは、
聞き入れられる。和藤内らは、甘輝の面会の是非の判断は、化粧殿(けわいでん)の
鑓水(やりみず)に流す「紅白」の合図(紅=是か、白粉=非か。後の「紅流し」の
場面に繋がる)を決めて、渚を城内に引き入れる。

四幕目第一場「甘輝館(かんきやかた)」。甘輝は、梅玉。だが、この場面の主役
は、女形たちである。和藤内の母・渚(東蔵)。甘輝の妻・錦祥女(藤十郎)。

夫婦の縁で、義弟の味方をしては、将軍としての体面が保てない。和藤内に味方する
ためには、妻の錦祥女を殺さなければ韃靼王に対して面目が立たないと、甘輝が、錦
祥女に刀を向ける場面では、両手を縄で縛られていて不自由な渚が、口を使って、ふ
たりの袖をそれぞれに引き、諌める場面が、良い。夫・老一官の先妻の娘への、継母
の情愛が迸って来るのが判る。互いの立場を慮る真情は、いまにも通じる。「口にく
わえて唐猫(からねこ)の、ねぐらを換ゆるごとくにて」という竹本の語りがあるの
で、「唐猫のくだり」という名場面だ。夫の面目を立て、父と義弟のために、喜んで
命を捨てるという錦祥女。継母としては、義理の娘の命を犠牲にするわけにはいかな
いという渚。家族の情愛、特に、母性愛の見せ場だ。

歌舞伎の「三婆」は、通説では、「盛綱陣屋」の「微妙」、「菅原伝授手習鑑」の
「覚寿」、「廿四孝」の「越路」だが、「越路」の代わりに、「国性爺合戦」の
「渚」を入れる説もある。それほど重要な役なのに、近松の原作には、母の名前が無
かった。それで、歌舞伎では、「渚」という可憐な名前がついた。初役ながら、東蔵
は、熱演で、見応えがあった。

「甘輝館」の御殿の壁は、緑地に金のアンモナイトの図柄。御殿から鑓水に架かる小
さな橋で繋がる上手の化粧殿は、紫の帳(とばり)が、垂れ下がっている。いずれの
緞帳も、蝦夷錦という。ここで、錦祥女は、左胸に抱えた瑠璃の紅鉢から、紅を流す
のだが、実は、これは、紅では無く、自分の左胸(つまり、心臓)を刺した血である
が、赤布で表現される「紅流し」は、まだ、観客には、底を明かさない。だが、甘輝
が、渚を和藤内の元へ送り返そうと言ったとき、錦祥女は、白糊(おしろい)流しと
紅流しの合図があるから、それを見て和藤内が母を迎えに来ると答えるが、このとき
は、もう、錦祥女は、瀕死への坂を転がり始めている。紅布は、水布の上に載せら
れ、上手へと移動して行く。

御殿の大道具が、御殿は、舞台上手に、石垣は、舞台下手に、それぞれ引き込まれ
る。大せりで、石橋が、せり上がって来た後、さらに、舞台前方へと押し出されて来
る(大道具の「押し出し」は、九代目團十郎以降の演出という)。橋の上には、紫地
木綿に白い碇綱が染め抜かれた衣装の和藤内がいる。右手に持った竹の小笠で顔を隠
している。左手には、松明。背には、化粧簑を着けている。舞台上手は、川の上流の
体。下手は、城壁の塀。城内は、たちまちにして、城外に早替り。

「赤白(しゃくびゃく)ふたつの川水に、心をつけて水の面」というのが竹本の文
句。橋の下の水の流れを注視している。やがて、紅(赤い布)が、流れて来る。「南
無三、紅が流るるワ」で、顔を見せると、和藤内の隈が、一本隈から筋隈(二本隈)
に変わっている。怒りに燃えて、顔に浮き出る血管が、増えていることになる。人質
の母を助けようと急ぐ和藤内。それを阻止しようとする下官たち。和藤内は、下官た
ちとの立ち回りの末に、黒衣が、黒幕で包んで持って来た下官の胴人形を下官たちの
群れに投げ入れる。最後は、團十郎、花道での、両手を拡げた、飛び六法の引っ込み
となる(「楼門」では、通常、片手の、飛び六法の引っ込み)。

贅言;「飛び六法」は、歌舞伎では、「勧進帳」の弁慶の引っ込み、「車引」の梅王
丸の引っ込み、そして、「国性爺合戦」の和藤内の引っ込みだけで、演じられる。

贅言;今回の和藤内の隈の変化をまとめると……。
平戸の浦:隈無し。千里ケ竹、楼門:一本隈。紅流し、元の甘輝館:筋隈(二本
隈)。次第に、深まる憤怒や高まる緊張感を表わそうという趣向。

石橋などの大道具が、先ほどの手順の逆で、奥へ引き込まれ(せり下がりは、無
い)、上下の道具が、再び、押し出されて、「元の甘輝館」の場面へ。巧みな場面展
開である。

甘輝館へ乗り込んだ和藤内は、母・渚を助け、縄を解く。甘輝と対決しようとする和
藤内。和藤内の元禄見得対甘輝の関羽見得。ハイライトの場面。そこへ、上手の一間
から錦祥女が出て来る。瀕死の錦祥女。命を掛けた妻の行動に和藤内への助力を約束
する甘輝は、さらに、和藤内を上座に座らせ、和藤内に名前を「鄭成功」と改めるよ
うに勧める。甘輝・鄭成功の連繋に拠る韃靼征伐、明国の再興を目指すという旗揚
げ。その一部始終を認めた渚は、義理の娘同様の志で自死する。韃靼王を渚と錦祥女
の仇とするために。和藤内にとっての母と姉。甘輝にとっての妻と義母。ふたりの女
性の命を犠牲にしての、男たちの大団円。

もともと「戦史」を下敷きにしている狂言だけに、ナショナリズム的な言辞が多い科
白回しだが、男たちの勇壮な戦への誘いのなかで、女たちは、死という形で、家族の
絆を深めて行く。和藤内=渚=錦祥女(=甘輝)。軸に位置するのは、渚である。
「国性爺合戦」は、影の多い狂言で、表面的な言辞と深層的な味わいが、共存してい
る。この狂言、別の光を当てれば、また、違って見えて来るはずだ。私は、戦の影を
「荒事」演出に注目しながら、拝見した。荒事演出を除けば、物語は、立ち役より、
女形の方が、おもしろい。錦祥女の藤十郎、渚の東蔵が、ともに、私には、見応えが
あった。20年振り、2度目という團十郎の和藤内は、さすが、貫禄だが、この20
年間の間に、2回の大病を経験した團十郎。陰影の富む和藤内を見せてくれた。

贅言;12年前、98年12月に観た猿之助一座の舞台は、人形浄瑠璃の全五段をす
べて見せたので、いかにも、「戦史」という印象であった。「国性爺合戦」は、
「新・三国志」並に、スーパー歌舞伎向きかも知れない。猿之助休演後、スーパー歌
舞伎のスペクタルな舞台が、遠ざかってしまい、残念である。
- 2010年11月19日(金) 13:56:41
10年11月新橋演舞場 (夜/「逆櫓」「梅の栄」「都鳥廓白浪」)


夜の部は、「逆櫓」から、始まった。「ひらかな盛衰記〜逆櫓〜」は、私は、5回目
の拝見となる。この芝居で、軸となるのは、松右衛門、実は樋口次郎兼光と松右衛門
の義父となる権四郎だろう。私が観た樋口次郎は、幸四郎(今回含め、3)、吉右衛
門(2)。幸四郎、吉右衛門とも、所縁の初代吉右衛門の当たり狂言とあって、気の
入った演技で、臨む。一方、私が観た権四郎は、左團次(2)、又五郎、歌六、そし
て、今回の、段四郎。

「ひらかな盛衰記(せいすいき)」は、源平合戦の木曽義仲討ち死に描いた時代物の
人形浄瑠璃。「ひらかな」とは、「源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)」を庶民
が、「ひらかな」を読むように、分かりやすく作り替えたという意味が込められてい
る。江戸庶民に馴染みのある通俗日本史解説という趣向だ。平家と木曽義仲残党、そ
れに源氏の三つ巴の対立抗争の時代。全五段の時代浄瑠璃の三段目が、通称「逆櫓
(さかろ)」といい、歌舞伎では、良く上演される。主役の樋口次郎兼光は、初代吉
右衛門の当たり役。

09年5月国立劇場で、人形浄瑠璃「ひらかな盛衰記」を観たことがある。「ひらか
な盛衰記」には、外題の角書にあるように「逆櫓松(さかろのまつ)」と「矢箙梅
(えびらのうめ)」の、ふたつの流れのある物語が、付加されている。ベースの三つ
巴の対立抗争、特に、義仲残党と源氏の争いに加えて、義仲方で義経を狙う樋口次郎
兼光の忠義と源氏方梶原一家の長男・源太景季への腰元千鳥(傾城梅ヶ枝)の献身の
物語が展開する。箙とは、矢を入れて携帯する容器のことである。「梅ヶ枝の手水鉢
 叩いてお金が出るならば」は、明治時代に流行った歌の文句で、この芝居の一場
面、手水鉢を「無間の鐘」に見立てて叩く傾城梅ヶ枝のことを歌っている。文耕堂ほ
かの合作。1739(元文4)年、人形寿瑠璃の大坂竹本座で初演。

歌舞伎では、「逆櫓松」にスポットを当てるが、人形浄瑠璃では、「矢箙梅」にス
ポットを当てる。「逆櫓」のようには、頻繁には、上演されないので、馴染みが薄
い。09年の上演では、二段目の大部分(「梶原館」「先陣問答」「源太勘当」)と
四段目(「辻法印」「神崎揚屋」「奥座敷」)で構成された。歌舞伎でも、「源太勘
当」(「先陣問答」「勘当場」)、「神崎揚屋」などは、時々、みどりで上演され
る。

さて、歌舞伎の舞台に戻ろう。船頭に身をやつしている松右衛門、実は樋口次郎兼光
(木曽義仲残党)で、亡くなった主人木曽義仲の仇として義経を討とうとしている。
樋口次郎は、歌舞伎でいうところの「やつし事」。「やつし事」のポイントは、仮の
姿から本性を顕わすくだりだが、それを、如何にきちんと演じるか。

旅先で源平の争いに巻き込まれ、孫の槌松(つちまつ)と義仲の一子・駒若丸を取り
違えて連れてきてしまった松右衛門(幸四郎)の義父・権四郎(段四郎)。槌松とし
て育てられている駒若丸(金太郎=染五郎の息子、幸四郎の孫)のことを聞き付け、
駒若丸を引き取りに来た腰元・お筆(魁春)は、槌松が、駒若丸の身替わりに殺され
たことを告げる悲劇の使者でもあった。それを受けて、松右衛門、実は樋口次郎が絡
む場面が、見せ場となる。

「ハテ、是非もなし。この上は我が名を語り、仔細を明かした上の事。(駒若丸をお
筆に抱かせ、上手へやり、門口をあけて、表を窺う)権四郎、頭(ず)が高い。イヤ
サ、頭(かしら)が高い。天地に轟く鳴るいかずちの如く、御姿は見奉らずとも、さ
だめて音にも聞きつらん、これこそ朝日将軍、義仲公の御公達駒若君、かく申す某
(それがし)は、樋口の次郎兼光なるわ」。

立役の名場面のひとつだが、松右衛門2度目の出で、幸四郎は、衣裳を変えて出て来
た時に、顔に隈を入れている。すでに、樋口次郎の形、心なのだ。そして、やがて、
顔つきも声音も変わって、科白廻しも世話から時代に変わって、メリハリをつける。
また、世話に戻る。歌舞伎役者には、堪えられない科白廻しが続く場面だ。こういう
科白廻しは、吉右衛門が巧い。

一方、権四郎は、現役を聟の松右衛門に譲って、孫と暮らしている。駒若丸の身替り
に殺された槌松、愛憎渦巻く中、駒若丸を我が孫として、育てて行こうとする祖父の
権四郎は、複雑な事情のキーマンとなるだけに、難役である。今まで、4人の権四郎
役者を見たが、2年前の、08年9月の歌舞伎座で演じた歌六が印象に残るほかは、
今回の段四郎を含めて、もう一つという感じだ。

権四郎は、ある意味では、樋口より立派な役柄なのだと、思う。さまざまな脇の老け
役で、このところ滋味を出している歌六は、この時の権四郎も、難役なのに、過不足
なく演じていて、良い権四郎になっていた。以前観た左團次の権四郎が、力が入りす
ぎていて、ややオーバーな演技になっていた。今回の段四郎は、初役で、権四郎を勤
めた。「鼻拍子」という、漁師、船頭、馬子の役者独特の高い声を出す工夫が必要と
いう。

権四郎の駒若丸に対する愛憎は、複雑なものがある。駒若丸のために、実の孫の槌松
は殺されている。一度は、駒若丸を返せと言って来たお筆の態度に対して、怒りを覚
え、駒若丸を殺そうとさえ思った。にもかかわらず、子供の命というものを大切に思
い、最後は、自分の機転で、「よその子供」である若君を助ける。愛憎を超えて、幼
い子供を守ろうと権四郎は、源氏方の追尾から駒若丸を助けるために、畠山重忠(富
十郎)に訴え出て、自ら、再び駒若丸を槌松と思い込むことで、駒若丸の命を守る。

そこには、樋口のような「忠義心」があるわけではない。権四郎には、孫と同様な若
君といえど、「子供」の命に対する、封建時代を超えた愛の普遍性があるのだと思
う。そういう器の大きさが、権四郎役者は、表現しなければならないと思う。

女形では、お筆の魁春も、女武道で、科白にもあるとおり「女のかいがいしく、後々
まで御先途を見届ける神妙さ」という賢い女性を演じていて、見応えがあった。

漁師・権四郎の娘・およし(高麗蔵)は、松右衛門という先夫との間に槌松という子
が居たが、3年前に夫を亡くした。取り違えられた槌松(つまり、義仲の一子・駒若
丸)をそれと知らずに、樋口次郎は、二代目松右衛門として、一年ほど前から、婿入
りして、育てている。高麗蔵のおよしも、存在感が、弱い。

樋口は、訓練を受けた武将だから、漁師としても優秀で、権四郎の家に代々伝わる
「逆櫓」の秘術をすでに身につけていて、このたび、敵方の義経を乗せる船の船頭を
命じられたという。そういう得意のことを仕方話にして、披露したりする場面も、見
せ場。

第二場「浜辺物見の松の場」。浅葱幕の振り落としで、舞台中央に、大きな松。上手
に、大きな碇と太い碇綱。「碇知盛」の場面のような道具が置いてある。

今回、第二場は、いつものような「松右衛門内裏手船中の場」ではなく、いきなり、
「浜辺物見の松の場」ということだった。松右衛門、実は樋口次郎は、船の上で「逆
櫓」(櫓を逆に立てて、船を後退させる方法)を船頭たちに教えるが、実は源氏方の
息のかかった船頭たちで、隙を見て松右衛門に襲いかかる。

「松右衛門内裏手船中の場」では、浅葱幕の振り落としで、船中の場面(これを、子
供の「遠見」で表現する演出もある)。船を載せた浪布の台。台の前と後ろを浪布が
左右に動いて、櫓と海の流れを巧みに表現していた。船中の立回りの後、浪幕(浪を
下部に描いた道具幕)の振り被せで、場面転換。千鳥の合方。再び、浪幕の振り落と
しで、第三場「松右衛門内逆櫓の松の場」へ。浜辺に戻っても両者の争いは続く、と
いう想定になるのだが、今回は、要するに、「松右衛門内裏手船中の場」を省略し、
第三場「松右衛門内逆櫓の松の場」を「浜辺物見の松の場」に変えて、いきなり、浜
辺の争いの場面に行き、時間も短縮している。

櫓を持った24人の船頭たちが、樋口次郎相手に演じる大立ち回りは、迫力充分。樋
口を真ん中、船頭の背中に乗せて、それを取り囲むように、手に持った櫓で、大きな
船の形を本舞台一杯に描く。殺陣師の冴え、洗練された美意識が、ここにはある。そ
れだけに、大部屋役者の船頭たちの立ち回りにも力が入っている。Vの字。ダブルV
の字。逆Vの字。櫓で描くXの字。櫓で描く菱形のなかでの樋口の見得。碇を担ぐ樋
口。碇に繋がる綱の綱引き。「アリャー、アリャー、アリャー」という声。綱が切れ
る。櫓で描く幾何模様。飛び六法で花道引っ込みならぬ、本舞台中央に逆に戻る樋
口。幸四郎を軸に、大部屋の三階さんたちの気合いが入った立ち回り。歌舞伎らしい
見応えのある舞台だった。

見せ場は、遠寄せの陣太鼓を受けて、樋口次郎は、大きな松に登り、大枝を持ち上げ
ての物見(松右衛門が松の大木の太い枝を持ち上げて、彼の怪力ぶりを示すが、その
際、実は、松の後ろにいる黒衣が紐で松の枝を持ち上げていた。総合芸術の歌舞伎の
おもしろさは、役者も黒衣も息を合わせた、こういう連係プレーにある)。

遠寄せの陣太鼓は、樋口を捕らえる軍勢の攻めよる合図だった。権四郎が若君を連れ
ていながら、若君の正体は隠し、代りに松右衛門の正体を樋口次郎だとばらすこと
で、畠山重忠に訴人する。捨て身で、駒若丸を救うという奇襲戦法に出たのだ。樋口
次郎危うし、被害を最小限度にとどめてと思っての権四郎の機転が、槌松・駒若丸
の、いわば二重性を利用して、「娘と前夫の間にできた子・槌松」を強調して、駒若
丸を救うことになる。子供の取り違えを、「逆櫓」ならぬ、「逆手」にとって若君を
救うという作戦である。樋口も、権四郎の真意を知り、かえって、義父への感謝の念
を強くして、己の死を了解するという場面だ。

武士にできなかったことを、実の孫を犠牲にしながら、さらに、その恨みを消しなが
ら、一庶民の権四郎(段四郎)が成し遂げる。そうと知って、納得して、おとなしく
縄に付く樋口次郎(幸四郎)。事情を知っていながら、権四郎の思い通りにさせる畠
山重忠(富十郎)。それぞれの器量の大きさを見せる場面が、続く。

そういう封建時代に、封建制度の重圧に押しつけられてきた江戸の庶民の、大向こう
受けするような芝居が、この「逆櫓」の場面なのだ。人形浄瑠璃や歌舞伎に多い「子
殺し」という舞台が連綿と続く歌舞伎・人形浄瑠璃の世界の中で、権四郎のような人
物に出会うと、私はほっとする。きっと、江戸の庶民たちも、こういう武家社会の道
徳律には、従いながらも、反発していただろう。「忠義」よりも、「子供」への愛
情、歌舞伎が時代を超えて、いまも、観客に共感される秘密は、ここにあるのでは、
ないか。


「梅の栄」は、1870(明治3)年、初演の作品。長唄曲で、三代目杵屋正治郎の
作曲。正治郎が、岡安喜三梅と結婚した際に、記念として作曲したと伝えられ、「喜
三梅」の名前の一字「梅」が、外題にも、入れられている。テーマも、梅の花。歌舞
伎舞踊としては、芸名に、同じく「梅」の字がある七代目尾上梅幸が、1990(平
成2)年に、歌舞伎座で上演した。戦後2回目の上演となる今回は、長唄に箏曲が加
わった、新たな振付けで、芝翫が演じる。伴に踊るのは、芝翫の孫の世代である若い
役者たち、種太郎、種之助、右近、米吉が、梅の小枝を持って、元禄時代の若衆姿で
登場する。小姓(宜生=芝翫次男・橋之助の息子)を伴って、梅野(芝翫)が、花道
七三から登場する。梅の精とこれに従う鶯の精という体。紅白の梅が、咲き誇る中
で、幸多き梅の栄が、祈願されるという10数分の曲。

後見に、芝喜松、芝のぶが、控えて、かいがいしく、師匠をサポートしていた。特
に、素顔の芝のぶが、40歳を超えた筈なのに、初々しい。

贅言;初日に観た所為か、芝翫は、孫の宜生の所作が気になるのか、合引に座った後
も、キョロキョロと落ち着かない視線で、孫の動きを追っていて、見苦しかった。


「都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)」は、通称「忍の惣太」、あるいは、
「桜餅」。1854(安政元)年の初演。黙阿弥の初期の作品。黙阿弥の白浪物の原
点とも言うべきもの。後の黙阿弥劇の持ち味、つまり、血縁の因果、お宝や小判が巡
る筋道、七五調の台詞廻し、派手な色の衣裳など、すっかり、10年後の幕末歌舞伎
を先取りしたような、どろどろした風合いたっぷりの作品だ。「梅若伝説」のパロ
ディが、ここまで、工夫されるのか。いわば、ドタバタの「B級世話物」という味わ
いの演目。昼の部で上演された、晩年の傑作で、「A級世話物」に洗練された「天衣
紛上野初花」(1881年)との対比がおもしろい。

「都鳥廓白浪」を観るのは、私は、3回目。この演目は、「実は、実は、」というの
が多くて、まるで、パソコンゲームのローリングプレイゲームのような印象の作品
だ。

私が観た主な配役では、忍の惣太、実は、木の葉の峰蔵:團十郎、仁左衛門、そし
て、今回が、初役の菊五郎。傾城花子:菊五郎(2)、今回は、初役の菊之助。お
梶:雀右衛門、時蔵(今回含め、2)など。

黙阿弥初期の作品ながら、まず、序幕の第一場と第二場の場面展開が、古怪で素晴し
い。第一場「三囲稲荷前の場」、背景は大川(隅田川)左岸の向島で、つまり、観客
席が大川の中である。大川縁の「梅若伝説」(吉田家の若君・梅若丸が物取りに殺さ
れる)の一芝居があり、梅若丸(梅枝)、母の班女の前(萬次郎)、下部(僕)の軍
助(権十郎)が、追っ手に追われていることが判る。とりあえず、お宝の系図の一巻
と路用の金二百両を持たせて、梅若丸を上手へ落ち延びさせる。すると、浅葱幕の
「振り被せ」で、場面遮断、さらに「振り落とし」の場面展開で、第二場「長命寺堤
の場」へ。まさに、映画のカメラワークのような手法で、今度は、逆に、背景が対岸
になる大川右岸の浅草・待乳山のあたりを見せるという秀逸さ。

梅若丸は、乞食たちに取り囲まれ、金を奪われそうになる。なんとか逃れた梅若丸を
通りかかった駕篭の中から窺っていた桜餅屋の忍の惣太が、癪を起こした梅若丸を介
抱するうちに梅若丸の懐中にある大金に気づき、「伝説」通りに梅若丸を殺して、こ
れを奪ってしまう。忍ぶの惣太は、紺地に枝垂れ桜の模様の着流し。鳥目(夜間は、
見えない)ゆえの過ちで、薄いピンク地の若衆姿の梅若丸から金を奪おうとして、抵
抗する梅若丸の口を手拭いで塞ごうとして、誤って、首を締めてしまう忍ぶの惣太。
惣太は、実は、吉田家の旧臣・山田六郎で、主家の若君・次男の梅若丸を過って殺し
たことになるという、後の悲劇の伏線だ。

金を持ち逃げし、主家のもう一人の若君・長男の松若丸にそっくりな愛人の傾城花子
を身請けしようとする忍の惣太。そこへやって来た座頭(按摩)・宵寝の丑市(歌
六)、男伊達の葛飾十右衛門(團蔵)、傾城花子(菊之助)が、からみ、お宝の系図
の一巻と二百両という、まさに定式通りの小道具の取り合いになる「世話だんまり」
へ。系図は、丑市が、二百両の金は、忍の惣太と葛飾十右衛門が、それぞれ、百両ず
つ奪って行く。

贅言:此岸の真ん中、上手寄りには、立て札があるが、実は、この立て札がおもしろ
い。私の記録によると、前々回は、5月の公演ゆえか、「五月二十日 葵會 長命
寺」と書いてあったのが、前回(10月の公演)と今回(11月の公演)は、「四月
八日 灌佛會 木母寺」と替っている。この立て札のあるところと背景の書割の間
に、セリ穴が開けたままになっていて、後に、殺された吉田梅若丸の遺体をここへ投
げ入れるという趣向だ。

二幕目。長命寺堤側にある「向島惣太内の場」は、桜餅屋の店先。小篭入りや竹の経
木で包んだ桜餅が売られている。通称の外題「桜餅」は、この場面から来ている。仕
出しの役者(町人の客)が、買いに来る。桜餅屋を営む惣太の女房・お梶(時蔵)、
手伝いの植木屋・茂吉(男女蔵)、惣太の借金取り立てに来た道具屋・小兵衛(松太
郎)、お梶の父で吉田家に仕える下部(僕)・軍助(権十郎)などが、桜餅屋の店先
に集う江戸の庶民の人間模様を活写する。赤い襦袢に若紫のしどけない着物姿で、廓
を抜けてきた花子(菊之助)は、お梶の目も気にせず惣太にしがみつく。「逢いた
かった、逢いたかった、逢いたかったわいなあ」という菊之助の科白は、濃艶だ。

さらに、転換。貝殻に入った秘薬にお梶の自害で流した生き血を混ぜ合わせたものを
呑み、鳥目が治る惣太。およそ80年前に初演された「摂州合邦辻」の世界を下敷き
にしているのだろう。

三幕目。「原庭按摩宿の場」、丑市(歌六)宅での花子(菊之助)による丑市殺しと
いう殺し場。花子、実は、天狗小僧霧太郎という盗賊の頭、実は、吉田家の嫡子の若
君・長男の松若丸という想定だが、花子は、最初は、もちろん女。女だが、盗賊グ
ループの頭であり、手下の丑市に酒を飲ませて酔わせ、丑市を枕代わりに徳利を使っ
て寝かしつけた後、着物を脱ぎ、頭の手拭いをはずすと、女物の赤い襦袢姿に、頭は
「むしりの銀杏」という鬘か、兎に角、男の鬘の盗人・天狗小僧霧太郎という両性具
有の妖婉さ。後の黙阿弥劇の代表作の一つ、「弁天小僧」に通じる。菊之助の倒錯美
は、当代の歌舞伎役者の中でも、無類だろう。黙阿弥は、まるで、パソコンのローリ
ングプレイゲームを知っているかのように、分岐、また、分岐という仕掛けで、物語
の展開の趣向を重ねる。

菊之助は、父親の菊五郎譲り。初役ながら、三重の人物をさらりと、繋ぎ目を感じさ
せずに、するりするりと、演じる辺りは、さすが、音羽屋の御曹司。花子を演じた菊
五郎は、目の使い方が巧かったが、菊之助も、それを引き継いでいる。さらに、菊之
助は、女形の甲声に艶がある。一方、男に戻っての地声では、目をつぶって聞いてい
ると、菊五郎そっくりだった。

戦後、一度、三代目時蔵が花子を演じたことがあるが、後は、菊五郎ばかりが、演じ
て来た。今回は、息子の菊之助が、引き継ぐ。菊五郎は、忍ぶの惣太に初役で、挑
む。松若丸は、家宝を探し出すために、傾城・花子になり、天狗小僧霧太郎になりし
て、色気という持ち味と盗賊の組織をフルに使っている。

丑市を殺して、お宝が戻った吉田松若丸(菊之助)。そこへ現れた惣太も、梅若丸殺
しを自白して、自害する。さらに、殺された丑市と同居していた女按摩・お市(芝喜
松)の密告で捕り方がやって来る。惣太から早替りで、霧太郎手下の木の葉峰蔵に
なった菊五郎を助っ人に、松若丸らが捕り方たちと演じるのが、「おまんまの立ち回
り」という、悠々と飯を喰いながら、捕り方をかわす、珍しい立ち回り。荒唐無稽の
様式美。悲劇の前に、笑劇というのが、芝居の常道だが、ここは、悲劇の後に、笑劇
という、逆転の発想。

惣太は、小悪党風なのだが、実は、鳥目の殺人鬼という凄い役柄で、主家の若君と舅
を殺す極悪人なのだ。菊五郎は、さらに、得意の三枚目役のユーモラスさ横溢で、木
の葉峰蔵を演じる。

古怪な錦絵を見るような黙阿弥劇の原点の舞台。荒唐無稽であればあるほど、おもし
ろいという不思議さ。現代の浮世絵師といわれ、両性具有の妖婉さを追求する山本タ
カトの絵の世界に通じる近代性さえ、感じられる。
- 2010年11月16日(火) 10:41:32
10年11月新橋演舞場 (昼/「天衣紛上野初花」)


「てれこ」構造の通し狂言の醍醐味


「天衣紛上野初花」は、1881(明治14)年3月に東京の新富座で初演された。
当時の配役は、河内山=九代目團十郎、直次郎=五代目菊五郎、金子市之丞=初代左
團次。「團菊左」は、明治の名優の代名詞。三千歳=八代目岩井半四郎という豪華な
顔ぶれ。

原作者の河竹黙阿弥は、幕末明治期の歌舞伎狂言作者。七五調の科白と「白浪(盗賊
=中国の「白波賊」から由来)もの」が得意。黙阿弥の渾名は、白浪作者。いまも、
上演回数トップの人気作者。

今回の「天衣紛上野初花」では、私は、同じ舞台を2回拝見した。というのは、2回
目は、新橋演舞場の食堂を借りて実施したフランス人団体相手の講演・観劇会であっ
たからだ。今回の劇評には、フランス人向けに作ったレジュメを出来るだけ、生かし
た内容にしたい。

「天衣紛上野初花」は、今回の観劇は、1回とカウントするとして、18回観てい
る。このうち、通しは、今回の場面構成より短いが、2回拝見。「河内山」のみどり
だけは、8回(通しを含めると10回)、「直侍」のみどりだけは、6回(通しを含
めると8回)である。私が観た河内山宗俊は、吉右衛門(4)、幸四郎(今回含め、
4)、仁左衛門、團十郎。私が観た直次郎は、菊五郎(今回含め、4)、吉右衛門、
團十郎、仁左衛門、幸四郎。

「天衣紛上野初花」は、「黙阿弥もの」のなかでも、「弁天小僧」と並んで、最も上
演回数の多い作品。私も、数多く観て来た訳だ。最近の上演形態は、「通し」狂言で
は無く、「河内山」「三千歳直侍」など、別々に独立して上演される「みどり(見取
り)」狂言が多いので、「天衣紛上野初花」としての、全体像が見えない。

今回は、「河内山」(「湯島天神境内」付きの序幕と三幕目、大詰)、みどりでは、
「雪夕暮入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」あるいは、「三千歳直侍」と
いう外題で演じられる「直侍」(二幕目と四幕目、大詰「池之端河内山妾宅」)とい
う構成であった。7年前、03年11月の国立劇場では幸四郎の河内山、直次郎ふた
役早替わりという趣向では、あったが、今回のような、「湯島天神境内」「大口楼廻
し部屋」「池之端河内山妾宅」は、なかった。これを私は、拝見している。幸四郎・
染五郎の親子は、05年12月の国立劇場で、「湯島天神境内」「池之端河内山妾
宅」無しで、通しで上演している。

1985(昭和60)年には、歌舞伎座:普段上演されない「湯島天神境内」「池之
端河内山妾宅」なども含めて上演。幕間などを含まない正味の上演時間で、4時間近
い。今回が、まさにそれ。25年ぶりで、珍しい。その結果、「てれこ」という演出
が取られた。

ここで言う「てれこ」とは、「河内山」の筋の物語と「三千歳直侍」の筋の物語を、
交互に展開上演する演出形式をいう。歌舞伎の演出用語なのだが、語源は、不明。日
本語の日常語としても、使うが、意味は、「あべこべ」「食い違い」「交互」など。

黙阿弥が最初に上演したのは、実は、1874(明治7)年で、その時の外題は、
「雲上野三衣策前(くものうえのさんえのさくまえ)」であった。この時は、河内山
を軸にした物語。直次郎は、登場していない。外題が今のように改められた1881
年になって、三千歳・直侍の物語が付け加えられた。そういう経緯もあって、「てれ
こ」構造の出し物になった。明治期の作でも、テーマは、江戸の世話物である。

歌舞伎の外題は、字も読みも、いい加減なものが多いが、それを読み解くのも愉しみ
の一つだろう。例えば、今回の外題で、私なりの読み解きを試みてみよう。

「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」という外題に含まれる幾つも
の情報を読み解いてみる。天=「天保」という時代を象徴。「花」には、「六花
撰」→選ばれた6つの花=スターという暗喩があるだろう。直接的には、泥棒が主人
公の話を得意とし、「泥棒伯円」と渾名された二代目松林伯円(しょうりんはくえん
という当時の人気講談師の)講談「天保六花撰」を元に黙阿弥が書き換えた全7幕の
「世話物」という事実がある。「六花撰」は、平安時代の歌人で、在原(ありはら)
業平、小野小町を含む「六歌仙」=6人の歌人に見立てている。どちらも、男5人に
女1人という構成。「六花撰」では、河内山宗俊、直侍(片岡直次郎)、暗闇の丑
松、金子市之丞、森田屋清蔵、そして三千歳という6人構成である。森田屋清蔵こ
そ、現代の「天衣紛上野初花」では、見かけないが、残りの5人は、今も馴染みがあ
る。

天衣粉=天(偉い奴)、天衣=使僧・道海(どうかい)の衣装、紛(まぎらわす、ご
まかす)=使僧の衣装を着て、松江出雲守を騙す作戦。上野=上野寛永寺の使僧に化
ける=徳川家の威光を笠に着る。初花=初演時、3月。花=強きを挫くということ
は、強きに虐げられている庶民感覚から見れば、手柄でもあるだろう。芝居では、後
には、罪に問われ、追わる身となるが……。

さて、舞台では……。

まず、初見の序幕第一場「湯島天神境内の場」は、金子市之丞と暗闇の丑松、河内山
の出会いの場面で、町道場の主で、剣術指南・金子市之丞一門が境内に小屋掛けで催
している「奉納試合」にいちゃもんを付けに来た地回りの暗闇の丑松一派のもめ事を
お数寄屋坊主の河内山が、貫禄を生かして、仲裁すると言う場面。今後の展開への伏
線である。そして、序幕第二場の、お馴染みの「上州屋見世先の場」に続く。二幕目
に、第一場「大口楼廻し部屋」が、私は初見で、三千歳部屋が、金子市之丞らに先に
占拠されていて、入れない直次郎が、ふて寝をしているところへ、部屋を抜け出した
三千歳が、慰めにくる場面。そして、私は、2回目の「大口楼三千歳部屋」、「吉原
田圃根岸道の場」が、続き、河内山の乗った駕篭を直次郎が乗っているものと間違え
て、金子市之丞が、斬り掛かるが、未遂に終る。市之丞から白刃を突き付けられて
も、駕篭の中にゆったりと座り込んでいる河内山は、ゆっくりと目を開けて、何ごと
もなかったかのように、「いま光ったは、星が飛んだのか」と言う。それを直次郎
が、暗闇の中から、見ているという場面となる。

お馴染みの三幕目「松江邸」、四幕目「入谷村蕎麦屋」「大口屋寮」が、テレコで入
る。私初見の大詰「池之端河内山妾宅の場」では、大口寮から「もう、この世では逢
わねえぞ」と三千歳に別れを告げて逃げて来た直次郎が、河内山にも、別れを告げよ
うと池之端に訪ねて来たが、河内山から、お互い、さんざん悪事を尽くしたので、一
緒にお縄にかかろうということになり、悠々と酒を酌み交わしているところに、改め
て、捕り方が囲んで、幕となる。
 
今回の通しでは、「てれこ」構造ながら、節目節目で、関係者が、顔を出して、展開
を判り易くしているようだ。それにしても、河内山の器量の大きさを強調する舞台に
なっているのが、最大の趣向だろう。


フランス人向け「レジュメ」公開


さて、以下は、フランス人向けに作ったレジュメを生かすとしよう。
主な登場人物は、以下の通り。

*河内山:お数寄屋坊主(江戸城内で将軍や大名に茶の世話をする。いわば、秘書集
団)。プロのトラブルメーカー(ゆすりたかりを生業とする)だが、「白無垢鉄火」
(羽織ゴロツキ、上辺上品、内実無頼)の江戸っ子。今回は、宮家の使いと偽って、
松江出雲守の屋敷に乗り込む。実在の人物がモデル。
*直侍:片岡直次郎。御家人(江戸時代の下級官吏)くずれで、河内山の弟分。実在
の人物(複数説もあり)がモデル。
*三千歳:吉原の花魁。直侍の恋人。病を得て出養生。実在の人物。*暗闇の丑松:
博徒。直侍の弟分。
*金子市之丞:町道場の剣術指南。実は、ピン小僧金市という泥棒。
*森田屋清蔵:盗賊の首領。表向き、海産物問屋を営む。芝居には出て来ない。

「河内山」の見どころ:危機管理(ビジネスマン向け)
大名家「松江邸」の場面で、殿様の出雲守と使僧に化けた河内山が、対決するとこ
ろ。質屋の上州屋から御殿奉公に上がった娘で、腰元・浪路に対する殿様のセクハラ
とご乱行を懲らしめて、慰謝料を踏んだくろうという作戦。病的なじゃじゃ馬のよう
な殿様・松江出雲守。ここは、現代的に解釈すれば、組織の「危機管理」の問題=殿
様、つまり、社長の不始末によって発生した「危機」を組織が、どう管理できるかと
いうのが、テーマ。松江邸の危機管理の場面は、ふたつある。ひとつは、「広間の
場」での、腰元・浪路に対する殿のご乱心、ご乱行。尻拭いの対応を巡って、重役の
うち、北村大膳と家老の高木小左衛門が対立する。「パワーハラスメント」の殿様に
対する対応を含めて、「危機管理」を担当するものとして的確なのは、どちらかとい
うことを考えながら見ると、おもしろい。松江邸では、実務のリーダーシップを発揮
しているのは、家老だと良く判る。

もうひとつは、「松江邸の玄関先の場」で、河内山の正体を見抜いた重役・北村大膳
は、ここでも、危機管理者としては、失格者だと判る。折角、正体を見抜いたという
情報を得たのに、有効に活用していない。情報を生のママ、相手にぶつけてしまい、
つまり、難詰するだけしかの能しかないので、失敗する。河内山の方が、一枚上手
で、世間体を気にする大名の体質を見抜いてる。偽者に騙されたという相手の弱点
も、逆に利用し、開き直って、武器にする。

「河内山」は、科白廻しが難しい芝居だ。河内山の、質店・上州屋での、「日常的な
ゆすり」と、松江出雲守の屋敷での、「非日常的なたかり」での、科白の使い分けの
妙。「時代」と「世話」の科白廻しの違いの手本のような芝居だ。黙阿弥劇として
も、一流の芝居だろう。初演時でさえ、明治の名優「團菊左」が、揃って出演した。

聞き逃さない科白
「とんだところに、北村大膳」(邪魔者=大膳が入り、頬の黒子を証拠に正体を見抜
かれた河内山の科白)
「馬あ鹿あーめーっ」(開き直った河内山の鬱憤ばらし→観客の庶民の鬱憤ばらし)
台本は、「馬鹿め」(ト笑う)だけだが、役者の工夫で、肺にある空気を全て出すよ
うな感じで、気持ち良さそうに言う。今回の幸四郎(高麗屋)も、そうだろう。

3階席だと周囲から、「らいやー」という掛け声が掛かるだろう。「大向う」という
専門の掛け声グループが、東京には、複数ある。私の職場の先輩で、元NHKアナウン
サーだった山川静夫さんもその一人。初日にお会いした。「大向う」というのは、新
橋演舞場なら、私たちが、きょう座る席の後ろの空間の辺りを言う。顔パス(入場無
料)で入ることが出来るが、座席はない。役者の登場、退場、科白や所作の節目に、
役者の屋号を大声で叫び、激励をする。屋号のほかに、「何代目」「待ってました」
「たっぷり」「ご両人」「神谷町など役者の住居の町名」などを叫ぶ。初めて耳にす
ると、驚く。

直侍の見どころ:モノクロ(写実)とカラフル(艶、女性向け)
カラフル:二幕目「吉原大口屋」廻し部屋(控えの部屋)と三千歳部屋:江戸の吉原
観光ツアー。江戸の遊廓・吉原「大口屋」という女郎屋のなかにある三千歳の部屋
(個室、格の高い女郎の部屋で、客を招く)は、典型的な遊女の仕事場。江戸時代に
タイムスリップして、観客席は、恰も、タイムマシーンの座席の窓から、私たちは、
吉原を視察しているような気分になる。二幕目の特徴は、直次郎、三千歳、市之丞、
丑松、河内山と主立った人物が、皆、顔を出すこと。「てれこ」構造の中心点は、こ
こかしらん。

贅言;大口楼では、客や女郎は、座敷では、草履を脱ぐが、廊下では、履いている。
草履は、上履きか。上履きだとして、ウオッチングをしていると、客は、皆男性で
(遊女屋なので、当然だが)、生成りの鼻緒を付けている。女郎は、花魁を含めて、
皆、黒い鼻緒を付けている。番頭ら、遊廓で働く男衆は、草履を履いていない、とい
うことが判った。そして、さらに、草履を履かずに座敷から出て行ったのが、座敷奥
の障子の間から姿を現した河内山であった。羽織を直次郎から借りて、そそくさと出
て行った。この羽織が、次の場面で、市之丞が、直次郎と間違えて、駕篭に乗った河
内山を襲撃する場面の伏線となる。大口楼で、草履の上履きを履いていた市之丞は、
路上では、黒い鼻緒を高下駄を履いていた。

後半の見どころ、入谷の出養生先の「大口屋寮」の濡れ場(情事の場面)が、幻想的
で、最高である。「色模様」=歌舞伎の性愛描写の仕方:これは、黙阿弥版ポルノグ
ラフィーである。この世の片隅で、互いの人生を慰めあうような小さな恋。逢えば、
性愛になるのだろう。だが、歌舞伎の舞台では、性愛を露骨に描くことはない。江戸
時代にも幕府が、たびたび厳しく取り締まった。「大口屋寮」では、ふたりの「性
愛」の場面は、セックスを直接的には描かないで、様式美の積み重ねという、いわ
ば、別の形で、立ち居ふるまうふたりの所作。それは、立ったまま、背中合わせにな
りながら、互いに手を握りあったり、直次郎に寄り添いながら、三千歳が右肩から着
物をずらしたりする。じっと、見つめあうふたり。座り込み、客席の後ろ姿を見せる
三千歳、立ったまま、左肩を引いて反り身で、直次郎の方に振り返る三千歳。髪を整
えた後に、珊瑚の朱色の簪を落とす三千歳などの姿。両手を繋ぎあうふたり。正面か
ら抱き合うふたり。三千歳の背中を懐に入れるように抱く直次郎。起請文(ラブレ
ター)ごと三千歳の胸に手を入れる直次郎。こより、煙管、火箸などの、小道具の使
い方で、濃密な性愛の流れを感じさせる演出の巧さ。障子などは、開け放ったままで
ある。それは、性愛の密室。観客に舞台を観せるためにも、空間は、解放されていな
ければならないし、追っ手を気にする逃亡者の心理からみても、見通しは、良くなけ
ればならない。いつ、捕り方が、踏み込んで来ないとも限らないからだ。

それは、また、雪の中にも拘らず、素肌の下半身に、着物を端折った姿で歩く直次
郎、二重の屋体の部屋の上下の障子を開け放したままの、逢瀬の場面などに共通す
る、「粋の美学」、いや「意気地の美学」か。「開かれた密室」のエロス。間接的に
描かれる性愛。逆手に取る歌舞伎独特の演出だ。「歌舞伎の美学」。間接的な表現こ
そ、直接的な表現より、エロスの度合いが、濃くなるから不思議だ。

モノクロ:雪景色の「蕎麦屋」。モノトーンの世界。「入谷蕎麦屋の場」は、吉原と
は対照的に、写実的で、場末の蕎麦屋の侘びしさ、貧しさ、雪の夜の底寒さが、たっ
ぷりと観客のなかに染み込ませておかなければならない。

雪の音:ここは、「聞きどころ」。開幕前から聞こえて来る「ドーン、ドーン」と大
間(ゆっくり)に鳴る太鼓の音。これは、雪の音だ。自然の雪は、音がしないのに、
歌舞伎の雪は、大きな音がする。それでいて、不思議ではない。むしろ、歌舞伎か
ら、雪の音が無くなったら、物足りない。雪の音は、最後まで、重要。直侍の「通奏
低音」である。幕が開くと、春の寒さに、降る雨も、いつしか、雪に変わる夕暮れ。
雪のなか、一刻も早い、逃亡の気持ちを高めながら、その前に、機会があれば、恋人
の三千歳に、一目逢い、別れの言葉を懸けて行きたい直次郎が、歩いている。薄闇の
なか、それでも足らずに、「逃亡者」は、手拭で頬被りをして、顔を隠し、傘をさし
ている。下駄にまとわり付く雪が、気になる。舞台下手に降る雪。花道には、「ドー
ン、ドーン」という太鼓の音ばかり。雪を示すものは、音しかない。雪の音は、「七
三」で直次郎の科白になると弱くなる。強から弱へ、変化する。辺りの様子を窺いな
がら、「逃亡者」は、傘の上に載った雪を払い落して、蕎麦屋に入る。太鼓の音が、
消えてしまう。雪が激しく降る時は、「ドドドド」いう音に変わる。

藝の細かさ:雪の蕎麦屋の場面だが、菊五郎演じる直侍は、着物の尻をはしょり、素
足に下駄ばき、店に入ってからは、股火鉢で、客席の笑いを取る。無頼らしい振る舞
い。まずは、一杯、熱い酒を身体に注ぎ込みたい。蕎麦と酒は、江戸の食通。しか
し、燗をするのにも、幾分、時間がかかる。やっと来た燗徳利、御猪口に酒を入れる
が、なぜか、ゴミが浮いている。文句も言わずに、それを箸でよける直次郎。名作歌
舞伎全集では、直次郎と蕎麦屋亭主との硯の貸し借りでは「筆には首がない」と、蕎
麦屋に言わせているが、「直侍」は、筆の首を口にくわえると、筆の首が取れるよう
に演技をし、代わりに取り出した楊子の先を噛んで、これに墨をつけて、三千歳への
手紙を書く(これから、逢いに行くから、木戸を開けておけとでも書いているのだろ
う)ほか、蕎麦のたぐり方など、菊五郎の手順は、代々から引き継いだ「型」と呼ば
れる藝。細かなところまで、すべて手慣れた感じで、芸が細かい。「形」で、直次郎
の全人格を表現する。直次郎が、蕎麦屋から、外に出ると、再び、「ドーン、ドー
ン」という太鼓の音が、また、聞こえ出す。舞台が廻る。太鼓の音が、一段と大きく
なる。「半廻し」で廻る舞台の上で、大道具方は、蕎麦屋の店の中に四角く敷いてい
た、地絣を取り片付ける。舞台は、蕎麦屋の横の道へ、変わる。ここで、直次郎は、
ふたりの顔見知りとやりとりをする。蕎麦屋の店の中で逢ったが、蕎麦屋の主人たち
に関係を知られたくない按摩の丈賀と弟分の暗闇の丑松である。自分だけ助かろう
と、裏切りを決意する丑松の動きや科白に注目。

雪について:直次郎の花道の出と雪の演出。
直次郎は、入谷の蕎麦屋へ向かうときと、同じく入谷の大口屋寮に向かうときと2回
雪の花道を歩く。まず、直侍のさす傘に積んだ雪の量が違う。大口寮の木戸の屋根に
降り積もった雪の量が違う。直次郎が門に当たったはずみで屋根を滑り落ちて来る雪
の量が違う。そこで表わされているように傘同様に花道の雪の量も違う。ここは、雪
布が敷き詰められているだけだから、客席から見た目では、積雪量は判らないが、そ
こは、藝。傘の雪の量の違いを花道にも当てはめて、歩く動作で、雪の量の違いを表
現しなければならない。蕎麦屋のときより、時間も経ち、雪も降り積もっていて、深
くなっていることを観客に判らせなければならない。

舞台に降る雪と花道に降る雪。さらに、舞台に降る雪はあるが、花道に降る雪はな
い。つまり、本舞台の上には、「葡萄棚」という装置があり、いくつもの「雪籠」が
吊ってある。このなかに入れた四角い(昔は、三角だった)雪が、降ってくるが、花
道の上には、雪籠なぞ、ない。だから、実際には、花道では雪は降らない。本舞台に
チラチラ降る雪で、花道にも、雪が降っているように見せなければならない。役者の
演技で、降る雪を観客に想像させなければならないということだ。

今回の通しのメリットとしては、直次郎、丑松と河内山の関係が、くっきりと観えて
来ることだろう。つまり、河内山が、兄貴格で、直次郎、そして丑松という力関係
が、はっきりする。丑松の裏切りも、「河内山一家」という身内のなかでのことなの
だ。さらに、河内山の人間の大きさが、通常の上州屋質店と松江邸だけでは、見えて
来ないが、序幕第一場の「湯島天神境内」「池之端河内山妾宅」という普段は、演じ
られない場面も含めて、「直侍」の話との関係まで判ると、河内山が、仁侠肌の人物
として浮き彫りにされて来る。河内山の人間的な度量の広さは、通しで観て初めて判
る。今回は、普段と違って、最後も、河内山の潔い、太っ腹な場面を見ることが出来
る。従来の、みどり上演の「河内山」で理解していた宗俊とは、違った人物像が浮か
び上がって来る。通しで、人物にも、物語にも、厚みが出る。

聞き逃さない科白
三千歳「連れて行って」(それが駄目ならば、)「殺して」という。寮番・喜兵衛
が、「甲州へ逃げなさい」と勧めるが……。
直次郎「山坂多い甲州へ、女を連れちゃ行かれねぇー」
「ドーン、ドーン」という大間に鳴る太鼓の雪音が、再び、高まる。雪音は、直次郎
の胸の動悸にもなって、切羽詰まって聞こえて来るようだ。観客を含めて、皆の切迫
感が、いちだんと高まる。音のクローズアップは、心理のクローズアップでもある。
丑松の密告で、入り込んで来た捕り方に背中から羽交い締めにされた直次郎「三千
歳。・・・もう此の世じゃ、逢わねぇぞ」
三千歳「直さん・・・」
ふたりの別れの言葉は、短い。「逢わねぇぞ」が、いい。結局、三千歳は、この後
も、直次郎に逢えなかった。

今回は、この件(くだり)に、三千歳の実の兄と判る金子市之丞が、登場して、緊張
感が緩んでしまう。最後に、実は、兄妹というのは、黙阿弥劇の常道手法。

贅言;この芝居は、歌舞伎版「俺たちに明日はない」ではないか。絶望的な青春とい
う世界共通の無軌道な青春物語。映画の「俺たちに明日はない」は、アメリカン・
ニューシネマ。アーサー・ペン監督は、今年(10年)9月28日、ニューヨークの
自宅で死去。青春の悲劇。ドラマにとって、永遠のテーマ。モントリオール世界映画
祭で、深津絵里が、最優秀女優賞受賞し、話題となった吉田修一原作・李相日監督の
映画「悪人」は、まさに、現代版「三千歳直侍」。光代は、三千歳。祐一は、直次
郎。悲劇の中でも、最後まで、好きな女を庇う男の純情。


通し狂言は、脇役の重層性で、幅も、奥行きも出る


さて、レジュメの紹介を終わり、今回の役者評をまとめておこう。

幸四郎の河内山は、実線で描かれたくっきりした人物像を提供している。時代物で
の、いつものオーバーなアクションも、最近の江戸世話ものへの熱心な取り組みの所
為か、幾分、押さえ込まれていて、悪くはない。吉右衛門の線に近づいているのでは
ないか。菊五郎の直次郎は、絶品。時蔵の三千歳も、2回目の拝見だが、やはり良
い。儚げさの中に、官能性を秘めている。菊五郎の直次郎と時蔵の三千歳は、いまの
歌舞伎界でも、最高のカップルだった。私が観た三千歳は、雀右衛門(2)、玉三
郎、福助、魁春、菊之助。官能的なのは、雀右衛門、玉三郎、菊之助。

段四郎の市之丞は、三千歳を挟んで、直次郎と敵対する筈なのに、大口寮の場面で、
三千歳の兄と判る仕組みで、なにか、余計な物を挟まれた感じで、興ざめ。元々の原
作では、大口寮の継ぎの場面で、兄と判る仕組みだったし、みどり狂言の大口寮で
は、そもそも、市之丞は、登場しない。省略されている。市之丞の登場は、通し狂言
のみ。通しを2回拝見している私が過去に観た市之丞は、芦燕だった。そういえば、
芦燕を久しく見ていない。團蔵の丑松は、蕎麦屋の大道具が、半廻しされた雪の路地
の場面で、ハムレット並みに、「to be or not to be」と悩ましい科白を言う場面が
あるが、なかなか、良かった。「だが、待てよ」で、心変わりをするのも、黙阿弥劇
の常道手法。田之助の丈賀は、絶品。田之助の丈賀は、今回で、4回目。このほか私
が観た丈賀は、芦燕(2)、先代の権十郎、又五郎。

秀太郎のおまきは、上州屋のほかに、今回は、池之端で出て来る。友右衛門の清兵衛
も、同様。錦之助の松江出雲守は、私は初見だが、本人は、3回目。富十郎、梅玉
(4)、八十助時代を含めて三津五郎(2)、彦三郎、染五郎、この役は、梅玉が絶
品。錦吾の大膳は、今回含めて、2回目の拝見だが、もうひとつ。私が観た大膳役
は、芦燕(2)、弥十郎(2)、幸右衛門(2)、團蔵、由次郎。芦燕が、絶品だっ
た。彦三郎の家老・高木は、相変わらず、濃いめの時代の科白で、浮き上がって石
待っている。もう少し、時代の科白を薄めにすると、味が出るといつも思う。私が観
た高木は、先代の三津五郎、左團次(3)、段四郎(3)、我當、錦吾。我當は、重
厚な家老で良かった。左團次、段四郎も、それぞれの味を出していた。梅枝の浪路
は、初々しい。

さて、長くなったので、昼の部、「こんにちは、これ切り!」。
- 2010年11月14日(日) 17:53:10
10年10月新橋演舞場 (夜/「盛綱陣屋」「どんつく」「酒屋」)


松嶋屋3兄弟の「盛綱陣屋」


「近江源氏先陣館〜盛綱陣屋〜」は、歌舞伎では、5回拝見(人形浄瑠璃は、1
回)。今回は、初めて、松嶋屋3兄弟が、揃う。颯爽の仁左衛門は、盛綱。貫禄の我
當は、時政。微妙は、老け役の味が滲まない、可愛らしい秀太郎。その辺りを軸に劇
評をまとめてみたい。

「盛綱陣屋」は、大坂冬の陣での、豊臣方の末路を描いた時代物全九段構成「近江源
氏先陣館」の八段目である。複雑な筋立てを得意とした近松半二らの作品だ。物語
は、半二劇独特の、対立構造を軸とする。まず、鎌倉方(陣地=石山、源実朝方とい
う設定、史実は、徳川方で、家康役は、北條時政として出て来る)と京方(陣地=近
江坂本、源頼家方という設定、史実は、豊臣方)の対立。鎌倉方に付いた佐々木三郎
兵衛盛綱(兄)と京方に付いた佐々木四郎左衛門高綱(弟)の対立(実は、兄弟で両
派に分かれ、どちらが勝っても、佐々木家の血を残そうという作戦。つまり、史実で
は、大坂冬の陣での真田家の信之、幸村をモデルにしている)。

「三郎」兵衛盛綱の嫡男・「小三郎」と「四郎」左衛門高綱の嫡男・「小四郎」の対
立。盛綱の妻・早瀬と高綱の妻・篝火の対立という具合に、対比は、綿密になされて
いる。

半二劇の物語の展開は、筋が入り組んでいる。「盛綱陣屋」では、兄弟の血脈を活か
すために、一役を買って出た高綱の一子・小四郎が、伯父の盛綱を巻き込んで、父親
の贋首を使い、首実検に赴いた北條時政を欺くために、小四郎が切腹するという事件
を軸にしている。

高盛・小四郎対時政。甥の切腹の真意(父親を助けたい)を悟る盛綱は、主君北条時
政を騙す決意をし、贋首を高綱だと証言する。主君に対する忠義より、血縁を優先す
る。血族(兄弟夫婦、従兄弟)上げて協力して、首実検に赴いた北条時政を欺くとい
う戦略だ。発覚すれば、己の命を亡くすと、盛綱は覚悟をしたのだ。小四郎が、子供
ながら、大人同等の知恵を働かせ、一石を投じた結果だ。

盛綱・兵衛対時政。ところが、話は、逆転する。徳川家康をモデルにした北条時政
は、やはり、したたかで、騙された振りをして、贋首を持って帰るのだが、首実検の
功のあった盛綱に褒美として与えられた鎧櫃のなかに残置間者を隠すという戦略をと
る。主君が立去った後も、鎧櫃のなかで隠れて盛綱らの話に聞き耳を立てていた時政
の残置間者・榛谷十郎が、戻って来た京方の使者・和田兵衛に見破られて、短筒で撃
ち殺されるという展開になることで、それが判る。主君を欺いた責任を取り、切腹し
ようとした盛綱を諌め、切腹などすると偽首だと判ってしまうというのだ。その挙げ
句、和田兵衛は、北条時政の作戦を見抜き、残置間者を撃ち殺す。

和田兵衛は、赤面(あかっつら)の美学ともいうべきいでたちで、黒いビロードの衣
装に金襴の朱地のきらびやかな裃を着け、大太刀には、緑の房がついている。荒事の
ヒーローのようで、歌舞伎の美意識が、豪快な人物を形象化するが、既に紹介した筋
立てでも判るように、なかなかの知将ぶりを見せる。己の子供まで巻き込みながら、
時政を騙す盛綱・高綱の兄弟。時政は、騙された振りをしながら、心底から盛綱を
疑っている。高綱代理の和田兵衛も含めて、知将=謀略家同士の騙しあいの物語でも
ある。

盛綱対高盛・小四郎。また、盛綱は、小四郎が自害したのは、結局は、知将と言われ
た高綱が、子供を犠牲にしてまで、己が死んだと装う、つまり、軍師として生き残る
ための戦略だと気付くなど、兄弟でも、互いに騙しあう「戦略」の厳しさを描いた作
品でもある。高盛は、自分の影武者を鎌倉方に、わざと討たせている。結局は、父親
が、戦略のためとは言え、わが子を犠牲にして、生き残るという戦国の世の虚しい話
だ。

これらの重層的な騙しあいの仕掛けは、人形浄瑠璃で観ていると、もっと、良く判
る。「盛綱陣屋」より前の、「坂本城外の段」で、小四郎が、小三郎に生け捕りに
なったこと自体、小四郎と高綱親子の策略であったことが判る。老獪な北条時政を騙
すためには、入念な策略を仕掛けなければならないという高綱方の遠謀深慮が必要
だったと強調していることが、伝わって来る。戦争の場面での、息詰るような心理作
戦を近松半二、三好松洛らは、仕組んでいる。

役者論へ行こう。松嶋屋3兄弟のうち、仁左衛門は、颯爽の盛綱を演じ、次兄の秀太
郎は、盛綱の母・微妙、長兄の我當は、敵方の北條時政。

盛綱(仁左衛門)は、小四郎を軸にしながら、弟・高綱の目論見が、観客に次第に見
えて来るという、芝居の筋立てにそって変化する心理描写をきちんとトレースして行
く。内面を外面に次第に滲ませて行く辺りは、さすが、仁左衛門である。形の演技か
ら情の演技へ。目と目で互いに意志を伝えあいながら、甥の命がけの行為を受けて、
主君・時政を裏切り、自分も命を捨てる覚悟をする。主従より血脈を大事にする。盛
綱の、そうした変化が、観客の胸にストレートに入って来る。子役も、頑張ってい
る。

秀太郎の微妙は、歌舞伎で「三婆」という、複雑な役どころを演じて、いるが、白塗
りで、白髪、銀地の衣装に銀地の帽子という出で立ちで、可愛らしすぎて、老婆に見
えない。芝翫の微妙を4回見ているが、大違いだ。

我當の演じる北條時政は、権力者のグロテスクさを滲ませながら、堂々とした大将振
り。こういう柄の必要な役をこなせる役者が少ないだけに、我當は、貴重である。我
當の時政を、私は、今回含めて、4回観ている。子どもまで巻き込みながら、時政を
騙す盛綱・高綱の兄弟。時政は、騙された振りをしながら、心底から盛綱を疑ってい
る。謀略家同士の騙しあい。

團十郎の和田兵衛は、さすが、貫禄。赤面(あかっつら)の美学ともいうべきいでた
ちで、黒いビロードの衣装に金襴の朱地のきらびやかな裃を着け、大太刀には、緑の
房がついている。歌舞伎の美意識が、豪快な人物を形象化する。

高綱の妻、小四郎の母・篝火は、魁春。盛綱の妻、小三郎の母・早瀬は、孝太郎。
「アバレの注進」として、颯爽とした注進役に、ご馳走の信楽太郎は、三津五郎。
「道化の注進」という、滑稽味の注進役の伊吹藤太に錦之助。脇では、腰元に芝喜
松、芝のぶらが、出演。

贅言:盛綱陣屋の二重舞台の下手側に、木戸が「納まって」いた。京方の使者として
来ていた和田兵衛が、花道に退場すると、木戸は、大道具方によって、本舞台前方に
引き出された。これをきっかけに、竹本も、綾大夫の出語りに切り替わった。陣屋の
木戸は、篝火と小四郎の間を遮断する場面で、大いに使われ、篝火の陣屋への入場が
許されると、再び、大道具方が出て来て、木戸を下手袖に片付けてしまった。


「どんつく」は、2回目の拝見。江戸の大道芸の動く風俗絵巻。三津五郎の持ちネ
タ。昼の部同様、外題には、七代目、八代目、九代目の三津五郎追善狂言とついてい
る。三津五郎代々が、引き継ぐ踊り絵巻。

定式幕が引かれると、浅葱幕が、舞台を隠している。勢揃いの役者衆の登場をいっぺ
んで見せようという趣向。舞台は、亀戸天神の境内。中之島を繋ぐ太鼓橋がふたつあ
る池のほとりに、床几を半円形に並べて、半円の中心にいる太神楽と荷持、太鼓打を
除いて、皆、座っている。11人勢揃い。

三津五郎を軸に團十郎、仁左衛門、左團次、梅玉、魁春、福助、秀調、錦之助、小
吉、そして、三津五郎の息子の巳之助という顔ぶれ。白酒売で出演を予定していた富
十郎は、体調不良で、休演。当初の予定より、一人減らしての上演だ。白酒売は、魁
春に替り、魁春が演じる予定だった茶屋女房は、不参加である。

顔見せ、勢揃い、いわば、科白と踊りのある「だんまり」という趣向。まあ、そうい
う趣向が先走りした演目で、思ったほど、おもしろい演目では無い。

太神楽(だいかぐら)の荷持(にもち)「どんつく」とは、鈍な男の意味、太鼓の擬
音で、「どん」と「つく」。太神楽の親方のアシスタントという役回りか。「丸一」
の紋が入った大道芸の「太神楽」が、披露される。團十郎が、器用に手妻まがいの藝
を見せて、太神楽の親方・鶴太夫を演じていた。親方は、江戸っ子で、粋。田舎者
「どんつく」を演じる三津五郎の踊りは、鈍臭さより、洗練されていて、しかも、安
定している。「どんつく」より、三津五郎が、前に出ている。相手をするのは、息子
の巳之助で、太鼓打。というより、團十郎や三津五郎が打つ太鼓を支え持っている。

白酒売の魁春は、富十郎の代役。白酒の言い立てを始める。太鼓持の錦之助、秀調の
ふたりは、見物に廻っている。後に、藝を披露する。門礼者の梅玉、田舎侍の左團
次、それに、子守の小吉。座っている床几から、半円の中心へ出たり入ったりしなが
ら、陽気で、賑やかで、滑稽な風俗舞踊を披露する。「どんつく」が音頭をとって始
めた田舎踊りは、皆も加わり、さらに、調子も、早間の踊りとなる。「どんつくどん
つくどどんがどん」。

大工の仁左衛門と芸者の福助は、いわば、カップル。いい仲同士と見受けられる。後
ろ姿で、待機していた「どんつく」は、いい仲の間に入り込み、おたふくの面を利用
した踊りなども、披露する。面を取った「どんつく」と鶴太夫の赤尽くし、黒尽くし
の軽妙な踊りから、皆の総踊りとなる。


「今頃は半七様(はんしっつあん)、どこでどうしてござろうぞ」


「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)〜酒屋〜」は、歌舞伎では、初見。「去
年の秋の煩(わずら)ひに……」など、浄瑠璃の文句が、人口に膾炙している割に
は、歌舞伎では、上演回数が少ない上方の世話物。今回の東京での上演は、36年振
りとなる。京都や大阪では、上演されている。私は、人形浄瑠璃では、09年9月
に、国立劇場で、拝見した。

1772(安永元)年、大坂豊竹座で初演された。竹本三郎兵衛らの合作。上中下の
三巻構成の世話物だが、「酒屋」は、下の巻で、いまは、ここだけが上演される。通
称は、「酒屋」のほかに、「三勝(さんかつ)半七」。

親の世代の価値観と息子・娘の世代の価値観との間に引き裂かれたが故の悲劇が、
テーマ。封建時代の価値観は、「親の誠」を強調する。子供の危機を親の価値観だけ
で、乗り切ろうとして悩む。そういう意味では、封建的なテーマの演目なのだが、な
ぜか、そういう「情宣的な」意味合いを忘却してしまうおもしろさが、この演目には
ある。さらに、「引き裂かれ」た結果、お園は、鬱病状態になっていると見られる。
歌舞伎独特の見どころの一つは、同じ役者のお園から半七へ、早替わり。人形浄瑠璃
では、真似の出来ない歌舞伎味である。

まず、人間関係を整理する。酒屋の「茜屋」主人・半兵衛と息子の半七。半七には、
妻のお園のほかに結婚前からの愛人で、女舞の芸人・三勝(さんかつ)と二人の間の
娘・お通が、いる。これが、悲劇のもと。

半七と三勝を添わせていれば、芸人が、酒屋の跡取りの女房という課題は、いずれ、
直面するとしても、両親と子供のいる夫婦という家族は、なんの懈怠もない。なの
に、両親は、芸人の嫁入りを認めず、親の価値観で、息子の嫁・お園を決めて、押し
付けた。その結果、息子は、家を出てしまい、家に寄り付かない。娘の嫁ぎ先の婚家
の状況を知ったお園の実父の宗岸(そうがん)は、娘婿の不実に怒り、娘を実家に連
れ戻してしまう。ここからが、「酒屋」の舞台となる。

それ以前の経緯を簡単に述べる。三勝には、自分の父親の代からの借金があり、妾奉
公の話が持ち上がっている。半七は、親に相談できないから、友人の善右衛門に借金
を申し込むが、三勝に横恋慕している善右衛門との葛藤から、半七は、善右衛門を殺
してしまい、お尋ね者となってしまう。悲劇は、悲劇を生み続ける。悪い時には、悪
いことが重なる。

さて、歌舞伎の舞台では、……。
実家に戻っても、半七を恋い慕い、泣き暮れる娘のお園(福助)を不憫に思い、実父
の宗岸(我當)は、お園を婚家に連れて戻り、恥ずかしながらと、復縁を願いに行
く。義母のお幸(吉弥)は、温かく迎えてくれるが、なぜか、代官所から戻ったばか
りという義父の半兵衛(竹三郎)は、厳しい表情のままで、一旦実家に戻ったのだか
ら、婚家には、入れないと冷たい。しかし、義父の半兵衛は、この時、既に、息子・
半七の犯行を知っていたので、嫁のお園をいずれは、死刑になる犯罪者の連れ合いに
したままにしておけないと、心を鬼にしての振る舞いだった。

義母のお幸とお園が気づいて、半兵衛の着物を脱がすと、その下は、縄で、縛られて
いる。逃走中の息子・半七の代わりに親が、代官所から懲罰を受けていたのだ。息子
が、捕まらない限り、親の縄目は、ほどかれない。双方の親たちは、お互いに、子供
たちに尽くそうとばかりする。それでよいのか、というのは、現代の価値観。原作で
は、「親の誠」とばかりに、親を持ち上げる。

やがて、義父母も実父も、お園の将来を考えて、奥に引きこもり、善後策を練る。
娘・嫁を無視して、対策を練るところが、この時代らしい。

そして、名場面。「跡には園が憂き思ひ」で……。お園は、店の外に出て、店の柱に
寄り添って、クドキとなる。大向うから「待ってました」と、福助に声が掛かる。
「今頃は半七様(はんしっつあん)」の科白の後は、竹本。「どこでどうしてござろ
うぞ。今更返らぬことながら、私(わし)といふ者ないならば、舅御様もお通に免
じ、子までなしたる三勝殿を、とくにも呼び入れさしやんしたら、半七様の身持ちも
直り御勘当もあるまいに、思へば思へばこの園が、去年の秋の煩(わずら)ひに、い
つそ死んでしまふたら、かうした難儀は出来まいもの。お気に入らぬと知りながら、
未練な私が輪廻ゆゑ」という、人口に膾炙した浄瑠璃の名文句が、葵太夫の渋い声で
語られる。人形振りというほどではないが、人形の動きを忍ばせるような、糸に乗っ
た福助の所作も、良い。丸い行灯を開けたり閉めたり、火鉢をいじったり、小道具の
あしらいも良い。居ても立ってもいられない。内面的な鬱屈した気持ちの揺れが、外
面的な所作と一致して、緩怠がない。

やるせないお園の身悶えが、伝わって来る。半七への恨みは無く、自分が、半七と三
勝の間に入って来たことが、全ての原因と、自分を責める。今なら、自立心の無い女
性と非難されるかもしれないし、ここまで、自虐的になると、「鬱病」になっている
のではと、心配をする。現代の精神病理学的にいえば、お園と鬱状態。半七の女狂い
は、躁状態。そして、半七は、躁状態の果てに殺人を犯し、三勝との心中行へと導か
れることになると、分析されるのではないか。

お園が、自分を責めていると赤子のお通が、奥から、出て来る。ここで、お園も、赤
子が、お通であることを知り、戸惑う。障子の間から出て来た半兵衛夫婦と宗岸たち
も、それを知り、慌てる。お通が身につけていたお守りの中を見ると、「書き置き」
が出て来る。そこには、半七が、善右衛門を殺めてしまったこと、お通のこと、両親
への感謝、お園には、未来で夫婦になろうなどと書いてある。孫のお通を抱き上げ、
悲嘆に暮れる半兵衛夫婦。未来の夫婦という夫の言葉を心のよりどころに、夫の行く
未を案じるお園。息子と嫁の価値観は、はなから、世間体を優先する親の価値観に負
けてしまっている。店内で、騒いでいるのをそのままに、舞台は、半廻しする。

下手、店の外の格子から店内を覗き込もうとしている紫頭巾で顔を隠した女がいる。
半廻しの舞台に乗って、近づいて来る。やがて、下手から、手拭いで頬被りをした男
が、登場し、店の外にある用水桶の傍に佇み、後ろ姿のまま、紫頭巾の女の様子を見
守っている。男は、やがて、顔を観客席に見えるようにする。福助の早替わりで、半
七だ。ふたりは、追っ手を逃れて、実家の様子を窺いに来た半七と三勝だった。半七
は、己が名乗り出て捕縛されるなりしないと、親の縄目が解けないので、三勝ととも
に、これから、心中をしようと覚悟している。陰ながらの暇乞い。死に行く息子の別
れの儀式である。頭巾をとり、顔を見せて、乳が張ると胸を押さえる三勝(孝太郎)
が、哀れ。三勝に引きずられるように半七も、店を離れる。ふたりは、花道七三で、
入れ替わる。半七が、死出の道行きを先導する。

人形浄瑠璃では、店のうちでは、ひもじいと泣く娘のお通。年老いた親たち、子の無
い嫁では、赤子に乳も与えられない。「アアとは云うものの乳もなく」と婆。木戸の
外では、その声を聞きつけて、「乳はここにあるものを、飲ましてやりたい、顔みた
い」と三勝。「悲しさ迫る内と外」ということで木戸を挟んでの対比を強調する。ふ
たつに引き裂かれた悲劇が、視覚的で、説得力があったが、歌舞伎では、舞台が廻っ
てしまっているので、店の内外の対比は出来ない。障子の張られた格子窓越しの別
離。専ら、店の外ばかりで、死の道行きに向かう前の三勝半七の姿を描くしかない。

今回は、老け役の役者たちの熱演が目立った。竹三郎の半兵衛が、厳しさと苦悩を過
不足無く表現していたし、美形の女形である吉弥の老婆(ふけおやま)・お幸も、難
しい役をきちんとこなしていた。また、お園の実父・宗岸を演じた我當は、存在感が
あった。福助は、お園半七の早替わりの妙。半七も、孝太郎の三勝も、歌舞伎の「酒
屋」では、最後の場面だけ登場する。

それなのに、「大和五条の茜染め、今色上げし艶容。その三勝が言の葉をここに、写
して留めけれ」で、人形浄瑠璃は幕となるなど、外題の「艶容女舞衣」にあるのは、
「女舞」の芸人・三勝の情報ばかりが書かれているのがおもしろい。

芝居の物語や価値観は、どちらかというと、紋切り型なのだが、現代的な精神病理学
の鬱と躁というような視点で解釈すると、芝居から直接伝えられる情報の意味内容と
いうようなものを越えて、現代の私たちの心に響いてくるものがあるように感じる
の。封建的な価値観を見せつけられていながら、そういうものを問題としない、普遍
的なもの。それは、苦境の悲しみにも人間の営み故の、美しさがあるということだろ
うか。それは、人形浄瑠璃も歌舞伎も、区別無しに、同じように感じられた。
- 2010年10月23日(土) 12:18:36
10年10月新橋演舞場 (昼/「頼朝の死」「連獅子」「加賀鳶」)


昼の部の目玉は、「加賀鳶」の團十郎の目玉


新歌舞伎の戯曲「頼朝の死」は、真山青果(1878–1948)作。今月は、国立
劇場で、2つの青果劇を上演。「天保遊侠録」と「将軍江戸を去る」で、いずれも拝
見し、既に、劇評を書いている。私にとって、今月だけで、3つ目の青果劇であっ
た。青果は、緻密な科白劇の名作を数多く書いている。旧制高等学校の医学部中退
で、明治の作家小栗風葉に師事し、一時は、小説家を目指したという。大正末期に、
歴史劇の執筆に乗り出し、昭和期の前半に、活躍した。

「頼朝の死」は、5回目の拝見。これまで観た主な配役。頼家:梅玉(今回含め、
3)、八十助時代の三津五郎、吉右衛門。重保:歌昇(3)、染五郎、今回は、錦之
助。小周防:福助(3)、芝雀、今回は、孝太郎。尼御台政子:富十郎(2)、宗十
郎、芝翫、今回は、魁春。大江広元:歌六(2)、秀調、吉右衛門、今回は、左團
次。中野五郎:家橘、芦燕、東蔵、吉之助、今回は、右之助。

「頼朝の死」は、1932(昭和7)年に、二代目左團次の頼家、五代目歌右衛門の
政子で、初演された。登場人物の心理描写を軸にした科白劇で、権力者のスキャンダ
ルを仕立てた一種のミステリー作品である。真相解明の展開ゆえ、伏線として描き出
された点線の上に、次第次第に、実線で、くっきりと描かれるタッチが、おもしろ
い。設計図が、明確な芝居だ。

頼朝夫人(北条時政の長女)・尼御台政子の侍女・小周防の寝所へ入り込もうとした
「曲者」として、頼朝が殺されたことが全ての始まり。将軍の死のスキャンダル隠し
が、テーマ。真相を知っているのは、宿直の番をしているときに曲者を斬った畠山重
保。小周防は重保を密かに愛しているが、薄々感づいている重保はそれを拒否してい
る上、斬り捨てた曲者が頼朝と知り、死にたいほど苦しんでいる。真相を知っている
のは、重保に加えて、息子の二代将軍頼家の上にたち、政権の実力者として、頼朝の
死のスキャンダルを隠している頼朝夫人・尼御台政子(尼将軍と呼ばれた)と頼朝の
家臣・大江広元を含めて3人だけ。3人には、秘密を共有しているという心理がある
が、図らずも「主(科白では、「しゅ」ではリズムが出ない所為で、「しゅう」と言
い回していた)殺し」となって、苦しんでいるのは、重保のみ。

真相と大義の狭間にあるのは、個人的なふたつの苦しみ。重保は、真相を知っている
苦しみと自分が主殺しをしてしまったことの苦しみ。頼家は、知らない苦しみ。ふた
つの苦しみが、最後まで、対立する。政子、広元は、真相を知っていても、それは、
個人的な苦しみではなく、「家は末代、人は一世」という政子の科白に象徴されるよ
うに、家を守る大義、天下政道という大義のためという別次元の価値観を持ってい
て、トラブル処理に徹すれば、個人的には、苦しくなくなるという構図になってい
る。危機管理をして、乗り越えようとしているので、個人的に苦しんでいる暇はな
い。逆に言えば、大義の持つ怖さも、うかがえる。個人的な感覚が麻痺してしまう。

「頼朝の死」は、1932(昭和7)年に初演された。「将軍江戸を去る」は、その
2年後、1934(昭和9)年に初演された。国立劇場の劇評でも触れた際、私は次
のように書いた。

「将軍江戸を去る」では、「生まれいずる日本」とか、「新しい日本」とかいう科白
が、何回か登場する。実際の日本は、2年後、1936(昭和11)年2月には、
「二二六事件」が発生し、軍部の政治支配が強まって行き、1945(昭和20)年
の敗戦に向けて、「古い日本」は、国際連盟から脱退するなど、国際社会のなかで転
げ落ちて行く。「新しい日本」が、誕生するのは、この芝居が初演されてから、10
年余も後のことである。真山青果は、そういう時世をどう見て、こういう科白を書き
付けたのだろうか。半藤一利が指摘するように、「国家の危険な歩みに対して、警鐘
を鳴らしたのかもしれない」。あるいは、軍部も、(英米)列強による日本の蹂躙の
危機に抵抗するという方にウエイトを置いて、枢軸側として、これらの科白を良しと
したのだろうか。「勤王の大義」に、天皇主義の軍部も許容したのだろうか。これら
の科白は、素直に聞けば、ベースにあるのは、「新しい日本宣言」であろう。したた
かな、壮年期の青果劇の科白廻しは、時代をかいくぐっても、錆び付かなかったとい
うことであろうか。

「頼朝の死」で、青果は、家という「大義」に焦点を当てている。昭和初期、青果
は、軍国主義に傾斜する当時の世相を背景に、「大義のありよう」は、いかにあるべ
きかを考えながら、「頼朝の死」を書き、「将軍江戸を去る」を書いたのだろうか。

政子と広元は、家の大義のためにという強固な意志を持ち、揺るぎが無い。スキャン
ダル隠しを仕掛けた人たち(政子、広元)、踊らされた人たち(重保、小周防)、踊
る人(頼家)。それぞれのスタンスで、揺らいだり、揺らがなかったり、青果劇のお
もしろさ。頼朝の嫡男・頼家は、真相を知らされず、彼も狂おしいほど悩み、真相究
明を続けているが、真相に近い疑惑までは辿り着いたが、そこから最後の詰めができ
ないでいる。「ええ、言わぬか重保、ええ、言わぬか広元」というのは、真相究明に
いらだつ頼家の科白。頼家は真相にたどり着けないいらだちが募る。

このいらだつ頼家は、梅玉が、巧く演じていた。こういう役は、梅玉は巧い。正し
く、しかし、正しいが故に空回りする、一直線な男・頼家を熱演していた。「酒を持
て、酒だ!」。一直線ゆえ、いらだつと酒に走る頼家。アルコール中毒気味。中毒者
の感情の起伏の激しさ。この芝居では、皆、大泣きする場面が多いが、頼家の大泣き
は、いちだんと激しい。

そんな頼家の前には、「事も愚かや。家は末代、人は一世じゃ」と最後に言い切る冷
静の人・政子の壁が、大きく立ちはだかる。政子を演じる魁春は、ますます、歌衛門
に似て来たようだ。

私が観た重保は、歌昇が、圧倒的に多い。熱演だし、すっかり、重保役者になってい
る。今回は、重保役が、2回目という錦之助で、歌昇に比べると、ちょっと、ものた
りなかった。


それぞれの親子「連獅子」は、愉しみ


今回の「連獅子」には、「追善狂言」という言葉が、3つもついている。大和屋の曾
祖父(七代目)、祖父(八代目)、父(九代目)。そして、追善に加えて、息子への
伝承開始。

私が観た「連獅子」は、12回目。立ち役の役者が、親子で、「連獅子」を踊るの
は、息子の成長を図るメルクマールになるだろうから、親子で演じられる年齢に息子
が到達するのを、皆、待ち望んでいるだろう。吉右衛門のように、親子で演じたくて
も、息子の役者がいなければ、実現不能という、厳しい演目でもあるのだ。菊五郎の
ように、息子が、女形でも、演じられない。あるいは、演じ難い(実際に、本興行の
上演記録を見ても、菊五郎は、踊っていない)。兄弟、伯父甥でも、踊れるが、演目
の中身から行っても、親子の共演は、演じる方も、観る方も、感慨深いものがある。

私が観た「連獅子」の親子。高麗屋親子(4)、中村屋親子(3。ただし、2回は、
「三人連獅子」であったし、今後も、中村屋は、「三人連獅子」だろう)。松嶋屋親
子、そして、今回は、大和屋親子。成田屋親子は、歌舞伎座では、上演していないの
で、私が観た團十郎は、松緑と踊っていたのを観た。7年前、03年10月の歌舞伎
座であった。以後、大病をした團十郎は、体力のいる「連獅子」を踊っていない。團
十郎と海老蔵の「連獅子」を観てみたいが、團十郎・海老蔵の「連獅子」は、未だ、
実現していない。海老蔵が、前名の新之助時代に團十郎と踊った舞台は、02年の松
竹座(大阪)、93年の御園座(名古屋)、89年歌舞伎座と3回あるが、新之助、
改め、海老蔵襲名後は、團十郎と踊っていない。是非とも、團十郎の体力恢復を待っ
て、團十郎・海老蔵の「連獅子」を実現して欲しいと思う。澤潟屋は、親子ではな
く、伯父と甥(猿之助と亀治郎)で、2回観ている。

さて、今回の大和屋親子の舞台は?
私は、3つの点で、舞台をウオッチングしてみた。1)体の軸線、2)息子の若さの
プラスとマイナス、3)息子と父親の力強さ比べ。

歌舞伎役者の中でも、有数の踊りの名手である三津五郎は、さすが、体の縦軸の線
が、垂直をキープし続ける。一方、巳之助は、まだ、まだ、縦軸の線は、安定しな
い。例えば、幸四郎と染五郎の親子獅子は、すでに、トラックを何周か廻ったという
感じがあり、安定した、緩怠のない獅子の舞いであった。幸四郎は、大きく、正し
く、舞う。染五郎の仔獅子の舞は、勢いが良い。動きもテキパキしている。高麗屋親
子の比べると、大和屋親子の方は、トラックに入り、やっと、スタートしたばかりと
いう感じ。

息子たちの若さは、父親の藝と比較した場合、プラスにもなるし、マイナスにもな
る。巳之助で言えば、踊りは、まだまだ、マイナス。でも、踊りの名手の父親の隣
で、踊り続けられるというのは、恵まれている。追いつくのは大変だろうが、身近
に、良い目標があるのは、幸せだ。背中や横を観ながら、修業が出来るのだから。特
に、横から見るのは、大事だろう。尻の穴から頭まで、まっすぐ延びている父親の軸
線を学べば良い。左右に振る髪洗い、回転させる左巴、右巴、襷、毛を舞台に叩き付
けるような菖蒲叩きと変化する毛振り。

若さのプラスは、力強さ。身体の構えを崩さずに、腹で毛を廻すのが、毛振りのコツ
だというが、若さには、勝てない。巳之助の毛振りの回数は、三津五郎よりも、多
い。幸四郎と染五郎の場合も、染五郎の方が、毛振りの回数は、多い。最初、半周ほ
ど、父親より速い。次第に、差が開き、最後は、2周ほど多いような印象だった。染
五郎は、若さと勢いがある、立派な獅子の精であった。巳之助は、まだ、染五郎ほど
速くはない。三津五郎に2周も勝てない。1周まで行ったかどうか。獅子の座では、
三津五郎は、足を斜めにしていたが、これは、巳之助のように正面にして欲しい。

若い者が、未熟さを乗り越えれば、親は、追い越される。また、この所作は、体力の
勝負であろう。年齢の違いと藝の違いが出て来る。いずれ、さらに、何かが、付け加
わり、積み上げられ、一人前になって行くのだろう。谷に落されるのは、仔獅子では
無く、親獅子ではないかという思いがする。

贅言:今回、客席の上の方から見ていたら、舞台後ろに勢揃いした長唄連中、四拍子
の緋毛氈の上に、マイクのようなものが、前段、後段とも、ほぼ等間隔で、6つずつ
置いてあった。あれは、いつも置いてあるのだろうか。右近左近。浄土・法華の僧。
獅子の精。舞台展開の切り替えは、四拍子の太鼓の音で、切り替えていたように思
う。


團十郎の目玉


「盲長屋梅加賀鳶」は、7回目の拝見。私が観た梅吉と道玄の二役は、富十郎
(2)、幸四郎(2)、猿之助、菊五郎、そして、今回の團十郎。團十郎は、普段か
ら剃っている頭と生来の大きな目玉の効用が、よかった。

この芝居は、河竹黙阿弥の原作で、本来は、「加賀鳶」の梅吉(道玄と二役早替わ
り)を軸にした物語と窓のない加賀候の長屋「盲長屋」にひっかけて、盲人の按摩
(実際は、贋の盲人だが)の道玄らが住む本郷菊坂の裏長屋の「盲長屋」の物語とい
う、ふたつの違った物語が、同時期に別々に進行する、いわゆる「てれこ」構造の展
開がみそだが、最近では、序幕の加賀鳶の勢揃い(「加賀鳶」の方は、「本郷通町木
戸前勢揃い」という、雑誌ならば、巻頭グラビアのような形で、多数の鳶たちに扮し
た役者が勢ぞろいして、七五調の「ツラネ」という独特の科白廻しを聞かせてみせる
という場面のみが、上演される)を見せた後、加賀鳶の松蔵が、道玄の殺人現場であ
る「御茶の水土手際」でのすれ違い、「竹町質見世」の「伊勢屋」の店頭での強請の
道玄との丁々発止、という接点で、ふたつの物語を結び付けるだけで、道玄の物語に
収斂させている。

道玄は、偽の盲で、按摩だが、殺しもすれば、盗みもする、不倫の果てに、女房にド
メスティク・バイオレンスを振るうし、女房の姪をネタに姪の奉公先に強請にも行こ
うという、小悪党。それでいて、可笑し味も滲ませる人柄。悪党と道化が、共存して
いるのが、道玄の持ち味の筈だ。初演した五代目菊五郎は、小悪党を強調していたと
言う。六代目菊五郎になって、悪党と道化の二重性に役柄を膨らませたと言う。現在
の観客の眼から見れば、六代目の工夫が正解だろうと思う。

09年5月の歌舞伎座で観た当代の菊五郎も、その線で、緩怠なく演じきった。私が
見た道玄では、小悪党の凄み、狡さと滑稽さをバランス良く両立させて、ピカイチ
だったのは、富十郎であった。世話物得意の菊五郎の道玄も、富十郎に負けていな
かった。さて、今回の團十郎は、というと。私は團十郎の道玄は、初見である。團十
郎の道玄は、16年ぶり、2回目という。小悪党の凄みが、あまり感じられなかった
が、狡さと滑稽さは、十二分に発揮していた。特に、白血病の治療以後、普段から
剃っている丸い頭は、鬘より、自然で、写実的だった。また、生来の大きな目玉を剥
いてみせる滑稽な表情も、味わいがあり、楽しく見ることが出来た。これは、富十郎
よりも、優れていた。

伊勢屋の「質見世」の、道玄強請の場面は、強請場で名高い「河内山」の質店「上州
屋」の河内山を思い出させる。黙網劇のパターン化した場面とも言えるが、見方を変
えれば、黙網劇の安定感とも言える。安定して、笑いが取れるというのは、黙網劇の
強さだろう。

それにしても、五代目菊五郎が、梅吉、道玄、死神の三役を早替わりで演じたよう
に、いつかは、黙網劇の原点に立ち返り、誰かがやってみてはくれないだろうか。

大詰「菊坂道玄借家」から「加州侯表門」(つまり、いまの東大本郷キャンパスの
「赤門」)の場面での、滑稽味は、富十郎に軍配が上がるが、今回の團十郎も、悪く
ない。逃げる道玄。追う捕り方。ここは、遊びが必要。特に、「表門」は、月が照っ
たり、隠れたりしながら、闇に紛れて、追う方と追われる方の、逆転の場面で、どっ
と笑いが来ないと負けである。おかし味の演技は、定評のある菊五郎同様、目玉の團
十郎も、十分に堪能させてくれた。この場面は、幸四郎も、猿之助も真面目に逃げ過
ぎて、おもしろ味が少ない。

さて、今回の、そのほかの配役では、道玄と不倫な仲の女按摩・お兼は、福助。2回
目の拝見。売春婦も兼ねる女按摩。こういう二重性のある役は、福助も巧いが、7年
前に観た東蔵が、巧かった。東蔵は、どちらかに、重点を置きながら、もう、一方を
巧く滲ませることができる。実に、達者に演じる。福助は、色気を押し出す演技だ。
姪のお朝は、宗之助で、私は、4回目の拝見。

梅玉の加賀鳶・日蔭町松蔵は、道玄と違い、颯爽の正義漢。松蔵は、実は、この芝居
の各場面を綴り合わせる糸の役どころであり、重要な登場人物だと、思う。「本郷通
町木戸前勢揃い」、「御茶の水土手際」、「竹町質見世」と、松蔵は3つの出番があ
るが、仕どころがあるのは、「質見世」。颯爽の裁き役で、道玄の正体と犯罪歴を暴
きながら、トラブルも、さりげなく納めて、後腐れのないようにするなど、とこと
ん、おいしい役どころで、今回は、颯爽役の代表格の仁左衛門が、初役ながら、科白
廻しも含めて、そつなく演じる。
- 2010年10月22日(金) 14:23:07
10年10月国立劇場 (「天保遊侠録」「将軍江戸を去る」)


「天保遊侠録」は、2回目の拝見。いつも思うのだが、この外題は、なんとも、そぐ
わないと思う。「遊侠(おとこだて)」では、いかにも、「任侠(やくざもの)」と
いう感じがしてしまうのである。芝居の内容は、勝海舟の父親・勝小吉の物語で、い
くら、「無頼」の気質がある貧乏旗本の勝小吉だとしても、旗本は旗本である。「遊
侠(任侠)」では、観客は、間違ったイメージを描きかねない。

勝小吉の物語だから、少年・勝海舟が、幼名の麟太郎で登場する。初演は、1938
(昭和13)年で、3幕ものの戯曲として、月刊誌に連載発表された。同じ年に東京
劇場で、序幕だけが、「勝安房の父」という外題で、二代目左團次らが出演して初演
された。まさしく、「序幕」の芝居は、「勝安房の父」である。二代目左團次は、序
幕の二場を独立した一幕ものとして捉えていたようだ。1940年、初演後2年で、
二代目左團次は、亡くなってしまったので、左團次の再演は、なかった。

戦後は、三幕ものの再演が、何度かなされた。二代目左團次の「一幕もの」(序幕の
二場を独立させた)を1988(昭和63)年に、48年ぶりに復活させたのが、当
代の吉右衛門である。この時の舞台を私は観ていない。吉右衛門は、今回は、それ以
来の上演で、22年ぶり、2回目となる。「一幕もの」としての上演は、国立劇場の
「筋書」に拠ると、二代目左團次の初演を含めて、4回目ということだ。だとする
と、私が、09年8月、今の歌舞伎座最後の納涼歌舞伎として、橋之助主演で、「天
保遊侠録」を観ているから、それが、「一幕もの」としての上演の、残りの1回とい
うことになる。つまり、「三幕もの」の「天保遊侠録」を私は観ていないが、「一幕
もの」の「勝安房の父」は、2回拝見したわけである。素直に見れば、吉右衛門が、
二代目左團次の初演の形式に拘るならば、外題も、二代目左團次の「勝安房の父」に
すべきなのではなかろうか。あるいは、「天保遊侠録〜勝安房の父〜」くらいか。そ
の方が、私の違和感は、解消されることになる。

いずれにせよ、歴史に題材を取った「史劇」としての、新作歌舞伎を多数創作してい
る真山青果のものでは、珍しい「世話物」である。1938(昭和13)年、青果
は、この時期、左團次とは、蜜月であり、左團次一座ともに、1934(昭和9)年
から1940(昭和15)年まで、「元禄忠臣蔵」の各編を上演したりしていた。

「天保遊侠録」は、幕末期のキーパーソンの一人、勝海舟の父親で、無役の貧乏旗本
勝小吉と幼少の麟太郎の出仕の時期の親子関係が、描かれている。無頼の徒のような
生活が、気性に合っている小吉だが、秀才の誉れの高い息子のために、まず、自分が
無役から脱しなければならないということで、気に染まない猟官(就職)活動をする
が、腐りきった役人たちを相手にしているうちに、堪忍袋の緒が切れるという物語で
ある。青果劇は、いつもの科白劇で、幕末期の世相を織り交ぜながら、貧乏旗本や庶
民の哀感を活写する。

第一場「向島料理茶屋」。花見で賑わう向島の料亭を借り切って役人を接待しようと
いう小吉(吉右衛門)。四十一石の貧乏旗本が、宴会費用をあちこちから借り集めた
上で、上役らを招いて、御番入り願いの饗応の準備をしている。茶屋の出入り口の門
が、舞台下手寄りの奥にあり、茶屋の屋体の裏から人が出入りするという舞台(美術
は中嶋八郎担当)は、いかにも、新歌舞伎らしい。背景の遠見は、山並みと大きな川
のようだ。やがて、饗応の世話役や接待される上役ら(桂三ほか)が、到着し、宴会
が始まるが、無理難題を吹っかける上役らの対応に怒り出す小吉。「侍が威張ってい
るのも、家の禄高の違いだけで、人間の値打ちの違いではない」という、青果らしい
科白も、小吉から飛び出す。真山の科白劇も、世話物だけに、くだけた会話で、楽し
めた。吉右衛門の科白は、世話だが、彼独特の口調の味わいも残しながらで、なかな
か良かった。数ある歌舞伎役者の中でも、科白廻しは、当代随一の吉右衛門の貫禄が
滲み出ている。

料亭の離れでは、小吉・息子の麟太郎(梅丸)の出仕の迎えに来ていた小吉の義理の
姉で、江戸城の西の丸に仕える中臈・阿茶(おちゃ)の局(東蔵)が、騒ぎをおさめ
る。前回、阿茶(おちゃ)の局を演じた萬次郎は、品格のある局だったが、今回の東
蔵も、良かった。科白の応酬は、真山青果らしい。科白劇が進展するに連れて、背景
の光量が変化する。青空から夕焼け、そして、日没へ。

料亭の騒ぎの場面が、一段落すると、舞台は、鷹揚に廻って、料亭の表側に替わる。
第二場「同(料理茶屋の)の囲い外」。門から外に出る麟太郎ら一行。それに桜の花
びらが散りかかる。門前には、桜の樹の間に、黄色い菜の花が咲いている。世間は、
春爛漫。そこには、いつの間にか、大きくなって、親離れをして行く息子を乗せる豪
華な駕篭が、待っている。名所の向島の料亭らしく、その辺りには、歌碑が、2基あ
る。

愚父と賢児の物語。あるいは、父親の子離れの物語であろう。時代が急激に変化する
兆しがあろうとなかろうと、親の情愛は変わらないというのが、真山劇のテーマだろ
う。息子一行の後ろ姿を見送る小吉。私の目には、吉右衛門の表情は、先月の新橋演
舞場で演じた「俊寛」の岩組の上での空しさを滲ませた表情に重なって見える。

ほかの配役では、小吉と恋仲だった芸者の八重次(芝雀)が重要。麟太郎を見送った
後、降り出した雨を避ける傘の中で小吉と佇む場面は、余韻があった。「いっときあ
とは、どうなるか。おてんとうさまでも、ごぞんじあるめえー」とか、「いいじゃ
あ、ねえかあ」という吉右衛門の科白廻しが、子別れを迫られた父親の万感の一端を
うかがわせる。

田舎育ちで、叔父に金を無心に来て、饗応に巻き込まれ、逆に、騒ぎを大きくする甥
の庄之助(染五郎)は、ちょっと、軽味を出しすぎていた。無頼感も欲しい。前回の
庄之助は、勘太郎で、勘太郎は、叔父・小吉にそっくりの甥をきちんと演じていた。
小吉は、やはり、橋之助より、吉右衛門の方が、上手だ。父親の悲哀の滲ませ方が、
違う。

贅言;そういえば、木挽町の歌舞伎座は、とうとう、外壁も壊されて、姿形もなく
なっていた。崩壊した後は、瓦礫の山で、周囲から隔てられた現場では、多数の重機
が、うなりを上げて、動き回っていた。晴海通りに面した側では、現場の外の歩道に
残された樹木が一本、寂しげに立っていた。「いっときあとは、どうなるか。おてん
とうさまでも、ごぞんじあるめえー」。吉右衛門の名調子の科白が、樹木の後ろから
聞こえて来たような気がした。


「将軍江戸を去る」は、4回目。真山青果原作は、「江戸城総攻」という3部作で、
大正から昭和初期に、およそ8年をかけて完成させた新作歌舞伎である。1926
(大正15)年初演の第一部「江戸城総攻」(勝海舟が、山岡鉄太郎を使者に立て
て、江戸城総攻めを目指して東海道駿府まで進んで来た征東軍の西郷隆盛に徳川慶喜
の命乞いに行かせる)、1933(昭和8)年初演の第二部「慶喜命乞」(山岡が、
西郷に会い、慶喜の助命の誓約を取り付ける)、そして1934(昭和9)年初演の
第三部「将軍江戸を去る」(勝海舟が、江戸薩摩屋敷で、西郷隆盛に会い、江戸城の
無血明け渡しが実現する)という構成である。江戸城の明け渡しという史実を軸に、
登場人物たちの有り様(よう)を描いている。いずれも、初演時は、二代目左團次を
軸にして、上演された。例えば、第三部では、左團次が、西郷吉之助と徳川慶喜の二
役を演じた。

歌舞伎では、必ずしも、原作通り演出されず、例えば、第一部の「江戸城総攻」で
は、「その1 麹町半蔵門を望むお濠端」、「その2 江戸薩摩屋敷」という構成
で、青果3部作の、第一部の第一幕と第三部の第一幕(「江戸薩摩屋敷」では、西郷
吉之助と勝安房守が江戸城の無血開城を巡って会談する場面である)が、上演される
ことが多い。従って、第三部「将軍江戸を去る」は、一般に、第二幕「上野彰義隊」
から上演される。これは、慶喜をクローズアップしようという演出で、演出担当は、
真山青果の娘、真山美保である。

ところが、今回の場立ては、国立劇場の筋書では、「演出」は、真山美保となってい
るものの、織田紘二も「演出」に名を連ねていて、真山青果の原作通り、第一幕は、
「江戸薩摩屋敷」で、第二幕の第一場「上野の彰義隊」、第二場「上野大慈院」、第
三場「千住の大橋」という構成である。美術は、ふたり連名なので、初演の伊藤熹朔
をベースに、中嶋八郎が、補っているのだろう。

第一幕は、1868(慶応4)年の江戸・芝の薩摩屋敷が舞台。前年の幕府側による
焼き討ちにあい、一部が焼けただれ、壊された跡が今も残る江戸薩摩屋敷。屋根瓦、
壁、襖、塀、蔵の白壁、庭の燈籠が、壊れたりしている。庭先からは、江戸湾が遠望
され、軍艦2隻が、停泊しているのが、見える。あす、官軍は、江戸城総攻めを計画
し、その準備に追われている。ここのハイライトは、幕府の海軍奉行・勝麟太郎が、
官軍の参謀筆頭の西郷吉之助に面談に来る場面だ。勝の面談の要旨は、慶喜の命と江
戸の土地の保全。官軍の建前は、慶喜切腹と前の将軍に嫁いだ宮家の皇女和宮の保護
である。西郷は、勝から、徳川家は、天皇の臣下であることを再確認し、江戸城を引
き渡すことを認めれば、あすの総攻めを中止すると約束をする。列強各国が日本列島
を取り巻く中で、官軍と幕府軍が、江戸城の明け渡しを巡って、戦争になれば、江戸
は火の海になり、江戸に住む庶民も犠牲になるばかりでなく、まさに、日本は、「内
乱」状態に陥り、そこにつけ込む列強に拠って、国が蹂躙されるのではないかという
危機感が、両者の合意の根底にはある。

この場面、西郷は、薩摩弁でまくしたてる。勝は、寡黙で、腹芸で対抗する。以前に
観た時は、團十郎の西郷に幸四郎の勝であった。今回の歌昇の西郷吉之助が、存在感
がある。徳川家は、天皇の臣下であることを勝に改めて、認めさせるが、西郷は、雄
弁である。歌六の勝麟太郎は、腹芸を隠して、「もちろーん」と大声で答える。西郷
は、「実に戦争ほど、残酷なものはごわせんなあ」などと、持論を展開する。ここで
は、西郷役者が、主役である。

このほか、「薩摩屋敷」に出てくる役者では、村田新八(松江)と中村半次郎(種太
郎)は、フレッシュな組み合わせ。種太郎は、歌昇の長男。仁からいえば、「人斬り
半次郎」の凄みを出さなければならないが、そういう味は、まだ、滲み出ていなかっ
た。

第二幕第一場は、血気に逸る彰義隊の面々と無血開城を目指す山岡鉄太郎(染五郎)
とそれを支援する高橋伊勢守(東蔵)の対立を描く。第二場は、大慈院の一室で、恭
順、謹慎の姿勢を示している慶喜(吉右衛門)の姿を紹介する。慶喜は、明朝、江戸
を去り、水戸へ退隠する手筈なのだが、慶喜の心が揺れているの心配して、やがて、
無血開城派の高橋伊勢守、山岡鉄太郎が、やって来るという場面である。慶喜の外面
的には、見えない心理の揺れを、夕闇の中に、月光に照らされて、白く浮かぶ上手の
桜木が、うかがわせるという趣向。なんとも、効果的で、憎い演出である。人事と自
然の対照。だが、実は、原作の脚本には、この桜木の指定は無いという。だとすれ
ば、何処かの時点で、代々の慶喜役者のだれかが、思いついて、桜木を置かせ、以
降、定式の演出として、受け継がれているのかも知れない。「勤王の大義」など勤王
論議は、真山青果らしい科白劇である。上手の一室で、心のざわめきを抑えながら読
書をする慶喜。前半では、山岡の姿は、障子に映る影と声ばかりが、演出される。そ
ういう対比の演出も、新歌舞伎らしい斬新さがあったのだろう。

第三場の「千住の大橋」は、まだ、夜明け前。幕府崩壊の暗暁と明治維新の夜明けを
繋ぐ場面だろう。短いが、「将軍江戸を去る」のハイライトの場面。揺れていた慶喜
の心も、退隠で固まり、「千住大橋の袂まで」御朱引内という江戸の地を去る。駆け
つけて来た山岡鉄太郎が、千住大橋に慶喜の足が掛かると、そこが、江戸の際涯(最
果て、最後の地)だと注意を喚起する場面が、見せ場だ。

さらに、それを受けて、「江戸の地よ、江戸の人よ、さらば……」という慶喜の科白
に象徴される278年の幕政の終焉。「天正十八(1590)年八月朔日(ついた
ち)、徳川家康江戸城に入り、慶應四(1868)年四月十一日、徳川慶喜江戸の地
を退く」。吉右衛門の名調子の科白が、朗々と場内に響き渡り、あちこちで、目頭を
拭く人の姿が、目についた。

山岡鉄太郎は、鉄舟と号した。高橋伊勢守は、泥舟と号した。また、勝安房守は、海
舟と号した。江戸城の無血開城を目論み、成功させた3人のキーパーソンを合わせて
史実家は、「幕末の三舟」と呼ぶ。真山青果の原作「将軍江戸を去る」は、今回、ま
さに、「幕末の三舟」に焦点を当てた芝居として、海舟(歌六)、鉄舟(染五郎)、
泥舟(東蔵)を順に登場させた。勝麟太郎は、「天保遊侠録」で、少年として姿を見
せ、「将軍江戸を去る」で、海軍奉行として、江戸城の無血開城を仕切った。

この芝居では、「生まれいずる日本」とか、「新しい日本」とかいう科白が、何回か
登場する。大正から昭和初期の時代に、このままの科白が舞台で使われたのだろう
か。実際の日本は、「将軍江戸を去る」が、1934(昭和9)年に初演された2年
後、1936(昭和11)年2月には、「二二六事件」が発生し、軍部の政治支配が
強まって行き、1945(昭和20)年の敗戦に向けて、「古い日本」は、国際連盟
から脱退するなど、国際社会のなかで転げ落ちて行く。「新しい日本」が、誕生する
のは、この芝居が初演されてから、10年余も後のことである。真山青果は、そうい
う時世をどう見て、こういう科白を書き付けたのだろうか。半藤一利が指摘するよう
に、「国家の危険な歩みに対して、警鐘を鳴らしたのかもしれない」。あるいは、軍
部も、(英米)列強による日本の蹂躙の危機に抵抗するという方にウエイトを置い
て、枢軸側として、これらの科白を良しとしたのだろうか。「勤王の大義」に、天皇
主義の軍部も許容したのだろうか。これらの科白は、素直に聞けば、ベースにあるの
は、「新しい日本宣言」であろう。したたかな、壮年期の青果劇の科白廻しは、時代
をかいくぐっても、錆び付かなかったということであろうか。
- 2010年10月14日(木) 6:22:40
10年09月新橋演舞場 (昼/「猩々」「俊寛」「鐘ヶ岬」「うかれ坊主」「引
窓」)


「猩々」は、6回目の拝見。このうち、長唄の「猩々」が、今回含め。3回。「寿
猩々」が、竹本で、3回。歌舞伎では、竹本で語る「寿猩々」は、一人猩々で、富十
郎(2)、梅玉。長唄の「猩々」は、二人猩々。こちらは、勘太郎と七之助。梅玉と
染五郎。そして、今回は、梅玉と松緑。酒売りは、松江時代を含め、魁春(2)、歌
昇、弥十郎、当代の松江、そして今回は、芝雀。

能の「猩々」では、「猩々=不老長寿の福酒の神」と「高風」という親孝行の酒売り
の青年との交歓の物語。「猩々」とは、本来は、中国の伝説の霊獣。つまり、酒賛美
の大人の童話。


岩組の上での、吉右衛門の表情の変化


「俊寛」は、11回目の拝見。近松門左衛門原作の時代浄瑠璃で、1719(享保
4)年、大坂の竹本座で,初演された。290年前の作品である。私が観た俊寛は、
幸四郎(4)、吉右衛門(今回含め、4)、仁左衛門、猿之助、勘三郎という顔ぶ
れ。今回は、吉右衛門俊寛の最後の表情の変化に的を絞って書きたい。

1719(享保4)年の原作で、近松門左衛門は、「思い切っても凡夫(ぼんぷ)
心」という言葉を書いて、犠牲の精神を発揮し、決意して、居残ったはずなのに、都
へ向けて遠ざかり行く船を追いながら、「都への未練を断ち切れない」俊寛の、不安
定な、「絶望」あるいは、絶望の果ての「虚無」を幕切れのポイントとした。

多くの役者は、遠ざかり行く船に向って「おーい」「おーい」という俊寛の最後の科
白の後、絶望か、虚無か、どちらかの表情をする。「半廻し」の舞台が廻って、絶海
の孤島の岸壁の上となった大道具の岩組に座り込んだまま、幕切れを待っている時の
表情のことだ。昔の舞台では、段切れの「幾重の袖や」の語りにあわせて、岩組の松
の枝が折れたところで、幕となった。

しかし、初代吉右衛門系の型以降、いまでは、この後の、俊寛の余情を充分に見せる
ような演出が定着している。ここが、最大の見せ場として、定着している。なんど
か、書いているが、俊寛役者の幕切れの表情三態をまとめておこう。

(1)「ひとりだけ孤島に取り残された悔しさの表情」:「凡夫」俊寛の人間的な弱
さの演技で終る役者が多い。弱い人間の悔しさは、原作のベースにある表情であろ
う。

(2)「若いカップルのこれからの人生のために喜ぶ歓喜の表情」:身替わりを決意
して、望む通りになったのだからと歓喜の表情で終る役者もいる。私は、生の舞台を
観ていないが、前進座の、歌舞伎役者・故中村翫右衛門、十三代目仁左衛門が、良く
知られる。

今回で、4回目の拝見となった吉右衛門は、従来、虚無的であったのを変えて、最近
の、07年1月歌舞伎座の舞台では、「喜悦」の表情を浮かべた「新演出」だった。
初めて、喜悦の「笑う俊寛」を私は、このとき、観たことになる。今回も、吉右衛門
は、この演出を継続した。

この場面、科白は、「おーい、おーい」だけなのである。まず、この「おーい」は、
島流しにされた仲間だった人たちが、都へ向かう船に向けての言葉である。船には、
孤島で苦楽を共にした仲間が乗っている。島の娘と、ついさきほど祝言を上げた仲間
がいる。そういう人たちへの祝福の気持ちと自分だけ残された悔しい気持ちを男は
持っている。揺れる心。「思い切っても凡夫心」なのだ。時の権力者に睨まれ、都の
妻も殺されたことを初めて知り、妻殺しを直接手掛けた男をさきほど殺し、改めて重
罪人となって、島に残ることにした男が、叫ぶ「おーい」なのだ。「さらば」という
意味も、「待ってくれ」「戻ってくれ」という意味もある「おーい」なのだ。別離と
逡巡、未練の気持ちを込めた、「最後」の科白が、「おーい」なのだろう。吉右衛門
演じる俊寛の表情、特に、「おーい」の連呼の後に続く俊寛の表情の変化。

これは、芝居の「最後の科白」でもあるが、俊寛の「最期の科白」でも、ある。ひと
りの男の人生最期の科白。つまり、岩組に乗ったまま俊寛は、この後、どう生きるの
かということへの想像力の問題が、そこから、発生する。昔の舞台では、段切れの
「幾重の袖や」の語りにあわせて、岩組の松の枝が折れたところで、幕となった。し
かし、吉右衛門系の型以降、いまでは、この後の、俊寛の余情を充分に見せるように
なっている。吉右衛門の俊寛を観ていると、岩組を降りた後の、俊寛の姿が見えて来
た。ここで、俊寛は、自分の人生を総括したのだと思う。愛する妻が殺されたことを
知り、死を覚悟したのだろう。俊寛は、岩組を降りた後、死ぬのではないか。これ
は、妻の死に後追いをする俊寛の妻の東屋への愛の物語ではないのか。それを俊寛
は、未来のある成経と千鳥の愛の物語とも、ダブらせたのだ。そして、俊寛自身は、
今後、老いて行く自分、死に行く自分、もう、世界が崩壊しても良いという総括をす
ることができたことから、いわば「充実」感をも込めての呼び掛けとして「おー
い」、つまり、己の人生への、「最期」の科白としての「おーい」と叫んでいるよう
に思える。そういう達観のもたらした喜悦。それが、吉右衛門の「喜悦」の俊寛では
ないのか。

何故、そう感じるのかというと、俊寛は、清盛という時の権力者の使者=瀬尾を殺
す。それは、清盛の代理としての瀬尾殺しだ。つまり、権力という制度への反逆だ。
これは、重罪である。流人・俊寛は、さらに、新たな罪を重ねたことになる。何故、
罪を重ねたのか。それは、都の妻を殺されたからである。つまり、俊寛は、重罪人に
なっても、直接、自分の妻を殺した瀬尾に対して、妻の敵を討たない訳には行かな
かったのだ。だから、これは、敵討ちの物語でもある。妻殺しの瀬尾を殺してでも、
妻と自分の身替わりとして千鳥と成経には、幸せな生活をしてほしいと思ったのだと
思う。ふたりの将来の幸せな生活を夢見る。だから、これは、愛の再生の物語でもあ
る。そこに、虚無の果てとしての充実、それゆえに浮かぶ喜悦の表情があるのではな
いか。二代目は、今回、初代の藝に、より近づいたということなのだろうか。

(3)「一緒に苦楽を共にして来た仲間たちが去ってしまった後の虚無感、孤独感、
そして無常観」:苦悩と絶望に力が入っているのが、幸四郎。能の、「翁」面のよう
な、虚無的な表情を強調した仁左衛門。仁左衛門は、「悟り」のような、「無常観」
のようなものを、そういう表情で演じていた。「虚無」の表情を歌舞伎と言うより現
代劇風(つまり、心理劇。肚で見せる芝居)で、情感たっぷりに虚しさを演じていた
猿之助。勘三郎演ずる俊寛の最後の表情も、(3)の系統で、「虚無的」な、「無常
観」が、感じられた。これら多くの役者は、吉右衛門と違って、こういう傾向にある
ように見受けられる。

ほかの役者では、まず、憎まれ役の瀬尾太郎兼康を演じる役者は、ほんとうは、得な
のである。あれだけ、憎々しい役を演じれば、観客に印象を残す。逆に、高みの見物
を決め込み、舞台展開の、その時は、観客から同感され、拍手される丹左衛門尉基康
より、劇場を離れてもなお印象が残るのは、憎々しい瀬尾太郎兼康であった。私が観
た瀬尾は、左團次(5)、段四郎(今回含め、4)、富十郎、彦三郎。丹左衛門は、
梅玉(4)、九代目宗十郎、吉右衛門、歌六、三津五郎、芝翫、富十郎、そして、今
回が、仁左衛門。丹左衛門は、梅玉以外は、皆、1回ずつしか見ていない。この傾向
こそ、左團次、段四郎など、脇で、味を出す役者が演じる瀬尾という役柄の違いを明
確に示しているのではないか。

もうひとり、印象に残る役は、千鳥であろう。松江時代を含む魁春(4)、福助(今
回含め、3)、亀治郎、孝太郎、芝雀、七之助。それぞれ、味がある。「鬼界ヶ島に
鬼は無く」と千鳥の科白、後は、竹本が、引き取って、「鬼は都にありけるぞや」と
繋がる妙味。千鳥のひとり舞台の見せ場。

「鐘ヶ岬」は、「鐘の岬」という外題の演目も含めて、今回で、2回目。「うかれ坊
主」は、「願人坊主」という外題の演目も含めて、6回目。初めて観たときは、富十
郎で、富十郎は、可憐な「羽根の禿」から「うかれ坊主」に変身。若い娘と半裸の中
年男の対比の妙。2回目も、富十郎で、このときは、「鐘の岬/うかれ坊主」。3回
目が、菊五郎で、「女伊達/うかれ坊主」。いずれも、一人の役者が、通しで踊っ
た。4回目が、吉右衛門の「雨の五郎」で、これは、一旦幕で終了。つながりがな
い。「うかれ坊主」も、一幕もので、踊り手も富十郎に替わる。5回目は、三津五郎
の通しで、「源太/願人坊主」という外題。6回目の今回は、「鐘ヶ岬/うかれ坊
主」だが、踊り手は、「鐘ヶ岬」が、芝翫、「うかれ坊主」が、富十郎と、踊り手が
替わる。「鐘ヶ岬」は、地唄版の道成寺もの。

ということで、皆、「替り目」の組み合わせの妙に一工夫している。それぞれ、独立
した変化舞踊だけに、取り合わせは自由で、役者の創意工夫が、演出の妙を生む(昼
と夜の舞踊劇の役者評は、最後にまとめて、書く)。


双蝶々曲輪日記〜引窓」は、8回目の拝見。「双蝶々曲輪日記」は、並木宗輔(千
柳)、二代目竹田出雲、三好松洛という三大歌舞伎の合作者トリオで「仮名手本忠臣
蔵」上演の翌年(1749年)の夏に人形浄瑠璃として、初演されている。相撲取り
絡みの実際の事件をもとにした先行作品を下敷きにして作られた全九段の世話浄瑠
璃。私は、03年1月の国立劇場で、「角力場」、「米屋」、「難波裏殺し」、そし
て、「引窓」の、いわば、半通しで、観たことがある。八段目の「引窓」が良く上演
されるが、実は、江戸時代には、「引窓」は、あまり上演されなかった。明治に入っ
て、初代の中村鴈治郎が復活してから、いまでは、八段目が、いちばん上演されてい
る。

この芝居は、「引窓」だけ見れば、主役は、無軌道な若者の一人で、犯罪を犯して母
恋しさに逃げてきた濡髪長五郎の母恋物語である。その母・お幸を含め、善人ばかり
に取り囲まれた逃亡者を皆で逃がす話。お幸の科白。「この母ばかりか、嫁の志、与
兵衛の情まで無にしおるか、罰当たりめが……(略)……コリャヤイ、死ぬるばかり
が男ではないぞよ」が、「引窓」の骨子である。

この芝居の見所は、次のような見せ場をバランス良く、てきぱきとこなすアンサンブ
ル(連係プレー)である。

舞台中央、やや下手寄りで、長五郎の人相書きを見るお幸とお早、ふたりより上手に
居て、屋体中央より上手に設えられた手水の「水鏡」に偶然写った長五郎の姿を覗き
込む十次兵衛、2階の障子窓を開けて、階下の様子を見ていた長五郎は、水鏡を覗き
込む十次兵衛の様子で、自分の居所が悟られたと気づいて、慌てて姿を隠すため、障
子を閉める、その有り様に気づいたお早は、屋体上手に素早く駆け寄り、水鏡が見え
にくいように、開け放たれ、月光を室内に引き込んでいた引窓を慌てて閉めるとい
う、複数の役者による、一連の演技が、実に絶妙の間で、演じられなければならな
い。

今回は、どうであったか。今回の主な配役は、次の通り。十次兵衛:染五郎、濡髪:
松緑、お早:孝太郎。お幸:東蔵。染五郎と松緑という若い世代の歌舞伎。フレッ
シュと言えば、フレッシュだが、小粒と言えば、小粒でもある。歌舞伎の役者は、ま
ず、役柄の定式に合わせて、役作りをし、家代々の役者や先輩役者の積み重ねて来た
「型」をベースにして、さらに工夫をする。そういうコンセンサスがあるから、ベテ
ランの役者は、藝のベースと新たな工夫を組み合わせて、登場人物を演じる。それぞ
れを任に合わせて、演じられる配役となれば、自ずから、バランスがとれるという仕
組みになっている。

特に、松緑の科白廻しが、まだまだという感じの上、アンサンブルの演技も、いまひ
とつで、残念だった。


さて、舞踊劇についての役者評を、昼と夜をまとめて簡潔に書く。「月宴紅葉繍」
の、業平の梅玉、魁春の小町。「寿梅鉢萬歳」の、藤十郎の萬歳。「猩々」の、ふた
りの猩々の梅玉、松緑、酒売の芝雀。「鐘ヶ岬」の、清姫の芝翫、「うかれ坊主」
の、願人坊主の富十郎。7人の役者が、踊りを披露した。人間国宝の芝翫、富十郎、
藤十郎の可憐、軽妙を裏打ちする藝容の奥深さ、広さ。特に、裸に近い願人坊主が、
ユーモラスな振りで、ジェスチャーのようにさまざまな人物を描いて行く踊り。チョ
ボクレと「まぜこぜ踊り」。緩怠するところがない。達者な富十郎の当り役。洒脱、
滑稽さ、リアルな描写、緩急自在な所作、いずれも、まさに、名人芸の域。中堅の梅
玉、魁春、芝雀の堅実さ、安定さ。花形の松緑の若さ、勢い。
- 2010年10月1日(金) 17:50:42
10年09月新橋演舞場 (昼/「月宴紅葉繍」「沼津」「荒川の佐吉」「寿梅鉢萬
歳」)


9月の新橋演舞場は、「秀山祭」ということで、播磨屋の先代の藝伝承の舞台。10
月の国立劇場は、播磨屋の真山歌舞伎の磨き直しの舞台、とでも言えば良いか。現在
の歌舞伎界のなかで、科白廻しが楽しめる数少ない役者が、吉右衛門、播磨屋二代
目。今回の劇評は、昼の部、夜の部という「仕切り」に拘らずに、書きたい。

一つのテーマは、吉右衛門の科白廻し。吉右衛門を軸に昼夜通しで、科白廻しについ
て書いてみたい。具体的には、昼の部の「沼津」を中心に吉右衛門、仁左衛門の科白
廻しの味わいと松緑の科白廻しの違いなど。「荒川の佐吉」は、仁左衛門で、3回
目。チンピラの成長の物語と子育てという時間軸の異なる物語の「接ぎ木」構造。吉
右衛門は、幡随院長兵衛が、原像か。舞踊劇の紹介は、それぞれするが、役者評など
は、5つまとめて夜の部の劇評で書きたい。

「月宴紅葉繍(つきのうたげもみじのいろどり)」は、初見。1827(文政10)
年、江戸市村座で、初演された。元々は、三変化舞踊「月雪花蒔絵(つきゆきはなま
きえ)の卮(さかずき)」で、「月」は、「月の巻」、「業平吾妻鑑」、「月宴紅葉
繍」。「雪」は、「納豆売」。「花」は、「茶摘娘」。このうち、「茶摘娘」は、伝
承されていない。「月宴紅葉繍」は、戦後では、1955(昭和30)年、歌舞伎座
で上演。足利将軍義政らが登場した。これを平安時代に移し、登場人物も、在原業
平・小野小町のカップルとしたのが、今回の「月宴紅葉繍」で、初演。業平(梅
玉)、小町(魁春)の高砂屋・加賀屋の兄弟。

「伊賀越道中双六〜沼津〜」は、基本的に敵(かたき)討ちの物語で、生き別れのま
まの家族が、知らず知らずに敵と味方に分かれているという悲劇だが、それよりも、
伏流として、行方の判らなかった実の親子の出会いと、親子の名乗りの直後の死別、
その父と子の情愛(特に、父親の情が濃い)という場面があり、これが、時空を超え
て、いまも、観客の胸に迫って来る演目である。ベースとなる敵討ちは、史実にあ
る、日本三大敵討ちの一つと言われる、荒木又右衛門の「伊賀上野鍵屋辻の仇(あ
だ)討」のことである。1783(天明3)年、大坂竹本座での初演。近松半二の最
後の作品。伊賀上野の仇(あだ)討」を軸に、東海道を「双六」のように、西へ西へ
と旅をするので、こういう外題となった。

私は、歌舞伎で、4回。人形浄瑠璃で、1回、拝見。歌舞伎も、国立劇場での通しで
上演は、1回。その他は、「沼津」だけの、みどり上演。

今回の劇評は、1)人形浄瑠璃と歌舞伎。2)通しとみどりという、上演形式の違
い。3)吉右衛門の科白廻し。という構成で論じたい。

1)歌舞伎では、大道具の展開や主要人物が、「東の歩み」という通路(本舞台か
ら、階段を下りて、客席の間を歩く)を通って、捨て科白(アドリブ)で、観客席に
愛嬌を振りまいているという見せ場に気を取られている間に、本舞台では、廻り舞台
ではない形で、いわゆる「居処替わり」をしてしまう、という演出に、特徴がある。

人形浄瑠璃では、定式幕が開幕すると、舞台全面を被う浅葱幕。宿場のにぎわいを説
明する竹本の置浄瑠璃だけを聞かせた後、幕の振り落としとなる。沼津の立場は、中
央に富士山と松林。下手に「ぬま津」という道標が立っている。十兵衛と荷物持の安
兵衛、年寄りの人足・平作と登場人物は、極めて、シンプル。「居処替わり」(廻り
舞台を使わないで、場面展開する)の演出も、興味深い。荷物を平作に頼んで、ふた
りで、道中を歩み行く(ただし、闊達に歩むのは、十兵衛だけで、天秤にした荷物を
担いだ平作は、よろよろ、もたもたと歩く)というなかで、舞台の背景のうち、松並
木の松などが、次々に下手に引っ張られる(引き道具)というだけで場面展開、こち
らも、シンプル。

2)もともと、人形浄瑠璃として大坂竹本座で初演された丸本時代物の演目だが、脇
筋の「沼津」は、時代物のなかの世話物で、最近では本編が上演されず、この脇の世
話場の「沼津」だけが、「みどり」の形式で、上演される。「みどり」「通し」とい
うキーワードを簡単に説明すると、次のようになる。

通し:原作の全体像に近づくように、幾つもの場面を上演する。
みどり:見せ場の一幕(一場面)のみを上演する。

では、通しでは、どういう構成かというと、

序幕。「鎌倉和田行家屋敷の場」では、沢井股五郎による和田行家殺しがある。沢井
は、行家を殺して、和田家の家宝の刀「正宗」を盗み出して、逐電してしまう。和田
家嫡男の志津馬が、この股五郎を追い掛け、仇討を果たすまでが、「伊賀越道中双
六」のメインストーリー。股五郎逐電の際、股五郎は、志津馬の脚に斬り付け、怪我
を負わせる。沢井も行家に眉間に傷を付けられる。

二幕目。第一場「大和郡山唐木政右衛門屋敷の場」では、志津馬の敵討ちに助太刀す
るため、政右衛門は、不義密通で結婚し、和田家から絶縁されている志津馬の姉で、
内縁の妻のお谷と離縁をし、改めて、お谷の義妹にあたる、7歳のおのちと形ばかり
の再婚をし、正式に志津馬の妹の夫という立場になる話。内縁では、藩主から敵討ち
の許可が降りないだろうという配慮なのだが、それが、妻のお谷にも、夫婦の後見人
である郡山藩の重臣・宇佐美五右衛門翁にも、唐木家家臣の石留武助にも、知らせな
いまま、いきなり、花嫁の御入来、そして、祝言となるから関係者は、歎いたり、
怒ったりする。まあ、そこが、この芝居の趣向で、幼い花嫁は、盃の取り交わしの後
に、饅頭を欲しがり、花婿と饅頭をふたつに分け合って食べる場面があり(だから、
この場面の通称は、「饅頭娘」という)、まるで、「帯屋」の「お半長右衛門」の
カップルのように見える。この辺りも、上方味で、楽しめる。

第二場「大和郡山誉田家城中の場」、通称「奉書試合」では、郡山藩主・誉田大内記
の前で、宇佐美五右衛門の推挙を受けた唐木政右衛門が、誉田家剣術指南番の桜田林
左衛門との御前試合に臨む。銀地に家紋の襖。銀地に山水画の衝立。奉書のある床の
間には、「春日大明神」「天照皇大神」「正八幡大武神」の掛け軸が飾ってあった。
武ばった場面である。次に、くだける世話場を前に、精一杯、武ばっているのだろ
う。

政右衛門は、ここでも、わざと林左衛門に負けて、郡山藩から自由の身になり、志津
馬の敵討ちに助成しやすい立場にしようと企んでいる。しかし、名君誉田大内記は、
御前試合で、わざと負けた政右衛門を不忠者として、成敗しようとするが、素手と奉
書で立ち会いながら、殿に神蔭流の奥義を伝授する政右衛門の対応に感じ入り、「首
尾よう本望」を遂げるように励ます。政右衛門と大内記との知恵競べの場面。つま
り、序幕、二幕目は、敵討ちへの伏線の説明。

三幕目「沼津」。銀地の襖と裃という、「時代」から、一転して、くだけた「世話」
場で、上方味の科白のやりとりで、客席を和ませる。志津馬の仇の沢井家に出入りし
ている商人・呉服屋十兵衛と怪我をした志津馬を介抱する、かつての傾城・瀬川こ
と、お米の父親・雲助の平作が、たっぷり、上方歌舞伎を演じてくれる。「通し」で
は、筋立てを見せてくれるが、「みどり」では、そういう筋立てが、判らなくても、
芝居として成立するように見せなければならない。

十兵衛は、実は、養子に出した平作の息子の平三郎ということだが、前半は、小金を
持った旅の途中の商人としがない雲助(荷物持ち)という関係で、途中から、親子だ
と言うことが判っても、「敵同士の関係」ということから、お互いに、親子の名乗り
が出来ないまま、芝居が、進行する。行方の判らなかった実の親子の出会いと、親子
の名乗りをした直後の死別(自害)、その父と子の情愛(特に、父親の情が濃い)と
いう場面では、平作役者は、娘の恋人・志津馬のために、仇の股五郎の居所を聞き出
すために、己の命を懸けてまで、誠実であろうとする。

十兵衛は、そういう命を懸けた平作の行為に父親の娘への情愛を悟り(自分の妹への
情愛も自覚し)、沢井家に出入りする商人でありながら、薮陰にいる妹のお米らにも
聞こえるように股五郎の行く先を教える。死に行く父親に笠を差しかけながら息子
は、きっぱりと言う。「落ち着く先は、九州相良」。

最後は、親子の情愛が勝り、「親子一世の逢い初めの逢い納め」で、親子の名乗り。
父は死に、兄は渡世を裏切り、妹は兄に詫びる。3人合掌のうちに、幕。「七十に
なって雲助が、肩にかなわぬ重荷を持」ったが故に、別れ別れだった親子の名乗り。
古風な人情噺の大団円。

この平作役者が、昨今の歌舞伎界では、実は、人材不足である。私が観た平作は、富
十郎、勘九郎時代の勘三郎、我當、そして、今回は、歌六。去年の巡業で初演してい
るが、本興行では、初めて。曾祖父の三代目歌六に因む役を、屋号を「萬屋」から、
本来の「播磨屋」に戻して、老人の腰つき、足取りなど、細かな藝を積み重ねるよう
にしながら、歌六は、熱演していたが、「熱演ぶり」が、ややオーバー気味という辺
りが、この役の難しいところ。人形浄瑠璃の人形の動きを意識していると見受けられ
たが、その辺りは、逆に三代目の味わいを引き継いでいるのかもしれない。私が観た
平作役者では勘三郎が、印象に残る巧さだった。

途中で、吉右衛門の仕切りで、「劇中口上」があった。吉右衛門(十兵衛)を軸に、
上手に歌六(平作)、下手に向かって歌昇(安兵衛)、芝雀(お米)という並び。歌
六は、「播磨屋→萬屋→播磨屋」という経緯を説明。芝雀が、祝いのことば、吉右衛
門は、仕切りとまとめ。芝居の進行中、歌六、歌昇の出など、節目ごとに「播磨屋
あ」という掛け声が、大向うから掛かる。

折角だから、大詰も紹介。「伊賀上野城下口の場」。鍵屋の辻である。舞台中央に石
の道標。「ひだり うえの」「みぎ いせミち」と彫り込んである。舞台上手から現
れた政右衛門、志津馬らが、股五郎一行を待ち受けるため、茶屋のなかに隠れる。暫
くすると、花道を通って、女乗物(駕篭)の一行が、やって来る。女乗物にカモフ
ラージュした駕篭には、実は、股五郎が乗っていた。そこへ、志津馬らが、名乗りを
上げて、敵討ちとなり、助太刀の政右衛門は、やがて、二刀流になり、股五郎一行の
供侍を次々に、斬り倒して行く。逃げる股五郎。追う志津馬。

舞台は、廻る。「伊賀上野馬場先の場」。股五郎と志津馬の一騎討ち。なかなか、勝
負が付かない。供侍たちを斬り捨てて、追い付いて来た政右衛門が、志津馬を励ます
うちに、「かくなるうえは、やぶれかぶれだ」と股五郎。志津馬が、股五郎を討ち取
り、「これにて、本懐、めでたい、めでたい」で、幕。

「みどり」上演では、こういう前後の筋立てに挟まれながら、「沼津」を演じ、いわ
ば、過去も、未来も滲ませながら、現在(「沼津」の場面)を観客に堪能させなけれ
ばならない。

3)その観客を堪能させる一つの方法が、吉右衛門の場合は、初代譲りの科白廻しだ
ろう。吉右衛門の科白廻しは、現在に歌舞伎役者の中で、特徴がある。重々しい声、
独特の息のつき方が、思い入れをたっぷりしも込ませて、「名調子」と呼ばれる科白
廻しになっている。初代の科白廻しを研究し、少しでも、似せようとしているのだろ
う。時代物の中の世話物である「沼津」最大の見せ場、聞かせどころでは、「落ち着
く先は、九州相良あー」。大向うから「名調子」という声が掛かっていた。吉右衛門
の場合、声だけ聞いていても、「ああ、吉右衛門だな」と判る辺りが、この人の魅力
である。仁左衛門の科白廻しは、吉右衛門のような「名調子」とは、また、味わいが
違う。「荒川の佐吉」は、世話物の新作歌舞伎の科白廻し。「時代世話」とも、違う
し、播磨屋調の初代二代の科白廻しとも違うが、これはこれで、堅気の大工からやく
ざの親分に成長して行く男の、颯爽としていて、それでいて、辛い「子別れ」を踏ま
えて、新しい世界へ旅立って行く男の気持ちを表現する、気持ちのよい科白廻しだ。
例えば、「俺が、育てた卯之吉でえー。嫌だ、嫌だあー」、「そりゃ、おめえー。別
れたくねえなあー」など。

これに対して、夜の部の「引窓」の松緑の科白廻しは、やたら声が大きすぎて、うる
さい感じがした。逃亡者の長五郎の心境を考えれば、もうちょっと、抑制感を出すよ
うな科白廻しの方が、良いのではなかったか。松緑の課題だろう。


真山青果原作の「荒川の佐吉」は、1932(昭和7)年、初演の新作歌舞伎であ
る。十五代目羽左衛門に依頼されて書いたという。本外題は、「江戸絵両国八景〜荒
川の佐吉〜」で、全八景を両国界隈の名所に見立てている。

私は、5回目の拝見。このうち、3回は、今回同様、仁左衛門の佐吉である。最初に
観たのは、95年7月の歌舞伎座で、佐吉は、猿之助であった。いまも、印象に残
る。2回目は、98年8月の歌舞伎座で、勘九郎時代の勘三郎。3回目以降は、今回
まで、連続して、仁左衛門である。初めて仁左衛門で観たときは、江戸の庶民を仁左
衛門が、どう演じるかが、愉しみであった(仁左衛門は、孝夫時代に4回、佐吉を演
じていて、彼の当り役のひとつである)。仁左衛門の佐吉は、爽やかで見応えがあっ
た。上方、江戸の区別を吹き飛ばしていた。今では、こだわりなく仁左衛門佐吉を楽
しんでいる。

今回のほかの配役。政五郎(吉右衛門)、辰五郎(染五郎)、郷右衛門(歌六)、仁
兵衛(段四郎)、お新(福助)、お八重(孝太郎)など。政五郎では、勘九郎時代の
勘三郎を相手に、新国劇出身の島田正吾が貫禄充分に演じていて、味があったが、初
期から、歌舞伎上演と同時に新国劇でも上演された経緯のある出し物だから、そうい
う融通性を最初から持っていた演目である。政五郎は、登場の仕方も、駕篭に乗って
姿を見せるなど、幡随院長兵衛を意識した人物造形になっているので、なにより、貫
禄が要求される。

序幕「江戸両国橋付近出茶屋岡もとの前」では、江戸の両国橋の両国側の喧噪を描
く。街の悪役が、田舎者の親子連れに難癖をつける。地元のやくざの親分鐘馗の仁兵
衛(段四郎)の三下奴・佐吉(仁左衛門)が、義侠心を出す場面で、後の伏線とな
る。

ある意味では、この物語は、ふたつの「成長の物語」が、接ぎ木のように重ねられて
いる。まず、ひとつは、三下奴の成長の物語なのだ。

第二幕・第一場「本所清水町辺の仁兵衛の家」。郷右衛門(歌六)に縄張りを奪われ
た仁兵衛は、一家も解散し、娘のお八重(孝太郎)らとともに、裏長屋で閉塞してい
る。長屋を巡る溝が雰囲気を出す。鬱陶しい雨の日である。甲州の使いから戻った佐
吉が訪ねて来る。佐吉は、早速親分の生活を助けようとする。

第二幕・第二場「法恩寺橋畔」というシンプルな場面は、いつ観ても、印象的だ。佐
吉は、お八重の姉・お新が生んだ盲目の赤子・卯之吉を寝かし付けようと橋の辺りを
歩いている。舞台中央に据えられた法恩寺橋には、人ッ子ひとりいない。橋の下手袂
に、柳の木が、一本。上空には、貧しい街並を照らす月があるばかり。「月天心貧し
き町を通りけり」そのまま。

佐吉のひとり芝居の場面。これが、「荒川の佐吉」を初めて観た猿之助のときから印
象に残っている。やがて、稲荷鮨売りが、「おいなりさーあん」と売り声を繰り返し
ながら、後ろ姿のまま橋で佐吉とすれ違う。今回の稲荷鮨売りも、松四朗。この後ろ
姿に哀愁がある。松四朗は、これだけの登場だが、後ろ姿と売り声に、役者根性滲み
出ている。稲荷鮨売りのほか、この場面では、いかさま博打が発覚して親分が殺され
たことを佐吉に知らせに来るかつての兄貴分で、いまは郷右衛門の身内になっている
極楽徳兵衛(高麗蔵)が出て来る。それだけの登場人物でしかないが、なぜか、印象
に残る。それは、多分、月が効果的だからなのだろう。

もうひとつの成長の物語が、この盲目の赤子・卯之吉の物語だ。佐吉は、6年間、義
理の息子・卯之吉を育て上げて行く。その過程で生まれた父親としての情愛、それに
佐吉本来の「男気のダンディズム」が絡む。大きくなった卯之吉が、見えない眼で
も、父親の帰りを逸早く悟り、「おとっちゃん、お帰り」とすり寄って行くと、仁左
衛門は、卯之吉を、ほんとうに愛おしそうに抱く場面が、何回かある。今回の卯之吉
役は、仁左衛門の長男孝太郎の息子・千之助が、演じる。つまり、仁左衛門の孫だ。
それだけに、祖父は、愛おしそうに孫を抱き寄せているようにも見える。しかし、卯
之吉を生みの親のお新(福助)に返さなければならなくなるエピソードも挟まれる。

芝居本来の義理の親子の情愛も、その始まりが、「法恩寺橋畔」の場面なのである。
この場面自体は、人形を抱いているだけの、シンプルな場面で、どうということもな
いのだけれど、私には最初から気になる場面として印象づけられた。この短い場面を
観たくて、私は「荒川の佐吉」という2時間を超える芝居を観るような気がする。そ
れは、今回、5回目となる同じ場面を観ても変わらなかった。

第三幕・第二場「向島請地秋葉権現の辺」で、佐吉は、親分の仇を討ち、郷右衛門を
殺す。

第四幕・第一場「両国橋付近佐吉の家」。大川端(隅田川)両国橋付近に構えた佐吉
の新しい家。親分の縄張りも取り戻した。立派な家の上手、床の間に色紙を掛け軸に
直したものが飾られている。「敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」と書いて
ある。床の間の近くに置かれた大きな壺にも桜の木が差し込んである。桜から桜へ。

第四幕・第二場「長命寺前の堤」。この場面も、印象的。薄闇のなか、佐吉の登場。
曉闇から、夜が明けて行く。大川端の遠見。双子の山頂の筑波山が見える。堤には、
6本の桜木。すっかり明け切る。この夜明けの光量の変化の場面が、実に美しい。お
八重との再会。政五郎の見送り。辰五郎も背負った卯之吉を連れて見送り。草鞋を履
き、江戸を離れ、遠国へ旅立つ佐吉へ餞の言葉を述べる政五郎の台詞に「朝日に匂ふ
山桜花」が出て来て、前の場の舞台の設えが、この台詞のための伏線になっているこ
とが判るという趣向。散り掛かる桜の花びらのなかで、卯之吉を抱きしめ、遠ざかる
佐吉を泣きながら見送る辰五郎(染五郎)の台詞。「やけに散りやがる桜だなあ」
で、幕。

仁左衛門は、颯爽としながら、次々と男が磨かれて行く佐吉の姿を丁寧に演じた。

「寿梅鉢萬歳」は、初見。人形浄瑠璃の変化(へんげ)舞踊の形式が取り入れられ
て、「景事(けいごと)」という作品群が生まれた。音楽的で、舞踊の要素が軸とな
る。1809(文化6)年、人形浄瑠璃の演目として、初演されたのが、四変化舞踊
「花競四季寿」で、春が、「萬歳」、夏が、「海士」、秋が、「関寺小町」、冬が、
「鷺娘」であった。変化舞踊は、その後、一幕ものとして、独立したものが多い。こ
の「萬歳」も、そう。今回は、坂田藤十郎の定紋に因んで、「寿梅鉢萬歳」という外
題が、付けられた。門付の美しい娘萬歳の姿をあでやかに舞う。
- 2010年9月27日(月) 13:35:00
10年09月国立劇場 (人形浄瑠璃・第二部「勢州阿漕浦」「桂川連理柵」)


「勢州阿漕浦」は、初見。坂上田村麿が、逆賊・藤原千方を退治するという物語で、
1741(寛保元)年に大坂豊竹座で初演された時代物の「田村麿鈴鹿合戦」全五段
の四段目。浅田一鳥、豊田正蔵の合作。「阿漕浦の段」「平治住家の段」が、上演さ
れた。この芝居は、現代的に言えば、ふたりのスパイの物語。

スパイの対決:
「阿漕浦の段」では、「昔より神代の掟伝へ来て、その名も高き阿漕が浦。新たに殺
生禁断の高札改め番所を建て」ということで、伊勢神宮のご料地、阿漕浦の海辺、下
手に、「殺生禁断の高札」が立っている。人形遣の主遣いも、顔を隠している。阿漕
の平治という漁師が、病の母を往診してくれた医者を送って行く。医者は、「戴帽魚
(たいぼうぎょ・ヤガラ=アカヤガラ、アオヤガラという硬骨魚で、体長1メートル
の細長い魚)」を食べさせると恢復するという。阿漕浦にいる魚なので、平治は、こ
れを母に食べさせようと殺生禁断と知りながら、夜中に、密漁をする。もうひとり、
密漁者がいる。平瓦(ひらがわら)の治郎蔵。舞台下手に平治の舟。上手に治郎蔵の
舟。双方で、こっそり海上に舟を出し、投網をしている。

下手の平治の網には、魚の代わりに、剣(つるぎ)が、掛かる。上手の治郎蔵は、密
漁を装って、実は、この剣を探していた。剣は、「十握(とつか)の剣」という三種
の神器のひとつ。それだけに、平治に剣を取られてしまい、それを奪おうと、密漁取
り締まりの合図の拍子木を打ち出す。逃げて、下手の海岸に乗り上げた平治。それを
追って、中央の浅瀬で、舟を降り、平治を追いかける治郎蔵。やがて、浜辺で、ふた
りは、立ち回りとなる。この際、平治は、治郎蔵に身につけていた簑と笠を奪われて
しまう。笠の内側には、「平治」という名前が、明記されている。これが、後の禍い
を生むことになる。

「平治住家の段」。床が回転し、竹本は、住大夫に変わる。人形遣の主遣いも、顔を
見せる。平治は、玉女。治郎蔵は、玉也。

探索:
まず、地域の責任者の庄屋が、平治のところに探りに来る。「平治」という名前が明
記された笠が、密漁現場に落ちていたと告げる。知らぬことと否認する平治。平治
は、お春と所帯を持っている。お春は、実は、田村麿の息女・春姫。ふたりの間に
は、長男がいるし、平治の母は、病んでいる。

庄屋がいなくなると、平治は、お春には、真相を告げる。さらに、藤原千方、いま
は、隠者周翁と名乗り、天下を握ろうと、桓武天皇の三種の神器を奪ったのだが、途
中で、海に落としてしまった「十握の剣」を、平治は、思いがけずも、密漁中に、見
つけたので、三種の神器のうち、二種を奪い返し、「十握の剣」を探している義父の
田村麿に届けて欲しいと依頼する。

平治は、実は、田村麿の近侍の桂平治清房で、春姫と恋に落ちたことから、実父に勘
当され、父の死後、病気の母と春姫を連れて、この地に隠れ住んでいたのであった。
つまり、平治は、田村麿派のスパイであった。

真相:
さらに、平瓦の治郎蔵が、自分で「十握の剣」を奪いにやって来た。治郎蔵は、平治
の息子に刀を突きつけて、剣を寄越せと平治に迫る。平治は、真相や自分の身許を明
かし、田村麿派のスパイであると告白する。治郎蔵と一緒に来て、隠れて、話を聞い
ていた庄屋が、注進する駆け出す。それに気づいた治郎蔵は、庄屋の首を討つ。庄屋
の人形は、下駄履いたまま仰向けに倒れる。

治郎蔵は、実は、桂平治方の家来筋にあたる中川宇内で、田村麿のために剣を探し
て、阿漕浦で、夜の密漁を続けていたということで、こちらも、田村麿派のスパイで
あったことが、判る。つまり、同じ陣営のスパイたちが、剣を求めていて、互いの真
の身許を知らないまま、対決していたのだった。

身替わり:
平治を召し捕りに代官が、やって来た。笠に明記された「平治」を証拠にと、詰め寄
る代官。病気の母も、妻子も棄てて、お縄につく覚悟をする平治。しかし、治郎蔵
が、笠の持ち主は、自分だと申し出る。「平治」は、「平」瓦の「治」郎蔵という、
符丁なのだというのが、治郎蔵の言い分だ。代官は、「互いに科を名乗つて出で、死
を争ふは義理ある中、汝らはこりや主従ぢやな」と鋭く見抜きながら、「代官それと
悟れども、忠臣を感じてや」治郎蔵に縄を掛けて、連れて行く。同じ田村麿派のスパ
イ同士、しかも、治郎蔵にとって、平治は、「古主の若殿」であってみれば、自分の
判断ミスで若君を窮地に立たせてしまったことから、このまま陥れさせる訳にも行か
ず、スパイとしての失策挽回のためにも、ここは、堂々と、身替わりを申し出たとい
うことだろう。非常に判り易い演目であった。


「桂川連理柵」は、大人で、物わかりの良い妻と中年のダメ男の夫というカップル
に、小悪魔の、ぴちぴちした娘、阿呆な丁稚がからむ「四角関係」の物語とでも、言
えば、判り易いかもしれない。

1761(宝暦11)年に、京都の桂川に流れ着いた50男と10代後半の娘の遺体
という実際の出来事をもとに、人形浄瑠璃や歌舞伎が作られた。江戸期のワイド
ショーに登場するように、舞台で案じられた男女関係の「連理」と家庭環境の「柵」
から引き起こされた恋愛悲劇。原作者は、お染・久松もので知られる菅専助。177
6(安永5)年、大坂の豊竹此吉座の人形浄瑠璃が、初演だ。

2000年2月歌舞伎座で、「帯屋」のみの舞台を一度観たことがある。歌舞伎で
は、40歳の中年男(と言うより当時なら初老の歳だろう)と若い女性の悲恋の物語
という設定で、丁半博打のような、ネーミングの、娘・お半と丁稚・長吉のふた役を
当時の鴈治郎、いまの坂田藤十郎が演じていて、藤十郎の芸域の広さを見せつけた芝
居であった。小悪魔のような少女と阿呆の丁稚は、主役が、ふた役で演じるほどにお
もしろくて、重要な、という意味の、キーパーソンであることを見逃してはならな
い。

この時の配役は、鴈治郎のほかは、帯屋の養子・長右衛門は、吉右衛門であった。養
父・繁斎は、今は亡き又五郎。繁斎の後妻に入った下女上がりの養母・おとせは、竹
三郎で、その連れ子の義兵衛が、坂東吉弥という、いぶし銀のごとき、贅沢な脇役勢
であった。後妻の母子ふたりは長右衛門を虐めて追い出し、帯屋を自分たちのものに
したいと、思っている。

さて、人形浄瑠璃では、役者より、人形であり、竹本の語りである。今回は、「石部
宿屋の段」「六角堂の段」「帯屋の段」「道行朧の桂川」という構成で見せてくれ
る。歌舞伎では、「帯屋」しか観ていないだけに、愉しみである。

「石部宿屋の段」では、まず、宿屋の場面に入る目に、街道筋の件(くだり)があ
る。京都の一つ手前の石部宿。黄色い稲穂が重たい田圃の風景、間に、緑の松が見え
る。松並木の街道。主遣いは、顔を隠して、人形を操るが、お半の人形の動きは、若
い娘らしく、細やかで、柔軟で、さすが、簑助と知れる。京都では、隣家同士の帯屋
の養子・長右衛門と信濃屋の娘・お半が、それぞれの旅先からの戻り道で、偶然出会
う。遠州の商用からの戻る途中の長右衛門は、一人旅。伊勢参りからの帰りのお半
は、下女下男がついて来ている。このうち、丁稚の長吉に嫌らしいことを言われ、迫
られ続けて、嫌気がさしていると、お半は、訴える。

竹本の太夫は、三輪大夫。ツレが、芳穂大夫。ツレの大夫は、ここで、姿を消す。

野遠見の幕が上がると、宿の出刃屋の場面。宿屋には、「伊勢講中」「月参講中」
「足利組」「浪花講」「豊稲荷講中」などと、団体客の一行名を書いた札が下がって
いる。宿が一緒になったことで、お半と長右衛門の、後の悲劇が、生まれる。長吉
が、部屋でも、お半に嫌らしいことをしようとするので、お半は、長右衛門の独り寝
の部屋に避難して来る。14歳の幼子と油断して、同衾した長右衛門は、ふらふら
と、お半とセックスをしてしまう。そのありさまをお半を探しに来た長吉に覗き見ら
れてしまう。

「石部宿屋の段」は、1968(昭和43)年に190年ぶりに復活された。国立劇
場では、1976(昭和51)年の上演以来というから、今回は、34年ぶりの上演
である。

贅言:早立ちの宿屋の風俗がおもしろい。朝飯を茶漬けにしてかっ込んでは、旅立っ
て行く。

「六角堂の段」では、長右衛門の妻のお絹が、夫の不始末の後処理に知恵を巡らす。
義兄である長右衛門の不始末を利用して、父親の後妻の連れ子で、義弟の儀兵衛が、
長右衛門の追い落としを図ろうとしているのを知ったからだ。儀兵衛とその母親のお
とせの思惑通りにさせてしまえば、長右衛門とともに、夫婦連れということで、自分
も、追い出されかねないという事情もあるだろうが、儀兵衛は、色も欲もということ
で、お家乗っ取りとあわせて、お絹にも関係を迫ってきているのであるから、余計、
何とかせねばならないと思っている。お絹は、頭の良い、大人の女である上に、大局
観がある。大所高所からの判断が、的確だ。

お絹は、夫婦和合の願いを込めて、お百度を踏んでいる。店の使いで通りかかった長
吉を呼び止め、お半のことを聞き出す。お半と夫婦になりたいのならと、知恵を授
け、石部の宿の出来事は、お半と長右衛門ではなく、長吉とであったと言いふらせ
ば、必ず、お半と夫婦になれると諭す。さらに、ふたりで暮らせる準備ができるよう
にと、支度の金を渡す。すっかり、その気になる長吉。竹本は、文字久大夫。

そういういくつかの、伏流があって、舞台は、「帯屋の段」へ、奔流となって流れ込
む。典型的な、人形浄瑠璃の作劇術だと思う。帯屋の場面は、歌舞伎も人形浄瑠璃
も、同じだ。この段の「切」を語るのは、嶋大夫。

店の金の行方不明と隣家の娘との不倫を盾に長右衛門を攻める儀兵衛とその母親のお
とせ。ふたりの切り札は、お半が書いた「長様参る」という手紙。キーパーソンは、
長吉だが、儀兵衛側の証人として呼び込んだ長吉は、「長様」とは、自分であり、お
半とは、夫婦になるのだと主張する。儀兵衛の戦略がつぶされる。お絹・長右衛門・
お半・長吉・お絹と輪になって、連関する「四角関係」を巧みに利用したお絹の作戦
勝ちの場面である。

金のことは、長右衛門が店の主人なのだから、どう使おうと主人の勝手という、いま
は、隠居している舅の裁断で、これも、決着。人形浄瑠璃では、この場面は、その後
の心中の、愁嘆場の場面を前にして、徹底的にチャリ場(笑劇)にしてしまう。その
笑いは、中途半端ではなく、おもしろい。人形ならではのパフォーマンスが、随所に
ある。竹本の嶋大夫の、「だみ声」と「大阪弁」のイントーネーションの語りが、
マッチして、濃密な時間が流れる。人形遣たちの動きも、メリハリがある。今月の国
立劇場小劇場・人形浄瑠璃公演の白眉の場面であったと、思う。

太夫が入れ替わって、「帯屋」の後半へ。「奥」は、千歳大夫が、しっとりと抑え気
味に語り出す。

疲れて、店先で寝てしまう長右衛門。隣家から忍んで来たお半。寝入りばなを起こさ
れた長右衛門は、お半との仲を思い切ると決意を語る。諭しを聞いた風でもあり、聞
かぬ風でもあり、意味ありげな様子で立ち去るお半の態度を不審に思った長右衛門
は、お半の後を追う。

お絹の良妻ぶりにも、息苦しい思いを抱く長右衛門は、いわば、下半身は、別人格と
いう、生活破綻者である。実は、長右衛門は、以前にも芸妓と心中未遂を図ったこと
がある体験者だけに、純愛を貫こうという意識もくすぶっている。こういう男の、こ
ういう性格は、もう「病気」ということだろう。先ほどの決意も、ものかわ、お半が
死のうとしていると察知してしまうと、自制が効かない。長右衛門は、結局、お半の
後を追いかけて行くことになる。お半は、そこまで、計算して、書き置きを残し、自
分の赤い鼻緒のついた下駄を帯屋の店先に脱ぎ捨てて、裸足で、姿を消してしまう。
前回観た歌舞伎では、ここで、幕となってしまった。

今回は、「帯屋の段」の後に、「道行朧の桂川の段」が、ある。「道行思案余(みち
ゆきしあんのほか)」という浄瑠璃で、道行の場面が演じられる。お半は、津駒大
夫。長右衛門文字久大夫。そのほか、全員で、5人の大夫の出演。三味線は、鶴澤寛
治。

浅黄幕が、三味線の合間の、柝の音で、振り落とされると、舞台は、薄闇の夜。下手
に「桂川」という柱が立っている。上手は、柳。正面奥の遠見は、山々迫る桂川の
体。

お半の主遣いは、簑助。長右衛門の主遣いは、勘十郎。ふたりとも肩衣を付けた裃姿
という正装で、生活破綻者の中年男と小悪魔の身重な少女の性愛の場面を重厚に演じ
て行く。14歳の幼妻・お半を背負った長右衛門。勘十郎の顔の後ろに簑助の顔。

長右衛門は、せめてお半とお腹の子だけでも助けたいとお半を諭すが、小さい時から
隣家の養子の年上の長右衛門を慕って来たのだから、一緒に、死なせてくれと思いを
ぶつけて来る。律儀で分別もあるという長右衛門の上半身と生活破綻者の下半身と
は、分離している。さらに一度、体の関係を知ってしまったお半は、一途に男に慕情
をつのらせる。性愛の喜びを知った若い女性の匂うばかりの肢体が、ぷりぷりしてい
るような小悪魔の娘・お半。

ふたりを探す人々の提灯の灯りが、近づいて来る。

「見つけられじと足早に、転けつまろびつ、うしがせの、水上(みなかみ)へとぞ、
急ぎ往く」という竹本のことばと三味線の音に乗せられるように、ふたりは、蹌踉
と、桂川の水上へ飛び出して行く。

歌舞伎なら、附け打で盛り上げる場面だが、人形浄瑠璃では、足音を重複的に叩き出
して附け打と同じ効果を上げているのが、判る。簑助は、お半の人形に後ろを向かせ
る際、「ハッツ」と掛け声を出して、右手を抜き出した。お半は、歌舞伎の女形な
ら、背中を逆海老に反ってみせるポーズをとった。下手に長右衛門、上手にお半。二
手に分かれて、それぞれ、絵面の静止にて、幕。
- 2010年9月11日(土) 20:26:46
10年09月国立劇場 (人形浄瑠璃・第一部「良弁杉由来」「鰯売戀曳網」)


第一部から人形浄瑠璃の舞台を見る場合、開演時間ぎりぎりに行ってはダメである。
三番叟の披露があるからだ。二人遣いの、古式に則った舞台を観ながら、特に、動く
人形の手足の先などを見ていると催眠術にかかったように、タイムスリップして行
く。


歌舞伎と人形浄瑠璃、人形浄瑠璃と歌舞伎、ということ


良い機会なので、今回の劇評では、「良弁杉由来」については、人形浄瑠璃から観た
歌舞伎を、「鰯売戀曳網」については、歌舞伎から観た人形浄瑠璃を、それぞれ論じ
てみたい。

「良弁杉由来」は、1887(明治20)年、大阪彦六座で、人形浄瑠璃として、初
演された。新作ながら、作者不詳の名作で、つまり、無名の座付き作者たちが、書き
上げ、竹本の太夫たちが、練り上げて、現在残されているような形で、洗練されて来
た作品だろう。この演目では、特に、豊竹山城少掾の名前が、残っている。私は、歌
舞伎では、4回拝見しているが、人形浄瑠璃では、初めて、拝見する。

私が観た歌舞伎の配役。
渚の方:芝翫(2)、坂田藤十郎、当時は、鴈治郎(2)。良弁僧正:仁左衛門
(2)、梅玉、菊五郎。

芝翫のときは、2回とも、「二月堂」だけであった。「二月堂」のみだと、幼児の行
方不明を訴える貼紙を見た途端、良弁僧正が、30年間探し求めていた母親との再会
の場面となり、立身出世した幼児のその後、つまり、良弁僧正と女乞食(実は、実
母・渚の方)の出会いで、めでたしめでたしだけが、強調されてしまい、舞台が平板
になるが、そこは、歌舞伎の妙味が活かされる。その妙味とは、なにかが、今回の
テーマになるかもしれない。

坂田藤十郎、当時の鴈治郎は、2回とも、「志賀の里」、「物狂」、「二月堂」を通
しで観た。ただし、「物狂」、「二月堂」と間に、「東大寺」という場面を入れるの
演出があるが、私は、残念ながら、歌舞伎では、観ていない。今回は、私が観る初め
ての人形浄瑠璃であるし、さらに、「東大寺」の場面もあるので、楽しみである。歌
舞伎と人形浄瑠璃の違いを軸に、舞台の場面の順を追って、劇評をまとめてみたいと
思う。まず、歌舞伎のまとめをしておこう。

歌舞伎では、「二月堂」のみの、所謂「見取り」上演が、多いようだが、「志賀の
里」、「桜宮物狂」、「二月堂」と「通し」でも、観たことは、先に述べた。こちら
の方が、人形浄瑠璃の上演演出に近い。例えば、04年02月の歌舞伎座、01年1
1月の歌舞伎座の舞台。いずれも、渚の方は、当時の鴈治郎、いまの、坂田藤十郎が
演じた。鴈治郎は、太めの身体を小さく見せ、花道の出から、すでに、全身が老婆に
なっていた。

私が観た「二月堂」のみの上演では、芝翫が、渚の方を演じたが、老いた渚の方は、
芝翫の方が、鴈治郎より巧かった。芝翫の方が、同じ老婆ながら、「枯れ果てた老
婆」になっている。役者の「柄」による違いもある。

歌舞伎では、通しの場合、渚の方は、奥方・渚の方、物狂の渚の方、そして、老いた
渚の方、というように、三態を演じ、それを演じ分ける。老いた渚の方という印象で
は、鴈治郎(以下も、「良弁杉」の舞台については、「藤十郎」というより、当時の
まま「鴈治郎」という名前で論じたい)より芝翫の方が、いつまでも、印象に残る。
「二月堂」のみの上演では、老いた母の登場と高僧の親孝行の話という、いわば「一
枚の絵」で足りる印象の芝居になる。渚の方三態を見せる鴈治郎版は、物語の展開を
見せてくれるので、判りやすいのだが、その分、この芝居の本質である、親孝行話と
いう一枚の絵の持つインパクトが、弱まってしまうのだろうと思う。

芝翫の「二月堂」は、歌舞伎だけで、鴈治郎の通しの「良弁杉由来」は、ベクトル
が、歌舞伎から人形浄瑠璃に大きく触れて来る。この辺りは、後に述べる歌舞伎と人
形浄瑠璃の違いという論に繋がってくるので、改めて、取り上げたい。

まず、今回人形浄瑠璃の舞台を観て、改めて気がついたこと:鴈治郎は、01年と0
4年でも、「志賀の里」の場面は、変わらないが、「桜宮物狂い」の場面では、01
年と04年では、演出を変えている。01年は、桜が爛漫と咲く桜宮、子どもたちに
からかわれる狂女という演出で、物狂の渚の方に子どもをからませていた。04年
は、それがなくなって、その代わり、珍しく両花道を使って、翫雀の船人清兵衛と扇
雀の蝶々売おかんとのからみがあった。これは、今回、初めて、人形浄瑠璃の舞台を
観て判ったことだが、いずれも、本来の人形浄瑠璃の舞台では、どちらも含めて、演
じられていたのだ。歌舞伎は、上演時間の都合などで、部分的な趣向を生かしたり、
殺したりしていることが判る。省略と誇張が、歌舞伎役者にスポットを当てる歌舞伎
の演出方法で、物語に展開をきめ細かく、丁寧に演じるのが、人形浄瑠璃の演出方法
という辺りが、見え出して来た。

いよいよ、本論。「良弁杉由来」は、通し上演の場合、歌舞伎も人形浄瑠璃も、季節
感の変化、場の変化(各段に、具体的な地名が使われているのも、おもしろい)が、
愉しみな舞台である。「志賀の里」=初夏、「物狂」=春、そして、「東大寺」、
「二月堂」=30年後の盛夏。舞台の進行を追って行こう。

「宇治は茶どころ茶は縁どころ、宇治におとらぬ志賀の里」という竹本で、若緑の茶
畑が広がる野遠見で、開幕。無人の舞台に竹本の文句が、響く。親子の縁が、切らせ
れるという悲劇の開幕の文句は、皮肉だ。「志賀の里」は、基本的に、歌舞伎も人形
浄瑠璃も、演出は、変わらない。人形浄瑠璃の方が、強風で、酒宴の床几に掛けて
あった緋毛氈が吹き飛び、次いで、下手から大鷲(山鷲)が飛んで来て、光丸という
渚の方の嫡男を乳母の手元から奪い去り、天空高々と飛んで行く場面があり、歌舞伎
より迫力がある。顔を隠した一人遣いの人形遣が、宙吊りされた大鷲を下手から、引
きずって来て脚に光丸を引っ掛けると鷲は、放され、宙吊りのまま、上手の上空へ飛
んで行く。この場面、人形遣たちは、主遣いも、顔を隠している。

大阪の桜宮の花実の風俗の中で、展開される「桜宮物狂」では、人形浄瑠璃の場合、
花見客を目当ての花売娘やシャボン玉を売る吹玉屋が、桜並木を行き交う。やがて、
花見客に紛れきれない風体のおかしい老女が、桜の小枝を持ち、下手から、ヨロヨロ
と出て来る。あれから、30年、行方不明の光丸を探して、物狂いになってしまった
渚の方の姿だ。黒かった髪も、乱れた白髪となり、長々と延び放題になっている。紫
の鉢巻きを病巻きにしている。里の子らが、狂女を囃し立て手、虐めている。私が観
た歌舞伎では、風俗描写と里の子らの弱い者いじめを別々に演じていたが、大本は、
こういう場面だったということが、判る。「桜宮物狂」から、人形遣の主遣いたち
は、顔を隠していた衣装から、羽織袴に着替えて、顔も出す。

主な主遣いは、次の通り。渚の方は、文雀。雲弥坊は、勘壽。良弁僧正は、和生。

人形浄瑠璃の舞台では、下手、上手にそれぞれある小幕に挟まれた舞台は、川の設定
である。渚の方は、上手の柳の木のところで、川面に顔を映す。自分の惚けた姿を認
めて、ふと、正気付く。桜の小枝を川に棄て、もう片手で、柳の木を握り締める。紫
の鉢巻きを取り外し、「浅ましや」と呟く。故郷に帰ろうと思い、下手から川に乗り
出して来た乗り合い舟に乗せてもらう。船中で、乗り合わせた人たちの噂話が、聞こ
えて来る。「南都東大寺の良弁(ろうべん)僧正は、幼い頃、鷲にさらわれて来た」
というではないか。老女は、南都・奈良へ向かうことにする。この辺りは、歌舞伎で
は、省略している。今回の人形浄瑠璃で、初めて、観た場面だ。

「東大寺」は、書割のみの背景。奈良の東大寺を探し当てて来たけれど、大寺院を前
に萎縮してしまう。通りかかった伴僧に、事情を話し、手助けをしてもらおうと訴え
かけるが、乞食非人の格好では、物乞いと間違われてしまう。必死で、幼子が鷲にさ
らわれた30年前の出来事を訴えて、相談に乗ってもらう。上人の用で出かける途中
で、忙しいと言いながらも、相談に乗る伴僧の雲弥坊は、良弁杉に貼紙をするという
知恵を思いつき、訴えの内容も書いてやるという親切さ。ユーモアもあり、なかなか
の人柄の僧侶である。気持ちが、ほっとする場面だ。この場面も、今回初めて拝見。

桜宮から東大寺まで、渚の方の正気付き、船中の噂話で奈良を目指す、東大寺門前で
の貼紙作戦など、きめ細かい展開で、「二月堂」の場面への展開が、非常に良く判
る。歌舞伎の「通し」でも、判り難い部分が、人形浄瑠璃では、懇切に描かれている
ことが判る。

「二月堂」は、大団円の場面。30年、離ればなれになっていた母と子が再会を果た
すという話。高僧は、母を大事にした。そういう単純なストーリ−なので、歌舞伎で
は、役者の藝と風格で見せる舞台だ。軸となる良弁僧正役者が、風格で見せる場面
だ。さらに、この場面では、30数人という大勢の僧や法師らが、二月堂の階上から
連綿と登場する。それでいて、舞台では、ほとんど背景になっている。なんとも、贅
沢な役者の使い方をする芝居である。これが、歌舞伎の演出なのだ。役者の藝と数
で、勝負という訳だ。これに対して、今回の人形浄瑠璃では、どうだったか。

良弁僧正登場を前に、供たちが、次々と姿を見せる。供奴は、離れた場所から、毛槍
を投げあって、受け取りあって、という藝を見せて、観客席を沸かす。一人遣いのツ
メ人形の存在感を示す見せ場が続く。ああ、これの代わりが、歌舞伎では、着飾った
大勢の僧や法師らの連綿の行列という演出なのだと判る。僧正と老母との再会の場
面、輿に母を載せる場面などは、歌舞伎も人形浄瑠璃も、変わらない。

竹本は、「志賀の里」では、渚の方が、英大夫。「桜宮物狂」では、豊竹呂勢大夫
ら。「東大寺」では、英大夫。「二月堂」切では、綱大夫。

歌舞伎は、「二月堂」を軸となる渚の方の老女形が、良弁僧正の立役を相手に、藝と
風格を見せるという一点に向かって収斂して行くというのが、究極の姿だろう。これ
に対して、人形浄瑠璃は、渚の方という「女の一生」をドラマチックに、きめ細かく
描く歴史物語というのが、究極の姿だろう。

それを奥から支えるのが、竹本の語りであろう。人形浄瑠璃は、奥深く、歌舞伎は、
一枚の絵の平板さ、但し、豪華な錦絵という辺りが、この論を落としどころとなるだ
ろう。


歌舞伎から人形浄瑠璃へと、ベクトルが、逆になるのが、次の演目の「鰯売戀曳網」
である。三島由紀夫原作の新作歌舞伎。1954(昭和29)年11月、歌舞伎座
で、初演された。

私は、歌舞伎の「鰯売戀曳網」は4回観ている。いずれも、主役の猿源氏を演じるの
は、勘九郎時代から勘三郎で、相手役の傾城蛍火は、いずれも、玉三郎である。この
演目は、当初は、先代の勘三郎と六代目歌右衛門のコンビが上演されて来た。いずれ
も、絵に描いたような舞台だったろうと、思う。

1970年に血腥い事件を起こし、自害した作家の最期を思い出すすべもないほど、
それは、明るく、笑いのある恋物語である。名代の傾城に恋した鰯賣が、大名に扮し
て傾城のいる五條東洞院に繰り込むが、傾城は、実は、姫様で、かって御城下で聴い
た売り声の鰯賣に恋をしていたというメルヘンである。

幕が開くと、五條橋(「ごでうはし」と書いてある)の袂である。これは、歌舞伎
も、人形浄瑠璃も、変わらない。歌舞伎では、立役も女形も、人気役者の藝と風格
で、見せる。毎回、勘三郎が、鰯賣猿源氏を演じ、玉三郎が、傾城・螢火、実は、丹
鶴城の姫を演じる。当然のことながら、ふたりの手慣れた世界が出現する。歌舞伎仕
立てのお伽噺。目に愛嬌のある勘三郎と目に色気のある玉三郎のふたりが、それを肉
体化する。恋の成就で、めでたしめでたしで幕となるが、随所に笑いをこしらえる勘
三郎のキャラクターが、なんとも、良い。

人形浄瑠璃は、今回が、初めての上演なので、その辺りは、判らない。

今回の竹本は、「五条橋」の段、咲甫大夫。「東洞院」の段、咲大夫。人形遣は、猿
源氏は、勘十郎。蛍火は、清十郎。海老名なあみだぶつは、玉女ほか。

歌舞伎から人形浄瑠璃に直した場合、歌舞伎との違いを何で見せるのだろうか。

「五條橋」では、馬を商う博労の六郎左衛門と猿源氏の父の海老名なあみだぶつ、や
がて、恋煩いの猿源氏の登場と、序幕的な場面展開。馬の逆さ乗りを含めて、歌舞伎
同様に、チャリ場がある。次の、「東洞院」の座敷の場面へは、直接行かず、「東洞
院」の全景が描かれた道具幕の振り被せの後、無人で、竹本の置き浄瑠璃。「五條東
の洞院は、……時めく廓(さと)の見世構え、盛りの菊や紅葉(もみじば)の色増す
庭も華やげり」で、幕の振り落し。院内の座敷へ。貝合わせの遊びなど、以後、歌舞
伎と同じ展開。

こちらは、歌舞伎の方が、役者の魅力を見せられるのでおもしろいし、人形浄瑠璃の
物語展開のきめの細かさを出すためには、歌舞伎では、「省略」されている筈の、な
にか、付け加えが必要だろう。「良弁杉由来」で観たように、人形浄瑠璃から歌舞伎
へ「化ける」時は、何かを「省略」して、その余白を感じさせる。歌舞伎から人形浄
瑠璃へ「化ける」時は、何かを「付け加え」て、奥行きを深くさせる。この方程式
は、必ず、必要で、人形浄瑠璃から歌舞伎へ、歌舞伎から人形浄瑠璃へ、というの
は、ベクトルが変わるだけのことではないかと、思う。

人形浄瑠璃は、竹本の語りに拠る、物語の展開という基本的な性格があり、いわば、
いくつもの、細い伏流水を「伏線」として、エピソードを積み重ねて行く。そして、
いつか、それが、地面に顔を出し、太い本流となって観客席に流れ込んで来る、とい
うのが、私の人形浄瑠璃に対するイメージ。歌舞伎も、勿論、そういう演出をする演
目も多くあるが、「見取り」上演に象徴されるように、ゆったりと流れる本流だけ
を、錦絵のように、一気に、豪華に、絢爛に、観客席に披露するという演出も、多
い。こちらの方が、歌舞伎の本質的なものに直結している、というのが、私の歌舞伎
に対するイメージ。ならば、歌舞伎を人形浄瑠璃に「直す」場合、細い伏流水をいく
つか補う必要があるだろう。そういう意味で、次の文章は、興味深い。

国立劇場筋書の「『鰯売戀曳網』脚色・演出のことば 三島文楽―奇もなく衒いもな
く―」で織田紘二は、書いている。
織田が、三島に言う。
「『歌舞伎から義太夫に直すのは難しいですよね』と言ったことがある。その時は、
『〈忠臣蔵〉だって〈千本〉だって元々は義太夫だろう、その逆をやればいいんだか
ら簡単だよ』と、一蹴された。しかし取り掛かってみると事はそれほど簡単ではな
かった」。

「難しい」という織田の認識が、正しく、「簡単だよ」という三島の認識が、間違っ
ている。そう、「省略」と「付け加え」というのは、マイナスとプラスの作業で、
真っ向から、反対の労力を要求される作業だからだ。

そういう歌舞伎と人形浄瑠璃の根本的な本性を明らかにする演目選び、今月の国立劇
場小劇場の舞台は、そういう試みでもあったと、思う。
- 2010年9月11日(土) 6:44:33
10年08月新橋演舞場 (第三部/「東海道四谷怪談」)


「四谷怪談」は、3回目の拝見。初めて観たのが、2000年、歌舞伎座「八月納涼
歌舞伎」であった。次が、04年8月の歌舞伎座、そして、今回である。 

私が観た主な配役は、次の通り。
勘九郎時代の勘三郎は、お岩、小平、与茂七の3役。今回は、勘太郎が、この3役を
受け持つ。伊右衛門は、2回とも、橋之助。今回は、海老蔵。直助は、2回とも、三
津五郎(初めて観たときは、当時の八十助)。今回は、獅童。お袖は、2回とも、福
助。今回は、七之助。宅悦は、2回とも、弥十郎。今回は、市蔵。お梅は、芝のぶ、
七之助、今回は、新悟。お梅の祖父・伊藤喜兵衛が、亡くなった坂東吉弥、市蔵、今
回は、家橘など。

「東海道四谷怪談」は、江戸の中村座で、文政8(1825)年に初演されて以来、
ことしで185年になる。四世南北の代表作の輝きを永遠に失わない演目だろう。

序幕「浅草観世音額堂の場」では、タイムマシーンに乗ったように、江戸の風俗が目
の前に拡がって来る。舞台下手、「御休処」の屋根に掲げられた複数の絵馬や宝の字
が描かれた奉納額。参詣の男女が行き交う。上手には、「御楊枝」と書かれた提灯が
掲げられていて、お岩の妹のお袖(七之助)が、働いている。「藤八五文」の薬売の
直助(獅童)が、やって来る。客席の、ざわめきも消えている。そこは、江戸の空間
であり、ゆるりとした時間が流れはじめる。

「四谷怪談」上演の場合、毎回、客席は、始終暗いので、いつものような観察メモが
取れない。印象の残る場面のみの記録とならざるを得ない。観客席は、いわば、江戸
の闇のなかに潜んでいる。

これまで、勘三郎の「四谷怪談」では、2000年の劇評では、4点に絞って書き進
めた。

1)「場所の展開」では、「四谷怪談」の舞台が、「江戸」という武士の街の中心に
は入り込まず、周辺の大江戸と呼ばれる地域を、楕円のように、歪んだまま、左回り
に廻りながら、同心円状にスタート地点から川一つ隔てた地点にゴールするこの趣向
のおもしろさを指摘した。

2)「近代人の登場」では、民谷伊右衛門=「悪の個人主義者」。死霊になったお岩
=伊右衛門と同じ「悪の個人主義者」であり、二人とも、南北の分身であり、南北が
生んだ「双生児」と指摘した。

3)「役者の魂胆」では、役者の演技論。読み返してみると、2000年の印象と0
4年の印象は、大分違う。

4)「『空間』と『音』の工夫」では、南北劇の特色の一つ「空間」と「音」の使い
方の巧さについて、言及。

04年では、違った視点ながら、やはり、4点で論じた。テーマは、次の通り。

1)「藝神は、細部に宿る」。南北劇では、小道具が、重要な役割を担わ
されているなど。

2)「染五郎の舞台番『藤松』」。「三角屋敷の場」は、省略されて、「隠亡堀の
場」から、「蛇山庵室の場」に展開するが、そのつなぎとして、「舞台番」が登場す
るという演出法法を採っている。これは、名のある役者のひとり語りの場面で、いわ
ば、「ご馳走」というサービスの演出だ。

3)「役者評」。

4)「外連の演出など」。「外連」の演出は、「大詰」で、一気に花開く。まず、お
岩の出は、庵室の外に掲げられた提灯の名号が、燃えてから、その隙を狙うようにし
て、抜け出て来る。いわゆる「提灯抜け」という演出。壁に掛けた衣紋にぶら下が
り、それに引っ張られるように壁のなかに溶け込んで行くお岩。次は、井戸のなかか
ら「宙乗り」で足のないお岩が出て来て、本舞台を下から上へ移動して、再び、消え
てしまう。そして、昔の仲間、伊右衛門から金の代わりに、高師直の墨附を脅し取っ
て以来、鼠に頭などを齧られて困っていると訴えて来た秋山長兵衛は、お岩に祟ら
れ、仏壇のなかへ引き込まれるようにして殺されてしまう。いわゆる「仏壇返し」と
いう演出。このほか、三幕目「隠亡堀の場」での、小平とお岩の遺体が、戸板の裏表
に張り付けられている、いわゆる「戸板返し」という演出。

さて、今回は、どうしようか。
最大のポイントは、主役が、勘九郎(当代の勘三郎)から、長男の勘太郎に引き継が
れたということだ。勘三郎は、勘三郎襲名後は、歌舞伎座では、「四谷怪談」を演じ
ていない。コクーン歌舞伎でのみ、演じている。歌舞伎座の納涼歌舞伎は、勘九郎か
ら勘太郎に引き継がれ、勘太郎は、将来、勘九郎を襲名することが決まっているか
ら、「納涼歌舞伎」で、勘三郎が、「四谷怪談」を演じることは、ないのかもしれな
い。お岩は、勘九郎→勘太郎→次代の勘九郎で、受け継がれて行くのか。次いで、海
老蔵が、初役で演じる民谷伊右衛門が、どうかも、見どころ。そこで、今回は、ここ
に絞って論じてみたい。

幕末の初演時に、三代目菊五郎は、お岩、小平、与茂七の3役を早替りで演じた。勘
九郎時代の勘三郎も、疲れも見せずに、3役を熱演した。その太めの肉体を、フルに
生かして肉感的なお岩を演じていたと思う。勘太郎は、筋肉質の、細めであるから、
体感は、勘九郎のお岩とは、異なるが、薄暗闇で、声だけ聞いていると、勘太郎では
なく、勘九郎のイメージが浮き上がって来る。勘太郎は、父親の勘三郎に「手取り足
取り」で、指導を受けながら、今回は、兎に角、勘九郎時代の勘三郎を生き写しでき
れば、最高と思いながら、演じているのだろうということが良く判った。

私は、勘九郎時代の勘三郎のお岩と勘九郎をいずれ襲名する、勘九郎生き写しの勘太
郎しか観ていないので、エキスのすべては、勘九郎ということになるか。

従って、ほかの役者との比較などは、詳細には論じられないが、鏡に向かって、お歯
黒を塗る場面に象徴されるように、恐いはずのお岩なのに、太り肉の勘九郎の肉体で
は、お岩という存在の向こう側に太めの肉体が、透けて見え、滑稽味すら感じてしま
う。「恐い可笑しみ」。これは、今回は、勘太郎で、解消された。これは、勘太郎の
メリット。勘太郎は、熱演、熱演だが、科白が、絶叫調になる場面もあって、ちょっ
と、興ざめした。

雀右衛門、鴈治郎、玉三郎などの、お岩も観てみたい。勘九郎とは、ひと味もふた味
も違うお岩が見られるだろうが、鴈治郎が、お岩を演じたのは、17年前、93年6
月の京都南座、玉三郎が演じたのが、27年前、83年6月の歌舞伎座、雀右衛門が
演じたのは、実に、半世紀以上前、52年前、58年8月大阪中座で、まだ、大谷友
右衛門を名乗っていたと言うことでは、なかなか、望むべくもないかもしれない。ま
してや、歌右衛門や先代の勘三郎の往年の舞台は、なお、なお、適わない。映像でし
か観ることができない。歌右衛門や先代の勘三郎の、生の舞台を観た人たちから
は、勘九郎(当代の勘三郎)の「四谷怪談」は、お化け屋敷のようで、歌舞伎の味わ
いが乏しいという声も、時空を超えて、聞こえて来る。

海老蔵の民谷伊右衛門は、科白廻しが、歌舞伎になっていない。現代劇の科白廻し
だった。例えば、三幕目「砂村隠亡堀の場」では、直助とのやりとりで、「みんな、
手前(てめえ)のお仕込みだあ」の「お仕込み」が、「押し込み」に聞こえてしま
う。

海老蔵の場合、少なくとも、「四谷怪談」は、現代劇だった。歌舞伎の一部が、科白
廻しなどで、現代劇になっているというのは、海老蔵の舞台では、これまでにも、認
められたが、今回は、歌舞伎の一部が現代劇というのではなく、現代劇の一部が、歌
舞伎というメッキを施されているという印象なのだ。現代劇なのに、歌舞伎の大道
具、小道具が使われている、歌舞伎の定式が、ときどき、差し挟まれる、というの
が、正直な印象なのだ。特に、海老蔵は、大詰、第二場、「仇討の場」では、観客席
を向いて、観客に向けて、テレを表現するように、舌を出すなど、歌舞伎では、考え
られない演技をしていた。

総じて、6年前の花形歌舞伎で、当時の勘九郎を頭に置く「四谷怪談」は、今回の花
形歌舞伎では、勘太郎を頭に置き、客演・海老蔵という布陣で見せてくれたが、基本
に忠実な、一般家庭の子供たちが演じる「松尾塾子供歌舞伎」に比べても、考えさせ
られる「花形歌舞伎」に変じていたように思われる。「花形歌舞伎」は、15歳で完
結する「子供歌舞伎」と違って、いずれは、「大歌舞伎」を背負って行く役者の「通
過儀礼」であるならば、とりあえずは、基本に忠実に、あるいは、親や師匠の「藝」
に忠実に、代々の藝を学び、継承し、いずれは、それを踏み台にして、大きく飛躍を
する大歌舞伎の舞台で、花を開いてもらいたいと思う。

今回は、総じて、まだ、錬り切れていない段階で、舞台を観たようで、そういう不満
感は、残ってしまった。このところの上演時間は、3時間から4時間だが、こういう
演目は、是非、時間をたっぷりとって、国立劇場で上演して欲しい。「四谷怪談」の
国立劇場の上演は、39年前の、71年9月の先代勘三郎以来、途絶えている。この
時の上演時間は、5時間20分。

近い将来の国立劇場版「東海道四谷怪談」の上演を期待したい。ついては、お岩と伊
右衛門を玉三郎と仁左衛門で観たいと思うのは、私だけではないだろう。27年前の
83年6月歌舞伎座の舞台の再現(仁左衛門は、当時は、まだ、孝夫だった)。但
し、直助は、「三角屋敷の場」も含めて、三津五郎でお願いしたい(当時の直助は、
初代辰之助、三代目松緑追贈)。

このときこそ、当代では、究極の「四谷怪談」の世界が、時空を超えて、現代社会に
出現するに違いない。
- 2010年9月6日(月) 11:48:20
10年08月新橋演舞場 (第二部/「暗闇の丑松」「京鹿子娘道成寺」)


陰惨な連続殺人だが、新歌舞伎の名品

「暗闇の丑松」は、98年11月の歌舞伎座、02年7月の歌舞伎座、06年6月の
歌舞伎座、そして、今回と、4回目の拝見となる。

私が観た主な配役は、次の通り。
丑松:菊五郎、猿之助、幸四郎、今回は、橋之助。お米:福助(2)、笑也、今回
は、扇雀。四郎兵衛:段四郎(2)、彦三郎、今回は、弥十郎。お今:萬次郎、東蔵
(お熊とふた役)、秀太郎、今回は、福助。お熊:鐵之助、東蔵、鐵之助、今回は、
歌女之丞。祐次:八十助時代の三津五郎、歌六、染五郎、今回は、獅童。三吉:松
助、寿猿、錦吾、今回は、橘太郎。常松:家橘、猿十郎、友右衛門、今回は、松江。

「暗闇の丑松」は、長谷川伸が、講談の「天保六花撰」の人物「丑松」を新たな人物
像として造型して、軸に据えて1931(昭和6)年に雑誌に発表した戯曲である。
都合4人を殺し、妻を自殺に追いやるという、陰惨で、暗い殺人事件の話である。そ
れでも、雑誌を読んだ六代目菊五郎は、上演を熱望したという。雑誌発表から3年
後、六代目菊五郎は、東京劇場で初演した。配役は、料理人・丑松(菊五郎)、妻の
お米(男女蔵=後の、三代目左團次)ほかだが、脇役は、達者な役者が揃っていたら
しい。

思いつめた女の可憐さ、一本気な男の狂気に至る心情が描かれるが、この芝居の魅力
は、それだけではないだろう。大道具を含めて、演出は、菊五郎がしたのだろうか。
省略と抑制が効いた場面と大道具の妙。達者な脇役たちの演技。それが、この陰惨な
幕末の江戸の殺人事件劇を奥行きのある芝居に磨き上げたと思う。

古い資料を見ると、村上元三演出とある。ならば、村上の知恵か。菊五郎は、世話も
の得意の役者だけに過不足なく丑松を演じていた。猿之助は、外形的に熱演しすぎ
で、もう少し抑え気味の演技で、内面がにじみ出る方が、良かったのではないかと、
思った。幸四郎は、熱演で、この人は、いつものオーバーアクション気味ではある
が、今回は、内面的にオーバーアクションのようで、それが外面的に、滲み出てい
て、なかなか良かったと思う。菊五郎よりは、演じ方が、陰惨な気はするが……。さ
て、今回の橋之助だが、この人も、熱演派で、猿之助、幸四郎に連なるタイプ。

お米は、今回の扇雀より福助の方が、幸の薄い女性を演じて、存在感があた。扇雀
は、線が細い感じがした。四郎兵衛の弥十郎も、先に2回観た段四郎の方が、適役
だった。四郎兵衛女房・お今の秀太郎も、中年女の嫌らしい色気が滲み出ていた。秀
太郎は、お今のような役をやらせると、絶品である。福助は、こういう役は、秀太郎
の域に及ばない。
 
さて、暗闇で芝居は始まる。序幕「浅草鳥越の二階」。本舞台は、薄暗く、誰もいな
い。隣家の二階、斜め前の家の二階では、それぞれ男女が、うわさ話をしている。そ
ういう薄暗闇で蠢く科白で、いつしか舞台は進行して行く。陰惨で、暗い話らしい、
巧い幕開きだ。これは、毎回、感想は変わらない。

この芝居では、丑松は、都合4人を殺すのだが、殺人の現場を舞台では直接的に描か
ない。「本所相生町四郎兵衛の家」で、四郎兵衛(弥十郎)の妻・お今(福助)が、
丑松に殺される場面を除いて、いっさい、殺し場は、直接、観客には、見せない。影
絵のように描いた方が、陰惨さのリアリティを増すことができるという効果を知り尽
した知恵者が居たのだろう。

例えば、序幕「浅草鳥越の二階」では、お米(扇雀)の母親のお熊(歌女之丞)が、
丑松(橋之助)と別れさせようとして、お米を何度も折檻する場面は、見せるもの
の、階下で起こるお米の見張り役の浪人・潮止当四郎(市蔵)とお熊が、それぞれ丑
松に殺される場面は、音だけで表現する。

まず、お熊に頼まれて丑松を脅迫するため、二階にいた当四郎が、まず、階下に下り
ていって丑松に殺される。戻って来ない当四郎を不審に思い、階下に様子を見に行っ
たお熊も殺される。ふたりを殺して、蹌踉として二階に上がって来た丑松の出で、ふ
たりが殺されたことを観客に推量させるという、なんとも憎い演出なのだ。歌舞伎の
様式化された「殺し場」は、ないのだ。新歌舞伎という様式にこだわらなくても良い
という武器を積極的に使っているように見受けられる。

母親のお熊を演じた歌女之丞が、達者な科白廻しで、良かった。大部屋女形の歌女之
丞は、普段の舞台では、科白が少なく、存在感はないのだが、こうしてたっぷりと科
白を言わせてみると、いぶし銀のように魅力のある役者だということが判る。

自首しようとする丑松の思いを押しとどめて、お米は、二階から隣家の屋根伝いに逃
げることを勧める。いつの間にか、舞台下手の平屋の屋根屋根の上には、真ん円い月
が皓々と照りつけている。物干し場のある窓をがらりと開けると、昼間のように明る
い月の光が、丑松とお米の姿を白々と描き出す。先に身を乗り出した丑松は、足を滑
らせて、屋根に倒れ込む。物干し場を伝いながら、ゆっくり降りはじめるお米。女の
方が、度胸が座っているようだ。皓々とした月光の下、地獄への逃避行に旅立つ破戒
の男女の後ろ姿が、小さくなって行くところへ、上手から引幕が迫って来る。

二幕目、第一場、「板橋杉屋見世」。逃避行の末、丑松は、お米を信頼する兄貴分の
四郎兵衛に預けておいて、更に長い旅に出た。久しぶりに江戸に戻って来た丑松は、
江戸の入り口のひとつ、板橋宿で宿を取る。お米は、四郎兵衛に騙されて売られ、板
橋宿の妓楼「杉屋」で女郎になっていた。宿場の妓楼の風俗描写がリアルで、見応え
がある。様々な役を演じる脇役たちの演技も、内実を感じさせる。歌舞伎役者の層の
厚さが浮き彫りになる場面だ。偶然再会した丑松にお米は、事実を知らせるのだが、
兄貴分を信用する丑松に失望して、嵐のなか、妓楼裏の銀杏の木で首吊り自殺をして
しまった。

この妓楼の場面では、上手の戸外の嵐、激しい雨の降り様が、光りで描かれるが、そ
れが、登場人物たちの心理描写に役立っている。これも、巧みな演出だ。

杉屋の妓夫・三吉の橘太郎、遣り手・おくのの芝喜松、松の屋料理人・祐次の獅童、
建具職人・熊吉の亀蔵、など脇役たちは、いずれも、存在感のある好演。この芝居、
脇役の巧拙で舞台が違って来る。

大詰第一場「相生町四郎兵衛の家」。四郎兵衛の家から湯屋への場面展開前に、江戸
の物売りのひとつ、笊を両天秤に担いだ笊屋が、笊売りの売り声をかけながら舞台下
手を通りかかり、そのまま暗転という、これも、また、憎い演出だったことを指摘し
ておこう。芝居の魅力の出し方を知り尽したような村上元三の演出だ。

また、大詰第二場「相生町湯屋釜前」では、風呂場で起きる四郎兵衛殺人事件も直
接、「殺し場」は描かずに、殺人の前後の人の動きで表現する。いわば、影絵の殺人
事件の現場を、周辺の余白で推測させる演出を取っている。本舞台奥が、上手男湯、
下手女湯。江戸時代の風呂場は、柘榴口の奥の薄暗くて、湯気が籠った空間で見通し
が悪い。そういう場が、殺し場になっているのだから、この演出は、正解だろう。

「湯屋釜前」では、湯屋の番頭・甚太郎の橋吾が、下帯一つの裸同然の格好のまま、
薪を燃やし、水を埋め、桶を乾燥させ、並べて整理する。その合間に、風呂場に呼ば
れたり、下手上部に設えられた屋根裏部屋の休憩所に入ったり、熱演で、縦横無尽に
巧みに動き回りながら、湯屋裏側の釜焚きの生活がリアルに描かれる。12年前は、
橘太郎、8年前は、猿四郎、4年前は、蝶十郎であった。いずれも、達者に動き回っ
てくれた。この場面を観るだけでも、「暗闇の丑松」は、観る価値があると思う。
こっそり、四郎兵衛を殺すために、終始無言のまま、忍び入り、忍び出て行く丑松が
いる。ポイントは、甚太郎の明るさと丑松の暗さが、対比されないといけない。

湯屋裏側の出入り口の工夫。木戸を開け閉めする度に木戸がひとりでに閉まるように
長い紐の先に徳利が括り付けられている。徳利が、錘りの役目を果たし、人が木戸を
開けても、徳利が、木戸を閉めるという仕掛け(一種の自動ドア)だが、これが、木
戸を出入りする番頭・甚太郎だけでなく、殺人犯丑松、岡っ引きの常松(松江)らの
出入りの度に上下をし、役者たちの心理を増幅して、観客に伝えて来る。更に、幕切
れで、湯屋の犯行現場から逃走する丑松のおぼつかない足取りと同調する形で、どん
つく、どんつくと鳴り響く祈祷師の法華太鼓の音。これも効果的だ。序幕から大詰ま
で、音の効果を知り尽した憎い演出が光る。祈祷師の男女がその前に湯屋裏を覗いて
行くという伏線の設定も、心憎い。
 
この芝居は、ストーリー展開は、陰惨だが、そういう音や声を意識的に使った抑制の
効いた演出の趣向が、随所に光る。また、大道具、舞台装置の巧みさも、見逃しては
行けない。そういう意味では、見せる歌舞伎が、歌舞伎の魅力という常識のなかで、
「音で聞かせる歌舞伎」「工夫された大道具」という視点でも、得がたい「新」歌舞
伎だと思う。また、江戸の庶民の生活を活写する場面も多く、江戸の市井人情ものと
言われるだけに、細部の趣向に工夫が多く、それも楽しめる。数ある新歌舞伎のなか
でも、名品のひとつだと思う。以上、大事なポイントを網羅しているので、先に書い
た劇評の大筋は、変えずに、補筆する形で、整えた。


「京鹿子娘道成寺」は、12回目の拝見。今回は、上演時間が、1時間余ということ
で、「押し戻し」があるにしては、いつもより、短縮バージョン。福助の花子と海老
蔵の押し戻しが、見所。前回の歌舞伎座の上演時間は、勘三郎の花子、團十郎の押し
戻しで、1時間20分だった。

大曲の踊りは、いわば組曲で、「道行、所化たちとの問答、乱拍子・急ノ舞のある中
啓の舞、手踊、振出し笠・所化の花傘の踊、クドキ、羯鼓(山尽し)、手踊、鈴太
鼓、鐘入り、所化たちの祈り、鱗四天、後ジテの出、押し戻し」などの踊りが、次々
に連鎖して繰り出される。ポンポンという小鼓。テンテンと高い音の大鼓(おおか
わ)のテンポも、良く合う。

私が観た花子役は、勘九郎時代含め勘三郎(4)、玉三郎、芝翫、菊五郎、福助(芝
翫の代役含めて、今回で、2)、雀右衛門、藤十郎、三津五郎。

花子は、衣装の色や模様も、所作に合わせて、緋縮緬に枝垂れ桜、浅葱と朱鷺色の縮
緬に枝垂れ桜、藤などに、テンポ良く替わって行く。後ジテの花子は、蛇体の本性を
顕わして、朱色(緋精巧・ひぜいこう)の長袴に金地に朱色の鱗の摺箔(能の「道成
寺」同様、後ジテへの変身)へ。今回は、押し戻しがあるので、花子は、いつもの、
鐘の上での「凝着」の表情の代わりに、赤熊(しゃぐま)の鬘(かつら)に、2本の
角を出し、隈取りをした鬼女(般若・清姫の亡霊)となって、紅白の撞木(しゅもく
=鐘などを打鳴らす棒)を持って、本舞台いっぱいに、12人の鱗四天相手に大立ち
回りを演じる。

福助の花子は、淡々として見えた。前回の勘三郎は、「女の情念」を、特に、「恋の
手習い」で、見せたいと言っていた。勘三郎の踊りは、メリハリがあり、細部も正確
で、見事だった。振り、所作の間に、若い娘らしい愛らしさが滲み出る。特に、顔の
表情に、「女の情念」を集中しているように、見受けられた。それに比べると、今回
の福助は、味が薄めだった。

「京鹿子娘道成寺」は、長時間の舞踊で、序破急というか、緩怠無しというか、破綻
のない大曲の所作事。福助は、舞台と袖との出入りごとに、衣装が変われば、踊りも
変わるので、「テンションを保つのも大変です」と述べている。

贅言:本舞台に結界をもうける木戸では、所化たちと白拍子・花子の「生娘か白拍子
(遊女、つまり、性の経験者)か」などと露骨に問うなど、問答の場面が通常演じら
れるが、今回は、省略されていた。短くなった分、所化のからむ場面が、少なくなっ
ていた。

「押し戻し」では、海老蔵が登場する。「押し戻し」とは、怨霊・妖怪を花道から本
舞台に押し戻すから、ずばり、「押し戻し」と言う。「歌舞伎十八番、歌舞伎の花の
押し戻し」と、海老蔵の科白にも、力が籠る。左馬五郎の出立ちは、竹笠、肩簑を付
けている。花道七三で竹笠、肩簑などは、後見が取り外す。「義経千本桜」の「鳥居
前」に登場する弁慶と同じで、筋隈の隈取り、赤地に多数の玉の付いた派手な着付
け、金地の肩衣、それに加えて白地に紫の童子格子のどてらに黒いとんぼ帯(「義経
千本桜」の方が、6年先行した作品だから、こちらが真似たのだろう)、高足駄に笹
付きの太い青竹を持っている。腰には、緑の房に三升の四角い鍔が付いた大太刀を差
している。下駄を脱いだ足まで、隈取り(隈は、血管の躍動を表現する)している。
「きりきり消えて無くなれーー」と大音声で、鬼女に迫る。
- 2010年9月6日(月) 10:14:58
10年08月新橋演舞場 (第一部/「義経千本桜」)


市川海老蔵の「狐忠信」である。
三大歌舞伎の一つ、「義経千本桜」は、3人の主人公がいる。平知盛、狐忠信、そし
て、いがみの権太だ。病気休演中の猿之助は、元気な頃、この3人を一つの舞台で通
しで演じ終えないと、歌舞伎役者としての卒業論文、つまり、一人前の立役にはなら
ないという独特の意見を持っていた。それが正解かどうかは、別としても、タイプの
違う、奥行きのある役柄を演じわけることは、確かに至難の業ではある。

「義経千本桜」については、菊五郎の代々が、音羽屋型として、藝を磨いて来た。ま
た、近代では、猿之助が、外連味を付け加えて、独自の澤潟屋型を作り上げて来た。
狐忠信では、海老蔵は、初演時から、猿之助の指導を受けて、澤潟屋型をベースに工
夫をしているようである。しかし、今回の特徴は、これまでのように脇は、澤潟屋一
門が、固める、という方針を取っていないことである。海老蔵の狐忠信の相手役とな
る静御前は、今回は、七之助が勤める。義経は、勘太郎。早見藤太のみ、澤潟屋一門
の猿弥が、勤める。

海老蔵は、08年5月の歌舞伎座では、「銀平、実は、知盛」に初役で挑戦した。同
年の7月歌舞伎座では、初役で演じる「鳥居前」の忠信、01年6月、京都南座で、
新之助時代に玉三郎を相手に演じたことがある「吉野山」を再び、玉三郎を相手に演
じた。06年11月の新橋演舞場、07年名古屋御園座で演じた「川連法眼館」の忠
信。ということは、狐忠信編「義経千本桜〜鳥居前、吉野山、川連法眼館〜」を通し
で演じたのは、08年の5月から7月の歌舞伎座が、海老蔵にとって、初めての挑戦
だった。今回は、2年前のそういう経験を踏まえて、改めて、「鳥居前」「吉野山」
「川連法眼館」を演じる。ということは、2年間で、海老蔵の「狐忠信」にどういう
変化が見られたのか、という辺りが、観劇のポイントになりそうだ。

贅言1):NHKの現役アナウンサーの時代に猿之助を相手にしたインタビュー番組に
出演していた山川静夫さんを3階席の大向うで、お見かけしたので、幕間に3階席の
ロビーでお会いした。NHKの大阪放送局では、私が赴任した時には、山川さんは、す
でに、東京のアナウンス室に転勤していて、ご一緒に勤務をするという経験はなかっ
た。私の赴任の3年前に、転勤されていた。初任地4年で、私が東京の報道局社会部
に転勤した時には、山川さんは、アナウンス室で勤務されていたが、報道局の担当に
はなられなかったので、接する機会がなかった。今回、初めて、ご挨拶をした。澤潟
屋型を継承した海老蔵の舞台を観に来られたのだと思ったが、お聞きはしなかった。
第一部の「義経千本桜」だけを観て、帰られたようだった。

柄が大きい海老蔵は、まだ、父親の團十郎のようなオーラは、出ていないけれども、
演技以前に存在感があることは確かだ。海老蔵の大きな目も、父親譲りで、魅力的で
ある。口跡も、父親の團十郎に似ず、はっきりしていて、良く通る。

しかし、2年前の、08年の舞台では、海老蔵の時代物の科白術に難があった。海老
蔵の声が、團十郎バリに、「籠って」いる上に、大き過ぎるのだったが、今回は、コ
ツが判って来たのか、大声ではあったが、元気な狐忠信で、そういうことはなかっ
た。

暗転で、大道具方が、薄暗い舞台に乗り、鳥居などを片付ける。「鳥居前」書割は、
正面のものが、上に引揚げられ、左右(上手と下手)のものは、袖に引き込まれる。

次の「吉野山」は、海老蔵、七之助で、忠信と静御前の道行を演じる。前回の静御前
は、玉三郎で、玉三郎が、主導権を握り、海老蔵を引っ張って行くので、安心して観
ていられた。今回は、七之助の方が若いので、海老蔵が、引っ張って行かなければな
らない。七之助は、「鳥居前」の静御前は、初役。その他の静御前は、2回目。

前回、玉三郎は、清元と竹本の掛け合いという従来の伴奏「音楽」を、「ナレーショ
ン」としての竹本に純化させていた。竹本に純化することで、竹本の持つ、「物語
り」という特性が生きて来たように思う(恰も、音の物語性を強調する効果を生んだ
ように思う。太い音が、三味線から流れると、それは、音であると同時に、言葉を背
負っているように聞こえはじめた。これは、新しい発見であるように思えたと、前回
の劇評で、私は、書いている)。今回は、中村や一門との共演でもあり、清元と竹本
の掛け合いという従来の伴奏スタイルに戻している。物語より、舞踊を重視している
ということであろうし、海老蔵に取っては、いろいろな形を経験する花形役者時代の
修業という意味もあるだろう。

海老蔵が、「川連法眼館」の狐忠信を演じるのは、4回目で、このうち、私は、06
年11月新橋演舞場、08年7月歌舞伎座、そして今回の新橋演舞場と3回拝見して
いる。06年11月・新橋演舞場花形歌舞伎「義経千本桜〜川連法眼館〜」では、初
めて、海老蔵は、狐忠信を演じたが、この時の静御前は、笑三郎。前回は、玉三郎。
今回は、七之助。

澤潟屋型の演出を選択した海老蔵。澤潟屋型は、外連味の演出が、早替りを含め、動
きが、派手で、いわゆる「宙乗り」を多用する。狐が本性を顕わしてからの動きも、
活発である。

以下は、大筋、同じ演出なので、前回の劇評の再録に補筆。
忠信の衣装を付けた狐は、下手の御殿廊下から床下に落ち込み、本舞台二重の御殿床
下中央から、素早く、白狐姿で現れる。本舞台二重の床下ばかりでなく、天井まで
使って、自由奔放に狐を動か。狐は、下手、黒御簾から、姿を消す。上手、障子の間
の障子を開け、本物の佐藤忠信(海老蔵の、早替りふた役)が、暫く、様子を伺う
(これは、「東海道四谷怪談」の「戸板返し」の演出の応用で、立体的に工夫された
衣装の顔の部分に、鬘を着けた顔だけを出しているだけで、佐藤忠信の衣装は、着け
ていないのではないかと思った)。再び、狐忠信は、天井の欄間から姿を表わす。

さらに、吹き替えも活用する。荒法師たちとの絡みの中で、本役と吹き替えは、舞台
上手の桜木の陰で入れ代わり、吹き替え役は、暫く、横顔、左手の所作で観客の注意
を引きつける。吹き替えが、全身を見せると、二重舞台中央上手の仕掛けに滑り降
り、姿を消す。やがて、花道スッポンから海老蔵が、飛び出してくる。再び、荒法師
たちとの絡み。法師たちに囲まれながら、いや、隠されながら、本舞台と花道の付け
根の辺りで、「宙乗り」の準備。時間稼ぎの間に、衣装の下に着込んで来たコルセッ
トのようなものとワイヤーをきちんと結び付ける。

さあ、「宙乗り」へ。中空へ舞い上がる。恋よ恋、われ中空になすな恋と、ばかり
に・・・。3階席周辺の「花道」、つまり、ここでは、「宙道(そらみち)」での
引っ込みでは、向う揚げ幕ならぬ、桜吹雪の中に突っ込んで行った。

海老蔵の狐忠信は、親の皮で作られた鼓を持ち、親子交歓の情を滲ませながら、「空
中遊泳」しているように見えた。

海老蔵の科白にダブルように澤潟屋の声音が聞こえて来るような錯覚に捕われるほ
ど、海老蔵は、澤潟屋の科白回しをなぞっているのが判る。

若さ、強さを持ち合わせた若き日の猿之助によって、さまざまに仕掛けられ、磨きが
掛けられて来た「外連」の切れ味。身体の若さ、強さは、若い海老蔵によって再現さ
れ、私は観たことがない若い猿之助も、かくやと思わせるものがある。特に、「宙乗
り」の際の、脚の「くの字」の、角度に漲る若さは、猿之助の愛弟子・右近でも、感
じられなかった強靱さで、驚きである。澤潟屋は、海老蔵の、若さ、強さを見抜き、
本腰を入れて、「四の切」の後継を右近ではなく、海老蔵に決めたのだとすると、右
近にとっては、非情な師匠も、歌舞伎ファンにとっては、まだまだ、未熟ながら、強
靱な若さを持った将来の忠信役者を誕生させたということだろう。海老蔵には、猿之
助の思い、つまり、体力の強靱さを、さらに、テーマの強靱さに拡げて行って欲し
い、という思いを受け止めて欲しい。06年11月新橋演舞場の舞台から、08年7
月歌舞伎座、さらに、10年8月歌舞伎座の舞台と、2年ごとに演じられる海老蔵の
「狐忠信」を観ていて、そういう思いを強く持った。

贅言2):3階ロビーで、幕間に聞いた山川静夫さんの話。最近は、新聞の劇評など
で、きちんと劇評の書ける人がいなくなった。昔は、安藤鶴夫などがいた。浄瑠璃
も、自分で学ぶなど、役者と同じようなことをやって、勉強をしたが、いまの記者
は、そこまでしないから、劇評が書けない。私も、劇評は書かない。印象を述べるだ
け。ただし、印象を述べるためにも、何回も、舞台を観なければ述べられない。舞台
を何回も観るために、私は、「大向う」(顔パス)で入る。だから、座席がない。
立って観ているだけ。きょうも、立ってみていたが、ときどき、疲れるので、空いて
いる席に腰掛けさせてもらっている。
- 2010年9月6日(月) 7:45:52
10年07月新橋演舞場 (夜/「暫」「傾城反魂香」「馬盗人」)


昼の部でも、触れたが、歌舞伎座から新橋演舞場へ。東京の歌舞伎上演の本拠地が
移って、初めての「大歌舞伎」興行ということで、大歌舞伎を担う幹部役者が、「顔
見世」をする。それで、今月の夜の部には、「顔見世月」(11月が、歌舞伎の正月
に当たる)の恒例の演目である「暫」が、組み込まれている。


でっけい! 團十郎


「暫」を観るのは、4回目。歌舞伎の典型的な祝祭劇。03年5月は、地方から東京
への転勤時期で慌ただしく、歌舞伎座の舞台を観ていない。初見が、95年11月、
歌舞伎座の團十郎。海老蔵の初見は、04年5月の歌舞伎座、襲名披露の舞台であっ
た。私が観た4回の配役を記録すると次のようになる。鎌倉権五郎(暫):團十郎
(今回含め、2)、海老蔵(2)。清原武衡(ウケ):九代目、つまり先代の三津五
郎、富十郎、左團次、そして、今回は、段四郎。震斎(鯰):八十助時代を含めて、
三津五郎(今回含め、3)、翫雀。照葉(女鯰):時蔵(2)、扇雀、今回は、福
助。桂の前:門之助(今回含め、2)、右之助、芝雀。加茂次郎(太刀下):友右衛
門(今回含め、2)、秀調、芝翫。成田五郎(腹出し):権十郎(今回含め、2)、
松助、左團次。局常盤木:右之助(今回含め、2)、玉之助、東蔵。

幕が開くと、塀外。上手には、霞幕が、大薩摩連中を隠している。紅白の毛槍を持っ
た奴たちが、花道から現れて、舞台を横切り、上手の奥の、袖に入って行く。霞幕
が、取り除かれると、山台に乗った大薩摩連中の登場。暫く、無人の舞台で、大薩摩
連中の演奏。やがて、塀は、舞台上下に開いて行く。早春の鎌倉鶴ケ岡八幡宮。いつ
もの連中が、舞台に立ち並んでいる。

「暫」は、祭祀劇であり、記号の演劇だ。江戸時代には、幕末までの1世紀余りに
渡って、「暫」は、旧暦の11月に「顔見世興行」のシンボルとして、演じられた演
目であった。同じ演目ゆえに、毎年、趣向を変えて演じられた。その結果、役どころ
は、変わらないが、役名が、変動した。江戸の人々は、役柄を重視し、役柄、姿、動
作などから、主な役どころには、「暫」「ウケ」「鯰」などの通称をつけて、理解を
助けたのである。先の主な配役一覧で、役名の後に、括弧で記入したのは、役の通称
だが、極めてユニークな記号になっていると思う。

例えば、主役の鎌倉権五郎の「暫」は、向う揚幕の、鳥屋のうちから、「暫く」、と
声をかけて、暫くしてから花道に出てくるから、「暫」と呼ばれた。清原武衡の「ウ
ケ」は、その「暫く」を受けて立つ敵役だから、「ウケ」となる。鹿島入道震斎の
「鯰」は、「震災」(鯰は、地震を予知するという説がある。私が観に行った日の早
朝、茨城県の鹿嶋市で、震度5弱の地震があった。まさに、「鹿島入道」の仕業で
あったのだろう)であり、化粧などが、「鯰」だからだろうし、照葉の「女鯰」は、
「鯰」に付き従っている女性だからだろう。

「太刀下」は、鎌倉権五郎が、振るう大太刀の下で、あわや、首が飛びそうになるか
らだ。後から出てくる成田五郎を含めて、東金太郎、足柄左衛門、荏原八郎、埴生五
郎の5人は、「腹出し」と呼ばれるが、これも「腹を出した赤っ面」という扮装を見
れば、良く判るネーミングだ。また、道化方、若衆、女形、敵役など歌舞伎の主な役
柄が出揃うという意味でも、初心者にも判りやすい演目だ。

鎌倉権五郎を演じる團十郎の声は、向こう揚幕の鳥屋のうちから、「しばらくう」と
聞こえ始めるが、口跡は、相変わらず、あまり良くはない。声が口の中に籠るから
だ。口跡は、息子の海老蔵の方が良い、父親よりも、祖父の十一代目に似ているよう
に思う。だから,「くう」と、最後まで、良く通る。團十郎の「くう」は、最後ま
で、出てこない。ただし、團十郎は、柄を大きく見せることが出来る。それは、後に
述べたい。

鎌倉権五郎の花道七三への登場で、大薩摩は、暫く、姿を隠す。再び、霞幕に覆われ
る。鎌倉権五郎は、花道七三でのツラネで、役柄と役者自身の自己主張をする。演奏
より、「ツラネ」という科白術が、見せ場、聞かせどころいう演出の強調であろう。

今回の團十郎は、例えば、「十八番、筋を通すは、親譲り………」とは、團十郎代々
を強調するお定まりの科白。17年前、93(平成5)年、明治座の、羽左衛門を最
後に、権五郎は、團十郎と海老蔵が、交互に演じているだけだ。歌舞伎座では、さら
に、2年前の、91年に幸四郎が、演じて以来、團十郎と海老蔵の親子のみが、演じ
ている。「大歌舞伎は、歌舞伎座から新橋演舞場へ………」ということで、暫くは、
新橋演舞場が、歌舞伎の劇場の軸になることを強調していた。

やがて、團十郎は、舞台正面へ。大きな力紙を附けた五本車鬢という鬘、紅の筋隈、
團十郎家の色、柿色の素襖に家紋の三升が染め抜かれている。後ろ向きで、いくつも
の肩を脱ぎ、前向きになると、大見得。大振りの衣装に助けられて團十郎は、いちだ
んと、大きくなる。昼の部の「金閣寺」では、「国崩し」というスケールの大きな極
悪人・松永大膳を演じたが、その時の團十郎よりも、私の目には、柄も、大きくなっ
ているように見える。やはり、團十郎の気合いというか、オーラというか、團十郎
代々から引き継いだ江戸歌舞伎の第一人者という貫禄が、権五郎役者としての團十郎
を大きく見せるのだろう。この大きさを観るために、江戸の庶民は、顔見世月の芝居
小屋に押し掛けたのだろう。

「暫」は、歌舞伎の配役が、類型化されて、衣装や扮装、化粧などという歌舞伎の演
目を越えて共通する様式性でバランスを採り、それに伴い、「大同小異」という人物
の普遍性を主張するという演劇としての歌舞伎の特性を判り易く示す、象徴的な演目
だと思う。江戸歌舞伎を代表する荒事の演目であり、勇壮な荒事の特徴の、花道の
出、愛嬌、力感、科白廻し(主役の科白のほか、主役の動作に添える、仕丁たちの
「ありゃー、こりゃー」という化粧声なども)、衣装、隈取り、力紙をつけた鬘、大
太刀などの小道具、全体の扮装、「元禄見得」など、いくつかの見得、引っ込みの六
法まで、團十郎家代々の荒事のエキスを見せつける。歌舞伎入門、あるいは,江戸歌
舞伎の荒事入門に相応しい演目だろう。小金丸(巳之助)が、行方不明だった源氏の
重宝・雷丸という剣を持って登場するのを合図に、霞幕が、片付けられ、大薩摩連中
が、再登場する。権五郎が、加茂次郎に源氏の重宝を手渡し、一行を「太刀下」の状
況から逃れさせる。大太刀を肩に担いで、権五郎は、悠然と立ち去る。


「傾城反魂香」は、10回目。山梨県三珠町(5年前の合併後は、市川三郷町)の歌
舞伎公園で、巡業中の團十郎の舞台を観ているので、それを入れている。吉右衛門で
は、5回目。初見は、13年前、97年3月の歌舞伎座の舞台だ。劇評は、コンパク
トにしたい。

私が観た又平おとくの夫婦たち。又平:吉右衛門(今回含め、5)。富十郎(2)、
猿之助、團十郎、三津五郎。おとく:雀右衛門(2)、芝翫(2)、芝雀(今回含
め、2)、鴈治郎時代の藤十郎、勘九郎、時蔵、右之助(巡業)。

歌舞伎の愉しみは、馴染みのある演目を贔屓の役者が、今回は、どう演じるかという
ことである。馴染みの吉右衛門と定評のある父親の雀右衛門の当り役を演じる息子の
芝雀。

絵にかける又平の心は、藝にかける吉右衛門の心と観た。琵琶湖畔で、お土産用の大
津絵を描いて、糊口を凌いでいた又平が、女房の励ましを受けて、だめな絵師として
の烙印を跳ね返し、遺書代わりに石の手水鉢に描いた、起死回生の絵が、手水鉢を突
き抜けたときの、「かかあー、抜けた!」という、吉右衛門の科白廻しは、日々精進
の役者の、それであった。「子ども又平」、「びっくり又平」と、同じ又平でも、心
のありように即して自在に演じる吉右衛門。入魂の熱演振りだが、おとくの芝雀、土
佐将監の歌六、将監北の方の吉之丞らと巧く呼吸を合わせながら、愚直なまでの又平
の性根を描いている辺りは、吉右衛門の味で、さすがであった。

この演目は、吃音者の成功譚である。吃音者の夫を支える饒舌な妻の愛の描き方、特
に、妻・おとくの人間像の作り方が、ポイントになる。何回か、書いているが、おと
くは、例えば、芝翫が演じるような、「世話女房型」もあるし、雀右衛門が演じる
「母型」もある。特に、雀右衛門の「母型」は、実に、慈母のごとく、情愛が深く
て、私は好きだ。

「父によく聞いて神妙に勉強したい」と言っていた芝雀だが、父・雀右衛門の「母
型」と芝翫の「世話女房型」の間という感じで、「姉さん女房型」と見受けられた。
夫を引っ張る「ととかか」を目指しているのだろうが、「世話焼き」という感じが、
異様なほど前面に出てしまい、私には、あまり好きではない人物造形になってしまっ
ている。いずれ、雀右衛門のように、情愛深い「母型」を目指して欲しい。

又平の、おとくに並ぶ、味方の将監北の方は、今回も、定評のある吉之丞である。土
佐派中興の祖として、土佐派絵画の権力者だったが、「仔細あって先年勘気を蒙
り」、目下、山科で、閑居している夫・将監と不遇の弟子・又平との間で、バランス
を取りながら、壺を外さぬ演技が要求される難しい役どころだ。10回観た「傾城反
魂香」のうち、6回、つまり半分以上は、吉之丞の北の方であった。6回も観ている
と、吉之丞のいぶし銀のような、着実な演技が、観客の脳裏に刷り込まれているのに
気づくようになる。こういう役者が、出ていると、舞台は、奥行きが出る。

雅楽之助には、馴染みの歌昇。5回目の拝見。一方、修理之助は、種太郎で、初役。
清新な役どころであった。


馬の脚に、「大向う」の掛け声


「馬盗人」は、2回目。13年前、97年8月、歌舞伎座の舞台を観ているが、この
サイトの劇評では、初登場。この芝居は、「馬の脚」が、後半の主役ともいえる重要
な役割を果たすので、馬の脚ながら、筋書に、役者名が明記される。今回は、三津五
郎門下の大部屋立役の大和、八大。13年前は、誰だったか、調べてみないと判らな
いので、ご容赦。大和とは、舞台を撥ねた後、一度、歌舞伎座近くの飲み屋に招待
し、酒を飲んだことがある。

主役の悪太:八十助時代を含めて三津五郎(2)。騙される百姓・六兵衛:翫雀、今
回は、歌昇。悪太の仲間・すね三:秀調、今回は、巳之助。

この演目は、1956(昭和31)年に、当時まだあった大阪歌舞伎座で、当時の六
代目簑助、後の八代目三津五郎、つまり、先々代の三津五郎(悪太)、十三代目仁左
衛門(六兵衛)、二代目実川延二郎、後の三代目延若(すね三)で、演じられた新作
舞踊劇である。原作者は、巌谷小波。しかし、いまのように、後半に馬を活躍させる
ような演出にしたのは、八代目三津五郎のアイディアであったという。祖父のアイ
ディアで原型が出来た民話舞踊を、当代の三津五郎が、新たに振付けをし直して19
96年に今は無き大阪中座で33年ぶりに復活上演した後、八十助時代の三津五郎
で、それ以来、今回で、6回目の上演となる。踊りの達者な三津五郎には、うってつ
けの、明るい舞踊劇で、三津五郎の持ち味に合っている。先々代の三津五郎も、生涯
で、5回上演しているので、今回で、三津五郎は、祖父の本興行での上演回数を抜い
たことになる。

粗筋は、酔っぱらっている百姓の六兵衛が、物陰で、小用を足している隙に、悪太と
すね三が、木に繋がれていた馬を盗み出し、馬の替わりに木に繋がれた悪太が、悪知
恵を働かせて「馬にされていた人間」を演じることで、百姓を騙すという話。一旦
は、悪太に騙される六兵衛だが、騙されていたことを知り、悪太と馬を引っ張りあう
ことになり、人間同士の馬鹿さ加減に業を煮やした馬が、逃げてしまうという落ちが
つく。朴訥な六兵衛と小悪党の悪太、その助手のすね三(その後、ふたりは、仲間割
れをする)、そして、利口な馬という関係が、コミカルに演じられる。擬人化された
馬の動きが、秀逸で、この作品を三津五郎の人気狂言の一つにしている。馬は、悪太
の仲間割れに割って入ったり、曲に合わせて、踊ったり、最後は、花道を飛び六法
で、引っ込んだりと。大活躍をする。花道の引っ込みでは、大向うから「がんばれ
よ」と声が掛かっていた。

今回の舞台では、昼夜通しで、3役を演じたのは、三津五郎、福助、歌六、歌昇だ。
このうち、三津五郎は、縮屋新助、鹿島入道震齋、悪太。福助は、芸者美代吉、雪
姫、照葉。歌六は、藤岡慶十郎、十河軍平、実は佐藤正清、土佐将監。歌昇は、船頭
三次、雅楽之助、百姓六兵衛。三津五郎と福助は、それぞれ、主役を演じる。歌六、
歌昇は、脇で、味を出す。特に、歌昇は、美代吉の情夫・三次という小悪党と朴訥な
百姓六兵衛ということで、藝の幅の広さを感じさせて、存在感があった。
- 2010年7月31日(土) 21:22:43
10年07月新橋演舞場 (昼/「名月八幡祭」「文屋」「金閣寺」)


田舎の「非常識」が、江戸の「良識」と「非常識」の隙間から、落っこちた!


歌舞伎座から新橋演舞場へ。東京の歌舞伎上演の本拠地が移って、初めての「大歌舞
伎」興行である。大歌舞伎を担う幹部役者が、顔見世をする。それで、今月の夜の部
には、「顔見世月」の恒例の演目である「暫」が、組み込まれている。

まずは、昼の部。「名月八幡祭」は、私は、2回目の拝見。前回は、11年前、99
年9月の歌舞伎座の舞台なので、このサイトの劇評は、今回が初登場。きちんと書い
ておきたい。

私が観た前回と今回の主な配役:新助は、吉右衛門(今回は、三津五郎)。美代吉
は、福助(今回も)。三次は、歌昇(今回も)。魚惣は、富十郎(今回は、段四
郎)。ということで、美代吉と三次の、いわば「美人局」コンビは、変わらない。こ
のコンビが、変わっていないことが、今回も、功を奏している。福助は、児太郎時代
から、4回目の美代吉役。私は、こううちの2回を観ることになる。

大正時代に初演された歌舞伎の演目が、どのくらいあるのか、調べていないので、判
らないが、数は少ないだろうと思われる。歌舞伎の世界では、明治以降に初演された
歌舞伎は、江戸時代のおよそ300年の歌舞伎の演目(「古典」という)と区別する
ために、「新歌舞伎」と呼ばれている。新歌舞伎は、明治以降の作品を総称する場合
もあるが、正確には、第二次大戦までに初演された歌舞伎演目で、戦後65年間に初
演された歌舞伎演目が、「新作歌舞伎」と称されて、新歌舞伎とは、更に、区別され
ている。従って、「新歌舞伎」は、1868年〜1945年の、およそ75年間の作
品、「新作歌舞伎」は、65年間の作品ということになる。「新歌舞伎」のうちで
も、大正時代の作品は、およそ15年間だから、上演頻度ではなく、年数だけで、大
雑把に見れば、6分の1という勘定になるか。

「名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)」は、1918(大正7)年、歌舞伎座で
初演された。二代目左團次の新助、四代目澤村源之助の美代吉であった。池田大伍の
原作で、池田は、幕末期の1860(万延元)年に初演された黙阿弥の「八幡祭小望
月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)」(通称「縮屋新助」「美代吉殺し」)を
改作した。本作と改作の優劣は、後に、述べたい。

まずは、「名月八幡祭」の舞台を覗こう。
序幕第一場「深川八幡二軒茶屋松本」。床の間に山水画の掛け軸と花瓶に生けられた
花。白百合か。床の間の下手に団扇止し。団扇は、紫の桔梗の花が、2輪描かれてい
る。夏の茶屋座敷の風情。深川芸者の美代吉(福助)。裾模様の入った紫の衣装で、
裾から赤地の襦袢が見える。粋な芸者姿。こういう格好は、福助は得意である。船頭
の三次(歌昇)が、無心に来る。美代吉の評判の悪い情夫である。歌昇は、今月は、
昼も夜も、存在感のある役どころで、活躍。間もなく始まる八幡祭で金が掛かる美代
吉は、情夫に渡せる金がない。仕方がないので、簪を抜いて渡す。この様子を美代吉
を贔屓にしている客の中間が、見とがめて、騒ぐ。奥座敷から贔屓の客である旗本の
藤岡慶十郎(歌六)が、松本の女将(歌江)や幇間(寿猿)らとともに、現れる。濃
い茶色の扇子を持ち、紫の呂の羽織に、白地の絣の着物を着た藤岡は、美代吉に金を
渡しながら、三次との付き合いを注意する。女将の持っている団扇の絵柄は、5輪の
桔梗。涼しげな夏の風情。この場は、美代吉の性格描写と美代吉側の人間関係の説明
だろう。

序幕第二場「浜魚惣裏座敷」。舞台は、浜(岸辺)から深川に床を張り出した魚惣の
裏座敷。舞台前面は、涼しげな川の水面が、広がっている。亭主の魚惣(段四郎)
が、女房(右之助)と酒を飲んでいる。女房は、女形の役者絵の団扇を使っている。
座敷下手には、金屏風の前に敷かれた毛氈に角樽が、ふたつ置かれている。上手の床
の間には、蓮の花が描かれた掛け軸。還暦の祝いなのだろう。後で、赤尽くしの衣装
の羽織が、披露される場面がある。舞台下手袖奥から、船頭だけが乗った猪旡船が出
て来て、座敷の裏側へ入って行く。江戸の深川の風情が、一気に高まる。

もうひとりの主役・越後商人の縮屋新助(三津五郎)が、奥の襖を開けて、登場す
る。出稼ぎ商売を終えて、故郷の越後に帰るので、世話になった町の顔役の魚惣に別
れの挨拶かたがた、残っている縮みの反物を売りに来たのだ。反物ふたつが売れる。
魚惣は、江戸下町のイベント・八幡祭が、間もなく始まるのに越後に帰ってしまうと
いう新助が、理解できない。江戸で商売をするなら、江戸の人情を知らなければ成功
しないと思うからだ。新助に祭りを観て行けと勧める。故郷の残して来た老母のこと
を心配する新助だが、世話になった魚惣の意向も無視出来ない。女房も、熱心に勧め
るので、祭りを観てから帰る気になる。それなら、「うちの客人だ」ともてなす魚
惣。

涼しい風が入っていた開け放った座敷から見える深川へ、上手から、また、猪旡船が
出て来る。船には船頭と美代吉が、乗っている。座敷に挨拶をして通り過ぎる美代
吉。座敷にいる新助にも気がつき、愛想良く、親しげに声を掛けて来る。この様子を
見ていた魚惣は、美代吉の背後にいる評判の悪い情夫を思い出し、新助に、美代吉に
気をつけろ、金を貸したりするなと忠告をする。後々の事件への「伏線」である。猪
旡船は、鉄砲洲方面に向かって行く。すでに美代吉に惚れて、商売で得た金を貸して
いる新助の目には、芸者の艶姿しか映っていない。惚けたような男の表情が、本舞台
から花道に入って行った舟の行方を見とれている。「鉄砲洲の船宿も、とっぷり暮れ
ましたなあ」と呟く新助。祭りが終わるまで(美代吉と仲良くなるまで)、江戸に残
ろうと決心をした新助だが、その付けは、どういう形でまわってくるのか。田舎の
「非常識」に江戸の「良識」が、警鐘を鳴らす場面だ。

舟を使った優れた演出だ。昭和の新歌舞伎「梅暦」など、これを、更に洗練させ、廻
り舞台を使って舟同士がすれ違う、似たような場面がある。川面と舟、猛暑の東京を
忘れさせる納涼の江戸の風情。

粋な深川芸者に惚れる田舎商人。吉原の傾城を見初める田舎商人という場面は、明治
の新歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」(黙阿弥の弟子、三代目新七の原作)に似たような場
面があるが、田舎商人とは言っても、大店の主人の次郎左衛門と反物を江戸まで担い
で来て、行商をする小商いの商人である新助とは、財力、胆力が違う。新助役者は、
ここの違いの表現が、求められる。この場面は、新助の性格描写と新助の置かれてい
る状況の説明であろう。

二幕目「仲町美代吉の家」。数日後。深川仲町の美代吉の自宅。玄関に、祭礼の提灯
が飾ってある。座敷上手には、仏壇ではなく、稲荷。呉服屋手代が、祭り用に誂えた
衣装代を催促に来るが、美代吉には、支払う金がない。若紫の縦縞の入った普段着の
着物姿の美代吉も、美しい。美代吉の母(芝喜松)が、手代をなんとか帰らせる母親
の持っている団扇には、役者絵が描かれている。美代吉の持つ団扇は、二輪の桔梗の
絵。美代吉に惚れている新助に百両借りられないかなどと持ちかけるが、美代吉は、
田舎商人に大金は、借りられないと突っぱねる。そうはいいながらも、やがて、姿を
見せた新助に酒を勧め、愛想を売りつけ、おだてながら、借金を申し込む美代吉。
すっかり、舞い上がってしまう新助。

そこへ、金の無心に三次がやって来る。金で苦労している美代吉が、情夫の三次に愛
想尽かしをする場面(本当かな、芝居じゃないのか、と疑う場面)だが、舞い上がっ
ている新助は、邪見に三次を帰らせた美代吉の、続く身の上話を信用して、色男ぶっ
てしまい、三次と縁をきるなら、百両を用立てると約束してしまう。追い出された三
次の後ろ姿に冷ややかな視線を送った後、金策に出かける新助。三角関係の芝居。

幇間が、藤岡からの手切れ金百両を持って、現れる。なんとも、都合の良い筋立て。
金の工面の目処がつけば、新助のことなど忘れてしまう美代吉と母親。そこへ、さっ
きの愛想尽かしに頭に来た三次が、刃物を懐に飲んで、入って来る。事情を話し、三
次の入り用の金を渡す美吉。和解をし、早速、酒を飲み始めるふたり。金と情欲の化
かしあい。福助には、後ろ姿も、女形としての色気が、紛々としていて、むせ返るよ
う。「七つ下がり」という科白が出て来るが、夏の夕暮れ、いまの午後4時過ぎ。人
生の盛りも、過ぎている新助の心象風景でもあるだろう。その対比の場面。

金策を終えて、戻って来た新助は、ふたりのそういう光景を見せつけられる。初め
て、騙されていたことを知る愚直な新助。本心を告げ、冷たくする美代吉。しらっと
した福助の表情が良い。破滅型の女。酒を飲みながら、ふたりのやり取りを得意そう
に見ている三次。歌昇の小悪党ぶりには、存在感がある。粋な芸者から、はすっぱな
女の本性を顕した福助も、こういう役は、緩急自在で、巧い。ふてくされた強情女。
江戸の「非常識」の典型カップルが、正体を見せた瞬間だ。団扇でしつこい蚊を追う
三次。こういうさりげない場面で見せる歌昇の表情も、巧い。蚊は、狂気後の新助の
凶事を暗示しているように思える。

老母の住む故郷の土地や建物を売って、百両を工面した新助には、もう帰る家もな
い。新助のことを心配して、やって来た魚惣は、今後のことは、家で話そうと新助を
連れて帰る。江戸の良識は、田舎の非常識の面倒を見ようとするが、巧く行くかどう
か、というのが、この場面での、観客へのメッセージ、次への伏線。

大詰「深川仲町裏河岸」。深川八幡の大祭。深川界隈は、大賑わい。手古舞姿の深川
芸者、祭りの若い者、見物客の男女。無粋に刀を差した田舎侍。雑踏の中を美代吉の
姿を探しに来た新助。気がおかしくなっている。雑踏ですれ違った田舎侍の刀を抜き
取り、雑踏の中へ消えて行く新助。全身を赤い衣装に包んだ魚惣が、姿の見えない新
助を心配して、探しに来る。大勢の人出の重みで、永代橋が落ちたという話が聞こえ
て来る。人々は、下手の見えない橋の方へ駆けつける。上手から、手古舞姿の美代吉
が、祭りの酒にほろ酔いでふらふらと現れる。下手の橋の番小屋の葦簾に、美代吉の
手が障り倒れて来ると、その裏側に刀を持った新助がいた。雨が降り始め、雷も鳴
る。舞台は、本水となる。びしょぬれのふたりの立ち回り。狂気の新助の死闘。ほろ
酔いで逃げ惑う美代吉。斬りつけられ美代吉は、番小屋に逃げ込むが、障子の外か
ら、新助に斬られる。真っ赤な血飛沫が、障子を染める。事件に気づいた若衆たち
が、新助を取り押さえ、担ぎ上げて、連れて行く。狂気の笑いのままの新助。

雨も止む。隅田川の向うには、満月が、顔を出す。煌煌と光を増す満月。狂気の月。
本水で濡れた舞台の地絣に、満月の影が映っている。「双面水照月」の風情。

この事件は、田舎の「非常識」(新助)が、己を突き詰め、江戸の「良識」(魚惣)
と「非常識」(美代吉と三次、さらに美代吉の母)の隙間から、美代吉を道連れに地
獄に、落っこちた! という物語。そういう演劇の構図が、判ったところで、本作
(黙阿弥原作)と改作(池田大伍の新歌舞伎)の比較をしておこう。

「名月八幡祭」は、1918(大正7)年だから、先行する1860(万延元)年の
黙阿弥原作「八幡祭小望月賑」を下敷きにし、近代劇として磨きをかけている。「名
月八幡祭」のポイントは、合理的解釈を前面に出していることだが、その結果、芝居
から、歌舞伎味が落ちてしまっていないか。

黙阿弥原作「八幡祭小望月賑」では、初演時には、新助は、四代目小團次、美代吉
は、岩井粂三郎、後の八代目半四郎ほか。ユニークな持ち味の小團次の柄にはめ込ん
で人物造形をしている。科白も、黙阿弥調で、傑作と言われた。後に、弟子の三代目
新七が、「八幡祭小望月賑」を下敷きにして、「籠釣瓶花街酔醒」を書いている。
「八幡祭小望月賑」の方が、先行作品なのだ。新助の見染め(恋)と美代吉の愛想尽
かしの深さは、本作の方が、妖刀「村正」のインパクトも含めて、濃厚だったのでは
ないか。このポイントを削除し、見初めではなく、情夫への嫉妬と愚直な男の絶望か
らの狂気というだけでは、弱い感じがする。

近代劇としての「名月八幡祭」の合理性は、いわば、実線の芝居で、点と点を直線
で、率直に結んでいるので、余韻がない。古典劇と小團次の持ち味に沿った「八幡祭
小望月賑」の様式性は、いわば、点線の芝居で、点と点をゆるやかな曲線で結び、余
韻をふわりと包み込んでいるように思える。

最近は、近代劇としての「名月八幡祭」の上演が増えたが、私の優劣では、黙阿弥原
作の「八幡祭小望月賑」を観ていないけれど、そちらに軍配を上げたい気がする。
「八幡祭小望月賑」を原作通りの形で、観てみたい。


「文屋」は、6回目の拝見。「文屋」は、元々、「六歌仙容彩」という変化舞踊(組
曲形式)の一景である。「六歌仙容彩」は、変化舞踊として「河内山」の原作「天保
六花撰」と同じ時代、1831(天保2)年3月、江戸の中村座で初演された。五段
構成。

舞台奥の上手側に延寿太夫ら清元連中の雛壇。続いて、「才気煥発」という「文屋」。
下手の戸を開けて、烏帽子、水色の直衣、黄色の指貫の袴姿の文屋(富十郎)登場。
同時に、上手の戸を開けて、8人の官女ら登場。大部屋の立ち役たちの官女である。
文屋は、宮中で開かれている歌合わせの出場している小野小町が狙い。奥には、和歌
を案じている小町がいるという想定であるから、小町は、姿を見せない。小町の所へ
忍んで来た文屋。それを邪魔する官女たち。やがて、文屋と官女の「恋尽くし」のコ
ミカルな拍子事(問答)。いつものことだが、官女を演じる立役たちが、弱い。やが
て、文屋は、官女たちを振り切って、小町のいる御殿目指して、奥へ入って行く。そ
れだけの場面だが、踊り上手の富十郎の背筋は、垂直で、水平に動き回る脚の運び
は、安定している。


「金閣寺」6回目の拝見。この芝居「祇園祭礼信仰記」は、元々の外題が、「祇園祭
礼信長記」であったことでも判るように、織田信長の一代記をベースにしている。全
五段の時代物。四段目の中から切にあたるのが、「金閣寺」。情慾と暴力に裏打ちさ
れた「権力」への野望に燃える「国崩し」役の松永大膳対「藝の力」、つまり「文
化」の雪姫、それを支援する此下東吉こと真柴筑前守久吉(つまり、豊臣秀吉のこ
と)らという構図。つまり、「武化と文化の対決」で、文化が勝利という判りやすい
芝居を様式美と大道具のせり下げ、せり上げで、たっぷり見せてくれる。

雪姫:雀右衛門(2)、玉三郎(2)、福助(今回含め、2)。大膳:幸四郎
(4)、三津五郎。今回は、團十郎。東吉:吉右衛門(今回含め、2)、團十郎、富
十郎、菊五郎、染五郎。慶寿院尼:田之助(3)、東蔵(今回含め、2)、秀調。狩
野直信:九代目宗十郎、秀太郎、時蔵、勘三郎、梅玉、今回は、芝翫。正清:左團
次、歌昇、我當、橋之助、左團次、今回は、歌六。鬼藤太:弥十郎(2)、彦三郎、
信二郎、亀蔵、今回は、権十郎。今回のポイントは、團十郎の国崩しぶりが、どれほ
ど大きく見えて来るかだろう。

松永大膳は、極悪人だ。前にも書いているが、罪状を「社会部」的な視点から見る
と、主君の十三代将軍・足利義輝に謀反し、将軍思い者の遊女を唆して、将軍を射殺
させ、将軍の母・慶寿院尼を金閣寺に幽閉しているという、反逆罪の政治犯、つまり
「国崩し」。室町御所で見初めた雪姫の尻を追い掛けるセクハラおやじ。恋人の直信
と逃げた雪姫は、直信に横恋慕する後家の策略で、大膳の元に行かされ、大膳の手
で、幽閉され、「蒲団の上の極楽責め」にあっている。夫の直信も、捕らえられてい
る。監禁の罪。大膳は、さらに、雪姫の父親・雪村を殺して、祖父雪舟から受け継が
れた宝剣を奪っている。強盗殺人の罪。暴力と情慾で、好き勝手なことをしている。
「金閣寺」の場面でも、雪姫に対して、天井の一枚板に龍の墨絵を描け、閨の伽
(セックス)をしろと、いまも、無理難題を突き付けている。脅迫の罪。

大膳を演じる團十郎は、権力と情欲の両刀使いで、大きな実悪ぶりを見せるが、口跡
が良くない。対する「文化」の旗手は、雪姫。7年前の、03年歌舞伎座の雀右衛門
の雪姫は、「一世一代」の演技という感じの緊張感を維持した素晴しい舞台であっ
た。「いっそ、殺してくださりませ」と、可憐だが、5年ぶりの福助は、芯が強く、
可憐な姫を強情で、はすっぱな深川芸者とは、ひと味も、ふた味も違う味わいで、演
じる。東吉は、吉右衛門が、実直に演じている。

ハイライトは、「爪先鼠」の場面。長い縄で上手の桜の木に縛り付けられた雪姫。木
に体をぶつけて、作派の花を散らせ始める。その後、動き回る雪姫に合わせるよう
に、最初は、ひらひらと、クライマックスは、霏々と、降る。時に、ドサッという感
じがあり、場内から、笑いが漏れる。雪姫は、桜の木から大量に落ちてきた花弁を
使って、足の指で鼠の絵を描き、その鼠に自分を縛っている縄を食いちぎらせて、自
由の身になる。食いちぎられた縄は、大中小と、三つに切られていた。小道具方も、
藝が細かい。玉三郎の雪姫の時は、雪姫が、櫻の花弁で描いた白い鼠が、自由の身に
なった雪姫が、鼠を叩くと、身体が、まっぷたつに裂けて、ピンクの花弁が飛び散る
仕掛けだったが、今回は、そういう見せ場はなかった。

金閣寺の大道具が、「大ぜり」に載ったまま、せり下ると二階には、十三代将軍・足
利義輝の母・慶寿院尼(東蔵)が幽閉されている。金閣寺は、前面の濡れ縁を残し
て、その内側から、上下していた。せり下がると、それまで、見えなかった奥庭が見
える。池があり、桜木、三重塔があった。金閣寺の楼閣の大道具せり下がりは、いつ
観ても迫力がある。二階の襖は、金地に桐の木の絵、一階の襖は、金地に虎の絵。桐
は、東吉、実は、筑前守久吉がらみ、虎は、軍平、実は、佐藤正清がらみ。そういう
記号が、秘められている。

「祇園祭礼信仰記」、通称「金閣寺」は、歌舞伎では、何回も観ているが、人形浄瑠
璃では、先日、初めて観たが、せり下がった金閣寺の上空が、広々としていて、爛漫
の桜と青い空が、大きく見えた。その際の劇評は、このサイトにも、載っている。

この演目は、「国崩し」という極悪人・大膳もいれば、颯爽とした捌き役・東吉もい
れば、歌舞伎の三姫のひとり、雪姫もいれば、雪姫の夫で、和事の直信(芝翫)もい
れば、赤っ面の軍平こと正清(歌六)、同じく赤っ面の大膳弟の鬼藤太(権十郎)も
いれば、老女形の慶寿院尼(東蔵)もいるという具合に、歌舞伎の時代物の典型的な
役どころが勢ぞろいしているので、動く歌舞伎入門のように観ることができる。猛暑
が続く中、芝翫は、この訳だけの出演。古風なつっころばしの風情が、いい。

(了)
- 2010年7月25日(日) 20:02:27
10年07月国立劇場 (「身替座禅」)


国立劇場では、「親子で楽しむ歌舞伎教室」で「身替座禅」を上演。この演目は、山
蔭右京の人の良さと奥方の玉の井の嫉妬深さを対比するというイメージの鮮明な演
目。嫉妬を軸にした夫婦の機微など、奥が深く、難しいので、「親子で楽しむ」とい
う趣旨には、相応しくないのではないかと思うが、外面的な夫婦喧嘩の滑稽さは、目
に見える演出なので、その点では、判り易い。外国公演で、この演目が受けるのも、
そういう判り易さであり、夫婦喧嘩という世界各国共通のテーマ性という親近感が、
大きいだろう。

しかし、笑わせどころで、場内から笑い声が起きて来たが、皆、大人の笑いであった
ように思う。こどもには、特に、前半は、退屈だったように見受けられた。「身替座
禅」は、私は、11回目の拝見となるので、今回の劇評は、コンパクトにまとめる。

「身替座禅」は、狂言の「花子(はなご)」を元に、1910(明治43年)に六代
目菊五郎を主演に市村座で初演された新歌舞伎。岡村柿紅の原作。

先ず、配役から。私が観た右京:菊五郎(3)、富十郎(2)、勘九郎時代を含めて
勘三郎(2)、猿之助、團十郎、仁左衛門、そして、今回が、錦之助。なかでも、菊
五郎の右京には、巧さだけではない、味があった。特に、奥方の監視の目から抜け出
して、愛人との一夜を過ごして帰宅する途中の、右京の酔いを現す演技が巧い。従っ
て、右京というと菊五郎の顔が浮かんで来る。勘三郎は、菊五郎の巧さとは違って、
持ち味の滑稽さが、巧くマッチする。今回の錦之助は、初役ということで、師匠の富
十郎に教えてもらったのを忠実に演じたという。柔らかな滑稽さという感じがあり、
玉の井との対比のメリハリがきちんとしていて、良かった。

私が観た玉の井:吉右衛門(2)、三津五郎(2)、宗十郎、田之助、團十郎、仁左
衛門、左團次、段四郎、そして、今回が、彦三郎。玉の井は、立役が、武骨さを滲ま
せながら、女形を演じるという妙味がある。そこが、この演目のおもしろさだ。團十
郎、仁左衛門の玉の井は、立ち役の際の、イメージとの違いという落差がくっきりし
ていて、印象的だったが、段四郎、左團次は、「異様」さで、存在感を誇示した。今
回の彦三郎も、こちらの線であった。

玉の井は、醜女で、悋気が烈しく、強気であることが必要だろう。浮気で、人が良く
て、気弱な右京との対比が、この狂言のユニークさを担保する。彦三郎は、十七代目
羽左衛門の長男だが、藝達者で、存在感のあった羽左衛門と違って、なにを演じて
も、彦三郎という印象が強い役者だが、今回の玉の井は、いつもの彦三郎という感じ
ではなく、力士のような感じの醜女ぶりで、堅さ、無表情を時に滲ませながら、異様
な不気味さがあり、愛情故の嫉妬というバランスをおもしろく演じていた。

今回のほかの配役では、身替わりに座禅を組まされる太郎冠者には、彦三郎の長男の
亀三郎が、のびのびとした様子で、演じていて、見応えがあった。橘屋の一家は、名
門の家系の割に、皆、おとなしく、存在感が薄いように思うが、今回は、彦三郎、亀
三郎が、挽回して来た感じがした。次男の亀寿も、頑張って欲しい。

侍女の千枝(ちえだ)が、翫雀の長男の壱(かず)太郎、小枝(さえだ)が、錦之助
の長男の隼人。ふたりは、歌舞伎教室「歌舞伎のみかた」の解説・進行も担当した。
壱太郎は、可愛らしい女形に変身してみせたが、高校2年生の隼人は、顔の輪郭が、
鋭すぎて、女形の線にならない。体の線も、娘というより、まだ、少年の堅さが見え
てしまう辺りは、まだまだ。

付録:国立劇場の歌舞伎公演予定。
10月:「天保遊侠録」「将軍江戸を去る」(吉右衛門、歌六、芝雀、染五郎、歌
昇)
11月:「国性爺合戦」(藤十郎、團十郎、梅玉)
12月:「仮名手本忠臣蔵」(幸四郎、福助、染五郎)
- 2010年7月22日(木) 7:02:49
10年06月国立劇場 (「鳴神」)


幕末の團十郎、七代目團十郎が制定した「歌舞伎十八番」では、ほとんど演じられな
い演目もあるが、良く演じられる演目もある。「勧進帳」「助六」「暫」と並んで、
良く演じられる演目の一つに、この「鳴神」も、入るだろう。私にとって、「鳴神」
で、印象に残るのは、97年9月の歌舞伎座。鳴神上人は、團十郎が演じ、雲の絶間
姫は、芝翫が演じた。これは、鳴神上人も、雲の絶間姫も、印象深く、今も、目の前
に浮かんで来る。次に、印象に残るのは、雲の絶間姫の方で、時蔵が演じていた。0
5年1月歌舞伎座で、それまで、厳しいことしか書かなかった私の時蔵論が、「角を
曲がった」、つまり、転換した舞台であった。相手役の鳴神上人が思い出せない。そ
れほど、時蔵の雲の絶間姫が、それまで時蔵が演じた「赤姫」とは、印象が異なって
いたのだ。しょうがないので、記録を見たら、鳴神上人は、三津五郎が演じていた。
そういえば、三津五郎の鳴神上人も「観たことがあったよな」という次第で、まさに
「面目次第のござりませぬ」で、「毛抜」の粂寺弾正の科白となる。

さて、幕が開くと、上手に「歌舞伎十八番の内 鳴神 大薩摩連中」、下手に「北山
岩屋の場」という看板が掲げられている。「歌舞伎十八番」の演目ならではの趣向。

「高僧 VS 女スパイの色仕掛け−鳴神−」というのが、5年前の、私の劇評のタイ
トル。「歌舞伎十八番」のうち、「毛抜」、「不動」と並んで、「鳴神」も「雷神不
動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)」という長い作品の一部分だった。いま
では、それぞれ、独立して上演されることが多いが、08年1月、新橋演舞場の海老
蔵主演の舞台のように、「通し」で、上演されることもある。この時、海老蔵は、粂
寺弾正、鳴神上人、早雲王子、安倍清行、不動明王の五役早替わりに挑戦した。

「鳴神」の劇的構造は、今回も同じで、前半は、色気のある元人妻と厳格な青年上人
のおおらかなやり取り、後半の騙された、裏切られたという鳴神上人の怨念の荒事と
の対比である。05年の自分が書いた劇評を読んだら、今回の役者の部分を別に論じ
れば、あらすじなどの紹介は、これで、良いということで、そのまま、再録すること
にした。


風格のある高僧が、女性の色香に迷い、堕落する鳴神上人は、三津五郎も悪く無い出
来であったと、思うが、團十郎の鳴神上人の、いわば「破戒後」(遅ればせの「性の
目覚め」)の、男の色気の演技は、團十郎の方が、印象的であった。一方、雲の絶間
姫は、芝翫が、重厚さを滲ませた品位のある赤姫を定式通りに演じたのに対して、今
回の時蔵は、美形、色気、品位とも十二分に発揮し、出色の出来であったので、三津
五郎の印象が弱まったかもしれない。特に、時蔵は、法力で雨を降らせ無くしている
鳴神上人の力を自分の色香で迷わせ、無力にさせ、雨を降らせようと女スパイさなが
らに、上人に近付き、己の肉体を武器にして、闘う。その際の、雲の絶間姫の喜悦の
表情は、これまでのどの役者よりも、迫真力があった。これは、凄い場面になった
と、思う。なぜ、こういうことが起きたかと言うと、次のようなベクトルが働く。

1)高僧の風格 ⇒ 色香への迷い ⇒ 堕落僧の自暴自棄
2)若い未亡人の品格 ⇒ 扇情的なテクニック ⇒ 冷徹な目的達成

修行に明け暮れ法力を身につけ、戒壇建立を条件に天皇の後継争いで、今上(きん
じょう)天皇(女帝となるはずの女性を「変成男子(へんじょうなんし)の法で男性
にした」の誕生を実現させたのにも関わらず、君子豹変すとばかりに約束を反古にさ
れ、朝廷に恨みを持つエリート鳴神上人。幼いころからのエリートは、勉強ばかりし
ていて、頭でっかち。青春も謳歌せずに、修行に励んで来たので、高僧に上り詰めた
にもかかわらず、いまだ、女体を知らない。童貞である。また、権力を握ったもの
は、それ以前の約束を無視する。権力者は、嘘をつく。どこでも、どこの時代でも、
同じらしい。まして、無菌状態で、生きて来たような人は、ころっと、騙される。歌
舞伎は、さすが、400年の庶民の知恵の宝庫だけに、人間がやりそうなことは、み
な、出て来る。

先帝から皇位を引き継げなかった王子は、上人の恨みを利用して、竜神(「八大竜王
雨止めたまえ」−−源実朝)を滝壷に閉じ込めて、天下に日照りをもたらしていた。
お陰で、政争と関係ない庶民が、旱魃で苦しむことになる。また、政治には、蔭に仕
掛人が存在するものだ(今回の注;何やら、「民主党の政権交代後の、一回目の「失
墜」と蔭の仕掛人の話に通じるような気がするのは、私だけではないかも知れな
い」)。

勅命で上人の力を封じ込め、雨を降らせようとやってきたのが、朝廷方の女スパイ
(大内第一の美女という)で、性のテクニックを知り尽した若き元人妻・雲の絶間姫
という、いわば熟れ盛りの熟女登場というわけだ。朝廷方の策士が、鳴神上人の素性
を調べ、「童貞」を看破、女色に弱いエリートと目星を付けた上での作戦だろう。

だから、鳴神上人のベクトルのうち、「色香への迷い」と雲の絶間姫のベクトルのう
ち、「扇情的なテクニック」とは、クロスする。修行の場の壇上から落ちる鳴神上
人。この芝居では、壇上からの落ち方が、いちばん難しいらしい(ここで、上人役者
は、精神的な堕落を表現するという)。上人は、自ら、姫を誘って、酒を呑む。酩酊
を見抜かれ、「つかえ」(「癪」という胸の苦しみ)の症状が起きたとして偽の病を
装う雲の絶間姫。生まれて初めて女体に触れるという鳴神上人の手を己のふくよかな
胸へ入れさせるなど、打々発止の、火花を散らした挙げ句、見事、喜悦の表情に表現
された雲の絶間姫の熟れた肉体が勝ちを占める。

「あじなもの」「何やらやわらかなくくり枕のようなもの」「先に小さな把手のよう
なもの」に触れさせた雲の絶間姫。

「ありゃなんじゃ」という鳴神上人。

「ありゃ乳でござんすわいな」「コレが乳」

情慾に初めて目覚めた男は、上人であれ、庶民であれ、熟れた女体に抵抗などできな
いだろう。危惧したように、上人の手は、熟れた女体を下へ下へと滑って行く。「ほ
ぞ(臍)」「丹田(たんでん・臍の下、下腹部)」、その下の「極楽浄土」というわ
けで、とうとう姫の女性器まで触ってしまった上人である。目を瞑り、喜悦、恍惚の
表情を深める時蔵は、もう、女形では無い。熟れた女体を武器に闘う女スパイそのも
のである。そこにあるのは、女体そのものである。時蔵は、三津五郎を騙しただけで
は無い。歌舞伎座の観客席を埋めた人々を、みな、騙した。荒事の舞台は、とんだ、
濡れ場になった。その後、沛然と雨が降るだけに、まさに、濡れ場だ。元禄時代の台
本だが、テーマは、普遍的で、現在も通用する。同じような手口に、いまも引っ掛か
る人は多いだろう。

まんまんと、鳴神上人の法力を破り、滝壷に閉じ込められていた竜神を救い出し、雨
を降らせた雲の絶間姫は、職務に忠実で、有能なスパイらしく、所期の目的完遂後、
素早く、姿を消してしまう。まさに、雲の絶間がないように、雨を降らせて、逐電
だ。破戒後、法力も破られた鳴神上人は、ぶっ返りで、本性を顕わし(ということ
は、付け焼き刃のエリートだったのだろう)、思いを掛けた女性に裏切られ、逃げら
れたので、もう、やけくそ。怒りまくり、暴れまくる。エリートほど、破局には、弱
い。破戒僧は、「生きながら鳴るいかずち」となり、まさに、鳴神⇒神鳴=雷という
わけだ。全国まで、姫を追って行く覚悟らしい。万一、望み通りに、姫を見つけたと
しても、相手の格が上でしょうね。また、弄ばれるだけ。それも知らずに、エリート
の頭でっかちは、白地に火焔が燃える衣装のまま、東西南北、奔走する覚悟らしい。

「柱巻きの大見得」「後向きの見得」「不動の見得」など、怒りまくり、暴れまくる
様を、数々の様式美にまで昇華させた歌舞伎の美学。最後は、花道での飛び六法(大
三重の送り)。荒事の決まり技の数々を披露するサービス振り。良くできた演目だ。


孝太郎・愛之助 今後の「熟成」に期待


ということで、さて、今回の舞台にも、触れなければならないだろう。雲の絶間姫
は、3つの要素を重ねていることに注意。まず、衣装通りに可憐な赤姫。品格のある
お姫様。色っぽいだけでなく、元人妻であるだけに、性の喜びを知っている大胆な官
能の場面も演じる。ついで、有能なスパイ。恋の成就を約束されて、朝廷から派遣さ
れたスパイは、難題の、封じ込められている龍神を解放させる鍵を鳴神上人から聞き
出し、上人の秘術を破ることに成功する。そういう「三段変活」のプロセスを、メリ
ハリをつけて演じなければならない。一方、鳴神上人は、位が高い、美貌の青年僧侶
だが、俗世から離れて、修行一途に生きて来たので、思う通りになっていれば、泰然
としていられるが、一旦、「破戒」=「挫折」してしまうと弱い。夫婦の杯事を始め
て、酔わされてしまう辺りは、稚気さえ感じさせる。「挫折」したことが無いから、
その影響は大きく、最後は、「火焔」の衣装通りに、「火の玉のように」怒り狂い、
自暴自棄的になって、破壊的な敗走へと突っ込んで行く始末。その対比が、鳴神上人
役者のポイント。

まず、役者論。雲の絶間姫を演じたのは、孝太郎。今回で、3回目という。相手の鳴
神上人は、愛之助で、今回で、3回目という。いずれも、私は、初見。愛之助の「鳴
神」初回は、07年7月、大阪松竹座・新築開場十周年記念「関西・歌舞伎を愛する
会 第十六回」公演。相手の雲の絶間姫は、今回同様、孝太郎。ただし、この時は、
途中から、けがで休演した海老蔵の代役だったと言う。女形出身の愛之助は、これを
契機に、本格的に立役にシフトチェンジをしたという。海老蔵の代役の時は、海老蔵
に教わり、その通りにやったという。2回目は、08年2月、博多座。相手の雲の絶
間姫は、七之助。この時、愛之助は、叔父に当たる仁左衛門に教わったということ
で、ここからが、愛之助流の鳴神上人が、本格的に始動する。仁左衛門の指導のポイ
ントは、テンポ良く、立ち役の大きさを表現するように心がけろということだったと
いう。仁左衛門の鳴神上人は、巧さに感心したという。今回も、愛之助は、当然、仁
左衛門流で演じるから、余計に、仁左衛門そっくりの舞台となる。

なにかの時に、仁左衛門の「吹き替え」(舞台上の代役)を愛之助が演じたのを観た
(「新口村」だったろうか)ことがあると思う(というのは、「吹き替え」は、筋書
の配役に載らないから、正確には、判らないということになっている)。その時の、
愛之助は、本当に、仁左衛門そっくりであった。普通、「吹き替え」役者は、体格、
特に、背格好など本役の役者と似ている人が演じるが、顔まで似せる訳には行かな
い。そこで、後ろ姿を観客に見せながら、演じる。化粧でごまかせば、少しでも似て
いるという程度にこぎ着けられれば、せいぜい、斜め横顔くらいを見せるかな、とい
う感じ。ところが、愛之助が、仁左衛門の吹き替えをした時は、ああ、堂々の「正面
向き」という大冒険ながら、それでも、仁左衛門が演じていると思ってしまうほどで
あった。そういう顔つきに加えて、仁左衛門直伝の演技指導とそれを忠実に守る愛之
助の演技ということで、ここは、もう、「息子」の孝太郎と「父親」の仁左衛門のコ
ンビで、雲の絶間姫と鳴神上人の芝居を演じているという雰囲気で、終始した。鳴神
上人の扮装は、御簾を下げたお堂に籠り、観客席からは見えない「濡れ場」を演じた
上に、御簾が上がると、前半の総髪(さすが、美男の上人は、坊主頭では出てこな
い)から、髪の逆立った「毬栗」という鬘に変えて、隈取も入れて、衣裳は、「ぶっ
返り」という早替わりの手法を使って、白地に火炎模様の描かれたものに替わってか
ら、荒れ回る。鳴神上人と所化たちとの立ち回りは、豪快だ。下手岩屋の上から、滝
を背景にして、立ち回りを演じる大勢の「同宿(所化)」のひとりが、トンボを返し
て、飛び降りたし、また、途中から、人形にすり替わり、宙高く放り投げられる所化
(この所化役は、黒衣がサポートして持って来た黒い幕を冠って、舞台奥へ姿を消し
て行った)もいて、江戸歌舞伎の花、荒事の、歌舞伎十八番らしい趣向の場面が続
く。

ただし、最後に「飛び六法」を踏みながら、花道を退場する辺りは、66歳という、
本物の仁左衛門より、38歳という愛之助の年齢差「28歳」が、如実に出て、若い
鳴神上人の姿が、浮き上がって見えて来た。愛之助が、仁左衛門そっくりに演じたと
はいえ、そこは、まだまだ、仁左衛門の「域」には、達していない。團十郎のところ
で、触れたように、三津五郎より、團十郎の方が、「男の色気」が、印象的であった
と書いたが、「男の色気」では、團十郎にも負けない仁左衛門だが、愛之助の「男の
色気」は、まだまだで、滲み出てこない。これは、滲み出てくるもので、真似て出来
るというものではないので、愛之助の今後の課題だろう。

今回の舞台について、愛之助の話を読んでいたら、仁左衛門の指導では、杯事のくだ
りで、雲の絶間姫と居処を変えたという。そこが、海老蔵に教わった時と大きな違い
だという。つまり、杯の場面では、雲の絶間姫が、主導権を握ったということを明確
に演じるのが、仁左衛門流だと言っている。ここは、大事なポイントだろうから、次
に、別の役者の「鳴神」の舞台を観る時に、注意して観てみようと思う。

さて、やっと、雲の絶間姫を演じた孝太郎について述べる段階になったが、父親の仁
左衛門とコンビを組んで、様々な役柄に挑戦中で、進境著しいとはいえ、芝翫や時蔵
と比べてしまうと、まだまだ、ということになってしまう。孝太郎の雲の絶間姫は、
3回目で、うち、2回は、愛之助が、相手。孝太郎は、芝翫に教わったという。「逆
八文字」という「八」の字を逆さにしたような眉(左右の端が、上がっていて、端に
行くほど、眉が太くなっている)が雲の絶間姫の、いわばトレードマーク。ここに、
雲の絶間姫の「スパイという事情」が、集約的に表現されているように思う。スパイ
の本性を出した時、孝太郎は、背中にある黒い帯の両端を持つようにして、両手を拡
げて、「目的(ターゲット)」に接近して行ったのが、印象に残った。まあ、それな
りに、複雑な役回りを多重構造で持っている雲の絶間姫としては、孝太郎も、それな
りに演じていたが、上品すぎる、というか、多重性が感じられない嫌いがある。つま
り、先に述べた可憐な赤姫。品格のあるお姫様は、孝太郎も、手慣れているが、元人
妻であるだけに、性の喜びを知っている大胆な官能の場面(気を失った鳴神上人に口
移しで、水を飲ませたり、着物の胸に手を入れさせて、もだえたりする)が、弱い。
特に、「官能」の出し方が、時蔵でさえも、何年もかかったのだから、孝太郎も、ま
だ、何年もかかるだろうが、精々精進して欲しいと思った。雲の絶間姫の衣装は、普
通の「赤姫」の衣装より重いという。「簑(みの)」という鬘が重いそうだ。

このほか、「荒事」に、コミカルか味わいを付加して、舞台の幅を拡げるのが、
同宿(所化)の、白雲坊(松之助)と黒雲坊(橘太郎)のふたり。

今回は、歌舞伎鑑賞教室だったので、前半は、澤村宗之助らによる歌舞伎の解説が
あった。

(了)
- 2010年6月15日(火) 10:07:33
10年05月国立劇場 (人形浄瑠璃・第二部「新版歌祭文」「団子売」)


お染・久松の心中事件〜初めに、結末ありきの物語〜


「新版歌祭文 野崎村」は、1780(安永9)年、9月に大坂竹本座が、初演。そ
ういえば、第一部の「碁太平記白石噺」も、1780(安永9)年の初演で、こちら
は、正月興行だ。「新版歌祭文 野崎村」は、近松半二ほかの原作で、80年前に実
際に起きた心中事件を元に脚色している。上下二巻の世話浄瑠璃。当時、歌曲、浄瑠
璃、歌舞伎が、つくられたが、近松半二らが、それを集大成した。歌舞伎では、「妹
背山」の「山の段」(歌舞伎では、「吉野川」)同様に、左右対称の舞台装置を得意
とする半二劇の典型的な演劇空間で、両花道(本花道、仮花道)を使う。時に、本花
道だけの演出もある。花道の無い人形浄瑠璃の舞台では、この場面を、どういう演出
で上演するのか、見所のポイントの一つになるだろう。歌舞伎では、さらに、両花道
と廻り舞台のスムーズな連携が、この演目のハイライトだから、廻り舞台機構も無い
人形浄瑠璃の舞台では? ということで、普通の人には、どうでも良いことに私は拘
る。

1710(宝永7)年、大坂で起きたお染・久松の情死という実話が元になっての狂
言で、大坂の大店油屋で大事に育てられた娘と武家出身で複雑な家庭環境に育った若
い使用人の心中物語という「お染・久松もの」の世界。しかし、歌舞伎では、「野崎
村」の場面ばかりが上演されて、「心中」までは、描かれない。今回の人形浄瑠璃で
は、「野崎村の段」に引き続き、「油屋の段」「蔵場の段」が、上演されるので、私
は、ふたりの心中の場面まで、見届けることになる。

大店の娘と若い使用人の物語としては、それより、更に50年ほど前の1662(寛
文2)年、姫路で起きた「お夏・清十郎もの」という歌舞伎や人形浄瑠璃の先行作品
があり、これが、俗謡の「歌祭文」となったことから、近松半二ほかの原作では、久
松の養父・久作に、この「歌祭文」のことを触れさせるが故に、外題を「新版歌祭
文」とした。今回の人形浄瑠璃では、舞台の最初の方で、「冬編笠も燻(ふすぼ)り
三味線つぼもすまたの弾き語り」が、繁太郎節に載せて、「お夏清十郎の道行」を書
いた「上下綴ぢ本」を六文で売り歩いている場面が出て来る。

歌舞伎の「新版歌祭文 野崎村」は、何回か観ていて、なかでも、05年2月の歌舞
伎座の舞台は、忘れられない。芝翫のお光、富十郎の久作、雀右衛門のお染、鴈治郎
の久松、田之助のお常(油屋の後家)。なんと、5人とも、人間国宝という重量級の
組み合わせであった。人形浄瑠璃は、初見。

歌舞伎も人形浄瑠璃も、「野崎村」という通称に示されているように、この場面だけ
を観ると、軸となるのは、野崎村に住む久作と後妻の連れ子のお光(今回の人形浄瑠
璃では、おみつ)の物語。大坂の奉公先で、お店のお金を紛失(盗んだという嫌疑も
ある)し、養父・久作の家に避難して来た養子の久松、久松と恋仲で久松の後を追っ
て訪ねて来たお店のお嬢さん・お染、さらに、お染を追って来たお染の母・お常(今
回は、お勝)が登場し、お染も、久松も、店に戻されるという展開になるだけの話。
皆、野崎村に来て、お騒がせをして、帰って行く。しかし,軸は、お光と久作である
ことを忘れてはならない。髪を切り、人生の岐路を曲がってしまうのは、お光であ
り、それを健気だと慈しむのが、義父・久作であるからだ。

おみつの人形を遣うのは、人間国宝の簑助。ハタキを掛けたり、箒で掃いたり、簑助
は、慈しむようにおみつを操る。動きの無いような場面でも、片時も、逃さず、きめ
細かく命を吹き込み続けている。簑助が、女形の人形を操る時の表情が好きだ。老年
の男の顔つきの下から、何とも言えない女の色気が滲み出て来るからだ。若い女形の
人形の場合、人形の首(かしら)は、今回のように、「娘」を使う。娘の顔は、人形
だから、表情の変化は、無い筈なのに、簑助が遣っていると無表情な人形の顔に、簑
助の表情が移り、人形の表情が、俄然、豊かなものに変じて来るという場面を何回も
観て来た。「人形遣いの魔法」とでも呼ぶべき、異変が、人形の表情に起こるのだろ
うと思う。だが、最近、そういう魔法の魔力が弱まって来ているのではないかと危惧
することがある。今回も、簑助は、絶えず、人形にきめ細かく命を吹き込み続けてい
るのだが、そして、それは、ほかの人形遣いたちが、ともすれば、命を吹き込み続け
ることを「休んで」しまっているというような場面でも、簑助だけは、命を吹き込み
続けているのが、判る。それは、変わらずに、判るのだが、その命の吹き込みの、な
にか、衰えのようなものが感じられるのが、気にかかる。そういう思いをしながら、
簑助とおみつを見続けた。あるいは、男を知らない処女、おみつの色気を、簑助は、
抑制的に演じたのか。いや、最近の簑助は……?

やがて、歌舞伎では観たことの無い人物が登場する。大坂油屋の「久三(きゅうざ・
下男のこと)の小助」が、歳暮の山芋を入れた藁苞(わらづと)を担いで大坂油屋へ
向かった久作と入れ違うように、久松を連れて、野崎村にやって来る。久松は、店の
売り掛け金を紛失(実は、財布をすり替えられたのだが、盗んだという嫌疑がかけら
れている)したので、身の証が立つまで、養家に戻されて来たのだ。

一方で、久作の後妻の連れ子のおみつは、養子の久松との婚礼を楽しみにしている。
事情はどうあれ、恋しい久松が、戻って来たので、嬉しいおみつ。

小助を勘十郎が、憎々しげに演じる。虫の知らせか、途中から引き返して来た久作
が、小助と応対し、藁苞にいれていた金を小助に渡すと、小助は、大坂に戻って行く
(勘十郎が、操る以上、小助は、これだけの役の筈は無い。それは、後段で、はっき
りして来る)。自分の祝言の準備に取りかかるおみつ。久松の人形を遣うのは、豊松
清十郎。久作の人形を遣うのは、吉田玉女。

歌舞伎の「野崎村」では、この辺りから、演じられるので、歌舞伎では、「嬉しいお
光」ばかりを強調する印象になる。歌舞伎のお光は、鏡に向かって、髪を直したり、
肌色の油取りの紙を細く折り畳み、それで眉を隠して、眉を剃り落として若妻になっ
た様を見せて、自分で「大恥ずかし」と言わせたり。人形浄瑠璃の竹本も、文字久大
夫から、綱大夫にバトンタッチ。

「引き立て入りけり」。
そこへ、大坂から野崎参りにかこつけてお染がやって来る。おみつは、若い女性の直
感で、お染を「恋敵」として、鋭く認識する。お染持参の土産物の服紗を投げ返した
り、門の戸を閉めたり、娘らしい嫌がらせをする。この辺りの、おみつの動きは、簑
助に、力の衰えを危惧した私の思いが懸念だったような気にさせるほど、巧い。箒を
逆さまにして立てかけたり、久作に使うお灸の火で、お染に嫌がらせをしたり、いか
にも、田舎育ちの若い娘がやりそうな、悋気から来る素朴な嫌がらせをおみつは、す
るのである。

お染は、お嬢さん育ちで、おっとりしている所為か、嫌がらせに耐えながらも、心中
(しんちゅう)には、烈しいものを秘めているように見受けられる。男との性愛の味
を知った女性の強さもあろうし、心底に久松との心中(しんじゅう)をも辞さないと
いう強気が、すでに隠れているからなのでもあろう。お染の身体と心の深淵は、意外
と深い……。

花嫁の化粧をしようと、おみつが、久作とともに、奥に引っ込むと、お染は、久松に
詰め寄る。山家屋に嫁ぐ話が進んでいるお染は、久松の真意が知りたいと焦ってい
る。積極的である。竹本は、切の住大夫にバトンタッチ。

「深き契りかや」。
バトンタッチが済む間、お染と久松の人形は、しっかり、寄り添ったまま。静かだ
が、官能的。まさに、「深き契り」。そんなふたりを見て、お夏清十郎を引き合いに
出し、ふたりの行動を諌める久作。既に、男女の仲になっているお染・久松。処女の
田舎娘のおみつ。「深き契り」の様を壁越しに肌で感じたおみつのとるべき途は? 
ということで、恋敵お染の存在を知り、奥で、髪を切り、尼になったおみつ。処女
は、修道女(尼)になった。住大夫の語りは、そういう「転換」を実感させる。

そこへ、大坂からお染の母親が、訪ねて来て、結局は、お染・久松を大坂に連れて帰
ることになる。小助のからみを除けば、大筋は、歌舞伎も人形浄瑠璃も、同じだ。こ
こから、先が違って来る。

歌舞伎では、舞台が回り、久作の家の裏手の舟着き場が現れる。水布が敷き詰められ
て、川となった本花道から、お染と母親を乗せた舟が大坂を目指す。土手の街道と
なった仮花道から、久松を乗せた駕篭が大坂を目指す。

人形浄瑠璃では、舞台の構造上、そういう演出は取れない。舞台下手手前に川があ
り、下手小幕から出て来た屋形舟にお染と母親が乗る。母親が乗って来て、下手奥の
袖に置かれていた駕篭に久松が乗る。「死んで花実は咲かぬ梅、一本花にならぬ様に
めでたい盛りを見せてくれ。随分達者で」と、久作。

やがて、舞台の久作宅の大道具(屋体)が、本舞台奥に引き入れられる。引き道具と
いう演出だ。山の遠見が降りて来る。本舞台前面が、川になる。川の奥が、土手にな
る。川には、障子を締め切った屋形舟(両脇が、黒い布で、隠されている)を大男
の、力士のような太った船頭が舟を漕ぐ。漕ぎながら、体操まがいの動きをさせて、
「チャリ場」(笑劇)を演じる。駕篭の簾を垂らしたままで、駕篭が、下手から上手
に移動し、舞台中央の辺りで、駕篭かきに休憩をさせて、汗を拭わせる。歌舞伎な
ら、本花道で屋形舟の障子を開けて、お染の顔を覗かせるし、仮花道で、駕篭の簾を
開けて、久松の顔も覗かせる。別れ別れの道行を観客に見せつける。見せつける時間
稼ぎのために、駕篭かきにチャリ場を演じさせる。

歌舞伎も人形浄瑠璃も、この場面では、早間の三味線が、ツレ弾き(2連で演奏)さ
れるが、浄瑠璃のことばにあるような「『さらばさらば』も、遠ざかる舟と堤は隔た
れど、縁を引き綱一筋に思ひ合ふたる恋仲も」という余情は、感じられない。

3人遣いの人形を屋形舟には、ふた組(つまり6人、船頭の3人遣いを入れれば9人
か)、駕篭には、一組乗せて、本舞台を下手から上手へ移動させることは出来にくい
だろうということだろうと推察した。

その結果、歌舞伎なら、本舞台土手上の久作の家では、死を覚悟したお染・久松の恋
に犠牲になり、髪を切り、尼になったお光が、そこは、若い娘、大坂に帰るお染の乗
る屋形舟と久松の乗る駕篭をにこやかに見送りながら、舟も駕篭も見えなくなれば、
一旦,放心した後、我に返ると、狂ったように、父親に取りすがり、「父(とと)さ
ん、父さん」と泣き崩れる娘の姿があった。まだ、尼(修道女)になりきれない、若
い処女の、最後の真情発露であろう。人形浄瑠璃では、そういう余韻は無いので、こ
ういう場面も無い。

さて、次からは、歌舞伎では、私が観たことがない場面に突入する楽しみがある。


ふたりの権太〜改心する権太と改心しない権太〜


まず、「油屋の段」から、観て行こう。大晦日の大坂の大店だが、なにか、様子がお
かしい。勘六という権太(ろくでなし)が、徳利をぶら下げて、登場する。油絞りの
住み込み職人で、年中裸同然でいるので「だはの勘六」と呼ばれている。酒好きな乱
暴者のようだ。「障らぬ神に祟りなし」と、皆から敬遠されている嫌われ者。勘六の
人形を遣うのは、玉也だから、これも、重要な役どころと知れる。

「今朝からとんと顔見ぬなう」と噂をされていた例の小助が、外からは、油屋の主人
然として、茶屋女の肩を借りながら、二日酔いの状態で、茶屋遊びから帰って来る。
勘十郎が操る小助は、久三(きゅうざ)と呼ばれる下男の筈だが、「木綿でもなく絹
でもなく、せう事なしの山繭紬、久三小助の廓通ひ」と、「仮名手本忠臣蔵」(「新
版歌祭文」初演の30年余前初演された)の「由良助の侘住居」という「山科閑居」
の場面のパロディとなって、登場する。

店に入る前に羽織などを脱ぎ、物陰で、尻からげで、掃き掃除をする下男の格好に
なってから、店に入って来る。こいつも、権太に違いない。つまり、油屋の場面で
は、冒頭から、ふたりの権太が、登場する。大晦日という、商店にとって、仕事納め
の大事な日のはずなのに、どうも、店の規律が、緩んでいるようだ。そういえば、店
の主人がいない。既に亡くなっていて、お染の母のお勝が、後家の細腕で、なんと
か、店の切り盛りをしようとしているのだが、ふたりの権太に食い物にされているの
だろう。特に、小助の金遣いは、荒そうだ。店の金をごまかされては、いないかね。
お勝さん。

野崎村から戻って来た久松とお染が、痴話喧嘩。茶屋から「久様」宛の文が相次いで
来る。「久様」ならば、久松しかいない。久松が、茶屋狂いをしているのだろうとお
染は、悋気するが、「久様」というのが、いない筈の油屋旦那に化けて、荒い金遣い
をする「久三の小助」の「久」だとは、後に判る。田中屋という馬場先の茶屋から、
油屋旦那の「久三郎」宛に、借金取りに来て、小助が、応対して、ばれる事になる。
更に、小助は、お染の許嫁・山家屋が、持って来た結納金の10両をくすねて、この
罪を久松になすり付けようとするなど、小悪党が、悪さ三昧(なぜか、最後まで、悪
さ三昧が、許されるという不思議)。

久松の乳母の登場(人形を操るのは、和生なので、これも、重要な役どころ)、お染
の許嫁で、質屋山家屋の主人・佐四郎と誓紙を売りに来た鈴木弥忠太という武士(実
は、宝刀を盗んだ犯人)の登場で、殿から預かった宝刀を紛失して、父親の丈太夫が
切腹した久松の実家・相良家の事情と盗まれた宝刀が、どうやら、質屋山家屋に持ち
込まれていることなどが、次第に、明らかにされて来る。

小助が隠した10両が、勘六の飯茶碗から飛び出して、久松の濡れ衣が晴れる。やり
とりから、勘六が、幼い頃生き別れをした久松の乳母の息子と判り、善人に「戻る
(魂が返った)」。本当は、勘六も、久松の実家のために、宝刀を探していたという
のだ。山家屋が、結納金とともに、油屋に持って来ていた脇差が、宝刀だったという
のだ。こうして、ふたりの権太のうち、勘六は、久松側という正体を明らかにする。
勘六は、この後、最後まで、久松の「忠臣」として、揺るぎが無い。時代物の演出法
を世話物に取り入れたということだろう。しかし、小助は、改心しない権太のまま
だ。つまり、「油屋の段」で、勘六は、「義経千本桜」(30年余前初演)の「いが
みの権太」のパロディだったことが判る。

つまり、「油屋の段」では、小助の出が、「仮名手本忠臣蔵」の「由良助」のパロ
ディ、勘六の人物造形が、「義経千本桜」の「いがみの権太」のパロディというポイ
ントは、忘れない方が良い。

しかし、私には、ここまで来ても判らないことがある。母親のお勝の人物造形が、
はっきりしてこないということだ。お勝が、後家の頑張りも力及ばず、下男の小助に
いいようにされて店の金をちょろまかされていながら、起請(久松宛のお染の誓紙)
を500両という高値でも買おうとする財力があるようだし、侍が久松の乳母に返し
て寄越した手付金が、包み紙の違いから、とっさに偽金にすり替えられていると見抜
く眼力があったり、質屋の山家屋に宝刀が持ち込まれているのを察知し、山家屋がお
染に執心する気持ちにつけ込んで結納として、(久松のために)宝刀を手に入れたり
という才覚もある。お染を山家屋に嫁がせようと躍起になったのも、久松のお家大事
の、跡目相続を成就しようという気持ちからだと言い、久松に武家への復帰のため
に、宝刀(実際は、偽物だったが)を持たせて、和泉の国石津の蔵屋敷お留守居役に
逢いに行かせる。小助の正体を見抜けなかった以外は、聡明な女性のように見える。

すっかり改心した乳母の息子の勘六が、母と一緒に、久松に付き従う。一方、執拗に
久松に付きまとおうとする小助は、勘六に投げ飛ばされる。改心した権太と改心しな
い権太のコントラスト。小助が、久松につきまとって、嫌がらせを続けるのは、なぜ
か。これも、判りにくい。お染への横恋慕でもなさそうだし……。


初めに、結末ありきの物語


「蔵場の段」。油屋の店先という大道具が、本舞台奥へ、引っ込められて(「引き道
具」という)、一旦、幕が下り、再び、幕が開くと、蔵場という、油屋の店の奥が、
せり上がって来ている。下手に、黒塀。内側の庭に見越の松。そして、蔵。二階に高
窓。中央に、井戸。上手に油屋奥座敷。

しかしながら、お勝は、「癪対策の岩田帯」をお染に触らせて、自分の不義(「後家
は立てても離れぬ煩悩」で、芝居の若衆方と過ちを犯して、妊娠したとでっち上げ
る)を告白するという「嘘」をついてまで、お染を山家屋に嫁に行かせようとするの
は、久松の相良家の相続のためだけなのだろうか。それとも、違う事情でもあるの
か、なぜなのか。それが、特に、判らない。そうなると、お勝の人物造形も、更に判
らなくなってくる。お染は、お家の跡目を継いで、久松が武家の世界に戻るなら、も
う、久松と、この世界では、添えないのだからと、あの世での逢瀬を楽しみに、自害
をしようと覚悟してしまっているというのに。

一方、久松も、宝刀が偽物と判り、「お染に暇乞ひ、死ぬる覚悟に立ち戻り」で、油
屋へ戻って来る。黒塀を乗り越え、なぜか、開いていた蔵場へ入り込む。しぶとい小
助が蔵の裏側から現れて、久松の入った蔵に鍵をかけてしまう。どこまでも、根性悪
の下衆男なのだろう。さらに、鈴木弥忠太も、立ち戻る。勘六は、久松とともに蔵屋
敷のお留守居役のところに行ったのだが、宝刀が偽物と判って、鈴木弥忠太の持って
いる本物の宝刀を奪おうと追いかけて来たのだ。すっかり、聡明になった忠臣・勘
六。

なのに、お染も久松も、最後の詰めの大事な場面で、「詰め」を怠り、それぞれの運
命は、もう、交差せず……。お染は、久松と添えないと思い込み、井戸に身を投げ
る。蔵の高窓から、顔を出していた久松は、お染の入水を見ていたのか。お染の後を
追おうとしたのか。「暗紛れ」のなかで、宝刀を争う勘六と鈴木弥忠太。宝刀は、勘
六の手に入ったという大団円を迎えて、めでたしめでたしのはずなのに、蔵のなかか
ら外に出られない久松は、蔵のなかで、なぜか、首を括って、自害してしまう。見切
り発車のような、それぞれの自害ではなかったのか。「曾根崎心中」のような、綺麗
な心中ではないが、ほぼ同時の、死の道行。小悪党の小助は、最後まで、しぶとい。
竹本「久三の小助『久松めはくたばつた』」と呼ばはり出づる」。「エヽ早まつた御
最期」とは、勘六の声。

実際にあった店の主人の娘と丁稚とが心中した「お染・久松事件」を脚色したと評判
になった芝居の集大成だけに、原作者の近松半二らは、どうでも、ふたりを死なせな
いと収まりがつかないということなのだろうか。お染の山家屋への嫁入りの強制の事
情とともに、お染・久松の、それぞれの自害の切っ掛けや事情も、実は、良く判らな
いが、そこは、初めに結末ありきの芝居つくりという視点を入れれば、見えてくるも
のがある。一方では、私の胸中に残る判りにくさは、そういうシチュエーションの無
理が、きしんで、悲鳴を上げているようにも、見受けられる。


「団子売」は、歌舞伎では、何度か観た。人形浄瑠璃は、初見。最近、国立劇場で
は、人形浄瑠璃で、「景事(けいごと)」(舞踊劇)を演目に取り入れているが、従
来、人形浄瑠璃で、舞踊劇を観るのは、稀だったのではないか。

団子を売り歩く、杵造とお臼という夫婦という設定で、名前も、即物的。初春の大坂
の町の華やかさ。背景となる町家。商店が連なる。「大和屋」とか、□(四角)のな
かに、「岩」の字を入れた紋が染め抜かれた暖簾や幕が、認められる。

口上から始まって、米を餅にするまでを男女の仲に例えながら、踊る。杵(男性
器)、臼(女性器)と、こちらも、あからさま。「臼と杵とは女夫(めおと)でござ
る。やれもさうやれ」と、セックスをはやし立てる。「父(とと)んが上から月(突
く?)夜はそこだよ」。「団子が出来たぞ」は、「子が出来たぞ」だろう。「臼と杵
との仲もよや」。夫婦和合を賛美して、人形が踊るように、操る。第一部の「連獅
子」同様の趣向。

贅言;人形浄瑠璃の女形の人形は、普通、足が無い。足遣いは、着物の裾で、女性の
足を表現する。しかし、「連獅子」の雌獅子も、そうだったが、「団子売」のお臼
も、足がある。後ろ脚を跳ね上がるように踊ってみせるので、足首の後ろに突いた
「取っ手」まで、見えてしまう。

杵造は、片方に、「とびだんご」と言う文字と串刺しの団子の絵を描いた行灯付きの
台、もう片方に、臼をぶら下げた天秤棒を担いでいる。杵造の人形は、3人遣いが操
り、更に、ふたりの人形遣いが、遊軍的に天秤棒をサポートしたりしている。竹本
も、三味線方も、5人ずつ。

歌舞伎では、役者が、「ひょっとこ」と「お多福」の面を付け、男女の和合を強調す
る。明るく、セクシャルで、コミカルな踊り。大坂の天神祭。太鼓の音も、コンチキ
チと祇園祭風に聞こえる。

やがて、人形浄瑠璃の舞台でも、餅が搗き上がる。浄瑠璃の文句も、「高砂尾上」の
翁と媼の話(「松の唄」)になり、長寿、めでたしめでたしで、女夫連れの団子売
は、次の商いの場へと向かって行く。
- 2010年5月16日(日) 13:01:29
10年05月国立劇場 (人形浄瑠璃・第一部「祇園祭礼信仰記」「碁太平記白石
噺」「連獅子」)


歌舞伎から人形浄瑠璃へ


第一部は、午前11時からの開演だったが、10時45分に浅黄幕の前で、三番叟が
演じられた。人形は、主遣い、足遣いのふたり遣いで、つまり、左遣いが、いない。
5分足らずだが、場内が、落ち着いて来る。今回は、この「ふたり遣い」を本番の場
面でも、観ることになる。

「祇園祭礼信仰記」、通称「金閣寺」は、歌舞伎では、何回も観ているが、人形浄瑠
璃では、初見。この芝居「祇園祭礼信仰記」は、元々の外題が、「祇園祭礼信長記」
であったことでも判るように、織田信長の一代記をベースにしている。1757(宝
暦7)年、人形浄瑠璃の大坂豊竹座で、初演された。全五段の時代物。四段目の中か
ら切にあたるのが、「金閣寺」。敵対する松永大膳と此下東吉が、本心を隠し、素知
らぬ顔で、碁盤を挟んで、互いの肚の探り合いをするので、通称「碁立て」と呼ばれ
る。浄瑠璃の文句にも、「碁立て大膳」「一間飛びに入り込んだも」「岡目八目」
「宿石(ねばま)の返事」「一目、かう押さへて」…「中手(なかで)を入れて」な
どという碁の専門用語が、ちりばめられている。

情慾と暴力に裏打ちされた「権力」への野望に燃える極悪人・「国崩し」役の松永大
膳対「藝の力」、つまり「文化」の雪姫(画家の雪舟の孫という想定)、それを支援
する此下東吉こと、真柴筑前守久吉(つまり、豊臣秀吉のこと)らという構図。これ
は、つまり、「武化と文化の対決」ということで、桜の花びらを「絵の具」代わりに
使い、足のつま先を「筆」代わりに、鼠の絵を描いて、魂の入った鼠たちに加勢させ
て、縄で縛られた雪姫が、縄を鼠にかじらせて、己の戒めを解かせる、という話。文
(化)が武(化)に勝利するという、判りやすい芝居だ。ペンは、剣よりも強し。

雪姫は、「本朝廿四孝」の八重垣姫、「鎌倉三代記」の時姫ととともに、「三姫」と
呼ばれる大役のひとつである。歌舞伎では、雪姫は、雀右衛門、玉三郎で、私は、何
度か、拝見した。

今回の人形浄瑠璃で、雪姫の人形を操ったのは、桐竹勘十郎で、右手の袴の「ポケッ
ト」に入れて、左手だけで、人形を遣っている。左遣いも、いない。主遣いの勘十郎
と顔を隠した足遣いのふたり遣い。その不自由さが、縛られている雪姫の不自由さと
協調して、非常に判り易い。

「爪先鼠の段」では、遊軍的な動きをするふたりの黒衣、あるいは、人形遣いが、桜
の花を下から投げ上げる。差し金で、鼠を遣うのも、同じく、遊軍的なふたり。桜に
花が、ぽんぽん、下から吹き出して来る。鼠が、ちょこちょこ動き回る。

竹本津駒大夫が、雪姫の科白を言う。「父の敵は大膳ぢやわいなう、エヽこの事が知
らせたい、この縄解いて欲しいなあ、エヽ切れぬか、解けぬか」。時代がかった科白
廻しの後ろに、うめくような「この縄解いて欲しいなあ」という科白の現代的な表現
が、ひょこと、顔を出したと思ったら、再び、「エヽ切れぬか、解けぬか」と、時代
に染まった科白があり、印象的だった。後で、床本で確認して見たが、その通りだっ
た。

松永大膳は、極悪人だ。罪状を「社会部記者」的な視点から見ると、主君の十三代将
軍・足利義輝に謀反し、将軍思い者の遊女を唆して、将軍を射殺させ、将軍の母・慶
寿院尼を金閣寺に幽閉し、己も金閣寺に立てこもっているという、「反逆罪」の政治
犯、つまり、「国崩し」。室町御所で見初めた雪姫の尻を追い掛けるセクハラおや
じ。恋人の直信と逃げた雪姫は、直信に横恋慕する後家の策略で、大膳の元に行かさ
れ、大膳の手で、幽閉され、「蒲団の上の極楽責め」にあっている。夫の直信も、捕
らえられている。いくつもの「逮捕監禁の罪」を犯している。大膳は、さらに、雪姫
の父親・雪村を殺して、祖父雪舟から受け継がれた宝剣を奪っている。「強盗殺人の
罪」。暴力と情慾で、好き勝手なことをしている。「金閣寺」の場面でも、雪姫に対
して、天井の一枚板に龍の墨絵を描け、描かないのなら、閨の伽(セックスの相手)
をしろと、いまも、無理難題を突き付けている。「脅迫の罪」など、多重な犯罪者で
ある。

さて、今回、私がいちばん注目したのは、歌舞伎では、大道具のせり上がりが、見せ
場だが、人形浄瑠璃では、どういう演出を見せてくれるかということであった。歌舞
伎では、金閣寺の大道具(楼閣)が、「大ぜり」に載ったまま、せり下ると二階に
は、十三代将軍・足利義輝の母・慶寿院尼が幽閉されているという場面展開になる。
人形浄瑠璃でも、珍しく、大ぜりを見せてくれる。しかも、楼閣は、なんと、歌舞伎
より一階多い三階建てで、慶寿院が幽閉されているのは、最上階の「究竟頂(くっ
きょうちょう)」というから、誠にダイナミックである。

一階では、楼閣の下手に桜木があり、そのさらに下手に、滝がある。雪姫を救い出し
た久吉は、慶寿院を救出しようと桜木を上り、楼閣の二階から三階を目指す。そうい
う人形の動きにあわせて、大ぜりが、沈み始め、楼閣の二階が現れると、辺りは、滝
も桜木も、桜の枝枝の下に沈み込み、満開の桜の花一色に、早替わりする。道行の
「吉野山」の桜も、見事だけれど、こちらは、桜のほかには、松も無く、楼閣の背景
には、澄み切った青空が、広がるばかり。それ以外の舞台は、本当に桜一色。なんと
も、美しい眺めである。やがて、桜の花の間に見えて来るのは、竹か。

大ぜりを使ったこの三層の金閣寺楼閣の演出は、初演時からのものだそうで、それゆ
えに、3年越しの大当たりになったという。

さらに、久吉は、三階に上がり、慶寿院を救出し、合図の狼煙を上げると、桜の間か
ら、呉竹をたぐり寄せて、竹のしなる力を利用して、慶寿院を地上へと脱出させると
いう離れ業まで披露する。歌舞伎役者では、真似の出来ない、人形ならではの演出だ
と思う。基本的な筋立ては、歌舞伎も人形浄瑠璃も、変わらないが、「超人」の人形
と生身の「人」という役者との違いが、芝居の演出を、くっきりと見せてくれるか
ら、人形浄瑠璃の愛好者は、こういう細部にも、魅かれるのだろう。

三階の襖は、山々の遠景。二階の襖は、金地に桐の木の絵、一階の襖は、金地に虎の
絵。桐は、東吉、実は、筑前守久吉がらみ、虎は、軍平、実は、加藤正清がらみ、と
いう辺りも、基本的に、歌舞伎も、人形浄瑠璃も、同じであった。楼閣は、再び、上
がり続け、三階の「究竟頂(くっきょうちょう)」が、天に上り、二階が、それに続
き、以前の一階の場面に戻って来る。満開の桜も天に隠れて消え去り、舞台上手に
は、雪姫が、閉じ込められていた障子の間が、現れる。障子が開くと、そこは、座敷
牢の体になっていて、今度は、松永大膳が、戒めを受けて閉じ込められているという
図。金閣寺を包囲するのは、久吉の軍勢である。権力者の力関係が、逆転したという
わけだ。


主役は、浅草の町とそこに生きる人々


「碁太平記白石噺」。1780(安永9)年、江戸の外記座で、初演された。全十一
段の世話物。豪商と大工の棟梁、医者などの、江戸の通人たちが、合作した演目。歌
舞伎では、「新吉原揚屋の場」を何回か、観ている。吉原で、人気の花魁になってい
る姉の宮城野を探しに来た妹のおのぶ(両親を亡くして、巡礼に出た)が、吉原の揚
屋大黒屋主人の惣六(おのぶが妹とは知らないまま、姉の宮城野を抱えている)に助
けられ、吉原に辿り着き、奥州弁という奇妙な訛りの言葉を使って、アイデンティ
ティを主張し、無事、姉と再会を果たす。互いに、姉妹と知れ、感激するふたり。

だが、妹の話から父親が殺され、母親が病死したことを知り、姉妹で敵討ちに行こう
と決意する。それを立ち聞きした惣六が、宮城野の年期証文を反古にするとともに、
ふたりに「曽我物語」を引き合いに出して、敵討ちの時期を待てと諭すという単純な
筋。女曽我物語。かっこ良いばかりの惣六の人物造形は、薄っぺらだ。「新吉原揚屋
の場」しか上演しない歌舞伎では、洒落た江戸の吉原の風俗と江戸っ子・惣六の気風
を見せるという趣向だけの芝居という印象が強い。歌舞伎の印象では、1枚の風俗錦
絵のような舞台だった。

人形浄瑠璃は、初見だから、どういう見せ方をしてくれるのか、楽しみにして舞台を
観た。今回の人形浄瑠璃では、「新吉原揚屋の段」の前に、「浅草雷門の段」が、上
演された。この場面は、いわゆる「チャリ場」(喜劇)で、たわいのない脇筋だが、
おもしろかった。

「浅草雷門の段」。幕が開くと、舞台中央で、板付きの人形が、既に動いている。
「どじやう」というニックネームの大道芸人の豆蔵が、手品を見せようとしている。
花にかこつけて、いま、人気の吉原の花、それも、大輪の花・宮城野太夫のピーアー
ルをしている。さまざまな花を取り出してみせて、周りを取り囲んだ観客から銭を貰
い受けると、酒を飲みに行ってしまう。舞台上手から登場したのが、吉原の揚屋主人
の惣六。下手に設えられた茶屋で、人と待ち合わせるとかで、茶屋に入る。やがて、
大道芸人の上前を撥ねているならず者の金貸しで、ニックネーム「尻喰らひ」観九郎
が、舞台下手から、肩で風を切りながら登場。どじやうの上前を撥ねようという魂胆
だが、どじやうには、どうやら、逃げられたらしい。舞台上手から、今度は、巡礼姿
の若い娘が登場する。広い江戸で姉を捜そうというおのぶである。

ここから、太夫は、竹本千歳大夫に替わる。
茶屋の亭主とおのぶのやりとりを聞いていた観九郎は、親切そうな声を出し、自分を
伯父と呼んでくれれば、姉を探し出して、逢わせてやると持ちかけ、おのぶを騙す。
それを聞いていた惣六が、おのぶを助けるが、惣六は、観九郎の正体を知りながら、
自称「伯父」の観九郎に、姪のおのぶの奉公代として、50両を支払う。「手も濡ら
さずに五十両」という金をせしめた観九郎は、金を懐に入れて、酒を飲みに行ってし
まう。上手のヨシズの陰で、やりとりを聞いていたどじやうが、登場。観九郎がせし
めた金を取り上げようと、こいつも、悪だくみを思いつく。生き馬の目を抜く江戸・
浅草の庶民の逞しさが、笑劇として、演じられて行く。千歳大夫は、コミカルに語り
分けて行く。

ほろ酔いで、戻って来た観九郎。大道商人の飴屋が残して行った道具を使って、賽の
河原の地蔵尊に化けたどじやうの対決という見せ場。どじやうは、自分がでっち上げ
た観九郎の父親の因果噺で、酔っぱらっている観九郎を騙して、父親に貸した賽銭の
立替え分として11両余、火の車の人足賃の立替え分として7両、地獄の釜の油代、
剣の山へ登る時の脇差し借り賃、芸者の花代、抹香代などと、次々に吹っかけて、3
3両などなど。「善哉(よきかな)善哉」と、間の手を入れながら、観九郎を脅して
は、金を巻き上げて行く。亡者として、地獄へ連れられて行くか、金を出すか、とい
う二者選択を迫られ、結局、観九郎の懐にあった50両は、どじやうに見事に巻き上
げられてしまう。

「新吉原揚屋の段」。二階の宮城野の部屋。下手から上手へ。タンス、鏡台、布団を
入れた押し入れと布団を被っている唐草模様の風呂敷、衣紋掛けに掛けられた豪華な
衣装、掛け軸、部屋の外の上手は、窓。夜景が見える。更に上手は、一階に通じる階
段という体。

おのぶが、やっと、姉のところにたどり着き、新造たちにおちょくられながらも、最
後は、無事に姉妹の名乗りと敵討ちの誓いなどに至る、歌舞伎でも、お馴染みの場面
が展開される。ここが、本筋。

でも、この芝居は、本筋より、「浅草雷門の段」の脇筋の方が、おもしろい。つま
り、そのおもしろさは、当時の浅草、そこに生きる庶民の逞しさを遺憾なく活写して
いるからであろう。主筋は、奥州白石(しろいし)の姉妹の仇討もの(だから、「白
石噺」だが、なぜか、「しらいし」と読んでいる)に加えて、
由井正雪の「慶安の変」がからむ。それを南北朝の時代に仮託して演じているが、む
しろ、通人たちがおもしろがったのは、浅草の世情の活写だったように、私には、思
われる。浅草の町こそ、主役だ。舞台の上手には、雷門が描かれていた。舞台奥に広
がる遠見は、浅草の町並み。


「三人連獅子」。上方舞の楳茂都(うめもと)流の振り付けによる連獅子で、歌舞伎
でも、たまに演じられる。雄(父親)獅子(橋之助)、雌(母親)獅子(扇雀)、子
獅子(国生、橋之助の長男)という配役で、私も、観たことがある。

内容は、要するに、家族連獅子で、父母と一人息子の連獅子。子育て論が、テーマ。
「獅子の子落し」の場面、厳しい父親、優しい母親の対比。子獅子を落した後の、親
の不安と期待。

「見るより子獅子は勇み立ち、翼なけれど飛び上り、数丈の巌を難なくも駆け上がり
たる勢ひは、目覚ましくもまた勇ましし」ということで、谷を駆け上がって来る子獅
子。親子3人で見せる歓喜の「獅子の狂い」というのが、筋としての見せ場。

人形浄瑠璃では、初見。かなり高い二重舞台の石橋から、子獅子を操る人形遣いの3
人が、揃って、人形とともに、飛び降りたり、金地のセンスを父親獅子が、投げる
と、母親獅子の主遣いが、巧く受け取ったり、親子の獅子を演じる人形たちが、「髪
洗い」、「巴」、「菖蒲打」などの獅子の毛を振り回す所作を見せたりするなど、健
気な人形たちの見せ場もあり、場内も沸く。芝居の主筋とは、別に、操り人形ならで
はの意外な展開があったので、歌舞伎より、私には、おもしろかった。
- 2010年5月15日(土) 15:19:54
10年04月歌舞伎座 (第三部/「実録先代萩」「助六由縁江戸桜」)


「歌舞伎座からは、さようなら」


長年親しんだ今の歌舞伎座が、来月以降、取り壊しになる(解体期間は、歌舞伎座周
辺の建物も含めて、地上部分だけで、9月末の予定。歌舞伎座の建物は、幕見席が、
「4階」だけれど、普通のビルに見立てたら、もっと高い。実は、地上は、「9階」
建てに相当する。その後、「奈落」も含めた地下部分が、解体されるのだろう。建物
の完成は、13年2月末予定。新しい歌舞伎座は、地上29階、地下4階。塔屋を入
れると、高さが、145メートルになる。客席数や、舞台の間口など寸法は、現状と
ほぼ変わらない。不評だった、エレベーターやエスカレーター無しは、改善されると
いう。開館は、春以降。)ので、この第三部は、今の歌舞伎座最後の劇評となる。た
だし、大千秋楽の第三部は、前売りでは、取れなかったので、掲載するのは、千秋楽
前日の舞台の劇評である。

その代わり、今回の劇評は、「入れ子」構造にしたりして、読み応えのあるように、
工夫してみた。


「浅岡子別れ」〜福助代役の「浅岡」を観た〜


「実録先代萩」は、私は、初見。まず、第一印象としては、外題と内容のイメージが
違いすぎるという思いだ。1876(明治9)年、初演で、黙阿弥原作の新歌舞伎。
初演時の外題(名題)は、「早苗鳥伊達聞書(ほととぎすだてのききがき)」で、ま
だ、こちらの方が、芝居の内容のイメージに相応しいと思う。要するに、仙台藩伊達
家の乳人「浅岡子別れ」という筋書だ。1893(明治26)年に、「実録先代萩」
に改められたという。「伽羅先代萩」の実録版ということで、改題したらしいが、あ
まり、良い改題ではないと思う。

奈河亀輔原作で、1777(安永6)年、大坂で初演された「伽羅先代萩」が、明治
維新以降の演劇改良運動の気運に乗っかって、「改良」され、実録化されたというこ
とだろう。「伽羅先代萩」では、「政岡」という乳人が、我が子に身替わりに、毒味
をさせて、幼君を救うという忠義一途の母親像を描く筋立てで、芝居としての動き
も、物語としての起伏もあるが、「実録先代萩」は、職業婦人である浅岡の、職場へ
の忠節を守りながら、我が子への情愛を抑圧するという筋立てで、浅岡の心中の、葛
藤と苦しみを描いているので、芝居としての動きのおもしろさは、少ない。戦後の上
演記録を見ると、浅岡を演じたのは、三代目梅玉、三代目時蔵、七代目梅幸など物故
した役者のほかは、当代の芝翫だけである。芝翫は、13年前、97年5月の「こん
ぴら歌舞伎」で初演をし、2回目の上演となる歌舞伎座では、初演となる。芝居とし
てのおもしろみの少なさは、例えば、「伽羅先代萩」の政岡を演じた六代目歌右衛門
は、一度も、浅岡は、演じていないことでも、推察されるであろう。

その芝翫だが、体調を崩したということで、私が観た千秋楽前日は、「本日休演」と
いう告知が、ロビーに張り出され、代役として、息子の福助が、浅岡を演じていた。
千秋楽には、復帰していたようだ。ロビーの告知の張り紙が無くなっていたのを確認
した。

幕が開くと、金地に雲の模様、竹に雀(伊達家の家紋をイメージする)が描かれた襖
や衝立がある江戸の伊達家の奥御殿。ここら辺りは、「伽羅先代萩」の舞台と、あま
り、変わらない。本舞台の二重屋体には、御簾が降りている。それが上がると、二重
舞台の上手に、松前鉄之助(橋之助)、下手に、浅岡(福助)、中央に、伊達家の幼
君・亀千代(孝太郎の息子・千之助)が、座っている。伊達家のお家騒動は、幼君を
亡き者にし、家老の原田甲斐が、権力を握ろうとしているという展開だ。原田甲斐に
対抗するのが、重臣の一人、江戸詰めの伊達安芸で、安芸の娘が、浅岡ということに
なる。浅岡とともに幼君を守るのが、松前鉄之助というわけだ。奥御殿に籠りきりの
幼君を慰めようと、江戸名所の桜木(上野、飛鳥山、御殿山、墨田の桜の小枝)を局
たち(芝雀、扇雀、孝太郎、萬次郎)が持って、やって来る。「花献上」という場面
だ。

やがて、そこへ、国元から家老のひとり、片岡小十郎(幸四郎)が、やって来たとい
う知らせが入る。小十郎は、人払いをさせた後、浅岡と松前鉄之助に原田一派の連判
状を見せる。浅岡の父親の伊達安芸に連判状を届けるため、鉄之助は、使者に立つ。
まあ、ここまでが、序幕の体。二幕目は、別件を、小十郎が、持ち出す。幼君にお目
見えさせたい者がいるというのだ。

浅岡の子で、事情があって、小十郎が、子育てをして来た千代松という少年のこと
だ。実母・浅岡に逢いたいという千代松を同道させて来たので、逢ってほしいという
頼みである。

幼君への忠義大事の浅岡は、別れた我が子と逢うのは、奉公への妨げになると、拒絶
する。母は、死んだと伝えてほしいと言う。そのやり取りを聞いていた幼君・亀千代
は、浅岡の子ならば、逢いたいと言う。

久しぶりに見る我が子だが、職業婦人の浅岡は、仕事優先で、主君に挨拶する千代松
に、「母と思うな」と言い聞かせる。悲しむ千代松。同情する亀千代。幼君ながら、
器量の大きな主君に忠義を尽くしたいと千代松は言う。忠心を褒め、伊達家の実情を
我が子に伝える浅岡。忠義が大事と思うなら、祖父の伊達安芸にも逢わずに、国元に
帰れ、と諭す浅岡。

涙ながらに承知する千代松。亀千代は、そういう千代松を側近として、置きたいと言
い、ふたりの幼子は、浅岡に頼み込む。困惑する浅岡。

時計の音とともに、小十郎(幸四郎)登場。その様子を別間で窺っていた国家老の小
十郎は、千代松を促し、帰って行く。千代松の姿が、見えなくなると、耐えきれなく
なった浅岡は、泣き崩れる。

そこへ、幼君の食事の毒味をした御前番が、死んだという知らせが入り、幼君を巡る
お家騒動が、緊迫感を増していることを告げるという筋書。話としての展開はある
が、主君と実の息子という幼子に囲まれて、心の葛藤を繰り広げる浅岡というだけ
で、芝居味としては、「伽羅先代萩」より、かなり落ちるということが、判ると思
う。お家騒動の悪人たちは、舞台には、登場しない。主君派の人たちしか姿を見せな
いというのも、芝居を薄っぺらにしている。「伽羅先代萩」では、政岡と幼君の対抗
軸として、「国崩し」の仁木弾正の妹・八潮という憎々しい悪女が登場する。それだ
けでも、「伽羅先代萩」の方が、芝居としての厚みが違ってくるというものだ。

芝翫の代役の福助は、浅岡を無難にこなしたが、やはり、ここは、芝翫の浅岡で、観
たかったものだ。芝翫は、叔父の六代目歌右衛門ではなく、祖父の五代目歌右衛門
が、戦前に演じた浅岡の芝居を残そうとしている。急遽の代役をこなした福助も、そ
ういう思いを受け継いでいるということだろう。


ヒーローふたり 助六と團十郎 江戸歌舞伎の華=「助六由縁江戸桜」


大千秋楽の掉尾を飾る演目は、「助六由縁江戸桜」であった。「御名残歌舞伎」(3
月、4月興行)の演目は、全部で、15演目。内訳を見ると、三大歌舞伎のうち、
「菅原伝授手習鑑」の「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」「寺子屋」が、4つで、大
きな柱。もう一つの大きな柱が、黙阿弥歌舞伎で、「弁天娘女男白浪」「三人吉三巴
白浪」「連獅子」「実録先代萩」と、同じく、4つ。ほかは、並木五瓶「楼門五三
桐」、並木宗輔「熊谷陣屋」、勝井源八「藤娘」。さらに、無名の作者、つまり、歌
舞伎の、下級の狂言作者たちが、憑依して、名作を書くことがあるが、その代表とし
ての、「女暫」、「助六由縁江戸桜」。さらに、戦後の新作歌舞伎として、「石
橋」、「御名残木挽闇争」があった。なぜか、南北歌舞伎が、「冷遇」されているよ
うで、南北歌舞伎は、4月興行の新橋演舞場で、「四谷怪談忠臣蔵」が、澤潟屋一門
の手で、猿之助歌舞伎の決定版として、上演された(そちらについては、別稿で掲載
している)。

無名の作者の作が、上方生まれの、輝ける「三大歌舞伎」を抜いて、江戸歌舞伎の華
として、團十郎を軸に、「御名残歌舞伎」の大千秋楽の掉尾として演じられたところ
に、歌舞伎のおもしろさがある。無名の者が、歴史の時空を超えて、いまも、歌舞伎
を支え、代々の役者を支えているということの、おもしろさである。

つまり、「助六」という演目には、助六、実は、曽我五郎というヒーローとともに、
團十郎というヒーローも欠かせないということだろうと思う。当代の團十郎よ、難病
を克服して、12人いる代々の團十郎のなかでも、数少ない「還暦團十郎」となっ
た。代々の團十郎たちのように、還暦まで、到達できていなければ、こういう場面
で、團十郎の助六を私たちは観ることが出来なかった筈だ。

そして、團十郎よ。今の歌舞伎座の取り壊しの舞台を乗り越え、さらに、3年後の、
新しく生まれ変わる歌舞伎座披露の舞台をも、また、迎えてほしい。特に、同級生の
世代である私たちは、自分のことのように、そう願う。

さて、今回の舞台の批評の前に、「助六」の劇的構造をまとめてみたので、掲載した
い。


★ スケロク・オペレーション


(トリック・スターの宝刀奪還作戦。伊達男の扮装も、曽我五郎の隈取りに、性根露
見)


1)	美男美女、悪人の「三角関係」=少年・やや年上の女と年寄りの大人の三角関
係の物語。

江戸歌舞伎の特徴、「荒事」の代表作の一つ。江戸歌舞伎の華・荒事は、荒々しいエ
ネルギー、稚気を表現する。江戸っ子の意気を示す、江戸のスーパースター・助六
は、子どもっぽい。餓鬼(少年)なのだ。助六の隈は、「むきみ」隈=蛤のむき身の
舌に似ている。実は、曽我五郎を示す。五郎も、むきみ隈。敵討ちを果たして、亡く
なる英雄の隈より、助六は、やや細め。宝刀奪還という志を秘めた洒落男・傾(か
ぶ)く男、伊達男。紫の鉢巻きなどの扮装、衣装、持ち物など、当時の江戸のオシャ
レの「粋(すい)」を体現している。色彩・様式美など歌舞伎の美学が、横溢。実質
的な荒事の創始者・二代目團十郎が、初めて演じたと伝えられている。しかし、そう
いう華やかさのなかにも、じっと、凝視すれば、曽我五郎の性根を見て取ることが出
来る。

助六の花道の出で、歌われる河東節(かとうぶし・舞台の遊郭の格子の中に、歌い手
たちはいる)を使い、外題も、現在の「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざく
ら)」にしたのが、四代目團十郎である。そして、「歌舞伎十八番」として、七代目
團十郎が市川團十郎家代々の家の藝に昇華させ、いまのような演出に定着させた。花
道の「出」の藝が、長い。花道含めて、助六の所作は、「大げさ」が、売り物。稚気
をいっぱい含んだ助六が、本来の助六の姿だろう。大人・髭の意休に対する餓鬼の助
六という構図を見逃さない。間に挟むのは、助六にとって、年上の女性(大人という
より、少女に近いかも知れない。特に、意休から見れば、少女だろう)・花魁(遊
女)の揚巻。情夫(まぶ)の少年の助六に対する愛情ぶりが、真情溢れて、「姉さん
の深情け」を見落とさないように。「突っ張った少年と姉さんだが、世間的には、少
女に近い花魁というカップル」対金持ちで「年寄りの大人」の、三角関係の物語。

2)「三角関係」の裏に隠されているのが、「宝刀奪還と敵討ちの物語」。

助六が、意休に喧嘩を仕掛けるのは、仇討のための「刀改め=源氏の宝刀・友切丸と
いう刀探し」の意図がある。助六が、曽我五郎で、白酒売が、曽我十郎という、兄
弟。鬚の意休、実は、曽我兄弟に対抗する平家の残党。友切丸を取り戻すために、助
六は、意休を殺す。意休は、歌舞伎の衣装のなかでも、特に重い衣装を着ている。そ
れだけに、憎まれ役として、あまり動かずに、姿勢を正すだけでも、大変そう。白酒
売は、助六の兄で、滑稽感を巧く出し、弟の助六の荒事が光るように、江戸和事の味
わいを出しながら、兄の曽我十郎としての気合いも、滲ませる必要がある。「股潜
り」という遊び(これも、「刀改め」作戦)。最後に、母親が出て来て、兄弟の「刀
改め」が、たしなめられる場面があるが、まさに、叱られた餓鬼である。

3)「助六」は、作者不詳の名作だが、ストーリーより、舞台の見た目を重視する芝
居。

* 傍役たちのおかしみの味わい

見た目を重視する芝居の、多彩な傍役たちの魅力:歌舞伎の典型的な配役が、ほとん
ど見ることができるので、歌舞伎の構造が判る。白酒売の滑稽さ。意休の手下たち=
滑稽な、くわんぺら門兵衛、朝顔仙平(当時人気のあった「朝顔煎餅」のコマーシャ
ル。鬘や隈=朝顔を図案化に注目)。通人(洒落の人)・里暁は、笑わせて、場内の
雰囲気をやわらげる。特に、里暁は、アドリブ(捨て科白)の、巧拙で、舞台の出来
の印象さえ異なって来る大事な役どころ。毎回、どういうアドリブが登場するか、お
見逃しなく。粋な「福山かつぎ」。注文を受けて、饂飩を配達する人。吉原で暮らす
町の人の代表。庶民の一芝居が、おもしろい。昔は、出前に来た人を、舞台に引っ張
り込んだというエピソードも、伝えられているが、本当か。ここも、注目。お上りさ
んで、不器用な国侍も、登場。白酒売・助六の兄弟との駆け引きにも、注目。

* 「助六」は、吉原の風俗を描く芝居

吉原という遊郭の「花魁道中」の華やかさは、ほかの演目でも、出て来る。「助六」
の特徴は、遊女屋の店先、つまり吉原という街そのものが、副主人公になっている
(そういえば、今回の「御名残歌舞伎」は、主人公は、歌舞伎座という建物・舞台。
だから「木挽町」という、歌舞伎座の旧町名の掛け声が、大向うから、盛んに掛かっ
ていた)。いろんな人たちが通ることで、遊郭の話だが、遊郭内にとどまらずに、店
先から、周辺の地域社会が、垣間見えるおもしろさがある。奥深さがある。新吉原の
江戸町一丁目の三浦屋の店先が、貴重な空間になる。三浦屋で働く人々、三浦屋に通
う人々、三浦屋の前を通る人々、吉原で働く人、通う人などが、出て、来る。

多様な町の人たちを演じる役者たちのそれぞれの衣装、小道具などに、300年前の
江戸の風俗が、細部に宿っている。例えば、助六の花道の出で、なくてはならないも
のは、大きな蛇の目傘。傘を持たずに助六が出て来たら、芝居にならないだろう。そ
れほど大事な傘。黒と白のモノトーンが、なんとも粋だ。この大きな蛇の目傘のワン
ポイントのお洒落になっているのは、緑と紅で彩られた「杏葉牡丹」の紋。團十郎家
代々の家紋のひとつだ。そして、傘の内側の傘の骨を止める部分は、いずれも5色で
華やかだ。表のモノトーンという、全体の印象と小さなワンポイントの家紋、裏の多
彩な華やかさ。まさに、江戸の「粋(いき)」な美意識の象徴である。このほか、助
六の舞台には、提灯、染め物、塗り物、半纏、刀、煙管、珊瑚や鼈甲の櫛、笄など、
江戸趣味に溢れる小物がいろいろ登場する。歌舞伎の演目の中でも、本筋とは違う
が、地域社会が見える演目は、数が少ないので、貴重。何百年という時空を越えて、
タイムカプセルに入っている風俗情報に直に触れられるのは、「助六」の大きな特徴
である。


「新しい歌舞伎座で、もっと、もっと、夢を見せてもらいやしょう」


さて、「助六由縁江戸桜」は、今回で、7回目の拝見。私が観た助六は、團十郎(今
回含め4回)、新之助時代を含めて、海老蔵(2回)、やはり、圧倒的に成田屋が多
い。そして、仁左衛門。助六は、髭の意休(左團次)ほかに、喧嘩を売り付け、剣を
抜かせて、探している源氏の宝刀・友切丸かどうか、見定めている。つまり、喧嘩
は、騙しの術なのだ。

まず、口上は、海老蔵の出演。5月の新橋演舞場で、「助六由縁江戸桜」が、上演さ
れ、海老蔵が、助六を演じる。海老蔵の口上でも、触れていたが、助六が身につける
紫色の鉢巻きと下駄は、魚河岸の提供、助六が持つ蛇の目傘、煙管は、吉原の提供。
このうち、魚河岸の提供は、「目録」に代わったが、今も、魚河岸提供で、今回も、
歌舞伎座2回のロビーに展示披露されていた。

「助六由縁江戸桜」は、江戸の繁華街・新吉原の春の風俗を描く。吉原では、毎年、
桜の季節になると江戸・染井の里から染井吉野を移植して、期間限定の桜並木を町内
に作り上げたという。昔の歌舞伎の演出では、舞台だけでなく、芝居小屋の周りの街
並にも、場内にも、桜の木を多数、植え込んだらしい。そうして、芝居小屋全体、芝
居町全体を、恰も、吉原と錯覚させるようにしたという。あいにく、今回は、千秋楽
も、前日も、雨降りだった。

そういう江戸の祝祭劇が、「助六由縁江戸桜」なのだろう。従って、この舞台に登場
する人たちは、吉原内外で働く人たちや客なども、それぞれ、重要な役回りを果た
す。今回は、歌舞伎座建替えという。60年ぶりの祝祭劇の掉尾を飾る「助六由縁江
戸桜」だけに、上演記録上で見ても、豪華な顔ぶれになったといえるだろう。配役を
紹介すると……、

助六、実は、曽我五郎の團十郎、揚巻の玉三郎、意休の左團次、白酒売、実は、曽我
十郎の菊五郎、白玉の福助、くわんぺら門兵衛の仁左衛門、朝顔仙平の歌六、曽我兄
弟の母・満江の東蔵辺りまでの配役は、これまでの舞台でも、観ることが出来たかも
知れないが、饂飩を配達する福山のかつぎの三津五郎、通人の勘三郎などは、花形中
堅の地代の前名でなら出演しているが、大看板になってからは、今回のような、ビッ
グイベントでもない限り、見られないのではないか。国侍と奴は、いつもながら、市
蔵・亀蔵の松島屋兄弟。藝達者たちが、笑劇の味を深くするため、サービス満点で、
観客を笑わせる。脇でも、その余波を冠って、実力派の中堅役者が、いつもより、若
い頃に演じていた役柄をこなすなどしている。その代わりとして、役者の幅が、グー
ンと広がる効果を生み、そこも、また、見応えのある舞台を構成していた。筋書に名
前を明記した役者だけでも、総勢で、およそ100人を数えた。

2ヶ月の「御名残歌舞伎」では、今夏で、90歳を迎える雀右衛門(最近では、昼
夜、逆転の日もあるという)、田之助、澤村藤十郎、猿之助ほかの澤潟屋一門(4月
は、隣の新橋演舞場で、出演)、段四郎、亀治郎(段四郎・亀治郎の親子は、5月
は、名古屋の御園座出演)、芦燕らの姿が、見られなかったのは、寂しい。

最後に歌舞伎座の舞台に戻ろう。捨て台詞(アドリブ)をたっぷり言う時間のある通
人役の勘三郎が、役者に気持ちだけでなく、観客の気持ちも代弁して、花道で言って
いたのは、大千秋楽の日にも、同じ趣旨の発言をしていたらしいので、最後に記録し
ておこう。

「歌舞伎座には、思い出がいっぱい詰まっている。新しい歌舞伎座で、もっと、もっ
と、夢を見せてもらいやしょう。歌舞伎座からは、さようなら」。

贅言:大千秋楽の歌舞伎座では、第一部から、第三部まで、閉幕後とに、客席の拍手
は、鳴り止まず、アンコールを叫ぶ声もあった(ようだ。というのは、私が直接観た
のは、第一部だけなので)が、結局、歌舞伎座では、カーテンコールは、なかったよ
うだ。3部制で、各部の幕間が、短かったし、終演時間も、午後10時近いというこ
とで、遅かったから、カーテンコールには、応じないだろうとは思っていた。新橋演
舞場の澤潟屋一門の千秋楽の終演は、昼の部のみだったし、その後は、何もない時間
帯だから、2回ものカーテンコールが、実現をし、演出担当の猿之助も、姿を見せた
のだろうと思う。
- 2010年4月29日(木) 17:22:23
10年04月歌舞伎座 (第一部/「御名残木挽闇争」「熊谷陣屋」「連獅子」)・
補遺


大千秋楽は、皆々、たっぷり、丁寧に


歌舞伎座(1951年1月〜2010年4月)の「さよなら公演」の大団円「御名残
歌舞伎」(3月、4月興行)の大千秋楽なので、大千秋楽の雰囲気を観ておきたいの
と、どうせ、2回観るなら、歌舞伎との縁をつくった「熊谷陣屋」を観るために、今
月、2回目の第一部の観劇に行って来た。関東地方は、南部で、激しい雨が降るとい
う予報が出ていたので、用心して出かけたが、行き帰りには、激しい雨には出会わず
に済んだ。

歌舞伎座の前は、凄い人出。チケットを持って、開演を待つ人、待ち合わせをする
人、当日券を求めようとする人(このところ、当日券は、午前10時の売り出しで、
徹夜組も含めて、長い行列をつくっていた人たちで、第三部、第一部、第二部の順番
で、15分くらいで売れてしまうと、歌舞伎座の観客を整理・案内する係の顔見知り
が教えてくれた。この人も、今月いっぱいで、退職するという)、90席ほどある幕
見席のチケットを求める人、歌舞伎座の最後の興行を取材するテレビ各社のカメラ、
リポーター役、ディレクターほか、マスコミの各社も、多数来ている。

さて、先にまとめた第一部の劇評とは別に、千秋楽ならではの歌舞伎座の表情と舞台
でも、前回と違うことで、今回新たに気がついた点などを落ち穂拾いのように書き留
めておきたい。

「御名残木挽闇争」では、大せりで時蔵、孝太郎、海老蔵、菊之助ら9人が、せり上
がってくるときに、いくつかの屋号とともに、大向うから「木挽町」という掛け声が
掛かったように聞こえた。役者への激励である屋号には、「高麗屋」「中村屋」「播
磨屋」「成駒屋」などのほかに、役者の住む町の名前である「神谷町」「紀尾井町」
なども、あるが、「木挽町」は、さよならをする歌舞伎座そのものへの屋号か。それ
だったら、新機軸で、おもしろい。あるいは、松緑も入っていたから、「紀尾井町」
の聞き違いかも知れない。

役者の演技の節々で、観客たちが拍手する音が、いつもより、厚めに聞こえる。たっ
ぷり、丁寧に叩いているように聞こえる。

悪七兵衛景清を演じた三津五郎の、幕外の引っ込みも、歌舞伎座最後の引っ込みとい
う目で観ている所為か、花道七三の辺りから移動せずに、前回より、時間をかけて、
たっぷり、丁寧に演じているように見えた。


「熊谷陣屋」は、15回目の拝見(今月は、2回目。人形浄瑠璃でも観ているので、
それも回数に入れてみた)。初見は、16年前、94年4月の歌舞伎座で、幸四郎の
直実であった。今月は、直実は、幸四郎の弟の吉右衛門で、幸四郎は、第二部の「寺
子屋」の松王丸に、孫の金太郎と一緒に出演している。5月の新橋演舞場で上演され
る「熊谷陣屋」では、幸四郎の息子の染五郎が、直実を演じる。

首実検での、義経(梅玉)の科白で、前回気にも留めなかったのが、次の科白。直実
の息子・小次郎の首を敦盛の首だと「鑑定」した義経は、直実に対して、首の所縁の
人(すり替えられた首・敦盛所縁の藤の方と父親に殺された小次郎所縁の直実と母親
の相模の、どっちをイメージしているのだろう、義経は)、「見せて名残りを惜しま
せよ」。これは、歌舞伎座大千秋楽という文脈のなかで、聞かされると、観客や役者
ばかりでなく、劇場としての歌舞伎座で働く松竹、歌舞伎座舞台、歌舞伎座事業ほか
関係者の皆々に、長年親しんで来た歌舞伎座の内外を「見せて名残りを惜しませよ」
と、梅玉が、天の声に代わって言っているような気がした。

弥陀六、実は、宗清を演じた富十郎は、敦盛が身を潜めた鎧櫃の中を見る。(源氏方
の)直実と義経の(平家方の自分に対する)配慮に感謝をしながら、富十郎の宗清
は、鎧櫃を最後まで背負わずに、直実の軍兵が持って来た台の上に置いたまま、その
替り、最後のポーズ(引張りの見得)まで、たっぷり、丁寧に演じているように見え
た。

吉右衛門演じる直実の、幕外の引っ込み。花道七三で、「十六年は、一昔。夢だ。あ
あ、夢だあ〜」という科白(演じる役者に拠って、皆、ニュアンスや強弱の付け方が
違う)では、客席に背中を向けながら、「十六年は、一昔」と言い始め、横顔を見せ
た辺りで、「夢だ。ああ、夢だあ〜」と、思い入れを込めて、たっぷり、丁寧に発音
していた。その後、更に、無言で、感慨深げに、もう1回、歌舞伎座の場内を見回す
ようにして、ぐるりと廻っていた。初代の吉右衛門の分も、自分の歌舞伎役者として
の半生涯を過ごした分も、歌舞伎座の舞台への別れを込めていたのかも知れない。


「連獅子」を親子の「三人連獅子」で、演じられるのは、目下のところ、中村屋しか
いないから、当面、この演目は、中村屋の目玉のひとつになる。歌舞伎座筋書掲載
の、戦後の上演記録を見ると、親子の「三人連獅子」が、初めて演じられたのは、1
7年前、1993年6月の歌舞伎座である。勘九郎時代の勘三郎の親獅子に勘太郎・
七之助の兄弟の仔獅子が配される。

後シテになって、3人で繰り広げる赤、白、赤の毛振りは、さすがに、迫力がある。
しかも、今回は、大千秋楽。長年苦楽を共にし、親しんだ歌舞伎座での最後の「連獅
子」である。想像だが、勘三郎は、息子ふたりに、父親の自分が止めるまで、毛振り
を止めては行けないと注文を出したのではないか。太鼓など四拍子の演奏が、普通の
長さで終わっても、3人は、毛振りを止めない。止めないどころか、より激しさを増
して来る。観客は、大喜びで、厚めの、拍手が、更に、厚めになる。やがて、四拍子
のうち、太鼓が、演奏を再開し、ほかの楽器も、追随して来る。観客の拍手は、厚
く、濃くなって来る。何処まで続くのだろうと思っていると、突然、勘三郎の白獅子
が、片足でどんと台を叩いた途端、3人の毛振りが止まった。後ろを向き、後見が、
勘三郎らの汗を拭き、毛並みを整え終わると、3人は、観客席に顔を見せる。得意そ
うな勘三郎の顔。3人の顔を隠すように、緞帳がゆるりと降りて来る。観客の厚く、
濃い拍手は、続く。幕が降りてしまうと、観客の拍手は、弱まるどころか、さらに、
厚く、濃く、深くなる。「アンコール」の声を聞こえ始める。「中村屋」「中村屋」
の掛け声。カーテンコールになりそうな雰囲気も出始めた場内だから、席を立つ人の
姿も少ない。

やがて、拍手の波をかき分けるように、場内放送が響く。「第一部の上演は、終わり
ました。引き続き、第二部の観劇をなさる方は、一旦、ロビーに出て、係の者にチ
ケットをお見せ下さい」。アナウンスとともに、拍手の波は、一気に、曳き始め、席
を立ち上がる人たちが、続いた。

勘三郎ら中村屋の3人も、ユニークなやり方で、たっぷり、丁寧に、歌舞伎座に別れ
を惜しんだのだろうと思う。

きのう、第三部の「実録先代萩」の主役・浅岡を「本日休演」と張り紙を出し、急遽
休演した芝翫は、大千秋楽の今夜は、出演するのだろう。ロビーにきのうは、張り出
されていた告知の紙が無くなっていた。
- 2010年4月28日(水) 17:41:15
10年04月新橋演舞場 (猿之助四十八撰の内「四谷怪談忠臣蔵」)


猿之助も、姿を見せたカーテンコール


来月以降、取り壊しが始まる「歌舞伎座から新橋演舞場へ」というチラシを見なが
ら、歌舞伎座より一足早く、千秋楽を迎える新橋演舞場の澤潟屋一門の芝居「四谷怪
談忠臣蔵」を観て来た。最近の歌舞伎では、時々あるが、それでも、まだ、珍しい
カーテンコールが、2回あった。 

「本水」(本物の水、偽物の水なんかあるのか)で、ずぶ濡れになった衣装のまま、
右近が、舞台中央に座り込み、「こんにちは、これぎり」の口上で、幕が閉まった
後、カーテンコールに応じて、幕が開いた。1回目は、主役を演じた右近を軸に、春
猿、笑三郎ほか、最後の場面に出演していた役者(大部屋の役者など)だけであっ
た。 

定式幕が、再び閉まると、また、カーテンコールが、始まり、2回目は、全員の役者
だろうと思うが、大勢出て来て、更に、右近の上手には、猿之助が、立っていた。皆
といっしょに拍手をしている。 

手の動きは、やや、ぎこちなく感じたが、往年の精悍さには、欠けるものの、表情
は、しっかりしていて、しかも、しっかりと立っていて、演出家として、無事千秋楽
を迎えて、嬉しそうだった。 

閉幕後も、歌舞伎座の雰囲気とは違って、しつこくカーテンコールをしている人がい
たので、カーテンコールは、千秋楽の、きょうだけではなさそうな雰囲気だったが、
猿之助が出て来たのは、きょうだけかも知れない。28日の歌舞伎座では、第三部の
閉幕の後、しつこく、カーテンコールを求める人たちがいるだろうなあと、想像力を
たくましくした次第。 


「四谷怪談忠臣蔵」の変化


「四谷怪談忠臣蔵」は、7年前の03年7月歌舞伎座夜の部で観ているが、そのとき
は、猿之助主演であった。「病気休演中」の猿之助に替わって、今回は、右近が主役
を演じる。猿之助は、03年11月に病に倒れたのだから、既に、7年近い時が流れ
た。私が観た役者としての猿之助の最後の舞台が、この「四谷怪談忠臣蔵」であった
と、改めて、思い知った。7年前の舞台と比べて、猿之助が出演しない分、若干、演
出も異なっているようだから、それと比べながら、劇評をまとめておきたい。

なぜか、3、4月の歌舞伎座「御名残歌舞伎」では、南北の作品が上演されていな
い。南北の時代に達成したといわれる「生世話もの」は、諏訪春雄によれば、江戸の
口語の使用と江戸の下層庶民の風俗を舞台化した演劇様式、つまり「上方に対する純
粋な江戸のことばと風俗と人物」を描く江戸歌舞伎の大きな柱のひとつだと思うのだ
が、「黙阿弥もの」に比べて、「南北もの」が、「御名残歌舞伎」では、冷遇されて
いやしないだろうか。華やかな歌舞伎座建替えの陰に隠れてしまったが、立て替えを
機にリストラされて、職場としての歌舞伎座を去る人たちも多いと聞く。

江戸の現代劇。その「南北生世話もの」の、最も巨大な花が、「東海道四谷怪談」で
あろう。もともと、「東海道四谷怪談」(1825年・江戸/中村座初演)は、忠臣
蔵「外伝」だから、四谷怪談と「仮名手本忠臣蔵」(1748年・大坂/竹本座初
演)が、「ないまぜ」(相互のパロディという側面もある)になって演じられても、
少しも不思議ではない。

30年前の、1980年に、猿之助は、今回のような「ないまぜ」ではない、「てれ
こ」の演出で、「四谷怪談」と「忠臣蔵」を一日の通しで上演したという。もっと
昔、江戸時代の初演では、2日がかりで、双方の演目を交互に演じたという。猿之助
主演で、「ないまぜ」で演じられた舞台は、の03年7月の歌舞伎座で、私も観てい
る。今から見れば、猿之助主演の歌舞伎の、いわば「最後」の舞台として演じられた
(猿之助の復活を熱望する者にとって、「最後」は、まだ、まだ先にもあると思いた
い)「四谷怪談忠臣蔵」は、「四谷怪談」と「忠臣蔵」を「ないまぜ」にしただけで
はなく、古典をベースに、スーパー歌舞伎で培ったサービス精神を、「ないまぜ」に
して、歌舞伎の新たな、それでいて、伝統に適う、「傾く歌舞伎」を見せてくれたこ
とは、間違いないだろう。この演目が、初演以来、7年経って、それも、主の猿之助
が欠ける今回の舞台では、どう演じられたであろうか。猿之助一座の若手役者の成長
が、猿之助の穴をカバーすることが、果たしてできたであろうか。私は、そういう意
識で、千秋楽の舞台と向かい合った。

前回同様、今回も、「四谷怪談忠臣蔵」といっても、「忠臣蔵」の世界は、「松の
間」の判官の刃傷(三段目)、「塩冶館」の評定と城明け渡し(四段目)、「忠臣
蔵」としては、最近では珍しい「天川屋」(十段目)、高家への「討ち入り」(十一
段目)ぐらいで、ざっと、3分の1くらいか、そのほかは、ほとんど、「四谷怪談」
の世界というのが、観劇後の印象論である。物語としての、大きな骨格は、前回同様
と思いながら観た。

「四谷怪談」の世界でいえば、序幕、二幕目、三幕目に加えて、四幕目までを見せ
る。何よりの楽しみは、最近では、あまり演じられない四幕目「三角屋敷」をじっく
り上演してくれたことだ。そのかわり、今回は、「四谷怪談」大切(おおぎり)の
「蛇山庵室」が、ない。もっとも、「天川屋」(天河屋)の場面も、「仮名手本忠臣
蔵」では、あまり演じられないから、これも楽しみだ。

これに加えて、「忠臣蔵」に影響を与えた「太平記」の世界を、もっと明確にして、
「序幕」の前の、「発端」では、新田義貞の亡霊(右近)を登場させ、亡霊が駆使す
る妖術で、その霊が高師直に乗り移りいろいろ悪さをする。乗り移った場面では、猿
弥は、口をぱくぱくさせ、右近が、陰で科白を言っているように聞こえた。さらに、
盗賊・暁星五郎(あかつきほしごろう)、実は、義貞の息子・新田鬼龍丸(右近)ら
が、父親・義貞の亡霊と協力して、足利政権転覆をはかるという筋書。暁星五郎は、
「忠臣蔵」のパロディで、「四谷怪談」初演の4年前に上演された南北作「菊宴月白
浪(きくのえんつきのしらなみ)」に、まず、登場し、ここでは、「暁星五郎、実
は、斧定九郎」という設定で、塩冶家の再興に苦心する定九郎が描かれる。だから、
名前も、忠臣蔵の大「星」と縁のある暁「星五郎」なのだ。それが、「四谷怪談忠臣
蔵」では、義貞の息子・新田鬼龍丸として、塩冶家と敵対する関係になる。ここの定
九郎(春猿)は、「仮名手本忠臣蔵」の強盗殺人の犯人というイメージとは、違っ
て、ここでは、最後まで、由良之助の詳報方であり続ける。そういう意味では、定九
郎は、南北の原作「菊宴月白浪」がイメージした暁星五郎像とは、今回は、いわば、
「分裂」して、敵味方に分かれている。忠臣蔵の討ち入りの後に、別の大詰を考えた
から、捩じれたのだと思う。

「発端」に続く、長い「序幕」は、第八場まであり、廻り舞台や定式幕、さらに道具
幕を巧妙に使って舞台展開し、「忠臣蔵」と「四谷怪談」の構図を一気に、説明して
しまう。筋書の場の設定より、実際の舞台では、幕を効率的に使って、もっと、場面
が、細分化されていて、慌ただしいほどだ(例えば、序幕「第三場」では、「第二場
 塩冶館の場」の場面が終わり、忠臣蔵なら、城明け渡し後の城外の場面に相当する
ところで、定式幕が引かれ、由良之助は、「幕外」で、演じる。定式幕の上手が、一
部めくられ、塩冶館の銀地に家紋の襖が見える。定式幕の下手も、一部めくれ、黒御
簾が見える。由良之助が引っ込むと、定式幕の下を潜って、道具方が、飛び出し、水
布を花道に敷き詰める。定式幕が開くと、「塩冶館塀外の場」へ。塀外の堀(滑川)
に屋形舟が、舫ってあり、この屋形舟のなかから、屋形を開けて、直助登場となる。
直助は、伊右衛門と組んで、塩冶館の金蔵から三千両を盗み出し、定式幕が、閉めら
れると、幕外で、花道を舟とともに、向う揚げ幕から姿を消す)。

「二幕目」は、隠亡堀と三角屋敷で、四谷怪談の世界。大詰は、前半が、天川屋、討
ち入りで、忠臣蔵の世界。後半が、明神ヶ嶽山中、大滝で、新田鬼龍丸(暁星五
郎)、斧定九郎、一文字屋お軽のからむ大団円という構成。

「忠臣蔵」と「四谷怪談」を繋ぐ「四谷怪談」側の主要な登場人物は、「忠臣蔵」の
場面で言えば、序幕の第二場、第三場「塩冶館」(続く「塀外」)と大詰の第二場
の、いわゆる「討ち入り」の場面での高家に仕える小林平八郎こと、民谷伊右衛門
(段治郎)、同じく「討ち入り」の場面で登場する、与茂七(門之助)とお岩の亡霊
(笑三郎)。与茂七と小林平八郎こと、民谷伊右衛門の立ち回りの場面で、お岩の亡
霊が、妹のお袖(笑也)の連れ合いである与茂七の味方をして、民谷伊右衛門を金縛
りにさせて、与茂七に殺させるのである。

序幕第一場「足利館松の間の場」。ここでは、塩冶判官(笑也)も、発端の場面で高
師直(猿弥)に乗り移った新田義貞の亡霊(右近)に誑かされて松の間で刃傷事件を
起こしたことになっている。この場面のキーマンは、薬師寺次郎左衛門で、抜擢の猿
三郎が、演じる。薬師寺は、判官を狂わせた師直の謀略、その根底には、義貞の亡霊
の仕込みがあると、見抜くのである。

また、「忠臣蔵」の、塩冶家の家臣では、民谷伊右衛門とともに、裏切り者のひとり
になっている斧九太夫の息子・定九郎が、実は、由良之助の諜報方という格好よい役
回りが振られ、人気の春猿が演じる。序幕第六場「浅草裏田圃の場」の伊右衛門の女
房・お岩で初めて登場する笑三郎も、その後は、忙しく、お岩、小仏小平(それぞれ
の亡霊も)、小平の妹・一文字屋お軽を演じ、最後まで、付き合う。

さらに、猿之助一座お得意の、外連の演出のために、「忠臣蔵」なら五段目の見立て
である「序幕 第八場 両国橋の場」では、「宙乗り」と川開きの花火の場面や「討
ち入り」の後に付け加えられた「本水」を使う「大滝」の場面などがあり、いずれ
も、前回の猿之助に替わって、右近が、「相勤め」る。

「両国橋の場」では、舞台中央に両国橋。下手に2本の立て札には、「開帳 彌勒
寺」「川開き」と書いてある。後に、この立て札は、裏返されると、仕掛けが施され
ていて、燃え上がって、明るさで観客の目をごまかした後、立て札の文字が消えてい
るという趣向だ。上手の「よしず」は、「忠臣蔵」五段目の、定九郎が出入りする稲
藁の見立てである。伊藤喜兵衛宅の召使い・お槙は、(「忠臣蔵」らしく)恋仲の伴
内とともに、お岩の祟りによる伊藤家のごたごたに紛れて盗み出した千両箱を持ち逃
げしようとする。「小悪(こわる)」のお軽勘平もどきの逃避行であるが、新田家再
興の軍資金にと千両箱を奪う暁星五郎(右近)が花道から撃つ鉄砲の音。女装した斧
定九郎(春猿)が、「忠臣蔵」の定九郎よろしく、よしずから現れるという趣向。

さらに、遠見に両国の川開きの花火が、いくつも上がるなか、定九郎と星五郎の立ち
回り。やがて、定九郎の春猿は、せり下がり、花火の高見の見物を兼ねて、妖術を
使って、スッポンからせり上がった星五郎の右近は、そのまま、空を飛ぶ「宙乗り」
へ。空中の右近は、独りで、「ぶっかえり」で、衣装を真っ赤に替える。舞台奥に映
し出される花火は、大輪を幾つも咲かせた後、最後には、舞台いっぱいの「ナイガラ
ヤ」の仕掛け花火となる。「忠臣蔵」の暗い五段目が、ここでは、華やかな両国の夏
の夜の宴となる。ここまでが、長い長い「序幕」で、およそ2時間の上演となった。

前回同様、私が、今回も堪能したのは、「三角屋敷」などの場面で、ここでは、ほか
と違って、登場人物の数は、絞りながらも、盥のなかから女(お岩)の手が出て来る
など軸となる場面では、南北の原作「四谷怪談」に忠実に演じてくれたこと、これ
が、何よりの収穫であった。二幕目第一場「砂村隠亡堀の場」で、「四谷怪談」名物
の「隠亡堀」の「だんまり」の後、いよいよ、待望の「三角屋敷」の場面となる。

お岩の妹・お袖(笑也)は、小仏小平やお岩の遺体から剥ぎ取った衣装を洗い出し、
古着として売ろうという古着屋商売の下請けをしている。さらに、直助権兵衛(右
近)が先の隠亡堀の場面で、川底から拾い上げて来た櫛は、亡くなったお岩の髪に刺
してあったものだと判る。やがて、お岩の衣装を漬けてある盥から女の腕が出て来
て、直助の足を掴んだり、その櫛を取りかえしたりする場面がある。盥の下に仕掛け
があるのだろうが、その後、盥を持ち去っても、仕掛けは、「セリ」の空間を使っ
て、判りにくいようにしてある。そして、果ては、黙阿弥同様、肉親同士の「畜生
道」の因縁話から、お袖が、犠牲となる仕掛けとなり、それを受けて、直助の自害の
場面となる。いずれにせよ、「怪談話」の世話場を、5人の登場人物だけで、じっく
り見せる。ばたばたと筋立てを追うことが多い猿之助歌舞伎では、ここは、珍しく、
世話場をじっくり見せてくれる本格的な歌舞伎で、オーソドックスな舞台が、かえっ
て、光っていた。

こういう世話場を見せてくれると、猿之助一座の弱点、脇役の薄さが、この7年間の
若手の成長で、幾分、埋められたかも知れないと、思う。

前回、03年7月の4ヶ月後に、猿之助が、病で倒れるとも知らず、また、その恢復
が遅れ、7年後の今も、出演する事が出来ないでいることも、知らずに、私は次のよ
うに書いている。

* 猿之助一座は、本格的な歌舞伎にじっくり取り組めば、「スーパー歌舞伎」と
は、一味違う、古典に立ち返った新しい猿之助歌舞伎が、誕生するかも知れない、そ
ういう予感がしたし、そういう期待をうかがわせる舞台であった。

今回の舞台を観ていると、猿之助は、演出を担当しているが、大筋は、前回同様の構
成で、猿之助が演じた直助権兵衛、天川屋義平、暁星五郎を右近が演じ、さらに右近
は、前回段四郎が演じた義貞の霊も演じた。前回、右近が演じた与茂七は、門之助が
演じる。なにより、猿之助が出演していない、ということが、当然ながら大きい。今
回、座頭の右近は、発端から、登場しているが、前回の猿之助主演「四谷怪談忠臣
蔵」では、座頭・猿之助の登場は、「序幕 第三場 塩冶館塀外の場」からで、段治
郎の伊右衛門と組んで、塩冶館の金蔵から三千両を盗み出し、塀外の堀(滑川)に
舫ってあった屋形舟のなかから、屋形を開けて、「中間直助」として颯爽と登場し
た。

このほか、前回、右近が演じていた与茂七の役回りが、若干変わったし、前回、笑也
が、2役で演じた大星力弥が、今回は、全く出てこなかった。前回は、正味4時間を
越えて上演。今回の上演時間は、3時間40分か50分くらい。

さて、これまで断片的にふれてきた今回の配役を、重複するが、改めて、確認してお
こう。猿之助に替わる右近は、直助、暁星五郎、実は、新田鬼龍丸(新田義貞の息
子)、天川屋義平と、仕どころの多い3役。しかし、この人が、師匠の猿之助を越え
る日が、いつかは来るかも知れないが(彼の、今の芸風では、来ないかも知れない
が……)、かなり高いハードルだと思う。ほかに、「四谷怪談」の軸になる民谷伊右
衛門は、膝の手術とその後のリハビリで、1年間休演していた段治郎で、前回にも増
して、凄みのある色悪を演じていた。1年間の休演の悔しさが滲み出ているように思
われた。

お岩と小仏小平(それぞれの霊も)、小平妹・お軽の3役は、笑三郎、7年前と同じ
配役だが、旨味が増した。「忠臣蔵」と「四谷怪談」では、いずれも脇の重要な役ど
ころとして、欠かせない高師直と宅悦の2役は、7年前と同じ配役で、猿弥が演じ
た。猿弥は、巧い役者だが、今回は、特に、世話ものの宅悦の方に、軍配が上がる。

塩冶判官(その亡霊も)とお岩の妹・お袖は、笑也。お袖の夫の佐藤与茂七は、門之
助、大星由良之助は、弥十郎、新田義貞の亡霊は、前回、段四郎が演じていたが、今
回は、右近が兼ねた。猿之助の実弟・段四郎は、最近は、澤潟屋の舞台では、姿を見
なくなったのは、残念。歌舞伎座の「御名残歌舞伎」にも、3月、4月とも出演して
いないので、あるいは、体調でも崩しているのだろうか。段四郎は、新境地で、良い
味を出しているだけに、もったいない。

由良之助の諜報方の斧定九郎は、春猿で、「発端」から、「大詰第五場」に、右近の
盗賊・暁星五郎、実は、義貞の息子・新田鬼龍丸と二人だけ、同じ役名で出て来るか
ら、猿之助一座での、春猿の重要性が、グーンと高まったように思われる。段治郎の
演じた民谷伊右衛門は、先に触れたように、大詰第二場で、殺されてしまう。「発
端」には、まだ、登場しない。「大詰第五場」で、定九郎とともに、暁星五郎、実
は、新田鬼龍丸を討取る笑三郎演じる小平妹・お軽は、残念ながら、「発端」には、
登場しない。


最後に、役者の演技論を少し。


民谷伊右衛門を演じた段治郎は、前回同様、「四谷怪談」の、いつもの伊右衛門がい
る場所とは、違うところで、「伊右衛門の味」を出していたように思う。つまり、段
治郎の伊右衛門は、「四谷怪談」ではなく、「忠臣蔵」の方で、独自色を出してい
た。

伊右衛門は、「塩冶館」に出て来て、家の断絶と城の明け渡しを決めた足利方と「一
戦まじえるべし」と、主張する塩冶家家臣団のなかにあって(彼は、舞台下手の、末
席に座っていた)、松の間で事件を起こした主君・判官の短慮を、独り、批判するこ
とで、後に、高家に討ち入りをして、英雄となる大星らとは、一線を画す。そういう
意味では、伊右衛門は、家臣団のなかで、知略を尽す冷静な大星由良之助とは、ま
た、違った意味で、「冷静な(冷酷でもある)」男であったと思う。そういう伊右衛
門の一面を気づかせてくれる段治郎の役造りに感心した。その味わいが、「四谷怪
談」のお馴染みの場面でも、より、深みが出ていたと思う。伊右衛門は、「冷酷」で
あっても、「冷静さ」を印象づけない。「四谷怪談忠臣蔵」にして、初めて、さまざ
まな人物が投影された南北のイメージする伊右衛門像が、深々と、くっきりと浮かび
上がって来たと言える。段治郎。強欲さに悪を滲み出させていて、印象に残る伊右衛
門であった。

猿弥も、良かった。高師直では、「松の間」の場面で、悪の大きさを現し、対照的な
庶民・宅悦では、滑稽味と小狡さを表現していて、今回の舞台では、右近、段治郎、
春猿と並んで、存在感があったと、思う。こういう「柄」の役者が、猿之助一座に
は、段四郎ぐらいしかいないかったから、段四郎が、猿之助一座の舞台から遠ざかっ
ている現状では、貴重な存在だ。

お岩と小仏小平(それぞれの霊も)、小平妹・お軽の3役を演じた笑三郎は、早替わ
り故に、役者・笑三郎の存在感が、散漫になってしまい、損をした。4役早替わりな
がら、座頭としての存在感を維持し続けた右近は、一回りも、二回りも、大きくなっ
たようだ。直助、暁星五郎実は新田鬼龍丸、天川屋義平の3役のうち、猿之助なら、
直助で、歌舞伎役者としての実力を見せつけ、暁星五郎実は新田鬼龍丸で、スーパー
歌舞伎的な活力を誇示し、さらに、天川屋義平で、澤潟屋としての家の藝の伝承とい
う役割も見せただろう。しかし、右近は、颯爽とした役を演じるときの巧さとは逆
に、直助(あるいは、後の直助権兵衛)の小悪党ぶりは、右近では、師匠の猿之助の
人物造形に、まだ、追いつかないのは、残念だ。右近は、猿之助一座の優等生だが、
優等生ゆえの、端正さや安定感があるものの、彼独特の味を出すためには、今回の脱
皮を含めて、もう、何回か、脱皮をしなければならないだろう。寿猿も、猪熊局、伊
右衛門の母・お熊など、いぶし銀のような声で、印象に残った。

前回の「大詰 第四場 東海道明神ヶ嶽山中の場」では、星五郎(猿之助)と定九郎
(春猿)、お軽(笑三郎)の対決、そこへ助っ人に駆け付ける与茂七(右近)という
筋立てだったが、今回は、右近が、星五郎を演じていて、与茂七は、ここでは、登場
せず。さらに、「第五場 同 大滝の場」では、本水を使った立ち回りと前回は、7
月の上演で、夏の芝居らしい趣向で、涼味を呼んだが、今回は、まだ、関東地方で
も、雪が降ったりする4月の上演であった。水に濡れた衣装で猿之助らが、本舞台に
座り、「こんにちは、これぎり」の挨拶にて、幕。そして、冒頭触れたように、カー
テンコールの場面が、出現したという次第。

千秋楽の達成感か、右近は、本舞台、花道と動き回り、「本水」で濡れた「馬簾の四
天」の衣装を、前掛けのように揺さぶって、水滴を顧客に「プレゼント」していた。
幼いいたずらっ子のような右近の表情が印象的だった。今の歌舞伎座の大千秋楽(あ
るいは、大団円)の月に、新橋演舞場で、「猿之助歌舞伎の決定版」(新橋演舞場の
「筋書」の右近の話)をぶつけて、「歌舞伎座の千秋楽」という怪物(演目の差では
ない要素もあるだろう)に観客の動員数では、「負けた」かも知れないが、「決定
版」の主役を無事に勤め上げた喜びが素直に滲み出ていて、好感が持てた。猿之助の
欠場で、澤潟屋一門の歌舞伎座興行(従来、7月と12月であった筈)に、玉三郎が
参加して以来、澤潟屋の「立女形」であった筈の笑也の影が、薄いのが、実は、ず
うっと気になっている。さらに、一門の中でも、笑三郎、春猿の台頭がある。「笑也
名乗って三十年」(筋書)という割には、笑也は、腰が引けていないか。玉三郎にラ
イバル意識を燃やさなければならない。

贅言:「忠臣蔵」の元になった「赤穂事件」では、吉良上野介義央(よしちか)の養
子(孫、上杉家の次男)になっていた義周(よしちか)は、討ち入りの際、自宅にい
ながら、抵抗はしたものの、軽傷で、養父が殺されるのに十分抵抗しなかったとし
て、「仕方不届」ということになり、領地を召し上げられた末、諏訪の高島城に配流
(はいる)され、南之丸に「幽閉」される(綱吉の「内匠頭切腹というバランスを欠
く処分に対する「調整」の犠牲者だろうと思う」。義周は、3年近い幽閉生活の果て
に、1706(宝永3)年1月、21歳の若さで没する。諏訪市にある諏訪大社本宮
の隣にある法華寺の境内には、義周の墓がある。墓は、本堂の裏手の小高いところに
一つだけ離されて、ひっそりとある。吉良町の手で建てられた看板には、「元禄事件
(「忠臣蔵」という表記は、勿論、赤穂事件という表記も、使わないところが、凄
い)の最大の犠牲者」として、「義周公よ」と鎮魂を呼びかける、パッショネイトな
表現で書いてあったのが、生々しく、今も印象に残る。
- 2010年4月26日(月) 22:02:19
10年04月歌舞伎座 (第二部/「寺子屋」「三人吉三巴白浪」「藤娘」)


顔見世「寺子屋」


「菅原伝授手習鑑〜寺子屋〜」は、国立劇場の前進座公演もふくめて、今回で15回
目の拝見。第一部の「熊谷陣屋」同様に、良く観ている演目である。松王丸は、今
回、幸四郎が演じる。幸四郎の松王丸は、6回目。これも、良く観ている。「寺子
屋」では、松王丸と千代の夫婦と源蔵と戸浪の夫婦が、両輪をなす。ふた組の夫婦の
間で、ものごとは、展開する。「寺子屋」は、子ども殺しに拘わるふた組のグロテス
クな夫婦の物語なのである。前にも書いているが、そのグロテスクぶりを簡単に再録
しておこう。

1組目の夫婦は、武部源蔵・戸浪である。匿っている菅丞相の息子・秀才の首を藤原
時平方へ差し出すよう迫られている。なぜか、ちょうど、「この日」、母親に連れら
れて、新たに入学して来た子供(松王丸の息子・小太郎)がいる。この子は、野育ち
の村の子とは違って、品が有る。この子を秀才の身替わりに殺して、首を権力者に差
し出そうかと、源蔵は、苦渋の選択を迫られているのである。妻の戸浪に話すと、
「鬼になって」そうしろと言う。悩んだ挙げ句、「生き顔と死に顔は、顔付きが変わ
るから、贋首を出しても大丈夫かも知れない」、「一か、八か」(ばれたら、己も死
ねば良い)と、他人(ひと)の子供を殺そうと決意する源蔵夫婦は、「悩む人たち」
では有るが、実際に、小太郎殺しをする直接の下手人であり、まさに、鬼のような、
グロテスクな夫婦ではないか。

2組目の夫婦は、松王丸・千代。もうひと組の、グロテスクな夫婦として、登場す
る。先に子どもを連れて、入学して来た母親(千代)とその夫だ。夫は、秀才の首実
検役として、藤原時平の手下・春藤玄蕃とともに、寺子屋を訪ねて来る松王丸であ
る。

実は、源蔵の「心中」を除けば、物語の展開の行く末のありようを「承知」している
のは、松王丸で、彼が、妻と計らって、自分の息子・小太郎を源蔵が、殺すよう企ん
でいる。千代は、息子の死後の装束を文机のなかに、用意して、入学していたし、松
王丸も、春藤玄蕃の手前、源蔵に対して、「生き顔と死に顔は、相好(そうごう、顔
付き、表情)が変わるからと、贋首を出したりするな」などと、さんざん脅しを掛け
ながら、実は、贋首提出に向けて、密かな「助言」(メッセージ)を送っている。

今回の主な配役。松王丸は、先に触れたように、幸四郎。千代は、玉三郎。源蔵は、
仁左衛門。戸浪は、勘三郎。園生の前は、時蔵。玄蕃は、彦三郎。ということで、第
一部の「名残木挽闇争」が、花形の顔見世なら、こちらは、中堅実力派の役者の顔見
世である。特に、勘三郎の戸浪は、今回含めて、2回しか演じていない。時蔵の園生
の前も、今回含めて、3回目という。

いつもなら、座長格の役者を軸に、同心円的に配役を決めるのだろうが、今回は、軸
になるのが、今月限りで、閉場となる歌舞伎座そのものであり、配役は、皆、主要な
役者ゆえ、軸がひとつにならない。いわば、多軸構造の舞台だ。松王丸を演じる幸四
郎は、元々、実線でくっきりとした演技をする役者である。玉三郎も、自己ピーアー
ルの巧い役者出る。仁左衛門も、上方歌舞伎の味わいを色濃く持っている独特の雰囲
気のある役者である、勘三郎も、芝居自体を自分の世界に引き入れるタイプである。

野辺送りの支度も、いつもと違って、戸浪だけに任せず、源蔵も、手伝う。というこ
とで、今回は、皆、「自分が主役」という意欲の強い役者が、顔見世をしているの
で、そういう役者たちが、それぞれ、くっきりと浮き上がってくるような舞台になっ
ている。今の歌舞伎座、最後の松王丸であり、千代であり、源蔵であり、戸浪である
からであろう。

歌舞伎座最後の月の興行というものは、そういう「特殊な状況」を生み出すものなの
だろうと、「寺子屋」の舞台を観ていると、強く感じる。ここが、いつもの「寺子
屋」と違う、大きなポイントだろう。


南北より黙阿弥=「三人吉三巴白浪」


3月の「御名残歌舞伎」の「弁天娘女男白浪」に続いて、最終月の4月も、黙阿弥も
のの上演が続く。それに比べると、なぜか、南北ものは、「御名残歌舞伎」では、取
り上げられない、ということに気づくだろう。

三人吉三巴白浪」は、8回目の拝見。このうち、今回含め5回は、「大川端」の場面
のみの一幕もので、グラビアのような作品だ。残りの3回は、通しで拝見。

今回は、歌舞伎座では、10年ぶりの、菊五郎のお嬢吉三、吉右衛門のお坊吉三、團
十郎の和尚吉三という顔合わせで、前回、09年2月の歌舞伎座で観た玉三郎のお嬢
吉三、染五郎のお坊吉三、松緑の和尚吉三という顔ぶれと比べれば、重量級の、こち
らも「顔見世」という趣向であるのが判るだろう。やはり、最終月効果か。

「三人吉三」は、実は、極めて、現代的な芝居だ。3人は、田舎芝居の女形上がりゆ
えに女装した盗賊として、この場面だけでも、詐欺、強盗、殺人などの
容疑者となるお嬢吉三を始め、御家人(下級武士)崩れの盗賊であるお坊吉三、所化
上がりの盗賊である和尚吉三という前歴から見て、時代の閉塞感に悲鳴を上げている
不良少年・青年たちである。大不況の現代に生きていれば、職に就きたくてもつけな
い。ついても、非正規社員か、アルバイトか。その挙げ句、社会から落ちこぼれてし
まい、盗みたかりで、糊口を凌ぐしかないという若者たちの、「犯罪同盟」の結成式
が、「大川端」の場面なのである。

それを黙阿弥歌舞伎では、閉塞感という暗い話をグラビア的な、1枚の絵のような場
面で、七五調の科白に載せて、表現してしまうから、凄い。南北歌舞伎では、1枚の
絵のような場面というよりも、閉塞感は、屈折した、複雑な構造劇として構築される
から、今回のような「さよなら顔見世」的な、舞台には、相応しくないので、松竹か
らは、敬遠されたのかも知れない、というのは、私の分析だ。


藤十郎娘の恋〜「藤娘」


「藤娘」を観るのは、12回目。ところが、今回の坂田藤十郎は、初めて。藤十郎
は、扇雀時代に東京・明治座で踊っているが、鴈治郎時代も含めて、関西では、演じ
ているものの、東京の舞台では、藤娘を演じていない。私が観た藤娘は、ほかでは、
雀右衛門(3)、芝翫(3)、玉三郎(2)、菊之助、勘九郎時代の勘三郎、海老
蔵、7人を拝見。それぞれ、趣が違うし、松の大木に絡み付いた大きな藤の花の下と
いう六代目菊五郎の演出を踏襲する舞台が多いなかで、五変化舞踊から生まれた「藤
娘」という旧来の、琵琶湖を背景にした大津絵の雰囲気を出した演出も、確か、98
年6月の歌舞伎座の舞台での、雀右衛門だったと思うが、拝見したことがある。「藤
娘」は、03年6月、歌舞伎座で、従来の趣向をがらりと変えた、「玉三郎藤娘」と
いうべき、新境地を開いた瞠目の舞台を観たこともある。今回の藤十郎は、六代目菊
五郎の演出を踏襲する。二代目藤間勘祖から、六代目が演じた通りの振りを教えられ
たという。

藤の小枝を持ち、黒塗りの笠を被り、黒地に藤の花の模様の衣装は、笠を持ち、朱と
若緑の片身を繋いだ(片身変わり)藤の花の模様の衣装に替り、さらに、笠無しで、
藤色の地に藤の花の模様の衣装と黒地の帯に替り、さらに、両肩を脱いで赤地の衣装
を見せて、再び、藤の小枝を持って踊り、最後は、藤の小枝を背に担いで、ポーズ
で、幕。

坂田藤十郎。今年の暮れに、79歳になるとも思えない「若さ」である。無双の大力
の娘は、「近江のお兼」で、初演した七代目團十郎に因んで、「團十郎娘」と称され
るのに倣えば、坂田藤十郎の演じる藤娘は、「藤十郎娘」と呼ぶのが、相応しいと思
う。若さと初々しさを感じさせる、藤娘の恋が、伝わって来た。今の歌舞伎座として
は、最後の藤娘が、歌舞伎座では、初めて上演という、珍しい藤十郎によって演じら
れたことになる。
- 2010年4月22日(木) 6:23:58
10年04月歌舞伎座 (第一部/「御名残木挽闇争」「熊谷陣屋」「連獅子」)


戦争の空襲(米軍による空からの攻撃)によって焼失した歌舞伎座は、1951年に
復興再建された。それが、今の歌舞伎座である。その歌舞伎座が、復興後、59年に
なり、数えで言えば、まさに「還暦」ということで、「老朽化」(こういう表現をす
ると、私を含めて、「還暦」を越えた人間は、皆、老朽化したということになってし
まうか)したため、去年の1月から、商魂逞しい松竹の経営哲学に拠る16ヶ月も続
いた歌舞伎座の「さよなら公演」も、今月は、最終月となる。

歌舞伎座入り口の屋根の上には、先月から、通常の「顔見世興行」同様に、櫓を組ん
でいる。幕の横には、「きやうげんづくし」と勘亭流文字で書かれた字体が、染め抜
かれている。「さよなら公演」は、松竹にとっては、顔見世興行なのだ。これは、先
月より今月の方が、役者の起用の仕方を見ると、「露骨」なほど、良く判る。

そこで、私も、歌舞伎座の屋根の上の櫓を見ながら考えた。狂言も尽くすなら、役者
も尽くす。「役者も役者」((「石切梶原」の科白)なら、劇評家の劇評家である。
馴染みの演目に馴染みの役者勢揃いとあっては、私の方も、いつものように、「普通
の劇評」では、藝もないだろうと思い続け、今回は、すべての演目に「キャッチフ
レーズ」を付けて、劇評から着かず離れずで、どれだけ「離れた、されど、『劇
評』」という形で、まとめられるか、という趣向を思いつき、それに挑戦をすること
にした。


花形役者の顔見世=「御名残木挽闇争(おなごりこびきのだんまり)」


まずは、新作歌舞伎(戦後つくられた演目)の「だんまり」から、開幕。因に、「新
歌舞伎」は、明治以降につくられた演目。古典の歌舞伎は、江戸時代のものばかり
が、有資格者。それでも、前期の「三大歌舞伎」に貢献した、竹田出雲(引き継い
だ、息子の小出雲、軸となった並木宗輔(あるいは、千柳)、三好松洛の人形浄瑠璃
三人男たち、四代目鶴屋南北、河竹黙阿弥ほか歴史に名を残す狂言作者たち、さら
に、歴史に闇に消え失せ、歴史に名を残さなかった無名の作者たち、その総評価のよ
うなものが、3月4月の「御名残歌舞伎」という、松竹の勝手な演目選びだが、それ
でも、透かし見えて来るものがあるから、おもしろい。なぜか、南北ものがない。

3月、4月で、松竹の経営陣が、今の歌舞伎座の「大千秋楽」に相応しいと評価した
演目は、何だったのか。それは、歌舞伎座のチラシでも見れば、すぐに判ることだ
が、それが、なぜ、そうなのかという解答を見つけるのは、案外難しいはずだ。とい
う大設問には、最後に答案を書くとして、とりあえず、まずは、馴染みのない、とい
うのは、当たり前で、今回、4月のさよなら公演の第一部、最初の演目に選ばれたの
が、なぜか、観たこともない「御名残木挽闇争(おなごりこびきのだんまり)」とい
う演目である。この演目に託された松竹からのメッセージは、ふたつあるように思
う。

ひとつは、外題の付け方。「木挽」とは、歌舞伎座界隈の旧町名「木挽町」だから、
歌舞伎座のこと。名残惜しい歌舞伎座。ふたつは、出演する配役の顔ぶれ。景清が、
三津五郎、舞鶴が、時蔵を別格とすれば、典侍の局の芝雀は、雀右衛門の息子、工藤
祐経の染五郎は、幸四郎の息子、以下、曽我十郎の菊之助は、菊五郎の、曽我五郎の
海老蔵は、團十郎の、朝比奈の勘太郎と片貝姫の七之助は、ともに、勘三郎の、大磯
の虎の孝太郎は、仁左衛門の、それぞれ息子ということで、時代の歌舞伎を背負う
「花形級」の役者の顔見世興行なのである。このほか、秩父重忠に松緑、鬼王新左衛
門に獅童ほか。だから、「だんまり(闇争)」という演出。「御名残木挽闇争」。新
作歌舞伎の、曽我ものだが、中身は、二の次という戦略と観た。舞台の造営の柱立
て。奉行職の工藤祐経を軸に「対面」の趣向に歌舞伎座の建替えと、あるいは、寅年
ゆえに、諏訪大社御柱祭」も、意識しているかも知れない。今の歌舞伎座が、195
1年に復興再建された時の演目にも、「新舞台観光闇争(しんぶたいながめのだんま
り)」という、あまりセンスの良くない外題だが、「だんまり」が、上演されたとい
う。ということは、3年後の、最初の舞台の演目も、「だんまり」か。

「三年の後の春を待ち、……、お待ち下されませ」。


「熊谷陣屋」の十六年(ああ、一昔)


「熊谷陣屋」を歌舞伎座で初めて観たのは、16年前、94年4月、初代白鸚十三回
忌追善興行の舞台で、直実は、幸四郎、相模は、雀右衛門、そして、義経を演じたの
は、梅幸であった。私が観た梅幸の舞台は、これが、最初で、最後であった。この舞
台を切っ掛けに、私は、歌舞伎を見始め、5年後の、99年2月に、「ゆるりと江戸
へ 遠眼鏡戯場観察(かぶきうおっちんぐ)」という本を書くことになる。

「熊谷陣屋」は、それ以来、今回で、13回目(人形浄瑠璃の舞台を入れれば、14
回目)となる。私が観た直実は、今回を含め吉右衛門が、3回目。ほかは、圧倒的に
多いのが、幸四郎で、7回。仁左衛門が、2回。八十助時代の三津五郎が、1回。相
模は、坂田藤十郎が、今回、初めて。ほかは、圧倒的に多いのが、雀右衛門で、6
回。雀右衛門は、最近、舞台から遠ざかっているので、回数が増えないが、元気な
ら、数を増やしていただろう。雀右衛門の相模を観たのは、もう、5年も前になる。
ほかは、芝翫が、3回。福助は、2回ということになる。ほかは、もうひとりの藤十
郎、澤村藤十郎が、1回。

14年前に初めて観た舞台の配役は、直実:幸四郎、相模:雀右衛門、藤の方:松江
時代の魁春、義経:梅幸、弥陀六:又五郎などという顔ぶれであった。今回は、直
実:吉右衛門、相模:坂田藤十郎、藤の方:魁春、義経:梅玉、弥陀六:富十郎な
ど。

「熊谷陣屋」の16年は、私の歌舞伎観劇16年の歴史でもあった。94年以前に
は、国立劇場で、歌舞伎を観た記憶があるが、どんな演目だったかも覚えていない
し、なによりもまず、興味が持てず、歌舞伎を観続けるという習慣にはならなかっ
た。「熊谷陣屋」を、このときに観ていなければ、歌舞伎を観続けるということには
ならなかったかも知れない。

今回は、さよなら公演の舞台を離れることになるが、私にとっての、「熊谷陣屋」の
魅力を改めて書いてみたい。それは、「公(むしろ、官)私の攻防」という図式だっ
たのだろうと思う。

熊谷陣屋は、「キャンプ熊谷(駐屯地兼役所=行政事務所・裁判所の機能)」という
「役所(役宅)」に加えて、「役宅兼私宅」という関係があるから、「官と私の攻
防」の場でもある、ということが、ポイントになる。

「役宅」

まず、(東国から単身赴任している)直実(隈は、二本隈=忠義故に子を失う悲しみ
と苦痛を表わす)が、外から「陣屋(役宅と私宅が兼用)」に戻って来る。すると、
いつもなら出迎えるのは、役宅の部下である堤軍次だけであるのに、きょうは、軍次
の隣に女性が座っているではないか。直実が、不審げに女性の顔をよく見ると、女性
は、遠い東国で留守を護っているはずの妻の相模であった。直実は、途端に不機嫌に
なり、怒りを自分の穿いている袴を両手で叩くという仕草で表わし、男の職場、それ
も、戦場まで、女の身で来たことを叱りつける。「や、や、やーい」。怒り心頭に発
して、言葉も出て来ない。「(息子の小次郎のことが心配で、来てしまった。あなた
のことを気遣ったわけではありません)お、ほ、ほ、ほ、ほー」と笑いで誤魔化す相
模。こういうやりとりから推察すると、豪宕な直実も、実は、相模の尻に敷かれてい
るのかも知れない。

それ以前の場面。開幕すると、陣屋の桜木の前で、地域の人たちが、制札(役所から
のお知らせ)を見ている。そのお知らせには、「一枝(いっし)を伐らば、一指
(いっし)を剪るべし」=「一枝伐ったら、一指切るよ」と書いてある。しかし、こ
れは、コード(暗号)で、別の意味が隠されている。後に、判る。さて、陣屋の「木
戸」は、陣屋という「役所」を世間から隔てる関門である。外から戻って来た直実
は、その木戸から役宅に入り、先の、相模との再会の場面となるのであるが、直実
が、役宅に入った直後、大道具方は、ふたり掛かりで、さっさと、「木戸」を片付け
てしまう。地域の人も姿を消し、「木戸」という世間からの関門は、不要になるの
で、ここは判り易いが、実は、役所内での、役宅と私宅との関係は、これから始ま
る。

「私宅」化

やがて、直実、相模、軍次の3人は、二重舞台(高い部分)の陣屋の中へと上がって
行く。相模を叱るために、軍次が邪魔な直実は、軍次に用を言い付けて、下がらせよ
うとする。直実とふたりきりになると叱られるのが、判っている相模は、軍次を引き
止めようとする。戸惑う軍次。でも、役宅勤めの軍次の主人は、直実であるから、軍
次は、直実の言い付けに従って、退去する。直実と相模だけが、二重舞台の上に残
る。つまり、夫婦だけが残ったのである。ということは、夫婦だけがいる熊谷家の
「私宅」同然の状況が、そこに生まれたことになる。「私宅」となれば、何処の家庭
にもよくあるように、夫・直実より妻・相模の方が、強くなるだろう。その証拠に、
相模は、小次郎が息災かどうか、夫に尋ねる。その口調は、先ほどまで、直実に叱ら
れていた相模のそれでは無い。夫を尻に敷き、息子の息災を尋ねる妻、いや、母の強
さが、滲み出ている。夫婦の力関係は、役宅が、私宅化する段階で、逆転しているで
はないか。小次郎は、手柄をたてながらも、傷を負ったと、嘘を言う直実。実際に
は、敦盛を助けるために、身替わりとして、直実は、息子の小次郎を自ら殺している
からである。疚しさもあって、妻に対する夫の口調は、弱い。

「逆転なるか」(私宅から、再び、役宅へ)

直実は、力関係を元に戻そうと、自分は、平家の公達・敦盛を討ち取ったと自慢す
る。それを隣室で聞き耳をたてて、聞いていた敦盛の母親の藤の方が、襖を開けて、
飛び出し、直実に斬り掛かるので、夫婦の私宅は、再び、陣屋という「役宅」に戻
る。藤の方を落ち着かせてから、敦盛討ち果たしの様(さま)を物語る。これは、相
模にも藤の方にも、「嘘」の物語を語ることになるのだが、直実は、直接的な言葉で
はなく、目や顔の表情で、相模には、万感の思いを込めて、夫婦としてのシグナルを
送り、本音を滲ませながら、物語っているように思える。直実の「嘘」を嘘と知らず
に、泣く藤の方。直実が、嘘に本音を滲ませて来ても、未だ、己の「悲劇」に気がつ
かない相模は、藤の方が泣くのを見て、もらい泣きをしている。

義経登場

義経が、姿を見せると、「役宅」は、一気に、男の世界になる。

☆ 見逃せないポイント:1)制札の謎のコード(暗号)。2)とりしきる(陣屋の
真の主)のは、誰か。

夫婦の機微は、義経に対する首実検で、「敦盛の首に相違ない」と、義経が保証して
も、相模は、「あ、それは」と、我が子・小次郎の首を認識する場面でも、続いてい
る。直実は、「ん、ん、ん、うーん。お騒ぎあるなァー」とふたりの母親たちを制止
しながら、相模にシグナルを送り続ける。「敦盛」の首を「藤の方(かた)へ(お目
にかけるように)」と言いながら、相模にのみ見えるようにする。夫婦だけの目によ
る会話。義経の見分を終えた「敦盛」の首は、直実から、平舞台にいる相模の方(ほ
う)に向けられる。相模は、「敦盛」の首を「小次郎」の首と認識して以降、母親と
して、我が子の首を抱いたまま、放さない。母親は、堪えられず、その場で、泣き崩
れる。その後、相模は、舞台中央に移動して、首を藤の方(かた)にも、見えるよう
にする。「わが子の首(敦盛の首)」では無かったという思いが、藤の方の表情に出
る。相模は、それ以上は、(母親ではない)藤の方の方には、(首を持って)近づい
て行かず、母親は、そのまま、小次郎の首を、父親の直実の元に持って帰る。懐紙
で、小次郎の首、顔を拭う父親の直実。父親だって、哀しみに耐えているのだ。夫婦
の哀しみが、ふたりの間に奔流のように流れるのが、見える。

義経は、四天王という秘書グループを連れて、奥から出て来る。その後、義経は、床
几に座ったままで、四天王に廻りを警護されている。ほとんど、そこから動かないよ
うに見える義経は、この芝居の後半の全てを、実は、取り仕切っているのである。義
経を含めて、5人の男たちは、ほとんど動かない。特に、科白もない四天王は、身じ
ろぎもしない。それでいて、義経は、家臣の弁慶に書かせた陣屋の制札(先ほどの暗
号)で、「平家の若君・敦盛の命を助けよ」と直実に「謎」(「一枝(いっし)を伐
らば、一指(いっし)を剪るべし」→「一子・敦盛を殺したら、一子・息子の小次郎
を殺すよ」)をかけ、忠義を強要し、贋の「敦盛」の首実検(身許確認)をし、陣屋
に潜んでいた「弥陀六、実は宗清」という平家方、つまり敵方の人物(スパイ)の正
体を見破り、(恩義のある)敦盛を弥陀六を使って、救出し、直実の出家を見送ると
いう、情報機関のボス(「官」の責任者)として、さまざまな仕事をダイナミックに
こなすのである。

芝居では、義経は、首実検で、小次郎の首を見て、初めて、弁慶が書いた制札の意味
が、直実に確実に伝わっていたと知るような芝居になっているが、義経は、首実検の
前に、すでに、陣屋に匿われている敦盛のことを知っているのでは無いか。その証拠
に、「弥陀六、実は宗清」と義経との間で、「弥陀六、実は宗清」の正体を暴くやり
とりがあった後、義経は、「弥陀六」を弥陀六のまま、改めて認め直しながら、直実
の家臣たちが運んで来た大きな鎧櫃を(平家方に)「届けて欲しい」と、用事を頼
む。その鎧櫃には、生きている敦盛が潜んでいるからであるが、それを義経が知って
いると言うことは、首実験の前から、敦盛健在を知っていなければ出来ないことだろ
う。さらに、家臣たちは、弥陀六に鎧櫃を渡した際、戦場に赴くべく、鎧兜姿になっ
て、出て来た直実にも、実は、その後の、僧形になってからこそ必要とするはずの笠
と杖を、直実にも、同時に、手渡しているのであるが、そういう筋書を書けるのは、
真の陣屋の主・義経しかいないのでは無いか。「官」が、すべてを仕組んでいる。

最後の見せ場

直実の幕外の引っ込みは、「私」の敗北=家族の崩壊である。遠寄せの、陣鐘が鳴
り、義経は、直実に出陣の用意を命じる。やがて、鎧兜に身を固めた直実が再登場す
る。直実は、己の膝の前に置いた小次郎の遺髪(これは、正真正銘の小次郎だ)を懐
に入れた後、義経に暇乞いを願い出る。さらに、直実は、鎧兜を脱ぐと、頭を丸めて
いて、すでに僧形を整えている。二重舞台を降りて、相模の手を借りて、草鞋を履
き、夕闇迫る陣屋、花道の引っ込みを前に、花道七三の、いつものところで、見せ場
を演じる。自分が手をかけて、16歳で殺さざるを得なかった息子・小次郎の全生涯
を思い、「ア、十六年はひと昔、アア夢だ、夢だ」という科白を思い入れたっぷりに
言いながら(役者によっては、両目に泪を溢れさせながら)、妻を置いて、(懐に入
れた)遺髪の小次郎だけを連れて、京都黒谷の法然上人のところに向って行く。

元気な息子の姿を一目見たいと東国からやって来た母は、変わり果てた息子の首を見
ただけで、夫に置いてけぼりを食わされてしまう。相模は、「その首は、……」と
言った後は、ほとんど俯いたままで、憔悴した母親像を印象深く演じる。夫と息子
は、遠くへ行ってしまい、ひとり、家族から、取り残された妻(母親)は、陣屋に残
される。相模にとっては、東国を出る時から、胸騒ぎがしていたのが、それが適中し
てしまい、不本意にも、「家族崩壊の物語」となってしまったのだから、打ち拉がれ
るしかない。

陣屋に登場人物の多くが出揃う場面。二重舞台(高いところ)の上では、下手に直
実、上手に義経と四天王、本舞台では、下手に相模、上手に藤の方という配置。上手
の「横」の人間関係は、いずれも、「官」(役宅)であり、上司と部下(あるいは、
元部下)という関係であり、下手の「縦」の人間関係のみ、「私」(私宅の家族た
ち)である。つまり、夫、息子(首だけ)、妻という、家族関係が、浮き上がってく
る。すると、熊谷陣屋は、言われて来たような、封建的な主従の「身替わりの物語」
というばかりではなく、家族の物語、というか、「家族崩壊の物語」をも、内包す
る、あるいは、「入れ子」状態になっている舞台ではないのか。「家族崩壊」=
(「私」の敗北:母の愛・父の忠義・子の犠牲という破綻の関係が、浮き上がって来
る。

贅言;実は、原作と明治期の歌舞伎改革運動で、変わってしまった。並木宗輔本来の
「熊谷陣屋」では、直実の「十六年は一昔、ああ、夢だ(あ)、夢だ(あ)」という
科白の後、皆々引っ張りの見得にて、本舞台で幕となり、直実と髪を切った相模は、
息子小次郎を弔うために(竹本=ナレーション:「お暇申すと夫婦連れ」)いっしょ
に出かけるから、「家族崩壊の物語」には、ならなかった。それが、明治時代に「劇
聖」と呼ばれた九代目團十郎は、国劇としての歌舞伎を再構築しようと、「活歴」と
いう歴史劇に歌舞伎の理想像を描き、古典劇も、「改良」しようとした。例えば、
「熊谷陣屋」の花道の引っ込みを今のように工夫し、蓮生(れんしょう)と名を変え
た直実の「男の美学」を強調したから、相模は、花道を行く夫から、ひとり本舞台に
取り残されることになった。さらに、小次郎の遺髪が、初代吉右衛門のリアリズムの
演技ゆえの工夫から生み出された小道具なら、それによって、相模は、夫ばかりで無
く、夫の懐に入って、花道を行く息子の遺髪からも、ひとり本舞台に取り残されるこ
とになった。男たちは、去り、女は残される。

最後に、今回の役者論を少し。

吉右衛門は、実線で、力を入れて線を描くような演技をする幸四郎と違って、肩の力
を抜いて、自然に直実を作って行く。坂田藤十郎の相模は、初めて観たが、我が子・
小次郎の首を持って行く場面では、生首を、恰も、赤子の小次郎を抱きかかえている
ように観えて、まさに、母親の真情が溢れ出ているようで、私も心が震えるような思
いをした。弥陀六を演じた富十郎は、正体を暴かれた際に、下から見せる衣装に、珍
しく、無地であって、これもよかった。普通は、「南無阿弥陀仏」「平家一門の名
前」が、書かれていて、「見顕し」を意味するという付加情報がつくのだが、これが
なくて、すっきりしていて、それでいて、十分に真意が伝わって来る。さすが、富十
郎の工夫と感心させられた。


貴重な中村屋型「連獅子」


「連獅子」は、三代目杵屋正治郎作曲、1901(明治34)年初演である。「連獅
子」と違って、誰もが出来るという訳ではないのが、「三人連獅子」である。「連獅
子」の拝見は、11回目。「連獅子」では、普通、親子で、「対照的」になる。とこ
ろが、「三人連獅子」では、親が、軸になり、ふたりの子が、親とも「対照的」にな
りながら、子同士も「対照的」にならなければならない。そういう意味では、違う演
目である。

「三人連獅子」の記録では、明治27(1894)年、明治座で演じられた「勢獅子
巌戯(きおいじしいわおのたわむれ)」というのがある。親獅子の精が、市川左團
次、両仔獅子の精が、市川小團次、米蔵であったという。着ぐるみで出て、引き抜き
で、四天姿になって、白頭、赤頭を持ったり、最後に花四天がからんだりということ
で、いまのような、松羽目風ではない。今回の「三人連獅子」は、あくまでも、「連
獅子」の3人版である。従って、「対照的」になりながら、普通の「連獅子」との違
いを見せなければならない。

まず、両仔獅子の精は、舞台の上、下に別れる。所作は、同じ向きの繰り返しであっ
たり、互いに逆方向への所作だったりする。以前の歌舞伎座の筋書には、振り付け師
の名前が無かった。今回は、明記されている。藤間勘祖である。親獅子の精は、軸に
なっている。兄弟の両仔獅子の精の所作は、親とも、対照的になるものの、より、対
照的になるのは、仔獅子同士である。「連獅子」を親子の「三人連獅子」で、演じら
れるのは、目下のところ、中村屋しかいない。歌舞伎座筋書掲載の、戦後の上演記録
を見ると、親子の「三人連獅子」が、初めて演じられたのは、17年前である。勘九
郎時代の勘三郎の親獅子に勘太郎・七之助の兄弟が配される。1993年6月の歌舞
伎座である。その1年前の、92年2月の京都南座で、「連獅子」が、演じられた
時、勘九郎は、仔獅子に孝太郎を配した。さらに、前年の、91年4月の歌舞伎座
で、勘九郎が、本興行で初めて、親獅子を演じた時には、仔獅子には、勘太郎のみを
配した。そもそも、勘九郎が、父親の先代勘三郎の親獅子に対して、仔獅子を演じた
のは、その5年前、つまり、今から24年前であった。こうして、歌舞伎は、代々引
き継がれてきた。

さて、親子の「三人連獅子」は、歌舞伎座のほか、大坂松竹座、博多座、名古屋御園
座、新橋演舞場など、本興行で、8回上演されている。私は、今回含めて、このうち
の2回を観ている。7年前、03年3月の歌舞伎座の舞台を観ている。

ところで、今回もそうだったが、「二人仔獅子」は、「二人道成寺」の花子・桜子の
所作のようには、まだ、なっていない。所作が、洗練されていない。7年よりは、ス
マートになってきているが、「二人道成寺」に比べると、発展途上の所作である。そ
の上、上、下の両仔獅子の呼吸(いき)があわない。いずれ、勘太郎、七之助の兄弟
が、成長しながら、踊り込み、呼吸もあい、この演目は、洗練されて行くのではない
か。そういう予感がする。

後シテになって、3人で繰り広げる赤、白、赤の毛振りは、さすがに、迫力がある。
しかし、左巴は、3人の呼吸があわない。ふたりでも難しいのだから、3人は、なか
なか揃わないだろう。身体の構えを崩さずに、腹で毛を廻すのが、毛振りのコツだと
いうが、また、この所作は、体力の勝負であろう。年齢の違いと藝の違い、それを3
人分、あわせるのは、至難の業(わざ)だと思うが、間もなく、55歳になる勘三
郎、来年、30歳になる勘太郎、間もなく、27歳になる七之助という、世代を見れ
ば、「三人連獅子」が、確実に、中村屋一家の、新たな家の藝になってゆくのではな
いか。父親に兄弟が随伴しながら、是非、十八代目一家の十八番(おはこ)として
「三人連獅子」を洗練させてほしい。そういう舞台の成長を観ながら、私たち観客
も、年をとって行くことができるということは、同時代に生きる観客の幸せで無く
て、なんであろう。
- 2010年4月21日(水) 7:04:19
10年03月国立劇場 (通し狂言「金門五三桐」)


「楼門五三桐」は、秀吉の「朝鮮出兵」という歴史的な事実をベースに、秀吉に対す
る「朝鮮」(ここでは、明)という外国の遺臣の復讐潭。秀吉に復讐するのが、遺臣
の息子の石川五右衛門(最近の表現なら中国系日本人)らというのが、基本構図。こ
れに、竹地(明智)光秀の遺臣の秀吉に対する復讐や真柴(豊臣)家の後継者争いも
絡むという複雑なストーリー。それに、丸本物らしい、虚々実々のトリックの応酬が
ある。つまり、ナンセンス劇の極致であり、異色の「お家騒動もの」と言える。

今月は、歌舞伎座で、「楼門五三桐」の南禅寺山門の場面が、一幕もので上演されて
いるが、国立劇場では、今月は、通し狂言「金門五三桐〜石川五右衛門〜」として、
序幕から大詰まで、五幕九場で上演されている。通しでの上演は、戦後、5回目。戦
後の復活上演は、1967年、猿之助の第2回「春秋会」での公演で、外題は原作・
並木五瓶の初演時の外題に忠実に「金門五三桐」であった。実に、190年ぶりの復
活上演であった。その後、京都の南座、国立劇場、歌舞伎座、そして、今回の国立劇
場。私は、歌舞伎座で、澤潟屋・猿之助の通し狂言「猿之助十八番 楼門五三桐」を
観ているので、通しで拝見するのは、2回目。歴史的背景や筋書を含めて、書いてお
きたい。


並木五瓶「金門五三桐」の系譜


並木五瓶原作「金門五三桐」は、1778(安永7)年、大坂・角の芝居で上演され
た。そのときの外題が、「金門五山(三)桐(きんもんごさんのきり)」で、「山」
が、「三」より、先行する表記のようだ。1800(寛政12)年、江戸での初演時
には、外題が改められ、「楼門五山(三)桐(さんもんごさんのきり)」となった。
「五三桐」は、秀吉の紋所。3枚の桐の葉の上に桐花を中央に5つ、左右にそれぞれ
3つずつ積み重ねてある。聚楽第や大坂城など、秀吉の作った建物の屋根瓦には、金
箔で、金紋の五三桐が押してあったので、「太閤紋」と呼ばれた。語呂合わせで、
「金紋」=「金門」だろうか。現在では、「楼門五三桐」という外題が一般的であ
る。今回の国立劇場で、「金門五三桐」という外題を前面に出したのは、並木五瓶の
原作を復活上演しているということを強調しているのだろうと思われる。ただし、並
木五瓶原作が、「石川五右衛門忍術の事、瀬川釆女艶書の事」とあるように、五右衛
門の筋と五右衛門の弟・瀬川釆女の筋と「テレコ構造」になっているところは、カッ
トし、五右衛門の筋に特化している。前回、1976(昭和51)年の国立劇場の上
演では、ふたつの筋を活かして、正味4時間15分の上演となったというから、大
分、趣きが異なっているだろう。

歌舞伎や人形浄瑠璃の「五右衛門もの」と呼ばれる演目は、最初、1685年頃に
は、古浄瑠璃で語られ始めたという。近松門左衛門原作の人形浄瑠璃「傾城吉岡染」
(1712年)、並木宗輔ほかの合作の人形浄瑠璃「木下蔭狭間合戦(このしたかげ
はざまがっせん)」などを経て、1737(元文2)年の人形浄瑠璃、並木宗輔作
「釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)」(歌舞伎としての上演は、1756(宝
暦6)年)が、先行作品としてある。

並木宗輔作「釜淵双級巴」をベースに、並木五瓶の「金門五三桐」のほか、1796
(寛政8)年の、「艶競石川染(はでくらべいしかわぞめ)」などの、葛籠を背負っ
た石川五右衛門の宙乗りの場面が、上演された。これらの先行作品を書き換えた狂言
「増補双級巴 石川五右衛門」(木村円次作。四代目小團次が幕末の1861年に初
演。主に、「木下蔭狭間合戦」九段目、十段目の、通称「壬生村」と「葛籠抜け」、
それに、「釜淵双級巴」=「継子いじめ」などを繋げたもの)があり、19世紀後半
という、後の作品だけに「増補双級巴」は、筋が、整理されていて、判り易くなって
きている。

いずれも、「山門」や「葛籠(つづら)抜け」の、いわゆる、名場面を繰り返し演じ
ている。さらに、「白浪五人男」や「南総里見八犬伝」などでも、これらの名場面
が、下敷きにされて、そっくりな場面が、違う主人公で上演されているから、多くの
観客の印象に残っていることだろう。もうひとつ付け加えると、異色の「五右衛門も
の」として、「女五右衛門もの」がある。この系統のものでは、「けいせい浜真砂」
があり、今も上演される。「けいせい浜真砂」は、1839(天保10)年、大坂、
角の芝居で二代目富十郎が出演して、初演された。石川五右衛門を傾城の石川屋真砂
路に置き換えている。

09年8月新橋演舞場で、上演された「石川五右衛門」は、海老蔵主演の新作歌舞伎
である。海老蔵が、漫画の原作者として人気のある樹林伸(きばやししん)を指名し
て、新しい石川五右衛門像を提供すべく、原作を書いてもらった。それを元に、古典
歌舞伎の味わいのある舞台にするために、川崎哲男・松岡亮が、脚本を担当、藤間勘
十郎が、振付けと演出を担当、更に奈河彰輔が、監修を担当した。

ほかに、漫画、映画、演劇など、時空を超えて、人気のある石川五右衛門は、生年は
不明で、処刑の記録のある没年は、1594(文禄3)年8月であり、享年は、37
歳という説がある。


さて、国立劇場「金門五三桐」


とりあえず、これだけの予備知識を踏まえて、それでは、まず、国立劇場の舞台を注
目してみよう。

序幕「柳町揚屋の場」。扇面の模様の入った障子襖が、あでやかに、遊郭の華やかさ
を表わす。豊臣秀吉をモデルにした真柴久吉には、短慮な性格の長男・久次(亀蔵)
と次男・久秋(高麗蔵)がいる。跡目相続は、久秋に決められている。しかし、その
久秋も、京の柳町の遊郭で、傾城・九重(亀壽)に入れあげて、放蕩三昧の日を送っ
ている。久次と久秋の争いが、陰で進行している。久次派の筒井順慶(山左衛門)、
名和内記(三津之助)が、真柴家の重宝・千鳥の香炉を盗み出す。遊郭には、兄弟の
母の命令で、南禅寺の霊山国師(橋之助)が、久秋に帰館するよう促しにやってき
て、筒井らの犯行を盗み見て、香炉を偽物とすり替えてしまう。霊山国師は、実は、
五右衛門だったという想定で、物語は、展開し始める。

久次も、遊郭にやってきて、九重を身請けすると言い出す。久秋が、兄に家督を譲る
ため、放蕩三昧に耽っていることを知っている兄弟の母・園生の方(扇雀)が、岸田
民部(種太郎)とともに、姿を見せ、兄弟の争いをやめさせようとする。短慮な久次
は、香炉を紛失した久秋を責める。久次の守役・此村大炊之助(橋之助)が、久次を
50日間預かる事で、この場は、納める。

二幕目第一場「大炊之助館の場」。華やかな遊郭から、地味な武家屋敷へ。銀地に山
水画の襖。館には、久次と無理矢理連れられてきた九重がいる。久秋も通って来てい
る。ここへ、九重の母親を名乗る蛇骨婆(萬次郎)が、娘に逢わせろと談判に来る。
奴頭の八田平(亀三郎)が、蛇骨婆の嘘を見破り、追い返す。ところで、きょうは、
50日目。真柴家の執権・早川高景(彦三郎)が、久次の改心を見届けに来た。相変
わらずの久次を見て、早川は、切腹せよという久吉の厳命を伝える。久次の替わり
に、大炊之助が、自害を申し出る。久次は、そういう事態も判らず、短慮にも、大炊
之助妻・呉竹(芝喜松)を斬り殺して、久吉のところに踏み込もうとする。久次の腹
に刀を突き立てる大炊之助。早川は、久次の切腹を見届けたとして引揚げる。大炊之
助は、実は、久吉に征伐された大明国の将軍・宋蘇卿で、手負いの久次を騙して「瓢
(ひさご)の旗」を手に入れると、久次のとどめを刺す。八田平も、宋蘇卿の家臣・
順喜観で、あり、久吉への反撃を狙って潜んでいた。しかし、大炊之助館は、真柴軍
に囲まれていた。道具幕の降り被せで、一旦、塀の外へ。

二幕目第二場「同 奥庭亭座敷の場」。道具幕の振り落しで、唐風な奥庭亭(おくに
わちん)へ。もはや、これまでと宋蘇卿は、奥庭亭に逃げ込み、息子・宋蘇友に密書
を送る。密書は、先祖伝来の掛け軸から抜け出てきた白斑の鷹に銜えさせて、飛ば
す。さらに、家臣・順喜観に掛け軸を託し、息子・宋蘇友への加勢を頼む。早川らに
追いつめられた宋蘇卿は、切腹をする。

三幕目「南禅寺山門の場」。浅黄幕の振り落し。記述のような展開があり、南禅寺山
門高欄の五右衛門(橋之助)のところに密書を銜えた白斑の鷹が、飛んで来るという
場面に繋がるのである。現在の「楼門五三桐」は、この場面だけ、10数分上演され
るが、原作は、荒唐無稽ながら、起伏の飛んだストーリー展開をしていたのだ。ここ
のポイントは、五右衛門が、宋蘇友という本名で、実は、大炊之助こと、宋蘇卿の息
子であったこと、竹地光秀に育てられたこと(つまり、実父と養父の敵が、真柴久吉
であること)、(大道具や扇雀が、せり上がって来る)山門下を通りかかる巡礼姿の
真柴久吉(扇雀)と、ここで、出逢うということである。

四幕目第一場「大仏餅屋の場」。方広寺門前の餅屋。帳場には、大福帳と仕入帳があ
る。娘のおりつ(扇雀)は、夫の次郎作(橋之助)が、家の戻っていないことを心配
している。父親の惣右衛門(亀蔵)が、中納言が、店に立ち寄ると言いながら、慌て
て、戻ってきた。やがて、中納言(橋之助)が、店に姿を見せる。中納言姿をしたの
は、次郎作であった。

惣右衛門は、竹地の残党・海田新吾で、久吉を狙っている。餅屋の畳の下には、桃山
御殿に通じる抜け道が掘られている。後を追う多くの鳩を蹴散らして白斑の鷹が、餅
屋の店の軒に舞い降りて来る。謀反人探索を続ける早川、修行者姿の順喜観と店の奥
に入った次郎作、実は、五右衛門が、舞台の上手と下手から、それぞれ、白斑の鷹を
見つめている。やがて、主従の邂逅を喜んだ五右衛門と順喜観。五右衛門が、父・宋
蘇卿から預かっていた蘭奢木を焚くと順喜観が、宋蘇卿から託されていた掛け軸のな
かに、白斑の鷹が、舞い戻るのであった。

鷹は、白煙とともに消え、元の絵には、仕掛けで、鷹が戻るという段取りだったのだ
ろうが、私が観たときには、実際には、掛け軸の仕掛けが、巧く作用せず、元の絵に
戻らないまま、亀三郎は、軸を畳んでしまった。

そこへ、早川らが襲って来る。応戦した惣右衛門が、斬りつけられる。惣右衛門は、
むすめのりつに次郎作こと、五右衛門を助けろと遺言をし、りつと順喜観を抜け道か
ら、逃して、息絶える。五右衛門は、惣右衛門の遺体を葛籠に入れると、妖術を使っ
て、姿をくらます。舞台暗転。大きな葛籠が、舞台下手の平のなかから出て来る。や
がて、葛籠が、引揚げられて、宙乗り。五右衛門の葛籠抜けの場面である。「成駒
屋」「待ってました」「たっぷりと」などの声が、大向うから掛かる。それを聞き、
余裕を持って、にんまりと笑う橋之助。

四幕目第二場「抜け道の場」。一足早く桃山御殿に到着した順喜観は、明国の順南太
子(宜生)を取り戻していた。おりつは、太子を託される。太子の世話役(国生)と
ともに、真柴家の家臣を払いのけながら、抜け道を急ぐ。抜け道が、せり下がると、
御殿へ。

大詰第一場「桃山御殿の場」。橋之助の五右衛門は、黒地に雲と雷が、金糸などで、
縫い込まれている馬簾の付いた四天へと衣装を変えて、再び、宙乗りで、先ほどと
は、逆に、舞台へ戻って来る。桃の節句。久秋の関白昇進の祝い。警備していた早川
が、何者かに撃たれる。五右衛門が、御殿に侵入していたのだ。

大詰第二場「同 時雨の間の場」。桃山御殿・時雨の間が、舞台奥から押し出されて
来る。脇息にもたれてまどろんでいる久吉(扇雀)。忍び寄る五右衛門(橋之助)。
千鳥の香炉が、時雨の間に描かれた「風に柳」の筆勢に音色を誘われて、突然、鳴き
声を発し、五右衛門は、捕まってしまう。「自分は、盗賊だが、久吉は、日本国を
乗っ取った大盗賊だ」と、ご政道批判をする。双方が、相手の器量を認め、久吉は、
五右衛門を奥に招じ入れる。浅黄幕の振り被せ。下手で、大薩摩の演奏。

大詰第三場「同 奥庭の場」。浅黄幕の振り落とし。時雨の間を抜け出した五右衛門
と真柴勢の争い。五右衛門、久吉のほか、早川(彦三郎)、早川妻の岩浪(萬次
郎)、久秋(高麗蔵)、岸田民部(種太郎)、順喜観(亀三郎)が、現れ、「だんま
り」もどき。順喜観は、実は、加藤正清であった。順喜観は、既に、捕われていて、
加藤が、すり替わっていたのである。五右衛門に撃たれた早川も、替え玉であった。
千鳥の香炉を久吉に返す五右衛門。「方々、おさらば」。対決は、後日という、いつ
もの大団円。五右衛門は、三段の上で、大見得。幕。

橋之助は、見事な五右衛門ぶりだが、口跡に難がある。並木五瓶原作だが、後世付け
加えられた「艶競石川染」などの、葛籠を背負った石川五右衛門の宙乗りの場面もあ
り、「葛籠背負ったが、おかしいか」は、やはり、五右衛門ものには、いまや、なく
てはならない、決め科白だろう。

このほかの役者では、扇雀は、幾つもの役を兼ねながら、それぞれの存在感を失わな
かった。萬次郎が演じた九重の母親を名乗る蛇骨婆、実は、早川高景妻・岩浪は、大
炊之助館の場では、奴頭の八田平(亀三郎)に嘘を見破られ、一旦は、追い返される
が、その後の場面で、逆に、八田平、実は、順喜観と見抜くなど、なかなかの役どこ
ろ。味を出して、演じていた。こういう役は、萬次郎は、巧い。彦三郎は、代わり映
えがしない。亀三郎も、存在感があった。抜擢の三津之助も、口跡も良く、二役で、
期待に応えていた。


贅言;ところで、「五右衛門もの」では、南禅寺の「楼門(さんもん)」の一幕もの
(今月の歌舞伎座を含めて、2回拝見。最初は、1999年1月・歌舞伎座で、亡き
十七代目羽左衛門の五右衛門を観ている。久吉は、梅玉。今回は、吉右衛門の五右衛
門に、菊五郎の久吉)のほかに、私は、「増補双級巴 石川五右衛門」を1999年
9月・歌舞伎座で、吉右衛門主演で観ている。また、「楼門五三桐」は、2001年
7月の歌舞伎座で、「猿之助十八番 楼門五三桐」の、通し上演で、拝見したことが
ある。さらに、「女五右衛門もの」の「けいせい浜真砂」は、08年1月、歌舞伎座
で観た。雀右衛門が、初役で、傾城・石川屋真砂路を演じた。石川屋真砂路は、真柴
久吉(秀吉)に討たれた武智光秀(明智光秀)の息女。父を亡くし、苦界に身を沈め
ただけに、久吉に害意を抱いている。久吉の子息を巡り、同じ傾城仲間との恋の鞘当
てを演じているという趣向。久吉は、吉右衛門が、演じた。さらに、09年8月新橋
演舞場で観た「石川五右衛門」は、海老蔵主演の新作歌舞伎であり、これも、おもし
ろかった。
- 2010年3月15日(月) 10:38:17
10年03月歌舞伎座 (第三部/「道明寺」「石橋」)


仁左衛門という存在と菅丞相という存在


今回の「道明寺」は、十三代目仁左衛門の十七回忌、十四代目勘弥の三十七回忌の、
追善興行と銘打っているから、仁左衛門の菅丞相と玉三郎の覚寿が、目玉なのだろう
が、仁左衛門の菅丞相の演技は、さらに磨きがかかっているようだが、玉三郎の覚寿
は、まだ、煮込んだ方が良いというのが、率直な感想だ。

「道明寺」は、歌舞伎の典型的な役柄が出そろう演目だ。立役=菅丞相。二枚目=輝
国。老女形(ふけおやま)=覚寿。片はずし(武家女房)=立田の前。赤姫=苅屋
姫。仇役=太郎。老父仇=兵衛。ごちそう(配役のサービス)=宅内。「道明寺」
は、このように、さまざまな役者のバリエーションが揃う大きな舞台にならないと懸
からない演目だから、上演回数も、限られてしまう。歌舞伎座筋書の上演記録を見る
と、戦後では、今回が、11回目の上演だ。「筆法伝授」の方は、13回で、2回だ
け多いが、まあ、どちらも、珍しい。

「道明寺」は、今回で、私は、4回目の拝見。私にとって、孝夫時代をふくめて、4
回目となる仁左衛門の菅丞相の演技は、最早、演技というレベルではなく、仁左衛門
という役者そのものが、菅丞相の存在と重なっているように見える。動きの少ない役
柄を演じるということは、肚から、その人物になりきらないと演じられない。菅丞相
を演じるという点で、仁左衛門という役者は、そういう境地に、すでに入ってしまっ
たのではないかとさえ、思う。「筆法伝授」と「道明寺」と、仁左衛門を軸にした舞
台で、「歌舞伎座さよなら公演」の大詰めに相応しい、珠玉の舞台が出現した。

菅丞相の仁左衛門は、「筆法伝授」の場面から、「道明寺」まで、ほとんど、ただ
座っているだけという演技が続くが、それを仁左衛門は、過不足なく演じる。プレゼ
ンス(存在感)が、凄い。当分、仁左衛門以外には、演じにくかろう。戦後の上演記
録を見ると、昭和時代には、十一代目團十郎、七、八代目幸四郎、十七代目勘三郎
が、演じているから、当代の團十郎、幸四郎、勘三郎らも、いずれ、挑戦するかも知
れないが……。なかなか、やりにくいだろう。

白木の御殿に白木の菅丞相の木像。その上手に鏡が置いてある。木像の精の菅丞相
は、白い直衣(のうし)ということで、白い色調に神秘感を滲ませる演出と見た。生
身の菅丞相は、梅鉢の紋様の入った紫の直衣で対比的に木像との違いを強調する。た
だし、直衣の下の下袴は、薄い紫色の同じものを着ていた。鏡は、後に、生身の菅丞
相が、伏せ籠から出て来る養女の刈屋姫の姿を振り返らずに認める場面で使ってい
た。菅丞相の動きを少しでも少なくする工夫なのだろうか。

自分が作った入魂の木像が、菅丞相の命を救う。だが、それは道明寺の縁起に関わる
伝奇物語。実際の舞台では、ひとり二役で演じなければならない。仁左衛門が、木像
の精になる場面は、これも、ひとつの「人形ぶり」ではないのか。

木像と生身の人間との対比。轆轤(ろくろ)に載せた木像のように座ったまま、脚を
動かさずに(あるいは、もっと、正確に言うなら、脚を動かしていないように見せな
がら)、廻ってみせた仁左衛門。さらに、仁左衛門は、伝統的な演出に乗っ取り、脚
の運びでそれを表現する。左右、右左と交互に足を送る。そのあたりの緩急の妙が、
実に巧い(ほかの役者で観たことがないのだが、これは、難しいだろうと想像でき
る)。烏帽子の有無(木像と白い直衣のときのみ、烏帽子を着けている)も、ポイン
ト。

夜明け前に藤原時平の指示を受けた土師・宿弥親子の仕掛けた暗闘から抜け出した菅
丞相だが、夜明けとともに菅丞相は、伏せ籠のなかに潜んでいた刈屋姫への情愛を断
ち切って、太宰府に配流される。袖の下から檜扇(ひおうぎ)を使っての、養女との
別れの切なさが、滲み出る。抱き柱が、辛い刈屋姫の心根を表わす。人間から木像の
精を通底して、菅丞相は、さまざまな人たちの死や別れを見る。そういう修羅場を経
てこそ、後の天神様へと変身することが出来るのだろう。生身の人間が、木像という
「装置」を経由して、神に昇華する。そういうドラスティックなドラマが展開するな
か、仁左衛門の菅丞相の肚の演技が続く。

覚寿は、芝翫で3回観ている。芝翫の覚寿は、適役だった。仁左衛門の菅丞相のプレ
ゼンスに対抗して、貫禄ある覚寿を演じられるのは、芝翫しかいないだろう。これ
も、当分、芝翫以外は、演じにくかろうと、思っていたら、今回は、玉三郎が挑戦し
た。白塗りに白髪の、可愛らしいおばあさんには、なったが、覚寿には、なっていな
い。森鴎外原作の新歌舞伎「ぢいさんばあさん」で、玉三郎が演じるばあさんも、同
じ印象を拭えない。そう言えば、見回したところ、覚寿を演じられる女形は、やは
り、芝翫しかいないのではないか。芝翫以前には、七代目梅幸、十七代目勘三郎、十
四代目勘弥などが演じてきたけれど、今は、芝翫しかいないのではないか。あるい
は、演じられるとすれば、菊五郎辺りか。「ぢいさんばあさん」で、菊五郎は、味の
あるばあさんを演じていたから。

4回の仁左衛門の菅丞相に付き合う役者たち。立田の前の秀太郎は、覚寿の娘=苅屋
姫の姉=宿弥太郎の妻、ということで、「道明寺」の劇的展開と人間関係を知る上で
は、重要な役処。これも、4回とも、秀太郎が演じた。菅丞相の養女で、今回の事件
の原因となった苅屋姫の孝太郎は、覚寿の娘=立田の前の妹、という関係になる。一
度だけ、玉三郎が演じたが、残りの3回は、孝太郎が演じている。菅丞相の養女の苅
屋姫は、自分が、原因を作っただけに、配流される父への詫びと惜別の親愛の表現が
ポイント。孝太郎の苅屋姫からは、養女ゆえの、複雑な惜別の情が、観客席にも、ひ
しひしと伝わって来た。判官代輝国の富十郎も、3回。今回は、我當に替わったが、
これは、良い配役だった。ただし、最近、我當は、脚が、若干、不自由になってきて
いるように見える。

立田の前の遺体を池から救い上げる「水奴」宅内(錦之助)は、ごちそう。藤原時平
の意向を受けて菅丞相を誘拐して暗殺しようとする土師兵衛(歌六)、宿弥太郎(弥
十郎)の親子。土師兵衛、宿弥太郎の親子が、偽の迎えのために、夜明け前に啼かせ
ようとする鶏を庭の池に放す場面では、池の水布の間から、水色の手が出てきて、鶏
を載せた挟み箱の蓋を引き取っていた。娘・立田の前が口にくわえていた布切れで、
殺しの真相を悟った覚寿の機転で、犯人として殺された宿弥太郎。夫・太郎の悪企み
を知り、夫に殺された立田の前の(つまり、夫婦の)遺体は、黒い消し幕とともに二
重舞台の床下に消えて行った。

こういう風に、あまりかわらない配役を観ていると、配役をあまりいじらないという
ことで、それぞれの役者の完成度を高めて行くことに通じるように思う。そういう熟
成の舞台を、今回は、観たような気がする。

ところで、この場面の時制を観客の多くは、承知しているのだろうか。ポイントは、
ふたつある。腰元たちが、雪洞(柄と台座を付けた行灯)を持って来る場面がある。
御殿も、薄暗くなって来たのだろう。また、夫の宿弥太郎と義理の父親の土師兵衛
が、菅丞相殺しの謀略を立ち聞きする立田の前が、手に持っている手燭(手持ちの行
灯)も見逃してはいけない。宿弥太郎と土師兵衛の親子は、正式の迎えの使者・判官
代輝国)一行が来る夜明け前の、「八つ時(午前2時ころ)」を前に、菅丞相の贋の
迎い役として弥藤次らを寄越す合図として、鶏を啼かせる策略(水中にある遺体の上
で、鶏が啼く→夜明け前を知らせる)を実行する。一刻前というから、など、この物
語は、夕方から夜半にかけて、クライマックスを迎えるという、いわば「夜中の物
語」なのだが、皓々と明るい舞台では、観客のうち、どれだけの人が、夜半を意識し
ながら物語の進行を観ているだろうか。


「石橋もの」は、いろいろバリエーションがあるが、この「文殊菩薩花石橋」は、2
回目の拝見。前回は、芝翫と富十郎という人間国宝同士の重厚な舞台であった。それ
に花を添えたのが、2歳になるという富十郎の長男の大(今の鷹之資)02年4月歌
舞伎座の初舞台。というか、鷹之資の初舞台に父・富十郎と友人の芝翫が、友情出演
したのだろう。このときの舞台背景は、岩山の深山。舞台奥の正面に石橋という「い
つもの」舞台装置がない。背景遠くに山の頂を繋ぐ石橋が、霞んで見えた。今回は、
それもない。「能取りもの」という「能」から生まれた歌舞伎の演目決まりの大きな
松が描かれた「松羽目もの」の定式の演出である。長唄囃子連中も、いつもの雛壇に
乗っている。

寂昭法師は、前回の芝翫に替わって、幸四郎。富十郎が演じた、童子・獅子の精は、
樵人・獅子の精に替る。文殊菩薩(大)は、鷹之資が、童子・文殊菩薩に替わる。清
涼山に修行にやってきた寂昭法師は、石橋を渡って、文殊菩薩に逢いに行きたいとい
う。獅子の精と文殊菩薩の霊験を受けて、寂昭法師は、帰って行く。前回と違うの
は、途中で、修験者(錦之助)と里の男(松緑)の出が、挿入された。荒ぶる獅子を
鎮めようとするふたり。やがて、獅子出現の気配に、ふたりは、逃げ帰る。獅子の精
と文殊菩薩の出。からみの男たちとの立ち回り。獅子の精による獅子の狂いの舞い。
千秋万歳を祝う。見守る文殊菩薩。

鷹之資は、4月で、11歳になる。6月で81歳になる富十郎の安定した踊りに成長
した鷹之資が、付け加えるものは、なにか。ひとつひとつ、父の背を見ながら、付け
加えて行って欲しいと思う。

前回の舞台では、一本隈の化粧、四天の衣装に紅白の牡丹の枝を持った力者たちとの
獅子の精の立ち回りがあった。立ち回りの最中に、四天の背中と牡丹の枝の組み合わ
せで、天王寺屋の定紋を表現していた。また、前段と後段は、浅葱に雲の文様の幕が
振り被せ、振り落としの演出で切り替わるなど、今回とは、大分違う。新たな構成、
振付け、作曲で、ほぼ、新作か。
- 2010年3月14日(日) 17:26:38
10年03月歌舞伎座 (第二部/「筆法伝授」「弁天娘女男白浪」)


重厚な、見応え 仁左衛門の菅丞相


「筆法伝授」は、めったに上演されない。それでも、私は、95年3月、02年2月
に歌舞伎座で観ているので、今回が、3回目。ただし、前回と前々回は、「通し狂
言」というスタイルで、「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」「車引」「賀の祝」「寺
子屋」まで拝見したが、今回は、各部に一演目ずつという変則興行である。孝夫時代
を含めて、当代仁左衛門の菅丞相は、3回出演のすべてを観ている。

歌舞伎座筋書の上演記録では、戦後、13回目の興行となる。七代目、八代目の幸四
郎、十一代目の團十郎、十七代目の勘三郎のほか、近年(この30年来)は、十三代
目、当代(十五代目)仁左衛門が、専ら演じる。

私が観たこれまでの主な配役は、菅丞相=仁左衛門(今回、孝夫時代含めて、3)。
園生の前=魁春(今回、松江時代含めて、2)、雀右衛門。武部源蔵=梅玉(今
回)、富十郎(2)。戸浪=芝雀(今回)、松江時代の魁春、澤村藤十郎。梅王丸=
歌昇(今回含めて、2)、彦三郎。左中弁希世=東蔵(今回含めて、3)。

「筆法伝授」「道明寺」の菅丞相は、動きの少ないまま、肚での濃厚な演技が要求さ
れる難しい役柄である。仁左衛門の演技は、毎回、見応えがある。今回も、十全の菅
丞相であった。ますます、風格のある仁左衛門の菅丞相であった。これだけの菅丞相
を仁左衛門が、演じてしまうとほかの人が菅丞相を演じにくくなることは、間違いな
さそうだ。筋書きの上演記録以前の歴代の菅丞相役者では、九代目團十郎、五代目歌
右衛門、十一代目、十三代目仁左衛門が、評判だったと言われる。

「筆法伝授」では、勅命により弟子に筆法の奥義を伝授する場面だ。「菅原館奥殿の
場」、舞台は、金地の襖に白梅の老木の絵。上下には、板戸。花道向こう揚げ幕も、
いつもの幕から御殿の板戸に替わっている。襖の下手にある銀地の山水画の衝立があ
る。

仁左衛門の菅丞相の重厚な、動きの少ない肚の演技と対比をなすのが、「静と動」と
ばかりに左中弁希世(東蔵)の動きの多い、うるさいほどの滑稽役の役割だ。学問所
の場面では、専ら、源蔵の邪魔立てをする。東蔵が、そういう役どころをきちんと弁
えて演じていて、しつこいチャリをおもしろく演じる。前回は、富十郎の演じる源蔵
を喰っていたと、私の劇評には、書き込まれている。脇にこういう演技をする役者が
いると舞台の奥行きを増すという手本。

菅丞相の奥方・園生の前(魁春)の腰元・戸浪との不義密通(不倫)で菅丞相から勘
当されていた武部源蔵(梅玉)・戸浪(芝雀)夫婦が、浪々の身の上ながら、久しぶ
りの主人のお召しに花道を出てくる。園生の前は、魁春。8年前、魁春は、前名の松
江としては、最後の舞台で、戸浪を演じていたのだった。

この後、源蔵は、局・水無瀬(吉之丞)に案内されて奧の「学問所」に入って行く。
最初の座敷から、廊下へ。廻り舞台は、半廻し。さらに、半廻しで学問所奧へ。こう
いう大道具の展開は、時々あるが、おもしろく拝見。大道具が、ゆるりと、鷹揚に廻
り、役者が、それにあわせて、ゆっくりと移動し続ける。恰も、江戸の時間が、そこ
には、流れているように思われる。

こちらは、菅丞相が筆法伝授する場所なので、菅丞相の梅鉢の紋が、銀地の襖や衝立
に、青々と描かれている。

舞台中央の御簾が上がると、仁左衛門の菅丞相は、白い衣装で座っている。この場
面、仁左衛門は、座っているだけで、風格を見せなければならない。源蔵は、菅丞相
から課題を与えられ、書を書き続ける。それをいろいろ邪魔立てする左中弁希世。自
分が、源蔵より兄弟子なので、当然、筆法伝授は、自分に廻って来ると思ったら、変
な展開になっているので、嫌がらせをしているのである。源蔵の梅玉は、字を書いて
いるという演技はしているが、白紙には、なにも書いていない。書き上がったという
所作の後、2、3枚下から、別の紙を出していた。

やがて、菅丞相から源蔵に神道秘文の伝授の一巻を手渡して、立ち上がる場面がある
が、仁左衛門の動作は、これだけ。「伝授は伝授、勘当は勘当、この以後の対面は、
叶わぬぞ」という菅丞相の器量の大きさを見せる場面。「勘当は勘当」で、源蔵は、
表向きは主人がいない。菅丞相の悲劇後も、源蔵に累を及ぼさない身の処仕方の伏線
であり、「対面は、叶わぬ」が、配流される主人との別れの場面にもなる。御簾が下
がり、菅丞相は、姿を消す。仁左衛門は、御簾の上げ下げの間、所作としては、ほと
んど座っているだけだった。

贅言;この場面、人形浄瑠璃では、どのように演じられるか。

「筆法伝授の段」の後半、御簾が上がると、菅丞相の出。人形の頭は、「孔明」。後
の場面では、「丞相」に替る。私が観たとき、丞相の人形を操る主遣いは、今は亡き
吉田玉男(人間国宝)であった。玉男は、重厚。玉男も丞相も、ほとんど動かない
が、肚で演じる。至難の場面。その貫禄ぶりが、人形にも乗り移っている感じ。仁左
衛門の演技にも、通じていると思う。

武部源蔵に筆法伝授をした後の、「伝授は伝授、勘当は勘当」という歌舞伎でも聞か
せどころのやりとり。「端役」の左中弁稀世は、厳粛な筆法伝授の場面で、ひとりよ
がりな男のチャリ(笑劇)を演じ、客席の笑いを取る。ここも、東蔵の演技にも、通
じる。歌舞伎以上に、人形は、オーバーアクションが似合うのだから、東蔵も、人形
に対抗するのは、大変だろう。


やがて、「参内せよ」との天皇からのお召しで黒っぽい紫色の正装に替わった菅丞相
が、再登場する。二重舞台を降り、平舞台を横切る途中で、冠を落とす菅丞相。不吉
な予感。冠を結び直して、花道へ。仁左衛門は、ぎりぎりの最小限度の動作で、最大
限の肚を表現していて、過不足なく演じていたと思う。肚を外形的に表現する白・黒
の衣装の対比。

さらに、舞台が廻る。「半明転」で、「菅原館門外」の場面へ。畳を表わしていた薄
縁の上の、大道具方が、地絣を敷き詰めて行く。やがて、先ほどの正装のうち、直布
をはぎ取られた菅丞相が、輿にも乗らず、手鎖をされているような格好で、徒歩で、
三善清行らに引き連れられて自宅に戻ってくる。門は、閉門処分にされる。屋敷内か
ら、梅王丸(歌昇)の手引きで、塀越しに菅秀才が救出される。源蔵(梅玉)は、菅
丞相の無念をはらすため、時平方に寝返った希世(東蔵)や、時平の家臣・荒島主税
(松江)を斬る。筆法伝授される源蔵は、筆ばかりでなく、剣も、なかなかの使い手
なのだ。


円熟の「弁天娘女男白浪」


全五幕構成の芝居で、本外題は、「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしき
え)」)だが、それは、「通し上演」のとき、「浜松屋見世先」と「稲瀬川勢揃い」
のふた場面を上演する、「見取り上演」のときは、「弁天娘女男白浪」という外題に
なる。菊五郎、吉右衛門の「浜松屋見世先」(この場面だけだと、「弁天小僧」)。
菊五郎、左團次、梅玉、吉右衛門、幸四郎の「稲瀬川勢揃い」(この場面だけだと、
「白浪五人男」)。黙阿弥が選りに選りを懸けて練り上げた、歌舞伎味のエッセンス
を引き出した演目だけに、本外題のほかに、幾つもの通称を持つ人気狂言。

今回の「弁天娘女男白浪」は、円熟味のある、バランスの取れた配役で、堪能した。

私は、6回目の拝見だが、「弁天娘女男白浪」は、今回で、3回目。通し上演「青砥
稿花紅彩画」で観たのも、3回。通しだと、「極楽寺山門の場」があり、私などに
は、大道具などが、「楼門五三桐」の南禅寺の場面を偲ばせる。

私が、「弁天娘女男白浪」で観た、主な配役は、以下の通り。
弁天小僧:菊之助(襲名披露の舞台)、菊五郎(今回含め、2)。日本駄右衛門:羽
左衛門、幸四郎(今回含め、2)。南郷力丸:團十郎(2)、吉右衛門(今回)。忠
信利平:左團次(今回含め、2)、松緑。赤星十三郎:梅玉(今回含め、2)、菊之
助。浜松屋幸兵衛:三代目権十郎、田之助、東蔵(今回)。宗之助:正之助時代の権
十郎、松也、菊之助(今回)。鳶頭:菊五郎、團蔵(今回含め、2)。

因に、私が、通し上演「青砥稿花紅彩画」で観た、主な配役は、以下の通り。
弁天小僧:勘九郎時代の勘三郎(2)、菊五郎。日本駄右衛門:富十郎、仁左衛門、
團十郎。南郷力丸:八十助時代含めて三津五郎(2)、左團次。忠信利平:橋之助、
信二郎、三津五郎。赤星十三郎:福助(2)、時蔵。浜松屋幸兵衛:三代目権十郎、
弥十郎、東蔵。宗之助:孝太郎、七之助、海老蔵。鳶頭:彦三郎、市蔵、梅玉。青砥
左衛門:勘九郎時代の勘三郎(2、つまり、弁天小僧とふた役)、富十郎。

こうして書き出して見ると、今回の配役では、相関関係のレベルがあい、バランスが
取れているのが、判るだろう。今の歌舞伎座、最後の「弁天娘女男白浪」の上演とい
うことで、円熟味が、滲み出ている。

この芝居は、元々、黙阿弥が見た一枚の錦絵から発想されたというだけに、各場面
は、一枚、一枚の色彩豊かな(まさに、「花紅彩画」である)絵葉書を見るようであ
る。見取り上演のときには、ひときわ、そういう感じが強まる。これが、通しでの上
演となると、この物語が、如何に起伏に富んでいるかが判る。ストーリーの方は、盗
人たちの物語に血縁の因縁話が綯い交ぜになっていて、まさしく、黙阿弥ならではの
明暗起伏に富む原作である。黙阿弥が、幕末の江戸文化をいかに活写しようとしたか
が、伺われる。

通しでは、「浜松屋」も、「浜松屋見世先の場」と「浜松屋蔵前の場」のふたつが、
上演されるが、今回は、見世先のみ。番頭・与九郎(橘太郎)が、滑稽な役を巧みに
こなす。ときは、すでに、夕方。詐欺を働こうと娘に化けた弁天小僧(菊五郎)、若
党に化けた南郷力丸(吉右衛門)は、この薄暗さを犯罪に利用する。よその店で買っ
た品物をトリックに万引き騒動を引き起こす。番頭は、弁天小僧菊之助らの悪巧みに
まんまと乗せられ、持っていた算盤で菊之助の額に傷を付けてしまう。番頭のしでか
す軽率な行為が、この場を見せ場にする。この怪我が、最後まで、弁天小僧の、いわ
ば「武器」になる。正体がばれて、帯を解き、全身で伸びをし、赤い襦袢の前をはだ
けて、風を入れながら、下帯姿を見せる菊五郎の弁天小僧。「役者気取りの女方」と
いう科白。これは、絶品。吉右衛門も、科白廻しを堪能させてくれる。

「稲瀬川勢揃いの場」も、桜が満開。浅葱幕の振り落としで、桜が満開の稲瀬川の土
手。花道より「志ら浪」と書かれた傘を持った白浪五人男が出て来る。逃亡しようと
する5人の盗人が、派手な着物を着て、なぜか、勢揃いする。弁天小僧(菊五郎)、
忠信利平(左團次)、赤星十三郎(梅玉)、南郷力丸(吉右衛門)、日本駄右衛門
(幸四郎)の順。まず、西の桟敷席に顔を向けて、花道で勢揃いし、東を向き直り、
場内の観客に顔を見せながら、互いに渡り科白を言う。

本舞台への移動は、途中から、日本駄右衛門が、4人の前を横切り、一気に、本舞台
の上手に行く。残りの4人は、花道の出の順に上手から並ぶ。恐らく、花道の出は、
頭領の日本駄右衛門が、貫禄で殿(しんがり)となり、本舞台では、名乗りの先頭に
立つため、一気に上手に移動するのだ。

「問われて名乗るもおこがましいが」で、日本駄右衛門(幸四郎)、次いで順に、弁
天小僧(菊五郎)、忠信利平(左團次)、刀を腰の横では無く、斜め前(楽屋言葉
で、「気持ちの悪いところ」)に差し、ほかの人と違って附打の入らない見得をする
赤星十三郎(梅玉)、「さて、どんじりに控(ひけ)えしは」で、南郷力丸(吉右衛
門)となる。黙阿弥劇独特の、七五調で、安定感のある科白廻しが、歌舞伎座の場内
に響き渡る。

捕り手との立ち回りを前に、傘を窄めるが、皆、傘の柄を持つのに対して、忠信利平
だけは、傘を逆に持つ。5人の列の3番目、つまり、真ん中だからだろう。10人の
捕り手たちとの立ち回り。日本駄右衛門のみ、土手の上に上がる。ほかの4人は、土
手下のまま。それぞれ左右を捕り手に捕まれ、絵面の見得で幕。

役者論を簡単に書いておこう。主役の弁天小僧を演じた菊五郎は、当代随一の弁天小
僧役者だろう。次いで、勘三郎か。日本駄右衛門は、幸四郎だったが、團十郎、富十
郎、仁左衛門も、味がある。南郷力丸や忠信利平は、左團次、三津五郎らが多い。吉
右衛門は、珍しい。吉右衛門は、1988年5月の歌舞伎座で、南郷力丸を演じて以
来で、22年ぶりだ。刀を腰の横では無く、斜め前に差し、ほかの人と違って附打の
入らない見得をする赤星十三郎は、女形が演じることが、割と多い。この狂言は、役
者の賑わいが大事だが、今回のように、円熟期の役者衆を集めてみると、皆、愉しみ
ながら演じているのが、判る。
- 2010年3月14日(日) 14:43:46
10年03月歌舞伎座 (第一部/「加茂堤」「楼門五三桐」「女暫」)


歌舞伎座は、去年の1月から始まった「さよなら公演」も、大詰め。3月、4月は、
「御名残大歌舞伎」ということで、興行も、8月の納涼歌舞伎方式の3部制。その
上、入り口の上には、「顔見世興行」同様に、櫓を組んでいる。

「加茂堤」は、4回目の拝見。去年の2月の歌舞伎座の舞台も観ている。前回は、桜
丸(橋之助)、桜丸の妻・八重(福助)というコンビ。今回は、桜丸(梅玉)、八重
(時蔵)ということで、一世代上の役者の出演だ。

桜丸と八重が、天皇の弟・斎世の君(友衛門)と菅原道真、芝居では、菅丞相のこと
だが、その菅丞相の養女・苅屋姫(孝太郎)との逢瀬の段取りをしたことで、菅丞相
の政敵・藤原時平に「天皇亡き後、斎世の君を天皇にし、苅屋姫を皇后として、自ら
が皇后の父親になろうという謀反心だ」という難癖を付けられ、菅丞相太宰府配流と
いう後の事件の発端が描かれる。

後の悲劇は、悲劇として、この場面は、紅白の梅の咲く、長閑な春の景色のなかで、
繰り広げられる。苅屋姫は、初々しく、好きな人への愛情一途の幼い姫のイメージ。
斎世の君も、一人では何も出来ない、若々しく、初心(うぶ)で、突っ立っているだ
けという、奥手。折角の逢瀬を、年上の夫婦が設定してくれたのにもかかわらず、な
かなか情事に発展しないことから、男女の仲の「先達」(とは、言うものの、桜丸も
前髪をつけていて、「まだ、若い」し、八重は、振り袖を着ていて、眉も剃っていな
いから、ちょっと、先輩という程度)として、桜丸と八重が、夫婦で、いろいろ段取
りを整えることになる。牛車のなかが、情事の空間になり、外で見張る桜丸夫婦が、
その有様をみて、「たまらぬ、たまらぬ」というあけすけな科白の後、ふたりが舞台
中央で抱き合い、接吻をするという、最近の歌舞伎では珍しい直接的な愛の表現があ
る。まあ、一種の「チャリ(滑稽)場」とも、受け取れる。一種の喜劇として描かれ
る。

情事の後、斎世の君と苅屋姫は、和歌の書き置きを残して、姿を消す。警護の桜丸に
さんざん妨害されたあげく、時平方の三善清行(秀調)が、やっと、牛車を覗き込む
が、そこには、誰もいない。

三善清行も、遅れて戻ってきた桜丸も、斎世の君と苅屋姫の後を追う。桜丸に頼まれ
て、牛車を戻しに行かなければならない八重。桜丸の白丁の衣装を借りて、こわごわ
ながら、牛に近づき、牛車を引こうとするが、なかなか、言うことを聞かない牛。牛
車の牛とのやりとりも、場内の笑いを誘う。

前回の福助の八重も、悪くなかったが、今回は、一世代上の時蔵の八重で、やはり、
味わいが一段と深かった。桜丸は、前回の橋之助より、今回の梅玉の方が、役柄が、
煮込まれている感じであった。

今回の「菅原伝授手習鑑」は、建て替えられる歌舞伎座の「さよなら公演」の一環と
して、大詰めの、3月、4月の「御名残歌舞伎」で、3部制をとっているので、通常
の通しではなく、第1部に「加茂堤」、第2部に「筆法伝授」、第3部に「道明
寺」、そして、4月の第2部に「寺子屋」という公演形態をとっているという、特殊
なものである。特に、「筆法伝授」と「道明寺」での、仁左衛門による菅丞相の登場
が、最大の見せ場になるので、詳しい劇評は、そちらで、ということで、「加茂堤」
は、この程度に止めて置こう。


「でっけえかな」と「ぜっけいかな」


「楼門五三桐」は、今回同様の一幕ものという演出では、前回、1999年1月、歌
舞伎座で観ているので、2回目の拝見だが、「南禅寺山門」の場面は、海老蔵主演の
新作歌舞伎の「石川五右衛門」など、バリエーションでは、いくつか観ている。さら
に、今回は、「金門五三桐」という外題で、今月の国立劇場で、珍しい「通し狂言」
という」演出で上演しているので、劇評の主体は、そちらに譲り、役者論のみをコン
パクトに書いておきたい。

歌舞伎座の五右衛門は、吉右衛門。真柴久吉は、菊五郎。国立劇場の五右衛門は、橋
之助。真柴久吉は、扇雀。

10数分という短い場面であるが、ふたつの劇場の芝居で、いちばん違ったのは、
「デっけエかな」と「ゼっけイかな」に聞こえた短い科白であった。南禅寺の山門の
高欄に、どっかりと腰を下ろした石川五右衛門。大煙管で一服しながら、桜満開、春
爛漫の景色を愛で、「絶景かな」と満悦する場面である。橋之助の科白廻しでは、
「絶景かな」は、「デっけエかな」と聞こえてしまうが、吉右衛門は、きちんと、
「ゼっけイかな」と聞こえてきた。吉右衛門は、科白廻しを特に大事にする役者で、
歌舞伎座第2部の「弁天娘女男白浪」の、「稲瀬川勢揃いの場」で、花道に並んだ菊
五郎、左團次、梅玉、吉右衛門、幸四郎と科白を渡して行く場面でも、わたしは、皆
の声をそれぞれ聞き分けられるが、吉右衛門は、いちばん丁寧で、見事な口跡であっ
たので、よりよく判った。橋之助は、口跡の改善が、今後の課題であろう。

このほか、この場面で、歌舞伎座と国立劇場での違いで気がついたことは、開幕、浅
黄幕の「振り落し」で、南禅寺が、ぱっと、出てくるのは、同じだが、歌舞伎座は、
振り落しの前に、大薩摩の演奏があった。さらに、山門高欄では、久吉の家臣とし
て、右忠太(歌六)と左忠太(歌昇)が、五右衛門を襲う場面があった。国立劇場で
は、浅黄幕の前で、五右衛門の手下が、警戒している場面が、挿入されるが、山門高
欄では、五右衛門一人だけの場面に終始する。大セリで、山門がせり上がってきて、
山門下に真柴久吉が、登場し、それ以降は、同じ。南禅寺山門の作りは、国立劇場の
大道具の方が、歌舞伎座の大道具より、立派に見えた。


「女暫」は、6回目の拝見。この演目、普通は、「暫」の主役、鎌倉権五郎の代りに
巴御前が、登場する。鎌倉権五郎の科白(所作と台詞)をなぞりながら、ところどこ
ろで、女性を強調するという趣向である。男の「暫」は、鶴ヶ岡八幡の社頭が舞台、
「女暫」は、京都の北野天神の社頭が舞台。「女暫」は、登場人物の名前は、清原武
衡の代りに蒲冠者範頼などと違うが、「暫」とは、基本的な演劇構造は同じ。

1745(延享2)年に二代目芳沢あやめが、初演したとか、1746(延享3)年
に初代嵐小六が、初演したとか伝えられる。その後、名女形と言われた三代目瀬川菊
之丞が、1786(天明6)年に演じたものが、評判となり、今の形の基本となっ
た。幕末期に、上演が途絶えたが、1901(明治34)年、市村座で、五代目歌右
衛門が、復活上演した。

私が観たうちでは、「巴御前、実は、芸者音菊」という凝った仕掛けは、98年2
月、歌舞伎座の菊五郎であった。このときの菊五郎は、巴御前を演じた後、幕外で
は、さらに、芸者・音菊に変わるという重層的な構造に仕立てていた。

05年1月、国立劇場では、「御ひいき勧進帳」、一幕目「女暫」ということで、主
人公は、「巴御前」では無く、「初花」となり、雀右衛門が主役を演じていた。

「巴御前もの」としては、4回目の拝見。私が観た巴御前は、玉三郎が、今回含め
て、2回目。このほかの巴御前は、萬次郎、福助で、観ている。玉三郎の巴午前を初
めて観たのが、01年2月、歌舞伎座で、玉三郎は、初役だった。期待に違わず玉三
郎の巴御前は、りりしく、色気も艶もあり、兼ねる役者・菊五郎とは、ひと味違う真
女形・巴御前になっていた。特に、恥じらいの演技は、菊五郎より、艶冶な感じ。巴
は女性なのだし、「女の荒事」として、女性の存在の底にもある荒事(あるいは、
「女を感じさせる荒事」という表現をしても良い)の味を引き出していた。今回も、
玉三郎の巴御前は、充実の巴御前で、堪能した。

今回の「女暫」の配役。蒲冠者範頼(我當)ら、範頼一行の顔ぶれは、轟坊震斎(松
緑)、女鯰若菜、実は、樋口妹若菜(菊之助)、「腹出し」の赤面の家臣・成田五郎
(左團次)、猪俣平六(團蔵)、江田源三(弥十郎)、東条八郎(市蔵)、武蔵九郎
(権十郎)ら。一方、太刀下の清水冠者義高(錦之助)一行は、義高許婚の紅梅姫
(梅枝)、木曽太郎(松江)、木曽駒若丸(萬太郎)ら。ほかに、手塚太郎(進之
介)、舞台番(吉右衛門)。

ハイライトの場面は、蒲冠者範頼に呼び出されて来た成田五郎が、清水冠者義高を斬
ろうとすると、向う揚幕から、お決まりの、「暫く」、「暫く」と声がかかり、女な
がら、素襖姿に大太刀を佩(は)いた巴御前(玉三郎)の颯爽の花道登場となる。見
せ場は、吉例の「つらね」。さらに、巴御前を追い払えという蒲冠者範頼の要請に応
えて前へ出て来た女鯰若菜の菊之助が、「大和屋のお姉さん」「揚幕の方へ寄って」
と呼びかけるなど、笑いを誘いながらの「対決」である。いずれにせよ、「女暫」
は、「暫」よりも、一層、色と形が命という、「江戸の色香」を感じさせる江戸歌舞
伎の特徴を生かした典型的な舞台。

もうひとつの、見せ場。一件落着の後、「おお、恥ずかし」という女形の恥じらい、
幕外の引っ込みの「六法」をやろうとしない巴御前に六法を教える舞台番・辰次(吉
右衛門)とのやりとりが、幕外の見せ場として、つくのがミソ。江戸の遊び心が、忍
ばれる。

贅言1);舞台番は、ごちそうの役者が演じる。私が観たのは、成吉(團十郎)、辰
次(吉右衛門、2回目)、富吉(富十郎)、寿吉(三津五郎)、鶴吉(勘三郎)。
皆、名前が違うところが、おもしろい。

贅言2);第1部は、間に、30分間の幕間が、2回有り、第2部、第3部と比べる
と、演目の上演時間自体は、大分短めになる。そういうことで、第1部の劇評も、短
めで、終了。


* 以下は、初心者のために、再録。

本来、「暫」は、独立した演目ではなかった。江戸時代の「顔見世(旧暦の11月興
行)狂言」の一場面の通称であった。一場面ながら立役、実悪、敵役、若衆方、立女
形、若女形、道化方などが出演するため、「だんまり」同様に、一座の役者の顔見世
(向こう1年間のお披露目)には、好都合の、いわば、一種の「動くブロマイド」、
あるいは「動く絵番付(演劇パンフレット)」のような役割を果たしたことだろう。
いつしか、そういう演目としての役回りの方が評価され、独立した出し物になった。

権力者の横暴に泣く「太刀下(たちした)」と呼ばれる善人たちが、「あわや」とい
う場面で、スーパーマン(今回は、スーパーウーマン)が登場し、悪をくじき、弱き
を助けるという、判りやすい勧善懲悪のストーリ−で、古風で、おおまかな歌舞伎味
濃厚の一枚絵のような演目。むしろ、物語性より「色と形」という歌舞伎の「外形」
(岡鬼太郎の表現を借りれば「見た状」)と表現としての「様式美」が売り物だろ
う。

歌舞伎十八番に選ばれた「暫」は、景気が良く、明るく、元気な狂言。それだけで、
祝い事には欠かせない演目となる。昔は、いろいろな「暫」があったようだ。「奴
暫」、「二重の暫」(主人公がふたり登場)、世話物仕立ての「世話の暫」などがあ
る。

「女暫」も、もともと派手さのある「暫」の「華」に加えて、「女」という「華や
ぎ」まで付け加えることが可能なだけに、そういうさまざまな趣向の「暫」のなかか
ら生まれ、「二重の華」として、いちだんと洗練されながら、生き残ってきた。
- 2010年3月14日(日) 11:32:17
10年02月歌舞伎座 (夜/「壺坂霊験記」「高坏」「籠釣瓶花街酔醒」)


男女のありよう 〜「壺坂霊験記」と「籠釣瓶花街酔醒」〜


「壺坂霊験記」は、目の不自由な夫と美人妻の、純愛物語。本質的に、荒唐無稽な話
だが、大衆の中に根強くある奇蹟を信じたいという願望を芝居にしているように思
う。99年11月の歌舞伎座で観ているので、2回目。しかし、このサイトの劇評と
しては、簡単なものがあるだけで、ほとんど、初登場同然なので、きちんと書いてお
きたい。

「壷坂霊験記」について、11年前に、私は、こう書いている。

*吉右衛門と芝翫という芸達者同士で楽しめた。話は荒唐無稽で、たわいもないのだ
が、特に芝翫の「お里」は本当に巧い。芝翫の顔のむこうに、若くて、初々しく、夫
思いの、素晴らしく魅力的な女性の顔がちゃんと見えて来た。3つ違いで、こんな女
性がいれば、観世音菩薩でなくても、何かをしてあげたくなる人だ。芝翫の役づくり
には脱帽。今月の歌舞伎座の役者のなかでは、最高の演技。こういう演技を見たくて
歌舞伎に通うのだろう。福助の長男、優太(現在の児太郎)の観世音は、小さくて可
愛らしいが、大声で科白をがなるので、何を言っているのか不明だった。太鼓の音
で、観音堂と谷底との距離を感じさせていて、おもしろかった。

これだけであるが、芝翫の若妻ぶりを、絶賛している。今回は、芝翫の息子の福助
が、お里に挑戦する。福助は、児太郎時代に、勘九郎時代の勘三郎の沢市を相手にお
里を2回演じているが、福助襲名後は、今回が初めてである。今回の沢市は、三津五
郎が初役で演じる。

第一場「沢市住家の場」。目の不自由な座頭の沢市。琴や三味線の師匠をしている。
若妻のお里は、縫いものの内職をして、家計を助けている。幕が開くと、暫く、置浄
瑠璃。奥からお里(福助)が出て来る。福助のお里は、初々しい。糸に乗った福助の
所作。

ふたりは、夫婦になって、3年。まだまだ、仲睦まじい。最近、お里は、夜になると
不在になるので、沢市(三津五郎)は、不倫を疑い、死にたいと漏らすようになる。
自分は、盲目、妻の顔は、見たことがないが、美人らしい。障害者の自分に嫌気の差
したお里の不祥事を想像している。「三つ違いの兄さん」のような沢市を愛してい
る。自分が、明け七ツ(午前4時)に出かけるのは、沢市の目が見えるようにと、壺
坂寺観音堂に願掛けに通っているのだと告白する。目は良くならないと思っている沢
市に観音様へ、一緒に行こうと提案する。

第二場「壺坂寺観音堂の場」。山の中の観音堂にやって来たふたり。お里は、沢市を
励ますために、観音様のご利益を強調する。堂の手水場には、奉納と染め抜かれた茶
と紺の手拭いが、下がっている。観音堂には、左右逆に書かれた一対の「め」の字の
絵馬が、奉納されている。大が、1枚、小が、2枚。庶民の観音信仰は、篤いよう
だ。沢市は、3日間、堂に籠って、ひとりで断食すると言う。これを聞いて、喜んだ
お里は、険しい山道と深い谷の上に、観音堂があるのだから、動き回っては行けない
と注意しながらも、参籠する沢市の心意気を喜んで、ひとり、下山する。

だが、沢市の本心は、3年間も、お里が、願掛けをしてくれたのに、目が直らない。
これ以上の迷惑は、妻に掛けられないと、密かに、自殺を決心していたのだ。手探り
しながら、山頂にたどり着き、谷底へ身を投げる沢市。胸騒ぎがして、お里が戻って
来ると、杖だけが、残されているものの、夫の姿は、何処にもない。不審に思って、
深い谷底を覗くと、夫と思われる遺体が横たわっている。観音堂に連れて来た自分の
所為で夫が身投げをしたと思い、お里も、後追い身投げをする。

第三場「壺坂寺谷底の場」。谷底に横たわっているのは、お里沢市夫婦の遺体。夜明
けが来て、辺りが、白む頃、岩山の一郭から、光りが差し込む。観音堂の主・観音様
(玉太郎)が、登場し、沢市の寿命を延ばすというお告げをする。夜明けの鐘ととも
に、お里沢市は、息を吹き返し。沢市の目が見えるようになっている。喜びあうふた
り。

夫婦の純愛に応えた観音様の力が、奇蹟を呼び起こす。竹本は、頭が丸坊主の谷太夫
の熱演で、芝居に花を添える。善人ばかりが出て来る世界。純愛に応える観音力で
は、インパクトがない。福助のお里は、かいがいしく夫の世話をするが、私にとって
は、初見時の、芝翫の若妻ぶりほどの感銘は受けなかった。三津五郎の沢市は、印象
が、弱かった。奇蹟を信じたいという願望も、くっきりと浮き上がってこなかった。
むしろ、「男女のありよう」を描く芝居なら、悪や狂気を秘めている方が、おもしろ
い。それは、「高坏」を挟んだ後に演じられる「籠釣瓶花街酔醒」まで、待たなけれ
ばならない。


「高坏」は、4回目の拝見。次郎冠者の勘三郎のタップダンスが見物という演目。勘
九郎時代に、2回観ているが、勘三郎襲名後は、初めて。父親で、先代の勘三郎が得
意とした演目。1933(昭和8)年に、六代目菊五郎が、初演した新作舞踊。原作
は、久松一声。宝塚歌劇の作者の経歴を持つ。当時流行していたタップダンスを取り
入れた「松羽目もの」というか、「桜羽目もの」か。満開の桜を背景に狂言形式の演
出。喜劇的な長唄の舞踊劇。

花見に来た大名(弥十郎)から盃を載せる台の「高坏」を忘れて来た次郎冠者に高坏
を買いにやらせる。しかし、高坏が、どういうものか知らない次郎冠者は、通りか
かった高足(高下駄)売り(橋之助)に騙されて、一対の高足を買わされてしまう。
言葉の巧い高足売りと意気投合した次郎冠者は、ともに、酒を呑み、酔っぱらった挙
げ句、高足でたっぷりタップダンスを興じるというだけのもの。

タップダンスの始まる場面では、大向こうから「待ってました」と掛け声がかかって
いた。勘三郎の「にっこり」応えた顔が、愛嬌たっぷり。ずんぐりした体型の次郎冠
者、勘三郎は、腰が低く、安定しているので、高下駄を履いて踊るタップダンスが巧
かった。明るい舞台である。勘三郎の所作や表情から、私は、チャップリンを連想し
た。勘三郎って、「太めのチャップリン」という感じがしませんか。何をやらせて
も、それだけの存在感のある役者だと思う。


見応えがあった「籠釣瓶花街酔醒」


夜の部の最大の見ものは、「籠釣瓶花街酔醒」。主筋は、花魁に裏切られた田舎での
実直な男による復讐譚という陰惨な話なのだが、江戸時代のディズニーランド・吉原
のガイドブックのような作品。

ポイント(1)。「空間」の魅力。

「吉原細見」、つまり、「吉原案内」という観点で、人物より、場にこだわって舞台
を観れば、華やかな場面が、テンポ良く、廻り舞台のリズムに乗って、小気味良く繰
り広げられるという、いまなら、さしずめ、ディズニーランドの紹介DVDを見るよ
うな心地よさが残る演目なのだと思う。陰惨な時間経過(筋立て)と華麗な空間(遊
郭)。この二重性の持つおもしろさは、歌舞伎ならではの味だろうと思う。

吉原といえば、「助六」こそが、吉原という街そのものを副主人公とした芝居とし
て、私などの頭には、すぐに浮かんで来る。「助六」が、吉原の大店の「店先」を舞
台にした芝居だとすれば、「籠釣瓶花街酔醒」は、吉原のメインストリートから始
まって、大店の店先、遣り手の部屋、大衆向けの廻し部屋、VIP用の花魁の部屋な
ど、吉原の大店の内部を案内する芝居といえるだろう。

「籠釣瓶花街酔醒」は、7回目の拝見となる。河竹黙阿弥の弟子で、三代目新七の原
作。1888(明治21)年、東京・千歳座で初演された世話狂言。初演時の、主人
公・佐野次郎左衛門は、初代左團次が演じた。江戸時代に吉原で実際に起きた佐野次
郎左衛門による遊女殺しを元にした話の系譜に属する。

私が観た次郎左衛門:勘九郎時代含め勘三郎(今回含め、3)、幸四郎(2)、吉右
衛門(2)。八ッ橋:玉三郎(今回含め、4)、福助(2)、雀右衛門。22年前
が、最後の舞台だった「伝説」の六代目歌右衛門の八ッ橋を観ていないのが、残念。

ポイント(2)。殺人者のキャラクター。

初代の吉右衛門が、佐野次郎左衛門のキャラクターの骨格を造形したという。初代吉
右衛門の佐野次郎左衛門には、哀愁があったという。先代の勘三郎も、兄である初代
吉右衛門の代役から始めて、初代の藝の継承、そして、次第に、己の味を出して行っ
たと言われる。そういう意味では、初代の藝を引き継ぐ吉右衛門・兄の幸四郎、先
代・当代の勘三郎と、いずれも、系譜の「源流」は、初代吉右衛門だと判るだろう。
八ッ橋は、「伝説」の歌右衛門に近づこうと、玉三郎も、福助も、精進中。雀右衛門
が、八ッ橋を演じることは、もう、ないであろう。

このうち、次郎左衛門を演じる幸四郎は、狂気の殺人者として、陰惨な色合いが、濃
くなる大詰が良い。小から大へ。実線で、しかも、線が太い幸四郎。その代わり、前
半と後半の振幅が、大きい。一方、前半が、コミカルで、巧いのは、勘三郎。実直な
田舎商人を、客観的に、普通サイズで演じる。軽やかだが、点線という感じ。全体通
しでは、真面目さと狂気との間の、バランスが良いのが、吉右衛門だ。線は、細い
が、きちんと実線が続いている。

開幕前に場内は、真っ暗闇になる。暗闇のなかを定式幕が、引かれてゆく音が、下手
から上手へと移動する。そして、止め柝。パッと明かりがつく。

序幕、「吉原仲之町見染の場」は、桜も満開に咲き競う、華やかな吉原の、いつもの
場面。花道から下野佐野の絹商人・次郎左衛門(勘三郎)と下男・治六(勘太郎)の
ふたりが、白倉屋万八(家橘)に案内されてやってくる。それを見掛けた立花屋主
人・長兵衛(我當)が、捌き役で登場し、田舎者から法外な代金を取る客引きの白倉
屋から、吉原不案内のふたりを助ける。

やがて、ふたりは、花魁道中に出くわす。最初は、上手から下手へ、七越(七之助)
一行18人、花道から上手へ、九重(魁春)一行22人、さらに、舞台中央奥から
八ッ橋(玉三郎)一行22人が、花魁道中を披露する。豪華な衣装、「外八文字」と
いう傾城の、独特の歩み。花魁道中だけでも、出演者は、総勢62人を数える。そう
いう意味では、贅沢な芝居だ。歌舞伎座を訪れた観客は、これだけでも、浮き世の憂
さを忘れる。3組の花魁道中を目の当たりに観た次郎左衛門と下男・治六が、茫然自
失、惚けた表情になってしまうのも、良く判る。

贅言:花魁道中は、興行、あるいは、演じる役者の系統など、舞台裏の事情も含め
て、行列の長さが、毎回違う。花魁、茶屋廻り、禿、番頭新造、振袖新造、詰袖新
造、遣手、幇間、若い者という要素は、変わらず、それぞれの人数が、異なる。
 
ポイント(3)。花魁の「微苦笑」。

六代目歌右衛門が、「伝説」になったように、最大の見せ場は、八ッ橋の花道七三で
の「笑い」だ。この笑顔は、田舎者が、初めての吉原見物で、ぼうとしている次郎左
衛門を見て、微苦笑している。魂が、抜き取られたような、次郎左衛門の表情。彼女
の美貌に見とれている男に、あるいは、将来客になるかもしれないと、微苦笑という
愛想笑いをしているのだが、それだけではない。さらに、あれは、客席の観客たちに
向けた真女形役者のサービスの笑い、そういう幾つもの意味を込めた「会心」の笑い
でもあるのだ。こういう演出は、六代目歌右衛門が始めたという。

六代目歌右衛門が演じたときの、この笑いがなんとも言えなかったと他人(ひと)
は、言うが、私は、生の舞台で六代目の八ッ橋を観たことがないので、判らない。か
なり、意図的な笑いを演じたようで、今回含めて、4回観た玉三郎も、その系譜で演
じているように思う。玉三郎の笑顔は、確かに綺麗だが、まだ、「会心」の八ッ橋の
笑顔には、なっていないように感じた。それほど、このときの笑顔は難しいのだろう
と思う。

この笑いは、玉三郎も、雀右衛門も、福助も、試みているが、私には、これまで観た
限りでは、いずれも、歌右衛門の「伝説の笑い」とは、ちょっと違うような気がす
る。六代目の微苦笑を再現するのは、だれが、いつやるのだろうか。今後に、期待し
たい。

二幕目、第一場「立花屋の見世先の場」。半年後、吉原に通い慣れた次郎左衛門が、
仲間の絹商人を連れて八ッ橋自慢に来る場面だ。その前に、八ッ橋の身請けの噂を、
どこかで聞きつけて、親元代わりとして立花屋に金をせびりに来たのが、無頼漢の釣
鐘権八(弥十郎)。権八は、姫路藩士だった八ッ橋の父親に仕えていた元中間。主人
の娘を苦界に沈めた悪。釣鐘権八役は、芦燕が巧かった。最近は、すっかり、お見か
けしなくなった。体調でも、崩されているのだろうか。権八は、八ッ橋の色である浪
人・繁山栄之丞に告げ口をして、後の、次郎左衛門縁切りを唆す重要な役回りだ。

二幕目、第二場「大音寺前浪宅の場」。仁左衛門の栄之丞登場。ここは、いわば、中
継ぎ。ここでは、脇役で、浪宅の雇い女のおとらや遊郭の兵庫屋から八ッ橋が誂えた
着物を届けに来たお針のおなつらを演じた大部屋さんが、味を出していた。

三幕目は、まさに、「吉原細見」で、第一場「兵庫屋二階遣手部屋の場」、第二場
「同 廻し部屋の場」、そして、第三場「同 八ッ橋部屋縁切りの場」へ。下手、押
入れの布団にかけた唐草の大風呂敷、衣桁にかけた紫の打ち掛け。上手、銀地の襖に
は、八つ橋と杜若の絵。幇間らが、座敷を賑やかにしている。「吉原案内」の華やぎ
を載せた舞台は、テンポ良く廻る。いずれも、吉原の風俗が、色濃く残っている貴重
な場面。第三場から、芸者のひとりに、芝のぶが、出てくる。

場の華やぎとは、裏腹に、人間界は、暗転する。やがて、浮かぬ顔でやって来た八ッ
橋の愛想尽かしで、地獄に落ちる次郎左衛門。この芝居の最大の見せ場だ。そういう
男の変化を勘三郎は、たっぷりと、丁寧に演じる。

大向こうからの「待ってました」の声も、定式。「花魁、そりゃあ〜、あんまり、そ
でなかろう〜ぜ〜……」という勘三郎の科白は、先代ゆずり。次郎左衛門役者の聞か
せどころ。

部屋の様子を見に来た廊下の栄之丞が、襖を、そっと開けると、次郎左衛門の目と目
が合う。八ッ橋の愛想尽かしの真意が、一気に「腑に落ちた」という表情の次郎左衛
門。「身請けは、思いとどまった……。ひとまず、国へ帰るとしましょう……ぜ」。
勘三郎が、描き出したのは、初老の実直な田舎の商人が、都会の若い「商売女」に手
玉に取られたという悲哀であった。

大詰。さらに、4ヶ月後。「立花屋二階の場」。妖刀「籠釣瓶」を持った次郎左衛門
が、久しぶりに立花屋を訪れる。次郎左衛門の執念深い復讐。妖刀の力を借りて、善
人は、すでに、狂気の悪人に変身している。それを見抜けなかったのが、八ッ橋に
とって、悲劇の始まり。歌舞伎の男女の仲の濃厚さを示す背中合わせの場面も、もの
かわ、忽ち崩れる。八ッ橋の気を逸らせておいて、足袋を脱ぎ、座布団の下に隠す次
郎左衛門。血糊で足が滑らぬように、周到に準備している。そこにあるのは、確信犯
の覚悟。もう、4ヶ月前の、「初老の実直な田舎の商人」の姿は、ない。

顧客を騙した疾しさから、いつもより、余計に可憐に振舞う八ッ橋。「この世の別れ
だ。飲んでくりゃれ」という次郎左衛門から殺意が迸る。それに気付いて、怪訝な表
情の八ッ橋。武家の娘から遊女に落ち、愛する男のために実直な田舎者を騙した疚し
さを自覚している遊女・八ッ橋の、真面目さと悲しさ。玉三郎は、そういう八ッ橋を
私に突きつけて来る。

「世」とは、まさに、男女のありようのこと。「世の別れ」とは、男女関係の崩壊宣
言に等しい。崩壊した男女のありようは、時として、命の破滅に繋がる。立花屋の2
階でも、やがて、薄暮とともに、場面は、破滅に向かって、急展開する。

裏切られた実直男ほど、恐いものはない。村正の妖刀「籠釣瓶」を持っているから、
なお、怖い。黒にぼかしの裾模様の入った打ち掛けで、後の立ち姿のまま、背中から
斬られる八ッ橋の哀れさ。衣装の色彩と役者の所作という様式美。

斬られた後、逆海老反りになり、それから、徐々に、綺麗に崩れ落ちる。玉三郎は、
二段階に分けて、崩れ落ちて行った。この場面は、私が見た限りでは、いまのとこ
ろ、福助が、体の柔軟さを強調して、今回の玉三郎を含めて、八ッ橋役者の追従を許
さないのでは無いかと、思う。

薄闇のなかで、妖刀に引きずられて、どんどん濃くなる勘三郎の狂気は、引き続い
て、燭台を持って、部屋に入って来た女中お咲(小山三)をも、斬り殺す。燭台の明
かりで、血塗られた刀を目にして、逃げようとしたが故に、被害に遭う。周囲の闇。
燭台の明かりに照らし出される殺人者の影。憎悪から狂気へ、無軌道の殺人へ。殺し
の美学は、殺人者の太刀捌きよりも、殺される女形の身体の所作で、表現される。

「籠釣瓶は、良く斬れるなあ〜」と、勘三郎は、妖刀を観客席に突き出すようにし
て、狂気に魅入られている次郎左衛門の目をしてみせる。吉原という華やかな街に流
れる時の鐘の悲哀。柝、幕。

大詰の、次郎左衛門の狂気の笑い。序幕の、花道での八ッ橋の微苦笑。ふたつの「笑
い」の間に、悲劇が生まれた。


贅言;2階ロビーでは、先代勘三郎を軸に、中村屋三代の展示。先代は、生涯で、8
03の役を演じたという。そのうちの40数枚の写真パネルが飾られているのが、
「十七代目 ― 当たり役の数々」。展示されている「俊寛」の衣装は、十七代目が
使用し、当代が受け継いでいるもので、今月の舞台でも着用していると書いてある。
そのため、昼の部では、展示されていない。夜の部になると、展示される。十七代目
が、「高坏」で使用した高下駄も、展示。さらに、「中村屋三代共演舞台アルバム」
では、先代、当代の勘三郎、勘太郎・七之助の兄弟の共演の舞台写真の展示。さすが
に、七之助と先代が、一緒に写っているのは、1987(昭和62)年、兄弟の初舞
台披露の口上の写真くらいだ。兄の勘太郎は、本名で、子役で、共演している写真が
ある。
- 2010年2月17日(水) 14:28:16
10年02月歌舞伎座 (昼/「爪王」「俊寛」「口上」「ぢいさんばあさん」)


「口上」もさよなら公演の重要な「演目」


「爪王」は、新作舞踊劇で、初見。戸川幸夫の原作、平岩弓枝の脚色。歌舞伎役者だ
けで、上演されるのは、今回が、初めて。前回は、勘三郎が、娘の波乃久里子らと歌
舞伎座で、演じているので、39年ぶりの上演。

鷹匠は、吹雪という名前の鷹を調教している。冬のある日、村で悪さをする狐の害に
困った庄屋が、狐退治を頼んで来る。鷹と狐の対決の物語。狐に負けた鷹。奈落の谷
間に落ちて行く。春を迎え、傷ついた鷹を養生し、翌年の冬、再び、狐と闘わせる。
果敢に狐を攻めて、今度は、鷹が勝つ。挫折を味わった鷹が、鷹匠の助けを借りて、
再び、甦るという物語。

見所は、鷹と狐の戦いを舞踊で見せるところ。鷹は、女形で、七之助が演じる。ス
ポットライトで、強調された影が、鷹のシルエットに見える。柔軟に、易々と見せる
逆海老などの所作は、七之助の若さが、漲る。狐は、立役で、勘太郎が演じる。白地
を基調にした衣装で、雪の野原を背景に踊り、争う。鷹匠は、弥十郎。庄屋は、錦之
助。ただし、歌舞伎味は、乏しい。


「俊寛」は、10回目の拝見。近松門左衛門原作の時代浄瑠璃で、1719(享保
4)年、大坂の竹本座で,初演された。290年前の作品である。私が観た俊寛は、
今回の勘三郎こそ、初めてだが、幸四郎(4)、吉右衛門(3)、仁左衛門、猿之助
という顔ぶれ。勘三郎は、私にとって、5人目の俊寛ということになる。10回目と
もなると、劇評も、書くことが無くなって来るので、今回の劇評は、私が観た「5人
の俊寛」の比較に絞って書きたい。

先代の勘三郎は、22年前、1988(昭和63)年1月、歌舞伎座で、「俊寛」を
演じていて、亡くなった。俊寛同様に、島流しになっていた康頼を勘九郎が演じてい
たので、父親が亡くなった後、8日目からは、勘九郎が、代役として、俊寛役を引き
継いだという経緯がある。俊寛が、康頼に「互いに未来で」と再会を呼びかける科白
は、当時は、父親の容態が、思わしくなかったので、堪らなかったと当代は、いまも
語る。勘三郎は、勘九郎時代に、父親の代役から始まって、俊寛を3回演じ、勘三郎
になって、今回で、3回目の上演だが、歌舞伎座では、襲名後は、初演となる。

率直に言って、勘三郎の俊寛は、役作りの、性根の部分は、私が最も多く観た幸四郎
の俊寛に似ていると、思った。俊寛は、もちろん、都へ帰りたいという強い気持ちを
持っているが、赦免船が到着して、齎された情報を元に、「心を変える」点を、ふた
りとも、重視しているように見受けられたからだ。つまり、俊寛への操を守っていた
妻の東屋が、横恋慕の平清盛に従わず、清盛の命令で、御赦免の上使・瀬尾に殺され
ていたことを知る。その時点で、俊寛は、愛妻を殺した「下手人」である瀬尾を殺し
て、妻の仇を取ろうと決意する。ここは、勘三郎もメッセージが明確に伝わって来
た。

そして、上使暗殺という罪を負って、ひとりだけ、鬼界ヶ島に居残り続けることにな
る。それは、また、3人分しか、帰還用の船の席がないため、成経と祝言をあげたば
かりの千鳥を船に乗せるという、若い者たちへの、俊寛の心遣いも窺えることにな
る。つまり、愛妻の仇討、丹波少将成経と千鳥という若いカップルの都への送り出し
という、俊寛の思いは、ふたつとも実現する。そういう意味では、勘三郎と幸四郎の
「俊寛」は、明確である。妻への純愛に殉じた俊寛。自分達夫婦の代りに船出をした
若い夫婦への祝福。

1719(享保4)年の原作で、近松門左衛門は、「思い切っても凡夫(ぼんぷ)
心」という言葉を書いて、犠牲の精神を発揮し、決意して、居残ったはずなのに、都
へ向けて遠ざかり行く船を追いながら、「都への未練を断ち切れない」俊寛の、不安
定な、「絶望」あるいは、絶望の果ての「虚無」を幕切れのポイントとした。

多くの役者は、遠ざかり行く船に向って「おーい」「おーい」という俊寛の最後の科
白の後、絶望か、虚無か、どちらかの表情をする。「半廻し」の舞台が廻って、絶海
の孤島の岸壁の上となった大道具の岩組に座り込んだまま、幕切れを待っている時の
表情のことだ。昔の舞台では、段切れの「幾重の袖や」の語りにあわせて、岩組の松
の枝が折れたところで、幕となった。しかし、初代吉右衛門系の型以降、いまでは、
この後の、俊寛の余情を充分に見せるような演出が定着している。ここが、最大の見
せ場として、定着している。なんどか、書いているが、俊寛役者の幕切れの表情三態
をまとめておこう。

(1)「ひとりだけ孤島に取り残された悔しさの表情」:「凡夫」俊寛の人間的な弱
さの演技で終る役者が多い。弱い人間の悔しさは、原作のベースにある表情であろ
う。

(2)「若いカップルのこれからの人生のために喜ぶ歓喜の表情」:身替わりを決意
して、望む通りになったのだからと歓喜の表情で終る役者もいる。私は、生の舞台を
観ていないが、前進座の、歌舞伎役者・故中村翫右衛門、十三代目仁左衛門が、良く
知られる。3回観た吉右衛門では、従来、虚無的であったのを変えて、最近の、07
年1月歌舞伎座の舞台では、「喜悦」の表情を浮かべた「新演出」だった。初めて、
喜悦の「笑う俊寛」を私は、観たことになる。

(3)「一緒に苦楽を共にして来た仲間たちが去ってしまった後の虚無感、孤独感、
そして無常観」:苦悩と絶望に力が入っているのが、幸四郎。能の、「翁」面のよう
な、虚無的な表情を強調した仁左衛門。仁左衛門は、「悟り」のような、「無常観」
のようなものを、そういう表情で演じていた。「虚無」の表情を歌舞伎と言うより現
代劇風(つまり、心理劇。肚で見せる芝居)で、情感たっぷりに虚しさを演じていた
猿之助。

今回の勘三郎演ずる俊寛の最後の表情も、(3)の系統で、「虚無的」な、「無常
観」が、感じられた。幸四郎同様に、確信犯的に、瀬尾を殺した勘三郎俊寛なら、
「虚無」より、「喜悦」が、望ましいと思うのに、「虚無的」であったと、見受け
た。瀬尾殺しと千鳥送り出しまでの、現代的な解釈に拠る部分と最後の近松的な原点
回帰の部分の齟齬を勘三郎にも、私は感じた。

初めは、私にも、判らなかったが、勘三郎の表情を思い浮かべながら、いろいろ考え
てみた結果、勘三郎の場合、父親の最期の舞台である「俊寛」を演じるというトラウ
マがあるのではないか、という発想が,頭をもたげて来た。俊寛を演じるたびに、勘
三郎は、俊寛が船を見送るように、見送った亡き父の姿が、最後の瞬間に,胸中に沸
き上がるのだとすれば、それも頷けるかも知れないと、思った。勘三郎の汗と涙と
が、顔一面を光らせる。勘三郎は,俊寛を演じるたびに、最期の舞台の、先代で、父
親の勘三郎の声が,聞こえて来る。歌舞伎座の場内の緊迫感も、聞こえずに、勘三郎
は、ひとり、岩組の上に立ち、時空を超えて、聞こえて来る、父の、その声を聞いて
いるから、ああいう表情をするのではないか、というのが、今回の、私の推論であ
る。

岩組の天辺にたどり着いた俊寛は、岩の上に生えている松の枝を折ってしまうのは、
どの役者も一緒だが、勘三郎の俊寛は、折った松の枝を下へ、舞台の上手の方向へ、
突き飛ばしていた。「海中」に落ちた松の枝というのは、10回の観劇で、私は、初
めて観た。

また、これの前の場面。船が、島を離れるところで、普通は、とも綱をいつまでも
引っ張って、それを未練気に俊寛が追い求める場面があるのだが、今回は、船頭も、
船にとも綱を、さっさと、載せてしまって、あっさりしたものだった。勘三郎の演出
なのだろう。これも、初めて観た。

さて、ほかの役者についても、簡単に述べておきたい。憎まれ役の瀬尾太郎兼康を演
じる役者は、ほんとうは、得なのである。あれだけ、憎々しい役を演じれば、観客に
印象を残す。逆に、高みの見物を決め込み、舞台展開の、その時は、観客から同感さ
れ、拍手される丹左衛門尉基康(梅玉)より、劇場を離れてもなお印象が残るのは、
憎々しい瀬尾太郎兼康(左團次)であった。左團次は、こういう役は巧い。憎まれ役
に、「良い」味を出していた。もうひとり、印象に残る役は、千鳥であろう。松江時
代を含む魁春(4)、福助(2)、亀治郎、孝太郎、芝雀。それぞれ、味がある。
「鬼界ヶ島に鬼は無く」と千鳥の科白、後は、竹本が、引き取って、「鬼は都にあり
けるぞや」と繋がる妙味。千鳥のひとり舞台の見せ場。今回の千鳥は、当代勘三郎次
男、七之助。3回目、ただし、歌舞伎座は、初演。七之助の千鳥は、私は、初見だ
が、初々しく、けなげであった。

贅言;今月の国立劇場の劇評でも、触れたように、「俊寛」と「景清」は、シチュ
エーションが良く似ているが、結末は、全く逆である。確信犯で、居残る俊寛と確信
犯だったのが、娘の身売りに動揺して、降参してしまう景清。そういう対照的なキャ
ラクターを,歌舞伎座では、歌舞伎で、国立劇場では、人形浄瑠璃で、同じ時期に,
公演しているという偶然さの妙が、逆に、おもしろい。歌舞伎の舞台の大道具を含め
た空間の広さを国立の人形浄瑠璃の舞台を観た後だけに、歌舞伎の舞台の大道具を含
めた空間の広さを改めて,感じた。


「口上」は、先代勘三郎の二十三回忌追善。幕が開かないうちから、大向うでは、
「中村屋」「中村屋」と、かまびすしい。幕が開くと、15人の役者が,勢揃いして
いる。当代勘三郎の義父という立場で、芝翫が、中心に座り、司会進行役を務める。
風邪か、体調を崩して、休演していたというが、この日は、舞台復帰して,元気な姿
を見せてくれた。「先代の勘三郎の追善興行が出来て嬉しい。(女形なので)、女房
役を務め、お叱りも受け、教えもして頂いた。先代の勘三郎と六代目菊五郎の娘の間
にできたのが、当代の勘三郎で、その連れ合いが、私の娘」と、歌舞伎界のビッグ・
ファミリーぶりをさりげなく強調していた。続いて、上手に向かって、仁左衛門、玉
三郎、三津五郎、魁春、左團次、梅玉が、上手しんがり。その後は、下手しんがり
へ。我當から、君手へ戻り、秀太郎、福助、錦之助、七之助、勘太郎、勘三郎。先代
に教えを受けたという人、当代と若い頃、悪さをしたという人。左團次は、「松浦の
太鼓」で、其角を演じた時、先代から、この科白は、「大きく息を吸ってから、言う
と良い」と教えられたなどと、具体的なエピソードを披露。勘三郎は、「父の藝を引
き継ぐ」ときっぱりと宣言。最後に、芝翫が、再び、引き取って、まとめて、「隅か
ら隅まで、ずいーと」とで、おしまい。


歌舞伎座とともに、珠玉の「ぢいさんばあさん」


「ぢいさんばあさん」は、4回目の拝見。これは、森鴎外原作の小説「ぢいさんばあ
さん」を宇野信夫が歌舞伎化した新作歌舞伎の作品。1951(昭和26)年、7
月、東西の歌舞伎座(当時は、歌舞伎座が東京と大阪にふたつあり、特に、東京の歌
舞伎座は、1945年戦災で焼失し、復興したばかりであった。その歌舞伎座が、目
下、「さよなら公演」中で、5月以降、取り壊される)で、初演された。

事件に巻き込まれて37年間も、離別の生活を余儀なくされた夫婦の物語。劇中で
は、「新しい暮らし」という科白が、ぢいさんばあさんの夫婦と若い甥の夫婦の2組
から、同じように、発せられる。特に、若い頃、短い結婚生活をしただけに、互いに
恋いこがれていた再会後の場面で、老夫婦は、「余生ではない、生まれ変わって、新
しい暮らしを始めるのだ」と、強調する科白を言う。

それにしても、世代を越えて、「新しい暮らし」を宣言するというのは、何故かと思
い、森鴎外の原作を読んでみたら、原作には、若い夫婦が、そもそも出て来ないし、
ぢいさんばあさんの科白にも、「新しい暮らし」などというものは、出て来ない。ま
さに、宇野歌舞伎の独創の科白であったことが判る。

そして、その科白の意味するところは、なにかを考えていたら、1951(昭和2
6)年という初演の「時期」にその秘密があるのではないかと見た。敗戦直後の混乱
も、6年経過し、幾分落ち着いてきたのだろう。戦後の新しい生活がスタートしよう
としている。それを宇野信夫は、歌舞伎の舞台でも、表現しようとしたのだろう。つ
まり、宇野は、敗戦後の日本人の生活にダブるように、明治の文豪森鴎外の作品「ぢ
いさんばあさん」をもとにしながら、別の新作歌舞伎の作品に作り替えたことだろ
う。宇野信夫にとって、戦後とは、新しい暮らしの始まりであった。

それから、59年が過ぎ、歌舞伎座も、やがて、建て替えられる。「ぢいさんばあさ
ん」は、そういう意味では、いまの歌舞伎座という建物の門出を飾り、さらに、ま
た、建物としての、歌舞伎座の終焉を飾るといえよう。

因に、原作の「ぢいさんばあさん」では、江戸の麻布龍土町の三河國奥殿の領主松平
家の屋敷内にある宮重久右衛門という人の隠居所作りの話から始まって、久右衛門の
兄に当たる美濃部伊織と妻のるんの話が、語られて行く。

ふたりの年寄りの経て来た人生は、歌舞伎で語られるものとほぼ同じだが、芝居で
は、美濃部伊織と妻のるんが若いころ住んでいた家にぢいさんとばあさんが37年ぶ
りに帰って来ることになっている。芝居では、弟の久右衛門も亡くなっていて、引き
続き、甥の宮重久弥(橋之助)と妻のきく(孝太郎)が、伯父夫婦の家を守っていた
ことになっている。

この辺りの設定が、まさしく宇野の独創で、まず、伯父夫婦に家を引き渡した若い甥
夫婦に、別の家で。自分たちの「新しい暮らしが始まる」と言わせる。さらに、ぢい
さんばあさんの夫婦にも、自分たちの生活が、失われた時を求めるだけでなく、ま
た、老い先短い「余生ではなく、生まれ変わって、新しい暮らしをはじめるのだ」と
言わせる、という、新しい暮らしの、いわば、「二重奏」という趣向になる。

贅言;あるいは、3年後、「生まれ変わって、新しい歌舞伎座をはじめるのだ」とい
うのは、歌舞伎座自身からの、私たちへのメッセージかも知れない。

さて、私が観た「ぢいさんばあさん」の主な配役は、次の通り。美濃部伊織:團十
郎、勘九郎時代の勘三郎、仁左衛門(今回含めて、2)。妻・るん:菊五郎(2)、
玉三郎(今回含めて、2)。團十郎の伊織は、前半が良い。仁左衛門の伊織は、逆
に、後半が良かった。勘九郎の伊織は、人柄の良さを強調し過ぎていた。その代わり
ということではないだろうが、勘三郎は、今回は、憎まれ役の、隣人で、出張先の、
京都で、伊織の買い求めた刀に難癖をつけて、挑発し、言い争いの果てに、伊織に殺
されてしまう下嶋甚右衛門に、初役で付き合う。憎々しい存在感があって、良かっ
た。

大詰。37年後の「江戸番町美濃部伊織の屋敷」では、元の自宅の場面であり、家
は、変わっていないものの庭の桜木は、年輪を増し、太い木になっている。桜の花
も、増えている。爛漫の春に、事件に巻き込まれて、離別していた夫婦は、再会を果
たす。しっかりものの女房と誠実だが、頼り無い夫。それにしても、相思相愛の、
しっとりした老夫婦は、芝居も、森鴎外の原作の通りだ。

森鴎外は、次のように書いている。
「此翁媼二人の中の好いことは無類である。近所のものは、若しあれが若い男女で
あったら、どうも平気で見ていることが出来まいなどと云った」ほどの睦まじさとあ
る。仁左衛門と玉三郎の、老夫婦も、なかなかの睦まじさであった。

私が観た3人の伊織のなかでは、私は、仁左衛門のぢいさんが良かった。ばあさん
は、菊五郎のるんが、定評がある。玉三郎は、若いばあさんになってしまっている。
今回も、白塗りで、まだまだ、ばあさんとして、枯れていない。薄い、砥の粉など、
綺麗な老け役の化粧の工夫も欲しい。やはり、菊五郎には、まだ、負けていると、
思った。
- 2010年2月16日(火) 19:52:36
10年2月国立劇場人形浄瑠璃 (第3部/「曾根崎心中」)


「曾根崎心中」は、歌舞伎では、3回観ているが、人形浄瑠璃は、今回が、初見。歌
舞伎と人形浄瑠璃の演出の違いを軸に書き留めておきたい。


「曾根崎心中」は、1703(元禄16)年5月、史実の事件を元に書かれた近松門
左衛門原作で、大坂竹本座で初演された。事件は、上演の1ヶ月前、4月に起きた。
大坂北新地天満屋の遊女・お初と大坂内本町の醤油問屋平野屋の手代・徳兵衛が、大
坂梅田曾根崎露天神の森で心中したという。歌舞伎の台本を書いていた近松が、人形
浄瑠璃のために初めて書いた世話浄瑠璃の第1作である。人形浄瑠璃では、1955
(昭和30)年1月、野澤松之輔の脚色・作曲で、復活され、現在まで、上演を重ね
ている。

歌舞伎の台本は、宇野信夫が戦後に脚色、復活したもの。1953年、新橋演舞場。
21歳の二代目扇雀が初演で、好評。扇雀から鴈治郎、そして、坂田藤十郎へ。私
は、最近では、09年4月の歌舞伎座の舞台を見ている。藤十郎は、半世紀を越える
上演で、回数も、1300回を超え、いまなお、新たな工夫魂胆の気持ちを持ち続け
ている。歌舞伎では、お初は、鴈治郎時代を含めて、藤十郎で、3回。徳兵衛は、い
ずれも、翫雀で、同じく、3回、拝見している。

人形浄瑠璃の段組は、「生玉神社前の段」「天満屋の段」「天神森の段」となる。歌
舞伎でも、ほぼ同じで、「生玉神社境内」、「北新地天満屋」、「曾根崎の森」。歌
舞伎では、死の道行きでは、スポットライトを使うほか、暗転、暗い中での、2回の
廻り舞台、閉幕は、緞帳が降りてくるという歌舞伎らしからぬ新演出で見せる。まさ
に、宇野演出の、新作歌舞伎とも言うべき「近松劇」である。それに比べると、人形
浄瑠璃は、オーソドックスな演出を守っているように見受けられた。段を追って、人
形浄瑠璃と歌舞伎の対比を記録しておこう。

「生玉神社前の段」では、伯父の店で働く徳兵衛は、得意先回りの途中で、境内に立
ち寄り、お初の姿を見かけた。徳兵衛とお初のやり取り。この件は、歌舞伎も人形浄
瑠璃も、同じ。伯父から徳兵衛に持ちかけられた縁談の持参金を友人の九平次に貸し
たら、だまし取られてしまったということで、後の事件への伏線が描かれる。

歌舞伎では、藤十郎の演じるお初は、初々しいながらも、艶かしい。性愛の喜びを
知ったばかりに、それさえ求められれば、なにもいらないという感じの若い女性で、
怖いもの無し。節目節目には、メリハリを感じさせながら、ぐいぐいと徳兵衛を引っ
張って行く。それでいて、若さの持つ華やぎと、軽さを滲ませている。縁談を断った
という徳兵衛の話を聴いて、無邪気に手を叩くという、現代的な若い女性のような行
動を取る藤十郎のお初。気持ちを素直に外に表す女性なのだろう。年齢を感じさせな
いお初は、永遠に「今」を生き続ける若い女性、時空を超えた永遠の娘として見えて
来る。年上の徳兵衛は、そういう若い女性に手を焼きながらも、魅(ひ)かれて行
く。

人形浄瑠璃では、吉田蓑助が、お初を操るが、藤十郎のお初のような味わいは、滲み
出させない。以前に観た蓑助は、女形を操るときに、人形以上に、色気を滲み出させ
る表情をしていたものだが、今回は、文化功労者顕彰記念公演のせいか、色気は、抑
制的にしているようで、ちょっと、物足りなかった。蓑助と組んで長い間、徳兵衛を
操っていた吉田玉男亡き後、徳兵衛は、桐竹勘十郎が、操る。竹本は、豊竹英大夫。

「天満屋の段」。徳兵衛のことを案じて、ふさぎ込んでいるお初。顔を隠し、編み笠
姿でやってきた徳兵衛。お初は、徳兵衛を店の誰にも見つからぬように、打ち掛けの
下に隠して、店内に連れ込む。徳兵衛は、縁の下に隠れ込む。やがて、酔っぱらって
やって来た九平次は、得意げに、徳兵衛の悪口を言い立てる。縁の下で、怒り出す徳
兵衛をお初は、足の先で、押し鎮める。人形浄瑠璃の女形は、足が無く、着物の裾で
足を演じるのだが、この場面だけは、特別に、足(右足のみ)を出して、操る。縁の
端に座り込み、店の者や九平次を相手にしながら、時々、独り言を装って、縁の下の
徳兵衛に話しかけたり、足先で、合図したりするお初。心中の約束も、ここで、果た
す。

「独り言になぞらへて、足で問へば
下には頷き、足首とつて咽喉笛撫で、『自害する』とぞ知らせける」。

「曾根崎心中」の最高の見せ場である。

九平次も去り、店の者も、寝静まり、いよいよ、暗闇の中、心中決行の現場へと出向
くお初と徳兵衛。天満屋の下女との絡みが、悲劇の前の喜劇。チャリ場である。明か
りを付けようと、火打石を打つ下女の動作に合わせて、「『丁』と打てば そつと明
け 『かちかち』打てば そろそろ明け、合はせ合はせて身を縮め、袖と袖とを槙の
戸や、虎の尾を踏む心地して」、店先の車戸を開ける徳兵衛とお初。緊迫感が、高ま
る。ここも、名場面だ。竹本の切の語りは、豊竹嶋大夫。

歌舞伎の演出では、下女をクローズアップさせて、悲劇と喜劇の、起伏を強調する。
店の灯も消され、店先の座敷に煎餅蒲団を敷き、寝入る下女(寿治郎)は、眼もく
りっとしていて、愛嬌者。お尻の辺りが、ほつれた寝間着姿など、いろいろ笑わせ
る。寿治郎のお玉は、心中ものという、陰々滅々な物語の中で、救いのあるチャリ
(笑劇)の味を一手に引き受けている。本興行だけでも、9回目という、持ち役であ
る。悲劇の前の笑劇は、歌舞伎の定式の演出。

人形浄瑠璃では、下手の小幕の中へ、徳兵衛に引っ張られるようにお初が続いて、
幕。これが、歌舞伎では、花道七三で、戦後の歌舞伎に衝撃を与えた、当時の21歳
の二代目扇雀のお初、実父の鴈治郎の徳兵衛の居処替り。咄嗟の演技から生まれた瞬
発力のある演出で、お初が、積極的に先行して死にに行く、道行きの新鮮さ。

「此の世の名残り夜も名残り」という近松原作の古風な竹本の語りで始まる「天神森
の段」では、ふたりの歩みに被さる鐘の音、「数ふれば暁の、七ツの時が六つ鳴り
て、残る一つ今生の、鐘の響きの聞き納め」(午前4時)。背景の書割の夜空の上手
に輝く女夫星、「北斗は冴えて影うつる星の妹背の天の河」。

花道の出から「曾根崎の森」へ直結する歌舞伎と違って、人形浄瑠璃では、まずは、
手拭いで顔を隠したお初と編み笠姿の徳兵衛は、梅田の橋を渡る。ふたりの周りに出
現する人魂。怖がるお初に、「まさしくそなたとわしの魂」と諭す徳兵衛。人形浄瑠
璃では、徳兵衛が、お初をリードする。数えで、25歳の徳兵衛と19歳のお初。ふ
たりとも、厄年だ。

竹本の大夫たちは、お初の津駒大夫、徳兵衛の文字久大夫のほか、3人の大夫の、あ
わせて、5人で対応。独唱したり、合唱したり、起伏のある、メリハリのある語り
が、緩急自在で、聞き応えがある。三味線方は、人間国宝の鶴澤寛治ら5人。

梅田の橋が、引き道具で、下手へ、引っ込む。ふたりも、一旦は、上手に入る。背景
の夜空が、しらじらと、明けて来て、女夫星も消える頃、お初徳兵衛のふたりが、上
手から再登場する。背景の木々も、居所替わりで、「天神森」へ。

冥途の両親にお初を嫁だと紹介すると話す徳兵衛。この世に残す両親を気遣うお初。
お初に覚悟を促す徳兵衛。お初の帯をふたつに裂いて、結ぶ。結ばれた帯で、ふたり
の体をしっかりと繋ぐふたり。まず、徳兵衛は、脇差しでお初の胸を刺して殺すと、
自分の首をかき斬って……。お初の体の上に、抱き合うように、倒れ込む徳兵衛。重
なったふたりの遺体に、幕が閉まる(場内からの「ご両人」という掛け声も、空し
い)。

歌舞伎では、ふたりの死に行く様を、ここまで、リアルには、演じない。

暗い中、舞台は、幕を閉めずに、廻る(藤十郎襲名以降の新たな演出である)と、そ
こは、「曾根崎の森の場」。「此の世の名残り夜も名残り、死ににゆく身をたとふれ
ば、仇しが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ」。花道から
本舞台に上がって来たふたりは、松と松の間にある草むらの大道具の陰で、一旦、姿
を消してしまう。お初に導かれるようにして、再び、現れた徳兵衛。お初の表情に
は、死の恐怖は、ひとかけらも無い。夕霧伊左衛門が、「夢の官能」なら、お初徳兵
衛は、「死の官能」だろう。お初は、性愛の喜悦のような表情になっている。その表
情のみをクローズアップさせるように、徳兵衛は、お初に脇差しを向けたところで、
緞帳(幕)が降りて来る。古典が、新作歌舞伎に変わっているのである。

「わしも、いっしょに、死ぬるぞなあ」、藤十郎(お初)の眼が光る。新演出も、歌
舞伎味に不調和にならず、新作歌舞伎の近松劇というベースと現代劇の不幸な恋愛劇
が、バランスを崩さない。歌舞伎の「曽根崎心中」は、性愛の魔力にとらわれた若い
女性主導による性の不条理劇という,コアを隠し持っている。人形浄瑠璃では、竹本
「寺の念仏の切回向」とあり、独唱と合唱で、「南無阿弥陀仏」を、4回繰り返した
後、「南無阿弥陀仏を迎へにて、哀れこの世の暇乞ひ。長き夢路を曾根崎の、森の雫
と散りにけり」と、抹香臭い、古怪な味を保っている。歌舞伎では、死に行く悲劇
が、永遠の喜悦という、若い女性の清清しさを残したまま、幕を下ろす。それが、い
ちばんの違いだろうと、思った。
- 2010年2月15日(月) 12:04:26
10年2月国立劇場人形浄瑠璃 (第2部/「大経師昔暦」)


「大経師昔暦」は、歌舞伎では、2回観ているが、人形浄瑠璃は、今回が、初見。歌
舞伎と人形浄瑠璃の演出の違いを書き留めておきたい。

「大経師昔暦」、通称「おさん茂兵衛」は、近松門左衛門原作で、1715(正徳
5)年、大坂竹本座の初演。近松が、1684(貞享元)年の貞享新暦の頒布を軸に
作った作品「賢女手習并新暦(けんじょのてならいならびにしんごよみ)」を書いた
後に、新暦の大経師関連の作品として書いたので、前作と区別して、「昔暦」という
外題になったと推定されている。

史実と創作を整理しておこう。事件は、1683(天和3)年に起きた。京の四条烏
丸にある朝廷御用商人の大経師(経巻や仏画などの表装をする経師屋の元締で、毎年
新しい暦を作る独占権を認められ、朝廷にも納めていた)・意俊の女房・おさんと手
代の茂兵衛とが「密通」をしたとして、その仲立ちをした下女のお玉とともに、処刑
された。史実の事件を元に、三十三回忌に因んで、1715(正徳5)年、近松門左
衛門が書いた。

芝居では、史実の事件の翌年、貞享新暦の頒布された1684(貞享元)年の11月
1日(新暦を売り出すのは、陰暦11月、霜月朔日(1日)という古例=決まりだっ
たらしい)に事件が設定されている。井原西鶴も、1686(貞享3)年に刊行した
「好色五人女」で、この事件を取り上げ、おさんは、不義に耽るふてぶてしい女性と
して、描いている。

これに対して、近松は、世事にうとい若女房の「意図せぬ姦通」で、罠に嵌ったよう
な、人違いで起きた姦通事件として、事件に巻き込まれた家族の苦悩という、社会性
を付加して描いているところに特色がある。近松の凄さ、時空を超えた現代性。

「大経師内の段」では、中央から上手に店内(店先から座敷へと続いている)と下
手、玄関の外に、隣の2階建ての空き家(屋根続き)。新暦の頒布で忙しい店内が、
描かれる。主(おも)手代の助右衛門が、口やかましく、皆を指揮している。店の主
人の以春(「春を以ては色香に鳴る」と床本には、伏線がある)は、未明から御所な
どへ献上の暦を配り歩き、酒を飲まされた疲れが出て、帳場の隣の茶座敷の炬燵に下
半身を突っ込んで、寝ている。茶座敷上手から、のんびりと猫を抱いて登場する若妻
のおさん。「源氏物語」で、柏木と「密通」した女三宮(「昔の女三宮」と床本にあ
る)を連想させる、巧みなイントロダクション。

人間関係を整理しよう。大経師主人で、おさんの夫の以春は、隙さえあれば、下女の
お玉に「抱きついたり袖引いたり」する、セクハラ男で、「引き窓の縄を伝ふて」お
玉の寝所へ夜這いを仕掛ける浮気者。手代の茂兵衛は、お玉に好かれているが、真面
目で、取り合わない。

店に訪ねて来た実家の母親におさんは、借金を申し込まれる。夫に相談できないおさ
んは、茂兵衛に主人に内密で店の金を融通してほしいと頼む。茂兵衛は、おさんのた
めに、主人の印を無断で使用する。その場面が、店の主手代(番頭)の助右衛門に見
つかる。助右衛門の口から主人にばれても、茂兵衛は、真相を明かさない。おさんに
頼まれたとは、口が避けても言えない茂兵衛。

お玉は、下女ながら、おさんに姉のように慕われている。さらに、印の無断使用は、
自分が頼んだことと窮地の茂兵衛に助け舟を出して、庇う。お玉に気がある以春と助
右衛門は、もてもての茂兵衛憎しを募らせる。以春は、茂兵衛を隣の空き家の2階に
閉じ込めるとともに、お玉と茂兵衛の仲を疑うようになる。助右衛門も、おさんに下
心があり、茂兵衛に辛く当たる。

「大経師内の段」の役割は、「おさん・茂兵衛・お玉」対「以春・助右衛門」という
図が浮き彫りにさせることである。

おさんは、世間知らずの若妻。主人の以春は、二重人格の上、しみったれである。手
代の茂兵衛は、実質的に店を支えている実直な若者。下女のお玉は、気の効く下女。
中年キラーでもある。主手代の助右衛門は、「助兵衛」の「助」の字の付いた嫌らし
い人格、三枚目の道化仇の役どころ。

以春のお玉への夜這いを懲らしめようと、おさんは、お玉の身替わりを買って出て、
お玉の寝所で待ち構えている。ところが、茂兵衛も、窮地を救ってくれたお玉に感謝
しようと隣の空き家の2階から、屋根伝いに抜け出し、天窓(引き窓)から、お玉の
寝所に忍んで来る。「一生に一度肌をふれて、玉が思ひを晴らさせ、情けの恩を送ら
ん」とは、茂兵衛の科白。この場面、2階から屋根伝いに忍び込む茂兵衛の人形は、
一人遣で、操っているように見える。天窓を抜けて、大経師宅の母屋に入るときに
は、本来の三人遣の和生らが、下で待っていて、茂兵衛の人形を受け取って、引き継
いだ。

だが、おさんと茂兵衛は、互いに、相手を以春、お玉と思い違いをしたまま、情を通
じてしまう。「肌と肌とは合ひながら、心隔つる屏風の中(うち)、縁の始めは身の
上の、仇の始めとなりにける」。情事が、意外な展開を生む。以春の帰還の声に応じ
て、「目を覚まし」て、主人を迎える助右衛門の持って来た行灯が、店先に近い下女
の寝所(茶の間の隅で、四尺屏風で区切られているだけ)での、おさん茂兵衛のふた
りの、あられもない姿を闇に浮かび上がらせる。

「ヤアおさん様か」 
「茂兵衛か」
「はあ」
「はあゝ」
(幕)

こうして、「密通事件」は、発覚する。この段では、人形遣は、主遣いも含めて、黒
い頭巾をすっぽりと冠っていて、顔を出していない。この段の切の語りは、人間国宝
の、綱大夫。

贅言:人形浄瑠璃では、寝ていて、「目を覚まし」ただけの助右衛門だったが、先に
観た歌舞伎では、この場面は、もっと、露骨に描いていた。再録すると……。

*もうひとり、裏手からお玉の部屋に夜這いをかけたのが、(「不意を夜討の素肌武
者、玉をねらいの夜這い星」の)助右衛門(歌六)で、彼は、屋根から天窓を開けて
忍び込むが、下帯に襦袢一枚で忍び込む際にむき出しの尻を客席に向けるなど、最近
の歌舞伎では珍しい大胆な演出を歌六は見せていた(歌舞伎では、くしゃみや胴震い
など、薄着を強調する程度)。歌六の意欲が知れる。お玉の部屋に近付いた助右衛門
は、部屋のなかの、男女の密事の声と音に聞き耳をたてる。やがて、店先から「旦那
のお帰り」という声。慌てて逃げ出す助右衛門。

歌舞伎では、人形浄瑠璃の「大経師内の段」を「大経師宅」の場面を細分化して、
「算用場及茶座敷」と「お玉の部屋」(天窓付き、下手隣の空き家に2階があり、母
屋の天窓とは屋根続き。さらに、後段で、舞台が、「半廻し」されると、お玉の部屋
の外が、現れて来る)を分けていた。「算用場」とは、店の帳場のこと。冒頭にも、
触れたように、人形浄瑠璃の「大経師内の段」では、「算用場」、(店先の)「お玉
の部屋」、上手の(炬燵のある)「茶座敷」がひとつの舞台になっている。

ここでの芝居の大筋は、人形浄瑠璃も歌舞伎も、ほぼ同じ。この後が、歌舞伎では、
「お玉の部屋」の外での展開となるが、人形浄瑠璃では、お玉の伯父の赤松梅龍(浪
人で、講釈師)の家の場面「岡崎村梅龍内の段」となる。梅龍宅には、「太平記講釈
赤松梅龍」の行灯が掛かっている。この段から、人形遣の、主遣いは、顔を見せる。
おさんを遣うのは、人間国宝の文雀。茂兵衛は、和生。お玉の伯父・梅龍は、玉也。
おさんの実父・道順は、玉女。

あの夜以来、おさんと茂兵衛が、姿を消してしまったので、ふたりの密通を手助けし
たお玉も同罪だからと、助右衛門が、お玉を縛って、駕篭に乗せて、お玉の請け人で
ある伯父のところに連れて来た。元武士の梅龍は、町人の分際で、お玉に本縄をかけ
たと怒りだし、助右衛門を打ち据えて、追い払う。

お玉を心配して、おさんと茂兵衛も、梅龍宅に様子を見にやって来るが外から中(う
ち)を窺うだけ。梅龍は、お玉に、「おさんと茂兵衛とは、もう、逢うな」と説教を
しているのが、外にも漏れ聞こえる。さらに、おさんの両親も、駆けつけて、ふたり
に逃亡の路銀を渡そうとする。おさんと茂兵衛は、茂兵衛の故郷、丹波の柏原に逃げ
延びようと決心する。外の物音に気づいて、梅龍宅の潜り戸を開けて出て来たお玉。
月光が、映し出した3人の影は、磔にあった科人たちのように壁に映し出される。こ
の段の切の語りは、人間国宝の住大夫。

ここは、歌舞伎では、大経師宅のお玉の部屋の外の場面に展開をし、「大経師宅 裏
手」。廻り舞台が、半廻しされる。岡崎村は、出てこない。お玉の部屋の場面の奥
に、屋根などが見えていた件の白壁の蔵と物干が出て来る。滑稽な格好で、外へ外へ
と逃げ出す助右衛門の姿が、消えると、あられもない格好の寝巻き姿のおさんと茂兵
衛が、裏手へ飛び出して来る。(「仇の始めの姦通(みそかごと)」「そなたは茂兵
衛」「あなたはおさん様」)そこで、初めて、月明かりにお互いを確認し、不義密通
の罪を犯したことを知るという展開。逃避行を決意するふたりで、幕。歌舞伎の台本
を見ると、

*(竹本)
二人見送る影法師、軒端に近き物干の、柱二本に月影の、壁にありあり映りしは、

ト月の光で白壁に、物干の柱におさん茂兵衛の姿が磔のように写る。

おさん  あれ二人の影が。
茂兵衛  オオ、アリャ磔に、おさん様。
おさん  茂兵衛。

ト両人慄然とする。

これに対して、人形浄瑠璃の床本では、

おさんが、両親を見送る場面で、

* (竹本)
二人見送る影法師、賤が軒端の物干しの、柱二本に月影の壁にありあり映りしは、憂
き身の果ては捕らはれて、罪科逃れぬ天の告げ(略)
玉は潜り戸開け、顔差し出だすその影の、同じく壁に映りけり

ということで、歌舞伎は、「大経師宅裏手」で、物干の2本柱を巧みに使って、月光
の自然な形で、影を作り、おさん茂兵衛のふたりの磔のイメージを強調していたのに
対して、人形浄瑠璃では、「岡崎村梅龍宅の外」で、おさん茂兵衛に、お玉を加え
て、影というより、シルエットで、3人の磔のイメージを強調する(プロジェクター
を使ってくっきりと、という印象であった)という違いがある。この場面は、歌舞伎
の方が、情感があり、私は、好きだ。

この演出は、原作段階からあったのだろう。名作歌舞伎全集の、江戸時代のものと思
われる挿絵にも、磔の影絵が、描かれている。江戸時代の演出ならば、蝋燭で、影絵
の演出していたことになる。だとすれば、3人の影は、いまよりも、大きくて、風に
揺らいでいたかも知れない。

歌舞伎では、おさん茂兵衛の花道からの逃避行で、幕となるが、人形浄瑠璃は、さら
に、「奥丹波隠れ家の段」が、続く。

茂兵衛の故郷・丹波柏原の隠れ家。おさん茂兵衛が、密かに、身を隠して、暮らして
いる。初春の門付芸人が、やって来る。芸人は、大経師の内儀として、おさんの顔を
知っていた。おさんは、口止め料を渡すが、外出先から戻って来た茂兵衛は、すで
に、京から、役人が来ていて、間もなく、隠れ家にやって来ると告げる。

役人に捕まったふたり。そこへ、お玉の伯父の梅龍が、お玉の首桶を下げて、駆けつ
けて来る。すべての罪は、お玉にある、おさん茂兵衛に、不義は無いと梅龍は、主張
するが、お玉が、殺されてしまったので、証人がいなくなって、ふたりの無実の証明
が出来ないことになる。

歌舞伎、人形浄瑠璃とも、それぞれの思いで、原作を変えて、演出の工夫をして来た
のだろうが、大本の設定をしたのは、近松門左衛門で、彼の作劇の見事さは、なん
ら、損なわれない。

夫の浮気を懲らしめようと、自ら仕掛けた罠に陥り、意図せぬ姦通の罪を犯すおさ
ん。お玉への感謝の気持ちが、おさんとの、意外な姦通に繋がる行動をとってしまっ
た茂兵衛。おさんに対する同情から、姦通の仲立ちの罪に問われるお玉。皆々、善意
の人たちが、結果的に犯す罪。喜劇から、悲劇へ、奈落を一気に落ち込む人々。時空
を超えて迫って来るドラマチックな展開は、印象的で素晴しい。
- 2010年2月14日(日) 20:59:09
10年2月国立劇場人形浄瑠璃 (第1部/「花競四季寿」「嬢景清八嶋日記」)


人形の舞踊の珍しさ


人形浄瑠璃で所作事だけの演目の上演というのを初めて観た。「花競四季寿」は、
「はなくらべしきのことぶき」と読むが、四季を表す四変化の景事(所作事)、4つ
の舞踊で、構成されている。「万才」「海女」「関寺小町」「鷺娘」である。

歌舞伎では、「万才」(「万才」は、06年1月の歌舞伎座で、戦後、初めて演じら
れた。それくらい、歌舞伎でも珍しい)と「鷺娘」を観たことがある。特に、「鷺
娘」は、良く演じられ、雀右衛門、玉三郎などという真女形の歌舞伎役者が、創意工
夫した所作事を披露する。その演目を人形浄瑠璃で、どのように演じられるのかが、
今回の私の最大の関心である。

床に竹本の大夫(呂勢大夫ら)と相三味線(鶴澤清治ら)が6組、ずらりと並ぶ。柝
で、開幕(口上は無し)。置浄瑠璃(舞台は、無人、竹本のみ演奏)。京の町屋の遠
見。店の暖簾は、茶、三井の紋、神田屋の文字などが、染め抜かれている。白壁の蔵
の向うに、森が見える。中央に五重塔も覗く。

「万才」は、初春を言祝ぎ、商売繁昌を願う万才の太夫(紅白の梅の枝を頭に挿し、
紫の衣装)と才蔵(緑の衣装)が、新春の街々に「めでたさ」を門付して行く光景を
描く。

(暗転後、明転)背景は、須磨の浦の海岸の遠見に変わる。夏の夜の海。満月が出て
いる。置浄瑠璃。月光が、薄れて、夜が明け始める。「松風」とおぼしき海女が登場
し、つれない男を思い、片恋の憂さを踊る。下手より、磯ちどり。上手より、海女に
思いを寄せる蛸が現れる。ひとり遣いの蛸。葛飾北斎の、有名な、海女と蛸とのエロ
チックな浮世絵を連想するが、舞台の海女は、蛸にはつれない。

(暗転後、明転)秋。墓場を連想させる抽象的な廃墟の大道具。置浄瑠璃。やがて、
中央から、市女笠を被り、杖を持った、老いた小町の登場。人形遣は、文雀。

百歳の姥。思い起こすのは、青春の華やぎ。美貌を誇った昔。深草少将との恋。現実
は、笛の音とともに姥を襲う。寂しく、現世(関寺の、柴の庵)に帰る小町の姿。
(その途中から、暗転)

(明転)雪の湖。上手に柳。遠景の五重塔も、凍えている。上手より、綿帽子を冠っ
た白無垢の鷺娘登場。手にする蛇の目傘に、春の訪れを願う。この扮装は、歌舞伎も
同じ。人形遣は、吉田和生。

しかし、竹本の歌詞が、長唄とは、違う。「しのぶ山、口説の種の、恋風が吹けども
傘に雪もつて」(人形浄瑠璃)。

薄やみの中、緞帳が上がる。舞台は、雪景色で無人。雪を被った柳の木が、影を落と
す湖畔。銀色の草。白と青色の世界。舞台上手の雛壇には、長唄連中(下から、四拍
子、三味線方、唄方)。まず、置唄。「妄執の雲晴れやらぬ朧夜の恋に迷いし我が
心」。

歌舞伎では、鷺娘は、舞台中央の切り穴から、せり上がって来る。後ろ姿で、傘を差
している。ゆるりと廻って、正面を向くが、差している傘と白無垢の衣装と頭から顔
に掛けて被りものの綿帽子(角隠し)で、雪の精のよう。

歌舞伎では、後見が、ふたり付いて、鷺娘の衣装早替わり(引き抜き)を手伝う。白
縮緬の振袖姿から赤地の友禅染めの着物へ。鷺の精が、可憐な町娘に変身する。恋に
夢中の可愛らしい娘である。

人形浄瑠璃でも、人形の衣装の早替わりがあった。傘で隠したまま、人形を舞台の底
に、一旦沈めて、白無垢の衣装を薄い紅色の衣装に替えてみせた。

歌舞伎では、鷺娘の鬘も変え、衣装も紫に替えて、軽快な傘踊り。傘の陰で、再び、
「引き抜き」で紫色からピンクへ。さらに、傘の陰に隠れて、両肩、肌脱ぎになり、
上半身、緋色の衣装へ、袖を銜えて、すくっと立つ。次いで、「ぶっかえり」で、白
い鷺の精の衣装をマントのように着ているなどと、後見との連繋プレーで、衣装の早
替わりを見せ場とする。

人形浄瑠璃では、歌舞伎のようには、衣装の早替わりを連発できないが、人形浄瑠璃
が、歌舞伎と違うのは、舞台に置いた蛇の目傘を適時、廻してみせること。春を呼ぶ
蛇の目傘。舞台底(「船底」)に潜むひとりの人形遣が廻しているのだろう。人形浄
瑠璃とは、舞台機構が違う歌舞伎では、出来ない芸当だろう。

人形浄瑠璃と最近の歌舞伎の舞台は、どう違うのか。例えば、09年1月歌舞伎座の
舞台。鷺娘を演じるのは、玉三郎。この時のラストの場面は、歌舞伎の中でも、玉三
郎の新工夫。以下、当時の劇評を再録しておきたい。

*柳の枝を鉄杖に見立てて、地獄の責め。白い衣装の肩に赤い切り傷があり、嗜虐美
の見せ場。鷺の精の正体を現す。逆海老反りで、玉三郎は、柔軟な身体を誇示した。
霏々と降る雪。適わぬ恋心の哀しみを演じる。苦しさのあまり、のたうつように動き
回る玉三郎の衣装の裳裾が、所作舞台に積もりはじめた雪の紙片を蹴散らし、シュ
プールのよう。幾つもの環を描いて行く。描いては消える環の数々。

白い鷺の精は、羽ばたきも弱まり、息も絶え絶えになる。最後に玉三郎は、紙片の雪
に溶け込むように下半身を崩して行く。乱れた髪のみ、黒い。唇の小さな赤い色を除
けば、顔も白い。出の白無垢の娘の姿から、「ぶっかえり」の白いマント姿に包まれ
て、瀕死の鷺は、息絶える。バレーの名作「瀕死の白鳥」のように。

このラストは、玉三郎の工夫。本来は、緋毛氈の「二段」に乗って、大見得。01年
4月、歌舞伎座の福助の舞台では、本来通りの演出であったし、玉三郎も、78年2
月、新橋演舞場での初演時は、緋毛氈の「二段」に乗ったという。確かに、大見得で
は、恋に破れ、死んで行く鷺娘の哀れさは出ない。恨みつらみが、前面に出てしま
う。清姫の世界になってしまう。ここは、玉三郎独自の工夫の方が、遥かに素晴し
い。まさに、絶品。言葉では、表現できない。だから、所作で見せるしかないのだろ
う。400回から500回は、鷺娘を踊ったと言う玉三郎ならではの、味わいだろ
う。

人形浄瑠璃の「鷺娘」は、今回初見だったが、この所作事の「原型」を見せてもらっ
たという印象で、春を待つ鷺娘の思いを、明るく、演じる。雀右衛門、福助という歌
舞伎の演出の系譜、さらに、最近の玉三郎独自の工夫などとは、ひと味違って、これ
はこれで、オーソドックスで、興味深かった。


「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)」は、歌舞伎も、人形浄瑠璃も、
私は、初見(05年11月の歌舞伎座で、「嬢景清八嶋日記」を下敷きにした新作書
き下ろしの「日向嶋景清(ひにむかうしまのかげきよ)」を観ただけ)。

1764(明和元年)年、大坂豊竹座の初演。全五段の時代物。「嬢景清八嶋日記」
の主人公は、平家の残党、悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)で、景清は、
源頼朝暗殺を企てながら、失敗をし、投降の勧めに反発をし、抵抗の証に、自ら己の
両目をえぐり、盲目の身になり、日向嶋(ひゅうがじま)に流されている。いわば、
囚われのスパイのような立場である。だから、源氏方は、景清から目を離せない。実
際、景清は、密かに平重盛の位牌を隠し持ち、命日には、供養をしている。源氏への
強烈な反抗心を秘めながら暮らしている。鬼界が島に流された俊寛のような身の上
だ。

今回は、主筋の「日向嶋の段」の前に、「花菱屋の段」が付せられて、上演された。

「花菱屋の段」では、駿河の手越(てごし)の宿の遊女屋「花菱屋」が、舞台。肝煎
り(女衒)の左治太夫が、愛らしい娘・糸を花菱屋に連れて来る。花菱屋の主人と女
房をからませて、悲劇の前の、「ちゃり場(喜劇)」が、演じられる。特に、計算高
く、人使いの荒い花菱屋女房は、秀逸のキャラクターだと思う。この段の、見逃せな
いポイントだろう。日向に流されている盲目の父親を救うために、世話になっていた
老婆(乳母)が急死して、孤独になってしまったので、身を売りたいという。身を
売った金を持ち、九州まで父親に逢いに行くという糸のために、花菱屋の夫婦、店の
遊女たち、遣り手婆、飯炊き女までが、糸に餞別を与える場面が、笑いを誘う。千歳
大夫の、顔を上に向ける、軽妙な語りが、舞台を盛り上げる。人形遣は、主遣いも含
めて、面を隠している。

「日向嶋の段」は、まず、浅黄幕が、舞台を被っている。「松門独り閉じて、年月を
送り……」と、置浄瑠璃。切場とあって、咲大夫の語り。「春や昔の春ならん」、幕
の振り落しで、舞台中央の、浜辺に貧相な蓆がけの小屋。無人の舞台。竹とよしずで
手すりを飾った本舞台が、清新な感じがする。

こういう設定は、「俊寛」と似ている。景清の扮装も、俊寛に似ているので、どうし
ても、近松の「俊寛」を連想し、比べてしまうという欠陥がある。見えぬ目玉の、白
眼しか見せないまま、不自由な手探りで、景清は、位牌を海辺の石の上に置き、平重
盛の菩提を弔う。平家の残党の矜持が感じられる。

景清の元へ、舟が近づいて来る。廓に身を売った金を持って、幼いときに別れた娘の
糸が、遊女の糸滝と名を変えて、肝煎り(女衒)に伴われて、父親に逢いに来たの
だ。しかし、景清は、自分は、景清などではない、景清は、とうに死んだと偽り、娘
を追い返して、小屋に入ってしまう。

困惑した糸滝らは、島に住む里人に出逢って、先ほどの男が、やはり父親の景清と知
らされる。再度、小屋に訪ねて、やっと、再会を果たす。「親は子に迷はねど、子は
親に迷ふたな」。

しかし、苦界に身を沈めた娘の、いまの身の上を、肝煎りが、「相模の国の大百姓に
嫁いだ」と嘘で固めると、景清は、怒り出す。「食らひ物に尽きたらば、なぜのたつ
てくたばらぬ」。糸滝は、本当のことを語らずに、結局、里人に金と真意を書き留め
た手紙を入れた文箱を託して、去って行く。この場面、景清の人形を遣うのは、玉女
だが、人形の所作にメリハリがあり、観ていて、気持ちが良い。

この場面、花道から船で浜に辿り着いた糸滝らが、父であることを景清に拒絶される
と、浜を舞台上手に歩く場面があるが、ここは、歌舞伎では、舞台が、半廻しにな
り、里人たちと出逢い、先ほどの男がやはり景清と知らされると、元の浜辺へ戻る。
舞台半廻しで、元に戻る、という演出になるが、廻り舞台が使えない人形浄瑠璃で
は、糸滝らの歩みに合わせて、小屋が、景清を入れたまま(ということは、3人の人
形遣を入れたまま)、舞台下手に「引き道具」として、引き入れられる。そして、糸
滝らが小屋の戻る場面では、舞台上手に向かう途中で、ユータンをして歩む糸滝らの
動きに合わせて、小屋が、再び、中央へ戻って来る。小屋が、舞台中央に安置される
と、景清が、小屋掛けの筵を、正面は、御簾のように上げたり、脇のは、「振り落
し」たりして、再び、出て来る。糸滝を遣うのは、勘十郎。女形を丁寧に演じる。

その後、里人から金と手紙を受け取った景清は、娘が身売りしてまで、自分に金を届
けてくれた事情を知る。「孝行却つて不孝の第一」と景清。景清は、娘の後を追おう
とするが、娘らを乗せた船は、すでに、出てしまった後だった。

それを知った里人、実は、頼朝の配下で、景清を監視していた隠し目付、いわば、諜
報部員が、娘が苦界に入らないよう取りはからうことを条件に頼朝方への投降を進め
ると、抵抗心を捨てて、頼朝の配下とともに、景清は、船で都に向う。

両目を潰してまで、抵抗心を隠している「反抗分子」の武士(もののふ)の景清が、
娘の身売りを知っただけで、判断力を失って仇に、それこそ身を売るようなことをす
るだろうか、という疑問が残る。武士のプライドと娘への情愛の狭間で揺れる心の有
り様が、この芝居のテーマなのだろうが……。

舞台下手から、先に娘たちを乗せて出発した船より、いちだんと大きな船が出て来
る。船には、中央に、景清、左右に隠し目付のふたり。そして近侍たち。近づきの杯
のやり取りの後、船の上から、重盛の位牌などを海に投げ捨てる景清。変心した武士
の悲哀。これは、もう、俊寛の怨念、虚ろさなどとは、比べようもないし、劇的効果
もない。戦に翻弄された親子の哀れさが、反戦平和のテーマだとしても、何もかも捨
てて、敵陣に下る武将の悲哀だとしても、訴えかけて来るものは、「俊寛」には、及
ばない。
- 2010年2月12日(金) 13:35:54
10年01月歌舞伎座 (夜/「春の寿」「菅原伝授手習鑑〜車引〜」「京鹿子娘道
成寺」「与話情浮名横櫛」)


「道成寺」より「勧進帳」に人気か?


かなり意図的なシンメトリーの演目表となった歌舞伎座の初春歌舞伎。夜の部の劇評
も、昼の部の劇評同様に、「部」に拘らずに、場合により、昼夜通しで、書いてみた
い夜の部も、「春の寿」を除けば、馴染みの演目。私が観に行った時は、昼の部は、
混雑していたが、夜の部は、空席が結構あった。「道成寺」より、「勧進帳」に人気
が、集まったのか。

夜の部の劇評の柱として、所作事の大曲「京鹿子娘道成寺」から、始めたい。ここ
は、昼の部の「勧進帳」と対比してみる。所作事「娘道成寺」は、女形にとって、立
役の所作事「勧進帳」に匹敵する演目だろう。

「勧進帳」の配役は、弁慶:團十郎、義経:勘三郎。「娘道成寺」の配役は、白拍子
花子:勘三郎、大館左馬五郎:團十郎。つまり、主役と脇役が、昼と夜で、逆転す
る。「勧進帳」は、男だけの舞踊劇。主役は、立役。「娘道成寺」は、女形と所化
(脱俗)の芝居。男の居ない舞踊劇。主役は、女形。従って、「勧進帳」では、弁慶
役の立役が軸になり、「娘道成寺」では、白拍子花子役の女形が軸になって、共演
し、それぞれ、共演の仁義として、主客転倒で、脇を支える役どころで、主役のお礼
をする、という仕掛けだ。これは、対比でもあり、共通点でもある。

もうひとつの共通点は、いずれも、幕末に活躍した七代目團十郎が、制定した「歌舞
伎十八番」という團十郎家の「家の藝」を選抜した演目に入っているということ。こ
う書くと、なるほど、「勧進帳」は、確かに「歌舞伎十八番」に入っているが、「娘
道成寺」は、「歌舞伎十八番」の、どこにも見当たらない、間違いではないか、と指
摘する人もいるかもしれないが、「娘道成寺」の最後に「押し戻し」という場面があ
るが、実は、この場面は、これだけで、「歌舞伎十八番」の一演目なのである。破邪
効果のある太い竹を手にした大館左馬五郎が、花道から現れ、本舞台から花道に逃げ
ようとする白拍子花子に化けていた清姫の怨霊(蛇体)を押し戻し、弱体化させて、
退散させるという趣向である。

特に、今回は、昼の部と夜の部の演目の対比が、「勧進帳」と「娘道成寺」と意識さ
れたことから、「押し戻し」も、きちんと演じられ、「歌舞伎十八番」の宗家・團十
郎家の当主、十二代目團十郎によって、きちんと「歌舞伎十八番」の本番演目とし
て、演じられるという、非常にラッキーな思いをした。

「押し戻し」とは、怨霊・妖怪を花道から本舞台に押し戻すから、ずばり、「押し戻
し」と言う。「歌舞伎の花の、押し戻し」と、團十郎の科白にも、力が籠る。左馬五
郎の出立ちは、竹笠、肩簑を付けている。花道七三で竹笠、肩簑などは、後見が取り
外す。筋隈の隈取り、赤地に多数の玉の付いた派手な着付け、金地の肩衣、それに加
えて白地に紫の童子格子のどてらに黒いとんぼ帯、高足駄に笹付きの太い青竹を持っ
ている。腰には、緑の房に三升の四角い鍔が付いた大太刀を差している。下駄を脱い
だ足まで、隈取り(隈は、血管の躍動を表現する)している。「きりきり消えて無く
なれーー」と大音声で、鬼女に迫る。短い出番とはいえ、隈取り、所作、品格など、
團十郎の極めて立派な「押し戻し」を堪能することが出来た。

「京鹿子娘道成寺」は、11回拝見しているが、このうち、「押し戻し」は、3回し
か観ていない。幸いにして、私の場合は、いずれも、大館左馬五郎は、團十郎が、務
めてくれた。因に、その際の相手役、つまり、白拍子花子は、勘三郎(襲名披露と今
回で、2)、坂田藤十郎であった。


「与話情浮名横櫛」も、昼の部で触れた「松浦の太鼓」と一対である。「忠臣蔵外
伝」と「お富与三郎」が、なぜ、一対なのかと、ここでも、疑問に思う人もいるかも
しれないが、ここは、原作者が一緒なのである。三代目瀬川如皐が、1856(安政
3)年に三代目桜田治助と合作し、江戸の森田座で初演したのが、「松浦の太鼓」
で、それより、3年前の、1853(嘉永6)年に江戸の中村座で初演したのが、
「与話情浮名横櫛」であった。

三代目瀬川如皐ものを演じたということで、「松浦の太鼓」で、主役の松浦鎮信を演
じた吉右衛門と「与話情浮名横櫛」で、主役の与三郎を演じた染五郎の演技を比較し
たい。「松浦の太鼓」の吉右衛門は、今回、3回目の拝見で、初代の吉右衛門は、
「(観客に)笑わせるところは笑わせ、締めるところは締め、役者の腕で見せた」と
言っていたそうだが、当代の吉右衛門も、初代の「役者の腕」に近づこうとしてい
る。緩怠無い科白廻しで、「如皐もの」を楽しませてくれたが、歌舞伎座では、初め
て演じる(08年4月名古屋の御園座で、初演)という「与話情浮名横櫛」の染五郎
は、「源氏店」の科白廻しの緩急が、まだ、未熟で、緩怠ありの科白廻しで、残念。
元々、科白が、観客席の隅々に響いてこないという欠点があるが、更なる精進で改善
を図ることを期待したい。

それでは、個別の劇評に移る。
まず、「春の寿」。2年ぶりの出演を期待されていた89歳の雀右衛門は、休演。魁
春が、代役。もう一度、暖かくなったら、4月までに、歌舞伎座での舞台復帰をして
ほしい。

「春の寿」という外題の演目は、別にもあって、そちらは、以前に観たことがある
が、こちらは、新作舞踊で、今回初演。在原業平に見紛う春の君(梅玉)、小野小町
に似た花の姫(福助)、それに、雀右衛門が演じることになっていた女帝(魁春)ら
が、軸となって、新春の訪れを寿ぐ。王朝絵巻の所作事。女帝は、高齢で、体力も落
ちている、雀右衛門の2年ぶりの舞台を想定していたので、従者(女帝の側近に友右
衛門、両者の両脇に高麗蔵、松江のほか、後ろに、上下3人ずつ、種太郎ほか、御曹
司たち)を従えて、大セリで上がって来た後、短い踊りを踊ると、大セリの位置に
戻って、後見の用意した腰掛けに座ってしまう。後は、最後まで、そのままで、たち
あがりはするものの、疲れないように配慮した演目となっているのが、判る。

「菅原伝授手習鑑〜車引〜」については、昼の部の劇評で、富十郎の「馴染みの演
目、新しい演出」という役者根性に則った工夫魂胆を紹介したが、それは、「公家
悪」という、超能力者に扮するために、普通、役者は、青黛(せいたい)という青い
染料を使って「公家荒(あれ)」という隈取りをする。その上で、金冠白衣の衣装
に、王子という長髪の鬘を付ける。王位を狙う人物は、悪人といえども、超人である
ということだ。それを富十郎は、衣装は、定式通りだったが、隈取りをせずに、大き
く口を空けて、舌を出し、梅王丸と桜丸を威嚇することもせず、藝としての肚や品格
で、超能力者ぶりを観客に伝えた、ということであった。この工夫は、おもしろかっ
た。

「車引」で、幸四郎は、父親の白鸚に教わったという白地に松の模様の衣装で松王丸
を務めた。「菅原伝授手習鑑」の三つ子(梅王丸、松王丸、桜丸)は、三つ子を強調
するため、同じような衣装を着ることが通例だが、幸四郎家では、松王丸だけ、ほか
のふたりが着るような赤地の衣装を着ない。後の「悲劇」(松王丸が、嫡男の小太郎
を菅原道真の若君の身替わりにを殺させる)を滲ませるという考え方らしいが、悲劇
と言えば、桜丸は、後に、自害してしまうので、幸四郎説は、「そうかな?」という
感じがする。

桜丸の芝翫は、初役。江戸荒事の演目である「車引」への出演自体が、今回で、2回
目ということだった。若い頃(学生時代)に、杉王丸で、出演したことがあるだけと
言う。梅王丸の吉右衛門は、重い衣装、3本差しの大きな刀、足腰に負担がかかる中
で、荒事の決まりの型を、メリハリをつけて演じることの難しさを強調していたが、
吉右衛門の言うように、観た目より、演じることの、見えない苦労が、ある演目だろ
うと、思う。

「車引」は、9回目の拝見であった。「車引」は、左遷が決まった右大臣・菅原道真
の臣の梅王丸と弟の桜丸が、左大臣・藤原時平の吉田神社参籠を知り、時平の乗った
牛車を停めるという、ストーリーらしいストーリーもない、何と言うこともない場面
の芝居なのだが、歌舞伎の持つ色彩感覚、洗練された様式美など、目で見て愉しい、
他愛無いが故に、大らかな歌舞伎味たっぷりの上等な芝居である。動く錦絵のような
視覚的に華やかな舞台を、今回も楽しんだ。

「京鹿子娘道成寺」では、勘三郎が、己の体を使って、古今東西「究極の踊りとは、
こういうものよ」と、観客にメッセージを送る演目で、何を伝えてくれるか。そうい
う思いで、いまの歌舞伎座では、最後の初春興行の座席に座った。序破急というか、
緩怠無しというか、破綻のない大曲の所作事を見せてくれた。勘三郎自身は、「女の
情念」を、特に、「恋の手習い」で、見せたいと言っていた。

大曲の踊りは、いわば組曲で、「道行、所化たちとの問答、乱拍子・急ノ舞のある中
啓の舞、手踊、振出し笠・所化の花傘の踊、クドキ、羯鼓(山尽し)、手踊、鈴太
鼓、鐘入り、所化たちの祈り、鱗四天、後ジテの出、押し戻し」などの踊りが、次々
に連鎖して繰り出される。ポンポンという小鼓。テンテンと高い音の大鼓(おおか
わ)のテンポも、良く合う。

勘三郎の踊りは、メリハリがあり、細部も正確で、見事だ。振り、所作の間に、若い
娘らしい愛らしさが滲み出る。特に、顔の表情に、「女の情念」を集中しているよう
に、見受けられた。衣装の色や模様も、所作に合わせて、緋縮緬に枝垂れ桜、浅葱と
朱鷺色の縮緬に枝垂れ桜、藤などに、テンポ良く替わって行く。後ジテの花子は、蛇
体の本性を顕わして、朱色(緋精巧・ひぜいこう)の長袴に金地に朱色の鱗の摺箔
(能の「道成寺」同様、後ジテへの変身)へ。今回は、押し戻しがあるので、花子
は、いつもの、鐘の上での「凝着」の表情の代わりに、赤熊(しゃぐま)の鬘(かつ
ら)に、2本の角を出し、隈取りをした鬼女(般若・清姫の亡霊)となって、紅白の
撞木(しゅもく=鐘などを打鳴らす棒)を持って、本舞台いっぱいに、12人の鱗四
天相手に大立ち回りを演じる。

私が観た花子役は、勘九郎時代含め勘三郎(今回含め、4)、玉三郎、芝翫、菊五
郎、福助(芝翫の代役)、雀右衛門、藤十郎、三津五郎で、断然、勘三郎が多い。

贅言:「聞いたか坊主」の所化が、18人出てくる筈なのに、舞台に出て来たのは、
17人。誰が欠けているのかと思って、舞台の顔ぶれをチェクしたら、小山三であっ
た。高齢なので、体調を崩したのかもしれない。雀右衛門の休演は、告知されても、
大部屋の小山三の休演は、告知されないし、それに気づく観客も、少ないかもしれな
い。


「与話情浮名横櫛」は、9回目の拝見。二幕目の「見染」は、都合7回。四幕目の
「源氏店」は、9回。これまでの出演者の記録を整理すると、以下のようになる。与
三郎:仁左衛門(3)、團十郎(2)、梅玉、橋之助、海老蔵、そして今回の染五
郎。お富:玉三郎(4)、雀右衛門(2)、扇雀、菊之助、そして今回の福助。

三代目瀬川如皐原作の「与話情浮名横櫛」は、幕末の江戸歌舞伎の世話物という影が
濃く、人間像もいろいろ屈折しているのだ。まず、「見染」の場面は、木更津の海岸
となる。「いい景色だねえ」とお富が、言うのは、「梅暦」の辰巳芸者・仇吉が丹次
郎を見初めた際に、「いい男だねえ」と言うのと同じである。景色=男なのである。
染五郎の「羽織落とし」(もともと、上方和事の演出)も、まずまず。羽織は、絹地
で、滑り易くしてある。ここでは、ふたりの初(うぶ)さを強調し、後の「源氏店」
での、ふたりの世慣れた、強(したた)かさと対比しようというのが、演出の意図。

「見染」の場面で、芝のぶが、お富に雇われて、付き従って来ているお丸という役を
演じていた。ただし、化粧は、いつもの白塗りではなく、役柄に合わせて、「砥の
粉」の塗りであり、美貌が、引き立たないのは、残念であった。

「山の記号に、井と多」(和泉屋多左衛門の別宅)という表札を掲げた「源氏店」
で、福助が演じるお富は、強気が、目立つ。木更津海岸の場面から、3年後。すで
に、百戦錬磨の、一筋縄では行かない女性に「成長」しているという印象を与える。

脇で、味を出さなければならないのが、蝙蝠安。弥十郎の蝙蝠安は、今回で、4回
目。与三郎に付き従っていたはずの、安が、強請の、引き際を知らない与三郎を抑え
て、引いてゆく場面が、重要だ。安は、女物の袷の古着を着ているようなしがない破
落戸(ごろつき)である。与三郎の格好よさを強調するために、無恰好な対比をす
る。私が拝見した蝙蝠安では、勘九郎時代の勘三郎を、7年前、03年3月の歌舞伎
座で観ているが、彼の持ち味と蝙蝠安の持ち味が、渾然一体になっていて、良かっ
た。弥十郎の蝙蝠安は、役作りのイメージの、いわば「皮が厚すぎる」ような感じ
で、もう少し、「薄皮饅頭」のような味に帰られないかと思う。自然体で、弥十郎
が、蝙蝠安になりきれるようになれば、もっと、コクが出るのではないか。

毎回感じるのだが、お富宅を辞去した与三郎と蝙蝠安が、花道でやり取りしている
間、本舞台の座敷にいるお富と和泉屋多左衛門を演じる役者は、基本的に、なにもし
ないという歌舞伎のおもしろさ。福助のお富は、舞台中央奥で、後ろ向きになり、身
じろぎしない。歌舞伎の約束事では、「消えている」のである。歌六の演じる多左衛
門は、舞台上手よりで、前向きだが、時々、手持ち無沙汰に煙草を吸っている。花道
の与三郎と蝙蝠安の芝居が終り、拍手のうちに、ふたりが引き上げるのを待って、お
富の菊之助が、振り向き、突然芝居を始める。それを切っ掛けに、歌六も、多左衛門
を演じはじめる。芝居再開の妙。歌舞伎のおもしろさは、こういうところにもある。


「さよなら歌舞伎座公演の12ヶ月」の記録が、1月の歌舞伎座の筋書の巻末に掲載
されている。去年の1月から、ことしの4月まで、16ヶ月のというロングランの
「さよなら歌舞伎座公演」は、先月までで、12ヶ月が経った。出演者の顔ぶれがど
うだったか、出演した演目数は、別として、歌舞伎座に出勤した回数を数えてみた。
元データは、筋書の「歌舞伎座興行年表」の「主なる配役」に拠る。

ざあっと、上演記録を見たら、福助が、8ヶ月は、歌舞伎座に出勤していて、いちば
ん多いように思える。いかがであろうか。主役級ばかりでなく、脇で、得難い役柄を
務める役者も、結構、出番はあるだろうと、思われるので、40数人について、
チェックしてみた上での、結果である。7ヶ月出演という役者は、主役、脇役とも、
合わせると、複数いるから、後の4ヶ月の結果次第で、順位は、入れ替わるかもしれ
ないが……。2番手の複数は、とりあえず、内緒。

贅言:このところ、歌舞伎座の前を通ると、歌舞伎座の前の道・晴海通りの向こう側
で、歌舞伎座のスケッチや絵筆を揮って写生をしている人の姿を見かけることが多
い。写真を撮っている人もいるが、やはりここは、「さよなら写生」こそ、話題だろ
う。いまなら、新春風景の中での歌舞伎座は、確かに絵になりそう。

私自身は、以前に雑誌にコラムを連載していた際に、カットを担当して下さった画家
の方が、連載の最終回に描いた歌舞伎座の水彩画を連載終了の記念にと額入りで下
さったのを、いまも自宅に飾っているので、それで、良しとしている。
- 2010年1月18日(月) 14:38:27
10年01月歌舞伎座 (昼/「春調娘七種」「梶原平三誉石切」「勧進帳」「松浦
の太鼓」)


馴染みの演目、新しい演出。幸四郎、富十郎の工夫魂胆


歌舞伎座のさよなら公演も、ことしの4月までと迫って来た。松竹は、座席の料金を
値上げしたが、夜の部などは、空席もある。3月と4月には、納涼歌舞伎方式で、3
部制とすることで、更に、収益拡大を目指す。歌舞伎座の建て替え費用捻出も、松竹
の経営者にとっては、大きな経営課題だからだろう。

今回の劇評は、まず、昼の部と夜の部の演目構成の比較から、見て行こう。まず、第
一印象として、ピンと来たのは、昼の部と夜の部の演目構成が、シンメトリーになっ
ているということ。

昼の部:「春調娘七種」「梶原平三誉石切」「勧進帳」「松浦の太鼓」
夜の部:「春の寿」「菅原伝授手習鑑〜車引〜」「京鹿子娘道成寺」「与話情浮名横
櫛」

短い舞踊劇の春もの、馴染みの時代物、舞踊劇の大曲(立役と女形)、新歌舞伎(時
代世話)と世話物。演目は、主演する役者を軸に、予想される出演者の顔ぶれを見
て、決めるのだろうが、全体は、松竹で調整するのだろう。初春らしい演目が並び、
更に、今月を含めて、残すところ4ヶ月(100日ほど)となったさよなら公演の今
後の演目構成をも睨みながら、誰かが知恵を絞っていることだろう。更に、今月で言
えば、歌舞伎座の昼と夜の部のほかに、新橋演舞場の昼と夜の部、浅草公会堂の昼と
夜の部、それに、国立劇場もある。国立劇場の方は、演目には、松竹も口を出さない
だろうが、役者は、松竹に所属しているので、調整が必要だろう。

そうしたことを調整した結果が、今月の歌舞伎座の昼と夜の部の構成になったものと
思われる。

舞台を拝見してから思った劇評のテーマは、「馴染みの演目、新しい演出」というイ
メージだった。

例えば、ひとつは、「梶原平三誉石切」で、「梶原平三誉石切」では、幕が開くと、
浅黄幕が、舞台を被っている。浅黄幕が、振り落とされると、大庭三郎一行と梶原平
三一行が立っている。主役の梶原平三を演じる幸四郎が、まず、科白を言い始める。
鶴ケ岡八幡宮の拝礼を終えた梶原平三というシチュエーションになっているという想
定。

普通の演出では、源頼朝と石橋山の戦いで勝利した平家方の大庭三郎と俣野五郎の兄
弟一行が、先に、参詣に来ていて、舞台に居る所へ、花道から、同じように参詣に来
た梶原平三一行と鉢合わせするという形だ。大庭三郎と俣野五郎の兄弟も、梶原平三
も、同じく平家方だが、反りが合わないというのが、物語の伏線になっている。幸四
郎は、演出も兼ねるので、今回の「石切梶原」は、梶原平三が、六郎太夫と娘の梢の
情に打たれて、大庭三郎と俣野五郎の兄弟を騙して、一芝居を打つという話に再構成
している。

もちろん、「石切梶原」の芝居だから、「刀の目利き」「二つ胴」「手水鉢の石切」
という、お馴染みの場面は、あるが、そこを繋ぎながら、そこに流れる主調は、六郎
太夫と娘の梢の情に答える梶原平三の機転ということにしている。

梢の聟が、源氏方で、戦に敗れた源氏方の再興のために、金が要るという真意を胸に
秘めながら、六郎太夫は、娘のために家宝の大事な刀を、以前から欲しがっていた平
家方の大庭三郎に売らざるを得ない。大庭三郎は、居合わせた刀の目利きの名人の梶
原平三に目利きを頼んだが、六郎太夫の申し出た売値が、300両と高いので、弟の
俣野五郎が、梶原平三の目利きだけでは、当てにならない。試し切りをさせよと兄に
知恵を付ける。

その結果、囚人をふたり重ねて、胴切りにする「二つ胴」ということになったが、あ
いにく、試し切りに適当な囚人は、一人しか居ない。どうしても金が欲しい、六郎太
夫は、己の命を投げ出して試し切りの「素材」となることを覚悟するが、それを知っ
た娘の梢は、父親を助けようとする。そういう父と娘の情愛を梶原平三は、機転を利
かせて、試し切りもし、六郎太夫も、助ける。騙された大庭三郎と俣野五郎の兄弟
は、目利き違いの刀を買わずに済んだと悪たれを吐いて、退散する。その後、目利き
通りの名刀だということを「手水鉢の石切」という奇策で、証明する。

幸四郎の演技を注視していたが、「二つ胴」では、刀の刃を囚人(身替わりの人形)
の胴に押し付けて、包丁で、魚などを切る時のような切り方をしていたし、「手水鉢
の石切」の場面の前後では、真意を隠したまま、六郎太夫と娘の親子への気遣いぶり
を見せていたし、「二つ胴」や「石切」で、刀を使った後では、ほかの役者が演じる
梶原平三よりも、不思議がる親子に対して、「ふたりを救おうとしたのだよ」という
真意を滲ませて、にこにこしていたのが、とても印象に残った。

「馴染みの演目、新しい演出」のもうひとつは、夜の部の「車引」で、藤原時平を初
役で演じた富十郎も、一工夫している。「車引」での、普通の藤原時平は、「公家荒
れ」という青黛色で、怪異な隈取りをするのが、定式だが、今回の富十郎は、五代目
幸四郎や初代吉右衛門の化粧の写真を見て、隈取り無しで藤原時平を演じた。藤原時
平は、政治的なライバルの右大臣・菅原道真を時の左大臣して、権力を行使し、配流
させるという実力者だから、富十郎の人間国宝という権威とオーラで、藤原時平の怪
異な力を誇示する、というのが、富十郎の一工夫の成果であったらしい。梅王丸や桜
丸に対して、「命冥加な虫めらー」という科白に、富十郎の気迫があった。

このように、初役で取り組む場合、役作りに熱心な役者は、工夫魂胆で、一工夫も二
工夫も、するようだ。今回の各役者の工夫ぶりを見落とさないようにしてみよう。

まず、昼の部は、「春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)」。3回目の拝見。
1767(明和4)年、初演の長唄舞踊。曽我五郎・十郎が出て来る「曽我もの」の
舞踊では、最も古い作品と言われる。江戸時代は、正月の芝居では、「曽我もの」
は、定番だったので、いろいろな「曽我もの」が、工夫された。「春調娘七種」は、
外題にあるように、「七草」の行事と「曽我もの」を合わせる発想である。「七草」
は、なにかというと、七種の春の草を摘む静御前で、静御前と曽我五郎・十郎を組み
合わせて、荒事の世界に華麗さを吹き込んだ。曽我兄弟の父の仇である工藤祐経は、
源頼朝の元家来であった。

破風の御殿は、工藤祐経の館。大セリに乗って、静御前(福助)を軸に、上手に十郎
(染五郎)、下手に五郎(橋之助)が登場。静御前は、春の七草を入れた籠を持ち、
両脇のふたりは、大小の鼓を持っている。背景の中央は、白梅の巨木。その左右に若
竹、上下に松。

七草の行事にことよせて、3人で工藤の館に乗込んで来たのだ。3人の踊り。一旦、
奥の大セリの位置に戻る。次は、籠などの小道具を持たずに、まず、福助ひとりで踊
りだし、次々に、橋之助、染五郎と加わって来る。3人になって、暫く踊った後、ま
た、奥に戻る。次は、染五郎が一人だけで踊り、奥へ戻ると、橋之助が、同じように
踊って、戻り、福助も、同じようにするが、最後は、橋之助と染五郎が加わって、3
人で踊って、戻る。次いで、3人は、冒頭と同じように、籠、大小の鼓を持って、踊
る。最後は、3人の、引張りの見得で、幕。

3人の踊りが、ひとところに収斂して行かない。工藤を巡り感情が、それぞれ起伏す
るのに、踊りが緩怠にしかならないからだろうか。曽我兄弟は、丹前振り、相撲振り
など、特徴のある所作を見せる。

「「七草の合方」に乗せて、まな板を取り出し、擂り粉木で七草を叩く仕草は、太鼓
を打っているよう。静御前、十郎、五郎の順で、繰り返す辺りは、愉しい。
「七種(ななぐさ)なづな、御形(ごぎょう)、田平子(たびらこ)、仏の座、菘
(すずな)、清白(すずしろ)、芹薺(なずな)」が唄い込まれる。

静御前と上手の十郎は、踊りの最中も、距離が殆ど変わらないが、静御前と下手の五
郎の距離が近い事が多い。工藤邸で舞いながら、五郎は、再三、工藤祐経の姿が眼に
入るといきり立つので、静御前が、諌めるために近くにいなければならない。その
点、十郎は、あまり、感情を出さない。


「梶原平三誉石切」は、10回目の拝見。私が見た梶原は、幸四郎(今回含め、
3)、吉右衛門(2)、仁左衛門(2)、富十郎(2)、團十郎。

「石切」の場面には、型が3つあるという。初代吉右衛門型、初代鴈治郎型、十五代
目羽左衛門型。その違いは、石づくりの手水鉢を斬るとき、梶原が、手水鉢に向って
行くので、客席に後ろ姿を見せるのが吉右衛門型で、今回の幸四郎も、基本的に、こ
の型だった。

鴈治郎型は、手水鉢の向うに廻って、客席に前を見せる上、場所が鶴ヶ岡八幡ではな
く、原作通りの鎌倉星合寺である。羽左衛門型は、手水鉢の向うに廻り、さらに、六
郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、手水鉢の水にふたりの影を映し
た上で、鉢を斬る場面を前向きで見せた後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出
してくる。

各役者の工夫は? というと。
大庭三郎を演じた左團次は、敵役の大庭だが、大名の位は、梶原と同等だから、位を
出したいと言っていたが、幸四郎の方が、やはり、品格のある大名に見えた。六郎太
夫を演じた東蔵は、娘を気遣う父親の気持ちを出すことと梶原の機転が理解できず、
プライドを傷つけられた悔しさを出したいと言っていたが、これは、伝わって来た。
娘の梢を演じた魁春は、娘らしさを出したいと言うが、梢は、初々しくも、若妻なの
で、それなりの色気も必要である。魁春は、ときどき、養父の六代目歌右衛門にそっ
くりに見えることがあるが、この人独特の女形の味があり、それはそれで、良かっ
た。父親を気遣う娘の情も、良く出ていた。


去年は、「さよなら公演」とあって、1年間で、歌舞伎座だけでも、2回も上演され
た「勧進帳」は、今月も、上演された。「さよなら公演」シリーズで、3回目の上
演。吉右衛門、幸四郎、そして、今回が、團十郎。私は、通算では、18回目の「勧
進帳」となる。新しい批評を付け加えることが、だんだん、難しくなる。今回は、弁
慶:團十郎のほかは、富樫が、梅玉、義経が、勘三郎。

もともと、「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、名舞踊、名ドラマ、
と芝居のエキスの全てが揃っている。これで、役者が適役ぞろいとなれば、何度観て
もあきないのは、当然だろう。

私が観た「勧進帳」の配役は、次の通り。( )のなかの数字は、私が観た回数。弁
慶:幸四郎(5)、團十郎(今回含め、5)、吉右衛門(4)、猿之助、八十助時代
の三津五郎、辰之助改めの松緑、仁左衛門。冨樫:菊五郎(5)、富十郎(3)、梅
玉(今回含め、3)、勘九郎(2)、吉右衛門(2)、猿之助、團十郎、新之助改め
の海老蔵。義経:梅玉(4)、雀右衛門(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝翫
(2)、染五郎(2)、富十郎、玉三郎、そして、今回が、勘三郎。

七代目幸四郎が、生涯で1600回演じたという近代一の弁慶役者だったのを目標
に、一昨年の10月、1000回というラインを越えて、その後も、記録を更新して
いる幸四郎の弁慶は、主人の義経に気持ちを集中させて、危機に際し、刻々と変化す
る状況を、落ち着いて判断し、義経警護の責任者として責務を全うしようとする。5
回観た幸四郎の弁慶と対比して、同じく、今回で5回目の拝見となった團十郎の弁慶
をコンパクトに論じたい。

今回の團十郎の弁慶は、義経と四天王と一行を組みながらも、主君義経を戦略上とは
言いながら、打ち据えて、富樫の同情を買った指揮官としての、誰にもいえない苦衷
を胸に秘めた男の孤独感のようなものを滲ませて、幕外では、暫し、花道に立ち尽く
していた。難病を3回克服して、舞台に生還した團十郎でなければ出せない孤独の影
が、花道に映し出されたのだと思う。

富樫を演じた梅玉は、弁慶役者の持ち味に合わせるようにして、型通りのところもそ
れぞれ工夫しながら、富樫を演じると言う。義経を演じた勘三郎は、花道の向う揚幕
を出た時点で、義経になりきるように心がけると言う。義経は、笠を冠り、下を向い
て表情を見せない、追われ者だから、余計に他人に顔を見せられない、というシチュ
エーションだから、存在感を出すのが難しい。まず、己が、義経という存在になって
しまうしか無いのだろうと、思う。


「松浦の太鼓」は、5回目の拝見。1856(安政3)年、初演のものを、1878
(明治11)年に、いまのような形に改作されたというから、新歌舞伎の部類に入れ
てよいだろう。時代がかった科白が、しばしば、世話になる。「年の瀬や水の流れと
人の身は」という上の句に「明日待たるるその宝船」という下の句をつけた謎を解く
話。「忠臣蔵外伝」のひとつ。判りやすい笑劇である。

雪の町遠見。大川にかかった両国橋。開幕すると、雪に足を取られないようにと、注
意しながら、上手からふたりが、両国橋を渡って来る。このふたりを含めて、舞台
は、一枚の風景浮世絵のように見える。両国橋の袂には、柳の木とよしず張りの無人
の休憩所がある。立て札が、2本立っている。以前は、「二月十五日 常楽会 回向
院」「十二月廿日 千部 長泉寺」という立て札2枚が、立っていたが、最近では、
「十二月廿日 開帳 長泉寺」「十二月廿日 開帳 弘福寺」という立て札が、立っ
ている。今回も、同様である。

次には、すす払いの笹竹を売り歩く大高源吾(梅玉)が、やはり、上手から両国橋を
渡って来る。花道からは、傘をさした俳人の宝井其角(歌六)が、やって来る。この
場面も、舞台は、一枚の風景浮世絵のように見える。

吉良邸の隣に屋敷を構える、赤穂贔屓の松浦の殿様・松浦鎮信が、主人公。人は、良
いのだが、余り名君とは、言い兼ねるような殿様だ。私が観た松浦公は、吉右衛門
が、今回含めて、3回。ほかでは、仁左衛門、勘三郎。

吉右衛門の松浦公は、今回もそうだったが、吉右衛門本来の人の良さが滲み出てい
て、そこが強調されていて、おもしろい。仁左衛門は、人の良さよりも、憎めない殿
様の軽薄さ、鷹揚だが、気侭に生きて来た殿様という人柄が、強調されていて、松浦
公の別の一面を浮き彫りにしていた。勘三郎は、この人らしい、サービス精神で、勘
三郎独特の「ふふふふふ」という科白に象徴しているように、仁左衛門のスタイルよ
りも、更に、滑稽で、軽薄にしたように思った。

初代吉右衛門の当り藝で、その後は、先代の勘三郎も当り藝にした。当代の吉右衛門
も勘三郎も、その流れの中に居る。「松浦の太鼓」は、討ち入りの合図に赤穂浪士が
叩く太鼓の音(客席の後ろ、向う揚幕の鳥屋から聞こえて来る)を隣家で聞き、指を
折って数えながら、それが山鹿流の陣太鼓と松浦公が判断する場面が、見どころであ
る。今回は、大高源吾に梅玉、松浦家に奉公する源吾の妹・お縫に芝雀、もうひとり
のキーパースン・宝井其角に歌六。

梅玉が演じた大高源吾は、前半は、町人に身をやつし、後半は、無事に討ち入りを果
たした赤穂義士の一人ということで、メリハリのある役どころで、ご馳走な役であ
る。芝雀が演じたお縫は、松浦公の感情の起伏に翻弄されるばかりで、しどころの難
しい役。宝井其角は、お縫と松浦公の間に入り、憎めない軽薄な殿様を相手に、大人
の賢さを発揮して、駆け引きをするという、結構、難しい役であるが、歌六は、夜の
部の「与話情浮名横櫛」の和泉屋多左衛門同様に、貫禄を滲ませていて、良かった。
- 2010年1月17日(日) 16:52:12
10年01月国立劇場 (「旭輝黄金鯱」)


「外連」とユーモア、菊五郎一座の魅力


「旭輝黄金鯱」は、初見。1782(天明2)年、大坂角の芝居の、「二の替り」
(12月24日初日の、初春興行)で、初演された。原作は、上方と江戸の両方で活
躍した初代並木五瓶。初演は、好評で、天明3年3月まで、公演を延長したという。
江戸時代から明治に掛けては、良く上演されたというが、大正以降、上演が途絶えて
いたのを、今回、復活ながら、新作歌舞伎並みに、大幅に書き換えて、およそ100
年ぶりに上演された。

主筋は、異国(三韓)の出自を持つ謀反人の遺児・柿木金助という盗賊が、足利家と
小田家の提携に反対し、更に、もう一人の盗賊・向坂甚内や那古野城の当主・小田春
長ら、善悪入り乱れて、小田家の重宝(忍びの秘伝書「遠霞の一巻」や秘剣「龍神
丸」)、足利家の重宝(「神武の旗」)を奪い合うという、お家騒動ものである。

菊五郎一座が、今回、復活した芝居では、「那古野城天守閣屋根上の場」での、3階
席に特設された鳥屋から、客席の頭上を斜めに渡って、本舞台上手にせり出した大屋
根に、「逆に」降り立つという、菊五郎の大凧に乗った「宙乗り」をしたり、大屋根
の上で燦然と輝く黄金鯱に乗ったまま、妖術で空中に浮遊したりする。「木曽川の
場」での、夏でもないのに、本水を使った菊之助の黄金鯱との格闘の場面など、外連
(ケレン)味たっぷりの、痛快、娯楽的な、エンターテイメント作品に仕上がってい
る。猿之助一座の芝居が、見られない昨今、猿之助から指導を受けた新橋演舞場の海
老蔵の「伊達の十役」と並んで、菊五郎一座も、猿之助一座の空白を埋めるような、
意欲的な取り組みと言える。

ただし、徹底した外連歌舞伎に、猿之助歌舞伎としての独自性を見いだそうと懸命
だった猿之助の場合と違って、菊五郎一座の外連は、やはり、おとなしく、外連も、
いわば「こぶり」で、「宙乗り」も、体を虎と大書きした凧に縛り付け、両手で手す
りを持って静かに乗っているだけという印象であった。しかし、菊五郎も、そういう
外連味の、足らざる部分は、持ち味の、ユーモアたっぷりの、愛嬌のある演技で、十
分にカバーしようという意欲が、溢れているので、これはこれで、猿之助味とは、ひ
と味違う、菊五郎味ともいうべきものであって、結構であった。

もうひとつの特徴は、今回は、菊之助が、全く、女形の鬘や衣装をつけずに、若衆役
も含む立役ばかり、小田春長、実は、小田家家老・山形道閑の息子で、後に謀反者の
父親を殺して、小田家に貢献した忠節で、春長から「春」の一字を貰い、小田家の家
臣となる鳴海春吉や伊勢の御師・大黒戎太夫弟子・万斎、実は、鳴海春吉という、つ
まり、一皮むけば、いずれも、鳴海春吉という役どころを演じていたが、これも、巧
かった。菊之助は、丑之助時代から、続いて「之助」という名前で、海老蔵(前の新
之助)、松緑(前の辰之助)と並んで、「三之助」と呼ばれていて、いまや、一人だ
け「之助」という名前で残っているだが、この3人の中では、抜群に成長しているこ
とは確か。最近、海老蔵が、意欲的に役に取り組んでいるが、まだまだ、菊之助の方
が、リードしている。「三之助」時代から、相変わらず、遅れをとっているのが、松
緑であろう。この人は、人形浄瑠璃の「首(かしら)」のような顔と、また、それを
強調しているような化粧の役柄が多い所為か、それで、損をしているように思う。つ
まり、どんな役をやっても、松緑の顔の特徴が消えないので、皆、同じように見えて
しまう。演技も、口跡も、良いのに、残念なことだ。いつか、役柄に見とれて、松緑
の地顔が、消える時が来るものと思うが、それを楽しみにしておこう。今回の松緑
は、勅使南宮左中條、実は、謎の盗賊・向坂甚内、実は、小田春長を演じる。松緑
は、いつも、松緑ということで、それなりに、存在感を感じさせると、言っておこう
か。

一方、今回の舞台で、ほとんど存在感を感じさせなかったのは、足利家家老の石谷歩
左衛門を演じた彦三郎と小田家後室操の前を演じた田之助で、出てくるだけで、あま
りしどころも無く、気の毒な感じがした。田之助は、去年、2月に両膝に人工関節を
入れる手術をしたということで、ステッキも使わずに、歩けるようになったと言う
が、膝が、120度くらいしか、曲がらないということで、渋い女形に味のある脇役
の人間国宝は、女形の演技に多い正座が組めないので、役が限られてしまって、寂し
いと言っている。今回も、合引きに座ったままという役どころだったが、観客の方
も、田之助の出演する役柄が、限定されてしまうというのは、誠に、寂しいが、これ
ばかりは、仕方が無い。去年は、「音羽嶽だんまり」の局しか、役がつかなかったと
いうのは、なんとも残念である。田之助の味のある舞台をいくつも思い出す。また、
彦三郎の方は、足利家の家老で、足利家の息女・国姫(梅枝)と小田家の次男・春勝
(松也)との縁組みにより、両家の提携に寄与させようと役どころ。従って、肚です
る芝居が多く、観客の目には、止まりにくいので、存在感も薄れて来るということに
なる。

この芝居は、こうしたお家騒動ものを主筋にしながら、副筋として、「母と子の物
語」というのが、浮き上がって来る。冒頭では、影が薄い時蔵は、実は、副筋の重要
な役どころである。序幕「宇治茶園茶摘みの場」では、国姫扮する茶摘み娘の姉、実
は、足利家家老の石谷歩左衛門妻であり国姫の乳人・園生を演じる。つまり、国姫の
乳「母」である。

更に、序幕の「宇治街道の場」では、足利家との提携に反対する小田家の家臣に捕わ
れた国姫を助ける老女が現れる。身は、やつしている。これが、時蔵が扮する村路
で、素早い手練で、家臣を切り捨てる謎の老女。村路は、園生に命じられたと言っ
て、国姫を自分の在所・美濃に連れて行く。

その在所が、美濃の笠縫里柿木金助の隠れ家であった。村路は、金助の「母」親だっ
たのだ。ということは、異国(三韓)の出自を持つ謀反人の妻であった。
国姫を在所に連れて行ったのも、姫を虜にして、息子の金助とともに、足利家と小田
家の両家に禍いをなそうという悪企みだったのだ。

更に、村路は、謎の盗賊・向坂甚内、実は、小田春長を、それと知らずに、乳「母」
として、育てたという。金助と甚内を乳兄弟として育て、盗賊兄の金助の片腕となる
盗賊弟甚内を夢見て、自分の夫を滅ぼした小田春秀の嫡男・小田春長には、敵意を
持っているのだから、敵を育てていたことになってしまう。鷹狩りの途中で、偶然に
も、金助の隠れ家を初めて訪れた春長が、甚内だったことを初めて知った村路は、金
助の刃を使って、自害してしまう。亡き夫への義理立てをしたのだ。

つまり、時蔵は、国姫の乳人(乳母)園生を演じ、金助の母、甚内の乳母を演じる。
この芝居では、菊五郎一座は、お家騒動に翻弄され、謀反の糾いに翻弄され、自害す
る母親の物語を時蔵という役者に託したことになるが、その辺りは、なかなか、鮮明
には、浮かんでこなかったようである。

御曹司を軸にした若手の役者たちも、目立った。国姫を演じた梅枝は、時蔵の長男。
園生に付き従っていた足利家の若党・和平太を演じた萬太郎は、時蔵の次男。色模様
好きのプレイボーイ、小田家の次男・春勝を演じた松也は、今は亡き尾上松助の長
男。伊勢の御師戎太夫の娘・おみつと足利家家老の石谷歩左衛門の息子・司之助を演
じた右近は、清元の延寿太夫の長男。声変わりのまま、戎太夫の家の下女・おふくを
演じた男寅は、男女蔵の長男など。若々しい役者群は、初春の、めでたい舞台に相応
しい。それぞれの今後の精進、成長を祈念したい。

忘れてはならないのが、大部屋育ちの脇役で味わい深い演技をいつも見せてくれる菊
十郎。今回は、「三幕目」の「笠縫里柿木金助の隠れ家の場」で、庄屋の次郎右衛門
を演じていた。役者には、「音羽屋」「萬屋」などと、大向うの観客から、屋号で、
声が掛かるが、菊十郎には、「菊十郎」と、声が掛かっていた。

今回は、いつものスタイルと違って、役者を縦軸にして、劇評を書いてみたが、舞台
をウォッチングしたメモから、いくつか書いておきたい。「序幕」の「宇治街道の
場」では、舞台下手寄りに道標があり、そこには、「みぎ奈良之みち」「ひだり京之
みち」と書いてあった。附け打は、立役が歩いて来ると、「バタバタ」と打ち付けて
いたし、女形が歩いて来ると、「コトコトコト」と打ち付けていて、目を瞑っていて
も、街道を行く人たちの性別が判るのが、歌舞伎のおもしろさ。

菊五郎と松緑が、ともに、贋の勅使南宮左中條に扮し、お互いを偽物呼ばわりする場
面がある。菊五郎の科白。時代から世話に砕けて、言う。「ここらでしっぽを出すと
しようか」。この場面は、「二幕目」の「那古野城内大書院の場」で、金地の襖に
は、松の老木と石庭が描かれていて、特に、上手と下手の襖には、一対の虎の姿が描
かれている。いわば、虎の間で、盗賊たちは、贋の勅使に扮し、挙げ句、虎らしく、
しっぽを出すという設定は、菊五郎らしい遊び心と見た。

大凧の宙乗りの場面は、暗転した、真っ黒な場内に、強い風の音が響き出すうちに、
3階席下手の特設鳥屋から、大凧が飛び出して来る。本舞台上手から客席にせり出し
た大屋根に凧から降りる菊五郎。大屋根の黄金鯱の口の中から、「遠霞の一巻」を盗
み出すと、黄金鯱に座り込んだまま、悠々と空中へと逃げて行く。特設鳥屋は、3階
席の椅子を撤去して、作られていた。撤去された椅子は、62席であった。

「大詰」の、伊勢「御師大黒戎太夫内の場」では、暗転した中で、舞台の壁が、そっ
くり上に引揚げられる仕掛けで、奥が抜けると、「金鯱観世音」というご神体が、登
場する。これが、仮装大会の番組に出てくるような、菊五郎を先頭に、縦に「顔が見
えるように」(実は、黒衣の顔隠しで、黒く顔を隠しているので、手しか見えないの
だが)並んだ10人チームで構成されていて、「千手観音」の、連続する手の踊りを
披露し、場内の爆笑を誘っていた。ここら辺りも、菊五郎の好きそうな演出だ。

團蔵が演じる大黒戎太夫が、菊之助が演じる万斎に対して、楽屋落ちの科白を言う。
「(そのようだから)、あの海老に先を越される」と、海老蔵の結婚話を捨て科白
(アドリブ)のネタにしていた。金田金太夫、実は、柿木金助を演じる菊五郎が、そ
れを受けて、「親の顔が見たい」と、これも、楽屋落ち。

同じく「大詰」の、尾張「木曽川の場」では、幕が開くまでの、「つなぎ」の柝が鳴
り続ける中、最前列の観客に配られていたビニールを拡げるように係の女性が、指示
していた。舞台中央に、大きな滝と滝壺が、設えられている。本水が、滝上から、左
右から、勢い良く吹き出されて来る。縦型の鯱にぶら下がって、赤い下帯姿の菊之助
が、登場する。水色の水衣が、両手に持って操る黄金鯱、別の水布が、中に入って動
かす黄金鯱ということで、いくつかの大きさの違う鯱が、登場し、菊之助と水中で格
闘となる。

同じく「大詰」の大団円は、桜満開の遠見に、城の遠景。尾張「鳴海潟の場」。いつ
ものような、花槍ではない槍を持った花四天と菊五郎の金助との立ち回りだが、決着
を付けずに、いつものように、「まず、それまでは、方々、さらば」で、三段に乗っ
た菊五郎を挟むようにして、上手から、團蔵、権十郎、亀蔵、梅枝、松也、松緑、と
6人。下手へ、彦三郎、時蔵、右近、萬次郎、田之助、菊之助、と6人。旭輝く、全
員で、引張りの見得にて、幕。
- 2010年1月16日(土) 17:05:37
10年01月新橋演舞場 (夜/「慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役」)


猿之助の、「最後」の舞台


猿之助が、舞台に立たなくなって、何年になるのか。2003年11月に病に倒れた
のだから、7年以上の時が流れた。私が観た猿之助の最後の舞台は、2003年7
月・歌舞伎座の昼の部と夜の部か。昼の部で、猿之助が出演したのは、「檜垣」の老
女。「盲長屋梅加賀鳶」では、梅吉と道玄のふた役。

7年前の劇評を抄録してみたい。

*「檜垣」は、老女の嫉妬がテーマ。人間、いくつになっても嫉妬心がある。若い少
将(芝翫)と少将の愛人・小野小町(亀治郎)。猿之助の老女は、死霊になって、若
いカップルを悩ませる。嫉妬心と悲恋の苦しみを描く。小町への嫌がらせの場面な
ど、秀逸だ。「澤潟十種」のひとつ。猿之助も、本興行では、初演という。舞台は、
暗転からスタート。「骨寄せ」の演出も入れて、趣向のある所作事の舞台になってい
る。(略)人を喰う「黒塚」の老女。恋を喰う「檜垣」の老女。いずれにせよ、人間
の業の哀しみの一面を巨大化させている点では、共通している。

そして、私が観た猿之助の最後の舞台は、夜の部で、通しの「四谷怪談忠臣蔵」で
あった。猿之助は、直助、暁星五郎実は新田鬼龍丸(新田義貞の息子)、天川屋義平
と、仕どころの多い3役を演じた。

*猿之助「最後」(これまでのところとしておきたい。「復活」の舞台を夢見てい
る)の舞台は、「大詰 第四場 東海道明神ヶ嶽山中の場」では、猿之助の演じる暁
星五郎と定九郎(春猿)、お軽(笑三郎)の対決、そこへ助っ人に駆け付ける与茂七
(右近)など、猿之助一座の芝居らしい。さらに、「第五場 同 大滝の場」では、
本水を使った立ち回りと、冷夏とは言え、夏の芝居らしい趣向で、涼味を呼ぶ。水に
濡れた衣装で猿之助らが、本舞台に座り、「こんにちは、これぎり」の挨拶にて、
幕。

こうして、7年前の劇評の抄録を読んでいると、ああ、あれ以来、私にとって、猿之
助を観るのは、「これぎり」になってしまった、という感慨が、改めて、押し寄せて
来る。


海老蔵版「伊達の十役」での、猿之助歌舞伎「再現」


「慙紅葉汗顔見勢」という外題は、「はじもみじあせのかおみせ」と読む。私は、1
1年前の99年7月の歌舞伎座で、猿之助の「伊達の十役」の通しを観ている。その
ときが、初見であった。劇評を書くにあたって、この演目は、優れて、猿之助の演目
であることを、まずは、押さえておきたい。

当時の劇評が残っているので、これも抄録しておきたい。

*猿之助が10役を41回早変わりで見せるとあって、超満員。館内はきのうより暑
い。累物語と先代萩が筋のベースだが、筋よりも猿之助の、早替りの妙で見せる芝
居。一世一代ということで、本公演(25日間の興行)は、今回が最後だろうという
ので、よけい人気が上がっていると思われる。兎に角観客は猿之助が、早替りで登場
するたびに喜んでいる。昼の部の「八犬伝」は猫と犬が登場するが、夜の部では、さ
まざまな鼠が登場する。

仁木弾正は、花道の引っ込みを「雲の上歩くように」演じると言われるが、猿之助
は、これを「宙乗り」で空中を歩いてみせた。「雲の上の宇宙」というわけだ。3階
席に特設の「向こう」(揚幕の変わりに特製のトビラが作られていた)をつけて、
「宙の花道」を完結させていた。通常の「床下」の場面と違って、鼠が幕外に残り、
笑ったり、立ち回りを見せたりして猿之助の「男之助から弾正へ」の早替りの時間を
稼いでいた。鼠の役者は、なかなか熱演であったが、例の通り筋書には配役は載って
いない。帰りに地下鉄の茅場町駅構内で線路をまるまると太った鼠が走っているの
を、一緒に歌舞伎を見に行った息子が見付けて、教えてくれた。「あ、弾正だ」と
言って、二人で笑ってしまった。とにかく猿之助の舞台は荒唐無稽を、敢然と楽しも
うと言う姿勢が明確で、おもしろい。

これを読むと、猿之助版の「伊達の十役」は、頻繁な早替りで、体力を消耗する演目
であるから、99年7月、50歳代最後の年に(99年12月で、猿之助は、満60
歳になる)、最後の出演という意味の、「一世一代」と銘打っているので、本興行で
は、「今回が最後だろう」と、」私は書いている。従って、今回、海老蔵版「伊達の
十役」を上演するにあたって、新橋演舞場刊「初春花形歌舞伎」の筋書に掲載された
猿之助の「挨拶」には、その辺の経緯が書いてある。4年前に、海老蔵が、「義経千
本桜」の「『四ノ切』」を猿之助型でやりたい」と言われて、「その意欲に感動し
た」ので、承知した。さらに、去年、今度は、「『伊達の十役』をやってみたい」と
言って来たので、快諾したという。

猿之助にしてみれば、「歌舞伎界の革命児」などと呼ばれ、注目もされたが、厳しい
目でも見られながら、自分が、信ずるところを突き進んできて「猿之助歌舞伎」とい
うジャンルを構築して来た自負があるだろう。まして、今回の「伊達の十役」は、
「一世一代」ということで、自分では、もうやらないと、封じ込めた演目である。
「四ノ切」に続いて、「伊達の十役」も、猿之助型を継承したいと、江戸歌舞伎の宗
家の、團十郎家の御曹司である海老蔵が、申し出て来たのだから、「伊達の十役」
が、11年ぶりに甦るだけではなく、猿之助型の演出が、33歳という海老蔵という
役者を通じて、いまの観客に観てもらえるという悦びが大きかったのだろうと思う。
去年の暮れ、33歳になったばかりの海老蔵に継承されれば、今後も、再々上演され
る機会が増えるかもしれないからだ。

そこで、今回は、猿之助版「「伊達の十役」が、海老蔵版「伊達の十役」として、ど
う再現されたかという辺りについて、劇評をまとめたい。

「伊達の十役」は、鶴屋南北原作で、史実の「伊達騒動」を素材にした「お家騒動も
の」だが、1815(文化12)年の盆興行に、江戸の河原崎座で初演されている。
盆休みということで、大物の役者は、夏休みに入ったり、そのほかの役者も、地方巡
業に行ったりしてしまい、役者の数が足りない。当時24歳だった七代目團十郎が、
10役早替りという、破天荒な企画をした。兎に角、舞台を繋ぐ、ということで、早
替りの「隙間」が出ても、観客には、寛容してもらい、恥を掻き、紅葉のように、顔
を真っ赤にして、汗もかきながら、懸命に務めますよ、というメッセージを込めた外
題が出来上がったが、物語の展開は、「伊達競阿国戯場」(「伽羅先代萩」に高尾・
累の姉妹の筋を加えた)の世界である。従って、ストーリーや演劇的品質よりも、早
替り、宙乗り、大道具の大仕掛けという、「ケレン趣向」重視の演目である。江戸時
代の初演時も、新趣向が、功を奏して、大入りになったらしいが、品質の乏しさ故
か、その後は、再演されなかったと言う。七代目團十郎という人は、後に、「勧進
帳」を作ったり、團十郎家の、家の藝であり、江戸歌舞伎の伝統の藝でもある「歌舞
伎十八番」を制定した人で、12人居る代々の團十郎の中でも、巨峰のひとりであ
る。その七代目初演、南北原作の演目が、きちんと後世に伝えられず、「幻の狂言」
となっていたのを、猿之助が、掘り起こし、79年4月に明治座で、復活上演した。
脚本は、奈河彰輔、演出は、奈河彰輔と猿之助であった。165年ぶりの復活であっ
た。初演の資料が、ほとんどないまま、歌舞伎年表や絵番付、「伊達の七役」という
古写本などの断片的な資料に加えて、南北作と伝えられるもののうち、「伊達騒動も
の」や「累もの」を参考にしながら、ケレン趣向を活かすという猿之助のアイディア
を軸に、作り上げたのが、「伊達の十役」である。従って、早替りの巧拙、大道具の
大仕掛けの成否などが、観劇のポイントになると思う。

今回、海老蔵が、早替りで演じるのは、まず、「口上」から始まって、仁木弾正、赤
松満祐の霊、絹川与右衛門、足利頼兼、土手の道哲、腰元・累、傾城・高尾太夫、乳
人・政岡、荒獅子男之助、細川勝元の10役である(「口上」役者を入れれば、11
役になる)。

「口上」は、複雑なストーリー展開への、観客の理解を助けるもので、10役の善悪
の相関図を海老蔵自身が、解説をするという、プロローグである。1815年の七代
目團十郎初演時から見れば、195年ぶりに、宗家の役者によって、上演されること
になる。海老蔵は、10役だけに、「10倍の、ご声援を」と挨拶して、場内を笑わ
せた後、舞台中央のセリから、奈落へ下がって行った。

「発端 稲村ケ崎の場」では、まず、花道から仁木弾正(海老蔵)が、登場する。舞
台中央の獄門台に野ざらしの髑髏。古い鎌が刺さっている。仁木弾正が鎌を抜くと、
国を崩そうとして討たれた南朝の遺臣・赤松満祐の霊(海老蔵)が現れる。弾正は、
満祐の息子。悪の遺志を息子に伝え、「旧鼠の術」を授ける。そこへ、腰元・累との
不義で、手討ちになるところを足利家の家臣に助けられた絹川与右衛門(海老蔵)
が、故郷へ戻ろうと通りかかり、満祐の霊と弾正の密談を聞いてしまう。与右衛門と
弾正の立ち回りなど。与右衛門は、「旧鼠の術」を破る生年月日の人物として、
後々、キーパーソンとなることが、観客に知らされる。

海老蔵が、新たに登場すると、それまで海老蔵が演じていた役柄は、吹き替え役者
が、後ろ姿を中心にしながら演じる。つまり、海老蔵と吹き替え役者が、混ぜこぜに
なりながら、早替りを支える。破綻無く、スムーズに替わって行く。以下、このパ
ターンは、随時採用される。

「序幕」の「第一場 鎌倉花水橋の場」。足利家の当主・足利頼兼(海老蔵)を遊興
の殿様に仕立てた上で毒殺をし、お家乗っ取りを策する弾正と大江鬼貫(猿弥)ら。
毒薬を奪ったのが、土手の道哲(海老蔵)だが、大金欲しさに悪の一味に加わる。そ
のような策謀を知らない足利頼兼は、傾城・高尾太夫のいる大磯の廓に向かう。背景
の黒幕が落ちると、夜明けの遠見となる。

舞台が、廻ると、「第二場 大磯廓三浦屋の場」。頼兼は、弾正から届いた二千両
で、高尾太夫を身請けしようとする。当主に身請けをやめさせようと、足利家の家
臣・渡辺民部之助(獅童)が、花道よりやって来る。案内は、腰元・累(海老蔵)。
累は、実は、高尾太夫の妹である。だが、「遅かりし民部之助」で、身請けは、決
まってしまい、挨拶をしに高尾太夫(海老蔵)が、花道より、花魁道中の体で、姿を
見せる。

与右衛門(海老蔵)が、やって来て、民部之助に弾正らの悪企みを知らせ、足利家へ
の帰参を願い出るが、すでに、遅し。満祐を古鎌で襲った百姓は、高尾太夫・累姉妹
の父親であったことも判る。いずれも、民部之助だが、「さて、恐ろしき逆縁じゃな
あ」とか、「せまじきものは宮仕えじゃなあ」(「菅原伝授手習鑑」の源蔵の科白)
など、いかにも、南北得意の書き換え狂言らしい科白がある。

舞台が、廻ると、「第三場 三浦屋奥座敷の場」。池に浮かぶ大きな屋形船仕立てと
いう趣向の奥座敷。障子が開くと、ふたりの新造を従えて、名残りを惜しんでいる高
尾太夫に斬り掛かる与右衛門。池の中で、恨みを飲んで、息絶える高尾太夫。亡霊と
なり、後に、与右衛門を悩ます。土手の道哲が、登場し、落ちていた古鎌と高尾太夫
の打ち掛けを拾う。「しかし、待てよ」で、悪企みに、それらを活かすことを思いつ
いたらしい。吹き替え役者を使っての、海老蔵の3役早替りである。特に、花道の出
逢いでは、ゴザと傘を使って、与右衛門と道哲が、瞬時に入れ替わる。

贅言:池の上手には、水仙の花々。倒れた高尾太夫は、台に横たわったまま、舞台上
手に引っ込む。水仙は、いわば、観客からの目隠し。

「二幕目 滑川宝蔵寺土橋堤の場」。舞台下手に、宝蔵寺地蔵供養の石塔。並んで、
滑川宝蔵寺堤の柱。上手へ、庚申塚の碑、ということで、土橋堤の体。

足利頼兼の後妻に入る許嫁の京潟姫(笑也)は、弾正一味の悪企みを知り、足利頼兼
の下屋敷に向かう。途中、悪の一味に襲われるが、民部之助と累に助けられる。そこ
へ、さらに、与右衛門とそれを追う道哲が、やって来る。高尾太夫の霊も現れ、累に
乗り移る。廓帰りの頼兼、弾正も、来合わせて、ということで、早替りのハイライト
は、この土橋堤の場であることが判る。この場面、累、与右衛門、道哲、高尾太夫の
霊、頼兼、弾正と、海老蔵は、6役早替りである。古鎌を巡る「だんまり」の演出。
累の霊が、振りかざしていた古鎌は、結局、道哲の手に渡る。弾正は、国崩しの証拠
となる密書を川に落とす。京潟姫とともに小舟に隠れていた与右衛門が、これを拾
う。

「三幕目」は、「先代萩」の「御殿」の場面をそっくり戴く。「足利家奥殿の場」か
ら「同 床下の場」へ。竹本も、エースの葵太夫登場。ここでは、乳人・政岡(海老
蔵)登場。海老蔵は、政岡、弾正、荒獅子男之助の3役早替り。立女形の役者が、演
じても難しい政岡。果敢に挑んだ海老蔵は、女形の役柄については、まだ、まだ、無
理。声も、甲の声には、ほど遠い。我が子・千松が八汐になぶり殺しにされた政岡の
代表的な科白「三千世界に子を持った親の心は、皆一つ……」なども、科白の間が、
もうひとつ。所作、特に、背中、顔の表情なども、固い。これは、後ほど、比較し易
い別の場面があるので、そこでも、改めて、述べてみたい。

ほかの配役は、弾正妹・八汐(右近)、局の松島(春猿)、同じく沖の井(門之
助)、山名奥方・栄御前(笑三郎)など。

「床下」の場面は、普通の「先代萩」より長い。幕になった後、幕外での、鼠の立ち
回りが、続く。海老蔵の荒獅子男之助から、弾正への、早替りの時間を確保してい
る。準備が整ったらしく、鼠は、花道七三から、滑り台を利用して、床下から、さら
に、その下の奈落へ落ち込む。やがて、七三から煙とともに弾正(海老蔵)登場。眉
間に傷をつけられた弾正は、鼠が銜えて逃げた連判状を銜えている。鼠との連続性。
呪文を唱える弾正。顔だけスポットに照らされていて、それ以外は、場内の闇に沈
む。宙乗りの準備を黒衣たちがしているのだろう。黒衣たちが離れる。弾正の全身
が、宙に浮き始める。弾正は、通常の花道の引っ込みでも、「雲の上歩くように」演
じると言われる。長袴姿の海老蔵は、袴の膝の辺りを両手に持ち、「宙乗り」なが
ら、空中を歩いているように両足を動かす。雲の上へ向かって、歩むというわけだ。
3階席に特設の「向こう」(鳥屋。揚幕の変わりに特製のトビラが作られていた)を
つけて、「宙の花道」は、完結している。この演目は、3階席こそ、特等席となる。
私の真ん前を海老蔵は、弾正になりきったような無表情で、ゆるりと、歩み去って
行った。

「四幕目」の「第一場 山名館奥書院の場」「第二場 問注所門前の場」「第三場 
問注所白洲の場」は、「先代萩」の、「足利問注所の場」「大広間刃傷の場」と、筋
は、ほぼ同じだが、「奥書院の場」、「門前の場」、「白洲の場」など、細川勝元
(海老蔵)の出、勝元と弾正の代りの役どころとおぼしき鬼貫(猿弥)とのからみ、
「門前の場」の、与右衛門、道哲、勝元、また、「白洲の場」の、弾正、与右衛門、
勝元の、海老蔵それぞれの3役早替りゆえの、バリエーションと見た。

舞台は、廻る。勝元→弾正。「門前」の窓から、勝元の上半身を出した海老蔵から、
大道具が、鷹揚に廻って来ると、やがて、舞台上手、白洲に座らされた弾正の海老蔵
へ。海老蔵の勝元は、片岡仁左衛門風で、颯爽としていた。女形は、まだまだだが、
こういう颯爽とした役は、随分巧くなって来た。

「先代萩」と大きく違うのは、「白洲の場」の大道具の大仕掛けの演出。悪事が露見
し、進退窮まって、外記左衛門らとの刃傷となった弾正は、妖術を使って、襖の奥へ
姿を消す。問注所の二重舞台が、大セリで、沈み込むと、大屋根の上に、弾正が、現
れる。弾正が、暗転すると、闇の中で、赤い目が光る。明転すると、弾正は、大鼠へ
変身していた。

大セリが、再び上がると、元の問注所白洲。伏線で示されていたキーパーソン・与右
衛門が、古鎌で腹を切り、己の生き血を注ぐと、弾正の妖術は、破れる。民部之助
(獅童)と外記左衛門(市蔵)が、弾正のとどめを刺す。後は、「先代萩」同様の、
大団円。「めでたいめでたい」。勝元姿の海老蔵が、二重舞台から降りて来て、本舞
台に座り込み、無事、10役を務め終えたという口上。「さようご覧下されましょ
う」。幕。

贅言:「奥書院の場」は、金地に桜(下手)と松(上手)が、描かれた襖。花道に
も、薄縁が敷き詰められ、座席の関係で、確認できていないが、向う揚げ幕も、襖に
替えられていることだろう。「白洲の場」では、問注所の襖も、いつもの大形の襖。
衝立も、銀地に龍の、いつもの体。

このほかの配役は、山名持豊(寿猿)、山中鹿之助(弘太郎)など。海老蔵の早替
り、宙乗りと大道具の大仕掛けが売りのテンポのある芝居であった。猿之助歌舞伎の
復活であったと思うが、まだまだ、海老蔵の、精進や工夫魂胆で、良くなる部分もあ
ると思うので、時々、蔵出しをして、ブラシュアップされた芝居を見せてほしいと
思った。

「大喜利所作事 垂帽子不器用娘(ひらりぼうしざいしょのふつつか) 長谷寺鐘供
養の場」は、前回の、猿之助の時にも、上演されなかったので、初見。24年ぶりの
上演という。これは、「娘道成寺」に「累」の趣向を盛り込んでいるので、別称「か
さね道成寺」とも言う。ただし、「垂帽子不器用娘(ひらりぼうしざいしょのふつつ
か)」という外題の謂れは、まだ、判らない。舞台を見ると、娘道成寺が、春爛漫の
桜の舞台なのに、こちらは、秋の紅葉の舞台である。途中で、紅葉の林が、上手と下
手に割れて、引き込まれ、奥から雛壇に乗った長唄連中が、姿を見せる。四拍子の笛
は、私に取っては、久しぶりに、陰囃子ではない田中伝太郎の登場であった。

足利家が、お家騒動で亡くなった人々を弔おうと鐘を寄進した。京潟姫(笑也)が、
田舎娘の格好で長谷寺にお参りし、高尾の怨念の籠った打ち掛けに境内の霊水を濯
ぐ。祐念上人(右近)の回向で、高尾と累の姉妹の妄執を晴らそうとする。そこへ、
高尾と累の姉妹霊(海老蔵)が、登場する。ここからは、娘道成寺と基本的に同じ。
海老蔵の「隈取りの早替り」を経て、「押し戻し」となり、荒獅子男之助(海老蔵)
が、花道から登場し、「とどめの一役」という江戸歌舞伎伝統の荒事の力で、姉妹の
亡霊は、鐘に閉じ込められる。「良く見れば、海老蔵にも、さも似たり」との科白。
この辺りは、父親の口跡そっくりに聞こえた。すると、鐘の周りにとぐろを巻いた白
蛇が、長谷観音の「使わしめ」として、鐘の上に頭を顕す。

贅言:海老蔵は、田舎娘への衣装直しの場面で、着ていた打ち掛けを脱ぎ、それを複
数の黒衣に持たせて、消し幕のように使い、その後ろで、3人の後見に衣装直しを手
伝ってもらっていた。打ち掛けの、こういう使い方は、初めて観た。

ここでは、一部、笑也の演じる京潟姫といっしょに海老蔵が踊る場面があるが、並べ
てみると、先にも触れたように、真女形の笑也との違いが、余計にくっきりと見えて
しまった。まず、表情が違う。女形らしい柔らかみのある笑也の表情と化粧だけ、女
形という海老蔵の表情との違い。所作は、手足、肩、背中など、皆違う。海老蔵は、
線が固い。まあ、これは、いつもいつも、女形を演じている役者と今回のような演目
の時だけ、女形を演じる立ち役との違いといえば、それまでであろう。「伊達の十
役」だから、政岡を演じる機会があるのだろうが、「先代萩」なら、海老蔵が、政岡
を演じることは無いであろう。あるとすれば、父親の團十郎も演じたように、八汐の
方であろう。しかし、海老蔵が、猿之助の後継も目指すなら、その意気や良しであ
り、猿之助同様くらいには、女形にも挑戦してほしいと思う。
- 2010年1月10日(日) 17:31:45
09年12月歌舞伎座 (夜/「引窓」「雪傾城」「野田版 鼠小僧」)


鼠小僧は、サンタクロース


「双蝶々曲輪日記〜引窓」は、7回目の拝見。「双蝶々曲輪日記」は、並木宗輔(千
柳)、二代目竹田出雲、三好松洛という三大歌舞伎の合作者トリオで「仮名手本忠臣
蔵」上演の翌年(1749年)の夏に人形浄瑠璃として、初演されている。相撲取り
絡みの実際の事件をもとにした先行作品を下敷きにして作られた全九段の世話浄瑠
璃。八段目の「引窓」が良く上演されるが、実は、江戸時代には、「引窓」は、あま
り上演されなかった。明治に入って、初代の中村鴈治郎が復活してから、いまでは、
八段目が、いちばん上演されている。

この芝居の見所は、次のような見せ場をバランス良く、てきぱきとこなすアンサンブ
ル(連係プレー)である。

舞台中央、やや下手寄りで、長五郎の人相書きを見るお幸とお早、ふたりより上手に
居て、屋体中央より上手に設えられた手水の「水鏡」に偶然写った長五郎の姿を覗き
込む十次兵衛、2階の障子窓を開けて、階下の様子を見ていた長五郎は、水鏡を覗き
込む十次兵衛の様子で、自分の居所が悟られたと気づいて、慌てて姿を隠すため、障
子を閉める、その有り様に気づいたお早は、屋体上手に素早く駆け寄り、水鏡が見に
くいように、開け放たれ、月光を室内に引き込んでいた引窓を慌てて閉めるという、
複数の役者による、一連の演技が、実に絶妙の間で、演じられなければならない。

同じ演目を何回も観ていると、劇評の工夫も術を無くしてしまうが、今回は、いつも
と違う、一点だけは、記録しておきたい。

この芝居は、「引窓」だけ見れば、主役は、無軌道な若者の一人で、犯罪を犯して母
恋しさに逃げてきた濡髪長五郎の母恋物語である。その母・お幸を含め、善人ばかり
に取り囲まれた逃亡者を皆で逃がす話。お幸の科白。「この母ばかりか、嫁の志、与
兵衛の情まで無にしおるか、罰当たりめが……(略)……コリャヤイ、死ぬるばかり
が男ではないぞよ」が、「引窓」の骨子である。

贅言:人形浄瑠璃で原作が演じられたとき、母・お幸には、名前がなかったが、歌舞
伎で繰り返し演じられている内に、いつの間にか、いつの時代かの上演で、誰かが、
名前を付けた。「幸せな母」の」イメージで、「お幸」となったのだろうと私は、思
う。

大事なキーパーソンは、南方十次兵衛。濡髪長五郎の実母で、自分に取っては、継母
にあたるお幸の意向を尊重する。町人から、父同様に「郷代官」(西部劇の保安官の
ようなイメージ)に取り立てられたばかりでありながら、父の名で、「両腰差せば南
方十次兵衛、丸腰なれば、今まで通りの南与兵衛」という、意識の二重性を持つ十次
兵衛(元は、南与兵衛)という男は、自分も殺人の前科のある「無頼さ」=「遊び
人」を秘めているので、そういう反お上の意識を持つ「無軌道さ」を滲ませているの
が、十次兵衛の役柄に奥深さを付与していると思う。

殺人犯・濡髪長五郎には、すでに人相書きが出回っている。それを持って来たのは、
南方十次兵衛。お幸が、見ると、息子の顔の特徴も、手配されている。そこで、愚か
な母が考えたことは、人相書きを買い取り、さらに、人相書きを否定するために、息
子の人相の特徴を変えるということ。

ここら辺りは、千葉県市川市でイギリス女性を殺して、何年も逃亡し、最近捕まった
Iという容疑者の逃避行に似ているように思う。そう、あの、整形をして、人相を変
えて、逃亡を続けていた男である。福岡や名古屋で、整形外科に出入りし、ほくろま
でも取ろうとして、怪しまれ、警察に通報された。話題性のある逃避行ぶりにテレビ
のワイドショーらが乗り、世間で、毎日のように喧伝された。逃避行をなぞるよう
に、一般からの通報が相次ぎ、その挙げ句、大阪のフェリーターミナルの待合室で、
通報受けて駆けつけた警察官に職務質問されて、捕まった。

「引窓」でも、相撲取りの濡髪長五郎は、その大きな図体は、隠しようも無いけれ
ど、人相は、変えようとする。前髪を剃り落し、額に墨を附け、さらに、片頬のほく
ろを落とす。まるで、Iという容疑者が、この芝居を知っているかのような仕儀では
ないか。その辺りの偶然が、260年の時間を飛び越えて、飛び込んで来たように思
う。

ついで、役者論を少しだけ。今回の主な配役は、次の通り。十次兵衛:三津五郎、濡
髪:橋之助、お早:扇雀。お幸:右之助。これまで観て来た「引窓」の配役に比べる
と、はっきり言って、小粒な感じがする。例えば、3年前、06年9月歌舞伎座と5
年前、04年10月の歌舞伎座と比べると良く判る。(06年/04年)の配役は、
以下の通り。

十次兵衛:吉右衛門/菊五郎、濡髪:富十郎/左團次、お早:芝雀/魁春、お幸:吉
之丞/田之助。

十次兵衛が、特徴的だろう。三津五郎は、吉右衛門や菊五郎と比べると、やはり、軽
い。お早は、お幸とのやりとりで、はしゃいでみせる場面があるが、扇雀は、長五郎
とのやり取りに、遊女時代を彷彿とさせる「客あしらい」(色気)が滲み出ている。
それゆえの剽軽さもお早には、必要なのだが、扇雀は、その辺りをきちんと滲み出さ
せてていて、これは、良かった。配役のバランスは、前回、前々回ほどではないにし
ても、今回も、まあまあで、あろう。歌舞伎の役者は、まず、役柄の定式に合わせ
て、役作りをし、家代々の役者や先輩役者の積み重ねて来た「型」をベースにして、
さらに工夫をする。そういうコンセンサスがあるから、ベテランの役者は、藝のベー
スと新たな工夫を組み合わせて、登場人物を演じる。それぞれを任に合わせて、演じ
られる配役となれば、自ずから、バランスがとれるという仕組みになっている。


「雪傾城」は、初見。神谷町の大御所・芝翫(当代は、七代目)が、歌舞伎座への別
れを込めて、6人の孫たちとともに、舞踊劇を披露したという体。今回の外題は、
「御名残押絵交張(おなごりおしえのはりまぜ)雪傾城」と新しく付けているが、本
来は、「月雪花名歌姿絵」(「月船頭」「雪傾城」「花蘭平」の三変化舞踊)という
もの。慶応元(1865)年、守田座で、四代目芝翫(四代目歌右衛門の養子で、幕
末から明治の初期に活躍した名優。錦絵のような立派な顔で、「大芝翫」と呼ばれ
た)が、初演した。新しい外題(三代目歌右衛門のときの外題という)を私なりに、
新たに、ひもとけば、歌舞伎座さよならの「御名残」、孫たちへの祖父からの「教え
=押絵」の両方を「交張(はりまぜ)」にしてという趣向と見た。

前半は、役者(勘太郎)と茶屋娘(七之助)の恋模様。雪の花道を相合い傘でやって
来る。舞台の背景は、大きな黒幕。夜の設定。舞台中央には、3つの雪だるま。黒衣
の持つ小さい黒幕に隠れて、だるま裏へ、役者が入る。背景の黒幕が落ち、朝の雪の
遠見。遠くに五重塔のある寺院。やがて、だるまが割れて、雪の精の登場(橋之助
の、3人の息子。若衆=景清、娘=禿、奴の扮装)。

後半は、従来の演出。雪輪模様の衣装を着た吉原の傾城(芝翫)が、新造(児太郎)
と一緒に、せり上がって来る。一面の雪景色のなかで、傾城は、廓の様子を華やかに
踊ってみせる。最後は、全員勢揃いして、芝居の大入りを願う。可愛い孫たちに囲ま
れて、芝翫は、「お目まだるいとは思いますが」と言っている。弟子の芝喜松、芝の
ぶが、がっちり、後見を務めていた。


「野田版 鼠小僧」は、実は、初見。前回、03年8月の歌舞伎座納涼歌舞伎の第三
部で、「野田版 鼠小僧」は、初演されているが、私は、都合があって、拝見できな
かった。今回の昼夜の演目の構成を考えれば、印象では、昼の部で初演された宮藤官
九郎作演出「大江戸リビングデッド」との「競作」という形になったが、初演でも評
判を呼んだ「野田版 鼠小僧」は、今回の再演で、更に練り上げられている感じで、
歌舞伎味も、奥深さも、こちらの方が、上手と受け止めた。こちらも、「大江戸リビ
ングデッド」同様に、上演中は、ずうっと、客席は、暗いので、メモが取れない。や
はり、記憶で、劇評を書かざるを得ず、「戯場観察(かぶきウオッチング)」の体を
なしていないのが、私としては、残念。劇評、初登場なので、それでも、出来る限
り、舞台の様子を記録しておきたい。

「第一場」は、「正月、芝居小屋の中とその目の前にある棺桶屋の場」とあるが、
「納涼歌舞伎」(8月興行)だった前回は、多分、「盆興行」とか、なんとかになっ
ていたのだろう。開幕すると、舞台は、一面の「家並」で、屋根ばかり。大勢の捕り
方に追われているのは、「鼠小僧」と思いきや、「稲葉小僧」をもじった「稲葉幸
蔵」(染五郎)で、こちらも、染五郎の主演かと思った(前回は、勘三郎が、二役で
務めた)。劇中の鼠小僧である稲葉小僧が、屋根に追いつめられ、絶体絶命の場面
で、幕が降りて来て、芝居の鼠小僧は、終了となる。呂の道具幕を巧く使って、芝居
小屋から、大勢の観客が出て来る。凝った、巧いオープニングだ。そのまま、舞台転
換で、棺桶屋三太(勘三郎)の登場。12月の千秋楽は、26日だが、芝居は、24
日の大団円を設定していて、主人公は、この棺桶屋三太だから、棺桶屋ながら、実
は、サンタクロースという想定だろう。三太のライバルが、與吉(橋之助)。三太
は、悪評判の締まり屋。與吉は、評判の良い人格者という。こういう、冒頭の見立て
は、必ず、逆転するだろうという予感。三太の兄が、亡くなったので、葬礼の行列
が、棺桶屋の前を通る。別途、婚礼の行列も通る。エロスとタナトスの交差の場面。
よくある設定。兄の遺言状には、三太への遺贈は、なにもない。代わりに、縁もゆか
りも無い筈の與吉に全財産を残すとある。兄の財産を奪ってでも、取ろうという三太
の思惑が、描かれる。棺桶から、兄・辺見勢左衛門(亀蔵)の遺体を引きずり出し、
自分が、棺桶に入り込む。「らくだ」という演目の、「馬」の役どころ。亀蔵は、こ
ういう役は、巧い。それを凌駕する勘三郎。そういう役柄の三太を勘三郎は、生き生
きと演じる。テンポもあり、適度に笑いを取りながら、芝居は、進む。

「第二場」は、「大名稲毛屋敷の土蔵前・その瓦屋根の場」。ところが、婚礼の行列
の駕篭と赤い布を掛けてあった棺桶の駕篭と取り違えられた結果、三太を乗せた棺桶
は、婚礼の大名屋敷に担ぎ込まれてしまう。忍び出た三太は、大名屋敷も確認せず、
目の前の、扉の開いた土蔵に忍び込み、千両箱を盗みだす。屋敷のものに見つけら
れ、追っかけられて、屋根に逃げ出すが、屋根の上で出くわした兄の亡霊に脅かさ
れ、千両箱をひっくり返してしまう。その結果、江戸の町には、小判が、雪のよう
に、降り注ぐことになる。屋根の下を通りかかった町の人たちは、皆、小判を拾い集
める。「その金は、俺が盗み出したものだ、返せ」ということで、三太は、鼠小僧に
成り済まして、金を取り戻す決心をする。

大勢の町の人たちが、登場する。試しに、おもしろい名前、商売など、目につくもの
を上げてみると……。独楽太(市蔵)、凧蔵(猿弥)の「漫才コンビ」ほか、墨助、
お筆、凧屋、医者養仙、お面屋、爺ひょっとこ、婆お多福、餅助、独楽売、のぞき絡
繰屋、獅子舞、読売屋、あめ屋など。まるで、鶴屋南北の世界のよう。このほか、主
な役者では、目明し清吉(勘太郎)、辺見の娘(七之助)、辺見の番頭(弥十郎)、
辺見の妻(扇雀)、辻番人(井之上隆志)など。江戸の風俗が、群像劇で描き出され
て、おもしろい。

「第三場」は、「その年の暮れ、江戸の町、長屋の場」。「第四場」は、「江戸町奉
行大岡忠相の妾宅の場」と続く。鼠小僧になった三太(勘三郎)は、若菜屋の後家の
屋敷に忍び込む。鼠小僧は、そこで、與吉(橋之助)、若菜屋の後家(福助)が、夫
婦同然にして、隠れ住んでいることを知る。さらに、そこは、名奉行・大岡忠相(三
津五郎)の妾宅でもあった。つまり、名奉行も、普通の男であり、妾に間男されてい
る、間抜け男であったという想定。世の中の絡繰りは、のぞき絡繰屋の世界よりも、
巧緻である現代の権力者の金脈の絡繰りが、暴かれたのを思い出す人も多いだろう。

鼠小僧は、そういう絡繰りを見てしまったが故(?)に、目明しの清吉(まさに、権
力の手先)に捕まってしまう。世の中、いつも、逆転しているというのが、野田秀樹
からのメッセージ。

このほか、大岡妻(孝太郎)、辺見妻(扇雀)、辺見の番頭(弥十郎)、目明し清吉
(勘太郎)、若菜屋の下女(芝喜松)、孫・さん太(宜生)、それに、長屋の衆が、
大勢登場する。特に、孫・さん太は、鼠小僧、実は、三太(勘三郎)の対極に居る
キーパーソンである。

「第五場」は、「大岡政談・お白州の場」から「江戸八百八町の屋根から屋根の場」
へ続く。見物人が大勢詰めかけた町奉行所のお白州の場。捕まった鼠小僧を大岡自身
が、取り調べる。大岡は、己のやましさを抑え込むために、三太を鼠小僧ではない、
ということでことを納めようとする。それに乗っかれば、三太は、元の棺桶屋とし
て、無罪放免されそうになる。しかし、與吉との対決の中で、三太であることも否定
されかかると、三太は、自分こそ鼠小僧であると主張し、罪に服して行く。どうな人
間にだって、アイデンティティは、あり、それが、なによりも重要だというのが、野
田秀樹からのメッセージ。その幕切れの設定が、12月24日。クリスマス・イブ。
初演が、納涼歌舞伎で、エンディングに相応しい時期に上演できなかったのを、今回
は、ソれを実現させた。勘三郎と野田秀樹の執念や、凄し。三太とともに、ふたり
は、サンタクロースとして、己たちのアイデンティティを主張する。

三太は、「さん太」だ、おらあ、三太だ!!鼠小僧だあ!!

勘三郎は、アドリブを含めて、舞台を楽しんでいた。三津五郎の存在感が、弱い。初
演を観ていないので、初演と比較できないのは、残念だが、大分練り直していると思
われる。「大江戸リビングデッド」との、いちばんの違いは、メッセージ性が、野田
の方が、明瞭であったことに尽きる。両方とも、原作者の味を滲ませながら、歌舞伎
に近づこうとしたのだろう。「鼠小僧」は、再演にこぎ着けたが、「大江戸リビング
デッド」の方も、今回の体験を元に、再演をめざして、練り直してほしい。

贅言:「歌舞伎座さよなら公演」も、来月からは、本当のカウントダウンに入る。
後、4ヶ月で、歌舞伎座の取り壊しが始まる。座席料も、跳ね上がったけれどね。
たっぷり資金をためて、それをつぎ込んで、観客が、ゆるりと楽しめる芝居小屋に変
身してほしいね。
- 2009年12月27日(日) 17:39:38
09年12月歌舞伎座 (昼/「操り三番叟」「野崎村」「身替座禅」「大江戸りび
んぐでつど」)


「操り三番叟」


「操り三番叟」は、6回目の拝見。翁と千歳が、登場し、人形の三番叟、「後見」役
の4人で演じる演出と人形の三番叟とそれを操る後見のふたりしか登場しない演出と
がある。私が観た6回の舞台では、いまのところ、半々。

1853(嘉永6)年の初演で、初演時は、3人とも、人形ぶりであったという。い
まのような演出は、五代目菊五郎の工夫で、前半は、役者の翁と千歳の、普通の「三
番叟」の型、後半は、人形箱から人形の三番叟を「後見」という役者が、取り出し、
もうひとりの、本来の後見に手伝わせながら、人形の三番叟を操るということで、後
半の人形ぶりが、逆に印象的になった。巧い演出である。この演目は、言うまでもな
いが、役者が、操り人形を演じ、人形を吊す見えない「糸」が、観客に見えるように
なるかどうかが、ポイント。片足に重心を掛けて、体が宙に浮いているように見せか
ける工夫が、肝要。あくまでも、役者が踊っているようにしか見えなければ、藝が未
熟と言うことになる。

私が観た三番叟の人形ぶりは、染五郎(3)、市川右近、歌昇、今回は、勘太郎が、
初役に挑戦。人形を操る「後見」役は、玉太郎、段治郎、信二郎、高麗蔵、猿弥、今
回は、松也。

こうして私が観た「操三番叟」の配役を見ても判るように、染五郎が演じることが多
い。今回の勘太郎は、染五郎に教えを受けたという。

この演目で、肝心なのは、人形を演じる役者の頭、手先、足先の動きである。頭は、
重心が、糸で吊り下げられているように見えなければならない。そのポイントは、足
が、宙にいうているように感じさせることであるが、体重を「無」に感じさせること
は、存外難しい。手先、足先は、力が入っては行けない。軽快に、滑るように、テン
ポ良く、踊る必要がある。

途中で,糸がもつれたり、切れたりして、重心が狂い、片足立ちで、クルクル廻った
りしたあげく、人形は倒れてしまうというのが、見せ場である。操りのミスを逆に、
人形ぶりのハイライトにするという演出。自力では、制御不能の人形が、観客に見え
てこなければならない。

「後見」役は、逆に人間らしく、動き、人形を支える。両者の一体感が無いと駄目で
ある。操りの道具は、天井から吊るしているということを強調する場面が、2回ほど
あるが、「後見」役は、「人形」から離れたまま、人形を操っているように見せなけ
ればならない。ときどき、足音をさせて、「操り人形」との一体感を感じさせようと
する。花形の、若い役者たちが演じる演目だが、なかなか、理想的な舞台を観ること
が難しい。

三代目延若が、数多く演じ、その舞台を観た染五郎が、人形ぶりに魅せられたとい
う。この演目については、若手では、染五郎が、抜きん出ている。

染五郎は、テキパキしたメリハリの効いた動きをするが、人間が、時々見えてしま
う。つまり、人形と人間の間を揺れている。勘太郎は、無難にこなしているが、染五
郎同様、人形の「おおらかさ」「洒落っ気」を感じさせるためには、もう、一工夫欲
しいところ。

贅言:今回、新たに気がついたのは、勘太郎が、右手に扇子を持つときにも、手の指
をまっすぐのばしたままで、扇子は、握らず、扇子の骨の隙間の一部に親指を除く指
を差し入れていて、親指だけで、扇子を持っていたこと。また、左手の鈴の柄も、や
はり握らずに、親指と掌で挟むようにしていたこと。これも、染五郎から教わったこ
とだろうが、染五郎の舞台のときに、私は、これまで、気づいていなかった。

翁を演じたのは、獅童。出て来て舞台中央に立ちお辞儀をする前の目線を歌舞伎座の
天井奥に向けている。その視線の先に、歌舞伎の神様がいるという言い伝えで、これ
も、ポイント。獅童の背筋は、きちんと延びている。千歳を初めて演じたのは、名子
役から、勘三郎の弟子になり、修業を続けている鶴松。鶴松の背筋の伸びが,中途半
端。足踏みも、弱かった。「後見」の松也は、きりりとしている。


「新版歌祭文 野崎村」は、近松半二ほかの原作で、左右対称の舞台装置を得意とす
る半二劇の典型的な演劇空間。本来は、両花道(本花道、仮花道)を使うが、今回
は、本花道だけの演出。それを、どうやって、凌ぐかも、一つの見所だろう。両花道
と廻り舞台のスムーズな連携が、この演目のハイライト。今回は、高い席から見下ろ
せたので、判ったのだが、普通なら、背景の書割は、長方形で、遠見というランドス
コープの装置は、舞台に対して、直角で、まっすぐになっているのだが、今回は、廻
り舞台の「おおきな盆」に沿って、丸く、大きく、曲げられているのが、見えた。

1710(宝永7)年、大坂で起きたお染・久松の情死という実話が元になっての狂
言で、大店の娘と若い使用人の心中物語という「お染・久松もの」の世界。大店の娘
と若い使用人の物語としては、それより50年ほど前の1662(寛文2)年、姫路
で起きた「お夏・清十郎もの」という歌舞伎や人形浄瑠璃の先行作品があり、俗謡の
「歌祭文」となったことから、近松半二ほかの原作は、久作に、この「歌祭文」のこ
とを触れさせるが故に、外題を「新版歌祭文」とした。

「新版歌祭文 野崎村」は、3回目の拝見。初めて観たのは、95年12月の歌舞伎
座。勘九郎のお光、富十郎の久作(父親)、玉三郎のお染、藤十郎の久松、松江時代
の魁春のお常(後家)。次は、5人とも、人間国宝という重量級の組み合わせで、0
5年2月の歌舞伎座の舞台。芝翫のお光、富十郎の久作、雀右衛門のお染、鴈治郎の
久松、田之助のお常。これが、今回は、福助のお光、弥十郎の久作、孝太郎のお染、
橋之助の久松、秀調のお常。私が観た3回のなかでは、今回が、いちばん若いか。

この芝居は、「野崎村」という通称に示されているように、軸となるのは、野崎村に
住む久作と後妻の連れ子のお光の物語。大坂の奉公先で、お店のお金を紛失し、養
父・久作の家に避難して来た養子の久松、久松と恋仲で久松の後を追って訪ねて来た
お店のお嬢さん・お染、さらに、お染を追って来たお染の母・お常が登場し、お染
も、久松も、店に戻されるという展開になるだけの話。しかし,軸は、お光と久作で
あることを忘れてはならない。

福助のお光は、鏡に向かって、髪を直したり、肌色の油取りの紙を細く折り畳み、そ
れで眉を隠して、眉を剃り落として若妻になった様を見せて、自分で「大恥ずかし」
という。こういう役は、福助の父親の芝翫が巧かった。年齢を感じさせない、初々し
さは、この人の美質のひとつであろう。福助だと、初々しいというより、少し、お
きゃんになる。孝太郎のお染は、お光に比べると、おっとり、ゆったりしている。し
かし、心中(しんちゅう)には、烈しいものを秘めている。久松との心中(しんじゅ
う)をも辞さないという強気が隠れているからである。ふたりの若い娘の衣装の色
が、印象的。赤いお染。若緑のお光。

弥十郎の久作は、年寄りは、演じていても、富十郎の味わいには叶わない。富十郎
は、本当に巧い。見どころの灸を据える場面だけではない、大坂弁の科白回しに、な
んとも、味わいがある。お光・久松・お染の若い3人の男女の関係をバランス良く目
配りするのは、久作役者の仕どころである。戦後の、若いころに苦労した、実験的な
演出に足跡を残した武智鉄二指導の、いわゆる「武智歌舞伎」の味を込めたという
が、久作の科白が、叮嚀なので、話の展開が非常に判りやすい。話の筋としては、店
で不祥事を起こして実家に逃げ帰った青年とそれを追って来た経営者の娘、それを連
れ帰りに来た経営者の後家さん(娘にとっては、継母である)というもので、文学的
には、未熟といわれる「野崎村」を演劇的には、熟成されたものに感じさせたのは、
富十郎の功績が、大であると、思う。橋之助の久松は、未成熟で、頼り無いが、これ
が、上方和事の「つっころばし」の味わいの役どころなのだ。秀調のお常は、久松の
嫌疑を晴らし、兎に角、原状回復ということで、お染と久松を大坂に戻す役。まあ、
4年前は、5人とも、人間国宝という重量級の組み合わせの舞台と比べる方が、酷と
いうものだろう。

大道具が廻る。久作の家が、裏表を見ることができる仕掛けだ。舟溜まりのある家。
両花道のときは、舞台に敷き詰められていた地絣を取り除くと、下から青い水布が出
て来て、同じように水布が敷き詰められた本花道の川へと繋がる。しかし、今回は、
最初から、平舞台は、下手行き止まりの舟溜まりとなっていて、川は、上手奥に続い
ている。両花道の場合は、川になる本花道は、街道である。両花道の場合は、本花道
が、川で、仮花道が、川の土手となり、大坂方面に向かう船と土手を行く駕篭の「併
行」、別れ別れに店に戻る男女を引き裂くのは、観客席という河川敷という卓抜な演
出方法をとるのだが、今回は、それが無い。

本舞台堤防上の久作の家では、死を覚悟したお染・久松の恋に犠牲になり、髪を切
り、尼になったお光だが、そこは、若い娘、大坂に帰る、お染の乗る舟と久松の乗る
駕篭をにこやかに見送りながら、舟も駕篭も見えなくなれば、一旦,放心した後、我
に返ると、狂ったように、父親に取りすがり、「父(とと)さん、父さん」と泣き崩
れる娘であった。

4年前のこの場面では、舟溜まりで、舟を後ろから押す水衣(みずご)を使ったりす
る演出だったが、今回は、道具方が、舟を引っ張る綱を持って来て、ちょっと、興ざ
め。葵太夫の竹本に、早間の三味線が、ツレ弾き(2連で演奏)されるのは変わらな
いが、「さらば、さらばも遠ざかる、舟と堤は隔たれど」という文句通りには、いつ
ものように、賑やかに、情感を盛り上げたいのだが、舟が動く、距離が短く、本舞台
上手にすぐ入る訳にいかず、ということで、なかなか、苦しい演出だった。

花道を行く駕篭かきは、今回は、三津之助と門松。歌舞伎の芝居に駕篭は好く出てく
るから、駕篭かき役者は、星の数ほどいるかもしれないが、「野崎村」の駕篭かきを
演じる役者は、「天下一の駕篭かき役者」だ。別れの場面を長引かせようと、駕篭か
きは、土手でひと休みして、汗を拭う。舟は、ト見れば、船頭も同じように汗を拭
く。いまは、亡くなってしまったが、四郎五郎と当時の助五郎(後の、源左衛門)の
コンビは、絶品だった。今回は、この場面も、両花道のようには、行かず、ここも、
苦しい。

狂言として、決して優れたものではない「野崎村」だが、大道具、両花道が、舞台を
救う。それが出来ないと、かくも苦しい演出となるということが、良く判った。これ
は,収穫だった。その上、前回は、5人の人間国宝が、それぞれの役柄をくっきり
と、過不足なく演じていて、見応えのある舞台に仕上げてくれたのだから、いうまで
もない。こういう舞台は、当分、観ることが出来ないだろうと、思うが、その通りに
なった。


「身替座禅」は、10回目の拝見。右京の人の良さと奥方の玉の井の嫉妬深さを対比
するというイメージの鮮明な演目なので、どうしても、配役の妙に目が行ってしま
う。劇評も、コンパクトにする。

先ず、配役から。私が観た右京:菊五郎(3)、富十郎(2)、今回と勘九郎時代を
含めて勘三郎(2)、猿之助、團十郎、仁左衛門。なかでも、菊五郎の右京には、巧
さだけではない、味があった。特に、右京の酔いを現す演技が巧い。従って、右京と
いうと菊五郎の顔が浮かんで来る。勘三郎は、菊五郎の巧さとは違って、持ち味の滑
稽さが、巧くマッチする。玉の井では、吉右衛門(2)、今回含めて、三津五郎
(2)、宗十郎、田之助、團十郎、仁左衛門、左團次、段四郎。立役が、武骨さを滲
ませながら、女形を演じる。そこが、この演目のおもしろさだ。團十郎、仁左衛門の
玉の井は、立ち役のイメージの違いに落差があり、印象的だったが、段四郎、左團次
は、「異様」さで、存在感を誇示した。

玉の井は、醜女で、悋気が烈しく、強気であることが必要だろう。浮気で、人が良く
て、気弱な右京との対比が、この狂言のユニークさを担保する。今回の三津五郎の玉
の井は、醜女ぶりも、悋気も、強気も、線が細いように感じてしまった。

今回のほかの配役では、身替わりに座禅を組まされる太郎冠者には、染五郎。侍女の
千枝が、巳之助、小枝が、新悟。巳之助は、変わって来たようだが、体の線に、娘と
いうより、まだ、少年の堅さが見えてしまう。


「大江戸りびんぐでつど」は、宮藤官九郎の新作歌舞伎という触れ込みなので、期待
して拝見したが、「大江戸」に「りびんぐでっど」(=リビングデッド、生ける
屍)、つまり、大勢の「ぞんび」が、登場するだけの、ドタバタの喜劇という印象が
強く、まだ、歌舞伎には、熟成されていないと思った。

初めての舞台なので、詳しく書きたいが、新作ものは、場内が暗くしてあるので、客
席では、メモが取れない。さらに、折角買った筋書にも、看板に偽り有りで、あらす
じが載っていない。そういうハンディキャップのなかで、劇評を書かざるを得ない。

オープニングの「芝浜」。主役であろうと思われるのが、半助で、染五郎が演じる。
「くさや」という伊豆諸島の名物の干物の着ぐるみを来て、寒風に吹かれているの
が、この半助であり、くさや兄。くさや弟もいて、こちらは、亀蔵。くさや売りの
娘・お葉が、七之助で、浜の男や女たちを巻き込みながら、観客を笑わせる。そうい
う歌舞伎とは、縁のないところで、観客を笑わせるのは、「宮藤官(くどかん)」
は、巧い。だが、これは、歌舞伎味ではない。テレビ的な、喜劇の味である。

続く、「一場」は、「品川の遊郭『相模屋』」。剣客の四十郎(三津五郎)、女郎の
お染(扇雀)、大工の辰(勘太郎)、女郎の喜瀬川(福助)、遣手のお菊(萬次
郎)、与兵衛(亀蔵)、居残り左平次(井之上隆志:歌舞伎役者ではない)などが登
場する。落語の「品川心中」をベースにしているのだろう。なぜか、押し戻しの格好
をした歌舞伎役者が出て来たりするが、客、幇間、女郎が登場ということで、基本
は、女郎屋という舞台なのだが、そこに、異様な格好をした大勢の「らくだ衆(ぞん
び)」が、押し掛け、どたばたどたばた、何とも賑やかな舞台となる。同心や捕方
が、駆けつけ、取り締まりとなる。半助とお葉は、出てこないから、ここは、脇筋の
展開。

「二場の1」は、「南町奉行所」のお白州。場面展開は、歌舞伎とは違うが、その辺
りも、巧く展開している。半助(染五郎)、お葉(七之助)を軸に、品川の遊郭『相
模屋』で登場した面々が、からむ。「二場の2」は、「新島・くさや小屋(回想)」
で、それを挟みながら、「二場の3」で、元の「南町奉行所」の場面に戻る。どうや
ら、半助(染五郎)は、出身地の新島で、新吉(勘三郎)という男を殺し、新吉の許
嫁のお葉(七之助)とともに、「くさや」の秘伝の汁の入った瓶を奪って、島から逃
げ出して来たらしい。「二場の4」は、「街道」。奉行所の場面で使った、「田楽返
し」を裏返すと、街道の場面に早替わりする。群像劇で、テンポばかり良い。半助、
お葉、お染、四十郎、大工の辰、お菊、与兵衛、左平次、大勢の「らくだ衆(ぞん
び)」らを裁くのは、根岸肥前守(弥十郎)で、「らくだ衆(ぞんび)」が、「生き
ている死体」(=リビングデッド)、生きているのか、死んでいるのか、判らない存
在だから、社会の不条理が生み出した存在として、彼らを「はけん」と命名するが、
ここには、「宮藤官流の風刺が込められているのだろうが、これが、あまり戴けない
感じがした。「はけん」つまり、「派遣労働者」は、正規社員、非正規社員の間に居
るというイメージなのだろうか。生きているのか、死んでいるのか、判らない存在と
いう曖昧さが、派遣労働者に通じるというイメージのようだ。

町娘に、高齢の脇役・小山三を登場させて、笑わせたりするような、小技は効いてい
るが、だから、どうだというのが無い。大工の辰の女房に芝のぶが、出演し、いつも
の初々しく、清々しい女形に、野太い大声を出させたりして……、これも、小技だろ
う。

「三場」は、深川はけん長屋「はけん問屋」。「はけん」となった「ぞんび」たち
が、派遣の職場に向かって行く。「口入れ屋」という商売は、江戸時代にもあったか
ら、何の不思議も無い。ここでは、それまでの役者たちに加えて、新たに、石坂段右
衛門(橋之助)という侍が、登場する。

「四場の1」は、「杢蓮寺のお堂」。「四場の2」は、再び回想場面。「新島・くさ
や小屋(回想)」。勘三郎が、演じる新吉は、「回想」にしか出てこないから、主役
ではないのだろう。「四場の3」は、元の「杢蓮寺のお堂」。ここでは、和尚、実
は、死神という役で、獅童が、加わる。バタバタは、続いている。

「五場の1」は、「富岡八幡宮」。ここは、しりあがり寿(漫画家)が、「富岡八幡
宮」とその向うに見える永代橋を描いた道具幕が、登場する。

「五場の2」は、「永代橋のたもと」。大勢の参詣人が、橋を渡って、富岡八幡宮に
向かおうとして、人々の重みで、橋が崩壊したという史実の場面を利用している。こ
こでは、廻り舞台とふたつに千切れた橋桁という大道具を、「引き道具」にして、ダ
イナミックな場面展開に成功している。廻り舞台を廻しながら、橋桁とふたつの道具
を道具方や黒衣が、手で押しながら、複雑な動きを続ける。この芝居で、最も、迫力
のある場面が、出現する。橋桁の、双方に、別れ別れになっている半助とお葉。やが
て、川に落ちて、新しく「ぞんび」になった参詣人たちと「はけん衆」が、一緒に
なって、川のなかで、人柱になって、空間のある橋桁と橋桁の間に並ぶ。戸板が、持
ち出され、お葉は、その上に立つ。七之助を乗せたまま、戸板が、人柱によって、移
動して行く。不安定で、七之助が、落ちやしないかと心配になる。不安定に、よろよ
ろしながらも、七之助は、戸板の上にしゃがんだりせずに、無事、向うの橋桁に渡
り、半助と一緒になれたよ。大団円。主筋は、人を殺して、島から逃げ出して来た若
い男女の恋の逃避行という筋立てで、賑やかしに、大勢のゾンビが登場して、脇筋を
膨らませるという演出だった。

劇中で使われる「大江戸りびんぐでっど音頭」では、「生ける屍 りびんぐでっど 
いん えど」と、芝居のテーマをストレートに唄い込む。もうひとつ、劇中で使われ
る「はけん節」では、「らくだじゃねえぞ はけんだぞ ぞんびじゃねえぞ はけん
だぞ」。「怖いもんねえぞ 死んでるからな」。「死んでるわりには気が利くぞ 死
んでるわりには愛想がいいぞ」。こういう歌の文句を見ると、「宮藤官」なりの、現
代の派遣労働者への連帯のメッセージのつもりかもしれないが、底が浅すぎる感じが
した。若い観客には、別の感想があるのだろう。

歌舞伎座のロビーでは、いつもの歌舞伎の客層とは大分違う雰囲気が、流れていた。
今回の歌舞伎座で、新作競演(ただし、一方は、再演)となった、宮藤官九郎と野田
秀樹の、それぞれの作品について、その辺り(底の深さと浅さなど)の比較は、夜の
部の「野田版 鼠小僧」の舞台を観た上で、論じたい。
- 2009年12月20日(日) 21:04:53
09年12月国立劇場(鑑賞教室) (人形浄瑠璃・「仮名手本忠臣蔵」)

12月の国立劇場「文楽鑑賞教室」は、「仮名手本忠臣蔵」で、11月に歌舞伎座
(昼の部)で観た場面と重なるので、歌舞伎と人形浄瑠璃では、何処が違うか、とい
うことに重点を置いて、劇評を書いてみたい。

「文楽鑑賞教室」ということで、高校生の団体客が優先で、席が決められ、一般客
が、申し込む頃は、後ろの席しか空いていない。それでいて、表向き通りでも、料金
は同じか、あるいは、団体の分だけ、彼らの方が安いかもしれない。ロビーや幕間の
時間の、かまびすしいこと。それでも、上演中は、おとなしく観ていたようで、一般
客にとって、不都合は無かったと思う。

演目の上演の前に、若手の竹本と三味線のふたりが、「解説」をする。大阪弁のふた
りのやり取りは、高校生を意識しているからだろうが、柔らかく、判り易く説明す
る。立ち役の科白を含む場面、女形の場面、道化役の場面などでの、語りの調子や三
味線の演奏の違いなどを、テンポ良く、大阪漫才の味わいのするやりとりで説明す
る。竹本の説明では、全十一段構成の「仮名手本忠臣蔵」は、400年以上になる歌
舞伎の歴史の中でも、三大浄瑠璃(演目)といわれ、「独参湯」(どくじんとう。特
効薬。不況でも、大入りする演目という意味)として、数ある歌舞伎の演目の代表に
位置するなどと、説明をしていた。

ふたりが退場すると、次いで、説明は、人形遣にバトンタッチされ、人形の動かし
方、特に普段観れないような、首(かしら)をむき出しにした状態で、顔の表情を変
える動きを見せてくれるので、私にとっても、興味深かった。主遣は、白足袋に、下
駄にわらじを履かせた「舞台下駄」とは違うが、鼻緒の太い草履を履いていたように
見受けられた。左遣と足遣は、黒足袋に草履を履いていたようであった。左遣は、右
手で、差し金を持ち、人形の左手を遣う。時には、空いている左手で、人形の体を支
えていた。

歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」については、11月の歌舞伎座の昼夜通しの劇評で書い
ているので、そちらを読んでほしい。ここでは、「仮名手本忠臣蔵」の前半部分(三
段目と四段目)について、歌舞伎と人形浄瑠璃の演出の違いなどをコンパクトにまと
めたい。

歌舞伎も人形浄瑠璃も、テーマは、武士道の忠義ならぬ、欲(金と色)ということ
で、庶民の目を通して、描かれていることは、同じだ。その権化が、憎まれ役の師
直。憎しみあり、滑稽味あり、強(したた)かさあり、狡さあり、懐の深さありで、
多重な性格を滲み出す憎まれ役である。黒い衣装の年寄りで、顔つきも憎々しげ。
「大舅」と呼ばれる類型化された人形の首(かしら)が使われている。なにせ、朝の
七つ(午前4時頃)には、登城(出社)してしまうような「猛烈親父」で、仕事がで
きる故に、傍若無人に袖の下も要求するし、セクハラ、パワハラも、平気の平左衛
門。パワハラの果てに、虐めた判官から逆襲されて、怪我。皆が、「ざまあーみろ」
と溜飲を下げこそすれ、同情などしない。一人の老いた男の、若い男女への襲撃と、
さらなる逆襲というドラマである。「大舅」という首は、眉が太く、ギョロ目で、鼻
も口も、大振りで、いかにも、という表情をしている。

今回、上演されたのは、「下馬先進物の段」(会社の駐車場の場、という感じ)、
「殿中刃傷の段」(会社の会議室に通じる廊下か、エレベーターの前、という感
じ)、「塩谷判官切腹の段」(歌舞伎では、判官の名字は、「塩冶」。人形浄瑠璃で
は、「塩谷」となる。社長の自宅の客間という感じ)、「城明け渡しの段」(社長の
経営失敗で、あるいは、不祥事で、会社が倒産、リストラされた副社長以下の、会社
最後の一日という感じ)という4つの場面。

「鑑賞教室」では、一日に、2回上演されるケースが多く、そのために、竹本、三味
線方、人形遣も、AとBに分かれた演者グループを構成している。私が観たとき
は、AプロとBプロに分かれた演者グループのうち、Aプロの方で、師直は、吉田玉
也が、主遣であった。

師直は、顔世御前ヘの横恋慕、若狭之助への苛めと(公務員なら)「賄賂」を受け
取ってからの諂(へつら)い、その「いらだち」や「やましさ」もあって、あわせて
顔世御前の連れ合いの判官ヘの苛めというコンプレックス感情など、結構、現代の会
社社会に通じる普遍性を持っている。

「仮名手本忠臣蔵」が、武士の「手本」となるような、善の世界を構築するなら、そ
の善ぶり(「忠臣」蔵)を強調するための、マイナスの触媒(促進剤)の役割、すな
わち、悪役ぶり(「忠臣蔵」に象徴される、現代の観客を含めた日本人の感情全体を
敵に回すという悪役)を担わされるべき男の全体像として、師直像を構築しなければ
ならない。

「三段目」の足利館(江戸城を想定している)下馬先(馬を下りるところ)、つま
り、出社(登城)してきた会社の駐車場で、迎えのハイヤーから降りる本社の重役の
師直に追いついた関連会社(若狭之助会社)の副社長(=家老、加古川本蔵)が、
堂々と贈賄をし、本社の秘書役(鷺坂伴内)が、師直重役への収賄の仲立ちをする。
「朝から、生な贈収賄」という場面だろう。伴内本人も、加古川本蔵から、文字通
り、袖の下を戴いたので、十分に「便宜」を図ろうという明確な意志がある。その時
間が、七ツ前の、「七ツにはまだ間もあらん」というから、いまの時間なら、午前3
時か、午前3時半頃という感じで、つまり、「進物場」の場面は、会社の駐車場での
未明の贈収賄のシーンなのだ。贈賄側は、目録を持って来て、「一ツ、巻物三十本、
黄金三十枚」などと、それを読み上げる。収賄側は、(あっけらかんとした贈賄の姿
勢に対する感動のあまり)「あいた口塞がれもせずうつとり」で、双方とも、堂々と
贈収賄のやりとりをする。舞台の演技で、20分ほどだったから、30分程度の贈収
賄の場面だったのだろうか。それが、「無事」済んで、七つ(寅の刻、午前4時)。
「最早七ツの刻限、早お暇」となるから、そんな見当でも、大きく間違ってはいま
い。

贅言:「伴内」の首は、首名が、「伴内」という。つまり、こういう性格の人物の
「典型」ということで、彼の首が、滑稽身のある表情とともに、類型化されている。
「本蔵」の首は、「鬼一」で、「鬼一法眼三略巻」の兵法者・鬼一が、類型化されて
いる。師直の首の「大舅」に似た感じである。実直な家老が、主君の危機管理のため
に、贈賄に走るという性格設定に相応しい首ということなのだろう。ただし、この場
面では、師直は、豪華な駕篭に乗っているという設定なので、顔を見せない。という
より、駕篭には、誰も乗ってはいないのだろう。全ては、伴内(秘書役)と本蔵(副
社長)の間で、演じられる。代理同士のやりとり。「私は、知りません」という、便
利な「装置」。なにやら、現在でも、政界などで見られる構図ではないか。

この場面で、歌舞伎と大きな違いは、歌舞伎では、師直の家来たちが、伴内の指導
で、本蔵が来たら、「ばっさり」やっつけろということで、「えへん、ばっさり」の
リハーサルを繰り返す場面で、観客を笑わせるが、人形浄瑠璃には、そういう場面は
無かった。歌舞伎のこの場面は、歌舞伎の「入れ事」という、追加した演出だと言う
のが判る。その代わり、贈収賄の場面が終わった後、つまり、出社時間(午前4時)
を過ぎた頃、遅刻をして来た判官(人形の「首」は、「検非違使」という「辛抱立ち
役」の首)と太刀持ちの早野勘平(人形の「首」は、「源太」という二枚目の首)の
主従が、現れる。門番に、「遅刻」だよと、その旨、注意される。判官が、「最早
皆々御入りとや。遅なはりし、残念」などと、後の切腹の場面での「遅かりし由良
助」で、「ヤレ、由良助、待ちかねたわい」に、類似した科白となる。遅刻をして来
た判官と勘平という、短い場面を歌舞伎では、省略するのは、判官は、三段目、四段
目の主役。また、勘平は、五段目、六段目の主役で、それぞれ、主立った役者が演じ
るか、同じ役者が演じるか、するだけに、人形浄瑠璃のように、短い場面で主役級を
ふたりも登場させるのは、もったいない、あるいは、同じ役者が演じるなら、写り的
に無理ということなのだろうと思う。判官は、吉田和生が、主遣である。

次いで「殿中刃傷の段(松の間)」では、師直と判官の対立へと転換する。金地の巨
木の松の絵柄は、歌舞伎と同じ。「対立転換」の秘密は、その前の「進物場」で、若
狭之助(人形の「首」は、勘平と同じ、「源太」という二枚目の首だが、眉が固定の
勘平と違って、眉が動くようになっている。目つきも見開かれていて、大きいので、
違う。勘平は、判官の太刀持ちとして、城に入るだけだが、若狭之助は、この後、松
の間で、師直とやり合い、感情を表す場面がある)の家老・加古川本蔵が、有能な能
吏としての危機管理意識から、師直に賄賂(金)を贈り、主君の危機を救う。なにも
知らない若狭之助は、平謝りする師直に、怒りの持って行き場を失いながらも、「事
件」を起こさずに済む。それを舞台下手奥の衝立の陰から本蔵が、見守っている。

賄賂をもらった師直は、そのやましさもあって、遅刻して来た判官に「遅し遅し」
と、当てこすりをする。判官は、「大序」で師直に虐められた若狭之助と違い、虐め
られていなかったので、なんの準備もしていないし、心構えも無い。そこへ、文箱に
入った顔世御前(判官奥方)の短冊が、お軽→勘平→判官→師直という手順で、この
場にもたらされる。判官は、これについても、なにも、顔世から聞かされていず、情
報を持っていないのだろう。短冊は、顔世に付け文した師直への返事で、つれない内
容のもの。新古今集に掲載されている古歌の添削をという趣旨を訝しむ師直。それを
読んで、顔世のつれなさが、明確に伝わり、火に油を注がれた状態になった師直は、
遅刻の判官への「怒り」と夫人顔世への横恋慕に失敗した「羞恥」が、「増幅」され
てしまい、判官に対して「限度を超えて、虐めをする」ことになる。家で夫人(奥
方)と、いちゃついていて、登城に遅れたのだろうと勝手に解釈し、「家(うち)に
ばかりへばり着いてござるのよつて」、と当てこする。判官も、軽々に、「師直殿に
は御酒機嫌か、お酒参つたの」と余計なことを言って、師直を更に怒らせる。師直
は、「家にばかり居る者を、井戸の鮒ぢやといふ譬えがある」と言い、遂に、「鮒よ
鮒よ鮒だ鮒だ鮒武士(ふなざむらい)だ」と、歌舞伎でも使われる有名な科白を言っ
て、判官のプライドをずたずたにしてしまう。(気が違ったように)逆切れした判官
は、「気が違ふたか師直」と叫んで、師直に斬りつけてしまう。

この場面、人形浄瑠璃では、廊下の青畳が、平場と二重の、二段構造になっているこ
とを見逃してはならない。舞台の上手と下手の「小幕」も、ここでは、(それまで
の、竹本座と豊竹座の紋を染め抜いた幕から)「襖」に変わっている。つまり、上手
も、下手も、足利館(江戸城)のなか、松の間の続きという想定だろう。舞台空間
は、一気に、広がっている。

判官に斬りつけられて廊下を逃げる師直。止めにかかる大名たち。衝立の後ろから飛
び出し、その後を、大分遅れながら追いかける加古川本蔵。一行は、全員、一旦、上
手の襖のうちに入ってしまう。そして、二重の上手から、逃げ続ける師直、追いかけ
る判官、追いつく本蔵という形で、再び、現れる。判官は、「判官様御短慮」と、本
蔵に後ろから抱きとめられて、師直への二の太刀が果たせない。師直は、松の間の二
重から下手の平舞台へと逃げ、更に、「こけつ転(まろ)びつ逃げ行けば」で、下手
の「小幕」替わりの襖から、姿を消してしまう。判官から由良助一味への「仇討への
怨念」は、ここから惹起される。

贅言:ここで、ほかに、新たに登場して来る人形は、茶道珍才という、茶坊主で、
「首(かしら)」は、「丁稚」の首。伴内とは違うが、滑稽な表情をしている。

「四段目」は、「塩谷判官切腹の段」、「城明け渡しの段」。この場面では、鎌倉・
扇ヶ谷の塩谷判官の屋敷(扇ヶ谷の上屋敷。赤穂家の江戸屋敷を想定している)で、
松の間の金地の襖から、銀地に塩谷の襖に替わる。上手と下手の「小幕」も、江戸城
の襖から、同じ銀地の襖に替わっている。

切腹する判官から、「遅かりし由良助(人形浄瑠璃では、「由良助」、歌舞伎では、
「由良之助」。人形の「首」は、「孔明」で、判官の「検非違使」の首に似ている
が、眉毛が違う。実直な立ち役の首である)」へと主役が転じる。力弥(人形の
「首」は、「若男」という若衆の首)が、何度か言う「いまだ参上つかまつりませ
ん」という科白の調子の変化は、時間との勝負という緊迫感を盛り上げるのは、歌舞
伎も、人形浄瑠璃も、変わらない。力弥は、歌舞伎では、女形が演じる。黒地の衣装
の袖も、「半」振り袖のような長さである。これも、人形浄瑠璃も、変わらない。由
良助の主遣は、桐竹勘十郎。

舞台下手の襖を開けて、現れた由良助と舞台中央の判官、切腹を見届けるため二重舞
台の上手にいる上使の一人・石堂右馬之丞(人形の「首」は、由良助と同じ、「孔
明」の首。鬘や衣装が違うだけで、別人に見えるからおもしろい)の位置関係が、安
定している。石堂は、塩谷家に同情的である。それが、人形の首の選択(石堂も由良
助も同じ「孔明」。役の肚が同じということだろう)で、暗示される。平舞台の上手
には、もうひとりの上使である薬師寺次郎左衛門(人形の「首」は、赤っ面の「陀羅
助」という首。「陀羅助」は、漢方の薬名で、苦(にが)みがあり、腹痛薬として用
いるという。「薬師寺」という名前から、漢方薬を連想したか、苦みの性格が、役ど
ころということもあるのだろう)が居る。同じ、上使ながら、立ち位置が違う辺り
が、おもしろい。「当世様の長羽織」と、上使を迎える判官の服装を「無作法」(非
常識)とそしった途端、黒い長羽織を脱ぎ捨てた判官が、下に「用意の白小袖、無紋
の上下死装束」を着ていて、赤恥を掻くという役どころ。

贅言:判官が、切腹の場(裏畳二畳の空間)に上がる時、足遣は、判官の足をほとん
ど動かさずに、歩かせていた。すでに、幽冥の境地に踏み込んでいるという心なのだ
ろうか。

腹を切った苦しみの中で、判官は、「かたみ」という言葉に、「かたき」という意味
を滲ませるのは、歌舞伎も人形浄瑠璃も同じ。歌舞伎では、幸四郎の場合は、「委
細」(承知)と、大きく胸を叩き、「承知」の言葉を呑み込んで、今際の際の判官の
耳に胸の音で意思を伝達したが、人形浄瑠璃では、判官の側に近寄った由良助は、
「委細承知」と言った後、離れて、「仕る」と、胸を叩かずに竹本に語らせる。

贅言:見落としてはならないのは、主遣の右手。ほかの主遣が、右手には、黒い手袋
をはめている。左遣も、左手には、黒い手袋をはめている(右手は、人形の左手を操
る差し金を持っている)。黒い手袋同士では、人形の手の下に人形遣の手が出て、小
道具を握る場面でも、観客には、あまり、気づかれない。ところが、判官切腹の場面
では、吉田和生の右手には、白い手袋がはめられている。要するに、判官が、白装束
なので、人形の手の下に人形遣の手が出て、裃を脱いだり、小刀を持ったりする際
に、白装束に、邪魔にならないように、つまり、白装束の「背景」に、人形遣の右手
が、溶け込むように、しているのだろう。判官の右手の下の、主遣の白い右手と判官
の左手の下の、左遣の黒い左手が、出て来ても、観客には、違和感を感じさせない。
左遣の黒い左手は、いわば、「外」からの補助的な、「第三の手」。左遣が、右手で
操る差し金の先の、人形の左手こそ、メインであり、また、主遣の右手の上にある、
人形の右手こそ、メインであるからである。その機能の差が、白い手袋と黒い手袋
の、秘密の謎解きなのであろうと思う。

判官が、切腹に加えて、「切つ先にて気管(ふえ)はね切り、血刀投げ出しうつぶせ
に、どうど転び、息絶ゆれば御台を始め並み居る家中」で、今回、初めて登場する御
台所・顔世御前(人形の「首」は、老女形で、成人女性の首)は、白い衣装で、同じ
く白い衣装の腰元たちとともに奥から出て来る。判官の遺体(御骸・おんから)は、
主遣の吉田和生も含めて、人形遣は、舞台の「船底」に腰を屈めながら、隠れるよう
に上手に移動して、全員現場撤収してしまう。判官人形は、魂が抜かれた状態で、二
畳の裏畳に白布を被せたものの上でうつ伏している(ものとして置かれている)。白
布ごと、遺体を運び、駕篭に乗せた後、焼香となる。

贅言:石堂右馬之丞は、検視役なので、判官の遺体の首の辺りを両手で触り、絶命し
ているのを確認した後、上使の文を遺体の上に置き、更に、封状を置いて、哀悼の意
を表し、「並みいる諸士に目礼し」て、立ち去って行った。

力弥が、上手から、焼香台を持って出て来る。下手から、諸士が、駕篭を担いで来
る。焼香は、顔世、そして、由良助(歌舞伎では、江戸詰めの筆頭家老の斧九太夫、
由良之助の順で行い、藩士代表の原郷右衛門が、焼香する際には、力弥、藩士たち、
腰元たちも、一緒に頭を下げる)の順となる。判官の遺体を載せた駕篭は、藩士たち
が、肩で担がずに、腕で支えて移動させた。「手掻(てが)き」(「駕篭掻き」では
ない)というが、これは、歌舞伎も人形浄瑠璃も同じだ。駕篭は、舞台下手から、運
び出される。残っていた諸士を含めて、皆、城の見納めで、思い入れたっぷりに、ひ
とりひとりが、舞台上手を睨み、順番に退場して行く。熱演の竹本の豊竹英大夫も、
ここで退場。

「城明け渡しの段」。暗転後、舞台中央で、提灯の明かりだけが、見える。表門城明
け渡しの場面は、由良助の独り舞台だ。藩論をまとめ、敵討ちへの決心をする大事な
場面だ。次第に明るくなり、由良助の姿が、見えて来る。平舞台に置いた提灯から、
塩谷家の紋を切り取る由良助。切り取った家紋を大事そうに懐紙に挟み込み、懐に入
れる。残された提灯をはしっと叩くようにして、畳む。この段の竹本は、なんと、一
言。「はったと睨んで」と、この場面で語るだけ。ずうと、床の御簾内で、三味線が
鳴っていただけである。太夫は、豊竹靖大夫。三味線方は、鶴澤寛太郎。「塩谷判官
切腹の段」では、人気の英大夫が、顔出しで、たっぷり独演していたのと、対照的な
演出だ。歌舞伎のように、懐から血刀を取り出して、嘗めるような事はしなかった。
これも、歌舞伎の入れ事だろう。

由良助は、名残り惜しげに、中央で、一回転をし、表門をしみじみと観る。鶏鳴とな
り、夜が明ける。こうした由良助の動きに合わせて、背景の城門の書割が、横に、真
ん中から裏返される演出で、替わり、「城門」は、小さくなる(つまり、遠ざか
る)。歌舞伎では、大道具の城門は、大きさは変わらずに、およそ3回に分けて、上
手を中心に円を描くように下手側だけ、すうっ、すうっと徐々に遠ざかる「引き道
具」(大道具に、「車」が、ついている。後ろで、引っ張って、道具を下げる)にな
る。上方歌舞伎の演出では、人形浄瑠璃と同じ演出らしいから、こちらが、古型なの
だろうと思う。

歌舞伎なら、幕外の「送り三重」(三味線の演奏)での、由良之助の花道の引っ込
み、という余韻嫋々の場面。歌舞伎の渋い魅力を満喫できる場面だが、人形浄瑠璃に
は、花道が無いから、幕外の引っ込みも無い。これも、歌舞伎独特の演出である。勘
十郎の扱う由良助の動きが、ゆるりと、重厚であった。
- 2009年12月11日(金) 9:24:39
09年12月国立劇場(小劇場) (人形浄瑠璃・「近江源氏先陣館」「伊達娘恋緋
鹿子」)


「近江源氏先陣館〜盛綱陣屋〜」は、歌舞伎では、4回拝見しているが、人形浄瑠璃
では、初見。歌舞伎と人形浄瑠璃との違いなどを軸に劇評をまとめたい。歌舞伎で
は、和田兵衛上使の場面も入れ込みながら、「盛綱陣屋」の場面が、主に上演される
が、今回の人形浄瑠璃では、「盛綱陣屋の段」に先立って、「坂本城外の段」「和田
兵衛上使の段」が、上演された。

「盛綱陣屋」は、大坂冬の陣での、豊臣方の末路を描いた時代物全九段構成「近江源
氏先陣館」の八段目である。複雑な筋立てを得意とした近松半二らの作品だ。物語
は、対立構造を軸とする。まず、鎌倉方(陣地=石山、源実朝方という設定、史実
は、徳川方で、家康役は、北條時政として出て来る)と京方(陣地=近江坂本、源頼
家方という設定、史実は、豊臣方)の対立。鎌倉方に付いた佐々木三郎兵衛盛綱
(兄)と京方に付いた佐々木四郎左衛門高綱(弟)の対立(実は、兄弟で両派に分か
れ、どちらが勝っても、佐々木家の血を残そうという作戦。つまり、史実では、大坂
冬の陣での真田家の信之、幸村をモデルにしている)。「三郎」兵衛盛綱の嫡男・
「小三郎」と「四郎」左衛門高綱の嫡男・「小四郎」の対立。盛綱の妻・早瀬と高綱
の妻・篝火の対立。八段目の発端は、「坂本城外の段」では、近江の合戦で、小三郎
が、組み打ちの果てに、小四郎を捉えた(生け捕り)場面を描く。坂本城は、史実の
大坂城である。

「坂本城外の段」では、舞台上手に京方の陣地、下手に鎌倉方の陣地。上手の陣屋の
門が開き、中から馬にまたがった小四郎が出て来て、初陣ながら、鎌倉方の軍平をな
ぎ倒す。陣屋の櫓の上から、小四郎の母・篝火が、この活躍ぶりをハラハラしながら
見守っている。やがて、下手から、同じように馬にまたがった初陣の小三郎が、出て
来て、小四郎と一騎打ちの騎馬戦となる。それぞれの馬の中に、脚の役の人形遣が一
人入っている。馬にまたがっているので、人形の脚遣は、不要で、主遣、左遣のみ
が、人形を操り、脚遣は、主遣の腰に手をかけて、サポートしながら、専ら、足音を
響かせる役どころのようだが、何故か、異常に背が低く見える(後で、判ることだ
が、主遣と左遣は、馬の上の人形を操るために、足元を高くしているのだ)。下手の
鎌倉方では、小高い山裾の上から、小三郎の父・盛綱が、遠眼鏡で。小三郎の活躍ぶ
りを見守っている。親たちが、初陣の息子たちを見守る辺りは、ステージママ、パパ
のような感じ。

刀での戦いは、互角で、埒があかず、組み打ちになる。やがて、小三郎が、小四郎を
組み据えて、生け捕りとする。縛られて、下手の小幕の内に連れて行かれる小四郎。

「和田兵衛上使の段」では、盛綱陣屋の前段が、描かれる。小三郎の初陣の手柄に沸
いている。鎌倉方の本拠地・北条時政が本陣を構える石山から先陣である盛綱陣屋に
戻って来た盛綱と小三郎。綱付きの小四郎も、人質として連行されて来る。盛綱の
母・微妙と妻の早瀬も姿を現す。京方は、小四郎を取りかえそうと侍大将の和田兵衛
を盛綱陣屋に使者として送り込んで来る。盛綱は、主君の北条時政の判断を仰がなけ
れば、決められないと答える。ならばと、和田兵衛は、石山の本陣に直談判に行くと
いう。

和田兵衛が、退出すると、先陣の下手に、陣幕と陣門が、設えられる。いよいよ、
「盛綱陣屋」の山場である。ここは、歌舞伎も人形浄瑠璃も、大きな差はないよう
だ。

盛綱は、小四郎を餌に高綱を味方に引き入れようとしている北条時政の真意を見抜
き、高綱の迷いを無くすために、小四郎を討とうとするが、自ら討つわけには行かな
いので、小四郎に自害させようと企み、母親の微妙を巻き込む。微妙も、最初は、孫
同士の争いに涙しているが、高綱を助けるために、孫の小四郎を犠牲にするのもやむ
を得ないと承諾する。高綱の妻・篝火と盛綱の妻・早瀬の互いに矢文を使っての情報
合戦の後、微妙は、小四郎に切腹用の刀と無紋の死装束を渡し、父親高綱を生かすた
めに自害するように諭す非情の祖母を演じる。

しかし、策の通りには、事態は進まず、高綱が出陣をし、その挙げ句、鎌倉方に討ち
取られたという報が届く。やがて、北条條時政一行が、高綱の首を盛綱に実検させる
ために陣屋にやって来る。「首実検やいかに」が、最大の見せ場となる。

敵味方に分れた父親たちの苦渋の戦略のなかで、佐々木家の血脈を残すために、一役
を買って出た高綱の一子・小四郎がキーパースンとなる。伯父の盛綱を巻き込んで、
父親の贋首を父親だと主張し、小四郎が、後追いを装って切腹するという展開だ。甥
の切腹の真意(父親を助けたい)を悟る盛綱は、主君北条時政を騙す決意をし、贋首
を高綱だと証言する。主君に対する忠義より、血縁を優先する。血族(兄弟夫婦、従
兄弟)上げて協力して、首実検に赴いた北条時政を欺くという戦略だ。発覚すれば、
己の命を亡くすと、盛綱は覚悟をしたのだ。小四郎が、子供ながら、大人同等の知恵
を働かせ、一石を投じた結果だ。

ところが、徳川家康をモデルにした北条時政は、やはり、したたかで、騙された振り
をして、贋首を持って帰るのだが、首実検の功のあった盛綱に褒美として与えられた
鎧櫃のなかに残置間者を隠すという戦略をとる。主君が立去った後も、鎧櫃のなかで
隠れて盛綱らの話に聞き耳を立てていた時政の残置間者・榛谷十郎が、戻って来た京
方の使者・和田兵衛に見破られて、短筒で撃ち殺されるという展開になることで、そ
れが判る。主君を欺いた責任を取り、切腹しようとした盛綱を諌め、切腹などすると
偽首だと判ってしまうというのだ。その挙げ句、和田兵衛は、北条時政の作戦を見抜
き、残置間者を撃ち殺したという訳だ。

和田兵衛は、歌舞伎も人形浄瑠璃も、赤面(あかっつら)の美学ともいうべきいでた
ちで、黒いビロードの衣装に金襴の朱地のきらびやかな裃を着け、大太刀には、緑の
房がついている。荒事のヒーローのようで、歌舞伎の美意識が、豪快な人物を形象化
するが、既に紹介した筋立てでも判るように、なかなかの知将ぶりを見せる。己の子
供まで巻き込みながら、時政を騙す盛綱・高綱の兄弟。時政は、騙された振りをしな
がら、心底から盛綱を疑っている。高綱代理の和田兵衛も含めて、知将=謀略家同士
の騙しあいの物語である。

また、盛綱は、小四郎が自害したのは、結局は、知将と言われた高綱が、子供を犠牲
にしてまで、己が死んだと装う、つまり、軍師として生き残るための戦略だと気付く
など、兄弟でも、互いに騙しあう「戦略」の厳しさを描いた作品でもある。結局は、
父親が、戦略のためとは言え、わが子を犠牲にして、生き残るという虚しい話だ。

歌舞伎で観ていると、小四郎の機転に眼を奪われてしまうが、人形浄瑠璃で観ている
と、すでに、「坂本城外の段」で、小四郎が、小三郎に生け捕りになったこと自体、
小四郎と高綱親子の策略であったことが判る。老獪な北条時政を騙すためには、入念
な策略を仕掛けなければならないという高綱方の遠謀深慮が必要だったと強調してい
ることが、伝わって来る。戦争の場面での、息詰るような心理作戦を近松半二、三好
松洛らは、仕組んでいる。

贅言:歌舞伎なら「アバレの注進」として、颯爽とした注進役の信楽太郎と「道化の
注進」という、滑稽味の注進役の伊吹藤太の登場の場面は、人形浄瑠璃では、「注
進」「二度の注進」と、淡白な紹介だが、実際の人形の動きは、ダイナミックで、役
者では、真似の出来ない首や手足の動きを見せる。こういう単純な、細部の動きこそ
が、歌舞伎では味わえない人形浄瑠璃独特の魅力なのだということが判る。


人形遣の姿が見えないのに、人形は、なぜ、はしご段を上れるのか


近松半二ものだけに、筋立てのややこしい「近江源氏先陣館」の後は、若い男女の悲
恋の話。恋愛故に、恋しい男のためならば、なんでもしちゃうという八百屋お七の物
語ということで、筋は、判り易いし、特に、後半の場面は、人形の動きが、見物とい
う、人形浄瑠璃入門向けの演目である。「伊達娘恋緋鹿子」は、歌舞伎でも、お馴染
みの「火の見櫓の段」が、ハイライト。歌舞伎では、例えば、「松竹梅湯島掛額」に
登場する。「松竹梅湯島掛額」は、前半が、「吉祥院お土砂(どしゃ)」で、後半
が、「櫓のお七」。黙阿弥が、1809(文化6)年の「其往昔恋江戸染」(福森久
助原作)と1773(安永2)年の「伊達娘恋緋鹿子」(菅専助)とを繋ぎあわせ
て、1856(安政3)年に、「松竹梅雪曙」という外題で、上演したという。その
菅専助らの合作に拠る全八段構成の世話物が、「伊達娘恋緋鹿子」で、今回は、その
うちの「八百屋内の段」とあわせて、「火の見櫓の段」が、上演された。

特に、「火の見櫓の段」は、主遣が、背中から手を入れて、人形を動かす人形浄瑠璃
でありながら、観客席に背中を見せて、お七が、火の見櫓のはしご段を、どうやって
上るのか、ということが、私には、いちばんの興味の的であるということだけ、触れ
ておこう。

まずは、話の順番で、「八百屋内の段」から、始めなければならない。「八百屋内の
段」は、国立劇場では、今回が、初演。私も、初めての拝見となる。

「八百屋内の段」では、まず、吉三郎の物語。吉三郎は、安森源次兵衛の息子で、安
森源次兵衛は、高嶋家の家臣である。吉三郎は、吉祥院の小姓を務めている。ご存知
のように、ここで、火事で焼け出されて避難して来た八百屋お七と知り合い、恋仲に
なる。これは、良く知られている。

あまり知られていないのは、実は、吉三郎の父親の安森源次兵衛は、高嶋家の若殿・
高嶋左門之助のサポートをする御守役であったということ。その高嶋左門之助は、禁
裏へ納める重宝の「天国(あまくに)の剣」という秘剣を何者かにすり替えられてし
まい、切腹をしなければならない立場だが、100日間の猶予を与えられ、秘剣探し
をしていたが、吉三郎の父親の安森源次兵衛は、若殿の御守役不行き届きということ
で、すでに、責任を取って、切腹している。何やら、政治家の秘書のように、政治家
の不行跡の責任を取って、捕まったりしているのに、なにやら似ていませんか!

悲劇の父親の息子は、秘剣の在処を探り出し、剣を取り返さないと、若殿といっしょ
に、これまた、切腹をしなければならないと覚悟を決めている。「八百屋内の段」に
登場する吉三郎は、100日目の日の吉三郎で、行方の知れない秘剣のために、明日
になれば死ぬ覚悟で、せめて、最期を前に、恋しいお七に逢いたいと、雪が降ってい
るなか、お七の父親の営む八百屋「八百九」(八百屋久兵衛)へ、やって来る。運良
く、お七と吉三郎の恋に理解をして、ふたりの仲を取り持ってくれる奉公人の下女・
お杉が、傘をさして、使いに出るのと巧くかち合った。帰って来たら、お七に逢わせ
るから、縁の下に隠れていらっしゃいということで、縁の下に隠れて、お杉の帰りを
待つ場面がある。

「曾根崎心中」のお初徳兵衛で、徳兵衛が、天満屋の縁の下に隠れて、座敷のやり取
りを聞いてしまう場面を思い出すシチュエーションだ。座敷では、火事で焼けた家を
再建するために、屋久兵衛が金を借りたので、お七に金主の万屋武兵衛の所へ、借金
の形(かた)に嫁入りするようにと、両親から懇願される場面が、暫く続くことにな
る。二世を誓った恋人と別れられないと抵抗するお七。縁の下で、その話を漏れ聞い
てしまう吉三郎は、自分は、あす、明け六つ(午前6時頃)の鐘を合図に、死に行く
身だから、お七の幸せのためにも、親孝行のためにも、嫁入りしてくれという内容の
書き置きを縁の下に置いていった蓑笠のなかに、残して行く。吉三郎は、己は、雪に
濡れるのも厭わずに、大事な書き置きを濡らせまいとして、縁の下に隠れるために、
脱いだ蓑笠に文を包んで行ったのである。お七は、恋しい吉三郎に逢えなかった悲し
みに狂わんばかり、秘剣のために命を落とすというのなら、自分が、秘剣を探し出し
て、吉三郎の命を助けたいと思う。どこまでも、恋しい男と結ばれることだけを考え
ているいじらしさ。でも、残された時間は、あまりない。「闇に礫」という竹本の文
句があるように、闇雲に動いても、効果は上がらず、時間が浪費されるばかりだろ
う。さて、どうするか。

そこは、お芝居。深刻な状況は、逆転して、チャリ場(滑稽な場面)にしてしまう。
押し入れに隠れて寝ていた店の丁稚の弥作が、押し入れをなかから開けて、姿を見せ
て、「天国の剣」なら、お嬢さんが、結婚を嫌がっている万屋武兵衛が、持っている
じゃんと寝とぼけ顔で、言うではないか。尤も、弥作は、「天ん邪鬼(「あまぐに」
ならぬ、「あまんじゃく」)の剣」と言うのだが……。なぜ、丁稚が、そういう重要
な情報を知っているのか、不思議。どうも、武兵衛のところへ、刀を持って来た太左
衛門の話を押し入れのなかで、都合良く、小耳に挟んだらしい。ふたりは、宵から酒
を飲んでいて、酔っぱらっているから、武兵衛の腰に差さっている秘剣をむすめるの
ではないか。ならば、お嬢さんのために、お杉が盗もう、弥作が、それを手助けしよ
うという作戦になる。

「火の見櫓の段」では、雪が降り積もるなか、江戸の町々の木戸を閉める合図となる
鐘が鳴り始める。秘剣を盗んで来たお杉、盗まれたことに気づいてお杉を追いかける
武兵衛、弥作が、追いつき、武兵衛の邪魔をする、というドタバタのチャリ場のな
か、お七は、火の見櫓に上り、禁断の鐘を鳴らして、秘剣を持ったお杉に木戸を通ら
せると、自分も、お杉の後を追って行く。

八百屋お七は、火事で自宅が焼けて、吉祥院に避難した際に寺の小姓の吉三郎に恋を
してしまい、借金で再建された自宅に戻った後も、吉三郎恋しさに、自宅に放火をし
て、捕まり、火あぶりの刑になったという話が、流布しているが、この芝居では、吉
三郎の窮地を救い、恋しい男の命を助けるために、秘剣を見つけ出し、それを夜中
じゅうに吉三郎に届けるために、火の見櫓の鐘を叩くという乙女の一途な恋物語の話
になっていて、とてもシンプルで判り易い。

さて、「火の見櫓の場」の歌舞伎の舞台を思い出そう。この場面は、白と黒のモノ
トーンの雪景色の町家の風景。赤を基調にしたお七の艶やかな衣装だけが引き立つと
いう演出。さらに、お七の所作が、倒れたのをきっかけに、役者は、人間から、「人
形ぶり」(人間ながら、人形のような、やや、ぎくしゃくした動きとなる)に変化す
る。人形らしく、足を見せない(歌舞伎では、三人遣の人形浄瑠璃とは逆になり、足
遣がいない)。従って、お七人形を遣うのは、ふたりの人形遣ということになる。も
うひとりの人形遣は、何処に居るかというと、舞台下手に雪布で覆われた板の上に立
ち、ひとりで、ひたすら足踏みをして、人形の足音を表現する。人形浄瑠璃の実際に
足音よりも、派手で、大きくて、大分、誇張されている。花道七三で、役者は、人形
から、再び、血の通った人間に戻る。人形遣を演じた3人の役者たちは、客席に向
かって礼をした後、舞台下手奥へ退場した。人形から人間への「黄泉帰り」を演ずる
ように、役者は、本舞台へ帰って行く。本舞台中央に設けられた火の見櫓にはしご段
から上がる場面では、役者も、生き生きとしている。櫓のてっぺんに上った役者に、
(天井の葡萄棚から)霏々と降る雪が、いつもながら、印象的だ。このように、歌舞
伎では、役者は、人間から、人形ぶりとなり、再び、人間に戻り、火の見櫓のはしご
段を人間として、上って行く。

また、人形浄瑠璃の舞台に戻ろう。ここでは、火の見櫓のはしご段に取り付いたお七
の「右手」を櫓のなかにいる別の人形遣が、握る。それを確認した主遣は、人形から
離れる。そして、櫓の後ろに廻り、お七の「左手」と首(かしら)を操る部分を握
る。櫓のはしご段の両脇が、割れ目のある「幕」のような形になっていて、そこか
ら、人形の操る部分を握れるし、顔の一部も覗かせることができるように仕掛けてあ
る。つまり、人形遣が、ほとんど、姿を見せずに、人形が櫓のはしご段を上るという
演出になっている。確認した訳ではないが、窺い知るに、左遣が、人形の「右手」を
持ち、徐々に引揚げる。主遣が、人形の「左手」と首を操りながら、はしご段を上る
人形の所作や表情を演出するということのようだ。この演出は、近代の女形遣の名手
と言われ、1962年に亡くなった吉田文五郎が、考案したという。初演の1773
年以来、100数十年は、吉田文五郎とは、違う演出で、お七を櫓に上らせていたと
いうわけだ。お七の人形としての動きは、ダイナミックで、表情もあり、感動する場
面だ。

歌舞伎では、そういう芸当が出来ないので、役者は、「人形ぶり」で、操り人形の神
業ぶりを真似るとともに、入れ事として、こういう工夫をする。お七役者は、人形ぶ
りの途中で、衣装の「引き抜き」という演出で、「黄八丈」から、「段鹿子」の衣装
に早替りをして見せるのである。これはこれで、モノトーンの舞台のなかでは、効果
的な演出だろう。

贅言:歌舞伎の役者は、「人形ぶり」で、人形浄瑠璃の操り人形の神業に近づこうと
し、人形浄瑠璃の人形遣は、人形ながら、人形だけで、操られずに、動いているよう
に工夫する。その、それぞれの工夫魂胆が、私には、おもしろい。
- 2009年12月9日(水) 18:35:43
09年12月国立劇場 (「頼朝の死」「一休禅師」「修禅寺物語」)


ふたりの頼家


「頼朝の死」は、4回目の拝見。これまで観た主な配役。頼家:梅玉(2)、八十助
時代の三津五郎、今回は、吉右衛門。重保:歌昇(今回含め、3)、染五郎。小周
防:福助(3)、今回は、芝雀。尼御台政子:富十郎(今回含め、2)、宗十郎、芝
翫。大江広元:歌六(今回含め、2)、秀調、吉右衛門。中野五郎:家橘、芦燕、東
蔵、今回は、吉之助。

新歌舞伎の戯曲「頼朝の死」は、真山青果作。父親は、伊達藩士で、写真で見る青果
は、武士というより、農夫然とした風貌ながら、緻密な科白劇の名作を数多く書いて
いる。旧制高等学校の医学部中退で、明治の作家小栗風葉に師事し、一時は、小説家
を目指したという。大正末期に、歴史劇の執筆に乗り出し、昭和期の前半に、活躍し
た。「仮名手本忠臣蔵」が、フィクションなら、「元禄忠臣蔵」は、ノンフィクショ
ンの史劇を目指した。ともに、いまも、盛んに上演される歌舞伎の二大忠臣蔵とし
て、輝く。

「頼朝の死」は、1932(昭和7)年に、二代目左團次の頼家、五代目歌右衛門の
政子で、初演された。登場人物の心理描写を軸にした科白劇で、権力者のスキャンダ
ルを仕立てた一種のミステリー作品である。真相解明の展開ゆえ、伏線として描き出
された点線の上に、次第次第に、実線で、くっきりと描かれるタッチが、おもしろ
い。

頼朝夫人(北条時政の長女)・尼御台政子の侍女・小周防の寝所へ入り込もうとした
「曲者」として、頼朝が殺されたことが全ての始まり。将軍の死のスキャンダル隠し
が、テーマ。真相を知っているのは、宿直の番をしているときに曲者を斬った畠山重
保。小周防は重保を密かに愛しているが、薄々感づいている重保はそれを拒否してい
る上、斬り捨てた曲者が頼朝と知り、死にたいほど苦しんでいる。真相を知っている
のは、重保に加えて、息子の二代将軍頼家の上にたち、政権の実力者として、頼朝の
死のスキャンダルを隠している頼朝夫人・尼御台政子(尼将軍と呼ばれた)と頼朝の
家臣・大江広元を含めて3人だけ。3人には、秘密を共有しているという心理がある
が、図らずも「主(科白では、「しゅ」ではリズムが出ない所為で、「しゅう」と言
い回していた)殺し」となって、苦しんでいるのは、重保のみ。私が観た重保は、歌
昇が、圧倒的に多い。熱演だし、すっかり、重保役者になっている。その歌昇の熱演
に勝るとも劣らないのが、今回、24年ぶりに頼家を演じた吉右衛門であった。

頼朝の嫡男・頼家は、真相を知らされず、彼も狂おしいほど悩み、真相究明を続けて
いるが、真相に近い疑惑までは辿り着いたが、そこから最後の詰めができないでい
る。そうして、月日は流れ、舞台は事件から2年後。頼朝の三回忌の法要が行われて
いる祥月命日の日。

第一場「法華堂の門前」。上手、法華堂門前に「故頼朝公大三年回忌供養」という立
て札がある。頼家、尼御台政子以外の主な登場人物が勢揃いをし、小周防(芝雀)と
重保(歌昇)の、いまも、複雑な事情が、浮き彫りにされる。芝居としては、ここ
で、早々と「頼朝の死」の真相を観客に判らせる。それは、結局は、第二場「将軍家
御館」での、頼家の疑惑の苦しみへの伏線として、観客に共感させるという仕掛けと
なる。知り尽くせないというのが、頼家の苦しみ。知り尽くしているというのが、重
保の苦しみ。男どもの苦しみの上に、政治の論理を冷徹に見つめているのが、尼御台
政子(富十郎)という構図。小周防は、ひたむきな乙女心故に、この構図に翻弄され
て、重保の手で、命を落とす。

第二場「将軍家御館」。ひとり悩ましい時間を過ごしている将軍頼家(吉右衛門)。
重保ら3人の秘密共有者と小周防も呼び、真相究明に走るが、正しい推理は、正しい
が故に空回りする。政子と広元は、政権の維持という政治学に裏打ちされた強固な意
志を持ち、揺るぎが無い。スキャンダル隠しを仕掛けた人たち(政子、広元)、踊ら
された人たち(重保、小周防)、踊る人(頼家)。それぞれのスタンスで、揺らいだ
り、揺らがなかったり、真山劇のおもしろさ。「ええ、言わぬか重保、ええ、言わぬ
か広元」というのは、真相究明にいらだつ頼家の科白。頼家は真相にたどり着けない
いらだちが募る。

このいらだつ頼家は、梅玉が、巧く演じていた。こういう役は、梅玉は巧い。正し
く、しかし、正しいが故に空回りする、一直線な男・頼家を熱演していた。「酒を持
て、酒だ!」。一直線ゆえ、いらだつと酒に走る頼家。アルコール中毒気味。その頼
家の前には、「事も愚かや。家は末代、人は一世じゃ」と最後に言い切る冷静の人・
(北条)政子の壁が、ますます大きく立ちはだかる。吉右衛門のいらだちも、良い味
を滲ませる。

いらだちの果てに、座を動いた頼家。舞台中央には、誰もいなくなった。残された丸
い井草の敷物があるのみ。頼家が座っていた敷物は、姿の見えない筈の、故頼朝の姿
を思い浮かばせる。頼朝アブセント。

中央奥の、空席の敷物を軸に、上手奥の政子、上手手前の広元、中央手前の頼家、手
前下手側に重保、小周防という居所は、この芝居の人間関係と互いの位置をくっきり
と示している。

苦悩とともに真相を知っている重保を演じる歌昇は、人物造型の奥深さを表現する。
将軍からの利益誘導で、真相を告げそうになる小周防は、口封じのために、恋人に斬
り殺される。富十郎の政子は、重厚で、実質的な権力者という風圧が、観客席にも伝
わって来る。歌六の広元は、今回も、存在感が薄かった。


「一休禅師」は、初見。初見でありながら、既視感があった。最初は何故か、判らな
かった。4年前、05年6月の歌舞伎座で、初めて観た「良寛と子守」が、良寛を初
役で演じる富十郎と娘の愛子ちゃんの初舞台を「一休禅師」とダブル印象で、観てい
たのだった。どちらも、坪内逍遥原作。前回の「良寛と子守」は、25年ぶり、坪内
逍遥没後七十年記念上演であった。今回の「一休禅師」は、1908(明治41)
年、作品が発表され、1921(大正10)年守田勘弥主演で、初演され、1937
(昭和12)年、二代目猿之助(初代猿翁)で、再演、今回が、3回目の上演とな
る。今回は、ほとんど新作で、曲も、新しく作ったという。

「良寛と子守」では、今回より4歳幼いが故に、奔放に舞台で無心に遊び、見真似で
芝居をする愛ちゃんは、枯淡高雅な良寛を演じる老いた父・富十郎を助けているか
ら、おもしろい。春の日を村の子どもらと遊ぶ良寛の世界。

「一休禅師」では、地獄太夫という遊女と一休禅師が、廓の座敷で、交わした問答を
舞踊劇に仕立てている。「水中に物あり……」で、暫く、置き唄。「我は尚更」で、
長唄連中の合唱。四拍子が、それを追い掛けると、満開の桜の巨木が描かれた大襖を
バックに、酔いで居眠りをしている一休禅師(富十郎)を軸に、上手に地獄太夫(魁
春)、下手に禿(愛子)が、セリに乗って、上がって来る。この3人の所作や科白を
通じて、仏教の教えが、明るく、華やかに伝えられる。正念場は、地獄問答。襖の絵
は、「田楽返し」という演出で、瞬時に裏返しにされ、桜の巨木は、枯れ木と化す。
地獄太夫の黒地の打ち掛けの模様は、髑髏に地獄の火焔。裏返された打ち掛けは、無
垢の白地。そこに一休禅師が筆で、まさに、禅問答の絵を軽妙に描く。再び、大襖
は、満開の桜の巨木に変わる。邯鄲の夢のように、極楽から地獄へ、地獄から極楽
へ。円転自在。人生の儚さも、有為転変。酔夢のうちに、生涯を終えるというのが、
一休禅師の極意か。


「藝とは、なにか」とふたつの本望


「修禅寺物語」は、04年7月の歌舞伎座が初見。今回は、2回目の拝見。「修禅寺
物語」は、畢竟、「藝とは、なにか」をテーマにしたメッセ−ジ性の明確な芝居だ。
1911(明治44)年、二代目左團次の主演で初演。岡本綺堂作。源頼朝の長男
で、非業の死を遂げた頼家の事件という史実を軸に伊豆に遺されていた「頼家の面」
を元に想像力を膨らませてでき上がったフィクションである。私が観た主な配役。夜
叉王:歌六。今回は、吉右衛門が初役で挑戦。夜叉王の娘たちのうち、姉の桂:笑三
郎。今回は、芝雀。妹の楓:春猿。今回は、高麗蔵。楓の夫で夜叉王の弟子・春彦:
猿弥、今回は、段四郎。頼家:門之助、今回は、錦之助。

舞台では、「夜叉王住家」という最初の場面早々から、面作師・夜叉王(吉右衛門)
の姉娘桂(芝雀)と妹娘楓の夫で、夜叉王の弟子・春彦(段四郎)との間で、「職人
とはなにか」という論争が仕組まれるなど、「職人藝」というテーマが、くっきりと
浮き彫りにされて来る。段四郎は、このところ、脇で、味のある老け役を演じている
ことが多かったので、今回の役では、随分若々しく映る。

自分の繪姿を元に自分の顔に似せた面を夜叉王に作れという注文を出していた頼家
(錦之助)が、花道から登場する。半年前に注文した面が、いつまで待ってもでき上
がって来ないと癇癪を起こした「幽閉された権力者」・頼家が、権力尽くで夜叉王を
詰る場面が、大きな山場となる。

贅言:頼家は、「頼朝の死」では、後半で、アルコール中毒気味の言動をしていた、
あの二代目将軍その人である。やはり、悲劇の将軍だ。

夜叉王は、この半年間、精魂込めて頼家の面を幾つも作るが、いつも、死相とか恨み
とかが、面に込められてしまい、納得が行かないと困窮していたのだ。そういう職人
藝の直感を尊重しない頼家は、いら立ちを募らせて夜叉王を斬ろうとする。その有り
様を見て、職人藝を認めない(というか、言動から、職人を馬鹿にしている)、都へ
の憧れ、上昇志向の強いギャルのような姉の桂が、勝手に夜叉王が打ち上げたばかり
の面を頼家に手渡してしまう。(死相などの)懸念を表明する夜叉王を無視し、面が
気に入った頼家は、見初めた桂をも気に入り、ともども、御座所に帰って行く。吉右
衛門のさびの利いた口跡が、夜叉王の力を滲ませて、聞こえて来る。頑固な芸術家の
存在感があった。

こういう芸術を判らない権力者の手に、ふがいないと思い込んでいる面が渡ってしま
い、歴史に残されるならば、もう、生涯面を打たないと歎く夜叉王。「ものを見る
眼」の有無が、藝にとって、最も大事だというメッセージが、この場面から伝わって
来る。

やがて、頼家が、北条方の闇討ちに遭い亡くなる。その知らせを聞いて、なぜか、歓
喜する夜叉王。死相などが浮き出て、納得の行かない面しか打てなかったのは、自分
の藝が拙かったのではなく、頼家の運命を示唆させた自分の藝の確かさのなせる業だ
と得心したからだ。

さらに、頼家の影武者役を務めて、夜叉王が打った頼家の面を付け、頼家の衣装を付
けて、襲撃の眼を欺いて逃げて来た瀕死の娘・桂の死相が深まる顔をほつれ毛を除け
て、スケッチまでする夜叉王の、鬼気迫る職人魂こそ、「藝とはなにか」をテーマに
掲げた岡本綺堂劇の回答がある。

藝とは、己の直感を大事にして、ひたすら、雑念を排除する。その末に沸き上がって
来るものをのみをつくり出す。具象化する行為である。……、これが、正解。

一方では、桂にポイントを絞ってみれば、山家育ちの若い娘が、飛躍を夢見た物語で
もある。影武者の役割を果たして、実家にたどり着き、家族の前で、「私は、お局さ
まじゃー」と告げる。それが「本望」であったと主張する死の場面では、桂の本望と
夜叉王の本望の、ふたつの確信的な意志が、くっきりと浮かび上がって来る。

吉右衛門の夜叉王は、歌六のときとは違って、岡本綺堂がイメージした職人像を演じ
きったという印象が残った。「修禅寺物語」は、メッセージ性のはっきりした劇であ
り、そのメッセージを体現した、それぞれの登場人物の性格描写をくっきりと演じな
ければならない芝居である。明治時代の初演時の顔ぶれは、以下の通り。夜叉王:二
代目左團次、桂:三代目寿海、楓:二代目松蔦、頼家:十五代目羽左衛門。これほど
豪華な配役は、なかなか望めないのが、判る。

贅言:二代目左團次は、今回の青果劇も、綺堂劇も、どちらも、初演。新歌舞伎の初
演で、いまも残っているものでは、二代目左團次主役初演が多いという。

岡本綺堂劇の洗練された科白の数々(吉右衛門の「印象」では、青果劇は、綺堂劇
の、2倍くらい科白があるという)、黒御簾音楽も附け打もない代わりに、幕開きの
暗転から明転の際の蜩の鳴き声。鈴虫の効果音の適時さ、「桂川辺虎渓橋」の恋の場
面で、皎々と照る月、北条方の夜討ちの迫る気配で消える月の使い方、戦の場面は、
舞台では、最小限度に抑制され、「遠寄せ」の効果音で聞かせるなど演出の巧みさ。
前回よりは、充実した顔ぶれで、楽しめたのは、大きな収穫。
- 2009年12月6日(日) 7:54:26
09年11月歌舞伎座 (夜/「仮名手本忠臣蔵」)


「仮名手本忠臣蔵」を通し狂言で観るのは、今回で6回目。通し狂言「仮名手本忠臣
蔵」後半の、夜の部は、「五段目」から。「五段目」は、雷の音で幕が開く。浅黄幕
が、舞台を被っている。置浄瑠璃。雷の音が、再び、大きくなり、浅黄幕の振り落
し。「五段目」の鉄砲渡し、(舞台が廻って)二つ玉から、「六段目」の勘平切腹
へ、また、廻る(斧定九郎=梅玉の遺体が、裏舞台の闇へ、呑み込まれて行く)。
「与市兵衛内」では、芝居の主筋は、都落ちした落人の進境を引きずったままの勘平
の芝居だ。菊五郎勘平が軸になって展開する。この場面は、菊五郎で、今回含めて、
5回目の拝見となる。ほかは、勘九郎時代の勘三郎で1回、拝見している。

昼の部の「道行」を含めて、鬱々としているが勘平で、菊五郎は、鉄砲渡しから切腹
まで、勘平の心理状態を型で表現するという歌舞伎独特の演出を、それこそ、定規を
当てて形にしているかのように六代目の菊五郎型をきちんと伝えていて、別格の勘平
である。特に、「二つ玉」の暗闇での動きは、定九郎(梅玉)の倒れた遺体、藁束が
下げてあった松の立ち木、藁束の上に置いた鉄砲、という3つの位置を結ぶ三角形を
絶えずなぞりながら動いて行く。「腹を切るとホッとするぐらいで(笑い)、手順と
いい、心理描写といい、細かくて細かくて嫌になるほどです」と歌舞伎座筋書きの楽
屋話で、披露している。それほど、六代目の菊五郎型にこだわって、藝を残してい
る。

贅言;そういえば、梅玉演じる定九郎も、約束事が多い割には、動ける場所が限定さ
れていて、勘平同様に、定規を当てているような演技が続く。結構、大変だろう。そ
れでいて、科白は一つ。「五十両」。

勘平のパートナー・お軽は、まず、「道行」では、腰元、「六段目」では、女房、つ
いでに、「七段目」では、遊女ということで、その違いを見せるところにお軽役者
の、いわば「味噌」がある。今回は、「道行」と、「六段目」は、時蔵。「七段目」
が、福助という配役。時蔵のお軽は、「道行」では、新妻の麗しさがあり、「六段
目」では、実家に戻り、両親と婿殿と同居する生活も板についたという落ち着きを感
じさせる。なかなか、良いお軽であった。

私が観た「六段目」のお軽では、玉三郎(2)、雀右衛門、福助、菊之助、そして、
今回が、時蔵。同じく、「七段目」では、玉三郎(3)、雀右衛門、菊之助、そし
て、今回が、福助。

私が、いちばん観ている玉三郎の場合は、いつも思うのだが、「六段目」では、影が
薄く、「七段目」になると、むくむくと存在感を強めて来る。「七段目」では、由良
之助を相手に、遊女としての色気を見せるし、兄の平右衛門に対してすら、妹を越え
る色気を見せるからである。今回の福助も、遊女らしい色気を発散させていた。

なかでも、印象に残ったのは、「六段目」の時蔵で、勘平の右膝の上で、お互いの手
を合わせて、別れを惜しむ。売られて行くと言いながら、勘平に名前を呼ばれて、
待ってましたとばかりに、時蔵は、大きな声で、「あーい」という科白に万感を込め
ていて、良かった。抱き合うふたりは、結果的には、この世で、最期の抱擁になる。
勘平は、「まめでいやれ」と言葉少なに、若妻をいたわるだけであるが、これ以上の
真情の言葉を知らない。吹っ切れた表情の時蔵。

「六段目」で重要な女形は、お軽の母であり、与市兵衛の妻であるおかや(東蔵)で
ある。勘平に早とちりで、切腹を決意させるのは、与市兵衛を殺したのは、勘平では
ないかと疑い、勘平を攻め立てたおかやの所為である。他人の人生に死という決定的
な行為をさせるエネルギーが、おかやの演技から迸らないと、この場面の芝居は成り
立たない。「六段目」では、おかやには、勘平に匹敵する芝居が要求されると思う。
「お疑いは、晴れましたか」という末期の勘平の科白は、おかやに対して言うのであ
る。

私が観たおかや。吉之丞(2)、鶴蔵、田之助、上村吉弥、そして、今回が、東蔵。
吉之丞のおかやは、2回目の拝見だが、そういう要求される味わいを出していて、良
かったと思う。おかやで、印象に残るのは、ほかでは、田之助だった。今回の東蔵
も、熱演で、存在感があった。

おかやの夫、与市兵衛では、佳緑が、最近では、最高の与市兵衛役者と言われるだけ
に、私も、通し狂言では、3回観ている。ほかは、助五郎時代の源右衛門、権一、今
回は、大蔵。

贅言;筋書きの上演記録を観ていると、与市兵衛を鴈治郎時代の藤十郎が演じている
ことがある。良く見ると、通し狂言の七役早替わりで、師直、由良之助、勘平、定九
郎、与市兵衛、平右衛門、戸無瀬を兼ねている。

左團次の判人・源六と芝翫のお才は、人生の滋味を感じさせる。さすが、存在感があ
り、良かった。しかし、二人とも、脇に廻って、芝居の味を引き出す辺りは、さす
が。勘平、お軽、おかや、お才、そして自分と5人を「安心」あせて、「五安心(ご
あんしん)」という軽口で、悲劇の前の、チャリ場(笑劇)の味を出す。

「七段目」の由良之助は、幸四郎(2)、吉右衛門(2)、團十郎、そして、今回
は、仁左衛門。今回、仁左衛門の由良之助を観て、強く思ったのは、ここの由良之助
は、「昼行灯」というとぼけた滋味をだすだけに、上方の和事味が必要だということ
だった。これまで私が観た「七段目」の由良之助では、吉右衛門が良かった。ここの
由良之助は、前半で男の色気、後半で男の侠気を演じ分けなければならない。前半
は、仁左衛門の醸し出す「上方の和事味」が必要だと気づいてしまった以上、私は、
次回以降、ここの由良之助については、そういう目で見るようになるだろう。

贅言;昼の部の幸四郎が演じる、深刻郎の由良之助像と夜の部の仁左衛門の演じる、
「吉田屋」の、伊左衛門さえ、連想しかねない由良之助像が、通しでは、バランス良
くはめ込まれるという辺りに、「仮名手本忠臣蔵」の人気の秘密があるのかもしれな
い。

「七段目」の本筋は、実は、由良之助より、遊女・お軽と兄の平右衛門が軸となる舞
台である。今回は、福助と幸四郎が演じていたが、ここは、前回観た玉三郎と仁左衛
門が、よかった。当時の劇評を見ると、ふたりが、「たっぷり、愉しく演じていて、
2月の通し上演で、ぴか一の舞台であった」と私は、書いている。玉三郎の本領発揮
の、濃艶なお軽になるのだが、福助は、濃厚さより、兄に向かって、可愛らしい色気
を出していた。幸四郎は、やはり、オーバーな演技で、もう少し、押さえて、それで
いて、滲み出て来るというバランス感があると、おもしろいと思う。

贅言;丸谷才一説では、お軽という命名には、尻軽(多情)というイメージを感じる
というが、「七段目」の福助のお軽は、遊女になじんだ色気がありながら、最後ま
で、勘平さんのことを心配しているという真情も滲んでいて、時蔵→福助のバトンリ
レーが、巧く功を奏していたように感じた。ここのお軽は、勘平さん命という感じ
で、決して、尻軽ではなかった。

前にも書いているが、一力茶屋の二階座敷に現われたお軽は、最初、銀地に花柄の団
扇を盛んに使っているが、これが、極めて、きらつく。これは、後に顔世御前からの
手紙を読む由良之助の手許を鏡で覗き手紙を盗み読む際の、カモフラージュに銀地の
団扇を利用しているのではないかと気が付いた。銀地の団扇も、鏡も、光って見つ
かっても、言い訳が効くということではないか。

九太夫は、私が観た舞台では、5回全てが、芦燕であったという記録が、2年前ま
で、継続していた。芦燕の九太夫は、前半の意地悪く、意固地な筆頭家老から、金に
こだわる、欲深の親子(因に九太夫は、二千石で、息子の定九郎は、二百石というの
が、九太夫の台詞で知ることができる)に替って、饒舌になる。そういうパーソナリ
ティの表現が巧い。このところ、体調不良なのか、お目にかからないのは、寂しい。
今回は、錦吾。

毎回、書くが、「十一段目」は、付け足し。ない方が良いくらい。師直邸の表門に勢
揃い。暗転、明転で、奥庭へ。廻って(小林平八郎=歌昇の遺体が、裏舞台の闇へ、
呑み込まれて行く)、炭部屋、浅黄幕の振り被せ、そして、振り落しで、両国橋引き
上げの場へ。一行は、舞台正面奥から、橋を渡って登場する。改めて、勢揃いする
と、記念写真風になる。

贅言;橋は、「両国橋」ではなく、花水橋(はなみづはし)と、橋には、書いてあ
る。橋の袂には、2枚の立て札があり、ひとつには、「十二月廿日 千部 長泉寺」
と書いてあった。千部会の告知。花水橋は、鎌倉の橋。長泉寺は、遠すぎるので、違
うとは思うが、泉岳寺を示唆するのだろうか。

「十一段目」は、由良之助を含め、討ち入り、チャンバラ、引揚げと、いわば、3枚
の紙芝居の絵を見せられるようで、結局、それだけのものだろう。歌舞伎の舞台とし
ては、ほかの場面とレベルが違い過ぎる。

現在の歌舞伎座では、最後の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の上演であろうが、総じて
配役の妙で、新たな発見もあり、それぞれの場面で、熱演すべき人たちが、きちんと
熱演していて、見応えがあったと思う。最後の引揚げの場面は、恰も、歌舞伎座への
別れ。新しい世界で、また、新たな出逢いを。引揚げて行く役者(義士)の面々。拍
手で、送り出す観客たち。

贅言;今月は、歌舞伎座の昼夜通しを拝見したほか、国立劇場の東西歌舞伎の「始
祖」コンビ(團十郎と藤十郎)の舞台も拝見したが、国立劇場では、たまたま、私の
観た日だけが、そうだったのかもしれないが、大向うから、声がほとんどかからず、
寂しい感じがした。歌舞伎座は、「音羽屋」「松嶋屋」「高麗屋」「成駒屋」などな
ど。賑やかで、やはり、歌舞伎には、大向うの掛け声があった方が良い。
- 2009年11月17日(火) 15:35:44
09年11月国立劇場 (「外郎売」「傾城反魂香」「大津絵道成寺」)


團十郎と藤十郎、東西歌舞伎の「始祖」コンビ


11月の国立劇場の演目のポイントは、江戸歌舞伎の宗家・荒事を創設者の市川團十
郎と上方歌舞伎の和事の創設者の坂田藤十郎が共演する、つまり、東西歌舞伎の「始
祖」コンビの「傾城反魂香」の上演であろう。東京では、初めてのお目見えという配
役である。さらに私に取っては、藤十郎が、「京鹿子娘道成寺」のバリエーションと
言われる「大津絵道成寺」を演じることが、付け加わる。「大津絵道成寺」は、初見
である。

さて、市川團十郎宗家の家の藝を示す歌舞伎十八番から、「外郎売(ういろうう
り)」だが、私は、4回目の拝見になる。この演目は、もともと、動く錦絵のような
狂言。筋が単純な割に、登場人物が、多くて、多彩。歌舞伎に登場するさまざまな役
柄が勢揃いし、しかも、きらびやかな衣装で見せる。華やかな、歌舞伎のおおらかさ
を感じる演目だ。

開幕すると、まず、浅黄幕。花槍(紅白梅)を持った工藤方の8人の奴が登場。我ら
の殿様は、富士の狩り場の総奉行を鎌倉幕府から依頼され、無事、準備も整い、大磯
で休息と誇らしげな話。奴たちは、警護役。いわば、ガードマン。舞台の大臣柱に
は、上手に「歌舞伎十八番の内 外郎売」と書かれた看板があり、下手には、「十二
代目市川團十郎相勤め申し候」という看板がある。奴が退場し、浅黄幕が、振り落と
されると、本舞台中央に、破風のある古風な建物。大磯の廓の体。中央に、工藤祐経
(弥十郎)、工藤の上手側に大磯の虎(芝雀)、化粧坂の少将(右之助)、工藤の下
手側に遊君喜瀬川(新悟)、亀菊(雁乃助)。上手に梶原親子(景高=亀三郎、景時
=桂三)。下手に小林朝比奈(翫雀)、妹の舞鶴(扇雀)。工藤の下手横に少し後ろ
に下がって控えているのが、珍斎(市蔵)。富士山の背景に、上手に紅梅、下手に白
梅。正面二重の上に6人の新造たち。さらに、上下には、松。舞台上下は、上手に大
薩摩連中と芝居の二階桟敷の体。下手には、芝居の鶉桟敷と二回桟敷の体。工藤祐経
は、「朝日さす峰の白雲むら消えて、……、ハテ、麗らかな眺めじゃなァ」とくつろ
いでいる。酒となり、設けの席が押し出され、工藤は、そこへ。

大磯の廓で休憩中の工藤祐経一行の宴に、「小田原名物、ういろう……」折りから聞
こえて来た外郎売の声。祐経の命を受けて小林朝比奈が、花道付際へ行き、「急い
で、これえ」と呼び入れると、向う揚幕のうちから、「有り難うござりまする」と答
える声。いよいよ、外郎売(團十郎)が、対面三重の鳴り物で登場。「ういらう」と
書いた葛籠を背負っている。

珍斎が、外郎売に名を尋ねると、実は、曽我五郎だけに、躊躇した挙げ句、「ウム、
市川團十郎にござりまする」と、お茶を濁すが、観客は、喜ぶ。本舞台、下手へ。東
西声が入り、そして、この演目の見所、早口の「言い立て」となる。今年の正月に、
歌舞伎十八番の「象引」で、国立劇場の舞台に復帰し、顔見世月の11月に、歌舞伎
十八番「外郎売」で、締めくくると口上した後、外郎売の商いについて、早口の故事
来歴の披露。團十郎は、難の口跡も良く、滑らかに、早口弁舌。珍斎が、戯けの役ど
ころで、からむチャリ場。

本心を滲ませて、工藤祐経に近づこうとする外郎売。大磯の虎、化粧坂の少将が、遮
る。さらに、舞鶴、喜瀬川、亀菊、朝比奈、珍斎らが出て、振りごと。緋毛氈の消し
幕で、外郎売を隠す。やがて、消し幕が、外され、外郎売は、正体を顕す。前髪付き
の鬘に、緋縮緬の襦袢、肌脱ぎ、曽我五郎の出で立ちで、再登場。「対面」と同じ場
面となる趣向。

贅言;以前に観た舞台では、曽我十郎も居たが、今回は、配役の関係で、十郎欠席。
五郎の科白「兄十郎この場におらば、手を空しゅうは帰るまじ、チェッ、残念な」。
これを受けて、工藤「アイヤ、手を空しくは帰すまじ、……、祐経が寸志のはなむ
け」と服紗包み(狩り場の絵図面)を投げ与える。融通無碍な歌舞伎の自由さ。土手
(二重)に居た新造たちが平舞台に降りて、代わりに平舞台に居た奴たちが、上手と
下手に別れて、土手に上がり、2人、4人、2人の組み合わせで、花槍を使って、富
士山の輪郭をなぞるように描く。平舞台に居る人たちは、五郎と祐経の見合いも含め
て、全体で、富士の裾野の広がりを示すように、引張りの見得。張りのある團十郎の
科白廻しに安心した。


「傾城反魂香」は、10回目の拝見。藤十郎と團十郎の共演にのみ、コメントし、コ
ンパクトにまとめたい。

私が観た又平おとくの夫婦たち。又平:吉右衛門(4)。團十郎(今回含め2)、富
十郎(2)、猿之助、三津五郎。おとく:鴈治郎時代含めて藤十郎(今回含め2)、
雀右衛門(2)、芝翫(2)、勘九郎、右之助、時蔵、芝雀。

「傾城反魂香」の舞台は、土佐将監の寓居。座敷上手、床の間に、掛け軸。「打鼓北
山舞」と書いてある。これは、後の伏線。襖には、五言絶句の漢詩。写してみた。
「山中何所有 嶺上多白雲 只可自怡悦 不堪持寄君」。

この演目は、吃音者の成功譚である。吃音者の夫を支える饒舌な妻の愛の描き方、特
に、妻・おとくの人間像の作り方が、ポイントになる。何回か、書いているが、おと
くは、例えば、芝翫が演じるような、「世話女房型」もあるし、雀右衛門が演じる
「母型」もある。今回の藤十郎は、芝翫同様の、「世話女房型」であった。これはこ
れで、良いが、最近舞台から遠去かっている雀右衛門の「母型」は、実に、慈母のご
とく、情愛が深くて、私は好きだ。科白にあるように、「しゃべり」と「どもり」の
対比が、古来からの演出のポイントだろうが、吃音者をオーバーに描いている気味
は、拭えないので、この演目を嫌う人も居ることは確か。

絵にかける又平の心は、藝にかける團十郎の心と同じだろう。琵琶湖畔で、お土産用
の大津絵を描いて(次の演目にも関連)、糊口を凌いでいた又平が、女房の励ましを
受けて、だめな絵師としての烙印を跳ね返し、遺書代わりに石の手水鉢に描いた、起
死回生の絵が、手水鉢を突き抜けたときの、「嬶(かか)、抜けた!」という科白廻
しは、2回の難病を克服して、舞台に立っている團十郎の本心の叫びでもあるだろ
う。團十郎の藝熱心な、真面目な人柄が、又平にダブって見えて来る。

贅言;又平が、吃らずに唄い、舞えるという「大頭の舞い」を披露する場面では、又
平にあわせて、女房のおとくが、鼓を打つ。土佐将監の寓居の床の間にあった掛け軸
の文字。「打鼓北山舞」、そのものではないか。

江戸、上方の始祖の名を受け継ぐ両雄の演技は、十全で、生真面目なぐらい安定して
いた。

このほかの配役。土佐将監光信(彦三郎)、将監北の方(右之助)、土佐修理之助
(亀鶴)、雅楽之助(扇雀)。このうち、北の方を演じた右之助の演技は、押さえ気
味であった。北の方は、土佐派中興の祖として、土佐派絵画の権力者だったが、「仔
細あって先年勘気を蒙り」、目下、山科で、閑居している夫・将監と不遇の弟子・又
平との間で、バランスを取りながら、壺を外さぬ演技が要求される難しい役どころ
だ。10回観た「傾城反魂香」のうち、5回は、吉之丞の北の方であった。5回も観
ていると、吉之丞のいぶし銀のような、着実な演技が、観客の脳裏に刷り込まれてい
るのに気づくようになる。そういう意味で、右之助の演技は、おとなしすぎたように
思う。

竹本は、谷太夫だったが、最近、この人は、頭をまるめていて、ちょっと、異相の感
じがするが、熱演していた。それでも、黙って、静かに姿勢良く座っているだけとい
う場面が、2回あった。ひとつは、又平夫婦が、石製の手水に絵を描き、それが突き
抜けているのに気づくまでの場面。「墨も消えず両方より、一度に書いたる如くな
り」の後。團十郎の「抜けた!」という科白を待って、「呆れ果てたるばかりな
り」。

次いで、もうひとつ。土佐の名字を許されて。「嬉し泣きこそ道理なれ」の後。衣装
を着替えて、ひと差し舞うことになり、「ハッと答えて立ち上がり」となるまで、実
に、姿勢良く、黙って、座っていたのが、印象に残る。


「大津絵道成寺」は、初見。大津絵というのは、元々は、滋賀県大津の三井寺(みい
でら)付近で売られた、土地の名産品だった仏教画。無名の工人(吃又でも、大津絵
を描いて糊口を凌ぐという件があった)の手で、絵の巧さよりも、おもしろさを追求
して、絵柄や図案のバリエーションが、どんどん増えて行くに連れて、当初の宗教色
が薄れて行き、独特のタッチで描かれた、ちょっとおもしろい、子どものお土産用の
絵というニュアンスになった。荒唐無稽で、シュールな感じもするが、そういうとこ
ろは、歌舞伎味にも通じる。

「大津絵道成寺」は、この大津絵をモチーフに次々衣装を変えながら踊る変化舞踊。
「大津絵もの」と呼ばれる所作事のひとつ。大津絵の中の人物や動物が、絵から抜け
出して、踊るという趣向。

「大津絵道成寺」は、河竹黙阿弥作詞の「名大津画劇交張(なにおおつえりようざの
まぜはり)」で、1871(明治4)年、守田座・市村座の合同興行で、初演され
た。「京鹿子娘道成寺」を下敷きにしているが、清姫の安珍に対する恋の怨念がある
「京鹿子娘道成寺」の、いわば、重構造の舞踊劇に比べると、三井寺の鐘供養のお祝
いに、大津絵のキャラクターとして知られる、さまざまな人物を登場させて、「変
化」のバリエーションを増やすというやり方の舞踊で、単純な構造の上、ちょっと、
落ち着きが無い。女形の舞踊劇の「勧進帳」とも言うべき大曲「京鹿子娘道成寺」と
比べるのは、酷かもしれないが、まあ、敢えて、比べると、それは、ちょうど、江戸
時代の高級化していった「錦絵」と、庶民の、子ども用の、お土産的な位置づけの
「大津絵」という比喩が、適切かもしれない。

大津は、江戸から、琵琶湖の周囲を廻って、京に上ろうとしたら、通る街道筋で、旅
の客が多い土地柄だけに、大津絵は、大津ブランドの、安価な「お土産品」的色彩が
濃くなった。江戸時代の庶民には、「大津絵」はかなり馴染みが深いもので、どの家
にも、一枚くらいは、「大津絵」があり、屏風の破れたところなどに貼ってあったり
した。歌舞伎の舞台にも、まさに、そういう使い方で、衝立に張ってあったりする。
舞踊劇の「藤娘」は、大津絵のなかでも、著名なキャラクターの藤娘がモデルになっ
た演目である。初見なので、記録の意味も込めて、少し詳しく、書いておこう。

「道成寺もの」らしく、幕が開くと、紅白の段幕、大きな釣り鐘。花道から、「聞い
たか坊主」同様に、「聞いたか、聞いたか」という科白とともに、外方(市蔵)と唐
子たち(女形)、鯰の一行が、登場する。鐘供養と、花見。大津絵のキャラクターの
雷や鬼に供養の庭を荒らされぬよう禁制にしたと噂している。鬼は、手足の指が、3
本しか無い。「一枝を切らば一指を伐るべし」と掟の札を建てたと外方。「熊谷陣
屋」の科白が出て来る。一行が、本舞台に勢揃いすると、道具方が、下手より、枝折
戸を持って出て来る。

ドロドロで、大津絵から抜け出して来た藤娘(藤十郎)が、花道のスッポンから現れ
る黒地に大きな藤の花が描かれている。黒塗りの笠を被り、藤の小枝を持っている。
藤娘も、本舞台へ、「弁慶の鐘供養があるというので、拝ませてほしい」という。枝
折戸を挟んで、外方一行とやり合う。人間か、鬼か。指が、5本あれば、通すが、3
本ならば、通さないなどと問答。

唐子たちの「きなこ餅、きなこ餅」で、「きな(来な)こ(こっちへ)」というわけ
で、唐子が枝折戸を開けて、三井寺の境内に娘を入れてくれる。藤娘が入ると、枝折
戸は、道具方が、さっさと、片付けてしまう。役者を助ける後見たちは、野郎頭の鬘
をつけているが、紋付に袴。裃は、無し。

段幕が上がると、正面雛壇に長唄連中。下手は、常磐津連中。上手は、外方、鯰と緋
毛氈の上に、唐子たち。舞台中央の背景は、琵琶湖の遠見となる。「鐘供養 當山」
の立て札。上手下手には、桜の中に松。

藤十郎の早替わりの様子を示すと、……。長唄「花の外には松ばかり……」。ひと差
し舞った藤娘は、風音(ドロドロ)で、正面下手の松の切り出しの陰に、消える。や
がて、鷹が飛んで来る。皆で、鷹を捕らえようとしながら、上手へ。

下手より、藤十郎早替わりの鷹匠が、出て来る。鷹匠は、鷹を追って、附け打ちにあ
わせて、上手へ。上手より、斑模様の衣装を着た犬(雁乃助)登場。

続いて、同じく、上手より、藤十郎早替わりの座頭。座頭と犬の絡みの後、座頭は、
正面下手の松の切り出しに、観音開きで、割って入る。

犬の振りの後、上手より、藤十郎早替わりの藤娘。藤色の衣装に、藤の花の簪を付け
ている。長唄「恋の手習いつい見習いて、誰に見しょとて紅鉄漿つきょぞ、みんな主
への心中立て……」。長唄、常磐津のかけあい。雷(太鼓の音)が鳴り、藤娘は、下
手に入る。

花道から、船頭が登場。「やましろや」と書かれた傘を差して、首抜きの衣装、顔を
隠している。船頭は、本舞台に入り、さらに、正面下手の松の切り出しの陰のところ
で、笠を表に出したまま、入れ替わる。同じ傘を持って、藤十郎早替わりの船頭が出
て来て、顔を見せる。花道登場は、吹き替えだった。

又、雷の音。上手より、外方、鯰、唐子の一行。入れ違いに、船頭は、上手へ消え
る。雨と雷に祟られた花見。一行は、しんどそうに花道へ入る。

上手より、藤十郎早替わりの藤娘、登場。クリーム色の衣装に、藤の花笠。長唄「面
白の四季の眺めや、三国一の富士の山……」で、山尽くし。途中で、衣装引き抜き。
青地の衣装。鈴太鼓を持つ。長唄「園に色よく……」。やがて、鐘の方を気にし出し
たら、藤娘は、鐘の下に立ち、鐘の中に入る。鐘の後ろに、黒い消し幕。とにかく、
早替わりの連続。めまぐるしいほど。

三つ太鼓で、花道より、弁慶(亀鶴)一行登場。坊主鬘に縄の鉢巻き。厚綿のどて
ら。七つ道具を入れた駕篭を背負い、槍持ちの大勢の奴を従えている。奴たちによる
近江八景の「とうづくし」で、客席に笑い。

弁慶供養の三井寺の鐘が、家鳴りを生じて落ちたという。弁慶の祈りと奴たちの綱引
きで、化粧声のうちに、鐘が、持ち上がると、鐘の中から、藤娘の、後ジテ、大津絵
の鬼(藤十郎)黒い衣装にきんきらの被衣を冠って現れる。奴たちと立ち回り。下手
へ。

押戻しの鳴物。花道から、矢の根五郎(翫雀)が、大津絵の拵えで、鏑矢を持って、
登場。花道で、鬼を止める。鬼は、五郎と弁慶に挟まれる。鬼は、右手に撞木、左手
の奉加帳。五つ頭の見得。鬼は、本舞台へ押し戻される。五郎と鬼の対抗。

片シャギリ。奴の化粧声。上手から、五郎、鬼、弁慶。やがて、鬼は、二段に上が
り、腕を左右に拡げて、柝の頭。打上げの見得。

「京鹿子娘道成寺」や、そのバリエーションの「娘二人道成寺」には、及ばない。
- 2009年11月12日(木) 10:16:22
11・XX 歌舞伎座の食堂で実施した講演の記録。

             09年11月7日・歌舞伎講演レジュメ
            (フランス人のための歌舞伎・人形浄瑠璃入門 第3回)


                          
「仮名手本忠臣蔵」は、ミステリー

《目次》

(1)「仮名手本忠臣蔵」という外題は、暗号
(2)「忠臣蔵」の見所、役者のポイント
(3)隠されたキーワード:大道具(廻り舞台と引き道具)
(4)歌舞伎座物語
(5)勘亭流歌舞伎文字


(1)「仮名手本忠臣蔵」という外題は、暗号

「仮名手本忠臣蔵」は、1701年、旧暦=太陰暦の元禄14年3月の江戸城内での
赤穂藩主・浅野内匠頭の刃傷事件から浅野家の家臣、大石内蔵助ら、俗にいう、赤穂
浪士47人の吉良邸討ち入りという一連の事件という史実を題材としている。

討ち入りは、1703年1月(元禄15年12月)の事件だが、1748年初演の
「仮名手本忠臣蔵」は、47年目に、それまで演じられた46の「赤穂義士もの」を
集大成する決定版の芝居として、47番目の芝居として、仕立て上げられた。芝居の
外題が、史実の事件名になったのは、希有であろう。

裁きをした徳川幕府(=将軍綱吉)への政道批判になる内容なので、浅野家と吉良家
の話とはせずに、上演時より、さらに、およそ400年前、「太平記の世界」、南北
朝時代・足利直義(忠義、尊氏の弟。14世紀前半)の時代の話として、想定してい
る(浅野内匠頭→塩冶判官、吉良上野介→高師直、大石内蔵助→大星由良之助)。

テーマは、権力者の「金と恋(欲と色)」の物語。風俗や時代考証なども無視して、
自由闊達、荒唐無稽にデフォルメ、誇張、様式化して劇化、芝居に埋め込まれた謎を
解いたりしながら江戸の庶民は、舞台を楽しんだ。時代と世話。時代は、武士。世話
は、庶民、つまり、我が身。両方をダブルイメージして、楽しんだ。

例えば、「仮名手本忠臣蔵」という外題は、まさに、暗号が輻輳している。「仮名」
とは、日本語のアルファベットである、「いろはにほへと」という47文字。「仮名
手本」とは、国語の教科書(習字手習いの手本)を意味し、47文字は、47年前
に、四十七士が討ち入りしたという事件を暗示している。赤穂義士という「忠臣た
ち」を武士、いや、広く封建時代の人間一般の道徳の「手本」とするという意味も、
込められた。

「仮名」ということで、「仮」、つまり、「正史(せいし)」(公式の歴史)ではな
く、「通史」(通俗的な歴史)という揶揄も込められている。

芝居の幕開きを告げる柝(き。拍子木)の音も、47回打ち鳴らされる。道具方が引
く幕も、それにあわせて、下手から、上手に47回に分けて、すべてを開き切るよう
に、ゆっくり、開いてゆく。

さらに、仮名手本の「いろはにほへと」を7文字ずつ区切って読み、それぞれの末尾
の字だけを繋げると、

「いろはにほへと」
「ちりぬるをわか」
「よたれそつねな」
「らむうゐのおく」
「やまけふこえて」
「あさきゆめみし」
「ゑひもせす」

「と、か(が)、な、く、て、し。す」となり、四十七士は、「忠義で死ぬだけで、
無実(咎無し)だ」という庶民の幕府批判が隠されているという説もある。

ただし、「いろは歌」は、平安中期の作なので、「仮名手本忠臣蔵」とは、無関係。
時代を経るに連れて、どんどん意味が、過重になる。

「忠臣蔵」は、「忠臣」、「忠義な家臣」の、「忠臣蔵之助」という意味もあり、大
星由良之助のモデルになった大石内蔵助をさすだろうし、大石だけでなく、そういう
忠義な家臣たちが、多数=「蔵」(倉庫に一杯)いるという意味もあるだろう。


(2)「忠臣蔵」の見所、役者のポイント

(今回、フランス人たちと一緒に観たのは、昼の部のみ)「昼の部」の見どころ:
「昼の部」は、ほかでは、やらない見所が多い。幕外の口上人形を使った「役人替え
名(やくにんかえな)」という、役者の配役紹介。

*「大序」独特の開幕儀式。開幕直後の「大序」は、天王建(てんのうだて)という
独特の伴奏音楽(鳴物)、「七五三(しめ、祝儀)」の置き鼓に7、5、3と鼓を打
つのに、あわせた東西声(とうざいごえ、とざいごえ)が(下手7回、中央5回、上
手3回)かぶる、頭を下げた人形のように動かなかった登場人物が、浄瑠璃(たけも
と)による名前の紹介にあわせて操り人形のようにぎこちなく動き始める(竹本に
よって、人形に魂が入る)。「大序」は、丸本歌舞伎独特の「序」の儀式的な演出
が、続く。ほかでは、見られないので、注意。下手のイチョウの木も、本来なら、舞
台設定は、早春なので、葉っぱが、黄色ではおかしいが、なぜか、ここは、昔から、
黄色い葉っぱ。これも、ミステリー。

*(あらすじに重複しないように)ここのポイント。

欲(金と色)の権化、憎まれ役の師直は、黒い衣装、それに対抗する若狭之助は、浅
葱(水色)、判官は、薄い黄色(卵色)と、人間関係も色彩的。最初は、師直と若狭
之助の対立。「進物場」で、若狭之助の家老(加古川本蔵)が、危機管理意識から、
師直に賄賂(金)を贈り、殿様の危機を救う。「松の間」では、若狭之助は、悲劇を
起こさない。替わりに、色(欲)ということで師直と判官の対立へと、師直は、判官
の夫人顔世への横恋慕に失敗し、判官を虐める。その結果、三段目のうち「松の
間」、四段目(「判官切腹」と「城明け渡し」)の展開→現代なら、さしずめ、社長
が、事件で逮捕され、会社倒産、社員は、リストラという物語。

*そこで、登場人物の関係図=会社組織に置き換えてみる。

まず、彼らの、例えば、会社組織の人たちとして、見直してみようか。取りあえず、
次のように想定してみた。

判官:関連会社社長。
師直:親会社の総務部長。
顔世御前:関連会社社長夫人。
伴内:親会社の秘書課長。
由良之助:関連会社副社長。
勘平:関連会社平社員。
お軽:関連会社秘書課員で平社員の恋人。後に、平社員の妻。後に、会社御用の酒場
のホステス。

さらに、人物像を現代的に描いてみると、次のようになるか。
社長のご乱心で、会社閉鎖、あるいは、社長の経営失敗で、会社が倒産という状況。
残された社員は、副社長の采配で、リストラのなか、なんとか目標を見つけ、生き抜
こうとする物語。

そういう風に見れば、忠臣蔵は、極めて、現代的な物語である。そういう読み替えを
可能にするところに、演劇としての、「忠臣蔵」の持つ永遠の生命感のようなものを
感じる。

*人物像

判官:史実の浅野内匠頭は、変った人だったようで、精神病質の不分明さを持ってい
るのではないかと疑われる。吉良上野介に斬り付けた際の言動も動機も良く判らな
い。しかし、仮名手本忠臣蔵の判官は、短慮だが、犯行の動機は、明解だ。師直に虐
められ、堪忍袋の緒が切れて、逆襲した。いわば、キレる人。あるいは、パニック障
害かもしれない。

親会社で関連会社全国社長会議が開かれて、緊張して、兵庫県の赤穂市から出張して
きた。何でも知っている親会社の総務部長に聞けば、ちゃんと教えてくれると前任の
社長から申し送りがあったので、そのつもりできたら、どうも不親切だ。否、不親切
どころか、意地悪をする。前任者が、「袖の下」のことをきっちり教えていなかった
のが、原因なのだが、緊張している所為で、そこに気が付かない。それどころか、苛
めに耐え切れず、「弱者の逆襲」で、大局観を持たないまま、短絡的に凶行に及んで
しまった。ストレスに弱いタイプ。そういう「弱い」(あるいは、純粋な)性格の持
ち主ではないか。現代社会でも、増えているタイプ。

師直:親会社の総務部長としては、有能な管理職だが、有能故に、袖の下も要求する
し、セクハラ、パワハラも、平気の平左衛門。社長会議に夫人同伴した判官の妻・顔
世御前に横恋慕。付け文はするわ、セクハラ行為はするわ。困った親父である。パワ
ハラの果てに、虐めた社長から逆襲されて、怪我。皆が、「ざまあーみろ」と溜飲を
下げこそすれ、同情などしない。こういうタイプも、多いのではないか。

顔世御前:美人妻ゆえ、とんだ災難。夫に同伴して、上京したばかりに、犯罪者の妻
になってしまった。

伴内:師直部長の腰巾着。それでいて、ミニ師直部長のような、嫌らしい課長。虎の
威を借る、典型的なタイプだが、それなりに実務は、有能らしい。

由良之助:問題の社長を支える副社長で、能吏。危機管理能力抜群。スーパーマン。

勘平:若いのに、鬱々としている。思い込みが激しく、早とちり。それでいて、勤務
時間中に美人秘書とアバンチュールを楽しむ大胆さも、持っているが、肚が座ってい
ないから、すぐ、後悔し、気に病むタイプ。いわゆる、草食系か。女性に優しいだけ
の、「駄目男」タイプか。

お軽:美人で、気が効いていて、有能な秘書で、どんな環境にも適応する優秀な性
格。不幸なことも、前向きに考えて、絶えず、前進できるタイプ。皆が、嫁さんにし
たいと思う人だろうが、残念ながら、男を見る眼がない。自分が、何でも出来るの
で、男に期待しないタイプ。むしろ、保護したいという母性本能が強い。だから、勘
平のような「駄目男」に引っ掛かる?

昼の部では、赤穂浪士予備軍の選定段階で、後に討ち入りする浪士たちは、まだ、
はっきりした姿を見せてこない。


*場面ごとのミニ解説(ポイントのみ)

1)「大序」

師直役者は、色と欲という前半のテーマの主役。憎しみあり、滑稽味あり、強かさあ
り、狡さあり、懐の深さありで、多重な性格を滲み出す憎まれ役で、場面場面で、実
に滋味ともいうべき演技が要求される。顔世御前ヘの横恋慕、若狭之助への苛めと賄
賂を受け取ってからの諂(へつら)い、そして判官ヘの苛めなどで、師直という男の
全体像のスケールを構築しなければならない。「忠臣蔵」のうち、「大序」から「三
段目」までは、師直の横恋慕をベースにした虐めがテーマということで、一人の老い
た男の若い男女への、セクハラ、パワハラが、演じられる。

今回も、判官に勘三郎、若狭之助に梅玉と主役クラスが出演している。若狭之助は、
後の、判官の悲劇を引き立たせる役割がある。梅玉は、存在感をだせるか。「大序」
は、全てに決まり事があり、古式床しく、物々しい、特別な歌舞伎になっているが、
その特別さは、師直役者の存在感を軸にしているということが、今回の富十郎を観て
いれば、良く判る。富十郎は、存在感溢れる演技をするであろう。憎まれ役に存在感
があると、その芝居は、成功する。

2)「三段目」

(「足利館門前進物の場」)鷺坂伴内が主役だ。鷺坂伴内という名前は、「詐欺」、
「慙(ざん)ない=見るにしのびない、見苦しい」という意味が隠されていると言
う。

伴内は、賄賂の受け取りでも、駕篭のなかの師直の代役をするぐらいだから、有能な
サラリーマンであり、最後まで忠義の秘書課長なのだ。要するに、戦国時代なら、さ
しずめ、師直の影武者という役回りだろう。ずる賢い滑稽な役柄だけではない、複雑
さを持っているはずなのだ。

「道行」の伴内は、大序の師直の顔世御前への横恋慕のパロディとして、お軽への横
恋慕をなぞるという二重性を秘めている。つまり、判官と顔世御前対師直という三角
関係→勘平とお軽対伴内という三角関係。歌舞伎は、こういうパロディに拠る繰り返
しを良くやる。従って、ここの伴内は、いわば、影武者として、「小型師直」を彷佛
させなければならない。

3)「四段目」

ここは、切腹する判官(勘三郎)から遅かりし由良之助(幸四郎)へと主役が転じる
が、総じて、ポイント掴み的にまとめてしまえば、判官は、禁治産者になってしま
い、専ら、由良之助の芝居である。力弥(孝太郎)の「いまだ参上つかまつりませ
ん」は、時間との勝負という緊迫感を盛り上げる。特に、表門城明け渡しの場面は、
由良之助役者の独り舞台だ。由良之助の動きに合わせて、大道具の城門が、およそ、
3回に分けて、上手を中心に円を描くように下手側だけ、すうっ、すうっと徐々に遠
ざかる「引き道具」(大道具に、「車」が、ついている。後ろで、引っ張って、道具
を下げる)になるのは、いつ観ても良い。観客に由良之助役者をじっくり、安定的
に、見せながら、それでいて、城から遠ざかるという状況をきちんと伝える卓抜な演
出。そして、「送り三重」(三味線の演奏)での、由良之助の花道の引っ込み。歌舞
伎の渋い魅力を満喫できる場面。

4)「道行」

この道行は、勘平にとっては、主人の大事なところに居合わせなかったという失敗を
悔いながらの都落ちだが、何事も、前向きな、お軽にとっては、いわば、「新婚旅
行」。菊五郎が、都落ちの若者の鬱屈を、時蔵が、新婚旅行の若妻の色気、浮き立つ
気持ちを抑えながら、という辺りを、どのように演じるか。

演出的な「道行」の意味:所作事(舞踊劇)「道行」は、苛めだ、刃傷だ、切腹だ、
復讐だと、鬱陶しい「仮名手本忠臣蔵」の前半の、気分直しの場面だ。いわば、間奏
曲。忠義の物語という本筋に対するパロディ。「道行」の伴内は、大序の師直の顔世
御前への横恋慕のパロディとして、お軽への横恋慕をなぞるという二重性を秘めてい
る。つまり、判官と顔世御前対師直という三角関係→勘平とお軽対伴内という三角関
係。歌舞伎は、こういうパロディに拠る繰り返しを良くやる。基本的には、男女の道
行を邪魔立てする滑稽男・藤太、伴内の登場の場面は、江戸の庶民のお気に入りの場
面だろう。テキストの深刻さより、見た目の華やかさ、特に花四天のからみによる
「所作立て」(所作事のなかの立ち回り)は、何回観ても飽きない。昼の部の「道行
 旅路の花聟」は、「三段目」の「裏門」のバリエーション。勘平とお軽。別称、
「落人」、「三段目の道行」。昼の部は、ここまで。

(3)隠されたキーワード:大道具(廻り舞台と引き道具)

ここは、場面展開に廻り舞台をフル活用。「三段目」、足利館(江戸城のこと):
「進物の場」から「松の間」刃傷へ(道具方が、丸めた長い薄縁を持って、上手袖に
登場し、一気に薄縁を投げ出すと、するすると、上手に到達し、場内から、拍手が起
こる場面)。「四段目」、扇ヶ谷(江戸の赤穂屋敷のこと)での判官切腹、表門城明
渡しへと、舞台は鷹揚にくるりくるりと廻る。舞台は、廻る。廻って、廻って、「忠
臣蔵」は、実に廻り舞台の機能をフルに回転させる。「道行」の浅葱幕の振り落とし
といい、廻り舞台といい、大道具の機能の魅力を知リ尽している。

ここは、役者の演技と合わせて、廻り舞台(松の間、城明け渡し)、花道(判官切
腹)、引き道具(城明け渡し)

*キーワードの説明:

★「花道」:バーチャルリアリティ。夢(役者との交歓)の飛び出す画面。街道、参
道、土手道、雪道(白布を敷き詰める)川や海(浪布を敷き詰める。舟が通る)、御
殿の廊下(薄縁を敷き詰める。向こう揚幕も、襖になる)など。残念ながら、歌舞伎
座の3階席からは、花道の全景は、見えない。

はな(祝儀)を役者に渡すとか、能の「橋懸り」が起源という説があるが、そうだと
しても、江戸の庶民は、それ以上の物を花道に求めた。花の役者が、通る道。役者
が、花を飾って(綺麗に着飾って)出て来る道。これは、役者を相撲取りに置き換え
れば、通用する。相撲も、花道。役者も、それに応えて、出端(でば)や引っ込みの
芸を洗練させる、花道を「歩く」だけでも、いろいろな芸を生み出した。例えば、七
三(いつものところ)で、出入りで、それぞれ一芝居。本舞台より近い所で、役者と
観客が、触れあうことができる。まさに、役者と「交歓」する感じ。

★廻り舞台:「廻り舞台」は、並木正三(1730ー73)が、考案した。1758
年の「三十石◎(舟偏に登)始(さんじつこくよふねのはじまり)」で、初めて使っ
た。時間の経過、別の場所で同時刻など。並木正三歌舞伎狂言の作者でしたが、大道
具の素早い展開の工夫を重ね、廻り舞台(独楽回しからヒント)のほか、「がんどう
返し」や「引き道具」など、大掛かりな大道具の、素早い転換装置を考えだした。

★「引き道具」:大道具に、「車」が、ついている。引き出したり、引き戻したりし
て、大道具を動かす。

★判官の切腹の場面は、畳二畳が裏返しされ、さらに、白い敷布が掛けられる。四隅
に樒(しきみ)が飾られる。切腹後の遺体が駕篭に入れられる場面では、あわせて4
0人の諸士(その多くは、舞台下手袖の後ろにいて見えない)が、赤い消し幕のよう
に、壁を作り、客席の視線を遮る。白い敷布は、本当に消し幕となり、畳二畳も、障
壁の役割をした上で、簡単に片付けられる。役者の動きも、小道具の動きも、無駄が
ない。良く工夫されている。


(4)歌舞伎座物語

(建物の変遷のみ)
*1889(明治22)年に明治の演劇改良運動を背景に開場。

演劇改良運動は、明治維新をへて、近代国家として歩み始めた近代日本で政治的、経
済的、軍事的にも、欧米に追いつこうという「欧化主義」が、押し進められたが、文
化、演劇の面でも、荒唐無稽な歌舞伎を改良して、ヨーロッパのオペラのような国劇
にしようという運動が、展開され、そのための活動拠点として、歌舞伎座が、開場し
た。最初の歌舞伎座は、外観が、洋風の建物であった。

*1911(明治44)年、外観が、和風の宮殿様式の建物に建て替えられたが、1
0年後、1921(大正10)年、火災で、焼失。

*1924(大正13)年、外観が、桃山風の建物として、再建された。

*1945(昭和20)年5月の空襲で、焼失、骨格を元に復元して、
*1951(昭和26)年、復興再開場されたのが、今の歌舞伎座である。

*2010年4月まで「さよなら公演」なので、59年間使用することになる。

次は、2010年5月の取り壊し、着工。3年後、2013年春、新劇場完成見込
み。3年がかり。

新劇場(地下1階地上4階)と背後に高層(地下4階地上29階。高さ135メート
ル)オフィスビル併設。

劇場の一部は、リサイクル。座席数は、現在の1859程度。歌舞伎の「ギャラ
リー」、「国際文化交流センター」、「歌舞伎アカデミー(いずれも仮称)など併設
の予定。


(5)勘亭流歌舞伎文字

歌舞伎の看板や番付(プログラム)を書く独特の文字。1779年、江戸堺町の書道
指南・岡崎屋勘六(1746年ー1805年)が、中村座のために考案したと伝えら
れる。筆太で、隙間なく、内へ内へと丸く、曲げるように書く。四角い枡席に人が大
勢入るように、という願いを込めている。似た文字に、寄席文字(橘流)、相撲文字
(根岸流)があるが、勘亭流は、勘六の号の「勘亭」から、つけられた。

以上
- 2009年11月10日(火) 11:04:05
09年11月歌舞伎座 (昼/「仮名手本忠臣蔵」)


歌舞伎座最後の顔見世興行


今月は、現行の歌舞伎座としては、最後の顔見世月。劇場正面に掲げられた櫓は、い
つものように、11月だけ、飾られずに、さよなら公演最終日の4月末まで、掲げら
れるという。顔見世興行は、本来なら、向う1年間は、当劇場では、こういう顔ぶれ
で、芝居興行をしますという宣言と役者の紹介(顔見せ)を意味しているが、今回の
歌舞伎座の顔見世は、異例の顔見世ということになる。

「仮名手本忠臣蔵」は、400年以上になる歌舞伎の歴史の中でも、三大か演目とい
われ、「独参湯」(特効薬。不況でも、大入りする演目という意味)として、数ある
歌舞伎の演目の代表に位置する。通俗史的に見ても、芝居の外題が、史実の事件名に
なった希有な例であろう。

昼の部の劇評は、先に、フランス人相手の講演で使ったレジュメを掲載しているの
で、今回出演の役者の演技論などを中心にコンパクトにまとめたい。

テーマは、武士道の忠義ならぬ、欲(金と色)ということで、庶民の目を通して、描
かれている。その権化が、憎まれ役の師直(富十郎)。黒い衣装の年寄りで、化粧も
憎々しげ。有能故に、袖の下も要求するし、セクハラ、パワハラも、平気の平左衛
門。困った親父である。パワハラの果てに、虐めた判官から逆襲されて、怪我。皆
が、「ざまあーみろ」と溜飲を下げこそすれ、同情などしない。こういうタイプも、
最近は、多いのではないか。あなたの職場にも、いませんか。

師直役者は、色と欲という前半のテーマの主役。憎しみあり、滑稽味あり、強かさあ
り、狡さあり、懐の深さありで、多重な性格を滲み出す憎まれ役で、場面場面で、実
に滋味ともいうべき演技が要求される。顔世御前ヘの横恋慕、若狭之助への苛めと賄
賂を受け取ってからの諂(へつら)い、そして判官ヘの苛めなどで、師直という男の
全体像のスケールを構築しなければならない。「忠臣蔵」のうち、「大序」から「三
段目」までは、主軸となる師直の横恋慕をベースにした虐めがテーマということで、
一人の老いた男の、若い男女への、セクハラ、パワハラが、演じられる。

それに対抗するのは、若くて、スマート、颯爽とした若狭之助と判官で、若狭之助
(梅玉)は、浅葱(水色)、判官(勘三郎)は、薄い黄色(卵色)と、こちらは、衣
装も、鮮やか。「大序」では、師直と若狭之助の対立。

贅言;「大序」の東西声だが、舞台裏の、まず下手から聞こえて来る。「とーざい」
と7回(6回、7回は、「とざい、とーざい」という声が、区切りとなる)続くと、
竹本の三味線が、鳴り出す。次の声は、中央に移動し、「とーざい」と5回(4回、
5回は、「とざい、とーざい」)。太夫が、「太平の世の……」と語り出す。そし
て、最後は、上手に移り、「とーざい」「とざい」「とーざい」。太夫は、「頃は、
……」で、登場人物の名前を「足利左衛兵督直義」と呼ぶと、足利直義(七之助)
が、動き始める。

「三段目」の足利館(江戸城)。「松の間」では、師直と判官の対立へと転換する。
その秘密は、その前の「進物場」で、若狭之助の家老(加古川本蔵=菊十郎)が、有
能な能吏の危機管理意識から、師直に賄賂(金)を贈り、殿様の危機を救う。脇役な
がら、菊十郎は、存在感のある演技。

「進物の場」の重要な役が、もう一人いる。鷺坂伴内(さぎさかばんない。橘太郎)
だ。鷺坂伴内という名前は、「鷺=詐欺」、「伴内(ばんない)=慙(ざん)ない:
見るにしのびない、見苦しい」という意味が隠されていると丸谷才一は、言う。伴内
は本蔵からの賄賂の受け取りでも、駕篭のなかの師直の代役をするぐらいだから、有
能なのだ。要するに、戦国時代なら、さしずめ、殿様の影武者という役回りだろう。
ずる賢い、滑稽な、という役柄だけではない、複雑さを持っているはずなのだ。橘太
郎も、存在感があった。ここは、通称、「えへん、ばっさり」というように、伴内を
軸にした中間たちとの寸劇。次の、刃傷事件という悲劇の前の、「笑劇」で、次の、
悲劇との落差を大きくするための、定法の演出である。

贅言;「笑劇」と言えば、「仮名手本忠臣蔵」は、上演時から遡る400年ほど前の
「太平記」の舞台を想定しながら、登場人物の衣装は、江戸時代の衣装となっている
から、いわば、現代なら、背広を着て、刀を差しているという感じになるのではない
か。そういう風に、冷めた目で見ると、「仮名手本忠臣蔵」全体が、庶民から武士社
会を見る「笑劇」という構造になっていることに気がつく。

「松の間」では、若狭之助は、悲劇を起こさない。怒りが頂点に達したまま登城した
若狭之助(梅玉)は、刀を投げ出し、平謝りする師直に、訳が分からないまま、上手
襖から廊下に姿を消すが、こういう役柄は、梅玉は巧い。

替わりに、色(欲)ということで金(賄賂)をもらった師直は、そのやましさもあっ
て、判官に当てこすりをする。そこへ、文箱に入った顔世の短冊が、お軽→勘平→判
官→師直という手順で、この場にもたらされる。短冊は、顔世に付け文した師直への
返事で、つれないもの。それを読んで、火に油を注がれた状態の師直は、判官の夫人
顔世への横恋慕に失敗したと判断し、判官に対して限度を超えて、虐める。その結
果、「三段目」のうち「松の間刃傷」、その結果としての「四段目」(「判官切腹」
と「城明け渡し」)への展開となる。

現代なら、さしずめ、短慮な社長が、事件で逮捕され、会社倒産、社員は、リストラ
という物語という展開になる。ここは、とにかく、富十郎、渾身の演技で、演技を越
えて、観客にも、憎々しさが伝わって来る。

「大序」は、全てに決まり事があり、古式床しく、物々しい、特別な歌舞伎になって
いるが、その特別さは、師直役者の存在感を軸にしているということが、今回の富十
郎を観ていれば、良く判る。憎まれ役に存在感があると、その芝居は、成功する。

勘三郎の判官の演技は、なぜか、抑圧的で、印象が薄まっているのが、残念。師直に
虐められ、堪忍袋の緒が切れて、逆襲した。いわば、キレる人。あるいは、パーソナ
リティ障害かもしれない。苛めに耐え切れず、「弱者の逆襲」で、大局観を持たない
まま、短絡的に凶行に及んでしまった。ストレスに弱いタイプ。そういう「弱い」
(あるいは、純粋な)性格の持ち主ではないか。現代社会でも、増えているタイプ。
そういう広がりが、勘三郎の演技からは、伝わってこない。

贅言;「進物の場」から「松の間」に替わると、花道は、足利館門前の街道から「松
の間」の廊下へと替わる。薄縁が、道具方の手で、敷き詰められ、向揚げ幕の幕も、
襖に替えられる。廻り舞台が静止し、大道具が止まると、本舞台では、上手に現れた
道具方が、巻き上げた最後の薄縁を一気に放り投げて、下手まで、薄縁を敷き詰めて
しまう。そして、明転。舞台の準備完了となる。

金地に松の絵柄。下手に置かれた衝立も、金地に松と日の出の絵柄。この後ろに、桃
井家の家老・加古川本蔵が、殿様の若狭之助の不祥事が起きそうになったら、防ごう
と隠れているが、実際には、刃傷後、判官を抱きとめるという役どころとなる。「抱
きとめられて心残り」が、判官の遺言となり、それ故に、後の「討ち入り」が起こる
し、本蔵の娘・小浪と大星力弥との婚約が破棄され、というように物語は、展開す
る。

「四段目」では、鎌倉・扇ヶ谷の塩冶判官の屋敷(赤穂家の江戸屋敷)で、銀地の
襖。切腹する判官(勘三郎)から、「遅かりし由良之助(幸四郎)」へと主役が転じ
る。総じて、ポイント掴み的にまとめてしまえば、判官は、禁治産者になってしま
い、専ら、由良之助の芝居である。力弥(孝太郎)が、何度か言う「いまだ参上つか
まつりません」という科白の調子の変化は、時間との勝負という緊迫感を盛り上げ
る。力弥は、女形が演じる。黒地の衣装の袖も、「半」振り袖のような長さである。

花道に現れた由良之助と舞台中央の判官、上手の上使の一人・石堂右馬之丞(仁左衛
門)の三角形が、安定している。石堂は、猿冶家に同情的である。三角形の両脇に、
下手は、力弥、上手は、もうひとりの上使で赤面(あかっつら、憎まれ役)の薬師寺
次郎左衛門(段四郎)が居て、芝居の幅を広げている。腹を切った苦しみの中で、勘
三郎の判官は、「かたみ」という言葉に、「かたき」という意味を滲ませる。幸四郎
は、「委細」(承知)と、大きく胸を叩き、今際の際の判官の耳に意思を伝達する。

贅言;石堂右馬之丞が、塩冶家に礼を尽くして引き上げる際、力弥は、見送らない。
「不祝儀は、見送りせず」という慣習。「播随院長兵衛」でも、同じ趣旨の科白を院
長兵衛も言う。

顔世御前は、白い衣装に着替え、髪を切り、白い衣装の腰元たちと奥から出て来る。
腰元の中に、芝のぶがいる。喪服の芝のぶも、美しい。判官の遺体を駕篭に乗せた
後、焼香となるが、まず、顔世、そして、筆頭家老の斧九太夫(なんと、居眠りをし
ていた)、由良之助の順で行い、藩士代表(選手会の会長のような立場)の原郷右衛
門(友右衛門)が、焼香する際には、力弥、藩士たち、腰元たちも、一緒に頭を下げ
る。判官の遺体を載せた駕篭は、4人の藩士たちが、肩で担がずに、腕で支えて移動
させた。「手掻き」(「駕篭掻き」ではない)という。

特に、表門城明け渡しの場面は、由良之助役者の独り舞台だ。藩論をまとめ、敵討ち
への決心をする大事な場面だ。由良之助の動きに合わせて、大道具の城門が、およそ
3回に分けて、上手を中心に円を描くように下手側だけ、すうっ、すうっと徐々に遠
ざかる「引き道具」(大道具に、「車」が、ついている。後ろで、引っ張って、道具
を下げる)になるのは、いつ観ても良い。舞台前面にいる由良之助役者をあまり動か
さずに、肚の内をじっくり、安定的に、観客に見せながら、それでいて、城から遠ざ
かるという状況をきちんと伝える卓抜な演出。

そして、幕外の「送り三重」(三味線の演奏)での、由良之助の花道の引っ込み。歌
舞伎の渋い魅力を満喫できる場面。幸四郎は、いつもながらの、実線で描いたような
演技で、きっちり見せるが、時として、演技過剰になる嫌いがある。能吏。危機管理
能力抜群なのだから、それを自己主張しない方が良いと、思う。リアルと過剰は違う
だろう。

「道行 旅路の花聟」は、「三段目」の「裏門」のバリエーション。勘平とお軽。別
称、「落人」、「三段目の道行」。所作事(舞踊劇)「道行」は、苛めだ、刃傷だ、
切腹だ、復讐だと、鬱陶しい「仮名手本忠臣蔵」の前半の、気分直しの場面だ。いわ
ば、間奏曲。忠義の物語という本筋に対するパロディ。幕が開くと、浅黄幕。やが
て、浅黄幕が、振り落とされて、明転効果。気分一新。夜の想定なのに、明るい。

「道行」は、勘平(菊五郎)にとっては、主人の大事なところに居合わせなかったと
いう失敗を悔いながらの都落ちだが、何事も、前向きな、お軽(時蔵)にとっては、
いわば、「新婚旅行」。不幸なことも、前向きに考えて、絶えず、前進できるタイ
プ。懐から出した函迫(はこせこ、和風ハンドバック)を「松の間」に登場させてし
まった「文箱」に例えたり(お軽にとっては、「裏門」での逢引の思い出)、自分の
袖を錦絵に見立てて、美男と言われた歌舞伎役者の「白猿」(はくえん。七代目團十
郎の俳号)に勘平が似ていると、のろけたり、自分の袂を結んで、ふたりの仲の良さ
(あるいは、2日間の旅の間の性愛の悦びも、滲ませているだろう)を強調したりし
て、初々しい新妻らしい所作がある。

山崎の実家に戻ったら、機を織り、着物の仕立てをして、勘平には、生活の苦労をさ
せないと健気に主張し、先の生活は心配するなと励ますお軽。勘平は、若いのに、
鬱々としている。思い込みが激しく、早とちり。新婚旅行の途中でも、何度か、死に
たいと漏らす。勘平の刀を隠したり、お軽も、苦労をする。

贅言;パワハラの親父・師直、キレる人・判官、鬱々の若者・勘平というように、人
物像を見直せば、何と、現代的なことか。

菊五郎が、都落ちの若者の鬱屈を演じ、時蔵が、新婚旅行の若妻の色気、浮き立つ気
持ちを抑えながら、それでいて、若妻の落ち着きを滲ませた、潤いのある表情で、そ
こにいるだけで、十分に伝わってくるような卓越した演技であった。

鶏が鳴き、夜が明ける頃。伴内一行が、追いついて来る。「道行」の伴内(團蔵)
は、大序の師直の顔世御前への横恋慕のパロディとして、お軽への横恋慕をなぞると
いう二重性を秘めている。つまり、判官と顔世御前対師直という三角関係→勘平とお
軽対伴内という三角関係。歌舞伎は、こういうパロディに拠る繰り返しを良くやる。
従って、ここの伴内は、いわば、影武者として、「小型師直」を彷佛させなければな
らない。

基本的には、男女の道行を邪魔立てする滑稽男・藤太(「吉野山」)、伴内の登場の
場面は、江戸の庶民のお気に入りの場面だろう。テキストの深刻さより、見た目の華
やかさ、特に花四天のからみによる「所作立て」(所作事のなかの立ち回り)は、何
回観ても飽きない。「猫返し」(横にトンボを切る)、「トンボ」、「四つ目」(花
四天が、4人で取り囲む)など。鷺坂伴内だけに、刀を額に付けるようにして持ち、
鷺の長いくちばしを真似て、下手に退場。

竹本「可愛、可愛の夫婦(みょうと)連れ……」となるが、花四天たちを組ませて、
馬に見立て、それにまたがり、尚も、うるさく追いすがる伴内に勘平が、「馬鹿め」
と、河内山、あるいは、五右衛門並みの科白で、鬱を吹き飛ばす。幕外の花道引っ込
みがあり、夫婦(みょうと)の道行。

昼の部では、赤穂浪士予備軍の選定段階で、後に討ち入りする浪士たちは、まだ、
はっきりした姿を見せてこない。
- 2009年11月10日(火) 10:53:46
09年10月国立劇場 (「京乱噂鉤爪(きょうをみだすうわさのかぎつめ)」)


江戸川乱歩原作の「人間豹」は、1934(昭和9)年から翌年にかけて、雑誌「講
談倶楽部」に連載された通俗ミステリー小説である。それが、舞台を昭和初期の東京
から幕末の江戸に移して、新作歌舞伎「江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎつ
め)」として、去年の11月に国立劇場で上演された。その続編「京乱噂鉤爪(きょ
うをみだすうわさのかぎつめ)」が、オリジナル作品として、再び、劇化され、10
月の国立劇場で、上演された。高麗屋一座の興行で、原案は、市川染五郎、演出は、
松本幸四郎こと、九代琴松(くだいきんしょう)、脚色は、私の知り合いのペンネー
ム岩豪友樹子さんなので、去年に続いて、拝見した。

歌舞伎役者の中でも、いろいろチャレンジする人は、少なく無いが、そのなかでも、
父親の幸四郎の刺激を受けてか、染五郎は、熱心な一人。乱歩は、日本文芸家協会の
文士劇で、歌舞伎が上演される時、「鈴ケ森」の幡髄院長兵衛役を演じたり、「河内
山」の河内山宗俊役を演じたりしたほど、歌舞伎好きであったが、歌舞伎の原作を書
いたり、原作が歌舞伎化されたりしたことはなかった。「人間豹」は、乱歩作品、初
めての歌舞伎化であり、去年の好評を受けて、続編が、続けて、上演されたことを,
まず喜びたい。

原作は、半人半獣という架空の殺人鬼・人間豹(恩田乱学)が、帝都で連続殺人を犯
し、名探偵・明智小五郎が、犯人捕獲を目指して対決するというもの。名探偵を隠密
廻り同心に替えての歌舞伎化である。トリックを駆使する短編「探偵小説」から通俗
長編小説へと乱歩が作風を替えて行く過渡期の作品である。短編小説は、アイディア
が勝負だが、長編小説は、ストーリーテ−リングが、大事。その過渡期の作品。どっ
ちつかずになると、印象が散漫になる怖れがあるから、怖い。どうして、このような
半人半獣という架空の殺人鬼が、現れ、かつ、逃げ延び続けるのかは、不明なまま、
小説も終っているので、去年の歌舞伎化にあたっても、その辺りは、触れられていな
かった。今回の続編は、舞台を京都に移し、半人半獣という架空の殺人鬼・人間豹
(恩田乱学)が、京都でも、連続殺人を犯しているので、人間豹を追って、隠密廻り
同心・明智小五郎が、京都に出張って来たということで、登場人物の基本的なキャラ
クターを継承している。

さらに、今回は、陰陽師・鏑木幻斎、公家の鶴丸実次などが、京都らしさを補強し
て、新たに登場する。このほか、幻斎の手下の女隠密・綾乃、明智配下の同心・文次
が、それぞれの陣営にいる。明智は、若い頃、人形師として京都で修業したという想
定(江戸での明智は、普段は、菊人形師で、隠密廻り同心としての、裏の稼業は、悟
られないようにしている)で、そのときの師匠・春岳の息子として、「きはものや」
という店の主人・甲兵衛夫婦と妹の「大子(だいこ。本名・みすず)」、尼僧の妙光
尼などが、登場する。

主な配役は、明智小五郎に幸四郎、人間豹と大子(みすず)の二役に染五郎、鏑木幻
斎に梅玉、鶴丸実次に翫雀、綾乃に高麗蔵、文次に松江、甲兵衛夫婦に錦吾・鐵之
助、妙光尼に歌江ほか。

前回の舞台でも、廻り舞台、セリ、スッポンという舞台機構、大道具の「押し出し」
(車のついた大道具)を多用化したほか、早替わり、花道の上だけではない「宙乗
り」も、積極的に使われたことから、テンポある舞台展開がなされていたが、今回
は、さらに、活用されているという印象であった。

まず、開幕前から、場内が暗くなる。観客席では、最後まで、暗いままで、ウオッチ
ングのメモが、できないので、記憶で劇評をまとめている。いつもより、舞台の細部
が再現しにくいが、新作歌舞伎なので、出来るだけ記録しておきたい。

第一幕プロローグ「伏見近辺」では、幕末動乱の京都ということで、「ええじゃない
か」と、狂喜乱舞して、世直しを求めている群集が,登場する。先月の歌舞伎座「竜
馬が行く」の冒頭も、「ええじゃないか」であったと思い出す。「竜馬が行く」は、
染五郎の主演だから、いくら、歌舞伎は、先行作品を下敷きにすることは、昔からあ
りだと言っても、「ちょっと、……」という感じで、芝居を見始めた。薄暗い中で、
シルエットで浮かぶこの群集に、人間豹が、襲いかかる。人間豹を演じる染五郎は、
本舞台の上を宙乗りのロープで随時引き上げられて、上手から下手へ、下手から上手
へと自在に飛び回る(これは、宙乗りの装置を利用した立体的な立回りで、前作で
も、用いた演出)。江戸同様の連続殺人事件が、京都でも、発生した、という幕開き
だが、浅黄幕の振り被せで,場面展開。

明るくなった花道では、商店の番頭と丁稚の掛け合い。本舞台に移動しながら、それ
ぞれが、手に持っている「ちりとり(木製の四角いもの)」と箒を使って、浄瑠璃風
の遊び。これは、今月の歌舞伎座「河庄」で、小春に横恋慕した挙げ句、腹いせに、
治兵衛を悪巧みで陥れようとする江戸屋太兵衛と五貫屋善六のコンビが、曽根崎新地
の廓で、やりあう浄瑠璃風の遊びと同じ趣向ではないか。ちりとりをひっくり返し
て、竹本の床本の見台の見立てをする。さらに、箒で見立てた三味線で、丁稚が、
「ドーン」と脅かすギャグまで、同じ。ちりとりを馬の頭に見立てたり、番頭と丁稚
は、浄瑠璃や芝居が,大分、好きらしい。次いで、来月の歌舞伎座「仮名手本忠臣
蔵」の口上人形のマネも、飛び出し、それを引きとる形で、ちょぼ(床)の竹本、東
太夫にバトンたちするという演出。柝の音に合わせて、浅黄幕の振り落しで、商家の
店先へ。番頭と丁稚は、この店の従業員であった。

第一幕第一場「烏丸通り・きはものや」。この商家では、流行に敏感な主人・甲兵衛
(錦吾)のアイディア次第で、「際物」(キャラクター人形、木版画などを扱ってい
るように見受けられた)を売っているらしい。帳場には、仕入帳と売掛帳がある。巷
を騒がす人間豹や「えじゃないか」も、商品化を考えているらしい。甲兵衛は、昔、
明智が師事した人形師の長男であるが、父親が作った人形「花がたみ」(梅丸)も、
売りに出していて、妹のみすず(大柄なので、「大子(だいこ)」とあだ名されてい
る)が、反対している。兄に逆らったとみすず(染五郎)は、追い出されてしまう。
「花がたみ」は、やがて、鏑木幻斎(梅玉)に買われてしまう。みすずが落として
いった鏡を人形の胸に入れると、ロボットに電池を入れたように動き出す。この辺り
は、「京人形」という狂言をそっくり下敷きにしている。演奏は、竹本、商家の上手
でのよそ事浄瑠璃、常磐津と変化する。舞台は、半廻しで、店の横を見せる。

贅言;大きな木箱に入った人形は、箱の後ろに垂らした布から、出入りできる仕掛け
であろう。さらに、座敷の押し入れの仕掛けにも、連動していて、書き割りの裏へ
も、観音開きで、出入りできる筈だ。人形に扮した役者は、板に乗ったまま、そこか
ら、出入りできるようにしてあるのだろう。人形「花がたみ」に扮した梅丸は、印象
的だ。

第一幕第二場「三条・鴨川堤」。蛤御門の変で、被災した人たちが、物乞いになって
住んでいる。みすず(大子)は、ボランティアで、被災者に団子を配りに通ってい
る。ここで、松吉,実は、公家の鶴丸実次(翫雀)と出逢って、好意を抱くようにな
る。堤などの大道具は、引き道具で、「居所替わり」となり、さらに、廻って、暗転
で、展開する。

第一幕第三場「化野・鏑木隠宅」。朝廷から陰陽頭(おんみょうのかみ)に任じられ
ている鏑木幻斎は、人形フェチ。生身の人間より、人形が好きなのだ。ここへ、鶴丸
実次が通っていて、陰陽道の術を幻斎から、伝授してもらっている。鶴丸実次は、政
争を嫌って、平等な社会を作ろうと、未来に夢を抱いている青年公家だった。明治維
新後の社会を暗示。幻斎は、実次の父親で、佐幕派の実俊から金を引き出そうとし
て、実次を利用しようとしているが、本音を隠している。幻斎の配下の女隠密の綾乃
(高麗蔵)は、人形に変身したりして、幻斎の歓心を買おうとするが、相手にされな
い。人間豹の恩田乱学(染五郎)も、この鏑木隠宅を拠点に、夜な夜な,京都の街に
出没して、連続殺人を犯しているが、幻斎との指揮命令関係は、良く判らない。

幻斎は、恩田には、倒幕派の薩摩藩の要人の殺害を命じ、綾乃には、実次の父親・実
俊の殺害を命じた。綾乃は、人形「花がたみ」(梅丸)に嫉妬し、人形の首を引きち
ぎる。綾乃が、出かけると、切り首は、人形自らが、手を伸ばし、自分で、首をすげ
てしまう。屋敷の2ヶ所に仕掛けた鏡を使っていて、演出上の効果を上げている。

贅言;ここでは、役者は、人形の後ろから、両手だけを出し、頭の上に作られた首の
穴に、切り首を差し込んだのだろう。

第一幕第四場「一条戻橋」。源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が、愛宕山の鬼女が変
身した「扇折りの小百合」と出逢い、正体を暴露し,鬼女の片腕を斬り落とす話を下
敷きにしている。歌舞伎舞踊の「戻橋」を取り入れた趣向。「綾織りの小夜衣」、実
は、綾乃(高麗蔵)と実次の父親・鶴丸実俊の従者・恒川刑部(つねかわぎょう
ぶ)、実は、明智小五郎(幸四郎)との出逢いの場面である。正体暴露された綾乃
は、明智に追い散らされる。父親の急を聞いて鶴丸実次(翫雀)が駆けつけるが、父
親の暗殺未遂の首謀者は、幻斎だと聞かされても、信じられない。

第一幕第五場「今出川・鴨川堤」。送り火の日。明智小五郎は、文次(松江)を連れ
て、いまは亡き人形師の師匠の娘・みすず(染五郎)と再会する。みすずと別れる
頃、大雨が振り出し、鴨川は、大水が押し寄せて来る。川の上の屋形船では、人間豹
が、薩摩藩の要人を襲っていた。屋形船の屋根にも登って、立ち回り。大水は、人間
豹も、明智も飲み込んでしまう。ここも、大道具の展開は、引き道具。さらに、舞台
は、廻る。

贅言;大水の場面では、下手から引き出される屋形船は、観客席から見えにくい船の
後ろ側にいる水衣たちが、押して動かしていた。洪水は、本舞台に敷き詰めてあった
水色の浪布を引っ張り上げて,上下に動かしたり、布の間に空気を送り込んだりし
て、躍動感を出しているのだろう。

第一幕第六場「羅城門」。舞台は、廻りながら、大セリで、大道具が、セリ上がって
来ると、千年前に朽ち果てた筈の羅城門が出現する。セリの装置とコンピューター
が、連動する国立劇場自慢の演出。いまの歌舞伎座では、見られない演出。幻斎の妖
術で,羅城門が甦ったらしい。楼上で祈祷をする幻斎。楼下に現れた明智。楼上に
は、さらに、人間豹も,姿を見せる。

三竦みの体。明智は、恩田に人間の心を持てと言うが、恩田は、せせら笑う。恩田
は、幻斎に敵対心を見せる。幻斎は、そんな恩田を妖術で、吹き飛ばす。楼上から、
本舞台に飛び降りた際、染五郎は、尻餅をついたが、あれは,演出というよりも、ア
クシデントだと思われたが、どうだろうか。

恩田乱学(染五郎)は、花道七三から3階席の上手に、つまり、劇場を斜めに繋ぐ
ロープを利用した珍しい宙乗りを試みる。さらに、染五郎は、空中ブランコよろし
く、宙乗り途中で、身体をぐるぐる廻し、何回も空中回転を試みるという積極的な、
前代未聞の宙乗りを披露してくれた。あまりの積極ぶりに、私は、先ほどの、楼上か
ら本舞台に飛び降りた際の、尻餅は、やはり、アクシデントであったのかと確信し
た。「汚名返上」の積極的な、空中回転と見たからだ。

贅言;この、前代未聞の宙乗りの着地点確保で、国立劇場の1等席(23席分)、2
等席(21席分)、3等席(33席分)、あわせて77席分が、取り払われていた。
臨時の着地点作りのためであった。その廻りを囲っていて、中は、判らないようにし
ている。幕間が、30分間あったので、実際に、国立劇場の現場を検証して、座席表
と照らし合わせてみた結果、取り払われた座席の数が,判った。


第二幕第一場「四条河原町」。辻では、傾奇踊りに集う見物客で賑わっている。そこ
へ,再び、人間豹が現れて、見物人の中にいた実次の父親・鶴丸実俊に襲いかかる。
この騒ぎで、甲兵衛(錦吾)とお勝(鐵之助)の夫婦が、誤って、斬り殺されてしま
う。兄夫婦を亡くして嘆くみすず。通りかかった妙光尼(歌江)が、回向をしてくれ
ることになった。ひとりぽっちになったみすず(大子)に対して、かねて互いに好意
を抱いていた鶴丸実次から、求婚の言葉が出る。

第二幕第二場「化野の原」。父の遺作の人形「花がたみ」を探すみすずと鶴丸実次
は、化野の幻斎隠宅近くの化野を行く。ふたりを待ち受けていたらしい綾乃が現れ、
人形を探すみすずは、斬られてしまう。さらに、人間豹の恩田も現れるが、恩田は、
綾乃の邪魔をする。幻斎・綾乃らと人間豹の間で、何があったのか、その辺りは、判
らない。綾乃は、鶴丸実次にみすずの仇をとられてしまって、絶命。実次は、人間豹
にも、立ち向かうが、恩田は、何故か,相手にせず、林の中へ、消えてしまう。

贅言;ここは、染五郎二役早替わりの場面なので、倒れたみすず(染五郎)は、途中
で、吹き替えの役者と替わったように思われる。また、最初に登場した人間豹は、科
白も無く、立ち回りだけだったので、これも,吹き替えだったと思われる。時間をか
せいで、染五郎が、早替わりを済ませる。

第二幕第三場「鏑木隠宅」は、第一幕第三場と同じ。幻斎の命に反する行動をとった
恩田は、幻斎の術で、鏡の中に閉じ込められて、痛めつけられている。贋の勅書を出
した幻斎の「国崩し」(国家転覆)の望みは、密書を入手した隠密廻り同心明智に嗅
ぎ付けられる。みすずを殺された上、幻斎に騙されていたことを悟った鶴丸実次も、
やって来る。明智と実次は、幻斎の悪事を追及するが、術で、明智も自由を奪われて
しまう。隠宅に飾られていた人形の「花がたみ」に、何故か、魂が入り、人形の胸に
入っていたみすずの鏡が、幻斎の術の力を「反射」して、幻斎を逆襲する。人形に追
いつめられた幻斎は、恩田のいる鏡の中に吸い込まれてしまい、そこにいた人間豹の
鉤爪で、身体を引き裂かれてしまい、絶命する。人形と鏡という、優しいものども
が、鏑木幻斎の野望を挫くという辺りは、女性脚本家らしい、発想ではないか。

贅言;鏡の仕掛けは、鏑木隠宅の上手と下手の2ヶ所にある。鏡の前に、枠にガラス
を仕込んだだけの屏風仕立ての物が置いてあり、これと後ろの鏡の間に空間がある。
鏡に閉じ込められたという想定の恩田は、その空間に入っている。そういう仕掛け
で、鏡は、客席からは、1枚の鏡のように見えるのではないか。鏡を使った歌舞伎で
は、シェークスピア原作の翻案劇で蜷川幸雄演出の「十二夜」が,思い出される。

第二幕第四場「如意ヶ嶽の山中」。ここが、物語としては、ポイント。まず、舞台で
は、大きな日輪。外枠だけになった日食の太陽だけの背景が、登場する。さらに、追
いつめられた人間豹は、送り火・大文字の火床のある如意ヶ嶽の山中へ。半人半獣と
いう架空の殺人鬼・人間豹(恩田乱学)。人間豹の「半獣」としての犯行を暴き続
け、江戸から京都へと追いつめて来た明智は、恩田の「半人」という側面にも、望み
をかけて、機会があれば、人間の恩田の「仏心」にも、積極的に呼びかけて来た。そ
ういう問いかけに,実は、恩田も悩んでいた。脚本家のメッセージは、まさに、ここ
にある。人として生きられないと悟った恩田は、火床に自ら火を放ち、焼身自殺をし
てしまう。そういうことで、恩田は、己のアイデンティティを証明したのだろう。

エピローグ「大文字を望む高台」。赤々と燃える大文字が、京都の盆地の向うに見え
る。恩田の変心をいぶかる明智。人の心が通じたのか、どうか。空から舞い落ちて来
た「ええじゃないか」の札に混じって、人間豹の鉤爪も、あった。昇天した恩田の形
見。恩田の人間性を信じたいと、明智は、思う。明智らを助け、幻斎の野望を挫いた
恩田は、新しい時代の幕を開けたのか、どうか。

今回の芝居は、前回同様に、道具の展開は、見応えがあったし、新趣向の宙乗りもお
もしろかった。前回は、幸四郎と染五郎の軸が、対決だけで、終始した嫌いがあった
が、今回は、鏑木幻斎の梅玉が、からんで、三極になり、演劇構造が、多角的で、膨
らんで来た。ただし、人間豹と幻斎の関係が、最後まで、判りにくかった。悪の同盟
者なのか、居候なのか。

荒唐無稽さや悲劇の前の、「笑劇」(ちゃり)などの要素も、前作よりは、付け加
わって来た。ただし、南北のような、江戸の下層庶民の生活を活写するというところ
までは、いかない。芝居の筋の展開としては不要な、敢えて言えば、「夾雑物」的な
味付けは、やはり、まだまだ、薄かったのは、残念。

贅言;ここでも、カーテンコールがあった。最近は、歌舞伎座でも、カーテンコール
がある。7月の玉三郎・海老蔵の舞台。泉鏡花原作「海神別荘」と「天守物語」で
カーテンコールがあった。今回の国立劇場のカーテンコールでは、黒衣も、並んで参
加し、面当てを取って、顔を見せてくれたのは、良かった。
- 2009年10月9日(金) 8:16:57
09年10月歌舞伎座 (夜/「義経千本桜〜渡海屋、大物浦、吉野山、川連法眼
館〜」)


吉右衛門の知盛と菊五郎の忠信


義経千本桜〜渡海屋、大物浦〜」は、8回目。渡海屋の店先(江戸時代の経済を反映
して、大福帳のほかに、「金銀出入帳」が、帳場にある。江戸は、金。大坂は、銀。
渡海屋は、西国航路の船問屋だけに、江戸と大坂のふたつの経済圏と取引があるのだ
ろう)、渡海屋の裏手の奥座敷、大物浦の岩組と三つの場面から構成される。

私が観た主な配役。「渡海屋」の銀平、実は、知盛:吉右衛門(今回含めて、3)、
團十郎、猿之助、仁左衛門、幸四郎、海老蔵。今回の吉右衛門は、3回目の拝見であ
り、名場面のひとつひとつを吉右衛門は、隙間のない演技で手堅く埋めて行く。吉右
衛門は、十全の銀平。銀平をひとしきり演じた後、上手の二重舞台の障子が開くと、
銀烏帽子に白糸緘の鎧、白柄の長刀(鞘も白い毛皮製)、白い毛皮の沓という白と銀
のみの華麗な衣装の銀平、実は、知盛の登場となる。

「船弁慶」の後ジテ(知盛亡霊)に似た衣装を着ているので、下座音楽では、謡曲の
「船弁慶」が、唄われる。この銀平は、「銀の平氏」、つまり、知盛というわけだ。
輝くばかりの歌舞伎の美学。そこへ白装束の亡霊姿の配下たち。白ずくめの知盛一行
の方が、死出の旅路に出る主従のイメージで迫って来るように見える。

案の定、手負いとなり、先ほどの華麗な白衣装を真っ赤な血に染めて、向う揚幕の向
うから、逃れて来た知盛。さらに、義経主従に追い詰められた岩組の上で、知盛は、
碇の綱を身に巻き付け、綱の結び目を3回作る。瀕死の状態にもめげず、重そうな碇
の下にやっとのことで、身体を滑り込ませて持ち上げて、碇を海に投げ込む。綱の長
さ、海の深さを感じさせる間の作り方。綱に引っ張られるようにして、後ろ向きのま
ま、ガクンと落ちて行く、「背ギバ」と呼ばれる荒技の演技。劇場の上の方から見て
いると、岩組の後ろに浪衣が現れて、後ろ向きに倒れ込む知盛の身体を支えるネット
を用意しているのが判る。まるで、海中からフロッグマンが、現れたように見える。
今回、浪衣のひとりは、支えるべき吉右衛門の身体を良く見えるように顔を覆ていた
面当てを外して、対応していた。

私は、こういう現象の目撃を、以前から、「座席の視点」と呼んで、楽しんでいる。
昼の部で観た東の桟敷席見えた舞台も、一等席から見える舞台も、三等席から見える
舞台も、どちらもおもしろい。その席でしか見えないものをきちんと観るのが、私の
言う「座席の視点」だ。一等席で観ていても、大事なことを見落している観客も多
い。三等席で観ていても、おもしろいものを観ている観客もいる。要は、きちんと見
ようとする意志が、歌舞伎の舞台体験を豊かにする。観劇歴も、重要なデータだろう
が、年月が長ければ、歌舞伎に詳しくなるというものでも無い。大事なことは、幕が
開いたら、筋書を見たり、居眠りをしたり、隣の人と話をしたりせずに、舞台そのも
のから発信される情報をきちんと受け止めようとする心がけだと思う。

さて、知盛が、入水する場面は、立役の藝の力が、必要。ここは、滅びの美学。この
場面、吉右衛門は、風格のある安定した演技で、細部も、たっぷり、リアルに見せて
くれる。御簾うちから聞こえて来た、ゆるりとした、大間な下座音楽は、「千鳥の合
方」。

ほかの配役。お柳、実は、典侍局:芝翫(2)、雀右衛門、宗十郎、福助、藤十郎、
魁春、今回は、玉三郎。義経:梅玉(3)、八十助時代の三津五郎、門之助、福助、
友右衛門、今回は、富十郎。弁慶:團蔵(4)、段四郎(今回含めて、2)、左團次
(2)。相模五郎:歌六(今回含めて、3)、先代の三津五郎、歌昇、三津五郎、勘
九郎時代の勘三郎、権十郎。入江丹蔵:歌昇(今回含めて、2)、松助、猿弥、信二
郎時代の錦之助、三津五郎、高麗蔵、市蔵。

相模五郎(歌六)と入江丹蔵(歌昇)は、役どころの前半(笑劇)と後半(悲壮な、
ご注進)の場面で、持ち味の違いをきっちりと見せなければならない。正体も、後半
で、見せる。前半、銀平にやっつけられ、魚尽くしの負け惜しみを言い、観客を笑わ
せる滑稽な役どころは、ドラマツルーギーとしては、大事である。

贅言;前半では、ふたりは、草履を履いたまま、船問屋の座敷(薄縁が敷いてある)
に入り込んでいた。銀平もお柳も、座敷では、裸足であった。後に、奥から出て来た
義経主従も、雨の中、出かける時に、足袋に下駄を履いていた。船に乗るためだろ
う)。無能な上司とイエスマンの部下というコンビ。

全体に平家にとって、悲劇の物語だけに、相模五郎と入江丹蔵による笑劇は、観客の
気分転換にもなる。今回のふたりは、何度も演じていて、安定感がある。実は、ふた
りとも、平家方で、歌六の相模五郎は、前半では、銀平(知盛)との、合意の「やら
せ」の芝居で、奥の部屋を借りている義経一行への「聞かせ」をしているのである。
後半のご注進では、「泳ぎ六法」や幽霊の手付きで、悲劇の果てに、近づく冥界を匂
わせる。

歌昇の入江丹蔵は、T字型の柄の形から、船の櫂に仕込んでいたと思われる刀を持
ち、丹蔵は、敵方の郎党と立回りをしながらの、苦しい戦場報告で、相模五郎より
も、さらなる、平家方の苦境が滲み出る。最期は、郎党とともに串刺しのまま、海に
身投げをする。

平家方の戦場のトップは、知盛だが、留守部隊のトップ、つまり、安徳帝を守りなが
ら、局たちを束ねているのは、典侍局である。典侍の局は、そういう貫禄を滲ませな
ければならない。銀平女房お柳、実は、典侍の局は、玉三郎が,初役で演じる。前回
の魁春は、お柳の時の方が、落着いていた。玉三郎は、典侍局として、正体を現した
後の方が良い。戦況不利を悟り、次々に海へ飛び込む局たち。「いかに八大龍王、恒
河の鱗、君の御幸なるぞ、守護したまえ」と客席の方を向いて唱え、安徳帝とともに
入水する覚悟の典侍局は、立女形の役どころ。留守部隊トップの貫禄が滲んで来る。
芝翫、雀右衛門、藤十郎の貫禄に、引けを取らない。

局たちが、次々に入水した後、安徳帝を守ろうとする義経一行の四天王に阻止され、
典侍局は、入水断念とならざるを得ない。海原を描いた道具幕(浪幕)が、振り被せ
となり、舞台替り。幕を振り落とすと、知盛の最期の見せ場となる大物浦の岩組の場
へ転換となる。テンポのある舞台展開が、進む。「大物浦」で源氏方と壮絶な戦いを
する知盛の姿は、理不尽な状況のなかで、必死に抵抗する武将の意地が感じられた。
瀕死の知盛を見て、安徳帝の後事を義経に託して、自害する。私には、知盛と典侍局
の「心中」のような印象を受けた。現世では、見るべきものは、見たという知盛の、
もう、自分には死ぬしかない、という気持ちが伝わって来る。

贅言:吉右衛門のたっぷりと細部を演じる演技を義経四天王のうち、下手側故、斜め
前方を見ている尾上右近、中村隼人は、先達の吉右衛門の演技を真剣な表情で観てい
るように見受けられたのは、錯覚か。若手は、先達の演技を盗んで、成長するのであ
る。

知盛入水の場面の後、義経主従が,花道から引っ込む。一人残った弁慶は、ホラ貝を
鳴らす。弔意の演奏で、敵ながら、あっぱれの死に様を見せた知盛への、弁慶の男気
が、伝わって来て、物悲しい。


「義経千本桜〜吉野山〜」は、14回目の拝見。今回は、菊五郎の忠信と子息の菊之
助の静御前。菊五郎は、5回目の拝見。菊之助は、2回目の拝見。松緑の藤太は、初
めて。本名題は、「道行初音旅」。清元と竹本の掛け合いで,上演される。

三大歌舞伎の一つ、「義経千本桜」は、3人の主人公がいる。平知盛、狐忠信、そし
て、いがみの権太だ。病気休演中の猿之助は、元気な頃、この3人を一つの舞台興行
で通しで演じ終えないと、歌舞伎役者としての卒業論文、つまり、一人前の立役には
ならないという独特の意見を持っていた。それが正解かどうかは、別としても、タイ
プの違う、奥行きのある役柄を演じわけることは、確かに至難の業ではある。「義経
千本桜」の狐忠信編については、「親子の情愛」を軸に据えて5代目菊五郎が完成さ
せた型を菊五郎代々が、音羽屋型として、藝を磨いて来た。また、近代では、猿之助
が、外連味を付け加えて、独自の澤潟屋型を作り上げて来た。今回は、もちろん、菊
五郎忠信が、音羽屋型で,演じる。

幕開きの、置き浄瑠璃、無人の舞台は、吉野山全山満開の桜が爛漫と咲き誇り、「花
のほかにも、花ばかり」、という感じである。花道から静御前(菊之助)が、登場す
る。赤い鼻緒の草履に、白足袋。やがて、静御前が、初音の鼓を打ち鳴らすと、スッ
ポンから忠信(菊五郎)登場。草鞋に、黒足袋。去年の7月、歌舞伎座で観た「吉野
山」は、玉三郎の新演出が、随所に観られたが、ここは,音羽屋だけに、伝えられて
来た型をきちんと守っての演出。「かかるところへ、逸見藤太」で、後に大勢の花四
天を引き連れて、登場する藤太(松緑)は、赤い陣羽織に黄色い水玉の足袋。所作ダ
テを見せる。いずれも、安定した演技で、見応えがある。

贅言;舞台上手のちょぼ(床)の竹本(桜花の肩衣を附けている)、舞台下手の雛壇
の上の清元。雛壇の後ろの所作板が、途切れた後ろにも、板が敷いてある。観ている
と、後見が、雛壇の後ろと本舞台の間を、摺り足で出入りするので、段差をなくして
いるというのが、判った。


「義経千本桜〜川連法眼館〜」は、通称、「四の切り」と呼ばれる人気演目。私は、
12回目の拝見。今回は、菊五郎の忠信と子息の菊之助の静御前。菊五郎は、4回目
の拝見。菊之助は、初めて。ほかの配役は、義経が、時蔵で、初役。川連法眼が,彦
三郎で、2回目。妻の飛鳥が、秀調で、初めて。道行と川連法眼館を続けて演じるの
は、菊五郎も、29年ぶりという。当然、ここも、音羽屋型で、上演。従って、澤潟
屋型の売り物の宙乗りはない。

それでも、やはり、忠信の衣装を付けた狐の動線は、気になる。御殿の階段から,湧
き出るように衣装をつけた狐忠信は、登場するのは、同じ。やがて、本舞台から、足
がかりを使って、下手の御殿廊下へ上がる。御殿廊下が、横へ倒れ、忠信は、廊下の
板を滑るように床下へ落ち込む。白狐姿に替わって、二重舞台上手の壁のところから
出て来て、本舞台へ。足がかりを使って、御殿御手すりを乗り越え、二重舞台へ。
「欄干渡り」では、(幅を付けた)御殿手すりを渡ってみせる。下手、垣根の裏に仕
掛けてある水車のようなものを使って、横滑りで、下手奥へ隠れ込む。やがて、二重
舞台の床下から現れる。

贅言;澤潟屋型では、この途中で、人間の佐藤忠信と狐忠信を早替わりで、見せるた
めに、上手、障子の間の障子を開け、本物の佐藤忠信(早替りふた役)が、暫く、様
子を伺う場面がある。また、再び、狐忠信は、天井の欄間から姿を表わす。さらに、
吹き替えも活用する。荒法師たちとの絡みの中で、本役と吹き替えは、舞台上手の桜
木の陰で入れ代わり、吹き替え役は、暫く、横顔、左手の所作で観客の注意を引きつ
ける。吹き替えが、全身を見せると、二重舞台中央上手の仕掛けに滑り降り、姿を消
すなど、秒単位で、演出しているのではないかという場面が、続くが、音羽屋型は、
ゆったり、おおらかである。

音羽屋型が、澤潟屋型といちばん違うのは、なんと言っても、「宙乗り」がないこ
と。義経を狙う荒法師たちを退けた狐忠信は、舞台上手の桜木に仕掛けられた「ちょ
うな」に初音の鼓を持ったまま、左腕をかけて、足がかりとともに、木に垂直に上っ
て行く場面で,幕となる。音羽屋型の教科書のような舞台であった。

贅言:猿之助の「狐忠信」は、実は、2000年7月の歌舞伎座、9月の大阪の松竹
座以降、演じられていない。すでに、失われた9年という時間が流れたのである。
- 2009年10月8日(木) 15:30:41
09年10月歌舞伎座 (昼/「毛抜」「蜘蛛の拍子舞」「心中天網島〜河庄〜」
「音羽嶽だんまり」)


歌舞伎十八番の内「毛抜」は、4回目の拝見。「毛抜」の初回は、いま、病気休演中
の猿之助の粂寺弾正で、95年1月。2回目が、97年12月、猿之助の弟の段四
郎、3回目が、05年4月、團十郎、そして、今回は、本興行で,初めて、粂寺弾正
を演じるという三津五郎。いずれも、歌舞伎座である。今年に入って,何故か、「毛
抜」は、人気があり、大阪の松竹座、名古屋の御園座、福岡の博多座、そして,今回
の歌舞伎座と1年間で、4回も上演されている。戦後の本興行では、初めての記録で
ある。

配役の多様さも、目で観て楽しめる。主軸となる弾正は、捌き役。悪と善の家老の対
比、若衆、腰元、姫、殿様、若君、百姓など、いろいろな役柄が、出そろうからだろ
う。

私が観た主な配役。粂寺弾正:猿之助、段四郎、團十郎、今回が、三津五郎。巻絹:
宗十郎、門之助、時蔵、今回が、魁春。錦の前:芝雀、春猿、亀寿、今回が、梅枝。
小野春道:三代目権十郎、歌六、友右衛門、今回が、東蔵。小野春風:高麗蔵
(2)、笑三郎、今回が、松也。秦民部:歌六、市川右近、権十郎、今回が、秀調。
秦秀太郎:門之助、笑也、勘太郎、今回が、巳之助。八剣玄蕃:彦三郎、段治郎、團
蔵(今回含め、2)。八剣数馬:男寅時代の男女蔵、延夫時代の猿三郎、玉太郎時代
の松江、萬太郎。小原万兵衛:段四郎、猿弥、三津之助、錦之助。桜町中将:菊五
郎、なし、海老蔵、今回も、なし。

さて、幕が開くと、上手に、「歌舞伎十八番の内 毛抜 一幕」という看板。下手
に、「坂東三津五郎相勤め申し候(ソウロウは、変体)」とある。天井近くには、赤
の提灯が,歌舞伎座の紋入り、白の提灯が、團十郎家の三升の紋入り。本舞台二重
は、小野小町の子孫・小野春道の館。

家老(秀調、團蔵)の息子同士(巳之助、萬太郎)が、立ち会っている。腰元(吉
弥)が、止めに入っている。どうやら、小野家には、事情がありそうだ。家宝の小野
小町の直筆の短冊が、無くなったらしい。

御殿うちの金地の襖には、桜の花の丸模様。御殿の座敷上手には、花車。舞台下手に
は、木戸、上手には、なんと、「御殿の外」なのに、金地の衝立(三升の紋が青で描
かれている)がある。歌舞伎十八番というのは、歌舞伎の十八番ではなく、團十郎の
「家の藝」の十八番(おはこ)であり、十八番というように、18の演目が、幕末の
名優、七代目團十郎によって選ばれているので、それに敬意を表している。御殿のう
ち外は、無関係。下手の木戸が、その後の展開で、道具方によって取り片付けられる
と、そこも含めて、その辺りが、「御殿のうち」となる、おおらかさ。

やがて、花道から文屋家の家老・粂寺弾正登場。供のふたりは、一人が槍を担ぎ、一
人が、肩に荷物入れを担いでいる。本舞台に着くと、槍だけは、御殿下手の松の木に
立てかけられる。弾正は、春道の息女と自分の主人文屋豊秀の婚儀のことで小野家を
訪れた。平舞台は、裃後見の3人が、世話をする。

御殿奥より、春道の息女・錦の前(梅枝)登場。室内なのに、薄衣を頭にかけてい
る。奇病にかかっているということで、予定されていた婚儀が遅れているというの
だ。錦の前の婚儀を巡っても、家老同士が対立している。こちらの後見は、黒衣。錦
の前の薄衣を取り払うと、髪が逆立つ(黒衣が、後ろで髪を持ち上げている)。薄衣
をかけると、止まる。姫は、そういう奇病らしい。

今年4回目の出し物という粂寺弾正の人気の秘密は、颯爽とした捌き役でありなが
ら、若衆の秀太郎(巳之助)や美形の腰元・巻絹(魁春)に、いまなら、セクハラと
非難されるような、ちょっかいを出しては、二度も振られながら、観客席に向かっ
て、「近頃面目次第もござりません」と弾正が謝る場面もあり、相手が若ければ、男
でも女でも、良いというのか、あるいは、役目を糊塗するために、豪放磊落ぶりを
装っているのか、真実、人間味や愛嬌のある、明るく、大らかな人柄なのか。歌舞伎
の演目では、数少ない喜劇調の芝居である。場内からは、笑いが起こる。

物語の主筋は、お家騒動。小野春道(東蔵)家の乗っ取りを企む悪家老・八剣玄蕃
(團蔵)の策謀が進むなか、錦の前(梅枝)と文屋豊秀の婚儀が調った。しかし、錦
の前の奇病発症で、輿入れが延期となり、文屋家の家老・粂寺弾正(三津五郎)が、
乗込んで来る。待たされている間に、粂寺弾正が、持って来た毛抜で鬚(あごひげ)
を抜いていると、手を離した隙に、鉄製の毛抜が、ひとりでに立ち上がる。不思議に
思いながら、次に煙草を吸おうとして、銀の煙管を置くと、こちらは、変化なし。次
に、小柄(こづか)を取り出すと、刃物だから、こちらも、ひとりでに立つ。いずれ
も、後見の持つ差し金の先に付けられた「大きな毛抜と小柄」が、舞台で踊るように
動く。まあ、そういう「実験」を経て、弾正は、鉄と磁石という「科学知識」に思い
至り、錦の前の奇病も、髪に差している鉄製の櫛笄(くしこうがい)を取り外すと
「奇病」も治まる、という次第。天井裏に、大きな磁石(実際は、羅針盤)を持った
曲者が隠れ潜んでいたのを槍で退治する。そして、悪家老の策謀の全貌を解き明か
し、お家騒動も治まるという、荒唐無稽なお話。

1742(寛保2)年、大坂で初演された安田蛙文(あぶん)らの合作「雷神不動北
山桜」は、1832(天保3)年、七代目團十郎によって、歌舞伎十八番に選定され
たが、その後、長らく上演されなかった。1909(明治42)年、二代目市川左團
次が、復活上演し、さらに、明治の「劇聖」十一代目團十郎が、磨きを懸けた。その
際、左團次は、いま上演されるような演出の工夫を凝らしたという。

そのひとつに、鉄を引き付ける普通の磁石を、方位を示す羅針盤の磁石に変えた。科
学知識からすると、逆行だが、大きな円形の羅針盤(東西南北と十二支が、描かれて
いる)は、この芝居の大らかさ(弾正の人柄の大らかさにも通じる)を示していて、
おもしろい。粂寺弾正が、下手の松の木に立てかけてあった槍を取り、御殿の天井を
突き刺すと、大きな円形の羅針盤を持ったまま、曲者が落ちて来る。

見た目を大事にする歌舞伎の様式美とも通底する。だから、誰も、本来の磁石に戻さ
ないのだろう。理屈っぽくない大らかさが、喜劇的な荒事の信条だと理解しているか
らだろう。「リアリズムから遠くなることで、ものごとの真相に迫る」という芝居の
本道のおもしろさが、ここにはある。

役者論を少し。本興行初役の三津五郎は、ゆるりとした粂寺弾正を演じていた。魁
春、錦之助、東蔵、團蔵、秀調、吉弥らを除けば、松也、梅枝と萬太郎の兄弟、巳之
助と二十代そこそこの、御曹司たちの登場が目立つ。この前まで、子役だったのが、
役者として、難しい十代後半を切り抜けて、青年役者になろうとしている。そういう
清新さを感じた。


「蜘蛛の拍子舞」は、3回目の拝見。源頼光と家臣の四天王による土蜘蛛退治の話の
バリエーション。1781(天明元)年の初演。当時の人気女形・瀬川菊之丞の主演
で、葛城山の女郎蜘蛛の精が、白拍子姿で現れ、病気療養中の源頼光を慰めると偽
り、艶やかな舞を披露して、色仕掛けで、頼光をたぶらかそうとするのが、受けたと
いう。

その後、長唄は、伝承されたが、舞踊は絶えてしまっていたのを六代目歌右衛門が復
活上演した。以後、歌右衛門が磨き上げ、芝翫、福助、玉三郎らが、受け継いで来
た。最近は、玉三郎が、熱心に磨いている演目だ。

私が観た主な配役。白拍子妻菊、実は葛城山の女郎蜘蛛の精は、玉三郎(今回含め
て、2)、福助。ほかの配役は、次の通り。源頼光:猿之助、三津五郎、今回は、菊
之助。碓井貞光:左團次、橋之助、今回は、萬太郎。ただし、今回は、碓井貞光よ
り、渡辺綱:松緑の方が、重要な役どころ。坂田金時:段四郎、勘九郎時代の勘三
郎、今回は、三津五郎。

「拍子舞」とは、鼓一挺の拍子に合わせて、唄いながら舞う舞踊とのこと。「蜘蛛の
拍子舞」では、白拍子だが、刀鍛冶の娘という妻菊、頼光、綱の3人が、トンテンカ
ンと「刀鍛冶づくし」を、掛け合いで唄いながら踊るくだりが、拍子舞になってい
る。拍子に乗って唄うように科白を言いながら踊る。

舞台は、廃御殿となっている花山院空御所。二重舞台の上は、金地に黒塗りの柱の御
殿だが、二重舞台の下は、廃屋で、崩れている。夢と現の二重写し。紅葉の時季。物
の怪の現れそうな、おどろおどろした舞台。発病中の頼光(菊之助)の杯に映る異形
の影。御殿の天井から宙吊りで降りて来る蜘蛛の姿だ。蜘蛛は、一旦、天井に消え
る。

暗転の舞台。花道向う揚幕からと舞台下手袖から、ふたりの黒衣が持つ差し出しの面
明かりが、暗闇に光りながら、近づいて来る。花道スッポンから、なにやら。竹本の
「かかるところへ、妻菊が」被さって、ということで、玉三郎が、白拍子姿で登場。

表裏が、金地と銀地になっていて、そこに5つの花丸が描かれた扇子を持つ白拍子妻
菊(玉三郎)。金地に赤を散らした中啓を持つ頼光(菊之助)。天紅ならぬ天金で無
地の白い扇子を持つ綱(松緑)。この後、見せ場の、3人による拍子舞「刀鍛冶づく
し」となる。中央に集まった形で、踊る3人の所作は、バランスが良く、ジグソーパ
ズルのピースのように、すれすれで、交差しながら、それぞれの空間に見事に収まる
素晴らしさ。

ただし、珍しく、玉三郎の逆海老が、不十分。昔の若さ、しなやかさも、陰りか。や
がて、妻菊は、花道スッポンへと消えると、替わりに、件の蜘蛛が大蜘蛛になって、
天井から降りて来る(演出に拠っては、せり上がって来る場合もある)。操りの大蜘
蛛。上手の長唄連中を霞幕で、隠す。16人の軍兵と大蜘蛛との立ち回り。やがて、
大蜘蛛は、舞台奥の瓦燈口、幕のうちに追いやられた後、更に、大きな蜘蛛(中に、
人が入っている)が、幕の下から出て来る。見得をしたり、立ち回りをしたりした
後、御簾うちに消える。

御簾が開くと、茶色の隈取りをした蜘蛛の精の後ジテ(玉三郎)登場。頼光主従を相
手に千筋の蜘蛛の糸を盛んに撒き散らしながら、大立ち回り。瓦燈口の幕も取り払わ
れると、大きな蜘蛛の巣。二重舞台の廃御殿の上も、幻覚であったことが判る。花道
向う揚幕から、荒事衣装の金時(三津五郎)が登場し、押し戻しで、大団円へ。三津
五郎と玉三郎。金時の科白にあるように、「ふたり大和屋」で、古風な味わいの残る
歌舞伎の醍醐味が、見所。

贅言;刺股(さすまた)、袖搦(そでがらみ)、突棒(つくぼう)などの江戸時代の
珍しい逮捕道具が、いろいろ出て来て、軍兵相手に大立ち回りをするのも、見もの。
私も,5種類ぐらいまでは、識別した。

今回は、1階、東の桟敷の10番席で拝見したので、花道向う揚幕から舞台上手まで
すべてが見通せた。まるで、本舞台が、2倍になったようなワイド感を楽しんだ。
「歩く藝」という花道の演技も、じっくり拝見した。花道の出端の藝を披露すること
は少なくなっていて、七三ばかりだが、出端も、工夫が、欲しい。七三に行くまで、
藝がなさ過ぎるという感じがするが、今回は、金時の登場とこの後の「河庄」での、
治兵衛の出、「魂抜けてとぼとぼうかうか」をじっくり堪能した。


最後に、昼の部最高の出し物だったのが、「心中天網島〜河庄〜」。近松門左衛門原
作(1720年)で、近松半二改作(1778年)という演目は、上方和事の代表
作。初代の延若、初代の宗十郎、初代の鴈治郎が、軸となって、磨きをかけてきた。
大正時代、初代の鴈治郎が、「玩辞楼十二曲」のひとつとした。

私は、3回目の拝見。前回は、歌舞伎座では、鴈治郎最後の「河庄」。今回は、歌舞
伎座で、藤十郎最初の「河庄」というわけだ。この芝居は、藤十郎の、いわば、「ミ
リ単位」で完成された演技を見続けることが、楽しみだ。「河庄」は、大阪弁(本来
なら、「大坂弁」と書きたいところ)のやり取りがおもしろい芝居である。今回は、
大阪弁について、書いてみたい。

さまざまな大阪弁がある。まず、紙屋の丁稚の三五郎で、天満の「河庄」(河内屋お
庄の店)の遊女・小春に治兵衛の女房・おさんから頼まれた手紙を小春に届けに来
る。三五郎を大阪弁で演じるのは、今回は、萬太郎で、時蔵の次男、20歳。東京目
黒育ち。4年前の前回は、東京渋谷育ちの中学生になり、身長が1メートル70セン
チもある翫雀の長男、15歳の壱(かず)太郎が、演じた。なぜか、大阪弁がユーモ
ラスで、味わいのある三五郎の出来であった。6年目の前々回は、尾上松也が、18
歳で演じた。東京銀座育ち。いずれも、初役であった。今回の萬太郎は、大阪弁が、
自然ではなく、もう一つであった。

上演記録を見ると、愛之助、進之介、智太郎時代の翫雀、浩太郎時代の扇雀など、上
方所縁の若い役者が演じているが、若い上方系の若い役者が少なくなった成果、東京
育ちの青少年役者が演じるようになったのだろう(絶対数が、少ない上方系の役者
は、孫の世代が、まだ,小さいので、三五郎を演じるためには、暫く時間がかかるだ
ろう)。

次は、江戸屋太兵衛(亀鶴)と五貫屋善六(寿治郎)のやりとり。治兵衛の悪口を浄
瑠璃風の遊びに見立てる場面も含めて、見応えがある。最初に観たのは、6年前で、
太兵衛の東蔵と亡くなった坂東吉弥の善六であった。吉弥は、実は、紙屋治兵衛の兄
である粉屋(こや)孫右衛門を演じた富十郎が、病気休演したため、途中から粉屋孫
右衛門代役を勤めた。私が観たのは、その前で、最初の配役通り、吉弥と東蔵のコン
ビは、息が合っていて、なかなかよかった。

4年前の前回は、同じく東蔵を相手にした竹三郎のコンビは、竹三郎が、いつもの女
形と違う立役であり、その立役振りが、しっくりしていないように見受けられたた
め、大阪弁でのやりとりも、やや、不満が残った。今回は、富十郎に縁のある亀鶴だ
けに、大阪弁に違和感はない。聞き応えがあった。

大阪弁のやり取りの白眉は、紙屋治兵衛と兄である粉屋孫右衛門。最初は、鴈治郎と
富十郎。前々回の、鴈治郎と富十郎の大阪弁のやり取りは、滑稽さに味があった。充
分煮込んで味の染み込んだ関東炊き(おでん)のよう。死と笑いが、コインの裏表に
なっている。死を覚悟した果てに生み出された笑い。

前々回、富十郎が演じた粉屋孫右衛門を前回は、我當が初役で演じたが、これがすこ
ぶる良かった。その秘密は、大阪弁のやり取りにあると思う。前回は、鴈治郎最後の
歌舞伎座。京都育ちの我當を相手に、たっぷり堪能させてくれた。ネイティブな感じ
で、すうっと聞けた。

富十郎の大阪弁は、演じているという感じで、彼の藝達者が、かえって大阪弁を演
技っぽく感じさせるから、不思議だ。この芝居の特徴は、後にも触れるが、ノンフィ
クションの味であり、登場人物たちの生活感を強めるための、いわば「触媒」が、大
阪弁であると思うので、富十郎の大阪弁より、我當の大阪弁の方が、ノンフィクショ
ンの味を濃くさせるということを言いたいわけだ。鴈治郎、我當らが言う科白のリズ
ム、ふたりのやりとり、掛け合う呼吸、いずれも、科白らしくない、リアリティを
持っている。さすが、洗練された芝居だ。これは、鴈治郎でなければ、出せない味
だ。その味を十分に引き出したのが、我當だった。

この続きの場面、心中に傾斜する「時雨の炬燵」は、以前に観ているが、「時雨の炬
燵」より前段階の場面の余裕が、笑いを生むのだろう。それに、上方和事独特の可笑
し味が付け加わる。

今回は、藤十郎になって、歌舞伎座で演じる初めての治兵衛である。だが、相手は、
段四郎。やはり、富十郎、我當に比べるのは、可哀想だろう。本人も、「全く気が抜
けません」と言っている。

さて、紙屋治兵衛の出である。鴈治郎時代を含めて、藤十郎の花道の出、虚脱感と色
気、計算され尽した足の運び、その運びが演じる間の重要性、そして、「ふっくら
と」しながらも、やつれた藤十郎の、「ほっかむりのなかの顔」。東の桟敷の10番
で観ていたので、今回は,花道向う揚幕から、本舞台の上手まで、全てが見える。音
も無く向う揚幕が開くと、藤十郎は、鴈治郎でも、藤十郎ではなく、もう、そこにい
るのは、紙屋治兵衛その人。藤十郎は、舞台に出てくる前に、揚幕の鳥屋の中で、
すっかり役作りを終えていなければならない。「魂抜けてとぼとぼうかうか」。妻子
がありながら、遊女・小春に惚れてしまい、小春に横恋慕する太兵衛の企みに乗せら
れ、心中するしかないという治兵衛の状況を、揚幕の外に出た途端から、花道を歩き
続けるだけという藝で,表現する場面だ。足取りも、表情も、恋にやつれ、自暴自棄
になっているひとりの男が歩いて行く。和事独特の足の運びも、充分に堪能した。

そう言えば、これに似た場面を観た覚えがある。拙著「ゆるりと江戸へ」にも、書い
ているが、「摂州合邦辻」の玉手御前を演じた芝翫で体験したことがある。演じられ
ているのは、女性の玉手御前と男性の紙屋治兵衛という違いがあるが、登場人物の心
理や置かれている状況は、似ている。花道から本舞台へ、そして、「河庄」の店の名
前を書いた行灯のある木戸へ。この木戸での、治兵衛の、店内を伺う有名なポーズま
で。一気に引き付けられる。花道の長さが、短く感じられる。それほど、充実の歩く
藝。

もうひとり、注目すべき役どころがある。小春である。私が観た小春は、時蔵(今回
含めて、2)。最近、高齢の所為か、すっかり出番が少なくなった雀右衛門。

小春は、治兵衛の女房・おさんからもらった手紙で、「紙屋の苦しい内情と、夫と別
れてほしい、夫を心中の道連れにしないでほしい」と言われてしまう。小春は、女の
義理を感じて、別れるという内容の手紙を書き、三五郎に返事を持たせてしまった。
それ故に,後の展開で、心にもない縁切りの態度を取り、店に来た治兵衛から、自分
との心中の約束を違えようとするのかと、さんざん非難されるが、おさんとの約束を
守って、何も言わずに、拒絶をし、それに耐え続ける。

舞台下手側で、やんちゃ坊主のように,悪態を吐き続ける治兵衛。事情を知らされた
粉屋孫右衛門を間にはさんで、舞台上手側に座ったまま、じっとしている小春。真意
を隠して、ふたりのやり取りをじっと聞いている小春の辛い心情。そういう小春の、
科白も少ない、肚の中で耐える女をひたすら演じ続ける時蔵は、言葉を越えた心情を
私たち観客に訴え続ける。何もしないで、心情を伝えるという演技は、難しいだろう
が、饒舌の藤十郎と寡黙な時蔵の対比は、見事だった。

贅言;後日、夜の部を観に行き、昼の部が、まだ,はねていない時間帯、歌舞伎座の
楽屋で入り口に近い昭和通りの横断歩道で、薄いセーター姿で、白髪の素顔の時蔵と
すれ違った。昼の部を終えて、小春から時蔵に戻った人が、夜の部の義経に扮する前
の自由な時間を利用して、外出して来たのだ。横断歩道でなければ、「お疲れさまで
した」と声をかけたいところだが、交通量の多い昭和通りでは、それも、難しいの
で、軽く頭を下げて、黙って、すれ違ったが、54歳の中年男を華麗な女形役者と気
づく人は、少なかろう。

「河庄」に関する限り、毎回の劇評に付け銜えることは、あまり多くない。特に、上
方系の役者による登場人物たちの人物造型、大阪弁の科白廻し、演技、そのいずれも
が、なんとも言えず充実の舞台だった。

「魂抜けてとぼとぼうかうか」の極め付けとして、藤十郎は、花道七三で、雪駄が脱
げてしまう(「脱ぐ」という演技よりも、それは、自然に「脱げる」という感じだっ
た)。このほか、帯を締め直す演技、手拭(あるいは、着物の裏地か)を懐に入れた
まま、口にくわえる仕種、櫛を使う、つまらなそうに大福帳をくくるなどなど、「ミ
リ単位」の、微細な演技の積み重ねが、治兵衛という男になりきって行く。可笑しみ
と憐れみが、共存する。その演技の素晴しさ。

紙屋治兵衛のような女に入れ揚げ、稼業も家族も犠牲にする駄目男のぶざまさが、観
客の心を何故打つのか。大人子どものような、拗ねた、だだっ子のような男が、目の
前の舞台の上にいる不思議さ。それは、何回も上演され練れた演目の強みであり、家
の藝として、代々の役者たちが、何回も演じ、工夫を重ね、演技を磨いて来たからだ
ろう。江戸歌舞伎に押されながらも、上方歌舞伎の様式美を大事にし、粘り強く持続
させて来た鴈治郎代々の執念が、様式美の極みとして、上方和事型を伝承して来た。

藤十郎は、紙屋治兵衛を演じてなどは、いなかった。心底から、治兵衛になりきって
いた。鴈治郎時代から、藤十郎になっても、この役者は、ひたすら、治兵衛になり
きっていた。藤十郎は、予想通り、治兵衛を「演じず」に、治兵衛そのものに「なり
きって」私たちの前に現れた。爪の先、足の先まで、身体の隅々まで、紙屋治兵衛に
なりきる努力を重ねて来た役者魂が、大きな花を開かせた瞬間に立ち会えたのだと思
う。今回は、本興行で、19回目の筈。次回は、いよいよ、20回目の紙屋治兵衛を
見せてくれる。

それだけに、課題があるとすれば、藤十郎の完成された上方味の芝居も、廻りの役者
が、それに応える演技をしなければ、藤十郎だけが、浮き上がってしまうということ
だろう。そういう意味では、主役より脇役の配役が,大事な芝居と言えるだろう。2
0回目の興行では、その辺りに万全の心配りをお願いしたい。

贅言;「河庄」の座敷の下手側の障子がわずかに開いている。ここが,重要なポイン
トとなる。障子の隙間の前には、蝋燭立てが立ててある。外にいる治兵衛が、座敷の
うちを覗き見るためだ。座敷で小春とやり取りする武士が、兄の粉屋孫右衛門と知ら
ずに、嫉妬心を燃やす。煙管に口をつけて火をつけ、それを遊女が客に渡す場面は、
間接キッスだから、嫉妬心が煽られる。後に、孫右衛門が、障子を閉めて、そこが開
いていたことを観客に改めて、知らせる。さらに、嫉妬心から障子を突き破って、小
春に小刀を突き出す治兵衛。何者かと、その両手を障子の格子に縛り上げ、懲らしめ
のために、そこから身動きができないようにする孫右衛門。この後、舞台が半廻りを
し、店の外に身動きできずにいる治兵衛の後ろ姿が、観客席から見えるようになる。
そこへ、花道から戻って来た江戸屋太兵衛と五貫屋善六が、縛られている治兵衛を見
つけ、「貸した20両を返せ」などとからかい、打ち据えて、辱める場面へと繋がる
重要なポイントとなるのだ。この場面では、廻った舞台下手奥が、遠くまで見え、町
家が,遠近法で描かれている。夕景の物悲しさ。


「音羽嶽だんまり」は、1935(昭和10)年、五代目菊五郎三十三回忌追善興行
で、初演された新歌舞伎。いわば,菊五郎劇団の記念興行の演目という性格を刻んで
来た。今回は、松緑長男・藤間大河初お目見えの口上のための舞台。私は、初見。幕
が開くと、浅葱幕が、舞台を被っている。幕の前で、源氏方が、唐櫃を運んで来る。
唐櫃には、源氏の白旗と六韜三略(りくとうさんりゃく)の巻物が入っている。音羽
嶽の奥の院で、若君に2品を披露するために運んでいる。

大薩摩の演奏の後、浅葱幕が、振り落とされると、早速「口上」。舞台真ん中に、
「山神祠」と書かれた大木が立っている深山の体。菊五郎を軸に,上手に向かって松
緑の長男・藤間大河、松緑、富十郎(富十郎は、なぜか、「合引き」に座る。下手端
に廻り、吉右衛門と座る。菊五郎の仕切りで、富十郎、吉右衛門、松緑と口上が続
き、父親が、「ご挨拶を」と促すと、大河が、「よろしくお願いします」と、大き
く、元気な声で挨拶をした。

口上が終わると、富十郎は、雲霧袈裟太郎に、菊五郎は、音羽夜叉五郎にと、ふたり
とも源氏の重宝を盗もうという賊に変わる。吉右衛門は、これを奪い返そうという畠
山重忠。白旗は、奪われ、一巻のみ取り戻す。奴伊達平(松緑)は、音若(大河)を
守護し、畠山とともに逃れて行く。後を追う、ふたりの盗賊。ほかに、祠から、夕照
の前(魁春)が出てくるほか、結城左衛門(錦之助)、大姫(菊之助)、大江三郎
(権十郎)、白拍子仏御前(萬次郎)、鎌田蔵人(團蔵)、局常盤木(田之助)ら
が、加わり,夜叉五郎が所持する白旗を奪おうと争う、お馴染みの「だんまり」とな
る。

最後は、雲霧袈裟太郎(富十郎)が、舞台中央に据えられた「三段」に乗り、大見
得。皆々、引っぱりの見得で、幕。閉幕後、音羽夜叉五郎(菊五郎)の幕外の引っ込
み。六法で、向う揚幕に入って行く。

今月の歌舞伎座の昼の部は、演目にバラエティとバランスがあり、見応えがあった。
- 2009年10月8日(木) 11:36:21
09年9月歌舞伎座 (夜/「浮世柄比翼稲妻」「勧進帳」「松竹梅湯島掛額」)


「浮世柄比翼稲妻」のうち、「鈴ヶ森」は、良く上演される。今回で、7回目の拝
見。「鞘当」は、それに比べると少ない。今回で、私は、3回目の拝見。「鈴ヶ森」
と「鞘当」を通して観るのは、今回が、初めてである。「浮世柄比翼稲妻」は、鶴屋
南北作。南北は、今年が、没後、180年という。

「鞘当」は、ふたりの浪人、不破伴左衛門と名古屋山三が、登場する「稲妻草紙」の
世界。「鈴ヶ森」は、小紫と権八の「比翼塚の世界」。全く違う世界が、ひとつにな
り、南北の世界へと昇華しして行く。佐々木家のお家横領を企む伴左衛門が、敵対す
る山三の父親・山左衛門とともに、権八の父親・兵左衛門を闇討ちにする、山三と伴
左衛門は、腰元の岩橋(後の、吉原の花魁・葛城)を巡る恋敵というところから、物
語は始まっているが、最近では、通しでは、上演されず、「鞘当」「鈴ヶ森」と、そ
れぞれ、独立して、上演されることが多い。伴左衛門、山三、権八の3人は、それぞ
れ、お家追放で、浪々の身。アウトローの世界へ落ち込んで行く。

「鞘当」では、桜満開の江戸新吉原仲の町が舞台。幕が開くと、浅葱幕が、舞台を
被っている。置唄で、チョーンと柝が入り、幕の振り落としという「明転(あかて
ん)効果」で、華やかな吉原を強調する。上手の見世が、「山口巴」、下手の見世
が、「西の宮」とある。

浪人・不破伴左衛門と浪人・名古屋山三が、それぞれ、両花道(本来の花道と臨時に
設けられた「仮花道」)を使って登場するのが、本格的だが、今回は、仮花道がな
く、不破伴左衛門は、上手の揚げ幕から登場する。花道からは、名古屋山三。

水色の地に濡れ燕模様の衣装に深編笠姿の山三(染五郎)は、白塗り、白足袋で、花
魁の葛城の情人、黒地に雲と稲妻の模様の衣装に深編笠姿の伴左衛門(松緑)は、砥
の粉塗り、黄色い足袋で、葛城の客。葛城は、元は、腰元の岩橋。衣装こそ違うもの
の、二人は、まるで、「二人もの」の演目のように、ということは、ふたりの間に鏡
があるかのごとき、左右対称に見える所作をする。同調と対比。そのふたつの様式美
が、大事だ。本来は、両花道での渡り科白の応酬、丹前六法など、古典の様式的な美
を意識した舞台。本舞台中央で、二人がすれ違って、上下が、入れ替わる際に、刀の
鞘が当たって、武士の面目上、喧嘩になる。そういうところへ、引手茶屋女房・お京
(芝雀)が、「留め(止め)女」として、登場するという趣向。喧嘩の仲裁役という
役どころ。一枚の浮世絵葉書のような所作事の芝居。元禄歌舞伎の古風な味わいを残
した舞踊劇。物語と言うより、3人の役者の持ち味が見所。それぞれの役者の関わり
が、「錦絵」に見えるかどうかが、見所。

私が観た山三では、梅玉、菊之助、今回の染五郎。伴左衛門では、橋之助、松緑(今
回含めて、2)。茶屋女房は、今回含め、3回とも、芝雀。芝雀は、「秀山祭」「歌
舞伎座さよなら公演」を捨て科白(アドリブ)にちりばめていた。

20年前、1989年、5月の歌舞伎座のような、山三が、菊五郎。伴左衛門が、團
十郎。茶屋女房が、当時の扇雀、いまの坂田藤十郎というような、錦絵トリオでは、
観ていないので、今回を含めて、本格的な「鞘当」は、未だに、観ていないというの
が、本音だ。いずれ、観たい。

「鈴ヶ森」を私が初めて観たのは、15年前、94年4月の歌舞伎座。初代白鸚十三
回忌追善の舞台であった。40歳代の後半から歌舞伎を見始めたが、その最初の芝居
の一つが、「御存(ごぞんじ) 鈴ヶ森」で、幸四郎の幡随院長兵衛と勘九郎の白井
権八だった。今回は、その権八を梅玉が演じ、長兵衛は、吉右衛門が演じる。前回の
歌舞伎座は、芝翫の権八、富十郎の長兵衛で、二人とも、人間国宝という重量級。
従って、富十郎と芝翫の「鈴ヶ森」は、歌舞伎の生きた手本のようであった。科白廻
しが、まず、立派。味わいがある、滋味豊かな芝居であった。

私が観た権八:芝翫(2)、勘九郎、菊之助、染五郎、七之助、そして、今回が、梅
玉。長兵衛:幸四郎(2)、團十郎、羽左衛門、橋之助、富十郎、そして、今回が、
吉右衛門。吉右衛門の長兵衛は、今回が、初めての拝見。

吉右衛門は、南北の科白を、緩怠ない科白廻しで、堪能させてくれた。存在感のあ
る、器の大きな長兵衛だった。時折、入る三味線の音が、蜩の鳴き声のように聞こえ
て、効果的だ。梅玉の権八は、いつもの鶸色の着付けではなく、黒地の着付けであ
る。美少年ながら、殺人者として、逃亡中という身の鬱屈を感じさせる。

この芝居、権八と長兵衛以外は、殆ど薄汚れた衣装と化粧の「雲助」ばかりの群像劇
で、いわば、下層社会に通じている南北ならではの、下世話に通じた男たちを軸にし
た芝居だという面もある。逃亡者を見つけ、お上に知らせて、銭にしようという輩と
逃亡者の抗争。立回りでは、小道具を巧みに使って、雲助たちが、顔や尻を削がれた
り、手足を断ち切られたり、という、いまなら、どうなんだろうと言われかねない描
写を、「だんまり」に近い所作立てで、これでもか、これでもかと、丹念に見せる。
さらに、主軸となる二人のうち、白井権八は、美少年で、剣豪、さらに、殺人犯で、
逃亡者。幡随院長兵衛は、男伊達とも呼ばれた町奴を率いた侠客で、まあ、暴力団の
親分という側面もある人物。逃亡者と親分とが、江戸の御朱引き(御府内)の外にあ
る品川・鈴ヶ森の刑場の前で、未明に出逢い、互いに、意気に感じて、親分が、逃亡
者の面倒を見ましょう、江戸に来たら、訪ねていらっしゃい、ということになり、
「ゆるりと江戸で(チョーン)逢いやしょう」というだけの噺。柝の音で、ぱっと、
夜が明ける。客席は、江戸湾。

「鈴ヶ森」は、もともと初代桜田治助の「契情吾妻鑑(けいせいあずまかがみ)」
が、原型で、権八・長兵衛の出逢いが、この段階から取り入れられていたが、このと
きの場面は「箱根の山中」だったというので、いまも、「鈴ヶ森」では、江戸湾の波
の音(海の場面)にあわせて、「箱八」(あの「箱根八里は……」の唄)という「山
の唄」が、歌われる。


七代目松本幸四郎没後六十年と銘打たれた「勧進帳」は、夜の部の目玉で、見応えが
あった。17回目の拝見。今回の配役は、ユニーク。弁慶が、幸四郎、富樫が、吉右
衛門、義経が、染五郎。兄弟と親子の組み合わせ。歌舞伎座の「さよなら公演」で
は、ことし、早くも、2回目の上演。

もともと、「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、名舞踊、名ドラマ、
と芝居のエキスの全てが揃っている。これで、役者が適役ぞろいとなれば、何度観て
もあきないのは、当然だろう。

私が観た「勧進帳」の配役は、次の通り。( )のなかの数字は、私が観た回数。弁
慶:幸四郎(今回含めて、5)、團十郎(4)、吉右衛門(4)、猿之助、八十助時
代の三津五郎、辰之助改めの松緑、仁左衛門。冨樫:菊五郎(5)、富十郎(3)、
梅玉(2)、勘九郎(2)、吉右衛門(今回含めて、2)、猿之助、團十郎、新之助
改めの海老蔵。義経:梅玉(4)、雀右衛門(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝
翫(2)、染五郎(今回含めて、2)、富十郎、玉三郎。

今回の幸四郎の弁慶は、七代目が、生涯で1600回演じたという近代一の弁慶役者
だったのを目標に、去年の10月、1000回というラインを越えて、その後も、記
録を更新している。今回は、弟の吉右衛門が、富樫でつき合う。ふたりの科白廻しの
応酬が素晴らしい。大向うからは、「ご両人」と、声がかかった。虚実を見分けなが
ら、それを許容する懐の深い吉右衛門の富樫であった。幸四郎の弁慶は、主人の義経
に気持ちを集中しているのが、判る。危機に際し、刻々と変化する状況を、落ち着い
て判断し、義経警護の責任者として責務を全うする。昼の部の「ご乱心の殿様たち」
とは、大違いである。全ての神経を義経の安全警護という危機管理意識に使っている
のが、判る。染五郎の義経は、芝翫仕込みという。幸四郎弁慶の引っ込みでは、大向
うから、「たっぷり」というかけ声が、かかった。


歌舞伎の「喜劇」の難しさ


「松竹梅湯島掛額」は、3回目の拝見。荒唐無稽な世話物の世界。前半が、「吉祥院
お土砂(どしゃ)」で、後半が、「櫓のお七」。黙阿弥が、1809(文化6)年の
「其往昔恋江戸染」(福森久助原作)と1773(安永2)年の「伊達娘恋緋鹿子」
(菅専助)とを繋ぎあわせて、1856(安政3)年に、「松竹梅雪曙」という外題
で、上演したという。吉三郎が、曽我十郎の子という想定になるなど、本来、曽我物
語の「世界」でもある。

私は、12年前、97年4月歌舞伎座で吉右衛門の「紅長(べんちょう)」を観てい
る。紅屋長兵衛:吉右衛門(今回含めて、2)、菊五郎。お七:福助(今回含めて、
2)、菊之助。吉三郎:田之助、時蔵、錦之助(今回)。おたけ:吉之丞、田之助、
東蔵(今回)。若党十内:弥十郎、柱三、歌昇(今回)。釜屋武兵衛:芦燕、六代目
松助、歌六(今回)。

歌舞伎では、数が少ない喜劇だが、吉右衛門のサービス精神で、おもしろい舞台が展
開する。前回、喜劇も得意な菊五郎だったが、あまり、おもしろく無かった。特に、
「吉祥院お土砂の場」では、吉右衛門が、生真面目さと柔らかみのある、吉右衛門本
来の人柄と「紅長」の役柄(剽軽者)が、マッチ(あるいは、ミスマッチか)して自
然なおかしみ(あるいは、ミスマッチのおかしみ)を醸し出していて、楽しめた。こ
れは、先代の吉右衛門が、悲劇の英雄を生真面目に演じて、独特の味を出しながら、
その真面目な人柄のまま、喜劇を生真面目に演じて、観客を喜ばせたコツのようなも
のに通じるような気がする。初代吉右衛門が、演じるまで、三枚目の道化方の役柄で
あったという「紅長」が、吉右衛門というブラックボックス(人柄の力)を経たこと
で、役柄が変わっていた。

菊五郎は、喜劇も得意な彼の魅力(藝の力)で「剽軽者(紅長)」を演じたため、そ
のあたりの味わいに違いが出たのだろうと思う。菊五郎の場合、人情噺のなかで、滲
み出るおかしみ(まさに人情喜劇)のようなときは、彼の持ち味を出すが、「紅長」
の場合は、いわゆる人情噺ではなく、「剽軽者」という、いわば「型にはまった滑稽
味」ということだろうから、菊五郎の持ち味とは、異なるのかも知れない。その辺り
を見抜かないと、この芝居は、おもしろくない。

また、こういう単純な芝居は、「お土砂」という呪術(清められた砂を遺体にかける
と地獄の亡者も、苦しみから逃れられる)を使って、なぜか、人も心も、ふにゃふ
にゃに柔らかくするという笑いの趣向では、筋書きに配役の載らない、歌舞伎座の男
の観客と案内嬢(女優)の登場まで演出が前回と同じだった。これは、初見と2回目
では、観る側の感興が、全く違う(ツケ打ちや幕引きなどは、「配役」が載る)。初
見では、笑えたが、2回目では、辛い。つまり、同じ趣向では、まさに、「芸が無
い」ということだ。まして、今回のように、3回目ともなると、「もう、いい」とい
う気になる。この辺りは、繰り返し演じられる歌舞伎のおもしろさとも違うというこ
とで、歌舞伎の魅力を裏側から分析する、ひとつの視点になるかもしれない(もっと
も、これらの演出は、初代吉右衛門から続いているようだ)。やはり、藝の工夫は、
必要だろう。

贅言:開幕時、気がついた人も多いと思うが、定式幕が、いつもとは、逆に上手から
下手に向かって、開いて行く。これは、閉幕の時のための、伏線。つまり、長兵衛
が、幕引きの役者に、「お土砂」をかけて、ふにゃふにゃにさせた後、幕引きに変
わって、幕を引き続けるという趣向があるからだ。

まあ、前半については、私は、吉右衛門の人柄を通じて、滲み出てくる笑いを楽しん
だ。吉祥院の場面では、お七の友達娘のひとりとして、芝のぶが、出演している。

後半は、お七を人形ぶりで、福助が演じる。福助は、2回目の拝見だが、今回は、9
7年の時ほど、迫力がなかった。前回(03年、歌舞伎座)は、菊五郎の紅長に菊之
助のお七。菊五郎の方は、吉右衛門に比べて、いま、一つだったが、菊之助の方は、
良かった。玉三郎の教えを受けたという菊之助のお七は、この若女形の最近の精進ぶ
りを伺わせる演技であったのを覚えている。この場面は、極色彩の鮮やかで、豊かな
吉祥院の場面とは一転して、白と黒のモノトーンの雪景色の町家の風景。赤を基調に
したお七の艶やかな衣装だけが引き立つという演出。さらに、お七の所作が、倒れた
のをきっかけに、人間から、「人形ぶり」(人間ながら、人形のような、やや、ぎく
しゃくした動きとなる)に変化する。この場面で使われる赤い消し幕の色彩感覚が見
事だ。黒衣が、赤い消し幕で、お七と人形遣いたちを隠す。ここは、単純ながら、優
れた演出だと、思う。場内の観客の視線を、この単純な趣向で、一点に集中させるこ
とができるからだ。

福助の人形ぶりが、菊之助の人形ぶりに比べると、ちょっと、薄味だ。福助に言わせ
ると、「人形ぶりの所作は、バランスの取り方が、難しい」という。人形浄瑠璃の人
形のうち、立ち役の人形は、足がついているが、女形の人形は、足が付いていないの
で、足遣いは、着物の裾を持って、足のように動かしている。同じ人形浄瑠璃の人形
でも、違う。そういう女形の人形を足のある人間の役者が、人形ぶりで演じるのであ
る。菊之助の人形ぶりは、福助の人間くささへ(人形のようだけれど、どこか、人間
らしく)のこだわりを捨てて、より、人形に徹していたのだろう。それで、絶品で、
見事だったのだと思う。人形らしく、足を見せない(歌舞伎では、三人遣いの人形浄
瑠璃とは逆になり、足遣いがいない)。従って、お七人形を遣うのは、ふたりの人形
遣いということになる。もうひとりの人形遣いは、何処に居るかというと、舞台下手
に雪布で覆われた板の上に立ち、ひとりで、ひたすら足踏みをして、人形の足音を表
現する。人形浄瑠璃の実際に足音よりも、派手で、大きくて、大分、誇張されてい
る。これは、今回も同様だ。特に、ふたりの人形遣いが人形を横抱きにする場面への
展開は、菊之助も人形遣い役者たちも息がぴたりで、乱れが無い。菊之助は、もとも
と、人形顔だが、こういう人形ぶりの演出では、ますます、ひとつの表情を持った人
形顔になれる。その辺りが、福助人形では、弱かったのではないか。

花道七三で、福助は、人形から、再び、血の通った役者に戻る。人形遣いを演じた3
人の役者たちは、客席に向かって礼をした後、舞台下手奥へ退場した。人形から人間
への黄泉帰りを演ずるように、福助は、本舞台へ帰って行く。本舞台中央に設けられ
た火の見櫓に梯子から上がる場面では、福助も、生き生きとしている。櫓のてっぺん
に上った福助に、(天井の葡萄棚から)霏々と降る雪が、いつもながら、印象的だ。
福助は、前回は、梅柄の衣装だったが、今回は、定式に戻り、黄八丈になっていた。
人形ぶりの途中での「引き抜き」では、黄八丈から、段鹿の子に替わる。モノトーン
のなかで、効果的な演出だ。
- 2009年9月18日(金) 8:21:21
09年9月歌舞伎座 (昼/「竜馬がゆく」「時今也桔梗旗揚」「お祭り」「河内
山」)

「竜馬がゆく 最後の一日」は、初演。07年9月の「竜馬がゆく 立志篇」、08
年9月の「竜馬がゆく 風雲篇」に続く、「竜馬がゆく」3部作の完結編だ。いずれ
も、齋藤雅文脚本・演出。染五郎が、竜馬を演じる。私は、3部作のすべてを拝見し
た。司馬遼太郎原作の小説「竜馬がゆく」を劇化した新作歌舞伎である。歌舞伎味
は、薄い。07年は、坂本竜馬没後140年記念作品と銘打っていた。3年続けて、
毎年、この時期に続編を観続けることができたのは、嬉しい。

「竜馬がゆく 立志篇」は、坂本竜馬の青春、土佐藩を脱藩して、国事に奔走しよう
と決意する時期を明るく描いた。「竜馬がゆく 風雲篇」では、1864(元治元)
年の池田屋事件から、国事に奔走する青年竜馬と後の妻となるおりょうとの出逢いを
軸に、1866(慶應2)年の寺田屋での竜馬襲撃事件までを描き、まさに風雲急を
告げる舞台となった。

今回の「竜馬がゆく 最後の一日」は、大政奉還から1ヶ月後の、1867(慶応
3)年11月15日、潜伏先の京都の醤油商近江屋で、風邪を引いて寝込んでいる竜
馬(染五郎)の元に様々な人が出入りする。きょうは、竜馬の33歳の誕生日。その
一日を描く芝居。近江屋の内外だけが舞台の一幕もの。時間の推移が、ドラマを進行
させる。その結果、運命は、竜馬の誕生日を命日に変えてしまう。様々な出入りの最
後のふたり組は、竜馬の刺客であったからだ。

今回も、新作歌舞伎らしく、大道具の使い方や演出など舞台展開が工夫されている。
引き続き、中嶋正留が、美術を担当。近江屋の店先。下手奥が、店の外という舞台装
置が、新作歌舞伎らしい新鮮さ。外から、「えじゃないか」の人たちが、大勢は入り
込んで来る場面で、芝居が始まる。舞台は、暗転と廻り舞台を活用して、てきぱきと
進行する。

廻り舞台には、普通、2つの大道具が置かれていることが多いが、今回は、基本的に
4つの大道具が設置されていた。舞台は、1)近江屋の店先。2)近江屋の裏手へ。
再び、1)近江屋の店先。3)母屋の2階竜馬の部屋。1)近江屋の店先から、4)
近江屋の土蔵。1)近江屋の店先から、5)渡り廊下を通って、3)竜馬の部屋へ。
1)近江屋の店先。3)竜馬の部屋。このうち、2)は、一度使われた後、5)に譲
る。1)と3)は、何度も使われる。重要な大道具だ。

第一場「七つ刻。竜馬、母屋へ移る」。七つ刻(午後4時過ぎ)、1)「ええじゃな
いか」の波が、店先から去った後、近江屋の主人新助(猿弥)は、次の波が来ないう
ちにと、店じまいとする。才谷梅太郎という変名を使っている竜馬が、土蔵では冷え
ると母屋の2階へ、勝手に引っ越して来る。2)店の裏手にいた近江屋の奉公人桃助
(男女蔵)のところに兄の梅蔵(松之助)が、竜馬という浪人が、近江屋に匿われて
いないか探りに来る。竜馬は、大金を盗んで逃げている大悪人で、討取る手引きをす
れば、侍に取り立てられると、唆す。3)母屋の2階では、竜馬が、きょうは自分の
誕生日だと思い出す。下女のとめ(芝のぶ)が、竜馬に気に入られて、竜馬の世話を
している。

第二場「六つ下がり。同門の客と奉公人たち」。六つ下がり(午後6時過ぎ)、店先
に元新撰組の御陵衛士伊藤甲子(かね)太郎(錦吾)らが、竜馬を訪ねて来る。新助
は、竜馬などいないと答えるが、奥から、竜馬が出て来る。伊藤と竜馬は、江戸の道
場で、同門だった。伊藤は、新撰組が、竜馬を狙っているから、土佐藩邸に移れと忠
告に来たのだ。竜馬の率いる海援隊の船と持ち船を衝突させたため、竜馬に8万3千
両の賠償金を支払わされた紀州藩も竜馬を狙っているという。物陰で聞いている桃
助。舞台は、廻って、4)土蔵の、桃助の仕事場。竜馬の世話をしているとめが、
残った食べ物を持って、桃助のところに来る。竜馬という大悪人を討つ手引きをし
て、侍に取り立てられたいと桃助は、言う。

第三場「五つ。土佐人たちの恩讐」。五つ(午後8時)。近江屋に竜馬の同士・中岡
慎太郎(松緑)が、訪ねて来る。5)渡り廊下を通って、竜馬の部屋に慎太郎を案内
する新助。竜馬の部屋には、土佐藩の重役・後藤象二郎(門之助)らが来ていると伝
える。竜馬の部屋では、竜馬が書いた新政府の人事案を後藤が見ている。竜馬自身
は、人事案には、入っていない。後藤が、訝しむと、竜馬は、自分は、世界に羽ばた
くと答える。そこにやって来た、慎太郎は、副関白に徳川の最後の将軍・慶喜が、
入っているのを不満だと言い、後藤と言い争う。後藤が返った後も、倒幕を主張する
慎太郎と内乱で疲弊したら、列強に狙われると反論する竜馬。

第四場「五つ半。凶刃」。五つ半(午後9時)。近江屋の店先では、とめが桃助に竜
馬を討取る手伝いなど止めるようにと言っている。突然店の戸が叩かれる。押し入る
ように入って来たのは、見知らぬ侍たちであった。2階の竜馬の部屋では、竜馬と慎
太郎が、酒を飲みながら、雑談をしている。そこへ、先ほどの不気味な侍たちが押し
入り、竜馬と慎太郎に斬りつける。抵抗する間もほとんどなく、斬りつけられるふた
り。襖や障子を蹴倒して倒れるふたり。先に息絶える竜馬を見て、慎太郎が、絶叫す
る。「竜馬あー」。慎太郎の絶叫も、やがて消えると、慎太郎の息も止まってしま
う。

これまで同様、齋藤演出は、道具替りのさまが、効率的で、おもしろかった。大河小
説「竜馬がゆく」を、通し狂言ではなく、ハイライト3部作にして、私たちに呈示し
た、齋藤雅文脚本・演出は、歌舞伎の味ではなかったが、これはこれで、見応えが
あった。「竜馬がゆく」は、これぎり。


「時今也桔梗旗揚」(鶴屋南北原作)の原題は、「時桔梗出世請状(ときもききょう
しゅっせのうけじょう)」であったが、明治以降、現行の外題になったという。「出
世」とは、正反対の、「左遷」に逆上した光秀の「旗揚」(謀反)の物語だからだろ
う。本来は、五幕十二場。なかでも、序幕の「饗応」(祇園社)、三幕目の内、本能
寺「馬盥(ばだらい)」、「愛宕山連歌(あたごやまれんが)」の3場面が演じられ
るが、最近では、「馬盥」「連歌」の2場面だけが、演じられることが多い。今回
は、3場面の上演で。私は、「饗応」(祇園社)は、今回、初めて、拝見する。この
狂言は、いかにも、南北劇らしい、怨念の発生の因果と結末の悲劇を太い実線で描
く。科白廻しも、良いので、楽しみ。

私は、今回で、4回目の拝見。私が観た主な役者たち(95年6月歌舞伎座、97年
5月歌舞伎座、06年11月、新橋演舞場、そして、今回だが、00年9月吉右衛門
が光秀を演じた歌舞伎座は、観ていない)。武智光秀:十七代目羽左衛門、團十郎、
松緑、そして、吉右衛門。小田春永:團十郎、左團次、海老蔵、そして、富十郎。皐
月:九代目宗十郎、田之助、芝雀、そして、魁春。桔梗:萬次郎、芝雀(今回含め
て、2)、松也。森蘭丸:正之助時代の権十郎(2)、橘太郎、そして、錦之助。山
口玄蕃:歌昇。四天王但馬守:孝夫時代の仁左衛門、九代目三津五郎、亀蔵、そし
て、幸四郎。

この芝居は、武智光秀(吉右衛門)が、徹底的に虐められる。初代吉右衛門の当り役
の光秀を、当代吉右衛門で、今回やっと、初めて、拝見できる。

序幕「饗応の場」。太政大臣を目前とし、任命の勅使を迎え、饗応する責任者が、光
秀だが、鷹狩りから戻って来た暴君・小田春永(富十郎)は、光秀の饗応の準備ぶり
が、気に入らないと怒り出す。天幕の紋が、光秀の「水色桔梗」になっているなど、
光秀の方が、目立ちすぎるというのである。用意した器物や珍味も高価すぎると、用
意してあるものを足で蹴倒す。「華美を尽くせ」と、命じられたのは、(あなたさま
ではないか)、光秀が、理詰めで諌めると、(だから、余計に)春永は、ますます、
激昂する。その挙げ句、森蘭丸(錦之助)に鉄扇で光秀を打ち据えろと命じる始末
(上司に、こういうタイプの人がいると、苦労する)。「絵本太功記」などでもお馴
染みの光秀の眉間の傷は、こうしてできたということが、良く判る場面だ。春永の側
近、蘭丸と力丸(種太郎=歌昇の息子)は、ともに、隈取りをして、ということは、
つまり、蘭丸は、荒事で、光秀を打ち据えるというわけだ。勅使到着の知らせを聞
き、春永は、饗応役を光秀から欄丸に急遽、代えるとともに、光秀には、領地での蟄
居と今後の目通り禁止を申し渡す。鉄扇を見つめる光秀の内部に禍々しい気持ちが、
沸き上がり始める。

二幕目「本能寺馬盥の場」。金地に紅、白、桃色の牡丹が描かれた襖のある本能寺。
小田春永の宿所である。ここで、光秀は、春永から、再び、辱めを受ける場面、それ
に耐える辛抱立役・光秀の態度、春永に対する謀反の心の芽生え(激情が込み上げ
る)という心理劇で、「馬盥の光秀」と通称される場面である。これを観ると、「饗
応」の場面と重なる印象もあり、最近、「饗応」が、省略されがちなのも、判らない
ではないが、「饗応」では、光秀の眉間の傷の謂れが判るから、観客の立場からすれ
ば、やはり、欠かせない場面だ。それに、鷹狩り姿の春永と勅使を迎える烏帽子大紋
という正装に身を包んだ光秀の対比など「馬盥」の場面より、歌舞伎お得意の、視覚
的な対比を意識した舞台となっている点も、見逃せない。

「馬盥」では、春永は、例の、春永や義経を演じる役者が、定番で着る「正装」姿、
一方、後に、春永から、久々の目通りを許された光秀は、黒に近い濃紺の裃姿(金地
の家紋が入っている)で登場する。

馬を洗う際に使う馬盥に轡(くつわ)で留めた錦木の花活け(久吉から春永への献上
の品。馬の口取りから取り立てられたのを恩に思っている久吉は、愛い奴と春永が思
う。その隣りにある紫陽花と昼顔の花籠が、光秀の献上と聞き、一日で、色が変わる
紫陽花や昼顔を選ぶとは、何と、嫌みな光秀めと、「春永の世は短い」という当てこ
すりか、光秀の顔を思い出してしまい、春永は、不快になる)、その馬盥を盃替りに
春永から酒を飲まされるなどして、屈辱感で怒り心頭の光秀だが、「盥」で酒を呑む
場面と言えば、「勧進帳」の弁慶が、酒を呑む際に使ったのも、「盥」ではなかった
か。あれは、「勧進帳」の台本を見ると、「葛桶の蓋」とあるが、舞台で観る限り、
同じもののように見える。同じ小道具を使いながら、片方は、怒り、片方は、自ら所
望して、大酒を飲んでは、喜ぶ。融通無碍。そこが、歌舞伎の奇妙なおもしろさ。

「ぐぐっっと、干せ」という、春永の声に背中を押されるようにして、馬盥を左手で
持ち、懐紙を掴んだ右手を添えながら、馬盥の酒を干す光秀。さらに、春永から下賜
されたのは、光秀を馬扱いにする「轡」であった怒りに震えながら、轡を袖に入れる
光秀。蘭丸の領地との交換を命じた上に、予てより光秀所望の名剣「日吉丸」を別の
家臣に与え、光秀には、貧窮時代に売り払った妻・皐月(魁春)の切髪が入った箱で
あった。掛け軸と思いながら、蓋を開けた光秀は、驚きながらも、悔しさを押さえ込
もうとする。自分たちの過去を満座の中で、暴露された光秀の無念さ。歌舞伎は、権
力者横暴を畳み掛けるように、描いて行く。怨念のエネルギーを胸中に蓄積し続ける
光秀。春永が、奥へ入った後、花道(花道には、薄縁が敷き詰められ、畳敷きの廊下
の体。向こう揚幕も、座敷の襖になっている)から引き上げる場面で、花道七三で、
切髪の入った箱を左手から、右手に持ち替えて、「箱叩き」をして、「ぐいと」ばか
りに、表情を改めて、ポーズをとる吉右衛門の姿勢は、写真で見る初代そっくり。

大詰「愛宕山連歌の場」。謀反の実行(旗揚げ)という(光秀の宿所)「愛宕山連
歌」の場面という形で、芝居は、さらに展開する。一転して、銀地の襖には、荒れ狂
う龍神の絵。衝立も、銀地に統一。山水画だ。

「君、君たれども、臣、臣たらざる光秀」「この切り髪越路にて」「待ちかねしぞ但
馬守。シテシテ様子は、何と何と」で三宝を踏み砕いて、太刀を引っかついだ大見得
など、光秀の無念を表わす名科白が知られる。特に、光秀の謀反の実行は、ここで、
やっと、本心をさらけだし、「時は今天(あま)が下(した)知る皐月かな」と、妻
の名前も織り込んで、妻の恥辱も晴らす辞世の句を読む。

昔のプロレスで言えば、黒いタイツ姿の力道山が、アメリカなどの悪役外国人レス
ラーの反則に耐えに耐えた挙げ句、堪忍袋の緒が切れたとばかりに、「空手チョッ
プ」を繰り出す場面に良く似ている(ちょっと、喩えが、古すぎる!)。耐えに耐え
た屈辱を、やっと、晴らそうとするのは、観客の気持ちも、同調しているから、名場
面となるのだろう。

愛宕颪、夜半の風が吹き込み、座敷の灯りが消え、暗闇で、白無垢、無紋の水裃とい
う、死に装束に着替えた光秀。行灯の火が着けられると光秀の謀反の姿が、浮き上
がって来る。光秀介錯のため、春永の上使が、持ち出した「日吉丸」を奪い取り、当
の上使を斬り殺す形で怒りを噴出させる光秀。バタバタとメリハリのある附け打は、
保科幹。黒衣が持ち出した、黒い消し幕で、片付けられる上使の遺体。

それまでの官僚の抑制ぶりと謀反後の、「国崩し」という悪役ぶりの鮮烈な対比。だ
が、それは、日本人好みの、滅びの美学。「しからば、これより、本能寺へ」、「君
のご出馬」という声を背にしながら、向うを見込む吉右衛門の光秀。「待ちかねしぞ
但馬守」で、そこへ駆けつけて来た鎧姿に元結の切れた髪という四王天(しおうで
ん)但馬守(幸四郎)が、本能寺での謀反の端緒は、まず、成功と知らせるととも
に、光秀の血刀を拭い、互いに不気味な笑いを浮かべるという、幕切れの名場面。一
枚の錦絵。大物兄弟役者のそろい踏みという、なんとも、豪華なコンビで、幕。

そのまま、ここでは、演じられていない「本能寺」の暗殺場面を容易にダブルイメー
ジさせるのは、巧みな演出だ(原作の、本来なら、本能寺客殿の「春永討死の場」に
移るが、そこを演じない方が、余韻が出て来る。つまり、余白の美しさだ)。

光秀の演じ方は、七代目團蔵系と九代目團十郎系とふたつあるという。團蔵系は、主
君に対して恨みを含む陰性な執念の人・光秀。團十郎系は、男性的で陽気な反逆児・
光秀。これは、南北劇らしく怨念の團蔵系の演出が、正論だろう。春永鉄扇で割られ
た眉間の傷、謀反の心を表わしてからの「燕手(えんで)」と呼ばれる鬘など、謀反
人の典型、「先代萩」の仁木弾正そっくりの光秀が現れる。吉右衛門は、もちろん、
團蔵系の演出である。

さて、「役者論」。
4回観た舞台では、やはり、十七代目羽左衛門、團十郎、吉右衛門と、それぞれが、
持ち味を活かしていてよかったが、以前観た團十郎は、もちろん、男性的で陽気な反
逆児・光秀であった。今回の吉右衛門は、怨念、恨み、つらみの陰気さを滲ませた團
蔵型の光秀。花道引っ込みの、「箱叩き」の、主君から辱めを受けた後の、無念さ、
悔しさ、謀反の心の芽生えを表わす息の吐き方に、それを感じた。地の吉右衛門は、
人間的に、光秀より、器も大きいし、虐められても、謀反を企むような人柄ではない
だろうが、「殿、ご乱心」という気持ちを押さえ込みながら、その境界線上で、ぎり
ぎりに光秀を演じているという感じが出ていた。一方、上手高座(二畳台)に座って
いた富十郎は、性根から意地悪で、冷酷な春永を演じている。高みから光秀を睨んで
いるという、これも、巧みな演出。口跡の良い富十郎は、憎々しいが、重厚な春永で
あった。光秀の妹・桔梗を演じた芝雀は、初々しいい。


「お祭り」は、10回目の拝見。いつもは、鳶頭が、軸になり、芸者がからむか、鳶
頭に若い者のからみという演出だが、今回は、大御所、芝翫の芸者が主演。歌昇、錦
之助、染五郎、松緑、松江の5人もの鳶頭に加えて、手古舞(芝雀、孝太郎)が、か
らむという、豪華版。こういう「お祭り」は、初見。

「お祭り」は、1826(文政9)年、三代目三津五郎初演の変化舞踊の一幕。江戸
の天下祭は、神田祭と山王祭が、二大祭といわれた。隔年で、交互に開かれる。「お
祭り」は、山王神社の祭り「山王祭」を題材にしている。やはり歌舞伎で演じられる
「神田祭」は、神田明神の祭を題材としている。

ところが、歌舞伎の場合、「お祭り」という外題で、内容は、「神田祭」だったり、
外題も、きちんと「神田祭」だったりするが、実は、区分けが、いい加減で、混在し
ていて、歌舞伎座筋書の上演記録も、分けたり、いっしょにしたりしているから、要
注意。区分けをきっちりして、両方を、ひとまとめにして記録してほしい。最近で
は、ふたつの作品の歌詞をとりまぜて、「お祭り」という外題で、上演されることが
多い。今回は、「歌舞伎座さよなら公演」なので、「名残惜木挽の賑」という歌詞で
も、判るように、木挽町界隈のお祭りという趣向。

開幕。下手に剣菱の積み物、上手に流しスタイルの清元連中。舞台中央の大セリに
乗って、鳶頭(歌昇、錦之助、染五郎、松緑、松江)が、それぞれ、紺の家紋を染め
抜いた白地の衣装(白縮緬に首抜き)で、また、手古舞(芝雀、孝太郎)も、華やか
に、登場する。歌昇、錦之助は、萬屋の家紋で、同じ絵柄。皆、桃色の牡丹の花を付
けた花笠(祭笠)と白地に紅色の牡丹の絵柄が描かれた扇子(祭扇)を持っている。
も凛々しい團十郎の鳶頭は、同じ牡丹の絵柄(銀地にピンクの牡丹)の扇子(祭扇)
を持っている。

振る舞い酒で、ほろ酔いの芸者・おえい(芝翫)が、黒地の衣装で、やってきて、お
祭り気分も、盛り上がる。「さよなら歌舞伎座」の文句を織り込んで、観客も巻き込
んで、一本締め。大御所の風格を滲ませた芝翫の所作。

「実にも上なき獅子王の万歳千龝かぎりなく つきせぬ獅子の座頭と 御江戸の恵み
ぞ」で、獅子舞(染五郎、松緑)も、登場。後見は、芝のぶ。


「天衣紛上野初花〜河内山〜」は、河竹黙阿弥が、明治14(1881)年3月に東
京の新富座で初演した狂言。明治期の作でも、テーマは、江戸の世話物。しかし、明
治期10年代に入り、歳月に染まった時代色は、同じ黙阿弥ものでも、幕末時代の世
話物とは、大分感じが違う。文明開化の明るさが、反映された「新江戸もの」とでも
言おうか。この年、実は、黙阿弥誕生前の、まだ、二代目河竹新七としての作品なの
だ。そういう時期に花開いた作品。黙阿弥は、この年の11月、一旦引退する(「黙
阿弥」は、引退後の名前)。引退後、黙阿弥時代は、本格化することになる。黙阿弥
は、引退する際に、引退興行をしているが、実質的には、「天衣紛上野初花」が、新
七時代の掉尾を飾る、まさに、一世一代の得意の江戸世話物だったのではないか。な
にせ、初演時の河内山を演じたのは、「劇聖」の九代目團十郎だったからだ。

「河内山」は、私は、9回目の拝見。私が拝見した河内山宗俊は、吉右衛門(4)、
幸四郎(今回含め、3)、仁左衛門、團十郎。黙阿弥もののなかでも、「弁天小僧」
と並んで、最も上演回数の多い作品。そうは言っても、最近の上演形態は、通しでは
無く、「河内山」「三千歳直侍」など、みどり(見取り)狂言が、多いので、「天衣
紛上野初花」としての、全体像が見えない。「天衣紛上野初花」は、元々は、松林伯
円の講談「天保六花撰」で、河内山、直侍、暗闇の丑松、金子市之丞、森田屋清蔵、
そして三千歳という6人構成だから、これは、小野小町を含む「六歌仙」をもじって
いることになる。私は、03年11月の国立劇場の通し上演は観ることができた。幸
四郎が、河内山と直次郎のふた役で出演した。ほかの上演形態は、「河内山」で、
「質見世」と「松江邸」が、多い。今回は、「松江邸」だけの上演であった。

冒頭から、贅言:実は、今月の歌舞伎座の昼の部は、「殿、ご乱心」ものは、ふたつ
ある。春永の光秀に対する変心。セクハラ殿様のご乱心、ご乱行は、「河内山」の
「松江邸」の出雲守である。

人格障害という病気ではないかと思われる、じゃじゃ馬のような殿様・松江出雲守
は、河内山との対比からみて、大事な役だ。私が観た松江侯は、梅玉(今回含めて、
4)、八十助時代を含めて三津五郎(2)、富十郎、彦三郎、染五郎。こういう性格
の殿様役は、梅玉が、巧い。梅玉は、癇僻の強い殿様を演じていた。三津五郎は、世
間体を繕うばかりで、危機管理の知恵のない殿様を好演。

「松江邸」のテーマを黙阿弥は、現代的に言えば、「危機管理」だと思っているよう
に、見受けられる。松江邸の危機管理の場面は、ふたつある。ひとつは、「広間の
場」での、腰元・浪路に対する殿のご乱心、ご乱行。尻拭いの対応を巡って、北村大
膳(錦吾)と家老の高木小左衛門(段四郎)が対立する。「パワーハラスメント」の
殿様に対する対応を含めて、「危機管理」を担当するものとして適格なのは、出雲守
の屋敷では、家老・高木小左衛門が筆頭だろう。黙阿弥の意図は、かなり、はっきり
している。松江邸では、実務のリーダーシップを発揮しているのは、この人だと良く
判る。

家老高木小左衛門役は、最近では、左團次と段四郎が、交互に演じているようだ。段
四郎と左團次では、それぞれ持ち味が違う。段四郎は、淡々と家老役をこなす。左團
次は、役目がら、本音や感情を抑圧しているような家老だ。前に観た我當の家老は、
最後まで、河内山に対して、はらわたが煮えくり返るという表情を押さえ込んでいる
ということを感じさせる演技をしていた。私は、我當の家老像が、好きだ。ほかに
は、先代の三津五郎でも観ている。

もうひとつは、「玄関先の場」で、河内山の正体を見抜いた重役・北村大膳は、ここ
でも、危機管理者としては、失格者だと判る。折角、正体を見抜いたという情報を得
たのに、有効に活用していない。情報を生のママ、相手にぶつけてしまい、失敗す
る。河内山の方が、一枚上手で、世間体を気にする大名の体質を見抜いている。

そういう北村大膳という人物のダメさ加減を演じるのでは、芦燕が、だんぜん、巧
かった。駄目な中間管理職の雰囲気を巧みに出している。そういえば、暫く、前か
ら、芦燕の姿を舞台で見かけていないが、体調でも崩されたのだろうか。

私が、これまでに拝見した大膳役では、團蔵では、眼が鋭すぎるし、弥十郎では、立
派すぎるし、幸右衛門では、人が良すぎる。今回の錦吾も、いま、ひとつだった。芦
燕の、狡そうな、それでいて、駄目そうな大膳の描き方が、や
はり、巧いのである。

上州屋質店の娘で、いまは、腰元の浪路(高麗蔵)も、殿のご乱行の困惑している。
好意を持っている宮崎数馬(門之助)の後ろにいて、科白も少なく、寡黙だが、良
かった。腰元らしさ、殿様を狂わせる若い女の魅力、俯いたまま、騒動の原因を作っ
てしまったという、苦しさを観客に感じさせなければならず、結構、難しい役だ。

最後に、主役の河内山。「河内山」は、科白廻しが難しい芝居だ。私が観た河内山
は、吉右衛門と幸四郎が、多い。幸四郎の河内山は、時代をベースに、実線の骨太の
演技をするのだが、印象は、陰性である。一方、吉右衛門の河内山は、おおらかさが
ある。地の人の良さが滲んでいる。時代になったり、砕けて、世話になったり、緩急
自在で、吉右衛門の科白廻しは、味わいがある。吉右衛門には、小悪党ながら、権力
に立ち向かう度胸を秘めた人の強さが感じられた。しかし、幸四郎も、最近、世話物
に初役で、積極的に取り組んでいるだけに、今回の幸四郎河内山は、科白も緩急自在
で、演技に幅が出てきていて、良かった。

例えば、「名作歌舞伎全集」に載っている黙阿弥の原作では、正体が発覚した後の河
内山の科白で、大膳を揶揄しながら、「かの下々で玩ぶ川柳とやら申す雑俳、滑稽者
流のざれ言にも、大男総身に知恵が廻りかね、形(なり)ほど知恵はござらぬな」と
あるのを、今回の幸四郎は、「巷の川柳に、……しゃしゃり出て土手に手をつく蛙
(かわず)かな。誠に知恵はござらぬな」と、いかにも、自身が俳句を詠む人らしい
科白を工夫していた。幸四郎は、最後の科白、「馬鹿め」(ト笑う)とあるのを「ば
あかあーめーっ」と、肺にある空気を全て出すような感じで、気持ち良さそうに言っ
ていた。この一言に、江戸の庶民も、どれだけ、溜飲を下げさせたことだろうか。


歌舞伎座2階のロビーには、「秀山祭」らしく、初代吉右衛門と七代目幸四郎を偲ぶ
品々の展示コーナーがあった。

まず、初代吉右衛門コーナー:「元祖中村吉右衛門當り藝二十五番内 七代目鳥居清
忠筆」という四曲の屏風には、大正5、6、7年頃の初代吉右衛門が演じた松王丸、
石川五右衛門、不動、景清などの絵が、描かれている。「時は今 天が下知る皐月か
な 吉右衛門」という短冊。「赤毛御麾(ぎょき)」は、ふたつの竹の柄のついた赤
染めの馬尾毛の総(ふさ)で、「松浦の太鼓」を演じたときに、用いた。

七代目幸四郎コーナー:「書抜」(助六、勧進帳)、「助六の隈取」(昭和21年5
月東劇)。「藝や伎てわれも濡ふよ花の雨」という短冊。「連獅子の衣装」(当代
も、ことしの6月に着用とある。幸四郎、染五郎、染五郎長男の四代目金太郎出演
で、外題も、「門出祝寿連獅子」のときだ)。「愛用の茶碗と茶杓」。扇面画「稲
穂」(喜寿、昭和21年6月、最後の弁慶を演じたとある)。
- 2009年9月17日(木) 15:47:59

- 2009年9月13日(日) 17:56:44
09年9月国立劇場人形浄瑠璃 (第3部/「天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしの
ちはれ)」)


黒衣だけの人形遣たちのおもしろさ


「天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)」は、シェイクスピア原作の「テン
ペスト」の翻案劇、新作ものだ。原作者の山田庄一によると、18年前、1991年、日
英協会100周年記念として、ロンドンで、「テンペスト」が、上演されることに決
まっていたが、準備が遅れて、上演できなかったという曰くがあるという。翌92年
春に、東京と大阪で、2日間ずつ、試演されたのが、初演だという。今年、つま
り、09年7月、大阪の国立文楽劇場で、本格的に上演され、今回、9月、東京の国
立劇場小劇場で、再演された。明治の劇作家・坪内逍遥の翻訳劇を元に、山田庄一
が、脚本・演出を手がけ、人間国宝の鶴澤清治が、作曲を担当した。

暗転のうちに開幕。本舞台には、竹澤宗助ら三味線方6人が並び、下手には、琴の鶴
澤清志郎。稲妻のシルエットを切り込んだ青い海原が、嵐を表す。琴の十七弦を叩い
たり、こすったりしながら、太棹三味線とともに、暴風雨の凄まじさを聞かせる。琴
は、この後も、半弦や十七弦を活用して、三味線では出せない音を付け加えて行く。

演奏が終わると、台に乗ったまま三味線方は、上手と下手に分かれて、退場する。や
がて、いつもの「東西東西」による太夫の紹介もなく、上手の山台にスポットが当た
ると、いきなり、千歳大夫の登場。一人語り、三味線と琴で、孤島の「窟(いわや)
の中」と「浜辺」の場面が語られる。ついで、「森の中」「元の窟の中」は、呂勢大
夫の一人語り。ここでは、三味線方は、作曲者の鶴澤清治の登場。この後の、「元の
森の中」では、太夫の「掛け合い」となり、文字久大夫(泥亀丸、大領)、咲甫大夫
(珍才、英理彦、権左衛門)、相子大夫(刑部)が、それぞれ、分担して、語り合
う。次いで、大団円の「元の窟の中」でも、左衛門を担当する千歳大夫らが、加わっ
て、同じスタイルの掛け合いが続くというのが、竹本の演出スタイル。

主筋と人間関係を整理しておこう。孤島に流されている阿蘇左衛門(首=かしら、丞
相・人形遣:玉女)と娘の美登里(首=かしら、娘・人形遣:玉女)。左衛門は、
「方術」を使うことが出来る。かって、敵対していた隣国の筑紫大領(首=かしら、
鬼一・人形遣:玉也)や現在の阿蘇城主で、隣国に通じた裏切り者・左衛門弟の刑部
(首=かしら、小団七・人形遣:玉佳)、大領の息子・春太郎(首=かしら、源太・
人形遣:和生)ら一行を乗せた船が、孤島の近くを通るのを知り、方術で、嵐を起こ
させて、一行を孤島に漂着させる。

漂着した一行のうち、春太郎が、離ればなれになってしまった。息子を亡くしたと悲
嘆に暮れる筑紫大領をよそに、刑部は、この機会を逃さずに、筑紫大領の領地を手中
に入れるために、筑紫大領と忠臣の権左衛門のふたりを殺そうと企む。

一方、一人だけ、離ればなれになって、孤島の別の場所に漂着した春太郎は、逆に、
父親たちが、遭難してしまったと思いながら、森のなかを彷徨っている。森に花を摘
みに来た美登里を先住島民の生き残り・泥亀丸(でかまる)が、襲う。それを助ける
春太郎。ということで、春太郎と美登里が、知り合い、やがて、ふたりは、恋に落ち
る。父親とふたりで暮らしていただけに、若い男を初めて見たことから、たちまちの
ぼせ上がった美登里は、春太郎を父親のところに連れて行く。

春太郎が、大領の息子だと知り、左衛門は怒るが、これまでの両国のことを春太郎に
語って聞かせる。大領や弟の刑部には、いまも、怒りを抱いているので、方術を使っ
て、嵐を起こしたが、大領の忠臣・権左衛門には、世話になったという。春太郎は、
父親のことを侘び、美登里と結婚できないなら、殺してくれと首を差し出すが、左衛
門は、春太郎の真意を確かめるために、命を助ける。美登里は、結婚を許さない父親
にやるせない思いを抱いている。左衛門は、自分に忠実な妖精の英理彦に密命を与え
る。

もうひとり、漂着者がいた。茶坊主の珍才。酒樽とともに、漂着したので、酒を食
らっている。そこへ、泥亀丸がやって来て、酒を分けてもらい、すっかり、珍才を崇
拝するようになる。この様子を見た英理彦は、左衛門にご注進に行く。森の中の別の
場所では、大領一行が、まだ、彷徨っていて、怪鳥に襲われる。刑部への警告をする
怪鳥。怪鳥の出現は、左衛門の密命を受けた妖精の英理彦の仕業であった。

陰日向なく働く春太郎を気に入った左衛門は、ふたりの結婚を許す。ご注進を受けた
左衛門は、珍才と泥亀丸のふたりを懲らしめる。それを終えると、左衛門は、己の方
術を封じ込めようと方術の書を火にくべてしまう。やがて、やって来た大領一行を迎
える。左衛門に侘びる大領一行を許す。かつての左衛門の所領を返すという大領。そ
のお礼に、左衛門が大領に、生きている春太郎と美登里の仲睦まじい様を見せると、
大領も、ふたりの結婚を許す。刑部も含めて、皆、仲直りをして、ふるさとへ帰るこ
とになる。めでたしめでたし。

ということで、主筋は、単純で、シェイクスピアの原作を読んでいないので、判らな
いが、これが、シェイクスピア原作の芝居かと、拍子抜け。怨念も、裏切りも、最初
だけで、すべて、雲散霧消の体。妖精や怪鳥が、登場するが、これも、なにやら、ワ
ンパターンの感じがする。妖精の飛翔も、もう一工夫欲しい。妖精や怪鳥と登場人物
たちの関わりも、平板であった。脇筋の、珍才の存在感が薄い。終了してしまえば、
なんなんだ、これは?という感じが残った。

音楽は、おもしろい。特に、琴の使用が、効果的であったと、思う。竹本は、平易な
文語体だが、文語体に怪しいところがなかったか、少し、気がかりになった。全体に
展開が、平板で、山場の設定が、弱いような気がした。

新鮮だったのは、人形遣が、全員黒衣で、顔が見えない。勘十郎、玉女、玉也、和生
などの顔が見えない(観たいという気もした)。そのかわり、人形たちが、いつもよ
り、くっきりと見えて来た。人形浄瑠璃の人形遣は、黒衣に徹した時代もあった筈。
竹本の太夫、三味線方、人形遣の、舞台の主役争いという、いわば「確執」のなか
で、舞台に磨きをかけて来たのが、総合芸術の人形浄瑠璃。人形遣も、太夫や三味線
方ばかりが、目立つのは、いかがなものかという反発もあり、主遣が、顔を見せるよ
うになったと理解している。これはこれで、人形遣たちの立派な顔が、人形たちの表
情と相乗効果を上げているので、私は、成功だと思っている。簑助、文雀、いまは亡
き、玉男などの顔が見えたのは、嬉しかった。

だが、人形遣たちが、黒衣に徹することで、黒衣たちの動きが、邪魔にならなくなる
ということにも、気がついた。その結果、人形の生き生きした動きや表情が、浮き彫
りになるのも、確かである。観客の視線が人形の一点に集まり、くっきり、鮮やかな
舞台が、出現する。ときどき、今回のような、黒衣だけの人形遣という演出の上演
も、あった方が良いと思う。この発見は、実に、新鮮だった。

場面転換も、暗転と黒幕を使っているので、メリハリがある。ただし、暗いので、舞
台をウオッチングする私は、メモが残せないので、劇評がいつもより、薄味になるの
は、残念。

贅言:阿蘇左衛門(首=かしら、丞相)と娘の美登里(首=かしら、娘)は、なにや
ら、「平家女護島」の俊寛と千鳥風に見えていた。美登里の衣装が、千鳥同様の緑の
衣装ということが、大きいかもしれない。俊寛も左衛門も、絶海の孤島に島流しに
あっている人物ということも、こうした類推を呼んだかもしれない。
- 2009年9月13日(日) 17:55:46
09年9月国立劇場人形浄瑠璃 (第2部/「伊賀越道中双六」「艶容女舞衣」)


充実の第2部


人形浄瑠璃の「伊賀越道中双六〜沼津の段〜」は、初見。歌舞伎では、何度か観てい
る。歌舞伎では、大道具の展開や主要人物が、「東の歩み」という通路(本舞台か
ら、階段を下りて、客席の間を歩く)を通って、捨て科白(アドリブ)で、観客席に
愛嬌を振りまいているという見せ場に気を取られている間に、本舞台では、廻り舞台
ではない形で、いわゆる「居処替わり」をしてしまう、という演出に、特徴があるの
で、歌舞伎役者のように、客席を歩けない人形たちが、どういう演出で舞台転換を済
ませるかが、私にとって、ひとつの興味の的であった。そこで、今回は、その辺りに
も、目配りしながら、劇評をまとめてみたい。

もともと、人形浄瑠璃として大坂竹本座で初演された丸本時代物の演目だが、脇筋の
「沼津」は、時代物のなかの世話物で、最近では本編が上演されず、この脇の世話物
「沼津」が良く上演される。

基本的に敵(かたき)討ちの物語で、生き別れのままの家族が、知らず知らずに敵と
味方に分かれているという悲劇だが、それよりも、伏流として、行方の判らなかった
実の親子の出会いと、親子の名乗りの直後の死別、その父と子の情愛(特に、父親の
情が濃い)という場面があり、これが、時空を超えて、いまも、観客の胸に迫って来
る演目である。

ベースとなる敵討ちは、史実にある、日本三大敵討ちの一つと言われる、荒木又右衛
門の「伊賀上野鍵屋辻の仇(あだ)討」のことである。1783(天明3)年、大坂竹
本座での初演。近松半二の最後の作品。東海道を双六のように、西へ西へと旅をす
る。

開幕すると、歌舞伎では、宿場のにぎわいを強調する。「沼津棒鼻」の宿場(「三島
宿棒鼻」で、歌舞伎では、御休処、休憩する駕籠かき、旅人たち。飛脚が通る。巡礼
が通る。江戸時代、東海道の旅の様子が良く判り、私の好きな場面)と畑の野遠見
(上手に富士山)から富士山が真ん中にある「松並木の野遠見」へと転換する。平舞
台の大道具(引き道具)が上手から下手へ動かされ、遠見は、中央真ん中が上下にふ
たつに折れて、裏側の絵が出てくるという仕組み。「道中心得」を書いた立て看板に
は、道連れを装って、客引きをしてはいけないとか、人を乗せた馬に荷物を積んでは
いけない、大酒、遊女狂い、喧嘩・口論無用などと「立場」(駕篭かきなどの休息
所)らしいことが、いろいろ書いてあって、歌舞伎は、かなり、東海道の道中を活写
しようという意欲が感じられる)。

これに対して、人形浄瑠璃では、定式幕が開幕すると、舞台全面を被う浅葱幕。宿場
のにぎわいを説明する竹本の置浄瑠璃だけを聞かせた後、幕の振り落としとなる。沼
津の立場は、中央に富士山と松林。下手に「ぬま津」という道標が立っている。十兵
衛(首=かしらは、源太。人形遣・簑助)と荷物持の安兵衛、年寄りの人足・平作
(首=かしらは、武氏。人形遣・勘十郎)と登場人物は、極めて、シンプル。暫く
は、平作と十兵衛が、軸となって、展開する。

「居処替わり」(廻り舞台を使わないで、場面展開する)の演出も、興味深い。「夜
越し(徹夜)」で、歩くという十兵衛に、平作は次の吉原まで荷物持ちをさせてくれ
と誘う。荷物を平作に頼んで、ふたりで、道中を歩み行く(ただし、闊達に歩むの
は、十兵衛だけで、天秤にした荷物を担いだ平作は、よろよろ、もたもたと歩く。荷
物も、前の部分が、十分に持ち上がらず、そのため、後ろの荷物が、極端に浮き上が
り、というバランスの悪さ)というなかで、舞台の背景のうち、松並木の松などが、
次々に下手に引っ張られる(引き道具)というだけで場面展開、こちらも、シンプ
ル。途中で、平作が、木の根につまずき、足の親指に怪我をしてしまう。十兵衛が、
手持ちの印籠から薬を取り出し、つけてやると、たちまち、痛みが止まる。この薬
は、後の伏線。やがて、平作の娘・お米(首=かしらは、娘。人形遣・紋寿)との出
会いがある。

歌舞伎では、廻り舞台で、次の「平作住居の場」になるが、廻り舞台が使えない人形
浄瑠璃では、背景画の書き割りが、上下手に分かれて、引き入れられ、中央の書き割
りは、舞台の上へ引き上げられて行くと、代わりに、林のなかの一軒家が、出現をす
る。それが、平作住居である。「尾羽打ち枯れし松陰に、・・・、侘びたる中の二人
住み」。平作とお米の侘び住居。

平作の話から、薬が話題になり、知り合いからの預かりものの印籠に入っていた薬だ
が、これは、金瘡の妙薬と十兵衛も自慢。貧しい家に、美しい娘と老父。平作が語
る、養子に出した娘の兄の話も、大事な伏線。十兵衛は、幼い頃、養子に出され、生
き別れたままの父親と妹がいるからである。十兵衛は、実の父と妹に、兄だとは名乗
らないながら、心底では、予感しているようだ。そういう予感に背を押されて、娘の
勧めもあり、結局、平作宅に泊まることになった十兵衛。二人住まいゆえ、布団が2
組しかない。同じ部屋の上手を客に譲り、布団を敷き、衝立を立てて寝かせる。「ゆ
るりと、縮(ちぢ)かまつて御寝(ぎょし)なりませ」。自分は、下手の台所にと、
分かれて寝る平作。人形を横に寝かせて、舞台に座り込む人形遣たち。お米は、奥の
間に入る。平作は油紙を布団代わりに、木槌を枕代わりにして寝る。「追風(おい
て)持て来る鐘の声、いとしんしんと、聞こえける」で、寒々しい雰囲気が伝わって
来る。

仏壇の火も消えたのを幸いと、夜中に十兵衛の寝床に近づき、足の指の怪我をした父
親に男が使ってくれた「金瘡の妙薬」の入った印籠を、敵討ちに失敗をし、深手を
負った傷の養生が芳しくない夫のために、盗もうとするお米。暗闇のなか、印籠を盗
むが、足音で目覚めた十兵衛に捕まえられてしまう。金ではなく、なぜ、薬を盗もう
とするのか。盗みをした訳を「クドキ」で語るお米。「我が身の瀬川に身を投げて
と」とあり、お米が、江戸の遊郭・吉原で、全盛を誇ったこともある松葉屋の瀬川と
知れると同時に、十兵衛は、互いが、敵味方に分かれていることが自覚する。暫く
は、お米を軸に舞台は展開する。さらに、平作親子とのやりとりで、ふたりが自分の
実の父と妹と知る十兵衛。ある決意をして、羽織を着込み、威儀を正す十兵衛。3人
遣いの人形遣に加えて、遊軍的に動いていた黒衣の人形遣と4人で、十兵衛に羽織を
着せる。

生き別れていた家族へとの思いを込めて、「石塔寄進」と称して30両の金と親子の
証拠(臍の緒書きの入ったお守り)を置いて、十兵衛は、名乗りも上げずに、黙って
旅立つ。部屋に落ちていた印籠や残されたお守りを見つけ、実の息子、実の兄の気持
ちを知る父と妹。その上、ふたりは、この印籠が、実は、お米が、夫の父親の敵と狙
う沢井股五郎のものと気がつく。慌てて、追いかけるふたり。まずは、平作。きのう
のへたった歩き方ではなく、ダイナミックな足運びで、我が息子の後を追う。お米
は、駆けつけた夫の家来(池添孫八)とともに、十兵衛、平作の後を追う。

「千本松原の場」への転換。歌舞伎では、平作住居の世話木戸の扉だけを大道具が
持ってゆくと住居の一部が自動的に引き込まれる。その上で、住居の二重舞台(引き
道具)が舞台奥へ引き込まれる。住居の屋根が前に倒れてきて、後ろ側の背景が真ん
中から上下にふたつに折れて、裏側の絵が出てくるという仕組みで、早替わりとな
る。一方、今回の人形浄瑠璃では、平作住居の大道具は、上手と下手と中央とに分か
れて、上手と下手は、真ん中を軸に、左右に裏返され、中央は、上下に裏返され、と
いうことで、居処の早替わり。さらに、上手に松の立ち木が引き出され、下手に左、
「ぬま津」、右、「よ志原」と書かれた道標が一本、引き出され、道標の下手には、
草むらが引き出され、中央には、富士山の遠見ということで、すっかり、「千本松原
の場」。

下手より、十兵衛が現れ、追って、平作も登場。さらに、遅れて、お米と池添孫八の
ふたり連れ。夜更けの千本松原ゆえに、気づかれないまま、後から来たふたりは、ぐ
るっと、舞台を奥へ廻って、下手の草むらの後ろに隠れ、舞台中央の平作と十兵衛の
やり取りを見守る形が、整う。ここからは、平作と十兵衛が軸になる。更に、後半
は、平作が中心となる筋運び。

双方とも、いちばんしたい親子の名乗りは、しないけれど、まず、平作は、娘のため
に印籠の持ち主(つまり、娘の夫の父親の敵)を教えてほしいと頼み込む。知り合い
(父娘にとっては、敵)への義理があり、自分が、知り合いを逃がす手助けをしたこ
ともあって、言えないという十兵衛。「お前様は恐ろしい、発明なお人ぢゃの」と言
いながら、実の息子の隙を見て、十兵衛の腰から脇差を抜き取り、自分の腹に差す平
作。命がけで敵の居所を知ろうとする父親。「未来の土産」「一生の別れ、一生のお
頼み」と、苦しい息の下から息子に頼み込む平作。歌舞伎なら、「チンチン、ベンベ
ン」という三味線の繰り返しの音が、緊迫感をあおり立てるが、人形浄瑠璃では、三
味線方胡弓が哀切に演奏される。

十兵衛は、そういう命を懸けた平作(父)の行為に娘(妹)への情愛を悟り、敵の側
と商取引がある身でありながら、兄は、草むらにいる妹にも聞こえるように敵の居所
を教える。父の冥土の餞別(はなむけ)にと、十兵衛は、声を張り上げる。「股五郎
が落ち着く先は、九州相良」。九州相良は、山深い渓谷の地。これで、親子は、敵味
方の関係を乗り越える。

最後は、親子の情愛が勝り、「親子一世の逢い初めの、逢い納め」で、「親父様親父
様、平三郎でござります。幼い時別れた平三郎、段々の不幸の罪、ご赦されて下さり
ませ」と、十兵衛もふたりに敵のことを隠していたことを詫び、ここでは、進んで、
親子の名乗りを上げる。それを聞き、下手の草むらのなかながら、名乗り合う親子の
顔を互いに一目見せようと、お米に付き従っていた池添孫八が、己の脇差に火打石を
打ち付けて、一瞬の閃光で、親子の顔を見合わせさせる。まさに、クライマックス。
父は死に、兄は知人を裏切り、妹は、兄の真情に詫びるうちに、幕。

「七十になって雲助が、肩にかなわぬ重荷を持」ったが故に、別れ別れだった親子の
名乗りが、実現をし、妹夫婦が探し求めていた敵の落ち行く先も知れる。古風な人情
話の大団円だが、印象深い演目。さすが、太夫も、綱大夫、続いて、切(きれ)が、
住大夫と、いずれも、人間国宝の最高レベルの語りが続くとあって、見応えがある。
ふたりの重厚な語りを堪能した。人形遣は、やはり、人間国宝で、女形を遣うことが
多い簑助が、今回は、十兵衛を遣う。脂ののった実力者・勘十郎が平作、お米は、紋
寿。いずれも、緩怠無く、充実の舞台。三味線方は、豊澤龍爾が、胡弓を演奏した。


人形浄瑠璃の「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)〜酒屋の段〜」は、初見。
歌舞伎座でも、最近は、上演されていないので、この劇評は、初登場だが、こちら
は、今回の人形浄瑠璃中心に劇評をまとめたい。

1772(安永元)年、大坂豊竹座で初演された。竹本三郎兵衛らの合作。上中下の三
巻構成の世話物だが、「酒屋」は、下の巻で、いまは、ここだけが上演される。

親の世代の価値観と息子・娘の世代の価値観との間に引き裂かれたが故の悲劇が、
テーマ。封建時代の価値観は、「親の誠」を強調する。子供の危機を親の価値観だけ
で、乗り切ろうとして悩む。そういう意味では、封建的なテーマの演目なのだが、な
ぜか、そういう「情宣的な」意味合いを忘却してしまうおもしろさが、この演目には
ある。

まず、人間関係を整理する。酒屋の「茜屋」主人・半兵衛と息子の半七。半七には、
妻のお園のほかに結婚前からの愛人で、女舞の芸人・三勝(さんかつ)と二人の間の
娘・お通が、いる。これが、悲劇のもと。半七と三勝を添わせていれば、芸人が、酒
屋の跡取りの女房という課題は、いずれ、直面するとしても、両親と子供のいる夫婦
という家族は、なんの懈怠もない。なのに、両親は、芸人の嫁入りを認めず、親の価
値観で、息子の嫁を決めて、押し付けた。息子は、家を出てしまい、家に寄り付かな
い。娘の嫁ぎ先の婚家の状況を知ったお園の実父の宗岸(そうがん)は、娘婿の不実
に怒り、娘を実家に連れ戻してしまう。三勝には、自分の父親の代からの借金があ
り、妾奉公の話が持ち上がっている。半七は、親に相談できないから、友人の善右衛
門に借金を申し込むが、三勝に横恋慕している善右衛門との葛藤から、半七は、善右
衛門を殺してしまい、お尋ね者となってしまう。悲劇は、悲劇を生み続ける。

実家に戻っても、半七を恋い慕い、泣き暮れる娘のお園を不憫に思い、実父の宗岸
は、お園を婚家に連れて、恥ずかしながらと、復縁を願いに行く。義母は、温かく迎
えてくれるが、なぜか、代官所から戻ったばかりという義父は、一旦実家に戻ったの
だから、婚家には、入れないと冷たい。しかし、義父の半兵衛は、この時、既に、息
子・半七の犯行を知っていたので、嫁のお園をいずれは、死刑になる犯罪者の連れ合
いにしたままにしておけないと、心を鬼にしての振る舞いだった。半兵衛が、着物を
脱ぐと、その下は、縄で、縛られている。逃走中の息子の代わりに親が、懲罰を受け
ていたのだ。息子が、捕まらない限り、親の縄目は、ほどかれない。双方の親たち
は、お互いに、子供たちに尽くそうとばかりする。それでよいのか、というのは、現
代の価値観。原作では、「親の誠」とばかりに、親を持ち上げる。

義父母も実父も、お園の将来を考えて、奥に引きこもり、善後策を練る。娘・嫁を無
視して、対策を練るところが、この時代らしい。「跡には園が憂き思ひ」で、お園
は、抱き柱で、クドキとなる。「今頃は半七様(はんしっつあん)、どこでどうして
ござろうぞ。今更返らぬことながら、私(わし)といふ者ないならば、舅御様もお通
に免じ、子までなしたる三勝殿を、とくにも呼び入れさしやんしたら、半七様の身持
ちも直り御勘当もあるまいに、思へば思へばこの園が、去年の秋の煩(わずら)ひ
に、いつそ死んでしまふたら、かうした難儀は出来まいもの。お気に入らぬと知りな
がら、未練な私が輪廻ゆゑ」という、人口に膾炙した名科白が語られる。半七への恨
みは無く、自分が、半七と三勝の間に入って来たことが、全ての原因と、自分を責め
る。今なら、自立心の無い女性と非難されるかもしれないし、ここまで、自虐的にな
ると、「鬱病」を発症しかけないなと、余計な心配をする。

お園(首=かしらは、娘)を操るのは、人間国宝で、女形遣に定評のある文雀。文雀
は、主遣として、お園を操っているというより、お園を気遣い、ひたすら、お園に添
い従っているだけのように見える。それほど、人形は、独立して、生きているように
見える。

お園が、座敷から、外へ身を乗り出し、外から座敷を見るために、後ろ姿になる場面
では、座敷と外の境で、足遣の黒衣が、交代した。こういう場面は、私は、初めて見
たので、非情に興味深かった。後姿を客席に見せるお園を文雀は、まるで、お園を優
しく抱きしめるようにしている。お園が、再び、座敷に上がると、足遣の黒衣が、元
の担当者に戻った。

一方、三勝は、それより前に、娘のお通を半七の実家に預かってもらおうと、紫の頭
巾で顔を隠し、赤子を抱いて、酒を買いに来た客を装い、丁稚を騙して、娘のお通を
酒屋に預けてしまっていた。この場面、店の中には、「剣菱」と「相生」の菰樽、仕
入帳、大福帳(売買の記録をした元帳)、売掛帳などがあり、客応対をした半兵衛女
房は、「相生」を勧める。塗桶に酒を詰めてもらい丁稚に配達してもらうと折衝する
場面が、リアルである。

先の場面に戻る・・・。お園が、自分を責めていると赤子のお通が、奥から、はい出
して来る。ここで、お園も、赤子が、お通であることを知る。親たちも、それを知
り、慌てる。お通は、一人遣いで操る。お通が身につけていたお守りの中を見ると、
「書き置き」が出て来る。そこには、半七が、善右衛門を殺めてしまったこと、お通
のこと、両親への感謝、お園には、未来で夫婦になろうなどと書いてある。孫のお通
を抱き上げ、悲嘆に暮れる半兵衛夫婦。未来の夫婦という夫の言葉を心のよりどころ
に、夫の行く未を案じるお園。息子と嫁の価値観は、はなから、世間体を優先する親
の価値観に負けてしまっている。

店には、茜屋の屋号が染め抜かれた暖簾と酒林(さかばやし。杉の葉を束ねて、球状
にし、酒屋の看板としたもの)を下げている。やがて、店を閉めると、暖簾を仕舞
い、その代わりに戸を閉め切る。あとは、店ではない木戸(関)で出入りする。この
あたりも、当時の大坂の商家の風俗、習慣が伺えて、おもしろい。

やがて、下手から、手拭いで頬被りをした男と紫頭巾で顔を隠した女が、登場する。
追っ手を逃れて、実家の様子を窺いに来た半七と三勝のふたり連れ。店の外には、茶
の縦縞の衣装を着た半七が、己が名乗り出て捕縛されるなりしないと、親の縄目が解
けないので、黒地の喪服のような衣装の三勝とともに、これから、心中をしようと覚
悟している。陰ながらの暇乞い。死に行く息子の別れの儀式である。頭巾をとり、顔
を見せて、乳が張ると胸を押さえる三勝が、哀れ。店のうちでは、ひもじいと泣く娘
のお通。年老いた親たち、子の無い嫁では、赤子に乳も与えられない。「アアとは云
うものの乳もなく」と婆。木戸の外では、その声を聞きつけて、「乳はここにあるも
のを、飲ましてやりたい、顔みたい」と三勝。タナトスのなかのエロス。死と生が、
クロスする場面だ。「悲しさ迫る内と外」。木戸を挟んで、ふたつに引き裂かれた悲
劇が、視覚的で、説得力がある。芝居の物語や価値観は、どちらかというと、紋切り
型なのだが、宗教や政治的な情宣のように、伝えられる情報の意味内容というような
ものを越えて、現代の私たちの心に響いてくるものがあるように感じるのは、私だけ
だろうか。封建的な価値観を見せつけられていながら、そういうものを問題としな
い、普遍的なもの。それは、苦境の悲しみにも人間の営み故の、美しさがあるという
ことだろうか。原作者たちは、歴史的には、無名で、詳細な個人情報は残っていない
が、誰かが、「憑依」の状況に陥って、この作品を書き上げたのではないか。その
「憑依」が、歌舞伎のように、生身の役者ではなく、時空を超えうる人形という形を
とることで、情報の実際的な意味内容を越えて(あるいは、消し去って)、感性とし
てのみ、私の胸に鋭く突き刺さってくるのかもしれない。

贅言:「大和五条の茜染め、今色上げし艶容。その三勝が言の葉をここに、写して留
めけれ」で、幕。竹本の床本に三勝の「艶容(あですがた)」とあるのを見ると、外
題の「艶容女舞衣」には、「女舞」の芸人・三勝のことばかりが、書かれているのが
判る。いまの舞台では、初めと終わりにしか出てこない三勝だが、通称は、「三勝半
七」なのだ。元禄年間に、実際にあった心中事件を素材にしている「三勝半七の世
界」というのが、正解なのだ。本当は、半七の書き置きを皆で読む場面が、見せ場
だったのだが、派手な節回しの「今頃は半七様・・・」というお園のクドキが、ポ
ピュラーになり、いつしか、主客逆転。従って、外題には、いまでは実質的な主役と
なっているお園の気配が少しも入っていないという辺りが、かえって、私には、おも
しろい。

さて、人形遣の文雀については、先ほど触れたが、ほかの人形遣にも触れておこう。
宗岸(首=かしらは、定の進)は、玉女。半兵衛(首=かしらは、舅)は、玉輝。半
兵衛女房(首=かしらは、婆)、半七(首=かしらは、源太)は、一輔。三勝(首=
かしらは、娘)は、清三郎。

竹本は、中が英(はなぶさ)大夫、切が、嶋大夫で、嶋大夫は、相変わらの熱演。メ
ロドラマには、見台を抱き込むようにして語る嶋大夫の熱演ぶりが、よく似合うかも
しれない。盆廻しで廻って、嶋大夫が登場すると、「待ってました」、「嶋大夫」
と、それぞれ、大向うから声がかかった。
- 2009年9月13日(日) 15:27:39
09年8月新橋演舞場 (「石川五右衛門」)


「荒唐無稽からの反逆」


海老蔵主演の新作歌舞伎である。海老蔵が、漫画の原作者として人気のある樹林伸
(きばやししん)を指名して、新しい石川五右衛門像を提供すべく、原作を書いても
らった。それを元に、古典歌舞伎の味わいのある舞台にするために、川崎哲男・松岡
亮が、脚本を担当、藤間勘十郎が、振付けと演出を担当、更に奈河彰輔が、監修を担
当した。

石川五右衛門は、生年は不明で、処刑の記録のある没年は、1594(文禄3)年8
月であり、享年は、37歳という説がある。

歌舞伎で、石川五右衛門と言えば、1778(安永7)年の、並木五瓶作「楼門五三
桐(さんもんごさんのきり)」(大坂で上演されたときの外題は、「金門五山(三)
桐(きんもんごさんのきり)」で、1800(寛政12)年、江戸での初演時に、外
題が改められた)の「山門」の場面での、石川五右衛門と豊臣秀吉との出逢いの一幕
か、1737(元文2)年の人形浄瑠璃、並木宗輔作「釜淵双級巴(かまがふちふた
つどもえ)」(歌舞伎としての上演は、1756(宝暦6)年)や、1796(寛政
8)年の、「艶競石川染(はでくらべいしかわぞめ)」などの、葛籠を背負った石川
五右衛門の宙乗りの場面が、思い浮かぶ。

歌舞伎や人形浄瑠璃の「五右衛門もの」と呼ばれる演目は、最初、1685年頃に
は、古浄瑠璃で語られ始めたという。近松門左衛門原作の人形浄瑠璃「傾城吉岡染」
(1712年)、並木宗輔ほかの合作の人形浄瑠璃「木下蔭狭間合戦(このしたかげ
はざまがっせん)」などを経て、既に触れた18世紀に上演された並木宗輔の「釜淵
双級巴」をベースに、並木五瓶の「金門五三桐」のほか、「艶競石川染」などがあ
り、これらの先行作品を書き換えた狂言「増補双級巴 石川五右衛門」(木村円次
作。四代目小團次が幕末の1861年に初演。主に、「木下蔭狭間合戦」九段目、十
段目の、通称「壬生村」と「葛籠抜け」、それに、「釜淵双級巴」=「継子いじめ」
などを繋げたもの)があり、19世紀後半という、後の作品だけに「増補双級巴」
は、筋が、整理されていて、判り易くなってきている。

いずれも、「山門」や「葛籠(つづら)抜け」の、いわゆる、名場面を繰り返し演じ
ている。さらに、「白浪五人男」や「南総里見八犬伝」などでも、これらの名場面
が、下敷きにされて、そっくりな場面が、違う主人公で上演されているから、多くの
観客の印象に残っていることだろう。もうひとつ付け加えると、異色の「五右衛門も
の」として、「女五右衛門もの」がある。この系統のものでは、「けいせい浜真砂」
があり、今も上演される。「けいせい浜真砂」は、1839(天保10)年、大坂、
角の芝居で二代目富十郎が出演して、初演された。石川五右衛門を傾城の石川屋真砂
路に置き換えている。

特に、石川五右衛門のハイライト、「葛籠抜け」では、花道の上を行く、宙乗りで、
五右衛門役者は、「葛籠背負(しょ)ったが、おかしいか。(馬鹿め!)」と言う
が、この場面は、いつ観ても、すかっとする。私は、これまで、猿之助、吉右衛門
で、この場面を観ている。今回は、海老蔵が、どういう調子で、この科白を言うか、
楽しみである。

このうち、「五右衛門もの」では、「増補双級巴 石川五右衛門」は、1999年、
9月・歌舞伎座で、吉右衛門主演で私は観ている。また、「楼門五三桐」は、200
1年7月の歌舞伎座で、「猿之助十八番 楼門五三桐」の、通し上演で、拝見したこ
とがある。「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の通し上演は、本興行では、戦
後3回(京都・南座、国立劇場、歌舞伎座)ある。戦後の復活上演は、1967年、
猿之助の第2回「春秋会」での公演で、外題は原作・並木五瓶の初演時の外題に忠実
に「金門(きんもん)五三桐」(五三桐という太閤秀吉の金紋という意味)であっ
た。実に、190年ぶりの復活上演であった。

さらに、「けいせい浜真砂」は、08年1月、歌舞伎座で観た。雀右衛門が、初役
で、傾城・石川屋真砂路を演じた。石川屋真砂路は、真柴久吉(秀吉)に討たれた武
智光秀(明智光秀)の息女。父を亡くし、苦界に身を沈めただけに、久吉に害意を抱
いている。久吉の子息を巡り、同じ傾城仲間との恋の鞘当てを演じているという趣
向。久吉は、吉右衛門が、演じた。

今回の、「石川五右衛門」は、「楼門五三桐」など先行作品の五右衛門ものをベース
にしながらも、それとは、かなり異なる、新たな五右衛門ワールドを構築しようとい
う試みであるらしい。

まず、簡単に、澤潟屋の「楼門五三桐」と成田屋の「石川五右衛門」の筋立てを比較
してみよう。

「楼門五三桐」は、秀吉の「朝鮮出兵」という歴史的な事実をベースに、秀吉に対す
る「朝鮮」(ここでは、明)という外国の遺臣の復讐潭。秀吉に復讐するのが、遺臣
の息子の石川五右衛門(最近の表現なら中国系日本人)らというのが、基本構図。外
国人による日本という「お家」乗っ取りの物語。これに、明智光秀の遺臣の秀吉に対
する復讐や豊臣家の後継者争いも絡むという複雑なストーリー。それに、丸本物らし
い、虚々実々のトリックの応酬がある。つまり、ナンセンス劇の極致であり、異色の
「お家騒動もの」と言えるだろう。

これに対して、今回の成田屋の「石川五右衛門」は、石川五右衛門の自伝のような構
成になっていて、秀吉なども出て来るが、秀吉と五右衛門の対抗を軸にしながら、基
本的には、石川五右衛門の出生の秘密を探るのが、主筋のようだ。

新作歌舞伎らしく、「発端」という章立てがあり、「大詰」の「三条河原釜煎りの
場」を「人形ぶり」で、早々と見せてしまう。「忠臣蔵」の「大序」のように、竹本
の語りに連れて、人形に命が吹き込まれ、動き始める。そして、「序幕」。「伊賀山
中の場」で、行き倒れとなった石川五右衛門(海老蔵)が、伊賀忍者の百地三太夫
(猿弥)一派に助けられて、忍者としての修行を積んで行くさまが、描かれる。五右
衛門が、背中に差していた大きな銀煙管は、亡くなった実母の形見だと言うが、どう
も、これが、キーポイントとなる小道具らしい。「居処替わり」という演出方法を使
いながら、季節は、秋へ、冬へと移って行く。紫の馬簾付きの四天を着て、すっかり
忍者らしくなった石川五右衛門。霧隠才蔵(市川右近)も、登場する。石川五右衛門
の忍者としての卒業試験は、霧隠才蔵との立ち回り。ふたりで、スローモーションと
いう歌舞伎にはない立ち回りを演じてみせる。百地三太夫から石川五右衛門へ免許皆
伝授与となる。差し金の先に付けた巻物が、黒衣の手で、百地三太夫から石川五右衛
門の所に飛んで行く。いよいよ、秀吉のいる京へ。石川五右衛門の挑戦の旅立ちが始
まる。

「二幕目」は、春爛漫の「洛中聚楽第広庭の場」。ここでは、秀吉の側室となってい
るお茶々(七之助)が、憂い顔で、広庭を散策している。姫ではないので、吹輪では
ないが、銀の花櫛を付けている。打ち掛けを脱ぐと、満開の桜にちなんで、さまざま
な桜を織り込んだ踊りを踊る。聚楽第に忍び込んだ五右衛門と出逢う場面へと続く。
花道すっぽんより、五右衛門が、登場する。若い男女の見初めの場面。引かれ合うふ
たりを暗示した後、五右衛門は、姿を消す。お茶々の元には、大きな銀煙管が、残さ
れる。引き抜きで、ピンクから、鴇色の衣装に替わるお茶々。心が、ざわめき、恋に
陥った女性の心象を外形的に表現するのが、歌舞伎の定式。

「三幕目第一場」は、「聚楽第お茶々寝所の場」。金地の襖に雲、遠山霞、松、滝、
赤い椿、孔雀などが描かれている。五右衛門とお茶々は、恋仲になり、お茶々は、五
右衛門の子を懐胎している。五右衛門は、こう、つぶやく。「金銀盗んでみたもの
の、所詮、心は晴れもせず・・・」。どうも、屈託があるようだ。改めて、お茶々に
実母の形見の銀煙管を与える。「通いし逢瀬の形見として」。五右衛門とお茶々が、
抱き合い、接吻をする所作を見せたところで、御簾が、降りて来る。赤爺の衣装の前
田利家(市蔵)と侍女・空衣(弘太郎)の絡みが、あった後、花道より、秀吉(團十
郎)が、出座して来る。

秀吉は、お茶々の懐胎の真偽を確かめに来たのだ。お茶々は、妊娠を肯定する。秀吉
は、世継ぎの誕生を喜んでみせるが、お茶々の寝所の敷物の下にあった銀煙管を見つ
けると、なにかを悟ったようである。やはり、銀煙管は、キーポイントの小道具で
あった。というのは、銀煙管は、五右衛門がお茶々にやったものであり、元々、銀煙
管は、五右衛門の実母の形見であった。実母の形見をなぜか、秀吉は、承知してい
て、実母→五右衛門→お茶々へと、銀煙管が、渡ったことを推察し、全ての事情を瞬
時に悟ったらしい。まもなく、五右衛門から秀吉宛に対面を望むという内容の書状が
届けられ、秀吉も、これを承知して、対面場所の南禅寺へと向かう。

「第二場」は、「南禅寺山門楼上内陣の場」。大道具も、茶系統なら、秀吉の衣装
も、茶系統で、舞台の色調は、上品に、統一されている。秀吉と対面をする五右衛
門。五右衛門も、薄茶色の衣装で、すっきりしていて、大盗賊というより、大名の風
格で押し出して来る。お茶々が懐妊したのは、秀吉の子ではなく、五右衛門の子だと
誇らしげに五右衛門は、語るが、秀吉は、落ち着いたもので、それなら、自分の孫に
当たると、言う。五右衛門は、銀煙管の持ち主の実母と秀吉の間に出来た子供だとい
うのである。出生の秘密は、秀吉によって、明らかにされる。つまり、秀吉の方が、
一枚上手であった。

「第三場」は、「南禅寺山門の場」。ここは、「楼門五三桐」のパロディである。お
決まりの「百日鬘」は、つけていない。現代風の青年の髪型を模しているような鬘で
あった。大道具が、五右衛門を載せたまま、大セリで押し上げられる。古典の名場面
を基本的に再現している。海老蔵の五右衛門は、「絶景かな、絶景かな。春の詠(な
が)めは価千金・・・」と、気持ち良さそうな科白廻し。大きな眼を見開き、客席を
睨む。槍を持って花四天が、階下から、からみ始める。

「大詰第一場」は、「破(や)れ寺の場」。暗転し、薄暗いなか、五右衛門は、上
手、下手からよって来た黒衣の差し出す「面明かり」(あるいは、「差し出し」とも
言う)のなかに浮かび上がる。明るくなると、大きな滝。滝からは、「現れいでたる
金の鯱」となり、滝のなかで、五右衛門は、大坂城の天守閣を飾っていた筈の、金の
鯱と決闘となる。鯱は、青い衣装の水衣(黒衣のバリエーション)が、操る。片手で
尾を動かしながら、自由闊達に鯱を泳がせる。あるいは、無人の鯱と海老蔵が、バト
ルを演じ、恰も、五右衛門が、金の鯱と対決しているように見せる場面もあれば、投
げ飛ばした鯱を別の水衣が、受け取り、離れた場所で、暴れてみせたりするなど、緩
怠ない鯱との立ち回りが続く。五右衛門につかみかかられたまま、滝登りをする鯱。
それにつられて、海老蔵も、宙乗りの体。最後に、鯱をしとめた五右衛門は、幕外の
花道を飛び六法で、大坂城へ向かう。定式幕の下から、変わった絣が見える。模様
は、どうやら、屋根瓦のようだ。

「第二場」は、幕が開くと、「大坂城天守閣大屋根の場」。やはり、定式幕の下から
覗いていたのは、天守閣大屋根の一部だった。五右衛門の今度の出で立ちは、馬簾付
きの金地の四天姿。大屋根の天守閣の上には、大きな金の鯱鉾が、一基。もう一基
は、なんと、五右衛門が抱きかかえている。追いつめられた五右衛門は、天守閣大屋
根に逃げ込んでいたのだ。忍者・五右衛門は、孫悟空ばりの、分身の術(10人分)
などを使ったり、煙と火の目くらましを使ったりしながら、秀吉の家臣たちとやり
合った果てに、金の鯱鉾投げ捨ててしまうなど、執拗に抵抗するが、結局、刺股や突
棒、袖搦などを仕掛けられて、捕まってしまう。

雲の模様の道具幕を使って、大道具の転換。音楽の荒事・大薩摩の勇壮な演奏と語り
がある。やがて、花道では、町人たちの念仏踊り。義賊として庶民に人気のあった五
右衛門は、「五右衛門さま」と最初、呼ばれていたが、いつしか、庶民の念仏踊りで
は、「秀吉さま」と変わって来た。悪から大悪への転換は、善の衣装を着るのか。そ
して、道具幕が、振り落とされると・・・。

「第三場」は、冒頭の「三条河原釜煎りの場」に戻るが、趣向が違う。五右衛門と五
右衛門処刑の指揮をする木村常陸介の舞台の立ち位置こそ、一緒だが、捕まった五右
衛門は縛られたまま、大釜の上に、立たされている。火をつけられ、油の煮立てた大
釜に入れられようとしている。「釜茹で」、というか、「釜煎り」というか、残酷な
刑で、殺されようとしている。

「石川や 浜の真砂は尽きるとも・・・」と、伝説の辞世の歌を披露した後、意を決
したように、五右衛門は、大釜に飛び込む。もうもうと上がる煙。やがて、釜が、ふ
たつに割れてしまう。なかから、葛籠が、浮き上がって来る。葛籠は、宙乗りで、薄
暗いスポットのなかを舞台上手へ引き入れられて行く。

花道七三の上空には、いつのまにか、大きな葛籠が、浮いている。葛籠抜けで宙乗り
のまま、海老蔵が、葛籠から飛び出して来る。「葛籠背負ったが、おかしいか」と、
眼を剥き、観客席を睨むように、海老蔵が、メリハリをつけて名科白を言う。海老蔵
も、「狐忠信」の宙乗りなどを経て、すっかり、宙乗りに慣れて来たようだ。安定し
ている。

葛籠は、秀吉が、大釜のなかに最初から準備していて、五右衛門を助ける仕掛けを
作っていたという訳だ。「親父、とうから、ご承知か」と、五右衛門の助命を仕掛け
ていた秀吉という父親は、五右衛門より、一枚も二枚も上手だったと悟ることにな
る。

五右衛門は、義賊か、大泥棒か。秀吉信仰の強い関西では、大泥棒説、関東では、義
賊説が強いという。権力者・秀吉との対決構造から、五右衛門は、犯罪者故に、反権
力者となるのか。今回の芝居のなかでは、五右衛門の出生の秘密が、なんと、秀吉の
口から暴露され、秀吉と五右衛門の親子関係という、新(珍)説が飛び出す。漫画の
原作者らしい、アイディアではないか。

その果ての、父と子の対抗。そして、器の大きさの違う故か、五右衛門は、敗北し、
捕えられてしまう。悪と善の対比。悪人五右衛門の善行という、これも、珍説。悪人
正機説、阿弥陀仏の本願は,悪人を救うことが目的だから、悪人こそ往生するに相応
しいという、親鸞の語録と言われる歎異抄などに記録されているが、これと似て非な
る珍説を五右衛門は、唱え出す。当初、秀吉が父親とは、知らなかった頃は、自分も
悪党だが、秀吉も、なり上がり、権力を握った末に、国を盗み、外国(そとつくに)
さえ、盗み取ろうとした、国崩しの大悪党ではなかったのかと、盛んに言っていた。
だから、対決するのだと・・・。

ところが、出生の秘密を秀吉から、暴露され、父と子の葛藤という図式に引きずり込
まれてから、五右衛門は、自分が大泥棒として、悪名を高めれば高めるほど、その大
悪人を処刑する秀吉は、善人で、名君の誉れが高まるというのが、五右衛門の人生哲
学であったと主張する。偉大な父親への尊敬を被支配者にも共感させることが、「親
父、とうから、ご承知か」という科白に象徴されるように、偉大な父への恩返しとし
て、五右衛門の生き甲斐になって行く。善は、悪との対立があってこそ、善となる。
悪を極めることが、対抗する善にとっては、最善の奉仕になるという思想。筋書きで
語る海老蔵の哲学を示唆する、五右衛門の悪の哲学は、こうして、いつのまにか、倒
錯的な、自分勝手な価値観に、変換し、強化されて行く。観念的な独特の哲学という
か、信仰心というか。

宙乗りに拠って、宙(そら)への逃走を果たした五右衛門だが、実は、孫悟空と仏の
関係のように、五右衛門は、父・秀吉の手のひらの上で、踊らされただけだったので
はないのか。五右衛門よ! 歴史が明らかにしたように、秀吉に勝つためには、家康
のようにならなければだめだったのだ。家康になれなかった五右衛門は、葛籠を背
負って、花吹雪のなか、大空に消えていった後、どこで、なにをしているのだろう
か。それとも、実は、家康は、五右衛門の、その後の姿であったという説でも、唱え
ようか。

贅言1):21世紀の新作歌舞伎「石川五右衛門」は、荒唐無稽な粗筋もものかわ、
「葛籠抜け」の宙乗りなど、歌舞伎味たっぷりの外連な趣向、演出、舞台の絵面の美
しさ、廻り舞台、大セリなどの大道具のスペクタクル、衣裳の奇抜さなど、歌舞伎の
「趣向」の持つ、伝統的な様式美に助けられて、なんとか、歌舞伎としての統一性を
維持できた。漫画的な、さまざまな魅力溢れる部分もあった。歌舞伎の定式を随所
で、しっかりと足固めをしていたので、新作が持ちがちな迷いが無く、むしろ、一種
の安定感さえあった。監修者の奈河彰輔が、あるいは、特別出演の、父・團十郎が、
海老蔵を押さえ込んだのかもしれない。こういう遊びを素直に享受するのも、歌舞伎
の愉しみのひとつである。父・豊臣秀吉が、息子・石川五右衛門を押さえ込んだよう
に、歌舞伎役者としても、父・團十郎が、息子・海老蔵を、同じように押さえ込んだ
かもしれない。

贅言2):以前、機会があって、團十郎と海老像が出演する演目で、歌舞伎座の初日
を控えた舞台稽古を見せて頂いたことがある。何年前だったか、あの光景を思い出す
と、海老蔵も若かった、あるいは、新之助時代か。楽屋から浴衣姿のまま、歌舞伎座
の客席に出て来た團十郎は、心配そうに海老蔵の舞台稽古を観ていて、いくつかのダ
メを出していたのを覚えている。海老蔵も、その後、すっかり成長し、松緑、海老
蔵、菊之助の、かっての「三之助」時代の、「同期」のなかでは、菊之助に劣らず
に、大きく成長して来ているから、今回の芝居では、「海老蔵中心に進んだ企画であ
ることを尊重し、全体については本人に任せる姿勢で臨み」「なるべくおとなしくし
たいと思っています(笑)」と語る團十郎だが、果たして、團十郎の性格や江戸歌舞
伎宗家の意識からいって、真相は、どうだろうか。

まあ、「荒唐無稽からの反逆」。確かに、この芝居は、海老蔵の「石川五右衛門」で
あったし、今後、さらに、新・歌舞伎座の大きな舞台にも耐えうるような演目にする
べく、工夫魂胆の姿勢で、磨き上げて行けば、おもしろい新作歌舞伎が、一つ増える
ことになる。新しい演目の誕生に立ち会えて、良かったと思う。
- 2009年8月16日(日) 21:22:42
09年8月歌舞伎座 (第三部/「お国と五平」「怪談乳房榎」)


「お国と五平」は、歌舞伎座では、11年ぶりの上演。98年の前回の舞台を私も観
ているが、劇評には、初登場。谷崎潤一郎原作の新歌舞伎。1922(大正11)年
6月に雑誌に発表された戯曲。その年の7月には、帝国劇場で上演された。お国は、
河村菊江、五平は、三代目寿三郎、友之丞は、十三代目勘弥であった。

テーマは、異色の仇討ちもの。敵討ちを探して全国を放浪する主従、主人の妻・お国
と中間の五平のふたり連れ。それを付け回す虚無僧。実は、この虚無僧こそ、敵討ち
の相手だったという話。敵討ちの相手、友之丞は、一度は許嫁になりながら、他人に
嫁いだ女性への執着を貫く。自分が密かに愛する人妻・お国を我がものにしたくて、
お国の連れ合いを闇討ちした後、お国が、中間を連れて仇討ちの旅に出たときから、
ずうっと、つきまとっていたという。典型的なストーカー男。己の恋への執着。それ
も、谷崎に掛かれば、一種のフェチシズムとして描かれるようである。身勝手な思い
込み、自己中心的な価値観、執念深い性格。自分の弱さを「武器」にして、それを相
手の押し付けようとする図々しさ。それを恥じて、隠すどころか、相手が認めないと
みれば、逆恨みをするという逆転の発想の持ち主。甘やかされて育った、家老の息
子・池田友之丞。なにやら、現代なら、身近にいそうな人物が、登場する。90年近
くも前に、なんとも、「現代的」な、江戸のストーカーを描いた谷崎のアイロニー。

一方、お国(扇雀)と中間の五平(勘太郎)は、闇討ちにされた夫や主人の仇を討と
うと、もう、3年も諸国を経巡っている。2ヶ月前に宇都宮で病みついて、旅の宿で
寝込んだことがあるお国は、気が弱くなっている。草履が擦れて出来た足の豆が痛い
というお国の足から足袋を脱がせていたわる五平の姿には、足フェチシズムを隠そう
ともせずに、数々の名作に赤裸々に描いて来た谷崎潤一郎の性癖を思い起こさせる場
面がある。かいがいしく、「新しい主人」である奥方の世話をする五平は、やがて、
長い旅の間に、主従の関係から、男女の関係へと一線を越えてしまっていることが判
る。奥方の足をいたわる五平の姿から性愛を共有した男女のむつみあいが滲み出てく
るように、感じられる。

ここから、谷崎が、観客に突きつけるテーマは、もうひとつある。

不義を隠し忠義者として主人の仇を討ち、それを武士へ飛躍する出世の緒にし、美し
い未亡人(奥方)とも再婚することになるであろう五平の生き方は、良いことなの
か。「私も悪人だが、五平も悪人ではないか」と、引かれ者の小唄にすぎないかもし
れない「問い」を谷崎は、池田友之丞の科白を借りて、我々に突きつけてくるように
思える。

舞台では、気丈なお国が、五平を励まし、主人の敵討ちをさせる。五平に斬りつけら
れた友之丞は、もう一つの秘密を暴露する。お国と自分は、一度、男女の仲になった
ことがある。それを聞いて、一旦は、ひるむ五平だが、己も主人の奥方と旅先で、男
女の仲になった身。自分の不義とお国の不義と、ふたつの不義を知った男を葬り去っ
た後、国に帰り、五平と夫婦になりたいというお国の言葉に力を得て、五平は、友之
丞のとどめを刺す。

3人しか登場しない科白劇。友之丞は、意外な情報を次々と発信して来る。情報が芝
居に緊張感を与え続ける。友之丞が、発信する情報を整理してみよう。

1)お国と一度は、許嫁の関係になった。2)しかし、婚約を解消され、逆恨みをし
た。3)お国の連れ合いの伊織を闇討ちにして、逃げた。4)実は、仇討ちに出たお
国と五平の後を追った。5)宇都宮で、お国が病んだ時、毎日、宿の近くで、尺八を
吹いて、密かにお国を慰めた。6)その時、五平から金を恵まれたが、その際見られ
た顔には、墨を塗って、変装していた。7)自分の性格は、生まれつきであり、自分
には、責任が無い。8)殺されたくない。このまま、側で、暮らしたい。9)ふたり
が、熊谷の宿で、男女の仲になったのを知っている。自分は、隣の部屋に泊まってい
たので、気配で判った。10)自分も悪人だが、不義を隠し、忠義者として、未亡人
と再婚し、中間から武士になって行くであろう五平も悪人ではないのか。11)お国
とは、一度、性的な関係を結んだことがある。12)生かしてもらえぬなら、せめ
て、とどめは、お国にしてほしい。

五平は、中間として、つまり、武家社会の下級な奉公人として、極めて常識人であ
る。お国は、気丈で、独立心に富む、現代的とも言える女性だ。彼女が、友之丞が、
発信した、奇妙な「情報の海」を泳ぎきり、五平に行く手を指し示す。そうは言って
も、仇討ちの、立ち回りの場面を除けば、3人が、ほとんど、舞台で会話をするだけ
という地味な芝居である。

場面も、秋の那須野ヶ原のまま変わらず、「空間」の展開はしない。ただただ、夕暮
れから、月光の夜へと「時間」が進むだけである。周辺は、すすきの穂ばかりで、観
客席も、広大なすすきの穂の原になっているという想定だろう。3人のドラマを包み
込むように、観客も含めて、多数のすすきの穂は、人生の隙間を吹き抜ける風に揺れ
ていたように思えた。

最後に、役者の演技評を書いておこう。三津五郎は、現代風に言えば、「ぼくちゃ
ん」というような自己中心タイプの、特異なキャラクターを持つ人物を科白廻しに工
夫しながら、くっきりと描いていた。勘太郎は、忠義一筋の、生真面目な青年を演じ
ていた。キーパーソンのお国を演じた扇雀は、今、惚れている男こそ、大事だとい
う、迷いの無い、きっぱりとした、確信的な性格の女性像を構築していた。


「怪談乳房榎」歌舞伎座、7年ぶりの上演だが、20年間続いた「納涼歌舞伎」で
は、4回目の上演になる。配役は, 重信、正助、三次の三役早替りを勘三郎が演じて
いる。憎まれ役の磯貝浪江は、すべて橋之助が演じている。そういう意味では、勘三
郎と橋之助の、従兄弟コンビは、息があっている。重信妻のお関は、今回と前回は、
福助。それ以前は、澤村藤十郎であった。従兄弟に、橋之助の兄の福助が加わり、身
内の芝居であるだけに、息が合っている。勘三郎の三役早替り(実際は、四役早替わ
りであるが、それは最後に述べる)は、吹き替えを含めてテンポがあるが、今回は、
めまぐるしくて、演技より、早替わり優先で、少し、興が削げた。三次→正助→重信
のいくつかの場面の早替りがあるが、この芝居は、正助が、主役だろう。しかし、私
は、前回、02年の舞台を観ている。「怪談乳房榎」は、第二部の「真景累ヶ淵 豊
志賀の死」同様、人情噺、怪談噺を得意とした幕末から明治に掛けて活躍した三遊亭
圓朝原作である。1888(明治21)年に新聞に掲載され、1897(明治30)
年9月、真砂座で初演された。当時は、蟒(うわばみ)三次は、登場していない。三
次は、1914(大正3)年8月、京都南座で、初代延二郎(後の、二代目延若)の
ときに、三役早替りの趣向のために、創作された小悪党で、以後、定着した。

序幕「隅田堤の場」は、憎まれ役の磯貝浪江(橋之助)が、泥酔した国侍らに絡まれ
た女将の急場を掬う場面がある。女将、江戸評判の浮世絵師菱川重信の妻・お関と磯
貝浪江が知り合う場面だ。この絡みは、そうとは説明されていないが、絵師になりた
いという磯貝浪江が、菱川重信の妻・お関に近づくために、国侍らに金を出して仕組
んでいたとしても、おかしくはない。そのほか、菱川重信の下男・正助が出て来て、
下手へ引っ込むと、たちまち、御休処から姿を現す蟒三次へ早替わりをしてみせるな
ど、今回の芝居のプレゼンテーションとも言える場面で、序幕は、終了する。

しかし、忘れてはならないのは、この序幕の特色は、もうひとつある。つまり、江戸
の街と庶民が描かれるということだ。幕が開くと、背景の隅田川と向こう岸に見える
待乳山の書割のある堤の場面では、梅若伝説で知られる梅若塚近くの茶店に立ち寄る
花見客たちの姿が活写される。扇折竹六(橘太郎)や重信妻のお関に付き添って来た
女中(芝のぶ)は、茶店の女・お菊(小山三)に茶を勧められても床几に座らず立っ
たままで、赤子を抱いていた。お関は、床几に座る。このほか、茶屋の前を酔客、花
見客、国侍などが、通る。前回は、「怪談乳房榎」ひとつで、部を構成していたが、
今回は、「お国と五平」と抱き合わせで、部を構成したので、省略されたが、外題の
謂れとなった、赤塚の松月院にある乳房榎に張り付けられた乳房の絵馬や榎の樹液を
採取する竹筒、境内を通る礼拝の男女などの姿にも、江戸の町人たちの習俗が、伺え
た。

二幕目、第一場「柳島重信宅の場」。まんまと重信の弟子になって2ヶ月が経った。
皆に気配りをする磯貝は、評判が良い。しかし、重信が、高田馬場近くの寺の本堂の
天井画を描くのを頼まれ、夜更けにも拘らず出立してしまい、ひとり残ったお関が真
与太郎(まよたろう)を寝かし付けようと蚊帳に入って行く。この場面では、福助
は、蚊帳に入る際、入る予定の蚊帳の辺りにいたと思われる蚊をばたばたという感じ
で、追っ払った上で、すばやく、蚊帳のなかに入っていったが、こういう辺りに江戸
の庶民の、夏の生活習慣が、活写されていて、おもしろい。

贅言:戦後の東京の下町の日本家屋では、蚊帳が、日常的に使われ、お年寄りたち
は、福助と同じような所作をして、蚊帳のなかの寝間に入っていった。

蚊帳のなかで、幼子を寝かしつけていると、挨拶に来た磯貝が、辺りの様子を伺った
上で、急な差し込みが起こった、「痛い、痛い」と言って、お関を蚊帳の外に誘い出
す。このあと、磯貝は、態度を急変させてお関に不義を仕掛ける。この場面、前回
は、蚊帳があるため、「四谷怪談」のお岩、伊右衛門の場面を連想させたが、今回
は、蚊帳の外での演技で、あっさりとしていて、お関の不安感を感じさせるだけで、
ちょっと、薄味であった。

柝で舞台廻り、第二場「高田の料亭花屋の二階の場」へ。ここでは、磯貝が、金蔵を
破り御用金二千両を奪った佐々繁で、三次が、その家来だったことが判る。芝居の見
どころは、勘三郎の早替り。二階の場面の後、階段を降りる場面で、勘三郎は、三次
から正助への早替りを見せる。三次の顔、鬘を階段上から客席に、長めに見せておき
ながら、多分、階段下の見えない部分で、勘三郎は、三次の衣装から短かめの正助の
衣装に脱ぎ替えているようだ。そして、階下に降りたとたん、客席から見えない場所
で、鬘を替え、手ぬぐいを持ち、正助になるのだろう。私が観たときは、鬘の位置を
気にするような動作をしながら、勘三郎は、上がって来た。磯貝は、正助に料理や酒
を勧め、五両を渡したり、兄になってほしいとか、重信が、自分の父の仇だとか、適
当なことを言ったりして、重信殺しに誘い込もうとする。

第三場「落合村田島橋の場」は、暗闇に蛍が飛び、地蔵のある橋の袂の土手という寂
しい所。「累」や「四谷怪談」でお馴染みの殺し場の舞台。圓朝の、この怪談噺は、
もともと、幕末の江戸の地名が随所に出て来る。隅田川、柳島から高田馬場、高田馬
場近くの落合、さらに十二社(じゅうにそう)は、新宿角筈、そして、今回は、省略
されたが、練馬の赤塚へと場面は、江戸の街を東から北西へ展開する。方角的には、
「四谷怪談」の逆コースを行っていることになる。たぶん、圓朝は、鶴屋南北の「四
谷怪談」を下敷きにしているのだろう。ここの勘三郎の見せ場は、磯貝に殺される重
信の場面で、勘三郎は、正助→重信→正助→三次へと早替りを見せる。吹き替えを
使っての早替り、花道でのすれ違いは、定式の、傘と菰を使っての早替りだ。三次
は、磯貝の落とした印籠を拾う。後日の脅しの材料を手に入れたことになる。

第四場「高田南蔵院本堂の場」では、重信の幽霊が、画竜点睛を欠く、未完成の天井
画「双龍之図」の眼を入れに現れる。その後、幽霊は、仏壇の裏へ、回転して消え
る。重信→正助の早替り。

三幕目「菱川重信宅の場」。重信が亡くなって、百か日の法要。磯貝は、正助に重信
の子・真与太郎を殺すようそそのかす。磯貝は、犯罪者の心理として、幼い赤子に真
相を知られているような気がしているのだ。脅しに現れた三次は、磯貝に口止め料と
して、三百両を要求する。金と引き換えに、正助と真与太郎を殺すよう言い含める磯
貝。どちらも、小悪党だ。

大詰「角筈十二社大滝の場」では、滝は、本水。磯貝にそそのかされて重信の子・真
与太郎を滝に捨てに来た正助と重信の幽霊のやり取り、さらに、三次と正助との殺し
あい。夏らしい本水とドライアイスを使っての大滝の場面。正助→重信の例→正助→
三次→正助などという勘三郎のテンポの早い立ち回りと早替りが見せ場。吹き替え、
マイクを使ってと思われる声のみの出演(録音か?)も含むが、芝居のテンポは、早
い。蓑笠、傘などの小道具が、そのテンポアップをサポートする演出の巧さ。岩屋の
洞穴なども使って、めまぐるしく、早替りの場面が続く。ゆっくり、演技を観ること
も出来ない。演技も、おおざっぱになっている。前回は、テンポの良さに感嘆したも
のだが、今回は、逆に、困惑した。そのままの気持ちを引きずって、幕。

圓朝の道具幕が現れて、幕外では、本舞台中央のセリ上がりから、圓朝に扮した勘三
郎が、上がって来る。筋書きにも、書かれずに隠されていた四役目の早替りの趣向。
一席口上。現・歌舞伎座への別れの弁と「納涼歌舞伎の千秋楽」の弁。「納涼歌舞
伎」の再開は、新歌舞伎座でと挨拶。「こんにちは、これにて、お開きとあいなりま
す」。

贅言:前回あった大詰第二場「乳房榎の場」は、今回は、省略。1時間分くらい短い
か。刈り込みすぎて、早替りという趣向が、前面に出過ぎたかもしれない。注連縄を
飾った大榎、木の洞がおどろおどろしい(案の定、やがて、ここに重信の幽霊が現れ
る)、乳の出を良くしたいという願を掛けるため、描かれた乳房の絵馬、御利益のあ
る榎の樹液を採取する竹筒が、それぞれ、大木のあちこちに付けられている。この場
面は、特異で、印象的だったので、今回、これが省略されたことで、これしか観てい
ない人と前回のようなバージョンを観ている人では、「怪談乳房榎」の印象は、かな
り違ったものになったことだろう。磯貝と再婚し、子ができたものの乳が出ないの
で、磯貝とともにやってきたお関、改心した正助が育てて来た重信の子・真与太郎
は、ここで育てられていた。怪談噺、因縁噺らしい、大団円が用意されていた。幽霊
の登場、霊力による小鳥たちの攻撃、磯貝に過って殺されるお関、正助、真与太郎に
仇を討たれる磯貝という後日談の場面が、省略されてしまった。
- 2009年8月15日(土) 10:55:53
09年8月歌舞伎座 (第二部/「真景累ヶ淵〜豊志賀の死〜」「船弁慶」)


福助・豊志賀の妙味


「真景累ヶ淵 豊志賀の死」を観るのは、3回目。下総・羽生村の「累伝説」を基底
にした怪談噺を三遊亭圓朝が、明治維新まで9年という、幕末も、末期の、1859
(安政6)に創作した。圓朝21歳のときの作という。それをさらに、1922(明
治31)年、歌舞伎化して、真砂座で、初演された。本来は、長い因果話だったのを
「豊志賀の死」に的を絞って、初演したのは、1922(大正11)年、市村座で
あった。長編小説を短編小説に生まれ変わらせたという妙味がある。二代目竹柴金作
の脚色であった。主な配役は、六代目梅幸の豊志賀、六代目菊五郎の新吉。

私が初めて、「真景累ヶ淵 豊志賀の死」を観たのは、97年8月・歌舞伎座であっ
た。そのときの配役では、富本節の師匠・富本豊志賀は、芝翫が演じた。豊志賀は、
芝翫の当たり役のひとつであった。これは、凄かった。現身の病気の豊志賀も、幽霊
になってからの豊志賀も、存在感があった。だから、02年8月、芝翫の長男・福助
の豊志賀には、あまり、期待を持っていなかった。ところが、これが良かったのであ
る。父親とは、一味違う福助豊志賀が、そこにいた。7年後の、今回は、それに輪を
かけて、良かった。ここのサイトの劇評は、99年から書き始めたので、芝翫の豊志
賀の劇評はない。さらに、思い出そうとしても、思い出せない。どういう訳だろう。
それほど、福助の豊志賀の演技が、印象的だったのだろうと思う。
 
少し、思い出してみよう。芝翫は、自分の鰓の張った顔を生かした化粧をしていた。
しかし、福助は、美貌の素顔を隠す化粧をしていた。その上で、爛れた右顔を隠すよ
うに横を向き、左顔を見せない限り福助と判らない厚めの化粧が、成功していた。そ
のくせ、声や動作では、福助の「やんちゃさ」(コミカルである)が、にじみ出てい
る。これは、明らかに、芝翫とは違う豊志賀だ。今回も、そういう福助豊志賀の魅力
を十二分に発揮する舞台だった。7年間の時間が、福助の演技に滋味をしみ込ませて
いるように思えた。歌舞伎座再開後、日を経ずして、福助は、七代目歌右衛門を襲名
するのではないか。現・歌舞伎座では、最後の、今年の納涼歌舞伎のハイライトは、
これであった。

新吉(勘太郎)に甘えかかるところも、福助の持ち味が透けて観える。前々回の新吉
は、勘九郎時代の勘三郎が演じた。勘太郎は、前回の場合、新吉が、豊志賀を「怖が
りすぎました」と筋書きのインタビューでは、反省の弁を述べている。新吉が、豊志
賀を嫌うようになったのには、看護疲れがあるという新解釈で、今回の舞台に臨んだ
という。これは良いところに眼を付けたと思う。私は、この芝居のテーマは、豊志賀
の、師匠としてのプライドと若い弟子たちの男女関係への嫉妬、つまり、若さへの嫉
妬だろうと思う。特に、若さへの嫉妬は、年上の者の取って、なんらの解決策もない
から、根治しない。そして、「プライドと嫉妬」というベクトルが逆方向へ向かう思
いに引き裂かれ、引き裂かれた気持ちの隙間に落ち込むようにして豊志賀は、死んで
いった。そういう年上の女(豊志賀)の心情を福助(豊志賀)も、勘太郎(新吉)
も、梅枝(新吉と駆け落ちを企む、お久)も、協力して描ききれれば、この芝居は、
成功である。

97年、02年、09年と3回観た「豊志賀の死」の主な配役は、豊志賀:芝翫、福
助(今回含め、2)。新吉:勘九郎時代の勘三郎、勘太郎(今回含め、2)。お久:
福助、七之助、今回は、梅枝。勘蔵:二代目吉弥、勘九郎時代の勘三郎、今回は、弥
十郎。噺家さん蝶:助五郎時代の源左衛門(2)、今回は、勘三郎。

こうして見て来ると、5年、7年と間を空けて、この芝居を観ているうちに(間に、
99年のこんぴら歌舞伎・金丸座の上演がある)、役者の世代が、今回で、くるりと
完全に皮が剥けたような気がするのは、私だけではないであろう。豊志賀と新吉のコ
ンビは、芝翫・福助から、福助・勘太郎に替わった。それも、巧く替わった。お久
は、もう、福助ではない。七之助、あるいは、梅枝の世代だろう。前回、私は、こう
書いている。

「5年間で、心太(ところてん)のように役者の顔ぶれを押し出したように見える。
まるで、廻り舞台。」

この舞台から、7年経つ。その思いは、余計強くなったし、それをさらに補強する配
役が、今回は、工夫された。それは、噺家さん蝶の役どころである。以前は、この役
は、主役級では、演じていない。今回、初めて、勘三郎が演じたことで、近所の噺
家・さん蝶の役どころの重要性が、光り輝き出した。豊志賀の死を新吉と伯父の勘蔵
に告げに来るというだけの、滑稽な舞台廻しの役どころであった筈なのに、勘三郎が
演じたことで、存在感を増したように思う。つまり、怪談話は、笑いと背中合わせに
なっていないと、怖さを深めることが出来ないと言うことが、明らかになったような
気がする。怪談話は、ブッラックユーモアとホラーという2種類の味付けが必要なの
だということが、笑いと恐怖を滲ませた勘三郎の科白、所作で明らかになったと思
う。さて、舞台は・・・。

第一場。江戸・根津七軒町の富本節の師匠・豊志賀宅には、医者が往診している。豊
志賀(福助)の顔に腫れ物が出来たのだ。弟子たちも、見舞いにやって来ている。し
かし、師匠と若い弟子のひとりとの仲が噂になっているため、弟子たちの間の評判は
良くない。上手、裏庭には、朝顔が咲いている。江戸の夏の夕まぐれも、近い。

医者も弟子たちも帰ると、臥せっていた福助の豊志賀は、衝立を取り除いてほしいと
甘えた声で、言う。新吉(勘太郎)が衝立を取り除いてやる。顔を客席に見せないよ
うにしながら起き上がってくる。おもむろに顔を上げる豊志賀。福助の右目の辺りが
崩れた顔が見えてくる。ゆるりと怪談は、幕を開ける。

20歳ほども年上の女は、師匠という権威と性愛で、若い男の弟子を魅了していた
が、独占欲が強く、さらに、顔が崩れて来て、臥せりがちになったことから、なにか
と弟子に世話を焼かせようとする。それが、若い男には、違和感を抱かせる。長引く
介護にも疲れ果てた青年の態度には、疎ましさがにじみ出始めてきたようだ。年上の
女は、その原因は、自分には無く、若い男の気持ちが、弟子の中の若い女に移って来
ているからではないかと嫉妬する。

やがて、当の、若い女の弟子であるお久(梅枝)が、見舞いにやって来ると、年上の
女は、嫉妬心をむき出しにして、若い女弟子をいじめて、追い返す。邪魔物を追い
払った豊志賀は、新吉に、再び、甘え返す。それが、さらに新吉の気持ちに疎ましさ
を増殖させるということに年上の女は、もう、気づきはしないし、知ろうともしな
い。

豊志賀とやり合う新吉を演じた勘太郎は、この7年間に力をつけて来たのが判る。福
助とのやり取りのなかで、そういう気持ちの軌跡が、私には、手に取るように判った
からだ。

一旦追い返されたお久が、再び、豊志賀宅の前を通りかかり、たまたま、外に出てい
た新吉と出会う。ふたりは、師匠が寝付いているのを良いことに連れ立って、出かけ
てしまう。

暫くして、胸苦しさを覚えて目覚めた豊志賀は、「水が欲しい」と、新吉を呼ぶが、
返事がない。いなくなってしまった新吉をなじりながら、濡れ縁まで、はい出して来
た。手水鉢の水を飲もうとするが、果たせないまま、濡れ縁から身を乗り出すように
して倒れ込む豊志賀。嫉妬心を顔に貼付けたまま、死に絶える。濡れ縁から顔が下に
下がるように、倒れ込み、恨めしそうに客席をにらむ福助。この場面は、観客をも、
豊志賀から嫉妬されているような思いに巻き込む。巧い演出だ。

第二場、「蓮見寿司の場」。寿司屋の2階という設定は、秀逸だ。当時の寿司屋の2
階は、若い男女の逢い引きの場(密室)でもあるし、芝居の大道具としては、暗い舞
台の空中に明るい座敷が浮かんでいる、ということで、観客にも、印象的だ。介護疲
れをお久に訴える新吉には、若い者同士の連帯を求める気持ちがある。継母が口うる
さいというお久も、家を出たいが、一人では、不安だと言う。女からの誘いの気持ち
が滲み出る。ならば、一緒に家を出ようとふたりの気持ちが、ひとつになる。ふっ
と、燭台の明かりが消える。それを見計らったように、座敷の衝立の後ろから、突
然、豊志賀の幽霊が現れる。年上の女の嫉妬心は、幽霊になっても、過敏だ。この過
敏さは、若い男女ばかりでなく、観客をも驚かせ、恐怖させる。寿司が置かれた卓の
前の、仕掛けを使って、福助の幽霊は、消えて行く。お久を座敷に残したまま逃げ出
す新吉。

第三場、新吉の伯父・「勘蔵家の場」。恐怖に駆られた新吉は、伯父の家に逃げ込
む。豊志賀の幽霊は、すでに伯父宅の奥座敷で待っているとも知らずに・・・。

障子のある奥座敷から出て来た幽霊は、神出鬼没。家の外に待たせてあった駕篭のな
かにもいる。一瞬のうちに、現れては、消える豊志賀の幽霊。生身の人間には、黄色
いスポット。幽霊には、青いスポット。照明効果は、後世の工夫だろうが、福助の立
ち居振る舞いは、そういうサポートを乗り越えて、メリハリがある。舞台をもり立て
るのは、抑制の利いた演技だということを福助は、改めて、示してくれたと思う。

贅言:この芝居は、音の怪談噺でもある。怪談噺だけに、暗転で、黒御簾から木魚の
音が聞こえてくる。仏壇の鉦の音と演技の連動。豊志賀が息絶えるときに縁側から落
ちる金盥の音。時の鐘の音など、場面展開の、定式の音も含めて、音の使い方が巧み
な芝居である。舞台の節目節目に音がリンクする。音が、哀れみと凄みをクローズ
アップする。


足元の「船弁慶」


能の荘重さと歌舞伎の醍醐味をミックスさせる工夫をした六代目菊五郎演出以来、そ
の形が定着している。簡単なおさらいをしておこう。

起(お幕からの弁慶の登場、続いて、花道からの義経と四天王の登場)、承(お幕か
らの静御前の登場)、転(お幕からの舟長、舟子の登場)、結(花道からの知盛亡霊
の登場)と、黙阿弥の作劇は、メリハリがある。知盛の幕外の引っ込みでは、三味線
ではなく、太鼓と笛の、「一調一管の出打ち」。「荒れの鳴物」と言われる激しい演
奏で締めくくる。

「船弁慶」では、静御前と知盛亡霊を演じる役者の力量が試されるという基本的なコ
ンセプトは、変わらない。そのポイントは、静御前では、一際、小柄に観え、知盛亡
霊では、逆に、一際、大きく観えるということである。この変化が、「船弁慶」演じ
る役者の藝の力だと、思う。

それでいて、外題は、「船弁慶」である。それはなぜか。
義経一行の西国行きを阻止するのが、前半は、静御前で、後半は、知盛亡霊。静御前
は、能の前ジテ、知盛「亡霊」は、後ジテの関係。前半の静御前は、知盛亡霊の化け
た贋の静御前ということになる。義経にとって、前半は、いわば、「女難」。後半
は、正体を現した亡霊による、「剣難」というわけだ。「始終数珠を揉み祈る」弁慶
の本質は、義経一行の危機管理者というところにあり、動きを見ていると、弁慶は、
絶えず、前半では、静御前と義経の間に、後半では、知盛亡霊と義経の間に入り込ん
でいるのが判る。それも、義経には、背を向けて、「敵」の動きを注視する。これに
対して、義経のボディガードである四天王は、義経にのみ向き合う形で、義経を守護
する。弁慶は、全体を見ているが、四天王は、義経しか観ていない。警護の役割分担
というチームプレー。それが、この芝居の縦軸を構成する。「弁慶よしなに計らい候
へ」という義経の科白が、象徴的だ。だから、外題は、「船弁慶」となるのである。

弁慶「静御供いたし候は、何とやらん似合わしからず」、義経「静を都にかえせと
や」、四天王も弁慶の懸念に同調。義経「弁慶よしなに計らい候へ」。やがて、静御
前が、追い付いてきて、曲折の末、義経「用意よくば乗船なさん」、弁慶「とくとく
宿へ帰り候え」、静御前「あら、是非もなき事にて候」ということで、弁慶に阻まれ
て、静御前は、「名残り惜しげに旅の宿、見返り見返り立ち帰る」となる。

ところで、私は、「船弁慶」を観るのは、今回で、9回目なので、今回は、一工夫し
た独特の視点で、劇評をまとめてみたいと思う。

その前に、私が観た主な配役を記録しておきたい。
静御前と知盛亡霊を演じたのは、今回は、勘三郎。これまでは、富十郎(2)、菊五
郎(2)、松緑(松緑は、四代目襲名披露の舞台)、玉三郎、菊之助、染五郎。
弁慶:今回は、橋之助。これまでは、團十郎(2)、彦三郎、吉右衛門、弥十郎、團
蔵、幸四郎、左團次。
義経:今回は、福助。これまでは、芝雀(2)、時蔵、玉三郎、鴈治郎時代の藤十
郎、薪車、梅枝、富十郎。
舟長:今回は、三津五郎。これまでは、勘九郎時代の勘三郎(2)、八十助時代の三
津五郎、吉右衛門、仁左衛門、亀蔵、東蔵、芝翫。

さて、やっと、本題に入る。実は、今回は、勘三郎の演じる静御前と知盛の「足元」
を注目してみた。

下手のお幕から登場する静御前は、お決まりの、「能面」のような無表情のままであ
る。実際、能面の「増(ぞう)」のような化粧をする。顔を能面に見立てるのであ
る。美女ながら、後の知盛の亡霊という無気味さを滲ませながら、前半は、静御前と
して演じる。舟に乗る前の一行のために、舞の名手である静御前は、大物浦の浜で都
の四季の風情を踊る「都名所」。舞と踊りが、綯い交ぜで、難しい役だと言われる。

しかし、足元を見続けていると、「摺り足」が、基本で、勘三郎の静御前は、足裏を
所作台から、ほぼ終始離さなかった。前後に進むときは、摺り足。左右に身体の向き
を変えるときは、例えば、右に変えるときは、脚を若干開いたあと左の足のかかとを
軸にして、身体を廻していた。従って、右の足先に左の足先が重なって来る形にな
る。所作台をとんと叩いて、音を出すときでさえ、勘三郎の足元は、あまり、所作台
から離れなかった。静御前は、舞と踊りが、綯い交ぜということだが、足元を注視し
ていると、舞が基本、つまり、能を重視しているのだと言うことが判る。

後半、勘三郎の知盛亡霊は、花道から出て来る。すでに船出した義経一行の舟を大物
浦の「沖」で、迎え撃つ。「波乗り」という独特の摺り足で、義経に迫って行く。義
経は、数珠を揉んで生み出す法力で悪霊退散を念じる弁慶の後ろに隠れて、知盛亡霊
を押し返す。真っ赤な口を空けて、断末魔の叫び。倒されて行く者の悲しみ。悪霊な
がら、滅び行く者の悲哀を感じさせる。

ここでも、足元に注目した。知盛亡霊は、かかとを所作台につけた摺り足であった。
所作台を叩くために飛び上がるときは、静御前のときとは違って、大きく所作台から
足を跳ね上げる。静御前より知盛亡霊の方が、舞と踊りが、綯い交ぜになっているこ
とが判る。つまり、横に移動する舞と縦に移動する踊りの混在が判る。

贅言:「船弁慶」の、もうひとつのポイント。舟長と舟子。06年11月の新橋演舞
場では、亀蔵を舟長にして、舟子は、松也、萬太郎という、若い、というより、さら
に初々しい組み合わせだったが、櫂を漕ぐ舟子の若いふたりは、いかにも基本に忠実
で、櫂を漕ぐ手首(右手)をいちいち律儀に返しているのが判った。舟長の亀蔵は、
全く、手首を返さなかった。07年6月の歌舞伎座では、東蔵の舟長以下、4人と
も、手首を返さずに、いわば「漕ぐ真似」をしていた。役者は、いくつになっても、
所作の基本を大事にして欲しいと思ったと、書いたことがある。実は、これは、あら
ゆる演技に通じる大原則だろうと、思う。演技は、実技ではないとしても、真似事で
はなく、真実を写し取る気概が必要だろう。ところで、今回は、三津五郎の舟長と亀
蔵の舟子は、きちんと手首を返して、舟を漕いでいたが、高麗蔵の手首は、返ってい
なかった。
- 2009年8月14日(金) 11:53:48
09年8月歌舞伎座 (第一部/「天保遊侠録」「六歌仙容彩」)


現・歌舞伎座最後の「納涼歌舞伎」


20年続いた8月の「納涼歌舞伎」は、現在の歌舞伎座での公演は、今月が最後とな
る。歌舞伎上演月ではなかった8月の歌舞伎座。納涼歌舞伎では、スタート当時、2
0代、30代だった花形中堅の役者たちが、いまや、40代、50代となった。彼ら
の間から、意欲的に大役に挑む役者が、生まれた。勘九郎が、勘三郎になり、八十助
が、三津五郎に、児太郎が、福助になるなど、納涼歌舞伎は、力をつけた役者たち
が、大きな名跡を継ぐのを手伝って来たと思う。さらに、彼らの子供たちが、親たち
の役どころを学びながら、花形、若手に向けて、成長し始めた。通常の月同様の2部
制も、93年からは、いまのような3部制になった。若い観客層の開拓狙いも、成功
した。

「天保遊侠録」は、初見。歴史に題材を取った新作歌舞伎を多数創作している真山青
果の珍しい「世話物」である。1938(昭和13)年に3幕ものの戯曲として、連
載発表された。同じ年に東京劇場で、序幕だけが、二代目左團次らが出演して初演さ
れた。青果は、この時期、左團次とは、蜜月であり、左團次一座ともに、1934
(昭和9)年から1940(昭和15)年まで、「元禄忠臣蔵」の各編を上演したり
していた。

「天保遊侠録」は、幕末期のキーパーソンの一人、勝海舟の父親で、無役の貧乏旗本
勝小吉と幼少の麟太郎(後の、海舟)の出仕の時期の親子関係が、描かれている。無
頼の徒のような生活が、気性に合っている小吉だが、秀才の誉れの高い息子のため
に、まず、自分が無役から脱しなければならないということで、気に染まない猟官活
動をするが、腐りきった役人たちを相手にしているうちに、堪忍袋の緒が切れるとい
う物語である。青果劇は、いつもの科白劇で、幕末期の世相を織り交ぜながら、貧乏
旗本や庶民の哀感を活写する。今回の歌舞伎座公演は、21年ぶり。

花見で賑わう向島の料亭を借り切って役人を接待しようという小吉(橋之助)。四十
一石の貧乏旗本が、宴会費用をあちこちから借り集めた上で、上役らを招いて、御番
入り願いの饗応の準備をしている。やがて、饗応の世話役や接待される上役ら(弥十
郎ほか)が、到着し、宴会が始まるが、無理難題を吹っかける上役らの対応に怒り出
す小吉。「侍が威張っているのも、家の禄高の違いだけで、人間の値打ちの違いでは
ない」という、青果らしい科白も、小吉から飛び出す。真山の科白劇も、世話物だけ
に、くだけた会話で、楽しめた。橋之助の科白も、時代にならずに、良かった。

料亭の離れでは、小吉・息子の麟太郎(宗生)の出仕の迎えに来ていた小吉の義理の
姉で、江戸城の西の丸に仕える中臈・阿茶(おちゃ)の局(萬次郎)が、騒ぎをおさ
める。萬次郎は、品格のある局だった。父親の反対をよそに、局の意向に添って、出
仕を決める麟太郎らを見送る小吉。

料亭の騒ぎの場面が、一段落すると、舞台は、鷹揚に廻って、料亭の表側に替わる。
門から外に出る麟太郎ら一行。それに桜の花びらが散りかかる。門前には、桜の樹の
間に、黄色い菜の花が咲いている。世間は、春爛漫。豪華な駕篭が、待っている。名
所の向島の料亭らしく、その辺りには、歌碑が、2基ある。

愚父と賢児の物語。あるいは、父親の子離れの物語であろう。時代が急激に変化する
兆しがあろうとなかろうと、親の情愛は変わらないというのが、真山劇のテーマだろ
う。

ほかの配役は、小吉と恋仲だった芸者の八重次(扇雀)麟太郎を見送った後、暈の中
で小吉と佇む場面は、余韻があった。田舎育ちで、叔父に金を無心に来て、饗応に巻
き込まれ、逆に、騒ぎを大きくする甥の庄之助(勘太郎)など。勘太郎は、叔父に
そっくりの甥をきちんと演じていた。

脇では、上役に配下の組頭取のひとり、伏見(三津之助)や、局のお供の奥女中・園
江(芝のぶ)らが、存在感がある演技をしていた。


踊りの名手・三津五郎の、変化舞踊の妙味


「六歌仙容彩」は、変化舞踊(組曲形式)として「河内山」の原作「天保六花撰」と
同じ時代、1831(天保2)年3月、江戸の中村座で初演された。五段構成。「六
歌仙容彩」は、9回目の拝見。今回は、三津五郎が、業平、遍照、喜撰、文屋康秀、
黒主の5役を演じるという本来の形の、オーソドックスな演出。小町に、福助。お梶
に、勘三郎。

いまでは、それぞれが主人公を立てて、独立した演目として演じられることが多いの
で、原型となるオーソドックスな演出は、13年ぶり。私は、2回目。ほかの7回
は、単独か、ふたつか、みっつの上演形式だった。例えば、「喜撰」は、7回観てい
る(「喜撰」単独は、3回。「喜撰」は、単独のほか、「業平」、「文屋」と組ませ
るか、あるいは、両方と組ませるか、という演出が多い)。「業平」は、5回(「業
平」は、「喜撰」、「文屋」と組ませるか、あるいは、両方と組ませるか、という演
出。単独では、観たことがない)。「文屋」は、4回(「文屋」単独は、1回。組み
合わせの場合は、既述)。「遍照」と「黒主」は、2回(つまり、単独では、観たこ
とがない)。ということで、興行時の、演目時間の都合、演じる役者の都合で、融通
無碍に構成されるという、極めて、便利な演目である。歌舞伎座筋書きの上演記録を
見ると、演目の上演順序も、柔軟である。

それだけに、13年前の歌舞伎座で、富十郎主役で観た最初の通しでは、気がつかな
かったが、上演回数の多い演目と少ない演目では、演目の出来に濃淡がある。それ
は、私が観た中でも回数の多い「喜撰」は、やはり、演出が良く練れている。私が観
た喜撰法師は、富十郎、三津五郎が、それぞれ3回。勘三郎が、1回。3人とも、
皆、達者だった。

さて、今回の舞台に戻ろう。歌舞伎座で、5役を通しで踊るのは、初めてという三津
五郎の舞台は、踊り達者な三津五郎だけに、楽しみである。

まず、「枯淡残照」と言われる「遍照」では、宮中の歌合わせの催しを写す。金地の
襖には、花丸の模様。舞台奥の、上手、中央、下手にそれぞれ、御簾が下がってい
る。上手の山台に竹本連中。遍照(三津五郎)は、下手から出て来て、6人の官女ら
に小町に逢わせてほしいと頼み込む。女形たちの官女の中に、芝のぶが、いる。中央
の御簾が、巻き上げられると、御簾うちにいた小町(福助)が姿を見せる。小町は、
紫の衣装ながら、吹輪などをつけた赤姫の扮装である。ふたりの官女を連れている。
あわせて8人の官女たちとの絡みなどがあって、福助が、再び、御簾うちに入ると、
御簾が下がって来る。小町の口説きに失敗した三津五郎は、下手に引っ込む。竹本連
中を載せた山台も、上手に引っ込む。

舞台奥の下手側の御簾が上がると、清元連中の雛壇が現れる。続いて、「才気煥発」
という「文屋」。下手から、文屋(三津五郎)登場。上手より、8人の官女ら登場。
今度は、立ち役たちの官女である。この公家も、小町狙い。中央御簾うちには、和歌
を案じている小町がいるという想定であるから、小町は、姿を見せない。宮中の「歌
合わせ」の体。小町の所へ忍んで来た文屋。それを邪魔する官女たち。やがて、文屋
と官女の「恋尽くし」のコミカルな拍子事(問答)。いつものことだが、官女を演じ
る立役たちが、弱い。さらに、下手から、ふたりの官女(弥十郎、亀蔵)が加わり、
ひと騒ぎ。「政権交代」「選挙で」など官女たちの捨て科白(アドリブ)では、場内
から、拍手。やがて、文屋は、官女たちを振り切って、小町のいる御殿目指して、上
手から、入って行く。

次いで、「優美端麗」の「業平」。宮中の御殿。舞台奥の上手から下手まで、御簾が
降りている。無人の舞台。やがて、上手の御簾が上がると、長唄囃子連中の雛壇。次
いで、中央の御簾が上がると、業平(三津五郎)と長い髪に銀四段の花櫛をつけた小
町(福助)が、姿を見せる。初代吉右衛門の業平、六代目歌右衛門の小町、所縁の所
作事だ。御簾うちの背景は、銀地に満開の桜の絵。表は、金地、裏は、銀地に花丸の
模様の入った扇を持ち、扇尽くしの歌心で、小町への恋心を踊る業平。しかし、小町
はつれない。言い寄る業平を袖にし、御殿の御簾うちに帰ってしまう。仕方なく、花
道から引き上げる業平。舞台は、最初の無人に戻る。長唄連中の御簾が下がると、無
人の舞台が、暫く続く。

舞台奥の御簾全体が、持ち上げられると、赤白横縞の、道成寺の幕。舞台上下に桜の
樹。「軽妙洒脱」の「喜撰」である。清元連中を載せた山台が、「舟」のように、自
動操縦で、下手奥から出て来る。舞台下手の定位置に着く。さらに、道成寺の幕が、
上に引き上げられると、中央奥に、長唄連中の雛壇。背景は、桜の大木。京都の東
山。花道から喜撰(三津五郎)登場。喜撰は、花道の出が難しい。立役と女形の間で
踊るという。歩き方も、片足をやや内輪にする。舞台中央へ。ここには、小町は登場
しない。代わりに、上手より、祇園のお梶(勘三郎)が、登場。お梶は、小町見立て
である。清元と長唄の掛け合い。踊る三津五郎の身体の縦軸が安定している。

「喜撰」は、小道具の使い方が巧い舞踊だ。喜撰とお梶との色模様では、櫻の小枝、
手拭、緋縮緬の前掛けなどが効果的に使われる。お梶は、上手に引っ込む。その後
の、師匠の喜撰を迎えに来た14人の所化たち(秀調、高麗蔵、松也、梅枝、萬太
郎、巳之助、新吾、隼人、小吉、鶴松ほか)との間では、櫻の小槍、金の縁取りの扇
子、長柄の傘などが、効果的に使われる。所化たちは、花道から登場する。道成寺の
幕が、再び降りて来る。住吉踊りを踊る所化たち。「喜撰」単独の上演と違って、次
の「黒主」につなげる踊りが、難しいという。清元の山台は、自動運転のまま、下手
奥に引っ込む。やはり、「喜撰」の舞台は、良く練れている。

「重厚冷徹」の「黒主」が、最後の舞台。道成寺の幕が上がると、長唄連中の雛壇が
現れる。舞台袖で、上手下手とも、桜だったのが、金雲を描いた襖に替わる。長唄連
中の雛壇が、ふたつに割れると、舞台中央奥から、二畳台に乗った黒主(三津五郎)
と小町が姿を見せる。黒主は、国崩しの扮装。小町は、巫女姿。小町の歌に「古歌の
盗作だ」と、難癖を付ける黒主。古歌が載っている草子を水を入れた角盥で洗い、身
の潔白を証明する小町。ここで、小町は、逆襲。黒主の歌こそ、天下を調伏する野心
があると見抜く。花四天たちが、小町の見方をし、黒主を追いつめる。三段に乗っ
て、大見得をする黒主。

贅言:現・歌舞伎座では、最後の「納涼歌舞伎」とあって、芝居もさることながら、
場内のロビーや表玄関の前で、それぞれ記念撮影をする人たち、あるいは、来春から
取り壊される予定の建物の写真を撮る人たちの姿が目立った。
- 2009年8月13日(木) 12:08:34
09年7月歌舞伎座 (夜/「夏祭浪花鑑」「天守物語」)


殺し場の美学「夏祭浪花鑑」


並木宗輔と三好松洛ほかの合作「夏祭浪花鑑」は、3回目の拝見だが、劇評には、き
ちんとした形で、登場していなかった。今回、初登場。記録のために、筋立ても含め
て、やや詳しく、書いておきたい。全九段の世話浄瑠璃は、当時実際にあった舅殺し
や長町裏で、初演の前年に起きた堺の魚売りの殺人事件などを素材に活用した。

初めて見たのは、12年前、97年7月、歌舞伎座で、澤潟屋一門の舞台。元気だった
猿之助が、団七を演じた。その他の配役は、徳兵衛:右近、三婦:歌六、義平次:段
四郎、徳兵衛女房お辰:笑三郎、団七女房お梶:門之助、磯之丞:笑也、傾城琴浦:
春猿、など。前回拝見したのが、99年6月、歌舞伎座で、団七:幸四郎、徳兵衛:
梅玉、三婦:富十郎、義平次:幸右衛門、徳兵衛女房お辰:雀右衛門、団七女房お
梶:松江時代の魁春、磯之丞:友右衛門、傾城琴浦:高麗蔵、など。今回は、団七:
海老蔵、徳兵衛:獅童、三婦:猿弥休演で、市蔵、義平次:市蔵、徳兵衛女房お辰:
勘太郎、団七女房お梶:笑三郎、磯之丞:笑也、傾城琴浦:春猿、など。

この芝居は、海老蔵演じる団七が、主役だが、団七に殺される義平次が、重要な役回
りを務める。今回は、猿弥休演で、市蔵が、三婦と二役を演じる。ほとんど、出ずっ
ぱりで、大熱演で、非情に良かった。二役とも、存在感があった。主筋は、磯之丞と
琴浦の逃避行である。

序幕は、住吉大社の鳥居前。髪結処「碇床」が、下手半分を占める。髪結処の贔屓か
ら送られた形の暖簾には、海老蔵主演とあって、團十郎家の三升の紋が染め抜かれて
いる。図柄は、熨斗。髪結処の上手側に「大祓」、「開帳」の立て看板がある(後
に、「小道具」として、使われる)。髪結処の暖簾の上手横に、芝居番付が張ってあ
る。歌舞伎には、このように、細部に凝った仕掛けが、仕込まれていることが多い。
団七は、堺の魚売りだが、大島佐賀右衛門の中間との喧嘩沙汰で、投獄されていた。
団七女房お梶の主筋に当たる玉島家の配慮で、出牢が許された。解き放ちが、住吉大
社の鳥居前ということだ。そのお梶が、子の市松を連れて、老侠客の釣舟三婦(さ
ぶ)と一緒に、団七を迎えに来た。三婦は、右の耳に飾りのようにして、数珠を掛け
ている。お梶は、予定より早く来過ぎたので、市松と一緒に大社にお参りに行く。

そこへ、駕篭が到着。玉島家の磯之丞が、降りて来たが、法外な駕篭代を巻き上げら
れそうになっているのを見て、三婦は、男気を出して、磯之丞を助けて、立寄先を紹
介する。その後、三婦は、碇床に入り、団七の解き放ちを待つ。暫くして、むさ苦し
い囚人姿で、役人に連れられて来たのが、団七。出迎えた三婦に連れられて、碇床に
入る。着替えと髪を結い直すためだ。三婦は、先に行かせた磯之丞の後を追う。つづ
いて、傾城琴浦が、恋人の磯之丞の行方を訊ねて来る。横恋慕の大島佐賀右衛門(大
蔵)が、邪魔立てに来る。髪結処から出て来た団七は、青々と月代を剃り上げて、
「首抜き」という首から肩にかけて、大きな模様を染め出した白地の浴衣を着てい
て、とても、すっきりしている。裾前には、成田屋と屋号が染め抜かれている。琴浦
を助け、磯之丞の立寄先に行かせる。この際、団七は、佐賀右衛門の身体を使って、
琴浦に磯之丞の立寄先の道順の案内をする。「黒塀、松の木、地蔵様」などと形態模
写をさせる。「先代萩」の「花水橋の場」の趣向と同じだ。

団七も、琴浦に続こうとすると、徳兵衛が、琴浦を返せと追ってくるので、団七と徳
兵衛の間で、喧嘩になる。先ほどの立て看板が、引き抜かれて、ふたりの立ち回りの
小道具として使われる。そこへ戻って来たお梶が、仲裁する。団七の喧嘩相手が、徳
兵衛と知り、驚くお梶。実は、乞食の身に落ちていた徳兵衛を助けたことがあるの
だ。恩あるお梶とその夫の団七に詫びて、同じく主筋の玉島家の磯之丞のために役立
ちたいと言う。皆、磯之丞の立寄先に急ぐことになった。

二幕目は、難波の釣舟三婦内。店先に献燈と書かれた提灯がぶら下がっている。祭り
気分をもり立てる。今では、磯之丞は、ここに匿われている。磯之丞と琴浦が、痴話
喧嘩をしている。三婦が戻って来て、ふたりを奥へ隠す。徳兵衛女房お辰がやって来
る。故郷に戻るので、挨拶に来たのだ。これを聞いた三婦女房のおつぎ(右之助)
が、お辰に磯之丞を匿ってもらおうと持ちかけるが、三婦は、男が立たないと叱る。
女ながら男気のあるお辰は、怒る。三婦は、お辰が、色気がありすぎるので、磯之丞
が、間違いを起こすことを懸念したのだ。お辰は、黒地の帷子(かたびら)に白献上
の帯という粋な着物姿で、さらに、傾城や女郎の役のように、右襟を折り込み、裏地
の水色を見せるような着物の着方をしているから、やはり、色っぽい女という設定
だ。お辰は、店にあった熱い鉄弓(てっきゅう・大坂の夏祭りには、鯵の焼き物が、
定番であったが、火鉢の鉄弓で鯵を焼いた)を頬に押し当てて、火傷を作り、「これ
でも色気がござんすかえ」という鉄火女である。びっくりした三婦は、お辰に磯之丞
を預けることにした。ここまでが、芝居の前半である。

お辰に連れられて磯之丞が去ると団七の女房お梶の父親の義平次が、婿の団七に琴浦
を預かるようにと頼まれたと嘘を言って、駕篭を伴って来る。応対した三婦女房のお
つぎは、騙されて、義平次に琴浦を引き渡してしまう。この場面では、「三婦:猿弥
休演で、代役市蔵、義平次:市蔵」ということで、三婦から義平次に替わる市蔵のた
めに、深編み笠をかぶった市蔵の吹き替え役者が、対応している。だから、顔を見せ
ない。三婦が、団七(海老蔵)、徳兵衛(獅童)を伴って、戻って来る。花道から本
舞台に入って来る団七は、柿色の「団七縞」と呼ばれる格子縞の帷子(かたびら)の
麻の単衣を着ている。徳兵衛は、色違いの藍色の同じ衣装を着ている(人形浄瑠璃の
衣装で、人形遣の吉田文三郎が考案したという)。酒を飲むために奥に向かった三婦
と徳兵衛。店先に残った団七は、三婦女房のおつぎから琴浦の話を聞いて、義平次に
よって、琴浦が勾引(かどわか)されたことを知ると、血相を変えて、義平次らの後
を追う。

大詰の長町裏の場。縄をかけた駕篭とともに逃げる義平次らに追いついた団七と義平
次が喧嘩になり、最後は、リアルでありながら、様式美にあふれる殺し場が展開され
る。最初、ねちねちと団七をいじめる義平次とそれに耐える団七の姿が描かれる。泥
の池と井戸という大道具を巧く使い、本泥、本水で、いかにも、夏の狂言らしい凄惨
ながらも、殺しの名場面となる(本泥、本水も、人形遣の吉田文三郎が工夫した趣向
だという)。団七は、帷子も脱いで、赤い下帯一つになる。裸体には、全身の刺青。
夏の野菜が実る畑が、塀の内に広がる。塀の外を通り過ぎる祭りの山車。鐘と太鼓の
お囃子の音。そういう背景の中で、泥まみれになり殺しの立ち回りがつづく。「親殺
し」と叫ぶ義平次。「ひとが聞いたらホンマにします」と団七。殺しの中にも、笑い
を滲ませる科白廻し。倒れた義平次の身体を跨いだまま、前と後に身体をひねりなが
ら、飛んでみせる団七。弾みで、殺されてしまう義平次は、泥の池に蹴落とされてし
まう。団七も、最後は、井戸水を桶に4杯も掛けて、身体を洗い、帷子を着直す。そ
こへ、舞台上手から、祭りの神輿が通りかかる。そのお囃子にあわせながら、神輿連
中の手拭いを奪い、顔を隠す団七。さらに、団七は、神輿連中にまぎれて、現場なら
逃げて行く。「悪い人でも舅は、親」「親父殿、許して下され」。荒唐無稽な筋立て
を、歌舞伎の様式美で、観客を引っ張ってしまうという芝居。海老蔵も、市蔵も熱演
で、見応えがあった。


泉鏡花劇に、更に肉薄する玉三郎演出


「天守物語」は、3回目の拝見。10年前、初めて歌舞伎座で上演された99年3月の
歌舞伎座筋書に掲載されている舞台写真を見ると、空の背景が、山あり、雲ありで、
大分、写実的だったことが判る。それが、3年前の前回から、抽象的な光で表現をし
ていて、かなりスマートになっている。玉三郎の演出が加わったからだろうと思う。
幻想的な泉鏡花劇へ、肉薄しようと、今回もそれを踏襲している。

玉三郎は、鏡花劇の思想を身に纏い、己の美意識に磨きをかける。鏡花劇という歌舞
伎にいちばん馴染みにくい、詩の朗読のような科白劇の歌舞伎化という、永遠の不可
能へむけて果敢に挑戦している。科白を詩の朗読にせず、日常的な会話体に近づける
べく、努力をしている。玉三郎歌舞伎の永久革命ともいうべき、新たな演劇空間創成
へ向けて、玉三郎は、鏡花劇を相手に、今回の「歌舞伎座さよなら公演」という、今
の歌舞伎座では、最後の7月興行でも、さらに、挑戦を続けているように見える。

播州姫路城(白鷺城)の五層の天守閣で繰り広げられる幻想劇。鏡花の幻想三部作で
は、いちばん、歌舞伎に馴染んでいる演目だ。それだけに、安定感がある。玉三郎の
富姫、海老蔵(歌舞伎座の1回目は、新之助時代)の図書之助という主軸のうち、海
老蔵は、「海神別荘」の現代劇風科白と違って、こちらは、科白廻しも歌舞伎調で、
安定している。玉三郎は、更に、己に磨きをかける。

海老蔵は、「海神別荘」では、異界の住人で、権力者だ。玉三郎は、人間界から、生
け贄として連れてこられた人間。弱い立場にある。「天守物語」では、逆に、海老蔵
は、人間界から、異界の天守に上がって来た武士。玉三郎は、妖怪の富姫。攻守を逆
転させているが、権力者ではない。玉三郎は、泉鏡花劇の洗礼を受けるたびに、「気
持ちが浄化される」という。海老蔵との演技の差は、そこにあるのかもしれない。

亀姫は、前々回は、菊之助、前回は、春猿、そして、今回は、勘太郎。それぞれ、違
う味わいがあり、いずれも、悪くはない。朱の盤坊は、前々回は、左團次、前回は、
市川右近、そして、今回は、獅童。大きな獅子頭を作った工人の近江之丞桃六は、
前々回は、今は亡き羽左衛門、前回は、猿弥、今回は、我當。これは、ちょっとしか
出番がないが、奇跡を起こす超人なので、存在感が強くないと漫画になってしまう。
二十代、三十代の役者に囲まれて、我當は、羽左衛門同様の存在感があった。ユニー
クな役どころは、生首を舌でなめる舌長姥の門之助。門之助は、前回と同じで、2回
目。前々回は、味のある吉之丞。門之助も、前回より良く、吉之丞に並んで来た。奥
女中の薄は、3回とも、吉弥で、これは、毎回、安定感がある。小田原修理は、前々
回は、十蔵時代の市蔵、前回は、薪車、そして、今回は、休演の猿弥に替わって、大
活躍の市蔵。

贅言1):「天守物語」で、玉三郎の富姫や海老蔵の図書之助が、中に避難して隠れ
潜んだ獅子頭の母衣。獅子が武田の家臣相手に立回りをする場面で、寿猿は、以前に
母衣の中で、獅子の脚を演じたことがあると言っていたのを思い出すが、今回も、立
回りの場面だけ、誰か、海老蔵や玉三郎に替わって、獅子の脚を演じた役者が居たこ
とだろう。獅子の眼を刀で刺され、盲になった図書之助が出て来る場面では、海老蔵
に、その後の場面では、玉三郎に戻っている。

贅言2):昼の部の「海神別荘」に続いて、「天守物語」でも、カーテンコールが
あった。私が観た3回の「天守物語」の舞台で、カーテンコールを観たのは、初めて
だった。ただし、「海神別荘」では、主役クラスばかりではなく、侍女も、カーテン
コールに加わっていたが、「天守物語」では、我當、玉三郎、海老蔵の3人だった。
- 2009年7月11日(土) 6:59:08
09年7月歌舞伎座 (昼/「五重塔」「海神別荘」)


「五重塔」は、初見。芸術のために、我を通す男の物語。幸田露伴の小説は、明治時
代に七代目幸四郎によって、上演されたという。戦後、里見クの脚色・演出で上演さ
れたり、宇野信夫の脚色で、新国劇(島田正吾の十兵衛、辰巳柳太郎の源太)上演さ
れたりした。さらに、宇野信夫は、歌舞伎の世話物に仕立て上げ、1983(昭和
58)年に、吉右衛門の十兵衛、初代辰之助の源太で、歌舞伎座で初演された。今回
は、26年ぶりの上演である。

今回の主な配役は、次の通り。十兵衛(勘太郎)、源太(獅童)、十兵衛女房お浪
(春猿)、源太女房お吉(吉弥)、朗円上人(市蔵)、用人為右衛門(寿猿)、源太
弟子清吉(巳之助)など。初見なので、記録の意味でも、筋書きを書いておきたい。

新歌舞伎なので、緞帳を使う。鐘の音とともに、幕が上がる。序幕。上野谷中の感応
寺で、五重塔の建立計画が決まった。5年前に本堂などの再建を請け負った大工の親
方・源太が、下見のために、寺の用人に案内されて来る。一方、源太の兄弟弟子だっ
た十兵衛は、五重塔の普請を請け負いたいと日参しているというが、門前払いにあっ
ているという。きょうも姿を見せたが、どこかへ行ってしまったと門番や寺男たち
が、話している。十兵衛と源太の普請請負の対立の構図が、明らかになる。朗円上人
が、戻ると、上人の居室の床下に隠れていた十兵衛が、姿を現し、上人に普請請負を
直訴する。そこへ、源太が、戻って来る。上人は、請負は、ふたりの相談に任せると
言う。

第二幕は、第一場が、十兵衛の家。十兵衛の女房のお浪が、十兵衛に普請請負は、源
太に譲れと言うが、十兵衛は、耳を貸さない。そこへ、十兵衛の本心を危機に、源太
がやって来る。本心を偽り、普請請負は、諦めたと言う十兵衛。源太は、十兵衛を立
てて、自分は、副(そえ)に廻ると申し出るが、源太ひとりで、請け負えと言い張
る。むっとして、引き上げる源太。泣き崩れるお浪。

第二幕、第二場。池之端の料亭。朗円上人の判断で、普請は、十兵衛に任せることに
なった。源太も了解し、十兵衛と会うことにした。源太は、十兵衛に五重塔建立に必
要な資料を手渡そうとするが、十兵衛は、これを拒み、ふたりは、再び、気まずくな
る。「地震や台風で、倒れないようにしろ」と言い捨てる源太。十兵衛も、一歩も引
かない。

第三幕、第一場は、五重塔の普請場に近い茶店。「長輝山 感応寺」という半天を着
た大工たちが、酒を飲んでいる。飲酒は、御法度なのだが、棟梁としての十兵衛を認
めないので、さぼっているのだ。源太の女房お吉も、墓参りを装って、普請の様子を
見に来る。源太の弟子の清吉も、様子を見に来る。ふたりが姿を消すと、さらに、ほ
かの大工たちも、職場放棄で酒を飲みに来る。後を追い、仕事に戻るように懇願する
十兵衛を袋だたきにして、現場を去ってしまう大工たち。戻って来た清吉に襲われ
て、鑿で傷つけられる十兵衛。

第三幕、第二場。十兵衛の家。怪我をした十兵衛を見舞う源太。寝た振りをする十兵
衛。源太が帰ると、傷を負っているのに、普請場へ行く十兵衛。

第四幕、第一場。あすの落慶式を前に、嵐に見舞われた五重塔。十兵衛は、嵐の中、
五重塔を見守っている。源太も、姿を見せる。びくともしない五重塔に感動する。ふ
たりは、やっと、和解する。

第四幕、第二場。嵐が去って、晴れ上がった落慶式当日。恩讐を越えて十兵衛、源太
の二組の夫婦も、参加している。朗円上人が、運ばせた制札には、次のような文句が
書いてあった。「感応寺生雲塔 江戸の住人十兵衛これを作り、源太郎これを成
す」。朗円上人が、ふたりの和解を記録に残したのだ。

この物語は、登場人物の性格が、はっきりしている。江戸っ子気質で、癇癪持ちだ
が、義理も人情もある、器の大きな源太。「のっそり十兵衛」とあだ名されるが、生
涯の大仕事という思いから、ひとりで塔を建てたい一念で凝り固まっている十兵衛。
源太の気持ちを十分に判りながら、我を曲げられない。そういう兄弟弟子の様子に、
うろたえ、夫をなじり、泣くばかりの十兵衛女房お浪。気の強い源太女房お吉は、夫
を不利に導く。

勘太郎の十兵衛は、のっそり、頑固ぶりは、演じているが、もうひとつ、突き抜けて
いない。春猿の女房お浪は、まずまず。獅童の源太は、大声を出しがちな癇癪持ちぶ
りは、演じているが、器の大きさが、感じられない。吉弥の女房お吉は、印象が薄
い。全体的に、登場人物の描写が、くっきりとしてこない感じがしたのは、残念で
あった。


「海神別荘」は、3回目の拝見。泉鏡花劇の歌舞伎化にチャレンジしている玉三郎
は、「夜叉ケ池」、「海神別荘」、「天守物語」を「三部作といっていいほど、描か
れている世界が似ている」と言っている。確かに、「夜叉ケ池」では、村という「俗
世」と夜叉ケ池の「異界」との対立が描かれる。「海神別荘」では、海底の「異界」
へ「人間界」から若い女性が輿入れして来る。「天守物語」では、天空の「異界」へ
「人間界」から若い武士が逃れて来る。つまり、異界の元への、ある種の融合が描か
れることで判る。いずれも、最後は、「異界」の優位性が、高らかに宣言される。そ
れは、また、「虚」が「実」より優位に立つという鏡花の思想を明示する。外題のつ
けかたも、この3演目は、イメージが豊かという共通するものがあると思う。「陸」
に対する「海」、「地上」に対する「天」、「昼」に対する「夜」。いちばんユニー
クなのは、やはり「海神別荘」で、なんともイマジネーション豊かなネーミングで
は、ないか。次いで、詩情豊かな「天守物語」、妖気豊かな「夜叉ケ池」となる。

「海神別荘」の主・公子(海老蔵)を始め異界のものたちを包む衣装は、画家の天野
喜孝という独自の世界。公子の黒い衣装と美女の白い衣装の対比。海の幸と引き換え
に迎える妻となる美女(玉三郎)を公子は待っている。姿見の珠に映る美女たち一行
の姿。白い龍馬に乗り、槍を備えた29人の黒潮騎士(黒いマントのような衣装は、
裏地が、鮮やかな青)に守られている(以前の舞台より、騎士の人数が増えてい
る)。龍馬は、騎士たちの群舞で表現する。白い龍馬と黒い騎士たちの、乱舞は素晴
らしい。歌舞伎の「とんぼ」を思わせるリズミカルで、軽やかな動きだ。

「海神別荘」に棲むものたちは、すべて蛇の化身なのだということが、判ってくる。
酒を飲まされ、美女も、人間から蛇身に変えられてしまう。地上に戻り、ふるさとの
父に、自分の、いまの幸せを知らせたいと願う美女に、公子は告げる。「もはや、あ
なたは人間の目には、蛇身に見える」(ここで、公子の黒い衣装と美女の白い衣装を
効果的に使っていたのが印象的)。自らは、蛇身に見えないから、ふるさとを喪失し
たことも信じられない。しかし、実際に、陸に戻ってみると、父親は、大蛇に化身し
た美女を鉄砲で撃とうとしたではないか。現実の厳しさを悟らされた美女の悲しむ
が、まだ、信じられない。「いや、それは公子の魔法ではないか」と疑う美女。自分
の純愛を疑うなら、美女を「殺してしまえ」と、騎士たちに命じる公子。巨大な錨に
縛られ、槍を突き付けられる美女。それを拒絶し、公子の手で、殺してほしいと願う
美女。剣を抜き、美女を刺そうとする公子。

死んだ気になることで、逆に、公子の至高の愛に目覚める美女。死を覚悟した美女の
姿に感動する公子。人外境の海底で、生きることを決心する美女。異界の公子の純愛
観が人間界の価値観に打ち勝った瞬間だ。絶望から歓喜へ、鏡花ワールドの逆転する
価値観を美女の玉三郎は一身に体現する。それは、美女と公子が、そろって身につけ
る白く、長いガウンが象徴する。互いの手を傷つけて流した血を飲みあい、永遠の愛
を誓うふたりだけの儀式。人外境も、覚悟さえ決めれば、楽園になる。「女の行く極
楽に男は居らず」「男の行く極楽に女は居ない」。どこであれ、覚悟を決めれば、楽
園、つまり、自分の居所となるというのが、泉鏡花からのメッセージだろう。

鏡花劇は、優れて科白劇である。美意識を含む鏡花哲学の思惟を科白という言葉で表
現しようとするから、どうしても奇抜で綺羅星のような科白が多くなる。空想自在
な、形に見えない思惟を役者の肉体を通じて舞台という限定された空間で表現するた
めに、そういう科白が多用されるのである。書かれた戯曲の科白は、読みどころだ
が、それは、必ずしも、役者のいう科白の聞かせどころとは限らないだろう。

玉三郎は、鏡花劇の思想を身に纏い、己の美意識に磨きをかける。それは、人の目に
見えない思想と人の目に見せる美意識というアンビヴァレンスを統一しようという試
みでもある。玉三郎の美女は、好調。所作、表情が、いちだんと奥深くなった。海老
蔵の公子は、相変わらず、科白廻しが、ところどころ、現代劇調で、ほかの役者のよ
うな、歌舞伎調からは、ひとり、はずれているように聞こえる。

最後に、歌舞伎座としては、極めて珍しいカーテンコールがあったが、夜の部の「天
守物語」でも、やはり、カーテンコールがあった。
- 2009年7月10日(金) 15:29:58
09年7月国立劇場 (歌舞伎鑑賞教室/「矢の根」「藤娘」)

「矢の根」は、5回目。今回は、歌舞伎鑑賞教室なので、男女蔵が、初役で、五郎を
務める。これまで観た曽我五郎は、三津五郎(2)、橋之助、羽左衛門病気休演代理
の彦三郎。

舞台上手に「歌舞伎十八番 矢の根」、下手に「五郎時致 市川男女蔵相勤め申し
候」の看板がかかっている。上手の白梅、下手に紅梅。荒唐無稽なものほど、仰々し
く仕立てる。それが、儀式の鉄則だ。観客も、気持ち良く騙される。大薩摩の置き浄
瑠璃。正面、二重の三方市松の揚障子が、「よせの合方」で上がる。若さを強調する
車鬢、筋隈に、仁王襷、厚綿の着付けの両肩を脱いだ五郎が、炬燵櫓に腰を掛けてい
る。15歳の少年という想定。歌舞伎らしい様式美と荒事の勢いが、大事。台詞は、
正月の食膳のつらね(今回は、歌舞伎教室なので、事前に科白の説明があった。担当
は、亀鶴)。七福神をこき下ろす悪態(悪口を言う)は、大薩摩(上下に字幕が出
て、浄瑠璃の語りを明示)と台詞の掛け合い。

筋は、単純である。廻り廊下を持った能の舞台のような、作業場のような板敷きの御
殿で、五郎が、矢の根(矢の一先端にある鉄製の鏃)研いでいる。室内には、矢の根
が、10数本立てかけてある。大薩摩の家元・主膳太夫(宗之助)が、五郎の所へ、
年始に来る。土産に持って来た宝船の絵で、五郎が、初夢を見て、兄の曽我十郎(亀
鶴)が、仇の工藤家にとらわれていることを知り、馬に乗り助けに行くという話。

「馬は大根春商(あきない)」という語り。大根売りの馬子(橘三郎)から、数本の
大根ごと裸馬を取り上げ、その馬に乗り、馬の引き綱を手綱代わりに、大根を鞭代わ
りにして、花道を走り去るということで、高校生が、8割から9割という、観客席の
笑いも誘う。

昔は、舞台上手山台で語っていた大薩摩の太夫が降りて来て、役者に年始の挨拶をし
て見せたという。江戸の遊び心。大道具の色彩が豊かで、絵画美を強調する演目、音
楽の荒事、大薩摩もあり、豪快で、正月興行向き。いわば、荒事の儀式劇であり、江
戸の芝居小屋の楽屋風俗を活写する意味もある。

「矢の根」は、歌舞伎十八番のなかで、もっとも短い演目。男女蔵は、身長が、1
メートル77センチと大柄だが、1メートル63センチと小柄な三津五郎が、実際、大
きく観えた。「矢の根」は、役者を大きく見せる演目でもある。男女蔵は、科白廻し
が、ときどき、籠って聞こえる。監修を受けた團十郎の荒事の科白廻しを真似ている
のだろうが、籠るところまで真似ている訳ではないだろうが、もうひと工夫した方が
良い。

この演目は、縁の下の力持ちの後見の見せ所でもある。太い綱の仁王襷を一旦取り、
五郎が初夢を見た後、再び、結び直すが、ここが、裃後見の腕の見せ所で、手際よく
済ませると拍手が来たりする。女形が踊りながら、後見が衣装の引き抜きをしてみせ
るのと同じ効果があるのだろう。宝船の絵を砥石の下に敷いて、眠る五郎。両手を上
げて、身体を斜めにする。その五郎の体重を、後見が、左手一本を男女蔵の背に宛て
ながら、自分の背中を押し込むようにして、支える。左手は、血管が浮き上がり、筋
肉が、緊張しているのが判る。荒事の所作事であるがゆえに、古風な荒事の演出が、
残されたという。

藤娘は、12回目。雀右衛門(3)、芝翫(3)、玉三郎(2)、菊之助、勘九郎時
代の勘三郎、海老蔵、今回は、11月で、22歳になる梅枝が初役で、務める。真っ
暗な場内から、ぱっと明るくなる。大きな松の木に長々と咲き誇る藤の花房。同じ演
目も、役者が違えば、それぞれ、趣が違うし、大きな松の木に絡み付いた大きな藤の
花房の下という六代目菊五郎の演出(1937年以降)を踏襲する舞台が多いなか
で、五変化舞踊から生まれた「藤娘」という旧来の、琵琶湖を背景にした大津絵の雰
囲気を出した演出も、確か、98年6月の歌舞伎座の舞台での、雀右衛門だったと思
うが、拝見したことがある。「藤娘」は、03年6月、歌舞伎座で、従来の趣向をが
らりと変えた、「玉三郎藤娘」というべき、新境地を開いた瞠目の舞台を観たことも
ある。

今回は、初役とあって、梅枝は、藤の精というイメージで、オーソドックスに踊った
が、途中、舞台の、上下、中央で、場内に挨拶する場面では、もう少し、愛嬌の表情
を出した方が、場内が和む。初々しい藤娘だが、表情が固い。いずれ、余裕が生ま
れ、若さに愛嬌が加われば、梅枝から清新な藤娘が生まれるだろう。そういう予感
は、残る。

藤の小枝を持ち、黒塗りの笠を被り、黒地に藤の花の模様を縫い取った衣装は、やが
て、笠を持ち、朱と若緑(萌黄)の片身を繋いだ(片身変わり)藤の花の模様の衣装
に替る。一旦退場し、巨木の陰で着替え、笠無しで、藤色の地に藤の花の模様の振り
袖と黒地の帯に替り、藤音頭(岡鬼太郎作詞)。さらに、両肩を脱いで赤地の衣装を
見せて、テンポのある手踊り。再び、藤の小枝を持って踊り、最後は、藤の小枝を背
に担いで、愛らしいポーズで、幕。

贅言:今回は、歌舞伎教室なので、長唄の文句は、上下の掲示板に字幕が出たので、
いつもより、言葉が良く判るが、「男心の憎いのは」「変わらぬ契りの」などと、梅
枝の固さをよそに、かなり、エロチックな言葉が連ねられているのが、判る。
- 2009年7月9日(木) 13:28:08
09年6月歌舞伎座 (夜/「門出祝寿連獅子」「極付幡随長兵衛」「梅雨小袖昔八
丈〜髪結新三〜」)


歌舞伎の魅力は、良く知っている馴染みの演目を贔屓の役者が、今回は、どう演じる
か、その「違い」を楽しむところにあるという。今回は、主として、そういうオーソ
ドックスな歌舞伎鑑賞法となるだろう。ハイライトは、「女殺油地獄」の、仁左衛
門。20歳から演じ始めた与兵衛。役者としての仁左衛門の成長の度合いを自分でも
はかって来たであろうし、観客も、はかって来た。それが、「一世一代」ということ
で、見納めの与兵衛となる。「極付幡随長兵衛」の吉右衛門は、幡随長兵衛。芝翫の
女房お時。「梅雨小袖昔八丈〜髪結新三〜」の幸四郎は、髪結新三。馴染みの演目、
贔屓の役者という布陣が、今回は、いつもと違う味を出すのか、安定した演技で、安
心できるのか。「幡随長兵衛」では、吉右衛門が、持ち味に加えて、「男気の美学」
というようなものをさらに洗練してみせるであろうか。と言いながら、まずは、若い
力というより、未来の役者誕生から、入ろう。


「門出祝寿連獅子」は、高麗屋3代勢揃い

「連獅子」ならば、10回拝見していて、このうち、高麗屋は、08年1月の歌舞伎
座の舞台まで、4回観ている。幸四郎と染五郎の親子獅子であった。それが、今回
は、高麗屋3代勢揃いである。染五郎の長男が、四代目金太郎として、初舞台を飾っ
たのだ。外題も、「門出祝寿連獅子」となった。

従来から、幸四郎と染五郎の親子獅子は、安定した、緩怠のない獅子の舞いであっ
た。幸四郎は、大きく、正しく、舞う。染五郎の子獅子の舞は、勢いが良い。動きも
テキパキしているし、左巴、右巴、髪洗い、襷、菖蒲叩きと変化する毛振りの回数
も、染五郎の方が、多い。最初、半周ほど、父親より速い。次第に、差が開き、最後
は、2周ほど多いような印象だった。染五郎は、若さと勢いがある、立派な獅子の
精。身体の構えを崩さずに、腹で毛を廻すのが、毛振りのコツだというが、若さに
は、勝てない。若い者が、未熟さを乗り越えれば、親は、追い越される。また、この
所作は、体力の勝負であろう。年齢の違いと藝の違いが出て来る。今回は、そこに、
4歳の金太郎が加わったのである。

金太郎は、劇中の襲名披露の口上では、「松本金太郎です」と、はっきりした声で、
無事に済ませた。父親、祖父の白獅子に挟まれて、赤獅子の毛を振っての「髪洗い」
「巴」なども、テンポは、まだしも、手順は、間違えずに、最後まで、高麗屋の先代
たちについていったのは、4歳としては、立派だった。

口上では、幸四郎と染五郎の間に挟まれた金太郎。幸四郎のとり仕切りで、始まっ
た。上手、梅玉から始まり、魁春の兄弟、福助、芝雀、松緑、吉右衛門、染五郎、殿
に、金太郎という順。魁春が、「長生きをして、おばあさまの役で、いずれ、相手役
を務めたい」と述べて、観客席を笑わせていた。最後に、幸四郎が、「4つになった
ばっかり。一人前の役者になるには、20〜30年は、かかります。いずれもさま
も、ご健勝にて、せいぜい、長生きをして、将来の金太郎の舞台を観て頂きたい。
ジージとしても、偏に、お願い申し上げます」と挨拶をして、締めくくった。

贅言:歌舞伎座の2回ロビーでは、多数の蘭の花籠に飾られて、「小さな金太郎展」
が開催されていた。貴乃花、水谷豊などの名前に気づいた。展示物は、金太郎代々の
写真が、4枚。初代は、七代目幸四郎長男で、後の十一代目團十郎。二代目は、当代
の幸四郎。三代目が、当代の染五郎。四代目金太郎、本名、藤間齋は、2歳のとき、
07年9月の歌舞伎座、「侠客春雨傘」で初お目見えをしている。初めてのサインを
書いた色紙には、「きんたろう」。「その字組」(幼稚園、いや、保育園の同級
生?)からの楽屋暖簾。金太郎の人形。小箱。さくらももこの「ちびまるこちゃん」
のリトグラフなど。


幡随長兵衛は、花田秀次郎

「極付幡随長兵衛」は、6回目。私が観た長兵衛は、吉右衛門(今回含め3)、團十
郎(2)、橋之助。仇役の旗本白柄(しらつか)組の元締め・水野十郎左衛門は、菊
五郎(2)、八十助時代の三津五郎、幸四郎、富十郎。そして、今回の仁左衛門。長
兵衛女房お時は、福助、時蔵、松江時代の魁春、玉三郎、坂田藤十郎が、そして今回
は、人間国宝の芝翫。

この芝居は、村山座(後の市村座のこと)という劇中劇の芝居小屋の場面が、売り
物。観客席までをも、「大道具」として利用していて、奥行きのある立体的な演劇空
間をつくり出していて、ユニーク。阿国歌舞伎の舞台に例えれば、名古屋山三のよう
に客席の間の通路をくぐり抜けてから、舞台に上がる長兵衛。いつにも増して、舞台
と客席の一体感が強調されるので、初見の観客を喜ばせる演出だ。

1881(明治14)年、黙阿弥原作、九代目團十郎主演で、初演された時には、こ
ういう構想は無かった。10年後、1891(明治24)年、歌舞伎座。同じく九代
目團十郎主演で、黙阿弥の弟子・三代目新七に増補させて以来、この演出が、追加さ
れ、定着した。三代目新七のアイディアは、不滅の価値を持つ。幕ひき、附打、木戸
番(これらは、形を変えて、今も、居る)、出方(大正時代の芝居小屋までは、居た
というが、今も、場内案内として、形を変えて、居る)、火縄売(煙草点火用の火縄
を売った。1872=明治5=年に廃止された)、舞台番など、古い時代の芝居小屋
の裏方の様子が偲ばれるのも、愉しい。

劇中劇の「公平法問諍(きんぴらほうもんあらそい) 大薩摩連中」という看板を掲
げた狂言の工夫は、世話もの歌舞伎の中で、時代もの歌舞伎を観ることになり、鮮烈
な印象を受ける。まして、今回は、御台柏の前を福助が、坂田公平を歌昇が演じると
いう豪華版。歌舞伎初心の向きには、江戸時代の芝居小屋の雰囲気が、伝えられ、芝
居の本筋の陰惨さを掬ってくれるので、楽しいだろう。

吉右衛門の長兵衛は、颯爽とした男気(男伊達)というよりも、人情家の持ち味を見
せるという、いわば、「目くらまし」にあうが、長兵衛とて、町奴という、町の「ち
んぴら集団」の親玉なら、仁左衛門演じる白柄組の元締め・水野十郎左衛門も、旗本
奴で、下級武士の「暴力集団」ということで、いわば、「暴力団幹部」の、実録抗争
事件である。だまし討ちの芝居。17世紀半ばに実際に起こった史実の話を脚色した
生世話ものの芝居。

「人は一代(でえ)、名は末代(でえ)」という、男の美学に裏打ちされた町奴・幡
随長兵衛の、愚直なまでの死を覚悟した男気をひたすら引き立て、観客に見せつけ、
武士階級に日頃から抱いている町人層の、恨みつらみを解毒する作用を持つ芝居で、
江戸や明治の庶民には、もてはやされただろう。幡随長兵衛の、命を懸けた「男の美
学」に対して、水野十郎左衛門側は、なりふりかまわぬ私怨を貫く「仁義なき戦い」
ぶりで、そのずる賢さが、幡随長兵衛の男気を、いやが上にも、盛りたてるという、
演出である。だから、外題で、作者自らが名乗る「極付」とは、誰にも文句を言わせ
ない、男気を強調する戦略である。長兵衛一家の若い者も、水野十郎左衛門の家中や
友人も皆、偏に、長兵衛を浮き彫りにする背景画に過ぎない。策略の果てに湯殿が、
殺し場になる。陰惨な殺し場さえ、美学にしてしまう歌舞伎の様式美の世界が、ここ
にある。

しかし、「男気」は、なにも、暴力団の専売特許では無い。江戸の庶民も、憧れた美
意識の一つだったから、もてはやされたのだろう。そこに目を付けた黙阿弥の脚本家
としての鋭さ、初演した九代目團十郎の役者としてのセンスの良さが、暴力団同志の
抗争事件を「語り継がれる物語」に転化した。

それは、日本映画の、特に、任侠映画(やくざ映画)に流れ込んでいる。60年代後
半に若者の間で流行った、東映の「やくざ映画」の、例えば、高倉健が演じた花田秀
次郎の原型は、この幡随長兵衛にこそ、あると、思う。黙阿弥が、1881(明治1
4)年に書いた作品は、1657(明暦3)年に江戸で起きた史実の事件を素材にし
ながら、明治の風を吹き込んだ江戸ものの芝居を作り上げた。江戸の生世話ものとい
うより、初演時の、明治という新しい時代の感覚が滲んでいる。その感覚が、戦後の
やくざ映画に繋がっているのではないかと思う。

贅言:そういえば、絵面的な美意識的にも、歌舞伎は、やくざ映画に流入している。
例えば、鈴木清順監督作品「刺青一代」(1965年、日活。高橋英樹主演、和泉雅
子、松尾嘉代、山内明、伊藤弘子、河津清三郎、小松方正、高品格、野呂圭介、「新
人」の花ノ本寿など)。昭和初期、兄役のやくざ・高橋英樹と弟役の日本画家・花ノ
本寿の逃亡者生活を描く。警察とやくざの組織に追われるふたり。ストーリーは、荒
唐無稽だが、画面は、鈴木清順の美学が,随所に光り、まるで、神経の行き届いた細
密画を何枚も見せられるようで、画面の隅々まで気が抜けずに見入ってしまった。日
本刀と拳銃を持っての、単身殴り込みの場面では、歌舞伎の「吉田屋」の伊左衛門が
夕霧の様子を見に行くように、何枚も何枚も襖を開けて,突き進んで行く。歌舞伎
は、恋。こちらは、武闘と、状況は、大違いだが、鈴木清順は、歌舞伎の美学を取り
入れているように見える。そのような場面は、2回繰り返されるのだが、無地の襖の
色が、それぞれ違う。画面の中の照明効果が、際立つ。ラストシーン、殺された弟の
墓参りをし、海辺を警察官に連行される高橋英樹の足下に次々と落とされる彩り鮮や
かな花札は、風に散る紅葉を思わせる。色彩感覚といい、様式美といい、鈴木清順の
映像美学の根底には、歌舞伎の美学が、潜んでいる。

男たちが主役の世界なので、数少ないが、女形たちも、光る。まず、芝翫。幡随長兵
衛女房のお時を演じる。「花川戸長兵衛内の場」。死地へ赴く長兵衛に仕立て下ろし
の着物、いわば、「死に装束」を着せつける。仕付け糸を取り、涙に暮れながら長兵
衛に袴を付け、着物を着せて行く。死地へ赴くやくざの親分を送り出す姉さんの情愛
が、深い。子分たちの前で、女としての本音が吐けない辛さが、滲んで来る。下女の
およしは、芝喜松。

次に、女形が登場するのは、「水野邸」の座敷と湯殿の場面。腰元の皐月(京蔵)、
浦野(芝のぶ)が、単身敵地に乗り込んで来た長兵衛を、役目ながら、世話をする。
水野邸の男たちは、殿様以下、皆、隙あらば、長兵衛を殺そうとしているが、腰元た
ちは、そういう男たちの企図は、知らずに、主人の客人を誠意を持って、接待すると
いう気持ちを素直に出してくるので、その情感が、殺伐とした場面での、一服の清涼
剤になっている。

贅言:花川戸長兵衛内では、積物の提供者の品書き。二重舞台の上手に「三社大権
現」という掛け軸があり、下手二重舞台の入り口には、祭礼の提灯。玄関の障子に大
きく「幡」と「随」の2文字。本来は、幡随院の裏手の長屋住まいの、口入れ稼業
(人材派遣業)で、なにかあれば幡随院のガードマンの役も果たしたから、幡随院長
兵衛と渾名されたから、「幡随院長兵衛」が、本来あるべきだが、歌舞伎の外題は、
3文字、5文字、7文字というように、奇数が原則なので、外題は、「幡随長兵衛」
となる。


「梅雨小袖昔八丈」、通称「髪結新三」は、6回目の拝見である。「髪結新三」も、
「幡随長兵衛」同様に、明治に入ってから、黙阿弥が書き上げた江戸人情噺である。
「髪結新三」は、「幡随長兵衛」の上演より、8年早い、1873(明治6)年に、
中村座で、初演された。

いつもの劇評と違って、のっけから、役者論で、恐縮だが、主役の新三で言えば、菊
五郎(2)、勘九郎時代を含め勘三郎(2)、そして今回を含めて、幸四郎も、2
回。このところ、幸四郎を続けて、2回観ている。私は、菊五郎の新三が好きだ。勘
三郎は、菊五郎に比べて、科白を謳い上げてしまう。幸四郎は、前回、初役で、演じ
たのを、今回、さらに工夫を重ねて、私の評価では、菊五郎と勘三郎の間に、入り込
んで来たという印象だ。幸四郎は、時代ものの場合、演技過多で、私の評価を下げる
のだが、なぜか、世話ものは、肩に力が入りすぎない所為か、幸四郎も、菊五郎の新
三に負けていないというのが、おもしろい。

この芝居は、新三の砕けた科白廻しが魅力。例えば・・・・、「ええ、黙りゃアが
れ、この野郎はとんだ事を言やあがる、そんなら言って聞かせるが、あのお熊はおれ
が情人(いろ)だから、引っ攫って逃げたのだ、手前に用があるものか」という世話
科白の心地よさ。また、新三内の場での源七との喧嘩でも、「強い人だから返されね
え」などと、気っ風(きっぷ)の良い科白があり、これは明治の庶民も、喝采を送っ
たことだろう。黙阿弥ものとしても、幕末期に上演された七五調の江戸歌舞伎とは違
う。「科白劇」という意味でも、これは、やはり明治の歌舞伎なのだろう。幸四郎の
科白廻しが、前回より、ぐっと、身に付いて来たように感じられた。

1873(明治6)年。明治に入ったとはいえ、幕末期の江戸の色が、まだ濃く残っ
ているなか、58歳の江戸歌舞伎作者・河竹黙阿弥は、明治の喧噪な音が耳に五月蝿
かったであろうに、従来の歌舞伎調そのままに、江戸の深川を舞台にした生世話もの
の名作を書いた。前年の明治5年2月、東京布達では「淫事(いたづらごと)ノ媒
(なかだち)ト」なるような作風を改めるようにという告示があった。濡れ場、殺し
場などの生世話物特色ある場面を淡白にしろという。さらに同年4月、政府諭告で
は、「狂言綺語」を廃して史実第一主義をとれという。

そこで、黙阿弥が、考え出したのは、新旧江戸っ子の対立の中で、死んで行くニュー
カマーの青年の物語。上総生まれの「江戸っ子」を気取る、ならず者の入れ墨新三
(「上総無宿の入れ墨新三」という啖呵を切る場面がある)。深川富吉町の裏長屋住
まい。廻り(出張専門)の髪結職人。立ち回るのは、日本橋、新材木町の材木問屋。
江戸の中心地の老舗だ。老舗に出入りする地方出の、新江戸っ子。つまり、ニューカ
マーというわけだ。江戸が都市として膨張し、地方から多くの人たちが流れ込んで来
た。3代目にならないと、本当の江戸っ子と言わないという旧江戸っ子に対抗するた
めには、新江戸っ子は、「過剰に」江戸っ子ぶりを演じなければならない。伸し上が
るために、彼が考えたのが、婦女かどわかし。金欲しさに近所の優しい姉さんである
若妻を殺して、店の金を奪って逃げた「河内屋与兵衛」(「女殺油地獄」)同様の、
無分別、無軌道な青年。

それを黙阿弥は、江戸の季節感をふんだんに盛り込むことで、逆に、人事の悲劇を際
立たせる。梅雨の長雨。永代橋。雨のなかでの立ち回り。梅雨の晴れ間。深川の長
屋。初鰹売り。朝湯帰りの浴衣姿。旧江戸っ子の代表としての、町の顔役、長屋の世
慣れた大家夫婦。深川閻魔堂橋での殺し場。主筋の陰惨な話の傍らで、この舞台は江
戸下町の風物詩であり、人情生態を活写した世話ものになっている。もともとは、1
727(享保12)年に婿殺し(手代と密通し、婿を殺す)で死罪になった「白子屋
お熊」らの事件という実話。

五代目菊五郎のために、黙阿弥が書き下ろした。歌舞伎を巡る、先のような動きのな
かで、江戸を惜しむ黙阿弥は地名、人名は実話通りにした。それでいて、忠七の台詞
に「今は開化の世の中に女子供に至まで、文に明るく物の理を弁(わきま)えている
その中で」などと、「明治」にも気を使っている。幕末の盟友・小團次がいなくなっ
てしまい、幕末歌舞伎の頽廃色を消して、いなせで、美男の五代目のために、爽やか
な新しい世話ものを作ろう。しかし、細部は、好きなように江戸調で、と黙阿弥が考
えたのだろうか。

この芝居は、元が、落語の「白子屋政談」という人情噺だけに、落語の匂いが滲み出
す。それは、特に後半の「二幕目」の深川富吉町の「新三内」と「家主長兵衛内」の
場面が、おもしろい。前半では、強迫男として悪(わる)を演じるが、後半では、婦
女かどわかしの小悪党ぶりを入れ込みながら、滑稽な持ち味を滲ませる。切れ味の良
い科白劇は、黙阿弥劇そのものだが、おかしみは、落語的だ。その典型が、家主の長
兵衛(弥十郎)と新三(幸四郎)のやりとりの妙。この科白劇の白眉。特に、前回初
役ながら、良い味を出していた弥十郎は、さらに、味に磨きをかけている。萬次郎が
演じる家主女房・おかくが、弥十郎に負けない好演で、このふたりのやりとりは、漫
才のようにテンポもあり、間も良かった。「髪結新三」が、基本的に笑劇だというの
は、家主夫婦の出来に掛かっている。

娘を攫って、慰みものにする、金を強請る、男を脅迫する、ならず者、小悪党という
新三も、ニューカマーとして、江戸の機微には疎いという、とんまで、単純なところ
がある。世知に長けた家主にあしらわれる。それが、この芝居の魅力になっている。
観客席では、女性客が、小悪党の「悪(わる)ぶり」にも、「間抜けぶり」にも、喜
んでいたようだ。女性に持てる小悪党。幸四郎の新しい魅力が、発見されたようだ。
小悪党の味が、ほかの新三役者より、深いのかも知れない。しかし、髪結いの「技」
を見せるところは、勘三郎の方が、巧かった。いいように家主に金を取られた(借金
を精算された)新三は、家主の家に泥棒が入ったと聞き、「溜飲が下がった」と言っ
て、二幕目が、幕になる。落語なら、これが落ち(下げ)になる。あとは、余韻。落
語の「白子屋政談」(「大岡政談」のひとつ)を元に、黙阿弥が歌舞伎に仕立て直し
た。娘を勾引された白子屋と新三の間に入って、「大岡裁き」をしたのは、当初、家
主だと思っていたが、実は、もうひと捻りがあって、家主にも落ちがつけられた結
果、裁いたのは、作者の黙阿弥であった、という次第。

弱きに強いが、強きには弱い。小悪党と言えども、世慣れた、強欲な、ずる賢い家主
には、勝てない。小悪党を手玉に取る家主・長兵衛を私は、團十郎、富十郎、左團
次、三津五郎、そして、今回の弥十郎(2)と、5人観て来たが、いずれも、それぞ
れ持ち味を活かした長兵衛で、甲乙付け難い。これは、不思議な現象だ。それほど、
家主・長兵衛は、演じる役者をその気にさせる役柄なのかも知れない。

さらに、そこへ、一味添えるのが、下剃勝奴だ。私が観た下剃勝奴は、染五郎
(3)、八十助時代の三津五郎、松緑、市蔵だが、これも、長兵衛役同様に、それぞ
れ持ち味を活かした勝奴たちが登場した。勝奴は、新三の芝居の隙間を巧みに埋めな
がら、味を出していた。新三の役割をくっきり見せる調味料の役どころと見た。傍役
のキャラクター作りが、黙阿弥は、巧い。

さて、ほかの役者論。白子屋お熊は、前回に続いて高麗蔵だったが、ミスキャストで
はないか。今回の顔ぶれならば、初々しさの表現が抜群の宗之助(前回も、今回も、
白子屋下女お菊を演じていた)の方が、似合っていそうだった。高麗蔵は、色気のあ
る芸者が似合う。そういう役には、華がある。白子屋手代の忠七を演じた福助も、意
外と、存在感が弱かった。

毎回、勘違いする観客が多いのだが、二幕目が終ると、芝居が終ったような感じにな
り、大詰の「深川閻魔堂橋の場」を観ないで、席を立ち、帰りはじめる観客が、今回
も、居た。勧善懲悪で、新三が、旧江戸っ子の代表である町の顔役・弥太五郎源七
(歌六)という親分に殺されて、幕(それも、途中で、立回りを止めて、舞台に座り
込んだ幸四郎と歌六は、声をそろえて、「こんにちは、はこれぎり」で、終了)とな
るのだが、この芝居も、新演出で、落語的な人情噺の印象のまま、幕にしてしまった
方が良いと、毎回思う。それでは、新旧江戸っ子の対立という軸が、消えてしまうか
もしれないという意見が、あるかもしれないが、それでも、やはり、そう思う。

贅言:「富吉町新三内の場」は、小道具の展示会のよう。朝湯から帰って来た新三が
脱いだ浴衣(帯を結ばずに、手で抑えて帰宅していた)には、小網町、(料理茶屋
の)ひら清、魚河岸などの文字や紋が染め抜かれている。それが、壁に掛けられてい
る。ちょうど舞台中央付近に掛けられているため、浴衣は、長い暖簾のように見え
て、町家の夏の雰囲気を盛り上げる効果抜群。風呂帰りの新三が履いていた下駄は、
「高銀杏歯下駄」(因に、永代橋の場で履いていたのが、「吉原下駄」、白子屋で履
いていたのが、前の部分を斜めに切った、くすべ緒の「のめり下駄」だという)。新
三が持つ団扇には、表に堅魚の絵、裏に魚河岸の紋。肴売りが捌く堅魚は、3枚に下
ろせるように、仕掛けがしてあり、毎回、会場の笑いを誘う。


格差社会と「ニューカマー」〜与兵衛と新三〜

こういうタイトルを付けると、歌舞伎の劇評的では、無いかもしれない。でも、黙阿
弥が、描き、6月の歌舞伎座で上演された「幡随長兵衛」のところの若い者、極楽十
三(染五郎)でも、雷重五郎(松緑)でも、神田弥吉(松江)でも、小仏小平(男女
蔵)でも、閻魔大助(亀寿)でも、瘡森団七(亀鶴)でも、地蔵三吉(種太郎)で
も、あるいは、下女およし(芝喜松)でも、さらに、仇側の、水野家の中間・市介
(蝶十郎)でも、あるいは、ここで触れて来たような「髪結新三」に出て来たさまざ
まな若者でも、良い。皆、多分、江戸の近郷から、はじき出されて江戸に出て来た若
者たちだろう。よく見ると、新三(幸四郎)、新三の弟分の下剃勝奴(染五郎)と、
白子屋手代の忠七(福助)も、下女のお菊(宗之助)も、おしなべて、皆、ニューカ
マーとしては、同類かもしれない。江戸で伸し上がろうと地方からやってきた若者た
ち。特に、忠七は、白子屋の娘・お熊(高麗蔵)と密通し、傾いた家運を盛り返すた
めに親が持参金付きで迎えた婿を、お熊とともに、殺してしまう。彼らとて、新三と
の距離は、そう、遠く離れては、いないのである。江戸も、格差社会で、ニューカ
マーの新江戸っ子たちが、旧社会(エスタブリッシュメント)に入り込もうとして
も、簡単に、はじき飛ばされてしまう。ここに、大坂在住の河内屋与兵衛を加えても
良い。

家庭や家族、親戚からはじき飛ばされ、入り込もうとする場所を喪失している青年が
与兵衛だろう。この青年にとっては、家庭はもちろん、個々の家族すら、入り込まし
てくれない。唯一、許してくれそうな人だった、近所の、優しい姉さんにも、金の無
心の末に、冷たくあしらわれてしまった。世間に繋がる既成の価値観と妥協する大人
の知恵さえあれば、入り込む場所は、確保できたかもしれないが、それでは、入り込
む場所が無い方が、むしろ、与兵衛にとっては、心が落ち着くくらいだろう。どこ
か、別のところへ、入り込めないか。そのためには、資金がいる。そのための金を手
に入れようとして、青年は、いちばん、自分がくみしやすい、自分に優しい姉さんを
訪ね、その人に拒否されたことから、逆上し、あるいは、その果ての、愉楽として、
殺人と強盗という罪を犯して、既成社会に背を向けて、逃亡者になってしまう。家庭
と地域を結ぶ「安全弁」だった、姉さんを自ら、壊してしまったのが、与兵衛という
青年だろう。それでは、もう、居場所は無い。雲のごとく、浮遊するしか無いではな
いか。

同じような目で、もう一度、新三を見れば、彼も、家庭や家族はもちろん、上総とい
う地域からも、はじき飛ばされて、江戸の出て来た青年だ。旧江戸という地域に入り
込もうと、髪結いという職を手に付け、長屋住まいながら拠点を持ち、同類の、年若
な弟分を抱えているのが、新三の現状だろう。店を持たない廻り髪結いをしながら、
つまり、浮遊しながら、伸し上がる、つまり、格差社会の上層部、旧江戸社会に入り
込もうとしている青年。伸し上がる資金を調達するために、白子屋の娘を勾引して、
身代金を取ろうとした青年が、新三だろう。しかし、旧江戸社会も、無駄に歴史を刻
んでいないから、ニューカマーには、簡単には、屈してくれない。それどころか、新
三は、恥をかかせた旧江戸の顔役に意趣返しに殺されてしまう。3代目にならない限
り、江戸っ子として、認知されない社会なら、1代で潜り込もうと企てること自体
が、元々、無謀なのである。

ということで、江戸時代も、格差社会が、厳然としてあり、ニューカマー(いまな
ら、外国からの移住者だろうが、江戸時代は、徒歩社会ゆえ、歩いて来れる距離の地
域からの移住者が多かったのだろう)の若者たちは、はじき飛ばされ、悲劇を生み出
す。その悲劇の、いくつかが、こうして、歌舞伎に移し替えられて記録され、いま
も、残っているということだろうと、思う。


高麗屋の最新句集「仙翁花」

高麗屋一門の頭である九代目松本幸四郎が、句集「仙翁花(せんのうか)」という最
新句集をまとめた。144句が、集められている。 

初版の発行日が、2009年6月3日で、俳句群には、「花舞台」から7つのサブタイ
トルが付けられていて、最後が、「初舞台」。4つの句が、納められている。ご自分
の初舞台の思い出かと、思いきや・・・。 

(平成二十一年六月 歌舞伎座) 
初夏の光りの中の初舞台 
名を襲ふ孫初舞台花菖蒲 
初舞台浴衣姿の金太郎 
四代目の金太郎なり風薫る 

どの句にも、祖父の孫の初舞台を見守る優しい眼差しが感じられる。

だが、「待てよ」である。冒頭の俳句に添えられた「平成二十一年六月 歌舞伎座」
は、実は、今月の歌舞伎座のことであり、6月3日が歌舞伎座の初日で、初版の刊行
日が、初日というのも・・・、つまり、孫の舞台を観てから詠んでいる訳が無い
し・・・。ということで、これらは、実は、フィクションである。想像力が、詠ませ
た俳句である。こうしてこちらも想像力を膨らませると、高麗屋一族の、孫の初舞台
と歌舞伎座への大変な意気込みが伝わってくるではないか。
- 2009年6月14日(日) 14:32:40
09年6月歌舞伎座 (昼/「正札附根元草摺」「双蝶々曲輪日記〜角力場〜」「蝶
の道行」「女殺油地獄」)


仁左衛門「一世一代」見納めの与兵衛のみごとさ

「女殺油地獄」は、現代風にいえば、父親が亡くなり、従業員から社長になった義父
に不満を持つ長男の転落記。仁左衛門が演じる与兵衛には、屈託がある。不良仲間と
の付き合い。家庭内暴力。近所の優しい姉さんへの無心。それが断られると、衝動的
に、殺人をし、金を奪って逃げるという犯罪者になる。今回は、演じていないが、何
食わぬ顔をして、姉さんの葬儀に顔を出して、捕まってしまうという、無軌道な青年
の物語で、そこから浮き上がってくるのは、極めて、現代的な青年像である。夜の部
で、幸四郎が演じる髪結新三も、小悪党ぶる青年が、誘拐犯となり、その果てに逆に
殺される物語であるから、両者の青年像には、通じるところがある。そこは、夜の部
で、まとめてみたい。

「女殺油地獄」は、江戸時代に実際に起きた事件をモデルに仕組んだと言われる。江
戸の人形浄瑠璃から明治の末年になって、歌舞伎化されたという、いわば、埋もれて
いた演目。浄瑠璃は、1721(享保6)年、近松門左衛門原作の作品。史実かどう
かは、確証がないらしい。近松お得意の「心中もの」ではなく、ただただ無軌道な、
放蕩無頼な、23歳の青年が、暴走の果てに、近所の、商売仲間の、姉のように優し
く気遣ってくれる、若い人妻(27歳)を、借金を断られたからということで、殺し
てしまうという惨劇。それだけに、「心中もの」のような、色香もなかったので、初
演時は、大衆受けがせず、1721(享保6)年、旧暦の7月、人形浄瑠璃の竹本座
で、たった1回限り公演されただけで、その後、上演されなかったし、歌舞伎として
も、上演されなかったという。思うに、時空を超えた、近代性の強い劇だったゆえだ
ろう。復活狂言として、歌舞伎化されたのは、明治40(1907)年で、東京の地
芝居で上演された。その後、明治42(1909)年、渡辺霞亭の台本で、大阪の朝
日座で上演された。戦後は、勘三郎、寿海、延若らが、主人公を演じたが、この演目
の上演継続を決定づけたのは、20歳の片岡孝夫であり、孝夫は、仁左衛門になって
からも演じ、都合12回も与兵衛を演じ続けたことになる。

今回の劇評のポイントは、ふたつある。11年前、98年9月・歌舞伎座で仁左衛門
(与兵衛)、雀右衛門(お吉)という重厚なコンビで拝見した「女殺油地獄」の与兵
衛を仁左衛門が、今回、「一世一代」で演じる、つまり、もう、見納めになる舞台だ
ということと、先日、国立劇場小劇場で、拝見した人形浄瑠璃の「女殺油地獄」と歌
舞伎の舞台との対比を記録しておこうということである。
                                                                                                 
まず、仁左衛門だが、前回の舞台は、とても良かった。上方の味が染み込んでいる仁
左衛門の演技。女房役や母親役の演技に定評のある雀右衛門の若い女房。この演目の
当代では、最高の配役であった。それが、いまでは、雀右衛門も、舞台に立たなくな
り、仁左衛門も、与兵衛には、藝の若さだけでは、十分に演じきれない、生の若さが
必要だということで、演じ納めにするという。20歳のとき、初役で演じた与兵衛。
以来、様々な年齢で、工夫を重ねながら演じて来ただけに、生の若さ、藝の若さとい
う仁左衛門の問題意識には、説得力がある。様々な年齢で演じ直すたびに、発見が
あったという。

生の若さといえば、8年前、01年9月、歌舞伎座で、若い染五郎(与兵衛)、孝太
郎(お吉)という花形コンビの舞台を観ている。歌舞伎座の筋書きの上演記録を見る
と、与兵衛を演じたのは、その後、愛之助、亀鶴、獅童、海老蔵(大阪松竹座の海老
蔵休演で、仁左衛門代演の場面もあった)という顔ぶれだから、まさに、舞台は、す
でに、次の世代へ廻っているといえるだろう。

それだけに、「女殺油地獄」の「仁・雀」コンビの舞台は、すでに、「完成」してい
ただけに、いつまでも、語り継がれるだろう。今回は、仁左衛門(与兵衛)に、息子
の孝太郎(お吉)が、付き合う。

仁左衛門の与兵衛は、生の若さに負けないように、今回も、藝の若さを発揮して、1
1年前の舞台が、決して、「完成」していたわけではないということを改めて示すと
ともに、また、いちだんと味わいのある演技を見せてくれた。「演じ納め」に掛ける
仁左衛門の意気込みが伝わって来る充実の与兵衛であった。屈託、甘え、拗ね、頼り
なさ、不安定さ、不思慮、危うさ、狂気などの果てに、発作的に、攻撃的な犯罪に走
る、現代の犯罪青年にも通じるようなリアリティを感じさせる青年像を作り上げた。
例えば、若い役者なら、演技というよりも、年齢や持ち味で、出せるようなエネル
ギーも、藝の力を通じて、与兵衛に投影しているように見受けられた。それには、多
分、不良青年に慕われる若い人妻・お吉を演じた孝太郎が、父子の年齢と自分の年齢
を逆転させて、年上の優しい、けれど、分別のある大人の女を過不足なく演じていた
ということを、合わせ鏡のようにして見逃さないようにしなければならないだろう。
「若い」父、「年上の」息子。役者の家族は、おもしろいものを見せてくれると、
思った。

人が良く、世話好きで、姉が弟のような青年のことを心配するという気持ちが、大人
の女の魅力となって、感じ取られる。孝太郎は、好演だった。甘えられる相手ゆえ
に、この人なら、「殺さしてもらえる」という与兵衛の歪んだ心情。お吉の方は、善
意が、結果として、世間の眼が期待する方向に、そういう隙を与兵衛に感じさせると
いうことに気が付かない。多分、なぜ殺されるのか、よく判らないまま、殺されたの
ではないか。そういう殺す者と殺される者の齟齬が、悲劇を生む。そういう感じを孝
太郎は、巧みに演じた。孝太郎は、今回で、5回目の上演であり、数を積み重ねて、
私が8年前に観たお吉から、大きく成長している。

大人社会の常識通り、彼女は、青年に対する善意ゆえに、「不義になって、(金を)
貸してくだされ」と甘えたことを言う青年の衝動を拒否して、殺されてしまう。殺そ
うと逃げる姉さんを追いかけているうちに、与兵衛の頭の中で、ゲームのように、殺
すという行為自体が、目的化して行く。殺しを楽しむ無軌道青年。狂気にたぶらかさ
れて、現代の若者たちが、共同幻想の果てに作り上げる、犯罪という自分たちだけの
世界に通じるものが、ここにある。

孝太郎演じるお吉の娘のお光は、孝太郎の長男の千之助が、演じる。「一世一代」の
舞台は、松嶋屋3代の勢揃いでもある。

ほかの役者にも、少しは触れておこう。与兵衛の義父・徳兵衛(歌六)は、店の従業
員から先の主人で、与兵衛の実父の死後、義父になったという屈折感がある。実際、
そういう家庭環境への不満が、与兵衛を愚連(ぐれ)させている。つまり、義理の息
子を甘やかしている。気が弱いながら、そういう自覚があるがゆえに、手に余る与兵
衛が、妻であり、与兵衛の実母であるおさわ(秀太郎)らに家庭内暴力を振るう様を
見て、遂に、徳兵衛は、義理の息子を店から追い出すが、追い出した後、与兵衛の姿
が、恩のある先の主人にそっくりだと悔やむような実直な男だ。そういう男の真情を
歌六は、過不足なく演じている。秀太郎のおさわも、いまの夫に気兼ねしつつ、ダメ
な息子を見放せない。夫に隠れて、追い出す息子を見送るが、夫に気づかれたとき
に、夫と目をあわすタイミングの巧さ。ふたりのベテランの役者の演技の妙。「ダメ
な子ほど、可愛い」と言われる世間智の説得力を老夫婦の心の陰りを通じて、十二分
に見せてくれる。

豊嶋屋の殺人現場では、店先にある油の入った樽が次々に倒され、なかの油が、舞台
一面に流れ出る。座敷に逃げるお吉を追って、与兵衛は、油まみれのままにじり寄
る。ふたりの衣裳も「油まみれ」に見える。お吉の解けた帯が、油まみれになり、土
間に長々と延びている。油で脚を取られないように、与兵衛は、帯の上を渡って行
く。不条理劇を象徴する、見事な場面が、延々と展開する。

贅言:花道も、「油まみれ」だ。閉幕後、道具方がモップで、花道の掃除を始めた。
私も、花道に近寄り、「油」に触ってみたが、外見上「ぬるぬるして見えた」もの
は、意外とサラッとしていて、粘着力のない液体だった。布海苔を油のように見せて
いるという。

(付)人形浄瑠璃と歌舞伎、ふたつの「女殺油地獄」

人形浄瑠璃は、ことし(09年)の2月国立劇場・小劇場公演を初めて見た。ここで
は、歌舞伎との比較だけを書き留めておこう。

人形浄瑠璃の「女殺油地獄」。「徳庵堤の段」は、野崎参りの街道が、描かれる。こ
れは、歌舞伎より、人形浄瑠璃の方が、おもしろい。野崎参りでは、土手道を歩いて
参詣する人と川を舟で行く人との間で、互いにののしり合うという風習があったとい
う。近松原作の床本では、こう描写される。

「まだ肌寒き川風を、酒にしのぎてそゝり往く、野崎参りの屋形船、徒歩路(かち
じ)ひろふも諸共に、開帳参りの賑はしや」

つまり、現代ならバスで、宴会しながら行く人、グループで歩いて行く人、こもごも
で、車ならぬ、屋形船で酒を酌み交わしながら往く人たちと歩いて行く人たち同士の
間で、賑やかに喧嘩をしながら、参詣するというところだろう。「女殺油地獄」で
は、徒歩組は、大坂本天満町の油屋豊嶋屋の内儀、お吉とその娘、遅れてくる夫の七
左衛門一行。それとは別に、豊嶋屋の同業で近所の河内屋の息子・与兵衛(23歳、
親掛かり)とその無頼仲間のふたりの3人連れなど。ただし、この3人組は、4月半
ばの肌寒さを酒で凌ごうと、5升樽を「坊主持ち」ということで、交代で樽を持ちな
がら、酒を飲んでは、歩くという行為を繰り返しながら、深まる酔いとともに、歩い
てくる。

一方、船組は、与兵衛が馴染みの遊女・小菊一行だが、小菊は、与兵衛からの野崎参
りの誘いを断り、会津から来たお大尽らと船でお参りを済ませたので、すでに、大坂
に戻る途中。徳庵堤で、待ち受けていた与兵衛一行と遭遇し、酒に酔っているお大尽
は、与兵衛らとつかみ合いの喧嘩になる。まさに、野崎参りの風習を巧みにいかし
て、喧嘩場を構成する。この喧嘩の場面が、実に、おもしろい。歌舞伎では、喧嘩
は、立ち回りと言って、一種の踊り、所作事で、様式化しているが、人形浄瑠璃は、
殴る、蹴る、踏んづけるなど、極めてリアルな動きを見せる。特に、三人遣いのう
ち、脚遣いが、「張り切って」、鋭く、素早い脚の動きを見せるので、おもしろい。
滑稽でありながら、緊迫感があり、観客の笑いを誘う。その挙げ句、着ている羽織を
脱いで相手の頭に被せて視界を遮り、頭などを叩きのめす。この場合、主遣いは、人
形の右袂に入れてある右手を一旦、抜き抜いて、羽織を脱ぎ、素早く、右手を人形の
右袂に入れ直して、人形を操り続ける。

酔っぱらい同士の、恋の鞘当ては、泥の投げ合いの果て、やはり、馬に乗って参詣に
通りかかった高槻家の御代参、小栗八弥の袴に与兵衛の投げた泥つぶてを当ててしま
う(人形浄瑠璃では、使わないが、歌舞伎では、この場面のために、舞台中央の傾斜
した土手に上がる道に、泥が、数カ所に分けて置いてあった)。無礼者、手討ちにし
てくれる、という場面になり、手討ちにすると近づいてきた小栗の家臣で徒士頭は、
なんと、与兵衛の伯父・山本森右衛門。伯父の進退にも影響を与える「事件」になっ
てしまう。その場で、手討ちにしようという森右衛門だが、主人の小栗八弥は、「血
を見れば御代参叶わず」と、参詣の前に、血を流すのは、良くないという、なんと
も、忝い言葉で、諭すだけで済ましてくれる。伯父は、帰りには、「首を討つ」と目
で言って、甥を命拾いさせる。しかし、見栄っ張りで、小心の与兵衛は、狼狽えてし
まい、参詣から戻ってきたお吉に助けを求める。

この「徳庵堤の段」は、竹本三輪大夫以下9人が、役割分担で、人形の科白などを演
じ分けるので、人形たちの声音も、さまざま、大夫たちのダイナミックな入れ替わり
もあり、舞台に登場する人形遣いの数も多く、見応えがある。

さて、家族の内幕を描く「河内屋内の段」は、「文楽まわし」(盆まわし)を使っ
て、前半の(中)と、後半の(奥)が、竹本のひとり語りで演じられる。前半は、竹
本相子大夫、後半は、豊竹呂勢大夫。ひとりひとりの人物造形を丹念に大夫は、描き
分けて行く。

河内屋主人の徳兵衛は、先代の徳兵衛が亡くなった後、店の従業員から、未亡人と結
婚したので、先夫の息子である与兵衛には、幼児期、「ぼんさま」と呼んでいただけ
に、義父になっても、やはり、遠慮がある。与兵衛の母親のおさわは、武家出身で、
武家の倫理・道徳を持ち続けている上、商売を切り盛りし、家族を大事にしてくれる
後添えの徳兵衛に感謝している。それだけに、先夫の息子の無軌道ぶりには、実母と
して、必要以上にきつくあたるが、心底では、実の息子が可愛くて、なんとか、更生
させたいと思っている。このほか、分家して、油屋として別に店を持ち、独立してい
る長男として、与兵衛の実兄の太兵衛がいる。徳兵衛とは、株仲間。つまり、同業の
組合員。家内には、与兵衛とは、「種違い」(昔の物言いは、ずいぶん露骨です)の
未婚の妹・おかちがいる。徳兵衛とおさわの間にできた娘。河内屋では、与兵衛に、
まじめになってもらおうと妹に婿を取り、商売を継がそうと偽る作戦を取り、与兵衛
の奮起を期待するが、これが、逆効果となり、与兵衛は、荒れに荒れて、家族全員を
敵に回して、大立ち回り。実母にも、義妹にも、殴り掛かる始末。家庭内暴力の図。
おとなしく己を押さえていた義父も、たまりかねて、とうとう、義理の息子を打ち据
える。その挙げ句、実母の勘当の声を背に受けて、臍を曲げた与兵衛は、家出をして
しまう。その後ろ姿が、先代に似ていると、徳兵衛は、よけい心痛を重ねる事にな
る。悲劇ながら、個々の場面での、人形たちの動きは、ダイナミックであり、かつ、
コミックでもある。

与兵衛には、屈託がある。父親が亡くなった後、母親が、店の従業員を「徳兵衛」と
して父親の名前を名乗らせて、夫にし、河内屋の主人にしてしまい、さらに、種違い
の妹に婿を取り、河内屋を継がせようとしていると疑っているからだ。こういう屈託
は、時代を超えて、普遍的で、いつの時代でも、青年なら、どこにでもありがちであ
る。

殺し場を描く「豊島屋油店の段」(国立劇場の人形浄瑠璃では、「島」の字を使って
いた)。豊竹咲大夫のひとり語り。端午の節句に、3人の娘しかいない豊島屋では、
娘の髪を梳る櫛が、折れたり、節季の集金から一旦帰宅した主人が、また、他へ集金
に出かける前に、食事代わりに飲む酒を「立ち酒」(野辺送りの風習の飲み方)をし
たりするので、内儀のお吉は、不吉がる。この不吉さは、その後に展開する悲劇を暗
示する伏線となる。

節季とあって、借金の精算を迫られた与兵衛は、近所の優しい、人妻の豊島屋の女
房・お吉を頼って、金を借りようとやってくる。店に入りそびれていると、河内屋の
提灯が近づいているのに気づき、物陰に隠れる。やってきたのは、義父の徳兵衛で、
不逞の息子が慕っている株仲間の内儀を通じて息子へ金を渡してもらおうという魂胆
なのだ。さらに、もうひとり、豊島屋にやってくる。今度は、実母のおさわ。結局、
おさわも、徳兵衛と同じ魂胆。不逞ながらも、息子は、息子。義理の関係も実の関係
も、子に対する親の情には、無関係。ふたりの老夫婦の心根を理解したお吉は、「こ
こに捨てゝ置かしやんせ。わしが誰ぞよさそうな人に拾はせましよ」と、与兵衛への
橋渡しを請け負ってくれる。慈愛に満ちた親たちの気持ちが、身につまされる。

与兵衛の父母の役割は、親馬鹿の果ての(つまり、社会を現に支えている普通の大人
たちの常識では、対応できないような)、慈愛に満ちた、無限広大な世界を作り上げ
ているように見受けられる。これも、青年の犯罪同様の、共同幻想の世界なのだが、
それが、奇妙に、歪んだ与兵衛の心象が築いている砂上の楼閣のような、グロテスク
な世界とバランスが取れているように見える。その対象の妙が、「女殺油地獄」の近
代性を裏付けている。

一部始終を家の外で聞いていた与兵衛が、入ってくると、お吉は、与兵衛に金を渡す
が、事情を承知している与兵衛は、驚かないばかりか、さらに、金を貸せと迫る始
末。与兵衛を甘やかしたくない、更生させたいという姉のような気持ちを持っている
お吉が、与兵衛の申し入れを断ると、何をとち狂ったのか、「不義になつて貸して下
され」と、つまり、男女の仲になって、情愛からみで金を貸せと、与兵衛は、お吉の
膝に手を触れながら、迫る悪道者に急変する。「くどいくどい」と相手にしないお
吉。「女子と思ふてなぶらしやると、声立てて喚くぞや」。大人の常識が、大人にな
りきれない青年の狂気に火をつける。

あきらめて、与兵衛は、ならば商品の油を貸してくれと頼む。商品の貸し借りは、株
仲間の常道ゆえ、それには応じましょうと油を樽に詰めていると背後に回った与兵衛
が、懐から脇差しを取り出し、お吉に刺しかかる。ふたりの立ち回りで、店に置いて
あった油樽が次々に倒れる。油が、店内に広がり始める。逃げるお吉。追う与兵衛。
油で、足元が滑る。舞台中央から、下手に一気に滑る与兵衛の身体。命乞いをするお
吉を追いながら、何度も滑る。舞台中央から、下手に一気に滑る。主遣いの桐竹勘十
郎ら3人の人形遣いたちは、一体の人形を持って、一気に移動する。脚遣いは、巧み
に人形の前後を入れ替わる。横になって、人形を操る人形遣いたち。そのダイナミッ
クな動きが、殺し場の、迫力を盛り上げる。脚も、足首もない女の人形も、脚遣い
は、着物の裾を巧みに遣い、迫力をそがない。歌舞伎役者では、演じきれないよう
な、ダイナミックな動き。これは、人形浄瑠璃でしか、表現できない。

遂に、事切れたお吉をよそに、上手、奥の寝間の蚊帳のなかで、息をひそめて、震え
ているであろう3人の娘たちのことにも気を止めず、与兵衛は、座敷に上がり込み、
お吉から奪った鍵を使って、戸棚を開け、そこから「銀」(銀本位制は、大坂の通
貨)を盗んで、闇に消えて行く。気弱な青年は、悪党に変身している。閉幕。息絶え
たお吉同様、取り残された観客は、いつの間にか、幕の外にいる現実に気がつきなが
ら、皆が、「ふうっと」大きく息を吐く。

贅言:歌舞伎のためにも、一言。歌舞伎では、殺し場で、店先にある油の入った樽が
次々に倒され、なかの油が、実際に、舞台一面に流れ出る。座敷にも逃げるお吉を
追って、与兵衛は、油まみれのままにじり寄る。ふたりの衣裳も「油まみれ」に見え
る。人形浄瑠璃でも、油の樽は、なぎ倒されるが、舞台の「船」と呼ばれる下に落ち
てしまうので、樽も見えない、もちろん、油も見えない。それは、観客の想像力に任
せるしかない。リアルな歌舞伎とイマジネーション伊ゆだねる人形浄瑠璃の違い。

不条理劇を象徴する、見事な場面が、延々と展開する。お吉を殺した後、歌舞伎で
は、花道に掛かるポイントで、惚けたような表情の与兵衛は、余韻を残すが、人形浄
瑠璃では、下手の小幕から、舞台の袖に引っ込んでしまうので、そういう余韻はな
い。ここは、歌舞伎ならではの味がある。

総じて言うと、人形浄瑠璃は、ダイナミックである。これに対して、歌舞伎は、リア
ルである。ひとつの演目が、人形浄瑠璃と歌舞伎で、それぞれ、別の魅力を持って輝
く。それが、人形浄瑠璃の魅力であり、歌舞伎の魅力である、と書いておこうか。


「双蝶々曲輪日記」のうち、「角力場」は、4回目の拝見。この場面は、基本的に喜
劇である。今回は、濡髪の幸四郎と放駒の吉右衛門という、兄弟が、舞台で、がっぷ
りと組むのが、なんと言っても、魅力的である。これまで観た濡髪と放駒は、吉右衛
門・富十郎、幸四郎・染五郎、富十郎・錦之助だったから、今回の配役の妙味が判る
と思う。

まず舞台上手には、角力の小屋掛けで、力士への贔屓筋からの幟(濡髪長五郎には、
「山崎」贔屓、放駒長吉には、堀江贔屓とある。これは、後の展開から、「山崎」
は、濡髪支援の「山崎屋与五郎」の山崎「屋」であり(資本)、「堀江」は、放駒支
援の角力小屋のある地元の堀江「町」の意味だ(地域)と知ることができる。資本と
地域の対決というスポンサーの質の違いが、幟から見えて来る)のほか、取り組みを
示す12組のビラ(最後が、濡髪対放駒と判る)。木戸口の大入りのビラ。見物客が
入ってしまうと、木戸の若い者が「客留(満員の意味)」のビラを張り、木戸を閉め
る。江戸時代の上方(大坂・高麗橋のたもと)の相撲風情が楽しめる趣向だ。

舞台下手には「出茶屋」そばにお定まりの剣菱の菰被りが3つ積んである(後に、放
駒が、腰を下ろすのに使う)。角力小屋の中は見せないが、入り口から見える範囲
は、「黒山」の人だかりの雰囲気(昔は、小屋を観音開きにして、内部の取り組みの
場面を見せる演出もあったという)。いまは、声や音だけで処理。結びの一番(濡髪
対放駒)は、「本日の打止め」との口上。軍配が返った雰囲気が伝わって来たと思っ
たら、「あっさり」(これが、伏線)、放駒の勝ち名乗り。取り組みが終わり、打止
めで、仕出しの見物客が、「長吉勝った長吉勝った」と囃しながら、木戸からゾロゾ
ロと出てくる。筋書の出演者を見ると男19人、女4人だが、やけに多く見える。同
じ役者が、二廻りしているのだろう。

次いで、木戸から放駒長吉の出がある。放駒役は、吉右衛門。猫背の感じが、実直さ
を滲ませる。次に、木戸から出てくる濡髪長五郎役は、幸四郎。相撲取りらしく、身
体を大きく見せるために(と言うのは濡髪の木戸の出は、昔から押し出しの立派さを
強調するため、役者などが工夫を重ねるポイントになっている)、歯の高い駒下駄を
履いている。木戸から扇子を持った手が見えるが、上半身はあまり見えない。黒い衣
装に横綱の四手(しで)の模様、二人が舞台で並ぶと濡髪の大きさが目立つ。ここで
も、吉右衛門の猫背の演技が、生きる。また、地元推薦の放駒は、丁稚上がりの素人
相撲取りで、歩き方もちょこちょここ歩き、話し方も、町言葉。純粋の相撲取りの濡
髪との対比は、鮮明。幸四郎は、風格のある、貫禄の濡髪長五郎をゆるりと演じてい
た。それぞれの持ち味を生かした、格好の配役であった。

濡髪贔屓の山崎屋与五郎は、染五郎。染五郎は、上方歌舞伎の典型的な「つっころば
し」を好演。与五郎は、濡髪から肩を叩かれると、崩れ落ちる。「なんじゃい、なん
じゃい、なんじゃい」。与五郎の弱さが、濡髪の強さを浮かび上がらせる。このほか
にも、何度もつっころばされては、場内の笑いを巧みに誘っていた。

濡髪と放駒のやりとりでは、角力小屋のなかで展開された「はずの」取り組みを再現
する場面では、勝負にわざと負けた上で、後から頼みごとをする濡髪のやり方の狡さ
に怒る放駒の言い分が正当で、怒りは尤もであると、思う。八百長相撲を仕掛けた濡
髪のやり方に怒る放駒の座っている床几を蹴倒す濡髪の乱暴さ。「通し」(後の「引
窓」では、殺人者として実母の再婚先に逃げて来る濡髪の姿が描かれる)ではなく、
「角力場」だけを見ていると、いくら濡髪を立派だと褒めても、仇役の雰囲気が滲
む。それでも、ここも、笑劇ベースが、必要だ。

濡髪の持つ黒地の扇子には、片方に白い軍配と赤い房の絵、もう片方に赤い弓の絵。
難しいが、濡髪は仇役の印象を滲ませながら、力士としての豪快さを出す工夫を役者
がどこまでできるかがポイントだろう。幸四郎の濡髪も、疾しさを滲ませていた。放
駒の持つ扇子は、白地に暴れ馬の絵柄。さて、本当の軍配はどちらに、揚がったこと
だろう・・・。もめ事の原因となる、大坂新町の遊廓藤屋の遊女吾妻に芝雀。配役の
妙もあり、実のある舞台に仕上がっていた。


所作事2題をまとめて、書いておこう。

ひとつは、江戸歌舞伎伝統の荒事。もうひとつは、1784(天明4)年の「けいせ
い倭荘子(やまとそうじ)」に繋がる「花台蝶道行」を元に、1962(昭和37)
年6月、歌舞伎改革に意欲を燃やしていた武智鉄二が復活、新歌舞伎として演出した
「蝶の道行」。昼の部のポイントの一つは、新旧の所作事の競演だ。

「正札附根元草摺」は、4回目の拝見。外題を分析すれば、ピュアでオリジナルな
「草摺引」もの。草摺とは、鎧の胴の下に裾のように垂れて大腿部を庇護するもの。
一の板から四の板までの4枚に加えて菱縫いの板の5段組の板からなるという。「草
摺引」とは、父の仇を討とうとしている曽我兄弟のうち、兄の十郎が、敵に嬲られて
いると聞き、家重代の逆沢潟(さかおもだか)の鎧を持ち出した曽我五郎とそれを時
期尚早として、引き止めようとする小林朝比奈、あるいは、今回のような朝比奈の
妹・舞鶴とが、緋色の鎧の草摺(裾)を曳き合うという単純な話だが、荒事の出し物
で、荒事の約束事をじっくり見せる古風な演目。「引合事(ひきあいごと)」と言っ
て力比べをするだけ。

幕が開くと、雛壇の長唄の置唄。中央にせり穴があり、ふたりの黒衣が、背中で支え
ていた赤い消幕が取り去られると、緋毛氈の台に乗った五郎(松緑)と舞鶴(魁春)
がせり上がって来る。魁春は、鶴丸模様の縫い取りの入った、紫の素襖も艶やか。鬘
には、大きな力紙。松緑は、むきみの隈(「助六」も五郎だから、むきみの隈)に、
黒地に蝶の衣装、茶の太い帯、緑の房を付けた大太刀も豪快。朱の鎧を持っている。
男女の力比べという趣向。男女の力比べは、男には適わぬというわけで、「野暮な力
は奥の間の」で、素襖を脱ぐと、遊女の振りの色仕掛けで引き止めようとする辺り
が、女形・魁春のハイライト。

前回、05年9月の歌舞伎座で、橋之助の五郎、魁春の舞鶴で観ている。五郎役者
は、足の親指と手の小指に力を入れるという。両肩を脱いで紅白の市松模様を見せる
五郎。片肩のみ脱いで紅白の市松模様を見せる舞鶴。節目節目に、色彩感覚の豊かさ
を見せながら、力比べをする辺りに江戸の荒事のセンスが、うかがえる。力と情の対
比。舞鶴は、男に負けない力の持ち主だが、遊女の振りもこなせるような色気が必
要。袴を附けた後見が、ふたりを支える。

「蝶の道行」は、3回目。いずれも、武智鉄二構成・演出。身替わりで、亡くなった
男女が蝶になって死出の道行という幻想的なもの。99年4月、05年8月と歌舞伎
座で観ている。初見は、梅玉、時蔵のコンビが華麗な舞台に仕上げていた。2回目
が、染五郎、孝太郎のコンビ。今回が、梅玉、福助。

幕開き。薄暗い中、上手に葵太夫ら竹本4連。紺地に白い蝶を染め抜いた肩衣を附け
ている。「世の中は 夢か うつつか・・・」。光学的な演出だと思うが、暗闇でも
光る番の蝶が、観客席の上空を飛び交う。4年前の前回は、ふたりの黒衣が操る差し
金の先に、光る番の蝶が、舞っていた。やがて、この世で結ばれることの無かった小
槙(福助)が、舞台中央から現れる。薄手の打ち掛けを頭からかぶり、くるりと一回
転してから、それを取ると、スポットが、福助の顔を浮かび上がらせる。一踊りした
後、福助は、中央のせりで下がり、一旦、姿を消す。一方、花道スッポンから、助国
(梅玉)が、せり上がって来る。書割りに描かれた紫陽花、菖蒲、牡丹、菊などの
花々が、大きい。蝶の化身、亡霊のふたりは、人間の大きさではないことをうかがわ
せる演出だ。紫と赤の牡丹の間から姿を見せた小槙が、助国に合図をする。寄り添う
ように、踊り出すふたり。ふたりとも、黒地に絹の縫い取りで蝶の模様が描かれてい
る。大きな蝶は、助国。小柄な蝶は、小槙。ふたりの衣装を引き抜くと、小槙は、白
地に赤い太めの縦縞。助国は、白地に紺の太めの縦縞で、街場の若い夫婦の華やぎを
感じさせる。小槙は、赤子を抱く所作を交えながら去年の出会いの様子を楽しげに踊
る。

薄暗くなると、福助は、上手へ。梅玉は、狂ったように舞いながら、下手へと、それ
ぞれ交代で引っ込む。髪を乱した小槙が、再び、登場。舞台は、光学的な処理で、紅
蓮の炎に包まれ、舞台は、赤く燃え上がる。「修羅の迎えはたちまちに 狂い乱れる
地獄の責・・・」で、ふたりが、地獄の責め苦に遭う場面へと移る。草の露で、断末
魔のふたり。逆海老で、折り重なり、断続的な痙攣に苦しみながら、やがて、息絶え
るふたり。ふたりの上に枯れ葉が、降り掛かる。この演目は、観るたびに、演出が派
手になって来るが、その分だけ、歌舞伎の味から遠のくように感じられる。
- 2009年6月13日(土) 10:59:59
09年5月歌舞伎座 (夜/「恋湊博多諷〜毛剃〜」「小猿七之助御守殿お滝〜夕
立〜」「神田ばやし」「おしどり」)


「團菊祭」が、この歌舞伎座で上演されるのは、今回が最後。團十郎は、昼の部に
は、出演していないので、團十郎渾身の「毛剃」である。

「恋湊博多諷〜毛剃〜」は、2回目の拝見。定式幕が、閉まっている状態でも、花道
に浪布が敷き詰められているので、いつもと違う雰囲気が、場内には、漂っている。
「国性爺合戦」と同じ近松門左衛門の異国情緒を加味した作品。「博多小女郎浪枕」
という外題は人形浄瑠璃のときで、歌舞伎のときは「恋湊博多諷(こいみなとはかた
のひとふし)」が多いと言う。

文字ヶ関(門司)や博多を舞台に、歌舞伎では、「抜け荷」(密輸)の海賊・毛剃九
右衛門とその一味の物語。「毛剃」を観る楽しみは、ふたつある。ひとつは、「文
字ヶ関元船の場」では、舞台いっぱいの、大海原に浮かぶ大きな船が出てきて、これ
が舞台でゆるりと廻る場面。もう一つは、異国情緒たっぷりの九右衛門の蝦夷錦に五
爪龍の文様の唐服という衣装を拝見すること。「元船」の内部が、上から良く見える
ようにと、今回は、3階の席にした。

浪の音にて幕が開くと、舞台に浪布。真新しい浅葱幕。竹本「長門の沖の夕映えは、
歌に詠むちょう文字ヶ関、下の関とも名に高き、西国一の大港………」につづいて、
浅黄幕が切って落とされると、舞台いっぱいに木造の親船(元船)。背景は長門の沖
の遠見。船の上には弥平次(権十郎)、伝右衛門(市蔵)、市五郎(松江)、仁三
(亀鶴)の4人が板付きで出ている。船の下の方、小窓の油障子に「山形に八の字」
が書いてある。毛剃九右衛門(團十郎)も登場。あまり洗練されていない緑の衣装に
茶のどてら、頭には茶の、「正ちゃん帽」のような帽子(「茶羅紗の釜底帽子」とい
う)を被っている。九右衛門の「酒、もってこい」で、酒盛りが始まると、そういう
風体には似つかわしくないような、洒落たギヤマン(ガラス)の容器に入った赤ワイ
ンとグラスが出てくる。抜け荷で密輸をしたという訳だ。このあと、抜け荷の珍しい
品がいくつか出てくる。團十郎は、七代目考案の癖のある長崎弁だが、びんびんと響
く。声は、3階席にも良く通り、演技に緩怠なところもなく、好演であった。

博多までの約束で、抜け荷の船とは知らずに同乗していた京の商人、小松屋宗七(藤
十郎)だけは、上方和事師の白塗りで、九右衛門らに呼ばれて酒盛りに参加するが、
四方山話をする藤十郎の声の通りが、良くなかった。機嫌良く長崎などの話をし、大
声で笑っていた毛剃九右衛門の機嫌が悪くなったのは、話の最中に宗七が、博多の奥
田屋の傾城・小女郎と良い仲になっていると言ったからだ。「聞きとうない」と不機
嫌な九右衛門の態度に、宗七はしらけた気分で船内に退散する。江戸荒事と上方和事
が、そのままの持ち味を生かしながら、からむという、おもしろさが、ここのポイン
ト。

やがて、配下の平左衛門(亀蔵)、三蔵(男女蔵)が、抜け荷の品を積み込んだ伝馬
船で、親船に漕ぎ着くが、抜け荷を船積みする場面を、先ほどの小窓から宗七に見ら
れてしまった。平左衛門らが、親船に上がると、無人となった伝馬船は、下手に流さ
れて行く(紐で引っ張っている)。後に、この伝馬船は、もう一役がある。抜け荷の
海賊一味という正体露見を恐れる九右衛門らに、結局宗七ら小松屋の一行4人は、
次々に、海の中に投げ入れられてしまう。藤十郎の宗七は、人形にすり替えられ、手
下たちが、頭より高く持ち上げて、海に投げ入れる。鉞(まさかり)を持ち、手下た
ちが宗七らを次々に、海に投げ入れるのを見ている九右衛門。騒ぎに驚いた鳥たち
が、親船の上手側から飛び立つ。

さらに、その後、船の反対側で、帽子を脱ぎ、センスのない衣装を脱ぐと、九右衛門
は茶髪のパンチパーマに、蝦夷錦に五爪龍の文様の唐服という豪華な衣装に変身し
て、船の舳先へ移動。すると、それに合わせて、船が半廻しになり、舳先は舞台の正
面に来る。正面の海上(つまり、観客席)を睨む「汐見の見得」をする團十郎。この
睨みは、九代目創案の荒事の芸だ。仁王立ちで、左右を見た後、両手を上げる。この
あと、両手を腰の両脇に廻してから、大きく目を剥いて睨み続ける九右衛門を乗せた
まま、船はさらに、半廻しとなる。つまり、最初観客席に右舷を見せていた船は、左
舷を見せるように「居処替わり」をしたことになる。まさに、九右衛門と船が主役の
舞台であった。

贅言:親船の動き。昔は、廻り舞台の盆ごと廻ったようだが、その後の大道具方の工
夫で、いまのように船だけが廻るようになった。

さらに、親船は廻り、上手より浪幕(海原の道具幕)にて、幕。

船を隠すと、幕外の花道(ここにも浪布が敷き詰められている)では、小松屋宗七
が、流れてきた伝馬船に取り付いて助かる場面になるが、今回、私のいた3階の席で
はまったく見えない。千鳥の合方の演奏と藤十郎の科白が、聞こえてきた(以前に観
た記録を再録しておくと、この場面は、次のようになる。舞台下手から黒衣により引
き出された伝馬船が、浪布を敷き詰めた花道七三を過ぎた辺りに置かれる。浪布の下
の「すっぽん」から浪布の切れ目を分けて、宗七が船の上に這い上がってくる)。本
舞台は、無人で、あくまでも、広々とした大海原が続いている。そして、定式幕。し
かし、サスペンスがあるのは、ここまで。

贅言:幕間になると、黒い布で包み隠した伝馬船を大道具方が押して、花道を逆に戻
り、定式幕のなかに入れる。

このあと、「奥田屋」、「髪梳き」、「奥座敷」などの場があるが、後半の九右衛門
は,意外とコミカルで、この芝居の基本は、コメディだと思う。というのは、本来、
この物語は、近松の浄瑠璃原作としては、小松屋宗七の物語だという。つまり、九右
衛門は、異国情緒を盛り上げ、笑劇にサスペンスの味を付加する役回りなのだろう。
船に乗り合わせ、抜け荷の場面を見てしまったばっかりに海に放り込まれ、無一物に
なった小松屋宗七は、小女郎の身請けを条件に毛剃の抜け荷の仲間に入るというの
が、今回の舞台。

「奥田屋」の場では、海に放り込まれ、流れて来た伝馬船にしがみついて九死に一生
を得た小松屋宗七(藤十郎)と小女郎(菊之助)の再会。宗七が、紙衣姿に網笠で顔
を隠す、いわゆる「やつし」の恰好で(「吉田屋」の伊左衛門の出に、よく似てい
る)花道を出てくる。宗七の格好を見た奥田屋の禿が「太夫さん。太夫さん。京の宗
七さんが『ものもらい』になってござんした」という台詞を言うので、館内に笑いが
広がっていた。事情を聞いた後、小女郎は、左手を取り、宗七を先導して奥へ連れて
行く菊之助の声は、艶があり、色っぽさを増している。この後、奥田屋を訪れたの
は、九右衛門一行。緑のビロードの洒落た衣装に、羽織の紐が数珠繋ぎの赤珊瑚とい
う九右衛門は、本来なら抜け荷の品々の筈なのに、奥田屋皆に、お土産だといって、
椀飯振舞いの、土産物プレゼント作戦を展開する。さらに、手下たちには、豪華な宴
会を用意する。

大道具が、鷹揚に,廻って。「髪梳き」では、奥の部屋に移動した小女郎と小松屋宗
七が、しっとりとした場面を見せる。小女郎の菊之助が、情のある女性を切ない程、
可憐に演じていた。艶のある菊之助の声は、いつ聞いても、官能的だ。和事師・藤十
郎は、こういう場面では、さすがに年期が入っていて、安心して見ていられる。小女
郎は、奥座敷で宴会をしている九右衛門に身請けの金を出させて、宗七と一緒になろ
うと思いつき、奥座敷の九右衛門に交渉に行く。奥田屋を仕切る女房の秀太郎は、こ
ういう役柄だと、この人は独特の味がある。

「奥座敷」(湊が見える座敷きで、唐風の焼き物の灯籠が吊り下げてある)では、宴
会中の海賊たち。幇間たちが、仲居の赤い前掛けを頭につけて、「連獅子」の「髪洗
い」のパロディで、座を盛り上げる。小女郎の姿が無いが、小女郎を呼ぼうと気を利
かせるのに、九右衛門は、「呼ぶには及ばん、酒じゃ、酒じゃ」と、鷹揚である。
やっと現れた小女郎は、身請け話のための借金を持ちかけると、意外なことに、九右
衛門は、快諾する。実は小女郎は宗七と添いたいためなのだが、九右衛門は、それと
知っても願いを叶える、太っ腹を見せる。身請けしてくれる人に礼を言わせたいとい
い、小女郎の仲介で、九右衛門と小松屋宗七の再会場面が入る。「駕篭に乗る人、担
ぐ人、行く道は、同じ」などと、小女郎の科白。

気が大きくなっているのか、九右衛門は、手下たちの相方の傾城も皆、身請けすると
剛毅だ。小松屋宗七と再会した九右衛門は、お互いに驚いた。海に投げ込まれた宗七
が恨みを晴らそうと刀に手をかけ、九右衛門とやりあう場面でも、九右衛門の方が大
人で、器が大きい。この場面で九右衛門の手下が宗七につっかかろうとするとき、九
右衛門が6人の手下を何回か、両手を広げて背中で止める場面があるが、ここは、
「勧進帳」の弁慶を思い出す。刀を投げ出して、人払いを命じると、小松屋宗七に意
外な申し出をする。九右衛門が零落した(九右衛門が零落させたのだ)宗七に対する
小女郎の心(情)に打たれて、身請けの金を約束通り出してやる代りに、宗七を抜け
荷の仲間に引き込もうと申し入れるからだ。こういう交渉を平気でするのは、海に投
げ出されながら、助かった宗七の「強運」にあやかろうとする、抜け荷業者とは言
え、「海の男」の心理などが、うかがえると思うし、九右衛門という人間は、実は,
単純明解で、非常に判りやすい人だと思う。そのくせ、役人の客改めには、へどもど
するなど、本来の滑稽な「脇役」という人柄が出ている。

近松の原作では、身請けした小女郎と、つかの間の所帯を持つが、抜け荷の罪が発覚
し、親の情に縋って落ち延びる(「梅川忠兵衛」の「新口村」に、よく似ているが、
歌舞伎では、めったに上演されない)が、ついに捕縛され、自決する。その後に恩赦
の話が舞い込むという、いわば「ついていない男」のサスペンスの物語だという。

そういう小松屋宗七(藤十郎)には、例え、後段の物語が、舞台で演じられないにせ
よ、そういう心で演じているという余韻のようなものが感じられなければならないだ
ろう。ところが、歌舞伎では、序幕の「元船」の船の大道具の見事さ、毛剃九右衛門
を演じた歴代の團十郎たち(特に七代目、九代目)の創意工夫で、九右衛門という役
柄が舞台で、どんどん大きくなり、「楼門」の石川五右衛門のような歌舞伎を錦絵の
ように見せる、いまのような形の演目になったようだ。脇の役どころが、演じる役者
の力で、「主役」になってしまったということだ。

これはこれでおもしろいし、私の期待は、まさに船を使った「錦絵歌舞伎への期待」
であった。そういうことで、本来であれば序幕の脇役に過ぎない、単純だが、気の悪
くない「悪人」(なにせ抜け荷の主犯である)という毛剃九右衛門の独特のキャラク
ター(一人だけ使う「長崎弁」(?)、手下たちは長崎弁など使わないという、この
奇妙さ、荒唐無稽さ)が形成されていったのだろうと、思う。歌舞伎の狂言は、狂言
内容だけで当たったり、後世に残ったりする訳ではない。別の要素で、生き残るとい
う見本のような演目だ。

抜け荷の仲間に引き入れた宗七らを先頭に、九右衛門は、6人の手下と全員に身請け
した傾城を引き連れて、ひとりだけ良い気持ちになって花道を引き上げて行く。九右
衛門は、まさに稚気愛すべしという人なのだろう。菊之助は小女郎の情を充分出して
いた。藤十郎は上方和事師の魅力たっぷり。「よか、よか」とばかりに、團十郎を軸
に、「騒ぎ唄」にて、皆々向こうへ入る。幕。

と言うことなのだが、実は、先に触れたように、近松の原作では、主人公・宗七の本
当の悲劇は、ここからが始まりなのである。

贅言:九右衛門が語る長崎の話(七代目の工夫という)のなかに出てくる「下大工町
の「先得(せんとく)のコンプラ(金麩羅)」の「先得」は、料理屋の名前だそう
で、「コンプラ(金麩羅)」は、天麩羅かと思ったら、「御用商人」のオランダ語と
か。もっとも、料理のテンプラというのは、このオランダ語からきている筈。さらに
「コバ唐人(とうじん)」とか「目ん玉の太か奴」とあるのは、江戸・深川島田町の
木場(きば)に住んでいた目の大きい七代目團十郎の風貌をさしている楽屋落ちと言
う。


「小猿七之助御守殿お滝〜夕立〜」は、舞踊劇としては、初見だが、1857(安政
4)年、初演の「網模様灯籠菊桐〜小猿七之助〜」という黙阿弥原作の芝居では、9
5年7月の歌舞伎座で、拝見している。「序幕 第一場 矢矧橋の場」「道 第二場
 永代橋橋詰の場」「二幕目 深川洲崎の場」という構成。今回は、この「二幕目 
深川洲崎の場」という「濡れ場」を、1865(慶応元)年上演の「貸浴衣汗雷(か
しゆかたあせにかみなり)」で使われた清元の「夕立」(作詞は、黙阿弥)を使っ
て、舞踊仕立てに再構成したものだから、ストーリーは、ほぼ同じ。夕立で落雷があ
り、それを奇貨としての、中間・小猿七之助と奥女中・御守殿お滝との色模様を描
く。歌舞伎座の上演記録は、「網模様灯籠菊桐〜小猿七之助〜」と「小猿七之助御守
殿お滝〜夕立〜」の二本立てなので、判り辛い。

幕が開く前から、御簾内から大太鼓の音が響いてくる。雷の音。幕が開くと、江戸湾
の見える洲崎の土手。ピカピカと、稲妻が光る。花道を千葉家の奥女中御守殿滝川」
を乗せた駕篭の一行が、やってくる。雨風が、激しいらしく、土手への坂道を上がる
のを難渋している。やっと、本舞台の土手中央に駕篭が差し掛かると、駕篭めがけて
落雷。お供の者は,皆、逃げ出してしまう。駕篭だけが、置いてけぼり。暫くする
と、上手から中間が一人,駕篭の様子を見に戻ってくる。小猿七之助(菊五郎)だ。
駕篭の扉を開けると、気を失った滝川(時蔵)が、転げ出てくる。「いい女だなあ」
と小猿七之助。滝川を見かけた時から、懸想をし、千葉家の中間に入り込み、滝川の
隙を狙っていた小猿七之助は、好機到来と滝川を手込めにする気になった。口移しに
水を飲ませ、滝川を介抱した上で、土手にある簾の番小屋に無理に連れ込む。抵抗す
る滝川。帯を解かれ、刃物を突きつけられ、小屋に押し込められる。舞台上手の黒塀
が、倒されると、延寿太夫ら山台に乗った清元連中の登場。無人の舞台で、小屋のな
かの見えない濡れ場を清元が、描写する。駕篭の中に残された滝川の白い打ち掛け
が、色っぽい。「夕立の雨もひと降り馬の背を (略) いつしか色に鳴神の 音さ
え遠き筑波東風」

無理矢理関係された後、小屋から逃げて来た滝川だが、また、小屋へ戻る。小猿七之
助の男ぶりの良さに、惚れてしまったらしい。「はたちは越せども色恋は 掟きびし
く白玉の 露にも濡れし事は無く」と、手込めながら、初めて、身体の関係を作って
しまった男に弱い処女の悲劇。滝川は、小猿七之助の女房になりたい、屋敷には、帰
らないと言う。小猿七之助も、好きな女と相思相愛になれて嬉しいと言う。

幕末期の退嬰的な気分を伝える黙阿弥舞踊劇。いい男ぶる小悪党という味を菊五郎
は、出している。時蔵の滝川は、艶っぽさが、足りないように思う。95年7月に歌
舞伎座で観た「網模様灯籠菊桐〜小猿七之助〜」の「二幕目 深川洲崎の場」。猿之
助演じる小猿七之助と滝川を演じる雀右衛門の、濃厚な濡れ場が、いまも、目に残
る。特に、小屋から出て来た雀右衛門は、目が濡れていて、男を初めて知った処女の
色気が滲み出ていて、絶品だった。舞踊劇より、芝居の方が、黙阿弥の七五調の科白
が効いて、メリハリがあることも、確かだろう。


「神田ばやし」は、初見。左團次の家主で、1952(昭和27)年10月初演。宇
野信夫原作、六代目菊五郎のために、書き下ろされた。もともとは、「冷やっこ」と
いうラジオドラマだったという。舞台上演は、実現せず、その後、加筆されて「祭囃
子」として、戦後、再び、ラジオドラマとなり、六代目の出演で、放送された。さら
に、六代目の希望で、加筆され、「神田はやし」として、舞台用の台本に直された
が、六代目は、舞台化できずに、病没。

初演以来、今回、3回目の上演。家主は、三津五郎。桶屋の留吉は、海老蔵。おみつ
は、梅枝。その他、神田連雀町の長屋に住む連中は、右之助、市蔵、亀蔵、秀調、團
蔵と、藝達者な脇役で、固める。家主の彦兵衛の家と留吉の家で繰り広げられる人情
劇は、落語の人情噺の味わい。念仏講の日、住人同士の喧嘩など、てんやわんやの騒
ぎの後、講中銭の一両紛失騒ぎで、留吉に濡れ衣が着せられる。疑いを深める家主。
翌年の9月、神田祭りの日、ひょんなことから、留吉の濡れ衣が晴らされる。家主と
留吉のやりとり。「嫌な目で人を見る」と、留吉は、訴える。

家主を演じた三津五郎は、こういう話では、滑稽味も含めて、独特の持ち味を発揮す
る。海老蔵は、持ち味を掴みかねているようで、いま、ひとつ。特に、後半の、屈折
した心情の表現が、弱い。梅枝は、初々しい。汚れた留吉の祭り用の浴衣を洗ってや
る。舞台下手の、留吉宅の物干に干された濡れた浴衣が、次第に乾いて行く。ああ、
濡れ衣が、乾いて行く。

贅言:猫の人形の使い方が、巧い。夜、留吉宅を訪れた家主の足下、桶の山から出て
来て、桶を崩したり、穴の空いた障子の隙間から、姿を隠したり。糸で操っているの
だろうが、動きが、工夫されていて、これも、見もの。

「鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのむつごと)〜おしどり〜」は、3回目の拝見。今
回は、遊女・喜瀬川(菊之助)、河津(海老蔵)、股野(松緑)。前回は、順に、福
助、梅玉、橋之助。前々回は、鴈治郎時代の藤十郎、菊五郎、吉右衛門だったから、
見るたびに、若返っている。

舞台中央、池の中には、いつものように長唄連中が雛壇に座っている。暫くは、置き
長唄で、舞台は、無人。下手には、石垣に網代塀が据え付けられている。上手には、
金地に花丸の模様を描いた襖のある障子屋体の御殿。花車の衝立もある。やがて、中
央のセリ台に、3人がポーズを付けて乗ったまま、セリ上がってくる。洒落た演出
だ。

もともと、江戸時代に原曲があるが、戦後、六代目歌右衛門が復活上演をした際に、
いまの形になった。歌舞伎座筋書きの上演記録には、ないから、本興行ではない(1
954(昭和29)年の第1回「莟会」か)のかもしれないが、歌右衛門、海老蔵
(後の團十郎)、松緑のトリオで、セリ上がって来たときには、客席がどよめいたと
いう。今回は、世代も巡り若返って、歌右衛門のところに、菊之助が、すぽっと収
まっている。この不思議さ。また、丑之助、新之助、辰之助という、かつての「三之
助」の復活でもある。

「相撲」が、長唄。途中で、長唄連中が、雛壇のまま、下手に引っ込む。「鴛鴦」で
は、常磐津と演奏が、分れている。それだけに、大道具の展開が、いろいろ工夫され
ていて、おもしろい。まず、「相撲」の場面。行司役の素足の菊之助。白塗り白足袋
の海老蔵と赤面に黄色い足袋の松緑が、相撲の由来を所作事の「格闘技」で、披露す
る。恋の格闘技という二重構造の拍子舞である。喜瀬川は、恋する河津(海老蔵)の
ために、公平ではない行司の役割をする。海老蔵の河津は、凛々しい。松緑の股野に
は、憎々しさがあり、存在感がある。

相撲に勝った河津と喜瀬川のふたりが障子屋体の御殿に入ると御殿が上手に引き込ま
れる。中央の長唄連中も雛壇ごと下手に引き込まれる。やがて、池には、番(つが
い)の鴛鴦が現れる。鴛鴦の夫婦は、雄を殺せば、雌も慕い死ぬというので、相撲に
負けた股野は、河津攻略のために、鴛鴦のうち、雄を殺して、持ち去る。

下手にあった石垣の2段の網代塀には、いわば「屋根」があり、これが、引き上げら
れると、常磐津連中が登場、下の段の網代塀が、前に倒されて、山台に早変わりす
る。背景の黒幕が、落とされる。御殿の無くなった舞台は、池のある奥深い庭が拡
がっている。奥行きのある庭全体が、網代塀によって囲まれているようだが、中央奧
まで池が続き、その向こうには、森が拡がる。長唄から常磐津への引き継ぎが、こう
いう舞台転換で、進む。観客の気分を清々しくさせる。

薄い紫の衣装に着替えた菊之助が、花道、スッポンから、せり上がって来る。雄の鴛
鴦を殺された雌の鴛鴦の精。羽を伸ばし、羽をつくろい、羽ばたきをする。上手、庭
の垣根を割って出てきた海老蔵は、雄鴛鴦の精。薄い紺の衣装。こちらは、殺された
だけに、立ち姿も朧に霞んでいるように見える。

殺したはずの鴛鴦の夫婦の幻影に悩まされない股野は、ふたりを斬り付ける。鬘と
「ぶっかえり」の仕掛けで、夫婦の鴛鴦の本性が顕わされる。本性を顕わせば、怖い
ものなしと股野を攻め立てる。松緑の股野との立ち廻りの果てに、逆海老にのけぞる
雌鴛鴦の精・菊之助の身体の柔軟さ。場内から、ふっと、溜め息が漏れる。

上手、黒衣ふたりが、朱の毛氈で包み込んだふたり用の三段を持ち出してきた。夫婦
の鴛鴦の精の大見得。菊之助、海老蔵のふたりの踊りが、淡く、繊細なのに対して、
松緑の踊りは、くっきりと実線の感じで、対照的。
- 2009年5月19日(火) 9:51:33
09年5月歌舞伎座 (昼/「暫」「寿猩々」「手習子」「加賀鳶」「戻駕色相
肩」)


パワーあふれる海老蔵の鎌倉権五郎

「暫」は、3回目の拝見。初見が、95年11月、歌舞伎座の團十郎。海老蔵は、0
4年5月の歌舞伎座、襲名披露の舞台に続き、私が観た3回の配役を記録すると次の
ようになる。鎌倉権五郎(暫):團十郎、海老蔵(2)。清原武衡(ウケ):九代目
三津五郎、富十郎、左團次。震斎(鯰):八十助時代を含めて三津五郎(2)、翫
雀。照葉(女鯰):時蔵(2)、扇雀。桂の前:右之助、芝雀、門之助。加茂次郎
(太刀下):秀調、芝翫、友右衛門。成田五郎(腹出し):松助、左團次、権十郎。
局常盤木:玉之助、東蔵、右之助。

幕が開くと、塀外。上手には、霞幕が、大薩摩連中を隠している。紅白のケ槍を持っ
た奴たちが、花道から現れて、舞台を横切り、上手の袖に入って行く。霞幕が、取り
除かれると、山台に乗った大薩摩連中の登場。塀は、舞台上下に開いて行く。早春の
鎌倉鶴ケ岡八幡宮。いつもの連中が、舞台に立ち並んでいる。

「暫」は、祭祀劇であり、記号の演劇だ。江戸時代には、幕末までの1世紀余りに
渡って、「暫」は、旧暦の11月に「顔見世興行」のシンボルとして、演じられた演
目であった。同じ演目ゆえに、毎年、趣向を変えて演じられた。その結果、役どころ
は、変わらないが、役名が、変動した。江戸の人々は、役柄を重視し、役柄、姿、動
作などから、主な役どころには、「暫」「ウケ」「鯰」などの通称をつけて、理解を
助けたのである。先の主な配役一覧で、役名の後に、括弧で記入したのは、役の通称
だが、極めてユニークな記号になっていると思う。

例えば、主役の鎌倉権五郎の「暫」は、向う揚幕の、鳥屋のうちから、「暫く」、と
声をかけて、暫くしてから花道に出てくるから、「暫」と呼ばれた。清原武衡の「ウ
ケ」は、その「暫く」を受けて立つ敵役だから、「ウケ」となる。震斎の「鯰」は、
「震災」(鯰は、地震を予知するという説がある)であり、化粧などが、「鯰」だか
らだろうし、照葉の「女鯰」は、「鯰」に付き従っている女性だからだろう。「太刀
下」は、鎌倉権五郎が、振るう大太刀の下で、あわや、首が飛びそうになるからだ。
後から出てくる成田五郎を含めて、東金太郎、足柄左衛門、荏原八郎、埴生五郎の5
人は、「腹出し」と呼ばれるが、これも「腹を出した赤っ面」という扮装を見れば、
良く判るネーミングだ。また、道化方、若衆、女形、敵役など歌舞伎の主な役柄が出
揃うという意味でも、初心者にも判りやすい演目だ。

贅言:今回は、上の方の席で、拝見したので、残念ながら,花道での演技は、ほとん
ど見えない。その代わり、声をじっくり聞いてみた。鎌倉権五郎を演じる海老蔵の声
は、向こう揚幕の鳥屋のうちから、「しばらくう」と聞こえ始めるが、声だけ聞いて
いると、出だしから「しばら」までは、父親の團十郎にそっくりであった。「くう」
で、父親とは違う海老蔵の声になっていた。團十郎は、最近は、良くなったが、もと
もと、口跡は良くない。声が口の中に籠るからだ。海老蔵は、口跡は、父親よりも、
祖父の十一代目に似ているように思う。だから,最後まで、良く通った。今回も、
「くう」は、團十郎では、出せない通りの良さだと思う。

海老蔵の花道七三への登場で、大薩摩は、暫く、姿を隠す。再び、霞幕。鎌倉権五郎
は、花道七三でのツラネで、役柄と役者自身の自己主張をする。今回の海老蔵は、例
えば、「十八番、筋を通すは、親譲り………」「来年の今頃親、この歌舞伎座
は………」ということで、来年4月までの歌舞伎座さよなら公演をピーアールし、来
年の5月には、閉鎖、取り壊しを告げるなどなど、役者が自作で科白を考える趣向に
なっている。

海老蔵の科白をじっくり聞かせる。やがて、海老蔵は、舞台正面へ。大きな力紙を附
けた五本車鬢という鬘、紅の筋隈、團十郎家の色、柿色の素襖に家紋の三升が染め抜
かれている。後ろ向きで、いくつもの肩を脱ぎ、前向きになると、大見得。海老蔵
は、いちだんと、大きくなる。

「暫」は、歌舞伎の配役が、類型化されて、衣装や扮装、化粧などという歌舞伎の演
目を越えて共通する様式性でバランスを採り、それに伴い、「大同小異」という人物
の普遍性を主張するという演劇としての歌舞伎の特性を裏付けていると思う。歌舞伎
入門、あるいは,江戸歌舞伎の荒事入門に相応しい演目だと思う。


江戸歌舞伎を代表する荒事の演目であり、勇壮な荒事の特徴の、花道の出、愛嬌、力
感、科白廻し(主役の科白のほか、主役の動作に添える、仕丁たちの「ありゃー、こ
りゃー」という化粧声なども)、衣装、隈取り、力紙をつけた鬘、大太刀などの小道
具、全体の扮装、「元禄見得」など、いくつかの見得、引っ込みの六法まで、團十郎
家代々の荒事のエキスを見せつける。5年前、04年5月の歌舞伎座で、海老蔵襲名
披露の時も、「暫」を上演し、その後、京都南座、四国のこんぴら歌舞伎・金丸座で
も、続けて上演して来ただけに、すっかり安定感のある演目に仕上がっていた。海老
蔵は、丈も大きく、口跡も良く、大きな眼も印象的で、まさに、若武者・鎌倉権五郎
を写して、緩怠なしという、良い出来であったと思う。こういう判りやすい役柄は、
海老蔵には、良く似合う。幕外での、花道の引っ込みでも、ライトに照らされた海老
蔵の影が、定式幕に写る。大太刀を担いだその影が、海老蔵が、向う揚幕に近付くに
連れて、ぼやけながらも、次第に大きくなって行く。


踊り二題は、人間国宝

「寿猩々」は、竹本。今回含め、3回目。長唄の「猩々」が、2回。両方を含める
と、5回目の拝見となる。歌舞伎では、今回のような竹本で語る「寿猩々」は、一人
猩々で、富十郎(2)、梅玉。長唄の「猩々」は、二、人猩々。こちらは、勘太郎と
七之助。梅玉と染五郎。酒売りは、松江時代を含め、魁春が、今回含めて、2回目。
歌昇、弥十郎、当代の松江。

緞帳が上がると、舞台正面に大きな松の老木がある。笛方と太鼓方は、本舞台に座っ
ているが、大小の鼓方は、合引きに座っている。雛壇の二段目には、竹本。

能の「猩々」では、「猩々=不老長寿の福酒の神」と「高風」という親孝行の酒売り
の青年との交歓の物語。「猩々」とは、本来は、中国の伝説の霊獣。つまり、酒賛美
の大人の童話というわけだ。

能の舞台では、舞は、「摺り足」なのだが、「寿猩々」は、六代目簑助(後の八代目
三津五郎)工夫の振り付けで、能のなかに、舞を巧みに取り入れて、「乱(みだ
れ)」という、遅速の変化に富んだ「抜き足」「流れ足(爪先立ち)」「蹴上げ足」
などを交えて、水上をほろ酔いで歩く猩々の姿を浮き彫りにさせる趣向をとったとい
う。

幕が開くと、魁春演じる酒売り・高風が登場し、続いて、富十郎の猩々が、登場す
る。高風の勧めで、酒を呑み始めた猩々だが、最初は、柄杓で汲んでいたが、途中か
ら、大きな盃で直接汲むようになる。舞の部分では、太鼓、大鼓、小鼓が、前面に出
て来る。汲めども、尽きぬ酒壷の存在感は、くっきりと伝わって来た。富十郎の踊り
は、静かで、重厚、安定感がある。魁春の所作が、前回より、肩の力が抜けているよ
うで、軽やかで、良かった。鼓の音が、恰も、猩々の鳴き声のように聞こえる。幕外
の引っ込みでは、四拍子連中が、幕外で演奏。

1946(昭和21)年に文楽座の野澤松之輔が作曲し、後の八代目三津五郎、当時
の六代目簑助が、振り付けをして、一人立の新歌舞伎の舞踊劇(義太夫舞踊)に仕立
て直しをして、当時の大阪歌舞伎座で上演されたという。


一旦、引き幕が閉められた後、「手習子」。つなぎの大太鼓の音が、ドンドンドンド
ンと、情緒を盛り上げてくれる。幕間は、暗転したまま、柝がなり始め、定式幕が開
き始める。長唄、三味線、四拍子。置唄のまま、明転。舞台中央にうずくまるように
芝翫の「少女」がいる。側に、黒塗りの傘がある。桜や菜の花の春の野辺。寺子屋帰
りの少女。蝶々を追いかけたり、紙縒りで縁結びのおまじないをしたり、娘らしい所
作が続く。途中、黄色から紫の衣装に引き抜きがある。後見は、芝喜松、芝のぶ。

「手習子」は、2回目の拝見だが、前回は、「春待若木賑(はるをまつわかぎのにぎ
わい)」という「大喜利」。「正札附根元草摺」「手習子」「お祭り」という構成
で、出演は、時蔵、歌昇、萬次郎、翫雀らの息子たちの、将来へ向けての舞台という
ことで、独立した演目としては、今回が初見。

芝翫は、こういう演目は、「若いか年を取っているか、そのどちらかが踊るのにちょ
うどいい曲だと思います。中年で踊るのが一番難しいじゃないかしら」と、楽屋で打
ち明けているようだが、持ち道具の「黒地の傘」には、いつも自分で千代紙を貼って
いるという。

今回、遠目で拝見したので、傘寿の老優の所作も、気にならず、初々しい娘が、出現
して来たように思う。

いずれにせよ、富十郎と芝翫という、人間国宝の踊りを遠目で、全体をじっくり堪
能。


初役と思えない菊五郎の道玄

「盲長屋梅加賀鳶」は、6回目の拝見。この芝居は、「加賀鳶」の梅吉を軸にした物
語と窓のない加賀候の長屋「盲長屋」にひっかけて、盲人の按摩(実際は、贋の盲人
だが)の道玄らが住む本郷菊坂の裏長屋の「盲長屋」の物語という、ふたつの違った
物語が、同時期に別々に進行し、加賀鳶の松蔵が、道玄の殺人現場である「御茶の水
土手際」でのすれ違い、「竹町質見世」の「伊勢屋」の店頭での強請の道玄との丁々
発止、という接点で、ふたつの物語を結び付けるだけなのだ。芝居としては、道玄の
物語の方が、圧倒的におもしろいので、「加賀鳶」の物語は、冒頭の「本郷通町木戸
前勢揃い」という、雑誌ならば、巻頭グラビアのような形で、多数の鳶たちに扮した
役者が勢ぞろいして、七五調の「ツラネ」という独特の科白廻しを聞かせてみせると
いう場面のみが、上演される。そこを承知していないと、腑に落ちないかもしれな
い。

道玄役者が、ふた役で演じる加賀鳶・天神町梅吉は、原作本来は、「加賀鳶」の物語
の主役なのだが、最近の舞台では、この場面だけの登場である。

これまで観た道玄は、富十郎(2)、幸四郎(2)、猿之助、そして、今回が、菊五
郎の初役。音羽屋の家の藝ながら、初役とは。それでも、世話物の名人は、初役も、
なんなく、こなして、安定感さえある。

道玄は、偽の盲で、按摩だが、殺しもすれば、盗みもする、不倫の果てに、女房にド
メスティク・バイオレンスを振るうし、女房の姪をネタに姪の奉公先に強請にも行こ
うという、小悪党。それでいて、可笑し味も滲ませる人柄。悪党と道化が、共存して
いるのが、道玄の持ち味の筈だ。初演した五代目菊五郎は、小悪党を強調していたと
言う。六代目菊五郎になって、悪党と道化の二重性に役柄を膨らませたと言う。現在
の観客の眼から見れば、六代目の工夫が正解だろうと思う。当代の菊五郎も、その線
で、緩怠なく演じきった。私が見た道玄では、小悪党の凄み、狡さと滑稽さをバラン
ス良く両立させて、ピカイチだったのは、富十郎であった。菊五郎の道玄も、富十郎
に負けていない。

伊勢屋の「質見世」の、道玄強請の場面は、強請場で名高い「河内山」の質店「上州
屋」の河内山や「切られ与三」の源氏店の蝙蝠安を思い出させる。菊五郎の道玄は、
富十郎同様に、二代目松緑の演出を引き継いでいて、五代目を意識しているように楽
屋では語っているようだが、六代目の工夫も加味して、道化にポイントを置いて、演
じているように思われた。それで、良かったのだと思う。菊五郎は、五代目が、梅
吉、道玄、死神の三役をやった通りに、いつかは、やってみたいと言う。それも良
し。

大詰「菊坂道玄借家」から「加州侯表門」(つまり、いまの東大本郷キャンパスの
「赤門」)の場面での、滑稽味は、富十郎に軍配が上がるが、菊五郎も、悪くない。
逃げる道玄。追う捕り方。特に、「表門」は、月が照ったり、隠れたりしながら、闇
に紛れて、追う方と追われる方の、逆転の場面で、どっと笑いが来ないと負けであ
る。おかし味の演技は、定評のある菊五郎は、十分に堪能させてくれた。この場面
は、幸四郎も、猿之助も真面目に逃げ過ぎて、おもしろ味が少ない。

さて、そのほかの配役では、道玄と不倫な仲の女按摩・お兼は、時蔵。時蔵は、最
近、こういう世話物の役が巧くなった。売春婦も兼ねる女按摩。こういう二重性のあ
る役は、6年前に観た東蔵が、巧かった。東蔵は、どちらかに、重点を置きながら、
もう、一方を巧く滲ませることができる。実に、達者に演じる。今回は、東蔵が、道
玄の女房のおせつを演じ、姪のお朝は、初々しい梅枝が、演じた。

梅玉の加賀鳶・日蔭町松蔵は、道玄と違い、颯爽の正義漢。松蔵は、実は、この芝居
の各場面を綴り合わせる糸の役どころであり、重要な登場人物だと、思う。「本郷通
町木戸前勢揃い」、「御茶の水土手際」、「竹町質見世」と、松蔵は3つの出番があ
るが、仕どころがあるのは、「質見世」。颯爽の裁き役で、おいしい役どころ。


「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」は、常磐津の舞踊劇。定式幕が引かれ
ると、舞台一面浅葱幕。浅葱色も,初々しい。新しい幕になっている。無人の舞台
で、常磐津の「置(おき)浄瑠璃」。浅葱幕の振り落としで、舞台は、菜の花畑の桜
も満開という洛北・紫野に早替り。遠見には、松、柳、山の近くには、五重塔のある
寺、二階建ての町家が続いている地域もある。まさに、四方山の景色。

浪花の次郎作、実は、石川五右衛門(松緑)と吾妻の与四郎、実は、真柴久吉(菊之
助)という、とんでもない駕篭かき二人が、紫野まで、島原遊廓からの戻り駕篭を担
いで来た。本舞台中央のせり穴の前に担いで来た駕篭を置く。せり穴から、せり上
がってくるが、赤い消し幕で隠している。

やがて、駕篭の御座を上げると、駕篭には、愛らしい禿・たより(尾上右近)が乗っ
ているのが、判る。小車太夫にお使いを頼まれた禿だ。駕篭かきは、浪花と吾妻の駕
篭かきという設定で、京で、大坂と江戸の自慢をするという趣向。従って、駕篭かき
二人は、江戸と大坂の気質の違いを踊りで表現しなければならない。

駕篭からおりてきた禿を含めて、やがて、三人で京、大坂、江戸の三都の郭自慢にな
る。「悪身(わりみ)」という、男が女の振りをする滑稽な振りなどをまじえなが
ら、踊る。そのうちに、興が乗り、懐から一巻の系図を落とす次郎作(五右衛門)、
同じく小田家の重宝、千鳥の香炉落とす与四郎(久吉)。お互いの正体を知り、詰め
寄る二人。慌てて間に入った禿の機転で取りあえず、この場は納まり、二人の大見得
で幕。

ストーリーを紹介すると荒唐無稽で、たわいないが、背景の春爛漫の景色に、浅葱頭
巾に白塗り、柿色頭巾に赤面、という二人に加えて、赤い振袖の禿という絵画美が身
上の舞台。趣向の奇抜さと洒落っ気たっぷりの天明期の歌舞伎舞踊の特色を伝える。
「忠臣蔵・五段目」の定九郎を工夫したことで知られる初代中村仲蔵らが初演。上方
に修業に行っていた仲蔵が、江戸に帰って来たから「浪花の次郎作」であり、「戻
り」なのだ。

小車太夫が客に贈る「い上」と染め抜かれた羽織を届ける禿・たよりは、言付かって
駕篭に乗っていたわけだが、これを使って武士の見立てで「丹前六法」の振りを演じ
る浪花の次郎作。さらに、この羽織を次郎作と与四郎の二人が着て、いわば、二人羽
織で、三味線を引く趣向を見せる。

尾上右近も、伸び盛りか、長身になり、禿などをやらせると、その長身が邪魔にな
る。科白を子役独特の一本調子でやらせるなら、禿は、もっと、年少の子役にやらせ
た方が良いのではないか。

若いが、力を蓄えて来た松緑と菊之助の、くっきりと見応えのある舞台であった。
- 2009年5月18日(月) 10:39:01
09年5月国立劇場人形浄瑠璃 (第2部/「ひらかな盛衰記」)


「ひらかな盛衰記(せいすいき)」には、外題の角書にあるように「逆櫓松(さかろ
のまつ)」と「矢箙梅(えびらのうめ)」の、ふたつの流れのある物語が、付加され
ている。箙とは、矢を入れて携帯する容器のことである。源平合戦の木曽義仲討ち死
を描いた時代物の人形浄瑠璃。文耕堂ほかの合作。ベースは、平家と木曽義仲残党、
それに源氏の三つ巴の対立抗争、特に、義仲残党と源氏の争いが描かれる。それに加
えて、義仲方で義経を狙う樋口次郎兼光の忠義と源氏方梶原一家の長男・源太景季へ
の腰元千鳥(傾城梅ヶ枝)の献身の物語が展開する。

「ひらかな」とは、「源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)」を庶民にも分かりやす
く作り替えた(通俗化)という意味が込められている。1739(元文4)年、人形
寿瑠璃の大坂竹本座で初演。

全五段の時代浄瑠璃の三段目が、通称「逆櫓(さかろ)」というのである。歌舞伎で
なら、この「逆櫓」が、良く上演される。主役の樋口次郎兼光は、初代吉右衛門の当
たり役ということで、歌舞伎では、当代の吉右衛門や兄の幸四郎が演じることが多
い。私も、「逆櫓」は、何回か、拝見している。

今回の人形浄瑠璃では、もうひとつの物語、通称「矢箙梅」にスポットを当てる。
「逆櫓」のようには、頻繁には、上演されないので、馴染みが薄い。今回は、二段目
の大部分(「梶原館」「先陣問答」「源太勘当」)と四段目(「辻法印」「神崎揚
屋」「奥座敷」)が上演される。国立劇場としても、21年ぶりの上演である。いわ
ば「半通し」の上演であり、私は、初見。歌舞伎でも、「源太勘当」(「先陣問答」
「勘当場」)、「神崎揚屋」などが、時々、みどりで上演されるので、私も観たこと
がある。

上演される機会は、少ないが、一段目を含めて、簡単ながら、全体像を鳥瞰しておこ
う。その方が、結局、理解が早いだろうと思う。今回、人形浄瑠璃で、演じられる場
面は、*で表記。

初段:義仲討伐に向かった源義経一行。源氏方同行の梶原平三景時は、射手(いとど
の)明神参拝の際、戦の吉凶を占うために扇の的を撃つべきところ、誤って、源氏の
白旗を射てしまい、切腹しようとする。同行の佐々木高綱のとりなしで、助かる。一
方、義仲は、その後討たれ、御台所の山吹御前、若君の駒若丸は、腰元お筆(お筆
は、物語を繋ぐ役割)といっしょに落ち延びる。

二段目:山吹御前、駒若丸は、お筆の父親、鎌田隼人に匿われる。梶原の家臣・番場
忠太に襲われるが、猿を身代わりに逃げる。鎌倉の「梶原館」*では、長男の源太の
誕生祝いの準備をしている。お筆の妹が、源太の許嫁・腰元の千鳥。兄の許嫁に横恋
慕して、仮病を使って、出陣もせずに、千鳥の隙を狙っているのが、次男の平次景
高。宇治川の先陣争い(「先陣問答」*)に敗れて帰還した源太は、実は、父親の命
を助けてくれた高綱に勝ちを譲ったのだ。夫からの手紙でそれを知る母親の延寿は、
源太に切腹の代わりに、勘当(「源太勘当」*)を言い渡す。頼朝拝領の「産衣の
鎧」を与えられ、千鳥とともに落ちる源太。

三段目:山吹御前、若君の駒若丸に同行したお筆と鎌田隼人の親子ら義仲残党一行と
三井寺参詣の旅の帰途に大津の宿で同宿したばっかりに摂津国福島(大坂)の船頭権
四郎一行(権四郎、娘のおよし、孫の槌松)が、悲劇に巻き込まれる。義仲残党一行
が,再び、梶原の家臣・番場忠太らに取り囲まれた混乱のなか、権四郎一行のうち、
孫の槌松が、駒若丸と間違えられて殺されてしまう。義仲残党一行では、山吹御前、
鎌田隼人も、討ち死にする。騒ぎから逃れて生きのびたのは、お筆、駒若丸、権四
郎、およし。

自宅に戻った権四郎は、駒若丸を孫の代わりに育て、娘およしを再婚させる。婿入り
し、松右衛門の名前を引き継いだのは、樋口次郎兼光(木曽義仲残党)で、駒若丸を
陰ながら守る。松右衛門、実は、樋口次郎兼光は、権四郎に家伝の船の操縦法である
「逆櫓」を取得する。駒若丸を取り戻そうと、尋ねて来たお筆が現れると、樋口次郎
は、身元を顕し、源氏への復讐の真意を明かす。しかし、計画の裏をかかれ、源氏方
の畠山重忠に捕えられてしまう。権四郎の機転で、駒若丸は、孫の槌松として、源氏
の手から逃れることができた。

四段目:源太は、一の谷合戦に加わる準備金調達のため、大物浦で、米穀を挑発す
る。「辻法印」*では、その様子を含め、コミカルに描かれる。千鳥は、傾城梅ヶ枝
として、廓勤めをして、源太を助けようとする。源太の遊興費のために、質入れして
しまった産衣の鎧を買い戻すためには、三百両の金がいる。手水鉢を「無間(むけ
ん)の鐘」(小夜の中山の伝説)になぞらえて、杓子で叩くと二階から三百両の鐘が
降ってくる(「梅ヶ枝の手水鉢叩いてお金が出るならば」と、明治時代に戯れ歌で唄
われた場面)。陰ながら源太らを支援する延寿の情だった。梶原一家を敵と付けねら
うお筆も事情を了解し、源太は、晴れて、出陣する。「神崎揚屋」*、「奥座敷」*
が、その場面となる。

五段目:平家を討ち破り、源太は、勘当を許される。忠太は、父親の敵として、お筆
と千鳥の姉妹に討たれる。義経より助命された樋口次郎は、梶原平次を討ち、自害す
る。

以上に登場した主な人間関係を整理しておこう。
義仲残党:(樋口次郎、山吹御前、駒若丸)、お筆。
源太側:源太、千鳥(梅ヶ枝)、延寿、辻法印。
梶原一家:(平三、源太)、平次、(忠太)。
源氏:(義経、高綱、重忠)
(注意)お筆と千鳥は、姉妹。梶原家では、源太と平次が、反目。母親の延寿は、源
太と千鳥を支援。

人形浄瑠璃の首(かしら)は、源太は、首も、この役から作られた「源太」。千鳥
が、「娘」で、梅ヶ枝は、「傾城」。千鳥の姉、お筆も、「娘」。

では、ウオッチングのメモから、舞台を観て、気がついたことを書いておこう。

「梶原館の段」は、銀地の襖に、「大」の字を3つ組み合わせた紋が、描かれてい
る。「三つ大」が、後に、梶原家の定紋である「矢筈」に改められる由来も、後に、
解き明かされる。仮病で、出陣をさぼり、兄・源太の許嫁・千鳥に横恋慕する平次
は、「坂東一の風流男」の源太を際立たせるために、対比的に無様に描かれる。損な
役である。「大団七」の首(かしら)に紫の病巻きの鉢巻きをしていて、「松王丸
風」の出で立ち。戦場から、留守を預かる延寿(首は、「婆」)に夫の景時の手紙を
持ち帰った横須賀軍内の首は、「端役」で、歌舞伎の「忠臣蔵」なら、伴内風のイ
メージ。

贅言1):歌舞伎の「恋飛脚大和往来」の科白に、梶原源太の名前が出てくる。冒頭
の井筒屋の店表の場面では・・・・。花道をやって来た忠兵衛は、一旦、本舞台の井
筒屋店先まで行き、店のなかを覗き込んで、梅川とおえんが畳算(恋占い)をしてい
る場面を知り、花道七三まで戻り、「ちっととやっととお粗末ながら梶原源太は俺か
しらん」と自惚れて言う。梶原源太は、良い男の代名詞なのである。

贅言2):梶原兄弟。長男の源太は、源平合戦で、箙に梅の小枝を挿して参戦したと
いう、ダンディ男。06年11月歌舞伎座で、「源太」という舞踊劇を観たことがあ
る。三津五郎の出演。次男の平次は、「熊谷陣屋」では、陣屋の奥に隠れて聞き耳を
立てていて、「義経熊谷心を合わせ、敦盛を助けし段々、鎌倉へ注進する。待ってお
れ」と言い捨てて、駆け出すと、どこからか飛んで来た手裏剣が、「骨をつらぬく鋼
鉄の石鑿」というわけで、「うんとばかりに息絶えたり」という、ここでも、損な役
どころ。弥陀六に投げ付けられた石鑿で殺されるのである。

贅言3):「箙(えびら)の梅」という、そのものずばりの外題を持つ演目は、岡本
綺堂の新歌舞伎。04年11月に歌舞伎座で、拝見。源太は、梅玉が演じた。平家物
語をベースにした歌舞伎では、憎まれ役を勤めさせられることが多い佞人梶原一家の
物語。父・梶原平三景時(通俗日本史では、腹黒悪人として、「げじげじ」の渾名が
ある。「石切梶原」のときだけ、捌き役で、例外的に恰好が良い)、新歌舞伎では、
父親、長男・源太、次男・平次の3人が、珍しく揃う。今回の「ひらかな盛衰記」で
も、平三だけは、最後まで、姿を見せない。「箙(えびら)の梅」の源太は、不粋の
坂東武者のなかにも、風流を解する詩人がいたという話で、恰好がよい。

「先陣問答の段」では、戦場から素襖姿で帰された源太が、登場する。平次に問われ
るまま、宇治川の先陣争いの顛末を母の延寿らに話す。父をかばった長男。立場上、
その長男に切腹を命じる父親。なんとか、長男を助けようとする母親。背景には、厳
格な父親、やさしい母親、ハンサムで文武に颯爽としている長男、横紙破りの次男、
美しい腰元、という梶原一家の、兄弟と腰元の三角関係、父と子の対立、間に立つ母
という「家庭内悲劇」が浮かび上がってくる。延寿にたしなめられた平次は、奥へ
引っ込む。竹本の語りは、呂勢大夫。

「源太勘当の段」。「逃げてぞ入りにける」という枕。母親の考え出した解決策は、
「切腹」の代わりに「勘当」であった。千鳥も遠ざけた源太は、母親に宇治川の真相
を話す。父親には、言い訳せずに、恥辱を雪ぐため、切腹するというが、母親は、そ
れを止める。延寿は、平次に奥から古着を持ってこさせ、源太に素襖から古着に着替
えさせる。命を助ける代わりに勘当だと言い渡す。零落ぶりを強調しながらも、母親
の慈悲を感じる源太。一種の、やつしの演出と見た。産衣の鎧を持ち去るようにしむ
ける延寿。鎧を持っていこうと、具足櫃に近づくと、中から現れたのは、なんと、千
鳥。母親は、千鳥とともに、姿を消すようにと源太に暗示をしているのだと判る。い
わば、道行き。竹本は、千歳大太夫の、いつもながらの熱演。

「辻法印の段」は、ほとんど演じられない場面らしいが、実は、ここが、私には、い
ちばんおもしろかった。「山遠うして雲旅人の跡を埋む」という竹本で、西国の往還
の風情。千鳥の行方を探す姉のお筆。「投算占辻法印」という看板と注連飾りが、目
印の占いどころ。お筆は、辻法印に妹の行方を占ってもらうが、辻法印の占いのイン
チキさが、浮き彫りになる。辻法印の首(かしら)は、「三枚目、鼻動き」という滑
稽なもの。辻法印のいい加減さにあきれて、仕方が無く、また、妹を尋ねて出て行く
お筆。入れ替わりに、源太が戻ってくる。源太は、辻法印に匿われているのである。
千鳥は、梅ヶ枝と名前を変えて、神崎の傾城になっている。

源太は、出陣に備えて、大物の浦の百姓に「戦に勝ったら、倍にして返すから」と、
弁慶の名前を出して、弁慶の証文と引き換えに、兵糧米を借り受ける約束をする。大
物の浦の百姓たちが、兵糧米を持ってくると、辻法印を「弁慶」に仕立てて、百姓た
ちを信用させようとするが、室内で高下駄を履いて大男を偽装する辻法印の弁慶ぶり
が、笑いを誘う。「チャリ場」、パロディとして、おもしろくできている。辻法印の
パフォーマンスが、印象的だ。この部分だけ、落語として独立させ、今は亡き枝雀に
でも演じさせたら、おもしろいのにと思った。百姓たちが登場して、荷運びの場面だ
け、三味線方にツレが付いて、演奏が、賑やかになった。竹本の英(はなふさ)大夫
の語りも、笑劇に相応しい滋味があり、好演。

「神崎揚屋の段」。「世なりけり」という枕。定評のある見せ場。切は、嶋大夫が務
める。堪能の語りであった。神崎の千年屋(ちとせや)は、座敷に炬燵があり、歌舞
伎の「吉田屋風」。梅ヶ枝、源太と炬燵のからみも、「吉田屋」の夕霧、伊左衛門を
偲ばせる。梅ヶ枝の打ち掛けの裾のなかに源太が隠れる場面は、「曾根崎心中風」
か。

お筆は、やっと、妹の千鳥(梅ヶ枝)と巡り会う。父親の隼人の最期を伝えるお筆。
敵討ちを誓うふたり。頭に紫の帽子を着けて、大尽姿で遊郭に現れた源太。父親も弟
も、出陣するので、自分も出陣したい。産衣の鎧を受け取りに来たという。鎧を質に
入れている梅ヶ枝は、当惑気味。客をたぶらかして、金を工面するという梅ヶ枝。だ
が、当てなど無い。

源太が、去ると、三味線方は、ツレが出て、注目の手水鉢の場面、「二階の障子の内
よりも」まで、賑やかに演奏。大道具も、揚屋の座敷から、奥庭へ居所替わりとな
る。「二八十六で、文付けられて、二九の十八で、ついその心、四五の二十なら、一
期に一度。わしや帯とかぬ」というよそ事浄瑠璃の文句に怒る梅ヶ枝。再び,聞こえ
るよそ事浄瑠璃。「かへらぬ昔、恋忍ぶ」で、結。「あの客殺して身請けの金盗ま
う」と、梅ヶ枝。

その挙げ句、庭の手水鉢を「無間の鐘」に見立てて、来世の地獄を承知する代わりに
この世では、裕福になるようにと祈願する場面だ。髪飾りを徐々に取り払いながら、
髪をさばいて、祈願する梅ヶ枝。憑依状態に向けて、鬼気迫る場面。女方ながら、勘
十郎の主遣は、立ち回り風で、ダイナミックな動き。その結果、座敷の二階から奥庭
めがけて、小判が降ってくる。奇跡でも、何でも無い。大尽に化けて座敷に上がった
延寿の心遣い。「袖引きちぎり三百両。包むに余る悦び涙。(略)勇み勇んで」。
梅ヶ枝は、心躍らせて、下手に去って行く。

「奥座敷」に、大道具居所替わり。「走り行く」という枕。各段の竹本の枕が、それ
ぞれ、印象的。産衣の鎧を請け出して来た梅ヶ枝。千年屋に身を潜めて妹の戻りを
待っていたお筆は、殺された父親の敵は、番場忠太の主・梶原平三だと妹の梅ヶ枝に
言い、さらに、平三の長男の源太とは別れろと言う。そう言われて、近づく出陣を前
に焦る源太。

奥座敷の障子が開いて、隙間から、鏃のない矢(矢筈)が姉妹宛に2本飛んでくる。
知恵者の延寿の仕業である。姉妹へのパフォーマンス。手に持っていた鏃で自害をし
ようとする延寿。止める源太。自分の命を差し出し、お筆・千鳥の妹には、父親の仇
討ち替わりとし、源太を出陣させたいというパフォーマンスなのだ。戦略の根底にあ
るのは、「宇治川の恥辱をすすがねば最早一生景季は、勘当の身で朽ち果つる、それ
が可愛ひ不便にござる」という延寿の母としての愛情。姉妹に、それが受け入れら
れ、めでたし、めでたし。梶原家の家紋も、ふた筋の矢筈に改められることになる。

射手(いとどの)明神での、平三失策の1本の矢は、延寿の機転の2本の矢となっ
て、大団円。鎧兜の若武者姿になった源太に梅ヶ枝が、紅梅の枝を差し出すと、源太
は、それを箙に差して、「花も源太もわれ先駆けん」という延寿の声に背を押され
て、さあ、出陣となる。「矢箙梅(えびらのうめ)」の由来。

人形遣は、千鳥・梅ヶ枝の主遣に、普段立ち役の多い勘十郎が、女方に挑戦。
大部分は、静かに操っていたので、手水鉢の場面のダイナミックさが、生きていた。
梅ヶ枝の着る衣装を自分で縫ってという、入魂の舞台であった。延寿の主遣は、玉
也。源太の主遣は、和生。場面場面を綴り合わせるお筆の主遣は、清十郎。
- 2009年5月17日(日) 16:45:17
09年5月国立劇場人形浄瑠璃 (第1部/「寿式三番叟」「伊勢音頭恋寝刃」「日
高川入相花王」)


世界不況の時代に、景気付けの「寿式三番叟」

「寿式三番叟」は、「三番叟もの」でも、いちばん、オーソドックスなもの。人形浄
瑠璃であれ、歌舞伎であれ、能の「翁(おきな)」がベース。だから、能取りものら
しく、舞台背景は、中央奥に、老い松ながら、左右に枝を拡げて、緑豊かな一本の
松。

基本は、「かまけわざ」(人間の「まぐあい」を見て、田の神が、その気になり(=
かまけてしまい)、五穀豊穣、子孫繁栄、ひいては、廓や芝居の盛況への祈りをもた
らす)という呪術である。「三番叟」は、江戸時代の芝居小屋では、早朝の幕開き
に、舞台を浄める意味で、毎日演じられた。だから、出し物と言うより、一日の始ま
りの儀式に近い。儀式曲ともいう。

人形浄瑠璃の場合、「孔明」という肌色の首(かしら)を使う翁の人形が、さらに、
不思議な微笑をたたえた「翁面」つけることで、神格化するという約束になってい
る。下手の五色の幕から、白塗りの首の「若男」の千歳(せんざい)が、黒漆塗りの
面(めん)箱を持って登場する。やがて、翁も登場。ふたりの三番叟。全員そろった
ところで、「とうとうたらり たらりら」。千歳の颯爽とした舞。上手で、翁は、後
ろを向いている間に、「翁面」をつけている。荘重な翁の舞。金地に松の描かれた扇
を拡げる。終わると、翁は、面を外して退場。続いて、人形浄瑠璃の三番叟は、首
が、肌色の「又平」、白塗りの「検非違使」という、ふたつの人形がテンポよく踊り
始める。剣先烏帽子を被り、黒地に鶴の絵柄の半素襖という衣装を着用。人形ならで
はの、躍動的な動きで、激しく、賑やかに舞う「揉みの段」。地面を固めるので、足
音も大きい。続いて、千歳から、稲穂を象徴する鈴が手渡され、「鈴の段」。千歳
は、面箱を持ち、退場。残されたふたりの三番叟は、舞台の東西南北に動き回り、種
を撒く所作。主遣いに、ぴったりくっつきながら、足遣いは、人形の脚を大きく振り
動かしながら、移動する。それ故に、「又平」の三番叟は、くたびれてしまい、フラ
フラになったという所作の後、舞台の下手に座り込んで、一休みをしていて、「検非
違使」の三番叟に注意される始末。

今回は、翁を綱大夫、千歳を文字久大夫、三番叟を南都大夫、始大夫ら9人の大夫。
三味線方が、鶴澤清治ら9人。18人が、2段の雛壇で、舞台正面奥に並ぶので、迫
力がある。人形遣は、千歳を清十郎、翁を和生、三番叟の「又平」を勘十郎、「検非
違使」を玉女。

三番叟は、連れ舞で、ほぼ同じ動きをするので、どうしても、勘十郎と玉女の人形の
動かし方を比較してしまう。総じて、首の動きを始め、所作が、ダイナミックなの
が、勘十郎で、メリハリのある動きをする。一方、玉女は、おおらかというか、おっ
とりというか、遅れてついてくるという感じが強かった。

連れ舞では、「ダンダンダンダン」という足踏みの音。「テケテンテンテケテンテ
ン」「スッテンスッテンスッテンスッテン」という三味線の音。なんとも、賑やか
で、陽気で、元気が出る演奏。五穀豊穣、子孫繁栄。平和祈願。世界不況の時代に、
景気付けの演目。


重厚で、安定感のある、下世話話という「伊勢音頭恋寝刃」の妙味

人形浄瑠璃の「伊勢音頭恋寝刃」は、初見。歌舞伎では、何度も見ているが、人形浄
瑠璃独特の演出を楽しみに拝見。「伊勢音頭恋寝刃」は、1796(寛政8)年、実
際に伊勢の古市遊廓であった殺人事件を題材にしている。事件後、およそ2ヶ月、急
ごしらえで作り上げられ、大坂角の芝居で歌舞伎上演された、いわゆる「一夜漬け狂
言」だけに、戯曲構成としては無理がある。原作者は、並木五瓶が江戸に下った後、
京大坂で活躍した上方歌舞伎の作者近松徳三ほか。いわば、書きなぐったような作品
だが、芝居には、「憑依」という、神憑かりのような状況になるときがあり、それが
「名作」を生み出し、後世の役者の工夫魂胆に火を付ける。この芝居は、もともと説
明的な筋の展開で、ドラマツルーギーとしては、決して良い作品ではない。ドラマツ
ルーギーの悪さを演出で補った。1838(天保9)年に、人形浄瑠璃に移されて、
上演された。二代目豊澤団平が、「油屋」「十人斬り」を大幅に改訂して、今の形に
したという。

贅言:歌舞伎は歌舞伎で、工夫をし、「江戸型」として、静止画的な絵姿の美しさを
強調した、いまのような演出に洗練したのが、幕末から明治にかけて活躍し、「團・
菊・左」として、九代目團十郎、初代左團次と並び称された五代目菊五郎だという。
上方に残った型は、「和事」の遊蕩児の生態を強調したもの。人形浄瑠璃は、人形浄
瑠璃で、創意工夫をし、歌舞伎は,歌舞伎で、江戸型、上方型と、創意工夫をしたと
いうから、おもしろい。

「一夜漬け狂言」が、その後も、長い間上演され続ける人気狂言として残った理由
は、お家騒動をベースに、主役の福岡貢へのお紺の本心ではない縁切り話から始まっ
て、ひょんなことから妖刀「青江下坂」による連続殺人へという通俗的なパターンが
受けたのだろう。この筋立ては、人形浄瑠璃も歌舞伎も共通。大道具の展開は、それ
ぞれ独自。歌舞伎なら、廻り舞台を使う場面で、人形浄瑠璃は、大道具を押し出した
り、引き戻したり、上に、引っぱりあげたり。渡り廊下が、引き戻された前の大道具
の前に降りてきたり。これはこれで、スムーズに展開するので、感心してみていた。
大勢での伊勢音頭に乗せた殺し場の様式美は、歌舞伎独自。殺しの演出の工夫は、人
形浄瑠璃も歌舞伎もそれぞれ。人形浄瑠璃の殺し場では、歌舞伎の「鈴ヶ森」よろし
く、首が飛んだり、腕や脚が、斬り取られたりと、戯画的なリアリズムで、人形なら
ではの演出と見た。殺された人形は、どんどん、魂が抜かれて行く。主遣が、人形を
置いて去り、左遣が、「遺体」を片付けるという感じ。

今回,初めて、人形浄瑠璃の「伊勢音頭恋寝刃」を観て、いろいろ参考になった。そ
ういう工夫魂胆の蓄積が飛躍を生んだという、典型的な作品が、この「伊勢音頭恋寝
刃」だろうと、思う。最後に、お家騒動の元になった重宝の刀「青江下坂」と「折紙
(刀の鑑定書)」が、揃って、殺人鬼と化していた貢が、急に、正気に返り、主家筋
へふたつの重宝を届けに行く、正義の味方として、「めでたし、めでたし」となった
という俗っぽさ。それが良いのだろう。

「古市油屋の段」は、住大夫の語りで、たっぷりと堪能した。三味線方は、野澤錦
糸。女郎・お紺(首は、娘)を遣うのは、文雀。仲居・万野は、歌舞伎より、人形浄
瑠璃の方が、より憎まれ役で、「さあ、お斬り」などと、女が肩で、男を押し戻すな
ど、福岡貢に悪たれをつく場面は、人形浄瑠璃の方が、圧巻だ。首は、「八汐」とい
う。「先代萩」の「八汐」を使っている。万野を遣うのは、簑助。いつもながら、無
表情のようでいて、人形より情愛が濃い表情を滲ませるので、顔から目が離せない。
福岡貢(首は、「源太」)を遣うのは、玉女。

遊女・お鹿の首は、「お福」。いわゆる、お多福顔である。歌舞伎では、田之助が好
演。類型ばかりが目立つ、典型的な筋の展開、人物造型の弱い「伊勢音頭恋寝刃」の
中で、お鹿は、類型外の人物として、傍役ながら難しい役柄。貢への秘めた思いを滑
稽味で隠しながらの演技。人形浄瑠璃では、お鹿には、それがない。料理人・喜助の
首は、「検非違使」。傍役ながら、貢の味方であることを観客に判らせながらの演技
という、いわば「機嫌良い」役どころ。これは,歌舞伎と同じだった。「奥庭十人斬
りの段」は、津駒大夫の語りに、鶴澤寛治の三味線。竹本の大夫も、三味線方も、人
形遣も、人間国宝が、多数出ている、重厚で、安定感のある、それでいて、下世話話
という「伊勢音頭恋寝刃」の妙味を、たっぷり堪能した。アンバランスの妙味。


「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」は、歌舞伎では、拝見したことが
あるが、人形浄瑠璃は、今回、初見。道成寺伝説の背景に藤原純友の「天慶の乱」を
使って、近松半二、竹田小出雲らが合作した。今回は、原作の四段目に当たる「真那
古庄司館(まなごのしょうじやかた)の段」「渡し場の段」が、上演された。前回、
1980(昭和55)年に、およそ100年ぶりに復活されたという「真那古庄司
館」の場面は、歌舞伎では、見ることができない。

贅言:この演目(渡し場)を歌舞伎で観たのは、05年10月・歌舞伎座。歌舞伎で
は、清姫役の坂東玉三郎が、全編、人形振り(役者が、人形浄瑠璃の人形に似せた動
きをし、科白は、竹本が語る)で演じきり、愉しく拝見。主な役者が3人しか出ない
芝居で、玉三郎の相手をする道化の船頭も、全編人形振りで演じる。極めて珍しい演
出の出し物であった。演じるのは、坂東薪車。もう一人の役者は、菊之助。清姫の人
形を操る主遣(人形遣)の役である。ほかに、後見のような人形遣役に5人が出演。
清姫の人形遣は、主遣の菊之助のほかに、ふたりが付き、ちゃんと三人遣になってい
る。船頭の人形遣は、ふたりであった。残りの一人は、舞台下手に立ち、足を踏みな
らして、足音を演じていた。嫉妬に燃える若い女の「激情」を、激情ゆえに、人形
の、ややぎくしゃくした動きで表現するという歌舞伎演出の逆説が、おもしろい発想
だと思った。ここは、下手な人形遣が操る人形の動きを真似、「人形の振りの欠点を
振りにする」と、人形らしく見えるというのが、先代の、三代目雀右衛門の藝談だと
言うから、おもしろい。ならば、本物の人形浄瑠璃では、どういう演出をするのか。
興味深いではないか。

「真那古庄司館(まなごのしょうじやかた)の段」は、館を熊野詣での宿と提供して
いるという設定。清姫は、庄司の娘で、去年、都で見初めた男が、忘れられない。桜
木親王の行方を追うおだ巻姫が、同宿していて、同じ若い娘同士で、それぞれが恋す
る男の噂をし合っている。桜木親王を捕まえようと追う剛寂僧都と鹿瀬十太が、現れ
るが、鹿瀬は、清姫に横恋慕している。安珍に身をやつした桜木親王が宿にやってく
ると、その男こそ、清姫が、焦がれていた男だと知れる。安珍、実は、桜木親王は、
首が、「源太」で、安宅の関を破る義経風の扮装。追われる者の類型化が感じられ
る。仲の良かった若い娘は、ここで、互いが恋敵と知るようになり、悲劇が始まる。
鹿瀬は、安珍、実は、桜木親王を捕まえようとするが、庄司の機転で、安珍は、清姫
の許嫁で、桜木親王ではないと言い抜ける。それを真に受け、さらに恋心を募らせて
しまう清姫。しかし、清姫に黙って、おだ巻姫といっしょに逃げてしまう桜木親王。
残された清姫は、より一層、嫉妬心を燃え上がらせて、親王一行の後を追うことにな
る。

「真那古庄司館の段」の、切場の語りは、咲大夫。ことしの4月から切場語りに昇格
した咲大夫である。切場語りの現役は、住大夫、綱大夫、嶋大夫に続いて,4人目。

「渡し場の段」は、日高川。舞台下手は、高めの土手。杭に「日高川」と書かれてい
る。「安珍さまいのう」と逃げた安珍を追って来た清姫。舞台中央より上手側に渡し
船。夜半とて、船頭は、船の中で寝ているようだ。船頭に向こう岸に渡して欲しいと
清姫が頼むが、寝ているところを起こされて、機嫌の悪い赤っ面の船頭は、要求を拒
む。先に渡した桜木親王一行から、金をもらっていて、追っ手を船に乗せるなと約束
しているらしい。それを知り、愛憎逆転の清姫。

ふたりの問答から、清姫のくどきになる。余計に嫉妬心を燃え立たせる清姫。船頭を
乗せた船は、上手に逃げる。それを追うように、清姫は、川へ飛び込む。人形遣の主
遣の紋寿は、清姫の人形を川の中へ、放り投げるように手から外すのが、おもしろ
い。一旦、魂を抜く形になる。土手の大道具は、下手に引き入れられる。船は、上手
に引き入れられる。日高川の真ん中で、川の浪布が舞台前面を覆い、中に人が入って
いて、上下に激しく動かす。濁流である。

浪布のなかで、川の中に降りて来た人形遣が、清姫に命を吹き込む。姫から大蛇に変
身した清姫。人形遣の紋寿は、銀箔の鱗形の模様の衣装の大蛇と赤姫の衣装の清姫の
人形2体を巧く使い分ける。元々、人間の化身である人形が、人間らしさを超越し、
魔神のような超能力を持つ大蛇に変身して行くスペクタクルが、日高川の流れの中で
展開される。姫のほどけた帯が、蛇の尻尾を見立てられる。水に潜り、浮き上がり、
再び、泳いで行く。清姫から、大蛇へ、そして、再び、清姫へ。やがて、土手が、上
手から現れる。対岸に辿り着き、岸辺に生えた柳の木に抱き付き、見得となる。

それと同時に、日高川の夜が明けて、舞台の背景は、黒幕から、遠い山々も含めて、
桜も満開の日高川の遠景。自然は、のどかであるが、人事は、壮絶。清姫は、桜木親
王一行が逃げ込んだと思われる道成寺目指して、追いかける。粘着質の姫君は、めら
めらと嫉妬心を燃やし続けている。

人形遣は、清姫は、既に紹介したように、紋寿。庄司は、玉也。桜木親王は、勘弥。
- 2009年5月16日(土) 20:49:16
09年4月歌舞伎座 (夜/「毛谷村」「吉田屋」「曾根崎心中」)

夜の部は、いずれも、何回か観た演目なので、今回は、視点を変えて、「3つの不条
理劇」という新たな視点で、劇評をまとめてみたい。


「毛谷村」は、5回目の拝見。本興行のほかに、NHKホールで、観たことがある。
主役の六助は、百姓ながら、剣術の名人である。毛谷村の場面では、六助宅の横に、
立て札があり、「六助に勝ったら、五百石で召し抱える 領主」という趣旨が,書か
れている。幕が開くと、六助(吉右衛門)と微塵弾正、実は、京極内匠(歌昇)が、
立ち会っている。先頃、実母を亡くしたばかりの六助は、病身の老母に仕官姿を見せ
たいという微塵弾正の情にほだされて「八百長」の約束ができていたらしく、六助
は、微塵弾正に勝ちを譲る。にもかかわらず、偽りの勝ちを占め、立ち会いの領主の
家臣とともに去る際、微塵弾正は、急に態度を変えて、六助の眉間を割って、出かけ
て行くが、六助は、母親への孝行を忘れてくれるなと、鷹揚に送り出す人の良さを見
せる。そういう人物造形の所為か、吉右衛門は、六助を当たり役の一つとした初代か
ら,この役を受け継ぎ、本興行で、今回、8回目の上演となる。

六助は、師匠の吉岡一味斎の娘・お園を妻とすることになり、その後は、秀吉の前
で、相撲を取って、勝ち抜き、それが縁で、加藤清政の家臣になり、朝鮮出兵の際に
は、清政とともに朝鮮まで出向き、その後、帰国。62歳で病死したという。モデル
は、実在の人物なのである。だから、九州の地元には、いまも、六助が、大男で、力
持ちだったという「巨人伝説」がある、という。だから、舞台の「毛谷村」でも、六
助が、庭の捨石を踏み沈める場面がある。剣豪であり、力持ちであるという六助を描
く演出だ。また、お園も、力持ちの大女(身長が、1メートル80センチという)で
ある。重い臼を動かす場面があるくらいだ。お園は、それに気づいて、恥ずかしそう
にしたりもする。そういう女性である。女性ながら、お園は、力持ちで巨人伝説のあ
る六助の分身でもあるのだろう。「女武道」と呼ばれる役柄に類型化されるお園だ
が、いわば、両性具有の、妖しさを感じさせなければならないと、私は思う。敵を探
し、遺族を探すために、女ながら、虚無僧姿に身をやつしたお園登場の場面では、笠
で顔が見えないだけに、男っぽく、大きく見えなければならない。花道出の足の踏み
方、六助との立ち回り、特に子役を左脇に抱えての立ち回りなどの場面では、力持ち
に見えなければならない。そういう男っぽさの後、六助が、父・一味斎が決めた夫に
なる人と判ると、急に女らしく、色っぽく見せる緩急の対比が、生きて来る。ここ
は、柄が、大きく見えたり、小さく見えたり、してほしい場面だと思う。「毛谷村」
のお園は、男姿の虚無僧→力持ちの女性→恥ずかしがりの婚約者→父の敵討ちを決意
する娘と変化しなければならない。

一方、敵役の微塵弾正、実は、京極内匠は、明智光秀の遺子という想定であるから、
光秀と秀吉の対決構図でもある。六助は、実は、秀吉方なのである。その京極内匠
は、実は、六助の師匠の吉岡一味斎、つまり、お園の父親の敵であったということが
判る仕掛けになっている。舞台では、演じられないが、弾正、実は、内匠は、一味斎
を光秀方の残党より渡された短銃で狙い撃ちして、殺しているのである。「毛谷村」
の幕開き冒頭の立ち会いは、そういう背景を承知して観なければならない。すべて、
一味斎遺族の敵討ちへの布石である。その後は、主な登場人物たちが、師匠の一味斎
の遺族と判り、先ほど、勝ちを譲った弾正が、実は、師匠の敵の内匠と判りと、畳み
掛けるように真実が判明する。その経緯を踏まえて、六助が、後見役として、お園ら
に助太刀をすることになり、敵討ちに出発するというのが、この芝居の流れである。

このほか、京極内匠のモデルが、佐々木小次郎、六助のモデルが、宮本武蔵という説
もあるから、おもしろい。いろいろな要素を、いわば、ごった煮にして、作り上げら
れたらしい。原作は、1786(天明6)年の初演で、作者は、梅野下風、近松保蔵
という、今では、あまり知られていない人たちである。狂言作者は、有名な人が、当
り狂言を残すばかりでなく、無名な人たちも、著作権などない時代だから、先行作品
を下敷きにして、良いところ取りで、筆が走り、あるいは、筆が滑り、しながら、新
しい作品を編み出しているうちに、神が憑依したような状態になり、当たり狂言を生
み出すことがある。「毛谷村」も、そのひとつで、さまざまな先行作品の演出を下敷
きにしながら、庭に咲いている梅や椿の小枝を巧みに使って、色彩や形などを重視し
た、様式美を重視した歌舞伎らしい演出となる。その上、敵味方のくっきりした、判
り易い筋立てゆえか、人形浄瑠璃の上演史上では、「妹背山」以来の大当たりをとっ
た狂言だという。

今回の主な配役は、六助:吉右衛門。お園:福助。お幸:吉之丞。弾正:歌昇。斧右
衛門:東蔵。

しかし、今回は、さらに,一皮むいて、劇評を書いてみたい。それは、この古くさい
歌舞伎の人気狂言が、別の光を当ててみると、意外と、モダンな不条理劇に見えてく
るという視点の提供だ。敵役の弾正が、幕開き早々の場面で、まさに「一芝居」うっ
て、六助を騙すが、騙された六助は、何とも思っていない。それどころか、旅の老
女・お幸(吉之丞)が現れ、疲れたので、暫く休ませてほしいというのにも、六助
は、快く頷く。暫くすると、老女は、六助が、先頃、母をなくしたのなら自分を母親
にしないかと持ちかける。いわば、押し掛け母親だ。

やがて、孤児の弥三松(やそまつ)が、戻ってくる。この子どもも、旅の付き添いの
侍を殺され、一人だけになったので、六助が、面倒を見ている。身元が、判るように
と家の前の物干にこの子どもが着ていた衣装を掲げてある。

さらに、虚無僧姿に身をやつした人物が,訪れて来る。男姿だが、腰の辺りは、色っ
ぽい。弥三松の衣装を見つけて、六助を敵と勘違いして斬りつけてくる。これが,実
は、お園なのだ。お園の姿を見つけて、弥三松は、「おばさま」と呼びかけたので、
お園は、六助への誤解を解くばかりか、父親の吉岡一味斎から六助を夫として仕える
ようにと言われて来たということで、女房にして欲しいと言い出す。

そういう事情が、芝居の展開とともに解きほぐれてくると、先ほどの老女が、実は、
自分は、吉岡一味斎の妻(弟子が、師匠の奥方や娘を知らなかったというのも、荒唐
無稽だが)だと告白する。独身の男の六助にとっては、まず,子ども(息子になる
か)を助け、義理の母を休ませ、女房を迎え(敵と勘違いされるという,乱暴な迎え
方だが)で、結局、押し掛け家族を引き受けて、という展開になる。これでは、安部
公房の不条理な戯曲のように、「押しかけ家族の不条理劇」という味わいのある、極
めてモダンな喜劇が,浮かび上がってくるから不思議だ。

因に、私が観た「家族」では、六助:吉右衛門(今回含め、3)、團十郎、梅玉。お
園:時蔵(2)、鴈治郎、芝翫、今回が、福助。お幸:吉之丞(今回含め、2)、又
五郎、歌江、東蔵。


「はんなり(華あり)」した上方和事の「吉田屋」。「吉田屋」は、7回目の拝見。
私が観た伊左衛門は、仁左衛門が、今回含めて、5回目(外題も、「夕霧伊左衛門 
廓文章 吉田屋」)で、鴈治郎時代を含め、坂田藤十郎が、2回(こちらの外題は、
玩辞楼十二曲の内、「廓文章 吉田屋」)。

松嶋屋型(八代目仁左衛門型、大阪風)の伊左衛門と成駒屋型(京風)の伊左衛門
(いまは、「山城屋型」か)は、上方歌舞伎ながら、衣装、科白(科=演技、白=台
詞)、役者の絡み方(伊左衛門とおきさや太鼓持ちの絡みがあるのは、松嶋屋型)な
ど、ふたつの型は、いろいろ違う。竹本と常磐津の掛け合いは、上方風ということで
仁左衛門も藤十郎も、同じ。一方、江戸歌舞伎では、六代目菊五郎以来、清元だが、
私は、観ていない。上演記録を見ると、江戸歌舞伎での上演は、18年前の、199
1年12月の歌舞伎座が最後で、勘九郎時代の勘三郎が、伊左衛門を演じていて、相
手役の夕霧は、玉三郎である。因に、玉三郎の夕霧は、本興行で、今回含めて、10
回演じられていて、相手役の伊左衛門を見ると、江戸歌舞伎では、先代の勘三郎と当
代の勘三郎が、それぞれ1回で、上方歌舞伎では、孝夫時代を含めて、仁左衛門で、
今回含めて、7回、鴈治郎時代の藤十郎で、1回となっていた。

仁左衛門の、花道の出は、差し出し(面明り)。これも、松嶋屋の型である。黒衣
が、ふたり、黒装束ながら、衣装を止める紐が、赤いのが印象的であった。背中に廻
した長い面明りを両手で後ろ手に支えながら、仁左衛門の前後を挟んで、ゆっくり歩
いてくる。前を行く黒衣は、後ろ歩きだが、多分、面明かりの長い柄で方向感覚のバ
ランスを取り、無事に直進しているのだろうと思う。網笠を被り、紙衣(かみこ)の
みすぼらしい衣装を着けた伊左衛門は、ゆるりとした出になる。黒地と紫地の着物で
ある紙衣(かみこ)は、夕霧からの恋文で作ったという体で、「身を松(「待つ」に
かける)嶋屋」とか「恋しくつれづれに」とか「夕べ」「夢」「かしこ」などという
字が、金や銀で,縫い取られているように見える。明りが、はんなりとした雰囲気を
盛り上げる。仁左衛門が、本舞台に入り込むと、ふたりの黒衣は、横歩きで、下手、
袖に引っ込む。

吉田屋の前で、店の若い者に邪険に扱われる伊左衛門。やがて、店先に出て来た吉田
屋喜左衛門(我當)が、編笠の中の顔を確認し、勘当された豪商藤屋の若旦那と知
り、以前通りのもてなしをする。まず、伊左衛門は、喜左衛門の羽織を貸してもら
う。次いで、履いていた草履を喜左衛門が差し出した上等な下駄に鷹揚に履き替え
る。身をなよなよさせて、嬉しげに吉田屋の玄関を潜る。その直後、吉田屋喜左衛門
が、伊左衛門から預かった編笠を持ち、自分の履いている袴を持ち上げて、伊左衛門
のパロディを演じてみせて、客席の笑いを取る。舞台には、正月準備の華やぎがある
だけに、歌舞伎座の場内には、一気に、江戸時代の上方の、正月の遊廓の世界に引き
込まれて行く。

吉田屋の店先にあった注連飾りは、観客席からは、見えにくい紐に引っ張られて、舞
台上(手)下(手)に消えて行く。店先の書割も、上に引き上げられて、たちまち、
華やかな吉田屋の大きな座敷に変身する。下手、白梅が描かれた金襖が開くと、伊左
衛門が、入って来る。迎える仲居たち。おそめを演じるのは、われらが、芝のぶ。

この演目は、いわば、豪商の若旦那という放蕩児と遊女の「痴話口舌(ちわくぜ
つ)」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の能天気さが売り物の、明るく、おめ
でたい和事。他愛ない放蕩の果ての、理屈に合わない不条理劇が、楽しい舞台になる
という不思議。江戸和事の名作「助六」同様、「吉田屋」は、無名氏(作者不詳)に
よる芝居ゆえ、「毛谷村」よりも、さらに無名の、歴史に残っていないような、しか
し、歌舞伎の裏表に精通した複数の狂言作者が、憑依した状態で、名作を後世に遺
し、後世の代々の役者が、工夫魂胆の末に、いまのような作品を遺したのだろう。
「助六」が、江戸の遊廓・吉原の街を描いたとしたら、「吉田屋」は、上方の遊廓の
風情を描いたと言えるだろう。楽しむポイントのひとつは、正月の上方の廓の情緒
が、舞台から、匂いたち、滲み出て来るかどうか。不条理の条理を気にせずに、楽し
めばよいという芝居だろう。

仁左衛門の伊左衛門は、かなり意識して、「コミカルに」演じていた(「三枚目の心
で演じる二枚目の味」)。表現は悪いかもしれないが、「莫迦殿様」風の、甲高い声
で、コミカルに明るい科白回しで、仁左衛門は、伊左衛門を演じる。男の可愛らしさ
と大店の若旦那の格の二重性。藤十郎の伊左衛門も、阿呆な男の能天気さを、「華や
かに」演じていた。「莫迦では無い、莫迦に見せる」ことが肝心。「夕霧にのろけ
て、馬鹿になっているように見えない(よう)では駄目だ」と、昭和の初めに亡く
なった十一代目仁左衛門の藝談が遺る。当代の仁左衛門も、お家の芸風を堅持してい
るように思われる。

仁左衛門は、伊左衛門に大店の若旦那という位取りを意識して、演じていると言う。
本興行で、孝夫時代から通算して、12回目の出演。藤十郎は、今回含めて、扇雀、
鴈治郎時代から通算して、11回目の出演、というから、実際に、ふたりとも、持ち
役、当り役である。仁左衛門の味も、藤十郎の味も、どちらも、捨て難い。

私が観た夕霧は、玉三郎(今回含め、3)、雀右衛門(2)、福助、魁春。伊左衛門
一筋という夕霧の情の濃さは、雀右衛門。色気、けなげさは、やはり、玉三郎。同じ
舞台を2回観た今回(観劇回数は、1回とカウントする)は、このうち、1回は、舞
台中央から2列目の席で観ただけに、玉三郎の美しさは、格別であった。若い菊之助
と「京鹿子娘二人道成寺」などを踊ると、年齢的に菊之助の若さと比較されて損だ
が、ひとりで舞台前方に出てくる場面では、まだまだ、容色の衰えなど感じさせない
美しさがある。「もうし伊左衛門さん、目を覚まして下さんせ。わしゃ、煩うてな
あ」という科白が、可憐で、もの寂しい。

吉田屋の喜左衛門(我當)とおきさ(秀太郎)夫婦は、松嶋屋型では、伊左衛門と夫
婦ともども絡ませるが、成駒屋型では、おさきは、伊左衛門と直接、絡んで来ない。
我當、秀太郎の夫婦役は、今回含め、4回拝見。なかでも、秀太郎のおきさは、5回
目の拝見(1回は、左團次の喜左衛門)。上方味あり、人情ありで、このコンビの喜
左衛門とおきさは、安定感がある。我當の喜左衛門役は、本興行で、8回目、秀太郎
のおきさ役は、12回目という。落魄した伊左衛門を囲むふたりの雰囲気には、しみ
じみとしたものがある。今回、我當は、左脚が、不具合なようであったが、心配して
いる。秀太郎は、おきさその人に自然になり切るバランスを考えての出演らしい。大
坂の遊廓の女将という風情は、秀太郎が、舞台に姿を見せるだけで、匂い立つ。筋書
きに名前のある4人の仲居、名無しの8人の仲居が、夫婦をサポート。

贅言:いつも思うのだが、置き炬燵の使い方が、巧い作品だ。正月の遊廓という、部
屋の雰囲気を出す大道具であり、持ち運びのできる小道具でありという、巧みな使い
方をする。炬燵蒲団の太い斜線の模様とともに、印象に残る道具だ。伊左衛門の夕霧
に対する嫉妬、喜びなどが、大波、小波で揺れ動く様が、炬燵とともに表現される。
巧みな演出だ。炬燵は、最後まで、主要な居所を占めているので、注意してみている
と、おもしろい。芭蕉の句。「住みつかぬ旅のこころや置炬燵」。掘炬燵と違って、
どこへでも、動かせる置炬燵の妙味。放蕩児・伊左衛門の自由な存在感は、置炬燵
が、象徴しているのかも知れない。炬燵を軸に、伊左衛門は、座ったり、寝たり、す
ねたり、入ったり、腰を掛けたり、乗り越えたり。

阿波の大尽の座敷に夕霧が出ていると聞き、座敷まで出向く伊左衛門。ちんちんべん
べんちんちんべんべんという三味線の音に急かされるように、急ぎ足。舞台の座敷上
手の銀地の襖をあける伊左衛門。距離感を出すために、細かな足裁きで、コミカルに
奥へ奥へと進んで行く伊左衛門。次いで、花柄が描かれた銀地の襖、次いで、鶴が描
かれた金地の襖、また、紅梅が描かれた銀地の襖(これは、舞台下手の白梅が描かれ
た金地の襖と対になっているのだろう)、そして、最後の障子の間へと行き着く。座
敷の様子を伺い、不機嫌になって戻って来る伊左衛門。帰ろうとしたり、炬燵でふて
寝をしたり、待つことのいら立ちが、芝居の軸になる。「吉田屋」は、ある意味で、
「待つ芝居」だろう。待つことで、一芝居打つ。

「むざんやな夕霧は」で、やがて、夕霧登場。玉三郎は、持ち紙で観客に顔を隠した
まま、舞台前面近くまで出てくる。そこで初めて、顔を見せる。場内から、溜息が漏
れる。病後らしく、抑制的な夕霧。すねて、ふて寝の伊左衛門は、夕霧を邪険にす
る。伊左衛門の勘当を心配する余り、病気になったのに、何故、そんなにつれなくす
るのかと涙を流す夕霧。「わしゃ、煩うてなあ」。そう,直接的に言われては、伊左
衛門も、可愛い夕霧を受け入れざるをえない。背中合わせで、仲直りするふたり。や
がて、伊左衛門の勘当が許されて、藤屋から身請けの千両箱が届けられる。黒地に雪
の枝と鶴などが、銀と金で縫い込まれた打掛けから、赤地に金で孔雀が縫い取られた
打掛けに着替える夕霧。めでたしめでたし、という、筋だけ追えば、他愛の無い噺。
竹本は、美声の綾太夫を軸に3人。常磐津は、筆頭の一巴太夫の美声が、響き渡る。


「曾根崎心中」は、今回で、3回目だが、実は、今回は、日を違えて、2回拝見した
(観劇回数は、1回とカウントする)。お初は、鴈治郎時代を含めて、藤十郎で、3
回目。徳兵衛は、いずれも、翫雀で、3回目。

「曾根崎心中」は、近松門左衛門の原作を宇野信夫が戦後に脚色したもの。1953
年、新橋演舞場。21歳の二代目扇雀が初演で、好評。扇雀から鴈治郎、そして、坂
田藤十郎へ。56年も演じ続け、いまなお、新たな工夫魂胆の気持ちを持ち続けてい
る藤十郎の舞台を愉しむ。前回は、2階の東桟敷席。今回は、本舞台直近(過ぎるほ
ど)の、2列目中央と、別の日に、2階席、という具合で、じっくり拝見した。しか
し、客席は、暗いので、ウオッチングのメモが取れないのが、残念。

定式幕で、幕が開きながら、「生玉神社境内」、「北新地天満屋」、「曾根崎の森」
への展開に当たり、死の道行きでは、スポットライトを使うほか、暗転、暗い中で
の、2回の廻り舞台、閉幕は、緞帳が降りてくるという歌舞伎らしからぬ新演出で見
せる。まさに、宇野演出の、新歌舞伎とも言うべき「近松劇」である。

藤十郎は、今回の興行でお初を1300回も演じたことになるというだけに、もう、
その味わいは、熟成期に入っている。翫雀も、地味な勤労青年・徳兵衛を本興行だけ
でも、17回目の上演というから、地味は、すでに滋味となり、良い味を出してい
る。お初は、性愛の喜びを知ったばかりに、それさえ求められれば、なにもいらない
という感じの若い女性で、怖いもの無し。節目節目には、メリハリを感じさせなが
ら、ぐいぐいと徳兵衛を引っ張って行く。それでいて、若さの持つ華やぎと、軽さを
滲ませている。年上の徳兵衛は、そういう若い女性に手を焼きながらも、引かれて行
く。悲劇のベースは、もっぱら、徳兵衛が、醸し出さなければならない。

まず、生玉神社境内では、縁談を断ったという徳兵衛(翫雀)の話を聴いて、無邪気
に手を叩くという、現代的な若い女性のような行動を取るお初。気持ちを素直に外に
表す女性なのだろう。藤十郎の「お初」は、年齢を感じさせない初々しさで、お初
は、永遠に「今」を生き続ける若い女性、時空を超えた永遠の娘として見えて来る。

翫雀の徳兵衛も、熱演。気は良いが、弱い男を過不足なく演じる。天満屋の縁の下に
隠れ、お初と死の道行きの覚悟を確かめあう名場面(「独語になぞらえて足で問へば
打ちうなづき、足首とって咽喉笛撫で自害するぞと知らせける」)を含め、父子の息
は、ぴったりで、叮嚀に練り上げるように舞台は進んだ。床下の徳兵衛をスポットラ
イトが、きちんと浮かび上がらせる。

「わしも、いっしょに、死ぬるぞなあ」、藤十郎のお初の眼が光る。新演出も、歌舞
伎味に不調和にならず、新歌舞伎の近松劇というベースと現代劇の不幸な恋愛劇が、
バランスを崩さない。「曽根崎心中」は、性愛の魔力にとらわれた若い女性主導によ
る性の不条理劇という,コアを隠し持っている。

上方歌舞伎の面白さは、演技、演出、科白回しのほかにも、ある。例えば、大道具。
江戸歌舞伎の大道具と違うことが、多く、それを発見するのも、上方歌舞伎の愉し
み。2階の拵えなどは、良く言われるが、今回は、天満屋の玄関の作り。天満屋は、
店を開いているときは、玄関には、大きな暖簾が掛っているだけで、戸がない。北新
地の遊女屋は、お客が入りやすくなければ商売にならない。見ていると玄関の内側、
暖簾の上の空間に格子戸2枚が収納されている。どういう仕掛けになっているのかと
思って、密かに劇の進行を見守っていると、夜になり、店を閉めるときに、暖簾を仕
舞い込んだ下女のお玉(寿治郎)は、収納されていた格子戸を引きずり下ろして、戸
締まりをした。

店の灯も消され、店先の座敷に煎餅蒲団を敷き、寝入る下女の寿治郎は、眼もくりっ
としていて、愛嬌者。お尻の辺りが、ほつれた寝間着姿など、いろいろ笑わせる。寿
治郎のお玉は、心中ものという、陰々滅々な物語の中で、救いのあるチャリ(笑劇)
の味を一手に引き受けている。本興行だけでも、9回目という、持ち役である。悲劇
の前の笑劇は、歌舞伎の定式の演出。「だんまり」もどきの動きで、天満屋室内の闇
を抜け出した徳兵衛とお初。花道七三で、戦後の歌舞伎に衝撃を与えた、お初、徳兵
衛の居処替り。咄嗟の演技から生まれた瞬発力のある演出で、お初が、積極的に先行
して死にに行く、道行きの新鮮さ。スポットライトに照らされたふたりの出に、「此
の世の名残り夜も名残り」という近松原作の古風な竹本の語りが、かぶさってくる。

残された天満屋では、徳兵衛を窮地に陥れた油屋九平次(橋之助)の悪書巧みが、平
野屋の主人で伯父の久右衛門(我當)によって、暴かれ、名誉回復する徳兵衛だが、
それを本人に伝えるすべが無い。この場面は、実は、史上初めての「世話狂言」とし
て、歴史に登場した1703(元禄16)年の初演時には、無かったという。久右衛
門の登場は、1717(享保2)年の再演時を待たなければならない。

お初、徳兵衛の「愛と死のコンビ」を、なんとか支えようとする伯父の久右衛門、彼
らに敵対する憎まれ役の油屋九平次(通称、あぶく)と、その取り巻きたち、そし
て、世間とも言うべき、生玉神社境内の藤棚見物にやってくる参詣の男女の町人た
ち。町人たちは、いつの間にか、舞台に現れ、動く背景のような効果を出しながら、
徳兵衛と九平次らの争いを遠巻きにし、更には、九平次らに味方し、九平次らが去っ
た後も、徳兵衛を「騙りめ」と決めつけて、非難までする。世間の「空気」の作られ
方を象徴するような巧い舞台展開である。

暗転。暗い中、舞台は、幕を閉めずに、廻る(藤十郎襲名以降の新たな演出であ
る)。「曾根崎の森の場」。「此の世の名残り夜も名残り、死ににゆく身をたとふれ
ば、仇しが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ」。花道から
本舞台に上がって来たふたりは、松と松の間にある草むらの大道具の陰で、一旦、姿
を消してしまう。お初に導かれるようにして、再び、現れた徳兵衛。

以下、舞踊劇。言葉より動き。所作の豊かさは、藤十郎は、歌舞伎界でも一、二を争
う。「あーー」という美声が、哀切さを観客の胸に沁み込ませる。お初の表情には、
死の恐怖は、ひとかけらも無い。夕霧と伊左衛門が、「夢の官能」なら、お初徳兵衛
は、「死の官能」だろう。お初は、セックスをしているような喜悦の表情になってい
る。そこにいるのは、お初その人であって、それを演じる坂田藤十郎もいなければ、
人間・林宏太郎もいなければ、ひとりの男もいない。死ぬことで、時空を超えて、永
遠に生きる若い女性のお初がいるばかりだ。

藤十郎定番の「曽根崎心中」は、さらなる完成を目指して、今後も演じられて行くだ
ろう。死に行く悲劇が、永遠の喜悦という、清清しさがを残して、いま、緞帳幕が下
りて来る。
- 2009年4月16日(木) 18:12:51
09年4月歌舞伎座 (昼/通し狂言「伽羅先代萩」)

「伽羅先代萩」は、95年10月の歌舞伎座以来、9回目の拝見。このほかに、07
年8月の歌舞伎座で、「裏表先代萩」を観ている。今回は、「仁左衛門、二重の対
決」という視点で、劇評を書いてみたい。つまり、「玉三郎(政岡)対仁左衛門(八
汐・細川勝元)対吉右衛門(仁木弾正)」である。

今回は、通し狂言興行で構成も、いつもの「花水橋」「竹の間」「御殿(奥殿)」
「床下」「対決」「刃傷」となる。私が観た9回の舞台のうち、「花水橋」(7)、
「竹の間」(5)、「御殿」(9)、「床下」(9)、「対決」(6)、「刃傷」
(6)。これで見ても判るように、「伽羅先代萩」の芝居といえば、みどり興行で
も、「御殿」「床下」は、絶対に欠かせない。「花水橋」「竹の間」は、それぞれの
都合で、外されることがある。「対決」「刃傷」は、そっくり外されるか、上演する
なら、必ず、いっしょに上演される。

「竹の間」の大道具は、銀地の襖に竹林が描かれている。「御殿」の大道具は、金地
の襖に竹林と雀(伊達家の紋、つまり、「伽羅先代萩」は、足利頼兼のお家騒動とい
う想定の芝居だが、史実の「伊達騒動」を下敷きにしていることを、襖は、黙って主
張している)が描かれている。

「竹の間」は、お家乗っ取りを画策する仁木弾正の妹・八汐が、邪魔な政岡を陥れよ
うとするが、失敗する話。「御殿」は、通称「飯(まま)炊き」と言われるように、
八汐らが若君・鶴千代の毒殺を企てて、失敗する話。基本的な構図が、同じだから、
「御殿」は、演じられても、「竹の間」は、演じられないことがある。

いずれも、今回は、玉三郎の政岡と仁左衛門の八汐が、対決する。通称「飯(まま)
炊き」とも呼ばれる「御殿」では、若君暗殺を警戒して、乳母・政岡が食事制限をし
ている、鶴千代と実子・千松のために、お茶の道具を使って、飯を焚く場面が有名だ
が、「飯炊き」の場面が、省略されることも、ときどきある。だから、「御殿」の場
面と言っても、上演時間には、長短がある。


また、上方歌舞伎と江戸歌舞伎の演出の違いもあり、その場合、大道具からして違っ
て来るが、例えば、江戸歌舞伎に比べて、上演回数が少ない上方歌舞伎の大道具の違
いは、06年1月の歌舞伎座、坂田藤十郎の襲名披露の舞台の劇評で触れているの
で、関心のある人は、参考にして欲しい。大道具の違いの結果、当然の事ながら、役
者の演技も違って来る。

政岡は、玉三郎、雀右衛門、福助、菊五郎、玉三郎、菊五郎、坂田藤十郎、菊五郎、
玉三郎。つまり、菊五郎が3回、玉三郎が今回含めて、3回ということで、5人の役
者の政岡を観ていることになる。いちばん印象に残るのは、1回しか観ていない雀右
衛門だ。雀右衛門は、全体を通じて、母親の情愛の表出が巧い。次いで、3回の玉三
郎。特に、半ばからの切り替え、母親の激情の迸りの場面が巧い。そして、3回の菊
五郎ということで、回数ばかりが、重要とは言えないのが、歌舞伎のおもしろさだ。
今回も、玉三郎の政岡を堪能した。「御殿」での、政岡は、前半では、幼君を守る
「官僚・乳母」としての一面を強調し、後半は、千松の「実母」としての一面とを強
調する。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。八汐は、仁左衛門(孝夫
時代を入れて、今回含め、4)、團十郎(2)、勘九郎時代の勘三郎、段四郎、梅
玉。つまり、こちらも、5人の役者の八汐を観ている。八汐で印象に残るのは、何と
いっても、仁左衛門。

さて、八汐は、性根から悪人という女性で、最初は、正義面をしているが、だんだ
ん、化けの皮を剥がされて行くに従い、そういう不敵な本性を顕わして行くというプ
ロセスを表現する演技が、できなければならない。「憎まれ役」の凄みが、徐々に出
て来るのではなく、最初から、「悪役」になってしまう役者が多い。悪役と憎まれ役
は、似ているようだが、違うだろう。悪役は、善玉、悪玉と比較されるように、最初
から悪役である。ところが、憎まれ役は、他者との関係のなかで、憎まれて「行く」
という、プロセスが、伝わらなければ、憎まれ役には、なれないという宿命を持つ。
そのあたりの違いが判らないと、憎まれ役は、演じられない。これが、意外と判って
いない。私が観た5人の八汐で、このプロセスをきちんと表現できたのは、仁左衛門
の演技であった。ほかの役者は、どこかで、短絡(ショート)してしまう。仁左衛門
の、憎まれの悪女役は、今回も、ますます、磨きがかかって来た。憎まれ役は、磨き
をかければかけるほど、深みが増すということだろう。

八汐は、ある意味で、冷徹なテロリストである。そこの、性根を持たないと、八汐は
演じられない。千松を刺し貫き、「お家を思う八汐の忠義」と言い放つ八汐。最後
は、政岡に斬り掛かり、逆に、殺されてしまう。自爆型のテロリストなのだ。

今回の見所は、それぞれが、別の相手役と演じていた芝居を、今回は、玉三郎の政
岡、仁左衛門の八汐の対決という形で、初めて見せてくれるところである。雀右衛門
の政岡は、もう観られないのだろうか。96年10月、歌舞伎座では、孝夫時代の仁
左衛門が、八汐を演じた。

私が期待するテーマは、母情と非情の対決である。玉三郎と仁左衛門が、それをどの
ように演じてくれたか。それを書きたい。私が見た玉三郎の政岡は、過去2回は、團
十郎の八汐と対決した。仁左衛門の八汐は、過去3回では、菊五郎の政岡で、2回。
雀右衛門の政岡で1回。玉三郎は、95年の初演以来、六代目歌右衛門の指導を受け
て演じて来たし、歌右衛門が亡くなってからは、工夫魂胆で、さらに、精進を重ねて
来た。今回が、4回目の上演になる。私が観ていない04年11月の大阪松竹座の舞
台を除いて、玉三郎の歌舞伎座での上演は、全て観ていることになる。特に、玉三郎
は、「御殿」の前半では、子役たちを相手に、母情をベースに暖かみと規律を重んじ
ながら、丁寧に演じる。「竹の間」では、福助の沖の井が、八汐の野望をくじいて、
政岡を助ける。福助は、凛としている。仁左衛門の八汐は、非情で、冷徹な戦略家ぶ
りを見せつける。玉三郎の母情と仁左衛門の非情は、火花を散らす。特に、玉三郎の
目つきの鋭さと仁左衛門の横目のずるさとの対決の場面は、ハイライトで、見応えの
ある舞台であった。

贅言:千松が殺されて、平舞台に遺体が置き去りにされる。政岡は、身じろぎもしな
い。舞台上手の5人の腰元たちは、後ろを向いている。政岡の上手に居る栄御前(歌
六)は、扇子で顔を隠している。下手の腰元4人と沖の井(福助)、松島(孝太郎)
のふたりも、後ろを向いている。つまり、政岡と横たわる千松のふたりだけが、前を
向いていて、いわば、クローズアップされている格好になっている。私の持論だが、
歌舞伎は、いろいろな形で、「クローズアップ効果」を工夫する芝居である。

山名宗全の奥方、栄御前。宗全夫婦こそは、お家騒動の黒幕(震源元)。仁木弾正と
八汐の兄と妹は、山名宗全と栄御前の手足となって、暗躍しているに過ぎない。

我が子・千松が殺される場面で、表情を変えなかった政岡を誤解して、栄御前は政岡
を味方と思い込み、皆を下がらせた後、一人残った政岡に秘密を打ち明ける。政岡の
策略で千松と鶴千代を入れ替えていたため、殺されたのは千松ではなく、鶴千代だっ
たのではないかと思い込んだのだ。そして、一味の連判状を政岡に預けて、満足そう
に帰って行く栄御前。一方、それを見送る政岡の表情の厳しさ。玉三郎の眼の鋭さ。
お家騒動という悪巧みの「全貌」を見極めた官僚としての、鋭い表情である。

栄御前が消えると、玉三郎の政岡は、途端に表情が崩れ、我が子・千松を殺された母
の激情が迸る。母は、腰が抜けて、なかなか,立てない。やっと立ち上がって、舞台
中央に移動する。誰もいなくなった奥殿には、千松の遺体が横たわっている。堪えに
堪えていた母の愛情が、政岡を突き動かす名場面である。打ち掛けを千松の遺体に掛
ける政岡。打ち掛けを脱いだ後の、真っ赤な衣装は、我が子を救えなかった母親の血
の叫びを現しているのだろう。涙とともに、ほとばしる母情と科白。「三千世界に子
を持った親の心は皆ひとつ」という「くどき」の名台詞に、「胴欲非道な母親がまた
と一人あるものか」と竹本が、追い掛け、畳み掛け、観客の涙を搾り取る。政岡の、
ほとばしる母の愛情は、「熊谷陣屋」の直実の、抑制的な父の愛情とともに、歌舞伎
や人形浄瑠璃の、親の愛情の表出の場面としては、双璧だろうと思っている。

前半は、政岡、八汐の「女の戦い」だが、後半は、「男の戦い」。それを繋ぐ場面
が、「床下」。今回、この短い場面の配役は、仁木弾正に吉右衛門。荒獅子男之助に
三津五郎。過不足なく、歌舞伎の醍醐味を感じさせてくれた。

吉右衛門は、この後、「対決」「刃傷」と、「国崩し」の極悪人・仁木弾正をたっぷ
り見せてくれる。対決するのは、渡辺外記左衛門(歌六)だが、それを支援する細川
勝元(仁左衛門)。颯爽の裁き役は、仁左衛門が、爽やかに充実の舞台を披露する。
吉右衛門は、抑制的な科白回しで、狂気の弾正ぶりを見せてくれた。

仁左衛門の細川勝元、吉右衛門の仁木弾正の対決。こちらは、歌舞伎では、お馴染み
の正義と悪の対決だから、ふたりとも、手抜かりなく演じる。仁左衛門の颯爽さが、
自家薬籠中のもので、突き出てくるものが不足気味で、ちょっと、物足りなかった。
こういう絵に描いたような役どころは、何回も演じていると、かえって、難しいのか
もしれない。観客の、役者に対する欲望は、無限である。一方、吉右衛門の悪役ぶり
は、持ち味の人の良さを押さえ込んでいて、抑制的で、良かった。

仁左衛門を軸に、前半は、仁左衛門と玉三郎、後半は、仁左衛門と吉右衛門。廻る舞
台の、独楽の軸の仁左衛門。仁左衛門、二重の対決。

その他の配役では、足利本家の大老・山名宗全を初役で演じた彦三郎。「対決」の場
での、ずるい采配役である。この役どころは、以前は、芦燕が、良く演じていたが、
最近は、見かけない。体調でも、崩されているのだろうか。心配である。芦燕は、こ
ういう肚に一物を持つ役をやらせると当代随一。彦三郎は、まだ、そういう味わいが
なかった。

舞台とは、逆になったが、序幕「鎌倉花水橋の場」についても、少し書いておきた
い。足利頼兼に橋之助、助っ人の足利家お抱え力士・絹川谷蔵に染五郎。「だんま
り」風の場面に、チャリが入る。橋之助は、大名の品格を見せる。黒沢官蔵(橘太
郎)ほか諸士たちとの「格の違い」を見せる場面だ。頼兼が使う扇子が、ポイント。
夜景の黒幕が、落ちると、花水橋の架かる大川端の、夜明けの遠見に変わり、絹川谷
蔵が,花道から駆けつける。この後の、絹川谷蔵と諸士との立ち回りでは、「力の違
い」を見せる。

贅言1):前にも書いたことがあるが、本来なら、この「花水橋」の場面の後に、
「高尾の吊斬り」という、稀にしか演じられない場面があるそうだが、観たことがな
い。戦後の、本興行の上演記録を見る限りでは、98年11月の国立劇場で、鴈治郎
の政岡などで演じられたときに「高尾丸船中」という場面があるぐらい。「毛剃」、
つまり、「博多小女郎浪枕」の「元船」の場面同様に、舞台いっぱいの大船が、見せ
場だという。一度、観てみたい。

贅言2):「鎌倉花水橋の場」は、江戸歌舞伎の和事の味。「足利家奥殿の場」は、
丸本物の味。「床下の場」は、再び、江戸歌舞伎の荒事の味。「対決の場」「刃傷の
場」は、実録歌舞伎風。一日の歌舞伎小屋の狂言立ての見本のような趣向の構造であ
る。

贅言3):「伽羅先代萩」は、前半の「女の対決」と「子どもの芝居」、後半の「男
の対決」という3つの芝居が、重層する構造になっている。「伽羅先代萩」の演劇的
な構造は、実に、くっきりしている。それに加えて、今回は、「仁左衛門、二重の対
決」も、楽しめた、という次第。
- 2009年4月15日(水) 11:03:28
09年03月国立劇場 通し狂言「新皿屋舗月雨暈」

国立劇場らしく、「魚屋宗五郎」を前半も含めて、本来の形で、復活上演したので、
観に行ってきた。歌舞伎座で上演する時も、外題は、「新皿屋舗月雨暈(しんさらや
しきつきのあまがさ)−魚屋宗五郎−」と銘打っているが、専ら、世話ものの「魚屋
宗五郎」ばかりの上演である。この「魚屋宗五郎」を私は、今回含めて、9回観たこ
とになる。今回は、初めて、前半部分も、拝見したので、「通し論」で行きたい。

今回の観劇で、黙阿弥の原作は、怪談の「皿屋敷」の「お菊」に加えて、「加賀見
山」の「尾上」をベースにして、前半は、時代もので、酒乱の殿の御乱心で殺される
妹の腰元・お蔦の話、後半は、殿に斬り殺された腰元の兄の、魚屋・宗五郎の酒乱の
復讐痰という、いわば「酒乱の二重性」が、モチーフだったことが、明解に判った。
五代目菊五郎に頼まれて、黙阿弥は、前半は、腰元、後半は、魚屋という菊五郎の二
役で、台本を書いている。殿様を狂わせるほどの美女と酒乱の魚屋のふた役の早替
り、それが、五代目の趣向でもあった。そういう、作者や初演者の趣向、工夫魂胆を
殺ぎ落とせば、殺ぎ落とすほど、芝居は、つまらなくなる。だが、現在、上演される
のは、殿様の酒乱の場面が描かれないため、妹を殺され、殿様の屋敷に殴り込みを掛
けた酒乱の兄の物語となっている。現在の上演の形だと、芝居の結末が、いつ観て
も、つまらない。だから、あまり、私は、好きでは無い。にもかかわらず、9回も、
観てしまった。

「もうこうなったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」。これは、小気味の良
い科白だ。「芝片門前魚屋内の場」から「磯部屋敷」の場面のうち、前半の「玄関先
の場」までの、酔いっぷりと殴りこみのおもしろさ。四幕目第一場「磯部邸玄関先の
場」での科白も、忘れられない。「わっちの言うのが無理か無理でねえか、ここは、
いちばん、聞いちくりぇ。(略)好きな酒をたらふく呑み何だか心面白くって、はは
ははは、親父も笑やあこいつも笑い、わっちも笑って(ここで、柝を打つように、手
を叩く)暮らしやした、ははははは、ははははは。おもしろかったねえ。喜びもあ
りゃ、悲しみもある」。庶民の幸福は、皆息災で、貧しくても、毎日、笑って暮らせ
る暮らしだと強調する辺りの科白も、胸にジンと来る。宗五郎の科白には、家族思い
の庶民の哀感がにじみ出る。まあ、この科白に「酔いたくて」、観客は、1883
(明治16)年の初演以来、125年も、酔っぱらいの姿を観に、芝居小屋に来るの
かもしれない。

前半は、滅多に上演されないので、あらすじ紹介も兼ねて、書いてみたい。まず、序
幕第一場「磯部邸弁天堂の場」。磯部主計之介の屋敷。磯部家の重役ながら、うさん
くさい岩上典蔵(亀蔵)が、登場する。この男は、兄の吾大夫とともに、家老の浦戸
十左衛門と弟の紋三郎をライバル視していて、浦戸兄弟を蹴落とし、磯部家の実権を
握ろうとしている。さらに、典蔵は、殿様の愛妾・お蔦に横恋慕しているということ
で、権力欲と情欲を抱いている。お蔦を困らせようと、まず、お家の重宝「井戸の茶
碗」を盗み出し、これをネタにお蔦をなびかせようと屋敷内の弁天堂までやってき
た。ところが、盗んだ茶碗を点検しようとしているときにお蔦のもとから抜け出てき
た猫に纏いつかれ、それを避けようとした弾みに、茶碗を壊してしまう。思案してい
るところに、誰か人の近づく気配がする。慌てて、割れた茶碗を弁天堂の床下に隠す
とともに、自分も、弁天堂のなかに姿を隠す。

猫の声に誘われてお蔦(孝太郎)も弁天堂に近くまで、猫を探しにくる。そこを典蔵
に襲われる。逃げようとあらがっているうちに帯が解けてしまう。典蔵に脇を突かれ
て悲鳴を上げて、気絶するお蔦。女性の悲鳴を聞いて駆けつけてきたのが、浦戸紋三
郎(亀寿)。倒れているのが、お蔦と判り、介抱する。お蔦は、典蔵に襲われたこと
を話すが、途中で、「不義者、見つけた」と大声を出す典蔵によって、二人は、逃げ
出してしまう。これが、後の悲劇のもとになる。ついで、姿を現した浦戸十左衛門
(彦三郎)も交えて、暗闇での、「だんまり」になる。闇のなかで、お蔦の帯は、典
蔵に奪い取られてしまう。舞台下手から花道三七へ逃げたお蔦と紋三郎、舞台中央に
残った十左衛門、上手に逃げた典蔵で、幕。

第二場は、磯部邸の「お蔦部屋の場」。蔦模様の襖が、印象的。これは、「加賀見
山」の「尾上部屋」と同じ場面。尾上の召使い「お初」の代わりに、お蔦の召使い
「おなぎ」(梅枝)が、居る。梅枝のおなぎが、初々しく、それでいて、しっかりし
ている。典蔵の大声の効果があって、お蔦と紋三郎の「不義」が、取り調べられる。
奪い取られた帯が、証拠となって、無実の罪を着せられるお蔦。調べの結果に、意気
消沈して、お蔦が、部屋に戻ってくる。おなぎは、なんとかお蔦を励まそうとする
が、お蔦は、ものごとを悪く悪く考えるタイプで、よけい、落ち込んでしまう。そこ
へ、お蔦に殿様から呼び出しがかかる。

二幕目「磯部邸井戸館詮議の場」。二重舞台の館の上手に井戸と柳。井戸のそばに
は、柄杓と桶。さらに、箒。座敷の前には、真ん中の踏み石には、黒塗りの下駄。そ
れを挟んで、上手と下手には、白い鼻緒の草履が、2足。お蔦と紋三郎を陥れて、喜
んでいる吾太夫と典蔵の岩上兄弟。さらなる悪だくみは、酒乱で、癇性の殿様に酒を
飲ませて、激高させて、お蔦を手討ちにさせようという作戦を練っている。殿様の主
計之介(友右衛門)が、姿を見せる。不義の場に落ちていたと岩上兄弟が主張する帯
を見せられ、酒を飲まされ、さらに、割れた重宝の茶碗を見せられ、さらに、酒を飲
まされ、としているうちに、殿様は、酔いが回ってくるが、友右衛門の演技は、お粗
末で、全然酔いが表現できていない。くいくいと杯を重ねるだけ。酔いの深まりの進
行も見えない。酒を勧める岩上兄弟の演技も、ただ、つぐばかりで、おざなりな感じ
がする。

酒を飲むに連れて、酔いの深まりを表現する演目は、歌舞伎には、結構、多いが、こ
れが、今回の友右衛門のように、意外と難しい。思いつくままでも、「勧進帳」の弁
慶、「五斗三番叟」の五斗兵衛、「大杯」の馬場三郎兵衛、「魚屋宗五郎」の宗五
郎、「鳴神」の鳴神上人、「素襖落」の太郎冠者など。見せ場のポイントは、酒の飲
み方と酔い方の演技。友右衛門の演技は、飲み方も、だめなら、酔い方もだめ。岩上
兄弟に酒をつがれると口に運ぶというだけの演技。本来なら、酔いが深まるに連れ
て、愛妾・お蔦への信頼感が揺らぎ、愛情が冷め、それが、不審感に変わって行く様
を観客に判らせるように、演じなければならない。

やがて、殿様の呼び出しを受けて、蹌踉とした足取りで、お蔦がやってくる。岩上兄
弟に帯や茶碗を「証拠」に、不義を認めるよう、責め立てられるお蔦。帯も茶碗も、
典蔵の仕業と釈明をするが、典蔵には、せせら笑われる。その様を観ていて、顔に泥
を塗られたと殿様は怒り出す。尋問から折檻へ。典蔵が、白い鼻緒の草履を履き、庭
に降りてくる。舞台上手、井戸のそばの箒を見つけ、竹の柄だけを取り、お蔦を打擲
し始める。殿様は、不義を認めないお蔦に憎しみを抱き、踏み石の上に置いてあった
黒塗りの下駄を履き、庭先に降りてきて、自ら、お蔦を折檻する。恨みを抱きなが
ら、逆海老に反ってみせる孝太郎のお蔦。目に哀感と憎しみが見える。その挙げ句、
お蔦は、殿様に手討ちにされてしまう。岩上兄弟への恨みを募らせながら、殿の刀
で、なぶり殺しにされるお蔦。後ろ向きのまま、すり足で、後ずさりをし、上手の井
戸まで移動し、そのまま、井戸に真っ逆さまに落下するお蔦。殿様は、井戸のそばに
あった桶の水を使って、血まみれの刀を洗う。俄に、雨が降り出す。井戸のそばの柳
の下には、お蔦の亡霊が……。柳が不気味に揺れる。「芝居のほかには、幽霊は、ま
だ、出逢ったことがない」と嘯く典蔵。やがて、雨もやみ、月や星が出てくる。だか
ら、「月雨暈」という文字が、外題に組み込まれる。

三幕目が、おなじみの「魚屋宗五郎内の場」。己の酒乱を承知していて、酒を断ちっ
て、抑制的に生活をしていた宗五郎(松緑)が、妹のお蔦の惨殺を知り、悔やみに来
た召使いのおなぎ(梅枝)が、持参した酒桶を女房のおはま(孝太郎の二役)ら家族
の制止を無視して全て飲み干し、すっかりでき上がって、酒乱となった勢いで殿様の
屋敷へ一人殴り込みを掛けに行く。松緑は、初役。お蔦とおはまの二役の孝太郎も、
初役。二人とも、好演。宗五郎を演じる松緑は、次第次第に深まって行く酔いを見せ
なければならない。妹の遺体と対面し、寺から戻って来た宗五郎にお茶を出す。お茶
の茶碗が、次の展開の伏線となる。まず、お茶を飲み干す。いずれ、この茶碗で、酒
を飲むことになる。禁酒している宗五郎は、供養になるからと勧められても、最初
は、きっぱりと断る。酒を飲まない。この段階では、家族は、むしろ、一杯ぐらい飲
みなさいよと、宗五郎を煽っている感じである。

やがて、娘の死の経緯を知った父親(橘三郎)から、「もっともだ、もっともだ、一
杯やれ」と酒を飲むことを勧められると、1杯だけと断って、茶碗酒をはじめる。家
族らも、少しなら良いだろうと思っている。「いい酒だア」。それが、2杯になり、
3杯になる。宗五郎の飲みっぷりに、早間の三味線が、ダブる。酒飲みを煽るように
演奏される。場内から、笑いが漏れる。父親にも、酒を勧める宗五郎。父親が、断る
と、「親父の代りに、もう一杯」という。そろそろ、家族も、いぶかしく思い始め
る。

酒乱へ向けて、宗五郎の身体から、おかしな気配が漂い出す。宗五郎は、陽気にな
る。強気になる。饒舌になる。茶碗から、酒を注ぐ、「片口」という大きな器を奪
う。それを見た家族らから制止されるようになる。攻守逆転である。「もうこうなっ
たらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」と宗五郎も、覚悟をきめる。この辺り
の、松緑の科白廻し、所作などは、悪くない。松緑の名前を大きくした祖父の二代目
や早世した父親の三代目(追贈)の芸を引き継ぐ意気や良しというところか。松緑
は、この芝居で、二代目が使った茶碗や片口を小道具に使っているという。それほど
の入れ込みようで、また、それが生きているように思う。

さらに、酔っぱらって、判断力が無くなった宗五郎は皆の眼を盗んで、酒桶そのもの
から直接飲むようになる。「もう、それぎりになされませ」と、女房がとめるが、宗
五郎は聞かない。おなぎへの遠慮もなくなる。そして、全てを飲み尽してしまう。暴
れだし、格子を壊して、家の外へ出て行く。祭囃子が、大きくなり、宗五郎の気持ち
を煽り立てる(音楽による、心理のクローズアップ)。先ほどの早間の三味線とい
い、御簾内の下座音楽といい、この芝居の音楽は、役者を巧く乗せている。花道七三
にて、松緑は、酒樽を右手に持ち、大きく掲げるという、有名なポーズも、決まる。
「音羽屋!!」。

五代目菊五郎が練り上げ、六代目菊五郎が、完成したという酔いの深まりの演技は、
緻密だ。まさに、生世話ものの真髄を示す場面だ。役者の動き、合方(音楽)の合わ
せ方、小道具の使い方など、あらゆることが計算されている。この場面は、酒飲みの
動作が、早間の三味線と連動しなければならない。洗練されている。

この場面で、宗五郎の酔いを際立たせるのは、宗五郎役者の演技だけでは駄目だ。脇
役を含め演技と音楽が連携しているのが求められる。この場面は、出演者のチームプ
レーが、巧く行けば、宗五郎の酔いの哀しみと深まりを観客にくっきりと見せられ
る。以前に菊五郎が言っていたが、「周りで酔っぱらった風にしてくれるので、やり
やすいんですよ」というように、ここは、チームワークの演技が必要だ。宗五郎女房
のおはま役では、これまで観たところでは、時蔵が、断然良かったと思っている。生
活の匂いを感じさせる地味な化粧。時蔵は、色気のある女形も良いが、生活臭のある
女房のおかしみも良い。魁春も、最近は、こういう役どころに力を発揮するように
なった。綺麗な女形たちが、生活臭のある地味な女房役をすると、かえって、新鮮
で、新たな魅力の発見となるが、玉三郎も、緩怠なく、良かった。今回の孝太郎も、
悪くない。前半の、お蔦よりも、おはまが良い。

こうして観てくると、前半の友右衛門の演じる殿様の酔いの描写の平板さは、五代目
菊五郎のような役者の芸の工夫がないまま、五代目は、前半では、お蔦を演じても、
主計之介は、演じてないから、放って置かれ、さらに、前半は、上演されないから
(今回の通し上演は、20年ぶり)、周りの演技も含めて、ますます、蜘蛛の巣が
張ってくるという悪循環で、こういう落差になって現れたのだろうと思う。岩上兄弟
を演じる役者も、悪巧みばかりに知恵を働かすのではなく、前半の殿様の酒酔いの場
面の洗練を工夫すべきではないのか。先ほどの菊五郎の言葉を真似れば、「周りで
酔っぱらった風にしてくれ」ない。軸となる役者の工夫も足りなければ、チームワー
クの演技力も足りない。魚屋宗五郎内の酔いの場面が、素晴らしければ素晴らしいほ
ど、前半の磯部の殿様の酔いの場面のお粗末さが、浮き上がってくる。洗練された芝
居と長い間放置され、蜘蛛の巣が架かった芝居とを、同じ狂言だからといって、た
だ、繋ぐと、こういう「落差」を観客に見せつけることになる。

私が観た、主な配役。宗五郎は、勘九郎時代を含めて、勘三郎(2)、幸四郎
(2)、菊五郎(2)、三津五郎、團十郎、そして、今回の松緑。ということで、6
人。酒の呑み方では、私が観たうちでは、幸四郎だけは、糸に乗るのが、巧くなかっ
たが、踊りの巧い菊五郎、勘三郎、三津五郎は、糸に乗っていた。勘三郎は、特に、
「酒乱の進行」をたっぷり見せてくれる。酔いの演技では、團十郎は、また、菊五郎
ら3人とは違う巧さがある。團十郎は、大杯で酒を飲むとき、体全体を揺するように
して飲む。酔いが廻るにつれて、特に、身体の上下動が激しくなる。ところが、ほか
の役者たちは、これが、あまり巧く演じられない。今回の松緑も、酔いっぷりは、初
役と思えない安定感があった。特に、酒を飲む右手に左手を下から支える手つきが良
い。一滴も酒をこぼすまいとする、酒飲みの「卑しさ」のようなリアリティが、か
えって良かった。早間の三味線への所作の合わせ方が巧いのだろう。何度も、笑いを
呼ぶ。踊りの修行の成果かもしれない。普段は、人形浄瑠璃の「首(かしら)」のよ
うで、マイナスに見える大きな目の使い方も、今回は、良かった。酔いの深まりを表
現するように、目が座って見える。懐に手を入れると、胸が赤い。羽織を脱ぎ、着物
の袂を引き上げると、腕も赤い。予め化粧を施しているのだろうが、実に、芸が細か
い。祖父の工夫を忠実に引き継いでいるのだろうが、その工夫に感心した。松緑は、
祖父が、微に入り、細に入り練り上げた所作を、ひとつひとつ丁寧に再現しているの
だろうと思う。祖父の、畢生の当り役を継ぐのは、自分だという気概があるのだと思
う。本流から、新しい宗五郎役者の誕生である。それも、良し。

宗五郎の女房・おはまは、時蔵(2)、病気休演中の澤村藤十郎、福助、田之助、芝
雀、魁春、玉三郎、そして、今回の孝太郎ということで、8人。孝太郎のみ、お蔦と
の二役を演じた。次に、大事なのが、小奴・三吉である。三吉は、染五郎(2)、正
之助時代含めて、権十郎(2)、十蔵時代の市蔵、獅童、松緑、勘太郎、そして今回
の亀寿と7人を観ているが、松緑と、染五郎の三吉が良かった。剽軽な小奴の味が、
松緑にはあったし、染五郎は、剽軽な役で、独特の味を出す。権十郎は、剽軽さはな
いが、真面目さがあった。松緑は、今回、初役で、宗五郎をこなしたが、三吉役を肥
やしにして、宗五郎の花を咲かせたと思う。今回の亀寿は、トーンが違う感じだ。さ
らなる、精進を期待したい。おなぎを演じた梅枝は、女形として成長中だが、声が甲
高すぎるのは、直した方が良さそうだ。前半の「時代」から、後半は、「世話」にな
るのだが、なぜか、家老・浦戸十左衛門を演じた彦三郎だけは、時代のままの科白回
しで、そぐわなかった。科白も、聞きづらい。

宗五郎の酔っぱらう前の科白では、含蓄のあるものが多いが、お気づきだろうか。江
戸の庶民の生活を活写する黙阿弥の原作は、タイムカプセルに入ったままのようで、
今では、廃れてしまった古い生活習慣を舞台から教えてくれるからだ。例えば、悔や
みに来た客は、「送るもんじゃねぇー」と宗五郎に言わせる。宗五郎は、「涙は、仏
のためには、ならねぇー」とも言う。

それにしても、結末のつまらなさ。四幕目、第二場「庭先の場」、酔いが醒めた後
の、殿様の陳謝と慰労金で、めでたしめでたしという紋切り型の結末は、なんともド
ラマとしては、弱い(もひとつ、それにしても、宗五郎が、酔い覚めの水を飲む桶
は、井戸端にあった、あの、お蔦を殺した殿様の刀を洗った桶ではなかっただろうか
と、変な連想さえ浮かべてしまった)。「めでたし、めでたし」という「筆屋幸兵
衛」などの芝居と同じ安直な結末。妹を理不尽に殺された兄の悔しさは、時空を越え
て、現代にも共感を呼ぶ筈だろうに、なにか、気の利いた結末が、工夫できないもの
か。

ついでに、もうひとつ、それにしても、国立劇場の大道具方の「付け」の打ち方が、
歌舞伎座の付け打ちに比べると、早すぎるように思われた。あれでは、役者が、脚を
もつれさせかねないような気がしたが、いかがであろうか。
- 2009年3月15日(日) 8:30:08
09年3月歌舞伎座 通し「元禄忠臣蔵」(夜/「南部坂雪の別れ」「仙石屋敷」
「大石最後の一日」)

「南部坂雪の別れ」は、2回目の拝見。通し上演でもないと演じられない演目だが、
なぜか、みどり上演の、「一幕もの」として、02年4月の歌舞伎座で上演された事
があり、その舞台を私は、拝見している。吉右衛門が、大石内蔵助を演じていた。今
回は、團十郎が、初役で、演じる。

第一幕「芝高輪泉岳寺の境内」。元禄15年12月14日、吉良邸討ち入りの前日の
13日の話。泉岳寺に浅野内匠頭の墓参りをする大石内蔵助(團十郎)は、境内で、
羽倉斎宮(我當)と偶然、出逢い、主君の仇討ちをしない、卑怯者と斎宮から罵られ
る場面がある。二人の出逢いは、「泉岳寺の境内」と「三次浅野家中屋敷門外」と2
回あるが、いずれも、出逢いの場面では、雪が降り出す。二人のやりとりが始まる
と、雪が降り止む。紙の雪は、落ちてこなくなり、舞台の二人をクローズアップする
効果が出る。やりとりが、決裂すると、再び、雪が降り出す。こうした雪の降り止み
に、巧みに連動して、大太鼓による「雪音」が、効果的に鳴らされる。この辺りは、
歌舞伎味を巧く出していて、やはり、歌舞伎は、こういう効果的な演出が欠かせない
と思った。

贅言:泉岳寺境内は、見たことがなかった。東京及び、東京の周辺に長く住みなが
ら、泉岳寺に行ったことがなかったので、去年の夏に行ってみた。山門は、立派だ
が、これを潜って境内には、入れない。山門の横を通って、境内に入る。境内は、意
外と狭い。赤穂浪士(義士)の墓所も、狭いところに、並べられている。大石内蔵助
の墓所のみ、屋根が付いているが、決して、立派な屋根ではない。内蔵助の墓所を囲
むように、浪士たちの墓が、並んでいる。戒名には、全員、「剣」とか「刃」という
字が使われているという。同じ境内にある浅野内匠頭の墓所は、浪士たちの集団の
「囲い」とは別の場所にあり、殿様の墓だけに、こちらは、立派であった。

柝の音で、緞帳が開く。第二幕第一場。南部坂にある内匠頭の奥方・阿久里の実家、
三次浅野家中屋敷。いま、彼女は瑤泉院と名を変えている。夫の菩提を弔いながら、
内蔵助たちが、夫の仇討ちをしてくれるのを待っている。心に秘めた決意を明かさな
いまま、暇乞いに来た内蔵助(團十郎)。中屋敷の場から暗転した後、瑤泉院御居間
の場への明転がある。新歌舞伎は、場面展開に暗転を多用するし、場内は、ほとんど
暗いままなので、私のような「ウオッチング」派は、メモが取れないので、苦労す
る。「ウオッチング度」が、どうしても、薄くなってしまうのだが、許して頂きた
い。

瑤泉院御居間には、内匠頭の姿を描いたとおぼしい掛け軸があり、仏壇もある。團十
郎の内蔵助は、肚で芸を続けるので、寡黙だ。内蔵助は、瑤泉院(芝翫)の気持ちを
知りながら、仇討ちの本心を隠したままのやりとりをするのが見せ場。諄々と仇討ち
実行へ向けて決意を促す瑤泉院。しかし、最後まで、本心を明かさぬ内蔵助の姿が、
御簾内の楽器である「時計」の音で巧みに演出される。暗溶。

幕間の薄暗闇のなかで花道に雪布を敷き詰める。幕が開くと、浅野家中屋敷門外。一
面の雪。さらに、雪が降り続いている。亡き主君の焼香を瑤泉院から拒まれた内蔵助
は、悄然と門外に出てくる。そこで、瑤泉院に歌道の指導をしている羽倉斎宮(我
當)と行き会う。泉岳寺の時と同様、仇討ちを煽り、それに答えない内蔵助を再び、
罵倒する斎宮。「辛抱内蔵助」という場面だ。斎宮は、世上の「空気」を代表してい
て、居丈高である。

この芝居、構成が平板で、本心を明かさぬ内蔵助が、瑤泉院との別れ際に、討ち入り
の決意を示す連判状を奥家老に託すようにして置いて帰り、誤解がとけるというパ
ターンだが、ここは、斎宮がキーパーソンなのである。いつの時代にも、世間の空気
を読み込んで、時代の代表面をする人物が現れる。侍心は、仇討ちをしてこそ、実現
されるという思想を大石内蔵助に押し付けようとする。世間の空気を読み込みすぎて
いながら、いかにも、世間の代表という顔で、「正論」(と、本人は、信じきってい
る)を吐きたがる人は、どの時代にもいるということだろう。

芝居としては、斎宮への「憎しみ」を観客に感情移入させようという計算が透けて見
える。だが、我當は、憎まれ役を熱演していた。團十郎の内蔵助は、己の本心を抑制
的に隠し続ける。討ち入りの決意を示す連判状を奥家老から見せられて、やっと、大
石内蔵助の本心を知ったという瑤泉院の若さ。29歳という想定の割には、芝翫の瑤
泉院は重厚過ぎる。屋敷の小窓を開け、内蔵助に不明を詫びるとともに、仇討ち成就
を祈念する。吉良の情報を内蔵助に伝えるため足軽の寺坂吉右衛門(松江)も登場す
るが、この人は、ある使命を帯びて、吉良邸への討ち入り成就の後、四十七士から離
れることで、知られている。この人の墓と伝えられるものが仙台市にある(ほかに
も、ある)。芝のぶは、病気休演の宗之助代役で、腰元みゆきを演じる。芝のぶが演
じる予定だった腰元置霜は、春花に替わる。

「仙石屋敷」は、初見。真山青果は、10演目に及ぶ「元禄忠臣蔵」を書きながら、
「仮名手本忠臣蔵」でも、とってつけられたような存在になっている討ち入りの場面
は、巧みに避けて通っている。討ち入りの場面に替わって、いわば、歌舞伎で良く演
じられる「物語」(後日に、主要な場面を語りで、再現する)の方式を採用して、
「仙石屋敷」では、46人の赤穂浪士に対する仙石伯耆守(梅玉)の、大目付として
の取り調べ、つまり、役宅での尋問の場面が、展開される。

まず、前半は、仇討ち成就で、泉岳寺に引き上げる途上で、仙石伯耆守役宅に討ち入
りの口上書を届けるために立ち寄った吉田忠左衛門(弥十郎)と富森助右衛門(男女
蔵)と仙石伯耆守との、いわば「裏」での、本音のやり取りが、見せ場である。

後半は、大石内蔵助(仁左衛門)、堀部弥兵衛(家橘)、堀部安兵衛(市蔵)、磯貝
十郎左衛門(染五郎)、大石主税(巳之助)らとの仙石伯耆守の、いわば「表」で
の、立て前のやり取りが、展開される。いかにも、科白劇が好きな青果劇らしい演出
で、討ち入り場面が、動きの少ない形で、抑制的に描かれる。

「大石最後の一日」は、4回目の拝見。私が観た大石内蔵助は、幸四郎(今回含め
て、3)、吉右衛門。舞台は、吉良邸への討ち入りから、一月半ほど経った、元禄十
六年二月四日。江戸の細川家には、大石内蔵助ら17人が、預けられ、幕府の沙汰を
待つ日々を過ごしている。身の処し方は、公義に預けているので、執行猶予の、モラ
トリアムな時間を過ごしている。浪士たちが着ている鼠色の無地の着物と帯は、恰
も、「囚人服」のような味気なさ。ほかの浪士たちが、綺麗に月代を剃っているの
に、大石内蔵助だけは、「伸びた月代」である。皆のことに気を配り、世間に気を配
り、幕府に気を配るリーダーの真情と苦労が、あの「伸びた月代」だけでも、伺え
る。幕府の上使荒木十左衛門(東蔵)から切腹の沙汰が下るという告知を受けるとと
もに、さらに、浅野内匠頭切腹の際には、お咎め無しだった吉良上野介側も、息子の
流刑とお家断絶の情報も、役目を離れて、上使からもたらされる。大石内蔵助は、
「ご一同様、長い月日でござりましたなー」と思い入れたっぷりの科白をきっぱりと
言う。

この芝居は、どういう人生を送って来ようと、誰にでも、必ず訪れる「人生最後の一
日」の過ごし方、という普遍的なテーマが隠されているように思う。例えば、癌を宣
言され、残された時間をどう使うか。あす、自殺しようと決心した人は、最後の一日
をどう過ごすのか。つまり、人間は、どういう人生を送り、どういう最後の日を迎え
るか。原作者の真山青果は、それを「初一念」という言葉で表わす。それは、大石内
蔵助(幸四郎)の最後の日であるとともに、ほかの浪士たちにとっても、最後の日で
ある。さらに、芝居は、死に行く若い浪士、磯貝十郎左衛門(染五郎)の恋の「総
括」を描いて行く。

その一日を、最後の一日と思わずに、恋しい未来の夫の真情をはかりたいと若い女
が、小姓姿で、細川家に忍んで来る。吉良邸内偵中の磯貝十郎左衛門と知り合い、婚
約したおみの(福助)である。おみのは、その一徹な気性から細川家を浪人した乙女
田杢之進のひとり娘であった。結納の当日、姿を消した十郎左衛門にとって、自分と
の婚約は、内偵中の、「大志」のために利用した策略だったのか、それとも、ひとり
の女性への真情だったのか。思い迷う娘は、男心を確かめたくなったのである。大石
内蔵助は、男の心を確かめようとする、そういう女心を嫌い、また、若い十郎左衛門
に心の迷いを起こさせないようにと、おみのを十郎左衛門に逢わせることを、一度
は、拒絶する。

「偽りを誠に返す」というおみのの言葉に感じ入った大石内蔵助の計らいで、「夫・
磯貝十郎左衛門」との対面を果たし、男の真情を察知した「妻・おみの」は、お沙汰
が下り、切腹の場へ出向く「夫」に先立ち、自害して果てる。こちらは、「後追い心
中」ならぬ、一種の「前倒し心中」である。男女の誠の真情が、磯貝の持っている
「琴の爪」(おみのの持ち物だった)という、いわば、愛の形見の小道具を、その象
徴として使って表わされる。

歌舞伎は、小道具を大事にするが、真山は、新歌舞伎のなかでも、そういう旧来の歌
舞伎の味わいを巧みに滲ませる。歌舞伎を良く知っている証拠だろう。浪士たちの最
後の日は、もう一人の「愛の義士」おみのにとっても、最後の日であったというドラ
マを付け加える。「おみの・十郎左衛門」という若い男女の恋物語が、挟まること
で、それぞれの人生最後の日というテーマは、鮮明になった。つまり、赤穂浪士たち
の最後の一日という「大状況」に、若い男女の恋物語の最後の一日という「小状況」
を、巧みに、二重写しにするという、原作者の作劇術の巧さが、光る場面だ。主君の
無念を晴らすということを貫いた浪士たちの初心。恋の初心を貫いたおみのの死。そ
れは、死に際して、「初心」(「初一念」という言葉を使っている)を、全うすべ
し、という真山青果の人生哲学が、隠されているように思われる。

やがて、大石内蔵助たちは、自害の場となる細川家の庭に設えられた「仮屋」へと花
道を歩んで行く。新歌舞伎ながら、「額縁芝居」(本舞台だけで、花道を使わない芝
居)で終わらせず、花道もちゃんと使用する辺り、真山歌舞伎は、ここも、見応えが
ある。薄暗い花道横は、黄泉の国への回路であった。

そういう人々の「最後の日」に立ち会う人々にとっても、また、その日は、人生での
印象的な、数少ない日のひとつになるだろう。細川家の堀内伝右衛門(歌六)も、そ
の一人。堀内伝右衛門は、私が観た3回は、我當で、歌六は、今回が初めてである。
我當の伝右衛門は、風格があり、すっかり、この役を持ち役にしているように思って
いるので、今回の歌六が、どういう堀内伝右衛門像を作り上げてくれるか、楽しみで
あったが、このところ、脇役で存在感のある演技をしていた歌六らしくない、印象の
薄さだった。幸四郎の「熱演」で、影が薄くなったかもしれない。

染五郎の磯貝十郎左衛門は、2回目の拝見。ほかは、歌昇、信二郎である。私が観た
磯貝十郎左衛門では、信二郎が、特に、印象に残っていて、良かったと思う。染五郎
では、年齢的に、若すぎるし、歌昇では、少し、重すぎる。その中間を狙った信二郎
は、当りかも知れないと思った記憶がある。

若衆姿に身をやつして、細川邸に紛れ込ませてもらったおみの役は、時蔵、芝雀、孝
太郎、そして、今回は、福助だが、福助は、やや、「熱演」気味であった。幸四郎の
「熱演」に引っ張られたかも知れない。青果劇は、科白劇、心理劇の色彩が濃いの
で、科白を唄う役者が出てきてしまう。再演回数の多い「大石最後の一日」の内蔵助
を多数演じている幸四郎など、濃いめに煮詰まってきた芝居は、得意だろうから、周
りのほかの役者も、影響を受けてしまうようだ。本当は、もう少し、薄味の調味料で
仕立てると、観客の胸にするりと入って来るのではないかと、常々、思っている。

さて、今回の歌舞伎座では、昼夜通しで観ると、3人の役者の大石内蔵助を観ること
ができる。幸四郎、團十郎、仁左衛門の3人が演じる。演目的には、「最後の大評
定」「南部坂雪の別れ」「仙石屋敷」「大石最後の一日」と、4人の大石内蔵助が登
場する場面がある。

このうち、幸四郎は、「最後の大評定」と「大石最後の一日」の大石内蔵助を演じ
る。幸四郎は、オーバーアクション気味に「熱演」するタイプの役者で、それが、す
るりと周りの配役と当てはまる時と当てはまらずに、周りから浮いてしまう時とがあ
る。それは、幸四郎の場合、時代ものと世話ものとで、違うのだが、古い歌舞伎の味
わいを滲ませることと熱演で、歌舞伎の味わいから、ぬうっと現代へ飛び出してしま
うこととの狭間にある、「歌舞伎の立役の味わい」という狭い幅のなかでの、演技の
兼ね合いなんだろうと私は常々思っている。

「最後の大評定」では、鶯の鳴き声とともに、緞帳が上がり、「播州赤穂城下大石内
蔵助屋敷玄関」の場面が、始まる。まったく、近代劇の幕開きである。そういう印象
が、幸四郎の内蔵助が出てくると、よけい強まる。志の異なり始めた藩士たちをまと
めていかなければならない家老としての大石内蔵助の役割。自分の本音を隠して、全
体を鳥瞰しなければならない。大局観が、大事な役どころである。命をかけて真意を
ただした竹馬の友、井関徳兵衛にだけ見せた本心。ここは、抑制的に演じなければな
らない大石内蔵助ではないか。一方、「大石最後の一日」では、仲間とともに本懐を
遂げ、すっきり、頭上に青空が広がったような大石内蔵助は、團十郎が演じた「南部
坂雪の別れ」の大石内蔵助とは、打って変わって、饒舌になり、若い二人の恋の成就
に冴えた気配りをしてみせる。事実上の、「心中」になっても、おみのは、満足だろ
うし、同士とともに死にに行く磯貝十郎左衛門は、先に逝った「妻」の後を追うとい
う、二重の「至福」のなかで、死んで行く。幸四郎の内蔵助は、そういうことを見据
えているのだろう。そういう感じが、私にも伝わってきて、幸四郎の「熱演」も、こ
こでは、気にならない。くっきり「実線」で、曖昧さを消去する幸四郎の、いわば、
二人の大石内蔵助像が、プラスマイナスとして、それぞれ刻み込まれる。

團十郎の大石内蔵助は、「南部坂雪の別れ」で、主君の未亡人瑤泉院にも、本心を隠
し、最後に連判状を奥家老に託すという形で、やっと、本音を聞かせる。
羽倉斎宮には、どんなに挑発されても、決して、本心は、明かさなかった。そうい
う、寡黙で、抑制的な大石内蔵助像を團十郎は、「辛抱立役」という旧来の歌舞伎の
型に当てはめて、演じきるが、幸四郎とは、逆の意味で、「新歌舞伎での立役の味わ
い」という、狭間に届かず、つまり、演技が、抑制的すぎた感じで、私には、ちょっ
と、不足感、違和感が残った。

「仙石屋敷」に登場する仁左衛門の大石内蔵助も、饒舌である。仇討ちに成功した高
揚感のなかで、大目付の取り調べを受けるとともに、調べの結果に対する仙石伯耆守
の解釈に堂々と反論して行く場面が、ハイライトである。調べが終わって、討ち入り
から脱落した藩士たちへの思いを仙石伯耆守から問われて、「これが人間の姿」だと
達観するまで、真山青果の科白劇の魅力ともいうべき、おいしい饒舌さを仁左衛門
は、十二分に満喫しているようである。私の仁左衛門びいきという点を差し引いて
も、3人の大石内蔵助では、仁左衛門の描いた人物像が、いちばん、安定していたよ
うに見受けられた。

もう一組、注目すべき3人がいるのを忘れてはいけない。元服前後の3人の少年であ
る。まず、三津五郎の長男、巳之助が演じる大石内蔵助の長男・主税(15歳)は、
「最後の大評定」では、幼名松之丞で登場し、「仙石屋敷」では、元服後、主税改め
て、浪士の一人として登場する。討ち入りのメンバーとしては、最年少である。大目
付の取り調べが終わると、主税は、仙石屋敷からほかの屋敷に移されるため、父親と
永久の別れとなる。大人の武士として、一人前に切腹する。

歌昇の長男、種太郎が演じる井関徳兵衛の長男・紋左衛門(15歳)は、「最後の大
評定」で、直情的な浪人の父親をいさめながらも、恩を受けた浅野家のために、父親
とともに死にたいという思いを持っている。大石内蔵助からは、侍をやめてでも、生
き残れと諭される。しかし、結局、赤穂城の城外のかつての屋敷跡地で、浪人の父親
とともに、侍になれないまま、自害して果てる。

歌六の長男、米吉が演じる細川家の若君・内記(15歳)は、「大石最後の一日」の
「芝高輪細川家中屋敷下の間」で、大石内蔵助らの前に、出座して、一同にいたわり
の言葉をかける。別の大名屋敷に預けられている大石内蔵助の長男・主税が、自分と
同年でありながら、「大人」の仲間入りをして、内裏に加わったことに、痛く感銘し
ている。そして、自分にとって、一生の宝となるような言葉をはなむけてほしいと頼
み込み、「初一念を忘れない」という、大石内蔵助の言葉を引き出す。この言葉は、
既に触れたように、「元禄忠臣蔵」のテーマである。真山青果は、同年の3人の少年
たちを人生の対比を描くことで、「元禄忠臣蔵」の演劇的な奥深さをくっきりと浮き
上がらせてみせてくれたと思う。

贅言:「背景」論をおまけにつけよう。新歌舞伎の「元禄忠臣蔵」では、舞台の大道
具は、皆、リアリズムである。舞台の背景となる書割も、いつもとは、違うので、い
つもの舞台に見慣れた目には、なにか、違和感がある。例えば、「江戸城の刃傷」で
は、「松の御廊下」で、廊下の奥に、中庭が見え、その奥に、向こう側の廊下が見え
るが、この廊下は、上手と下手が、実は、遠近法で描かれているので、「歌舞伎らし
くない」。最初は、気がつかなかったのだが、なにか、変だなという感じがするか
ら、おもしろい。歌舞伎味の薄さを、私の神経は、そういう形で、受け止めたよう
だ。そういうことに気がついてから、次々と出てくる座敷などの場面の「庭」を観て
いると、庭の描き方が、いつもの、「遠見」の描き方ではなく、皆リアルであるのに
気がつく。真山科白劇は、とにかく、議論をする場面が、多いから、座敷が、舞台と
なりがちである。議論の場の、向こうに見える座敷の中庭は、皆、風景が違うのだ
が、共通点は、皆、リアルで、写真のような絵が相次いで出てくる。ここは、背景に
ウオッチングした、つまり、「背景」論という訳で、ただ、それだけの話である。
- 2009年3月14日(土) 16:25:31
09年3月歌舞伎座 通し「元禄忠臣蔵」(昼/「江戸城の刃傷」「最後の大評定」
「御浜御殿綱豊卿」)

歌舞伎座の建て替えを前に、歌舞伎座では、今年の1月から、「歌舞伎座さよなら公
演」として、大歌舞伎が興行されているが、3月は、昭和の新歌舞伎の巨編である真
山青果原作の「元禄忠臣蔵」が上演されている。「元禄忠臣蔵」は、「みどり上演」
で、何回か拝見しているが、通しで拝見するのは、今回が初めて。原作は、10演目
あり、「大石最後の一日」が、二代目左團次の大石内蔵助などで、1934年2月に
歌舞伎座で初演されて以降、1941年11月の「泉岳寺の一日」まで、7年余に
亘って書き継がれ、それぞれ上演されてきた。

「通し上演」と言っても、06年10月から12月にかけて、国立劇場で上演した時
のように、「江戸城の刃傷」「第二の使者」「最後の大評定」(以上は、10月)、
「伏見撞木町」「御浜御殿綱豊卿」「南部坂雪の別れ」(以上は、11月)、「吉良
屋敷裏門」「泉岳寺の一日」「仙石屋敷」「大石最後の一日」(以上は、12月)の
全てを演じられたのは、この時が、初めてで(70年12月の国立劇場での「通し」
は、「江戸城の刃傷」「第二の使者」「南部坂雪の別れ」「吉良屋敷裏門」「仙石屋
敷」「大石最後の一日」の6演目であった)、歌舞伎座での通し上演では、今回のよ
うに、「江戸城の刃傷」「最後の大評定」「御浜御殿綱豊卿」「南部坂雪の別れ」
「仙石屋敷」「大石最後の一日」の6演目が、演じられる。戦後の歌舞伎座での上演
は、いずれも、今回のような演目で、3回目になる。

私が観たのは、今回を含めて、「御浜御殿綱豊卿」は、5回目。「南部坂雪の別れ」
は、2回目、「大石最後の一日」は、4回目である。その余の「江戸城の刃傷」「最
後の大評定」「仙石屋敷」は、今回が初見である。総論を結論的に言えば、良く演じ
られる演目は、役者に拠る工夫を含めて、洗練されてきているが、「通し」の時にの
み、稀に演じられる演目は、熟成度が低いという嫌いが一般的にも、良くあるが、や
はり、その弊は、免れていないように見受けられた。特に、真山青果の劇は、それこ
そ、明治期の劇聖と言われた九代目團十郎が求めたような、ドキュメントタッチの
「歴史劇」(明治期には、「活歴もの」と呼ばれた)であり、それも、科白を重視し
た「科白劇」である。「活歴もの」は、明治期の、列強各国に対抗して国力をつけよ
うという大日本帝国の「欧化主義」を文化・芸能の面で、支えようと、それまでの庶
民的で、荒唐無稽な「旧劇」、あるいは「旧派」である歌舞伎に替わる演劇改良運動
を通じて、新しい「国劇」、「新劇」をめざした訳だが、その後の歴史が示すよう
に、「旧劇」、あるいは「旧派」の歌舞伎は、歌舞伎味を大事にして生き残り、人気
的には、浮き沈みを経験しながらも、今日の歌舞伎ブームに繋がっている。一方、
「新派」「新劇」「新国劇」の現況は、ご承知の通りの状況となっている。そういう
歴史の軌跡も踏まえて、歴史劇、科白劇は、真山青果のものとは、いえども、「旧
劇」、あるいは「旧派」の味、つまり、歌舞伎味は、薄くなっているので、私などに
は、少々物足りない印象を残した。

それは例えば、こういうことである。今回拝見した6演目の、場割りを見てみると、
「江戸城内御用部屋」「田村右京太夫屋敷小書院」「大石内蔵助屋敷中座敷」「赤穂
城内黒書院の間」「御浜御殿綱豊卿御座の間」「御浜御殿綱豊卿入側お廊下」「三次
浅野家中屋敷」「三次浅野家中屋敷瑤泉院様御居間」「仙石伯耆守役宅表の間大書
院」「芝高輪細川家中屋敷下の間」「芝高輪細川家中屋敷詰番詰所」「芝高輪細川家
中屋敷大書院」というように、座敷、あるいは、実質的な座敷で、議論をする場面
が、多いのが、判る。青果独特の熱っぽい議論が、「元禄忠臣蔵」の魅力になってい
る側面があるものの、科白劇は、概ね、役者が座ったままで、議論をするため、見た
目の変化が少ないため、ドラマチックな所作の見せ場が少ないという恨みがある。そ
れは、科白劇、心理劇より、様式美を重視し、何よりも、庶民に判り易くするため
に、外形的な所作を重視した歌舞伎劇の味から離れてしまうという傾向に陥ってしま
う。そういう意味で、私の歌舞伎の好みから言えば、あまり、おもしろくないという
ことになってしまう。そういうことで、以下は、上演の順を追いながら、いつもより
コンパクトに劇評をまとめたい。

「江戸城の刃傷」は、初見。この演目では、浅野内匠頭が、江戸城の松の廊下で、吉
良上野介に斬り掛かる刃傷の場面から、田村屋敷での切腹の場面までを演じる。浅野
内匠頭は、梅玉。現場で浅野内匠頭の取り調べをする多門(おかど)伝八郎は、弥十
郎が演じる。浅野内匠頭は、切腹、吉良上野介は、お咎め無しという公儀の裁定に異
を唱える多門伝八郎が、印象に残る。最後の浅野内匠頭切腹の場面でも、多門伝八郎
の機転で、浅野内匠頭の家臣片岡源五右衛門(松江)を庭先の桜の木の下に待機させ
て、主君との最後の別れ、切腹の見届けをさせるなど、おいしい役どころである。田
村右京太夫には、我當。

贅言:新歌舞伎らしく、「江戸城の刃傷」から、幕は、緞帳の上げ下げで、仕切る。
この場面ばかりではないが、場面展開は、原則的に、暗転、明転。御簾内の楽器で
は、「時計」や「鐘」を多用する。鳥の声など、擬音も多用するので、歌舞伎の柝に
拠る進行とは、趣きが違う。浅野内匠頭切腹の場面では、舞台上下に置かれた桜木と
庭先を照らす月光と木の下闇に待機する家臣、座敷の先まで出てくる主君など、リア
ルな演出を積み重ねる。近代劇としての合理性が、強調される。

「最後の大評定」も、初見。赤穂城の明け渡しまでの緊迫した赤穂藩の様子を描く。
クライマックスの「赤穂城内黒書院の間」の「大評定」の場面を挟んで、胸中の思い
を押さえ込みながら事を処理する大石内蔵助(幸四郎)と自らの咎故に浅野家から放
逐され、現在は、浪人の身で、お家の危急存亡の時と駆けつけてきた竹馬の友の、井
関徳兵衛(歌六)との交流というエピソードが、巧みに織り込まれている。命を捨て
て、大石内蔵助の真意を聞き出す井関徳兵衛親子の自害の場面が、ドラマチックだ
が、歌舞伎味は、薄い。ここでも、御簾内の楽器では、太鼓、時計、鐘などを効果的
に使用する。第二幕第二場で、「赤穂城内大手御門外」から、「赤穂城外往還」への
場面展開では、門と壁の大道具が、上手と下手に割れて、分かれた後、上手の御門
が、そのまま、斜め後ろに引き込まれて、下手の壁の後ろから、城壁と往還沿いの立
ち木(その後、木の下は、井関親子が、自害する現場となる)が、立ち現れる手際
は、素晴らしかった。新歌舞伎という事もあって、黒衣は、登場しないし、大道具方
も、表向きは、必要最小限度しか、姿を見せないが、場面展開が、効率的で、見事で
あった。また、座敷の薄縁も、廻り舞台の盆の円形に沿って、切り分けられており、
いつもの、大道具方が現れての、薄縁の展開とは、趣きを事にした。	

「御浜御殿綱豊卿」は、既に触れたように、5回目の拝見となる。綱豊卿9回目の仁
左衛門は、風格の殿様を演じて、熟成している。私が観た綱豊は、今回の仁左衛門
が、2回目で、ほかは、團十郎、三津五郎、染五郎であった。

綱豊(1662−1712)は、16歳で、25万石の徳川家甲府藩主になり、さら
に、43歳で五代将軍綱吉の養子になり、家宣と改名。その後、1709年、46歳
で六代将軍となり、3年あまり将軍職を務めた人物。享年50歳。「生類憐みの令」
で悪名を残した綱吉の後を継ぎ、間部詮房、新井白石などを重用し、前代の弊風を改
革、諸政刷新をしたが、雌伏の期間が長く、一般にはあまり知られていない。「御浜
御殿綱豊卿」では、将軍就任まで7年ある元禄15(1702)年3月(赤穂浪士の
吉良邸討ち入りまで、あと、9ヶ月)というタイミングで、綱豊(39歳)を叡智な
殿様として描いている。仁左衛門が演じる綱豊は、若々しく、明朗な綱豊を過不足な
く表現していた。御浜御殿とは、徳川家甲府藩の別邸・浜御殿、浜手屋敷で、いまの
浜離宮のことである。

〈浅野家家臣にとって主君の敵〉吉良上野介・〈「昼行灯」を装いながら、真意を隠
し京で放蕩を続ける〉大石内蔵助・〈密かに敵討ちを狙う〉富森助右衛門ら江戸の赤
穂浪士。そういう構図を知り抜き、浅野家再興を綱吉に上申できる立場にいながら、
赤穂浪士らの「侍心」の有り様を模索する綱豊(綱豊自身も、次期将軍に近い位置に
いながら、いや、その所為で、「政治」に無関心を装っている)。綱豊の知恵袋であ
る新井勘解由(白石)、後に、七代将軍家継(家宣の3男、兄二人が、夭死し、父も
亡くなったので、わずか4歳で将軍になったが、在職4年ほどで、7歳で逝去。父親
同様、間部詮房、新井白石の補佐を受け、子どもながら、「聡明仁慈」な将軍だった
と伝えられる)の生母となる中臈お喜世(芝雀)、お喜世の兄の富森助右衛門(染五
郎)、奥女中の最高位の大年寄になりながら、後に、「江(絵)島生島事件」を起こ
し、信州の高遠に流される御祐筆江島(秀太郎)は、お喜世を庇いだてするなど、登
場人物は、多彩で、事欠かない。

この演目では、「真の侍心とはなにか」と真山青果は、問いかけて来る。キーポイン
トは、青果流の解釈では、「志の構造が同じ」となる綱豊=大石内蔵助という構図だ
ろうと思う。内蔵助の心を語ることで、綱豊の真情を伺わせる。いわば、二重構造の
芝居だ。「侍心」は、夜の部の「南部坂雪の別れ」でも、再び、クローズアップされ
ると思うが、それは、夜の部の劇評で、また、述べてみたい。

赤穂浪士らの「侍心」に答えるためには、浅野家再興より浪士らによる吉良上野介の
討ち取りが大事だと綱豊は、密かに考えている。富森助右衛門との御座の間でのやり
取りは、双方の本音を隠しながら、それでいて、嘘はつかないという、火の出るよう
なやり取りの会話となる。この会話が、綱豊(仁左衛門)と助右衛門(染五郎)を演
じる二人の役者の仕どころである。この二人の組み合わせで観る、この場面は、2回
目の拝見。

しかし、綱豊の真意を理解し切れていない助右衛門は、妹・お喜世の命を掛けた
「嘘」の情報(能の「望月」に吉良上野介が出演する)に踊らされて、「望月」の衣
装に身を固めた「上野介」(実は、綱豊)に槍で討ちかかるが、それを承知していた
綱豊は、助右衛門を引き据え、助右衛門らの不心得を諭し、綱豊の真意(それは、つ
まり、大石内蔵助の本望であり、当時の多くの人たちが、期待していた「侍心」であ
る)を改めて伝え、助右衛門を助ける(あるいは、知将綱豊は、こういう事態を想定
してお喜世に嘘を言うように指示していたのかもしれない)。槍で突いてかかる助右
衛門と綱豊との立ち回りで、満開の桜木を背にした綱豊に頭上から花びらが散りかか
るが、この場面の「散り花」の舞台効果は、満点。

その後、何ごともなかったかのように沈着冷静な綱豊は、改めて、姿勢を正し、「望
月」の舞台へと繋がる廊下を颯爽と足を運びはじめる。綱豊の真意を知り、舞台下手
にひれ伏す助右衛門。上手に控える中臈や奥女中。まさに、一幅の絵となる秀逸の名
場面である。前半は、科白劇で、見どころを抑制し、後半で、見せ場を全開する。こ
のラストシーンを書きたくて、真山青果は、この芝居を書いたのでは無いかとさえ思
う。それほど、良く出来た場面であると観る度に感心する。「元禄忠臣蔵」で、最も
ドラマチックであり、絵面的にも、華麗な舞台だから、ダントツの再演回数を誇るの
も、頷けよう。

綱豊が寵愛する中臈・お喜世の芝雀、御祐筆・江島の秀太郎、二人とも、この芝居で
は、嫌みのない役柄で、気持ちの良い役である。新井白石である新井勘解由は、ゆっ
たりと人間国宝の富十郎、お喜世をいびる憎まれ役の上臈・浦尾は、萬次郎には、変
わらずの存在感があった。中臈・お古宇は、綱豊の太刀持ちという側近。お古宇を演
じた芝のぶは、病気休演の宗之助の代役だが、以前にも演じている役なので、爽やか
に好演した。
- 2009年3月11日(水) 17:16:29
09年02月国立劇場・小劇場公演(人形浄瑠璃)「女殺油地獄」


近松門左衛門原作の「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」は、江戸時代に
実際に起きた事件をモデルに仕組んだと言われる江戸の人形浄瑠璃。史実かどうか
は、確証がないらしい。近松お得意の「心中もの」ではなく、ただただ無軌道な、放
蕩無頼の、23歳の青年の暴走のはてに、近所の、商売仲間の、姉のように優しく気
遣ってくれる、若い人妻(27歳)を、借金を断られたからということで、殺してし
まうという惨劇は、「心中もの」のような、色香もなかったので、初演時は、大衆受
けがせず、1721(享保6)年、旧暦の7月、人形浄瑠璃の竹本座でたった1回限
り公演されただけで、その後、人形浄瑠璃では、上演されなかった。明治の末年に
なって、復活狂言として、歌舞伎化されたという演目で、人形浄瑠璃としては、23
0年以上も後の、1952(昭和57)年に、八代目竹本綱大夫、三味線方の十代目
竹澤弥七が、新しく作曲した「豊島屋(てしまや)油店の段」を人形を操らない、素
浄瑠璃として、NHKのラジオ放送で演じるまで、上演されなかったという、曰く付
きのものである。

一説によると、加害者の青年・与兵衛も、被害者の若妻・お吉も、油屋の株仲間であ
り、当時の大坂の油屋は、全国的な販売網を持っていて、大坂では、堂島の米商人に
次ぐ勢いのある経済組織だったことから、事件の残忍さ故に、油屋の業界から、何ら
かの圧力があり(つまり、「オイルマネー」からの圧力)、再演を禁じられたのでは
ないか、というが、真相は判らない。

昨今の無軌道な、没道義的な青年らの犯罪は、時代相を反映しているところもあり、
一概には、同断するようなことは言えないだろうが、現代的な解釈をしたくなるよう
な演目だろう。そういう意味では、近代性の強い劇ゆえに、江戸時代は、人形浄瑠璃
での続演もなく、歌舞伎としでの再演もなく、観客が、この芝居を観るためには、近
代まで、待たねばならなかった。それでいて、近代では、受け入れられる事が判る
と、「女殺油地獄」は、青年の無頼、放蕩ぶりを描く「徳庵堤の段」、家族の内幕を
描く「河内屋内の段」、そして、ハイライトの、殺し場を描く「豊島屋油店の段」
が、盛んに上演されるようになり、今では、人形浄瑠璃では、チケットの入手しにく
い、人気の演目になっている。私は、人形浄瑠璃は、今回、初めて拝見したが、歌舞
伎では、2回観ている。ついでに、歌舞伎の上演について、若干補足すると、190
7(明治40)年、東京の地芝居で上演され、その後、1909(明治42)年、渡
辺霞亭の台本で、大阪の朝日座で上演された。

私が観た歌舞伎では、98年9月・歌舞伎座で仁左衛門の与兵衛、雀右衛門のお吉と
いう重厚なコンビで、実に見応えがあり、とても良かった。上方の味が染み付いてい
る仁左衛門の演技。女房の演技に定評のある雀右衛門。この演目の、当代では、最高
の配役であると今も思っている。次いで、2001年9月の歌舞伎座で、染五郎(与
兵衛)、孝太郎(お吉)という花形コンビでも、拝見したことがあるが。実力では、
「仁・雀」コンビに叶わないから、8年前の印象は薄れ、11年前の印象のみ、強烈
に残っている。ただし、98年のころは、このサイト(大原雄の「歌舞伎めでぃ
あ」)は、立ち上がっておらず、私の劇評は、記録されていない。01年の劇評な
ら、私のサイト内の検索で、読む事ができる。念のため、一部を再録してみよう。

*なら、若いふたりの舞台に、なにを期待すべきか。単純なことだが、それは、 
 若さでしか演じられない「女殺油地獄」の世界だろう。

という問題意識で、舞台を拝見したと書いてある。

実は、「染・孝」コンビは、01年6月、福岡の博多座で、9月の歌舞伎座と、ほぼ
同じ顔ぶれで演じていて、これが、評判になった。配役で違うのは、主な役として
は、殺される女房・お吉の夫・七左衛門が、信二郎から友右衛門に、与兵衛の兄・太
兵衛が芳彦から玉太郎に、替わっているくらいか。

博多座の評判は、聞いたとは言うものの、あまり、期待しないで、というと若いふた
りに失礼なことだが(あまりにも、前回の「仁・雀」コンビが、築き上げた「女殺油
地獄」の世界が、完成していたように私には観えたから、それは、許して貰いた
い)、舞台を観たのだった。ところが、「染・孝」コンビは、別の魅力がある「女殺
油地獄」の世界を私の前に繰り広げてくれたのである。8年前、私の劇評には、次の
ように書かれている。

* 特に、染五郎は、今月の舞台では、ほかの演目では、全くといって良いほど精彩
がなかったが、その分を全て挽回するような、逆転ホームランを打ってみせたと言っ
ても、褒めすぎではないと私は思う。こういう話の場合、いかに、登場人物にリアリ
ティを持たせられるかが大事だ。染五郎は、発作的に犯罪に走る、現代の犯罪青年に
も通じるようなリアリティを感じさせる青年像を作り上げた。明るさ、頼りなさ、不
安定さ、不思慮、危うさ、甘さ、そういう言葉で表現される脆弱な青年像を染五郎
は、多分、演技というよりも、彼自身の持ち味が幸いする形で与兵衛という人物に投
影できたのではないか。また、こういう青年に慕われる若い人妻・お吉の危うさを孝
太郎が、演じている。人が良く、世話好きで、姉が弟のような青年のことを心配する
という気持ちが、大人の社会では通じない。「不義(いまなら、不倫)ではないか」
という眼で見られがちだ。封建時代ならなおさらそうだったろう。そういう世間の眼
が、世間からそう見られていると感じる与兵衛の心が、ふたりを地獄の世界に連れて
行く。甘えられる相手ゆえに、「殺されてもらえる」という与兵衛の歪んだ心情。お
吉の方は、善意が、結果として、世間の眼が期待する方向に、そういう隙を与兵衛に
感じさせるということに気が付かない。多分、なぜ殺されるのか、よく判らないま
ま、殺されたのではないか。そういう感じを孝太郎の、あの「おちょぼ口」を中心に
した顔の表情が、巧みに表現している。そういう彼女の善意を大人の社会では、危ぶ
むのだ。その大人社会の常識通り、彼女は、青年に対する善意ゆえに、「不義になっ
て、(金を)貸してくだされ」と甘えたことを言う青年の衝動に殺されてしまう。若
者たちが、共同幻想の果てに作り上げる自分たちだけの世界がある。

さて、本筋の人形浄瑠璃に戻ろう。
「徳庵堤の段」は、野崎参りの街道が、描かれる。「新版歌祭文」の、「野崎村」
は、歌舞伎では、両花道を使って、舟で大坂の戻るお染(本花道)と土手道を駕篭で
戻る久松(仮花道)の場面が、有名だが、野崎参りでは、土手道を歩いて参詣する人
と川を舟で行く人との間で、互いにののしり合うという風習があったという。近松原
作の床本では、こう描写される。

「まだ肌寒き川風を、酒にしのぎてそゝり往く、野崎参りの屋形船、徒歩路(かち
じ)ひろふも諸共に、開帳参りの賑はしや」

つまり、現代ならバスで、宴会しながら行く人、グループで歩いて行く人、こもごも
で、車ならぬ、屋形船で酒を酌み交わしながら往く人たちと歩いて行く人たち同士の
間で、賑やかに喧嘩をしながら、参詣するというところだろう。「女殺油地獄」で
は、徒歩組は、大坂本天満町の油屋豊島屋の内儀、お吉とその娘、遅れてくる夫の七
左衛門一行。それとは別に、豊島屋の同業で近所の河内屋の息子・与兵衛(23歳、
親掛かり)とその無頼仲間のふたりの3人連れなど。ただし、この3人組は、4月半
ばの肌寒さを酒で凌ごうと、5升樽を「坊主持ち」ということで、交代で持ちなが
ら、また、酒を飲んでは、歩くを繰り返しながら、深まる酔いとともに、歩いてく
る。

一方、船組は、与兵衛が馴染みの遊女・小菊一行だが、小菊は、与兵衛からの野崎参
りの誘いを断り、会津から来たお大尽らと船でお参りを済ませたので、すでに、大坂
に戻る途中。徳庵堤で、待ち受けていた与兵衛一行と遭遇し、酒に酔っているお大尽
は、与兵衛らとつかみ合いの喧嘩になる。まさに、野崎参りの風習を巧みにいかし
て、喧嘩場を構成する。この喧嘩の場面が、実に、おもしろい。歌舞伎では、喧嘩
は、立ち回りと言って、一種の踊り、所作事で、様式化しているが、人形浄瑠璃は、
殴る、蹴る、踏んづけるなど、極めてリアルな動きを見せる。特に、三人遣いのう
ち、脚遣いが、「張り切って」、鋭く、素早い脚の動きを見せるので、おもしろい。
滑稽でありながら、緊迫感があり、観客の笑いを誘う。その挙げ句、着ている羽織を
脱いで相手の頭に被せて視界を遮り、頭などを叩きのめす。この場合、主遣いは、人
形の右袂に入れてある右手を一旦、抜き抜いて、羽織を脱ぎ、素早く、右手を人形の
右袂に入れ直して、人形を操り続ける。

実際の野崎参りでも、当時の庶民は、一種のレクレーション、あるいは、日頃のスト
レス解消の、リクレーション(再創造)の場として、羽目を外していただろうと容易
に想像されるような作劇術だ。酔っぱらい同士の、恋の鞘当ては、泥の投げ合いの果
て、やはり、馬に乗って参詣に通りかかった高槻家の御代参、小栗八弥の袴に与兵衛
の投げた泥つぶてを当ててしまう。無礼者、手討ちにしてくれる、という場面にな
り、手討ちにすると近づいてきた小栗の家臣で徒士頭は、なんと、与兵衛の伯父・山
本森右衛門。伯父の進退にも影響を与える「事件」になってしまう。その場で、手討
ちにしようという森右衛門だが、主人の小栗八弥は、「血を見れば御代参叶わず」
と、参詣の前に、血を流すのは、良くないという、なんとも、忝い言葉で、諭すだけ
で済ましてくれる。伯父は、帰りには、「首を討つ」と目で言って、甥を命拾いさせ
る。しかし、見栄っ張りで、小心の与兵衛は、狼狽えてしまい、参詣から戻ってきた
お吉に助けを求める。

この「徳庵堤の段」は、竹本三輪大夫以下9人が、役割分担で、人形の科白などを演
じ分けるので、人形たちの声音も、さまざま、大夫たちのダイナミックな入れ替わり
もあり、舞台に登場する人形遣いの数も多く、見応えがある。

さて、家族の内幕を描く「河内屋内の段」は、「文楽まわし」(盆まわし)を使っ
て、前半の(中)と、後半の(奥)が、竹本のひとり語りで演じられる。前半は、竹
本相子大夫、後半は、豊竹呂勢大夫。ひとりひとりの人物造形を丹念に大夫は、描き
分けて行く。

河内屋主人の徳兵衛は、先代の徳兵衛が亡くなった後、店の使用人から、未亡人と結
婚したので、先夫の息子である与兵衛には、幼児期、「ぼんさま」と呼んでいただけ
に、父親になっても、やはり、遠慮がある。与兵衛の母親のお沢は、武家出身で、武
家の倫理・道徳を持ち続けている上、商売を切り盛りし、家族を大事にしてくれる後
添えの徳兵衛に感謝している。それだけに、先夫の息子の無軌道ぶりには、実母とし
て、必要以上にきつくあたるが、心底では、実の息子が可愛くて、なんとか、更生さ
せたいと思っている。このほか、分家して、油屋として別に店を持ち、独立している
長男として、与兵衛の実兄の太兵衛がいる。徳兵衛とは、株仲間。つまり、同業の組
合員。家内には、与兵衛とは、「種違い」(昔の物言いは、ずいぶん露骨です)の未
婚の妹・おかちがいる。徳兵衛とお沢の間にできた娘。河内屋では、与兵衛に、まじ
めになってもらおうと妹に婿を取り、商売を継がそうと偽る作戦を取り、与兵衛の奮
起を期待するが、これが、逆効果となり、与兵衛は、荒れに荒れて、家族全員を敵に
回して、大立ち回り。実母にも、義妹にも、殴り掛かる始末。おとなしく己を押さえ
ていた義父も、とうとう、義理の息子を打ち据える。その挙げ句、実母の勘当の声を
背に受けて、臍を曲げた与兵衛は、家出をしてしまう。その後ろ姿が、先代に似てい
ると、徳兵衛は、よけい心痛を重ねる事になる。

与兵衛には、屈託がある。父親が亡くなった後、母親が、店の使用人を「徳兵衛」と
して、夫にし、河内屋の主人にしてしまい、さらに、種違いの妹に婿を取り、河内屋
を継がせようとしていると疑っているからだ。こういう屈託は、時代を超えて、普遍
的で、どこにでもある。

与兵衛の首を扱う桐竹勘十郎は、「チョイの糸」:首(カシラ)の中に仕込まれる
「ノドギ」(喉、首)とカシラの後ろを鯨のヒゲでむすんだ先につく糸を動かす。主
遣いは、手板(操作板)を下から支え持つ左手の薬指と小指に、この糸を引っ掛けて
いる。人形遣いが、緊張したり、ゆるんだりすると、微妙に動く。
無表情を装っている主遣いも、人形より抑圧しているものの、表情が変化する。変化
する人形遣いの息使いによって、人形も息を呑んだり、吐いたりする。だから、人形
が生きているように見える。活発に動く時より、こうした微妙な動きの方が、存在感
があるという不思議さ。

殺し場を描く「豊島屋油店の段」。豊竹咲大夫のひとり語り。端午の節句に、3人の
娘しかいない豊島屋では、娘の髪を梳る櫛が、折れたり、節季の集金から一旦帰宅し
た主人が、また、他へ集金に出かける前に、食事代わりに飲む酒を「立ち酒」(野辺
送りの風習の飲み方)をしたりするので、内儀のお吉は、不吉がる。この不吉さは、
その後に展開する悲劇を暗示する伏線となる。

27歳のお吉の首(かしら)は、眉を剃った「老女形」という顔を使っている。口に
は、着物の袖を銜える事ができるように針が刺してある。この顔が、不吉がるときに
は、色っぽく見えた。タナトスと裏打ちされたエロスか。因に、与兵衛の母・お沢
は、「婆」。妹のおかちと遊女・小菊は、いずれも「娘」。似たように見える3種類
の女の首が、女性の深淵を覗かせる。

節季とあって、借金の精算を迫られた与兵衛は、近所の優しい、人妻の豊島屋の内
儀・お吉を頼って、金を借りようとやってくる。店に入りそびれていると、河内屋の
提灯が近づいているのに気づき、物陰に隠れる。やってきたのは、義父の徳兵衛で、
不逞の息子が慕っている株仲間の内儀を通じて息子へ金を渡してもらおうという魂胆
なのだ。さらに、もうひとり、豊島屋にやってくる。今度は、実母のお沢。結局、お
沢も、徳兵衛と同じ魂胆。不逞ながらも、息子は、息子。義理の関係も実の関係も、
子に対する親には、無関係。ふたりの老夫婦の心根を理解した内儀のお吉は、「ここ
に捨てゝ置かしやんせ。わしが誰ぞよさそうな人に拾はせましよ」と、与兵衛への橋
渡しを請け負ってくれる。慈愛に満ちた親たちの気持ちが、身につまされる。

与兵衛の父母の役割は、社会を現に支えている普通の大人たちの常識では、対応でき
ないような、親馬鹿の果ての、慈愛に満ちた、無限広大な世界を作り上げているよう
に見受けられる。これも、共同幻想の世界なのだが、それが、奇妙に、歪んだ与兵衛
の心象が築いている砂上の楼閣のようなグロテスクな世界とバランスが取れているよ
うに見える。その対象の妙が、「女殺油地獄」の近代性を裏付けている。

与兵衛の義父・徳兵衛は、店の使用人から先の主人で、与兵衛の実父の死後、義父に
なったという屈折感がある。実際、そういう家庭環境への不満が、与兵衛に屈託を抱
かせて、愚連(ぐれ)させている。つまり、義理の息子を甘やかしている。気が弱い
ながら、そういう自覚があり、手に余る与兵衛が、妻であり、与兵衛の実母であるお
沢らに家庭内暴力を振るう様を見て徳兵衛は、義理の息子を店から追い出すが、追い
出した後、与兵衛の姿が、恩のある先の主人にそっくりだと悔やむような実直な男
だ。お沢も、いまの夫に気兼ねしつつ、ダメな息子を見放せない。夫に隠れて、追い
出す息子を見送るが、「ダメな子ほど、可愛い」と言われる世間智の説得力を老夫婦
が、十二分に見せつける。

そういう、ふたつの、ある意味では、「非常識な世界」に対して、お吉の夫・七左衛
門は、ちょいとしか出てこない傍役ながら、ふたつの世界の間にある、幻想ではな
い、大人の常識の世界があることを観客に思い出させる。出番は、控えめだが、仕
事、仕事に追われる男の慌ただしさと堅固さを、主人「不在がち」による豊島屋の危
うさを、要所要所で、示していた。

一部始終を家の外で聞いていた与兵衛が、入ってくると、お吉は、与兵衛に金を渡す
が、事情を承知している与兵衛は、驚かないばかりか、さらに、金を貸せと迫る始
末。与兵衛を甘やかしたくない、更生させたいと姉のような気持ちのお吉が、与兵衛
の申し入れを断ると、「不義になつて貸して下され」と、男女の仲になって、情愛か
らみで金を貸せとお吉の膝に触れながら、迫る悪道者。「くどいくどい」と相手にし
ないお吉。「女子と思ふてなぶらしやると、声立てて喚くぞや」。

あきらめて、与兵衛は、ならば商品の油を貸してくれと頼む。商品の貸し借りは、株
仲間の常道故、それには応じましょうと油を樽に詰めていると背後に回った与兵衛
が、懐から脇差しを取り出し、お吉に刺しかかる。ふたりの立ち回りで、店に置いて
あった油樽が次々に倒れる。油が、店内に広がり始める。逃げるお吉。追う与兵衛。
油で、足元が滑る。舞台中央から、下手に一気に滑る与兵衛。命乞いをするお吉を追
いながら、何度も滑る。舞台中央から、下手に一気に滑る。主遣いの桐竹勘十郎ら3
人の人形遣いたちは、一気に移動する。脚遣いは、巧みに人形の前後を入れ替わる。
横になって、人形を操る人形遣いたち。そのダイナミックな動きが、殺し場の、迫力
を盛り上げる。脚も、足首もない女の人形も、脚遣いは、着物の裾を巧みに遣い、迫
力をそがない。歌舞伎役者では、演じきれないような、ダイナミックな動きは、人形
浄瑠璃でしか、表現できない。

遂に、事切れたお吉をよそに、上手、奥の寝間の蚊帳のなかで、息をひそめて、震え
ているであろう3人の娘たちのことにも気を止めず、与兵衛は、座敷に上がり込み、
お吉から奪った鍵を使って、戸棚を開け、そこから「銀」(銀本位制は、大坂の通
貨)を盗んで、闇に消えて行く。閉幕。息絶えたお吉同様、取り残された観客は、い
つの間にか、幕の外にいる現実に気がつきながら、皆が、「ふうっと」大きく息を吐
く。

贅言:歌舞伎のためにも、一言。歌舞伎では、殺し場で、店先にある油の入った樽が
次々に倒され、なかの油が、実際に、舞台一面に流れ出る。座敷にも逃げるお吉を
追って、与兵衛は、油まみれのままにじり寄る。ふたりの衣裳も「油まみれ」に見え
る。人形浄瑠璃でも、油の樽は、なぎ倒されるが、舞台の「船」と呼ばれる下に落ち
てしまうので、樽も見えない、油も見えない。それは、観客の想像力に任せるしかな
い。

不条理劇を象徴する、見事な場面が、延々と展開する。お吉を殺した後、花道に掛か
るポイントで、惚けたような表情の与兵衛は、余韻を残すが、人形浄瑠璃では、下手
の小幕から、舞台の袖に引っ込んでしまうので、そういう余韻はない。歌舞伎は、花
道も、「油まみれ」だ。閉幕後、何人もの観客が、道具方がモップで掃除を始めた花
道まで来て、板を汚した「油」を点検していた。私も、もちろん、触ってみたが、外
見上「ぬるぬるして見えた」ものは、意外とサラッとしていて、粘着力のない液体
だった。布海苔を油のように見せているという。

さて、近松原作では、ここでは終わらない。与兵衛の所為で、浪人に身を落とした伯
父の山本森右衛門は、状況からお吉殺しは、与兵衛の仕業と疑い、与兵衛を探す。新
町、曾根崎と遊郭に逃げ込んだ与兵衛の跡を追う。お吉の三十五日の法要の日、与兵
衛は、自分への嫌疑の目をそらそうと豊島屋に自ら現れる。「気の毒千万、(犯人
も)追つ付け知れましよと」嘯く。居間の梁を通った鼠が、血染めの割付(割勘の書
付)を落とすと、それは、与兵衛の筆跡であったことから、疑われ、遂には、犯行を
自白させられる。最後は、千日前にあった処刑場で、処刑される。

借金で親に迷惑をかけたくなかったばかりに、親身の姉のような人妻に借金を申し仕
込み、断られると、逆上して、殺してしまうという短絡な青年。盗んだ金で遊女と遊
び、法要の様子を伺おうと被害者宅に平然と顔を出す無神経さ。そういう、「俺たち
に明日はない」という映画を地で行くような、無軌道不逞なな青年像を、例え、実際
の事件にヒントを得たとはいえ、およそ290年も前の、1721年に舞台にかけた
ものの、当時の社会から拒絶された近代的な演劇「女殺油地獄」は、今、人形浄瑠璃
の人気演目として、受け入れられている。

その秘密は? ここで、コンパクトながら、私見を述べてみたい。河内屋の人間関係
を見たときに気がついたのだが、油屋「河内屋」という商家には、武家の矢が刺さっ
ている。お沢という母親が、それだ。お沢は、兄が、山本森右衛門で、高槻藩の家臣
小栗八弥の徒士頭であった。今回の舞台では、森右衛門の出番は少ないが、その後の
「女殺油地獄」の展開を見ると、結構重要な役どころを担っている。このお沢と森右
衛門の系譜は、意外と重要な気がする。つまり、原作者の近松門左衛門が、武家出身
の狂言作者だという事は知られているが、それを思い出していただきたい。商家の事
件をリアルに見る視点が、ここには、ある。母親のお沢は、不逞に実の息子と後添え
の誠実な夫、息子の義理の父に挟まれて、苦しみながらも、矜持を持って、息子と夫
に対応しているが、作戦とは言いながら、安宅の関で、弁慶が、義経を杖で打ち据え
るように、朸(おうこ)と呼ばれる油桶を担ぐ天秤棒で、「エヽ、モ、きりきり失せ
う」と与兵衛を家から突き出す。「越ゆる敷居も細溝も、親子別れの涙川」。実の母
子の別れ。武家出身のお沢は、近松の代理人。実の息子が引き起こす商家のスキャン
ダルをリアルに抉り出す。豊島屋で、お吉と徳兵衛の前で、不覚にも、懐から落とし
た粽と金子という本音以外は、武家出身という、外からの視点で商家の内部を見てい
る。つまり、外と内の視点を併せ持っている、唯一の人が、お沢ではないか。

ある問題について、外と内の視点を持ち、「内」、つまり、情報の送り手という取材
対象から情報を取材し、「外」、つまり、情報の受け手に、それを判りやすく伝え
る。いわば、外と内の境界に立ち、情報を判りやすく伝える人、それが、マージナル
マンという立場を必要とする、ジャーナリストのあるべき姿なのだと思う。それは、
私も、そうなのだが、まさしく、ジャーナリストの視点なのである。

「心中天網島」(1720年)、「女殺油地獄」(1721年)、「心中宵庚申」
(1722年)。1724年には、没。当時は、近松の「心中もの」が、艶のある大
衆上のする作品として、ヒットしているなかで、あえて、晩年の老いを感じながら、
「心中もの」ではない「女殺油地獄」という作品を書き、生きているうちに、再演の
機会に恵まれなかった近松門左衛門は、まさに、「心中もの」の人気の劇作家として
ではなく、気鋭のジャーナリストの視点で、与兵衛という、近代的な犯罪者に通じる
青年像を描き上げ、同時代ではなく、何百年後の、見知らぬ現代社会に向けてメッ
セージを送り込んできたのではないだろうか。
- 2009年2月19日(木) 16:47:51
09年2月歌舞伎座 (夜/「蘭平物狂」「勧進帳」「三人吉三巴白浪」)


「蘭平物狂」は、5回目の拝見。今回も含めて、三津五郎が、八十助時代を含めて3
回、松緑が、辰之助時代を含めて2回。戦後の上演記録を観ても、松緑の復活上演な
ど、先々代、先代を含めて、松緑と三津五郎の系統の得意な演目になっている。ほか
の役者では、八代目幸四郎、市川右近がいるだけだ。

この芝居は、前半の「在原行平館の場」が、元々、弱い。曲者退治に行く蘭平の息
子・繁蔵に対する、親馬鹿ぶりも滲ませての心配する父親の情愛描写と刃を見ると
「物狂い」になるという蘭平の「奇病」(実は、仮病)ぶりが、見せ場となる程度。
後半の「奥庭の場」は、1953(昭和28)年に二代目松緑が、埋もれていた時代
浄瑠璃を復活上演した際に、殺陣師の坂東八重之助が考案した大小の梯子を使っての
苦心の大立ち回りが、見せ場で、これは、戦後の歌舞伎の立ち回りの殺陣として、
トップクラスの優れたものだろう。芝居というより、ダイナミックな大立ち回りを楽
しむものだろう。

「在原行平館の場」は、「伊勢物語」の在原行平の逸話がベースになっている。「松
風村雨」姉妹との恋物語。行平が、須磨に隠棲した際に、地元の海女の松風と契った
が、都に戻った後も、松風のことが忘れられず、恋の病に陥っている。奥方の水無瀬
御前の意向を受けて奴・蘭平は、与茂作の女房で、松風に良く似たおりくを連れて来
て、おりくを松風に、与茂作を松風の兄にと、それぞれ偽らせて、行平に目通りさせ
る。騙しの場面だ。実は、この芝居、騙しあいの連続劇なのだ。

蘭平、実は、伴義雄(三津五郎)は、刀の刃を見ると物狂いになるという奇病がある
と偽ることから、外題は、「蘭平物狂」と通称される。行平(翫雀)の前では、刀の
刃を見て物狂いになる蘭平だが、与茂作(橋之助)との立回りでは、物狂いにならな
いばかりか、与茂作の持っていた刀が、「天国(あまくに)」の名刀だったことか
ら、与茂作は、実は、弟の伴義澄と見抜き、自分は、実は、兄の伴義雄だと名乗る。
二人の父親・伴実澄の仇である行平をともに倒そうと誓いあうが、実は、与茂作は、
小野篁(おののたかむら)の家臣・大江音人で、禁裏の重宝を探索する、いわば、隠
密のような人物で、おりく(福助)は、音人の妻の明石であり、行平の恋の病も、仮
病で、全ては、蘭平を伴義雄ではないかと疑った行平一派の策略で、見事、蘭平は、
その罠にはまり、正体を顕わし、行平方の大勢の捕り手に囲まれて、大立ち回りとな
るという仕儀なのだ。そういう騙しの連続の芝居が、ダイナミックな大立ち回りで飾
り立てられているというだけなのだ。

それにしても、「大部屋役者」「三階さん」たちが、いわば、主役と同格になる
大立ち回りは、いつものことながら、迫力があり、見応えがあった。大小の梯子は、
この演目の、もうひとつの主役だろう。


「勧進帳」は、夜の部の目玉で、見応えがあった。配役が、素晴らしい。もともと、
「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、名舞踊、名ドラマ、と芝居のエ
キスの全てが揃っている。これで、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあきない
のは、当然だろう。今回は、弁慶:吉右衛門。富樫:菊五郎。義経:梅玉。四天王
は、花形の染五郎、松緑、菊之助に加えて、ベテランの段四郎。バランスがとれてい
て、歌舞伎座の「さよなら公演」に相応しい。16回目の拝見となる。私が観た「勧
進帳」の配役は、次の通り。( )のなかの数字は、私が観た回数。

弁慶:幸四郎(4)、團十郎(4)、吉右衛門(今回含めて、4)、猿之助、八十助
時代の三津五郎、辰之助改めの松緑、仁左衛門。冨樫:菊五郎(今回含めて、5)、
富十郎(3)、梅玉(2)、勘九郎(2)、吉右衛門、猿之助、團十郎、新之助改め
の海老蔵。義経:梅玉(今回含めて、4)、雀右衛門(3)、菊五郎(2)、福助
(2)、芝翫(2)、富十郎、染五郎、玉三郎。

「役者は、背負っている人生が、舞台に出る」という吉右衛門の弁慶は、9回目で、
4年ぶりの、人生経験が、積み重ねられていて、見応えがあった。14回目という菊
五郎の富樫は、虚実を見分けながら、それを許容する懐の深い富樫であった。義経
も、御大将の格を滲ませながら、静かに演じる梅玉。いずれも、安定感があった。義
経は、真女形が、時々演じる。私が観たなかにも、雀右衛門、福助、芝翫、そして、
玉三郎がいた。前回の、08年4月、歌舞伎座の玉三郎などは、88年に歌舞伎座1
00年を記念して初役で演じて以来、2回しか演じていない。

弁慶の吉右衛門は、丁寧に演じている。危機に際し、刻々と変化する状況を、落ち着
いて判断し、義経警護の責任者として責務を全うする。私は、以前の劇評で、次のよ
うに書いたことがある。「私の好きな弁慶は、團十郎、あるいは、吉右衛門。團十郎
の弁慶の場合、菊五郎の冨樫、梅玉の義経。あるいは、吉右衛門の弁慶の場合、富十
郎の冨樫、雀右衛門の義経という組み合わせを頭に描くが、なかなか実現しなかっ
た。当該役者が皆、同じ舞台に出勤していても、配役が違うなど、限られた配役なの
に、意外と一致しないものなのだ」

高齢の雀右衛門が、舞台から遠ざかっている現状で、「吉右衛門の弁慶の場合」の義
経という配役は、望めないかもしれない。今回は、團十郎の弁慶の代わりに、吉右衛
門が入っているので、充実していた。

菊五郎の冨樫は、弁慶の男の真情を理解し、指名手配中の義経を含めて弁慶一行を関
所から抜けさせてやることで、己の切腹を覚悟する。男が男に惚れて、死をも辞さず
という思い入れが、観客に伝わって来る。菊五郎の、抑制気味の声には、それがある
と思う。


「三人吉三巴白浪」は、7回目の拝見。このうち、今回含め4回は、「大川端」の場
面のみの一幕もの。グラビアのようなもの。それ以外は、通し。今回は、玉三郎のお
嬢吉三、染五郎のお坊吉三、松緑の和尚吉三という顔ぶれ。私が観た舞台では、5年
前、04年2月の歌舞伎座が、最高であった。顔ぶれは、玉三郎(お嬢吉三)、仁左
衛門(お坊吉三)、團十郎(和尚吉三)というから、レベルが、違うとも言える。特
に、今回は、2日目に観たので、3人の立ち回りなどでは、まだ、息が合っていな
かったし、玉三郎の科白も、不安定だった。

「三人吉三」は、実は、極めて、現代的な芝居だ。3人は、田舎芝居の女形上がりゆ
えに女装した盗賊として、この場面だけでも、詐欺、強盗、殺人などの容疑者となる
お嬢吉三を始め、御家人(下級武士)崩れの盗賊であるお坊吉三、所化上がりの盗賊
である和尚吉三という前歴から見て、時代の閉塞感に悲鳴を上げている不良少年・青
年たちである。大不況の現代に生きていれば、職に就きたくてもつけない。ついて
も、非正規社員か、アルバイトか。その挙げ句、社会から落ちこぼれてしまい、盗み
たかりで、糊口を凌ぐしかないという若者たちの、「犯罪同盟」の結成式が、「大川
端」の場面なのである。

その閉塞感は、舞台に滲んでいるように思う。というのは、背景だ。「大川端」の百
本杭が並ぶ場所は、大川(隅田川)が、大きく曲がる場所。それゆえ、大雨が降ると
土手が決壊をしやすい場所なので、杭を百本(多数ということ)も打ち込み、補強し
ている。両国橋に近い大川端である。舞台の上手には、庚申塚がある。青面金剛(庚
申)を祭った寺の門の上には、大きな提灯がぶら下がっている。寺は、白い塗り塀で
囲まれている。舞台下手は、屋敷の裏側の体で、塀の内には、林しか見えない。大き
な武家屋敷か。屋敷と寺の間は、良く見ると、奥深い広場になっているのが判る。広
場の向うは、塀と林。とすると、広場は、火事の多かった江戸の街のあちこちに据え
られた火除け地のように見える。火除け地は、江戸の街に空いた時空の隙間のように
思えてならない。その隙間の、出入り口のような、狭い空間だけが、3人の若者が許
されたスペースなのだ。この息苦しさは、1860(安政7)年の、幕末に生きる黙
阿弥の息苦しさでもあろうが、2009年を生きる私たち観客の息苦しさでもあるだ
ろう。

贅言:再録なので、コンパクトに紹介するが、「三人吉三」の「吉三」は、いわば、
記号で、現代ならば、少女A=お嬢吉三、少年A=お坊吉三、青年A=和尚吉三とい
うように、「吉三=A」とでも、言うところ。それゆえ、3人のAたちは、時空を超
えて、現代にも通じる少年少女Aたちの青春解体という普遍的な物語の主人公とし
て、新たな命を吹き込まれ、少年期をテーマとした永遠の、普遍的な物語の世界へと
飛翔する。そういう意味でも、「三人吉三」は、「ネバーエンディングストーリー」
という物語の、グラビアページでも、あるのだと言える。
- 2009年2月17日(火) 11:30:17

- 2009年2月17日(火) 9:28:02
09年2月歌舞伎座 (昼/「菅原伝授手習鑑〜加茂堤・賀の祝〜」「京鹿子娘二人
道成寺」「人情噺文七元結」)


12月の国立劇場での人形浄瑠璃観劇会と同様に、今回は、在日フランス人協会に所
属するフランス人の人たちとともに歌舞伎を観劇した。この際、昼の部の開演前に、
歌舞伎座の地下食堂を借りて、同時通訳を交えて、1時間あまりの講演をした。テー
マは、昼の部の演目が、人形浄瑠璃もの、能取りもの、落語(人情噺)からの世話物
ということであったので、ほかのジャンルから歌舞伎化する歌舞伎の芸域の広さと初
心者が歌舞伎を観た場合、場内や舞台で気になりそうな「約束事」を解説するとい
う、二つのテーマで、話を進めた。「約束事」の解説では、網羅的に話をするより、
今月の舞台で、実際に出てくるものを重点に話をした方が、フランス人には、判り安
いだろうと判断し、そのために、今月の演目の演出ぶりを事前に観ておく必要があっ
たので、昼の部に限り、2回拝見した。外国人向けの歌舞伎ガイド用のテキスト版と
して、いつもより、長めの劇評にしたい。


今月の歌舞伎座の筋書きの上演記録によると、「菅原伝授手習鑑〜加茂堤・賀の
祝〜」のうち、私は、「加茂堤」は、3回目、「賀の祝」は、6回目の拝見となる。
つまり、「賀の祝」を観たうちの半数は、「加茂堤」も、同時に観ている。「賀の
祝」だけというのが、2回あり、「車引」「賀の祝」「寺子屋」という組み合わせ
が、1回。「筆法伝授」「道明寺」を含めて、「加茂堤」から「寺子屋」までの通し
上演は、2回観ている。「加茂堤」と「賀の祝」の組み合わせを拝見するのは、今回
が、初めてであった。つまり、通しではないなかで、「加茂堤」を拝見するのは、初
めてということだ。

「加茂堤」では、加茂の社では、天皇の病気平癒祈願の儀式が行われている。舞台上
手から、桜丸(橋之助)が、登場。儀式に参加している政権幹部の仕丁たちが、儀式
の終わるのを待っているのが、加茂堤という設定だ。肚に魂胆のある桜丸は、よその
仕丁たちに、そろそろ儀式も終わりに近づいたので、社に戻った方が良いと忠告をす
る形で、仕丁たちを追い払う。かねてより恋仲の苅屋姫と牛車で逢い引きを目論む天
皇の弟・斎世の君(高麗蔵)は、式を抜け出して牛車のなかで、苅屋姫の到着を待っ
ているのである。やがて、花道から桜丸の妻・八重(福助)に手を引かれて、苅屋姫
(梅枝)が、やってくる。

苅屋姫が、菅丞相の養女だったことから、菅丞相の政敵・藤原時平に「天皇亡き後、
斎世の君を天皇にし、苅屋姫を皇后として、自らが皇后の父親になろうという謀反心
だ」という難癖を付けられ、菅丞相太宰府配流という後の悲劇の種となる場面だ。も
うひとつの悲劇の種は、ふたりの逢い引きの手筈を整えたのが、桜丸と八重で、後の
「賀の祝」での、主人に迷惑をかけたと桜丸切腹に繋がる。梅枝の苅屋姫は、初々し
くて良い。愛情一途の幼い姫のイメージにぴったりだった。苅屋姫も斎世の君も、初
心(うぶ)らしく、なかなか情事に発展しないので、男女の仲の先達として、桜丸と
八重が、夫婦で、いろいろ段取りを整えることになる。

後の悲劇を感じさせない紅白の梅の咲く、長閑な春の景色のなか、牛車が、情事の空
間になり、外で見張る桜丸夫婦が、その有様をみて、「たまらぬ、たまらぬ」という
あけすけな科白の後、ふたりが舞台中央で抱き合い、接吻をするという、最近の歌舞
伎では珍しい直接的な愛の表現がある。まあ、一種の「チャリ(滑稽)場」とも、受
け取れる。牛車の階段下に、紅白の鼻緒の草履(以前は、斉世の君の履物は、沓(い
わば、サンダルのようなもの)だったと思うが、こうして紅白の草履が、いつまで
も、ふたつ並べて置かれているのが、牛車のなかでの情事を象徴していて、何とも、
エロチックで、悩ましい(同じ草履でも、桜丸が、立ち廻りを前に、脱ぎ捨てる草履
は、いわば「邪魔物」なので、黒衣が、さっと出てきて、さっさと、片付けてしまう
から、いかにも、歌舞伎らしい。草履の「処遇」を観ていても、昔の歌舞伎が、芝居
小屋のなかの、光量が乏しい状況で、どこをクローズアップさせて、観客の視線を集
めようとしてきたかが、良く判る例だ)。まさに、「たまらぬ、たまらぬ」。牛車を
引く「牛の脚」の役者は、「正座」で座っていて、特に、後ろ脚は、微動だにしな
い。ただし、前脚は、接吻の場面では、悩ましげに、立ち廻りの場面では、気遣わし
げに、牛の頭を廻したりしている。

三善清行(松江)は、仕丁を連れて、斎世の君と苅屋姫の情事の現場を押さえようと
意気込んでやってくる。このような場面は、「菅原伝授手習鑑」(1746年初演)
の翌年(1747年)上演された「義経千本桜」の花四天を連れた早見藤太、翌々年
(1748年)上演された「仮名手本忠臣蔵」の花四天を連れた鷺坂伴内という形で
洗練されて行くことになる。観客に受ける場面は、さらに工夫魂胆というところだろ
う。

斎世の君と苅屋姫は、和歌の書き置きを残して、警護の桜丸にさんざん妨害されたあ
げく、三善清行が、やっと、牛車を覗き込むころには、すでに、姿を隠してしまう。
ふたりの後を追う桜丸。桜丸の白丁の衣装を借りて、こわごわながら、牛に近づき、
牛車を引こうとする八重は、ものを引く(つまり、力がある)女形というユニークな
場面だけに、見せ場だ。牛車の牛とのやりとりも、場内の笑いを誘う。正座していた
牛の脚が中腰になるところで引っ張りの見得。最初から最後まで、舞台に出ずっぱり
で、ほとんど動きもなく、さらに、筋書きの配役にも名前の載らない「牛の脚」役者
のふたり、ご苦労様でした。「加茂堤」の場面が、明るく、滑稽に演じられれば演じ
られるほど、後の悲劇が際だつ。悲劇の前の笑劇が、この場面の役割だ。

贅言:今回は、フランス人相手に、歌舞伎の「約束事」を解説したので、黒衣の動き
を注意深くウオッチングしたが、八重が、牛車のなかの若いふたりのために手水の水
を汲みに行く前に、桶を用意する黒衣は、かなり前から、舞台下手の松の木の陰に入
り込み、ずううと、潜んでいた。そして、桜丸と八重が、抱き合い、接吻をする場面
で、観客の視線が、ふたりに集中する隙に、松の後ろから出てきて、桶を置いていっ
た。いつのまにか、「出現した」桶を、八重は、不思議な顔をせずに、持って、水を
汲みに河原へ降りて行く。そして、また、暫く、松の木の陰に潜んでいて、三善清行
が、仕丁たちを連れて花道から現れ、舞台下手に仕丁たちが勢揃いした隙に、彼ら
を、いわば目隠し代わりにして、舞台下手に引っ込んでいった。この場合だけに限ら
ず、黒衣たちの動きは、皆、要領が良く、効率的で、牛車の後ろ、牛の後ろなどを拠
点としながら、実に、無駄のない動きをしているのが、良く判った。いくら、黒衣
は、観客には、見えないという「約束事」になっているとはいえ、無駄な動きをして
いたら、やはり、目障りになるだろうに、昔からの「定式」が、洗練されてきた歌舞
伎の懐の深さは、こういうところにも現れているから、おもしろい。こういうこと
も、フランス人にも、歌舞伎のおもしろさを理解していただこうという、「新たな」
問題意識のもとに、同じ芝居を2回も観なければ、やはり、気がつかないだろうと思
うと、それも、また、おもしろいではないか。

ついで、ふたたび、幕が開くと、「賀の祝」。「賀の祝」とは、古稀の祝。古来より
70歳は、長寿、稀なる年齢。しかし、芝居は、名ばかりの祝いで、その後の悲劇へ
の予兆、さらなる展開への伏線が続く舞台となる。賀の祝は、祝祭よりも、弔いの色
に染まって行く。

4年前の、05年9月の歌舞伎座では、「賀の祝」単独の、見取上演だったので、
「賀の祝」の前段で、通称「茶筅酒」の場面を叮嚀に演じたが、今回は、なかった。
「茶筅酒」とは、佐太村の四郎九郎(後に、白太夫と改名する)宅へ近所の百姓「堤
畑の十作」が、四郎九郎から内祝に貰った重箱の餅の礼を言いに来る場面から始ま
る。四郎九郎が、菅丞相館に年頭の挨拶に行った際、四郎九郎の古稀の祝として誕生
日には、名前を白太夫改めよと言われた。きょうが、その誕生日なので、内祝いとし
て餅を配ったのだと説明する。すると、十作は、「それはめでたい」と言いながら、
「名酒呑まねば」四郎九郎から白太夫とは呼べないと言う。そこで、白太夫は、餅の
上に「茶筅」の先で「酒塩打ってやった」のに、「まだ呑み足らぬか」と茶化す。十
作は「外へは遠慮でそうしようと、おらは日頃懇ろな仲じゃによって、晩に来て寝酒
一杯呼ばれますぞや。それなら、四郎九郎、イヤ白太夫殿、また宵にな」と、初め
て、「白太夫」を認知するという寸劇を演じるのである。

そして、十作が、舞台下手に入ると、花道から春(長男梅王丸の妻)、千代(次男松
王丸の妻)、八重(三男桜丸の妻)と、三つ子(大坂の菅原道真所縁の天満宮の近く
で生まれたというのを、原作者たちは、「菅原伝授手習鑑」に取り入れた)の嫁たち
が、白太夫への祝の手伝いと品々を持って来る。「梅松桜の末広がり」の扇は春か
ら。後に、夫桜丸の腹切りに使われる刀を載せることになる三宝は、妻の八重から。
この辺りまでは、祝ムードを盛り上げるが、作者は、巧みに悲劇の伏線を折り込んで
いるのだ。この芝居は、祝から悲劇までの、染めの「ぼかし模様」のようなゆったり
とした展開が、作劇の妙と言える。

ところが、今回のように通常の助演では、こういうゆったりとした展開がなく、今回
も、春と千代が、白太夫宅の奥から出てくる形で芝居が始まる。庭先の上手には、三
つ子の誕生記念に植樹された白梅、松、桜の木が、上手から順に植えてある。白太夫
の誕生日の祝いの膳をそれぞれの木の前に置く春と千代。千代は、さらに、松にか
かった蜘蛛の巣を取り払う。

やがて、松王丸(染五郎)、梅王丸(松緑)と相次いで来ると、ふたりは、「車引」
のときの遺恨から、いがみ合い、喧嘩となり(通称「喧嘩場」)、白太夫が庭に丹精
している白梅、松、桜(因みに下手、木戸の外に紅梅もある)のうち、桜の枝を、通
称「俵立ての立廻り」の末に、折ってしまう。桜丸の死を暗示する場面だが、「俺
(おい)らは知らぬ」と言い合う、子供のようなふたりで、笑わせて、伏線を隠そう
としているように見受けられる。

「(竹本)立ち帰る白太夫、年は寄っても怖いは親父」。

折れた桜の枝が、暗示したように、菅丞相左遷の原因を作ったとして桜丸は切腹して
しまう。そして、後の、松王丸の子・小太郎の犠牲(「寺子屋」で、菅丞相の子・秀
才の身替わりとして殺される)へと悲劇は続く。梅王丸は、「賀の祝」でも、帰った
振りをして、様子を伺い、桜丸の切腹と父親・白太夫の「菅丞
相の御跡慕い」追い掛ける旅立ちを見届け、さらに、「配所・天拝山」では、菅丞相
と白太夫を追っ手から守る。さすが、三つ子の長男の役どころ。松緑は、「いらち」
の梅王丸の性格も、巧く滲ませていた。

「賀の祝」では、父・白太夫と弟・桜丸の関係の中心にいる梅王丸が取り仕切る。梅
王丸が、三つ子の長男だが、次男の松王丸に比べて影が薄い印象を持つ人が多いだろ
うが、「寺子屋」が、松王丸の芝居なら、「賀の祝」は、梅王丸の芝居だ。因に、
「加茂堤」は、桜丸の芝居。私が観た「賀の祝」の梅王丸は、これまで、我當、橋之
助、團十郎(2)、歌昇、そして、今回は、松緑。

一方、三つ子の妻たち。次男・松王丸の妻、千代の芝雀は、今回含めて、2回目の拝
見。芝雀は、長男の嫁風になっている。長男・梅王丸の妻、春の扇雀も、今回含め
て、2回目の拝見。三男・桜丸の妻、八重の福助は、今回含めて、4回目の拝見(こ
のうち、1回は、「加茂堤」では、福助で、「賀の祝」では、時蔵が、演じた)。福
助は、赤姫のようでもあり、娘々もしているように八重を演じる。以前に観たとき
は、木戸に背を寄りかけて桜丸が来るのを待っているときの福助の八重の風情が、
「遊女の風情」に見えてしまったと劇評で苦言を呈したことがある。遅れている夫
(実は、自害を覚悟して、すでに白太夫宅の奥に入っている)を待ちながら、余りの
遅さに八重の胸中には、不安感が沸き上がっているはずだ。娘々した初々しい末っ子
の嫁ながら、沸き上がる不安感を押さえて、堪えている。やがて、切腹を覚悟し、や
つれが見える夫が、そろりと奥から暖簾を分けて、出て来るのを待つという風情が、
滲み出てきている。「加茂堤」での、エロチックで、可愛らしい八重。「賀の祝」で
の屈託のある若妻の八重。結局、最愛の夫に先立たれてしまう八重。福助は、十分
に、八重の二態を演じ分けてくれたように思う。桜丸の切腹の場面(通称「桜丸の腹
切」)では、桜丸は、停める若妻をねじり倒してでも、切腹してしまう。悲しい若
妻・八重。

幕切れ。杖を持ち、笠を頭にして、菅丞相の下へ旅立つ白太夫の姿は、いつものよう
に、やはり、「熊谷陣屋」の出家する熊谷直実を思い出してしまう。特に、この場面
では、音が印象的で、白太夫を急き立てる鐘と柝の音が、「十六年は、ひと昔。ア
ア、夢だア。夢だア」という科白を言った後の、熊谷直実を急かす遠寄せの陣太鼓の
音のように聞こえて来る。白太夫の難しさは、祝(忠義)の喜びと息子失う悲しみの
二重性。白太夫は、左團次で、2回目の拝見。

白太夫は、松王丸が、勘当を申し出た願書以降の場面で、松王丸に辛くあたるように
見える。しかし、この場面は、勘当を装った親子の別れのように見受けられた。古稀
の祝いに父親に贈った頭巾は、突っ返されたようでいて、勘当の身に、さりげなく渡
された父親の「形見」分けのように思えた。箒で松王丸に打ちかかったり、親の顔が
見たいなどと笑わせたりするのは、そのカモフラージュではないのか。

贅言:「約束事」の隈取りは、血管や筋肉の動きを誇張し、薄明かりの芝居小屋のな
かでも、表情をクローズアップさせてみせる効果がある。さらに、三つ子の隈取りか
ら荒事度を測ってみると、「二本隈」の梅王丸(手足にも隈取り)、
「一本隈」の松王丸、「むきみ」の桜丸。隈取りは、同じ人物でも、場面が違えば、
表情も違うから、隈取りも異なって来る。「賀の祝」では、三つ子の隈取りは、「車
引」とは、違っている。梅王丸、松王丸とも、隈取りの過激度を「車引」より、ワン
ランク落としている。つまり、緊張度が違うということだろう。

戸板康二に言わせると、400年の歌舞伎の歴史のなかで、3大演目といいながら、
「仮名手本忠臣蔵」のように通し上演されることが稀な「菅原伝授手習鑑」は、みど
りで、絶えず上演され、洗練されている場面とあまり上演されずに古いまま残されて
いる場面とでは、「歌舞伎的な成長度に高低があり、ずっと通し
て見ると、むらが目立つのである。面白いことだと思う」とある。さしずめ、今回で
言えば、「加茂堤」の笑劇味、「賀の祝」は、歌舞伎味が、売りというところか。

◎ 付録・菅原篇「歌舞伎と人形浄瑠璃」◎

○人形浄瑠璃の「加茂の堤の段」では、7人の大夫が、松王丸、梅王丸、桜丸など、
それぞれの人形ごとに役割分担で語り分ける。「舎人ふたりは肘枕。二輪並べし御所
車」という語りに、歌舞伎の「加茂の堤の場」上演でも、カットされる、ふたりの舎
人、三つ子の長男・梅王丸(菅丞相方)と次男・松王丸(藤原時平方)が、加茂明神
へ主人の代参役を待ちながら、堤で昼寝している場面から始まる。双方の主人、菅丞
相と藤原時平とは、政敵同士である。目覚めた梅王丸が「コリヤヤイ松王丸、そち
が」と松王丸に呼びかける口調で、長男・梅王丸が、どちらかと判る。さらに、「斎
世の宮様の車を引く桜丸と、われと俺と三人は、世に稀な三つ子」と梅王丸が、三つ
子の兄弟を自己紹介する。歌舞伎では、松王丸が、長男という印象で演じている。

後の「佐太村」の賀の祝いの場面への伏線があり、さらに、桜丸登場。以後、歌舞伎
同様のやり取りがある。人形の出番がなくなると、大夫も交代する。

斎世の宮と苅屋姫の逢引の場面では、牛車の外にいる桜丸・八重夫婦の会話が、かな
り官能的。ここは、歌舞伎も同じ。ただ、歌舞伎の場合、牛車の外に脱ぎ残された男
女の履物という小道具が印象的だが、人形浄瑠璃の場合は、特に、刈屋姫には、とい
うか、女性の人形には、脚がないので、履物は、なかった。歌舞伎や人形浄瑠璃の舞
台では、桜丸の切腹が、印象的だが、このふたりは、原作では、ふたりとも、やがて
死んでしまうのだ。丞相の御台所を北嵯峨に匿っている梅王丸女房・春と八重。そこ
へ、藤原時平方の手の者が、襲いかかり、応戦する八重は、殺されてしまう。そうい
う未来の死が、生の謳歌という、「性愛」の場面での官能の科白の賑やかさになるの
かも知れない。
 
○ 「佐太村茶筅酒の段」では、四郎九郎(「シロ・クロ」。竹本に「白黒まんだらか
いは、掃き溜めへほつて退け」という文句が出て来る。古稀の祝いをきっかけに、丞
相より名前をもらい、改名して、白太夫となる)の「賀の祝い」。百姓・十作が、鍬
を足で蹴飛ばして肩に担ぎ上げる仕草の農民振りが客席を笑わせる。歌舞伎とは違っ
て、三つ子の嫁たちの衣装が、みな、鶸(ひわ)色だったが、裾模様の絵柄が、梅、
松、桜とそれぞれの連れ合いに合わせていた。桜丸女房・八重のみ、「娘」の頭に、
赤い襦袢に朱色模様の帯。ほかのふたりは、「老女形」に黒い帯。

○「佐太村喧嘩の段」。喧嘩の場面は、歌舞伎が、子供みたいな取っ組み合いの場面
になっているのと比べて、まさに、喧嘩であった。その挙句、梅、松、桜と植えてあ
る庭木のうち、歌舞伎なら、桜の小枝を折ってしまう場面で、人形浄瑠璃では、桜の
立ち木そのものを折り倒してしまう。「土際四五寸残る」と竹本にもある。また、歌
舞伎では、荒事の演出らしく、ふたりが、稚児っぽく、「おいらは知らぬ」と言い合
うが、人形浄瑠璃には、そういう科白は、ない。「入れ事」としての歌舞伎の洒落っ
気だろうが、竹本では、語りにくい科白であることは、確かだ。
 
○「佐太村桜丸切腹の段」では、「東西」の掛け声で始まる大夫、三味線方の紹介の
間、人形や人形遣い全員が、後ろを向いていたのが、印象的。桜丸は、黒い衣装で静
かに登場。死を覚悟している。陰に籠った役で難しい。奥から座敷きへの登場の瞬間
が大事だ。大筋は、歌舞伎と同じ演出。


「娘二人道成寺」は、6回目の拝見。このうち、玉三郎・菊之助の舞台は、3回目の
拝見。「ダブル花子」(「花子の立体化」)という新演出が、定着し、歌舞伎では、
8年前に四国のこんぴら歌舞伎で、雀右衛門と芝雀の親子が、花子・桜子の通常の
「娘二人道成寺」を演じた後は、04年1月の歌舞伎座で、玉三郎と菊之助が、花子
の生身(菊之助の花子は、花道から登場)と生霊(玉三郎の花子は、「すっぽん」か
ら出入り)という「花子の立体化」を演じてからは、花子・桜子の「娘二人道成寺」
は、演じられていない。ふたりは、「二人」ではなく、一人なのだ。白拍子花子の光
と影。玉三郎と菊之助は、今回、さらに、こなれてきて、充実の上乗せをしてくれた
から、今後とも、花子・桜子の「娘二人道成寺」は、上演しにくいかもしれない。ま
さに、ふたりの真女形の官能。女性では出せない極め付けの官能の美とは、こういう
ものではないかというのが、正直な印象である。「鐘に恨み」の玉三郎の凄まじい表
情と柔らかで愛くるしい菊之助のふくよかな表情の対比。夜叉と菩薩が住む女性
(にょしょう)の魔は、女性では、表現できないだろう。男が女形になり、女形が、
娘になり、娘が蛇体になるという多重的な官能の美。これぞ、立体化された「娘二人
道成寺」の真髄だろうと思う。ほかの私が観た「娘二人道成寺」は、3回で、智太郎
から翫雀襲名と、浩太郎から扇雀襲名ときの兄弟、時蔵と福助、雀右衛門と芝雀の親
子。

雀右衛門・芝雀のときは、ふたりの「雀」の間に鏡でもあるように、過去の伝統と継
承の未来の精が、現在という舞台で、ふたりの白拍子に化けて出て来た藝の化身のよ
うに見えた。外題も、「傘寿を祝うて向かい雀二人道成寺」であった(この年の8
月、満79歳になった雀右衛門は、数えでは、80歳=傘寿である。「向かい雀」と
は、向かい合う「雀」右衛門と芝「雀」のことである)。所作も、一部は、左右対称
で、いつもの所作と逆の形で踊る雀右衛門の素晴しさ(芝雀の所作は、基本的に「娘
道成寺」と変わらない)、息子を気遣う父親の思い、藝の先達として後身を見る眼の
厳しさなど、いろいろ考えさせる味のある舞台であった。迫りくる老いと戦う父親。
そういう父親の戦いを知り、少しでも早く藝の継承に努めようとする息子。私は観て
はいないが、菊五郎と菊之助の親子も、2回ほどいっしょに踊っている。

菊之助の魅力をいちばん良く知っているのは、もはや、父親の菊五郎ではなく、玉三
郎なのではないか。先輩・玉三郎は、自分が身に付け、さらに精進を重ねている真女
形の真髄を後輩・菊之助に伝えるとともに、菊之助の魅力を引き出すコツも知り尽し
ているのではないか。菊之助の方も、玉三郎の先輩としての厳しい心遣いを受け止
め、どこまでも、付いて行く気でいるように見受けられた。

贅言:「聴いたか坊主」の所化たちが、菊之助の花子に「白拍子か生娘か」と問いか
ける場面があるが、「白拍子」は、性を売る女性、「生娘」は、文字どおり、性の未
経験者ということだから、ダブる花子とは、性を体験した者と未体験の者、つまり、
性を通過する前と通過した後、という、花子のなかの時間性を隠しているのではない
か、という思いもよぎる。まあ、鐘供養の警護にかり出されたはずの所化たちは、酒
や蛸の干物を持ち込み、踊りを奉納するという白拍子の申し出にあっさりと、女人禁
制の道成寺の「境界」である「木戸」から、花子を境内に入れてしまう(観客の前
で、「木戸」を持ち出してきた大道具方の「黒衣」は、用済みとなれば、また、「木
戸」を片付けてしまうという歌舞伎の荒唐無稽さのおもしろさ)くらいだから、もっ
と、即物的が、正解かもしれない。

紅白の段幕が、上がると、舞台中央、奥には、ふたりの花子が重なるようにして立っ
ている。後ろには、出囃子の長唄連中の、緋毛氈の雛壇。暗闇から、ぱっと電気がつ
く、「藤娘」の幕開き同様の、一種の明転効果だろう。2日目に観たときは、場内か
ら、「じわ」が来ていた。

贅言:さすがの玉三郎も、58歳。菊之助31歳の若さには、勝てない。体の動き、
ひねり、そりなど、体力的には、菊之助が、勝っている場面が、目につくようになっ
た。逆海老に反り返る場面では、それなりに柔軟な玉三郎よりも、さらに身体の柔ら
かさを見せつけていて、明らかに若い女形のはつらつさを感じさせていた。3年前
の、06年2月の歌舞伎座の舞台を思い出すと、よけいに感じる。玉三郎も、その辺
りは、無理をしていない。玉三郎の踊りは、大きくて、ゆるりとして、間とメリハリ
が、充分に効いている。菊之助の所作は、やや、早い。テキパキして、若さがある。
姉妹のように見えるし、「手鞠」のところでは、玉三郎は、ちいさくゆるりと円を描
いたし、菊之助は、大きく、それも早く廻っていた。ときには、2本のスプーンを重
ねたように、ふたりが、一人の娘の裏表のように見える。私は、初回、5年前が、1
階席、前回、2年前が、2階席、そして、今回は、フランス人の人たちといっしょ
に、3階席から拝見したので、花道の玉三郎のすっぽんを使っての出入りは、見えに
くかったが、余計に、一人の娘が、立体的に見えたかもしれない。

贅言:3階席と言えば、ふたりの花子が、手拭いを観客席に撒くと、引き続いて、所
化たちも、手拭いを撒くが、今月、2回目に観たときは、珍しく、3階席まで手拭い
が飛んできた。誰か、野球の選手でもしていた役者がいるのではないか。

もちろん、玉三郎版を初めて観たときのような場面は、今回は、3階席からの観劇な
ので、全く見えない。5年前の初回は、1階の、いわゆる「どぶ」側(花道と西の桟
敷の間の椅子席)の、真後ろの花道直近の座席から観ていた。この席からは、まる
で、向う揚幕の前に座って、花道七三を正面に観るように舞台が見えるのである。そ
こで観ていると、しばしば、ふたりの白拍子が、所作も含めて重なって見えるのであ
る。つまり、ときどき、ふたりは、一人にしか見えない場面があった。衣装も帯も同
じふたりが、重なる。一人になる。やがて、所作が終り、玉三郎は、すっぽんから消
えて行った。残りは、菊之助一人。それは、恰も、最初から一人で踊っていたような
静寂さがあった。ふたりに見えたのは、観客たちの幻想であったのではないのか。そ
ういう舞台であった。1階席なら、こう見える。3階席なら、こう見える。そういう
効能が、座席の位置の違いには、あるように思う。


「人情噺文七元結」は、明治の落語家・三遊亭圓朝原作の人情噺。明治の庶民の哀感
と滑稽の物語だ。その軸になるのが、酒と博打で家族に迷惑をかけどうしという左官
職人の長兵衛だ。ここは、役者論で、行こう。

私が、7回観た「人情噺文七元結」のうち、長兵衛は、菊五郎が今回含めて、4回、
吉右衛門、勘九郎時代の勘三郎、そして、幸四郎。兎に角、長兵衛は、菊五郎が抜群
で、細かな演技まで、自家薬籠中のものにしている。江戸から明治という時代を生き
た職人気質、江戸っ子気分とは、こういうものかと安心して観ていられる。今回は、
さらに、熟成されているように見受けられた。

長兵衛同様に大事なのは、女房・お兼であろう。私が観たお兼役者は、田之助が、2
回。松江時代の魁春が、2回。現在休演中の澤村藤十郎、鐵之助。そして、今回の時
蔵。これは、田之助が巧かった。田之助は、菊五郎に本当に長年連れ添っている女房
という感じで、菊五郎の長兵衛と喧嘩をしたり、絡んだりしている。いつも白塗りの
姫君や武家の妻役が多い松江が、砥粉塗りの長屋の女房も、写実的な感じで、悪くは
なかった。藤十郎のお兼を観たのは、97年1月だから、もう9年近く前になり、印
象が甦って来ない。78年から97年までに、本興行で、9回演じている上演記録を
見ると、元気な頃の藤十郎は、お兼を当り役としていたことが判る。相手の長兵衛
が、先代の勘三郎、勘九郎時代の勘三郎、吉右衛門、富十郎という顔ぶれを見れば、
藤十郎のお兼が、長兵衛役者から所望されていたであろうことは、容易に想像され
る。今回の時蔵は、初役だが、それを感じさせないような、脂ののり具合であった。

長兵衛一家の、親孝行な一人娘・お久は、今回は、尾上右近。私が観たのは、宗丸時
代を含めて、宗之助で4回。宗之助の最後は、4年前。いつ観ても、歌舞伎役者とい
う、男が見えてこないほど、娘らしく見えた。上演記録を見ると、。宗丸時代を含め
て、本興行だけでも、8回になる。その半分は、観た事になる。ほかに、勘太郎、松
也。

さて、外題にある文七役は、今回は、菊之助で、丑之助時代含めて、3回目。すっか
り安定している。染五郎も、3回。ほかに、辰之助時代の松緑。前半は、身投げをし
ようとして長兵衛という初老の男をてこずらせる文七。菊之助も、染五郎も、こうい
う役が巧い。この役は、前半の深刻さと後半の弛緩した喜びの表情とで、観客に違い
を見せつけなければならない。菊之助は、巧く演じていた。

秀太郎の角海老の女将・お駒は、情のある妓楼の女将の貫禄が必要だが、底には、若
い女性の性(人格)を商売にする妓楼の女将の非情さも滲ませるという難しい役だと
思う。私が、10年前に観た九代目宗十郎は、その辺りが巧かった。その後観たお駒
は、芝翫が今回含めて、2回目。雀右衛門、萬次郎、玉三郎、秀太郎。芝翫は、善人
で、非情さの滲みが弱い。

和泉屋清兵衛は、三津五郎。鳶頭は、ご馳走で、吉右衛門。「めでたし、めでたし」
の幕切れでは、各人の割科が一巡したあと、颯爽と格好良い役どころ。清兵衛が「め
でたく」という科白にあわせて、煙草盆を叩く煙管の音に、閉幕の合図の柝の音(柝
の頭)を重ね、「お開きとしましょうか」となり、賑やかな鳴物で閉幕となるなど、
演出的にも、洗練された人気演目のスマートさがある。ここも小道具の煙管の使い方
が、巧みだ。和泉屋清兵衛は、いまは亡き、先代の権十郎が良かった。

家主は、左團次。善人で、笑いをとる得な役。

贅言:この芝居の特徴は、善人ばかりで成り立っているということだろう。すっか
り、善人の姿が少なくなり、政治家を含めて、「勝ち組」に入りさえすれば良いとば
かりに、なにかというと他人を出し抜く、「格差社会」構造がもたらす昨今の世相を
観ていると、善人ばかりが出て来る芝居は、それだけで、現代への鋭い批判となって
いると、思う。歌舞伎の普遍性は、こういう形でも、世間に情報発信していると、思
う。
- 2009年2月15日(日) 21:44:45
09年01月国立劇場 (「象引」「十返りの松」「浦(サンズ
イが、言偏)競艶仲町(いきじくらべはでななかちょう)」)


半年ぶりに舞台復帰の團十郎健在なり


国立劇場の正月の舞台は、本舞台上部に飾られた提灯が、正月ら
しさを演出してくれる。中央は、上手に芝翫の名入りが、3つ飾
られている。その下手に團十郎の名入りが、同じく3つ。その外
側に向けて、それぞれ、上手は、三津五郎、橋之助が、2つ、下
手は、福助が2つ。後は、主だった役者の名入りで、それぞれひ
とつずつ、上手に6つ、下手に6つ、合計、12個。

幕が開くと、本舞台は、「象引」の「豊島館の場」で、上手の柱
に、「歌舞伎十八番の内 象引 一幕」と書かれた看板があり、
下手の柱には、「市川團十郎相勤め申し候」と書かれた看板があ
る。

今回の演目は、すべて初見。まず、「象引(ぞうひき)」から。
12人いる代々の團十郎のうち、七代目(1791年ー1859
年)と九代目(七代目の5男。1838年ー1903年)が、そ
れぞれ、家の藝の十八番を決めて、後世に残した。そのうち、七
代目が残したのは、「歌舞伎十八番」で、「不破」「鳴神」
「暫」「不動」「嫐(うわなり)」「象引」「勧進帳」「助六」
「外郎売(ういろううり)」「押戻」「矢の根」「景清」「関
羽」「七つ面」「毛抜」「解脱」「蛇柳(じゃやなぎ)」「鎌
髭」の18の演目である。いずれも、初演は、初代、二代目、四
代目が演じたもので、七代目は、1832(天保3)年に、團十
郎の名前を息子の八代目に譲り、本人は、海老蔵に戻った際、
「歌舞妓狂言組十八番」と題した刷り物を配った。なかでも、初
代が、元禄年簡に初演した「勧進帳」を、今も演じられる形に改
めて、1840(天保11)年初演したのは、大きな功績だ。
1832年に「十八番」の演目を制定しながら、59年に亡くな
るまでの27年間で、本人は、演じなかった演目もあり、「象
引」は、そのひとつ。

「象引」は、初代が初演したと伝えられるが、初演の時期は、定
かでは無い。歌舞伎では、正義の見方の荒事師と権力を振りかざ
す悪人方が、ひとつのものを引き合って、力比べをする「引合
事」という演目がある。「草摺引」「卒塔婆引」「錣引(しころ
びき)」など。「象引」は、当時、珍しかった象を登場させて、
引き合う場面を売り物にして、人気を呼んだが、初代と二代目が
演じたと伝えられた後は、上演が途絶えていた。大正以降、再び
上演されるようになったが、最近では、1982(昭和57)年
国立劇場で、二代目松緑が演じて以来だから、27年ぶりの上演
となる。今回は、大正時代の脚本を基に新たな演出で上演したと
いう。

筋立ては、こうだ。朝廷の勅使という立場を悪用して、関東を荒
らす天竺渡来の怪物(巨象)を退治する代りに、関東守護職・豊
島家の弥生姫を我がものにしようと持ちかける大伴大臣褐麿(お
おとものおとどかちまろ・三津五郎)と豊島家の窮地を救おうと
助けに駆け付けた浪人・箕田源二猛(みたのげんじたける・團十
郎)が、対決する。実は、褐麿は、豊島家の重宝「八雲の鏡」を
奪い、秘術で巨象を操っている張本人。そこへ、猛々しい巨象
が、迷い込んで来たので、実際に、巨象を挟んで、褐麿と猛が、
象を引き合い、猛が勝つというだけの話だ。褐麿側に、重臣・堀
河勘解由(ほりかわかげゆ・市蔵)、豊島家側に、一家の未亡
人・愛宕の前(家橘)、娘・弥生姫(福助)、嫡男・葵丸(巳之
助)、巨象の豊島館内への迷い込みを注進に来る生津我善坊(な
まづがぜんぼう・橋之助)などが、主な登場人物だ。

象の登場を除けば、「暫」の演劇構造と同じ趣向だと判るだろ
う。前半は、豊島館の御殿内の場面で、基本的な対立構造を説明
する。弥生姫を引き合う、いわば「姫引」の場面。「暫」の助っ
人・鎌倉権五郎が、猛の役回り。清原武衡が、褐麿、加茂義綱
が、豊島家に当てはまる。「暫」ならば、通称「なまず」の鹿島
入道震斎(かしまにゅうどうしんさい)が、登場するように、こ
こでは、生津我善坊(なまづがぜんぼう)が、登場する。「暫」
の方が、先行作品だから、「象引」は、同じ趣向の、書き換え狂
言となる。後半は、御殿の外に出て、奥庭で、象を交えて、褐麿
と猛が、力比べをし、猛が、勝ちを納め、象を引いて、悠々と花
道を引き上げて、幕。

そこで、今回の批評のポイントは、病気休演中だった團十郎が、
半年ぶりに舞台復帰をしたこと、復帰の演目を「象引」にしたこ
となどを軸に展開したい。

舞台上手に竹本の山台に乗った大薩摩連中。大薩摩は、音楽の荒
事。「かかるところへ」をきっかけに團十郎が登場する。向こう
揚幕から、「暫く」の代りに「待て」と大音声。花道から登場し
た團十郎は、赤っ面に隈取りという化粧だから、顔色などは、判
らないが、特徴のある大きな眼は、眼光も鋭く、いつものオーラ
を放っていた。いわゆる(半)「腹だし」の扮装であるが、体全
体は、病気休演前と変わらないように見受けられた。大きな三升
の紋の衣装に、大太刀を腰に差している。出端と七三で、芝居。
團十郎は、元気だった。「つらね」の長科白の口跡は、相変わら
ず、一部こもる部分もあるが、これは、元からの難点で、病気と
は関係ない。声量はある。むしろ、幾たびかの病魔の襲来を退け
た、不動尊のような、鬼神力のような、深まりさえ感じられる。
最初の病気休演直前の舞台も見ているし、一回目の舞台復帰も、
二回目の休演前の舞台も見ている、同学年のファンとしては、ひ
とまず、安心した。

やがて、團十郎は、本舞台中央へ。様式性の高い演目なので、合
引も、緋色の座布団がついている。大きな袖を裃後見ふたりが、
持ち上げて、團十郎は、大見得。舞台の前に出て来ると、挨拶。
「ご見物のいずれもさまも、新年おめでとうござりまする。半年
ぶりの舞台、……」とやると、場内からは、暖かい声援の拍手が
沸き起こる。

團十郎は、舞台復帰の最初の演目として、「象引」を選んだこと
について、「国立劇場から十八番ものをという話があった時、
「かねがね上演を望んでいた『象引』を演らせていただくことに
しました。引合事は吉兆を占う神事に多く見られ縁起がいいの
で、復帰の舞台にふさわしいと考えたのです」と語っている。
27年前の二代目松緑の舞台とは、場割を変えて、一幕ものに
し、錦絵(初代團十郎と山中平九郎が象を引き合う絵柄)に倣っ
て「少し怖い顔」の象にしたという。「暫」の趣向をベースに、
「引き合う象を大きく動かしワイワイと大勢で大騒ぎする大童の
感じを出したいですね」とも語っている。その狙い通りの舞台に
なっていた。

ところで、團十郎舞台復帰芝居のテーマは、死と再生か。後半の
御殿の奥庭。おもしろいのは、着ぐるみの象が、最初は、中が無
人のままで、逆さまになった状態で、裃後見4人、黒衣2人に担
がれて、褐麿と猛に挟まれて、大セリで上がって来る。何故、逆
さまなのだろうか。そう言えば、「錦絵」の絵柄も、象は、逆さ
まだった(ねじ伏せたポーズなのか。1812年の絵も、
1852年の絵も、1896年の絵も、1898年の絵も、皆、
象は、逆さまに描かれている)し、大正時代の復活再演の写真を
見ても、逆さまだ。前回、27年前の、1982(昭和57)年
国立劇場で、二代目松緑が演じた時の写真(筋書掲載)では、
「箱根山中の場」では、「傾城反魂香」の虎のように、薮の中か
ら象がぬっと出て来ている。逆さまでは無いが、場面の状況が違
うから、なんとも言えない。また、「半蔵門外の場」では、猛
(松緑)に頭を持たれ、褐麿(羽左衛門)の脚を持たれて、象
は、横になる形で、足が宙に浮いている(後ろから、裃後見が、
象を支えている)。

今回は、その後、逆さまのままの象を褐麿と猛が引き合い、その
都度、後見らに担がれたまま、左右に移動する。やがて、舞台上
手寄りで、大きな緋の消し幕(この場合は、いわば、隠し幕の役
割)の向こうで、象が起こされ立上がる。幕で隠されたまま、な
にごとか、後見たちが準備を始めている雰囲気が伝わって来る
が、まあ、着ぐるみの象の中に人が入る、多分、象の後側にいた
黒衣のふたりが、入るのだろうと予測される。消し幕が、片付け
らると、「命」(「死」から再生へ)を吹き込まれた象が、歩き
出す。病気復活という、團十郎の願いが込められているような場
面では無いか。團十郎の猛、三津五郎の褐麿の対決に、四天たち
(花道登場の際、「象尽し」の科白がある)が絡む。超人的なパ
ワーを発揮する荒事師は、舞台を、いや、新春の場内を「悪霊退
散」とばかりに、精気で包み込むようだ。世界金融不況に象徴さ
れる巷のさまざまな悪霊よ、今年こそ、退散あれい、ということ
か。弥生姫は、象を退治した方に嫁ぐということで、猛が、象を
引き、姫を引く結果になる。「歌舞伎もますます大繁昌」とは、
團十郎の願い。舞台復帰の大役を無事相勤めた團十郎は、「しか
らば、お開きといたします」と高らかに宣言、象を引き連れて、
花道を六法で、引っ込む。古風で、大らかで、荒唐無稽で、稚気
に溢れ、荒事の魅力を振りまきながら、團十郎は、「向こう」へ
去って行った。元気恢復した團十郎の姿を観て、私も、安心。

このほかの役者では、褐麿の家臣の、松原段平に亀三郎、大宮隼
人に亀寿、腰元のひとりに、爽やか芝のぶ。


「十返りの松」は、天皇即位20年記念と銘打たれている。初演
は、1928(昭和3)年。浦島伝説の「寿くらべ」を参考に作
られた曲に六代目菊五郎が、振り付けを考えて、自身で踊った。
今回は、芝翫が、新たに創作した振り付けで踊った。箏曲と四拍
子の伴奏がつく。歌舞伎では、本邦初演。芝翫を軸に福助・橋之
助の兄弟、橋之助の3人の息子たち、つまり、成駒屋三代と一門
総出の舞台。100年に一度花が咲き、10回繰り返すと、実を
つけると伝えられる「十返(とかえ)りの松」が、1000年を
迎えた新年の宴。巨松の周りでは、松の精に加えて梅の精、竹の
精たちが、典雅に舞い、踊る。


南北劇と宗輔劇の対比


さて、南北劇。外題は、「浦(サンズイが、言偏)競艶仲町(い
きじくらべはでななかちょう)」。今回の南北劇は、「双蝶々曲
輪日記」の書き換え狂言。1802(享和2)年初演。舞台を上
方から江戸に移しながら、登場人物、プロットを巧みに利用して
いる。南北は、「双蝶々曲輪日記」から、大いに刺激を受けたら
しく、いくつもの書き換え狂言を作っているが、これも、そのひ
とつ。ただし、今回の作品は、初演後、ほとんど再演されなかっ
たという。

登場人物たちの基本的な関係は、次の通り。
平岡郷左衛門一派(権九郎、お関)と対決する与五郎と都。与五
郎らを支援する南方(なんぽう)与兵衛ら(妻となるお早、与兵
衛妹お虎)。お早の実家の丸屋(駒形の米問屋)。馴染みのない
復活狂言なので、筋立ても、入れ込みながら、劇評をまとめた
い。

序幕第一場「永代橋高尾茶屋の場」。大川に架かる永代橋の西袂
の北詰にある高尾茶屋が舞台中央にある。上手に永代橋。橋の
袂、上手寄りに橋の番小屋があり、「渡し銭壱文」と書かれた札
がある。よしずを掛けた茶屋の辺りには、「高尾大明神」の幟
が、はためいている。茶屋の下手は、「土弓場」の小屋の入り
口。高尾明神は、下手奥にあるようで、見えない。門前のにぎわ
いのなかで、巾着切りが、登場するなど、南北得意の、江戸の庶
民の風俗を活写するとともに、この場のポイントは、下総八幡の
郷代官南方与兵衛の中間才助(三津之助)が、隣の娘お早から
預った「願い」の「夏書(げが)き(写経)」と幼い頃、迷子に
なった際、身に付けていたお早のお守りを善光寺の鐘の緒建立の
ため、辻説法をする勧化坊主(八重蔵)が置いた鐘の緒に括りつ
ける場面を見逃してはならない。重要な伏線が、ここにある。

深川仲町の遊女・都(福助)と同僚のお照(新悟)、後を追っ
て、金の無心に来た都の姉・濡れ髪のお関(芝喜松)、高尾明神
でお照たちと出逢った浅草駒形の米問屋丸屋惣領で、勘当中の長
吉(巳之助)、出逢わせた敵役の千葉家家臣の平岡郷左衛門(團
蔵)と米問屋丸屋の番頭権九郎(市蔵)、さらに、丸屋に出入り
する下谷の鳶頭の与五郎(橋之助)など、主な登場人物たちが、
顔を揃えはじめる。都に横恋慕の郷左衛門と妹分のお照に横恋慕
の権九郎は、いわば、「横恋慕同盟」で、丸屋が千葉家から預っ
ていた秘蔵の香炉を権九郎が盗み出し、都とお照の身請けの金に
変えようとしている。香炉紛失の管理責任を問われて勘当となっ
たのが、長吉というわけだ。

郷左衛門・権九郎組は、まず、善光寺の鐘の緒に結び付けられた
お守り袋に眼をつける。こういう連中は、目端が効き、目敏い。
守り袋のなかから「迷い子はや」と書かれた書き付けが出て来
た。幼子が、迷子になった場合に備えて持たされている身元を明
かすお守りだろう。丸屋のお早は、実は、幼少のころから、親が
決めた許婚がおり、それが、郷左衛門ということだったので、再
び、現れた都の姉のお関は、都の幼名が、やはりお早だというこ
とから、都を連れて丸屋に乗り込めば、丸屋の聟になれるし憧れ
の都とも添えると焚き付ける。郷左衛門の悪巧みは、これで、判
るという仕掛け。

第二場「深川仲町吾妻屋の場」。いまの門前仲町の辺りだろう
か。次は、もうひとりの重要人物、与兵衛(三津五郎)の登場。
女郎屋の部屋から座を立ったまま、戻らない都に腹を立てて、与
兵衛は、吾妻屋女房のおさと(秀調)にあたる。当時の深川の女
郎屋(岡場所、非公認の遊廓。女郎も「子供」と称した)は、ひ
とつの部屋に屏風を立てて、複数の客に利用させるシステム。ふ
たつの屏風で上手と下手に設えられた蒲団には、上手に与兵衛。
下手に与五郎。どちらも都が目当て。と言っても、与兵衛は、下
総から来た客だが、与五郎は、都の亭主で、都のお腹には、子ま
で宿っている。

贅言:屏風の使い方が、巧い。ふたつを組み合わせて、いわば、
舞台早変りのような効果もある。当時の深川の女郎屋も、公式の
遊廓と違う、非公認の「岡場所」ならではの、知恵(「密室」で
は無いということで、お上のお目こぼしもあったのだろう)を出
したのだろうが、歌舞伎の舞台でも、知恵を出して、舞台に別の
空間を生み出す。

戻って来た都は、ふたつの屏風の上手と下手で、それぞれとやり
あう。与兵衛には、「金で自由にならない」と矜持を強調する。
与兵衛は、以前から都を見初めていて、主筋に話した所、仲人に
なってやるから身請けをしろと腕に、「都命」と彫られてしまっ
たので、武士の意地もあり、引けない、せめて「三日なりとも女
房に」と頼み込む。屏風の向こうで、ふたりのやりとりを聞いて
いた与五郎は、自分も、「都命」の刺青が有りを明かした上で、
鳶頭らしい、男気を出して、都に与兵衛を願いを叶えてやれと言
う。それを聞いた都は、お腹の与五郎の子のためにも、命を断つ
と言う。深川の遊女は、おきゃんな、鉄火肌が、身上。三人三様
の意気地を認めあい、お互いの誠実さを受けて、与兵衛が、率先
して、武士の意地を捨てる。外題の「いきじくらべ」とは、まさ
に、この場面であろう。左腕の入れ黒子(ぼくろ)を刀で、削り
取る。与五郎に自分の印籠を渡し、ふたりを祝福する。

二幕目第一場「浅草駒形米屋の場」。15年間も行方不明だった
「お早」が証拠のお守りを持って丸屋に戻り、幼少の約束に則っ
て、郷左衛門と祝言をあげることになり、丸屋は、大忙し。店に
出入りする与五郎は、「お早」と称する娘が、都だと見抜いて、
びっくり。結婚相手が、郷左衛門と判り、呆然とする都。「姉」
の結婚の噂を聞いて戻って来た長吉と与五郎のやりとり、長吉を
追って、訪ねて来たお照と権九郎のやりとりでは、それぞれ、長
吉とお照を地下の穴蔵に隠して、蒲団から、飯や酒、お茶を差し
入れる場面が、ちゃり場(笑劇)仕立てで、観客を笑わせる。や
がて、与五郎は、隙を見て、ふたりを逃がす。その様子を陰から
見ているお関。さらに、舞台は、廻る。

第二場「駒形堂うしろ河岸」。逃げて来た長吉とお照。追い付い
て来たお関と権九郎。立回りとなり、長吉は、権九郎の持ってい
た脇差を奪い取り、弾みで、権九郎を傷つける。駆け付けて来た
与五郎は、権九郎とお関を殺して、若いふたりを逃がす。さら
に、河岸に身投げをしに来た都を助け、ふたりで、逃げることに
する。附け打の「バタバタ」と閉幕の「きざみ」(柝)が、後を
追い掛ける。

さて、ハイライトは、三幕目「下総八幡村与兵衛町宅の場」。い
まの千葉県市川市。本八幡という地名がいまもある。「双蝶々曲
輪日記」の「引窓の場」に匹敵する場面だが、これは、「引窓」
の方が、やはり、名場面。若干の比較を論じてみたい。

「下総八幡村」では、まず、郷代官の与兵衛町宅、つまり、役所
では無く、私宅での与兵衛(三津五郎)と妹お虎(芝のぶ)、隣
の娘で、実は、浅草駒形米屋の丸屋の娘、お早(福助)が、与兵
衛とからむ。つまり、お早が、与兵衛ヘの好意を表わし、結果的
に与兵衛がこれを受け入れ、婚礼となるという前段がある。お早
が、福助のふた役で、ここは、伏線。与五郎は、お早を見て、都
にそっくりなので、驚く。だが、これは、それだけの話。まさ
に、他人のそら似で、何ら関係ない。

重要なのは、後段が、「引窓」と似た設定になっていること。心
ならずも、人殺しをして逃げて来た与五郎(橋之助)は、深川の
遊廓で知り合った与兵衛を頼り、人目を偲んで、都(福助)を連
れて、落ち延びて来た。祝言に出席してくれと頼まれ、お早が同
席した場面で、都から預っていたお守り(元々、お早のもので、
与兵衛の中間・才助が、江戸で、願をかけるため、辻説法をする
勧化坊主が置いた善光寺の鐘の緒に括りつけた後、郷左衛門らが
盗み取り、さらに、都をお早に化けさせる小道具に使うため、都
に渡していたもの)が、懐から落ちたために、幼い頃、迷子にな
り、実家が判らなかった与兵衛の新妻・お早の身元が判ったとい
う大団円となる。まあ、そういう話。

これが、「引窓」では、心ならずも、人殺しをして逃げて来た相
撲取りの濡髪長五郎は、京の郊外、八幡の里の郷士で、実母の再
婚先の南与兵衛(お上の許しを得て、実父の南方十次兵衛の郷代
官役と名前を引き継いだ直後)宅へ逃げ延びて来る。実母は、与
兵衛・女房「お早」(前身は、大坂新町の遊女・都)とともに、
長五郎を家に匿う。帰宅して、事情を知った与兵衛は、「公」で
は、郷代官として、手配されている長五郎を捕まえる立場だが、
「私」では、実母らの思いを理解し、放生会の晩ということで、
逃亡者を逃がしてやる。役人としての武士と町人としての郷士を
使い分ける捌けた所もある。

手配書を垣間見た母は、息子の前髪を剃り下ろして、「人相」を
変えてやる。与兵衛は、特徴ある長五郎の黒子を手裏剣を投げ
て、削り取ってやる。この場のタイトルになっている「引窓」、
つまり、天窓から差し込む月光を利用した時間経過の表現ととも
に、義理の親子、義理の兄弟(長五郎は、義母の子ということ
で、与兵衛の異父弟にあたる)、夫婦という、それぞれの人間関
係を利用し、人情の機微を巧く生かして、ドラマチックな場面を
構成している。原作者・並木宗輔らしい、実に、情愛深い見せ場
となっている。

南北と宗輔の比較すれば、この場面は、遥かに宗輔の方が、ドラ
マとして、奥行きも、厚みもあるし、ここのエピソードも、いろ
いろ工夫さている。これに対して、南北の作劇は、薄っぺらで、
安直である。「引窓」も、初演後、長らく埋もれていたが、復活
後は、現在まで、しばしば、再演されるが、南北の「八幡村」
は、復活後も、ほとんど、再演されていないが、それは、こうい
う比較をすれば、一目瞭然であろうと思う。

大詰「行徳船場の場」は、私が現在住んでいる千葉県市川市の行
徳が、舞台になっている。いまは、マンションの町になっている
行徳だが、昔は、江戸湾に面した海岸が塩田になっていたほか、
江戸の隅田川から中川を経て、江戸川まで、成田詣での旅人たち
のための舟運が発達していて、行徳の河岸には、日本橋とのつな
がりを強調するシンボルとして、常夜灯があった(現在も、復元
されている)。歌舞伎の演目では、行徳海岸は、「里見八犬伝」
に登場するし、常夜灯がある舟運の河岸は、「刺青奇偶(いれず
みちょうはん)」に登場する。今回の舞台では、江戸湾を背景に
した河岸に常夜灯があった。

芝居では、太鼓と柝で、「つなぎ」をし、幕が開くと、まず、浅
黄幕で、観客の気を持たせる。振り落とし後の場面では、地元の
漁師たちが絡んで、与五郎と郷左衛門(團蔵)の立回りがあり、
さらに、十手を持った与兵衛が、与五郎を助け、郷左衛門から千
葉家の秘蔵の香炉を取り戻して、めでたしとなる。与五郎は、地
域の木に飾ってあった蛇の形の注連縄をつかみ取り、それを「武
器」にして、漁師たちと立回りを演じる。心ならずも、殺人を犯
した与五郎の事情も斟酌され、そこへ駆け付けた都ともども、悲
願成就を皆で、喜ぶ。三津五郎、橋之助、福助が、舞台前方に出
て、座り込み、「まず、こんにちは、これぎり」で、幕。

贅言:蛇の形をした注連飾りは、正月に、農村の出入り口に飾
り、よそから魔物が地域に入って来ないように願うもので、いま
も、各地の地域に残っている風習。

ほかの役者では、今回は、与兵衛の中間・才助を演じた三津之助
と与兵衛の妹を演じた芝のぶのふたりが、仕どころが、多く、ま
た、ふたりとも、味を出す演技で、良かった。「八幡村」の幕開
きの場面の、ふたりの羽根つきや才助が、「おうむ」(前の場面
の真似というチャリ)をする場面など、印象に残る。
- 2009年1月18日(日) 7:21:36
09年1月歌舞伎座 (夜/「寿曽我対面」「春興鏡獅子」「鰯
売恋曳網」)


重厚、華麗な「寿曽我対面」


「寿曽我対面」は、6回目の拝見。曽我ものの仇討話が、宿敵と
の「対面」だけを取り上げることで、祝典劇になった。江戸の庶
民は、正月の松飾りのように、あるいは、江戸っ子の初夢の「一
富士二鷹三茄子」(いずれも、共通イメージは、「高いもの」。
一は、標高、二は、「鷹=「貴(たか)い」と語呂合わせ、三
は、初物で値が高い。また、「なす」は、「成す」で、成就祈
願)とのダブルイメージもありで、富士=曽我ものとして、鎌倉
初期の武士の兄弟は、能に、人形浄瑠璃に、歌舞伎にと、18世
紀初め以来、「曽我狂言」の主人公として、登場した。「曽我狂
言」は、江戸の正月の風物詩になって来た。そして、それは、
21世紀も、10分の1近い時間が経ったのにも関わらず、揺る
ぎようが無いように見える。

「寿曽我対面」は、主役は、曽我兄弟よりも、宿敵の工藤祐経で
ある。仇と狙う曽我兄弟との対面を許し、後の、富士の裾野での
巻狩の場での再会を約し、狩り場の通行に必要な「切手」を兄弟
に渡すという、太っ腹で、「敵ながら、天晴れ」という行動様式
に日本人は、拍手喝采したのだろう。

私が観た工藤祐経:富十郎(2)、團十郎(2)、三津五郎、そ
して、今回は、幸四郎。

高座に座り込み、一睨みで曽我兄弟の正体を見抜く眼力を発揮す
るのが、工藤祐経役者。この演目は、正月、工藤祐経館での新年
の祝いの席に祐経を親の敵と狙う曽我兄弟が闖入する。やり取り
の末、富士の裾野の狩場で、いずれ討たれると約束し、狩場の通
行証を「お年玉」としてくれてやるというだけの、筋らしい筋も
無い芝居である。それでいて、歌舞伎座筋書の上演記録を見る
と、巡業などを除いた戦後の本興行だけの上演回数でも、断然多
い。歌舞伎味のエキスのような作品なので、歌舞伎が続く限り、
永久に、歌舞伎の様式美の手本になり続ける不易で、古典的な作
品と言えるだろう。

その秘密は、この芝居が、動く錦絵だからである。色彩豊かな絵
になる舞台と、登場人物の華麗な衣装と渡り科白、背景代わりの
並び大名の化粧声など歌舞伎独特の舞台構成と演出で、短編なが
ら、十二分に観客を魅了する特性を持っているからだと、思う。

また、歌舞伎の主要な役柄が揃い、一座の役者のさまざまな力量
を、顔見世のように見せることができる舞台であり、さらに、中
味も、正月の祝典劇という持ち味のある演目であることから、特
に、11月の顔見世興行や正月新春興行に上演しやすいというこ
ともあろう。

さて、舞台は、始まった。工藤館の市松模様の戸が、3枚に折れ
て、屋敷の上部に仕舞い込まれると、並び大名たちは、いちばん
後ろの列に並んでいる。同列の上手には、梶原親子(錦吾、亀
蔵)。その前の座敷には、工藤祐経(幸四郎)を軸に、いつもの
面々。クライマックスを考えると、「対面」は、3枚重ねの、極
彩色の透かし絵のような構造の芝居なのである。並び大名と梶原
親子の絵が、いちばん奥の1枚の絵なら、2枚目の絵には、大磯
の虎(芝雀)、化粧坂の少将(菊之助)、小林朝比奈の妹舞鶴
(魁春)が並ぶ。3枚目、いちばん前に置かれた絵は、工藤祐経
(両脇に、曽我兄弟の父親を殺した、ヒットマンの近江小藤太=
染五郎、八幡三郎=松緑が控えている)と曽我兄弟(五郎=吉右
衛門、十郎=菊五郎)の対立の絵である。

座敷から高座に移動する時、初役ながら、幸四郎の工藤祐経は、
貫禄があった。高座に座り込んでからも、風格のある立派な祐経
で、両脇の近江小藤太(染五郎)、八幡三郎(松緑)を従えて、
堂々の押し出しである。曽我兄弟では、白塗りの十郎を演じた菊
之助は、存在感があるし、白塗りに剥き身隈の五郎を演じた吉右
衛門は、荒事の手本のような、稚気と力強さを感じさせる勢いが
あって、良かった。吉右衛門は、足の親指を上げたまま、演じて
いるという。菊五郎の方は、和事ながら、片方の足は、内輪に、
もう片方の足は、外輪にしているという。見えない所で、工夫が
いる役だ。このコンビの曽我兄弟は、若手が手本にするのでは無
いか。ほかに、曽我兄弟に家宝の友切丸を見つけだし、届ける鬼
王新左衛門(梅玉)。

贅言:このごろ、時々あるが、幸四郎と吉右衛門の兄弟が、同じ
舞台に立っている。「対面」の科白では無いが、「珍しき対面
じゃなあ〜」を地で行く感じで、こいつは、春から、「おもしれ
いわい」。


充実の「春興鏡獅子」


「春興鏡獅子」は、10回目。私が観たのは、勘三郎(勘九郎時
代含め、今回で、4)、菊之助(丑之助時代含め、2)、海老蔵
(新之助時代含め、2)、勘太郎、染五郎。

1893(明治26)年、九代目團十郎が、新歌舞伎十八番のひ
とつとして、56歳で「鏡獅子」を初演したとき、これは「年を
取ってはなかなかに骨が折れるなり」と言ったそうだ。勘三郎
は、20歳で、初めて踊り、今回で、17回目という。勘三郎に
とっても、祖父に当る六代目菊五郎が、磨き上げた演目で、「ま
だ足りぬ 踊り踊りて あの世まで」という辞世を残したよう
に、奥の深い舞踊劇だ。だから、勘三郎は、「春興鏡獅子」は、
「頂点のない特別な踊り」だという。

役者として、40歳代後半から50歳代が、「時分の花」という
演目かもしれない。今年の5月で、54歳になる勘三郎は、目
下、「時分の花」という状態かも知れない。九代目團十郎の年齢
に近づいている。今後とも、精々、踊り込んで欲しいと思う。勘
三郎襲名後では、07年1月の歌舞伎座、今回の、09年1月の
歌舞伎座と、2回目の披露となる。

「鏡獅子」は、江戸城内の、正月吉例の鏡開きの場面である。舞
台奥の金地の襖が、いわば、浅黄幕の「振り落とし」の役割を果
たし、長唄連中を登場させる。上手の祭壇には、将軍家秘蔵の一
対の獅子頭(珍しい黒色)、鏡餅、一対の榊、一対の燭台が、飾
られている。

前半は、小姓・弥生の躍りで、女形の色気を要求される。後半
は、獅子の精で、荒事の立役の豪快さを要求される。六代目菊五
郎の「鏡獅子」は、映像(小津安二郎監督作品)でしか見たこと
がないが、太めながら、若い女性になり切っていたし、六代目の
弥生は獅子頭に身体ごと引き吊られて行くように見えたものだ。
将軍家秘蔵の獅子頭には、そういう魔力があるという想定だろ
う。ここが、前半と後半を繋ぐ最高の見せ場だと私は、思ってい
る。

六代目の孫である勘三郎は、小姓・弥生では、なんとも、ほんわ
かとした色気があった。視線の的確さ。間の絶妙さ。さらに、身
体の動きは、しなやかで、特に、身体の縦軸の安定感もあり、扇
子など小道具の扱いも、十全であった。祭壇から獅子頭を受け
取った後、か弱い弥生は、忽ち、ひとつの獅子頭に引き吊られる
ように、本舞台から花道を通って行ってしまった。まさに、ポイ
ントの場面を過不足なく演じる。

後半に入って、獅子の精は、「髪洗い」、「巴」、「菖蒲打」な
どの獅子の白い毛を振り回す所作を連続して演じる。メリハリを
付けて、緩急自在に身体を動かす。大変な運動量だろうと、思
う。日頃の身体の鍛練が、偲ばれる。勘三郎の所作は、安定して
いる。最後、右足を上げて、左足だけで立ち、静止した後の見得
も、決まった。緞帳が静かに降りて来る。

「鏡獅子」は、前半の女形と後半の立役と、両輪相まって完成す
る。前半は、小姓・弥生の躍りで、女形の色気を要求される。後
半は、獅子の精で、荒事の立役の豪快さを要求される。女形だけ
の役者でも、不十分。立役だけの役者でも、不十分。「兼ねる役
者」ならではでしか、到達できない境地がある。そういう意味で
は、勘三郎は、いまや、年齢的にも、「鏡獅子」の第一人者の位
置に最も、近づいていると言えるのでは無いだろうか。

贅言:長唄連中の雛壇が、左右に割れると、「二畳」に乗ったふ
たりの胡蝶の精が、登場する。胡蝶の精を孝太郎の息子・千之助
と松江の息子・玉太郎が演じている。ふたりともかわいらしい。
特に、このうちのひとりは、逆海老の際の、反り加減が、素晴し
く、場内から、思わず、拍手が起こっていた。日頃から、厳しい
稽古に耐えているのだろうという健気さが、滲み出ていた。


氷雨も、ものかわ「鰯売戀曳網」


「鰯売戀曳網」は4回目の拝見。勘三郎襲名後は、2回目であ
る。いずれも、玉三郎とのコンビである。この演目は、以前は、
先代の勘三郎と六代目歌右衛門のコンビが上演している。いずれ
も、絵に描いたような舞台だったろうと、思う。

「鰯賣戀曳網」は、「楯の会」の若者たちとともに、自衛隊に乱
入し、切腹自殺をした作家三島由紀夫が残した歌舞伎狂言であ
る。血腥い作家の最期を思い出すすべもないほど、それは、明る
く、笑いのある恋物語である。名代の傾城に恋した鰯賣が、大名
に扮して傾城のいる五條東洞院に繰り込むが、傾城は、実は、姫
様で、かって御城下で聴いた売り声の鰯賣に恋をしていたという
メルヘンである。

幕が開くと、五條橋(「ごでうはし」と書いてある)の袂であ
る。橋の上手にある「開帳」と書かれた2本の立て札には、それ
ぞれ、「多聞寺」「保元寺」と書いてある(橋を含めて、これら
の大道具は、後の場面展開の際、上手と下手に紐で引っ張られて
消えて行った)。

毎回、勘三郎が、鰯賣猿源氏を演じ、玉三郎が、傾城・螢火、実
は、丹鶴城の姫を演じる。当然のことながら、ふたりの手慣れた
世界が出現する。歌舞伎仕立てのお伽噺。目に愛嬌のある勘三郎
と目に色気のある玉三郎のふたりが、それを肉体化する。恋の成
就で、めでたしめでたしで幕となるが、随所に笑いをこしらえる
勘三郎のキャラクターが、なんとも、良い。その明るさは、正月
の演目として、また、終演の演目として、誠に相応しい。

そのほかの役者評。大名に扮した鰯賣猿源氏が恥ずかしがって禿
を突き飛ばすと、見事に後転する。勘三郎に言わせると、ここ
は、すでに「型になっています」という。子役も健気に対応して
いる。猿源氏の父親・海老名なむあみだぶつの弥十郎、博労で、
猿源氏の「大名」の家臣役に扮し、遊廓初心の、猿源氏を助ける
染五郎、亭主の東蔵と脇も達者な役者で固めている。

夜の部は、基本的に、勘三郎を軸にした舞台。「鏡獅子」の舞踊
劇の充実感と喜劇「鰯売戀曳網」の明るい笑いを堪能した。終演
後、この日は、天気予報では、雪も予想されていたが、外は、冷
たい雨。明るい笑いで心を温めた観客たちは、肌寒さの中、笑い
の温もりを冷やさぬよう、懐に抱いて家路を急ぐ。
- 2009年1月11日(日) 9:34:45
09年1月歌舞伎座 (昼/「祝初春式三番叟」「俊寛」「十六
夜清心」「鷺娘」)


「祝初春式三番叟」という外題だが、要するに「寿式三番叟」
で、これは、「三番叟もの」でも、いちばん、オーソドックスな
ものだが、私は、今回が初見。バリエーションものは、幾つも観
ている。基本は能の「翁」。だから、「かまけわざ」(人間の
「まぐあい」を見て、田の神が、その気になり(=かまけてしま
い)、五穀豊穣、ひいては、廓や芝居の盛況への祈りをもたら
す)という呪術である。「三番叟」は、江戸時代の芝居小屋で
は、早朝の幕開きに、舞台を浄める意味で、毎日演じられた。だ
から、出し物と言うより、一日の始まりの儀式に近い。儀式曲と
もいう。

今回は、太夫元が演じる翁に、今年の6月に傘寿、つまり、80
歳になる富十郎、若太夫が演じる千歳(せんざい)は、松緑と菊
之助のふたり、座頭が演じる三番叟は、梅玉。後見には、富十郎
に10年間師事しているという錦之助に松江が加わる。

中央奥に長唄連中。まず、置唄。鬘を付けた裃後見がふたり登場
し、舞台に座り込み、無言ながら、挨拶をした。錦之助と松江。
舞台背景は、中央奥に、老い松ながら、左右に枝を拡げて、緑豊
かな一本の松。上下の袖は、松では無く、竹林。

翁(富十郎)、千歳(松緑、菊之助)、三番叟(梅玉)の順で、
登場する。露払いとして、松緑の千歳が舞う。続いて、金地の衣
装の翁が、三番叟を連れて舞う。天下太平などを祈願。翁が、独
りで舞い、舞い納める。富十郎の翁は、重厚である。翁が引っ込
むと、剣先烏帽子を被り、黒地に鶴の絵柄の衣装を着た三番叟が
進みでて、「揉みの段」を舞い始める。同時に、中央奥の背景
が、飛翔する5羽の鶴の絵に代わる。錦之助ら後見二人も引っ込
む。

次いで、松緑の千歳の舞い。菊之助の千歳も、加わる。珍しくふ
たりなので、ふたりは、同じ所作で重なったり、左右対称(つま
り、手が、互いに逆)になったりしながら、舞う。梅玉の三番叟
も加わり、3人の裃後見も、それぞれの弟子たちが、あらたに加
わる。梅玉の三番叟が、鈴を持って、これを鳴らしながら舞う。
「鈴の段」。ふたりの千歳も含めて、舞い納めとなり、引っ張り
の見得で、幕。向こう16ヶ月続く歌舞伎座建て替えのための
「さよなら公演」幕開きを告げる儀式曲「三番叟」であった。
翁、三番叟、千歳と、年齢のバランスも良い役者を揃えた。


確信犯が、虚無の表情?


「俊寛」は、9回目。今回の幸四郎が、4回目。ほかに、吉右衛
門、3回。仁左衛門、猿之助が、それぞれ1回。つまり、4人の
役者の俊寛を観ている。幸四郎も、吉右衛門も、初代吉右衛門の
型で演じる。幸四郎は、さらに、新工夫も付け加える。今回は、
幸四郎の演技に絞って、述べたい。

幸四郎の俊寛は、もちろん、都へ帰りたいという強い気持ちを
持っているが、赦免船が到着して、齎された情報を元に、心を変
える点を重視しているように見受けられた。つまり、俊寛への操
を守っていた妻の東屋が、横恋慕の平清盛の命令で、御赦免の上
使・瀬尾に殺されていたことを知り、瀬尾を殺して、妻の仇を取
る。この俊寛の心根を幸四郎は、きっぱりとした実線で描き切る
ので、ここは、メッセージが明確に伝わって来る。そして、上使
暗殺という罪を負って、ひとりだけ、鬼界ヶ島に居残り続けるこ
とになる。それは、また、3人分しか、帰還用の船の席がないた
め、成経と祝言をあげたばかりの千鳥を船に乗せるという、俊寛
の思いも通ることになる。つまり、愛妻の仇討、丹波少将成経と
千鳥という若いカップルの都への送り出しという、俊寛の思い
は、ふたつとも実現する。そういう意味では、幸四郎版「俊寛」
は、現代的である。妻への純愛に殉じた俊寛。自分達夫婦の代り
に船出をした若い夫婦への祝福。幸四郎の俊寛像は、明確であ
る。

1719(享保4)年の原作では、近松門左衛門は、「思い切っ
ても凡夫(ぼんぷ)心」という言葉を書いて、犠牲の精神を発揮
し、決意して、居残ったはずなのに、都へ向けて遠ざかり行く船
を追いながら、都への未練を断ち切れない俊寛の、不安定な、
「絶望」あるいは、絶望の果ての「虚無」を幕切れのポイントと
した。

多くの役者は、遠ざかり行く船に向って「おーい」「おーい」と
いう俊寛の最後の科白の後、絶望か、虚無か、どちらかの表情
で、「半廻し」の舞台が廻って、絶海の孤島の岸壁の上となった
大道具の岩組に座り込んだまま、幕切れを待っている。昔の舞台
では、段切れの「幾重の袖や」の語りにあわせて、岩組の松の枝
が折れたところで、幕となった。しかし、初代吉右衛門系の型以
降、いまでは、この後の、俊寛の余情を充分に見せるような演出
が定着している。ここで、簡単に、俊寛役者の幕切れの表情三態
をまとめておこう。

(1)「ひとりだけ孤島に取り残された悔しさの表情」:「凡
夫」俊寛の人間的な弱さの演技で終る役者が多い。

(2)「若いカップルのこれからの人生のために喜ぶ歓喜の表
情」:身替わりを決意して、望む通りになったのだからと歓喜の
表情で終る役者もいる。私は、生の舞台を観ていないが、前進座
の、歌舞伎役者・故中村翫右衛門、十三代目仁左衛門が、良く知
られる。

前回の、吉右衛門は、従来、虚無的であったのを変えて、07年
1月歌舞伎座の舞台では、「喜悦」の表情を浮かべた「新演出」
だった。初めて、喜悦の「笑う俊寛」を観たことになる。

(3)「一緒に苦楽を共にして来た仲間たちが去ってしまった後
の虚無感、孤独感、そして無常観」:苦悩と絶望に力が入ってい
るのが、幸四郎。能の、「翁」面のような、虚無的な表情を強調
した仁左衛門。仁左衛門は、「悟り」のような、「無常観」のよ
うなものを、そういう表情で演じていた。「虚無」の表情を歌舞
伎と言うより現代劇風(つまり、心理劇。肚で見せる芝居)で、
情感たっぷりに虚しさを演じていた猿之助。

今回の幸四郎演ずる俊寛の最後の表情は、「虚無的」であった。
確信犯的に、瀬尾を殺した俊寛なら、「虚無」より、「喜悦」
が、望ましいと思うのに、「虚無的」であった。瀬尾殺しと千鳥
送り出しまでの、現代的な解釈に拠る部分と最後の近松的な原点
回帰の部分の齟齬を私は感じた。幸四郎は、「俊寛が船を見送る
ように、歌舞伎座との別れを惜しむ」と言っているが、別の次元
のものが、「俊寛」物語に紛れ込んだのだろうか。

私には、前回の吉右衛門の俊寛を観てから、岩組を降りた後の、
俊寛の姿が見えている。つまり、俊寛は、ここで、自分の人生を
総括したのだと思う。愛する妻が殺されたことを知り、自分の死
を覚悟したのだろう。俊寛は、岩組を降りた後、死ぬのではない
か。これは、妻の死に後追いをする俊寛の妻の東屋への愛の物語
ではないのか。そして、俊寛自身は、今後、老いて行く自分、死
に行く自分、もう、世界が崩壊しても良いという総括をすること
ができたことから、いわば「充実」感からくる「喜悦」をも込め
ての表情になるべきなのでは無いか。

さて、ほかの役者では、憎まれ役の瀬尾太郎兼康を演じる役者
は、ほんとうは、得なのである。あれだけ、憎々しい役を演じれ
ば、観客に印象を残す。逆に、高みの見物を決め込み、舞台展開
の、その時は、観客から同感される丹左衛門尉基康(梅玉)よ
り、劇場を離れてもなお印象が残るのは、瀬尾太郎兼康(彦三
郎)であった。彦三郎も、憎まれ役に味を出していた。芝雀の千
鳥は、私は、初見だが、瀬尾と立回りとなった俊寛を助けよう
と、けなげに瀬尾の邪魔をする辺りは、よく感じが出ていた。実
は、千鳥は、都の上った後、先に亡くなっている俊寛の妻の東屋
の亡霊とともに、怨霊となって、清盛をとり殺すような、強い女
性である。つまり、俊寛は、清盛へ、いわば「刺客」を放ったこ
とになる。ほかに、成経の染五郎、康頼の歌六。

贅言1):「俊寛」の舞台で見逃せないのは、大道具である。花
道を奔流する浪布の動きを見逃してはならない。去りゆく赦免船
を追い求める俊寛の気持ちを遮り、立ちはだかる波は、重要な場
面だ。地絣の布が、舞台の両脇へ、引き込まれ、次々に、浪布に
切り替わる。舞台下手の地絣は、下座音楽の黒御簾の下の隙間か
ら、引き入れられる。舞台下手にあった岩組は、大道具が「半廻
し」となる。舞台が廻るに連れて、辺り一面が、孤島になり、歌
舞伎座の場内が、大海原に変身する瞬間だ。このテンポの良い
「変貌」を観るだけでも、「俊寛」は、見応えがあると言える。

今回は、三階席で観ていたので、あらたに気がついた点がある。
開幕しても、浅黄幕。そして、置浄瑠璃のあと、舞台下手の岩組
の後ろから地絣を踏んで、俊寛が出て来る。幸四郎が通り過ぎる
と、すぐさま、黒衣によって、地絣が、片付けられたのである。
そうすると、確かに、海が広く見える。1階で観ていたのでは、
こういう変化は、判らないから、おもしろい。

贅言2):俊寛と瀬尾が立回りをする場面で、下座から聞こえて
来るのが、「千鳥の合方」で、これは、サイレント映画のチャン
バラの場面で、必ず、かけられた音楽で、「東山三十六峰、草木
も眠る丑三つ時……」という活弁の名調子とともに知られてい
る。良く聞いていると、この「千鳥の合方」が、「俊寛」の芝居
の後半部分で、竹本の太三味線の演奏を含めて、何回も、場面場
面で、手を変えて演奏されている。

贅言3):歌舞伎では、黒幕は、暗闇とか無を意味することか
ら、舞台にあるものを無くしてしまう、つまり、「消し幕」とし
て機能することがある。殺された役者の遺体をか片付けたりする
が、今回は、俊寛ひとりを残して、島から離れて行く大きな赦免
船が、上手の袖のなかに引っ込んだ後、船より大きな黒幕が垂れ
ていたのにも、気がついた。


菊五郎・時蔵コンビで、魅力的な悪の発心


「花街模様薊色縫〜十六夜清心〜」は、7回目。私が観た十六
夜:玉三郎(3)、時蔵(今回含め、2)、芝翫、芝雀。清心:
菊五郎(今回含め、3)、孝夫時代を含む仁左衛門(2)、八十
助時代の三津五郎、新之助。このうち、仁左衛門・玉三郎コンビ
は、絵面では最高だろう。今回は、ベテランの菊五郎の清心とこ
のところ、女形の味わいが深まっている時蔵のコンビで、期待が
持てる。

十六夜の時蔵は、今回は、三階席から観ているので花道の出の部
分がほとんど見えないが(歌舞伎座の建て替えについては、いろ
いろ改善点の要望は多数あるが、国立劇場のように、三階席か
ら、花道が、もう少し良く見えるようにして欲しい)、前回は、
花道の出では、私の席のすぐ横を通って行った。廓を抜け出して
来た十六夜は、素足であったが、後の「川中船の場」で、四つ手
網で白魚漁をしているところを見ると、舞台の季節は、旧暦の2
月か(初演は、1859(安政6)年2月。正月狂言である。明
治維新まで、後、9年。幕末の外圧を軸に日本は、内外とも騒然
としていた時期)。ならば早春か。それでも、素足は、肌寒かろ
う。

97年11月歌舞伎座で観た芝翫、菊五郎のコンビは、円熟の演
技で、仁左衛門・玉三郎コンビなど、ほかのカップルとは、ひと
味違っていたのを覚えている。芝翫は、特に、花道の出が良かっ
た。早足で出てきただけで、安女郎・十六夜の雰囲気があった。

時蔵の十六夜は、第一場「稲瀬川百本杭の場」は、仕どころがあ
るが、そのほかは、なくなる(「花街模様薊色縫」は、通しで上
演すると、「十六夜清心」物語は、前半の話で、後半は、「おさ
よ・(鬼薊)清吉」物語として、悪の夫婦の話となる)。第一場
で、柔弱な清心を押しまくり、入水心中にまで持ち込む。廓から
抜け出して来た十六夜は、後が無いから、必死であるが、清心
は、優柔不断で、終始押され気味である。ひたむきな遊女と遊び
心で、腰の定まらない男。その辺りのふたりの対比は、時蔵、菊
五郎とも、さすがに巧い。ふたりが、出逢う場面。清心「悪い所
で、……」。十六夜「逢いたかったわいなア〜」。菊五郎は、特
に、後半での清心の「悪の発心」とのメリハリを考えて、余計、
優柔不断ぶりを強調しているように思われるが、巧い人物造型で
ある。

しかし、歌舞伎でいえば、濡れ場である。十六夜は、川端の船着
き場の岸に腰を下ろして、赤い襦袢の袖を口に銜える。背を清心
に預ける。背中合わせで、寄り掛かる。立上がって、背中合わせ
になり、ふたりの隙間で三角形を作る。典型的な、男女の濡れ事
のポーズ。背中合わせで手を繋ぎ、両手を前後に引き合う。上手
の葦簀張りの小屋から桶を持ち出し、中にはいっていた本水で、
別れの水盃。初めて、互いに向き合い。さらに、入水自殺へ。小
さな船着き場の板敷きの前の方に出て来て、ふたりで寄り添う。
前の手を互いに合わせて、後ろの手は、握りあい、……とうとこ
ろで、浅黄幕振り被せで、入水の体。さらに、暗転。

暗闇の中。下座の太鼓が、柝の「つなぎ」のように響き、続け
る。やがて、「知らせ」の柝が、「チョン」となり、明転。第二
場「川中白魚船の場」。いつもの、やりとりがあって、十六夜
が、船に助け上げられる。再び、暗転。太鼓の「つなぎ」。やが
て、「知らせ」の柝が、「チョン」となり、明転。第三場「百本
杭川下の場」という展開。

清心とは、どういう人物か。女好きの気弱な男。清心は、自分の
所属する鎌倉の極楽寺で起きた公金横領事件の際、着せられた濡
れ衣から、たまたま、女犯(大磯の女郎・十六夜と馴染みになっ
た)の罪という「別件逮捕」で、失脚した所化(坊主)。当初
は、つまらないことに引っかかったとばかりに、おとなしくして
いた。廓を抜け出してきて、清心の子を宿したので、心中をと誘
いかける十六夜の積極性にたじろぎながらも、女に押されて心中
の片割れになってしまう気弱な男であった。ところが、入水心中
をしたものの、下総・行徳生まれの「我は、海の子」の清心は、
水中では、自然に身体が浮き、自然に泳いでしまう、ということ
で、死ねないのである。第三場は、そこから、展開する。

自分だけ助かった後も、それが疚しいため、まだ、気弱である。
雨のなか、しゃくをおこして苦しむ求女を助ける善人・清心だ
が、背中や腹をさすってやるうちに、50両の入った財布に手が
触れ悪心を起こすが、直ぐには、悪人にはなれない性格。ひとた
び、求女と別れてから、後を追い、金を奪おうとするが、なかな
か巧くは行かない。弾みで、求女の持っていた刀を奪い、首を傷
つけてしまう。

それでも、まだ、清心は、悪人になり切れていない。求女の懐か
ら奪い取った財布に長い紐がついていたのが仇になり、求女と互
いに背中を向けあったまま、財布を引っ張る清心は、知らない間
に、求女の首を紐で絞める結果になっている(つまり、「過失致
死」)のに、気がつかない。やがて、求女を殺してしまったこと
に気づいたことから、求女の刀を腹に刺して自殺をしようとする
が、刀の先が、ちくりと腹に触ると、「痛っつ」と、止めてしま
う。水で死ねないのなら、刀でと、決意したのに、これでは、自
殺も出来ない。成りゆきまかせの駄目男。

4回目の自殺の試みの末、雲間から現れ、川面に映る朧月を見
て、「しかし、待てよ・・・、人間わずか五十年・・・、こいつ
あ、めったに死なれぬわえ〜」という悪の発心となる名台詞に繋
がる(適時に入る時の鐘。唄。「恋するも楽しみするもお互い
に、世にあるうちと思わんせ、死んで花実も野暮らし
い・・・」。このあたりの、歌舞伎の舞台と音のコンビネーショ
ンの巧さ)。清心にとって、悪への目醒めは、自我の目醒めでも
あった。

雨が、降ったり止んだり、月が出たり、隠れたりしているようだ
が、これは、外題の「花街模様(さともよう)」ならぬ清心の
「心模様」を表わす演出を黙阿弥は、狙っているのだろうと思
う。例えば、月が、悪への発心という心理を形で描いて行く補助
線となっている。時代物であれ、世話物であれ、心を形にする、
外形的に心理を描く。それが、歌舞伎の真骨頂。菊五郎は、前半
の優柔不断な清心から、きっぱりと、変ってみせる。気弱な所化
から、将来の盗人・「鬼薊の清吉」への距離は、短い。がらっ
と、表情を変え、にやりと不適な笑いを浮かべる菊五郎。菊五郎
は、その辺りのコツを次のように語る。「いつも(観客席の)上
手を見ています。向こうで、お金持ちが遊んでいる、それを羨ん
で心が変わるのです」。

清心に殺され、清心へ悪への目覚めをさせるきっかけとなる恋塚
求女(十六夜の弟)役の中村梅枝は、2回目。時蔵の長男で、前
回は、16歳だったが、今回は、21歳。すっかり、青年だ。無
事、変声期を乗り越え、女形として成長するであろう梅枝の今後
の精進に期待したい。恋塚求女の遺体を川の中に蹴落とした清
心。そこへ、第二場の登場人物、俳諧師白蓮(吉右衛門)、助け
られた十六夜、船頭(歌昇)が、通りかかり、清心が、船頭の持
つ提灯をたたき落して、暗闇にしたことから、「世話だんまり」
へ。歌舞伎味は、ぐうんと濃くなる。その挙げ句、花道へ逃げる
清心。花道を走り去る清心に合わせて、付け打ち。一方、本舞台
に残る白蓮、十六夜、船頭の前を定式幕が、柝の刻みの音に合わ
せて、閉まって行く。バタバタとチョンチョンチョンチョン。

贅言1):第一場では、開幕後、中間(菊十郎)、酒屋(橘太
郎)、町人(松太郎)が出て来て、小芝居をする。目的は、番付
を紹介する口上で、おもしろい場面だ。役者は、傍役のベテラン
ばかりで、いずれも、味のある所作、科白があるので、見落さな
いようにしたい。

ついでに、第一場の「稲瀬川」の百本杭は、江戸の大川(隅田
川)の川筋が曲がる所で、流れが当たるので、百本の杭で、防波
堤を作っていた。それだけに、いろいろなものが、上流から流れ
着いたり、引っ掛かったりしたらしい。まさに、人生の定点観測
の場所。上手の、川の中、板塀の向こう側で、清元延寿太夫ら清
元連中の「よそ事浄瑠璃」で、板塀は、いわば、「霞み幕」の役
割を果たし、前に倒されると、清元連中の姿が見え、板塀は、石
積みの岸に早変わりする。

贅言2):「花街模様薊色縫」は、1859(安政6)年の初演
時には、正月狂言であったことから、吉例の正月狂言らしく、外
題を「小袖曽我薊色縫」としていて、話は、全く違うのだが、能
の「小袖曽我」のタイトルを借用したように、「曽我もの」の
「世界」の色付けをしていた。舞台を鎌倉周辺や箱根にし、十六
夜という役名も、曽我ものの登場人物「鬼王新左衛門」(今月の
夜の部「寿曽我対面」に登場する)の女房の妹(余り、近くは無
い関係という辺りに、黙阿弥の「魂胆」が、偲ばれる)の名前か
ら借用している。江戸の世話ものなのに、場所が、鎌倉だから、
「隅田川」も、「稲瀬川」となっている。「小袖」から、「縫
う」という連想があり、清心、後の、鬼薊清吉の「色縫い」、つ
まり、色と欲を縫うようにして、図太く生きようという、鬼薊清
吉の人生観が滲み出て来るようだ。


「鷺娘」は、6回目。玉三郎が、今回含め3回、雀右衛門が2回
(96年11月の歌舞伎座と、98年2月のNHKホール)、福
助が、1回。NHKホールは、せりが使えなかったので、演出を
工夫していたが、やはり「鷺娘」は、せりで登場させたい。歌舞
伎座の雀右衛門は、もちろん、せりであった。

まず、幕間が、終ると、柝が鳴って、暗転。薄やみの中、緞帳が
上がる。舞台は、雪景色で無人。雪を被った柳の木が、影を落と
す湖畔。銀色の草。白と青色の世界。舞台上手の雛壇には、長唄
連中(下から、四拍子、三味線方、唄方)。まず、置唄。「妄執
の雲晴れやらぬ朧夜の恋に迷いし我が心」。

やがて、舞台中央の切り穴から、せり上がって来たのは、玉三
郎。後ろ姿で、傘を差している。ゆるりと廻って、正面を向く
が、差している傘と白無垢の衣装と頭から顔に掛けて被りものの
綿帽子(角隠し)で、雪の精のよう。透明感のある黒っぽい蛇の
目模様の傘が、玉三郎の上半身、特に顔を隠している。表情は伺
えない。真黒い襦子の帯が印象的で、薄暗さのなかに、黒襦子の
帯を軸に玉三郎の全身が、溶け込んでいる。

鳥足や鳥の羽ばたきの所作で、雪の精に見えたものは、実は、
「鷺の精」であることを強調する。ふたりの後見(守若、玉雪。
鬘は付けていないが、羽織袴姿)。弟子のベテラン守若が、前回
同様、テキパキと衣装の早変りの手法、「引き抜き」を対応して
いるのが判る。手際は、颯爽としている。玉三郎との息もぴった
り。ファインプレーの後見だ。白縮緬の振袖姿から赤地の友禅染
めの着物へ。鷺の精が、可憐な町娘に変身する。恋に夢中の可愛
らしい娘である。

一旦引っ込み、玉三郎は、鬘も変え、衣装も紫に変えて、軽快な
傘踊り。傘の陰で、再び、「引き抜き」で紫色からピンクへ。さ
らに、傘の陰に隠れて、両肩、肌脱ぎになり、上半身、緋色の衣
装へ、袖を銜えて、すくっと立つ。玉三郎のスムーズな変身を助
ける守若。今度は、「ぶっかえり」で、白い鷺の精の衣装をマン
トのように着ている。

髪も捌く。柳の枝を鉄杖に見立てて、地獄の責め。白い衣装の肩
に赤い切り傷があり、嗜虐美の見せ場。鷺の精の正体を現す。逆
海老反りで、玉三郎は、柔軟な身体を誇示した。霏々と降る雪。
適わぬ恋心の哀しみを演じる。苦しさのあまり、のたうつように
動き回る玉三郎の衣装の裳裾が、所作舞台に積もりはじめた雪の
紙片を蹴散らし、シュプールのよう。幾つもの環を描いて行く。
描いては消える環の数々。

白い鷺の精は、羽ばたきも弱まり、息も絶え絶えになる。最後に
玉三郎は、紙片の雪に溶け込むように下半身を崩して行く。乱れ
た髪のみ、黒い。唇の小さな赤い色を除けば、顔も白い。出の白
無垢の娘の姿から、「ぶっかえり」の白いマント姿に包まれて、
瀕死の鷺は、息絶える。バレーの名作「瀕死の白鳥」のように。

贅言:このラストは、玉三郎の工夫。本来は、緋毛氈の「二段」
に乗って、大見得。8年前、01年4月、歌舞伎座の福助の舞台
では、本来通りの演出であったし、玉三郎も、31年前、78年
2月、新橋演舞場での初演時は、緋毛氈の「二段」に乗ったとい
う。確かに、大見得では、恋に破れ、死んで行く鷺娘の哀れさは
出ない。恨みつらみが、前面に出てしまう。清姫の世界になって
しまう。ここは、玉三郎独自の工夫の方が、遥かに素晴しい。ま
さに、絶品。言葉では、表現できない。だから、所作で見せるし
かないのだろう。400回から500回は、鷺娘を踊ったと言う
玉三郎ならではの、味わいだろう。

- 2009年1月10日(土) 18:54:16
08年12月国立劇場 (通し狂言「遠山桜天保日記」)


1893(明治26)年に、明治座が、誕生した。小屋開きの演
目の二番目狂言として、初演されたのが、「遠山桜天保日記」で
あった。黙阿弥の門弟(3番目の高弟)で、新富座の立作者から
明治座創立時に立作者として招かれた竹柴其水(きすい)が、初
代左團次のために書いた新作。今回は、1958(昭和33)年
以来、50年ぶりの復活上演。竹柴其水の作品で、いまも、上演
されるものとしては、通称「め組の喧嘩」で知られる「神明恵和
合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)」が、ある。今回は、
菊五郎劇団が、国立劇場文芸課とともに、現代の観客に分りやす
いように、場面をカットしたり、上演の順番を入れ替えたりし
て、人物の性格付けの明確化、ストーリー展開の整理など、かな
り補綴したという。その所為も含めて、其水の師匠である黙阿弥
の色合いの濃い作品になっている。08年最後の歌舞伎劇評は、滅
多に上演されない作品なので、粗筋も追いながら、まとめてみよ
う。

序幕「河原崎座楽屋の場」は、歌舞伎ファンにとっては、嬉しい
場面だ。幕間の楽屋で、下座音楽を担当する笛方(團蔵)と太鼓
を叩く鳴物師(萬次郎)が、演奏の間合いを巡って、喧嘩にな
り、唄方の芳村金四郎、こと、遠山金四郎が、仲裁に入り、騒ぎ
を収めるという場面だが、座元の河原崎権之助(権十郎)、楽屋
番(寿鸛)、頭取、三味線方、衣装方、床山、狂言方、道具方、
女方、稲荷町(大部屋役者)など芝居小屋を裏から支えている
面々が、多数出て来るので、おもしろい。女方の瀬川枡吉(徳
松)は、女形の衣装姿なのに地頭で、笑わせる。そこへ、遠山家
の用人(田之助)が、出て来て、金四郎に明朝の登場(いわば、
人事の内示=町奉行任用)を命じる奉書を持参する、ということ
で、大団円の奉行としての遠山金四郎登場へ向けて、伏線が敷か
れる。

贅言;河原崎座の座元は、代々、権之助を襲名する。六代目河原
崎権之助の養子になったのが、後に、明治の劇聖と呼ばれた名優
となった九代目市川團十郎である。九代目は、兄の八代目が、巡
業先の大坂の旅宿で、若くして、自殺してしまったため、急遽、
実家の市川團十郎家に戻り、九代目團十郎を継いだ。

二幕目「隅田川三囲(みめぐり)堤の場」。隅田川の堤の上に鳥
居の上部だけが見えるのは、いつもの体(てい)。背景は、山が
深い。堤は、桜並木。季節は、春。堤の内側は、船着き場で、入
江風。大川では無い。下手は、花道から地続きの坂。

ここは、物語の展開へ向けて、別の伏線を敷く場面。浅草の刀店
「尾花屋」の面々が、登場する。尾花屋の若旦那・小三郎(菊之
助)、番頭・清六(亀蔵)、手代・辰吉(萬太郎)、下女・おい
せ(橘太郎)。番頭・清六と下女・おいせは、ちゃり場(笑
劇)。小三郎は、手代・辰吉を連れて、得意先廻りだったはずだ
が、小三郎の恋人・清元延わか、こと、侠客・政五郎養女おわか
(時蔵)と逢引。おわかの花道の出は、十六夜を思わせる。この
二人は、親たちに結婚を反対されていて、三囲神社前の船着き場
から、隅田川に入水心中を図る。二人は、向き合い、両手を繋い
で、矩形を作り、前後に引き合う。小三郎は、おわかと並び、右
手で後ろからおわかの左肩を抱く。愛の交換。「嬉しうござん
す」とおわか。女は、下駄を脱ぎ、船着き場の下手に置き、袂に
石を入れる。男は、草履を脱ぎ、羽織を畳み、船着き場の上手に
置く。二人は、並び、前の手をあわせ、後ろの手を繋いだまま
で、入水。

戻って来た辰吉が、小三郎を探すが、いない。芝居を通じて、敵
方になる悪役の生田角太夫(菊五郎)、佐島天学(松緑)。この
うち、まず、佐島天学は、辰吉を襲い、得意先から集金して来た
金を奪う。「いい商売だなあ」と嘯く。

さらに、現れた角太夫が、佐島天学を短筒で威して、打ち身で、
気絶させて、天学の懐の金を奪い、天学の手に短筒を持たせて、
逃げてしまう。悪の上には、悪がいる。「濡れ手に粟」と黙阿弥
風の七五調の科白。

こういう悪役を追う八州廻り咲島千介(亀三郎)と八州の手先た
ち。咲島千介は、佐島天学を短筒強盗の犯人として、捕まえてし
まう。その様子を物陰に隠れて見守っている生田角太夫。

贅言;「小三郎」といえば、「盛綱陣屋」の盛綱の一子・小三郎
を思い出す。「寺子屋」で菅秀才の身替わりに殺される小太郎
(松王丸の嫡男)、「熊谷陣屋」で、平敦盛の身替わりの首とし
て、首実検に使われる小次郎(熊谷直実の嫡男)、盛綱の弟・高
綱の一子・小四郎は、父親の贋首に「父上様」と呼び掛け、贋首
と悟られないために、切腹して果てる。受難の子供たちの中で、
唯一、生き延びるのが、小三郎である。尾花屋の若旦那の小三郎
の人生は、どういう展開を見せるのか。三囲神社は、いまも、向
島にある。隅田川の堤の下の低い土地に立てられた神社で、対岸
の浅草から見ると、大鳥居も、堤の上に上部しか見えない。三囲
神社の大鳥居の、そういう佇まいは、歌舞伎の舞踊劇などの背景
にも、よく登場する。現在は、高速道路の下にあり、さらに、鳥
居の前に、高速道路の太い橋脚があり、何とも、風情を消してい
る。

三幕目「成田山内護摩木(ごまぎ)山の場」。暗転から、スター
ト。場内は、真っ暗。床(ちょぼ)の出語りで、大薩摩連中が、
上手の闇の中で宙に浮かんでいる。やがて、下手本舞台に、ス
ポットライト。若き日の祐天上人(菊之助)が、断食修行で、経
文を覚えようと苦しんでいる。その果てに、祐天上人が、倒れ込
むと溶暗。すると、今度は、舞台中央にスポットライト。成田山
の本尊不動妙王(團蔵)と祐天上人が現れる。不動妙王が、利剣
を上人に呑ませて、苦悶する上人を助ける・・・。

というのは、小三郎の見ていた夢で、舞台は、成田山内護摩木
(ごまぎ)山の杉林の中。上手に満月。眠っていた小三郎、実
は、心中崩れで、落ちぶれた果てに、悪に目覚め、祐天小僧小吉
になった小三郎であった。夜参りの信者しか入れない聖域で、眠
り込んでいた小三郎を起こしたのは、山番勝五郎(菊十郎)で
あった。

そこに、現れたのが、生田角太夫、佐島天学。盗人の生田角太
夫、牢破りの佐島天学という自己紹介に吃驚した祐天小僧小吉。
3人は、それぞれの身の上を話す。天学は、角太夫に短筒強盗の
罪を擦り付けられたと悟るが、恨みつらみをいわずに、なにや
ら、胸に秘めて行く。祐天小僧小吉は、悪の先輩の二人にあやか
りたいと思う。兄貴分として、佐渡金山の御用金強奪の計画を持
ちかける角太夫。この辺りは、もう、黙阿弥の「三人吉三」の世
界。夜参りに、上手から現れた侠客政五郎(左團次)、下手から
は、やはり、心中崩れの政五郎養女おわか(時蔵)。5人の、
「だんまり」となる。暗闇の中で、小吉は、だんまりならば、定
式の「家宝」(巻き物、壷など)の代りに、政五郎の煙草入れを
奪う。天学は、おわかを捕まえる。いずれも、次の展開へ、伏
線。

四幕目第一場「花川戸須之崎政五郎内の場」。侠客・政五郎一
家。家の中に、仏壇では無く、小さな稲荷がある。政五郎(左團
次)、子分の銚子の浪六(亀寿)、同じく、小金の馬吉(松
也)。一家に出入りするおわかの妹分の待乳山のおえん(梅
枝)、山番勝五郎(菊十郎)。そこへ、祐天小僧小吉(菊之助)
が、拾ったという触れ込みで、政五郎の煙草入れを買ってくれと
集(たか)りに来る。しかし、聖域の夜参りの場で、奪い取った
煙草入れの出所を山番に突っ込まれると、答えに窮する小吉であ
る。それを承知で、金、切り持ちひとつ(25両)をくれてや
り、若旦那の小三郎に戻り、両親を安心させてやれと諭す政五
郎。

皆が、去り、ひとりになった政五郎は、通りかかった按摩の電庵
(菊五郎)を呼び込む。按摩、タイ式治療をピーアールする電
庵。赤地に鯛焼きの絵柄が、染め抜かれた布を引き出す。場内
に、笑い。おわかの母親・おもと(時蔵)が、入って来ると、政
五郎は、おもとの生活を助けようと申し出る。二人のやりとりを
背中で聞いている電庵は、なぜか、そわそわしだす。

第二場「山の宿(しゅく)尾花屋の場」。浅草山の宿町の尾花屋
の店先。奥に土蔵がある。咲島千介が、短筒強盗を追っている。
人通りが、絶えた後、按摩の電庵が、通りかかる。周囲を確かめ
ると、電庵は、目をあける。電庵、実は、角太夫なのである。さ
らに、浪人・藤村浦太(松緑)も、通りかかる。藤村は、実は、
佐島天学である。二人は、尾花屋に押し入るつもりなのだ。塀を
破り、尾花屋に忍び込む二人。尾花屋の屋根の上には、祐天小僧
小吉。さらに、政五郎のところから、電庵の後を付けて来たの
が、おもとであった。店先の用水桶の陰に身を潜めるおもと。こ
こも、次の転換へ、伏線。おもとを載せたまま、舞台は、左に廻
る。店の裏手、土蔵の前。番頭・清六(亀蔵)が、土蔵から出て
来る。蔵から店の金を持ち出したらしい。角太夫と佐島天学が、
清六を阻み、土蔵の鍵を出せと威す。鍵を奪い、当て身で、清六
を気絶させる角太夫。二人の様子を窺っていた小吉が、二人に声
をかける。小吉、こと、小三郎は、尾花屋の息子であったから、
小吉の案内で、蔵に入り込み、金を盗む。舞台は、右に廻り、元
の店先に戻る。おもとが、角太夫の前に姿を見せる。おもとと、
角太夫は、夫婦だったのだ。角太夫は、天学と小吉を先に行かせ
る。元結城藩士だった角太夫は、落ちぶれて、家族も離散してし
まった。おもとに改心を迫られ、角太夫は、縋り付くおもとを殺
してしまう。

第三場「大川橋六地蔵河岸の場」。上手に半月。橋には、「大川
橋」「おほかはばし」と書かれている。下手に、立て札、石灯
籠、柳など。尾花屋の蔵破りの手引きをしたとして、番頭・清六
が、半裸で、舞台下手から岡っ引きの若蔦の目吉(松太郎)に引
き立てられて来た。通行人に罵声を浴びせられる。花道からは、
天学と小吉。未だ来ない角太夫を橋の袂で待つ内に、天学は、小
吉に角太夫を裏切り、佐渡金山から奪うつもりの御用金を山分け
しようと持ちかける。短筒強盗の濡衣を被せられた天学は、角太
夫を心底信頼していない。こだわりの、粘着質の男。兄弟分を裏
切ることは出来ないと拒否する小吉。小吉と斬り合いになる。刀
と匕首では、匕首の小吉は、勝てない。危うし小吉となったと
き、通りかかりの侠客が、小吉を助ける。侠客は、殿様金次と名
乗り、桜吹雪の刺青を見せ、天学を追っ払う。大詰への伏線とい
う仕掛け。

五幕目第一場「新潟行形亭(いきなりや)広間の場」。新潟の浜
茶屋「行形亭(いきなりや)」の座敷。ここでは、江戸の商人奥
州屋善兵衛(菊五郎)、奥州屋の番頭・八右衛門(松緑)、行形
亭の女将(萬次郎)、咲島千介(亀三郎)、若蔦の目吉(松太
郎)、芸妓、舞妓、同心、手先、捕方が登場する。奥州屋の二人
は、角太夫と天学の変装。佐渡金山の御用金強奪に成功し、祝宴
を開こうとしているらしい。おけさ踊りで盛り上げていると、花
道から座敷に繰り出して来た踊りの集団は、揃いの黒地の衣装に
編み笠姿。最後は、衣装を脱ぎ捨て、捕方の正体を顕わし、二人
を捕獲しようとするが、二人は、逃げ出す。暗転。

第二場「新潟行形亭庭先の場」。溶明。日本海の磯に繋がる庭
先。捕方から逃れて来た角太夫を天学が、刺し殺す。角太夫の懐
から御用金の隠し場所描いた絵図面を奪って、口に銜え、角太夫
の遺体を海に蹴り落す。短筒強盗で、女房殺し、尾花屋の蔵破り
と佐渡金山御用金強奪の主犯は、仲間割れで、殺されてしまっ
た。秘めていた復讐を果たし、大金の在り処を知った天学。だ
が、櫂と網を使った大立回りの果てに、咲島千介ら捕方に捕ま
る。

大詰「北町奉行所白洲の場」。短筒強盗(これは、濡衣)、牢破
り、尾花屋の蔵破り、御用金強奪と角太夫殺しの容疑で、天学
が、取り調べられる。与力は、大里忠平(権十郎)、陪席の咲島
千介。御用金の隠し場所を描いた絵図面は、小吉に渡すように頼
まれただけだと嘯く。証人として小吉が呼び出される。しらを切
る天学。おわか、こと、吉原の花魁・若紫(時蔵)も、天学に売
り飛ばされた本人(証人)として、出廷。それでも、天学は、し
らを切る。極め付けの悪。与力では、手に負えない。奉行の遠山
景元、つまり、金四郎が、登場する。「一堂面をあげよ」では、
役人たちも、お白洲に引き出された連中とともに、面を上げてい
た。

殿様金次のことを思い出した小吉は、それを申し立てる。「金次
を連れてこい」と天学も喚く。「金次とは、俺がことよ」と、裃
とともに、片肌を脱ぎ、桜吹雪の刺青を見せる金四郎。菊五郎の
上に、桜吹雪が、舞う。長袴を階段に垂らして、見得。すべてお
見通しの金四郎。これにて、一件落着。憎々しい天学が、引っ立
てられて行く。おわかと小三郎には、夫婦になって、「地道な暮
らしを」と人情家・金四郎は、呼び掛ける。

芝居が終り、菊五郎ら6人は、前に出て、本舞台に座り、「良い
お年をお迎え下されませ〜〜」で、幕。

役者評。菊五郎は、相変わらず、サービス満点の小技を使い、場
内の受けも良い。芳村金四郎、殿様金次、遠山景元、金四郎役
は、粋で、爽やかにこなすが、角太夫は、悪役ぶりが、弱い。電
庵は、悪と滑稽味の二重奏。特に、滑稽味は、自家薬籠中で、さ
すが。松緑は、人形の首(かしら)のような顔と化粧を生かし、
さらに、饒舌な科白回しで、悪い奴は、口も達者とばかりに、最
後まで、悪役に徹していた。存在感があった。悪の主軸は、天学
であったのだ、という印象が、しっかり、残った。

小三郎→小吉→小三郎という菊之助は、弁天小僧か、与三郎風の
場面が、チラチラ。時に、口跡が、父親の菊五郎に似て来たよう
に思える。時蔵は、清元延わか、こと、おわか(角太夫とおもと
の娘=政五郎の養女=花魁・若紫)と母・おもとの二役。おもと
とおわかの演じ分けはまだしも、清元延わかと花魁・若紫では、
それぞれの職業的な味わいが弱かった。左團次は、元々、初代左
團次にあてて作られた新歌舞伎演目なので、もう少し、印象に残
る役回りが欲しかった。政五郎は、侠客で、爽やかだが、印象が
薄い。田之助、團蔵、萬次郎、権十郎、亀蔵、亀三郎、亀寿、松
也、梅枝、萬太郎。人間国宝から若手まで、世話物の味わいを出
しながら、脇を固めていた。橘太郎、菊十郎、寿鸛、徳松など
は、それぞれ、持ち味を生かした。
- 2008年12月27日(土) 10:02:41
08年12月歌舞伎座 (夜/「名鷹誉石切」「高坏」「籠釣瓶
花街酔醒」)


さすが、富十郎、ゆるり梶原


「名鷹誉石切」は、「梶原平三誉石切」の富十郎版の外題であ
る。「梶原平三誉石切」は、9回目。私が見た梶原は、幸四郎
(2)、吉右衛門(2)、仁左衛門(2)、富十郎(今回含め、
2)、團十郎。

定式幕が、開くと、浅黄幕が舞台を覆っている。無人の舞台に、
置き浄瑠璃。浅黄幕が、振り落とされると、鶴ヶ岡八幡の社頭の
場で、参詣に来た平家方の大名・大庭三郎(梅玉)一行が、立っ
ている。やがて、同じく平家方の梶原平三(富十郎)一行の花道
の出。両者で、一献。そこへ、青貝師・六郎太夫と娘の梢が、大
名に刀を売り付けようとやって来る。青貝とは、螺鈿の材料とな
る貝。青貝師とは、螺鈿細工師のことか。

梶原の仕どころは、花道の出、刀の目利き、二つ胴、物語(平家
方ながら、石橋山で源頼朝を救う)、石切、花道幕外の引っ込み
と幾つかあるが、ハイライトは、やはり、石切。

その「石切」の場面には、型が3つあるという。初代吉右衛門
型、初代鴈治郎型、十五代目羽左衛門型。その違いは、石づくり
の手水鉢を斬るとき、梶原が、手水鉢に向って行くので、客席に
後ろ姿を見せるのが吉右衛門型で、鴈治郎型は、手水鉢の向うに
廻って、客席に前を見せる上、場所が鶴ヶ岡八幡ではなく、原作
通りの鎌倉星合寺である。羽左衛門型は、手水鉢の向うに廻り、
さらに、六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、
手水鉢の水にふたりの影を映した上で、鉢を斬る場面を前向きで
見せた後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出してくる。桃
太郎のようだと批判されたという演出だ。

今回の富十郎だが、私は、10年前に1回観ている。私の記録で
は、前回の富十郎は、鴈治郎型だったが、場所は鶴ヶ岡八幡で
あったと書いている。つまり、手水鉢の向うに廻って、斬るだけ
で、手水鉢の間からは、飛び出して来なかったのだろう。今回の
富十郎は、羽左衛門型で、手水鉢の向うに廻り、さらに、六郎太
夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、手水鉢の水にふ
たりの影を映した上で、手水鉢を斬る場面を前向きで見せた。し
かし、その後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出してくる
のではなく、ゆるりと歩いて出て来た。富十郎の楽屋話を読む
と、1952(昭和27)年、22歳で、大阪中座で初演したと
きから、武智鉄二の指導で、羽左衛門型でやていると言っている
ので、私の記憶違いかもしれない。いずれにせよ、大雑把に言っ
てしまえば、鴈治郎型と羽左衛門型の違いは、場所が、鎌倉星合
寺か鶴ヶ岡八幡かということと石の手水鉢を斬った直後、手水鉢
の向う側に止まるか、ふたつに分かれた手水鉢の間から、飛び出
して来るかという違いだろう。

幸四郎、吉右衛門のふたりは、吉右衛門型であった。仁左衛門
は、羽左衛門型で、颯爽と飛び出してきた。團十郎は、羽左衛門
型だったが、手水鉢の間から「よろよろ」と出てきた。そういう
風に整理してみると、今回の富十郎は、團十郎に近いと言える。
「よろよろ」の代りに、「ゆるりと」出て来た。仁左衛門と同じ
ように颯爽と飛び出した方が良かったのではないかとも、思う
し、人間国宝・富十郎としては、老境の、ゆるりとした持ち味
で、やるのも、良いかなとも思う。10年ぶりに観た富十郎の梶
原は、全体を通じても、ほかの役者が芝居をしている時に、舞台
のほぼ中央で、あまり動かず、すべてを肚で受け止めているよう
な感じで、ゆるりと静止しているのが、なんとも言えず、良かっ
たと思う。役者は、型を大事にしながらも、年齢、体調、芸の工
夫などで、演技を変えるのだろう。それはそれで、良いことだ。

これより先の、「刀の目利き」では、まず、梶原は、袋から刀の
柄の部分を出す。鞘の部分は袋に入れたままで袋を折り返して紐
で縛る。その縛り方が整然としていて見事。目利きの場面では、
懐紙を口に銜えて、まず、刀を上下逆に持ち、鞘を袋ごと下から
上に抜いてゆく。この間、梶原は目を瞑っている。やがて、刀を
鞘から抜き終わると、目を開けて、縦にした刀身を下から上に
じっくりと見る。次いで、刀身を横にする。今度は、刀身の切っ
先から、つまり、刀身の上から下にじっくりと見る。さらに、再
び、刀の切っ先を前に、刀身を縦にして、刀の背から刀身全体を
じっくり見る。見据える目に富十郎の芸を積み重ねて来た時間の
長さが滲む。

また、「二つ胴」では、上で仰向けになっている囚人の剣菱呑助
(家橘)の胴を斬るが、下で俯せになっている六郎太夫(段四
郎)については、彼を縛っていた縄目だけを斬る。掛け声と刀の
動きが、石切と違う芸の見せ所で、富十郎の梶原は、刀を斜めか
ら振り下ろし、呑助の胴に刃を「タン」という感じで、当てるだ
けで斬る。以前観た團十郎の梶原は、呑助の身体で刀身を、いわ
ば「バウンド」させるようにした。つまり、刃を一旦呑助の身体
に降り下ろしながら、すぐに持ち上げる。その結果、呑助の胴
は、まっぷたつに斬れるが、下の六郎太夫は、後ろ手に縛られて
いた縄目のみが切られて、六郎太夫は、無事で、かすり傷さえな
いと言うようにしていた。

歌舞伎では、梶原平三は、いつもの憎まれ役だが、この舞台で
は、颯爽としている。しかし、刀の目利きを頼まれ、六郎太夫が
持ってきた刀が余りの名刀(「八幡」の刻印が刻まれている重代
の名刀。六郎太夫は、実は、源氏方の武将三浦大助の子で、それ
ゆえに、「八幡」という銘が刀身に刻まれていて、梶原は、目利
きの際に、すでに六郎太夫の正体と刀を売り急ぐ事情を察知した
ということになっている)だったので、大庭三郎(梅玉)や俣野
五郎(染五郎)を騙して、「二つ胴」をわざと失敗して見せる。
その上で、自分の本心を聞かせ(物語)、六郎太夫を安心させ
て、その後で、石の手水鉢を斬って見せる。そして、自分でその
名刀を手に入れると言うことだから、やはり、梶原は、一筋縄で
はいかない男なのであろう。そういう本性の持ち主としての梶原
を演じるのは、老獪な富十郎が、巧い。花道、幕外の引っ込み
で、富十郎は、梶原の本心を滲ませているように見えた。

梢は、松江時代を含めて今回の魁春は、2回目の拝見である。魁
春は、人妻だけれど、初々しく、多感な梢の性根を演じていたよ
うに思う。段四郎の六郎太夫は、今回で、2回目の拝見。娘梢の
ために、刀を高く売ろうと、最後まで粘り腰を見せていて、武家
出の手強さというか、私には、有能なビジネスマンという感じが
見て取れて、良かったと思う。この役は、亡くなった坂東吉弥
も、巧かった。

「石切梶原」の、もうひとつの見せ場は、剣菱呑助の「酒づく
し」の台詞だが、今回は家橘。これまででは、團蔵、弥十郎の呑
助が良かった。特に、弥十郎の呑助は、絶品だったと、いまも、
思っている。


「高坏(たかつき)」は、3回目の拝見。うち、2回は、勘九郎
時代の勘三郎。今回は、染五郎。ずんぐりした体型の次郎冠者、
勘三郎は、腰が低く、安定しているので、高下駄を履いて踊る
タップダンスが巧かった。父親の先代の勘三郎が得意とした演目
で、先代は、16回演じている。当代の勘三郎は、襲名後は、未
だ、踊っていないが、勘九郎時代に7回演じているという。
1933(昭和8)年に、六代目菊五郎が、初演した新作舞踊。
原作は、久松一声。宝塚歌劇の作者の経歴を持つ。当時流行して
いたタップダンスを取り入れた。喜劇的な長唄の舞踊劇。

舞台は、上手と下手に、柳と桜。奥に、松の巨木の代りに、桜の
巨木。ただし、背景画は、「松羽目もの」の定式とは違って、モ
ダンなタッチ。満開の桜を背景に狂言形式の演出である。花見に
来た大名(友右衛門)が、盃を載せる「高坏」を忘れて来た次郎
冠者に高坏を買いにやらせる。しかし、高坏が、どういうものか
知らない次郎冠者は、通りかかった高足(高下駄)売り(弥十
郎)に騙されて、一対の黒塗りの高足を買わされてしまう。言葉
の巧い高足売りと意気投合した次郎冠者は、ともに、酒を呑み、
酔っぱらった挙げ句、高足でたっぷりタップダンスを興じるとい
うだけのもの。勘三郎に比べて、背が高く、それだけに腰が高い
染五郎だけれど、タップダンスは、無難にこなしていたが、勘三
郎のような愛嬌が滲み出て来ないのが、物足りない。


裏切りに耐えた末、狂気の殺人を犯す「籠釣瓶花街酔醒」


夜の部の最大の見ものは、「籠釣瓶花街酔醒」。「籠釣瓶花街酔
醒」は、6回目の拝見となる。河竹黙阿弥の弟子で、三代目新七
の原作。明治中期初演の世話狂言。江戸時代に実際にあった佐野
次郎左衛門による八ッ橋殺しを元にした話の系譜に属する。

私が観た次郎左衛門:幸四郎(今回含め、2)、吉右衛門
(2)、勘九郎時代含め勘三郎(2)。八ッ橋:雀右衛門、玉三
郎(3)、福助(今回含め、2)。20年前が、最後の舞台だっ
た「伝説」の六代目歌右衛門の八ッ橋を観ていないのが、残念。

江戸時代のディズニーランド・吉原のガイドブックのような作
品。吉原といえば、「助六」こそが、吉原という街そのものを副
主人公とした芝居として、私などの頭には、すぐに浮かんで来
る。「助六」が、吉原の大店の「店先」を舞台にした芝居だとす
れば、「籠釣瓶花街酔醒」は、吉原のメインストリートから始
まって、大店の店先、遣り手の部屋、大衆向けの廻し部屋、
VIP用の花魁の部屋など、吉原の大店の内部を案内する芝居だ
ということができる。

「籠釣瓶花街酔醒」自体のストーリー展開は、花魁に裏切られた
実直男の復讐譚で、陰惨な話なのだが、「吉原細見」、つまり、
「吉原案内」という観点で、人物より、場にこだわって舞台を観
れば、華やかな場面が、テンポ良く、廻り舞台のリズムに乗っ
て、小気味好く繰り広げられるという、いまなら、さしずめ、
ディズニーランドの紹介ビデオを見るような心地よさが残る演目
なのだと思う。この二重性の持つおもしろさは、歌舞伎ならでは
の味だろうと思う。

開幕前に場内は、真っ暗闇になる。暗闇のなかを定式幕が、引か
れてゆく音が、下手から上手へと移動する。そして、止め柝。
パッと明かりがつく。

序幕、吉原仲之町見染の場は、桜も満開に咲き競う、華やかな吉
原のいつもの場面。花道から下野佐野の絹商人・次郎左衛門(幸
四郎)と下男・治六(段四郎)のふたりが、白倉屋万八(三津之
助)に案内されてやってくる。それを見掛けた立花屋主人・長兵
衛(彦三郎)が、捌き役で登場。田舎者から法外な代金を取る客
引きの白倉屋から、吉原不案内のふたりを助ける。

やがて、ふたりは、花魁道中に出くわす。最初は、花道から九重
(東蔵)一行17人、さらに、舞台中央奥から八ッ橋(福助)一
行24人が花魁道中を披露する。八ッ橋一行のなかに、芸者役の
芝のぶがいる。

贅言:3年前(05年)の4月歌舞伎座は、十八代目勘三郎襲名
披露の舞台だったから、花魁道中も1組多く、七越(勘太郎)一
行13人、八ッ橋(玉三郎)一行22人、九重一行(魁春)18
人だった。花魁道中は、興行、あるいは、演じる役者の系統な
ど、舞台裏の事情も含めて、行列の長さが違う。
 
六代目歌右衛門が、「伝説」になったように、最大の見せ場は、
八ッ橋の花道七三での笑いだ。この笑顔は、田舎者が、初めての
吉原見物で、ぼうとしている次郎左衛門を見て、微苦笑してい
る。魂が、抜き取られたような、次郎左衛門の表情。彼女の美貌
に見とれている男に、あるいは、将来客になるかもしれないと、
愛想笑いをしているのだが、それだけではない。さらに、あれ
は、客席の観客たちに向けた真女形役者のサービスの笑い、会心
の笑いでもあるのだ。こういう演出は、六代目歌右衛門が始めた
という。この笑いは、玉三郎も、雀右衛門も、ちょっと違うよう
な気がする。今回の福助も、また、違うように思う。

六代目歌右衛門が演じたときの、この笑いがなんとも言えなかっ
たと他人(ひと)は、言うが、私は、生の舞台で六代目の八ッ橋
を観たことがないので、判らない。かなり、意図的な笑いを演じ
たようで、3回観た玉三郎も、その系譜で演じているように思
う。しかし、97年、99年、05年と3回観た玉三郎の笑顔
は、確かに綺麗だが、まだ、会心の八ッ橋の笑顔には、なってい
ないように感じた。それほど、このときの笑顔は難しいのだろう
と思う。六代目の微苦笑を再現するのは、だれが、いつやるのだ
ろうか。今後に、期待したい。

二幕目、第一場。半年後、立花屋の見世先。吉原に通い慣れた次
郎左衛門が、仲間の絹商人を連れて八ッ橋自慢に来る場面だ。そ
の前に、八ッ橋の身請けの噂を、どこかで聞きつけて、親元代わ
りとして立花屋に金をせびりに来たのが、無頼漢の釣鐘権八(市
蔵)。権八は、姫路藩士だった八ッ橋の父親に仕えていた元中
間。主人の娘を苦界に沈めた悪。釣鐘権八役は、芦燕が巧かっ
た。最近、お見かけしないが、どうされたのか。

権八は、八ッ橋の色である浪人・繁山栄之丞(染五郎)に告げ口
をして、後の、次郎左衛門縁切りを唆す重要な役回りだ。やが
て、絹商人仲間を連れて立花屋に上がった次郎左衛門は、八ッ橋
を皆に紹介して、得意絶頂の場面となる。ここまでは、幸四郎も
明るい。

二幕目、第二場の、地味な大音寺前浪宅。染五郎の栄之丞登場。
ここは、いわば、中継ぎ。三幕目、第一場。兵庫屋二階の遣手部
屋、第二場。同じく廻し部屋の場面へ。第三場は、兵庫屋八ッ橋
部屋縁切りの場。下手、押入れの布団にかけた唐草の大風呂敷、
衣桁にかけた紫の打ち掛け。上手、銀地の襖には、八つ橋と杜若
の絵。幇間らが、座敷を賑やかにしている。「吉原案内」の華や
ぎを載せた舞台は、テンポ良く、右へ、右へと、繰る繰る廻る。
いずれも、吉原の風俗が、色濃く残っている貴重な場面。廻り灯
籠のようだ。

場の華やぎとは、裏腹に、人間界は、暗転する。やがて、浮かぬ
顔でやって来た八ッ橋の愛想尽かしで、地獄に落ちる次郎左衛
門。この芝居の最大の見せ場だ。そういう男の変化を幸四郎は、
思い入れたっぷり、太い実線で絵を書くように、ぐいぐい演じて
行く。

大向こうからの「待ってました」の声の後、「花魁、そりゃあ
〜、あんまり、そでなかろう〜ぜ〜……」という科白を、幸四郎
は、かなり、唄い上げていた。思い入れ、たっぷり、じっくり
で、ここで、幸四郎ファンとアンチ幸四郎が、分かれるから、お
もしろい。

部屋の様子を見に来た廊下の栄之丞と次郎左衛門の目と目が合
う。八ッ橋の愛想尽かしの真意が、一気に腑に落ちたという表情
の次郎左衛門。「身請けは、思いとどまった」。幸四郎の声は、
震えている。「ひとまず、国へ帰るとしましょう……ぜ」。

大詰。さらに、4ヶ月後。立花屋の二階。妖刀「籠釣瓶」を隠し
持った次郎左衛門が、久しぶりに立花屋を訪れる。次郎左衛門の
執念深い復讐。妖刀の力を借りて、善人は、狂気の悪人に変身。
歌舞伎の男女の仲の濃厚さを示す背中合わせの場面も、忽ち崩れ
る。八ッ橋の気を逸らせておいて、足袋を脱ぐ次郎左衛門。血糊
で足が滑らぬように、周到に準備。幸四郎の、「ぐいぐい」は、
続く。

顧客を騙した疾しさから、いつもより、余計に可憐に振舞う八ッ
橋。「この世の別れだ。飲んでくりゃれ」という次郎左衛門から
殺意が迸る。それに気付いて、怪訝な表情の八ッ橋。武家の娘か
ら遊女に落ち、愛する男のために実直な田舎者を騙した疚しさを
自覚している八ッ橋。福助は、それを過不足なく表現する。

「世」とは、まさに、男女の仲のこと。「世の別れ」とは、男女
関係の崩壊宣言に等しい。崩壊は、やがて、薄暮の殺人へ至る。
場面は、破滅に向かって、急展開する。裏切られた実直男ほど、
恐いものはない。村正の妖刀「籠釣瓶」を持っているから、な
お、怖い。黒にぼかしの裾模様の入った打ち掛け(裾には、海と
岩の風景)で、後の立ち姿のまま、背中から斬られる八ッ橋の哀
れさ。逆海老反りになり、徐々に、綺麗に崩れ落ちる福助。これ
は、巧い。前回も、今回も、ここでは、拍手が来た。48歳なの
に、日頃から鍛えているのだろう、柔軟な身体は、福助の売り
物。この柔軟さは、当代の、真女形、随一か。玉三郎も、もう、
ここまでは出来ないだろう。いずれ、菊之助が、八ッ橋を演じる
ようになると、代わられるかも知れないが、当面は、この場面
は、福助が追従を許さないのでは無いか。

薄闇のなまで、妖刀に引きずられて、どんどん濃くなる吉右衛門
の狂気は、引き続いて、灯りを持って、部屋に入って来た女中お
咲(京妙)をも、斬り殺す。憎悪から狂気へ、無軌道の殺人へ。
殺しの美学は、殺される女形の身体で、表現される。

「籠釣瓶は、斬れるなあ〜」と妖刀を観客席に突き出すようにし
て、狂気に魅入られている幸四郎の目。こういうのも、幸四郎は
巧い。

大詰の、次郎左衛門の狂気の笑い。序幕の、花道での八ッ橋の微
苦笑。ふたつの「笑い」の間に、悲劇が生まれた。時の鐘、柝、
幕。

私が2回ずつ観た3人の次郎左衛門は、幸四郎、吉右衛門、勘九
郎時代を含む勘三郎。幸四郎は、陰惨な色合いが、濃くなる大詰
が良い。実線で、しかも、線が太い幸四郎。前半と後半の振幅
が、大きい。前半が、コミカルで、巧いのは、勘三郎。軽やか
な、点線という感じ。全体通しでは、バランスの良いのが、吉右
衛門だ。線は、細いが、きちんと実線が続いている。初代の吉右
衛門が、この芝居では、哀愁があったという。今回の幸四郎は、
哀愁より、狂気の表出に力が入っているように見受けられた。
- 2008年12月18日(木) 18:21:43
08年12月歌舞伎座 (夜/「名鷹誉石切」「高坏」「籠釣瓶
花街酔醒」)


さすが、富十郎、ゆるり梶原


「名鷹誉石切」は、「梶原平三誉石切」の富十郎版の外題であ
る。「梶原平三誉石切」は、9回目。私が見た梶原は、幸四郎
(2)、吉右衛門(2)、仁左衛門(2)、富十郎(今回含め、
2)、團十郎。

定式幕が、開くと、浅黄幕が舞台を覆っている。無人の舞台に、
置き浄瑠璃。浅黄幕が、振り落とされると、鶴ヶ岡八幡の社頭の
場で、参詣に来た平家方の大名・大庭三郎(梅玉)一行が、立っ
ている。やがて、同じく平家方の梶原平三(富十郎)一行の花道
の出。両者で、一献。そこへ、青貝師・六郎太夫と娘の梢が、大
名に刀を売り付けようとやって来る。青貝とは、螺鈿の材料とな
る貝。青貝師とは、螺鈿細工師のことか。

梶原の仕どころは、花道の出、刀の目利き、二つ胴、物語(平家
方ながら、石橋山で源頼朝を救う)、石切、花道幕外の引っ込み
と幾つかあるが、ハイライトは、やはり、石切。

その「石切」の場面には、型が3つあるという。初代吉右衛門
型、初代鴈治郎型、十五代目羽左衛門型。その違いは、石づくり
の手水鉢を斬るとき、梶原が、手水鉢に向って行くので、客席に
後ろ姿を見せるのが吉右衛門型で、鴈治郎型は、手水鉢の向うに
廻って、客席に前を見せる上、場所が鶴ヶ岡八幡ではなく、原作
通りの鎌倉星合寺である。羽左衛門型は、手水鉢の向うに廻り、
さらに、六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、
手水鉢の水にふたりの影を映した上で、鉢を斬る場面を前向きで
見せた後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出してくる。桃
太郎のようだと批判されたという演出だ。

今回の富十郎だが、私は、10年前に1回観ている。私の記録で
は、前回の富十郎は、鴈治郎型だったが、場所は鶴ヶ岡八幡で
あったと書いている。つまり、手水鉢の向うに廻って、斬るだけ
で、手水鉢の間からは、飛び出して来なかったのだろう。今回の
富十郎は、羽左衛門型で、手水鉢の向うに廻り、さらに、六郎太
夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、手水鉢の水にふ
たりの影を映した上で、手水鉢を斬る場面を前向きで見せた。し
かし、その後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出してくる
のではなく、ゆるりと歩いて出て来た。富十郎の楽屋話を読む
と、1952(昭和27)年、22歳で、大阪中座で初演したと
きから、武智鉄二の指導で、羽左衛門型でやていると言っている
ので、私の記憶違いかもしれない。いずれにせよ、大雑把に言っ
てしまえば、鴈治郎型と羽左衛門型の違いは、場所が、鎌倉星合
寺か鶴ヶ岡八幡かということと石の手水鉢を斬った直後、手水鉢
の向う側に止まるか、ふたつに分かれた手水鉢の間から、飛び出
して来るかという違いだろう。

幸四郎、吉右衛門のふたりは、吉右衛門型であった。仁左衛門
は、羽左衛門型で、颯爽と飛び出してきた。團十郎は、羽左衛門
型だったが、手水鉢の間から「よろよろ」と出てきた。そういう
風に整理してみると、今回の富十郎は、團十郎に近いと言える。
「よろよろ」の代りに、「ゆるりと」出て来た。仁左衛門と同じ
ように颯爽と飛び出した方が良かったのではないかとも、思う
し、人間国宝・富十郎としては、老境の、ゆるりとした持ち味
で、やるのも、良いかなとも思う。10年ぶりに観た富十郎の梶
原は、全体を通じても、ほかの役者が芝居をしている時に、舞台
のほぼ中央で、あまり動かず、すべてを肚で受け止めているよう
な感じで、ゆるりと静止しているのが、なんとも言えず、良かっ
たと思う。役者は、型を大事にしながらも、年齢、体調、芸の工
夫などで、演技を変えるのだろう。それはそれで、良いことだ。

これより先の、「刀の目利き」では、まず、梶原は、袋から刀の
柄の部分を出す。鞘の部分は袋に入れたままで袋を折り返して紐
で縛る。その縛り方が整然としていて見事。目利きの場面では、
懐紙を口に銜えて、まず、刀を上下逆に持ち、鞘を袋ごと下から
上に抜いてゆく。この間、梶原は目を瞑っている。やがて、刀を
鞘から抜き終わると、目を開けて、縦にした刀身を下から上に
じっくりと見る。次いで、刀身を横にする。今度は、刀身の切っ
先から、つまり、刀身の上から下にじっくりと見る。さらに、再
び、刀の切っ先を前に、刀身を縦にして、刀の背から刀身全体を
じっくり見る。見据える目に富十郎の芸を積み重ねて来た時間の
長さが滲む。

また、「二つ胴」では、上で仰向けになっている囚人の剣菱呑助
(家橘)の胴を斬るが、下で俯せになっている六郎太夫(段四
郎)については、彼を縛っていた縄目だけを斬る。掛け声と刀の
動きが、石切と違う芸の見せ所で、富十郎の梶原は、刀を斜めか
ら振り下ろし、呑助の胴に刃を「タン」という感じで、当てるだ
けで斬る。以前観た團十郎の梶原は、呑助の身体で刀身を、いわ
ば「バウンド」させるようにした。つまり、刃を一旦呑助の身体
に降り下ろしながら、すぐに持ち上げる。その結果、呑助の胴
は、まっぷたつに斬れるが、下の六郎太夫は、後ろ手に縛られて
いた縄目のみが切られて、六郎太夫は、無事で、かすり傷さえな
いと言うようにしていた。

歌舞伎では、梶原平三は、いつもの憎まれ役だが、この舞台で
は、颯爽としている。しかし、刀の目利きを頼まれ、六郎太夫が
持ってきた刀が余りの名刀(「八幡」の刻印が刻まれている重代
の名刀。六郎太夫は、実は、源氏方の武将三浦大助の子で、それ
ゆえに、「八幡」という銘が刀身に刻まれていて、梶原は、目利
きの際に、すでに六郎太夫の正体と刀を売り急ぐ事情を察知した
ということになっている)だったので、大庭三郎(梅玉)や俣野
五郎(染五郎)を騙して、「二つ胴」をわざと失敗して見せる。
その上で、自分の本心を聞かせ(物語)、六郎太夫を安心させ
て、その後で、石の手水鉢を斬って見せる。そして、自分でその
名刀を手に入れると言うことだから、やはり、梶原は、一筋縄で
はいかない男なのであろう。そういう本性の持ち主としての梶原
を演じるのは、老獪な富十郎が、巧い。花道、幕外の引っ込み
で、富十郎は、梶原の本心を滲ませているように見えた。

梢は、松江時代を含めて今回の魁春は、2回目の拝見である。魁
春は、人妻だけれど、初々しく、多感な梢の性根を演じていたよ
うに思う。段四郎の六郎太夫は、今回で、2回目の拝見。娘梢の
ために、刀を高く売ろうと、最後まで粘り腰を見せていて、武家
出の手強さというか、私には、有能なビジネスマンという感じが
見て取れて、良かったと思う。この役は、亡くなった坂東吉弥
も、巧かった。

「石切梶原」の、もうひとつの見せ場は、剣菱呑助の「酒づく
し」の台詞だが、今回は家橘。これまででは、團蔵、弥十郎の呑
助が良かった。特に、弥十郎の呑助は、絶品だったと、いまも、
思っている。


「高坏(たかつき)」は、3回目の拝見。うち、2回は、勘九郎
時代の勘三郎。今回は、染五郎。ずんぐりした体型の次郎冠者、
勘三郎は、腰が低く、安定しているので、高下駄を履いて踊る
タップダンスが巧かった。父親の先代の勘三郎が得意とした演目
で、先代は、16回演じている。当代の勘三郎は、襲名後は、未
だ、踊っていないが、勘九郎時代に7回演じているという。
1933(昭和8)年に、六代目菊五郎が、初演した新作舞踊。
原作は、久松一声。宝塚歌劇の作者の経歴を持つ。当時流行して
いたタップダンスを取り入れた。喜劇的な長唄の舞踊劇。

舞台は、上手と下手に、柳と桜。奥に、松の巨木の代りに、桜の
巨木。ただし、背景画は、「松羽目もの」の定式とは違って、モ
ダンなタッチ。満開の桜を背景に狂言形式の演出である。花見に
来た大名(友右衛門)が、盃を載せる「高坏」を忘れて来た次郎
冠者に高坏を買いにやらせる。しかし、高坏が、どういうものか
知らない次郎冠者は、通りかかった高足(高下駄)売り(弥十
郎)に騙されて、一対の黒塗りの高足を買わされてしまう。言葉
の巧い高足売りと意気投合した次郎冠者は、ともに、酒を呑み、
酔っぱらった挙げ句、高足でたっぷりタップダンスを興じるとい
うだけのもの。勘三郎に比べて、背が高く、それだけに腰が高い
染五郎だけれど、タップダンスは、無難にこなしていたが、勘三
郎のような愛嬌が滲み出て来ないのが、物足りない。


裏切りに耐えた末、狂気の殺人を犯す「籠釣瓶花街酔醒」


夜の部の最大の見ものは、「籠釣瓶花街酔醒」。「籠釣瓶花街酔
醒」は、6回目の拝見となる。河竹黙阿弥の弟子で、三代目新七
の原作。明治中期初演の世話狂言。江戸時代に実際にあった佐野
次郎左衛門による八ッ橋殺しを元にした話の系譜に属する。

私が観た次郎左衛門:幸四郎(今回含め、2)、吉右衛門
(2)、勘九郎時代含め勘三郎(2)。八ッ橋:雀右衛門、玉三
郎(3)、福助(今回含め、2)。20年前が、最後の舞台だっ
た「伝説」の六代目歌右衛門の八ッ橋を観ていないのが、残念。

江戸時代のディズニーランド・吉原のガイドブックのような作
品。吉原といえば、「助六」こそが、吉原という街そのものを副
主人公とした芝居として、私などの頭には、すぐに浮かんで来
る。「助六」が、吉原の大店の「店先」を舞台にした芝居だとす
れば、「籠釣瓶花街酔醒」は、吉原のメインストリートから始
まって、大店の店先、遣り手の部屋、大衆向けの廻し部屋、
VIP用の花魁の部屋など、吉原の大店の内部を案内する芝居だ
ということができる。

「籠釣瓶花街酔醒」自体のストーリー展開は、花魁に裏切られた
実直男の復讐譚で、陰惨な話なのだが、「吉原細見」、つまり、
「吉原案内」という観点で、人物より、場にこだわって舞台を観
れば、華やかな場面が、テンポ良く、廻り舞台のリズムに乗っ
て、小気味好く繰り広げられるという、いまなら、さしずめ、
ディズニーランドの紹介ビデオを見るような心地よさが残る演目
なのだと思う。この二重性の持つおもしろさは、歌舞伎ならでは
の味だろうと思う。

開幕前に場内は、真っ暗闇になる。暗闇のなかを定式幕が、引か
れてゆく音が、下手から上手へと移動する。そして、止め柝。
パッと明かりがつく。

序幕、吉原仲之町見染の場は、桜も満開に咲き競う、華やかな吉
原のいつもの場面。花道から下野佐野の絹商人・次郎左衛門(幸
四郎)と下男・治六(段四郎)のふたりが、白倉屋万八(三津之
助)に案内されてやってくる。それを見掛けた立花屋主人・長兵
衛(彦三郎)が、捌き役で登場。田舎者から法外な代金を取る客
引きの白倉屋から、吉原不案内のふたりを助ける。

やがて、ふたりは、花魁道中に出くわす。最初は、花道から九重
(東蔵)一行17人、さらに、舞台中央奥から八ッ橋(福助)一
行24人が花魁道中を披露する。八ッ橋一行のなかに、芸者役の
芝のぶがいる。

贅言:3年前(05年)の4月歌舞伎座は、十八代目勘三郎襲名
披露の舞台だったから、花魁道中も1組多く、七越(勘太郎)一
行13人、八ッ橋(玉三郎)一行22人、九重一行(魁春)18
人だった。花魁道中は、興行、あるいは、演じる役者の系統な
ど、舞台裏の事情も含めて、行列の長さが違う。
 
六代目歌右衛門が、「伝説」になったように、最大の見せ場は、
八ッ橋の花道七三での笑いだ。この笑顔は、田舎者が、初めての
吉原見物で、ぼうとしている次郎左衛門を見て、微苦笑してい
る。魂が、抜き取られたような、次郎左衛門の表情。彼女の美貌
に見とれている男に、あるいは、将来客になるかもしれないと、
愛想笑いをしているのだが、それだけではない。さらに、あれ
は、客席の観客たちに向けた真女形役者のサービスの笑い、会心
の笑いでもあるのだ。こういう演出は、六代目歌右衛門が始めた
という。この笑いは、玉三郎も、雀右衛門も、ちょっと違うよう
な気がする。今回の福助も、また、違うように思う。

六代目歌右衛門が演じたときの、この笑いがなんとも言えなかっ
たと他人(ひと)は、言うが、私は、生の舞台で六代目の八ッ橋
を観たことがないので、判らない。かなり、意図的な笑いを演じ
たようで、3回観た玉三郎も、その系譜で演じているように思
う。しかし、97年、99年、05年と3回観た玉三郎の笑顔
は、確かに綺麗だが、まだ、会心の八ッ橋の笑顔には、なってい
ないように感じた。それほど、このときの笑顔は難しいのだろう
と思う。六代目の微苦笑を再現するのは、だれが、いつやるのだ
ろうか。今後に、期待したい。

二幕目、第一場。半年後、立花屋の見世先。吉原に通い慣れた次
郎左衛門が、仲間の絹商人を連れて八ッ橋自慢に来る場面だ。そ
の前に、八ッ橋の身請けの噂を、どこかで聞きつけて、親元代わ
りとして立花屋に金をせびりに来たのが、無頼漢の釣鐘権八(市
蔵)。権八は、姫路藩士だった八ッ橋の父親に仕えていた元中
間。主人の娘を苦界に沈めた悪。釣鐘権八役は、芦燕が巧かっ
た。最近、お見かけしないが、どうされたのか。

権八は、八ッ橋の色である浪人・繁山栄之丞(染五郎)に告げ口
をして、後の、次郎左衛門縁切りを唆す重要な役回りだ。やが
て、絹商人仲間を連れて立花屋に上がった次郎左衛門は、八ッ橋
を皆に紹介して、得意絶頂の場面となる。ここまでは、幸四郎も
明るい。

二幕目、第二場の、地味な大音寺前浪宅。染五郎の栄之丞登場。
ここは、いわば、中継ぎ。三幕目、第一場。兵庫屋二階の遣手部
屋、第二場。同じく廻し部屋の場面へ。第三場は、兵庫屋八ッ橋
部屋縁切りの場。下手、押入れの布団にかけた唐草の大風呂敷、
衣桁にかけた紫の打ち掛け。上手、銀地の襖には、八つ橋と杜若
の絵。幇間らが、座敷を賑やかにしている。「吉原案内」の華や
ぎを載せた舞台は、テンポ良く、右へ、右へと、繰る繰る廻る。
いずれも、吉原の風俗が、色濃く残っている貴重な場面。廻り灯
籠のようだ。

場の華やぎとは、裏腹に、人間界は、暗転する。やがて、浮かぬ
顔でやって来た八ッ橋の愛想尽かしで、地獄に落ちる次郎左衛
門。この芝居の最大の見せ場だ。そういう男の変化を幸四郎は、
思い入れたっぷり、太い実線で絵を書くように、ぐいぐい演じて
行く。

大向こうからの「待ってました」の声の後、「花魁、そりゃあ
〜、あんまり、そでなかろう〜ぜ〜……」という科白を、幸四郎
は、かなり、唄い上げていた。思い入れ、たっぷり、じっくり
で、ここで、幸四郎ファンとアンチ幸四郎が、分かれるから、お
もしろい。

部屋の様子を見に来た廊下の栄之丞と次郎左衛門の目と目が合
う。八ッ橋の愛想尽かしの真意が、一気に腑に落ちたという表情
の次郎左衛門。「身請けは、思いとどまった」。幸四郎の声は、
震えている。「ひとまず、国へ帰るとしましょう……ぜ」。

大詰。さらに、4ヶ月後。立花屋の二階。妖刀「籠釣瓶」を隠し
持った次郎左衛門が、久しぶりに立花屋を訪れる。次郎左衛門の
執念深い復讐。妖刀の力を借りて、善人は、狂気の悪人に変身。
歌舞伎の男女の仲の濃厚さを示す背中合わせの場面も、忽ち崩れ
る。八ッ橋の気を逸らせておいて、足袋を脱ぐ次郎左衛門。血糊
で足が滑らぬように、周到に準備。幸四郎の、「ぐいぐい」は、
続く。

顧客を騙した疾しさから、いつもより、余計に可憐に振舞う八ッ
橋。「この世の別れだ。飲んでくりゃれ」という次郎左衛門から
殺意が迸る。それに気付いて、怪訝な表情の八ッ橋。武家の娘か
ら遊女に落ち、愛する男のために実直な田舎者を騙した疚しさを
自覚している八ッ橋。福助は、それを過不足なく表現する。

「世」とは、まさに、男女の仲のこと。「世の別れ」とは、男女
関係の崩壊宣言に等しい。崩壊は、やがて、薄暮の殺人へ至る。
場面は、破滅に向かって、急展開する。裏切られた実直男ほど、
恐いものはない。村正の妖刀「籠釣瓶」を持っているから、な
お、怖い。黒にぼかしの裾模様の入った打ち掛け(裾には、海と
岩の風景)で、後の立ち姿のまま、背中から斬られる八ッ橋の哀
れさ。逆海老反りになり、徐々に、綺麗に崩れ落ちる福助。これ
は、巧い。前回も、今回も、ここでは、拍手が来た。48歳なの
に、日頃から鍛えているのだろう、柔軟な身体は、福助の売り
物。この柔軟さは、当代の、真女形、随一か。玉三郎も、もう、
ここまでは出来ないだろう。いずれ、菊之助が、八ッ橋を演じる
ようになると、代わられるかも知れないが、当面は、この場面
は、福助が追従を許さないのでは無いか。

薄闇のなまで、妖刀に引きずられて、どんどん濃くなる吉右衛門
の狂気は、引き続いて、灯りを持って、部屋に入って来た女中お
咲(京妙)をも、斬り殺す。憎悪から狂気へ、無軌道の殺人へ。
殺しの美学は、殺される女形の身体で、表現される。

「籠釣瓶は、斬れるなあ〜」と妖刀を観客席に突き出すようにし
て、狂気に魅入られている幸四郎の目。こういうのも、幸四郎は
巧い。

大詰の、次郎左衛門の狂気の笑い。序幕の、花道での八ッ橋の微
苦笑。ふたつの「笑い」の間に、悲劇が生まれた。時の鐘、柝、
幕。

私が2回ずつ観た3人の次郎左衛門は、幸四郎、吉右衛門、勘九
郎時代を含む勘三郎。幸四郎は、陰惨な色合いが、濃くなる大詰
が良い。実線で、しかも、線が太い幸四郎。前半と後半の振幅
が、大きい。前半が、コミカルで、巧いのは、勘三郎。軽やか
な、点線という感じ。全体通しでは、バランスの良いのが、吉右
衛門だ。線は、細いが、きちんと実線が続いている。初代の吉右
衛門が、この芝居では、哀愁があったという。今回の幸四郎は、
哀愁より、狂気の表出に力が入っているように見受けられた。
- 2008年12月18日(木) 18:21:25
08年12月歌舞伎座 (昼/「高時」「京鹿子娘道成寺」「佐
倉義民伝」)


「反権力」の新歌舞伎「高時」


「新歌舞伎十八番」の「高時」は、3回目の拝見である。北条高
時を演じたのは、私が観た順番では、羽左衛門、橋之助、そし
て、今回は、梅玉である。羽左衛門の高時は、重厚な演技であっ
たのを覚えている。3回観たなかでは、相変わらず、羽左衛門
が、群を抜いている。

「高時」は、政府の欧化主義に共鳴をし、歌舞伎の国劇化を目指
した九代目團十郎が、「史劇」(後に、「活歴(かつれき)も
の」と総括された。活きた歴史劇。あるいは、史=死という音を
嫌い、演技担ぎで、死の対極、活き=活(かつ)としたのかもし
れない)の創作に情熱を燃やした絶頂期の作品と言われるもの
で、当時の識者であった有職故実の学者、画家、劇文学者らをブ
レーンとして作った「求古(きゅうこ)会」の時代考証や意見を
取り入れて作り上げた出し物。「求古会」が、とりまとめた原案
を元に、九代目が、黙阿弥に台本を書かせたというが、黙阿弥
は、「芝居にならなくて困る」と弟子にこぼしていたと伝えられ
る。ここで言う「芝居」とは、もちろん、歌舞伎の意味である。
九代目が、演劇改良運動のシンボルとして制定した「新歌舞伎十
八番」のうちのひとつが、この「高時」である。黙阿弥が、歌舞
伎にならないと言ったのにもかかわらず、九代目は、幕末に亡く
なった七代目(1791年ー1859年)が制定した「歌舞伎十
八番」の向うを張って、「新歌舞伎十八番」に押し込んだのが、
「高時」である。八代目が、若くして、自殺しているので、九代
目(1838年ー1903年)は、自分が、21歳の時に亡く
なった七代目に、あるいは、「ライバル心」を燃やしていたのか
も知れない。

贅言1):演劇改良運動では、荒唐無稽な大衆劇としての歌舞伎
(旧劇)では無く、オペラのような世界に通用する歌劇としての
歌舞伎つくり(新劇)を目指そうという高邁な意志があったが、
史実に則った歴史劇=史劇つくりに止まらず、女形の代りに女優
を使う、舞台の上の、竹本の太夫や黒衣を不合理としたことなど
から、「行き過ぎ」た部分があり、大衆の支持を得られず、不評
であった。結局、演劇改良運動を進めた「演劇改良会」が、
1887(明治20)年に、歌舞伎を天覧劇として実現したこと
で、いわゆる「高尚化」を果たしたものの、歌舞伎は、「旧劇」
としての魅力を残したがゆえに、かえって、生き残った。それ
は、能が、足利幕府や秀吉、さらに、家康以来の徳川幕府の歴代
将軍の庇護を受けていたがゆえに明治初期に、「封建時代の権力
者の芸能」として、廃れそうになった後、天覧劇となったこと
で、息を吹き返したのと似ている。

それにしても、「高時」は、「反権力」というテーマが、明確で
ある。まず、幕開き、北条家門前の場で、徳川幕府の五代将軍・
綱吉(継嗣がなく、子宝に恵まれるよう、「犬公方」と渾名され
たほど犬に象徴される生き物を大事にする「生類憐みの令」とい
う悪法の制定者として歴史に名を残した)のような、北条氏九代
目高時の施政方針を、豪華な駕篭に乗せられた「お犬さま」を登
場させることで観客に印象づける。そして、この「お犬さま」
が、幼児を連れた通行人の老婆(歌江病気休演で、歌女之丞代
役)の膝に噛み付くことにより、その直後に通りかかった老婆の
息子の浪人(松江)によって、親を噛まれた仕返しとして、眉間
を鉄扇で討たれて、死んでしまう。老母と子を人質に取られて、
抵抗が出来ないまま、捕らえられた浪人が、高時の家臣・長崎次
郎(錦吾)らに門のなかに引き立てられて行く、という場面は、
制作者のメッセージが、とても、はっきりしている。

贅言2):話は、脇道に逸れる。「菅原伝授手習鑑」である。こ
れは、ご承知のように、菅原道真の配流事件を素材としている。
菅原道真、後に「天神様」として、日本人には、有名で、馴染み
のある神様の一人となった人物をモデルとしている。劇中では、
菅丞相である。時代は、醍醐天皇のときで、901年、藤原時平
と対立した菅原道真は、太宰府に流される。先行作品としては、
近松門左衛門の「天神記」があり、これを下敷きにして、作られ
た。劇中の時代は、平安時代、摂関政治で、天皇に替って、公家
の藤原氏が権力を握っていた。ただし、歌舞伎で取り上げる歴史
は、「通俗日本史」という、エンターテインメントの、今でい
う、「講談のレベル」の、史実(だから、九代目團十郎たちは、
史劇つくりに情熱を燃やした)。時代設定や時代考証は、正確で
は無い。ハッキリ言って、でたらめ。荒唐無稽である。むしろ、
上演された時の、時代背景が、本当の時代背景であろう。例え
ば、「菅原伝授手習鑑」で言えば、初演は、1746年で、徳川
幕府の中期。八代将軍吉宗が、1745年に亡くなり、家重が、
1746年に九代将軍になるが、この人は、障害者で、言語不明
瞭、精神薄弱で、側用人の大岡忠光だけが、将軍の意向を理解し
たと称して、「側近政治」をしていた。「側近政治」は、権力者
のそばにいる側近が、ブレーンとして、権力者を補佐する場合も
あるが、事実上の権力者として、勝手に、政治を動かす場合も
あった。五代将軍綱吉(1080ー1709)は、先に触れたよ
うに「生類憐れみの令」を出して、当時の人々を苦しめた「犬公
方」であり、側近政治を利用して、将軍に替って、実質的に、柳
沢吉保が、権力を握っていた時代が、初演時より、わずか、30
数年前まであったことに気がつけば、「菅原伝授手習鑑」の藤原
時平は、あるいは、柳沢吉保辺りを歌舞伎を見る庶民は、イメー
ジして受け止めていたかも知れない。歌舞伎を上演する側も、観
客の側も、時代設定は、平安時代だが、当時の「現代劇」(ある
いは、40年ほど前の劇)として、綱吉時代の理不尽さを想定、
意識して、観ていたかもしれない。その伝を借りれば、新歌舞伎
とは言え、黙阿弥の手になるだけに、北条高時は、五代将軍綱吉
をイメージしていたかも知れないという想定も成り立ちそうだ。

さて、「高時」の舞台に戻る。築地塀が描かれた道具幕の前で、
無人の舞台があり、下手の大薩摩と上手の竹本の掛け合いが続
く。やがて、道具幕の振り落しで、北条家奥殿内の場となる。こ
こで、歌舞伎の定式を破って、高時(梅玉)が、舞台の上手の柱
に横向きに寄り掛かっている。史劇としてのリアリズムを主張し
た九代目の熱情が象徴されている場面だ。大薩摩連中が、霞幕で
隠されると、長崎次郎が、「ご注進」と、門前の事件を告げに来
る。高時は、やや斜ながら、正面を向き、普通の歌舞伎劇の配置
となる。

そのほか、さまざまな工夫が施されていて、歌舞伎を愚昧な大衆
演劇から、西洋人にも誇れるような国劇へ脱皮させようとした熱
情が秘められている。いまも、これら演出は、受け継がれてい
る。その割に、歌舞伎評論家からの評判は、悪いようだ。それ
も、判るが、それは、後ほど。

舞台中央、正面を向いた愛妾・衣笠(魁春)たちを侍らせ、酒宴
中の高時は、「ご注進」の内容を聞いて、直ちに浪人を死刑にし
ろと命じてしまう。短絡的な人物なのだろう。獣の命より人命を
軽視するようでは、「不仁の君」になってしまうと諌める家臣・
大佛陸奥守(東蔵)の忠言も聞かない。さらに秋田入道(彦三
郎)に月は違うが、「きょうは、先祖の命日」と諌められると、
さすがに、死刑を思いとどまるが、その後、それは、今後の施政
方針であって、今回は、死刑にしろと態度を変える。何処かの総
理大臣のように、軸が定まらない人物のようだ。権力者の横暴ぶ
りを印象づける。高時の、「酌を致せ」と衣笠に命じる科白を合
図に、霞幕が取り除かれ、大薩摩連中が、再び、登場し、今宵の
「月見の宴」の余興として呼ばれた田楽法師たちの登場を待つ
間、衣笠の舞となる。高時は、再び、舞台上手の柱に背を預け、
横向きとなる。

さらに、途中で、雲行きが妖しくなり、灯が、消えてしまう。独
り残された高時の前に、やがて、田楽法師たちの登場となるのだ
が、田楽法師たちに見えているのは、高時の酔眼ばかりで、観客
たちの目には、多数の烏天狗たちの登場となる。先ず、下手か
ら、宙づりの滑車の紐にぶら下がった烏天狗登場。ついで、同じ
方法で、上手から、もう一人登場。舞台奥の仕掛けのある襖が、
回転して、6人の烏天狗たちが、登場する。本舞台を飛び跳ねな
がら、高時となにやら会話をする烏天狗たち。

烏天狗たちは、田楽舞いを舞っているように、高時に錯覚させ
て、遊び戯れながら、何時の間にか、高時を誑かし、翻弄する。
高時の身体を逆さまにしたり、足を蹴飛ばして、倒したりする。
虐げられた人たちの怨念が、烏天狗たちに宿っているのだろう
か。ここにも、反権力のメッセージが込められている。

私には、「今昔物語」などに題材を採った短編小説の味わいを感
じさせたほどの印象を残して、これはこれで、おもしろいと思っ
た。ただし、「活歴もの」共通のことだが、歌舞伎味が乏しいと
いう弱味は、やはり、目につく。黙阿弥が、芝居にならないと歎
いたのも、この辺りだろう。なにしろ、荒唐無稽故の味わいこそ
が、歌舞伎の魅力だろうから。そこを見誤ったのが、「活歴も
の」の弱点だと、私は、思っている。つまり、合理性で歌舞伎を
作り上げると、芝居としての「余白」が、乏しくなり、歌舞伎の
美学が、発揮できなくなり、潤いがなくなる。だから、黙阿弥
は、演劇改良運動に協力しながら、歌舞伎の歴史という長い目で
みれば、そういう運動は、元の木阿弥になるだろうと予見し、
「黙阿弥」というペンネームをつけたという。黙阿弥の予見は、
その後の歌舞伎の歴史が、見事に証明している。


立役の「娘道成寺」の妙味


「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」は、
10回目の拝見だ。私が観た花子役は、勘九郎時代含め勘三郎
(3)、玉三郎、芝翫、菊五郎、福助(芝翫の代役)、雀右衛
門、藤十郎、そして、今回の、三津五郎。この顔ぶれを見れば判
るように、女形か、兼ねる役者かで演じていて、今回の三津五郎
のみ、立役である。三津五郎は、本興行では、初めての「娘道成
寺」を披露する。代々立役で、十代いる三津五郎のうち、初代と
三代目、七代目が、「娘道成寺」を踊ったとして、その型が、口
伝されているという。このうち、七代目は、紀伊国屋型で、道行
を踊ったという。

大曲の踊り「娘道成寺」は、いわば組曲で、「道行、所化たちと
の問答、乱拍子・急ノ舞のある中啓の舞、手踊、振出し笠・所化
の花傘の踊、クドキ、羯鼓(山尽し)、手踊、鈴太鼓、鐘入り、
所化たちの祈り、鱗四天、後ジテの出、押し戻し」などの踊り
が、次々に連鎖して繰り出される。ポンポンという小鼓。テンテ
ンと高い音の大鼓(おおかわ)のテンポも、良く合う。普通は、
鐘入りまでというのが、多い。

今回は、立役の踊る「娘道成寺」であり、それも、坂東流、三代
目三津五郎(深川・永木河岸に住んでいたので、「永木(えい
き)の三津五郎」(1775年ー1831年)と呼ばれた)型の
「娘道成寺」について、記録しておきたい。

舞台は、大きな鐘と紅白の横縞の幕という、いつもの「京鹿子娘
道成寺」の佇まい。鐘を吊る紅白の捩じれた綱が、紅白の横縞の
幕の背景と関係して、紅の幕では、綱の白が、白の幕では、綱の
紅のみが、見えている。紅白の幕の上の、黒い一文字幕では、綱
の紅白が、見えて、おもしろい。

「聞いたか坊主」の所化たちが本舞台に出揃うと、黒衣がふたり
で、木戸を持って出て来る。この木戸は、所化たちと白拍子・花
子の「生娘か白拍子(遊女、つまり、性の経験者)か」などと露
骨に問うなど、問答の場面だけで使われ、許されて花子が木戸の
内に入ると、さっさと、片付けられてしまう。所化のなかに、女
形の芝のぶが、混じっている。なにか、いつもと違う雰囲気の芝
のぶを双眼鏡で、追い掛ける。

贅言:この問答だが、身の下の話題というより、同じ女人でも、
性の経験者(あるいは、性を売り物にしている)か、性体験のな
い処女か、ということで、鐘供養中の、寺側の「禁制」の扱い
が、違っていたから、所化たちは、花子に尋ねたのだろうか。

道行、白拍子・花子の花道の出は、花道だけの踊り。常磐津「道
行丸○字(みちゆきまるにつのもじ)」(「○」の部分は、
「い」に似た特殊な紋様の文字。「い」なので、2本の角(つ
の)なのであろう)を使うのも、坂東流の特徴。古風な振りが、
特徴ということで、衣装も、六代目菊五郎(1885年ー
1949年)が、着て以来、花子役者が、皆、着る黒地に枝垂れ
桜の縫い取りでは無く、赤地に枝垂れ桜という扮装である。坂東
流では、道行は、大人の女(つまり、白拍子、経験者)の気持ち
で踊り、本舞台では、生娘の気持ちで踊ると、伝承されていると
いう。今回、三津五郎は、それをさらに、工夫して、「娘が大人
の女の真似事をしているように」演じたという。「大人の女」
(花道)→「生娘」(本舞台)という口伝を延長して、という
か、逆手にとってというか、「大人の女の真似事をしている生
娘」という、いわば、花道の気分を残したままの本舞台という感
じで、花子を設定して、演じたらしい。

踊りは、私の目には、ほかの役者の振りとそれほど違ったように
は見えないが、当代の三津五郎は、役者の中でも、踊りの名手で
あるだけに、動く身体は、いつも、安定している。特に、横を向
いた時の姿勢が良い。頭から脚まで、縦の軸が、まっすぐになっ
ているのが判る。それでいて、首、肩、手足の動きが、滑らかで
ある。それに、三津五郎は、女形になると、かなり、美形であ
る。新発見。振り、所作の間に、娘らしい愛らしさと年増の色気
の双方が滲み出る。ほかの女形の「娘道成寺」と比べても、遜色
ない。

ただし、「恋の手習いつい見習いて誰に見しょとて紅鉄漿つきょ
うぞ」で、逆海老になるところは、ぎこちなかった。口に手拭を
銜えないのも、坂東流。山尽しの鞨鼓の踊りでは、鞨鼓と膝頭で
拍子を取って行くのは、坂東流独特の振り。さらに、田植をする
早乙女の様子を踊ってみせる鈴太鼓の場面でも、ほかの役者のよ
うに、鈴太鼓を舞台の床に直接当てて、リズムを取るようなこと
は、しなかった。そして、引き抜きで、元の赤地に枝垂れ桜の衣
装に替って、まさに、「振り出しに戻る」。鐘に昇る場面では、
ほかの役者のように、蛇体の本性を象徴する鱗の衣装では無く、
赤地の華やかな衣装のまま、「鐘入り」で、円環を閉じるように
して、閉幕を迎えた。見応えがあった。12月、昼の部の、目玉
は、これであった。

贅言:花子、所化とも、手拭を客席に投げ入れる「プレゼント」
は、なかった。すっきりしてて、良い。


これも、反権力劇「佐倉義民伝」


「佐倉義民伝」は、2回目。戦後63年間で、本興行で12回目
の上演ということで、5、6年に1回という感じでしか演じられ
ない演目。6年前、勘九郎時代の勘三郎の宗吾で観て見ている。
序幕では、印旛沼の渡し、佐倉の木内宗吾内、同裏手へと雪のな
かを舞台が廻り、モノトーンの場面が展開する。二幕目では、1
年後の江戸・上野の寛永寺。多数の大名を連れた四代将軍家綱の
参詣の場面は、錦繍のなかで燦然と輝く朱塗りの太鼓橋である通
天橋(吉祥閣と御霊所を結ぶが、死の世界に通じる橋でもあるだ
ろう)が、舞台上手と下手に大きく跨がり、まさに、錦絵だ(遠
見中央に、寛永寺本堂が望まれる)。やがて、宗吾は、この橋の
下に忍び寄り、橋の上を通りかかる将軍に死の直訴をすることに
なるのだ。雪の白さと錦繍の紅との対比。それは、将軍直訴=死
刑という時代に、故郷と愛しい家族との別れの場面を純愛の白色
(古来、日本では、白は、葬礼=タナトスと婚礼=エロスの色で
あった)、雪の色の白で表わし、迫り来る死の覚悟を血の色の赤
色、紅葉の紅で表わそうとしたのかも知れない。

「印旛沼渡し小屋の場」では、雪の舟溜まりに、小舟が舫ってあ
る。土手には、「印旗の渡」と書かれた柱。隣に、庚申さまの石
碑を祭った祠がある。竹本は、御簾内の語り。役人たちは、宗吾
帰郷警戒する非常線を敷いている。暫くして、宗吾(幸四郎)
が、花道から姿を現す。「願いのために江戸へ出て、思いのほか
に日数を経、忍んで帰る故里も、去年の冬にひきかえて、田畑も
そのまま荒れ果てて、村里ともにしんしんと、人気もおのずと絶
えたるは、多くの人も離散して、他国へ立ち退くものなるか」。
この名科白で、この芝居の原点は、すべて語られている。土手に
上がる傾斜のある道で、滑って転ぶ幸四郎。被っている笠の雪
が、どさりと落ちる。幸四郎は、こういう芝居は、得意だ。今回
は、本興行で、2回目の出演。いつもながら、思い入れたっぷり
に熱演している。将軍への死の直訴を胸に秘め、江戸を中心に
降った大雪を隠れ簑に、一旦、江戸から故郷へ戻り、家族との永
久(とわ)の暇乞いをしようとしている。

この場面は、渡し守の甚兵衛(段四郎)が、肝心だ。段四郎は、
6年前、この役を演じる予定だったが、病気休演で、欠勤。今回
が、初役だ。警戒で見回りに来た役人には、狸寝入りをしていた
と思われる甚兵衛が、恩ある宗吾の声を聞き取ると、慌てて起き
上がり、小屋の戸を開け、急いで、宗吾をなかに引き入れる。小
屋のなかにあった竹笠で、甚兵衛は、焚火を消す。火の灯りが洩
れて役人に宗吾と知られるのを警戒してのようだ。この辺りに、
農民の抵抗劇の色合いが、滲み出ている。やがて、禁を破り、舫
いの鎖を斧で切り離した甚兵衛は、宗吾を乗せて、舟を出す。雪
下ろし、三重にて、舟は、上手へ移動する。ふたりを乗せた舟を
隠すように霏々と降る雪。甚兵衛の命を掛けた誠意が、宗吾の人
柄を浮き上がらせる。段四郎は、「2度目の初役」ということ
で、叮嚀に演じているように見受けられた。史実では、家族と最
期の別れをした宗吾を対岸に送った後、入水自殺をしたという。
印旗沼の畔に甚兵衛翁の碑と供養塔が、今もある。

舞台が廻り、「子別れ」の場面へ。見せ場とあって、竹本も、床
(ちょぼ)の上で、綾太夫の出語りに替る。まず、佐倉の「木内
宗吾内の場」は、珍しく上手に屋根付きもじ張りの門がある。下
手に障子屋体。いずれも、常の大道具の位置とは、逆である。座
敷では、宗吾の女房おさん(福助)が、縫い物をしている。福助
は、2回目。宗吾の子どもたちが、囲炉裡端で遊んでいる。長
男・彦七、次男・徳松に加えて長女・おとうもいる。さらに、障
子屋体に寝ている乳飲み子も。すべて、やがての「子別れ」の場
面を濃厚に演じようという伏線だろう。

歌女之丞、芝喜松、段之、達者な傍役たちが演じる村の百姓の女
房たちが、薄着で震えている。おさんは、宗吾との婚礼のときに
着た着物や男物の袴などを寒さしのぎにと女房たちにくれてや
る。後の愁嘆場の前のチャリ場(笑劇)で、客席を笑わせてお
く。女房たちが、帰った後、上手から宗吾が出て来る。家族との
久々の出逢い。宗吾が脱いだ笠から雪が、再び、ぞろっとすべり
落ちる。

女房との出逢い、目と目を見交わす、濃艶さを秘めた情愛。子ど
もたち一人一人との再会。父に抱き着く子どもたち。子から父へ
の親愛の場面。父から子への情愛。双方向の愛情が交流しあう。
幸四郎は、それぞれをいつもの思い入れで、じっくりと演じて行
く。子役たちも、熱演で応える。

雪に濡れた着物を仕立て下ろしに着替える宗吾。手伝うおさん
は、自分が着ていた半纏を夫に着せかける。福助のおさんは、久
しぶりに触れる夫の身体を愛しんでいるのが判る。しかし、妻と
の交情もほどほどに、宗吾一家の再会は、永遠の別れのための暇
乞いなのだ。宗吾は、下手の障子屋体の小部屋に、なにやらもの
を置いた。自分がいなくなってから、おさんに見せようとした去
り状(縁切り状)だろう。

良く判らない登場人物が、幻の長吉。宗吾と幻の長吉(三津五
郎)とのやりとり、長吉を追う捕り手は、やがて、己にも追っ手
が迫って来る宗吾への危険信号でもある。捕り手に衣類を剥ぎ取
られ、半裸で逃げた長吉の、雪の上に脱ぎ捨てられた下駄が、宗
吾のあすは我が身を伺わせるという演出。幻の長吉は、そういう
劇的効果を狙っただけの役回り。

去り状をおさんに見られた宗吾は、仕方なく、本心を明かす。将
軍直訴は、家族も同罪となるので、家族大事で縁切り状を認めて
いたのだ。離縁してでも、家族を救いたいという宗吾。夫婦とし
て、いっしょに地獄に落ちたいというおさん。その心に突き動か
されて去り状を破り捨てる宗吾。「嬉しゅうござんす」と、背中
から夫に抱き着き、喜びの涙を流す福助も、熱演。

親たちの情愛の交流を肌で感じ、子ども心にも、永遠の別れを予
感してか、次々に、父親に纏わりついて離れようとしない子ども
たち。皆、巧い。「子別れ」は、歌舞伎には、多い場面だが、3
人(正確には、乳飲み子を入れて4人)の子別れは、珍しい。そ
れだけに、こってり、こってり、お涙を誘う演出が続く。役者の
芸で観客を泣かせる場面。実際、客席のあちこちですすり上げる
声が聞こえ出す。幸四郎は、こういう芝居は、自家薬籠中であろ
う。いつものオーバーアクション気味の演技も、今回は、効果
的。泣かせに、泣かせる。特に、長男・彦七は、宗吾の合羽を掴
んで放さない。垣根を壊して、家の裏手へ廻る宗吾の動きに引っ
張られてついて行く。半廻りする舞台。ともに、半廻りして、移
動する父と子。最後は、息子を突き飛ばす父親。雪は、いちだん
と霏々と降り出す。「新口村」のようだ。肉親との別れに、雪
は、効果的だ。別れを隔てる雪の壁。本舞台では、家の中から、
いまや、正面を向いた裏窓の雨戸を開けて、顔を揃えたおさんと
子どもたちが泣叫ぶ。振り切って、花道を逃げるように行く宗
吾。農民の反権力の芝居というより、親子の別れの人情話の印象
が強い。

二幕目「東叡山直訴の場」では、開幕すると、浅葱幕が、舞台全
面を覆い隠している。幕の両脇、上手と下手から出て来る警護の
侍4人。警護の厳しさを強調して、再び、幕内に引っ込むと、浅
葱幕が、振り落とされて、紅葉の寛永寺の場面になる。錦繍のな
かで燦然と輝く朱塗りの太鼓橋である通天橋が、舞台の上手と下
手を結ぶ。将軍・家綱公(染五郎)が、松平伊豆守(弥十郎)ら
大名たちを引き連れて、通天橋を渡って行く。橋の下に現れた宗
吾だが、橋の高さに届かぬ直訴状を折り採った紅葉の小枝に結び
付ける。しかし、還御の際、戻って来て橋の中央、太鼓橋の最も
高い所に立つ将軍に直訴状が届かぬうちに、捕らえられてしま
う。「知恵伊豆」こと、松平伊豆守が、知恵のある裁き方をす
る。つまり、形式的には、直訴御法度なので、受け付けないが、
直訴状の上包み(封)を投げ捨て、中味を袂に入れて、保管する
という見せ場を創る。美味しい役どころ。

この結果、佐倉城主・堀田上野之介の悪政は、将軍家に知られる
ところとなり、領民は救済される。しかし、封建時代は、形式主
義の時代だから、宗吾一家は、離縁をせずに、おさんが覚悟した
ように乳飲み子も含めて家族全員が、皆殺しにされる。

「佐倉義民伝」は、17世紀半ばに起きた史実を基にした芝居だ
が、明治期の九代目團十郎が、志向した史劇では無い。江戸時代
の芝居だ。明治維新まで、あと17年という、1851(嘉永
4)年、江戸中村座で、上演された。原作は、三代目瀬川如皐。
初演時は、「東山桜荘子」(東の国の佐倉の草紙=物語というと
ころか)という外題で、時代物として、舞台も、室町時代に設定
されていた。直訴の場面の演出も、幕府によって、変更させられ
たという。木内宗吾は、本名、木内惣五郎だけに、「惣『五
郎』」で、「五郎」。これは、曾我兄弟の「五郎・十郎」の「五
郎」と同じで、「五郎」=「御霊(ごりょう)」。つまり、御霊
信仰。農村における凶作悪疫の厄を払う、古来の民間信仰に通じ
る。この後、前回の勘九郎主演の時も、今回も、演じられなかっ
たが、「問註所」の裁きの場面、大詰で城主の病気と宗吾一家の
怨霊出現の場面があり、庶民が、溜飲を下げる形になっている。

贅言1):宗吾の故郷、佐倉藩の領地、印旛郡公津村(いまの成
田市)には、没後350年以上経ったいまも宗吾霊堂には、年間
250万人を超える人が、参詣するという。私心を捨て、公民の
ために、己と家族の命を犠牲にした「宗吾様」は、神様なのであ
る。歌舞伎座内で配っていたパンフレットにも、説明は、「宗吾
様」とある。宗吾の決死の行動は、明治の自由民権運動にも影響
を与えたといわれる。明治期に全国で上演された「佐倉義民伝」
は、110回を数えるという。1901(明治34)年、足尾鉱
毒事件で、明治天皇に直訴した田中正造は、木内惣五郎を尊敬し
ていたという。反権力の地下水脈は、滔々と流れていたことにな
る。

贅言2):、今回は、人情劇の色合いが濃い演出になっていた
が、この芝居は、本来、「木綿芝居」という、地味な農民の反権
力の劇である。1945年の敗戦直後に、「忠臣蔵」など切腹の
場面などがある歌舞伎は、戦前の軍国主義を支えた、封建的な演
劇だということで、GHQによって、暫くの期間、禁じられた
が、そういう動きのなかで、「佐倉義民伝」は、デモクラティッ
クな芝居として、敗戦から、わずか3ヶ月後の、11月には、東
京劇場で、上演された。早々と歌舞伎復活の一翼を担ったことに
なる。初代の吉右衛門の宗吾、美貌の三代目時蔵のおさん、初代
吉之丞の甚兵衛、七代目幸四郎の伊豆守、後の十七代目勘三郎の
もしほの家綱などという配役であった。初演時は、磔を背負った
宗吾一家の怨霊がでる演出などがあったという。反権力のメッ
セージも、より明確だったのだろう。
- 2008年12月17日(水) 17:39:23
08年12月国立劇場 (文楽=人形浄瑠璃「寺子屋」「二人三
番叟」)


「二人三番叟」は、五穀豊穣を祈り、更に、芝居小屋の大入満員
を祈るために、「開幕前」に、上演される「寿式三番叟」のバリ
エーション。元々は、能の「翁」の狂言「三番叟」。「三番叟」
は、天下太平、五穀豊穣、芝居繁昌を祷る儀式曲であった。「そ
れ、豊秋津州の大日本、・・・地神の始め天照らす大神」で始ま
り、「神の教への国津民治まる御代こそ目出たけれ」で、終る。

ふたりの三番叟(老人)は、首(かしら)が、検非違使(白塗
り)と又平(砥の粉塗り)と違っている。久しぶりの人形浄瑠璃
鑑賞。今回は、在日フランス人協会の人たち、およそ60人と一
緒に拝見。観劇前に、通訳付きで、1時間余、主に「寺子屋」に
ついて、講演をした。

3人遣いで操られる人形の動き、特に、歩く姿は、人形独特のも
のがある。横を向いた時の前傾姿勢や足捌きは、足遣いとの関係
で、人形浄瑠璃ならではの、闊達さを示す。ふたりの三番叟は、
鈴を打鳴らし、種を播く仕草をし、大地を踏みならし、というよ
うに、まさに、具体的な農作業の動きが、所作の根底にあること
が、判る。又平の三番叟が、途中で、くたびれて座り込んでしま
う場面があり、検非違使の三番叟が、しっかりやれよと激励を
し、観客席の笑いを誘う。人形の動きは、決して、人間の動作を
再現しているのでは無いということが判る。人形の首と身体、手
足のバランスも、人間とは違う。むしろ、人間の動きの延長線上
にあるもの(つまり、人間を超えるもの)を様式化して、表現し
ているということが判る。

「鑑賞教室」なので、途中に、「文楽の魅力」と題する解説があ
り、「義太夫節について」「人形の遣い方」が、説明される。観
客席は、若い人と外国人の団体が、目立つ。


「寺子屋」は、主に、歌舞伎と人形浄瑠璃の違いに注意しながら
拝見した。まず、私が事前のフランス人のために行った講演で
は、次のような内容を主軸としたので、紹介したい。

「寺子屋」は、幾つかの顔を持つ物語:☆恩義を大事にする夫婦
の「恩返し」の物語、☆グロテスクな夫婦の「犯罪」の物語、☆
「身替わり(首実検)」の物語、☆「子殺し」の物語など、いろ
いろ角度を変えて、光を当てると、違った世界が拡がって来る。

そこで、今回は、テーマは、「恩返しの物語」としてみた。但
し、この「恩返しの物語」には、表と裏がある。つまり、「寺子
屋」の光と影が、際立つように説明した。従って、粗筋は、ふた
つ用意した。

1)キーワードは、「恩返し」:源蔵夫婦は、恩義のある菅丞相
の若君・秀才を匿っているが、藤原時平の命を受けて、秀才の首
を差し出さなければならない状況に追い込まれる。しかし、秀才
を助けるために、自分が経営する寺子屋の教え子たちの中から身
替わりを出す決断をし、何故か、その日の朝に、「寺入り(入
学)」した少年の首を刎ねて、一か八かの賭けをする。首実検を
するのは、秀才を良く知っている松王丸。時平の家臣だ。
「松王といふ奴は、三つ子のうちの悪者」(戸浪)。実は、首を
刎ねられた少年は、松王丸の独り息子・小太郎であった。父親の
松王丸は、わが子の首を見ながら、「(秀才に)紛ひなし。相違
なし」と断言をする。つまり、松王丸は、「悪者」から善人に
戻って、時平を裏切る。松王丸は、三つ子たちが、若い頃世話に
なった故に、密かに菅丞相派の一人だったのだ。源蔵も松王丸
も、ともに、菅丞相に恩返しをする。

2)キーワードは、「グロテスク」:源蔵は、「弟子子(でし
こ)は、我が子も同然」で、「to be or not to be」と、ハム
レットのように悩みながらも、「せまじきものは、宮仕え」と言
いながら、最後は、他人の子どもを殺す。殺人の罪がある。更
に、小太郎の母・千代が戻って来たら、「母諸共」に殺そうとさ
え決意する。「気弱うては仕損ぜん」、妻の戸浪も、「鬼になっ
て」と夫と共犯となる決断をする。一方、松王丸は、妻の千代と
計らって、我が子・小太郎を源蔵に殺させるように仕向ける。殺
人の幇助、あるいは、教唆の可能性がある。その上、首実検で
は、偽証をする。これも、今の法律から見れば、犯罪を構成す
る。松王丸には、世話になった菅丞相一家の苦境に何も出来な
い、いわば、マイナスの札を持っているというコンプレックスが
有る。そのマイナスを一気に解消して、プラスに転じようと言う
のが、自分の息子を菅丞相の若君・秀才に「仕立てる」という作
戦なのだ。妻も、同意して、手伝っている。これは、また、グロ
テスクな夫婦ではないか。つまり、二組のグロテスクな夫婦の物
語というわけだ。

「寺子屋」の光と影を解きほぐす鍵となるコンセプトとして、私
が用意したのは、「犠牲と救済」。菅丞相のモデルとなった菅原
道真は、9世紀後半の人。「菅原伝授手習鑑」が、初演された
1746年当時でさえ、900年も昔の人であり、すでに天神様
として、当時の日本人にとって、神格化された存在であった。神
様となる一家を助けるために、他人の子を殺した源蔵夫婦も、我
が子を殺させた松王丸夫婦も、小太郎の犠牲を菅秀才と、さら
に、菅丞相の御台所の二人を救済することで、「穴埋め」をした
つもりなのだろうというロジックだ。原作者は、松王丸に、「利
口な奴。立派な奴。健気な八ツや九ツで、親に代わって恩送り、
お役に立つは孝行者、手柄者」と褒めそやさせて、大団円としよ
うとしたのだ、という説明にした。

その上で、ふたつの設問を用意した。1)それでは、小太郎は、
進んで、親の「犠牲になったのか」、追い詰められて「犠牲にさ
せられたのか」、2)小太郎を殺したのは、誰か。源蔵か、松王
丸か、はたまた、別の大きな力か。

私の解釈:1)松王丸は、小太郎の最期の様子を源蔵に聞き、小
太郎は、菅丞相に世話になった父親のために、恩返しをし、親孝
行をしたと総括しているが、小太郎自身は、犠牲にさせられたの
ではないか。「寺入り」の時、不吉な予感で、「かか様、わしも
往きたい」と母親の跡を追おうとしたでは無いか。「思えば最前
別れた時、いつにないあと追うたを、叱った時のその悲しさ。冥
途の旅へ寺入りと」という千代の証言は、どう受け止めるのか。
源蔵の証言にある「若君の身替わり」と言い聞かしたら、「潔う
差し伸べ」「にっこりと、笑ふて」というのは、大人の解釈では
無いのか。この「段」を書いたのは、竹田出雲と伝えられている
が、並木宗輔=千柳が、改稿したという説もある。宗輔ならば、
母子の情愛を重視するから、その痕跡が残る。千代の証言こそ、
まさに、その痕跡では無いのか。

2)誰が見ても判るように、小太郎殺しを直接手掛けたのは、源
蔵。我が子を身替わりとして殺させるように仕掛けたのは、松王
丸だが、小太郎を殺させるような大状況を作ったのは、藤原時平
ではないのか。だとすれば、少年殺しの真犯人は、権力を笠に着
た藤原時平ではなかったのか。そうだとすれば、本当に「グロテ
スク」なのは、政敵を断罪するだけで無く、一族皆殺しをしよう
と、政敵の息子殺しを命じた権力者の藤原時平ではないか、とい
うのが、私の見解。

しかし、さらに、良く考えてみると、自分が仕える権力者・藤原
時平を欺いて、政敵に密かに親密性を抱き、贋首を権力者の手下
に持たせてやった松王丸の魂胆には、己の哀しみを突き抜けた先
に、権力者に対する、反抗的な「黒い笑い」が、あるように見受
けられるが、いかがであろうか。

但し、その上で、忘れてはならないのは、時代物の人形浄瑠璃、
歌舞伎は、幻想の世界を描いているのであって、余り、理詰め
で、追い込んで行くのは良く無い。現代から見れば、非合理な展
開も、それを補って、あまりある様式美を楽しむことで、相殺さ
れるという側面もあるからだ。


贅言:ついで、人形浄瑠璃と歌舞伎との違いに、改めて、気がつ
いたこと。

*寺入りの「ちゃり(笑劇)」は、歌舞伎の「入れ事」(「丸
本」に無い、付け加え)か。小太郎の寺入りを済ませた母親の千
代が、帰ろうとすると、小太郎は、「一緒に行きたいわいのう」
と言う。「大きな形をしてあと追うか」と母は、たしなめる。こ
の場面を、歌舞伎では、この後、涎くりと三助が、「ちゃり」で
再演をして、観客を笑わせることで、観客の印象を強めている
が、人形浄瑠璃では、その場面がない。

*「かかる所へ春藤玄蕃」で、寺子屋の門前。やがて、駕篭から
出て来た松王丸が、村の寺子たちの顔を改める場面を前に言う科
白。11月の歌舞伎座では、仁左衛門が、「助けて帰る、(咳き
込む)術(て)もあること」と言い、「本音」を誤魔化す咳き込
みという体の演出をする。ところが、人形浄瑠璃の大夫は、「あ
りがたき御意の趣き、おろそかには(咳き)致されず」と、藤原
時平への松王丸の「忠義の強調と自己嫌悪」での咳き込みという
体となる。咳き込み場所一つで、メッセージが異なって来る。

*松王丸の衣装の「雪持松」は、四代目團十郎(ニックネーム
「親玉」、1711ー78)の工夫であった。その後、人形浄瑠
璃でも、この衣装を取り入れた。つまり、歌舞伎から逆輸入であ
る。

*「奥には『ばったり』首討つ音」(歌舞伎では、さらに、暖簾
口の奥で、源蔵役者の「えい」という気合いの声がする)、これ
を聞いて、松王丸はよろめく。一方、「鬼になったはずなのに」
うろうろ落着かない戸浪と松王丸がぶつかる。歌舞伎では、ここ
で、松王丸は、「無礼者め」と叫び、刀を突いて、大見得(クラ
イマックス)をする。まさに、わが子を失った父親の悲愴な叫
び、そうしなければならなかった宿命への憤り(グロテスクな父
親が、普通の父親の素顔を、一瞬覗かせる場面)が噴出するが、
人形浄瑠璃では、この場面は無い。

*源蔵が、白台に首桶を載せて、上手、障子の間から(歌舞伎
は、奥から)出て来る。「菅秀才の御首、討ち奉る」で、人形浄
瑠璃では、玄蕃、松王丸、源蔵の3人が、見得をして、時間を稼
ぎ、大夫が、呼吸を整え直す時間にあて、源蔵は、さらに、松王
丸の下手に廻り、白台ごと首桶を「目通りにさし置」くが、歌舞
伎では、源蔵は、首桶を持って出て、松王丸の前に置く。ここ
で、仁左衛門の型では、松王丸は、首桶の蓋に両手を置き、目を
瞑ったまま、顔を上げて、正面を向いてから、目を開け、それか
らゆっくり、睨み下ろす。人形浄瑠璃では、すぐに「首実検」に
入らず、源蔵は、松王丸に「性根を据ゑて、・・・しっかりと、
検分せよ」と虚勢を張り、答え次第では、斬り付けようと緊張し
ている。松王丸は、仮病の印の紫色の「病巻き」の鉢巻きを取
り、「鉄札か金札か地獄極楽の境」などと言う。歌舞伎では、そ
ういうことはしない。

*松王丸:歌舞伎では、「菅秀才の首に相違ない(源蔵へ)、相
違ござらぬ(玄蕃へ)」とあり、息を抜いて、源蔵がくりと腰を
落す。両者の呼吸が、重要だが、人形浄瑠璃では、「菅秀才の首
討つたは、紛ひなし、相違なし」と自分に言い聞かせるように断
言する。

*11月の歌舞伎座で、源蔵を演じた梅玉は、春藤一行が、去っ
た後、竹の筒の水入れで水を呑むが、これは、九代目團十郎の工
夫で、入れ事。人形浄瑠璃では、源蔵夫婦は、歌舞伎で、戸浪と
松王丸が、ぶつかったように、夫婦でぶつかり、腰を落し、安堵
の場面。模しかすると、この場面が、ヒントになって、歌舞伎
の、松王丸の「無礼者め」という科白とクライマックスの見得の
場面が、工夫されたのかも知れない。

*松王丸の、桜丸にかこつけての「泣き笑い」は、六代目菊五郎
の工夫で、それ以前の名優も、やらなかったし、その後の役者
は、逆に、皆やるようになった演出だが、今回の人形浄瑠璃で
も、津駒大夫は、泣き笑いをしていた。

*歌舞伎では、松王丸夫婦は、本舞台に居ながら、裃も黒装束か
ら、白装束に変わるが、「面痩せ効果」があって良いと思うが、
人形浄瑠璃では、一旦、夫婦は、暖簾口の奥ヘ入り、白装束姿に
なって、出て来る。千代は、髪に角隠しを付けて、全身白無垢
で、官能的でさえある。エロスは、タナトスと同居しているとい
うことが、判る。

*歌舞伎の「寺子屋」は、源蔵の花道の出に工夫がある。揚幕の
音も立てずに出て来て、ハムレットのように悩みながら、足取り
も遅い。ところが、人形浄瑠璃は、花道が無いので、下手の小幕
(上から、豊竹座と竹本座の紋が染め抜かれた濃紺の幕。因に、
上手の小幕は、上から、竹本座と豊竹座の紋が染め抜かれてい
た)から、源蔵は、「常に変はりて色蒼ざめ、内入り悪く子供を
見廻し」で、早々と、寺子屋に入ってしまい、子供らの顔を見廻
す。つまり、ここも、歌舞伎になって工夫した、入れ事。歌舞伎
の、長い花道では、歩くことそのものが、藝になっているからで
ある。

*11月の歌舞伎座では、「いろは送り」の場面で、割り科白
(一つの科白を交互に言う)あるいは、渡り科白(一つの科白を
順番に言う)ではなく、綾太夫の美声で、「唄わせていた」が、
これは、人形浄瑠璃の演出と同じ。「冥途の旅へ寺入りの」と千
代の科白と同じ表現を繰り返した上で、「賽の河原で砂手本。い
ろは書く子を敢えなくも、散りぬる命、是非もなや。あすの夜誰
(たれ)か添え乳(ぢ)せん、らむ憂ゐ目見る親心、剣と死出の
山けこえ、浅き夢見し心地して、後は門火(かどび)に酔(え)
ひもせず、京は故郷と立ち別れ、鳥辺野さして、連れ帰る」。
「変わり果てた我が子を連れ帰る」親の気持ちが、突き上げて来
るが、「これは我が子にあらず、菅秀才の亡骸を御供申す」と、
松王丸夫婦は、抑圧した気持ちのままにて、閉幕。
- 2008年12月7日(日) 11:52:49
08年11月国立劇場 (「江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやし
のかぎつめ)」)


大道具の舞台展開のテンポがみごとな芝居


江戸川乱歩原作の「人間豹」は、1934(昭和9)年から10
年にかけて、雑誌「講談倶楽部」に連載された通俗ミステリー小
説である。それが、舞台を昭和初期の東京から幕末の江戸に移し
て、新作歌舞伎として、劇化され、11月の国立劇場で、初演さ
れた。脚色は、私の知り合いのペンネーム岩豪友樹子さんなの
で、拝見した。演出は、松本幸四郎、こと、九代琴松(くだいき
んしょう)。歌舞伎化の発案者は、染五郎。歌舞伎役者の中で
も、いろいろチャレンジする人は、少なく無いが、そのなかで
も、染五郎は、熱心な一人。乱歩は、日本文芸家協会の文士劇
で、歌舞伎が上演される時、「鈴ケ森」の幡髄院長兵衛役を演じ
たり、「河内山」の河内山宗俊役を演じたりしたほど、歌舞伎好
きであったが、歌舞伎の原作を書いたり、原作が歌舞伎化された
りしたことはなかった。乱歩作品、初めての歌舞伎化である。期
待して、拝見した。

原作は、半人半獣という架空の殺人鬼・人間豹が、帝都で連続殺
人を犯し、名探偵・明智小五郎が、犯人捕獲を目指して対決する
というもの。トリックを駆使する短編「探偵小説」から通俗長編
小説へと乱歩が作風を替えて行く過渡期の作品である。短編小説
は、アイディアが勝負だが、長編小説は、ストーリーテ−リング
が、大事。その過渡期の作品。どっちつかずになると、印象が散
漫になる怖れがあるから、怖い。どうして、このような半人半獣
という架空の殺人鬼が、現れ、かつ、逃げ延び続けるのかは、不
明なまま、小説も終っているので、歌舞伎化にあたっても、その
辺りは、触れられていない。終演後、劇場内で、「これで終った
のですか」と、私に問いかけて来た人たちがいた。

今回の上演では、原作の、モダン帝都に登場するカフェが、出合
茶屋に、レビューが、ウズメ舞に、サーカスが、見世物小屋に置
き換えられた。舞台を拝見して思ったのは、廻り舞台やセリ、
スッポンという舞台機構を活用したり、大道具の「押し出し」
(車のついた大道具)を多用化したほか、早替わり、花道の上だ
けではない宙乗りも、随時使われたことから、テンポある舞台展
開がなされていて、国立劇場ならではの演出となったと思う。

まず、開幕前に、場内が暗くなると、太鼓の音が、ドンドンと、
大きくなる(観客席は、最後まで、暗いままなので、ウオッチン
グのメモが、できないので、記憶で劇評をまとめている。いつも
より、細部が再現しにくい)。新作歌舞伎の初演なので、今後の
ために、できるだけ、舞台の様子が判るように書いて行きたい。

第一幕第一場「不忍池、弁天島の茶屋の前」。舞台中央に、池の
なかに床を張り出した構造の茶屋。茶屋の上手には、池の蓮が
茂っている。いまなら、ラブホテル街という佇まいらしく、その
上手にも、別の茶屋があり、そこは、「よそ事浄瑠璃」の体(て
い)で、真ん中に、新内仲三郎の弾き語りを据えて、下手に、浄
瑠璃の新内剛士、上手に、上調子の新内仲之介という並び。仲三
郎の澄み切った声と剛士の甲高い声が、茶屋の若い男女の逢瀬を
哀切を込めて、歌い上げて行く。印象的な幕開きである。

花道から小普請組(無役)の神谷芳之助(染五郎)が、登場。や
がて、本舞台下手の茶屋入り口から、座敷に上がる(茶屋の人
は、出て来ない)。下手の舞台袖から夜鷹蕎麦屋が道具を担いで
出て来る。顔が見えにくい。筋書を見ると、名前が載っていない
(仕掛けがあるな、と思う)。人待ち顔の神谷は、障子を開け
放った「密室」から、蕎麦屋を呼び止め、蕎麦を注文し、世間話
をしながら、食べる。蕎麦屋は、なぜか、小野小町と深草少将の
「百夜通い」を引き合いにだし、百夜にこだわっている様子を伺
わせる。やがて、神谷の相手、商家の娘お甲(春猿)が、花道を
やって来る。可憐な花の風情。忍び逢いをしようというのだろ
う。茶屋に上がり込むお甲。座敷では、床の上から、池の水面を
水鏡にして、髪を整える神谷。「逢いたかったあ」と甘えた声
で、神谷に近づくお甲。久しぶりの性愛への期待が滲む。エロチ
スムの場面。背中合わせで、三角形を作るふたり。歌舞伎独特
の、「抱擁」の形。お甲を背中から抱き、娘の胸に右手を入れる
神谷。閉まる障子。隠すエロチスムは、歌舞伎の定式。

しかし、花道からは、神谷家の下人・伊助(錦弥)が、芳之助を
呼び戻すために、駕篭を連れて、ラブホテル街に入り込んで来
る。蕎麦屋に聞き、芳之助のいる茶屋を探し当てる。芝居道楽
で、身を持ち崩す芳之助にお上からお咎めが下ったというので、
対応策を話し合うため、すぐに屋敷にお戻りをと言う。駕篭に
乗った体で、姿を消す染五郎。茶屋に一人残されるお甲。時間稼
ぎの伊助の芝居があり、不安顔のお甲にいつまでも茶屋の傍にい
る夜鷹蕎麦屋が、「今夜が、百日目だぜ」と言って、茶屋の床に
飛び込んで来る。お甲を追い掛け、襲いかかる。閉め切られた障
子に血飛沫が上がり、障子が開くと、肩を血で染めたお甲が、
ぐったりしている。蕎麦屋は、異様な半人半獣(染五郎)にな
り、鋭い鉤爪を光らせている。染五郎の早替わり。最初の娘殺
し。人間豹の出現だ。染五郎の身軽な動き。宙乗りの多用が始ま
る。

第二場「江戸橋広小路の支度小屋」。山王祭の日。最初の殺しか
ら、一年後。この小屋では、女役者お蘭(春猿)の演じる「ウズ
メ舞」が、評判を呼んでいる。舞台上手は、小屋の舞台に花道で
通じる支度部小屋。下手は、本舞台。背景は、見せ物小屋街の佇
まい。竹本は、床(ちょぼ)で、出語り。支度小屋では、お蘭の
弟子たちが、支度をしている。毎日、お蘭への差し入れにと柳橋
の船宿の主人に頼まれたと、生きた鯉を届けに来る鯉売り(寿
鴻)の無気味な顔。妖気が漂いはじめた小屋。武士を辞めて、鼓
の師匠となっている芳之助は、人気のお蘭と恋仲である。舞台
が、右へ、半周り。

第三場「ウズメ舞の場」小屋の本舞台が、舞台中央に来る。口上
役(錦一)が、評判の「ウズメ舞」を紹介する。妖艶なお蘭の登
場。艶やかに演じる「ウズメ舞」。芳之助の鼓も加わる。美男美
女の官能的な見せ場へと盛り上がろうとした時、舞台中央奥に大
きな蝶・黒揚羽が出現し、静かに羽を動かす。やがて、羽の間に
お蘭が入り込む。羽に挟まれ、いや、呑み込まれたようにして、
姿を消すお蘭。蝶が上空に姿を隠すと、天井からくびれ果てたお
蘭の首吊り遺体が堕ちて来る。宙に浮く無惨な遺体。ふたり目の
娘殺し。さっと、浅黄幕が振り被される。テンポある舞台展開。

第四場「隅田河畔の茶屋」。膨らんだ浅黄幕が、振り落としにな
り、河畔の茶屋(居酒屋)。茶屋の下手に、「麦湯」と書いた行
灯が、点っている。恋人を殺され、泥酔した芳之助が、舞台上手
から、ふらふらとした足取りで現れ、店に入る。店に居合わせた
同心の新八(高麗蔵)と目明かしの恒吉(錦吾)に一年の間にふ
たりの恋人を失った無念を語る。怪しい蕎麦屋の話もする。背を
向けて奥で酒を呑んでいた武士が話し掛けて来た。隠密廻り同
心・明智小五郎(幸四郎)の登場である(小五郎の登場まで、遅
すぎないか)。芳之助の話を聞き、ふたつの事件の共通性を分析
する小五郎。「百」というキーワード。殺された娘の肩に残る爪
痕。瓜ふたつのお甲とお蘭という若い娘。なぜか、明智は、犯人
が、人間豹・恩田乱学と推察している。茶屋の主人も、顔が見え
にくい。これも、筋書には、名前が載っていない。さきほどと同
じような伏線。

芳之助が、出て行った後、上手から、店の前を通りかかったの
は、ひとりの老尼。百御前(鐵之助)である。乱歩が、色紙によ
く書いたという「うつし世は夢、よるの夢こそまこと」などと唱
えている。茶屋で、雑炊を振舞われて、老尼が、立去った後に
は、一通の文が落ちていた。事件から手を引けという明智宛の挑
戦状。恩田乱学と書いてある。長い間、虐げられて来た民衆の怨
念を背負って、幕末動乱期に人間豹が現れたとは、明智の推理。
なにやら、昨今の胡乱なテロ行為とダブって見えて来る。人間豹
の挑戦を受けて立つ決意をする明智。百御前を追って行く新八と
恒吉。茶屋の主人は、手拭で顔を隠し、店の裏手へ入って行く。
俄の雷雨。明智は、店の主人に傘を貸してくれと頼む。裏手か
ら、傘を持って出て来た主人は、明智に傘を渡そうとするが、傘
から手を離そうとはしない。何故? と、思っていると、手拭を
とった主人は、人間豹(染五郎)であった。ここも、染五郎の早
替わり。早くも、明智対人間豹・恩田乱学との決闘が始まる。茶
屋の大道具が、押し込められて、舞台は、浅茅ヶ原の林の中へ、
舞台も、早替わり。

第五場「浅茅ヶ原」。恋しい女に思いが遂げられなければ、百日
目に殺すという人間豹の動機が、判りにくい。蕎麦屋の場面で、
深草少将を引き合いに出して述べた辺りに動機のヒントがあるの
だろうが、対決が、前面に出ているので、動機が、観客の目に
は、後ろに引っ込んでしまって、見えにくくなっている。半人半
獣なら、獣の獰猛さとあわせて、人間の心を持っているだろうと
明智は諭すが、恩田は、聞く耳を持たない。この場面でも、立ち
回りが、前面に出て来る。宙乗りの装置を利用して、立体的な立
回りを展開。最後は、舞台を上手から下手に、宙乗りで移動し
て、人間豹(染五郎)は、姿を消す。

第二幕第一場「団子坂、明智小五郎の家」。花道のすっぽんから
現れた新内流しのふたり連れ。新内の甲高い、哀調を帯びた声
が、場内に流れる。本舞台は、明智小五郎の家。隠密廻り同心と
して、市井では、菊人形師として、住んでいる。完成したばかり
の菊人形が、2体置いてある(役者が、人形に扮しているのだろ
う)。ひとつは、「十種香」でお馴染みの八重垣姫。人間豹が、
姿を隠してから、数カ月後。正気を失った神谷は、明智家に引き
取られている。小五郎の妻・文(春猿)が、お甲、お蘭に似てい
ると言って、慕っている。商家の娘は、可憐に。女役者は、妖艶
に。そして、同心の妻は、颯爽と。春猿は、演じ分けている。神
谷を狂気に追い込んだ人間豹は、強気である。狂気に追い込まれ
た神谷は、芸事、色事で、ふてぶてしかったが、後半は、繊細、
柔和に。染五郎も、加害者と被害者の、両極端を演じ分ける。春
猿と染五郎の軸と幸四郎と染五郎の軸と、今回の芝居は、このふ
たつの軸が、見えて来ないと駄目だろう。この場面で、ひとつの
軸は見えて来た。

鳴りを潜めていた人間豹が、動き出した。菊人形師・小五郎の処
で働いている菊師・徳造(幸太郎)の孫娘が、攫われた。恩田の
仕業と見抜いた明智は、殺されたふたりの娘に似ている女房の文
を囮にして、人間豹を誘い出そうと文を笠森稲荷へ行かせる。

第二場「笠森稲荷」。谷中の切通しに差し掛かった駕篭に乗った
お文。案の定、恩田が駕篭を襲う。三度(みたび)、毒牙に掛け
ようとするが、駕篭の中身は、菊人形でこしらえた贋のお文に差
し替わっている。人間豹は、人形の首を引きちぎり、怒りを爆発
させる。3人の女たち(お甲、お蘭、お文)は、皆、人間豹に
とって、理想の女では無かった。だから、首を引きちぎる。これ
も違う、あれも違う。虚しい不満が、人間豹の心に渦を巻く。十
手を持った明智が駆け付けて、再び、対決となる。恩田を加勢す
る大勢の乞食たちが、明智の邪魔をして、恩田を取り逃がす。人
間豹と乞食たちは、繋がりがあるようだ。

第三場「団子坂近くの一本道」。スッポンから登場した百御前。
妖気を漂わせながら、蹲っている。向こう揚幕から花道へと出て
来たお文。明智と計らって、人間豹には、いっぱい喰わせたが、
なぜか、百御前の「待ち伏せ」の罠に引っ掛かる。百御前にも、
なぜか、鉤爪がある。爪で傷つけられ、連れ去られるお文。ふた
りは、スッポンから、異界の、文字どおり、アンダーグラウンド
へ入り込む。

第四場「洞穴、恩田の隠れ家」。本舞台は、浅草・奥山の無気味
な洞穴。奈落からスッポンに掛けられた階段を昇って、縄を掛け
られたお文は、百御前に押されて花道に出て来る。洞穴は、人間
豹と百御前、つまり、恩田母子の隠れ家だった。捨てられた赤子
を拾い集め、見せ物小屋の出し物(蛇娘、ろくろ首、首落し、大
入道)に変えるのは、百御前の仕業だ。乞食たちは、百御前の手
下だったのだ。そして、人間豹も、百御前の「作品」だったかも
しれない。だとすると、人間豹の怨念の原点は、百御前にあるは
ずだ。だが、人間豹は、百御前を憎んでいる。百御前は、人間豹
を作ったのか、産んだのか。恩田親子の愛憎は、近親憎悪なの
か。暗黒のアンダーグラウンドで、繰り広げられる所業のおぞま
しさ。お文に同情を寄せた蛇娘お玉(高麗蔵)は、神谷に化け
て、お文を抱こうとした恩田の邪魔をし、恩田に絞め殺される。

第五場「浅草奥山の見世物小屋」。11月は、歌舞伎界では、顔
見世月。ここは、見世物小屋。役者の代りに、畸形のものどもの
顔見世ということか。洞穴の大道具が、セリで沈むと、そこは、
見世物小屋。舞台上部に横に張り巡らされている「一文字幕」と
いう幕の高さが、いつもより、下に垂れ下がっている。舞台で
は、大入道、首落し(男)、ろくろ首(女)が、登場する。今回
の芝居で、数少ない「ちゃりば(笑劇)」。「首落し」では、
助っ人の、刀で首を落す仕草にあわせて、男(猿若)の首が、前
に落ちるように見える。男は、落ちて来た首を両手で抱える。実
は、肩を上げ、首を引っ込ませる。上げた肩が、補助器具で、余
計高くなるように工夫しているのだろう。上げた肩と引っ込めた
首の「落差」が、藝である。「ろくろ首」は、幕の隙間から首を
出していて、三味線の音にあわせて、娘(横山)は、腰を屈めて
いる状態から立上がって行く様を見せれば良い。こちらは、判り
やすい。

さて、「エピローグ」(新作歌舞伎らしいタイトル)。クライ
マックスは、檻の中で繰り広げられる雌豹と雄の黒豹の対決。ま
ず、豹と黒豹の着ぐるみをつけた大部屋の役者たちの立ち回り。
とんぼを返したり、テンポのある所作が続く。途中で、豹は、お
文(春猿)、黒豹は、恩田(染五郎)に、入れ替わる。恩田は、
見世物として、憎いお文をなぶり殺しにするつもりだ。黒豹は、
雌豹の首に噛み付く。短筒を持って、お文救出に現れた明智と恩
田の対決。恩田と明智の間に、咄嗟に入り込んだ百御前は、明智
の撃った短筒の弾で死んでしまう。体を張って息子を護る百御前
は、人間豹の産みの親だったのだろうか。明智が、お文を救出し
ている隙に、三度(みたび)人間豹は、逃走する。

大道具は、さらに、沈んで、「見世物小屋裏手」。普通より丈の
低い大道具(見世物小屋)の、いわば、「屋上」を隠していた一
文字幕が、通常の高さになり、やはり丈の低い「裏手」の大道具
を新たに見せてくれたのだろうと思う(つまり、それぞれ丈の低
い見世物小屋と裏手の大道具は、二階建てになっていて、洞穴の
大道具の上に載っていたという仕掛けだろう)。裏手の小屋の上
に逃げた人間豹。小屋の中から追って来た明智は、出入り口を邪
魔する網を斬って落す。百御前が、拾って来た赤子を吊していた
網が断ち切られて、赤子たちは、小屋の傍を流れる川に落ちたで
あろうと人間豹は、非難する。自分の怨念の源泉は、捨てられた
赤子に代って、赤子を棄てた人間たちへの復讐心だと恩田は、嘯
く。ならば、恩田も、捨て子だったのか。百御前は、産みの母で
は無く、育ての母だったのか。半人半獣。捨て子か、そうで無い
のか。生れいずるの悩みが、半人半獣を生み出したのか。人間の
心を取り戻せば、恩田は、人間豹から、抜けだせるのか。科白劇
が、続く。火薬を投げ付けて、恩田は、四度目の逃走。舞台背景
は、黒幕が振り落され、明るい空が拡がる江戸の正月風景。遠見
には、富士山が見える。あちこちで、凧上げ。

凧上げの衆(乞食たちを演じていた役者たち)が、台車に大凧を
載せて、花道に出て来る。大凧には、宙乗りの綱がついている。
大勢が、本舞台に上がり、凧の糸を引くと、凧が、花道七三から
上に揚がる。大凧のなかから、恩田が現れる。「人間の心を信じ
る」と叫ぶ明智を無視して、恩田は、大凧から、宙に身を投げ
る。傘を開き、宙に舞う人間豹。不敵な笑い声を上げながら、宙
の道をゆるりと逃げて行く。五度目の逃走。紙吹雪が、宙の揚幕
から、激しく噴き出して来る。本舞台では、見世物小屋の大道具
が、セリ下がり、明智ら一統を載せたセリも下がる。無人の舞台
となる。

今回の芝居は、道具の展開は、見応えがあったし、大凧を使った
宙乗りもおもしろかったが、芝居としては、人間豹と明智の対決
だけという印象で、薄っぺらな感じが残った。幸四郎と染五郎の
軸が、対決だけで、終始した嫌いがある。遊びを含めた膨らませ
が足らない。荒唐無稽さや悲劇の前の、「笑劇」(ちゃり)など
の要素が、乏しかったので、早めに終ってしまい、これで、幕な
の、という印象を一部の観客に抱かせたのかも知れない。つま
り、南北のような、江戸の下層庶民の生活を活写するというよう
な、芝居の筋の展開としては不要な、敢えて言えば、「夾雑物」
的な味付けが欲しいと思った。また、科白劇の場面が多く、言葉
が、所作より、先走ってしまっている。折角の、大道具のテンポ
ある展開が、見応えがあるのに、スペクタクル感が、乏しいの
は、惜しい気がした。再演の機会があれば、その辺りをもう一工
夫した舞台を拝見したい。

贅言:終演後、ロビーから外に出ようとしたら、開け放たれた玄
関の所に多数の紙吹雪が落ちていた。宙乗りを終えて、3階のロ
ビーに染五郎が出た際、紙吹雪も、場内から外に押し出され、そ
れが、ロビーの大きな吹き抜けを通り越して、落ちて来て、ロ
ビーの床に溜まり、さらに、それが、退出する客のために開いた
玄関によって、巻き起こった風の通り道となり、玄関の付近が、
時ならぬ紙吹雪に見舞われたのではないか。まあ、そういう推察
だが、私の妄想は、違うイメージも沸き上がらせてしまう。つま
り、舞台となった江戸の幕末期から、原作の発表された昭和初期
を取り抜け、現代の世の中に、人間豹は、三度(みたび)出現
し、師走の巷に迷い出たのでは無いか、という妄想である。近ご
ろの、胡乱で、無気味なテロ行為は、戦争へ傾斜して行った昭和
初期を思い出させる。乱歩の警鐘か。「嫌な世の中になったもの
だなあ」。
- 2008年11月20日(木) 13:00:13
08年11月歌舞伎座 (夜/「寺子屋」「船弁慶」「嫗山
姥」)


「寺子屋」:子ども殺しに拘わるふた組のグロテスクな夫婦の物
語


昼の部の「盟三五大切」で、薩摩源五兵衛に殺される小万は、斬
られながら、源五兵衛を「おまえは、鬼じゃ。鬼じゃわいなあ」
と言う。夜の部の「寺子屋」では、戸浪が、夫源蔵の小太郎殺し
の背を押すようにして、「鬼になって」やりましょうと言う。
12月の歌舞伎座では、女たちが、男たちを「鬼」という言葉
で、非難したり、叱咤激励したりする。

芝居だけでは無い。人は、長い人生の中で、鬼だと非難したり、
鬼になれと唆したりしながら、他人(ひと)との関係を続けて行
くものなのかも知れない。いや、人生の修羅が、そういうものだ
からこそ、芝居という水面(みなも)に、人それぞれの姿が、鬼
になって、映っているとも言えるのかも知れない。鬼とは、私た
ち自身かも知れない。偶然に過ぎないが、「源」五兵衛、「源」
蔵、皆、「源」は、己の中にあるということか。

「菅原伝授手習鑑〜寺子屋〜」は、国立劇場の前進座公演もふく
めて、今回で14回目の拝見。松王丸は、今回、仁左衛門が演じ
る。仁左衛門の松王丸は、3回目の拝見。「寺子屋」では、松王
丸と千代の夫婦と源蔵と戸浪の夫婦が、両輪をなす。ふた組の夫
婦の間で、ものごとは、展開する。今回は、松王丸以外の主な配
役では、千代が、藤十郎、源蔵が、梅玉、戸浪が、魁春である。
仁左衛門の松王丸の印象を軸に、数人の役者論をコンパクトに済
ませ、「テキスト再論」を試みてみたい。

仁左衛門は、首実検の前に、寺子屋の子供たちを選別させられる
が、その時、「助けて帰る、(咳き込む)術(て)もあること」
と、秀才を助けるという本音を滲ませてしまい、誤魔化すための
咳き込みをしていたが、人形浄瑠璃では、「ありがたき御意の趣
き、おろそかには、(咳き込む)致されず」と、藤原時平への忠
義を強調ととともに、そういう己への自己嫌悪で、咳き込むスタ
イルをとっていたはず。ほかに、「面改めて、(咳き込む)戻し
てくりょう」という役者など、人それぞれで、いろいろ工夫して
いる。

歌舞伎では、「奥にはバッタリ首討つ音、エイ(源蔵の声)、
ハッと女房胸を抱き、踏み込む足もけしとむ(けつまずく)内」
(戸浪と松王丸が、ぶつかりそうになり)松王丸は、「無礼者
め」で、左手で刀を杖のように持ち、右の掌を拡げて見得をす
る。仁左衛門も、これを踏襲するが、人形浄瑠璃では、「けしと
む内」「武部源蔵白台(しらだい)に、首桶載せてしづしづ出
で」で、この場面は、無い。つまり、歌舞伎独自の入れ事だが、
歌舞伎は、ここがハイライト。

梅玉の源蔵は、主人の子息に対して、当然ながら、敬語を使う。
「菅秀才の御首討ち奉る」。松王丸は、敵方の若君など呼び捨て
にする。

仁左衛門型の首実検では、「松王首桶をあけ、首を見ることよろ
しくあって」というだけの台本に対して、首桶をあける時は、目
を瞑ったままで、顔を上げる。顔が正面を向いても、目を瞑った
まま。やがて、正面を向いたまま目を開けて、改めて、睨むよう
にしてから、おもむろに、顔を下げて、初めて、首を見るという
所作であった(答案用紙の採点を、そうっと見るという体)。仁
左衛門の松王丸は、「むう、こりゃ菅秀才の首に相違ない(と、
源蔵に言う感じ)、相違ござらぬ(と、春藤玄蕃に言う感じ)。
出かした源蔵、よく討った」と、科白の隙間を見せずに、つつつ
と一気に言う。

死に顔は、生き顔と顔付きが違う可能性があるとは言え、菅秀才
の顔を知っている松王丸から出た意外な「解答」にいちばん吃驚
したのは、源蔵だろう。ちょっと前まで、「一か八か」と己の命
を掛けて、ハムレットみたいに悩んでいただけに、「あたりきょ
ろきょろ見合わせたり」(ええ、なに、これ)。

藤原時平方としては、松王丸より格が上の、つまり上司の春藤玄
蕃役の段四郎は、首実検で、問題の首を見ない。その代わり、松
王丸の反応を見届ける役なのだ。昔、一家で菅丞相に世話になっ
た家の次男が、松王丸であり、一家とは、縁を切ったとは言え、
本心から時平方に忠義心を持っていないかも知れないと疑ってい
なければ、役目は果たせない。それでも、「でかしたでかした、
よく討った」と、検分の「詞証拠」に、間をおかずに判断して、
言わなければならない。上司は、辛いよ。

梅玉の源蔵と魁春の戸浪。源蔵は、書道の力があり、菅丞相の側
近くに仕え、菅丞相の御台所・園生の前腰元であった戸浪と割り
無い仲になってしまい、勘当されているが、筆法伝授だけは受け
たというから、若いけれど、有能のなだろう。戸浪は、「鬼に
なって」と夫の背を押す辺り、有能な腰元(秘書)だったことを
伺わせながら(ふたりは、「職場結婚」)、殺された子どもの母
親である千代に同情もしている。現代でも、いそうな夫婦ではな
いか。

藤十郎の千代は、「熊谷陣屋」の、直実の妻・相模ほど、わが子
への情愛を迸らせないけれど、安定感があり、千代の科白では、
場内のあちこちで、啜り泣いたり、目を拭ったりする女性が目
立った。菅丞相の御台所・園生の前は、孝太郎で、秀才は、息子
の千太郎。つまり、仁左衛門、孝太郎、千太郎と松嶋屋三代が、
揃う。悲劇の前の、笑劇(ちゃり)で、笑いを取らなければなら
ない、涎くり与太郎は、松江で、脇を固める。

★さて、今回の特別付録。12月のフランス人向けの講演のため
に、「寺子屋」テキスト再論を試みてみた。外国人にも、理解し
やすいテーマ設定なら、「寺子屋」をどう読むべきかということ
で、試みてみた。そこで、テーマは、「寺子屋は、子ども殺しに
拘わるふた組のグロテスクな夫婦の物語か」という風に設定して
みた。

京の郊外の片田舎のある一日。子ども殺しという、悲劇の幕が開
く。右大臣・菅丞相に敵対するばかりでなく、このところ、とみ
に力を付けて来た左大臣・藤原時平は、菅丞相処断にあたって、
一気に菅一族皆殺しを企んでいる。密かに、協力者のよって、匿
われている菅丞相の息子・秀才の所在を嗅ぎ付けて、手下(春藤
玄蕃)を通じて、秀才を殺して、証拠の首を持って来るように武
部源蔵に命じる。ラブフェアーがらみで、主人の菅丞相から勘当
された身とは言え、それは、身から出た錆び。主人への恩義から
も、秀才を殺して一族全滅にさせるわけには行かない。恩になっ
た人の息子は殺せないと悩む。しかし、秀才を逃がして、手ぶら
で報告しても、藤原時平に睨まれて、己の命もないだろう。誰か
を身替わりにして、贋首を差し出すか。寺子屋に通う子供たち
は、村の子ばかりで、とても秀才の身替わりは勤まらない。
「トゥビ− オア ノット トゥビ−」と、ハムレット並の難問
を抱えて、源蔵が、(春藤玄蕃一行が、出張って来ている庄屋か
ら)戻って来る。

1組目の夫婦:武部源蔵・戸浪)なぜか、ちょうど、「この
日」、母親に連れられて、新たに入学して来た子供(小太郎)が
いる。この子は、野育ちの村の子とは違って、品が有る。この子
を身替わりに殺して、首を権力者に差し出そうかと、源蔵は、苦
渋の選択を迫られている。妻の戸浪に話すと、「鬼になって」そ
うしろと言う。悩んだ挙げ句、「生き顔と死に顔は、顔付きが変
わるから、贋首を出しても大丈夫かも知れない」、「一か、八
か」(ばれたら、己も死ねば良い)と、他人(ひと)の子供を殺
そうと決意する源蔵夫婦は、「悩む人たち」では有るが、実際
に、小太郎殺しをする(直接の下手人)、鬼のような、グロテス
クな夫婦ではないか。

2組目の夫婦:松王丸・千代)ところが、もうひと組、グロテス
クな夫婦が、登場する。先に子どもを連れて、入学して来た母親
(千代)とその夫だ。夫は、秀才の首実検役として、藤原時平の
手下・春藤玄蕃とともに、寺子屋を訪ねて来る松王丸である。

実は、源蔵の「心中」を除けば、物語の展開の行く末のありよう
を「承知」しているのは、松王丸で、彼が、妻と計らって、源蔵
が、自分の息子・小太郎を殺すよう企んでいる。千代は、息子の
死後の装束を文机のなかに、用意して、入学していたし、松王丸
も、春藤玄蕃の手前、源蔵に対して、「生き顔と死に顔は、相好
(そうごう、顔付き、表情)が変わるからと、贋首を出したりす
るな」などと、さんざん脅しを掛けながら、贋首提出に向けて、
密かな「助言」(メッセージ)を送っている。

松王丸には、「長男継嗣」最優先という封建時代に生まれた「次
男の屈託」がある。三つ子(長男:梅王丸→右大臣・菅丞相、三
男:桜丸→天皇の弟斉世=ときよ親王、次男:松王丸→左大臣・
藤原時平)の一人で、ほかの兄弟が、幼い頃から家族上げて、世
話になってきた菅丞相と所縁の人に仕えているのに対して、自分
だけは、藤原時平に仕えている。その時平が、政治の世界で、こ
のところ、一気に力を付けて来たこともあって、いっそうの疚し
さに密かに悩んでいた(「松はつれない」という世評を気にして
いる科白が、4回も出て来る)。松王丸には、世話になった菅丞
相の苦境に何も出来ない、いわば、マイナスの札を持っていると
いうコンプレックスが有る。そのマイナスを一気に解消して、プ
ラスに転じようと言うのが、自分の息子・小太郎の首を菅丞相の
息子・秀才の首に仕立てあげるという作戦なのだ。妻の千代も、
同意して、手伝っている。悩むことを通り越して、すでに、自分
の息子を殺させる「決意をした人たち」である。小太郎殺しの脚
本を書いた仕掛人という、これまた、グロテスクな夫婦ではない
か。

☆問題を解明するキーワード:「菅原=天神様」というキーワー
ドで、グロテスクなふた組の夫婦の行動を解きほぐすと、物語
は、「祝祭劇」という正体を顕わす。「祝祭劇」の進行を司る司
祭は、松王丸である。

松王丸と春藤玄蕃の一行の登場。菅秀才の顔を知っているのは、
松王丸だけ。ヒヤヒヤしながら、源蔵が、偽の、身替わりの首を
差し出すと、意外なことに、松王丸は、菅秀才の首に相違ないと
保証するではないか。つまり、藤原時平に仕えている松王丸は、
就職先の権力者よりも、昔から、世話になって来た権力者の政敵
の方に、密かに、親密性を感じていて、実は、「菅丞相の隠れた
味方」だったということが、ここで、初めて、判るという趣向。
身替わりになった小太郎という子どもは、実は、松王丸の息子で
あった、というのが、落ち。首実検では、桶の中から、恩義のあ
る人の子息の首が出て来るか、はたまた、自分の息子の首が出て
来るか、という、どちらも、苦い味のする、ふたつの選択肢しか
無いという、苦しい状況に追い込まれているのである。役割を終
えた松王丸は、検死を条件に事前に交わした時平との約束に基づ
いて、病身を理由に暇(退職、主従の縁を切る)を申し出て、許
される。「蘆の髄」から覗いた先に見える、唯一の希望が、退職
後の生活だ。

封建性の時代。人々にとって、ウェイズ・オブ・ライフのいちば
ん至高な価値は、「家の継続」だった。「長子相続」の時代に、
松王丸は、長男の小太郎を死なせては、家の断絶を招くことにな
るにも拘わらず、なぜ、息子を犠牲にする道を選んだのだろう
か。それは、己の家の断絶より、更に、至高なものを見ていたか
らでは無いか。「至高なもの」、それは、右大臣・菅丞相のモデ
ル=菅原道真;天神様=学問の神様というところにキーワードが
有る。「神様」の系統の維持は、己の家の維持よりも、上位に置
かれていた。犠牲になる息子は、神への生贄であり、彼等にとっ
ては、哀しみを突き抜けてでも、「めでたい」ことなのだ。己の
子どもを生贄とした「祝祭劇」。

ここで、この芝居は、「祝祭劇」の様相を顕わして来る。祝祭劇
の司祭は、実は、松王丸である。松王丸は、源蔵の(他人の子を
身替わりに殺しても、ばれない)「一か八か」という判断(生き
顔と死に顔では、顔付きが変わる。身替わりを細工しても、ばれ
ないかも知れないし、ばれるかも知れない)が、どうなるかとい
う一点は、不明なものの、それをも「予測」して(多分、こうな
るであろう。あるいは、そうさせようと、伏線さえ張ってい
る)、事実上、「すべての結末」を知っているのである。

*「祝祭劇」を別のドラマに翻訳すると、

○テレビドラマで言えば、
松王丸は、チーフプロデューサー(仕掛人)兼主役、妻の千代
は、アシスタントディレクター、客演が、源蔵、戸浪の夫婦。松
王丸は、源蔵の心境という、ぶっつけ本番の部分(予想はしてい
るが)を除いて、「祝祭劇」の起承転結を見越した台本を書いて
いる。千代は、息子への思いを引きずりながら、アシスタントを
務めて、滞り無く、一部生のシーンの有るドラマを無事完結させ
る手伝いをした。

○能で言えば、
シテ:松王丸、ツレ:千代(悩みを突き抜けて、死後の世界と繋
がって行く人たち)。
松王丸の役割は、前シテ(検死官)、後シテ(司祭、仕掛人)と
いうことである。
ワキ:源蔵、ワキツレ:戸浪(悩む人たち)


最後になって、事情を知った武部源蔵夫婦は、松王丸夫婦ととも
に、小太郎の菩提を弔う。松王丸は、息子のお陰で、権力者との
縁を切り、菅丞相の妻も子も助けるという恩返しができたと、己
の心情をあかす。菅丞相の妻も、呼び寄せられ(妻を救出したの
も、松王丸の手柄)、息子の秀才と再会するが、喜びもほどほど
に、小太郎の回向に参加する。二重舞台の上に、菅丞相の妻子、
平舞台の上手に源蔵夫妻、下手に松王丸夫妻(直前にふた組の夫
婦は、居処替りをする。松王丸夫妻が、わが子の側に近寄る)、
そのさらに下手の駕篭の中に、小太郎の遺体が安置されている。
→「いろは送り」:「いろは書く子はあえなくも、ちりぬる命、
是非もなやあすの夜誰(たれ)か添え乳せん、らむ憂い目見る親
心、剣と死出の山けこえ、あさき夢見し心地して跡は門火に酔ひ
もせず、京は故郷と立ち別れ、鳥辺野さして連れ帰る」という竹
本の文句が、大夫の美声で、綺麗に歌い上げられて、風情があ
る。人形浄瑠璃では、人形に超人的な所作があり、ここがハイラ
イト。

松王丸の策略とは? :1)息子を身替わりにする、2)その検
死(首実検)の判定者は、自分でする、というもの。いわば、
マッチポンプの構造。何故、そういうことができたのか。それを
成功させるための伏線=1)身替わり=息子を寺子屋に入学させ
る。→妻の協力と息子の納得が必要。2)判定者=対立する権力
者側の身内(此の場合、「舎人」)になっている必要が有る。舎
人=運転手兼秘書から、首実検のできる検死官へ。権力者からの
信頼感が必要。永年の雌伏期間も必要だろう(獅子身中の虫、時
限爆弾となる。残置諜報部員、秘密情報部員、秘密工作員→軍の
戦略ではないか)→実行は、一度だけの、戦略。失敗は許されな
い。目的達成の、最大の効果(処断された菅丞相の妻子を救出す
る)を上げられる日を待っていた。跡を濁さず出で、検死後、病
気を理由に、時平との主従関係を断絶する許可をとっていた。→
松王丸は、有能なスパイだったのかもしれない。権力者に後足で
砂をかけるような仕掛けをしておきながら、それに気付かせず
に、夫婦とも姿をくらます。わが子を菅秀才として野辺送りする
という「完全犯罪」。→それだけに、成功しても、虚しい松王丸
の「黒い笑い」。そして、その後、夫婦は、何処へ行くのか
(「熊谷陣屋」=母の情と父の無念=の場合なら、歌舞伎は、直
実の出家。本行では、夫婦で、子供の菩提を弔う旅に出る)。
「(菅原)寺子屋」=母の情を抑え込み、父の情で、大泣きする
=の場合は、取りあえず、ふたりで、野辺送りで、鳥辺野ヘ。そ
の先、未定。「菅原」の初演の1746年と「熊谷」の初年の
1751年。初演の時期に5年間の差があり、それが、並木宗輔
の考え方を変えたのだろうか。それとも、父親の情から、母親の
情の優先へと、「進化」したのだろうか。

こうして見ると、本当に「グロテスク」なのは、政敵を断罪する
だけで無く、一族皆殺しをしようと、政敵の息子殺しを命じた権
力者・左大臣の藤原時平ではないか、という思いが強まる。しか
し、さらに、良く考えてみると、自分が仕える権力者・藤原時平
を欺いて、政敵に密かに親密性を抱き、贋首を権力者の手下に持
たせてやる検死官・松王丸の魂胆には、己の哀しみを突き抜けた
先に、権力者に対する、反抗的な「黒い笑い」が、あるように見
受けられるが、いかがだろうか。

「忠義」などという観念はなくなった現代日本の劇場でも、場内
から、共感のすすり泣きが起こることの意味は? :反権力の
「黒い笑い」を理解する人は、少ないかも知れない。なのに、中
年の女性を中心に、すすり泣きが、なぜ、今も起こるのか。→理
不尽な理由で、子どもや肉親を亡くした人は、普段は、心の底に
沈んでいる屈託が、非日常的な、歌舞伎の世界に漬かることで、
それを思い出し、役者の嘆きの演技とともに、「哀しみの共感」
の涙を流すのではないか。それにより、屈した思いが洗い流され
るという「カタルシス作用」で、心が浄められ、その結果、生ま
れた心のスペースに、明日からの生きるエネルギーが、補給され
るのではないか。千代の科白:「思えば最前別れた時、いつにな
いあと追うたを、叱った時の、叱った時の、その悲しさ。冥途の
旅へ寺入りと、はや虫が知らせたか」「死ぬる子は媚(みめ)よ
しと美しう生まれたが、可愛やその身の不仕合はせ」などと観客
に泣けよとばかりの科白がつづき、身に詰まされる。

封建時代、武士の世界、家という制度の下での親子関係、家の中
でも、父親が絶対的な権力を握っていた。それでいて、父親も、
情を義理で抑え込んでいる。松王丸は、「忠義」のため、主人の
息子を助けるために、己の息子を犠牲にする。泣く妻をも抑圧
し、「泣くな、泣くな、泣くなと申すに」と叱りつける。小太郎
の最期の様子を源蔵から聞き、「笑いましたか」、健気だ、立派
だ、「でかしおりました」などとうそぶき、「泣き笑い」(六代
目菊五郎の工夫で、それ以降、いまも、演じられる)をする。そ
れでいて、この場面には、登場しない弟の桜丸の名前を突然出
す。桜丸は、別の場面の、「賀の祝」で、菅原道真配流事件の
きっかけを作った(足元を掬われた)責任をとって、自害してい
る。殺された、というか、源蔵に殺すように、松王丸の側から仕
向けた息子は、「役にたった」(「持つべきものは、子でござ
る」)と喜びながら、已に、自ら死んでいる弟が、「不憫だ」と
言って、懐紙で顔を隠して、大泣きする。

封建時代は、いまより、大人の論理が優先的なので、にっちも
さっちも行かなくなると、大人の世界の構成員では無い、子供を
殺して、活路を見い出そうとするのでは、ないか。それでいて、
松王丸も、父親の情があり、弟の桜丸の名前を、いわば、出汁
(だし)にして(建て前)、息子の死を歎き悲しみ(本音)、時
と処をわきまえず、大泣きをしたのではないか。そういう複雑な
松王丸の心境や、あるいは、子を泣くす母親・千代の悲しさ=例
えば、理不尽なことで、子や肉親を亡くした人達には、「死別」
ということは、何であれ、身に滲みることがある=が、現代の観
客にも伝わり、歌舞伎座の場内の、あちこちで目頭を押さえる人
の姿が見受けられる。

「忠義」のため、他人の子を殺す源蔵夫婦、同じく忠義のため、
己の子を殺させるようにしむける松王丸夫婦、ふた組のグロテス
クな夫婦の物語が、なぜ、260年経った、「忠義」などという
価値観は無くなったはずの、現在でも、上演されるのか。
     ↓
「忠義」にかわるものが、現代にもあり、それが、人間を抑圧す
れば、人間は、何時の時代でも、己の命や、最愛の家族までも、
殺しかねない。「忠義」に替る、例えば、「倫理」は、時空を超
えて、普遍的なんで、倫理的に破綻した場合は、いまでも、この
ような悲劇が起こる、ということか。「倫理」は、「国家倫
理」、「社会倫理」、「企業倫理」など、制度(システム)に関
わる倫理(規範)というように、具体化して見れば、判りやすい
か。そういう風に、敷衍して考えると、「寺子屋」の「忠義」の
物語も、封建的な時代の、昔の話とばかり言えないのでは無い
か。

歌舞伎は、封建時代に盛んになった演劇だけに、封建時代という
閉塞社会で、大人同志の関係が、窒息寸前まで、息詰まると、ガ
ス抜き、つまり、カタルシスとして、子供が殺されるという話が
多い。いわば、子供を犠牲にすることで、「マイナスの活路」を
開くのだと思うが、実は、現代社会も、子供を含めて、弱者が殺
され続けているのではないだろうか。そういう意味では、「子殺
し」というテーマは、「弱者殺し」と読み替えれば、残念なが
ら、いまの時代も続いているテーマではないのか。

* 小太郎が殺される=「菅原伝授手習鑑」(菅原道真=菅丞相の
子・秀才の身替わり)
* 小次郎が殺される=「一谷嫩軍記」(平敦盛の身替わりとし
て、父親の熊谷直実に殺される)
* 小四郎が殺される=「盛綱陣屋」(盛綱・小三郎親子と高綱・
小四郎親子。父親が、兄弟だから、子供は、従兄弟同士。父親高
綱の贋首を本物と偽って、時政(家康)の首実検の場で、小四郎
は、盛綱・小三郎親子の控えている前で、切腹する。盛綱は、黙
認する。
*大人の世界で、にっっちもさっちも行かなくなると、子供を殺
して、ガス抜きをする。子供は、いわば、隠し玉。封建時代だか
ら、観客も、それで仕方が無いと思いながら、幼子の死に涙す
る。観客も、泣いて、ガス抜き。


贅言:二重の時代背景。
「菅原伝授手習鑑」は、菅原道真の配流事件を素材。醍醐天皇の
ときで、901年、藤原時平と対立し、太宰府に流される。近松
門左衛門の「天神記」が下敷き。劇中の時代は、平安時代、摂関
政治で、天皇に替って、公家の藤原氏が権力を握っていた。ただ
し、歌舞伎で取り上げる歴史は、「通俗日本史」という、エン
ターテインメントの、今でいう、「講談のレベル」の、史実。時
代設定や時代考証は、正確では無い。でたらめ。荒唐無稽。むし
ろ、上演された時代背景が、本当の時代背景。→「菅原伝授手習
鑑」の初演は、1746年で、徳川幕府の中期。八代将軍吉宗
が、1745年に亡くなり、家重が、1746年に九代将軍にな
るが、この人は、障害者で、言語不明瞭、精神薄弱で、側用人の
大岡忠光だけが、将軍の意向を理解したと称して、側近政治をし
ていた。しかし、それより前、五代将軍綱吉(1080ー
1709)の治世。「生類憐れみの令」(綱吉は、「犬公方」と
陰口を叩かれた)が、庶民を虐めた。柳沢吉保が、側近政治で、
権力を握っていた辺りが、庶民には、判りやすい。歌舞伎を上演
する側も、観客の側も、時代設定は、平安時代だが、当時の「現
代劇」(あるいは、40年ほど前の綱吉時代の理不尽さを想定、
意識して)を観ていたかもしれない。


重量級の顔揃え「船弁慶」

能の荘重さと歌舞伎の醍醐味をミックスさせる工夫をした六代目
菊五郎演出以来、その形が定着している。「船弁慶」を観るの
は、今回で、8回目。静御前と知盛亡霊を演じたの
は、富十郎(2)、菊五郎(今回含め、2)、松緑(松緑は、四
代目襲名披露の舞台)、玉三郎、菊之助、染五郎。弁慶:團十郎
(2)、彦三郎、吉右衛門、弥十郎、團蔵、幸四郎、そして今回
の左團次。義経:時蔵、芝雀(今回含め、2)、玉三郎、鴈治郎
時代の藤十郎、薪車、梅枝、そして今回は、富十郎。舟長:勘九
郎時代の勘三郎(2)、八十助時代の三津五郎、吉右衛門、仁左
衛門、亀蔵、東蔵、今回は、なんと、芝翫が、初役で勤める。こ
れは、祝儀の舞台などで、大物が、ご馳走で出るから、油断がな
らない。ついでに、今回の舟子も、紹介しよう。東蔵、歌六、團
蔵。つまり、舟子チームが、かなりの重量級というのが、今回の
特徴。1階席の花道の真横で観ていると、判らなかったが、3階
の天井に近い席で観ていると、舟子チームの櫂の動きが、揃って
いるのに驚く。普通、なかなかあわない場合多いのに、重量級の
彼等は、「間」の取り方が、巧いのだろう。手に持つ櫂の角度こ
そ、揃っていないものの、動きの間が揃っているので、綺麗に見
えるのである。さすがに、重量級は、只飯を喰ってはいないと感
心した次第。因に、今回は、人間国宝が、芝翫、富十郎、菊五郎
と3人出演。これも、重量級。

代りにと言うわけだろうか、四天王が、今回は、松江、種太郎、
萬太郎、右近とフレッシュな感じであった。

前にも書いたが、「船弁慶」を論じる際に、基準となる舞台は、
私の場合、03年11月の歌舞伎座の舞台をである。富十郎の一
世一代の「船弁慶」で、静御前を演じた(但し、富十郎は、途
中、病気休演で菊五郎が、バトンタッチしたが、私は、富十郎を
観ている。当時の劇評には、次のように書いている(一部省
略)。

*「幕見席では、連日のように立ち見になっているという」)舞
台とあって、配役は、豪華だ。象徴的な例をあげるなら、舟長、
舟子の組み合わせが、仁左衛門、左團次、東蔵だった。おもしろ
いのは、06年11月の新橋演舞場。亀蔵を舟長にして、松也、
萬太郎という、若い、というより、さらに初々しい組み合わせ
だったが、櫂を漕ぐ舟子の若いふたりは、いかにも基本に忠実
で、櫂を漕ぐ手首をいちいち律儀に返しているのが判る(亀蔵
は、全く、手首を返さず)。そういう目で、舞台を観ていたら、
東蔵以下、4人とも、手首を返さずに、「漕ぐ真似」をしてい
た。役者は、いくつになっても、所作の基本を大事にして欲しい
と思った。これは、あらゆる演技に通じる大原則だろう。

今回は、手首の返しより、間の揃いに気を取られて、感心してし
まい、これはこれで、おもしろかった。

義経一行の西国行きを阻止するのが、前半は、静御前で、後半
は、知盛亡霊。静御前は、能の前ジテ、知盛「亡霊」は、後ジテ
の関係。前半の静御前は、知盛亡霊の化けた贋の静御前というこ
とになる。義経にとって、前半は、いわば、「女難」。後半は、
正体を現した亡霊による、「剣難」というわけだ。「始終数珠を
揉み祈る」弁慶の本質は、一行の危機管理者というところにあ
る。

弁慶「静御供いたし候は、何とやらん似合わしからず」、義経
「静を都にかえせとや」、四天王も弁慶の懸念に同調。義経「弁
慶よしなに計らい候へ」。やがて、静御前が、追い付いてきて、
曲折の末、義経「用意よくば乗船なさん」、弁慶「とくとく宿へ
帰り候え」、静御前「あら、是非もなき事にて候」ということ
で、弁慶に阻まれて、静御前は、「名残り惜しげに旅の宿、見返
り見返り立ち帰る」。

後半、知盛亡霊は、すでに船出した義経一行の舟を大物浦の
「沖」で、迎え撃つ。花道七三。私のすぐ横で、菊五郎が、止ま
る。下から見上げた菊五郎の目は、ライトを写して光っている。
血走っている。「波乗り」という独特の摺り足で、義経に迫って
行く。義経は、数珠を揉んで生み出す法力で悪霊退散を念じる弁
慶の後ろに隠れて、知盛亡霊を押し返す。真っ赤な口を空けて、
断末魔の叫び。倒されて行く者の悲しみ。悪霊ながら、滅び行く
者の悲哀を感じさせる。富十郎は、「其時義経少しも騒がず」
と、いつもの立派な口跡で、言う。その直後、長唄連中が、「其
時義経少しも騒がず」と重ねて、歌い上げる。だが、義経は、騒
がないで済むほど守護されている。なにかあれば、「よしなに計
ら」ってくれる弁慶が側に居る。全編を通じて、弁慶を軸にした
執拗な攻防こそが、「船弁慶」という歌舞伎演目の真骨頂だろ
う。今回、弁慶は、左團次が勤めた。左團次は、背が高いので、
小柄な菊五郎と富十郎の間に割って入り、存在感があった。

下手のお幕から登場する静御前は、お決まりの、「能面」のよう
な無表情のままである。実際、能面の「増(ぞう)」のような化
粧をする。顔を能面に見立てるのである。美女ながら、後の知盛
の亡霊という無気味さを滲ませながら、前半は、静御前として演
じる。舟に乗る前の一行のために、舞の名手である静御前は、大
物浦の浜で都の四季の風情を踊る「都名所」。舞と踊りが、綯い
交ぜで、難しい役だと菊五郎は、言う。菊五郎の静御前と知盛亡
霊は、貫禄があった。特に、知盛亡霊では、花道で、薙刀を振り
回すが、私の席では、薙刀の先で、座席に座ったまま、私の首も
斬られそうな感じがしたが(なにせ、この日の歌舞伎座では、す
でに、小万、小太郎と、ふたつも首が斬られているのだから)、
そこは、さすが、菊五郎で、観客の心根を配慮しながら、配慮を
感じさせない迫力で、振り回していたので、感心した。

起(お幕からの弁慶の登場、続いて、花道からの義経と四天王の
登場)、承(お幕からの静御前の登場)、転(お幕からの舟長、
舟子の登場)結(花道からの知盛亡霊の登場)と、黙阿弥の作劇
は、メリハリがある。知盛の幕外の引っ込みでは、三味線ではな
く、太鼓と笛の、「一調一管の出打ち」。「荒れの鳴物」と言わ
れる激しい演奏で締めくくる。

一世一代の時の、富十郎の知盛亡霊には、厳しい長年の修練の果
てに辿り着いた自由自在の境地(老いを超越している闊達さ)を
感じたのを思い出す。菊五郎も、それに近づいている。静御前
は、一際、小柄に観え、知盛亡霊は、逆に、一際、大きく観え
た。この変化が、「舟弁慶」演じる役者の藝の力だと、思う。


「嫗山姥」

三代目時蔵五十回忌追善興行。三代目とは、先々代時蔵のこと。
5人の息子に恵まれたが、子どもたちは、いずれも、歌舞伎役者
としては、大成しなかった。歌六、四代目時蔵、当代の父親。初
代獅童、萬屋錦之介、嘉葎雄。

「八重桐廓噺〜嫗山姥(こもちやまんば)〜」は、5回目の拝
見。いずれも歌舞伎座だが、鴈治郎、時蔵(今回含め、2)、福
助、菊之助。歌舞伎では、口数の少ない女形が「しゃべり」の演
技を見せるという近松門左衛門作には珍しい味わいのある笑劇
(ちゃり)である。

笑劇のシンボルとなるのが、お歌(歌昇)と煙草屋源七、実は、
坂田蔵人(梅玉)のやりとり。歌昇が、「おじゃったか」「煙草
屋(ぱっぱや)」「紙(紙子=八重桐のこと)たば(煙草屋)、
おじゃ」などと、口跡の良い、余裕の演技で、場内を湧かしてい
た。また、錦之助の太田十郎とお歌と煙草屋源七とのからみも、
おもしろい。

大納言兼冬館の塀外の場面。やがて、花道から、黒と紫の「文反
古(ふみほご)」をはぎ合わせた着付け(紙子)姿の、恋文屋
(一筆で、叶わぬ恋も叶わせましょう)・八重桐が登場するが、
無人の塀内に聳える満開の1本の桜木が印象的。この塀が、自在
で、上下(左右)に動いて、閉じれば、塀外、開けば、館の一
室。木戸も、(道具方によって)塀外では、片付けられ、御殿で
は、据えられるが、八重桐が、入り込んでしまえば、即座に、片
付けられるという、闊達さ。

八重桐の科白が「言いとうて、言いとうて」で始まる見せ場。別
名「しゃべり山姥」といわれる「嫗山姥」では、八重桐の物語の
部分を「しゃべり」で演じるが、私が観た舞台で、「しゃべり」
を忠実に演じていたのは、12年前、96年の歌舞伎座で演じた
鴈治郎時代の藤十郎だけで、時蔵も、福助も、菊之助も、いわ
ば、しゃべらずに、人形のように、竹本に乗っての「仕方噺」と
して、所作で表現していた。つまり、「しゃべり」という名の舞
踊なのだ。これは、三代目、四代目の時蔵が得意とした萬屋の家
の藝の演出であるという。今回は、顔見世興行に加えて、三代目
時蔵五十回忌追善興行であるから、これが、追善最大の目玉演
目。当代の時蔵も、竹本に乗って踊る。藤十郎のような「しゃべ
り」の型では、今回登場した蔵人の妹・白菊、腰元・お歌などの
役柄は、登場しない。

八重桐(時蔵)は、故あって、自害する夫の坂田蔵人(梅玉)の
魂を飲み込むことで、己も怪力を持つという超能力者になるとと
もに、妊娠し、後に、怪力少年・怪童丸(お伽噺の金太郎、後の
坂田公時)を産み落とすことになる。金太郎の母になる人の、
「金太郎伝説」を先取りするような芝居。女形の柔らかい身のこ
なしと「常のおなごでなし」というスパーウーマンの力強さを綯
い交ぜにしながら、人物造型をする。

ほかの役者では、煙草屋源七、実は、坂田蔵人(團蔵)が、澤潟
姫(梅枝)を慰めようと、煙草の由来を話して聞かせる場面で
は、煙草嫌いだが、女好きという太田十郎(錦之助)とが、絡
み、ちゃり(滑稽劇)となる。太田十郎を、文字どおり、煙に捲
く。嫌煙派の太田十郎に煙管の雨は、いじわるだが、これは、
「助六」のパロディか。このほか、孝太郎が、腰元・白菊、実
は、坂田蔵人の妹・糸萩を演じていた。女武道が、八重桐と白菊
とふたり登場することになるので、「しゃべり山姥」に忠実な藤
十郎の型では、白菊らを出さないのかも知れない。

贅言:2階のロビーでは、三代目時蔵五十回忌の所縁展。斜目向
きの三代目の写真。「三代目時蔵って、中村芝翫にそっくりと思
わない?」という写真である。親戚の多い歌舞伎役者の世界だけ
れど、系図で見る限りでは、血の繋がりは、ないはず。横山大観
が、三代目に贈った金と白で描かれた「心神富士」という掛け
軸。奥村土牛が描いた三代目の「おわさ」(「弁慶上使」)の横
顔。「茨木」の三代目の隈取り。ほかに、15枚の舞台写真や楽
屋での、初代吉右衛門、三代目、先代の勘三郎という3兄弟の写
真など。このほか、一族の家庭での写真5枚。三代目襲名時の、
配りもの(配り扇、配り手拭)。三代目が、楽屋で使用していた
京都の象彦作の「蘭蝶蒔絵螺鈿鏡台」。家紋の「五三桐」が、透
かし彫りされている。演目の外題は、三五で、時蔵の家紋は、五
三。
- 2008年11月16日(日) 10:02:53
08年11月歌舞伎座昼の部劇評 その3 


「廓文章」


陰惨な芝居の後は、一転、明るく。「はんなり(華あり)」とし
た上方和事の「吉田屋」。江戸和事の名作「助六」同様、「吉田
屋」は、無名氏(作者不詳)による芝居ゆえ、無名の狂言作者
が、憑意した状態で、名作を後世に遺し、後世の代々の役者が、
工夫魂胆の末に、いまのような作品を遺したのだろう。ポイント
は、春の廓の情緒が、滲み出て来るかどうか。「盟三五大切」
が、付録付きで、長々と書いた上、「吉田屋」は、6回目の拝見
ゆえ、コンパクトに書き記しておきたい。

私が観た伊左衛門は、仁左衛門が4回(外題も、「夕霧伊左衛門
廓文章 吉田屋」)で、鴈治郎時代を含め、今回の藤十郎が、2
回(外題は玩辞楼十二曲の内、「廓文章 吉田屋」)。

松嶋屋型の伊左衛門と成駒屋型の伊左衛門(いまは、「山城屋
型」か)は、衣装、科白(科=演技、白=台詞)、役者の絡み方
(伊左衛門とおきさや太鼓持ちの絡み)など、ふたつの型は、い
ろいろ違う。竹本と常磐津の掛け合いは、上方風ということで仁
左衛門も鴈治郎時代の藤十郎も、同じ。六代目菊五郎以来、東京
風は、清元。

仁左衛門の、花道の出は、差し出し(面明り)。黒衣が、二人、
背中に廻した面明りを両手で後ろ手に支えながら、網笠を被り、
紙衣(かみこ)のみすぼらしい衣装を着けた仁左衛門の前後を挟
む。余計に、ゆるりとした出になる。明りが、はんなりとした雰
囲気を盛り上げる。仁左衛門が、本舞台に入り込むと、二人の黒
衣は、下手、袖に引っ込む。今回の藤十郎の花道の出は、私の座
席が、3階席で花道が見えないので、判らないが、伊左衛門の藤
十郎が、花道七三から、本舞台に移っても、二人の黒衣が、下
手、袖に引っ込っだようには、見えなかった。

吉田屋の前で、店の若い者に邪険に扱われる伊左衛門。やがて、
店先に出て来た吉田屋喜左衛門(我當)が、勘当された豪商藤屋
の若旦那と知り、以前通りのもてなしをする。まず、伊左衛門
は、喜左衛門の羽織を貸してもらう。次いで、履いていた草履を
喜左衛門が差し出した上等な下駄に鷹揚に履き替える。身をなよ
なよさせて、嬉しげに吉田屋の玄関を潜る。歌舞伎座の場内に
は、一気に、江戸時代の上方の遊廓の世界に引き込まれて行く。

吉田屋の店先にあった注連飾りは、観客席からは、見えにくい紐
に引っ張られて、舞台上(手)下(手)に消えて行く。店先の書
割りも、上に引き上げられたり、舞台上下に引き入れられたりし
て、たちまち、華やかな吉田屋の大きな座敷に変身する。下手、
金襖が開くと、伊左衛門が、入って来る。

この演目は、いわば、豪商の若旦那という放蕩児と遊女の「痴話
口舌(ちわくぜつ)」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の
能天気さが売り物の、明るく、おめでたい和事。先の「盟三五大
切」の陰惨さと出しものの、バランスをとっている。仁左衛門の
伊左衛門は、かなり意識して、「コミカルに」演じていた(「三
枚目の心で演じる二枚目の味」)が、藤十郎の伊左衛門は、阿呆
な男の能天気さを、「華やかに」演じていた。莫迦では無い、莫
迦に見せることが肝心。「夕霧にのろけて、馬鹿になっているよ
うに見えない(よう)では駄目だ」と、昭和の初めに亡くなった
十一代目仁左衛門の藝談が、遺る。

仁左衛門は、伊左衛門に豪商の若旦那の鷹揚さ、品格を意識し
て、演じていると言う。本興行で、11回目の出演。藤十郎は、
今回含めて、同じ11回目の出演、というから、ふたりとも、持
ち役である。藤十郎は、「鴈治郎時代と違うプラスアルファ」を
付け加えると言う。仁左衛門の味も、藤十郎の味も、どちらも、
捨て難い。

夕霧は、雀右衛門(2)、玉三郎(2)、福助、そして、今回
が、魁春。伊左衛門一筋という夕霧の情の濃さは、雀右衛門。色
気は、やはり、玉三郎。福助、魁春は、また、違う。それぞれ
の、持ち味を楽しめる。魁春は、病身を強調していて、儚げで
あった。

吉田屋の喜左衛門(我當)とおきさ(秀太郎)夫婦は、松嶋屋型
では、伊左衛門と夫婦ともども絡ませるが、成駒屋型では、おさ
きは、伊左衛門と直接、絡んで来ない。我當、秀太郎の夫婦役
は、今回含め、3回拝見。なかでも、秀太郎のおきさは、4回目
の拝見。上方味あり、人情ありで、このコンビの喜左衛門とおき
さは、安定感がある。我當の喜左衛門役は、本興行で、7回目、
秀太郎のおきさ役は、11回目という。落魄した伊左衛門を囲む
ふたりの雰囲気には、しみじみとしたものがある。

秀太郎は、出演する度に、工夫をしているそうだ。今回は、「自
然体で、いい加減」ということで、おきさその人に自然になり切
るバランスを考えての出演らしい。大坂の遊廓の女将という風情
は、秀太郎が、舞台に姿を見せるだけで、匂い立つ。名前のある
4人の仲居、名無しの8人の仲居が、夫婦をサポート。仲居のお
よしは、芝のぶが、演じる。いつも、爽やか。

いつも思うのだが、置き炬燵の使い方が、巧い作品だ。大道具で
あり、持ち運びのできる小道具でありという、巧みな使い方をす
る。炬燵蒲団の太い斜線の模様とともに、印象に残る道具だ。伊
左衛門の夕霧に対する嫉妬、喜びなどが、大波、小波で揺れ動く
様が、炬燵とともに表現される。巧みな演出だ。炬燵は、最後ま
で、主要な居所を占めているので、注意してみていると、おもし
ろい。

芭蕉の句。「住みつかぬ旅のこころや置炬燵」
掘炬燵と違って、どこへでも、動かせる置炬燵の妙味。放蕩児・
伊左衛門の自由な存在感は、置炬燵が、象徴しているのかも知れ
ない。炬燵を軸に、座ったり、寝たり、入ったり、腰を掛けた
り。

阿波の大尽の座敷に夕霧が出ていると聞き、座敷まで出向く伊左
衛門。ちんちんべんべんちんちんべんべんという三味線の音に急
かされるように、急ぎ足。舞台の座敷上手の銀地の襖をあける伊
左衛門。距離感を出すために、細かな足裁きで、コミカルに奥へ
奥へと進んで行く伊左衛門。次いで、金の襖、また、銀の襖、そ
して、最後の障子の間へと行き着く。座敷の様子を伺い、不機嫌
になって戻って来る伊左衛門。帰ろうとしたり、炬燵でふて寝を
したり、待つことのいら立ちが、芝居の軸になる。「吉田屋」
は、ある意味で、「待つ芝居」だろう。待つことで、一芝居打
つ。

「むざんやな夕霧は」で、やがて、夕霧登場。病後らしく、抑制
的な魁春の夕霧。ふて寝の伊左衛門は、夕霧を邪険にする。伊左
衛門の勘当を心配する余り、病気になったのに、何故、そんなに
つれなくするのかと涙を流す夕霧。伊左衛門も、受け入れる。黒
地に雪の枝と鶴などが、銀と金で縫い込まれた打掛けがから、瀧
に鮮やかな紅葉も色とりどりの模様の打掛けに着替える夕霧。冬
から秋へ逆戻り、いや、舞台の季節は、正月の準備とおめでた
い。やがて、藤屋からは、伊左衛門の勘当が解け、夕霧を嫁にす
ると身請けの千両箱を持った使いが来る。めでたしめでたし、と
いう、筋だけ追えば、たわいの無い噺。竹本は、谷太夫を軸に3
人。常磐津は、一巴太夫の美声が、響き渡る。

「助六」が、江戸の遊廓・吉原の街を描いたとしたら、「吉田
屋」は、上方の遊廓の風情を描いたと言えるだろう。どちらも、
作者不詳。芝居小屋の下積みの、狂言作者たち。歌舞伎の裏表に
精通した複数の作者たちの憑意と工夫魂胆の集積の果てに、代々
の役者の工夫魂胆で、磨きを掛けられて、名作が遺されたという
意味でも、「助六」と「吉田屋」は、共通しているように思う。

(了)

- 2008年11月15日(土) 13:17:53
08年11月歌舞伎座昼の部劇評 その3 


「廓文章」


陰惨な芝居の後は、一転、明るく。「はんなり(華あり)」とし
た上方和事の「吉田屋」。江戸和事の名作「助六」同様、「吉田
屋」は、無名氏(作者不詳)による芝居ゆえ、無名の狂言作者
が、憑意した状態で、名作を後世に遺し、後世の代々の役者が、
工夫魂胆の末に、いまのような作品を遺したのだろう。ポイント
は、春の廓の情緒が、滲み出て来るかどうか。「盟三五大切」
が、付録付きで、長々と書いた上、「吉田屋」は、6回目の拝見
ゆえ、コンパクトに書き記しておきたい。

私が観た伊左衛門は、仁左衛門が4回(外題も、「夕霧伊左衛門
廓文章 吉田屋」)で、鴈治郎時代を含め、今回の藤十郎が、2
回(外題は玩辞楼十二曲の内、「廓文章 吉田屋」)。

松嶋屋型の伊左衛門と成駒屋型の伊左衛門(いまは、「山城屋
型」か)は、衣装、科白(科=演技、白=台詞)、役者の絡み方
(伊左衛門とおきさや太鼓持ちの絡み)など、ふたつの型は、い
ろいろ違う。竹本と常磐津の掛け合いは、上方風ということで仁
左衛門も鴈治郎時代の藤十郎も、同じ。六代目菊五郎以来、東京
風は、清元。

仁左衛門の、花道の出は、差し出し(面明り)。黒衣が、二人、
背中に廻した面明りを両手で後ろ手に支えながら、網笠を被り、
紙衣(かみこ)のみすぼらしい衣装を着けた仁左衛門の前後を挟
む。余計に、ゆるりとした出になる。明りが、はんなりとした雰
囲気を盛り上げる。仁左衛門が、本舞台に入り込むと、二人の黒
衣は、下手、袖に引っ込む。今回の藤十郎の花道の出は、私の座
席が、3階席で花道が見えないので、判らないが、伊左衛門の藤
十郎が、花道七三から、本舞台に移っても、二人の黒衣が、下
手、袖に引っ込っだようには、見えなかった。

吉田屋の前で、店の若い者に邪険に扱われる伊左衛門。やがて、
店先に出て来た吉田屋喜左衛門(我當)が、勘当された豪商藤屋
の若旦那と知り、以前通りのもてなしをする。まず、伊左衛門
は、喜左衛門の羽織を貸してもらう。次いで、履いていた草履を
喜左衛門が差し出した上等な下駄に鷹揚に履き替える。身をなよ
なよさせて、嬉しげに吉田屋の玄関を潜る。歌舞伎座の場内に
は、一気に、江戸時代の上方の遊廓の世界に引き込まれて行く。

吉田屋の店先にあった注連飾りは、観客席からは、見えにくい紐
に引っ張られて、舞台上(手)下(手)に消えて行く。店先の書
割りも、上に引き上げられたり、舞台上下に引き入れられたりし
て、たちまち、華やかな吉田屋の大きな座敷に変身する。下手、
金襖が開くと、伊左衛門が、入って来る。

この演目は、いわば、豪商の若旦那という放蕩児と遊女の「痴話
口舌(ちわくぜつ)」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の
能天気さが売り物の、明るく、おめでたい和事。先の「盟三五大
切」の陰惨さと出しものの、バランスをとっている。仁左衛門の
伊左衛門は、かなり意識して、「コミカルに」演じていた(「三
枚目の心で演じる二枚目の味」)が、藤十郎の伊左衛門は、阿呆
な男の能天気さを、「華やかに」演じていた。莫迦では無い、莫
迦に見せることが肝心。「夕霧にのろけて、馬鹿になっているよ
うに見えない(よう)では駄目だ」と、昭和の初めに亡くなった
十一代目仁左衛門の藝談が、遺る。

仁左衛門は、伊左衛門に豪商の若旦那の鷹揚さ、品格を意識し
て、演じていると言う。本興行で、11回目の出演。藤十郎は、
今回含めて、同じ11回目の出演、というから、ふたりとも、持
ち役である。藤十郎は、「鴈治郎時代と違うプラスアルファ」を
付け加えると言う。仁左衛門の味も、藤十郎の味も、どちらも、
捨て難い。

夕霧は、雀右衛門(2)、玉三郎(2)、福助、そして、今回
が、魁春。伊左衛門一筋という夕霧の情の濃さは、雀右衛門。色
気は、やはり、玉三郎。福助、魁春は、また、違う。それぞれ
の、持ち味を楽しめる。魁春は、病身を強調していて、儚げで
あった。

吉田屋の喜左衛門(我當)とおきさ(秀太郎)夫婦は、松嶋屋型
では、伊左衛門と夫婦ともども絡ませるが、成駒屋型では、おさ
きは、伊左衛門と直接、絡んで来ない。我當、秀太郎の夫婦役
は、今回含め、3回拝見。なかでも、秀太郎のおきさは、4回目
の拝見。上方味あり、人情ありで、このコンビの喜左衛門とおき
さは、安定感がある。我當の喜左衛門役は、本興行で、7回目、
秀太郎のおきさ役は、11回目という。落魄した伊左衛門を囲む
ふたりの雰囲気には、しみじみとしたものがある。

秀太郎は、出演する度に、工夫をしているそうだ。今回は、「自
然体で、いい加減」ということで、おきさその人に自然になり切
るバランスを考えての出演らしい。大坂の遊廓の女将という風情
は、秀太郎が、舞台に姿を見せるだけで、匂い立つ。名前のある
4人の仲居、名無しの8人の仲居が、夫婦をサポート。仲居のお
よしは、芝のぶが、演じる。いつも、爽やか。

いつも思うのだが、置き炬燵の使い方が、巧い作品だ。大道具で
あり、持ち運びのできる小道具でありという、巧みな使い方をす
る。炬燵蒲団の太い斜線の模様とともに、印象に残る道具だ。伊
左衛門の夕霧に対する嫉妬、喜びなどが、大波、小波で揺れ動く
様が、炬燵とともに表現される。巧みな演出だ。炬燵は、最後ま
で、主要な居所を占めているので、注意してみていると、おもし
ろい。

芭蕉の句。「住みつかぬ旅のこころや置炬燵」
掘炬燵と違って、どこへでも、動かせる置炬燵の妙味。放蕩児・
伊左衛門の自由な存在感は、置炬燵が、象徴しているのかも知れ
ない。炬燵を軸に、座ったり、寝たり、入ったり、腰を掛けた
り。

阿波の大尽の座敷に夕霧が出ていると聞き、座敷まで出向く伊左
衛門。ちんちんべんべんちんちんべんべんという三味線の音に急
かされるように、急ぎ足。舞台の座敷上手の銀地の襖をあける伊
左衛門。距離感を出すために、細かな足裁きで、コミカルに奥へ
奥へと進んで行く伊左衛門。次いで、金の襖、また、銀の襖、そ
して、最後の障子の間へと行き着く。座敷の様子を伺い、不機嫌
になって戻って来る伊左衛門。帰ろうとしたり、炬燵でふて寝を
したり、待つことのいら立ちが、芝居の軸になる。「吉田屋」
は、ある意味で、「待つ芝居」だろう。待つことで、一芝居打
つ。

「むざんやな夕霧は」で、やがて、夕霧登場。病後らしく、抑制
的な魁春の夕霧。ふて寝の伊左衛門は、夕霧を邪険にする。伊左
衛門の勘当を心配する余り、病気になったのに、何故、そんなに
つれなくするのかと涙を流す夕霧。伊左衛門も、受け入れる。黒
地に雪の枝と鶴などが、銀と金で縫い込まれた打掛けがから、瀧
に鮮やかな紅葉も色とりどりの模様の打掛けに着替える夕霧。冬
から秋へ逆戻り、いや、舞台の季節は、正月の準備とおめでた
い。やがて、藤屋からは、伊左衛門の勘当が解け、夕霧を嫁にす
ると身請けの千両箱を持った使いが来る。めでたしめでたし、と
いう、筋だけ追えば、たわいの無い噺。竹本は、谷太夫を軸に3
人。常磐津は、一巴太夫の美声が、響き渡る。

「助六」が、江戸の遊廓・吉原の街を描いたとしたら、「吉田
屋」は、上方の遊廓の風情を描いたと言えるだろう。どちらも、
作者不詳。芝居小屋の下積みの、狂言作者たち。歌舞伎の裏表に
精通した複数の作者たちの憑意と工夫魂胆の集積の果てに、代々
の役者の工夫魂胆で、磨きを掛けられて、名作が遺されたという
意味でも、「助六」と「吉田屋」は、共通しているように思う。

(了)

- 2008年11月15日(土) 13:17:23
08年11月歌舞伎座昼の部劇評の続き その2


(付録)

「南北のノワ−ル………義鬼・疾駆す」(「盟三五大切」論は、
このサイトの「遠眼鏡戯場観察」、03年10月、歌舞伎座の劇
評から転載、一部、追加の注あり)

☆「仮名手本忠臣蔵」が、人形浄瑠璃や歌舞伎のヒット作とな
り、江戸時代の庶民に喝采して迎えられた。1748年のことで
ある。7年後の1755年、江戸の日本橋新乗物町の紺屋の型付
職人の子として生まれた南北は、長い狂言作者の見習いを経て、
50歳を目前にして、ようやく、一人立ちし、「天竺徳兵衛」
(1804年)で、ヒットする。以後、1829年に亡くなるま
で、25年間、いまも残る名作の数々を書き続け、歌舞伎史上に
「大南北」として、名を残して行く。

そのなかでも、3大歌舞伎のひとつとして、人気の出し物となっ
ていた並木宗輔らの「仮名手本忠臣蔵」の外伝として、南北は、
「謎帯一寸徳兵衛」(文化8=1811=年7月・江戸市村
座)、「東海道四谷怪談」(文政8=1825=年7月・江戸中
村座)、「盟三五大切」(「東海道四谷怪談」の続編。文政8=
1825=年9月・江戸中村座。いずれも、月は、旧暦)など
の、いわゆる「外伝もの」を書き上げて行く。

「四谷怪談」で、南北は、塩冶家断絶の後、浪人となった民谷伊
右衛門を主人公として、「忠臣蔵」の義士たちに対して、「不義
士」を描いたが、「盟三五大切」では、義士・不破数右衛門を主
人公として、義士のなかに紛れ込んだ殺人鬼を描いた。「四谷怪
談」が、妾と中間の密通事件を知った旗本が、二人を殺して、同
じ戸板の裏表に二人を縛り付けて、川へ流したという実際の事件
をモデルにしたように、「盟三五大切」では、寛政6
(1794)年2月大坂中の芝居で上演された並木五瓶原作「五
大力恋緘」(大坂・曾根崎で実際に起きた5人斬り事件をモデル
にした)を江戸の深川に舞台を移して、書き換えた形で、実際の
事件を再活用した。

「盟三五大切」は、粗筋を簡単に辿ると、こうである。塩冶家の
浪人不破数右衛門は、御用金百両を盗まれ、その咎で浪人とな
り、いまでは、薩摩源五兵衛と名前を変えて生きている。数右衛
門は、旧臣下の徳右衛門、いまは、出家している了心に金の工面
を頼んでいる。その一方で、深川の芸者・妲妃(だっき)の小万
に入れ揚げている。小万は、船頭・笹野屋三五郎の女房・お六で
ある。三五郎は、実は、徳右衛門の息子の千太郎で、訳あって、
勘当の身であるが、父親が旧主のために金の工面をしていると聞
き、これを用立てて、勘当を許してもらおうとしている。そのた
めに、女房のお六を小万と名乗らせて、芸者に出しているのだ。
その金策が、実は、源五兵衛から金を巻き上げるということから
悲劇が発生することになる。

源五兵衛のところへ、伯父の富森助右衛門が、百両の金を持って
来る。この金を塩冶浪士たちの頭領・大星由良之助に届けて、仇
討の一味に復帰せよと助言する。しかし、源五兵衛は、小万らに
騙された挙げ句、小万の身請け用として、百両を渡してしまう。
三五郎は、源五兵衛に小万の亭主だと名乗り、身請け話しをちゃ
らにし、百両をだまし取る。三五郎と小万こと、お六は、騙りに
参加した小悪人どもと祝杯を上げたが、寝入ったところを、源五
兵衛に襲われ、小悪人たち5人は、殺されるものの、三五郎、小
万のふたりは、悪運強く、生き延びる。その後、ふたりが、逃げ
込んだ四谷鬼横町の長屋は、かって神谷(つまり、民谷)伊右衛
門が住んでいたところだ。さらに、家主の弥助は、伊右衛門の従
者であったと共に、お六の兄で、実は、「不義士」伊右衛門と共
犯で、塩冶家の御用金を盗んだ盗賊の一味であった。さらに、か
つて長屋に住み、高家に出入りしていた大工が隠し持っていた絵
図面が、風の悪戯で見つかる。この絵図面こそ、塩冶浪士たちが
主君の仇と狙う高家の絵図面であった。三五郎は、弥助を殺し、
百両と絵図面を父親の了心に渡す。

小万らの居所を突き止め、再び来た源五兵衛は、三五郎の留守に
小万とその赤子を殺す。三五郎の父親、了心は、百両と絵図面を
旧主の不破数右衛門こと、薩摩源五兵衛に渡す。そのことを初め
て知った三五郎は、父親の旧主不破数右衛門こと、薩摩源五兵衛
の罪の全てと己の罪を一身に被って自害し、源五兵衛には、塩冶
浪士として、敵討ちに加わるように懇願する。源五兵衛は、件の
長屋に姿を変えて潜んでいた塩冶浪士らとともに、高家への討ち
入りに参加して行く。

この人間関係で、キーパースンになっているのは、三五郎の父親
の了心だというのが、判る。しかし、了心が、三五郎と源五兵衛
にそれぞれの関係を告げなかったために、三五郎は、源五兵衛を
罠にはめて、金をだまし取り、源五兵衛は、それを恨んで殺人鬼
となり、小万、こと三五郎の女房・お六ら8人を殺してしまう。
そういう意味では、忠臣・徳右衛門こと、了心こそ、悪行の連鎖
の鍵を握っていたことになる。それにもかかわらず、塩冶義士、
こと赤穂義士のなかに、殺人鬼が潜んでいることが判る。』

《今回、新たに付した注》
「了心のベクトル」、つまり、了心を軸に、ベクトルが、ふた
つ、それぞれ逆方向に、螺旋状に、出発する、という仕掛けを南
北は作った。以下、説明したい。

1)了心→(勘当の)三五郎・小万→源五兵衛→情を弄ばれ、百
両を奪われ→騙されたことに怒って→連続殺人の殺人鬼→「義士
への戻り」(マイナスのカードを集め続けているうちに、プラス
に)。

2)(騙された)源五兵衛→(百両入手した)三五郎・小万→
(百両で、勘当を許す)了心→百両献金→不破数右衛門=源五兵
衛→(殺された)小万、(事実関係を知って、自害する)三五郎
→すべての悪を背負い、不破数右衛門を義士へ戻らせる→殺人鬼
は、何の咎も無く、義士の群れに紛れ込む(プラスのカードを集
めたはずなのに、マイナスに)。


☆そういう点を踏まえて、これから「盟三五大切」を観劇される
人のために、私なりの視点で、この芝居を観るための4つのポイ
ントを書き留めておこう。

1)「四谷怪談」の続編
2ヶ月前の7月、江戸・中村座で「仮名手本忠臣蔵」と合わせて
2日がかりで「東海道四谷怪談」を上演し、大当たりをとった南
北が、9月、同じ中村座で「盟三五大切」を上演するあたって、
意図したのは、「四谷怪談」の<続編>の強調であった。三五郎
と女房お六が隠れ住んだ四谷鬼横町は、実は、鬼=お岩というこ
とで、お岩さまで知られる横町であり、ふたりが入った長屋は、
かって民谷伊右衛門が住んでいたところという想定だ。つまり、
民谷伊右衛門とお岩の、「後日談」の形式をとっている。

さらに、お六の兄と判明する家主の弥助は、かって民谷の下部
(しもべ)・土手平であり、お六も、民谷の召使であった。長屋
に「勝手付化物引越申候 家主」という板を打ち付けて、新しい
入居者をお化けでおどして、転出させ、手付けの家賃を巻き上げ
る作戦をとっていた家主がなりすましたお化けは、お岩の幽霊で
あった。また、旧主・不破数右衛門のために、金策に走っていた
三五郎の父・徳右衛門同心了心が、利用した金集めの手段は、な
んと、お岩稲荷建立のための募金活動であった。芝居のあちこち
にちりばめられた「四谷怪談」の仕掛けを見逃してはならない。
「四谷怪談」について、登場人物の類型論という視点から、後
に、更に述べてみたい。

2)「忠臣蔵外伝」の系譜
こちらは、1)とも、関わるが、塩冶判官切腹で取り潰しになっ
た塩冶家の浪人・民谷伊右衛門が、義士の群れから、こぼれ落ち
た「不義士」なら、薩摩源五兵衛として、多数の人殺しをした上
で、百両と高家の絵図面を手土産に塩冶浪士という義士の群れに
復帰する不破数右衛門は、義士のお面を被った殺人鬼である。何
故、南北は、47人いる義士の群れのなかから、そういう役回り
の人物として、不破数右衛門に「白羽」ならぬ黒い羽のついた矢
を放ったのだろうか。

まず、その不破数右衛門とは、「仮名手本忠臣蔵」では、どうい
う役回りだったかを調べてみた。不破数右衛門が出て来る場面
は、六段目。「勘平切腹」の場面である。五段目の「山崎街道鉄
砲渡しの場」で、勘平と出逢い、由良之助の御用金集めの話を打
ち明けた千崎弥五郎が、(「山崎の渡し場を左へとり、百姓」)
与市兵衛内へ、再び、勘平を訪ねて来る。このとき、勘平は、誤
解から、自分が舅の与市兵衛を殺してしまったと思い、動揺して
いる。千崎弥五郎は、ひとりではなかった。このとき、弥五郎と
いっしょに来たのが、不破数右衛門なのである。勘平とふたりの
若干のやり取りの後、数右衛門が言う科白に注目したい。

「コリャ勘平、お身ゃどうしたものじゃ。渇しても盗泉の水を呑
まずとは、義者の戒め。舅を殺し取ったる金、亡君の御用に立つ
と思うか。生得、汝が不忠不義の根性にて、調えたる金子と推察
あって、さし戻されし大星殿の眼力、あっぱれあっぱれ。さりな
がら、ただ情なきは、このこと世上に流布あって、あれ見よ、塩
冶の家来早野勘平、非義非道を行ないしと言わば、汝ばかりの恥
辱にあらず。亡君の御恥辱と知らざるか、うつけ者めが。さほど
のことの弁えなき汝にてはなかりしが、いかなる天魔が魅入りし
か。チエエ、情けなき心じゃなア」。

この道徳論に打たれて、勘平は、「舅殺し」を白状して、切腹す
る。後に、誤解が解けて、勘平に「亡君の敵、高師直を討ち取ら
んと、神文を取り交わせし、一味郎党の連判状」を見せて、勘平
を「一味郎党」に加える判断を下す重臣であり、御用金をまとめ
る金庫番である人物こそ不破数右衛門なのである。こういう武士
の鑑のような道徳論を説く男・不破数右衛門を南北は、薩摩源五
兵衛という殺人鬼、実は、不破数右衛門という塩冶義士、つま
り、「義をかかげる殺人鬼」として、主人公に据えたのである。

こうして見てくると、南北は、表の「仮名手本忠臣蔵」を裏に返
して、「忠臣蔵外伝」として、「不義士で悪人」の民谷伊右衛門
を主人公とする「東海道四谷怪談」を書いただけではものたら
ず、さらに、「義士のなかにいる悪人(殺人鬼)」・薩摩源五兵
衛、実は、不破数右衛門を主人公とする「盟三五大切」を書いた
ということになる。

「四谷怪談」のように、不義士で悪人なら、一元性だが、「盟三
五大切」のように、義士で悪人というと、二元性となる。南北の
到達点は、二元性の悪人を描くことにあったのではないか。つま
り、「忠臣蔵」に対する南北の皮肉は、「四谷怪談」では飽き足
らず、「盟三五大切」で、やっと、結実することになる。

3)「小万源五兵衛」の世界
では、何故、不破数右衛門は、殺人鬼になるにあたって、「薩摩
源五兵衛」と名乗ったのか、という疑問が、次に生まれて来る。
「おまん源五兵衛の『世界』」から、語らねばならないだろう。
「おまん源五兵衛の『世界』」とは、俗謡とも呼ばれる近世歌
謡、浄瑠璃、歌舞伎狂言の系統で、「おまん源五兵衛もの」とし
て、ひとつの「世界」を構成する「概念(コンセプト)」であ
る。江戸の庶民周知の通俗日本史や伝承のなかで、繰り返し、脚
色・上演されることで、形成されて来た類型的コンテンツのこと
である。「世界」とは、大仰な演劇用語かも知れないが、江戸の
芝居の年中行事として、「世界定め」という用語が使われたよう
に、ある出し物が、「○○の世界」と定められれば、作品の背景
となる時代や主な登場人物、そこで繰り広げられる事件などは、
狂言作者も、役者も、観客も、芝居が作られ、上演される前か
ら、基本的な共通意識(コモンセンス)を持ってしまう。そこ
で、芝居の楽しみと言えば、作る方も、演じる方も、観る方も、
お馴染みの「世界」に、どういう工夫魂胆のもと、どういう趣向
を見せてくれるかが、楽しみになって来る。歌舞伎とは、そうい
う演劇空間であった。

「おまん源五兵衛もの」に話を戻すならば、「高い山から谷底見
ればおまん可愛や布晒す」という源五兵衛節があり、流行した俗
謡に刺激されて、井原西鶴は、浮世草子(小説)「好色五人女」
巻五で、「恋の山源五兵衛物語」を書き、近松門左衛門は、浄瑠
璃「薩摩歌」を書いた。これを受けて、源五兵衛・三五兵衛(三
五郎ではない)・おまん(小万ではない)を主たる登場人物とす
る芝居が生まれたという。さらに、大坂の曾根崎新地で実際に起
こった薩摩武士・早田八右衛門による遊女・菊野ら5人殺しとい
う殺人事件に刺激されて、初代並木五瓶が、先行作品「薩摩歌」
を下敷きに、「五人切五十年廻(ごにんぎりごじゅうねんか
い)」を書き、さらに「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじ
め)」に書き換え、江戸で上演した際、曾根崎を深川に書き改め
るとともに、「菊野」の役柄を「おまん」に通じる「小万」に改
めた。だから、「五大力恋緘」には、上方型と江戸型がある。五
瓶は、己の作品を下敷きに、さらに、その名もずばり、「略三五
大切(かきなおしてさんごたいせつ)」を書き、また、これを下
敷きに南北が、「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」を
書いたというわけだ。簡単にふれただけでも、「おまん源五兵衛
もの」は、ストーリーも含めて、幾重にも重層化している。

それは、ほかの「世界」でも同じだ。著作権などない時代だ。己
の作品も含めて、先行作品を下敷きにし、より良い世界を求め
て、書き換えて行く。そういう職人的な、書き換えの行為の果て
に、憑意したかのごとき状態になった作者の手から、新たな狂言
が、生まれでて来ることがある。だから、書き換えは、パロディ
でもあり、剽窃でもあり・・・、しながら、あらたな演劇空間の
地平を開いて行く。まさに、書き換えの勧め(「偉大な先行作品
の『模倣と批評』を繰り返し、新たな傑作を生み出し続けたこと
で延命を保っている創作形式」は、ほかのジャンルにも通じる)
である。その「世界」で使えそうな事件が起これば、それは、狂
言作者の書き換え意欲を刺激することになる。さまざまな人たち
が書き留めた複数の記憶が、重層的に、幾重にも塗り込められて
いるのが、南北劇というところか。

4)「南北のノワ−ル−−−義鬼・疾駆す」というタイトル
「ノワ−ル」と、名付けたが、「ノワ−ル」とは、文藝評論家の
池上冬樹の定義によれば、「孤独と愛憎から捩じれ屈折し、とき
に破滅していく者たちの精神の暗黒を描く文学」ということにな
る。そういう視点で、「盟三五大切」を観ると、「孤独と愛憎か
ら捩じれ屈折し、ときに破滅していく者たち」の典型は、三五郎
とお六、こと小万であり、「孤独と愛憎から捩じれ屈折し、とき
に破滅してい」きかけながら、したたかに、復活する「義をかか
げる殺人鬼」=「義鬼」こそが、薩摩源五兵衛こと不破数右衛門
なのではないか。

善人面した善人、善人面した悪人は、世間にも多い。悪人面した
悪人も、性根が、顔に出るという意味では、善人面した善人と同
じであるが、こちらは、世間では、稀であろうが、歌舞伎では、
「赤ッ面」などと呼ばれ、化粧からして、一目で悪人、あるい
は、憎まれ役と判るようになっていて、一芝居打てば、必ずと
言って良いほど出て来る。しかし、今回の薩摩源五兵衛のよう
な、無気味な悪人面した悪人であり、義士でもある、などという
人物は、滅多にいない。これは、南北の世界だから出て来る人物
であろう。民谷伊右衛門が、色悪の極みなら、薩摩源五兵衛、実
は、不破数右衛門は、独自のキャラクターを作り上げた極悪人の
極北であろう。つまり、「南北《原理》主義」とでも、呼ぶしか
ない、人物造型の、悪の極みであろう。

したたかな復活。「義士・不破数右衛門の面の皮、その薄皮一枚
剥いてみれば、不義士・民谷伊右衛門よりも、あくどい奴(義鬼
=薩摩源五兵衛)がいる」と南北は、言いたかったのかもしれな
い。

ここで、先ほど、触れた「四谷怪談」の主な登場人物と「盟三五
大切」との類似性を南北原理主義に照らして、人物造型の類型を
検証する形で、論じてみたい。まず、「四谷怪談」の民谷伊右衛
門の類型を、仮にAとする。お岩がB、直助がCとなる。

「盟三五大切」の主人公、薩摩源五兵衛は、塩冶浪士の系譜から
見れば、れっきとした義士・不破数右衛門その人であり、民谷伊
右衛門のような、不義士ではないから、Aではないだろうが、さ
りとて、源五兵衛としては、伊右衛門とは、全く別の類型Dでも
ないだろう。不義士と紙一重の義士の仮面を被った殺人鬼だか
ら、A’だろうと思う。小万ことお六は、A’の薩摩源五兵衛に
殺されるから、Aの伊右衛門に殺されるお岩と同じで、Bになる
と思う。三五郎は、お岩の妹、お袖と契り、最後に真実を悟って
切腹する直助と同じで、お六=お岩と夫婦で、最後に真実を悟っ
て自害するから、Cのままになるだろう。

こうして見てくると、「四谷怪談」と「盟三五大切」の類似性
は、いっそう、はっきりする。つまり、「盟三五大切」は、「四
谷怪談」の続編と言うよりは、「四谷怪談」を下敷きにした書き
換え狂言、つまり、「四谷怪談」の「正統なる変種」なのではな
いか。不義士の伊右衛門は、源五兵衛のように、本名の不破数右
衛門に戻って、雪降りしきるなか、大星由良之助らとともに高家
に討ち入ることはできないが、お岩の亡霊や、佐藤与茂七らを相
手に、雪降りしきるなか、斬り結ぶという、幕切れの類似性は、
そのことの証左ではないか。

そういう意味では、「盟三五大切」は、同じ江戸・中村座の舞台
で2ヶ月前に上演した「東海道四谷怪談」よりも、南北原理主義
的に言えば、人物造型が、徹底している。徹底し過ぎて、時代を
飛び越えて、近代劇の系譜に突き刺さってしまったかも知れな
い。

しかし、一方では、「歌舞伎名作全集」には、2巻の鶴屋南北集
が、所載されていて、10の作品が掲載されているが、「盟三五
大切」は、入っていない。これは、第1に、ストーリーが、あま
りに、荒唐無稽で、陰惨な上に、大雑把、粗製だと言う、ストー
リーとしての完成度の低さなどが、挙げられるかも知れない。更
に、「四谷怪談」に比べて、大道具の仕掛けなど、舞台装置の活
用に乏しいことが、舞台を地味にし、意外と「不評」に作用し、
埋もれさせているようにも思える(戦後の本興行でも、今回を含
めて9回しか公演されていない。それなのに、ここ11年間で、
半分以上の6回というのは、この演目の、優れた「現代性」の証
左かも知れない)。原理主義を徹底した南北の反骨的な哲学とし
て
は、「四谷怪談」よりも時代を超えるスケールがありながら、芝
居という空間の活用としては、「四谷怪談」に遠く及ばない。こ
れは、そういう演劇空間の問題でもあるだろう。「演劇空間」の
活用の工夫が重ねられれば、「盟三五大切」は、もっと、おもし
ろい芝居になるかも知れない。

(続いて、その3「廓文章」)
- 2008年11月15日(土) 13:13:43
08年11月歌舞伎座 (昼/「盟三五大切」「廓文章」)その
1


「略(かきかえて)鶴屋南北」論(付録:「南北のノワ−ル……
…義鬼・疾駆す」)


「盟三五大切」は、4回目の拝見。これまで観た源五兵衛、実
は、不破数右衛門:幸四郎(2)、吉右衛門。今回は、仁左衛門
が、初挑戦。このほかの配役。三五郎:勘九郎時代の勘三郎、菊
五郎(今回含め、2)、仁左衛門。三五郎女房・小万:時蔵(今
回含め3)、雀右衛門。家主・弥助:左團次(今回含め、3)、
歌六。八右衛門:染五郎(2)、愛之助、今回は、歌昇。菊野:
芝雀、亀治郎、孝太郎、今回は、梅枝。三五郎の父親・了心:四
郎五郎、幸右衛門、芦燕、今回は、田之助。助右衛門:幸右衛
門、彦三郎、東蔵(今回含め、2)。

幕開きは、いきなり、黒幕を背景に舟の場面。順番に3艘の舟が
行き交うことになる。序幕・第一場は、「佃沖新地鼻」だから、
漆黒の闇のなかでの、江戸湾である。まず、1艘。お先の伊之助
(錦之助)という船頭と賤ヶ谷伴右衛門(権十郎)の舟である。
ふたりは、深川芸者・妲妃(だっき)の小万の噂をしている。舟
は、そのまま、舞台上手の袖に入って行く。

向う揚幕から花道を通り、別の舟が来る。小型の舟だが、中央
に、緋毛氈が敷き詰められている。船先には、手持ちの、アウト
ドア用の行灯。緋毛氈の上には、酒の入った徳利と煙草盆。乗っ
ているのは、先ほどの噂の主、深川芸者・小万で、実は、三五郎
女房のお六(時蔵)と船頭の三五郎(菊五郎)である。小万の手
には、役者絵を刷り込んだ団扇が握られている。夕涼みしなが
ら、ふたりは、客から金を搾り取る相談をしているようだ。3年
前の歌舞伎座の舞台では、本舞台に舟が差し掛かると上手より、
小さな樽が流れて来る。中に、沙魚(はぜ)が入っている。いや
に、リアルだったが、今回は、省略のようだ。やがて、ふたり
は、闇夜と密室の舟上を良いことに、緋毛氈の上で、カーセック
スならぬ、シップセックスの体(てい)。

11年前、97年10月、歌舞伎座で、初めて「盟三五大切」を
観たとき、この場面は、勘九郎時代の勘三郎と雀右衛門だった
が、濃厚なラブシーンに見えた。封建時代の演出を残す歌舞伎の
舞台では、性愛の場面では、写実は、避けたがる。象徴的に、所
作で、外形的に示す場合が、多い。そういう中で、この場面は、
数少ない、扇情的な性の描写がなされる場面だと、思う。5年
前、03年、歌舞伎座の菊五郎も、濃厚だった。菊五郎は、時蔵
の手を己の下半身に誘う。さらに、菊五郎の手は、時蔵の下半
身、そして胸へと、これまた、味が濃かった。今回も、同じ配役
だが、席が、遠かった所為か、判りにくかった。観た感じでは、
抑制的だったように、思う。それでも、船上の緋毛氈の上に横た
わり、抱擁するふたりの姿に、女性客の多い観客席は、息を呑ん
でいるように思えた。3年前、05年、歌舞伎座の仁左衛門は、
同じ時蔵を相手に、もう少し、薄味で演じていた。女形は、立役
との関係で、演技が異なって来るのだろう。

・・・黒幕が、切って落とされると、月夜の江戸前。舞台奥、上
手に、第3の舟が現れる。小万と三五郎を乗せた舟にくらべる
と、倍ぐらいある。屋形のある大きな舟だ。小万と三五郎を乗せ
た舟が、小型車なら、屋形のある大きな舟は、大型車という感じ
だ。月夜で、明るい中、屋形の中には、やはり、緋毛氈が敷き詰
められていて、そこにゆったりと薩摩源五兵衛(仁左衛門)が、
座っている。船先には、やはり、手持ちの、アウトドア用の行
灯。

以前に観た舞台では、この場面は、暗闇からぬうっと、薩摩源五
兵衛。という印象が残っている。小さな屋形舟で、闇で見えな
かったが、情事に耽るふたりの舟の近くまで、いつの間にか、
そっと、近付いていたような感じで、薩摩源五兵衛が、舟上に立
ち上がっている。源五兵衛は、陰険にも、ピーピング・トムのよ
うに、ふたりの情事を覗き見ていたのが、判るという趣向だっ
た。それに気づいても、薩摩源五兵衛に愛想を振りまく小万。こ
ういう場面になると、女性の方が、大胆なんだろうなあ。憮然と
した表情の三五郎が、気の毒になる。しかし、今回の仁左衛門
は、ゆるりと立上がって、自分の舟の舳先の方に移動する。白地
に紺絣の着物に、黒い絽の羽織を着ていて、颯爽としている。覗
き魔の、疚しさなんて無い。仁左衛門らしい、爽やかささえ感じ
られる。

3艘の舟を効果的に使った演出で、歌舞伎座の舞台は、一気に、
江戸時代の江戸前の海風の世界へタイムスリップする。巧みなイ
ントロである。

南北芝居のおもしろさは、怪談話、復讐譚という側面ばかりでは
無い。江戸の下層の庶民生活を活写するリアリズムだ。この芝
居、今回の登場人物だけでも、6人が「○○、実は△△」という
役回りだ。皆、仮の姿で、まるで、あの世で、戒名芝居をするよ
うに、現世で生きている連中ばかりだ。そのほかの傍役の名前
も、「ごろつき勘九郎」「ごろつき五平」「内びん虎蔵」「やら
ずの弥十」「はしたの甚介」「ますます坊主」「くり廻しの弥
助」など、まさに南北ワールドの面目躍如。

序幕・第二場「深川大和町の場」から、「大詰」まで登場する源
五兵衛の若党・六七八右衛門は、歌昇が、実直に演じている。源
五兵衛、実は、不破数右衛門という、グロテスクな人物の、裏
表、アンバランスな感覚を、かろうじて、「表」に引き止めてい
るというような役回りである。もうひとり、源五兵衛の伯父で、
塩冶義士の富森助右衛門(東蔵)。このふたりは、表の社会と繋
がっている。裏社会で暗躍し、常識的ではない登場人物が、目白
押しの「盟三五大切」では、数少ない「常識人」で、闇の中で
は、光って見える。

贅言:六七八右衛門の「八右衛門」という名前は、遊女との痴情
の果てに、大坂曾根崎で事件を起こし、この芝居のモデルになっ
た薩摩武士の「八右衛門」に由来している。因に、同じくモデル
になった事件の遊女「菊野」の名前も、芸者・菊野(梅枝)で、
出て来る。殺人者を善人の名前に採用する辺り、南北の皮肉な眼
差しが、目に浮かんできそうではないか。

二幕目・第一場「深川二軒茶屋」の伊勢屋の場面では、小万の
左、二の腕の入れ黒子「五大力」の「五」は、源五兵衛への心中
立ての「五」である。そういう「小道具」を使って、源五兵衛
に、賎ヶ谷伴右衛門に替って、小万を身請けさせようと、百両を
出させるために、源五兵衛以外の登場人物たちが、源五兵衛を騙
す。「梅川忠兵衛」の「封印切」を思い出させる場面だ。「表」
から繋ぎ止めようとしていた富森助右衛門と八右衛門の努力も、
虚し。源五兵衛が「裏」へ、「虚無の世界」へ、転落した瞬間
だ。助右衛門の科白。「思えば、思えば、馬鹿な奴め」。今月
は、なぜか、「思えば、思えば・・・」という科白が、何回か、
聞こえて来た。

「騙し、騙され、その挙げ句の悲劇」というのは、歌舞伎の作劇
法のひとつである。騙される源五兵衛は、前半では、実は、「忠
臣蔵」の塩冶家の家臣・不破数右衛門で、かつて盗賊に奪われた
御用金の一部百両を工面して、討ち入りに加わろうという志を
持っている。源五兵衛は、その敵討というミッションが、巧く行
かないという屈託感を抱く、世間知らずの武士だが、「美人局」
組の、小万らに百両を奪われ、さらに、小万には、三五郎という
亭主がいたということで、騙されたと知った後半は、人格が、変
わってか、本来のというか、粘着質のしつこい悪党になるから、
人間は、怖い。世間知らずの、弱い男が、惨忍になると、破滅的
なほどの惨忍さを発揮する。源五兵衛は、破滅型の人間の闇淵の
底深さを象徴しているように思える。

一方、騙しに成功すると、自信過剰の、「非常識人」である三五
郎は、脇が甘い。そのからくりを明かして、源五兵衛の怒りに火
を着けてしまう。己より、さらに、非常識の極みに居て、執念深
い、粘着質の源五兵衛の性格を知らずなかったばっかり
に・・・。これが、後の悲劇への元凶となるのを知っているの
は、復讐の祝祭劇の司祭である南北ばかり。

贅言:すでに2回観た幸四郎は、源五兵衛のキャラクターの無気
味さを、この辺りから巧く、掘り下げはじめる。幸四郎は、その
エネルギーを二幕目・第二場「五人切の場」まで、溜め込んだ。
吉右衛門は、その辺りが、薄味で、弱いように思えたが、今回の
仁左衛門はどうか。仁左衛門は、そういう私の予想を超えたイ
メージで、「色悪」ぶりを演じて来た。

源五兵衛の演じる「殺し場」は、ふたつある。5人殺す場面と、
2人を殺す場面。まずは、二幕目・第二場「五人切の場」では、
源五兵衛を騙して、百両を巻き上げたに成功して祝杯を上げてい
る面々がいる。処は、内びん虎蔵(團蔵)宅である。まず、三五
郎が、2階の座敷きで、小万との情事の果てに、乱れた蒲団の上
で、けだるさを感じさせながら、酒を呑んでいる。小万の腕の入
れ黒子「五大力」の「力」の字を、「七」と「刀」に書き換え、
さらに、「五」の前に、「三」を付け加えて、「五大力」を「三
五大切」ということで、「源五兵衛への心中立て」の小道具を
「三五郎への心中立て」に、変造してしまい、ひとり、悦に入っ
ている。やがて、ふたりは、再び、情愛の世界へ入るのか、障子
が閉め切られる。

やがて、夜も更け、三五郎らが2階、虎蔵が、ひとり抜けて、そ
の他4人は、1階で、寝込むため、灯を消す。そこへ、障子の丸
窓を破って、殺人鬼と化した源五兵衛が、障子を押し破って、
入って来る。まるで、「忠臣蔵」の五段目の定九郎の出か、ある
いは、「伊勢音頭恋寝刃」の10人殺しの福岡貢のようだ。だん
まりのなかで、5人殺しの殺し場が展開する。まず、衝立の後ろ
で、情事に耽った果てに寝込んだと思われるお先の伊之助と芸者
菊野は、三五郎・小万の夫婦と間違われて、殺される。奥へ逃げ
た伊之助は、追って来た源五兵衛に首を落される。着物を掛けた
ままの行灯の灯で、首実検をする源五兵衛。これは、お先の伊之
助の首。三五郎ではない。血まみれの刀を下げたまま、2階への
階段を昇る源五兵衛。しかし、三五郎・小万の夫婦は、階下の異
変を感じ取り、二階の床や羽目板を壊して、下へ逃げて来る。源
五兵衛が、侵入した丸窓を利用して、さらに、外へと逃げ出して
しまう。

すれ違いで、逃げられたと知り、1階に降りて来る源五兵衛。惨
劇を知らずに寝ているごろつき勘九郎らが、次は、血煙を上げら
れる。ここでは、「鈴ヶ森」風のノリの立ち回りも見られた。特
に、権十郎演じる伴右衛門、実は、ごろつき勘九郎は、右手が切
り落とされ、衝立に右腕がぶら下がる。今回、名題昇進の仁三郎
が演じるごろつき五平(これは、南北が下敷きにした「略(かき
かえて)三五大切」の作者・並木五瓶のパロディか)は、首を切
り落とされ、首が、衝立に載る。提灯を持って、外から帰って来
たもうひとりも、殺される。締めて、5人殺される。ここまで
は、仁左衛門も、普通の殺し場を演じていた。

大詰第一場「四谷鬼横町」では、神谷伊右衛門が、以前に、住ん
でいた長屋が舞台。伊右衛門に殺されたお岩の幽霊が出るという
ので、一旦、長屋に一人で引っ越して来た源五兵衛の若党・六七
八右衛門(歌昇)が、幽霊が出ると騒いで、すぐに宿移りする場
面があるが、長屋の連中が手伝って、引っ越しの荷物を火の番小
屋に運び込む。何故、火の番小屋なのか。何回観ても、良く判ら
ないが、今回は、すぐに転居先が決まらない場合、仮宅として、
暫定的に番小屋に住むようなルールが、当時の江戸庶民の知恵と
してあったのかなと思ってみた。なぜなら、長屋の住人、ますま
す坊主(松之助)の密告で、後刻、5人殺しの下手人として、源
五兵衛が、出石宅兵衛(翫雀)が率いる捕り方たちに捕まりそう
になった時、八右衛門が、突然、番小屋から飛び出して来て、主
人の源五兵衛、実は、不破数右衛門の、「仇討の志」の、身替わ
りに、下手人として、縄に付くからだ。ますます坊主を演じた松
之助は、いつも、傍役として、良い味を出してくれるから、嬉し
い。火の番小屋の、本来の住人、夜番の太郎七という、背中に瘤
のある老人を演じた菊十郎も、存在感があった。大家が、お岩の
幽霊に化けて、床下から室内に入り込み、三五郎夫婦を威そうと
するのを、外から手伝うのも、夜番だ。

この長屋は、八右衛門が転居した後に、三五郎夫婦が、赤子を連
れて、引っ越して来る。「船宿 笹の屋」という行灯を入り口に
掲げる。さらに、ふたりの行方を嗅ぎ付けて、毒を仕込んだ酒を
幇間の内びん虎蔵(團蔵)に威して、持たせながら源五兵衛が、
追って来て、さて・・・、という場面になるのだから、八右衛門
が遠くへ行って、居なくなってしまっては、困るのだ。縄の汚名
を背負ってまでも、数右衛門の仇討成就を勧める八右衛門の心根
に応えようと源五兵衛は、三五郎夫婦を見逃した風に装って、つ
まり、今度は、逆に、夫婦を騙して、一旦姿を消す。身替わりに
獄へ下る八右衛門の顔を手拭いで隠してやり、さらに、しっか
り、八右衛門を抱き締める源五兵衛は、狂気から冷めた善人の表
情を見せて、艶かしいほどだ。

贅言:三五郎夫婦の引っ越しが、また、おもしろい。舟の櫂棒で
担いで来た棺桶のような大きな樽(四斗樽)から傘、行灯、釜、
笊、土瓶、三味線、お櫃などが出て来た。そして、これらの小道
具が、それぞれ、時と所を得て、次々に、使われて行く。歌舞伎
の舞台に出て来る道具は、皆、それぞれの役割を持たされてい
て、本当に無駄がないから、おもしろい。今回、上の方の席から
見ていたら、桶の裏側が、左右に空くようにできているのが判
る。つまり、後に、三五郎を演じる菊五郎が、一旦、桶に身を隠
した後、ここを開け、さらに、その後ろにある長屋の壁を開け、
菊五郎は、舞台裏へ引っ込む、というシステムだ。

贅言:大家がからむやりとりで、「樽代を半分」などという科白
もある。やりとりから、推測するに、樽代とは、家賃のことのよ
うに聞き取れた。何故か、「樽」が、良く出て来る芝居だから、
最後まで、樽に注目!

八右衛門の前に長屋に入っていた高家出入りの大工が、残した高
師直屋敷の絵図面が、風に吹かれて落ちて来て、家主の弥助、実
は、神谷伊右衛門の下部(しもべ)、土手平であり、小万の兄
(左團次)と三五郎(菊五郎)とが、絵図面を巡って争いにな
り、その挙げ句、弥助は、殺される。そのふたりの立ち回りで、
弥助が、三五郎に向かって言う科白「おめえも、よっぽど、強悪
じゃなあ」とは、「四谷怪談」の「砂村隠亡堀」の場面で、直助
が、伊右衛門に言う科白と同じだ。伊右衛門の場合は、さらに言
う。「首が飛んでも、動いてみせるわ」。

三五郎を匿った後、小万が残る長屋に、粘着質の源五兵衛が、や
はり、戻って来た。「おのれ、みどもをたばかったな」と怒り狂
い、源五兵衛が、小万と赤子を殺す場面は、凄惨なのだが、これ
を仁左衛門と時蔵が、演じると、殺し場が、濡れ場のように見え
るから不思議だ。歌舞伎は、立回りという集団での乱舞のような
殺し場は、まだしも、濡れ場は、あまり、写実的には、描かない
とは、前にも述べた。いままで、幸四郎と雀右衛門、時蔵。吉右
衛門と時蔵とで、「四谷鬼横町」の小万と赤子の殺しの場面を観
て来たが、今回のような「感じ」を抱いたことはなかったので、
それを書きたい。

「お前は、鬼じゃ、鬼じゃわいなあ」という、科白とは、裏腹
に、艶かしい殺し場が、展開する。性愛は、撫でるように相手を
愛撫する。仁左衛門と時蔵の殺し場は、刀で女体を撫でこそしな
いが、仁左衛門の振るう刀は、性愛のように、時蔵を愛撫してい
るように見えたのだ。殺しにも、「体位」があるかのごとく、ふ
たりは、幾つかのポーズを決めながら、(本来の言語論理からす
ると、全く矛盾する表現になるが)撫でるかのように、嬲(な
ぶ)りながら、仁左衛門は、時蔵を相手に、執拗に(あるいは、
丹念に)刀を振るい、凄惨な殺しの地獄に堕ちて行く。修羅の世
界が拡がる。

挙げ句、赤子さえも、手を添えて、母親自らに殺させるという残
忍な仁左衛門・源五兵衛は、そういう所業とは、裏腹に、エロ
チックな所作で、エロスとタナトスの世界を構築して行くように
見えた。性愛と死のアナロジー。エクスタシーの極みは、死に至
る快楽。セクシャルとエロチックとは、違うということを感じさ
せたのが、この殺し場だった。セクシャルは、目に見えるもの。
エロチックとは、目に見えるものに刺激されて、脳が認識するば
かりで、目には見えないイマジネーションの世界。というよう
に、区別すれば良いのだろうか。エロチスムとは、脳だけが、間
接的に認識する感性。虚実の皮膜があると、それは、より鮮明に
感じ取れるのではないか。仁左衛門には、そういう「皮膜」のよ
うな魅力がある。小万の切首を懐に入れて、雨の中、花道七三
で、傘を差して、殺しの現場から、立去る色悪。性愛の極みの殺
人、切首持ち去り。なにやら、昭和の阿部定事件を思い出す。理
不尽な愛欲の果ての、愛憎の極北の世界。仁左衛門が、去った
後、舞台は、中央に残された赤子の遺体があるばかりで、暫く、
動きが無い。音も無い。やがて、鷹揚に舞台は、大道具を載せた
まま、右へ廻る。

大詰第二場「愛染院門前」の場では、珍しく、「本首」のトリッ
クが使われる。人の女房の首を斬り落とし、それを懐に入れて
帰って来ただけでも、グロテスクなのに、源五兵衛は、その首を
机の上に飾り、お茶漬けを喰うなど、死と食(生)を併存させる
辺りは、南北の凄まじいまでのエネルギーを感じさせる。さら
に、死人の首が、口を開けて、箸に挟んだおかずを喰おうとし
て、観客を驚かす。「切首」の身替わりに、時蔵が、机の上に、
自分の首を出していたから、「本首」という仕掛けだ。

この場面では、四斗樽のなかから、三五郎、実は、旧主・不破数
右衛門のために尽力している徳右衛門の息子・千太郎が、「モド
リ」という悪党の善人戻りの結果、己の腹に出刃包丁を突き立て
て、自害を図り、棺桶の板をバラバラに壊して、飛び出してく
る。「世に迷いしたわけゆえ」と、言いながら・・・。ここの三
五郎は、「忠臣蔵」の勘平切腹とダブル・イメージされる。三五
郎が、勘平なら、小万は、お軽か。

贅言:ここでは、菊五郎は、樽の中で、出番を待っているため、
四斗樽は、長屋の時に使ったもの(担いで来たので、樽の丈が、
短い)では無く、もっと、丈の高い、つまり、観客から見れば、
やや縦長の感じのする、別の樽に摺り替えられているのが、判
る。

仁左衛門の源五兵衛論。

仁左衛門の源五兵衛は、「伊勢音頭恋寝刃」の10人殺しの福岡
貢のイメージがダブる。1796(寛政8)年5月に、伊勢の古
市遊廓で起きた殺人事件を2ヶ月後の、7月に大坂角の芝居で初
演された演目で、急ごしらえで作り上げられただけに、もともと
説明的な筋の展開で、戯曲としては、一級品では無い。作劇に無
理がある。原作者は、並木五瓶が江戸に下った後、京大坂で活躍
した上方歌舞伎の作者近松徳三ほか。いわば、後世の目から見れ
ば、無名の作者たちが、書きなぐったような作品だが、芝居に
は、「憑依」という、神憑かりのような状況になるときがあり、
それが「名作」を生み、後世の役者の工夫魂胆に火を付けること
になる。

この芝居は、ドラマツルーギーとしては、決して良い作品ではな
い。ドラマツルーギーの悪さを演出で補った。江戸型として、静
止画的な絵姿の美しさを強調した、いまのような演出に洗練した
のが、幕末から明治にかけて活躍し、「團・菊・左」として、九
代目團十郎、初代左團次と並び称された五代目菊五郎だという。
上方に残った型は、「和事」の遊蕩児の生態を強調していた。

それにも拘らず、長い間上演され続ける人気狂言として残った。
その理由は、前にも、書いたが、お家騒動をベースに、主役の福
岡貢へのお紺の本心ではない縁切り話から始まって、ひょんなこ
とから妖刀「青江下坂」の魔力による連続殺人へというパター
ン。伊勢音頭に乗せた殺し場の様式美。殺しの演出の工夫。丸窓
の障子を壊して貢が出て来る場面は、上方型(今回の仁左衛門
は、「五人切の場」では、丸窓の障子を破り、室内に侵入して来
た!)。絵面としての、洗練された細工物のような精緻さのある
場面。無惨絵の絵葉書を見るような美しさがある反面、紋切り型
の、繰り返しという、安心感がある。そういう紋切り型を好む庶
民の受けが、いまも続いている作品。

馬鹿馬鹿しい場面ながら、汲めども尽きぬ、俗なおもしろさを盛
り込む。それが歌舞伎役者の藝。そういう工夫魂胆の蓄積が飛躍
を生んだという、典型的な作品が、この「伊勢音頭恋寝刃」だろ
う。

主役の福岡貢は、上方和事の辛抱立役の典型だが、俗に「ぴんと
こな」と呼ばれる江戸和事で洗練された役づくりが必要な役。こ
れが、仁左衛門の、当り役となっている。颯爽とした二枚目が、
最後に殺人鬼となる貢の、鬼気に迫るのは、仁左衛門の役柄だろ
う。当代の仁左衛門は、上方と江戸の両方の良さを表現できる。
そういう味わいが、今回、初役の源五兵衛にも、生かされている
と、私は観た。冒頭の、「佃沖新地鼻」の舟上での、白地に紺絣
の立ち姿から、私は、早々と、目を晦まされたのかも知れない。
その結果、陰気な「四谷鬼横町」の長屋での、小万と赤子の殺し
が、伊勢音頭も賑やかで、華やかな古市遊廓の連続殺人と、いわ
ば「同格」にイメージされるから、不思議だ。歌舞伎では、「憑
依」の状態で、無名の作者たちが、名作を生むことがあると、先
に書いたが、役者も、「憑依」の状態で、斬新なイメージを生み
出すことがある。仁左衛門初役の源五兵衛には、その兆しが感じ
られる。

吉右衛門の源五兵衛は、幸四郎の源五兵衛に比べると、不気味
さ、存在感は、足りなかった。前半の、小万・三五郎らの「美人
局」に騙される人の良さと後半の、執念の殺人鬼という分裂が、
吉右衛門初役では、演じ切れていなかった。真実を知らないこと
の残酷さ。源五兵衛の「不知」(「了心のベクトル」として、後
に、述べたい)が、悲劇を生み続ける、という南北の主張。「深
刻郎」こと、幸四郎は、こういう役は、さすが巧かったが、深刻
過ぎて、暗かった。仁左衛門は、残忍さを出しながら、颯爽とし
た色悪の魅力を滲ませていた。吉右衛門や幸四郎に欠けていたも
のは、男の「色気」では無かったかと、気が付いた。色と悪の相
乗効果。

時蔵の小万は、3回目で、好演であったが、最初に観た雀右衛門
には、まだ、及ばない。また、最近は演じていないが、玉三郎
が、23年前の85年の、新橋演舞場、32年前の76年の、国
立小劇場で小万を演じている。是非とも、歌舞伎座で玉三郎初演
の小万も、観てみたい。

贅言:南北の「三五大切」は、「四谷怪談」の続編。つまり、
「三」と「五」の間に、「四」を入れて、全巻の終わりで、皆、
大切という、趣向か。

(続く)
- 2008年11月15日(土) 13:02:20
08年10月歌舞伎座 (夜/「本朝廿四孝〜十種香、狐火〜」
「雪暮夜入谷畦道〜直侍〜」「英執着獅子」)


玉三郎が、満を持して、20年ぶりに「八重垣姫」を演じる


「本朝廿四孝〜十種香〜」は、9回目の拝見。これは、間違いが
ないが、「奥庭狐火」まで観るのは、3回目か。歌舞伎座の筋書
にある最新の上演記録が、詳細でないので、判りにくい。私が観
た舞台では、02年11月・歌舞伎座の「十種香」が良かった。
この時は、は、昼の部の「新薄雪物語」(大勢の役者が揃わない
と上演できない)上演の影響を受けて、夜の部の「本朝廿四孝〜
十種香〜」では、出演メンバーが豪華な上、いろいろとバランス
が取れていて、私が観たなかでは、「最高に充実したものになっ
た」と記録しているが、今回は、どうだろうか。

まず、その前に贅言:歌舞伎の三姫と言えば、「廿四孝」の八重
垣姫、「金閣寺」の雪姫、「鎌倉三代記」の時姫で、歌舞伎の姫
君の役柄でも、特に、難しいと言われている。中でも、「廿四
孝」の八重垣姫について言えば、私が思うには、人形浄瑠璃から
歌舞伎に移されてから、240年ほどが経っていて、代々の役者
らが、いろいろ工夫して来たにも拘らず、近松半二らが合作した
人形時代浄瑠璃の原型の演出が、いまも、色濃く残っている。八
重垣姫の心理の展開を科白劇ではなく、人形劇の、まさに、人形
ぶりに近い(だから、「人形ぶり」を取り入れる演出もある)外
形や所作で、表現することが続くから、難しいのではないだろう
か。寡黙なまま、竹本の語りと所作で、姫の心理や感情を表現す
ることの難しさ。それが、三姫の中でも、八重垣姫の演技をこと
のほか難しくしているように、私には、思える。逆に言えば、だ
からこそ、女形たちは、八重垣姫」に挑戦するとも言えるだろ
う。

私が観た八重垣姫は、芝翫、松江時代を含む魁春(2)、雀右衛
門(2、このうち、1回は、雀右衛門「十種香」に続いて、「狐
火(奥庭)」の場面を引き継いだ息子の芝雀を観ている。この
時、芝雀は、兄の大谷友右衛門の人形遣で、人形ぶりで八重垣姫
演じた。京屋型の人形ぶりということで、同じ上方歌舞伎でも、
やはり、人形ぶりを見せた鴈治郎の成駒屋型とは、違って、宙乗
りの場面があった)、鴈治郎、菊之助、時蔵で、今回は、玉三
郎。玉三郎は、20年ぶりの八重垣姫である。もちろん、私は、
玉三郎の八重垣姫は、今回が初見。8年前の200年5月、歌舞
伎座の初日を前に、舞台稽古を拝見したことがある。その時は、
菊之助が、八重垣姫で、玉三郎は、濡衣を演じた。因に、勝頼
は、新之助時代の海老蔵であった。菊之助が、玉三郎から演技指
導を受けながら、柱に抱きつく、「柱巻き」の場面を何度か繰り
替えして演じていた姿を覚えている。2階最前列の客席から拝見
していたので、どういう指導をしていたかは、聞き取れなかっ
た。

さて、私の印象に残る八重垣姫は、何と言っても、雀右衛門で
あった。静かなうちに、優美さと熱情を滲ませる八重垣姫として
は、私には、最高であった。今回の玉三郎の八重垣姫は、私は、
先に言ったように、初めて観たのだが、玉三郎は、所作が細か
い。舞台の居どころの調整を含めて、演技の細部を慎重に埋めな
がら、演技をしているのが判る。本来とは、逆だが、人形が玉三
郎に乗り移ったように、玉三郎は、演じる。人形の形をなぞりな
がら、人間が演じるという感じがした。「ぼんじゃりとした風
情」と玉三郎は、楽屋で、説明している。「ぼんじゃり」とは、
「おっとりとして、やわらかい」という意味。待望の八重垣姫を
20年ぶりに演じるということで、肌理細かな演技を心掛けてい
るように見受けられた。「ぼんじゃり」に向けて、何回か工夫し
て、演じて欲しい。それを追い掛けて、観つづけたいと思う。

「十種香」は、姫の熱情の恋が、「翼が欲しい羽根が欲しい」と
直情径行で、「狐火」(「奥庭」)の場面で奇蹟を起こす物語で
ある。「いっそ、殺して殺してと」という八重垣姫の燃える恋の
声を代弁する愛太夫の語りが、切実である。その前に出て来る
「(勝頼の)お声を聞きたい聞きたい」というリフレインの科白
同様に、竹本の語りだからこそ成立するが、役者の生の科白で
は、成立しないという語りの科白が、「十種香」には、いくつか
あるので、難しい。科白では、出せないリズムが、人形時代浄瑠
璃の滋味として隠されているように思う。歌舞伎で、その滋味を
引き出すことの難しさ。その辺りは、歌右衛門、雀右衛門らのよ
うに、ベテランの域に達してからの、藝の力を待つしか無いのか
も知れない。58歳の玉三郎は、今回、20年ぶりに八重垣姫を
演じたことで、歌右衛門、雀右衛門らの「円熟期の八重垣姫」に
肉迫するスタートラインに立ったのかも知れない。

舞台上手の障子が開くと、まず、赤姫の後ろ姿(九代目團十郎以
降の演出)を観客に曝し、それだけで、姫の品格を出さなければ
ならない八重垣姫。玉三郎は、なかなか、前を向かない。やが
て、ゆっくり前を向くと、観客席から、ジワが、沸き起こる。

勝頼回向のため、八重垣姫が焚く香の匂いは、噎せ返るほどの恋
の香だ。役者の八重垣姫は、誰であれ、燃える演技で、恋の香を
越えなければならない。立って、座って、玉三郎の柱巻きの姿
は、やはり、美しかった。


濡衣は、今回、福助。濡衣は、本来、腰元として花作り簑作、実
は、勝頼に密かに仕える身(つまり、勝頼とともに、謙信館に潜
り込んだ武田方のスパイである)、濡衣は、謎を秘めた、臈長け
た女の色気を滲ませなければならない。

「十種香」で最初に舞台に姿を見せるのは、花作り簑作、実は、
武田勝頼である。武田信玄と上杉(長尾)謙信が、天下取りを掛
けて争っている時代。謙信館の襖を開けて出て来て、舞台中央で
静止するだけで、役者は、勝頼らしい風格を演じなければならな
い。菊之助は、初役である。花作り簑作は、濡衣の夫、勝頼は、
八重垣姫の許婚。ここに登場した花作り簑作、実は、勝頼という
ことで、贋の花作り簑作。濡衣とは、表向き、夫婦の関係。密か
には、武田方のスパイ同士でもある。だから、謙信には、正体を
見破られないように注意している。許婚の八重垣姫は、恋人の直
感で、贋の花作り簑作の正体を見抜いている。そういう人間関係
の中に、花作り簑作、実は、勝頼は、いるのである。勝頼役者
は、科白が、少ない中で、そういう状況を観客に判らせなければ
ならない。

謙信は、短い登場だが、芝居の要に位置する役どころで、とても
大事である。諏訪湖畔の屋敷といえば、史実的には、謙信より信
玄の筈だが、なぜか、「十種香」では、謙信が登場する。花作り
簑作、実は、勝頼の正体を見抜き、濡衣の正体を見抜き、最後の
場面で、激情を発露させるまでは、謙信役者は、抑圧的に演じな
ければならない。團蔵は、初役。「荒気の大将」としては、
ちょっと線が細い。私が観た謙信役では、我當が存在感があっ
た。こういう短い登場ながら、きちんと存在感を印象に残せる役
者は、少なくなってきたので、我當は、貴重である。

そのほかでは、勝頼暗殺を謙信から命じられ、塩尻に向った勝頼
の後を追う刺客も、短い登場ながら、見落としてはいけない。今
回は、白須賀六郎を松緑、原小文治を権十郎が演じたが、02年
4月の歌舞伎座、二代目魁春襲名披露興行のときは、ご馳走演出
で、白須賀六郎に勘九郎、原小文治に吉右衛門という配役だっ
た。私が、実際に観た舞台だけでも、99年3月の歌舞伎座で
は、團十郎、幸四郎が、冒頭書いたように、「バランスが取れて
いて、最高に充実した」「十種香」の舞台だったと思う、02年
11月の歌舞伎座では、團十郎、仁左衛門が、それぞれ、白須賀
六郎、原小文治を演じている。

下手より、網代幕が引かれる。「狐火」の舞台が調うと、幕が、
柝もなく、上手から徐々に、「振り落し」の状態になって、場面
展開。木戸から奥庭に八重垣姫が、入って来る。赤姫だった玉三
郎は、藤色の衣装に着替えている。鬘は、吹き輪だから、赤姫同
様。行灯を持ち、黒塗りに赤い鼻緒付いた下駄を履いている。

今回の「狐火」では、八重垣姫の人形ぶりという演出はなかった
が、代りに、狐を扱う人形遣(右近)が出て来た。狐は、石灯籠
の中から姿を見せ、神殿の壇の下に姿を隠す。

「狐火」では、八重垣姫が諏訪法性(すわほうしょう)の兜を池
の水面に映すと池の中に狐の顔が映ったという演出があったが、
今回は、なかった。その代わり、八重垣姫が、池の水面になにか
が映ったという所作をしていた。兜を持ち、引き抜きで、白地の
衣装に替えた八重垣姫には、神の御加護があったのだろうと判る
場面だ。兜は、黒衣の差し金で、宙を舞う。八重垣姫は、謙信が
放った刺客ふたりが、陸路を行く勝頼に追い付く前に、危急を知
らせたいので、奥庭の神殿で祈念していたのだ。兜とともに、
凍った諏訪湖を行ければ、姫の脚でも、刺客より前に勝頼に追い
付くだろうという思いがある。諏訪湖の御御渡(おみわた)りの
ように湖面を直線で渡るという奇瑞(きずい)成就を願う。それ
を邪魔立てしようとする謙信館の郎党たちとの所作だてがある
が、諏訪法性の兜の威力で、郎党たちは、池の中に落される。池
の中に倒れ込んだふたりの郎党は、水衣が、池と同様の色の水布
を被せて、観客から郎党の姿を隠してしまう。「鏡獅子」で、御
小姓の弥生が、獅子頭に引っ張られるようにして、花道を引っ込
むように、八重垣姫は、兜に引っ張られるようにして、花道を
引っ込む。

贅言:「謙信館」の座敷。花作り簑作、実は、勝頼が登場する襖
だけに、華やかである。川の流れと岸辺に咲く花。川は、水色。
花は、赤、ピンク、黄色、白。緑の葉と茶色の土。金の雲が、棚
引いている。花作り簑作の「仕事場」を現しているのかも知れな
い。それだけに、襖の手前、上手に置かれたモノトーンの衝立
が、印象的だ。銀地に黒一色で、雪景色が描かれている。雪を枝
や幹に載せた樹に、黒い2羽の鳥が止まっている。そこへ、花作
り簑作、実は、勝頼が、紫の裃と赤の着物姿で、登場し、やが
て、下手の障子の間から、黒い衣装の濡衣、さらに遅れて、下手
の障子の間から、赤姫姿の八重垣姫の登場となる。色彩のワン
ダーランド。黒い鳥は、謙信が放つ刺客の予兆か。


「山坂多い甲州へ、女を連れちゃ行かれねぇー」


「雪暮夜入谷畦道」は、7回目の拝見。幕が開かない内、客席
は、まだ、ざわついている。「ドーン、ドーン」と大間に鳴る太
鼓の音。これは、雪の音だ。幕が開くと、春の寒さに、降る雨
も、いつしか、雪に変わる夕暮れ。雪のなか、一刻も早い、逃亡
の気持ちを高めながら、その前に、機会があれば、恋人の三千歳
に、一目逢い、別れの言葉を懸けて行きたい直次郎(菊五郎)
が、歩いている。薄闇のなか、それでも足らずに、「逃亡者」
は、手拭で頬被りをして、顔を隠し、傘をさしている。下駄にま
とわり付く雪が、気になる。舞台下手に降る雪。花道には、
「ドーン、ドーン」と大間に鳴る太鼓の音ばかり。雪を示すもの
は、音しかない。雪の音は、七三で直次郎の科白になると弱くな
る。強から弱へ、変化する。

辺りの様子を窺いながら、「逃亡者」は、傘の上に載った雪を払
い落して、蕎麦屋に入る。「ドーン、ドーン」と大間に鳴る太鼓
の音が、消えてしまう。天麩羅蕎麦で、酒を呑みたい。もう、店
じまいを考えている夜の蕎麦屋には、天麩羅は、品切れになって
いる。ならば、天麩羅抜きの蕎麦で良い。まずは、一杯、熱い酒
を身体に注ぎ込みたい。しかし、燗をするのにも、幾分、時間が
かかる。

直次郎は、まず、「股火鉢」で、「すっかり縮み上がった」一物
を暖める。無頼らしい振る舞い。菊五郎は、真剣に笑いを取る。
やっと来た燗徳利、御猪口に酒を入れるが、なぜか、ゴミが浮い
ている。文句も言わずに、それを箸でよける直次郎。名作歌舞伎
全集では、直次郎と蕎麦屋の亭主(権一)の硯の貸し借りでは
「筆には首がない」と、蕎麦屋の仁八に言わせているが、菊五郎
の「直侍」は、筆の首を口にくわえると、筆の首が取れるように
演技をし、代わりに取り出した楊子の先を噛んで、これに墨をつ
けて、三千歳への手紙を書くなど、菊五郎の手順は、すべて手慣
れた感じで、芸が細かい。形で、直次郎の全人格を表現する菊五
郎。もう、これだけで、満足。

これは、黙阿弥版ポルノグラフィーである。なにしろ、入谷の大
口屋寮の濡れ場が、幻想的で、最高である。華やかな性愛の場を
確保するために、その前を描く、「入谷蕎麦屋の場」は、写実的
で、場末の蕎麦屋の侘びしさ、貧しさ、雪の夜の底寒さが、たっ
ぷりと観客のなかに染み込ませておかなければならない。モノ
トーンを強調する演出。

直次郎が、蕎麦屋から、外に出ると、再び、「ドーン、ドーン」
と大間に鳴る太鼓の音が、聞こえ出す。まさに、音のクローズ
アップである。憎い、演出である。舞台が廻る。「ドーン、ドー
ン」と大間に鳴る太鼓の音が、大きくなる。廻る舞台の上で、大
道具方は、蕎麦屋の店の中に四角く敷いていた、地絣を取り片付
ける。舞台は、蕎麦屋の横の道へ、変わる。ここで、直次郎は、
ふたりの顔見知りとやりとりをする。蕎麦屋の店の中で逢った
が、蕎麦屋の主人たちに関係を知られたくない按摩の丈賀と弟分
の暗闇の丑松である。

直次郎役で言えば、吉右衛門、團十郎、仁左衛門、幸四郎、今回
含め、菊五郎は3回観たことになる。まあ、実質、5人の「直
侍」だが、やはり、菊五郎が最高であった。今回も、3回目で
あったが、いつ観ても、菊五郎の直次郎には、満足で、堪能でき
る。芸の細かさ、江戸の無頼の表現のリアリティなどでは一番で
はないか。直次郎役者の出すべき魅力をまとめてみると、次のよ
うになる。

團十郎には、男の色気があり、吉右衛門には、男としての人間の
幅があり、幸四郎には、悪の魅力がある。仁左衛門には、さら
に、色悪の魅力があるが、上方色が、江戸の無頼の邪魔をする。
江戸の無頼は、小悪党ながら、女には、無類に優しい。直次郎
は、色気がある小悪党ながら、人間味もある。つまり、菊五郎
は、ほかの4人の魅力を足した上に、己の魅力でも、さらに味付
けをしているようだ。

三千歳役では、雀右衛門(2)、玉三郎、福助、魁春、時蔵、そ
して今回の菊之助だが、こちらも、それぞれ、持ち味がある。妖
艶な玉三郎、お茶ピーの福助、可憐な雀右衛門、清楚な魁春、そ
して、少女のような時蔵。幼いながら、性を知り、色気を発散し
はじめた少女が、今回の菊之助。

実際、三千歳は、何歳ぐらいに想定されているのだろうか。前回
の時蔵の三千歳は、大人の男に性愛の魅力を初めて知らされたよ
うな、幼い娼婦の喜びと哀しみが滲み出ていて、良かったと思
う。今回の菊之助は、さらに、性の喜びを率直に体から滲ませて
いるという感じで、全身が性感帯になっているようで、色気ムン
ムン。

蕎麦屋の場面から観ていると、慎重で、冷静に逃げ延びる手段と
機会を窺っていた直次郎の逃亡劇を狂わせたのは、三千歳の、客
観情勢の読めないほど思いつめた幼い娼婦の、病身とは言え、男
一途の、半狂乱とも言える、縋り付きが原因であった。そういう
シチュエーションが、前回の時蔵に続いて、今回の菊之助は、よ
り鮮明に浮き彫りにしてくれたように、思う。

ほかの役者では、蕎麦屋で出逢い、直次郎が、三千歳への手紙を
言付ける按摩の丈賀役の田之助が、良い。田之助は、今回も、こ
れまで同様に、まさに絶ッ品の丈賀を演じてくれた。燻し銀を、
さらに、磨き込んだという感じで、なんとも、滋味溢れる丈賀で
あった。地味な役だが、すっかり、存在感を増している。田之助
の丈賀を私は、今回含めて、3回観ている。女形が、丈賀を演じ
ることは、ほとんどない。私が観た丈賀役では、芦燕(2)、先
代の権十郎、又五郎と立役ばかりを観て来た。直次郎を裏切るこ
とになる、弟分の暗闇の丑松役は、今回、團蔵。「十種香」の謙
信役より、こっちが似合う。逃亡者と裏切り者が、行き交う入谷
の蕎麦屋の場面から、同じ入谷ながら、華やかな「大口屋寮の
場」へ。

贅言1):傘に積もった雪の量が、直次郎と丈賀では、違う。何
処から歩いて来たのか知らないが、目立たないように逃げて来た
直次郎と按摩の仕事をするために、一日中、街を流して来た丈賀
では、傘に積もった雪の量が、違って当然だろう。荒唐無稽な歌
舞伎のようで、細部には、リアリティが、光る。

贅言2)(初心の読者のために、再掲):1881(明治14)
年に上演された「幕末ものの江戸世話物」という辺りに、本来の
幕末ものと違う透明感、明るさがある。さて、「入谷の蕎麦屋」
の壁にあった3枚の貼り紙。

*「御連れ様の外 盃(ただし、これは絵で表現していた)のや
り取り 御断り申し升」。
*「覚(おぼえ)」という、蕎麦や饂飩、酒の代金表には、二八
蕎麦、饂飩代が16文、天麩羅蕎麦代が32文、玉子とじ蕎麦代
が48文、酒が一合30文、上酒が40文などと書いてある。
*「貸売一切御断申升」

こういう場末の蕎麦屋の、いかにもという、江戸市井を描写する
細部のリアリティが、私には、嬉しい。


あれから、どのくらい時間が経ったのだろうか。逃亡者には、時
間は味方してくれない。早く、逃げないと追っ手に掴まってしま
う。「入谷大口屋寮の場」では、夜も更けて来た。外は、雪。木
戸の屋根にも、雪が積もっている。庭の石灯籠にも、雪。でも、
紅梅が咲いているから、春の雪だと判る。しかし、夜は、冷え込
んできた。

室内は、下手から、茶の道具。紅梅などを描いた六面の屏風。銀
地に白梅、柳、黄色と紫の野の花が描かれた襖で、春の装い。赤
い椿の生け花。朱塗りの丸い行灯。花に雪囲いを描いた掛け軸。
手前に、火鉢とピンク地に花柄の座布団という、暖かい部屋。

暖かい三千歳の女体も、いずれ姿を見せるだろう。20日ぶり
の、直次郎と三千歳の逢瀬の場面が、ここのクライマックス。一
日千秋の思いで、恋いこがれていた三千歳のところに、逃亡者・
直次郎が別れを言いにやってくる。捕まれば死罪か遠島という直
次郎は、もう、この世では、逢えないと思い、今生の別れを言い
にやって来た。弟分の丑松が、裏切りをしているなどと知らず
に。

この世の片隅で、互いの人生を慰めあうような小さな恋。逢え
ば、性愛になるのだろう。だが、歌舞伎の舞台では、性愛を露骨
に描くことはない。江戸時代にも幕府が、たびたび厳しく取り締
まった。「大口屋寮」では、ふたりの「性愛」の場面は、セック
スを直接的には描かないで、様式美の積み重ねという、いわば、
別の形で、立ち居ふるまうふたりの所作(それは、立ったまま、
背中合わせになりながら、互いに手を握りあったり、直次郎に寄
り添いながら、三千歳が右肩から着物をずらしたりする。じっ
と、見つめあうふたり。座り込み、客席の後ろ姿を見せる三千
歳、立ったまま、左肩を引いて反り身で、直次郎の方に振り返る
三千歳。髪を整えた後に、珊瑚の朱色の簪を落とす三千歳などの
姿。両手を繋ぎあうふたり。正面から抱き合うふたり。三千歳の
背中を懐に入れるように抱く直次郎。起請文ごと三千歳の胸に手
を入れる直次郎。これらのさまざまなふたりのポーズは、まる
で、性愛のポーズのようだ)や、こより、煙管、火箸などの、小
道具の使い方で、濃密な性愛の流れを感じさせる演出の巧さ。障
子などは、開け放ったままである。それは、性愛の密室。観客に
舞台を観せるためにも、空間は、解放されていなければならない
し、逃亡者の心理からみても、見通しは、良くなければならな
い。いつ、捕り方が、踏み込んで来ないとも限らないからだ。そ
れは、また、雪の中にも拘らず、下半身を剥き出しにし、着物を
端折った姿で歩く直次郎、二重の屋体の部屋の上下の障子を開け
放したままの、逢瀬の場面などに共通する、「粋の美学」、いや
「意気地の美学」か。

次の場面は、いつ観ても飽きないので、また、書くことになる。

やがて、捕り方がくるだろう。だが、行かせたくない。
三千歳「連れて行って」
全身から、色気を発散している菊之助。(それが駄目ならば、)
「殺して」というやりとり。

寮番・喜兵衛(家橘)が、「甲州へ逃げなさい」と勧める
が・・・。
直次郎「山坂多い甲州へ、女を連れちゃ行かれねぇー」
病みつかれた小娘の、無鉄砲なまでの、執拗な執着、半狂乱の少
女に対する大人の男の分別。だが、分別は、執着にまける。

寮番の「少しも早くここをお逃げなされませ」という科白で、私
は、「新口村」の孫右衛門を思いだした。まさに、同じ雪の世
界。逃亡者たちを案じる年寄りの思い。
「ドーン、ドーン」という大間に鳴る太鼓の雪音が、再び、高ま
る。春の大雪。雪音は、直次郎の胸の動悸にもなって、切羽詰
まって聞こえて来るようだ。観客を含めて、皆の切迫感が、いち
だんと高まる。音のクローズアップは、心理のクローズアップで
もある。濃い空気が、歌舞伎座の館内を覆う。

奥の襖を開けて、入り込んで来た捕り方に背中から羽交い締めに
された直次郎「三千歳。・・・もう此の世じゃ、逢わねぇぞ」
三千歳「直さん・・・」

青春の悲劇(俺たちに、あすはない)。過ぎ去った青春は、還ら
ない。ドラマにとって、永遠のテーマ。そういう判りやすいテー
マが、この芝居の得なところ。それが、この演目を、永遠のA級
世話物の座に付けていると、思う。それにしても、脇の配役も含
めて、充実の舞台。菊五郎の直次郎は、最高の直次郎だろうと、
三たび、私は、思う。

ふたりの別れの言葉は、短い。それでも、捕り方の手を逃れて、
花道から逃げて行く直次郎。舞台に取り残される三千歳。ふたり
の朋輩の新造に抱きかかえられて立っている三千歳の悲しい顔。


「英執着獅子(はなぶさしゅうじゃくじし)」は、5回目。女形
の「石橋(しゃっきょう)もの」のひとつ。雀右衛門(2)、福
助(今回含め、2)、玉三郎で拝見。雀右衛門と福助は、今回の
ような傾城と前回のような姫の両方で観ている。玉三郎は、傾城
のみ。雀右衛門と福助は、傾城の方が、よかった。こういう「石
橋もの」は、「枕獅子」という原型があり、それは遊女だから、
傾城の方が、古いタイプだろう。福助は、可憐な傾城であった。
「髪あらい」「巴」などの毛振りも、元気にこなしている。以前
に観た雀右衛門は、「毛振り」で、首を廻す場面は、少し辛そう
に見受けられたのを思い出した。

姫の時は、銀地に桜の木が大きく描かれた襖。今回は、金地に紅
白とピンクの牡丹と山水画の岩山のような石の絵柄の襖であっ
た。

置唄。「花飛び蝶驚けども人知らず」。「二帖」に乗って、押し
出されて来る傾城(福助)は、懐紙で顔を隠して出て来る。ま
だ、まどろんでいるという風情なのだ。黒地の衣装には、さまざ
まな色に牡丹の花が描かれている。裃後見は、立役と女形のふた
り。女形の方は、芝のぶ。

「大宮人の庭桜」でで、桜づくし。「時しも今は牡丹の花の」。
長文の手紙を手に持ち、あでやかに踊る。2頭の蝶が、絡む。紅
白の獅子頭は、扇子でできているので、「扇子獅子」という。や
がて傾城が、戯れ遊ぶ蝶に誘われて、引っ込む。長唄囃子連中
が、時間を繋ぐと、座敷の書割りが、上に引き上げられ、清涼山
を背景にした石橋に乗った獅子の精に変身した福助が、藍色の四
天を着て、紅白の牡丹の枝を持った4人の力者を引き連れて出て
くる。福助は、ピンク地の着物、赤い長い毛に、牡丹のついた扇
笠(2枚の扇を獅子頭に見立てたもの)を被っている。「牡丹の
英(はなぶさ) 匂い満ち満ち 大巾利巾の獅子頭」。獅子の狂
いへ。

福助の獅子は、雀右衛門などと比べると、やはり若さがある。そ
れだけに、「獅子の狂い」では、髪あらいや巴などの、毛振りの
場面など、上半身の激しい動きを支える下半身にも、「強靱さ」
が感じられる。福助の場合、まだ、毛振りの動きが、強すぎる嫌
いがある。立役のように見える。この場面、最近、舞台に立つこ
とが少なくなった雀右衛門などは、年齢の割に体も柔らかく、強
靱さもあり、女形の柔らかさのなかに、その強靱さを包み込んで
いるようで、良かった。玉三郎も、優美であった。昔は、女形の
後ジテは、毛振りはしなかったという。
- 2008年10月8日(水) 21:15:02
08年10月歌舞伎座 (昼/「恋女房染分手綱〜重の井〜」
「奴道成寺」「魚屋宗五郎」「藤娘」)


「恋女房染分手綱〜重の井〜」は、5回目の拝見。場面は、ふた
つだけ。由留木家の奥座敷は、金地に花丸の襖、金地に花車の衝
立というきらびやかさ。シンプルな玄関先。腰元や供侍など多数
出て来るが、主な役どころは、意外と少ない。

5回目なので、今回は、コンパクトに役者論を軸に書きたい。私
が観た主な役者たちを記録しておこう。重の井:雀右衛門、鴈治
郎時代の藤十郎、芝翫、そして、前回、今回と続けて福助。この
芝居を観ていて、思い出したのは、「伽羅先代萩」であった。重
の井と政岡という、ふたりの「乳人」の対比である。「恋女房染
分手綱」の、重の井役のポイントは、公的な立場を堅持したま
ま、実子と名乗りあえずに別れる、息子・与之助(三吉)への抑
圧した感情と、それゆえの母の哀しみが、表現できるかどうかで
ある。「伽羅先代萩」の、政岡のポイントは、若君の「乳人」と
いう公的立場での、息子・千松への抑圧した感情と、千松が、己
の命を犠牲にして若君の毒味役としての役割を全うした後の、遺
体をかき抱いての、私的な母性の迸りの対比を表現できるかどう
かである。抑圧したままの、母の情愛というのが、「出口無し」
の重の井役者のポイント。わが子の命を犠牲にした後、初めて、
母の情愛を迸らせる「出口あり」の政岡役者のポイント。しか
し、ともに、ベースにあるのは、母としての情愛の表現であるこ
とは、言うまでもない。

役者の持ち味の違いで、同じ重の井を演じても、「母と女房の
間」で演技が、ぶれてくる。私なりに、区分けをすれば、「母」
の情愛を直接的に表現できるのは、やはり、雀右衛門。「母」を
演じていても、どこかに「女房」の色を残す芝翫。その中間で演
じる藤十郎。福助は、やはり、父親の芝翫に近いという印象が、
今回も残った。

福助は、前回同様、声が高すぎるという印象が残った。この芝居
は、近松門左衛門原作の時代浄瑠璃なので、元は、人形浄瑠璃。
科白の代りに、竹本の糸に乗って、人形同様に心理描写をする場
面が多いので、その辺りは、福助は巧いが、科白に切り替わる
と、声高で、そぐわない。母親の情愛の表出も、弱い。重の井に
は、己で抑圧しながらも、滲み出る情愛表現が欲しい。前回も感
じたが、子への思い入れが、弱いのではないか。

子役を相手に、十全の芝居をしなければならない演目としては、
先に上げた「恋女房染分手綱」の重の井、「伽羅先代萩」の政岡
ほかに、「盛綱陣屋」の微妙などがあるが、子役をサポートしな
がら、歌舞伎としての芝居のレベルを維持しなければならないと
いう、隠された苦労もあると思う。例えば、今回。調姫を演じた
のは、片岡葵(亀蔵の長女)。長い間、姫独特のポーズで、じっ
と座っている役なので、立上がる時、足が痺れたようで、巧く立
ち上がれなかったが、福助が、巧くカバーをし、サポートしてい
たのが、印象に残った。

赤い裃と袴姿で、通称「赤爺(あかじじい)」こと、剽軽な弥三
右衛門:弥十郎(2)、左團次、亡くなった坂東吉弥、今回の家
橘。家橘は、小柄な上、あまり癖もないので、地味な役者という
印象が強い。故吉弥の飄々とした味が懐かしい。

三吉:竹松(萬治郎の息子)、壱(かず)太郎(翫雀の息子)、
国生(橋之助の息子)、児太郎(福助の息子)、そして、今回
は、小吉(坂東吉弥の孫)。子役屈指の大役が自然薯(じねん
じょ)の三吉。それを今回は、貴重な傍役だった坂東吉弥の孫、
小吉が演じる。ときどき、吉弥そっくりの表情が浮かび上がる。
自然薯三吉は、幼い時から社会に出ざるを得ず、揉まれて、苦労
をしている。子役とは言え、そういう事情を滲ませなければなら
ないから、難しい。分別のついてしまった少年の苦しみ。三吉役
者ばかりではないが、さまざまな子役たちは、やがて変声期を迎
え、一時舞台から遠ざかる。その後、どういう風に、青年役者に
成長してくるか、さらに、その後、一人前の役者になって行く
か、舞台での再会が、楽しみ。いま、梨園の御曹司たちは、多数
が、そういう時期を迎えているようで、舞台を観る愉しみが多
い。それは、また、別の所で、論じてみたい。

そのほかの役者では、腰元若菜に抜てきの芝喜松。近習吉田文吾
左に辰緑、同じく源吾左に今回、名題昇進披露の宇之助。8人の
並び腰元の内、3番目、春雨役に、爽やか芝のぶが出ていて、良
かった。

贅言:(ここは、初めてこのサイトの劇評を読む人のためのメモ
として、付録として、前回書いたものをベースに再掲載しておこ
う)

この芝居のテーマは、封建時代の「家」というものの持つ不条理
が、同年の幼い少年少女たちへ受難を強いるということだろう。
由留木家息女として生まれたばかりに東国の入間家へ嫁に行かな
ければならない調(しらべ)姫には、家同士で決めた結婚という
重圧がある。だから、東国へ旅立つのは、「いやじゃ、いや
じゃ」という。それゆえに、「いやじゃ姫」と渾名される。一
方、自然薯の三吉という幼い馬子は、実は、由留木家の奥家老の
子息・伊達与作と重の井との間にできた子だが、不義の咎を受け
て、父・与作は追放される。母・重の井は、実父の命に替えて嘆
願で、調姫の乳母になったという次第。だから、公的な立場を堅
持し続けなければならないという運命にある。「乳兄妹」のはず
だが、姫の乳兄に馬子がいるということが知れては大変と三吉
は、母との別れを強いられるという重圧がある。

元々は、近松門左衛門原作の「丹波与作待夜の小室節」という時
代浄瑠璃だが、後に、三好松洛らが改作して、「恋女房染分手
綱」にしたというが、十段目の「重の井子別れ」は、筋立ては、
近松の原作と殆ど変わっていないという。但し、近松は、この場
面の舞台を旅の途中の「水口宿の本陣」としていたが、松洛ら
は、旅立つ前の「由留木家御殿」としたという。

その結果、御殿表の舞台で、三吉と重の井の子別れの愁嘆場が繰
り広げられているのと同時に、御殿奥では、調姫と実母の子別れ
も進行しているという。それを滲ませるのは、赤爺の弥三右衛門
の役どころ。奥へ入ったり、出て来たりするところで、奥と表の
調整をしている風情を感じさせなければならない。御殿の表と奥
で演じられる「二重の子別れ」こそ、封建時代の諸制度の不条理
への批判が浮かび上がるという説がある。

しかし、私は、そういう封建時代に限定されるテーマを読み取る
見方よりも、時代を越えて、子どもたちに襲い掛かる大人社会の
勝手に拠る重圧という、先に述べた見方の方が、より普遍的であ
り、未来永劫、いつの時代にも通用するテーマとして、この芝居
を取り扱った方が、良いと思っている。五代目の歌右衛門以来、
成駒屋の家の芸になっている演目。それだけに、将来の歌右衛門
役者として、福助には、母の情愛の滲ませ方の工夫を期待した
い。


「奴道成寺」では、ハプニング。


「奴道成寺」は、6回目の拝見。今回、私が観た時に、思い掛け
ないハプニングがあった。「奴道成寺」は、真女形の所作事の大
作「京鹿子娘道成寺」の、さまざまなバリエーションのひとつで
ある。真女形ふたりで演じる、華やかな「娘二人道成寺」。立役
と女形とで演じる「男女(めおと)道成寺」、今回のような、立
役で見せる「奴道成寺」など。「京鹿子娘道成寺」の本歌取りの
演目である。

男が、白拍子花子に扮して、鐘供養に訪れるが、踊っているうち
に、烏帽子がはねて、野郎頭がむき出しになり、ばれてしまう。
所化たちの所望で、狂言師左近は、正式に踊り出す。下手の常磐
津と舞台奥の長唄の掛け合いなどもあり、盛り上がる。普通な
ら、そういう展開になる場面の直前で、ハプニングが起こった。
後見が、花子の烏帽子をはね上げて、取ろうとしたところ、烏帽
子と共に、花子の鬘、さらに、狂言師左近の野郎頭の鬘まで取れ
てしまい、松緑の羽二重の頭が、むき出しになってしまったので
ある。松緑は、両手で、鬘がなくなったという仕草をする。後見
が、慌てて、後始末にかかろうとする様子が、見えた。すると、
ほかの後見たち(今回は、都合、3人が裃後見として担当)に加
えて、舞台の上手と下手に控えていた10人の所化たち(松也、
右近ほか)が、さあっと舞台中央に集まり、松緑たちを隠す人垣
を作った。長引きそうと見て取ると、所化のうち、4人で、捨て
台詞(アドリブ)で、やりとりを始めた。あるいは、「人垣」
で、松緑の趣向替えをするのは、当初からの演出であり、それを
少し早めたのかも知れない。

やがて、鬘も整え、衣装も替えて、本来の狂言師左近の姿に変
わった松緑は、何事もなかったかのように、芝居を続行した。長
唄に清元が、加わり、掛合いとなる。歌舞伎をあまり観ていない
人たちには、恐らく、このハプニングを見逃したり、気付かな
かったり、しているのではないかと思われる。歌舞伎の舞台で
は、何でもありで、こういう時に既存のパターンを採用して、危
機管理につなげるという習慣があるのだろうと思うが、見事で
あった。赤い消し幕の蔭に隠れて、舞台中央に移動した松緑。ク
ライマックスの「恋の手習い」のクドキでは、左近(松緑)が、
「お多福(傾城)」、「お大尽」、「ひょっとこ(太鼓持)」と
いう3種類の面を巧みに使い分けながら、廓の風情を演じてみせ
るが、これは難なく演じた。「山尽くし」では、花四天と左近が
からむ所作ダテで、これもスムーズ。松緑は、花子が、巧くな
い。女に見えない。左近になってからは、安心して観ていられ
る。

今回の所化たちは、いつもの「聞いたか坊主」の場面がなく、幕
が開くと、舞台奥は、横縞の紅白の幕。釣鐘と綱。「花のほかに
は松ばかり」の謡ガカリで、紅白の幕は、早々と上がり、幕の後
ろから、黒い烏帽子、唐織姿の白拍子花子(松緑)登場という演
出。


「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)−魚屋宗五
郎−」は、8回目。今回は、役者論で行こうか。

まずは、いきなり、贅言:黙阿弥の原作は、怪談の「皿屋敷」を
ベースに酒乱の殿の、御乱心と、殿に斬り殺された腰元の兄の酒
乱という、いわば「酒乱の二重性」が、モチーフだった。五代目
菊五郎に頼まれて、黙阿弥は、そういう芝居を書いた(だから、
外題も、「新皿屋舗」が、折り込まれている)のだが、現在、上
演されるのは、殿様の酒乱の場面が描かれないため、妹を殺さ
れ、殿様の屋敷に殴り込みを掛けた酒乱の兄の物語となってい
る。実は、五代目菊五郎は、妹・お蔦と兄・宗五郎のふた役を演
じた。殿様を狂わせるほどの美女と酒乱の魚屋のふた役の早替
り、それが、五代目の趣向でもあった。そういう、作者や初演者
の趣向、工夫魂胆を殺ぎ落とせば、殺ぎ落とすほど、芝居は、つ
まらなくなる。現在の上演の形だと、芝居の結末が、いつ観て
も、つまらない。だから、あまり、好きでは無い。「もうこう
なったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」。これだけ
は、小気味の良い科白だ。「芝片門前魚屋内の場」から「磯部屋
敷」の場面のうち、前半の「玄関先の場」までの、酔いっぷりと
殴りこみのおもしろさと後半の「庭先の場」、酔いが醒めた後
の、殿様の陳謝と慰労金で、めでたしめでたしという紋切り型の
結末は、なんともドラマとしては、弱い。いっそのこと、序幕の
「芝片門前魚屋内の場」だけにしたら、エキスたっぷりで、余韻
を残す舞台になるのではないかとさえ、思うが、いかがだろう
か。妹を理不尽に殺された兄の悔しさは、時空を越えて、現代に
も共感を呼ぶ筈だ。あるいは、なんとか、原作の趣向を活かした
形で、通し再演できないものかと、今回も、思った。

兄の宗五郎は、勘九郎時代を含めて、勘三郎(2)、幸四郎
(2)、菊五郎(今回含めて、2)ということで、この3人は、
それぞれ、2回拝見している。ほかに、三津五郎、團十郎、とい
うことで、5人の役者で、都合、8回観ている。

宗五郎の女房・おはまは、時蔵(2)、病気休演中の澤村藤十
郎、福助、田之助、芝雀、魁春、そして今回の玉三郎ということ
で、7人。それぞれ、持ち味の違う宗五郎、おはまを観たわけ
だ。

己の酒乱を承知していて、酒を断ちって、抑制的に生活をしてい
た宗五郎(菊五郎)が、妹のお蔦の惨殺を知り、悔やみに来た妹
の同輩の腰元・おなぎ(菊之助)が、持参した酒桶を女房のおは
ま(玉三郎)ら家族の制止を無視して全て飲み干し、すっかりで
き上がって、酒乱となった勢いで殿様の屋敷へ一人殴り込みを掛
けに行く。菊五郎は、こういう役は巧い。宗五郎は、次第次第に
深まって行く酔いを見せなければならない。妹の遺体と対面し、
寺から戻って来た宗五郎にお茶を出す。お茶の茶碗が、次の展開
の伏線となるので、要注意。まず、お茶を飲み干す。いずれ、こ
の茶碗で、酒を呑むことになる。禁酒している宗五郎は、供養に
なるからと勧められても、最初は、きっぱりと断る。酒を呑まな
い。

やがて、娘の死の経緯を知った父親(團蔵)から、「もっとも
だ、もっともだ、一杯やれ」と勧められると、1杯だけと断っ
て、茶碗酒をはじめる。「いい酒だア」。それが、2杯になり、
3杯になる。宗五郎の呑みぷりに早間の三味線が、ダブる。酒飲
みを煽るように演奏される。父親にも、酒を勧める宗五郎。父親
が、断ると、「親父の代りに、もう一杯」という。家族から反対
されるようになる。

酒乱へ向けて、おかしな気配が漂い出す。陽気になる。強気にな
る。饒舌になる。茶碗から、酒を注ぐ、「片口」という大きな器
を奪う。それを見た家族らから制止されるようになる。「もうこ
うなったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」と宗五郎
も、覚悟をきめる。この辺りの、菊五郎の科白廻しは、群を抜い
ている。

さらに、酔っぱらって、判断力が無くなった宗五郎は皆の眼を盗
んで、酒桶そのものから直接呑むようになる。「もう、それぎり
になされませ」と、女房(玉三郎)がとめるが、宗五郎は聞かな
い。そして、全てを呑み尽してしまう。暴れだし、格子を壊し
て、家の外へ出て行く。祭囃子が、大きくなり、宗五郎の気持ち
を煽り立てる(音楽による、心理のクローズアップ)。花道七三
にて、菊五郎は、酒樽を右手に持ち、大きく掲げる。

五代目菊五郎が練り上げ、六代目菊五郎が、完成したという酔い
の深まりの演技は、緻密だ。まさに、生世話物の真髄を示す場面
だ。役者の動き、合方(音楽)の合わせ方、小道具の片付けな
ど、あらゆることが計算されている。この場面は、酒飲みの動作
が、早間の三味線と連動しなければならない。洗練されている。
菊五郎は、たっぷりと糸に乗っていて、見事だった。

この場面で、宗五郎の酔いを際立たせるのは、宗五郎役者の演技
だけでは駄目だ。脇役を含め演技と音楽が連携しているのが求め
られる。菊五郎は、楽屋で「周りで酔っぱらった風にしてくれる
ので、やりやすいんですよ」と語っているが、まさに、その通り
の舞台であった。特に、玉三郎が、初役で演じたおはまは、当然
ながら、今回初めて観たのだが、良かった。おはま役では、これ
まで観たところでは、時蔵が、断然良かったと思っている。生活
の匂いを感じさせる地味な化粧。時蔵は、色気のある女形も良い
が、生活臭のある女房のおかしみも良い。魁春も、最近は、こう
いう役どころに力を発揮するようになった。綺麗な女形たちが、
生活臭のある地味な女房役をすると、かえって、新鮮で、新たな
魅力の発見となるようだが、今回の玉三郎も、緩怠なく、良かっ
た。

次に、大事なのが、小奴・三吉である。三吉は、染五郎(2)、
正之助時代含めて、今回の権十郎(2)、十蔵時代の市蔵、獅
童、松緑、勘太郎と、6人を観ているが、04年5月、歌舞伎座
で観たときの松緑の三吉と、染五郎が良い。剽軽な小奴の味が、
松緑にはあったし、染五郎は、剽軽な役で、独特の味を出す。権
十郎は、剽軽さはないが、真面目さがある。この場面は、出演者
のチームプレーが、巧く行けば、宗五郎の酔いの哀しみと深まり
を観客にくっきりと見せられる。

贅言:江戸の庶民の生活を活写する黙阿弥の原作は、タイムカプ
セルに入ったままのようで、今では、廃れてしまった生活習慣を
舞台から教えてくれる。悔やみに来た客は、「送るもんじゃ
ねぇー」と宗五郎に言わせる。宗五郎は、「涙は、仏のために
は、ならねぇー」とも言う。「こいつ(女房)も笑って、わっち
も笑って、暮らしやした」。庶民の幸福は、皆息災で、貧しくて
も、毎日、笑って暮らせる暮らしだと強調する辺りの科白も、胸
にジンと来る。


暗転。明るくなると、「藤娘」の舞台である。「藤娘」は、11
回目。雀右衛門(3)、芝翫(今回含め、3)、玉三郎(2)、
菊之助、勘九郎時代の勘三郎、海老蔵、6人を拝見。それぞれ、
趣が違うし、松の大木に絡み付いた大きな藤の花の下という六代
目菊五郎の演出を踏襲する舞台が多いなかで、五変化舞踊から生
まれた「藤娘」という旧来の、琵琶湖を背景にした大津絵の雰囲
気を出した演出も、確か、98年6月の歌舞伎座の舞台での、雀
右衛門だったと思うが、拝見したことがある。「藤娘」は、03
年6月、歌舞伎座で、従来の趣向をがらりと変えた、「玉三郎藤
娘」というべき、新境地を開いた瞠目の舞台を観たこともある。

今回は、人間国宝の芝翫が、ことしの3月に傘寿を迎えたことを
記念して、外題に「ご贔屓を傘に戴く」と前振りしての、上演で
ある。六代目菊五郎の演出に忠実な、巨きな松の木に絡んだ藤の
花が、芝翫を小さく見せる。芝翫は、先月の「盛綱陣屋」の微妙
などの老け役も、今月の「藤娘」などの娘役も、違和感なく演じ
る。そこには、人間の年齢の、60年ほどの幅をなんなく取り込
める器の大きな藝の世界がある。

藤の小枝を持ち、黒塗りの笠を被り、黒地に藤の花の模様の衣装
は、笠を持ち、朱と若緑の片身を繋いだ(片身変わり)藤の花の
模様の衣装に替り、さらに、笠無しで、藤色の地に藤の花の模様
の衣装と黒地の帯に替り、さらに、両肩を脱いで赤地の衣装を見
せて、再び、藤の小枝を持って踊り、最後は、藤の小枝を背に担
いで、ポーズで、幕。安定感のある藤娘を堪能した。

贅言:30年前の、1973年2月の歌舞伎座で、「藤娘」を
踊った時に、振り付けを考案した二代目藤間勘祖が、藤の絵を描
いた色紙を芝翫に贈ったというが、その絵が、2階ロビーに飾っ
てあって、実物を見ることができる。
- 2008年10月8日(水) 12:45:20
2008年9月・歌舞伎座 (夜/「近江源氏先陣館〜盛綱陣屋
〜」「鳥羽絵」「天衣紛上野初花〜河内山〜」)


播磨屋! 時代、世話、自由自在の科白廻しを堪能


「近江源氏先陣館〜盛綱陣屋〜」は、4回目の拝見。私が観た盛
綱は、吉右衛門が、今回含めて3回目。あとは、勘三郎襲名の舞
台。勘三郎の盛綱は、良かった。主な配役では、微妙は、今回を
含め、いずれも、芝翫(4)。北條時政は、我當(3)。今回
は、歌六。

「盛綱陣屋」は、大坂冬の陣での、豊臣方の末路を描いた全九段
「近江源氏先陣館」の八段目である。複雑な筋立てを得意とした
近松半二らの作品だ。物語は、対立構造を軸とする。まず、鎌倉
方(陣地=石山、源実朝方という設定、実は、徳川方=家康は、
北條時政で出て来る)と京方(陣地=近江坂本、源頼家方という
設定、実は、豊臣方)の対立。鎌倉方に付いた佐々木盛綱(兄)
と京方に付いた高綱(弟)の対立(実は、兄弟で両派に分かれ、
どちらが勝っても、佐々木家の血を残そうという作戦。つまり、
大坂冬の陣での真田家の信之、幸村をモデルにしている)。盛綱
の嫡男・小三郎と高綱の嫡男・小四郎の対立。盛綱の妻・早瀬と
高綱の妻・篝火の対立。八段目の発端は、近江の合戦で、小三郎
が、小四郎を捉えたことから始まる。

京方は、小四郎(宜生)を取りかえそうと和田兵衛(左團次)を
鎌倉方の先陣である盛綱陣屋に使者として送り込んで来る。鎌倉
方の盛綱(吉右衛門)は、主君の北條時政の判断を仰がなけれ
ば、決められないと答える。ならばと、和田兵衛は、石山の北條
時政方に直談判に行くという。盛綱は、小四郎を餌に高綱を味方
に引き入れようとしている北條時政の真意を見抜き、高綱の迷い
を無くすために、小四郎を討とうとするが、自ら討つわけには行
かないので、小四郎に自害させようと企み、母親の微妙(芝翫)
を巻き込む。微妙も、最初は、孫同士の争いに涙しているが、高
綱を助けるために、孫の小四郎を犠牲にするのもやむを得ないと
承諾する。高綱の妻・篝火(福助)と盛綱の妻・早瀬(玉三郎)
の互いに矢文を使っての情報合戦の後、微妙は、小四郎に切腹用
の刀と死に装束を渡し、父親高綱を生かすために自害するように
諭す非情の祖母を演じる。

しかし、策の通りには、事態は進まず、高綱が出陣をし、その挙
げ句、鎌倉方に討ち取られたという報が届く。やがて、北條時政
(歌六)一行が、高綱の首を盛綱に実検させるために陣屋にやっ
て来る。「首実検やいかに」が、最大の見せ場となる。

敵味方に分れた父親たちの苦渋の戦略のなかで、佐々木家の血脈
を残すために、一役を買って出た高綱の一子・小四郎がキーパー
スンとなる。伯父の盛綱を巻き込んで、父親の贋首を父親だと主
張し、小四郎が、後追いを装って切腹するという展開だ。甥の切
腹の真意(父親を助けたい)を悟る盛綱は、主君北條時政を騙す
決意をし、贋首を高綱だと証言する。主君に対する忠義より、血
縁を優先する。血族(兄弟夫婦、従兄弟)上げて協力して、首実
検に赴いた北條時政を欺くという戦略だ。発覚すれば、己の命を
亡くすと、盛綱は覚悟をしたのだ。小四郎が、子供ながら、大人
同等の知恵を働かせ、一石を投じた結果だ。

昼の部でも、触れたように、歌舞伎は、封建時代に盛んになった
演劇だけに、封建時代という閉塞社会で、大人同士の関係が、窒
息寸前まで、息詰まると、ガス抜き、つまり、カタルシスとし
て、子供が殺されるという話が多い。それも、親の都合、特に、
武士の社会の「忠義」のために、子供を犠牲にする話が多い。封
建時代の芝居だから、そういう道徳律が働いているのだろう。い
わば、子供を犠牲にすることで、「マイナスの活路」を開くのだ
と思う。「盛綱陣屋」は、そういう大人たちの知恵を受けて、子
供が「自ら」切腹するという形をとるところが、特に、珍しい。

ところが、徳川家康をモデルにした北條時政は、やはり、したた
かで、騙された振りをして、贋首を持って帰るのだが、盛綱に褒
美として与えられた鎧櫃のなかに残置間者を隠すという戦略をと
る。主君が立去った後も、鎧櫃のなかで隠れて盛綱らの話に聞き
耳を立てていた時政の残置間者・榛谷十郎が京方の使者・和田兵
衛に見破られて、短筒で撃ち殺されるという展開になることで、
それが判る。己の子供まで巻き込みながら、時政を騙す盛綱・高
綱の兄弟。時政は、騙された振りをしながら、心底から盛綱を
疑っている。知将=謀略家同士の騙しあいである。

また、盛綱は、小四郎が自害したのは、結局は、知将と言われた
高綱が、子供を犠牲にしてまで、己が死んだと装う、つまり、軍
師として生き残るための戦略だと気付くなど、兄弟でも、互いに
騙しあう「戦略」の厳しさを描いた作品である。結局は、父親
が、戦略のためとは言え、わが子を犠牲にして、生き残るという
虚しい話だ。初代吉右衛門は、高綱親子の虚しさを盛綱の苦衷を
肚藝で演じるという、(江戸歌舞伎の枠を超えた)心理描写もふ
くめて、リアルに演じて、屈指の当り役とした。盛綱役者の詳細
な演技。小四郎の切腹に遭遇し、驚愕するが、高綱の謀略を悟
り、暫くして、笑い出す。小四郎の顔を見て、(贋首を本物だと
仮構する)「フィクション」を追認する覚悟をきめ、「高綱の首
に相違ない」と主君を騙す。高綱の謀略を徐々に悟りながら、己
の心境の変化も表現することを、観客に判らせるような演技が必
要だ。

さて、己の子どもを犠牲にして、虚しさを覚え、出家する熊谷直
実の「熊谷陣屋」。戦略上の必要から、甥っ子の命を犠牲にする
佐々木盛綱、いや、実は、本当の筋書を書いたのは、小四郎の父
親である佐々木高綱であるという、どんでん返しがある「盛綱陣
屋」。ふたつの「陣屋もの」の違いは大きい。それだけに、私
は、「熊谷陣屋」は、何度観ても飽きないが、「盛綱陣屋」は、
何度観ても虚しさばかりが残るので、あまり、好きになれない。
観客を泣かせよう泣かせようとし、子役に健気さを要求する原作
者の作意も、見えているので、そういう意味でも、私は、あまり
好きではない。

作者は、「熊谷陣屋」が、並木宗輔。「盛綱陣屋」が、近松半
二、三好松洛ら。「熊谷陣屋」初演より18年遅れて「盛綱陣
屋」が、上演されている。子供のからむ「陣屋もの」として、作
者たちにも、先行作品への連想があったかもしれない。しかし、
一方は、近世の封建主義の時代を超越して、子供に対する母の愛
を主張する並木宗輔の明確なメッセージを発するのに対して、も
う一方は、戦略のために、子を犠牲にする、そういう封建時代の
倫理観が、肯定される。この違いは、大きい。

吉右衛門は、初代の型を再現すべく、精密に、気を入れて盛綱を
演じていた。形の演技から情の演技へ。目と目で互いに意志を伝
えあいながら、甥っ子の命がけの行為を受けて、主君・時政を裏
切り、自分も命を捨てる覚悟をする。主従の忠義という武士のモ
ラルより血脈という一族の情を大事にする。今回の吉右衛門は、
そのディテールをきちんと演じていた。見せ場では、そういう
メッセージが、明確に伝わって来た。

佐々木兄弟の母・微妙を演じる役者も、いろいろな意味で、難役
であり、微妙は、難しい婆役として、歌舞伎の「三婆」と称され
た。芝翫の微妙は、さすが、重厚で、安定感がある。そういえ
ば、4回見ていて、芝翫以外の微妙を私は、観たことがない。小
四郎は、今回は、孫(橋之助の息子)の宜生であったが、芝翫
も、吉右衛門も、子役が、御曹司とは言え、少年を相手に、芝居
のレベルを下げない努力をするのは、大変なことだろうと思う。
そういう意味でも、微妙役者は、難役である。芝翫は、孫相手だ
けに、情愛を滲ませていた。小四郎を演じた宜生は、科白廻しも
たどたどしく、一部の劇評で、「劇の興趣はかなりそがれる」と
酷評されていたが、私が拝見した時は、それほどでは、なかっ
た。熱演と言えるのではないか。長丁場をとちらずに、一応芝居
には、していたと思う。芝翫は、勘太郎(娘聟の息子)、児太郎
(長男の息子)、宜生(次男の息子)と、3人の孫の小四郎を相
手に、微妙を演じたことになるという。子役に贋首という、大人
の「フィクション」を維持、補強させるために、切腹させるとい
う、まさに、「一芝居」打たせるという演出が、もともと、無理
があるように思う。知将・半二の、頭でっかちな発想という、策
に溺れた嫌いがある。

福助の高綱妻・篝火は、2回目。軍兵に変装するため、茶色の陣
羽織を着て、カリカチュアのよう扮装だ。玉三郎の盛綱妻・早瀬
は、初めて拝見。夫・盛綱とも、息子・小三郎とも絡まず、それ
で居いて、篝火とは、母同士の対立を表現しなければならないか
ら、結構、難しいのではないか。なかなか、最初から、早瀬が小
三郎の母と判りにくい。左團次の和田兵衛は、赤面(あかっつ
ら)の美学ともいうべきいでたちで、黒いビロードの衣装に金襴
の朱地のきらびやかな裃を着け、大太刀には、緑の房がついてい
る。荒事のヒーローのようで、歌舞伎の美意識が、豪快な人物を
形象化する。歌六の演じる北條時政も、存在感があり、堂々とし
た大将振りであった。この人は、脇の重鎮として、すっかり安定
して来た感がある。「アバレの注進」として、颯爽とした注進役
に、ご馳走の信楽太郎は、松緑。「道化の注進」という、滑稽味
の注進役の伊吹藤太は、歌昇。脇に廻った人たちが、持ち味を出
すと、芝居の奥行きが、ぐっと拡がって来る。この芝居は、そう
いう歌舞伎のおもしろさを教えてくれる面もある。

贅言1):和田兵衛の左團次が、花道から退場すると、陣屋の二
重舞台の下手横に置いてあった木戸が、大道具方のふたりによっ
て運び出される。木戸の外から、高綱妻の篝火によって陣屋の庭
の紅葉の木に矢文が撃ち込まれる。それを読んだ盛綱妻の早瀬
が、木戸の外にある松の木に返書の矢文を撃ち込む。その内外の
「境界」を観客に強調するために木戸は、持ち出される。歌舞伎
のこだわりの一つであろう。早瀬が、篝火を木戸の内に入れる
と、木戸は、すぐさま、大道具方によって、片付けられてしまう
ので、それが良く判るから、おもしろい。

贅言2):「太郎、次郎、三郎、四郎」。
歌舞伎で親の犠牲になる子供たちの名前を整理してみると、「寺
子屋」で殺され、菅秀才の身替わりとして首実検で利用されるの
は、松王丸の嫡男で、小太郎。「一谷嫩軍記」の「組打」で、父
親の熊谷直実に殺され、「熊谷陣屋」で、平敦盛の身替わりとし
て首実検で利用されるのは、直実の嫡男で、小次郎。そして、犠
牲には、ならないのが、「盛綱陣屋」の小三郎で、盛綱の嫡男。
「盛綱陣屋」で、自ら切腹という子供らしくない方法で、自害を
するのが、小四郎で、盛綱の嫡男。
さて、小五郎は? → 桂小五郎、明智小五郎というのは、冗句
(ジョーク)。


「鳥羽絵」は、3回目。1996年2月の歌舞伎座では、九代目
三津五郎と孫の巳之助。1997年8月の歌舞伎座では、歌昇と
息子の種太郎。そして、今回は、富十郎と息子の鷹之資。従っ
て、前回、前々回は、このサイトでの劇評開始以前の舞台なの
で、「鳥羽絵」は、劇評初登場となるが、コンパクトにまとめた
い。「鳥羽絵」とは、江戸時代に流行った鳥羽僧正の戯画のこ
と。簡単な線描で、滑稽画を描いた。

大店の台所。蕪の暖簾が下がっている。半襦袢、半股引姿という
手足剥き出しの下男升六とネズミ。升六は、矢筈鬢(やはずび
ん)の鬘、漫画のような顔の化粧という滑稽な表情が、観客を笑
わせる。

「升落し」という升とつっかえ棒を使ったネズミ捕りの道具で、
升六がネズミを捕まえた。毎夜台所を騒がしく動き回るネズミで
ある。擂り粉木でネズミを撃ち殺そうと擂り粉木を探していた
ら、擂り粉木は、羽が生えて飛んで行く(黒衣が、後ろから差金
で操る)。慌てて後を追う升六。その隙に「升落し」から逃げ出
すネズミ。ネズミは、升六の脚にしがみつき、お前に惚れている
とくどく。ネズミのくどきというおかしみ。升六が、その気にな
ると、ネズミは、升六を叩き伏せて、足で抑え込む。

「伽羅先代萩」の「床下」のパロディ。ネズミを人間が足で押さ
えるのではなく、ネズミが人間を足で押さえるという落ち。こと
しの干支がらみの舞踊劇。79歳の富十郎は、39年ぶりに演じ
るという。踊り達者な富十郎の至芸が、9歳幼い息子相手に発揮
される。


やはり、河内山は、吉右衛門


「天衣紛上野初花〜河内山〜」は、河竹黙阿弥が、明治14
(1881)年3月に東京の新富座で初演した狂言。明治期の作
でも、テーマは、江戸の世話物。しかし、明治期10年代に入
り、歳月に染まった時代色は、同じ黙阿弥ものでも、幕末時代の
世話物とは、大分感じが違う。文明開化の明るさが、反映された
「新江戸もの」とでも言おうか。この年、実は、黙阿弥誕生前
の、まだ、二代目河竹新七としての作品なのだ。そういう時期に
花開いた作品。黙阿弥は、この年の11月、一旦引退する(黙阿
弥は、引退後の名前だ)。引退後、黙阿弥時代は、本格化するこ
とになる。黙阿弥は、引退する際に、引退興行をしているが、実
質的には、「天衣紛上野初花」が、新七時代の掉尾を飾る、まさ
に、一世一代の得意の江戸世話物だったのではないか。なにせ、
初演時の河内山を演じたのは、「劇聖」の九代目團十郎だったか
らだ。

「河内山」は、私は、8回目の拝見。黙阿弥もののなかでも、
「弁天小僧」と並んで、最も上演回数の多い作品。そうは言って
も、最近の上演形態は、通しでは無く、「河内山」「三千歳直
侍」など、みどり(見取り)狂言が、多いので、「天衣紛上野初
花」としての、全体像が見えないので、それが、残念。昭和43
(1968)年に国立劇場で、昭和60(1985)年には、歌
舞伎座で、「湯島」「妾宅」なども含めて、それぞれ通し上演さ
れたと言う。いずれも、幕間などを含まない正味の上演時間で、
4時間近い。

私は、これらの舞台は、観ていないが、かろうじて、03年11
月の国立劇場の通し上演は観ることができた。幸四郎が、河内山
と直次郎のふた役で出演した。その時の劇評の一部を引用してみ
よう(この劇評全部は、サイト内の検索で、呼び出すことができ
るので、関心のある人は、読んでみてください)。

*直次郎、丑松と河内山の関係が、通しだとくっきりと観えて来
る。つまり、河内山が、兄貴格で、直次郎、そして丑松という力
関係が、はっきりする。丑松の裏切りも、「河内山一家」という
身内のなかでのことなのだ。さらに、河内山の人間の大きさが、
通常の上州屋質店と松江邸だけでは、見えて来ないが、「直侍」
の話との関係まで判ると、河内山が、仁侠肌の人物として浮き彫
りにされて来る。その象徴的な場面が、「吉原田圃根岸道の場」
の河内山の「星が飛んだのか」という科白だと思う。それは、
「鈴ヶ森」の白井権八と幡随院長兵衛の出会いのように駕篭が効
果的に使われ、ゆるりと駕篭に座り込んだ様が、この男の度胸の
太さを庶民に判りやすく伝えるという効果を生んでいることが判
る。河内山の人間的な度量の広さは、私は、今回の通し狂言で初
めて判った。従来の、みどり狂言の「河内山」で理解していた河
内山とは、違った人物像が浮かび上がって来た。この場面、この
科白は、河内山の人間の大きさを示すので、「吉原田圃根岸道の
場」は、割愛しない方が、良いと、思う。

「天衣紛上野初花」は、元々は、松林伯円の講談「天保六花撰」
で、河内山、直侍、暗闇の丑松、金子市之丞、森田屋清蔵、そし
て三千歳という6人構成だから、これは、小野小町を含む「六歌
仙」をもじっていることになる。私が拝見した河内山宗俊は、吉
右衛門(今回含め、4)、幸四郎(2)、仁左衛門、團十郎。

河内山役者では、やはり、観た回数が多い、吉右衛門の舞台が印
象に残るし、今回も、充実の舞台だった。特に、科白廻しは、吉
右衛門は、味がある。時代になったり、砕けて、世話になった
り、緩急自在で、吉右衛門の科白廻しを堪能した。河内山は、腰
元への乱行(セクハラ)で、権力を嵩にかけ、無理難題を仕掛け
る大名相手に、金欲しさとは言え、法親王の使者に化けて、町人
の娘を救出に行く。吉右衛門には、小悪党ながら、権力に立ち向
かう度胸を秘めた人の強さが感じられた。幸四郎の河内山は、陰
性だが、吉右衛門の河内山は、おおらかさがある。地の人の良さ
が滲んでいる。

ほかの河内山役者では、4年前、歌舞伎座で観た仁左衛門の河内
山は、上方味を消して、江戸っ子ぶりを強調していた。花道を歩
いて来るだけで、身の丈高く、颯爽としていた。それは、吉右衛
門とも一味違う河内山であった。2年前、歌舞伎座で観た團十郎
は、度胸ひとつで、大名を相手に手玉に取る河内山を、迫力、貫
禄もたっぷりに演じていて、納得の舞台であった。

「河内山」は、科白廻しが難しい芝居だ。それも、狷介な大名相
手に、金欲しさとは言え、法親王の使者に化けて、町人の娘を救
出に行く。最後に、北村大膳に見破られても、真相を世間に知ら
れたく無い大名側の弱味につけ込んで、堂々と突破してしまう。
そういう、いわば、「プロのトラブルメーカー(ゆすりたかりを
日常としている)」河内山の、質店・上州屋での、「日常的なゆ
すり」と、松江出雲守の屋敷での、「非日常的なたかり」での、
科白の使い分けの妙。時代と世話の科白廻しの手本のような芝居
だ。黙阿弥劇としても、一流の芝居だろう。それを吉右衛門が、
たっぷり見せてくれた。最後の「馬鹿め(ばかあーめー)」も、
この一言に、江戸の庶民の溜飲を下げさせた気持ちが現されてい
た。

贅言1):上州屋の店先では、吉右衛門の耳には、朱が入ってい
ないが、松江出雲守の屋敷の場面では、朱が入っている。今回
も、確認した。私の推測では、街中の店先での「日常のゆすり」
の場面と、大名屋敷での、「非日常のたかり」という、河内山に
とっても、一世一代の大舞台での、「緊張感」が、赤らんだ耳=
紅潮した耳という解釈で、吉右衛門は、耳に朱を入れているので
は無いかと、推測している。

贅言2):書院の場面では、お茶と菓子→料理→「山吹のお茶」
(金子)が出て来るまで、しんぼう強く待つ間、河内山は、自分
の前に線香立てを置いている。以前から観ているのに、最初は、
なにか判らなかったが、今回は、歌舞伎座2階に展示された先代
の遺品として舞台で使ったという線香立て入れと線香入れがあっ
たので、良く判った。

さて、序幕「上州屋質店の場」。木刀で五十両を貸せと迫る河内
山。番頭(吉三郎)たちでは、とても、太刀打ちできない。河内
山のような男が、店や会社に来た場合、応対する側は、どういう
対応をすれば良いのか。そういう課題が、ここにある。というの
も、出雲守の屋敷の場面は、質店の店頭での課題を、大名の屋敷
での課題に、いわば拡大したように思えるからだ。

出雲守の屋敷の場面「玄関先の場」は、上州屋質店の場面と同心
円をなす。店頭での課題を、大名の屋敷での課題に、いわば拡大
したように思える。特に、黙阿弥は、河内山の正体を見抜いた重
役・北村大膳は、危機管理者としては、失格者、つまり、上州屋
質店の番頭と同格に北村大膳を描いているからだ。そういう眼
で、この場面を観ると、大膳役は、今回の由次郎は、抜てきだっ
たかも知れないが、荷が重く、不十分だった。口跡が良くない。
ここは、私が観たうちでは、芦燕が、だんぜん、巧かった。駄目
な中間管理職の雰囲気を巧みに出している。こういう人は、どこ
の職場にもいるのではないか。

私が、これまでに拝見した大膳役では、團蔵では、眼が鋭すぎる
し、弥十郎では、立派すぎるし、幸右衛門では、人が良すぎる。
芦燕の、狡そうな、それでいて、駄目そうな大膳の描き方が、や
はり、巧いのである(そう言えば、最近、芦燕の舞台を観ていな
いが、体調でも崩されたのだろうか)。

松江邸の危機管理の場面は、もうひとつある。「広間の場」で
の、殿のご乱行。やはり、大膳と家老の高木小左衛門が対立する
から、黙阿弥の意図は、かなり、はっきりしている。「パワーハ
ラスメント」の殿様に対する対応を含めて、「危機管理」を担当
するものとして適格なのは、出雲守の屋敷では、家老・高木小左
衛門だろう。実務のリーダーシップを発揮しているのは、この人
だと良く判る。

質店の場合、番頭は、全く、仕切れなかった。後家のおまきも、
対応できない。後見役の和泉屋清兵衛が、登場しないと収まらな
い。清兵衛の、いわば経営者としての判断が、必要になってく
る。この芝居は、そういう仕掛けになっている。

歌六の清兵衛は、2回目の拝見だが、今回も、存在感があり、味
がありで、よかった。おまきを演じた吉之丞は、本興行で、8回
目ということで、1976(昭和51)年から、32年間も演じ
ている。すっかり、持ち役になっている。時代世話物には、欠か
せない老け女形で、存在感がある。

吉三郎は、軽率な番頭を巧く演じていた。5年前の舞台では、幕
が閉まる直前の、にやけた笑い顔が、いただけなかったが、今回
は、そういうこともなかった。この場面、いくら、清兵衛の判断
で、決着したとしても、後家の主人を助け、質店の実務のリー
ダーシップを取るべき中堅の番頭としては、河内山に対するいま
いましさの表現は、最後まで、こだわるべきでる。

家老高木小左衛門役を何回か観ている左團次は、今回は、無表情
に近い表情で、感情を抑圧していたように思えた。前に観た我當
の家老は、最後まで、河内山に対して、はらわたが煮えくり返る
という表情を押さえ込んでいるということを感じさせる演技をし
ていた。ほかには、先代の三津五郎、段四郎。

人格障害という病気ではないかと思われる、じゃじゃ馬のような
殿様・松江出雲守は、河内山との対比からみて、大事な役だ。今
回は、染五郎だったが、こういう性格の殿様役は、梅玉が、巧
い。2代続けて政権を投げ出した総理大臣同様に、管理者失格の
殿様だ。梅玉は、癇僻の強い殿様を演じていた。三津五郎は、世
間体を繕うばかりで、危機管理の知恵のない殿様を好演。ほかに
私が観た出雲守は、富十郎、彦三郎。

贅言3):殿ご乱心の松江邸の広間は、銀地に花柄の襖。河内山
を迎える松江邸の書院は、銀地に山水画の襖。

このほか、今回は、松江邸の書院で、出雲守のご乱行を質す河内
山と応対する近習頭の宮崎数馬の錦之助も、良かった。上州屋質
店の娘で、いまは、腰元の浪路の芝雀も、殿のご乱行と好意を
持っている数馬の間で、寡黙だが、良かった。腰元らしさ、殿様
を狂わせる若い女の魅力、俯いたまま、騒動の原因を作ってし
まったという、苦しさを観客に感じさせなければならず、結構、
難しい役だ。近習6人(桂三、宗之助、種太郎、吉之助、橘三
郎、又之助)が、河内山に馳走を持って来る場面は、3人ずつ、
2列になっての動きが、出、戻りとも、揃っていて、マスゲーム
を観ているようで、気持ち良かった。腰元も6人。ベテランの守
若らに混じって、芝のぶが居て、爽やかだった。
- 2008年9月15日(月) 17:33:38
2008年9月・歌舞伎座 (昼/「竜馬がゆく〜風雲篇〜」
「ひらかな盛衰記〜逆櫓〜」「日本振袖始」)


3回目の「秀山祭」は、見応えあり


今月の歌舞伎座は、「秀山祭」。初代吉右衛門に因んだ興行だ。
400年を超える歴史を持つ歌舞伎では、代々の名跡を継ぐ役者
が、「十何代」と誇らしげに輝く傾向にある中で、中村吉右衛門
という役者は、歴代で2人しか居ない(正確には、江戸時代の上
方に同名の役者が居たそうだが、播磨屋とは、関係がない)。に
もかかわらず、おととしから9月の歌舞伎座は、「秀山祭」が、
定席となって来た。初代吉右衛門の功績、それに加えて、当代、
つまり、二代目吉右衛門の精進で、実績を上げて来たからだろ
う。9月5日は、先代吉右衛門の亡くなった日だから、吉右衛門
俳号の「秀山」を冠した興行が、9月に設けられたのであろう
し、3回目の、今年の舞台の充実ぶりを観ていると、歌舞伎座の
9月は、早くも、「秀山祭」が、着実に実績を残していると思
う。吉右衛門の歌舞伎へ収斂する意志の堅実さを元に、今後も、
「秀山祭」が、定席として馴染まれて行くように思われる。

2階ロビーには、初代吉右衛門所縁の品や舞台写真、ブロマイド
などが展示されていた。俳人としても有名で、俳句を書いた書な
ども飾られていた。

萩の雨傘さして庭一と廻り

病室にうす日さすなりカーネーション

病室の玻璃戸に少し五月雨るヽ

鴬が鳴けば雲雀の鳴きやみて

さて、歌舞伎の名優の時代を告げる言葉として、「團菊左(だん
きくさ)」などがある。明治時代の3大名優、九代目市川團十
郎、五代目尾上菊五郎、初代市川左團次のことをそう呼ぶ。例え
ば、3人が共演するために河竹黙阿弥は、「天衣紛上野初花」を
書き下ろした。「團菊祭(だんきくさい)」は、いまも、5月の
歌舞伎座の定席だ。九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎の功績
を引き継ごうと、1936(昭和11)年以降、歌舞伎座の、ほ
ぼ4月、5月を記念興行に当てている。当代では、十二代目團十
郎と七代目菊五郎が軸になって、先代名優の当たり狂言を仕組ん
で、毎年5月に興行をしている。

「菊吉(きくきち)」時代というのもある。明治時代末期から大
正時代にかけて、10年余の期間をいう。東京下谷二長町にあっ
た「市村座」を舞台に、六代目尾上菊五郎、初代吉右衛門のふた
りが、いっしょに出演し、「菊吉合同劇」と称したのである。時
代物の「寺子屋」「一谷嫩軍記〜須磨浦〜」など、世話物の「四
千両」「宇津谷峠」などが、好評であったと伝えられる。一代
で、時代を画した初代吉右衛門。

今年の「秀山祭」の演目は、初代吉右衛門の当たり狂言のうちか
ら、昼の部では、「ひらかな盛衰記〜逆櫓〜」、夜の部では、
「近江源氏先陣館〜盛綱陣屋〜」、「天衣紛上野初花〜河内山
〜」が、上演された。当代の吉右衛門は、「ひらかな盛衰記〜逆
櫓〜」では、樋口を、「近江源氏先陣館〜盛綱陣屋〜」では、盛
綱を、「天衣紛上野初花〜河内山〜」では、河内山を演じ、それ
ぞれが、充実した演技・科白廻しで、私は、堪能したが、まず
は、上演された演目順に批評を書いて行こう。

「竜馬がゆく 風雲篇」は、初演。「竜馬がゆく 立志篇」の続
編だ。「竜馬がゆく 立志篇」は、去年の9月の歌舞伎座の初演
を拝見している。司馬遼太郎原作の小説「竜馬がゆく」を劇化し
た新作歌舞伎である。去年は、坂本竜馬没後140年記念作品と
銘打っていた。上演後、第36回大谷竹次郎賞を受賞した。順調
にいけば、毎年、この時期に続編を観ることができるのではない
か。私は、司馬遼太郎作品では、「街道をゆく」というような歴
史紀行の物は読むが、小説は、ほとんど読まない。「坂の上の
雲」、つまり、坂を昇れば、上には、雲があるというような、上
昇志向の価値観、卑近に言えば、立身出世主義のような価値観と
日本の近代化の二重写し、特に明治期の戦争を明るく描く(第2
次世界大戦参戦の体験から、昭和期の戦争は暗く描く)などとい
う批判は、司馬遼太郎が、自ら名付けたわけでは無いが、「司馬
史観」として括られ、「自由主義史観派」にも、利用されるとい
う印象があり、つまり、私は、「司馬史観」は、食わず嫌いであ
るから、批評は、当を得ていないかもしれないが、正直に、そう
書いておこう。

「竜馬がゆく 立志篇」は、坂本竜馬の青春、土佐藩を脱藩し
て、国事に奔走しようと決意する時期を明るく描いたが、「竜馬
がゆく 風雲篇」では、1864(元治元)年の池田屋事件か
ら、国事に奔走する青年竜馬と後の妻となるおりょうとの出逢い
を軸に、1866(慶應2)年の寺田屋での竜馬襲撃事件までを
描き、まさに風雲急を告げる舞台となる。新歌舞伎らしく、大道
具の使い方や舞台展開が工夫されている。中嶋正留が、美術を担
当。

第一幕第一場「京 池田屋塀外の場」。暗転のなか、緞帳が上が
ると、薄暗い闇の中に京の宿、池田屋が浮かんでいる。2階の障
子から灯が洩れている。新選組の一行が、夜陰に乗じて襲撃す
る。2階から飛び出して、逃げる尊王攘夷派の浪士たち。やが
て、暗闇の中で、背後から強いライトを受けながら坂本竜馬(染
五郎)が、手紙を読みながら登場。

池田屋の大道具が引き込められ、あちこちの黒幕が、引き上げら
れると、そこは、第二場「神戸 海軍塾」。明るい海辺の光景が
拡がり、背景の海には、軍艦も浮かんでいる。舞台上手には、幕
府海軍奉行・勝海舟が設立した「神戸海軍操練所」の看板を掲げ
た入り口が見える。竜馬は、ここの塾頭をしている。そこへ中岡
慎太郎(松緑)が訪ねて来る。長州藩に身を寄せていた慎太郎
は、竜馬や塾生たちに、長州勢と共に京に攻め上ろうと煽る。反
対する竜馬を残して慎太郎と共に行く塾生たちを見送りながら、
竜馬は、「私より先に死んではいかん」と叫ぶ。

舞台が、廻り、書割が降りて来ると、第三場「京 伏見へ下る
道」。蛤御門事件の直後の京の街。手傷を負った慎太郎。若い娘
(おりょう・亀治郎)が、女衒に誘拐された幼い妹を探してい
る。逃げて来た妹と追って来た女衒一味。危ういおりょうたちを
助けに入る竜馬。つまり、後の妻となるおりょうと竜馬の出会い
の場だ。定式幕が引かれ、第一幕は、終る。

第二幕第一場「京 薩摩藩邸」。その年の秋。ここは、竜馬と西
郷吉之助(錦之助)の出逢いの場。薩長同盟による倒幕の志を西
郷に熱く語る竜馬。藩意識より、対外国を睨んで、日本意識を強
調する竜馬に、西郷も考え込む。舞台は、逆に廻ると、第二場
「伏見 寺田屋の二階」。竜馬は、警護の長州藩士、ここに世話
になっているおりょうとともに薩長同盟締結を祝って酒宴を開い
ている。寺田屋の女将お登勢(吉弥)が、現れると人払いをし
て、竜馬は、おりょうをお登勢の養女にしろと頼み込む。おりょ
うを養女から、自分の妻にという構想だ。快諾するお登勢。だ
が、そこへ会津藩伏見奉行所の捕り方が、迫って来る。迫り来る
修羅場を前に、求婚する竜馬。

やがて、修羅場。逃げる竜馬。暗転。屋根上の大道具が、傷つい
た竜馬らを載せたまませり上がって来る。第三場「近くの木場の
屋根」。警護の武士を薩摩藩への連絡に向わせると、気絶してし
まう竜馬。おりょうが、現れ、気を取り戻す。薩摩藩が、逃亡用
の船を用意したという。竜馬とおりょうが抱き合う。黒幕が落ち
ると、京の夜明け。明るい空の下で抱き合うふたり。

染五郎は、テンポ良く演じているが、口跡が悪く、声が、聞き取
りにくい。亀治郎の女形振りは、久しぶりだが、やはり、綺麗
だ。染五郎と逆に甲(かん)の声が高すぎる。中岡慎太郎を演じ
た松緑は、存在感が、薄かった。逆に、吉弥は、ちょっとしか出
て来ない割に、存在感があった。錦之助は、西郷は、ニンでは、
ないだろう。何より、テキパキした道具替りのさまが、おもしろ
かった。


吉右衛門の樋口、歌六の権四郎の妙味


「ひらかな盛衰記〜逆櫓〜」は、4回目。私が観た樋口次郎は、
幸四郎(2)、吉右衛門(今回含め、2)。吉右衛門は、初代の
当たり狂言とあって、気の入った演技。船頭に身をやつしている
松右衛門、実は樋口次郎兼光で、亡くなった主人木曽義仲の仇と
して義経を討とうとしている。

「ひらかな盛衰記(せいすいき)」は、源平合戦の木曽義仲討ち
死に描いた時代物の人形浄瑠璃。「ひらかな」とは、「源平盛衰
記(げんぺいじょうすいき)」を分かりやすく作り替えたという
意味が込められている。平家と木曽義仲残党、それに源氏の三つ
巴の対立抗争の時代。全五段の時代浄瑠璃の三段目が、通称「逆
櫓(さかろ)」という。

さて、松右衛門、実は樋口次郎(木曽義仲残党)は、歌舞伎でい
うところの「やつし事」。「やつし事」のポイントは仮の姿から
本性を顕わすくだりだが、それを、如何にきちんと演じるか。先
月、旅先で源平の争いに巻き込まれ、孫の槌松(つちまつ)と義
仲の一子・駒若丸を取り違えて連れてきてしまった松右衛門の義
父・権四郎(歌六)。槌松として育てられている駒若丸のことを
聞き付け、駒若丸を引き取りに来た腰元・お筆(芝雀)は、槌松
が、駒若丸の身替わりに殺されたことを告げる使者でもあった。
そして松右衛門、実は樋口次郎が絡む場面が、見せ場となる。

知らずのうちに(というのが、私には、作意臭く思えるのだ
が)、駒若丸と一緒に住んでいた松右衛門は、2度目の出で、槌
松こそ、実は、駒若丸本人と明かしたところで言う科白は、次の
通り。

「ハテ、是非もなし。この上は我が名を語り、仔細を明かした上
の事。(駒若丸をお筆に抱かせ、上手へやり、門口をあけて、表
を窺う)権四郎、頭(ず)が高い。イヤサ、頭(かしら)が高
い。天地に轟く鳴るいかずちの如く、御姿は見奉らずとも、さだ
めて音にも聞きつらん、これこそ朝日将軍、義仲公の御公達駒若
君、かく申す某(それがし)は、樋口の次郎兼光なるわ」。

立役の名場面のひとつだが、吉右衛門は、本当に気持ちよさそう
に科白を言っていた。2度目の出で、吉右衛門演じる松右衛門
は、衣裳を変えて出て来た時に、顔に隈を入れている。すでに、
樋口次郎の形、心なのだ。そして、やがて、顔つきも声音も変
わって、科白廻しも世話から時代に変わって、メリハリをつけ
る。また、世話に戻る。歌舞伎役者には、堪えられない科白廻し
が続く場面だ。吉右衛門は、当代の歌舞伎役者の中でも、科白廻
しが、巧い。時代物も良いが、世話物も良い。今回は、樋口、盛
綱、河内山と、その科廻しのバリエーションをたっぷり聞けるか
ら、愉しみだ。

お筆の芝雀も、女武道で、科白にもあるとおり「女のかいがいし
く、後々まで御先途を見届ける神妙さ」という賢い女性を緩怠な
く演じていて、見応えがあった。最近では、高齢の実父・雀右衛
門が、舞台に姿を見せることが少なくなったこともあって、この
ところ、芝雀は、力を発揮する舞台が続いているが、今回も、存
在感十分の、充実の舞台であった。芝雀と漁師・権四郎(歌六)
の、槌松の死を廻る緊迫したやりとりは、リアリティがあり、先
に触れたように、松右衛門から樋口次郎へ見顕わしをする吉右衛
門の場面を際立たせてくれる。

漁師・権四郎の娘・およし(東蔵)は、松右衛門という先夫との
間に槌松という子が居たが、3年前に夫を亡くした。取り違えら
れた槌松(つまり、義仲の一子・駒若丸)をそれと知らずに、樋
口次郎は、二代目松右衛門として、一年ほど前から、婿入りし
て、育てているのである。樋口は、訓練を受けた武将だから、漁
師としても優秀で、権四郎の家に代々伝わる「逆櫓」の秘術をす
でに身につけていて、このたび、敵方の義経を乗せる船の船頭を
命じられたという。そういう得意のことを仕方話にして、披露し
たりする。

一方、権四郎は、現役を聟に譲って、孫と暮らしている。駒若丸
の身替りに殺された槌松、愛憎渦巻く中、駒若丸を我が孫とし
て、育てて行こうとする祖父の権四郎は、複雑な事情のキーマン
となるだけに、難役である。祖父と義父、ふたりの気持ちは、微
妙に違うが、子供を主君のために犠牲にするという点では、「熊
谷陣屋」の世界に通じる芝居だ。

愛憎を超えて、幼い子供を守ろうと権四郎は、源氏方の梶原から
駒若丸を助けるために、畠山重忠(富十郎)に訴え出て、自ら、
再び駒若丸を槌松と思い込むことで、駒若丸の命を守る。何度も
書いて来たが、「熊谷陣屋」を私が好むのは、決して直実が良い
からではない。実の父に殺された小次郎を、母親の相模が、
「妻」として夫を非難してまで、「母」としての愛情を示すとこ
ろに、封建時代を超えた愛の普遍性があると思うからだ。そこ
に、この件(くだり)を書いた並木宗輔の意思を感じるからだ。
だから、相模は、「寺子屋」の松王丸の妻で、殺された小太郎の
母・千代とは違う。千代には、夫に付き従う「妻」を「母」より
優先してしまう。「先代萩」の政岡ではないが、「三千世界に子
を持った親の心は皆一つ」だから、千代が相模より、実の子に対
する愛情が不足しているなどとは思わないが、子供をどう思うか
という、芝居としての「思想」が違うと、私は思っている。

「逆櫓」では、実母およしの存在感が、意外と弱いのだが、その
代わりの役を勤めながら、子供を思う権四郎の駒若丸に対する愛
憎は、複雑なものがある。駒若丸のために、実の孫の槌松は殺さ
れている。一度は、お筆の態度に対して、怒りを覚え、駒若丸を
殺そうとさえ思った。にもかかわらず、子供の命というものを大
切に思い、最後は、自分の機転で、「よその子供」である若君を
助ける。そこには、樋口のような「忠義心」があるわけではな
い。権四郎には、相模と同じような、子供の命に対する、封建時
代を超えた愛の普遍性があるのだと思う。

歌舞伎は、封建時代に盛んになった演劇だけに、封建時代という
閉塞社会で、大人同志の関係が、窒息寸前まで、息詰まると、ガ
ス抜き、つまり、カタルシスとして、子供が殺されるという話が
多い。それも、親の都合、特に、武士の社会の「忠義」のため
に、子供を犠牲にする話が多い。封建時代の芝居だから、そうい
う道徳律が働いているのだろう。いわば、子供を犠牲にすること
で、「マイナスの活路」を開くのだと思うが、それは、封建時代
ゆえというだけのことであろうか。実は、現代社会も、子供を含
めて、弱者が殺され続けているのではないだろうか。そういう意
味では、「子殺し」というテーマは、「弱者殺し」と読み替えれ
ば、残念ながら、いまの時代も続いているテーマではないのか。

さはさりながら、そういう「子殺し」という舞台が続くなかで、
相模や権四郎のような人物に出会うと、私はほっとする。きっ
と、江戸の庶民たちも、こういう武家社会の道徳律には、反発し
ていただろう。「忠義」よりも、「子供」への愛情、歌舞伎が時
代を超えて、いまも、観客に共感される秘密は、ここにあるので
は、ないか。

第二場。「松右衛門内裏手船中の場」。松右衛門、実は樋口次郎
は、船の上で「逆櫓」(櫓を逆に立てて、船を後退させる方法)
を船頭たちに教えるが、実は梶原の息のかかった船頭たちで、隙
を見て松右衛門に襲いかかる。この場面、以前に観た時は、「子
役の遠見」(遠景を、大人の役者の代りに、子役で見せる演出)
でやっていたが、今回は、樋口本人が出て、ノリ地の科白を聞か
せる。

浅葱幕の振り落としで、船中の場面。船を載せた浪布の台。台の
前と後ろを浪布が左右に動いて、櫓と海の流れを巧みに表現して
いた。船中の立回りの後、浪幕(浪を下部に描いた道具幕)の振
り被せで、場面転換。千鳥の合方。再び、浪幕の振り落としで、
第三場。「松右衛門内逆櫓の松の場」。浜辺に戻っても両者の争
いは続く。

そこへ、遠寄せの陣太鼓。樋口次郎は、大きな松に登り、大枝を
持ち上げての物見(松右衛門が松の大木の太い枝を持ち上げて、
彼の怪力ぶりを示すが、その際、実は、松の後ろにいる黒衣が紐
で松の枝を持ち上げていた。総合芸術の歌舞伎のおもしろさは、
役者も黒衣も息を合わせた、こういう連係プレーにある)。

この場面、舞台にある綱の巻き物がポイントになる。松の木の上
手に、綱を巻いたものがふたつある。ひとつは、太い綱で、碇に
繋がっている。もうひとつは、それよりやや細い綱で、ただ、巻
いて置いてあるだけだ。

遠寄せの陣太鼓は、樋口を捕らえる軍勢の攻めよる合図だ。権四
郎が若君を連れていながら、若君の正体は隠し、代りに松右衛門
の正体を樋口次郎だとばらすことで、畠山重忠に訴人する。捨て
身で、駒若丸を救うという奇襲戦法に出たのだ。樋口次郎危う
し、被害を最小限度にとどめてと思っての権四郎の機転が、槌
松・駒若丸の、いわば二重性を利用して、「娘と前夫の間にでき
た子・槌松」を強調して、駒若丸を救うことになる。子供の取り
違えを、「逆櫓」ならぬ、「逆手」にとって若君を救うという作
戦である。樋口も、権四郎の真意を知り、かえって、感謝の念を
強くして、了解するという場面だ。

武士にできなかったことを、実の孫を犠牲にしながら、その恨み
を消しながら、一庶民の権四郎が成し遂げる。そうと知って、納
得して、おとなしく縄に付く樋口次郎。事情を知っていながら、
権四郎の思い通りにさせる畠山重忠。老年になってできた幼い息
子を持つ富十郎の情愛が、滲み出て来る表情が、印象的だ。

そういう封建時代に、封建制度の重圧に押しつけられてきた江戸
の庶民の、大向こう受けするような芝居が、この「逆櫓」の場面
なのだ。権四郎は、ある意味では、樋口より立派な役柄なのだ
と、思う。歌六は、このところ、さまざまな脇の老け役で滋味を
出していて、好評だが、今回の権四郎も、難役なのに、過不足な
く演じていて、良い権四郎になっていた。以前観た左團次の権四
郎が、力が入りすぎていて、ややオーバーな演技になっていて、
私の劇評では、辛い点をつけていただけに、今回の歌六には、
ホッとした思いがする。

もうひとつの見せ場。櫓をもった船頭たちが、樋口次郎相手に演
じる大立ち回りは、迫力充分。樋口を真ん中、船頭の背中に乗せ
て、それを取り囲むように、手に持った櫓で、大きな船の形を本
舞台一杯に描く。殺陣師の冴え、洗練された美意識が、ここには
ある。それだけに、大部屋役者の船頭たちの立ち回りにも力が
入っている。Vの字。ダブルVの字。逆Vの字。櫓で描くXの
字。櫓で描く菱形のなかでの樋口の見得。碇を担ぐ樋口。碇に繋
がる綱の綱引き。「アリャー、アリャー、アリャー」という声。
綱が切れる。櫓で描く幾何模様。飛び六法で花道ならぬ、本舞台
中央に戻る樋口。碇に繋がる綱とは別に松の上手に、巻いて置か
れていたやや細めの綱は、樋口が、捕われた時に縛られる綱だ。
こうした動きに附打ち(ベテラン芝田正利)の音が冴える。いず
れにせよ、役者が役柄ぴったりで、大部屋の三階さんたちの気合
いが入った立ち回り。歌舞伎らしい見応えのある舞台だった。


玉三郎と福助の共演という「豪華さ」と「妖しさ」


「日本振袖始(にほんふりそではじめ)」は、2回目の拝見だ
が、前回は、10年前なので、このサイトでは、劇評としては、
初登場となるので、少し詳しく書いておきたい。近松門左衛門原
作の神代もの。原作は、「日本振袖始(にっぽんふりそでのはじ
まり)」と読んだ。1718(享保3)年、人形浄瑠璃で初演、
同年中に歌舞伎化された。

私が観た岩長姫、実は、八岐大蛇:玉三郎(今回含め、2)、稲
田姫:芝雀、今回は、福助、素盞鳴尊:左團次、染五郎。

開幕すると、舞台全面を覆う浅葱幕。上手には、霞幕。4人村の
男たちが、浅葱幕の上手から出て、下手に引き込むと、浅葱幕振
り落としで、霞幕も上手袖に隠される。竹本連中の登場。4人の
太夫の中には、愛太夫もいる。伴奏は、三味線のほかに、小鼓と
笛が付いている。暫く、置浄瑠璃で、無人の舞台。背景は、山奥
で、谷川に洞窟もある。

「時は亥も過ぎ夜半の雲 天を焦せる篝の影 さながら昼とあや
またる」。やがて、花道から一行8人の村の男たちが担ぐ輿に
乗って稲田姫(福助)が、登場する。八岐大蛇への生贄となるの
だ。実は、稲田姫と恋仲の素盞鳴尊が、秘策を授けての、必死の
作戦が、隠されている。洞窟の前で、稲田姫に当て身を喰らわせ
て、村の男たちは、引き上げてしまう。薄いピンクの衣装に白い
帯姿という清楚な恰好の稲田姫を演じる福助は、この後、暫く、
微動もしない。

更に、夜が更けると七三から赤姫の衣装に身を固めた岩長姫(玉
三郎)が、現れる。八岐大蛇の化身とは言え、若い女性(岩長
姫)が、生贄の若い女性(稲田姫)を呑み込もうとする、妖しく
も、エロチックな場面である。清楚に見えた薄いピンクの衣装に
白い帯姿の稲田姫は、まるで、裸身のように見えて来る。「呑み
込む」という行為は、限りなくセックスに近づく。歌舞伎の性愛
表現。だが、岩長姫は、「性愛」の前に、谷川や洞窟の周辺に素
盞鳴尊が、予め置いておいた8つの酒瓶から流れ来る酒の匂いに
負けてしまう。八岐大蛇の本性が、素盞鳴尊の作戦に負けてしま
う瞬間である。瓶に近づいた八岐大蛇は、毒酒とも知らずに、瓶
の中味を次々と呑み込んで行く。

歌舞伎では、立役が酔いを深まらせて行く場面が、幾つかある
が、女形が、酔いを深まらせて行く場面は、少ない。銀の花櫛を
取り、「吹き輪」という髪型を崩す。衣装もぶっ返りで、金地に
赤い衣装に替る。女形の酔態の深まりを玉三郎は、髪を振り乱し
ながら、よろよろとした乱れ足など、所作で表現して行く。やが
て、酔いの深まりか、毒が廻って来たのか。岩長姫からは、八岐
大蛇の本性が、滲み出して来る。目覚めていた稲田姫は、この様
を見て、恐れおののく。神に救いを求めて祈念する稲田姫。洞窟
の岩戸が開くと、ふたりの姫は、中に入り込む。下になった稲田
姫の福助は、海老反りになる。若いだけに柔軟な体だ。打掛けを
頭から被った玉三郎の岩長姫は、稲田姫の体の上に、のしかかっ
てゆく。女性(にょしょう)の裸身を呑み込もうとする八岐大蛇
の姿が、二重写しに見える。それに合わせるように岩戸は、閉め
切られてしまう。レズビアンの極地のような、輝かしい性愛の場
面が、一瞬のうちに立ち消える。最大の見せ場だろう。

竹本連中は、再び、霞幕で隠される。下手から、大薩摩の松島藤
次郎、三味線の杵屋巳吉が、登場。音楽の荒事、大薩摩。大薩摩
の演奏が終ると、再び、竹本連中。伴奏は、小鼓と笛が居なくな
り、三味線のみ。

やっと、駆け付けた素盞鳴尊(染五郎)は、八岐大蛇に立ち向か
う。岩戸が開き、後ジテの姿となり、岩戸の前に滑り出てくる玉
三郎。角の生えた鬼女は、赤い袴、金地に黒の鱗模様の衣装で、
分身を入れて、8つの身に変じている。8つの身は、分身であ
り、また、全身でもある。所作で、8人は繋がって、一つになっ
てみせたり、分裂してみせたりしながら、八岐大蛇は、素盞鳴尊
に立ち向う。立回りでは、互角の戦いが続く。

素盞鳴尊から隠し持たされていた「羽々斬(ははぎり)」の名刀
で、八岐大蛇の腹を断ち切り、姿を現したのが、稲田姫。この名
刀と八岐大蛇から取り戻した「十握(とつか)の宝剣」を素盞鳴
尊に手渡す稲田姫。ふたつの剣を持った素盞鳴尊は、八岐大蛇を
退治する。

やはり、岩戸が閉め切られる前の一瞬が、最大の見せ場だった。
裸身のような衣装で、下になった稲田姫の福助は、海老反りにな
る。打掛けを頭から被った玉三郎の岩長姫は、稲田姫の体の上
に、のしかかってゆく。女性(にょしょう)の裸身を呑み込もう
とする八岐大蛇の姿が、二重写しに見える。その瞬間。それに合
わせるように岩戸は、閉め切られてしまった。レズビアンの極地
のような、輝かしい性愛の場面が、一瞬のうちに立ち消える。よ
くぞ、見落さなかったと思う瞬間であった。
- 2008年9月14日(日) 12:41:38
2008年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎・第3部/「紅葉狩」
「野田版 愛陀姫」)


「紅葉狩」は、8回目の拝見となる。8回分の上演記録を見る
と、私の観た更科姫は、7人になった。玉三郎(2)、芝翫、福
助、雀右衛門、菊五郎、海老蔵、そして、今回が、勘太郎。年齢
的に見れば、雀右衛門、芝翫、菊五郎、玉三郎、福助、海老蔵の
順で、今回の勘太郎が、いちばん若い。また、海老蔵以外は、
皆、真女形か、兼ねる役者として定評があるか、いずれにせよ、
女形となっても、不自然でない役者ばかりだ。海老蔵のように、
立役が、女形に挑戦することもある。そういう意味でいうと、今
回の勘太郎は、まだ、どちらとも言えない。弟の七之助のよう
に、真女形志向ではないし、海老蔵のように、立役志向でもな
い。いずれは、精進の成果を引き下げて、父親の勘三郎のよう
に、兼ねる役者を目指しているのかも知れないが、まだまだ、
「兼ねる役者」の域には、達していない。

「紅葉狩」は、能を素材に、新歌舞伎十八番を制定した九代目團
十郎が、松羽目物にせずに、活歴風の舞台に仕立てた。初演は、
1887(明治20)年の初演である。黙阿弥の原作で、能の
「紅葉狩」と違って、鬼女を赤姫にして、竹本、長唄、常磐津の
三方掛合の華やかな歌舞伎舞踊劇に仕立てられている。

前シテの更科姫が、後ジテで鬼女に変るので、女形が演じると後
ジテの鬼女の演じ方が難しいし、立役が演じると、前シテの更科
姫が、難しい。女形は、女形の柔らかな所作の姫の中から狷介な
「鬼を滲みださせる」のに工夫を重ねる。一方、立役は、鬼の
荒々しさを赤姫の中から飛び出さない程度に「封じ込める」のに
工夫を重ねる。似ているようでいて、異なる工夫が必要なのだろ
う。

例えば、全身で更科姫を演じながら、鬼の無気味さを眼の光で現
そうとするのが、海老蔵かも知れないし、逆に、姫としての色気
を眼では現したまま、所作で、いつもの、真女形の姫とは違う、
荒々しさに、鬼を滲ませるのが、玉三郎かも知れない。所作と一
言でいっても、歩き方で現す役者もいるだろう。手の動きで現す
役者もいるだろう。背骨の軸で現そうとする役者もいるだろう。
持って生まれた柄の特徴で現そうとする役者もいるだろう。

2年前、06年12月の歌舞伎座で演じた海老蔵は、荒削りで、
自然体で、己の特徴を掴んでいないから、荒々しいだけの立役
が、赤姫の恰好をしているようにしか見えなかった。そう、江戸
川乱歩の小説に出て来る異形な「黒蜥蜴」のようだった。今回の
勘太郎は、どうであっただろうか。

例年以上の猛暑。暑い、茹だるような、銀座の喧噪のなかに、長
く居て、冷房の効いた歌舞伎座に入ると、ホッとする。さらに、
幕が開き、舞台一面に、真っ赤な紅葉が、拡がると、暦が、立秋
を越えたことを改めて、思い出させる。猛暑に、真っ赤な紅葉
は、暑苦しいどころか、清涼感があった。猛暑の中で、秋が、近
づいている。

勘太郎は、やはり、未だし、という感じであった。何度も書いた
が、「紅葉狩」は、「豹変」がテーマである。更科姫、実は戸隠
山の鬼女への豹変が、ベースであるが、赤姫の「着ぐるみ」とい
う殻を内側から断ち割りそうな鬼女の気配を滲ませながら、幾段
にも見せる、豹変の深まりが、更科姫の重要な演じどころであ
る。観客にしてみれば、じわじわ滲み出して来る豹変の妙が、観
どころ。見落しては、いけない。酔いを演じる役者が、じわじわ
酔いを深めて行くように見せるのも難しいが、豹変ぶりを薄紙を
剥ぐように見せるのも、並み大抵のことではない。

勘太郎の、義理の祖父である芝翫、義理の叔父である福助、一度
だけ歌舞伎座で演じた父親の勘三郎、歌舞伎座はじめ、本興行
で、何度も演じた祖父の先代勘三郎、そういう優れた役者衆に囲
まれて、あるいは、馴染んで、育って来た勘太郎にとって、今回
の、「紅葉狩」は、更科姫の、スタートになる舞台という位置付
けになろうか。まあ、それが、18年前、1990(平成2)
年、8月に始まった納涼歌舞伎の原点であっただろう。芝翫を上
置きに、勘九郎(当代勘三郎)、八十助(当代三津五郎)、歌
昇、児太郎(当代福助)、橋之助、病気休業中の澤村藤十郎ら、
当時は、まだ花形だった役者たちの、研鑽の舞台としてスタート
したはずだ。そういう花形(若手)のなかから、父親の大きな名
前を継ぐ役者が育って来たのだから、そろそろ、世代交代も、始
まっても良いのかも知れない。「振り出し」に戻るである。来年
は、納涼歌舞伎も、20回目の興行を迎える。そういう意味で
は、勘太郎を軸にした、今回の「紅葉狩」は、世代交代へ向け
て、象徴的な舞台かも知れない(この部分は、第1部の劇評で
も、若干触れたので、重複するが、「野田版か歌舞伎の人気か
ら、第1部の劇評より、第3部の劇評を先に読む人もいるだろう
と思い、こちらにも、書いてみた)。

更科姫、実は、鬼女:勘太郎、平維茂:橋之助、山神:巳之助、
右源太:高麗蔵、左源太:亀蔵、局田毎:家橘、野菊:鶴松、岩
橋:市蔵という、主な配役を見ると、新旧が、バランス良く、配
置されているのが判る。若手の方は、勘太郎、巳之助、鶴松と、
かなり大胆な配役であることが判る。それぞれが、舞台展開の節
目の役割を務めている。高麗蔵が、きびきびした動きで、若手を
補っていたのが、印象に残った。橋之助は、もうひとつの軸にな
り、舞台全体を支えていた。初期納涼歌舞伎の生き残りとして、
貫禄を滲ませていた。亀蔵、市蔵の松島屋兄弟は、脇を固めてい
た。勘太郎は、この配役では、姫というには、柄が、大き過ぎ
た。特に、鬼女へ変化(へんげ)の兆しのなかで、上手揚幕へ
入って行く場面では、更科姫が、一瞬、弁天小僧のように見えた
のは、ご愛嬌かも知れない。「二枚扇」という、ふたつの扇子を
使った踊りの場面では、勘太郎は、上手に踊っていた(体調が悪
かったのか、芝翫が、扇を落とす場面が、印象に残っている。
10年前の歌舞伎座)。また、鶴松は、逆に、柄が小さ過ぎた。
いずれも、今後の精進、成長で、変化して来るだろうということ
が、予兆された。

贅言;ただし、竹本の「一天俄に・・・」の後、稲光りは、良い
としても、その後、役者衆にスポットを当て続けるのは、あま
り、感心しなかった。鬼女が、舞台中央の、紅葉の巨木に登り、
上手、下から睨み付ける平維茂との「対決」の場面で、やっと、
「明転」というのは、歌舞伎らしくないと思った。


「野田版 愛陀姫」は、今回、初演。野田版歌舞伎としては、3
作目。私は、「研辰の討たれ」しか観ていないので、2作目の拝
見となる。「研辰の討たれ」が、テンポの良い、荒唐無稽な場面
もふんだんに折り込んだ、快調な喜劇だったとすれば、「野田版 
愛陀姫」は、悲恋を軸にしたシリアスな翻案劇で、大分、違う。

原作は、オペラでお馴染みの、ヴェルディの「アイーダ」。オペ
ラと歌舞伎は、昔から、似ている、似ていないと「論争」がある
が、近世以降、能や人形浄瑠璃が、歌舞伎化されたように、近代
の「国劇」歌舞伎は、オペラから歌舞伎化する試みは、多くない
ようで、今回は、野田秀樹が、その難題に挑戦した。

原作の「アイーダ」は、1869年、スエズ運河開通を記念して
建設されたカイロ王立歌劇場の興行のために、イタリアの作曲家
ヴェルディが、作ったグランドオペラ。1871年に初演され
た。古代エジプトを舞台にした芝居。エジプトとエチオピアの対
立を背景に、エジプトの王女アムネリスとアムネリスの下女ア
イーダ(実は、エチオピアの王女)、そして、このふたりの女性
から求愛されるエジプト軍の将軍ラダメスの三角関係を軸に物語
は進行する。アイーダの父親(エチオピア王)が、捕虜になって
エジプトに潜入してくるなど、いろいろ仕掛けがある。

野田版では、これを戦国時代の美濃の斎藤道三(エジプト側)と
織田信長(エチオピア側)という対立に置き換える。従って、エ
ジプトの王女アムネリスは、斎藤家の濃姫(勘三郎)、下女ア
イーダ(実は、エチオピアの王女)は、愛陀姫(アイダひめ・七
之助)、エジプト軍の将軍ラダメスは、木村駄目助左衛門(きむ
ラダメスけざえもん・橋之助)という配役となる。原作で、重要
な狂言回しになる祭司長は、ふたりの、怪しげな祈祷師(福助、
扇雀)として、シリアスな芝居に滑稽な味をつける薬味の役割を
果たす。

前半は、三角関係に気付いた濃姫が、木村駄目助左衛門と結ばれ
ようと、いろいろな策略を展開する。一方、木村駄目助左衛門
は、いつしか、愛陀姫に恋をするようになる。こうしたなか、織
田軍に打ち勝つ将軍・木村駄目助左衛門の凱旋、駄目助左衛門が
引き連れて来た織田軍の捕虜のなかに姿を偽って、紛れ込んだ愛
陀姫の父親・織田信秀(三津五郎)がいるなど、恋と祖国、肉親
への思いの間(あいだ)で、苦悩するから、「アイーダ」という
のではないか、というような、狭間の思いに苦悩する愛陀姫の姿
が、点描される。

オペラ「アイーダ」のなかでも、有名な「凱旋行進曲」が、トラ
ンペットと共に、和楽器で演奏されるのは、会場の笑いを誘う。
まさに、間奏曲。

凱旋の成果と引き換えに愛陀姫の願いを道三に代りに申し出て実
現させる木村駄目助左衛門は、その代償に(道三からみれば、そ
の保障に)、濃姫と結婚させられる(娘を部下に与える)。濃姫
の恋の駆け引き、一敗地にまみれた織田信秀の逆襲の戦略など
が、それぞれに絡みながら、愛陀姫と木村駄目助左衛門の関係
は、狂わされる。やがて、戦略を敵方に明かしたとして、囚われ
の身となる木村駄目助左衛門。木村駄目助左衛門は、死を覚悟
し、濃姫は、恋に破れる。

怪しげな、偽の祈祷師たちは、道三家のなかを巧みに泳ぎ回り、
道三を篭絡し、濃姫を織田家に嫁に出させるようにしむける。シ
リアスな翻案劇のなかで、数少ない「野田版らしい」おもしろさ
を背負うのが、祈祷師たちであるが、細毛(福助)のおもしろさ
に比べると荏原(扇雀)は、おもしろ味に欠ける。しかし、場面
場面で、道三を操り、濃姫さえ追い出すのは、この怪しげな祈祷
師コンビなのだと分かって来る。いんちき祈祷師のうち、荏原
は、ばれないうちに逃げ出そうと細毛を誘うが、細毛は、インチ
キはインチキなりに、コツを覚えたようで、人の顔を見ている
と、大方の人間の望みが同じであることが分かって来た。人々の
望み通りのことを「お告げ」として、言ってやれば、充分に巫女
としてやっていけると嘯く。世渡りの名人。人生のプロフェッ
ショナル。

最終場面、墓のなかに、生き埋めにされた木村駄目助左衛門のと
ころへ、姿を現す愛陀姫。地中深く、恋を貫くふたり。やがて、
緞帳が降りて来る。そして、カーテンコール。勘三郎、三津五
郎、橋之助、七之助、弥十郎、福助、扇雀らが、並び立つ。

怪しげな祈祷師を操り、策略に長ける濃姫と愚直に純愛を貫く愛
陀姫。原作者の野田秀樹は、愛陀姫は、生涯純愛路線の、人生の
アマチュアだった、濃姫は、人生のプロフェッショナルを自任し
ていたのだが、裏切りや嫉妬の果てに、いんちき祈祷師にも裏切
られ、アマチュアに成り下がったと強調している。ふたりの姫が
織り成す「人生のアマチュア」って、何? という問いかけが
が、今回の野田版歌舞伎のテーマという。翻案劇で、筋立ては、
ほぼ原作のオペラ通りに進むという、真面目さが、「研辰の討た
れ」など娯楽路線で好評だった野田版歌舞伎とは、一味違う分だ
け、おもしろみに欠けるし、荒唐無稽さという歌舞伎の重要な要
素から遠ざかった感が強い。

贅言:その代りというわけではないのだろうが、大道具の展開
が、歌舞伎とは、一味も、ふた味も違って、斬新な工夫が感じら
れて、おもしろい。美術:堀尾幸男。舞台監督:藤森條次。凱旋
行進では、透明な象が出て来たり、もうひとつの透明な象が、宙
乗りをしたり、メルヘンチックも、加味している。

シリアスな芝居と滑稽味のバランスをもっと工夫した方が良いと
思った。滑稽味が少な過ぎた。野田版歌舞伎としては、未だ、未
完成ではないか。工夫魂胆の末の、何時の日かの再演を期待した
い。
- 2008年8月22日(金) 18:53:10
2008年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎・第2部/「つばくろ
は帰る」「大江山酒呑童子」)


納涼歌舞伎の第2部は、新歌舞伎で打ち出して来たが、第1部の
「らくだ」と第3部の「野田版 愛陀姫」に挟まれて、印象が薄
かった。


「つばくろは帰る」は、初見。川口松太郎が、1971(昭和
46)年に雑誌に書いた小説を二代目松緑が、劇化を懇望したの
を受けて、川口が新派劇として、戯曲化した。その時の主な配役
は、文五郎(松緑)、岡村清太郎(現在の、清元延寿太夫)の安
之助、安之助生母で芸妓・君香(淡島千景)、祇園の舞妓・みつ
(波野久里子)であった。その舞台以来、「つばくろは帰る」
は、再演されていなかったが、今回は、再演で、いきなり、歌舞
伎化された。生まれたばかりの新歌舞伎というところ。

江戸から京へ向う大工の文五郎(三津五郎)は、途中、小田原宿
で、京の生母を探しに行くという少年・安之助(小吉)に頼まれ
て、道連れになる。京に着き、木屋町二條の普請場で、弟子の三
次郎(勘太郎)、鉄之助(巳之助)、そして、道連れから、その
まま、大工の弟子になった安之助たちが、江戸風の家を建ててい
る。暇を見て、祇園などに安之助の生母を探しに行く文五郎は、
やがて、君香(福助)の居所を突き止める。江戸っ子気性の文五
郎と京育ちの君香が、対照的に描かれながら、文五郎の安之助に
対する父性愛が、やがて、安之助の生母に対する情愛に変化して
行く。安之助という子供を介して、中年の男女が惹かれあいなが
らも、親としての規範が、それ以上、ふたりを近付けさせない。

それと併行しながら、弟子の三次郎と祇園の舞妓・みつ(七之
助)の、若い慕情も育って行く。子を介しての中年の恋愛模様と
若人の恋愛模様のからみ合い。普請も無事済み、安之助のために
生母との暮らしを優先する文五郎。一旦は、生母との生活を望ん
だ安之助だが、文五郎の父性愛に近い真情も判るため、生母を説
き伏せ、一人前の大工になるためには、文五郎の元で修業がした
いと、ふたたび、文五郎と共に、江戸に戻る安之助、というよう
な大団円が待っている。

第一幕と第二幕の間が、定式幕で、仕切っていたが、後は、暗
転、明転の繰り返しで、場面展開。あまり、歌舞伎味は感じられ
ず、いささか、私は、不満の体で、2時間余の芝居を見終った。
幕切れは、京の街の雪景色。舞台上手の道標には、「薮下」と
「京」の文字が書いてある。最後は、江戸の戻る「親子」のよう
なふたり連れを見送る生母・君香(福助)が、無言で見送るシー
ン。幕は、定式幕が、閉まる。

ほかの配役では、祇園・八重菊の女将おしの(扇雀)、小田原宿
の女掏摸お銀(高麗蔵)、祇園の舞妓(松也、新悟、芝のぶ)、
普請元の蒲団屋主人・万蔵(弥十郎)。そういえば、勘三郎一座
の味のある傍役では、助五郎(後の源左衛門)とコンビを組むこ
とが多かった四郎五郎の姿を舞台で見かけるのを愉しみにしてい
たが、ふたりとも、鬼籍に入ってしまった。ふたりのような味わ
いを見せる役者が居なくなり、舞台の幅が、狭くなったような気
がする。


「大江山酒呑童子」も、初見。萩原雪夫により、先代の勘三郎の
ために書き下ろされ、1963(昭和38)年6月、歌舞伎座で
初演された新歌舞伎。能の「大江山」など源頼光のよる酒呑童子
退治伝説が、ベースになっている。演劇構造は、「土蜘」に似て
いる。それは、後ほど、分析したい。今回は、先代勘三郎の持ち
ネタを息子の当代勘三郎が、一工夫したところが、見どころ。

幕が開くと、大江山の山中の体。墨絵の山水画のような趣のある
3枚の絵が、吊り下がっている。上手と下手は、雲の墨絵の趣向
か。「有明の月の都・・・」で、「勧進帳」の義経主従のような
いでたちで、源頼光(扇雀)、独武者の平井左衛門尉保昌(橋之
助)と四天王(亀蔵、勘太郎、新悟、巳之助)の山伏姿での一
行。やがて、酒呑童子の住処、鬼ケ城を見つける。城に戻って来
た体の、酒呑童子(勘三郎)は、一行の背後から、せり上がって
来る。童子頭に、若草色の衣装を着けている少年だ。少年が、に
んまりしながら、酒を呑む場面が、意外と、不気味である。一行
が持参した酒は、神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)という、鬼
が呑めば神通力を失うが、人間が呑めば、精気を増すという都合
の良い酒である。その酒を呑ませるという約束で、一夜の宿りを
乞う。酒宴を開き、舞を肴に酒を呑みあう。酩酊してくる、酔い
の表現を売り物にする演目は、多いが、これも、同根。やがて、
酔いが深まった酒呑童子は、開いていたせりの穴から、飛び下り
る形で、城の奥に姿を消してしまう。下手に吊された山水画風の
絵の背後から、黒衣が操る童子の絵姿が、大から中、小へと替え
ながら、小さくなり、やがて、小さな人形は、突然、火を吹き、
炎上してしまう。

間狂言風に、濯ぎ女の若狭(福助)、なでしこ(七之助)、わら
び(松也)が、やって来る。いずれも、都から酒呑童子に勾引さ
れて来た女たちと判る。頼光一行は、酒呑童子を退治したら、女
たちを都に送り届けようと申し出て、女たちに酒呑童子の寝所へ
と案内させる。

酒呑童子の寝所である鉄の館がせり上がって来る。二畳台に載せ
られた「土蜘」の巣のような館である。こちらは、半畳のせり台
に設えられた館で、幅も奥行きもない。やがて、館が、まっぷた
つに割れると、なかから、大きな盃で顔を隠し座ったままの酒呑
童子の登場となる。鬼神の正体が、顕現する。やがて、毒酒の効
き目もあらたかとなり、倒される酒呑童子。黒衣が、サポートを
して、勘三郎が、横たわったまま、所作舞台に設えられた足場に
両足を乗せると、所作舞台が、立上がって来て、勘三郎は、立上
がった舞台の中間に浮いているように見える。上から、血のよう
な赤い砂が、滝のように流れ落ちて来る。美術は、串田和美が担
当。

「土蜘」は、1881(明治14)年、河竹黙阿弥の原作で、初
演された。こちらも、源頼光一行による妖怪退治の話。似ている
わけだ。蜘蛛も、酒呑童子も、妖怪である。趣向が違うだけで、
ベースは同じである。妖怪に対するのは、源頼光、独武者の平井
左衛門尉保昌と四天王と基本的に同じだ。

能の「土蜘蛛」も、「大江山」も、「羅生門」も、同じ系列の風
流野能である。それでいて、新歌舞伎の「大江山酒呑童子」は、
「土蜘」の白い千筋の糸(蜘蛛の糸)の演出には、叶わない。赤
い砂では、白い糸には、叶わない。しかし、串田和美の意欲的な
大道具は、印象に残った。
- 2008年8月22日(金) 18:51:09
2008年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎・第1部/「女暫」
「三人連獅子」「らくだ」)


今月は、3部制の納涼歌舞伎である。18年前、1990(平成
2)年、8月に始まった納涼歌舞伎の原点は、若手の活躍の場の
提供ということであっただろう。歌舞伎座で、8月に歌舞伎を上
演するのは、31年ぶりであったという。それ以前、歌舞伎座で
は、8月は、歌舞伎以外の興行の場であった。いまは、通年で、
当たり前のように、毎月、歌舞伎を上演している歌舞伎座だが、
それ以前は、毎月は、興行できなかった。納涼歌舞伎は、兆しは
じめた歌舞伎ブームに乗るように、芝翫を上置きに、勘九郎(当
代勘三郎)、八十助(当代三津五郎)、歌昇、児太郎(当代福
助)、橋之助、病気休業中の澤村藤十郎ら、当時は、まだ花形
だった役者たちの、研鑽の舞台としてスタートした。そういう花
形(若手)のなかから、父親の大きな名前を継ぐ役者が育って来
たのだから、そろそろ、世代交代が、始まっても良いのかも知れ
ない。来年は、納涼歌舞伎も、20回目の興行を迎える。私は、
1994(平成6)年から、納涼歌舞伎を観て来たが、納涼歌舞
伎は、次のステップへ向けて、跳躍する時期が迫って来ているよ
うに思う。

さて、今月の第1部は、「女暫」から始まる。「女暫」は、5回
目の拝見。この演目、普通は、「暫」の主役、鎌倉権五郎の代り
に巴御前が、登場する。鎌倉権五郎の科白(所作と台詞)をなぞ
りながら、ところどころで、女性を強調するという趣向である。
1746(延享3)年に初代嵐小六が、初演したと伝えられる。
その後、名女形と言われた三代目瀬川菊之丞が、1786(天明
6)年に演じたものが、評判となり、今の形の基本となった。幕
末期に、上演が途絶えたが、1901(明治34)年、五代目歌
右衛門が、復活した。今回は、五代目の曾孫に当たる福助が、初
役で巴御前を演じる。

私が観たうちでは、「巴御前、実は、芸者音菊」という凝った仕
掛けは、98年2月、歌舞伎座の菊五郎であった。このときの菊
五郎は、巴御前を演じた後、幕外では、さらに、芸者・音菊に変
わるという重層的な構造に仕立てていた。05年1月、国立劇場
では、「御ひいき勧進帳」、一幕目「女暫」ということで、主人
公は、「巴御前」では無く、「初花」となり、雀右衛門が主役を
演じていた。01年2月、歌舞伎座は、玉三郎の巴御前で、初役
ながら、期待に違わず玉三郎の巴御前は、りりしく、色気もあ
り、兼ねる役者・菊五郎とは、ひと味違う真女形・巴御前になっ
ていた。特に、恥じらいの演技は、菊五郎より、艶冶な感じ。巴
は女性なのだし、「女の荒事」として、女性の存在の底にもある
荒事(あるいは、「女を感じさせる荒事」という表現をしても良
い)の味を引き出していた。前回と今回は、玉三郎のときと同じ
演出である。前回、07年5月、歌舞伎座では、萬次郎が、初役
で巴御前を演じた。

男の「暫」は、95年11月、歌舞伎座で観た。そのときの主な
配役は、鎌倉権五郎(團十郎)、清原武衡(九代目三津五郎)、
鹿島入道震斎(八十助時代の三津五郎)で、その場合は、鶴ヶ岡
八幡の社頭が舞台、今回のような「女暫」は、京都の北野天神の
社頭が舞台。「暫」では、清原武衡らが社頭で勢揃いしている。

本来、「暫」は、独立した演目ではなかった。江戸時代の「顔見
世(旧暦の11月興行)狂言」の一場面の通称であった。一場面
ながら立役、実悪、敵役、若衆方、立女形、若女形、道化方など
が出演するため、「だんまり」同様に、一座の役者の顔見世(向
こう1年間のお披露目)には、好都合の、いわば、一種の「動く
ブロマイド」、あるいは「動く絵番付(演劇パンフレット)」の
ような役割を果たしたことだろう。いつしか、そういう演目とし
ての役回りの方が評価され、独立した出し物になった。

「女暫」は、登場人物の名前は、清原武衡の代りに蒲冠者範頼な
どと違うが、「暫」とは、基本的な演劇構造は同じ。

権力者の横暴に泣く「太刀下(たちした)」と呼ばれる善人たち
が、「あわや」という場面で、スーパーマン(今回は、スーパー
ウーマン)が登場し、悪をくじき、弱きを助けるという、判りや
すい勧善懲悪のストーリ−で、古風で、おおまかな歌舞伎味濃厚
の一枚絵のような演目。むしろ、物語性より「色と形」という歌
舞伎の「外形」(岡鬼太郎の表現を借りれば「見た状」)と表現
としての「様式美」が売り物だろう。

歌舞伎十八番に選ばれた「暫」は、景気が良く、明るく、元気な
狂言。それだけで、祝い事には欠かせない演目となる。昔は、い
ろいろな「暫」があったようだ。「奴暫」、「二重の暫」(主人
公がふたり登場)、世話物仕立ての「世話の暫」などがある。

「女暫」も、もともと派手さのある「暫」の「華」に加えて、
「女」という「華やぎ」まで付け加えることが可能なだけに、そ
ういうさまざまな趣向の「暫」のなかから生まれ、「二重の華」
として、いちだんと洗練されながら、生き残ってきた。

今回の「女暫」の配役。蒲冠者範頼(弥十郎)ら、範頼一行の顔
ぶれは、轟坊震斎(勘太郎)、女鯰若菜、実は、樋口妹若菜(七
之助)、「腹出し」の赤面の家臣・成田五郎(市蔵)、猪俣平六
(亀蔵)、武蔵九郎(亀蔵)ら。一方、太刀下の清水冠者義高
(高麗蔵)一行は、義高許婚の紅梅姫(新悟)、木曽次郎(松
也)、木曽駒若丸(巳之助)ら。ほかに、手塚太郎(三津五
郎)、舞台番(勘三郎)。

幕が開くと、塀外の場面。上手には霞幕。大薩摩連中の席だが、
まだ、顔を出していない。花道から腰元姿の、8人の女奴たち
が、ばたばたと出て来て、本舞台を横切り、上手に入って行く。
やがて、塀は、上手と下手の、二つに分かれて、開いて行く。京
都の北野天神の社頭が舞台で、帝が着る金冠白衣を纏った蒲冠者
範頼ら主要な登場人物たちが、勢揃いして、宴を開いている。一
気に艶やかな雰囲気が、拡がる。浅葱幕の振り落しのような効果
を狙っている。先ほど、上手から姿を消した女奴たちが、下手か
ら出て来て、勢揃いに加わる。下手には、蒲冠者範頼の振る舞い
をとがめる清水冠者義高一行がいる。

ハイライトの場面は、蒲冠者範頼に呼び出されて来た成田五郎
が、清水冠者義高を斬ろうとすると、向う揚幕から、お決まり
の、「暫く」、「暫く」と声がかかり、女ながら、素襖姿に大太
刀を佩(は)いた巴御前(福助)の颯爽の花道登場となる。吉例
の「つらね」。巴御前を追い払えという蒲冠者範頼の要請に応え
て前へ出て来た女鯰若菜の七之助が、「成駒屋のお姉さん」「揚
幕の方へ寄って」と呼びかけるなど、笑いを誘いながらの「対
決」である。いずれにせよ、「女暫」は、「暫」よりも、一層、
色と形が命という、「江戸の色香」を感じさせる江戸歌舞伎の特
徴を生かした典型的な舞台。今回も、福助の艶やかな巴御前を堪
能した。

贅言:巴御前の「対決」を巡る数式発見。まず、巴御前(1)対
轟坊震斎と女鯰若菜のコンビ(2)、(2)が退けられると、竹
下孫八(大蔵)ら武士たち(4)が、対決する。(4)が退けら
れると、女奴たち(8)が、対決する。やはり、(8)も、退け
られる。
その後、巴御前の大太刀で首を斬られることになる仕丁たち
(16)も、退けられる。(2→4→8→16)ということで、
対決の、倍々ゲームだ。

一件落着の後、「おお、恥ずかし」という女形の恥じらい、幕外
の引っ込みの「六法」をやろうとしない巴御前に六法を教える舞
台番・寿吉(勘三郎)とのやりとりが、幕外の見せ場として、つ
くのがミソ。江戸の遊び心が、忍ばれる。舞台番は、ごちそうの
役者が演じる。私が観たのは、成吉(團十郎)、辰次(吉右衛
門)、富吉(富十郎)、寿吉(三津五郎)、そして、今回の鶴吉
(勘三郎)である。


「三人連獅子」は、初見。上方舞の楳茂都(うめもと)流の振り
付けによる連獅子。内容は、要するに、家族連獅子であった。父
母と一人息子の連獅子。「獅子の子落し」の場面、厳しい父親、
優しい母親の対比。二重舞台から谷に落ちる子獅子は、そのま
ま、せりで、奈落に下がって行く。

子獅子を落した後の、親の不安と期待。「勇み立ち/翼なけれど
飛び上り/数丈の岩を難なくも/かけ上がりたる勢いは」という
ことで、谷を駆け上がって来る子獅子。親子3人で見せる歓喜の
「獅子の狂い」。

1908(明治41)年、二代目楳茂都扇性(うめもとせんしょ
う)が、花柳界の温習会のために振り付けた作品。人間に姿を変
えた家族の獅子たち。有職風の衣装。大薩摩の演奏の後、鬘こ
そ、父親は、白頭、母親と子は、赤頭だが、普通の連獅子のよう
には、隈取りはしていない。衣装も化粧も前シテのまま。衣装の
肩を抜いているだけ。

東京の本興行では、初めての披露ということだが、珍しいという
だけで、あまり、おもしろくなかった。父親獅子(橋之助)、母
親獅子(扇雀)、子獅子(国生、橋之助の長男)という配役。


「らくだ」は、2回目の拝見。前回は、8年前、2000年11
月、歌舞伎座であった。上方生まれの「らくだの葬礼」を、江戸
落語に直したのが原作。それをさらに、岡鬼太郎(作家、歌舞伎
批評家)が、劇化した。江戸下町の裏長屋での人情噺。1928
(昭和3)年、初代吉右衛門の久六で、東京・本郷座初演の新歌
舞伎。

「駱駝の馬太郎」(亀蔵)が河豚にあたって死んだ。遊び仲間の
半次(三津五郎)が、紙屑買いの久六(勘三郎)を脅して、葬礼
の準備をさせる。出し渋る酒などを出させようと、家主(市蔵、
家主女房・弥十郎)のところへ馬太郎の遺体を運び入れ、「かん
かんのう」という踊りを踊らせて、思い通り、酒肴をせしめると
いうたわいのない話。

歌舞伎には、数少ない滑稽噺。元が落語だけに、「落ち」があ
る。おとなしく半次の言うままに手足となって動いていた久六
が、酒が入るに連れて人が変わり、半次を顎で使うようになる。
遺体を演じる亀蔵も、おとなしくしていたのは最初のうちだけ
で、あとは半次に操られて、「かんかんのう」を踊るは、半次の
立場が弱くなったと見るや一人で踊りだし、最後は、半次に「か
んかんのう」を踊らせる始末。まあ、愉しい舞台だった。前回
は、團蔵の遺体が、秀逸だったが、14年ぶりという亀蔵の「遺
体」も、おもしろかった。勘三郎は、「亀蔵さんのらくだは世界
一」ですよと、楽屋話で語っている。最近では、遺体は、亀蔵
か、團蔵か、という具合だが、亀蔵は、勘三郎の久六、團蔵は、
菊五郎、あるいは、團十郎の久六という具合に分かれていて、そ
れぞれ、持ち味を加味しながら、世界一を争っているようだ。

上演の記録を見ると、勘三郎と三津五郎は、それぞれが、勘九郎
と八十助と呼ばれた時代から、今回と同じ配役で何回も演じてい
る。前回、私は、菊五郎初役の久六と八十助時代の三津五郎の半
次で「らくだ」を観たが、今回は、やっと、念願叶って、滑稽噺
で、息の合うところを見せている勘三郎・三津五郎のコンビで観
ることができた。予想した以上に、見事な息の合いぶりで、本当
に堪能した。今月の歌舞伎座、最高の演目は、これであった。

家主夫婦は、突然室内に遺体を持ち込まれて、「かんかんのう」
まで踊られるという、「悲劇的な」状況なのだが、客席から見る
と、これが「悲劇的」ならぬ「喜劇的」な状況のわけで、市蔵・
弥十郎のコンビは、おもしろかった。特に、弥十郎の婆さんぶり
は、力が入っていて、見応えがあった。前回の、左團次・秀調の
コンビでは、「おかしみ」の藝が、滲み出てこなかったのだが、
今回は、この場面も、楽しめた。

亡くなった馬太郎の部屋で、遺体を前に念仏を唱えているのは、
開幕当初だけ出て来る、長屋の住人、糊売り婆・おぎんを演じた
小山三で、彼は、こういう役も、抜群の演技力で、脇で、きちん
と存在感を示してくれる。こういう人が、長屋にいると、いちだ
んとリアリティが増すので、貴重である。配役の妙が、今回の
「らくだ」を、いちだんとおもしろくしたように思う。
- 2008年8月22日(金) 18:49:06
2008年7月・歌舞伎座 (夜/「夜叉ケ池」「高野聖」)

夜の部は、泉鏡花の2作品上演。玉三郎が、演出、主演など活躍
する。まず、2年前の7月、歌舞伎座で拝見した「夜叉ケ池」
は、前回と配役は、ほぼ同じ。歌右衛門、玉三郎の流れの上で、
前回、百合と白雪姫のふた役を春猿が、演じたが、今回は、百合
は、春猿、白雪姫は、笑三郎とした点が、違う。「高野聖」は、
歌舞伎としては、54年ぶりの上演である。当然、私は、初見で
ある。


「人間界」への、「異界」の優位宣言:「夜叉ケ池」の世界


「夜叉ケ池」は、1913(大正2)年に発表された鏡花の戯曲
第一号で、自ら翻訳したドイツのハウプトマンの戯曲の影響を強
く受け、さらに、日本の地方に残る竜神伝説を取り入れているこ
とから、異界と現世が交錯するという、説明的な展開の演劇に
なっている。それだけに、科白劇の色彩が強く、演劇的な切れは
悪い。初演は、1916(大正5)年、東京本郷座の舞台であっ
た。

「夜叉ケ池」では、「人間界」、村という「俗世」と夜叉ケ池の
上に構築されていると見られる「異界」との対立が軸として描か
れている。

暗転から舞台が明るんで来る。最初は、三国岳山麓の村里にある
鐘楼と鐘突きの番小屋に住む老夫婦の物語という体裁で、幕が開
く。鐘突き番の老夫婦として、妻・百合(春猿)、百合の連れ合
いの晃(段治郎)が、登場する。小屋の近くを流れる水辺で、米
を研ぐ百合。夕景である。夕餉の準備であろう。小屋の庭には、
夕顔が咲く棚が設えてある。

そこへ、旅人が、夜叉ケ池を見に行こうとして、やって来る。実
は、この旅人は、晃の友人の学円(右近)で、北陸の伝説調査に
出向いたまま、一昨年の夏から行方が判らなくなっている晃を探
していた。晃らしい人物が、この小屋にいると聞き付けて、やっ
て来たらしい。百合と旅人の話を障子の部屋で聞いていた晃が、
旅人は、もしや・・・と、障子を開けた隙に学円と視線が合って
しまう。やがて、覚悟を決めて、親友の前に姿を現した晃は、白
髪の鬘を取り、変装していたことを打ち明ける。百合も、白髪の
鬘を取る。

晃は、学円に、夜叉ケ池の竜神伝説について説明する。一昨年、
伝説調査に当地に赴いた晃は、鐘突き番小屋の古老から話を聞い
たのだが、伝説に基づいて、一日3回だけの鐘を付いてみせた古
老が、突然、倒れて、死んでしまったため、晃は、村里の美しい
娘・百合とも出逢ったこともあって、番小屋に住みはじめたと行
方不明になった経緯を説明する。百合も、夫の親友としての学円
に心を許す。

話を終えた晃と学円は、百合を残し、夜半を突いて、夜叉ケ池を
見に出かける。やがて、更に、夜が更けると、ひとり残された百
合の元に異界としての夜叉ケ池の主である白雪姫(笑三郎)の眷
族たち(妖怪)が、やって来る。どうやら、百合は、俗世と異界
を繋ぐグレーゾーンに住む異能の女性らしいと判る。

こういう幕開きの仕方をすると、現世が、主筋で、異界が、副筋
と思われるだろう。実際、私も、そういう感じで、舞台の進行を
観ていたが、観終ってから、考えると主筋と副筋は、逆転してい
ることに気が付いた。それを図式化すると、次のようになる。

夜叉ケ池を巡って、現世と異界の対立がある。現世が、主筋で、
竜神伝説(夜叉ケ池に封じ込めた竜神に日に3回鐘を突いて、音
を聞かせるという約束)を伝える鐘楼を守っている「百合の世
界」。これに対して、天上の異界では、三国岳の夜叉ケ池の主で
ある白雪姫が、白山の剣ケ峰にある千蛇ケ池の主に恋をして、
引っ越しを企んでいるが、鐘楼の鐘突き番が、竜神伝説の約束を
守っている間は、引っ越しが出来ない。約束を破って、引っ越せ
ば、天罰が下って、村里は、決壊した夜叉ケ池の水難に見舞われ
ることになる。白雪姫の葛藤が、副筋である「白雪姫の世界」。
因に、ここに住むのは、白雪姫のほかには、湯尾峠の万年姥(吉
弥)、白男の鯉七、大蟹五郎、十三塚の骨寄鬼、虎杖入道、木の
芽峠の奥山椿、鯖江太郎、鯖波次郎という面々である。

現世は、また、対立軸がある。百合の世界、竜神伝説を信じ、村
里を守るとともに、晃との関係を重視する純粋な愛の世界と伝説
を否定する村人たちの俗世に分かれる。百合の世界と村人たちの
俗世は、対立する。日照り続きの、雨乞い対策として、村一番の
美女・百合を生け贄にしようとして、百合や晃、果ては、学円を
も巻き込んで襲いかかる村人たち。伝説を守らねば、雨乞い効果
の雨どころか、村里を破壊する大洪水に見舞われる恐れがあると
訴える百合たちだが、結局、俗世に負けて追い詰められ、鐘楼の
鐘を突く撞木の紐を切り払い、伝説の約束違反を宣言した上で、
百合も晃も、自害してしまう。

主筋の、現世の「百合の世界」は、このように悲劇的な結末を迎
えるが、死ぬことで、グレーゾンから、「晴れて」異界へ入り込
んだ百合と晃は、鐘楼のあった辺りにできた鐘淵で、仲良く暮ら
すというハッピーエンドとなる。つまり、副筋の、異界の「白雪
姫の世界」では、百合と晃は、ハッピーエンドの主人公となるの
である。

歌舞伎役者として鏡花劇の歌舞伎化に熱心に取り組んでいる玉三
郎は、「夜叉ケ池」、「海神別荘」、「天守物語」を「三部作」
といっていいほど、描かれている世界が似ている」と言ってい
る。つまり、「海神別荘」では、海底の「異界」へ「人間界」か
ら若い女性が輿入れをして来る。「天守物語」では、天空の「異
界」へ「人間界」から若い武士が逃れて来る。今回の「夜叉ケ
池」では、現世の「人間界」の悲劇は、実は、「異界」では、
ハッピーエンドである。つまり鏡花劇では、異界の元への統合、
ある種の融合が描かれていることが判る。いずれも、最後は、
「異界」の優位性が、高らかに宣言される。

ところで、鏡花劇は、優れて科白劇でもある。美意識を含む鏡花
哲学の思惟を科白という言葉で表現しようとするから、どうして
も奇抜で綺羅星のような科白が多くなる。空想自在な、形に見え
ない思惟を役者の肉体を通じて舞台という限定された空間で表現
するために、そういう科白が多用されるのである。書かれた戯曲
の科白は、「読みどころ」だが、それは、必ずしも、役者のいう
科白の「聞かせどころ」とは限らない。特に、様式美、定式を重
んじる歌舞伎は、どちらかというと、見せる演劇である。純粋な
歌舞伎役者である玉三郎は、見えない科白を役者の所作で見せる
歌舞伎に、いわば、「変質」させようと努力している。玉三郎
は、鏡花劇の思想を身に纏い、己の美意識に磨きをかける。それ
は、「人の目に見えない思想」と「人の目に見せる美意識」とい
うアンビヴァレンスを統一しようという、かなり厄介な試みでも
あるのだろう。

贅言1):前回、春猿ふた役の白雪姫のとき、歌を唄う後ろ姿の
百合が登場する場面は、当然、吹き替えだったが、今回は、それ
ぞれ別の役者にしたにも拘らず、この場面を削除し、百合の声の
みという展開で、かえって、シンプルで良かった。

贅言2):大道具が、シンプル。三国岳山麓の村里に伝わる鐘撞
伝説の主役となる鐘楼は、現世の鐘楼と異界の鐘楼は、前回同
様、表と裏を半回転させて表現していた。つまり、鐘楼の石段
が、表と裏では、凹と凸で、違っていた。鐘楼の傍にある百合と
晃が住んでいる鐘突きの番小屋は、屋根の無い屋体で、おもしろ
い。書割も、抽象的で不確定。それが、逆に、「何処でもない場
所は、何処でもある場所」という普遍性を持つことを伝えてい
る。それは、時空を超えて、メッセージを送って来る鏡花劇に相
応しいかも知れない。時空の枠が、拡がるのである。また、仮構
性の強い場面では、三味線の単調な音が、効果音のように、繰り
返し、繰り返し、演奏されるが、これが、結構、印象的。「ワ−
プロ」で、表現するなら、文字の上に、薄い色の「網掛け」とい
う感じで、なんとも、おもしろいと思った。作曲は、杵屋巳吉、
補曲は、豊澤淳一郎、作調は、田中傅次郎と、筋書には、列挙さ
れているが、誰のアイディアだろうか。

鐘突き小屋の背景の三国岳に通じる書割も、薄暗いので、判然と
しにくいのだが、森の下の崖という感じで、その後の、異界への
展開で、一気に、抽象的な大道具へと変化するのも良く、異界と
しての夜叉ケ池の表現も、地絣に水色の光を当てれば、池、明る
い光を当てれば、地面という具合で、テンポのある展開であっ
た。美術は、中嶋正留、照明は、池田智哉。


シンプルなテーマで、判りやすい「高野聖」


「高野聖」は、今回を含め、戦後、3回だけ歌舞伎として演じら
れた。2回は、歌人の吉井勇が脚色をし、久保田万太郎が演出を
担当した。1954(昭和29)年の6月、当時の大阪歌舞伎
座、その年の8月には、歌舞伎座で再演された。しかし、それ以
来、今回まで、50年以上も、長らく上演されることは、なかっ
た。

原作は、1900(明治33)年に発表された小説である。
1904(明治37)年のは、早くも、劇化されて、新派の舞台
として、東京本郷座で上演されている。

玉三郎演出の「高野聖」は、山中の孤家(一ツ家)に住み、迷い
込んだ旅人を動物に変えてしまう魔性の女と脱世俗の高野聖と呼
ばれる修行僧との対立の物語で、両者が、共存するとともに、女
の持っているのが、魔性ばかりではなく、白桃の花のような聖
性、癒す力だという、いかにも泉鏡花らしい世界観で塗り込めら
れた、判りやすい芝居であった。

暗転の中、紗幕に、読経をする僧侶たちの映像が映る。スポット
も多用化する。立体的な大道具は、歌舞伎の書割とは、趣が違
う。下座音楽ではない、効果音、伴奏音楽が、場内に響く。歌舞
伎というより、普通の演劇の演出だ。

第一場「飛騨越えの山路」。本道と旧道の分かれ道。途中水没し
ている箇所がある本道。7、8里(30キロ前後)近道だが、荒
れている旧道。どちらを選ぶか。猟師(男女蔵)も、百姓(右之
助)も、地元の人たちは、皆、本道を行けと勧める。旅人は、薬
売り(市蔵)も、高野聖(海老蔵)も、旧道を選択する。

第二場「同じく山中」。高野聖の行く先々で、黒衣が、操る蛇や
大蛇が蠢く。獣のいななきの効果音。

第三場「山中の孤家」。高野聖は、やがて、言葉が不自由な少年
(尾上右近)と若い女(玉三郎)が住む孤家(ひとつや)に辿り
着く。一夜の宿りを乞うが、女は、拒絶する。懇望する高野聖の
態度を見て、女は、宿りを許す。女に仕える親父(歌六)が、
帰って来た。親父に後を託して、急に愛想が良くなった女は、旅
の汚れを落すようにと、高野聖を崖下の淵に案内する。舞台上手
から臨時に設えられた階段を降り、客席内を通り抜け、花道に上
がり、再び本舞台へ。その間に、暗転の中、大道具は、崖下の淵
の場面に変わっている。

第四場「山中の淵」。淵に向う女の前に大きなヒキガエルが飛び
出して来る。邪険に足蹴にする女の態度は、ふてぶてしい。淵に
入り体を洗いはじめる高野聖。最初は、淵の別の場所で、夕餉の
米を研いでいた女は、何かを決意した表情を浮かべると、着物を
脱ぎはじめる(「夜叉ケ池」でも、百合は、夕餉の米を研いでい
たが、泉鏡花は、女が米を研ぐシーンが好きなようだ)。高野聖
が、水浴する淵に近づき、裸身で聖に寄り添い、背中を流そうと
申し出る女。慌てて、女の手を振払い、逃げ出す高野聖。女も、
淵から上がって来る。「もし、私が川に流されて見つかったら、
村里の者は、何というだろう」と謎をかける女。「白桃の花だと
思うだろう」と答えて、女を喜ばせる高野聖。帰途につくと、途
中で、蝙蝠や猿が、女にまとわりつく。「お前たちは、生意気だ
よ」と叱りつける女。この女は、いったい、何ものなのだろう!

第五場「元の孤家」。帰りは、近道。すぐ家に着く。女は、幻
術、目くらましの術でも使うのか。高野聖が、元のままの姿で、
戻って来たことを親父は、ひどく、驚く。親父は、厩に繋がれて
いた馬を諏訪の馬市に連れて行こうとするが、高野聖を見て、馬
が、興奮している様子だ。女は、高野聖にここへくる途中で、誰
かに遭わなかったかと聞く。薬売りと出逢って、薬売りが、先に
行ったのだが、ここに立ち寄らなかったのかと、高野聖が、逆に
問う。女は、知らないと言う。女は、さらに、馬に近づき、自分
の着物の胸をはだけさせて、馬に見せつけたり、馬の顔を優しく
撫でたりする。女の色気に負けた馬は、おとなしくなる。親父
は、おとなしくなった馬を連れ出す。どうも、女には、動物を操
る魔力があるらしい。女は、「夜叉ケ池」の百合同様、俗世と異
界を繋ぐグレーゾーンに住む異能の女性らしいと、観客にも判り
はじめる。

少年を交えての夕食。先ほどの淵の水は、病を治す力があるのだ
が、重篤な少年の症状は、治せないのだと告白する女。やがて、
それぞれ、寝間につく。夜じゅう、屋外では、異様な雰囲気が続
く。

第六場「信濃への山路」。どうやら、無事に夜があける。名残惜
しげに高野聖を見送る女、聖も、女に心を残しながら、別れて行
く。女への思いで、足を止め、道筋の倒木に腰を下ろす聖。馬市
から戻って来た親父と出くわす。親父は、聖の表情を見て、煩悩
が、起きたのだろうと鋭く見抜く。山中の孤家で、若さを浪費
し、いずれは、朽ち果てる女の身の上を思い、なんとか、救済し
たいと告げる。親父が、女の素性を暴きはじめる。女には、少年
の病を治そうとする白桃の花ような聖性と女の色香に負けた男た
ちを動物に変えてしまう魔性を持っていると告げる。女の持つ聖
性と魔性という二重性に気付いた高野聖は、顔に恍惚とした表情
を浮かべる。海老蔵は、肩の力を抜き、自然な、おだやかな科白
回しで、高野聖・宗朝を演じる。そういう海老蔵の演技を引き出
し、最後まで海老蔵を主導し続けた玉三郎は、大した女形であ
る。また、そこを補強し、繋ぐ存在感を終始出し続けた歌六の巧
さも、一段と、光る。

400年以上もの間、伝統を大事にしながら、絶えず、そのとき
どきの、新しいものを取り入れ、歌舞伎に永遠不滅の命を吹き込
もうとしてきた歌舞伎界というのも、また、一種の「異界」だろ
う。玉三郎は、その「異界」の歴史という、大きな流れに、まっ
とうに乗っかっているように見受けられる。科白劇という聞かせ
る芝居にはなっても、形で見せる歌舞伎にはなりにくい泉鏡花劇
を引っさげて、海老蔵という荒馬の手綱を捌いて、巧く乗りこな
したように見える。玉三郎の鏡花劇の歌舞伎化という試みは、海
老蔵という荒馬を得て、さらなる挑戦が続くことだろう。
- 2008年7月26日(土) 21:19:44
2008年7月・歌舞伎座 (昼/「義経千本桜〜鳥居前、吉野
山、川連法眼館〜」)

市川海老蔵は、5月の歌舞伎座で、「義経千本桜〜渡海屋・大物
浦〜」の知盛を演じ、7月の歌舞伎座では、「義経千本桜〜鳥居
前、吉野山、川連法眼館〜」の狐忠信を演じる。つまり、一ヶ月
を飛び越えての、いわば、「通し」上演というわけだ。だから、
海老蔵ファンなら、7月の舞台を観る人は、5月を観ていなけれ
ばならない。私の劇評も、ひとつは、5月、7月の、いわば、
「飛び通し上演」としての、海老蔵論と、もうひとつは、「狐忠
信」のうち、「川連法眼館」を2回観た上での、私の海老蔵論を
軸に書くことになる。

三大歌舞伎の一つ、「義経千本桜」は、3人の主人公がいる。平
知盛、狐忠信、そして、いがみの権太だ。病気休演中の猿之助
は、元気な頃、この3人を一つの舞台で通しで演じ終えないと、
歌舞伎役者としての卒業論文、つまり、一人前の立役にはならな
いという独特の意見を持っていた。それが正解かどうかは、別と
しても、タイプの違う、奥行きのある役柄を演じわけることは、
確かに至難の業ではある。「義経千本桜」については、菊五郎の
代々が、音羽屋型として、藝を磨いて来た。また、近代では、猿
之助が、外連味を付け加えて、独自の澤潟屋型を作り上げて来
た。狐忠信では、海老蔵は、初演時から、猿之助の指導を受け
て、澤潟屋型をベースに工夫をしているようである。従って、今
回も、脇は、澤潟屋一門が、固める。元々、師匠の猿之助が、元
気に飛び回れていた頃は、7月の歌舞伎座の定番は、猿之助一座
の、いわば、顔見世興行であった。それが、師匠が病で倒れてし
まうと、猿之助一座に玉三郎が、客演だが、師匠格で加わり、最
近は、さらに、海老蔵が加わって来た。海老蔵の狐忠信の相手役
となる静御前は、今回は、玉三郎が勤める。

歌舞伎の魅力のひとつは、成長途上の若い役者が、今回は、代々
の先輩方が磨いて来た役柄をどこまで演じ切るか、その「違
い」、あるいは、逆説的な言い方をすれば、「ズレ」を見つけ
て、楽しむところにもある。海老蔵は、まだまだ、荒削りだが、
歌舞伎役者として、成長途上の有望株であることは、間違いない
だろう。病気治療中の父親・團十郎を安心させるためには、まだ
まだいろいろ工夫魂胆、精進が大事だが、大きな眼、明瞭な口跡
は、確かに、売り物になる。5月の歌舞伎座では、「銀平、実
は、知盛」に初役で挑戦した。今月は、初役で演じる「鳥居前」
の忠信、7年前、京都南座で、新之助時代に玉三郎を相手に演じ
たことがある「吉野山」を再び、玉三郎を相手に演じる。去年の
名古屋御園座、2年前の新橋演舞場で演じた「川連法眼館」の忠
信。ということは、狐忠信編「義経千本桜〜鳥居前、吉野山、川
連法眼館〜」を通しで演じることは、海老蔵にとって、初めての
挑戦となる。


「飛び通し上演」としての、海老蔵論


「義経千本桜〜渡海屋・大物浦〜」の歌舞伎座の舞台では、若さ
溢れる海老蔵は、銀平をどう演じたか。柄が大きい海老蔵は、ま
だ、父親の團十郎のようなオーラは、出ていないけれども、演技
以前に存在感があることは確かだ。海老蔵の大きな目も、父親譲
りで、魅力的である。口跡も、父親の團十郎に似ず、はっきりし
ていて、良く通る。しかし、5月の「渡海屋・大物浦」の舞台で
は、声量の調節が、不十分で、大きすぎた。今回の「鳥居前、吉
野山、川連法眼館」では、なぜか、海老蔵の声が、團十郎バリ
に、「籠って」いる上に、5月同様に大き過ぎるのは、どうした
ことか。時代物の科白術に、なにか、迷いでもあるのだろうか。
こうなると、柄の大きさも、合わせて、演技が、大味になる可能
性がある。

「渡海屋・大物浦」では、銀平をひとしきり演じた後・・・。二
重舞台の障子が開くと、銀烏帽子に白糸緘の鎧、白柄の長刀(鞘
も白い毛皮製)、白い毛皮の沓という白と銀のみの華麗な衣装の
銀平、実は知盛に扮した海老蔵の登場となる。私には、簑笠付け
て、難儀の海へいで立つ義経一行より、こうした白ずくめの衣装
に身を固めた知盛一行の方が、「死出の旅路」に出る主従のイ
メージで迫って来るように見える。

案の定、手負いとなり、先ほどの華麗な白衣装を真っ赤な血に染
めて逃れて来た知盛。さらに、義経主従に追い詰められた岩組の
上で、知盛は、碇の綱を身に巻き付け、綱の結び目を3回作る。
重そうな碇の下に身体を滑り込ませて持ち上げて、海に投げ込
む。綱の長さ、海の深さを感じさせる間の作り方。綱に引っ張ら
れるようにして、後ろ向きのまま、ガクンと落ちて行く、「背ギ
バ」と呼ばれる荒技の演技。

さらに、知盛が、入水する場面は、立役の藝の力が、必要とな
る。ここは、まさに、滅びの美学。海老蔵は、どう、演じたか。
銀平では、マイナスに感じられ大きすぎる声量は、知盛では、プ
ラスに転化する。「ああら、無念。口、惜し、や、なァー」、
「生ーき、変わり、死ーに、変わり、恨み、は、ら、さ、で、
お、く、べ、き、かァー」と、四谷怪談のお岩さまのような執念
深い大声である。「いかに、義経」と、義経に向って、恨みを述
べる場面では、「いかに→いかり(怒り=碇)」というように、
私の頭の中では、変化して、海老蔵の科白が、ボルテージが上
がって聞こえて来たから、不思議だ。

義経が、安徳帝を助命してくれることが判ると知盛は、「きのう
の仇は、きょうの味方。・・・、あら、嬉しやなァ」と笑う。
「おもしよ(ろ)やなあ」と海老蔵調科白も、絶好調。というこ
とで、良い場面があったり、もうひとつ、今後の精進、という場
面があったりの海老蔵であった。

そして、5月から7月へ。若さ、パワーの海老蔵は、「義経千本
桜〜鳥居前、吉野山、川連法眼館〜」でも、力を持続していた
が、科白や所作が、観客に、團十郎を連想させたり、猿之助を連
想させたりしながらも、先輩たちの科白や所作に比べると「ズ
レ」が感じられ、それが、今回は、不協和音となって、私には、
違和感が残った。その辺りを書いてみたい。

今回の、「義経千本桜〜鳥居前、吉野山、川連法眼館〜」のう
ち、「鳥居前」は、海老蔵の狐忠信、権十郎の弁慶、市蔵の早見
藤太が、出ているとは、いうものの、基本的に澤潟屋一門の舞台
である。段治郎の義経、春猿の静御前が、軸となっている。こう
いう舞台に、右近も笑也も、居ないということが、なにか、淋し
い。

次の「吉野山」は、海老蔵、玉三郎で、忠信と静御前の道行を演
じる。玉三郎が、主導権を握り、海老蔵を引っ張って行くので、
ここは、安心して観ていられた。歌舞伎役者のなかでも、殊に、
熱心な歌舞伎研究家である玉三郎らしい新演出が、楽しかった。
まず、清元と竹本の掛け合いという従来の伴奏「音楽」を、「ナ
レーション」としての竹本に純化させた(贅言:今回の竹本の太
夫の一人は、愛太夫である。愛太夫は、葵太夫に似た味わいがあ
る。「あおい(葵)」から、「お」を引けば、「あい(愛)」。
太夫たちの話は、楽屋雀からも、あまり聞こえて来ないが、年齢
的には、親子では、なかろうが、なにか、縁があるのではないか
と想像を逞しくする魅力がある)。竹本に純化することで、竹本
の持つ、「物語り」という特性が生きて来たように思う。恰も、
音の物語性を強調する効果を生んだように思う。太い音が、三味
線から流れると、それは、音であると同時に、言葉を背負ってい
るように聞こえはじめた。これは、新しい発見であるように思え
た。また、舞台中央から下手寄りに設えられた「吉野川」は、
「妹背山婦女庭訓」からの借用だろうが、なにやら、新鮮な感じ
を与える(クライマックスになると、この川の水が、「吉野川」
の舞台同様に、流れ出す)。

幕開きの、置き浄瑠璃、無人の舞台は、満開の桜が爛漫と咲き誇
り、「花のほかにも、花ばかり」、という感じで、竹本連中以外
は、舞台の上には、花しか見えない世界。その花が、上手と下手
に分かれて行くと、いわば、浅葱幕の振り落しと同じ効果を生
む。いつもなら、花道から登場する(つまり、観客の間を通りな
がらも、観客から遠ざかって、舞台に迫って来る)静御前が、舞
台上手奥に居て、そこから道を歩いて、舞台に迫って来ると同時
に、観客にも迫って来る、という二重の迫り方という効果を生
む。また、桜の老木の蔭に姿を消した狐忠信が、狐の本性を顕わ
し、人形遣の手で、生き変えさせられて、静御前に、女ものの黒
い漆塗りの笠、そして、杖を渡したりするなど、親しくまとわり
付くのも、おもしろい(身分の差を考えて、控えめの、忠信に
替って、本音の愛情を静御前に示しているように見える)。ここ
は、隅々まで、玉三郎の凝った演出の眼が行き届いているよう
で、この人の、演出家としての、天性の鋭敏さが感じられた。

「川連法眼館」の海老蔵は、澤潟屋、猿之助の演出を、新橋演舞
場の舞台同様に継承している。脳硬塞で病気休演中の猿之助が、
直々に指導したという狐忠信、そして猿之助が磨きに磨きをかけ
てきた宙乗りが、見せ場だが、どうだったか。


海老蔵の狐忠信論


狐忠信編通しは、私は、6回目の拝見となる(因に、「川連法眼
館」だけでは、11回となる。「吉野山」は、13回など)。通
しでの主人公・狐忠信の配役を見ると、菊五郎が、3回。猿之助
が、2回。そして、今回が海老蔵である。先に触れたように、海
老蔵が、「川連法眼館」の狐忠信を演じたのは、3回目で、この
うち、私は、新橋演舞場と、今回の歌舞伎座と2回拝見してい
る。06年11月・新橋演舞場花形歌舞伎「義経千本桜〜川連法
眼館〜」では、初めて、海老蔵は、狐忠信を演じたが、この時の
静御前は、笑三郎。今回は、待望の玉三郎である。よりいっそう
の冴えが出て来るのではないかと、期待した。

海老蔵は、澤潟屋型の演出を選択した。澤潟屋型は、外連味の演
出が、早替りを含め、動きが、派手で、いわゆる「宙乗り」を多
用する。狐が本性を顕わしてからの動きも、活発である。忠信の
衣装を付けた狐は、下手の御殿廊下から床下に落ち込み、本舞台
二重の御殿床下中央から、素早く、白狐姿で現れる。本舞台二重
の床下ばかりでなく、天井まで使って、自由奔放に狐を動か。狐
は、下手、黒御簾から、姿を消す。上手、障子の間の障子を開
け、本物の佐藤忠信(海老蔵の、早替りふた役)が、暫く、様子
を伺う。再び、狐忠信は、天井の欄間から姿を表わす。さらに、
吹き替えも活用する。荒法師たちとの絡みの中で、本役と吹き替
えは、舞台上手の桜木の陰で入れ代わり、吹き替え役は、暫く、
横顔、左手の所作で観客の注意を引きつける。吹き替えが、全身
を見せると、二重舞台中央上手の仕掛けに滑り降り、姿を消す。
やがて、花道スッポンから海老蔵が、飛び出してくる。再び、荒
法師たちとの絡み。法師たちに囲まれながら、いや、隠されなが
ら、本舞台と花道の付け根の辺りで、「宙乗り」の準備。時間稼
ぎの間に、衣装の下に着込んで来たコルセットのようなものとワ
イヤーをきちんと結び付ける。さあ、「宙乗り」へ。中空へ舞い
上がる。恋よ恋、われ中空になすな恋と、ばかりに・・・。3階
席周辺の「花道」、つまり、ここでは、「宙道(そらみち)」で
の引っ込みでは、桜吹雪の中に突っ込んで行った。

海老蔵の科白にダブルように澤潟屋の声音が聞こえて来るような
錯覚に捕われるほど、海老蔵は、澤潟屋の科白回しをなぞってい
るのが判る。但し、今回は、科白が、父親の團十郎のように籠っ
て聞こえたり、猿之助の科白回しに似ているが、そのものまねよ
りは、下手ということで、ズレが聞こえて来たりしたのは、残念
であった。

ただし、若さ、強さを持ち合わせた若き日の猿之助によって、さ
まざまに仕掛けられ、磨きが掛けられて来た「外連」の切れ味。
身体の若さ、強さは、若い海老蔵によって再現され、私は観たこ
とがない若い猿之助も、かくやと思わせるものがある。特に、
「宙乗り」の際の、脚の「くの字」の、角度に漲る若さは、猿之
助の愛弟子・右近でも、感じられなかった強靱さで、驚きであ
る。澤潟屋は、海老蔵の、若さ、強さを見抜き、本腰を入れて、
「四の切」の後継を右近ではなく、海老蔵に決めたのだとする
と、右近にとっては、非情な師匠も、歌舞伎ファンにとっては、
まだまだ、未熟ながら、強靱な若さを持った将来の忠信役者を誕
生させたということだろう。海老蔵には、猿之助の思い、つま
り、体力の強靱さを、さらに、テーマの強靱さに拡げて行って欲
しい、という思いを受け止めて欲しい。06年11月の新橋演舞
場の舞台から、2年経って、歌舞伎座の舞台で演じられる海老蔵
忠信を観ていて、そういう思いと予感を強く持った。

贅言:猿之助の「狐忠信」は、実は、2000年7月の歌舞伎
座、9月の大阪の松竹座以降、演じられていない。すでに、失わ
れた8年という時間が流れたのである。その歌舞伎座の時の私の
劇評では、「体力による外連が売り物のひとつだった猿之助、体
力の衰えをカバーする演技の円熟さ。円熟さで、狐忠信をカバー
出来なくなる日が、いずれは来るのだろう」と書いたが、実際に
は、病気休演が続き、歌舞伎の世界に「天翔ける」猿之助の舞台
を、いまも観ることができない状況が続いている。そういう状況
のなかでの、2年前からの「海老蔵忠信」の登場であったが、体
力、そして、若さの海老蔵の忠信は、まだまだ、今後の精進が必
要と見受けられたが、それだけに、逆に、今後の成長ぶりとその
成果を期待することができるのではないか。
- 2008年7月24日(木) 22:19:08
2008年6月・歌舞伎座 (夜/「義経千本桜〜すし屋〜」
「身替座禅」「生きている小平次」「三人形」)


「生きている小平次」のシンプルで、重層な、演劇空間


「義経千本桜〜すし屋〜」は、10回目の拝見。「すし屋」だけ
の一幕を観るのは、5回目。それ以外は、「堀川御所」、あるい
は、「鳥居前」から「川連館」、あるいは、「奥庭」までの、通
しか、「木の実」、「小金吾」、「すし屋」の通し、いわゆる
「いがみの権太」編の上演であった。このように、「すし屋」の
劇評は、何回も、「遠眼鏡戯場観察」(このサイトの「検索」
で、読むことができる)を書いているので、どういう書き方がで
きるだろうか。いちばん、手ごろなのは、今回の役者の演技の印
象論だが、それでは、普通の劇評になってしまう。例えば、04
年3月の歌舞伎座の舞台は、「義経千本桜〜木の実、小金吾討
死、すし屋〜」の通しというパターンであったが、仁左衛門を軸
に据えた上方型の「いがみの権太」編であったので、そこに的を
絞って書くことが出来た。いろいろ考えた末、今回の劇評は、私
がこれまで観て来た権太役者を踏まえて、論吉右衛門の権太論を
軸にコンパクトにまとめようと思う。

二代目実川延若が、工夫したという上方歌舞伎独特の演出が、
たっぷり詰まっているのは、何といっても、「すし屋」の場面。
特に、弥助・実は維盛は、「つっころばし」、「公家の御曹
司」、「武将」など重層的な品格が必要な役だ。お里は、初々し
くなければならない。身分と妻子持ちを隠している弥助・実は維
盛への恋情が一途である。それでいて、蓮っ葉さも見せなければ
ならない。江戸歌舞伎は、権太を軸に展開する。権太は、小悪党
でありながら、家族思いである。

04年3月の歌舞伎座の舞台は、配役のバランスが、よくとれて
いたのを覚えている。改めて、書いておくと、権太(仁左衛
門)、弥助・実は維盛(梅玉)、お里(孝太郎)、小金吾(愛之
助)、こせん(秀太郎)、若葉内侍(東蔵)、弥左衛門(坂東吉
弥)、お米(鐵之助)、梶原平三景時(左團次)など。いずれ
も、なかなか、味わいのある配役と言えた。

ところで、今回の劇評の本筋に戻る。私が観た権太役者は、7人
である。最初が、富十郎であった。95年5月の歌舞伎座の舞
台。13年前の事だ。口跡の良い、科白が良く通る富十郎の権太
は、富十郎という役者を私に印象付けたのを覚えている。以来、
富十郎は、私の好きな役者の一人になった。私が観た権太役者
は、富十郎のほか、幸四郎(2)、團十郎(2)、仁左衛門
(2)、猿之助、我當、そして、今回の吉右衛門となる。

なかでも、仁左衛門の権太は、もっとも、印象に残っている。マ
ザー・コンプレックスの権太は、何かと口煩い父の弥左衛門を敬
遠して、父親の留守を見計らって母親のお米に金を工面してもら
いに来る。泣き落しの戦術は、変わらないが、江戸歌舞伎なら、
お茶を利用して、涙を流した風に装うが、上方歌舞伎では、鮓桶
の後ろに置いてある花瓶(円筒形の白地の瓶に山水画の焼きつ
け)の水を利用する。このほか、上方の権太は、自分の臑を抓っ
て、泣き顔にしようとしたり、口を歪めたりする。母親の膝に頭
をつけて、甘えてみたり、「木の実」の茶屋の場面で見せた、こ
わもての「権太振り」は、どこへやら、完全な「マザー・コン」
振りを見せつける。つまり、より人間臭いのだ。そのあたりは、
仁左衛門の権太は、江戸歌舞伎の演出にはない、細かく、ねちこ
い上方歌舞伎の味を随所に入れながら、緩急自在に演じていた。
以前、地方巡業の舞台で拝見した我當の場合、通常、1時間半か
かるところをコンパクトに1時間ほどで上演していたので、いろ
いろ省略があり、同じ上方演出の「いがみの権太」であったが、
ここまでは、演じていなかった。

維盛一家を梶原景時一行に引き渡す場面では、仁左衛門の権太
は、汗を拭う手拭で、隙をみて、後ろ向きで目頭を押さえてい
た。維盛の首実検では、江戸歌舞伎にない、燃える松明が軍兵が
持ち出してきた。維盛の首実検の後の、若葉の内侍と六代君の詮
議でも、軍兵がかざす松明が使われた。宵闇のなかでの詮議とい
うのが、良く判る。若葉の内侍と六代君の二人の間に立ち、「面
(つら)あげろ」と両手で、二人に促した後、右足を使って若葉
の内侍の顔をあげさせようとしたり、座り込んで、両手で二人の
顎を持ち上げたりしていた。このあたりは、立ったまま、左足を
使って、二人の顔を挙げさせる、形のスマートさを追求した江戸
歌舞伎の演出とは、異なる。無事、梶原景時一行を騙したと思っ
ている権太は、花道で梶原景時一行を送りだすとき、「褒美の金
を忘れちゃいけませんよ」と駄目を押しながらも、一行の姿が見
えなくなると、生き別れとなった妻子へ、涙を流す。このあたり
も、江戸歌舞伎では、あまり、見かけない演出だった。

仁左衛門の権太は、江戸歌舞伎で、いまの権太の型に洗練させた
五代目幸四郎、五代目菊五郎の型を取り入れながら、二代目実川
延若らが工夫し、父・十三代目仁左衛門らがさらに、工夫を加え
た上方歌舞伎の演出や人形浄瑠璃の演出をもミックスして、仁左
衛門型にしているように見受けられた。

これに対して、今回、2回目、30年ぶりに演じるという吉右衛
門の権太は、江戸歌舞伎の型。東京の権太役者として、定評の
あった二代目松緑の型を引き継ぎ、独自の工夫を加えている。私
は、二代目松緑の舞台を観ていないので、なんとも言えないの
が、悔しいが、松緑を知っている人には、松緑が甦ったようだと
いう印象も聞こえて来た。吉右衛門は、「いがみの権太」という
上方の人物造型に、江戸前の爽快さを加えるという工夫をしたと
楽屋話では、語っている。私の印象では、爽快さ、というより、
吉右衛門の持ち味である暖かみが滲み出ていて、世話物のユーモ
ラスな権太であったと思う。もともと権太は、人情落語の世界の
人のような役柄で、滑稽味も大事だと思っているので、そういう
意味では、吉右衛門の持ち味は、権太を演じる場合には、プラス
になるだろう。

幸四郎、團十郎らも、江戸歌舞伎の型。五代目幸四郎、「鼻高幸
四郎」と渾名された役者で、左の眉の上に黒子があり、これゆえ
に、その後、権太を演じる役者は、皆、左の眉の上に黒子を描い
た。團十郎の権太は、意欲的な権太で、見応えがあった。
2000年6月、歌舞伎座の舞台での幸四郎の権太は、いつもの
深刻な、大きな芝居がなく、憎めない小悪という感じで権太を演
じていたように思う。この辺りから、幸四郎は、世話物に意欲を
見せていたようで、最近の世話物での幸四郎の新たな魅力の開花
の兆しがあったのではないか。江戸歌舞伎型の権太は、五代目幸
四郎、五代目菊五郎の型を取り入れながら、それぞれの役者が、
独自の工夫を加味している。そう言えば、江戸歌舞伎では、五代
目幸四郎に敬意を表してつける黒子のない我當の権太は、逆に、
上方歌舞伎へのこだわりを大事にしていて、新鮮に見えたことを
思い出した。

このほか、今回の配役では、お里を演じた芝雀の初々しさは、特
筆。弥左衛門を演じた歌六は、滋味がある。最近、老け役に存在
感を増している歌六は、役者として、一皮剥けたように思う。同
じ老け役、弥左衛門の女房のおくら(舞台によっては、「お米」
という名前になる時もある)を演じた吉之丞も、相変わらず、良
い味を出していた。こういう老け役ふたりが、脇を固めているだ
けでも、今回の「すし屋」は、見応えがあった。梶原景時を演じ
た段四郎も、歌舞伎の魅力の一つである外形を重視していて、存
在感があった。ほかに、染五郎の弥助、高麗蔵の若葉の内侍。


「身替座禅」は、9回目の拝見。右京の人の良さと奥方の玉の井
の嫉妬深さを対比するというイメージの鮮明な演目なので、劇評
の視点を変えるのが難しい。どうしても、配役の妙に目が行って
しまう。先ず、配役から。私が観た右京:菊五郎(3)、富十郎
(2)、猿之助、勘九郎時代の勘三郎、團十郎、そして、今回の
仁左衛門。歌舞伎座では、初演である。なかでも、菊五郎の右京
には、巧さだけではない、味があった。特に、右京の酔いを現す
演技が巧い。酔いの味が、良いということだ。従って、右京とい
うと菊五郎の顔が浮かんで来る。こうして名前を浮かべれば、ほ
かの役者も、それぞれ、持ち味があるが、仁左衛門は、普段は、
颯爽とした役柄が多いだけに、滑稽味のある、こういう役は、彼
の別の魅力を引き出してくれるので、楽しみだ。

ほかの配役は、キーパーソンとなるのは、何といっても、玉の
井。その玉の井では、吉右衛門(2)、三津五郎、宗十郎、田之
助、團十郎、仁左衛門、左團次、そして、今回の段四郎。立役
が、武骨さを滲ませながら、女形を演じる。そこが、この演目の
おもしろさだ。團十郎、仁左衛門の玉の井も、印象的だったが、
今回の段四郎は、左團次同様の「異様」さで、存在感を誇示し
た。玉の井は、醜女で、悋気が烈しく、強気であることが必要だ
ろう。浮気で、人が良くて、気弱な右京との対比が、この狂言の
ユニークさを担保する。そういうイメージの玉の井は、仁左衛門
が巧かった。その仁左衛門が、今回は、右京役に廻るのである。
右京役のポイントは、右京を演じるだけでなく、右京の演技だけ
で、姿を見せない愛人の花子をどれだけ、観客に感じ取らせるこ
とができるかどうかにかかっていると、いつも思う。シルエット
としての花子の存在感。花子は、舞台では、影も形もない。唯一
花子を偲ばせるのが、右京が花子から貰った女物の小袖。それを
巧く使いながら、花子という女性を観客の心に浮かばせられるか
どうか。見えない花子の姿を観客の脳裏に忍ばせるのは、右京役
者の腕次第ということだろう。右京の花子に対する惚気で、観客
に花子の存在を窺わせなければならない。今回の仁左衛門が、操
る花子の衣装から、生身の花子の女体が見えたような気がした。
そこは、立役の中でも、色気を滲ませるのが巧い仁左衛門ならで
はの真骨頂がある。

身替わりに座禅を組まされる太郎冠者には、錦之助。侍女の千枝
が、巳之助、小枝が、隼人と、フレッシュだが、声、表情、所
作、なにより、体の線に、娘というより、まだ、少年の堅さが見
えてしまうふたりであった。


「生きている小平次」は、初見。夜の部の劇評の目玉は、これだ
と思うので、詳しく書きたい。1925(大正14)年に初演さ
れた新歌舞伎である。作者は、鈴木泉三郎。小幡小平次ものの怪
談をベースに心理劇を構築した。登場人物は、3人だけ。旅の芝
居一座の太鼓打ちの夫婦と役者の男の三角関係が、軸になってい
る。初演時の配役は、太九郎(六代目菊五郎)、おちか(後の三
代目多賀之丞)、小平次(十三代目守田勘弥)。今回の配役は、
太九郎(幸四郎)、おちか(福助)、小平次(染五郎)。演出
は、九代琴松、つまり、幸四郎自身。幸四郎は、21年ぶり、2
回目の太九郎を演じる。

主筋は、シンプルだ。それでいて、奥行きがあるから、おもしろ
い。郡山の安積沼に浮かべた釣り舟の上である。太九郎(たくろ
う)の女房・おちかと密通した小平次(こへいじ)は、太九郎と
は、友人関係だ。悩んだ挙げ句、小平次は、太九郎に、おちかを
譲ってほしいと告白する。以前から、ふたりの不義を知っていた
という太九郎は、それを拒む。喧嘩になった末、太九郎は、小平
次を舟板で殴りつけ、舟から沼へ突き落とす。血まみれになっ
て、船に這い上がって来る小平次と更に打ち据える太九郎。10
日後、江戸の太九郎の家に大怪我をした小平次がやって来て、お
ちかに太九郎を殺したから、逃げようと言う。嫌なら、太九郎殺
しは、おちかに頼まれたと申し立てると威す。おちかが、逃げる
準備をしているところへ、太九郎が、戻って来る。太九郎は、お
ちかと共に、小平次を殺して、ふたりで逃げ出す。逃げるのに疲
れ果てたふたりは、諍いを起こす。小平次に似た男が後を追って
来ると怯える太九郎。小平次が生きているのなら、また、殺せば
良いと嘯くおちか。男と女の心理が、何時の間にか、逆転してい
る。そういうふたりを小平次に良く似た男が、見送っている。

九代琴松(幸四郎)の演出も、それに基づく中嶋八郎の美術もシ
ンプルだ。第一幕「安積沼」。幕が開くと、舞台は、一面の青の
世界。ドライアイスを使った水蒸気が、靄とも、沼面の水の動き
とも、見える幻想的な光景が、後の悲劇を知らぬ気に飛び込んで
来る。水面と小舟の動き、舟の上での人間同志の葛藤と暴力。殺
人未遂事件が、起こる。

第二幕・第一場「江戸・太九郎の家」。薄暗い江戸の町家。小平
次が生きていて、太九郎より先に、太九郎の家を訪れる。但し、
生きているのか、本当は、死んでいるのか、観客には、曖昧に映
る。何時の間にか、太九郎の家の座敷に入り込んで来るからだ。
驚くおちか。だが、なさぬ仲の小平次に言いくるめられると、
いっしょに逃げる気になり、家を出る準備をするために、一旦、
引っ込むおちか。そこへ、太九郎が、自宅に戻って来る。こちら
は、生きている人間だから、下手の玄関から、入って来る。3人で
揉み合ううちに、再び、殺される小平次。友人を殺してしまった
と落ち込む太九郎を、夫の本心が知れたと夫を励まし、いっしょ
に、逃げ出す。

第二幕・第二場「海辺」。品川辺りの海辺か。ここも、蒼い世
界。舞台中央に、柳の樹がある。街道筋の体。人殺しの罪を背
負って、逃げて来たふたりの男女。女は、疲れたと言い、もう、
歩けないと言う。殺したはずの小平次に似た男が、後を付いて来
ると怯える男。疲れという感覚に支配された現実派の女。妄想に
悩まされ、疲れなど忘れている幻想派の男。実際に、観客には、
小平次を演じる染五郎が、見える。テーマは、観客には、見えな
い三角関係の、心理である。男と女、どちらが、怖いのか。そう
いう問いかけも、聞こえて来る。

非常に洗練された、シンプルな、演劇空間が、1時間ほど続く。
シンプルである分、余韻は、観客の側の想像力の有無に任せられ
る。それだけに、怖いが、充実の舞台であった。

「三人形」は、97年10月の歌舞伎座で観ているが、このサイ
トは、まだ、立ち上げてなかったので、劇評は、無い。初見の時
は、奴役の緑平が、辰之助時代の松緑、若衆役の春之丞が、新之
助時代の海老蔵、傾城役の漣太夫が、菊之助。今回は、奴が、歌
昇、若衆が、錦之助、傾城が、芝雀。1818(文政元)年の作
品で、元々、当時の人気役者に当て込んで創られた三段返しの舞
踊。その上巻「三人形」のみが、後世に伝えられた。「丹前物」
という古風な元禄の風俗で、吉原仲之町を舞台に奴、若衆、傾城
が、踊るという趣向である。丹前六方、奴丹前などの振りに注
目。背景が、吉原仲之町に展開するまでは、人形入れの蓋が、下
手から、青(傾城)、緑(奴)、茶(若衆)と、「市村座」の定
式幕のように並んでいる。これが、上がると、吉原仲之町の書割
となる。直接的には、廓の風俗を描くが、私の目には、恰も、
「歌舞伎の歴史」の舞踊劇という、アイディアが、浮かんで来
た。つまり、遊女(傾城)歌舞伎→若衆歌舞伎→野郎(奴)歌舞
伎というわけだ。
- 2008年6月29日(日) 12:37:04
2008年6月・歌舞伎座 (昼/「新薄雪物語」「俄獅子」)


見応えのある配役の妙


「新薄雪物語」は、3回目の拝見。歌舞伎の典型的な役柄が出揃
う「新薄雪物語」は、大劇団が構成されないと上演できない演目
だが、11年前、97年の6月の歌舞伎座、6年前、02年11
月の歌舞伎座で、観ている。

粗筋を追えば、荒唐無稽の歌舞伎の物語の典型のような演目だ。
「新薄雪物語」は、若さま・姫君と奴と腰元という、ふた組の美
男美女の色模様、颯爽とした奴を軸にした派手な立ち回り、国崩
しの仇役の暗躍、4組の親子の関係、鮮やかな捌き役の登場など
趣向を凝らし、歌舞伎の類型的な、善悪さまざまな役柄がちりば
められている。さらに、背景には、爛漫の桜がある。桜は、人間
たちの美醜を見ている。舞台は、様式美に溢れ、絵になる歌舞伎
の典型的な芝居として、大顔合わせが可能な劇団が組まれるたび
に、繰り返し上演されて来た。歌舞伎座の筋書に掲載されている
上演記録を見ても、ほぼ5年くらいを空けて上演されている。

贅言;桜爛漫の、序幕の「新清水花見の場」は、文字どおり、華
のある、華麗な舞台であるため、南北や黙阿弥らが、別の狂言で
も、この場面を下敷きにして、活用している。例えば、「桜姫東
文章」、「白浪五人男」など。つまり、歌舞伎の、春爛漫の最高
の景色が、ここには、あるということを示しているのだろう。

まず、配役を紹介しよう。恋愛模様が、「謀反事件」を引き起こ
す(というか、仕掛けられた)カップルが、園部左衛門(梅玉、
菊之助、今回が、錦之助。以下、同じ順番)と薄雪姫(福助、孝
太郎、芝雀)。このふたりを取り持つ、もうひと組のカップル
が、奴・妻平(菊五郎、三津五郎、染五郎)と腰元・籬(宗十郎
休演で松江時代の魁春、時蔵、福助)。「事件」を仕掛けられた
カップルの両親、園部兵衛(孝夫時代の仁左衛門、菊五郎、幸四
郎)とその妻・梅の方(玉三郎、今回も芝翫=2)、幸崎伊賀守
(幸四郎、團十郎、吉右衛門)とその妻・松ヶ枝(秀太郎、田之
助、魁春)。伊賀守の家来・刎川兵蔵(染五郎、正之助時代の権
十郎、歌昇)、事件を仕掛けた国崩し・秋月大膳(権十郎、今回
も富十郎=2)とその弟の秋月大学(前2回は、登場せず、今回
は、彦三郎)、その一味で刀鍛冶・正宗倅・団九郎(弥十郎、團
十郎、段四郎)、同じく渋川藤馬(松之助、十蔵、桂三)、園部
派の刀鍛冶・来国行(前2回とも、幸右衛門、家橘)、そして、
捌き役・葛城民部(菊五郎、仁左衛門、今回は、富十郎のふた
役)、チャリ(笑劇)の若衆・花山艶之丞(前2回は、鶴蔵、今
回は、由次郎)など。

配役を整理するだけでも、筋は、判りやすくなる。前半は、薄雪
姫(芝雀)に懸想する悪人・秋月大膳(富十郎)が、恋敵の左衛
門(錦之助)を陥れるために、「事件」を仕掛ける。鎌倉殿に誕
生した若君の祝いに京都守護職(六波羅探題)・北条成時の名代
として左衛門が、清水寺(新清水)に奉納した太刀に大膳の意を
受けた刀鍛冶・団九郎(段四郎)が、天下調伏(国家転覆の企
み)のヤスリ目を入れ、その責を左衛門と大膳が横恋慕中の薄雪
姫(更に、その父親たちを謀反の罪に落とす陰謀も企てている)
に負わせようとする。団九郎の犯行を目撃した左衛門と同伴して
来た来国行(家橘)は、団九郎によって口封じのために殺されて
しまう。左衛門に宛てた薄雪姫の謎掛け恋文(縦に刀の絵を描
き、その下に「心」の文字:「忍」の意味だが、恋の忍び逢いへ
の誘いであった)も、左衛門が、不用意に落としてしまったた
め、大膳一派に、謀反の証拠とばかりに、後に悪用されてしま
う。

序幕「新清水花見の場」は、まず、6人の奥女中と10人の腰元
の違いに注目。奥女中は、がさつに、立役たちが演じる。腰元
は、普通に女形たちが演じる。遠眼鏡を使ったチャリ(笑劇)の
場面を見逃してはいけない。その帰結は、深編笠を被り園部左衛
門に間違わされる、若衆・花山艶之丞の登場だ。笑いを含め、華
やかな舞台の陰で進行する陰謀を見せた後、序幕の締めくくり
は、大立ち回り。

この立ち回りは、妻平(染五郎)と若水を汲む手桶を持った秋月
家の赤い四天姿の奴(若水汲みゆえに、「水奴」という。それだ
けに、桶や傘など水、雨に因む小道具が使われることになる)た
ち18人との場面が、見応えがある。ここでは、ひとりの奴が、
「高足」の清水の舞台の上から、石段にいる妻平の染五郎を飛び
越え、下の平舞台に蜻蛉(とんぼ)をきる場面があるほか、傘を
使って、人力車を見立てたり、全員による「赤富士」の見立ての
形にしたり、大蛇に見立てたり、大部屋の立役たちが、縦横に活
躍する見応えのあるものとして知られている。

後半は、全てを見通す捌き役の民部が、キーパースンとなる。二
幕目、「寺崎邸詮議の場」では、主な顔ぶれが揃わないと芝居が
成り立たない。詮議の舞台となる寺崎邸の場面は、一段高い奥の
座敷は、「火焔お幕」という様式美の屋体。ここに、捌き役の上
使の民部(富十郎)と秋月大膳の弟の秋月大学(彦三郎)が、居
並ぶ。ふたりの下手にあるのは、金地に花車が描かれた衝立。柱
を始め、襖の桟など黒塗りであり、本舞台の座敷の白木の柱、襖
の桟などとの違いを浮き出させている。ここは、襖も、銀地に桜
が描かれている。黒塗りの間と白木の間を繋ぐ階は、黒塗り。一
段低い本舞台は、白い世界。まさに、お白州。捌かれる場とな
る。

反逆罪の嫌疑だけで、即刻、若いふたりに死罪という判決が下
る。悲劇の場面だが、豊潤な時代色たっぷりの時間が流れる。奥
の座敷の上手と下手には、行灯が置かれていて、時刻が夜である
ことが判る。花道を別の間に見立てて、幸四郎と吉右衛門が、自
分たちの子どもの詮議に付いて、相談する場面も、新鮮だ。殺さ
れた来国行の遺体が運び込まれ、傷口から、大膳の犯行を見抜く
慧眼の民部。特に、富十郎が、謀反を企てる国崩しの大膳と捌き
役で、若いふたりにも理解のあるところを示し、親たちの詮議を
許す人情派の民部のふた役を演じることで、芝居にメリハリが出
た。一人の役者がこのふた役を演じるのは、歌舞伎座の筋書に掲
載されている戦後の上演記録を見ても、48(昭和23)年、5
月の東京劇場で、七代目幸四郎、79(昭和54)年、4月の歌
舞伎座で、十三代目仁左衛門が演じたとしか載っていない。もっ
と、多用した方が良い、配役だと思う。

そのふたりの子どもたち(左衛門、薄雪姫。それぞれの相手側に
詮議のために子を預ける辺りに、原作者の工夫が感じられる)を
助け、逃がすために、それぞれの父親が陰腹を切って、園部邸の
奥書院に集まる。銀地に雪景色の立ち木の絵柄の襖。枝に乗った
2羽の鳥は、雪野に放たれようとしている若いふたりを象徴して
いるようにも見える。衝立も、銀地、モノトーンの、なにやら、
中国風の山水画である。「虎溪の三笑と名も高き、唐土の大笑
い」と床の竹本が語るように、絵柄は、高山と溪に架かる橋(虎
溪の橋)のようにも見える。モノトーンの奥書院の座敷外、下手
の網代塀の外には、青山の遠見が描かれた書割りが見える。座敷
の内と外で、死と生が、対比されているように受け止めた。

通称「合腹」の場面、ふたりでそっと(陰で)腹を切っていたの
だ。吉右衛門と幸四郎の、演技は、いつものオーバーアクション
の幸四郎に吉右衛門も合わせたように、所作が大きいが、今回
は、それが馴染む。その苦痛を堪えるふたりの父親と夫を亡くす
哀しみに耐える左衛門の母(梅の方)を演じる芝翫の3人の、今
生の想い出にと、命を掛けて子どもたちを救ったことを喜ぶ「三
人笑い」の表現が、難しく、ここが、この芝居屈指の名場面とな
る。せめて、笑って、死にたいという親の気持ちが、観客の涙を
誘う。人生最期の笑いでもあるだろう。個人の力では、到底打開
できぬという無情の笑いでもあるだろう。悲劇の仕掛人・大膳へ
の呪詛の笑いという解釈もあるという。この笑いには、観客の気
持ち次第で、如何様にも受け止められる奥深さがある。それが、
歌舞伎の魅力のひとつであろう。私は、子を思う親の気持ちは、
時空を越えて、同じだというように受け止めながら、拝見した。
ゆるりと哀しみに耐える吉右衛門。深刻に哀しみを表現する幸四
郎。叮嚀に哀しみを演じる芝翫。哀しみの洪笑をする父親たち。
泣き笑いするしかない母親。今回の「三人笑い」は、何回も演じ
られてきた「新薄雪物語」上演史上に残る、見応えのある「三人
笑い」だったと思う。

そして、ふたりの父親は、腹痛を我慢しながら、子どもらの首の
代りに願書を入れた首桶を抱えて、京都守護職(六波羅探題)に
向おうとするところで、今回は、幕となる。前回は、この後に、
大詰として、通称「鍛冶屋」の場があった。悲劇の後の笑劇の場
面が、場内を和ませる。ここでは、悪の手先になっていた団九郎
は、親の正宗を逆に勘当していたが、刀鍛冶としては、二流のた
め、親の秘伝を盗もうとして、正宗から腕を切り落とされてしま
う。すると、善に目覚めた団九郎は、これまでの悪の構図、つま
り、大膳の仕掛けをすべて白状して、大団円とする、という場面
があったが、今回は、「合腹」で、幕。

今回のように、この大詰無しで、親の陰腹までの展開で終了だ
と、親のために子が犠牲になることが多い歌舞伎によくある世界
とは、違って、子のために親が身替わりになる物語の印象が強く
なる。前回のように、大詰の世話場まで演じられと、悪人が善人
になる、いわゆる「戻り」の物語になり、めでたしめでたしとい
う大団円になる。時代物のまま、悲劇で終らず、世話物の場面が
付加されると、芝居として、奥行きが出てくる。歌舞伎というも
のは、いわば、「節足動物」のようなものであって、足を何処で
切るかで印象が全く違うという、おもしろさと同時に怖さを持っ
ているということが、「新薄雪物語」を何回か観るとよく判る。

再び、配役論。ただし、ここでは、先ほどと違って、配役による
登場人物の印象の違いを述べたい。園部左衛門という若さまの、
未熟さ、若さ、頼り無さは、前回の菊之助がよかった。梅玉や今
回の錦之助より、仁に合っている。薄雪姫は、福助もよかった
し、孝太郎も、悪くない。今回の芝雀も、初々しい。奴・妻平
は、菊五郎、三津五郎、それぞれ持ち味がある。今回の染五郎
も、健闘した。腰元・籬は、宗十郎病気休演で、私が観たのは、
松江時代の魁春であったが、前回の時蔵は、お侠でありながら、
(薄雪姫の)恋の先達としての色香もある役柄として籬のを演じ
ていたし、今回の福助は、その路線を踏していて、色気溢れる籬
ぶりには、好もしく感じた。但し、口跡は、あまり良くなかっ
た。籬は、恋の取り持ちをするため、この芝居以降、そういう
キューピットの行為を日本人は、「籬」というようになったとい
うから、おもしろい。

私が観た園部兵衛は、仁左衛門、菊五郎、幸四郎。幸崎伊賀守
は、幸四郎、團十郎、吉右衛門だが、今回は、珍しい、幸四郎、
吉右衛門の兄弟が、同じ舞台で、それぞれを演じる。陰腹を切
り、懐に毬(いが)栗を入れている気持ちで演じるという難しい
役だ。「伊賀=毬」という洒落でもある。捌き役・葛城民部の菊
五郎、仁左衛門、富十郎という配役を考えれば、今回の3人は、
配役のバランスが取れていると言えよう。

梅の方は、11年前の玉三郎より、今回で、2回目の芝翫の方
が、器が大きい。難しい役だけに、芝翫に軍配が上がる。今の玉
三郎が演じれば、また、違うだろうという予感もある。松ヶ枝
は、秀太郎、田之助、魁春。田之助の人の好さが、滲み出た演技
を買いたい。秋月大膳は、権十郎、今回で、2回目の富十郎。富
十郎は、国崩しの器の大きさがあったし、民部という捌き役との
ふた役で、富十郎を観ているだけで、善悪が判るという考えた配
役と見た。若衆・花山艶之丞は、深編笠を被り、二枚目風のいで
たちで、左衛門を思わせる遊びがある。笠を取ると道化役の化
粧。以前に観た2回とも、鶴蔵だったが、こういう役は巧かっ
た。今回は、由次郎。


「俄獅子」は、2回目の拝見。相生獅子のもじりで、遊廓・吉原
の年中行事と俄の模様を所作で表現し、それを獅子もの仕立てに
する。そういう江戸趣味の趣向が魅力の演目。幕が開くと、舞台
は、祭囃子が賑やかな吉原仲之町で、長唄の囃子連中の雛壇の前
に、大きなせり上がりの穴が開いている。「俄」は、「仁和賀
(にわか)」で、吉原の年中行事の一つ。太陰暦の8月朔日から
晴天30日に渡って行われたと言う。吉原の遊女、禿たちが、仮
装をして、歌舞伎踊りなどを見せながら、廓内を練り歩くとい
う、いわば、アトラクション。江戸の代表的な祭、山王祭や神田
祭の踊り屋台を真似た趣向。

やがて、せり上がりで、黒地の衣装も粋な芸者・染吉(福助)と
白地に紺で大きな花柄を染め込んだ鳶頭・磯松(染五郎)が、登
場する。恋仲のふたりも、浮かれて祭を見に来たという体。芸者
は、客との出会いの情景を踊り、鳶頭は、木遣りの粋な踊りを踊
る。痴話喧嘩の後、沈んだ気分を打ち消そうと、ふたりは、白地
の扇に紅牡丹の絵や鈴を添えて、紅白の手獅子=扇を獅子頭に見
立てて、獅子舞を踊る。纏いや花笠を持った若い者も加わって、
一段と華やかな踊りとなり、「仁和賀」を盛り立てる。江戸の粋
を絵に描いたような、洒落た舞台であった。
- 2008年6月15日(日) 22:14:43
2008年5月・歌舞伎座 團菊祭(夜/「通し狂言 白浪五人
男」、「三升猿曲舞」)


夜の部が、菊五郎、團十郎らの「白浪五人男」は、黙阿弥が選り
に選りを懸けて練り上げた、歌舞伎味の集大成を52歳から67
歳の、円熟味のある、バランスの取れた配役で、五人男を再構築
する。松緑の「三升猿曲舞」。


盗人たちの、明るい逃亡記


「通し狂言白浪五人男」(これは、略称で、本外題を「青砥稿花
紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」)は、5回目の拝見。
このうち、通し上演で観たのは、今回含めて、3回目。残りの2
回は、「雪の下浜松屋」と「稲瀬川勢揃」の場の「見取(みど)
り」上演であった。私が、通しで観た舞台の主な配役は、以下の
通り。

弁天小僧:勘九郎時代の勘三郎(2)、今回は、菊五郎。日本駄
右衛門:富十郎、仁左衛門、今回は、團十郎。南郷力丸:八十助
時代含めて三津五郎(2)、今回は、左團次。忠信利平:橋之
助、信二郎、今回は、三津五郎。赤星十三郎:福助(2)、今回
は、時蔵。浜松屋幸兵衛:三代目権十郎、弥十郎、今回は、東
蔵。千寿姫と宗之助:孝太郎、七之助。今回は、千寿姫:梅枝、
宗之助:海老蔵。鳶頭:彦三郎、市蔵、今回は、梅玉。青砥左衛
門:勘九郎時代の勘三郎(2、つまり、弁天小僧とふた役)、今
回は、富十郎。

「通し狂言白浪五人男」は、通しで演じられないときは、「雪の
下浜松屋」と「稲瀬川勢揃」の場面だけが、演じられることが多
い。その場合は、外題も、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめ
おのしらなみ)」となる。略称では、「弁天小僧」。私が観た2
回の舞台での配役は、以下の通り。

弁天小僧:菊之助(襲名披露の舞台)、菊五郎。日本駄右衛門:
羽左衛門、幸四郎。南郷力丸:團十郎(2)。忠信利平:左團
次、松緑。赤星十三郎:梅玉、菊之助。浜松屋幸兵衛:三代目権
十郎、田之助。宗之助:正之助時代の権十郎、松也。鳶頭:菊五
郎、團蔵。

「見取り」上演では、一枚、一枚の色彩豊かな(まさに、「花紅
彩画」である)絵葉書を見るようである。これが、通しでの上演
となると、この物語が、如何に起伏に富んでいるかが判る。本当
に何枚もの錦絵を見るように、豪華絢爛たる明るい色彩の場面が
多い。また、「極楽寺屋根立腹の場」の「がんどう返し」や、
「極楽寺山門の場」、「滑川土橋の場」などの大せりを使った大
道具の転換など、歌舞伎の演劇空間のダイナミックさを見せつけ
る場面が続くのも魅力だ。ストーリーの方は、盗人たちの物語に
血縁の因縁話が綯い交ぜになっていて、まさしく、黙阿弥ならで
はの明暗起伏に富む原作である。黙阿弥が、幕末の江戸文化をい
かに活写しようとしたかが、伺われる。以前の演出では、もっ
と、端役や仕出しを活用して、江戸の庶民生活を活写したとい
う。まさに、生きた幕末絵巻であったらしい。いつか、そういう
演出で、上演されないものか、と思う。

「通し狂言白浪五人男」は、私が観た舞台の配役を再確認してい
ただければ良いが、今を盛りの花のある役者が、最低でも5人は
「勢揃い」しないと成り立たない芝居であるし、捕り手となる大
部屋役者衆と弁天小僧の大立ち回りも、見せ場が、たくさんあ
る。そういう意味では、初心者にも、歌舞伎の知識が、余り無く
ても、楽しめる演目だ。ひたすら、舞台を「眼」で堪能する、さ
らに、黙阿弥劇特有の七五調のリズムに乗った科白の音楽性を
「耳」で楽しむ、というのが、この演目の最も、オーソドックス
な観劇方法だろうと思う。

序幕第一場「初瀬寺(はせでら)花見の場」で、千寿姫(梅枝)
と信田小太郎、実は、弁天小僧菊之助(菊五郎)の物語がスター
トする。「新薄雪物語」を下敷きにしている。短歌なら、本歌取
りという手法だ。

贅言:初瀬寺の朱塗りの御殿の階(きざはし)の両側には、桜の
木があり、下手側の木の傍には、「開帳 初瀬寺」の立て札(普
通、こういう場合は、『當寺』と書く)。立て札は、後ほど、奴
駒平、実は、南郷力丸(左團次)が、忠信利平(三津五郎)と立
ち回りをするときに使用される。歌舞伎の舞台にある道具は、大
道具であれ、小道具であれ、なにかの役割を持たされていること
が、割と多い。

第二場「神輿ヶ嶽の場」、第三場「稲瀬川谷間の場」では、千寿
姫と小太郎の物語が、破たんして(千寿姫の許婚・小太郎を殺し
て、小太郎に化けた弁天小僧菊之助と契ってしまった
ことを恥じて、千寿姫は、やがて、自害することになる)、日本
駄右衛門を頭とする5人の盗人が出揃い、それぞれの略歴紹介と
5人組が結成される経緯が、「だんまり」で演じられる。まあ、
なんとも、荒唐無稽な楽しさ。荒唐無稽は、歌舞伎の熱源だ。歌
舞伎の絵面(見た目)のおもしろさを知り抜いた黙阿弥の技は、
冴える。千寿姫を演じた梅枝は、時蔵の長男で、20歳。細面
は、女形向きだが、まだ、顔や身体に、青年の堅い線が残ってい
て、色香が乏しく、姫には、見えにくい。以前の勘太郎が、そう
いう時期があったが、その後変わって来たように、梅枝も、いず
れ、女形らしくなるだろう。

二幕目第一場「浜松屋の場」、第二場「浜松屋蔵前の場」では、
日本駄右衛門(團十郎)、弁天小僧、南郷力丸(左團次)の3人
による、浜松屋での詐欺。第一場では、番頭・与九郎(橘太
郎)、手代・左兵衛(名題昇進の新十郎)らが、働いている。店
の者が上手下手に行灯を持って来るので、ときは、すでに、夕方
と判る。詐欺を働こうと娘に化けた弁天小僧、若党に化けた南郷
力丸は、この薄暗さを犯罪に利用する。よその店で買った品物を
トリックに万引き騒動を引き起こす。番頭は、弁天小僧菊之助ら
の悪巧みにまんまと乗せられ、持ってい算盤で菊之助の額に傷を
付けてしまう。番頭のしでかす軽率な行為が、この場を見せ場に
する。この怪我が、最後まで、弁天小僧の、いわば「武器」にな
る。正体がばれて、帯を解き、全身で伸びをし、赤い襦袢の前を
はだけて、風を入れながら、下帯姿を見せる菊五郎の弁天小僧。
まあ、良く演じられる場面であり、「知らざあ言って聞かせや
しょう」という名科白を使いたいために、作ったような場面だ。
今回で27回目の弁天小僧を演じる菊五郎は、気持ち良さそうに
科白を言う。「稲瀬川の勢揃」の場面でもそうだが、耳に心地よ
い名調子の割には、あまり内容のない「名乗り」の科白を書きた
いがために、黙阿弥は、この芝居を書いたとさえ思える。

弁天小僧らの正体を暴いて、引き上げさせ、浜松屋幸兵衛(東
蔵)に恩を着せる。幸兵衛に店の奥へと案内される玉島逸当、実
は、日本駄右衛門。こうして、店先から皆がいなくなったと、思
いきや、もうひとり、「小悪党」が店に残っている。皆が、引き
上げるまで、殊勝に頭を下げていた番頭の与九郎は、実は、店の
金をくすねていた。今回の騒ぎで己の犯行も露見すると思い、さ
らに、店の有り金を盗んで逃げようとしている。丁稚の鶴吉、亀
吉に見とがめられる。黙阿弥は、細かい藝で笑いをとる。与九郎
役の橘太郎は、子役相手に、捨て台詞(アドリブ)で、北京オリ
ンピックなどの時事ネタも折り込んで、「成田屋」「音羽屋」
「メダリスト」などと言っては、場内の笑いを取る。

第二場「浜松屋蔵前の場」では、正体を顕わした日本駄右衛門
は、「有金残らず所望したい」と脅しながら、刀を畳に突き刺
し、後ろの呉服葛籠に腰を掛ける。下手からは、弁天小僧ら、先
ほどのふたりが抜き身を持って現れ、同じように刀を畳に突き刺
し、件の荷物に腰を掛ける。弁天小僧らふたりは、都合、2回刺
した。一舞台で、3人で、合計5回刺すとして、25日間の興行
では、檜の本舞台に125回も、刀を刺すことになる。いくら、
本身の刀を使っていないとしても、檜舞台を傷つけることには、
違い無い。サブストーリーとして、黙阿弥劇特有の因果話とし
て、日本駄右衛門と浜松屋のお互いの実子を幼い頃、取り違えて
いたことが判る。

二幕目第三場「稲瀬川勢揃の場」も、桜が満開。浅葱幕に隠され
た舞台。浅葱幕の前で、蓙(ござ)を被り、太鼓を叩きながら、
迷子探しをする4人の人たち。実は、捕り手たちが、逃亡中の5
人の盗人を探していたというわけ。やがて、浅葱幕の振り落とし
で、桜が満開の稲瀬川の土手(実は、大川=隅田川。対岸に待父
山が見える)。花道より「志ら浪」と書かれた傘を持った白浪五
人男が出て来る。逃亡しようとする5人の盗人が、派手な着物を
着て、なぜか、勢揃いする。弁天小僧、忠信利平、赤星十三郎、
南郷力丸、日本駄右衛門の順。まず、西の桟敷席に顔を向けて、
花道で勢揃いし、東を向き直り、場内の観客に顔を見せながら、
互いに渡り科白を言う。

本舞台への移動は、途中から、日本駄右衛門が、4人の前を横切
り、一気に、本舞台の上手に行く。残りの4人は、花道の出の順
に上手から並ぶ。恐らく、花道の出は、頭領の日本駄右衛門が、
貫禄で殿(しんがり)となり、本舞台では、名乗りの先頭に立つ
ため、一気に上手に移動するのだ。「問われて名乗るもおこがま
しいが」で、日本駄右衛門(團十郎)、次いで順に、弁天小僧
(菊五郎)、忠信利平(三津五郎)、刀を腰の横では無く、斜め
前(楽屋言葉で、「気持ちの悪いところ」)に差し、ほかの人と
違って附打の入らない見得をする赤星十三郎(時蔵)、「さて、
どんじりに控(ひけ)えしは」で、南郷力丸(左團次)となる。
捕り手との立ち回りを前に、傘を窄めるが、皆、傘の柄を持つの
に対して、忠信利平だけは、傘を逆に持つ。5人の列の3番目、
つまり、真ん中だからだろう。10人の捕り手たちとの立ち回
り。日本駄右衛門のみ、土手の上に上がる。ほかの4人は、土手
下のまま。それぞれ左右を捕り手に捕まれ、絵面の見得で幕。

大詰第一場「極楽寺屋根立腹の場」は、まず、開幕すると、また
も、浅葱幕。そして、幕の振り落としで、極楽寺の大屋根の上で
の弁天小僧(菊五郎)と22人(前回は、因に28人)の捕り手
たちとの大立ち回り。菊五郎は、こういうチャンバラが、本当に
好きだ。菊五郎と大部屋の役者衆の息は、合っている。大屋根の
急な上部に仕掛けられた2ケ所の足場(下手は、瓦2つのとこ
ろ、上手は、瓦3つのところ)に乗りあげる菊五郎。極楽寺屋根
の下、屋根を囲むように設えられた霞み幕は、「雲より高い」大
屋根のイメージであると共に、屋根から落下する捕り手たちの
「退場」を隠す役目も負っている。その挙げ句、覚悟を決めた弁
天小僧の切腹。大立ち回りの末に立ったまま切腹する「立腹(た
ちばら)」の場面が、見どころ。大屋根の瀕死の弁天小僧を乗せ
たまま、「がんどう返し」というダイナミックな道具替りとなる
大屋根の下から、のどかな春の極楽寺境内の遠見の書き割りが現
われる。ここも、桜が、満開。その下から、極楽寺の山門がせり
上がり、山門には、日本駄右衛門(團十郎)がいる。山門では、
駄右衛門手下に化けた青砥配下の者(つまり、潜り込んで居たス
パイ)が、駄右衛門に斬り掛かる。やがて、更に駄右衛門を乗せ
たまま、山門がせり上がり、奈落からせり上がって来た山門下の
滑川に架かる橋の上には、青砥左衛門(富十郎)が、家臣(友右
衛門、松江)とともに、駄右衛門を追い詰める。大詰の、畳みか
けるような大道具の連続した展開は、初めて観た人なら、感動す
るだろう。大詰のうち、第二場「極楽寺山門の場」、第三場「滑
川土橋の場」は、「楼門五三桐」を下敷きにしているから、序幕
も含めて、歌舞伎の見せ場を寄せ集めたパッチワークのような芝
居とも言えるのだが・・・。

というように、複雑な筋立てだが、枝葉を整理すると盗人5人組
の逃亡記の起承転結という単純な話になる。逆に、話としては、
あまり傑作とも言えないし、人物造型も深みがない。それなの
に、「浜松屋」を主とした上演回数は、黙阿弥もののなかでも、
人気ナンバーワンと言われる。それは、ひとえに、初演時に、五
代目菊五郎の明るさを打ち出すために、歌舞伎の絵画美に徹した
舞台構成を考えだしたからであろう。「盗人たちの、明るい逃亡
記」。それが、また、大当たりをしたことから、三大歌舞伎
(「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」)と並
んで、歌舞伎の代表演目として、定着してきた。

黙阿弥が選りに選りを懸けて練り上げた、歌舞伎味の集大成を、
今回は、52歳から67歳の、円熟味のある、バランスの取れた
配役で、五人男を再構築するところが、ミソだろう。5月の時点
の年齢で言うと、三津五郎(52)、時蔵(53)、團十郎
(61)、菊五郎(65)、左團次(67)となる。まさしく馴
染みのある演目を、贔屓の、いつもの役者衆が、どういう舞台を
再構築して、これまでとは違う、新たな地平を目の前に繰り広げ
てくれるか、というのが、今回の「通し狂言白浪五人男」の成否
を握ると思うが・・・、如何だろうか。

さて、最後に、「白浪五人男」の役者論を簡単に書いておこう
か。まず、今回、主役の弁天小僧を演じた菊五郎は、当代随一の
弁天小僧役者だろう。次いで、勘三郎か。日本駄右衛門は、今回
の團十郎のほかに、富十郎、仁左衛門、幸四郎。南郷力丸や忠信
利平は、今回の左團次、三津五郎らか。赤星十三郎は、今回の時
蔵のように、女形が演じる。この狂言は、役者の賑わいが大事だ
が、今回のように、円熟期の役者衆を集めてみると、皆、愉しみ
ながら演じているのが、判る。盗人たちの行状記であり、後半
は、まさに、命をかけた「逃亡記」。追い詰められて、死んで行
く割には、明るい印象で、人気演目の位置を占め続けるのは、観
客の側も、楽しいからだろうと、改めて再確認した次第。


「三升猿曲舞(しかくばしらさるのくせまい)」は、長唄舞踊。
松緑は、本興行初演で、私も初見。1819(文政2)年、初演
の「奴江戸花槍」。これも、幕が開くと、浅葱幕。夜の部は、浅
葱幕が多い。振り落として、「ぱあ」という印象を狙うのだろう
が、安易な乱用はしない方が良い。小田春永の館の奥庭。新参者
の此下兵吉(松緑)が、白い繻子奴姿で、御殿の様子を伺ってい
る。怪しい奴、敵のスパイでは無いかと、4人の奴たちに疑われ
る。御殿で催している能が好きなので、様子を伺っただけだと弁
解するので、本当なら好きな能の舞を披露してみろと言われる。
それに応えて、兵吉は、「猿が参りて・・・」と、猿回しの様子
を真似た飄逸な曲舞を披露する。途中から、花槍を持っての踊り
となり、打ってかかる奴たちを花槍で振払うなど、立ち回りを交
えた所作(所作だて)で、武張ったところと、まろやかさをミッ
クスした味わいを目指していると松緑は、言う。

贅言:外題の「三升」は、初演した七代目團十郎の家紋に因んで
いるが、読みは、「しかくばしら」となる。「靱猿」の猿歌の件
(くだり)の「四角柱や角柱、角のないこそ添いよけれ」という
文句に因んでいるという。
- 2008年5月19日(月) 17:49:40
2008年5月・歌舞伎座 團菊祭(昼/「義経千本桜〜渡海
屋・大物浦〜」、「喜撰」、「幡随長兵衛」)


馴染みの演目・贔屓の役者


歌舞伎の魅力は、良く知っている馴染みの演目を贔屓の役者が、
今回は、どう演じるか、その「違い」を楽しむところにあるとい
う。歌舞伎座は、「團菊祭」ということで、今月は、オーソドッ
クスな歌舞伎鑑賞法となる。それは、例えば、昼の部。海老蔵が
銀平、実は、知盛に初役で挑戦する「義経千本桜〜渡海屋・大物
浦〜」では、馴染みの演目、贔屓の役者という布陣に若い役者が
初役で加わると、どういう味わいになるかという実験である。変
化舞踊の「喜撰」は、これを家の藝にしている三津五郎が、さら
に精緻に構築するであろう。團十郎の「幡随長兵衛」では、仇役
の菊五郎とともに、「男気の美学」というようなものをさらに洗
練してみせるであろうという期待感を抱きながら、歌舞伎座の座
席に座った。

「義経千本桜〜渡海屋、大物浦〜」は、7回目。渡海屋の店先、
渡海屋の裏手の奥座敷、大物浦の岩組と三つの場面から構成され
る。「渡海屋」の銀平、実は、知盛を初役で海老蔵が演じる。私
が観た銀平、実は、知盛:吉右衛門(2)、團十郎、猿之助、仁
左衛門、幸四郎、そして、今回が、海老蔵。このうち、初役の舞
台を観たのは、吉右衛門、仁左衛門、そして、今回の海老蔵の3
人。

仁左衛門の初役の舞台では、「大物浦」で、傷ついた知盛は、胸
に刺さっていた矢を引き抜き、血まみれの矢を真っ赤になった口
で舐めるという場面があった。「大物浦」で源氏方と壮絶な戦い
をする知盛の姿は、理不尽な状況のなかで、必死に抵抗する武将
の意地が感じられた。上方訛りの科白を言う知盛の科白廻しも新
鮮に聞こえた。「渡海屋」の場面での颯爽とした銀平、「大物
浦」の場面での品格を感じさせる知盛。初役とは言え、仁左衛門
は、仁左衛門が演じるというだけで、役柄が、輝いて見える。

吉右衛門の初役は、01年4月の歌舞伎座。名場面を吉右衛門
が、隙間のない演技で埋めて行ったのは、さすが。初役の不安感
など感じられない。吉右衛門は、初役ながら安定した演技で十全
の銀平。馴染みの演目を贔屓の役者たちは、皆、それぞれが、一
工夫も、二工夫もして、見せてくれる。歌舞伎は、「傾(かぶ)
く」という意味だ。伝統的なものを守りながら、新しい工夫をド
ンドン取り入れて行く。新工夫で、伝統的なものに巧い味わいが
加わるようなら、それは、「型」となり、役者の財産となり、さ
らに、次の世代に引き継がれて、生き残って行く。

ならば、円熟の仁左衛門、吉右衛門と並ばせられれば、若さの海
老蔵は、どうか。まず、銀平。柄が大きい海老蔵は、演技以前に
存在感がある。まだ、父親の團十郎のようなオーラは、出ていな
いけれども・・・。海老蔵の大きな目も、父親譲りで、魅力的で
ある。口跡も、父親の團十郎に似ず、はっきりしていて、良く通
るが、声量の調節が、不十分で、大きすぎないか。柄の大きさ
も、合わせて、大味になる可能性がある。もとより、演技は、挑
戦中だから、その精進ぶりは、暫く様子を観ていよう。

銀平をひとしきり演じた後。二重舞台の障子が開くと、銀烏帽子
に白糸緘の鎧、白柄の長刀(鞘も白い毛皮製)、白い毛皮の沓と
いう白と銀のみの華麗な衣装の銀平、実は知盛の登場となる。
「船弁慶」の後ジテ(知盛亡霊)に似た衣装を着ているので、下
座音楽では、謡曲の「船弁慶」が、唄われる。この銀平は、「銀
の平氏」、つまり、知盛というわけだ。輝くばかりの歌舞伎の美
学。そこへ白装束の亡霊姿の配下たち。義経らに嘘の日和(今
は、雨だが、いずれ、恢復するなど)を教え、悪天を利用して、
海上で積年の恨みを晴らそうとする知盛。しかし、知盛の狙いに
反して、私には、簑笠付けて、いで立つ義経一行より、白ずくめ
の知盛一行の方が、死出の旅路に出る主従のイメージで迫って来
るように見える。

案の定、手負いとなり、先ほどの華麗な白衣装を真っ赤な血に染
めて逃れて来た知盛。さらに、義経主従に追い詰められた岩組の
上で、知盛は、碇の綱を身に巻き付け、綱の結び目を3回作る。
重そうな碇の下に身体を滑り込ませて持ち上げて、海に投げ込
む。綱の長さ、海の深さを感じさせる間の作り方。綱に引っ張ら
れるようにして、後ろ向きのまま、ガクンと落ちて行く、「背ギ
バ」と呼ばれる荒技の演技。今回は、いつもより、天井に近い席
から舞台を見下ろしていたので、岩組の後ろに5人の浪衣が現れ
て、後ろ向きに倒れ込む海老蔵の身体を支えるネットを用意して
いるのが見えた。まるで、海中からフロッグマンが、現れたよう
に見えた。私は、こういう現象を以前から、「座席の視点」と呼
んで、楽しんでいる。一等席から見える舞台も、三等席から見え
る舞台も、どちらもおもしろい。その席でしか見えないものをき
ちんと観るのが、私の言う「座席の視点」だ。一等席で観ていて
も、大事なことを見落している観客も多い。三等席で観ていて
も、おもしろいものを観ている観客もいる。要は、きちんと見よ
うとする意志が、歌舞伎の舞台体験を豊かにする。観劇歴も、重
要なデータだろうが、年月が長ければ、歌舞伎に詳しくなるとい
うものでも無い。大事なことは、幕が開いたら、筋書を見たり、
居眠りをしたり、隣の人と話をしたりせずに、舞台から発信され
る情報をきちんと受け止めようとする心がけだと思う。さて、知
盛が、入水する場面は、立役の藝の力が、必要。ここは、滅びの
美学。海老蔵は、どうであったか。

仁左衛門と海老蔵を比較するのは、海老蔵には酷だろうが、仁左
衛門は、「義賢最期」をベースに荒技の演技を積み重ねて来ただ
けに、荒技ながら、重厚な「知盛最期」であった。仁左衛門は、
この場面、風格のある演技で、たっぷり、リアルに見せる。海老
蔵は、一部、背負う演技で、碇の軽さを見せてしまったりして、
まだ、まだの感。今後の積み重ねが、必要だろう。しかし、銀平
では、マイナスに感じられ声量は、知盛では、プラスに転化す
る。「ああら、無念。口、惜し、や、なァー」、「生ーき、変わ
り、死ーに、変わり、恨み、は、ら、さ、で、お、く、べ、き、
かァー」と、四谷怪談のお岩さまのような執念深い声である。
「いかに、義経」と、義経に向って、恨みを述べる場面では、
「いかに→いかり(怒り=碇)」というように、私の頭の中で
は、変化して、ボルテージが上がって聞こえて来たから、不思議
だ。義経が、安徳帝を助命してくれることが判ると知盛は、「き
のうの仇は、きょうの味方。・・・、あら、嬉しやなァ」と笑
う。「おもしよ(ろ)やなあ」と海老蔵調も、絶好調。「知盛、
さらば」と安徳帝。身体を支えていた長刀を投げ捨て、碇を持ち
上げ、身構えて、「おさらば」と知盛。皆々、「さらば」。御簾
うちから聞こえて来た、ゆるりとした、大間な下座音楽は、「千
鳥の合方」。

贅言:ところで、海老蔵は、7月の歌舞伎座では、「義経千本桜
〜鳥居前、吉野山、川連法眼館〜」で、狐忠信を演じる。つま
り、一ヶ月を飛び越えての、いわば、「通し」上演というわけ
だ。相手役の静御前は、玉三郎が勤める。

相模五郎(権十郎)、入江丹蔵(市蔵)は、役どころの前半(笑
劇)と後半(悲壮な、ご注進)の場面で、持ち味の違いをきっち
りと見せなければならない。魚尽くしの負け惜しみを言い、観客
を笑わせる滑稽な役どころは、ドラマツルーギーとしては、大事
である。全体に平家にとって、悲劇の物語だけに、笑劇は、観客
の気分転換にもなる。権十郎は、口跡が良いので、前半は、笑わ
せ、後半は、深刻な戦場報告を典侍の局伝える科白が良く通る。
前半、銀平に蹴散らされる感のある相模五郎だが、実は、平家方
で、前半は、銀平(知盛)との、合意の芝居で、奥の部屋を借り
ている義経一行への「聞かせ」をしているのである。後半のご注
進では、「泳ぎ六法」や幽霊の手付きで、悲劇の果てに、近づく
冥界を匂わせる。市蔵は、滑稽役では、日頃から、巧い味のある
役者だ。T字型の柄の形から、船の櫂に仕込んでいたと思われる
刀を持ち、丹蔵は、敵方の郎党と立回りをしながらの、苦しい戦
場報告で、相模五郎よりも、さらなる、平家方の苦境が滲み出
る。最期は、郎党とともに串刺しのまま、海に身投げをする。平
家方の戦場のトップは、知盛だが、留守部隊のトップ、つまり、
安徳帝を守りながら、局たちを束ねているのは、典侍の局であ
る。典侍の局は、そういう貫禄を滲ませなければならない。

銀平女房お柳、実は、典侍の局は、魁春。私は、初めての拝見。
私が観たお柳、実は、典侍の局:芝翫(2)、雀右衛門、九代目
宗十郎、福助、坂田藤十郎。今回の魁春は、お柳の時の方が、落
着く。戦況不利を悟り、次々に海へ飛び込む局たち。「いかに八
大龍王、恒河の鱗、君の御幸なるぞ、守護したまえ」と客席の方
を向いて唱え、安徳帝とともに入水する覚悟の典侍の局は、立女
形の役どころ。安徳帝を守ろうとする乳人役の局を演じる魁春
は、意外と、不安定。留守部隊トップの貫禄が滲んで来ない。芝
翫、雀右衛門、坂田藤十郎の貫禄には、及ばない。安徳帝を守ろ
うとする義経一行の四天王に阻止され、入水断念とならざるを得
ない。海原を描いた道具幕(浪幕)が、振り被せとなり、舞台替
り。幕を振り落とすと、知盛の最期の見せ場となる大物浦の岩組
の場へ転換となるのである。


「喜撰」は、6回目の拝見。「喜撰」は、「六歌仙容彩」という
変化舞踊として「河内山」の原作「天保六花撰」と同じ時代、天
保2年3月、江戸の中村座で初演された。小町、茶汲女を相手
に、業平、遍照、喜撰、康秀、黒主の5役を一人の役者が演じる
というのが、原型の演出であったが、いまでは、それぞれが独立
した演目として演じられる。今回は、「喜撰」で、三津五郎と小
町見立ての時蔵のお梶という配役。私が観た喜撰:富十郎
(3)、三津五郎(2)、勘三郎。富十郎の喜撰には、味わいが
あり、三津五郎の喜撰には、踊りの巧さがあり、勘三郎の喜撰に
は、おかしみがある。

「喜撰」は、小道具の使い方が巧い舞踊だ。櫻の小枝、手拭、緋
縮緬の前掛け、櫻の小槍、金の縁取りの扇子、長柄の傘などが、
効果的に使われる。喜撰は、花道の出が難しい。立役と女形の間
で踊るという。歩き方も、片足をやや内輪にする。三津五郎の踊
りは、今回も、軸がぶれず、身体の切れも、良い。三津五郎の後
見は、八大と大和。特に、大和は、普段は、大立回りなどの、い
わば、立役の群舞で活躍することの多い「三階さん」(大部屋立
役役者)だから、こういうおとなしい役どころの大和を観るの
も、珍しい。


江戸・「男気の美学」の芝居に、上方・「女形」が、「殴り込
み」


「極付幡随長兵衛」は、5回目。03年5月の歌舞伎座の舞台
は、多忙で、見に行けなかった。私が観た長兵衛は、今回含め團
十郎と吉右衛門(それぞれ、2)、橋之助。仇役の旗本白柄(し
らつか)組の元締め・水野十郎左衛門は、今回の菊五郎(2)、
八十助時代の三津五郎、幸四郎、富十郎。お時は、福助、時蔵、
松江時代の魁春、玉三郎、そして今回は、なんと坂田藤十郎が、
初役で勤めるというのは、珍しい。

この芝居は、村山座(後の市村座のこと)という劇中劇の芝居小
屋の場面が、観客席まで、大道具として利用していて、奥行きの
ある立体的な演劇空間をつくり出していて、ユニーク。1881
(明治14)年、黙阿弥原作、九代目團十郎主演で、初演された
時には、こういう構想は無かった。10年後、1891(明治
24)年、同じく九代目團十郎主演で、黙阿弥の弟子・三代目新
七に増補させて以来、この演出が、追加され、定着した。

阿国歌舞伎の舞台の名古屋山三のように客席の間の通路をくぐり
抜けてから、舞台に上がる團十郎の長兵衛。初見の観客を喜ばせ
る演出だ。團十郎の長兵衛が、颯爽とした男気(男伊達)を見せ
るので、いわば、「目くらまし」にあうが、長兵衛とて、町奴と
いう、町の「ちんぴら集団」の親玉なら、白柄組の元締め・水野
十郎左衛門は、旗本奴で、下級武士の「暴力集団」ということ
で、いわば、暴力団同志の、実録抗争事件である。17世紀半ば
に実際に起こった史実の話を脚色した生世話物の芝居。

「人は一代(でえ)、名は末代(でえ)」という、男の美学、あ
るいは、哲学に裏打ちされた町奴・幡随長兵衛の、愚直なまでの
死を覚悟した男気をひたすら引き立て、観客に見せつけ、武士階
級に日頃から抱いている町人層の、恨みつらみを解毒する作用を
持つ芝居で、江戸の庶民にもてはやされた。幡随長兵衛の、命を
懸けた「男の美学」に対して、水野十郎左衛門側は、なりふりか
まわぬ「仁義なき戦い」ぶりで、そのずる賢さが、幡随長兵衛の
男気を、いやが上にも、盛りたてるという、演出である。だか
ら、外題で、作者自らが名乗る「極付」とは、誰にも文句を言わ
せない、男気を強調する戦略である。長兵衛一家の若い者も、水
野十郎左衛門の家中や友人も皆、偏に、長兵衛を浮き彫りにする
背景画に過ぎない。策略の果てに湯殿が、殺し場になる。陰惨な
殺し場さえ、美学にしてしまう歌舞伎の様式美の世界。

しかし、「男気」は、なにも、暴力団の専売特許では無い。江戸
の庶民も、憧れた美意識の一つだったから、もてはやされたのだ
ろう。そこに目を付けた黙阿弥の脚本家としての鋭さ、九代目團
十郎の役者としてのセンスの良さが、暴力団同志の抗争事件を
「語り継がれる物語」に転化した。60年代後半に若者の間で流
行った、東映の「やくざ映画」の、例えば、高倉健が演じた花田
秀次郎の原型は、この幡随長兵衛にこそ、あると、思う。

その江戸の男たちの世界で、ひとり、存在感を見せつけたのが、
上方歌舞伎の代表選手、坂田藤十郎だった。私は、正直言って、
芝居が始まり、幡随長兵衛女房のお時が出て来るまで、今回の舞
台は、藤十郎が参加している芝居だとは、気にも止めていなかっ
た。「極付幡随長兵衛」は、長兵衛の息子・長松(玉太郎)を含
めて、ほぼ男ばかりの芝居で、男気を強調する芝居だと思い込ん
でいた。ところが、藤十郎は、ひとりで、存在感を滲み出させた
のだ。

藤十郎が演じるお時は、死地に赴く覚悟の幡随長兵衛に仕立て下
ろしの着物を着せつける。仕付け糸を取り、涙に暮れながら長兵
衛に袴を付け、着物を着せて行く。ほかの役者が演じたお時は、
妻子を残して死んで行く夫の勝手に、ただ、ただ、涙する女房像
であったと思う。ところが、藤十郎の演じるお時は、なにか、違
う。感情を抑圧的に抑え込んでいるが、ただ、泣くばかりでは無
いように感じられる。男の理不尽さへの怒りを抑え込んでいるよ
うに思えたのだ。本来、祝い事で着せようと密かに準備をしてい
た新しい着物と裃だったのにというような、悔しさを滲ませなが
ら、お時は、仕付け糸を取って行く。愛する人を奪われる悔し
さ。その手の所作から、そういうメッセージが、私に伝わって来
た。

歌舞伎座の筋書の楽屋話によれば、初役のお時を演じる心構えと
して、藤十郎は、「生世話というより、初演時の明治の、新しい
時代の感覚がどことなく漂っています。お時というお役は、じっ
と座っていても、その存在を感じさせる、そういう芝居が求めら
れている、重いお役だと思います」と、語っている。まさに、そ
ういう狙い通りに演じた藤十郎の藝の力は、「男たちの江戸歌舞
伎(明治初期の初演だが)」に対して、「女形の上方歌舞伎」
が、それこそ、「殴り込み」をかけたような、強烈な印象を残し
た。昼の部、最大の見どころで、見落としては、損をする。

劇中劇(「公平法問諍 大薩摩連中」という看板)では、坂田公
平の市蔵(市蔵は、十蔵時代含めて、3回目の拝見。ほかの2回
は、團蔵)、御台・柏の前の右之助、伊予守頼義(萬次郎)、慢
容上人(権一)らが、熱演。初めて、この演目を観る人は、世話
物歌舞伎の中で、時代物歌舞伎を観ることになり、鮮烈な印象を
受ける。三代目新七のアイディアは、不滅である。幕ひき、附
打、木戸番(これらは、形を変えて、今も、居る)、出方(大正
時代の芝居小屋までは、居たというが、今も、場内案内として、
形を変えて、居る)、火縄売(煙草点火用の火縄を売った。
1872=明治5=年に廃止された)、舞台番(今回は、名題昇
進の、新十郎の披露の役である)など、古い時代の芝居小屋の裏
方の様子が偲ばれるのも、愉しい。

贅言:花川戸長兵衛内では、積物の提供者の品書き。二重舞台の
上手に「三社大権現」という掛け軸があり、下手二重舞台の入り
口には、祭礼の提灯。玄関の障子に大きく「幡」と「随」の2文
字。本来は、幡随院の裏手の長屋住まいの、口入れ稼業(人材派
遣業)で、なにかあれば幡随院のガードマンの役も果たしたか
ら、幡随院長兵衛と渾名されたから、「幡随院長兵衛」が、本来
あるべきだが、歌舞伎の外題は、3文字、5文字、7文字という
ように、奇数が原則なので、外題は、「幡随長兵衛」となる。明
治14(1881)年に河竹黙阿弥が鮮やかに描いた江戸の下町
の初夏の情景。仇役の水野邸の奥庭にも、池を挟んだ上手と下手
に立派な藤棚があり、悲惨な人事と巡り来る自然は、別で、季節
感には、気を使っているのが、歌舞伎の舞台。大道具方の苦労に
思いを致す。
- 2008年5月19日(月) 12:49:48
2008年4月・歌舞伎座 (夜/「将軍江戸を去る」「勧進
帳」「浮かれ心中」)


「幕末の三舟」から慶喜クローズアップへ〜演出の転換〜


「将軍江戸を去る」は、3回目の拝見だが、前回でさえ、9年
前、99年2月の歌舞伎座ということで、このサイトに開設前な
ので、劇評は、初登場となる。真山青果原作は、「江戸城総攻」
という3部作で、大正から昭和初期に、およそ8年をかけて完成
させた新作歌舞伎である。第一部「江戸城総攻」、第二部「慶喜
命乞」、第三部「将軍江戸を去る」という構成である。江戸城の
明け渡しという史実を軸に、登場人物たちの有り様を描いてい
る。私は、いずれも観ている。

歌舞伎では、必ずしも、原作通り演出されず、例えば、第一部の
「江戸城総攻」では、「その1 麹町半蔵門を望むお濠端」、
「その2 江戸薩摩屋敷」という構成で、青果3部作の、第一部
の第一幕と第三部の第一幕(「江戸薩摩屋敷」では、西郷吉之助
と勝安房守が江戸城の無血開城を巡って会談する場面である)
が、上演される。従って、第三部は、一般に、第二幕「上野彰義
隊」から上演される。これは、慶喜をクローズアップしようとい
う演出で、演出担当は、真山青果の娘、真山美保である。今回の
場立ても、第一場「上野彰義隊の場」、「上野大慈院の場」、
「千住の大橋の場」という構成である(もちろん、当初は、原作
の構成通りに演じられたし、原作重視国立劇場では、原作の構成
通りに上演されたこともある)。

第一場は、血気に逸る彰義隊の面々と無血開城を目指す山岡鉄太
郎(橋之助)、高橋伊勢守る(弥十郎)の対立を描く。第二場
は、大慈院の一室で、恭順、謹慎の姿勢を示している慶喜(三津
五郎)の姿を紹介する。慶喜は、明朝、江戸を去り、水戸へ退隠
する手筈なのだが、慶喜の心が揺れているの心配して、やがて、
無血開城派の高橋伊勢守、山岡鉄太郎が、やって来るという場面
である。慶喜の外面的には、見えない心理の揺れを、夕闇の中
に、月光に照らされて、白く浮かぶ上手の桜木が、顕わす。なん
とも、効果的で、憎い演出である。人事と自然の対照。だが、実
は、原作の脚本には、この桜木の指定は無いという。あるいは、
何処かの時点で、代々の慶喜役者のだれかが、思いついて、桜木
を置かせ、以降、定式の演出として、受け継がれているのかも知
れない。勤王論議は、真山青果らしい科白劇である。

第三場の「千住の大橋の場」は、まだ、夜明け前。幕府崩壊の暗
暁と明治維新の夜明けを繋ぐ場面だろう。短いが、「将軍江戸を
去る」のハイライトの場面。揺れていた慶喜の心も、退隠で固ま
り、千住大橋の袂までの江戸の地を去る。「江戸の地よ、江戸の
人よ、さらば」という慶喜の科白に象徴される。278年の幕政
の終焉。天正十八(1590)年八月朔日、徳川家康の江戸城入
城。慶應四(1868)年四月十一日、慶喜江戸を去る。

贅言1):山岡鉄太郎は、鉄舟と号した。高橋伊勢守は、泥舟と
号した。また、今回の演出では、登場しないが、原作では、第三
部にも登場する勝安房守は、海舟と号した。江戸城の無血開城を
目論み、成功させた3人のキーパーソンを合わせて史実家は、
「幕末の三舟」と呼ぶ。真山青果の原作「将軍江戸を去る」は、
まさに、「幕末の三舟」に焦点を当てた芝居だった。

贅言2):三津五郎の慶喜は、歴史に翻弄され、やつれ、疲れた
将軍の風情が良い。橋之助の山岡鉄太郎は、元気であった。明治
維新、140年、鉄舟没後、120年。興行元の松竹は、これ
に、歌舞伎座120年を加える。ということは、山岡鉄太郎没し
て、歌舞伎座誕生す、ということになる。歴史的には、ほんの隣
り合わせ、ということか。明治も、近い。鉄舟元気で、当たり
前。弥十郎の伊勢守は、器が大きい。「千住の大橋の場」では、
江戸を去る将軍に惜別の情を抱く多くの庶民たちが、見送りに来
る。「青果」劇は、北京オリンピックの「聖火」リレーのよう
な、混乱は無い。それは、慶喜が、政治を手放したからだ。政治
に翻弄される中国とは、対照的な対処と言える。


「勧進帳」は、異色の顔合わせ


「勧進帳」は、15回目の拝見。私が観た弁慶は、次の通り。
弁慶:幸四郎(4)、團十郎(4)、吉右衛門(3)、猿之助、
八十助時代の三津五郎、辰之助・改め松緑、そして、今回は、初
見の仁左衛門。

ついでに、ほかの主な配役を記録すると、冨樫:菊五郎(4)、
富十郎(3)、梅(2)、勘九郎(今回含め、2)、吉右衛門、
猿之助、團十郎、新之助・改め海老蔵。義経:雀右衛門(3)、
梅玉(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝翫(2)、富十郎、
染五郎、そして、今回は、初見の玉三郎。

仁左衛門の弁慶は、孝夫時代を含めて、8回目だから、何の不思
議も無い。東京でのお目見得が、21年ぶりというだけの話。た
だ、玉三郎の義経は、貴重。88年に歌舞伎座100年を記念し
て初役をして以来、2回目。私が観た義経役者でも、雀右衛門、
芝翫、福助と真女形が3人演じているから、本来、玉三郎が、義
経を演じても、やはり、何の不思議も無いのだが、実際には、
20年ぶりに演じたというように、やはり、貴重な義経であり、
見逃せなかった。

それで、普段なら、弁慶から論じるのだが、今回は、義経から論
じたい。玉三郎の義経は、女形らしく、立役をたてる品格があ
る。「とにもかくにも、弁慶よろしく計らい候らえ」と、ひたす
ら弁慶に気持ちを向けていたように思えて、良かったと思う。特
に、玉三郎の声は、普段は、時代物、世話物で、発声が異なる
が、私たち観客は、ひたすら、玉三郎の女形の声ばかりを聴いて
いる。たまに、テレビやラジオで、玉三郎の地声を聴くこともあ
るが、まあ、その範囲の声しか聴いていないだろう。今回は、義
経とは言え、立ち役としての発声がある。玉三郎の立役での発声
は、滅多に聴けるものでは無い。だから、私も、「いかに弁慶」
と、最初に玉三郎義経の声が、歌舞伎座の舞台に響いて来たとき
には、一瞬、どの役者の声か、判らなかった。声でいえば、勘三
郎の冨樫は、高かった。仁左衛門の弁慶は、初日辺りの風邪声も
治り、重厚で、抑制が効いていて、なかなかよろしかった。

仁左衛門の弁慶は、父親の十三代目仁左衛門が、戦前、七代目幸
四郎に教わったやり方を継承しているという。だから、戦後、多
く演じられる型とは違うという。義経の花道での第一声のとき
は、立ったままでは無く、座って応えるとか、ふたりの居どころ
は、義経との主従関係を強調して、できるかぎり、離れるとか、
従者弁慶の心情に重きを置いた演出となるという。実際、「判官
どのに似たると申す者」として、強力に扮した義経の正体が、暴
かれかけ、弁慶が、金剛杖で、義経を打擲し、さらに、解けぬ疑
惑に、強力を荷物とともに、預けるが、但し、打ち殺してからだ
とまで申し立てた末、危機を脱した後、「下手の方より弁慶、義
経の手を取り上座へ直し敬う」という場面では、仁左衛門弁慶
は、これ以上下げられないというほどに頭を下げて、上手から下
手へ移動し、玉三郎義経は、背筋を伸ばして、ゆるりと下手から
上手へ、居どころ替りをしてみせた。幸四郎なら、オーバーアク
ションと受けとめられるほど、義経警護という主従の役割を強調
していることが、しっかりと伝わって来た。頭の小さい、体の大
きいという利点を生かした、メリハリのある良い弁慶であった。

私は、以前の劇評で、次のように書いたことがある。

*私の好きな弁慶は、團十郎、あるいは、吉右衛門。團十郎の弁
慶の場合、菊五郎の冨樫、梅玉の義経。あるいは、吉右衛門の弁
慶の場合、富十郎の冨樫、雀右衛門の義経という組み合わせを頭
に描くが、なかなか実現しなかった。当該役者が皆、同じ舞台に
出勤していても、配役が違うなど、限られた配役なのに、意外と
一致しないものなのだ。それが、今回(注ーー07年5月、歌舞
伎座)は、團十郎の弁慶の場合、菊五郎の冨樫、梅玉の義経と、
どんぴしゃり。次は、吉右衛門組も、実現して欲しい。「いか
に、弁慶」という義経の科白では無いが、いかに、配役の妙こそ
おもしろけれ。」

そういう意味では、私が、夢にも、思い描いていなかった配役
が、今回の「勧進帳」であった。仁左衛門の弁慶、勘三郎の冨
樫、玉三郎の義経は、まさに、配役の妙。特に、仁左衛門と玉三
郎は、よくぞ、組み合わせてくれたものと感謝したい。玉三郎の
前回は、吉右衛門の弁慶に、幸四郎の冨樫であった。こういう配
役は、それこそ、何年に一回という巡り合わせであり、そのと
き、同時代を生きていなければならないし、劇場に通える体力も
無ければならないだろう。まさに、同時代共生の妙かも知れな
い。

今回の配役で、欲を言えば、声の高い勘三郎より、冨樫は、菊五
郎辺りが演じると、よりしっくりした配役の妙になったかも知れ
ないとも、思う。冨樫は、弁慶の男の真情を理解し、指名手配中
の義経を含めて弁慶一行を関所から抜けさせてやることで、己の
切腹を覚悟する。男が男に惚れて、死をも辞さずという思い入れ
が、観客に伝わって来なければならない。菊五郎の、抑制気味の
声には、それがあると思う。また、私にとって、新たな配役の夢
が、生まれたようだ。


笑いの歌舞伎として、エキスを煮詰める「浮かれ心中」


「浮かれ心中」は、3回目。1972(昭和47)年、直木賞を
受賞した井上ひさしの小説「手鎖心中」は、翌年の74(昭和
48)年2月には、東京宝塚劇場で、早々と芝居として初演され
た。女優陣を交えた配役であったが、主役の栄次郎は、扇雀時代
の坂田藤十郎が演じている。23年後の97年夏、当時の勘九郎
は、これを新作歌舞伎に改造した。97年8月、歌舞伎座の納涼
歌舞伎の舞台で私は、観ているし、さらに、2002年8月、歌
舞伎座の納涼歌舞伎の舞台でも、観ている。勘九郎は、勘三郎に
代り、今回は勘三郎襲名後、初めての「浮かれ心中」であった。

大筋は、こうだ。大店の材木商・伊勢屋のおぼっちゃま・栄次郎
(勘九郎)は、人も蔑(さげす)む戯作者志願だが、売れない。
筆名は、辰巳山人。「百々謎化物名鑑(もものなぞばけものめい
かん)」、「吝嗇吝嗇山後日哀譚(けちけちやまごじつのあいだ
ん)」などの作品を刊行するが、売れないのである。
 
売れないから、「茶番」で名を売ろうとする。メディアに向けた
パフォーマンスである。子が親に勘当を願い出たり、3ヶ月の期
限付きの婿入り契約をしたりする。それを読売屋(マスコミ)に
書き立てさせる。そのあげく、茶番心中を思いつく。命を懸けた
究極のパフォーマンス。茶番心中の相手に吉原の人気花魁・帚木
(ははきぎ、七之助)を雇ったのだが、花魁には、「本気」の大
工の清六(橋之助)がいる。「茶番」と「本気」は、どっちが、
強い?、というのが、この芝居のテーマである。清六の生真面目
さが、茶番の場に登場して、二人を刃物で刺す。花魁は、生き
残ったが、栄次郎は、ほんとうに死んでしまう。命は、「懸け
た」だけの筈なのに、本当に命を落してしまう。もう、茶番では
無い。絵草子の鼠に「ちゅう乗り」して、栄次郎は、昇天する。
本気が茶番を殺す。本気で茶番を演じる奴が、いちばん怖い、と
原作者の井上ひさしは、思っているだろう。そういえば、某国の
大統領も、本気で茶番を演じ、世界を戦争に巻き込んでいるとい
う現実があるでは無いか。茶番だからと、安心していては、地球
の破滅を生み出しかねない。なんという、今日的なテーマの芝居
だろう。

大阪松竹座を含めて、この演目、4回目の出演の勘九郎は、栄次
郎を愉しそうに演じている。栄次郎同じ戯作者志願の太助は、八
十助時代を含めて、今回の三津五郎が、2回、橋之助が、2回演
じている。このふたりは、三津五郎も巧いが、橋之助も、また、
別の存在感があった。栄次郎契約婿入りの相手の花嫁・おすずと
花魁・帚木は、このところ、福助が、ふた役で演じて来たが、両
者の印象が似通ってしまって、良く無かった。「籠釣瓶」を下敷
きにした花魁の場面を除くと、栄次郎の新妻・おすずと栄次郎に
身請けされた妾・帚木の演じ分けに成功していない。ふた役でや
ると同じ人に観えてしまう。という欠点があった。今回は、おす
ずを時蔵が演じ、帚木を七之助が、演じたことで、この欠点が克
服された。メリハリが出て来た。

手鎖志願の栄次郎の心を汲んだ女房・おすずに頼みごとをされる
奉行所の帳簿役人・佐野準之助を演じた弥十郎は、目立つ役柄
で、役得である。栄次郎の父親の伊勢屋太右衛門は、彦三郎、伊
勢屋の番頭・吾平は、亀蔵が扮し、脇を固める。栄次郎妹のお琴
は、時蔵の長男で、清新な梅枝。

ところで、今回は、江戸の庶民像を描く大衆劇でもある。傍役た
ちが、いつもより生き生きとしている。出番も多いし、台詞も多
いからだ。読売屋の東六を演じた小三郎は、名題昇進披露の、仲
二朗の晴の舞台だ。読売屋コンビの三津之助、いぶし銀のような
遣り手・お辰の小山三、近所の女房(歌女之丞、守若)、吉原の
茶屋番頭(松之助)、振袖新造・浮橋と辰巳芸者・君龍(芝の
ぶ)、辰巳芸者・千代菊(紫若)らが、江戸の庶民像をヴィ
ヴィッドに演じている。彼らの存在感が、江戸の街の光景を印象
深いものにしている。亡くなった大部屋女形の中村時枝の言葉を
思い出す。「江戸の舞台に自然に溶け込むだけで、10年は、か
かります」。

贅言1):その江戸の街が見える場面が、いくつかあるので、紹
介したい。「浮かれ心中」には、江戸の街と街を行く人たちが、
舞台の主役となる瞬間がある。例えば、「鳥越之場『真間屋』」
では、鳥越の絵草紙屋の一人娘・おすずのところへ栄次郎が婿入
りする。婚礼に長屋のおかみさんたちが手伝いに来る。栄次郎に
金をもらい、その様を宣伝するマスコミ陣として、読売屋(かわ
らばん)コンビが登場する。吉原から遣り手のお辰という付き馬
をぶら下げて戻って来た仲人役の友人・太助。木場の火消し頭に
よる木遣りの場面など。婚礼周辺に江戸の庶民の生活が覗く。ま
た、「亀戸之場『梅屋敷』」では、梅見客や僧侶、隠居などが繰
り出す。「向島之場『墨堤』」では、辰巳芸者、花見客など、い
ずれも、江戸郊外の光景が再現されて、興味深い。

贅言2):1時間56分→1時間40分→1時間36分→?

これは、勘九郎の「浮かれ心中」の正味の上演時間である。笑い
の歌舞伎に徹して、エキスを煮詰めてきた記録でもあるだろう。
勘九郎から、勘三郎へバトンタッチされた「浮かれ心中」の、松
竹の正式な記録は、公表されていないが、夜の部の終演時間が、
午後9時5分というのは、歌舞伎座では、早い方であるから、今
回の「浮かれ心中」の上演時間は、もっと、煮詰められて、コン
パクト、コンデンスで、短くなっているかも知れない。井上ひさ
し新作歌舞伎は、勘三郎のサービス精神に「ちゅう乗り」して、
笑いの歌舞伎の頂点へ向けて、上昇「ちゅう」というところだ。
- 2008年4月28日(月) 16:06:13
2008年4月・歌舞伎座 (昼/「本朝廿四孝」、「熊野」、
「刺青奇偶」)

4月の歌舞伎座の千秋楽は、26日だった。今月の劇評は、閉幕
後の掲載となってしまったが、舞台をご覧になった方は、ご自分
の感想と以下の劇評を比べながら、読んでくださると良いと思
う。


人形浄瑠璃の滋味を演じる「十種香」


「本朝廿四孝〜十種香〜」は、8回目の拝見。歌舞伎の三姫と言
えば、「廿四孝」の八重垣姫、「金閣寺」の雪姫、「鎌倉三代
記」の時姫で、姫君の役柄でも、特に、難しいと言われている。
それは、私が思うには、人形浄瑠璃から歌舞伎に移され、240
年ほどが経って、代々の役者らがいろいろ工夫して来たにも拘ら
ず、近松半二らが合作した人形時代浄瑠璃の原型の演出が、いま
も、色濃く残り、八重垣姫の心理の展開を科白劇ではなく、人形
劇の、まさに、人形ぶりに近い(だから、人形ぶりを取り入れる
演出もある)、所作で表現することが続くからではないか。寡黙
なまま、竹本の語りと所作で、姫の心理や感情を表現することの
難しさ。それが、三姫のなかでも、八重垣姫の演技をことのほか
難しくしているように、私には、思える。

因に、私が観た八重垣姫を列挙してみると、芝翫、松江時代を含
む魁春(2)、雀右衛門(2、このうち、1回は、雀右衛門と
いっしょに「狐火(奥庭)」の場面を引き継いだ息子の芝雀を観
ている。このとき、芝雀は、兄の大谷友右衛門の人形遣で、人形
ぶりで八重垣姫演じた。京屋型の人形ぶりということで、同じ上
方歌舞伎でも、やはり、人形ぶりを見せた鴈治郎の成駒屋型と
は、違って、宙乗りの場面があった)、鴈治郎、菊之助で、今回
は、時蔵。

印象に残る八重垣姫は、何と言っても、雀右衛門で、静かなうち
に、優美さと熱情を滲ませる八重垣姫としては、私には、最高で
あった。今回の時蔵の八重垣姫を私は、初めて観たのだが、六代
目歌右衛門に、体の使い方や袂(特に、打掛けの袂が、難しいよ
うだ)、肱の使い方など細かく指導を受けたという。時蔵、15
年ぶりの八重垣姫である。上手の障子が開くと、まず、後ろ姿
(九代目團十郎以降の演出)を観客に曝し、それだけで、姫の品
格を出さなければならない八重垣姫。残念ながら歌右衛門の八重
垣姫を観ていないので、時蔵と歌右衛門の比較については、何と
も言えないが、2回観た雀右衛門の「静かなうちに、優美さと熱
情を滲ませる八重垣姫」と、時蔵の八重垣姫とを比べれば、恋に
燃える真情の発露の仕方に差があったように思う。

「十種香」は、姫の熱情の恋が、今回は、演じられないが、後半
(「奥庭」)で奇蹟を起こす物語である。後半が演じられないと
は言え、それを滲ませてこそ、つまり、燃える恋情の奇蹟を感じ
させてこそ、前半の芝居も、成り立つ。「いっそ、殺して殺して
と」という八重垣姫の燃える恋の声を代弁する喜太夫の語りが、
人形浄瑠璃なら、人形の八重垣姫の声として、聞こえて来るのだ
が、生身の役者が演じる歌舞伎では、それであっては、いけない
だろう。喜太夫の語りだとしても、無言の時蔵が発する八重垣姫
の声のように、観客の胸に響いて来なければいけないのでは無い
か。ただし、「殺して殺して」は、役者の科白としては、言いづ
らい科白である。その前に出て来る「(勝頼の)お声を聞きたい
聞きたい」という科白同様に、竹本の語りだからこそ成立する
が、役者の生の科白では、成立しないという語りの科白が、「十
種香」には、いくつかあるので、難しい。科白では、出せないリ
ズムが、人形時代浄瑠璃の滋味として隠されているように思う。
歌舞伎で、その滋味を引き出すことの難しさ。その辺りは、歌右
衛門、雀右衛門らのように、ベテランの域に達してからの、藝の
力を待つしか無いのかも知れない。99年11月に国立劇場で観
た鴈治郎は、奥庭を人形ぶりで付け加えていたほどで、八重垣姫
役者は、「いっそ、人形で、人形で」という思いに駆られるのか
もしれない。

勝頼回向のため、八重垣姫が焚く香の匂いは、噎せ返るほどの恋
の香だ。役者の八重垣姫は、誰であれ、燃える演技で、恋の香を
越えなければならない。

歌舞伎座の筋書に掲載されている上演記録を見ると、秀太郎の濡
衣は、4回上演となっている。私が、秀太郎の濡衣を観るのは、
2回目だが、過不足なく、演じているようで、安定感がある。濡
衣は、本来、腰元として花作り簑作、実は、勝頼に密かに仕える
身(つまり、勝頼とともに、謙信館に潜り込んだ武田方のスパイ
である)、秀太郎の巧さは、こういう謎を秘めた、臈長けた女の
色気という役柄には、ほかの役も含めて、充分に良さを発揮す
る。勝頼の出の後、上手と下手の、閉まった障子のうち、まず、
開くのは、上手の八重垣姫の障子では無く、下手の濡衣の障子で
あるから、濡衣の印象は、大事である。

「十種香」で最初に舞台に姿を見せる橋之助の花作り簑作、実
は、勝頼は、肩を揺すり、舞台中央で静止するだけで、科白を喋
る前の出は、初役ながら勝頼らしい風格が出て来たように思う。
我當の謙信は、短い登場だが、芝居の要に位置する役どころで、
とても大事である。諏訪湖畔の屋敷といえば、史実的には、謙信
より信玄の筈だが、なぜか、「十種香」では、謙信が登場する。
人形浄瑠璃や歌舞伎の「傾(かぶ)く」屈折感のなせる業かも知
れない。花作り簑作、実は、勝頼の正体を見抜き、濡衣の正体を
見抜き、最後の場面で、激情を発露させるまでは、抑圧的に演じ
る我當の謙信は、「荒気の大将」らしい存在感があり、こういう
短い登場ながら、きちんと存在感を印象に残せる役者は、少なく
なってきたので、我當は、貴重である。

贅言1):2000年5月の歌舞伎座で観た菊之助は、さすが
に、初々しい八重垣姫だった。勝頼は、新之助時代の海老蔵で
あった。たまたま、初日の前に、舞台稽古を観る機会に恵まれた
とき、共演で、濡衣を演じる玉三郎から菊之助が、「柱巻き」を
中心に指導を受けていて、素直に何度も繰り返して、演じ直して
いたのを思い出す。赤と紫の派手な衣装に身を包んだ勝頼だが、
注意して、良く観ると、甲斐源氏500年の最後の城主らしく
「武田菱」の家紋が、衣装のなかにあるのに、気がつく。

贅言2):勝頼暗殺を謙信から命じられ、勝頼の後を追う刺客の
うち、今回は、白須賀六郎を錦之助、原小文治を團蔵が演じた
が、02年4月の歌舞伎座、二代目魁春襲名披露興行のときは、
ご馳走演出で、白須賀六郎に勘九郎、原小文治に吉右衛門という
配役だった。上演記録を注意してみると、私が、実際に観た舞台
だけでも、99年3月の歌舞伎座では、團十郎、幸四郎が、02
年11月の歌舞伎座では、團十郎、仁左衛門が、それぞれ、白須
賀六郎、原小文治を演じている。この辺りの配役も、注意してお
くと、おもしろい。


三島由紀夫作「熊野」から、玉三郎の新工夫へ


「熊野」は、初見である。能の「熊野」を歌舞伎化している。能
を素材にした出し物、いわゆる「能取り物」である。明治時代の
作品。戦後は、歌右衛門が、三島由紀夫原作を良く演じて来た。
02年11月に熊本県の八千代座で、玉三郎が、原曲の能に近い
新演出を工夫して、上演するようになった長唄舞踊であり、今回
は、さらに、歌舞伎座の空間に合わせての新演出を加えて、上演
された。

宗盛館。背景の書割りでは、下手の御簾が下がっている。中央の
御簾は、巻き上げられている。上手の蔀は、上がっている。池の
ある庭には、松が生えている。下手から、朝顔(七之助)が、登
場する。母の便りを熊野(玉三郎)へ持参した、故里遠江からの
使者である。歌右衛門の演目では、朝顔は、出演していたが、玉
三郎演出の「熊野」では、従来、朝顔は、カットされていたが、
今回は、朝顔を復活させると共に、従者を付け加えた。

登場人物は、4人しかいない。人間関係の構図は、平宗盛と宗盛
の寵愛を受ける熊野を軸とする。それに、付け加わるのは、熊野
に故里の母の病状を知らせる手紙を持参した朝顔と宗盛の従者。
朝顔に続いて、花道から熊野が、登場する。手紙を読んだ熊野
は、母の病状を知り、故里に帰りたいという気持ちが沸き上がっ
て来る。だが、熊野との花見の宴を期待している主人の宗盛は、
熊野を帰してくれそうも無い。当時の権力者は、愛人の都合な
ど、歯牙にも掛けないのが、普通だったようだから、宗盛が、特
別、冷酷だったわけでは無い。やがて下手から、従者(錦之助)
に導かれて、宗盛(仁左衛門)が、登場する。仁左衛門は、凛々
しい貴公子ぶりである。案の定、熊野が、届いた手紙を見せて、
母の病状を訴え、帰郷をせがんでも、「今年の花は、今年ばか
り・・・」と、嘯いて、帰郷を許さない。いわゆる「文の段」。
母親の病状を心配する熊野にしてみれば、深刻な話合いの場面だ
ろうに、玉三郎の熊野も、落着いて、ゆるりと請願している。都
人の大らかさとともに、熊野の宗盛への愛情の深さも、浮き彫り
になる。

宗盛館から清水寺へ、道行。仁左衛門は、玉三郎の後ろに立ち、
ふたりそろって、ひとまわり。絵になる美男美女の貫禄である。
やがて、ふたりで、花道へ。背景の書割りが、替る。

元の書割りの中央は、上に上がり、左右は、上手、下手に引っ込
み。新しい書割りは、上手、下手とも、桜満開。下手には、門が
描かれている。中央は、寺の境内の遠景。花の宴の舞台、清水寺
である。書割りの下手奥にも、舞台の遠景が見える。舞台が調
い、ふたりは、花道から本舞台へ戻る。本舞台から、舞台奥へ向
けて、踊りの舞台の、赤い欄干が迫り出しているように見える。

「南を遥かに眺むれば」で、熊野の舞となる。熊野の持つ扇子に
は、金地の花車、(もう一面は、よく確認できなかったが)金地
に火焔御幕(のように見えた)が、描かれていて、絢爛を競う花
の宴の華やかさが、伺われる。それでいて、花の宴の華やかさの
なかに、玉三郎の熊野は、病状の重い母への懸念を秘めながら、
舞うのである。熊野は、母への慕情と主への忠誠の葛藤を観客に
伝えなければならない。二律背反の苦しみ。心が浮いたり、沈ん
だりすると、玉三郎は、言う。

「いかにせん都の春も惜しけれど 馴れし東の花や散るらん」

熊野は、桜吹雪の舞う舞台で、短冊に、こう認め、宗盛に見せる
と、(東の花=母親が、死にそうなんですよ)と、やっと判っ
た、宗盛も、心を動かされ、熊野の帰郷を許す。人としての情を
取り戻す宗盛。花道に入る熊野の玉三郎。舞台中央で、右手に
持った扇子をあげる宗盛の仁左衛門。熊野にしてみれば、遠い故
里への旅立ちは、母を案じて、重いだろうし、春の都への別れ
は、今年の花へ別れであり、宗盛への別れでもある。季節と人事
は、裏表(これは、いまの世にも、通じる)。


劇評、初登場の「刺青奇偶」は、人情噺


長谷川伸原作の「刺青奇偶」は、「いれずみちょうはん」と読
む。「奇偶」は、さいころ博打の奇数(半)・偶数(丁)の意味
である。1932(昭和7)年6月、歌舞伎座で、初演されてい
る。半太郎を六代目菊五郎が演じた。お仲は、五代目福助。裁き
役の侠客・政五郎は、十五代目羽左衛門。今回は、半太郎:勘三
郎、お仲:玉三郎、政五郎:仁左衛門である。「刺青奇偶」は、
前回、99年2月の歌舞伎座で観ている。上記の3人の配役は、
勘三郎が、まだ、勘九郎を名乗っていたというだけで、今回と同
じであった。2回目の拝見だが、9年前に始まったこのサイトの
劇評には、2月の演目は、まだ、掲載されていないので、劇評と
しては、今回が、初登場である。

ところで、「刺青奇偶」には、どうしても、思い入れがある。と
いうのは、私が、4半世紀住んでいる地域の、江戸時代が舞台と
なっているからである。市川市の行徳地区。当代の團十郎の母
親、つまり、十一代目團十郎の連れ合いの出身地の行徳である。

序幕は、第一場「下総行徳の船場の場」、第二場「同 水際の
場」、第三場「破ら家の場」で、「破ら家」とは、半太郎の家の
ことだから、すべて、行徳の体である。第一場は、酌婦の場から
逃げて来た女・お仲(玉三郎)、江戸深川の生れだが、博打によ
る喧嘩沙汰で、江戸を追われ、堅気から博打うちになってしまっ
た手取り(深川佐賀町「手取橋」際の生まれなので)の半太郎
(勘三郎)との出会いは、江戸の日本橋と行徳を結ぶ船便(大川
=隅田川、小名木川、中川、江戸川を経由する)の船着き場の近
くである。常夜燈のある船着き場(常夜燈は、現在の行徳にも、
江戸川沿いに遺されている)は、江戸情緒を伝える。同居人の熊
介(亀蔵)と小競り合いになり、半太郎が、身を交わした隙に、
川に落ちる熊介。熊介など、半太郎は、助けない。その直後に、
似たような水音がしたのを聞き付けた半太郎が、そちらを見る
と、(女が溺れている)。

第二場は、その女、つまり、お仲を江戸川の水際で助け上げた場
面となる。酌婦の身からは、逃れたものの、先行き不安で、自棄
になり、身投げをしたお仲。財布ぐるみ手渡す半太郎。男は、
皆、女の体が目当てという「処世術」が身についているお仲。
「(莫迦にするねえ!)娑婆の男を見直せ」と男気を見せる半太
郎。お仲は、そんな半太郎に惚れてしまう。

贅言:船場の場面では、半太郎が、己が追放された(所払いにで
も、なっているのだろうか。実は、その後の展開で、半太郎は、
武州狭山で、3人に怪我をさせて逃げていることが判る。江戸に
帰れば、追っ手に捕まるのである)江戸を懐かしむ場面で、半太
郎は、船場の杭に頬杖を突いて、舞台上手の空(江戸の空)を睨
む。前回上演時に、当初、杭の高さが足りず、勘九郎が頬杖が突
けず、六代目菊五郎の舞台写真で確かめて、杭の高さを高くした
という。前回も、そう思ったのだが、半太郎は、杭に頬杖を突い
て、舞台上手の空を睨む場面の不思議。半太郎の立つ足元が、行
徳なら、下手が、西で、上手は、東。つまり、江戸方面は、下手
で、下総の船橋方面が、上手なのだ。知らない人には、芝居を観
ていれば、上手が、江戸と思うだろうが、地元の人間は、江戸と
は、反対側の空を睨んで、懐かしがる半太郎に、どうしても、腑
に落ちない気持ちを抱く。ここは、大道具の「杭」だけの問題
で、半太郎が、杭に頬杖を突いて、舞台下手を向いて、つまり、
正しい江戸の空を睨んでも、なんら、支障は無いと思うのだけれ
ど、江戸は、やはり、「上手」でなければいけないのだろうか。
主役が、舞台下手を向いては、杭(悔い)が残るのだろうか。

二幕目は、第一場「品川の家の場」で、江戸に入れない半太郎と
お仲は、あれから、2年後、江戸を挟んで下総と反対側の南品川
(御朱引=府内の外)に隠れ住んでいる。恋女房となったお仲
は、重篤な病気に侵されているらしい。先の長く無いお仲は、請
願をして、半太郎の右腕に、博打封じのさいころの刺青を彫る。
これを見る度に、死んだ女房が博打はいけないと言っていたこと
を思い出して欲しいと言う。半太郎は、博打を止めるから、病気
を治して欲しいと咽び泣く。つまり、外題の「刺青奇偶」とは、
愛妻からの、戒めのメッセージなのだ。

第二場「六地蔵の桜の場」では、賭場を荒らしたとして、ヤクザ
に打ち据えられた半太郎が倒れている。死に行く恋女房に良い思
いをさせて、あの世に送りたいと、半太郎は、単細胞の思いで賭
場に行き、案の定、へまをしてしまう。だが、賭場の主・侠客
の、鮫の政五郎(仁左衛門)は、賭場荒らしの半太郎をとがめず
に、何故、そういうことをしでかしたかを聞くのである。

「日本一好きなのが、女房で、二番目に好きなのが、博打だ」と
言う半太郎。恋女房への愛情と博打への欲望の葛藤が、半太郎に
は、ある。すべては、瀕死のお仲のためと知った裁き役の政五郎
は、半太郎を許す。最後の博打を誘って、勝金として、半太郎に
自分の有り金のすべてを渡す政五郎。江戸の下層社会の人情噺。
いかにも、勘三郎好みの芝居である博打好きな男だが、それを除
けば、真情溢れる女房思いの男でもある半太郎。故郷の江戸深川
に帰りたくても帰れない。山田洋次監督が描いた「フーテンの
寅」のような男だ。下等の女郎に身を落としたこともあるが、純
情無垢な恋女房の情愛をたっぷり演じる玉三郎。鯔背な、裁き役
の政五郎親分を演じる仁左衛門。先代の勘三郎から当代の勘三郎
へ、親子二代の当り役の人情噺は、これにて、幕。
- 2008年4月27日(日) 19:27:03
2008年3月・歌舞伎座 (夜/「鈴ヶ森」、「娘道成寺」、
「お祭り佐七」)


人間国宝二人が演じる滋味豊かな歌舞伎


「御存(ごぞんじ) 鈴ヶ森」は、6回目の拝見。私が初めて観
たのは、14年前、94年4月の歌舞伎座。初代白鸚十三回忌追
善の舞台であった。40歳代の後半から歌舞伎を見始めたが、そ
の最初の芝居の一つが、「御存 鈴ヶ森」で、幸四郎の幡随院長
兵衛と勘九郎の白井権八だった。今回は、その権八を芝翫が演
じ、長兵衛は、富十郎が演じる。二人とも、人間国宝。従って、
富十郎と芝翫の「鈴ヶ森」は、歌舞伎の生きた手本のようで、科
白廻しが、まず、立派。味わいがある、滋味豊かな芝居であっ
た。

この芝居、権八と長兵衛以外は、殆ど薄汚れた衣装と化粧の「雲
助」ばかりの群像劇で、いわば、下層社会に通じている南北なら
ではの、下世話に通じた男たちしか出て来ない芝居なのだ。逃亡
者を見つけ、お上に知らせて、銭にしようという輩と逃亡者の抗
争。立回りでは、小道具を巧みに使って、雲助たちが、顔や尻を
削がれたり、手足を断ち切られたり、という、いまなら、どうな
んだろうと言われかねない描写を、これでもか、これでもかと、
丹念に見せる。さらに、主軸となる二人のうち、白井権八は、美
少年で、剣豪、さらに、殺人犯で、逃亡者。幡随院長兵衛は、男
伊達とも呼ばれた町奴を率いた侠客で、まあ、暴力団の親分とい
う側面もある人物。逃亡者と親分とが、江戸の御朱引き(御府
内)の外にある刑場の前で、未明に出逢い、互いに、意気に感じ
て、親分が、逃亡者の面倒を見ましょうということになり、「ゆ
るりと江戸で逢いやしょう」というだけの噺(以下の、贅言は、
前に書いたもの。初めての人には、おもしろいので、再録した。
知っている人は、飛ばしてください)

贅言1):「鈴ヶ森」は、もともと初代桜田治助の「契情吾妻鑑
(けいせいあずまかがみ)」が、原型で、権八、長兵衛の出逢い
が、この段階から取り入れられていたが、このときの場面は「箱
根の山中」だったと言う。なぜ、「御存 鈴ヶ森」で波の音にあ
わせて「箱八」(あの「箱根八里は・・・」の唄)という「山の
唄」が、歌われるのかと思っていたが、もともとは「山」の場面
で、それも、箱根だったから当然だったのだ。だから、外題も、
「御存 (箱根でお馴染みの)」という意味なのだろう。

贅言2):また、波の音は、観客席が江戸湾の大森海岸だからな
のだが、幕開きから、舞台をよく観ると、中央より上手の舞台前
方に「浪板」があることに気がつかれるだろう。幕切れの最後の
科白で権八と長兵衛が、「ゆるりと江戸で逢いやしょう」という
場面で、柝が入り、舞台の背景が、夜の闇を表現していた黒幕か
ら夜明けの品川の野遠見に変わるが、これで、観客席が、海、舞
台が陸と知らされる訳だ。つまり、観客の一人ひとりの頭は、い
わば、江戸湾の「波頭」という見立てなのだ。また、浪板の後ろ
では、後に権八の手配書のような手紙を燃やすために、床に防火
の工夫がしてあるのを観客の目から隠す役割もしている。

贅言3):こうした観客席や一人ひとりの観客の頭をも、舞台装
置の一部に「見立てる」演出では、「妹背山婦女庭訓」の「吉野
川の場」(浄瑠璃なら「山の段」)で、川面の小波や煌きに見立
てる。「野崎村」では、両花道を使って、「お染」(本花道を)舟
で、「久松」は(仮花道の)土手を駕籠で、それぞれ大坂に戻る
場面があるが、そこでは、川と土手の間の河原の、いわば、石こ
ろに見立てる。これらは、いずれも、花道など芝居小屋構造の特
性を活かした歌舞伎独特の卓抜な演出だと思う。

いま演じられる「御存 鈴ヶ森」は、四世鶴屋南北作の時代世話
物「浮世柄比翼稲妻」のうちの「鈴ヶ森」で、白井権八が、難く
せをつけに来た雲助たちを追い払い、幡随院長兵衛との出逢いと
いう一幕。「出逢い」の芝居は、人気がある。ヒーロー同士の出
逢いという夢は、江戸時代も現代も変わらないということだろ
う。筋は単純明解、権八と長兵衛の存在感を、どう表現するか、
江戸の庶民の「出逢い」の夢に、どう応えるか、というのが、こ
の芝居のミソだろう。それだけに、今回、芝翫と富十郎という、
人間国宝が、藝の力で、充実の舞台を見せる。何より、二人の科
白廻しが、良かった。長兵衛「お若けえの、待たっせや
しーー」。権八「待てと、お止めなさりしは」。特に、間の取り
方は、若い役者も、手本にしなければならない。こういう辺りの
魅力は、ほかの演劇では、味わえない、歌舞伎独特の滋味だろ
う。

私が観た権八:今回含めて2回目の芝翫のほか、勘九郎、菊之
助、染五郎、七之助。長兵衛:幸四郎(2)、團十郎、羽左衛
門、橋之助、そして今回の富十郎。今回の顔ぶれに匹敵したの
は、9年前、99年5月の歌舞伎座。権八が芝翫で、長兵衛がい
まは亡き羽左衛門。ということは、鈴ヶ森を大物の舞台で見れる
のは、10年に1回程度ということか。そういう意味で、貴重な
舞台を拝見した。


はんなり、娘幻想、若々しい喜寿の「娘道成寺」


「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」は、藤
十郎の喜寿記念と銘打たれている。ことしの暮れに77歳になる
名女形が、体力も必要な大曲「娘道成寺」を疲れも見せずに、む
しろ、可愛いらしい上に、若々しい柔軟な肉体を見せつけるから
素晴しい。その若い藤十郎に2回に及ぶ大病を克服した團十郎
が、「押し戻し」という、最近は、滅多に上演されない場面で、
大館左馬五郎照剛役で助演するということで、見応えのある舞台
になった。「娘道成寺」は、9回目の拝見だが、藤十郎は、初
見。藤十郎自体も、歌舞伎座では、初演。また、「押し戻し」
は、05年4月の歌舞伎座で、観ただけなので、今回は、2回目
(前回も、團十郎が演じた)。

舞台は、大きな鐘と紅白の横縞の幕という、いつもの「京鹿子娘
道成寺」の佇まい。「聞いたか坊主」の所化が本舞台に出揃う
と、黒衣が二人で、木戸を持って出て来る。やがて、紅白の幕が
上がると、桜満開の道成寺。竹本連中が山台に乗って、上手から
出て来る。道行、白拍子・花子の花道の出、花道だけの踊り。藤
十郎は、山城屋の家の色、山城藤の鹿子絞りで、はんなり(華あ
り)と登場。

贅言:白拍子・花子(藤十郎)が登場すると、所化たちは、「問
答」となる。女人禁制とあって、「白拍子か、きむすめか」と問
いかけるのが、おもしろい。同じ女人でも、性の経験者(あるい
は、性を売り物にしている)か、性体験のない処女か、というこ
とで、「禁制」の扱いが、異なるのだろうか。

私が観た花子役は、勘九郎時代含め勘三郎(3)、玉三郎、芝
翫、菊五郎、福助(芝翫の代役)、雀右衛門、そして、今回の藤
十郎。所作事「娘道成寺」は、女形にとって、立役の所作事「勧
進帳」に匹敵する演目だと思う。

大曲の踊りは、いわば組曲で、「道行、所化たちとの問答、乱拍
子・急ノ舞のある中啓の舞、手踊、振出し笠・所化の花傘の踊、
クドキ、羯鼓(山尽し)、手踊、鈴太鼓、鐘入り、所化たちの祈
り、鱗四天、後ジテの出、押し戻し」などの踊りが、次々に連鎖
して繰り出される。ポンポンという小鼓。テンテンと高い音の大
鼓(おおかわ)のテンポも、良く合う。藤十郎の踊りの動きは、
メリハリがあり、安定している上に、正確で、見事だ。振り、所
作の間に、若い娘らしい愛らしさが滲み出る。77歳が近いなん
て、嘘のよう。「20歳代の若々しい気持ちで、一挙手一投足、
手を抜かずに勤めます」と宣言した通りの、誠実の舞台。裃後見
(鴈乃助、鴈成)も、山城藤の、濃い紫色の裃に袴を着けて、手
際良く、サポートをしている。

衣装の色や模様も、所作に合わせて、緋縮緬に枝垂れ桜、浅葱と
朱鷺色の縮緬に枝垂れ桜、藤、白地に幔幕と火焔太鼓(火焔御
幕)、今回は、押し戻し付きなので、花子の姿は、大鐘のなかに
飛び込んだ後、鐘が上がると、打掛けを被って、暫く、蹲ってい
る。後ジテの花子は、蛇体の本性を顕わして、朱色(緋精巧・ひ
ぜいこう)の長袴に金地に朱色の鱗の摺箔(能の「道成寺」同
様、後ジテへの変身)へと替って行く。花子、鐘入りで、天上か
ら吊されていた大鐘が降りて来ると、黒衣によって、赤い消し幕
が、2枚持ち出され、鐘の後ろを隠してしまう。鐘の後ろと鐘の
中で、花子の変身が装おわれる。

押し戻しがあるので、花子は、いつもの、鐘の上での「凝着」の
表情の代わりに、赤熊(しゃぐま)の鬘(かつら)に、2本の角
を出し、隈取りをした鬼女(般若・清姫の亡霊)となって、紅白
の撞木(しゅもく=鐘などを打鳴らす棒)を持って、本舞台いっ
ぱいに、12人の鱗四天相手に大立ち回りを演じる。赤熊(しゃ
ぐま)は、「怒髪天を衝く」から、怒り心頭に発した清姫の亡霊
の心理が、こういう様式美で表現されているのだろう。さらに、
花道にいる押し戻しの左馬五郎に襲い掛かる。

押し戻しとは、怨霊・妖怪を花道から本舞台に押し戻すから、ず
ばり、「押し戻し」と言う。「歌舞伎の花の押し戻し」と、團十
郎の科白にも、力が籠る。左馬五郎の出立ちは、竹笠、肩簑を付
けている。花道七三で竹笠、肩簑などは、後見が取り外す。「義
経千本桜」の「鳥居前」に登場する弁慶と同じで、筋隈の隈取
り、赤地に多数の玉の付いた派手な着付け、金地の肩衣、それに
加えて白地に紫の童子格子のどてらに黒いとんぼ帯(「義経千本
桜」の方が、6年先行した作品だから、こちらが真似たのだろ
う)、高足駄に笹付きの太い青竹を持っている。腰には、緑の房
に三升の四角い鍔が付いた大太刀を差している。下駄を脱いだ足
まで、隈取り(隈は、血管の躍動を表現する)している。「きり
きり消えて無くなれーー」と大音声で、鬼女に迫る。團十郎は、
風格のある、良い押し戻しだ。

最後は、舞台中央に引き出された朱色の二段(女形用。立役な
ら、三段)に乗り、両手をあげて大見得をする鬼女姿の藤十郎。
その下手に控えた左馬五郎の團十郎は、左手で腰に差した大太刀
を抑え、掌を握り込んだ右手をあげる。皆々、引っ張りの見得
で、幕。


「江戸育ちお祭り佐七」は、2回目の拝見、とは、言っても、前
回の上演は、10年前、98年5月の歌舞伎座なので、99年に
開設されたこのサイトには、劇評は、掲載されていない。今回
が、劇評初登場となる。柳橋の芸者・小糸と鳶職の若者・佐七の
物語。明治31(1898)年、五代目菊五郎の佐七、尾上栄三
郎(後の、六代目梅幸)の小糸で初演、黙阿弥の弟子、三代目河
竹新七作の新作歌舞伎。

小糸佐七ものは、いろいろあるが、四代目南北「心謎解色糸(こ
ころのなぞとけたいろいと)」は、三代目菊五郎の佐七(「お祭
佐七」の名前は、この時が、最初)で、大当たりした。そして、
本作は、三代目の孫に当る五代目が、当時の当世風に書き換えさ
せたもの。但し、無理矢理座敷に出されて、襦袢姿で、小糸が、
外まで逃げて来て、通りかかった佐七に助けられる場面や、小糸
を殺した佐七が、辻行灯の下で、小糸の書置を読む場面などは、
南北の趣向を受け継いでいる。

陰惨な結末を知らぬ気に、序幕第一場の「鎌倉河岸神酒所」の場
面は、幕末の江戸の風吹き止まぬ、明治初期の神田祭の風俗を写
していると言われ、見応えがある。舞台下手に白壁の蔵。御祭礼
の門が建っている。門の向うは、火除け地風の広場が広がってい
るように見える。町家、社など江戸の庶民の街の佇まいの書割
り。

神酒所に小糸(時蔵)が、加賀藩の家臣・倉田伴平(團蔵)の供
として、やって来る。小糸が、祭の踊り屋台の踊りを見たいとせ
がんだからだ(小糸の本心は、神酒所に戻って来る恋仲の佐七に
逢いたいのだ)。倉田は、内心では、小糸を身請けしたいと望ん
でいる。小糸は、厭がっている。やがて、祭の世話人(田之助)
を先頭に佐七(菊五郎)を含む鳶職たちが、獅子頭といっしょに
戻って来る。踊り屋台(演奏陣)も、続いて来る。出し物は、忠
臣蔵所縁の「道行旅路の花聟」で、勘平(菊三呂)、お軽(芝の
ぶ)、伴内(徳松)の踊り手たちが、伴奏に合わせて、一芝居す
る。役者たちは、全員、女形という想定らしい。いわば、劇中
劇。私の好きな芝のぶの芝居である。一方、小糸と佐七は、座敷
の隅で、じゃれあっている(煙草盆を使って、満座のなかで、目
と目で濡れ場をえんじるのだが、菊五郎と時蔵の調子が、いま一
つの印象であった)。それに気が付いた倉田は、小糸を無理に連
れて座敷に戻る(倉田の「伴平」は、道行のお軽・勘平の邪魔を
する伴内に因んだ名前と推測する)。これに加えて、踊り屋台か
つぎ、踊りの附け打、踊りの師匠と弟子たち、鳶職たち、祭の世
話人たち、町内の娘たち、祭の番付売り、ほうづき売り、手遊び
屋、祭見物の男女たち、女髪梳き、遊び人、矢場女など、大勢の
庶民が、本舞台いっぱいに風俗劇を演じるので、この場面は、珍
しい上に、おもしろい。

贅言:「鎌倉河岸」と言えば、いま、人気の時代小説家・佐伯泰
英の「鎌倉河岸捕物控」シリーズのの舞台になるところだ。江戸
城の外堀を西から東に移動すると北町奉行所の前を通り過ぎ、呉
服橋を潜り、外堀と交差する道三堀(江戸城内に通じる、唯一の
運河)とその下流の日本橋川を横切り、金座の脇(裏)を通り抜
け、常盤橋を潜り、龍閑川への分岐点を通り過ぎ、北へ廻ると、
外堀の東側に鎌倉河岸という船着き場がある。「鎌倉河岸捕物
控」は、この金座裏に住む十手持ちの親分の「捕物控」のスタイ
ルをとっているが、この辺りに住む「江戸育ちの、お祭り佐七の
弟、妹に当たる、少年少女の青春譜」とも言うべき物語だ。まあ
あ、さはさりながら、鎌倉河岸という、人も物資も、出入りす
る、江戸城にいちばん近い船着き場(大川=隅田川、日本橋川、
外堀と繋がる)、いわば、ターミナルという都市機能を持つ場所
が、もう一つの物語の主人公になっているように、鎌倉河岸は、
「江戸育ちお祭り佐七」という芝居の序幕では、主役を張ってい
るように思われる。

序幕第二場では、鎌倉河岸にある料亭「菊茂登」の裏側、塀の外
に倉田の座敷から襦袢姿で逃げて来た小糸が、佐七に助けを求め
る場面。小糸の母親は、倉田に小糸を金で売ろうとしているから
家にも帰れないということで、佐七は、小糸を自宅へ連れて行く
ことにする。

時代物の大詰に当たる、世話物の大喜利(大切り)。第一場、連
雀町佐七裏住居の場。夫婦気取りで、過ごす小糸佐七。しかし、
そうは、問屋が下ろさない。鳶頭(仁左衛門)を巧く巻き込ん
で、小糸を取り戻しに来た母親(家橘)らに諭され、小糸を柳橋
に連れ戻されてしまう。柳橋に戻った小糸は、ある話を聞かされ
る。佐七の父親を突き飛ばして死なせてしまった加賀藩の家臣
が、倉田の伯父で、小糸の父親だというのである。その証拠が、
この臍の緒だと、母親は、小糸を諭す。小糸は、佐七の仇の子ど
もと知り、絶望してしまう。佐七と添い遂げられない運命を悟っ
た小糸は、佐七宛に書置を書く。やがて、やって来た佐七に事情
を説明する小糸だが、佐七は、自分との別れ話のためにでっち上
げたのだろうと本気にしない。怒って、立去る佐七。母親らが
でっち上げた嘘の話という佐七の勘は、当たっているのだが、小
糸は、真実、佐七の父親の仇の娘と思い込んで、家出をしてしま
う。

第三場、柳原土手。小糸への意趣返しに、小糸殺しを企む佐七。
恋が、狂うと悲劇を産むのは、もつれた男女の仲の、定番。小糸
の乗った駕篭が、佐七に襲われ、小糸は絶命してしまう。虫の息
の小糸から手渡された書置を辻行灯の下で読む佐七。嘘の話を嘘
では無いと信じ切った小糸の真意を知るが、後の祭。そこへ現れ
た倉田も殺して、後の祭の、二乗の体の、お祭佐七。江戸っ子
の、自惚れが、本来なら恋しいはずの女を殺してしまうという皮
肉の悲劇。

世話物・新歌舞伎の演目であるが、作品としても、深みが無く、
余り出来の良いモノでは無いように思う。前半は、満座の中で
の、濡れ場やお祭りの風俗などの趣向もあり、おもしろいが、男
女の痴話喧嘩めいた話となる後半は、底が浅い。江戸っ子の魅
力、江戸弁のやりとりも、その辺りの趣向が理解できる時代な
ら、おもしろいのだろうが、初演時の明治は、もはや、遠くなり
にけりで、その辺も、いまでは、弱い。菊五郎の佐七、時蔵の小
糸は、ともに、初役。10年前の前回は、團十郎の佐七と雀右衛
門の小糸であったが、余り、印象に残っていない。それでも、小
糸の風情が、雀右衛門の方が、時蔵より、情緒たっぷりだったよ
うな気がする。二人の持ち味の違いが、こういう演目では、差が
大きくなる。とりあえず、サイトの劇評初登場の演目は、今回
も、余り、印象深くなかったのは、残念。
- 2008年3月23日(日) 21:07:08
2008年3月・歌舞伎座 (昼/「春の寿」(三番叟、萬歳、
屋敷娘)、「陣門・組打」、「女伊達」、「吉田屋」)


「春の寿」(三番叟、萬歳、屋敷娘)は、舞踊三題の競演、つま
り、3つの所作事を繋げて見せる趣向。今回は、「寿式三番叟」
ということで、「三番叟もの」でも、いちばん、オーソドックス
なもの。歌舞伎座の筋書の上演記録を見ると、前回は、01年1
月の歌舞伎座とあるが、私のサイト内で検索を掛けてみると出て
来ない。観ていないようだ。その代わり、三番叟もののバリエー
ションは、多数出て来る。

基本は能の「翁」。だから、「かまけわざ」(人間の「まぐあ
い」を見て、田の神が、その気になり(=かまけてしまい)、五
穀豊穣、ひいては、廓や芝居の盛況への祈りをもたらす)という
呪術である。それには、必ず、「エロス」への祈り(色気)が秘
められている。「三番叟」は、江戸時代の芝居小屋では、早朝の
幕開きに、舞台を浄める意味で、毎日演じられた。色気で舞台を
浄めるところが、なんとも、歌舞伎的だ。だから、出し物と言う
より、儀式に近い。儀式曲ともいう。

今回は、太夫元が演じる翁に我當、若太夫が演じる千歳(せんざ
い)は、息子の進之介、座頭が演じる三番叟は、歌昇、翫雀の二
人。舞台背景は、上下の袖を含めて、5本の松。下手に、四拍
子。中央奥に長唄連中。長唄連中の前の大きなせりが、奈落に墜
ちていて、ぽっかりと口を開けている。やがて、4人が、せり上
がって来る。まず、面をつけず素顔の翁と千歳は、荘重に舞う。
我當の翁は、風格がある。二人が、舞い納めて、下手、能の橋懸
かりを模した大道具の向うをゆるりと引き込む。次いで、三番叟
の二人は、「揉みの段」の、揉み出し、烏飛び、「鈴の段」の、
鈴を鳴らしての、賑やかな踊りが披露される。基本的には五穀豊
穣を祈るということで、農事を写し取っている。舞い終えた三番
叟の二人は、せり下がって行く。

大道具が、素早く、入れ代わる。大きなせりは、無人で上がって
来る。背景の松の書割りは、梅の書割りに替る。紅白梅の木。上
手と下手の袖にも、1本ずつの梅。「萬歳」。この演目は、2回
目の拝見。

上手からは、竹本連中が、山台に乗って出て来る。やがて、萬歳
に扮した梅玉が、下手から登場。人形浄瑠璃の景事(けいごと)
で、四季のうちの春を祝う。商売繁昌、京の街の賑わいを写す風
俗舞踊。関西で流行った大和萬歳を写すという。舞い納めた梅玉
は、花道すっぽんから退場。

「屋敷娘」は、大名家に奉公に出ている町娘二人が、宿下がりで
帰って来る。竹本連中の山台は、上手に引っ込む。梅は、二つに
割れて、上手、下手に引っ込む。満開の桜の遠見の書割りに替
る。白壁の蔵なども、見える。中央奥に、長唄連中が、再登場。
花道から、お梅(扇雀)、お春(孝太郎)が、登場。矢羽根絣の
衣装。「過ぎし弥生の桜どき」で、恋の話のクドキ、手鞠唄、鈴
太鼓を手にした踊りと続き、途中で、引き抜きで、衣装を替え
る。華やかな女形の舞踊が、色と艶を満喫させる。傘と扇子(裏
表が、銀と金)を持ち、静止すると、引幕が、上手から、迫って
来る。松→梅→桜の連繋だった。


男の真情溢るる團十郎、健気(けなげ)な藤十郎


「一谷嫩軍記〜陣門・組打〜」は、5回目の拝見。今回は、直実
に團十郎と息子の小次郎と敦盛に藤十郎という配役。直実は、幸
四郎で、3回。ほかに、吉右衛門。今回の團十郎は、初見。小次
郎と敦盛は、染五郎(2)、梅玉、福助、今回の藤十郎は、初
見。藤十郎は、ことしの12月で77歳。喜寿である。藤十郎
は、喜寿記念に夜の部では、「娘道成寺」を踊る。昼の部の、小
次郎と敦盛も、健気で、初々しい。私が観た役者では、30代、
40代、60代をも凌駕して、70代が、いちばん初々しい。そ
れと対比するように、團十郎の直実は、リアルな戦場の軍人を余
すところ無く表現していて、大人の男の魅力を抑制しながら、横
溢させるという、見事な演技だった。昼の部の、最高のお薦め。

「陣門」は、矢来と陣門(舞台中央から上手寄り)、そして、黒
幕というシンプルな大道具。本来、この場面、観客にとっては、
小次郎、敦盛が、別人となっている。「熊谷陣屋」の場面になっ
て、初めて、敦盛には、小次郎が化けていて、敦盛を助ける代り
に父の手で小次郎が殺されたという真相が明らかにされるので、
観客は、同じ役者のふた役と思っている。藤十郎も、観客と同じ
気持ちで演じているようで、小次郎は、小次郎、敦盛は、敦盛
で、底を割らせない。

前回、06年2月の歌舞伎座の演出は違っていて、おもしろかっ
た。小次郎に扮して、戦場を離脱する、本物の敦盛を芝のぶが演
じ、花道七三で敦盛(芝のぶ)が、顔を見せるので、その後、敦
盛に化けたのが、小次郎(福助)だと観客に判らせる演出をとっ
ている。こういう演出は、私は、初めて観た。しかし、ここは、
原作者・並木宗輔らの策略を壊してしまう演出ではなかっただろ
うかと、いまも、思う。兜で顔を隠したままの小次郎(実は、吹
き替え)が、陣門から救い出されるのは、いわば、「見せない」
トリックであり、そこにこそ、「陣門・組打」の隠し味があるの
ではないだろうか。やはり、今回の藤十郎の方が、正解だろう。
やがて、小次郎が扮したはずの敦盛(藤十郎)が、鎧兜に身を固
め、白馬に乗り、朱色も鮮やかな母衣(幌・ほろ)を背負い、陣
門から出て来る。斬り結ぶが、相手にされない平山武者所(市
蔵)。敦盛を追う平山。

須磨の浦。浪幕の舞台。花道から玉織姫(魁春)登場。薙刀を持
ち、敦盛を探している。敦盛を追い掛けていた平山が、下手から
出て来る。横恋慕をしている玉織姫に「敦盛を討った」と嘘を付
く。猫なで声で、姫に迫る平山。「女房になるか」「さあ、それ
は・・・」「憎い女め、思い知れ」と姫に斬りつける。上手の岩
の張りものに続く、枯草の中に倒れ込む玉織姫。背景は、浪幕の
振り落としで、波幕から、海の遠見に替る。沖を行く御座船。

玉織姫は、松江時代を含め、今回で2回目の魁春、病気休演中の
澤村藤十郎、勘太郎、芝雀。憎まれ役の平山武者所は、錦吾
(2)、亡くなった坂東吉弥、芦燕、今回の市蔵。戦場にあって
風雅の心を忘れない小次郎を引き立てるために、源氏方、坂東武
者の「がさつさ」を表現する役回りも、平山武者所登場の隠し
味。

先にも触れたが、藤十郎の小次郎・敦盛は、絶品。私が見た小次
郎役者のうち、最高齢なのに、初陣の小次郎の健気さ、初々し
さ、若武者としての敦盛の気品など、総じて若さが、こぼれるよ
うに表現できているのは、不思議なくらいだ。

直実は、幸四郎も悪くは無いが、團十郎は、素晴しい。大病を2
回も克服してきたという経験が、落ち着きのある、冷静沈着な戦
場の軍人振りを見せてくれる。見えない心を「形」にして見せる
のが、歌舞伎の演技なら、これは、まさに、オーソドックスなま
でに、真っ当で、照らいが無い。

花道から、白馬に跨がった敦盛が登場し、本舞台を通り、上手に
一旦入る。合方は、無声映画時代からバックミュージックとして
知られるようになった「千鳥の合方」(東山三十六峰静かに眠る
丑三つ時・・・」(つまり、チャンバラの伴奏曲)。

直実と小次郎扮する敦盛は、須磨の海に馬で乗り入れる。「浪手
摺」のすぐ向こうの、浅瀬では、浪布をはためかせて、波荒らし
を表現する。布の下に入った人が布を上下に動かして、大波を表
現している。波が、沖の御座舟に向おうとする敦盛、そして、敦
盛を追う直実の行く手を阻もうとする。

鎧の背に付けた母衣(幌・ほろ)は、戦場の軍人たちの美意識を
示す、飾りであり、背中から来る流れ矢を防ぐ道具でもあるが
(なぜ、ほろ=母衣という字を当てるのか。母親の情愛か)、中
に、籠(母衣串)を入れて膨らませ、さらに5幅ほどの長さの布
を垂らしている。「浪手摺」の向こうを進む時、今回は、母衣の
端を黒衣に持たせて、はためかせているように、表現していたの
は、素晴しい。波風、高し。須磨の浦。

一旦、下手に引っ込んだ後、定式通りに子役を使った「遠見」で
見せる花道から、黒馬に乗った直実も、登場。敦盛を追って、同
じ筋を行く。歌舞伎の距離感。子役の「遠見」同士での、沖の立
回りの後、浅葱幕振り被せとなる。

浅葱幕の上手側から、敦盛を乗せていた白馬が、無人で、出て来
る。本舞台を横切り、後ろ髪ならぬ、鬣(たてがみ)の後ろを引
かれるようにしながら、花道から揚幕へと入って行く。敦盛、い
や、小次郎の悲劇を予感させるが、ここは、いつもの演出。

浅葱幕の振り落しがあり、舞台中央に朱の消し幕。熊谷と小次郎
の敦盛が、せり上がって来る。組み打ちの場面。長い立回りと我
が子を殺さざるをえない父親直実の悲哀。親子の別れをたっぷり
演じる團十郎と藤十郎。

息を詰んだ科白で、「早く、首を討て」という、敦盛身替わり
の、我が子・小次郎(藤十郎)に対して、團十郎の直実は、思わ
ず、「倅」と叫んでしまう。その後、絶句に近い間をおいて、團
十郎は、「小次郎直家と申す者、ちょうど君の年格好」という科
白を続ける。この、「倅」と「小次郎直家」という科白の、間
が、大人の男の情愛をたっぷり表現する。名作歌舞伎全集では、
「某(それがし)とても、一人の倅小次郎と申す者、ちょうど君
の年恰好」とあるが、これが原作だとしたら、團十郎の工夫の科
白の方が、断然良い。「倅」という科白を前に出したことで、芝
居が、ダイナミックになった。敦盛を討つ前に、思わず、倅・小
次郎に最期の声をかける父親の真情が、溢れているからである。
倅を持った父親の真情溢るる名科白に仕上がっている。大人の男
の美学が、ここには、ある。

直実が、敦盛に斬り掛かる。藤十郎の身体を肩で押し倒すように
する團十郎。後ろに倒れる藤十郎。後ろに控えていた黒衣の後見
が、傍にあった直実の紫の母衣で、素早く、藤十郎の首を隠すと
共に、敦盛の切り首を團十郎の足元に用意する。ゆっくりと後ろ
を向き、足元の首を取り上げてから、再び、ゆっくりと前を向く
團十郎。敦盛の身替わりに、実子を討った哀しみが、全身から、
溢れている。「隠れ無き、無官の太夫敦盛」と、直実は、己に言
い聞かせるようにして、我が子・小次郎の首を持ち上げる。上手
の枯草の中から、敦盛の許婚で、瀕死の玉織姫(魁春)が、這い
出して来る。直実は、「もう、目が見えぬ」という玉織姫に、
「なに、お目が見えぬとや・・・」と、確認をした上で、「お首
は、ここに」と手渡す。

須磨の浦の沖を行く2艘の御座船と兵船は、下手から上手へゆる
りと移動する。2艘の船は、いわば、時計替り。悠久の時間の流
れと対比される人間たちの卑小な争い、大河のような歴史のなか
で翻弄される人間の小ささをも示す巧みな演出。

自分が身に付けていた紫の母衣の布を切り取って小次郎の首を包
む父親の悲哀。下手から、直実の黒馬が出て来る。続いて出て来
た、黒衣は、馬の後ろ足に重なるように、身を隠す。敦盛に扮し
た我が子・小次郎の鎧を自分の黒馬の背に載せる。兜は、紐を手
綱に結い付ける。馬の向う側で、手伝う黒衣。黒馬の顔に自分の
顔を寄せて、観客席に背を向けて、肩を揺すり、哀しみに耐える
(幸四郎は、ここで、号泣した)、優しい父親。大間で、ゆっく
りとした千鳥の合方が、気遣うように、そっと、被さって来る。

その父親は、また、豪宕な東国武者・熊谷次郎直実であること
が、見えて来なければならないだろう。剛直でありながら、敦盛
の許婚・玉織姫と首のない敦盛という二人の遺体を、それぞれを
朱と紫の母衣にて包み込む(せめて、それぞれの母の衣に包ませ
てやりたい)という気遣いを見せる。いわば、恋人同士の道行を
願うかのように、矢を防ぐ板(台本は、「仕掛けにて流す」とあ
るだけ)に二人を載せて、玉織姫が遺してあった薙刀で、板を海
に押し流すなど、黙々と、そして、てきぱきと、「戦後処理」を
するという、実務にも長けた戦場の軍人・直実の姿が、明確に浮
かんで来る。浜辺には、剥き出しとなった母衣の籠(母衣串)
が、二つ、ぽつんと残っている。まるで、髑髏(しゃれこうべ)
のようだ。

すべてを終えた直実は、(どんちゃんの激しい打ち込みをきっか
けに)、我が子・小次郎の首をかい込み、黒馬とともに、きっと
なり、舞台中央に静止する。「檀特山(だんとくせん)の憂き別
れ」。やがて、上手より、引幕が迫って来る。


「女伊達」は、5回目の拝見。舞台中央の雛壇。前に四拍子、後
ろに、長唄連中。私が観たのは、菊五郎(3)、芝翫(2)。
1958(昭和33)年にこの演目を初演したのが、福助時代の
芝翫。下駄を履いての所作と裸足になっての立ち回りが入り交
じったような江戸前の魅力たっぷりな舞踊劇。元々は、大坂の新
町が、舞台だったのを芝翫が新吉原に移し替えた。「難波名とり
の女子たち」というクドキの文句に名残りが遺る。江戸を象徴す
る女伊達の「木崎のお秀」に喧嘩を売り、対抗するふたりの男伊
達(秀調、権十郎)は、上方を象徴する(ふたりの名前は、「淀
川の千蔵」と「中之嶋鳴平」によすがが、遺る)。腰の背に尺八
を差し込んだ女伊達は、「女助六」であるという。だから、長唄
も、「助六」の原曲だという。「だんべ」言葉は、荒事独特の言
葉である。「花の東や 心も吉原 助六流の男伊達」など、助六
を女形で見せる趣向。「丹前振り」という所作も、荒事の所作。
途中、男伊達の二人が持った二つの傘の陰を利用して、引き抜き
で、衣装を替える菊五郎。紫地から、明るいクリーム色の衣装
に、鮮やかに変身する。女形ならではの、華やかさ。

大きく「おとわや」と書いた傘を持った若い者16人(普通の2
倍というのは、いかにも大立ち回りの好きな菊五郎の趣向)との
立ち回り。傘と床几を巧みに使う。幕切れは、菊五郎が、「二段
(女形用)」の代りに、舞台中央に置かれた朱の毛氈を掛けた床
几に乗る。その両脇に、男伊達の二人。後ろには、傘を開いて、
山形に展開して、華やかさを添える若い者たち。「女伊達ら
に」、文字どおり、「伊達(粋)」を主張した「女伊達」であっ
た。


「はんなり(華あり)」とした上方和事の「吉田屋」。作者不詳
の芝居ゆえ、無名の狂言作者が、憑意した状態で、名作を後世に
遺し、後世の代々の役者が、工夫魂胆の末に、いまのような作品
を遺したのだろう。春の廓の情緒が、滲み出て来るかどうか。
「吉田屋」は、5回目の拝見だが、伊左衛門は、今回含め、仁左
衛門が4回(外題も、「夕霧伊左衛門廓文章 吉田屋」)、鴈治
郎時代の藤十郎が、1回。

松嶋屋型の伊左衛門と成駒屋型の伊左衛門(いまは、「山城屋
型」か)は、衣装、科白(科=演技、白=台詞)、役者の絡み方
(伊左衛門とおきさや太鼓持ちの絡み)など、ふたつの型は、い
ろいろ違う。竹本と常磐津の掛け合いは、上方風ということで仁
左衛門も鴈治郎時代の藤十郎も、同じ。六代目菊五郎以来、東京
風は、清元。

花道の伊左衛門の出は、差し出し(面明り)。黒衣が、二人、背
中に廻した面明りを両手で後ろ手に支えながら、網笠を被り、紙
衣(かみこ)のみすぼらしい衣装を着けた仁左衛門の前後を挟
む。余計に、ゆるりとした出になる。明りが、はんなりとした雰
囲気を盛り上げる。仁左衛門が、本舞台に入り込むと、二人の黒
衣は、下手、袖に引っ込む。吉田屋の前で、店の若い者に邪険に
扱われる伊左衛門。やがて、店先に出て来た吉田屋喜左衛門(左
團次)が、勘当された豪商藤屋の若旦那と知り、以前通りのもて
なしをする。まず、伊左衛門は、喜左衛門の羽織を貸してもら
う。次いで、履いていた草履を喜左衛門が差し出した上等な下駄
に鷹揚に履き替える。身をなよなよさせて、嬉しげに吉田屋の玄
関を潜る。仁左衛門の甲高い声とともに、歌舞伎座の場内には、
一気に、江戸時代の上方の遊廓の世界に引き込まれて行く。

吉田屋の店先にあった注連飾りは、見えない紐に引っ張られて、
舞台上下に消えて行く。店先の書割りも、上に引き上げられた
り、舞台上下に引き入れられたりして、たちまち、華やかな吉田
屋の大きな座敷に変身する。下手、金襖が開くと、伊左衛門が、
入って来る。

この演目は、いわば、豪商の若旦那という放蕩児と遊女の「痴話
口舌(ちわくぜつ)」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の
能天気さが売り物の、明るく、おめでたい和事。仁左衛門の伊左
衛門は、かなり意識して、「コミカルに」演じていた(「三枚目
の心で演じる二枚目の味」)が、鴈治郎時代の藤十郎の伊左衛門
の方は、阿呆な男の能天気さを「客観的に」演じていたような印
象が残る。今回も、仁左衛門は、コミカルな伊左衛門に仕上げて
いて、会場の笑いを誘っていた。コミカルだが、莫迦では無い。
莫迦に見せることが肝心。「夕霧にのろけて、馬鹿になっている
ように見えないでは駄目だ」と、昭和の初めに亡くなった十一代
目仁左衛門の藝談が、遺る。

仁左衛門は、伊左衛門に豪商の若旦那の鷹揚さ、品格を意識し
て、演じたという。本興行で、11回目の出演。仁左衛門の味
も、鴈治郎時代の藤十郎の味も、どちらも、捨て難い。夕霧は、
今回、初役の福助。福助の夕霧は、美しいが、病後の夕霧を意識
してか、抑制的な感じ。これまでに、雀右衛門の夕霧は、2回。
玉三郎も、2回観ている。伊左衛門一筋という夕霧の情の濃さ
は、雀右衛門。色気は、やはり、玉三郎。福助は、二人とも、ま
た、違う。それぞれの、持ち味を楽しめるということだ。

吉田屋の喜左衛門(左團次)とおきさ(秀太郎)夫婦は、松嶋屋
型では、伊左衛門と夫婦ともども絡ませるが、成駒屋型では、お
さきは、伊左衛門と直接、絡んで来ない。太鼓持(愛之助)ち
も、松嶋屋型のみ絡む。左團次の喜左衛門を観るのは、12年ぶ
り。我當、秀太郎の夫婦役は、2回拝見。なかでも、秀太郎のお
きさは、3回拝見。上方味あり、人情ありで、このコンビの喜左
衛門とおきさは、侮れない。落魄した伊左衛門を囲むふたりの雰
囲気には、しみじみとしたものがある。今回の、左團次は、我當
に比べると、科白廻しからして、上方味は、どうしても、落ち
る。秀太郎は、おきさそのものという、存在感。再会の喜びを膝
でにじり寄ることで示す伊左衛門。同じく、膝でにじりながら逃
げるおきさ。息のあった芝居だ。秀太郎のおきさ役は、本興行
で、10回目という。出演する度に、工夫をしているそうだ。今
回は、無地の紋付から、小紋の紋付に替えたそうだ。大坂の遊廓
の女将という風情は、出て来るだけで匂い立つ。

いつも思うのだが、炬燵の使い方が、巧い作品だ。大道具であ
り、持ち運びのできる小道具でありという、巧みな使い方をす
る。炬燵蒲団の太い斜線の模様とともに、印象に残る道具だ。伊
左衛門の夕霧に対する嫉妬、喜びなどが、大波、小波で揺れ動く
様が、炬燵とともに表現される。巧みな演出だ。炬燵は、最後ま
で、主要な居所を占めているので、注意してみていると、おもし
ろい。

阿波の大尽(由次郎)の座敷に夕霧が出ていると聞き、座敷まで
出向く伊左衛門。舞台の座敷上手の銀地の襖をあける伊左衛門。
距離感を出すために、細かな足裁きで、コミカルに奥へ奥へと進
んで行く伊左衛門。次いで、金の襖、また、銀の襖、そして、最
後の障子の間へと行き着く。座敷の様子を伺い、不機嫌になって
戻って来る伊左衛門。帰ろうとしたり、炬燵でふて寝をしたり、
待つことのいら立ちが、芝居の軸になる。「吉田屋」は、ある意
味で、「待つ芝居」だろう。待つことで、一芝居打つ。

「むざんやな夕霧は」で、やがて、夕霧登場。病後らしく、抑制
的な福助の夕霧。ふて寝の伊左衛門は、夕霧を邪険にする。松嶋
屋型なので、太鼓持(愛之助)が登場し、二人の中を取り持つ。
伊左衛門の勘当を心配する余り、病気になったのに、何故、そん
なにつれなくするのかと涙を流す夕霧。伊左衛門も、受け入れ
る。藤屋からは、勘当が解け、夕霧を嫁にすると身請けの千両箱
を持った使いが来る。めでたしめでたし、という、筋だけ追え
ば、たわいの無い噺。「助六」が、江戸の遊廓・吉原の街を描い
たとしたら、「吉田屋」は、上方の遊廓の風情を描いたと言える
だろう。どちらも、作者不詳。芝居小屋の下積みの、狂言作者た
ち。歌舞伎の裏表に精通した複数の作者たちの憑意と工夫魂胆の
集積の果てに、名作が遺されたという意味でも、「助六」と「吉
田屋」は、共通しているように思う。

- 2008年3月18日(火) 20:41:14
2008年2月・歌舞伎座 (夜/「寿曽我対面」、「口上」、
「熊谷陣屋」、「春興鏡獅子」)


3枚の錦絵のような、「対面」


「寿曽我対面」は、5回目の拝見。前回は、06年10月の歌舞
伎座で、8月に還暦を迎えたばかりの團十郎の工藤祐経を観た
が、今回は、78歳の富十郎である。高座に座り込み、一睨みで
曽我兄弟の正体を見抜く眼力を発揮するのが、工藤祐経役者。こ
の演目は、正月、工藤祐経館での新年の祝いの席に祐経を親の敵
と狙う曽我兄弟が闖入する。やり取りの末、富士の裾野の狩場
で、いずれ討たれると約束し、狩場の通行証(切手)をお年玉と
してくれてやるというだけの芝居である。それでいて、歌舞伎座
筋書の上演記録を見ると、巡業などを除いた戦後の本興行だけの
上演回数でも、72回と断然多い。それは、この芝居が、動く錦
絵だからである。色彩豊かな絵になる舞台と、登場人物の華麗な
衣装と渡り台詞、背景代わりの並び大名の化粧声など歌舞伎独特
の舞台構成と演出で、十二分に観客を魅了する特性を持っている
からだと、思う。また、歌舞伎の主要な役柄や一座の役者のさま
ざまな力量を、顔見世のように見せることができる舞台であり、
さらに、中味も、正月の祝祭劇という持ち味のある演目であるこ
とから、11月の顔見世興行や正月に上演しやすいからであろ
う。先の筋書の上演記録を調べたら、暑い8、9月を除いて、ほ
かの月は、何処かで上演していることが判った。その上で、月別
の上演回数を比べると、12月が、16回、1月が、13回、
10月が、12回、5月が、9回、顔見世月の11月は、7回、
2月が、6回、4月が、4回、3月が、3回、6月、7月が、2
回であった。10月から1月までの4ヶ月間では、48回、実
に、戦後の上演回数の2/3は、この時期である。

幕が開くと、網代塀を描いた道具幕が、舞台を覆っている。網代
塀の前には、10人の並び大名が、並んでいる。やがて、5人ず
つ、大名は、上手と下手に分かれて、道具幕の後ろに引っ込む
と、幕が、浅葱幕のように内側から膨らんで来て、振り落しとな
る。先ほどの並び大名たちは、いちばん後ろの列に並んでいる。
そう「対面」は、3枚重ねの、極彩色の透かし絵のような構造の
芝居なのである。並び大名と梶原親子の絵が、いちばん奥の1枚
の絵なら、2枚目の絵には、大磯の虎、化粧坂の少将、小林朝比
奈が並ぶ。3枚目、いちばん前に置かれた絵は、工藤祐経(両脇
に、近江小藤太、八幡三郎が控えている)と曽我兄弟の対立の絵
である。これらの3枚の絵が、重ねられ、時に、奥の2枚の絵に
も、光が当てられるが、やはり、主役は、いちばん前に描かれた
3人の対立図であり、初中後(しょっちゅう)スポットライト
が、交差する。トランプをシャッフルするように、今回は、3枚
の絵のうち、いちばん奥の絵が、道具幕の外に出て来たというわ
けだ。普通なら、並び大名と梶原親子は、奥に座ったまま、ほと
んど動きが無いからね。

2枚目の絵では、芝雀の大磯の虎と孝太郎の化粧坂の少将。ふた
りの傾城は、いわば、宴席のホステスか、コンパニオンの役どこ
ろ。工藤祐経の意向を受けて、工藤からの盃を曽我兄弟に手渡す
という動きがある。歌昇の小林朝比奈は、体格も良し、口跡も良
しで、どっしりした良い朝比奈で、曽我兄弟を招き出すという重
責を担う。

3枚目の絵。勿論、高座にどっしりと座り込んだ富十郎の工藤祐
経は、風格もあり、口跡も良い、立派な祐経で、両脇の近江小藤
太の松江、八幡三郎の亀三郎を従えて、堂々の押し出しである。
曽我兄弟では、白塗りの十郎を演じた橋之助の存在感が、弱い。
白塗りに剥き身隈の五郎を演じた三津五郎は、きかん気と若さを
感じさせる勢いがあって、良かった。五郎が、押しつぶした三宝
の破片は、裃後見(八大、橋吾)が、赤い消し幕で片付けてい
た。


珍しい! 身内の「口上」で、スマートに


大勢の役者衆がずらりと並ぶ襲名披露の「口上」ばかり見なれて
いる身には、本舞台中央付近に5人しかいない「口上」は、淋し
い感じもしたが、軸になって取り仕切る幸四郎の挨拶を聞き、
「身内」だけの口上も悪く無いなあと思いながら、各人の挨拶に
耳を傾けた。当代の幸四郎・吉右衛門兄弟の父親・初代白鸚(八
代目幸四郎)の二十七回忌追善興行の「口上」である。初代白鸚
は、九代目團十郎の弟である七代目幸四郎の息子たち(長男は、
十一代目團十郎、三男が、二代目松緑)のうちの、次男で、豪宕
な性格で知られる。八代目幸四郎は、「英雄役者」、「時代物役
者」と渾名されたほどだ。「口上」では、長男の九代目幸四郎を
軸に叔父(七代目幸四郎の娘婿)の雀右衛門、弟(次男)の吉右
衛門、甥(叔父・二代目松緑の孫)の当代松緑、息子の染五郎と
いう顔ぶれだ。

幸四郎と染五郎が、紋こそ、「三枡」ではないが、茶の裃に、生
締の髷は、鉞(まさかり)ということで、市川團十郎家ばりの扮
装である。松本幸四郎家も、二代目幸四郎は、後に、四代目團十
郎になっているし、七代目幸四郎の長男は、十一代目團十郎に
なっているのだから、市川團十郎家との血も濃いのである。

当代幸四郎の挨拶:初代白鸚は、昭和の歌舞伎の一翼を担った。
時代物役者、英雄役者と言われたが、青年歌舞伎の時代は、歌舞
伎十八番や新歌舞伎にも、積極的に取り組んだ。生涯を通じて、
いわば「大きな役者」であったと思う。それでいて、普段の父親
は、やさしい、暖かい人柄であった。昭和56年、高麗屋三代の
同時襲名披露の後、12月に病に倒れた(亡くなるのは、翌年の
1月11日)。ベッドで寝ていたとき、枕元で母親が、父親との
想い出を語っていた。「バレンタインデェイに巡業先の父親に
チョコレートを送ったんだけれど、何処の巡業先だったけ」とい
うような話になったとき、寝ていたはずの父親が、目を開けて、
「松江だよ−」と大声で応えたという。

雀右衛門は、名乗りこそ、大きな声が出たものの、そのほかは、
か細い声であった。8月には、88歳、米寿を迎える。吉右衛門
は、初代白鸚所縁の役どころのひとつとして、関兵衛を演じるの
で、「父のようにはまいらないだろうが、面影を偲んでいただけ
れば」と述べていた。松緑は、簡単に「ここで、口上を述べるこ
とができるのは、親族の一員として、喜びである」。染五郎は、
「祖父は、にこにこしている祖父の印象しか無い。祖父と共演し
た最初で最後が、『七段目』の力弥であった」という。

最後に、再び、幸四郎が、初代白鸚所縁の演目を紹介し、(立役
の多い)高麗屋にも、「春興鏡獅子」の弥生を踊る(女形を兼ね
る)役者が出て来たと、息子の染五郎のチャレンジを紹介し、将
来とも、高麗屋を引き立てて欲しいと、挨拶を結んだ。


「熊谷陣屋」に見る「夫婦の、息遣い」


「熊谷陣屋」を歌舞伎座で初めて観たのは、そういえば、14年
前、94年4月、初代白鸚十三回忌追善興行の舞台で、義経を演
じたのは、梅幸であった。私が観た梅幸の舞台は、これが、最初
で、最後であった。この舞台を切っ掛けに、私は、歌舞伎を見始
め、5年後の、99年2月に、「ゆるりと江戸へ 遠眼鏡戯場観
察(かぶきうおっちんぐ)」という本を書くことになる。「熊谷
陣屋」は、それ以来、12回目(人形浄瑠璃の舞台を入れれば、
13回目)となる。私が観た直実は、今回を含め7回目の幸四
郎。吉右衛門が、2回。仁左衛門が、2回。八十助時代の三津五
郎が、1回。相模が、今回を含め4回目となるはずだった芝翫
は、私が観たときは、病気休演で、息子の福助が代役を務めてい
たので、芝翫は、3回。福助は、2回ということになる。雀右衛
門は、6回。ほかは、澤村藤十郎が、1回。14年前に初めて観
た舞台の配役は、直実:幸四郎、相模:雀右衛門、藤の方:松江
時代の魁春、義経:梅幸などという顔ぶれであった。

今回は、いつもと違って、直実と相模の夫婦を軸に書いてみた
い。まず、(東国から単身赴任している)直実(幸四郎)が、外
から陣屋に戻って来る。すると、いつもなら出迎えるのは、堤軍
次(松緑)だけであるのに、きょうは、軍次の隣に女性が座って
いるではないか。直実が、不審げに女性の顔をよく見ると、女性
は、遠い東国で留守を護っているはずの妻の相模(福助)であっ
た。直実は、途端に不機嫌になり、怒りを自分の穿いている袴を
両手で叩くという仕草で表わし、男の職場、それも、戦場まで、
女の身で来たことを叱りつける。「や、や、やーい」。怒り心頭
に発して、言葉も出て来ない。「(息子の小次郎のことが心配
で、来てしまった。あなたのことを気遣ったわけではありませ
ん)お、ほ、ほ、ほ、ほー」と笑いで誤魔化す相模。こういうや
りとりでは、豪宕な直実も、実は、相模の尻に敷かれているのか
も知れない。

おもしろいと思ったのは、実は、この場面の直前に大道具方が、
陣屋の木戸を片付けてしまったことだ。幕が開くと、板付きで、
舞台下手に立っているのは、庄屋幸兵衛(幸右衛門)と百姓3人
(又蔵、寿鴻、延蔵)である。陣屋の外に咲いている桜の木を愛
で、桜の隣に立てられている制札について噂している。彼らと陣
屋を隔てているのが、木戸であり、木戸うちは、直実の役宅であ
ることを強調している。つまり、「木戸」は、陣屋という役宅
の、世間に対する象徴なのである。彼らが去った後、外から戻っ
て来た直実は、その木戸から役宅に入り、先ほどの、相模との再
会の場面となるのであるが、直実が、役宅に入った直後、大道具
方は、ふたり掛かりで、さっさと、木戸を片付けてしまったので
ある。木戸は、直実が、役宅に入る仕切りの役目を済ませると、
片付けられる。そう、役宅と世間を隔てる木戸が、無くなるので
ある。

やがて、直実、相模、軍次の3人は、二重舞台の陣屋の中へと上
がって行く。相模を叱るために、軍次が邪魔な直実は、軍次に用
を言い付けて、下がらせようとする。直実とふたりきりになると
叱られるのが、判っている相模は、軍次を引き止めようとする。
戸惑う軍次。でも、役宅勤めの軍次の主人は、直実であるから、
軍次は、直実の言い付けに従って、退去する。直実と相模だけ
が、二重舞台の上に残る。つまり、夫婦だけが残ったのである。
木戸もなければ、役宅勤めの軍次もいない。ということは、夫婦
だけがいる熊谷家の私宅同然の状況が、そこに生まれたことにな
りはしないかと思ったのである。私宅となれば、直実より相模の
方が、強くなるはずだ。その証拠に、相模は、小次郎が息災かど
うか、夫に尋ねる。その口調は、先ほどまで、直実に叱られてい
た相模のそれでは無い。夫を尻に敷き、息子の息災を尋ねる妻、
いや、母の強さが、滲み出ている。夫婦の力関係は、役宅が、私
宅化する段階で、逆転しているではないか。小次郎は、手柄をた
てながらも、傷を負ったと、嘘を言う直実。実際には、敦盛を助
けるために、身替わりとして、直実は、息子の小次郎を自ら殺し
ているからである。疚しさもあって、妻に対する夫の口調は、弱
い。

直実は、力関係を元に戻そうと、自分は、平家の公達・敦盛を討
ち取ったと自慢する。それを隣室で聞き耳をたてて、聞いていた
敦盛の母親の藤の方(魁春)が、襖を開けて、飛び出し、直実に
斬り掛かるので、夫婦の私宅は、再び、陣屋という役宅に戻る。
「私宅」の夢は、幻となって、消える。藤の方を落ち着かせてか
ら、敦盛討ち果たしの様(さま)を物語る(ここで、大向こうか
らは、「たっぷり」「高麗屋」などの掛け声がかかる)。これ
は、相模にも藤の方にも、「嘘」の物語を語ることになるのだ
が、直実は、直接的な言葉ではなく、目や顔の表情で、相模に
は、万感の思いを込めて、夫婦としてのシグナルを送り、本音を
滲ませながら、物語っているように思える。直実の「嘘」を嘘と
知らずに、泣く藤の方。直実が、嘘に本音を滲ませて来ても、未
だ、気がつかない相模は、藤の方が泣くのを見て、もらい泣きを
している。特に、幸四郎の直実は、相模が、芝翫から福助に替っ
たのを奇貨として、より強く、夫婦としての機微という思いを滲
ませているように思えた。福助は、また、それに答えようとして
いる。そういう夫婦の息遣いのようなものを幸四郎と福助のやり
とりで感じた(これは、妻より母の思いを出す芝翫、更に、強く
母親の情愛を出す雀右衛門が、演じる相模では、出せない味わい
だろう)。

夫婦の機微は、義経(梅玉)に対する首実検で、「敦盛の首に相
違ない」と、義経が保証しても、相模は、「あ、それは」と、我
が子小次郎の首を認識する場面でも、続いている。直実は、
「ん、ん、ん、うーん。お騒ぎあるなァー」とふたりの母親たち
を制止しながら、相模にシグナルを送り続ける。「敦盛」の首を
「藤の方へ(お目にかけるように)」と言いながら、相模にのみ
見えるようにする。夫婦だけの目による会話。義経の見分を終え
た「敦盛」の首は、直実から、平舞台にいる相模の方に向けられ
る。福助の相模は、「敦盛」の首を「小次郎」の首と認識して、
抱いたまま、放さない。母親は、堪えられず、その場で、泣き崩
れる。その後、相模は、舞台中央に移動して、首を藤の方にも、
見えるようにする。敦盛の首では無かったという思いが、魁春の
演じる藤の方の表情に出る。福助の相模は、それ以上は、藤の方
の方には、近づいて行かず、母親は、そのまま、小次郎の首を、
父親の直実の元に持って帰る。懐紙で、小次郎の首、顔を拭う父
親の直実。父親だって、哀しみに耐えているのだ。夫婦の哀しみ
が、ふたりの間に奔流のように流れるのが、見える(思いは、
皆、同じらしく、大向こうから、盛んに「成駒屋」「成駒屋」と
掛け声がかかる)。

ところで、義経は、首実検で、小次郎の首を見て、初めて、弁慶
が書いた制札の意味が、直実に確実に伝わっていたと知るような
芝居になっているが、義経は、首実検の前に、すでに、陣屋に匿
われている敦盛のことを知っているのでは無いか。その証拠に、
「弥陀六、実は宗清」(段四郎)と義経との、「弥陀六、実は宗
清」の正体を暴くやりとりがあった後、義経は、弥陀六のまま、
改めて認め直しながら、直実の家臣たちが運んで来た大きな鎧櫃
を平家方に「届けて欲しい」と、用事を頼む。その鎧櫃には、生
きている敦盛が潜んでいるからであるが、それを義経が知ってい
ると言うことは、首実験の前から、敦盛健在を知っていなければ
出来ないことだろう。さらに、家臣たちは、弥陀六に鎧櫃を渡し
た際、戦場に赴くべく、鎧兜姿になって、出て来た直実に、実
は、その後の、僧形になってからこそ必要とするはずの笠と杖
を、直実にも、同時に、手渡しているのであるが、そういう筋書
を書けるのは、義経しかいないのでは無いか。

「熊谷陣屋」では、直実と相模の夫婦の息遣いが、芝居の軸にな
るとしても、四天王(亀寿、松也、宗之助、錦也)を連れて、奥
から出て来た後、床几に座ったままで、四天王に廻りを警護され
ている。ほとんど、そこから動かないように見える義経は、この
芝居の後半の全てを、実は、取り仕切っているのである。義経を
含めて、5人の男たちは、ほとんど動かない。特に、科白もない
四天王は、身じろぎもしない。それでいて、義経は、弁慶に書か
せた陣屋の制札で敦盛の命を助けよと直実に謎をかけ、「敦盛」
の首実検をし、弥陀六の正体を見破り、敦盛を救出し、直実の出
家を見送るというダイナミックな仕事をこなすのである。義経伝
説は、ここでも、生きている。

最後に、もうひとり、触れておきたい。「弥陀六、実は、宗清」
を演じたのが、段四郎。私は、段四郎の弥陀六は、今回で、3回
目。病気休演中の実兄猿之助一座が、興行を打てない中で、段四
郎は、自身の病気も克服して、渋い傍役として、あちこちの舞台
をこなして、良い味を出しているように思う。敦盛が身を隠して
いるため、重くなっている鎧櫃を背負うが、立上がったものの、
重さによろけて陣屋の縁側に後ずさった際、縁側に置いてあった
制札を手にして、それを支えに、見得をするという「猿翁型」を
今回も、披露してくれた。ほかの役者とは、一味違う弥陀六で
あった。


高麗屋の女形 「春興鏡獅子」


「春興鏡獅子」は、9回目。勘三郎(勘九郎時代に2、勘三郎に
なって初めてで、都合、3)、菊之助(2)、新之助(なんと、
2)、勘太郎。そして、今回は、高麗屋一族にも、弥生役者が誕
生と幸四郎が言ったように、染五郎初役である。

1893(明治26)年、九代目團十郎が、56歳で「鏡獅子」
を初演したとき、これは「年を取ってはなかなかに骨が折れるな
り」と言ったそうだが、そうは言っても、若向けには、荷が重す
ぎる演目だ。40歳代後半から50歳代が、「時分の花」という
演目か。そういう意味では、勘三郎は、十八代目襲名披露を歌舞
伎座で行ってから、地方を廻って帰ってきた。勘三郎襲名後、初
めての「春興鏡獅子」を1年前、07年1月の歌舞伎座で披露し
た。勘三郎には、「鏡獅子」は、まさに、旬の年齢かも知れな
い。勘三郎は、20歳が初演で、あしかけ27年間におよそ
400回、弥生を演じたそうだ。40歳代後半に入って、勘九郎
の「鏡獅子」には、風格が備わってきているから、当分、賞味期
限は、続くだろうと、敢えて、勘三郎を持ち上げたのは、立役
で、女形の経験など少ない染五郎の初役の弥生を比較するためで
ある。

「鏡獅子」は、江戸城内の、正月吉例の鏡開きの場面である。上
手の祭壇には、将軍家秘蔵の一対の獅子頭(珍しい黒色)、鏡
餅、一対の榊、一対の燭台が、飾られている。

前半は、小姓・弥生の躍りで、女形の色気を要求される。後半
は、獅子の精で、荒事の立役の豪快さを要求される。六代目菊五
郎の「鏡獅子」は、映像でしか見たことがないが、太めながら、
若い女性になり切っていたし、六代目の弥生は獅子頭に身体ごと
引き吊られて行くように見えたものだ。将軍家秘蔵の獅子頭に
は、そういう魔力があるという想定だろう。ここが、前半と後半
を繋ぐ最高の見せ場だと私は、思っている。六代目の孫である勘
三郎は、どうか。祭壇から受け取った、ひとつの獅子頭に「引き
吊られて」勘三郎は、花道を通り、向う揚幕まで行ってしまっ
た。いまや、「鏡獅子」の第一人者は、勘三郎だろう。

初役の染五郎は、どうか。私の採点表。先ず、前半:染五郎は、
女形を演じるには、大きすぎる。「でかい女」が出て来たという
のが、正直な印象。以下、しなやかさは、△、安定感は、△、特
に、身体の縦軸の安定感は、×、扇子など、小道具の扱いの器用
さは、○、女形の踊り具合(内輪)は、△、顔は、○、後ろ姿
は、△、裾の中の足捌きは、×、獅子頭に「引き吊られて」行っ
たか、というと、獅子頭を「押して」行ってしまったので、×。
全体的には、これからの精進を期待したい。

後半に入って、獅子の精は、「髪洗い」、「巴」、「菖蒲打」な
どの獅子の白い毛を振り回す所作を連続して演じる。大変な運動
量だろう。先日の、幸四郎・染五郎の「連獅子」の劇評でも、誉
めたように、染五郎の所作は、メリハリもあり、全身をバネのよ
うにしてダイナミックに加速する。「連獅子」では、幸四郎を2
周ほど、先行していた。「鏡獅子」も、「連獅子」も、後半は、
似たようなものだ。染五郎の所作は、元気が良い。若さがある。


贅言:2階のロビーでは、初代白鸚(八代目幸四郎)の二十七回
忌追善興行ということで、所縁の品々や舞台写真を展示してい
た。白鸚の名場面の舞台写真では、「七段目」の由良之助、「熊
谷陣屋」の熊谷直実など、9枚の写真が、飾ってある。71歳の
生涯をまとめた略年表。絶筆の「鸚鵡」の墨絵、緑と茶色の色彩
の「松の寿」ほか、8枚の自筆の絵。鏑木清方が描いた1949
(昭和24)年の、八代目幸四郎襲名時の「勧進帳」で弁慶を演
じる幸四郎の舞台姿。もう一枚は、奥村土牛が描いた1960
(昭和35)年3月の明治座で演じた「梅の由兵衛」の舞台姿。
白鸚が、懐かしい。いまの役者には、いない味わいがあった。
- 2008年2月19日(火) 22:30:17
2008年2月・歌舞伎座 (昼/「小野道風青柳硯」、「車
引」、「積恋雪関扉」、「仮名手本忠臣蔵〜七段目〜」)


今月の歌舞伎座は、当代の幸四郎、吉右衛門兄弟の父親・初代白
鸚(八代目幸四郎)の二十七回忌追善興行である。初代白鸚は、
九代目團十郎の弟である七代目幸四郎の息子たち(長男は、十一
代目團十郎、三男が、二代目松緑)のうちの、次男で、豪宕な性
格で知られる。英雄役者、時代物役者と渾名されたほどだ。夜の
部には、追善興行ゆえの、「口上」があり、長男の九代目幸四郎
を軸に叔父(七代目幸四郎の娘婿)の雀右衛門、弟(次男)の吉
右衛門、甥(叔父・二代目松緑の孫)の当代松緑、息子の染五郎
という顔ぶれだけが、舞台に出る。身内の「口上」というわけ
だ。そういう高麗屋一族に加えて、富十郎、芝翫・福助・橋之助
の親子、梅玉・魁春の兄弟、歌六・歌昇の兄弟(歌昇、種太郎の
親子)、雀右衛門の子息たち(友右衛門、芝雀の兄弟)、三津五
郎、段四郎、東蔵、孝太郎、錦之助、高麗蔵などが、客演する。


書家の工夫伝説を政変動向の予感に変えた芝居


まず、「小野道風青柳硯」は、私は、初見。1754(宝暦)4
年に大坂竹本座で初演された時代浄瑠璃の二段目の口(全五段)
だが、戦後は、初代吉右衛門が、五代目染五郎(後の、初代白
鸚)とともに、1946(昭和21)年に、京都南座と東京の三
越劇場で、上演されただけで、眠っていたという作品だ。今回
の、62年振り復活上演では、梅玉、三津五郎が軸になった。小
野道風と言えば、雨の日に柳の木の下にいた蛙が、何度かの挑戦
の末、高い柳の枝に飛びつく様を観て、ある心境(悟り)を覚え
たというエピソードで知られるが、私は、子どもの頃、絵本か何
かで、この話を読み、「ある心境」とは、物事に成功するために
は、地道な努力が必要、諦めないというチャレンジ精神が必要な
どという風に理解していたが、今回、この芝居を観て、それと
は、違う動機づけがされている芝居があることに初めて知った。

それは、こういうことである。小野道風が、当時の政治状況を観
察して、「叶わぬと(道風が)思っているのだが、帝位を望む左
大将・橘逸勢(たちばなのはやなり。能書家で、当時の三筆のひ
とりだが、後に、政変に巻き込まれる)にも、加勢する勢力が多
くなれば、企みが叶うかも知れない、つまり、クーデターは、成
功するかも知れないという可能性がある」という「心境」だと言
う。蛙の跳躍から、道風が、複雑な思考回路を経て、随分と生臭
いことを感じたのだと驚いた次第だ。従って、芝居では、時の陽
成天皇に覚えめでたい上、橘逸勢の企みを知っている邪魔な道風
(木工頭=もくのかみ=、大極殿普請の番匠)を敵として、力で
潰すか、かつての知り合い(独鈷の駄六という大工)を通じて、
道風を味方につけようと懐柔するか、という橘逸勢側の、あの手
この手のアクセスぶりが、展開される。

本来の小野道風の「悟り」は、江戸時代の思想家、三浦梅園
(1723ー1789)が書いた「梅園叢書」に出て来るものだ
というが、名筆で知られる小野道風の悟りは、私が承知していた
ように、絵本で知られるようなもの(書道への発奮)だったのだ
ろう。それが、人形浄瑠璃(後に、歌舞伎に移された)狂言(二
代目竹田出雲、近松半二、三好松洛ほか)、特に、今回上演され
た「二段目の口」は、一説では、後に、シンメトリーな舞台で知
られる半二が、作者になって、初めて書いた場面であるというか
ら、半二の、独特な発想が、生臭い権力争いに巻き込まれた小野
道風の物語を創作したのかも知れない。

そういう物語だけに、芝居は、幕が開くと、まず、浅葱幕が本舞
台を隠している。浅葱幕の前で、4人の荒くれ風の男たちが、立
ち騒いでいる。浅葱幕が、振り落とされると、東寺にほど近い柳
ヶ池と池の端に植えられている柳の樹、池の向うは、野遠見とな
るシーンが、用意されている。やがて、道風(梅玉)は、蛇の目
傘を差して、花道から登場。柳の下には、黒衣が、差し金の先
に、青い蛙を付けて出て来る。黒衣は、あちこち飛び跳ねる蛙の
動きを器用に表現し、道風とともに、観客の目を差し金の先に引
き付ける。柳の下に来た蛙は、差し金から外され、次は、操りの
糸に引き上げられるようにして、柳の枝に飛びつこうと跳躍を繰
り返す。そして、遂には、高い柳の枝に飛びついてしまう。差し
金から操りの糸へ、スムーズな転換。道具方の工夫が、察せられ
る。

やがて、先ほどの荒くれたちが、道風にからんで来る。橘逸勢派
の、鉄壁大蔵、荒熊団八、漣軍太、轟運平という名前の男たちで
ある。相撲風の所作を繰り返しながら、道風に襲いかかるが、道
風は、強い。たちまち、荒くれたちを追い払う。次にやって来た
のは、独鈷の駄六(三津五郎)で、森田座の定式幕(つまり、い
まの歌舞伎座の定式幕でもある)と同じ配色(黒、茶、緑)のビ
ロードのどてらを着ている。昔のよしみで、道風を橘逸勢の味方
につけよう頼み込むが、聞き入れてもらえない。駄六は、遂に、
力ずくで道風を抑え込もうと決意する。裸になる駄六。下半身に
は、回し風の下帯を付けている。大工で力自慢というが、肉襦袢
を着込んでいて、相撲取りの風体である。一方、上着を脱ぎ、白
い下着姿になった道風も、大工の総棟梁だけに、力では負けない
自信があるらしい。ふたりは、まさに、相撲を取る。押したり、
突いたり、投げたりする。黒御簾からは、太鼓の音が加わり、
「ドンドンドンドンツク」と、相撲ムードを高める。対決の結
果、意外と強力の持ち主だった道風は、駄六を柳ヶ池に投げ込ん
でしまうと、悠々と立去る。蛙は、柳の枝に飛びつくが、駄六
は、柳ヶ池に投げ込まれる。蛙と駄六の対比は、後の、シンメト
リー作者、半二の独創的発想の走りだろうか。

道風が、花道を去ると、暫く無人の舞台の後、池の中から、駄六
が、這い上がって来る。三津五郎は、本舞台中央に進み出て、座
り込むと、口から水を吹き出す。さらに、蛙飛びをして見せるな
ど、蛙の真似をしながらの所作となるが、踊りの名手の三津五郎
らしからぬ、腰がふらつく場面があった。最後は、駄六も、六法
で、花道を引っ込んで行く。たわいも無い話の芝居だが、物語の
展開が、何故か、相撲がベースになっているので、調べてみた。
橘逸勢の「左大将(左近衛=さこんえ=大将の意)」という肩書
きが、ヒントだった。左近衛府の責任者・橘逸勢は、相撲絡み
だった。奈良、平安時代の宮中の役所である左近衛府と右近衛府
は、七月の天覧相撲の行事、「相撲(すまい)の節会」のため
に、使いを諸国に遣わして、力士を集める役割を担っているから
である。


「車引」の魅力は、3兄弟か、「公家悪」時平か


「車引」は、8回目の拝見。「車引」は、左遷が決まった右大
臣・菅原道真の臣の梅王丸と弟の桜丸が、左大臣・藤原時平の吉
田神社参籠を知り、時平の乗った牛車を停めるという、ストー
リーらしいストーリーもない、何と言うこともない場面の芝居な
のだが、歌舞伎の持つ色彩感覚、洗練された様式美など、目で見
て愉しい、大らかな歌舞伎味たっぷりの上等な芝居である。動く
錦絵のような視覚的に華やかな舞台が楽しみである。色彩豊かな
吉田神社の鳥居前、豪華な牛車をバックに、今回は、長男・梅王
丸(松緑)、次男・松王丸(橋之助)、三男・桜丸(錦之助)と
いう配役で、杉王丸には、歌昇の長男・種太郎が出演している。

冒頭の、塀の場面では、上手、下手の塀の一部が、開け閉めでき
るようになっていて、必要に応じて、黒衣が、出入りして、用を
勤める。この塀を上下、つまり、上手と下手に引っ込めると、吉
田社の鳥居前の場面に早替りする。揚幕、本花道から梅王丸と上
手、揚幕から桜丸がそれぞれ登場し、さらに、上手、揚幕から現
れた藤原時平の先触れの金棒引(亀蔵)が、「横寄れ、横寄れ」
と通行人に注意して行くのでふたりとも、やり取りがある。この
後、時平一行を追って、ふたりは、花道から揚幕へ、つまり、吉
田社に向って走り込むが、梅王丸と桜丸のふたりは、やがて、早
替りした本舞台に揚幕、花道から本舞台へと走り出て来る(つま
り、戻って来る)、という場面展開の効率の良さ。

牛車の後ろの塀は、仕掛けがある。大道具方のふたりが、黒幕を
掲げて、塀のうちから牛車への、時平の出を隠すが、観音開きに
なっている塀は、ふたつの割れて、時平役の歌六が、登場する。
その次の場面では、牛車が、崩れて、時平は、牛車を吹き飛ば
し、牛車の屋台に仁王立ちになっているように見せる。実際に
は、黒衣の手で、牛車が分解され、様式的な舞台装置に変身し
て、牛車の上に姿を現す時平。時平役者は、この出現の瞬間、役
者の格が問われる。歌六の時平は、観客席を睨む。一睨みで梅王
丸と桜丸を萎縮させたように見えた。私が観た時平は、三代目権
十郎、彦三郎(3)、芦燕、左團次、段四郎、そして、今回の歌
六。歌六は、初めて観たが、良かった。

さて、「公家悪」という、超能力者に扮するために、歌六は、青
黛(せいたい)という青い染料を使って「公家荒(あれ)」とい
う隈取りをしている。金冠白衣の衣装に、王子という長髪の鬘を
付けている。王位を狙う人物は、悪人といえども、超人であると
いうのが、その理由である。歌六は、さすがに、存在感があり、
無気味さを醸し出す。松王丸を演じた橋之助は、所作にメリハリ
がある。歌舞伎の発祥の地、京の吉田社の門前で、江戸の荒事の
科白が、飛び交うおもしろさ。江戸の庶民は、拍手喝采しただろ
うから、この短い場面は、何回も演じられ、今日に伝えられて来
た。今回の、歌六を観ていて、初めて、気がついたが、「車引」
の魅力は、3兄弟の、テキパキしたやり取りよりも、30分の芝
居のうち、最後の、3分の1くらいから出て来る場面にこそある
ということだ。「公家悪」時平の、悪役振り、塀のうちから出て
来て、牛車を吹き飛ばし、ただ立っているだけで無気味さを表わ
す。ときどき、大きな口を空けて、梅王丸と桜丸を威嚇するだけ
で、牛車のうちから、全く動かない時平の、「いま、そこにいる
不気味さ」という存在感が、芯になっている芝居だということ
が、良く判った。


「関兵衛、実は、大伴黒主」は、幸四郎が良いか、吉右衛門が良
いか


「積恋雪関扉」は、4回目の拝見。幸四郎の「関兵衛、実は、大
伴黒主」が2回。吉右衛門の「関兵衛、実は、大伴黒主」は、今
回を含めて、2回である。前回、4年前の、04年11月の歌舞
伎座の舞台を観て、私は、次のような劇評を書いている。

「こういう役は、幸四郎の方が、持ち味にあっている。私は、今
回、初見だが、吉右衛門の持ち味では、こういう役は、あまり、
似合わない。実悪の大きさが出ない。洒落っ気は、巧いのだ
が・・・」

ところが、今回、こういう印象を訂正させられたので、その辺り
を書きたい。

「積恋雪関扉」は、関兵衛を軸にしたふたつの芝居からできてい
る。前半は、小野小町(福助)と良峯少将宗貞(染五郎)との恋
の物語と宗貞の弟・安貞の仇討(大伴黒主に殺されている)の話
が底奏通音となっている。関兵衛(吉右衛門)は、少将宗貞に雇
われた関守である。後半は、かって安貞と契りを結んでいた小町
桜の精(福助)が、傾城・墨染に化けて関兵衛の正体を大伴黒主
ではないかと疑って、正体を暴いた上で、敵討ちをしようとやっ
て来たという話。複雑な話なので、筋を追うより、舞台の前半
は、古怪な味わいの所作事を楽しめば良いか。特に、関兵衛は、
少しずつ、大伴黒主という正体を現すような、取りこぼしをして
行く。滑稽味のある関兵衛の、底に潜む無気味な大伴黒主とい
う、人格の二重性を如何にバランス良く見せるかが、「関兵衛、
実は、大伴黒主」を演じる役者の工夫の仕どころであろう。

この芝居では、「小野小町」、「傾城・墨染、実は、小町桜の
精」のふた役を同じ役者が演じる場合と別々の役者が演じる場合
とが、あるが、今回は、福助が、「小野小町」、「傾城・墨染、
実は、小町桜の精」を通しで演じた。私が観た、前回は、魁春と
福助(04年11月、歌舞伎座)、前々回は、芝翫のひとりふた
役(99年1月、歌舞伎座)、前々々回は、福助と芝翫(96年
12月、歌舞伎座)であった。上演記録を見ると、六代目歌右衛
門は、ひとりでふた役を演じることが多かったようだが、ここ
は、ひとりふた役の方が、私には、落ち着きが良いように思え
た。私が観た福助でいえば、最初は、「小野小町」、次いで、
「傾城・墨染、実は、小町桜の精」をそれぞれ、一役で演じ、今
回は、満を辞したように、ひとりふた役を演じたわけで、これ
が、素晴しく、場内からは、「成駒屋」、「成駒屋」の掛け声
が、喧しい限りであった。

開幕直後、本舞台は、浅葱幕で覆われている。柝が入り、幕が振
り落とされると、本舞台中央には、関兵衛を演じる吉右衛門が座
り込み、刈って来た柴を束ねている。冬なのに、小町桜が、何故
か、狂い咲きをしている。果て、面妖な、ということか。普通な
ら、「播磨屋」と、屋号がかかるところだろうが、なぜか、大向
こうからは、「成駒屋」と掛った。福助演じる小野小町が、揚幕
を跳ね上げ、花道に出て来る頃合を知って、姿を見ないまま、3
階席から、屋号を叫んでいるのだ。この場面に象徴されるよう
に、福助賛美の掛け声は、歌舞伎座場内に沸き上がっていた。本
来なら、福助は、今月の歌舞伎座は、昼の部の小町と墨染に集中
するはずであったが、父親、芝翫の病気休演により、夜の部の
「熊谷陣屋」の相模にも出演している。夜の部の、場内の反応
は、どうであろうか。それは、また、夜の部の劇評で、語ろう。

福助は、着実に、七代目歌右衛門に近づいていると思った。福助
は、なにより、後ろ姿が、良い。ほかの女形と違って、後ろ姿
も、女性そのもの。多分、帯の巻き方が巧いのだろう。妖艶さを
演じれば、福助は、玉三郎と肩を並べそうだ。その福助に対抗し
て、悪役振りを隠しながら、滑稽悪のようなキャラクターの関兵
衛を吉右衛門は、存在感溢れる舞台を務めていた。このふたりに
比べると、染五郎の少将宗貞は、枠の外にいるようで、居心地が
悪い。3人が絡む舞台なのだが、その三角形から、染五郎は、は
じき出されているように見えた。

それは、後半になり、「傾城・墨染、実は、小町桜の精」と関兵
衛とのやりとりになるとはっきりする。つまり、染五郎がいなく
なり、福助と吉右衛門の、ふたりだけの舞台になると、全てが
すっきりし、舞台が落ち着いて来る。小町桜を伐って護摩木にす
れば、謀反の大願成就と悟った「関兵衛、実は、大伴黒主」は、
小町桜を伐ろうとするが、失敗する。小町桜の精は、木から飛び
出し、関兵衛に逢いに来たという触れ込みで、傾城・墨染となっ
て、現れる。廓話に花を咲かせているうちに、関兵衛が持ってい
た「二子乗舟(じしじょうしゅう)」という血で書かれた片袖
が、小町の精と安貞との想い出の品であったことから、墨染は、
小町の精としての正体を顕わし、大伴黒主と対抗して行く。ふた
りとも、「ぶっかえり」という定式の、「見顕わし」で、それぞ
れの正体を暴露して行く。逆海老の福助。大口開きの吉右衛門。
最後は、二段に乗っての、福助、本舞台中央でそれに対抗する、
吉右衛門の、それぞれの大見得で、幕となる。こういう筋立て
が、ふたりのやり取りで、すっきりと浮き上がって来る。福助
は、前半の小野小町と後半の小町の精という、本来は、別の人格
(片方は、木の精だが)を存在感たっぷりに演じ切るし、今回の
吉右衛門は、前半の滑稽な関兵衛も、後半の無気味な大伴黒主
も、幸四郎なら、通して無気味さが強く出てしまうところを、通
して滑稽さと無気味さをバランス良く演じていたと思う。愛嬌の
ある、大振りな所作が、吉右衛門らしさを強調していた。このふ
たりを観ていると、いずれも、六代目歌右衛門、初代吉右衛門を
背負いながら、役者として成長しているというのが、判るような
気がした。初代吉右衛門は、生の舞台を観ているわけでは無いの
で、想像するだけだが、晩年ながら、六代目歌右衛門の舞台は、
幾つか観ているだけに、特に、福助の、ちょっとした表情、ある
いは、科白廻しに、歌右衛門を思い出しながら観ていた人は、私
だけでは無いだろう。


「仮名手本忠臣蔵〜七段目〜」には、武士の世界に庶民を引き入
れる装置がある


「七段目」は、五回目の拝見。この場面の、由良之助は、幸四郎
が、今回を含めて、3回、吉右衛門が、2回だが、これは、「昼
行灯」というとぼけた滋味をだすだけに、断然、吉右衛門が良
い。ここの由良之助は、前半で男の色気、後半で男の侠気を演じ
分けなければならない。「七段目」の本筋は、実は、由良之助よ
り、遊女・お軽と兄の平右衛門が軸となる舞台である。更に、い
えば、主軸を絞り込めば、それは、お軽に行き着くであろう。お
軽は、前半では、由良之助との、やりとりをし、後半では、平右
衛門とのやりとりをする。

今回は、芝雀が、可憐で、可愛らしいお軽を演じてくれた。前回
観たのは、玉三郎のお軽であったから、玉三郎の本領発揮の、濃
艶なお軽になるのだが、丸谷才一説では、お軽という命名には、
尻軽(多情)というイメージを感じるというから、玉三郎の濃艶
さの方が、本来のお軽かも知れないが、それなら、二階座敷から
梯子を使って降りて来て、途中で、「道理で、船玉さまが見える
わい」と由良之助(吉右衛門)に言われ、裾を直しながら、由良
之助を色っぽい目で睨み付ける玉三郎の表情に象徴される場面が
ある。この場面は、今回も、勿論あったが、芝雀は、その場面よ
りも、その後の、兄・平右衛門(染五郎)とのやりとりの場面
で、色気より、兄と妹の親愛感を強調する場面で、自分の存在感
を出したように思う。

先に述べた、「関扉」が、基本的に、福助、吉右衛門、染五郎の
三角形の芝居で、その力学から、染五郎が弾き飛ばされたという
なら、この芝居も、基本的に、芝雀、染五郎、幸四郎の三角形の
芝居で、その力学から、今度は、幸四郎が弾き飛ばされたと言え
るかも知れない。それほど、芝雀のお軽と染五郎の平右衛門の芝
居は、良かったと思う。芝雀の演じる「妹の力」に、素直に対応
した染五郎の力量は、確かなものがあると思った。若いふたりの
熱演に拍手を送りたい。

特に、忠臣蔵は、武士の意気地の世界を描いている芝居である。
そのなかに出て来るお軽と平右衛門は、百姓の与市兵衛一家の、
娘と息子であり、いわば、武士の世界に入り込んだ、庶民の代表
である。お軽は、忠臣のトップ、由良之助に可愛がられ、平右衛
門は、足軽ながら、忠臣に加えられるという名誉の場面がある。
「お供が叶った」という、平右衛門の科白は、それを象徴してい
る。つまり、忠臣蔵という堅苦しい武士の世界にお軽と平右衛門
という庶民の代表を組み入れるということは、いわば、江戸の観
客(庶民)の代表を舞台に引き入れるという効果を産む。お軽と
平右衛門は、武士の世界に庶民を引き入れる装置なのである。古
来、忠臣蔵が、歌舞伎の独参湯(どくじんとう)と言われ、時代
を問わず、不況の時でも、これを上演すれば、大入になるという
のは、歌舞伎の舞台への庶民の参加感を満足させる「七段目」の
ような装置を内臓する芝居だからである。「仮名手本忠臣蔵」
は、つまり、共感の芝居なのである。

贅言1):(前にも書いたが、今回も感じたので、一部は、再掲
としたい)一力茶屋の二階座敷に現われたお軽は、最初、銀地に
花柄の団扇を盛んに使っているが、これは、後に顔世御前からの
手紙を読む由良之助の手許を手鏡で覗き手紙を盗み読む際の、カ
ムフラージュに銀地の団扇を利用しているのではないかと気が付
いた。銀地の団扇も、鏡も、光って見つかっても、言い訳が効く
ということではないか。お軽が、由良之助に促されて、二階から
外に降りるときに使う梯子を設定する位置には、本舞台の床に、
滑り止めがこしらえてあるし、梯子の後ろからは、黒衣が、梯子
を支えている。勿論、由良之助役者も、梯子を支える。

贅言2):今回、気が付いたら、不思議に思えて仕方が無いこと
があった。一力茶屋の一間の大部屋は、外から出入りできる階段
のある部屋だが、畳の間と奥に横に繋がる廊下がある。しかし、
廊下の外は、下手は、練塀があるばかりだし、上手は、竹でこし
らえた塀があるばかりで、二階のある離れ(つまり、お軽が居た
部屋)など外へ繋がる通路は、全く無いのである。塀の後ろが、
上手下手とも、雑木林の描かれた書割りになっている。実際問題
として、役者の出入りは、廊下から、書割りの後ろにある通路
で、出入りできるのだが、芝居に中の登場人物は、不思議な空間
に浮かんだ一力茶屋の大部屋からは、何処にも出入りできない筈
である。

贅言3):私が観た舞台では、九太夫は、全て芦燕であったとい
う記録が、継続していたが、今回、初めて、破られた。芦燕の九
太夫は、もう、彼しかやれないというほど、自家薬籠中のものに
してきたが、今回は、錦吾が演じた。敵の師直方の、いわば、
「秘書課長」の伴内(幸太郎)に手玉に取られ、床下に潜り、水
を掛けられたり、火の着いた紙を落されたり、由良之助(幸四
郎)の手紙を盗み見るスパイ行為をした挙げ句、元は、由良之助
と同格の国家老という面影も無く、殺される。九太夫は、由良之
助に手助けされて、お軽(芝雀)に父親・与市兵衛の仇を、下手
人の息子・定九郎の代わりとして殺される羽目に落ち入るのであ
る。人生の階段を踏み外し、剥落した人物の悲哀の味わいは、や
はり、芦燕でないと出し難いように思えた。

贅言4):一力茶屋の名場面の一つ、「見立て」がある。ここ
は、普段、科白無しか、一言科白程度の、大部屋の役者衆が、満
を辞して、存在感を強調できる場面であり、皆、燃えて、科白に
挑む。今回は、赤い前掛け二枚を使って、季節がらの大学受験の
「狭き門」、「赤門」を見立てたり、工夫が感じられて、おもし
ろかった。科白は無かったが、仲居・おうめ(上手から5人目)
を演じた芝のぶは、相変わらず、爽やかであった。後半、竹本、
出語りの、谷太夫は、いつも通りの熱演で良かった。
- 2008年2月17日(日) 22:19:51
2008年1月・国立劇場 (通し狂言「小町村芝居正月」)


片や、「革命」、片や、「国崩し」


1789(寛政元)年、フランスでは、いわゆる「フランス革
命」が、勃発した。ブルボン王朝の積年の失政にブルジョアが反
発し、啓蒙思想を普及させながら、革命運動は、99年まで続い
た。その結果、絶対王政と封建的な旧制度が、否定され、人権宣
言の公布、ルイ16世の処刑、共和制の成立をみた。そのころ、
日本では、江戸の中村座で、旧暦の11月の顔見世興行で、初代
桜田治助原作の通し狂言「小町村芝居正月(こまちむらしばいの
しょうがつ)」が、四代目幸四郎、三代目瀬川菊之丞、三代目坂
田半五郎らの出演で上演された。

それ以来、219年ぶりに、「小町村芝居正月」が、国立劇場
で、復活上演されたので、観に行った。平安時代の、文徳天皇の
皇子(惟喬親王と惟仁親王の兄弟)による「御位(みくらい)争
い」、つまり、皇位継承を巡る争い、そこに紛れ込む大伴真鳥黒
主(おおとものまとりくろぬし)の陰謀、「六歌仙」の小野小町
と深草少将の恋、少将に助けられた小女郎狐の恩返しなどが絡む
通し狂言。顔見世狂言の約束事を踏まえながら、入り組んだ副筋
を整理し、各場面を現代でも分かりやすく再構成して、国立劇場
文芸課が、補綴し、菊五郎劇団が、上演した。出演は、菊五郎、
菊之助、時蔵、松緑、田之助、彦三郎、團蔵ら。

国立劇場の場内は、上手と下手の壁に提灯と繭玉が飾られ、正月
気分を盛りたてる。幕が開くと、序幕第一場「江州関明神の
場」。時代物(一番目)は、「御位争い」の世界。皇子のうち、
弟の惟仁親王(松也)を継承者と定める先帝の遺言状があるが、
影の実力者大伴真鳥黒主(菊五郎)は、兄の惟喬親王(亀蔵)を
推す振りをして、本心は、自分が、帝位に就く事を画策してい
る。神社前では、黒主の家臣兵藤武足(たけたる・團蔵)が、社
の蔵から遺言状を盗み出して来る。それを紀名虎(きのなとら)
母であり、黒主派の大刀自婆(おおとじばば・田之助)が、預る
と共に、黒主宛の密書を武足に託す。

大道具を載せた舞台が廻ると、夜。上から降りて来た月が照って
いる。第二場「大内裏手の場」。上手の宝蔵の壁を破って出て来
たのが、大刀自婆の息子・紀名虎(松緑)で、即位に必要な宝
剣・村雲を盗み出して来た。花道から通りかかった小野家の忠
臣・五位之助(菊之助)が、名虎を見とがめる。下手から小野良
実(よしざね・彦三郎)と小町姫(時蔵)、中央奥の社の扉を開
けて、般若面を付けた人物(黒主)が、祈祷を終えて、大きな筒
守りを抱えて出て来て、だんまりとなる。顔見世興行通例の主な
出演者が勢揃いする場面である。

雲を描いた道具幕が、振り被せとなり、花道で、黒主は、金地に
黒の衣装に、ぶっかえり、面を取り、正体を現す。道具幕、振り
落としとなり、本舞台に戻る黒主は、雲を沸き立たせ、舞台を廻
しながら、雲間に分け入り、せり上がり、なにやら、呪文を唱え
ている。コンピュータで制御された大道具が鷹揚に廻り、岩組
が、ゆるりとせり上がり、どうやら、黒主は、竜神を筒守りに封
じ込めて、世間を日照りにする作戦のようだ。復活狂言らしから
ぬ、幻想的な場面展開も、趣向。

二幕目「大内紫宸殿の場」。網代幕の前で、百姓たちが、雨乞い
をしている。「あかぎれ」だ、「ひび割れ」だと言って、笑わせ
る。雨乞いの一行が、下手幕内から出て、上手に廻り、再び、幕
内に入ると、網代幕、振り落しとなり、紫宸殿の場へ。帝位継承
と日照りの解決を一気に片付けるのが、黒主の作戦だ。大内で
は、民の苦労も知らぬげに、帝位継承を巡ってもめている。病気
の父帝に代って、惟仁親王(松也)が、執務に就いているが、遺
言状紛失とあって、隠遁していた惟喬親王(亀蔵)が現れ、惟仁
親王を帝位の座から蹴落とす。歌合わせの儀式の日とあって、さ
らに、黒主らが現れ、小町姫の歌にいちゃもんをつける。万葉集
からの盗作の疑いである。五位之助(菊之助)が、小町姫の濡衣
を晴らそうと、「草紙洗」で、万葉集への「入れ筆(加筆)」の
偽装を暴こうとするが、上手く行かない。「御位争い」の世界に
「六歌仙」の世界が、重なる複合構造の舞台。立役のときの菊之
助の声は、なんと、菊五郎に似て来たことか。いつも、女形の裏
声ばかり聞いていると気がつかないが・・・。

ばたばた、もめているうちに、武足(たけたる・團蔵)が、例の
密書を落してしまい、小町姫を陥れようとする黒主の陰謀が明ら
かになるなどなど。宝剣・村雲紛失の報、小町姫の父・小野良実
(よしざね・彦三郎)の拘束、参内した小町姫の「琴責め」な
ど、ここは、極悪黒主の企み通りに展開する。勢いに乗った黒主
は、惟喬親王を帝位の座から、蹴落とし、自分が、玉座に座り込
む。取り巻きとともに、玉座から、大笑いする黒主。「あれ、音
羽屋のおじさんが蹴落とした」と平舞台で、泣きわめく惟喬親王
(亀蔵)。瓦燈口(かとうぐち)の垂れ幕が、振り落とされると
紫宸殿の大きな池のある中庭が見える。

三幕目「深草の里の場」では、田の遠見の背景。深草少将(菊五
郎)の元を訪れた小町姫(時蔵)は、宝剣探索のため、東国に下
ることになり、「道行」となる。見送るのは、奴姿の孔雀三郎
(松緑)。松緑は、奴姿は、いつも、決まる。花売り娘、実は、
少将に命を助けられたことのある小女郎狐(菊之助)を交えて、
常磐津、長唄(菊之助の花道登場に合わせて、連中が、山台に
乗ったまま、舞台上手から押し出されて来る)掛け合いの舞踊劇
の展開となる。最後に、「はや、明け方」(菊五郎)、「鹿島立
ち」(松緑)というから、未明の暗いうちから、皆、動き回って
いたことが判る。4人で、引っ張りあって、幕。

四幕目第一場「柳原けだもの店(だな)の場」。一転して、世話
物(二番目)になり、江戸の下町・柳原で、五郎又、実は深草少
将(菊五郎)と女房のおつゆ、実は、小町姫(時蔵)が、獣肉料
理店を開いている。時代物の主要人物が、身をやつして世話場に
登場する。都の貴人たちの変身振りが、新鮮な工夫魂胆というこ
とだ。「山くじら」と書かれた行灯が、店の前に出ている。入り
口の障子には、「けだものや」の文字。店内に入ると、壁に、猪
と鹿の毛皮などが、飾ってある。壁には、品書きの短冊がある。
短冊には、「ぼたん鍋」(猪肉)、「もみじ鍋」(鹿肉)、「も
みじの刺身」、「かもの吸い物」などと書かれている。

顔見世狂言の世話場の約束事に則り、雪景色、異類(動物や植
物)の精の登場など定式を踏まえた舞台。雪の降りしきるなか、
商売を終えた汁粉屋の正月屋庄兵衛、実は紀名虎(松緑)が、夫
婦仲の悪さを聞き付けて、おつゆにちょっかいを出す魂胆で、店
に入って来る。やがて、五郎又も、新しい女房のおみき、実は、
小女郎狐(菊之助)を連れて、帰って来る。一悶着あった後、お
みきの発案で、3人仲良く暮らそうということになる。ひとりの
亭主にふたりの女房、江戸時代のモラルなら、「けだもの」(畜
生道)とは、ならないのだろう。「実は、実は」の偽装の4人が
からみ合う「柳原けだもの店(だな)の場」は、まさに、獣同士
の化かしあいの場面。宝剣奪い合いなのだ。結局、女房姿の小女
郎狐が、宝剣を奪い取り、雪の降りしきる外へ逃げ出す。後を追
う名虎。

第二場「柳原土手の場」。正一位稲荷大明神の旗が飾られた神
社。石段のある三層構造の社。小女郎狐と名虎の立ち回り。女房
姿の小女郎狐は、二層目の境内で、雪の積もった地面の穴へ、身
を隠し、次には、三層目の雪の地面から飛び出して来る。もうこ
のときは、「狐忠信」のような、白い狐の衣装に変身している。
犬四天姿の追っ手(両手に長い朱塗りの爪を付けている)に追わ
れながらも、さらに、宝剣を持って、逃げる小女郎狐。菊之助の
若くて、しなやかな身体の動きが、魅力的だ。逆海老も、柔軟に
こなす。女形は、鍛えられた身体を隠しながら、力を発揮する。
集団での大立回りが好きな菊五郎劇団だけに、犬四天の動きは、
きびきびしている。例えば、9人のうち、交互に入った4人が、
逆回転をして見せたりする。小女郎狐の菊之助は、花道七三で、
ぶっかえりで、衣装を変えて、「狐六法」で、花道の引っ込み。

大詰「神泉苑の場」は、事実上、「暫」のパロディ。顔見世興行
の定番の出し物が、「暫」で、狂言作者たちは、毎年、新趣向を
編み出すのに工夫魂胆した。さて、幕が開くと、浅葱幕。置唄
で、幕の振り落としとなる。冠、贋の宝剣、筒守り(宝剣より小
さいが、後の場面で使用されるときには、予め、黒衣によって、
大きなものに取り替えられる)を棚に用意して即位の儀式に臨も
うという、ウヶは、清原武衡同様に皇位を狙う黒主(菊五郎)と
取り巻きたち(菊十郎、橘太郎ら)。二重舞台の中央に、黒主。
取り巻きたちは、顔や頬に、赤で、「ハートマーク」、「寿」、
「子(ね)」(干支)、「大入」(「大」のみ、赤、「入」は、
八の字の鬚の体)などと書いてある。本舞台下手に、惟仁親王
(松也)、関白良房(権十郎)、小野良実(彦三郎)、香取姫
(梅枝)を虜にしている。さらに、雨乞いの歌を作り上げ、奉納
に来た小町姫(時蔵)も捕らえている。上手に、黒主の忠臣、腹
出し姿の虎王丸(亀三郎)、熊王丸(亀寿)が控えている。名虎
妹初音、実は、小女郎狐(菊之助)も、「暫」の「女鯰(照
葉)」のような扮装で二重舞台の上手にいる。囚われ人らを成敗
させようと、やはり腹出しとなった武足(團蔵)が呼び出され
る。

あわやというとき、揚幕から、「暫く」の声が響く。「暫く、暫
く、暫ーーく」。長唄の、「かかるところへ」の文句に合わせ
て、鎌倉権五郎ならぬ孔雀三郎(松緑)の登場である。黒地に孔
雀の羽を白く染め抜いた派手な衣装の孔雀三郎。松緑が、本舞台
へ移動すると、「ありゃ、おりゃ」と仕丁たちの化粧声。「太刀
下」の人々を助け、贋の宝剣を暴き、黒主との引き合いの末に、
ふたつの折れた筒守りから竜神を助け出し、雨さえ降らせた孔雀
三郎。国崩しの極悪人を懲らしめ、日照りに泣く民を助け、とい
う祭祀劇。黒主は、追い落とされ、惟仁親王が、帝位に就くこと
になり、めでたしめでたし。

花道七三で、「つらね」の長科白を述べる孔雀三郎の影が、下手
客席に落ちる。頭に角を生やし、マントを着たような影は、洋画
に出て来る超人(スーパーマン)のように見える。孔雀三郎も、
鎌倉権五郎同様に、若々しくなければならない。江戸の洒落気を
洗練した舞台では、記号化された祭祀劇の「暫」が、すっぽり収
まるという演劇空間が、歌舞伎の強みだ。一味違う「暫」が、楽
しめる。

贅言1:それにしても「小町村芝居正月」という外題は、洒落気
が、足りないのではないか。「小町村」は、原作の各段の名称
が、「関寺小町の段」「草紙洗小町の段」「通小町の段」「雨乞
小町の段」「卒塔婆小町の段」とあるように、「七小町」(元に
なった能は、七番)の見立てで、つけられたから、こうなった。
しかし、小野小町は、サブ的な登場人物であって、主筋は、黒主
である。治助の趣向は、理解できるが、もう一工夫ほしかった。
さらに、「芝居正月」は、顔見世興行という戯場国の正月を言う
には、余りにも、藝が無さ過ぎる。初演以来、219年も、埋も
れていたのは、外題のまずさもあるのでは無いか。

贅言2:原作者の桜田治助は、四代目團十郎一座の立作者で、弁
慶が、軍兵たちの首を引き抜き、天水桶に入れて、2本の金剛杖
で、芋を洗うようにする、いわゆる「芋洗い」の趣向が有名な
「御摂(ごひいき)勧進帳」などの作品がある。常磐津「戻駕色
相肩(もどりかごいろにあいかた)」、長唄「教草吉原雀(おし
えぐさよしわらすずめ)」の作詞も手掛けた。洒脱な作風で「江
戸の花の桜田」という渾名もあり、30数本の作品を手掛けた
が、科白劇は、時代とともに古びるゆえか、舞台で今日まで伝承
されて来た作品は、少ない。

最後に、役者論をコンパクトに。座頭・菊五郎は、ここ数年、正
月の国立劇場で、埋もれた作品に息を吹き込む、復活通し狂言に
意欲的で、見逃せない。時代も、世話も、安定した、重厚な演技
で、舞台の軸を定める。菊之助の成長は、目を見張るものがあ
る。若女形では、梨園随一の力を発揮する。今回は、時代物で
は、五位之助、名虎妹初音、世話物では、花売り娘おたつ、妻恋
のおみきを演じる。女形では、皆、仮の身で、実は、全て、深草
少将に恩義を感じる小女郎狐が、化けた姿だ。小女郎狐の、いわ
ば「変化」が、柔軟で、素晴しい。小野小町姫を演じた時蔵は、
立女形の位を堅実にこなす。田之助の大刀自婆は、「黒塚」の老
女・岩手のような怪しさを滲ませる。松緑は、敵役の紀名虎と英
雄の孔雀三郎を対照的に演じるが、英雄にくらべると、敵役の色
合いが、不十分。特に、正月屋庄兵衛が、弱い。敵役の亀三郎、
亀寿の兄弟は、存在感があった。香取姫を演じた時蔵の子息・梅
枝が、可憐。脇を固めたなかでは、團蔵、亀蔵も、存在感があっ
た。
- 2008年1月22日(火) 19:17:45
2008年1月・歌舞伎座 (夜/「鶴寿千歳」、「連獅子」、
「助六由縁江戸桜」)


今月の歌舞伎座は、昼の部より夜の部の方が、人気がある。ま
ず、「鶴寿千歳」は、1928(昭和3)年の初演。2回目の拝
見。昭和天皇即位の大礼を記念して作られた箏曲の舞踊。本舞台
奥は、抽象的な大松が描かれている。松(歌昇)、竹(錦之
助)、梅(孝太郎)が、新年を言祝ぐ踊りを披露する。「国の甲
斐なる鶴峠(実際にある峠かどうか、私は、不詳) その名の雛
の声よ声」。やがて、3人が立去る。大松は、上に上がると、背
景は、抽象的な富士山の絵に替る。松は、富士の下になる。大き
く、横に長いせりを使って、姥(芝翫)と尉(富十郎)という人
間国宝のふたりが、せり上がって来る。松の木の上空に止まるの
体。ゆるりと長寿を言祝ぐ。やがて、松の木を伝わって、天上か
ら地上に降り立つふたり。前回は、雄鶴(梅玉)と雌鶴(時蔵)
であった。今回は、人間国宝を軸にしたので、長寿を強調してい
る。萬歳楽で舞い納める。ふたりは、再び、天上に帰って行っ
た。重厚な舞台であった。

贅言:歌舞伎の舞台では、珍しく女性が、板に乗る(上手が、箏
曲、今回は、男性もひとり混じっている。下手が、四拍子という
布陣)。


「連獅子」は、10回目。前回、3年前,05年11月の歌舞伎座
も、今回同様、幸四郎と染五郎の親子獅子であった。この親子で
は、4回拝見した。現在の役者で、親子で、「連獅子」を上演で
きるのは、幸四郎・染五郎のほかに、團十郎・海老蔵、仁左衛
門・孝太郎(1回拝見)、勘三郎・勘太郎・七之助(この場合
は、「三人連獅子」で、2回拝見)、段四郎・亀治郎(ただし、
数は少ない。亀治郎は、元気な頃の猿之助と組んでいた。猿之
助・亀治郎は、2回拝見)辺りが、旬か。かつては、鴈治郎・翫
雀、最近では、翫雀・壱太郎など。今後、子息が成長すれば、若
い親子で、連獅子が、登場するだろう。ほかに、兄弟、師弟など
のコンビがある。今回は、親子連獅子に絞る。

幸四郎と染五郎の親子獅子は、前回同様、安定した、緩怠のない
獅子の舞いであった。幸四郎は、大きく、正しく、舞う。染五郎
の仔獅子の舞は、勢いが良い。動きもテキパキしているし、左
巴、右巴、髪洗い、襷、菖蒲叩きと変化する毛振りの回数も、染
五郎の方が、多い。最初、半周ほど、父親より速い。次第に、差
が開き、最後は、2周ほど多いような印象だった。染五郎は、若
さと勢いがある、立派な獅子の精。身体の構えを崩さずに、腹で
毛を廻すのが、毛振りのコツだというが、若さには、勝てない。
若い者が、未熟さを乗り越えれば、親は、追い越される。また、
この所作は、体力の勝負であろう。年齢の違いと藝の違いが出て
来る。染五郎は、役者として、ある水準に近付きつつあるという
ことを、まざまざと実感させる舞台であった。いずれ、さらに、
何かが、付け加わり、積み上げられ、一人前になって行くのだろ
う。谷に落されるのは、子獅子では無く、親獅子ではないかとい
う思いがする。

團十郎と海老蔵の「連獅子」を観てみたい。最近の團十郎の「連
獅子」は、03年10月の歌舞伎座であった。仔獅子は、松緑で
あった。團十郎・海老蔵の「連獅子」は、未だ、実現していな
い。海老蔵が、前名の新之助時代には、02年の松竹座(大
阪)、93年の御園座(名古屋)、89年歌舞伎座と3回ある。
これは、是非とも、團十郎の体力恢復を待って、團十郎・海老蔵
の「連獅子」を実現して欲しいと思う。

* 参考に、「三人連獅子」の初見のときの、私の劇評を再録し
ておきたい。

「三人連獅子」の初演は、確か、02年の元旦の早朝、千葉県の
九十九里海岸に特設した舞台で演じたときではなかったか(それ
以前は、勘太郎、七之助の兄弟が、交代で、仔獅子を演じたこと
はある。私は、観ていない)。その後、02年9月、博多座の舞
台にかけて好評、そして、03年3月の歌舞伎座上演となった。
「三人連獅子」には、「大当たり」という掛声が、大向こうか
ら、何回か掛かった。「三人連獅子」では、親が、軸になり、ふ
たりの子が、親とも「対照的」になりながら、子同士も「対照
的」にならなければならない。「三人連獅子」の記録では、明治
27(1894)年、明治座で演じられた「勢獅子巌戯(きおい
じしいわおのたわむれ)」というのがある。親獅子が、市川左團
次、両仔獅子が、市川小團次、米蔵であったという。着ぐるみで
出て、引き抜きで、四天姿になって、白頭、赤頭を持ったり、最
後に花四天がからんだりということで、いまのような、松羽目風
ではなかった。勘三郎親子の「三人連獅子」は、あくまでも、
「連獅子」の3人版である。まず、両仔獅子は、舞台の上、下に
別れる。所作は、同じ向きの繰り返しであったり、互いに逆方向
への所作だったりする。親獅子は、軸になっている。両仔獅子の
所作は、親とも、対照的になるものの、より、対照的になるの
は、仔獅子同士である。その「二人仔獅子」は、「二人道成寺」
の花子・桜子の所作のようには、まだ、なっていない。所作が、
洗練されていない。発展途上の所作である。その上、上、下の両
仔獅子の呼吸(いき)があわない。まだ、荒削りと観た。いず
れ、勘太郎、七之助の兄弟が、成長しながら、踊り込み、呼吸も
あい、この演目は、洗練されて行くのではないか。そういう予感
がする。

後シテになって、3人で繰り広げる赤、白、赤の毛振りは、さす
がに、迫力がある。「大当たり」という掛け声が、また、大向う
から掛かる。しかし、左巴は、3人の呼吸があわない。ふたりで
も難しいのだから、3人は、なかなか揃わないだろう。身体の構
えを崩さずに、腹で毛を廻すのが、毛振りのコツだというが、ま
た、この所作は、体力の勝負であろう。年齢の違いと藝の違い、
それを3人分、あわせるのは、至難の業(わざ)だと思うが、
40歳台後半の勘九郎、20歳台前半の勘太郎、ことし20歳に
なる七之助という、世代を見れば、「三人連獅子」が、やがて、
中村屋一家の、新たな家の藝になってゆくのではないか。

十八代目勘三郎。向こう20年は、役者の「旬」になる年齢を迎
える父親を軸に兄弟が、20歳台、30歳台として、父親に随伴
しながら、是非、十八代目一家の十八番(おはこ)として「三人
連獅子」を洗練させてほしい。そういう舞台の成長を観ながら、
私たち観客も、年をとって行くことができるということは、同時
代に生きる観客の幸せで無くて、なんであろう。そういう未来の
至福の時間を感じさせる、「未完成」の魅力に富んだ「三人連獅
子」であったと思う。つまり、今回の舞台では、普通の「連獅
子」より、ひとり仔獅子が増えた分、広い歌舞伎座の舞台も狭く
見えるほど、迫力があったが、所作が、洗練されていなかっただ
けに、残念ながら、役者が、ひとり増えたというだけではない、
なにかが、付け加わってはいなかったように感じられた。


「助六由縁江戸桜」は、6回目。私が観た助六は、團十郎
(3)、海老蔵(新之助時代を含め、2)、仁左衛門。團十郎の
助六は、息子の海老蔵が、後ろから、急追して来るような気に襲
われる事があるのだろうか。まだまだ、という思いがある一方、
劇中の助六に近い年齢は、海老蔵の方だから、あるいは、という
気持ちも生まれて来ないとも限らない。

海老蔵の助六は、8年前、2000年の正月、新橋演舞場で初め
て観た。次には、4年前、04年6月、海老蔵襲名披露の歌舞伎
座で観た。

まず、2000年1月の劇評:新之助の青年・助六が劇中の助六
も、このくらいの年の想定なのだろうなあ、という感じが強くし
た。新之助の演技もきっぱりとしていて良かったと思う。ただ、
台詞廻しが現代劇ぽい部分が、ままあり気になったが、これはこ
れで『新之助味』とも言えるような気がする。いずれ、助六は市
川家の家の芸だけに、これからも何度か、海老蔵、團十郎と襲名
ごとに、新しい工夫を重ねた役作りを新之助が見せてくれること
だろうと期待する。

次に、04年6月の劇評:まさに、海老蔵襲名披露興行での、
「助六」の登場なのだ。海老蔵は、自信たっぷりに「助六」を演
じていて、その点は、観ていても、気持ちが良い。大向こうから
は、「日本一」などという声もかかっていた。ただし、今回も、
「台詞廻しが現代劇ぽい部分が、ままあり」で、私は、興醒め
だ。特に、傾城たちから多数の煙管を受け取り、髭の意休(左團
次)をやり込める場面での、科白が、歌舞伎になっていない。そ
こだけ、歌舞伎のメッキが剥げた現代劇のような感じで、「新之
助」なら、まだまだ、これからだからと許せた部分も、今回の
「海老蔵」襲名では、そうはいかないという感じがした。歌舞伎
の科白とは、どうあるべきかが、海老蔵の課題になりそう。

今回の團十郎は、5年ぶりの助六である。還暦になって初演の助
六である。還暦過ぎの團十郎は、歴代でも、ふたりしか居ない
が、助六を演じるのは、当代が、初めてである。そういう歴史的
な舞台である。それだけに、期待をして、拝見した。しかし、気
になったのは、いつになく、口跡の悪さだ。声が籠る。一時、改
善されたように思えたが、今回は、籠っていた。江戸のスーパー
スター・助六は、子どもっぽい。餓鬼なのだ。大声を出す子ども
の声は、籠らないのでは無いか。花道含めて、助六の所作は、さ
すが、團十郎だ。江戸歌舞伎の華・荒事は、稚気を表現する。そ
ういう意味で、助六は、まさに、荒事の象徴だ。実質的な荒事の
創始者・二代目團十郎が、初めて演じたと伝えられている。助六
の花道の出で、歌われる河東節を使い、外題も、現在の「助六由
縁江戸桜」にしたのが、四代目團十郎である。そして、「歌舞伎
十八番」として、七代目團十郎が市川團十郎家代々の家の藝に昇
華させ、いまのような演出に定着させた。稚気をいっぱい含んだ
助六が、本来の助六だろう。大人、髭の意休に対する餓鬼の助
六、こういうあたりは、父團十郎より、海老蔵の方が、口跡も良
いから、所作が巧くなれば、今後、助六の持ち味を、もっと、遠
くまで拡げてくれるかも知れない。その場合、「助六」において
は、海老蔵は、父親の團十郎を追い抜いて行くだろうと、私は、
予想する。

さて、今回の舞台である。福助が、初役で取り組む揚巻。これ
は、七代目歌右衛門襲名に向けて、福助は、スタートを切ったと
思う。48歳の年男。干支の鼠と成駒屋所縁の梅が、手描きされ
た墨絵の打掛けが、豪華だ。衣装に負けない、福助の風格もあ
り、良かった。輝いていた。きりっとしていて、餓鬼の助六に対
する愛情ぶりが、真情溢れていた。姉さんの深情け。これを切っ
掛けに、福助の七代目歌右衛門襲名は、加速するのではないか。

孝太郎の華やかな白玉。無敵の助六同様の揚巻を諭せるのは、こ
の人と曽我満江だけ。ここ、17年、当り役となっている左團次
の意休、歌舞伎の衣装のなかでも、最も重い衣装を着ている。実
は、曽我兄弟に対抗する平家の残党。それだけに、姿勢を正すだ
けでも、大変そう。梅玉初役の白酒売は、滑稽感を巧く出してい
て、梅玉の魅力を拡げた。江戸和事の味わいを出しながら、曽我
十郎の気合いも、滲ませる。段四郎の口上役は、4回目という。
すっかり、市川家の番頭格になりきっている。さらに、滑稽なく
わんぺら門兵衛。歌昇の朝顔仙平も、滑稽役。東蔵の通人里暁
は、笑わせて、場内の雰囲気をやわらげる。去年のパリ・オペラ
座を話題にして笑いを取っていた。錦之助の、粋な福山かつぎ。
吉原で暮らす町の人の代表。由次郎は、お上りさんで、不器用な
国侍に味。重厚な要役、芝翫の曽我満江などという顔ぶれで、い
ずれも、味わいがあった。

並び傾城では、八重衣(紫若)=播磨屋、浮橋(京妙)=京屋、
胡蝶(芝のぶ)=成駒屋、愛染(京紫)=京屋、誰ヶ袖(嶋之凾
=じょう)=葛城屋で、それぞれ、大向こうから、声が掛ってい
た。

贅言:ところで、いつも書くように、「助六」は、作者不詳だ
が、主役は、はっきりしている。助六?。否、そうでは無いだろ
う。これは、吉原の風俗を描く芝居だ。助六も、風俗の一つだ。
新吉原の江戸町一丁目の三浦屋の店先が、主役だからだ。三浦屋
で働く人々、三浦屋に通う人々、三浦屋の前を通る人々、吉原で
働く人、通う人などが、出演する。多様な町の人たちを演じる役
者たちのそれぞれの衣装、小道具などに、江戸の風俗が、細部に
宿るが、それは、すでに書いているので、省略。
- 2008年1月20日(日) 18:42:45
2008年1月・歌舞伎座 (昼/「猩々」、「一條大蔵譚」、
「けいせい浜真砂」、「魚屋宗五郎」、「お祭り」)


歌舞伎の研究者服部幸雄さんが、去年の暮に亡くなったという朝
刊の新聞記事を読んだ日に、歌舞伎座に行った。服部さんの著作
は、刺激的であったので、誠に残念であった。私が、以前に本を
書いたときに影響を受けたのは、服部幸雄、渡辺保、戸板康二、
郡司正勝、河竹登志夫らであった。なかでも、服部幸雄の影響
は、大きいと思う。今後も、服部を意識しながら、私は、歌舞伎
の劇評を書いて行くだろう。

さて、今年は、歌舞伎座百二十周年記念の年。3年前(2005
年)に公表された歌舞伎座建て替え話は、どうなったのか。当初
の計画なら、去年の11月までに、歌舞伎座周辺の地権者との調
整も終え、現在の建物を取り壊し始め、3年(2010年)後に
は、新しい歌舞伎座のお目見得と聞いていたが、実力者永山武臣
前会長の逝去に伴い、ペースダウンの様子。最近、漏れ聞いた話
では、永山会長時代に内定していた建設会社と松竹現執行部で決
めた建設会社が、変った由。歌舞伎への観客動員に陰りが出て来
たなかで、本拠地の建て替えは、経営判断も、難しかろうが、建
て替えは、いずれはやらなければならない課題である。遅らせる
ことのメリットもあろうが、デメリットもあろうから、こういう
ことは、やはり、永山会長のような経営も歌舞伎も、良く分かっ
ている人のリーダーシップが無いと、タイミング(潮目)を見失
いがちとなるから、厄介だ。

さは、さりながら、歌舞伎座百二十年ということで、正月の歌舞
伎座、昼の部は、5演目と盛りだくさん。今月は、松竹系の歌舞
伎公演は、東京で、歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、浅草公会
堂と4公演、大阪で、松竹座の1公演と、合計5公演(このほ
か、京都南座では、前進座歌舞伎公演)と、誠に盛況だが、歌舞
伎座の昼の部は、空席も、目立った。


まず、「猩々」だが、能の「猩々」では、「猩々=不老長寿の福
酒の神」と「高風」という親孝行の酒売りの青年との交歓の物
語。「猩々」とは、本来は、中国の伝説の霊獣。つまり、酒賛美
の大人の童話というわけだ。歌舞伎では、竹本で語る「寿猩々」
は、一人猩々で、今回のような長唄の「猩々」は、二人猩々。
「寿猩々」は、私は、2回拝見。「猩々」も、今回含めて、2回
目の拝見。ただし、前回観た「猩々」は、そのまま、次の「三社
祭」へと繋がる演出(「変化もの」の名残りもある)で、勘太
郎、七之助の兄弟が、演じた。今回は、単独で、梅玉、染五郎
が、猩々を演じ、酒売りは、松江が、演じる。

能の「猩々」を元に江戸時代から数多くの「猩々もの」が作られ
ていたようで、1820(文政3)年には、三代目三津五郎の
「月雪花名残文台」では、七変化のひとつに取り入れられた。雪
の浜辺で、真っ赤な「猩々」が、真っ白な「まかしょ」に変わる
対比が受けたというが、残っていない。

以前の資料には、夢幻能の世界を、1946(昭和21)年に文
楽座の野澤松之輔が作曲し、後の八代目三津五郎、当時の六代目
簑助が、振り付けをして、一人立の新歌舞伎の舞踊劇(義太夫舞
踊)に仕立て直しをして、当時の大阪歌舞伎座で上演されたと
あったが、前回の筋書には、違う記述があった。それによると、
能の「猩々」を長唄舞踊に仕立てた作で、1874(明治7)
年、東京河原崎座で初演。作詞竹柴金作(後の三代目河竹新
七)、作曲三代目杵屋正次郎、振り付け初代花柳寿輔とあり、本
名題は「寿二人猩々」とある。今回の筋書では、1874年、九
代目團十郎が、河原崎座を再興した折り、大薩摩、長唄掛け合い
で、復活した。作曲は、三代目杵屋正治郎。現行曲は、1920
(大正9)年、下谷二長町の市村座で、六代目菊五郎、七代目三
津五郎が上演したときに、四代目杵屋巳太郎が、補曲したものだ
という。

今回は、梅玉、染五郎の演じる猩々が、動物に見えて来るか、と
いうことを軸に舞台を拝見した。能の舞台では、舞は、「摺り
足」なのだが、「寿猩々」は、六代目簑助(後の八代目三津五
郎)工夫の振り付けで、能のなかに、舞を巧みに取り入れて、
「乱(みだれ)」という、遅速の変化に富んだ「抜き足」「流れ
足(爪先立ち)」「蹴上げ足」などを交えて、水上をほろ酔いで
歩く猩々の姿を浮き彫りにさせる趣向をとったという。高風の勧
めで、酒を呑み始めた猩々だが、最初は、柄杓で汲んでいたが、
途中から、大きな盃で直接汲むようになる。動物の存在感という
のは、これが、なかなか、難しいようで、今回は、早間で、踊り
狂う辺りに、ちらっと、動物じみたイメージが浮かび上がって来
ただけであった。舞の部分では、太鼓、大鼓、小鼓が、前面に出
て来る。汲めども、尽きぬ酒壷の存在感は、くっきりと伝わって
来た。


「一條大蔵譚」は、5回目の拝見。大蔵卿は、猿之助、襲名披露
の勘三郎、そして、吉右衛門は、今回含めて3回。常盤御前は、
芝翫が2回、鴈治郎時代の藤十郎、雀右衛門、そして、今回が、
福助。今回は、ほかに、鬼次郎に梅玉、鬼次郎女房のお京に魁
春。初代以来の家の藝という吉右衛門の大蔵卿は、巧かった。滑
稽さの味は、いまや第一人者。勘三郎も、巧いが。吉右衛門は、
阿呆顔と真面目顔の切り替えにメリハリがある。阿呆顔のとき
は、裏声に近い高い声を出すのも、効果的。

いまの社会現象に当てはめてみれば、阿呆顔は、いわば、「偽
装」、真面目顔は、「本心」あるいは、源氏の血筋を引くゆえの
源氏再興の「使命感」の表現である。現代社会を覆う「偽装」
は、真面目顔をして、本心を隠すから、尚、質(たち)が悪い。
偽装は、メーカーばかりでは無く、放送局のような、マスコミに
も、波及して来た。「偽装」を見破るためには、国民は、自衛し
なければならない。序幕「檜垣茶屋の場」では、茶屋の亭主と鬼
次郎夫婦とのやり取りは、偽装の伏線が張り巡らされているが、
ここでは、種明かしはしない。大蔵卿の一行が、門内から出て来
る前に、ふたつあった茶屋の床几の一つを黒衣が片付けるが、残
る一つをクローズアップさせる効果があり、さらに、後に、大蔵
卿との絡みで、この床几が、効果的な役割を果たす場面がある。

福助の演じた常磐御前も、義朝の愛妾で、牛若丸(後の義経)ら
の母であり、平家への復讐心という本心を胸底に秘めながら、平
清盛に身を任せた後、さらに、公家の大蔵卿と再婚している。こ
の芝居でも、大蔵館奥殿で楊弓の遊びに興じているという「偽
装」をしている(それは、後に、楊弓の的=黒地に金の的が3つ
描かれている=裏に隠された平清盛の絵姿で、判明する仕掛けに
なっている)。四十八歳で年男の福助は、着実に、七代目歌右衛
門に向けてにじり寄っているように見える。常磐御前は、六代目
から最初に教えてもらった役だという。動きが、少ないが、肚で
芝居の進行に乗っているのが判る。本舞台に降りた際、福助の吉
右衛門を見つめる横顔が良い。福助は、夜の部の、「助六」の揚
巻には、初役で挑む。五代目歌右衛門の出世役であり、六代目
も、何回も演じて来た揚巻。もう、福助の周りは、歌右衛門モー
ドが、高まっているように見受けられる。いずれ、六代目や雀右
衛門、父親の芝翫に劣らぬ、風格が滲み出るようになってくるの
ではないか。

偽装と本心をクロスさせる大蔵卿のコントラストの、いわば、触
媒役を演じるのが、梅玉の鬼次郎と魁春のお京(弁慶の姉であ
る)の夫婦役である。特に、源義朝の旧臣で、忠義心に燃える鬼
次郎は、奥殿に忍び入ってまで、常磐御前の本心を探り、源氏再
興の意志が無いのならと懲らしめに来る、いわば、スパイ役であ
る。清盛方の勘解由(段四郎)との立回りでは、太刀を抜いて斬
り掛かる勘解由を黒地に星座が描かれた扇子一本で対峙し、勘解
由が己の持つ太刀を、鬼次郎の持つ扇子で押しつけられ、己の肩
を斬ってしまうなど、鬼次郎は、かなりの剣豪でもある。また、
大蔵卿が、本心を平家側には、覚られないようにしながら、観客
に本心を見せるのは、鬼次郎あてのシグナルの場合である。鬼次
郎とは、目と目で、コミュニケーションを図る。常磐御前も、鬼
次郎に向けて、情報を発信しているから、動きは少なく、地味な
ので、気がつき難いが、いわば、芝居の要にいるのが、梅玉であ
る。

本舞台から階段へ乗り出す際、飛び上がって、左右の足を段違い
に着地する吉右衛門の大蔵卿。これも、緊張する場面だ。本心を
隠し、的確に阿呆顔を続ける、抑制的な、器の大きな知識人・大
蔵卿は、かなり難しい役であろうと思う。吉右衛門自身は、大蔵
卿を「見た目よりも動きの激しい、やる事の多い辛い役」だと
言っている。金地に大波と日の出が描かれた扇子を使いながら、
阿呆と真面目の表情を切り換えるなど、阿呆と真面目の使い分け
を緩急自在な、緩怠なき演技で表現する吉右衛門。太刀持ちの女
小姓・弥生を演じたのは、芝のぶ。仕どころは、少ないが、絶え
ず、吉右衛門の大蔵卿の傍にいるので、おいしい役どころ。

清盛方の勘解由(段四郎)と勘解由女房・鳴瀬(吉之丞)は、哀
しい。やがて、自害する運命にある鳴瀬。深手の末に、大蔵卿に
首を落される勘解由。「死んでも褒美の金が欲しい」という勘解
由の科白は、280年前の原作者からの時空を超えたメッセー
ジ。勘解由の首と源氏所縁の重要な宝剣・友切丸を鬼次郎に託す
場面の大蔵卿は、公家ながら、一瞬、颯爽の、武士の顔を垣間見
せるが、その後、偽装の阿呆顔に戻る。

笑いのうちに、昼の部は、終了。正月興行の演目らしい、明るさ
が、閉幕後も、場内に漂っている。今回は、配役のバランスもよ
く、安定した舞台であった。見せ場の、大蔵館奥殿の竹本も、葵
太夫で、きちりと語る。吉右衛門、福助が、歌舞伎の次の時代の
軸になって来る事を予見させる舞台であった。


「けいせい浜真砂」は、初見。1839(天保10)年、大坂、
角の芝居で二代目富十郎が出演して、初演された。立役が主役の
舞台を女形に書き換えたものは、多数の作品があるが、今回は、
石川五右衛門を傾城の石川屋真砂路に置き換えた。桜が満開の南
禅寺山門が舞台。幕が開くと、舞台一面、浅葱幕で覆われてい
て、上手、幕外の山台に大薩摩(長唄の荒事演出。普通は、幕外
に立って演じるので、山台は、珍しい)のふたりによる置唄とな
る。「九重の桜の匂う山門の・・・」で、2連の三味線が早間に
なると、浅葱幕の振り落としで、舞台は、一気に華やかになる。
山門の大道具の、2階に、ことしの夏で88歳、米寿を迎える雀
右衛門が、初役の傾城姿で、立っている(合引には座っているだ
ろう)。銀の長煙管を持ちながら、「絶景かな、絶景か
な・・・」。小さいが、声は聞こえる。但し、顔が、小さくなっ
ている。痩せたのだろうか。石川屋真砂路は、真柴久吉に討たれ
た武智光秀の息女。父を亡くし、苦界に身を沈めただけに、久吉
に害意を抱いている。久吉の子息を巡り、同じ傾城仲間との恋の
鞘当てを演じているという趣向。やがて、大道具が、せり上が
り、中央せりからは、久吉(吉右衛門)が、上がって来る。山門
下を通りかかったという体。

「石川や 浜の真砂は尽きるとも」と久吉。不審顔の真砂路。
「実に恋草の種は尽きまじ」と下の句をつける久吉。妖しい奴
と、簪を抜き取り、手裏剣代わりに投げる真砂路。手に持ってい
た柄杓で、これを受け止めると、「巡礼にご報謝」と言う久吉。

一枚の、動く錦絵のような舞台。10分余りの舞台だが、動きの
少ない役ながら、風格のある雀右衛門の存在感がある。器量の大
きさを演じる吉右衛門が、これをじっくりと受け止める。


「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)−魚屋宗五
郎−」は、7回目。黙阿弥の原作は、怪談の「皿屋敷」をベース
に酒乱の殿の、御乱心と、殿に斬り殺された腰元の兄の酒乱とい
う、いわば「酒乱の二重性」が、モチーフだった。五代目菊五郎
に頼まれて、黙阿弥は、そういう芝居を書いた(だから、外題
も、「新皿屋舗」が、折り込まれている)のだが、現在、上演さ
れるのは、殿様の酒乱の場面が描かれないため、妹を殺され、殿
様の屋敷に殴り込みを掛けた酒乱の兄の物語となっている。実
は、五代目菊五郎は、妹・お蔦と兄・宗五郎のふた役を演じた。
殿様を狂わせるほどの美女と酒乱の魚屋のふた役の早替り、それ
が、五代目の趣向でもあった。そういう、作者や初演者の趣向、
工夫魂胆を殺ぎ落とせば、殺ぎ落とすほど、芝居は、つまら
なくなる。現在の上演の形だと、芝居の結末が、いつ観ても、つ
まらない。だから、あまり、好きでは無い。

「もうこうなったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」。
これだけは、小気味の良い科白だ。「芝片門前魚屋内の場」から
「磯部屋敷」の場面のうち、前半の「玄関先の場」までの、酔
いっぷりと殴りこみのおもしろさと後半の「庭先の場」、酔いが
醒めた後の、殿様の陳謝と慰労金で、めでたしめでたしという紋
切り型の結末は、なんともドラマとしては、弱い。暮に歌舞伎座
で観た「筆屋幸兵衛」と同じだ。安直な結末。妹を理不尽に殺さ
れた兄の悔しさは、時空を越えて、現代にも共感を呼ぶ筈だ。な
んとか、原作を活かした形で、再演できないものかと、今回も、
思った。

兄の宗五郎は、團十郎、勘九郎時代を含めて、勘三郎(2)、菊
五郎、三津五郎、幸四郎(今回含めて、2)、5人の役者で、観
ている。宗五郎の女房・おはまは、病気休演中の澤村藤十郎、福
助、田之助、芝雀、時蔵(2)、そして今回の魁春。それぞれ、
持ち味の違う宗五郎、おはまを観たわけだ。

己の酒乱を承知していて、酒を断ちって、抑制的に生活をしてい
た宗五郎が、妹のお蔦の惨殺を知り、悔やみに来た妹の同輩の腰
元・おなぎ(高麗蔵)が、持参した酒桶を女房のおはま(魁春)
ら家族の制止を無視して全て飲み干し、すっかりでき上がって、
酒乱となった勢いで殿様の屋敷へ一人殴り込みを掛けに行くまで
の序幕「魚屋内の場」で、幸四郎は、「酒乱の進行」をたっぷり
見せてくれる。いつものオーバーアクションも、余り気にならな
い。というより、宗五郎は、誰が演じても、「たっぷり」と大向
こうから、声が掛るような演技をするからだ。

宗五郎は、次第次第に深まって行く酔いを見せなければならな
い。妹の遺体と対面し、寺から戻って来た宗五郎にお茶を出す。
お茶の茶碗が、次の展開の伏線となるので、要注意。まず、お茶
を飲み干す。いずれ、この茶碗で、酒を呑むことになる。禁酒し
ている宗五郎は、供養になるからと勧められても、最初は、きっ
ぱりと断る。酒を呑まない。やがて、娘の死の経緯を知った父親
から、「もっともだ、もっともだ、一杯やれ」と勧められると、
1杯だけと断って、茶碗酒をはじめる。「いい酒だア」。それ
が、2杯になり、3杯になる。早間の三味線が、煽るように演奏
される。父親にも、酒を勧める宗五郎。父親が、断ると、「親父
の代りに、もう一杯」という。家族から反対されるようになる。
酒乱へ向けて、おかしな気配が漂い出す。陽気になる。強気にな
る。饒舌になる。茶碗から、酒を注ぐ、「片口」という大きな器
を奪う。それを見た家族らから制止されるようになる。黙阿弥の
原作からして、オーバーアクションを唆す工夫魂胆が伺える。

「もうこうなったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」と
宗五郎も、覚悟をきめる。やがて、皆の眼を盗んで、酒桶そのも
のから直接呑むようになる。それでも、呑み続ける。「もう、そ
れぎりになされませ」と、女房がとめるが、聞かない。そして、
全てを呑み尽してしまう。ここは、オーバーアクションが、そも
そもの趣向なのだ。暴れだし、格子を壊して、家の外へ出て行
く。祭囃子が、大きくなり、宗五郎の気持ちを煽り立てる。花道
七三にて、幸四郎は、酒樽を右手に持ち、大きく掲げる。附け打
の柴田正利も、力が入る。このところ、世話物に積極的に取り組
んでいる幸四郎は、意欲的だ。

五代目菊五郎が練り上げ、六代目菊五郎が、完成したという酔い
の深まりの演技は、緻密だ。まさに、生世話物の真髄を示す場面
だ。この場面は、酒飲みの動作が、早間の三味線と連動しなけれ
ばならない。私が観たうちでは、幸四郎だけは、糸に乗るのが、
巧くなかったが、踊りの巧い菊五郎、勘三郎、三津五郎は、糸に
乗っていた。酔いの演技では、團十郎は、また、3人とは違う巧
さがある。

この場面で、宗五郎の酔いを際立たせるのは、宗五郎役者の演技
だけでは駄目だ。脇役を含め演技と音楽が連携しているのが求め
られる。特に、おはまは、これまで観たところでは、時蔵の演じ
る女房・おはまが、断然良かった。生活の匂いを感じさせる地味
な化粧。時蔵は、色気のある女形も良いが、生活臭のある女房の
おかしみも良い。今回の魁春も、最近は、こういう役どころに力
を発揮するようになった。今回も、良かった。

小奴・三吉は、十蔵時代の市蔵、獅童、正之助時代の権十郎、松
緑、勘太郎、そして今回を含み2回目の染五郎を観ているが、
04年5月、歌舞伎座で観たときの松緑の三吉と、染五郎が良
い。剽軽な小奴の味が、松緑にはあったし、染五郎は、剽軽な役
で、独特の味を出す。この場面は、出演者のチームプレーが、巧
く行けば、宗五郎の酔いの哀しみと深まりを観客にくっきりと見
せられる。

このほかの役者では、二幕目では、初役ながら、歌六の家老・浦
戸十左衛門が、落ち着いていた。そもそも、「魚屋宗五郎」とい
う芝居が、初めてだという。錦之助の殿様・磯部主計之助は、先
の、襲名披露の舞台に続けて、同じ役で出演。


「お祭り」は、團十郎の主演。難病を克服して舞台復帰をし、お
ととしの夏、還暦を迎えた團十郎。代々12人の團十郎の内、團
十郎の名前で、還暦を迎えた人は、ふたりしかいない。「お祭
り」は、1826(文政9)年、三代目三津五郎初演の変化舞踊
の一幕。江戸の天下祭は、神田祭と山王祭が、二大祭といわれ
た。隔年で、交互に開かれる。「お祭り」は、山王神社の祭り
「山王祭」を題材にしている。やはり歌舞伎で演じられる「神田
祭」は、神田明神の祭を題材としている。ところが、歌舞伎の場
合、「お祭り」という外題で、内容は、「神田祭」だったり、外
題も、きちんと「神田祭」だったりするが、実は、区分けが、い
い加減で、混在していて、歌舞伎座筋書の上演記録も、分けた
り、いっしょにしたりしているから、要注意。

山王祭は、一番鶏、二番猿という山車が先達になるので、清元の
文句が、「申酉の」で始まるから、通称「申酉(さるとり)」と
いう。私が、「お祭り」を最初に観たのは、大病を煩い、休演し
ていた孝夫時代の仁左衛門が、久々の舞台復帰で、大向うから、
「待ってました」と声がかかると、「待っていたとは、ありがて
い」と答える声に、健康を取り戻した役者の喜びが、溢れていた
のを思い出す。94年1月の歌舞伎座であった。

開幕。下手に剣菱の積み物、上手に清元連中。舞台を覆う浅葱幕
が振り落とされると、舞台中央に、紺を染め抜いた白地の衣装
(縮緬に首抜き)も凛々しい團十郎の鳶頭は、桃色の牡丹の花を
付けた花笠(祭笠)と同じ牡丹の絵柄(銀地にピンクの牡丹)の
扇子(祭扇)を持っている。今回も、2回目の闘病生活に打ち
勝って復帰した團十郎の「お祭り」だけに、やはり、大向うか
ら、「待ってました」と声がかかると、團十郎は、「待っていた
とは、ありがてい」と答える声に、健康を取り戻した役者の喜び
が、溢れていた。團十郎は、上手、下手、中央と観客に挨拶。役
者と観客の熱い交流。8人の若い者との立ち回り。獅子舞(若い
者、途中で團十郎と入れ替る)、おかめ、ひょっとこの面、御
幣、竿灯(御祭礼)などの小道具。正月興行らしい、華やぎ。
- 2008年1月20日(日) 16:03:36
2007年12月・歌舞伎座 (夜/「菅原伝授手習鑑」、「粟
餅」、「ふるあめりかに袖はぬらさじ」)


いつもと一味違う「寺子屋」


「菅原伝授手習鑑〜寺子屋〜」は、国立劇場の前進座公演もふく
めて、今回で13回目。今回の舞台は、勘三郎になって、初めて
の松王丸を演じる。勘三郎は、勘九郎時代に、明治座と大阪中座
で、2回、松王丸を演じているが、歌舞伎座で演じるのは、初め
てである。私も、勘三郎の松王丸は、今回が初見である。従っ
て、劇評も、勘三郎の松王丸論を軸にする。

「寺子屋」では、松王丸と千代の夫婦と源蔵と戸浪の夫婦が、両
輪をなす。今回は、千代が、福助、源蔵が、海老蔵、戸浪が、勘
太郎という布陣である。「寺子屋」では、源蔵の出が、早いため
に、松王丸を論じる前に、源蔵を論じてしまう。今回も、同じ轍
を踏もう。

「寺子屋」の、いわゆる「源蔵戻り」。

「(竹本)立ち帰る主の源蔵、常に変わりて色青ざめ、内入り悪
く子供を見廻し、
 ト向うより源蔵、羽織着流しにて出で来り、すぐ内へ入る」

前回の劇評で、私は、次のように書いた。

吉右衛門の源蔵は、花道七三で、「はっ」と、息を吐いた。先程
まで、村の饗応(もてなし)と言われて出向いた庄屋で、藤原時
平の家来・春藤玄蕃から自宅に匿っているはずの菅秀才の首を差
し出せと言われ、思案しながら歩いて来たので、「もう、自宅に
着いてしまったか」という、諦めの吐息であっただろうか。初代
の工夫か。このように、吉右衛門は、初代の科白廻しや所作を継
承しているように見え、科白も、思い入れたっぷりに、じっく
り、叮嚀に、それでいて、力まずに、抑え気味に、秘めるべきは
秘めて、吐き出しているように感じられた。オーバーにならない
程度に抑えながら、リアルに科白を廻す。

ところが、今回の海老蔵は、これほど、藝が細かく無い。もう、
花道の出だけで、力量が知れてしまう。科白も、唄い気味で、良
く無い。迎える勘太郎の戸浪も、形をなぞっているだけという印
象。こうなってくると、今回の劇評も、コンパクトにならざるを
得ない。

さすがに、海老蔵・勘太郎コンビに比べると、勘三郎・福助コン
ビは、レベルが違う。しかし、勘三郎は、達者にやりすぎてい
て、幸四郎、吉右衛門、仁左衛門らの松王丸とは、ちょっと違
う。ズバリ言うと、松王丸というより、勘三郎そのものなのだ。

いわゆる「首実検」。

「松王首桶をあけ、首を見ることよろしくあって」

勘三郎の松王丸は、「むう、こりゃ菅秀才の首に相違ない、相違
ござらぬ。出かした源蔵、よく討った」と、唄ってしまう。調子
が良すぎる。勘三郎の科白廻しは、今回、一貫して唄いすぎてい
たように思う。

福助の千代は、しっとりとしていて、良い。菅丞相の御台所・園
生の前は、松也というから清新だ。春藤玄蕃が市蔵、涎くり与太
郎が亀蔵と松島屋兄弟が、脇を固める。いずれにせよ、良し悪し
は別にして、13回観た「寺子屋」のなかでも、いつもと、一味
違う舞台であった。


三津五郎の踊りに引っ張られて橋之助の踊りも、良かった


「粟餅」は、初見。踊りの達者な三津五郎を軸に橋之助が、いか
に、絡むかをポイントに劇評をまとめたい。1845年の作品。
本名題は、「花競俄曲突(はなのほかにわかのきょくづき)」と
ある。「はなのほかにはまつばかり」という「娘道成寺」の文句
が、二重写しになるように、初演時は、「今様道成寺」(上)か
ら、「粟餅」(下)という構成であったと言う。「道成寺」の衣
装から、引き抜きで、「粟餅」の衣装になる趣向だったようだ
が、上の巻は、廃れて、下の巻のみ、現在まで残った。江戸の街
では、往来で粟餅を搗いてみせる際に、曲搗きや曲投げなどが、
大道藝になったようで、幕末の江戸の縁日などで庶民の人気を集
めたという。

幕が開くと、まず、浅葱幕で、置き浄瑠璃(常磐津)「来たきた 
来たきた してこいな」。幕の振り落しで、杵造(三津五郎)、
臼造(橋之助)が、江戸で評判の粟餅売りに扮して出て来る賑や
かな呼び声とともに、早速、粟餅を作りはじめる。臼と杵。淡い
黄色の餅の塊。「やきもち、癇癪持ちで、とかく物事、胸にもち
そう」などという地口で、観客を笑わせる。曲投げ、曲取りを披
露したりする。遊女と客の様子を躍りで写したり、「六歌仙」を
交え、茶色地に白く「あハ餅」と書かれた団扇太鼓で、賑やかに
踊る。背景は、大川(隅田川)と商家。蔵や小さな庭がある。材
木屋には、材木が立て掛けてある。用水桶、柳の木。大川の向う
側にも、材木が立て掛けてある商家が目につく。火の見櫓もあ
る。「火事と喧嘩は、江戸の花」。三津五郎の腰の落し方、上半
身を軸にした安定した踊り、足捌きの切れの良さ。橋之助も、三
津五郎に遅れまいとしながら、きちんと、付いて行き、よかっ
た。ただし、橋之助の踊りは、三津五郎の軽妙さには、負けてし
まう。

街頭の餅搗きが出て来る、同じような舞踊を観たことがあるの
で、なんとか、「遠眼鏡戯場観察」の、9年分の記録の山から探
し出そうと、キーワードを使って検索してみたが、見つからない
ので、比較論を断念した。


新派劇だが、新作歌舞伎への脱皮を目指す


「ふるあめりかに袖はぬらさじ」は、初見。玉三郎は、新派とし
て、軸になって、何回も、主役の「お園」を演じて来たが、歌舞
伎役者だけで、それも、歌舞伎座で演じるのは、今回が初めてで
ある。新派劇か、新作歌舞伎か、といえば、まだ、新派劇。歌舞
伎の世界では、歌舞伎というのは、幕末以前(あるいは、明治期
の演劇改良運動以前)から遡った演目を指す。古典という。新歌
舞伎とは、明治以降、戦前までに、劇場外の作者の手で作られた
演目であり、戦後(と言っても、もう、60年を越える)に作ら
れた演目は、新作歌舞伎という。新歌舞伎、新作歌舞伎となるに
連れて、歌舞伎味の乏しい、歌舞伎役者が演じる劇も、歌舞伎の
範疇に入れたりしているが、本来は、演出、様式性、大道具など
の使い方から見れば、厳密には、区別されてしかるべきだろう。
今回も、歌舞伎役者だけで演じる新派劇ゆえに、歌舞伎座は、普
通の劇場のように、観客席を始終暗くしたままであった。従っ
て、いつもの歌舞伎ウオッチングのようには、メモが取れないの
で、印象論的な劇評にならざるを得ないのが、残念である。

特に、歌舞伎の舞台と違って、本舞台奥に書割りが無く、違った
趣向の大道具が置いてある。例えば、第一幕の「横浜岩亀楼の行
灯部屋」の場面など、観客席から見て部屋の向う(つまり、舞台
の奥)には、雨戸と障子があり、最初は、朝を迎えたばかりで、
雨戸が閉まっているから、部屋の様子さえ、暗くて良く見えな
い。病気で寝ている花魁の亀遊(七之助)の様子を見に来た芸者
のお園(玉三郎)の声は、聞こえるのだが、姿が、はっきりしな
いというほどの暗さでは、客席にいる私の手許では、メモに字を
書くなどという藝当は、所詮無理である。やがて、雨戸が明けら
れ、朝の灯が、部屋の中に射して来るという趣向である。さら
に、障子が開けられると、空が見えるし、そこに立って、窓の外
を見ているお園に言わせれば、横浜に港が見えるという。この行
灯部屋は、屋根裏にあるのだろう。歌舞伎座の大きな舞台のう
ち、下手半分だけで設えてあり、上手は、暗いままであった。お
園と亀遊とのやりとりの後、岩亀楼のお抱えの通辞(通訳)の藤
吉(獅童)が、部屋に入って来る。お園は、若いふたりの仲を素
早く察知する。吉原時代から姉妹のように付き合って来たお園と
亀遊。蘭学を学び、将来は、アメリカに渡り、医学を治めて、医
者になりたいという藤吉。藤吉の渡した薬(と愛情)で、恢復し
つつある亀遊。物語の軸になる主要な人物たちの関係が浮き上
がって来る。

第二幕は、翌年2月の「横浜岩亀楼の引付座敷扇の間」。第一幕
から、3ヶ月後。岩亀楼があるのは、横浜の港崎(みよざき)遊
廓。安政6(1859)年、横浜開港に伴って作られた廓であ
る。岩亀楼は、実際にあった大きな遊廓。七之助演じる亀遊は、
実在の人物とも伝えられるが、アメリカ人の身請けを嫌って自害
した際に遺したとされる「露をだにいとふ大和の女郎花 ふるあ
めりかに袖はぬらさじ」という辞世の和歌は、攘夷論者によっ
て、作られたものといわれている。ここでは、第一幕の3人に加
えて、アメリカ人を案内して来た客の薬種問屋の主人(市蔵)、
アメリカ人(弥十郎)、岩亀楼主人(勘三郎)、芸者(笑三郎、
春猿)、幇間(猿弥)、唐人口(外国人専用)の遊女(福助、吉
弥、笑也、松也、新悟、芝のぶ)らが登場し、歌舞伎座の本舞台
一杯に設えられた「扇の間」は、大賑わい。その挙げ句、唐人口
の遊女が気に入らないアメリカ人は、薬種問屋の相方として現れ
た亀遊に一目惚れをしてしまい、六百両で、身売りする話が、ま
とまってしまう。藤吉と恋仲で、アメリカ人の囲い者になりたく
ない亀遊は、自害をしてしまう。開化横浜の風俗が、描かれる興
趣ある舞台である。

第三幕は、2ヶ月後の、同じ部屋。亀遊の死を報じる瓦版が出
て、記事には、辞世の歌が添えられて、攘夷遊女の死が称えられ
ていて、話題になっているという。その影響が出始めていて、早
速。浪人の客たち(権十郎、海老蔵、右近)が、亀遊自害の部屋
を見せて欲しい訪ねて来る。現場となった亀遊の部屋を見せる
と、あのような部屋で亀遊を死なせるとはけしからんと浪人たち
は怒り出す。岩亀楼主人(勘三郎)は、苦し紛れに、「扇の間」
を亀遊の死に場所だと偽りを言い、自害の様子の一部始終を見届
け人としてお園を指差してしまう。お園も主人の意向を受けて、
偽りの話をでっち上げると、浪人たちは、満足して帰って行く。
次の客たち(友右衛門、亀蔵、男女蔵)が来るとお園は、攘夷遊
女亀遊の一代記を得々と話すようになる。虚偽を語るときの、お
園の生き生きとした表情は、玉三郎の当り役としての輝きが加
わっているようだ。こうして、「ふるあめりかに袖はぬらさじ」
という新作歌舞伎のテーマは、次第に鮮明になって行く。つま
り、虚偽を売り物にする人たちの物語である。何やら、マスコミ
を騒がせている各地の老舗の食品店の虚偽騒動という、いまの話
題と直結してくるではないか。

第四幕は、5年後の、同じ部屋である。「烈女亀遊自決之間」と
いう看板が架かっている。牢内で獄死した攘夷派の大橋訥庵が主
宰した「思誠塾」の塾生たち(三津五郎、橋之助、門之助、勘太
郎、段治郎)が、亡き先生の祥月命日の集いをしている。攘夷遊
女亀遊の話が聴きたいということになって、お園が呼ばれる。定
席の亀遊の一代記を語り、1862(文久2)年に亡くなった亀
遊の辞世の歌を1857(安政4)年に、吉原で馴染みとなった
大橋訥庵からお園が教わったといったから、岩亀楼の仕組んだ
「虚偽」が、ばれてしまった。お園は、塾生らに斬られそうにな
るが、攘夷派が攘夷遊女亀遊を喧伝したお園を斬って捨てるの
も、問題になるということで、助けられる。雨が降る中、ひとり
酒を呷り、自分の話は、全て本当だと嘯くお園の孤独な姿が、印
象に残る。

勘三郎が演じる岩亀楼主人の嘘は、攘夷遊女という虚偽を、商売
として利用するための虚偽で、分かりやすい儲け主義だが、玉三
郎が演じるお園の嘘は、フィクションを語ることの快楽としての
虚偽。虚偽は、いつの間にか、虚実の裂け目をすり抜けて、嘘か
真か、判らなくなってしまっている。麻薬としての虚偽。それ
は、玉三郎の科白廻しの巧さが、大いに力を発揮しているように
思えた。玉三郎の自然な科白。力みがなく、サラッとしているの
だが、説得力がある。当たり役の自信が滲み出ている。新派劇で
あれ、新作歌舞伎であれ、そういうことに対するこだわりを忘れ
て、玉三郎に注目し続けさせた舞台であった。お園は、口舌の徒
として、岩亀楼の「烈女亀遊自決之間」を訪れた飄客たちを騙し
たが、玉三郎も、科白廻しの妙で、歌舞伎座を訪れた観客たちの
心をつかみ取った。

贅言:見えない海。舞台の奥、大道具の窓の光だけで、描かれ
る。しかし、最後に、窓の外に大写しにされるのは、船か。老
練、戌井市郎の演出の妙なのか、どうか。抽象的で、良く判らな
い演出だったが、玉三郎の演技の妙を妨げはしない。

最後に、玉三郎以外の役者の演技論で、07年の私の歌舞伎評を
締めくくろうと、思う。この芝居には、筋書に明記された役者だ
けで、45人いる。まず、勘三郎だが、狡い岩亀楼主人を演じて
いて、巧みであった。唐人口遊女マリアを演じた福助は、笑われ
役で、リアリティがあり、最近の福助は、どんな役柄でも、力を
抜かずに演じていて、地力を確実に見煮付けていることが伺われ
る。七代目歌右衛門襲名が、近づいているように思われる。花魁
の亀遊を演じた七之助は、行灯部屋で、儚げに病んでいて、好
演。女形の味が、滲んでいた。亀遊の恋人で、岩亀楼のお抱えの
通辞の藤吉を演じた獅童は、玉三郎、七之助、勘三郎を相手に仕
どころの多い役で、おいしい役どころ。きちんと演じていて、好
感が持てた。「思誠塾」の塾生たち役者のうち、三津五郎、橋之
助、門之助、勘太郎、段治郎らは、大団円への伏線を作る。その
前の浪人客では、権十郎、海老蔵、右近らが、また、旦那衆で
は、亀蔵、男女蔵、友右衛門が、唐人口の遊女らでは、吉弥、笑
也、松也、新悟、芝のぶが、それぞれ笑劇の役割を担う。ひとり
洋服を着て、件の外人客イルウスを演じた弥十郎、狂言廻しの薬
種問屋の市蔵、幇間を演じた猿弥、芸者群のうちの、笑三郎、春
猿、女中の歌女之丞、遣り手の守若、帳場の寿猿など、師走興行
らしく、随所に、澤潟屋一門が、顔を出していて、安心した。
- 2007年12月27日(木) 21:34:37
2007年12月・歌舞伎座 (昼/「鎌倉三代記」、「鬼揃紅
葉狩」、「水天宮利生深川」)


「閑居」は、侘び住居どころか、大忙し


「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」は、4回目の拝見。源氏の家督を
巡って北條時政率いる鎌倉方と源頼家率いる京方との争いは、徳
川方と豊臣方の争い(大坂夏の陣)を下敷きにしている。歌舞伎
では、「閑居」(侘び住居)が、よく芝居の舞台となる。「仮名
手本忠臣蔵」の「山科閑居」。「傾城反魂香」も、「山科閑居」
(そう言えば、二重舞台の設定が、絹川村閑居と「傾城反魂香」
の山科閑居は、似ている。下手に薮があり、上手に座敷がある。
襖などは、「傾城反魂香」の方は、漢詩などが書かれていて、武
張っているが)。「絵本太功記」の「尼ヶ崎閑居」など、思いつ
くままに上げても、いくつかある。「閑居」では、登場人物たち
が、のんびり暮らしているわけでは無い。「小人閑居して不善を
なす」などと良く言うが、歌舞伎の「閑居」は、不都合なことが
あり、事実上、「幽閉」されているため、起死回生を心に秘めて
いるような場合が、多い。今回の「閑居」では、北條時政の娘の
時姫が、京方、つまり敵方の武将・三浦之助に惚れてしまい、三
浦之助の実家にいる病気の母親の手伝いをしようと押し掛けて来
ている。しかし、敵方の姫君の女心は、戦の中での謀略かと肝腎
の三浦之助本人からは、疑われている。鎌倉方の家来たちが、主
君の姫君を助け出そうと幾人もやって来る。その挙げ句、三浦之
助は、時姫に父親・時政殺しを持ちかける。「閑居」は、そうい
う政治に翻弄されている。それだけに、時姫は、難役である。今
回、初めて、福助の時姫を拝見した。これまでは、いずれも、雀
右衛門ばかりを観て来た。

この演目は、時代物のなかでも、時代色の強いものだから、時代
物の「かびくささ」「古臭さ」「堅苦しさ」などを逆に楽しめば
良いと思っている。特に、雀右衛門の時姫は、時代物の様式に
乗っ取り叮嚀に演じていた。今回初見の福助は、どう演じるか。
「鎌倉三代記〜絹川村閑居〜」は、そこが、私の観劇のポイン
ト。4回目の拝見だが、当サイトの「遠眼鏡戯場観察」に掲載さ
れている劇評は、04年1月のみ。それ以前の舞台を観たとき
は、当サイトは、開設されていなかった。

時姫を含めて、歌舞伎では、難しい姫の役を「三姫」という。
「三姫」とは、「本朝廿四孝」の「十種香」に出て来る八重垣
姫、祇園祭礼信仰記〜金閣寺〜」の雪姫、そして、今回の「鎌倉
三代記〜絹川村閑居〜」の時姫という3人の姫君のことである。
時姫の難しさは、「赤姫」という赤い衣装に身を包んだ姫君であ
りながら、世話女房と二重写しにしなければならないからだろう
し、時姫の置かれている立場の苦しさをきちんと描かなければな
らないからだろう。物語は、「近江源氏先陣館」(大坂冬の陣)
の続編。大坂夏の陣を鎌倉時代に移し替え、時姫(千姫)に父
親・北條時政(徳川家康)への謀反を決意させるという筋書きで
ある。夫・三浦之助(豊臣方の木村茂成)と父親との板挟みにな
り、苦しむという、性根の難しさを言葉ではなく、形で見せるの
が難しいので、「三姫」という姫の難役のひとつと数えられて来
た。赤姫の扮装に手拭を姉さんかぶりにし、箒を持って、夫の実
家を掃除している。そういうある意味では、破天荒で、荒唐無稽
な姫様が、苦悩していることを観客に理解させなければならな
い。このところ力を付けて来ている福助は、時姫を以前に国立劇
場で演じているが、私は観ていない。福助は、五代目歌右衛門か
ら伝わるやり方を踏襲していると言う。

今回初見の福助は、無難にこなしているが、雀右衛門の時姫の方
が、位があり、見応えがあったように思う。それは、福助が、科
白で時姫を主張しているからで、これに対して、雀右衛門は、科
白より、所作で見せていた。雀右衛門の時姫が、言葉より、形で
迫って来たのに対して、福助は、科白を重視しているように見え
た。雀右衛門も、87歳と、最近は、高齢で、短い演目で動きの
少ない役柄ばかりを選んで舞台に立つようになってきたので、も
う、時姫などは、見られないだろうが、雀右衛門を除けば、福
助、魁春、扇雀、病気休演中の藤十郎辺りしか、ここ30年で
は、時姫を演じていない。福助には、さらに、時姫を極めて、所
作だけでも、演じられるようにしてほしいと思った。玉三郎の時
姫も観てみたい。

京方の、佐々木高綱(真田幸村)は、前半は、時姫を連れ戻そう
とする、鎌倉方の足軽・安達藤三郎(三津五郎)に化けている。
滑稽役の藤三郎と、後半の武将・佐々木高綱への変わり身が、身
上の役どころ。「地獄の上の一足飛び」で、真っ赤な舌をだし
て、両手を垂れた無気味な見得をするのも、この時代物の古臭さ
が、かえって、斬新に見えるから不思議だ。井戸から出入りする
富田六郎(亀蔵)を井戸の中から槍で突き殺してから上がって来
る三津五郎は、最初、後ろ姿を曝す。振り向くと、赤の襦袢に六
文銭(真田の紋章)柄の衣装、菱皮の鬘に、左眉の上に痣か、入
墨か、何かがあり、白と紫の仁王襷、それでいて、前半の藤三郎
に化けていたとき穿いていた軍兵のたっつき袴という古風な衣装
である。いつもの高綱とは違う、「義経千本桜」の「鳥居前」
の、狐忠信を思わせるような荒事の出立ちで、井戸の中から、登
場して来るのもおもしろい。いかにも、歌舞伎のお助けマンとい
う出立ちである。祖父の八代目三津五郎の工夫を50年ぶりに復
活させたという。従って、いつもの、衣装ぶっかえりは無い。ま
さに、旧いものは、新しいという珍しい型を見せてくれる。こう
いうところが、良し悪しは、別にして、歌舞伎らしい趣向。私
は、おもしろいと思った。殺された六郎は、黒衣が、広げる黒い
消し幕に隠されて、下手に移動しながら、片付けられる。平舞台
に上がって来た高綱は、持っていた槍を平舞台上手よりに置いて
あった石に突き刺す(この石は、この場面のために、最初からお
いてあったというわけだ)。

三浦之助(橋之助)の身につけている簑が、「天使の羽」のよう
に見える。前回、3年前の1月歌舞伎座で観た菊五郎の時も、天
使のような天真爛漫さが、あったが、今回の橋之助も同様に見え
た。実母・長門(秀調)を心配して、三浦之助は、戦場から戻っ
て来たのだが、母からは、拒絶される。実は、三浦之助は、病気
の母を見舞うということを口実に妻・時姫の父親への謀反を決意
させるために戻って来たという難しい役。橋之助の三浦之助の難
点は、戦場で深い傷を負って来た筈なのに、いつしか傷の深さを
忘れてしまっているような仕草が目立つことだ。それでいて、傷
の余りに、失神してしまうと、高綱が、三浦之助が、二重舞台に
置きっぱなしにしてあった弓を取り、三浦之助の気付けにと打ち
据える(舞台に置いてある、或いは、置きっぱなしになっている
小道具は、必ず、後で使うから、注意しておくと、おもしろ
い)。

長門は、ちょっとしか、顔を見せないだけに、難しい。前回観た
田之助は、重厚であったが、秀調の老け役は、悪くは無いのだ
が、田之助にくらべると、未だ、軽い感じがする。長門を最初に
観たのは、11年前の、96年5月の歌舞伎座で、上演記録を見
ると十代目芙雀とあるが、印象に残っていない。4人の長門のう
ち、ほかは、又五郎であった。

このほか、時姫救出を時政から命じられたふたりの局(歌江、鐵
之助)や、閑居の庭内にある井戸から出入りする富田六郎など、
時政の手の者が、井戸のなかの抜け道を使うなど、時代物らしい
荒唐無稽さが、かえって、おもしろい。亀蔵の六郎は、強盗提灯
(がんどうぢょうちん)の扱い方が、肌理細かくて良い。この場
面、大道具半廻しで、閑居の横側が、上手正面に移動して来るの
に、背景の薮は、動かない。普通なら、平舞台に置いてある薮
が、綱が見えない様に緑に塗られて薮をぶら下げているのが判
る。この工夫で、薮は、大道具半廻し前の、下手半分から、下手
4分の3まで、広がって来る。こういう大道具の工夫など、見落
せば、見落してしまうが、ウオッチングをしていると、ひっか
かって来るから、おもしろい。藤三郎の女房・おくる(右之助)
など、時代物を知り尽くした達者な役者が脇を固めている。おく
るも、自分たち夫婦が、京方のお役にたったと喜びながら、自害
して、果てる。おくるも、黒い消し幕に隠されて、消えて行く。
「鎌倉三代記」は、時代物の好きな人には、そういう時代物独特
の演出の様式やそれを熟知した傍役の手堅い演技を楽しめる演目
だろう。


「信濃路紅葉鬼揃」は、新作歌舞伎舞踊


能の「紅葉狩」をベースにした歌舞伎の舞踊劇は、新歌舞伎十八
番の「紅葉狩」が、良く知られている。平維茂(たいらのこれも
ち)が、従者を連れて信州戸隠山へ紅葉狩に行き、更科姫一行と
出くわす。酒宴に招かれ、酔って眠ってしまう。夢の中に戸隠山
の山神が現れ、更科姫は、実は、鬼女で、維茂らを食おうとして
いると告げる。やがて、お告げの通りに招待を現した鬼女たちと
争い、退散させるという粗筋の物語である。「紅葉狩」は、何回
か拝見している。「鬼揃紅葉狩」というものも観たことがある。
60(昭和35)年4月、歌舞伎座で吉右衛門劇団の興行とし
て、六代目歌右衛門を軸に初演された新作歌舞伎舞踊で、私は、
06年9月の歌舞伎座で、観ている。筋立ては、基本的に「紅葉
狩」を下敷きにしている。更科姫が、後シテで、戸隠山の鬼女に
なるのは、同じだが、こちらは、侍女たちも鬼女に変身するの
が、ミソ。そのときの劇評を見ると、私は、幕開きの状況を次の
ように説明している。

軒先きのみの大屋根を舞台天井から釣り下げている。信州・戸隠
山中。上手に竹本、中央に四拍子(囃子)、下手に常磐津。そし
て途中から、床(ちょぼ)で、御簾を上げて大薩摩。

今回も、「軒先きのみの大屋根を舞台天井から釣り下げている」
のは、同じだ。上手に竹本、中央に長唄連中、四拍子。今回は、
常磐津も、大薩摩も、無し。竹本と長唄の掛け合いだ。今回は、
維茂以外は、固有名詞を使わない。皆、記号である。まず、長唄
で、玉三郎の上臈(実は、鬼女)一行が、花道から登場する。玉
三郎は、金地に紅葉をあしらった豪華な能装束を着ている。ほか
の侍女たちも、絢爛たる能装束である。

侍女たちは、門之助、吉弥、笑也、笑三郎、春猿の5人。玉三郎
を含めて、6人の彼女たちの踊りは、まるで、編隊飛行を観てい
るようである。4人と2人で、横2列になったり、3人と3人
で、縦2列になったり、そのまま、互いに向き合ったと思うと、
全員が、正面を向く。玉三郎を先頭に、1人、2人、3人で、三
角形を作る。斜に、4人と2人が、列を作る。玉三郎を先頭に縦
に3人、後ろから横に3人で、逆L字形になるなど。なにやら、
舞台から、暗号でも、送っているような感じがする。原曲の能に
近付けているようでいて、逆転して、能を一気に近代化しようと
している試みのように見受けられた。

維茂(海老蔵)と従者(右近、猿弥)の出。長唄、竹本の掛け合
い。酒宴となり、女たちの舞が続く。やがて、ひとり残され眠り
込む維茂。山神登場し、維茂に女たちの正体を明かし、警告を発
する。目を覚ました維茂と鬼女たちの死闘。女形たちの立回りの
所作という妙。歌舞伎の「紅葉狩」の侍女のチャリ(笑劇)や踊
り、維茂従者の踊りなどは、削ぎ落されている。

「紅葉狩」という舞踊劇は、本来、「豹変」がテーマである。更
科姫、実は、戸隠山の鬼女への豹変が、ベースであるが、姫の
「着ぐるみ」を断ち割りそうなほど、内から飛び出そうとする鬼
女の気配を滲ませながら、幾段にも見せる、豹変の深まりが、更
科姫の重要な演じどころである。観客にしてみれば、豹変の妙
が、観どころなので、見落しては、いけない。

それが、今回、初演の新作歌舞伎舞踊では、テーマが、変って来
ていると思った。玉三郎の意向だろうが、今回のテーマは、男女
の愛憎劇に絞ったと観た。男女が出逢い、恋に燃えたのにもかか
わらず、他人(この場合、山神)の、おせっかいで、恋が妨害さ
れてしまった。それゆえに、愛が、憎に変り、上臈は、侍女とも
ども、鬼になって、青年憎しと炎となって、襲いかかる、そうい
う物語になったのでは無いか。女性軍団は、まさに、編隊飛行
の、波状攻撃で、青年を滅ぼそうと襲いかかる。古風な、松羽目
ものの演目は、近代的な、男女の愛憎の心理劇に「豹変」した。
後シテでは、シテの玉三郎を含むツレの鬼女たちは、皆、赤頭
(あかがしら)となって、維茂の周りに、「髪洗い」の焼夷弾を
落すような勢いで、襲いかかる。能回帰による求心力を狙ったの
かも知れないが、合理的過ぎて、ちょっと、平板な印象が残った
のは、私だけでは無いであろう。玉三郎の意欲溢れる「信濃路紅
葉鬼揃」は、今後も、一工夫も、ふた工夫も、されることだろ
う。


先代勘三郎の味には、未だ、程遠い


「水天宮利生深川」は、2回目の拝見。前回は、去年3月の歌舞
伎座。幸四郎の幸兵衛であった。「水天宮利生深川」は、
1885(明治18)年2月、東京千歳座(いまの明治座)が初
演。河竹黙阿弥の散切狂言のひとつ。明治維新で、没落した武家
階級の姿を描く。五代目菊五郎の元直参(徳川家直属)の武士
(お目見え以下の御家人か)・船津幸兵衛、初代左團次の車夫三
五郎などの配役。戦後は、十七代目勘三郎が、得意とした演目。
粗筋は、陰々滅々としているが、勘三郎の持ち味が、それを緩和
して、人情噺に仕立て上げて来た。最近では、1990(平成
2)年1月の国立劇場で、團十郎、06年3月の歌舞伎座で、幸
四郎が演じている。当代勘三郎は、勘三郎になって、初めての幸
兵衛である。先代の父親以来、23年ぶりの勘三郎の幸兵衛であ
る。家の藝、念願の初役である。

深川浄心寺裏の長屋が舞台。上手に墓地。あちこちに、雪が残
る。寒々しい。幸兵衛(勘三郎)は、武芸で剣道指南もできず、
知識で代言人(今の弁護士)もできず、貧しい筆職人として、生
計を立て、ふたりの娘(鶴松ほか)と幼い息子を抱え、最近、妻
を亡くし、上の娘は、母が亡くなったことを悲しむ余り、眼が不
自由になっている。筆作りも軌道には、乗っていないようだ。知
り合いの善意に支えられ、辛うじて一家を守っているが、いつ、
緊張の糸が切れてもおかしくない。支えになっているのは、神頼
み。水天宮への信仰心。東京の人形町にある安産の神様で知られ
る水天宮は、本来、平家滅亡の時に入水した安徳天皇らを祭る水
神。幸兵衛が、乏しい金のなかから買って来る水天宮の額には、
碇の絵が描かれている。これは、「碇知盛」で知られる平知盛
が、歌舞伎の「義経千本桜」では、身を縛った碇を担いで重しの
碇とともに、大岩の上から身投げしたという設定になっているの
で、紋様として使われたのだろう。また、黙阿弥は、気の狂った
幸兵衛に、箒を薙刀に見立てて、知盛の出て来る、別の演目「船
弁慶」の仕草をさせる趣向も、取り入れている。他所事浄瑠璃で
は、延寿太夫らが、美声を聞かせ、幸兵衛の哀れさを強調する。
これも、幸兵衛発狂の伏線となる。

そういう脆弱さが伺える幸兵衛一家が、陰々滅々と描かれる。そ
して、案の定、金貸しの金兵衛(猿弥)と代理の代言人の安蔵
(弥十郎)から、借金の催促をされ、僅かな金も奪われるよう
に、持ち去られてしまう。危機管理ゼロ。結局、幸兵衛が思いつ
くのは、一家心中。あげく、子どもを手にかけることが出来ない
ことから、心中もままならずで、己を虐め抜き、遂に、発狂する
という話の展開になる。幼い赤子を抱えて、海辺町の河岸へ行
き、身投げをする。しかし、こういう脆弱な男に良くあるよう
に、自殺も成功せず、死に切れずに、助けられる。それが、水天
宮のご利益という解釈。「来年は、良い年になりますように」
と、全ては、ハッピーエンドとなる安直さで、前向きに、生きて
行こうと決意する。それだけの話。人生、思う通りにならないの
は、世の常。足元を固めて、一歩一歩、前に歩いて行くしかない
のは、最初から判り切っていることだろう。

勘三郎は、発狂場面を含めて、思い入れたっぷりに演じる。先代
の舞台は観ていないが、ビデオなどで拝見すると、科白廻し一つ
取ってみても、肩に力が入っていない。さらりと、科白を言って
いる。科白も、普通の口調で、演技ではなく、自然と幸兵衛にな
りきっていたし、狂気もするっと、境を超えていたのを思い出
す。今回の勘三郎は、未だ、肩に力が入りすぎている。抑え気味
に演じて、正気から狂気へが、観客の腑に落ちるように、役にな
り済ますことが出来ないものかと、思う。前回、幸四郎の演技で
も、同じように感じたが、これは、先代の勘三郎が、いかに上手
かったかということだろう。当代の勘三郎も、達者な役者だが、
達者さを感じさせずに、上手さを出せるようになったら、父親に
追い付くことになるだろう。今後の精進が愉しみだ。

このほか、脇に廻った豊富な役者たちでは、車夫・三五郎(橋之
助)、長屋の差配人・与兵衛(市蔵)、巡査・民尾保守(獅
童)、長屋の女房たち(歌女之丞、芝喜松)、質屋番頭(山左衛
門)ほかに、元直参ながら、剣道指南で巧く、新しい世の中を生
き抜いている萩原の妻・おむら(福助)、萩原の下女(小山三)
などが、印象に残るが、散切ものらしい配役の妙(車夫、巡査、
代言人など)が、おもしろい程度か。
- 2007年12月17日(月) 20:25:18
2007年11月・歌舞伎座 (夜/「宮島のだんまり」、「仮
名手本忠臣蔵 九段目」、「土蜘」、「三人吉三巴白浪」)


顔見世興行のグラビア 古怪な歌舞伎味「宮島のだんまり」


「宮島のだんまり」は、3回目。傾城・浮舟、実は盗賊・袈裟太
郎:藤十郎(現在、病気休演中)、時蔵、そして今回の福助、平
清盛:彦三郎、左團次、歌六、畠山重忠:歌昇、彦三郎、錦之
助、大江広元:正之助、歌昇(今回含め、2)。

「だんまり」は、江戸歌舞伎の顔見世狂言のメニューとして、安
永年間(1772ー81)に初代中村仲蔵(「仮名手本忠臣蔵」
五段目の定九郎を工夫した役者)らが確立したと言われる演出の
形態。およそ100年後に明治維新を迎えるという時期で、幕藩
体制も、低落に向いはじめた時期という閉塞感が、滲む。

場所:山中の神社、時刻:丑の時(午前1時から3時)、登場人
物:山賊、六部、巡礼など、要するに得体の知れない人物、状
況:暗闇のなかでの、宝物の奪い合いなどという、様式性の強い
設定で、グロテスクな化粧・衣装、凄みを込めた音楽、大間な所
作などを売り物にする。芝居の、今後の展開を予兆するような舞
台、いわば、映画の予告編のようなもの。本編は、近日公開とい
うわけだ。また、顔見世興行とのかかわりで言えば、顔見世狂言
は、当該芝居小屋の、向う1年間の、最初の舞台として、契約し
た出演役者を紹介するもので、その意味で、後に、一幕ものとし
て独立した「御目見得だんまり」は、顔見世独特の役割を担い、
興行の初めに、新たな座組を披露するために、一座の中核になる
役者を紹介する演目として、いわば、1年間の予告編であり、雑
誌で言えば、カラフルなグラビアページの役割を果たすと言え
る。

「宮島のだんまり」は、初演時の外題「増補兜軍記」が示すよう
に、「兜軍記」の世界をベースにしている。主役は、遊君阿古
屋、実は、菊王丸であった。山中を海辺の宮島・厳島神社に設定
して、一工夫している。ストーリ−は、他愛無い。10数人が、
平家の巻物(一巻)を争奪する様を、極彩色の絵巻のような「だ
んまり」というパントマイムで見せるという趣向。

定式幕が引かれると、浅葱幕に大海原を描いた浪幕が舞台を覆っ
ている。荒事らしく、大薩摩も幕前で、演じられる。大薩摩を演
じるのは、三味線の杵屋栄津三郎を従えた鳥羽屋文五郎。やが
て、浪幕の振り落としの後、傾城・浮舟(福助)、広元(歌
昇)、重忠(錦之助)の3人が、中央からセリ上がりという趣向
で、舞台は、端(はな)っから古色蒼然という愉しさ。黒幕を
バックにした宮島は、真っ暗闇。やがて、舞台の上手、下手か
ら、4人ずつ(弾正=弥十郎、五郎=松江、三郎=桂三、采女之
助=亀寿、典侍の局=萬次郎、祇王=高麗蔵、おたき=歌江、照
姫=芝のぶ)出て来て、11人による「だんまり(暗闘)」とな
る。浮舟が所持している一巻争奪戦だが、だんまり特有の、ゆる
りとした、各人の大間な所作が、古色をさらに蒼然とさせる。特
に、「蛇籠(じゃかご)」と呼ばれる独特の動きで、複数の人た
ちが、前の人を引き止める心で、繋がる。これは、筒型に編んだ
竹籠に石を詰めて河川の土木工事に使う「蛇籠」の形を連想した
古人が、名付けた。今なら、石とセメントを混ぜて、コンクリー
トのするところだが、セメントの無い時代には、竹籠をセメント
代わりにした。それにしても、「蛇籠」というネーミングは、竹
の籠が、目合(まぐわ)う蛇体からの連想なのだろうが、古人の
想像力は、豊饒だ。そういえば、水道の「蛇口」も、あれを「蛇
の口」というのも、良く考えれば、凄い発想ではないか。

天紅(巻終えた手紙の天地のうち、「天」の部分を紅の付いた唇
で挟むことで、キスマークをつける愛情表現)の「恋文」よう
な、一巻を取り戻した傾城・浮舟、実は盗賊・袈裟太郎の福助
は、妖術を使って、大きな石灯籠のなかに姿を隠す。暗闘のうち
に、さらに、景清(團蔵)、清盛(歌六)2人加わり、総勢12
人となる。辺りで、暗闘のなか、長い赤い布が、力者の手で舞台
上手から下手に拡げられて行く。だんまりの役者たちが、長い布
を手に取って、横に繋がって行く。やがて、舞台の背景は、黒幕
が落とされて、夜が明け、宮島の朝の遠見へと変わる。歌六の清
盛が、三段に乗り、大見得、それにあわせて、一同、絵面の見得
をするうちに、幕。

幕外、花道、スッポンから袈裟太郎として、正体を現した、傾
城・浮舟(福助)は、「差し出し」の面明かりを使っての出。古
風な味を大事にした演出が続く。盗賊と傾城という二重性(綯い
交ぜ)を上半身と下半身で分けて演じるという難しさが、この役
にはある。手の六法と足元の八文字が、男と女の化身の象徴だ
と、観客に判らせなければならないからだ。

福助は、初役で、成駒屋所縁の、傾城・浮舟、実は盗賊・袈裟太
郎を演じたが、古風な味わいで、良かった。歌六、歌昇、錦之助
の萬屋勢、團蔵、萬次郎、歌江、弥十郎、桂三ら力のある役者で
脇を固め、芝のぶら清新な若手も加わった。


「山科閑居」 ふたつの家族の物語


「仮名手本忠臣蔵 九段目」は、昼の部の劇評でも、簡単に触れ
たが、もうひとつの「山科閑居」である。というか、本家「山科
閑居」というくらい、知られているというべきだろう。その「仮
名手本忠臣蔵〜山科閑居〜(九段目)」は、私には、5回目の拝
見となる。この芝居は、登場人物の構成が、重層化しているの
が、特徴だ。3人ずつで構成される2組の家族。3組の夫婦(許
婚同士も含む)。死に行く3人の男たち。残される3人の女た
ち。

これについては、普通の劇評も書いているし、中村鴈治郎が、上
方歌舞伎の演出で、さらに何役も早替りで演じた(九段目では、
大星由良之助と戸無瀬を演じ分けた)02年11月の国立劇場の
舞台も拝見し、「上方歌舞伎の忠臣蔵演出」という視点で書いた
こともあるし、男たちのドラマである「仮名手本忠臣蔵」という
大芝居のなかで、女たちが、軸になる珍しい場面ということで、
片岡仁左衛門が加古川本蔵を演じた01年3月の歌舞伎座の舞台
を「女たちの忠臣蔵」という視点で書いたこともある。今回は、
これらの過去の劇評とは別に、「ふたつの家族論」という視点で
書いてみたい。

ふたつの家族とは、説明する迄もなく、大星由良之助一家と加古
川本蔵一家のことである。「仮名手本忠臣蔵」の「忠臣」とは、
大星由良之助らの塩冶浪士のことだから、ふたつの家族のうち、
本筋は、大星由良之助、お石、力弥の家族だろうが、「九段目」
の舞台を観れば、判ることだが、ここでの、本筋は、雪の中をは
るばる訪ねて来た加古川本蔵一家であることには、誰も異存がな
いだろう。実は、私は、首肯しているわけではないが、「仮名手
本忠臣蔵」という外題には、真の忠臣の名前が、隠されていて、
それは、大星由良之助でもなければ、塩冶浪士の面々でもなけれ
ば、誰あろう、加古川本蔵だという説がある。松の廊下で、「違
法行為」をなす塩冶判官を後ろから抱きとめた。しかし、それを
「逆恨み」のような形で、塩冶浪士たちから狙われれば、「山科
閑居」の場面で明らかにされるように、命を掛けて、高師直の家
の絵図面を大星由良之助に届けに来るという男が、加古川本蔵で
あるからだ。「仮名手本忠臣蔵」の合作者3人、二代目出雲、並
木千柳(宗輔)、三好松洛のうち、誰が、九段目を書いたの確定
していないが、全十一段の「仮名手本忠臣蔵」のうち、唯一、女
性が、軸になる芝居という意味では、宗輔とも思えるし、加古川
本蔵の男の「本懐」がテーマと見れば、宗輔説は、弱まるだろ
う。さはさりながら、後者の説では、「仮名手本忠臣蔵」という
外題の謎解き、つまり、「仮名手本」の「本」と「忠臣蔵」の
「蔵」という、隠されたふた文字から、外題には、「本蔵」とい
う名前が隠されているので、本蔵こそ、忠臣だという、こじつけ
のような説を読んだことがある。「仮名手本」とは、47人の浪
士の数と、47文字の「いろは」、つまり、「仮名」ということ
で、まあ、枕詞みたいなもので、大したことはない。「忠臣蔵」
も、「忠臣」は、キーワードだが、「蔵」は、「群」、つまり、
多数という程度の意味で、これも、あまり重要ではないだろう。
まあ、それはさておき、今回は、「ふたつの家族論」ということ
で、劇評を書こうと思う。

私が拝見した「九段目の加古川本蔵」:十七代目羽左衛門、仁左
衛門、段四郎、團十郎、そして今回の幸四郎である。「九段目の
加古川本蔵」は、「三段目の加古川本蔵」とは違って、塩冶側か
ら見て、裏切り者ではない。まして、由良之助の長男・力弥(染
五郎)と許嫁の仲にあった本蔵の娘・小浪(菊之助、後妻の戸無
瀬=初役の芝翫は、継母)に、思いを遂げさせようと一家で、文
字どおり、全員が、命を掛けて大星家に働きかける場面である
(死ぬ気の戸無瀬と小浪、実際に死ぬ本蔵)。

それにひきかえ、大星家の面々は、印象が薄い。由良之助の妻の
お石(魁春)は、仕どころがたっぷりあるが、力弥、由良之助
(吉右衛門)となるに連れて、存在感が薄くなる。ふたつの」家
族といっても、メインは、加古川一家であり、大星一家は、いわ
ば、加古川一家を浮き立たせるための、サポート役にしかすぎな
いように見受けられる。加古川一家は、まさに、命がけで、「大
星家への忠義」を歌い上げるのである。

「恋と忠義はいずれが重い」とは、「義経千本桜」の「吉野山」
の道行の場の浄瑠璃「道行初音旅」の冒頭の文句であるが、「山
科閑居」では、本蔵の忠義と小浪の恋という、どちらも重い課題
を、後妻であり、継母であるという、戸無瀬の、「義理の家族」
ゆえに純化させた強い意志力で、忠義も恋も、どちらも両立させ
た緊迫感のある場面となる。人間国宝の真女形の芝翫が、戸無瀬
初役というのも、驚きだが、品位のある母親像を構築していた。
菊之助の小浪は、可憐。芝翫の重厚さと菊之助の清新さは、微妙
なニュアンスを醸し出す。赤い衣装の戸無瀬、白無垢の小浪。生
と死。死を覚悟して、嫁ぎに来た母子の間を、暫し、静かな時間
が流れる。小浪は、脱いだ白い打掛けを、恰も、切腹をする武士
が使用する二畳台のように敷き、その上に座る。上手奥から、
「御無用」とお石の声がかかる。戸無瀬を演じる芝翫、お石を演
じる魁春が対抗する、緊迫した名場面だ。

下手から、尺八の音とともに現れた加古川本蔵。幸四郎の本蔵
は、科白廻しも、所作も、ハイテンション。いつものオーバーア
クションが、今回は、熱演に見える。本蔵から見れば、後妻の戸
無瀬、愛娘の小浪、娘婿の力弥、婿の両親の由良之助とお石とい
う人間関係の中で、松の廊下事件以後、いわば、職場の義理で、
公的には、「敵対関係」に落ち入った、娘の許婚一家・大星家と
の私的な和解を実現するために、命を掛けた一家が、全員の協力
で、それに成功する物語が、「九段目」の加古川一家なのだとい
うことが、良く判った。本蔵の小浪への愛情が、本流となって、
溢れ出て来る。

一方、大星一家は、お石こそ、戸無瀬、小浪という、「義理」の
母子に対して、力弥の嫁となる小浪との関係を通じて、もうひと
組の「義理」の母子という関係から、加古川一家と対等に立ち向
かうが、由良之助と力弥は、影が薄い(やがて、死ぬゆく父子で
もある)ために、大星一家そのものの影も薄くなる。ふたつの家
族は、舞台こそ、大星一家の閑居だが、舞台の主役は、加古川一
家というのが、「山科閑居」という芝居の実質なのだろう。

贅言:本舞台の木戸の内側に所作台が、敷き詰められて、室内の
体。二重舞台は、立体になっているが、実は、所作台と同じ平面
の座敷の体。二重との上がり下りは、役者の所作を変化させてみ
せることで、演技に奥行きを出す。所作台は、まるで、能舞台の
ように、何もないようで、いろいろなものが詰まっている。それ
が見えるか、見えないかは、観客の想像力の有無にかかってい
る。


バトルゲームのような「土蜘」


「新古演劇十種のうち 土蜘」は、4回目の拝見。「新古演劇十
種」とは、五代目菊五郎が、尾上家の得意な演目10種を集めた
もの。團十郎家の「歌舞伎十八番」と同じ趣旨。能の「土蜘」を
ベースに明治期の黙阿弥が、五代目菊五郎のために作った舞踊
劇。黙阿弥の作劇術の幅の広さを伺わせる作品。この演目は、日
本六十余州を魔界に変えようという悪魔・土蜘対王城の警護の責
任者・源頼光とのバトルという、なにやら、コンピューターゲー
ムや漫画にありそうな、現代的な、それでいて荒唐無稽なテーマ
の荒事劇。「凄み」が、キーポイント。主役の僧・智籌(ちちゅ
う)、実は、土蜘の精は、孝夫時代の仁左衛門、團十郎、吉右衛
門、そして今回の菊五郎で、4人目。尾上家の家の藝を初めて当
代の菊五郎で観ることができた。

源頼光(富十郎)の病が癒え、見舞いに来た平井保昌(左團次)
と対面する。頼光の太刀持・音若は、富十郎子息の鷹之資だ。保
昌が引っ込むと、侍女の胡蝶(菊之助)が、薬を持って出て来
る。暫く外出が出来なかった頼光は、胡蝶に都の紅葉の状態を尋
ねる。

「その名高尾の山紅葉 暮るるもしらで日ぐらしの・・・」

舞に合わせて、あちこちの紅葉情報を物語る胡蝶。穏やかな秋の
日が暮れて行く。やがて、夜も更け、闇が辺りを敷き詰める頃あ
い、頼光は、俄に癪が起こり、苦しみはじめる。比叡山の学僧と
称する僧・智籌(菊五郎)の出となる。花道のフットライトも付
けずに、音も無く、不気味に、できるだけ、観客に気づかれず
に、花道七三まで行かねばならない。智籌は、頼光の病気を伝え
聞き、祈祷にやって来たと言う。頼光に近づこうとする智籌の影
を見て、異形のものを覚った音若(鷹之資)が、声も鋭く、智籌
を制止し、睡魔に襲われていた頼光を覚醒させる。初舞台から観
ている身には、少年になった鷹之資が、凛々しく見える。
重厚な人間国宝・富十郎の風格と口跡。正体を暴かれて、二畳台
に乗り、数珠を口に当てて、「畜生口の見得」をする智籌。千筋
の糸(蜘蛛の糸)を投げ捨てるなど魔性の暴露。

間狂言は、能の「石神」をベースにしたもの。番卒の太郎(仁左
衛門)、次郎(梅玉)、藤内(東蔵)、巫子の榊(芝雀)らとい
う豪華な顔ぶれは、顔見世興行ならではの、ご馳走。

後半、引き回(蜘蛛の巣の張った古塚を擬している)を後見が運
んで来る。中には、菊五郎が入っているはず。やがて、保昌(左
團次)らが古墳を暴くと、中から、茶の隈取りをした土蜘の精
(菊五郎)が出て来る。ここは、前回観た吉右衛門の眼や声の凄
かった。まさに、人間離れをした土蜘蛛の眼や声であったが、今
回の菊五郎は、凄みに欠けると、思った。千筋の糸を何回も何回
もまき散らす土蜘の精。頼光の四天王や軍兵との立ち回り。歌舞
伎美溢れる古怪で、豪快な立回りである。立ち回り好きの菊五郎
の面目躍如。能と歌舞伎のおもしろさをミックスした明治期の黙
阿弥が作った松羽目舞踊の大曲。

贅言:途中、間狂言の際、舞台奥で演奏している四拍子連中は、
太鼓・大鼓と立鼓・小鼓・笛が、互いに向かい合う形で、演奏を
していた。間狂言が終ると、元の定式に戻り、全員が、正面を向
いた。


これも、グラビア 「三人吉三巴白浪」


「三人吉三巴白浪」は、6回目。このうち、今回含め3回は、
「大川端」の場面のみの一幕もの。今回は、孝太郎のお嬢吉三、
染五郎のお坊吉三、松緑の和尚吉三という顔ぶれ。前回、私が観
た玉三郎(お嬢吉三)、仁左衛門(お坊吉三)、團十郎(和尚吉
三)というのと比べれば、清新と言えようが、レベルが、違うと
も言える。前回拝見したのは、当代の歌舞伎役者の顔合わせで
は、最高の組み合わせであろうから、比べないことにする。

松緑の和尚吉三は、辰之助時代を含めて、2回目の拝見。8年ぶ
りで、松緑襲名後は、初めてという。松緑は、今月の歌舞伎座
は、この役だけ。ちょっと、淋しい。染五郎のお坊吉三を観るの
は、初めて。染五郎自身は、2回目のお坊吉三。孝太郎のお嬢吉
三を観るのも、初めて。孝太郎自身は、2回目のお嬢吉三。

若い役者たちの「三人吉三」だけに、芝居を観ながら、演技と
は、別の感慨を抱いた。3人は、田舎芝居の女形上がりゆえに女
装した盗賊として、この場面だけでも、詐欺、強盗、殺人などの
容疑者となるお嬢吉三を始め、御家人(下級武士)崩れの盗賊で
あるお坊吉三、所化上がりの盗賊である和尚吉三という前歴から
見て、時代の閉塞感に悲鳴を上げている不良少年・青年たちであ
ろう。現代に生きていれば、職に就かず、盗みたかりで、糊口を
凌いでいる、そういう若者たちの、「犯罪同盟」の結成式が、
「大川端」の場面である。そういう意味では、「大川端」は、
「三人吉三巴白浪」という雑誌の、いわば、グラビアページなの
である。

前にも、書いているので、コンパクトに紹介するが、「三人吉
三」の「吉三」は、いわば、記号で、現代ならば、少女A=お嬢
吉三、少年A=お坊吉三、青年A=和尚吉三というように、「吉
三=A」とでも、言うところ。それゆえ、3人のAたちは、時空
を超えて、現代にも通じる少年少女Aたちの青春解体という普遍
的な物語の主人公として、新たな命を吹き込まれ、少年期をテー
マとした永遠の物語の世界へと飛翔する。そういう意味でも、
「三人吉三」は、「ネバーエンディングストーリー」という物語
の、グラビアページでも、あるのだと言えると、思う。

贅言:「大川端」の場面を観ていて、今回、気が付いたことは、
百本杭が並ぶ場所は、大川(隅田川)が、大きく曲がる場所。そ
れゆえ、大雨が降ると土手が決壊をしやすい場所なので、杭を百
本(多数ということ)も打ち込み、補強している。両国橋に近い
大川端である。舞台の上手には、庚申塚がある。青面金剛(庚
申)を祭った寺の門の上には、大きな提灯がぶら下がっている。
寺は、白い塗り塀で囲まれている。下手は、屋敷の裏側の体で、
塀の内には、林しか見えない。大きな武家屋敷か。屋敷と寺の間
は、良く見ると、奥深い広場になっているのが判る。広場の向う
は、塀と林。とすると、広場は、火事の多かった江戸の街のあち
こちに据えられた火除け地のように見える。火除け地は、江戸の
街に空いた時空の隙間のように思えてならない。棒杭に片足をの
せるお嬢吉三を演じる役者は、ここだけ、男の本性を剥き出しに
する。杭に乗せた片足に力を入れて、お嬢吉三は、時空の隙間に
飛び込んで行くのかも知れない。
- 2007年11月18日(日) 13:53:17
2007年11月・歌舞伎座 (昼/「種蒔三番叟」、「傾城反
魂香」、「素襖落」、「曽我綉侠御所染」)


顔見世は 一足早い あらたま気分 馴染みの演目 贔屓の役者


芝居の世界のお正月。顔見世興行の歌舞伎座は、「大関」の積物
と櫓で、早々と新春気分を醸し出していた。「種蒔三番叟」は、
3回目の拝見と言っても、全てが、「種蒔三番叟」という名題
(外題)だったわけではない。例えば、前回観たときは、「舌出
し三番叟」であった。

「三番叟もの」は、いろいろバリエーションがあるが、基本は能
の「翁」。だから、「かまけわざ」(人間の「まぐあい」を見
て、田の神が、その気になり(=かまけてしまい)、五穀豊穣、
ひいては、廓や芝居の盛況への祈りをもたらす)という呪術であ
る。それには、必ず、「エロス」への祈りが秘められている。
「三番叟」は、江戸時代の芝居小屋では、早朝の幕開きに、舞台
を浄める意味で、毎日演じられた。

それだけに、基本的には五穀豊穣を祈るというめでたさの意味合
いは同じだが、さまざまの「三番叟もの」が能、人形浄瑠璃、そ
して歌舞伎で演じられて来た。「舌出し三番叟」、「二人三番
叟」、「式三番叟」など。私も、また、さまざまな「三番叟」を
拝見してきた。それだけに、「三番叟」は、伝えるメッセージよ
りも、その趣向を生かさないと観客に飽きられる。趣向とは、江
戸庶民の意向を代弁して、「洒落のめす」心が、横溢している。

「種蒔三番叟」は、本名題を「再春菘種蒔(またくるはるすずな
のたねまき)」とあるように、「菘」の種を蒔き、春が、再び来
れば、菘は、稔ることを祈願している。初代の中村仲蔵から教え
られた三番叟を三代目の歌右衛門が記憶を辿りながら踊るという
趣向があり、「その昔秀鶴(ひいずるつる)の名にし負う」と
か、「目出とう栄屋仲蔵を」(このくだりで舌を出す)などとい
う文句があるが、「秀鶴」は、仲蔵の俳号、栄屋は、仲蔵の屋号
である。

座頭が演じる三番叟は、今回は、梅玉、若太夫が演じる千歳(せ
んざい)は、孝太郎。幕が上がると、板付きの、後見のふたり
(嶋之亟、梅之)が、お辞儀をしている。舞台の背景は、中央に
大きな松の木、上手と下手に竹と梅の木。下手に、能の橋懸かり
を偲ばせる大道具が置かれている。やがて、梅玉と孝太郎が、そ
の「橋懸かり」から出て来て、一旦、座ってお辞儀をすると、後
見たちも、同時に頭をあげる。まず、三番叟が、厳かに舞い始め
て、「揉み出し」、「烏飛び」などを見せる。次いで、千歳が、
華やかに、踊り継ぐ。ふたり揃って、嫁入りの踊りとなる。ゆら
ゆらとふたりの所作が連動して、「百までなあ 私や九十九迄な
あ」と長持歌に合わせて行く。


ふたつの「山科閑居」


今月の歌舞伎座は、ふたつの「山科閑居」が登場する。ひとつ
は、昼の部の「傾城反魂香」。もうひとつは、夜の部の「仮名手
本忠臣蔵 九段目」である。「傾城反魂香」の舞台は、土佐将監
の寓居。幕が開くと、百姓が、大騒ぎをしている。

百姓「三井寺のあたりにて藤の尾までは見届けた。この山科の薮
影へ逃げ込んだに極った。・・・・」
修理之介「こりゃこの屋敷を誰がと思う。土佐の将監光信が閑居
なるぞ。仔細あって先年勘気を蒙り、このところに身退
く、・・・」

ということで、土佐将監も、大星由良之助同様に、「山科閑居」
であることが判る。「傾城反魂香」は、9回目の拝見となる。今
回は、簡単にまとめたい。

私が観た又平おとくの夫婦たち。又平:吉右衛門(今回含め
4)。富十郎(2)、猿之助、團十郎、三津五郎。おとく:雀右
衛門(2)、芝翫(2)、勘九郎、鴈治郎、右之助、そして、今
回は、芝雀。

歌舞伎の愉しみは、馴染みのある演目を贔屓の役者が、今回は、
どう演じるかということである。馴染みの吉右衛門と定評のある
父親の雀右衛門の当り役を息子の芝雀が、初めて演じる、という
のが、今回の最大のポイント。

この演目は、吃音者の成功譚である。吃音者の夫を支える饒舌な
妻の愛の描き方、特に、妻・おとくの人間像の作り方が、ポイン
トになる。何回か、書いているが、おとくは、例えば、芝翫が演
じるような、「世話女房型」もあるし、雀右衛門が演じる「母
型」もある。特に、雀右衛門の「母型」は、実に、慈母のごと
く、情愛が深くて、私は好きだ。今回の芝雀は、すでに、おとく
を何回か演じているが、歌舞伎座では、初演とあって、私も、初
めて拝見する。「父によく聞いて神妙に勉強したい」と言ってい
た芝雀だが、父・雀右衛門の「母型」と芝翫の「世話女房型」の
間という感じで、「姉さん女房型」と見受けられた。いずれ、雀
右衛門のように、「母型」を目指して欲しい。雀右衛門の舞台姿
を見なくなって、どのくらい経つのか。

吉右衛門の又平を観るのは、4回目。すっかり、馴染んでいる。
絵にかける又平の心は、藝にかける吉右衛門の心と観た。琵琶湖
畔で、お土産用の大津絵を描いて、糊口を凌いでいた又平が、女
房の励ましを受けて、だめな絵師としての烙印を跳ね返し、遺書
代わりに石の手水鉢に描いた、起死回生の絵が、手水鉢を突き抜
けたときの、「かかあー、抜けた!」という、吉右衛門の科白廻
しは、日々精進の役者の、それであった。「子ども又平」、
「びっくり又平」と自在な吉右衛門。入魂の熱演振りだが、おと
くの芝雀、土佐将監の歌六、将監北の方の吉之丞らと巧く呼吸を
合わせている所為か、幸四郎のようにオーバーアクションで、浮
き上がって来ないところが、吉右衛門の味か、さすがであった。

又平の、おとくに並ぶ、味方の将監北の方は、今回も、定評のあ
る吉之丞である。土佐派中興の祖として、土佐派絵画の権力者
だったが、「仔細あって先年勘気を蒙り」、目下、山科で、閑居
している夫・将監と不遇の弟子・又平との間で、バランスを取り
ながら、壺を外さぬ演技が要求される難しい役どころだ。9回観
た「傾城反魂香」のうち、5回、つまり半分以上は、吉之丞の北
の方であった。5回も観ていると、吉之丞のいぶし銀のような、
着実な演技が、観客の脳裏に刷り込まれているのに気づくように
なる。こういう役者が、出ていると、舞台は、奥行きが出る。


「素襖落」は、明治時代に作られた新歌舞伎。7回目の拝見。私
が観た太郎冠者:富十郎(2)、幸四郎(今回含め、2)、團十
郎、橋之助、吉右衛門。大名某:菊五郎(2)、左團次(今回含
め、2)、又五郎、彦三郎、富十郎。

この演目の見せ場は、酒の飲み方と酔い方の演技。「勧進帳」の
弁慶、「五斗三番叟」の五斗兵衛、「大杯」の馬場三郎兵衛、
「魚屋宗五郎」の宗五郎、「鳴神」の鳴神上人など、酒を飲むに
連れて、酔いの深まりを表現する演目は、歌舞伎には、結構、多
い。これが、意外と難しい。これが、巧いのは、團十郎。團十郎
は、大杯で酒を飲むとき、体全体を揺するようにして飲む。酔い
が廻るにつれて、特に、身体の上下動が激しくなる。ところが、
ほかの役者たちは、これが、あまり巧く演じられない。今回の幸
四郎を含め、多くの役者は、身体を左右に揺するだけだ。さら
に、科白廻しに、酔いの深まりを感じさせることも重要だ。

太郎冠者(幸四郎)は、姫御寮(魁春)に振舞われた酒のお礼に
那須の与市の扇の的を舞う。いわゆる「与市の語り」である。能
の「八島」の間狂言の語りである。与市の的落しとお土産にも
らった太郎冠者の素襖落し。初演時の外題は、そのものずばりの
「襖落那須語(すおうおとしなすのものがたり)」。酔いが深ま
る様子を見せながら、太郎冠者は、舞を交えた仕方話を演じ分け
る。前半のハイライトの場面。ここでは、次郎冠者(高麗蔵)、
三郎吾(錦吾)が、姫御寮とともに、太郎冠者の舞を見るが、
座っているだけなので、金地に蝙蝠を描いた扇子を持った幸四郎
の独壇場。

帰りの遅い太郎冠者を迎えに来た主人・大名某(左團次)や太刀
持ち・鈍太郎(弥十郎)とのコミカルなやりとりが楽しめる。
酔っていて、ご機嫌の太郎冠者と不機嫌な大名某の対比。素襖を
巡る3人のやりとりの妙。機嫌と不機嫌が、交互に交差すること
から生まれる笑い。自在とおかしみのバランス。おとぼけの大名
某は、菊五郎が巧いが、左團次は、左團次の味わいがある。


幕末の錦絵 無惨絵の美しさ 生と死の官能


「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」は、幕末
期の異能役者・市川小團次のために、河竹黙阿弥が書いた六幕物
の時代世話狂言。動く錦絵(無惨絵)ということで、絵になる舞
台を意識した芝居だ。「御所五郎蔵」(五条坂仲之町(出会
い)、甲屋奥座敷(縁切、愛想づかし)、廓内夜更け(逢州殺
し)の三場)は、良く上演され、私も5回目の拝見となる。03
年6月の歌舞伎座では、「時鳥殺し」を加えた通しで、観たこと
もある。仁左衛門の五郎蔵、玉三郎の皐月、左團次の土右衛門、
孝太郎の逢州、留め役は、秀太郎の甲屋女房という配役。今回
は、玉三郎に替って、福助。秀太郎に替って、留め男、菊五郎。
それ以外の主な役は、同じだ。

第一場「五条坂仲之町」の場面は、両花道を使っての「出会い」
の様式美。黒(星影土右衛門=左團次)と白(御所五郎蔵=仁左
衛門)の衣装の対照。ツラネ、渡り科白など、科白廻しの妙。洗
練された舞台の魅力。颯爽とした男伊達・五郎蔵一派は、上手に
臨時に設定された仮花道から、剣術指南で多くの門弟を抱え、懐
も裕福な星影土右衛門一派は、本花道から登場。それぞれ、本舞
台に上がり、鞘当ての場面。五郎蔵方の子分たち(友右衛門、松
江、男女蔵、由次郎、権十郎)の配役と比べると土右衛門方の門
弟(松之助、松太郎、錦弥、梅蔵、橘太郎)の配役は、一段違
う。しかし、傍役で、藝の一工夫をする松之助は、ひとり、顎を
引いて、五郎蔵一派を睨み付ける。ほかの門弟役者とは、一味違
う。いつものことながら、この人の藝熱心は、感心する。

廓でも、皐月に横恋慕しながら、かってはなかった金の力で、今
回は、何とかしようという下心のある土右衛門とそれに対抗する
五郎蔵。そこへ、割って入ったのが、仲之町の「留め男」・甲屋
主人、与五郎(菊五郎)。顔見世らしい、豪華な留め役。

第二場「甲屋奥座敷」の場面。白地に紅梅の老木が描かれた襖
が、可憐だ。その前で、人間どもが演じるのが、俗悪な、金と情
慾の世界。皐月を挟んで金の力を誇示する土右衛門と金も無く、
工夫も無く、意地だけが強い五郎蔵との鞘当て第二弾。歌舞伎に
良く描かれる「縁切」の場面。五郎蔵女房と傾城という二重性の
なかで、心を偽り、「愛想づかし」で、金になびいてみせ、苦し
い状況のなかで、とりあえず、実を取ろうとする健気な傾城皐月
(福助)、実務もだめ、危機管理もできない、ただただ、意地を
張るだけという駄目男・五郎蔵、金の信奉者・土右衛門という三
者三様は、歌舞伎や人形浄瑠璃で良く見かける場面。菊野・源五
兵衛の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」、貢・お紺
の「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」などが、浮か
んで来る。

贅言:奥座敷に土右衛門が、取り巻きの門弟たちを連れて入って
来るとき、仲居などといっしょに黒衣が、ひとり紛れ込んで入っ
て来て、土右衛門の尻に合引(あいびき=姿勢をよく見せる道
具)を差し入れた後、そのまま、左團次の背後に蹲り、隠れてし
まった。左團次の芝居が終り、立上がる迄、隠れたままで、結構
長い時間だったが、存在感を消し去っていたのは、見事だった。
一方、座敷下手、外の床几に座る五郎蔵の背後にも、黒衣が付
き、合引を仁左衛門の尻の下に入れる。仁左衛門が、途中で、立
上がると、合引を抜き取り、自分の身も引き、後ろを向き、座り
込む。仁左衛門が、ふたたび、床几に座ると、前を向き、合引を
仁左衛門の尻の下に入れて、控えた。仁左衛門が、床几から離れ
ると、(五郎蔵から借金の取り立てをするために付きまとってい
た金貸・花形屋吾助=錦吾は、同じ床几の端に浅く腰を掛けてい
たので、床几が傾き、滑り落ちるが)黒衣は、その床几を傾ける
手助けをした後、仁左衛門が使っていた合引を持ったまま、さっ
と引っ込んだ。歌舞伎が、約束事とは言え、皆の連繋プレーで、
テキパキとした、洗練された舞台を創っているということが、良
く判る。特に、黒衣は、幾何学の問題を解くときの、まさに「補
助線」のような役割で、すっきり、名解答の答案を見せてくれる
ようで、観ていて、スッキリする場合が、多い。

「晦日に月が出る廓(さと)も、闇があるから覚えていろ」。啖
呵ばかりが勇ましい御所五郎蔵。(この後、舞台は、鷹揚に、廻
る)

助っ人を名乗り出る傾城逢州(孝太郎)が、実は、人違いで(癪
を起こしたという皐月の身替わり)五郎蔵殺されてしまうのが、
次の第三場「廓内夜更け」の場面。は、駄目男とはいえ、五郎蔵
の、怒りに燃えた男の表情が、見物(みもの)という辺りが、物
語より、舞台での、形容(かたち)を大事にする、「傾(かぶ)
く」芝居、歌舞伎の奥深さの魅力だろう。美男の仁左衛門は、こ
ういう役どころは、十二分に生かして、絵になる。

皐月の紋の入った箱提灯を持たせ、自らも皐月の打ち掛けを羽
織った逢州と土右衛門の一行に物陰から飛び出して斬り付ける五
郎蔵。妖術を遣って逃げ延びる土右衛門と敢え無く殺される逢
州。受け口の孝太郎が、懐から飛ばす懐紙の束。皐月の打ち掛け
を挟んでの逢州と五郎蔵の絵画的で、「だんまり」のような静か
な立ち回り。官能的なまでの生と死が交錯する。特に、死を美化
する華麗な様式美の演出。

妖術遣い土右衛門と五郎蔵の立回りの途中で、ストップ。仁左衛
門と左團次に戻ったふたりは、芝居を止めて、舞台に座り込み、
「今日(こんにち)の昼の部は、これぎり」と挨拶をして、幕。

このところ、99年1月の歌舞伎座以来、本興行で、7回連続で
土右衛門を演じている左團次は、貫禄充分(05年正月の浅草歌
舞伎の舞台だけ、男女蔵と愛之助が、交代で土右衛門を演じ
た)。私は、左團次(4)以外の土右衛門は、96年9月の歌舞
伎座で、富十郎で観ている。

馴染みのある演目を贔屓の役者たちが、改めて、なぞり返す。手
垢にまみれて見えるか、磨き抜かれて、光って見えるか。そこ
は、年に一度の顔見世の大舞台、燻し銀のごとく、鈍く光る。歌
舞伎のおもしろさは、同じ演目が、いつも、違った顔を見せると
いうことだろう。
- 2007年11月8日(木) 21:56:45
2007年10月・歌舞伎座 (夜/「怪談牡丹灯籠」、「奴道
成寺」)


六文字外題から七文字外題へ、そして、再び、六文字外題へ
〜「怪談」牡丹灯籠の「怪異」〜


今回の外題「怪談牡丹灯籠」は、元々、原作である圓朝の人情噺
(怪談噺)のもの。1884(明治17)年、圓朝は、中国の怪
異小説を元に江戸の世話物の世界に移し変えて、人情噺を作り上
げた。ところが、歌舞伎の外題は、三文字、五文字、七文字など
と、奇数で構成するところから、人情噺が、三代目河竹新七(黙
阿弥の弟子)によって歌舞伎に移された1892(明治25)年
の時点で、「怪異談牡丹灯籠」と七文字外題になった。新七は、
五代目菊五郎のために書き下ろした。この七文字外題の「牡丹灯
籠」を私は、1回観たことがある。2002(平成14)年、9
月の歌舞伎座で、37年ぶりに上演されたときだ。一方、六文字
外題の「牡丹灯籠」を観るのは、実は、今回も含めて、3回目
だ。

歌舞伎座筋書の上演記録を見ると、歌舞伎役者だけで、六文字外
題の方を演じるのは、今回で、6回目となる。最初に歌舞伎役者
だけで演じたのは、1989(平成元)年6月、新橋演舞場の舞
台だった。六文字外題の「牡丹灯籠」は、1974(昭和49)
年の初演以来、文学座で、女優の杉村春子らを軸に演じて来た。
大西信行脚本が、それで、河竹新七版と一味違う芝居だった。そ
れが、最近では、歌舞伎化された河竹新七版の「怪異談牡丹灯
籠」よりも、大西信行版の「怪談牡丹灯籠」の」方が、上演され
るケースが、多いから、不思議だ。今回は、その不思議を解明し
てみようと思う。

「牡丹灯籠」は、いくつかの支流が集まって、大河となる複雑な
物語。どこを主流に浮き上がらせるかで、物語が違って来る。ま
た、演出も、違って来る。「牡丹灯籠」は、圓朝の人情噺を元に
新七版のほかにも、川村花菱作「新説牡丹灯籠」、瀬川如皐作
「怪談牡丹灯籠」などがあるが、新七版、大西版のほかは、最近
では、歌舞伎上演は、なされていない。

まず、河竹新七版を私が観たのは、先に触れたように、02年9
月、歌舞伎座。簡単に紹介しておこう。先ず、配役は、以下の通
り。

伴蔵、幸助(原作は、孝助)のふた役:吉右衛門、お峰、お国の
ふた役:魁春、新三郎:梅玉、お露:孝太郎、源次郎:歌昇、お
米:吉之丞。

こちらは、前半が、飯島家の話。飯島平左衛門の妾・お国と平左
衛門の甥・源次郎の不義と平左衛門と忠義の若頭・幸助との因果
噺にお露新三郎の怪談噺が、「てれこ」に展開する。後半が主人
思いの幸助の古風な仇討ものとも言える忠義噺にウエイトを置い
て、それに伴蔵のお峰殺しが入り込む。伴蔵、幸助のふた役を演
じた吉右衛門は、男の悪と忠義を対比的に演じ分けていた。伴
蔵、幸助という悪党と忠僕の両輪が、「てれこ」になり、幕末の
廃頽を色濃く残しながら、大河のごとく、流れるドラマだ。魁春
も、お峰、悪女お国を早替りでふた役。欲に取りつかれたお峰伴
蔵の夫婦の人間像は、歴史の大河の中で、浮き沈むという普遍的
な庶民像だったのだろう。

大西版と新七版との大きな違いは、飯島家のお家騒動(主人・飯
島平左衛門の裏をかいて、妾のお国が、隣家の次男で、主人の甥
の宮野辺源次郎と不義密通の果てに、お家を乗っ取ろうとする)
の取扱いだ。主家殺しの真相を嗅ぎ付け、平左衛門の若頭・幸助
が敵討ちをするという話が大西版では、省略されている。平左衛
門の娘のお露は、萩原新三郎との結婚を平左衛門に反対され、恋
煩いで死んでしまう。お露の死霊に取り付かれた新三郎も、やが
て、殺されてしまう。誰もが知っている牡丹燈籠のカランコロン
という下駄の音で、鬼気迫る場面で有名な噺は、落語で言えば、
ちょっと長めの枕というところ。圓朝の人情噺でも良く知られて
いる新三郎とお露のくだりは、実は、「牡丹灯籠」のイントロに
過ぎないというわけだ。つまり、歌舞伎では、怪談噺と世話物が
綯い交ぜになっていて、本筋は、世話物というわけだ。

お露、お米の幽霊に頼まれて新三郎の死霊封じの札をとってや
り、幽霊から百両をもらった新三郎の下男・伴蔵とお峰の夫婦の
話が本筋となる。それに、主人・飯島平左衛門思いの真面目男・
幸助が平左衛門を殺して逃げた妾・お国と源次郎という不義カッ
プルを探し当て、仇討ちをするという話が、絡むのが新七版。
 
大西版を観たのは、11年前、96年8月歌舞伎座初演と4年前
の、03年8月の歌舞伎座。そして、今回(私は、歌舞伎座での
上演された大西版は、全て観ていることになる)。主な配役は、
以下の通り。今回の配役は、それぞれ、末尾に付けた。

伴蔵:八十助時代の三津五郎、三津五郎、今回は、仁左衛門。お
峰:福助(2)、今回は、玉三郎。新三郎:染五郎、七之助、今
回は、愛之助。お露:孝太郎、勘太郎、今回は、七之助。お国:
扇雀(2)、今回は、上村吉弥。源次郎:歌昇、橋之助、今回
は、錦之助。お米:吉之丞(今回含め、3)、円朝(大西版で
は、圓朝が円朝になっているので、以下、それに従う):勘九郎
時代の勘三郎(2)、今回は、三津五郎。こちらは、新七版で
は、重要な飯島平左衛門と忠義の若頭・幸助との因果噺が、ばっ
さりと削除されている。

「牡丹灯籠」が、もともと、三遊亭円朝自作の人情噺だったこと
から、大西版では、高座に上がる円朝をプロローグとエピローグ
で使うという演出だった。

まず、第一幕、第一場は、大川(隅田川のこと)。上手揚幕から
出て来た舟の場面から始まる。舞台上手の舟には、飯島平左衛門
の娘・お露(七之助)と乳母のお米(吉之丞)、医師の志丈(松
之助)が乗っている。舟を操るのは、志丈だ。そこへ、下手か
ら、もう一艘の舟が近付いて来る。屋形船だ。外から見えない密
室には、飯島平左衛門の後妻、つまり、お露の継母・お国(吉
弥)が、不倫相手の隣家の次男坊・宮野辺源次郎(錦之助)と一
緒に入っている。それに、後ろ向きの船頭が乗っている。お互い
に誰が乗っているか、知らずに、すれ違う舟と舟。大川での舟の
すれ違いは、「梅暦」の場面と同じ演出(戦前の歌舞伎座に「蛇
の目廻し」という二重の廻り舞台があったころ、「梅暦」で、内
側に廻る舞台と外側に廻る舞台の動きを逆にして、舟をすれ違わ
せたこともあるという)。

やがて、暗転。なぜか、スポットライトが、後ろ向きの船頭に当
たる。船頭は、脱皮するように衣装を脱ぎ捨て、旦那風の男に変
わる。一旦、花道に向かう。黒衣の持って来た羽織を着て、髪を
整える。今回は、三津五郎(前々回、前回は、勘九郎)。舞台中
央に高座がせり上がって来る。そこへ上がる三津五郎は、すでに
円朝になっている。高座の後ろに新三郎(愛之助)の座敷きが浮
かび上がって来る。亡くなったと聞かされたお露の霊を弔ってい
る。

牡丹灯籠を手にしたお米(吉之丞)に伴われて、お露(七之助)
がやって来る。幽霊と知らずに、騙されて、お露らを座敷きに導
き入れる新三郎。吉之丞のお米が、相変わらず、巧い。両肩を極
端に下げ、両腕をだらりと垂れ下げた「幽霊」ぶりは、いつ観て
も逸品だ。動きも、遠心力を利用するように滑らかに動く。それ
は、同じ幽霊のお露役を演じる役者たち(私が観たのは、孝太
郎、勘太郎、七之助)と比較すれば、良く判る。なかなか、両肩
が、吉之丞のようには、下がらないのだ。このあたりに、キャリ
アの差が、はっきり表れる。この吉之丞の幽霊ぶりを観るだけで
も、「牡丹灯籠」は、見応えがある。

志丈と一緒に新三郎の下男・伴蔵(仁左衛門)が帰って来る。新
三郎とお露が、しけ込んでいる障子の部屋を覗くと、新三郎が、
骸骨のお露と抱き合っているのが見える。逃げ出す伴蔵ら。

一方、飯島平左衛門の屋敷では、お露が亡くなったことから、継
母のお国(吉弥)は、不倫相手の宮野辺源次郎(錦之助)を養子
にしようとしている。取り合わない平左衛門(竹三郎)を殺そう
とお国は、源次郎にけしかける。それを立ち聞きして、怒り心頭
の平左衛門が、部屋に入って来て、殺しあいになる。挙げ句、平
左衛門は、殺され、灯りを持って来合わせた女中のお竹(壱太
郎)も、巻き添えを喰って、殺される。金を奪って、逐電するお
国源次郎。

伴蔵の住居では、お峰(玉三郎)が、待っている。戻って来て経
緯を話す伴蔵。この場面でのふたりのやりとりは、前々回、前回
観た福助のお峰が、何と言っても、秀逸。生世話ものの科白のや
りとりの妙。玉三郎のお峰では、玉三郎の美貌は生かせても、福
助ほどのお侠の味は出せない。

「牡丹灯籠」と言えば、お露と新三郎のカップルの物語と思いが
ちだが、このふたりは、幽霊噺のイントロというかグラビアみた
いなもので、本筋のストーリーからは、外れてい来る。本筋の方
は、お峰と伴蔵、お国と源次郎というふた組のカップルの噺なの
だ。原作でも、ふた組の男女の物語が、「てれこ」に展開する。
大西版では、お峰と伴蔵の物語が、主調になっている。

幽霊に取り付かれ、死相の現れた新三郎は、家の周りに魔除けの
札を貼り、金無垢の如来像を持っている。幽霊に頼まれて、欲に
駆られ、魔除けの札を剥がし、如来像を取り上げる代わりに幽霊
から百両をせしめる伴蔵夫婦、お露に冥途に道連れにされる新三
郎。梯子に乗り、高いところに貼られたお札を剥がす伴蔵の姿に
象徴されるが、現世の欲を霊界が支配するという図式。

第二幕は、利根川ぞいの栗橋の宿場近辺に舞台が移る。悪事を働
き、江戸に居ずらくなった連中が、逃げる街道は、奥州街道・日
光街道で、野州栗橋は、まさにそのルート上の宿場。高座の円朝
が、時間経過を物語る。百両を元に関口屋という荒物屋を宿場で
営み、景気の良い伴蔵夫婦と宿場はずれの河原の蓆小屋に住むお
国と源次郎のふたり。平左衛門の屋敷から盗んだ金などを奪わ
れ、斬りあいの際に刺された傷が元で足萎えになった源次郎。蓆
小屋から宿場の料理屋に通う酌婦勤めのお国。明暗を分けたカッ
プルが、相互に絡みながら展開する。お国と伴蔵の男女関係が接
点となり、ふた組のカップルの破滅が始まる。「てれこ」になっ
ていたふた組の男女が、ここからは、「綯い交ぜ」となる。

悲劇のなかに、笑いをもたらすのは、三津五郎ふた役の馬子の九
蔵だが、これは、すでに観た勘九郎が巧かった。久蔵に金をや
り、酒を呑ませて、伴蔵の行状を白状させるお峰。ふたりのやり
取りの滑稽味は、とても、重要である。そして、悲劇へ。江戸か
ら訪ねて来たお峰の旧友・お六(歌女之丞)に、お露の霊が憑
き、真相がばれそうになる。一方、お国に引っ張られてここまで
来た源次郎は、足の傷の所為もあり、気が弱くなっている。鬱屈
している。思い出せば、平左衛門とお竹の命日。なぜか、群れ飛
ぶ人魂のような、螢に惑わされ、螢に斬りかかったはずの刀を自
らの背中から身体に貫通させてしまう源次郎。それと知らずに源
次郎にすがりつき、源次郎の腹に突き出ていた刀に突き刺される
お国。彼女らが殺した平左衛門やお竹の霊が、螢になって現れ、
お国、源次郎に祟ったのではないかと、観客たちも思う。お国、
源次郎の死後も、螢は、乱舞する。滅びの美学。因に、新七版
(「怪異談牡丹灯籠」)では、お国、源次郎は、今回出て来ない
忠義な若頭・幸助(あるいは、孝助)の手で、仇討にされる。幸
助が、絡まない大西版は、新七版より、死霊に祟られる人間の欲
の果て、という色合いが濃い。それは、次の場面で、いっそう、
色濃くなる。

遠雷轟く幸手堤。栗橋から程近い。ここで、もうひとつの滅びの
美学が始まる。死霊の取り憑いたお六を残して逃げて来た伴蔵・
お峰の夫婦だが、どうやら伴蔵に死霊が取り付いているようで、
伴蔵は、お峰を殺してしまう。ふたりの間で、死闘が始まる(前
回は、8月の公演とあって、本水を使った殺し場だったが、今回
は、本水無し。もっとも、前々回も、8月の公演だったが、本水
は、なかった)。お峰を殺してしまった後、正気に戻った伴蔵
が、お峰を抱きしめて、狂ったように泣く。

最近は、大西版が、多く上演されているが、そのわけは・・・。
幽霊より人間が、おもしろく、おかしく、哀しいからだろう。新
七版と大西版の違いは、いろいろあるが、最大のポイントは、伴
蔵によるお峰殺しの場面では、ないか。新七版では、伴蔵は、お
国と深い仲になったばっかりに、邪魔になった、いわば共犯のお
峰の口封じも兼ねて、お峰殺しをする。ところが、大西版では、
お峰殺しを同じように描きながら、「殺されたままのお峰」で
は、放っておかない。今回は、先に、触れたように、「正気に
戻った伴蔵が、お峰を抱きしめて、狂ったように泣く」という場
面で、終っているが、本水を使った、前回、03年8月の舞台で
は、殺されて川に落されたお峰の白い手が、川の中から伸びて来
て、伴蔵を川の中へ引きずり込んだ。人間の欲を描いた大西版
は、欲望が、死霊に呪われているというメッセージを送りつけて
来るように思われるので、「お峰殺し」の意味を、もう少し、考
えてみたい。

1)新七版では、伴蔵は、お国との愛欲ゆえに、邪魔になったの
が、長年の連れ合いのお峰という位置付けで、どこにでもある男
の浮気の果ての、連れ合い殺しという、下世話な話だ。

2)前々回、前回。お露らの死霊の超能力によって操られた伴蔵
は、いわば、死霊代行で、お峰を殺し、殺されたお峰の超能力に
よって、伴蔵自身も冥界に引き込まれる。つまり、お露ら死霊か
ら、百両を巻き上げた因果が、報いて、ふたりとも、取り殺され
るという、因果応報の物語。

3)今回の伴蔵は、強欲の果ての狂気に操られ、長年の連れ合い
のお峰を殺すが、それは、所詮、狂気のなせる業で、正気に戻れ
ば、狂気の自分を呪って、遺骸(むくろ)となったお峰の身体を
抱きしめて、「狂ったように泣く」しかない。所詮、小悪人とい
う、哀しさ。「小悪人こそ、人間の標準型」というようなメッ
セージが、感じ取れるのは、私だけではないだろう。皆、ちょぼ
ちょぼ。そういう意味では、今回の大西版の落ちが、私には、
すっきりと腑に落ちる。

大西版の歌舞伎化の演出を手掛けて来た戌井市郎は、「私は大西
脚本を読んで真っ先に、テンポがあって歯切れがよく、円朝が現
代によみがえっていることを感じた」と言っているが、歌舞伎
は、原作の味と香を損なわなければ、時代時代に合わせて、「傾
(かぶ)く」演出を工夫するのは、良いことであると、私は思
う。

最後に、役者論、演技論を少々。今回は、お峰・伴蔵が、玉三
郎・仁左衛門という美男美女コンビとしたが、科白回しを考える
と、前々回、前回と観た福助・勘三郎の巧者コンビの方が、芝居
としての出来具合は、良かったように思う。なにより、玉三郎よ
り福助の方が、こういう役柄は、巧い。玉三郎では、世話場の、
科白のやり取りが、弱い。その代わり、玉三郎・仁左衛門という
配役が生きたのは、絵面の見得、つまり、形で見せる、最後のお
峰殺しの場面のみであった。この場面は、「かさね」を思い出さ
せる節目節目のポーズ(絵面の見得)が、セールスポイント。実
は、初めて、歌舞伎役者ばかりで、大西版が上演されたときの、
お峰・伴蔵が、玉三郎と仁左衛門(当時は、孝夫)で、1989
(平成元)年6月、新橋演舞場の舞台であった。18年振りに玉
三郎のお峰とともに、伴蔵を演じた仁左衛門は、「牡丹灯籠」を
「幽霊というより人間の恐ろしさが巧みに書かれた作品だと思い
ます」と話している。

円朝、久蔵ふた役の三津五郎も、達者に演じてはいたが、勘三郎
に比べると、やはり、円朝役では、噺家としての華が乏しい。お
露・新三郎の七之助・愛之助コンビは、清新。前回新三郎を演じ
た七之助が、やっと、お露を演じてくれた(前回は、お露は、勘
太郎だったが、これは、七之助と勘太郎の配役ミスだと私は、書
いている)のは、良かった。お露の乳母・お米の吉之丞は、既に
触れているが、「最高の適役」と、いま一度、書いておく。

お国・源次郎は、吉弥・錦之助コンビは、もうひと組の、美男美
女。翫雀の子息、壱太郎が、お国・源次郎に殺された飯島家の女
中・お竹と栗橋宿の料理屋・笹屋の酌婦(お国の同僚)・お梅と
いう、お竹の妹のふた役で出ている。


踊り達者な三津五郎


「奴道成寺」は、5回目の拝見。真女形の所作事でも、大作の
「京鹿子娘道成寺」には、さまざまなバリエーションがある。真
女形ふたりで演じる、華やかな「娘二人道成寺」。立役と女形と
で演じる「男女(めおと)道成寺」、今回のような、立役で見せ
る「奴道成寺」など。男が、白拍子花子に」扮して、鐘供養に訪
れるが、踊っているうちに、烏帽子がはねて、野郎頭がむき出し
になり、ばれてしまう。所化たちの所望で、左近は、正式に踊り
出す。下手の常磐津と舞台奥の長唄の掛け合いなどもあり、盛り
上がる。クライマックスの「恋の手習い」では、左近が、「お多
福(傾城)」、「お大尽」、「ひょっとこ(太鼓持)」という3
種類の面を巧みに使い分けながら、廓の風情を演じてみせる。い
わば、身体で喋る踊り。「山尽くし」では、花四天と左近がから
む所作ダテとなる。

八十助時代を含めて、三津五郎(3)、猿之助。この演目は、後
見が「お多福」、「お大尽」、「太鼓持」という3種類の面を、
タイミング良く踊り手の狂言師・左近に手渡すかが大事。後見と
の息の合ったところを見せるのがミソ。これは、後見との息も含
めて三津五郎が巧い。後見は、いつも、三津右衛門で、図体も大
きいが、安定した後見振りは、三平時代から、私も注目して来
た。師匠・三津五郎の信頼の厚さも、舞台から、充分に伺える。
実は、私はこの演目をもう一回観ている。日本舞踊の西川流の家
元・西川扇蔵の踊りで観たのだが、役者の踊りと舞踊家の踊り
は、見せ方が違う。役者の踊りは、やはり、所作だけでなく、役
者の芝居の味が滲んでいる。「芝居っ気」というと違う意味に
なってしまうが、まあ、純粋な舞踊家と違う、味があることは確
かだ。病気で長期休演中の猿之助も、以前は、良く演じた。私
も、かろうじて一回だけ拝見しているが、猿之助の舞台を再び、
観てみたいと思う。

今回の所化たちは、御曹司が多かった。時蔵子息の萬太郎、三津
五郎子息の巳之助、翫雀子息の壱太郎、弥十郎子息の新悟、錦之
助子息の隼人、坂東吉弥孫の小吉、延寿太夫子息の右近、人気の
子役の鶴松、兄貴格の亀鶴、薪車、名題の鴈成、三津之助、加え
て、今回の舞台で名題昇進披露目をした玉雪、功一(ふたりは、
玉三郎の弟子。三津五郎が、所化たちを引き連れて、舞台に座り
「口上」をしたが、名題役者の舞台での「口上」付きのお披露目
は、珍しいが、ときどきある)。
- 2007年10月27日(土) 21:29:51
2007年10月・歌舞伎座 (昼/「赤い陣羽織」、「恋飛脚
大和往来」、「羽衣」)


「民話の反権力意識」


「赤い陣羽織」は、初見。木下順二作。スペインの作家・アラル
コンの「三角帽子」を翻案した作品。原作では、市知事が被る三
角帽子と緋ラシャの外套が、本作では、お代官の着る赤い陣羽織
になっている。1955(昭和30)年に歌舞伎化された。十七
代目勘三郎のお代官、八代目幸四郎のおやじ、六代目歌右衛門の
女房ほか。木下順二は、日本の民話にはない民衆が権力者をひっ
くり返すという原作のテーマを笑劇(ファルス)にまとめたとい
う。歌舞伎座では、46年ぶりの上演。

筋立ては、民話らしく、判りやすい。女房と馬と暮らすおやじ。
女に目がないお代官が、おやじの女房にちょっかいを出したこと
から、喜劇が始まる。おやじとお代官は、小太りで、眉が太く、
口の周りの鬚跡が濃いなど、人相が似ているという辺りが、笑い
のポイント。庄屋を使って、おやじに難癖を付け、庄屋の屋敷に
引っ張って行った後、お代官は、女房ひとりのおやじの家に忍び
込もうとするが、川に嵌った上に、女房に鍬で殴られ、気絶して
しまう。庄屋の家から逃げて来たおやじは、脱ぎ捨てられたお代
官の着ものや陣羽織を見て、女房が寝取られたと思い、お代官の
奥方を寝取ることで、復讐しようとお代官の衣装を身に着けて代
官所へ向うが・・・。結局、お代官の奥方の知恵で、お代官にお
灸がすえられ、おやじ夫婦も安泰で、めでたしめでたし。

配役は、おやじ(錦之助)、女房(孝太郎)、お代官(翫雀)、
奥方(吉弥)、代官のこぶん(亀鶴)、庄屋(松之助)ほか。お
やじとお代官は、そっくり。錦之助は、頬に含み綿をしていたか
も知れない。孝太郎の女房に色香がある。


「手のエロチシズム」と「じゃらじゃら」という通奏低音に注目


「恋飛脚大和往来〜封印切・新口村〜」のうち、「封印切」は、
7回目。「新口村」も、5回目。両方を通しで観るのは、2回
目。通算で、忠兵衛は、孝夫時代を含めて仁左衛門(3)、鴈治
郎時代を含めて藤十郎(3)、勘九郎時代の勘三郎、染五郎。国
立劇場の歌舞伎鑑賞教室や地方興行の舞台を含めると、忠兵衛
は、さらに、扇雀(2)。梅川は、孝太郎(3)、時蔵(2)、
玉三郎、雀右衛門、扇雀。国立劇場の歌舞伎鑑賞教室や地方興行
の舞台を含めると、梅川は、さらに、愛之助(2)。孫右衛門
は、通算5回で、孝夫時代含めて仁左衛門(4)、今回は、我
當。八右衛門は、通算5回で、孝夫時代を含めて仁左衛門
(3)、我當、今回は、三津五郎。

贅言:歌舞伎座の筋書の「上演記録」は、松竹の演劇製作部(芸
文室)などの資料を元に1945(昭和20)年以降の「主な劇
場」での上演を記録しているが、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室や毎
年夏を中心に全国を3つのコースに分けて実施される地方興行の
記録がないので、私の場合、このサイトの「遠眼鏡戯場観察」の
劇評をひっくり返しながら、記録をまとめている。

「封印切」の演出には、上方型と江戸型がある。いくつか、違う
演出のポイントがある。最近は、仁左衛門を軸にした松嶋屋系か
藤十郎を軸にした成駒屋・山城屋系で演じられることが多く、上
方型の舞台が多い。私が観た舞台では、当時の勘九郎の忠兵衛を
観た96年11月の歌舞伎座が、江戸型で、あとは、ほとんど上
方型であった。今回も、上方型の演出。井筒屋の店表の場面。大
道具の2階の階段が違うなどという点は、判りやすいが、例え
ば、井筒屋の裏手の場面は、「離れ座敷」(江戸型は、井筒屋の
「塀外」の場面となる)などの違いがある。離れ座敷では、梅川
(時蔵)と忠兵衛(藤十郎)の「逢い引き」のために、二人の手
引きをしたおえん(秀太郎)は、明かりを消して、二人のため
に、「闇の密室」を創る。

鴈治郎時代を含めて、藤十郎の忠兵衛と時蔵の梅川の舞台を観る
のは、私は、2回目である。前回は、01年11月の歌舞伎座で
あった。藤十郎と時蔵のコンビの舞台は、歌舞伎座の筋書に掲載
された上演記録だけでも、3回ある。外から木戸を押し開けて
入ってきた藤十郎の忠兵衛。座敷から離れに、ゆるりと入ってき
た時蔵の梅川。二人は、手探りで、互いを捜し合う。手の音で、
位置を確かめあう。二人を導き入れたおえんは、二人に忠告をす
る。「じゃらじゃらとしていないで、どうなら、どう、こうな
ら、こうとしなしゃんせ」。しかし、最後まで、忠兵衛は、
「じゃらじゃら」している。それが、地獄へ梅川を連れて逃げる
忠兵衛という男の性根であろう。

庭と離れの部屋のなか、二人がいる場所は、決して、密室ではな
い。開け放たれた部屋。しかし、闇が開放された空間を密室に仕
立て上げる。「闇の密室」。そういう空間で、二人の「手」が、
闇のなかで、触れ合ったり、離れたりする場面が、何回か繰り返
される。庭に降りるために、足で、踏み石の上に置かれた下駄を
探り当てる梅川。背中合わせに三角形を創る二人。前に座り込ん
だ忠兵衛の肩に、後ろから手を掛ける梅川。その両手を優しく包
む忠兵衛。「さいなら」と意地悪を言う忠兵衛。袂のなかの左手
で、別れの合図をする。別れが悲しいと、泣く梅川。「お前も、
よっぽど、泣きミソやなあ」と甘く言う忠兵衛。真情を告げあ
い、仲直りをする二人。手を繋ぎ合う二人。そういう手を中心に
した所作が続く。

暗闇のなかでの、二人の「手の触れ合い」という所作を強調する
ことで、「濃密なエロス」を描くことができる。これが、江戸型
のような、塀の外では、いくら暗闇が支配しているとは言って
も、そこに、密室は、出現しない(その代わり、おえんが、忠兵
衛の羽織の紐を格子に結び付けるなど、「ちゃり(笑劇)」の味
付けを濃くしている)。

そういえば、上方型は、全編を通じて、「手のエロティシズム」
を強調しているように見受けられる。今回は、この部分にこだ
わって、ウオッチングしてみた。まず、冒頭の井筒屋の店表の場
面では・・・・。花道をやって来た忠兵衛は、一旦、本舞台の井
筒屋店先まで行き、店のなかを覗き込んで、梅川とおえんが畳算
(恋占い)をしている場面を知り、花道七三まで戻り、「ちっと
とやっととお粗末ながら梶原源太は俺かしらん」と自惚れて言
う。梶原源太は、良い男の代名詞である。その後、忠兵衛は、格
子戸の隙間から両手を差し入れ、梅川に向って、「これこれ」と
両掌を交互に動かす。一方、格子戸の向うにいる忠兵衛に気が付
いた梅川は、「忠さん、忠さん」と言いながら、忠兵衛同様に掌
を交互に動かす。おえんが、格子戸をあけると、入って来た忠兵
衛に梅川が抱き着く。おえんの配慮で、二人は、一旦、身体を離
し、忠兵衛は、裏に廻ることになる(つまり、闇の密室へ、向
う)。格子戸を挟んだ二人の手の動きが、印象に残る。

忠兵衛と八右衛門(三津五郎)のやり取り。忠兵衛対八右衛門
の、上方言葉での、丁々発止は、子どもの喧嘩のようでたわいな
いのだが、それが、いつか、大人の八右衛門の計略に、まんまと
乗り、公金横領の重罪を犯す行為になだれ込んで行く、最高の見
せ場を作る。

忠兵衛は、大和という田舎から出て来たゆえに、生き馬の目を抜
くような都会大坂の怖さを知らず、脇の甘い、小心なくせに、軽
率で剽軽、短気で、浅慮な「逆上男」である。地に足が着いてい
ない。女性に優しいけれど、エゴイスト。セルフコントロールも
苦手な男。震える手で、次々と封印を切ってしまう。破滅型。封
印を切り、死への扉を開けてしまう。藤十郎は、羽織の使い方か
ら足の指先まで計算し尽くした演技で、上方男を完璧に描いて行
く。逆上して、封印切をした後、忠兵衛の腹の辺りから、封印を
解かれた小判が、血のように迸る場面は、圧巻だ。

梅川の借金を抱え主の治右衛門(歌六)に払い、証文を取りかえ
す忠兵衛。

忠兵衛「これで、元のお梅にかえります」
治右衛門「お梅さま。おんめでとう存じます」

悲劇の発覚の前の、「ちゃり(笑劇)」

梅川は、身分の低い傾城であるが、純情で、自分のために、人生
を掛けてくれた逆上男であっても、忠兵衛への真情が溢れ出す。

梅川「なんでそのように急かしゃんすえ」
忠兵衛「急かねばならぬ、道が遠い」
梅川「そりゃどこへ行くのじゃぞいなあ」
忠兵衛「今の小判はお屋敷の為替の金、その封印を切ったれば、
もう忠兵衛がこの首は、胴に附いてはないわいな」
梅川「ひええ、・・・そりゃまあ悲しい事して下さんしたなあ」
(略)
梅川「大事の男をわたしゆえ、ひょんな事させました。堪忍して
下さんせ。死んでくれとは勿体ない。わしゃ礼を言うて死にます
る。それが悲しいではなけれども、どんな在所へでもつれて往
て、せめて三日なと女房にして、こちの人よと言うた上で、どう
ぞ殺してくだしゃんせ」

花道の引っ込みは、梅川・忠兵衛の手を繋いでの「死出の道行」
が、松嶋屋の型で、梅川を先に行かせて、忠兵衛のみが、「ゆっ
くり」と舞台に残り、世話になったおえんへの礼もたっぷりに、
また、大罪を犯した「逆上男」の後悔の心情をたっぷり見せるの
が、成駒屋の型で、今回の山城屋は、当然、成駒屋型。忠兵衛の
羽織の裏に描かれた藤の花が、哀しさを浮き彫りにする。おえん
が心配した通りに、最後まで、「じゃらじゃらしていた」忠兵衛
の悲劇の物語。「じゃらじゃら」は、この芝居の、通奏底音で
あった。

幕が開くと、まず、浅葱幕が、舞台を覆っている。振り落とし
で、「新口村」。

この場面、ずうと雪が降り続いているのを忘れてはいけない。梅
川が、「三日なと女房にして、こちの人よと言うた」果ての、忠
兵衛の在所である。百姓家の前で、雪が降るなか、一枚の茣蓙で
上半身を隠しただけの、梅川と忠兵衛が立っている。二人の上半
身は見えないが、「比翼」という揃いの黒い衣装の下半身、裾に
梅の枝の模様が描かれている(但し、裏地は、梅川は、桃色、忠
兵衛は、水色)。衣装が派手なだけに、かえって、寒そうに感じ
る。やがて、茣蓙が開かれると、絵に描いたような美男美女。二
人とも「道行」の定式どおりに、雪のなかにもかかわらず、素足
だ。足は、冷えきっていて、ちぎれそうなことだろう。茣蓙を二
つ折り、また、二つ折りとおうように、二人で、叮嚀に畳む。梅
川の裾の雪を払い、凍えて冷たくなった梅川の手を忠兵衛が懐に
入れ込んで温める。「手のエロティシズム」は、続いている。

やがて、花道から我當の孫右衛門登場。逃避行の梅川・忠兵衛
は、直接、孫右衛門に声を掛けたくても掛けられない。窓から顔
を出す二人。ところが、本舞台まで来た孫右衛門は、雪道に転ん
で、下駄の鼻緒が切れる。あわてて、飛び出す梅川。忠兵衛の代
りに、「嫁の」梅川が、父親の面倒を見る。

我當の孫右衛門が、やがて、私の目に、(我當、仁左衛門の実父
の)十三代目仁左衛門に似て見えて来る。我當は、体型、顔の形
から見れば、弟の仁左衛門と違って、十三代目に似ているわけが
ないのだが、今回は、似て見えて来るから不思議だ。だが、良く
見ると、目が十三代目に似ていると気が付く。

やがて、百姓家の屋体が、上手と下手に、二つに割れて行く。舞
台は、竹林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見に
替わる。黒衣に替わって、白い衣装の雪衣(ゆきご)が、すばや
く、出て来て、舞台転換を手助けする。逃げて行く梅川・忠兵衛
は、子役の遠見を使わず、時蔵と藤十郎のまま。霏々と降る雪。
雪音を表す「雪おろし」という太鼓が、どんどんどんどんと、鳴
り続ける。さらに、時の鐘も加わる。憂い三重。竹林をくぐり抜
けて、舞台上手から下手へ進んだ後、下手から上手へ上がって行
く二人。白黒、モノトーンの世界に雪が降り続く。小さなお地蔵
さまの首にかかった涎掛けが、赤い色が印象的。

贅言:忠兵衛と孫右衛門の二役を早替わりで演じる場合、忠兵
衛・孫右衛門への二役早替わりの場合の「入れごと」として、新
年を寿ぐ万歳と才蔵が、村にやってくる。二人に行き会った百姓
の水右衛門のお家繁盛、長寿を寿ぐやりとりがある。お礼の金を
二人に手渡す水右衛門。ここは、村では、人通りの多い場所なの
だ。すでに、公金横領で手配の懸かっている梅川・忠兵衛には、
人目を気にしなければならない、危険な場所であることが判る。
「追われる逃亡者」という状況の緊張感が伝わって来る。今回
は、「二役早替わり」という演出ではないので、「入れごと」が
なく、緊張感も乏しくなる恨みがある。

藤十郎、時蔵のコンビは、色艶抜群。「封印切」と「新口村」の
通しは、19年ぶりという藤十郎。時蔵と3回目のコンビと書い
たが、「新口村」で共演するのは、初めて。素直なまでに一途な
梅川を演じた時蔵。秀太郎のおえんは、とうに自家薬籠中のもの
になっている。安心して観ていられる。三津五郎の八右衛門は、
上方味が、いま、ひとつ薄味。治右衛門初役の歌六は、三津五郎
に似て見えたのは、不思議。忠兵衛と八右衛門とが、やり合って
いる場面では、下手奥の四角い火鉢の周りで、不動の姿勢をして
いる治右衛門、おえん、梅川は、芝居をしているような、消えて
いるような、不思議なポジションだ(時蔵曰く、「はらはらしな
がらひたすら見守っている」という)。


天女・玉三郎の魅力


「羽衣」は、2回目の拝見。歌舞伎座では、初上演という。私が
観た初回は、2000年7月、山梨県増穂町の地方興行の舞台で
拝見した。天女に愛之助、漁師に上村吉弥。今回は、天女に玉三
郎、漁師に愛之助。

舞台中央奥に大きな松。「羽衣」は、「能取りもの」ゆえに、
「松羽目もの」か。枝には、衣が掛けてある。海の遠景で美保の
松原の体。波が上がっている。舞台上手に小松。下手、奥から漁
師の伯龍(愛之助)登場。やがて、花道、スッポンより、天女
(玉三郎)登場。薄いピンク地に下がり藤の模様の入った着付
け。漁師から衣を返してもらった後は、薄い羽衣、金色の冠を着
けて、鞨鼓を下げて出て来る。返礼にと「駿河舞」を舞いながら
扇子の動きで天への飛翔を表す。「天翔ける」天女の動きに連れ
て、天女は視線を下へ、漁師は視線を上へ。やがて、漁師は、舞
台中央のせりから奈落へ降りて行く。花道七三に残る天女は、天
高く遠ざかるというわけだ。玉三郎が、本当に宙に浮いているよ
うに見えるか。いやあー、そう簡単には、浮かび上がらない。

前回見た増穂町では、普通の公共施設の舞台なので、せりは使え
ないから、舞台上手にあった件の松は、天女が下手にいるあたり
で、上手に引き入れられた。天高く遠ざかる天女。地上に取り残
される漁師。眼下遙かに見えなくなって行く松、というわけだっ
た。いろいろ、工夫するものだと、今回、逆に地方興行の努力を
見直した次第。下座の笛が天女の飛翔を示す神通力を表現してい
たのは、今回も同じ。笛の音って、不思議な力を持つものだ。

贅言:「羽衣」は、明治の時代に五代目菊五郎が能から歌舞伎舞
踊化した演目で、初演当時は、羽衣に羽をつけ、閉じたり開いた
りさせたようだ。宙乗りも取り入れ、まわるく一周したりしたと
もいう。まあ、これも、少し説明的すぎる。すっきり、綺麗に見
せるのが、こういう演目こそ、必要だろう。
- 2007年10月15日(月) 22:17:33
2007年9月・歌舞伎座 (秀山祭・夜/「壇浦兜軍記 阿古
屋」、「身替座禅」、「二條城の清正」)


風格の玉三郎阿古屋と颯爽の吉右衛門初役重忠


「壇浦兜軍記 阿古屋」は、3回目の拝見。もちろん、主役は、
玉三郎。堀川御所の問注所(評定所)の場面という、いわば法廷
で、玉三郎の阿古屋は、権力におもねらず、恋人の平家方の武
将・悪七兵衛景清のために、あくまでも気高く、堂々としてい
て、五條坂の遊女の風格を滲ませていて、最高であった(ほかの
女形で、阿古屋を観れないのが、残念)。特に、「琴責め」と通
称される、楽器を使った「音楽裁判」で、嫌疑無しと言い渡され
た時の、横を向いて、顔を上げたポーズは、愛を貫き通した女性
のプライドが、煌めいていた。あわせて、歌舞伎界の真女形の第
一人者の風格も、二重写しに見えて来る。

そして、揺るぎない判決を言い渡したのは、黒地に金銀の縫い取
りの入った衣装で、颯爽と登場した吉右衛門初役の秩父庄司重
忠。白塗り、生締めの典型的な捌き役。赤ッ面で、太い眉毛が動
く段四郎の岩永左衛門致連は、キンキラの派手な衣装に、定式の
人形振りで、客席から笑いを取っていた。銀地の無地の衝立を
バックに、ふたりの人形遣を引き連れている。

人形浄瑠璃の岩永人形のぎくしゃくした動きを真似ている。秩父
と岩永のふたりは、裁判官の主任と副主任。どちらが、実質的な
主導権を握るかで、阿古屋の運命は決まる。さらに、廷吏役で
「遊君(ゆうくん)阿古屋」と呼び掛け、阿古屋を白州に引き出
して来るのは、重忠の部下、榛沢六郎成清は、染五郎が演じる
が、廷吏らしく、法廷の開始と終了で、被告の阿古屋の入りと出
を先導する場面以外は、後ろに立ったまま(合引に座って)で、
じっとしている、文字どおりの辛抱役であった。捕手たちは、人
形浄瑠璃で、「その他大勢」と分類される一人遣の人形のような
動きをする。

この演目では、傾城の正装である重い衣装(「助六」の揚巻の衣
装・鬘は、およそ40キロと言うが、阿古屋の衣装も、あまり変
わらないのではないか)を着た阿古屋が、琴(箏)、三味線(三
絃)、胡弓を演奏しないといけないので、まず、3種類の楽器が
こなせないと役者でないと演じられない。胡弓を演奏できる女形
が、少ないということで、長年、歌右衛門の得意演目になってい
たが、最近では、玉三郎が独占している。前に締めた孔雀模様の
帯(傾城の正装用の帯で、「俎板帯」、「だらり帯」と言う)。
大柄な白、赤、金の牡丹や蝶の文様が刺繍された打掛。松竹梅と
霞に桜楓文様の歌右衛門の衣装とは違う。阿古屋は、すっかり玉
三郎の持ち役になっている。こういう重い衣装を付けながら、玉
三郎の所作、動きは、宇宙を遊泳しているように、重力を感じさ
せない。軽やかに、滑るように、移動するのは、さすがに、見事
だ。舞台上手の竹本は、4連。人形浄瑠璃同様に、竹本の太夫
が、秩父庄司重忠、岩永左衛門、榛沢六郎成清、そして、阿古屋
の担当と分かれて語る。つまり、この演目は、いろいろ、細部に
亘って、人形浄瑠璃のパロディとなっているのである。

まず、「琴」。玉三郎の「蕗組(ふきぐみ)の唱歌(しょう
が)」(かげという月の縁 清しというも月の縁 かげ清きが名
のみにてうつせど)の琴演奏に竹本の太棹の三味線が協演する。
玉三郎の琴は、爪が四角なので、関西系の「生田流」だという。
次の「三味線」では、下手の網代塀(いつもの黒御簾とは、趣が
違う)が、シャッターが上がるように、引き上がり、菱形で、平
な引台に乗った長唄と三味線のコンビが、(黒衣ふたりに押し出
されて)滑り出てくる。「翠帳紅閨に枕ならぶる床のうち」と、
玉三郎の「班女(はんじょ)」の故事を唄う三味線演奏にあわせ
て、細棹の三味線でサポートする。さらに、「胡弓」。玉三郎の
「望月」の胡弓演奏にあわせるのは、再び、竹本の太棹の三味線
の協演。「仇し野の露 鳥辺野の煙り」。胡弓の弓は、馬の毛で
出来ているという。阿古屋の演奏に魅せられ、舞台上手の火鉢を
自分の前に置き直し、中の火箸で、胡弓の演奏の見立てをしてし
まう岩永左衛門。彼も、お役目に忠実なだけの、善人なのかもし
れない。

問注所の捌きが、楽器の音色で判断という趣向だけあって、筋立
ては、阿古屋と景清との馴初めから、別れまでのいくたてを追い
掛けるという単純明快さで、判りやすい。吉右衛門の秩父は、問
注所の三段に右足を前に出したまま、左手で、太刀を抱え込み、
阿古屋の演奏にじっと耳を傾けるというポーズでいるので、昼の
部の「熊谷陣屋」の直実の制札の見得を彷彿とさせる。吉右衛門
初役ながら、好演であった。吉右衛門の重忠は、直実、清正に比
べて初代色が、薄い分だけ、当代独特の味わいが深く、私には、
好もしく見えた。


「身替座禅」は、8回目の拝見。私が観た右京:菊五郎(3)、
富十郎(2)、猿之助、勘九郎、そして、今回の團十郎。菊五郎
の右京には、巧さだけではない、味があった。特に、右京の酔い
を現す演技が巧い。酔いの味が、良いということだ。従って、右
京というと菊五郎の顔が浮かんで来る。團十郎といえども、ここ
は、菊五郎には、負ける。玉の井:吉右衛門(2)、三津五郎、
宗十郎、田之助、團十郎、仁左衛門、そして、今回の左團次。團
十郎、仁左衛門の玉の井も、印象的だったが、今回の左團次の
「異様」なまでの印象には、負ける。玉の井は、醜女で、悋気が
烈しく、強気であることが必要だろう。浮気で、人が良くて、気
弱な右京との対比が、この狂言のミソであろう。そういうイメー
ジの玉の井は、仁左衛門が巧かった。仁左衛門演じる「先代萩」
の八汐は、素晴しい敵役で、今回の悋気妻も、その系統の演技で
ある。

06年6月の歌舞伎座の劇評で、私は、次のように書いている。

*仁左衛門の底力を見せつける舞台であった。玉の井は、團十郎
もよかったが、今回の仁左衛門も良かった。嫉妬深さ、憎らし
さ、山ノ神の怖さを演じて、團十郎も仁左衛門もひけを取らな
い。吉右衛門は、人柄の良さが邪魔をする。三津五郎は、柄が小
さくて、こういう役では、損をしている。宗十郎、田之助は、女
形もやれる役者なので、立役のみの團十郎、仁左衛門とは、味わ
いが異なる。この役は、やはり、真の立役にやらせたい。

そして、今回の左團次である。左團次は、柄から見ても、声を聞
いても、立役も立役、憎まれ役、滑稽役など、性格のはっきりし
た立役を得意とする。いわば、実線で、くっきりと描いた立役で
ある。女形など、とんでもないという立役である。その立役が、
女形を演じる。その違和感が、玉の井では、プラスに作用する。
左團次の玉の井を私は、初めて観たが、実は、左團次の玉の井役
は、今回で、5回目だそうな。歌舞伎座筋書に掲載されている上
演記録を見ると、88年11月の国立劇場以降、四国こんぴら歌
舞伎金丸座、京都南座、大阪松竹座、今回の歌舞伎座と、なるほ
ど、5回目である。最初の国立劇場と今回の歌舞伎座を除けば、
西の方ばかりである。私が、観ていないわけである。5回目な
ら、達者な左團次のこと、役どころの壷は、掴んでいるだろうか
ら、存在感があるわけだ。玉の井のポイントは、右京に惚れてい
るばかりに、愛の表現が、嫉妬に変わる、という屈折愛の表現の
成否だろうと思う。左團次は、日頃の、筋書の楽屋噺を読んでい
ても、屈折したことを言いたがるお人柄で、その意味でも、「最
高」の玉の井役者かも知れない。

因に、前にも書いているが、右京役者のポイントは、右京を演じ
るだけでなく、右京の演技だけで、姿を見せない愛人の花子をど
れだけ、観客に感じ取らせることができるかどうかにかかってい
ると思う。シルエットとしての花子の存在感。花子は、舞台で
は、影も形もない。唯一花子を偲ばせるのが、右京が花子から
貰った女物の小袖。それを巧く使いながら、花子という女性を観
客の心に浮かばせられるかどうか。見えない花子の姿を観客の脳
裏に忍ばせるのは、右京役者の腕次第ということだろう。右京の
花子に対する惚気で、観客に花子の存在を窺わせなければならな
い。そういう意味でも、菊五郎は、巧い。身替わりに座禅を組ま
される太郎冠者には、染五郎。侍女の千枝が、家橘、小枝が、右
之助と、ベテランが、控える。

「身替座禅」の舞台で、立鼓を打っていた人間国宝の望月朴清さ
んが、9月20日に亡くなった。73歳。亡くなる3日前まで、
舞台に出ていた。凛とした姿勢で、小鼓を打っていた姿を、私も
目に焼きつけておこう。


「二條城の清正」は、2回目。9年前、98年9月の歌舞伎座の
舞台を観ているが、このサイト開設の前なので、劇評はない。今
回が、劇評初登場なので、きちんと書きたい。原作の吉田玄二郎
は、小説家だが、昭和初期に歌舞伎のための戯曲を幾つか書いて
いる。「二條城の清正」は、1933(昭和8)年10月東京劇
場が初演。初代吉右衛門が、加藤清正を演じているが、初代吉右
衛門は、「八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)」、「地
震加藤」、「増補桃山譚(ぞうほももやまものがたり)」、「清
正誠忠録(きよまさせいちゅうろく)」など加藤清正役が、好評
で、清正役者と言われた。「二條城の清正」は、初代吉右衛門
が、自分用の「清正もの」を吉田玄二郎に所望して、書き下ろし
てもらったという。初代の柄、持ち味を生かした科白劇。「二條
城の清正」は、いわば、吉田作「清正」シリーズの第一弾で、次
いで、「蔚山城(うるさんじょう)の清正」(1934年初
演)、「熊本城の清正」(1936年初演)と続く。

前回の配役と今回の配役を比較しておこう。

清正:いずれも、吉右衛門。秀頼:梅玉、福助。家康:羽左衛
門、左團次。大政所:芝翫、魁春。本多佐渡守:又五郎、段四
郎。藤堂和泉守:友右衛門、歌六。井伊直孝:いずれも、歌昇。
浅野幸長:いずれも、芦燕。清正奥方:東蔵、芝雀。

「二條城の清正」の大きな見せ場は、二條城での徳川家康(左團
次)と豊臣秀頼(福助)との対面と、それが無事終って、淀川を
下って、大坂城へ帰還する御座船の船中での場面である。まず、
「対面」では、家康による、豊臣家の存立を判断する面接試験と
も言うべき、緊迫の場面で、被験者の秀頼は、場合によっては、
暗殺されるかも知れないという緊張感が漂う。清正(吉右衛門)
は、いわば、定年前の、最後のご奉公で、病身を押して同行し
た。面接試験の付き添いを兼ねながら、文字どおり、体を張っ
て、暗殺も警戒し、若君・秀頼の身を護ろうという気迫充分の場
面である。吉右衛門は、初代譲りの重厚な熱演を復活しようとい
う志が明瞭で、弁説も鋭く、器量の大きさのある清正を演じてい
た。「対面」を終えて、秀頼が、二條城を辞そうとするとき、武
者溜りから不穏な動きが伝わって来ると、吉右衛門の清正が、大
声で、「還御っ」と言って、周りを威圧する場面があるが、この
一声にこそ、吉右衛門清正の「情念」が、初代から受け継がれて
いるように感じた。

一転して、淀川を下る御座船では、夜が明けないうちは、清正が
警戒を緩めさせないが、夜が明けはじめ、薄明のなかに、遠く、
大坂城が、浮かびはじめると安堵の雰囲気が強まる。横腹を見せ
ていた船が、廻り舞台を利用して、観客席の方に向いて来る。歌
舞伎の大道具のスペクタクルの魅力。幼少年期の秀頼を思い出
す、「若君」への清正の述懐、清正を「爺」として、いまも慕う
秀頼の思いやりが、交互に行き交う。二條城で家康と対決する場
面の秀頼をサポートする清正の「剛」と御座船船中で秀頼に対し
て、いわば、「爺」として対する場面の、清正の「柔」の使い分
けを吉右衛門は、くっきりと演じていた。しかし、初代の味を忠
実に復活しようという意図が強く、逆にいえば、当代の持ち味と
は、異なる味付けがされていて、私には、しっくりこない。初代
吉右衛門の熱演振りは、二代目を受け継いだ吉右衛門よりも、兄
の幸四郎の方に引き継がれているように思う。

真女形とは思えないほど福助の演じる秀頼は、凛々しさがあっ
た。動きの少ない秀頼役であったが、福助の藝の確かさが、いつ
もの女形の時よりも、いっそう、私の胸には、染み込んで来たか
ら、不思議だ。福助の、こういう凛々しい役柄も、味がある。家
康役は、前回観た、いまは亡き羽左衛門が、大きさがあり、これ
は、任、柄ともに絶品であった。しかし、左團次も、決して、悪
くはなかった(ただし、羽左衛門と比べると、小粒であったの
は、致し方ない)。左團次は、「身替座禅」で、異色の奥方玉の
井を演じた直後とは言え、味のある家康であった。

ところで、この芝居は、男たちの権力闘争の芝居だが、男たちの
戦いを見て来た奥方たちは、重要だ。女形たちが、要所をきちん
と締めていたのが、印象に残る。家康の大政所を演じた魁春と清
正の奥方の葉末を演じた芝雀である。

贅言:初代吉右衛門が得意とする演目を集めた「秀山十種」は、
実は、6演目しかない。「清正誠忠録」、「二條城の清正」、
「蔚山城の清正」、「熊本城の清正」、「弥作の鎌腹」、「松浦
の太鼓」である。それでいて、このうち、「清正もの」が、4つ
もあることに気付くだろう。それほど、初代吉右衛門は、加藤清
正役、燃えて打ち込んでいたのであろう。清正役の時は、サイン
を頼まれても、吉右衛門と書かずに、加藤清正と書いたという
「伝説」も残っているそうな。
- 2007年9月26日(水) 20:35:13
2007年9月・歌舞伎座 (秀山祭・昼/「竜馬がゆく 立志
篇」、「熊谷陣屋」、「村松風二人汐汲」)


歌舞伎の舞台には、薄い透明な皮が、何層にも貼られているので
は無いか。薄い皮を剥がすと、新しい舞台が見える。あるいは、
見えたような気がする。しかし、また、薄い皮があるような気が
して、剥がすと、また、新しい舞台が見えてくる。舞台は見えて
いるのだが、薄い皮を剥がさないと舞台が見えていないことがあ
る。何枚も、何枚も、薄い皮を剥がして行かないと舞台の全てが
見えないのだろう。あるいは、舞台を見ているようで、舞台の全
てが見えてはいないのだろう。そうすると、舞台には、剥がして
も剥がしても、永遠に無くならない薄い皮が貼られているのかも
知れない。こうやって、舞台の薄い皮を剥がす愉しみが、実は、
歌舞伎の舞台を観る愉しみなのかもしれない。

○「竜馬がゆく 立志篇」は、司馬遼太郎原作の小説「竜馬がゆ
く」を劇化した新作歌舞伎。坂本竜馬没後140年記念作品。今
回の歌舞伎座が、初演。私は、司馬遼太郎作品では、「街道をゆ
く」というような歴史紀行の物は読むが、小説は、ほとんど読ま
ない。「坂の上の雲」、つまり、坂を昇れば、上には、雲がある
というような、上昇志向の価値観、卑近に言えば、立身出世主義
のような価値観と日本の近代化の二重写し、特に明治期の戦争を
明るく描く(第2次世界大戦参戦の体験から、昭和期の戦争は暗
く描く)などという批判は、司馬遼太郎が、自ら名付けたわけで
は無いが、「司馬史観」として括られ、「自由主義史観派」に
も、利用されるという印象があり、つまり、私は、食わず嫌いで
あるから、批評は、当を得ていないかもしれない。「竜馬がゆく 
立志篇」は、坂本竜馬の青春、土佐藩を脱藩して、国事に奔走し
ようと決意する時期を「明るく」描く。

第一幕では、黒船来航の横須賀で、坂本竜馬(染五郎)が、長州
藩の桂小五郎(歌昇)と出逢い、互いに友情を抱く様子を描く。
ここは、いつもながら口跡の良い歌昇は、科白の端切も良く、演
技に安定感がある。染五郎は、口跡が悪く、土佐弁を交えている
ので、聞き取りづらいところもある。また、立回りの際、腰が決
まっておらず、とても、江戸の千葉道場の剣士とは見えない。外
圧という歴史の大状況のなかでの青春群像を描きはじめる。

第二幕では、土佐藩を舞台に、山内家譜代の家臣の「上士(じょ
うし)」と長宗我部(ちょうそかべ)家以来の「郷士(ごう
し)」との内部対立を描く。郷士が、雨の日に下駄を履いていた
と上士が、いちゃもんを付け、人が、何人も死ぬ。外圧より内部
対立という封建的な世界での、暗い青春群像の一端を垣間見せ
る。竜馬は、暗い土佐の青春に見切りを付けて、脱藩を決意す
る。

第三幕は、勝海舟の屋敷。部屋には、世界地図が、2枚。望遠
鏡。洋式の机と椅子。テーブルの上には、地球儀など。海舟暗殺
のため、千葉道場の千葉重太郎(高麗蔵)とともに竜馬が、海舟
(歌六)に逢いに来る。しかし、ふたりは、刺客であろうと海舟
には、見抜かれている。世界情勢を語る海舟の弁に竜馬は、魅了
され、海舟の弟子になりたいと申し出る。海舟とのやり取りか
ら、幕藩体制の限界を知った竜馬は、世界の列強と伍して行くた
めには、日本国家という概念こそ、この国の形を定める必須条件
だと覚るようになる。舞台は、暗転し、勝海舟の部屋は、消え去
り、朝日に輝く大海原が、広がり、幕府の軍艦「咸臨丸」のシル
エットが浮かび上がり、世界へ羽ばたこうとする竜馬の心情を伺
わせる。歌六の海舟に存在感があった。高麗蔵の千葉重太郎は、
それなりにという感じで、弱い。まあ、「竜馬がゆく」は、これ
ぎり。

○歌舞伎の舞台には、薄い透明な幕が、何層にも貼られているの
では無いか、という冒頭の疑問を抱いたのは、11回目の拝見と
なった「熊谷陣屋」の舞台を観ていて、いままで、気付いていな
かったイメージが浮かんで来たからだ。11回目(人形浄瑠璃の
舞台を入れれば、12回目)の観劇では、もういい加減、並木宗
輔テキスト論には、ならないだろうと思いながら、観ていたら、
また、新しい視点に気がついた。

陣屋に登場人物の多くが出揃う場面。二重舞台の上では、下手に
直実(吉右衛門)、上手に義経(芝翫)と四天王(桂三ら)、本
舞台では、下手に相模(福助)、上手に藤の方(芝雀)という配
置。横の人間関係は、いずれも、公的であり、上司と部下(ある
いは、元部下)という関係であり、下手の縦の人間関係のみ、私
的である。つまり、夫、息子(首だけ)、妻という、家族関係
が、浮き上がって見えてきた。すると、熊谷陣屋は、言われて来
たような、封建的な主従の身替わりの物語ばかりではなく、家族
の物語、というか、家族喪失の物語をも内包する、あるいは、
「入れ子」状態になっている舞台ではないか、というイメージが
沸き上がって来た。公の中の私。その私は、「家族の喪失として
の私」なのだ。

父親の直実がいて、息子の小次郎の首があって、母親の相模がい
るから、そんなこと当たり前では無いか、という向きもあるかも
知れないが、実は、そうではないのだ。そこにあったって、見え
なかった時の私がそうであったように、見えない人には、見えな
いのだ。見えて来た家族の物語とは、相模を軸に据えた家族とい
う視点でのみ観ることができる物語なのだ。それを以下で説明し
よう。

妻は、東国からはるばる息子と夫の無事を気にかけながら須磨の
生田の森にある熊谷陣屋までやって来た。丁度、外から戻って来
た(先日、討ち取った敦盛の墓参から戻って来た)夫は、陣屋に
「来ている」妻を見て、(なにしに、夫の職場迄来たのだ)とい
う表情をする。(ご機嫌は、悪そうだが、夫は、元気で、職務に
励んでいるらしいと安心する一方、いっしょに働いている息子
は、どうしたのだろうか。まだ、仕事中なのか)という感じで、
妻は、無言で、夫に問いかける。夫は、いま、いちばん逢いたく
無いのが、妻だから、余計、不機嫌になる。やがて、妻は、息子
の息災を尋ねる。「息子が討ち死にしたら何とする」と反問する
直実。大将と組み打ちをして、討ち死にしたら嬉しいと妻は、母
の情を殺して答える。夫は、機嫌を直し、息子は、手傷を負った
が、功名を立てたと嘘を言う。自らは、敦盛を討ち取ったと告げ
る。これを奥の間で聞いていた敦盛の母、藤の方は、息子の仇と
直実に斬り掛かる。

直実が討ち取ったという敦盛の首を義経が実検する場面。首桶か
ら取り出されたのは、敦盛では無く小次郎の首であった。直実
は、自ら、敦盛の替りに息子の首を切り取ったから、承知してい
る。目敏く小次郎の首と認識した相模は、「その首は、(小次郎
の首)」と、息を呑む。だが、義経は、陣屋の桜木の袂に立てた
弁慶の書いた「一枝(いっし)を伐らば、一指(いっし)を剪る
べし」という制札で示唆した(直実よ、敦盛の首を切ったら、小
次郎の首も無くなるぞ)ように、「その首」(敦盛の首と偽っ
て、差し出された小次郎の首)を敦盛の首と公言する。公の世界
では、認められた虚偽が、着実に進行するが、直実から相模に手
渡された敦盛の首は、敦盛の母の藤の方にも、見せられる。藤の
方も、贋首に気がついて、「その首は、(敦盛では無い)」と、
やはり息を呑む。

遠寄せの、陣鐘が鳴り、義経は、直実に出陣の用意を命じる。や
がて、鎧兜に身を固めた直実が再登場する。吉右衛門の直実は、
己の膝の前に置いた小次郎の遺髪(これは、正真正銘の小次郎
だ)を懐に入れた後(今回、初めて気がついたが、これは、初代
吉右衛門の工夫なのか。初代譲りの吉右衛門だけが演じる型なの
か。それにしても、以前、当代の吉右衛門で直実を観た時も、私
は気がつかなかった。ほかの役者も、この演出を取り入れている
のだろうか。ちょっと、後で、じっくり調べてみたい)、義経に
暇乞いを願い出る。さらに、直実は、鎧兜を脱ぐと、頭を丸めて
いて、すでに僧形を整えている。二重舞台を降りて、相模の手を
借りて、草鞋を履き、この16年間は、一昔、夢だあ、夢だあ、
と思い入れたっぷりに言いながら、妻を置いて、(懐に入れた)
遺髪の小次郎だけを連れて、京都黒谷の法然上人のところに向っ
て行く。元気な息子の姿を一目見たいと東国からやって来た母
は、変わり果てた息子の首を見ただけで、夫に置いてけぼりを食
わされてしまう。福助の相模は、「その首は、・・・」と言った
後は、ほとんど俯いたままで、憔悴した母親像を印象深く演じて
いた。夫と息子は、遠くへ行ってしまい、ひとり、家族から、取
り残された妻(母)は、生田に残される。相模にとっては、東国
を出る時から、胸騒ぎがしていたのが、それが適中してしまい、
不本意にも、家族喪失の物語となってしまったのだから、打ち拉
がれるしかない。相模初役の福助は、立派に、その印象を私の胸
に残した。

並木宗輔本来の「熊谷陣屋」では、直実の「十六年は一昔、あ
あ、夢だ夢だ」で、皆々引っ張りの見得にて、本舞台で幕とな
り、直実と髪を切った相模は、息子小次郎を弔うために(竹本
「お暇申すと夫婦連れ」)いっしょに出かけるから、家族喪失の
物語には、ならなかった。それが、明治時代に「劇聖」と呼ばれ
た九代目團十郎は、国劇としての歌舞伎を再構築しようと、「活
歴」という歴史劇に歌舞伎の理想像を描き、例えば、「熊谷陣
屋」の花道の引っ込みを今のように工夫し、蓮生と名を変えた直
実の「男の美学」を強調したから、相模は、花道を行く夫から、
ひとり本舞台に取り残されることになった。さらに、小次郎の遺
髪が、初代吉右衛門のリアリズムの演技ゆえの工夫から生み出さ
れた小道具なら、それによって、相模は、夫ばかりで無く、夫の
懐に入って、花道を行く息子からも、ひとり本舞台に取り残され
ることになった。父親の懐に抱かれた小次郎の遺髪は、やがて、
法然上人の計らいで、何処かの寺に「小次郎」として、葬られる
だろうし、敦盛の身替わりになった首は、熊谷陣屋のあった生田
の森に近い、「敦盛」として葬られた(史実の本物の首は、「敦
盛卿首塚」として、須磨寺境内に、また、胴体は、本物の「敦盛
卿墓」として、須磨浦公園に葬られ、いまも残る)。

私が観た直実は、幸四郎(6)、吉右衛門(今回含め、2)、仁
左衛門(2)、八十助時代の三津五郎。相模は、雀右衛門
(6)、芝翫(3)、今回初役の福助、澤村藤十郎であった。吉
右衛門の直実は、初代の吉右衛門を偲び、藝を伝承する「秀山
祭」(去年から始まり、今回で、2回目)ということで、いつも
の演技を、さらに実線でくっきりとなぞったような演技で、科白
回しなど、いつもより、初代色を強めたように見受けられた。所
作も、人形浄瑠璃の人形の動きのように、竹本に合わせて、くっ
きりと動かしているように思えた。それゆえ、吉右衛門らしさ
は、薄まり、兄の幸四郎のような演技に近くなって来た。福助の
科白回しは、声だけ聞いていると、相模を何回も演じた父親の芝
翫に良く似ているように思えた。義経を演じた芝翫は、科白が少
ないので、上手に、動かずに座っているばかりだが、それでい
て、義経らしい存在感を滲ませなければならないので、大変だ。
事実、義経は、あまり動かないまま、弁慶に書かせた陣屋の制札
で敦盛の命を助けよと直実に謎をかけ、「敦盛」の首実検をし、
直実の意図をきちんと受け止め、弥陀六の正体を見破り、敦盛を
救出し、直実の出家を見送るというダイナミックな仕事をこなし
ているのだ。こういう義経になりきっている芝翫が、そうしてい
るとは思えないが、福助の相模が、科白を言っている間、芝翫
も、肚のなかで、相模の科白を言っていたのではないか、という
ような妄想が沸き上がる。富十郎の弥陀六、実は、宗清は、重厚
で、安定感があった。鎧櫃を持ち上げる時のために、予め制札を
手許に取り寄せるという要領の良さを発揮する。芝雀の藤の方
も、良かった。考えてみれば、吉右衛門は、未来の歌右衛門(福
助)と雀右衛門(芝雀)という、真女形ふたりを引き連れての、
堂々の直実ぶりではなかったか。


○「村松風二人汐汲」は、今回、初演。平安時代の歌人・在原行
平が、須磨に流されたとき、地元の海女姉妹の松風や村雨と契り
を交わしたという伝説を元に能の「松風」が作られた。江戸時代
になると、人形浄瑠璃や歌舞伎でも、「松風もの」が、いろいろ
上演されるようになった。清元の「須磨の写絵」や長唄の「汐
汲」なども、同断。今回の「村松風二人汐汲」は、長唄の「汐
汲」をアレンジして、再構成した新作。舞台上手に巨大な松の老
木。下手にも松があり、須磨の浦の海辺の体。舞台中央は、長唄
の雛壇。

置浄瑠璃の後、本舞台中央のせり上がりで、松風(玉三郎)と村
雨(福助)が、登場する。白い衣装の松風、赤い衣装の村雨。腰
には、汐汲らしく、下がりを付けている。汐桶で汐を汲む様を見
せたりしながら、汐桶に写る月影に去ってしまった行平の面影を
偲ぶ。金地に緑の松、赤の雲(「須磨の夕まぐれ」という歌詞か
ら想像すると、夕焼け雲か)をあしらった扇子を手に、ふたりの
踊りが続く。行平形見の狩衣を着て松風が、行平を偲び、熱き夜
の性愛を思い出す。所作と静止のポーズが、メリハリよく、続
く。

福助は、俯いていた後、玉三郎が近づいてきたので、顔をあげる
場面では、驚くほど、歌右衛門に似ていた。玉三郎は、所作の一
つ一つを叮嚀に演じていた。福助は、汐汲の所作で、一度、汐桶
が、汐を汲む場面で、桶の倒し方が不十分で、汐を汲む所作にな
らなかったが、誤魔化してしまった。


○歌舞伎座の2階ロビーで、「初代吉右衛門ゆかり展」を開催し
ていた。いつものようにご贔屓筋からは、蘭などの花籠もある。
資料では、先ず、

*舞台写真。「俎板長兵衛」(昭和23年6月東京劇場 長兵
衛・初代吉右衛門、長松・萬之助(当代吉右衛門)初舞台)、
「増補桃山譚(地震加藤)」(昭和14年1月歌舞伎座 加藤清
正・初代吉右衛門)、「清正忠誠録」(昭和27年4月歌舞伎座 
加藤清正・初代吉右衛門、秀頼・萬之助)、「熊本城の清正」
(昭和11年3月明治座 加藤清正・初代吉右衛門)、「八陣守
護城」(昭和19年2月歌舞伎座 加藤清正・初代吉右衛門)、
「二條城の清正」(昭和26年1月歌舞伎座 加藤清正・初代吉
右衛門。もう1枚は、時期と劇場が書いていない)、「熊谷陣
屋」(昭和27年3月歌舞伎座 熊谷直実・初代吉右衛門。もう
2枚は、時期と劇場が書いていない)。

*初代の書抜帳は、「二條城の清正」「口上」など、8つ。明治
36年2月浅草座の「熊谷陣屋」の書抜帳には、表紙裏に絵番付
が貼ってある。「二條城の清正」で、使った数珠。松貫四(当代
吉右衛門)の画は、タイトルが、「夢」(直実の制札の見得が描
かれている)。

*以下は、短冊。

「はりまやの ありし日とほき 菊日和」(宇野信夫の絵と句。
絵は、花道引っ込み、七三で直実が頭を撫でている図)

「雪の日や 雪のせりふを 口ずさむ」(初代吉右衛門自筆の
句。 初代は、秀山という俳号を持ちながら、句の短冊などに
は、吉右衛門と書いている。吉右衛門賛 雪の図 雪博士・中谷
宇吉郎博士の雪の結晶を描いた画が添えられている)

「菊日和には 間もあらじ この日和」(吉右衛門の署名)

「京染の そめ上がりたる 春着かな」「京よりの 掛蓬来で 
あるらしき」(いずれも、八代幸四郎の画。幸四郎と吉右衛門の
署名)


*掛け軸仕立てで、
「雪の日や 雪のせりふを 口ずさむ」(吉右衛門の署名)

*吉右衛門句集(昭和22年6月刊の初版本。表紙に柿の実の
画)。07年復刻の新装版も。

*高浜虚子筆の「椿門」と書かれた額(初代吉右衛門は、高浜虚
子門下であった。初代は、役者の余藝の域を超えて、俳人として
も自立している。歌舞伎役者は、江戸時代から俳号を持つ人が多
く、なかには、俳号が役者名になって行く歴史もあった)。初代
吉右衛門宅の庭木戸に掲げられた「椿門」の前で、初代吉右衛門
と当代の吉右衛門が写っている写真(「昭和24年ころ」という
注)

*初代吉右衛門愛用の火鉢(中の灰は、愛用では無いだろう)

*初代吉右衛門の遺影(1881ー1954)
- 2007年9月12日(水) 22:29:36
2007年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎第3部/通し狂言「裏
表先代萩」)


「裏表」には、ふたつの狙いが秘められている


通し狂言「裏表先代萩」は、初見。歌舞伎の演出に、「テレコ」
というのがあるが、異なる筋の脚本を交互に展開して上演するこ
とをいう。今回の「裏表」で言えば、「表」が、「伽羅先代萩」
で、「花水橋」「足利家御殿」「同床下」「仁木刃傷」の場面
が、演じられる。一方、「裏」では、「大場道益宅」「問注所小
助対決」の場面が、演じられ、表と裏は、「問注所」で、何故か
クロスする。「伽羅先代萩」では、「花水橋」「御殿」「床下」
「対決」「刃傷」とあるからだ。「伽羅先代萩」では、「問注
所」での、足利家乗っ取りを企む仁木弾正とそれを阻止しようと
する渡辺外記左衛門の対決を細川勝元が颯爽と裁くが、「裏表先
代萩」では、道益殺しの下手人裁定を巡る小助とお竹の対決を細
川勝元の家臣である倉橋弥十郎が、颯爽と裁く。つまり、「問注
所」が、ボルトとナットで止められて、表の「伽羅先代萩」と裏
の「大場道益殺人事件」が、「テレコ上演」されるというわけ
だ。道益は、足利家の若君・鶴千代毒殺という陰謀のために、毒
薬を調合した医者という設定だ。更に言えば、「表」が、時代狂
言で、「裏」が、江戸世話狂言という趣向なのだということが判
る。仕掛人は、三代目菊五郎の「仁木を世話物でやりたい」とい
う希望を受け止めて、四代目南北が、1820(文政3)年に書
いた「桜舞台幕伊達染(さくらぶたいまくのだてぞめ)」で、小
助が登場した。さらに、河竹黙阿弥が、先行作品に手を加えて、
1868(慶應4)年、幕末も、どん詰まりの年に「梅照葉錦伊
達織(うめもみじにしきのだており)」という外題で書き換え、
上演された。

通し狂言「裏表先代萩」は、松竹の資料によれば、戦後では、今
回が、4回目の上演である。主役の小助を演じたのは、二代目猿
之助、後の初代猿翁、つまり、当代の猿之助の祖父である。続い
て、先代の勘三郎、当代の菊五郎、そして、今回の勘三郎とな
る。病気休演中の猿之助が、演じても良さそうな演目だが、何故
か、演じていない。今回、勘三郎は、菊五郎同様に、小助、政
岡、弾正の3役をひとりで演じる。先代の勘三郎は、小助、弾正
のふた役を演じたが、政岡は、芝翫が演じている(勘三郎は、憎
まれ役の八汐を演じている)。初役で挑戦する勘三郎の演技が、
どういうものになるか、期待に胸を膨らませて、私は、歌舞伎座
の入り口を潜った。

今回の序幕「花水橋」では、廓帰りとあって、夜、つまり黒幕の
前で、頼兼を演じたのは、七之助(今月は、5役に出演)であっ
た。七之助は、殿様というより、「若衆」、声も、甲(かん)の
声、足取りも、女形。頼兼は、序幕に出て来るだけだが、酔いと
正気の両方を感じさせながら、弱いような、強いような(「だん
まり」の立回りでは、足利家の乗っ取りを狙う大江鬼貫、仁木弾
正らが派遣した黒沢官蔵たち多数の諸士に襲われるが、きちんと
太刀打ちする)、という難しい役どころ。太守の貫禄も滲ませる
必要がある。この頼兼を演じた役者では、福助が、足取りも、女
形にならず、「だんまり」では、酔いと立回りの正気との交錯を
適宜に出していて、私には、いまも、印象に残る。福助は、品格
のある頼兼であったが、七之助は、まだ、こういう味は出し切れ
ない。「花水橋」では、最後に頼兼の助っ人に駆け付けるとい
う、重要な傍役となる相撲取りの絹川谷蔵は、亀蔵が、熱演(今
月の舞台では、4役に出ていて、どの演目でも、亀蔵の存在感
が、いつに増して、強いように感じた)。賊を退けて、一件落
着。七之助が、右手に持っていた扇を挙げると、黒幕が、降り落
とされて、背景は、夜明けの大川、向こう岸に町家が見える遠見
に替る。

二幕目「大場道益宅」では、弥十郎が、道益を演じるが、道益
は、管領・山名宗全(因に、奥方は、「御殿」に登場する栄御前
である)邸にも出入りを許された名医。従って、居宅も、立派。
玄関に、山水画の衝立があり、いわば、今なら、「診察室」に当
る部屋には、七言絶句を模様にした襖があり、薬箪笥、薬の材料
を入れていると思われる袋の数々。薬研(やげん)も、2基ある
という辺りに、その辺を滲ませている。家の前には、井戸があ
り、門には、丸に井の紋が、描かれている。道益は、名医なが
ら、俗物で、下駄屋の下女のお竹(福助)と情を通じたくて仕方
がないという、セクハラ親父でもあるのだが、太い眉で、道益の
人品を象徴したのであろう弥十郎は、名医でもなければ、スケベ
親父でもないということで、道益の人物造型が弱い。実は、道益
は、足利家の若君・鶴千代毒殺という陰謀のために、毒薬を調合
した悪徳医者でもあり、複雑な、懐深い人物なのだから、弥十郎
は、もっと、人物造型に力を入れるべきなのだ。お竹は、下駄屋
の若旦那に惚れていて、ということで、まさに、下世話な世話物
だ。道益の下男が、小助(勘三郎)であり、ここは、いちばん、
猿之助の嵌り役ともいうべき人物なのだろうが、勘三郎が、小悪
党を、どのように巧く演じるかと思っていたが、ノリが、いま、
ひとつのようで、こちらの胸に響いて来ない。道益は、小助を連
れて帰って来た弟の宗益と足利家の陰謀の相談をしていて、
200両という足利家の刻印の入った小判の包みの受け渡しをし
ていると、それを小助に見られてしまった。これが切っかけで、
悪事の200両の横取りを企む小助によって、道益は、殺されて
しまう。

別の事情で、2両が必要なお竹が、再び、現れると、小助は、お
竹にその旨の手紙を書かせる。なにか、よからぬ企みをしている
ようだ。酔いから醒めた道益が、お竹の手紙を読み、2両を貸し
与える代りにお竹に抱き着く始末。なんとも、どうしようもな
い、スケベ親父。お竹は、慌てて、道益の下駄を間違えて履いた
まま、帰ってしまい(実は、その前に、小助が、間違って、お竹
の下駄を履いたまま、油を買いに行ってしまう)、後に、手紙と
下駄が、問注所での裁きの証拠に提出されるということで、まさ
に、罠に嵌ったことになるが、お竹は、そういうことは、露ほど
にも思わない。好きな女に金だけ貸し与えて、逃げられて、ざま
のない道益を襲ったのは、小助である。小助は、薬缶から、盆に
水を入れて、和紙を濡らして、顔に貼付け、鼻の穴だけ空ける。
手拭で頬被り。いまなら、ストッキングを被った強盗のスタイル
というところか。盆の水を鏡替りにして、顔を写し、人相が、ば
れないかを確認している、忍び込む障子屋体では、敷き居に水を
掛けて、すべりを良くするなど、勘三郎の藝は、細かく、小悪党
の行状を叮嚀に演じている。

贅言:道益宅の場面に出て来た、魚は、頭と尾を動かしていた
が、小道具方の工夫なのだろうが、こういう細かな工夫も、気付
けば、愉しい。

道益を殺し、198両を奪いさる。このまま、逃げては、疑われ
ると、小悪党は、悪知恵が沸き上がり、自分の破れた片袖で包ん
だ大金を床下に隠す。しかし、「天網恢恢疎にして漏らさず」
で、大金は、床下の犬に奪われる。犬は、包みを近くにあったお
竹の父親の花売りの花籠(天秤(びん)棒で担ぐ)に隠す。この
辺りは、「表」の「床下」のパロディなのだろう(犬が銜えた金
包み、鼠が銜えた連判状)。道益を殺して、遺体を置いたまま、
買い物から戻って来たような振りをして、帰宅して、道益の遺体
を発見した弟の宗益に驚いてみせる小助であった。その後、床下
から金を持ち出そうとしたが、金が、無くなっているのに気付い
たが、後の祭り。総じて、勘三郎の小助は、小悪党振りが、いつ
もの勘三郎の藝域に達してはいないように見受けられた。勘三郎
なら、小気味のよい小悪党振りを見せてくれると期待していたの
だが・・・。

三幕目「御殿」「床下」は、「表」の通りに演じられる。勘三郎
は、政岡を演じる。これまで、私が、表の「伽羅先代萩」で観て
来た政岡は、玉三郎、雀右衛門、福助、菊五郎、玉三郎、菊五
郎、藤十郎、菊五郎。つまり、菊五郎が3回、玉三郎が2回とい
うことで、5人の役者の政岡を観てきた。このなかで、いちばん
印象に残るのは、1回しか観ていない雀右衛門だ。雀右衛門は、
全体を通じて、母親の情愛の表出が巧い。次いで、2回の玉三
郎。特に、母親の激情の迸りの場面が巧い。そして、3回の菊五
郎ということで、回数ばかりが、重要とは言えないのが、歌舞伎
のおもしろさだ。勘三郎の政岡は、こういう表の政岡役者に比べ
ると、小粒な感じが免れない。何より、母情の迸りが、弱い。特
に、名科白の「三千世界に子を持った親の心は、皆、ひとつ」と
いう辺りの盛り上がりが、いまひとつ弱い。「死なせて、死なれ
て」という官僚(若君の身替わりに死なせてよかった→「でか
しゃった」という科白に象徴されている)と母親(掛け替えのな
い我が子の死)の思いの二重構造こそ、政岡の母情の葛藤では無
かったか。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。八汐
で印象に残るのは、何といっても、仁左衛門。孝夫時代を含め
て、3回の仁左衛門八汐を観て来た。八汐役者の要諦は、性根か
ら悪人という女性で、最初は、正義面をしているが、だんだん、
化けの皮を剥がされて行くに従い、そういう不敵な本性を顕わし
て行くというプロセスを表現する演技が、できなければならな
い。「憎まれ役」の凄みが、徐々に出て来るのではなく、最初か
ら、「悪役」になってしまう役者が多い。悪役と憎まれ役は、似
ているようだが、違うだろう。悪役は、善玉、悪玉と比較される
ように、最初から悪役である。ところが、憎まれ役は、他者との
関係のなかで、憎まれて「行く」という、プロセスが、伝わらな
ければ、憎まれ役には、なれないという宿命を持つ。そのあたり
の違いが判らないと、憎まれ役は、演じられない。これが、意外
と判っていない。これまで、表の「伽羅先代萩」で、私が観た5
人の八汐は、仁左衛門(3)、團十郎(2)、勘九郎時代の勘三
郎、段四郎、梅玉で、このプロセスをきちんと表現できたのは、
仁左衛門の演技であった。八汐は、ある意味で、冷徹なテロリス
トである。そこの、性根を持たないと、八汐は演じられない。千
松を刺し貫き、「お家を思う八汐の忠節」と言い放つ八汐。最後
は、政岡に斬り掛かり、逆に、殺されてしまう。自爆型、あるい
は、破滅型のテロリストなのだ。ほかの役者は、どこかで、短絡
(ショート)してしまい、そういうプロセスが、感じられない。
今回の扇雀も、眼には、凄みを滲ませていたが、仁左衛門には、
まだ、まだ、及ばない。

続く、「床下」。今回は、荒獅子男之助に勘太郎、仁木弾正は、
この演目、3役目の勘三郎。富十郎の男之助などを観ている身に
は、勘太郎では、まだまだ(序幕の七之助演じる頼兼役も、そう
だが、舞台に登場した瞬間から、存在感を表現できるようになる
のは、大変なことだ)。花道を滑るように歩んで行く弾正。いつ
も、そう思うのだが、本舞台から遠ざかるに連れて、向こう揚幕
から差し込むライトの光が、引幕に弾正の影を映すが、これが、
大入道のように大きくなって行く不気味さ。やがて、大きな弾正
の頭の影が、引幕に大写しになる。これぞ、幻術。

大詰第一場「問注所小助対決」では、高足(たかあし、二重舞台
のひとつ、2尺8寸、つまり、約84センチあり、陣屋などの床
に使われる)の座敷、中央に裁き役が座り、上手に書記役の侍が
控えている。顎鬚に入牢の疲労が滲む小助(勘三郎)とお竹(福
助)が、対決をする(小助の顎鬚では、「夏祭浪花鑑」の団七九
郎兵衛、「石切梶原」の試し斬りで殺される囚人の剣菱呑助たち
の顎鬚を思い出す)。吟味役は、横井角左衛門(弥十郎)だが、
横井は、足利家の乗っ取りを企む山名宗全派。初めから、結論あ
りきで、お竹を断罪しようと、お竹の書いた手紙、慌てて、間違
えて履いて行った道益の下駄の片方などを証拠採用している。身
に憶えのないお竹は、否定するが、聞き届けてくれない。ここで
登場するのが、もうひとりの裁き役で、細川勝元の家臣、倉橋弥
十郎。三津五郎が、颯爽と演じる。小助の小悪党と実直なお竹の
対決。窮地に追い込まれているお竹。ここへ、お竹の父親・花売
りの佐五兵衛(菊十郎)が、なぜか、花籠に大金が入っていたと
駆け付ける(道益宅の殺しの場面で、犬が、床下から持ち出した
片袖に包まれた金を花籠に入れていたのを思い出す)。父親が持
ち込んで来た大量の小判とお竹が、道益から借りた小判に刻まれ
ていた足利家の極印の一致、血潮の付いた襦袢の片袖。小助が着
ていた襦袢には、片袖が無かったなどのほかに、動かぬ証拠が揃
えば、小助は、有罪。犯行時、行灯に架けられていた渋紙には、
多数の足跡が残されていた。さまざまな証拠を突き付けられ、
「さあ、それは」ばかりを繰り返していた小助は、弥十郎にやり
込められ、その挙げ句、「恐れ入ったか」「恐れたもんだ」と
なっての、一件落着で、「時計」の音。歌舞伎味が、沸き上が
る。落胆して引き上げる勘三郎の後ろ姿に味がある。こういう所
は、勘三郎の巧さが光る。

第二場「控所仁木刃傷」では、「国崩し」の極悪人・仁木弾正を
たっぷり見せてくれる。今回は、無地で茶色に、黒い縁取りのあ
る襖の部屋、続いて、いつもの銀地に荒波の模様の襖と銀地に竜
神の絵柄の衝立のある部屋の場面があり、廻り舞台で、展開して
見せる。足利家の家督相続を巡る評定の結果を待つ場面と弾正刃
傷の立ち回りとなる場面と分けている。「刃傷」では、渡辺外記
左衛門(市蔵)が、弾正に腹を刺されて瀕死の重傷を負いなが
ら、奮闘振りを見せる熱演が印象に残る。仁木弾正は、仇を討た
れて、死ぬ。最後に登場する細川勝元(三津五郎)は、裏と表を
締めくくり、「テレコ」狂言、これにて、拍子幕。勘三郎の3役
では、弾正が一番、政岡が、二番で、いちばん味を出すのではと
期待していた小助が、三番というところか(第2部の「新版 舌
切雀」の玉婆役で、エネルギーを使い果たしたようで)。

贅言:それにしても、重症で、苦しそうな外記左衛門に、勝元
は、

「痛手を屈せぬ健気な振舞い。悪人滅びて、鶴千代の家は万代、
不易の門出、めでとう寿祝うて立ちゃれ」ト謡になり、(略)

勝元、外記、交互に一節謡い、「めでたい、めでたい」というの
は、いかにも、古怪な感じ(瀕死の怪我人に、なにをさせている
のか)が、いつも、残る。そう、思いませんか。
- 2007年8月30日(木) 22:20:38
2007年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎第2部/「ゆうれい貸
屋」「新版 舌切雀」)


連日売り切れの人気の秘密は、はちゃめちゃな、勘三郎のノリの
舞台であった


ことしの歌舞伎座・納涼歌舞伎では、第2部が、連日、売り切れ
の人気となったが、歌舞伎味が、何より好きな私にしては、それ
ほど、おもしろいとは言えなかったので、この劇評は、コンパク
トにまとめることにする。

まず、山本周五郎原作の新作歌舞伎「ゆうれい貸屋」は、
1950(昭和25)年に発表された同名のタイトルの小説を歌
舞伎化したもの。歌舞伎では、数少ない喜劇の一つ。初演は、
1959(昭和34)年、明治座で、二代目尾上松緑の弥六、七
代目尾上梅幸の染次という配役であった。

江戸京橋の炭屋河岸に住む桶職人の弥六(三津五郎)は、ワーキ
ングプアを先取りしたような暮らしに疲れて、怠け者になってし
まい、愛想を尽かした女房のお兼(孝太郎)は、実家へ戻ってし
まう。夜になると、生前は、辰巳芸者だった染次(福助)の幽霊
が、現れる。御家人の男に騙され、その男や家族を取り殺した
が、怨念の幽霊と成り果てて、成仏できないで、彷徨っている。
美貌の幽霊を弥六が誉めたものだから、機嫌を良くした染次は、
弥六の女房にしてくれと言い出し、怠け者と幽霊の奇妙な同棲生
活が始まる。

奇妙な同棲生活は、長屋の連中にも知れ渡り、昼夜逆転の生活の
中で、嫉妬深い染次は、弥六がお兼とよりを戻したのでは無いか
と邪推するようになる。怠け者は、店賃が払えないからと幽霊に
相談をし、染次は、旧知の幽霊仲間を募り、「幽霊貸屋」という
珍妙な商売を始める。屑屋の又蔵(勘三郎)やお千代(七之助)
らが、染次に協力することになり、幽霊たちは、依頼人と同道し
ては、依頼人の代りに恨み言を言いに行ったりするようになる。
幽霊貸屋が、繁昌するという展開になるが、何故、繁昌するのか
が、判りにくい。

浮気性のお千代が、弥六にちょっかいを出したり、お千代と弥六
の仲を勘違いした染次が、弥六を取り殺そうとしたり、というよ
うなくすぐりの場面があるが、最後は、又蔵に「人間、生きてい
ればこそ」と諭され、真面目に働きたいと性根を据えた弥六が、
実家から戻ったお兼とよりを戻す。そして、長屋の連中ととも
に、般若心経を唱えると、染次ら幽霊は、成仏して行くという、
たわいもない話。飄々とした三津五郎の味とお侠な福助の味が、
軸となって展開する人情喜劇で、軽妙な科白のやり取りという、
ふたりの藝の力で、芝居を成り立たせているというだけ。期待し
ていたほど、おもしろくはなかった。

「新版 舌切雀」は、渡辺えり子原作の新作歌舞伎(なんだろう
なあ)。3年前の歌舞伎座上演「今昔桃太郎」路線の第2弾とい
うところか。俳優祭のような出し物(つまり、観客サービスのた
めの役者の学芸会のようなもの)で、派手な舞台と演出が、私に
は、鼻に付いて、なんとも、言い難い。でも、「ゆうれい貸屋」
が、さほどの芝居では無かったところから見ると、連日、売り切
れという人気の秘密は、「新版 舌切雀」ということになるのだ
ろうか。日本昔話で有名な「舌切雀」の「新版」、つまり、「新
解釈お伽噺」というわけだ。

鳥の世界と人間界。舌を切られた雀の、すみれ丸(福助)が、取
り持つ。村に住む仲睦まじい森彦(勘太郎)とお夏(七之助)夫
婦に可愛がられたすみれ丸は、夫婦を虐める森彦の母親で、どん
欲な玉婆(勘三郎)をたしなめると、逆に、玉婆に舌を切り取ら
れてしまった。

怪我をしたすみれ丸は、夫婦の家の箪笥の引き出しから、何処へ
か逃げて行く。鳥の世界と人間界を繋ぐ異空間の回廊は、箪笥の
引き出しという工夫は、おもしろい。三津五郎は、小人役で出て
来るが、この小人が、不思議。森の賢者であり、人の心を読む能
力を持っているのも、不思議だが、どのようにして小人に扮して
いるかも、不思議。さらに、小人から村の与太郎に変身するとこ
ろをみると、小人は、黒衣の衣装から顔だけだし、胸に当たると
ころで、小人の全身像を見せていたことが判る。それを脱ぎ捨て
るようにして、立上がると与太郎になるという仕掛けだ。

すみれ丸を追って、箪笥に引き出しから異空間にタイムスリップ
した森彦は、金銀財宝を満載した葛籠を背負って戻ってきた。玉
婆は、森彦が止めるのも聞かず、妹分の蚊ヨ(かよ・扇雀)とと
もに、箪笥の引き出しから異空間の鳥の棲む森に入って行く。い
ろいろあって、大きな葛籠を背負って、人間界に戻ろうとする玉
婆。勘三郎の吹き替えまで出て、役者たちは、まさに、俳優祭
の、ノリでノリまくっているが、大混乱の舞台は、収拾が付かな
い。歌舞伎は、傾(かぶ)く世界だから、いろいろ、実験があっ
ても、かまわないが、主題が不明確で、胸に迫って来るものが無
い。大道具、衣装、色彩などまで含めて、まあ、私には、あまり
好きでは無い舞台だった。
- 2007年8月30日(木) 22:17:45
2007年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎第1部/「磯異人館」
「越前一乗谷」)


夏の歌舞伎座恒例の、納涼歌舞伎は、3部制である。役者の軸
は、勘三郎、三津五郎らから、福助、橋之助、さらには、勘太
郎、七之助らへと、移動しはじめたという感があるのは、私だけ
ではないだろう。第1部は、2演目とも、場内が暗い間まで、
「ウオッチング」のメモを付けることが出来ない。暗がりのなか
で、手探りで、紙に適当に短いメモを書き付けたけれど、いつも
のようには、記録ができていないので、舞台再現には、精彩を欠
くし、間違いが生じる可能性も拭えないが、仕方がない。

「磯(いそ)異人館」は、初見(鹿児島市の磯は、地名。いま
も、磯地区には、「尚古集成館」という島津家の資料を集めた博
物館がある)。1968(昭和43)年懸賞当選の新作歌舞伎。
1987(昭和62)年、歌舞伎座初演で、今回が、再演。幕
末、1862(文久2)年の生麦事件(島津久光の一行に遭遇し
たイギリス人4人が、騎馬のまま、行列の前を横切ろうとして、
行列内の従士がイギリス人を殺傷した事件で、翌年の薩英戦争の
誘因となった)で、犯人引き渡しが要求された際に、でっち上げ
られた架空の脱藩浪人・岡野新助の子息・岡野精之介と周三郎と
いう兄弟を想定した物語。兄の精之介(勘太郎)は、薩摩藩の産
業工場「集成館」で硝子(薩摩切子)作りに励んでいる。弟の周
三郎(松也)は、剣の道に進み、いまは、集成館の警護を担当し
ている。薩英戦争の結果、尊王攘夷思想を捨てて、イギリスの協
力を得ながら、近代化路線を進みはじめた薩摩藩は、こうした若
い世代が、力を付けはじめていた。

集成館にも、紡績工場が新設され、技術指導にあたるイギリス人
たちが、敷地内の異人館に住んでいる。集成館総裁・松岡十太夫
(橋之助)の養女になっている琉球の王女・琉璃(るり・七之
助)が、無断で異人館に立ち入ってきた薩摩藩の作事奉行・折田
要蔵(家橘)の子息・金吾(橘太郎)らに「洋妾(らしゃめ
ん)」と蔑まれる場面に出くわした周三郎は、琉璃を護って、金
吾と喧嘩となる。以後、ふたりの対決は、ことあるごとに続く。
器量の大きな兄の精之介は、弟を諌めつつ、櫻島の噴火の炎のよ
うな色の薩摩切子を作る夢を抱いて、研究に没頭している。硝子
と剣という対照的な兄弟、やがて兄の精之介は、琉璃に慕われる
が、琉璃は、異人館の紡績技師・ハリソン(亀蔵)に嫁ぐ運命が
待っている。弟の周三郎は、松岡十太夫の娘・加代(芝のぶ)に
好意を寄せられているが、イギリス人を殺傷した岡野新助の子息
という理由で、ハリソンに追われ、警護職から放逐される。代り
に警護職に付いた金吾に討ちかかられた際に、逆に金吾を斬り捨
てるなど、男たちの確執のある物語にふた組の恋が彩りを添え
る。薩摩藩外国掛で岡野精之介に友情を寄せ、パリ万国博覧会に
出向き、硝子作りの技術を取得するとともに、薩摩切子を世界の
舞台へ出品させようと勧める五代才助(猿弥)が、兄弟を支援す
る。しかし、ドラマは、悲劇で終るものだ。手傷を負い、弟の罪
を着て、立ったまま、切腹(立腹を切る)する精之介が、ハリソ
ンに嫁ぐ琉璃と自分の代りにパリへ行かせることにした周三郎ら
を乗せた船の出航を見送る場面で幕となる。背景に櫻島が見え
る。

初演時の配役と今回の配役。精之介:勘九郎時代の勘三郎、勘太
郎。周三郎:橋之助、松也。琉璃:澤村藤十郎、七之助。五代才
助:歌昇、猿弥。加代:浩太郎時代の扇雀、芝のぶ。松岡十太
夫:我當、橋之助。折田要蔵:半四郎、家橘。折田金吾:正之助
時代の権十郎、橘太郎。ハリソン:松鶴時代の六代目松助、亀
蔵。

新作歌舞伎なので、歌舞伎役者が芝居をしているものの、歌舞伎
味は、ない。開幕冒頭、スライドと科白で、生麦事件の概要を伝
える。大道具も、近代演劇の道具立て。勘太郎は、不必要に舞台
をあちこち動き過ぎではないか。芝居が、落ち着かない。七之助
は、好演。歌舞伎の甲(かん)の声ではなくて、自然な科白のな
かで、女性らしい声を出さねばならず、辛かったのではないか。
猿弥は、おいしい役どころで、悲劇に巻き込まれる主人公を度々
助ける、いわば、正義の味方。貫禄と落ち着きがあり、得をして
いる。橋之助は、存在感が、乏しい、損な役回り。芝のぶは、中
堅どころの役回りで、科白も多い。養女で、姉に当る琉璃を支え
るとともに、周三郎に好意を寄せて、目立つ。人物造型も、くっ
きりしている。珍しく、「芝のぶ」ではなく、「成駒屋」の屋号
が、大向こうから掛っていた。花形、若手の納涼歌舞伎らしく、
芝のぶの科白や仕どころ多い演目で、私は、それだけで、満足。
松也は、血気はやる弟の周三郎だが、くっきりとした人物像を描
ききっていないのは、残念。家橘と橘太郎の親子は、憎まれ役と
しての存在感があった。憎まれ役なくして、芝居は成立しない。


斬新で、勇壮な所作事の立ち回りに見応えあり


「越前一乗谷」は、水上勉原作の舞踊劇。勝者の歴史のなかで、
弱者の視点で描くのは、さすが、水上勉。苦労人の作品である。
1973(昭和48)年8月に四代目尾上菊之助(当代の菊五
郎)と菊之丞が主宰した舞踊会「よきこと会」が、国立劇場で、
8月29日、30日の2日間、初演した。初演時の配役は、義
景:菊之丞、小少将:菊之助時代の菊五郎。今回は、再演。伴奏
を竹本の太三味線で勇壮に奏でる。竹本葵太夫らの4連と四拍子
囃子連中で演じる。作曲は、文楽三味線の十代目竹澤弥七。越前
の一乗谷を拠点に全盛を誇った戦国大名・浅倉義景とその妻・小
少将が、織田信長に滅ぼされる悲劇を舞踊劇化した。

簡略化した、シンプルで近代的な大道具を大せり、廻り舞台とい
う歌舞伎の舞台装置を機能的、効率的に操っていて、これが、斬
新な感じを与え、素晴しかった。次いで、立回りを所作に変え
て、さらに、総体を舞踊劇に仕立てていて、見応えがあった。初
演時に当代の菊五郎とともに「よきこと会」を主宰した尾上菊之
丞の振り付けは、さすがで、扇をキーポイントに使い、刀、盃、
手綱などのイメージが、的確に観客に伝わってきたと思う。もっ
と、再演されてよい演目ではないか。

人生夢中といえども 夢みじかくして落花に似たり

暗転の中での開幕。舞台では、上手の竹本連中だけが、薄明かり
に浮かび上がる。やがて、舞台が明らんで来ると、舞台中央奥に
尼僧の後ろ姿が浮かび上がって来る。この尼僧は、浅倉義景の
妻・小少将(福助)であった。栄耀栄華の過ぎし世を・・・、物
思いに耽る小少将が花道から消えると、舞台奥の大せりが上がっ
てきて、芝のぶらの上臈ら8人の群舞。その後ろの大せりは、廻
り舞台の動きに合わせて、競り上がって来る。義景(橋之助)と
当時の華やかさを甦らせた小少将、愛息・愛王丸(鶴松)の家族
3人の姿。廻ってきたせりの後ろ(さっき、上臈らが上がって来
た)は、抽象的ながら、簡易の二重舞台の体で、巧く工夫されて
いる(これと舞台天井から釣り下げている書割を巧みに使い、舞
台展開の早替りを可能にしているのが、判る)。

桜狩りの宴の最中に、織田信長が攻め込んで来たとの報が齎され
る(注進役は、七之助)。直ちに郎党(三津五郎、松也、慎吾)
を引き連れて出陣する義景。先ほど触れた扇が、巧く使われてい
る所作事。激しい合戦を繰り広げる戦場の場面。織田信長の郎党
(勘三郎、弥十郎、高麗蔵、市蔵)との合戦の所作事が続く。舞
台は、廻り、書割との組み合わせで、舞台は、越前一の大寺・平
泉寺となる。式部太夫(亀蔵)らの裏切り、織田方への寝返り。
小少将と愛王丸を落ち延びさせ(廻り舞台と大せりを逆に使っ
て、表現をする)、「生きよ」と命ずる義景は、再び、戦場に向
い、壮絶な最期を遂げる。

女はげにも三界に家なき道を歩むとかや

その後、藤吉郎(勘太郎)の側女にさせられた小少将は、愛息の
死を知らされ、自害しようとするが、義景の「生きよ」と命じた
声が、甦って来て、死ねない。代りに、長い黒髪を断ち切る(鬘
の仕掛けが、生きる)。やがて、尼僧になり、いまは、亡き義景
と愛王丸の菩提を弔いながら、戦国の世の無常を歎くという、冒
頭の場面に戻る。立回りを所作事にした振り付けが、斬新で、
「越前一乗谷」は、第1部では、秀逸の舞台であった。
- 2007年8月26日(日) 19:16:38
2007年7月・歌舞伎座  (「NINAGAWA 十二
夜」)

2年前の7月の歌舞伎座で初演された「NINAGAWA 十二
夜」が、贅肉を落し、ブラシュアップされ、先月の博多座での助
走をして、その勢いを駆って、歌舞伎座に凱旋してきた。菊之助
が主演し、蜷川幸雄が演出をするするシェイクスピア劇の歌舞伎
化の試みである。この試みには、勢いがあり、今回も、見応えの
ある新作歌舞伎の舞台が展開された。2回目の拝見。前回同様、
客席内が、暗いので、いつものようにウオッチングしながらのメ
モが取れないので、記憶に頼りながらの劇評で、正確さが、保証
できない。今回は、『「2×3×2=12」夜』という、構想が
頭に浮かんできた。

本記部分は、1)登場人物の二重性、2)物語展開の軸となる三
角関係、3)カップル(2)×2組=4で、四辺平穏(大団
円)、4)結論=「2×3×2=12」夜、という構成だ。


1)登場人物の二重性

いやあ、癖のある人物が、次々に登場しますね。約400年前の
シェイクスピア劇の舞台を日本に置き換え、役名は、変えなが
ら、科白劇であるシェイクスピア劇の特徴を最大限に活かそうと
いう蜷川演出である。400年前といえば、日本では、出雲阿国
に象徴されるように歌舞伎が発祥している。遊女歌舞伎、若衆歌
舞伎、野郎歌舞伎と変遷して行く。シェイクスピアが活躍してい
たエリザベス朝演劇時代のイギリスでは、男優たちのみで演じら
れた。そういう意味では、シェイクスピア劇と歌舞伎の演出に
は、共通する部分もある。○○、実は、△△という人物の二重性
は、歌舞伎でも、馴染みのある設定。あるいは、同一人物でも、
本音と建て前の二重性。これは、いまだって、多くの人にもあ
る。癖のある人物が、次々と登場して、観客の頭をこんがらから
せておいて、次第に整理しながら、物語は展開する。そして、大
団円。すべては、腑に落ちる。

序幕第一場では、幕が開くと、舞台は、左大臣館の広庭。桜の巨
木が、爛漫と咲き乱れる。その後ろの書割、上手の床(ちょ
ぼ)、下手の黒御簾などまで、全てが鏡張りになっているのは、
2年前と同じ演出だ。

舞台背景の書割には、1階席の客席が、場内を飾る赤い提灯とと
もに映って見えるので、横長の舞台を挟んで、丸く客席が囲んで
いるように見える。赤い提灯も、いつもより、祝祭劇の気分を盛
り上げてくれる。まさに、「円形劇場」の雰囲気で、その意外性
が、客の心を一瞬のうちに掴み取る効果を上げていて、実に、卓
抜な演出だと改めて思った。それに、この「鏡」は、主人公の斯
波主膳之助と琵琶姫という、男女の「双児」という、特徴を象徴
していることに、今回は、気がついたが、それは、後述する。

実際、幕が開く前に花道七三近くのライトが、いつになく、観客
席を照らし出す。歌舞伎座に何回か通っていて、今回、初めてこ
の演目を観る人には、開幕を待ちながら、何ごとか、いつもと違
うと不思議に思うかもしれない。やがて、定式幕が引かれると、
ライトで照らし出された1階の観客席が、舞台背景の、書割の鏡
に映し出される。前回同様、場内から「じわ」が来た。

照明の効果で、鏡が透けて見えると、網のような薄い幕越しに、
本舞台が見える。爛漫に咲き乱れる桜の巨木を背景に、中央下手
よりに、西洋楽器のチェンバロ(3人の天使の絵が描かれてい
る)を演奏する楽人1人、中央上手よりに3人の南蛮風の衣装の
少年少女合唱隊、さらに、上手の緋毛氈には、常とは異なる、僧
衣のような衣装を身に着けた楽人(鼓方)3人が座って、大小の
鼓を打ち、ラテン語の聖歌の合唱と和洋混合楽器の合奏が、流れ
る。そのなかを、花道から左大臣(錦之助)と従者2人(秀調、
松也)が、登場するという印象的な幕開きの場面が続くのであ
る。

歌舞伎調シェイクスピア劇は、前半、特に、序幕は、前回同様、
第九場まであり、主筋の紹介のため、舞台展開が、多過ぎて、逆
に、舞台に集中しにくい。癖のある人物の登場、伏線の提示な
ど、消化不良のまま、物語は展開するので、観客は、眠気との闘
いも必要。序幕第二場の紀州灘沖合いの場は、通称「毛剃」こ
と、「博多小女郎浪枕」に出て来るような一艘の大船が、登場す
るスペクタクル。菊之助が、ふた役早替りで、典型的な若衆
(「十種香」の勝頼の」ような)の役どころで、斯波主膳之助
と、双児の妹の琵琶姫(菊之助)を演じ、嵐に揉まれる大船は、
やがて、帆柱も折れ、遭難してしまう辺りは、見応えがあった
が、音楽は、歌舞伎の定式の太鼓をもっと活用しても良かったの
では無いか。現代劇風の音響効果や音楽は、逆に、興を削ぐ。大
荒れの海原を、浪布模様のライトと浪布(浪布の下に大道具方が
数人入っていて、上下左右に揺するという歌舞伎の伝統的な演
出)は、効果抜群。やはり、伝統藝を生かした方が、良い。


2)物語展開の軸となる三角関係

難破した船から海岸に辿り着いた琵琶姫と舟長の磯右衛門(段四
郎)は、別れ別れになった、生死不明の兄・主膳之助を探す旅に
出る。琵琶姫は、男姿になって、獅子丸と名乗り、地域を治める
左大臣(錦之助)の館に就職をして、「小姓」になる。左大臣
は、織笛姫(時蔵)に恋をしているのだが、織笛姫は、冷たい。
左大臣は、自己中心的で、周りが見えないタイプ。織笛姫に嫌わ
れても、嫌われても、しつこさこそ、誠実と錯覚しているような
人物と見受けた。就職して、3日目、左大臣に気に入られた小
姓・獅子丸が、恋の仲立ちの使者となると、織笛姫は、なんと、
獅子丸に恋してしまう。左大臣→織笛姫→獅子丸というのが、恋
のベクトル。さらに、獅子丸、実は、琵琶姫→左大臣というベク
トルも加わる(獅子丸が、酒席で、踊りを披露する場面では、獅
子丸は、出雲阿国に見える。これが、転機のポイント)。男と女
の二重性をベースに、恋する者たちの連鎖が、一方向にばかり向
いながら、綾なし、環になる喜劇が、「十二夜」の眼目である。
結局、「女は、強し」で、女性のベクトルが、実線を描くことに
なる。

二幕目、大詰は、主筋の左大臣館、脇筋の織笛姫邸の芝居で、舞
台が、落ち着いて来るに連れて、様式美や定式を踏まえて、歌舞
伎度も上がってくるという趣向だ。これは、前回から変らない。
息子の菊之助を前面に出し、脇に廻って、芝居に奥行きを与える
のが、織笛姫邸の気侭な奉公人・捨助と頑固ゆえに憎まれ役、権
力欲も強いというのが織笛姫邸用人・坊太夫のふた役早替りを演
じる菊五郎である。「菊五郎の歌舞伎演出」と「蜷川幸雄のシェ
イクスピア劇演出」のせめぎ合いが、おもしろい効果を上げて、
新機軸の歌舞伎調シェイクスピア劇を誕生させたと言える。この
力関係は、さすがに、ふたりとも、見抜いていて、変えてはいな
い。


3)カップル(2)×2組=4で、四辺平穏(大団円)

序幕、第二場で海中に沈んだ主膳之助が、海難にめげずに、生き
ていて(序幕第八場で、観客には、知らせるが、琵琶姫らには、
知らせない)、大詰、第四場から、本格的に舞台に登場したこと
から、主膳之助と獅子丸を巡って、暫く、混乱が続き、展開をお
もしろくするのだが、結局、獅子丸は、琵琶姫の男装と判り、織
笛姫→獅子丸は、織笛姫→主膳之助に整理され、琵琶姫→左大臣
は、新たに恋仲として受け入れられ、ふた組のカップル誕生で、
三角関係は、いずれも、めでたし、めでたしの2×2=4で、四
辺平穏という大団円を迎えることになる。こういう本流の筋の展
開の一方、織笛姫(時蔵)を巡って、右大弁・安藤英竹(翫雀、
前回は、松緑)と坊太夫(菊五郎)の、横恋慕同士の恋の鞘当て
という支流の展開も加味する。これは、二幕目第二場の織笛姫邸
中庭の場で、織笛姫の筆跡を真似た贋の恋文を坊太夫に拾わせ
て、坊太夫をその気にさせるという場面で、いちだんと盛り上が
るのだが、ここが、実に良くできている。3つの、まるで、「大
きな帽子」を想像させる抽象的な白いオブジェのような大道具
は、本来なら、歌舞伎には、馴染まないのだが、(「お笑い3人
組」のような)坊太夫を陥れる洞院鐘道(左團次)、安藤英竹
(翫雀)、比叡庵五郎(團蔵)と、それに加えて、洞院と恋仲
の、悪知恵の働く才女で、織笛姫秘書役の腰元・麻阿(亀治郎)
が、坊太夫との距離をとったり、身を隠したりするのに効果的に
使われている。これに加えて、背景の書割代りに、今回、多用さ
れる大きな鏡が、あるので、役者の所作の裏表が、観客席に手に
取るように判る仕掛けだ。上手(床のところ)、下手(黒御簾の
ところ)にも、鏡があり、役者たちは、まるで、万華鏡の中に居
るようで、演技をすればするほど、万華鏡の世界は、変化(へん
げ)するから、おもしろい。それは、まさに、人間の裏表を暴き
出すかのように見受けられる。黙って、上空から見下ろしている
のは、皓々と照る月のみ。


4)結論=「2×3×2=12」夜→「十二夜」

ということで、「NINAGAWA 十二夜」というジグソーパ
ズルには、こういう遊びが、隠されているのでは無いか。二重
性、三角関係、2組のカップル誕生というわけである。


☆さて、「番外編」というか、実は、蜷川演出の最大のハイライ
トである大道具としての鏡の、つまり、「ミラー効果」を検証し
てみよう。この「大鏡」は、木枠に布張りの、いわゆる「書割」
(歌舞伎の背景画は、「書割」の組み合わせで、大きな背景画を
構成する)同様、へなへなしているものや、鏡になったり、向う
が透けて見える紗幕になったり、鏡の上に、松や山の絵が描かれ
た襖になったりしながら、終始舞台に出続ける(舞台の壁面をミ
ラーにするアイディアを出したのは、装置担当の、金井勇一
郎)。それが、照明との相乗効果で、巧みな「円形劇場」(シェ
イクスピア劇に相応しい、新しい「グローブ座」を木挽町に出現
させた。特に、上手と下手の「袖」のミラー効果は、抜群で、上
手のミラーには、絶えず、斜めの角度から、舞台の尖端で演技す
る主役を映しだしているし、下手のミラーは、本舞台の屋体を横
から見せてくれて、江戸の芝居小屋にあった「羅漢(らかん)
席」からの眺めを再現するように、いつにない角度からの芝居を
観客席に提供してくれた。特に、幕引きの大道具方が、観客席か
ら見れば、「幕内」の光景である、内側から幕を引いて走るさま
を見せてくれるのである。また、照明の当て具合で、花道から向
う揚幕の辺りが、鏡に映し出されるから、1階の1等席でもない
2階や3階の座席からも、同じように花道向うの演技が、見て取
れる)をつくり出している。蜷川幸雄は、蜷川演劇の、いつもの
スタッフを殆ど連れずに、単身、歌舞伎座に乗込んできたようだ
(それを蜷川は、「歌舞伎国への留学」と呼んでいる)が、一人
だけ連れてきたスタッフが、照明担当の原田保だという。その原
田の照明と金井の装置が、息もあって、効果を上げている。照明
の具合で、鏡を強調したり、透かしたりしている。これは、前回
と変らない。

舞台の中央で演技する役者たちの姿が、裏返しで、鏡に映ってい
るときには、本舞台で演じられる芝居と鏡のなかで背中だけを見
せて演じられる「別の芝居」が、恰も、同時進行しているよう
な、不思議な気分にさせられて、今回も、しばし、仙境に揺蕩
(たゆた)っているような気になった。鏡が暴く、人間の裏表、
これは、まさに、シェイクスピアが暴く、人間の裏表に通じる。

二幕目第三場と大詰第二場の織笛姫邸奥庭の場、第五場の織笛姫
邸広庭の場にも、仕掛けがある。百合の花が咲き乱れる織笛姫邸
の奥庭の太鼓橋は、鏡の書割で、ふたつの橋があるように見え
る。広庭のふたつの太鼓橋は、ふたつの太鼓橋の後ろに鏡の書割
があり、巨大な万華鏡を覗き込んでいるような永久運動の世界が
出現する。獅子丸ひとりのときは、もうひとりの幻影が、鏡に写
る。鏡は、双児を暗示している。獅子丸、実は、琵琶姫を除い
て、ほかの登場人物たちは、獅子丸しか知らないから、主膳之助
が登場すると、獅子丸との違いが判らず、混乱する。それは、鏡
に写った琵琶姫だからだろう。それが、主膳之助とは、別に、主
膳之助そっくりの獅子丸(吹き替え)が登場して、初めて、獅子
丸は、主膳之助の妹の琵琶姫と判る仕組みだが、正体を明かして
しまえば、鏡は、不要になる。広庭では、2組のカップルが、鏡
に写った幻影では無い、ふたつの太鼓橋を渡るようになる。この
場面は、背景の書割のほかに舞台の袖や見切りにまで、鏡が入
り、まさに、天地を除いて、鏡だらけという、「鏡の国」が、出
現した。ならば、「鏡の国のアリス」は、誰だったのか。素直に
みれば、琵琶姫だろうが、幸せになったのは、つれなかった左大
臣と結ばれた琵琶姫だけでなく、獅子丸似の、他人の(とは、
言っても、獅子丸こと、琵琶姫の兄の)主膳之助と結ばれた織笛
姫だろうか。いや、私は、違うような気がする。


☆そこで、役者論。脇筋の織笛姫邸の場面で、左大弁・洞院鐘道
を演じる左團次、右大弁・安藤英竹を演じる翫雀(前回は、松
緑)、それに左大弁と恋仲の、織笛姫秘書役の腰元・麻阿(ま
あ)を演じる亀治郎の3人が、息もあっていて、その上で、役割
をきちんと演じわけていて、充実の舞台に仕上げている。今回
は、安藤英竹役が、松緑から翫雀に変って、よりコミカルになっ
たようだ。特に、悪知恵に逞しい知恵者で、いろいろ仕掛けを作
り、物語展開の牽引者の役割を演じる亀治郎の麻阿が、前回にも
増して、達者な存在感を残している。二幕目第二場、織笛姫邸中
庭の場面では、鏡を巧みに意識した演技で、「まあ、驚いた」。
まさに、「鏡の国のアリス」とは、麻阿だったと得心が行ったと
いう次第。

いまや、自在な天地を行く菊五郎が、脇に廻って、憎まれ役の権
力者・坊太夫と道化た奉公人・捨助(願人坊主の延長線上にある
と思う)というふた役を味のある演技で奥行きを深めて、さら
に、舞台を磨きあげる。菊五郎と言えば、最近、長谷部浩が刊行
した「菊五郎の色気」という新書が、おもしろい。菊五郎の藝の
評価には、私も、得心するところが多くて、興味深く拝読した
が、菊五郎家との、特段の親しい付き合いを自慢げに書いている
ところが、欠点だ。こういう楽屋裏の話を表に出してしまうと、
そういう特別の間柄だから、評価が甘くなっているのではないか
と勘ぐられてしまう。これは、実に、損なやり方で、担当の編集
者は、当然、そうならないように配慮すべきだった。そういう内
輪の親しさなど削ぎ落して、客観的に役者論を書かせるべきだっ
たと思う。菊五郎の評価は、私には良く納得されるものだっただ
けに、実に残念だ。

時蔵の織笛姫は、典型的な赤姫で、歌舞伎の様式美を体現する演
技だったが、大詰で、獅子丸が、琵琶姫が扮していたことが判明
し、「女でありながら、女を見初めるとは、大恥ずかし」と恥じ
らうときの表情、双児の妹・琵琶姫の獅子丸には、「振られた」
が、双児の兄・斯波主膳之助と結ばれるときの、嬉しそうな「官
能」の顔は、すっかり、当代一流の表情として、定着したよう
だ。

主役の菊之助は、いまが、「時分の花」なのだろう。男性が、女
形となり、琵琶姫を演じ、琵琶姫が、訳あって、男装して小姓・
獅子丸となる。こういう役は、玉三郎でも、できないかも知れな
い(玉三郎では、女形性が、強く出てしまうだろう)。アンドロ
ギュノス・菊之助は、地声で、琵琶姫が扮する獅子丸を演じ、琵
琶姫の地が出るときは、女形の声である甲(かん)の声が自然に
出ているようで、琵琶姫の「地声」を演じるという錯綜した演技
を無理なくなしとげ、会場の笑いを誘う。2年前より、自然体で
演じているのが判る。琵琶姫と斯波主膳之助という双児の早替り
と琵琶姫扮する獅子丸の演技。菊之助は、自由闊達に、多重的に
入り組んだ性の区域を飛び越え、破綻がない。「実」がしっかり
しているので、見ている観客も、混乱しない。いずれ、菊之助
も、菊五郎の跡を継ぐべく、「兼ねる役者」の途を歩き出すのか
も知れない。

贅言・その1:菊之助の吹き替え役は、誰が勤めたのだろうか。
目や鼻は、菊之助と似ていないが、顔の輪郭やおでこの形が似て
いて、背格好も同格。化粧の所為もあるが、実に、菊之助、そっ
くりで、前回は、大詰第五場「織笛姫邸門外の場」で、菊之助演
じる斯波主膳之助と吹き替えの《菊之助》演じる獅子丸が、舞台
上下に登場させたが、今回は、大詰も大詰、最後の「織笛姫邸広
庭の場」で、初めて登場させた。満を持しての登場だ。吹き替え
の《菊之助》が、演じる、もうひとりの獅子丸(実は、主膳之
助)は、顔に当たる照明を落しているので、より一層、異様なま
でに、そっくりに見える。「見れば見るほど生き写し。これで
は、だれでも見間違う」という、科白通りの双児振り。声を出す
場面では、菊之助が、抱き合った吹き替えの《菊之助》を、恰
も、腹話術の人形の声を演者が出すように出しているようだっ
た。

このあと、獅子丸が、琵琶姫に戻り、左大臣と結ばれ、織笛姫
が、獅子丸そっくりの、斯波主膳之助と結ばれ、舞台奥から太鼓
橋を渡って現れ、めでたしめでたしとなる場面では、前回とは、
逆に、菊之助は、斯波主膳之助を演じ、吹き替えの《菊之助》
は、琵琶姫を演じる。従って、倒錯感は、前回より、薄まってい
る。大団円で、鼓一つを持ち、旅立つ自由人・捨助(菊五郎)を
見送る面々。白く咲き乱れる山ゆり。赤い太鼓橋。それらが、
奥、上下とある背景の鏡に写り、まさに、万華鏡は、永遠の幻像
を無数に振りまく。歌舞伎の絵面の見得とは、一味も、ふた味も
違う、フィナーレのような華やかさ。

贅言・その2:前回、北斎画のような背景の場面があったが、今
回は、変っていた。「冨獄三十六景」の、職人が大樽を作る、そ
の樽の環のなかに、遠く見える冨獄という有名な葛飾北斎の絵が
あるが、大詰第一場「奈良街道宿場外れの場」では、樽職人が出
てきて街道筋の脇で、大樽を作っている。そこへ、10人の座頭
が、数珠繋ぎになって互いの尻に掴まって、上手から下手へ舞台
を横切って行く。北斎画の改竄パロディだった。その場面は、今
回は、「紀伊国串本・港の場」では、樽職人の代りに、漁師たち
が、上手から下手へ、大きな鯨を車の載せて引いて行く。そこ
へ、9人の座頭が、数珠繋ぎになって互いの尻に掴まって、下手
から上手へ舞台を横切って行く。

贅言・その3;前回の筋書表紙絵は、安藤広重。広重が、北斎の
「冨獄三十六景」の向うを張って、その名も、「冨士三十六景」
という風景画を描いた。前回の筋書の表紙絵は、そのなかから、
「駿河薩タ之海上」をベースにしながら、原画にあった富士山を
削除し、由比が浜の荒波に翻弄される遠くの帆船を大きめに描
き、船の帆には、序幕第二場「紀州灘沖合いの場」に登場し、嵐
になかで難破する船の帆に描かれていた紋が、くっきりと描かれ
ている。パロディは、絵に限らず、歌舞伎の傾(かぶ)く精神を
象徴している。それが、今回は、同じく広重作だが、一転して、
甲州道中の山の中。「甲陽猿橋之図」。縦長の構図で、手前に渓
谷の下から、高みの猿橋を見上げ、橋の向う正面に見晴らせる集
落越しに遠山が望まれ、さらに、その向う、上空に満月が、皓々
と照っている。満月は、江戸にも、照っているというのが、この
絵から伝わって来る。

海から山へ。「十二夜」の祝祭の真実の姿を皓々と照る月のみ
が、見下ろしているのかも知れない。


☆ところで、「NINAGAWA 十二夜」は、新作歌舞伎の仲
間入りをしたのか。歌舞伎は、「傾(かぶ)く」芸術だ。伝統的
な芸能としての軸の部分を大事にしながら、新しいもの、つま
り、傾(かぶ)くものを大胆に取り入れて、生き延びてきた歴史
がある。今回の舞台は、2年前の歌舞伎座の舞台より、いちだん
と歌舞伎味が濃くなったのでは無いか。廻り舞台が、鷹揚に廻り
続け、節目節目に、竹本が、メリハリをつける。歌舞伎の世界
が、前回より、いちだんと膨らんできたのは、嬉しい(ここが、
玉三郎と海老蔵の「海神別荘」との大きな違いだと思う)。歌舞
伎の定式をいちだんと踏まえつつ、ミラー効果や織笛姫邸中庭の
場の大道具に象徴されるように斬新さも打ち出す。亀治郎に象徴
されるように、役者の工夫を最大限に引き出す。それでいて、個
個人が、バラバラにならずに、全体的な調和も取れている。蜷川
幸雄は、「傾く」とは、何かと言うことが、良く分かっているの
だろう。それは、自分の演出力と歌舞伎伝統の役者中心の演出力
の調和の匙加減の妙を良く分かっていると言うことと同質だと思
う。これは、明治以来の、「シェイクスピア劇の歌舞伎化」に止
まらず、歌舞伎の中にシェイクスピア劇が、入り込んだと言える
のでは無いか。新作歌舞伎が、傾いてきた。
- 2007年7月8日(日) 18:01:15
2007年6月・歌舞伎座 (夜/「元禄忠臣蔵〜綱豊卿〜」、
「盲長屋梅加賀鳶」、「船弁慶」)


綱豊卿8回目の仁左衛門は、風格の殿様

「元禄忠臣蔵〜御浜御殿綱豊卿〜」は、4回目の拝見。綱豊は、
團十郎、三津五郎、染五郎、そして、今回が、待望の仁左衛門。
というのは、歌舞伎座では、2000年10月に仁左衛門が、綱
豊を演じているが、私は、残念ながら、評判の良い仁左衛門の綱
豊は、観ていなかったのだ。それだけに、夜の部は、仁左衛門綱
豊卿をお目当てに、歌舞伎座の玄関を潜った。

綱豊(1662−1712)は、16歳で、25万石の徳川家甲
府藩主になり、さらに、43歳で五代将軍綱吉の養子になり、家
宣と改名。その後、1709年、46歳で六代将軍となり、3年
あまり将軍職を務めた人物。享年50歳。「生類憐みの令」で悪
名を残した綱吉の後を継ぎ、間部詮房、新井白石などを重用し、
前代の弊風を改革、諸政刷新をしたが、雌伏の期間が長く、一般
にはあまり知られていない。しかし、甲府に勤務したことがある
身としては、綱豊さんには、武田信玄・勝頼親子とは、また、別
の親近感を抱く。

「元禄忠臣蔵〜御浜御殿綱豊卿〜」では、原作者の真山青果は、
将軍就任まで7年ある元禄15(1702)年3月(赤穂浪士の
吉良邸討ち入りまで、あと、9ヶ月)というタイミングで、綱豊
(39歳)を叡智な殿様として描いている。御浜御殿とは、徳川
家甲府藩の別邸・浜御殿、浜手屋敷で、いまの浜離宮のことであ
る。

〈浅野家家臣にとって主君の敵〉吉良上野介・〈「昼行灯」を装
いながら、真意を隠し京で放蕩を続ける〉大石内蔵助・〈密かに
敵討ちを狙う〉富森助右衛門ら江戸の赤穂浪士。そういう構図を
知り抜き、浅野家再興を綱吉に上申できる立場にいながら、赤穂
浪士らの「侍心」の有り様を模索する綱豊(綱豊自身も、次期将
軍に近い位置にいながら、いや、その所為で、「政治」に無関心
を装っている)。綱豊の知恵袋である新井勘解由(白石)、後
に、七代将軍家継(家宣の3男、兄ふたりが、夭死し、父も亡く
なったので、わずか4歳で将軍になったが、在職4年ほどで、7
歳で逝去。父親同様、間部詮房、新井白石の補佐を受け、子ども
ながら、「聡明仁慈」な将軍だったと伝えられる)の生母となる
中臈お喜世、お喜世の兄の富森助右衛門、奥女中の最高位の大年
寄になりながら、後に、「絵島生島事件」を起こし、信州の高遠
に流される御祐筆絵島は、お喜世を庇いだてするなど、登場人物
は、多彩で、事欠かない。

真山芝居は、科白劇で、演劇的には、地味な舞台展開ながら、
「真の侍心とはなにか」と問いかけて来る。キーポイントは、青
果流の解釈では、「志の構造が同じ」となる綱豊=大石内蔵助と
いう構図だろうと思う。内蔵助の心を語ることで、綱豊の真情を
伺わせる。そういう構図を見誤らなければ、この芝居は、判りや
すい。二重構造の芝居なのだ。

赤穂浪士らの「侍心」に答えるためには、浅野家再興より浪士ら
による吉良上野介の討ち取りが大事だと綱豊は、密かに考えてい
る。富森助右衛門との御座の間でのやり取りは、双方の本音を隠
しながら、それでいて、嘘はつかないという、火の出るようなや
り取りの会話となる。この会話が、綱豊(仁左衛門)と助右衛門
(染五郎)を演じる二人の役者の仕どころである。

しかし、綱豊の真意を理解し切れていない助右衛門は、妹・お喜
世の命を掛けた「嘘」の情報(能の「望月」に吉良上野介が出演
する)に踊らされて、「望月」の衣装に身を固めた「上野介」
(実は、綱豊)に槍で討ちかかるが、それを承知していた綱豊
は、助右衛門を引き据え、助右衛門らの不心得を諭し、綱豊の真
意(それは、つまり、大石内蔵助の本望であり、当時の多くの人
たちが、期待していた「侍心」である)を改めて伝え、助右衛門
を助ける(あるいは、知将綱豊は、こういう事態を想定してお喜
世に嘘を言うように指示していたのかもしれない)。槍で突いて
かかる助右衛門と綱豊との立ち回りで、満開の桜木を背にした綱
豊に頭上から花びらが散りかかるが、この場面の「散り花」の舞
台効果は、満点。

その後、何ごともなかったかのように沈着冷静な綱豊は、改め
て、姿勢を正し、「望月」の舞台へと繋がる廊下を颯爽と足を運
びはじめる。綱豊の真意を知り、舞台下手にひれ伏す助右衛門。
上手に控える中臈や奥女中。まさに、一幅の絵となる秀逸の名場
面である。前半は、科白劇で、見どころを抑制し、後半で、見せ
場を全開する。このラストシーンを書きたくて、真山青果は、こ
の芝居を書いたのでは無いかとさえ思う。それほど、良く出来た
芝居であると観る度に感心する。

歌舞伎の綱豊は、冒頭で触れたように、私は、4人の綱豊を観て
いる。團十郎の貫禄充分の殿様。39歳の史実の綱豊より立派か
もしれない。初役の三津五郎は、小柄ながら風格のある殿様で
あった。仁左衛門は、颯爽の、魅力満点の綱豊であった。3人に
比べると、3年前、初役で演じた染五郎は、貫禄不足で、殿様と
いうより若君であったが、今回の富森助右衛門として、綱豊との
御座の間でのやり取りは、迫力満点で、3年前に綱豊を演じた成
果が、滲み出ているように思えた。役者は、立場を変える演技を
しながら、年輪を太くして行くものだというのが、良く判った。

私が観た助右衛門は、勘九郎(2)、勘太郎、そして、今回の、
染五郎である。勘九郎助右衛門は、熱演であり、当人も気持ち良
さそうに綱豊に対して自分の意見を堂々と述べたてていた。勘太
郎は、そういう父の科白回しを学び、熱演振りを良しとした熱意
が、ひしひしと伝わる演技であった。今回の、染五郎も、熱演
で、「綱豊卿」という芝居は、助右衛門が、やりがいのある役ど
ころであることには、違いが無かろう。

綱豊が寵愛する中臈・お喜世の芝雀、御祐筆・江島の秀太郎、ふ
たりとも、この芝居では、嫌みのない役柄で、気持ちの良い役で
ある。新井白石である新井勘解由は、ゆったりとベテラン歌六、
お喜世をいびる憎まれ役の上臈・浦尾は、萬次郎に存在感があっ
た。

贅言:御座の間の座敷内から刀に手をかけたまま打って出ようと
する助右衛門の緊迫感をよそに悠々と外廊下を通り過ぎる吉良上
野介の出が、今回は、なかった。


道玄2回目の幸四郎は、初演とはまた違った味を工夫

「盲長屋梅加賀鳶」は、五回目の拝見。この芝居は、「加賀鳶」
の梅吉を軸にした物語と窓のない加賀候の長屋「盲長屋」にひっ
かけて、盲人の按摩(実際は、贋の盲人だが)の道玄らが住む本
郷菊坂の裏長屋の「盲長屋」の物語という、ふたつの違った物語
が、同時期に別々に進行し、加賀鳶の松蔵が、道玄の殺人現場で
ある「御茶の水土手際」でのすれ違い、「竹町質見世」の「伊勢
屋」の店頭での強請の道玄との丁々発止、という接点で、ふたつ
の物語を結び付けるだけなのだ。芝居としては、道玄の物語の方
が、圧倒的におもしろいので、「加賀鳶」の物語は、冒頭の「本
郷通町木戸前勢揃い」という、雑誌ならば、巻頭グラビアのよう
な形で、多数の鳶たちに扮した役者が勢ぞろいして、七五調の
「ツラネ」という独特の科白廻しを聞かせてみせるという場面の
みが、上演される。道玄役者が、ふた役で演じる加賀鳶・天神町
梅吉は、原作本来は、「加賀鳶」の物語の主役なのだが、最近の
舞台では、この場面だけの登場である。

これまで観た道玄は、富十郎(2)、猿之助、今回含め、幸四郎
(2)。道玄は、偽の盲で、按摩だが、殺しもすれば、盗みもす
る、不倫の果てに、女房にドメスティク・バイオレンスを振るう
し、女房の姪をネタに姪の奉公先に強請にも行こうという、小悪
党。それでいて、可笑し味も滲ませる人柄。悪党と道化が、共存
しているのが、道玄の持ち味の筈だ。五代目菊五郎は、小悪党を
強調していたと言う。六代目菊五郎になって、悪党と道化の二重
性に役柄を膨らませたと言う。現在の観客の眼から見れば、六代
目の工夫が正解だろうと思う。2年前の05年1月歌舞伎座で、
初役で道玄を演じた幸四郎は、小悪党を強調していたが、今回
は、道化を強調していたように思う。「初演とはまた違った味が
出せれば」とは、幸四郎の楽屋話。私が見た道玄では、小悪党の
凄み、狡さと滑稽さをバランス良く両立させて、ピカイチだった
のは、富十郎であった。

伊勢屋の『質見世』の、道玄強請の場面は、強請場で名高い「河
内山」の質店「上州屋」の河内山や「切られ与三」の源氏店の蝙
蝠安を思い出させる。富十郎道玄は、二代目松緑の演出を引き継
いでいて、六代目の味に自分の持ち味を加味して、道化にポイン
トを置いて、演じている。それが、良かったので、私の道玄像を
形作っている。

大詰「菊坂道玄借家」から「加州侯表門」(つまり、いまの東大
本郷キャンパスの「赤門」)の場面。この場面での、滑稽味は、
断然、富十郎に軍配が上がる。逃げる道玄。追う捕り方。特に、
「表門」は、月が照ったり、隠れたりしながら、闇に紛れて、追
う方と追われる方の、逆転の場面で、どっと笑いが来ないと負け
である。この場面は、富十郎が、いちばん巧い。幸四郎も、猿之
助も真面目に逃げ過ぎて、おもしろ味が少ない。

さて、そのほかの配役では、道玄と不倫な仲の女按摩・お兼は、
秀太郎。売春婦も兼ねる女按摩。こういう二重性のある役は、4
年前に観た東蔵が、巧かった。東蔵は、どちらかに、重点を置き
ながら、もう、一方を巧く滲ませることができる。実に、達者に
演じる。今回の秀太郎は、色気を前面に出していたように感じ
た。

吉右衛門の加賀鳶・日蔭町松蔵は、道玄と違い、颯爽の正義漢
だ。松蔵は、実は、この芝居の各場面を綴り合わせる糸の役どこ
ろであり、重要な登場人物だと、思う。「本郷通町木戸前勢揃
い」、「御茶の水土手際」、「竹町質見世」と、松蔵は3つの出
番があるが、仕どころがあるのは、「質見世」。颯爽の裁き役
で、おいしい役どころ。幸四郎ふた役の、加賀鳶・天神町梅吉
は、「本郷通町木戸前勢揃い」だけの役で、筋には、関係して来
ない。


弁慶の調伏力のみ強かりき

「船弁慶」。能の荘重さと歌舞伎の醍醐味をミックスさせる工夫
をした六代目菊五郎演出以来、その形が定着している。「船弁
慶」を観るのは、今回で、7回目。静御前と知盛亡霊を演じたの
は、富十郎(2)、菊五郎、松緑(松緑は、四代目襲名披露の舞
台)、玉三郎、菊之助、そして今回の染五郎。染五郎は、本興行
で、2回目の静御前と知盛亡霊である。弁慶:團十郎(2)、彦
三郎、吉右衛門、弥十郎、團蔵、そして今回の幸四郎。義経:時
蔵、芝雀(今回含め、2)、玉三郎、鴈治郎時代の藤十郎、薪
車、梅枝。舟長:勘九郎時代と勘三郎(2)、八十助時代の三津
五郎、吉右衛門、仁左衛門、亀蔵、東蔵。

「船弁慶」を論じる際に、基準となる舞台は、私の場合、03年
11月の歌舞伎座の舞台をである。富十郎の一世一代の「船弁
慶」(但し、富十郎は、途中、病気休演で菊五郎が、バトンタッ
チしたが、私は、富十郎を観ている。当時の劇評には、次のよう
に書いている。「幕見席では、連日のように立ち見になっている
という」)舞台とあって、配役は、豪華だ。象徴的な例をあげる
なら、舟長、舟人の組み合わせが、仁左衛門、左團次、東蔵だっ
た。今回は、東蔵、松江、男女蔵、亀鶴で、1人多いが、顔ぶれ
を見れば、ランクが大分違うのが判る。おもしろいのは、前回観
た06年11月の新橋演舞場では、亀蔵を舟長にして、松也、萬
太郎という、若い、というより、さらに初々しい組み合わせだっ
たが、櫂を漕ぐ舟人の若いふたりは、いかにも基本に忠実で、櫂
を漕ぐ手首をいちいち律儀に返しているのが判る(亀蔵は、全
く、手首を返さず)。そういう目で、今回も、舞台を観ていた
ら、東蔵以下、4人とも、手首を返さずに、「漕ぐ真似」をして
いた。役者は、いくつになっても、所作の基本を大事にして欲し
いと思った。これは、あらゆる演技に通じる大原則だろう。

さて、なぜ、義経一行の西国行きを阻止するのが、前半は、静御
前で、後半は、知盛亡霊なのだろうか。このふたりは、別々の人
物なのか、どうか。静の静御前と動の知盛亡霊を別人格と捉え
て、それをひとりの役者が演じわける妙と理解する人もいるだろ
う。一方、静御前は、能の前ジテ、知盛「亡霊」は、後ジテの関
係と捉えて、同一人物の変化(へんげ)なので、同じ役者が演じ
るという見方もあるであろう。舞台は、「義経千本桜」の「大物
浦」と同じ場面。まずは、「浜」。ここまで、義経一行に同伴し
て来た静御前を弁慶の進言で、舟に乗せずに、都へ帰すことに
なった。登場人物の関係と力をベクトルで示すと、次のようにな
る。静御前マミ弁慶ミ義経。弁慶「静御供いたし候は、何とやら
ん似合わしからず」、義経「静を都にかえせとや」、四天王も弁
慶の懸念に同調。義経「弁慶よしなに計らい候へ」。やがて、静
御前が、追い付いてきて、曲折の末、義経「用意よくば乗船なさ
ん」、弁慶「とくとく宿へ帰り候え」、静御前「あら、是非もな
き事にて候」ということで、弁慶に阻まれて、静御前は、「(竹
本)名残り惜しげに旅の宿、見返り見返り立ち帰る」。

後半、知盛亡霊は、すでに船出した義経一行の舟を大物浦の
「沖」で、迎え撃つ。「波乗り」という独特の摺り足で、義経に
迫って来る。先ほどと同じように、登場人物の関係と力をベクト
ルで示すと、次のようになる。知盛亡霊マミ弁慶ミ義経。義経
は、数珠を揉んで生み出す法力で悪霊退散を念じる弁慶の後ろに
隠れて、知盛亡霊を押し返す。真っ赤な口を空けて、断末魔の叫
び。倒されて行く者の悲しみ。悪霊ながら、悲哀を感じさせる。
静御前、知盛亡霊とも、サッカーに例えるなら、ゴールめがけ
て、球を蹴る選手のようだ、弁慶は、ゴールキーパーで、必死
に、球をゴールの入れまいとする。護られるゴールこそは、義経
だ。「(竹本)其時義経少しも騒がず」だが、騒がないで済むほ
ど守護されている。なにかあれば、「よしなに計ら」ってくれる
弁慶が居る。全編を通じて、弁慶を軸にした執拗な攻防こそが、
「船弁慶」という歌舞伎演目の真骨頂だろう。

こう見て来ると、前半の静御前は、知盛亡霊の化けた贋の静御前
ということになる。義経にとって、前半は、いわば、「女難」。
後半は、正体を現した亡霊による、「剣難」というわけだ。「始
終数珠を揉み祈る」弁慶の本質は、一行の危機管理者というとこ
ろにある。

だから、下手のお幕から登場する静御前は、お決まりの、「能
面」のような無表情のままである。美女ながら、後の知盛の亡霊
という無気味さを滲ませながら、前半は、静御前として演じる。
舟に乗る前の一行のために、舞の名手である静御前は、大物浦の
浜で都の四季の風情を踊る「都名所」。染五郎の静御前は、そう
いう無気味さがにじみ出るオーラのようなものが無い。舞も、名
手とは、言い難い。小粒である。富十郎の静御前は、気合いが
入っていた。能面のような無表情も、姿勢も良い。無気味さとと
もに、舞には、雅びさがあった。

起(お幕からの弁慶の登場、続いて、花道からの義経と四天王の
登場)、承(お幕からの静御前の登場)、転(お幕からの舟長、
舟人の登場)結(花道からの知盛亡霊の登場)と、黙阿弥の作劇
は、メリハリがある。知盛の幕外の引っ込みでは、三味線ではな
く、太鼓と笛の、「一調一管の出打ち」。「荒れの鳴物」と言わ
れる激しい演奏である。

染五郎の知盛亡霊は、和解だけあって、動きは、「活発」だが、
自由「闊達」さがない。それにひきかえ、富十郎の知盛亡霊に
は、厳しい長年の修練の果てに辿り着いた自由自在の境地(老い
を超越している闊達さ)を感じたのを思い出す。富十郎の静御前
は、一際、小柄に観え、知盛亡霊は、逆に、一際、大きく観え
た。この変化が、富十郎の藝の力だと、思う。染五郎では、ま
だ、そういう変化(へんげ)が、見えて来なかった。幸四郎の弁
慶は、ほかの出演者が、小粒なだけに、抜きん出て見える。オー
バーアクションも、調伏力には、断然の安定感を感じさせる。
- 2007年6月30日(土) 11:59:09
2007年6月・歌舞伎座 (昼/「妹背山婦女庭訓」、「閻魔
と政頼」、「侠客春雨傘」)


歌舞伎で、最も美しい舞台「吉野川」

「妹背山婦女庭訓」、今回は、良く上演される「吉野川」に加え
て、「小松原」と「花渡し」が入り、「吉野川」への伏線が叮嚀
に演じられた。「吉野川」は、3回目の拝見だが、「小松原」と
「花渡し」は、今回、初見である。

「小松原」は、「切られ与三」なら、与三郎とお富が、初めて出
逢い、与三郎がお富を見初める「木更津海岸」の場面同様の伏線
となる。木更津海岸が、悪へ走りながら、しぶとく生きる江戸の
庶民を描いたのに対して、小松原は、純粋さにこだわり、死んで
行く貴人たちを描いたと言えよう。

春日野の小松原(通称「小松原」は、別名、「春日野」とも言
う)。雛鳥(魁春)と久我(こが)之助(梅玉)との出逢いは、
雨上がりの、一齣。雛鳥は、衣被(きぬか)ずきで、花道の出で
ある。この時代、身分のある女性が、外出する際、衣を頭に被
り、顔を隠す。しかし、お付きの腰元たちが、傘を畳んで手に
持っているところを見れば、雛鳥は、顔を隠すだけでは無く、雨
をも凌いでたかもしれない。雨上がりは、心嬉しい一時であり、
恋の出逢いが、あっても、おかしく無い。緋毛氈を掛けた床几で
休んでいる雛鳥の前を久我之助が、通りかかるが、こちらは、狩
からの帰り道、笠を持ち、蓑を背に掛けているから、雨上がり
は、まだ、充分では無く、細かい雨が、残っているのかも知れな
い。

双方で、見初めあうのは、与三郎とお富と同じ。雛鳥の腰元たち
が、気を利かせて、雛鳥と久我之助の中を取り持つ。久我之助
が、持っている吹矢筒が、恋の糸電話のような役割を果たす。扇
子が隠すのは、性愛の場面か。後の悲劇を際立たせるための濡れ
場。小道具の巧い使い方だ。蓑を脱いだ久我之助は、吹き矢の
入ったケースを肩に下げているのが判る。また、蓑笠は、宮中か
ら逃げてきた采女(うねめ)の局(高麗蔵)を匿うため、連れ帰
る際の仮装に使う。

「妹背山」の芝居の骨格は、政治劇である。天智天皇の時代、天
皇の病気を利用して、蘇我入鹿(彦三郎)が、天下取りを狙って
いる。今回は、原作の「妹背山」全五段の人形浄瑠璃で見れば、
初段「小松原」、三段目「花渡し」「山の段(歌舞伎の「吉野
川」)」で、いわば、前半部を切り取っての上演である。入鹿
は、国崩しを企む超人的怪物として描かれ、前半部でも、悲劇の
元は、彼にあるという構造だ。雛鳥と久我之助の恋を邪魔立て
し、ふたりを死に追いやる。「花渡し」は、太宰館(雛鳥の父・
太宰の少弐の館。太宰と久我之助の父・大判事は、領地争いで対
立している)にやってきた入鹿が、登場する場面である。入鹿
は、すでに内裏を占拠し、天皇然として振舞っている。彦三郎の
入鹿は、渋い。いま、入鹿を演じられる役者は、少ない。彦三郎
の父、十七代目羽左衛門の入鹿を12年前に見逃してしまったの
が、悔やまれる。

入鹿に呼ばれてやってきた大判事(幸四郎)と亡き太宰の跡を取
り仕切る後室(未亡人)の定高(藤十郎)は、従来の対立を元
に、口争う。やがて、舞台中央の御簾が上がり、入鹿の出御。天
皇の寵愛を受ける采女の局に横恋慕の入鹿は、行方不明の采女の
局の探索に絡んで、大判事と定高(さだか)の両者を疑う。疑い
の根拠は、大判事の息子・久我之助と定高の娘・雛鳥の恋仲をあ
げる。対立していると見せ掛けて、天皇と采女の局を匿っている
のではないか、という疑惑である。疑惑を晴らしたいなら、雛鳥
は、入内、久我之助は、出仕せよと厳命する。対立を利用し、分
断して支配する、というのは、いにしえより、権力の原理であ
る。返答は、桜の枝を吉野川に流せと指示し、ふたりに桜の小枝
を手渡す。だから、通称「花渡し」。日本人の感性は、権力者の
強権発動が生み出す悲劇の道具を使う場面を「花渡し」という美
意識の言葉で表現する。

その挙げ句、雛鳥は、入鹿との性的な関係を強要されるのを拒否
して、清い身体のまま、死を選ぶ。また、久我之助は、入鹿の家
来になるのを拒絶し、やはり、死を選ぶ。親同士は、不仲だが、
息子と娘は、恋仲。結局、ふたりの子どもを殺して、彼岸で結ば
れるようにさせるという悲劇。対立している両親は、娘、息子の
純な情愛を尊重し、首だけの花嫁と切腹をして、息も絶え絶えの
花婿を添わせる。死が、恋の成就を約束するという暗いテーマ。
対立と和解の果て、底に権力者への反抗という明確なメッセージ
を隠し持つ。時代を越えた普遍的なテーマが、名場面「吉野川」
の主軸だ。

「吉野川」は、数ある歌舞伎の舞台のなかでも、一際、美しい舞
台装置を持つ。複数の作者連名ながら、ほとんど近松半二がひと
りで執筆したと言われる原作も、舞台装置も、道具の配色も、衣
裳も、舞台展開も、珍しく上手と下手に2台の山台(「両床」と
いう)が出て、それぞれの分担の場面だけを交互に出語りをする
竹本も、小道具の使い方も、あらゆることに神経が行き届いた名
作だと思う。竹本は、お休みの時は、霞幕を掛け合って隠す。そ
の間、ドラマは、互い違いに進行する。ときに、同時に語り、雰
囲気を盛り上げる。今回は、上手に葵太夫と綾太夫の引き継ぎ。
下手に愛太夫と谷太夫の引き継ぎ。ベテラン葵太夫と若手の愛太
夫は、雰囲気が似ている。葵太夫の声は、相変わらず、渋くて、
美しい。ほかの3人は、基本的に高音である。

すでに、小道具では、吹矢筒のほか、大判事、定高の両家を見張
れと入鹿は、「花渡し」の幕切れの場面で、家来の弥藤次(亀
鶴)の遠眼鏡を持たせるなど、細かく神経を使っているのが、判
る。「吉野川」の舞台下手に設えられた「雛鳥」の部屋では、奥
に置かれたお雛様(この一式は、大道具にも、小道具にもなる)
が、今様の普通の飾り方と違う。普通は内裏様は左右に男雛、女
雛だが、舞台なので上手(舞台から見て右)に男雛、下手に女雛
という、この場面独特の飾り方になっている。お雛様の道具を、
不幸な死に方(いや、江戸時代の価値観では、あの世で添い遂げ
て幸福なのかもしれない)をする若いふたりのための祝言の、雛
鳥の、いわば、「首」の嫁入りの駕篭に使うなど、本当に憎いぐ
らいの演出である。この「雛流し」の場面など、あらゆる細部
に、半二の工夫魂胆の溢れる舞台で、歌舞伎のなかでも屈指の名
場面のひとつである。

近松半二お得意の左右対称の舞台構成。満開の桜に覆われた妹山
(下手)、背山(上手)の麓のふたつの家。大道具(例えば、定
高の屋敷の金屏風、大判事の屋敷の銀屏風などの対比)の工夫、
上手の紀伊国が、大判事の領国。下手の大和国が、太宰の少弐の
未亡人定高の領国。家と家の間には、吉野川が流れていて、いわ
ば、国境。川は、次第に川幅を広げて、劇場の観客席を川にして
しまう。両花道が、観客席を呑み込んで、滔々と流れる河原を挟
む堤になる。

さて、定高3回目、但し、歌舞伎座では、初お目見得の藤十郎の
演技は、気迫充分、重厚であり、堪能した。立女形の役のなかで
も、1、2を争う役どころの定高。特に、母親の情愛の演技が素
晴しい。さすが、復活山城屋である。幸四郎の大判事は、相変わ
らず、科白と所作が若干オーバー・アクションに感じられ、藤十
郎の演技とアンバランスの感があった。押さえ気味で、もう少
し、重厚さが出せないものかと、この役者の演技の「塩梅」に不
満が残る。竹本の「花を歩めど武士(もののふ)の心の嶮岨(け
んそ)刀して削るがごとき」感じになり、巧さをストレートに出
さなくなったら、幸四郎の演技に、余白の美が生まれそうな予感
がする。

魁春の雛鳥は、「小松原」の場面で、衣被ずきを脱いだとたんの
表情から、可憐であり、「吉野川」では、さらに、一途さが加
わっていて、良かった。初役以来、40年の魁春雛鳥。「わた
しゃ、お前の女房じゃ」、中を流れる吉野川を越えて、魂だけに
なっても、「わたしゃ、そこに行きまする」など。人を好きにな
る気持ちを全身で表現していて、気持ちが伝わって来る。同じ
く、初役以来、40年の梅玉の久我之助は、凛々しい。久我之助
の役は、動きが少なく、特に切腹をしてから、止めのために首を
打たれるまでが、前のめりの姿勢で、ジッとしているという、い
わば仕どころのないのが、仕どころという、かなり難しい役だ。
でも、この姿勢の場面が、観客には、印象的なのだ。ここに、存
在感を感じさせるような演技がないと、久我之助役は、勤まらな
いと思う。長い芝居の割には、登場人物が少ないだけに、それぞ
れの存在感が勝負の舞台だろう。

贅言;最初、無人の舞台で、川の流れを描いた浪布を貼ったいく
つもの筒(「滝車」という)が廻り、水の流れる様を見せていた
吉野川は、舞台でドラマが進行すると、息を潜めて、悲劇を見守
るように、止まってしまう。雛鳥の首が、母親によって切り落と
されたのに続いて、久我之助の首が、父親によって切り落とされ
ると、吉野川は、哀しみの涙を流すように、再び、水が流れる。
心憎いばかりの演出ではないか。


「閻魔と政頼(せいらい)」は、吉右衛門こと、松貫四原作の狂
言仕立ての所作事。初演である。作品の素材は,鬼山伏狂言の「政
頼」。11世紀頃の鷹飼いの名人で、実在の人物という。閻魔大
王と人間の知恵比べ。閻魔大王(富十郎)が、好人物で、政頼
(吉右衛門)の悪知恵に負けてしまい、大事な冠を奪われるとい
う笑劇。現在の政界に流行る化かしあいの方が、きつくて、芝居
の皮肉が、効いていないというのも、皮肉な現象。閻魔の庁の赤
鬼(歌六)、青鬼(歌昇)。それなりにおもしろく拝見したが、
再演の機会があるかどうか。


「侠客春雨傘(きょうかくはるさめがさ)」は、私は、初見。
1898(明治30)年、九代目團十郎によって、初演された。
原作は、福地桜痴。ジャーナリスト出身で、明治の歌舞伎座創立
の立て役者であり、九代目とともに「活歴」ものを推進し、演劇
改良運動に取り組んだ。それゆえ、新しい狂言を求めて立作者に
もなる。「侠客春雨傘」は、そういう福地歌舞伎の代表作のひと
つ。俗に「実録の助六」と言われたのが、「侠客春雨傘(おとこ
だてはるさめがさ)」である。主人公の大口屋暁雨(きょうう)
は、「助六」のモデルになったと言われる実在の人物(浅草蔵前
の札差)で、「侠客春雨傘」では、芝居の助六そっくりの扮装、
所作で、吉原に通う暁雨が、登場する。パロディの逆転が、ミ
ソ。

「活歴」ものは、実録もので、おもしろ味より、史実を重視して
いたのが、「活歴世話もの」とでも分類される「侠客春雨傘」で
も、察することができる。今回初めて観たが、実際、おもしろく
もない。本来は、六幕十三場という長丁場の芝居らしいが、今回
は、「新吉原仲之町出会の場」のみの上演。仲之町の引手茶屋
「和泉屋」の店先で、暁雨(染五郎)と稲妻組に身を寄せる、い
わば、用心棒の逸見鉄心斎(彦三郎)との鞘当て。それを傾城の
葛城(芝雀)が、諌めるというだけの場面。染五郎は、大きく化
けてこないのが、淋しい。

実は、劇中口上が、狙いの舞台で、染五郎の長男、2歳の藤間齋
(いつき)の初お目見得というわけだ。祖父の幸四郎が、高麗屋
幸四郎、吉右衛門の播磨屋吉右衛門、梅玉の大尽高砂屋梅玉、仁
左衛門の鳶頭仁左衛門らが、口上に花を添えるという趣向。齋
は、役者のこどもらしく、ものおじせずに大舞台に立っている。
上手揚幕に向う途中、撥ねたり(「六法」のつもりのようだ)、
首を振って、見得の真似をしたりで、愛想を振りまく。

贅言:かつては、「暁雨役者」という言葉があったほどで、暁雨
を当り役としたのは、九代目團十郎の後は、十五代目羽左衛門、
十一代目團十郎で、ほかに初代吉右衛門、六代目菊五郎、十三代
目勘弥、上方の三代目寿海、渋谷の海老さま、こと、三代目権十
郎、染五郎時代の幸四郎など。
- 2007年6月19日(火) 22:29:51
2007年5月・歌舞伎座 (夜/「女暫」、「雨の五郎/三ツ
面子守」、「め組の喧嘩」)


「おお、恥ずかし」とは、江戸の色香

「女暫」は、4回目の拝見。「巴御前、実は、芸者音菊」という
凝った仕掛けは、98年2月、歌舞伎座の菊五郎で、このときの
菊五郎は、巴御前を演じた後、幕外では、さらに、芸者・音菊に
変わるという重層的な構造に仕立てていた。2001年2月、歌
舞伎座は、玉三郎の巴御前で、初役ながら、期待に違わず玉三郎
の巴御前は、りりしく、色気もあり、兼ねる役者・菊五郎とは、
ひと味違う真女形・巴御前になっていた。特に、恥じらいの演技
は、菊五郎より、艶冶な感じ。巴は女性なのだし、「女の荒事」
として、女性の存在の底にもある荒事(あるいは、「女を感じさ
せる荒事」という表現をしても良い)の味を引き出していた。
05年1月、国立劇場では、「御ひいき勧進帳」、一幕目「女
暫」ということで、巴御前では無く、「初花」を雀右衛門が演じ
た。今回は、玉三郎のときと同じ演出で、萬次郎(橘屋)が、巴
御前を演じる。彦三郎(音羽屋)の「範頼」、権十郎(山崎屋)
の「義高」、十七代目市村羽左衛門の子息、3兄弟を軸にした、
十七代目の七回忌追善興行なのだ。

男の「暫」は、95年11月、歌舞伎座で観た。そのときの主な
配役は、鎌倉権五郎(團十郎)、清原武衡(九代目三津五郎)、
鹿島入道震斎(八十助時代の三津五郎)で、その場合は、鶴ヶ岡
八幡の社頭が舞台、今回のような「女暫」は、京都の北野天神の
社頭が舞台。「暫」では、清原武衡らが社頭で勢揃いしている。
「女暫」は、登場人物の名前こそ違うが、「暫」とは、基本的な
演劇構造は同じ。権力者の横暴に泣く「太刀下(たちした)」と
呼ばれる善人たちが、「あわや」という場面で、スーパーマン
(今回は、スーパーウーマン)が登場し、悪をくじき、弱きを助
けるという、判りやすい勧善懲悪のストーリ−で、古風で、おお
まかな歌舞伎味濃厚の一枚絵のような演目。むしろ、物語性より
「色と形」という歌舞伎の「外形」(岡鬼太郎の表現を借りれば
「見た状」)と表現としての「様式美」が売り物だろう。歌舞伎
十八番に選ばれた「暫」は、景気が良く、明るく、元気な狂言。
それだけで、祝い事には欠かせない演目となる。昔は、いろいろ
な「暫」があったようだ。「奴暫」、「二重の暫」(主人公がふ
たり登場)、世話物仕立ての「世話の暫」などがある。「女暫」
も、もともと派手さのある「暫」の「華」に加えて、「女」とい
う「華やぎ」まで付け加えることが可能なだけに、そういうさま
ざまな趣向の「暫」のなかから生まれ、「二重の華」として、い
ちだんと洗練されながら、生き残ってきた。

本来、「暫」は、独立した演目ではなかった。江戸時代の「顔見
世(旧暦の11月興行)狂言」の一場面の通称であった。一場面
ながら立役、実悪、敵役、若衆方、立女形、若女形、道化方など
が出演するため、「だんまり」同様に、一座の役者の顔見世(向
こう1年間のお披露目)には、好都合の、いわば、一種の「動く
ブロマイド」、あるいは「動く絵番付(演劇パンフレット)」の
ような役割を果たしたことだろう。いつしか、そういう演目とし
ての役回りの方が評価され、独立した出し物になった。

「女暫」では、清原武衡に代わり、蒲冠者範頼(彦三郎)が出て
くる。今回の範頼一行の顔ぶれは、轟坊震斎(松緑)、女鯰若菜
(菊之助)、「腹出し」の赤面の家臣・成田五郎(海老蔵)、猪
俣平六(團蔵)、武蔵九郎(亀蔵)、東条五郎(男女蔵)、江田
源三(亀三郎)。一方、太刀下の清水冠者義高(権十郎)一行
は、義高許婚の紅梅姫(亀寿)、木曽次郎(松也)、木曽駒若丸
(梅枝)、家老の根井主膳(秀調)、局唐糸(右之助)。

ハイライトは、成田五郎が、義高を斬ろうとすると、向う揚幕か
ら、お決まりの、「暫く」、「暫く」と声がかかり、巴御前(萬
次郎)の颯爽の花道登場となる。萬次郎は、口跡が良いから、科
白にメリハリがあり、凛としている。巴御前に対する女鯰若菜の
菊之助が、「橘屋のお姉さん」と呼びかけるなど、笑いを誘いな
がらの「対決」である。いずれにせよ、「女暫」は、「暫」より
も、一層、色と形が命という、「江戸の色香」を感じさせる江戸
歌舞伎の特徴を生かした典型的な舞台。「おお、恥ずかし」とい
う女形の恥じらい、幕外の引っ込みの「六法」をやろうとしない
巴御前と舞台番・寿吉(三津五郎)とのやりとりが、幕外の見せ
場。ここは、実質的に、十七代目追善の「口上」の役割を果たし
ている。

舞台番は、ごちそうの役者が演じる。私が観たのは、成吉(團十
郎)、辰次(吉右衛門)、富吉(富十郎)、そして、今回の寿吉
(三津五郎)である。


所作事二題。「雨の五郎/三ツ面子守」のうち、「雨の五郎」
は、3回目の拝見。2000年、国立劇場歌舞伎教室の信二郎、
05年11月、歌舞伎座の吉右衛門、そして、今回は、松緑。松
緑は、今回、昼1、夜3という、出番の多さ。松緑襲名5年とい
う、働き盛り。なかでも、「雨の五郎」は、まさに、独り舞台。
颯爽の所作事。

「春雨に 濡れて廓の化粧(けわい)坂」「雨の降る夜も雪の日
も 通い通いて大磯や」というわけで、雨にも負けず、曽我五郎
が、大磯の廓に居る化粧坂少将の元へ通う様を描いた長唄舞踊。
「雨の五郎」の舞台は、シンプルながら、毎回、大道具の工夫が
あるのが、楽しみ。今回は、上手と下手に柳。中央の背景は、影
絵か、大門が、スマートに描かれ、上手寄りに、遠景の富士。中
央奥に長唄の雛壇。その手前は、大せりが、奈落に墜ちている。
赤い消し幕が、床の空間を隠す。一文字幕の下に、柳の枝が、多
数垂れている。助六のように、右手で蛇の目傘を差した五郎(松
緑)が、廓の若い者を、ひとりは、右足下に屈ませて、もうひと
りは、左手で後ろ向きにしたまま、せり上がって来る。むきみ隈
に紫縮緬の頬被りという伊達な五郎が、上がってくるという趣
向。大きな蛇の目傘に白い緒の付いた黒塗りの下駄も、伊達だ。
緑色の房の付いた大太刀2本。頬被りを取った後は、父の敵討ち
を目指す五郎の本懐を物語る荒事となる。「父の仇 十八年の天
津風」。附け打ち入りの立回りの所作事。夜の部のツケを打つの
は、中堅の保科幹。昼の部のベテラン芝田正利に劣らぬ名演。次
いで、軽快な手踊りなどを交えて緩急自在のうちに廓情緒を醸し
出し、最後は、荒事の元禄見得で決まる。花道から、五郎退場。

大道具が替り、背景は、大きな神社の境内。常磐津連中を乗せた
山台が、下手から出て来る。「三ツ面子守」は、今回、初見。上
手から、子守娘(三津五郎)が出て来る。三津五郎の踊りは、歌
舞伎界で、一、二を争う巧さ。今回も、どんなに踊ろうと、身体
の縱軸が安定しているのが、判る。黄色い「ちゃんちゃんこ」
で、赤ん坊を背負っているが、身体の裁き方が巧く、軽やかで、
しなやかな所作を生み出す。やがて、手鞠歌。後見が、差し棒の
先に鞠を付けていて、三津五郎の仕草に合わせて、鞠を弾ませ
る。

「やんおもしろやのおかめがまねく」から、三津五郎は、「おか
め」、「恵比須」、「ひょっとこ」の3つの面を交互に使い分け
ながら、巧みに踊ってみせる。「猿翁十種」の「酔奴」や「奴道
成寺」でも、同じような3つの面を交互に使い分けながら踊るの
と同工異曲。三津五郎は、「奴道成寺」でも達者に踊ってみせた
が、今回も、巧い。これは、3つの面を素早く踊り手に渡さなけ
ればならないので、後見が成否の決め手となる。後見は、三津右
衛門。三平時代から、こういう後見は、三津右衛門が勤めてい
て、安定感がある。


「下戸の知らねえ、うめえ味だな」

「め組の喧嘩」は、3回目。菊五郎劇団は、大部屋役者を大勢出
演させての、大立ち回りが好きで、こういう演目を良く演じる
が、「三階さん」も含めた立役たちの乱舞が見せ物というだけ
で、芝居としては、底が浅い。骨格は、鳶と相撲取りが、些細な
ことから、仲間を引き連れての大立ち回りというだけの話。最初
に観たのは、11年前、96年5月の歌舞伎座、菊五郎の辰五郎
で拝見。九代目三津五郎が、喧嘩の仲裁役の焚き出し喜三郎で出
演。鳶の辰五郎の喧嘩相手、相撲取りの四ツ車が、左團次だっ
た。2001年2月の歌舞伎座は、十代目三津五郎の襲名披露の
舞台。辰五郎役を新・三津五郎に譲り、菊五郎は、喜三郎役に
廻っていた。四ツ車は、富十郎。今回は、辰五郎が、菊五郎、喜
三郎は、梅玉、四ツ車は、團十郎。このほかでは、今回は、九竜
山に海老蔵(前回は、左團次、前々回は、團蔵)、辰五郎女房・
お仲に時蔵(前回も、時蔵、前々回は、田之助)で、お仲は、今
回も含めて、時蔵が良かった。火消しの頭(かしら)のかみさん
の貫禄が滲み出ていた。藤松に松緑(前回も、辰之助時代の松
緑、前々回は、梅玉)も、江戸っ子の空威張りを表現していた。

序幕第一場「島津楼広間の場」では、上手横、床の間の掛け軸が
日の出に、松と鶴で、いかにも江戸の正月風景。お飾りも古風。
藤松(松緑)が、人の座敷で騒ぎを起こした後、颯爽と入ってき
た菊五郎。当代の菊五郎は、こういう役が好きなんだろうなあ。
頭として、ぐっと我慢の場面の後、「大きにおやかましゅうござ
りました」と言いながら、力任せに障子を閉める(「覚えてい
ろ」の気持ち)。「春に近いとて」の伴奏。続いて、獅子舞が部
屋に入って来て、気分転換。大道具、鷹揚に廻る。

序幕第二場「八ツ山下の場」。舞台上手に標示杭。それには、こ
う書いてある。「関東代官領江川太郎左衛門支配」。つまり、品
川の「八ツ山下」からは、「関東」、つまり、江戸の外というわ
けだ。ふたつの立て札もある。「當二月二十七日 開帳 品川源
雲寺」、「節分会 平間寺」。提灯を持った尾花屋女房おくら
(田之助)に送られて来る四ツ車(團十郎)を待ち伏せる辰五郎
(菊五郎)は、意外と粘着質な男だ。颯爽のイメージが損なわれ
る。焚き出しの喜三郎を乗せた駕篭が通りかかり、彼も絡めて、
いわゆる「だんまり」になる。世話物のだんまりだから、「世話
だんまり」。ここも、大詰めへの伏線。

二幕目「神明社内芝居前の場」。大歌舞伎とは違い、いわゆる宮
地芝居の小屋だが、江戸の芝居小屋の雰囲気を絵ではなく、復元
として観ることができる愉しさ。こういう大道具も私は、大好き
だ。出し物は、「義経千本桜」だが、「大物の船櫓」と「吉野の
花櫓」というサブタイトルがある。ほかに「碁太平記白石噺」
(これには、「ひとま久」と書いてある)、「日高川入相花王
(いりあいざくら)」(これには、「竹本連中」とある)という
看板。さらに、芝居小屋の上手上部に鳥居派の絵看板が3枚。絵
柄から演目は、上手から「大物浦」、「つるべ鮨」、「狐忠
信」。大入の札。小屋の若い者が、「客留」の札を貼る。お仲
(時蔵)、おもちゃの文次(翫雀)に連れられた辰五郎倅・又八
(虎之介)らが持っている物。籠に入った桜餅、ミニチュアの
「め」組の纏。虎之介は、元気がある。お馴染みの剣菱の薦樽。
この後、ここでも、鳶と相撲取りの間で、トラブルが起こる。間
に立つ座元の江戸座喜太郎(左團次)が渋い。これも、後の、喧
嘩への伏線。

三幕目「浜松町辰五郎内の場」では、焚き出しの喜三郎(梅玉)
方から、酔って帰ってきた辰五郎(菊五郎)に勝ち気な女房のお
仲(時蔵)が、言う。「六十七十の年寄りならば知らぬこと」
(還暦を迎えた我が身には、なんともな、科白・・・)と若い辰
五郎に意気地が無いと、つっかかり、喧嘩を煽り立てる。倅の又
八(虎之介)は、父ちゃん子らしく、「おいらのちゃんを、いじ
めちゃあいやだ」と、辰五郎の肩を持ち、観客席の笑いを誘う。
辰五郎に頼まれて、水をもってくるなど、甲斐甲斐しい。扇雀の
息子、虎之介は、達者にこなす。時蔵のお仲は、いわゆる、小股
の切れ上がった江戸の女。辰五郎「下戸の知らねえ、うめえ味だ
な」。又八、お仲も、水を呑む。(竹本)「浮世の夢の酔醒め
に、それと言わねど三人が、呑むは別れの水盃」ということで、
本心を明かし、喧嘩場へ。しかし、息子との別れの場面が、なん
とも、臭い芝居で、閉口した。

さはさりながら、「下戸の知らねえ、うめえ味だな」という科白
は、普遍的な意味がある。酒飲みであれ、芸術家であれ、職人で
あれ、何事も、その道を極めた人にしか判らない「うめえ味」と
いうものがある。知らなければ、知らないで済んでしまうのだろ
うが、知ってしまえば、酔い醒めの水ほど、甘露なものは無いよ
うに、知ってしまった世界の醍醐味は、知っている人にしか味わ
えないものだ。この科白には、そういう世界への広がりが隠され
ている。

歌舞伎見物も同じ。私も、歌舞伎座のなかのあちこちの席で舞台
を観てきたが、一階の「とちり」は、確かに見やすいし、桟敷席
も、東と西では、味わいも違うが、それぞれが良い。花道のそば
も、「どぶ」(西の桟敷と花道の間の席)側の席も良いし、花道
七三直近の上手側の席で、揚巻(雀右衛門)の足の爪も観てし
まったし、2階の真ん中、真ん前、天覧なら、天皇が座る辺りの
席も、本舞台を俯瞰が出来て、これも良いし、四階の幕見席の真
ん中から、谷底のような本舞台全体を覗き込むように見るのも、
また、良しで、「○○の知らねえ、うめえ味(おもしろい光景)
だな」という体験をしてきた。それの報告は、「大原雄の歌舞伎
めでぃあ」の「遠眼鏡戯場観察」に、99年3月の舞台から書き
記し、積み重ねてきた。

大詰の「喧嘩場」は、廻り舞台の機能を生かして、「角力小屋の
場」、「喧嘩の場」、「神明社境内の場」が、効率的に場面展開
する。最後に仲介に入る喜三郎(梅玉)は、梯子に乗り、騒ぎの
真ん中に、いわば、空から仲裁に入る。喜三郎は、着ていた2枚
の法被(蛇の目と万字の印)を脱ぎ、鳶の方へは、「御月番の町
奉行」の印を強調、一方、相撲取りの方には、「寺社奉行」の印
を見せつけ、「さ、どっちも掛りの奉行職、印は対して止まる
か」と喧嘩をおさめる。

この場面は、大部屋の立役たちも、充分に存在感を誇示する場
面。小屋の屋根に、勢いを付けて下から駆け昇り、上の者が手を
引っ張って、引き上げる。鳶側では、松也、梅枝、萬太郎、竹松
などの御曹司たちも活躍。相撲取り側では、四ツ車(團十郎)、
九竜山(海老蔵)、大竜山(男女蔵)、神路山(欣弥)など。
- 2007年5月17日(木) 22:10:41
2007年5月・歌舞伎座 (昼/「泥棒と若殿」、「勧進
帳」、「与話情浮名横櫛」、「女伊達」)


「いつか、また、会えるよなあ、俺は、待ってるぜ」

「泥棒と若殿」は、初見。山本周五郎原作の同名の短編小説を劇
化した。1968(昭和43)年3月、歌舞伎座初演。今回、3
回目の上演だが、出演者全員が、歌舞伎役者というのは、今回は
初めて。新作歌舞伎に仕立てあがっているかどうかが、今回のポ
イント。泥棒は、松緑、若殿は、三津五郎。軸となる三津五郎
は、「歌舞伎として成立するように創っていきたい」と述べてい
る。歌舞伎として、再演できるかどうかで、評価が決まる。荒れ
た御殿に幽閉された若殿と知らずに御殿に忍び込んだ泥棒の交友
の物語。殿様の病気に乗じて引き起こされたお家騒動から、幽閉
され、飢え死に寸前という若殿の実状を知り、泥棒に入ったが、
何もとらず、拾った薩摩藷を恵んでやる伝九郎。その後は、人足
仕事に出て、金を稼いでは、若殿の食事の世話をすることに励
む。身分の差が、文化、知識の差となり、世間知らずの若殿の言
動に、「そんなことも知らないのか」と伝九郎の保護者意識が高
まる。そのあたりが、観客の笑いを誘う。二人の間で価値観が一
元化される日々が続く。両者の気持ちの交流は、観客の気持ちを
和ませる。若殿の命を狙う家臣と泥棒が助けてくれるという不思
議。山本周五郎得意の対比。泣かせる場面もあり、ハンカチを眼
に当てている人の姿も見えた。やがて、殿様が亡くなり、若殿に
家督相続が、決まり、お家騒動も収まる。若殿は、元の世界に
戻ってゆく。その日の朝は、若殿が、伝九郎のために食事の世話
をした。逆転は、ふたりの別れの始まりでもあった。若殿は、ダ
ブルスタンダードを取り戻し、ふたりの価値観は、再び、二元化
され、伝九郎は、取り残される。只の人にはなれない若殿。自分
らしく、生きる。人には、それぞれの道があると言う。それに対
して、伝九郎は言う。「いつか、また、会えるよなあ、俺は、
待ってるぜ」。だが、観客たちは、知っている。それが、ふたり
の永の別れになることを。

人との交わりには、こういう別れは、良くあるもの。ひところ、
相手が、異性であれ、同性であれ、別れられない間柄と互いに認
識していても、喧嘩したわけでも無く、何かの拍子、引っ越しな
どで、会えなくなれば、去るもの日々に疎しで、いつの間にか忘
れてしまう。頻繁だったメールも、いつしか来なくなる。年賀状
も、いつの間にか、途絶えてしまった。別れるのに、生きるの死
ぬのと、大騒ぎしたような場合でも、同じようなものだ。離れら
れない、忘れられない、という思いをいつまで持ち続けられる
か。それでいて、忘れてしまえば、いつのまにか、何十年も経っ
ていて、お互い、平気でいる。まあ、ということは、人生には、
良くあるもの。

贅言1):演出上の改善点として、気が着いたこと。伝九郎が忍
び入った最初の夜の場面の暗転。朝の食事の世話をして、再び、
暗転。若殿が、城に戻ることを決意する夜の場面の暗転。この3
つの場面では、いずれも、若殿役の三津五郎が、御殿の広縁の先
に立ち、観客席に顔を向けて、思案に耽る表情とポーズというの
は、いただけなかった。ふたりが、食事をするために膳を置く場
面が、2回あったが、いずれも、対面(0度)では無く、観客席
正面向き(90度で、平行)でもなく、45度に向き合うよう
に、斜に置いていたが、これが、観客席から見ると、登場人物
が、「互いに、向き合いながら、観客席にも顔を見せる」という
角度なのである。

贅言2):今回の舞台では、三津五郎門下の三津之助の名題昇進
の披露があった。「泥棒と若殿」では、若殿を助けようと娘とと
もに若殿に食料(泥棒が拾った薩摩藷)を持ってきて、警護の侍
に追い払われた百姓・弥平役を演じていた。ほかに昼の部の「与
三郎」では、木更津海岸の場面で、与三郎(海老蔵)と絡む江戸
の噺家五行亭相生、夜の部の「め組の喧嘩」では、鳶の中門前の
専坊を演じていた。その他大勢のから、抜け出して、こういう役
どころを見ると、先月亡くなった中村四郎五郎の役回りに、す
ぽっと収まってくるという気がした。みのむし時代から三津之助
となり、今回、良くコンビを組んでいる三平→三津右衛門に追い
付いて、名題になったことを慶賀したい。


「いかに、弁慶」

「勧進帳」は、14回目の拝見。天覧歌舞伎百二十年記念興行。
昼の部の目玉演目というより、今月の「団菊祭」の目玉演目だろ
う。現代の歌舞伎役者で、最高の「勧進帳」を見せようという興
行側の意気込みの配役、それは、私の観劇記録のさまざまな配役
から見ても、伺えよう。今回の弁慶は、團十郎で、4回目。私が、
拝見した14回の「勧進帳」の主な配役は、以下の通り。

弁慶:幸四郎(4)、團十郎(4)、吉右衛門(3)、猿之助、
八十助時代の三津五郎、辰之助・改め松緑。

冨樫:菊五郎(4)、富十郎(3)、梅玉(2)、吉右衛門、猿
之助、團十郎、勘九郎、新之助・改め海老蔵。

義経:雀右衛門(3)、梅玉(3)、菊五郎(2)、福助
(2)、芝翫(2)、富十郎、染五郎。

幸四郎は、07年1月の千秋楽で、930回をこえるという弁慶
役者の代表選手なので、実線で、くっきりとした弁慶を演じる
が、技巧に走り過ぎて、巧すぎるのが、難点だと私は、思ってい
る。ものごとのあわいの微妙さ、色合いの濃淡の魅力など、余
白、余韻に欠ける。私の好きな弁慶は、團十郎、あるいは、吉右
衛門。團十郎の弁慶の場合、菊五郎の冨樫、梅玉の義経。あるい
は、吉右衛門の弁慶の場合、富十郎の冨樫、雀右衛門の義経とい
う組み合わせを頭に描くが、なかなか実現しなかった。当該役者
が皆、同じ舞台に出勤していても、配役が違うなど、限られた配
役なのに、意外と一致しないものなのだ。それが、今回は、團十
郎の弁慶の場合、菊五郎の冨樫、梅玉の義経と、どんぴしゃり。
次は、吉右衛門組も、実現して欲しい。「いかに、弁慶」という
義経の科白では無いが、いかに、配役の妙こそおもしろけれ。

さて、今回。團十郎は、120年前の1887(明治20)年4
月、麻布鳥居坂の外務大臣井上馨の邸内の仮設舞台で、史上初の
天覧劇が上演された際、三代前の、九代目團十郎が演じた弁慶を
演じたことは、言うまでも無い(ちなみに、120年前の配役
は、九代目團十郎の弁慶に初代左團次の冨樫、福助、後の五代目
歌右衛門の義経)。團十郎は、天覧歌舞伎百二十年記念興行に加
えて、2度に亘る病気克服の上、07年3月の、パリ・オペラ座
での「勧進帳」公演の成功という経緯を踏まえての、弁慶であ
る。意気込みのほどが、容易に察せられる。

もともと、「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、
名舞踊、名ドラマ、と芝居のエキスの全てが揃っている。これ
で、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあきないのは、当然
だろう。従って、「仮名手本忠臣蔵」と並んで、歌舞伎の「独参
湯」(気付け薬、不入り続きの時でも、大入となる)などと言わ
れる由縁だ。

團十郎の弁慶に、菊五郎の冨樫、梅玉の義経。團十郎は、渾身の
弁慶だが、本来の弱点である口跡は、良くなって来たとはいうも
のの、声だけを聞いていると、緊張している所為もあろうが、
「ホーラ」の声優のような、震える「怖い声」で、声が突き抜け
ていないのが、残念。菊五郎の冨樫の声が、高からず、低からず
でありながら、突き抜けて、明瞭に聞こえて来るのと対照的だ。
菊五郎は、声にも、風格がある。前回、07年1月の歌舞伎座
で、幸四郎の弁慶と芝翫の義経に挟まれて、弱かった梅玉が、今
回は、良い。冨樫は、弁慶の男の真情を理解し、指名手配中の義
経を含めて弁慶一行を関所から抜けさせてやることで、己の切腹
を覚悟する。男が男に惚れて、死をも辞さずという思い入れが、
観客に伝わって来なければならない。菊五郎の、抑制気味の演技
には、それが感じられた。大酒飲み、舞上手、剛胆さを利用し
て、義経をかばう、という危機管理を見事に成功させる有能な官
僚の弁慶。そういう弁慶像は、團十郎からきちんと伝わってき
た。落ち着いた弁慶と抑制した冨樫の、大人の対決。梅玉の義経
は、「とにもかくにも、弁慶よろしく計らい候らえ」と、ひたす
ら弁慶に気持ちを向けていたことが良かったようだ。私が、夢見
た「勧進帳」のうち、團十郎組は、とりあえず、満足の舞台で
あった。次は、吉右衛門組を見てみたい。

贅言:團十郎の弁慶は、白紙(実際は、真っ黒)の、つまり、何
も書いていない勧進帳の読み上げの前に、舞台中央奥で、後ろを
向き、後見から、水を貰って呑んでいた。また、義経とのやり取
りの後も、同じように、後ろを向き、後見から、水を貰って呑ん
でいたが、1時間を超える舞台を軸になって、縦横に動き捲る弁
慶役は、喉も乾くのだろうと思う。何度かの数珠の受け渡しな
ど、後見との、もののやりとりは、サーカスの「空中ブランコ」
の演者同士の、身体のやり取りのような緊張感を感じるが、それ
を淡々とこなしていた後見(升寿、升一)の見事さ。附け打の柴
田正利のツケも、メリハリがあり、これも、名演。


「いい景色だねえ」=「いい男だねえ」

「与話情浮名横櫛」、通称「切られ与三」は、8回目の拝見とな
る。これまでの記録を整理すると、以下のようになる。

与三郎:仁左衛門(3)、團十郎(2)、梅玉、橋之助、そして
今回の海老蔵。お富:玉三郎(4)、雀右衛門(2)、扇雀、そ
して今回の菊之助。「團十郎、雀右衛門」のコンビは、歌舞伎座
とNHKホールで観ている。このうち、10年前の、95年9
月、松竹百年記念の年、歌舞伎座では、珍しく、「見染」から
「元の伊豆屋」まで、通しで拝見(「團十郎、雀右衛門」のコン
ビ)。「見染」は、都合6回。「赤間別荘」は、2回。「源氏
店」は、8回。今回は、十一代目海老蔵襲名披露大阪興行で初演
した「海老蔵、菊之助」コンビでの、初めての歌舞伎座公演だ。
「仁左衛門、玉三郎」のコンビでは、連続3回拝見していて、妖
艶な舞台に酔いしれてきたが、今回は、若い海老蔵・菊之助のフ
レッシュなコンビで、昼の部の、もうひとつの目玉演目である。

まず、「見染」の場面は、木更津の海岸となる。土地の親分・赤
間源左衛門の妾・お富(菊之助)主宰の潮干狩りに大勢の人たち
が繰り出している。大部屋の役者衆が、それぞれの居所にいて、
江戸風俗の雰囲気を出している。「与話情浮名横櫛」は、大部屋
役者の使い方が巧いし、傍役の演技が光る演目でもある。潮干狩
りの場は、横に広く、長く続いている。それを歌舞伎の舞台は、
廻り舞台を使わずに、「居処替り」という手法で、大道具を上手
と下手に引っ張って背景を替えてしまう。与三郎(海老蔵)と鳶
頭・金五郎(権十郎)のふたりが、臨時に取り付けた階段で本舞
台から降りて、いわば、江戸の芝居小屋なら「東の歩み」ともい
うべき、客席の間の通路を通り、「中の歩み」から、花道へ上が
るコースで、ふたりが、アドリブで、客席に愛嬌を振りまきなが
ら通る間、ふたりに観客の視線を引きつけておいて、観客が、気
が付く頃には、すでに、本舞台は、背景が替ってしまっている。
「伊賀越道中双六」の「沼津」と同じ趣向だが、こちらは、場面
展開後、再び潮干狩りの人たちで海岸が賑わうから楽しい。

ここでは、与三郎らと行き会う江戸の太鼓持ちで、木更津では、
五行亭相生という噺家を名題昇進披露の三津之助が、味のある演
技をしている。海老蔵は、初な感じを残している。お富も初々し
い。ふたりの「なよなよぶり」が、観客席の笑いを誘う。「いい
景色だねえ」とお富が、言うのは、「梅暦」の辰巳芸者・仇吉が
丹次郎を見初めた際に、「いい男だねえ」と言うの同じである。
景色=男なのである。海老蔵の「羽織落とし」(もともと、上方
和事の演出)も、まずまず。ここでは、ふたりの初(うぶ)さを
強調し、後の「源氏店」での、ふたりの世慣れた、強(したた)
かさと対比しようという演出が成功している。

「源氏店の場」。塀の外で、雨宿りをしている番頭・藤八(橘太
郎)との短いやり取りで、お富(菊之助)は、木更津海岸の場面
から、3年後。すでに、百戦錬磨の、一筋縄では行かない女性に
「成長」しているという印象を与える。美女の湯上がり姿は、も
う、それだけで、エロチックだ。菊之助は、玉三郎のような妖艶
なお富ではないが、これも、一興。

傍役が活躍する「切られ与三」は、おもしろいと書いたが、特
に、「源氏店」の剽軽役・藤八を演じた橘太郎が、良かったし、
その後、出て来る蝙蝠安を演じた市蔵も、味があった。与三郎
(海老蔵)に付き従っていたはずの、安が、強請の、引き際を知
らない与三郎を抑えて、引いてゆく場面は、特に、良かった。安
は、女物の袷の古着を着ているようなしがない破落戸(ごろつ
き)である。与三郎の格好よさを強調するために、無恰好な対比
をする。すでに私が観ている蝙蝠安は、富十郎、勘九郎、左團次
のほか、弥十郎は、3回も観ている。勘九郎時代の勘三郎の蝙蝠
安は、4年前に観ているが、彼の持ち味と蝙蝠安の持ち味が、渾
然一体になっていて、良かったが、今回の市蔵も、味のある蝙蝠
安だった。お富に白粉(おしろい)を塗られる藤八は、「ちゃり
(笑劇)場」を守り立てながら、与三郎と蝙蝠安の出のきっかけ
をつける重要な役どころだ。藤八は、通しで観ると、赤間源左衛
門の子分の、松五郎の兄として、悪役になるのだが、この場面で
は、道化役に徹している。私が観た藤八役者で印象に残るのは、
鶴蔵で、2回観ているが、松之助、橘太郎など、この役どころを
演じる役者の層は、厚いのが、頼もしい。左團次が、貫禄のある
源氏店の主・多左衛門を演じている。

瀬川如皐原作の「与話情浮名横櫛」は、幕末の江戸歌舞伎の世話
物という影が濃く、人間像もいろいろ屈折しているのだ。そし
て、家のなかに入ってからの強請の名場面。科白回しの声が突き
抜けずに、籠りがちになる父親の團十郎に比べて、生来口跡の良
く、突き抜けて聞こえる海老蔵だが、与三郎の科白「エエ、御新
造さんえ、おかみさんへ、お富さんえ、イヤサ、コレお富、久し
ぶりだなア」以下、特に、「しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切
れたのを、どう取り留めてか木更津から、・・」の独白を、海老
蔵は、かなり早間な科白廻しで言っていたが、もう少し、ゆるり
としていた方が良かったのでは無いか。海老蔵の科白は、以前か
らも、そうだったが、ときどき、歌舞伎の枠からはみ出して、現
代劇調になる時があるが、今回もそうだった。これは、注意して
直す必要がある。対決では、お富も、負けていない。海老蔵の科
白を躱すように、斜に身体をずらし、左肩を下げる菊之助の強か
さ。菊之助は、菊之助襲名以来、12年間に大きく成長した。歌
舞伎の様式美を知った上で、演技を磨いているのが、判る。最近
は、進境著しく、12年間という貫禄も滲み出ている。

贅言:お富宅を辞去した与三郎と蝙蝠安が、花道でやり取りして
いる間、本舞台の座敷にいるお富と多左衛門は、なにもしないと
いう歌舞伎の演劇空間のおもしろさ。お富は、舞台中央で、後ろ
向きになり、身じろぎしない。歌舞伎の約束事では、「消えてい
る」のである。多左衛門は、舞台上手よりで、前向きだが、やは
り、動かない。花道の与三郎と蝙蝠安の芝居が終り、拍手のうち
に、ふたりが引き上げるのを待って、お富の菊之助が、振り向
き、突然芝居を始める。それを切っ掛けに、氷解したような左團
次が、多左衛門を演じはじめる。芝居再開の妙。歌舞伎のおもし
ろさは、こういうところにもある。

「花の東や 心もよし原 助六流」

「女伊達」は、4回目の拝見。菊五郎(2)、芝翫(今回含め、
2回)。1958(昭和33)年にこの演目を初演したのが、福
助時代の芝翫。下駄を履いての所作と裸足になっての立ち回りが
入り交じったような江戸前の魅力たっぷりな舞踊劇。江戸を象徴
する女伊達の木崎のお駒に喧嘩を売り、対抗するふたりの男伊達
(翫雀、門之助)は、上方を象徴する(もともと、「女伊達」
は、上方が舞台、それを芝翫が江戸に移した。ふたりの名前は、
「淀川の千蔵」と「中之嶋鳴平」によすがが残る)。腰の背に尺
八を差し込んだ女伊達は、「女助六」であるという。だから、長
唄も、「助六」の原曲だという。「だんべ」言葉は、荒事独特の
言葉である。「花の東や 心もよし原 助六流」など、助六を女
形で見せる趣向。「丹前振り」という所作も、荒事の所作。大き
く「なりこまや」と書いた傘を持った若い者8人との立ち回り。
幕切れは、芝翫が、「二段(女形用)」に乗る。傘を廻して、華
やかさを添える若い者たち。「女伊達らに」を文字どおり、主張
した「女伊達」であり、東の成駒屋の大御所・芝翫の風格の舞台
であった。後見の、芝のぶが、爽やかに師匠を支える。
- 2007年5月14日(月) 11:48:49
2007年4月・歌舞伎座 (夜/「実盛物語」「口上」「角力
場」「魚屋宗五郎」)

夜の部も、印象に残った科白を軸に、劇評を展開してみよう。特
に、7回目の拝見となる「実盛物語」は、そういう趣向でも考え
ないと、劇評もつまらないだろう。そこで、「実盛物語」では、
次の科白を選んでみた。

○「腹に腕があるからは、胸に思案がなくちゃ叶わぬ」

並木宗輔ほかによる合作「源平布引滝」の三段目に当る「実盛物
語」は、7回目の拝見。斎藤実盛役で言えば、吉右衛門、富十
郎、勘九郎時代の勘三郎、菊五郎、新之助、そして、仁左衛門
は、前回と今回の2回続けて観ている。

2000年の2月には、国立劇場で、「源平布引滝」の通しを人
形浄瑠璃でも、拝見している。この演目は、時空を自在に交差さ
せるものだけに、人形浄瑠璃の方が、深みがある。役者が誰とい
うより、人形の超時空性の方が、相応しい演目だから、人間よ
り、人形の方が、素直に演じられるのだろうと思うが、まあ、そ
れはさておき、今回は、太郎吉に仁左衛門の孫の千之助(大きな
声で、はきはきと科白を言っていて、偉かったね!)が出演した
ことで、「孫の二重奏」効果があり、おもしろく拝見した。「孫
の二重奏」とは、

1)仁左衛門と千之助(つまり、孝太郎の息子)という、爺と孫
の関係
2)劇中でも、千之助は、瀬尾十郎(弥十郎)の孫の太郎吉とい
う関係

という意味である。

そもそも、この狂言は、「SF漫画風の喜劇」である。主人公
は、実盛ではなく、太郎吉(後の、手塚太郎)であり、実盛は、
まさに、「物語」とあるように、ものを語る人、つまり、ナレー
ター兼歴史の証人という役回りである。ここでは、「平家物語」
の逸話にある「実盛が白髪を染めて出陣した」ことの解明を時空
を超えて、試みている。母の小万が実盛に右腕を切り取られて、
亡くなったと知った太郎吉は、幼いながらも、母親の仇を取ろう
と実盛に詰め寄る。実盛は、将来の戦場で、手塚太郎に討たれよ
うと約束する。そういう眼で見ると、歴史の将来を予言する「実
盛物語」は、まさに、SF漫画風の喜劇ということになる。太郎
吉(千之助)にとって、母の小万(秀太郎)が亡くなっていると
いうのは、悲劇だけれど、一旦、亡くなった筈の母が、太郎吉
が、「俺が採った」という白旗を握りしめた右腕を母の遺骸に繋
げると、一時とは言え、母が蘇生する喜びの方に、ここは、重点
が置かれている。太郎吉は、過去に遡るかのように、殺された母
を生かし、未来を先取りするかのように、母の敵討を予約する、
いわば、超能力を持った少年である。こういう発想は、まさに、
SF漫画的では、ないか。

斎藤実盛(仁左衛門)を軸にした視点で観ると、役者が仁左衛門
だけに、捌き役として、颯爽としている実盛しか、見えて来ない
が、太郎吉(千之助)を軸にした視点で観ると、並木宗輔らが、
隠し味に使っている「笑劇」的要素が、見えてくるから不思議
だ。前にも書いたが、例えば、白旗(源氏の白旗)を握っている
小万(秀太郎)右手は、太郎吉のみによって、白旗を放すための
指が緩められる。探索に来た平家方の瀬尾十郎(弥十郎)の詮議
に対して、木曽義賢の妻・葵御前(魁春)が、産んだのが、その
右手だというのも、漫画的発想である。それを実盛は、真面目な
顔をして「今より此所を・・・手孕(てはらみ)村と名づくべ
し」などと言っている。また、これを受けて、瀬尾も、「腹に腕
があるからは、胸に思案がなくちゃ叶わぬ」などと返している。
まさに、漫画的な科白のやり取りだ。

小万が、実は、百姓・九郎助(亀蔵)、小よし(家橘)夫婦の娘
ではなく、瀬尾の娘であり、太郎吉は、瀬尾にとって、孫に当た
るという「真相」も、運命的で、漫画的である。憎まれ役や滑稽
な役が多い亀蔵が、今回のような善意の老け役を演じるというの
も、珍しい。亀蔵の老け役も、なかなか味がある。

仁左衛門の実盛は、颯爽としていて、華があって、見栄えがし
た。科白の緩急、表情の豊かさ、竹本の糸に乗る動きなど堪能し
た。初役の瀬尾十郎を演じた弥十郎は、最近渋い傍役を好演して
いる。「黙れ、おいぼれ」と九郎助を叱るなど憎まれ役である
が、最後に、孫思いの善人に戻る(いわゆる、「モドリ」)な
ど、奥行きのある役だけに、奥深さが滲み出て来ないと、ここの
瀬尾は不十分となる。魁春が演じた葵御前は、3回姿を変えるの
で、それぞれの違いの出し方が難しいし、秀太郎が演じた小万
は、この場面では、ほとんど遺骸の役で、動かないが、一時の甦
り(黄泉帰り)で、一瞬の芝居に存在感を掛けなければならない
から、これも難役だ。

庄屋太郎右衛門を演じるはずだった中村四郎五郎は、病気休演
で、代役が出ていたが、四郎五郎は、その後、22日に逝去(く
も膜下出血)。76歳だった。11日まで歌舞伎座、夜の部に出
演していた。「実盛物語」と「魚屋宗五郎」の憎まれ役・岩上典
蔵だったが、私が観に行ったときは、すでに代役になっていたの
で、四郎五郎の最後の舞台は、観れなかった。独特のとぼけた味
のある表情の役者で、歌舞伎を見始めた、割と早い段階で、その
他大勢の役者のなかでも、四郎五郎は、目につき、私も、名前を
覚えた。特に、先に亡くなった源左衛門の助五郎時代には、コン
ビで良く出演していたので、印象に残っている。「野崎村」で
は、仮花道をいっぱいに使って、助五郎とコンビの駕篭かきを
じっくりと演じ、日本一の駕篭かき役者といわれたものだ。助五
郎と四郎五郎の居ない歌舞伎の舞台。それは、確かに、ひとつの
時代の終焉であった。

○「錦兄(きんにい)」

信二郎が、二代目錦之助を襲名する。その襲名披露の「口上」。
初代錦之助も、生きていれば、74歳。芝翫、富十郎より、幾分
下の同世代。二代目は、2歳のときに、父の四代目時蔵に死な
れ、猿之助を師匠にして来たが、ここ10年は、富十郎に師事し
て来たという。信次郎という本名の一字を変えて芸名にして来た
が、継ぐべき代々の名前が無かったという。それを47歳にし
て、錦之助の名前を継ぐという。「口上」の舞台には、いつにな
く、大勢の役者が、ずらりと並んだのでは無いか。数えてみた
ら、23人。普通の「口上」では、幹部役者のみのお目見えだ
が、今回は、歌舞伎役者としてよりも、時代劇の映画スター中村
錦之助(後の萬屋錦之介)の存在感を引き継ぎ、信二郎という花
のある歌舞伎役者が、二代目錦之助を名乗ることで、歌舞伎役者
としての錦之助という名前に、新たな息を吹き込もうと興行側の
狙いがあるだけに、口上の若やぎと多人数という、いつにない趣
向になったものと思われる。

門之助、勘太郎、七之助、獅童でも、珍しいのに、種太郎、隼人
までもが、「口上」出演というのは、萬屋一門総揚げという感じ
がするが、それなら、時蔵の子息たち、梅枝、萬太郎、歌昇の子
息で、種太郎の弟の種之助、歌六の子息たち、米吉、龍之助も、
出してあげたかった。三代目歌六の子息たち(初代吉右衛門、三
代目時蔵、十七代目勘三郎)の華やぎと三代目時蔵の子息たち
(四代目歌六、四代目時蔵、初代獅童、初代錦之助、嘉葎雄)の
儚さ(40代、30代という若き死と廃業、転業)という、浮沈
の萬屋一門にも、若やぎの高波が、期待できそうな「口上」の光
景であったように思う。

「口上」では、ここ10年、時代物のブラシュアップをする信二
郎の師匠である富十郎が、仕切る。「株式会社松竹、皆様、いず
れも様、亡くなった先代の永山松竹会長のお薦めにより・・・」
と、富十郎の弁。雀右衛門は、お祝とご支援よろしくと型通りの
挨拶。仁左衛門は、「幡随長兵衛」での初代錦之助(当時は、す
でに萬屋錦之介)との共演の想い出話。秀太郎に続いて挨拶した
福助は、二代目錦之助とのヨーロッパ公演でのホテル同室などの
同世代(新錦之助の方が、1歳年長)としてのエピソード紹介。
門之助も、新錦之助の同年強調。弥十郎は、巡業のエピソード
で、20年近く、同じ釜の飯を食べたと紹介。東蔵、魁春、我當
は、祝の言葉。梅玉は、少年のころの信二郎のわんぱく振りを強
調。上手最右翼の芝翫は、支援をよろしく。

この後、下手最左翼の吉右衛門は、「にいちゃん」こと初代の想
い出と二代目の位置付け解説。歌六は、初代の想い出と35年ぶ
りの錦之助復活という、萬屋一門の喜び。歌昇は、よろしく。獅
童は、一門の喜び。種太郎も、喜び。隼人は、新錦之助の息子と
して、お礼。七之助、勘太郎は、親戚としての祝辞。勘三郎は、
「錦兄(きんにい)」こと初代は、花も実もある役者だったと紹
介。時蔵は、父を早く亡くし、初代は、親代わりだった。その大
事な初代の名前を弟が襲名して、感無量と、二代目の兄として、
締めの挨拶。最後に、再び、富十郎の音頭で、いずれも様に挨
拶。桐蝶の家紋の入った祝幕が、閉まって、チョーン。

○「せっかく襲名したのだから、威張ってまいれ」

「双蝶々曲輪日記」のうち、「角力場」は、3回目の拝見。この
芝居は、江戸時代の上方(大坂・高麗橋のたもと)の角力の小屋
掛け風情が楽しめる趣向が、いつ観ても愉しい。舞台上手には、
角力の小屋掛けがある。小屋の後ろには、川が流れている。高麗
橋だから、堂島川か。小屋には、力士への贔屓筋からの幟(濡髪
長五郎には、「山崎」贔屓、放駒長吉には、「堀江」贔屓とあ
る)が、はためいている。これは、後の展開から、「山崎」は、
濡髪支援の「山崎屋与五郎」の山崎「屋」であり、「堀江」は、
放駒支援の角力小屋のある地元の堀江「町」の意味だと知ること
ができる。このほか、取り組みを示す12組のビラ(最後が、濡
髪対放駒と判る)の張り出しも風情がある。佐渡嶽、雷電、柏
戸、不知火、荒岩など馴染みのある四股名も、混じっている。木
戸口の大入りのビラがある。舞台下手には「出茶屋」があり、小
屋のそばにお定まりの剣菱の菰被りが3つ積んである(歌舞伎に
出て来る酒は、「剣菱」か、「大関」が多い。角力の場面だか
ら、「大関」かと思ったら、「剣菱」であった)。

大坂・新町の遊女吾妻(福助)と恋仲の山崎屋与五郎(錦之助)
は、上方歌舞伎の典型的な「つっころばし」という人物造型。世
間知らず、苦労知らずの、二代目。年若い優男で、どこか、とぼ
けたような、やわらかさが必要。新錦之助の意欲を示す舞台だろ
う。

見物客が入ってしまうと、木戸番の若い者が「客留(満員の意
味)」のビラを張る。慌てて、与五郎も小屋に入る。若い者は、
木戸を閉める。芝居では、角力小屋の中は見せないが、入り口か
ら見える範囲は、「黒山」の人だかりの雰囲気(昔は小屋を観音
開きにして、内部の取り組みの場面を見せる演出もあったとい
う)。いまは、声や音だけで処理。この方が、小屋の外、劇場の
なかにいる私たち、観客の胸を高鳴らせる。結びの一番(濡髪対
放駒)は、「本日の打止め」との口上。軍配が返った雰囲気が伝
わって来たと思ったら、「あっさり」(これが、伏線)、放駒の
勝ち名乗り。取り組みが終わり、打止めで、仕出しの見物客が木
戸からゾロゾロ出てくる。筋書の出演者を見ると総勢25人だ
が、やけに多く見える。同じ役者が、二廻りしているのではない
かと思う。

暫くして、木戸から放駒長吉(錦之助)の出がある。錦之助は、
山崎屋与五郎との早替りふた役である。二人の登場人物の持ち味
の違いをどう出すか。次に木戸から出てくる濡髪長五郎(富十
郎)を、より大きく見せるために、放駒は、草履を履いている。
これに対して、濡髪は、歯の高い駒下駄を履いている。少しで
も、放駒より大きく見せようという工夫である。木戸のなかから
扇子を持った濡髪の手が見えるが、上半身はあまり見えないよう
にする。また、地元推薦の放駒は、米屋の息子から力士になった
素人相撲取りで、歩き方もちょこちょここ歩き、話し方も、町言
葉。純粋の相撲取りの濡髪との対比は、鮮明。

「せっかく(放駒を)襲名したのだから、威張ってまいれ」と放
駒贔屓の侍、平岡郷左衛門(弥十郎)や三原有右衛門(獅童)に
発破をかけられる場面では、二代目錦之助襲名への応援歌が、滲
んで来る。

代々の役者が、工夫して来た放駒と濡髪の人物像の対比の妙を富
十郎も新錦之助も、踏襲している。但し、今回、富十郎は、濡髪
の衣装を工夫した。いつもの黒っぽい衣装では無く、明るい鼠色
で、濡髪の若さを強調したという。

濡髪と放駒のやりとりでは、角力小屋のなかで展開された「はず
の」取り組みが再現される場面、勝負にわざと負けたが、それ
は、後から頼みごとをするための濡髪の方便。本当は、濡髪の方
が、力も強い。八百長相撲を仕掛けた濡髪の狡さに怒る放駒。こ
こは、師弟として、10年間の付き合いを続けている、富十郎と
新錦之助の師弟の舞台。難しいが、濡髪は敵役の印象を残さない
で、力士としての豪快さを出す工夫を役者がどこまでできるかが
ポイントだろう。富十郎は、安定した濡髪像を構築した。新錦之
助の方も、まあ、師匠の指導よろしきを得て、無難にこなし、歌
舞伎味、それも、上方味豊富な舞台であった。このほかの役者で
は、出茶屋亭主の東蔵が、脇で、味を出していた。こういう人が
いると、舞台に奥行きが出る。

○「もうこうなったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」

「魚宗」は、勘三郎の独り舞台であった。小気味良いほど、観客
を酔わせる、勘三郎の芝居。

「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)−魚屋宗五
郎−」は、6回目。この芝居、黙阿弥の原作は、怪談の「皿屋
敷」をベースに酒乱の殿の、御乱心と、殿に斬り殺された腰元の
兄の酒乱という、いわば「酒乱の二重性」が、モチーフだった五
代目菊五郎に頼まれて、黙阿弥は、そういう芝居を書いた(だか
ら、外題も、「新皿屋舗」が、折り込まれている)のだが、現
在、上演されるのは、殿様の酒乱の場面が描かれないため、妹を
殺され、殿様の屋敷に殴り込みを掛けた酒乱の宗五郎だけの物語
となっている。

また、妹・お蔦と兄・宗五郎のふた役を五代目菊五郎は、演じ
た。殿様を狂わせるほどの美女と酒乱の魚屋のふた役の早替り、
それが、五代目の趣向でもあった。そういう、作者や初演者の趣
向、工夫魂胆を殺ぎ落とせば、殺ぎ落とすほど、芝居は、つまら
なくなりはしないか。演目数が、少なくなっても良いから、原
作、あるいは、初演者のおもしろい趣向を大事にするような興行
をして欲しいと、いつも思う。現在の上演の形だと、芝居の結末
が、いつ観ても、つまらないのだ。酒乱の宗五郎は、泥酔からさ
めると、お殿さまにぺこぺこし過ぎる。それが、私は、嫌いだ。
「芝片門前魚屋内の場」から「磯部屋敷」の場面のうち、前半の
「玄関先の場」までの、酔いっぷりと殴りこみのおもしろさと後
半の「庭先の場」、酔いが醒めた後の、殿様の陳謝と慰労金で、
めでたしめでたしという紋切り型の結末は、なんともドラマとし
ては、弱い。素面に戻った宗五郎が、醜態を悔い、また、殿様
が、それを許すという、腰の砕けたような、納得しにくい、あま
り良い幕切れではない芝居に変質してしまっているのが、残念だ
と、観る度に思う。まさに、私の「魚宗の憂鬱」は、芝居のよう
には、晴れない。妹を理不尽に殺された兄の悔しさは、時空を越
えて、現代にも共感を呼ぶ筈だ。なんとか、原作を活かした形
で、再演できないものか。

勘三郎の宗五郎は、勘九郎時代にも観ているので、2回目。ほか
は、團十郎、菊五郎、三津五郎、幸四郎で観ている。それぞれ、
持ち味の違う宗五郎を観たわけだ。己の酒乱を承知していて、酒
を断ちっていた宗五郎が、妹のお蔦の惨殺を知り、悔やみに来た
妹の同輩の腰元・おなぎ(七之助)が、持参した酒桶を女房のお
はま(時蔵)ら家族の制止を無視して全て飲み干し、すっかりで
き上がって、酒乱となった勢いで殿様の屋敷へ一人殴り込みを掛
けに行くまでの序幕「魚屋内の場」で、勘三郎は、「酒乱の進
行」をたっぷり見せてくれる。

宗五郎は、次第次第に深まって行く酔いを見せなければならな
い。妹の遺体と対面し、寺から戻って来た宗五郎にお茶を出す。
お茶の茶碗が、次の展開の伏線となるので、要注意。まず、この
茶碗で、酒を呑む。禁酒している宗五郎は、供養になるからと勧
められても、最初は、酒を呑まない。やがて、1杯だけと断っ
て、茶碗酒をはじめる。それが、2杯になり、3杯になる。反対
されるようになる。酒を注ぐ、「片口」という大きな器になる。
家族らから制止されるようになる。それでも、呑み続ける。「も
うこうなったらありったけ、呑まにゃあ虫が承知しねえ」と宗五
郎も、覚悟をきめる。やがて、皆の眼を盗んで、酒桶そのものか
ら直接呑むようになる。そして、全てを呑み尽してしまう。

五代目菊五郎が練り上げ、六代目菊五郎が、完成したという酔い
の深まりの演技は、緻密だ。まさに、生世話物の真髄を示す場面
だ。勘三郎も、菊五郎も、團十郎も、こういう役は巧い。三津五
郎も負けていない。この場面は、酒飲みの動作が、早間の三味線
と連動しなければならない。私が観たうちでは、幸四郎だけは、
糸に乗るのが、巧くなかったが、踊りの巧い菊五郎、勘三郎、三
津五郎は、糸に乗っていた。酔いの演技では、團十郎は、また、
3人とは違う巧さがある。

この場面で、宗五郎の酔いを際立たせるのは、宗五郎役者の演技
だけでは駄目だ。脇役を含め演技と音楽が連携しているのが求め
られる。ここでは、時蔵の演じる女房・おはまは、断然良い。生
活の匂いを感じさせる地味な化粧。時蔵は、色気のある女形も良
いが、生活臭のある女房のおかしみも良い。勘太郎の演じる小
奴・三吉が、未だ、固い。この役では、04年5月、歌舞伎座で
観たときの松緑の三吉が、印象に残っている。剽軽な小奴の味
が、松緑にはあった。おなぎの七之助は、女形にしては、線が固
かった。この場面は、出演者のチームプレーが、巧く行けば、宗
五郎の酔いの哀しみと深まりを観客にくっきりと見せられる筈
だ。

もうひとつ、印象に残った勘三郎の科白は、「磯部屋敷玄関先の
場」で出て来た。

「わっちの言うのが無理か無理でねえか、ここは、いちばん、聞
いちくりぇ。(略)好きな酒をたらふく呑み何だか心面白くっ
て、ははははは、親父も笑やあこいつも笑い、わっちも笑って暮
らしやした、ははははは、ははははは」

勘三郎の科白廻しには、家族思いの庶民の哀感がにじみ出る。勘
三郎の独り舞台に魅了された感がある。

このほかの役者では、序幕では、霊前に悔やみに来た茶屋女房お
みつの歌女之丞とその娘のおしげを演じた芝のぶ、酒屋丁稚の与
吉の、天才子役鶴松も良かった。二幕目では、初役ながら、我當
の家老・浦戸十左衛門が、重厚で、光る。勘三郎の、もうひとつ
印象に残った科白を受け止めていたのが、我當の家老(衣装は、
「河内山」の家老と全く同じだという。歌舞伎の類型性)だっ
た。名キャッチャーだった。新錦之助の殿様・磯部主計之助は、
襲名のお祝。
- 2007年4月24日(火) 22:27:34
2007年4月・歌舞伎座 (昼/「當年祝春駒」、「頼朝の
死」、「男女道成寺」、「菊畑」)

今月の劇評も、演目ごとに、私の印象に残った科白を軸に展開し
て行こうと思う。

○「當年祝春駒」では、「まず、それまでは・・・」

「當年祝春駒(あたるとしいわうはるこま)」は、2回目の拝
見。初回は、99年1月の歌舞伎座。江戸の正月、吉例の「曽我
もの」だが、「曽我もの」の代表「対面」(曽我兄弟が、親の
仇、工藤祐経に、やっと逢う場面。つまり、暗殺者・ヒットマン
が、暗殺の対象となる人物に接近する場面)へのイントロダク
ションもの。歌舞伎では、「対面」というアクション場面の前
に、「接近」の苦労を「所作事」で、緊張感を抑えたまま、明る
く演じる場面を挿入した。ヒットマンは、ヒットマンらしから
ぬ、華やかさで、身をやつして、敵陣に、まんまと乗り込む。
「當年祝春駒」は、1791(寛政3)年、中村座で初演され
た。本名題は、「対面花春駒(たいめんはなのはるこま)」。
「春駒売」に身をやつした曽我兄弟が、工藤の館に入り込む。
「春駒売」とは、正月に馬の頭を象った玩具のようなものを持
ち、「めでたや めでたや 春の初めの 春駒なんぞ」などと祝
の言葉を様々に囃しながら、門付けをして歩く芸人のこと。

舞台では、幕が開くと、舞台奥の雛壇に並んだ長唄連中の「置
唄」。舞台中央には、大せりの大きな穴が空いている。富士の姿
を中央に描いた書割は、さらに、松と紅梅が描かれている。やが
て、歌六の工藤祐経が、脇に、七之助の舞鶴と種太郎(歌昇の息
子)の珍斎とともに、大せりに載って、せり上がって来る。若い
二人を従えて、歌六は、風格がある。初々しい舞鶴。可愛らしい
珍斎。花道が騒がしくなる。曽我兄弟の登場。獅童の五郎、勘太
郎の十郎。最初の内は、春駒の踊りを踊りながら様子を伺う兄弟
だが、途中で、黒衣の持ち出して来た赤い消し幕の陰で、衣装の
双肩を脱ぎ、赤い下着を見せて、仇への感情を表わし、五郎が、
工藤に接近する、まさに、「対面」を予兆させる場面となる。す
でに兄弟の正体を見破っている工藤は、兄弟に富士の狩り場の通
行切手(つまり、入場券)を投げ渡し、そのときに、親の仇とし
て討たれよう。後日の対面。「まず、それまでは・・・」、仇討
はお預け、という、つまり、結論先送り、あるいは、「次回、乞
う、ご期待」という、歌舞伎独特、あるいは、興行独特の、幕切
れの科白となる。それぞれ、引っ張りの見得で、幕。また、木戸
銭払って、観に来てくださいということ。

○「頼朝の死」では、「ええ、言わぬか重保、ええ、言わぬか広
元」

「頼朝の死」は、3回目の拝見。これまで観た頼家:八十助時代
の三津五郎、梅玉(今回含め、2)、重保:染五郎、歌昇(今回
含め、2)、小周防:福助(3)、尼御台政子:宗十郎、富十
郎、芝翫)、大江広元(秀調、吉右衛門、歌六)、中野五郎(家
橘、芦燕、東蔵)。

新歌舞伎の戯曲としての「頼朝の死」は、真山青果作。科白劇
で、一種のミステリー作品で、真相解明の展開ゆえ、点線の上
に、実線で、くっきりと描かれるタッチが、おもしろい(ときど
き、実線の科白が、煩く感じられる。また、音響効果が、くどい
場面もある)。頼朝夫人・尼御台政子の侍女・小周防の寝所へ入
り込もうとした曲者として、頼朝が殺されたことが全ての始ま
り。将軍の死のスキャンダル隠しが、テーマ。真相を知っている
のは、宿直の番をしているときに曲者を斬った畠山重保。小周防
は重保を密かに愛しているが、薄々感づいている重保はそれを拒
否している上、斬り捨てた曲者が頼朝と知り、死にたいほど苦し
んでいる。真相を知っているのは、重保に加えて、政権の実力者
として、頼朝の死のスキャンダルを隠している頼朝夫人・尼御台
政子と頼朝の家臣・大江広元を含めて3人だけ。3人には、秘密
を共有しているという心理があるが、図らずも「主(科白では、
「しゅ」ではリズムが出ない所為で、「しゅう」と言い回してい
た)殺し」となって、苦しんでいるのは、重保のみ。

頼朝の嫡男・頼家は、真相を知らされず、彼も狂おしいほど悩
み、真相究明を続けているが、真相に近い疑惑までは辿り着いた
が、そこから最後の詰めができないでいる。そうして、月日は流
れ、舞台は事件から2年後。頼朝の三回忌の法要が行われている
祥月命日の日。

第一場「法華堂の門前」。上手、法華堂門前に「故頼朝公大三年
回忌供養」という立て札がある。頼家、尼御台政子以外の主な登
場人物が勢揃いをし、小周防のひたむきの乙女心という恋を描
く。それはまた、「重保の恋」のようにも見受けられる。重保の
悩みは描かれるが、三回忌という客観的な時間の流れのなかで、
頼朝の「死」=タナトスは、すでに捨象され、ふたりの「恋」=
生へのエロスが、色濃く私の目には映る。それゆえに、重保は小
周防に真相を漏らしてしまう。タナトスがエロスに負けた瞬間だ
(これは、後の場面では、タナトスがエロスに勝ち、聞かされた
秘密を頼家に打ち明けそうな風情を見せた小周防は、重保に殺さ
れてしまう)。歌昇と福助が前回に引き続いて、今回も熱演。小
周防の腰元役の音羽に芝のぶ。しっかりものの秘書というイメー
ジで、好演。

第二場「将軍家御館」。ひとり悩ましい時間を過ごしている将軍
頼家。重保ら3人の秘密共有者と小周防も呼び、真相究明に走る
が、正しい推理は、正しいが故に空回りする。政子と広元は、政
権の維持という政治学に裏打ちされた強固な意志を持ち、揺るぎ
が無い。スキャンダル隠しを仕掛けた人たち(政子、広元)、踊
らされた人たち(重保、小周防)、踊る人(頼家)。それぞれの
スタンスで、揺らいだり、揺らがなかったり、真山劇のおもしろ
さ。「ええ、言わぬか重保、ええ、言わぬか広元」というのは、
真相究明にいらだつ頼家の科白。この場面、エロスとタナトス
は、ベクトルが逆に作動し、頼家は真相にたどり着けない。だか
ら、いらだつ。梅玉は、そういう、正しく、しかし、正しいが故
に空回りする、一直線な男・頼家を熱演する(前回、01年4月
の歌舞伎座でも頼家を演じた梅玉は、このとき、3月31日に逝
去した養父歌右衛門の死を悼む気持ちを科白に滲ませていた。私
にも、歌右衛門の死を痛む気持ちが醸成されたことを覚えてい
る)。「酒を持て、酒だ!」。一直線ゆえ、いらだつと酒に走る
頼家の前には、「事も愚かや。家は末代、人は一世じゃ」と最後
に言い切る政子の壁がますます大きく立ちはだかる。

舞台中央に残された丸い井草の敷物。頼家が座っていた敷物が、
姿の見えない筈の、故頼朝の姿を思い浮かばせる。頼朝アブセン
ト。中央奥の、空席の敷物を軸に、上手奥の政子、上手手前の広
元、中央手前の頼家、手前下手側に重保、小周防という居所は、
この芝居の人間関係と互いの位置をくっきりと示している。

苦悩とともに真相を知っている重保を演じる歌昇は、人物造型の
奥深さを表現する。将軍からの利益誘導で、真相を告げそうにな
る小周防は、口封じのために、恋人に斬り殺される。それゆえ
に、この芝居は、私には一層、「重保の恋」として、印象づけら
れる。それほど、歌昇の演技には、味があった。芝翫の政子は、
実質的な権力者という風圧が、表現されていないので、存在感が
薄い。芝居をしていないときの表情が良く無い。演じていない
が、舞台に出ているときの有り様が、いかに大事か。それゆえ、
歌六の広元とともに、印象が薄かった。

「男女道成寺」は、3回目の拝見。幕が開くと、太めの紅白の横
縞の幕を背景に、舞台中央に大きな鐘が宙づりになっている。や
がて、背景は、紀州道成寺の遠景で、「花のほかには松ばかり」
という満開の桜の景色となる。初回は、94年5月、歌舞伎座
で、丑之助時代の菊之助と菊五郎の親子で観ている。次いで、
04年9月、歌舞伎座。福助、橋之助の兄弟。今回は、勘三郎、
仁左衛門。初めて、親子、兄弟では無いコンビで観ることにな
る。

この演目は、「二人道成寺」のように、花子、桜子のふたりの白
拍子として登場するが、途中で、桜子の方が、実は、といって、
狂言師・左近として正体を顕わすところにミソがある。今回は、
勘三郎の花子と仁左衛門の桜子、実は、左近という配役。「二人
道成寺」もどきの、イントロダクションでは、仁左衛門の所作
が、幾分心もとない。完熟の旨味を滲ませながら、ゆるりと踊っ
ている勘三郎の比べると、仁左衛門は、所作が、不安定。ときに
早過ぎたり、ときに遅過ぎたり。ところが、正体露見で、まず、
所化に囲まれて、頭のみ、野郎頭とし、つまり、桜子の鬘を取
り、左近の地頭という形(なり)となった後、コミカルに対応。
衣装を変えて、すっきりと再登場してからは、いつもの仁左衛門
で、安定した所作振りで、メリハリが戻った。女形と立役の藝の
違いが、良く判る。藝達者な二人の、華のある、熟成の舞台。い
つものように、引き抜き含めて、何度も衣装を変える。華も実も
ある実力者の舞台。「中村屋」「松嶋屋」の屋号に加えて、何度
か、「ご両人」という掛け声が、大向こうからかかるのも当然
だ。昼の部、最大の呼び物。私の隣の席は、「男女道成寺」の
み、座りに来て、ほかの演目のときは、空席だった。勘三郎の
ファンと見受けたが、無駄遣いする人だ。

今回の所化の数は、17人。花道から登場する「聞いたか坊主」
では、獅童がリーダーシップを取る。勘太郎、七之助、猿弥、宗
之助、種太郎など17人で登場する。

贅言:後見は、裃後見で、鬘を付け、肩衣姿だが、松嶋屋、中村
屋の衣装で、あでやか。後見たちの、きびきびしたサポートも、
引き抜きを始め、二人の所作の節目節目のテンポを確保し、流れ
をスムーズにし、舞台に華を添える。松嶋屋は、松之助、松三
郎、中村屋は、仲二朗、いてう。


○「菊畑」では、「目の前の掃除はていねいなれども、・・・」

「菊畑」は、文耕堂らが合作した全五段の時代浄瑠璃「鬼一法眼
三略巻」の三段目。私は、6回目の拝見。歌舞伎の典型的な役ど
ころが揃うので、良く上演される。智恵内、実は、鬼三太:富十
郎、團十郎、(2000年9月歌舞伎座の橋之助を観ていな
い)、仁左衛門、幸四郎、そして、吉右衛門(今回含め、2)。
虎蔵、実は、牛若丸:勘九郎時代の勘三郎、芝翫(2)、(梅玉
は、観ていない)、菊五郎、染五郎、そして、今回の信二郎、改
め、錦之助。鬼一法眼:権十郎、富十郎の代役の左團次を含め左
團次(2)、そして、羽左衛門の代役の富十郎を含め富十郎(今
回含め、3)。鬼一法眼がいちばん似合いそうな羽左衛門の舞台
を見逃してしまったのが、残念。皆鶴姫は、雀右衛門、菊之助、
福助、芝雀、そして、時蔵(今回含め、2)。憎まれ役の湛海:
正之助時代の権十郎(2)、彦三郎、段四郎、歌六そして、今回
の歌昇。

歌舞伎座の定式幕では無く、錦之助襲名の祝幕が下がっってい
る。幕が開くと、浅葱幕。置き浄瑠璃で、幕の振り落とし。「播
磨屋」の掛け声。舞台中央、吉右衛門の智恵内、実は、鬼三太
が、床几に腰掛けている。黒衣が、花の大道具を押し出して来
る。華やかな菊畑の出現というのが、定式。体制派の奴たちが、
智恵内を虐めるが、智恵内も、負けていない。花道は、中庭の想
定、七三に木戸があり、ここから本舞台は、奥庭で、通称、「菊
畑」。鬼一とともに、奥庭に入って来る8人の腰元。「頼朝の
死」で、腰元・音羽で好演だった芝のぶも、一員。「菊畑」は、
源平の時代に敵味方に別れた兄弟の悲劇の物語という通俗さが、
歌舞伎の命。鬼一息女の皆鶴姫(時蔵)の供をしていた虎蔵、実
は、牛若丸(錦之助)が、姫より先に帰って来る。それを鬼一
(富十郎)が責める。鬼一は、知恵内に虎蔵を杖で打たせようと
する(前回、「裏返し勧進帳」として、分析したので、今回は、
省略)。知恵内、実は、鬼三太は、鬼一の末弟である。兄の鬼一
は、平家方。弟の鬼三太は、源氏方という構図。それぞれの真意
をさぐり合う兄弟。さらに、鬼三太と牛若丸の主従は、鬼一が隠
し持つ三略巻(虎の巻)を奪い取ろうと相談する。

印象に残った科白は、「目の前の掃除はていねいなれど
も、・・・」という、鬼一のもの。智恵内とのやり取りを含め
て、長いが引用しよう。

鬼一 「ヤイ、智恵内、見渡すところ花壇には、ちり一本もおか
ず、目の前の掃除はていねいなれども、松楓ぬるでなどのあたり
は落葉もはかず捨て置きしは、心あってか但し又、目通りでない
と思うての無精か、物事に陰日向があってはうしろぐらし、以後
はたしなみ奉公せよ」
智恵内「これは殿の御意とも存ぜず。私めは熊野の奥山家(おく
やまが)にて無骨には育ち候えども、御奉公に陰日向はつかまつ
らず。惣じて塵埃と申すものは、一ツ二ツ散りぬればその座を穢
し、見苦しく候えども、塵塚に山の如く集まる時は、多くても見
苦しからず。それゆえ花壇のちりは取り捨てましたけれど、松、
楓、ぬるで様の落葉を御覧じなさるるも御一興と存じまして、わ
ざと箒(ほうき)は入れませぬようにござります」
鬼一 「フム、コリャ尤も。(略)。名将は士卒の賢愚得失をよ
くわきまえ、その気に応じて使うという、軍法の奥義もその利に
同じ。ムム出かした尤も尤も」

トップに立つ者は、人を何処で判断するか。通俗の観はあるが、
軍法に限らず、政治、経営などあらゆる分野、古今東西、どこで
も、通用する価値観だろう。「智恵内」=「知恵無い」という
ネーミングで、知恵を出させる狂言作者たちの通俗性が、浮き彫
りになる場面だ。江戸の庶民の耳には、入りやすい、まさに、俗
耳に入りやすい科白だろう。

腰元白菊(隼人)の案内で鬼一の弟子の湛海(歌昇)が、登場す
ると、富十郎の指揮で、虎蔵、実は、牛若丸(信二郎、改め、錦
之助)の襲名披露の「劇中口上」に入る。

富十郎「ご見物のいずれもさまへ、ご挨拶申し上げる」。

舞台には、前列に、上手から、信二郎の兄の時蔵(皆鶴姫)、富
十郎(鬼一)、信二郎、改め、錦之助、歌昇(湛海)、信二郎の
息子の隼人(白菊)が並び座り、後列に、紫若、芝喜松、京蔵、
守若、芝のぶら8人の腰元が並び座る。富十郎は、右膝を痛めて
いるのでと断わりながら、床几に腰掛けて、挨拶をする。

富十郎「株式会社松竹のお薦めにより」。

松竹の永山武臣会長が存命のころなら、「松竹永山会長のお薦め
により」となるところだ。尤も、富十郎は、永山会長の名前も、
後段で出していた。ついで、吉右衛門の挨拶、新錦之助の挨拶と
続き、改めて、富十郎のまとめの挨拶、「これだけ、皆様にお願
いすれば、大丈夫」という趣旨の挨拶で締めくくり、芝居に戻
る。兄、時蔵は、上手に畏まっていた。

今回の舞台は、信二郎の二代目錦之助襲名披露だから、この「菊
畑」が、昼の部の目玉だろう。信二郎は、苦労人で、澤潟屋(猿
之助)一座に加わって修業したり、10年ほど前からは、富十郎
に指導を受けて、丸本物の歌舞伎を勉強したりしている。「菊
畑」は、師弟の舞台ということになる。幼くして父親の四代目時
蔵(享年34)を亡くした点では、兄の時蔵とて、同じだが、長
男として萬屋の看板名題である時蔵を襲名した兄と違って、信二
郎という本名で役者をやり、伝承すべき名を持たないまま、試行
錯誤をして来たかもしれない信二郎が、歌舞伎以外のオーラが強
いものの、知名度の高い錦之助の名題を受け継ぎ、改めて、歌舞
伎の役者名としてブラシュアップすることを期待したい。

贅言:歌舞伎座の2階ロビーで、初代錦之助の舞台写真の展示と
二代目の襲名披露祝の品々の広めがなされていたので、簡単に記
録しておこう。まず、二代目の祝の品:高島屋謹製の祝幕目録
(祝幕は、舞台に吊してある。幕の上手に「のし」の文字。幕中
央に、「桐蝶」などの家紋。幕下手に二代目中村錦之助丈江の文
字)。蘭などの花籠多数(常磐津一巴太夫、池内淳子、中島千波
など)。中島千波、中村嘉葎雄の絵。楽屋幕(慶應義塾同窓生一
同寄贈、木田安彦手描きのもの寄贈)。初代錦之助の舞台写真
(「盛綱陣屋」の四天王、「幡随院長兵衛」の長兵衛〈役者名
は、これのみ、「萬屋錦之介」〉、「菊畑」の侍女撫子、「明治
零年」の島田魁、「西郷と豚姫」の里菜、「紅葉狩」の平維
盛)、隈取(「紅葉狩」の山神)。
- 2007年4月15日(日) 15:55:42
2007年3月・歌舞伎座 (昼・夜/通し狂言「義経千本
桜」)

「義経千本桜」は、何回観ただろうか。歌舞伎座筋書掲載の上演
記録を見ると、次のようになる。

まず、各場面毎では、「鳥居前」7回。「渡海屋・大物浦」6
回。「道行初音旅(吉野山)」12回。「木の実・小金吾討死」
5回。「すし屋」8回。「川連法眼館」11回。「奥庭」2回。
重複するが、通しでは、4回(ただし、通しの内容は、若干異な
る)。

そこで、今回は、趣向を凝らしてみた。それぞれの場面で印象に
残る科白を選びだし、その科白を役者がどうしゃべり、どう演じ
たかを、まず、書き留める(ここは、今回の舞台を軸にしなが
ら、随時、網を拡げる)。科白は、それぞれの場面のテーマにな
るかも知れないし、テーマとは、あまり関係ないが、おもしろい
ものを選ぶことになるかもしれない。その科白について、私が観
た役者で誰が良かったか、悪かったか。さらに、その科白の持つ
普遍的な意味合いを考える、あるいは、逆に、その科白と関係が
ありそうな私的体験を書いてみるか。まあ、そういう仕掛けで、
劇評に挑戦してみようか。ここまでは、まず、「設問」であり、
今夜の所は、「これぎり」として、一晩、文字どおり、私の頭を
「寝かせて」みて、どういう解答がかけるだろうかという趣向
だ。

まず、☆「鳥居前」。ここの「科白」は、「かしこまってござり
ます」を選んでみた。

堀川御所を脱出し、伏見稲荷の鳥居前まで逃げ延びてきた義経
(梅玉)主従(四天王の亀井六郎らは、松江、男女蔵、亀三郎、
亀寿)は、「多武(とう)の峰の十字坊」(奈良)か、「津の国
尼ケ崎、大物の浦」(摂津=兵庫)から船に乗り「豊前の尾形」
(九州北部)かへ逃げようとしていて、「女儀(にょぎ)を同
道」できないと静御前を都に置いてきたが、それは「御胴欲」
と、静御前(福助)は、「女の念力」で、追い付いてきたという
場面。結局、静御前は、遅れてきた佐藤忠信(菊五郎)を供に都
に引き返すことになる。

ここで、私が選んだ科白は、鎌倉方の追っ手・土佐坊の残党、軍
兵10人を率いる笹目忠太(原作では、早見藤太、あるいは、逸
見藤太だが、後の「道行」にも出て来るので、ここは、名前も変
え、役者の変えて、別人として登場し、忠信が「ふみ破ってくれ
べいか」と、「ぽんぽんと踏みのめせば」、哀れ、目玉などを飛
び出させて、悶絶死となる)が、家来に言わせるのが、「かしこ
まってござります」である。笹目忠太(亀蔵)は、末端管理職
で、部下には、偉そうに振舞い、上司には、へつらうというタイ
プ。下世話な処世には、長けていそうだが、偉くなる器では無さ
そう。以下の科白で彼の処世術が浮き彫りにされる。

忠太:「コリャ、コリャ、コリャ、家来ども。そうじて軍(いく
さ)の駈引は、小敵と見て侮るな、大軍とて恐るるな。まず、強
勇(ごうゆう)と見たならば、人より先に退くべし。弱い奴なら
引っからめ、手柄にするが肝要なり。かならず忘るな、合点か」
皆々:「かしこまってござります」
忠太:「かしこまったら急げ、急げ」

唯々諾々の家来どもが、実際には、優柔不断で「行きつ戻りつ」
している忠太に業を煮やし、この後、立場を逆転させるおかしみ
がある。今度は、忠太が言う。「かしこまってござりまする」。

「かしこまってござります」という科白が、主従を逆転させる、
キーワードになっているのが、おもしろい。この科白は、「鳥居
前」では、亀蔵が述べるが、「道行」では、仁左衛門(早見藤
太)が、言う。仁左衛門は、前半の場面で、家来たちに「かしこ
まってござります」と言わせた後、「かしこまったら急げ、急
げ」では、「かしこまったら」を、さらっと早口で言い、「急
げ、急げ」を強く言っていたが、緩急があり、巧いなあと思いな
がら聞いた。今回の「道行」のように、脇の役どころに、大看板
の役者を使うことを、「ご馳走」と言い、観客を喜ばせる演出の
一つだが、こういう場面では、いつもの脇の役者と違って、大看
板は、必ず、なにか、いつもと、違って、きらりと光る印象を残
すが、これこそ、主役と傍役の藝の質の違いなのだろうと、いつ
も思いながら、こうした「ご馳走」の場面を楽しみにしている。

ところで、この場面、静御前を見つけた忠太らが、静を「女武
者」というのは、何故だろう。原作(「名作歌舞伎全集」に拠
る)では、「女」とある。「女武者」ではない。「女武者」と言
えば、観客は、「巴御前」などの女武者をイメージするだろう
が、同じ、「御前」でも、静御前には、女丈夫のイメージはな
い。義経の意向に逆らって、追ってきた気持ちには、強いものが
あるが、武芸には、強くないはずだ。それとも、「川連法眼館」
の場面で、再会した義経から、小太刀を渡され、似せ忠信を
「討って捨てよ」と言われるくらいだから、武芸の心得もあるの
かもしれない。

贅言(1):花道を静御前が、義経を「慕い焦れて」「こけつ転
(まろ)びつ追ってくる。その早足に大道具方の附け打が、軽
く、早間に附け板を打つ。「鳥居前」は、附け打が活躍する。静
御前の後には、弁慶(左團次)の花道の出がある。附け打は、強
く、大きく附け板を打った。さらに、笹目忠太(亀蔵)の出。附
け打は、強く、慌ただしい。最後に、主役の佐藤忠信、じつは、
源九郎狐の出。附け打は、強く、大間に打つ。いつも、何気なく
聞いている附け打の音だが、随分工夫しながら打っているのだと
気付いた。附け打は、ベテランの芝田正利。双眼鏡で、白髪の芝
田の姿を確認し、芝田なら、さもありなんと納得する。

贅言(2):梅玉は、今回の通しでは、最初から最後まで、義経
を演じ続ける。これは、珍しい。ところが、「鳥居前」の梅玉義
経は、猫背で、もっさりしていて、見栄えが良くない。何故かと
思い、良く見たら、鎧を付けている上に、陣羽織を着ているのだ
が、その陣羽織が、首の辺りで、前に傾くように来ているから、
陣羽織の背中の部分が、猫背のように見えることが判った。梅玉
は、あまり意識していないで、こういう着方をしているのかも知
れないが、若い静御前が、狂ったように慕ってついて来る美青年
義経の筈が、爺むさくては、戴けないわけだから、誰か注意すれ
ば良いのにと思う。

贅言(3):亀蔵の忠太は、静御前を見つけたとき、「あの女こ
そ義経がかるい者、騒々しい御前という者だわ」とふざけて言
い、家来たちが、「義経の思い者」「静御前」と訂正するのは、
原作にもある科白。10人の花四天(忠太の家来)が、忠信との
立回りで、投げ飛ばされる。舞台中央上手寄りで、一人が逆さま
になって、両足を天に掲げ、一人がそれを下から支える。残る8
人が上手から下手へ、なだらかなスロープを描いて、段々低くな
る。「龍」のように見える。花四天を演じる竜之助らの「三階さ
ん」たちも、大活躍。彼らも、主役だ。

☆「渡海屋・大物浦」。ここの「科白」は、「知盛、さらば」を
選ぶ。

京から逃げ延びてきた義経(梅玉)主従は、大物浦で船出のため
の天候待ちをしている。船宿の「渡海屋」の主人の銀平(幸四
郎)は、実は、平知盛であり、義経を敵と狙う真情を秘めてい
る。やがて、義経一行に奇襲を仕掛けた知盛だが、策は失敗し、
敗走する羽目に落ち入る。大岩(岩台)の上に追い詰められた知
盛は、碇の綱で身を縛り、碇と共に入水する。この場面は、劇中
劇のような装いだ。大岩は、歌舞伎の舞台の中の、もうひとつの
舞台。役者は、知盛ひとり。観客は、弁慶(左團次)を先頭に下
手側へ、安徳帝と帝を抱きかかえる従者、義経、四天王(亀井六
郎らは、松江、男女蔵、亀三郎、亀寿)ら8人。安徳帝に付き
添っていた銀平女房お柳、実は、帝の乳人・典侍(すけ)の局
(藤十郎)は、義経に帝の身柄を託して、既に自害していて、観
客の中には、いない。

義経:「若君の御身は義経が何処までも供奉なさん。心残さず成
仏めされ」
知盛:「昨日の仇は今日の味方、あら心安や、嬉しやなあ」
若君(安徳帝):「知盛、さらば」
知盛:「ハッ。三途の海の瀬ぶみせん。おさらば」
皆々:「おさらば」

で、知盛は、大きな碇を大岩の後ろの海中へ投げ込む。両手をあ
わせる知盛。柝の頭、綱に引かれるように海中へ後ろ向きに身を
投げる知盛。三重、浪の音、翔りにて、幕。

「翔り」とは、囃子のひとつ。海岸の場の幕切れなどに演奏す
る。幸四郎は、こういう役は、実に、巧い。日頃、マイナス評価
になりがちなオーバーアクションも、こういう場面では、違和感
がない。太い実線の演技で、科白廻しも、思い入れも、たっぷり
と演じる。幸四郎の演技を支えているのが、黒衣(くろご)なら
ぬ「水布(みずご)」姿の弟子たち。後ろ向きで、大岩から飛び
下りるのは、怖いだろう。だが、ここは、「義経千本桜」が、こ
の場面の下敷きとした「平家物語」では、知盛が「見るべき程の
事は見つ、いまは、自害せん」と従容として、死んで行ったとあ
るように、思いきり良く死んだという印象を観客に与えなければ
ならない。背筋を伸ばし、萎縮せずに、どーんと後ろに飛び込
む。幸四郎は、そういう手本のように飛び降りて行った。観客席
の上の方から見ていると、後ろ向きのまま、落ちて来る幸四郎の
背中を支えるのに、数人の水布が大岩の後ろに控えていて、彼ら
が、消防の救急隊が持つような、救助シートを拡げているのが判
る。台の上に乗ったまま、救助シートを拡げているようで、幸四
郎の落下から、背中の受け止めまで、意外と、近いように見受け
られた。こうした裏方の工夫が、役者の命を護り、舞台での思い
きった演技を支えているということに気付く観客は少ないだろう
(まあ、気付く必要もないだろうが・・)。

生死を分ける別れにしろ、一時の別れにしろ、別れには、ドラマ
がある。それだけに、歌舞伎に限らず、演劇は、別れを畢生の
テーマとして、命長らえてきた。「さらば」にしろ、「さよな
ら」にしろ→「さようならば」(そうならなければならないな
ら)の略か、仕方ない、別れましょうという諦念の別れ。

福島泰樹が、高倉健を詠った短歌がある。

傘なくばレインコートの襟立ててさよならだけの人生を行く

「傘なくば」が、あまりにも、生活臭くて、良くないのが欠点だ
が、「レインコートの襟立ててさよならだけの人生を行く」の方
を覚えていて、この歌は、福島が、寺山修司を詠った歌だとばか
り思い込んでいた。寒くて、コートの襟を立てて、独り街を行く
ときなど、自然と口ずさんでしまう。

贅言(1):歌舞伎の舞台では、その後の舞台展開で不要となる
ものは、黒衣や大道具方が、堂々と片付ける場面がある。例え
ば、舞台中央下手に置かれていた格子戸を、舞台袖より、突如現
れた大道具方ふたりが、堂々と片付けて行く。役者が使った小道
具を黒衣が、堂々と片付ける。この際、黒衣などは、観客には、
見えていないという約束事の元に、堂々と振舞うことが許されて
いる。また、舞台で殺された人の遺体を消す際に、普通、黒衣
が、両手を掲げて、消し幕(黒幕)を拡げ、観客席から見えない
ように、配慮しつつ、その幕の後ろ側を殺された役者が動いて行
く。その動きの合わせて、黒衣も移動して行く。だから、黒衣
が、移動した後には、舞台の上に余計なものはなくなっている。
だから、「消し幕」というのだが、今回は、小道具の、船宿の大
きめの荷物(歌六が演じた相模五郎が、「合引」代わりに座って
いたもの)が、黒衣によって、消し幕に包まれてから、改めて、
運ばれて行くという場面を見た。これを見ていて、いつも、この
場面は、こういう小道具の消し方をしていたっけと、思ってし
まった。あまり、記憶にないし、ほかの場面でも、観たことがな
い。

贅言(2):相模五郎(歌六)と入江丹蔵(高麗蔵)のやりと
り。「渡海屋」の場面の平舞台は、銀平(幸四郎)が、アイヌ紋
様の厚司を着て颯爽とした侠客の風情で花道から登場し、店内に
入ると、下駄を脱ぎ、薄縁の敷いてある「座敷」に上がるのだ
が、五郎と丹蔵の二人は、草鞋履きのまま、上がり込む。これ
は、義経一行を追う鎌倉方の武士を装って、居丈高になっている
から、土足で上がるのだろうか。歌六の五郎は、かなり太めで、
見苦しい。知盛としての本心を隠して、義経を欺く銀平から打ち
のめされ、持っていた刀の刃を折り曲げられた五郎は、丹蔵に
拾ってこさせた石を使って、折れ曲がった刃を直す場面がある。
ところが、今回は、刃が真直ぐにならないので、鞘に収まらず、
アドリブ(捨科白)で逃げる。

五郎:「このままでよいわいなあ」
丹蔵:「申し訳ございません」

この後が、五郎役者の名場面、魚尽しの科白となる。「やい、銀
ぼう、さんまあめ。鰯て置けば飯蛸と思い、鮫々の鮟鱇雑言、い
なだ鰤だと穴子って、よく痛い目刺に鮑だな・・・」

役者評:藤十郎は、お柳も、典侍(すけ)の局も、きちんと演じ
分けていて、特に、局は、風格があった。幸四郎は、世話の銀平
から時代の知盛に変るまで、もう少し、銀平色を強めておくべき
だったのではないか。銀平からして、すでに知盛色が、滲み出し
ていたように思えて、残念だった。左團次は、弁慶三態というわ
けではないが、「鳥居前」の、赤鬼のような衣装を着て、義経に
怒られ、「泣かぬ弁慶」の愛称もものかわ、大泣きしたり、「渡
海屋」の、墨染め衣の雲海姿で、不作法にも、座敷で寝ている銀
平娘お安、実は、安徳帝を跨ごうとして、足が萎えたり、「大物
浦」では、「勧進帳」の弁慶にも、ひけを取らない山伏姿の衣装
で出てきたり。歌六の五郎が、「渡海屋」の世話場で、やや時代
がかった、大仰な科白廻しだなと思っていたが、幸四郎の銀平
が、出てきて、科白のやり取りが始まると、ぴたりと噛み合い、
(ああ、幸四郎に合わせて、歌六は、初めから、ああいう科白廻
しにしていたのか)と、歌六の強(したたか)かさを実感した。

☆「道行初音旅(吉野山)」。ここは、所作事なので、科白よ
り、清元の文句「恋と忠義はいずれが重い」を選ぶ。科白の部分
は、「鳥居前」の後段と同じ。

静御前に付き添って、狐忠信は、吉野山を目指す。九州を目指し
て大物浦を出発した義経一行は、嵐に遭い、船を流され、結局、
吉野(奈良)に隠れている。恋は、本来、義経を恋いこがれる静
の気持ちなのだろうが、「恋と忠義」を並列させると、これは、
狐忠信の静に対する秘めた恋心と狐が装おっている佐藤忠信の義
経に対する忠義となり、源九郎狐の揺れる心は、いずれに重きを
置くのか。いや、狐は、両親の革で作られた初音の鼓(桓武天皇
の時代に雨乞い用に作られた)を追っているのだから、恋より
も、忠義よりも、父母への慕情が、いちばん、重いのだろう。畜
生ゆえに、人間より、思いは、純粋かも知れない。

静御前役者は、出番がないときは、舞台奥で、斜め後ろ姿で、
ジッとしている場合が多い。特に、雀右衛門の静御前の場合は、
後ろ姿に色香があり、エロスの化身のようであり、桜の精のよう
に見えて、楽しみだった。ところが、芝翫の静御前は、なぜか、
ほとんど、前ばかり見ていて、雀右衛門のような、いわば余白の
ようなものが感じられず、鬱陶しかった。あれは、なんだったの
だろうか。芝翫の静御前、菊五郎の狐忠信、仁左衛門の早見藤太
で、ご馳走の仁左衛門が楽しみ。ここは、ほかの演目より、大向
こうから声がかかる。昼の部のハイライトというわけだ。

芝翫には、「成駒屋」、「神谷町」。
菊五郎には、「音羽屋」、「七代目」。
女雛、男雛の場面では、「ご両人」。
仁左衛門には、「松嶋屋」。

仁左衛門は、颯爽の世話物も、風格の時代物も良いが、「伽羅先
代萩」の「八汐」のような憎まれ女形、「新口村」の孫右衛門の
ような老け役、そして、今回の早見藤太のような道化方(半道
敵)も、良い。仁左衛門の藤太役は、2回目(初演は、5年前、
02年7月大阪松竹座、四代目松緑襲名披露の舞台)。こういう
役柄の仁左衛門を見ると、芸域が広がってきているのが判る。新
しい仁左衛門の魅力発見である。

贅言(1):3人の主役の舞台とあって、それぞれの後見の手際
が良い。芝翫では、素顔の芝のぶが、化粧、扮装のときより、爽
やかな美貌で、後見を勤めていた。夜の部、「川連法眼館」で
は、腰元・小枝を演じる。菊五郎では、菊市郎。仁左衛門では、
役者としても、しぶとく、味のある松之助。道行ものは、人形浄
瑠璃から歌舞伎に写した丸本ものを江戸で上演した場合、景事の
場面を豊後系(常磐津、富本、清元)浄瑠璃や長唄を使った舞踊
劇に改めたので、元の竹本の流れとは、異なって来るが、舞台が
明るくなり、雰囲気を変えたり、昼の部と夜の部を切り分けたり
するのに都合が良いため、良く演じられる。こういう場合には、
弟子の中でも、特に信頼のおける手堅い、中堅どころの弟子を後
見に使うようだ。

贅言(2):幕間に歌舞伎座ロビーの売店を覗くと、「オリジナ
ル歌舞伎座グッズ」が、目立つ。一昨年の11月の記者会見で、
2年以内の歌舞伎座取り壊し、建て替えを発表して以来、早、1
年半近くが過ぎた。その後の正式な発表はないようだが、いまの
歌舞伎座の建物取り壊しの日程が、迫ってきていることには、間
違いないであろう。歌舞伎座グッズでは、歌舞伎座の斜め正面か
らを描いた図柄や歌舞伎座と大書した提灯の図柄などの手拭、
ファイルケース、ティーマット、タオルハンカチなどが、目につ
いた。いずれ来る、さよなら歌舞伎座セールに向けて、早くも、
商品開発か。

☆「木の実・小金吾討死」。ここの「科白」は、「元手いらずの
二十両、うめえ仕事だ。こいつあ拍子まんが直って来た」を選
ぶ。

世の中、政治家というか、政治屋などと卑下されるような人物
が、いがみの権太のように、「元手いらずの二十両、うめえ仕事
だ」とばかりに、法の目を誤魔化して、金儲けをし、税金を誤魔
化し、有権者を誤魔化して、大臣になったりしている。それでい
て、万一、ごまかしが発覚しても、白をきり、突っ張って、批判
の嵐の去ることを待っている。実際、「喉元過ぎれば」で、有権
者の方も、健忘症で、忘れてしまう。そうすると、権太のような
人物は、「こいつあ拍子まんが直って来た」とばかりに、反省の
色どころか、蓄積したごまかしのノウハウを使って、また、甘い
汁を吸おうとする。権太の言う「拍子まん」とは、「拍子間
(ま)」、俗に言う「なんて、間がいいんでしょう」という、あ
の「間」である。権太の場合、さらに、長男に大甘の母親に金を
せびりに行くことになる。悪人は、図に乗るという典型的な人物
である。渾名の「いがみ」とは、「ゆがみ」、つまり、歪んだ性
格から付けられた。ときどき、身近なところでも、こういう人物
を見かけることがある。最近の流行りの言葉で言えば、人格障害
というやっかいな病気の持ち主。

ところが、世の政治屋は、やらないことを芝居の世界ではやる。
権太は、次の「すし屋」で、母親を騙した後、もっと大きな「騙
し」を計画していて、「もどり」(改心)をして見せる。しか
し、芝居は、権太が、改心したにもかかわらず、父親に殺されて
しまうという、どんでん返しの場面を設定している。物語、つま
り、ドラマは、ドラマチックでないと収まらない。だから、物語
の意外な展開をドラマチックという。

役者評:「義経千本桜」は、大きく言って、3つに分かれる。
1)「知盛」を軸とする物語。2)「いがみの権太」を軸とする
物語。3)「狐忠信」を軸とする物語の3つである。今回の通し
狂言では、高麗屋・幸四郎の知盛、松嶋屋・仁左衛門の権太、音
羽屋・菊五郎の忠信ということになる。

「いがみの権太」は、松嶋屋3兄弟で再構築する。演出も、上方
系である。上方系演出では、3回目の拝見となる。仁左衛門の権
太は、2回目。我當の権太も、1回観ている。仁左衛門の権太
は、小悪党でありながら、家族思い、特に、子役とのやりとりが
巧くて、好調。秀太郎好評の権太女房・小せんは、いつ観ても、
巧い。秀太郎が演じると、小せんの過去(遊女)、現在(女房、
母親)、未来(身替わり)が、素直に伝わって来るから不思議
だ。さらに、今回は、梶原景時役で、我當も出演。若葉の内侍の
東蔵も、手堅い。また、今回、扇雀の小金吾が、頑張っていて、
立ち回り含めて、なかなか良かった。花道での立回りに、気を取
られていると、本舞台は、廻っていて、竹林は無くなっている。
本舞台に戻ってきて、猪熊大之進(錦吾)に殺される小金吾。通
りかかった弥左衛門(左團次)に、なぜか、首を取られる(寝首
ならぬ死に首か)。これは、次の「すし屋」への伏線。

贅言(1):「小金吾討死」の竹林の立回り。竹の支えが、双眼
鏡で観ていると、2ケ所だけ違っている。その理由は、立回りが
始まって、暫くすると判った。竹が、倒される場面があり、それ
が終ると、竹が直立に復元するようになっているのであった。小
金吾(扇雀)と20人の捕手(三津之助ら)の立回りは、体操の
集団演技のよう。縄を使って、蜘蛛の巣のように、あるいは、綾
取りのように、幾何模様を描き出す、美的にも素晴しい殺陣が、
スムーズに続く。今回の立師は、尾上菊十郎、松本幸太郎。

☆「すし屋」。ここは、やはり、お里の科白。「あれ、お月さん
も、もう寝ねしやしゃんしたわいなあ。さあさあ。こちらも早う
寝ねしようじゃござんせぬか」。

この後の竹本の文句が良い。「先へころりと転び寝は、恋の罠と
ぞ見えにける」。若い女性の色香に負けて、誘惑に乗ると、後で
大変なことになる。でも、お里(孝太郎)は、兄貴の権太(仁左
衛門)と違って性格が、「いがみ」ではない。性的なことに積極
的なだけのようだが、弥助、実は、維盛(時蔵)には、若葉の内
侍(東蔵)という妻と、六代君という子がいることが判り、素直
に手を引く。孝太郎は、美人ではないが、可愛くて、色っぽい若
い女性を描き出す。

時蔵の弥助、実は、維盛は、品格がある。母親のお米を竹三郎
は、じっくり演じる。得難い傍役だ。父親の弥左衛門は、4年前
の、03年2月、歌舞伎座では、左團次休演で、代役の松助を観
たが、線が細く、全然、任(にん)ではなく、興を削いだので、
左團次の弥左衛門が、観たいと思ったものだ。今回、やっと念願
かなって、左團次の弥左衛門を観た。私が貶した松助は、その
後、亡くなってしまった。松助は、松助で、ほかの役どころで
は、存在感があり、得難い傍役であったとも書いておこう。今、
松助の息子の松也が、力を付けてきていて、私も、毎回注目して
いる。今回は、梶原景時の臣の一人で、「すし屋」に出演。梶原
景時の我當は、今回、敵、鎌倉方の首実検役だが、実は、敵方で
はなく、弥助一家を助けるという役どころ。風格があった。景時
の趣向の結果、権太の「もどり」による善行も、空回りとなって
しまう。

今回の「すし屋」では、松嶋屋3兄弟が軸となっているので、上
方系の演出が、目立つ。仁左衛門の権太が、母親のお米に金を工
面してもらいに来る場面。泣き落しの戦術は、変わらないが、江
戸歌舞伎ならお茶を利用して、涙を流した風に装うが、上方歌舞
伎では、鮓桶の後ろに置いてある花瓶(円筒形の白地の瓶に山水
画の焼きつけ)の水を利用する。このほか、上方の権太は、自分
の臑を抓って、泣き顔にしようとしたり、口を歪めたりする。母
親の膝に頭をつけて、甘えてみたり、「木の実」の茶屋の場面で
見せた小悪党の「権太振り」は、どこへやら、完全な「マザー・
コン」振りを見せつける。そのあたりは、仁左衛門の権太は、緩
急自在に演じる。

弥左衛門一家が、弥助・実は維盛一家を匿っていたのでは、と梶
原景時に詮議され、困っているところへ、権太が現れ、維盛の首
を撥ね、若葉の内侍らを捕まえてきたと、大きな手拭で、猿ぐつ
わをはめた若葉の内侍ら(実は、権太の妻子・小せんと善太郎)
維盛一家と維盛の首(実は、小金吾の首)を持って、帰ってき
た。維盛一家を梶原景時一行に引き渡すとき、権太は、汗を拭う
手拭で、隙をみて、後ろ向きで目頭を押さえていた。維盛の首実
検では、江戸歌舞伎にない、燃える松明が軍兵が持ち出してき
た。維盛の首実検の後の、若葉の内侍と六代君の詮議でも、軍兵
がかざす松明が使われた。宵闇のなかでの詮議というのが、良く
判る。若葉の内侍と六代君の二人の間に立ち、「面(つら)あげ
ろ」と両手で、二人に促した後、右足を使って若葉の内侍の顔を
あげさせようとしたり、座り込んで、両手で二人の顎を持ち上げ
たりしていた。このあたりは、立ったまま、左足を使って、二人
の顔を挙げさせる江戸歌舞伎の演出とは、異なる。さるぐつわを
されて、顔も半分しか見えず、科白もなく、という状態でありな
がら、観客には、小せんとして、梶原一行には、若葉の内侍とし
て、見えるように演じなければならないから、秀太郎も、大変
だ。夫・権太との別れ。道連れになる息子・善太郎への気遣い
も、必要だ。

褒美に梶原景時が権太に渡した陣羽織(後に、褒美の金を渡す証
拠の品というわけだ)も、すぐに権太が、着込んで忠義面をする
のも、おもしろい。権太は、「小気味のよい奴」と景時に誉めら
れる。無事、梶原景時一行を騙したと思っている権太は、花道で
梶原景時一行を送りだすとき、「褒美の金を忘れちゃいけません
よ」と駄目を押しながらも、一行の姿が見えなくなると、生き別
れとなった妻子へ、涙を流す権太。このあたりも、江戸歌舞伎で
は、あまり、見かけない演出だ。

父に肚を刺され、死に行く権太は、家族崩壊を覚悟している。苦
しい息のなか、「木の実」の場面で、息子の善太郎から取り上げ
た呼び子(この場面の、伏線だったのだ)の笛を吹き、無事だっ
た維盛一家を呼び寄せる権太。権太役者の最高の見せ場だ。江戸
歌舞伎では、母のお米が、権太から受け取った笛を外に出て、吹
く。本心を明かさなかった「いがみ」ぶりを攻める弥左衛門は、
瀕死の権太を手拭で何度も叩いたりする。息子家族を犠牲にし
て、生き残った弥左衛門一家の苦しみを表現する。死に行く権太
を中心に取り囲んで、号泣し、リアルな芝居を続ける弥左衛門一
家と、その上手で、3人揃って、前を向いたまま、長いこと芝居
をしないでいる維盛一家。弥左衛門一家という悲劇の家族を見
守っているなら、まだしも、何もしないで前を向いているだけと
いう、歌舞伎という芝居の、面妖さ。古怪さ。上方歌舞伎ならで
はの味なのかも知れない。仁左衛門の権太は、江戸歌舞伎で、い
まの権太の型に洗練させた五代目幸四郎、五代目菊五郎の型を取
り入れながら、二代目実川延若らが工夫し、父・十三代目仁左衛
門らがさらに、工夫を加えた上方歌舞伎の演出や人形浄瑠璃の演
出をもミックスして、仁左衛門型にしているように見受けられ
た。

輪袈裟と数珠が仕込まれていた陣羽織の仕掛け(「内や床しき、
内ぞ床しき」という小野小町の歌の一部の文字で謎を解く)を見
ると、梶原景時も、ここでは、いつもの憎まれ役とは、一味違う
役柄だ。梶原景時には、権太一家の命を犠牲にしても、維盛の家
族全員死亡という「伝説」を創造する必要があった。梶原のこう
した意向や、権太の本心を知り、維盛も、家族と別れて、出家す
る。若葉の内侍も、六代君をつれて、高雄の文覚上人のところへ
行く。家族の離散は、いつの時代にも、淋しいものだ。

☆「川連法眼館」。ここの「科白」は、「お疑いは晴れました
か」を選んでみた。

法眼館に主の川連法眼(彦三郎)が、帰って来た。義経を匿うこ
との是非を論じる吉野山の全山合議から戻って来たのだ。実際に
義経を匿っているために、横川覚範ら皆を騙すべく、鎌倉方に味
方すると主張をして来たと言う。きょうからは、本心、義経の敵
となると妻・飛鳥(田之助)にも偽の手紙を見せて、妻の心を試
す。疑われたと飛鳥が、自害をしようとする。それをとめる法眼
に対して、飛鳥は、「お疑いは晴れましたか」と言う。夫婦間に
疑心暗鬼は、よくありませんということ。

「お疑いは晴れましたか」という科白は、先月も、歌舞伎座で聞
いた。「仮名手本忠臣蔵」の六段目「勘平腹切」で、勘平が、義
母のおかやに「母者人、お疑いは晴れましたか」という。義父殺
しの嫌疑をかけられ、切腹をしたのだ。歌舞伎は、嫌疑を掛けて
は、嫌疑を解く。伏線を敷き、ドラマを展開させる。演劇の常道
だろう。

梅玉の義経、福助の静御前、菊五郎の佐藤忠信と狐忠信が、川連
法眼館のドラマの主軸を形成する。まず、本物の佐藤忠信が、義
経を訪ねて来たことから、静御前の共をして来た佐藤忠信の真偽
が問題となる。もうひとつの「お疑い」の設定である。最初は、
本物の佐藤忠信も疑われる、さらに、静御前が連れて来た佐藤忠
信(実は、源九郎狐)も、疑われる。真偽を質すのは、静御前の
役目。義経は、静かに小太刀を渡す。佐藤忠信が、奥に連れて行
かれた後、現れた、もう一人の佐藤忠信に小太刀を振りかざしな
がら静御前は、審議をする。その結果、静を護ってついて来た佐
藤忠信は、源九郎狐だったことが判る。それも、自分の両親の革
で作られた初音の鼓を慕ってのことだったと判り、義経も静も狐
を許すことにした。動物の情愛をテーマにしたファンタジーの趣
もある。

源九郎狐が、正体を表わし、超能力を発揮して、屋敷のあちこち
に神出鬼没の外連(けれん)を見せるのが、眼目の芝居。澤潟屋
なら、宙乗りを含めて、外連を重点に見せる場面展開だが、音羽
屋は、親子の情味を軸に見せるので、舞台は、おとなしい。最後
も、舞台上手の桜木に仕掛けた「手斧(ちょうな)振り」とい
う、大工道具の「手斧」に似た道具に、初音の鼓を持った左腕を
引っ掛けながら立ち木沿いに舞い上がる演出を使うが、宙乗りは
しない。

贅言(1):川連法眼館の怪。上手に桜木の生えた庭なのに、登
場人物たちの足元がおかしい。義経に命じられて、長袴姿の佐藤
忠信を詮議するため、赤面(あかっつら)の亀井六郎の團蔵は、
黄色い足袋のまま庭を歩いている。白塗の駿河次郎の秀調は、白
い足袋のままである。花道からやって来た静御前も、白足袋のま
ま、御殿(二重舞台)に上がって行った。ここまで見れば、庭
は、庭ではなく、御殿の一部でなければ、おかしい。皆が皆、下
駄も草履も履いていないのだから。ところが、その後、行灯を持
ち、登場した腰元たちは、白足袋に浅葱色の鼻緒の付いた下駄を
履いて歩いている。やはり、ここは、庭なのだ。

贅言(2):源九郎狐の動線。初音の鼓の音に導かれて、着物姿
の狐忠信は、御殿の階の裏から姿を現す。静とやり取りした後、
下手渡り廊下に座り込んで、正体を告白すると、廊下下に姿を消
す。次に、上手の金襖の中から白無垢の狐の姿で現れ、座敷を
通って、庭に出る。片膝で回転するが、64歳の菊五郎は、速く
は、廻れない(06年11月、新橋演舞場の「川連法眼館」海老
蔵の忠信は、速かった)。やがて、下手、柴の垣根が、一部下が
り、「忍び車」(「水車」を応用した道具)に掴まって、横滑り
に廻って、下手に姿を消す。御殿床下から再び現れる。義経から
初音の鼓を貰い、喜びを身体いっぱい現す。超能力で、義経に企
みを抱く吉野山の悪僧たち(因に足元は、裸足)を呼び寄せ、退
治するという場面の後、狐は、鼓を持って、桜木沿いに昇天して
行き、古巣へと戻って行く。

下手から網代塀を描いた道具幕が上手へと閉まって行く(いつも
と、逆)。上手に大薩摩連中が出て来て、唄う。演奏の荒事と呼
ばれる古怪な趣のある演出だ。柝を合図に、上手から下手に向っ
て、幕が、徐々に振り落とされて行く(普通の振り落しなら、一
瞬で落ち切る)。こういう幕の落ち方は初めて観たのではない
か。やがて、満開の桜が咲く奥庭が現れる。

☆「奥庭」。ここの「科白」は、「教経待て」を選ぶ。

「奥庭」では、舞台中央のせり上がりから、薙刀で足元に白狐を
抑え込んだ反義経派の首魁・横川覚範(幸四郎)が登場する。狐
に翻弄される覚範。やがて、狐は、庭の石灯籠の中に姿を消す。
義経(梅玉)が、亀井六郎(團蔵)、駿河次郎(秀調)、片岡八
郎(友右衛門)、伊勢三郎(亀蔵)、静御前(福助)、佐藤忠信
(菊五郎)を伴って現れ、覚範に対して、「能登守教経待て」と
呼び掛ける。正体見破られ、頭巾を取る教経。後日の戦いを約束
して、教経は、緋毛氈の「三段」に乗り、大見得。ほかの皆々
は、引っ張りの見得で、幕。敵役が中心になっているのが、いか
にも、歌舞伎らしい。役者の顔見世、あるいは、物語の始まりを
告げる「だんまり」なら、沈黙したままとは言え、舞台全体を
使って、ひと展開あるのだが、後日再会とは言うものの、「大団
円」は、終演なので、これぎりとなる。しかし、昼の部に活躍し
た幸四郎は、夜の部の最後の最後に出演するため、居残っていた
わけで、「幸四郎待て」ということか。兎に角、幸四郎を軸に盛
り上がり、時代物の通し狂言らしい幕切れで、何とも、良かっ
た。通し上演でも、滅多にやらない場面なので、短いけれど、堪
能した。これぞ、歌舞伎味の醍醐味。

贅言:歌舞伎では、相手の正体を見抜いたとき、いきなり、「○
○待て」などと言う。「いかに○○」もよく聞く。「黙れ○○」
など、短いけれど、衝撃力のある科白は、江戸の庶民のストレス
解消に一役買っていたのではないか。日常生活でも、役者の声色
で、「黙れ○○」などと言えば、胸がすっとしたことだろう。い
まも会社で使えるかな、この科白。ただし、当人の前で言うの
は、よくよくの場合ですよ。喧嘩になってしまうからね。

- 2007年3月21日(水) 22:34:15
2007年2月・歌舞伎座 (昼・夜/通し狂言「仮名手本忠臣
蔵」)


現代人としての「仮名手本忠臣蔵」


「仮名手本忠臣蔵」を通し狂言で観るのは、今回で5回目。95
年2月、98年3月が、歌舞伎座、01年3月が、新橋演舞場と
歌舞伎座(八段目、九段目)、02年10月が、歌舞伎座、そし
て今回。通し狂言という演出形式をとっていても、歌舞伎座で上
演する場合は、九段目「山科閑居」が、省かれ、「大序・三段
目・四段目・道行・五段目・六段目・七段目・十一段目(時に、
「引揚」も追加)」という構成が多い。国立劇場の場合は、「道
行」(三段目をアレンジした舞踊劇で、本来、通し狂言とは別の
ものだが、昼の部の最後を華やかに飾れるので、良く上演され
る)を省き、逆に九段目「山科閑居」が、上演される。私が観た
01年3月の新橋演舞場(通し狂言)と歌舞伎座(八段目、九段
目)は、演舞場が、梅幸、松緑追善興行、歌舞伎座が、勘弥追善
興行で、それぞれ別に公演しながら、補いあう形で上演されたの
で、両方とも観たという次第。02年10月の歌舞伎座は、赤穂
浪士の討入三百年記念ということであった。今回で、5回目の通
し狂言の拝見、さらに、見取りでは、それぞれ、何回か観ている
ので、今回は、趣向を変えて、登場人物を現代的な視点で、人物
造型を分析し直し、それを今回の役者たちが、どのように演じた
かを述べてみたい。

5回の主な配役を書くと次のようになる。役者は、上演順に、判
官:菊五郎、勘九郎時代の勘三郎、菊五郎、鴈治郎時代の藤十
郎、菊五郎。師直:羽左衛門、富十郎、左團次、吉右衛門、富十
郎。顔世御前:芝翫、玉三郎、芝雀、魁春(今回含め2)。伴
内:坂東吉弥/三津五郎、幸右衛門/辰之助時代の松緑、鶴蔵/
十蔵、吉弥/翫雀、錦吾・亀鶴/翫雀(二人の役者に分かれると
きは、三・七段目/道行。ただし、今回は、三段目錦吾、七段目
亀鶴)。由良之助:吉右衛門/幸四郎、幸四郎、團十郎、團十郎
/吉右衛門、幸四郎/吉右衛門(二人の役者に分かれるときは、
四段目/七・十一段目)。勘平:團十郎/菊五郎、菊五郎、新之
助時代の海老蔵/菊五郎、勘九郎時代の勘三郎(道行/五・六段
目)、梅玉/菊五郎。お軽:芝翫/雀右衛門、時蔵/福助・玉三
郎、菊之助、福助/玉三郎、時蔵/玉三郎(道行/六・七段
目)。定九郎:吉右衛門、橋之助、新之助時代の海老蔵、信二
郎、梅玉。おかや:鶴蔵、吉之丞、田之助、上村吉弥、吉之丞。
与市兵衛:佳緑、佳緑、佳緑、助五郎時代の源右衛門、権一。九
太夫:芦燕(5回とも全て)。平右衛門:團十郎、勘九郎時代の
勘三郎、辰之助時代の松緑、團十郎、仁左衛門。

こうしてみると、各々の配役で、印象に残る人、残らない人が、
私のなかで歴然として来る。例えば、判官だけ上げてみると、3
回観た菊五郎が判官を演じるときは、そのまま、勘平を演じるこ
とが多い。菊五郎の勘平は、判官より1回多く、4回観た。つま
り、菊五郎は、仮名手本忠臣蔵の通しがあると2回切腹して、死
ぬ。だから、私も判官と言えば、菊五郎が浮かんで来る。六代目
が、洗練した判官・勘平の菊五郎型の演技を本家として引き継ぐ
訳だから、当然かも知れない。それにしても、勘平は、鬱陶しい
人だ。明るさがない。特に、六段目は、最後まで、鬱々として、
それでいて、早とちりで、死んでしまう。現代にも、こういう人
がいるなあと思っていたら、今回の劇評は、いつもと趣向を変え
て、「現代人としての仮名手本忠臣蔵」として、人物分析をし、
さらに、今回の役者が、そういう人たちをどう演じたか、論じて
みたくなった。

まず、彼らの、例えば、会社組織の人たちとして、見直してみよ
うか。取りあえず、次のように想定してみた。

判官:支社長。
師直:本社の総務部長。
顔世御前:支社長夫人。
伴内:本社の秘書課長。
由良之助:支社次長。
勘平:支社の平社員。
お軽:本社秘書課員で平社員の恋人。後に、平社員の妻。後に、
会社御用の酒場のホステス。
定九郎:副支社長の息子。
九太夫:副支社長。
おかや:秘書課員の母親、平社員の義母。
与市兵衛:秘書課員の父親、平社員の義父。
平右衛門:秘書課員の兄。支社の平社員。

さらに、人物像を現代的に描いてみると、次のようになるか。

判官:史実の浅野内匠頭は、変った人だったようで、精神病質の
不分明さを持っているのではないかと疑われる。吉良上野介に斬
り付けた際の言動も動機も良く判らない。しかし、仮名手本忠臣
蔵の判官は、短慮だが、犯行の動機は、明解だ。師直に虐めら
れ、堪忍袋の緒が切れて、逆襲した。本社で全国支社長会議が開
かれて、緊張して、兵庫県の赤穂市から出張してきた。何でも
知っている本社の総務部長に聞けば、ちゃんと教えてくれると前
任の支社長から申し送りがあったので、そのつもりできたら、ど
うも不親切だ。否、不親切どころか、意地悪をする。前任者が、
「袖の下」のことをきっちり教えていなかったのが、原因なのだ
が、緊張している所為で、そこに気が付かない。それどころか、
苛めに耐え切れず、「弱者の逆襲」で、大局観を持たないまま、
短絡的に凶行に及んでしまった。そういう弱い性格の持ち主では
ないか。
師直:有能な管理職だが、有能故に、袖の下も要求するし、セク
ハラ、パワハラも、平気の平左衛門。支社長会議に夫人同伴した
判官の妻・顔世御前に横恋慕。付け文はするわ、セクハラ行為は
するわ。困った親父である。パワハラの果てに、虐めた支社長か
ら逆襲されて、怪我。皆が、「ざまあーみろ」と溜飲を下げこそ
すれ、同情などしない。
顔世御前:美人妻ゆえ、とんだ災難。夫に同伴して、上京したば
かりに、犯罪者の妻になってしまった。
伴内:師直部長の腰巾着。それでいて、ミニ師直部長のような、
嫌らしい課長。寅の威を借る、典型的なタイプだが、それなりに
有能らしい。
由良之助:問題の支社長を支える能吏。危機管理能力抜群。スー
パーマン。
勘平:若いのに、鬱々としている。思い込みが激しく、早とち
り。それでいて、勤務時間中に本社の美人秘書とアバンチュール
を楽しむ大胆さも、持っているが、肚が座っていないから、す
ぐ、後悔し、気に病むタイプ。女性に優しいだけの、駄目男。
お軽:美人で、気が効いていて、有能で、どんな環境にも適応す
る優秀な性格。皆が、嫁さんにしたいと思う人だが、残念なが
ら、男を見る眼がない。だから、勘平のような駄目男に引っ掛か
る。
定九郎:副支社長の息子だが、どら息子。遊び人。自律性がな
い。平気で、人を殺して、盗みもする。
九太夫:支社では、次長より偉い。支社長に次ぐ、ナンバー2の
副支社長。人望がなく、計算高い。危機管理能力がないから、い
ざという時、部下は、付いて来ない。あげく、敵方のスパイに身
を落す。
おかや:日頃から、聟を信頼していないから、いざという時、判
断を誤り、聟苛めをして、死なせてしまう。
与市兵衛:善人なのだが、存在感が薄い。
平右衛門:妹思いの兄さん。サラリーマンとしても有能。危機管
理能力もある。師直と伴内が、憎まれ役の軸なら、由良之助と平
右衛門は、正義派の軸。

さて、今回の師直役は、富十郎であった。存在感のある師直で
あった。特に、「大序」から「三段目」は、富十郎を軸に舞台が
廻っていて、なかなか見応えがあった。私が観た師直役では、い
まは亡き羽左衛門が重厚であった。憎々しさでは左團次か。吉右
衛門の師直は、滋味と奥行きがある。

師直役者は、憎しみあり、滑稽味あり、強かさあり、狡さあり、
懐の深さありで、多重な性格を滲み出す憎まれ役で、場面場面
で、実に滋味ともいうべき演技が要求される。顔世御前ヘの横恋
慕、若狭之助への苛めと賄賂を受け取ってからの諂(へつら)
い、そして判官ヘの苛めなどで、師直という男の全体像のスケー
ルを構築しなければならない。「忠臣蔵」のうち、「大序」から
「三段目」までは、師直の横恋慕をベースにした虐めがテーマと
いうことで、一人の老いた男の若い男女への、セクハラ、パワハ
ラが、演じられる。

今回も、判官に菊五郎、若狭之助に吉右衛門と主役クラスが出演
しているが、存在感が薄い。「大序」は、全てに決まり事があ
り、古式床しく、物々しい、特別な歌舞伎になっているが、その
特別さは、師直役者の存在感を軸にしているということが、今回
の富十郎を観ていれば、良く判る。

以上のような大物は、別にして、「三段目」のうち、「足利館門
前進物の場」では、鷺坂伴内が主役だ。今回は、錦吾が演じた。
今回の伴内役者は、3人いる。「三段目」=錦吾、「道行」=翫
雀、「七段目」=亀鶴。以前に丸谷才一が書いていたが、忠臣蔵
での、伴内の役割は、もっと、重要視されてよい。丸谷による
と、鷺坂伴内という名前は、「詐欺」、「慙(ざん)ない=見る
にしのびない、見苦しい」という意味が隠されていると言う。さ
らに、今回は、全く演じられなかったが、本来の丸本通りなら、
十一段目では、六段目で切腹をし、連判状に腹の血で血判を押し
た勘平の縞の財布を由良之助が懐中から取り出し、無念の死を遂
げた勘平のために、討ち入り決行に際して肌身につけて同行した
と語るし、財布を香炉の上に載せて、二番の焼香「早野勘平」と
読み上げると、そのとたん、どこからか、伴内が姿を現わし、由
良之助に斬り掛かる。ところが、伴内は、傍に居た力弥に斬られ
てしまう。つまり、伴内は、賄賂の受け取りでも、駕篭のなかの
師直の代役をするぐらいだから、有能なサラリーマンであり、最
後まで忠義の秘書課長なのだ。要するに、戦国時代なら、さしず
め、師直の影武者という役回りだろう。ずる賢い滑稽な役柄だけ
ではない、複雑さを持っているはずなのだ。今回の3人の伴内で
は、「道行」で所作を中心に演じた翫雀が、いちばん印象に残っ
た。「道行」の伴内は、大序の師直の顔世御前への横恋慕のパロ
ディとして、お軽への横恋慕をなぞるという二重性を秘めてい
る。従って、ここの伴内は、いわば、影武者として、「小型師
直」を彷佛させなければならない。逆に、仕どころの多かったは
ずの錦吾の存在感が薄かった。足利直義を演じた信二郎も、加古
川本蔵を演じた幸太郎も、顔世御前を演じた魁春も、印象に残ら
ない。要するに、富十郎の、独り舞台という印象が強いのだ。

贅言:「大序」では、仕丁、雑式が、履物を履いているのに、主
役たちや大名が、裸足というのは、どういうことか。鶴ケ岡社頭
は、室内の扱いなのだろうか。

「四段目」は、切腹する判官から遅かりし由良之助へと主役が転
じるが、総じて、ポイント掴み的にまとめてしまえば、由良之助
の芝居である。特に、表門城明け渡しの場面は、由良之助役者の
独り舞台だ。由良之助の動きに合わせて、大道具の城門が、3回
に分けて、上手を中心に円を描くように下手側だけ、すうっ、す
うっと徐々に遠ざかる引き道具になるのは、いつ観ても良い。そ
して、送り三重での由良之助の花道の引っ込み。歌舞伎の渋い魅
力を満喫できる場面。

今回の由良之助は、幸四郎。オーバーアクションの幸四郎は、実
線で役柄を演じる。巧すぎる嫌いがある。これが、團十郎なら、
重厚さ、また、吉右衛門なら、人徳で、私は、やはり、幸四郎よ
り、團十郎、吉右衛門が好きなのだ。幸四郎は、もう少し、抑え
気味に演じられれば、逆に厚みを増すと思うのだが、この人の性
分で、抑えることができないのだろう。下手に抑えようとする
と、萎縮してしまうのかも知れない。それにしても、判官の遺し
た九寸五分についた血を左手に擦り付けて舐めるときの、團十郎
の眼光の鋭さを忘れない。團十郎は、抑えながらも、ここぞとい
う場面では、きらりと光らせることができる。全体にオーバーア
クションになりがちな幸四郎とは、そこが違うのだろう。

ここは、場面展開に廻り舞台をフル活用。足利館「松の間」刃
傷、「四段目」、扇ヶ谷判官切腹、表門城明渡しと、舞台は鷹揚
にくるりくるりと廻る。

贅言:判官の切腹の場面は、畳二畳が裏返しされ、さらに、白い
敷布が掛けられる。四隅に樒(しきみ)が飾られる。切腹後の遺
体が駕篭に入れられる場面では、あわせて40人の諸士(その多
くは、舞台下手袖の後ろにいて見えない)が、赤い消し幕のよう
に、壁を作り、客席の視線を遮る。白い敷布は、本当に消し幕と
なり、畳二畳も、障壁の役割をした上で、簡単に片付けられる。
役者の動きも、小道具の動きも、無駄がない。良く工夫されてい
る。

所作事「道行」は、苛めだ、刃傷だ、切腹だ、復讐だと、鬱陶し
い「仮名手本忠臣蔵」の前半の、気分直しの場面だ。いわば、間
奏曲。「千本桜」の静御前と狐・忠信の道行にしろ、この道行に
しろ、基本的には、男女の道行を邪魔立てする滑稽男・藤太、伴
内の登場の場面は、江戸の庶民のお気に入りの場面だろう。テキ
ストの深刻さより、見た目の華やかさ、特に花四天のからみによ
る「所作立て」(所作事のなかの立ち回り)は、何回観ても飽き
ない。時蔵のお軽、梅玉の勘平に、翫雀の伴内がからむ。昼の部
は、ここまで。

夜の部の、「五段目」「六段目」は、勘平の芝居だ。菊五郎勘平
が軸になって展開する。この場面は、菊五郎で、4回、勘九郎時
代の勘三郎で1回、拝見している。鬱々としているが、菊五郎
は、六代目の菊五郎型をきちんと伝えていて、別格の勘平であ
る。勘平のパートナー・お軽は、まず、「道行」では、腰元、
「六段目」では、女房、ついでに、「七段目」では、遊女という
ことで、その違いを見せるところにお軽役者の、いわば「味噌」
がある。玉三郎は、いつも思うのだが、「六段目」では、影が薄
く、「七段目」になると、むくむくと存在感を強めて来る。「六
段目」で重要なのは、お軽の母であり、与市兵衛の妻であるおか
やである。勘平に早とちりで、切腹を決意させるのは、与市兵衛
を殺したのは、勘平ではないかと疑い、勘平を攻め立てたおかや
の所為である。他人の人生に死という決定的な行為をさせるエネ
ルギーが、おかやの演技から迸らないと、この場面の芝居は成り
立たない。「六段目」では、おかやには、勘平に匹敵する芝居が
要求されると思う。「お疑いは、晴れましたか」という末期の勘
平の台詞は、おかやに対して言うのである。吉之丞のおかやは、
2回目の拝見だが、そういう要求される味わいを出していて、良
かったと思う。おかやで、印象に残るのは、ほかでは、田之助
だった。

おかやの夫、与市兵衛では、佳緑が、最近では、最高の与市兵衛
役者と言われるだけに、私も、通し狂言では、3回観ている。今
回は、権一。東蔵の判人源六が、存在感があり、良かった。時蔵
のお才は、もたいない。しかし、二人とも、脇で味を出す辺り
は、さすが。

「七段目」の由良之助は、幸四郎で2回、吉右衛門で、2回だ
が、これは、「昼行灯」というとぼけた滋味をだすだけに、断
然、吉右衛門が良い。ここの由良之助は、前半で男の色気、後半
で男の侠気を演じ分けなければならない。「七段目」の本筋は、
実は、由良之助より、遊女・お軽と兄の平右衛門が軸となる舞台
である。今回は、玉三郎と仁左衛門が、たっぷり、愉しく演じて
いて、2月の通し上演で、ぴか一の舞台であった。玉三郎の本領
発揮の、濃艶なお軽になるのだが、丸谷説では、お軽という命名
には、尻軽(多情)というイメージを感じるという。

贅言:一力茶屋の二階座敷に現われたお軽は、最初、銀地に花柄
の団扇を盛んに使っているが、これは、後に顔世御前からの手紙
を読む由良之助の手許を鏡で覗き手紙を盗み読む際の、カモフ
ラージュに銀地の団扇を利用しているのではないかと気が付い
た。銀地の団扇も、鏡も、光って見つかっても、言い訳が効くと
いうことではないか。

九太夫は、私が観た舞台では、全て芦燕であったという記録が、
今回も継続している。芦燕の九太夫は、前半の意地悪く、意固地
な筆頭家老から、金にこだわる、欲深の親子(因に九太夫は、二
千石で、息子の定九郎は、二百石というのが、九太夫の台詞で知
ることができる)に替って、饒舌になる。さらに、敵の師直方秘
書課長の伴内に手玉に取られ、「七段目」で床下に潜り、由良之
助の手紙を盗み見るスパイ行為をした挙げ句、九太夫は、由良之
助に手助けされて、お軽に父親・与市兵衛の仇を息子・定九郎の
代わりとして殺される。

「十一段目」は、付け足し。ない方が良い。由良之助を含め、い
わば、3枚の紙芝居の絵を見せられるようで、それだけのものだ
ろう。歌舞伎の舞台としては、ほかの場面とレベルが違い過ぎ
る。

総じて、今回の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」の配役は、バランス
が取れていて、もともと見どころの多い芝居だが、それぞれの名
場面で、熱演すべき人たちが、きちんと熱演していて、非常に見
応えがあったと思う。

贅言:舞台が廻る。廻って、廻って、「忠臣蔵」は、実に廻り舞
台の機能をフルに回転させる。浅葱幕の振り落としといい、廻り
舞台といい、大道具の機能の魅力を知リ尽している。
- 2007年2月27日(火) 21:49:19
2007年1月・国立劇場 (通し狂言「梅初春五十三驛」)


「梅初春五十三驛」VS「独道中五十三驛]


国立劇場の開場40周年を記念して、国立劇場では、去年から歌
舞伎の特別公演を展開している。全く観なかったが、真山青果原
作の「元禄忠臣蔵」は、好評だった。今月の「梅初春五十三驛
(うめのはるごじゅうさんつぎ)」は、166年ぶりの復活狂言
だというので、久しぶりに国立劇場に足を運んでみた。

十返舎一九原作の滑稽本「東海道中膝栗毛」、歌川広重の錦絵
「東海道五拾三次之内」が、刊行され、江戸時代の後期は、東海
道が、ブームになった。明治維新まで、40年と迫った、幕末の
1827(文政10)年、後世、大南北と呼ばれた四代目鶴屋南
北は、「亀山の仇討」を世界にして「独道中五十三驛(ひとりた
びごじゅうさんつぎ)」を、三代目尾上菊五郎主演(10役早替
り)で、河原崎座で上演し、評判を呼んだ。「五十三段返しのか
らくり道具」という大道具の名人・十一代目長谷川勘兵衛の工夫
魂胆も、功を奏したことだろう(「独道中五十三驛」は、市川猿
之助主演で、11年前、96年7月歌舞伎座でも、上演された。
スピーディな舞台展開が、いまも印象に残る。このサイトの「遠
眼鏡戯場観察」連載は、99年3月の国立劇場の舞台からなの
で、劇評はない。拙著「ゆるりと江戸へ 遠眼鏡戯場観察」に書
き込まれているだけ。猿之助は、絶えて久しく上演されなかった
「独道中五十三驛」を復活上演したのは、81年7月の歌舞伎座
であった)。以来、柳の下の泥鰌を求めて、「五十三驛もの」
が、相次いで、上演された。8年後の、1835(天保6)年
に、市村座で上演されたのが、「梅初春五十三驛」である。京か
ら江戸への道中で、大南北の「独道中五十三驛」の「書き換え狂
言」。さらに、ほかの先行作品からも、「剽窃」(当時は、著作
権などという概念もなく、おもしろい趣向は、何度観ても、おも
しろいと、剽窃は、当たり前であった)し、新しい趣向も付け加
え、さらに、曲亭馬琴原作の小説「頼豪阿闍梨恠鼠伝(らいごう
あじゃりかいそでん)」という、「清水冠者義高(しみずのかん
じゃよしたか)」の世界を大枠に据えている。義高は、源頼朝に
滅ぼされた木曽義仲の遺児だが、伊豆の百姓・次郎吉、実は、鼠
小僧である。つまり、軸は、「鼠小僧物語」なのである。お盆狂
言の「独道中五十三驛」が、夏を中心に据えたのに対して、外題
からも伺えるように、初春狂言の「梅初春五十三驛」は、冬を中
心に据えているが、これは、創意工夫と言うより、書き換え狂言
の興行時期に合わせた、苦し紛れの逃げ道だったろう。

原作は、三升屋二三治(にそうじ)、中村重助、五代目南北の合
作である。余り馴染みのない名前ばかりだと思う。三升屋二三治
は、初代桜田治助の弟子で、後に、市村座の立作者となった。後
世に残る狂言は少ないが、おまも上演されるお染・久松の「道行
浮塒鴎(うきねのともどり)」、お軽・勘平の「道行旅路花聟
(たびじのはなむこ)」などの作詞が、伝えられている。中村重
助は、役者の四代目中村七三郎(しちさぶろう)の子だが、記録
は、あまり残っていない。五代目南北は、大南北の娘婿の養子、
大南北から見れば、血は繋がっていないが、孫の世代に当るの
で、自称「孫太郎南北」としたが、やはり、あまり記録がない。
実作者としてよりも、むしろ、名伯楽だったようで、門下に、三
代目瀬川如皐、河竹黙阿弥がいる。いずれにせよ、大南北が、没
した後、暫く、歌舞伎の狂言作者の世界は、無人の状態となる。
小粒の、団栗の背比べ。従って、あまり実力のない作者たちが、
先行作品を下敷きにしながら、「綯(な)い交(ま)ぜ狂言」を
仕立てようと、思いつきの創意工夫の断片を厚塗りし、三代目瀬
川如皐や河竹黙阿弥らが、力をつけて来るまでの空白期を埋めて
行ったというのが、実相の時代だったのだろう。歌舞伎の世界の
おもしろいところは、こういう無名の作者たちも、合作作業中
に、いわば、「憑依現象」が起きて、名作が生まれることがある
ということだ。「梅初春五十三驛」が、名作だったかどうかは、
この際、さておく。

江戸に続いて、6年後の1841(天保12)年に大坂の角の芝
居でも再演された(今回の復活上演は、このときの手描き台本に
よる)し、上演後、芝居錦絵として、初代国貞や国芳、貞秀、景
松らによって描かれたことなどから推察すると、評判作に、化け
たことは、まちがいない。しかし、埋もれていた復活狂言は、大
抵、長いので、筋を整理して、上演しないと、いまの観客には、
受け入れられません。そこが、菊五郎や国立劇場の工夫魂胆とい
うところでしょう。まあ、基礎的な知識は、この程度の留めて。
と言っているうちに・・・柝が入ったようです。客席のざわめき
も、大きくなってきました。さあ、場内に入るとしましょう。

今回の演出のポイントは、複雑な筋立てを極力簡略化し、個々の
場面の趣向を重視する、いわば、お楽しみ路線のようだ。だか
ら、劇評も、筋立てには、こだわらないが、結論めくが、全体の
印象をざっとスケッチしておきたい。芝居は、「独道中五十三
驛」同様に京から江戸までで、十返舎一九原作の滑稽本「東海道
中膝栗毛」が、江戸から京・大坂を目指したのと逆コースである
(ご承知のように、昔遊びの双六は、「東海道中膝栗毛」同様
に、江戸から京・大坂ヘ向い、「京の夢、大坂の夢」が、「上が
り」となる。何故、南北の「独道中五十三驛」が、京から江戸へ
「下る」という、当時から見れば、180度の発想の転換で、
「逆コース」を趣向したのか。当時、「下(くだ)りもの」と言
えば、上方からの商品の別称。ブランド品、高級品のイメージ。
逆に、「下(くだ)らないもの」、つまり、江戸近郊で作られた
ものは、安価な、普及品のイメージであった。その転換は、南北
が、初めてなのか。いつから始まったのか。調べていないので、
判らないが、推測では、多分、江戸の将軍様のお膝元へ帰るとい
う、「江戸っ子の帰郷意識」があったのではないか、江戸の庶民
の娯楽、歌舞伎は、そういう庶民の意識の変化を、どのジャンル
よりも逸早く受け止めていたのかも知れないと、思うが、いかが
だろうか)。

今回は、五幕十三場でまとめあげ、菊五郎の4役(もっとも、
96年上演の猿之助「独道中五十三驛」では、三幕三十五場、主
役は、「十四役早替りならびに宙乗り相勤め申し候」と意気込み
が違う)、松緑の3役、三津五郎、時蔵、彦三郎、菊之助、團
蔵、権十郎、亀蔵、松也の2役など、ほかに田之助、秀調、萬次
郎らという配役。兼ねる役者が多いのと短い多数の場面を盛り込
み過ぎていて、いくら、筋立てより、個々の場面を楽しむといっ
ても、ある程度は、筋が飲み込めないと観ていて混乱する。菊五
郎は、実線でくっきりと描かれているので、役が変っても、判る
が、ほかの役者は、混乱する。三津五郎と時蔵は、根の井小弥太
と大姫のコンビで出て来る場面が多いので、菊五郎の次くらいに
くっきりしている。菊之助と時蔵は、権八・小紫の世界。印象薄
いのが、3役と出番が多いのに、松緑であった。敵役は、主軸と
立ち会うので、通常、印象に残るものだが、今回は、石塚玄蕃の
権十郎は、薄かった。本庄助八の亀蔵は、印象に残った。これ
は、彼の個性的な顔に恩恵がある。趣向のハイライトの一つ、
「岡崎の化け猫(猫石の精霊)」が出て来る、「無量寺」の場面
で、茶屋娘おくらを演じた梅枝は、特段に印象に残った。梅枝
は、時蔵の長男で、ことし誕生日が来れば、20歳。猫石の精霊
(菊五郎)の妖力によって、操られ、荒れ寺の障子に飛び込んだ
り、とんぼを返したり、回転、懸垂など、体操競技の選手のよう
な所作を繰り返す役どころを柔軟な身体で、ミスもなく、見事に
演じ切って、場内の拍手を浴びていた(猿之助一座の「独道中五
十三驛」のときは、猿四郎が、おくらを演じていた。これも、と
んぼなどダイナミックで、印象に残っている)。

以下、場面展開に従って、趣向の数々を中心に、私のウオッチン
グメモから、適宜、書き留めてみよう。

序幕「大内」から「三井寺」。まず、紫宸殿の場面、御所を守護
する源頼朝の弟蒲冠者範頼(團蔵)が権勢を示し、初春の嘉儀の
荘重さ、鎌倉時代を設定した「時代物」の雰囲気を強調する。宝
剣探索中の大江因幡之助(松緑)、範頼の腹心で主筋の、木曽義
仲方の敵役となる石塚玄蕃(権十郎)、同じく敵方の本庄助八
(亀蔵)も、馳せ参じて、宝剣探索という物語の発端と敵方の顔
見世、さらに、次郎吉、実は、鼠小僧、実は、清水義高(菊五
郎)、大姫(時蔵)も顔見世。「三井寺」の場は、頼豪阿闍梨の
霊(彦三郎)による義高の正体顕現の後、黒幕が、上下に引き分
けられると、三井寺の山中にて、清水義高(菊五郎)、大姫(時
蔵)のほかに、根の井小弥太(三津五郎)、白井権八(菊之
助)、大江因幡之助(松緑)、本庄助八(亀蔵)の6人による、
敵味方入り乱れての宝鏡、系図の軸、十二単(ひとえ)などをめ
ぐる典型的な「だんまり」となる。忍術で、木の祠に消えた義高
(菊五郎)は、岩を割り、赤い目を爛々と光らせる大鼠に跨が
り、天下掌握の悪夢を抱き、本舞台から花道へ、ゆるりと入り込
み、向う揚幕へ消えて行く。歌舞伎味たっぷりの、荒唐無稽な見
せ場。

二幕目「立場茶屋」から「無量寺」(岡崎の場)は、大姫(時
蔵)に従う根の井小弥太(三津五郎)が、木曽義仲に遺恨を抱く
老女に化けた、猫石の精霊(菊五郎)に襲われる物語。大姫らを
案内してきた茶屋娘のおくら(梅枝)が、「みたや、あいたや」
と、猫の精にいたぶられ、殺される場面が、見せ場。老女が、行
灯の油を舐めると行灯に大猫の影が映る。おくらは、アクロバッ
トのような所作で、いたぶられるさまを見せるので、「岡崎の
猫」として、知られる名場面。菊五郎の家の藝。音羽屋といっ
しょに萬屋の御曹司・梅枝は、柔軟に、たっぷり、外連(けれ
ん)の演技を叮嚀に見せてくれた。茶屋の場面での、糸で操る猫
の動きが、秀逸。茶屋の場面の百姓・麦作を演じる権一に味があ
る。舞台上手から下手への大猫の着ぐるみの宙乗り。大猫の眼
が、黄色く光る。この芝居は、鼠と猫の芝居でもあるのだ。

三幕目「吉祥院」から「関所」。「吉祥院本堂」は、劇中劇。寺
での素人の勧進芝居の場面。和尚(團蔵)の口上で、芝居は始ま
る。出し物は、「車引」。俳優祭の遊びのノリ。「金十郎稲荷」
から、無断で持ってきた鳥居をバックに、所化弁長(三津五郎)
の竹本、お豊(三津右衛門)の三味線方で、庄屋太左衛門(田之
助)、百姓の杢作(松緑)らが、梅王丸、桜丸を演じるという豪
華版。旅役者の三宅坂菊之助、実は、白井権八(菊之助)と三宅
坂小梅(松也)も、助っ人。やがて、鳥居を無断使用された神主
(菊五郎)が、怒鳴り込んできて、芝居は、おじゃん。この騒ぎ
で、輿のなかに納められていた亡者(亀蔵)が、飛び出して来
る。亥歳のせいか、猪も飛び込んで来る。「吉祥院裏庭」では、
三宅坂菊之助、実は、白井権八(菊之助)と和尚(團蔵)が、寺
に隠してあった宝剣を奪い合い、和尚を殺すが、権八が、捕手に
囲まれている隙に、所化弁長(三津五郎)が、宝剣を盗んで逃げ
てしまう。

浜名湖畔の「関所」。関所そのものを舞台で観るのは、初めてな
ので、おもしろく拝見。「先代萩」の「対決」の場面と同じ、襖
の紋様(柄)が、「問注所」=「裁判所」と「関所」を同等に考
えていた江戸庶民の、お上意識が反映されているようで、興味深
い。幕には、笹竜胆の紋。義経の紋と同じだろう。源頼朝に対抗
する木曽義仲系統の清水義高こと鼠小僧を主軸に据えた物語ゆえ
に、「義経」ということか。得てして、江戸の時代物は、徳川幕
府への批判を鎌倉幕府、あるいは、足利幕府への批判という形
で、表現するのが、習いであったから、江戸の庶民には、襖の紋
様や幕の紋で、芝居者からのシグナルを受け止めていたのだろう
と、容易に想像がつく。この場面、普通なら、本舞台の檜の板の
ままで、良いはずなのに、何故か、地絣が敷き詰めてある。花道
も、地絣が、敷き詰めてある。これは、なにか、工夫魂胆がある
ぞと、私の頭脳は、受信している。関所の責任者は、前半は、海
老名軍蔵(彦三郎)。真面目だが、融通は効かなそう。彦三郎の
時代の科白回しが、一人だけ、重々しいオーバーアクションで、
浮いている。もう少し、肩の力を抜いて発声した方がよい。本庄
助八(亀蔵)が、軍蔵に入れ知恵をして、関所を通過した後に、
根の井小弥太(三津五郎)が、大葛に大姫を隠して、背負いなが
ら通り抜けようとすると、阻止する。時の鐘(楽器の「時計」の
音)で、途中で交替した狩野之助宗茂(かののすけむねもち・松
緑)が、助ける。しかし、三宅坂菊之助、実は、白井権八(菊之
助)が、拾った女手形を持って、通りかかるが、宗茂(松緑)
は、駕篭に乗せると、網をかけるという策略を使って、権八(菊
之助)を召し捕るが、これが、体の良い「警護」と、判る。

この後の、大道具がおもしろい。関所が、廻り舞台に載らずに、
上手に引っ張り込まれるのである。さらに、先ほどから、腑に落
ちなかった地絣が、本舞台、花道とも、上下に引っ張り込まれ
て、下から波布が表れる。全て、浜名湖畔の体。上手より、船が
出て来る。関所をすり抜けた根の井小弥太(三津五郎)と大姫
(時蔵)が、大葛とともに乗っている。花道からも、同様の大き
さの船。鉄砲の音。ただし、こちらは、菰の屋形船仕立て。屋形
から、アイヌ紋様の厚司姿の義高(菊五郎)が、乗っている。廻
り舞台を使った、「梅暦」の洲崎沖での、丹次郎の船と仇吉の船
のすれ違う名場面のような、スマートな展開だ。「舟だんまり」
風の工夫が、嬉しい。歌舞伎の醍醐味が伝わって来る良い場面
だ。菊五郎のサービス精神か、「綯い交ぜ狂言」らしく、先行作
品の名場面が、いろいろ出て来る。荒唐無稽を堂々と主張してい
るところが、愉しい。

四幕目「入早(いるさ)山」から「富士ヶ根屋」。「入早山」の
峠の場面では、人気女郎の小夜衣(さよきぬ)お七(菊五郎)と
吉祥院から金と宝剣を盗んで以来、羽振りの良い所化弁長(三津
五郎)との笑劇の場面。お七は、弁長を騙して、宝剣を奪う。お
七は、権八の白井家に奉公していたので、権八派だったのだ。
「富士ヶ根屋」の場面は、「八百屋お七」のパロディ。櫓に登っ
て、太鼓を叩き、権八を逃すために、木戸を開けさせる。富士ヶ
根屋の勝手口が、中央の二重舞台。下手に隣家の店先が見える。
「丸に音」の紋が、染め抜かれた大きな暖簾がかかっている。紋
の上に、山形に菊の文字の染め抜き。音羽屋、尾上菊五郎、とい
うわけだ。囚人駕篭から権八を救い出すために、権八そっくりの
吉三郎(八百屋お七の恋人の名前と同じ・菊之助)という実の弟
を身替わりにするお七。大道具が、廻って、「富士ヶ根屋」の裏
手の木戸と櫓の場面。「八百屋お七」の舞台同様に雪が降ってい
る。「初春」狂言の、謂れである。

大詰「三浦屋寮」、「鈴ヶ森」から「日本橋」。「三浦屋寮」
は、権八(菊之助)・小紫(時蔵)の世界。時蔵の小紫は、匂い
立つような色香。庭の白梅(下手)と紅梅(上手)に植わってい
る。普通は、白梅(上手)と紅梅(下手)なので、全く、逆。珍
しい。二人の色模様を夢形式で見せる。

お七の夢が覚めると、権八が処刑された「鈴ヶ森」。幡随院長兵
衛と権八の出会いの場面の女版。お七(菊五郎)が、幡随院長兵
衛の役どころ、小紫(時蔵)が、権八の役どころ。「お若けえ
の、お待ちなせいやし」「待てとおとどめなされしは、わっちが
ことでござんすかえー」と女言葉で、パロディぶりを強調、観客
席の笑いを誘う。二人の仲裁に入ったのは、なんと、処刑された
はずの権八(菊之助)。吉三郎が、身替わりになり、権八は、生
き延びていた。権八は、宝剣を持って、大江因幡之助(松緑)に
届けに行く。

「鈴ヶ森」最後の、「ゆるりと江戸で」「逢いやしょう」は、本
物の「鈴ヶ森」なら、科白の間に、柝が入り、バックの黒幕が落
ちて、品川の遠見の夜明けの景色となるのだが、ここでは、柝が
入らず、黒幕も落ちず、夜明けも来ない。まだ、大団円ではない
から、夜も明けないのだろう(これは、本来、原作にない、今回
だけの演出という)。

「御殿山」は、桜満開。宝剣を持った権八(菊之助)が、奥深い
舞台中央から飛び出して来る。歌舞伎らしくない、スポットライ
トと風に舞う花吹雪が多用されている。権八と捕手との立ち回り
だけの場面。それぞれの衣装が、赤と黒で調和されている。これ
も、原作にない、今回の挿入場面だが、歌舞伎というより、現代
劇の演出で、違和感を感じた。最後は、何者かの妖術で、虚空を
飛び去る宝剣。浅葱幕の振り被せ、そして、振り落とし。浅葱幕
は、蕾が膨らむように、いつものように、舞台内側から膨らんで
きて・・・開花とばかりに、落下する。

すると、「日本橋」の場面。無人の舞台に、舞台中央の大せり
が、奈落に落ちているため、ぽっかり、空間が明いている。やが
て、大せりに乗って、宝剣を手にした鼠小僧、実は、義高(菊五
郎)が上がって来る。大江家の家臣たち(亀三郎、亀寿、松也、
萬太郎)が、鼠小僧を取り囲む。義高が、身分を明かして、大江
家の面々を引き下がらせる。鎌倉に向おうとする義高。待てと押
しとどめて、花道から、白銀の猫の香炉を持った根の井小弥太
(三津五郎)と大姫(時蔵)。上手から、大江因幡之助(松緑)
と権八(菊之助)。結局、宝剣より、銀の香炉が神通力があり
で、決着。つまり、落ちは、鼠は、猫に負けたということだ。宝
剣は、義高から権八の手を経て、大江因幡之助に返されて、大団
円。

81年から96年にかけて、8回上演され、練り上げられmテンポ
アップがはかられた「独道中五十三驛」と復活上演初回の「梅初
春五十三驛」の比較をするのも、酷かも知れないが、11年前に
観た猿之助一座の「独道中五十三驛」のテンポのある、スピー
ディな場面展開は、やはり、素晴しかった。特に、今回の幕間の
使い方が、下手だ。舞台の緊張感が、だれてしまう。大道具のス
ペクタクルも、段違いに悪い。「宙乗り」を含む役者の外連(け
れん)の演技も、ほとんどない。外連味のある演技は、梅枝のみ
が、印象に残る。

贅言;猿之助の病気休演が長引き、「空中分解」しているように
見える猿之助一座は、玉三郎が、尽力をして、引っ張ってくれて
いるようだが、徐々に、存在感が薄れているようで、残念でなら
ない。3月の国立劇場小劇場では、国立劇場開場40周年記念歌
舞伎では、脚本入選作の「初瀬豊寿丸 蓮絲恋慕曼荼羅(はちす
のいとこいのまんだら)」という新作歌舞伎を上演する。玉三郎
の演出で、玉三郎を軸に、市川右近ら猿之助一座の面々が、共演
する。笑三郎、段治郎、寿猿、春猿、猿弥、門之助ほかの名題に
笑也、猿四郎が見えないのが淋しい。

猿之助の不在は、現代歌舞伎に大穴を空けている。歌舞伎の幅
が、狭くなったような気がする。新年年頭に当り、猿之助の一日
も早い、舞台復帰を祈りたい。
- 2007年1月21日(日) 21:41:36
2007年1月・歌舞伎座 (夜/「廓三番叟」「金閣寺」「春
興鏡獅子」「切られお富」)

「廓三番叟」は、3回目の拝見。能の「翁」を元に歌舞伎の「三
番叟」は、出来ていて、さらに、趣向を凝らしたさまざまな「三
番叟もの」がある。

「廓三番叟」は、「式三番叟」の歌詞を生かしながら、全てを廓
に置き換えているので、いわば「三番叟」のパロディである。
翁、千歳、三番叟の代りに、傾城、番頭新造、新造、太鼓持ち
(「翁」役は、千歳太夫、「千歳(せんざい)」役は、番頭新
造、「三番叟」役は、太鼓持)が、登場するという洒落の世界。
遊廓で繰り広げられた正月の座敷遊びの趣向。三番叟なれば、
「かまけわざ」(人間の「まぐあい」を見て、田の神が、その気
になり(=かまけてしまい)、五穀豊穣(=ひいては、廓や芝居
の盛況への祈り)をもたらす)という呪術、それは「エロス」へ
の祈りが必ず秘められている。まして、今回の場は、「廓」とい
う、「エロス」そのものの場が、エロスの度合いを高める。エロ
スとユーモアが、ふんだんに盛り込まれている、いかにも、江戸
の庶民が、新春に楽しんだ風情が、色濃く残る。初演から、40
年後は、もう、明治維新。幕末の不安定な政情と裏腹に、庶民
は、芝居に明るさを求めていたのだろう。

廓の座敷の体の本舞台。上下手。一部に障子のある襖には、銀地
に若竹、紅梅の絵。舞台真ん中から下手にかけては、長い障子
(後に、障子が開くと、出囃子の雛壇)。一方、上手は、雪釣の
松の中庭が見える。上手床の間の壁には、銀地に紅梅が描かれた
中啓が飾ってある。床の間の床には、正月のお飾り。舞台中央上
手寄りにある衣桁には、黒地に鶴が描かれた傾城の打ち掛けが掛
けてある。全て、廓の正月の光景。打ち掛けは、傾城「千歳」太
夫だけに、鶴は「千年」で、鶴の模様。襖ほかにちりばめられた
「梅」は、番頭新造「梅」里ゆえか。

障子が開くと、笛の音をきっかけに鶯の啼き声のする、江戸の春
の廓の世界へ一気に入る。置浄瑠璃のあと、下手、襖が開くと、
傾城千歳太夫(雀右衛門)が、新造の春菊(芝雀)と新造の松ヶ
枝(孝太郎)が、出て来る。次いで、新造梅里(魁春)。遅れ
て、太鼓持の藤中(富十郎)も、参加して、めでたい「三番叟」
の踊りとなる。雀右衛門を軸にしているだけに、太鼓持の藤中
が、富十郎という豪華版。

雀右衛門は、足の運びが、スムーズに行かない。ことし、誕生日
が来れば、87歳。息子の芝雀が、さり気なく、サポートしてい
る。雀右衛門は、所作から所作へは、手は自由に動くが、足の運
びは、ぎこちない。それでも、節々の静止の姿は、安定してい
て、美しい。

「金閣寺」は、5回目の拝見。この芝居「祇園祭礼信仰記」は、
元々の外題が、「祇園祭礼信長記」であったことでも判るよう
に、織田信長の一代記をベースにしている。全五段の時代物。四
段目の中から切にあたるのが、「金閣寺」。情慾と暴力に裏打ち
された「権力」への野望に燃える「国崩し」役の松永大膳対「藝
の力」、つまり「文化」の雪姫、それを支援する此下東吉こと真
柴筑前守久吉(つまり、豊臣秀吉のこと)らという構図。つま
り、「武化と文化の対決」で、文化が勝利という判りやすい芝居
だ。

雪姫:雀右衛門(2)、玉三郎(今回含め、2)、福助。大膳:
幸四郎(今回含め、4)、三津五郎。東吉:團十郎、富十郎、菊
五郎、染五郎、今回は、吉右衛門。慶寿院尼:田之助(3)、秀
調、今回は、東蔵。狩野直信:九代目宗十郎、秀太郎、時蔵、勘
三郎、今回は、梅玉。正清:左團次、歌昇、我當、橋之助、今回
は、左團次。鬼藤太:彦三郎、弥十郎、信二郎、亀蔵、今回は、
弥十郎。こうやって、配役を見ると、幸四郎が、好んで、いろい
ろな役者と一座を組んでいるのが判る。今回のポイントは、9年
ぶりの玉三郎の雪姫と幸四郎、吉右衛門の兄弟共演だ。

松永大膳は、極悪人だ。罪状を「社会部」的な視点から見ると、
主君の十三代将軍・足利義輝に謀反し、将軍思い者の遊女を唆し
て、将軍を射殺させ、将軍の母・慶寿院尼を金閣寺に幽閉してい
るという、反逆罪の政治犯、つまり「国崩し」。室町御所で見初
めた雪姫の尻を追い掛けるセクハラおやじ。恋人の直信と逃げた
雪姫は、直信に横恋慕する後家の策略で、大膳の元に行かされ、
大膳の手で、幽閉され、「蒲団の上の極楽責め」にあっている。
夫の直信も、捕らえられている。監禁の罪。大膳は、さらに、雪
姫の父親・雪村を殺して、祖父雪舟から受け継がれた宝剣を奪っ
ている。強盗殺人の罪。暴力と情慾で、好き勝手なことをしてい
る。「金閣寺」の場面でも、雪姫に対して、天井の一枚板に龍の
墨絵を描け、閨の伽(セックス)をしろと、いまも、無理難題を
突き付けている。脅迫の罪。

大膳を演じる幸四郎は、いつものオーバーアクションだが、実線
の太い線で、くっきりとした芝居を得意とする幸四郎向きの演目
だろう。大きな実悪ぶりを見せる。対する「文化」の旗手は、玉
三郎の雪姫。4年前の、03年歌舞伎座の雀右衛門の雪姫は、
「一世一代」の演技という感じの緊張感を維持した素晴しい舞台
であった。「いっそ、殺してくださりませ」と、可憐だが、芯が
強い姫を玉三郎は、シャープに演じる。美しく、こまやかな、9
年ぶりの玉三郎雪姫は、見応えがあった。東吉は、吉右衛門だ
が、脇に廻っている所為か、昼の部の俊寛に比べると、軽めに演
じている。かん高い声が馴染まない。背も、前屈みで、勢いが感
じられない。幸四郎の、押し殺した低い声が、この場には、合
う。

ハイライトは、「爪先鼠」の場面。長い縄で桜の木に縛り付けら
れた雪姫は、桜に木から大量に落ちてきた花弁を使って、足の指
で鼠の絵を描き、その鼠に自分を縛っている縄を食いちぎらせ
て、自由の身になるまでを玉三郎は、叮嚀に演じた。雪姫が、櫻
の花弁で描いた白い鼠は、自由の身になった雪姫が、鼠を叩く
と、身体が、まっぷたつに裂けて、ピンクの花弁が飛び散る仕掛
けで、道具方の美意識が、表れている。藝の魔力を象徴している
鼠は、強し。

竹本の愛太夫は、最初、葵太夫見間違えたほど、雰囲気が似てい
る。端正な顔つき、調髪も、真似ているような感じで、短かめ
だ。

金閣寺の大道具が、「大ぜり」に載ったまま、せり下ると二階に
は、十三代将軍・足利義輝の母・慶寿院尼(東蔵)が幽閉されて
いる。金閣寺の楼閣の大道具せり下がりは、いつ観ても迫力があ
る。二階の襖は、金地に桐の木の絵、一階の襖は、金地に虎の
絵。桐は、東吉、実は、筑前守久吉がらみ、虎は、軍平、実は、
佐藤正清がらみ。

この演目は、「国崩し」という極悪人・大膳もいれば、颯爽とし
た捌き役・東吉もいれば、歌舞伎の三姫のひとり、雪姫もいれ
ば、雪姫の夫で、和事の直信(梅玉)もいれば、赤っ面の軍平こ
と正清(左團次)、同じく赤っ面の大膳弟の鬼藤太(弥十郎)も
いれば、老女形の慶寿院尼もいるという具合に、歌舞伎の時代物
の典型的な役どころが勢ぞろいしているので、動く歌舞伎入門の
ように観ることができる。

「春興鏡獅子」は、8回目。勘三郎(勘九郎時代に2、勘三郎に
なって初めてで、都合、3)、菊之助(2)、新之助(2)、勘
太郎。

1893(明治26)年、九代目團十郎が、56歳で「鏡獅子」
を初演したとき、これは「年を取ってはなかなかに骨が折れるな
り」と言ったそうだが、若向けには、荷が重すぎる演目だ。40
歳代後半から50歳代が、「時分の花」という演目か。今回、勘
三郎は、十八代目襲名披露を歌舞伎座で行ってから、地方を廻っ
て帰ってきた。勘三郎襲名後、初めての「春興鏡獅子」の披露を
歌舞伎座で行った。勘三郎は、ことしの誕生日が来れば52歳に
なるが、「鏡獅子」には、まさに、旬の年齢かも知れない。勘三
郎は、20歳が初演で、あしかけ27年間におよそ400回演じ
たそうだ。40歳代後半に入って、勘九郎の「鏡獅子」には、風
格が備わってきているから、当分、賞味期限は、続く。

「鏡獅子」は、江戸城内の、正月吉例の鏡開きがある。上手の祭
壇には、将軍家秘蔵の一対の獅子頭(茶色)、鏡餅、一対の榊、
一対の燭台が、飾られている。

前半は、小姓・弥生の躍りで、女形の色気を要求される。後半
は、獅子の精で、荒事の立役の豪快さを要求される。六代目菊五
郎の「鏡獅子」は、映像でしか見たことがないが、六代目の弥生
は獅子頭に身体ごと引き吊られて行くように見えたものだ。将軍
家秘蔵の獅子頭には、そういう魔力があるという想定だろう。こ
こが、前半と後半を繋ぐ最高の見せ場だと私は、思っている。六
代目の孫である勘三郎は、どうか。祭壇から受け取った、ひとつ
の獅子頭に「引き吊られて」勘三郎は、花道を通り、向う揚幕ま
で行ってしまった。いまや、「鏡獅子」の第一人者は、勘三郎だ
ろう。

後半に入って、「髪洗い」、「巴」、「菖蒲打」などの獅子の白
い毛を振り回す所作を連続して演じる。大変な運動量だろう。メ
リハリもあり、全身をバネのようにしてダイナミックに加速す
る。勘三郎の所作は、安定している。右足を上げて、左足だけで
立ち、静止した後の見得も、決まっている。

贅言:胡蝶の精を橋之助の息子・宗生と元の清水大希、こと、
06年5月の舞台で披露し、いまは、勘三郎の部屋子(へやご)
になった二代目鶴松(名題扱い)が、演じるが、鶴松は、巧い。
宗生に「成駒屋」と大向うから声がかかれば、鶴松には、負けず
に、「中村屋」と声がかかる。大向うは、正直に反応する。

「切られお富」こと「処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよ
こぐし)」は、初見。「総身の傷に色恋も薩た(土偏に垂)峠の
崖っぷち」という名科白で知られる。粋で、鉄火肌の姐御という
人物造型。蓮っ葉な悪女だが、与三郎には、一筋という純情さ
が、隠し味となるように、お富を描く。初演は、1864(元治
元)年というから、明治維新まで、後、4年という最幕末期。幕
末の頽廃爛熟な気分を、見事に定着させて、後世に遺した。世情
は、さぞ、不安定だったことだろう。ビデオテープ的な記録効果
抜群の作品。当時、二代目河竹新七を名乗っていた、後の、黙阿
弥原作で、三代目瀬川如皐原作「切られ与三」こと「与話情浮名
横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」のパロディとして、幕末
から明治期の名女形・三代目澤村田之助に宛てて、書き下ろし
た。悪婆(あくば)ものの代表作。三代目田之助といえば、16
歳で守田座の立女形になる天才役者だが、脱疽になり、手足を切
断した後も、義手義足を工夫して、舞台に立ち、最期は毒素が脳
に廻り、33歳で狂死した役者としても知られる。

歌舞伎座では、あまり演じられない。前進座の河原崎国太郎が復
活したので、前進座では、良く上演される。前回は、猿之助が、
15年前に演じているが、猿之助の「切られお富」は、観てみた
かった。当代の役者では、やはり、福助か、玉三郎か。福助の
「切られお富」は、初役だが、蓮っ葉な部分としおらしい部分を
使い分けるお富像の構築は、弱かった。先に触れたように、純情
なお富も、また、お富の性根であるからだ。お富の二重性は、人
物造型のキーポイントになる。例えば、お富が、久しぶりに与三
郎に合う場面など、しおらしい部分をきちんと演じると、蝙蝠安
に対する蓮っ葉な部分が生きて来るのだが、そのメリハリが弱
く、もう一工夫欲しい。与三郎は、橋之助が演じたが、存在感が
弱く、印象に残りにくい。赤間源左衛門を演じた歌六は、このと
ころ、脇で、良い味を出している。蝙蝠の安蔵を演じた弥十郎
は、「切られ与三」でも、蝙蝠安を演じていたが、「切られ与
三」の安と「切られお富」の安の違いを意識すべきではないか。

お富は、赤間源左衛門の囲われ者だが、与三郎との情交が、発覚
して、源左衛門らに切り刻まれて、全身創痍となる。息絶えたと
思われたお富の躰を棄てに行くことを命じられた蝙蝠安は、お富
を助け出し、自分の女房にする。命を長らえたものの、総身傷だ
らけのお富は、人生観も変えた。蝙蝠安とともに、峠の茶店を営
むお富は、与三郎と再会し、与三郎のために北斗丸という刀を買
い戻す資金として、女郎屋を営む赤間源左衛門から二百両を脅し
取ろうとする。その場面「赤間屋見世先」は、パロディのハイラ
イト。源左衛門とともに、お富に対抗する源左衛門女房お滝に高
麗蔵。高麗蔵は、女形に、立役にと、活躍というより、便利に使
われている感じがする。この人の女形は、江戸の粋な女性を活写
していて、私は、好きなのだが、もう少し、女形にこだわった芸
をしてくれないものかといつももどかしく思う。福助の科白:
「新年早々、お運びの皆々様が、ご存知だよう」と、源左衛門を
威す場面は、場内も湧く。

第二幕第三場「狐ヶ崎畜生塚の場」で、源左衛門から脅し取った
二百両を巡って、お富と安が、仲違いをして、安は、お富に斬り
付けられ、金を奪い取られる。その後、歌舞伎座の筋書では、お
富が、捕手に取り囲まれ、立回りとなっていて、10人の捕手の
配役も明記されているのだが、実際の舞台では、捕手は出て来ず
に、福助と弥十郎の立回りのみで、途中で、二人が座り込み、
「こんにちは、これぎり」で、幕。

贅言:久しぶりに、歌舞伎座の3階席で拝見したが、隣の席の男
性に、「大向うをやっていますので、途中で、大声を出します
が、よろしく」と挨拶されたので、「大向うは、歌舞伎の薬味で
す。存分にやってください」と答えた。序でに、幕間などに「大
向うのグループは、3つぐらいあるのですか」などと質問をし、
答えてもらったので、以下附記しておく。

「大向う」は、都内に、3つのグループがあり、ひとつは、初代
吉右衛門が名付けた「弥生会」で、メンバーは、20数人。「寿
会」は、10数人。「声友会」は、5人。大向うの声の掛け方
は、主役が、6なら、脇は、4。有力な脇が二人いる場合は、2
ずつ。つまり、6:2:2。声は、役者の科白や地方(じかた)
の演奏に被さらないように注意する。演目によって、役者から、
この場面で、声を掛けてくれと頼まれたり、頼まれて巡業につい
て行くこともある。頼まれる場合は、祝儀を戴く。

ついでに調べたら、「大向う」は、地方の小屋にもあり、大阪の
「初音会」、名古屋の「八栄会」、博多の「飛梅会」などがあ
る。最近の話題としては、人気若手役者の屋号で、例えば、片岡
愛之助に対する、「愛松嶋」ら、市川染五郎に対する「染高麗」
などの是非が、論争になっているらしい。
- 2007年1月20日(土) 22:25:58
2007年01月・歌舞伎座 (昼/「松竹梅」、「俊寛」、
「勧進帳」、「喜撰」)

吉右衛門「俊寛」は、団塊世代への応援歌

松竹の永山武臣会長は、戦後の歌舞伎を全身で支えてきた人だ。
明治期、九代目團十郎らが、欧化政策の中で、「新しい『国劇』
としての、歌舞伎」の有り様を模索し、失敗をする。「国劇」活
動は、歌舞伎活性化運動としては、失敗するが、「新国劇」、
「新劇」、「新派」などを生み出したという点では、成功をし、
日本の演劇の幅を広げる。そういう意味では、「明治の劇聖」と
して顕彰された九代目は、その名に恥じない功績を遺した。なら
ば、「旧劇」「旧派」と貶められた歌舞伎は、どうなったかと言
えば、どっこい、「旧劇」の荒唐無稽さを魅力にした、不死身の
生命力で生き残った。河竹黙阿弥らが、「旧劇」延命に、多大の
貢献をした。そうは言うものの、「旧劇」たる歌舞伎は、近代に
入って、危機にも瀕している。戦後だって、そうだ。松竹と東宝
の軋轢もあり、歌舞伎役者が、二分されたり、映画に走ったりし
た。そういう戦後の歌舞伎の浮き沈みの前にも、戦火で焼失した
歌舞伎座の再建問題、「歌舞伎=封建的」という占領軍
(GHQ)との文化政策との対抗などの課題もあった。最近は、
若い人たちの姿を歌舞伎座でも大勢見かけるが、ひところは、若
者離れなどもあった。何度も、襲いかかる浮沈の波や「国劇」に
対する国の文化政策の冷ややかさという温度差にもめげずに、天
才的な興行師として永山武臣は、松竹という一民間会社の先頭に
立ち、身体を張って、国の代りに、国劇たる歌舞伎のプライドを
護ってきた。また、営利としても、成り立つ国劇という、企業人
としての工夫魂胆もあっただろう。歌舞伎は、国劇だから、文化
財だから、国の文化政策に任せておけば良いなどと考えていた
ら、歌舞伎の今日の隆盛はなかったと思う。そういう意味で、永
山武臣という人は、偉大だったと思う。歌舞伎座は、建て替えら
れ、いずれ、新しい演劇空間として、生まれ変わる。永山武臣会
長は、まさに、いまの歌舞伎座の建物とともに生き、そして、逝
去された。

さて、馴染みの演目が並ぶ、昼の部の、劇評のハイライトは、8
回目の拝見の「俊寛」である。以下、「俊寛」を中心に書き、そ
のほかの演目は、簡潔にしたい。

「松竹梅」だが、三段返しの長唄という演出は、初見。「松」
は、歌枕で知られる野路(近江国)の玉川の秋の風情。業平(梅
玉)と舎人(橋之助)の踊り。「鎌倉見たか江戸見たか」という
フレーズが、印象に残る。橋之助は、見る角度によって、顎の張
りが、父親の芝翫に良く似てきた。「竹」は、花道から奴(歌
昇)。舞台上下から雀の精(信二郎、松江=前の玉太郎、高麗
蔵)。奴の3羽の雀が絡む。吉原雀の悩ましさ。松竹を言祝ぐ。
皆、大せりで降りる。代りに、美形3人を乗せて、大せりが上
がって来ると、「梅」。工藤祐経奥方椰(なぎ)の葉(魁春)、
「対面」でお馴染みの、大磯の虎(芝雀)と化粧坂の少将(孝太
郎)という傾城。きらびやかで、艶やかな衣装。紅白梅の枝を
持った椰の葉。扇子を持った大磯の虎。弓を持った化粧坂の少
将。「対面」を下敷きにしている、女趣向の演目。夫の名代の、
椰の葉は、曽我兄弟の父・河津三郎の最期を物語る趣向だ。はん
(華)なりした、正月向きの出し物。「松・竹・梅」というラン
ク付けとは、逆に、「梅」が、いちばん。「松竹」ごめん。

さて、劇評の「見出し」にとった「俊寛」は、8回目。見なれた
演目で、今回の吉右衛門が、3回目。兄の幸四郎、3回。仁左衛
門、猿之助が、それぞれ1回。つまり、4人の役者の俊寛を観て
いる。前回の吉右衛門の俊寛は、祖父で、養父の初代の50回忌
追善興行とあって、いつもにも増して、こってりと演じていたの
が、印象的だったが、今回も、また、別の意味で、印象的だっ
た。それは、吉右衛門が、幕切れ寸前に、いつにも増して、「喜
悦」の表情を浮かべた「新演出」(?)を含めて、堪能した。こ
の「喜悦」とは、なんだったのか、今回の劇評は、いつもと趣向
を変えて、この「喜悦」の謎の解明という、一点にこだわって書
いてみたい。

「俊寛」は、いろいろ綾のある物語だが、要は、妻の東屋が、御
赦免の上使・瀬尾に殺されていたことを知り、瀬尾を殺して、妻
の仇を取り、その責任を負って、ひとりだけ、鬼界ヶ島に居残り
続けるという話。あわせて、3人分しか、帰還用の船の席がない
ため、成経と祝言をあげたばかりの千鳥を船に乗せようと、俊寛
が犠牲になるという要素もある。原作の近松門左衛門は、「思い
切っても凡夫(ぼんぷ)心」という言葉をキーワードとした。犠
牲の精神を発揮し、決意して、居残ったはずなのに、都へ向けて
遠ざかり行く船を追いながら、都への未練を断ち切れない俊寛
の、「絶望」あるいは、絶望の果ての「虚無」を幕切れのポイン
トとした。多くの役者は、絶望か、虚無か、どちらかの表情で、
舞台が廻って、絶海の孤島の岸壁の上となった大道具の岩組に座
り込んだまま、幕切れを待っている。俊寛の表情の意味は、通
常、以下の、3つに大別される。

(1)「一人だけ孤島に取り残された悔しさの表情」:俊寛の人
間的な弱さの演技で終る役者が多い。

(2)「丹波少将成経と千鳥という若いカップルのこれからの人
生のために喜ぶ歓喜の表情」:身替わりを決意して、望む通りに
なったのだからと歓喜の表情で終る役者もいる。私は、生の舞台
を観ていないが、前進座の、歌舞伎役者・故中村翫右衛門、十三
代目仁左衛門が、良く知られる。

(3)「一緒に苦楽を共にして来た仲間たちが去ってしまった後
の虚無感、孤独感、そして無常観」:苦悩と絶望に力が入ってい
るのが、幸四郎。「人間というのはそうした大きな犠牲の上で生
かされている」と幸四郎は言う。能の、「翁」面のような、虚無
的な表情を強調した仁左衛門。仁左衛門は、「悟り」のような、
「無常観」のようなものを、そういう表情で演じていた。「虚
無」の表情を歌舞伎と言うより現代劇風(つまり、心理劇。肚で
見せる芝居)で、情感たっぷりに演じていた猿之助。役者は、
皆、独自の工夫魂胆で、舞台に挑戦している。「おーい。おー
い」と、船を追い掛けた果ての、吉右衛門の表情も、従来、虚無
的であった。

この場面、前回(03年9月歌舞伎座)の吉右衛門について、私
は次のように書いている。長いが、引用したい。

*幕切れ近くの、無言劇での、唯一の科白が、「おーい」「おー
い」の連呼なのである。そういう文脈のなかで、この科白を考え
る必要がある。まず、この「おーい」は、島流しにされた仲間
だった人たちが、都へ向かう船に向けての言葉である。船には、
孤島で苦楽を共にした仲間が乗っている。島の娘と、ついさきほ
ど祝言を上げた仲間がいる。そういう人たちへの祝福の気持ちと
自分だけ残された悔しい気持ちを男は持っている。揺れる心。
「思い切っても凡夫心」なのだ。時の権力者に睨まれ、都の妻も
殺されたことを初めて知り、妻殺しを直接手掛けた男をさきほど
殺し、改めて重罪人となって、島に残ることにした男が、叫ぶ
「おーい」なのだ。「さらば」という意味も、「待ってくれ」
「戻ってくれ」という意味もある「おーい」なのだ。別離と逡
巡、未練の気持ちを込めた、「最後」の科白が、「おーい」なの
だろう。

しかし、それだけだろうか。私には、それだけではないような気
がする。それは、今回の舞台を観ているうちに、吉右衛門演じる
俊寛の表情から読み取らなければならない情報があるのだと気づ
いたのだ。「おーい」の後に続く俊寛の表情。その静けさ。その
空虚さ、虚無が、そこにはある。

これは、「最後の科白」でもあるが、「最期の科白」でも、ある
のではないか。ひとりの男の人生最期の科白。つまり、岩組に
乗ったまま俊寛は、この後、どう生きるのかということへの想像
力の問題が、そこから、発生する。昔の舞台では、段切れの「幾
重の袖や」の語りにあわせて、岩組の松の枝が折れたところで、
幕となった。しかし、吉右衛門系の型以降、いまでは、この後
の、俊寛の余情を充分に見せるようになっている。仁左衛門、猿
之助が演じる俊寛でも余情をたっぷり見せる。それでも、普通、
その余情は、仲間だった人たちを乗せた船を見送った後の余情だ
けだったが、今回の吉右衛門の俊寛を観ていると、岩組を降りた
後の、俊寛の姿が見えて来た。ここで、俊寛は、自分の人生を総
括したのだと思う。愛する妻が殺されたことを知り、死を覚悟し
たのだろう。俊寛は、岩組を降りた後、死ぬのではないか。これ
は、妻の死に後追いをする俊寛の妻の東屋への愛の物語ではない
のか。それを俊寛は、未来のある成経と千鳥の愛の物語とも、ダ
ブらせたのだ。そして、俊寛自身は、今後、老いて行く自分、死
に行く自分、もう、世界が崩壊しても良いという総括をすること
ができたことから、いわば「充実」感をも込めての呼び掛けとし
て「おーい」、つまり、己の人生への、「最期」の科白としての
「おーい」と叫んでいるように、私には聞こえて来たのだ。

何故、そう感じるのかというと、俊寛は、清盛という時の権力者
の使者=瀬尾を殺す。それは、清盛の代理としての瀬尾殺しだ。
つまり、権力という制度への反逆だ。これは、重罪である。流
人・俊寛は、さらに、新たな罪を重ねたことになる。何故、罪を
重ねたのか。それは、都の妻を殺されたからである。つまり、俊
寛は、重罪人になっても、直接、自分の妻を殺した瀬尾に対し
て、妻の敵を討たない訳には行かなかったのだ。だから、これ
は、敵討ちの物語でもある。妻殺しの瀬尾を殺してでも、妻と自
分の身替わりとして千鳥と成経には、幸せな生活をしてほしいと
思ったのだと思う。ふたりの将来の幸せな生活を夢見る。だか
ら、これは、愛の再生の物語でもある。そこに、虚無の果てとし
ての充実を思い描く俊寛がいる。」

歌舞伎座の筋書に載った吉右衛門の楽屋インタビュー記事を見る
と、こうある。

「俊寛はお坊さんではありますが、色々欲のある人間です。その
俊寛が若者の為に、自分を犠牲にしようと思い切って、人の為に
生きることを選ぶ。こうした俊寛の清清しい人間らしさを感じて
頂きたいです」。

だから、吉右衛門は、4年前と同じように演じていたのかも知れ
ない。にも拘らず、私は、「虚無の果てとしての充実」→「喜悦
の表情」という印象を踏まえて、「俊寛は、岩組を降りた後、死
ぬのではないか」という、前回の予感とは、全く逆に、俊寛が、
犠牲的精神だけの満足ではなく、もっと、積極的な決意の下に、
「喜悦」の表情をしたように受け止めたのだ。馴染みのある演目
故に、虚心坦懐、ひたすら舞台を観るということだけに集中した
結果、私に見えてきたものは、実は、前回と全く逆なものであっ
た。それは、「あらためて、生き直そう」という俊寛の決意であ
る。

俊寛(吉右衛門)は、芝居の冒頭では、通説通り、御赦免船を一
日千秋の思いで待っている。都(中央)への強い「Uターン志
向」の気持ちである。しかし、既に述べたような経緯があって、
改めて役人殺しの重罪人(確信犯)となり、島に遺されるが、中
央での活躍は、成経(東蔵)と千鳥(福助)、康頼(歌昇)らに
任せて、妻の仇もとった自分は、積極的に島(地域)に残り、人
生の第2ステージにチャレンジするという気になったのではない
か。老人は、後ろに廻り、若い人たちを前へ(都へ)押し出す。
しかも、老人も、後ろに廻るだけではなく、新天地を目指す。他
人(ひと)のためにも役立ち、自分のためにもなる途を見つけた
男の心境ではなかったか。それが、あの喜悦の表情を俊寛に浮か
べさせたのではないか。

実は、私は、今月で、やっと、還暦を迎えた。30有余年、働き
つづけてきて、いくつものハードルを乗り越え、乗り越え、よう
よう、年金世代に到着した。特に、ここ数年は、苦しかった。私
の身の周りにいる同世代は、すでに、病気や自殺などで、「還暦
という彼岸」に到達しないまま、亡くなっている者もいる。ある
いは、脳硬塞などの重篤な病気を引き起こし、早々と介護される
生活を送っている者もいる。私の場合も、ここ数年が、苦しかっ
た。人生を川に例えるならば、山から流れ出し、山間部、平野と
流れてきた川は、いつのまにか、大河となり、私は、恰も、河口
が近づいてきたことを感じさせる幅広の川岸に立たされている。
さらに、そこから、水中に飛び込ませられ、向こう岸(彼岸)泳
げと命じられた人のような生活を送ってきた。私の周りでは、同
じような年格好の連中が、泳いでいる。中には、力つきて、溺
れ、水中に沈んで行く者もいる。私も、何回も、水を呑み込み、
むせては、立ち直るというさまだ。還暦になれば、彼岸に到着で
きる。還暦後、退職をすれば、年金制度の下、金の心配をせず
に、やりたいことができる。そういう意味で、還暦とは、「第2
の思春期」(時間がたっぷりあり、健康でさえいれば、何でも出
来そうな気がする)ではないかと言い聞かせながら、泳いでき
た。手が届きそうなところまで来ながら、病魔にでも侵されれ
ば、彼岸に到達しないまま、溺れ死んでしまうだろう(実際、私
の周辺でも、ここ2年で、2人が病没、ひとりが、病魔にとらわ
れ、介護を受けている)。やっと、到着した彼岸だが、現実の生
活では、後継世代と責任あるバトンタッチをしなければ、簡単に
リタイアは、できない。まあ、それをできるだけ早く、済ませ
て、心置きなく、元気で、豊饒な時間の沃野に入り込んで行きた
い。「青年は、荒野を目指」したが、「老人は、沃野を目指
す」。時間のたっぷりある沃野では、やりたいことも、たっぷり
ある。表現活動のためには、時間は、命同然の重みを持つ。そう
いう思いを秘めながら、舞台を観ていた所為かも知れないが、や
にはに「俊寛」の吉右衛門から、上記のようなメッセージ(彼岸
への期待)が届いたので、私は、吃驚したのだ。

否、それは、勝手な深読みだと批判する声も聞こえてきそうであ
る。それが、もし、深読みに過ぎだとすれば、あるいは、重篤な
病を宣告され、悩みに悩んだ末に、ターミナルケアに身を委ねる
決意をした患者のように、吹っ切れた気持ちの上に、遺された、
限られた時間を有意義に過ごしたいというような意欲が湧いてき
たがゆえの、「喜悦(というよりか、安心立命の心境かもしれな
い)」の表情だったのではないか。「抱き柱」のように抱いてい
た岩組から身を放した俊寛。身体を張って、新しい地平に一歩踏
み出す決意が出来たがゆえの、「喜悦」の表情だったのではない
か。いずれにせよ、吉右衛門の、「喜悦」の表情が、私の胸を
打ったことには、まちがいない。

歌舞伎の名作は、何度も演じられた結果、劇的な骨格がしっかり
しているから、舞台を観る観客が、基本の「骨格」の上に、情報
を「付加」して観ることができる。時代が変っても、新しい時代
の意味合いを付加させて、新しい解釈をしながら、舞台を観るこ
とができる。歌舞伎の「かぶく(傾く)」とは、まさに、そうい
う歌舞伎の特性(旧き上に、新しきを加える)を表わしていると
思う。今回の吉右衛門「俊寛」からは、「人生、第2段階へ、喜
悦」という、団塊の世代向けのメッセージが、届けられたよう
に、受け止めた。これぞ、歌舞伎の醍醐味ということだろうと思
う。

さて、ほかの役者では、憎まれ役の瀬尾太郎兼康を演じた段四郎
が、味を出していた。福助の千鳥(千鳥は、都の上った後、先に
亡くなっている俊寛の妻・あずまやの亡霊とともに、怨霊となっ
て、清盛をとり殺すような、強い女性である)。基康(正義の味
方の裁き役)の富十郎、成経の東蔵、康頼の歌昇と、バランスの
取れた配役で、安定した舞台であった。

贅言:「俊寛」の見どころは、役者ばかりではない。大道具もあ
る。花道を奔流する浪布の動きを見逃してはならない。去りゆく
赦免船を追い求める俊寛の気持ちを遮り、立ちはだかる波は、重
要な場面だ。地絣の布が、引き込まれ、次々に、浪布に切り替わ
る。舞台下手の地絣は、下座音楽の黒御簾の下の隙間から、引き
入れられる。舞台下手にあった岩組は、大道具が廻るに連れて、
孤島になり、辺り一面が、孤島になり、歌舞伎座の場内が、大海
原に変身する瞬間だ。このテンポの良い「変貌」を観るだけで
も、「俊寛」は、見応えがあると言える。これが、猿之助演出と
なると、舞台の上手と下手で、浪衣(黒衣の一種)が、舞台最先
端の浪布を上下に揺らして、波が俊寛に迫って来るだけでなく、
深さも深くなる様を演じてくれるから、素晴しい。

「勧進帳」は、13回目の拝見。今回は、幸四郎。私が、拝見し
た13回の「勧進帳」の主な配役は、以下の通り。

弁慶:幸四郎(4)、團十郎(3)、吉右衛門(3)、猿之助、
八十助時代の三津五郎、辰之助・改め松緑。

冨樫:菊五郎(3)、富十郎(3)、梅玉(2)、吉右衛門、猿
之助、團十郎、勘九郎、新之助・改め海老蔵。

義経:雀右衛門(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝翫
(2)、梅玉(2)、富十郎、染五郎。

幸四郎は、今回の千秋楽で、930回をこえるという弁慶役者の
代表選手なので、実線で、くっきりとした弁慶を演じるが、技巧
に走り過ぎて、巧すぎるのが、難点だ。ものごとのあわいの微妙
さ、色合いの濃淡の魅力など、余白、余韻に欠ける。私の好きな
弁慶は、吉右衛門、あるいは、團十郎。吉右衛門の弁慶、富十郎
の冨樫、雀右衛門の義経というのが、私の夢見る配役なのだが、
未だに実現していない。今月は、当該役者が皆出勤していたのだ
から、ぜひとも実現して欲しかった。

もともと、「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、
名舞踊、名ドラマ、と芝居のエキスの全てが揃っている。これ
で、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあきないのは、当然
だろう。

今回は、幸四郎の弁慶に、梅玉の冨樫、芝翫の義経。幸四郎と芝
翫に挟まれて、梅玉が、弱い。冨樫は、弁慶の男の真情を理解
し、指名手配中の義経を含めて弁慶一行を関所から抜けさせてや
ることで、己の切腹を覚悟する。男が男に惚れて、死をも辞さず
という思い入れが、観客に伝わって来なければならない。それが
なかった。大酒飲み、舞上手、剛胆さを利用して、義経をかば
う、という危機管理を見事に成功させる有能な官僚の弁慶。そう
いう弁慶像は、幸四郎からきちんと伝わってきた。芝翫の義経
は、品格がある。

贅言:今月は、大阪の松竹座でも、「勧進帳」の競演。團十郎の
弁慶、海老蔵の冨樫、藤十郎の義経。果たして、東西、どっちの
「勧進帳」が、充実していたのだろうか。大阪の舞台は、観てい
ないから、なんとも言えないが、私の夢の配役が、今回、歌舞伎
座で実現していれば、文句なく、歌舞伎座に軍配といきたいのだ
が・・・。

「喜撰」は、5回目の拝見。「喜撰」は、「六歌仙容彩」という
変化舞踊として「河内山」の原作「天保六花撰」と同じ時代、天
保2年3月、江戸の中村座で初演された。小町、茶汲女を相手
に、業平、遍照、喜撰、康秀、黒主の5役を一人の役者が演じる
というのが、原型の演出であったが、いまでは、それぞれが独立
した演目として演じられる。今回は、「喜撰」で、勘三郎の業平
と小町見立ての玉三郎のお梶という配役。

「喜撰」は、小道具の使い方が巧い舞踊だ。櫻の小枝、手拭、緋
縮緬の前掛け、櫻の小槍、金の縁取りの扇子、長柄の傘などが、
効果的に使われる。喜撰は、花道の出が難しい。立役と女形の間
で踊るという。歩き方も、片足をやや内輪にする。勘三郎は、体
調でも悪いのか、身体の切れが、良くない。スレンダーで、ス
マートな玉三郎と対比すると、小太り、ずんぐりの勘三郎が目立
つ。22人出て来る所化の踊りも、揃わない。
- 2007年1月20日(土) 17:20:16
2006年12月・歌舞伎座 (夜/「神霊矢口渡」「江戸女草
紙 出刃打お玉」「紅葉狩」)

夜の部は、初見の演目が多く、楽しみにして来た。歌舞伎座で歌
舞伎を観るのも、とりあえず、いつまでのことか。3年ほど、休
演期間があって、新築なった歌舞伎座で新しい舞台を観る日が来
る。歌舞伎座休演中も、都内では、毎月、歌舞伎興行をするつも
りだとは、聞いているので、歌舞伎そのものは、何処かの劇場で
楽しめるだろう。

「神霊矢口渡」は、初見。1770年人形浄瑠璃初演。歌舞伎で
は、1794年初演。良く上演されるのは、時代浄瑠璃全五段の
うち、四段の切り「頓兵衛住家」。原作は、福内鬼外(ふくうち
きがい)。節分に因んだ筆名。して、その正体は?、というと、
江戸の科学者(本草学、蘭学)で、マルチ人間の平賀源内であ
る。竹本「琥珀の塵や磁石の針、粋も不粋も一様に、迷うが上の
迷いなり」などと、当時の常人には、考え出せない科白も散見す
るが、その割には、荒唐無稽な物語であり、そもそも外題にある
「神霊」とは、なんとも非科学的である。しかし、娘役に仕どこ
ろが多いため、花形の若女形が、良く演じるために、歴史のなか
を生き抜いて来た。

だが、今回の舞台を拝見すると、初役の菊之助と竹之丞時代以
来、36年ぶりの再演という富十郎の演技力が、荒唐無稽な物語
を歌舞伎の枠にはめ込ませたことが判る。例えば、逆海老の、柔
軟な身体を見せる菊之助お舟の若さ(右肩に刀を担ぎ、娘を睨み
倒す父親を演じる老優との対比)。オーソドックスに藝を受け継
ごうと精進している様が、清清しい。極悪人のまま最後まで通し
て、神罰に遭って、殺される富十郎頓兵衛の存在感の強さ。それ
がまた、対比的に菊之助の清清しさを強調する。藝の力こそ、偉
大である。

「頓兵衛住家」とは、六郷川にある矢口の渡守・頓兵衛の家であ
る。時は、南北朝時代。南朝方の新田義興が、朝敵足利尊氏討伐
のため、矢口の渡を渡ろうとしたところ、頓兵衛は、舟の底に穴
を開け、義興を殺すことに成功する。その褒美を元に大きな家を
立てたのが、頓兵衛という男だ。

芝居の主役は、頓兵衛(富十郎)の娘・お舟(菊之助)である。
頓兵衛が留守で、お舟が留守番をしていると義興の弟・義峯(友
右衛門)が、恋人の傾城うてな(松也)を連れて、宿を借りに来
る。ふたりは、黒地に露芝の紋様の縫い取りという、典型的な道
行き(比翼の衣装)のこしらえ。宿屋ではないので、お舟は、断
るが、戸の隙間から覗き見た美男の義峯に一目惚れ。一目惚れの
エネルギーが、物語を一気に展開させるから凄い。恋人うてなを
妹と偽り、お舟の恋心を利用しようとすると、義峯・お舟のふた
りは、新田家の御旗の威力に当てられ、気絶してしまう。江戸の
科学者の筆は、どこまでも、非科学的である。

この家の下男・六蔵(團蔵)は、義峯の正体を悟り、義峯を捕ら
えて、己の手柄にしようとするが、お舟は、身体を張って義峯ら
を逃がそうとする。しかし、夜になると父親の頓兵衛が現れ、
(舞台が回り)住家裏手に出て、寝所にいるはずの義峯を殺そう
と、床下から刀を突き刺し、寝ている義峯を襲う。その結果、義
峯の身替わりに寝ていたお舟が、父親の刀で刺されてしまう。人
非人・頓兵衛は、娘の命など物ともせず、「矢口渡」の柱を斬り
付けると、大きな音を立てて、のろしが上がる。のろしの合図で
仲間を集め、逃げた義峯を舟で追い掛けようとする。鳴り鍔を鳴
らしながら頓兵衛が、花道を引っ込むのは、「蜘手蛸足(くもて
たこあし)」という特殊な演出(舞台上手で附け打ちが打つ附け
の音と鍔が鳴らされる音が交錯する。役者は、首を振りながら向
う揚幕に引っ込む)。

一方、大道具は、さらに半廻しされ、川に突き出た櫓が、舞台中
央に入って来る。櫓の太鼓(落人確保の知らせ)を叩いて、仲間
を引き上げさせ、父の企みを阻止しようとするお舟。この辺り
が、芝居のクライマックス。命を掛けて、自分が一目惚れした貴
人義峯らを逃がそうとする娘心が哀れである。菊之助の清潔感
が、ぴったりとお舟の真情を観客に伝えてくれる。

しかし、上手から出て来た船上の頓兵衛の胸に、突然、どこから
か飛んで来た白羽の矢(折り畳み式)が首に刺さり、極悪人は、
滅びるという話。竹本「怪し、恐ろし」と、最後まで、非科学的
なところも、おもしろし。

贅言:この芝居(人形浄瑠璃初演は、1770年、歌舞伎初演
は、1794年)には、さまざまな狂言の有名場面を思い出させ
る場面がある。例えば、お舟の義峯一目惚れの辺りは、「義経千
本桜」の「すし屋」(1747年初演)を下敷きにしているのだ
ろう。つまり、弥助とお里の場面だ。ここの下敷き説は、判りや
すい。

竹本「薮よりぬっと出たる主の頓兵衛」という場面で、舞台下手
に設えた薮から帰宅の頓兵衛の出の場面は、「絵本太功記」
(1799年初演)の十段目「尼ケ崎閑居」(通称、「太十」)
の光秀の出にそっくり。それだけではない。さらに、光秀が、久
吉(秀吉)と間違えて母の皐月を殺してしまうという状況設定ま
で、頓兵衛のよるお舟殺しにそっくり。「太十」(近松柳ほか合
作)が、真似たのか、上演を続けて行くなかで、「矢口の渡」
が、何処かの時点から原作にない、工夫に「太十」を真似て使う
ようになったのか、いま、詳しく調べる余裕がない。

お舟が、川に突き出た櫓の太鼓を叩く場面は、「伊達娘恋緋鹿
子」(1773年)の八百屋お七、通称「櫓のお七」の場面を彷
彿とさせるではないか。いろいろな狂言が、重層的に連なって、
歌舞伎の狂言ができ上がっていることは、容易に創造できるが、
どちらが先かは、単に上演の時期だけでは、簡単に決められない
ところが、歌舞伎の奥深さだろう。


「江戸女草紙 出刃打お玉」も、初見。菊五郎は、こういう役
は、実に巧い。憎まれ役の梅玉が、貴重。こういう役柄は、なか
なか適役がいない。團十郎、仁左衛門、吉右衛門も、任ではな
い。梅玉以外では、幸四郎か。いずれにせよ、今回の梅玉は、前
半の田舎出の素朴な青年侍と後半、都会の水に洗われ、すっか
り、ふてぶてしく、図々しく、好色な中年侍になった増田正蔵と
いう男の人生を描き切っていて、見応えがあった。

微禄の青年武士の筆下ろしをした姐ご肌の茶屋女は、「出刃打お
玉」という異名を持つ、男勝りの気性の女だ。元は、見せ物小屋
に出ていた女曲芸師・お玉。「出刃打」とは、鰺切包丁を投げる
曲芸時代からの通り名であった。金を無心に来る昔の男・どんで
んの新助(友右衛門)、今ご贔屓の好色住職・広円(田之助)、
茶屋の主人与兵衛(家橘)、お玉の朋輩おろく(時蔵)、向いの
茶屋女お金(歌江)など、達者な役者たちが、茶屋に出入りする
群像を描いて行く。

初めて観た池波正太郎劇だが、その特徴は、人情の機微をいくつ
ものジグソーパズルのようにちりばめ、再構成して、庶民の人情
噺に仕立て上げて行くところ。ジクソーパズルのピースには、い
つのまにか、自分の実体験を踏まえてのいる。年上の女性による
筆下ろしは、池波正太郎の実体験という。仮想世界作りの妙。

お玉に父親の仇討を告白し、仇の居場所を見つけた増田正蔵は、
危うく、仇の森藤十郎(團蔵)に討ち返されそうになるところを
お玉の出刃打の芸に助けられ、見事仇討を成功させる。「強かっ
たよ、おめでとう」。国へ帰るように諭すお玉とお玉に感謝し
て、涙を流す正蔵。

あれから、28年の年月が流れ、歳とったお玉は、朋輩のおろく
が営む出会い茶屋で下女をしている。歳をとりくたびれたお玉を
菊五郎は、情味深く演じている。ひとつひとつの動作を慈しむよ
うに演じる。本当に巧い。

出会い茶屋を利用し、若い処女を食いものにしている嫌らしい中
年の侍は、かっての増田正蔵だ。羽振りは良いようだが、すっか
り、下劣な男に成り下がっている。再会の名乗りに出たお玉。し
かし、「乞食婆あ。知るものか」。汚い婆あは、知らないとしら
を切る正蔵。「驚いたねえ。私も変ったが、あの人も変ったもの
だ」。

茶屋から逃げるように飛び出して来た正蔵。後を追い、出刃を正
蔵めがけて投げ付けるお玉。歳はとっても、若いころ身に付けた
芸は、生きている。正蔵の目に刺さった出刃。犯人は、判ってい
るので、正蔵を迎えに来た家臣(権十郎)は、お玉を捕まえよう
とするが、正蔵は、「俺の身から出た錆よ」と自嘲して、さらに
逃げるようにして、花道を去って行く。「ざまあ、みやがれ。足
腰は、弱っても、これを持たせリャ、私も、お玉に立ち返るん
だ」と強気なお玉だったが、未練気に「正蔵さん」と小さな声で
呼び掛けるのもお玉だ。お玉が、哀れだ。幾重にも味のある女の
一生を菊五郎は、過不足なく演じた。

「紅葉狩」は、7回目。能を素材に、新歌舞伎十八番を制定した
九代目團十郎が、松羽目物にせずに、活歴風の舞台に仕立てた。
前シテの更科姫が、後ジテで鬼女に変るので、女形が演じると後
ジテの鬼女の演じ方が難しいし、立役が演じると、前シテの更科
姫が、難しい。女形は、女形の柔らかな所作の姫の中から鬼を滲
みださせるのに工夫を重ねる。立役は、鬼の荒々しさを赤姫の中
から飛び出さない程度に封じ込めるのに工夫を重ねる。似ている
ようで、異なる工夫が必要なのだろう。例えば、それを眼の光で
現そうとするのが、海老蔵かも知れないし、玉三郎かも知れな
い。歩き方で現す役者もいるだろう。手の動きで現す役者もいる
だろう。背骨の軸で現そうとする役者もいるだろう。持って生ま
れた柄の特徴で現そうとする役者もいるだろう。いまの海老蔵
は、荒削りで、自然体で、己の特徴を掴んでいないから、荒々し
いだけの立役が、赤姫の恰好をしているようにしか見えない。そ
う、江戸川乱歩の小説に出て来る異形な「黒蜥蜴」のようだ。先
月、新橋演舞場の「狐忠信」で海老蔵が見せてくれた「新しい人
来る」という私の思いは、今月、微塵に砕けたが、それだけに、
逆説的な言い方をすれば、海老蔵の「紅葉狩」には、期待ができ
ると予言だけしておこうか。

私の観た更科姫は、6人。玉三郎(2)、芝翫、福助、雀右衛
門、菊五郎、そして、今回が、海老蔵。私が観たなかでは、初め
ての立役が、更科姫を演じる。

このうち、体調が悪かったのか、芝翫が、扇を落とす場面が、印
象に残っているが、今回は、2日目に観た所為もあるが、未熟な
海老蔵が、何回も扇を落していた(その後、観に行った人に聞く
と、大分巧くなり、扇を落さなくなったという)。それほど、更
科姫の扇の場面は、難しい。福助も、落としそうになった。その
ために、踊りが、乱れたのを覚えている。雀右衛門は、落とさな
かった。玉三郎は、危な気なかった。菊五郎も、安定していて、
危なげがないと思って観ていたら、最後に、少しだけ、揺らぎが
あった。それほど、ここの扇の扱いは難しい。

前にも書いたが、「紅葉狩」は、「豹変」がテーマである。更科
姫、実は戸隠山の鬼女への豹変が、ベースであるが、赤姫の「着
ぐるみ」という殻を内側から断ち割りそうな鬼女の気配を滲ませ
ながら、幾段にも見せる、豹変の深まりが、更科姫の重要な演じ
どころである。観客にしてみれば、じわじわ滲み出して来る豹変
の妙が、観どころ。見落しては、いけない。酔いを演じる役者
が、じわじわ酔いを深めて行くように見せるのも難しいが、豹変
ぶりを薄紙を剥ぐように見せるのも、並み大抵のことではない。

このほかの今回の配役は、維盛:松緑、山神:尾上右近(清元の
延寿太夫の子息)、右源太:市蔵、左源太:亀三郎、局田毎:門
之助、腰元・岩橋(道化役):亀蔵、侍女・野菊:ぼたん(團十
郎長女、海老蔵妹)など。ぼたんは、踊りを披露したが、単独の
科白は無し。
- 2006年12月16日(土) 22:05:51
2006年12月・歌舞伎座 (昼/「八重桐廓噺〜嫗山姥」
「忍夜恋曲者〜将門」「芝浜革財布」「勢獅子」)

「八重桐廓噺〜嫗山姥(こもちやまんば)〜」は、4回目の拝
見。いずれも歌舞伎座だが、96年4月の中村鴈治郎、01年6
月の時蔵、04年12月の福助、そして、今回の菊之助と観る度
に役者が若くなる。歌舞伎では、口数の少ない女形が「しゃべ
り」の演技を見せるという近松門左衛門作には珍しい味わいのあ
る演目。

八重桐の科白が「言いとうて、言いとうて」で始まる見せ場。別
名「しゃべり山姥」といわれる「嫗山姥」では、八重桐の物語の
部分を「しゃべり」で演じるが、私が観た舞台で、「しゃべり」
を忠実に演じていたのは、鴈治郎だけで、時蔵も、福助も、今回
の菊之助も、いわば、しゃべらずに、人形のように、竹本に乗っ
ての「仕方噺」として、所作で表現していた。つまり、「しゃべ
り」という名の舞踊なのだ。これは、三代目、四代目が得意とし
た萬屋の家の藝の演出であるという。私が観た「嫗山姥」では、
こうした萬屋系の演出が多いが、私としては、鴈治郎の「しゃべ
り」の演出の方が、印象に残っている。鴈治郎のように「しゃべ
り」の歌舞伎味を強調するか、時蔵、福助らのように、様式色の
強い所作の仕方話で、人形浄瑠璃の味を強調するかが、ポイント
だろうが、鴈治郎のような「しゃべり」の型では、今回登場した
蔵人の妹・白菊、腰元・お歌などの役柄は、登場しない。

ときに糸に乗っての一人芝居では、菊之助は、自在な演技で、熱
演であった。菊之助の踊りのできはよかったし、竹本に合わせ
て、三味線に乗った所作は、充分に堪能できた。菊之助の安定し
た所作と演技。この人は、いわゆる「三之助」(新之助→海老
蔵、辰之助→松緑、菊之助)のなかで、唯一の「之助」だが、成
長ぶりは、三之助随一と思う。

八重桐(菊之助)は、故あって、自害する夫の坂田蔵人(團蔵)
の魂を飲み込むことで、己も怪力を持つという超能力者になると
ともに、妊娠し、後に、怪力少年・怪童丸(お伽噺の金太郎、後
の坂田公時)を産み落とすことになる。金太郎の母になる人の、
「金太郎伝説」を先取りするような芝居。女形の柔らかい身のこ
なしと「常のおなごでなし」というスパーウーマンの力強さを綯
い交ぜにしながら、人物造型をする。

贅言1):超能力は、八重桐の声を太くするし(この場面、菊之
助も地声を出していた。甲の声のとき、菊之助の声は、映画館の
スクリーンで活劇する「緋牡丹お竜」=藤純子の声に良く似てい
ると気づいた)、重い石の手水も投げ飛ばすが、今回は、花四天
の一人を人形(床下で、一人が、まさに、人形とすり替る)のよ
うに投げ飛ばす場面は、今回は、なかった。

贅言2):大納言兼冬館の塀外の場面。やがて、花道から、黒と
紫の「文反古(ふみほご)」をはぎ合わせた着付け姿の、恋文
屋・八重桐が登場するが、無人の塀内に聳える満開の1本の桜
木。塀外には、何故か、桜木の切り株がある。舞台に出て来る道
具は、必ず、何らかの使い道があると思いながら、観ていたら、
客席に顔を向けたまま、後ずさりをし、八重桐が腰を掛ける合引
がわりに使われていた(黒衣が、ちゃんとサポート)。

贅言3):お歌(市蔵)が、煙草屋源七(團蔵)にお茶を持って
来る場面で、「ハーイ、お茶」という科白があるが、これは、夜
の部出演の、海老蔵のCMの「おーい、お茶」のパロディと観
た。

ほかの役者では、滑稽な腰元・お歌を演じたのが、市蔵は、味を
出していた。煙草屋源七、実は、坂田蔵人(團蔵)が、澤潟姫
(松也)を慰めようと、煙草の由来を話して聞かせる場面では、
煙草嫌いだが、女好きという太田十郎(亀蔵)とが、絡み、ちゃ
り(滑稽劇)となるのも楽しませる。嫌煙派の太田十郎に煙管の
雨は、いじわるだが、これは、「助六」のパロディか。このほ
か、萬次郎が、腰元・白菊、実は、坂田蔵人の妹・糸萩を演じて
いた。

拝見3回目の「忍夜恋曲者〜将門」の、今回の見どころ。時蔵
は、81年10月、名古屋・御園座での、時蔵襲名披露の舞台以
来という、25年ぶりの「将門」というから、時蔵四半世紀の、
いわば中締の舞台。花道、スッポンの周辺に黒衣が、ふたり出
て、蝋燭を立てた「差し出し」(別名、「面明り」)で、辺りを
照らす。スッポンのなかから、煙り。やがて、如月(時蔵)が登
場する。ワクワクしながら待つのが、歌舞伎の醍醐味。古風な出
の美しさ。

贅言:「差し出し」は、永い柄の先にホームベースのような形を
した板がついているので、結構重いだろうと思う。その所為か、
黒衣たちは、「差し出し」を静止した状態で持ち続ける時は、両
手を後ろに廻して、背中越しで持っていたのが、見えたが、確か
に、そういう持ち方の方が、疲れが少ないと思う。

このところ進境著しい時蔵、充実の舞台であったと、思う。華や
かさと不気味さというアンビバレント。妖艶な島原遊廓の傾城・
如月と将門の息女で、大宅光圀(松緑)を味方に付けたいと目論
む瀧夜叉姫の二重性(光国に怪しまれる程度の気配を滲ませる必
要がある)をバランス良く演じた時蔵。25年前の舞台を思い出
して、「当時は、手も足も出ませんでした」という時蔵の所作
は、隅々まで、自信に満ちていたように思う(如月→滝夜叉姫の
ような、表情の変化におもしろ味を要求される役柄は、確かに難
しい)。すっかり真っ白い髪になった素顔の時蔵に、徐々に、芸
域を拡げてきた25年の年輪が刻まれている。時蔵の「将門」
は、初めて観たが、このほかの役者で観たのは、雀右衛門、松江
時代の魁春(04年1月、歌舞伎座。二代目魁春の襲名披露の舞
台。「将門」は、古風な歌舞伎の様式美に溢れているから、襲名
披露の演目に馴染むのかもしれない)。

古御所の御簾が上がると、眠り込んでいる大宅光圀の姿が見え
る。光圀を演じた松緑の化粧は、人形浄瑠璃の、白塗の「頭」の
ような印象で、やはり、馴染めない。いずれ、面相という、限定
条件を克服し、松緑の良さが、滲み出て来る舞台を拝見できるの
を楽しみにしている。ただし、平将門の最期をダイナミックな仕
方噺で演じる松緑の演技は、安定している。

古御所が崩れ落ちる、「屋台崩し」という大道具のダイナミズム
と大蝦蟇出現という外連(けれん)は、旧弊で、荒唐無稽なが
ら、「将門」を観る場合の、楽しみのひとつ。

「芝浜革財布」は、4回目。94年12月の歌舞伎座、菊五郎の
政五郎と時蔵のおたつ、97年11月の歌舞伎座以降、今回も、
菊五郎と松江時代を含む魁春で、3回拝見している。落語家三遊
亭圓朝の人情噺を歌舞伎化したもの。この芝居は、軸になる政五
郎一家だけでなく、脇の役者衆が、江戸の庶民を、いかに、生き
生きと演じるかに懸かっている。今回
も、彦三郎、團蔵、亀蔵、権十郎、東蔵、田之助など、藝達者な
人たちの出演で、リアルの江戸の庶民像が、浮かび上がって来
る。バランスの採れた配役で、楽しんだ。このほかでは、左團
次、亡くなった松助らも印象に残る。

この芝居を観たのは、12月が、今回含め、2回。11月が、1
回。1月が、1回だが、戦後の本興行の上演記録14回の内訳を
見ると、12月:4回、11月:2回、10月:2回、1月:2
回、2月:2回、4月、5月:1回。やはり、暮れに観たい演目
だ。

「芝浜革財布」は、夜明け前の芝浜(芝金杉海岸)の暗い海辺か
ら始まる。真っ暗な場内、暗闇のなかで、ぼうと赤い煙草の火が
ついたりするが、今回は、いきなり、くしゃみ。菊五郎は、この
辺りは、巧い。朝焼けの海で、財布を拾う政五郎(菊五郎)。汚
い財布に大金が入っていたので、慌てて、家に駆けて帰る。ドン
チャン騒ぎ。酔っぱらって、喧嘩。宴会の場面が、江戸の庶民像
をリアルに描いて行く。寝込んで、目覚めると、財布を拾ったと
ころは、夢で、ドンチャン騒ぎで、仲間に奢ったのは、現実と女
房のおたつ(魁春)に聞かされ、がっかりする政五郎。ぐうたら
な生活を改め、真面目に働いて、3年後の大晦日。実は、あれ
は、現実で、拾得物をお上に届けていたが、物主不祥で、大金の
所有権が、正式に政五郎になったという女房。偉い女房にぐうた
ら亭主の物語。めでたしめでたし。

本興行で、6回政五郎を演じている菊五郎だが、女房のおたつ
は、松江時代を含め、魁春が、4回、時蔵が、2回演じている。
時蔵の、女房役も悪くはないが、ここは、すっかり、魁春で定着
した感じがする。ぽっちゃりした姫さま役が当り役の魁春だが、
地味な長屋の女房も味わい深い役作りをするようになった。魁春
も、芸域を拡げて来た。このほかでは、姪のお君を演じた菊史郎
の娘姿が、初々しい。

曽我物の「勢獅子」は、3回目。今は、山王神社の祭礼を舞台に
映すが、元は、曽我兄弟の命日、5月28日に芝居街で催された
「曽我祭」を映したという。だから、鳶頭は、曽我兄弟の仇討の
様子を踊ってみせる。

舞台上手は、茶屋。中央寄りに、ご祭礼のお神酒所。中央には、
ご祭礼の門。下手の積物は、剣菱の菰樽。梅玉と松緑のふたりが
達者な踊りを披露。百獣の王 ・獅子の演目だけに、手古舞の女形
たちが、百花の雄 ・牡丹が描かれた扇子を二つ組み合わせて、
蝶々に見立てて、踊っていた。芸者に貫禄の雀右衛門。顔の輪郭
は、いつまでも若々しい。若い鳶たちに、松江、亀三郎、松也。

最後になるが、松竹の永山武臣会長の逝去を記録しておこう。
81歳。急性白血病。京都大学の学生時代から歌舞伎座でアルバ
イトをしていて、1947年、そのまま松竹に入社。一貫して歌
舞伎興行に携わり、米軍の空襲で焼失した歌舞伎座再建の一翼を
担い、近く、改築のため、取り壊される予定の歌舞伎座を見るこ
となく、亡くなった。そういう意味では、今の歌舞伎座の建物と
ともに送った人生だったと言えるかも知れない。興行師としても
卓抜な能力を持ち、戦後歌舞伎の歴史を役者とともに背負っ
て来たと言える。歌舞伎座が、永山会長のお陰で、国民的伝統芸
能歌舞伎の殿堂になったことは、間違いない。歌舞伎界の巨星墜
つ。合掌。
- 2006年12月16日(土) 16:07:54
2006年11月・歌舞伎座 (夜/「鶴亀」「良弁杉由来〜二
月堂」「雛助狂乱」「五條橋」「天衣紛上野初花 河内山」)

「鶴亀」は、初見。女帝の長寿を願って、鶴と亀の舞を披露する
という所作事。歌舞伎座、30年ぶりの上演。女帝は、雀右衛
門、鶴は、三津五郎、亀は、福助。開幕、無人の舞台中央に大せ
りが、3人を乗せて、せり上がって来る。雀右衛門の所作は、
ゆったりと荘重。いつまでも、元気で舞台に出て欲しい。金地に
亀の絵柄の扇子を持ち、濃い紫地に亀甲紋の衣装、金の亀を象っ
た冠姿の福助。銀地に鶴の絵柄の扇子を持ち、薄紫地に鶴の絵柄
の衣装、金の鶴を象った冠姿の三津五郎。三津五郎の踊りは、身
体が、伸びるように見える。やはり、巧い。顔見世月らしい、御
祝儀舞踊。

「良弁杉由来〜二月堂」は、4回目の拝見。「二月堂」のみの上
演は、今回が、2回目。やはり、この演目は、「志賀の里」、
「物狂」、「二月堂」と通しで、見たい。「物狂」、「二月堂」
と間に、「東大寺」という場面を入れる場合もあるが、私は、観
ていない。

通し上演の場合、季節感の変化が、愉しみな舞台である(初夏、
春、そして30年後の盛夏)が、それだけではない。「二月堂」
のみだと、幼児の行方不明を心配する貼紙を見た途端、良弁僧正
が、30年間探し求めていた母親との再会の場面となり、立身出
世した幼児のその後、つまり、良弁僧正と女乞食(実は、実母・
渚の方)の出会いで、めでたしめでたしだけが、強調されてしま
い、舞台が平板になる。仁左衛門の良弁僧正といえども、何故
か、「成り上がり者」の卑しさが付きまとう気がする。実母・渚
の方を演じた芝翫は、いつものように好演なのだが、何故か、2
回目の今回は、薄っぺらな印象が残った。

渚の方:芝翫(2)、鴈治郎(2)。良弁僧正:仁左衛門
(2)、梅玉、菊五郎。芝翫のときは、いつも「二月堂」だけで
ある。

今回の劇評と対照的に、前回、2年前、04年2月の歌舞伎座の
劇評で、私は次のように書いていた。

*鴈治郎は、奥方・渚の方、物狂の渚の方、そして、老いた渚の
方、というように、渚の方三態を演じ、さらに、その芝居を2回
観ているというのに、鴈治郎より、芝翫が印象に残っているの
か。それは、恐らく、この芝居が、詰まるところ、高僧の親孝行
の話という、一枚の絵で足りる印象の芝居だからだろう。渚の方
三態を見せる鴈治郎版は、物語の展開を見せてくれるので、判り
やすいのだが、その分、この芝居の本質である、一枚の絵の持つ
インパクトが、弱まってしまうのだろうと思う。」

それなのに、今回は、逆に、一枚絵の薄っぺらさが、印象に残っ
てしまった。これだから、歌舞伎は難しい。思うに、芝翫と鴈治
郎の印象は、上記の通りなのだろうが、両方で良弁僧正を演じた
仁左衛門が、通しの時より、今回の方に、なにかが欠けているか
らなのかも知れない。「二月堂」の場面は、30年、離ればなれ
になっていた母と子が再会を果たすという話。高僧は、母を大事
にした。そういう単純なストーリ−なので、役者の藝と風格で見
せる舞台だ。仁左衛門の良弁僧正に風格がないわけではない。

仁左衛門が、登場するのは、いずれの場合も、「二月堂」だけだ
から、変わりはないはずなのだが、今回の、この印象の違いは、
何処から来るのだろうか。あるいは、観客としての私の側の問題
か。私の想像力が、テイク・オフしないだけなのか。

贅言;この場面でいつも思うのだが、30数人という大勢の僧や
法師らは、この舞台では、ほとんど背景になっている。なんと
も、贅沢な芝居である。

「雛助狂乱」「五條橋」は、初見。雛助は、二代目嵐雛助という
役者のこと。初演した雛助が、演じて評判を取り、通称「雛助狂
乱」となったという。偽の狂乱の体の武士が、捕り方と扇を使っ
て立ち回るというもの、今回、菊五郎が、戦後初めて演じた。あ
まり、印象に残らなかった。

「五條橋」は、明治期の新作舞踊劇。富十郎の弁慶と息子の鷹之
資(7歳)の牛若丸。京の五條橋で出逢い、立回りとなる伝説の舞
踊化。音楽の荒事、大薩摩が、盛りたてる。父親としての富十郎
が、一生懸命努めているのは判るが、こちらも、あまり、おもし
ろくなかった。

「天衣紛上野初花 河内山」は、7回目の拝見。黙阿弥原作のな
かでも、「弁天小僧」と並んで、上演回数の多い作品。河内山宗
俊は、吉右衛門(3)、幸四郎(2)、仁左衛門、そして、今回
の團十郎。当代團十郎は、初演が、九代目團十郎という割には、
この演目をああまり演じていない。今回が、実に、18年ぶりの
上演になる。

河内山役者では、やはり、観た回数が多い、吉右衛門の舞台が印
象に残る。吉右衛門の河内山は、無理難題を仕掛ける大名相手
に、金欲しさとは言え、法親王の使者に化けて、町人の娘を救出
に行く。小悪党ながら、権力に立ち向かう度胸を秘めた人の良さ
が感じられた。幸四郎の河内山は、陰気だが、吉右衛門の河内山
は、おおらかさがある。上州屋の店先では、吉右衛門の耳には、
朱が入っていないが、松江出雲守の屋敷の場面では、朱が入って
いる。私の推測では、店先での日常のゆすりの場面と、非日常の
たかりという、河内山にとっも、一世一代の大舞台という出雲守
の屋敷での、「緊張感」が、赤らんだ耳として、吉右衛門は、耳
に朱を入れたのでは無いか。初代の五十回忌追善狂言として「河
内山」を演じ、ほかの役者がやらない工夫をする吉右衛門の河内
山は、やはり、持ち役のひとつだという自覚があるのだろう。

2年前、初めて河内山を演じた仁左衛門は、上方味を消して、江
戸っ子ぶりを強調していて、花道を歩いて来るだけで、身の丈高
く、颯爽としていた。吉右衛門とも一味違う河内山であった。さ
て、今回の團十郎は?

「頭の丸いのを幸いに、東叡山寛永寺の御使い僧に化けて乗り込
む肚をきめた時から、生命はすてる覚悟はできているんだ。だ
が、かりにもあいつが河内山かと人に指さしされるように名を
売ったこの悪党が、ただで命をすてるものか。これでも天下の直
参だぜ。白洲で申しひらきをたてる時にゃ、松平出雲守の城を抱
きこんで心中してやる方寸だぐれえ、おい、てめたちにゃ見ぬけ
ねえのか。三十俵二人扶持が、二十万石と心中するんだ。こいつ
をそっくり芝居にくんで、団十郎に演(や)らしてみねえ、中村
座の鼠木戸まで客があふれて、やんやの大喝采だろう
ぜ。・・・」

とは、柴田錬三郎の「真説河内山宗俊」のなかの、河内山の科白
だ。江戸期の中村座の舞台には、かからなかったが、「天衣紛上
野初花 河内山」は、河竹黙阿弥が、明治14(1881)年3
月に東京の新富座で初演した。歌舞伎では、松平出雲守は、「松
江出雲守」になっている。初演時の「河内山」は、河内山期待の
團十郎の芝居が実現する。河内山を演じたのは、明治期の「劇
聖」の九代目團十郎だった。

そして、今回は、十二代目の團十郎が、病気休演、舞台復帰後、
初めて、歌舞伎座の昼の部と夜の部に出演し、夜の部で、主役の
河内山を18年ぶりに、元気いっぱい演じた。北村大膳へ、「馬
鹿め」と、気持ち良さそうに科白を吐いて、まさに、「やんやの
大喝采だ」った。

團十郎は、出雲守の屋敷の時代がかった場面では、科白を詠い、
いっしょに舞台に出ているほかの役者とは、トーンが違うが、こ
れは、後に正体を見破られ、世話に砕ける時との対比を考えてい
たのだろうか。ちょっと、気になった。

いずれにせよ、團十郎は、度胸ひとつで、大名を相手に手玉に取
る河内山を、迫力、貫禄もたっぷりに演じていて、納得の舞台で
あった。團十郎の病気には、ストレスが大敵だが、こういう「河
内山」なら、ラストの、この科白で、ストレス解消、間違いない
だろう。次の團十郎の舞台も期待したい。

ほかの役者では、まず、出雲守。人格障害という病気ではないか
と思われる、じゃじゃ馬のような殿様・出雲守は、今回含め、三
津五郎は、2回目。世間体を繕うばかりで、危機管理の知恵のな
い殿様を好演。これまでに、3回観た梅玉は、癇僻の強い殿様を
演じていて、こういう役は、巧かった。

出雲守の屋敷の場面は、上州屋質店の場面と同心円をなす。店頭
での課題を、大名の屋敷での課題に、いわば拡大したように思え
る。だから、河内山の正体を見抜いた重役・北村大膳(弥十郎)
は、忠義の危機管理者としては、失格で、質店の番頭(四郎五
郎)と同格だ。いずれも、駄目な中間管理職の典型だ。

危機管理者として合格したのは、出雲守の屋敷では、家老・高木
小左衛門(段四郎)であり、上州屋後見役の和泉屋清兵衛(歌
六)である。歌六が、このところ、地味な役だが、印象の残る役
を演じているのが、判る。

贅言;出雲守の屋敷の場面へ、薄縁を大円盤に載せたまま、舞台
は廻る。大道具方が、上手と下手から出て来て、薄縁を引っ張
る。いつもの場面なのだが、今回は、充分に薄縁を引っ張り切ら
ないまま、大道具方は、舞台袖に引っ込んでしまった。薄縁に
は、皺が残っている。どうするのかと観ていたら、近習役の一人
が、足で、巧く捌いて、薄縁の皺を直していた。こんな場面、初
めて観た。大道具方と薄縁といえば、巻いていた薄縁を上手から
下手へ向って、すっと放り、一発で、ぴたっと薄縁を敷き尽すよ
うな手腕を観て来たので、余計にそう感じる。こういう場合は、
観客席から、大道具方へ拍手がいったものだ。
- 2006年12月2日(土) 21:45:09
2006年11月・歌舞伎座 (昼/「伽羅先代萩」「源太」
「願人坊主」)

「伽羅先代萩」は、8回目の拝見となる。今回は、「花水橋」
「竹の間」「御殿」「床下」「対決」「刃傷」という通し狂言興
行方式だ。私が観た8回の舞台のうち、「花水橋」(6)、「竹
の間」(4)、「御殿」(8)、「床下」(8)、「対決」
(5)、「刃傷」(5)。これで見ても判るように、「伽羅先代
萩」の芝居といえば、「御殿」「床下」は、絶対に欠かせない。
「花水橋」「竹の間」は、それぞれの都合で、外されることがあ
る。「対決」「刃傷」は、そっくり外されるか、上演するなら、
必ず、いっしょに上演される。

「竹の間」の大道具は、銀地の襖に竹林が描かれている。「御
殿」の大道具は、金地の襖に竹林と雀(伊達家の紋、つまり、
「伽羅先代萩」は、足利頼兼のお家騒動という想定の芝居だが、
史実の「伊達騒動」を下敷きにしていることを、襖は、黙って主
張している)が描かれている。「御殿」は、通称「飯(まま)炊
き」と言われるように、お家乗っ取り派による毒殺を警戒して、
乳母・政岡が食事制限をしている、幼君・鶴千代と実子・千松の
ために、お茶の道具を使って、飯を焚く場面が有名だが、今回の
ように、「飯(まま)炊き」の場面が、省略されることも、とき
どきある。だから、「御殿」の場面と言っても、上演時間には、
長短がある。また、上方歌舞伎と江戸歌舞伎の演出の違いもあ
り、その場合、大道具からして違って来るが、例えば、江戸歌舞
伎に比べて、上演回数が少ない上方歌舞伎の大道具の違いは、前
回、06年1月の歌舞伎座、坂田藤十郎の襲名披露の舞台の劇評
で触れているので、関心のある人は、参考にして欲しい。大道具
の違いは、当然の事ながら、役者の演技も違って来る。

95年10月の歌舞伎座から観始めた「伽羅先代萩」、政岡は、
玉三郎、雀右衛門、福助、菊五郎、玉三郎、菊五郎、藤十郎、菊
五郎。つまり、菊五郎が3回、玉三郎が2回ということで、5人
の役者の政岡を観ていることになる。いちばん印象に残るのは、
1回しか観ていない雀右衛門だ。雀右衛門は、全体を通じて、母
親の情愛の表出が巧い。次いで、2回の玉三郎。特に、母親の激
情の迸りの場面が巧い。そして、3回の菊五郎ということで、回
数ばかりが、重要とは言えないのが、歌舞伎のおもしろさだ。し
かし、今回の菊五郎は、幼君を守る「官僚・乳母」としての政岡
を演じる時には、父親の助言に従って、指導を受けたという六代
目歌右衛門の姿形が浮かんで来たし、千松の母親としての政岡を
演じた時には、なんと、菊五郎の顔が、実父の梅幸に見えて来た
から不思議だ。本当にそっくりだった。こういう意外な味わい
は、雀右衛門にもないし、玉三郎にもない。そういう意味では、
逆転の菊五郎政岡の舞台とも言える。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。八汐
で印象に残るのは、何といっても、仁左衛門。幸福なことに今回
も、仁左衛門。これで、孝夫時代を含めて、3回目の仁左衛門八
汐だ。

さて、八汐は、性根から悪人という女性で、最初は、正義面をし
ているが、だんだん、化けの皮を剥がされて行くに従い、そうい
う不敵な本性を顕わして行くというプロセスを表現する演技が、
できなければならない。「憎まれ役」の凄みが、徐々に出て来る
のではなく、最初から、「悪役」になってしまう役者が多い。悪
役と憎まれ役は、似ているようだが、違うだろう。悪役は、善
玉、悪玉と比較されるように、最初から悪役である。ところが、
憎まれ役は、他者との関係のなかで、憎まれて「行く」という、
プロセスが、伝わらなければ、憎まれ役には、なれないという宿
命を持つ。そのあたりの違いが判らないと、憎まれ役は、演じら
れない。これが、意外と判っていない。私が観た5人の八汐は、
仁左衛門(今回含め、3)、團十郎(2)、勘九郎、段四郎、梅
玉で、このプロセスをきちんと表現できたのは、仁左衛門の演技
であった。ほかの役者は、どこかで、短絡(ショート)してしま
う。仁左衛門の悪女役は、ますます、磨きがかかって来た。後半
に颯爽と登場する細川勝元役の、裁き役は、磨きがかかりにくい
が、悪役は、磨きをかければかけるほど、深みが増すということ
だろう。

八汐は、ある意味で、冷徹なテロリストである。そこの、性根を
持たないと、八汐は演じられない。千松を刺し貫き、「お家を思
う八汐の忠義」と言い放つ八汐。最後は、政岡に斬り掛かり、逆
に、殺されてしまう。自爆型のテロリストなのだ。

そのほかの役者では、「花水橋」の頼兼を演じた福助は、足取り
も、女形にならず、「だんまり」では、酔いと立回りの正気との
交錯を適宜に出せた。品格のある頼兼であった。初役ながら、歌
昇が演じた相撲取りの絹川谷蔵も、熱演。脇にこういう人がいる
と舞台に奥行きが出る。「竹の間」で、初めて沖の井を演じた三
津五郎も、風格のある沖の井であった。松島を演じた秀調も、良
かった。顔見世らしい重厚な配役。腰元群には、芝のぶもいた。
「御殿」では、子役の鶴千代、千松が、好演。特に、下田澪夏が
演じた鶴千代は、八汐相手に若君の風格で臆せずに堂々の対抗。
観客席から応援の拍手が上がっていた。千松も、武士の子らし
い、つわものぶりが、滲み出ていた。栄御前(「対決」の場の采
配役・山名宗全の奥方)の田之助は、弾正・八汐同様の、乗っ取
り派ながら、正直な人柄も抑え切れずに、政岡に秘中の秘を容易
くばらすという、憎めない悪役という、複雑な役どころを無難に
演じた。まさに、ベテランの味。いずれにせよ、何回も観た「伽
羅先代萩」の舞台だが、今回は、顔見世興行に相応しく、配役の
バランスが採れていて、厚みもあり、見応えがあった。

前半は、政岡、八汐の女の「戦い」だが、後半は、「男の戦
い」。それを繋ぐ場面が、「床下」。今回、この短い場面の配役
が、なんとも豪華。仁木弾正に團十郎。荒獅子男之助に富十郎。
もう、過不足なく、歌舞伎の醍醐味を感じさせてくれた。

富十郎「取り逃がしたか。(柝の頭)残念や」見得、拍子幕。幕
引き付ける。團十郎は、「むむははは」で、出端、見得、「く」
の字にそらした立ち姿。凄みがある。そのまま、花道を滑るよう
に歩んで行く。本舞台から遠ざかるに連れて、向こう揚幕から差
し込むライトの光が、引幕に弾正の影を映すが、これが、大入道
のように大きくなって行く不気味さ。やがて、大きな弾正の頭の
影が、引幕に大写しになる。團十郎は、この後、「対決」「刃
傷」と、「国崩し」の極悪人・仁木弾正をたっぷり見せてくれ
る。対決するのは、渡辺外記左衛門(段四郎)だが、それを支援
する細川勝元(仁左衛門のふた役)。颯爽の裁き役は、爽やかに
仁左衛門が、充実の舞台を披露する。病気休演の、やつれもな
く、「刃傷」での立回りでは、團十郎も、眼の光が鋭い狂気の弾
正ぶりを見せてくれた。仁左衛門を軸に、前半は、仁左衛門と菊
五郎、後半は、仁左衛門と團十郎。廻る舞台の、独楽の軸の仁左
衛門は、歌舞伎界の軸として、今回、芸術院会員に選ばれた。誠
に、ご同慶の至り。

狂気の弾正に傷つけられ、瀕死の重傷ながら頑張る忠義の筆頭家
老・外記左衛門を段四郎が、演じる。段四郎は、すっかり、澤潟
屋一門というより、歌舞伎界全体の、名傍役というポジションに
定位置を占めたようだ。「対決」のずるい采配役で足利本家の大
老・山名宗全を演じた芦燕は、こういう肚に一物を持つ役をやら
せると当代随一。「刃傷」で、短刀を振り上げる弾正を止める役
の笹野才蔵は、そのタイミングが難しいらしい。今回は、門之助
が、無難に勤めていた。

「源太」「願人坊主」は、初見。いずれも、江戸の文化文政期に
活躍した三代目三津五郎初演の舞踊劇。大和屋の三津五郎ならで
はの演目。「源太」は、美男で知られた梶原源太景季。源平合戦
で、箙に梅の小枝を挿して参戦したという、ダンディ男。「石切
梶原」で知られ、あるいは、「義経千本桜」の「鮓屋」で、維盛
の首実検をするなど歌舞伎有数の登場人物の一人、梶原平三景時
の長男。「熊谷陣屋」で鎌倉にご注進しようとして、弥陀六に投
げ付けられた石鑿で亡くなるのは、弟の梶原平次景高。「恋飛脚
大和往来」の忠兵衛が、「封印切」の悲劇を前に、まだ浮かれた
放蕩児のような気分で、恋人梅川のいる大坂新町揚屋「井筒屋」
の暖簾を潜ろうとして、「自惚れながら、梶原源太は、俺かしら
ん(あるいは、俺かいなあ)」と脂下がっているのは、典型的な
美男のイメージを梶原源太に託している。

そういう美男が、酒も酔いもあって、馴染みの傾城梅ケ枝との痴
話喧嘩を物語るというもの。「二段返し」の演出で、「源太」に
浅葱幕を振り被せ、舞台の背景を替え、役者の衣装、扮装も替
え、浅葱幕、振り落としで、「願人坊主」になる。「願人坊主」
は、良く演じられる「うかれ坊主」と同系の舞踊劇。社会の下層
に生きる「願人坊主」の生態をコミカルな舞踊に仕立てている。
身の上話をチョボクレの祭文で語る。半裸体のような扮装で、滑
稽味を売り物にする。歌舞伎役者のなかでも、当代有数の舞踊の
名手、三津五郎の所作は、安定している。軸が、ぶれない。
- 2006年12月2日(土) 16:50:30
2006年11月・新橋演舞場花形歌舞伎 (夜/「時今也桔梗
旗揚」「船弁慶」「義経千本桜〜川連法眼館」)

新橋演舞場は、「花形歌舞伎」とあって、劇場内に華やぎがある
が、観客は、意外と中高年の女性が多い。若い女性たちの姿が、
少ないようだが、なぜだろうか。

さて、今回は、「夜の部」のみ拝見。お目当ては、海老蔵初演の
「義経千本桜〜川連法眼館」だ。脳硬塞で病気休演中の猿之助
が、直々に指導したという狐忠信、そして宙乗りを楽しみにして
来た。夜の部、まずは、「時今也桔梗旗揚」で、私は、3回目の
拝見だが、サイトの「遠眼鏡戯場観察」をチェックしてみると、
6年前、2000年9月の歌舞伎座の舞台(吉右衛門主演)を観
ていないので、「遠眼鏡戯場観察」の劇評としては、初登場であ
る。それでは、「時今也桔梗旗揚」も、基本情報を含め、それな
りに劇評を書くことにする。

「時今也桔梗旗揚」(鶴屋南北原作)の原題は、「時桔梗出世請
状(ときもききょうしゅっせのうけじょう)」出逢ったが、明治
以降、現行の外題になったという。本来は、五幕十二場だった
が、序幕の「饗応」(祇園社)、三幕目の内、本能寺「馬盥(ば
だらい)」、「愛宕山連歌(あたごやまれんが)」の3場面、特
に、最近では、「馬盥」「愛宕山」の2場面のみが、よく演じら
れる。今回も、そう。南北劇らしい、怨念の発生の因果と結末の
悲劇を太い実線で描く。

まず、私が観た主な役者たち(95年6月歌舞伎座、97年5月
歌舞伎座、そして、今回の順)。武智光秀:十七代目羽左衛門、
團十郎、松緑。小田春永:團十郎、左團次、海老蔵。皐月:九代
目宗十郎、田之助、芝雀。桔梗:萬次郎、芝雀、松也。森蘭丸:
正之助時代の権十郎(2)、橘太郎。四天王但馬守:孝夫時代の
仁左衛門、九代目三津五郎、亀蔵。

芝居は、武智光秀が、暴君・小田春永(本能寺が宿所)から辱め
を受ける場面、それに耐える辛抱立役・光秀の態度、春永に対す
る謀反の心の芽生え(激情が込み上げ、表情が歪む松緑)という
心理劇の「馬盥の光秀」と通称される場面、そして、謀反の実行
(旗揚げ)という(光秀の宿所)「愛宕山連歌」の場面という形
で展開する(「君、君たれども、臣、臣たらざる光秀」「この切
り髪越路にて」「待ちかねしぞ但馬守。シテシテ様子は、何と何
と」で三宝を踏み砕いて、太刀を引っかついだ大見得など、光秀
の無念を表わす名科白が知られる)。

特に、光秀の謀反の実行は、本心をさらけだし、「時は今天(あ
ま)が下(した)知る皐月かな」と辞世の句を読む。夜半の風が
吹き込み、座敷の灯りが消え、暗闇で、白無垢、水裃の死に装束
に着替え、その上で、春永の上使を刀で殺す形で噴出し、「しか
らば、これより、本能寺へ」「君のご出馬」といいながら、向う
を見込む松緑の光秀と光秀の血刀を拭う亀蔵の但馬守で、幕。そ
のまま、ここでは、演じられていない本能寺の場面を容易にダブ
ルイメージさせるのは、巧みな演出だ(原作の本来なら、本能寺
客殿の「春永討死の場」に移るが、そこを演じない方が、余韻が
出て来る)。光秀の演じ方は、七代目團蔵系と九代目團十郎系と
ふたつあるという。團蔵系は、主君に対して恨みを含む陰性な執
念の人・光秀。團十郎系は、男性的で陽気な反逆児・光秀。これ
は、南北劇らしく怨念の團蔵系の演出が、正論だろう。春永鉄扇
で割られた眉間の傷、謀反の心を表わしてからの「燕手(えん
で)」と呼ばれる鬘など、謀反人の典型、「先代萩」の仁木弾正
そっくりの光秀が現れる。

さて、「役者論」。3回観た舞台では、やはり、今回は、粒が小
さい。ただし、松緑は、それなりに成長して来た。松緑は、怨
念、恨み、つらみの陰気さを滲ませた團蔵型の光秀。花道引っ込
みの、「箱叩き」の、主君から辱めを受けた後の、無念さ、悔し
さ、謀反の心の芽生えを表わす息の吐き方に、それを感じた。両
足を高々と上げ、下ろし、ばたばたという音を響かせて、松緑
は、花道を引っ込む。松緑の場合、私は、彼の人形浄瑠璃の人形
のような表情(特に、眼と首)、化粧などに、いつも違和感を感
じるが、今回は、藝の力で、それを薄めているように感じ、彼の
成長に気づいた。一方、上手高座(二畳台)に座っていた海老蔵
も、冷酷な春永を演じている。高みから光秀を睨んでいるとい
う、これも、巧みな演出。昔テレビで観た信長を演じた高橋幸治
の冷酷さを彷彿とさせた。海老蔵は、冷たい人物の表現は、持ち
味になるかも知れない。光秀の妹・桔梗の松也が、初々しいい。
父親の松助亡き後、健気に精進しているのが、判る。今回は、
「花形歌舞伎」の主役クラス(松緑、菊之助、海老蔵。つまり、
かつての「三之助」)を支える「花形」以前の若手、松也、梅
枝、萬太郎らが、初々しく、清新な舞台を構築している。

贅言1);本能寺馬盥の場面では、花道に薄縁が敷き詰められ、
畳敷きの廊下の体。向こう揚幕も、座敷の襖になっている。私の
席は、花道の横(新橋演舞場は、歌舞伎座の花道と違って、花道
と観客席との間に隙間がない)なので、薄縁を滑るように走り込
む役者の足音が、風ととも、鋭く耳を襲って来る感じがする。

贅言2);馬を洗う際に使う馬盥に轡(くつわ)で留めた錦木の
花活け(久吉から春永への贈り物)、その馬盥を盃替りに春永か
ら酒を飲まされるなどして、屈辱感で怒り心頭の光秀だが、
「盥」で酒を呑む場面と言えば、「勧進帳」の弁慶が、酒を呑む
際に使ったのも、「盥」ではなかったか。あれは、「勧進帳」の
台本を見ると、「葛桶の蓋」とあるが、舞台では、同じもののよ
うに見える。片方は、怒り、片方は、喜ぶ。融通無碍。そこが、
歌舞伎の奇妙なおもしろさ。

「船弁慶」。能の荘重さと歌舞伎の醍醐味をミックスさせる工夫
をした六代目菊五郎演出以来、その形が定着している。私が観た
「船弁慶」は、6回。静御前と知盛の亡霊を演じたのは、富十郎
(2)、菊五郎、松緑(松緑は、四代目襲名披露の舞台)、玉三
郎、そして今回の菊之助。弁慶:團十郎(2)、彦三郎、吉右衛
門、弥十郎、そして今回の團蔵。義経:時蔵、芝雀、玉三郎、鴈
治郎時代の藤十郎、薪車、そして今回の梅枝。舟長:勘九郎時代
と勘三郎(2)、八十助時代の三津五郎、吉右衛門、仁左衛門、
そして今回の亀蔵(舟人は、松也と萬太郎)。

今回の舞台を対比的に見るのには、3年前の、11月の歌舞伎座
の舞台を思い出せば良い。富十郎の一世一代の「船弁慶」(但
し、富十郎は、途中、病気休演で菊五郎が、バトンタッチした
が、私は、富十郎を見ている)舞台とあって、配役は、豪華だ。
象徴的な例をあげるなら、舟長、舟人の組み合わせが、仁左衛
門、左團次、東蔵だった。今回は、亀蔵、松也、萬太郎という組
み合わせ。亀蔵は別としても、初々しい。櫂を漕ぐ舟人の若いふ
たりは、いかにも基本に忠実で、櫂を漕ぐ手首をいちいち律儀に
返しているのが判る(亀蔵は、全く、手首を返さず)。

舞台は、「義経千本桜」の「大物浦」と同じ場面。ここまで、義
経一行に同伴して来た静御前を弁慶の進言で、都へ帰すことに
なった。夫・義経との別れを惜しむ静御前。下手のお幕から菊之
助の静御前登場。お決まりの、能面のような無表情にも華やぎが
ある菊之助。静御前は、後の知盛の亡霊。そういう無気味さを秘
めながら、前半は、静御前として演じる。舟に乗る前の一行のた
めに、大物浦の「浜」で都の四季の風情を踊る。菊之助の静御前
には、女形ならではの妖艶さがある(富十郎には、雅があっ
た)。知盛の亡霊も、足裁きも、凛々しく、「若武者知盛」とい
う、史実的には、矛盾するだろうが、存在感があった。菊之助
は、「三之助」のなかでは、やはり、いちばん成長が早い。

起(お幕からの弁慶の登場、続いて、花道からの義経と四天王の
登場)、承(お幕からの静御前の登場)、転(お幕からの舟長、
舟人の登場)結(花道からの知盛亡霊の登場)と、黙阿弥の作劇
は、メリハリがある。知盛亡霊(菊之助)は、すでに船出した義
経一行の舟を大物浦の「沖」で、迎え撃つ。「波乗り」という独
特の摺り足で、義経に迫って来る。数珠を揉んで生み出す法力で
悪霊退散を念じる弁慶(團蔵)。團蔵弁慶の数珠は、軽く、弱
い。神通力も弱そうに見えるのが残念。知盛の幕外の引っ込みで
は、三味線ではなく、太鼓と笛の、「一調一管の出打ち」。「荒
れの鳴物」と言われる激しい演奏である。花道に密着した席で見
ていると、花道を早足で行き来し、巴になって、薙刀を首に当て
てぐるぐると振り回す菊之助に、観客席のわが首が、切り取られ
るのではないかという恐怖心も沸きかねないほどの迫力がある
(波の渦に巻き込まれる心で廻るというから、観客席の首など気
にしていない所作が続く、見事さ)。実際、振り回す薙刀から巻
き起こる風を首筋に感じた。

富十郎には、厳しい長年の修練の果てに辿り着いた自由自在の境
地(老いを超越している闊達さ)を感じたが、菊之助には、未完
の洋々さがあった。義経、舟人含め、若さが漲る舞台であった。

「義経千本桜〜川連法眼館」、通称「四の切」(「狐忠信」の芝
居)は、10回目の拝見。このうち、澤潟屋系、つまり市川猿之
助演出の「狐忠信」は、4回観ている(猿之助で3回、右近で1
回)。音羽屋系は、5回観ている(菊五郎で、3回、勘三郎で、
1回、松緑襲名披露で、1回)。そして、今回の海老蔵は、病気
療養中の猿之助の指導を受けて、澤潟屋系の演出を習っての舞台
であった。海老蔵は、父親、團十郎とは、違う路線を進む。澤潟
屋系は、都合、5回となった。

ここで、澤潟屋系と音羽屋系の演出の違いを簡単に復習しておこ
う。

澤潟屋系の演出は、外連味の演出が、早替りを含め、動きが、派
手で、いわゆる「宙乗り」を多用する。狐が本性を顕わしてから
の動きも、活発である(忠信の衣装を付けた狐は、下手の御殿廊
下から床下に落ち込み、本舞台二重の御殿床下中央から、白狐姿
で現れる)。本舞台二重の床下ばかりでなく、天井まで使って、
自由奔放に狐を動かす(狐は、下手、黒御簾、あるいは、垣根か
ら、姿を消す)。上手、障子の間の障子を開け、人間・忠信が、
暫く、様子を伺う。再び、狐忠信は、天井の欄間から姿を表わ
す。さらに、吹き替えも活用する(荒法師たちとの絡みの中で、
本役と吹き替えは、舞台上手で入れ代わり、吹き替え役は、暫
く、後ろ姿、左手の所作で観客の注意を引き、ときどき、横顔で
演じる。吹き替えが、全身を見せると、二重舞台中央の仕掛けに
滑り降り、姿を消す。やがて、花道スッポンから本役が、せり上
がって来る)。再び、荒法師たちとの絡み。法師たちに囲まれな
がら、いや、隠されながら、本舞台と花道の付け根の辺りで、
「宙乗り」の準備。さあ、「宙乗り」へ。中空へ舞い上がる。恋
よ恋、われ中空になすな恋と、ばかりに・・・。

それにくらべると、音羽屋系は、まず、宙乗りをしない。その代
わり、澤潟屋系なら、宙乗りが定番の演出の場面では、「手斧振
(ちょうなぶ)り」という仕掛けを使って、舞台上手にある桜の
巨木を狐が滑るように上って行く場面がある。「手斧振り」の演
出は、いまでは、「狐忠信」の音羽屋系の出演のときくらいし
か、お目にかからないが、梁や柱を削る大工道具の手斧の柄に似
た金具を立ち木に取り付け、片腕、片足を仕掛けに乗せて、それ
を上に引き上げることで、役者の体が、宙に浮いて行くという趣
向だ。また、天井からの出入りもしないなど、狐の動きが、おと
なしい(ただし、99年8月の歌舞伎座で演じられた勘九郎の
「狐忠信」は、花道スッポンに頭から滑り込んだ後、狐が、その
まま、スッポンから飛び出してきたのは、驚いた。トランポリン
でも使ったのだろうが、工夫魂胆の人、勘九郎らしい演出だっ
た)。音羽屋系の演出は、五代目以来の菊五郎の家の藝だが、総
じて、澤潟屋系の演出に比べて、派手さはない(しかし、古怪な
味わいがあり、これはこれで、大事に残したい演出だ)。

「花形歌舞伎」と大書された新橋演舞場の筋書には、椅子に座っ
た猿之助の傍で、「かまわぬ」を染め抜いた浴衣姿で指導を受け
る海老蔵の写真が掲載されている。実際の舞台を観ると、海老蔵
の科白にダブルように澤潟屋の声音が聞こえて来るような錯覚に
捕われるほど、海老蔵は、澤潟屋の科白回しをなぞっているのが
判る。それが、ものまねだと判りながら、何回か、忠実に、物真
似を繰り返しながら、海老蔵が「四の切」を本興行で公演すれ
ば、澤潟屋と並ぶ舞台になって来るのではないかという予感がす
る。いや、晩年の澤潟屋の舞台しか知らない、私のような身に
は、猿之助の藝を殻のように残して、脱皮した(要するに、昔の
用語を使えば、アウフヘーベンした)海老蔵の藝の輝きを見せつ
けてくれるような、将来の舞台を予見する気持ちが強くなった。

若さ、強さ、特に、猿之助によって、さまざまに仕掛けられ、磨
きが掛けられて来た「外連」の切れ味、身体の若さ、強さは、若
いころの猿之助は、つゆ知らぬ身には、新鮮な驚きとなって、私
を襲って来た。特に、「宙乗り」の際の、脚の「くの字」の、角
度に漲る若さは、猿之助の愛弟子・右近でも、感じられなかった
驚きである。澤潟屋は、海老蔵の、若さ、強さを見抜き、本腰を
入れて、「四の切」の後継を右近ではなく、海老蔵に決めたので
はないか。そういう予感を強くする、「新しい忠信役者の誕生」
の瞬間に出会えたと思わせる舞台であった。

猿之助の「狐忠信」は、実は、6年前、2000年7月の歌舞伎
座、9月の大阪の松竹座以降、演じられていない。その歌舞伎座
の時の私の劇評では、「体力による外連が売り物のひとつだった
猿之助、体力の衰えをカバーする演技の円熟さ。円熟さで、狐忠
信をカバー出来なくなる日が、いずれは来るのだろうが」と書い
たが、実際には、病気休演が続き、歌舞伎の世界に「天翔ける」
猿之助の舞台を、いまも観ることができない。そういう状況のな
かでの、「海老蔵忠信」の登場であった。まず、体力、そして、
若さの海老蔵の、今後の精進を期待したい。

このほかの役者は、猿之助一座の面々である。義経に段治郎、静
御前に笑三郎、川連法眼に欣弥、妻・飛鳥に延夫、駿河次郎に男
女蔵、亀井六郎に猿弥ほかだが、段治郎、笑三郎には、存在感が
あるものの、やはり、小粒である。「四の切」という芝居は、狐
忠信の芝居であると同時に、「ふたりの忠信登場の怪」の詮議を
義経から任された静御前の芝居でもあるのだ。狐忠信に不審がら
れ、「舞の稽古をするわいなあ」ととぼける静御前に味。

兎に角、海老蔵忠信の印象が鮮烈な舞台であり、11月は、客の
入り通り、新橋演舞場の勝ちか。さて、遅れている歌舞伎座の
11月の劇評は、月が、師走に変ってしまうが、近く、掲載した
い。特に、菊五郎の「先代萩」の政岡は、菊五郎のなかに、歌右
衛門と梅幸が、透かし見えて、堪能。復活團十郎の「河内山」
も、見応えあり。さて、12月の歌舞伎座は、3日(日曜日)
に、昼夜通しで拝見するつもりだ。馴染みの演目が多いなかで、
池波正太郎の新作歌舞伎「江戸女草紙 出刃打お玉」は、初見な
ので、楽しみ。
- 2006年11月30日(木) 21:59:28
2006年10月・歌舞伎座 (夜/「仮名手本忠臣蔵〜五段
目、六段目」「髪結新三」)


仁左衛門勘平の「滅びの美学」


今回の「仮名手本忠臣蔵〜五段目、六段目」は、仁左衛門歌舞伎
である。仁左衛門は、当代の歌舞伎役者の中でも、特に安定した
演技力を持ち、更に、華のある役者である。私の好みでいえば、
立役では、仁左衛門、團十郎、吉右衛門、勘三郎、菊五郎、富十
郎あたり、女形では、雀右衛門、芝翫、玉三郎、鴈治郎、時蔵あ
たり。立役の中でも、仁左衛門は、華があるが、團十郎は、オー
ラがある、吉右衛門は、人情味がある、勘三郎は、滑稽味がある
など、それぞれ、持ち味に違いがある。その、華のある立役が、
勘平を演じる。

早野勘平は、いくつかの実在の赤穂所縁の人物をモデルにして、
造型されているという。赤穂浪士の盟約に参加しながら、仕官を
すすめる父親との板挟みで、自殺した「萱野三平」。「勘平」と
いう名前は、「横川勘平」から借用した。遊女と心中した「橋本
平左衛門」のイメージも、利用した。内匠頭の近習、磯貝十郎左
衛門のイメージも重なる。「仮名手本忠臣蔵」の先行作品の数々
で、似たような役どころで登場する人物の、役名を辿れば、「橋
本平内」「吉野勘平」「早野勘平」などと知れる。

早野勘平は、三段目の「足利館」で登場する。腰元お軽と逢引
し、茶屋(いまなら、ラブホテルか)へ。「足利館殿中松の間の
場」での刃傷事件を挟んで、「足利館裏門の場」では、館内の喧
噪が聞こえる中、勤務放棄の逢引から急いで戻った勘平(竹本:
走り帰って裏御門、砕けよ破(わ)れよと打ち叩き、大音声)
は、狼狽えて、「主人一所懸命の場に有り合わさず」「武士は
廃ったわやい」と「切腹せんとする」が、お軽に「その狼狽武士
には誰がした。皆私が」と諌められ、その場での切腹を思いとど
まって来ただけで、自刃志向を秘めたままである。

そして、「忠臣蔵・勘平編」が、「五段目、六段目」である。斧
定九郎(海老蔵)という、もう一人の魅力的な傍役を線香花火の
ごとく効果的に登場させるなど、歌舞伎の美意識を重視した場面
展開となる。定九郎が、初代中村仲蔵の工夫魂胆で、今のような
黒のイメージを強調した扮装(「五十日」の鬘、斧のぶっちがい
の五つ紋の黒小袖の単衣、博多献上の帯、尻端折りに、蝋色黒柄
の大小落し差し、全身白塗り)で登場するなら、主役を張り、長
丁場を仕切る勘平(仁左衛門)は、「五段目」で、格子柄の着付
けに蓑を付けた猟師姿で登場し、「六段目」では、帰宅した後、
鮮やかな浅葱色の紋服に着替えるなど、地味、派手の対照の美
で、観客を魅了する。勘平の鉄砲で討たれた定九郎が、口に含ん
だ血袋を噛み切って、口から血を流し、白塗の右足に血を垂らす
なら、切腹をした勘平は、「色に耽ったばっつかりに、大事の場
所にも居り合わさず」(三代目菊五郎の「入れ事」)と言いなが
ら、血の手形を右頬に付ける。仁左衛門は、そういう「江戸型」
(五代目菊五郎が完成させた)をベースに、細部(例えば、着替
えの段取りなど)では、上方型を織りまぜて、松嶋屋の味を滲み
出させている。

「仮名手本忠臣蔵〜五段目、六段目」は、また、ミステリー小説
のような趣がある。お軽(菊之助)の父親・与市兵衛(松太郎)
が、定九郎に殺され、懐の50両の入った縞の財布が盗まれる
が、勘平は、雨の降る暗闇の中、猪と間違えて定九郎を撃ち殺し
(義父の仇を討ち)、懐の50両の入った縞の財布を盗む(取り
戻す)。その二重性は、舞台を観ている観客には、判るものの、
舞台では、前半、表向きの展開で終始し、勘平切腹まで行き、後
半、与市兵衛の遺体を改めた千崎弥五郎(権十郎)が、致命傷
は、刀傷と判定し、勘平の冤罪が晴れるという仕掛けになってい
る。こうした展開の中、仁左衛門の勘平は、徐々にではあるが、
三段目で、心底に芽生えた「自刃志向=滅びの美学」に絡め取ら
れて、滅んで行くのである。

こういう主人公の「滅びの美学」を際立たせているのが、実は、
初演の頃は、まさに、名もない老女であったおかや(家橘)の役
廻りなのである。与市兵衛の女房、お軽の母の、この老女は、本
文では、名無しであったという。以前は、「お宮」と言ったそう
だが、明治以降、「金色夜叉」の「お宮」に遠慮をして、「おか
るの母→おかや」という連想で、「おかや」になったらしい。だ
が、このおかやは、滅びの美学の対極にあり、実に生々しい存在
だ。夫・勘平を助けるため、遊廓に売られて行く娘・お軽との別
れを悲しむ、殺されて、遺体となって運ばれて来た夫・与市兵衛
の死を歎く、夫が、婿・勘平に殺された可能性が濃くなると、勘
平を激しく攻める。そして、勘平の冤罪が晴れると、死に行く勘
平を後ろから抱きかかえ、勘平の両手を合掌させ、「愁いの思入
れ、勘平落ち入る」で、幕まで引っ張るのである。夫と娘と娘婿
の4人家族という与市兵衛の家庭は、百姓の家に、百五十石の侍
の婿が来たことから、実は、悲劇が始まっている。身分違いを意
識して、義理の父母と意志が充分に疎通しない。そういう基盤の
上に悲劇が襲いかかる。悲劇の大波で、夫と婿が死に、娘は、身
売りされて出て行ってしまい、そして、老母は、一人になってし
まう。もう、若くもない。途方に暮れる暇もなく、皆を見送る。
それでいて、おかやの強かな、生々しい情動が、絶えず、勘平の
「滅びの美学」を際立たせているというのが、判る。むずかしい
役だ。

さて、最後に役者論を付け加えよう。仁左衛門は、叮嚀な勘平で
あった。科白は、「五十両」の一言しかない海老蔵の定九郎も、
先人たちが洗練して来た黒の美学をきちんと受け継いで、凄みの
効いた味があった。今回、余り触れなかったが、菊之助のお軽
は、菊五郎代々の音羽屋型とは、幾分異なる仁左衛門との呼吸も
充分マッチさせて情愛を滲ませる。むずかしい役を無難にこなし
ていて、この人の着実な成長を伺わせる。お軽の身を引き取りに
来た一文字屋お才を初役で演じた魁春。お才と同行して来た判人
(女衒)の源六役の松之助は、熱演で、存在感があった。勘平切
腹という悲劇の前の、笑劇(ちゃり)という対比の演出を際立た
せていた。おかやを初役で演じた家橘は、熱演だったが、老女に
なりきれていないので、違和感が残った。4年前の歌舞伎座の舞
台で、家橘は、病気休演して、おかや初役は、幻に終ったのだ
が、そのときの劇評に私は、以下のように書いている(読んでい
ない人のために再録)。

*むしろ、「六段目」で、女形陣で重要なのは、お軽ではなく、
お軽の母であり、与市兵衛の妻であるおかやではないか。勘平に
切腹を決意させるのは、与市兵衛を殺したのは、勘平ではないか
と疑い、勘平を攻め立てたおかやのせいである。そういう他人
(勘平は、娘婿という他人である)の人生に死という決定的な行
為をさせるエネルギーが、おかやの演技から迸らないと、この場
面の芝居は成り立たない。「六段目」では、おかやには、勘平に
匹敵する芝居が要求されると思う。「お疑いは、晴れましたか」
という末期の勘平の台詞は、おかやに対して言うのである。さ
て、そのおかやだが、今回は、家橘急病で、上村吉弥が演じた。
ここは、私なら、思いきって、玉三郎におかやをやらせて、上村
吉弥には、お軽を演じさせてみたかった。吉弥は、もともと美形
で、玉三郎に匹敵する美貌の女形である。また、玉三郎は、「ぢ
いさんばあさん」のように老け役にもっと挑戦した方が良いと思
う。老け役をやり、女性の完成した魅力を演じきった上で、再
び、若い役をやると、若さが違って見えて来るのではないか。玉
三郎が、本当の立女形になるためには、そういうチャレンジを経
験した方が良いように思うが、いかがだろうか。私が観たこれま
でのおかやは、鶴蔵、吉之丞、田之助だが、このなかでは、これ
は、田之助がいちばんだろう。

こういう思いきった演出で、「○○版・忠臣蔵」が、現れる日を
楽しみにしている。

ついでに、このときの劇評などで、先日、亡くなった源左衛門こ
と、助五郎のことが出て来るので、短いが、再録しておこう。

*(02年10月歌舞伎座)おかやの夫、与市兵衛では、佳緑
が、最近では、最高の与市兵衛役者と言われるだけに、私も、通
し狂言では、3回観ている。今回は、助五郎だったが、最近の助
五郎は、味わいのある演技が目立つ。

*(05年5月歌舞伎座)「昼の部」と「夜の部」の入れ替えの
時間。三原橋の交差点で。

横断歩道を渡っていたら、浴衣姿で、買い物でもしてきたらしい
源左衛門が、向うから近付いて来た。素顔に眼鏡を掛けた源左衛
門は、名題時代の助五郎から、3月の歌舞伎座の舞台から幹部に
昇格したせいか、かなり、インテリっぽく見えた。いわば、哲学
者の風貌であった。まあ、幼児時代のやんちゃな勘九郎から、今
回の勘三郎まで見て来た真面目な苦労人だけに、根は、知性派な
のかもしれないと思った。

源左衛門に合掌。


世話物に新境地の地平を拡げ続ける幸四郎


世話物の「梅雨小袖昔八丈」、通称「髪結新三」は、明治に入っ
てから、河竹黙阿弥が書き上げた江戸人情噺である。私は、5回
目の拝見。主役の新三で言えば、菊五郎が2回、勘九郎時代を含
め勘三郎が、2回。今回は、このところ世話物の初役に意欲的に
取り組んでいる幸四郎。私は、菊五郎の新三の方が好きだ。勘三
郎は、菊五郎に比べて、科白を謳い上げてしまうので、その差
が、私の評価を下げる。幸四郎は、時代物の場合、オーバーアク
ションで、私の評価を下げるのだが、なぜか、世話物は、肩に力
が入りすぎない所為か、幸四郎と言えども、菊五郎の新三に負け
ていないというのが、おもしろい。世話物と幸四郎の分析は、い
ずれ、きちんとまとを絞って、幸四郎出演の世話物を比較検証し
てみたいと思う。

初めて、この劇評を読む人のために、狂言の概説は、以前からの
私の劇評を再録する(前に読んだ人は、この部分は、飛ばしてく
ださい)。

*1874(明治6)年。幕末期の江戸の色が、まだ濃く残って
いるなか、58歳の江戸歌舞伎作者・河竹黙阿弥は、明治の喧噪
な音が耳に五月蝿かったであろうに、従来の歌舞伎調そのまま
に、江戸の深川を舞台にした生世話物の名作を書いた。前年の明
治5年2月、東京布達では「淫事(いたづらごと)ノ媒(なかだ
ち)ト」なるような作風を改めるようにという告示があった。濡
れ場、殺し場などの生世話物特色ある場面を淡白にしろという。
さらに同年4月、政府諭告では、「狂言綺語」を廃して史実第一
主義をとれという。

ならず者の入れ墨新三。廻り(出張専門)の髪結職人。日本橋、
新材木町の材木問屋。婦女かどわかし。梅雨の長雨。永代橋。雨
のなかでの立ち回り。梅雨の晴れ間。深川の長屋。初鰹売り。朝
湯帰りの浴衣姿。長屋の世慣れた大家。この舞台は江戸下町の風
物詩であり、人情生態を活写した世話物になっている。もともと
は、1727(享保12)年に婿殺しで死罪になった「白子屋お
熊」らの事件という実話。新三の科白にある「あのお熊はおれが
情人(いろ)だ」という「お熊」が、「白子屋お熊」だ。

五代目菊五郎のために、黙阿弥が書き下ろした。歌舞伎を巡る、
先のような動きのなかで、黙阿弥は地名、人名は実話通りにし
た。忠七の台詞に「今は開化の世の中に女子供に至まで、文に明
るく物の理を弁(わきま)えているその中で」などと、「明治」
にも気を使った。幕末の盟友・小團次がいなくなってしまい、幕
末歌舞伎の頽廃色を消して、いなせで、美男の五代目のために、
爽やかな世話物を作ろう。さあ、あとは、好きなように江戸調
で、と黙阿弥が考えたかどうか知らないが、この狂言は、永井荷
風が言うところの、「科白劇」であると、私は思う。

去年5月の歌舞伎座で、勘九郎が、勘三郎襲名披露の世話物の代
表作として選び、自ら髪結新三を演じた演目を今回は、幸四郎
が、どう演じるか。

この芝居は、人情噺だけに、落語の匂いがする。それは、特に後
半の「二幕目」の深川富吉町の「新三内」と「家主長兵衛内」の
場面が、おもしろい。前半では、強迫男として悪(わる)を演じ
るが、後半では、婦女かどわかしの小悪党ぶりを入れ込みなが
ら、滑稽な持ち味を滲ませる。切れ味の良い七五調の科白劇は、
黙阿弥劇そのものだが、おかしみは、落語的だ。その典型が、家
主の長兵衛(弥十郎)と新三(幸四郎)のやりとりの妙。この科
白劇の白眉。特に、弥十郎は、初役ながら、良い味を出してい
る。この芝居、元は、落語の「白子屋政談」(「大岡政談」のひ
とつ)だ。それを、黙阿弥が歌舞伎に仕立て直した。

娘を攫って、慰みものにする、金を強請る、男を脅迫する、なら
ず者、小悪党という新三も、とんまで、単純なところがある。世
知に長けた家主にあしらわれる。それが、この芝居の魅力になっ
ている。観客席では、女性客が、小悪党の「悪(わる)ぶり」に
も、「間抜けぶり」にも、喜んでいたようだ。女性に持てる小悪
党。幸四郎の新しい魅力が、発見されたようだ。小悪党の味が、
ほかの新三役者より、深いのかも知れない。しかし、髪結いの技
を見せるところは、勘三郎の方が、巧かった。幸四郎は、此処
は、まだ、弱い。いいように家主に金を取られた(借金を精算さ
れた)新三は、家主の家に泥棒が入ったと聞き、「溜飲が下がっ
た」と言って、二幕目が、幕になる。落語なら、これが落ち(下
げ)になる。あとは、余韻。

弱きに強いが、強きには弱い。小悪党と言えども、世慣れた、強
欲な、ずる賢い家主には、勝てない。小悪党を手玉に取る家主・
長兵衛を私は、團十郎、富十郎、左團次、三津五郎、そして、今
回の弥十郎と5人観て来たが、いずれも、それぞれ持ち味を活か
した長兵衛で、甲乙付け難い。これは、不思議な現象だ。それほ
ど、長兵衛は、演じる役者をその気にさせる役柄なのかも知れな
い。

さらに、そこへ、一味添えるのが、下剃勝奴(市蔵)だ。下剃勝
奴は、染五郎(2)、八十助時代の三津五郎、松緑、そして、今
回の市蔵だが、これも、長兵衛役同様に、それぞれ持ち味を活か
した勝奴たちが登場した。傍役のキャラクター作りが、黙阿弥
は、巧い。

さて、ほかの役者論。高麗蔵の白子屋お熊は、ミスキャストでは
ないか。今回の顔ぶれならば、初さの表現が抜群の宗之助(今回
は、白子屋下女お菊を演じていた)の方が、似合っていそうだっ
た。高麗蔵は、色気のある芸者が似合う。そういう役には、華が
ある。もっとも、今月の高麗蔵は、昼の部の「熊谷陣屋」で堤軍
次を演じ、夜の部でお熊とは、随分、便利に使われているよう
で、気の毒だ。役者としての軸のアピールが弱いのではないか。
行く末が、心配になる。白子屋手代の忠七を演じた門之助も、存
在感が弱い。猿之助一座が、師匠の病気休演で、皆が、ばらばら
になりかかっている。門之助も、役者としての位置を決めかかっ
ているように見える。

二幕目が終ると、芝居が終ったような感じになり、大詰の「深川
閻魔堂橋の場」を観ないで、席を立ち、帰りはじめた観客も居た
が、この芝居も、新演出で、落語的な人情噺の印象のまま、幕に
してしまった方が良いと、毎回思う。要らぬ尻尾は、切るべきで
はないか。

贅言:1)二幕目第一場「富吉町新三内の場」は、小道具の展示
会のよう。朝湯から帰って来た新三が脱いだ浴衣(帯を結ばず
に、手で抑えて帰宅していた)には、小網町、(料理茶屋の)ひ
ら清、魚河岸などの文字や紋が染め抜かれている。それが、壁に
掛けられている。ちょうど舞台中央付近に掛けられているため、
浴衣は、長い暖簾のように見えて、町家の夏の雰囲気を盛り上げ
る効果抜群。風呂帰りの新三が履いていた下駄は、高銀杏歯下駄
(因に、永代橋の場で履いていたのが、吉原下駄、白子屋で履い
ていたのが、前の部分を斜めに切った、くすべ緒ののめり下駄だ
という)。新三が持つ団扇には、表に堅魚の絵、裏に魚河岸の
紋。肴売りが捌く堅魚は、3枚に下ろせるように、仕掛けがして
あり、会場の笑いを誘う。肴売りは、助五郎を思い出す。

贅言:2)今月の歌舞伎座は、実は、老女競演であった。まず、
昼の部の「葛の葉」では、信田妻の柵の歌江。武士の老妻を穏や
かに演じた。次いで、「忠臣蔵」のおかやの家橘。これは、詳し
く述べた。「髪結新三」の白子屋後家お常の吉之丞。これは、商
家の老妻として、存在感があった。さらに、家主女房おかくの鐵
之助。いかにも長屋の女主人。ときには、新三を煙(けむ)に巻
いた家主をも尻に敷きかねない感じが出ていた。ということで、
4人もの老女が次々と出て来て、「妍(?)」を競うから、おも
しろい。
- 2006年10月30日(月) 14:11:55
2006年10月・歌舞伎座 (昼/「葛の葉」「寿曽我対面」
「熊谷陣屋」「お祭り」)


母の情愛と狐の超能力のバランスの妙


「葛の葉」は、5回目の拝見。この芝居は、前半が、通称「機
屋」、後半が「子別れ」で、「機屋」では、狐の化身の妻・葛の
葉と保名が亡くした許嫁の榊の前の妹で、本来の恋人・葛の葉姫
とのふた役早替りの妙が、見どころ。「子別れ」では、障子に曲
書き(下から上に書いたり、裏文字で書いたり、右手を幼子と繋
ぎ、左手で書いたり、幼子を両手で抱きしめて、筆を口に銜えて
書いたりする)で、書いてゆく文字の巧さが見せ所だろう。そし
て、全体を貫くテーマは、「母親の情愛」だろう。

葛の葉&葛の葉姫のふた役は、鴈治郎で2回。ほかは、福助、雀
右衛門、そして、今回は、初役の魁春。狐だろうと、人間だろう
と、子を思う母の気持ちは変わらない、普遍的な母性には変わり
がないと、母性の情を色濃く出すのが、雀右衛門なら、鴈治郎
は、母性と言えども、狐の化身たる葛の葉には、人間とは異なる
超能力を持つ異形者(獣性)としての味わいがあるということ
で、色気を感じさせる異形を滲ませながら、描いていて、鴈治郎
の葛の葉像が、演劇的には、正解なのだと思うが、雀右衛門の純
粋母性愛も棄て難い。今回の魁春も、福助も、可愛らしい葛の葉
で、「母親」より、保名の「妻」という印象が強い。特に、魁春
の狐の化身ぶりの表出も弱い。

例えば、鴈治郎の化身ぶりを思い出せば、魁春の化身ぶりが、如
何に弱いかが、判るだろう。04年11月の歌舞伎座の舞台。奥
座敷の場では、狐の化を滲み出しながら、舞台にいるのは、ま
だ、女房の葛の葉なのだが、鴈治郎は、右手を懐に入れて、左手
を袖のなかに入れて、という恰好で、手先を観客に見せないよう
にして、奥の暖簾うちから出て来る。ドロドロの音に合わせて、
遠くの木戸を開けてみせたり、保名との間にもうけた童子が、寝
ているところに立て掛けてある屏風を一回転させたり、やがて、
手先を見せると、狐手に構えていたり、足取りも、狐のようにし
たりで、じわじわ、獣性を滲み出して来る辺りは、なんとも、巧
いものだ。母親の情愛と狐の超能力が共存しているのが、良く判
る。

ところが、今回の魁春は、童子が、寝ているところに立て掛けて
ある屏風を一回転させたり、狐手に構えていたり、足取りも、狐
のようにしたりはするのだが、「獣性を滲み出して来る」わけで
はなく、外延的には、似ているが、本質的には、異なるものでし
かないように感じた。要するに、藝の領域が、小粒で、余白がな
いのである。それが、象徴的なのは、4枚の障子に書く「恋しく
ば訪ね来てみよ・・・」という文字の拙さである。福助も、字が
拙かったが、魁春も負けていない(因に、福助の祖父、五代目歌
右衛門の口書きは屏風仕立てで、いまも残っているそうだから、
演技もさることながら、お祖父さんに負けないように習字の研鑽
も努めて欲しい。将来の七代目歌右衛門襲名まで、習字を続けて
ください)。字の巧さは、私が観た4人の葛の葉のなかでは、雀
右衛門が一番であった。雀右衛門の書については、以前に次のよ
うに書いたことがある。

*雀右衛門さんとは、一度、パーティの席で話をしたことがあ
り、ちょうど、お出しになった直後の著書「女形無限」を私が
持っていたので、記念に署名をしていただいたが、老眼で目が良
く見えないといいながら、筆を取られた筆跡は、素晴しい達筆で
あった。

私が観た安倍保名は、今は亡き宗十郎のほか、東蔵、信二郎、翫
雀、そして、今回の門之助の5人だが、ここの保名は、余り仕ど
ころがなく、結構、難しい役だと思う。所作事の「保名」を踊る
役者の場合の存在感と違って、ここの保名は、どの役者を思い浮
かべても、印象が薄い。性根が、中途半端な所為かも知れない。

贅言:信田の老妻の「柵」を歌江が演じていたが、今月の歌舞伎
座は、昼夜合わせて、4人の老婆が出て来る。「忠臣蔵」のお軽
の母「おかや」(前回、配役されながら、稽古中に倒れて、病気
休演で演じなかった家橘は、執念の初役復活である)、「髪結新
三」の「白子屋後家・お常」(吉之丞)、そして、同じ「髪結新
三」の「家主女房・おかく」(鐵之助)。いずれの役者が、老婆
を巧く演じるか。それは、全てを観終ってからの楽しみ。


舞台復帰した「還暦團十郎」


「寿曽我対面」は、白血病に打ち勝ち、06年5月の歌舞伎座
「外郎売」で、舞台復帰した團十郎の2回目の歌舞伎座出演。8
月の誕生日を無事に迎え、代々12人の團十郎の内、團十郎の名
前で、還暦を迎えたふたり目の役者の誕生である。「還暦團十
郎」は、今回は、ふたつの演目に出演する。團十郎は、「寿曽我
対面」で工藤祐経を演じ、高座に座り込み、一睨みで曽我兄弟の
正体を見抜く眼力を発揮する。また、「熊谷陣屋」の義経も、陣
屋の座敷に置いた床几に座り込みながら、敦盛(小次郎)の首実
検を成功させ、弥陀六(宗清)の正体を暴く。いずれも、座り込
んだまま、舞台の中心軸として、ほかの役者を引き付け、場内の
観客を引き付けして威圧し、周縁と中心に磁場を形成し、調和さ
せる。ただ、惜しむらくは、磁場のオーラが、以前ほど、強まっ
ていない。口跡も、弱い。本当に元気なころの、7、80パーセ
ントというところか。まあ、無理をせずに、じっくり、ゆった
り、本来の團十郎の芸域に戻って欲しい。

さて、私は、4回目の拝見となった「対面」は、3枚重ねの、極
彩色の透かし絵のような構造の芝居である。並び大名と梶原親子
の絵が、いちばん奥の1枚の絵なら、2枚目の絵は、大磯の虎、
化粧坂の少将、小林朝比奈が並ぶ。3枚目、いちばん前に置かれ
た絵は、工藤祐経と曽我兄弟の対立の絵である。これらの3枚の
絵が、重ねられ、時に、奥の2枚の絵にも、光が当てられるが、
やはり、主役は、いちばん前に描かれた3人の対立図であり、初
中後(しょっちゅう)スポットライトが、交差する。特に、今回
の曽我兄弟・兄の十郎(菊之助)と弟の五郎(海老蔵)が、見応
えがあった。実は、この配役は、4年前、02年5月の歌舞伎座
の松緑襲名披露の舞台で実現するはずだったのが、新之助時代の
海老蔵休演で、代役の父・團十郎が、菊之助の相手を勤めてい
る。それだけに、4年遅れの海老蔵菊之助コンビは、満を持して
いたようで、まさに、熱演。気合いが入っていた。静かな和事の
菊之助の演技、激しく、迸る荒事の海老蔵(太ったのか。顎が
張ってきたのか。以前より、顔が大きく見える)。静が動を抑制
する場面。大雑把とも言える海老蔵の荒事は、大らかさも滲み出
て、こういう役柄は、海老蔵も巧く演じるようになったと感心し
ながら観ていた。いまや、オーラは、病み上がりの團十郎より若
さの海老蔵に移り棲んだように見える。

この演目は、正月、工藤祐経館での新年の祝いの席に祐経を親の
敵と狙う曽我兄弟が闖入する。やり取りの末、富士の裾野の狩場
で、いずれ討たれてやると約束し、狩場の通行証(切手)をお年
玉としてくれてやるというだけの場面。舞台も、正月なら、上演
の時期も正月である。それが、動く錦絵、色彩豊かな絵になる舞
台と、登場人物の華麗な衣装と渡り台詞、背景代わりの並び大名
の化粧声など歌舞伎独特の舞台構成と演出で、十二分に観客を魅
了する。また、歌舞伎の主要な役柄や一座の役者の力量を、顔見
世のように見せることができる舞台でもある。そういう正月の祝
祭劇という持ち味の演目を、10月の歌舞伎座での團十郎舞台復
帰第2弾として使う、興行側の巧みさ、あざとさが、隠されなが
らも、気にならないというのが、当代團十郎の人徳の為せる技な
のだろう。

田之助の大磯の虎は、対面の仕掛けを知っている別格の傾城とい
う風格がにじみ出る。萬次郎の化粧坂の少将は、口跡が、高過ぎ
て、興を殺ぐ。権十郎は、小柄で、顔も小さいのに、派手な隈取
りの朝比奈に、初役ながら、存在感を与えていたのは、上出来
で、「吉」。

贅言:曽我兄弟を演じた海老蔵と菊之助が、腰掛ける「合引」
に、赤い座布団が、付いていたのは、何故だろう。従来、赤い座
布団付きの合引は、女形が使っているのしか観たことがなかっ
た。立役用の合引は、座布団が付いていない。菊之助が、使って
いるのを海老蔵も真似たのだろうか。


「史劇」には、オーバーアクションも刺激的


「熊谷陣屋」は、10回目(人形浄瑠璃の舞台を入れれば、11
回目)。私が観た直実は、今回を含め6回目の幸四郎、相模が、
今回を含め3回目の芝翫、義経が、還暦團十郎と、実に、配役の
バランスが良い。思えば、12年前に初めて観た、1994年4
月の歌舞伎座では、直実:幸四郎、相模:雀右衛門、義経:梅幸
であった。

今回は、いつもと違って、立役の3人を中心に役者論を書いてみ
たい。まず、幸四郎の直実は、もう、この人のオーバーアクショ
ンも、この役だけは、私も、気にならなくなった。本来の歌舞伎
というより、明治時代に「劇聖」と呼ばれ、国劇としての歌舞伎
を再構築しようと、「活歴」という歴史劇に歌舞伎の理想像を描
き、例えば、「熊谷陣屋」の花道の引っ込みを今のように工夫し
た九代目團十郎と幸四郎は、肌合いが合うのかも知れない。歴史
劇というには、フィクションの多い「熊谷陣屋」だが、役の心
は、歴史劇なのだろう、史実をなぞるような、オーバーアクショ
ンが、幸四郎演劇としての直実像を舞台に再現する。

「勧進帳」でも、しばしば、女形が演じるのが、義経役だが、
「熊谷陣屋」の義経は、あまり、女形は演じない。なぜ、この場
面の義経は、立役が演じた方が良いかというと、それは、今回の
團十郎が、模範解答を示してくれたように思う。還暦團十郎の演
じる義経は、床几に座ったまま、四天王(男女蔵、松也、菊市
郎、菊史郎)に廻りを警護されている。義経を含めて、5人の男
たちは、ほとんど動かない。科白もない四天王は、身じろぎもし
ない。それでいて、義経は、弁慶に書かせた陣屋の制札で敦盛の
命を助けよと直実に謎をかけ、「敦盛」の首実検をし、弥陀六の
正体を見破り、敦盛を救出し、直実の出家を見送るというダイナ
ミックな仕事をこなす。義経の團十郎は、持ち前のオーラは、以
前には、まだ、及ばないものの円の中心は、ここぞと磐石な存在
感を示して、見応えがあった。つまり、磐石な存在感を示すこと
こそ、ここの義経に要請された役どころなのである。菊五郎
(2)、梅玉(2)、團十郎(2)、勘九郎時代の勘三郎、田之
助、染五郎、梅幸と7人の役者の義経を私は、10回観てきた
が、還暦團十郎は、8年前の團十郎とも違う義経像を構築してく
れた。

弥陀六こと、宗清を演じたのが、段四郎。病気休演中の実兄猿之
助一座が、興行を打てない中で、段四郎は、自身の病気も克服し
て、渋い傍役として、あちこちの舞台をこなして、良い味を出し
ているように思う。敦盛が身を隠しているため、重くなっている
鎧櫃を背負うが、立上がったものの、重さによろけて陣屋の縁側
に後ずさった際、縁側に置いてあった制札を手にして、それを支
えに、見得をするという「猿翁型」を披露してくれた。いつも
と、一味違う弥陀六であった。今回の舞台は、幸四郎、團十郎、
段四郎の、三つ巴の関係が、見どころとなった。私が観た弥陀六
は、いまは亡き羽左衛門が良かった(このときも、義経は、團十
郎であった)。

大御所芝翫の相模は、相変わらず、見応えがあったし、魁春の藤
の方、高麗蔵の堤軍次も、てきぱきしていた。


江戸の鯔背は、仁左衛門の持ち味


「お祭り」は、1826(文政9)年、三代目三津五郎初演の変
化舞踊の一幕。江戸の天下祭は、神田祭に山王祭が、二大祭とい
われた。山王神社の祭り「山王祭」を題材にしていて、山王祭
は、一番鶏、二番猿という山車が先達になるので、清元の文句
が、「申酉の」で始まるから、通称「申酉(さるとり)」とい
う。8回目。うち、5回は、孝夫時代を含めて仁左衛門の鳶頭で
観ている。最初に観たのは、大病を煩い休演していた孝夫が、
久々の舞台復帰で、大向うから、「待ってました」と声がかかる
と、「待っていたとは、ありがてい」と答える声に、健康を取り
戻した役者の喜びが、溢れていたのを思い出す。12年前の94
年1月の歌舞伎座であった。5回のうち、仁左衛門は、2回は、
玉三郎の芸者と共演。濃密なエロスを振りまく。さらに、もう1
回は、息子孝太郎の芸者と共演。このときは、さらに、孝太郎の
長男・千之助(つまり、仁左衛門の孫)の初舞台でもあり、外題
も、いつもと違って、「松栄祝嶋台〜お祭り〜」となった。以
下、ちょっと、サービスに、そのときの劇評から、引用。

*祖父と父に挟まれての口上のときは、緊張した表情だった
が・・・。それでも、「片岡千之助です。よろしくお願いしま
す」と、ハキハキとした声で挨拶をしていた。本当に舞台に上が
るのが好きらしい。その役者魂たるや。4歳にして、将来愉しみ
な役者である。

開幕。舞台を覆う浅葱幕が振り落とされると、舞台中央に、銀杏
を紺で染め抜いた白地の衣装(城縮緬に首抜き)も凛々しい仁左
衛門の鳶頭は、桃色の牡丹の花を付けた花笠(祭笠)と同じ牡丹
の絵柄の扇子(祭扇)を持っている。舞台上の提灯は、上手下手
が、歌舞伎座の紋の入った7つの提灯。真ん中は、いずれも、松
嶋屋の家紋「七ッ割丸に二引」の紋の提灯4つと「追いかけ五枚
銀杏」の紋の提灯3つという組み合わせ。江戸の職人の粋、鯔背
が匂い立つような舞台であった。

贅言:若い者11人との立回りの所為か、初日から21日目の舞
台の所為か、仁左衛門が付けている鳶頭の鬘の左上の部分が、薄
くなっていて、「青塗の地肌」が透けて見える。毎回、鬘をつけ
る際に床山が手伝っていて、鬘の髪も整えているだろうに、実
に、珍しい光景であった。
- 2006年10月25日(水) 22:21:02
2006年9月・歌舞伎座 (夜/「菊畑」「籠釣瓶花街酔醒」
「鬼揃紅葉狩」)

「菊畑」は、「裏返し勧進帳」

「菊畑」は、文耕堂らが合作した全五段の時代浄瑠璃「鬼一法眼
三略巻」の三段目。私は、5回目の拝見。歌舞伎の典型的な役ど
ころが揃うので、良く上演される。智恵内、実は、鬼三太:富十
郎、團十郎、(2000年9月歌舞伎座の橋之助を観ていな
い)、仁左衛門、吉右衛門、そして、今回の幸四郎。虎蔵、実
は、牛若丸:勘九郎時代の勘三郎、芝翫(2)、(梅玉は、観て
いない)、菊五郎、そして、今回の染五郎。鬼一法眼:権十郎、
羽左衛門の代役の富十郎を含め富十郎(2)、富十郎の代役の左
團次を含め、今回の左團次(2)。鬼一法眼がいちばん似合いそ
うな羽左衛門の舞台を見逃してしまったのが、残念。皆鶴姫は、
時蔵、雀右衛門、菊之助、福助、そして、今回の芝雀。憎まれ役
の湛海:正之助時代の権十郎(2)、彦三郎、段四郎、そして、
今回の歌六。

舞台は、定式幕が開くと、浅葱幕。浅葱幕が、膨らんで、チョン
で、振り落とし。黒衣が、花の大道具を押し出して来る。華やか
な菊畑の出現というのが、定式。智恵内、実は、鬼三太(幸四
郎)が、床几に座っている。体制派の奴たちと智恵内とのやりと
り。花道は、中庭の想定、七三に木戸があり、ここから本舞台
は、奥庭で、通称菊畑。鬼一とともに、奥庭に入って来る八人の
腰元。「菊畑」は、歌舞伎の典型的な役柄がいろいろ出てくる演
目だ。源平の時代に敵味方に別れた兄弟の悲劇の物語という通俗
さが、歌舞伎の命。皆鶴姫(芝雀)の供をしていた虎蔵(染五
郎)が、姫より先に帰って来る。それを鬼一(左團次)が責め
る。鬼一は、知恵内に虎蔵を杖で打たせようとする。知恵内、実
は、鬼三太は、鬼一の末弟である。兄の鬼一は、平家方。弟の鬼
三太は、源氏方という構図。それぞれの真意をさぐり合う兄弟。
さらに、鬼三太と牛若丸の主従は、鬼一が隠し持つ三略巻(虎の
巻)を奪い取ろうと相談する。

ポイント:こうなると、牛若丸(後の義経)を杖で打たねばなら
ぬ鬼三太は、「勧進帳」なら、弁慶の役どころと知れるだろう。
安宅の関で義経を杖で打ち、関守の責任者・冨樫に男としての同
情を抱かせ、関所を通り抜けさせた弁慶の「知恵」が、知恵内に
あるかどうかが作者の工夫魂胆という趣向と判る。答えは、分別
があるのに、知恵が「内(無い)」ということで、弁慶と違っ
て、知恵内は、牛若丸を打つことができない。「打てぬ弁慶」も
いるだろうという作者の批判精神の現れ。虎蔵、実は、牛若丸
に、実は、恋している皆鶴姫が遅れて戻って来て、あわやという
所で虎蔵と鬼三太の主従を助ける。皆鶴姫は、いわば、「女冨
樫」。まさに、「裏返し勧進帳」というところ。徹底して、勧進
帳のパロディになっているのが、この演目の眼目だ。

皆鶴姫の恋路を邪魔するのが、憎まれ役の湛海(歌六)というわ
けで、人間関係も判りやすい。華やかな菊畑で繰り広げられるパ
ロディ絵巻。まあ、あまり考えずに、ゆるりと観ていたので、ウ
オッチングメモも少ない。

華やかな廻り舞台で展開する「籠釣瓶花街酔醒」

夜の部の最大の見ものは、吉右衛門主演、幸四郎友情出演という
体の、「籠釣瓶花街酔醒」。江戸のディズニーランドのような吉
原といえば、「助六」こそが、吉原という街そのものを副主人公
とした芝居として、私などの頭には、すぐに浮かんで来る。「助
六」が、吉原の大店の店先を舞台にした芝居だとすれば、「籠釣
瓶花街酔醒」は、吉原のエントランスのメインストリートから大
店の店先、遣り手(ガイド老女)の部屋、大衆向けの廻し部屋、
VIP用の花魁の部屋など、吉原の大店の内部を案内する芝居だ
ということができる。「籠釣瓶花街酔醒」自体のストーリー展開
は、花魁に裏切られた真面目男の復讐譚で、陰惨な話なのだが、
「吉原細見」、つまり、「吉原案内」という観点で、人物より、
場にこだわって舞台を観れば、華やかな場面が、テンポ良く、廻
り舞台のリズムに乗って、小気味好く繰り広げられるという、い
まなら、さしずめ、ディズニーランドの紹介ビデオを見るような
心地よさが残る演目なのだと思う。

「籠釣瓶花街酔醒」は、5回目の拝見。河竹黙阿弥の弟子で、三
代目新七の原作。明治中期初演の世話狂言。江戸時代に実際に
あった佐野次郎左衛門による八ッ橋殺しを元にした話の系譜に位
置する。

私が観た次郎左衛門:幸四郎、吉右衛門(今回含め、2)、勘九
郎時代含め勘三郎(2)。八ッ橋:雀右衛門、玉三郎(3)、今
回は、福助。だから、八ッ橋役は、私にとっては、玉三郎のイ
メージが圧倒的に強い。伝説の歌右衛門を観ていないのが、残念
(と言っても、歌右衛門の八ッ橋最後の舞台は、88年9月の歌
舞伎座だから、歌舞伎を観る習慣のなかったころゆえ、それは、
無い物ねだりと言うもの)。

贅言:でも、上演記録を見ていると、歌右衛門さんは、八ッ橋を
88年には、当代の幸四郎を相手に、86年には、吉右衛門を相
手に、演じている。特に、当代の吉右衛門を相手に、戦後の本興
行で、3回も演じている。歌右衛門が、吉右衛門に、この演目を
残そうとした意気込みが伝わって来るでは、ないか。

開幕前に場内は、真っ暗闇になる。暗闇のなかを定式幕が、引か
れてゆく音が、下手から上手へと移動する。そして、止め柝。
パッと明かりがつく。序幕、吉原仲之町見染の場は、桜も満開に
咲き競う、華やかな吉原のいつもの場面。花道から下野佐野の絹
商人・次郎左衛門(吉右衛門)と下男・治六(歌昇)のふたり
が、白倉屋万八(吉三郎)に案内されてやってくる。それを見掛
けた立花屋主人・長兵衛(幸四郎)が、爽やかな捌き役で登場。
如何にも友情出演らしい役どころ。幸四郎は、世話物だけに、長
兵衛をさらっと演じていて、気持ちがよい。田舎者から法外な代
金を取る客引きの白倉屋から、吉原不案内のふたりを助ける。や
がて、花魁道中に出くわす。最初は、花道から九重(芝雀)一行
16人、さらに、舞台中央奥から八ッ橋(福助)一行20人が花
魁道中を披露する。

贅言:前回、去年(05年)の4月歌舞伎座は、十八代目勘三郎
襲名披露の舞台だったから、花魁道中も1組多く、七越(勘太
郎)一行13人、八ッ橋(玉三郎)一行22人、九重一行(魁
春)18人だった。前回、私は、3組の花魁道中が、行き交う様
を観ていて、「ディズニーランドのパレードを思い出した」と書
いている。吉原は、江戸時代のディズニーランドのようなもの
だったという連想は、今回も、印象を強めた。花魁道中は、アト
ラクションなのだ。

 
最大の見せ場は、八ッ橋の花道七三での笑いだ。この笑顔は、田
舎者が、初めての吉原見物で、ぼうとしている次郎左衛門を見
て、微苦笑している。彼女の美貌に見とれている男に、あるい
は、将来客になるかもしれないと、愛想笑いしている。だが、そ
れだけではない。さらに、あれは、客席の観客たちに向けた真女
形役者のサービスの笑いでもあるのだ。こういう演出は、六代目
歌右衛門が始めたという。この笑いは、玉三郎も、雀右衛門も、
ちょっと違うような気がする。今回の福助は、全然駄目だった。

六代目歌右衛門が演じたときの、この笑いがなんとも言えなかっ
たと他人(ひと)は、言うが、私は、生の舞台で歌右衛門の八ッ
橋を観たことがないので、判らない。かなり、意図的な笑いを演
じたようで、3回観た玉三郎も、その系譜で演じているように思
う。しかし、97年、99年、05年と3回観たことになる玉三
郎の笑顔は、確かに綺麗だが、まだ、会心の八ッ橋の笑顔には、
なっていないように感じた。それほど、このときの笑顔は難しい
のだろうと思う。

 
二幕目、第一場。半年後、立花屋の見世先。吉原に通い慣れた次
郎左衛門が、仲間の絹商人を連れて八ッ橋自慢に来る場面だ。そ
の前に、八ッ橋の身請けの噂を、どこかで聞きつけて、親元代わ
りとして立花屋に金をせびりに来たのが、無頼漢の釣鐘権八。権
八は、姫路藩士だった八ッ橋の父親に仕えていた元中間。釣鐘権
八役は、今回も芦燕(私が観た権八は、5回のうち4回が、芦
燕)。さすがに味がある。完璧に当り役。権八は、八ッ橋の色で
ある浪人・繁山栄之丞(梅玉)に告げ口をして、後の、次郎左衛
門縁切りを唆す重要な役回りだ。やがて、絹商人仲間を連れて立
花屋に上がった次郎左衛門は、八ッ橋を皆に紹介して、得意絶頂
の場面となる。ここまでは、明るい。

二幕目、第二場の、地味な大音寺前浪宅。梅玉の栄之丞登場だ
が、ここを挟んで、吉原の華やぎを載せた舞台は、テンポ良く、
繰る繰る廻る。三幕目、第一場。兵庫屋二階の遣手部屋、第二
場。同じく廻し部屋の場面へ。第三場は、兵庫屋八ッ橋部屋縁切
りの場。下手、押入れの布団にかけた唐草の大風呂敷、衣桁にか
けた紫の打ち掛け。上手、銀地の襖には、八つ橋と杜若の絵。幇
間らが、座敷を賑やかにしている。いずれも、吉原の風俗が、色
濃く残っている貴重な場面。廻り灯籠のようだ。

場の華やぎとは、裏腹に、人間界は、暗転する。やがて、浮かぬ
顔でやって来た八ッ橋の愛想尽かしで、地獄に落ちる次郎左衛
門。この芝居の最大の見せ場だ。そういう男の変化を吉右衛門
は、たっぷり、叮嚀に演じて行く。「花魁、そりゃあ、ちと、そ
でなかろうぜ・・・」という科白も、初代譲りか、思い入れ、
たっぷり、じっくり。

部屋の様子を見に来た廊下の栄之丞と次郎左衛門の目と目が合
う。八ッ橋の愛想尽かしの真意が、一気に腑に落ちる次郎左衛
門。

大詰。さらに、4ヶ月。立花屋の二階。妖刀「籠釣瓶」を隠し
持った次郎左衛門が、久しぶりに立花屋を訪れる。次郎左衛門の
執念深い復讐。妖刀の力を借りて、善人は、極悪人に変身。八ッ
橋の気を逸らせておいて、足袋を脱ぐ次郎左衛門。血糊で足が滑
らぬように、周到に準備。顧客を騙した疾しさから、いつもよ
り、余計に可憐に振舞う八ッ橋。「この世の別れだ。飲んでく
りゃれ」。怪訝な表情の八ッ橋。「世」とは、まさに、男女の仲
のこと。「世の別れ」とは、男女関係の崩壊宣言に等しい。崩壊
は、やがて、薄暮の殺人へ至る。場面は、破滅に向かって、急展
開する。裏切られた真面目男は、恐い。村正の妖刀「籠釣瓶」を
持っているから、なお、怖い。黒に裾模様の入った打ち掛けで、
後の立ち姿のまま、斬られる八ッ橋の哀れさ。逆海老反りになる
福助。ここは、拍手が来た。46歳なのに、日頃から鍛えている
のだろう、柔軟な身体は、福助の売り物(逆海老反りになるの
は、56歳の玉三郎も、ちゃんと見せる。真女形も、肉体商売だ
ということが判る)。

妖刀に引きずられる吉右衛門の狂気は、引き続いて、灯りを持っ
て、部屋に入って来た女中お咲(紫若)も、斬り殺す。殺しの美
学は、殺される女形の身体で、表現される。

「籠釣瓶は、斬れるなあ」と妖刀を観客席に突き出すようにし
て、魅入る吉右衛門の目。大詰の、次郎左衛門の狂気の笑い。序
幕の、花道での八ッ橋の微苦笑。ふたつの「笑い」の間に、悲劇
が生まれ、時の鐘、柝、幕。

河竹黙阿弥の「縮屋新助」(美代吉殺し:見初め→逢い引き→別
れ→殺し)、黙阿弥の弟子・三代目河竹新七の「籠釣瓶」(八ッ
橋殺し:見初め→廓通い→縁切り→殺し)。連綿と続く、黙阿弥
調の世話の世界。いずれも、殺し役は、初代吉右衛門が、得意と
したし、近年では、いずれも六代目歌右衛門が殺された。この芝
居を私は、吉右衛門対玉三郎では観ていない。というか、そうい
う組み合わせでは、演じていない(少なくとも、本興行では、歌
舞伎座の筋書の記録にはない。当代の吉右衛門対六代目歌右衛門
は、3回もあるが)から、観ていないのが、当然だろう。いず
れ、是非とも、実現して欲しい組み合わせだと思っているが、今
回も、福助相手だったので、私の願いは、成就していない。

私が観た3人の次郎左衛門は、幸四郎、吉右衛門、勘九郎時代を
含む勘三郎。幸四郎は、陰惨な色合いが、濃くなる大詰が良い。
前半は、コミカルで、勘三郎。全体通しでは、バランスの良いの
が、吉右衛門だ。初代の吉右衛門が、この芝居では、哀愁があっ
たというから、その線を引き継いでいるせいか、吉右衛門が、一
歩先んじていると思う。 

「鬼揃紅葉狩」は、新作歌舞伎舞踊

「鬼揃紅葉狩」は、60(昭和35)年4月、歌舞伎座で吉右衛
門劇団の興行として、六代目歌右衛門を軸に初演された新作歌舞
伎舞踊で、私は初見。普通の「紅葉狩」は、6回拝見。大分違
う。

軒先きのみの大屋根を舞台天井から釣り下げている。信州・戸隠
山中。上手に竹本、中央に四拍子(囃子)、下手に常磐津。そし
て途中から、床(ちょぼ)で、御簾を上げて大薩摩。

筋立ては、基本的に「紅葉狩」を下敷きにしている。更科の前
が、後シテで、戸隠山の鬼女になるのは、同じだが、こちらは、
4人の侍女たちも鬼女に変身するのが、ミソ。侍女たちは、鱗
(ウロコ)模様の着物を着ている。だから、5人の鬼揃というわ
けだ。更科の前を演じる染五郎は、甲(かん)の声が出ない。4
人の侍女は、高麗蔵、吉弥、宗之助、吉之助。

平維盛に信二郎。従者は、松江と歌昇の息子の種太郎。男山八幡
の末社4人に、大谷友右衛門の息子たち・廣太郎、廣松の兄弟、
信二郎の息子の隼人、松江の息子の玉太郎が出演。

前にも書いたが、「紅葉狩」は、「豹変」がテーマである。更科
姫、実は、戸隠山の鬼女への豹変が、ベースであるが、姫の「着
ぐるみ」を断ち割りそうなほど、内から飛び出そうとする鬼女の
気配を滲ませながら、幾段にも見せる、豹変の深まりが、更科姫
の重要な演じどころである。観客にしてみれば、豹変の妙が、観
どころなので、見落しては、いけない。

それが、この新作歌舞伎舞踊では、曖昧であった。平板な印象が
残った。その原因のひとつとして、多分、「紅葉狩」に出て来る
腰元・岩橋(道化役)のような、チャリ(笑劇)が、持ち込まれ
ていなくて、一直線に豹変に向うから、奥行きがないのだと直感
するが、どうだろうか。

秀山祭初代中村吉右衛門ゆかり展

歌舞伎座の2階ロビーで、「初代吉右衛門ゆかり展」を開催して
いた。いつものようにご贔屓筋からは、蘭などの花籠。柳家小さ
ん、梶芽衣子など。展示されているものは、初代の写真、科白の
書き抜き(「引窓」「寺子屋」など今月の出し物に因んで)、
「菅原伝授手習鑑」の「筆法伝授」の舞台で源蔵役の初代が書い
たという半紙の文字が、なんとも、味がある。

「菅家文章、巻第六、詩六より」とあり、
「鑽沙草只三分計、跨樹霞纔半段余(いさごをきるくさはたださ
んぶばかりきにまたがるかすみわづかにはんだんあまり)」

直筆の句(これも、字は、味わいのある筆跡だが、決して達筆で
はない)、絵(絵も巧くはない)、短冊(「一茶翁の遺跡をたづ
ねて」と補した「小ばやしといふ家多しそばの花」。高浜虚子門
下。歌舞伎役者は、江戸時代から俳号を持つ人が多く、なかに
は、俳号が役者名になって行く歴史もあった。「梅幸」「松緑」
「魁春」「白鸚」などが、そう。初代は、役者の余藝の域を超え
て、俳人としても自立している)、舞台衣装とそれを身に付けた
写真)、衣装の附け帳、「二條城の清正」で使用した懐刀、木村
荘八が描いた化粧前の絵(無人)と描かれた実物の化粧前、「秀
山」と書かれた見台、遺影(1943年の文化勲章受賞時)。
- 2006年9月9日(土) 20:35:19
2006年9月・歌舞伎座 (昼/「車引」「引窓」「六歌仙容
彩」「寺子屋」)

9月の歌舞伎座は、「秀山祭」ということで、名優初代中村吉右
衛門生誕百二十年を記念する舞台。初代吉右衛門の俳号「秀山」
を冠し、三代目中村歌六の長男・初代吉右衛門の藝を伝承する。
伝承者の軸は、母方の祖父・初代吉右衛門の孫で、養子に入った
二代目吉右衛門であり、二代目吉右衛門の兄の九代目松本幸四郎
である。兄弟は、八代目松本幸四郎(後の初代松本白鸚)の長男
と次男である。八代目松本幸四郎は、七代目幸四郎の次男で、長
男は、市川團十郎家に養子に入り、十一代目團十郎(当代團十郎
の父、海老蔵の祖父)になる。三男は、二代目尾上松緑(当代松
緑の祖父)。ビッグな三兄弟である。因に、三兄弟の妹の連れ合
いが、現在の歌舞伎界の真女形の最高峰、先月86歳の誕生日を
迎えた四代目中村雀右衛門。

初代吉右衛門の弟は、三代目中村時蔵、末弟は、十七代目中村勘
三郎(当代勘三郎の父)ということで、ざっと見ただけでも、播
磨屋を軸に、高麗屋、成田屋、中村屋、萬屋、音羽屋、京屋の7
系統が、浮かんで来て、歌舞伎名優の血筋が、集まっているのが
判る。

それ故ということもあるが、上演される演目は、昼夜通しで拝見
しても、新作歌舞伎の「鬼揃紅葉狩」を除いて、皆、お馴染みの
ものばかり。歌舞伎座の筋書も、いつにも増して上演記録のペー
ジが、多い。16ページもあった。このサイトの劇評でも、再三
再四取り上げている演目である。ということで、9月の歌舞伎座
劇評は、いつもと趣向を変えて、役者論、演技論を中心に論じる
ことになる。まあ、普通の劇評のスタイルを取らざるを得ないの
が、寂しい。

こうしたなかで、9月の最大の楽しみは、昼も夜も、幸四郎と吉
右衛門が、同じ舞台に立つということだ。兄弟は、すでに、座頭
級の役者とあって、同じ劇場に出勤するということはあっても、
同じ舞台に立つことは、殆ど無い。今回は、昼の部では、「寺子
屋」、夜の部では、「籠釣瓶」で、それぞれを交代で、片方を主
役に立てながら、もう片方が、脇を固める。これは、楽しみ。役
者論のワンポイントとして、昼も夜も、この点は、見逃せない。

今回の「車引」は、花形歌舞伎

まず、昼の部の最初は、「菅原伝授手習鑑〜車引〜」である。
「車引」は、7回目の拝見。「車引」は、左遷が決まった右大
臣・菅原道真の臣の梅王丸と弟の桜丸が、左大臣・藤原時平の吉
田神社参籠を知り、時平の乗った牛車を停めるという、ストー
リーらしいストーリーもない、何と言うこともない芝居なのだ
が、歌舞伎の持つ色彩感覚、洗練された様式美など、目で見て愉
しい、大らかな歌舞伎味たっぷりの上等な芝居。動く錦絵のよう
な視覚的に華やかな舞台が楽しみである。色彩豊かな吉田神社の
門前、豪華な牛車をバックに、今回は、長男・梅王丸(松緑)、
次男・松王丸(染五郎)、三男・桜丸(亀治郎)という配役で、
花形歌舞伎のフレッシュな舞台。揚幕、本花道から梅王丸と上
手、揚幕から桜丸がそれぞれ登場。

松緑の梅王丸は、科白が籠りがち、吉田神社の門前で藤原時平の
乗った牛車に狼藉を働く場面でも、腰の落し方が不十分で、迫力
がない。ただし、腰に差した大太刀の先が、大きく飛び出してい
て、地面に着くのは、おもしろい。荒事の梅王丸の工夫であろ
う。「車引」の梅王丸は、我當、染五郎、勘太郎、辰之助時代を
含め、松緑(2)、團十郎(2)だが、断然、團十郎が、良かっ
た。

桜丸を演じた亀治郎は、前回の七之助同様、女形の甲(かん)の
声が、印象的だ。足裁きなどの所作にも、女形の色気。和事の桜
丸で、梅王丸との対比を強調する。前回、七之助のときに違和感
を覚えたものが、亀治郎が演じると、すうっと、胸に落ちるの
は、なぜだろうか。亀治郎の藝の力量か。私が観た桜丸:勘九郎
時代の勘三郎、扇雀、新之助時代の海老蔵、菊五郎、梅玉、七之
助、今回の亀治郎。勘三郎、扇雀、菊五郎、七之助、亀治郎は、
女形、あるいは、女形もできるから、海老蔵、梅玉とは、違うの
は、当然だが。女形のなかでも、前回の七之助と今回の亀治郎の
「甲の声」が、特に、印象的なのは、なぜだろうか。

染五郎の松王丸は、スマートだが、立派に見えた。前回の海老蔵
の松王丸は、「足元のあけえ(明るい)うちに、早くけーれ(帰
れ)」と、「京」の吉田神社の門前で、「江戸弁」丸出しで、兄
の梅王丸と弟の桜丸を威す場面の科白回しが、印象に残ったが、
染五郎の科白回しでは、そういうこともなかった。私が観た「車
引」の松王丸:幸四郎(2)、歌昇、八十助時代の三津五郎、吉
右衛門、海老蔵、染五郎。松王丸は、「寺子屋」の松王丸のイ
メージが強いため、なぜか、「長男」のように思ってしまうので
はないか。だが、「車引」では、團十郎が演じれば、梅王丸が、
長男だと判る。「賀の祝」で、梅王丸と松王丸が、喧嘩をする場
面があるが、あそこでは、ふたりは、「双児」の兄弟のようなイ
メージが強くなると私は、思っている。歌舞伎は、通しで、上演
しても、場面場面で、同じ登場人物を別の役者が演じるが、それ
ぞれの「幕」のイメージを尊重する(特に、合作の場合、同じ登
場人物を別の作者の筆で再構成されるのだから、余計、イメージ
が異なって来る)というのは、映画や現代演劇、いや、歌舞伎と
歴史を競う人形浄瑠璃でもあり得ない、歌舞伎独特のセンスであ
る。杉王丸は、歌昇の長男・種太郎。

30分の芝居の、3分の2の辺りで、藤原時平の牛車への出があ
る。吉田神社の塀と柵の間に黒衣が立ち、いつものように、黒幕
で牛車の上手と下手を塞ぐ。塀と柵が、動く。牛車の裏側に時平
が入るのが、判る。黒衣の手で、牛車が分解され、様式的な舞台
装置に変身して、牛車の上に姿を現す時平(段四郎)。時平役者
は、この出現の瞬間、役者の格が問われる。段四郎の時平は、睨
みが、いまひとつ。一睨みで萎縮する梅王丸と桜丸というわけに
はいかなかった。私が観た時平は、三代目権十郎、彦三郎
(3)、芦燕、左團次、そして、今回の段四郎。

配役のバランスが、絶妙の「引窓」

「双蝶々曲輪日記〜引窓」は、6回目の拝見。今回は、前回同
様、配役のバランスが良く、おもしろかった。それでいて、前回
と今回は、配役は、がらりと違うから、歌舞伎の不思議さがあ
る。因に、ふた通りの配役のバランスの良さを検証してみよう。
(今回/前回)で、表示。

十次兵衛:吉右衛門/菊五郎、濡髪:富十郎/左團次、お早:芝
雀/魁春、お幸:吉之丞/田之助。

歌舞伎の舞台を何度か観て、上記の役者の顔がすぐに浮かぶ人に
は、「配役のバランスの良さ」は、納得されると思う。配役が、
がらりと変わりながら、ふたつとも、バランスが良いと思わせる
ところが、歌舞伎のマジックなのだろう。つまり、役者は、ま
ず、役柄の定式に合わせて、役作りをし、家代々の役者や先輩役
者の積み重ねて来た「型」をベースにして、さらに工夫をする。
そういうコンセンサスがあるから、ベテランの役者は、藝のベー
スと新たな工夫を組み合わせて、登場人物を演じる。それぞれを
任に合わせて、演じられる配役となれば、自ずから、バランスが
とれるという仕組みになっている。だから、前回も、今回も、私
には、バランスの採れた配役という印象になり、実際に舞台を観
ていても、その期待は、裏切られなかったということになる。

基本的なことで、毎回、繰り返しになるが、演目の基本的な情報
を再録しておこう。

「双蝶々曲輪日記」は、並木宗輔(千柳)、二代目竹田出雲、三
好松洛という三大歌舞伎の合作者トリオで「仮名手本忠臣蔵」上
演の翌年の夏に初演されている。相撲取り絡みの実際の事件をも
とにした先行作品を下敷きにして作られた全九段の世話浄瑠璃。
八段目の「引窓」が良く上演されるが、実は、江戸時代には、
「引窓」は、あまり上演されなかった。明治に入って、初代の中
村鴈治郎が復活してから、いまでは、八段目が、いちばん上演さ
れている。「引窓」は、「みどり(見取)上演」で、この場面だ
けを観る場合と、通しで、この場面(八段目)を観る場合とイ
メージが違う(全九段の本来の物語は、「無軌道な若者たち〜江
戸版『俺たち明日はない』〜」だと、以前にこの「遠眼鏡戯場観
察」(03年1月国立劇場の劇評)で書いたことがあるので、興
味のある人は、参考にして欲しい。贅言:このときの配役は、今
回とは、逆に、十次兵衛が、富十郎で、濡髪長五郎が、吉右衛
門)。

「引窓」だけ見れば、無軌道な若者の一人で、犯罪を犯して母恋
しさに逃げてきた濡髪長五郎の母恋物語で、その母を含め、善人
ばかりに取り囲まれた逃亡者を逃がす話。お幸の科白。「この母
ばかりか、嫁の志、与兵衛の情まで無にしおるか、罰当たりめ
が・・(略)・・コリャヤイ、死ぬるばかりが男ではないぞよ」
が、「引窓」の骨子である。

町人から、父同様に「郷代官」(西部劇の保安官のようなイメー
ジ)に取り立てられたばかりで、父の名で、「両腰差せば南方十
次兵衛、丸腰なれば、今まで通りの南与兵衛」という、意識の二
重性を持つ十次兵衛(元は、南与兵衛)という男は、自分も殺人
の前科のある「無頼さ」=「遊び人」を秘めているので、反お上
の意識を持つ「無軌道さ」を滲ませているのが、役柄に奥深さを
付与していると思う。

今回は、十次兵衛(元は、南与兵衛)を吉右衛門が、初代の藝の
工夫を踏襲しながら、科白を観客の胸に染み込ませるように演じ
る。さらに、当代の持つ人間的な暖かさというパーソナリティも
生かされる。元「遊び人」に「苦労人」という味わいが付け加わ
る。

妻のお早(芝雀)は、奥から登場した瞬間、父親の雀右衛門そっ
くりに見えた。初々しい若妻だが、新町の元遊女・都を思わせる
色気も、要求される。逃亡者・長五郎(富十郎)は、久しぶりに
あったお早を「都さん」と昔の名前で呼んでいた。長五郎とのや
り取りに、遊女時代を彷彿とさせる「客あしらい」(色気)が滲
み出ている。それゆえの剽軽さもお早には、必要なのだが、ここ
は、芝雀より、前回の魁春の方が巧かった。芝雀も、義母への情
愛は、細やかであった。

長五郎の実母で、十次兵衛の継母であるお幸は、吉之丞が演じ
る。前回の田之助は、相撲取りの、実の息子を持つ太めの母親で
あったが、今回は、痩身の吉之丞なのだが、違和感はない。この
人の持ち味の、枯れた味わいや老母の情愛が、「体質」を凌駕し
ている。継嗣と実子、郷代官と相撲取りという、ふたりの息子に
情愛を掛けられる幸せな母(人形浄瑠璃で原作が演じられたと
き、母お幸には、名前がなかったが、歌舞伎で繰り返し演じられ
ている内に、いつの間にか、いつの時代かの上演で、誰かが、名
前を付けた。「幸せな母」の」イメージで、「お幸」となったの
だろうと私は、思う)を本興行で2回目という吉之丞は、すっか
り持ち役にしてしまったようだ。

長五郎役を私は、我當、團十郎、段四郎、吉右衛門、左團次、そ
して今回の富十郎と6人も観てきた。この顔ぶれを見れば、皆、
イメージが違うのが、判るだろう。颯爽の團十郎、太めの、如何
にも力士らしい我當、母恋の人の良さそうな吉右衛門、戸惑いの
長五郎(ひょんなことから人を殺してしまい、母に逢ってから自
首しようと思って母のいるところへ来たら、義兄は、なりたての
郷代官と判り、戸惑う)というイメージの左團次。今回の、富十
郎は、上方歌舞伎の修業もして来た人だけに、初代吉右衛門が創
造した「播磨屋型」という、東京系の、藝の工夫の舞台で、(大
坂の相撲取りで、大坂で殺人事件を起こし、京都近郊の八幡の里
に逃げて来た)長五郎の科白ゆえに、上方訛り(例えば、「○○
くだはりませ」など)を加味するという工夫を凝らした。鷹揚な
科白回しが、新鮮に感じた。実母への情愛、義兄への情愛で、揺
れる心。

義兄・十次兵衛は、義兄で、継母思いであり、自分にとって義弟
であり、継母にとっては、実子である長五郎を「放生会」を理由
に、逃がしてやることで、継母への情愛を滲ませる。継嗣と実子
の、ふたりの息子から情愛を示される「母」お幸は、幸せもの
だ。そういう母の幸せを大事にしながら、長五郎は、逃亡者生活
を続けることにする。

これだけ、バランスの採れた配役で、巧い役者が揃っていると、
例えば、舞台中央、やや下手寄りで、長五郎の人相書きを見るお
幸とお早、ふたりより上手に居て、屋体中央より上手に設えられ
た手水の「水鏡」に偶然写った長五郎の姿を覗き込む十次兵衛、
2階の障子窓を開けて、階下の様子を見ていた長五郎は、水鏡を
覗き込む十次兵衛の様子で、自分の居所が悟られたと気づいて、
慌てて姿を隠すため、障子を閉める、その有り様に気づき、屋体
上手に素早く駆け寄り、水鏡が見にくいように、開け放たれ、月
光を室内に引き込んでいた引窓を慌てて閉めるという、複数の役
者による、一連の演技が、実に絶妙の間で、演じられたのには、
堪能した(できれば、月光の妙が芝居のポイントになっている演
目だけに、舞台の照明にも、明暗に、もう一工夫あっても良いの
ではないだろうか)。また、母が、長五郎の人相を少しでも変え
ようと月代(さかやき)を剃り落とし、左頬の黒子(ほくろ)の
処理を迷っていると外から十次兵衛が投げ込んだ恰好の銭の包み
が、長五郎の黒子に当たったそぶり、頬を押さえる(実は、黒子
を取る)長五郎、すかさず、長五郎の後ろに隠れていた黒衣が、
長五郎の膝元に銭の包みを転がすという場面でも、息のあった密
度の濃い連繋プレーがあった。

贅言:そういえば、黒衣(くろご)は、「黒子(くろご)」と
も、書く。歌舞伎の舞台で、黒衣役をするのは、背景の場面に
よって、雪衣(ゆきご)、水衣(みずご)、浪衣(なみご)と衣
装も替り、呼び名も替る。

いずれにせよ、初代吉右衛門の藝を尊重しながら、当代を軸にベ
テラン役者の、バランスの良い配役で、テンポのある科白や所作
が展開して、見応えがあった。


「六歌仙容彩」から、所作事2題。

今回演じられた「業平小町」と「文屋」は、「六歌仙容彩」とい
う五変化の舞踊の二景。基本情報:「六歌仙容彩(ろっかせんす
がたのいろどり)」は、「河内山」の原作「天保六花撰」と同じ
時代、天保2年3月、江戸の中村座で初演された。小町、あるい
は、茶汲女を相手に、業平、遍照、喜撰、文屋、黒主の5役を一
人の役者が演じるというのが、原型の演出であったが、いまで
は、それぞれが独立した演目として演じられる。

「業平小町」は、梅玉の業平と8月に86歳の誕生日を迎えた雀
右衛門の小町という配役。幕が開くと、宮中の御殿。上手から下
手まで、御簾が降りている。無人の舞台。やがて、上手の御簾が
上がると、長唄囃子連中。中央の御簾が上がると、業平(梅玉)
と小町(雀右衛門)が、登場。高齢の雀右衛門は、踊りと所作の
決まりは、大丈夫だが、体を移動させるところでは、少し、不自
由なようだ(それでも、腰痛に悩まされ、途中休演し、また、復
帰していた頃と比べれば、かなり、スムーズに動いている)。
おっとり、スマートな梅玉。初代吉右衛門の業平、六代目歌右衛
門の小町、所縁の所作事だ。言い寄る業平を袖にし、中央の御簾
内に戻る小町。御簾が下がる。花道から引っ込む業平。舞台は、
最初の無人に戻る。

下手の御簾が上がり、清元連中登場。やがて、下手板戸を開け
て、文屋(染五郎)、上手板戸を開けて、8人の官女(四郎五郎
ら立役ばかり)が、それぞれ登場。中央御簾内には、和歌を案じ
ている小町がいるという想定。宮中の「歌合わせ」の体。小町の
所へ忍んで来た文屋。それを邪魔する官女たち。やがて、文屋と
官女の「恋づくし」のコミカルな所作事。だが、官女を演じる立
役たちが、弱い。染五郎も、ゆるい感じ。私が観た文屋は、鴈治
郎時代の坂田藤十郎、勘九郎時代の勘三郎、富十郎、そして今回
の染五郎と比べてしまえば、染五郎に不利なのは判るが・・・。

さて、幕切れは、中央に立つ染五郎を軸に上下4人ずつの官女
が、中央から、徐々に立上がって、「山」という字を表わして、
引っ張る。初代吉右衛門は、文屋を演じた。

「寺子屋」は、座頭兄弟共演という珍しい舞台

「寺子屋」は、国立劇場の前進座公演もふくめて、今回で12回
目。だが、今回の舞台は、いつもと違う。それは、普通の興行な
ら、それぞれが、軸になる座頭ゆえ、同じ劇場に出勤しても、同
じ舞台で顔を会わせない高麗屋と播磨屋の実の兄弟が、同じ場面
に出て来て、「対決」をするということである。母方の祖父・初
代吉右衛門所縁の「秀山祭」ゆえの、ご馳走の珍しい舞台であ
り、実際、見応えのある良い舞台であった。今回は、テキスト論
は無しで、高麗屋播磨屋を軸にした役者論、演技論で行きたい。

まず、源蔵(吉右衛門)の花道の出である。名作歌舞伎全集「菅
原伝授手習鑑」の「寺子屋」の、いわゆる「源蔵戻り」では、以
下のように、書いてあるだけである。

「(竹本)立ち帰る主の源蔵、常に変わりて色青ざめ、内入り悪
く子供を見廻し、
 ト向うより源蔵、羽織着流しにて出で来り、すぐ内へ入る」

ところが、今回、吉右衛門は、花道七三で、「はっ」と、息を吐
いた。先程まで、村の饗応(もてなし)と言われて出向いた庄屋
で、藤原時平の家来・春藤玄蕃から自宅に匿っているはずの菅秀
才の首を差し出せと言われ、思案しながら歩いて来たので、「も
う、自宅に着いてしまったか」という、諦めの吐息であっただろ
うか。初代の工夫か。

このように、吉右衛門は、初代の科白廻しや所作を継承している
ように見え、科白も、思い入れたっぷりに、じっくり、叮嚀に、
それでいて、力まずに、抑え気味に、秘めるべきは秘めて、吐き
出しているように感じられた。オーバーにならない程度に抑えな
がら、リアルに科白を廻す。

一方、兄の幸四郎は、相変わらず、オーバーアクション気味で、
気持ちを発散しながら、科白を言っているという感じだが、「寺
子屋」の松王丸の場合は、これが、適切で、浮き上がって来ない
から、おもしろい。幸四郎と吉右衛門の科白廻しの違いや藝の質
の違いがよく判る舞台だ。肚の藝も含めて、源蔵の吉右衛門と松
王丸の幸四郎が、静かに火花を散らしたので、大いに盛り上がっ
たように思う(贅言:今回、昼の部を私は、2階席の上手最後部
で観ていたのだが、2日目だったこともあってか、兄弟の「対
決」の場面を高麗屋の御内儀(藤間紀子さん)が、私の隣の通路
に立って観ていた)。

次に、いわゆる「首実検」では、以下のように、書いてあるだけ
である。

「松王首桶をあけ、首を見ることよろしくあって」

ところが、幸四郎の松王丸は、目を瞑ったまま、首桶の蓋を持ち
上げる。やがて、目をあけるが、正面を向いたままで、すぐに
は、首を見ようとはしない。覚悟を決めたようで、徐々に目を下
げる。そして、我が子小太郎の首がそこにあるのを確認する。

松王丸は、「むう、こりゃ菅秀才の首に相違ない、相違ござら
ぬ。出かした源蔵、よく討った」。

「(竹本)言うにびっくり源蔵夫婦、あたりをきょろきょろ見合
わせり」

思いもかけず、寺入り(寺子屋の新入生)したばかりの小太郎の
首が、菅秀才の首として、通用してしまい、驚きと安堵の気持ち
で、腰を抜かす源蔵夫婦。だが、騙したはずが、騙されて、とい
うどんでん返しが展開する。松王丸の方が、役者が一枚上という
イメージの場面ゆえ、松王丸は、3兄弟の長男のイメージに繋が
るという次第。私の感想では、歌舞伎役者としては、すでに弟播
磨屋の方が、兄の高麗屋よりは、一枚上という印象を持っている
と、付け加えておこう。

このほかの配役では、松王丸女房・千代に芝翫、源蔵女房・戸浪
に魁春、菅丞相の御台所・園生の前に福助、春藤玄蕃に段四郎と
いうことで、詳しくは、触れないが、充実の顔ぶれで脇を固めて
いる。昼の部の「引窓」と「寺子屋」は、後々までも、語り種に
なる舞台だと思うが、こういう歌舞伎として充実の舞台は、意外
と、人気先行しないので、座席に余裕がある。本当の歌舞伎ファ
ンならば、是非とも、お見逃しなく。
- 2006年9月9日(土) 15:53:27
2006年8月・歌舞伎座 (第3部/「南総里見八犬伝」)

「南総里見八犬伝」は、御存知滝沢馬琴(曲亭馬琴ともいう)原
作の長編読本(28年かけて完成した98巻、106冊の作
品)、今の分類なら長編伝奇小説の劇化。最初の劇化は、
1834(天保5)年。以来、里見城落城から対牛楼まで、中味
の構成を変えながら、狂言作者の腕の見せ所とばかりに、手を変
え、品を変え、趣向を凝らして来た。大入になったものもある
が、不入りも多かったと伝えられる。戦後の上演記録を観ても、
構成は、まちまちで、なかなか、これは、決定版という定まりが
ない。最近良く演じる猿之助一座の通しでも、毎回、少しずつ違
う。

「南総里見八犬伝」の主筋は、室町幕府に与する関東管領に対抗
して敗れた鎌倉方の、落ち武者、安房の里見家一統の復讐譚であ
る。生まれながらにして8つの玉(仁、義、礼、智、忠、信、
孝、悌)をそれぞれが持つ八犬士は、ミラクルパワーを駆使して
里見家を助け、管領に打ち勝ち、関東に平和を齎すという勧善懲
悪物語。ひとつの世界を構築する大きな流れに、さまざまなエピ
ソードが、細かく、複雑にぶら下がるというのが、馬琴ワールド
というわけだ。

今回の「南総里見八犬伝」は、夏休み向けの、もりだくさんな舞
台であったけれど、普通より上演時間が短い。いわば、ダイジェ
スト版とあって、場面展開が、少しせわしなかった。しかし、福
助と扇雀という女形が、立役を演じていて、舞台では、珍しい彼
らの地声を聞くことができて、おもしろいというのが、ポイント
のひとつ。

「南総里見八犬伝」の拝見は、3回目。初めて観たのは、99年
7月の歌舞伎座。「円塚山」と「玉返しの里庵室」の2場面のみ
の上演。長い八犬伝のうち、犬と猫(猫の怪)の対決に絞る(昔
はよく上演された形式らしい)。猿之助一座お得意の「独道中五
十三驛」の岡崎の化け猫に演出が似ていると思ったら、やはり、
それを参考にしていた。犬山道節役の段四郎の幕外の引っ込みも
気持ち良さそうにやっていたのを思い出す。

2回目は、02年7月の歌舞伎座。いま、病気休演中の猿之助
が、主軸となり、実質4時間の通し上演だった。特に、「玉返し
の里庵室の場」では、角太郎妻・雛衣(笑三郎)が「猫の怪」に
操られるように、見事にとんぼを返したり、逆立ちしたり、四天
のような立ち回りを見せてくれて楽しかった(雛衣は、今回の場
面立てでは、登場しない)。巨大な「猫の怪」の出現や宙乗りな
どもあり、スーパー歌舞伎的な「荒唐無稽の歌舞伎」の面目躍如
の楽しい舞台であった。

今回は、1947(昭和22)年、渥美清太郎が、脚色し、帝国
劇場で上演された台本を元にしていて、「南総里見八犬伝」の前
半の見どころを集成しているので、猿之助一座の舞台とは、場面
の組み立ても違う。見せ場を重視する猿之助一座お得意のスー
パー歌舞伎的な演出も、今回は、当然ないし、上演時間も実質3
時間弱なので、前回拝見の猿之助版とは、別物として観た。

今回の主な配役は、寂漠道人、実は、犬山道節と網干左母二郎:
三津五郎、犬坂毛野:福助、犬塚信乃:染五郎、犬飼現八:信二
郎、犬村角太郎と浜路:孝太郎、犬田小文吾:弥十郎、犬川荘
介:高麗蔵、犬江親兵衛と安西景連の霊:松也の八犬士のほか、
伏姫と山下定包:扇雀、金椀大輔:秀調、滸我成氏:錦吾、簸上
宮六と馬加大記:亀蔵など。

見せ場のひとつは、八犬士のうち、六犬士が、出逢う「円塚山の
場」。犬山道節(三津五郎)、犬坂毛野(福助)、犬村角太郎
(孝太郎)、犬田小文吾(弥十郎)、犬川荘介(高麗蔵)、犬江
親兵衛(松也)の六犬士によるだんまり。最後に退場する犬山道
節に扮した三津五郎が、馬連を付けたきらびやかな四天姿で、六
法による花道の引っ込みを見せたが、藝が大きく、小柄な三津五
郎の身体が大きく見えた。

見せ場のふたつは、芳流閣の大屋根上での、犬塚信乃(染五郎)
と犬飼現八(信二郎)が、お互いに八犬士同士ということを知ら
ないまま対決する場面。関八州管領・滸我成氏(錦吾)の館で、
村雨丸を献上して里見家の再興を願おうという犬塚信乃(染五
郎)だが、持って来た村雨丸は、偽物に摺り替えられてしまった
と放したことから信乃は、追われる身になる。逃げる信乃の追っ
手となるのが、犬飼現八(信二郎)ということで、八犬士側も、
まだ互いを知らず、入り乱れている。大屋根の場面では、さら
に、染五郎が、大屋根の傾斜を利用して、丸瓦の上に腰掛けたま
ま、(隠した手摺に掴まったままだが)滑り降りるという場面が
あったが、この仕掛けを私は、初めて観たので、興味深かった。

対決する染五郎と信二郎は、対立したまま、「芳流閣」から「行
徳入江」へ、大道具の「がんどう返し」で場面展開をする。「行
徳入江」の遠見が、下から上がってき来る。入江に流れ着いた小
舟に、意識を失いながら乗って来た信乃と現八を助けるのが、相
撲取りの犬田小文吾(弥十郎)。そこへ現れた僧侶・ヽ大(ちゅ
だい)法師、実は金椀大輔(秀調)は、「熊谷陣屋」の「熊谷直
実」にそっくり。ちなみに、「ヽ大(ちゅだい)」とは、犬の字
を二つに分けたもの。八犬士を結び付けようと、諸国を遍歴し、
八犬士の行方を尋ねている。お陰で、大屋根から落ち、行徳の入
り江に流れ着いた信乃と現八も、お互いの正体(運命共同体の八
犬士)を知るようになる。

渥美版と澤潟屋版で、いちばん違うところは、「大塚村庄屋蟇六
(ひきろく)内の場」「同表座敷の場」の有無である。つまり、
澤潟屋版では、割愛する「蟇六内」は、犬塚信乃に恋する蟇六の
娘浜路と代官との無理矢理の婚礼の場面という笑劇なので、スペ
クタクル重視の澤潟屋版では、取り上げないが、今回、初めて観
た、この場面で、欲の張った庄屋の大塚蟇六を源左衛門が、巧み
に演じていたのが、印象に残る。憎まれ役、笑われ役の代官簸上
宮六(ひがみきゅうろく)を演じた亀蔵も、彼らしいデフォルメ
の工夫で、おもしろかった。スペクタクルの中の笑劇は、歌舞伎
の定式から見れば、確かに、欲しい場面だ。九代目團十郎など
は、好んで、犬山道節と大塚蟇六のふた役を演じたという。それ
だけに、蟇六は、重要な役どころで、源左衛門は、九代目の役ど
ころを気持ち良く演じたことだろうと、思う。

贅言:それにしても、馬琴の小説に登場する人物は、名前が凝り
過ぎていて、難しい漢字も多く使っていて、ワープロで打ちにく
いし、覚えにくいので、かえって、印象に残らないという恨みが
あるが、馬琴さんは、どう考えて、こういうネーミングを好んだ
のだろうか。

滸我成氏の重臣から、天下を狙う謀反人の山下定包(扇雀)に与
した馬加(まくわり)大記(亀蔵)らが登場し、犬坂毛野役の福
助ら八犬士を相手に福助同様、扇雀という女形たちが珍しく立役
で、地声で科白を言いながら、立回りをする場面が見られるの
が、大詰の「馬加(まくわり)大記館の場」と続く「対牛楼(た
いぎゅうろう)の場」。満開の桜の下、山下側と勢ぞろいした八
犬士側とが梯子を使った立ち回りで、暑気払い。福助が、女田楽
(白拍子)朝毛野役で、本来の女形を見せ、その後、正体を表わ
して立役犬坂毛野に戻る辺りの、メリハリの付け方は、さすが福
助という見事さであった。

総じて、今回の舞台は、絵の多い紙芝居のように場面がくるくる
変わるばかりで、猿之助一座のようなスペクタクルに徹してもい
ないし、見せ場の熟成度も不十分で、じっくり楽しめる場面が少
なかった。こういう演目では、元気になって、猿之助一座に主が
登場し、スペクタクル溢れる「活劇歌舞伎」の舞台を是非とも観
てみたいと思った次第。澤潟屋の芝居のない歌舞伎は、なにか
が、欠けているような喪失感が漂う。
- 2006年8月30日(水) 21:52:16
2006年8月・歌舞伎座 (第2部/「吉原狐」「団子売」
「玉屋」「駕屋(かごや)」)

「吉原狐」は、ことし4月、96歳で亡くなった村上元三原作の
新歌舞伎。1961(昭和36)年に歌舞伎座で初演されてい
て、今回が2回目の上演。初演時の配役は、泉屋おきちに先代の
勘三郎、三五郎に先代の幸四郎(後の白鸚)、お杉に又五郎、貝
塚采女に勘弥、誰ヶ袖に我童(後に、十四代目仁左衛門を遺贈さ
れる)、おえんに鶴之助(今の、富十郎)などという顔ぶれ。今
回は、泉屋おきち:福助、三五郎:三津五郎、お杉:扇雀、貝塚
采女:染五郎、誰ヶ袖:孝太郎、おえん:橋之助などだから、納
涼歌舞伎とは言え、45年前ということを考えても、顔ぶれが、
初演時より、ひとまわり小さいという印象。

「吉原狐」は、村上元三が、歌舞伎に出て来る芸者を演じる勘三
郎の舞台を観ていて、特に親交のあった勘三郎にあわせて、もう
ひとりの芸者「おきち」を描き出したという作品。それだけに、
「納涼歌舞伎」の大黒柱、当代の勘三郎が、襲名披露巡業で出勤
していないのは、残念。いつか、当代の「吉原狐」泉屋おきちを
拝見したいと強く思う。

全体的には、吉原の住人たちの日常生活の機微を描いた滑稽な人
情劇で、上演回数が、今回で、2回目というのが、信じられない
程、私は、堪能して拝見した。ことしの納涼歌舞伎では、随一の
出来と思った。

なかでも、主役の福助のおきちは、落ち目の男が好きな上に、早
とちりというキャラクターが生きていて、いわば、「江戸のギャ
ル」を活写しているようで、適役、好演であった。おきちの友だ
ちの芸者おえんには、立役の弟橋之助という異色の配役で、橋之
助が、甲(かん)の声という女形の発声で科白を喋ると、福助よ
りも、父親の芝翫に良く似ているのに、驚かされた。芸者屋「泉
屋」の主人で、「世間を棄てた」というが、自適悠々の第2の人
生を送っているような感じの、おきちの父親・三五郎を演じた三
津五郎は、おきちが、下働きのお杉(扇雀)の「秘密」を腹違い
の姉発覚と、いつもの早とちりで誤解したのも無理がないような
若い娘で、実は、三五郎の連れ合い候補(つまり、おきちにとっ
て、継母となる)に惚れられる程の、優しい年寄りである。

憎まれ役の旗本・貝塚采女を演じた染五郎は、もうひとつ、役に
なり切れていない。ほかの登場人物が、善人で、極めて判りやす
いキャラクターになっているなかで、貝塚采女は、ただひとり、
複雑な性格で、祐筆役というエリート官僚ながら、後に、公金横
領がばれて、追われる身となるような人物。早とちりで、周囲を
混乱に導き、筋立てを二転三転させる「装置」となるおきちに、
糾(あざな)える縄のごとく、絡んで来る役どころゆえ、重要な
キーマンなのだが、充分に役割を果たしていないのは、残念で
あった。

このほか、しっかり者の中万字屋花魁誰ヶ袖を演じた孝太郎は、
脇に廻って、味を出していた。誰ヶ袖と良い仲だったが、貝塚采
女の登場で、冷たくなった誰ヶ袖に嫉妬して、座敷で騒ぎを起こ
す孫之助役の信二郎も、存在感を出していた。ちょい役ながら、
中万字屋芸者おてうを演じた小山三は、渋いが、キラリと光る。
脇にこういう役者がいると舞台に奥行きが出る。

贅言1):「三五郎とおきちの家」の場面では、神棚、稲荷神社
のミニチュア、家の柱に架かった薬袋、庭先や路地の鉢植えの朝
顔や垣根、登場人物が持つ桔梗が描かれた団扇の絵柄など、いか
にも江戸の下町の風情たっぷりで、芝居が始まらないうちに、こ
ういう道具を観ているだけで、良い気分になってくるから不思議
だ。

贅言2):「吉原狐」という外題の意味が、判りにくい。「三五
郎とおきちの家」の場面が、大道具半回転して、三五郎とおきち
が、朝湯に行く場面になる。そこに、地域の稲荷神社(「九郎助
稲荷大明神」の幟が架かっている)があり、折り恰も、狐雨が
降って来る。店が潰れて落ちぶれた孫之助(信二郎)が、通りか
かり、落ちぶれ男好きのおきちの胸が騒ぎ、場内の笑いを誘う。
「吉原狐」は、「稲荷」と狐雨のように変わりやすいおきちの心
を表わしているようだ。つまり、そういう心根の持ち主おきちへ
原作者村上元三が捧げた愛称が、「吉原狐」と判じたが、いかが
であろうか。

次いで、所作事三題。「団子売」は、5回目の拝見だが、ほかの
ふたつは、初見。

まず、「団子売」は、舞台を観た順にあげると、杵造:染五郎、
仁左衛門、三津五郎、七之助で、今回は、扇雀。お福:孝太郎
(今回含め、3)、勘九郎、勘太郎。明るい所作事。杵と臼とい
う、ひょっとことお多福という、男女の和合の噺。初めて観たの
が、染五郎と孝太郎という似合いのふたり。次いで、仁左衛門と
孝太郎という、息の合った親子の踊り。三津五郎と勘九郎は、達
者な舞踊。そして、勘太郎七之助の兄弟。今回は、三たびの孝太
郎、相手は、扇雀に変わる。それぞれ、味わいが違って、おもし
ろい。明るく、セクシャルで、コミカルな踊りは、踊り手が、替
れば、味わいも違って来るのが、良く判る。大坂の天神祭、太鼓
の音も、コンチキチと祇園祭風に聞こえる。

贅言:後見が、道具を片付けるのに、珍しく黒い布を用いていた
が、普通なら紫の布ではないか。黒は、黒幕に代表されるように
隠す色。隠し幕。紫は、風呂敷のイメージで、包む色。因に消し
幕は、緋色。

浅葱幕の降り被せで、場面展開。上手に出ていた竹本が、上手袖
に引き込む。清元が出て来る。幕降り落しで、場面は、江戸の日
本橋へ。「玉屋」は、初見。茶色の日除の架かった「まつや」、
紫色の染物屋、青のお茶屋、材木屋、屋号がレリーフ(浮き彫
り)されている蔵がある。柳の木。すべて、日本橋の商家の体。

「多まや」の染五郎の「しゃぼんだま売り」。子どもたち相手に
「玉尽し」の踊りでシャボン玉を売り、蝶々の玩具を持ち出し
て、蝶々売りの物真似をして、子供たちを喜ばせるという見立
て。子どもたちは、舞台には、出て来ないが、観客に喜ぶ子ども
たちの姿を彷彿とさせるかどうかが、役者の藝の見せ所。

贅言:こちらの後見は、紫の布で道具を片付けていた。

三たび、演奏と背景が変わる。開幕のまま、舞台展開。上手の清
元が袖に引き込む下手袖から常磐津が出て来る。「駕屋(かご
や)」である。

「駕屋」も、初見。不動妙王の絵柄の総入墨に朱色の下帯姿の三
津五郎の駕屋三太は、駕篭の中で居眠りから醒める。犬(小吉)
が、駕篭の傍にあった三太の弁当を銜えて、持ち去ろうとしてい
る。犬と駕篭かきのコミカルな踊り。

踊りの見方を私は、三津五郎の舞台で学んだ。巧い踊り手は、頭
とお尻を結ぶ直線が、安定しているということ。簡単なようで、
難しい。意外と、軸が、ぶれやすいのだ。所作事三題では、やは
り、三津五郎の踊りがいちばん安定していた。今回初舞台の坂東
吉弥孫(吉弥の息子、小吉の父親は、歌舞伎役者にはならなかっ
たのだろう)の小吉が、ベテラン三津五郎の所作に味を添えてい
て、好もしい。

贅言:今回の「納涼歌舞伎」では、犬が良く出て来る。第1部の
「慶安太平記」では、犬を追い、石を投げ、その挙げ句に江戸城
の濠の深さを投げ入れた石の水音で測るという場面があるし、第
3部は、看板通りの犬の物語「里見八犬伝」である。ついでに、
煙管。こちらは、第1部で、「慶安太平記」の江戸城濠端の忠弥
が、水音で濠の深さを測る場面の小道具が、煙管。同じく第1部
の「たのきゅう」のおろち(染五郎)が、嫌うのが、煙草の脂と
いうことで、小道具に煙管登場。
- 2006年8月30日(水) 9:26:33
2006年8月・歌舞伎座 (第1部/「慶安太平記」「近江の
お兼」「たのきゅう」)

通称、丸橋忠弥、「慶安太平記」は、明治期の河竹黙阿弥が、初
代左團次のために書いた作品。後に、「團菊左」つまり、九代目
團十郎、五代目菊五郎、初代左團次という明治の3名優のひと
り、左團次の出世作。私は、今回、初見。若き日の左團次は、藝
の未熟さに苦しんでいたが、幕末期の名人、四代目小團次と提携
して力を付けた黙阿弥は、小團次死去の後、小團次の養子で、若
干25歳の左團次を小團次への報恩の一環として、応援し、慶安
4(1651)年に倒幕を企てた由井正雪の乱を題材に「慶安太
平記」を書いた全七幕もの。原作は、複雑な筋が、寄り合わされ
ているが、見せ場は、大きく分けて、ふたつある。このうち、
「江戸城外の場」(今回は、第一幕「江戸城外濠端の場」となっ
ている)は、丸橋忠弥を演じる左團次の、ほぼ独り舞台となり、
立作者の特権で、黙阿弥が左團次を売り出そうとした乾坤一擲の
名場面である。今回は、第二幕第一場「丸橋忠弥住居の場」、第
二場「同裏手捕物の場」という構成で、捕物の場の立回りも、ふ
たつ目の見せ場である。

「江戸城外濠端の場」では、濠端の葭簀(よしず)囲いの茶屋の
床几で中間たち(中間の一人は、今回、名題役者に昇進した三津
右衛門である)がおでんで酒を呑んでいる場面で幕が開く。やが
て、花道に登場した丸橋忠弥(橋之助)は、皮色木綿の着付けを
はしょり、赤合羽を羽織って、朱鞘の刀の一本差し、饅頭笠とい
う出立ちで、さっそく七三で名調子の科白を吐く。「ああ、好い
心持ちだ。(略)今朝家(うち)で朝飯に迎い酒に二合呑み、そ
れから角の鰌(どじょう)屋で熱いところをちょっと五合、そこ
を出てから蛤で二合ずつ三本呑み、(略)ここで三合、彼処で五
合、拾い集めて三升ばかり・・・」。酔っぱらって、江戸城濠端
までやって来た態で、つまり、酔いと天下(てんが)転覆の野望
の偽装が、芝居のテーマというイントロダクションを象徴する場
面になっている。中間たちに気前良く酒を奢り、さらに酒を呑み
続け、やがて、床几で寝込み、野良犬に顔を嘗められ目を醒ます
忠弥は、犬を追い掛け、石を投げているうちに、舞台は、背景が
変わり、江戸城の弁慶橋までやって来て、石を投げると濠に落ち
る。そして、煙管を構えて、耳を傾けている。どうやら、濠に落
ちる石の水音を聞き分けて、濠の深さを測っているようだが、先
ほどからの酔っ払いの態は、その偽装のようだと観客に知れる頃
合を見計らって、江戸城から出て来た様子の松平伊豆守(染五
郎)に不審がられるという、緊迫の場面に繋がって行く。伊豆守
が蛇の目傘を忠弥に差し掛けるが、すぐには、気づかない。雨に
濡れなくなり、不審に思い上を見上げて、傘に気づくという体た
らく。だが、この名場面で、橋之助と染五郎のやり取りでは、緊
迫感が伝わって来ない。それぞれの肚藝が不十分だからだろう。
戦後、歌舞伎座では、61年間のうちに、この演目が演じられた
のは、14年前の92年2月と今回だけの、わずか2回だが、そ
のときの配役が、團十郎の忠弥、菊五郎の伊豆守というのを目に
してしまうと、私は、実際の舞台を観ていないから、なんとも言
えないが、今回のふたりでは出せていない肚藝の緊迫感があった
だろうと想像がつく。当時、團十郎は、45歳、菊五郎は、49
歳。今回の橋之助は、40歳、染五郎は、33歳。それぞれの芸
風、力量は、別にしても、年齢の差は、大きいものがあると思わ
れる。

贅言:忠弥が、何度か使った「素敵に酔った」などという科白
は、明治期の歌舞伎らしい、モダンな感じがする。

また、第二幕の「丸橋忠弥住居の場」で、はたと気づいたのは、
住居の漢詩が書かれた石摺の襖(深緑色の襖に黒地に白墨で漢詩
が書いてある。「慶安太平記」の漢詩は初めて見たので、内容の
比較のしようがない。つまり、いつも、この場面では、同じ漢詩
が書かれているのか、漢詩なら、何でも良いのか、判らないが、
「山科閑居」の場面で、同じような石摺の襖がある「仮名手本忠
臣蔵」の舞台写真を見比べると、漢詩の中味は、いろいろあり、
違っているのが判るから、漢詩の中味まで、吟味していないのか
も知れない)を見て、「忠臣蔵」の「山科閑居」の場面を思い出
し、忠弥と由良之助を連想したことだ。つまり、遊興、酒酔いに
よる偽装と本懐の隠蔽という点では、両者には、共通項がある。
それでいて、由良之助という役の器の大きさと忠弥のそれとの違
いが、結構、大きいのではないか。その役の大きさの違いは、團
十郎と橋之助の、役者の大きさの違いでもあるという思いだっ
た。橋之助は、無難に忠弥を演じているのだが、なにか、足りな
いという感じが、最後まで残った。さらに、染五郎になると、上
手から出て来て、煙管を突き出して(煙管の雁首を上に向けた
り、下に向けたり、演じる忠弥役者によって異なる)間数(けん
すう)を計る思い入れの忠弥に、傘を差し掛ける伊豆守は、殆ど
動かず、仕どころが少ない(その分、肚藝が、もっと要求され
る)ので、余計に難しく、物足りない。「住居の場」では、忠弥
女房のおせつ(扇雀)とおせつの父親で、弓師の藤四郎(市蔵)
のふたりが、脇で、忠弥の偽装と本懐告知というドラマチックな
展開へ向けて、バランスを取るという重要な役割を演じる場面が
見どころだが、市蔵の公儀へ訴えでるという、忠弥から見れば、
「裏切り」に向けての演技が、少し軽すぎる。婿を裏切るわけだ
から、もう少し、悩ましさが、滲み出すべきなのではなかった
か。

大道具が、廻り、「住居の場」の裏手へ場面が展開する。やが
て、捕物の立回りが、20分程続く。この場面は、若干、捕り手
同士の連繋に齟齬を来す場面もあったが、若い橋之助だけに、力
の籠った立回りが続き、充分、楽しめた。捕り手たちが、将棋倒
しのようにトンボを返し続けたり、所作事のような立回りと橋之
助の節目節目の見得のバリエーションが続いたり、簀戸(戸板)
や縄を巧みに使った群舞(戸板3枚を組み合わせて、スロープを
作り、小屋の屋根の上まで忠弥が駆け上がったり、縄を組み合わ
せて作った、いわば「ネット」にダイビングしたりする場面もあ
る)が続いたり、「義賢最期」(「源平布引滝」)を連想させる
戸板を組み合わせた「俄台」に忠弥が乗って見得をしたあと、戸
板ごと崩れ落ちたりと、息をつかせない場面が、連続するから、
立回り好きの観客には、堪えられない場面が、続く。

「近江のお兼」は、元は、近江八景になぞらえた八変化の舞踊の
一つ。そのひとつが「晒女(さらしめ)の落雁」。だから、背景
も、琵琶湖の遠見。琵琶湖西岸(堅田の浦、浮見堂の近く)か。
女形の所作事に立ち回りが組み込まれている。長唄の「色気白歯
の團十郎娘、強い、強いと・・・」文句は、七代目團十郎によっ
て初演された「大切(おおぎり)所作事」だからだ。「近江のお
兼」は、女形に「荒事」を加味させた変化舞踊だ。力持ちのお兼
という若い娘の「武勇伝」が、女踊りの隠し絵になっている。

別称「晒女(さらしめ)」、あるいは、「團十郎娘」ともいう
「近江のお兼」は、今回で3回目の拝見。5年前、01年7月の
国立劇場で、菊之助、03年8月の歌舞伎座で勘九郎時代の勘三
郎のお兼をそれぞれ観た。花道から暴れ馬が出て、それからバタ
バタの付け打ち入りで、晒し盥を持ち、若緑の衣装に赤い帯、高
足駄を履いた姿は可憐な賎女(しずのめ)ながら、大力の持ち主
の若い女性、お兼が、馬の手綱を足で踏み、馬を止めるという出
は、今回の福助が取った演出。前回の勘三郎と前々回の菊之助
は、馬が、からまず、まず、お兼だけがせりで舞台に出て来て、
上手、下手、正面と観客に愛想を振りまいていた。その後、花道
から馬の出となっていた。このほかの演出では、お兼の出は、
「からみ」と呼ばれる大勢が、投げ飛ばされて、お兼が出てくる
という演出もあるという。

いずれも、若くて綺麗な娘が、大力の持ち主という意外性が売り
で、初演の七代目團十郎の舞台が評判を呼び、だから、「團十郎
娘」と言われる。クドキ、盆踊り、鼓唄、布晒し(だから、「晒
女」)。布晒しでは、高下駄を使ったタップダンスのような所作
が時折、混じる。

花道でお兼が、若い者と対になって、背中を使い、逆海老反りに
なるのに合わせて、舞台中央で、馬は、立ち上がり、前脚を高々
と持ち上げるが、これは、馬の脚役者のうち、後ろ足の役者が前
足の役者を肩に乗せるという荒技。前足を持ち上げた状態が暫く
続くという、力業。

馬が上手に退くと、若い者ふたりが、お兼に絡んでの立ち回りと
なる。お兼は、両手に持った長い晒し布を巧みに操りながら、立
ち回りの所作。長さが1丈2尺(およそ3・6メートル)ある。
福助は、ちょっと、足で晒し布を踏んでしまう場面があったが、
さり気なく修復していた。立回りも、ふたり相手なので、おとな
しい。菊之助のときは、8人が絡んでダイナミックだった。

最後は、お兼が、黒の「三段」(普通、大見得をする場合に乗る
「三段」は、目立つように緋色)から、さらに馬の背に膝をつい
て座って乗り、布晒しをし、上手下手に若い者がそれぞれ位置し
て、引っ張って、決まり。若い娘の力持ちというキャラクターイ
メージが素直に伝わって来たのは、前回の勘三郎であった。菊之
助のお兼の「男を秘めた娘」という演技は、21歳で初演した七
代目團十郎を偲ばせた。男が女を演じる女形が、娘の姿のなかに
男を隠している。それが、「近江のお兼」という演目の真骨頂だ
ろう。菊之助の堅さが、最初気になったが、そういう風に見れ
ば、これも計算のうちとも思える。福助は、大力よりも、色気を
滲ませていて、勘三郎と菊之助の中間というイメージが残った。

贅言:黒の「三段」とは、珍しい。馬を舞台中央に立たせ、その
後ろから福助が馬の背に乗るため、消し幕色としての黒で「三
段」を「隠し」ているのだろう。確かに、馬の下に黒の「三段」
が入り込み、目立たない。

「たのきゅう」は、民話から素材を採った落語の「田能久」を
ベースにした新作歌舞伎の舞踊劇。俳優祭向けの出し物か。舞台
中央に大きな木の株を思わせるような大道具。その大道具を囲
み、廻り舞台を利用して、ミニサイズの舞台(長唄の雛壇が、唄
い手と三味線の位置が、上下逆になっている)、楽屋などを配す
る。マンガチックな山の背景。いかにも、新作ものらしい斬新な
美術だが、歌舞伎らしい雰囲気はない。旅廻りの「たのきゅう」
(三津五郎)一座とおろち(染五郎)の対決が、軸。三津五郎
が、おろちからの要求で、娘、殿様、和尚と早変わりの化け比べ
で、対抗するのが、見せ場。最後は、煙草の「やに」が苦手とい
うおろちと金が苦手という悪知恵を使ったたのきゅうとの頭脳戦
で、たのきゅうが勝つ、というたわいのない話。劇中で、「口
上」があり、坂東吉弥の孫が、「小吉」として初舞台、また、三
津右衛門の名題昇進が、披露される。三津五郎の息子の巳之助
が、大きくなったが、藝の方は、これから。このほか、扇雀、秀
調、弥十郎、高麗蔵、亀蔵らが出演。私が贔屓の芝のぶも、最後
の「とんとん踊り」では、村の女のひとりで出ている。
- 2006年8月17日(木) 6:00:52
2006年7月・歌舞伎座 (昼/「夜叉ケ池」「海神別荘」・
夜/「山吹」「天守物語」)

当初、劇評は、いつもの通り、昼の部と夜の部を分けて書くつも
りだったが、実際に舞台を通しで拝見すると、7月の歌舞伎座興
行は、劇場が、歌舞伎座で、役者が歌舞伎役者とは、いうもの
の、歌舞伎劇というより、やはり、泉鏡花劇そのものという印象
が強く、4つの演目を続けて観てしまうと、4つの演目の関係、
あるいは、構造のようなものを分析したいという誘惑に駆られ
た。そこで、まず、劇評のタイトルを考えてみた。共通のテーマ
設定を考える場合、批評のタイトルを考えるというのが、大きな
テーマをわしづかみにするいちばん手っ取り早い方法だと思うか
らだ。その挙げ句に浮かんで来たタイトルは、「鏡花劇の歌舞伎
化ということについて〜永遠の不可能への、玉三郎の挑戦〜」と
いうものだった。


「鏡花劇の歌舞伎化ということについて
       〜永遠の不可能への、玉三郎の挑戦〜」

今回上演された鏡花劇は、「夜叉ケ池」、「海神別荘」、「山
吹」、そして「天守物語」の4演目であったが、このうち、私
は、99年3月、歌舞伎座で、「天守物語」を、翌2000年3
月、日生劇場で、「海神別荘」を観ている。「夜叉ケ池」と「山
吹」は、今回が、初見である。泉鏡花の戯曲を全て読んでいるわ
けではないから、良く判らないが、歌舞伎役者として鏡花劇の歌
舞伎化に熱心に取り組んでいる玉三郎が、今回の上演に際して選
んだ4演目について、玉三郎自身は、「夜叉ケ池」、「海神別
荘」、「天守物語」を「三部作といっていいほど、描かれている
世界が似ていると思うんです」と言っている。それは、「夜叉ケ
池」では、村という「俗世」と夜叉ケ池の「魔界」との対立が描
かれ、「海神別荘」では、海底の「異界」へ「人間界」から若い
女性が輿入れして来るし、「天守物語」では、天空の「異界」へ
「人間界」から若い武士が逃れて来るという形で、異界の元へ
の、ある種の融合が描かれることで判る。いずれも、最後は、
「異界」の優位性が、高らかに宣言される。ところが、「山吹」
となると、俗世のままで、「異界」なぞ、登場しない。「三部
作」では、昼夜通し興行が成り立たないので、時間稼ぎに「山
吹」を混ぜただけなのだろうか。いや、そうではない。私の見る
ところ、今回の興行4演目のキーポイントは、実は、「山吹」が
握っているように思えるのだが、とりあえず、ここでは、種を明
かさずに、伏線の指摘に留めておこうと思う。

次に、外題のつけかたも、3演目には、共通するものがある。い
ちばんユニークなのは、やはり「海神別荘」で、なんともイマジ
ネーション豊かなネーミングでは、ないか。次いで、詩情豊かな
「天守物語」、妖気豊かな「夜叉ケ池」となる。これらにくらべ
ると「山吹」という外題は、なんとも、「すげない」印象を持
つ。修善寺温泉から下田街道への「捷径(ちかみち)」となる山
吹が咲き乱れる山中の場面が、あるにせよ、である。しかし、こ
の「すげなさ」こそ、曲者である。ここも、そういう、伏線的な
意味のみを指摘しておく。

さて、ここで、唐突だが、近松門左衛門に登場してもらおう。
「虚実皮膜(きょじつひにく)」という言葉は、実は、門左衛門
が言い出した。「藝は、実と虚との皮膜の間にある」という意味
である。今回の興行でいえば、「夜叉ケ池」は、世俗と異界、つ
まり、実と虚との対立、「海神別荘」と「天守物語」は、海底と
天空という異界ながら、上下の違いはあるものの、中間の人間界
より、異界が、優位に立つ。つまり、虚が実より優位に立つとい
う鏡花の思想を明示する。ところが、門左衛門に拠れば、「実と
虚との皮膜の間」こそが、大事なのである。歌舞伎役者・玉三郎
は、門左衛門の立場に立つ人であるから、「三部作」だけでは、
藝にならないことを見抜き、「山吹」をキーポイントに据えたの
だろう。「山吹」という演目は、異界が登場せずに、世俗的な世
間という「すげなさ」を装いながら、「実と虚との皮膜の間」と
いう藝の極意を明確に観客に暗示してくる。

そういう眼で見ると、「山吹」という演目は、恋に生きる女性の
世間への訣別の物語であり、初恋の洋画家・島津正を本舞台とい
う世間に残し、子爵夫人の縫子は、老いた人形遣・藤次ととも
に、花道という「捷径」を通り抜けて、揚幕の向うの異界(人外
境のマゾヒズムという世界)へ旅立って行くという物語だという
ことが判る。そのための儀式が、雨傘に拠る打擲というエロチッ
クな行為であり、死んだ鯉の腐肉を食べるというグロテスクな悪
食の光景である。実から虚への旅立ち。皮膜をすり抜けて、藝の
世界へ旅立って行く。つまり、「山吹」は、鏡花劇のなかで、虚
実の価値転換を主張し、異界への回路を主張するターニングポイ
ントの演目であることが判るだろう。

ならば、「実と虚との皮膜の間」にある演目が、「山吹」という
外題を与えられた謎解きをしてみよう。

万葉集に遡る。八重山吹を詠う。

「花咲きて 実(み)はならずとも 長き日(け)に 思ほゆる
かも 山吹の花」

虚の花を咲かせながら、実を成らさぬ山吹への思い。鏡花は、万
葉集の歌を「実(じつ)はならずとも 長き虚(きょ)に思ほゆ
るかも」というように詠み込み、「実と虚との皮膜の間」にある
演目として、この戯曲を書き、それに「山吹」という外題を付け
たのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

ところで、鏡花劇は、優れて科白劇である。美意識を含む鏡花哲
学の思惟を科白という言葉で表現しようとするから、どうしても
奇抜で綺羅星のような科白が多くなる。空想自在な、形に見えな
い思惟を役者の肉体を通じて舞台という限定された空間で表現す
るために、そういう科白が多用されるのである。書かれた戯曲の
科白は、読みどころだが、それは、必ずしも、役者のいう科白の
聞かせどころとは限らないだろう。特に、様式美、定式を重んじ
る歌舞伎は、どちらかというと、見せる演劇である。

ならば、鏡花劇を歌舞伎劇として演出する者にとって、大事なこ
とは何だろうか。私は、鏡花劇が、歌舞伎になるための条件とし
ては、科白のない役者の存在感を如何に出すかということが重要
になるのではないかと、思う。科白のない大部屋の役者が、歌舞
伎としての演劇空間で、鏡花劇の科白の多い主役たちとは別に、
科白に頼らずに鏡花劇を肉体化するという試みをしてもらうとい
うことが重要になって来るように思う。例えば、7月の舞台に大
部屋役者の一人に市川喜昇という若い女形が出演している。甲府
出身の唯一の歌舞伎役者で、市川右近の弟子である。彼は、今
回、ふたつの演目に出演している。「山吹」では、縫子と藤次
が、虚の世界へ旅立つ、いわば「祝言」の場に出くわせ、稚児ら
とともに「南無大師遍照金剛」と唱え、弘法大師の命日を弔う村
人の一行のなかにいるし、「海神別荘」では、海底の御殿に使え
る侍女のなかにいる。例えば、彼が、いつもの歌舞伎劇との融和
を図りながら、科白の少ない、あるいは、全くない場面で、鏡花
劇をどう演じ、観客に演出家の意図をどう伝えようと意識してい
るか、というような、いわば定点観測で、推し量れるかも知れな
い。そういう目で観てみると、彼は、表情豊かに侍女を演じてい
た。ここ数年で、ひとまわり大きくなったように見えた。科白の
ない、あるいは、科白の少ない大部屋役者の所作が、鏡花劇の華
になるとき、鏡花劇は、見事に、歌舞伎化されていることだろ
う。

玉三郎は、鏡花劇の思想を身に纏い、己の美意識に磨きをかけ
る。それは、人の目に見えない思想と人の目に見せる美意識とい
うアンビヴァレンスを統一しようという試みでもある。科白劇の
大海に乗り出し、科白のない大部屋役者とも連係しながら、「実
と虚との皮膜の間にある」といわれる藝の本道を目指して、鏡花
劇という歌舞伎にいちばん馴染みにくい科白劇の歌舞伎化とい
う、永遠の不可能へむけて挑戦している。玉三郎歌舞伎の永久革
命ともいうべき、新たな演劇空間創成へ向けて、玉三郎は、鏡花
劇を相手に、挑戦を続けているように見える。

それは、また、400年以上もの間、伝統を大事にしながら、絶
えず、新しいものを取り入れ、歌舞伎に永遠不滅の命を吹き込も
うとしてきた歌舞伎界という、「異界」の、歴史の大きな流れに
乗っかっているようにも見える。
          
贅言:前回、日生劇場で「海神別荘」を観たときの劇評に、私は
次のように書いている。

*「天守物語」のように、将来、歌舞伎座でも(「海神別荘」
を)上演するなら、思いきって、大道具も、衣装も、台詞廻し
も、できるだけすべてを歌舞伎調の幻想劇にしてしまうのも、お
もしろいと思った。

しかし、この思いは、今回は、実現されていなかった。「玉三郎
歌舞伎の永久革命」の課題は、まだまだ、多い。

以上が、メインテーマの劇評だとすれば、以下は、書き残した各
論となる。各演目ごとの短かめの批評、そして、役者論、場合に
拠り、贅言という形で、今回の劇評を締めくくりたい。

まず、「海神別荘」では、前回、2000年3月、改装されたば
かりの日生劇場は、舞台だけでなく、場内全体も、海底の海神別
荘「琅汗(本当は「王偏」)殿(ろうかんでん)」のようで、貝
がちりばめられた凹凸のある曲線の複雑な天井、周りの壁も、ふ
ぞろいなタイルのようなものが貼りつけてあり、こちらも優美な
曲線、舞台も曲線で柔らかみを出していたのに対して、今回は、
いつもの歌舞伎座の場内なので、雰囲気が大分違う。大道具、衣
装などの美術は、前回同様、画家の天野喜孝。玉三郎の美女は、
好調。所作、表情が、いちだんと奥深くなった。海老蔵の公子
は、前回の難点だった、科白廻しは、大分改善されているが、今
回は、歌い上げてしまっていて、歌舞伎調からは、はずれてい
る。

前回、女房を演じた秀太郎の濃艶な美しさが印象に残ったが、こ
の役を今回は、笑三郎が演じていた。笑三郎では、まだ、秀太郎
の濃艶さには、及ばなかった。

贅言:私が観たときは、歌舞伎座としては、極めて珍しいカーテ
ンコールがあり(今回の歌舞伎座では、毎日だったのかも知れな
いが)、おもしろく拝見した。

「夜叉ケ池」は、鏡花の戯曲第一号で、自ら翻訳したドイツのハ
ウプトマンの戯曲の影響を強く受け、さらに、日本の地方に残る
竜神伝説を取り入れていることから、説明的な展開の演劇になっ
ている。それだけに、演劇的な切れは悪い。百合、異界の主・白
雪姫のふた役に春猿、百合の連れ合いの晃に段治郎、晃の友人の
学円に右近という配役。春猿ふた役の白雪姫のとき、後ろ姿の百
合は、当然、吹き替えだが、春猿に良く似た背中に違和感はな
かった。

贅言:鐘撞伝説の主役となる鐘楼は、現世の鐘楼と異界の鐘楼
は、表と裏を半回転させて表現していた。つまり、鐘楼の石段
が、表と裏では、凹と凸で、違っていた。夜叉ケ池の表現も、地
絣に水色の光を当てれば、池、明るい光を当てれば、地面という
具合で、テンポのある展開であった。屋根の無い屋体も、おもし
ろい(三津五郎主演の「道元の月」のときも、屋根なし屋体で空
間が拡がっていて、良かったのを覚えている)。

「天守物語」は、99年3月の歌舞伎座筋書に掲載されている舞
台写真を見ると、空の背景が、山あり、雲ありで、大分、写実的
だったことが判る。今回は、抽象的な光で表現をしていて、かな
りスマートになっている。播州姫路城(白鷺城)の五層の天守閣
で繰り広げられる幻想劇。鏡花の幻想三部作では、いちばん、歌
舞伎に馴染んでいる演目だ。それだけに、安定感がある。玉三郎
の富姫、海老蔵(前回は、新之助時代)の図書之助の主軸のう
ち、海老蔵は、前回より大分進化している。亀姫は、前回は、菊
之助、今回は、春猿。これは、菊之助の方が、安定感があった
が、春猿も、悪くはない。大きな獅子頭を作った工人の桃六は、
前回は、今は亡き羽左衛門、今回は、猿弥。これは、ちょっとし
か出番がないが、奇跡を起こす超人なので、存在感が強くないと
漫画になってしまう。猿弥では、まだまだの感。やはり、羽左衛
門の存在感には、かなわない。ユニークな役どころは、生首を舌
でなめる舌長姥の門之助、前回は、吉之丞。これも、吉之丞の方
が良かった。奥女中の薄は、前回同様、吉弥で、これは、前回
も、今回も、安定感があった。

贅言:「夜叉ケ池」で俗界の代表として、村長役で出ていた寿猿
は、「天守物語」で、玉三郎の富姫や海老蔵の図書之助が、中に
避難して隠れ潜んだ獅子頭の獅子が武田の家臣相手に立回りをす
る場面で、以前に獅子の脚を演じたことがあるというが、今回
も、立回りの場面だけ、脚を演じた役者が居たことだろう。獅子
の眼を刀で刺され、盲になった図書之助が出て来る場面では、海
老蔵に、その後の場面では、玉三郎に戻っている。

「山吹」は、先程、少し述べたので、役者論のみ。笑三郎の演じ
た子爵夫人縫子は、後ろ姿に大正浪漫(ロマン)が感じられて、
好演。笑三郎は、「海神別荘」の女房より、良かった。老人形遣
の藤次を演じた歌六は、このところ老け役に新境地という、好調
さが続いているようで、良かった。段治郎は、常識的な世間の品
格(そういえば、いま、品格論流行りというのも、嫌な世の中だ
と嘲笑う鏡花のこう笑が聞こえて来そうではないか)にこだわる
紳士を好演していた。

贅言1):老人形遣(漂泊の傀儡師)の藤次が、持ち運んでいた
人形は、朱の袴姿の巫女だった。決して操られる場面は出て来な
かったが、修善寺温泉裏路の萬屋の板塀に立て掛けられていると
きも、次の下田街道への捷径の山吹の立ち木に立て掛けられてい
るときも、なぜか、首吊りをしているように見え、無気味な気が
した。

贅言2):萬屋の屋体も、屋根なし。書割も、抽象的で不確定。
それが、逆に、何処でもない場所は、何処でもある場所という普
遍性を持つことを伝えて来る。時空を超えて、メッセージを送っ
て来る鏡花劇に相応しいかも知れない。
- 2006年7月23日(日) 21:07:50
2006年6月・歌舞伎座 (夜/「暗闇の丑松」「身替座禅」
「二人夕霧」)

「暗闇の丑松」は、長谷川伸が、講談の「天保六花撰」の人物
「丑松」を新たな人物像として造型して、軸に据えて1931
(昭和6)年に雑誌に発表した戯曲である。都合4人を殺し、妻
を自殺に追いやるという、陰惨で、暗い殺人事件の話である。そ
れでも、雑誌を読んだ六代目菊五郎は、上演を熱望したという。
雑誌発表から3年後、六代目菊五郎は、東京劇場で初演した。配
役は、料理人・丑松(菊五郎)、妻のお米(男女蔵=後の、三代
目左團次)ほかだが、脇役は、達者な役者が揃っていたらしい。
思いつめた女の可憐さ、一本気な男の狂気に至る心情が描かれる
が、この芝居の魅力は、それだけではないだろう。大道具を含め
て、演出は、菊五郎がしたのだろうか。省略と抑制が効いた場面
と大道具の妙。達者な脇役たちの演技。それが、この陰惨な幕末
の江戸の殺人事件劇を奥行きのある芝居に磨き上げたと思う。古
い資料を見ると、村上元三演出とある。ならば、村上の知恵か。

私は、98年11月の歌舞伎座、02年7月の歌舞伎座、そし
て、今回と、3回目の拝見となる。主な配役は、次の通り。丑
松:菊五郎、猿之助、今回は、幸四郎。お米:福助、笑也、福
助。四郎兵衛:彦三郎、段四郎、今回も、段四郎。お今:萬次
郎、東蔵、秀太郎。お熊:鐵之助、東蔵(お熊とふた役)、今回
は、鐵之助。祐次:八十助時代の三津五郎、歌六、染五郎、三
吉:松助、寿猿、錦吾。常松:家橘、猿十郎、友右衛門。

菊五郎は、2回目の主演だったが、さすがに世話もの得意の役者
だけに過不足なく丑松を演じていた。猿之助は、初演であり、外
形的に熱演しすぎで、もう少し抑え気味の演技で、内面がにじみ
出る方が、良かったのではないかと、思った。今回の幸四郎は、
20年前に一度演じているので、2回目だが、今回は、前回と
違っているのか、敷衍しているのか、知らない。しかし、今回
は、熱演で、いつものオーバーアクション気味ではあるが、内面
的にもオーバーアクションのようで、それが滲み出ていて、なか
なか良かったと思う。菊五郎よりは、演じ方が、より陰惨な気は
するが・・・。

お米の福助は、幸の薄い女性を演じて、存在感のある良い演技を
していた。四郎兵衛の段四郎は、2回観ているが、適役だ。秀太
郎は、お今のような役をやらせると、絶品である。
 
さて、暗闇で芝居は始まる。本舞台の「浅草鳥越の二階」は、薄
暗く、誰もいない。隣家の二階、斜め前の家の二階では、それぞ
れ男女が、うわさ話をしている。そういう薄暗闇で蠢く科白で、
いつしか舞台は進行して行く。陰惨で、暗い話らしい、巧い幕開
きだ。

この芝居では、丑松は、都合4人を殺すのだが、殺人の現場を舞
台では直接的に描かない。「本所相生町四郎兵衛の家」で、四郎
兵衛(段四郎)の妻・お今(秀太郎)が、丑松に殺される場面を
除いて、いっさい、殺し場は、直接、観客には、見せない。影絵
のように描いた方が、陰惨さのリアリティを増すことができると
いう効果を知り尽した知恵者が居たのだろう。

例えば、序幕の「浅草鳥越の二階」では、お米(福助)の母親の
お熊(鐵之助)が、丑松(幸四郎)と別れさせようとして、お米
を何度も折檻する場面は、見せるものの、階下で起こるお米の見
張り役の浪人・潮止当四郎(権十郎)とお熊が、それぞれ丑松に
殺される場面は、音だけで表現する。

まず、お熊に頼まれて丑松を脅迫するため、二階にいた当四郎
が、まず、階下に下りていって丑松に殺される。戻って来ない当
四郎を不審に思い、階下に様子を見に行ったお熊も殺される。ふ
たりを殺して、蹌踉として二階に上がって来た丑松の出で、ふた
りが殺されたことを観客に推量させるという、なんとも憎い演出
なのだ。歌舞伎の様式化された「殺し場」は、ないのだ。新歌舞
伎という様式にこだわらなくても良いという武器を積極的に使っ
ているように見受けられる。自首しようとする丑松の思いを押し
とどめて、お米は、二階から隣家の屋根伝いに逃げることを勧め
る。いつの間にか、舞台下手の平屋の屋根屋根の上には、真ん円
い月が皓々と照りつけている。物干し場のある窓をがらりと開け
ると、昼間のように明るい月の光が、丑松とお米の姿を白々と描
き出す。先に身を乗り出した丑松は、足を滑らせて、屋根に倒れ
込む。物干し場を伝いながら、ゆっくり降りはじめるお米。女の
方が、度胸が座っているようだ。皓々とした月光の下、地獄への
逃避行に旅立つ破戒の男女の後ろ姿が、小さくなって行くところ
へ、上手から引幕が迫って来る。

逃避行の末、丑松は、お米を信頼する兄貴分の四郎兵衛に預けて
おいて、更に長い旅に出た。久しぶりに江戸に戻って来た丑松
は、江戸の入り口のひとつ、板橋宿で宿を取る。お米は、四郎兵
衛に騙されて売られ、板橋宿の妓楼「杉屋」で女郎になってい
た。宿場の妓楼の風俗描写がリアルで、見応えがある。様々な役
を演じる脇役たちの演技も、内実を感じさせる。歌舞伎役者の層
の厚さが浮き彫りになる場面だ。偶然再会した丑松にお米は、事
実を知らせるのだが、兄貴分を信用する丑松に失望して、嵐のな
か、妓楼裏の銀杏の木で首吊り自殺をしてしまった。

この妓楼の場面では、上手の戸外の嵐、激しい雨の降り様が、光
りで描かれるが、それが、登場人物たちの心理描写に役立ってい
る。これも、巧みな演出だ。

杉屋の妓夫・三吉の錦吾、遣り手・おくのの歌江、松の屋料理
人・祐次の染五郎、建具職人・熊吉の高麗蔵など脇役たちも、い
ずれも、存在感のある好演。そういえば、序幕の当四郎の権十
郎、お熊の鐵之助も、味があった。特に、お米を折檻する母親の
お熊を演じた鐵之助は、抜群に巧かった。8年前のそれぞれは、
当四郎が、團蔵、お熊は、同じ鐵之助。杉屋の妓夫・三吉は、松
助、遣り手・おくのは、鶴蔵、松の屋料理人・祐次は、八十助時
代の三津五郎、建具職人・熊吉は、右之助などで、こちらの組み
合わせの脇役たちも、味があったのを思い出す。この芝居、脇役
の巧拙で舞台が違って来る。

また、大詰第二場「相生町湯屋釜前」では、風呂場で起きる四郎
兵衛殺人事件も直接、「殺し場」は描かずに、殺人の前後の人の
動きで表現する。いわば、影絵の殺人事件の現場を、周辺の余白
で推測させる演出を取っている。本舞台奥が、上手男湯、下手女
湯。江戸時代の風呂場は、柘榴口の奥の薄暗くて、湯気が籠った
空間で見通しが悪い。そういう場が、殺し場になっているのだか
ら、この演出は、正解だろう。

「湯屋釜前」では、湯屋の番頭・甚太郎の蝶十郎が、薪を燃や
し、水を埋め、桶を乾燥させ、並べて整理する。その合間に、風
呂場に呼ばれたり、下手上部に設えられた屋根裏部屋の休憩所に
入ったり、下帯ひとつの熱演で、縦横無尽に巧みに動き回りなが
ら、湯屋裏側の釜焚きの生活がリアルに描かれる。8年前は、橘
太郎であったし、4年前は、猿四郎であった。この場面を観るだ
けでも、「暗闇の丑松」は、観る価値があると思う。甚太郎の明
るさと丑松の暗さが、対比されないといけない。

湯屋裏側の出入り口の工夫。木戸を開け閉めする度に木戸がひと
りでに閉まるように長い紐の先に徳利が括り付けられている。徳
利が、錘りの役目を果たし、人が木戸を開けても、徳利が、木戸
を閉めるという仕掛け(一種の自動ドア)だが、これが、木戸を
出入りする番頭・甚太郎だけでなく、殺人犯丑松、岡っ引きの常
松(友右衛門)らの出入りの度に上下をし、役者たちの心理を増
幅して、観客に伝えて来る。更に、幕切れで、湯屋の犯行現場か
ら逃走する丑松のおぼつかない足取りと同調する形で、どんつく
どんつくと鳴り響く祈祷師の法華太鼓の音。これも効果的だ。序
幕から大詰まで、音の効果を知り尽した憎い演出が光る。祈祷師
の男女がその前に湯屋裏を覗いて行くという伏線の設定も、心憎
い。
 
相生町の四郎兵衛(傘に「相四」とある)を演じた段四郎は、昼
の部の「荒川の佐吉」の郷右衛門同様の敵役で、いずれも味を出
していた。四郎兵衛女房・お今の秀太郎も、中年女の嫌らしい色
気が滲み出ていた。四郎兵衛の家から湯屋への場面展開前に、江
戸の物売りのひとつ、笊を両天秤に担いだ笊屋が、笊売りの売り
声をかけながら舞台下手を通りかかり、そのまま暗転という、こ
れも、また、憎い演出だったことを指摘しておこう。芝居の魅力
の出し方を知り尽したような村上元三の演出だ。
 
この芝居は、ストーリー展開は、陰惨だが、そういう音や声を意
識的に使った抑制の効いた演出の趣向が、随所に光る。また、大
道具、舞台装置の巧みさも、見逃しては行けない。そういう意味
では、見せる歌舞伎が、歌舞伎の魅力という常識のなかで、「音
で聞かせる歌舞伎」「工夫された大道具」という視点でも、得が
たい「新」歌舞伎だと思う。また、江戸の庶民の生活を活写する
場面も多く、江戸の市井人情ものと言われるだけに、細部の趣向
に工夫が多く、それも楽しめる。数ある新歌舞伎のなかでも、名
品のひとつだと思う。今月、昼夜通して観ても、いちばん見どこ
ろの多い出し物だと推薦したい。
 
「身替座禅」は、7回目の拝見。私が観た右京:菊五郎(今回含
め、3)、富十郎(2)、猿之助、勘九郎。菊五郎の右京には、
巧さだけではない、味があった。特に、右京の酔いを現す演技が
巧い。酔いの味が、良いということだ。従って、右京というと菊
五郎の顔が浮かんで来る。玉の井:吉右衛門(2)、三津五郎、
宗十郎、田之助、團十郎。今回は、仁左衛門。

玉の井は、醜女で、悋気が烈しく、強気であることが必要だろ
う。浮気で、人が良くて、気弱な右京との対比が、この狂言のミ
ソであろう。そういうイメージの玉の井は、仁左衛門が巧い。仁
左衛門演じる「先代萩」の八汐は、素晴しい敵役だが、今回も、
その系統の演技である。仁左衛門の底力を見せつける舞台であっ
た。玉の井は、團十郎もよかったが、今回の仁左衛門も良かっ
た。嫉妬深さ、憎らしさ、山ノ神の怖さを演じて、團十郎も仁左
衛門もひけを取らない。吉右衛門は、人柄の良さが邪魔をする。
三津五郎は、柄が小さくて、こういう役では、損をしている。宗
十郎、田之助は、女形もやれる役者なので、立役のみの團十郎、
仁左衛門とは、味わいが異なる。この役は、やはり、真の立役に
やらせたい。

ところで、右京役者のポイントは、右京を演じるだけでなく、右
京の演技だけで、姿を見せない愛人の花子をどれだけ、観客に感
じ取らせることができるかどうかにかかっていると思う。これ
も、「暗闇の丑松」同様、影絵の効果であろう。シルエットとし
ての花子の存在感。1910(明治43)の、市村座。作者の岡
村柿紅は、六代目菊五郎の持ち味を生かすために、狂言「花子」
を元に、この舞踊劇を作った。初演時の玉の井は、七代目三津五
郎。元の狂言は、観ていないので判らないが、外題からして、花
子も登場するのだろうが、歌舞伎では、花子は、舞台では、影も
形もない。唯一花子を偲ばせるのが、右京が花子から貰った女物
の小袖。それを巧く使いながら、花子という女性を観客の心に浮
かばせられるかどうか。見えない花子の姿を観客の脳裏に忍ばせ
るのは、右京役者の腕次第ということだろう。右京の花子に対す
る惚気で、観客に花子の存在を窺わせなければならない。そうい
う意味でも、菊五郎は、巧い。

身替わりに座禅を組まされる太郎冠者の、さらに身替わりになる
玉の井。それを知らない右京と全てを知っている観客の違いのお
もしろさ。身替わりの身替わりを知っている観客は、いわば、齟
齬を笑いで愉しむ。この場面、右京が、得意になって、情事を語
れば語るほど、ついでに、玉の井の悪口を言えば言うほど、観客
の笑いを誘う。

太郎冠者は、右京と玉の井のやりとりの序盤を受け持つ。玉の井
の怒りや激情を増幅させる役割を背負わされていて、前座とし
て、下地を作る。翫雀は、そういう激情の触媒機能を過不足なく
演じていた。侍女の千枝(松也)と小枝(梅枝)だが、松也にく
らべると梅枝は、まだ、線が固い。身体の動きが、女性になって
いない。

贅言:右京が、玉の井の攻撃から逃れるために、床に置いてあっ
たオレンジ色の座禅衾に頭から潜り込み、もぞもぞ動く場面で、
久しく見せてもらえない菊五郎の「保名」の「伏し沈む」場面を
思い出してしまった。もう一度、菊五郎の「保名」を観てみたい
と切望しておく。

「二人夕霧」は、2回目の拝見。「廓文章」の吉田屋の場面のパ
ロディ。この狂言では、舞台上手に「二人夕霧」の看板。下手に
「傾城買指南所」の看板が、それぞれ、掲げられるが、これは、
この狂言の持つふたつのテーマの明示であることを見逃してはな
らない。そのテーマとは、1)「吉田屋」で馴染んだ先の夕霧
が、亡くなってしまい、後の夕霧(時蔵)と再婚した伊左衛門
(梅玉)が、夫婦共働きで、「傾城買指南所」を開いているとい
う舞台設定のおもしろさ。2)「先の夕霧(初代)」と「後の夕
霧(二代目)」の、いわば、女の争いとしての、「二人もの」。
「死んだ振り」をしていた先の夕霧(魁春)が訪ねて来たことで
巻き起こる大変。軽味と笑いの狂言。結局、伊左衛門は、ふたり
妻を持つ身になる。

パロディとともに、もうひとつの趣向も見逃せない。勘当の身の
ぼんぼん・伊左衛門と傾城の打ち掛け姿で、夕餉の支度をする夕
霧の、「ままごと」のような、ふたりの新婚生活というのが、
「浮き世離れ」している、この狂言の原点。上方落語の味とで
も、言おうか。おおらかさと笑いの世界が拡がる。

前回、仁左衛門の病気休演で伊左衛門を代役で勤めた梅玉は、今
回は、最初から、梅玉の伊左衛門であったが、前回より、上方味
と滑稽味が、少し強まって来たように見受けられる。3年前の大
阪松竹座で仁左衛門は、「二人夕霧」の伊左衛門を演じている
が、私は観ていないので、是非とも観てみたいと、常々、思って
いる。今回も実現はしなかったが、その際の、私の見方のポイン
トは、吉田屋の場面での伊左衛門と、パロディでの伊左衛門の違
いをどう演じるのかということだ。

このほか、指南所に通って来る3人の弟子の内、「いや風」の翫
雀は、前回に続いて、2回目だが、これも、良かった。借金取り
の「三つ物屋」は、今回は、團蔵だが、これは、憎まれ役だけで
はない味わいが欲しい。前回は、亡くなった坂東吉弥だったが、
配役を観ただけでも、私の要求する味の違いが判る人には、判る
だろうと思う。


贅言1):「三つ物屋」とは、古着屋のこと。「綿入れ」を表、
裏、綿と分けて売り物にしたからという。この場面では、伊左衛
門のした借金の形に衣類や炬燵蒲団などを剥ぐように持って行く
と、すっかり、伊左衛門のユニフォームになっている紙衣姿にな
るというのも、「廓文章」のパロディの趣向である。

贅言2):夜の部は、芝居が撥ねた後、暗い夜道を帰る観客たち
のことを考えると、殺人事件が続く「暗闇の丑松」の陰惨さを消
さなければならない。そのために、歌舞伎座は、嫉妬の笑いの
「身替座禅」と大らかな落語の笑いに通じる「二人夕霧」の連打
で、暗闇に灯りを付けて、夜道の足元を照らしたつもりかも知れ
ない。
- 2006年6月5日(月) 22:34:40
2006年6月・歌舞伎座 (昼/「君が代松竹梅」「双蝶々曲
輪日記〜角力場〜」「藤戸」「荒川の佐吉」)

昼の部のいちばんは、「荒川の佐吉」で、舞台が進むに連れて、
華やかに展開し、最後は、爛漫の桜の堤での別離。「角力場」
は、幸四郎と染五郎の共演、染五郎のふた役早替りの趣向が良
かった。「藤戸」は、「船弁慶」バリエーションの趣。

「君が代松竹梅」は、3回目の拝見。松竹梅は、冬の寒さを耐え
忍ぶ「三寒三友」書割りは、下手から、上手へ向って、松、梅、
竹。やがて、大せり台に乗って、平安朝の優雅な衣装をまとった
3人が、上がって来る。松の君(翫雀)、梅の君(愛之助)、竹
の姫(孝太郎)の登場。これは、立役、女形の配役によって、
「君」と「姫」は、自由自在。公演2日目の所為か、3人の所作
が揃っていないのが残念。3人の持つ扇子の色は、緑、紫、紅。
さて、誰がどの色か?

紅は、梅の君。緑は、竹の姫か、松の君か、迷うが、果たし
て・・・。その挙げ句、松は、緑。竹は、若々しいので、若紫の
連想から、紫と、思ったが、正解は、緑が梅の君、紫が松の君、
紅が竹の姫。10分余りの短い所作事。どうということもなし。

「双蝶々曲輪日記」のうち、「角力場」は、2回目の拝見。まず
舞台上手には、角力の小屋掛けで、力士への贔屓筋からの幟(濡
髪長五郎には、「山崎」贔屓、放駒長吉には、堀江贔屓とある。
これは、後の展開から、「山崎」は、濡髪支援の「山崎屋与五
郎」の山崎「屋」であり、「堀江」は、放駒支援の角力小屋のあ
る地元の堀江「町」の意味だと知ることができる)のほか、取り
組みを示す12組のビラ(最後が、濡髪対放駒と判る)。木戸口
の大入りのビラ。見物客が入ってしまうと、木戸の若い者が「客
留(満員の意味)」のビラを張り、木戸を閉める。江戸時代の上
方(大阪・高麗橋のたもと)の相撲風情が楽しめる趣向だ。

舞台下手には「出茶屋」そばにお定まりの剣菱の菰被りが3つ積
んである(後に、放駒が、使う)。角力小屋の中は見せないが、
入り口から見える範囲は、「黒山」の人だかりの雰囲気(昔は小
屋を観音開きにして、内部の取り組みの場面を見せる演出もあっ
たという)。いまは、声や音だけで処理。結びの一番(濡髪対放
駒)は、「本日の打止め」との口上。軍配が返った雰囲気が伝
わって来たと思ったら、「あっさり」(これが、伏線)、放駒の
勝ち名乗り。取り組みが終わり、打止めで、仕出しの見物客が木
戸からゾロゾロ出てくる。筋書の出演者を見ると男18人、女5
人だが、やけに多く見える。同じ役者が、二廻りしていると、見
た。

次いで、木戸から放駒長吉の出がある。放駒役の染五郎は、今
回、山崎屋与五郎との早替りふた役である。次に木戸から出てく
る幸四郎の濡髪長五郎を、より大きく見せるために(と言うのは
濡髪の木戸の出は、昔から押し出しの立派さを強調するため、役
者などが工夫を重ねるポイントになっている)、草履を履いてい
る。これに対して、濡髪は、歯の高い駒下駄を履いている。木戸
から扇子を持った手が見えるが、上半身はあまり見えない。黒い
衣装に横綱の四手(しで)の模様、二人が舞台で並ぶと濡髪の大
きさが目立つ。また、地元推薦の放駒は、丁稚上がりの素人相撲
取りで、歩き方もちょこちょここ歩き、話し方も、町言葉。純粋
の相撲取りの濡髪との対比は、鮮明。幸四郎は、珍しく、抑制の
効いた演技で、貫禄の濡髪長五郎をゆるりと演じていた。

濡髪贔屓の山崎屋与五郎は、染五郎のふた役。染五郎の意欲が伺
われる。染五郎は、上方歌舞伎の典型的な「つっころばし」を好
演。染五郎は、このところ、上方味の役柄に意欲的に取り組んで
いるように思われる。与五郎は、語源通りに、濡髪から肩を叩か
れると、崩れ落ちる。このほかにも、何度もつっころばされてい
た。

濡髪と放駒のやりとりでは、角力小屋のなかで展開された「はず
の」取り組みを再現する場面では、勝負にわざと負けた上で、後
から頼みごとをする濡髪のやり方の狡さに怒る放駒の言い分が正
当で、怒りは尤もであると、思う。八百長相撲を仕掛けた濡髪の
やり方に怒る放駒の座っている床几を蹴倒す濡髪の乱暴さ。通し
ではなく、「角力場」だけを見ているといくら濡髪を立派だと褒
めても、敵役の雰囲気は残る。

濡髪の持つ黒地の扇子には、片方に白い軍配と赤い房の絵、もう
片方に赤い弓の絵。難しいが、濡髪は敵役の印象を残さないで、
力士としての豪快さを出す工夫を役者がどこまでできるかがポイ
ントだろう。幸四郎の濡髪も、疾しさは、残った。放駒の持つ扇
子は、白地に暴れ馬の絵柄。さて、本当の軍配はどちらに、揚
がったことだろう・・・。もめ事の原因となる、大坂新町の遊廓
藤屋の遊女吾妻に高麗蔵。与五郎ご贔屓の鼻高の美形である。

「昇龍哀別瀬戸内 藤戸(のぼるりゅうわかれのせとうち)」
は、初見。「松貫四構成」の「松貫四」は、吉右衛門の筆名。8
年前の1998年5月に広島の厳島神社の野外舞台「宮島歌舞
伎」で、初お披露目のあった演目である。平家物語の「藤戸」を
ベースに、平家を攻める佐々木盛綱(梅玉)に瀬戸の浅瀬を教え
た地元の漁師が、口封じに殺された怨念を伝える。前半は、殺さ
れた漁師の老いた母・藤波(吉右衛門)が、加害者佐々木に恨み
つらみを訴える。盛綱の郎党、つまり、四天王に玉太郎改め松
江、亀鶴、歌昇の息子の種太郎、吉之助。浜の男女(歌昇と福
助)の間狂言の後、後半は、藤戸の悪龍となった漁師の亡霊が、
盛綱を襲う。義経一行と平知盛との対決になる「船弁慶」と同工
異曲の狂言。戦争による犠牲者の怨念を描く。吉右衛門のテーマ
のひとつ反戦劇である。「変わらぬものは、親心じゃあ」という
のも、主張のひとつ。幕外の引っ込みが、送り三味線ではなく、
送り四拍子という珍しいもの。笛、小鼓、大鼓、太鼓と揃う。四
拍子の演奏に翻弄されるように、悪龍は、波に揉まれながら消え
て行く。鬘を付けていない裃後見が主役を支える。

昼の部最後は、真山青果原作の「江戸絵両国八景〜荒川の佐吉
〜」。これは、4回目の拝見。最初が95年7月の歌舞伎座で猿
之助であった。いまも、印象に残る。病気休演中の猿之助の舞台
が、長らく拝見できない状態が続いているが、残念である。舞台
の猿之助と再会したいファンは、多いことだろう。2回目は、
98年8月の歌舞伎座で、勘九郎。さらに、上方歌舞伎の雄・仁
左衛門で今回を含め2回拝見。初めて仁左衛門で観たときは、江
戸の庶民を仁左衛門が、どう演じるかが、愉しみであった(仁左
衛門は、孝夫時代に4回、佐吉を演じていて、彼の当り役のひと
つである)。仁左衛門の佐吉は、爽やかで見応えがあった。上
方、江戸の区別を吹き飛ばしていた。従って、今回も、こだわり
なく仁左衛門佐吉を楽しんだ。私が観た3人の佐吉のなかでも、
仁左衛門は、スッキリしている。

今回のほかの配役。政五郎(菊五郎)、辰五郎(染五郎)、郷右
衛門(段四郎)、仁兵衛(芦燕)、お新(時蔵)、お八重(孝太
郎)。政五郎では、以前、新国劇出身の島田正吾が貫禄充分に演
じていて、味があったが、歌舞伎上演と同時に新国劇でも上演さ
れた経緯のある出し物だから、そういう融通性を最初から持って
いた演目である。

序幕で、江戸の両国橋の両国側の喧噪。街の悪役が、田舎者の親
子連れに難癖をつける。地元のやくざの親分鐘馗の仁兵衛(芦
燕)の三下奴・佐吉(仁左衛門)が、義侠心を出す場面で、後の
伏線となる。謎の浪人成川郷右衛門(段四郎)と佐吉とのやりと
りが、意味深長。その果てに、郷右衛門は、仁兵衛に斬り付け、
怪我を負わせる。

この芝居を観るたびに思うのは、今回もそうだったが、印象に残
る短い場面がある。郷右衛門に縄張りを奪われた仁兵衛は、一家
も解散し、娘のお八重(孝太郎)らとともに、裏長屋で閉塞して
いる。長屋を巡る溝が雰囲気を出す。鬱陶しい雨の日である。甲
州の使いから戻った佐吉が訪ねて来る。佐吉は、早速親分の生活
を助けようとする。

第二幕、第二場の「法恩寺橋畔」というシンプルな場面。佐吉
は、お八重の姉・お新が生んだ盲目の赤子・卯之吉(親分・仁兵
衛の孫)を寝かし付けようと橋の辺りを歩いている。舞台中央に
据えられた法恩寺橋には、人ッ子ひとりいない。上空には、貧し
い街並を照らす月があるばかり。「月天心貧しき町を通りけり」
そのまま。

佐吉のひとり芝居の場面。これが、「荒川の佐吉」を初めて観た
猿之助のときから印象に残っている。やがて、稲荷鮨売りが、後
ろ姿のまま橋で佐吉とすれ違う。今回の稲荷鮨売りは、松四朗。
この後ろ姿に哀愁がある。稲荷鮨売りのほか、この場面では、い
かさま博打が発覚して親分が殺されたことを佐吉に知らせに来る
かつての兄貴分で、いまは郷右衛門の身内になっている極楽徳兵
衛(権十郎)が出て来る。それだけの登場人物でしかないが、な
ぜか、印象に残る。それは、多分、月が効果的だからなのだろ
う。さしたる重要な場面ではないのに、芝居の不思議さ。演出の
妙ということか。今月の歌舞伎座は、夜の部でも、月が効果的な
場面がある。それは、夜の部の劇評で詳しく書こう。

「江戸絵両国八景」という外題が示すように、両国界隈の景色
が、基調の物語で、それに三下奴の佐吉のサクセスストーリー
(それは、場面が替わるごとに、舞台の屋体の家が立派になるこ
とで、表現されている)と6年間、義理の息子・卯之吉を育て上
げて行く過程で生まれた父親としての情愛、それに佐吉本来の
「男気のダンディズム」が絡む。大きくなった卯之吉が、見えな
い眼でも、父親の帰りを逸早く悟り、「おとっちゃん、お帰り」
とすり寄って行くと、仁左衛門は、卯之吉を、ほんとうに愛おし
そうに抱く場面が、何回かある。その情愛の始まりが、「法恩寺
橋畔」の場面で、この場面自体は、人形を抱いているだけの、シ
ンプルな場面で、どうということもないのだけれど、私には最初
から気になる場面として印象づけられた。この短い場面を観たく
て、私は「荒川の佐吉」という2時間を超える芝居を観るような
気がする。それは、4回、同じ場面を観ても変わらなかった。

贅言:この芝居に出て来る「江戸絵両国八景」とは言え、今回の
舞台では、4枚の立て札が納涼の祭を伝える「両国橋付近」、
「法恩寺橋畔」、「向島・秋葉権現」、「向島・長命寺前の堤」
ぐらいか。本来は、全八場で、両国を中心に隅田川界隈の八景を
出しているようだが、いまでは、半分の四景か。

もうひとつ。舞台に隠してあるのが、桜。大川端(隅田川)両国
橋付近に構えた佐吉の新しい家。親分の仇討ちもし、縄張りも取
り戻した。立派な家の上手、床の間に色紙を掛け軸に直したもの
が飾られている。その色紙にヒント。「敷島の大和心を人とはば
朝日に匂ふ山桜花」と書いてあるが、この場面では、桜について
触れられることはない。床の間の近くに置かれた大きな壺にも桜
の木が差し込んである。

やがて、「長命寺前の堤」の場面。暗転で、夜明け前から始ま
る。佐吉の登場。夜が空けはじめる。大川端の遠見。筑波山が見
える。堤には、6本の桜木。すっかり明け切る。この夜明けの光
量の変化の場面が、実に美しい。お八重との再会。政五郎の見送
り。辰五郎も背負った卯之吉を連れて見送り。草鞋を履き、江戸
を離れ、遠国へ旅立つ佐吉へ餞の言葉を述べる政五郎の台詞に
「朝日に匂ふ山桜花」が出て来て、前の場の舞台の設えが、この
台詞のための伏線になっていることが判るという趣向。散り掛か
る桜の花びらのなかで、卯之吉を抱きしめ、遠ざかる佐吉を泣き
ながら見送る辰五郎(染五郎)の台詞。「やけに散りやがる桜だ
なあ」で、幕。

夜の部も、世話物がおもしろかった。引き続き、夜の部の劇評を
構想中。近日、公開。
- 2006年6月4日(日) 18:07:49
2006年5月・歌舞伎座 (夜/「傾城反魂香」「保名」「藤
娘」「黒手組曲輪達引」)

「傾城反魂香」は、8回目の拝見となる。今回は、簡単にまとめ
たい。私が観た又平おとくの夫婦たち。又平:吉右衛門(3)。
富十郎(2)、猿之助、團十郎。そして、今回が、三津五郎。お
とく:雀右衛門(2)、芝翫(2)、勘九郎、鴈治郎、右之助。
そして、今回が、時蔵。

この演目は、吃音者の成功譚である。吃音者の夫を支える饒舌な
妻の愛の描き方、特に、妻・おとくの人間像の作り方が、ポイン
トになる。前にも書いているが、おとくは、例えば、芝翫が演じ
るような、「世話女房型」もあるし、雀右衛門が演じる「母型」
もある。今回の時蔵のおとくは、「世話女房型」であった。三津
五郎の又平は、前半は、腹話術の人形のような存在感の薄さ。で
も、これはこれでおもしろい。だめな絵師としての烙印を押さ
れ、自殺しかねない又平だが、起死回生の絵が、石の手水鉢を抜
けたときの、「抜けた!」という科白を境に後半は、別人のよう
な趣。三津五郎の藝の明るさは、後半で生きて来る。

この芝居では、実は、もうひとり又平の味方がいるのを忘れては
行けない。将監北の方である。今回は、秀調が演じたが、権力者
将監とバランスを取りながら、絶えず控え目ながら、壺を外さぬ
演技が要求される難しい役どころだ。8回観た「傾城反魂香」の
うち、4回、つまり半分は、吉之丞の北の方であった。つまり、
又平に対して、母性を発揮している暖かい女性に吉之丞の北の方
がいた。4回も観ていると、吉之丞のいぶし銀のような、着実な
演技が、観客の脳裏に刷り込まれているのに気づくようになる。
秀調は、初めて拝見。ちょっと、違う印象。

贅言1):今まで、気づかなかった、あるいは気づいても、劇評
に書き込まなかったのは、絵師の師弟の仕事場である山科閑居に
置かれた絵の数々。ひとつの座席から全部の絵が見えるわけでは
ないので、限界はあるが、今回見つけた絵は、川の畔の桜の木の
下で琵琶を弾く人に降り掛かる桜吹雪の絵柄。富士山の見える松
原と手前の海には、小舟があるという絵柄。大して、卓抜な構図
でもないし、巧い絵とも思えないが、土佐派の絵柄というのは、
こういうものなのか。土佐派といえば、中世から近世にかけて流
行った大和絵の代表流派のはず。特に、「傾城反魂香」に出て来
る土佐「光信」(今回は、彦三郎)は、土佐派中興の祖。また、
又平が、名前を戴く「光起」は、戦国の争乱後、再度、絵所預
(えどころあずかり)=宮中や幕府の絵の御用を勤める主任=に
なるなど、それぞれ、土佐派代々の名跡の名前を使っているが、
いくら芝居とは言え、その割には、「絵がどうも」という感じで
はないだろうか。

贅言2):又平が石の手水に染み込ませる自画像も、稚拙。書道
のことを「入木道」というのは、中国の詩人の書が、墨痕鮮やか
で木に三分染み込んだという故事にちなむが、又平の絵も、この
故事をベースにしているのだろう。これは、前にも指摘している
ことだが、初演時などの同時代人には、自明のことであっても、
今の私たちには、意外と知らないことだから、久しぶりに改め
て、書いておく。

さて、今回、私の、夜の部の愉しみは、菊之助の「保名」であっ
た。ある期待を込めて、幕切れ直前の場面を見守った。

「保名」は、7回目。97年2月の歌舞伎座が、初見。9年間
で、歌舞伎座だけで、7回。大阪松竹座、京都南座、博多座を入
れれば、9年間で10回も演じられていることになる。人気演目
のひとつということだろう。私が観たのは、仁左衛門(2)、菊
五郎、團十郎、橋之助、芝翫、そして、今回が、菊之助。

まず、暗転から、舞台が始まる。春の曙が、暗闇から、徐々に明
るんで来るが、まず、舞台上手がほの明るくなる。上手山台に
乗った清元連中の影が、ぼやっとしている。「恋よ恋、われ中空
になすな恋」という置浄瑠璃(浄瑠璃は始まるが、舞台は無人と
いう状態が続くこと)のまま、暫く置かれる。本舞台には、桜と
菜の花。菜の花は、花道にもある。春爛漫。延寿太夫は、随分痩
せたようだ。上手山台の前に、緋毛氈(これは、後に、立鼓の望
月朴清が座る場所)がある。

やがて、花道に登場したのは、安部保名である。ピンクの地に露
芝の縫い取りの着付け、紫地に野葡萄の縫い取りの袴、袴は、裾
が、若紫にぼかしてある。月代がむき出しのまま、長い髪は、結
われていない。紫の病はちまき姿の保名は、菊之助である。髪型
は、男、顔から下は、女という印象である。菊之助の、この姿を
花道で眼にした途端、私の脳裏には、「アンドロギュノス」とい
うイメージが、こんこんと湧き出て来た。男女一体の人間。「ア
ンドロギュノス」である。特に、私は、先日、個展で見たばかり
の、山本タカトが描く、美少年の「アンドロギュノス」を連想し
た。

保名は、手に銀地に水色の露芝の図柄が描かれた扇子を持ってい
る。悪人の計略に引っ掛かり、自害した恋人の榊の前のことが忘
れられず、きょうも、恋人の形見の橙色の小袖を肩に懸けたま
ま、野をさすらっているのである。物狂のうちにも、颯爽とした
青年ぶりが強調された菊之助の保名である。恋に身を焼く男の苦
衷を踊り続ける。小袖が、巧みに男女を分け隔てるように感じら
れる。菊之助が、小袖を頭に被り、結ってはいないが、野郎頭を
隠すと、菊之助は、一段と女形度を上げる。小袖を頭から脱ぐ
と、今度は、逆に、男っぽくなる。小袖の利用の仕方で、菊之助
は、男→女→男と、切り替わって行く。この奇妙な倒錯感は、仁
左衛門、菊五郎、團十郎、橋之助、芝翫など、私が観た保名の、
誰にもなかったものだ。菊之助独特の倒錯感である。保名と榊の
前という、男女の幻想が、菊之助という肉体を通じて、外形化さ
れて行く。まさに、「アンドロギュノス」。菊之助が、小袖を抱
きかかえるように踊れば、そこには、保名と榊の前という、一対
の男女のワルツが見えて来る。菊之助の肉体は、ひとつだが、私
の幻想上には、ふたりの男女の肉体が見えてくる。菊之助が、ふ
たたび、小袖を頭から被ると、菊之助の肉体は、ひとつに戻り、
女ひとりが、榊の前としてのみ存在している。女が、背を向け
る。やがて、正面を向く。一度、頭を見せる。男が、生々しい。
ふたたび、小袖を頭から被る。

清元は、いつしか、最後の文句を唄い込んでいる。「似た人あら
ば教えてと 振りの小袖を身に添えて 狂い乱れて伏し沈む」。
菊之助は、小袖を頭から被ったまま、つまり、保名にとって、恋
死にしたい榊の前になったまま、本舞台に座り込んで行った。
「アンドロギュノス」の死。菊之助の保名は、保名としてではな
く、榊の前として、伏し沈んで行ったのである。

亡くなった榊の前の小袖が、狂気の保名を騙す。騙される至福を
求めて、狂気になる男の物語が、「保名」という演目の劇的構造
である。狂気の保名には、死んでしまった榊の前が、見える。だ
から、ふらふらと榊の前を追い続けることができるのだ。一方、
観客席に座る正気の私たちには、榊の前は、当然ながら、見えな
い。しかし、保名を演じる役者は、保名の心にならなければなら
ない。つまり、役者には、榊の前が見えていなければならない。
保名の狂った心を役者の正気の心としなければならない。その上
で、役者は、藝の力で、保名と同化して、そういう幻想を観客で
ある私たちに見せなければならない。つまり、観客に錯覚を起こ
させ、見えない榊の前を見えたように幻視させなければならな
い。それができたとき、初めて、保名役者は、観客に勝つのであ
る。

それを判断するポイントは、幕切れ直前にやって来る。前にも、
何回か、書いたが、「保名」では、私は、いつも、最後の幕切れ
直前の場面を注目している。9年前に初めて観た菊五郎のとき、
「狂い乱れて伏し沈む」という清元の文句に、小袖を頭から被っ
たまま、菊五郎が、舞台中央に伏した姿が、恰も、舞台から菊五
郎の身体が消えた(まさに、「沈む」)ように観えた。所作台と
小袖が、平に見え、菊五郎の身体が、無くなったように観えた。
2階席から観ていたのだが、そのように観えた。「榊の前」とい
うイメージ(これは、本来、保名の頭のなかにあるもので、観客
には見えない)とともに、保名が、昇天したように観えたのだ。
榊の前と保名が、手を取り合って、昇天して行った。不思議な気
がしたのを私は、いまも覚えている。

その後、私は、「保名」の舞台を3階、2階、1階などの席か
ら、何回も観ているが、團十郎は、身体が消えなかった。舞台中
央に拡がった小袖の下が、こんもりしていた。橋之助は、最後、
暗転する演出で、その場面を見せなかった。芝翫は、その場面に
なる前に、緞帳を降ろしてしまい、やはり、その場面を見せな
かった。古風な型では、扇をかざして立ち身の見得に、幕が降り
て来るというが、芝翫は、これに近かったように思う。仁左衛門
は、肩に小袖を懸けたまま、座り込んだだけだった。要するに、
菊五郎は、榊の前とともに昇天したが、ほかの保名役者は、保名
のまま、幕切れを迎えて来た。今回の、菊之助は、父親の菊五郎
とも違う形で、保名と榊の前という男女一体の「アンドロギュノ
ス」を何度か強調する印象を高めた上で、最後は、保名から榊の
前に変容しながら、伏し沈んで行ったのである。まさに、見事と
しか言い様のない舞台であった。

再び、暗転。明るくなると、「藤娘」の舞台である。「藤娘」
は、10回目。雀右衛門(3)、玉三郎(3)、芝翫(2)、菊
之助と当然ながら、女形が続く。それぞれ、趣が違うし、松の大
木に大きな藤の花の下という六代目菊五郎の演出を踏襲する舞台
が多いなかで、五変化舞踊から生まれた「藤娘」という旧来の、
琵琶湖を背景にした大津絵の雰囲気を出した演出も、確か、雀右
衛門だったと思うが、拝見したことがある。「藤娘」は、03年
6月、歌舞伎座で、従来の趣向をがらりと変えた、「玉三郎藤
娘」というべき、新境地を開いた瞠目の舞台を観たこともある。

今回は、趣向を凝らして、所作事二題を上、下と分けて、ひとつ
の演目のように演じる演出である。女形の菊之助に立役の保名を
やらせ、立役の海老蔵に女形の藤娘をやらせるという対比の意図
が明瞭である。真女形ならぬ、「真立役」ともいうべき海老蔵
が、女形になる。まあ、無理でしょうと思っていたら、案の定、
三輪明宏風の藤娘であった。海老蔵を娘らしく見せるために、六
代目菊五郎の演出に忠実な、巨木の藤。藤の花も長いので、娘を
小さく見せる。遠めには、絵姿も美形ぶりだが、海老蔵の首筋、
背中から覗き観る裸の肩甲骨の男っぽさは、隠しようがない。内
面の男っぽさが、外形の娘ぶりを台なしにする。ある新聞の劇評
では、海老蔵の外形の絵姿ぶりを誉め、菊之助の内面から描いた
姿を誉め、「将来の團菊」と風呂敷を拡げていたが、私は、全く
逆だと思って観ていた。あまり、新聞の劇評など見ないのだが、
今回のふたりの印象が、劇評子とは、極端に違ったので、敢て、
書き留めておきたい。

「黒手組曲輪達引」は、初見。この演目は、明治維新まで、あと
10年という、1858(安政5)年、江戸の市村座が初演であ
る。幕末の性格俳優、四代目市川小團次のために河竹黙阿弥が書
いた。つまり、助六役者になれない小團次のために、小團次版助
六として、黙阿弥は、「黒手組曲輪達引」を書いたという。従っ
て、本質的に「助六由縁江戸桜」のパロディ(書き替え狂言)で
ある。

菊五郎が、道化役の番頭権九郎と颯爽とした花川戸助六のふた役
を演じてみせる。序幕「忍ヶ岡道行の場」では、「忍岡恋曲者」
という浄瑠璃に乗せて、新吉原三浦屋の新造・白玉(菊之助)と
の道行と洒落込んで浮かれている番頭権九郎は、白玉の間夫であ
る牛若伝次(海老蔵)に金を奪われた上、不忍池に突き落とされ
る。頭に矢の刺さった鴨を見せるなど、現代世相を折り込んだ菊
五郎演出で、笑劇ぶりを強調するのが、序幕。

二幕目「新吉原仲の町の場」では、尾花屋の前で、鳥居新左衛門
門下の朝顔仙平(亀蔵)らに、助六(菊五郎)が、「股潜り」を
させる。大詰「三浦屋格子先の場」は、意休と同格の鳥居新左衛
門(左團次)が、助六に足に挟んだ吸付煙草を勧めるなど、いつ
もの「助六由縁江戸桜」の助六とは、攻守所を替えた趣向で芝居
が進む。揚巻に雀右衛門、三浦屋女房に田之助など。一旦幕とな
り、もうひとつの大詰。大詰第二部というわけだ。浅葱幕が振り
落とされると、桜並木を下に見る三浦屋の大屋根の上で、立ち回
り。さっきの意趣返しに助六が、新左衛門らと斬り結ぶ。菊五郎
は、子どもがチャンバラをするような感じで、立回りをするのが
好きだから、いかにも、愉しそうにやっているのが、判る。

贅言:冒頭にも書いたが、明治維新まで、あと10年という時
代。勤王と佐幕の、血腥い争いが続いている世相を感じさせない
芝居小屋は、別世界という感じが、私には、おもしろい。激動す
る政治の世界に対して、庶民は、どう思っていたのか。あるい
は、役者衆は、外の動きをよそに芝居の工夫魂胆に命をかけてい
たのかどうか。芝居小屋と役者、観客を軸に、幕末の世相を描く
ような時代小説を読んで(あるいは、書いて)みたいような気が
しませんか。

難病から抜け出し、團十郎が1年ぶりに舞台復帰した歌舞伎座の
千秋楽も、とうに終り、3年ぶりの團菊祭も無事に終り、もう、
5日目。遅ればせながら、歌舞伎座昼の部と夜の部の、私の劇評
が、やっと出揃った。でも、もう、3日もすると、6月の歌舞伎
座の初日の舞台が開く。あす、あさっては、舞台稽古だろう。

6月の歌舞伎座は、6月3日(土)に、昼夜通しで拝見に行く予
定なので、6月の劇評は、早めに掲載できるだろうと思うが、私
の職場の新年度(人事異動を経て新体制発足)は、これからなの
で、まだ、まだ、忙しい日々が続き、まとまった時間で劇評を書
けないかも知れないので、サイトの書き込みまで、時間がかかる
かも知れない。
- 2006年5月30日(火) 21:23:24
2006年5月・歌舞伎座 (昼/「江戸の夕映」「雷船頭」
「外郎売」「権三と助十」)

昼の部は、何といっても、病気恢復の團十郎の「外郎売」。これ
ゆえに、歌舞伎座の昼の部は、チケットが売り切れたようだ。

まず、「江戸の夕映」は、2回目の筈だが、9年前の、97年2
月の歌舞伎座の舞台の印象が残っていない。「江戸の夕映」は、
小説家・大佛次郎が、海老蔵時代の十一代目團十郎のために歌舞
伎の戯曲を書いたもののうちの第2作で、初めての世話物であっ
た。幕末から明治へ、世の中が大きく変わるとき、歴史上の人物
ではない普通の武士は、歴史の歯車に翻弄されて、どういう人生
を強いられたかを描いた。初演は、1953(昭和28)年3
月。主な配役は、旗本・本田小六に海老蔵時代の十一代目團十
郎、同じく旗本・堂前大吉に二代目松緑、柳橋芸者・おりきに七
代目梅幸。今回は、いずれも孫の世代が演じる。本田小六に海老
蔵、堂前大吉に四代目松緑、おりきに菊之助。つまり、ひところ
なら、「三之助(新之助、辰之助、菊之助)の芝居」というわけ
だ。印象が残っていない97年2月の舞台では、本田小六に八十
助時代の三津五郎、堂前大吉に左團次、おりきに時蔵。

朋友の旗本ふたりが、歴史の激流のなかで、対照的な生き方をす
る。徳川幕府が崩壊し、明治になり、江戸は、東京になった。築
地河岸の辺りでも、官軍の兵士たちが、我が物顔で歩き回ってい
る。占領軍の威光を笠に着ている。それに我慢がならないと、許
嫁のお登勢(松也)を棄てて、函館で抵抗する幕軍に加わるが、
敗れて密かに江戸に戻って無聊な生活を送る本田小六と新しい時
代に抵抗せずに流されながら、巧く流れに乗り、町人として生活
しようとする堂前大吉。物語の主軸は、小六とお登勢の再会劇。
男の意地と女の誠意の勝負は、女の勝ち。特に、第三幕の「飯倉
坂の蕎麦屋」の場面が良い。蕎麦屋の座敷の奥で、ひっそりと無
聊の酒を呑む小六は、「雪暮夜入谷畦道」の直次郎が酒を呑む場
面を思い出させる。入谷の蕎麦屋と違うところは、外は、雪では
なく、雨が降っている。やがて、舞台下手の空の一部が、明るみ
始め、最後は、真っ赤な夕焼けとなり、偶然再会した大吉からお
登勢との再会を勧められたのにも従わず、いじけている小六のと
ころへ、蕎麦屋の小僧から知らせを受けておりきとお登勢が、駆
け付けて来て、ふたりの再会の場面が、輝くという趣向だ。「き
れいな夕焼け」とおりきは、大吉に呟く。夕映えとは、小六とお
登勢という、若いふたりの人生のこれからの輝き、そういう意味
合いと江戸の黄昏、暮切る前の光芒という意味合いもあるのだろ
う。滅び行く江戸の美意識。滅びの美学。「伊勢音頭恋寝刃」の
福岡貢と遊女お紺を思い出させる「船宿網徳」の場面の大吉とお
りき。大佛の芝居は、抑制が効いている。細部まで計算されてい
るように見受けられた。そういえば、初演の演出は、大佛次郎本
人だったという。今回は、当代の團十郎の演出。

「三之助」のほかに、お登勢の松也、網徳の娘お蝶に尾上右近
(清元の延寿太夫の息子)という、若々しい清新な顔ぶれ。花形
歌舞伎の顔ぶれだろう。しかし、初演の「祖父」らの舞台写真を
見ると、今回の芝居が、如何に粒が小さいかは、隠しようもな
い。戦後の上演記録を見ると、海老蔵時代の当代團十郎、初代辰
之助、菊五郎でも演じられている。20数年前の舞台を観てみた
かった。そうすれば、また、違った感慨を持ったかも知れない。

ただし、蕎麦屋で世間話の体で、お登勢一家の現況を蕎麦屋の老
夫婦に語って聞かせ、座敷で酒を呑みながら、イライラする小六
の感情を観客に判らせる、近くの寺の住職の妾おきんを演じる萬
次郎(印象の薄い9年前の舞台でも同じ役を演じていた)は、存
在感のある良い演技をしていた。大佛は、脇役たちの柄(がら)
を見て、ひとつ一つの役を作って行ったという。初演時の、おき
んは、多賀乃丞であった。その役柄の味わいを萬次郎は、いま
も、生かしているのだろう。

「雷船頭」は、2回目。私が観た前回は、猿之助が、「女船頭」
になって、雷は、猿弥であった。今回の船頭は、松緑。雷は、尾
上右近。この演目は、外題だけ見ると雷の船頭のようだが、実
は、「雷と船頭」である。元元は、「四季詠『◯のなかにいの
字』歳(しきのながめまるにいのとし)」という、凝った外題が
付いた四変化の舞踊劇だった。四季のうちの夏がテーマで、
「雷」というわけで、別名「夏船頭」。雷=夏という趣向だ。
『◯のなかにいの字』という定紋は、澤村家の紋。1839(天
保10)年の初演時は、五代目澤村宗十郎が、演じたため、こう
いう外題になった。因に四季の外題は、春が、「大内の花宴」、
秋が、「乱菊の胡蝶」、冬が、「石橋の雪景色」であった。

幕が開くと、浅葱幕。富士と筑波を折り込み、両国の花火が出て
来る歌詞の置浄瑠璃(常磐津)で、幕振り落としで華やかな大川
端(隅田川)。両国と書かれた立看板がある。隅田川の下流中央
から見る両国橋という書割り。下手は、両国広小路で、白壁の蔵
や火の見櫓が見える。対岸の上手は、低い家並の下総。

吉原行きの猪牙船の船頭が松緑。「夕立稲光り」で雷鳴。雷(右
近)が、落ちて来る。ふたりのからみ。雷が女の身ぶりで船頭を
掻き口説く。「ワルミ」の振りという踊りとなる。所作台の松緑
の踊る辺りは、足に塗った白粉の跡で、白くなっている。立看板
を使って、雷を操り人形に見立てる振りなど。吉原に向う雷は、
猪牙船に乗込んで、幕。

さて、市川團十郎宗家の家の藝を示す歌舞伎十八番から、「外
郎売(ういろううり)」。3回目の拝見になる。破風のある古風
な建物の柱には、上手に「歌舞伎十八番の内 外郎売」と書かれ
た看板があり、下手には、「十二代目市川團十郎相勤め申します
(旧字)」という看板がある。

前回、2年前の04年6月歌舞伎座では、当初、團十郎が、外郎
売、実は曽我五郎を演じる予定だったが、白血病による休演で、
松緑が代演をした。團十郎は、悔しい演目を再び選んで、病気克
服、舞台復帰の、元気な姿を観客に見せた。彼の意志の強さを改
めて印象づける舞台復帰だ。昼の部の賑わいの原因は、この演
目。大磯の廓で休憩中の工藤祐経一行の宴に、折りから聞こえて
来た外郎売の声。祐経の命を受けて小林朝比奈(三津五郎)が、
「急いで、これえ」と呼び入れると、傾城たちが「来やしゃんせ
いなあ」と声をそろえて続けるが、「来やしゃんせいなあ」は、
観客席全員の思いだろう。皆、團十郎の復帰を待っていたので、
大向こうばかりでなく、あちこちから「成田屋」の掛け声がかか
る。拍手が、湧き出る。

この演目は、もともと、動く錦絵のような狂言。筋が単純な割
に、登場人物が、多くて、多彩だ。外郎売、実は曽我五郎(團十
郎)、曽我十郎(梅玉)、工藤祐経(菊五郎)、大磯の虎(萬次
郎)、化粧坂少将(家橘)、小林朝比奈(三津五郎)、小林妹・
舞鶴(時蔵)、梶原平三景時(團蔵)、梶原平次景高(権十
郎)、遊君の喜瀬川(右之助)と亀菊(亀寿)、珍斎(市蔵)、
新造6人、奴10人と、歌舞伎に登場するさまざまな役柄が勢揃
いし、しかも、きらびやかな衣装で見せる。華やかな、歌舞伎の
おおらかさを感じる演目だけに、團十郎の舞台復帰を言祝ぐのに
適切な演目かも知れない。背景は、富士山。劇中、團十郎は、菊
五郎に導かれて、舞台復帰の口上を述べる。「長い治療の結果、
1年ぶりに歌舞伎座の舞台に復帰」と、團十郎。「3年ぶりの團
菊祭。初日より、大入」と、菊五郎。

科白劇としては、外郎売の早口言葉の披露というおかしみもあ
る。私より前に、今月の舞台を観た人が、團十郎は、声が良く出
ていなかったといっていたが、充分な声量があり、團十郎復帰を
力強く告げていたように思う。姓名を問われた外郎売は、「私の
名は、十二代目市川團十郎。皆さん方、お待ちかね」とやる。

単純で判りやすい筋立て、荒事演出のメリハリなど、楽しめる演
目で、私も、気持ち良く、充分、楽しめた。いかにも、團十郎舞
台復帰の演目に相応しい祝祭劇だと、思う。

「権三と助十」は、初見。大岡政談もののひとつ。岡本綺堂原
作、江戸の庶民の生活風俗を描いた世話物。落語の人情話に通じ
る感性が見もの。長屋の井戸替えは、話の筋とは違うが、舞台の
上手から、ぞろぞろ長屋に住人たちが出て来て本舞台を横切り、
下手から花道にまで溢れる。長屋の家主(左團次)、篭籠かき権
三(菊五郎)、その女房(時蔵)と助十(三津五郎)と助八(欣
十郎)の兄弟、猿回し(秀調)、願人坊主(市蔵、亀蔵)などの
ほか、長屋の男と女房、子供たちなど40数人が、井戸の水を
すっかり汲み上げて、井戸の掃除をする綱を持って、出入りする
だけでも、観客は、心豊かになる。長屋の住人の、兄弟喧嘩や夫
婦喧嘩が、喜劇調で描かれる。家主が、仲裁に入る。以前の長屋
の住人で、殺人犯の汚名を着て、獄死した小間物屋彦兵衛の息子
の彦三郎(松也)が、大坂から父親の無実を晴らそうとやって来
た。やがて、権三と助十の目撃証言が、功を奏して、真犯人・勘
太郎(團蔵)が、浮かび上がる。いわば、人情ミステリの色合い
が濃くなる。勘太郎は、新犯人なのか。彦兵衛(田之助)は、冤
罪のまま、獄死したのか。ミステリゆえに、詳細は、紹介しない
が、江戸の風が、舞台から吹き付けて来るような人情劇を堪能。
「井戸替え」さながらに、長屋の皆の衆で、積年の汚いものを浮
き上がらせ、攫い出す、という趣向とだけ、書いておこう。

團蔵の憎まれ役は、プレゼンス(存在感)があり、他を圧倒する
勢い。時蔵の、美形ではない、長屋の女房は、味がある。菊五郎
の権三は、ユーモラスで、本人が、愉しそうに演じているので、
場内が、和む。左團次の家主は、独特の味で、絶品。三津五郎と
権十郎の兄弟は、喧嘩ばかりしているが、リアリティがあり、い
かにも、江戸の長屋に居そうな人たちである。秀調の猿回しも
ペーソスがある。松也が、お登勢(「江戸の夕映」)、彦三郎と
大活躍。尾上右近とともに、5月の歌舞伎座の舞台に清新な風を
送り込んでいた。
- 2006年5月28日(日) 22:35:52
2006年4月・歌舞伎座 (夜/「井伊大老」「口上」「時雨
西行」「伊勢音頭恋寝刃」)

夜の部のハイライトは、何といっても、「井伊大老」であった。
「井伊大老」は、3回目の拝見。最初に観たのは、10年前、
96年4月の歌舞伎座の舞台で、井伊大老は、吉右衛門。お静の
方は、歌右衛門であった。歌右衛門のこの月の舞台では、途中か
ら、病気休演で、雀右衛門が、代役を勤めているが、私は、病気
休演前に、無事舞台を拝見することができた。前回は、04年
10月の歌舞伎座、「松本白鸚二十三回忌追善狂言」として上演
され、井伊大老は、幸四郎、お静の方は、雀右衛門。先代の幸四
郎こと、初代白鸚は、歌右衛門相手に井伊直弼を何回も演じた。
今回は、吉右衛門の井伊大老に魁春のお静の方を初役で演じる。

「井伊大老」は、北條秀司作の新歌舞伎で、1956(昭和
31)年、明治座で初演された。新国劇としての初演は、それよ
り、3年前の1953(昭和28)年、京都南座。歌舞伎として
の初演は、井伊大老:当時の八代目幸四郎(後の初代白鸚)、お
静の方:六代目歌右衛門であった。初演以降、お静の方は、六代
目歌右衛門の当り役になった。北條秀司の科白劇で、動きより、
言葉の芝居だ。1981年八代目幸四郎は、九代目を、いまの幸
四郎に譲り、初代白鸚襲名披露(あわせて、九代目幸四郎、七代
目染五郎襲名披露)の舞台途中で不帰の人となった。代役は、当
代の吉右衛門。吉右衛門は、以来、何回も井伊直弼を演じてい
る。従って、白鸚を彷彿とさせる科白廻しである。今回の驚き
は、初役の魁春が、ときどき、養父・歌右衛門そっくりに見えた
ことである。歌右衛門は、25年前、吉右衛門の実父・初代白鸚
の最期の舞台の相手役を勤め、吉右衛門は、10年前、結果とし
て最後の共演となる歌右衛門のお静の方の相手役を勤めた。そし
て、今回は、歌右衛門が甦ったのではないかと印象される魁春の
お静の方と白鸚を彷彿とさせる科白廻しの吉右衛門。25年前に
タイムスリップしたような舞台。それが、今回の「井伊大老」で
あったと、思う。

舞台は、1860(安政7)年、旧暦の3月2日、「宵節句」の
夕方。井伊家下屋敷での、井伊大老と側室のお静の方の、しっと
りとした語らいの時間を軸に描く。翌3月3日、「桜田門外の
変」で、井伊大老は、水戸浪士らによって襲撃され、暗殺される
から、芝居のテーマは、「迫りくる死の影」といったところだろ
う。それを意識して、原作者の北條秀司は、赤い毛氈の雛壇など
を巧みに使い桃の節句前夜の華やぎを強調する。しかし、以前に
も書いたように、この芝居には、もうひとつのテーマがある。そ
れは、お静の方に具現されるように、「本当の女人とは、どうい
う女性か」「大人の愛とは」というのが、北條秀司の隠したテー
マだと思う。従って、この芝居は、「井伊大老」という外題には
なっているが、本当は、「お静の方」というのが、主筋だろう。
それほど、お静の方は、魅力的な女性として、描き出されてい
る。今回は、主な配役は、井伊大老とお静の方のほかは、仙英禅
師(富十郎)に絞り込み、これまで2回観たような長野主膳、直
弼正室の昌子の方などが、登場しないから、余計に、このテーマ
が、くっきりと浮かび上がって来た。

今回は、下屋敷のお静の方の居室のみの場面に絞っているが、普
通は、1859(安政6)年初冬の井伊大老の上屋敷や桜田門の
場面があり、いわば、安政の大獄後の時代状況が簡潔に説明され
るのである。今回は、そういう政治的な局面を省略することで、
「本当の女人とは、どういう女性か」「大人の愛とは」というの
が、北條秀司の隠したテーマが、より鮮明になって来たと、思
う。

迫りくる死を覚悟する大老・井伊直弼と青春時代から直弼と付き
合ってきたお静の方の、しっとりとした語らいは、心を許しあ
う、それも大人の男女の、極めてエロチックともいえる、濃密
で、良い場面である。ここで言うエロチックとは、性愛と言うよ
りも、大人の男と女、死という永遠の別れを前にした、若い頃か
ら長い時間を共有して来た果ての、「晩年の生」の最期の輝きと
も言えそうな、しっとりした対話のことである。

「夫婦は、二世」という信仰が生きていた封建時代。井伊大老
も、正室より、若い頃から付き合って来た側室のお静の方との
「男女関係」をこそ、真の夫婦関係として重視していた。エロス
とタナトス。文字どおり、迫り来る死に裏打ちされた生の会話で
ある。それを北條秀司は、下屋敷の壷庭に咲いた桃の花に降り掛
かる白い雪で描き出した。桃色の花の上に被さるように降り積も
る白い雪。桃色と白色のイマジネーション。

また、雪は、井伊直弼に故郷の伊吹山を思い起こさせ、望郷の念
を抱かせる。大老を辞めて、お静らと過ごした彦根の青春の日々
に戻りたいという、井伊直弼の絶叫が耳に残る。老いのように迫
る死の予感から、直弼は、青春の日々を走馬灯のように思いめぐ
らす。

このほかでは、富十郎の仙英禅師が、飄々としていた。座敷の衝
立に書かれた直弼の書に剣難の相を見抜いたにも拘らず、直弼に
黙って、「一期一会」と笠に書いて残して行った仙英禅師。側役
宇左衛門を演じた吉三郎は、味わいがあった。お静の方に使える
老女雲の井の歌江も、存在感があった。

続く、「口上」は、役者の年齢によって、歌右衛門を「お兄さ
ん」と呼ぶか、「おじさん」と呼ぶかは、あるにしても、皆、歌
右衛門讃歌の大合唱。「京鹿子娘道成寺」の桜と鐘をあしらった
襖をバックに歌右衛門の甥に当たる芝翫の仕切りである。立役姿
の芝翫から上手に順番に挨拶が続く。まず、富十郎は、歌右衛門
と一緒した海外公演の想い出と五年祭での歌右衛門の冥福を祈
る。仁左衛門は、歌右衛門の後進指導の熱心さを強調。左團次
は、麻雀好きな歌右衛門のエピソードを紹介して、観客席を笑わ
せる。歌昇は、「おじさん」の導きを強調。女形姿の秀太郎は、
「お兄さん」の指導に感謝。我當は、盛大な五年祭を誉める。菊
五郎は、岡本町(歌右衛門の自宅)で、差し向いで指導を受けた
想い出を語り、「音羽屋あー」「って、大向こうから声がかかる
ようにやるんだよ」と励まされたと場内を湧かす。上手のトリ
は、女形姿の雀右衛門。五年祭のお礼を述べる。

下手最左翼は、立役姿の坂田藤十郎は、精魂込めて勤めると強
調。吉右衛門は、五年祭のにぎわいを言祝ぐ。口上のみの登場の
又五郎は、ご贔屓感謝。立役姿の時蔵は、指導に感謝。勘太郎
は、五年祭の舞台参加を喜ぶ。女形姿の福助は、歌右衛門に教
わった芝居の心を大事にすると強調。

次いで(新松江を飛び越す)、歌右衛門藝養子の東蔵は、父は、
兄のように指導してくれたと感謝。養子で女形姿の魁春は、父歌
右衛門を強調。同じく養子の梅玉は、主宰者としての感謝の言
葉。再び、中央の芝翫に戻って、もうひとつのお披露目である玉
太郎の六代目松江襲名と玉太郎の息子の五代目玉太郎の襲名披露
をする。芝翫から玉太郎の父親東蔵にバトンが渡され、東蔵が、
新しい松江と玉太郎を紹介する。女形のイメージの強い藝名を立
役の新しいイメージに変えようと、新松江は、芸道精進強調。新
玉太郎は、かわいらしい。

「時雨西行」は、2回目の拝見。前回、97年6月、歌舞伎座で
は、今回同様、梅玉の西行法師で、江口の君が、玉三郎。遊女と
菩薩の二重性を玉三郎が、きちんと演じていたように思う。今回
は、藤十郎。

これは、前回の舞台の方が、良かった。まず、書割の大道具が、
良くない。江口の君の歌舞伎衣装に比べて、西行の、「勧進帳」
の弁慶を思わせるような水衣に大口袴の能衣装というアンバラン
ス。どういう意図で、新工夫となったのか不明だが、役者以前の
印象として、前回の勝ち。

藤十郎は、正面を向くとほっそりと見える。ぐるりと廻ると太め
の肉体。さすが、大名跡を復活させた藝の力の驚異。瞑想を含め
静かな西行(梅玉)と動きのある江口の君の対比。ふたりの所作
は、堅実。菩薩を彷彿とさせる江口の君(藤十郎)。

「伊勢音頭恋寝刃〜油屋・奥庭〜」は、6回目。コンパクトにま
とめたい。「伊勢音頭恋寝刃」は、実際に伊勢の古市遊廓であっ
た殺人事件を題材にしている。事件後、およそ2ヶ月、急ごしら
えで作り上げられただけに、戯曲としては無理がある。原作者
は、並木五瓶が江戸に下った後、京大坂で活躍した上方歌舞伎の
作者近松徳三ほか。いわば、書きなぐったような作品だが、芝居
には、「憑依」という、神憑かりのような状況になるときがあ
り、それが「名作」を生み、後世の役者の工夫魂胆に火を付け
る。この芝居は、もともと説明的な筋の展開で、ドラマツルー
ギーとしては、決して良い作品ではない。ドラマツルーギーの悪
さを演出で補った。江戸型として、静止画的な絵姿の美しさを強
調した、いまのような演出に洗練したのが、幕末から明治にかけ
て活躍し、「團・菊・左」として、九代目團十郎、初代左團次と
並び称された五代目菊五郎だという。上方に残った型は、「和
事」の遊蕩児の生態を強調した。

それにも拘らず、長い間上演され続ける人気狂言として残った。
その理由は、前にも、書いたが、お家騒動をベースに、主役の福
岡貢へのお紺の本心ではない縁切り話から始まって、ひょんなこ
とから妖刀「青江下坂」による連続殺人(9人殺し)へというパ
ターン。伊勢音頭に乗せた殺し場の様式美。殺しの演出の工夫。
丸窓の障子を壊して貢が出て来る場面は、上方型。絵面として
の、洗練された細工物のような精緻さのある場面。無惨絵の絵葉
書を見るような美しさがある反面、紋切り型の安心感がある。そ
ういう紋切り型を好む庶民の受けが、いまも続いている作品。

馬鹿馬鹿しい場面ながら、汲めども尽きぬ、俗なおもしろさを盛
り込む。それが歌舞伎役者の藝。そういう工夫魂胆の蓄積が飛躍
を生んだという、典型的な作品が、この「伊勢音頭恋寝刃」だろ
う。最後に、お家騒動の元になった重宝の刀「青江下坂」と「折
紙(刀の鑑定書)」が、揃って、殺人鬼と化していた貢が、正気
に返り、主家筋へふたつの重宝を届けに行く、「めでたし、めで
たし」の場面という俗っぽさ。

主役の福岡貢は、上方和事の辛抱立役の典型だが、俗に「ぴんと
こな」と呼ばれる江戸和事で洗練された役づくりが必要な役。私
が観た印象では、今回ふくめ、3回観た仁左衛門が、当り役。颯
爽とした二枚目が、最後に殺人鬼となる貢の、鬼気に迫るのは、
仁左衛門の役柄だろう。当代の仁左衛門は、上方と江戸の両方の
良さを表現できる。私は、ほかに、團十郎で2回、三津五郎で1
回観ている。

仲居・万野は、憎まれ役だが、これも、玉三郎(2)、菊五郎、
芝翫、勘三郎、今回は、初役の福助。万野は、玉三郎が、美貌が
促進する憎々しさで、印象に残っている。玉三郎は、綺麗なだけ
の役より、こういう憎まれ役をやると、美貌に凄みが加わり、好
演することが多い。今回の福助は、その辺りが、不足。

遊女・お紺は、福助(2)、時蔵(今回含め、2)、雀右衛門、
魁春。

遊女・お鹿は、田之助(4)、弥十郎、今回は、初役の東蔵。も
ともと、類型ばかりが目立つ、典型的な筋の展開、人物造型の
「伊勢音頭恋寝刃」の中で、お鹿は、類型外の人物として、傍役
ながら難しい役柄。貢への秘めた思いを滑稽味で隠しながらの演
技。それだけに、藝の実力が試される。田之助のお鹿は、悲劇の
前の雰囲気をやわらげていたが、弥十郎は、滑稽味が強すぎた。
東蔵は、中間か。

料理人・喜助は、傍役ながら、貢の味方であることを観客に判ら
せながらの演技という、いわば「機嫌良い役」。勘九郎時代の勘
三郎、富十郎、三津五郎、海老蔵、橋之助、今回は、梅玉。顔ぶ
れ多彩で、この役を演じる役者の品定めも、愉しい。

贅言:歌舞伎座2階のロビーでは、小振りながら歌右衛門展。六
代目歌右衛門を偲ぶ写真パネルの展示を軸に所縁の品も展示。写
真パネルは、舞台姿が多いが、素顔のものもある。所縁の品の主
なものは、以下の通り。楽屋で使っていた手鏡。「道成寺」の中
啓(火焔お幕の絵柄)と手拭。自筆の絵は、富士山と愛犬とコア
ラ。科白を抜き書きした「書抜(かきぬき)」は、「狐と笛吹
き」(歌右衛門と署名)、「城内糒庫」(魁春と署名)、「関八
州繋馬」(魁春と署名)。
- 2006年4月27日(木) 20:57:32
2006年4月・歌舞伎座 (昼/「狐と笛吹き」「高尾」「沓
手鳥孤城落月」「関八州繋馬」)

六代目中村歌右衛門五年祭追善興行の舞台は、歌右衛門の兄弟養
子の内、次男の魁春が、充実の舞台を見せてくれた。昼の部の
「関八州繋馬」では、後ジテの土蜘蛛の精では、初めての隈取り
姿を見せてくれたし、夜の部の「井伊大老」では、吉右衛門の井
伊直弼を相手に六代目そっくりのお静の方を見せてくれた。魁春
は、痩せたのか、白塗りした顔は、本当に歌右衛門そっくりで、
びっくりした。今月は、六代目中村歌右衛門が、主役を勤めた馴
染みの演目を軸に番付が組まれている。

「狐と笛吹き」は、2回目の拝見。前回は、97年3月、歌舞伎
座で、時蔵、染五郎で観ている。北條秀司が、今昔物語から素材
を取り、ラジオドラマとして書き下ろした作品を元に新歌舞伎の
戯曲として1952(昭和27)年、歌舞伎座で初演された。北
條秀司にとって、初めての歌舞伎戯曲であった。六代目歌右衛門
のともね(狐の化身)、三代目市川寿海の春方(楽人で笛吹き)
らが、出演した。後の、多くの名舞台を残す歌右衛門・寿海コン
ビの始まりである。外題の意味は、「ともねと春方」ということ
である。

最愛の妻・まろやを亡くして沈んでいた春方(梅玉)は、友人が
連れて来たともね(福助)が、余りにも、まろやに酷似している
のを知り、恋に落ちた。しかし、ともねは、狐の化身であり、異
類婚は、死を招くというタブーが、キーワードになっている。
テーマは、ふたつある。ひとつは、春方に命を助けられた狐の子
の恩返し。だが、まろやの面影を生きるだけで良しとしていた筈
の狐の化身・ともねは、いつか、まろやに嫉妬し、春方からまろ
やの面影ではなく、ともねそのものとして愛されることを要求す
るようになるという、女性の心の変化が、テーマ。

もうひとつは、セックスをすれば、死に繋がるというともねの懸
念をぶちこわしてまで、ともね(共寝)を要求するようになる春
方の性の欲望、テーマ。その上で、命を掛けてまで「共寝(セッ
クス)」をし、その果てに、亡くなってしまう狐の後を追い、琵
琶湖に身を投げる春方の、いわば「後追い心中」の物語が、紡ぎ
出される。

福助のともねは、女心の変化の表現に、もうひとつ、説得力がな
い。梅玉の春方は、節会の笛師の選に洩れ、親友の秀人(我當)
が、選ばれた苦しみに逃れるため、性の欲望に負けて、異類婚の
タブーに踏み切り、ともねを殺してしまうが、進んで後追い心中
をするという複雑な男を叮嚀に演じていた。魁春とともに、亡き
父・歌右衛門追善興行の軸になるという気概が、心底にあるのだ
ろうと思う。

「高尾」は、本興行では、初演という珍しい演目。歌右衛門も、
17年前の、89年11月の歌舞伎座、「名生の会」で演じてい
るが、本興行の舞台には掛けていない。それを当代の立女形、雀
右衛門が荻江節に載せて演じる。吉原の三浦屋抱えの傾城・高尾
太夫の懺悔の物語なので、「高尾懺悔」というのが、本来の外
題。廓勤めの辛さ、四季の廓の情景、間夫を待つ身の切なさなど
が、長唄より、やや繊細な節回しの荻江節で唄い込まれ、幾分不
自由になってきた85歳の雀右衛門の所作が、それでいて、節節
の決まり(静止)の形の美しさで補いながら、奥深い世界を構築
して行く。

かえでの青葉の大樹の書割、舞台中央には、石塔。江戸・浅草の
西方寺のシンプルな佇まい。横向きのまま、せり上がって来る高
尾太夫は、この寺に葬られている。せり台が停まると、雀右衛門
は、ゆっくりと正面を向いてくる。かえでは、ときおり、青葉の
まま、落葉して来る。落葉に調子をあわせるように、独り舞う雀
右衛門の所作は、同調する。

「沓手鳥孤城落月」は、5回目。かろうじて、11年前に歌右衛
門の淀の方を観ている。私が観た淀の方は、歌右衛門、雀右衛
門、芝翫(3)となり、最近では、芝翫ばかり観ているので、私
の淀の方は、芝翫の印象ばかり強くなってしまった。

淀の方と秀頼は、認知症の母親と息子というように置き換えてみ
ると、なんとも、現代的なテーマ性として、身につまされてく
る。戦場となった大坂城の「糒倉(ほしいぐら)」(「城内山里
糒倉階上の場」は、現代的な家庭劇の場に転じても、おかしくな
いから不思議だ。秀頼を演じた勘太郎が良い。「いかなる恥辱も
母上にはかえられぬ」という、認知症の老母をかばう心は、同じ
境遇にいる我が同年代には、普遍的な意味を伝えてくれる。

それだけに、淀の方の芝居では、狂気と正気の間を彷徨う淀の方
をいかに迫力あるように演じるかがポイントだろう。自尊心の果
てに狂気に見舞われた淀の方(歌右衛門や雀右衛門の狂気は、そ
ういう感じだった)も、芝翫の場合、長期の時間の流れの中で、
認知症になって行った老母の様子が、いっそう、味のある芝翫独
特の表情で演じていて、すっかり定着して来たように思う。芝翫
の淀の方を相手に、息子の秀頼は、芝翫次男の橋之助、長男の福
助、そして、今回の長女の息子の勘太郎と演じ継がれて来た意味
は、大きいと、思う。

芝翫の「狂気」の演技としては、淀の方の狂気にとどまらずに、
「摂州合邦辻」の玉手御前、「隅田川」の班女にも共通する狂気
の表現の積み重ねの成果でもあると思うが、いかがであろうか。

第一場「乱戦」(「二の丸乱戦の場」)では、戦闘の場面が、ま
さに「活劇」である。今回は、城門の石段を斜めにずらしていた
が、この方が、観客席からは、多角的に活劇が見えて、なかなか
よろしい。若い裸武者は、橋之助の息子のひとり、国生。立ち回
りの後、鉄砲で撃たれ、城門の石段を下帯一つの裸姿で、一気に
転げ落ちるという壮絶さと裸ゆえの滑稽味という、ふたつの役割
を担わされている難しい役だ。このところは、勘三郎の息子た
ち、勘太郎・七之助の兄弟が演じていたこと思えば、もう、橋之
助の息子・国生が演じるのかと、感慨も新たなものがある。

大伯父・歌右衛門の一年祭、五年祭と同じ演目を掲げ、成駒屋一
門の総師として芝翫は、家族、親族を上げて取り組む姿勢を見せ
たのだろう。

「関八州繋馬」は、初見。近松門左衛門の絶筆。全五段の時代浄
瑠璃だが、今回は、四段目、五段目を中心に舞踊劇「小蝶蜘」と
して、再構成した。平将門の遺児、将軍太郎良門と小蝶の兄妹、
源頼信と頼平の兄弟の対決を軸に展開する。如月姫(魁春)、実
は、小蝶蜘の精、さらに、実は、土蜘蛛の精は、後の滝夜叉姫の
前段階ということで、「前太平記もの」の世界。

魁春は、初めての隈取りの役を演じている。4年前の、六代目歌
右衛門一年祭で、松江から二代目魁春を襲名して、さらに、大き
く芸域を拡げて来た魁春渾身の舞台は、「関八州繋馬」で、始
まった。あわせて、松江という芸名は、4年で、復活した。六代
目歌右衛門の藝養子・東蔵の長男・玉太郎の六代目松江襲名披露
の舞台でもあるからだ。

「関八州繋馬」は、いわば動く錦絵巻。単純な話だ。開幕、置浄
瑠璃。黒塗りの御殿。花丸の金屏風。上手に竹本。やがて、下手
に常磐津。多田の御所、源頼信館で、頼信の御台所・伊予の内侍
(時蔵)が、病に伏せている。ピンク地の着物姿の内侍は、赤姫
の部類に入る。吹輪に結い上げた髪に銀の笄、左側に紫の布を挟
み込み、つまり、立役なら紫の鉢巻きで、病を表わす。伊予の内
侍は、最近、なぜか、胡蝶の夢を見るという。頼信(菊五郎)
は、胡蝶から小蝶を連想し、殺された将門の娘・小蝶のたたりと
見抜く。

やがて、薄暗い中、スッポンより、小蝶の霊が化けた如月姫(魁
春)が、現れ、伊予の内侍のために妙薬を持って来る。後見は、
鬘を付けた裃後見、それも、立役と女形といる。薬の効き目が良
いようにと如月姫は、舞を舞う。裏表が金銀無地の扇子は、いつ
のまにか、裏表とも金地に花車の模様の入った扇子に替る。そこ
へ、頼信の弟・頼平(松江)が来て、如月姫の正体を暴く。如月
姫→小蝶の精(というより、霊だろう)→土蜘蛛の精。如月姫
は、蜘蛛の糸を飛ばして、抵抗する(黒衣が、適宜、蜘蛛の糸を
補給する)。紅葉の小枝も、武器になる(「精」は、決して、刃
物を武器としない)。御殿中央奥の襖が開くと中庭には、大文字
が描かれた築山がある。江戸時代大坂で上演されたとき、大坂の
「大」の字が、燃えるとは、如何かと物議をかもしたらしい。い
つの時代も、馬鹿がいるものだ。

第二場「葛城山麓の場」は、ご馳走。10月で6歳になる新玉太
郎の初舞台のお披露目。かわいらしい。5歳の初舞台と「曾祖
父」歌右衛門の没後、5年祭。吉右衛門、梅玉の里の男たちと新
玉太郎の祖父・東蔵の里の女という豪華な配役の元、新玉太郎の
劇中口上の場面となる。「海のものとも山のものともつかない
が、将来は、ひとかどの役者になれますように」という常套句
が、観客席の笑いを誘う。差し金で、蜘蛛の2匹登場。浅葱幕の
振り被せ、やがて、振り落としで、葛城山は、山麓から山中へ
と、場面を繋ぐ。

第三場「葛城山中の場」は、源頼光の四天王(渡辺綱、坂田金時
ら)を引き連れた頼信、頼平が、平将門の遺児、将軍太郎良門
(仁左衛門)と土蜘蛛の精(魁春)と対決する。蜘蛛の巣の背
景。大せりでは、蜘蛛の巣が描かれた黒幕が、消し幕の役割を果
たす。2階席で観ているとせり上がる前の仁左衛門の首だけが、
舞台の板の上に載っているように見える。この後は、ぶっかえり
などを含めて定式の荒事の展開。魁春の隈取りも、迫力がある。
一所懸命さが、伝わって来る。将軍太郎良門と土蜘蛛の精を軸に
したふたつの立回りの塊が、花道七三と本舞台上手に、できるの
が、おもしろい。

贅言:外題の「関八州繋馬」という外題の意味が判らず、いろい
ろ調べてみたが、はっきりしない。「関八州」は、判る。関東地
方、つまり、平将門の活躍した地である。「繋馬」が、判らな
い。将軍太郎良門は、幕切れで、それまで巻き込んで持っていた
平家の赤旗を拡げてみせる。そこに、赤地の旗に黒馬の絵が描か
れている。もう少し、調べてみよう。
- 2006年4月19日(水) 14:00:25
2006年3月・歌舞伎座 (夜/「近頃河原の達引」「二人椀
久」「水天宮利生深川」)

「近頃河原の達引(たてひき)」と「水天宮利生深川(すいてん
ぐうめぐみのふかがわ)」は、いずれも、初見なので、劇評は、
後で、じっくり書きたい。まず、7回目の拝見となる「二人椀
久」から、始めたい。

7回観た「二人椀久」では、孝夫時代の仁左衛門と玉三郎のコン
ビで、3回。これは、ふたりの息も合い、華麗な舞台である。富
十郎と雀右衛門のコンビで、2回拝見している。富十郎と雀右衛
門のコンビでは、本興行で、14回も踊っているという。重厚な
富十郎と雀右衛門のコンビも良いし、華麗で、綺麗な仁左衛門と
玉三郎のコンビも良い。どちらも、持ち味が違い、それぞれ良
く、甲乙付け難い。

それ以外では、05年2月の歌舞伎座、仁左衛門と孝太郎の親子
コンビで1回。今回は、なんと、富十郎と菊之助のコンビであっ
た。富十郎にとっては、本興行で、15回目の椀久であるが、雀
右衛門以外と踊るのは、初めてという。その初めての相手が、伸
び盛りの菊之助である。さて、そういう舞台になるだろうか。

05年2月の舞台では、孝太郎が、初役で松山太夫に挑んだ。そ
のときの私の劇評は、以下の通り。長くなるが、全文を引用した
い。そのほうが、今回の富十郎の舞台を分析するのに役立ちそう
に思うからである。

*仁左衛門は、仁左衛門と玉三郎のコンビで、積み重ねて来た演
出の工夫の延長線上に孝太郎を据えて、さらに、仁左衛門演出を
究極のものにしようとした節が伺える。舞台装置も化粧も衣装も
現代的でさえある。それでいて、歌舞伎の舞踊劇として成立して
いるから、おもしろい。特に、今回は、幻想を表現する大道具の
使い方が巧い。真っ暗な場内。上手、長唄連中の載る雛壇が、薄
明かりで、影が滲み出す。置き唄が、暫く続く。やがて、本舞台
中央、上部、黒幕の上に下弦の月が浮かび上がる。薄闇。「いま
は心も乱れ候」で、花道から錯乱気味の椀久(仁左衛門)が、音
もなく、登場。「末の松山・・・」の長唄の文句通りに、舞台に
は、松の巨木の蔭が闇から切り取られて来る。波音。急峻な崖の
上である。明るくなるに連れて、椀久の様子が知れて来る。総髪
いとだれに紫の投げ頭巾、黒の羽織、薄紫の地に裾に松葉や銀杏
などの模様の着付け、黒と銀の横縞の帯。閉じ込められていた座
敷楼を抜け出し、愛人の松山太夫の面影を追いながら踊り狂って
いるうちに、松の根元付近で手枕で眠ってしまう。

やがて、椀久の夢枕に立つという想定の松山太夫(孝太郎)が浮
かび上がってくる。何時の間にか、月は消えている。黒幕が上が
り、紗の幕の向こう、セリに乗り、奈落から上がってきたはずの
孝太郎。それと同時に、崖の向こうの虚空に、あるはずのない満
開の桜の木々が浮かび上がる。舞台上部から大きな桜の吊り枝も
降りてきた。それが、いずれも、ほぼ同時に浮かび上がる演出が
巧い(いずれも、やがて、夢から覚めるときには、逆の方法で、
消えて行くことになる)。松は、現実。桜は、夢のなか、幻想。
その対比を印象深く見せる。ここでも桜の散り花が、効果的。

孝太郎の化粧が、妖艶だ。受け口の、決して美女とは言えないは
ずの孝太郎が、いつもより、妖しく、エロチックだ。元禄勝山の
髷、銀鼠色の地に松の縫い取りのある打ち掛け、クリームがかっ
た白地に金銀の箔を置いた着付け、赤い地の絞りの帯も、艶やか
だ。仁左衛門と孝太郎の、それぞれの所作は、さすが、親子で、
息は合っている。しかし、孝太郎の踊りは、玉三郎のときのよう
には、指の先まで仁左衛門と揃ってはいない。

背中を向けあい、斜めに向けあいする、歌舞伎の舞踊の情愛の踊
り。逆説のセクシャリズム。ふたりの所作は、廓の色模様を再現
する。松山太夫の着付けの赤い裏地と赤い帯が、官能を滲ませ
る。それは、濃厚なラブシーンそのもの。恋の情炎。「官能」と
は、こういうもののことを言う。早間のリズムに乗って、軽やか
に踊るふたり。椀久が手に持つ扇子を良く観れば、表は、銀地に
下弦の月、裏は、青地に桜模様。まさに、幻想の舞台装置で描く
「夢」と「現(うつつ)」が、そのまま、扇子のなかの「小宇
宙」となっているではないか。

いつの間にか、消えている桜木。紗の幕の向うに入り、やがて、
セリ下がる孝太郎。桜の吊り枝も舞台上部に引き揚げられる。幻
想の消滅。舞台には、「保名」のように、倒れ伏す椀久。廓の賑
わいは、空耳。寒々しい崖の上、松籟ばかりが聞こえるよう。仁
左衛門と孝太郎の充実の舞台であった。


さて、今回の富十郎と菊之助のコンビは、どうであったか。松の
巨木は、いつものように、舞台中央にはない。上手袖に幹、大き
な枝が舞台上部にのしかかって来る。中央には、小振りな松。枝
が、下へ下へと下がっている。暗転から始まる舞台は、大筋の展
開も、いつもとあまり変わらない。富十郎は、踊りは、勿論、安
定していて、巧いのだが、ずんぐりした小太りの身体が、いつに
なく気になる。ここのところ、2回続けて、長身の仁左衛門で観
ている所為かも知れない。それに、富十郎の椀久は、松山太夫恋
しさの余り、座敷牢から抜け出して来たというわりには、錯乱と
か狂気の表情も、なぜか、乏しい。前は、そんな感じではなかっ
たのだがと、思う。

松山太夫の菊之助が、せり上がって来る。プレゼンス(存在感)
がある。2月の歌舞伎座で、玉三郎とともに踊った「京鹿子二人
娘道成寺」のプレゼンスを引きづっているのかもしれない。せり
上がって来ただけで、充実感が、滲み出て来る。菊之助は、確実
に急成長している。

ふたりの所作になると、富十郎の体型が、ほっそりした菊之助の
体型と調和を欠いていて、気になり出す。菊之助は、落ち着いて
いて、玉三郎とも孝太郎とも違うが、切れ味の良い所作は、安定
感があり、微笑んだ表情は、優美で、濃艶である。椀久への気遣
いの気持ちも溢れている。椀久は、現(うつつ)では、狂気の人
だが、自分の夢のなかで、松山太夫とともに踊るときは、ふたり
とも正気である。その落差が、この所作事のポイントだろう。し
かし、花道の登場から富十郎の狂気は弱い。従って、夢のなかの
正気が、対比されて来ない。体型も気も弱いとなれば、富十郎椀
久の演技は、とても、弱くなる。雀右衛門と踊ったときには、そ
ういう感じはなかったのだが・・。今回は、体調でも悪いのか、
それとも、6年前、9年前より、衰えたのだろうか。あるいは、
仁左衛門・孝太郎の舞台の劇評で評したように、コンビネーショ
ンというのは、結構、大切な問題かも知れない。それにひきか
え、菊之助の松山太夫は、初見だが、実に、良い。演じていると
いうより、松山太夫その人になっているように見受けられる。寺
嶋和康という青年は、尾上菊之助を突っ切り、尾上菊之助は、女
形役者を突っ切り、女の「形」を男の身体の上に造型し、松山太
夫という遊女になりきり、椀久という大坂の豪商を虜にし、狂気
の果ての、夢のなかで、正気に戻らせ、「邯鄲の夢」を観客とと
もに見させるというマジックをやってのけた。

それだけに、菊之助と富十郎との落差が、前回の仁左衛門・孝太
郎のハーモニーのような効果を生まない。菊之助が、良いだけ
に、富十郎の弱さが、よけい、気になる。「二人椀久では、富十
郎は、雀右衛門とのコンビの方が良いだろうし、いずれ、仁左衛
門と菊之助のコンビでも、観てみたい。しかし、今月の夜の部で
は、これが、ぴか一の舞台であったことは、間違いない。

「近頃河原の達引」は、初見。祇園の遊女丹波屋のお俊と恋仲の
井筒屋の若旦那・伝兵衛と横恋慕の侍・横溝官左衛門の三角関係
が、京・鴨川の四條河原で、伝兵衛による横溝官左衛門殺しに発
展する。官左衛門は、横恋慕の果てに伝兵衛に贋金を掴ませ、窮
地に追い込むからだ。「窮鼠猫を嚼む」という方式だ。そういう
人事とは、無縁に見える鴨川沿いの京の町家の夜景が綺麗。夕暮
れの川岸に窓に灯りの入った二階屋が続く。「達引」とは、意地
を立て通して、張り合うことの意。外題からして、まさに、ワイ
ドショーのネーミング。お俊・伝兵衛の心中事件は、聖護院の森
で、実際にあったというから、まさに、ワイドショー向き。「近
頃河原の達引」という、テレビなら、スーパー・イン・ポーズ
で、画面を飾るタイトルの文字。そこで、ワイドショーに似合い
そうなコメントをつけてみると・・・。

「近頃、京の鴨川、四條河原で、三角関係のもつれから、商家の
若旦那が、なんと、侍を殺すという事件がありました。河原にい
て犯行を目撃した人の話では、犯人は、井筒屋の若旦那・伝兵衛
で、伝兵衛は、現場から逃走したということです。奉行所では、
伝兵衛が、自宅に戻っていないことや愛人の祇園・丹波屋の遊
女・お俊の行方も判らないことから、ふたりで逃亡している可能
性もあると見ています。奉行所では、お俊の所縁の地に、ふたり
で立ち廻っていることも考えられると見て、操作しています」と
いうような本記原稿があり、伝兵衛、お俊、侍の関係の解説、伝
兵衛、お俊の人となりなどの関連記事が、おもしろ可笑しく、テ
レビで伝えられているかもしれない。

そういう世間の興味を引かせようというジャーナリスティックな
外題「近頃河原の達引」が、普通の歌舞伎の外題、つまり、3文
字、5文字、7文字で、きちんと構成されている外題と、大きに
違う、一種のユニークさを示している。侍殺しという、弾みとは
言え、大罪を犯してしまった伝兵衛(坂田藤十郎。花道に登場
し、大向こうから、なぜか、「成駒屋」と声がかかってしまった
が、これは、ご愛嬌か、藤十郎は、たじろがず。七三で停まった
とき、大向こうから、「山城屋」と声が掛り直したときも、平然
としていた)は、犯行後、羽織を裏返しに着て、蹌踉(そうろ
う)と花道向うへ、逃げて行った。この辺りの演技、初役なが
ら、藤十郎は、さすがに巧い。「たっぷり」と声を掛けたくな
る。秀太郎のお俊は、巧くはないが、独特の雰囲気があった。お
俊役は、「慶成駒」と言われた五代目中村福助(当代芝翫の父
親。美形だったが、昭和初期に、34歳で亡くなった。「慶」
は、本名から一字付け加えた)が、良かったようで、秀太郎は、
十三代目仁左衛門が、まだ、我當の時代にお俊を演じた「慶成
駒」の演技の印象を伝えてくれたと話している。

そういう奉行所の思惑通り、侍殺しで、奉行所の役人に追われる
伝兵衛は、お俊を頼り、お俊の兄の家、京・堀川にある与次郎の
ところに転がり込む。これでは、いずれ、奉行所の手が入る可能
性は、大である。そういう危機感に裏打ちされた切迫した状況で
芝居は進む。しかし、そこは、上方歌舞伎。笑劇を忘れない。夜
半の暗闇で、人目を偲んでやってきた伝兵衛と、そっと迎えに出
るお俊、物音で眼を醒ました妹思いの与次郎は、伝兵衛とお俊と
を会わせまいとして、外に出たお俊を家に引き入れて、門口の鍵
を掛けるのだが、その際に、お俊と伝兵衛を間違えて、伝兵衛を
引き入れて、お俊を外に出したままにしてしまう。元々、与次郎
は、少し頭の弱い、善良な人柄というのが、人物造型だったが、
六代目菊五郎が、いまのような与次郎像に作り替え、十一代目、
十三代目の仁左衛門が、さらに磨きを掛け、妹と恋仲の殺人者の
死の道行きを許す兄と母という、家族悲劇に純化させた。

猿回しを生業とする与次郎は、人情味溢れる男で、盲目の母と妹
のお俊思い。最初、妹に殺人者の伝兵衛とは、縁を斬るように勧
めていたが、経緯の果てに、ふたりの仲を認め、祝言を上げさ
せ、逃避行の道行に送りだす。お俊と伝兵衛は、「新口村」の梅
川忠兵衛のコンビのように、黒の揃いの衣装に身を包み、旅立つ
(死出の道行は、が合作者たちの意図にあり、与次郎の母が近所
の娘に教える「鳥辺山」の唄の稽古、与次郎が猿に舞わせる唄
が、お初徳兵衛の祝言の唄、つまり「曽根崎心中」の唄というか
ら、念が入っている)。

猿回しの与次郎は、二匹の猿を使って、祝言と別れの水盃を交わ
す場面を滋味たっぷりに演じる。猿は、子役が演じたり、本当の
猿を使ったりした時期もあるというが、いまのような操り人形の
猿に替えたのが、十三代目仁左衛門の工夫だという。この結果、
猿が、滑稽なだけの猿ではなく、しっとりとした人情噺に組み入
れられる猿に変化したのだと思う。

与次郎役は、十三代目仁左衛門が、得意としたと言うが、我當
も、父親に負けないほど、滋味たっぷりに与次郎を演じていたと
思う。我當の人柄が、与次郎とダブり、我當は、与次郎そのもの
になっているように見受けられた。役者は、皆、役を演じるのだ
が、演じているうちは、おもしろ味が滲み出して来ないので、芝
居として平板になり、奥行きが乏しく、感興を呼ばない。役者
が、役になりきり、役の人柄そのものという印象が、観客に生じ
て来るようになって、初めて、観客は、感動しはじめる。我當の
演技は、まさに、与次郎が我當か、我當が与次郎かという境地に
なっているように見受けられ、私は、感動しながら、芝居を見続
けた。

通称「お俊伝兵衛」として知られ、殺人の罪のないお俊(犯人隠
匿という罪はあるのだろうが)を助けて、伝兵衛殺人者の自分だ
け死のうと打ち明けると、「そりゃ、聞こえませぬ伝兵衛」と、
男の身勝手に抗議するお俊のクドキが、著明な芝居だが、こうし
てみてくると、この芝居は、「与次郎人情噺」が、主軸となって
いるということが判る。猿回しの猿同様、盲目の母親ぎん(吉之
丞)も、さらに、お俊(秀太郎)も伝兵衛(藤十郎)も、脇に追
いやられ、底抜けの善人としての与次郎(我當)の人物像だけ
が、くっきりと浮かび上がって、印象に残る。六代目菊五郎の慧
眼が、いまも、生きていると思う。

贅言:猿回しで使われる2匹の猿が、名演。外から帰って来る与
次郎が、背中の荷物の上に猿を載せたまま、花道を通り、本舞台
の与次郎宅に帰って来る間は、おとなしくしている。与次郎宅に
設えられた檻に入れられるとき、ひと騒ぎがあるが、猿を動かし
ているのは、本舞台の天井から釣り下げられた糸であることが判
る。つまり、猿は、操り人形の猿なのだ。花道では、背中に載っ
て移動するだけだから、動きがない。糸も使わない。本舞台に着
いて、我當が、与次郎を演じながら、天井からの糸を猿の糸に連
結したのだろうが、それが、どうしても見えなかった。檻に猿を
入れてしまえば、猿は、動かない。その後、檻から出されると、
猿は、仲間の猿とともに踊ったり、飯を食べようとしたり、さま
ざまな動きをするが、そのときも天井からの糸に操られて動いて
いるのが判る。動きが、自然で、生き物の猿のように見える。天
井に隠れた猿の操り遣いが、実に、名演であった。

「水天宮利生深川」も、初見。1885(明治18)年2月、東
京千歳座(いまの明治座)が初演。河竹黙阿弥の散切狂言のひと
つ。明治維新で、没落した武家階級の姿を描く。五代目菊五郎の
元直参(徳川家直属)の武士(お目見え以下の御家人か)・船津
幸兵衛、初代左團次の車夫三五郎などの配役。

深川浄心寺裏の長屋が舞台。幸兵衛(幸四郎)は、武芸で剣道指
南もできず、知識で代言人(今の弁護士)もできず、貧しい筆職
人として、生計を立て、ふたりの娘と幼い息子を抱え、最近、妻
を亡くし、上の娘は、母が亡くなったことを悲しむ余り、眼が不
自由になっている。筆作りも軌道には、乗っていないようだ。知
り合いの善意に支えられ、辛うじて一家を守っているが、いつ、
緊張の糸が切れてもおかしくない。そういう脆弱さが伺える。支
えになっているのは、神頼み。水天宮への信仰心。そういう脆弱
さが伺える一家が、描かれる。そして、案の定、金貸しの金兵衛
(彦三郎)と代理の代言人の安蔵(権十郎)から、借金の催促を
され、僅かな金も奪われるように、持ち去られいぇしまう。危機
管理ゼロ。結局、幸兵衛が思いつくのは、一家心中。あげく、心
中もできずに、己を虐め抜き、発狂するという陰々滅々な話。幼
い赤子を抱えて、海辺町の河岸へ行き、身投げをする。しかし、
こういう脆弱な男に良くあるように、自殺も成功せず、死に切れ
ずに、助けられる。それが、水天宮のご利益という解釈。前向き
に、生きて行こうと決意する。それだけの話。人生、思う通りに
ならないのは、世の常。足元を固めて、一歩一歩、前に歩いて行
くしかないのは、最初から判り切っていることだろう。

幸四郎の演技は、発狂場面を軸に、いつものオーバーアクショ
ン。初役で演じる幸四郎は、役になると言うより、役を力づくで
ねじ込むような演技で、しらける。正気から発狂するという「異
常な状況」を表現するだけに、「異常」なほどのオーバーアク
ションでは、かえ、って説得力を殺ぐことになる。抑え気味に演
じて、正気から狂気へが、観客の腑に落ちるように、役になり済
ますことが出来ないものかと、思う(勘三郎の「筆幸」のビデオ
を観たことがあるが、勘三郎は、科白も、普通の口調で、演技で
はなく、自然と幸兵衛になりきっていたし、狂気もするっと、境
を超えていたのを思い出す)。

このほか、歌六の車夫・三五郎、幸右衛門の長屋の差配人・与兵
衛、友右衛門の巡査・民尾保守、ほかに元直参ながら、剣道指南
で巧く生き抜いている萩原の妻役に秀太郎など。散切ものらしい
配役の妙(車夫、巡査、代言人など)が、おもしろい程度。ほか
の役者の演技も、あまり、印象に残らなかった。

贅言:東京の人形町にある水天宮は、いまでは、安産の神様で知
られるが、本来は、平家滅亡の時に入水した安徳天皇らを祭る水
神。幸兵衛が、乏しい金のなかから買って来る水天宮の額(碇の
絵が描かれている)は、「碇知盛」、つまり、身を縛った碇を担
いで重しの碇とともに、身投げした平知盛は、平家所縁の水神に
なっているので、こういう紋様が使用されているのだろう。気の
狂った幸兵衛が、箒を薙刀に見立てて、「船弁慶」の仕草をする
のも、一興。

夜の部を観て、私が考えた共通のテーマは、「藝」か。他人を演
じる、他人になり済ます、他人になりきる、というあたりを軸に
3つの演目を分析してみると、幸四郎は、まさに、他人を演じる
段階。人柄から滲み出ている我當は、他人になり済ます。菊之助
は、他人(この場合、女性)になりきっている、というところ

か。藝は、難しい。

贅言:歌六の息子のうち、長男の米吉が、「水天宮利生深川」の
幸兵衛の次女・お霜、次男の龍之助が、「近頃河原の達引」の
「鳥辺山」の稽古娘・おつるで出演。翫雀の長男壱(かず)太郎
が、幸兵衛の長女で盲目のお雪を演じる。壱太郎は、15歳、暫
く見ないうちに、大きくなった。
- 2006年3月27日(月) 19:49:38
2006年3月・歌舞伎座 (昼/「吉例寿曽我」「吉野山」
「道明寺」)

「吉例寿曽我」は、1900(明治33)年、東京明治座で初
演。竹柴其水原作「義重織田賜(ぎはおもきおだのたまもの)」
の序幕「吉例曽我」が、大本だと言う。私は、2回目の拝見。前
回は、99年12月の歌舞伎座で、猿之助演出、猿之助一門総
出。五郎・十郎の「対面」の物語をベースに「助六」あり、「忠
臣蔵」あり、「ひらがな盛衰記」あり、「五右衛門」ありで、自
分の歌舞伎の知識を検証するのに好都合。石段のだんまりもどき
の立ち回りから、「がんどう返し」で「高楼の場」へ、大道具が
変わるなど、歌舞伎の荒唐無稽さを楽しみながら、歌舞伎の入門
編のような舞台になっていた。春猿、亀治郎の二人が匂い立つよ
うな色香を発揮していたのを想い出す。6年あまり前ですから
ね。春猿29歳、亀治郎24歳だった。

前回の劇評で書いているが、20世紀最後の2000年正月を前
に、99年を締めくくる12月の舞台に、いま、病気休演中の猿
之助は、病気の予感すらないなかで、1900年の作品を借り
て、1999年を曽我物の名場面オンパレードという方式で締め
くくろうとしたのではないかと思われるが、それは、まあ、過ぎ
た舞台の話で、今回は、いかに。

前回は、「大磯廓舞鶴屋」「鶴岡八幡宮石段」「同高楼」という
構成だったが、今回は、「鶴ヶ岡石段」「大磯曲輪外」という構
成。

幕が開くと浅葱幕が舞台を見せない。花道から出て来た八幡三郎
(愛之助)方の奴で、白塗の色内(亀三郎)と近江小藤太(進之
介)方の奴で、砥の粉塗の早平(亀寿)が、幕の前で、争う。白
塗と砥の粉塗りの化粧で、善方か、悪方かが、すぐに判るのが、
歌舞伎のルール。早平が所持する一巻(近江方の謀反の密書)を
色内が奪おうとしている。やがて、浅葱幕が、振り落され、鶴ヶ
岡石段の場面となる。上手に紅梅、下手に白梅。紅白が、上下の
順になる。

上手に登場した、やはり白塗の八幡三郎を演じる愛之助(十三代
目仁左衛門の部屋子から秀太郎養子に)は、仁左衛門そっくり。
下手は、我當の長男・進之介は、やはり砥の粉塗りの近江小藤
太。ともに、工藤祐経の従臣。ともに、足袋は、黄色。八幡が、
奴色内に奪わせた一巻の密書を見せびらかし、近江を牽制したこ
とから、両者の争いとなり、石段を使った、いわば立体的な立回
りの場面となる。科白は、ほとんどなく、「だんまり」(闇のな
かの、ゆるやかな争い)もどきの立回りが続く。江戸のセンス
は、死闘という立ち回りさえも、優雅である。下座音楽は、「石
段の合方」。

やがて、石段の大道具は、石段を軸に、上手と下手に分解されて
引き込むが、ふたりを石段に乗せたまま、「がんどう返し」で、
場面展開。石段の下からは、富士山の遠景が現れる。今回は、1
階席だったので、判らなかったが、前回は、2階席ゆえ、「がん
どう返し」で石垣が上がるにつれて、役者が、徐々に、「足の位
置を変えて姿勢を直す様子などが見てとれて勉強になった」と、
私は書いている。「石段」の進之介は、愛之助との所作に微妙な
ズレがある。間が飲み込めていないのだろう。

場面展開後、富士山を中央に、裾野の上手に紅梅、下手に白梅
(さらに、その下手に小さな紅梅)という背景。雲が棚引いてい
る。「大磯曲輪外の場」。

舞台中央には、3人の黒衣が、掲げ持つ赤い消し幕が、大せりの
穴を隠している。消し幕が取り除かれると、やがて、9人全員
が、一挙に大せりに乗って、せり上がって来る。全員が、きらび
やかな衣装を纏い、停止した姿は、一幅の錦絵のようだ。源頼朝
の重臣・工藤祐経(我當)を軸に、曽我兄弟の後見人・朝比奈
(男女蔵)、梶原源太(松也)、秦野四郎(亀鶴)、それに、大
磯廓の遊女たち、十郎の愛人・大磯の虎(芝雀)、五郎の愛人・
化粧坂少将(家橘)、喜瀬川亀鶴(吉弥)。そして、工藤祐経を
父の仇と狙う曽我十郎(信二郎)と五郎(翫雀)の兄弟。敵味方
入り乱れての、一挙の登場。工藤祐経が、先ほどの密書の一巻を
取り出したことから、9人入り乱れての「だんまり」となる。動
く錦絵だが、科白なしで、見栄えで、それぞれの人物の存在感を
出さなければならないから、役者たちは、大変だろう。松也が、
爽やかな若衆姿。吉弥は、玉三郎もどきの美形。翫雀は、「雨の
五郎」の衣装。さまざまな配役の華麗な衣装も見もの。様式美を
構成するところまで行かず。まあ、それだけの演目だが、眼で見
る歌舞伎らしい演目でもある。

贅言:「吉例寿曽我」本来の外題「義重織田賜(ぎはおもきおだ
のたまもの)」の謂れを調べてみたが、判らない。「織田」は、
織田信長だろうから、織田賛美の話のような気がするが、いず
れ、さらに、調べてみよう。

「吉野山」は、本興行で、11回目の拝見。地方巡業の舞台も数
に入れれば、それ以上の回数になるだろうと、思う。三大歌舞伎
の一つ、「義経千本桜」の道行「吉野山」は、本来の外題は、
「道行初音鼓」で、原作の設定では、早春の雪の残るなかでの道
行だったが、いつの時期からか、春爛漫、桜が満開の吉野山を遠
望する場面に変えられた。誰が、何時変えたかは、定かならずと
いうが、芝居を担う人たちの誰かが考えだし、誰もが、それを支
持し、いまのような形になったのだろうと思うが、これぞ、歌舞
伎の知恵者の賜物だろう。およそ三万本の山桜が標高差を入れ
て、下から上へ順繰りと、咲き競う吉野山は、やはり、春爛漫
が、判りやすいから、この工夫は、正解だろう。今回は、幸四郎
の狐忠信に福助の静御前。東蔵の逸見藤太。

幕が開くと、満開の桜の間に松と寺院の屋根、雲が見える。いつ
もながら、華やかな舞台。福助の静御前は、安定している。忠信
への情愛を滲ませた良い静御前だ。静御前は、後ろ姿に色香がな
ければならない。桜木の下に、斜め後ろ姿で、佇むとき、エロス
の化身であり、桜の精のように見えなければならない。

「女雛男雛」という象徴的なシーンがあるが、「女雛=静御前=
福助」を後ろから、「男雛=忠信=幸四郎」が、そっとサポート
することで、ふたりが、立雛の形に決まる。「女雛男雛」という
幻想。静御前と忠信という男女。花道「すっぽん」から登場した
幸四郎の狐忠信は、いつもの幸四郎らしからぬ、抑え気味の演技
で、福助を引き立てる。源氏車の縫い取りのある、いつもの
衣装ではなく、茄紺の無地の衣装を選んだという辺りにも、幸四
郎の「抑え」の意図が判る。福助の静御前と幸四郎の忠信は、と
もに、私は、初めて拝見した。

逸見藤太は、東蔵が、好演。東蔵の藤太は、2回目の拝見。東蔵
は、藤太を2回しか演じていないというから、私は、たまたま、
2回とも拝見したことになる。この藤太の科白に、トリノオリン
ピックで金メダルを取った荒川静香の「しずか」を静御前に引っ
掛け、「イナバウアー」の所作を取り入れて、仰け反り、観客席
の笑いを取っていた。花四天を絡ませた立回りでは、花槍を使っ
て、狐忠信絡みの鳥居、駕篭、操り人形など隠し味が施されてい
る。今回の「吉野山は、軸となる3人の役者の演技のバランスが
良く、大きく、ゆったりとした、空間をつくり出していた。江戸
のゆるりとした芝居小屋が、再現されたような気がする。

「道明寺」は、見応えがあった。今回で、3回目の拝見。前回
は、02年2月の歌舞伎座、前々回は、95年3月の歌舞伎座で
ある。私にとって、孝夫時代をふくめて、3回目となる仁左衛門
の菅丞相の演技は、さらに磨きがかかっているようだ。覚寿の芝
翫も、3回目。輝国の富十郎も、3回目。立田の前の秀太郎も、
3回目。苅屋姫は、今回は、孝太郎(前回は、玉三郎。前々回は
孝太郎)。藤原時平の意向を受けて菅丞相を誘拐して暗殺しよう
とする親子のうち、父親の土師兵衛の芦燕は、2回目(前々回
は、先代の権十郎)。息子の宿弥太郎は、今回は、段四郎(前回
は、左團次。前々回は、段四郎)。弥藤次の市蔵は、十蔵時代を
含め2回目(前々回は、錦吾)。「水奴」宅内は、歌六(前回
は、橋之助、前々回は、勘九郎時代の勘三郎)。という配役振り
で、一部を除いて、あまり変わっていない。それぞれに磨きがか
かって、重厚、神聖な舞台が仕上がったように思う。

「道明寺」は、歌舞伎の典型的な役柄が出そろう演目だ。立役=
菅丞相。二枚目=輝国。老女形(ふけおやま)=覚寿。片はずし
(武家女房)=立田の前。赤姫=苅屋姫。仇役=太郎。老父仇=
兵衛。ごちそう(配役のサービス)=宅内。「道明寺」は、この
ように、さまざまな役者のバリエーションが揃う大きな舞台にな
らないと懸からない演目だという由縁である。

菅丞相の仁左衛門は、動きの少ない役柄をただ座っているだけと
いう演技で、過不足なく演じる。プレゼンス(存在感)が、凄
い。当分、仁左衛門以外には、演じにくかろう。團十郎、幸四
郎、勘三郎辺りが、いずれ、挑戦するかも知れないが・・・。白
木の御殿に白木の菅丞相の木像。木像の精の菅丞相は、白い直衣
(のうし)ということで、白い色調に神秘感を滲ませる演出と観
た。生身の菅丞相は、梅鉢の紋様の入った紫の直衣で対比的に木
像との違いを強調する。ただし、直衣の下の下袴は、薄い紫色の
同じものを着ていた。

自分が作った入魂の木像が、菅丞相の命を救う。だが、それは道
明寺の縁起に関わる伝奇物語。実際の舞台では、仁左衛門は、木
像の精と生身の菅丞相のふた役を早替りで演じなければならな
い。仁左衛門が、木像の精になる場面は、これも、ひとつの「人
形ぶり」の所作である。轆轤(ろくろ)に載せた木像のように
座ったまま、足を動かさずに、廻ってみせた仁左衛門。さらに、
仁左衛門は、伝統的な演出に乗っ取り、人形振りの脚の運びでそ
れを表現する。そのあたりの緩急の妙が、実に巧い(ほかの役者
で観たことがないのだが、これは、難しいだろうと想像でき
る)。木と生身の人間との対比。それは、直衣の白と紫の色合
い、烏帽子の有無(木像と白い直衣のみ烏帽子を着けている)な
どで表す。

夜明け前に藤原時平の指示を受けた土師・宿弥親子の仕掛けた暗
闘から抜け出した菅丞相だが、夜明けとともに菅丞相は、伏せ籠
のなかに潜んでいた養女・刈屋姫への情愛を断ち切って、太宰府
に配流される。袖の下から檜扇(ひおうぎ)を使っての、養女と
の別れの切なさが、にじみ出る。抱き柱が、辛い刈屋姫。人間か
ら木像の精を通底して、菅丞相は、さまざまな人たちの死や別れ
を見るという修羅場を経て、後の天神様へ変身する。そういうド
ラスティックなドラマが展開するなか、仁左衛門の菅丞相の肚の
演技が続く。

覚寿の芝翫は、適役。仁左衛門の菅丞相のプレゼンスに対抗でき
るのは、貫禄ある覚寿を演じられる芝翫しかいないだろう。これ
も、当分、芝翫以外は、演じにくかろうと、思う。

覚寿の娘で、菅丞相の養女の苅屋姫の姉で、仇役・宿弥太郎の妻
という立田の前(秀太郎)は、「道明寺」の劇的展開と人間関係
では、重要な役処。覚寿(芝翫)、苅屋姫(孝太郎)が、御殿の
奥に入り、立田の前(秀太郎)も、それに続くときの、襖が閉ま
る直前の、後ろ姿の静止の仕方が、綺麗だった。

やがて、腰元たちが、雪洞(柄と台座を付けた行灯)を持って来
る。御殿も、薄暗くなって来たのだろう。そう言えば、この後の
展開で重要な仇役を演じる土師兵衛(芦燕)と宿弥太郎(段四
郎)の親子は、正式の迎えの使者・判官代輝国(富十郎)一行の
来る八つ時(午前2時ころ)を前に、菅丞相に贋迎い・弥藤次
(市蔵)らを寄越す合図として、鶏を啼かせる策略を実行するな
ど、この物語は、夕方から夜半にかけて、クライマックスを迎え
るという、いわば「夜中の物語」なのだが、皓々と明るい舞台で
は、観客のうち、どれだけの人が、夜半を意識しながら物語の進
行を観ているだろうか。そういう意味では、ふたりの腰元が雪洞
を持って来る時間をきちんと押さえると共に夫の宿弥太郎(段四
郎)と義理の父親の土師兵衛(芦燕)の謀略を立ち聞きする立田
の前(秀太郎)が、手に持っている手燭(手持ちの行灯)を見逃
してはいけない。立田の前は、夫と義理の父親に殺され、御殿前
の池に遺体を投げ込まれ、遺体の上で、鶏が啼くという言い伝え
を元に、宿弥太郎と土師兵衛が、練り上げた偽の夜明けを告げる
「一番鶏作戦」を成功させてしまう。

菅丞相の養女の苅屋姫(孝太郎)は、自分が、原因を作っただけ
に、配流される父への詫びと惜別の親愛の表現がポイント。孝太
郎の苅屋姫からは、養女ゆえの、複雑な惜別の情が、観客席に
も、ひしひしと伝わって来た。菅丞相の伯母の覚寿、娘(姉妹)
の立田の前と苅屋姫という、3世代に分かれる女形の役処も、味
わいが深い、良く考えた配役だと、思う。

裁き役の輝国(富十郎)は、颯爽としている。格と雰囲気が、判
官代として、滲み出ている。立田の前の遺体を池から救い上げる
「水奴」宅内(歌六)の役は、いわゆる「ごちそう」、観客への
サービス満点の配役。こういう配役が、歌舞伎の奥行きを深め
る。

娘・立田の前殺しの真相を悟った覚寿の機転で仇打ちされた宿弥
太郎と池から運び上げられた立田の前の(つまり、夫婦の)遺体
は、黒衣の持つ黒い消し幕の登場で、ともに二重舞台の床下に消
えて行く。池から運び上げられ、覚寿の手で、覚寿の打ち掛けを
頭からかけられたまま、劇の進行の間、身じろぎもせずに舞台に
横たわっていた秀太郎さん、お疲れさま。

贅言:土師兵衛、宿弥太郎の親子が、覚寿を騙し、贋迎いを呼ぶ
ために、夜明け前に啼かせようとする鶏を庭の池に放す場面で
は、池の水布の間から、水色の手が出てきて、鶏を載せた挟み箱
の蓋を引き取っていくのだが、今回は、1階の席なので、見えな
い。
- 2006年3月21日(火) 22:05:27
2006年2月・歌舞伎座 (夜/「梶原平三誉石切」「京鹿子
娘二人道成寺」「人情噺小判一両」)

2月の歌舞伎座の劇評をなんとか、2月中に「遠眼鏡戯場観察」
に掲載できた。夜の部は、何と言っても「京鹿子娘二人道成寺」
がハイライト。

「梶原平三誉石切」は、8回目。私が見た梶原は、幸四郎(今回
含め、2)、吉右衛門(2)、仁左衛門(2)、富十郎、團十
郎。前にも書いたが、「石切」の場面には、型が3つあるとい
う。8回も見ると、3つの型を見ることができる。初代吉右衛門
型、初代鴈治郎型、十五代目羽左衛門型。その違いは、石づくり
の手水鉢を斬るとき、客席に後ろ姿を見せるのが吉右衛門型で、
鴈治郎型は、客席に前を見せるが、場所が鶴ヶ岡八幡ではなく、
鎌倉星合寺。羽左衛門型は、六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢
の両側に立たせて、手水鉢の水にふたりの影を映した上で、鉢を
斬る場面を前向きで見せた後、ふたつに分かれた手水鉢の間から
飛び出してくる。桃太郎のようだと批判された。

幸四郎、吉右衛門のふたりは、初代吉右衛門型であった。富十郎
は、初代鴈治郎型だったが、場所は鶴ヶ岡八幡であった。仁左衛
門と團十郎は、十五代目羽左衛門型で、手水鉢の向うから飛び出
してきた。私が観た梶原としては、仁左衛門が1番という印象は
変わらない。今回の幸四郎は、自身は、舞台中央にいて、殆ど動
かずにいながら、目配り、眼光、小さな動きなどを積み重ねるこ
とで、自分を取り巻く状況の変化、特に、六郎太夫と梢の親子を
じっくり、ゆったり、いろいろ観察し、ハピーエンドを考えてい
るという、器の大きな梶原像を刻んで行ったように見受けられ、
悪くはなかった。ただ、いわゆる「二つ胴」という、上で仰向け
になっている囚人の胴を斬る場面で、下で俯せになっている六郎
太夫については、彼を縛っていた縄だけを斬る。ポンと跳ね上げ
るように斬ったほうが良いのだが、「押し切り」のような斬り方
で、あまり感心しなかった。

憎まれ役の大庭三郎(彦三郎)は、味のある表情を見せていた。
美形の女形が似合う愛之助が、今回は、三郎の弟の俣野五郎役だ
が、声がかん高く、騒々しかった。発声を考えたほうがよい。歌
六の六郎太夫は、良い老け役で、一所懸命の芝雀の梢とともに、
「本当の主役」を滲ませていた。いかにも歌舞伎らしい大味な芝
居なのだが、名優たちに磨かれて来た工夫魂胆が、随所に光り、
楽しませるから、歌舞伎は、おもしろい。

「石切梶原」の、もうひとつの見せ場は、剣菱呑助の「酒づく
し」の台詞だが、今回は秀調で、私は、3回目。これまででは、
坂東吉弥、團蔵、松助、弥十郎、鶴蔵。

「京鹿子娘二人道成寺」「二人道成寺」は、5回目。普通は、白
拍子の花子と桜子が登場する。そのスタイルで最初に見たのは、
11年前の、95年4月の歌舞伎座、翫雀、扇雀の兄妹の襲名披
露(当時、ふたりは、智太郎、浩太郎)の舞台で、次いで、翌年
の96年9月の歌舞伎座で、時蔵と福助であった。3回目が、い
まも印象に残る雀右衛門と芝雀親子の「二人道成寺」で、99年
9月の歌舞伎座。以下、再録する。


「親子の二人道成寺の妙」

*雀右衛門・芝雀のときは、ふたりの「雀」の間に鏡でもあるよ
うに、過去の伝統と継承の未来の精が、現在という舞台で、ふた
りの白拍子に化けて出て来た藝の化身のように見えた。所作も、
左右対称で、いつもの所作と逆の形で踊る雀右衛門の素晴しさ
(芝雀の所作は、基本的に「娘道成寺」と変わらない)、息子を
気遣う父親の思い、藝の先達として後身を見る眼の厳しさなど、
いろいろ考えさせる味のある舞台であった。迫りくる老いと戦う
父親。そういう父親の戦いを知り、少しでも早く藝の継承に努め
ようとする息子。そのとき、特に、ふたりが鐘の上に乗ってから
の、印象的な場面を私は、次のように書いている。

*鐘に乗った後の、花子・雀右衛門の、「般若のこしらえ」で、
「妹背山」の、お三輪のような「疑着(ぎちゃく)の相」を思わ
せる、物凄い表情を一瞬だけ見せるというのが、印象的だったの
は今回が初めてのような気がする(引用者注。つまり、それ以前
に観た翫雀・扇雀、時蔵・福助では、この部分の印象が薄いとい
うこと)。


「二人道成寺の『一人化』の試み、あるいは、〜花子・桜子から
花子の・立体化・へ〜」

玉三郎・菊之助の舞台は、04年1月の歌舞伎座以来、2回目。
前回の劇評も再録する。

*「二人道成寺」は、素晴しかった。実は、菊之助は、白拍子
「桜子」には、ならなかった。玉三郎も菊之助も、ふたりとも、
白拍子「花子」であった。というより、菊之助が、白拍子花子と
して、花道向う揚幕から登場するのに対して、玉三郎は、花道
すっぽんから登場する。ということは、玉三郎は、生身の白拍子
花子ではなく、花子の生き霊なのではないか。つまり、ふたり
は、二人ではなく、一人なのだ。白拍子花子の光と影。それが、
今回の玉三郎と菊之助の「「二人道成寺」のコンセプトではない
か。玉三郎が、すっぽんから登場したため、私は、そういう着想
にとらわれて、以後の舞台を観ていた。

花道七三で、並んだふたりの所作を私は、昼の部と同じ、1階
の、いわゆる「どぶ」側の、真後ろの花道直近の座席から観てい
た。この席からは、まるで、向う揚幕の前に座って、花道七三を
正面に観るように舞台が見えるのである。そこで観ていると、し
ばしば、二人の白拍子が、所作も含めて重なって見えるのであ
る。つまり、ときどき、二人は、一人にしか見えない場面があっ
たのである。衣装も帯も同じ二人が、重なる。一人になる。やが
て、所作が終り、玉三郎は、すっぽんから消えて行った。残り
は、菊之助一人。それは、恰も、最初から一人で踊っていたよう
な静寂さがある。

これは、「二人道成寺」ではなく、「娘道成寺」ではなかったの
か。二人に見えたのは、私たちの幻想であったのではないのか。
そういう錯覚さえ起こすほど、この「・一人・道成寺」は、素晴
しかった。筋書きを良く見れば「京鹿子娘二人道成寺」とあるで
はないか。この「娘」と「二人」は、ここまで融通無碍だったの
か。こういう「二人道成寺」は、初めての趣向だと思う。因に、
5年前の雀右衛門・芝雀のときの外題は、「傘寿を祝うて向かい
雀二人道成寺」であった(この年の8月、満79歳になった雀右
衛門は、数えでは、80歳=傘寿である。「向かい雀」とは、向
かい合う「雀」右衛門と芝「雀」のことである)。いずれも、外
題は、観客に向けて、きちんとテーマを明確にメッセージしてい
るのが判る。それをきちんと受け止めるか、受け止めないかは、
私たち観客の感性の問題である。

さて、花子・桜子を花子のダブルイメージにしたのは、玉三郎の
趣向だろうなと、私は思う。去年「娘道成寺」を踊った玉三郎
は、初演で新しい「二人道成寺」への扉を開いたと言えそうであ
る。工夫魂胆の、藝熱心の真女形の発想に敬意を表したい。今後
の、玉三郎の「道成寺もの」には、要注意。その後も、今回は、
花子が、一人になったり、生き霊として、二人になったりしなが
ら(あるいは、ここは、二人に「見えたり」が、正確か)、新趣
向の所作が繰り出され、大曲を飽きさせない場面が続いた。二人
の絡みは、ときに官能的にさえ、感じられた。最初、玉三郎につ
いて行った菊之助だが、途中の「手鞠」の場面では、遅れをとっ
た菊之助が、途中をさり気なく飛ばして、玉三郎に追い付いた手
腕は、なかなかのものであった。若さばかりが売り物ではなく、
藝の強かさも身に着きはじめているように思えた。また、逆海老
に反り返る場面では、それなりに柔軟な玉三郎よりも、さらに身
体の柔らかさを見せつけていて、明らかに若い女形のはつらつさ
を感じさせていた。ただ、反りに入る瞬間的に女形ではなく、男
を感じさせる場面があり、今後の課題だろう。

玉三郎53歳。菊之助26歳。円熟と成長のカーブが異なる、ふ
たりの真女形の今後の組み合わせを楽しみとしたい。

以上、長い引用になったが、許して欲しい。基本的に、2年前の
印象を残しながら、玉三郎と菊之助は、さらに、充実の上乗せを
してくれたからだ。真女形の官能。女性では出せない極め付けの
官能の美とは、こういうものではないかというのが、正直な印象
である。「鐘に恨み」の玉三郎の凄まじい表情と柔らかで愛くる
しい菊之助のふくよかな表情の対比。夜叉と菩薩が住む女性
(にょしょう)の魔は、女性では、表現できないだろう。男が女
形になり、女形が、娘になり、娘が蛇体になるという多重的な官
能の美。これぞ、「娘二人道成寺」の真髄だろうと思う。しか
し、このコンビは、また、何年か後に、これにさらに積み重ねた
ような、限り無く、理想に近付けようという、工夫魂胆の後を感
じさせる舞台をつくり出してくれると思うので、次の舞台も、い
まから、愉しみになってきた。

菊之助の魅力をいちばん良く知っているのは、もはや、父親の菊
五郎ではなく、玉三郎なのではないか。先輩・玉三郎は、自分が
身に付け、さらに精進を重ねている真女形の真髄を後輩・菊之助
に伝えるとともに、菊之助の魅力を引き出すコツも知り尽してい
るのではないか。菊之助の方も、玉三郎の先輩としての厳しい心
遣いを受け止め、どこまでも、付いて行く気でいるように見受け
られた。

贅言1):「聴いたか坊主」の所化たちが、菊之助の花子に「白
拍子か生娘か」と問いかける場面があるが、「白拍子」は、性を
売る女性、「生娘」は、文字どおり、性の未経験者ということだ
から、ダブる花子とは、性を体験した者と未体験の者、つまり、
性を通過する前と通過した後、という、花子のなかの時間性を隠
しているのではないか、という思いもよぎる。まあ、これは、ひ
とつの深読み。

贅言2):さすがの玉三郎も、55歳。菊之助28歳の若さに
は、勝てないので、その辺りは、無理をしていない。玉三郎の踊
りは、大きくて、ゆるりとして、間とメリハリが、充分に効いて
いる。菊之助の所作は、やや、早い。テキパキして、若さがあ
る。姉妹のように見えるし、「手鞠」のところでは、玉三郎は、
ちいさくゆるりと円を描いたし、菊之助は、大きく、それも早く
廻っていた。ときには、2本のスプーンを重ねたように、ふたり
が、一人の娘の裏表のように見える。今回は、2年前と違って、
2階席から拝見したので、余計に、一人の娘が、立体的に見えた
かもしれない。3月の歌舞伎座は、菊之助が、「二人椀久」で、
幻の松山太夫を踊る。これも、愉しみ。

「人情噺小判一両」は、宇野信夫原作の新歌舞伎。私は、初見。
1936(昭和11)年、歌舞伎座で初演された。六代目菊五郎
と初代吉右衛門、いわゆる「菊・吉」コンビで上演されたものだ
が、落ちぶれた武家の親子が、笊屋に同情され、「一両」恵まれ
たのを屈辱に感じ、父親が自害するという噺。町人の善意と武家
の矜持の違いを強調したかったのだろうが、「情けが仇」という
古くさいテーマで、興醒め。「京鹿子娘二人道成寺」で、盛り上
がった感興を、引き降ろす演目の選択、あるいは、上演の順番
は、いくら、「菊・吉」でトリといっても、なんとかなら無かっ
たのかと、思う。茶店娘のおかよを演じた松也が、初々しく、可

憐だったのが、唯一の慰め。このほか、笊屋の安七(菊五郎)、
浅尾申三郎(吉右衛門)、小森孫市(田之助)。

3月の歌舞伎座は、十三代目仁左衛門の十三回忌追善狂言が上演
される。昼の部は、仁左衛門の「道明寺」。夜の部は、我當の
「近頃河原の達引」。
- 2006年2月28日(火) 21:43:22
2006年2月・歌舞伎座 (昼/「春調娘七種」「一谷嫩軍記
〜陣門、組打〜」「お染久松 浮塒鴎」「極付 幡随長兵衛」)

「春調娘七種」は、2回目。前回は、98年2月の歌舞伎座で
は、私の劇評の記録がないから、「遠眼鏡戯場観察」は、初登
場。前回私が観たのは、上演記録によれば、秀太郎の静御前に田
之助の曽我十郎、我當の五郎という配役だが、記憶が、定かでは
ない。

「曽我もの」の所作事。曽我十郎、五郎に、なぜか、静御前が付
き合う。破風の御殿は、工藤祐経の館。大セリに乗って、静御前
(芝雀)を中心に上手に十郎(橋之助)、下手に五郎(歌昇)が
付き添って、セリ上がって来る。橋之助の斜めの横顔が、芝翫に
見えた。静御前は、春の七草を入れた籠を持ち、両脇のふたり
は、大小の鼓を持っている。背景の中央は、白梅の巨木。その左
右に若竹、上下に松。

七草の行事にことよせて、3人で工藤の館に乗込んで来たのだ。
静御前と上手の十郎は、踊りの最中も、距離が殆ど変わらない
が、静御前と下手の五郎の距離が近い事が多い。工藤邸で舞いな
がら、五郎は、再三、工藤祐経の姿が眼に入るといきり立つの
で、静御前が、諌めるために近くにいなければならない。その
点、十郎は、あまり、感情を出さない。

歌昇の踊りは、メリハリがある。芝雀の踊りは、たおやかであ
る。橋之助の踊りは、ゆるゆると滑らかである。それでいて、3
人の踊りが、ひとところに収斂して行かない。工藤を巡り感情
が、それぞれ起伏するのに、踊りが緩怠にしかならないからだろ
うか。「七種(ななぐさ)なづな御形(ごぎょう)田平子(たび
らこ)仏の座菘(すずな)清白(すずしろ)芹薺(なずな)」が
唄い込まれる。

まな板を取り出し、擂り粉木で七草を叩く仕草は、太鼓を打って
いるよう。静御前、十郎、五郎の順で、繰り返す辺りは、愉し
い。四拍子の笛に田中傅太郎が、姿を見せる。久しぶり。

「一谷嫩軍記〜陣門、組打〜」は、4回目の拝見。ここの熊谷直
実は、3回は、幸四郎。1回が、吉右衛門。小次郎と敦盛は、染
五郎が2回、梅玉、そして、今回は、福助。福助は、久しぶりの
立役だが、足の運びが、女形のまま。

これは、本来、観客にとっては、小次郎、敦盛が、別人となって
いる。「熊谷陣屋」の場面になって、初めて、敦盛には、小次郎
が化けていて、敦盛を助ける代りに父の手で小次郎が殺されたと
いう真相が明らかにされるので、観客は、同じ役者のふた役と
思っている。ところが、今回は、小次郎に扮して、戦場離脱す
る、本物の敦盛を芝のぶが演じ、花道七三で敦盛(芝のぶ)が、
顔を見せるので、その後、敦盛に化けたのが、小次郎(福助)だ
と観客に判らせる演出をとっている。こういう演出は、私は、初
めて観た。芝のぶは、本物の敦盛として、観客に顔を見せなが
ら、筋書に名前が載らないというのも、歌舞伎のルールか。芝の
ぶの敦盛は、福助の偽の敦盛より、気品が感じられた。

しかし、さはさりながら、ここは、原作者・並木宗輔らの策略を
壊してしまう演出ではないだろうか。兜で顔を隠したままの小次
郎(実は、吹き替え)は、いわば、「見せない」トリックであ
り、そこにこそ、「陣門・組打」の隠し味があったのではないだ
ろうか。それをあっさり、止めてしまうことのマイナスの方が、
大きいように思えるが。いかがだろうか。

玉織姫は、病気休演中の澤村藤十郎、松江時代の魁春、勘太郎、
そして、今回は、芝雀。憎まれ役の平山武者所は、亡くなった坂
東吉弥、芦燕、今回含め2回の錦吾。平山武者所は、この芝居で
は、キーパーソンで、この人が、憎まれ役を買ってでないと芝居
が成り立たない。なぜなら、彼の出番を思い出せば、一目瞭然。
まず、「陣門」では、小次郎に遅れをとった腹いせに、小次郎を
平家の陣門のなかへ入るよう唆す。次いで、追い付いて来た熊谷
直実にも、自分が止めたのに、小次郎は、先陣を切って陣門のな
かに入ったと嘘を言い、直実は、わが子を救いに行く。そのく
せ、自分は、陣門の外で様子を観ていて、あわよくば、手柄だけ
をひとりじめしようとしている。喜劇こそ、芝居だとすれば、平
山は、ドラマチックに芝居を支える。

次の須磨の浜辺では、敦盛の許嫁の玉織姫を口説き、従わないと
なれば、姫を斬り付ける。横恋慕と卑怯は、同質の邪悪だという
ことが判る。芝居は、悲劇こそおもしろいという原則から見れ
ば、平山は、またまた、芝居を支える。戦場にあって風雅の心を
忘れない小次郎を引き立てるために、源氏方、坂東武者の「がさ
つさ」を表現する役回りも、平山武者所登場の隠し味。

さらに、直実が、敦盛に扮したわが子小次郎と組み打ちになり、
首を落そうかどうか逡巡していると遠くで観ていた平山が、それ
では、「直実に二心あり」と揶揄するではないか。それを聴いた
直実は、意を決して、わが子を殺す。これで、芝居は展開し出す
というわけで、憎まれ役こそ、世に、いや、芝居に憚(はばか)
る。錦吾が憎まれ役を好演。

福助の小次郎・敦盛は、いまひとつ。初陣の小次郎の初々しさ、
若武者としての敦盛の気品など、総じて若さが、表現できていな
いのは、残念。

幸四郎は、いつものオーバーアクションだが、こういう時代物で
は、それが嵌るから不思議だ。こころを形にしてみせるのが、歌
舞伎の演技なら、これは、常道だろうし、今回は、いつものオー
バーアクションが、常道の拉致のうちに納まっていたように見受
けられた。

幸四郎の熊谷と福助の小次郎扮する敦盛は、須磨の海に馬で乗り
入れながら、「浪手摺」のすぐ向こうの、浅瀬で、立回りをした
だけで、浅葱幕を振り被せにしてしまい、いつものような子役を
使った「遠見」を見せなかった(3年前の幸四郎は、この場面、
定式の演出を許していた。それは、こうだ。「海原の大道具の間
で、浪幕が動めく。幕の下に入った人が幕を上下に動かして、大
浪を表現している。浪が、敦盛の行く手を阻もうとする。下手に
入った敦盛は、子役による「遠見」となって、再び、舞台に出て
来る。そういう距離感の出し方をするのが、歌舞伎の演出だ」
と、私は、書いた)。これも、幸四郎の演出。敦盛ではないわが
子小次郎と父親の直実の悲劇を凝縮してみせようという狙いだと
いう。しかし、これも、いかがであろうか。遠近法を生身の子役
を使って表現するというのは、大衆劇としての、歌舞伎の原点に
関わる重大な発想ではないかと思う。総じて、荒唐無稽な演出
は、歌舞伎の隠し味であり、それを理詰めで、止めてしまうと歌
舞伎ではない、別の演劇で済んでしまうことになりかねない。

浅葱幕の上手側から、敦盛を乗せていた白馬が、無人で、出て来
る。本舞台を横切り、後ろ髪ならぬ、鬣(たてがみ)の後ろを引
かれるようにしながら、花道から揚幕へと入って行く。敦盛、い
や、小次郎の悲劇を予感させるが、ここは、いつもの演出。浅葱
幕の振り落しがあり、舞台中央に朱の消し幕。熊谷と小次郎の敦
盛が、セリ上がって来る。組み打ちの場面。長い立回りとわが子
を殺さざるをえない父親直実の悲哀。親子の別れをたっぷり演じ
る幸四郎。須磨の浦の沖を行く2艘の船は、下手から上手へゆる
りと移動する。2艘の船は、いわば、時計替り。悠久の時間の流
れと対比される人間たちの卑小な争い、大河のような歴史のなか
で翻弄される人間の軽さをも示す巧みな演出。

贅言:竹本の綾太夫は、「くまが『え』〜のじろう〜なおざね」
を始め、盛んに「くまがえ」「くまがえ」を繰り返す。「くまが
い」では、力が入らないのだろう。

敦盛に扮したわが子小次郎の鎧兜を自分の黒馬の背に載せ、紫の
袰(ほろ)の布を切り取って、わが子の首を包む父親の悲哀。黒
馬の顔に自分の顔を寄せて、観客席に背を向けて、肩を揺すり、
号泣する父親。その父親は、また、豪宕な東国武者・熊谷次郎直
実であることが、見えて来なければならないだろう。剛直であり
ながら、てきぱきと「戦後処理」をするという、実務にも長けた
武将・直実の姿が、明確に浮かんで来る。幕切れまで、重厚な場
面が続く。

「お染久松 浮塒鴎」。浅葱幕の振り落しで、舞台は、隅田川左
岸の三囲神社前の土手。ということは、客席は、隅田川の河川敷
か、川のなかということになる。下手、奥、遠く見えるのは筑波
山だろう。舞台下手には、茅葺きの家。薄い紅梅が咲いている。
紅梅、白梅、そして土手の上に上部のみ見える鳥居。紅梅、石灯
籠、白梅に松。

菊之助、橋之助の「お染・久松」。気に入らない結婚話に家を飛
び出して来た質屋の娘・お染。恋仲の丁稚・久松。女性の方が、
積極的で、引っ張って行く。「わしゃ、死にたい、死にたい、死
にたいわいなあ」とお染。恨みつらみが、エネルギーとなる。な
だめながらも、気の弱い久松。優しい男だが、優柔不断。気の強
い女性は、優柔不断男が好き。

芝翫の「女猿曵」。先月、病気休演した芝翫の久しぶりの登場。
ことし初めての舞台だ。後見に芝のぶが付き添う。手際良いサ
ポートが、鮮やかに見える。芝翫が登場すると、「お染・久松」
も、背景になってしまう。動かない。芝翫の独壇場。女猿曵の扱
う「四つ竹」は、和製カスタネット。扇子の絵柄は、「若松に
鶴」と「太陽に鶴」の裏表。「お染久松」の歌祭文で意見をす
る。芝翫の貫禄。

「極付幡随長兵衛」は、4回目。前回、03年5月の歌舞伎座
は、地方から東京への人事異動の時期に引っ掛かり、忙しくて、
見に行けなかったのを思い出した。だから、5年ぶりの幡随長兵
衛だ。

私が観た長兵衛は、橋之助、團十郎、吉右衛門(今回ふくめ、2
回目)。白柄(しらつか)組の元締め・水野十郎左衛門は、八十
助時代の三津五郎、幸四郎、富十郎、そして、今回の菊五郎。お
時は、福助、時蔵、松江時代の魁春、そして、今回の玉三郎。ほ
かにも登場人物はいろいろいるが、この芝居は、村山座(後の市
村座のこと)という劇中劇の芝居小屋の場面が、観客席まで、大
道具として利用していて、奥行きのある立体的な演劇空間をつく
り出していて、ユニーク。ツケ打ち役は、坂東大和。名古屋山三
のように客席から舞台に上がる吉右衛門の長兵衛。観客を喜ばせ
る演出だ。水野十郎左衛門は、徹底的に卑怯な奴だぞ。

「人は一代、名は末代」という哲学に裏打ちされた町奴・幡随長
兵衛の、愚直なまでの死を覚悟した男気をひたすら見せつける芝
居であり、長兵衛一家の若い者も、水野十郎左衛門の家中や友人
も、長兵衛を浮き彫りにする背景に過ぎない。そういう意味で
は、3人の長兵衛は、いずれも颯爽としていたが、台詞回しの巧
さでは、やはり、今回の吉右衛門が光っていた。策略の果てに湯
殿が、殺し場になる。殺し場の美学。長兵衛に風呂をすすめる腰
元に芝のぶ。

劇中劇(「公平法問諍 大薩摩連中」という看板)では、坂田公
平の團蔵が巧かった(私は、2回目の拝見。それ以前の2回は、
十蔵時代の市蔵)。

贅言:花川戸長兵衛内では、積物の提供者の品書き。二重舞台の
上手に「三社大権現」という掛け軸があり、下手二重舞台の入り
口には、祭礼の提灯。玄関の障子に大きく「幡」と「随」の2文
字。明治14(1881)年に河竹黙阿弥が江戸の下町の初夏を
鮮やかに描く。水野邸の奥庭には、池を挟んだ上手と下手に立派
な藤棚がある。
- 2006年2月22日(水) 21:50:10
2006年1月・歌舞伎座 (夜/「藤十郎の恋」「口上」「伽
羅先代萩」「島の千歳・関三奴」)

06年、最初の歌舞伎観劇は、1・3、歌舞伎座2日目。夜の部
から始める。四代目坂田藤十郎の襲名披露の舞台。「口上」のあ
るのは、夜の部だからだ。ただし、前売りチケットの傾向を見る
と、昼の部の方が、人気先行。夜の部は、3日と15日に拝見。

「藤十郎の恋」96年11月、歌舞伎座。2回目の拝見だが、サ
イトの劇評は、初登場。元禄時代の歌舞伎役者の藝談を集めた
「役者論語(やくしゃばなし)」のなかに蝟集された初代坂田藤
十郎の逸話が元になっている。菊池寛原作の新歌舞伎。1919
(大正8)年が初演。芝居小屋周辺の裏方が覗けて、おもしろ
い。まず、京都四條中島の芝居茶屋「宗清」の広間が覗ける。都
万太夫座の役者衆が、「顔寄せ」の酒宴を開いている。私も、一
度、歌舞伎座の「顔寄せ」を見せてもらったことがある。澤村長
十郎(芦燕)、中村四郎五郎(秀調)ら7人の役者に色子6人、
幇間(玉太郎)らが、江戸の人気役者で、いま、ライバルの長吉
座に出勤している初代中村七三郎(傾城事が巧かった)の噂をし
ている。座元若太夫(歌六)は、七三郎に対抗して、藤十郎(扇
雀)に近松の新作(「おさん茂兵衛」の不義密通がテーマ)の
「濡れ事」(セックスの場面)で、新機軸を打ち出すよう働きか
けている。役作りに悩む藤十郎。これが、伏線。

舞台が、廻って、藤十郎は、(廻る)廊下を通り、「宗清」の小
座敷に入る。独り、役作りの思案に耽る藤十郎。紺地に藤十郎の
紋を小紋にして白く染め抜いた着物を着ているのが、判る。そこ
へ、茶屋の女将お梶(時蔵)が、藤十郎の世話を焼くために入っ
て来る。美しい女将の姿を見ているうちに、藤十郎は、あること
を思いつき、仕掛ける。若い頃から、お梶に好意を抱き続けてい
たと告白し、20年の偲ぶ恋を前面に立てて、お梶をその気にさ
せる。時蔵は、ただ泣きふすばかりだったが、意を決して、締め
ていた前掛けを外し、行灯の火を吹き消すことで、積極的に愛に
応えようとする。前掛けを外す行為は、着物を脱ぎ、下着を取
り、全裸になる以上にエロチックに写る。時蔵は、前掛けを外す
ことで、お梶の心を裸にしたのだろう。だが、最後の最後、暗闇
のなかを逃げ出す藤十郎がいた。

都万太夫座の楽屋。「本日大入」「狂言出揃」などの貼紙。下手
から舞台袖への出入り口、楽屋出入り口、稲荷、頭取部屋、梅鉢
の紋の暖簾が架かった坂田藤十郎の楽屋入り口など役者衆の楽屋
が上手に向って続いているのが見える。おさんに扮する霧浪千寿
(高麗蔵)、お玉に扮する神崎源次(宗之助)らが、出入りす
る。役作りのために藤十郎の仕掛けた偽の恋の噂が、語られる。
楽屋で入り口に姿を見せたお梶は、噂を聴いてしまう。藤十郎へ
の燃える心と抑え込む心が、お梶のなかで、葛藤する。秘めた恋
を時蔵は、過不足なく演じる。居合わせた藤十郎と良い仲の遊女
美吉野(吉弥)の眼の色気。全てを悟ったお梶は、楽屋奥へ入り
込み、やがて、自害する。それを知り、動揺する藤十郎は、嘯
く。「藝の人気が、女子一人の命などで傷つけられてよいもの
か」。千寿の手を引いて、舞台に向う藤十郎。

定式幕から祝幕へ。「口上」は、雀右衛門が取り仕切る。役者衆
が居並ぶ背後の襖は、藤の花と抽象化された花丸のデザイン。雀
右衛門の下手に並ぶ新坂田藤十郎は、野郎頭の鬘。雀右衛門の挨
拶の後、上手へ、梅玉、魁春(女形)、歌六、歌昇、時蔵、東
蔵、我當、幸四郎。下手から、吉右衛門、秀太郎(女形)、段四
郎、福助、壱太郎、扇雀、翫雀、虎之介、藤十郎の順番。

皆、形式的な挨拶が目立つ。梅玉は、鴈治郎時代の著書「一生青
春」を引き合いに出す。歌昇は、藤十郎の海外志向の情熱にあや
かりたい。我當は、「坂田藤十郎は、歌舞伎全体の大名跡」と強
調。幸四郎は、3日と15日で挨拶を変え、15日は、「新藤十
郎は、何代目ということを強調せず、(初代を引き継ぐのだとい
う)決意のほどが判ると持ち上げ、場内の笑いを誘っていた。吉
右衛門は、上方成駒屋(藤十郎は、成駒屋から山城屋へ屋号を変
更する)の一門の発展を強調。段四郎は、上方和事の始祖の復
活、歌舞伎の世界遺産指定など。福助は、3日は、芝翫病気休演
を陳謝、15日は、触れず。扇雀は、成駒屋から山城屋になった
父親が、遠い存在になった、名字も、裃の色も、屋号も変わっ
た。成駒屋から離れて、自由の身になって、うらやましい、多少
の嫉妬も感じる、さらに活躍して欲しいが、成駒屋もよろしく。
翫雀は、70歳を過ぎてから、襲名披露に踏み切るエネルギーに
感嘆、山城屋も成駒屋も、ますます、芸道精進する。最後に、藤
十郎は、231年ぶりの大名跡の復活を強調。扇雀の長男、虎之
介は、初舞台。

「伽羅先代萩」は、「伊達騒動」という史実のお家騒動をベース
に、安永6(1777)年4月、奈河亀輔原作の狂言が、大坂中
の芝居で上演され、翌安永7(1778)年7月、「伽羅先代
萩」の書き換えとして、桜田治助らの合作の狂言「伊達競阿国戯
場」が、江戸の中村座で上演され、それぞれ、評判をとったとい
うことで、両方の「いいとこどり」が、いまのような上演形態に
なっている。いろいろな場面の組み合わせが可能な、興行主や役
者にとっては、はなはだ、都合の良い狂言ということになる。
「みどり狂言」として上演しやすいので、良く上演される。従っ
て、私も、多数見ている。今回は、7回目の拝見となる。

今回は、「御殿」、「床下」だけだが、上方歌舞伎の演出なの
で、これまでとは、いろいろ違いがあるので、愉しみにしてい
る。「花水橋」(5)、「竹の間」(3)、「御殿」(7)、
「床下」(7)。このほか、「対決」「刃傷」まで、観る場合も
ある。「竹の間」(銀地の襖に竹林が描かれている)、「御殿」
(金地の襖に竹林と雀が描かれている。通称「まま炊き」)。
「床下」は、上方も、江戸も、あまり変わらない。違うのは、
「御殿」。

観ていて気が付いたのだが、鴈治郎型というか、これからは、藤
十郎型になるのか、その違いは、まず、御殿の大道具の作りが違
う。人形浄瑠璃の演出に忠実だという。上手に鶴千代の部屋が作
られている。八汐差し入れの毒饅頭を犠牲的精神で試食し、苦し
む千松(政岡の実子)を横目に、舞台中央下手寄りに立ち、鶴千
代を打ち掛けで庇護する代りに、鶴千代を上手の部屋に入れ、左
手を襖に、右手で懐剣を構え、若君を守護する。上手に居た栄御
前は、素早く居どころを舞台中央下手へ替る(贅言:上方歌舞伎
流の「けれん」という)。千松の喉に、八汐が懐剣を差し込み、
千松が苦しむときに、上手の柱に抱きつき(贅言:「抱き柱」と
いう)、殆ど動かず、無言で耐え忍び続け、悲しみ、苦しみを抑
えて、肚で演じるなど、江戸歌舞伎の演出と異なる場面がある。
「三千世界に子を持った親の心は皆ひとつ、・・・」などのクド
キも、従来より、息を詰めて言い、竹本の語りと三味線の糸に乗
り、テンポ良く、音楽劇を優先する演出を取る。従って、情の迸
りがない。藤十郎の政岡は、母性が弱い。だが、母性とは別に観
れば、まま炊きの場面では、米を研ぐ所作など、藤十郎は、体全
体で米を研ぐさまを演じていて、これは、これで、おもしろかっ
た。科白より、所作というのも、上方歌舞伎独特の演出なのだろ
うが、判りやすい演出だ。初舞台の虎之介は、声が良く通り、落
ち着いていて、大器の兆しあり、末頼もしく、拝見した。

しかし、私の印象では、「先代萩」は、やはり、「母の情愛」を
「政岡」役者が、どう演じたかが、ポイントだと思うので、上方
演出より、江戸演出の方が、好きだ。95年10月の歌舞伎座か
ら見始めた、政岡は、玉三郎、雀右衛門、福助、菊五郎、玉三
郎、菊五郎、藤十郎。つまり、玉三郎と菊五郎が、2回というこ
とで、5人の役者の政岡を観ていることになる。いちばん印象に
残るのは、1回しか観ていない雀右衛門で、次いで、玉三郎。例
えば、01年10月、歌舞伎座で、2回目の拝見となった玉三郎
の舞台。

「凄みがあったのは、玉三郎。前回、政岡初演の玉三郎だった
が、今回は、特に充実していた。6年間の蓄積が滲み出ている舞
台だ」。栄御前を廊下に送りに出た「玉三郎の眼の鋭さ。6年前
より、充実した玉三郎の演技の象徴は、このときの、この眼の鋭
さにあると感じた」。栄御前が向う揚幕ならぬ「襖」(この場
合、花道は、長い廊下なのである。だから、いつもの揚幕の代わ
りに花道の向うには、襖が取り付けられている)のなかに消える
と、玉三郎の政岡は、「途端に表情が崩れ、我が子・千松を殺さ
れた母の激情が迸る。誰もいなくなった奥殿には、千松の遺体が
横たわっている。堪えに堪えていた母の愛情が、政岡を突き動か
す名場面である。打ち掛けを千松の遺体に掛ける政岡。打ち掛け
を脱いだ後の、真っ赤な衣装は、我が子を救えなかった母親の血
の叫びを現しているのだろう。このあたりの歌舞伎の色彩感覚も
見事だ。『三千世界に子を持った親の心は皆ひとつ』という『く
どき』の名台詞に、『胴欲非道な母親がまたと一人あるものか』
と竹本が、追い掛け、畳み掛け、観客の涙を搾り取る」。

藤十郎の上方演出には、そういう激情の迸りがない。藤十郎に
とって、千松を演じた虎之介(母親にの、次男の扇雀の息子)
は、孫に当たるので、祖父と孫の感情を援用すれば、母性にも通
じる部分はあろうかと思うが、情愛が、細やかに、迸らない嫌い
がある。肚より、所作、科白で、明確にメッセージを送って来る
玉三郎の演技の方が、私は、好きだ。母親の情愛は、激情しか無
いであろうと思う。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。政岡
で印象に残るのが、雀右衛門、玉三郎なら、八汐で印象に残るの
は、何といっても、仁左衛門。八汐は、性根から悪人という女性
で、最初は、正義面をしているが、だんだん、化けの皮を剥がさ
れて行くに従い、そういう不敵な本性を顕わして行くというプロ
セスを表現する演技が、できなければならない。それができたの
が、私が観た5人の八汐では、仁左衛門の演技であった。八汐
は、ある意味で、冷徹なテロリストである。そこの、性根を持た
ないと、八汐は演じられない。千松を刺し貫き、「お家を思う八
汐の忠義」と言い放つ八汐。因に、私が観た八汐:仁左衛門
(2)、團十郎(2)、勘九郎、段四郎、そして今回の梅玉。

梅玉の八汐は、冷酷というよりも、無表情。科白も唄っている。
仁左衛門の八汐とは、対極にあった。「憎まれ役」の凄みが、
徐々に出て来るのではなく、最初から、「悪役」になってしまっ
ていた。悪役と憎まれ役は、似ているようだが、違うだろう。悪
役は、善玉、悪玉と比較されるように、最初から悪役である。と
ころが、憎まれ役は、他者との関係のなかで、憎まれて「行く」
という、プロセスが、伝わらなければ、憎まれ役には、なれない
という宿命を持つ。そのあたりの違いが判らないと、憎まれ役
は、演じられない。これが、意外と判っていない。役者も役者だ
が、評論家も評論家だ。これは、まさに、「石切梶原」の世界で
は無いか。

典型的な悪役といえば、今回の「伽羅先代萩」では、「床下」後
半に出て来る仁木弾正の役どころであろう。そういう意味で、今
回の幸四郎の仁木弾正は、良かった。「床下」前半の、吉右衛門
の荒獅子男之助も、初役ながら、大らかで、大きく良かった。坂
田藤十郎の襲名披露興行という、231年ぶりの興行で無けれ
ば、実現しない顔ぶれだろう。歌舞伎は、こういうご馳走の見ど
ころがあるから、おもしろいのである。今回の「先代萩」は、実
は、「床下」こそ、最大の目玉演目だったのでは無いか。

「床下」に、ちょいちょいと出て来た播磨屋と高麗屋の兄弟が、
同時に一つの舞台に出ているというかなり珍しい見せ場こそ、注
目される。それぞれ、軸になる役者に成長したふたりは、同じ興
行の舞台で楽屋入りするものの、出し物は、それぞれを軸にした
ものになるため、同じ一つの舞台に立つことは、殆ど無い。吉右
衛門が、「取り逃がしたか。(柝の頭)残念や」見得、拍子幕。
幕引き付ける。幸四郎は、「むむははは」で、出端、見得、
「く」の字にそらした立ち姿。そのまま、花道を滑るように歩ん
で行く。幸四郎は、こういう役回りになると、実に、巧い。

「島の千歳・関三奴」は、前半、福助の「島の千歳」で、伝説の
白拍子千歳は、白拍子の元祖といわれる。長唄と立鼓(小鼓)
が、望月朴清。舞台の上下に松。背景は、海に出張った灯台の遠
景。せり上がりで、千歳(福助)登場。烏帽子、紫の水干を着
て、腰に太刀を佩いているという」男姿の白拍子。まず、男舞、
次いで、娘に戻って、本格的に舞う。

暗転、太鼓で「繋ぎ」。次いで、「関三奴」。こちらは、四拍子
と長唄。黒の市松模様の衣装をベースに橋之助の奴。緑の市松模
様の衣装ををベースに染五郎の奴。橋之助は、赤っ面に黒の毛槍
を持つ。染五郎は、白塗で、白い毛槍を持つ。

背景は、下手が蔵屋敷、中央に城(江戸城)、上手に関所。江戸
は、日本橋の風情。橋之助は、赤地に成駒屋の紋を染め抜いた衣
装。染五郎は、高麗屋の紋を染め抜いている。

いずれにせよ、231年ぶり、大名跡のカーニバルは、終った。
私の劇評が、きょう、掲載されたが、歌舞伎座の舞台は、26日
で終ってしまった。鴈治郎から藤十郎へ替って良かったのかどう
か。鴈治郎の延長線上に築かれる上方歌舞伎と231年ぶりに復
活したものの、大勢の観客には、坂田藤十郎より、長年親しんだ
鴈治郎の名前の方に親しみを感じる人も多いだろう。京都南座
は、満席になったようだが、歌舞伎座は、最後まで、満席にはな
らなかった。東京の歌舞伎ファンは、冷静だ。「鴈治郎から藤十
郎へ」。その成否の結論を出すのは、実は、藤十郎自身だという
ことを藤十郎は、忘れずに、後、何年もかけて、21世紀の「初
代」藤十郎を目指して、芸道精進して、私たちの眼を楽しませて
欲しいと、思う。
- 2006年1月29日(日) 20:46:53
2006年1月・歌舞伎座 (夜/「藤十郎の恋」「口上」「伽
羅先代萩」「島の千歳・関三奴」)

06年、最初の歌舞伎観劇は、1・3、歌舞伎座2日目。夜の部
から始める。四代目坂田藤十郎の襲名披露の舞台。「口上」のあ
るのは、夜の部だからだ。ただし、前売りチケットの傾向を見る
と、昼の部の方が、人気先行。夜の部は、3日と15日に拝見。

「藤十郎の恋」96年11月、歌舞伎座。2回目の拝見だが、サ
イトの劇評は、初登場。元禄時代の歌舞伎役者の藝談を集めた
「役者論語(やくしゃばなし)」のなかに蝟集された初代坂田藤
十郎の逸話が元になっている。菊池寛原作の新歌舞伎。1919
(大正8)年が初演。芝居小屋周辺の裏方が覗けて、おもしろ
い。まず、京都四條中島の芝居茶屋「宗清」の広間が覗ける。都
万太夫座の役者衆が、「顔寄せ」の酒宴を開いている。私も、一
度、歌舞伎座の「顔寄せ」を見せてもらったことがある。澤村長
十郎(芦燕)、中村四郎五郎(秀調)ら7人の役者に色子6人、
幇間(玉太郎)らが、江戸の人気役者で、いま、ライバルの長吉
座に出勤している初代中村七三郎(傾城事が巧かった)の噂をし
ている。座元若太夫(歌六)は、七三郎に対抗して、藤十郎(扇
雀)に近松の新作(「おさん茂兵衛」の不義密通がテーマ)の
「濡れ事」(セックスの場面)で、新機軸を打ち出すよう働きか
けている。役作りに悩む藤十郎。これが、伏線。

舞台が、廻って、藤十郎は、(廻る)廊下を通り、「宗清」の小
座敷に入る。独り、役作りの思案に耽る藤十郎。紺地に藤十郎の
紋を小紋にして白く染め抜いた着物を着ているのが、判る。そこ
へ、茶屋の女将お梶(時蔵)が、藤十郎の世話を焼くために入っ
て来る。美しい女将の姿を見ているうちに、藤十郎は、あること
を思いつき、仕掛ける。若い頃から、お梶に好意を抱き続けてい
たと告白し、20年の偲ぶ恋を前面に立てて、お梶をその気にさ
せる。時蔵は、ただ泣きふすばかりだったが、意を決して、締め
ていた前掛けを外し、行灯の火を吹き消すことで、積極的に愛に
応えようとする。前掛けを外す行為は、着物を脱ぎ、下着を取
り、全裸になる以上にエロチックに写る。時蔵は、前掛けを外す
ことで、お梶の心を裸にしたのだろう。だが、最後の最後、暗闇
のなかを逃げ出す藤十郎がいた。

都万太夫座の楽屋。「本日大入」「狂言出揃」などの貼紙。下手
から舞台袖への出入り口、楽屋出入り口、稲荷、頭取部屋、梅鉢
の紋の暖簾が架かった坂田藤十郎の楽屋入り口など役者衆の楽屋
が上手に向って続いているのが見える。おさんに扮する霧浪千寿
(高麗蔵)、お玉に扮する神崎源次(宗之助)らが、出入りす
る。役作りのために藤十郎の仕掛けた偽の恋の噂が、語られる。
楽屋で入り口に姿を見せたお梶は、噂を聴いてしまう。藤十郎へ
の燃える心と抑え込む心が、お梶のなかで、葛藤する。秘めた恋
を時蔵は、過不足なく演じる。居合わせた藤十郎と良い仲の遊女
美吉野(吉弥)の眼の色気。全てを悟ったお梶は、楽屋奥へ入り
込み、やがて、自害する。それを知り、動揺する藤十郎は、嘯
く。「藝の人気が、女子一人の命などで傷つけられてよいもの
か」。千寿の手を引いて、舞台に向う藤十郎。

定式幕から祝幕へ。「口上」は、雀右衛門が取り仕切る。役者衆
が居並ぶ背後の襖は、藤の花と抽象化された花丸のデザイン。雀
右衛門の下手に並ぶ新坂田藤十郎は、野郎頭の鬘。雀右衛門の挨
拶の後、上手へ、梅玉、魁春(女形)、歌六、歌昇、時蔵、東
蔵、我當、幸四郎。下手から、吉右衛門、秀太郎(女形)、段四
郎、福助、壱太郎、扇雀、翫雀、虎之介、藤十郎の順番。

皆、形式的な挨拶が目立つ。梅玉は、鴈治郎時代の著書「一生青
春」を引き合いに出す。歌昇は、藤十郎の海外志向の情熱にあや
かりたい。我當は、「坂田藤十郎は、歌舞伎全体の大名跡」と強
調。幸四郎は、3日と15日で挨拶を変え、15日は、「新藤十
郎は、何代目ということを強調せず、(初代を引き継ぐのだとい
う)決意のほどが判ると持ち上げ、場内の笑いを誘っていた。吉
右衛門は、上方成駒屋(藤十郎は、成駒屋から山城屋へ屋号を変
更する)の一門の発展を強調。段四郎は、上方和事の始祖の復
活、歌舞伎の世界遺産指定など。福助は、3日は、芝翫病気休演
を陳謝、15日は、触れず。扇雀は、成駒屋から山城屋になった
父親が、遠い存在になった、名字も、裃の色も、屋号も変わっ
た。成駒屋から離れて、自由の身になって、うらやましい、多少
の嫉妬も感じる、さらに活躍して欲しいが、成駒屋もよろしく。
翫雀は、70歳を過ぎてから、襲名披露に踏み切るエネルギーに
感嘆、山城屋も成駒屋も、ますます、芸道精進する。最後に、藤
十郎は、231年ぶりの大名跡の復活を強調。扇雀の長男、虎之
介は、初舞台。

「伽羅先代萩」は、「伊達騒動」という史実のお家騒動をベース
に、安永6(1777)年4月、奈河亀輔原作の狂言が、大坂中
の芝居で上演され、翌安永7(1778)年7月、「伽羅先代
萩」の書き換えとして、桜田治助らの合作の狂言「伊達競阿国戯
場」が、江戸の中村座で上演され、それぞれ、評判をとったとい
うことで、両方の「いいとこどり」が、いまのような上演形態に
なっている。いろいろな場面の組み合わせが可能な、興行主や役
者にとっては、はなはだ、都合の良い狂言ということになる。
「みどり狂言」として上演しやすいので、良く上演される。従っ
て、私も、多数見ている。今回は、7回目の拝見となる。

今回は、「御殿」、「床下」だけだが、上方歌舞伎の演出なの
で、これまでとは、いろいろ違いがあるので、愉しみにしてい
る。「花水橋」(5)、「竹の間」(3)、「御殿」(7)、
「床下」(7)。このほか、「対決」「刃傷」まで、観る場合も
ある。「竹の間」(銀地の襖に竹林が描かれている)、「御殿」
(金地の襖に竹林と雀が描かれている。通称「まま炊き」)。
「床下」は、上方も、江戸も、あまり変わらない。違うのは、
「御殿」。

観ていて気が付いたのだが、鴈治郎型というか、これからは、藤
十郎型になるのか、その違いは、まず、御殿の大道具の作りが違
う。人形浄瑠璃の演出に忠実だという。上手に鶴千代の部屋が作
られている。八汐差し入れの毒饅頭を犠牲的精神で試食し、苦し
む千松(政岡の実子)を横目に、舞台中央下手寄りに立ち、鶴千
代を打ち掛けで庇護する代りに、鶴千代を上手の部屋に入れ、左
手を襖に、右手で懐剣を構え、若君を守護する。上手に居た栄御
前は、素早く居どころを舞台中央下手へ替る(贅言:上方歌舞伎
流の「けれん」という)。千松の喉に、八汐が懐剣を差し込み、
千松が苦しむときに、上手の柱に抱きつき(贅言:「抱き柱」と
いう)、殆ど動かず、無言で耐え忍び続け、悲しみ、苦しみを抑
えて、肚で演じるなど、江戸歌舞伎の演出と異なる場面がある。
「三千世界に子を持った親の心は皆ひとつ、・・・」などのクド
キも、従来より、息を詰めて言い、竹本の語りと三味線の糸に乗
り、テンポ良く、音楽劇を優先する演出を取る。従って、情の迸
りがない。藤十郎の政岡は、母性が弱い。だが、母性とは別に観
れば、まま炊きの場面では、米を研ぐ所作など、藤十郎は、体全
体で米を研ぐさまを演じていて、これは、これで、おもしろかっ
た。科白より、所作というのも、上方歌舞伎独特の演出なのだろ
うが、判りやすい演出だ。初舞台の虎之介は、声が良く通り、落
ち着いていて、大器の兆しあり、末頼もしく、拝見した。

しかし、私の印象では、「先代萩」は、やはり、「母の情愛」を
「政岡」役者が、どう演じたかが、ポイントだと思うので、上方
演出より、江戸演出の方が、好きだ。95年10月の歌舞伎座か
ら見始めた、政岡は、玉三郎、雀右衛門、福助、菊五郎、玉三
郎、菊五郎、藤十郎。つまり、玉三郎と菊五郎が、2回というこ
とで、5人の役者の政岡を観ていることになる。いちばん印象に
残るのは、1回しか観ていない雀右衛門で、次いで、玉三郎。例
えば、01年10月、歌舞伎座で、2回目の拝見となった玉三郎
の舞台。

「凄みがあったのは、玉三郎。前回、政岡初演の玉三郎だった
が、今回は、特に充実していた。6年間の蓄積が滲み出ている舞
台だ」。栄御前を廊下に送りに出た「玉三郎の眼の鋭さ。6年前
より、充実した玉三郎の演技の象徴は、このときの、この眼の鋭
さにあると感じた」。栄御前が向う揚幕ならぬ「襖」(この場
合、花道は、長い廊下なのである。だから、いつもの揚幕の代わ
りに花道の向うには、襖が取り付けられている)のなかに消える
と、玉三郎の政岡は、「途端に表情が崩れ、我が子・千松を殺さ
れた母の激情が迸る。誰もいなくなった奥殿には、千松の遺体が
横たわっている。堪えに堪えていた母の愛情が、政岡を突き動か
す名場面である。打ち掛けを千松の遺体に掛ける政岡。打ち掛け
を脱いだ後の、真っ赤な衣装は、我が子を救えなかった母親の血
の叫びを現しているのだろう。このあたりの歌舞伎の色彩感覚も
見事だ。『三千世界に子を持った親の心は皆ひとつ』という『く
どき』の名台詞に、『胴欲非道な母親がまたと一人あるものか』
と竹本が、追い掛け、畳み掛け、観客の涙を搾り取る」。

藤十郎の上方演出には、そういう激情の迸りがない。藤十郎に
とって、千松を演じた虎之介(母親にの、次男の扇雀の息子)
は、孫に当たるので、祖父と孫の感情を援用すれば、母性にも通
じる部分はあろうかと思うが、情愛が、細やかに、迸らない嫌い
がある。肚より、所作、科白で、明確にメッセージを送って来る
玉三郎の演技の方が、私は、好きだ。母親の情愛は、激情しか無
いであろうと思う。

この芝居で、もうひとりの主役は、憎まれ役の八汐である。政岡
で印象に残るのが、雀右衛門、玉三郎なら、八汐で印象に残るの
は、何といっても、仁左衛門。八汐は、性根から悪人という女性
で、最初は、正義面をしているが、だんだん、化けの皮を剥がさ
れて行くに従い、そういう不敵な本性を顕わして行くというプロ
セスを表現する演技が、できなければならない。それができたの
が、私が観た5人の八汐では、仁左衛門の演技であった。八汐
は、ある意味で、冷徹なテロリストである。そこの、性根を持た
ないと、八汐は演じられない。千松を刺し貫き、「お家を思う八
汐の忠義」と言い放つ八汐。因に、私が観た八汐:仁左衛門
(2)、團十郎(2)、勘九郎、段四郎、そして今回の梅玉。

梅玉の八汐は、冷酷というよりも、無表情。科白も唄っている。
仁左衛門の八汐とは、対極にあった。「憎まれ役」の凄みが、
徐々に出て来るのではなく、最初から、「悪役」になってしまっ
ていた。悪役と憎まれ役は、似ているようだが、違うだろう。悪
役は、善玉、悪玉と比較されるように、最初から悪役である。と
ころが、憎まれ役は、他者との関係のなかで、憎まれて「行く」
という、プロセスが、伝わらなければ、憎まれ役には、なれない
という宿命を持つ。そのあたりの違いが判らないと、憎まれ役
は、演じられない。これが、意外と判っていない。役者も役者だ
が、評論家も評論家だ。これは、まさに、「石切梶原」の世界で
は無いか。

典型的な悪役といえば、今回の「伽羅先代萩」では、「床下」後
半に出て来る仁木弾正の役どころであろう。そういう意味で、今
回の幸四郎の仁木弾正は、良かった。「床下」前半の、吉右衛門
の荒獅子男之助も、初役ながら、大らかで、大きく良かった。坂
田藤十郎の襲名披露興行という、231年ぶりの興行で無けれ
ば、実現しない顔ぶれだろう。歌舞伎は、こういうご馳走の見ど
ころがあるから、おもしろいのである。今回の「先代萩」は、実
は、「床下」こそ、最大の目玉演目だったのでは無いか。

「床下」に、ちょいちょいと出て来た播磨屋と高麗屋の兄弟が、
同時に一つの舞台に出ているというかなり珍しい見せ場こそ、注
目される。それぞれ、軸になる役者に成長したふたりは、同じ興
行の舞台で楽屋入りするものの、出し物は、それぞれを軸にした
ものになるため、同じ一つの舞台に立つことは、殆ど無い。吉右
衛門が、「取り逃がしたか。(柝の頭)残念や」見得、拍子幕。
幕引き付ける。幸四郎は、「むむははは」で、出端、見得、
「く」の字にそらした立ち姿。そのまま、花道を滑るように歩ん
で行く。幸四郎は、こういう役回りになると、実に、巧い。

「島の千歳・関三奴」は、前半、福助の「島の千歳」で、伝説の
白拍子千歳は、白拍子の元祖といわれる。長唄と立鼓(小鼓)
が、望月朴清。舞台の上下に松。背景は、海に出張った灯台の遠
景。せり上がりで、千歳(福助)登場。烏帽子、紫の水干を着
て、腰に太刀を佩いているという」男姿の白拍子。まず、男舞、
次いで、娘に戻って、本格的に舞う。

暗転、太鼓で「繋ぎ」。次いで、「関三奴」。こちらは、四拍子
と長唄。黒の市松模様の衣装をベースに橋之助の奴。緑の市松模
様の衣装ををベースに染五郎の奴。橋之助は、赤っ面に黒の毛槍
を持つ。染五郎は、白塗で、白い毛槍を持つ。

背景は、下手が蔵屋敷、中央に城(江戸城)、上手に関所。江戸
は、日本橋の風情。橋之助は、赤地に成駒屋の紋を染め抜いた衣
装。染五郎は、高麗屋の紋を染め抜いている。

いずれにせよ、231年ぶり、大名跡のカーニバルは、終った。
私の劇評が、きょう、掲載されたが、歌舞伎座の舞台は、26日
で終ってしまった。鴈治郎から藤十郎へ替って良かったのかどう
か。鴈治郎の延長線上に築かれる上方歌舞伎と231年ぶりに復
活したものの、大勢の観客には、坂田藤十郎より、長年親しんだ
鴈治郎の名前の方に親しみを感じる人も多いだろう。京都南座
は、満席になったようだが、歌舞伎座は、最後まで、満席にはな
らなかった。東京の歌舞伎ファンは、冷静だ。「鴈治郎から藤十
郎へ」。その成否の結論を出すのは、実は、藤十郎自身だという
ことを藤十郎は、忘れずに、後、何年もかけて、21世紀の「初
代」藤十郎を目指して、芸道精進して、私たちの眼を楽しませて
欲しいと、思う。
- 2006年1月29日(日) 20:46:12
2006年1月・歌舞伎座 (昼/「鶴寿千歳」「夕霧名残の正
月」「奥州安達原」「万才」「曾根崎心中」)

江戸時代の上方歌舞伎の和事の創始者・坂田藤十郎の第名跡が、
231年ぶりに復活し、年末の京都南座の襲名披露興行に続い
て、歌舞伎座でも、披露された。今回は、中村鴈治郎改め、四代
目坂田藤十郎襲名披露の出し物にポイントを起きながら劇評をま
とめたい。

「鶴寿千歳」は、1928(昭和3)年の初演。昭和天皇即位の
大礼を記念して作られた箏曲の舞踊。歌舞伎の舞台では、珍しく
女性が、板に乗る(上手が、箏曲、下手が、四拍子という布
陣)。舞台は、甲州鶴峠(実際にある峠かどうか、私は、不詳)
の想定。デザイン化された松の巨木が舞台中央にある。雄鶴(梅
玉)と雌鶴(時蔵)が、競り上がって来るのは、松の上の空。紅
白の袴の番の鶴が、舞遊ぶ。やがて、松が描かれた幕が上がる
と、富士山の幕に替る。その変化で、番の鶴が、さらに、上空の
高みに舞い上がり、富士山を下に見ながら、舞っている様子が、
伺える。

幕間に披露された祝幕は、祇園祭の山鉾巡航の遠景。坂田藤十郎
の家紋が中央に大きく描かれている。上手に「のし」の字、下手
に坂田藤十郎丈江。

「夕霧名残の正月」は、新坂田藤十郎が、力を入れて東京の歌舞
伎の観客にぶつけて来た出し物と見た。初代坂田藤十郎が、生涯
で18回も演じたという「夕霧名残の正月」は、最近では、05
年12月の京都南座の舞台が最初ということで、今回が、2回
目。通称「吉田屋」の「廓文章」は、私でさえ、4回観ているほ
どだが、このうち、3回は、いずれも、仁左衛門の伊左衛門。外
題も、「夕霧伊左衛門廓文章 吉田屋」だった。残る1回は、鴈
治郎で、こちらの外題は、「玩辞楼十二曲の内」と銘打たれた
「廓文章 吉田屋」。鴈治郎の家の藝としての「吉田屋」という
位置付けだ。松嶋屋型の伊左衛門と鴈治郎の成駒屋型の伊左衛門
は、大分違う(その辺りは、この「遠眼鏡戯場観察」でも、以前
に触れたので、ここでは繰り返さない)が、「吉田屋」では、生
身の、つまり生きている夕霧と伊左衛門のからみ合いが、「痴話
口舌」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の能天気さが売り
物の、明るく、おめでたい和事という特徴は、変わらない。

ところが、「夕霧名残の正月」では、伊左衛門が訪ねて来たと
き、夕霧は、すでに亡くなっているという想定だ。1678(延
宝6)年2月に大坂で初演されたとき、夕霧は、正月に亡くなっ
ていて、それを偲んで作られた作品だという。詳細は不明なが
ら、坂田藤十郎の伊左衛門で演じられ、大入ととったことから、
夕霧の年忌が来る度に「夕霧○年忌」と銘打たれ、上演されたと
いう。それが、近松門左衛門の手で「夕霧阿波鳴渡」が書かれ、
さらに、後の作者不詳の「廓文章」に磨き上げられて行ったとい
う。初演の台本が無いということで、今回は、地唄の「由縁の
月」などを元に新たに書き下ろされた。元禄期の芝居小屋の舞台
が、花道付きで、本舞台のなかに作られるという入れ子構造。破
風の下に舞台があり、それに続く、下手に鶉桟敷、上手に清元の
山台。小屋の舞台の上手に「夕霧名残の正月」という外題看板。
下手に「坂田藤十郎相勤申枡」とある。坂田藤十郎の家紋が染め
抜かれた向う揚幕から、新藤十郎の伊左衛門が、花道に出て来
る。本物の紙衣(かみこ)衣装(青地の衣装の左肩の辺りに
「月」の文字。裾に、萩の花に薄)を着ている。劇中劇の舞台上
手には、藤の花をあしらった豪華な打ち掛けが衣桁に掛ってい
る。伊左衛門は、やがて、劇中劇の芝居小屋の舞台から、本舞台
に降り、花道へ近付く。舞台上手から姿を現した太鼓持の鶴七
(進之介)に夕霧が死んだこと、きょうが、四十九日であること
を初めて知らされる伊左衛門。再び、芝居小屋の舞台に戻り、寝
込む伊左衛門。

伊左衛門の夢のなかに現われるように、衣桁の打ち掛けの後ろに
夕霧(雀右衛門)が現われ、久しぶりの逢瀬を楽しむように、ふ
たりとも藤色の打ち掛けのなかへ入り込む。夕霧が纏っているク
リーム色の打ち掛けを脱がせるようにしながら、互いに手を握り
あい、ふたり揃って、本舞台に降りて来る。立ち姿の夕霧、座り
込む伊左衛門。夕霧の左手を袂に抱え込む伊左衛門。廻り込ん
で、夕霧の右手を繋ぐ伊左衛門。向き合い両手を繋ぐふたり。
廻って、後ろから夕霧を抱く伊左衛門。打ち掛けを左手で持ちな
がら夕霧の背を抱く伊左衛門。脱ぎかかった打ち掛けを巧く使い
ながら、ふたりの官能の舞が続く。私の眼には、いつのまにか、
打ち掛けを間に挟んで、夕霧の青白く光り輝くような裸身が見え
てくる。若い女性の亡霊の裸身が舞遊ぶ濃厚なエロスの場面。本
舞台から芝居小屋の舞台に上がるふたり。ひとり打ち掛けを持
ち、名残惜しそうな夕霧。伊左衛門は、再び、舞台で寝る。夢の
なかに戻され、やがて、打ち掛けを引きづりながら、衣桁の打ち
掛けの後ろに消えて行く夕霧。エロスからタナトスへ。雀右衛門
の夕霧が、良い。85歳の役者は、見事に薄幸の若い女性(にょ
しょう)の裸身さえ感じさせる演技をした。素晴しい充実の官能
劇であった。藤十郎は、持ち前の愛嬌を滲ませながら、伊左衛門
を演じる。「吉田屋」とは、一味も、ふた味も違う夕霧伊左衛門
の誕生である。

10人の仲居たちが出て来る。夕霧を抱えていた扇屋の主人(我
當)と女房(秀太郎)も出て来る。「吉田屋」でも演じ、「扇
屋」でも演じる我當、秀太郎の夫婦役は、上方味あり、人情あり
で、いつ観ても、何回観ても、味があり、好ましい。ふたりか
ら、訳を聴かされる伊左衛門。「そんなら、いまのは夢であった
か」と藤十郎が言えば、秀太郎は、「夢でもめでたい。めでたい
襲名披露があった」と巧みに繋ぎ、劇中「口上」へ。

74歳を過ぎた藤十郎は、「私は、まだ、若い。上方歌舞伎の隆
盛のために尽したい」と熱っぽい口上を言う。すかさず、「山城
屋」と藤十郎の屋号の声が掛る。我當は、藤十郎の本物の紙衣を
紹介し、文化遺産としての歌舞伎を強調した。秀太郎は、上方歌
舞伎の隆盛を再度強調した上で、居並ぶ10人の女形の「若衆
も、上方の役者」だと紹介し、観客席から拍手を浴びていた。
30分ほどの演目だが、実に、濃厚な舞台であった。拍手のうち
に、再び、祝幕が引かれる。

「奥州安達原」は、3回目。「奥州安達原」のうち、よく上演さ
れるのは、三段目「環宮明御殿の場」、通称「袖萩祭文」で、こ
れは、猿之助主演で、99年12月、歌舞伎座で拝見。01年1
月には、国立劇場で、「奥州外ヶ浜の場」、「善知鳥文治住家の
場」、「環宮明御殿の場」を通しで観た。吉右衛門の主演であっ
た。通しで観ると、良く判るのだが、平安時代末期に奥州に、も
うひとつの国をつくっていた阿倍一族の物語。「西の国・日本」
から見れば、「俘囚の反乱」で、日本史では「前九年の役」と呼
ばれた史実を下敷きにしながら、そこは荒唐無稽が売り物の人形
浄瑠璃の世界。史実よりも半二ら作者の感性の赴くまま、換骨奪
胎に自由に作り上げられる「物語の世界」。

さて、通称「袖萩祭文」、「環宮明御殿の場」。原作者近松半二
の舞台らしさが出てくる。上手、下手の舞台が対照的に作られて
いる。下手は「白の世界」、女の世界上手は「黒の世界」、男の
世界。下手は、白い雪布と雪の世界(贅言:舞台天井の葡萄棚か
ら落される四角い紙の雪片は、真直ぐには、落ちて来ないで、複
雑な動きをしながら、さまざまなコースを通って、落ちて来る様
が、おもしろい。舞台と天井の隙間に張り巡らされる黒い「一文
字幕」には、雪片が、くっついている。宙で停まった雪片という
シュールな世界も現出する)。上手は、上方風の黒い屋体(黒い
柱、黒い手すり、黒い階段)。福助初演の袖萩は、花道から本舞
台に上がっても下手の木戸の外だけで終始演技をする。前半は、
袖萩の世界。初演の福助も良いが、娘のお君を演じる山口千春も
好演。袖萩の悲劇的な要素を、増幅するのが娘のお君。袖萩の祭
文の語りとお君の踊り、さらに霏々と降り続く雪が、愁嘆場の悲
しみを盛り上げる。ここも、「お涙頂戴」の見せ場。白い雪の世
界は、悲劇の女性の世界。雪衣も、こちらだけ登場する。上手木
戸のうちには黒衣と言う、対照的な演出(但し、後半、吉右衛門
演じる安倍貞任が、上手から下手へ出張ってきたときは、黒衣も
付いて来たから、厳密では無いらしい)。

普通は、袖萩が自害した後、安倍貞任登場となるので、ここは、
ふた役の役どころ。今回は、妻・袖萩の福助と夫・貞任の吉右衛
門が、同時に舞台にいるという珍しい場面もある。ふた役を別々
に演じたことで、前半の女の愁嘆場と後半の男たちの対決の場の
メリハリが、いちだんとくっきりした(前回の国立劇場の舞台で
は、吉右衛門の袖萩を観たが、三味線も含めて、袖萩の演技は、
先の猿之助の方が上だった)。

後半、中納言、実は貞任(吉右衛門)は、今度は舞台中央から上
手で「黒の世界」、「男の世界」を貞任への「ぶっかえり」(衣
装も黒=中納言から白=貞任、再び黒=中納言へと変化する)
や、左手片手だけで刀を抜くことも含めて、武張って演じてい
た。歌昇の弟・宗任(贅言:上手から最初に登場したときは、太
い縄で縛られている。その縄を舞台中央上手寄りに据えられてい
た石の手水の角で擦り切る。歌舞伎は、舞台に置かれた大道具
も、必ず、何かの役割を与えられている)も加わり、染五郎の八
幡太郎義家と対決する。雄壮な場面は、豊かで、大らかで、時代
物の丸本歌舞伎の醍醐味が、いかんなく発揮される。吉右衛門の
演技は、スケールが大きく、独特の味わいがある。

「白の世界」と「黒の世界」を結ぶのが、袖萩の父母、直方(段
四郎)と 浜夕(吉之丞)のふたり。特に、吉之丞の浜夕は、2回
目だが、母の情愛が濃く出ていて、当たり役だろう。私のすきな
芝のぶが、腰元弥生で出演、袖萩に意地悪をしていた(贅言:腰
元たちが、座り込む場面では、皆、底の厚い草履を履いたまま、
座り込んでいた)。

「万才」は、福助、扇雀のコンビ。「花競四季寿」で、四季を表
す四変化の景事(所作事)。冬の「鷺娘」が良く演じられるが、
春の万才は、珍しい。私も、当然、初見。それもその筈、歌舞伎
では、戦後では、今回が初演(人形浄瑠璃や舞踊会では、上演さ
れるという)。初春を言祝ぎ、商売繁昌を願う。一本の木に紅白
の梅が花を付けている。上手は、柳、下手は、竹、松の若木で、
松竹梅。冬の鷺娘が、巡り巡って、春の白梅に変化か。

「曾根崎心中」99年4月、歌舞伎座。2回目の拝見だが、サイ
トの劇評は、初登場。「曾根崎心中」は、近松門左衛門の原作を
宇野信夫が戦後に脚色したもの。21歳の二代目扇雀が初演。扇
雀から鴈治郎、そして、坂田藤十郎として、今回は、演じる。
50年以上も演じ続け、いまなお、新たな工夫魂胆の気持ちを持
ち続けている藤十郎の舞台を愉しみにして座席に座った。今回
は、2階の東桟敷席。じっくり拝見した。

「生玉神社境内」、「北新地天満屋」、「曾根崎の森」の死の道
行きをスポットライト、暗転、廻り舞台という歌舞伎らしからぬ
新演出で見せる。生玉神社境内では、縁談を断ったという徳兵衛
(翫雀)の話を聴いて、無邪気に手を叩くという、21世紀の若
い女性のような行動を取るお初。気持ちを素直に外に表す女性な
のだろう。藤十郎の「お初」は、年齢を感じさせない初々しさ
で、藤十郎にとって、お初は、永遠に「今」を生き続ける若い女
性なのだろう。外見は、そのように演じてもいない雀右衛門の夕
霧が、裸身で見えたように、藤十郎のお初も、時空を超えた永遠
の娘として見えて来た。80歳、70歳を超えても、尽きぬ工夫
魂胆は、まさに、藝の力。

翫雀の徳兵衛も、熱演。本興行で、父親を相手に15回も演じて
来た積み重ねの実力が滲み出る。気は良いが、弱い男を過不足な
く演じる。天満屋の縁の下に隠れ、お初と死の道行きの覚悟を確
かめあう名場面(「独語になぞらえて足で問へば打ちうなづき、
足首とって咽喉笛撫で自害するぞと知らせける」)を含め、父子
の息は、ぴったりで、叮嚀に練り上げるように舞台は進んだ。
「わしも、いっしょに、死ぬるぞなあ」、藤十郎のお初の眼が光
る。新演出も、歌舞伎に不調和にならず、歌舞伎の近松劇という
ベースと現代劇の不幸な恋愛劇が、バランスを崩さない。

上方歌舞伎の面白さは、演技、演出、科白回しのほかにも、あ
る。例えば、大道具。江戸歌舞伎の大道具と違うことが、多く、
それを発見するのも、上方歌舞伎の愉しみ。2階の拵えなどは、
良く言われるが、今回は、天満屋の玄関の作り。天満屋は、店を
開いているときは、玄関には、大きな暖簾が掛っているだけで、
戸がない。北新地の遊女屋は、お客が入りやすくなければ商売に
ならない。見ていると玄関の内側、暖簾の上の空間に格子戸2枚
が収納されている。どういう仕掛けになっているのかと思って、
密かに劇の進行を見守っていると、夜になり、店を閉めるとき
に、暖簾を仕舞い込んだ下女(こういう言葉も、歌舞伎ならでは
で、いまでは、死語だ)のお玉(寿治郎)は、収納されていた格
子戸を引きずり下ろして、戸締まりをした。

店の灯も消され、店先の座敷に煎餅蒲団を敷き、寝入る下女の寿
治郎は、眼もくりっとしていて、愛嬌者。いろいろ笑わせる。悲
劇の前の笑劇で、歌舞伎の定式の演出。だんまりもどきの動き
で、天満屋室内の闇を抜け出した徳兵衛とお初。花道七三で、戦
後の歌舞伎に衝撃を与えた、お初、徳兵衛の居処替り。お初が、
積極的に先行して死にに行く、道行きの新鮮さ。

残された天満屋では、徳兵衛を窮地に陥れた油屋九平次(橋之
助)の悪だくみが、平野屋の主人で伯父の久右衛門(我當)に
よって、暴かれ、名誉回復する徳兵衛だが、それを本人に伝える
すべが無い。

暗転。舞台は、廻る。「曾根崎の森の場」。「此の世の名残り夜
も名残り、死ににゆく身をたとふれば、仇しが原の道の霜、一足
づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ」。以下、舞踊劇。言
葉より動き。所作の豊かさは、藤十郎は、歌舞伎界でも一、二を
争う。「あーー」という美声が、哀切さを観客の胸に沁み込ませ
る。お初の表情には、死の恐怖は、ひとかけらも無い。夕霧と伊
左衛門が、「夢の官能」なら、お初徳兵衛は、「死の官能」だろ
う。お初は、セックスをしているような喜悦の表情になってい
る。そこにいるのは、お初その人であって、それを演じる坂田藤
十郎もいなければ、林宏太郎もいなければ、ひとりの男もいな
い。死ぬことで、時空を超えて、永遠に生きる若い女性のお初が
いるばかりだ。藤十郎定番の「曽根崎心中」は、さらなる完成を
目指して、今後も演じられて行くだろう。死に行く悲劇が、永遠
の喜悦という、清清しさがを残して、いま、幕を下ろす。
- 2006年1月29日(日) 11:17:05
2006年1月・国立劇場 (「曽我梅菊念力弦」)

南北劇の・愉しみ方・

鶴谷南北の芝居は、ストーリーが複雑で、猥雑だから、合理的な
ストーリー展開を期待してはいけない。場面場面の精彩さを重視
し、瞬間瞬間の愉しみを見つけると、数倍おもしろく見えて来
る。168年ぶりに復活上演された「曽我梅菊念力弦(そがきょ
うだいおもいのはりゆみ)」も、そうだ。

まず、大筋を把握しておこう。1818(文政元)年に初演され
た「曽我梅菊念力弦」は、外題に曽我とあるように、父親を殺さ
れた曽我五郎十郎の工藤祐経へ仇討の話を入れ子にしているの
で、「曽我もの」独特の「対面」の場面を設定している。だが、
主軸は、千葉家の家中、稲野谷家の美人姉妹おその、おはんが、
盗まれた家宝(宝刀「天国(あまくに)」)を探し、お家再興を
めざすという話だ。また、姉のおそのは、副筋として、「おその
六三」(八重霞の世界)という芝居を下敷きにし、曽我家の家老
の鬼王新左衛門の弟・団三郎(どうざぶろう)こと、大工の六三
郎に助けられたのをきっかけに性的関係を結ぶようになり、芸者
になったものの、腕に「六三郎女房」と墨を入れるようになる。
一方、妹のおはんは、通称「帯屋」の「お半長右衛門」という芝
居を下敷きにした副筋で、婚家の石部屋で迎えた初夜に婿に飽き
足らず、逃げ出したところ、帯屋長右衛門になりすまして盗みに
入った盗賊の新藤徳次郎に一目惚れしてしまう(「いい女だな
あ」「いい男だなあ」で、ふたりそろって、2階へ上がって行く
という手軽さ)。いずれも、ふたつの芝居の世界をくっつけて、
芝居の時空を大きくしているが、「曽我もの」「おその六三」
「お半長右衛門」という、3つの世界を綯い交ぜにするという台
本構成の手法を取っているからに過ぎない。

南北は、こういう綯い交ぜ構成の芝居にして、味付けをする。筋
を膨らませ、複雑にし、上演時間を長時間に引き延ばす。しか
し、要するに、美人姉妹のおその、おはんは、要するに、いずれ
も尻軽女であり、色模様で、大衆の観客を喜ばすために、美貌滴
る菊之助が、ふた役で、演じる。また、菊五郎も、六三郎、徳次
郎のふた役で、美女を相手に良い思いをする。それは、観客の良
い思いを代行する、いわば、サービスというわけだろう。それ
が、主軸となる役者のふた役となる。特に、菊五郎演じる立役
は、善悪の対比の妙が売り物になる。ここで、忘れてはならない
のが、おその、おはんの母親を演じる役者の存在だ。薬味の役
割。今回は、田之助が、貴重な味わいを添えている。もうひとり
のキーマンは、実は、盗賊・新藤徳次郎一味の梶野長兵衛の養
女・おきぬである。おきぬは、五幕目、六幕目の登場ということ
で、芝居の後半にしか出て来ないのだが、目の不自由な女義太夫
で、大工の六三郎の妻という立場でありながら、奪われた千葉家
の御用金を拾ったり、おはんを助けたり、拾った御用金で、おそ
のを身請けしたり、宝刀を返したりで、皆の宿願を叶える「お助
けウーマン」の役所を演じる。これを今回は、芝雀が、地味なが
ら、きっちりと演じていた。

だが、南北劇の魅力は、複雑な筋立てをほぐしてみても見えては
こない。むしろ、そういう複雑な筋だけは、極力忘却し、荒唐無
稽を愉しみ、場面場面を愉しみ、エピソードを愉しみしていれば
良いのだと、思う。まず、場面では、江戸の風俗を楽しもう。序
幕・第一場「鎌倉雪の下年越の場」では、珍しい八幡宮の普請場
の年越しの風情。おそのが、年越しを迎える人々が行き交う普請
場前で、物乞いをしている。夜鷹のお花、おいろ、夜鷹を束ねる
妓夫は、何と美男で知られる梶原源太のなれの果て。おそのを助
ける六三郎も、おそのにその気が有りと見れば、早速番小屋へ連
れ込み、性的関係をつけるという手の早さ。何故か、下帯一つ
で、うろうろしているのが、しっかいの荒七と太平楽の平という
若者。

続く第二場「鶴が岡八幡宮境内の場」では、「仮名手本忠臣蔵」
大序そっくりの場面を楽しむ。三幕目「鴫立沢対面の場」では、
いつもの「対面」とは、一味違う、草庵(別荘)での五郎(松
緑)と祐経(富十郎)の対面が、展開する。「ありがたなすびの
初夢じゃわいなあ」は、小林妹舞鶴(萬次郎)。

しかし、圧巻は、何といっても、南北お得意の江戸庶民の風俗を
活写する場面だ。四幕目「深川仲町洗湯(せんとう)の場」の風
呂屋。下手に風呂屋入り口、番台があり、洗場番頭平助(三津之
助)がいる。番台から男用の脱衣所、格子越しに、後ろは、女用
の脱衣所、手前は、男用の洗い場、いさみ於左吉、所化常念(三
津右衛門)、流し三助らが、下帯一つ。上手は、柘榴口。鳥居の
ような形をしている。鳥居下の低いところを潜るようにして湯舟
に入りに行く。鳥居の隙間に当たるところに、白と薄紅色の牡
丹、波の絵が描いてある。男女の脱衣所には、それぞれ、多数の
広告の貼紙。「せんきの妙薬」という薬の広告。寄席の広告は、
例えば、「柳橋(いせ本)」「圓朝(むさしの)」「志ん生(柳
亭)」「左楽(いせ本)」などが、目立つ。やがて、お姫さまの
一行が、なぜか、番台の番頭の制止を振り切って、男湯に強引に
入って来て、着物を脱ぎ出す。制止する番頭に、着物の胸を拡げ
ながら、「どこをみているのよ」と毒づく。着物を脱ぐと下帯一
つになり、女形の鬘を脱ぎ出す。下からは、野郎頭が覗く。宮地
芝居の女形役者たちが、風呂に入りに来ただけと判る。床の間稼
ぎの盗人・山姥の権九郎(信二郎)らも、暗躍。被害にあうの
が、おそのを追い掛けて風呂屋まで入って来た千葉家の家臣堤幸
左衛門(亀蔵)。下帯に二本差しという情けない格好にさせら
れ、場内の笑いを誘う。風呂屋に頼まれて大工仕事に来た六三郎
(菊五郎)とおその(菊之助)の再会。おそのを挟んで六三郎と
幸左衛門が、対立。

五幕目第一場「両国広小路の場」の見せ物小屋では、木戸番が、
梶野長兵衛(團蔵)。舞台中央の見せ物小屋には、「ろくろ
(首)」「へび娘 因果娘」の看板。上手は、娘義太夫の小屋。
「豊竹鶴蝶」「野沢勝代」など6枚の看板が、掛っている。下手
は、「鍼の宗庵」の看板を掲げた小屋掛け。「足力もみ療治」と
書いてある。蛇娘おそで(京妙)は、向う揚幕から花道に出てく
るが、本舞台に上がらず、途中から引き返してしまう。魚屋は、
町抱えの七郎助(松緑)という。犬喰らい百。そして、ぬすっと
山姥の権九郎が、盗んだ金を逃げる間際に魚の口に押し込むが、
金を呑み込んだままの魚が野良犬に盗まれるというドタバタが続
く。見せ物小屋のある繁華街の猥雑さが、見ものである。

五幕目第二場「松坂町長兵衛内の場」や六幕目「深川大工町六三
郎内の場」という庶民の家庭は、生き生きとして庶民の生活力が
窺われる。大詰「万年橋初午祭の場」は、菊五郎劇団お得意の大
立ち回り。「柾木稲荷」「正一位稲荷大明神」の幟。藤棚を上
がったり降りたりしながら展開する。ヨキコト菊の紋が描かれた
揃いの雨傘。傘が形づくる富士の山。ウオッチングの成果が楽し
みになる。メモを元に再現してみた次第。

風呂屋の場面、普請場の前など、エロスのくすぐり。つまり、男
たちの裸の場面が意外と多いのである。風呂屋では、婆さんが、
しなびた胸乳を見せる始末。宮地芝居の女形たちの脱衣のくすぐ
り。エロ・グロ・ナンセンスは、南北も得意だったようだ。

先行作品の下敷きを見抜く。序幕第一場「鎌倉雪の下年越の場」
の最後は、「そのうち、江戸で逢いましょう」は、「御存知鈴ヶ
森」の科白。第二場「鶴ヶ岡八幡宮境内の場」は、既に触れたよ
うに「仮名手本忠臣蔵」の大序そっくり。綯い交ぜ狂言の仕組み
は、既に触れた。曽我ものの名場面「対面」のひねりの効いた趣
向。世話と時代のせめぎ合いも、南北自家薬籠中のもの。探して
みましょう。先行作品。ジクソーパズルのピースを見つけるよう
な愉しみがある。これも、南北劇の愉しみ方だ。
- 2006年1月25日(水) 22:12:16
2005年12月・歌舞伎座 (夜/「恋女房染分手綱〜重の井
〜」「杵勝三伝の内 船弁慶」「松浦の太鼓」)

夜の部は、昼の部の「盲目物語」のような臍がない感じ。意欲作
は、「杵勝三伝の内」という角書がある「船弁慶」だろうが、
ちょっと、高踏趣味の気がある。昼の部ほど、力が入らないが、
まあ、こちらも、上演順で、劇評掲載。

「恋女房染分手綱〜重の井〜」は、4回目。由留木家御殿は、金
地に花丸の襖、金地に花車の衝立というきらびやかさ。そこで、
子別れの悲劇が進行する。

私が観た主な役者たち。
重の井:雀右衛門、鴈治郎時代の藤十郎、芝翫、そして今回の福
助。この芝居の、重の井役のポイントは、実子と名乗りあえずに
別れる母の哀しみが、表現できるかどうかである。役者の持ち味
の違いで、同じ重の井を演じても、「母と女房の間」で演技が、
ぶれてくる。私の区分けすれば、母の愛を直接的に表現できるの
は、やはり、雀右衛門。「母」を演じていても、どこかに「女
房」の色を残す芝翫。その中間で演じる鴈治郎、今回の福助は、
父親の芝翫に近いという印象が残った。弥三右衛門:弥十郎(今
回含め、2)、左團次、坂東吉弥。三吉:竹松(萬治郎の息
子)、壱(かず)太郎(翫雀の息子)、国生(橋之助の息子)、
今回は、児太郎(福助の息子)。

4回目なので、テキスト論より、役者論。それも、今回は、子役
論から、始めたい。子役屈指の大役が自然薯(じねんじょ)の三
吉。それを今回は、福助の息子、児太郎が演じる。前回、04年
9月の歌舞伎座では、橋之助の長男・国生が演じた。神谷町一家
の従兄弟同士の児太郎の舞台を2階席の奥で、橋之助家の3兄弟
とおぼしき(初日であり、空席で、お付の人と一緒に観ていた3
兄弟は、国生以下の3人だろうと推定した。長男は、最後まで、
熱心に舞台を観ていたが、下のふたりの弟は、途中で、寝てし
まった)子どもらが、舞台を観ていた。

前回の国生も、落ち着いていて、舞台度胸があったが、今回の児
太郎もなかなかよろしい。ときどき、福助そっくりの表情が浮か
び上がる。特に、眼が似ているように思う。口跡も良いし、元気
で、演技のメリハリもある。小学6年生で、子役としては、最後
の出番か。変声期を経て、どういう青年役者に成長してくるか、
再会が、楽しみ。

その父親の福助の方は、どうかというと、声が高すぎる。昼の部
の「弁慶上使」といい、この「重の井」といい、竹本の糸に乗っ
た場面が多いので、その辺りは、福助は巧いが、母親の情愛の表
出が、弱い。子への思いが、弱いのだろう。弥十郎は、赤い裃姿
で、通称「赤爺(あかじじい)」、剽軽な弥三右衛門を演じてい
るが、左團次、坂東吉弥には、まだ、負けている。特に、今は亡
き吉弥の飄々とした味が懐かしい。腰元若菜に初役の七之助。近
習吉田文吾左に亀三郎、同じく源吾左に亀寿。

贅言:(ここは、初めてこのサイトの劇評を読む人のためのメ
モ)
この芝居のテーマは、封建時代の「家」というものの持つ不条理
が、同年の幼い少年少女たちへ受難を強いるということだろう。
由留木家息女として生まれたばかりに東国の入間家へ嫁に行かな
ければならない調(しらべ)姫には、家同士で決めた結婚という
重圧がある。だから、東国へ旅立つのは、「いやじゃ、いや
じゃ」という。それゆえに、「いやじゃ姫」と渾名される。一
方、自然薯の三吉という幼い馬子は、実は、由留木家の奥家老の
子息・伊達与作と重の井との間にできた子だが、不義の咎を受け
て、父・与作は追放される。母・重の井は、実父の命に替えて嘆
願で、調姫の乳母になったという次第。乳兄弟のはずだが、姫の
乳兄弟に馬子がいるということが知れては大変と三吉は、母との
別れを強いられるという重圧がある。

封建時代に作られた歌舞伎の演目には、こういう悲劇が多いが、
それは、我が身に比べて芝居の登場人物たちは、もっと、過酷な
人生を送っていると、思うことで、自分の背負っている人生の重
圧を、少しでも、軽くしようという思いがあるのを作者たちが、
充分に知り抜いていて、血涙を絞ろうと企てるからだろう。

元々は、近松門左衛門原作の「丹波与作待夜の小室節」という時
代浄瑠璃だが、後に、三好松洛らが改作して、「恋女房染分手
綱」にしたというが、十段目の「重の井子別れ」は、筋立ては、
近松の原作と殆ど変わっていないという。但し、近松は、この場
面の舞台を旅の途中の「水口宿の本陣」としていたが、松洛ら
は、旅立つ前の「由留木家御殿」としたという。

その結果、御殿表の舞台で、三吉と重の井の子別れの愁嘆場が繰
り広げられているのと同時に、御殿奥では、調姫と実母の子別れ
も進行しているという。御殿の表と奥で演じられる「二重の子別
れ」こそ、封建時代の諸制度の不条理への批判が浮かび上がると
いう説がある。

しかし、私は、そういう封建時代に限定されるテーマを読み取る
見方よりも、時代を越えて、子どもたちに襲い掛かる大人社会の
勝手に拠る重圧という、先に述べた見方の方が、より普遍的であ
り、未来永劫、いつの時代にも通用するテーマとして、この芝居
を取り扱った方が、良いと思っている。五代目の歌右衛門以来、
成駒屋の家の芸になっている演目。

玉三郎が、静御前と知盛の霊を二役で演じる「船弁慶」は、いつ
もの演出とは違う。より能の形式を重んじた杵屋勝三郎のものを
ベースに、藤間勘吉郎の振り付けで、新演出を工夫したという。
「杵勝三伝の内」という角書が付く。いわば、もうひとつの「船
弁慶」。

歌舞伎座の大舞台には、大きな破風を吊した大屋根の能舞台の
体。舞台中央奥鏡板には、「松羽目物」の定番、根付きの老松の
巨木、上手袖のみ、竹4本と若竹1本。下手袖には、なにもな
し。定式の下手袖の五色の揚幕、上手袖の臆病口も、いずれもな
し。シンプルな舞台。

玉三郎は、舞台を縦横に動き回るものの、所作の少ない抑制的な
「静」の静御前と豪快な所作が目立つ荒ぶる亡霊・平知盛の対比
に重きを置いて演じ分けたように見受けられた。能という原点へ
のこだわりを見せた意欲的な舞台であった。

従来の「船弁慶」は、六代目菊五郎演出以来、その形が定着して
いる。松羽目ものだから、「能」の味をベースにしながら、歌舞
伎の味付けをしている。ところが、今回の玉三郎は、新歌舞伎十
八番を制定した九代目團十郎以前、より元の能の「船弁慶」に近
付けた。弁慶は、段治郎代役の弥十郎、船頭が、従来の船長・船
人グループより重要視されて、勘三郎、義経は、薪車。

前回、02年、11月の歌舞伎座は、富十郎が、一世一代で演じ
る「船弁慶」であっただけに、ほかの顔ぶれも豪華で、弁慶が吉
右衛門、義経が、鴈治郎時代の藤十郎、今回の船頭に当たる舟長
が、仁左衛門(船人は、左團次、東蔵)だったのだが、今回との
比較はしない。

弁慶(弥十郎)は、揚幕がないので、花道から登場して、義経一
行の都落ちを語る。従者を連れた義経も同様花道から登場する。
前半は、弁慶の進言で、義経は、静を都へ帰すことにする。舟に
乗せてもらえずに、都へ戻ることになって、夫・義経との別れを
惜しむ静御前。本心は、別れたくない。静は、赤を基調に4種の
花をあしらった唐織りの衣装で白拍子らしさを強調する。静の持
つ金地に花車の扇子が、豪華だ。静は、中国戦国時代の故事を詠
んだ舞を舞い、義経の名誉挽回を祈願する。ゆっくり、抑制的な
舞。前屈みになり、頭に載せていた烏帽子が落ちる。後ろ向きの
船頭は、勘三郎。船頭は、シンプルな舟を象った大道具を持って
出て来る。これが、後に、亡霊と義経一行を分かつ結界となる。
歌舞伎とは、違う演出だ。花道から退場する静。見送る義経一
行。

やがて、後半、花道七三のすっぽんからせり上がる知盛の霊。金
地の兜をつけ、金地の薙刀を持っている。銀箔の地に金の稲妻と
龍の紋様の衣装。黒の毛熊。「波乗り」という独特の摺り足を
使って、海上を滑るようにして、舟に近付く。「そ の と き 
よ し つ ね す こ し も あ わ て ず」と、長唄
は、一字一字区切るような節で唄う。刀で亡霊と渡り合う義経。
刀では、亡霊に勝てないと諌める弁慶。数珠を揉んで祈る弁慶。
押し戻される知盛の亡霊。

「松浦の太鼓」は、4回目の拝見。「年の瀬や水の流れと人の身
は」という上の句に「明日待たるるその宝船」という下の句をつ
けた謎を解く話。「忠臣蔵外伝」のひとつ。判りやすい笑劇であ
る。

雪の町遠見のかかった大川、両国橋の袂。前回、3年前、02年
11月の歌舞伎座の舞台では、「二月十五日 常楽会 回向院」
「十二月廿日 千部 長泉寺」という立て札2枚が、立っていた
が、今回は、「十二月廿日 開帳 長泉寺」「十二月廿日 開帳 
弘福寺」という立て札に替っている。

吉良邸の隣に屋敷を構える、赤穂贔屓の松浦の殿様・松浦鎮信
が、主人公。人は、良いのだが、余り名君とは、言い兼ねるよう
な殿様だ。96年と00年の歌舞伎座で、吉右衛門の松浦鎮信で
観ている。吉右衛門の松浦公は、吉右衛門本来の人の良さが滲み
出ていて、そこが強調されていて、おもしろかったし、02年の
仁左衛門は、人の良さよりも、憎めない殿様の軽薄さ、鷹揚だが
気侭に生きて来た殿様という人柄が、強調されていて、松浦公の
別の一面を浮き彫りにしていて、これはこれで、また、結構で
あった。「ばかばかばーか」という科白に仁左衛門は、殿様の軽
薄さを滲ませていた。これに対して、今回の勘三郎は、仁左衛門
のスタイルをより滑稽で、軽薄にしたような役作りと観た。勘三
郎独特の「ふふふふふ」という科白に象徴している。

初代吉右衛門の当り藝で、その後は、先代の勘三郎も当り藝にし
た。当代は、今回、初役で演じる。「松浦の太鼓」は、討ち入り
の合図に赤穂浪士が叩く太鼓の音(客席の後ろ、向う揚げ幕の鳥
屋から聞こえて来る)を隣家で聞き、指を折って数えながら、そ
れが山鹿流の陣太鼓と松浦公が判断する場面が、見どころであ
る。儲け役の大高源吾に橋之助、松浦家に奉公する源吾の妹・お
縫に勘太郎、もうひとりのキーパースン・宝井其角に今月大活躍
の弥十郎。いつも思うのだが、橋之助の声が、でかすぎる。抑制
を心掛けるようにするとぐんと良くなると思う。

贅言:1)それにしても、赤穂浪士の討ち入りは、未明の筈なの
に、松浦公の屋敷では、句会をしているのは、随分宵っ張り過ぎ
ないか。挙げ句に、鶏鳴となり、夜が明けるというから驚きであ
る。深夜の感じが、全くしない不思議な芝居だ。

贅言:2)初日の、2階の空席で、自分の出番が終った後、舞台
を観ていたのは、実は、竹三郎だけではない。源右衛門は、私の
2列、真後ろで観ていた。劇評家の渡辺保も居た。

贅言:3)ことし1年間、歌舞伎座の筋書には、勘亭流の歌舞伎
文字が、毎月巻頭を飾った。伏木寿亭さんが、書いた。因に、
12冊の筋書を改めて、チェックしてみた。

1月は、酉。ことしの干支だ。2月は、梅。3月は、花。4月
は、鐘。5月は、櫓。3月〜5月は、勘三郎の襲名披露の3ヶ
月。6月は、趣。7月は、沙翁。シェークスピアの「十二夜」上
演。鏡張りの舞台には、客席が写っていた。8月は、涼。9月
は、粋。10月は、囃。11月は、幟。12月は、柝。
- 2005年12月10日(土) 17:06:32
2005年12月・歌舞伎座 (昼/「弁慶上使」「猩々 三社
祭」「盲目物語」)

昼の部は、大谷崎(おおたにざき)の「盲目物語」がハイライト
だろうが、劇評は、上演順で、まずは、「弁慶上使」から。今月
の歌舞伎座は、昼は、「弁慶上使」で、夜は、「船弁慶」という
ことで、弁慶二題でもある。それはさて置き、「弁慶上使」は、
5回目の拝見。

そこで、今回は、テキスト論は、初めて、このサイトの「遠眼鏡
戯場観察」を読む人のために、エキスを贅言の形で、付け足すだ
けにし、役者論を軸に劇評をまとめようと、思う。

私が観た「弁慶上使」の役者たちは、以下の通り。
弁慶:團十郎(2)、羽左衛門、吉右衛門。今回は、橋之助。お
わさ:芝翫(3)、鴈治郎時代の坂田藤十郎と言っても、まだ、
新しい藤十郎を観てはいない。今回は、福助。おわさは、母性と
恋する女性との間で、揺れ動く女心をどう演じるかがポイント。
腰元しのぶ:芝雀、勘太郎、七之助、扇雀。今回は、坂東弥十郎
の息子の新悟。卿の君は、しのぶと二役が多いが、今回は、芝の
ぶ。侍従太郎:三津五郎、彦三郎、歌六(段四郎の代役)、歌
昇。今回は、弥十郎。花の井:芝雀(2)、田之助、萬次郎。今
回は、竹三郎。

「弁慶上使」、略して「弁上」、あるいは、「かたみの片袖」と
言われる場面。女性に縁のない弁慶、泣かぬ弁慶という、作られ
た「伝説」(鎌倉初期の僧。熊野の別当の子。幼名、鬼若丸、長
じて比叡山にいて、武蔵坊弁慶と号し、義経に仕えたと言うが、
存在自体伝説化しているので、史実かどうかは、疑わしい)へ
の、弁慶の抵抗(レジスタンス)、いや、合作者である文耕堂と
三好松洛の挑戦であっただろう。恋をし、かつての恋人と再会を
し、女性との間にできた娘を卿の君の身替わりにするために、殺
してしまい、大泣きもする弁慶像を新しく作り上げた。

幕が開くと、卿の君の乳人・侍従太郎の館。舞台中央には、銀地
に桜、火焔太鼓とお幕の図柄の襖。ユニークで、デザイン的に
も、印象に残るモダーンな図柄。上手と下手には、金地に花丸の
襖。衝立も金地に花車。豪華で、華やかな舞台。ここで、悲劇が
起こる。

まず、役者論。
福助のおわさは、初演。母親、恋する娘、半狂乱の母親を演じ分
ける。まず、34歳の母として、わが子・しのぶと久しぶりの親
子の対面で、母親らしさを出した後、さらに、幼少より育て上げ
た卿の君の身替わりに、しのぶを差し出せと侍従太郎(弥十郎)
言われても、しのぶが、その気になっていても、娘を助けたい一
身という母親の一途さを演じる。

次いで、しのぶの出生の秘密を打ち明け、17年前の、若き日の
恋の相手であり、しのぶの父親である、ひとりの男のことを竹本
の糸に乗って、一気に語る。17歳の自分に戻り、我が娘の前
で、母性を忘れ、恋する女性、可愛らしい女性に変身してしまう
辺りの情の表出が福助は、巧い。恋の証拠として、見せるのが、
「かたみの片袖」(濃い紅の地に筆や硯、孔雀の羽根などの文具
の紋様は、書写山の稚児であった弁慶所縁のもの。「すれつもつ
れつ相生の、松と松との若緑、露の契りが縁のはし」、「ついく
らがりのころび寝」というセックスの場面の後、人の足音に驚い
た弁慶が、慌てて逃げ出し、おわさの手に残したものだ)という
わけだ。

そして、しのぶを襖のうちから刀で刺した上使の弁慶が、おわさ
と同じ紋様の襦袢を着ていて、おわさにとって、「顔も知らず名
も知らぬ」男が、実は、弁慶だったと知ることになる。死に行く
しのぶのために、「逢いたい逢いたいと、尋ねさまよい国々を、
廻り廻って今ここで、逢わぬがましであったもの」と、半狂乱の
おわさ。福助のおわさの魅力は、この三態に尽きる。

弁慶は、役目に忠実な組織人が、自分が殺してしまった娘・しの
ぶへの父親の情を一度だけ大泣きをしするということで、噴出さ
せる。恋した自分を思い出し、殺した娘への哀れみを思い出し、
大泣きする弁慶。鳥居隈、毬栗に車鬢、黒の大紋、長袴、下に
は、赤の襦袢(これには、先に触れたような仕掛けがある)、赤
の手甲という拵え。大男である。橋之助は、初役。

ところで、いつも、思うのだが、橋之助は、隈取りをすると、鬘
の所為もあるが、顔が大きく見えやしないだろうか。頬も、ふっ
くらとしているが、含み綿でも入れているような気さえする。ま
さかと思うが、どうだろうか。それほど、顔が大きく、豊かに
なっている。また、長袴に隠された足にも、なにか、履いていや
しないだろうか。座敷の奥に入るとき、鴨居の下を身を屈めて通
り抜けたが、身の丈も、顔も大きく見せる。それが、弁慶だと
言っているような気がするが、なにか、工夫しているように感じ
られるうちは、まだまだ、なのだろう。要するに、背伸びしてい
るという感じが残る。これが、自然と身の丈も、顔も大きく見え
るようになれば、そのときが、橋之助も本物になるのだろう。

ということで、橋之助は、私が観た弁慶のなかでは、やはり、ま
だ、物足りない。比較されるのが、團十郎、羽左衛門、吉右衛門
とあっては、無理もない。大きな歌舞伎座の舞台をひと掴みにす
るような存在感に乏しい。任ではあるだろうが、まだ、柄が、小
さい。役者としての容量(キャパシティ)が小さい。まだ、発展
途上ということだろう。だが、いずれ、先輩方に肩を並べてくる
だろうという予感はある。後、10年か、20年か。

弥十郎の息子・新悟初演の腰元しのぶは、やせ過ぎで、女形に
なっていない。まだ、15歳。中学3年生では、無理か。もう少
し、ふっくらとして来ないと娘に見えない。女装した少年では、
新悟も可哀想。しのぶ殺しを仕掛けた侍従太郎(弥十郎)は、卿
の君殺害の責任をとって、追い腹を切った形で、実は、鎌倉方を
欺く偽首工作を担保しようとする。息子・新悟の後を追って、切
腹する父親・弥十郎という二重性。弥十郎も初役。このほか、侍
従太郎の妻・花の井に竹三郎も、初役。太郎に付き従い、舞台に
出ている時間が長い割にすることが少ない。こういう役も、意外
と大変だろう。仕どころがないなかで、軸になる人の緊張感に同
調させたままでいなければならないからだ。弥十郎は、病気休演
の段治郎の代役も含めて、今月の歌舞伎座では、昼と夜通しで、
5役に挑んでいる。卿の君の芝のぶは、赤姫で、ちょっと出て来
るだけだが、爽やかで、若い女性らしく、ふくよかで、良かっ
た。本来なら、腰元しのぶとの二役なのだろうが・・・。

贅言:「弁慶上使」を観、「熊谷陣屋」を観ている私たちは、隠
されたメッセージを読み取ることもできる。ここからは、すでに
「遠眼鏡戯場観察」で、書いて来たことなので、今回、初めてこ
のサイトの劇評を読む人のための記述。

1737(元文2)年、大坂の竹本座で初演された人形浄瑠璃の
「御所桜堀河夜討」(文耕堂と三好松洛の合作)全五段のうち、
三段目の切、通称「御所三」ともいう「弁慶上使の段」を下敷き
にして、並木宗輔は、1751(寛延4)年、最後の作品となる
「熊谷陣屋」を書き上げて、生涯を閉じる。「弁慶上使」の弁慶
が、卿の君の身替わりにわが子・しのぶを殺して、その首を卿の
君だと偽って、組織のなかへ堂々と戻って行くのに対して、「熊
谷陣屋」では、熊谷直実には、平敦盛の身替わりにわが子・小次
郎を殺して、義経に代表される組織から、評価を得ながらも、そ
の虚しさに目覚め、出家をしてしまう。「弁慶上使」の父親
(男)の論理優先:組織大事。「熊谷陣屋」の母親(女)の情理
優先:肉親への愛。封建時代の論理に縛られながら描いた「弁慶
上使」。封建時代のなかで、封建性を超える情理を提言した「熊
谷陣屋」。それは、並木宗輔の遺言だと、私は思う。

偽の卿の君の首(紅布に包まれている)の担保にと追腹を切った
ように見せ掛けるために、己の首を差し出した侍従太郎(白布に
包まれている)。「辛いのう、ご同役」といったところか。紅白
の首を両脇に抱えて、修羅の世界へ戻って行く弁慶。歌舞伎の色
彩の美学。娘を失った母親(おわさ)と夫を失った妻(花の井:
竹三郎)という、本舞台にいるふたりの女性に、花道七三からふ
たつの首をかざして見せる弁慶。その弁慶に、無情にも遠寄せの
音が被さる。弁慶の、この行為は、陣屋を去る熊谷直実(花道)
に小次郎の首を見せる義経(本舞台)の行為と同じながら、ふた
りが立つ舞台のポイントは、逆転していることに注意。この位置
の逆転こそ、「弁慶上使」の作者と「熊谷陣屋」の作者の創作意
志の逆転の象徴なのだというのは、私からのメッセージ。

わが子を殺す大人たちの話という共通性。「弁慶上使」が、
「17年」前の恋の果て、娘が父親に殺されるという悲劇なら、
「熊谷陣屋」は、16歳で生涯を終えた息子と自らの手で息子を
殺した父親の虚しさが言わせる「16年」は一昔という、スパン
の共通性。

所作事2題は、「猩々」と「三社祭」。勘太郎、七之助の兄弟
が、演じる。まず、「猩々」。竹本で語る「寿猩々」は、2回観
ているが、今回は、長唄の「猩々」で、いわば「二人猩々」。酒
売りは、弥十郎。

「大人の童話」風の物語。能の「猩々」では、猩々=不老長寿の
福酒の神と「高風」という親孝行の酒売りの青年との交歓の物
語。「猩々」とは、本来は、中国の伝説の霊獣。つまり、酒賛美
の大人の童話というわけだ。

能の「猩々」を元に江戸時代から数多くの「猩々もの」が作られ
ていたようで、1820(文政3)年には、三代目三津五郎の
「月雪花名残文台」では、七変化のひとつに取り入れられた。雪
の浜辺で、真っ赤な「猩々」が、真っ白な「まかしょ」に変わる
対比が受けたというが、残っていない。

以前の資料には、夢幻能の世界を、1946(昭和21)年に文
楽座の野澤松之輔が作曲し、後の八代目三津五郎、当時の六代目
簑助が、振り付けをして、一人立の新歌舞伎の舞踊劇(義太夫舞
踊)に仕立て直しをして、当時の大阪歌舞伎座で上演されたと
あったが、今回の筋書には、違う記述がある。それによると、能
の「猩々」を長唄舞踊に仕立てた作で、1874(明治7)年、
東京河原崎座で初演。作詞竹柴金作(後の三代目河竹新七)、作
曲三代目杵屋正次郎、振り付け初代花柳寿輔とあり、本名題は
「寿二人猩々」とある。

いずれの記述も、間違いではないとすれば、能の「猩々」を元に
した数々の先行作品があり、今伝えられるものは、明治時代に長
唄舞踊が作られ、戦後、義太夫舞踊が作られたことになる。その
後の上演では、竹本(義太夫)は、長唄に替えられたりもした
し、記録を見ると、竹本・長唄の掛け合いだったり、常磐津だっ
たり、猩々がふたり以上だったり、いろいろ演出があるという
か、ふたつの「『猩々』舞踊劇」が、役者によって、自由に演じ
られたというところか。今回は、勘太郎・七之助の兄弟なので、
「二人猩々」という趣向なのだろうが、初演のふたりは、初日と
あって、なおさら、揃わない。

能取り物だから、「松羽目(松の鏡板)」が、定番だが、今回
は、抽象化した図柄の水辺が、背景。ふたりの「猩々」は、オレ
ンジ色の衣装に赤熊(しゃぐま)の鬘。舞台中央に置かれた緑の
布で覆われた酒壷には、オレンジの紐が付いている。酒売りは、
茶色の柄杓で、猩々に持たせた茶色の盃に酒を入れる。赤という
か、茶というか、「赤尽くし」、つまり、そういうトーンの世界
だ。

能の舞台では、舞は、「摺り足」なのだが、「寿猩々」は、六代
目簑助(後の八代目三津五郎)工夫の振り付けで、「乱(みだ
れ)」という、遅速の変化に富んだ「抜き足」「流れ足(爪先立
ち)」「蹴上げ足」などを交えて、水上をほろ酔いで歩く猩々の
姿を浮き彫りにさせる趣向をとったという。今回は、そういうイ
メージは、伝わって来なかった。ふたりの「猩々」が、花道を
引っ込むと、弥十郎の酒売りは、黒衣が、酒壷を載せた大せりと
ともに、舞台中央からせり下りる。背景が、海に変わり、上手と
下手に岩が出て来て、さらに、舞台下手から清元の雛壇が出て来
る。「弥生なかばの花の雲、鐘は上野か浅草の、利生は深き宮戸
川・・・」と清元が置浄瑠璃となるなか、再び、大せりが上がっ
て来る。宮戸川とは、浅草を流れる隅田川のことだ。せりには、
船とふたりの漁師(勘太郎と七之助)が、乗っている。「三社
祭」への転換だ。

「三社祭」は、6回目の拝見。このうち、勘太郎と七之助の舞台
は、今回で3回目。うち1回は、本名題「弥生の花 浅草祭」で
観ている。この場合は、暗闇のなかで開幕。黒御簾からは、「鐘
は上野か浅草の・・・」の唄にあわせて、舞台、明転。浅草の海
に松。高欄を巡らした山車の踊り屋台の上には、山車人形の武内
宿禰と神功皇后が踊る。屋台は、やがて舟に替わると漁師の浜
成、武成のふたりが乗っている、というような演出となってい
た。

水玉模様の手拭を巧みに使って、おかめ、ひょっとこの振り、さ
らに、いつものように、雲が下りて来て、ふたりの漁師に善玉、
悪玉がとりつく。善玉、悪玉の仮面は、円い銀地に善、悪の文字
だが、ご承知のように、善も、悪も、字のなかに、眉、目、鼻、
髭、口が、巧みに隠されている。但し、目が見えるのだろうが、
大きな穴が空いているわけではないから、見にくいだろうが、そ
れを感じさせないあたりは、さすが。先の「猩々」と違って、勘
太郎、七之助の踊りは、安定している。七之助の脱いだ上衣が帯
の後ろ側に挟んであったが、激しい動きで、垂れ下がって来たと
きは、目敏く、それを見つけた後見が、駆け寄って来て、垂れ下
がっていた部分をさっと、帯に挟み直した。あれをそのままにし
ていたら、七之助が、踏んで転んでしまっただろう。何回も踊っ
ているから、積み重ねができている。躍動的で、軽妙ながら、か
なり、激しい踊りだが、ふたりの息も、ぴったりあって、見事に
踊りこなしている。

勘三郎、玉三郎の「盲目物語」は、2回目の拝見だが、前回は、
8年前、97年12月の歌舞伎座の舞台だったが、このサイトの
「遠眼鏡戯場観察」は、まだ、開設されていなかったので、今回
が、初登場となるので、きちんと書いておきたい。

谷崎潤一郎の新歌舞伎は、今回上演された「盲目物語」のほか、
「お国と五平」、「恐怖時代」、「春琴抄」、「少将滋幹の母」
などが、上演されているが、私が、実際の舞台を観たのは、「盲
目物語」、「お国と五平」に過ぎない。このうち、谷崎が、自分
で脚本を書いたのは、歌舞伎に限らないが、大正時代に「法成寺
物語」、「恐怖時代」、「十五夜物語」、「愛すればこそ」、
「お国と五平」、「本牧夜話」、「白狐の湯」、「愛なき
人々」、「無明と愛染」を書いているという。関東大震災後、関
西に移り住んだ後は、脚本を書いていない。「盲目物語」、「春
琴抄」、「少将滋幹の母」などは、谷崎原作の小説を元に別の人
が脚色をして戯曲に仕立てている。「盲目物語」は、1931
(昭和6)年に書かれたひとり語りの小説という、普通なら、芝
居になりにくい原作を宇野信夫が歌舞伎の脚本に仕立てて、演出
した作品である。50年前の、1955(昭和30)年に東京宝
塚劇場で、勘三郎の弥市、秀吉の二役、歌右衛門のお市の方など
という配役で初演されているから、新歌舞伎というより、新作歌
舞伎である。

それでいながら、谷崎の歌舞伎上演作品を通じて、三島由紀夫
は、歌舞伎の谷崎を、歌右衛門の「大成駒(おおなりこま)」や
先代の勘三郎の「大中村(おおなかむら)」、あるいは、五代も
の南北のなかで、四代目のみを「大南北(おおなんぼく)」と呼
ぶように、「大谷崎(おおたにざき)」と呼ぶべきだと言ったと
いうが、それは、頷ける。谷崎は、文学の世界では、「大谷崎
(だいたにざき)」だろうが、歌舞伎とのかかわりでは、三島の
言うように「大谷崎(おおたにざき)」が、相応しい。谷崎作品
は、元からの脚本の「お国と五平」と小説から宇野信夫が脚色し
た「盲目物語」しか観ていない癖に、大仰なことを言うなと、ど
こかからお叱りを受けそうだが、「盲目物語」だけでも、「大谷
崎(おおたにざき)」と呼びたくなるような、豊潤なイメージが
伝わってくるということを言いたいだけなので。勘弁して欲し
い。

「盲目物語」は、織田信長の妹のお市の方が、勝ち組の秀吉を
嫌って、負け組の柴田勝家とともに自害するまで、影身のように
寄り添って生きたひとりの按摩・弥市の物語である。

この場合、谷崎歌舞伎の真髄は、「盲目の官能」にあると、思
う。お市の方(玉三郎)は、最初の夫、浅井長政(薪車)が、兄
の信長に滅ぼされた後、藤吉郎(勘三郎)の執拗な求婚を拒否
し、柴田勝家(橋之助)と再婚する。勝家も、藤吉郎に滅ぼされ
るが、藤吉郎を嫌い続けるお市の方は、夫勝家とともに自害す
る。ずうっとお市の方に付き従って来た按摩の弥市(勘三郎)
は、お市の方の娘・お茶々(七之助)を助け出す。そのとき、弥
市は、背負ったお茶々の手足の感触から、お市の方とお茶々の肌
合いにある継続性を鋭く感じ取る。フェティシズムの作家でもあ
る谷崎の感性は、まさに、ここに真髄がある。お市の方への激し
い慕情を秘めながら、決して明かさず、死後、お茶々を通じて亡
きお市の方に告白する弥市の美学こそが、谷崎の愛の美学なの
だ。盲目の弥市にとっては、お市の方、お茶々のふたりに通じる
感触の同一性こそが、愛の対象なのだろう。同一性の齎す至福こ
そが、谷崎の美学なのだ。

一方、勝ち組の権力に物を言わせて、お市の方を我がものにしよ
うとした藤吉郎は、勝家の居城を滅ぼし、天守閣に上がり、勝鬨
をあげる自軍を尻目に自刃したお市の方の骸を見て、恋に破れた
ことを悟り、「なにが勝鬨だ」と歎くが、さらに、出世をして、
秀吉になると、お市の方の娘のお茶々を側室にして淀君と呼ばせ
て、悦に入っているが、晴眼の秀吉は、見目形の良く「似た」、
いわば、「身替り」の淀君で満足しているが、権力者がひとりじ
めをした、その「晴眼の官能の満足」は、感触の同一性を味わっ
た「盲目の官能の至福」よりも、遥かに劣るというのが、谷崎の
主張であると、思う。ひとりの男にとって、永遠の女性への憧れ
を抱き続けるのは、晴眼より、盲目の方が、可能であるという谷
崎の美学は、同じ時期に書かれた「春琴抄」の世界でもある。

大詰の「琵琶湖のほとり」での、秀吉から、早替りで、弥市に
なった勘三郎は、乞食の集団から、最後に抜け出して、独白す
る。見えぬ目ゆえに、お市の方の幻影を描き出し、「おもうと
も、その色ひとに、しらすなよ、思わぬふりで、わするな
よ・・・」と三味線を引きながら唄う弥市とそれに合わせて琴を
演奏する玉三郎。観客は、母親の代りに娘を側室に迎えた晴眼の
権力者と物乞いに落ちぶれながら、感触の持続性を持ち続けてい
る盲目の按摩の至福の違いを知るのである。それは、弥市を通じ
てのお市の方の秀吉に対する復讐でもあるのだろうと、思う。官
能の豊かさとは、なにか。権力者の孤独、思いのままになること
の虚しさ、それを私は、駕篭に慌ただしく乗込み、その際、脱ぎ
散らかされた秀吉の草履(もしこれが、勘三郎の確信的な演技だ
としたら、素晴しい)の乱れに感じ取ったのだが、いかがであろ
うか。

さらに、芝居は、小説を超える。原作では、秀吉と弥市は、当
然、別の人格であるが、芝居では、先代の勘三郎同様、当代も二
役で演じたように、対立する登場人物を同じ役者が演じるという
ことで、役者の同一性が、登場人物の対立性を、小説よりも、遥
かに鋭く際立たせるということができる。筋書に掲載された上演
記録を見ると、初演から先代の勘三郎と当代は、二役を通してい
るが、1958(昭和33)年、大阪中座で、十三代目仁左衛門
の弥市と当時の六代目箕助(後の、八代目三津五郎)の秀吉とい
う配役で演じられた舞台があるが、これは、もちろん、舞台を見
ているわけではないが、あまり、感心しない演出だったと、思
う。その証拠に、弥市と秀吉を別の役者が演じる演出は、このと
きだけで、終っている。弥市・秀吉二役は、谷崎というよりも、
宇野信夫の演出感のなせることだろうか。ところが、言い伝えに
よると、これは、先代勘三郎の発案だという。だとすれば、それ
は、勘三郎の卓見であると、思う。先代の勘三郎は、歌右衛門が
演じる美貌のお市の方を巡る天下人としがない按摩の恋の対立ゆ
えに、対立者を二役早替りで演じるべきだと発想したのだろう
が、純化した役者魂ゆえの優れた発想だと、感心する。

さて、役者論だが、勘九郎時代を含めて、本興行5回目の勘三郎
の演技は、ますます、磨きが掛っている。対する玉三郎は、3回
目。こちらも、安定している。前回は、お市の方と淀君の二役で
演じた玉三郎だが、ここは、二役でない方が、良いと思う。永遠
の女性の同一性は、盲目ゆえの、鋭い感性が齎した同一性であっ
て、晴眼者の見る外見の同一性ではないからだ。弥市と秀吉の二
役とお市の方と淀君の二役は、意味が、全く違うと思う。

橋之助の勝家は、前半の明るい勝家と後半の悲壮な勝家の対比
が、巧く出ていた。七之助のお茶々、後の、淀君も、前半の初々
しさと後半の天下人を尻に敷いた強かさ(淀君なりの秀吉への復
讐)も感じられた。科白のない笑三郎の侍女真弓は、「別れの宴
の曲」を弾くだけだ。しんみりした、静かな場面で、横顔を見せ
ているだけだが、存在感がある。最近は、後見役が多い、小山三
の老女も、良かった。段治郎代役の、薪車の浅井長政は、幽霊役
だが、玉三郎相手に堂々と演じていた。

贅言:竹三郎は、ことし10月の歌舞伎座の舞台で、自分の前名
の薪車を竹志郎に譲ったが、その四代目薪車の舞台(昼の部「盲
目物語」の段治郎代役の浅井長政、夜の部「船弁慶」の源義経、
同じく「松浦の太鼓」の近習渕部市右衛門)を昼の部の自分の出
番が終った後も、初日とあって、歌舞伎座に居残り、2階奥の空
いている席で、夜の部の終わりまで、熱心に観ていたのが印象的
だった。いずれも、薪車の出番が終ると、姿を消してしまったよ
うだ。
- 2005年12月10日(土) 13:32:52
2005年11月・歌舞伎座 (夜/「日向嶋景清」、「鞍馬山
誉鷹」、「連獅子」、「大経師昔暦」)

「日向嶋景清(ひにむかうしまのかげきよ)」は、初見。松貫四
の書き下ろし作品。ことし4月の四国こんぴら歌舞伎の金丸座が
初演。「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)」を下
敷きにしている。松貫四は、吉右衛門のペンネーム。この演目、
今回の劇評は、まず、テキスト論。次いで、役者論、最後に、大
道具論という筋立てにしたい。

1)テキスト論。
「嬢景清八嶋日記」の粗筋は、こうだ。平家の残党、悪七兵衛景
清(あくしちびょうえかげきよ)は、源頼朝暗殺を企てながら、
失敗をし、投降の勧めに反発をし、抵抗の証に、自ら己の両目を
えぐり、盲目の身になり、逮敢て、日向島(ひゅうがじま)に流
されている。いわば、囚われのスパイのような立場である。だか
ら、源氏方は、景清から目を離せない。実際、景清は、密かに平
重盛の位牌を隠し持ち、命日には、供養をしている。源氏への強
烈な反抗心を秘めながら暮らしている。鬼界が島に流された俊寛
のような身の上だ。

そこへ、廓に身を売った金を持って、幼いときに別れた娘の糸滝
が肝煎り(女衒)に伴われて父親に逢いに来る。しかし、景清
は、自分は、景清などではないと偽り、娘を追い返してしまう。
しかし、娘らは、島に住む里人に出逢って、先ほどの男が、やは
り父親の景清と知らされ、再度、訪ね、結局、里人に金と事情を
書き留めた手紙を託して、去ってしまう。その後、里人から金と
手紙を受け取った景清は、娘が身売りしてまで、自分に金を届け
てくれた事情を知り、娘の後を追おうとするが、娘らを乗せた船
は、すでに、出てしまった後だった。それを知った里人、実は、
頼朝の配下で、景清を監視していた、いわば、諜報部員が、娘が
苦界に入らないよう取りはからうことを条件に頼朝方への投降を
進めると、抵抗心を捨てて、頼朝の配下とともに、船で都に向う
景清であった。

もともと、原作の筋立てに無理があるように思う。両目を潰して
まで、抵抗心を隠している「反抗分子」の武士(もののふ)の景
清が、娘の身売りを知っただけで、判断力を失って仇に、それこ
そ身を売るようなことをするだろうか、という疑問である。武士
のプライドと娘への情愛の狭間で揺れる心の有り様が、テーマな
のだろう。謡曲の「景清」を原作に無数の役者たちが、工夫をし
て歌舞伎の劇として、磨いて来た作品だが、しっかりした原作者
がいないという戯曲としての根本的な弱さを持ち続けていると思
う。それを乗り越えるのは、役者の藝というのが、演じる役者た
ちのプライドなのかもしれないが・・・。しかし、それでは、劇
性は、弱くなる。

今回の「日向嶋景清」も、テキストとしては、「嬢景清」の骨格
をそのまま引き継いでいる。そういう根本的な弱さを残したま
ま、吉右衛門が、役者魂を燃焼させて、科白の一つ一つを書き下
ろした。そのチャレンジ精神は、多としよう。しかし、近松門左
衛門原作の「俊寛」に比べると、残念ながら、劇としての必然性
が弱い。吉右衛門が、熱演すればするほど、違和感が残る。筋の
展開に無理が、透けて見える。それに、過剰な演技も、吉右衛門
らしくない。吉右衛門の持ち味を殺した演技に見える。こういう
役柄は、吉右衛門より、兄の幸四郎向きであろう。

2)役者論。
「日向嶋浜辺の場」。無人の舞台。置き浄瑠璃。清太夫の語り。
吉右衛門演じる景清は、まず、舞台上手の揚幕から出て来る。衣
装、鬘、化粧などの扮装は、俊寛に似ているので、どうしても、
近松の「俊寛」を連想し、比べてしまうという欠陥がある。舞台
中央から上手よりの、浜辺の貧相な蓆がけの小屋という設定も
「俊寛」と似ている。吉右衛門の演技も、俊寛を思い出させる風
格を滲ませる。さはさりながら、これは、俊寛物語ではないか
ら、違和感が、拭い切れない。不自由な手探りで、位牌を海辺の
石の上に置き、採って来た梅の枝を飾り、重盛の菩提を弔う。平
家滅亡の悔しさ、生き長らえている己の身のふがいなさ、景清役
者の大きさの見せ所。この辺りまで、吉右衛門は、過不足なく熱
演する。

一艘の船が、花道から本舞台の浜に近付いて来る。背景は、大き
な崖である。舞台の中央からくすんだ空間が透けて見えるという
殺風景な浜だ。船には、若い娘が乗っている。景清の娘・糸滝
(芝雀)だ。肝煎りの佐治太夫(歌昇)を伴っている。芝雀は、
このところとみに父親の雀右衛門に似て来たように思う。竹本
は、御簾を上げた床(ちょぼ)の出語りで、清太夫に加えて、愛
太夫が、男と女の役を振り分けて語る。人形浄瑠璃の演出を踏
襲。親子の再会。糸滝の懇願を拒絶する景清。ここまでは、良
い。そして、別れ。書置の手紙を見て、身売りの真相を知り、半
狂乱になる辺りから、私のうちに、違和感が吹き出して来る。理
屈で、芝居を観ては駄目だろうが、理屈をこえる役者の藝がない
と、それも克服できない。里人、じつは、源氏方のスパイ(隠し
目付)の土屋郡内(染五郎)と天野四郎(信二郎)とのやりとり
で、糸滝は、実の父を知り、景清は、娘を助けるために武士の矜
持を捨てる。

「日向灘海上の場」。舞台奥から、大きな船が直進して来る。船
には、中央に、景清、左右に土屋郡内と天野四郎。そして水夫た
ち。船の上から、重盛の位牌と梅の枝を海に投げ入れる景清。変
心した武士の悲哀。これは、もう、俊寛の怨念、虚ろさなどと
は、比べようもないし、劇的効果もない。戦に翻弄された親子の
哀れさが、反戦平和のテーマだとしても、何もかも捨てて、敵陣
に下る武将の悲哀だとしても、訴えかけて来るものは、「俊寛」
には、及ばない。役者の仕どころも、殆ど無い場面。

3)大道具論。
ここは、珍しく、大道具を論じたい。まず、幕が開くと、浅葱
幕。花道は、浪布が敷き詰められている。舞台は、地絣。浅葱幕
が振り落とされると、「日向嶋浜辺の場」。舞台背景は、巨大な
崖。中央奥に、空間。地絣が引っ張られると、舞台下手は、海。
花道から船で浜に辿り着いた糸滝らふたりは、父であることを景
清に拒絶されると、浜を上手に歩く場面があるが、ここは、舞台
が、半廻しになり、里人たちと出逢い、先ほどの男がやはり景清
と知らされると、元の浜辺へ戻る。舞台半廻しで、元に戻る。先
の場面で、舞台中央より上手側にあった景清の小屋は、今度は、
舞台中央に位置が変わっている。同時に、巨大な崖は、舞台中央
の空間が塞がれて、崖下の、閉塞感を明らかにする。小屋の蓆
が、浅葱幕のように振り落とされる。戦で別れ別れになった親子
の再会の場面を盛り上げる。再会もつかの間の別れ。源氏方の郎
党との立回りでは、邪魔になる小屋を黒衣が、ひとりで、上手隅
に引っ張って行くからおもしろい。

「日向灘海上の場」。浜の上手を覆っていた地絣も引っ張られ、
下に敷き詰めてあった波布が見え、舞台は、全面海へ変わって行
く。巨大な崖も上手、下手へ引き込まれ、また、天井に引き上げ
られて、という具合に、三方に引き込まれてすっかり無くなり、
舞台は、大海原に早変わりする。舞台奥からは、大きな木造船が
舞台前面に向けて直進して来る。竹本の3人の太夫と3人の三味
線方を乗せた山台も、船のように海の上を滑り出して来る。この
辺りの大道具の展開は、素晴しい。演出家・松貫四として、照
明、装置(大道具など)を初演の反省を込めて、見直したという
が、このあたりの演出は、颯爽としていて、素晴しい。できれ
ば、大きな船を出したのだから、舞台を回転させて船を横向きに
するなど、もう一工夫欲しい。船を出しただけで、終わりという
印象で、勿体ない。

「鞍馬山誉鷹」は、富十郎の長男で6歳の大、改め、初代鷹之資
(たかのすけ)の襲名披露の舞台。雀右衛門、仁左衛門、吉右衛
門、梅玉、そして富十郎という錚々たる役者が共演する舞台での
口上。「いついつまでもご贔屓賜りますよう。末広がりの鷹の羽 
八ツ矢車・・・」と富十郎が力を込めて、言うのは、父親として
の実感であろう。祝儀気分満点の舞台が、華やかであればあるほ
ど、76歳の父親として、6歳の長男の歌舞伎役者としての未来
に寄与したいという思いが、痛いほど伝わって来て、かえって、
痛ましくなるので、ここは、あまり、述べない。歌舞伎界の孤児
にならぬよう、という親心を忘れずに、立派な役者になって欲し
い。(人間国宝の)「富(とんび)が、鷹を生む」ように、父親
より、さらに、大きな役者に育って欲しいと、思う。

舞台の上部に飾られた提灯の列。歌舞伎座の紋の入ったたもの、
「鷹の羽 八ツ矢車」という富十郎の定紋入りのもの、もうひと
つの紋は、富十郎の替紋の「杏葉杜若」だろうか。ついでに、2
階ロビーのお披露目の品を記録しておこう。「鷹之資格子」は、
いろいろな格子柄を組み合わせ重ねて作ったという。楽屋暖簾、
鏡台、座布団、扇(「拾遺和歌集」から:生い初むる根よりぞし
るき笛竹の末の世長くならんものとは」と書いてある)、菰入り
の「白鷹」(3つが積み上げてある)、宮田雅之「臥虎」(五気
の虎:勇気、豪気、壮気、意気、労気)、天王寺屋の「屋号允可
(いんか)状」(大阪・四天王寺で、允可法楽)。このほか、花
籠は、山田洋次、サトウサンペイ、中村梅之助、梅雀、柳家三語
楼、鈴々舎馬風、道成寺、ほかに、梅組父母一同などというのも
あった。大くんの幼稚園は、梅組なのだろう。祝幕一幕は、全日
空。

舞台を飾る、その祝幕は、夜明けの海の図柄。日の出の太陽の位
置に、「鷹の羽 八ツ矢車」(富十郎の定紋)。岩上の鷹と夜明
けの空を飛ぶ鷹。初代中村鷹之資さん江という文字。「熨斗」の
マークに、送り主のANAという、ところ。

さて、「連獅子」。「連獅子」は、9回目。舞台中央に左右に枝
を拡げた太い老い松。舞台上手と下手は、竹林。舞台全体で、松
竹。そういえば、ことしは、松竹110年でしたっけ。おめでと
うございます。

幸四郎と染五郎の親子獅子。緩怠のない獅子の舞い。幸四郎は、
大きく、正しく、舞う。染五郎の子獅子の舞は、勢いが良い。動
きもテキパキしているし、左巴、右巴、髪洗い、襷、菖蒲叩きと
変化する毛振りの回数も、染五郎の方が、多い。若さと勢いがあ
る、立派な獅子の精。身体の構えを崩さずに、腹で毛を廻すの
が、毛振りのコツだというが、また、この所作は、体力の勝負で
あろう。年齢の違いと藝の違いが出て来る。染五郎は、役者とし
て、ある水準に近付きつつあるということを、まざまざと実感さ
せる舞台であった。いずれ、さらに、何かが、付け加わり、積み
上げられ、一人前になって行くのだろう。

間狂言の「宗論」は、信二郎と玉太郎が、メリハリのある演技
で、きちんと繋いでいた。

「おさん茂兵衛 大経師昔暦」は、2回目。10年前、95年
11月、歌舞伎座の舞台を観ている。まだ、このサイトは、開設
していなかったので、劇評「遠眼鏡戯場観察」としては初登場。
従って、じっくり書き留めておきたい。おさん:雀右衛門、今回
は、時蔵。茂兵衛:梅玉(今回含め、2)。以春:先代の三津五
郎、段四郎。助右衛門:九代目宗十郎、歌六。お玉:松江時代の
魁春、梅枝。お久:東蔵、歌江。

1683(天和3)年に京の四条烏丸にある朝廷御用商人の大経
師(経巻や仏画などの表装をする経師屋の元締で、毎年新しい暦
を作る独占権を認められ、朝廷にも納めていた)・意俊の女房・
おさんと手代の茂兵衛とが密通をして、その仲立ちをした下女の
お玉とともに、処刑された事件を元に、1715(正徳5)年、
近松門左衛門が書いた。井原西鶴も「好色五人女」で、おさん
は、不義に耽るふてぶてしい女性として、この事件を取り上げて
いる。近松は、世事にうとい若女房の、罠に嵌ったような、人違
いで起きた姦通事件として、社会性を付加して描いている。近松
の凄さ。

序幕「大経師宅算用場『乃』茶座敷」。「算用場」とは、店の帳
場のこと。10年前の歌舞伎座の筋書では、「大経師宅算用場
『及』茶座敷」となっているが、ここは、『乃』ではなく、
『及』の方が、正しいだろう。実際に舞台を見れば判ることだ
が、「算用場」と「茶座敷」が繋がって、ひとつの舞台になって
いる。「茶座敷」だけが、舞台というわけではないからだ。因
に、名作歌舞伎全集では、「大経師以春宅の場」ということで、
もっと、概括的な命名になっている。

算用場の店先に近い壁には、3つの帳面(通い)が、掛ってい
る。「銀銭出入帳」。当時の上方の経済は、銀貨(銀塊)が通用
していた。重さで価値を測る従量貨幣であった。従って、銀銭出
入帳は、日常の商売に使う出納帳のこと。一方、江戸の経済は、
小判などの金貨。従って、上方の銀貨と江戸の金貨は、為替レー
トがあり、円をドルに替えるように、「売り買い」をした。壁に
掛っている、もうひとつの帳面は、「蔵出金銭仕入帳」と書いて
ある。金貨は、仕入れ、つまり、買うのであるから、「出入帳」
ではなく、「仕入帳」ということなのだろう。さらに、3番目の
帳面は、「御所面納帳」と書いてある。これは、調べてみたが、
まだ、判らない。朝廷御用商人だから、御所との取り引きもある
だろうが、決済をどうしていたのか、献上していたので、そのメ
モを「面納」とでも、言ったのだろうか。いずれにせよ、歌舞伎
座の舞台に設えられた大経師宅の帳場を遠眼鏡で覗いて観たら、
壁に掛った3つの通い帳から、そういう情報が伝わって来た(因
に、この3通の通い帳のことは、台本には、何も書いていない
し、芝居で使われるわけでもない。単なる背景のひとつにすぎな
い)。

きょうは、新しい暦を売り出す霜月(陰暦11月)一日。番頭の
助右衛門(歌六)を筆頭に奉公人が、忙しく立ち働いているが、
店の主人の以春(段四郎)は、早朝から御所などへ献上の暦を配
り歩いた疲れが出て、帳場の隣の茶座敷(茶の間だろう)の炬燵
に下半身を突っ込んで、寝ている。炬燵の反対側では、女房のお
さん(時蔵)らしい女性の後ろ姿が見える。猫を抱いていたの
が、後ほど、判る。助右衛門は、店の者に口煩く指示をするが、
女中のお玉(梅枝)には、嫌らしく、しつこく、それでいて優し
く振舞うが、お玉は、スケベ爺とばかりに、相手にしない。主人
の以春も、「今夜、寝間に忍び込むぞ」と、お玉にちょっかいを
出しているのが、やがて判る。お玉は、手代の茂兵衛に気がある
し、おさんも、主人の以春より、茂兵衛を信頼している。店の人
間関係には、なにやら、妖しい気配(贅言:歌六は、国立劇場の
「絵本太功記」の舞台を終えて、戻って来たのだ)が、漂う。こ
れが、後の悲劇への伏線。おさんは、世間知らずの若妻。主人の
以春は、二重人格の上、しみったれである。手代の茂兵衛(梅
玉)は、実質的に店を支えている実直な若者。女中のお玉は、気
の効く女中。中年キラーでもある。番頭の助右衛門は、「助兵
衛」の「助」の字の付いた嫌らしい人格、三枚目の道化仇の役ど
ころ。

おさんは、訪ねて来た実家の母親のお久(歌江)に借金を申し込
まれるが、夫の以春に言えずに、茂兵衛に密かに頼み込む。茂兵
衛は、出来もしないのに、安請け合いをし、店の印を持ち出し
て、白紙に印を押しているところを助右衛門に見られてしまい、
大騒ぎとなる。おさんに頼まれたとは、口が避けても言えない茂
兵衛が、窮地に陥ると、お玉が、助け舟を出すが、お玉に気があ
る主人と番頭は、もてもての茂兵衛憎しで、茂兵衛を隣の空家の
2階に閉じ込めてしまう。

二幕目第一場「大経師宅お玉の部屋」。正面小さき二重下女部屋
の体。(略)下手に隣の二階家、その奥に蔵がきなどしたる白壁
の体(これは後半廻しの時にあらわれる)。

床(ちょぼ)の浄瑠璃の後、
おさんは、夜、店奥のお玉の部屋に礼を言いに行き、夫の女中に
対する不行状を知り、夫を懲らしめようとお玉の代りにお玉の寝
間に居座り、夜這いに来るであろう夫をとっちめるつもりにな
る。ところが、夜、お玉の部屋に忍んで来たのは、昼間助け舟を
出してくれたお玉に礼(セックス)をしようという茂兵衛であっ
た。「一生に一度肌ふれて玉が思いを晴らさせ、情の恩を送りた
い」とは、茂兵衛の科白。

さらに、もうひとり、裏手からお玉の部屋に夜這いをかけたの
が、(「不意を夜討の素肌武者、玉をねらいの夜這い星」の)助
右衛門で、彼は、屋根から天窓を開けて忍び込むが、下帯に襦袢
一枚で忍び込む際にむき出しの尻を客席に向けるなど、最近の歌
舞伎では珍しい、人形浄瑠璃並みの、大胆な演出を歌六は見せて
いた(歌舞伎では、くしゃみや胴震いなど、薄着を強調する程
度)。歌六の意欲が知れる。お玉の部屋に近付いた助右衛門は、
部屋のなかの、男女の密事の声と音に聞き耳をたてる。やがて、
店先から「旦那のお帰り」という声。慌てて逃げ出す助右衛門。

二幕目「大経師宅 裏手」。お玉の部屋の場面に上手から、塀だ
けが一直線に出て来る(珍しい)。さらに、舞台も半廻しで、大
経師宅の裏手へ、場面展開。先の場、奥に、屋根などが見えてい
た件の白壁の蔵と物干が出て来る。滑稽な格好で、外へ外へと逃
げ出す助右衛門の姿が、消えると、あられもない格好の寝巻き姿
のおさんと茂兵衛が、裏手へ飛び出して来る。(「仇の始めの姦
通(みそかごと)」「そなたは茂兵衛」「あなたはおさん様」)
そこで、月明かりにお互いを確認し、お互いに不義密通の罪を犯
したことを知るふたりである。この場面が、印象的で、10年前
の舞台も、詳細は、思い出せないのに、隣の蔵の白壁に映った物
干の影とその前を通り過ぎるふたりの影が、磔台に吊されたふた
りの遺体のように見える演出は、素晴しい。モダーンな演出。前
回の雀右衛門も、この場面は、哀愁に溢れていて、印象に残って
いる。台本には、次のようにある。

(竹本)
二人見送る影法師、軒端に近き物干の、柱二本に月影の、壁にあ
りあり映りしは、

ト月の光で白壁に、物干の柱におさん茂兵衛の姿が磔のように写
る。

おさん  あれ二人の影が。
茂兵衛  オオ、アリャ磔に、おさん様。
おさん  茂兵衛。

ト両人慄然とする。

この演出は、原作段階からあったのだろうか。だとすれば、江戸
時代は、蝋燭で、演出していたことになる。影が、いまよりも、
大きくて、風に揺らいでいたかも知れない。

梅玉は、このところ、上方歌舞伎に熱心に取り組んでいる。梅玉
の役作りは、もう少し、深みが欲しい。梅玉も、團十郎と同じ世
代。役者として大きく羽搏く年齢。時蔵と梅枝の親子が、それぞ
れの役を叮嚀に演じる。梅枝は、今月で、18歳。高校3年生
か。可憐なお玉である。時蔵は、初役ながら、このところ、充実
の舞台の延長線上にある。世事にうといがゆえに、悲劇の人と
なってしまった。段四郎は、仕どころは余りないが、大店の主人
で、女狂いは、病気という、中年男の存在感があった。歌六は、
国立劇場まで含めて、昼、夜とあわせて、3役、それも、初役が
多いというのに、皆違う性格の役どころをくっきり切り分けて、
意欲的に、叮嚀に演じていて、今月、随一の活躍振り。55歳。
独自のキャラクターが、いよいよ、花開く年齢か。今後とも、脇
を固めて、歌舞伎の舞台の奥行きを深くして欲しいと、思う。

近松門左衛門の作劇の見事さ。夫の浮気を懲らしめようと、自ら
仕掛けた罠に陥り、姦通の罪を犯すおさん。お玉への感謝の気持
ちが、おさんとの姦通に繋がる茂兵衛。おさんへの道場から、姦
通の仲立ちの罪に問われるお玉。皆、善意の人たちが犯す罪。喜
劇から、悲劇へ、奈落を一気に落ち込む人々。ドラマチックな展
開は、印象的で素晴しい。

贅言:1954(昭和29)年、溝口健二監督の大映映画で、長
谷川一夫の茂兵衛と香川京子のおさん、南田洋子のお玉で「大経
師昔暦」が演じられたが、映画のタイトルは、大胆にも、「近松
物語」。溝口監督にとって、「大経師昔暦」は、近松門左衛門の
代表作という意識があったのだろう。それにしては、歌舞伎で
は、余り、上演されないのが、寂しい。

戦後の茂兵衛は、先代の幸四郎が良く演じ(相手のおさんは、歌
右衛門)、梅玉も、福助時代を含めて、4回目。このところ世話
物開眼という幸四郎も、先代同様に意欲を示して「大経師昔暦」
を演じれば、それも、おもしろいかも知れない。江戸時代には、
八代目仁左衛門が、茂兵衛役を家の藝としていたというから、仁
左衛門の茂兵衛も、観てみたいと、思う。

贅言:菊池寛原作の「藤十郎の恋」は、上方歌舞伎の名優坂田藤
十郎が、「大経師昔暦」のおさんの役作りに悩んで、顔なじみの
芝居茶屋の女将・お梶を騙して、人妻が、不倫の恋に燃えたら、
どういう表情をするのか、いわば、「人体実験」をして、お梶を
自殺させてしまうという話である。この演目も、ときどき、歌舞
伎の舞台に掛る。
- 2005年11月23日(水) 22:21:46
2005年11月・歌舞伎座 (昼/「息子」、「熊谷陣屋」、
「雨の五郎 うかれ坊主」、「人情噺文七元結」)

「息子」は、初見。イギリスの作家ハロルド・チャピン原作の
「父を尋ねるオウガスタス」という作品を1922(大正11)
年に劇作家の小山内薫が翻案劇として発表した戯曲「息子」を翌
1923(大正12)年3月に帝劇で上演した。六代目菊五郎の
金次郎、四代目松助の火の番の老爺、十三代目勘弥の捕吏。初演
の舞台は、皆、歌舞伎役者であったが、歌舞伎というより、新劇
が、似合いそうな芝居。

江戸期の品川辺りか、江戸の御朱引内、つまり、江戸の入り口辺
りにある火の番小屋での対話劇。雪が降っている。、火の番小屋
だけに障子も開け放してある。老爺が、火鉢の火を守っている。
寒そう。9年前に息子が上方に修業に出た後、妻も亡くして独り
住まいの頑固な老人が、今夜も、火の番をしている。職人の格好
をした岡っ引きの手先と呼ばれる捕吏が、町廻りの途中に小屋の
様子を見に来たが、老爺は、素っ気無い応対しかしないので、火
に当たらせてもらっただけで、退散する。その後、誰かに追われ
ているような、ならず者っぽい青年が、立ち寄ると、老爺は、無
愛想ながら、青年を火に当たらせ、煙草を吸わせ、空腹そうに見
えたので、残り物だが、弁当を食わせる。青年の身の上話を聞き
出す内に、青年が、いかさま博打で食い繋いでいた大坂から来た
と聞くと、自分にも、青年と同じ年頃の息子がいて、上方で真面
目に修業をしていると話し出す。老爺と青年の会話が、時に火花
を散らしたり、時に涙を滲ませたりの、巧妙な芝居の世界をきっ
ちりと積み上げて行く。

今回は、歌舞伎座、17年ぶりの上演で、金次郎が、染五郎、火
の番の老爺が、歌六、捕吏が、信二郎という顔ぶれであった。大
きな歌舞伎座の舞台中央に小さな火の番小屋。廻りは、雪布を敷
き詰め、後ろは、黒幕のみというシンプルな舞台。上演時間も、
30分程度。まさに、一幕もの。小説なら、短編というより、掌
編という感じだが、実に、密度の高い舞台である。

染五郎の金次郎が良いし、歌六の老爺が良いのである。雪に濡れ
た着物や足袋を火に当てる染五郎の仕草。老爺から手渡された煙
管が冷たいので、吸い口などの金具を火で暖める仕草など藝が細
かい。金次郎は、話している途中で、老爺が、自分の父親だと気
が付くが、歌六の老爺は、気づかないようだ。青年は、老人の息
子が道を過っているとしたらと、鎌をかけるが、老人は、自分の
息子は、そんなやつではない断言する。目の前にいる青年が、9
年前に別れた息子だというのに、気づかないのは、おかしいと作
家の正宗白鳥が、当時批判したというし、そういう批判を乗り越
えるだけの芝居が老爺役者には、要求されるというが、私の観た
ところ、眼光鋭い歌六の老爺は、小屋に青年が入って来たときか
ら、青年が、身を持ち崩した息子と判っていながら、知らんぷり
をし、青年を立ち直らせようとしているようにしているのが窺え
た。頑固な父親らしい態度というのは、不愛想な、愛情を示すも
のだろう。そういう解釈の方が、江戸の市井を舞台にした対話劇
には、良く似合う。

捕吏に正体を見破られ、一度は、縄をかけられながら、隙を見て
逃げて来た青年と閉め切った火の番小屋の障子越しに老爺との短
い会話で、青年は、「婆さんは達者か」と母親の消息を父親に尋
ねるが、既に死んだと教えられる。息子の帰りを待たずに死んだ
かと呟く金次郎に老爺は、「早く、逃げろ」と諭す。青年は、
「ちゃん」と、父親に一声かけて、再び、降り始めた雪のなか
を、捕吏の手から逃げて行く。歌六の老爺が、青年を息子だと知
りながら、真面目になって帰って来たら、名乗りあおう、もし、
それまでに、自分も、母親のように死んでしまったら、それも仕
方がないという、メッセージを金次郎に送っているように思われ
た。それほど、振れのない印象のしっかりした歌六の演技であっ
た。歌六は、このあと、木挽町の歌舞伎座を抜け出し、前日、私
が、三宅坂の国立劇場で観た「絵本太功記」の二幕目、「妙心
寺」の場面で、時空を越えて、田島頭となって、物陰から飛び出
て来てし、割腹しようとした光秀(橋之助)を武智十次郎(魁
春)とともに、止めるのである。

贅言:先日、国立演芸場の中席(11・11〜20)で、笑福亭
鶴光の落語を聞いた。子供のいない年老いた夫婦が、屋台のラー
メン店を営んでいる。閉店間際に訪れた客が、ラーメンを「うま
い、うまい」と、3杯食べ、老夫婦を喜ばせる。ところが、いざ
金を払う段になると、無銭飲食なので、交番に連れて行けと言
う。老夫婦は、交番に連れて行く代わりに、男に屋台を引かせて
自宅に戻る。自宅では、男に「とーさん」「かーさん」と呼ばせ
る代わりに、いわば「呼び料」として、金を払い無銭飲食をチャ
らにする。そういう人情噺の落語なのだが、鶴光が演じる老夫婦
と無銭飲食の男のやり取りを聞いていると、5日前に、歌舞伎座
で観たばかりの「息子」を思い出した。歌六と染五郎のやりとり
が、彷彿として来たのである。4日間を挟んで、観たり、聞いた
りした老人(たち)と犯罪者の男との交流が、醸し出す人情噺と
しての共通性の妙。無銭飲食の男に嫁を取らせ、跡を継がせたい
と思う老夫婦の悲哀に世相が滲む。男の嫁は、美人に、という落
ちは、「めんくい」。

「熊谷陣屋」は、9回目(人形浄瑠璃の舞台を入れれば、10回
目)。いつ観ても、なにか、新しい印象を付け加えてくれる、素
晴しい演目だ。今回は、直実が、仁左衛門、相模が、雀右衛門、
義経が、梅玉。配役のバランスが良い。思えば、11年前に初め
て観た、1994年4月の歌舞伎座では、直実:幸四郎、相模:
雀右衛門、義経:梅幸であった。因に、直実は、幸四郎が5回、
仁左衛門が、今回含め2回、吉右衛門、八十助時代の三津五郎。
相模は、雀右衛門が今回含め6回、芝翫が2回、そして、藤十
郎。

で、今回の劇評の方は、役者の演技論にしよう。まず、仁左衛門
の直実は、2回目だが、初回は、7年前の歌舞伎座、仁左衛門襲
名披露の舞台以来だ。このときも、相模は、雀右衛門。藤の方
は、玉三郎で、弥陀六は、いまは亡き羽左衛門、義経は、團十
郎。今回、弥陀六は、左團次。7年前も、今回も、配役のバラン
スは、良い。なかでも、仁左衛門は、7年前に比べても、風格の
ある直実であった。科白も立派、仁も柄も、ぴったり。「敦盛の
首」、実は、「小次郎の首」が、直実から藤の方に見せるため
に、相模に手渡されるが、仁左衛門の型は、小次郎の首が、母親
の相模に見えるように手渡されるという、独特のものだが、この
仁左衛門家伝の演出は、7年前にも観ているが、今回も、納得し
ながら拝見した。直実と義経のとっては、承知の上でのフィク
ションとしての「敦盛の首」だが、相模は、わが子、小次郎の首
と知っている。ここの登場人物で、真実を知らないのは、義経の
四天王を除けば、敦盛の生母・藤の方だけである。そういうシ
チュエーションのなかで、所縁の者に首を見せよ、という義経の
心も、直実の心も、相模に向いている。相模は、ふたりの意向を
胸で受け止め、藤の方に「敦盛の首」を確認させる前に、小次郎
の首としみじみと対面するのである。そういう意味では、仁左衛
門の型は、非常に合理的で納得しやすい。だから、相模を演じる
雀右衛門も、たっぷりと母の情愛を込めて、首を抱き締め、抱き
締めしながら、小次郎の首にとっては、フィクションの母になる
藤の方へ、「敦盛の首」を渡す間が普通の型より時間が架かり、
充分な見せ場を構成することになる(この場の、フィクションを
強制しているのは、実は、皆が、陣屋の奥に、源氏方の梶原景高
が、首実検の様子を窺っていることを知っているからである。と
ころが、その後、舞台に登場する景高は、皆の努力の甲斐もな
く、「敦盛の首」が、偽首であることを察知してしまうのは、承
知の通りである)。

一方、雀右衛門は、相変わらず、自然体で、母の情愛が、滲み出
ていて、一級品の母の情である。雀右衛門の相模は、息子を殺し
た夫への恨みを滲ませながら、敦盛の身替わりになることを進ん
で承知したであろう息子・小次郎の気持ちを斟酌して虚と実の狭
間で、母性愛を燃焼させる。

ただし、85歳という年齢が、雀右衛門の足と腰を襲い、二重の
舞台から平舞台におりる場面、つまり、陣屋から階(きざはし)
を降りる場面では、藤の方の秀太郎、堤軍次の愛之助に手を引か
れて昇り降りをする場面を見せつけられる。誰もいないときは、
黒衣が、手を引いてくれる。私事で恐縮だが、私の実母は、83
歳、20年前に亡くなった父が生きていれば、雀右衛門と同年で
あるから、私も、雀右衛門には、思い入れが強い。客席から「老
母」の手を引いてあげたいという気持ちになってしまう。数カ月
前から、足裁きも、闊達では無くなっている。先月も、途中、休
演した。大事にしたい役者だ。

しかし、そういう懸念を吹き飛ばすような、雀右衛門の母の情愛
表出は、相変わらず見応えがある。以前は、子を失った母親の気
持ちを忖度しながら演じていたのが、「数年前から、自然にその
思いが少し出せるようになりました」と、雀右衛門は言う。まさ
に、雀右衛門の境地は、そこまで達しているのだろう。男が女形
になり、母親の情愛を演じるという仕掛けは、そこでは無くな
り、戦場で子を亡くした相模が、そこにいる、ということなのだ
ろう。だから、足腰の弱まりを心配する私の思いも、いつか、
吹っ飛び、したたかで、どっしりした、ひとりの母親の情愛を私
も、ひしひしと、しみじみと感じ入っている。仁左衛門の、主君
の命に従って、わが子を手にかけた、父親としての苦しさ、悲し
さも、雀右衛門に劣らず、私の胸に染み込んで来たことも事実で
ある。世の多くの父と母は、皆、わが子に対して、こういう思い
を抱きながら生きて来られたと、私も、自分の息子を思いなが
ら、感じている。親子の情の普遍的なありようを「熊谷陣屋」
は、今回も、新たな気持ちで教えてくれた。今回の雀右衛門の相
模は、敦盛の身替わりとなった息子・小次郎の首を抱き寄せる所
作に真情を滲ませていたと、私は、感じた。

夕闇迫る陣屋、花道の引っ込みを前に、自分が手をかけて、16
歳で殺した息子の全生涯を思い、「ア、十六年はひと昔、アア夢
だ、夢だ」という台詞で、7年前、両目に泪を溢れさせた仁左衛
門は、今回は、涙が流れていなかったが、これはこれで、そのと
きの心境の作り方で、泪が流れたり、流れなかったりするのかも
知れない。名人は、いつも、同じように演じられるという。例え
ば、舞台で投げ出す小道具の位置が、いつも、同じ場所だとい
う、言い伝えが、藝談として聞こえてくるが、それも、そうなの
かも知れないし、そうでなくても差し障りはないのかも知れな
い。ただ、私にとって、7年前、98年2月の歌舞伎座の、仁左
衛門の直実の泪は、強烈な印象として残っている。今回は、それ
が観られずに、残念であったが、ほかの日には、自然と泪が流れ
ていたのかも知れない。

幕外の、直実の引っ込みでは、大間の「憂い三重」から、早間の
「送り三重」に、三味線の撥裁きが変わるが、仁左衛門の引っ込
みに対する、拍手の後で、ざわつきはじめた観客席では、いった
い、何人が、素晴しい三味線の音に耳をそばだてて聞き入ってい
ることだろう。

そのほかの役者。まず、義経の梅玉は、2回目。情味のある、大
らかな義経であった。梅玉も義経に馴染んで来たようだ。弥陀六
の柄があっている役者は、羽左衛門が、亡くなった以降、左團次
ぐらいになってしまったが、今回は、私にとって、4回目の左團
次というで安心、ほかの役者の弥陀六では、段四郎にも、味が
あったのを覚えている。今回の堤軍次は、愛之助。秀太郎の養子
の、愛之助は、女形を軸にしているが、こういう立役も良い。こ
のところ、雰囲気が、仁左衛門に一段と似て来たように思う。そ
の秀太郎は、藤の方で、秀太郎の藤の方は、すでに、観ているよ
うな気がしたが、歌舞伎座初演で、私にとっても、初めて。

さて、所作事二題。「雨の五郎」と「浮かれ坊主」。吉右衛門演
じる「雨の五郎」は、2回目。前回は、5年前の国立劇場歌舞伎
鑑賞教室で観た。五郎は、信二郎が演じていた。「春雨に 濡れ
て廓の化粧(けわい)坂」「雨の降る夜も雪の日も 通い通いて
大磯や」というわけで、雨にも負けず、曽我五郎が、大磯の廓に
居る化粧坂少将の元へ通う様を描いた長唄舞踊。同じような扮装
の五郎が主人公で、蛇の目傘を軸に180度違うシチュエーショ
ンに注目し、前回の劇評では、次のように論じた。

*「晴れてよかろか晴れぬがよいか」「いつか晴らさん父の仇」
という長唄の歌詞に、曽我物語の仇討ちへの強い意志が、「晴れ
と雨」の対比として、かなり明確なメッセージがあるような気が
する。

ということで、「晴れの助六」と「雨の五郎」とを対比して論じ
てみた。今回は、吉右衛門に注目。

幕が開くと、無人の舞台に大せりが落ちている。朱の消し幕。背
景は、廓の大門がシルエットで描かれている。門と柳の木に降る
雨。大せりが上がって来る。朱の消し幕は、黒衣が、ふたりで背
負っていたようで、消し幕の振り落としで、黒地に蝶、むきみ隈
に紫縮緬の頬被りという伊達な五郎が、上がってくるという趣
向。天紅の遊女からの艶文。少将との色模様を描く。大きな蛇の
目傘に白い緒の付いた黒塗りの下駄も、伊達だ。緑色の房の付い
た大太刀2本。すっかり、荒事モード。羽織を脱ぐと、白い浴衣
姿の4人の廓の若い者たちと絡む五郎。黒と白の立回り。頬被り
を取った後は、父の敵討ちを目指す五郎の本懐を物語る荒事とな
る。「父の仇 十八年の天津風」。附け打ち入りの立回りの所作
事。次いで、軽快な手踊りなどを交えて緩急自在のうちに廓情緒
を醸し出し、最後は、荒事の元禄見得で決まる。吉右衛門が、全
編を通じての軽快なテンポの音楽にあわせて、颯爽とした五郎を
演じる。

「浮かれ坊主」は、4回目。初めて観たときは、富十郎で、富十
郎は、可憐な「羽根の禿」から「うかれ坊主」に変身。若い娘と
半裸の中年男の対比の妙。2回目も、富十郎で、このときは、
「鐘の岬/うかれ坊主」。3回目が、菊五郎で、「女伊達/うか
れ坊主」と、皆、「替り目」の組み合わせの妙に一工夫してい
る。それぞれ、独立した変化舞踊だけに、取り合わせは自由で、
役者の創意工夫が、演出の妙を生む。しかし、今回は、吉右衛門
の「雨の五郎」は、一旦幕で終了。つながりがない。今回の「う
かれ坊主」は、一幕もの。しかも、踊り手も富十郎に替る。共通
点は、前半が、(大磯の)廓の門内、後半が、(吉原の)廓の裏
門の外という、設定で、廓内外というところか。

裸に近い願人坊主が、ユーモラスな振りで、ジェスチャーのよう
にさまざまな人物を描いて行く踊り。チョボクレと「まぜこぜ踊
り」。緩怠するところがない。達者な富十郎の当り役。洒脱、滑
稽さ、リアルな描写、緩急自在な所作、いずれも、まさに、名人
芸の域。太り気味の富十郎の体重も宇宙遊泳のような軽やかさ。

「人情噺文七元結」は、明治の落語家・三遊亭圓朝原作の人情
噺。明治の庶民の哀感と滑稽の物語だ。その軸になるのが、酒と
博打で家族に迷惑をかけどうしという左官職人の長兵衛だ。時代
物だと、どうしても、思い入れがオーバーアクションになってし
まう幸四郎なので、あまり期待しないで観ていたら、なんと、こ
のところ、世話物に意欲的に取り組んでいる幸四郎は、初役なが
ら、長兵衛をすっかり乗っ取ってしまったようで、見応えのあ
る、人情味溢れる職人像を造型していたので、感心してしまっ
た。

私が、6回観た「人情噺文七元結」のうち、長兵衛は、菊五郎が
3回、吉右衛門、勘九郎時代の勘三郎、そして、今回の幸四郎。
兎に角、長兵衛は、菊五郎が抜群で、細かな演技まで、自家薬籠
中のものにしている。江戸から明治という時代を生きた職人気
質、江戸っ子気分とは、こういうものかと安心して観ていられる
と思って来たが、今回、初演の幸四郎が、長兵衛役者として、上
位に割込んで来た感じがする。それほど、印象的な長兵衛であっ
た。大川端で身投げをしようとする文七を相手に、「お前(め
え)、お店者だな」という辺りは、松竹映画「男はつらいよ」の
寅次郎役の渥美清の得意の科白「お前(めえ)、さしずめ、イン
テリだな」というイメージと重なって来て、幸四郎長兵衛の成功
を予感させた。その秘密は、これまでの「深刻郎」と揶揄される
幸四郎のイメージと滑稽な長兵衛のイメージの落差を逆に利用し
て、衝撃的な滑稽味を出したということだろうと思うが、いかが
だろうか。

この芝居の特徴は、善人ばかりで成り立っているということだろ
う。すっかり、善人の姿が少なくなり、政治家を含めて、「勝ち
組」に入りさえすれば良いとばかりに、なにかというと他人を出
し抜く昨今の世相を観ていると、善人ばかりが出て来る芝居は、
それだけで、現代への鋭い批判となっていると、思う。歌舞伎の
普遍性は、こういう形でも、世間に情報発信していると、思う。

長兵衛同様に大事なのは、女房・お兼であろう。私が観たお兼役
者は、田之助が、2回。松江時代の魁春が、2回。現在休演中の
藤十郎、そして、今回の鐵之助。これは、田之助が巧い。田之助
は、菊五郎に本当に長年連れ添っている女房という感じで、菊五
郎の長兵衛と喧嘩をしたり、絡んだりしている。いつも白塗りの
姫君や武家の妻役が多い松江が、砥粉塗りの長屋の女房も、写実
的な感じで、悪くはなかった。藤十郎のお兼を観たのは、97年
1月だから、もう9年近く前になり、印象が甦って来ない。78
年から97年までに、本興行で、9回演じている上演記録を見る
と、元気な頃の藤十郎は、お兼を当り役としていたことが判る。
相手の長兵衛が、先代の勘三郎、勘九郎時代の勘三郎、吉右衛
門、富十郎という顔ぶれを見れば、藤十郎のお兼が、長兵衛役者
から所望されていたであろうことは、容易に想像される。今回の
鐵之助は、いわば、抜てきだろうが、その期待に違わぬ達者なお
兼で、見応えがあった。

ついで、長兵衛一家の、親孝行な一人娘・お久は、今回も、宗之
助だが、すっかり、彼の持ち役になっているようだ。私が観たの
は、宗丸時代を含めて、宗之助で4回。いつ観ても、歌舞伎役者
という、男が見えてこないほど、娘らしく見える。上演記録を見
ると、宗丸時代を含めて、本興行だけでも、今回で、8回にな
る。特に、今回は、昼の部の「熊谷陣屋」で、義経の四天王のひ
とり、伊勢三郎の凛々しい若武者姿の宗之助を観ている観客に
とっては、娘姿への変身振りは、なによりのご馳走ではないだろ
うか。17歳で、親の借金の身替わりに苦界に身を沈めようとす
る娘・お久と、「息子」で、19歳で家を出て、9年ぶりにお上
に追われる身になって故里江戸に帰って来た金次郎というふたり
の若者の姿に、昼の部の、秘めた意図を深読みする。それは、若
者への応援歌。若い人たちも、是非、歌舞伎を観に来て欲しい。

さて、外題にある文七役は、今回は、染五郎。私は、3回目の拝
見。昼の部の「息子」金次郎としても、老爺との真意を秘めての
やりとり、ここでも、前半は、身投げをしようとして長兵衛とい
う初老の男をてこずらせる。染五郎は、こういう役が巧い。この
役は、前半の深刻さと後半の弛緩した喜びの表情とで、観客に違
いを見せつけなければならない。染五郎の後半は、少し影が薄く
なる。控えめな役どころだが、もう一工夫欲しいところ。それ
は、深刻さを乗り越えた末の喜びの表出のメリハリが弱いからだ
ろう。今回も、その印象は変わらなかった。

秀太郎の角海老の女将・お駒は、情のある妓楼の女将の貫禄が必
要だが、底には、若い女性の性(人格)を商売にする妓楼の女将
の非情さも滲ませるという難しい役だと思う。私が、10年前に
観た九代目宗十郎は、その辺りが巧かった。その後観たお駒は、
芝翫、雀右衛門、萬次郎、玉三郎、そして、今回の秀太郎は、宗
十郎に近いか。

和泉屋清兵衛「めでたし、めでたし」の幕切れでは、各人の割台
詞が一巡したあと、清兵衛が「きょうは、めでとう」という台詞
にあわせて、煙草盆を叩く煙管の音に、閉幕の合図の柝の音を重
ね、「お開きとしましょうよ」となり、賑やかな鳴物で閉幕とな
るなど、洗練された人気演目のスマートさがにじみ出ている。こ
こも小道具の煙管の使い方が、巧みだ。和泉屋清兵衛は、いまは
亡き、先代の権十郎が良かった。
- 2005年11月23日(水) 13:50:55
2005年11月・国立劇場 (「絵本太功記」)

「絵本太功記」は、「尼ヶ崎閑居の場」ばかりが上演される。十
三段の人形浄瑠璃は、明智光秀が織田信長に対して謀反を起こす
「本能寺の変」の物語を基軸にしている。十段目の「尼ヶ崎閑居
の場」が、良く上演され、「絵本太功記」の「十段目」というこ
とで、通称「太十」と呼ばれる。本来は、一日一段ずつ演じられ
たので、「十段目」は、「十日の段」と言ったという。今回は、
明智光秀こと、武智光秀を軸に尾田春永、真柴久吉、加藤正清、
森蘭丸らが、登場し、序幕として、朔日(一日)が「二条城」、
二日が「本能寺」、二幕目として、六日が「妙心寺」、三幕目と
して、九日が「大物浦」、大詰として、十日が「尼ヶ崎」が上演
される。人形浄瑠璃の通し上演の段立てに倣ったようだ。今回
は、珍しく、通し上演なのである。「太十」は、今回含めると4
回拝見したことになるが、通しは、初めて。

そこで、今回の劇評の論立てを構想し、整理してみた。まず、
1)「通し上演」と、普通の「太十」との違いを論じよう。次
に、2)外題の「絵本太功記」の意味。そして、3)役者論。そ
ういう3つの「太」い柱を建ててみた。

「太十」だけの上演では、前半が、十次郎と初菊の恋模様、後半
が、光秀と久吉の拮抗。特に、光秀の謀反を諌めようと久吉の身
替わりになって竹槍で息子に刺される母の皐月の場面などが、見
せ場がある。戦争に巻き込まれた家族の悲劇を、それぞれの立場
で描く。いわば、反戦狂言。

1)ところが、原作の13冊本のように、六月一日から十三日間
を順を追ってというほどではないにしろ、今回のような、光秀の
謀反への経緯を順を追って展開させると、まず、発端の安土城
は、なし。

朔日の、二条城。金地の襖には、中央が、松と竹、上手と下手
は、外側から内側へ、松と桜、唐獅子と牡丹。幕が開くと、皆、
下を向いている。竹本で、名を告げられると、まず、我當の尾田
春長が、人形から、生き身に変わる。次いで、進之介の勅使浪花
中納言という順で、息を吹き返す。「仮名手本忠臣蔵」の大序の
演出を真似ている。権力者(内大臣)春長の居城らしく、紅毛の
バテレン、印度人の従者も末席に控えている。勅使饗応の席で、
春長(我當)に難癖を付けられ、春長に命じられた森蘭丸(孝太
郎)にいたぶられ、額に傷を付けられた光秀(橋之助)が、主
(ぬし)に対する謀反の気持ちを沸き上がらせるのは、良く判
る。光秀の鬘を割る額の傷は、正装の烏帽子で隠されていた。俯
いて、傷から流れ出る血を指に付けた紅で、密かに描く橋之助。
そういう所作さえ、演技にしてしまう歌舞伎という芝居。春長
は、まさに、理不尽な上司だ。蘭丸は、春長の手足となって乱暴
を働く憎まれ役。橋之助は、幕外の、怒りの演技が巧かった。ブ
ルルッという大きな声を出した後、花道七三で、横を向いたま
ま、不敵な笑みを浮かべる。正面を向いてからの睨み、また、不
敵な笑み、睨み、畳み掛けるように変化する表情に、光秀の怒り
の深まりが滲み出て来る。引っ込み。

そして、遂に、光秀による謀反の実行が、二日の本能寺。網代塀
の道具幕が、降り落とされると、阿野(あのう)の局の舞を楽し
む春長。座敷には、雪洞も置いてあるので、夜の場面と知れる。
無気味な烏の啼声が、異変を予兆する。寝所に入った春長が、襲
われる。部下をいたぶった春長は、物見にたった蘭丸から、謀反
の主が、あの光秀と知って、自害を決意する。「蘭丸、さらば
じゃ」で、姿を隠す春長。大道具は、鷹揚に廻る。武智方の閧の
声。大道具、半回しで、本能寺の長い廊下が、斜に止まる。さす
がの演出。客席から見ると、この方が、廊下が長く見える。尾田
方、武智方、双方の軍兵の大立ち回り。さらに、舞台は、廻り、
廊下も正対する。柱に仕掛けた矢が突き刺さるように見える。鉄
砲の音。蘭丸も、春長の代わりに奮戦し、傷付き、最後は、割腹
する。戦の場には、春長は、いないまま、芝居は展開する。余韻
を持たせる省略法。

三日の高松城、四日の小梅川(こばいかわ)の陣、五日の久吉陣
屋は、なし。

六日の妙心寺では、光秀の家族が住まう。謀反の息子を譏り、粗
服で、家出をしてしまう母親の皐月(吉之丞)。暫定ながら、天
下人になって、凱旋して来たはずの光秀は、浮かぬ顔。光秀は、
人を遠ざけ、銀地に山水画の衝立を裏返して、なにやら、漢詩を
書く。「順逆無二門、大道徹心源、五十五年夢、覚来帰一元」。
辞世の詩である。人生五十年と言って、自害した信長、五十五年
は、夢と言って、自害しようとする光秀。物陰から飛び出して来
た光秀の息子の十次郎(魁春)と家臣の田島頭(たじまのかみ・
歌六)が、止める。万民のため、暴君を討ったのだから、天下人
になるべきだと諌められる。次の敵、久吉に対抗すべく出陣する
立烏帽子、大紋の拵えの光秀。従う十次郎と田島頭。

七日の杉の森、八日の春長初七日のチャリ場も、なし。

九日の大物浦も田島頭、旅僧献穴(家橘)が百姓に化けて、陣屋
の久吉に近付き、献穴は、逆に殺されてしまうが、これも、チャ
リ場。かがり火で、この場面も、夜と知れる。殺された献穴の袈
裟衣を剥ぎ取って、持ち去る久吉は、十日の尼ヶ崎では、その袈
裟衣を着て、旅僧に身を窶して皐月閑居に一夜の宿りを乞うから
だ。

そして、十日の段というわけだ。今回の「太十」では、「夕顔
棚」という導入部(人形浄瑠璃の「端場(はば)」は、歌舞伎で
は、滅多に演じられない)も、4人の百姓を出して、略さずに演
じるという貴重な場面を観ることができた。今回の、いわば、半
通し上演では、光秀の軌跡が良く判り、その上、古典復元を目指
す国立劇場らしい古風な細部を生かした叮嚀な演出とも相まっ
て、おもしろく拝見した。

蓑を着け、竹の子笠を持って「夕顔棚のこなたより現れ出(い
で)たる武智光秀」で、雨が降っているのが、判る。額に大きな
三日月の傷があり、菱皮の鬘も、猛々しい。いつもの「太十」の
場面だ。従来の「太十」だけの上演では、時空が、限定されてい
る。通しで芝居を観ることで、「絵本太功記」が、光秀の謀反の
顛末記だということが、良く判ったし、武将の理想と家族への情
愛との間で苦悩する光秀の心情も、理解できた。

2)さて、なぜ、光秀の謀反記が、秀吉の「太閤記」になぞらえ
た外題が付けられたのだろうか。人形浄瑠璃の芝居は、当時、巷
で流行った読本の「絵本太閤記」の人気にあやかろうとしたの
で、「絵本太功記」と同音異義を仕組んだのだろう。ここから
は、推理だ。「太功記」は、光秀の謀反を「太い功」と讃えてい
る。久吉に「対抗」する光秀を贔屓している大衆の権力への反逆
心が伺える。だとすれば、「絵本」にも、意味がありそうであ
る。単なる、芝居の2年前に流行った読本の「絵本」というだけ
ではないのではないか。絵の本。「絵」、つまり、美学が隠され
ているのではないか。隠されているとすれば、どういう美学だろ
うか。それは、やはり、「滅びの美学」だろう。権力を乱用した
挙げ句、臣下に背かれた春長の「滅びの美学」。主に謀反しなが
ら、晴れ晴れと凱旋せず、鬱々として、滅びて行った光秀の美
学。そういう、「滅びの美学」への、近松柳らの合作者たちの、
共感が外題に秘められて、いはしないだろうか。そこには、滅び
ずに老醜を晒した秀吉への批判、さらには、江戸幕府の開祖・徳
川家康への批判、芝居を取り締まる寛政期の時代の権力者への、
秘められた批判が、伺えやしないだろうか。

3)さらに、役者論である。「太十」だけでも、時代物の典型的
なキャラクターが出揃う狂言である。それぞれ、仕どころのある
役柄として揃っている名演目のひとつ。

◎まず、團十郎代役の橋之助。座頭の位取りの辛抱立役で、謀反
の敵役でもある光秀は、本来、團十郎が予定されていた。病気再
発で、休演の團十郎に替って「現れいでた」のが、橋之助。光秀
は、團十郎で2回、幸四郎で1回。それだけに、團十郎の印象が
強い。橋之助は、役者として、ビッグチャンスだが、橋之助の光
秀を観ていると、演技の節々に團十郎なら、どう演じたかを思わ
せてしまうところがある。菱皮の鬘に眉間の傷というおどろおど
ろしい光秀の團十郎は、眼光鋭く、時代物の実悪の味を良く出し
ていたのを思い出す。無言劇のように、科白のほとんどない悲劇
の主人公・光秀を團十郎は、重厚ながら、細かいところにこだわ
らない、おおらかさで演じていた。この辺りは、橋之助では、ま
だ、弱い。光秀の難しさは、いろいろ動く場面より、死んで行く
母親(特に、母親の皐月は、自ら、久吉の身替わりを覚悟した=
久吉の着ていた墨染の衣を被っている=とは言え、過って、息
子・光秀に竹槍で刺されて、殺されるのだ)と戦場で傷付き、や
がて、目が見えなくなり、死んで行く息子・十次郎のふたりの死
を見ながら、表情も変えずに、舞台中央で、眼だけを動かし、
じっとしていることだろう。演じない演技とでも言おうか、この
光秀には、そういう難しさがある。こういう場面は、外形的な仕
どころがないだけに、肚の藝が要求され、難しいのではないか
と、橋之助を観ながら、改めて感じた。

○若真女形の役どころ、赤姫のような扮装の、十次郎の許嫁・初
菊には、孝太郎というのは、順当だが、実は、孝太郎は、前半、
序幕の二条城と本能寺では、立役で、森蘭丸を演じる。森蘭丸の
ときは、声も太くて、良い若衆役であった。足の運びも、猛々し
くて良かった。立回りも、巧い。もうひとりの真女形、魁春も、
立役の武智十次郎を演じる。こちらは、声が、甲(かん)の声に
近いままで、ちょっと興醒め。十次郎は、「太十」では、赤い衣
装に紫の裃で、「十種香」の武田勝頼のよう(二条城、妙心寺で
は、違う色の組み合わせで裃を着ていたが、メモから欠落してい
るので、ここに明記できない)。その後、出陣のため、鎧兜に身
を固めた十次郎は、義経のよう。最後は、戦場で深手を負い、や
がて、盲いて死んでしまう。魁春は、声、足の運びが、女形っぽ
いが、その外は、無難に演じていたと思う。このほか私が観た初
菊は、松江時代の魁春で1回、福助で、2回。十次郎は、染五
郎、新之助、勘九郎時代の勘三郎。これは、若手ふたりは、初々
しい十次郎であった。芝翫によれば、十次郎は、女形が演じる役
だというが、あまり、観たことがない。立女形の妻・操は東蔵が
演じていたが、雀右衛門で2回、芝翫で1回観ている身として
は、やはり、東蔵では、小粒感が残るのは、致し方ないか。操
は、母の情愛、位取りをどっしりと演じなければならない。光秀
の母・皐月に老女形の吉之丞だが、これも、権十郎、田之助、東
蔵と観て来たから、やはり、田之助は、別格か。皐月も、位が見
えないといけない役なので、かなり難しいと思う。このほか、春
長の側室で、艶やかな舞を披露する阿野(あのう)の局に右之
助、光秀の腰元たちのなかには、私の贔屓する芝のぶもいる。

●光秀に対抗する立役の久吉に芝翫だが、これは、局面事にでて
くるだけだが、大御所風にゆったりとしている。私が観た久吉
は、富十郎、我當、橋之助。「太十」以外の場面では、序幕の二
条城、本能寺で重要な役どころ、天下を狙う、国崩しに近い敵役
の尾田春長に我當が、風格を備えた敵役というところか。森蘭丸
の弟・力丸には、歌昇の息子で、高校1年生と、若い種太郎。四
方天(しほうでん)田島頭は、大物浦で百姓・長兵衛に化けて、
チャリも交えながら、久吉の陣屋に近付くなど、仕どころのある
役で、存在感があるのが、歌六。歌六は、今月は、歌舞伎座と掛
け持ち。歌舞伎座昼の部の最初の演目「息子」という翻案ものに
出演。江戸の人情話に仕立てられた芝居で、人情溢れる頑固な老
人を演じる。国立劇場に出演した後、歌舞伎座夜の部では、「お
さん茂兵衛」で、悪賢く、剽軽で、スケベな番頭を演じている。
全く役柄の違う3役を木挽町と三宅坂を往復しながら、見事に演
じ分けていて、偉い!!。このほか、旅僧献穴、実は、宝国寺の
南山和尚という高僧を演じる家橘は、旅僧に化けた、いわばスパ
イだが、久吉も、殺した献穴の衣装を剥ぎ取り、同じく旅僧に化
けて、「太十」では、尼ヶ崎の皐月の隠れる閑居に忍び入るのだ
から、おもしろい。蘭丸と争う光秀方の武将・安田作兵衛の市
蔵、勅使浪花中納言の進之介、加藤正清の男女蔵など。

贅言:今回演じられた「妙心寺」は、春長を討った光秀が、家族
の元へ凱旋した寺。実は、信長と「逆縁」がある。応仁の乱で、
焼失したが、その後再興された寺。戦国時代、武田信玄に帰依
し、甲府盆地にいまもある恵林寺(えりんじ)の住職になった快
川紹喜(かいせんじょうき)は、信玄の息子・勝頼が信長に滅ぼ
された際、信長に抵抗した挙げ句、恵林寺を焼かれ、自身も火中
で亡くなったが、「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」と言った
という。光秀所縁の妙心寺の流れを組む僧侶の意地の見せ所と
思ったのかも知れない。

恵林寺へは、春に行ったことがある。桜が咲いている時期なの
に、珍しく雪が降り、満開の桜の花の上に、雪が、ゆるりと積も
り、桜色の餡を入れた大福のように見えたのを覚えている。恵林
寺は、その後、甲府盆地に入って来た徳川家康によって、手厚く
保護された。だから、甲府盆地では、信長の評判は悪く、家康の
評判は良い。

甲府徳川家は、祖が家光の子の綱重で、その子・綱豊が、後に、
五代将軍綱吉の養子から、後を継いで、六代将軍家宣となるな
ど、徳川家の名家である。綱豊卿は、真山青果原作の「元禄忠臣
蔵」のうち、「御浜御殿綱豊卿」という芝居が、かかる度に、舞
台でお目にかかることができる。

ところで、京都の妙心寺には、信長の死から5年後、光秀の叔父
の密宗和尚が、光秀の菩提を弔うために「明智風呂」と名付けた
風呂を創建したという。京の庶民は、光秀の命日の六月十四日に
は、この風呂に入ったという。この習慣は、江戸時代まで続いた
と伝えられている。

- 2005年11月15日(火) 22:59:20
2005年10月・国立劇場 (「貞操花鳥羽恋塚」)

国立劇場で、鶴屋南北生誕250年歌舞伎公演を観る。南北は、
1755年生まれで、1829年没。今回は、南北54歳の時の
作品「貞操花鳥羽恋塚(みさおのはなとばのこいづか)」を通し
で上演。通し狂言といっても、原作から見れば、半通しといった
ところ。それでも、休憩を挟んで12:00から17:00前ま
でということで、実質的に4時間の長丁場だ。これで、3等席な
ら1500円というのは、実に安い。それも、生の舞台で、一流
の歌舞伎役者の演技を観るのだ。要は、舞台と自分の座る客席の
距離、位置、角度の違いが、料金の差になる。芝居から得られる
情報は、観る側の眼力によるから、高い席で得られる情報と安い
席で得られる情報と、どう違うのか。どの席にも、得られる情報
には、限度がある。良い席でも、得られない情報があるし、悪い
席でしか、得られない情報もある。例えば、今回のような「宙乗
り」は、「宙の花道」を役者が引っ込むまで全てを見届けるの
は、1階より、3階の席の方が有利だ。私は、国立劇場では、3
等席の最前列の「10列」が、愛好の席だから、今回も、そこで
拝見。

南北が長い下積み生活を終えて、河原崎座で立作者になったの
は、49歳、1803年のことだ。名前は、まだ、南北を名乗っ
ていない。勝俵蔵だ。1804(文化元)年7月河原崎座の「天
竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」で、2ヶ月半
の上演という大成功を納め、立作者の地位を不動のものにした。
以後、「四天王楓江戸粧(してんのうもみじのえどぐま)」、
「彩入御伽艸(いろえいりおとぎぞうし)」、「時桔梗出世請状
(ときもききようしゆつせのうけじよう)」、「阿国御前化粧鏡
(おくにごぜんけしようのすがたみ)」などを上演し、1809
(文化6)年11月、河原崎座の顔見世興行が「貞操花鳥羽恋
塚」であった。俵蔵、54歳の作品。南北を名乗るのは、57歳
から。

「貞操花鳥羽恋塚」は、袈裟御前、遠藤武者盛遠、渡辺亘の「鳥
羽恋塚」の物語を軸に、崇徳院、阿闍梨と源頼政という、さあr
に、ふたつの物語を綯い交ぜにして、平家物語の「世界」を、オ
ムニバス構成の展開で、荒唐無稽な話だが、全体的には、怨念を
ベースにした怪奇物語になっている。複雑な構成なので、どうい
う形で、劇評を書くか、悩ましかったが、情報を整理し、劇評構
成案をスケッチした上で、翌日、構想をまとめて書き出した次第
だ。それでも、いつになく長めの劇評になった。初見だから、書
きたいことが、溢れて来る。ご容赦願いたい。

国立劇場では、25年前の1980(昭和55)年、11月に復
活上演している。郡司正勝補綴・演出で、今回とは、構成自体も
大きく異なるということで、国立劇場では、25年ぶりの「再
演」とは、位置付けずに「新たに作り直した台本」としている。
私は、25年前の舞台は観ていないので、全くの初見であるの
で、前回の舞台とは関わらずに、批評を進めたい。

1)今回の、「世界」の構造。「平家物語」である。平家物語の
うち、「保元・平治の乱」以降に時代を置いた。序幕は、基本的
に大詰のための顔見せという位置付け。原作の「厳島神社」を止
めて、「祇園女御(ぎおんにようご)」の伝説に登場する油坊主
(祇園火とぼし)が、実は、大詰「鳥羽恋塚」の「高雄神護寺の
場」の主要人物・遠藤武者(富十郎)の顔見せとなる「だんま
り」という演出をとったため、「祇園社境内の場」として、設定
されている(贅言;「祇園火とぼし」は、澤田ふじ子の作品にも
出て来たと、思う)。従って、序幕に出て来る役者は、皆、「実
は」という人が主軸で、「仕丁姿の女」は、大詰の袈裟御前(時
蔵)であり、忍び頭巾の侍は、大詰の渡辺亘(梅玉)である。も
うひとつは、二幕目への伏線として、平宗盛(信二郎)と臣下の
武蔵有国(彦三郎)、後の実は、奴・音平となる、有国を仇と狙
う、物かはの蔵人(くらんど)満定(松緑)なども、登場する。

今回の芝居は、いわば、3つの物語を綯い交ぜにしている。ひと
つが、いま触れたように、大詰で展開される「鳥羽恋塚」伝説。
袈裟御前が、夫・渡辺亘の身替わりに遠藤武者を騙して、遠藤武
者に討たれる「貞女の鏡」伝説を元にしている。

ふたつ目は、保元の乱で敗れ、怨念を武器に魔神(天狗)に変身
する崇徳院所縁の怪奇物語。今回は、三幕目「讃洲松山」の場面
で登場する。流人の身に落ちぶれた崇徳院(松緑)は、屏風ヶ浦
崖下の庵室で魔界の首領となるべく祈願を続けている凄まじい人
物。わが子を連れて逢いに来た待宵の侍従(孝太郎)を拒絶し、
わが子を殺してまでの、徹底した意志力で、祈願を成就させ、神
通力を備えた天狗に変身するさまを松緑初演の「宙乗り」を交え
て、表現する。

3つ目は、二幕目に登場する源三位(げんざんみ)頼政と頼豪阿
闍梨(らいごうあじゃり)の物語。源氏ながら、平治の乱で、平
家方に付いた頼政(梅玉)は、いまでは、高倉の宮以仁(もちひ
と)王を擁して平家打倒を目指している。三井寺の庵室にいる頼
豪阿闍梨(歌六)は、祈祷の力で建礼門院に男子を出産させたと
しながら、戒壇設立の約束が果たされなかったと平家を恨み、断
食修行の末に、死して鬼畜となろうという、これまた、凄まじい
人物である。

頼政館では、以仁王が、千束(ちづか)姫(梅枝)として、身を
隠している。平家方は、源氏方に本家返りをした筈の頼政を疑
い、千束姫を平宗盛(信二郎)に差し出せと上使として、武蔵有
国(彦三郎)を送り込んで来る。その平家方と頼政の駆け引きが
見せ場。それに、後に頼政の姪と判る蜑(あま)・小磯(時蔵)
と奴・音平(松緑)の許嫁の縁探しが絡み、小磯の千束姫への身
替わり(役者としての時蔵は、この身替わりと、大詰の夫・亘へ
の身替わりという二重性を演じている)話も絡む。

不運の運命(さだめ)の星の下にある頼豪阿闍梨は、頼政と平家
方の駆け引きに巻き込まれ、平家方が密かに仕掛けた毒酒を、何
も知らぬ頼政に勧められて飲み干し、頼政への疑念を抱いたま
ま、悶絶する。頼豪阿闍梨は、仏壇返しで床の間の壁の中に消
え、消えた後には、「南無阿弥陀仏」の掛け軸が揺れている。そ
して、阿闍梨怨念の化身として鼠の大群が館内を駆け巡る。

従って、今回の芝居は、3つの物語のオムニバス構成を愉しみな
がら、あまり、全体を追わずに観ることが大事だろう。一歩引い
て、全体を観終ると、政治的に敗者となった人たちの「ルサンチ
マン(怨念が、反復、内攻している)」劇が、怪奇現象を伴いな
がら、大きな流れとして浮かび上がって来るのが、判る。まあ、
それより、荒唐無稽な細部(エピソードであり、大道具であり、
仕掛けであり)を楽しみながら、十二分に騙されて、観劇後、良
い気持ちになるかどうかというのが、今回の観劇のポイントだろ
う。

2)細部のおもしろさ。「ウオッチング」で、気が付いた場面か
ら、暗闇で、書きなぐった、私のメモを元にしながら、いくつか
細部の見どころや役者の演技の目の付けどころを拾ってみよう。

○「序幕」。本舞台は、祇園社境内だが、原作の厳島神社を彷彿
とさせる朱塗りの舞台がある。上手には、紅白の梅2本。下手に
は、白梅。舞台では、白拍子姿の待宵の侍従(孝太郎)と物かは
の蔵人(松緑)。やがて、両花道を使って、本花道から、源頼政
の家臣・渡辺唱(亀三郎)と、仮花道から、平宗盛に仕える奴・
くだ平(男女蔵)が、いずれも獅子頭を持って登場する。癇癪持
ちらしい宗盛は、神事に耳障りな鴬をくだ平に命じて、射殺させ
る。鴬の血が、崇徳院の忠実な臣下・瀧口常久(玉太郎)が持参
した崇徳院筆写の一巻の経文にかかると「人魂」のような妖しい
炎が現れ、くだ平の身体が痺れ出す。ホラー芝居の幕開けだ。

○(舞台は、廻る)擬音社裏手。院宣(後白川法皇が源頼朝に対
して平家追討を命じる)を持つ密使とくだ平の争い。相打ちで、
ふたりとも死ぬ。社の裏壁を壊して出て来たのが、麦藁笠を被っ
た油坊主(富十郎)が、落ちている院宣を奪う。続いて現れた頭
巾の侍(梅玉)、花道から姿を見せた仕丁姿の女(時蔵)。3人
とも、得体が知れないまま、「だんまり」となる。原作の厳島神
社、つまり海辺のだんまり(例:「宮島のだんまり」)が、祇園
社、山中のだんまりに変わっている。

○「二幕目」。頼豪阿闍梨を演じる歌六の存在感の出し方。蜑
(あま)・小磯が、頼政の姪と判り、千束(ちづか)姫の身替わ
りとするために、頼政が小磯に姫の衣装を着せるが、企みを知ら
ぬ小磯が、「娘」から「姫」へ変身し、誰ぞのところへ嫁に行く
という喜びを表現する場面での、時蔵の演技の巧さ。千束姫、実
は、高倉の宮以仁(もちひと)王として、正体を顕わす時蔵の長
男・梅枝の演技。櫃に潜んで頼政とともに、頼政館に入って来た
頼豪阿闍梨は、以仁王の剣難除去の行法をするが、その際の、
「黒い剣難の固まり」が、物の怪のように、以仁王の胎内から退
散する仕掛け。

○先に触れたように、平家方の武蔵有国(彦三郎)らが、仕掛け
た毒入りの神酒を、源氏方の皆が、知らないまま、飲まされた頼
豪阿闍梨は、頼政の仕業と誤解しながら、悶絶死し、「仏壇返
し」の仕掛けで姿を消し、その後、鼠の大群に化身するが、その
仕掛けのおもしろさ。酒を進めたために阿闍梨に食い殺される腰
元巻絹(歌江)。味方と思ったのに裏切られたという疑念とその
ための恨みを抱いたまま、鬼畜になった頼豪阿闍梨の妄念の凄ま
じさ。平家方の武蔵有国(彦三郎)らが、時計に隠した「霊猫の
香炉」が、発覚し、光る仕掛けなど、手品(日本手妻)の工夫が
あるという。

○「三幕目」。屏風浦の場面から、崖下、崇徳院御在所の場面へ
の大道具の展開の妙。舞台が、暗転し、廻りながら、大せりが、
せり上がりはじめる。奈落から崖と御在所の庵室がせり上がって
くるが、暗闇のなかに奈落の灯が洩れて、一見すると、何が廻っ
て来たのか判らない。せり上がった大道具は、さらに、舞台前方
に押し出されて来る(特に、庵室)。舞台下手の地絣が取り払わ
れ、浪布に覆われた海辺。花道にも、浪布。この大道具の展開
は、見事だった。花道は、沖合いになっている。

○やがて、花道から待宵の侍従(孝太郎)を乗せた苫船が浜辺に
着く。黒衣ならぬ紺色の浪衣が、3人がかりで、花道の上下か
ら、船を押す。待宵は、胸に赤子を抱いている。浜辺の木の枝に
引っ掛かっているのは、崖上から瀧口常久(玉太郎)が落とした
魚籠(びく)と魚籠に入ったままの御教書(崇徳院殺害を命じる
平清盛の書)。都合良く、木の枝に引っ掛かったものだ。待宵の
侍従は、抱いていた赤子と持っていた黒塗りの笠と杖を木の根元
に置くが、その際、魚籠も枝から下ろし、笠などとともにまとめ
て置いた。何故かと思ったら、魚籠に入れて赤子の若君を休ませ
ておくのだった。

○侍従の一夜の宿りを拒否する「父親」崇徳院は、わが子、若君
を見せられても態度を変えないどころか、魔道に入るため、生き
物の命を奪う「行」の末に、わが子の命を奪い、神通力を身につ
ける有り様だ。落語の「崇徳院」でお馴染みの「千早振
る・・・」(上の句)と、「割れても・・・」(下の句)を合わ
せても、「あわんぞと思う」とはならずに、待宵の願いを聞き入
れない崇徳院は、首まで切り取られたわが子を抱いて、海に身を
投げ入れた待宵の無念さをも、負のエネルギーに加えて大魔神へ
の道を疾走する。待宵を助ける常久も、これでは、どうしようも
できない。

庵室の御簾の上げ下げの間に、隈取りをし、黒い衣装に着替え
て、崇徳院は、魔神まで、あと、一歩。崇徳院写経の一巻を持
ち、仮花道から都の霊場へ向かう常久は、仮花道から、立ち去る
(本花道は、海だから船がなければ行けないのだ)。やがて、庵
室は、屋体崩しになる。庵室上手にあった紅葉退の木まで、いっ
しょに倒れる。崇徳院は、崩れた庵室の柱を振り回し、平家方の
侍たちを蹴散らす。人間から、人形に変わったひとりの侍を抱き
ながら、「宙乗り」へ舞い上がる松緑。雲の道具幕が、振り被せ
になり、暗転。

○確信的な信念の末に魔神になる崇徳院と疑念と恨みを抱いたま
ま、この世に怨念を残して、鬼畜になった頼豪阿闍梨のどちら
が、「危険」かというと、私は、頼豪阿闍梨の方が、危険性は高
いと思う。

○魔神(天狗)になって、暗転のなか、いつのまにか、客席中央
で「宙乗り」になっていた松緑の崇徳院は、明転すると、舞台下
手から、2階の上手へ、斜に「横断」するという、珍しい「宙の
花道」コースを辿って行く。途中で、宙乗りのまま、(後見の助
けも借りずに)「ぶっかえり」で、黒い衣装は、炎の衣装に変わ
る(鳴神上人と同じだ)。25年前の復活上演の際には、この場
面、烏天狗の群舞があったという。それも、おもしろそうだ。や
がて、宙乗りの途中で、柝が入り始め、定式幕が閉まりはじめる
ころ、崇徳院は、2階座席上手に設置された虚空へと姿を消して
行った。

贅言;菅原道真、天神さまの霊に続いて、崇徳院の霊は、いま
も、虚空を彷徨っているか(国立劇場の筋書には、今回の芝居の
登場人物所縁の場所を四国の坂出市、滋賀県の大津市、京都府の
京都市、宇治市など写真入りで、4ページの特集を掲載してい
る)。

○「大詰」。源平の争いもクライマックス。以仁王(梅枝)が身
を隠す高雄の神護寺。渡辺亘(梅玉)を巡る薫(孝太郎)と袈裟
御前(時蔵)の女の戦いが、絡む。以仁王を助けるための女たち
の身替わり争いという二重性でもある。袈裟御前の兄で、源氏方
の長谷部信連が、奴・長谷平として、身を潜めている。これも、
もうひとつの二重性。両花道から、渡辺亘(本花道)、遠藤武者
(仮花道)の登場。今回の芝居の座頭である富十郎は、序幕での
顔見せ以来、登場しなかったが、やっと、本番の遠藤武者として
登場。袈裟御前を軸にした渡辺亘と遠藤武者の恋の争い。「鳥羽
恋塚」の開幕。以仁王を軸とした渡辺亘と遠藤武者の源平の争い
との二重性。実は、遠藤武者も、隠れ源氏方だが、まだ、正体を
見せない。

○亘の妻となった袈裟御前は、亘が、町家での生活を望むと、遠
藤武者と町家の暮らしの気軽さ、夫婦喧嘩の様を演じてみせる。
「義経千本桜」の「鮓屋」の、弥助とお里の夫婦ごっこの場面を
思い出させる。下世話に通じた南北らしい挟み込みだ。時蔵は、
時代の科白と世話の科白を巧く使い、客席を笑わせる。いくつか
の二重性が、錯綜する場面。スペクタクルの三幕目と違い、大詰
の前半は、舞台が、庭先の場面に廻っても、石段の場への伏線を
引きながら、科白劇が続くので、ちと、退屈。

○やがて、一旦、幕。つなぎの柝の音を聞きながら、第三場「神
護寺石段の場」を待つ。石段の上では、以仁王(梅枝)を平家の
追っ手や阿闍梨化身の鼠の大群から守る仕丁又五郎(亀三郎)
ら。黒衣の操る鼠の動きが、おもしろい。石段下、下手の柵の柱
を切り倒して遠藤武者(富十郎)登場。10段もある高い石段を
上り、渡辺亘の寝所に忍び込む。やがて、亘(梅玉)が、石段下
に現れる。亘を殺して、首を持って出て来た筈の遠藤武者。石段
を下りかかり、途中で、首を確かめると、それは、亘ではなく、
袈裟御前の首ではないか。江戸時代から五代目海老蔵、四代目小
團次、初代権十郎(後の、九代目團十郎)などの名優が演じ、何
度も役者錦絵に描かれた名場面である。石段下に現れた長谷部信
連(信二郎)の、あわせて3人が、石段を挟んで、三角形を作る
が、視覚に訴える絵画的な場面で、何とも、印象的だ。大道具の
使い方の巧さを感じる。信連が告げる妹・袈裟御前の真意。「以
仁王を救うため」。実は、その思いは、袈裟御前ばかりでなく、
亘も遠藤武者も同じだったという。「鳥羽恋塚」、「貞女伝説」
の白眉の場面。遠藤武者は、後の文覚上人、亘は、重源として、
それぞれ出家。袈裟御前の菩提を弔う。急に、抹香臭い話になっ
てきた。

○ここで、石段が、奥へ引っ込む。石段ごと神護寺は、大せりで
せり下りる。舞台に残るのは、遠藤武者と亘のふたり。遠藤武者
は、袈裟御前の首を以仁王の首と偽って、平宗盛に届けた後、院
宣を伊豆の頼朝に届けるつもり。亘は、以仁王秘蔵の笛を陸奥の
義経に届け、源氏方の決起を促しにに行く。やがて、両花道か
ら、引っ込み。富十郎は、本花道、梅玉は、仮花道から。それぞ
れに、上手、下手に三味線方が、出て引く「送り三重」の三味線
の音が、被さる。背景の書割りには、大きな月が出ている。

3)役者論。今回は、「実は、」という、ふた役も、多いのだ
が、実は、長丁場の所為で、「実は、」ではない、ふた役も多
い。ここでは、紙数も増えて来たことから、「実は、」ではな
い、ふた役を演じた役者たちを中心に演技振りを批評したい。時
蔵、梅玉、孝太郎、信二郎、松緑、男女蔵。その上で、実質的に
一人を演じた富十郎、歌六、そして、梅枝を論じたい。

○まず、全く違うふた役を演じた役者たちのうちから。時蔵は、
蜑・小磯と袈裟御前。ふたりとも、身替わりになる役目。また、
小磯は、娘から姫として輿入れする気になる場面があったり、町
家の暮らしを時代から世話に科白を変えて演じる場面があったり
する難しい役どころ。身替わりでは、いずれも、内に秘めたもの
を感じさせながら、演じなければならない。今回は、来月18歳
になる長男の梅枝も、重要な役どころで出演しているので、気を
使わないとは、いっても、父親として気を使っていただろうが、
いずれの役もくっきりと、演じていたと、思う。梅玉は、源三位
頼政と渡辺亘。頼政は、殿様として、「偏屈な」頼豪阿闍梨も含
めて、関係者を取り仕切らなければならないが、風格を出して、
仕切っていたように思う。渡辺亘は、いつもと変わらぬ色男だ
が、梅玉も、そろそろ大きく脱皮を目指す時期に来ているのでは
ないか。

○孝太郎は、待宵の侍従と薫。待宵は、崇徳院との間に子供を設
けたのは、良いが、破滅型の、自己中心の、とんでもない男に翻
弄される。父親・崇徳院になぶり殺されたわが子ともども、悲劇
の人である。そういう運命の悪さが、滲んだ、暗い、おとなしい
女性を演じていた。もうひとりの、薫は、娘娘した初々しさがあ
りながら、若い女性にしては、珍しい、大局の見える人で、その
感じが伝わって来た。別の役者が演じているように見えたのは、
特筆。双眼鏡で見た「受け口」で、孝太郎と判明(というのは、
少し大袈裟だ)。孝太郎は、脱皮しつつあるのではないか。信二
郎は、平宗盛と長谷部信連。源平双方に股裂きされそうな配役だ
が、平宗盛は、序幕だけので出、隈取りもしており、やりやす
かったのではないか。奴長谷平、実は、長谷部信連は、美味し
い、良い役で、これまた、やりやすかったはず。

○松緑は、物かはの蔵人と崇徳院。この人は、何をやっても、松
緑顔が目に着き、損をしているが、奴音平、実は、物かはの蔵人
は、先に蔵人で出て、後に音平で出る。いずれも、相手役の待宵
にも、小磯にも、頼られる、これまた、美味しい、良い役であ
る。主として演じる崇徳院が、凄まじい、破滅型で、家族も含め
て絶滅する火宅の人。自分勝手な魔神志向の人。こういう人と
は、お近づきには、なりたくないという存在感を出していて、な
かなか、良かった。長丁場の芝居も、三幕目は、起承転結の
「転」に当たり、大道具のせり、宙乗りありで、退屈しない。松
緑も熱演。男女蔵は、奴くだ平と難波経遠。いずれも、平家方
で、終始、憎まれ役だが、熱演で、存在感があった。

○次は、遠藤武者を演じた富十郎は、序幕に「だんまり」で出た
後、大詰まで、姿を見せないという、ピンとキリだけの出で、途
中、富十郎のことを忘れてしまうほどだったが、さすが、遠藤武
者になってからは、メリハリがあり、座頭らしい存在感で、科白
劇でだれて来た大詰前半を引き継いだ後半を、俄然盛り上げてい
た。大向こう、というか、私の座っていた斜め後ろの席から、
「天王寺屋」、「五代目」という、女性の掛け声が、幾度もか
かっていた。

○序幕と大詰に挟まれた、二幕目、三幕目のうち、二幕目は、起
承転結の、「承」で、地味で陰気な話。頼豪阿闍梨を演じた歌六
が、凄まじい存在感で、陰気をアクショナルで、見応えのある場
面にしてくれた。千束姫、実は、以仁王を演じた梅枝は、来月
18歳になる。若々しく、初々しい、綺麗な千束姫で、将来の真
女形を期待させる姫役であった。父親の時蔵と花道を引っ込む場
面があったが、ふたりで歩くと、足並みの経験の差が出てしま
い、まだまだ、これからだというのが良く判る。しっかり、修業
をして、先ず、父親の時蔵の背中を見て欲しい。真女形の背中
は、演じていなくても、女性を感じさせる。顔が見えないだけ
に、余計女性を感じさせるが、梅枝は、まだ、これから。真女形
の背中は、演じようとして出せるものではないだろう。経験を積
むうちに、自然に女らしさが、滲み出て来るのが、真女形の背中
だろうと思う。足元も、同じだろう。花道の上から見ていると時
蔵と梅枝の足の運び方が、全く違うのが良く分かった。足は、怖
い。

○坂東彦三郎、亀三郎、亀寿の親子は、今回は、彦三郎が、平家
方、亀三郎と亀寿の兄弟が、源氏方と、関ヶ原の合戦で、徳川方
と豊臣方に分かれた真田家みたいだったが、25年前の国立劇場
での公演に出演しているのは、富十郎と彦三郎だけだという。中
村玉太郎は、あの凄まじい崇徳院の忠実な臣下。ああいう上司で
は、大変だろうが、艱難辛苦を耐え忍び、序幕から、三幕目ま
で、院写経の経文一巻を守った挙げ句、都へ向かったが、無事都
に着いたのでしょうか。

4)演出論。総論的にいうと、今回の演出の「中途半端さ」を感
じた。おもしろい部分と退屈な部分が、まだらにあるという感じ
がした。特に、テンポが、不充分だと、思った。南北劇の荒唐無
稽さは、国立劇場の織田紘二さんのような歌舞伎を知り尽した人
が、「演出」をすると、玄人受けのする、常識的、あるいは、
「定式的」な芝居になり、それが、演劇としての、おもしろさか
ら見ると、中途半端になってしまうのではないか。荒唐無稽が売
り物の、南北劇は、辻褄など合わせる必要がないのではないか。
芝居の嘘偽りを承知で、観客は、劇場まで足を運び、「騙され」
に来るのではないか。まず、それを前提にすべきだと、思う。

歌舞伎の素人が、演出をする。つまり、言い方は、悪いが、歌舞
伎への「無学文盲」のような人で、芝居のおもしろさを工夫して
いるような人こそが、「無学文盲」を武器に、芝居町の隣町で、
幼い頃から育ち、芝居を空気のように親しみながら、歌舞伎の本
質である荒唐無稽さを徹底的に求めた南北同様に、南北劇のおも
しろさを引き出せるのではと、思う。芝居に対する、知識より感
覚を重視したのが、南北だったのでは、ないだろうか。今回の中
途半端な印象は、感覚より、知識のまさるインテリ演出という南
北劇の目指す方向とベクトルが違うことから生まれて来るのでは
ないかと、思う。歌舞伎の「無学文盲」の引き合いに名前を出し
ては、失礼だろうから(実際には、歌舞伎の造詣が深いかも知れ
ないし)、「○○版歌舞伎」などを演出し、成功を納めている演
出家などが、今回のような芝居を演出してくれると、南北劇本来
の味が出せるのではないかと、思うが、如何だろうか。
- 2005年10月16日(日) 20:40:17
2005年10月・歌舞伎座 (夜/「双蝶々曲輪日記〜引窓」
「日高川入相花王」「心中天網島〜河庄」)

特に、三代目鴈治郎最後の「河庄」は、初日から、充実の舞台
で、見応えがあった。12月には、京都の南座で四代目坂田藤十
郎を襲名披露するので、歌舞伎座では、最後の鴈治郎の舞台であ
る。それに、雀右衛門が今月も出勤し、「小春」を演じていて、
先月の舞台で心配した体調は、大丈夫そうだが、やはり、足腰の
衰えは、隠せないようだ。雀右衛門の元気な舞台を観続けたい京
屋ファンとしては、無理をしないで欲しいと言い続けたい。

「双蝶々曲輪日記〜引窓」は、5回目の拝見。今回は、配役のバ
ランスが良く、おもしろかった。「双蝶々曲輪日記」は、並木宗
輔(千柳)、二代目竹田出雲、三好松洛という三大歌舞伎の合作
者トリオで「仮名手本忠臣蔵」上演の翌年の夏に初演されてい
る。相撲取り絡みの実際の事件をもとにした先行作品を下敷きに
して作られた全九段の世話浄瑠璃。八段目の「引窓」が良く上演
されるが、実は、江戸時代には、「引窓」は、あまり上演されな
かった。明治に入って、初代の中村鴈治郎が復活してから、いま
では、八段目が、いちばん上演されている。夜の部の最後に、
「河庄」で鴈治郎名義の最後の舞台が演じられる10月の歌舞伎
座は、夜の部の最初を初代鴈治郎所縁の演目で幕を開けるという
わけだ。

「引窓」論は、何度か書いたので、今回は、省略する。全九段の
本来の物語は、「無軌道な若者たち〜江戸版『俺たちに明日はな
い』〜」だと、以前にこの「遠眼鏡戯場観察」(03年1月国立
劇場の劇評)で書いたことがあるが、今回のように「引窓」だけ
見れば、無軌道な若者の一人で、犯罪を犯して母恋しさに逃げて
きた濡髪長五郎(史実の武家殺しの相撲取りは、「濡紙長五郎」
という)の母恋物語で、その母を含め、善人ばかりに取り囲まれ
た逃亡者を逃がす話で、無軌道さは出て来ないから不思議だ。お
幸の科白。「この母ばかりか、嫁の志、与兵衛の情まで無にしお
るか、罰当たりめが・・(略)・・コリャヤイ、死ぬるばかりが
男ではないぞよ」が、「引窓」の骨子である。

それほど、「双蝶々曲輪日記」は、通しで、各場面を繋げて観る
場合と今回のように、「みどり」で観る場合とでは、人物造型が
違って見える演目も珍しい。歌舞伎のマジック。まあ、それはさ
ておき、町人から、父同様に「郷代官」(西部劇の保安官のよう
なイメージ)に取り立てられたばかりで、父の名で、「両腰差せ
ば南方十次兵衛、丸腰なれば、今まで通りの南与兵衛」という、
意識の二重性を持つ十次兵衛(元は、南与兵衛)という男は、自
分も殺人の前科のある「無頼さ」を秘めているので、反お上の意
識を持つ「無軌道さ」を滲ませているが・・・。

今回の「引窓」では、十次兵衛(元は、南与兵衛)は、菊五郎が
演じる。昼の部の「岩藤」より、菊五郎は、こちらの方が、安心
して観ていられるから、ほっとする。菊五郎は、町人と武士とい
う、その、二重性の変わり目を叮嚀に演じていた。

妻のお早(魁春)は、初々しい若妻だが、新町の元遊女・都を思
わせる色気が要求される。逃亡者・長五郎(左團次)は、久しぶ
りにあったお早を都さんと呼んでいた。長五郎とのやり取りに、
遊女時代を彷彿とさせる「客あしらい」が滲み出ている。剽軽さ
もある。このあたり、魁春の巧さである。義母への情愛も細やか
である。長五郎の実母で、十次兵衛の継母であるお幸は、田之助
が演じる。相撲取りの息子を持つ太めの母親である。継嗣と実
子、郷代官と相撲取りという、ふたりの息子に情愛を掛けられる
幸せな母を本興行で、5回目という田之助は、過不足なく演じ
る。

左團次の長五郎が良い。長五郎役を私は、我當、團十郎、段四
郎、吉右衛門、そして、今回の左團次と5人も観てきた。この顔
ぶれを見れば、皆、イメージが違うのが、判るだろう。颯爽の團
十郎、太めの、如何にも力士らしい我當、母恋の人の良さそうな
吉右衛門などなど。左團次は、いわば、戸惑いの長五郎というイ
メージ。ひょんなことから人を殺してしまい、母に逢ってから自
首しようと思って母のいるところへ来たら、義兄は、なりたての
郷代官と判り、戸惑う。しかし、実母に逢えた上は、目的達成と
ばかりに、義兄に初手柄を立てさせようとする。一方、義兄は、
義兄で、継母思いである。自分にとって義弟であり、継母にとっ
ては、実子である長五郎を「放生会」を理由に、逃がしてやるこ
とで、継母への情愛を滲ませる。継嗣と実子の、ふたりの息子か
ら情愛を示される「母」お幸は、幸せものだ。そういう母の幸せ
を大事にしながら、長五郎は、逃亡者生活を続けることにする。
人形浄瑠璃で演じられたとき、母お幸には、名前がなかったが、
歌舞伎で繰り返し演じられている内に、幸せな母は、お幸と呼ば
れるようになっていた。いずれのせよ、今回は、お幸を軸にした
配役のバランスの妙が見どころである。 

「日高川入相花王」は、「ひだかがわいりあいざくら」と読む。
私は、初見。原作は、左右対称の舞台など、独特の舞台空間で定
評のある近松半二が、竹田小出雲らと合作した。それだけに、話
は単純だが、視覚的な舞台は、印象に残る。清姫役の坂東玉三郎
が、全編、人形振り(役者が、人形浄瑠璃の人形に似せた動きを
し、科白は、竹本が語る)で演じきり、愉しく拝見。恒例の「口
上」など、枠付けも、人形浄瑠璃の舞台を真似る。役者が3人し
か出ない芝居で、玉三郎の相手をする道化の船頭も、全編人形振
りで演じる。極めて珍しい演出の出し物である。演じるのは、坂
東竹三郎の門弟・坂東竹志郎、改め薪車。つまり、襲名披露の襲
名披露の「口上」こそないが、四代目薪車の襲名披露の舞台なの
である。薪車さん、おめでとう。師匠の竹三郎の前名が、薪車で
あり、四代目薪車は、竹三郎の藝養子となる。

もう一人の役者は、菊之助。清姫の人形を操る人形遣である。美
形の人形遣が、美と狂気の化身の人形を操るという妖しさが、こ
の演目の見せ所。玉三郎演じる人形は、人形遣によって、命を吹
き込まれていて、決して、自分から動いているのではないように
見せられるかどうかが、人形遣のポイントだろう。嫉妬に燃える
若い女の「激情」を、激情ゆえに、人形の、ややぎくしゃくした
動きで表現するという逆説が、おもしろい発想だと思った。ここ
は、下手な人形遣が操る人形の動きを真似、「人形の振りの欠点
を振りにする」と、人形らしく見えるというのが、先代の、三代
目雀右衛門の藝談だと言う。また、清姫から逃げ出した安珍は、
出て来ないところが、ミソである。舞台に出て来ないからこそ、
存在感がある。これも、また、逆説の発想。

後見のような人形遣役に5人が出演。清姫の人形遣は、主遣の菊
之助のほかに、ふたりが付き、ちゃんと三人遣になっている。船
頭の人形遣は、ふたりであった。残りの一人は、舞台下手に立
ち、足を踏みならして、足音を演じていた。

舞台は、幕が開くと、日高川。下手は、土手。「安珍さまいの
う」と逃げた安珍を追って来た清姫。中央より上手側に渡し船。
船頭は、船の中で寝ているようだ。「渡し守どのいのう」と、船
頭に向こう岸に渡して欲しいと清姫が、頼むが、寝ているところ
を起こされて、機嫌の悪い赤っ面の船頭は、要求を拒む。問答か
ら、くどきになる。余計に嫉妬心を燃え立たせる清姫。裏向き
で、川に見込む姿が、擬着の表情になる。玉三郎は、歌右衛門の
ような、鬼女の隈取りではなく、鬼女の顎を口に銜えて、変身を
表現した。船頭を乗せた船は、上手に逃げる。それを追うよう
に、清姫は、川に飛び込む。川の浪布が舞台を覆い、姫から、舞
台一杯の巨大な大蛇に、徐々に変身して行くところが、ハイライ
ト。元々、人間の化身である人形が、人間らしさを超越し、魔神
のような超能力を持つ大蛇に変身して行くスペクタクルが、日高
川の流れの中で展開される。

まず、姫のほどけた帯が、蛇の尻尾を見立てる。下手から上手へ
泳ぐ清姫。水に潜り、下手で浮き上がり、再び、上手に向かって
泳いで行く。これを何度か繰り替えしている内に、姫の衣装は、
銀箔の鱗形の模様になり、姫の下半身は、帯から、大蛇の太く
て、巨大な胴体、尻尾になって行く。やがて、対岸に辿り着き、
岸辺に生えた柳の木に抱き付き、見得となる。背景は、桜も満開
の長閑な道成寺の遠景。修羅場と長閑な遠景も、また、逆説の発
想。

最後に、夜の部最高の出し物となったのが、「心中天網島〜河庄
〜」。2回目の拝見。前回、2年前の03年11月の歌舞伎座の
舞台の劇評では、こう書いている。

*歌舞伎400年、ことし、私が観た歌舞伎では、最高の芝居で
あった。長らく埋もれていた復活狂言、「みどり」でしか演じら
れなくなった演目を本来の形に戻しての復活狂言、新しく歌舞伎
の演目に付け加えられた新作歌舞伎など。歌舞伎の出し物には、
さまざまな楽しみ方があるが、やはり、上演回数が多く、さまざ
まな役者たちによって演じ込まれて来た演目のおもしろさは、適
材適所の役者を得ると、なんとも見応えのある舞台になるかとい
うことを痛感させる芝居であった。

まず、紙屋の丁稚を大阪弁(「大坂弁」としたいところだが、東
京渋谷育ちの中学生では、江戸時代の大坂弁では、無さそうなの
で、「大阪弁」としておこう)でえんじるのは、中学生になり、
身長が1メートル70センチもある壱(かず)太郎(翫雀の息
子)が、初役で演じる。ユーモラスで、味わいのある三五郎の出
来である。

「河庄」は、三五郎だけでなく、大阪弁のやり取りがおもしろい
芝居である。まず、江戸屋太兵衛(東蔵)と五貫屋善六(竹三
郎)のやりとり。前回は、同じく、太兵衛の東蔵と亡くなった坂
東吉弥の善六であった。実は、紙屋治兵衛の兄である粉屋孫右衛
門を演じた富十郎が、病気休演したため、途中から代役を勤めた
吉弥と東蔵のコンビは、息が合っていて、なかなかよかったの
で、今回の東蔵と竹三郎のコンビは、竹三郎が、いつもの女形と
違う立役であり、その立役振りが、しっくりしていないように見
受けられたため、大阪弁でのやりとりも、やや、不満が残った。
ついでに、大阪弁の絡みで言うと、前回富十郎が演じた粉屋孫右
衛門を今回は、我當が初役で演じるが、これがすこぶる良かっ
た。その秘密は、大阪弁のやり取りにあると思う。2年前、前回
の、鴈治郎と富十郎の大阪弁のやり取りを、私は次のように書い
ている。

*鴈治郎(治兵衛)と富十郎(孫右衛門)との大坂弁での科白の
やりとりの滑稽さ。充分煮込んで味の染み込んだおでんのよう。
死と笑いが、コインの裏表になっている。死を覚悟した果てに生
み出された笑い。この続きの場面、心中に傾斜する「時雨の炬
燵」は、以前に観ているが、「時雨の炬燵」より前段階の場面の
余裕が、笑いを生むのだろう。それに、上方和事独特の可笑し味
が付け加わる。さすが、洗練された芝居だ。これは、鴈治郎でな
ければ、出せない味だ。それにさらに旨味を加えた調味料のよう
な富十郎の演技。その富十郎が、体調を崩して、途中、休演に
なってしまったのが、残念。

ところが、今回、京都で生れ育った我當の大阪弁は、ネイティブ
な感じで、すうっと聞けた。富十郎の大阪弁は、演じているとい
う感じで、彼の藝達者が、かえって大阪弁を演技っぽく感じさせ
るから、不思議だ。この芝居の特徴は、後にも触れるが、ノン
フィクションの味であり、登場人物たちの生活感を強めるため
の、いわば「触媒」が、大阪弁であると思うので、富十郎の大阪
弁より、我當の大阪弁の方が、ノンフィクションの味を濃くさせ
るということを言いたいわけだ。鴈治郎、我當らが言う科白のリ
ズム、ふたりのやりとり、掛け合う呼吸、いずれも、科白らしく
ない、リアリティを持っている。

さて、いよいよ、紙屋治兵衛の出である。前回の劇評で、私は次
のように書いている。

*鴈治郎の花道の出、虚脱感と色気、計算され尽した足の運び、
その運びが演じる間の重要性、そして、ふっくらとやつれた鴈治
郎の、ほっかむりのなかの顔。花道の横で観ていたので、花道の
フットライト点灯と同時に振り返ってみたら、音も無く向う揚幕
が開いていた。揚幕のなか、鳥屋(とや)にいる鴈治郎と目が合
う。もう、そこにいるのは、鴈治郎では無く、紙屋治兵衛。鳥屋
から揚幕のあたりで、一旦、立ち止まる。そして、「魂抜けてと
ぼとぼうかうか」。足取りも、表情も、恋にやつれ、自暴自棄に
なっているひとりの男がいる。そして、私の方へ近付いて来る。
和事独特の足の運びも、充分に堪能した。そう言えば、これに似
た場面を観た覚えがある。拙著「ゆるりと江戸へ」にも、書いて
いるが、「摂州合邦辻」の玉手御前を演じた芝翫で体験したこと
がある。演じられているのは、女性の玉手御前と男性の紙屋治兵
衛という違いがあるが、登場人物の心理や置かれている状況は、
似ている。花道から本舞台へ、そして、「河庄」の店の名前を書
いた行灯のある木戸での治兵衛の、店内を伺う、有名なポーズま
で。一気に引き付けられる。

今回が、前回と違うのは、私の座席の位置。花道横ではなく、1
階席のほぼ中央、奥という位置だけ。鴈治郎は、前回同様に演じ
ているが、観る位置が違うため、後ろ姿が、よりくっきり見え
る。

「河庄」に関する限り、前回の劇評に付け銜えることは、あまり
多くない。鴈治郎、我當らによる登場人物たちの人物造型、科白
廻し、演技、そのいずれもが、なんとも言えず充実の舞台だっ
た。前回の劇評で、その秘密を私は次のように書いている。

*その充実感を具体的に担保していたのが、私は、この芝居の小
道具の使い方の巧さでは無いかと思った。「魂抜けてとぼとぼう
かうか」の極め付けとして、鴈治郎は、花道七三で、雪駄が脱げ
てしまう(「脱ぐ」という演技よりも、それは、自然に「脱げ
る」という感じだった)。このほか、帯を締め直す演技、手拭
(あるいは、着物の裏地か)を懐に入れたまま、口にくわえる仕
種、櫛を使う、つまらなそうに大福帳をくくるなどなど、全ての
微細な演技の積み重ねが、治兵衛という男になりきって行く。可
笑しみと憐れみが、共存する。その演技の素晴しさ。

そう今回も、鴈治郎は、紙屋治兵衛を演じてはなどは、いなかっ
た。心底から、治兵衛になりきっていた。鴈治郎名義で演じた最
後の治兵衛は、26日に千秋楽を迎えるが、いずれ、そのうち、
坂田藤十郎として、治兵衛を演じる日も来るだろうが、そのとき
も、藤十郎は、治兵衛を「演じず」に、治兵衛そのものに「なり
きって」私たちの前に現れるだろうと思う。

さて、恋にやつれた小春(雀右衛門)は、初日に観た所為か、科
白が入っていない上、行灯に掴まって立上がったり、河内屋の女
主人・お庄(だから、「河庄」)を演じる田之助に手を引かれた
りしていて、先月ほどではないが、衰えを感じさせ、京屋ファン
の私をやきもきさせる。科白は、黒衣の助けを借りていたため、
テンポがあわなかったが、控えめな小春の感じは、逆に、良く出
ていて、演技の方は、良かった。

前回も感じたが、この芝居は、フィクションと言うより、「ド
キュメンタリー味がおもしろい舞台」に今回も、観えた。

*なぜ、つくりものの芝居が、恰も、現実に生きている人たちの
世界を覗いているように観えたのか。紙屋治兵衛のような女に入
れ揚げ、稼業も家族も犠牲にする駄目男のぶざまさが、観客の心
を何故打つのか。大人子どものような、拗ねた、だだっ子のよう
な男が、鴈治郎の身体を借りて、私の座っている座席近くの花道
を通り、目の前の舞台の上にいる不思議さ。それは、何回も上演
され練れた演目の強みであり、家の藝として、代々の役者たち
が、何回も演じ、工夫を重ね、演技を磨いて来たからだろう。上
方江戸歌舞伎に押されながらも、上方歌舞伎の様式美を大事に
し、粘り強く持続させて来た鴈治郎代々の執念が、様式美の極み
として、上方和事型を伝承して来た。それは、今回の鴈治郎の演
技に見られたように、爪の先、足の先まで、身体の隅々まで、紙
屋治兵衛になりきる努力を重ねて来た役者魂が、大きな花を開か
せた瞬間に立ち会えたのだと思う。

こう書いた前回の劇評どおりの感想を今回も持った。それほど、
雁次郎の演技は、寸分違わず、これまでの軌跡をなぞりながら、
再構築されているということだろうと思う。本興行で、今回で
18回目という。紙屋治兵衛。それでいて、鴈治郎は、楽屋で、
こう語ったという。「やっと、一昨年の舞台の時に、兄の意見に
反応もしない、上の空の治兵衛の心境に達しました」(「兄」と
は、治兵衛の兄の孫右衛門のこと)。

その17回目と今回の18回目を観たわけだから、16回目との
差は、私には判らないが、17回目と18回目の確固とした「上
の空」は、しっかりと伝わって来た。寸分違わず、再構築される
鴈治郎の「河庄」。私の、劇評も、殆ど変わらず、再構築してし
まったが、毎回の劇評で、同じことを「遠眼鏡戯場観察」では、
できるだけ、書かないことを信条としている私としては、これ
は、不本意ながら、鴈治郎の藝に負けたということだ。次回以降
も、「河庄」だけは、私の劇評泣かせになりそうだ。いや、逆に
言えば、それほど、ミリ単位の違いもない治兵衛を演じる鴈治郎
の舞台を見ることができる時代に生まれ合わせたのは、幸福なん
だろうと、思う心が、揺れ動く。
- 2005年10月11日(火) 21:57:04
2005年10月・歌舞伎座 (昼/「廓三番叟」、通し狂言
「加賀見山旧錦絵」)

「廓三番叟」は、2回目の拝見。前回は、2000年1月、歌舞
伎座。傾城:時蔵、今回は、芝雀、新造:孝太郎、今回は、亀治
郎、太鼓持:歌昇、今回は、翫雀。

廓の座敷の態の本舞台。上下手。一部に障子のある襖には、銀地
に若竹、紅梅の絵。舞台真ん中から下手にかけては、障子。一
方、上手は、雪釣の松の庭が見える。上手床の間の壁には、銀地
に紅梅が描かれた中啓が飾ってある。床の間の床には、正月のお
飾り。舞台中央上手寄りにある衣桁には、黒地に鶴が描かれた傾
城の打ち掛けが掛けてある。全て、廓の正月の光景。打ち掛け
は、「千歳」太夫だけに、鶴は「千年」で、鶴の模様。襖ほかに
ちりばめられた「梅」は、「梅」里ゆえか。

長い障子が開くと、出囃子の雛壇。笛の音をきっかけに鶯の啼き
声のする、江戸の春の廓の世界へ一気に入る。置浄瑠璃のあと、
下手、襖が開くと、傾城千歳太夫(芝雀)、新造梅里(亀治郎)
が出て来る。遅れて、太鼓持の藤中(翫雀)も、参加して、めで
たい「三番叟」の踊りとなる。「三番叟もの」は、いろいろな趣
向を凝らしたバリエーションがあるが、基本は能の「翁」。今
回、「翁」役は、千歳太夫、「千歳(せんざい)」役は、新造、
「三番叟」役は、太鼓持。

ならば「かまけわざ」(人間の「まぐあい」を見て、田の神が、
その気になり(=かまけてしまい)、五穀豊穣(=ひいては、廓
や芝居の盛況への祈り)をもたらす)という呪術、それは「エロ
ス」への祈りが必ず秘められている。まして、今回の場は、
「廓」という、「エロス」そのものの場。

「廓三番叟」は、「三番叟もの」のバリエーションというより、
遊廓で繰り広げられた正月の座敷遊びの趣向で、三番叟のパロ
ディという線を狙った演目として、観た。「式三番叟」「二人三
番叟」「操(あやつり)三番叟」「舌出し三番叟」などとは、違
う。「とうとうたらり」と能と同じ、決まり文句で唄い出すが、
所作は、いわゆる「見立て」という遊び。例えば、莨盆は、面箱
の態。「鼠なき」で、三味線がチュチュと音を出したり、「きぬ
ぎぬ告げる烏飛び」で、烏の飛び立つ様子を見せたり、遊び心が
横溢する。江戸の趣向が、微笑ましい。

遊女の手練手管や間夫との遊びの様、太鼓持も加わっての総踊り
では、「現(うつつ)なの戯れごと」、「三つ蒲団」、「廓(さ
と)の豊かぞ祝しける」と、長唄の文句も色っぽくなる。傾城の
持つ閉じた中啓と太鼓持の杯で、男女のセックスを象徴している
のか。エロスとユーモアが、ふんだんに盛り込まれている、いか
にも、江戸の庶民が、新春に楽しんだ風情が、色濃く残る。初演
から、40年後は、もう、明治維新。幕末の不安定な政情と裏腹
に、庶民は、芝居に明るさを求めていたのだろう。

芝雀、亀治郎、翫雀とも無難な演技で、ちと、もの足りぬ。若手
花形の舞台だけに、もうひとつ、舞台から飛び出て来るような精
気が欲しい。

「加賀見山旧錦絵」は、4回目の拝見。尾上:雀右衛門、玉三郎
(今回含め、2)、松江時代の魁春。岩藤:吉右衛門、孝夫時代
の仁左衛門、團蔵、今回は、菊五郎。お初:芝翫、勘九郎時代の
勘三郎、時蔵、今回は、菊之助。

通し狂言とは、言っても、「加賀見山旧錦絵」は、容楊黛(よう
ようたい)という、中国人のような名前の狂言作者の原作で、
1724(享保9)年に江戸虎の門の松平周防守邸で起きた事件
をベースに、「加賀騒動」仕立てにして、1782(天明2)
年、江戸の薩摩外記座で、人形浄瑠璃として初演された。容楊黛
は、平凡社の「歌舞伎事典」にも、略歴すら載っていないが、ど
ういう人なのだろうか。「加賀見山旧錦絵」は、本来全十一段の
大作で、良く上演される「試合」から「奥庭」までは、六、七段
目を軸にしているに過ぎない。だから、外題の「加賀見山旧錦
絵」は、この芝居だけを見ていても良く判らない。

「加賀見山」の「加賀」は、いわゆる「加賀騒動」だから、判る
が、「旧錦絵(こきょうのにしきえ)」は、判らない。「加賀見
山」は、「加賀見山再岩藤」(通称、「骨寄せの岩藤」)という
幕末、1860(万延元)年、河竹黙阿弥によって、加賀見山の
後日談という趣向で、続編が書かれているから、余計に、「加賀
見山」という名前が、印象深くなってしまったが、本来は、「鏡
山」とも書く。「鏡山」は、尾上の仇を打ち、お初が二代目尾上
になる(これは、「奥庭」の場面で、明らかになる)が、その
後、お初、こと二代目尾上が、九段目で、故郷の江州(ごうしゅ
う・近江、いまの滋賀県)鏡山の実家を訪ねるという場面があ
り、まさに、召使お初が、故郷に錦を飾るから、「鏡山旧錦絵」
というわけだ。

金地に桜の花丸の模様が描かれた襖や衝立。尾上の腰元たちが、
持ってきた桃の花。多賀家息女大姫の桃の節句の祝のためだ。華
やかな舞台で繰り広げられる陰湿な苛め。芝居は、いじわるな岩
藤(菊五郎)とおとなしいが、芯は強い尾上(玉三郎)の確執、
それぞれを支える岩藤の兄・剣沢弾正(左團次)と尾上の召使・
お初(菊之助)の対立(お家乗っ取りを企む兄と妹、陰謀を阻止
しようとする中老と召使)というのが、基本的な図式。岩藤の意
地悪、攻撃方と、尾上の耐える、己を殺す方の対比が、芝居を判
りやすくする。

この芝居は、故郷に錦を飾るお初が、主役だろうが、岩藤役が巧
く演じられないと、味が薄まる。4人拝見した岩藤役者では、仁
左衛門が、最高だった。「先代萩」の八汐役を含めて、こういう
憎まれ役の女形(特に、八汐は、立役が演じる)は、仁左衛門
が、実に憎々しくて、巧い。

今回、初役で挑戦した、菊五郎は、元々、兼ねる役者で、女形も
守備範囲なので、立役が女形を演じるという原則が持つ、意外性
が乏しく、その分、印象が弱くなる。今回の舞台を観ていても、
憎らしさより、憎まれ役の孤独さ、寂しさが滲み出ていて、仇
役・岩藤としては、インパクトが弱かったように思う。菊五郎岩
藤は、二幕目「草履打」の場面からは、凄みが出始めたが、序幕
「試合」の場面では、凄みを出せなかったように感じた。初日の
所為かもしれないが、中盤以降に見れば、最初から、エンジンが
かかっているかもしれない。ロビーでは、いつものように菊五郎
夫人の藤純子が控えていたが、いつ見ても若々しい。夜の部で
は、鴈治郎夫人の扇千景が、1階席の最後尾で芝居を見ていた
(ご夫人方、お疲れさま)。

吉右衛門の場合は、立役が女形を演じるという原則には、適って
いるものの、彼の地の持ち味である人の良さが、どうしても、滲
み出てしまうので、やはり、弱い。團蔵は、スケールが小さく、
役どころの大きさが出て来ない。そういう意味では、仁左衛門の
岩藤は、立役が演じる女形という原則にも適い、持ち前のスケー
ルも大きく、憎々しさを表現する藝も巧く、納得の憎まれ役で
あった。

辛抱し、肚の中で演ずることの多い尾上。それでいて、芯の強さ
を感じさせ、時に気丈になり、饒舌にもなる尾上という役は、役
作りが難しいと思う。3回目という玉三郎の尾上を8年前と今回
と2回拝見したことになる。玉三郎は、抑制しながら、緩と急、
仕どころごとにメリハリのある尾上を演じていたが、初日の所為
か、緩の場合の精彩が弱いように感じた。二幕目「草履打」から
引き上げる花道の場面。岩藤に騙され、草履で打ち据えられた悔
しさ、悲しさに耐えながらも、密かに死を覚悟した尾上が、俯く
と、玉三郎の目から、幻の涙が落ちるように見えた。七三から向
う揚幕に近付いて来る玉三郎。歌舞伎座の1階は、客席が緩やか
にスロープ状になっているので、玉三郎の悲しみに耐えた白い顔
が、ゆっくりと横へ移動するに連れて、観客の頭たちが、黒い固
まりとなって、玉三郎の白い顔に迫って来る。やがて、まるで、
魂と化したような白い顔だけが、黒い頭たちの波に呑まれるよう
に沈んで行く。

玉三郎は、向う揚幕の鳥屋に入った後も、鳥屋の中で、黙って耐
え、次の、三幕目「尾上部屋」の場面で、再び、花道へ出て来る
まで、緊張感を持続させている。魂に見えた白い顔は、既に、気
持ちは、死出の旅路を彷徨っているのかもしれない。揚幕の引き
開ける音も聞えずに、そっと開けられ、蹌踉として花道を歩み、
本舞台の部屋に戻って行く尾上の姿は、「熊谷陣屋」の熊谷直実
の出を彷彿とさせる。本舞台に近付いて行くために後ろ姿を見せ
る玉三郎の背中に死に神が見える。お初を使いに出した後、奥の
襖を開け、仏壇の前に立つ玉三郎。懐刀と書置を持ち、観客に斜
に背を見せながら立つ尾上。それに合わせて、舞台は、鷹揚に廻
る。死に魅入られた女の儚さが、背中に滲み出ている。

三幕目第二場「塀外烏啼の場」を挟んで、再び、尾上の部屋へ、
舞台は、逆に廻り、戻って来る。仏壇の前に倒れている尾上。玉
三郎の演技は、抑制が効いている。

お初を初役で演じた菊之助が良い。華があり(この演技の際は、
藤純子の面影が、滲み出ていた)、明るさがあり、初々しさ、剛
直さ(この演技の際は、お初を越えて、弁天小僧に見えてきた)
もあり、申し分のないお初と見た。芝翫に指導を受けたと言う
が、私も11年前、94年9月歌舞伎座の芝翫のお初を観てい
て、年齢を越えて表現された初々しいお初の様子をいまも思い出
すことができる。それをなぞりながら、精一杯役と勤めているの
が、ひしひしと伝わってきた。また、玉三郎には、私的にも尊敬
をしているようで、尾上とお初は、そのまま、生身の玉三郎と菊
之助の関係が類推されて、それも、良い効果を上げているように
思った。菊之助と玉三郎は、夜の部の「日高川」でも、人形・清
姫を扱う人形遣という関係で共演するが、昼と夜の、ふたつの場
面で、28歳という、菊之助の若さの強みが、対比的に、55歳
という、玉三郎の華やぎに影を落すのは、否めない。玉三郎も単
独で見れば、綺麗だし、若々しいが、本物の若さと並べられる
と、そこは、苦しい。真女形は、40歳代は、まだ、若さもあ
る。しかし、50歳代は、子役が、少年になり、役がしにくくな
るのに似ているのではないか。変声期を通り越し、若衆役などで
役者に戻れるまで、少年は、数年間、役者としての空白期を耐え
抜く。真女形の50歳代は、少年の空白期のような閉塞感がある
のではないか。いわば、第2の少年期。そして、60歳を過ぎ、
本物の真女形の生活が始まり、65歳、70歳、75歳と円熟味
を増して行く。それは、歌右衛門、雀右衛門の世界だろう。も
し、そういう見方が成り立つなら、玉三郎は、いま、真女形円熟
へ向けて、苦しい時期を耐えているのではないか。

菊之助と玉三郎。時分の花と円熟へ向かう花の、それぞれの輪と
した華の違いは、認めざるを得ないだろう。それが、玉三郎の、
緩の場合の精彩が弱いように、私に感じさせたのかもしれない。
菊之助は、このところ、舞台を見る度に成長しているように思わ
れる。今回は、1階席の奥の方で、拝見したが、ちょうど、花道
七三も本舞台も一続きの大舞台に見えるような位置にいた所為
か、菊之助が、七三で演技をすると、舞台が、ワイドに感じら
れ、菊之助は、舞台から飛び出して来るような存在感、迫力さえ
感じられた。

但し、世阿弥によれば、時分の花は、若さゆえの、一時の華やぎ
に過ぎない。真の花は、いまの苦しさをくぐり抜けた後に咲く大
輪の花である。菊之助の若さの勝ちは、玉三郎が通ってきた道、
玉三郎の陰りは、真の花を生み出すための苦しみ。だとすれば、
菊之助も、いずれ通る道。ということなのでは、あるまいか。

尾上側の腰元は、可憐な京妙、先月大活躍をした京蔵、雰囲気の
ある守若、初々しい京紫など女形の大部屋さんたちが、叮嚀に演
じる。総勢7人。玉朗が、草履打の場面で、腰元たちが袖を目に
当てて尾上の悲しみに共感する場面で、ひとりだけ、袖に目を当
てていなかったのは、違和感が残った。

岩藤側の奥女中は、立役ばかりのごつさが売り物。剽軽な味のあ
る菊十郎、特に、ごつい當十郎、太めの橘太郎、普段は、端正な
猿四郎も、いつもよりごつさを強調していた。老けた女中の権
一。こちらも、総勢7人。2回目の出番のとき、なぜか、権一が
居なくて、岩藤側は、6人。権一は、どこへ行ってしまったのだ
ろうか。それはさておき、「試合」と「草履打」と2回の出番の
ある、ふた組のお女中たちの対比も、観客には、見どころ。

贅言1):99年3月・国立劇場では、「鏡山旧錦絵」という外
題だったが、国立劇場の楽屋へ、いまは亡き中村時枝に招かれて
行った際、楽屋訪問の合間に、「営中試合の場」「奥殿草履打の
場」を拝見した。このとき、時枝が演じていたのが、尾上側の腰
元 ・ 女郎花(おみなえし)で、今回は、京紫が演じていた役で
あった。改めて、時枝の冥福を祈りたい。

贅言2):「長局尾上部屋の場」で、気がついたこと。尾上部屋
は、下手に出入りの次ぎの間があり、真ん中が、尾上の居室、居
室内の下手に銀地に秋の花々が描かれた六曲の屏風、上手奥、鴨
居には大薙刀が飾ってある。居室の横、上手は、手水場へ通じ
る。廊下手前に、手水鉢と手拭掛けがある。

尾上の居室への出入りに使われる次ぎの間には、奥の鴨居の上に
神棚が祭られている。朱色の布で縁取られた御簾が、出入り口の
外側と次ぎの間の下手側の壁に描かれているが、あれは、出入り
する人を御簾内から監視をする窓なのだろうと思いながら見てい
た。神棚は、出入りする人といっしょに入り込みかねない悪神な
どを魔除けであろうと思う。

尾上部屋の鴨居に掛けられていた大薙刀は、いつ使うのかと思い
ながら見ていたら、自害した尾上の亡骸を、屏風を裏返しにし、
さらに逆さまにした上で隠したとき、お初は、鞘を抜き取り、本
身の刃を上手に向けて、屏風の上に守り刀のように置いていた。
また、手水の水は、尾上の遺体安置を終えたお初が、一息入れて
水を呑み、落ち着きを取り戻し、尾上が認めた「御前様御披露」
という願書を手拭で包み込み、腰に縛り付けていた。いつも言う
ように、歌舞伎の舞台に置かれた小道具は、必ず、役割があり、
このように何処かできちんと使われることが多いので、見落さな
いようにしたい。

さて、舞台は、大詰。「奥庭仕返しの場」は、桜が満開。六、七
段目の芝居だけでも、桃の節句から桜満開まで、時間が経過して
いるのが、判る。黒幕の背景は、傘を差した岩藤、笠に雨カッパ
を付けたお初の登場、その後、黒幕が落されると桜の遠見という
ことで、夜というより、見通しの悪いほどの大雨という設定と見
たい。ふたりの決闘を前に、まさに、雨上がるという場面だろ
う。奥庭仕返しの場は、「雨上がりの決闘」というわけだ。

桜の木の近くに、なぜか、また、手水鉢がある。戦いの最中に、
お初に斬り付けて、勝ったと思った岩藤が、手水の柄杓で水を呑
む。さらに、水を倒れていて、動かないお初に掛けて、生死を確
認しようとする。岩藤が近付くのを待って、逆襲するお初。「逆
転さよなら」で、お初の勝ち。

庵崎求女(松也)が、凛々しい。お初から事情を聞き、弾正、岩
藤の兄と妹の、お家乗っ取りの悪だくみも露見し、多賀家の重
宝・蘭奢待、旭の尊像も取り戻す。お家は安泰で、お初は、召使
から二代目尾上への昇格が許されるという、いわば、シンデレラ
物語。

さらに、贅言3)も付加:拙著「ゆるりと江戸へ ーー遠眼鏡戯
場観察」は、99年2月の刊。3月から、このサイトでの劇評公
開が、始まったので、サイトの劇評第1弾が、じつは、99年3
月・国立劇場公演の「鏡山旧錦絵」であった。しかし、当時の劇
評を見ると、劇評というより、国立劇場の楽屋訪問記の態であ
り、「加賀見山旧錦絵」の本格的な劇評は、今回が初めてという
ことになる。
- 2005年10月4日(火) 20:42:48
2005年9月・歌舞伎座 (夜/「平家蟹」「勧進帳」「忠臣
蔵外伝 忠臣連理の鉢植〜植木屋〜」)

「平家蟹」2回目。前回は、97年3月の歌舞伎座では、福助が
玉蟲を演じた。今回は、福助の父親の芝翫。幕開き、場内暗転の
なかで、平家物語のうち、源平合戦の絵巻のスライドを使って白
石加代子の語りで、壇ノ浦の平家滅亡の件(くだり)を説明する
という新演出があり、「平家蟹」へ至る経緯が簡潔に観客に伝わ
る。

「平家蟹」は、岡本綺堂原作の新歌舞伎。檀ノ浦の合戦のエピ
ソード、「那須与市の扇の的」の後日談という体裁を採っている
ので、新演出は、極めて親切で、綺堂の原作が持つ怪異性を一層
鮮明にする。「平家蟹」は、平家が滅亡した壇ノ浦に近い浜辺に
出没する蟹のことだ。甲羅が、まるで怒った人の顔に見えること
から、平家蟹と呼ばれるようになったという。怨念の蟹だ。辛う
じて生き残った平家の官女「玉蟲」は、扇の的を載せた小舟に
乗っていたのだ。ほかの生き残った官女たちが、身体を売って暮
らしを支えているのを苦々しく思っている誇り高い女性だ。玉蟲
の妹の玉琴は、売春の果てに、源氏の武将で那須与市の弟・与五
郎と契り、深い仲になっている。ふたりの祝言の酒を毒酒に変え
て、玉蟲は、玉琴ともども、与五郎を殺す。

仮住まいの玉蟲の家の床下には、多数の平家蟹が生息している。
からくり仕立ての無気味な蟹たち。平家蟹を平家の亡霊と見定
め、親しく会話する玉蟲の狂気。さらに、妹らを毒殺した後、平
家蟹に導かれるまま、荒波の海中に没する場面は、大道具の浪布
の使い方も巧く迫力がある。夢魔に魅入られた玉蟲。憎しみとい
う激しい情念で燃え盛る一方の玉蟲を賛美し、人間的な情愛に負
け、源氏の武将に身を任す玉琴を断罪する綺堂の滅びの美学。
「自爆テロ」の哲学を思い出させる。陰鬱な話である。

源平の争い、「目には目を」という憎しみの連鎖、復讐譚に裏打
ちされた怪談話。芝翫は、恨みつらみの果て、「淀君」ばりの狂
気に捕らえられた「玉蟲」を熱演。こういう役は、芝翫は、実
に、巧い。あの鰓の張った顔を活かし切る藝の力が、凄い。

一方、現実派で、男女の自然な情愛に生きる玉琴は、魁春が演じ
る可愛い女だ。橋之助演じる与五郎を追い掛けて行く場面で、玉
琴は、足をもつらせて転んだが、あれは、演技というより、本当
に転んでしまったように見えたが、魁春は、少しも慌てず、立上
がって演技を続けていたので、気が附かなかった観客も多いので
は無いか。前回は、亀治郎が演じていたけれど、こういう場面
が、あったかどうか定かでは無い。左團次が、宗清。冒頭、浜で
海藻を拾う平家の元官女たちに芝喜松、京蔵、そして、いつも爽
やかな芝のぶ。

「勧進帳」は、11回目。吉右衛門の弁慶、富十郎の冨樫とい
う、実力派の舞台を堪能。これは、絶品だった。
吉右衛門は、歌舞伎座で、8年ぶりの弁慶である(97年11
月)。弁慶を演じるとき、常に完璧を目指すという吉右衛門は、
今回は、心技体が備わっていたように思う。

もともと、「勧進帳」は、良くできた演目で、奥が深い。名曲、
名舞踊、名ドラマ、と芝居のエキスの全てが揃っている。これ
で、役者が適役ぞろいとなれば、何度観てもあきないのは、当然
だろう。それだけに、毎回、違った観点で論じることが難しい。
どういう形で、今回は、劇評をまとめようか悩んだ。いっそのこ
と、その配役の妙を論じてはどうかと、思い、それで、迷いが
吹っ切れた。「役者関係論」として、立論を試みることにした。
私が、拝見した11回の「勧進帳」の主な配役は、以下の通り。

弁慶:團十郎(3)、吉右衛門(3)、幸四郎(2)、猿之助、
八十助時代の三津五郎、辰之助・改め松緑。

冨樫:菊五郎(3)、富十郎(3)、猿之助、團十郎、梅玉、勘
九郎、新之助・改め海老蔵。

義経:雀右衛門(3)、菊五郎(2)、福助(2)、芝翫、富十
郎、梅玉、染五郎。

まず、弁慶役者で分析。吉右衛門の弁慶は、豪快な弁慶。3回観
ているが、今回は、性根、居どころ、足取り、手の動き、目の表
情。科白廻し。まさに、弁慶を体現する吉右衛門の至藝であっ
た。

團十郎は、颯爽の弁慶(04年5月の歌舞伎座、海老蔵襲名披露
の舞台で見せた團十郎の弁慶は、いつもとは一味違う素晴しい弁
慶だったが、途中で、病気発覚、團十郎は、休演してしまった。
私は、休演前の舞台を観た。團十郎の弁慶は、3回目だったが、
いちばん、迫力のある弁慶であった。その後、團十郎は、治療の
甲斐があり、「寛解(かんかい)」し、舞台にも復帰したが、
最近、團十郎の病気が再発した。團十郎よ、病魔にまけるな。病
魔に対しても、前向きに立ち向かう人だから、今回も、克服する
と、私は思っている)。

幸四郎は、悲壮な弁慶。猿之助の弁慶は、踊り過ぎだった。八十
助時代の三津五郎の弁慶は、三津五郎襲名前年の8月の歌舞伎
座、納涼歌舞伎の舞台だったが、「十代目襲名近し」という勢い
を感じさせ、あの小柄な八十助が、大きく見えたという印象がい
まも強い。辰之助は、松緑襲名披露の舞台だけに、メリハリがあ
り、これも将来の弁慶役者への成長を楽しみにさせる舞台であっ
た。

これだけでは、今回の吉右衛門弁慶論は、不十分である。そこ
で、次は、弁慶と冨樫の関係でみてみよう。

○弁慶:吉右衛門__梅玉 :冨樫
        __菊五郎
        __富十郎 

○弁慶:團十郎 __富十郎:冨樫
        __猿之助
        __海老蔵

○弁慶:幸四郎 __團十郎:冨樫
        __富十郎

○弁慶:猿之助 __菊五郎:冨樫

○弁慶:八十助 __勘九郎:冨樫

○弁慶:松緑  __菊五郎:冨樫 

菊五郎の冨樫は、安定感がある。しかし、

弁慶:吉右衛門__菊五郎:冨樫
       __富十郎

と並べて、舞台を思い出してみると、今回のコンビの方が、上で
あるように思える。今回の富十郎の冨樫が、良いのである。私
は、富十郎の冨樫を3回観ている。富十郎がこれまで演じてきた
冨樫のなかでも逸品だろうし、菊五郎だけでなく、ほかの役者の
冨樫に比べても絶品である。それは、弁慶の男の真情を理解し、
指名手配中の義経を含めて弁慶一行を関所から抜けさせてやるこ
とで、己の切腹を覚悟した男の心情を完璧に表現したからだろう
と思う。男が男に惚れて、死をも辞さずという思い入れが、観客
に伝わって来る。富十郎の冨樫が、高音は、朗々とした科白廻し
であり、抑えるところは、抑えきっているというメリハリの良さ
で、「極上吉」という良い出来なので、吉右衛門の弁慶も「極々
上吉」で、良くなるばかりという関係だろう。特に、「山伏問
答」は、まさに、絶妙の息の良さであった。ハーモニーのある
ディベートという、矛盾した表現を許していただきたい。吉右衛
門は、豪快で、誠の溢れる、これまた、完璧な弁慶であったと、
思う。吉右衛門の目の動きは、表情豊かだ。

吉右衛門は、目の使い方が巧いのは、「山伏問答」が終ったとこ
ろで、ふたりが、肩の力を抜くのが判り(弁慶は、生への脱出孔
が見えただろうし、冨樫は、死への覚悟がきまっただろうし、実
は、対照的な局面なのだが)、観客席にいるこちらも、ホッとし
た。吉右衛門は、「どうだ」という感じを目の動きで表現をし
た。富十郎からは、死を覚悟したという冨樫の思い入れがひしひ
しと伝わってきた。それほど、演じる方も、観ている方も、息を
あわせて、ふたりの至芸の気迫に呑み込まれていたように思う。
役者も役者。至芸のぶつかり合い。観客は、至福の時間に酔いし
れ、緊張感が解け、ホッと息をついた。

さらに、義経も含めて考えてみよう。 

○弁慶:吉右衛門__梅玉 :冨樫__雀右衛門:義経
        __菊五郎   __梅玉
        __富十郎   __福助

○弁慶:團十郎 __富十郎:冨樫__菊五郎:義経
        __猿之助   __芝翫
        __海老蔵   __菊五郎

○弁慶:幸四郎 __團十郎:冨樫__雀右衛門:義経
        __富十郎   __染五郎

○弁慶:猿之助 __菊五郎:冨樫__雀右衛門:義経

○弁慶:八十助 __勘九郎:冨樫__福助:義経

○弁慶:松緑  __菊五郎:冨樫__富十郎:義経

弁慶役者は、専ら、弁慶を演じる。私が観た11回の舞台とい
う、極めて少ない回数でも、弁慶を演じ、冨樫を演じたのは、團
十郎と猿之助だけ(上演記録全体に当たれば、もっと、配役の域
は拡がるが、ここは、記録を調べるのが目的では無く、いわば
「傾向」を元に、役者論を演じたいので、数は少ないが、私が、
この目で生の舞台を観たものだけに限定する)。ところが、冨樫
を演じる役者は、弁慶を演じる組と義経を演じる組に分かれる。
弁慶組:團十郎、猿之助。義経組:菊五郎、富十郎、梅玉。雀右
衛門、福助など、真女形は、「勧進帳」では、義経しか演じな
い。

3つの配役を並べてみていると、弁慶:吉右衛門、冨樫:富十
郎、義経:雀右衛門、福助。というあたりが、浮かんでくるが、
実は、弁慶:吉右衛門、冨樫:富十郎、義経:雀右衛門というト
リオは、実現していない。今回の、弁慶:吉右衛門、冨樫:富十
郎の完璧さに、義経:福助は、初々しさを付け加えていたように
思う。それも含めて、今回の「勧進帳」は、最近の数ある「また
かの関」の「勧進帳」のなかでは、出色の出来栄であったと思
う。

さらに、願わくば、雀右衛門の義経で、吉右衛門弁慶、富十郎冨
樫の舞台を、是非とも、実現して欲しいと、強く思った。

このほか、四天王は、常陸坊海尊に、由次郎。亀井六郎に東蔵の
息子・玉太郎。片岡八郎に歌昇の息子・種太郎。駿河次郎に吉之
助。御曹司ふたりを軸に若手を起用した。 

「忠臣連理の鉢植〜植木屋〜」は、初見。私の育ったところは、
江戸時代に「染井吉野」が発祥した土地。そこが所縁の、「染
井」の植木屋が軸になっている。元々は、異色の上方和事で風味
をつけた「忠臣蔵外伝」。1788(天明8)年、大坂大西芝居
で初演。奈河七五三助(ながわしめすけ)、並木正三らの合作。
歌舞伎座上演は、48年ぶり、前回の、いまはなき大阪中座の舞
台からは、17年ぶりという。

梅玉演じる主人公の小春屋弥七、実は、塩冶浪士・千崎弥五郎を
「つっころばし」という上方和事の演出で演じる。上方の観客に
受けようと、何ごとも、御当地風にアレンジする大坂演劇人の芝
居魂の生み出したもの。その意気や良しというところ。初代鴈治
郎の出世作。ところが、今回は、梅玉が、意欲的に挑戦したが、
物足りない。面白みが足りない。時蔵のお蘭の方も、色気不足
で、やはり、物足りない。基本的に、芝居全体が、未完成で、台
本も、演出も、練り上げが、足りない。以下の、贅言は、そのひ
とつの具体例。

贅言:歌舞伎の舞台に置いてある小道具は、必ず、何かの使用目
的があるものだ。ところが、浅草雷門門前の植木の小道具は、何
もしなかった。大道具並みの「背景」にしかすぎず、生かせずに
終り、なんとも不思議。歌舞伎で、こういうことは、初めて体験
した。

時蔵の息子・梅枝と松助の息子・松也という御曹司の演じる町娘
は、初々しく、可愛らしい。今後の成長を楽しみにしたい。
- 2005年9月20日(火) 21:21:30
2005年9月・歌舞伎座 (「正札附根元草摺」「菅原伝授手
習鑑〜賀の祝〜」「豊後道成寺」「東海道中膝栗毛」)

「正札附根元草摺」3回目。外題を分析すれば、ピュアでオリジ
ナルな「草摺引」もの。草摺とは、鎧の胴の下に裾のように垂れ
て大腿部を庇護するもの。一の板から四の板までの4枚に加えて
菱縫いの板の5段組の板からなるという。「草摺引」とは、父の
仇を討とうとしている曽我兄弟のうち、兄の十郎が、敵に嬲られ
ていると聞き、家重代の逆沢潟(さかおもだか)の鎧を持ち出し
た曽我五郎とそれを時期尚早として、引き止めようとする小林朝
比奈とが、緋色の鎧の草摺(裾)を曳き合うという単純な話だ
が、荒事の出し物で、荒事の約束事をじっくり見せる古風な演
目。「引き事」と言って力比べをするだけ。それだけに、演じ方
次第で、おもしろくも、つまらなくもなる。

幕が開くと、上手に白梅、下手に紅梅。中央に富士山、それに
松、御殿という書割。大薩摩(長唄)の置唄の後、書割(背景
画)が、上手と下手に割れて、二畳台に乗った五郎と舞鶴が押し
出されて来る。後見は、鬘を付けた裃後見。魁春は、紫の素襖も
艶やか。橋之助は、白地に蝶の衣装、茶の太い帯、緑の房を付け
た大太刀も豪快。

今回は、曽我五郎の橋之助と朝比奈の代わりに朝比奈・妹の舞鶴
の魁春で、男女の力比べという趣向。男女の力比べは、男には適
わぬというわけで、「野暮な力は奥の間の」で、遊女の振りの色
仕掛けで引き止めようとする辺りが、魁春のハイライト。

96年5月、歌舞伎座で当時の新之助の五郎と当時の辰之助の朝
比奈が初見。10代の新之助と20代そこそこ辰之助。次いで、
2000年2月、歌舞伎座で萬太郎の五郎と梅枝の朝比奈。この
ときは、「春待若木賑」という、あまり感心しない外題で、「手
習子」「お祭り」との3本立てという構成で名跡の子供たちをま
とめて見せる趣向であったが、藝の方は、まあ、御愛嬌という舞
台。今回は、40歳の橋之助、57歳の魁春ということで、私と
しては、初めて観る充実(ピュアでオリジナルな)の「草摺引」
であったと思う。

しかし、2日目に観た所為か、ふたりの息はまだ合っておらず、
花道七三で見せる「五つ頭」の「イヨ−オ」「イヨ−オ」で、お
互いに顔を振りあう場面では、チグハグで、興を殺いだ。ふたり
は、本舞台に戻り、再び、二畳台に乗り、橋之助の大見得の後、
引っ張りの見得で、幕となる。荒事と所作事のアンサンブル。今
回の昼の部では、一の舞台であった。

「菅原伝授手習鑑〜賀の祝〜」人形浄瑠璃なら「三段目の切」、
歌舞伎なら、「六幕目」。私は、5回目の拝見。

賀の祝とは、古稀の祝。古来より70歳は、長寿、稀なる年齢。
しかし、芝居は、名ばかりの祝いで、その後の悲劇への予兆、さ
らなる展開への伏線が続く舞台となる。そういう意味では、段四
郎と権一で、通称「茶筅酒」の場面を叮嚀に演じたのはよかっ
た。「茶筅酒」とは、佐太村の四郎九郎(段四郎)宅へ近所の百
姓「堤畑の十作」(権一)が、四郎九郎から内祝に貰った重箱の
餅の礼を言いに来る場面から始まる。四郎九郎が、菅丞相館に年
頭の挨拶に行った際、四郎九郎の古稀の祝として誕生日には、名
前を白太夫改めよと言われた。きょうが、その誕生日なので、内
祝いとして餅を配ったのだと説明する。すると、十作は、「それ
はめでたい」と言いながら、「名酒呑まねば」四郎九郎から白太
夫とは呼べないと言う。そこで、白太夫は、餅の上に「茶筅」の
先で「酒塩打ってやった」のに、「まだ呑み足らぬか」と茶化
す。十作は「外へは遠慮でそうしようと、おらは日頃懇ろな仲
じゃによって、晩に来て寝酒一杯呼ばれますぞや。それなら、四
郎九郎、イヤ白太夫殿、また宵にな」と、初めて、「白太夫」を
認知する。

そして、十作が、下手に入ると、花道から千代、春、八重の三つ
子の嫁たちが、白太夫への祝の手伝いと品々を持って来る。「梅
松桜の末広がり」の扇は春から。後に、夫桜丸の腹切りに使われ
る刀を載せることになる三宝は、妻の八重から。この辺りまで
は、祝ムードを盛り上げるが、作者は、巧みに悲劇の伏線を折り
込んでいるのだ。この芝居は、祝から悲劇までの、染めの「ぼか
し模様」のようなゆったりとした展開が、作劇の妙と言える。

しかし、松王丸、梅王丸と相次いで来ると、ふたりは、「車引
き」のときの遺恨から、いがみ合い、喧嘩となり(「喧嘩
場」)、白太夫が庭に丹精している白梅、松、桜(上手より、三
つ子の兄弟の長幼の順と同じ。因みに下手、木戸の外に紅梅)の
うち、桜の枝を「俵立ての立廻り」の末に、折ってしまう。「俺
(おい)らは知らぬ」と言い合う、子供のようなふたり。「(竹
本)立ち帰る白太夫、年は寄っても怖いは親父」。

折れた桜の枝が、暗示したように、菅丞相左遷の原因を作ったと
して桜丸は切腹してしまう。そして、後の、松王丸の子・小太郎
の犠牲(八幕目「寺子屋」で、菅丞相の子・秀才の身替わりとし
て殺される)へと悲劇は続く。梅王丸は、「賀の祝」でも、帰っ
た振りをして、様子を伺い、桜丸の切腹と父親・白太夫の「菅丞
相の御跡慕い」追い掛ける旅立ちを見届け、さらに、七幕目「配
所・天拝山」では、菅丞相と白太夫を追っ手から守る。さすが、
三つ子の長男の役どころ。その梅王丸を演じる歌昇が良かった。
「いらち」の梅王丸の性格も、巧く滲ませていた。

「賀の祝」では、父・白太夫と弟・桜丸の関係の中心にいる梅王
丸が取り仕切る。梅王丸が、三つ子の長男だが、次男の松王丸に
比べて影が薄い印象を持つ人が多いだろうが、2000年3月、
02年2月と團十郎が梅王丸を演じたとき、テキスト本来の「長
男」梅王丸が担う役柄が、クローズアップされて、私の前に大き
く迫ってきたことがある。「寺子屋」が、松王丸の芝居なら、
「賀の祝」は、梅王丸の芝居だ。私が観た「賀の祝」の梅王丸
は、これまで、我當、橋之助、團十郎(2)、そして、今回の歌
昇だっ歌昇は、團十郎に負けない梅王丸を演じた。この人は、形
も良く、口跡も良いので、演技にメリハリがある。松王丸は、橋
之助で、世話物だと彼の大仰な科白回しが気になるところだが、
今回は、時代物なので、まあ、良いだろ。桜丸は、時蔵だが、女
形のときの色気のような精彩がない。切腹を覚悟し、気を抑圧し
ていて、陰影があるにしても、陰影が陰影にならず、くすんで見
える。若者の色気も滲み出ていないのは、色気、官能で出色の演
技を見せていた最近の時蔵らしくない。

一方、三つ子の妻たち。次男・松王丸の妻、千代の芝雀は、長男
の嫁風になっている。長男・梅王丸の妻、春の扇雀は、しっかり
して見える。三男・桜丸の妻、八重の福助は、赤姫のようでもあ
り、娘々もしている。それなのに、木戸に背を寄りかけて桜丸が
来るのを待っているときの福助の八重の風情が、「遊女の風情」
に見えてしまう。遅れている夫を待ちながら、余りの遅さに八重
の胸中には、不安感が沸き上がっているはずだ。娘々した初々し
い末っ子の嫁ながら、沸き上がる不安感を押さえて、堪えてい
る。やがて、背にした木戸の柱の向こう、白太夫宅の奥に通じる
暖簾を分けて、刀を杖代わりに、切腹を覚悟し、やつれが見える
夫が、そろりと出て来るのを待つという風情が、滲み出てきてい
ないのは、残念。もう一工夫欲しいところ。

桜丸の切腹の場面(「桜丸の腹切」)では、桜丸は、停める若妻
をねじり倒してでも、切腹してしまう。ここで、私は、一枚の絵
を思い出した。先々代からの時蔵の弟子で、女形の浮世絵師・時
枝の描いた桜丸の切腹の絵。これを私は、時枝の葬儀の席に飾ら
れていたのを見たのだ。桜丸以外にも、勘平の切腹の場面など数
枚の切腹の絵が、ほかの役者絵とともに飾ってあったと思うが、
なぜ、葬儀の席に「切腹の絵」なのかと、不思議と言うか、無遠
慮と言うか、嫌な気がしたのを未だに忘れない。葬儀の席には、
時蔵、歌六、歌昇らもいた。時枝のことは、歌舞伎座から頼まれ
て、歌舞伎座の筋書(月後半用の差し換え版)に追悼文を書いた
ことがある。

幕切れ。杖を持ち、笠を頭にして、菅丞相の下へ旅立つ白太夫の
姿は、いつものように、やはり、「熊谷陣屋」の出家する直実を
思い出してしまう。白太夫の難しさは、祝(忠義)の喜びと息子
失った悲しみの二重性。白太夫初役ながら、段四郎は熱演であっ
た。

「豊後道成寺」3回目。いずれも、雀右衛門。ことし、還暦を迎
えた中島千波風の桜木の背景(贅言;中島千波の緞帳は、歌舞伎
座の緞帳のなかでも、見応えがある)。舞台中央からセリ上がっ
てきた雀右衛門の清姫は、相変わらず、遠見は、初々しい小娘に
見える。黒地に枝垂れ桜の模様の着物(後に、引き抜きで朱鷺色
の着物に替る)。金の丸に花ほかの模様の縫い取りのあるクリー
ム地の帯。金地に桜木、緑、川波の青、朱という豪華な扇を持
つ。心から愛らしい娘になっている。その愛らしい姫が、今回、
初めて私に、次のような文句をつぶやかせたので、驚いた。「衰
えて寂しい秋を見つけたり」。

雀右衛門の足が、おぼつかない。特に、裾払いが、苦手なよう
だ。静止すると綺麗なはずの形も、そこまでの過程で、多少ぎく
しゃくして、やや、不安定。座り込む所作では、がくっと前に沈
む。後見の京蔵も、師匠を見る視線に心無しか不安が滲んでいる
ように見えるが・・・。こちらの気のせいか。風邪でも、引いた
のだろうか。単純な体調不調だろうか。腰を上げるときには、京
蔵が、両手で雀右衛門の腰を持ち上げていた。しかし、流石に静
止すると、85歳を忘れさせる若々しい色気が香って来る。結晶
のような純粋さが、光っている。静止画の美しさ。

京蔵は、このあとの「東海道中膝栗毛」では、抜群の脇の演技
で、場内の笑いを誘っていた。あの屈託の無さから見ると、雀右
衛門の体調も一時的なもので、心配など無さそうに見受けられ
た。

「東海道中膝栗毛」は、初見。歌舞伎座、29年ぶりの上演。前
回は、猿之助と訥升時代の九代目宗之助のコンビ。十返舎一九の
滑稽本「東海道中膝栗毛」を歌舞伎に移したのは、鶴屋南北の
「独道中(ひとりたび)五十三駅(つぎ)」が最初だった(「独
道中五十三駅」は、このところ病気休演中が続いている猿之助の
舞台を観たことがあるが、舞台展開、大道具を含めて、もう少
し、おもしろかった)。それ以来、多くの「膝栗毛もの」が上演
されたが、そのなかでも、ヒットしたのが、今回上演された木村
錦花作の「東海道中膝栗毛」だという。

吉右衛門、富十郎という藝達者が、軸になっている割には、おも
しろくなかった。演出が、もうひとつなのだろう。従って、今回
の劇評は、メモからスケッチ風に、以下のような部分の指摘をす
るだけで留めておきたい。

「第四場 喜多八の部屋」は、吉右衛門の喜多八に按摩の吉之助
が、「宇都屋峠」で殺された文弥のノリという趣向だが、この趣
向が、あまり生きていない。幽霊だけに「生きていない」では、
洒落にもならないだろう。

「第五場 箱根山中」では、雲助の場面は、「鈴ヶ森」風。さら
に、「仮名手本忠臣蔵」の五段目ばりに、猪が出て来る。出演者
による、だんまりがあり、逃げる弥次郎兵衛(富十郎)をしつこ
く追い掛ける猪。幕切れまで、追い掛ける猪と逃げる富十郎。富
十郎のサービス精神のなせる業(わざ)と観た。

「第六場 三島宿」歌江の演じる梓巫女細木庵妙珍は、まさに、
化粧も仕草も、細木数子の真似である。無愛想な妙珍の弟子お強
を京蔵が演じる。歌江の妙珍は、十三代目仁左衛門、十七代目勘
三郎、六代目歌右衛門の声色を使い観客を笑わせ、嬉しがらせ
る。大受けだった。それほど、巧い。まるで、「俳優祭」のノリ
だ。

「第七場 大井川島田宿」「第八場 大井川川中の水中」では、
翫雀が喜劇味を振りまく。特に、富十郎との水中かっぽれは、笑
わせる。翫雀は、人足「駒代わりの関助」である。翫雀は、「第
五場 箱根山中」でも、仇として付けねらわれる赤堀伊右衛門
(歌昇)に似た深編笠の浪人「団子鼻之丞」で、場内を笑わせて
いた。

時空を越えて、現代を紛れ込ませる「第九場」。かつては、「企
業爆破事件」(75年)、「ロッキード事件」(76年)など、
時局ものをテーマにした場面。今回は、「尾張地球博」だった。
マンモスの牙など出てきたが、これが、おもしろくなかった。

この芝居は、今回のように、窮策を踏まえながらの演出では無
く、野田秀樹など新しい脚本、演出でやったらおもしろくなりそ
う。舞台展開のテンポアップ、特に大道具の工夫は、最小限、必
要だろうと、思った。
- 2005年9月13日(火) 22:15:06
2005年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎第三部/串田版「法界
坊」)

「法界坊」のブラックユーモアの秘密を探る

「法界坊」は、2回目だが、串田版「法界坊」は、初見。「隅田
川続俤〜法界坊〜」は、8年前、97年9月の歌舞伎座の舞台、
吉右衛門で見ている。勘三郎の法界坊は、初見。芝居の本筋から
言うと、吉右衛門の法界坊の方が、おもしろかった。勘三郎の法
界坊は、勘三郎のキャラクターに合わせ過ぎていて、おもしろい
ことはおもしろいが、本筋の法界坊ではないと思った。以下、そ
の辺りを軸に劇評をまとめてみたい。「法界坊」は、拙著「ゆる
りと江戸へ 遠眼鏡戯場観察(かぶきうおっちんぐ)」では、触
れているが、このサイトの劇評コーナー「遠眼鏡戯場観察」で
は、初登場である。

○ 先ず、テキスト論から。

1)明るい極悪人が、法界坊の持ち味。
それは、吉右衛門も勘三郎も、共通して表現している。破戒僧に
留まらず、殺人鬼になってしまった法界坊でありながら、なぜ
か、三枚目風の、憎めないキャラクターになっている。また、法
界坊は、最後に「双面」という二重人格(法界坊と野分姫)の霊
になって、暗躍するのが、この芝居のミソだが、なぜ、野分姫と
双面になるのかも、ほぐしておきたい。

浅草聖天町に住む法界坊(勘三郎)は、釣鐘建立の勧進をしてい
る。芝居の主筋は、京の公家・吉田家が、朝廷から預った「鯉魚
の一軸」を紛失したことから、嫡男の松若がお家再興を願い、東
国に下り、道具屋の永楽屋の手代・要助(福助)に身をやつしな
がら、古物として、「鯉魚の一軸」を探す物語だ。要助と恋仲の
永楽屋の娘・お組(扇雀)、都から許嫁の松若を追ってきた野分
姫(七之助)が、要助とお組に絡んで行く。「鯉魚の一軸」の現
在の持ち主、勘十郎(勘太郎)は、お組との結婚を条件に、お組
の父親・権左衛門(弥十郎)に、掛軸を100両で譲ることにす
るが、お組が承知しない。

一方、法界坊は、お組に横恋慕しながら、色と金の欲で、殺人を
重ねて行く。法界坊の罪状を整理すると、こうなる。まず、掛軸
とお組のことで、要助と暗闇で争っていた勘十郎を殺す。次い
で、要助の正体に気づいた法界坊は、雷鳴轟く三囲神社近くの土
手で、過って、権左衛門を殺してしまう。さらに、野分姫を口説
き、拒まれると、要助に頼まれたと嘘を言いながら、姫も殺して
しまう。法界坊は、3人を殺している。この結果、野分姫は、要
助とお組に恨みを抱きながら死んで行く。まず、野分姫が、この
世に恨みを残して、亡霊になる。法界坊は、最後に、要助、実
は、松若の忠臣・甚平、実は、道具屋・甚三郎(橋之助)に、殺
されてしまう。いずれも、要助との絡みの中で、殺人を犯してい
るし、殺されもする。つまり、法界坊が、野分姫との「双面」の
亡霊になって行くのは、「鯉魚の一軸」を取り戻し、吉田家再興
を図る要助こと、松若との絡み、要助と恋仲になるお組への恨み
に拠ることが判る。

この憎めない悪人キャラクターを、どう演じるか。立役の吉右衛
門は、ひょんなことから、殺人鬼になってしまった法界坊を善人
の成れの果てのように演じた。双面のときも、立役・法界坊が主
軸で、女形・野分姫は、女形の黒衣に声を任せて、立役の地を滲
ませながら演じていた。これが、本筋の双面だろうと思う。とこ
ろが、勘三郎は、普段から立役も女形も演じる「兼ねる役者」で
あるから、女形の野分姫を演じても、女形の黒衣を使っても、立
役の地を滲ませることができない。むしろ、普通の女形になって
いる。それが、勘三郎の普通の姿であろう。どちらが、良いとか
悪いとかいうことではないが、これは、吉右衛門と勘三郎の持ち
味の違い。ただ、「法界坊」という芝居の本筋から見ると、吉右
衛門の立役を軸としながら、法界坊を演じ、双面でも、立役を滲
ませながら、女形を演じるという趣向の方が、より適切だろうと
思うだけだ。勘三郎は、「隅田川続俤」としての「法界坊」よ
り、串田版「法界坊」を演じているのだから、それはそれで、勘
三郎の持ち味の法界坊ということだろう。

2)「隅田川続俤」に見る歌舞伎の演目の散見。
ひとつは、「娘道成寺」。双面の亡霊から「後(のち)ジテ」の
怨霊になった法界坊は、一軸から抜け出した大きな鯉を抱えた甚
三郎こと、甚平に花道から押し戻され、本舞台に戻る場面がある
が、あれは、「娘道成寺」の押し戻しの場面のパロディだろう。

能の「隅田川」ものとしての繋がりゆえに「続俤(ごにちのおも
かげ)」の2文字を外題に入れ、隅田川伝説の後日談の趣向とし
た原作者の奈河七五三助(しめすけ)。吉田家のお家騒動。人買
いに攫われた梅若・松若兄弟と子どもを探して狂ってしまうほど
の母親の愛情物語。「法界坊」「忍ぶの惣太」「清玄桜姫」など
も、「隅田川」に絡むので、法界坊と野分姫の双面も、清玄桜姫
のバリエーションとも言える。喜劇化した清玄が、法界坊か。都
から下ってくるときに野分姫が扮する「荵(しのぶ)売り」も、
「忍ぶの惣太」と絡むし、「お染久松」の荵売り「垣衣(しのぶ
ぐさ)恋写絵」も絡む。下塗り、上塗り、幾度も塗り替え、自由
闊達、換骨奪胎、破れたら、張り替え。毀れたら、補強。歌舞伎
の狂言作者たちの、工夫魂胆、逞しい盗作、模倣の精神を見るよ
うだ。

○ 役者論から。

1)勘三郎の巧さと吉右衛門の巧さの違い。
「法界坊」は、四代目市川團蔵、三代目と四代目の中村歌右衛
門、三代目の坂東三津五郎、四代目中村芝翫、六代目尾上菊五
郎、初代中村吉右衛門、二代目市川猿之助、十七代目中村勘三郎
らの当り藝であった。それゆえに、それぞれの名前を引き継いだ
役者たちは、家の藝として、「法界坊」を演じたがる。底抜けに
明るい悪人の法界坊は、誰もが持っている人間の欲望をストレー
トに出したがゆえの悪人という側面も強い。だから、役者は皆、
演じたがるし、観客は皆、観たがる。

勘三郎の巧さは、明るさの表現だろう。いまの歌舞伎役者で、勘
三郎ほど、「明るい悪」を演じるのが巧い役者は、あまりいない
だろう。特に、双面で、法界坊と野分姫の鬘ふたつをひとつに繋
げて演じる「宙乗り」は、勘三郎のキャラクターにぴったりだろ
う。それだけに、今回も、この場面は、場内が、沸きに沸いた。
この場面の「宙乗り」は、二代目猿之助が得意としたという。

一方、吉右衛門の巧さは、悪人を演じながら、役者の地である善
人のユーモアが滲み出ても、なんら不自然ではないというとこ
ろ。特に、「三囲土手」の場面の「穴掘り」の足の藝の巧さは、
勘三郎も及ばない。勘三郎は、この場面には、あまり力を入れて
いなかったように見受けられたが、吉右衛門は、「お土砂」の紅
屋長兵衛でも見せた足藝の巧さをここでも見せてくれた。先代の
吉右衛門や猿之助は、「穴掘り」を巧く見せたという。「穴掘
り」は、この場面を使う型と使わない型があるというから、役者
の工夫次第で、おもしろく見せるか見せないかという場面なのか
もしれない。

2)亀蔵の番頭・正八の「怪(快)演」
永楽屋の番頭・正八は、小悪党。番頭役者の工夫魂胆で、如何様
にも役作りができる。正八は、法界坊と組んで、お組をなんとか
しようとしているらしい。序幕第一場「深川宮本」という料理屋
の裏口の場面で、それが匂って来る。さらに、正八は、宮本の座
敷でひとりだけになったお組に言い寄る。その言い寄るときの亀
蔵の動きが、凄まじい。まるで、蜘蛛が這い伝うように両足と身
体を使って迫って行く。快演というより、怪演という場面だ。正
八は、法界坊と組んで、要助をいたぶる。

序幕第二場「八幡裏手」の場面では、正八は、お組を攫って駕篭
に無理矢理押し込む。さらに、駕篭自体を縄で縛り、「こうして
しまえば、〆子(しめこ)のうさうさ、締めたぞ締めたぞ」と唄
い出す。「〆子(しめこ)」は、「しめた」「しめしめ」という
意味で、「〆子のうさ(ぎ)」は、「兎を絞める」という意味と
掛けた地口(じぐち)。物事が、思い通りにいったときに使う。
正八は、お組を勾引し、駕篭に押し込んで、「しめしめ」と喜ん
でいるのである。小悪党が、喜んで使いそうな地口といえる。こ
の「〆子のうさうさ」は、その後も、駕篭の場面で、パロディと
して使われ、さらに、法界坊によって、お組の代わりに駕篭に入
れられた道具屋市兵衛(四郎五郎)が、駕篭から抜け出し、桜餅
の籠を駕篭に見立てて、この地口を使う場面さえある。

3)その他の役者。
扇雀のお組は、安定感がある。福助の要助、実は、松若は、勘三
郎、扇雀に食われていないか。野分姫の七之助も、もっと、存在
感を出した方がよい。勘太郎は、勘十郎と女船頭おさくのふた
役。橋之助の道具屋・甚三郎、実は、吉田家の忠臣・甚平は、松
若のお助けマンという、機嫌の良い役どころ。宮本の仲居・おか
ん(芝のぶ)は、甚三郎、実は、甚平の妹。

○ 細部のおもしろさ

1)「法界坊」は、吉田家のお家騒動を軸にお組を巡る男女の駆
け引きとして、物語は、展開するが、本来、筋は、荒唐無稽。む
しろ、細部のパロディやエピソードの積み重ねが、芝居の狙いだ
ろう。「〆子のうさうさ」に象徴されるような、言葉遊び、「お
うむ」と呼ばれる、場面の繰り返しのパロディのおもしろさ。付
け文の摺り替えに拠る「ちょいのせ」のおもしろさ。そういう細
部こそ、「法界坊」という芝居の真骨頂ではないか。

2)本来の「法界坊」の芝居の細部に付け加えて、串田版「法界
坊」は、平成中村座のテント小屋の舞台を大きな歌舞伎座の舞台
に移し変えた所為か、あるいは、串田演出なのか知らないが、本
舞台の上下に江戸の芝居小屋の「羅漢台」のような、客席を設け
た。中村座の座紋の入った提灯が下げられ、黒白茶の中村座独特
の定式幕も飾られている。二段に分けられた桟敷には、ちょんま
げ姿の男女の観客を表す人形が、何体も座り込んでいる。ある場
面では、その人形のうちの幾つかが、生身の役者に入れ代わって
いて、観客を驚かせる。こういう細部の演出が、付け加わってい
た。

3)法界坊は、大事な「鯉魚の一軸」を横に置き、痴話喧嘩をし
ている要助とお組を尻目に、軸を摺り替える場面で、忍者のよう
に、巻物を銜え、障子の前で呪文を唱えると、障子が回転ドアの
ように一転し、法界坊を隠してしまうなどの場面や黒衣も、要助
が、正八から借りた金の証文を書く場面で、白紙を持ち、筆を持
つ、要助を手助けながら、すでに書き上がっている証文を観客に
判るように渡す場面、出てきた雲を団扇で風を起こして、月を隠
してしまい、「だんまり」に結び付ける場面など。くすぐりの場
面では、遊び心のある串田演出も、細部に光る。「鈴ヶ森」の立
ち廻りの場面のパロディ、見得をする黒衣などの場面もある。ま
さに、ブラックユーモア(黒衣滑稽)は、細部が見逃せない。
- 2005年8月15日(月) 21:48:10
2005年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎第二部/「伊勢音頭恋
寝刃〜油屋・奥庭〜」「けいせい倭荘子 蝶の道行」「銘作左小
刀 京人形」)

「涼味」の芝居 「伊勢音頭恋寝刃」の秘密

「伊勢音頭恋寝刃〜油屋・奥庭〜」は、芝居の中味とは、別に、
何故か、涼味を感じさせる演目のような気がする。1796(寛
政8)年5月に、伊勢古市の遊廓「油屋」で宇治山田の医師・孫
福斉宮という男が、酒に酔って、仲居ら数人を殺傷する事件が
あった。事件後、急ごしらえで作り上げられた芝居だけに、
ジャーナリスティックな意味では、速報性があったものの、戯曲
としては無理があった。だから、「伊勢音頭恋寝刃」は、もとも
と説明的な筋の展開で、ドラマツルーギーとしては、決して良い
作品ではない。お家騒動をベースに、主役の福岡貢への遊女・お
紺の本心ではない「縁切り話」から始まって、ひょんなことから
妖刀による連続殺人へというパターン。殺し場の様式美。殺しの
演出の工夫。別名「十人斬り」という外題もある、殺し場を売り
物にした陰惨な芝居である。大詰の「古市油屋の場」「同 奥庭
の場」が、良く演じられる。

絵面としての、洗練された細工物のような精緻さのある場面。無
惨絵の絵葉書を見るような美しさがある反面、紋切り型の安心感
がある。そういう紋切り型を好む庶民の受けが、いまも続いてい
る作品。馬鹿馬鹿しい場面ながら、伊勢という徳川時代の日本人
には、良く知られた場所の風景や名物を巧みに取り入れた工夫も
あり、紋切り型ゆえの、普遍性が持つ、汲めども尽きぬおもしろ
さがある。それにも拘らず、長い間上演され続ける人気狂言とし
て残った。その理由の一つとして、「涼味」があるのではないか
と思う。

事件は、旧暦の5月に発生しているから、いまの暦なら6月。初
夏である。歌舞伎座の筋書に載っている上演記録を試しにチェッ
クしてみた。戦後、1947年から今回まで、巡業などを除く、
本興行で演じられた回数は、50回。このうち、6月から残暑の
ある9月までの、いわば「夏」の期間に演じられたのは、36回
あった。実に、70%以上は、この期間に上演されている。その
秘密は、「涼味」にあるのではないか。

では、「伊勢音頭恋寝刃」の「涼味」とは、なにか。まず、10
人殺しの犯人で、伊勢の御師(下級の神職)福岡貢(三津五郎)
の衣装ではないか。白地の絣に黒の羽織姿。事件になるころは、
黒い羽織を脱いで、白絣だけになっていて、いかにも涼し気であ
る。舞台で着ている白絣は、縮緬で、さらに涼味と色気を出して
いる。

福岡貢(三津五郎)は、叫ぶ。「万呼べ・・・。万呼べ万呼べ。
万野を呼べ」と叫びながら、貢は、黒い羽織を脱ぎかけ、白絣を
観客に見せつける。黒と白の対比の鮮やかさ。舞台から涼味のあ
る風が吹いて来る。上方系の演出である(東京系の演出では、油
屋の奥から暖簾を分けて出て来るときは、羽織を脱いでしまって
いる)。

ついで、団扇。この演目は、小道具では、団扇が見どころなの
だ。遊女のお岸(七之助)、お鹿(弥十郎)の持つ銀地に紫の花
を咲かせた桔梗、あるいは、お紺(福助)の持つ銀地に紫の桔梗
やピンクや黄色の花をあしらったもの、仲居の万野(勘三郎)の
持つ役者ふたりが描かれた浮世絵の柄、仲居の千野(鐵之助)、
ほかの仲居や宿泊客が持つ油屋のお仕着せの流水に盃の柄など、
数多く登場する団扇の模様をウオッチングしていると、涼味を感
じる。

奥庭で演じられる伊勢音頭に載せての踊り。芝喜松、芝のぶら、
そろいの浴衣姿の仲居たち20人が演じる踊りの場面は、その後
の陰惨な殺しの場面を対照的に残虐に見せるために、颯爽と、涼
し気に踊るのである。こういう涼味が、ちりばめられた結果、
「伊勢音頭恋寝刃」は、夏芝居の有力な演目として、生き延びて
きたのではないか。

さて、役者論。「伊勢音頭恋寝刃」は、5回目。福岡貢:團十郎
(2)、仁左衛門(2)、そして、今回は、初役の三津五郎。團
十郎、仁左衛門に比べると、三津五郎の貢は、小さかった。
ちょっと、残念。特に、万野殺しの場面で、万野を叩いていた鞘
が割れて、名刀「青江下坂」の本身が、直接万野を傷つけたはず
なのに、鞘の割れが巧く行かず、遅れてしまい、拍子抜けがし
た。

團十郎の2回目は、去年の5月、歌舞伎座海老蔵襲名披露興行の
舞台で、私が観た直後に、病気休演となった。私の観た貢では、
仁左衛門が良かった。貢は、上方和事の辛抱立役の典型だが、俗
に「ぴんとこな」と呼ばれる江戸和事で洗練された役づくりが必
要な役。「青江下坂」が、本物なのに、鞘を取り替えられただけ
で、鞘違いに気づかず、本物探しのために、頭に血が上り、連続
殺人を犯す殺人鬼となる貢の、鬼気迫る演技は、仁左衛門の役ど
ころだろう。

お紺:福助(今回含め2)、雀右衛門、時蔵、魁春。福助のお紺
も、貢に合わせたのか、ちょっと、小粒の感。万野:玉三郎
(2)、菊五郎、芝翫、そして、今回は、勘三郎。万野は、玉三
郎が、美貌が促進する憎々しさで、印象に残っている。勘三郎
は、第3部の「法界坊」が、力が入り過ぎていたが、万野は、肩
の力を抜いていて、良かった。憎々しさにも、勘三郎なりの味わ
いが滲み出ていた。喜助は、傍役ながら、貢の味方であることを
観客に判らせながらの演技という、いわば「機嫌良い役」で、今
回は、橋之助。刀の摺り替えに一役買って、貢を追い掛けて、花
道七三で油屋に向かって言う「馬鹿め−」が、気持ち良さそう
だった。喜助:勘九郎時代の勘三郎、富十郎、三津五郎、襲名披
露の海老蔵。お鹿は、4回とも、田之助。今回は、珍しや、弥十
郎。もともと、類型ばかりが目立つ、典型的な筋の展開、人物造
型の「伊勢音頭恋寝刃」の中で、お鹿は、類型外の人物として、
傍役ながら難しい役柄だと思う。貢への秘めた思いを滑稽味で隠
しながらの演技。田之助のお鹿は、悲劇の前の雰囲気をやわらげ
ていたが、弥十郎は、滑稽味が強すぎないか。はかに、貢を巻き
込んだお家騒動の主筋の今田万次郎に勘太郎、お岸に七之助とい
う顔ぶれ。

「けいせい倭荘子 蝶の道行」は、2回目。亡くなった男女が蝶
になって死出の道行という幻想的なもの。初見は、99年4月歌
舞伎座であった。今回、6年ぶりの上演である。初見は、梅玉、
時蔵のコンビが華麗な舞台に仕上げていた。武智鉄二構成・演
出。今回も、武智鉄二構成・演出は、変わらず。染五郎、孝太郎
のコンビが、どういう味わいを出すか、愉しみしていた。

幕開き。上手に竹本4連。「世の中は 夢か うつつ
か・・・」。薄暗い中、ふたりの黒衣が操る差し金の先に、暗闇
でも光る番の蝶。やがて、この世で結ばれることの無かった小槙
(孝太郎)が、中央のせりで競り上がって来る。黒地に絹の縫い
取りで蝶の模様が描かれている。一方、花道スッポンから、助国
(染五郎)が、同じく、黒地に絹の縫い取りで蝶の模様の衣装。
書割りに描かれた紫陽花、菖蒲、牡丹、菊などの花々が、大き
い。亡霊のふたりは、人間の大きさではないことを伺わせる演出
だ。ふたりの衣装を引き抜くと、小槙は、白地に赤い太めの縦
縞。助国は、白地に紺の太めの縦縞で、若い夫婦の華やぎを感じ
させる。小槙は、赤子を抱く所作を交えながら去年の出会いの様
子を踊る。やがて、それぞれ交代で引っ込むと、今度は、白地に
大きな蝶の図柄の衣装で出直して来る。青い蝶が、助国、朱色の
蝶が、小槙。

「修羅の迎えはたちまちに 狂い乱れる地獄の責・・・」で、舞
台は、紅蓮の炎に包まれ、ふたりが、地獄の責め苦に遭う場面へ
と移る。草の露で、断末魔のふたり。折り重なり、断続的な痙攣
に苦しみながら、やがて、息絶えるふたり。前回の梅玉、時蔵の
ときより、演出が派手になっている。

「銘作左小刀 京人形」は、2回目。初見は、02年5月歌舞伎
座。菊之助と菊五郎の舞台。菊之助の京人形は、華麗であったと
いう印象がある。今回は、京人形が、扇雀。人形を掘り出した左
甚五郎が、橋之助。

甚五郎によって、魂を吹き込まれた京人形だが、男の魂は、女性
化せず、ということで、京人形に似合わない男っぽい動き。それ
が、女の命という手鏡を人形の胸に入れると、恰も電池を入れた
ロボットのように、活発に動き出すという趣向。木彫りの人形
は、左甚五郎が見初めた京の郭の遊女・小車太夫に似せて作っ
た。しかし、男の魂を入れて作った、左甚五郎入魂の人形だけ
に、命を吹き込まれると同時に、男の気持ちも封じこまれてし
まった。それが、手鏡を胸に入れると女っぽくなる。人形の動き
は、男女の所作を乗り入れている形だ。

扇雀の人形振りは、菊之助に比べると、いまひとつ。菊之助の人
形ぶりは、そういう男と女の、いわば、「ふたなり」のような奇
妙なエロチシズムが滲み出ていた。思えば、菊之助のは、3年前
の、この舞台から、先月の歌舞伎座のシェークスピア劇「十二
夜」の歌舞伎版での、男女の双児の役作りへの道筋があったのか
もしれない。「京人形」の、そういう寓話的な不思議な所作事
が、「十二夜」に繋がっているのかもしれない。いや、これは、
私が見た「真夏の夜の夢」に過ぎないのかもしれない。それほ
ど、「京人形」の菊之助の演技は、印象に残っている。

下手、常磐津連中の「よそごと浄瑠璃」に続いて、屋体の上手、
障子の陰から、やがて、長唄連中。橋之助の科白回しが、時代過
ぎて、気に掛る。もう少し、世話にくだけられないものか。京人
形とのやりとりは、人形を箱に納めてしまえば、終り。匿ってい
た井筒姫の話に、突然展開する。井筒姫(新悟)を逃がす甚五郎
なのに、仇と勘違いした井筒姫の下男・奴照平(弥十郎)が、甚
五郎の右腕を斬り付ける。誤解は溶けて、井筒姫を照平に託す
が、これ以後、甚五郎は、左手だけで彫り物を作るようになり、
やがて、左甚五郎と呼ばれるようになるという、甚五郎由来話。

甚五郎と「祇園守」の紋を染め抜いた成駒屋の半纏を着た大工た
ちとの立ち回りは、所作立てで、鉋、丁な、曲尺、木槌などの大
工道具を巧く使いながら、大工仕事のさまざまな仕方を踊りで表
すという趣向。これかこれで、おもしろい。

この演目は、本来の筋をカットした部分があり、それを入れて演
じているため、京人形のくだりと井筒姫のくだりが、短絡してい
るように見えるという、前回も指摘した印象は、今回も、拭えな
い。

このほか、甚五郎女房・おとくに、高麗蔵など。
- 2005年8月15日(月) 16:43:40
2005年8月・歌舞伎座 (納涼歌舞伎第一部/「祇園祭礼信
仰記〜金閣寺〜」「橋弁慶」「雨乞狐」)

暴力(権力)と文化の対決の構図

先ず、「金閣寺」。この芝居「祇園祭礼信仰記」は、元々の外題
が、「祇園祭礼信長記」であったことでも判るように、織田信長
の一代記をベースにしている。信長は、「小田春永」として登場
する。全五段の時代物。このうち、四段目の中から切にあたる
「金閣寺」が、いまも、盛んに上演される。

情慾と暴力に裏打ちされた「権力」への野望に燃える「国崩し」
役の大膳対藝の力、つまり「文化」の雪姫、それを支援する筑前
守久吉らという構図。つまり、「武化と文化の対決」で、文化が
勝利という判りやすい芝居だ。

それにしても、大膳は、極悪人だ。「王子」と呼ばれるユニーク
な鬘は、「国崩し」の特徴である。罪状を「社会部」的な視点か
ら見ると、主君の十三代将軍・足利義輝に謀反し、将軍思い者の
遊女を唆して、将軍を射殺させ、将軍の母・慶寿院尼を金閣寺に
幽閉しているという、反逆罪の政治犯、つまり「国崩し」。室町
御所で見初めた雪姫の尻を追い掛けるセクハラおやじ。恋人の直
信と逃げた雪姫は、直信に横恋慕する後家の策略で、大膳の元に
行かされ、大膳の手で、幽閉され、「蒲団の上の極楽責め」に
あっている。夫の直信も、捕らえられている。監禁の罪。大膳
は、さらに、雪姫の父親・雪村を殺して、祖父雪舟から受け継が
れた宝剣を奪っている。強盗殺人の罪。暴力と情慾で、好き勝手
なことをしている。「金閣寺」の場面でも、雪姫に対して、天井
の一枚板に龍の墨絵を描け、閨の伽(セックス)をしろと、いま
も、無理難題を突き付けている。脅迫の罪。

さて、「金閣寺」は、エピソードの多い芝居だ。まず、「碁立
て」の場面。東吉(染五郎)に囲碁で負けた大膳(三津五郎)
は、怒りに任せて碁笥(ごけ)を井戸に投げ込む。その上で、東
吉に手を濡らさずに、碁笥を井戸から引き上げてみせろと難題を
出す。知恵者・東吉は、考えた末に、金閣寺の樋を引き抜き、そ
れを使って裏山から落ちて来る滝の水を井戸に引き込む。そし
て、井戸の中の水面に浮き上がってきた碁笥を扇子で引き寄せ、
これを碁盤の上に載せてみせる。

大膳が、雪姫(福助)の父親を殺して奪った宝剣「倶利伽羅丸」
を抜き放つと、その度に、裏山の滝に龍が登る。それを観て、雪
姫は、父親殺しの犯人が、大膳だと悟る。雪姫は、大膳の手の者
に縄で縛られてしまう。

「爪先鼠」の場面。長い縄で桜の木に縛り付けられた雪姫は、桜
に木から大量に落ちてきた花弁を使って、足の指で鼠の絵を描
き、その鼠に自分を縛っている縄を食いちぎらせて、自由の身に
なる。

金閣寺の大道具が、「大ぜり」に載ったまま、せり下ると二階に
は、十三代将軍・足利義輝の母・慶寿院尼(秀調)が幽閉されて
いる。金閣寺の楼閣の大道具せり下がりは、いつ観ても迫力があ
る。二階の襖は、金地に桐の木の絵、一階の襖は、金地に虎の
絵。桐は、東吉、実は、筑前守久吉がらみ、虎は、軍平、実は、
佐藤正清がらみ。

こういう判りやすい場面やエピソードがあると、歌舞伎の初心者
には、今後、歌舞伎に入って行きやすくなるという効用がある。
それに、この演目は、「国崩し」という極悪人・大膳もいれば、
颯爽とした捌き役・東吉もいれば、歌舞伎の三姫のひとり、雪姫
もいれば、雪姫の夫で、和事の直信(勘三郎)もいれば、赤っ面
の軍平(橋之助)、同じく赤っ面の大膳弟の鬼藤太(亀蔵)もい
れば、老女形の慶寿院尼もいるという具合に、歌舞伎の時代物の
典型的な役どころが勢ぞろいしているので、動く歌舞伎入門のよ
うに観ることができる。

「祇園祭礼信仰記〜金閣寺〜」は、4回目の拝見。雪姫:雀右衛
門(2)、玉三郎、今回は、福助。大膳:幸四郎(3)、今回
は、三津五郎。東吉:團十郎、富十郎、菊五郎、今回は、染五
郎。慶寿院尼:田之助(3)、今回は、秀調。狩野直信:九代目
宗十郎、秀太郎、時蔵、今回は、勘三郎。正清:左團次、歌昇、
我當、今回は、橋之助。鬼藤太:彦三郎、弥十郎、信二郎、今回
は、亀蔵。

今回の見どころは、私にとっては、初めて幸四郎ではない大膳を
観ること。つまり、三津五郎初役の大膳の出来が、いかがかとい
うのがひとつ。雪姫は、最初に玉三郎で観て、その後は、雀右衛
門の「一世一代」とも言える雪姫を観てきたので、若い福助が、
どういう雪姫を見せてくれるかというのが、もうひとつであっ
た。

まず、三津五郎は、あの小柄な体が大きく見えた(これは、第2
部の「伊勢音頭恋寝刃」で演じた三津五郎の福岡貢が、小柄なま
まだったのとは、対照的な印象である)が、幸四郎が持ち味の
「陰湿な存在感」は、三津五郎に乏しく、「国崩し」としてのス
ケールは、いまひとつという感じがした。

福助は、お互いに縄を打たれて、身が自由にならない状態で、殺
されに行く夫・直信(勘三郎)との「此世の別れ」の場面での、
直信に向ける切ないまでの表情が良い。縄は、大膳の暴力(権力
慾)を象徴すると同時に、雪姫の場合、視覚的には、雪姫と櫻
木、櫻花との緊張関係、つまり、「距離」を象徴する。絶えざる
弛みのない縄が、両者の関係をピンとしたものにする。処刑場へ
送られる直信との、別れの場面でも、双方、括られた縄が、ふた
りの柵(しがらみ)多い、この世との別離を象徴するように、無
情にすれ違う。綱の美学。2年前の雀右衛門の雪姫は、「一世一
代」の演技という感じの緊張感を維持した素晴しい舞台であった
が、福助の雪姫は、児太郎時代から演じ続け、福助を経て、やが
て、歌右衛門として演じ続けて行くであろう雪姫の、さらなる可
能性を感じさせる、そういう演技であった。今後も、福助の雪姫
には、注目したい。

贅言1):雪姫が、櫻の花弁で描いた白い鼠によって、身体を戒
めていた縄を食いちぎらせる。自由の身になった雪姫が、鼠を叩
くと、黒衣が操る差し金の先の鼠の身体が、まっぷたつに裂け
て、ピンクの花弁が飛び散る仕掛けになっているが、これは、役
者によって、あったりなかったりするようで、今回は、本来の姿
で、「あり」であった。この桜の花弁に変わる鼠を、私は、いつ
も、藝の魔力を象徴しているように受け止めて、観ている。

天井から落ちて来る櫻の花弁。最初は、ひらひらと舞い落ちてい
たが、やがて、降り積もり、舞台一面、ピンクの櫻の花弁で一杯
になる。雪姫の引きずる裾が、舞台に敷き詰められた花弁を蹴散
らしながら、幾何学模様を描いて行く。裾の円舞。桜の美学。綺
麗な舞台だ。雪姫は、鬼藤太から久吉が奪った宝剣を胸に抱い
て、直信を追って、花道へ向かうとき、剣を鞘から抜いて己の髪
の乱れをチェックするのは、昔からの型。

今回、歌舞伎座の天井に近いところから観ていた所為か、福助に
蹴散らされた花弁の群れから抜け出させられた本舞台の空間は、
まるで、初夏、高山の山肌に浮き上がる「雪代(ゆきしろ)」の
ようになって、巨大な鼠の絵姿に見えたのは、私の思い入れの為
せる技か、雪姫の為した幻影か。

染五郎の、此下東吉から筑前守久吉に身顕わしは、捌き役とし
て、颯爽としている。「石切梶原」の梶原平三を思い出させた。
染五郎・久吉は、「猿」(猿面冠者の久吉らしく)のように桜木
を登る(以前、富十郎・久吉は、木に登らず。團十郎、菊五郎
は、いずれも、今回同様登る。この場面は、やはり、いつでも、
木を登ってほしい)。

慶寿院尼は、過去、3回とも田之助で観た。今回は、秀調。秀調
の慶寿院尼は、品があり、よろしい。舞台を上手から下手に横切
り、花道から死出の道を歩まされる直信は、話題の勘三郎だが、
今回は、「法界坊」が、メインとあって、ここは、それなりに。
黒地に露芝の着付けが、「妹背山」の求女、「保名」の安部保名
を思い出させる。正清は、橋之助。時代物の科白は、橋之助も良
いのだが、第2部「京人形」の左甚五郎の科白は、もっと、世話
に砕けて欲しかった。鬼藤太は、亀蔵。今回の亀蔵は、「法界
坊」の番頭役で、「怪(快)演」するが、それは、別の所で述べ
たい。

初見の「橋弁慶」は、獅童と七之助のコンビによる京は、五条橋
(ごでうはし)の出会いの物語。牛若丸(七之助)と弁慶(獅
童)の人気。牛若丸の吹く笛は、舞台上手の長唄囃子連中の、笛
方(田中傅太郎)が、代打ち。力強く、良い音の笛であった。弁
慶は、白頭巾姿だが、頭巾を締め付ける紐の形が、頭に「目」が
あるように見えておもしろかった。大薙刀を振るう弁慶。身軽に
橋の欄干に飛び乗る牛若丸。牛若丸が弁慶を制して、互いに名乗
りあい、主従の契りの誓いをする。九條の屋敷に向かった牛若丸
の後を追い、大薙刀を抱えたまま、片手飛び六法を本舞台から七
三まで見せる弁慶役の獅童。

初見の「雨乞狐」は、勘太郎の五変化。旱魃の野に近い稲荷。舞
台中央に鳥居、上手に社。野狐は、雨乞いをするために、舞台下
手より「台」に載って姿を現したのは、白狐。源九郎狐の末裔だ
けに、「忠信」ばりの衣装だが、名前は、まだない。「我輩は猫
である」の猫同様の身の上。狐から雨乞巫女に早替りするのは、
鳥居の後ろ。鳥居に幕が降りる。白と朱の巫女姿になった勘太郎
は、弊を振って雨乞いを始める。やがて、一天俄にかき曇り、背
景に黒幕が下りて、雨空となる。弊を両肩に担ぎ、廻りながら社
の裏に引き込む巫女。やがて、社の戸が開いて、早替りした座頭
が出て来る。雷鳴が轟き、雷を恐れる座頭の様子が、コミカルに
描かれる。杖を尻尾のように振り、狐の正体を暗示する。やが
て、雷鳴も止み、雨は、静かに降り続く。雨で滑っていた座頭も
社の後ろに消えた。

社の前に、柳の木が引き出される。蛙の声が聞こえ出す。花道
スッポンから、蛇の目傘を差した小野道風が、現れる。舞台中央
に進んだ道風は、柳の木の下に現れた蛙を観ている。柳の葉に食
らいつこうとする蛙を観ているうちに、なにかに思い当たったよ
うだ。手紙(恋文)を拡げながら、舞台中央奥のせりから、せり
下りる道風。空も、明るんできた。天気雨?→「狐の嫁入り」と
いう発想。

花道に花嫁行列の一行が現れた。狐の嫁入り。供侍、中間、皆、
狐だろう。駕篭は、社の下手に着けられる。中間が持ってきた提
灯も浮かれ出す。5月の歌舞伎座で、名子役・清水大希から、勘
三郎の部屋子として歌舞伎役者デビューをした二代目鶴松が、コ
ミカルに、巧みに演じる。駕篭と黒衣ふたりが持つ黒幕を使っ
て、提灯が消えると、たちどころに花嫁御寮に姿を変えた勘太郎
が駕篭の中から、登場する。五変化目。23年前の勘九郎が六変
化で、この演目を演じたときは、この提灯も勘九郎が演じたと上
演記録にはある。どういう展開にしたのだろう。「提灯」役は、
変化の中でも、ハイライトと観た。初演時の勘九郎のように、こ
れは、主役が演じたいものだ。

浮かれ踊っていた一行も、嫁入りの刻限が迫り、皆、姿を消す
と、再び、白狐姿に立ち戻った勘太郎が、舞台中央奥のせり穴か
ら、(多分、トランポリンを使って)飛び出してきた。初音の鼓
の音が聞こえ、名もない野狐は、先祖の源九郎狐に因んで、勘九
郎狐という名前を貰う。忠信ばりの狐を演じる勘太郎。

贅言2):「橋弁慶」「雨乞狐」を観ていて思ったこと。歌舞伎
の若手役者たちは、いろいろな演目にちりばめられた大演目の破
片を学びながら、いずれ、大演目を演じるようになって行くのだ
というのを実感した。
- 2005年8月15日(月) 13:01:34
2005年7月・歌舞伎座 (「NINAGAWA 十二夜」)

7月の歌舞伎座は、本来なら、最近では、澤潟屋一門興行の指定
席だった。去年(04年)は、右近、笑也、段治郎らの猿之助を
支える澤潟屋一門の中堅どころを相手に、玉三郎が買って出た。
ことしは、音羽屋一門に歌舞伎座を乗っ取られた感がなきにしも
あらずであるが、菊之助が主演するシェイクスピア劇を蜷川幸雄
が演出をすることになった。客席内が、暗いので、いつものよう
にウオッチングしながらのメモが取れないので、記憶に頼りなが
らの劇評で、正確さが、保証できない。そこで、以下、アットラ
ンダムに、思いつくまま感想を述べておきたい。

1)約400年前のシェイクスピア劇の舞台を日本に置き換え、
役名は、変えながら、科白劇であるシェイクスピア劇の特徴を最
大限に活かそうという蜷川演出である。特に序幕第一場では、幕
が開くと、舞台は、左大臣館の広庭。桜の巨木が、爛漫と咲き乱
れる。その後ろの書割、上手の床(ちょぼ)、下手の黒御簾など
まで、全てが鏡張りになっている(この「ミラー効果」について
は、後段で、詳しく検証してみたい)のが、実験的だ。

舞台背景の書割には、1階席の客席が、場内を飾る赤い提灯とと
もに映って見えるので、横長の舞台を挟んで、丸く客席が囲んで
いるように見える。赤い提灯も、いつもより、祝祭劇の気分を盛
り上げてくれる。まさに、「円形劇場」の雰囲気で、その意外性
が、客の心を一瞬のうちに掴み取る効果を上げていて、実に、卓
抜な演出だと思った。実際、幕が開く前に花道七三近くのライト
が、いつになく、観客席を照らし出したが、何ごとかと不思議に
思いながら開幕を待つ。やがて、定式幕が引かれると、ライトで
照らし出された1階の観客席が、舞台背景の、書割の鏡に映し出
される。すると、鏡に向かって手を振る人もいて、場内から「じ
わ」が来た。

照明の効果で、鏡が透けて見えると、爛漫に咲き乱れる桜の巨木
を背景に、西洋楽器のチェンバロを演奏する人1人と3人の南蛮
風の衣装の少年少女合唱隊、それに、緋毛氈には、常とは異な
る、僧衣のような衣装を身に着けた鼓方3人が座って、大小の鼓
を打ち、ラテン語の聖歌の合唱と和洋混合楽器の合奏が、流れ
る。そのなかを、花道から左大臣(信二郎)と従者2人(秀調、
松也)が、登場するという印象的な幕開きの場面が続くのであ
る。

シェイクスピア劇は、戯曲としての完成度が高いので、科白劇、
西洋の価値観を、いかに歌舞伎に馴染ませるかが、問題だろう。
シェイクスピア劇は、明治時代から翻案劇として、上演されてき
た。主に、ふたつの流れがあったように思う。ひとつは、シェイ
クスピア劇を原作のまま、歌舞伎役者が演じるもの。三代目左團
次らが演じた「ベニスの商人」、二代目松緑らが演じた「シラ
ノ・ド・ベルジュラック」など。もうひとつは、シェイクスピア
劇を翻案して、外題も歌舞伎調に変え、歌舞伎役者による新歌舞
伎仕立てにしてしまうもの。いまも演じられる河竹黙阿弥作「人
間万事金世中」など。

しかし、今回の「NINAGAWA 十二夜」は、いずれでもな
い。原題も変えずに、「十二夜」のまま、科白劇としての、シェ
イクスピア劇の特徴を活かしながら、役名のみを歌舞伎調に変え
て、いわば、「歌舞伎調シェイクスピア劇」にしてしまうという
趣向だ。

2)歌舞伎調シェイクスピア劇だから、翻案型新歌舞伎のよう
に、歌舞伎度を図ろうとするのは、的外れかもしれないが、あえ
て、歌舞伎度にこだわるならば、前半、特に、序幕は、第九場ま
であり、主筋の紹介のため、舞台展開が、多過ぎて、歌舞伎度
は、いささか希薄。例外的に、第二場の紀州灘沖合いの場は、通
称「毛剃」こと、「博多小女郎浪枕」に出て来るような一艘の大
船が、登場するスペクタクル。斯波主膳之助(菊之助)が、ふた
役早替りで、双児の妹の琵琶姫(菊之助)を演じ、嵐に揉まれる
大船は、やがて、帆柱も折れ、遭難してしまう辺りは、見応えが
あった。

難破した船から海岸に辿り着いた琵琶姫と舟長の磯右衛門(段四
郎)は、別れ別れになった、生死不明の兄・斯波主膳之助を探す
旅に出る。琵琶姫は、男姿になって、獅子丸と名乗り、左大臣
(信二郎)の小姓になる。左大臣は、織笛姫(時蔵)に恋をして
いるのだが、織笛姫は、冷たい。小姓の獅子丸が、恋の仲立ちの
使者となると、織笛姫は、なんと、獅子丸に恋してしまう。左大
臣→織笛姫→獅子丸、実は、琵琶姫→左大臣。恋する者たちの連
鎖が、一方向にばかり向いながら、綾なし、環になる喜劇が、
「十二夜」の眼目である。

二幕目、大詰は、主筋の左大臣館、脇筋の織笛姫邸の芝居で、舞
台が、落ち着いて来るに連れて、様式美や定式を踏まえて、歌舞
伎度も上がってくるという趣向だ。息子の菊之助を前面に出し、
脇に廻って、芝居に奥行きを与えるのが、織笛姫邸の気侭な奉公
人・捨助と頑固ゆえに憎まれ役の織笛姫邸用人・坊太夫のふた役
早替りを演じる菊五郎である。「菊五郎の歌舞伎演出」と「蜷川
幸雄のシェイクスピア劇演出」のせめぎ合いが、おもしろい効果
を上げて、新機軸の歌舞伎調シェイクスピア劇を誕生させたと言
えそうである。

3)役者論。脇筋の織笛姫邸の場面で、左大弁・洞院鐘道を演じ
る左團次、右大弁・安藤英竹を演じる松緑、それに左大弁の恋人
で、腰元の麻阿を演じる亀治郎の3人が、息もあっていて、その
上で、役割をきちんと演じわけていて、充実の舞台に仕上げてい
る。特に、知恵者で、いろいろ仕掛けを作り、物語展開の牽引者
の役割を演じる亀治郎の麻阿が、達者な存在感を残している。

脇に廻った菊五郎が味のある演技で、さらに、舞台を磨きあげ
る。ところで、時蔵は、脱皮したようだ。時蔵の織笛姫は、典型
的な赤姫で、歌舞伎の様式美を体現する演技だったが、大詰で、
獅子丸が、琵琶姫が扮していたことが判明し、「女でありなが
ら、女を見初めるとは、大恥ずかし」と恥じらうときの表情、双
児の妹・琵琶姫の獅子丸には、「振られた」が、双児の兄・斯波
主膳之助と結ばれるときの、嬉しそうな「官能」の顔は、当代一
流の表情になっていた。このところ、官能の表情に、一皮向けた
感じのする時蔵の成長振りが、嬉しい(それにしても、時蔵の稽
古風景の素顔の白髪頭は、どうしたことだろう。素顔の時蔵に
は、何度か逢ったことがあるのだが、毛染めをしているのだろう
か、いつも黒々とした髪だったのに。むしろ、銀髪に染めている
のか。まさか?)。

主役の菊之助は、いまが、「時分の花」なのだろう。男性が、女
形となり、琵琶姫を演じ、琵琶姫が、訳あって、男装して小姓・
獅子丸となる。菊之助は、地声で、琵琶姫が扮する獅子丸を演
じ、ときどき、女形の声である甲(かん)の声を交えて、琵琶姫
の「地声」を演じるという錯綜した演技をし、会場の笑いを誘
う。琵琶姫と斯波主膳之助という双児の早替りと琵琶姫扮する獅
子丸の演技。菊之助は、自由闊達に、多重的に入り組んだ性の区
域を飛び越え、破綻がない。「実」がしっかりしているので、見
ている観客も、混乱しない。

菊之助の吹き替え役は、誰が勤めたのだろうか。目や鼻は、菊之
助と似ていないが、顔の輪郭やおでこの形が似ていて、背格好も
そっくり。化粧の所為もあるだろうが、実に、菊之助、そっくり
で、大詰第五場「織笛姫邸門外の場」で、菊之助演じる斯波主膳
之助と吹き替えの《菊之助》演じる獅子丸が、舞台上下に登場す
ると、観客席から、今回2回目の「じわ」が来た。この際、上手
に登場してきた吹き替えの《菊之助》演じる獅子丸は、顔に当た
る照明を落していて、獅子丸の影が、舞台に長く延びるから、よ
り一層、異様なまでに、そっくりに見える。菊之助が、ふたり居
るのが、おかしいような、おかしくないような、超自然的な現象
を平気で受け入れるような雰囲気が、客席に流れたように感じ
た。

このあと、獅子丸が、琵琶姫に戻り、左大臣と結ばれ、織笛姫
が、獅子丸そっくりの、斯波主膳之助と結ばれ、めでたしめでた
しとなる場面では、菊之助は、琵琶姫を演じ、吹き替えの《菊之
助》は、斯波主膳之助を演じることになるのだが、この場面にな
ると、先の場面より、一歩踏み込んで、私を含めて、観客たち
は、もう、菊之助が、ふたり同時に存在しても、構わないという
気分にさせられているから、不思議だ。菊之助と吹き替えの《菊
之助》は、まさに、斯波主膳之助と琵琶姫の双児のように、こち
らも、双児の菊之助として、自然に受け止める雰囲気に変わって
いるから、おもしろい。

4)さて、その吹き替え役者は、だれだろうか。筋書の「出演者
紹介」の顔写真を見ていると、写真一覧には、掲載されている
が、役名が付いていない音羽屋一門の若手役者は、何人かいる。
しかし、背格好や年齢が菊之助に近く、おでこや顔の輪郭が、菊
之助に似ているのは、そうは、いないだろう。そこで、私の推理
だが、その役者は菊史郎だと思うのだが、いかがなものだろう
か。身長も、年齢も、菊史郎の方が、菊之助より、やや上だが、
まあ、そんなには、変わらない。それとも、どこかのホームペー
ジで、吹き替え《菊之助》の正体を暴露しているだろうか。知っ
ている人が居たら、教えて欲しい。

5)今回の最大のハイライト。大道具としての鏡の「ミラー効
果」を検証してみよう。この「大鏡」は、決して、一枚のガラス
の鏡ではないようだ。なぜなら、木枠に布張りの「書割」同様、
へなへなしているからだ。歌舞伎の背景画は、「書割」の組み合
わせで、大きな背景画を構成する。その書割のように枠組みと布
でできている書割の上にガラスではないミラーを貼付けているよ
うに見える。あるいは、ミラー効果のある塗料を布に塗り付けて
いるのだろうか。舞台の壁面をミラーにするアイディアを出した
のは、装置担当の、金井勇一郎。それが、照明との相乗効果で、
巧みな「円形劇場」をつくり出している。蜷川幸雄は、蜷川演劇
の、いつものスタッフを殆ど連れずに、単身、歌舞伎座に乗込ん
できたようだが、一人だけ連れてきたスタッフが、照明担当の原
田保だという。その原田の照明と金井の装置が、息もあって、効
果を上げている。照明の具合で、鏡を強調したり、透かしたりし
ている。

芝居は、もちろんのこと、劇場内の全体像が映る照明と装置は、
歌舞伎座を円形劇場と化し、まさに、シェイクスピア劇に相応し
い、新しいグローブ座を木挽町に出現させた。特に、上下(かみ
しも)の袖のミラー効果は、抜群で、上手のミラーには、絶え
ず、斜めの角度から、舞台の尖端で演技する主役を映しだしてい
るし、下手のミラーは、江戸の芝居小屋にあった「羅漢(らか
ん)席」からの眺めを再現するように、いつにない角度からの芝
居を観客席に提供してくれた。特に、幕引きの大道具方が、観客
席から見れば、「幕内」の光景である、内側から幕を引いて走る
さまを見せてくれるのである。また、照明の当て具合で、花道か
ら向う揚幕の辺りが、鏡に映し出されるから、1階の1等席でも
ない2階や3階の座席からも、同じように花道向うの演技が、見
て取れるようだ(私は、2階席から拝見した)。

さらに、両袖の鏡の置き方、舞台奥の鏡の起き方の工夫次第で、
普通なら3方に映る映像が、4方に映ることもある。どの場面
だったか、場内が暗くて、メモが取れなかったので、特定できな
いが、月が出ている場面で、舞台の中央で演技する役者たちの姿
が、裏返しで、鏡に映っているときには、本舞台で演じられる芝
居と鏡のなかで背中だけを見せて演じられる「別の芝居」が、恰
も、同時進行しているような、不思議な気分にさせられて、しば
し、仙境に揺蕩(たゆた)っているような気になった。また、百
合の花が咲き乱れる織笛姫邸の奥庭の太鼓橋と広庭のふたつの太
鼓橋の場面は、巨大な万華鏡を覗き込んでいるような永久運動の
世界が出現し、桃源郷ならぬ、「百合」源郷のようであった。

舞台装置としての書割のミラー効果には、感心させられたが、室
内の場面では、全ての襖が、鏡となっていたのは、しつこすぎる
感じがして、演じる役者の背景の姿が、むしろ、煩く感じられ
た。書割のミラー効果は、素直に効果を上げたのに、襖のミラー
効果は、襖に描かれた絵柄が、邪魔をして、ミラー効果を半減さ
せたことも、原因の一つだろう。演出家は、「鏡の国のアリス」
を狙ったのかもしれないが、その効果には、疑問を持った。むし
ろ、メリハリのあるミラー効果を狙った演出で、鏡の使い方を絞
り込んだ方が、良かったのではないか。再演時にも、ミラー効果
を狙うなら、再考が必要だと、感じた。

6)さて、最後に贅言・その1;北斎画のような背景の場面があ
た。「冨獄三十六景」の、職人が大樽を作る、その樽の環のなか
に、遠く見える冨獄という有名な葛飾北斎の絵があるが、大詰第
一場「奈良街道宿場外れの場」では、奈良だけに富士山こそ見え
ないが、樽職人が出てきて街道筋の脇で、大樽を作っている。そ
こへ、10人の座頭が、数珠繋ぎになって互いの尻に掴まって、
上手から下手へ舞台を横切って行く。北斎画の改竄パロディだ。

贅言・その2;筋書表紙絵にも改竄があった。気づかれただろう
か。こちらは、安藤広重。広重が、北斎の「冨獄三十六景」の向
うを張って、その名も、「冨士三十六景」という風景画を描い
た。今月の筋書の表紙絵は、そのなかから、「駿河薩タ之海上」
をベースにしながら、原画にあった富士山を削除し、由比が浜の
荒波に翻弄される遠くの帆船を大きめに描き、船の帆には、序幕
第二場「紀州灘沖合いの場」に登場し、嵐になかで難破する船の
帆に描かれていた紋が、くっきりと描かれているでは、ないか。
パロディは、絵に限らず、歌舞伎の傾(かぶ)く精神を象徴して
いる。

まあ、新歌舞伎ながら、話題満載の所為か、歌舞伎座の座席は、
前売り券は、すでに、千秋楽まで満席になっているのは、ご同慶
の至り。この劇評を見て、どうしても舞台を観たくなった人は、
当日券ばかりの幕見席を狙って、開演時間よりかなり早めに並ぶ
と良いだろう。千秋楽は、31日。
- 2005年7月14日(木) 23:31:30
2005年6月・歌舞伎座 (夜/「盟三五大切」「良寛と子
守」「教草吉原雀」)

「盟三五大切」3回目の拝見。これまで観た源五兵衛、実は、不
破数右衛門は、いずれも、幸四郎だった。今回は、初役で、吉右
衛門が挑戦。このほかの配役。三五郎:勘九郎時代の勘三郎、菊
五郎、仁左衛門。20年ぶりに演じるという、この仁左衛門の三
五郎も、楽しみ。三五郎女房・小万:時蔵(今回含め2)、雀右
衛門。家主・弥助:左團次(2)、今回は、歌六。八右衛門:染
五郎(2)、愛之助。菊野:芝雀、亀治郎、孝太郎。三五郎の父
親・了心:四郎五郎、幸右衛門、芦燕。助右衛門:幸右衛門、彦
三郎、東蔵。

この芝居は、幕が開く前から始まっているが、多くの観客は、そ
れに気がついていない。花道には、すでに、紺色の敷物が敷かれ
ている。つまり、1階の観客席は、海に沈んでいるのだ。東西の
桟敷は、まるで舟に乗っているよう。幕が開けば、それが、誰の
目にもはっきりするが、佃沖の江戸湾の底に沈められているの
に、観客の多くは、気付かずに、ざわついている。

幕開きは、いきなり、黒幕を背景に舟の場面。3艘の舟が行き交
うことになる。序幕・第一場は、「佃沖新地鼻」だから、漆黒の
闇のなかでの、江戸湾である。まず、1艘。お先の伊之助(歌
昇)の船頭と賤ヶ谷伴右衛門(錦吾)の舟である。ふたりは、深
川芸者・妲妃(だっき)の小万の噂をしている。舟は、そのま
ま、舞台上手の袖に入って行く。

向う揚幕から花道を通り、別の舟が来る。噂の主、深川芸者・小
万(時蔵)と船頭で亭主の三五郎(仁左衛門)である。女房のお
六こと小万の手には、役者絵を刷り込んだ団扇が握られている。
夕涼みしながら、客から金を搾り取る相談をしているようだ。黒
衣ならぬ、濃い紺地の水衣(みずご)がふたりで、舟を押してい
る。本舞台に舟が差し掛かると上手より、小さな樽が流れて来
る。沙魚が入っている。いやに、リアルだ。やがて、ふたりは、
闇夜と密室の船上を良いことに、カーセックスならぬ、シップ
セックスの体(てい)。

8年前の10月、歌舞伎座で、初めて「盟三五大切」を観たと
き、この場面は、勘九郎時代の勘三郎と雀右衛門だったが、観客
席のこちらが、身の置きどころに困るような濃厚なラブシーンに
見えた。前にも書いているが、歌舞伎の舞台では、最も扇情的な
性の描写がなされる場面だと、思う。前回の菊五郎も、濃厚だっ
た。菊五郎は、時蔵の手を己の下半身に誘う。さらに、菊五郎の
手は、時蔵の下半身、そして胸へと、これまた、味が濃い。時蔵
は、「鳴神」の雲絶間姫でも、官能的であった。時蔵は、官能に
開眼したのかもしれない。今回の仁左衛門は、同じ時蔵を相手
に、もう少し、薄味で演じていたが、それでも、船上に横たわ
り、抱擁するふたりに、観客席は、寂(せき)として、声もな
し。

・・・黒幕が、切って落とされると、月夜の江戸前。舞台奥、上
手に、第3の舟。小さな屋形舟だ。闇で見えなかったが、情事に
耽るふたりの舟の近くまで、いつの間にか、近付いていたよう
だ。明るみに出てみれば、薩摩源五兵衛(吉右衛門)が、船上に
立ち上がっている。源五兵衛は、陰険にも、ふたりの情事を覗き
見ていたのが、判るという趣向だ。それに気づき、薩摩源五兵衛
に愛想を振りまく小万。こういう場面になると、女性の方が、大
胆なんだろうなあ。憮然とした表情の三五郎が、気の毒になる。
3艘の舟を効果的に使った演出で、歌舞伎座の舞台は、一気に、
江戸時代の江戸前の海風の世界へタイムスリップする。巧みなイ
ントロである。

この芝居、今回の登場人物だけでも、6人が「○○、実は△△」
という役回りだ。皆、仮の姿で、まるで、あの世で、戒名芝居を
するように、現世で生きている連中ばかりだ。そのほかの登場人
物、「ごろつき勘九郎(錦吾)」「ごろつき五平(吉之助)」
「内びん虎蔵(秀調)」「やらずの弥十(寿鴻)」「はしたの甚
介(松之助)」「ますます坊主(由次郎)」「くり廻しの弥助
(歌六)」など、いかにも、江戸庶民を活写する役名がついてい
る。まさに南北ワールドの面目躍如。開幕前の、ざわめきのなか
で、筋書きに眼を通すだけで、南北の工夫魂胆に乗せられて行く
のが判る。

序幕・第二場「深川大和町の場」から、「大詰」まで登場する源
五兵衛の若党・六七八右衛門は、染五郎が、きっちり演じてい
る。常識的ではない登場人物が、目白押しの「盟三五大切」で
は、数少ない「常識人」であろう。六七八右衛門の「八右衛門」
という名前は、遊女との痴情の果てに、大坂曾根崎で事件を起こ
し、この芝居のモデルになった薩摩武士の「八右衛門」に由来し
ている。因に、同じくモデルになった事件の遊女「菊野」の名前
も、芸者・菊野(孝太郎)で、出て来る。南北の皮肉な眼差し
が、目に浮かんできそうではないか。

二幕目・第一場「深川二軒茶屋」の伊勢屋の場面では、小万の
左、二の腕の入れ黒子「五大力」は、源五兵衛への心中立て、と
いう「小道具」を使って、源五兵衛に小万を身請けするための百
両を出させるために、源五兵衛以外の登場人物たちが、源五兵衛
を騙す。騙される源五兵衛の人の良さは、吉右衛門の持ち味だ。
騙しに成功すると、自信過剰の、非常識人である三五郎は、その
からくりを明かし、源五兵衛の怒りに火を着けてしまう。己よ
り、さらに、非常識の極みに居て、執念深い、粘着質の源五兵衛
の性格を知らずに・・・。これが、後の悲劇への元凶となるのを
知っているのは、南北ばかり。以前2回観た幸四郎は、源五兵衛
のキャラクターの無気味さを、この辺りから巧く、掘り下げはじ
める。幸四郎は、そのエネルギーを二幕目・第二場「五人切の
場」まで、溜め込んだ。吉右衛門は、その辺りが、薄味で、弱い
ように思えた。

あるいは、国立劇場の織田紘二演出の弱さか。その元になってい
る郡司正勝演出の欠点か、どうかは、判らないが・・・。いずれ
にせよ、悪人・源五兵衛、実は、塩冶義士・不破数右衛門という
二元性(これについては、後ろに掲載した「(参考)論文」で論
じている)が、明確でなく、ストーリーとして、紆余曲折があ
り、いろいろ悪を演じたが、実は、敵討ちという聖なる目的を
持っている義士に「成り上がる」ことで、全て浄化されたのだと
でも言うような一元性の、今回の結末の弱さが、気になった。芝
居の最後に、「救済」があるという演出では、南北劇にならない
のではないかと、思う。南北劇の着地点は、幸四郎の演じた、義
士の皮を被った殺人鬼・源五兵衛像では、到達し得ても、悪人
だったが、義士として浄化されてしまったような吉右衛門の源五
兵衛像では、到達し得ないという思いを強くした。

さて、「五人切の場」は、騙しに成功して祝杯を上げている面々
がいる。内びん虎蔵(秀調)宅である。まず、三五郎が、2階の
座敷きで、小万との情事の果ての、けだるさを感じさせながら、
小万の腕の入れ黒子「五大力」の「力」の字を、「七」と「刀」
に書き換え、さらに、「五」の前に、「三」を付け加えて、「五
大力」を「三五大切」という、三五郎への心中立てに変造してし
まい、悦に入っている。

やがて、夜も更け、三五郎らが2階、その他は、1階で、寝込
む。そこへ、障子の丸窓を破って、殺人鬼と化した源五兵衛が、
障子を押し破って、入って来る。まるで、「忠臣蔵」の五段目の
定九郎の出のようだ。だんまりのなかで、5人殺しの殺し場が展
開する。ここでは、「鈴ヶ森」風のノリの立ち回りも見られた。
特に、錦吾演じる伴右衛門、実は、ごろつき勘九郎は、右手
が切り落とされ、衝立に血糊がつく。吉之助が演じるごろつき五
平(これは、並木五瓶のパロディか)は、首を切り落とされ、首
が、衝立に載り、大量の血糊が垂れて来る。漫画チックな場面
だ。

大詰第一場「四谷鬼横町」では、幽霊が出るというので、一旦、
長屋に引っ越して来た八右衛門(染五郎)が、すぐに宿移りする
場面があるが、引っ越しの荷物を火の番小屋に運び込む。何故、
火の番小屋なのか。3回観ても、良く判らない。この後に、三五
郎夫婦が、引っ越してくるが、舟の櫂棒で担いで来た棺桶のよう
な大きな樽から傘、行灯、釜、笊、土瓶、三味線、お櫃などが出
て来た。まるで、「びっくり箱」のようだ。そして、これらの小
道具が、それぞれ、時と所を得て、次々に、使われて行く。歌舞
伎の舞台に出て来る道具は、本当に無駄がないから、おもしろ
い。

「樽代を半分」などという科白もある。やりとりから、推測する
に、樽代とは、家賃のことのように聞き取れた。何故か、「樽」
が、良く出て来る芝居だ。家主の弥助(歌六)殺しの場、三五郎
(仁左衛門)との立ち回りで、弥助が、三五郎に向かって言う科
白「貴様もよっぽど、強悪じゃなあ」は、「四谷怪談」の「砂村
隠亡堀」の場面で、直助が、伊右衛門に言う科白と同じだ。大詰
第二場「愛染院門前」の場では、珍しく、「本首」のトリックが
使われる。人の女房の首を斬り落とし、それを懐に入れて帰って
来ただけでも、グロテスクなのに、その首を飾り、飯を喰うな
ど、死と食(生)を併存させる辺りは、南北の凄まじいまでのエ
ネルギーを感じさせる。この場面で、棺桶のなかから、己の腹に
出刃包丁を突き立てた三五郎が、棺桶の板をバラバラに壊して、
飛び出してくるが、ここの三五郎は、「忠臣蔵」の勘平切腹とダ
ブルイメージされる。これで、この狂言で、亡くなった人は、
11人になった。

しかし、吉右衛門の源五兵衛は、2回観た幸四郎の源五兵衛に比
べると、不気味さ、存在感は、足りない。前半の、小万・三五郎
らの「美人局」に騙される人の良さと後半の、執念の殺人鬼とい
う分裂が、吉右衛門初役では、演じ切れていない。真実を知らな
いことの残酷さ。源五兵衛の「不知」が、悲劇を生み続ける、と
いう南北の主張。「深刻郎」こと、幸四郎は、こういう役は、さ
すが巧い。時蔵の小万は、2回目。前回同様、好演であったが、
最初に観た雀右衛門には、まだ、及ばない。

仁左衛門の三五郎は、存在感があり、菊五郎とは、違う味だが、
良かった。仁左衛門は、昼・夜とも、脇に廻りながら、今月の芝
居の軸を勤めているのが判る。八右衛門の染五郎は、最初に観た
ときより、成長著しい(前回の劇評では、抜てきされ八右衛門を
演じた愛之助を褒める余り、前々回の染五郎を私は評価していな
い)。家主を演じた歌六は、左團次より存在感があった。左團次
は、いつもの左團次だったが、歌六は、いつもと違う歌六だっ
た。この差は、意外と大きいと、思った。芸者・菊野を演じた孝
太郎は、昼の部の傾城・梅川の印象が残る。このほか、歌昇、東
蔵、秀調、友右衛門、芦燕、錦吾、吉之助、由次郎、吉之丞、松
之助。このうち、「ますます坊主」の由次郎が、存在感があっ
た。

(参考)

テキストとしての「盟三五大切」論は、前回、03年10月の歌
舞伎座の劇評のときに、まとめているので、読んでいない人のた
めに、若干の字句を訂正、補筆しながら、参考までに、再録して
おきたい。

「南北のノワ−ル−−−義鬼・疾駆す」

「仮名手本忠臣蔵」が、人形浄瑠璃や歌舞伎のヒット作となり、
江戸時代の庶民に喝采して迎えられた。1748年のことであ
る。7年後の1755年、江戸の日本橋新乗物町の紺屋の型付職
人の子として生まれた南北は、長い狂言作者の見習いを経て、
50歳を目前にして、ようやく、一人立ちし、「天竺徳兵衛」
(1804年)で、ヒットする。以後、1829年に亡くなるま
で、25年間、いまも残る名作の数々を書き続け、歌舞伎史上に
「大南北」として、名を残して行く。

そのなかでも、3大歌舞伎のひとつとして、人気の出し物となっ
ていた並木宗輔らの「仮名手本忠臣蔵」の外伝として、「謎帯一
寸徳兵衛」(文化8=1811=年7月・江戸市村座)、「東海
道四谷怪談」(文政8=1825=年7月・江戸中村座)、「盟
三五大切」(文政8=1825=年9月・江戸中村座。いずれ
も、月は、旧暦)などの、いわゆる「外伝もの」を書き上げて行
く。

「四谷怪談」で、南北は、塩冶家断絶の後、浪人となった民谷伊
右衛門を主人公として、「忠臣蔵」の義士たちに対して、「不義
士」を描いたが、「盟三五大切」では、義士・不破数右衛門を主
人公として、義士のなかに紛れ込んだ殺人鬼を描いた。「四谷怪
談」が、妾と中間の密通事件を知った旗本が、二人を殺して、同
じ戸板の裏表に二人を縛り付けて、川へ流したという実際の事件
をモデルにしたように、「盟三五大切」では、寛政6
(1794)年2月大坂中の芝居で上演された並木五瓶原作「五
大力恋緘」(大坂・曾根崎で実際に起きた5人斬り事件をモデル
にした)を江戸の深川に舞台を移して、書き換えた形で、実際の
事件を再活用した。

「盟三五大切」は、粗筋を簡単に辿ると、こうである。塩冶家の
浪人不破数右衛門は、御用金百両を盗まれ、その咎で浪人とな
り、いまでは、薩摩源五兵衛(吉右衛門)と名前を変えて生きて
いる。数右衛門は、旧臣下の徳右衛門、いまは、出家している了
心(芦燕)に金の工面を頼んでいる。その一方で、深川の芸者・
妲妃(だっき)の小万(時蔵)に入れ揚げている。小万は、船
頭・笹野屋三五郎(仁左衛門)の女房・お六である。三五郎は、
実は、徳右衛門の息子の千太郎で、訳あって、勘当の身である
が、父親が旧主のために金の工面をしていると聞き、これを用立
てて、勘当を許してもらおうとしている。そのために、女房のお
六を小万と名乗らせて、芸者に出しているのだ。その金策が、実
は、源五兵衛から金を巻き上げるということから悲劇が発生する
ことになる。

源五兵衛のところへ、伯父の富森助右衛門(東蔵)が、百両の金
を持って来る。この金を塩冶浪士たちの頭領・大星由良之助に届
けて、仇討の一味に復帰せよと助言する。しかし、源五兵衛は、
小万らに騙され、小万の身請け用として、百両を渡してしまう。
三五郎は、源五兵衛に小万の亭主だと名乗り、身請け話しをちゃ
らにし、百両をだまし取る。三五郎と小万こと、お六は、騙りに
参加した小悪人どもと祝杯を上げたが、寝入ったところを、源五
兵衛に襲われ、小悪人たち5人は、殺されるものの、三五郎、小
万のふたりは、悪運強く、生き延びる。その後、ふたりが、逃げ
込んだ四谷鬼横町の長屋は、かって神谷(つまり、民谷)伊右衛
門が住んでいたところだ。さらに、家主の弥助(歌六)は、お六
の兄で、実は、不破数右衛門の百両を盗んだ盗賊であった。さら
に、かつて長屋に出入りしていた大工が隠し持っていた絵図面が
見つかる。この絵図面こそ、塩冶浪士たちが主君の仇と狙う高野
(つまり、高)家の絵図面であった。三五郎は、弥助を殺し、百
両と絵図面を父親の了心に渡す。

小万らの居所を突き止め、再び来た源五兵衛は、三五郎の留守に
小万とその子どもを殺す。三五郎の父親は、百両と絵図面を旧主
の不破数右衛門こと、薩摩源五兵衛に渡す。そのことを初めて
知った三五郎は、父親の旧主不破数右衛門こと、薩摩源五兵衛の
罪の全てと己の罪を一身に被って自害し、源五兵衛には、塩冶浪
士として、敵討ちに加わるように懇願する。源五兵衛は、件の長
屋に姿を変えて潜んでいた塩冶浪士らとともに、高野家への討ち
入りに参加して行く。

この人間関係で、キーパースンになっているのは、三五郎の父親
の了心だというのが、判る。しかし、了心が、三五郎と源五兵衛
にそれぞれの関係を告げなかったために、三五郎は、源五兵衛を
罠にはめて、金をだまし取り、源五兵衛は、それを恨んで殺人鬼
となり、小万、こと三五郎の女房・お六ら8人を殺してしまう。
そういう意味では、忠臣・徳右衛門こと、了心こそ、悪行の連鎖
の鍵を握っていたことになる。それにもかかわらず、塩冶義士、
こと赤穂義士のなかに、殺人鬼が潜んでいることが判る。

そういう点を踏まえて、これから「盟三五大切」を観劇される人
のために、私なりの視点で、この芝居を観るための4つのポイン
トを書き留めておこう。

1)「四谷怪談」の続編
2ヶ月前の7月、江戸・中村座で「仮名手本忠臣蔵」と合わせて
2日がかりで「東海道四谷怪談」を上演し、大当たりをとった南
北が、9月、同じ中村座で「盟三五大切」を上演するあたって、
意図したのは、「四谷怪談」の<続編>の強調であった。三五郎
と女房お六が隠れ住んだ四谷鬼横町は、実は、鬼=お岩というこ
とで、お岩さまで知られる横町であり、ふたりが入った長屋は、
かって民谷伊右衛門が住んでいたところという想定だ。つまり、
民谷伊右衛門とお岩の、「後日談」の形式をとっている。

さらに、お六の兄と判明する家主の弥助は、かって民谷の下部
(しもべ)・土手平であり、お六も、民谷の召使であった。長屋
に「勝手付化物引越申候 家主」という板を打ち付けて、新しい
入居者をお化けでおどして、転出させ、手付けの家賃を巻き上げ
る作戦をとっていた家主がなりすましたお化けは、お岩の幽霊で
あった。また、旧主・不破数右衛門のために、金策に走っていた
三五郎の父・徳右衛門同心了心が、利用した金集めの手段は、な
んと、お岩稲荷建立のための募金活動であった。芝居のあちこち
にちりばめられた「四谷怪談」の仕掛けを見逃してはならない。
「四谷怪談」について、登場人物の類型論という視点から、後
に、更に述べてみたい。

2)「忠臣蔵外伝」の系譜
こちらは、1)とも、関わるが、塩冶判官切腹で取り潰しになっ
た塩冶家の浪人・民谷伊右衛門が、義士の群れから、こぼれ落ち
た「不義士」なら、薩摩源五兵衛として、多数の人殺しをした上
で、百両と高野家(「仮名手本忠臣蔵」では、高家)の絵図面を
手土産に塩冶浪士という義士の群れに復帰する不破数右衛門は、
義士のお面を被った殺人鬼である。何故、南北は、47人いる義
士の群れのなかから、そういう役回りの人物として、不破数右衛
門に「白羽」ならぬ黒い羽のついた矢を放ったのだろうか。

まず、その不破数右衛門とは、「仮名手本忠臣蔵」では、どうい
う役回りだったかを調べてみた。不破数右衛門が出て来る場面
は、六段目。「勘平切腹」の場面である。五段目の「山崎街道鉄
砲渡しの場」で、勘平と出逢い、由良之助の御用金集めの話を打
ち明けた千崎弥五郎が、(「山崎の渡し場を左へとり、百姓」)
与市兵衛内へ、再び、勘平を訪ねて来る。このとき、勘平は、誤
解から、自分が舅の与市兵衛を殺してしまったと思い、動揺して
いる。千崎弥五郎は、ひとりではなかった。このとき、弥五郎と
いっしょに来たのが、不破数右衛門なのである。勘平とふたりの
若干のやり取りの後、数右衛門が言う科白に注目したい。

「コリャ勘平、お身ゃどうしたものじゃ。渇しても盗泉の水を呑
まずとは、義者の戒め。舅を殺し取ったる金、亡君の御用に立つ
と思うか。生得、汝が不忠不義の根性にて、調えたる金子と推察
あって、さし戻されし大星殿の眼力、あっぱれあっぱれ。さりな
がら、ただ情なきは、このこと世上に流布あって、あれ見よ、塩
冶の家来早野勘平、非義非道を行ないしと言わば、汝ばかりの恥
辱にあらず。亡君の御恥辱と知らざるか、うつけ者めが。さほど
のことの弁えなき汝にてはなかりしが、いかなる天魔が魅入りし
か。チエエ、情けなき心じゃなア」。

この道徳論に打たれて、勘平は、「舅殺し」を白状して、切腹す
る。後に、誤解が解けて、勘平に「亡君の敵、高師直を討ち取ら
んと、神文を取り交わせし、一味郎党の連判状」を見せて、勘平
を「一味郎党」に加える判断を下す重臣であり、御用金をまとめ
る金庫番である人物こそ不破数右衛門なのである。こういう武士
の鑑のような道徳論を説く男・不破数右衛門を南北は、薩摩源五
兵衛という殺人鬼、実は、不破数右衛門という塩冶義士、つま
り、「義をかかげる殺人鬼」として、主人公に据えたのである。

こうして見てくると、南北は、表の「仮名手本忠臣蔵」を裏に返
して、「忠臣蔵外伝」として、不義士で悪人の民谷伊右衛門を主
人公とする「東海道四谷怪談」を書いただけではものたらず、さ
らに、義士のなかにいる悪人(殺人鬼)・薩摩源五兵衛、実は、
不破数右衛門を主人公とする「盟三五大切」を書いたということ
になる。

「四谷怪談」のように、不義士で悪人なら、一元性だが、「盟三
五大切」のように、義士で悪人というと、二元性となる。南北の
到達点は、二元性の悪人を描くことにあったのではないか。つま
り、「忠臣蔵」に対する南北の皮肉は、「四谷怪談」では飽き足
らず、「盟三五大切」で、やっと、結実することになる。

3)「小万源五兵衛」の世界
では、何故、不破数右衛門は、殺人鬼になるにあたって、「薩摩
源五兵衛」と名乗ったのか、という疑問が、次に生まれて来る。
「おまん源五兵衛の『世界』」から、語らねばならないだろう。
「おまん源五兵衛の『世界』」とは、俗謡とも呼ばれる近世歌
謡、浄瑠璃、歌舞伎狂言の系統で、「おまん源五兵衛もの」とし
て、ひとつの「世界」を構成する「概念(コンセプト)」であ
る。江戸の庶民周知の通俗日本史や伝承のなかで、繰り返し、脚
色・上演されることで、形成されて来た類型的コンテンツのこと
である。「世界」とは、大仰な演劇用語かも知れないが、江戸の
芝居の年中行事として、「世界定め」という用語が使われたよう
に、ある出し物が、「○○の世界」と定められれば、作品の背景
となる時代や主な登場人物、そこで繰り広げられる事件などは、
狂言作者も、役者も、観客も、芝居が作られ、上演される前か
ら、基本的な共通意識(コモンセンス)を持ってしまう。そこ
で、芝居の楽しみと言えば、作る方も、演じる方も、観る方も、
お馴染みの「世界」に、どういう工夫魂胆のもと、どういう趣向
を見せてくれるかが、楽しみになって来る。歌舞伎とは、そうい
う演劇空間であった。

「おまん源五兵衛もの」に話を戻すならば、「高い山から谷底見
ればおまん可愛や布晒す」という源五兵衛節があり、流行した俗
謡に刺激されて、井原西鶴は、浮世草子(小説)「好色五人女」
巻五で、「恋の山源五兵衛物語」を書き、近松門左衛門は、浄瑠
璃「薩摩歌」を書いた。これを受けて、源五兵衛・三五兵衛(三
五郎ではない)・おまん(小万ではない)を主たる登場人物とす
る芝居が生まれたという。さらに、大坂の曾根崎新地で実際に起
こった薩摩武士・早田八右衛門による遊女・菊野ら5人殺しとい
う殺人事件に刺激されて、初代並木五瓶が、先行作品「薩摩歌」
を下敷きに、「五人切五十年廻(ごにんぎりごじゅうねんか
い)」を書き、さらに「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじ
め)」に書き換え、江戸で上演した際、曾根崎を深川に書き改め
るとともに、「菊野」の役柄を「おまん」に通じる「小万」に改
めた。だから、「五大力恋緘」には、上方型と江戸型がある。五
瓶は、己の作品を下敷きに、さらに、その名もずばり、「略三五
大切(かきなおしてさんごたいせつ)」を書き、また、これを下
敷きに南北が、「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」を
書いたというわけだ。簡単にふれただけでも、「おまん源五兵衛
もの」は、ストーリーも含めて、幾重にも重層化している。

それは、ほかの「世界」でも同じだ。著作権などない時代だ。己
の作品も含めて、先行作品を下敷きにし、より良い世界を求め
て、書き換えて行く。そういう職人的な、書き換えの行為の果て
に、憑意したかのごとき状態になった作者の手から、新たな狂言
が、生まれでて来ることがある。だから、書き換えは、パロディ
でもあり、剽窃でもあり・・・、しながら、あらたな演劇空間の
地平を開いて行く。まさに、書き換えの勧め(「偉大な先行作品
の『模倣と批評』を繰り返し、新たな傑作を生み出し続けたこと
で延命を保っている創作形式」は、ほかのジャンルにも通じる)
である。その「世界」で使えそうな事件が起これば、それは、狂
言作者の書き換え意欲を刺激することになる。さまざまな人たち
が書き留めた複数の記憶が、重層的に、幾重にも塗り込められて
いるのが、南北劇というところか。

4)「南北のノワ−ル−−−義鬼・疾駆す」
「ノワ−ル」と、名付けたが、「ノワ−ル」とは、文藝評論家の
池上冬樹の定義によれば、「孤独と愛憎から捩じれ屈折し、とき
に破滅していく者たちの精神の暗黒を描く文学」ということにな
る。そういう視点で、「盟三五大切」を観ると、「孤独と愛憎か
ら捩じれ屈折し、ときに破滅していく者たち」の典型は、三五郎
とお六、こと小万であり、「孤独と愛憎から捩じれ屈折し、とき
に破滅してい」きかけながら、したたかに、復活する「義をかか
げる殺人鬼」=「義鬼」こそが、薩摩源五兵衛こと不破数右衛門
なのではないか。

善人面した善人、善人面した悪人は、世間にも多い。悪人面した
悪人も、性根が、顔に出るという意味では、善人面した善人と同
じであるが、こちらは、世間では、稀であろうが、歌舞伎では、
「赤ッ面」などと呼ばれ、化粧からして、一目で悪人、あるい
は、憎まれ役と判るようになっていて、一芝居打てば、必ずと
言って良いほど出て来る。しかし、今回の薩摩源五兵衛のよう
な、無気味な悪人面した悪人であり、義士でもある、などという
人物は、滅多にいない。これは、南北の世界だから出て来る人物
であろう。民谷伊右衛門が、色悪の極みなら、薩摩源五兵衛、実
は、不破数右衛門は、独自のキャラクターを作り上げた極悪人の
極北であろう。つまり、「南北原理主義」とでも、呼ぶしかな
い、人物造型の、悪の極みであろう。

したたかな復活。「義士・不破数右衛門の面の皮、その薄皮一枚
剥いてみれば、不義士・民谷伊右衛門よりも、あくどい奴(義鬼
=薩摩源五兵衛)がいる」と南北は、言いたかったのかもしれな
い。

ここで、先ほど、触れた「四谷怪談」の主な登場人物と「盟三五
大切」との類似性を南北原理主義に照らして、人物造型の類型を
検証する形で、論じてみたい。まず、「四谷怪談」の民谷伊右衛
門の類型を、仮にAとする。お岩がB、直助がCとなる。

「盟三五大切」の主人公、薩摩源五兵衛は、塩冶浪士の系譜から
見れば、れっきとした義士・不破数右衛門その人であり、民谷伊
右衛門のような、不義士ではないから、Aではないだろうが、さ
りとて、源五兵衛としては、伊右衛門とは、全く別の類型Dでも
ないだろう。不義士と紙一重の義士の仮面を被った殺人鬼だか
ら、A’だろうと思う。小万ことお六は、A’の薩摩源五兵衛に
殺されるから、Aの伊右衛門に殺されるお岩と同じで、Bになる
と思う。三五郎は、お岩の妹、お袖と契り、最後に真実を悟って
切腹する直助と同じで、お六=お岩と夫婦で、最後に真実を悟っ
て自害するから、Cのままになるだろう。

こうして見てくると、「四谷怪談」と「盟三五大切」の類似性
は、いっそう、はっきりする。つまり、「盟三五大切」は、「四
谷怪談」の続編と言うよりは、「四谷怪談」を下敷きにした書き
換え狂言、つまり、「四谷怪談」の「正統なる変種」なのではな
いか。不義士の伊右衛門は、源五兵衛のように、本名の不破数右
衛門に戻って、雪降りしきるなか、大星由良之助らとともに高野
家(あるいは、高家)に討ち入ることはできないが、お岩の亡霊
や、佐藤与茂七らを相手に、雪降りしきるなか、斬り結ぶとい
う、幕切れの類似性は、そのことの証左ではないか。

そういう意味では、「盟三五大切」は、同じ江戸・中村座の舞台
で2ヶ月前に上演した「東海道四谷怪談」よりも、南北原理主義
的に言えば、人物造型が、徹底している。徹底し過ぎて、時代を
飛び越えて、近代劇の系譜に突き刺さってしまったかも知れな
い。

しかし、一方では、「歌舞伎名作全集」には、2巻の鶴屋南北集
が、所載されていて、10の作品が掲載されているが、「盟三五
大切」は、入っていない。これは、第1に、ストーリーが、あま
りに、荒唐無稽で、陰惨な上に、大雑把、粗製だと言う、ストー
リーとしての完成度の低さなどが、挙げられるかも知れない。更
に、「四谷怪談」に比べて、大道具の仕掛けなど、舞台装置の活
用に乏しいことが、舞台を地味にし、意外と「不評」に作用し、
埋もれさせているようにも思える(戦後の本興行でも、今回を含
めて7回しか公演されていない。それなのに、ここ8年間で、半
分以上の4回というのは、この演目の、優れた「現代性」の証左
かも知れない)。原理主義を徹底した南北の反骨的な哲学として
は、「四谷怪談」よりも時代を超えるスケールがありながら、芝
居という空間の活用としては、「四谷怪談」に遠く及ばない。こ
れは、そういう演劇空間の問題でもあるだろう。「演劇空間」の
活用の工夫が重ねられれば、「盟三五大切」は、もっと、おもし
ろい芝居になるかも知れない。


「良寛と子守」は、初見。25年ぶり、今回は、坪内逍遥没後七
十年記念上演である。良寛を初役で演じる富十郎より、娘の愛子
ちゃんの初舞台が、観客の眼を惹く。奔放に舞台で無心に遊び、
見真似で芝居をする愛ちゃんは、枯淡高雅な良寛を演じる老いた
父・富十郎を助けているから、おもしろい。春の日を村の子ども
らと遊ぶ良寛の世界。

「教草吉原雀」は、4回目の拝見。生き物を解き放す「放生会
(ほうじょうえ)」の日に、解き放し用の小鳥を売りに夫婦の
「鳥売り」吉原にやってきた。廓の風俗や遊女と客のやりとりを
仕方噺仕立ての所作事で表現をする。「風情」をどう表現するか
がポイント。

今回は、梅玉と魁春の兄弟が、鳥売りの男女を演じる。鳥売りの
男;新之助時代の海老蔵、菊五郎、芝翫、そして、今回の梅玉。
鳥売りの女:玉三郎、菊之助、雀右衛門、そして、今回の魁春。
若い新之助、玉三郎の綺麗な舞台。菊五郎、菊之助親子の息の
あった舞台。芝翫と雀右衛門という、ふたりの人間国宝の奥行き
のある舞台。今回は、歌右衛門養子の兄弟の緩急自在な舞台。

鳥刺しの登場は、初めて拝見。鳥刺しには、歌昇。原作は、二人
立ち。今回は、珍しい三人立ち。鳥売りの男女が、最後は、ぶっ
かえりで、夫婦雀の精になるところが、今回のミソ。二段を使っ
た大見得で、夫婦雀は、確かに昇天して行った。きりりと、下
手、平舞台の鳥刺し。この対立が、美しく、晴れやかな舞台と
なった。三人立ちを観てしまうと、今後、二人立ちでは、もの足
りなくなるのではないかと、心配になる。
- 2005年6月21日(火) 22:43:24
2005年6月・歌舞伎座 (昼/「信州川中島合戦〜輝虎配膳
〜」「素襖落」「恋飛脚大和往来〜封印切・新口村〜」)

仁左衛門の「二右衛門」の妙味

今月の歌舞伎座昼の部は、なんといっても、仁左衛門の「二右衛
門」ともいうべき、異色の二役(八右衛門&孫右衛門)へ挑戦す
る「恋飛脚大和往来〜封印切・新口村〜」が、見応えがあった。
「封印切・新口村」の通しは、16年ぶりの上演だ。私も、通し
で観るのは、初めてだ。

6月の歌舞伎座は、連日、若干の空席があるが、3月から5月ま
で、歌舞伎座を前日満席にした歌舞伎ファンは、こういう歌舞伎
味たっぷりの舞台を見逃してしまっては、いけない。勘三郎襲名
披露で、歌舞伎座を訪れた人なら、歌舞伎の味を知ったと思うの
で、仁左衛門の舞台を観て、ほんものの歌舞伎味を深く味わって
欲しい。そこで、今回の劇評は、「恋飛脚大和往来〜封印切・新
口村〜」から、入りたい。

近松門左衛門原作の「恋飛脚大和往来〜封印切〜」は、6回目。
忠兵衛が、鴈治郎(2)、扇雀(2)、勘九郎そして、今回が染
五郎。梅川が、孝太郎(今回含め2)、愛之助(2)、扇雀、時
蔵。憎まれ役の八右衛門が、仁左衛門(今回含め3。孝夫時代
も、富十郎代役のときも観ている)、松助(2)、我當。仁左衛
門は、結構、八右衛門を演じているのである。おえんが、秀太郎
(今回含め2)、竹三郎(2)、東蔵、田之助。治右衛門が、秀
調(2)、芦燕、富十郎、左團次、今回の東蔵。

「恋飛脚大和往来〜新口村〜」は、4回目。忠兵衛は、仁左衛門
(3)、今回は、染五郎。梅川は、孝太郎(今回含め2)、玉三
郎、雀右衛門。孫右衛門は、仁左衛門(孝夫時代含め、4)。つ
まり、私が観た舞台では、今回以外は、いずれも、仁左衛門が、
忠兵衛と孫右衛門の二役を早替わりで演じていたのだ。だから、
そのための演出(忠兵衛・孫右衛門への二役早替わりの場合の入
れごととして、新年を寿ぐ万歳と才蔵が、村にやってくる。二人
に行き会った百姓の水右衛門のお家繁盛、長寿を寿ぐやりとりが
ある。お礼の金を二人に手渡す水右衛門。ここは、村では、人通
りの多い場所なのだ。すでに、公金横領で手配の懸かっている梅
川・忠兵衛には、人目を気にしなければならない、危険な場所で
あることが判る)が、あるのだが、今回は、それがない。二役早
替わり故に、忠兵衛吹き替えの役者が、後ろ向きを多用して、孫
右衛門に絡むなどの場面が無くなり、すっきり、スマートな芝居
になる反面、「追われる逃亡者」という状況の緊張感が乏しくな
る恨みがある。

「封印切」の演出には、上方型と江戸型がある。いくつか、違う
演出のポイントがある。今回は、松嶋屋の上方歌舞伎に江戸の役
者・市川染五郎が、初役で、挑戦した。私が観た舞台では、初め
て観た96年11月の歌舞伎座が、江戸型で、あとは、すべて上
方型ということになるので、井筒屋の裏手の場面は、離れ座敷で
あった。江戸型の、井筒屋の塀外の場面は、久しぶりに観た。離
れ座敷では、梅川と忠兵衛の「逢い引き」のために、二人の手引
きをしたおえんは、明かりを消して、二人のために、「闇の密
室」を創る。従って、暗闇のなかでの、二人の「手の触れ合い」
という所作を強調することで、「濃密なエロス」を描くことがで
きたが、塀の外では、いくら暗闇が支配しているとは言っても、
そこに、密室は、出現しない。その代わり、おえんが、忠兵衛の
羽織の紐を格子に結び付けるなど、「ちゃり」(笑劇)の味付け
を濃くしている。最初の井筒屋の店先の場面で、おえんを呼び出
した忠兵衛が、黒塀に貼り付き、蝙蝠の真似をする演技、また、
一旦、本舞台の井筒屋店先まで行き、店のなかを覗き込んで、梅
川とおえんが畳算(恋占い)をしている場面を知り、花道七三ま
で戻り、「ちっととやっととお粗末ながら梶原源太は俺かしら
ん」と言う辺りは、染五郎は、鴈治郎には、まだまだ、及ばない
ものの、彼なりの味があると、思う。

そもそも、忠兵衛は、大和という田舎から出て来たゆえに、生き
馬の目を抜くような都会大坂の怖さを知らず、脇の甘い、小心な
くせに、軽率で剽軽なところもある「逆上男」である。女性に優
しいけれど、エゴイスト。セルフコントロールも苦手な男。上方
和事味の初役に挑戦した江戸の役者・染五郎は、鴈治郎や仁左衛
門のようには、上方味は出せないものの、持ち味の「ちゃり」
は、活かしながら、意欲的に演じていた。孝太郎の梅川は、身分
の低い傾城であるが、純情で、自分のために、人生を掛けてくれ
て男への真情が溢れる女性特有の、情愛の切なさを出していた。
次の場面が、その科白。

梅川「なんでそのように急かしゃんすえ」
忠兵衛「急かねばならぬ、みちが遠い」
梅川「そりゃどこへ行くのじゃぞいなあ」
忠兵衛「今の小判はお屋敷の為替の金、その封印を切ったれば、
もう忠兵衛がこの首は、胴に附いてはないわいな」
梅川「ひええ、・・・そりゃまあ悲しい事して下さんしたなあ」
(略)
梅川「大事の男をわたしゆえ、ひょんな事させました。堪忍して
下さんせ。死んでくれとは勿体ない。わしゃ礼を言うて死にます
る。それが悲しいではなけれども、どんな在所へでもつれて往
て、せめて三日なと女房にして、こちの人よと言うた上で、どう
ぞ殺してくだしゃんせ」

「先代萩」の八汐のような、憎まれ役にも味がある仁左衛門は、
井筒屋の座敷に上がるなり、股火鉢(しかし、この股火鉢は、次
の場面、新口村の雪景色に繋がる「寒さ」を現す重要な伏線だと
思う。この動作がなければ、艶やかな廓の茶屋・井筒屋の座敷の
場面では、冬の感じが観客に伝わらない)をするような下品で、
成り上がりの金持ち男の、憎々しい八右衛門をリアルに演じて、
安定感があった。我當の八右衛門も、定評がある(本興行では、
仁左衛門5回、我當13回)が、仁左衛門も、定着して来た。忠
兵衛の懐具合を見抜いた上で、喧嘩を仕掛け、己の「戦略」通り
に、公金の「封印切」という重罪を忠兵衛に犯させ、証拠の封印
の紙片を、わざと落した手拭を拾う振りして、盗み出し、井筒屋
の店先の灯で封印を確認し、お上に密告に行く、「故意犯」の憎
い男・八右衛門を仁左衛門は、過不足なく演じていて、良かっ
た。

忠兵衛対八右衛門の、上方言葉での、丁々発止は、子どもの喧嘩
のようでたわいないのだが、それが、いつか、公金横領の重罪を
犯す行為になだれ込んで行く、最高の見せ場を作る。染五郎で
は、鴈治郎が、我當や仁左衛門の八右衛門を相手にするように
は、もちろん、行かないが、だからといって、違和感はなかっ
た。いつの日か、染五郎が、流暢に「上方語」を話す場面に出く
わすかもしれない(因に、「江戸語」とは、南北の生世話ものに
出て来る言葉のことである)。

幕が開くと、まず、浅葱幕が、舞台を覆っている。振り落とし
で、「新口村」。この場面、ずうと雪が降り続いているのを忘れ
てはいけない。梅川が、「三日なと女房にして、こちの人よと言
うた」果ての、忠兵衛の在所である。百姓家の前で、雪が降るな
か、一枚の茣蓙で上半身を隠しただけの、梅川(孝太郎)と忠兵
衛(染五郎)が立っている。二人の上半身は見えないが、「比
翼」という揃いの黒い衣装の下半身、裾に梅の枝の模様が描かれ
ている(但し、裏地は、梅川は、桃色、忠兵衛は、水色)。衣装
が派手なだけに、かえって、寒そうに感じる。やがて、茣蓙が開
かれると、絵に描いたような美男美女。二人とも「道行」の定式
どおりに、雪のなかにもかかわらず、素足だ。足は、冷えきって
いて、ちぎれそうなことだろう。梅川の裾の雪を払い、凍えて冷
たくなった梅川の手を忠兵衛が両手に包み込んで温める。今度
は、雪の水分が染み込んだ忠兵衛の衣服を手拭で拭う梅川。二人
の所作に重なる竹本の文句が綺麗だ。「暖められつ暖めつ」。寒
い!。先の「封印切」の大坂・井筒屋の店先からの逃避行なが
ら、心も身体も、「暖められつ暖めつ」「三日夫婦(めおと)」
の生活を送って、ここまで来たのだろう。二人の表情には、やつ
れよりも充実感が伺える。この場面の情愛は、官能的でさえあ
る。いつしか、抱き合う二人。

忠兵衛に音なわれて、百姓家から出てきた女房は、ベテランの歌
江。味のある女房を演じていて、定式通り、悲劇の前の、「ちゃ
り」で、芝居の奥行きの深さをいちだんと強める大事な役回り
だ。花道七三では、締めていた前掛けを取り、頭にかざして、雪
を避ける仕種。観客に降り続いていた雪を思い出させる。

花道から仁左衛門の孫右衛門登場。逃避行の梅川・忠兵衛は、直
接、孫右衛門に声を掛けたくても掛けられない。窓から顔を出す
二人。ところが、本舞台まで来た孫右衛門は、雪道に転んで、下
駄の鼻緒が切れる。あわてて、飛び出す孝太郎の梅川。松嶋屋親
子の、この場面は、今回で2回目の拝見。「丸本物」らしく、役
者の科白と竹本の語りが、ダブってくる。染五郎の忠兵衛も交え
て、泣かせどころとなる。孫右衛門の左手首に数珠が見える。犯
罪を犯しても、子は子。子を思う親は、親。親子の情愛に冷え込
む雪も溶けるだろう。

やがて、百姓家の屋体が、上手と下手に、二つに割れて行く。舞
台は、竹林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見に
替わる。竹林がいつもより大きい。黒衣に替わって、白い衣装の
雪衣(ゆきご)が、すばやく、出て来て、舞台転換を手助けす
る。逃げて行く梅川・忠兵衛は、子役の遠見を使わず、孝太郎と
染五郎。霏々と降る雪。雪音を表す「雪おろし」という太鼓が、
どんどんどんどんと、鳴り続ける。さらに、時の鐘も加わる。憂
い三重。孝太郎と染五郎は、「く」の字を、下から逆に書くよう
に、舞台上手から下手へ進んだ後、下手から上手へ上がって行
く。地獄への道行。降り続く雪のなかに残るは、親の未練な心ば
かり。

04年3月の歌舞伎座で、いまも目に残る、16年ぶり、5回
目、恐らく一世一代の梅川という雀右衛門を相手にした仁左衛門
の「新口村」を観たばかりの身から見れば、若い孝太郎と染五郎
の「新口村」では、物足りないが、さはさりながら、フレッシュ
な梅川・忠兵衛も、悪くはない。

憎まれ役と老け役の二役で、脇に廻った仁左衛門の「二右衛門」
への挑戦も、成功で、楽しませてもらった。6回目の孫右衛門
は、自然体で演じているように思う。孝太郎とのコンビで、上方
歌舞伎挑戦を続けている染五郎の修業の舞台も、好感が持てた。
松嶋屋の型で初めて演じたと言う孝太郎の梅川も、「封印切」
「新口村」ともに、数を重ねはじめてきた上での挑戦だったの
で、安定感が出始めた。秀太郎のおえんは、6回目で、とうに自
家薬籠中のものになっている。安心して観ていられる。槌屋治右
衛門を初役で演じた東蔵。悲劇と笑劇のミックス味が、売り物
の、「恋飛脚大和往来」で、忠兵衛と八右衛門とともに、「ちゃ
り」(笑劇)の味を支えたのは、序幕で田舎大尽猪山を演じた松
之助と二幕目で百姓の女房・おしげを演じた歌江であったと、明
記しておく。

「信州川中島合戦〜輝虎配膳〜」は、初見。東京では、33年ぶ
りの上演。こちらも、近松門左衛門作。「三婆」が、見どころ。
「三婆」とは、「盛綱陣屋」の微妙(みみょう)、「菅原伝授手
習鑑」〜道明寺〜」の覚寿(かくじゅ)それに、武田信玄・上杉
謙信の対立「甲陽軍艦(甲越軍記)」をベースにした「本朝廿四
孝」、あるいは、「信州川中島合戦〜輝虎配膳〜」の山本勘助・
母の越路(こしじ)を言う。気骨と品位が要求される老婆役であ
る。

舞台は、長尾輝虎の館。珍しい素木の御殿。越路(秀太郎)が、
山本勘助の妻・お勝(時蔵)を連れて、やって来る。迎えるの
は、越路の娘で、長尾家の家老・直江山城守(歌六)の妻・唐衣
(東蔵)である。

その越路を初役で演じた秀太郎が、可愛らし過ぎて、男勝りの女
丈夫の、貫禄のある婆になっていないのが、残念。原作者の狙い
のひとつは、家族の悲劇。息子が、信玄方、娘が、謙信方と、家
族が分れた一家の母の苦衷が、秀太郎では、滲み出て来ない。秀
太郎は、「封印切」の井筒屋のおえんのような役は、巧いが、貫
禄を演じるのは、柄では無さそうだ。

信州川中島合戦は、互角で勝負がつかない。信玄方の軍師・山本
勘助を味方に付けたい長尾輝虎(後の上杉謙信のこと)が、勘助
の妹婿である直江山城守に命じて、越路を屋敷に招き、自ら膳部
を供して、ご機嫌を取ろうとするが、輝虎の策略を見抜き、命を
懸けて配膳を蹴飛ばす女丈夫が、越路である。短気な輝虎が、怒
り狂い、白い下着を4枚も脱ぐ場面がある(場内の笑いを誘
う)。輝虎は、さらに、越路に斬り掛かるが、越路に付き従って
来た勘助の妻で、唖のお勝の機転で、窮地を脱するという単純な
話。原作者の、もうひとつの狙いは、吃音で、巧くしゃべれない
女性の、琴を使った機転(言葉の代わりの琴の演奏を聞かせた
り、琴を「武器」に刀に立ち向かったりする。こちらこそ、女丈
夫そのもの)の成否を観客に訴える。科白より、琴の演奏が勝ち
という芝居者の皮肉な問いかけが、根底にある。

越路より難しいお勝は、時蔵が初役で演じ、こちらは、科白がな
い役ながら、存在感のある演技で、芝居を引き締めていた。同じ
く初役で輝虎を演じた梅玉は、短気な武将を演じていて巧いのだ
が、後の謙信という大きさが、滲み出て来ないのが、残念。同じ
く初役で、直江山城守を演じた歌六は、毅然とした捌き役で、風
格があった。勘助の妹で、山城守の妻・唐衣は、同じく初役の東
蔵。つまり、皆、初役なのだ。最後は、花道の秀太郎・時蔵と本
舞台、二重の上の梅玉を平舞台の歌六・東蔵が止めて、皆々で、
引っ張りの見得。秀太郎と時蔵は、さらに、幕外の引っ込み。

「素襖落」は、明治時代に作られた新歌舞伎。6回目の拝見。私
が観た太郎冠者:富十郎(2)、團十郎、幸四郎、橋之助、そし
て、今回の吉右衛門。

この演目の見せ場は、酒の飲み方と酔い方の演技。「勧進帳」の
弁慶、「五斗三番叟」の五斗兵衛、「大杯」の馬場三郎兵衛、
「魚屋宗五郎」の宗五郎、「鳴神」の鳴神上人など、酒を飲むに
連れて、酔いの深まりを表現する演目は、歌舞伎には、結構、多
い。これが、意外と難しい。これが、巧いのは、團十郎。團十郎
は、大杯で酒を飲むとき、体全体を揺するようにして飲む。酔い
が廻るにつれて、特に、身体の上下動が激しくなる。ところが、
今回の吉右衛門を含めて、ほかの役者たちは、これが、あまり巧
く演じられない。多くの役者は、身体を左右に揺するだけだ。さ
らに、科白廻しに、酔いの深まりを感じさせることも重要だ。團
十郎の、こもりがちの口跡は、酔いの表現には、逆に、適切だ。
ただし、今回の吉右衛門は、酒に口が汚い太郎冠者を演じてい
て、この辺は、藝が細かい。

太郎冠者(吉右衛門)は、姫御寮(魁春)に振舞われた酒のお礼
に那須の与市の扇の的を舞う。いわゆる「与市の語り」である。
能の「八島」の間狂言の語りである。与市の的落しとお土産にも
らった太郎冠者の素襖落し。まるで、落し話だ。初演時の外題
は、そのものずばりの「襖落那須語(すおうおとしなすのものが
たり)」。酔いが深まる様子を見せながら、太郎冠者は、仕方話
を演じ分ける。

帰りの遅い太郎冠者を迎えに来た主人・大名某(富十郎)や太刀
持ち・鈍太郎(歌昇)とのコミカルなやりとりが楽しめる。酔っ
ていて、ご機嫌の太郎冠者と不機嫌な大名某の対比。素襖を巡る
3人のやりとりの妙。機嫌と不機嫌が、交互に交差することから
生まれる笑い。自在とおかしみのバランス。

「この大名某が、意外と曲者で、この役者の味次第で、『素襖
落』は、味わいが異なってくるから怖い」と、私は、以前にも
「遠眼鏡戯場観察」に書いたが、この印象は、今回も変わらな
い。私が観た大名某:菊五郎(2)、又五郎、彦三郎、左團次、
そして今回の富十郎。このうち、菊五郎のおとぼけの大名某は、
秀逸であったが、今回の富十郎も、悪くない。格のある役者たち
の安定した演技を堪能した。
- 2005年6月17日(金) 22:51:25