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08年12月国立劇場 (通し狂言「遠山桜天保日記」) 1893(明治26)年に、明治座が、誕生した。小屋開きの演 目の二番目狂言として、初演されたのが、「遠山桜天保日記」で あった。黙阿弥の門弟(3番目の高弟)で、新富座の立作者から 明治座創立時に立作者として招かれた竹柴其水(きすい)が、初 代左團次のために書いた新作。今回は、1958(昭和33)年 以来、50年ぶりの復活上演。竹柴其水の作品で、いまも、上演 されるものとしては、通称「め組の喧嘩」で知られる「神明恵和 合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)」が、ある。今回は、 菊五郎劇団が、国立劇場文芸課とともに、現代の観客に分りやす いように、場面をカットしたり、上演の順番を入れ替えたりし て、人物の性格付けの明確化、ストーリー展開の整理など、かな り補綴したという。その所為も含めて、其水の師匠である黙阿弥 の色合いの濃い作品になっている。08年最後の歌舞伎劇評は、滅 多に上演されない作品なので、粗筋も追いながら、まとめてみよ う。 序幕「河原崎座楽屋の場」は、歌舞伎ファンにとっては、嬉しい 場面だ。幕間の楽屋で、下座音楽を担当する笛方(團蔵)と太鼓 を叩く鳴物師(萬次郎)が、演奏の間合いを巡って、喧嘩にな り、唄方の芳村金四郎、こと、遠山金四郎が、仲裁に入り、騒ぎ を収めるという場面だが、座元の河原崎権之助(権十郎)、楽屋 番(寿鸛)、頭取、三味線方、衣装方、床山、狂言方、道具方、 女方、稲荷町(大部屋役者)など芝居小屋を裏から支えている 面々が、多数出て来るので、おもしろい。女方の瀬川枡吉(徳 松)は、女形の衣装姿なのに地頭で、笑わせる。そこへ、遠山家 の用人(田之助)が、出て来て、金四郎に明朝の登場(いわば、 人事の内示=町奉行任用)を命じる奉書を持参する、ということ で、大団円の奉行としての遠山金四郎登場へ向けて、伏線が敷か れる。 贅言;河原崎座の座元は、代々、権之助を襲名する。六代目河原 崎権之助の養子になったのが、後に、明治の劇聖と呼ばれた名優 となった九代目市川團十郎である。九代目は、兄の八代目が、巡 業先の大坂の旅宿で、若くして、自殺してしまったため、急遽、 実家の市川團十郎家に戻り、九代目團十郎を継いだ。 二幕目「隅田川三囲(みめぐり)堤の場」。隅田川の堤の上に鳥 居の上部だけが見えるのは、いつもの体(てい)。背景は、山が 深い。堤は、桜並木。季節は、春。堤の内側は、船着き場で、入 江風。大川では無い。下手は、花道から地続きの坂。 ここは、物語の展開へ向けて、別の伏線を敷く場面。浅草の刀店 「尾花屋」の面々が、登場する。尾花屋の若旦那・小三郎(菊之 助)、番頭・清六(亀蔵)、手代・辰吉(萬太郎)、下女・おい せ(橘太郎)。番頭・清六と下女・おいせは、ちゃり場(笑 劇)。小三郎は、手代・辰吉を連れて、得意先廻りだったはずだ が、小三郎の恋人・清元延わか、こと、侠客・政五郎養女おわか (時蔵)と逢引。おわかの花道の出は、十六夜を思わせる。この 二人は、親たちに結婚を反対されていて、三囲神社前の船着き場 から、隅田川に入水心中を図る。二人は、向き合い、両手を繋い で、矩形を作り、前後に引き合う。小三郎は、おわかと並び、右 手で後ろからおわかの左肩を抱く。愛の交換。「嬉しうござん す」とおわか。女は、下駄を脱ぎ、船着き場の下手に置き、袂に 石を入れる。男は、草履を脱ぎ、羽織を畳み、船着き場の上手に 置く。二人は、並び、前の手をあわせ、後ろの手を繋いだまま で、入水。 戻って来た辰吉が、小三郎を探すが、いない。芝居を通じて、敵 方になる悪役の生田角太夫(菊五郎)、佐島天学(松緑)。この うち、まず、佐島天学は、辰吉を襲い、得意先から集金して来た 金を奪う。「いい商売だなあ」と嘯く。 さらに、現れた角太夫が、佐島天学を短筒で威して、打ち身で、 気絶させて、天学の懐の金を奪い、天学の手に短筒を持たせて、 逃げてしまう。悪の上には、悪がいる。「濡れ手に粟」と黙阿弥 風の七五調の科白。 こういう悪役を追う八州廻り咲島千介(亀三郎)と八州の手先た ち。咲島千介は、佐島天学を短筒強盗の犯人として、捕まえてし まう。その様子を物陰に隠れて見守っている生田角太夫。 贅言;「小三郎」といえば、「盛綱陣屋」の盛綱の一子・小三郎 を思い出す。「寺子屋」で菅秀才の身替わりに殺される小太郎 (松王丸の嫡男)、「熊谷陣屋」で、平敦盛の身替わりの首とし て、首実検に使われる小次郎(熊谷直実の嫡男)、盛綱の弟・高 綱の一子・小四郎は、父親の贋首に「父上様」と呼び掛け、贋首 と悟られないために、切腹して果てる。受難の子供たちの中で、 唯一、生き延びるのが、小三郎である。尾花屋の若旦那の小三郎 の人生は、どういう展開を見せるのか。三囲神社は、いまも、向 島にある。隅田川の堤の下の低い土地に立てられた神社で、対岸 の浅草から見ると、大鳥居も、堤の上に上部しか見えない。三囲 神社の大鳥居の、そういう佇まいは、歌舞伎の舞踊劇などの背景 にも、よく登場する。現在は、高速道路の下にあり、さらに、鳥 居の前に、高速道路の太い橋脚があり、何とも、風情を消してい る。 三幕目「成田山内護摩木(ごまぎ)山の場」。暗転から、スター ト。場内は、真っ暗。床(ちょぼ)の出語りで、大薩摩連中が、 上手の闇の中で宙に浮かんでいる。やがて、下手本舞台に、ス ポットライト。若き日の祐天上人(菊之助)が、断食修行で、経 文を覚えようと苦しんでいる。その果てに、祐天上人が、倒れ込 むと溶暗。すると、今度は、舞台中央にスポットライト。成田山 の本尊不動妙王(團蔵)と祐天上人が現れる。不動妙王が、利剣 を上人に呑ませて、苦悶する上人を助ける・・・。 というのは、小三郎の見ていた夢で、舞台は、成田山内護摩木 (ごまぎ)山の杉林の中。上手に満月。眠っていた小三郎、実 は、心中崩れで、落ちぶれた果てに、悪に目覚め、祐天小僧小吉 になった小三郎であった。夜参りの信者しか入れない聖域で、眠 り込んでいた小三郎を起こしたのは、山番勝五郎(菊十郎)で あった。 そこに、現れたのが、生田角太夫、佐島天学。盗人の生田角太 夫、牢破りの佐島天学という自己紹介に吃驚した祐天小僧小吉。 3人は、それぞれの身の上を話す。天学は、角太夫に短筒強盗の 罪を擦り付けられたと悟るが、恨みつらみをいわずに、なにや ら、胸に秘めて行く。祐天小僧小吉は、悪の先輩の二人にあやか りたいと思う。兄貴分として、佐渡金山の御用金強奪の計画を持 ちかける角太夫。この辺りは、もう、黙阿弥の「三人吉三」の世 界。夜参りに、上手から現れた侠客政五郎(左團次)、下手から は、やはり、心中崩れの政五郎養女おわか(時蔵)。5人の、 「だんまり」となる。暗闇の中で、小吉は、だんまりならば、定 式の「家宝」(巻き物、壷など)の代りに、政五郎の煙草入れを 奪う。天学は、おわかを捕まえる。いずれも、次の展開へ、伏 線。 四幕目第一場「花川戸須之崎政五郎内の場」。侠客・政五郎一 家。家の中に、仏壇では無く、小さな稲荷がある。政五郎(左團 次)、子分の銚子の浪六(亀寿)、同じく、小金の馬吉(松 也)。一家に出入りするおわかの妹分の待乳山のおえん(梅 枝)、山番勝五郎(菊十郎)。そこへ、祐天小僧小吉(菊之助) が、拾ったという触れ込みで、政五郎の煙草入れを買ってくれと 集(たか)りに来る。しかし、聖域の夜参りの場で、奪い取った 煙草入れの出所を山番に突っ込まれると、答えに窮する小吉であ る。それを承知で、金、切り持ちひとつ(25両)をくれてや り、若旦那の小三郎に戻り、両親を安心させてやれと諭す政五 郎。 皆が、去り、ひとりになった政五郎は、通りかかった按摩の電庵 (菊五郎)を呼び込む。按摩、タイ式治療をピーアールする電 庵。赤地に鯛焼きの絵柄が、染め抜かれた布を引き出す。場内 に、笑い。おわかの母親・おもと(時蔵)が、入って来ると、政 五郎は、おもとの生活を助けようと申し出る。二人のやりとりを 背中で聞いている電庵は、なぜか、そわそわしだす。 第二場「山の宿(しゅく)尾花屋の場」。浅草山の宿町の尾花屋 の店先。奥に土蔵がある。咲島千介が、短筒強盗を追っている。 人通りが、絶えた後、按摩の電庵が、通りかかる。周囲を確かめ ると、電庵は、目をあける。電庵、実は、角太夫なのである。さ らに、浪人・藤村浦太(松緑)も、通りかかる。藤村は、実は、 佐島天学である。二人は、尾花屋に押し入るつもりなのだ。塀を 破り、尾花屋に忍び込む二人。尾花屋の屋根の上には、祐天小僧 小吉。さらに、政五郎のところから、電庵の後を付けて来たの が、おもとであった。店先の用水桶の陰に身を潜めるおもと。こ こも、次の転換へ、伏線。おもとを載せたまま、舞台は、左に廻 る。店の裏手、土蔵の前。番頭・清六(亀蔵)が、土蔵から出て 来る。蔵から店の金を持ち出したらしい。角太夫と佐島天学が、 清六を阻み、土蔵の鍵を出せと威す。鍵を奪い、当て身で、清六 を気絶させる角太夫。二人の様子を窺っていた小吉が、二人に声 をかける。小吉、こと、小三郎は、尾花屋の息子であったから、 小吉の案内で、蔵に入り込み、金を盗む。舞台は、右に廻り、元 の店先に戻る。おもとが、角太夫の前に姿を見せる。おもとと、 角太夫は、夫婦だったのだ。角太夫は、天学と小吉を先に行かせ る。元結城藩士だった角太夫は、落ちぶれて、家族も離散してし まった。おもとに改心を迫られ、角太夫は、縋り付くおもとを殺 してしまう。 第三場「大川橋六地蔵河岸の場」。上手に半月。橋には、「大川 橋」「おほかはばし」と書かれている。下手に、立て札、石灯 籠、柳など。尾花屋の蔵破りの手引きをしたとして、番頭・清六 が、半裸で、舞台下手から岡っ引きの若蔦の目吉(松太郎)に引 き立てられて来た。通行人に罵声を浴びせられる。花道からは、 天学と小吉。未だ来ない角太夫を橋の袂で待つ内に、天学は、小 吉に角太夫を裏切り、佐渡金山から奪うつもりの御用金を山分け しようと持ちかける。短筒強盗の濡衣を被せられた天学は、角太 夫を心底信頼していない。こだわりの、粘着質の男。兄弟分を裏 切ることは出来ないと拒否する小吉。小吉と斬り合いになる。刀 と匕首では、匕首の小吉は、勝てない。危うし小吉となったと き、通りかかりの侠客が、小吉を助ける。侠客は、殿様金次と名 乗り、桜吹雪の刺青を見せ、天学を追っ払う。大詰への伏線とい う仕掛け。 五幕目第一場「新潟行形亭(いきなりや)広間の場」。新潟の浜 茶屋「行形亭(いきなりや)」の座敷。ここでは、江戸の商人奥 州屋善兵衛(菊五郎)、奥州屋の番頭・八右衛門(松緑)、行形 亭の女将(萬次郎)、咲島千介(亀三郎)、若蔦の目吉(松太 郎)、芸妓、舞妓、同心、手先、捕方が登場する。奥州屋の二人 は、角太夫と天学の変装。佐渡金山の御用金強奪に成功し、祝宴 を開こうとしているらしい。おけさ踊りで盛り上げていると、花 道から座敷に繰り出して来た踊りの集団は、揃いの黒地の衣装に 編み笠姿。最後は、衣装を脱ぎ捨て、捕方の正体を顕わし、二人 を捕獲しようとするが、二人は、逃げ出す。暗転。 第二場「新潟行形亭庭先の場」。溶明。日本海の磯に繋がる庭 先。捕方から逃れて来た角太夫を天学が、刺し殺す。角太夫の懐 から御用金の隠し場所描いた絵図面を奪って、口に銜え、角太夫 の遺体を海に蹴り落す。短筒強盗で、女房殺し、尾花屋の蔵破り と佐渡金山御用金強奪の主犯は、仲間割れで、殺されてしまっ た。秘めていた復讐を果たし、大金の在り処を知った天学。だ が、櫂と網を使った大立回りの果てに、咲島千介ら捕方に捕ま る。 大詰「北町奉行所白洲の場」。短筒強盗(これは、濡衣)、牢破 り、尾花屋の蔵破り、御用金強奪と角太夫殺しの容疑で、天学 が、取り調べられる。与力は、大里忠平(権十郎)、陪席の咲島 千介。御用金の隠し場所を描いた絵図面は、小吉に渡すように頼 まれただけだと嘯く。証人として小吉が呼び出される。しらを切 る天学。おわか、こと、吉原の花魁・若紫(時蔵)も、天学に売 り飛ばされた本人(証人)として、出廷。それでも、天学は、し らを切る。極め付けの悪。与力では、手に負えない。奉行の遠山 景元、つまり、金四郎が、登場する。「一堂面をあげよ」では、 役人たちも、お白洲に引き出された連中とともに、面を上げてい た。 殿様金次のことを思い出した小吉は、それを申し立てる。「金次 を連れてこい」と天学も喚く。「金次とは、俺がことよ」と、裃 とともに、片肌を脱ぎ、桜吹雪の刺青を見せる金四郎。菊五郎の 上に、桜吹雪が、舞う。長袴を階段に垂らして、見得。すべてお 見通しの金四郎。これにて、一件落着。憎々しい天学が、引っ立 てられて行く。おわかと小三郎には、夫婦になって、「地道な暮 らしを」と人情家・金四郎は、呼び掛ける。 芝居が終り、菊五郎ら6人は、前に出て、本舞台に座り、「良い お年をお迎え下されませ〜〜」で、幕。 役者評。菊五郎は、相変わらず、サービス満点の小技を使い、場 内の受けも良い。芳村金四郎、殿様金次、遠山景元、金四郎役 は、粋で、爽やかにこなすが、角太夫は、悪役ぶりが、弱い。電 庵は、悪と滑稽味の二重奏。特に、滑稽味は、自家薬籠中で、さ すが。松緑は、人形の首(かしら)のような顔と化粧を生かし、 さらに、饒舌な科白回しで、悪い奴は、口も達者とばかりに、最 後まで、悪役に徹していた。存在感があった。悪の主軸は、天学 であったのだ、という印象が、しっかり、残った。 小三郎→小吉→小三郎という菊之助は、弁天小僧か、与三郎風の 場面が、チラチラ。時に、口跡が、父親の菊五郎に似て来たよう に思える。時蔵は、清元延わか、こと、おわか(角太夫とおもと の娘=政五郎の養女=花魁・若紫)と母・おもとの二役。おもと とおわかの演じ分けはまだしも、清元延わかと花魁・若紫では、 それぞれの職業的な味わいが弱かった。左團次は、元々、初代左 團次にあてて作られた新歌舞伎演目なので、もう少し、印象に残 る役回りが欲しかった。政五郎は、侠客で、爽やかだが、印象が 薄い。田之助、團蔵、萬次郎、権十郎、亀蔵、亀三郎、亀寿、松 也、梅枝、萬太郎。人間国宝から若手まで、世話物の味わいを出 しながら、脇を固めていた。橘太郎、菊十郎、寿鸛、徳松など は、それぞれ、持ち味を生かした。- 2008年12月27日(土) 10:02:41
08年12月歌舞伎座 (夜/「名鷹誉石切」「高坏」「籠釣瓶 花街酔醒」) さすが、富十郎、ゆるり梶原 「名鷹誉石切」は、「梶原平三誉石切」の富十郎版の外題であ る。「梶原平三誉石切」は、9回目。私が見た梶原は、幸四郎 (2)、吉右衛門(2)、仁左衛門(2)、富十郎(今回含め、 2)、團十郎。 定式幕が、開くと、浅黄幕が舞台を覆っている。無人の舞台に、 置き浄瑠璃。浅黄幕が、振り落とされると、鶴ヶ岡八幡の社頭の 場で、参詣に来た平家方の大名・大庭三郎(梅玉)一行が、立っ ている。やがて、同じく平家方の梶原平三(富十郎)一行の花道 の出。両者で、一献。そこへ、青貝師・六郎太夫と娘の梢が、大 名に刀を売り付けようとやって来る。青貝とは、螺鈿の材料とな る貝。青貝師とは、螺鈿細工師のことか。 梶原の仕どころは、花道の出、刀の目利き、二つ胴、物語(平家 方ながら、石橋山で源頼朝を救う)、石切、花道幕外の引っ込み と幾つかあるが、ハイライトは、やはり、石切。 その「石切」の場面には、型が3つあるという。初代吉右衛門 型、初代鴈治郎型、十五代目羽左衛門型。その違いは、石づくり の手水鉢を斬るとき、梶原が、手水鉢に向って行くので、客席に 後ろ姿を見せるのが吉右衛門型で、鴈治郎型は、手水鉢の向うに 廻って、客席に前を見せる上、場所が鶴ヶ岡八幡ではなく、原作 通りの鎌倉星合寺である。羽左衛門型は、手水鉢の向うに廻り、 さらに、六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、 手水鉢の水にふたりの影を映した上で、鉢を斬る場面を前向きで 見せた後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出してくる。桃 太郎のようだと批判されたという演出だ。 今回の富十郎だが、私は、10年前に1回観ている。私の記録で は、前回の富十郎は、鴈治郎型だったが、場所は鶴ヶ岡八幡で あったと書いている。つまり、手水鉢の向うに廻って、斬るだけ で、手水鉢の間からは、飛び出して来なかったのだろう。今回の 富十郎は、羽左衛門型で、手水鉢の向うに廻り、さらに、六郎太 夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、手水鉢の水にふ たりの影を映した上で、手水鉢を斬る場面を前向きで見せた。し かし、その後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出してくる のではなく、ゆるりと歩いて出て来た。富十郎の楽屋話を読む と、1952(昭和27)年、22歳で、大阪中座で初演したと きから、武智鉄二の指導で、羽左衛門型でやていると言っている ので、私の記憶違いかもしれない。いずれにせよ、大雑把に言っ てしまえば、鴈治郎型と羽左衛門型の違いは、場所が、鎌倉星合 寺か鶴ヶ岡八幡かということと石の手水鉢を斬った直後、手水鉢 の向う側に止まるか、ふたつに分かれた手水鉢の間から、飛び出 して来るかという違いだろう。 幸四郎、吉右衛門のふたりは、吉右衛門型であった。仁左衛門 は、羽左衛門型で、颯爽と飛び出してきた。團十郎は、羽左衛門 型だったが、手水鉢の間から「よろよろ」と出てきた。そういう 風に整理してみると、今回の富十郎は、團十郎に近いと言える。 「よろよろ」の代りに、「ゆるりと」出て来た。仁左衛門と同じ ように颯爽と飛び出した方が良かったのではないかとも、思う し、人間国宝・富十郎としては、老境の、ゆるりとした持ち味 で、やるのも、良いかなとも思う。10年ぶりに観た富十郎の梶 原は、全体を通じても、ほかの役者が芝居をしている時に、舞台 のほぼ中央で、あまり動かず、すべてを肚で受け止めているよう な感じで、ゆるりと静止しているのが、なんとも言えず、良かっ たと思う。役者は、型を大事にしながらも、年齢、体調、芸の工 夫などで、演技を変えるのだろう。それはそれで、良いことだ。 これより先の、「刀の目利き」では、まず、梶原は、袋から刀の 柄の部分を出す。鞘の部分は袋に入れたままで袋を折り返して紐 で縛る。その縛り方が整然としていて見事。目利きの場面では、 懐紙を口に銜えて、まず、刀を上下逆に持ち、鞘を袋ごと下から 上に抜いてゆく。この間、梶原は目を瞑っている。やがて、刀を 鞘から抜き終わると、目を開けて、縦にした刀身を下から上に じっくりと見る。次いで、刀身を横にする。今度は、刀身の切っ 先から、つまり、刀身の上から下にじっくりと見る。さらに、再 び、刀の切っ先を前に、刀身を縦にして、刀の背から刀身全体を じっくり見る。見据える目に富十郎の芸を積み重ねて来た時間の 長さが滲む。 また、「二つ胴」では、上で仰向けになっている囚人の剣菱呑助 (家橘)の胴を斬るが、下で俯せになっている六郎太夫(段四 郎)については、彼を縛っていた縄目だけを斬る。掛け声と刀の 動きが、石切と違う芸の見せ所で、富十郎の梶原は、刀を斜めか ら振り下ろし、呑助の胴に刃を「タン」という感じで、当てるだ けで斬る。以前観た團十郎の梶原は、呑助の身体で刀身を、いわ ば「バウンド」させるようにした。つまり、刃を一旦呑助の身体 に降り下ろしながら、すぐに持ち上げる。その結果、呑助の胴 は、まっぷたつに斬れるが、下の六郎太夫は、後ろ手に縛られて いた縄目のみが切られて、六郎太夫は、無事で、かすり傷さえな いと言うようにしていた。 歌舞伎では、梶原平三は、いつもの憎まれ役だが、この舞台で は、颯爽としている。しかし、刀の目利きを頼まれ、六郎太夫が 持ってきた刀が余りの名刀(「八幡」の刻印が刻まれている重代 の名刀。六郎太夫は、実は、源氏方の武将三浦大助の子で、それ ゆえに、「八幡」という銘が刀身に刻まれていて、梶原は、目利 きの際に、すでに六郎太夫の正体と刀を売り急ぐ事情を察知した ということになっている)だったので、大庭三郎(梅玉)や俣野 五郎(染五郎)を騙して、「二つ胴」をわざと失敗して見せる。 その上で、自分の本心を聞かせ(物語)、六郎太夫を安心させ て、その後で、石の手水鉢を斬って見せる。そして、自分でその 名刀を手に入れると言うことだから、やはり、梶原は、一筋縄で はいかない男なのであろう。そういう本性の持ち主としての梶原 を演じるのは、老獪な富十郎が、巧い。花道、幕外の引っ込み で、富十郎は、梶原の本心を滲ませているように見えた。 梢は、松江時代を含めて今回の魁春は、2回目の拝見である。魁 春は、人妻だけれど、初々しく、多感な梢の性根を演じていたよ うに思う。段四郎の六郎太夫は、今回で、2回目の拝見。娘梢の ために、刀を高く売ろうと、最後まで粘り腰を見せていて、武家 出の手強さというか、私には、有能なビジネスマンという感じが 見て取れて、良かったと思う。この役は、亡くなった坂東吉弥 も、巧かった。 「石切梶原」の、もうひとつの見せ場は、剣菱呑助の「酒づく し」の台詞だが、今回は家橘。これまででは、團蔵、弥十郎の呑 助が良かった。特に、弥十郎の呑助は、絶品だったと、いまも、 思っている。 「高坏(たかつき)」は、3回目の拝見。うち、2回は、勘九郎 時代の勘三郎。今回は、染五郎。ずんぐりした体型の次郎冠者、 勘三郎は、腰が低く、安定しているので、高下駄を履いて踊る タップダンスが巧かった。父親の先代の勘三郎が得意とした演目 で、先代は、16回演じている。当代の勘三郎は、襲名後は、未 だ、踊っていないが、勘九郎時代に7回演じているという。 1933(昭和8)年に、六代目菊五郎が、初演した新作舞踊。 原作は、久松一声。宝塚歌劇の作者の経歴を持つ。当時流行して いたタップダンスを取り入れた。喜劇的な長唄の舞踊劇。 舞台は、上手と下手に、柳と桜。奥に、松の巨木の代りに、桜の 巨木。ただし、背景画は、「松羽目もの」の定式とは違って、モ ダンなタッチ。満開の桜を背景に狂言形式の演出である。花見に 来た大名(友右衛門)が、盃を載せる「高坏」を忘れて来た次郎 冠者に高坏を買いにやらせる。しかし、高坏が、どういうものか 知らない次郎冠者は、通りかかった高足(高下駄)売り(弥十 郎)に騙されて、一対の黒塗りの高足を買わされてしまう。言葉 の巧い高足売りと意気投合した次郎冠者は、ともに、酒を呑み、 酔っぱらった挙げ句、高足でたっぷりタップダンスを興じるとい うだけのもの。勘三郎に比べて、背が高く、それだけに腰が高い 染五郎だけれど、タップダンスは、無難にこなしていたが、勘三 郎のような愛嬌が滲み出て来ないのが、物足りない。 裏切りに耐えた末、狂気の殺人を犯す「籠釣瓶花街酔醒」 夜の部の最大の見ものは、「籠釣瓶花街酔醒」。「籠釣瓶花街酔 醒」は、6回目の拝見となる。河竹黙阿弥の弟子で、三代目新七 の原作。明治中期初演の世話狂言。江戸時代に実際にあった佐野 次郎左衛門による八ッ橋殺しを元にした話の系譜に属する。 私が観た次郎左衛門:幸四郎(今回含め、2)、吉右衛門 (2)、勘九郎時代含め勘三郎(2)。八ッ橋:雀右衛門、玉三 郎(3)、福助(今回含め、2)。20年前が、最後の舞台だっ た「伝説」の六代目歌右衛門の八ッ橋を観ていないのが、残念。 江戸時代のディズニーランド・吉原のガイドブックのような作 品。吉原といえば、「助六」こそが、吉原という街そのものを副 主人公とした芝居として、私などの頭には、すぐに浮かんで来 る。「助六」が、吉原の大店の「店先」を舞台にした芝居だとす れば、「籠釣瓶花街酔醒」は、吉原のメインストリートから始 まって、大店の店先、遣り手の部屋、大衆向けの廻し部屋、 VIP用の花魁の部屋など、吉原の大店の内部を案内する芝居だ ということができる。 「籠釣瓶花街酔醒」自体のストーリー展開は、花魁に裏切られた 実直男の復讐譚で、陰惨な話なのだが、「吉原細見」、つまり、 「吉原案内」という観点で、人物より、場にこだわって舞台を観 れば、華やかな場面が、テンポ良く、廻り舞台のリズムに乗っ て、小気味好く繰り広げられるという、いまなら、さしずめ、 ディズニーランドの紹介ビデオを見るような心地よさが残る演目 なのだと思う。この二重性の持つおもしろさは、歌舞伎ならでは の味だろうと思う。 開幕前に場内は、真っ暗闇になる。暗闇のなかを定式幕が、引か れてゆく音が、下手から上手へと移動する。そして、止め柝。 パッと明かりがつく。 序幕、吉原仲之町見染の場は、桜も満開に咲き競う、華やかな吉 原のいつもの場面。花道から下野佐野の絹商人・次郎左衛門(幸 四郎)と下男・治六(段四郎)のふたりが、白倉屋万八(三津之 助)に案内されてやってくる。それを見掛けた立花屋主人・長兵 衛(彦三郎)が、捌き役で登場。田舎者から法外な代金を取る客 引きの白倉屋から、吉原不案内のふたりを助ける。 やがて、ふたりは、花魁道中に出くわす。最初は、花道から九重 (東蔵)一行17人、さらに、舞台中央奥から八ッ橋(福助)一 行24人が花魁道中を披露する。八ッ橋一行のなかに、芸者役の 芝のぶがいる。 贅言:3年前(05年)の4月歌舞伎座は、十八代目勘三郎襲名 披露の舞台だったから、花魁道中も1組多く、七越(勘太郎)一 行13人、八ッ橋(玉三郎)一行22人、九重一行(魁春)18 人だった。花魁道中は、興行、あるいは、演じる役者の系統な ど、舞台裏の事情も含めて、行列の長さが違う。 六代目歌右衛門が、「伝説」になったように、最大の見せ場は、 八ッ橋の花道七三での笑いだ。この笑顔は、田舎者が、初めての 吉原見物で、ぼうとしている次郎左衛門を見て、微苦笑してい る。魂が、抜き取られたような、次郎左衛門の表情。彼女の美貌 に見とれている男に、あるいは、将来客になるかもしれないと、 愛想笑いをしているのだが、それだけではない。さらに、あれ は、客席の観客たちに向けた真女形役者のサービスの笑い、会心 の笑いでもあるのだ。こういう演出は、六代目歌右衛門が始めた という。この笑いは、玉三郎も、雀右衛門も、ちょっと違うよう な気がする。今回の福助も、また、違うように思う。 六代目歌右衛門が演じたときの、この笑いがなんとも言えなかっ たと他人(ひと)は、言うが、私は、生の舞台で六代目の八ッ橋 を観たことがないので、判らない。かなり、意図的な笑いを演じ たようで、3回観た玉三郎も、その系譜で演じているように思 う。しかし、97年、99年、05年と3回観た玉三郎の笑顔 は、確かに綺麗だが、まだ、会心の八ッ橋の笑顔には、なってい ないように感じた。それほど、このときの笑顔は難しいのだろう と思う。六代目の微苦笑を再現するのは、だれが、いつやるのだ ろうか。今後に、期待したい。 二幕目、第一場。半年後、立花屋の見世先。吉原に通い慣れた次 郎左衛門が、仲間の絹商人を連れて八ッ橋自慢に来る場面だ。そ の前に、八ッ橋の身請けの噂を、どこかで聞きつけて、親元代わ りとして立花屋に金をせびりに来たのが、無頼漢の釣鐘権八(市 蔵)。権八は、姫路藩士だった八ッ橋の父親に仕えていた元中 間。主人の娘を苦界に沈めた悪。釣鐘権八役は、芦燕が巧かっ た。最近、お見かけしないが、どうされたのか。 権八は、八ッ橋の色である浪人・繁山栄之丞(染五郎)に告げ口 をして、後の、次郎左衛門縁切りを唆す重要な役回りだ。やが て、絹商人仲間を連れて立花屋に上がった次郎左衛門は、八ッ橋 を皆に紹介して、得意絶頂の場面となる。ここまでは、幸四郎も 明るい。 二幕目、第二場の、地味な大音寺前浪宅。染五郎の栄之丞登場。 ここは、いわば、中継ぎ。三幕目、第一場。兵庫屋二階の遣手部 屋、第二場。同じく廻し部屋の場面へ。第三場は、兵庫屋八ッ橋 部屋縁切りの場。下手、押入れの布団にかけた唐草の大風呂敷、 衣桁にかけた紫の打ち掛け。上手、銀地の襖には、八つ橋と杜若 の絵。幇間らが、座敷を賑やかにしている。「吉原案内」の華や ぎを載せた舞台は、テンポ良く、右へ、右へと、繰る繰る廻る。 いずれも、吉原の風俗が、色濃く残っている貴重な場面。廻り灯 籠のようだ。 場の華やぎとは、裏腹に、人間界は、暗転する。やがて、浮かぬ 顔でやって来た八ッ橋の愛想尽かしで、地獄に落ちる次郎左衛 門。この芝居の最大の見せ場だ。そういう男の変化を幸四郎は、 思い入れたっぷり、太い実線で絵を書くように、ぐいぐい演じて 行く。 大向こうからの「待ってました」の声の後、「花魁、そりゃあ 〜、あんまり、そでなかろう〜ぜ〜……」という科白を、幸四郎 は、かなり、唄い上げていた。思い入れ、たっぷり、じっくり で、ここで、幸四郎ファンとアンチ幸四郎が、分かれるから、お もしろい。 部屋の様子を見に来た廊下の栄之丞と次郎左衛門の目と目が合 う。八ッ橋の愛想尽かしの真意が、一気に腑に落ちたという表情 の次郎左衛門。「身請けは、思いとどまった」。幸四郎の声は、 震えている。「ひとまず、国へ帰るとしましょう……ぜ」。 大詰。さらに、4ヶ月後。立花屋の二階。妖刀「籠釣瓶」を隠し 持った次郎左衛門が、久しぶりに立花屋を訪れる。次郎左衛門の 執念深い復讐。妖刀の力を借りて、善人は、狂気の悪人に変身。 歌舞伎の男女の仲の濃厚さを示す背中合わせの場面も、忽ち崩れ る。八ッ橋の気を逸らせておいて、足袋を脱ぐ次郎左衛門。血糊 で足が滑らぬように、周到に準備。幸四郎の、「ぐいぐい」は、 続く。 顧客を騙した疾しさから、いつもより、余計に可憐に振舞う八ッ 橋。「この世の別れだ。飲んでくりゃれ」という次郎左衛門から 殺意が迸る。それに気付いて、怪訝な表情の八ッ橋。武家の娘か ら遊女に落ち、愛する男のために実直な田舎者を騙した疚しさを 自覚している八ッ橋。福助は、それを過不足なく表現する。 「世」とは、まさに、男女の仲のこと。「世の別れ」とは、男女 関係の崩壊宣言に等しい。崩壊は、やがて、薄暮の殺人へ至る。 場面は、破滅に向かって、急展開する。裏切られた実直男ほど、 恐いものはない。村正の妖刀「籠釣瓶」を持っているから、な お、怖い。黒にぼかしの裾模様の入った打ち掛け(裾には、海と 岩の風景)で、後の立ち姿のまま、背中から斬られる八ッ橋の哀 れさ。逆海老反りになり、徐々に、綺麗に崩れ落ちる福助。これ は、巧い。前回も、今回も、ここでは、拍手が来た。48歳なの に、日頃から鍛えているのだろう、柔軟な身体は、福助の売り 物。この柔軟さは、当代の、真女形、随一か。玉三郎も、もう、 ここまでは出来ないだろう。いずれ、菊之助が、八ッ橋を演じる ようになると、代わられるかも知れないが、当面は、この場面 は、福助が追従を許さないのでは無いか。 薄闇のなまで、妖刀に引きずられて、どんどん濃くなる吉右衛門 の狂気は、引き続いて、灯りを持って、部屋に入って来た女中お 咲(京妙)をも、斬り殺す。憎悪から狂気へ、無軌道の殺人へ。 殺しの美学は、殺される女形の身体で、表現される。 「籠釣瓶は、斬れるなあ〜」と妖刀を観客席に突き出すようにし て、狂気に魅入られている幸四郎の目。こういうのも、幸四郎は 巧い。 大詰の、次郎左衛門の狂気の笑い。序幕の、花道での八ッ橋の微 苦笑。ふたつの「笑い」の間に、悲劇が生まれた。時の鐘、柝、 幕。 私が2回ずつ観た3人の次郎左衛門は、幸四郎、吉右衛門、勘九 郎時代を含む勘三郎。幸四郎は、陰惨な色合いが、濃くなる大詰 が良い。実線で、しかも、線が太い幸四郎。前半と後半の振幅 が、大きい。前半が、コミカルで、巧いのは、勘三郎。軽やか な、点線という感じ。全体通しでは、バランスの良いのが、吉右 衛門だ。線は、細いが、きちんと実線が続いている。初代の吉右 衛門が、この芝居では、哀愁があったという。今回の幸四郎は、 哀愁より、狂気の表出に力が入っているように見受けられた。- 2008年12月18日(木) 18:21:43
08年12月歌舞伎座 (夜/「名鷹誉石切」「高坏」「籠釣瓶 花街酔醒」) さすが、富十郎、ゆるり梶原 「名鷹誉石切」は、「梶原平三誉石切」の富十郎版の外題であ る。「梶原平三誉石切」は、9回目。私が見た梶原は、幸四郎 (2)、吉右衛門(2)、仁左衛門(2)、富十郎(今回含め、 2)、團十郎。 定式幕が、開くと、浅黄幕が舞台を覆っている。無人の舞台に、 置き浄瑠璃。浅黄幕が、振り落とされると、鶴ヶ岡八幡の社頭の 場で、参詣に来た平家方の大名・大庭三郎(梅玉)一行が、立っ ている。やがて、同じく平家方の梶原平三(富十郎)一行の花道 の出。両者で、一献。そこへ、青貝師・六郎太夫と娘の梢が、大 名に刀を売り付けようとやって来る。青貝とは、螺鈿の材料とな る貝。青貝師とは、螺鈿細工師のことか。 梶原の仕どころは、花道の出、刀の目利き、二つ胴、物語(平家 方ながら、石橋山で源頼朝を救う)、石切、花道幕外の引っ込み と幾つかあるが、ハイライトは、やはり、石切。 その「石切」の場面には、型が3つあるという。初代吉右衛門 型、初代鴈治郎型、十五代目羽左衛門型。その違いは、石づくり の手水鉢を斬るとき、梶原が、手水鉢に向って行くので、客席に 後ろ姿を見せるのが吉右衛門型で、鴈治郎型は、手水鉢の向うに 廻って、客席に前を見せる上、場所が鶴ヶ岡八幡ではなく、原作 通りの鎌倉星合寺である。羽左衛門型は、手水鉢の向うに廻り、 さらに、六郎太夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、 手水鉢の水にふたりの影を映した上で、鉢を斬る場面を前向きで 見せた後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出してくる。桃 太郎のようだと批判されたという演出だ。 今回の富十郎だが、私は、10年前に1回観ている。私の記録で は、前回の富十郎は、鴈治郎型だったが、場所は鶴ヶ岡八幡で あったと書いている。つまり、手水鉢の向うに廻って、斬るだけ で、手水鉢の間からは、飛び出して来なかったのだろう。今回の 富十郎は、羽左衛門型で、手水鉢の向うに廻り、さらに、六郎太 夫と娘の梢のふたりを手水鉢の両側に立たせて、手水鉢の水にふ たりの影を映した上で、手水鉢を斬る場面を前向きで見せた。し かし、その後、ふたつに分かれた手水鉢の間から飛び出してくる のではなく、ゆるりと歩いて出て来た。富十郎の楽屋話を読む と、1952(昭和27)年、22歳で、大阪中座で初演したと きから、武智鉄二の指導で、羽左衛門型でやていると言っている ので、私の記憶違いかもしれない。いずれにせよ、大雑把に言っ てしまえば、鴈治郎型と羽左衛門型の違いは、場所が、鎌倉星合 寺か鶴ヶ岡八幡かということと石の手水鉢を斬った直後、手水鉢 の向う側に止まるか、ふたつに分かれた手水鉢の間から、飛び出 して来るかという違いだろう。 幸四郎、吉右衛門のふたりは、吉右衛門型であった。仁左衛門 は、羽左衛門型で、颯爽と飛び出してきた。團十郎は、羽左衛門 型だったが、手水鉢の間から「よろよろ」と出てきた。そういう 風に整理してみると、今回の富十郎は、團十郎に近いと言える。 「よろよろ」の代りに、「ゆるりと」出て来た。仁左衛門と同じ ように颯爽と飛び出した方が良かったのではないかとも、思う し、人間国宝・富十郎としては、老境の、ゆるりとした持ち味 で、やるのも、良いかなとも思う。10年ぶりに観た富十郎の梶 原は、全体を通じても、ほかの役者が芝居をしている時に、舞台 のほぼ中央で、あまり動かず、すべてを肚で受け止めているよう な感じで、ゆるりと静止しているのが、なんとも言えず、良かっ たと思う。役者は、型を大事にしながらも、年齢、体調、芸の工 夫などで、演技を変えるのだろう。それはそれで、良いことだ。 これより先の、「刀の目利き」では、まず、梶原は、袋から刀の 柄の部分を出す。鞘の部分は袋に入れたままで袋を折り返して紐 で縛る。その縛り方が整然としていて見事。目利きの場面では、 懐紙を口に銜えて、まず、刀を上下逆に持ち、鞘を袋ごと下から 上に抜いてゆく。この間、梶原は目を瞑っている。やがて、刀を 鞘から抜き終わると、目を開けて、縦にした刀身を下から上に じっくりと見る。次いで、刀身を横にする。今度は、刀身の切っ 先から、つまり、刀身の上から下にじっくりと見る。さらに、再 び、刀の切っ先を前に、刀身を縦にして、刀の背から刀身全体を じっくり見る。見据える目に富十郎の芸を積み重ねて来た時間の 長さが滲む。 また、「二つ胴」では、上で仰向けになっている囚人の剣菱呑助 (家橘)の胴を斬るが、下で俯せになっている六郎太夫(段四 郎)については、彼を縛っていた縄目だけを斬る。掛け声と刀の 動きが、石切と違う芸の見せ所で、富十郎の梶原は、刀を斜めか ら振り下ろし、呑助の胴に刃を「タン」という感じで、当てるだ けで斬る。以前観た團十郎の梶原は、呑助の身体で刀身を、いわ ば「バウンド」させるようにした。つまり、刃を一旦呑助の身体 に降り下ろしながら、すぐに持ち上げる。その結果、呑助の胴 は、まっぷたつに斬れるが、下の六郎太夫は、後ろ手に縛られて いた縄目のみが切られて、六郎太夫は、無事で、かすり傷さえな いと言うようにしていた。 歌舞伎では、梶原平三は、いつもの憎まれ役だが、この舞台で は、颯爽としている。しかし、刀の目利きを頼まれ、六郎太夫が 持ってきた刀が余りの名刀(「八幡」の刻印が刻まれている重代 の名刀。六郎太夫は、実は、源氏方の武将三浦大助の子で、それ ゆえに、「八幡」という銘が刀身に刻まれていて、梶原は、目利 きの際に、すでに六郎太夫の正体と刀を売り急ぐ事情を察知した ということになっている)だったので、大庭三郎(梅玉)や俣野 五郎(染五郎)を騙して、「二つ胴」をわざと失敗して見せる。 その上で、自分の本心を聞かせ(物語)、六郎太夫を安心させ て、その後で、石の手水鉢を斬って見せる。そして、自分でその 名刀を手に入れると言うことだから、やはり、梶原は、一筋縄で はいかない男なのであろう。そういう本性の持ち主としての梶原 を演じるのは、老獪な富十郎が、巧い。花道、幕外の引っ込み で、富十郎は、梶原の本心を滲ませているように見えた。 梢は、松江時代を含めて今回の魁春は、2回目の拝見である。魁 春は、人妻だけれど、初々しく、多感な梢の性根を演じていたよ うに思う。段四郎の六郎太夫は、今回で、2回目の拝見。娘梢の ために、刀を高く売ろうと、最後まで粘り腰を見せていて、武家 出の手強さというか、私には、有能なビジネスマンという感じが 見て取れて、良かったと思う。この役は、亡くなった坂東吉弥 も、巧かった。 「石切梶原」の、もうひとつの見せ場は、剣菱呑助の「酒づく し」の台詞だが、今回は家橘。これまででは、團蔵、弥十郎の呑 助が良かった。特に、弥十郎の呑助は、絶品だったと、いまも、 思っている。 「高坏(たかつき)」は、3回目の拝見。うち、2回は、勘九郎 時代の勘三郎。今回は、染五郎。ずんぐりした体型の次郎冠者、 勘三郎は、腰が低く、安定しているので、高下駄を履いて踊る タップダンスが巧かった。父親の先代の勘三郎が得意とした演目 で、先代は、16回演じている。当代の勘三郎は、襲名後は、未 だ、踊っていないが、勘九郎時代に7回演じているという。 1933(昭和8)年に、六代目菊五郎が、初演した新作舞踊。 原作は、久松一声。宝塚歌劇の作者の経歴を持つ。当時流行して いたタップダンスを取り入れた。喜劇的な長唄の舞踊劇。 舞台は、上手と下手に、柳と桜。奥に、松の巨木の代りに、桜の 巨木。ただし、背景画は、「松羽目もの」の定式とは違って、モ ダンなタッチ。満開の桜を背景に狂言形式の演出である。花見に 来た大名(友右衛門)が、盃を載せる「高坏」を忘れて来た次郎 冠者に高坏を買いにやらせる。しかし、高坏が、どういうものか 知らない次郎冠者は、通りかかった高足(高下駄)売り(弥十 郎)に騙されて、一対の黒塗りの高足を買わされてしまう。言葉 の巧い高足売りと意気投合した次郎冠者は、ともに、酒を呑み、 酔っぱらった挙げ句、高足でたっぷりタップダンスを興じるとい うだけのもの。勘三郎に比べて、背が高く、それだけに腰が高い 染五郎だけれど、タップダンスは、無難にこなしていたが、勘三 郎のような愛嬌が滲み出て来ないのが、物足りない。 裏切りに耐えた末、狂気の殺人を犯す「籠釣瓶花街酔醒」 夜の部の最大の見ものは、「籠釣瓶花街酔醒」。「籠釣瓶花街酔 醒」は、6回目の拝見となる。河竹黙阿弥の弟子で、三代目新七 の原作。明治中期初演の世話狂言。江戸時代に実際にあった佐野 次郎左衛門による八ッ橋殺しを元にした話の系譜に属する。 私が観た次郎左衛門:幸四郎(今回含め、2)、吉右衛門 (2)、勘九郎時代含め勘三郎(2)。八ッ橋:雀右衛門、玉三 郎(3)、福助(今回含め、2)。20年前が、最後の舞台だっ た「伝説」の六代目歌右衛門の八ッ橋を観ていないのが、残念。 江戸時代のディズニーランド・吉原のガイドブックのような作 品。吉原といえば、「助六」こそが、吉原という街そのものを副 主人公とした芝居として、私などの頭には、すぐに浮かんで来 る。「助六」が、吉原の大店の「店先」を舞台にした芝居だとす れば、「籠釣瓶花街酔醒」は、吉原のメインストリートから始 まって、大店の店先、遣り手の部屋、大衆向けの廻し部屋、 VIP用の花魁の部屋など、吉原の大店の内部を案内する芝居だ ということができる。 「籠釣瓶花街酔醒」自体のストーリー展開は、花魁に裏切られた 実直男の復讐譚で、陰惨な話なのだが、「吉原細見」、つまり、 「吉原案内」という観点で、人物より、場にこだわって舞台を観 れば、華やかな場面が、テンポ良く、廻り舞台のリズムに乗っ て、小気味好く繰り広げられるという、いまなら、さしずめ、 ディズニーランドの紹介ビデオを見るような心地よさが残る演目 なのだと思う。この二重性の持つおもしろさは、歌舞伎ならでは の味だろうと思う。 開幕前に場内は、真っ暗闇になる。暗闇のなかを定式幕が、引か れてゆく音が、下手から上手へと移動する。そして、止め柝。 パッと明かりがつく。 序幕、吉原仲之町見染の場は、桜も満開に咲き競う、華やかな吉 原のいつもの場面。花道から下野佐野の絹商人・次郎左衛門(幸 四郎)と下男・治六(段四郎)のふたりが、白倉屋万八(三津之 助)に案内されてやってくる。それを見掛けた立花屋主人・長兵 衛(彦三郎)が、捌き役で登場。田舎者から法外な代金を取る客 引きの白倉屋から、吉原不案内のふたりを助ける。 やがて、ふたりは、花魁道中に出くわす。最初は、花道から九重 (東蔵)一行17人、さらに、舞台中央奥から八ッ橋(福助)一 行24人が花魁道中を披露する。八ッ橋一行のなかに、芸者役の 芝のぶがいる。 贅言:3年前(05年)の4月歌舞伎座は、十八代目勘三郎襲名 披露の舞台だったから、花魁道中も1組多く、七越(勘太郎)一 行13人、八ッ橋(玉三郎)一行22人、九重一行(魁春)18 人だった。花魁道中は、興行、あるいは、演じる役者の系統な ど、舞台裏の事情も含めて、行列の長さが違う。 六代目歌右衛門が、「伝説」になったように、最大の見せ場は、 八ッ橋の花道七三での笑いだ。この笑顔は、田舎者が、初めての 吉原見物で、ぼうとしている次郎左衛門を見て、微苦笑してい る。魂が、抜き取られたような、次郎左衛門の表情。彼女の美貌 に見とれている男に、あるいは、将来客になるかもしれないと、 愛想笑いをしているのだが、それだけではない。さらに、あれ は、客席の観客たちに向けた真女形役者のサービスの笑い、会心 の笑いでもあるのだ。こういう演出は、六代目歌右衛門が始めた という。この笑いは、玉三郎も、雀右衛門も、ちょっと違うよう な気がする。今回の福助も、また、違うように思う。 六代目歌右衛門が演じたときの、この笑いがなんとも言えなかっ たと他人(ひと)は、言うが、私は、生の舞台で六代目の八ッ橋 を観たことがないので、判らない。かなり、意図的な笑いを演じ たようで、3回観た玉三郎も、その系譜で演じているように思 う。しかし、97年、99年、05年と3回観た玉三郎の笑顔 は、確かに綺麗だが、まだ、会心の八ッ橋の笑顔には、なってい ないように感じた。それほど、このときの笑顔は難しいのだろう と思う。六代目の微苦笑を再現するのは、だれが、いつやるのだ ろうか。今後に、期待したい。 二幕目、第一場。半年後、立花屋の見世先。吉原に通い慣れた次 郎左衛門が、仲間の絹商人を連れて八ッ橋自慢に来る場面だ。そ の前に、八ッ橋の身請けの噂を、どこかで聞きつけて、親元代わ りとして立花屋に金をせびりに来たのが、無頼漢の釣鐘権八(市 蔵)。権八は、姫路藩士だった八ッ橋の父親に仕えていた元中 間。主人の娘を苦界に沈めた悪。釣鐘権八役は、芦燕が巧かっ た。最近、お見かけしないが、どうされたのか。 権八は、八ッ橋の色である浪人・繁山栄之丞(染五郎)に告げ口 をして、後の、次郎左衛門縁切りを唆す重要な役回りだ。やが て、絹商人仲間を連れて立花屋に上がった次郎左衛門は、八ッ橋 を皆に紹介して、得意絶頂の場面となる。ここまでは、幸四郎も 明るい。 二幕目、第二場の、地味な大音寺前浪宅。染五郎の栄之丞登場。 ここは、いわば、中継ぎ。三幕目、第一場。兵庫屋二階の遣手部 屋、第二場。同じく廻し部屋の場面へ。第三場は、兵庫屋八ッ橋 部屋縁切りの場。下手、押入れの布団にかけた唐草の大風呂敷、 衣桁にかけた紫の打ち掛け。上手、銀地の襖には、八つ橋と杜若 の絵。幇間らが、座敷を賑やかにしている。「吉原案内」の華や ぎを載せた舞台は、テンポ良く、右へ、右へと、繰る繰る廻る。 いずれも、吉原の風俗が、色濃く残っている貴重な場面。廻り灯 籠のようだ。 場の華やぎとは、裏腹に、人間界は、暗転する。やがて、浮かぬ 顔でやって来た八ッ橋の愛想尽かしで、地獄に落ちる次郎左衛 門。この芝居の最大の見せ場だ。そういう男の変化を幸四郎は、 思い入れたっぷり、太い実線で絵を書くように、ぐいぐい演じて 行く。 大向こうからの「待ってました」の声の後、「花魁、そりゃあ 〜、あんまり、そでなかろう〜ぜ〜……」という科白を、幸四郎 は、かなり、唄い上げていた。思い入れ、たっぷり、じっくり で、ここで、幸四郎ファンとアンチ幸四郎が、分かれるから、お もしろい。 部屋の様子を見に来た廊下の栄之丞と次郎左衛門の目と目が合 う。八ッ橋の愛想尽かしの真意が、一気に腑に落ちたという表情 の次郎左衛門。「身請けは、思いとどまった」。幸四郎の声は、 震えている。「ひとまず、国へ帰るとしましょう……ぜ」。 大詰。さらに、4ヶ月後。立花屋の二階。妖刀「籠釣瓶」を隠し 持った次郎左衛門が、久しぶりに立花屋を訪れる。次郎左衛門の 執念深い復讐。妖刀の力を借りて、善人は、狂気の悪人に変身。 歌舞伎の男女の仲の濃厚さを示す背中合わせの場面も、忽ち崩れ る。八ッ橋の気を逸らせておいて、足袋を脱ぐ次郎左衛門。血糊 で足が滑らぬように、周到に準備。幸四郎の、「ぐいぐい」は、 続く。 顧客を騙した疾しさから、いつもより、余計に可憐に振舞う八ッ 橋。「この世の別れだ。飲んでくりゃれ」という次郎左衛門から 殺意が迸る。それに気付いて、怪訝な表情の八ッ橋。武家の娘か ら遊女に落ち、愛する男のために実直な田舎者を騙した疚しさを 自覚している八ッ橋。福助は、それを過不足なく表現する。 「世」とは、まさに、男女の仲のこと。「世の別れ」とは、男女 関係の崩壊宣言に等しい。崩壊は、やがて、薄暮の殺人へ至る。 場面は、破滅に向かって、急展開する。裏切られた実直男ほど、 恐いものはない。村正の妖刀「籠釣瓶」を持っているから、な お、怖い。黒にぼかしの裾模様の入った打ち掛け(裾には、海と 岩の風景)で、後の立ち姿のまま、背中から斬られる八ッ橋の哀 れさ。逆海老反りになり、徐々に、綺麗に崩れ落ちる福助。これ は、巧い。前回も、今回も、ここでは、拍手が来た。48歳なの に、日頃から鍛えているのだろう、柔軟な身体は、福助の売り 物。この柔軟さは、当代の、真女形、随一か。玉三郎も、もう、 ここまでは出来ないだろう。いずれ、菊之助が、八ッ橋を演じる ようになると、代わられるかも知れないが、当面は、この場面 は、福助が追従を許さないのでは無いか。 薄闇のなまで、妖刀に引きずられて、どんどん濃くなる吉右衛門 の狂気は、引き続いて、灯りを持って、部屋に入って来た女中お 咲(京妙)をも、斬り殺す。憎悪から狂気へ、無軌道の殺人へ。 殺しの美学は、殺される女形の身体で、表現される。 「籠釣瓶は、斬れるなあ〜」と妖刀を観客席に突き出すようにし て、狂気に魅入られている幸四郎の目。こういうのも、幸四郎は 巧い。 大詰の、次郎左衛門の狂気の笑い。序幕の、花道での八ッ橋の微 苦笑。ふたつの「笑い」の間に、悲劇が生まれた。時の鐘、柝、 幕。 私が2回ずつ観た3人の次郎左衛門は、幸四郎、吉右衛門、勘九 郎時代を含む勘三郎。幸四郎は、陰惨な色合いが、濃くなる大詰 が良い。実線で、しかも、線が太い幸四郎。前半と後半の振幅 が、大きい。前半が、コミカルで、巧いのは、勘三郎。軽やか な、点線という感じ。全体通しでは、バランスの良いのが、吉右 衛門だ。線は、細いが、きちんと実線が続いている。初代の吉右 衛門が、この芝居では、哀愁があったという。今回の幸四郎は、 哀愁より、狂気の表出に力が入っているように見受けられた。- 2008年12月18日(木) 18:21:25
08年12月歌舞伎座 (昼/「高時」「京鹿子娘道成寺」「佐 倉義民伝」) 「反権力」の新歌舞伎「高時」 「新歌舞伎十八番」の「高時」は、3回目の拝見である。北条高 時を演じたのは、私が観た順番では、羽左衛門、橋之助、そし て、今回は、梅玉である。羽左衛門の高時は、重厚な演技であっ たのを覚えている。3回観たなかでは、相変わらず、羽左衛門 が、群を抜いている。 「高時」は、政府の欧化主義に共鳴をし、歌舞伎の国劇化を目指 した九代目團十郎が、「史劇」(後に、「活歴(かつれき)も の」と総括された。活きた歴史劇。あるいは、史=死という音を 嫌い、演技担ぎで、死の対極、活き=活(かつ)としたのかもし れない)の創作に情熱を燃やした絶頂期の作品と言われるもの で、当時の識者であった有職故実の学者、画家、劇文学者らをブ レーンとして作った「求古(きゅうこ)会」の時代考証や意見を 取り入れて作り上げた出し物。「求古会」が、とりまとめた原案 を元に、九代目が、黙阿弥に台本を書かせたというが、黙阿弥 は、「芝居にならなくて困る」と弟子にこぼしていたと伝えられ る。ここで言う「芝居」とは、もちろん、歌舞伎の意味である。 九代目が、演劇改良運動のシンボルとして制定した「新歌舞伎十 八番」のうちのひとつが、この「高時」である。黙阿弥が、歌舞 伎にならないと言ったのにもかかわらず、九代目は、幕末に亡く なった七代目(1791年ー1859年)が制定した「歌舞伎十 八番」の向うを張って、「新歌舞伎十八番」に押し込んだのが、 「高時」である。八代目が、若くして、自殺しているので、九代 目(1838年ー1903年)は、自分が、21歳の時に亡く なった七代目に、あるいは、「ライバル心」を燃やしていたのか も知れない。 贅言1):演劇改良運動では、荒唐無稽な大衆劇としての歌舞伎 (旧劇)では無く、オペラのような世界に通用する歌劇としての 歌舞伎つくり(新劇)を目指そうという高邁な意志があったが、 史実に則った歴史劇=史劇つくりに止まらず、女形の代りに女優 を使う、舞台の上の、竹本の太夫や黒衣を不合理としたことなど から、「行き過ぎ」た部分があり、大衆の支持を得られず、不評 であった。結局、演劇改良運動を進めた「演劇改良会」が、 1887(明治20)年に、歌舞伎を天覧劇として実現したこと で、いわゆる「高尚化」を果たしたものの、歌舞伎は、「旧劇」 としての魅力を残したがゆえに、かえって、生き残った。それ は、能が、足利幕府や秀吉、さらに、家康以来の徳川幕府の歴代 将軍の庇護を受けていたがゆえに明治初期に、「封建時代の権力 者の芸能」として、廃れそうになった後、天覧劇となったこと で、息を吹き返したのと似ている。 それにしても、「高時」は、「反権力」というテーマが、明確で ある。まず、幕開き、北条家門前の場で、徳川幕府の五代将軍・ 綱吉(継嗣がなく、子宝に恵まれるよう、「犬公方」と渾名され たほど犬に象徴される生き物を大事にする「生類憐みの令」とい う悪法の制定者として歴史に名を残した)のような、北条氏九代 目高時の施政方針を、豪華な駕篭に乗せられた「お犬さま」を登 場させることで観客に印象づける。そして、この「お犬さま」 が、幼児を連れた通行人の老婆(歌江病気休演で、歌女之丞代 役)の膝に噛み付くことにより、その直後に通りかかった老婆の 息子の浪人(松江)によって、親を噛まれた仕返しとして、眉間 を鉄扇で討たれて、死んでしまう。老母と子を人質に取られて、 抵抗が出来ないまま、捕らえられた浪人が、高時の家臣・長崎次 郎(錦吾)らに門のなかに引き立てられて行く、という場面は、 制作者のメッセージが、とても、はっきりしている。 贅言2):話は、脇道に逸れる。「菅原伝授手習鑑」である。こ れは、ご承知のように、菅原道真の配流事件を素材としている。 菅原道真、後に「天神様」として、日本人には、有名で、馴染み のある神様の一人となった人物をモデルとしている。劇中では、 菅丞相である。時代は、醍醐天皇のときで、901年、藤原時平 と対立した菅原道真は、太宰府に流される。先行作品としては、 近松門左衛門の「天神記」があり、これを下敷きにして、作られ た。劇中の時代は、平安時代、摂関政治で、天皇に替って、公家 の藤原氏が権力を握っていた。ただし、歌舞伎で取り上げる歴史 は、「通俗日本史」という、エンターテインメントの、今でい う、「講談のレベル」の、史実(だから、九代目團十郎たちは、 史劇つくりに情熱を燃やした)。時代設定や時代考証は、正確で は無い。ハッキリ言って、でたらめ。荒唐無稽である。むしろ、 上演された時の、時代背景が、本当の時代背景であろう。例え ば、「菅原伝授手習鑑」で言えば、初演は、1746年で、徳川 幕府の中期。八代将軍吉宗が、1745年に亡くなり、家重が、 1746年に九代将軍になるが、この人は、障害者で、言語不明 瞭、精神薄弱で、側用人の大岡忠光だけが、将軍の意向を理解し たと称して、「側近政治」をしていた。「側近政治」は、権力者 のそばにいる側近が、ブレーンとして、権力者を補佐する場合も あるが、事実上の権力者として、勝手に、政治を動かす場合も あった。五代将軍綱吉(1080ー1709)は、先に触れたよ うに「生類憐れみの令」を出して、当時の人々を苦しめた「犬公 方」であり、側近政治を利用して、将軍に替って、実質的に、柳 沢吉保が、権力を握っていた時代が、初演時より、わずか、30 数年前まであったことに気がつけば、「菅原伝授手習鑑」の藤原 時平は、あるいは、柳沢吉保辺りを歌舞伎を見る庶民は、イメー ジして受け止めていたかも知れない。歌舞伎を上演する側も、観 客の側も、時代設定は、平安時代だが、当時の「現代劇」(ある いは、40年ほど前の劇)として、綱吉時代の理不尽さを想定、 意識して、観ていたかもしれない。その伝を借りれば、新歌舞伎 とは言え、黙阿弥の手になるだけに、北条高時は、五代将軍綱吉 をイメージしていたかも知れないという想定も成り立ちそうだ。 さて、「高時」の舞台に戻る。築地塀が描かれた道具幕の前で、 無人の舞台があり、下手の大薩摩と上手の竹本の掛け合いが続 く。やがて、道具幕の振り落しで、北条家奥殿内の場となる。こ こで、歌舞伎の定式を破って、高時(梅玉)が、舞台の上手の柱 に横向きに寄り掛かっている。史劇としてのリアリズムを主張し た九代目の熱情が象徴されている場面だ。大薩摩連中が、霞幕で 隠されると、長崎次郎が、「ご注進」と、門前の事件を告げに来 る。高時は、やや斜ながら、正面を向き、普通の歌舞伎劇の配置 となる。 そのほか、さまざまな工夫が施されていて、歌舞伎を愚昧な大衆 演劇から、西洋人にも誇れるような国劇へ脱皮させようとした熱 情が秘められている。いまも、これら演出は、受け継がれてい る。その割に、歌舞伎評論家からの評判は、悪いようだ。それ も、判るが、それは、後ほど。 舞台中央、正面を向いた愛妾・衣笠(魁春)たちを侍らせ、酒宴 中の高時は、「ご注進」の内容を聞いて、直ちに浪人を死刑にし ろと命じてしまう。短絡的な人物なのだろう。獣の命より人命を 軽視するようでは、「不仁の君」になってしまうと諌める家臣・ 大佛陸奥守(東蔵)の忠言も聞かない。さらに秋田入道(彦三 郎)に月は違うが、「きょうは、先祖の命日」と諌められると、 さすがに、死刑を思いとどまるが、その後、それは、今後の施政 方針であって、今回は、死刑にしろと態度を変える。何処かの総 理大臣のように、軸が定まらない人物のようだ。権力者の横暴ぶ りを印象づける。高時の、「酌を致せ」と衣笠に命じる科白を合 図に、霞幕が取り除かれ、大薩摩連中が、再び、登場し、今宵の 「月見の宴」の余興として呼ばれた田楽法師たちの登場を待つ 間、衣笠の舞となる。高時は、再び、舞台上手の柱に背を預け、 横向きとなる。 さらに、途中で、雲行きが妖しくなり、灯が、消えてしまう。独 り残された高時の前に、やがて、田楽法師たちの登場となるのだ が、田楽法師たちに見えているのは、高時の酔眼ばかりで、観客 たちの目には、多数の烏天狗たちの登場となる。先ず、下手か ら、宙づりの滑車の紐にぶら下がった烏天狗登場。ついで、同じ 方法で、上手から、もう一人登場。舞台奥の仕掛けのある襖が、 回転して、6人の烏天狗たちが、登場する。本舞台を飛び跳ねな がら、高時となにやら会話をする烏天狗たち。 烏天狗たちは、田楽舞いを舞っているように、高時に錯覚させ て、遊び戯れながら、何時の間にか、高時を誑かし、翻弄する。 高時の身体を逆さまにしたり、足を蹴飛ばして、倒したりする。 虐げられた人たちの怨念が、烏天狗たちに宿っているのだろう か。ここにも、反権力のメッセージが込められている。 私には、「今昔物語」などに題材を採った短編小説の味わいを感 じさせたほどの印象を残して、これはこれで、おもしろいと思っ た。ただし、「活歴もの」共通のことだが、歌舞伎味が乏しいと いう弱味は、やはり、目につく。黙阿弥が、芝居にならないと歎 いたのも、この辺りだろう。なにしろ、荒唐無稽故の味わいこそ が、歌舞伎の魅力だろうから。そこを見誤ったのが、「活歴も の」の弱点だと、私は、思っている。つまり、合理性で歌舞伎を 作り上げると、芝居としての「余白」が、乏しくなり、歌舞伎の 美学が、発揮できなくなり、潤いがなくなる。だから、黙阿弥 は、演劇改良運動に協力しながら、歌舞伎の歴史という長い目で みれば、そういう運動は、元の木阿弥になるだろうと予見し、 「黙阿弥」というペンネームをつけたという。黙阿弥の予見は、 その後の歌舞伎の歴史が、見事に証明している。 立役の「娘道成寺」の妙味 「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」は、 10回目の拝見だ。私が観た花子役は、勘九郎時代含め勘三郎 (3)、玉三郎、芝翫、菊五郎、福助(芝翫の代役)、雀右衛 門、藤十郎、そして、今回の、三津五郎。この顔ぶれを見れば判 るように、女形か、兼ねる役者かで演じていて、今回の三津五郎 のみ、立役である。三津五郎は、本興行では、初めての「娘道成 寺」を披露する。代々立役で、十代いる三津五郎のうち、初代と 三代目、七代目が、「娘道成寺」を踊ったとして、その型が、口 伝されているという。このうち、七代目は、紀伊国屋型で、道行 を踊ったという。 大曲の踊り「娘道成寺」は、いわば組曲で、「道行、所化たちと の問答、乱拍子・急ノ舞のある中啓の舞、手踊、振出し笠・所化 の花傘の踊、クドキ、羯鼓(山尽し)、手踊、鈴太鼓、鐘入り、 所化たちの祈り、鱗四天、後ジテの出、押し戻し」などの踊り が、次々に連鎖して繰り出される。ポンポンという小鼓。テンテ ンと高い音の大鼓(おおかわ)のテンポも、良く合う。普通は、 鐘入りまでというのが、多い。 今回は、立役の踊る「娘道成寺」であり、それも、坂東流、三代 目三津五郎(深川・永木河岸に住んでいたので、「永木(えい き)の三津五郎」(1775年ー1831年)と呼ばれた)型の 「娘道成寺」について、記録しておきたい。 舞台は、大きな鐘と紅白の横縞の幕という、いつもの「京鹿子娘 道成寺」の佇まい。鐘を吊る紅白の捩じれた綱が、紅白の横縞の 幕の背景と関係して、紅の幕では、綱の白が、白の幕では、綱の 紅のみが、見えている。紅白の幕の上の、黒い一文字幕では、綱 の紅白が、見えて、おもしろい。 「聞いたか坊主」の所化たちが本舞台に出揃うと、黒衣がふたり で、木戸を持って出て来る。この木戸は、所化たちと白拍子・花 子の「生娘か白拍子(遊女、つまり、性の経験者)か」などと露 骨に問うなど、問答の場面だけで使われ、許されて花子が木戸の 内に入ると、さっさと、片付けられてしまう。所化のなかに、女 形の芝のぶが、混じっている。なにか、いつもと違う雰囲気の芝 のぶを双眼鏡で、追い掛ける。 贅言:この問答だが、身の下の話題というより、同じ女人でも、 性の経験者(あるいは、性を売り物にしている)か、性体験のな い処女か、ということで、鐘供養中の、寺側の「禁制」の扱い が、違っていたから、所化たちは、花子に尋ねたのだろうか。 道行、白拍子・花子の花道の出は、花道だけの踊り。常磐津「道 行丸○字(みちゆきまるにつのもじ)」(「○」の部分は、 「い」に似た特殊な紋様の文字。「い」なので、2本の角(つ の)なのであろう)を使うのも、坂東流の特徴。古風な振りが、 特徴ということで、衣装も、六代目菊五郎(1885年ー 1949年)が、着て以来、花子役者が、皆、着る黒地に枝垂れ 桜の縫い取りでは無く、赤地に枝垂れ桜という扮装である。坂東 流では、道行は、大人の女(つまり、白拍子、経験者)の気持ち で踊り、本舞台では、生娘の気持ちで踊ると、伝承されていると いう。今回、三津五郎は、それをさらに、工夫して、「娘が大人 の女の真似事をしているように」演じたという。「大人の女」 (花道)→「生娘」(本舞台)という口伝を延長して、という か、逆手にとってというか、「大人の女の真似事をしている生 娘」という、いわば、花道の気分を残したままの本舞台という感 じで、花子を設定して、演じたらしい。 踊りは、私の目には、ほかの役者の振りとそれほど違ったように は見えないが、当代の三津五郎は、役者の中でも、踊りの名手で あるだけに、動く身体は、いつも、安定している。特に、横を向 いた時の姿勢が良い。頭から脚まで、縦の軸が、まっすぐになっ ているのが判る。それでいて、首、肩、手足の動きが、滑らかで ある。それに、三津五郎は、女形になると、かなり、美形であ る。新発見。振り、所作の間に、娘らしい愛らしさと年増の色気 の双方が滲み出る。ほかの女形の「娘道成寺」と比べても、遜色 ない。 ただし、「恋の手習いつい見習いて誰に見しょとて紅鉄漿つきょ うぞ」で、逆海老になるところは、ぎこちなかった。口に手拭を 銜えないのも、坂東流。山尽しの鞨鼓の踊りでは、鞨鼓と膝頭で 拍子を取って行くのは、坂東流独特の振り。さらに、田植をする 早乙女の様子を踊ってみせる鈴太鼓の場面でも、ほかの役者のよ うに、鈴太鼓を舞台の床に直接当てて、リズムを取るようなこと は、しなかった。そして、引き抜きで、元の赤地に枝垂れ桜の衣 装に替って、まさに、「振り出しに戻る」。鐘に昇る場面では、 ほかの役者のように、蛇体の本性を象徴する鱗の衣装では無く、 赤地の華やかな衣装のまま、「鐘入り」で、円環を閉じるように して、閉幕を迎えた。見応えがあった。12月、昼の部の、目玉 は、これであった。 贅言:花子、所化とも、手拭を客席に投げ入れる「プレゼント」 は、なかった。すっきりしてて、良い。 これも、反権力劇「佐倉義民伝」 「佐倉義民伝」は、2回目。戦後63年間で、本興行で12回目 の上演ということで、5、6年に1回という感じでしか演じられ ない演目。6年前、勘九郎時代の勘三郎の宗吾で観て見ている。 序幕では、印旛沼の渡し、佐倉の木内宗吾内、同裏手へと雪のな かを舞台が廻り、モノトーンの場面が展開する。二幕目では、1 年後の江戸・上野の寛永寺。多数の大名を連れた四代将軍家綱の 参詣の場面は、錦繍のなかで燦然と輝く朱塗りの太鼓橋である通 天橋(吉祥閣と御霊所を結ぶが、死の世界に通じる橋でもあるだ ろう)が、舞台上手と下手に大きく跨がり、まさに、錦絵だ(遠 見中央に、寛永寺本堂が望まれる)。やがて、宗吾は、この橋の 下に忍び寄り、橋の上を通りかかる将軍に死の直訴をすることに なるのだ。雪の白さと錦繍の紅との対比。それは、将軍直訴=死 刑という時代に、故郷と愛しい家族との別れの場面を純愛の白色 (古来、日本では、白は、葬礼=タナトスと婚礼=エロスの色で あった)、雪の色の白で表わし、迫り来る死の覚悟を血の色の赤 色、紅葉の紅で表わそうとしたのかも知れない。 「印旛沼渡し小屋の場」では、雪の舟溜まりに、小舟が舫ってあ る。土手には、「印旗の渡」と書かれた柱。隣に、庚申さまの石 碑を祭った祠がある。竹本は、御簾内の語り。役人たちは、宗吾 帰郷警戒する非常線を敷いている。暫くして、宗吾(幸四郎) が、花道から姿を現す。「願いのために江戸へ出て、思いのほか に日数を経、忍んで帰る故里も、去年の冬にひきかえて、田畑も そのまま荒れ果てて、村里ともにしんしんと、人気もおのずと絶 えたるは、多くの人も離散して、他国へ立ち退くものなるか」。 この名科白で、この芝居の原点は、すべて語られている。土手に 上がる傾斜のある道で、滑って転ぶ幸四郎。被っている笠の雪 が、どさりと落ちる。幸四郎は、こういう芝居は、得意だ。今回 は、本興行で、2回目の出演。いつもながら、思い入れたっぷり に熱演している。将軍への死の直訴を胸に秘め、江戸を中心に 降った大雪を隠れ簑に、一旦、江戸から故郷へ戻り、家族との永 久(とわ)の暇乞いをしようとしている。 この場面は、渡し守の甚兵衛(段四郎)が、肝心だ。段四郎は、 6年前、この役を演じる予定だったが、病気休演で、欠勤。今回 が、初役だ。警戒で見回りに来た役人には、狸寝入りをしていた と思われる甚兵衛が、恩ある宗吾の声を聞き取ると、慌てて起き 上がり、小屋の戸を開け、急いで、宗吾をなかに引き入れる。小 屋のなかにあった竹笠で、甚兵衛は、焚火を消す。火の灯りが洩 れて役人に宗吾と知られるのを警戒してのようだ。この辺りに、 農民の抵抗劇の色合いが、滲み出ている。やがて、禁を破り、舫 いの鎖を斧で切り離した甚兵衛は、宗吾を乗せて、舟を出す。雪 下ろし、三重にて、舟は、上手へ移動する。ふたりを乗せた舟を 隠すように霏々と降る雪。甚兵衛の命を掛けた誠意が、宗吾の人 柄を浮き上がらせる。段四郎は、「2度目の初役」ということ で、叮嚀に演じているように見受けられた。史実では、家族と最 期の別れをした宗吾を対岸に送った後、入水自殺をしたという。 印旗沼の畔に甚兵衛翁の碑と供養塔が、今もある。 舞台が廻り、「子別れ」の場面へ。見せ場とあって、竹本も、床 (ちょぼ)の上で、綾太夫の出語りに替る。まず、佐倉の「木内 宗吾内の場」は、珍しく上手に屋根付きもじ張りの門がある。下 手に障子屋体。いずれも、常の大道具の位置とは、逆である。座 敷では、宗吾の女房おさん(福助)が、縫い物をしている。福助 は、2回目。宗吾の子どもたちが、囲炉裡端で遊んでいる。長 男・彦七、次男・徳松に加えて長女・おとうもいる。さらに、障 子屋体に寝ている乳飲み子も。すべて、やがての「子別れ」の場 面を濃厚に演じようという伏線だろう。 歌女之丞、芝喜松、段之、達者な傍役たちが演じる村の百姓の女 房たちが、薄着で震えている。おさんは、宗吾との婚礼のときに 着た着物や男物の袴などを寒さしのぎにと女房たちにくれてや る。後の愁嘆場の前のチャリ場(笑劇)で、客席を笑わせてお く。女房たちが、帰った後、上手から宗吾が出て来る。家族との 久々の出逢い。宗吾が脱いだ笠から雪が、再び、ぞろっとすべり 落ちる。 女房との出逢い、目と目を見交わす、濃艶さを秘めた情愛。子ど もたち一人一人との再会。父に抱き着く子どもたち。子から父へ の親愛の場面。父から子への情愛。双方向の愛情が交流しあう。 幸四郎は、それぞれをいつもの思い入れで、じっくりと演じて行 く。子役たちも、熱演で応える。 雪に濡れた着物を仕立て下ろしに着替える宗吾。手伝うおさん は、自分が着ていた半纏を夫に着せかける。福助のおさんは、久 しぶりに触れる夫の身体を愛しんでいるのが判る。しかし、妻と の交情もほどほどに、宗吾一家の再会は、永遠の別れのための暇 乞いなのだ。宗吾は、下手の障子屋体の小部屋に、なにやらもの を置いた。自分がいなくなってから、おさんに見せようとした去 り状(縁切り状)だろう。 良く判らない登場人物が、幻の長吉。宗吾と幻の長吉(三津五 郎)とのやりとり、長吉を追う捕り手は、やがて、己にも追っ手 が迫って来る宗吾への危険信号でもある。捕り手に衣類を剥ぎ取 られ、半裸で逃げた長吉の、雪の上に脱ぎ捨てられた下駄が、宗 吾のあすは我が身を伺わせるという演出。幻の長吉は、そういう 劇的効果を狙っただけの役回り。 去り状をおさんに見られた宗吾は、仕方なく、本心を明かす。将 軍直訴は、家族も同罪となるので、家族大事で縁切り状を認めて いたのだ。離縁してでも、家族を救いたいという宗吾。夫婦とし て、いっしょに地獄に落ちたいというおさん。その心に突き動か されて去り状を破り捨てる宗吾。「嬉しゅうござんす」と、背中 から夫に抱き着き、喜びの涙を流す福助も、熱演。 親たちの情愛の交流を肌で感じ、子ども心にも、永遠の別れを予 感してか、次々に、父親に纏わりついて離れようとしない子ども たち。皆、巧い。「子別れ」は、歌舞伎には、多い場面だが、3 人(正確には、乳飲み子を入れて4人)の子別れは、珍しい。そ れだけに、こってり、こってり、お涙を誘う演出が続く。役者の 芸で観客を泣かせる場面。実際、客席のあちこちですすり上げる 声が聞こえ出す。幸四郎は、こういう芝居は、自家薬籠中であろ う。いつものオーバーアクション気味の演技も、今回は、効果 的。泣かせに、泣かせる。特に、長男・彦七は、宗吾の合羽を掴 んで放さない。垣根を壊して、家の裏手へ廻る宗吾の動きに引っ 張られてついて行く。半廻りする舞台。ともに、半廻りして、移 動する父と子。最後は、息子を突き飛ばす父親。雪は、いちだん と霏々と降り出す。「新口村」のようだ。肉親との別れに、雪 は、効果的だ。別れを隔てる雪の壁。本舞台では、家の中から、 いまや、正面を向いた裏窓の雨戸を開けて、顔を揃えたおさんと 子どもたちが泣叫ぶ。振り切って、花道を逃げるように行く宗 吾。農民の反権力の芝居というより、親子の別れの人情話の印象 が強い。 二幕目「東叡山直訴の場」では、開幕すると、浅葱幕が、舞台全 面を覆い隠している。幕の両脇、上手と下手から出て来る警護の 侍4人。警護の厳しさを強調して、再び、幕内に引っ込むと、浅 葱幕が、振り落とされて、紅葉の寛永寺の場面になる。錦繍のな かで燦然と輝く朱塗りの太鼓橋である通天橋が、舞台の上手と下 手を結ぶ。将軍・家綱公(染五郎)が、松平伊豆守(弥十郎)ら 大名たちを引き連れて、通天橋を渡って行く。橋の下に現れた宗 吾だが、橋の高さに届かぬ直訴状を折り採った紅葉の小枝に結び 付ける。しかし、還御の際、戻って来て橋の中央、太鼓橋の最も 高い所に立つ将軍に直訴状が届かぬうちに、捕らえられてしま う。「知恵伊豆」こと、松平伊豆守が、知恵のある裁き方をす る。つまり、形式的には、直訴御法度なので、受け付けないが、 直訴状の上包み(封)を投げ捨て、中味を袂に入れて、保管する という見せ場を創る。美味しい役どころ。 この結果、佐倉城主・堀田上野之介の悪政は、将軍家に知られる ところとなり、領民は救済される。しかし、封建時代は、形式主 義の時代だから、宗吾一家は、離縁をせずに、おさんが覚悟した ように乳飲み子も含めて家族全員が、皆殺しにされる。 「佐倉義民伝」は、17世紀半ばに起きた史実を基にした芝居だ が、明治期の九代目團十郎が、志向した史劇では無い。江戸時代 の芝居だ。明治維新まで、あと17年という、1851(嘉永 4)年、江戸中村座で、上演された。原作は、三代目瀬川如皐。 初演時は、「東山桜荘子」(東の国の佐倉の草紙=物語というと ころか)という外題で、時代物として、舞台も、室町時代に設定 されていた。直訴の場面の演出も、幕府によって、変更させられ たという。木内宗吾は、本名、木内惣五郎だけに、「惣『五 郎』」で、「五郎」。これは、曾我兄弟の「五郎・十郎」の「五 郎」と同じで、「五郎」=「御霊(ごりょう)」。つまり、御霊 信仰。農村における凶作悪疫の厄を払う、古来の民間信仰に通じ る。この後、前回の勘九郎主演の時も、今回も、演じられなかっ たが、「問註所」の裁きの場面、大詰で城主の病気と宗吾一家の 怨霊出現の場面があり、庶民が、溜飲を下げる形になっている。 贅言1):宗吾の故郷、佐倉藩の領地、印旛郡公津村(いまの成 田市)には、没後350年以上経ったいまも宗吾霊堂には、年間 250万人を超える人が、参詣するという。私心を捨て、公民の ために、己と家族の命を犠牲にした「宗吾様」は、神様なのであ る。歌舞伎座内で配っていたパンフレットにも、説明は、「宗吾 様」とある。宗吾の決死の行動は、明治の自由民権運動にも影響 を与えたといわれる。明治期に全国で上演された「佐倉義民伝」 は、110回を数えるという。1901(明治34)年、足尾鉱 毒事件で、明治天皇に直訴した田中正造は、木内惣五郎を尊敬し ていたという。反権力の地下水脈は、滔々と流れていたことにな る。 贅言2):、今回は、人情劇の色合いが濃い演出になっていた が、この芝居は、本来、「木綿芝居」という、地味な農民の反権 力の劇である。1945年の敗戦直後に、「忠臣蔵」など切腹の 場面などがある歌舞伎は、戦前の軍国主義を支えた、封建的な演 劇だということで、GHQによって、暫くの期間、禁じられた が、そういう動きのなかで、「佐倉義民伝」は、デモクラティッ クな芝居として、敗戦から、わずか3ヶ月後の、11月には、東 京劇場で、上演された。早々と歌舞伎復活の一翼を担ったことに なる。初代の吉右衛門の宗吾、美貌の三代目時蔵のおさん、初代 吉之丞の甚兵衛、七代目幸四郎の伊豆守、後の十七代目勘三郎の もしほの家綱などという配役であった。初演時は、磔を背負った 宗吾一家の怨霊がでる演出などがあったという。反権力のメッ セージも、より明確だったのだろう。- 2008年12月17日(水) 17:39:23
08年12月国立劇場 (文楽=人形浄瑠璃「寺子屋」「二人三 番叟」) 「二人三番叟」は、五穀豊穣を祈り、更に、芝居小屋の大入満員 を祈るために、「開幕前」に、上演される「寿式三番叟」のバリ エーション。元々は、能の「翁」の狂言「三番叟」。「三番叟」 は、天下太平、五穀豊穣、芝居繁昌を祷る儀式曲であった。「そ れ、豊秋津州の大日本、・・・地神の始め天照らす大神」で始ま り、「神の教への国津民治まる御代こそ目出たけれ」で、終る。 ふたりの三番叟(老人)は、首(かしら)が、検非違使(白塗 り)と又平(砥の粉塗り)と違っている。久しぶりの人形浄瑠璃 鑑賞。今回は、在日フランス人協会の人たち、およそ60人と一 緒に拝見。観劇前に、通訳付きで、1時間余、主に「寺子屋」に ついて、講演をした。 3人遣いで操られる人形の動き、特に、歩く姿は、人形独特のも のがある。横を向いた時の前傾姿勢や足捌きは、足遣いとの関係 で、人形浄瑠璃ならではの、闊達さを示す。ふたりの三番叟は、 鈴を打鳴らし、種を播く仕草をし、大地を踏みならし、というよ うに、まさに、具体的な農作業の動きが、所作の根底にあること が、判る。又平の三番叟が、途中で、くたびれて座り込んでしま う場面があり、検非違使の三番叟が、しっかりやれよと激励を し、観客席の笑いを誘う。人形の動きは、決して、人間の動作を 再現しているのでは無いということが判る。人形の首と身体、手 足のバランスも、人間とは違う。むしろ、人間の動きの延長線上 にあるもの(つまり、人間を超えるもの)を様式化して、表現し ているということが判る。 「鑑賞教室」なので、途中に、「文楽の魅力」と題する解説があ り、「義太夫節について」「人形の遣い方」が、説明される。観 客席は、若い人と外国人の団体が、目立つ。 「寺子屋」は、主に、歌舞伎と人形浄瑠璃の違いに注意しながら 拝見した。まず、私が事前のフランス人のために行った講演で は、次のような内容を主軸としたので、紹介したい。 「寺子屋」は、幾つかの顔を持つ物語:☆恩義を大事にする夫婦 の「恩返し」の物語、☆グロテスクな夫婦の「犯罪」の物語、☆ 「身替わり(首実検)」の物語、☆「子殺し」の物語など、いろ いろ角度を変えて、光を当てると、違った世界が拡がって来る。 そこで、今回は、テーマは、「恩返しの物語」としてみた。但 し、この「恩返しの物語」には、表と裏がある。つまり、「寺子 屋」の光と影が、際立つように説明した。従って、粗筋は、ふた つ用意した。 1)キーワードは、「恩返し」:源蔵夫婦は、恩義のある菅丞相 の若君・秀才を匿っているが、藤原時平の命を受けて、秀才の首 を差し出さなければならない状況に追い込まれる。しかし、秀才 を助けるために、自分が経営する寺子屋の教え子たちの中から身 替わりを出す決断をし、何故か、その日の朝に、「寺入り(入 学)」した少年の首を刎ねて、一か八かの賭けをする。首実検を するのは、秀才を良く知っている松王丸。時平の家臣だ。 「松王といふ奴は、三つ子のうちの悪者」(戸浪)。実は、首を 刎ねられた少年は、松王丸の独り息子・小太郎であった。父親の 松王丸は、わが子の首を見ながら、「(秀才に)紛ひなし。相違 なし」と断言をする。つまり、松王丸は、「悪者」から善人に 戻って、時平を裏切る。松王丸は、三つ子たちが、若い頃世話に なった故に、密かに菅丞相派の一人だったのだ。源蔵も松王丸 も、ともに、菅丞相に恩返しをする。 2)キーワードは、「グロテスク」:源蔵は、「弟子子(でし こ)は、我が子も同然」で、「to be or not to be」と、ハム レットのように悩みながらも、「せまじきものは、宮仕え」と言 いながら、最後は、他人の子どもを殺す。殺人の罪がある。更 に、小太郎の母・千代が戻って来たら、「母諸共」に殺そうとさ え決意する。「気弱うては仕損ぜん」、妻の戸浪も、「鬼になっ て」と夫と共犯となる決断をする。一方、松王丸は、妻の千代と 計らって、我が子・小太郎を源蔵に殺させるように仕向ける。殺 人の幇助、あるいは、教唆の可能性がある。その上、首実検で は、偽証をする。これも、今の法律から見れば、犯罪を構成す る。松王丸には、世話になった菅丞相一家の苦境に何も出来な い、いわば、マイナスの札を持っているというコンプレックスが 有る。そのマイナスを一気に解消して、プラスに転じようと言う のが、自分の息子を菅丞相の若君・秀才に「仕立てる」という作 戦なのだ。妻も、同意して、手伝っている。これは、また、グロ テスクな夫婦ではないか。つまり、二組のグロテスクな夫婦の物 語というわけだ。 「寺子屋」の光と影を解きほぐす鍵となるコンセプトとして、私 が用意したのは、「犠牲と救済」。菅丞相のモデルとなった菅原 道真は、9世紀後半の人。「菅原伝授手習鑑」が、初演された 1746年当時でさえ、900年も昔の人であり、すでに天神様 として、当時の日本人にとって、神格化された存在であった。神 様となる一家を助けるために、他人の子を殺した源蔵夫婦も、我 が子を殺させた松王丸夫婦も、小太郎の犠牲を菅秀才と、さら に、菅丞相の御台所の二人を救済することで、「穴埋め」をした つもりなのだろうというロジックだ。原作者は、松王丸に、「利 口な奴。立派な奴。健気な八ツや九ツで、親に代わって恩送り、 お役に立つは孝行者、手柄者」と褒めそやさせて、大団円としよ うとしたのだ、という説明にした。 その上で、ふたつの設問を用意した。1)それでは、小太郎は、 進んで、親の「犠牲になったのか」、追い詰められて「犠牲にさ せられたのか」、2)小太郎を殺したのは、誰か。源蔵か、松王 丸か、はたまた、別の大きな力か。 私の解釈:1)松王丸は、小太郎の最期の様子を源蔵に聞き、小 太郎は、菅丞相に世話になった父親のために、恩返しをし、親孝 行をしたと総括しているが、小太郎自身は、犠牲にさせられたの ではないか。「寺入り」の時、不吉な予感で、「かか様、わしも 往きたい」と母親の跡を追おうとしたでは無いか。「思えば最前 別れた時、いつにないあと追うたを、叱った時のその悲しさ。冥 途の旅へ寺入りと」という千代の証言は、どう受け止めるのか。 源蔵の証言にある「若君の身替わり」と言い聞かしたら、「潔う 差し伸べ」「にっこりと、笑ふて」というのは、大人の解釈では 無いのか。この「段」を書いたのは、竹田出雲と伝えられている が、並木宗輔=千柳が、改稿したという説もある。宗輔ならば、 母子の情愛を重視するから、その痕跡が残る。千代の証言こそ、 まさに、その痕跡では無いのか。 2)誰が見ても判るように、小太郎殺しを直接手掛けたのは、源 蔵。我が子を身替わりとして殺させるように仕掛けたのは、松王 丸だが、小太郎を殺させるような大状況を作ったのは、藤原時平 ではないのか。だとすれば、少年殺しの真犯人は、権力を笠に着 た藤原時平ではなかったのか。そうだとすれば、本当に「グロテ スク」なのは、政敵を断罪するだけで無く、一族皆殺しをしよう と、政敵の息子殺しを命じた権力者の藤原時平ではないか、とい うのが、私の見解。 しかし、さらに、良く考えてみると、自分が仕える権力者・藤原 時平を欺いて、政敵に密かに親密性を抱き、贋首を権力者の手下 に持たせてやった松王丸の魂胆には、己の哀しみを突き抜けた先 に、権力者に対する、反抗的な「黒い笑い」が、あるように見受 けられるが、いかがであろうか。 但し、その上で、忘れてはならないのは、時代物の人形浄瑠璃、 歌舞伎は、幻想の世界を描いているのであって、余り、理詰め で、追い込んで行くのは良く無い。現代から見れば、非合理な展 開も、それを補って、あまりある様式美を楽しむことで、相殺さ れるという側面もあるからだ。 贅言:ついで、人形浄瑠璃と歌舞伎との違いに、改めて、気がつ いたこと。 *寺入りの「ちゃり(笑劇)」は、歌舞伎の「入れ事」(「丸 本」に無い、付け加え)か。小太郎の寺入りを済ませた母親の千 代が、帰ろうとすると、小太郎は、「一緒に行きたいわいのう」 と言う。「大きな形をしてあと追うか」と母は、たしなめる。こ の場面を、歌舞伎では、この後、涎くりと三助が、「ちゃり」で 再演をして、観客を笑わせることで、観客の印象を強めている が、人形浄瑠璃では、その場面がない。 *「かかる所へ春藤玄蕃」で、寺子屋の門前。やがて、駕篭から 出て来た松王丸が、村の寺子たちの顔を改める場面を前に言う科 白。11月の歌舞伎座では、仁左衛門が、「助けて帰る、(咳き 込む)術(て)もあること」と言い、「本音」を誤魔化す咳き込 みという体の演出をする。ところが、人形浄瑠璃の大夫は、「あ りがたき御意の趣き、おろそかには(咳き)致されず」と、藤原 時平への松王丸の「忠義の強調と自己嫌悪」での咳き込みという 体となる。咳き込み場所一つで、メッセージが異なって来る。 *松王丸の衣装の「雪持松」は、四代目團十郎(ニックネーム 「親玉」、1711ー78)の工夫であった。その後、人形浄瑠 璃でも、この衣装を取り入れた。つまり、歌舞伎から逆輸入であ る。 *「奥には『ばったり』首討つ音」(歌舞伎では、さらに、暖簾 口の奥で、源蔵役者の「えい」という気合いの声がする)、これ を聞いて、松王丸はよろめく。一方、「鬼になったはずなのに」 うろうろ落着かない戸浪と松王丸がぶつかる。歌舞伎では、ここ で、松王丸は、「無礼者め」と叫び、刀を突いて、大見得(クラ イマックス)をする。まさに、わが子を失った父親の悲愴な叫 び、そうしなければならなかった宿命への憤り(グロテスクな父 親が、普通の父親の素顔を、一瞬覗かせる場面)が噴出するが、 人形浄瑠璃では、この場面は無い。 *源蔵が、白台に首桶を載せて、上手、障子の間から(歌舞伎 は、奥から)出て来る。「菅秀才の御首、討ち奉る」で、人形浄 瑠璃では、玄蕃、松王丸、源蔵の3人が、見得をして、時間を稼 ぎ、大夫が、呼吸を整え直す時間にあて、源蔵は、さらに、松王 丸の下手に廻り、白台ごと首桶を「目通りにさし置」くが、歌舞 伎では、源蔵は、首桶を持って出て、松王丸の前に置く。ここ で、仁左衛門の型では、松王丸は、首桶の蓋に両手を置き、目を 瞑ったまま、顔を上げて、正面を向いてから、目を開け、それか らゆっくり、睨み下ろす。人形浄瑠璃では、すぐに「首実検」に 入らず、源蔵は、松王丸に「性根を据ゑて、・・・しっかりと、 検分せよ」と虚勢を張り、答え次第では、斬り付けようと緊張し ている。松王丸は、仮病の印の紫色の「病巻き」の鉢巻きを取 り、「鉄札か金札か地獄極楽の境」などと言う。歌舞伎では、そ ういうことはしない。 *松王丸:歌舞伎では、「菅秀才の首に相違ない(源蔵へ)、相 違ござらぬ(玄蕃へ)」とあり、息を抜いて、源蔵がくりと腰を 落す。両者の呼吸が、重要だが、人形浄瑠璃では、「菅秀才の首 討つたは、紛ひなし、相違なし」と自分に言い聞かせるように断 言する。 *11月の歌舞伎座で、源蔵を演じた梅玉は、春藤一行が、去っ た後、竹の筒の水入れで水を呑むが、これは、九代目團十郎の工 夫で、入れ事。人形浄瑠璃では、源蔵夫婦は、歌舞伎で、戸浪と 松王丸が、ぶつかったように、夫婦でぶつかり、腰を落し、安堵 の場面。模しかすると、この場面が、ヒントになって、歌舞伎 の、松王丸の「無礼者め」という科白とクライマックスの見得の 場面が、工夫されたのかも知れない。 *松王丸の、桜丸にかこつけての「泣き笑い」は、六代目菊五郎 の工夫で、それ以前の名優も、やらなかったし、その後の役者 は、逆に、皆やるようになった演出だが、今回の人形浄瑠璃で も、津駒大夫は、泣き笑いをしていた。 *歌舞伎では、松王丸夫婦は、本舞台に居ながら、裃も黒装束か ら、白装束に変わるが、「面痩せ効果」があって良いと思うが、 人形浄瑠璃では、一旦、夫婦は、暖簾口の奥ヘ入り、白装束姿に なって、出て来る。千代は、髪に角隠しを付けて、全身白無垢 で、官能的でさえある。エロスは、タナトスと同居しているとい うことが、判る。 *歌舞伎の「寺子屋」は、源蔵の花道の出に工夫がある。揚幕の 音も立てずに出て来て、ハムレットのように悩みながら、足取り も遅い。ところが、人形浄瑠璃は、花道が無いので、下手の小幕 (上から、豊竹座と竹本座の紋が染め抜かれた濃紺の幕。因に、 上手の小幕は、上から、竹本座と豊竹座の紋が染め抜かれてい た)から、源蔵は、「常に変はりて色蒼ざめ、内入り悪く子供を 見廻し」で、早々と、寺子屋に入ってしまい、子供らの顔を見廻 す。つまり、ここも、歌舞伎になって工夫した、入れ事。歌舞伎 の、長い花道では、歩くことそのものが、藝になっているからで ある。 *11月の歌舞伎座では、「いろは送り」の場面で、割り科白 (一つの科白を交互に言う)あるいは、渡り科白(一つの科白を 順番に言う)ではなく、綾太夫の美声で、「唄わせていた」が、 これは、人形浄瑠璃の演出と同じ。「冥途の旅へ寺入りの」と千 代の科白と同じ表現を繰り返した上で、「賽の河原で砂手本。い ろは書く子を敢えなくも、散りぬる命、是非もなや。あすの夜誰 (たれ)か添え乳(ぢ)せん、らむ憂ゐ目見る親心、剣と死出の 山けこえ、浅き夢見し心地して、後は門火(かどび)に酔(え) ひもせず、京は故郷と立ち別れ、鳥辺野さして、連れ帰る」。 「変わり果てた我が子を連れ帰る」親の気持ちが、突き上げて来 るが、「これは我が子にあらず、菅秀才の亡骸を御供申す」と、 松王丸夫婦は、抑圧した気持ちのままにて、閉幕。- 2008年12月7日(日) 11:52:49
08年11月国立劇場 (「江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやし のかぎつめ)」) 大道具の舞台展開のテンポがみごとな芝居 江戸川乱歩原作の「人間豹」は、1934(昭和9)年から10 年にかけて、雑誌「講談倶楽部」に連載された通俗ミステリー小 説である。それが、舞台を昭和初期の東京から幕末の江戸に移し て、新作歌舞伎として、劇化され、11月の国立劇場で、初演さ れた。脚色は、私の知り合いのペンネーム岩豪友樹子さんなの で、拝見した。演出は、松本幸四郎、こと、九代琴松(くだいき んしょう)。歌舞伎化の発案者は、染五郎。歌舞伎役者の中で も、いろいろチャレンジする人は、少なく無いが、そのなかで も、染五郎は、熱心な一人。乱歩は、日本文芸家協会の文士劇 で、歌舞伎が上演される時、「鈴ケ森」の幡髄院長兵衛役を演じ たり、「河内山」の河内山宗俊役を演じたりしたほど、歌舞伎好 きであったが、歌舞伎の原作を書いたり、原作が歌舞伎化された りしたことはなかった。乱歩作品、初めての歌舞伎化である。期 待して、拝見した。 原作は、半人半獣という架空の殺人鬼・人間豹が、帝都で連続殺 人を犯し、名探偵・明智小五郎が、犯人捕獲を目指して対決する というもの。トリックを駆使する短編「探偵小説」から通俗長編 小説へと乱歩が作風を替えて行く過渡期の作品である。短編小説 は、アイディアが勝負だが、長編小説は、ストーリーテ−リング が、大事。その過渡期の作品。どっちつかずになると、印象が散 漫になる怖れがあるから、怖い。どうして、このような半人半獣 という架空の殺人鬼が、現れ、かつ、逃げ延び続けるのかは、不 明なまま、小説も終っているので、歌舞伎化にあたっても、その 辺りは、触れられていない。終演後、劇場内で、「これで終った のですか」と、私に問いかけて来た人たちがいた。 今回の上演では、原作の、モダン帝都に登場するカフェが、出合 茶屋に、レビューが、ウズメ舞に、サーカスが、見世物小屋に置 き換えられた。舞台を拝見して思ったのは、廻り舞台やセリ、 スッポンという舞台機構を活用したり、大道具の「押し出し」 (車のついた大道具)を多用化したほか、早替わり、花道の上だ けではない宙乗りも、随時使われたことから、テンポある舞台展 開がなされていて、国立劇場ならではの演出となったと思う。 まず、開幕前に、場内が暗くなると、太鼓の音が、ドンドンと、 大きくなる(観客席は、最後まで、暗いままなので、ウオッチン グのメモが、できないので、記憶で劇評をまとめている。いつも より、細部が再現しにくい)。新作歌舞伎の初演なので、今後の ために、できるだけ、舞台の様子が判るように書いて行きたい。 第一幕第一場「不忍池、弁天島の茶屋の前」。舞台中央に、池の なかに床を張り出した構造の茶屋。茶屋の上手には、池の蓮が 茂っている。いまなら、ラブホテル街という佇まいらしく、その 上手にも、別の茶屋があり、そこは、「よそ事浄瑠璃」の体(て い)で、真ん中に、新内仲三郎の弾き語りを据えて、下手に、浄 瑠璃の新内剛士、上手に、上調子の新内仲之介という並び。仲三 郎の澄み切った声と剛士の甲高い声が、茶屋の若い男女の逢瀬を 哀切を込めて、歌い上げて行く。印象的な幕開きである。 花道から小普請組(無役)の神谷芳之助(染五郎)が、登場。や がて、本舞台下手の茶屋入り口から、座敷に上がる(茶屋の人 は、出て来ない)。下手の舞台袖から夜鷹蕎麦屋が道具を担いで 出て来る。顔が見えにくい。筋書を見ると、名前が載っていない (仕掛けがあるな、と思う)。人待ち顔の神谷は、障子を開け 放った「密室」から、蕎麦屋を呼び止め、蕎麦を注文し、世間話 をしながら、食べる。蕎麦屋は、なぜか、小野小町と深草少将の 「百夜通い」を引き合いにだし、百夜にこだわっている様子を伺 わせる。やがて、神谷の相手、商家の娘お甲(春猿)が、花道を やって来る。可憐な花の風情。忍び逢いをしようというのだろ う。茶屋に上がり込むお甲。座敷では、床の上から、池の水面を 水鏡にして、髪を整える神谷。「逢いたかったあ」と甘えた声 で、神谷に近づくお甲。久しぶりの性愛への期待が滲む。エロチ スムの場面。背中合わせで、三角形を作るふたり。歌舞伎独特 の、「抱擁」の形。お甲を背中から抱き、娘の胸に右手を入れる 神谷。閉まる障子。隠すエロチスムは、歌舞伎の定式。 しかし、花道からは、神谷家の下人・伊助(錦弥)が、芳之助を 呼び戻すために、駕篭を連れて、ラブホテル街に入り込んで来 る。蕎麦屋に聞き、芳之助のいる茶屋を探し当てる。芝居道楽 で、身を持ち崩す芳之助にお上からお咎めが下ったというので、 対応策を話し合うため、すぐに屋敷にお戻りをと言う。駕篭に 乗った体で、姿を消す染五郎。茶屋に一人残されるお甲。時間稼 ぎの伊助の芝居があり、不安顔のお甲にいつまでも茶屋の傍にい る夜鷹蕎麦屋が、「今夜が、百日目だぜ」と言って、茶屋の床に 飛び込んで来る。お甲を追い掛け、襲いかかる。閉め切られた障 子に血飛沫が上がり、障子が開くと、肩を血で染めたお甲が、 ぐったりしている。蕎麦屋は、異様な半人半獣(染五郎)にな り、鋭い鉤爪を光らせている。染五郎の早替わり。最初の娘殺 し。人間豹の出現だ。染五郎の身軽な動き。宙乗りの多用が始ま る。 第二場「江戸橋広小路の支度小屋」。山王祭の日。最初の殺しか ら、一年後。この小屋では、女役者お蘭(春猿)の演じる「ウズ メ舞」が、評判を呼んでいる。舞台上手は、小屋の舞台に花道で 通じる支度部小屋。下手は、本舞台。背景は、見せ物小屋街の佇 まい。竹本は、床(ちょぼ)で、出語り。支度小屋では、お蘭の 弟子たちが、支度をしている。毎日、お蘭への差し入れにと柳橋 の船宿の主人に頼まれたと、生きた鯉を届けに来る鯉売り(寿 鴻)の無気味な顔。妖気が漂いはじめた小屋。武士を辞めて、鼓 の師匠となっている芳之助は、人気のお蘭と恋仲である。舞台 が、右へ、半周り。 第三場「ウズメ舞の場」小屋の本舞台が、舞台中央に来る。口上 役(錦一)が、評判の「ウズメ舞」を紹介する。妖艶なお蘭の登 場。艶やかに演じる「ウズメ舞」。芳之助の鼓も加わる。美男美 女の官能的な見せ場へと盛り上がろうとした時、舞台中央奥に大 きな蝶・黒揚羽が出現し、静かに羽を動かす。やがて、羽の間に お蘭が入り込む。羽に挟まれ、いや、呑み込まれたようにして、 姿を消すお蘭。蝶が上空に姿を隠すと、天井からくびれ果てたお 蘭の首吊り遺体が堕ちて来る。宙に浮く無惨な遺体。ふたり目の 娘殺し。さっと、浅黄幕が振り被される。テンポある舞台展開。 第四場「隅田河畔の茶屋」。膨らんだ浅黄幕が、振り落としにな り、河畔の茶屋(居酒屋)。茶屋の下手に、「麦湯」と書いた行 灯が、点っている。恋人を殺され、泥酔した芳之助が、舞台上手 から、ふらふらとした足取りで現れ、店に入る。店に居合わせた 同心の新八(高麗蔵)と目明かしの恒吉(錦吾)に一年の間にふ たりの恋人を失った無念を語る。怪しい蕎麦屋の話もする。背を 向けて奥で酒を呑んでいた武士が話し掛けて来た。隠密廻り同 心・明智小五郎(幸四郎)の登場である(小五郎の登場まで、遅 すぎないか)。芳之助の話を聞き、ふたつの事件の共通性を分析 する小五郎。「百」というキーワード。殺された娘の肩に残る爪 痕。瓜ふたつのお甲とお蘭という若い娘。なぜか、明智は、犯人 が、人間豹・恩田乱学と推察している。茶屋の主人も、顔が見え にくい。これも、筋書には、名前が載っていない。さきほどと同 じような伏線。 芳之助が、出て行った後、上手から、店の前を通りかかったの は、ひとりの老尼。百御前(鐵之助)である。乱歩が、色紙によ く書いたという「うつし世は夢、よるの夢こそまこと」などと唱 えている。茶屋で、雑炊を振舞われて、老尼が、立去った後に は、一通の文が落ちていた。事件から手を引けという明智宛の挑 戦状。恩田乱学と書いてある。長い間、虐げられて来た民衆の怨 念を背負って、幕末動乱期に人間豹が現れたとは、明智の推理。 なにやら、昨今の胡乱なテロ行為とダブって見えて来る。人間豹 の挑戦を受けて立つ決意をする明智。百御前を追って行く新八と 恒吉。茶屋の主人は、手拭で顔を隠し、店の裏手へ入って行く。 俄の雷雨。明智は、店の主人に傘を貸してくれと頼む。裏手か ら、傘を持って出て来た主人は、明智に傘を渡そうとするが、傘 から手を離そうとはしない。何故? と、思っていると、手拭を とった主人は、人間豹(染五郎)であった。ここも、染五郎の早 替わり。早くも、明智対人間豹・恩田乱学との決闘が始まる。茶 屋の大道具が、押し込められて、舞台は、浅茅ヶ原の林の中へ、 舞台も、早替わり。 第五場「浅茅ヶ原」。恋しい女に思いが遂げられなければ、百日 目に殺すという人間豹の動機が、判りにくい。蕎麦屋の場面で、 深草少将を引き合いに出して述べた辺りに動機のヒントがあるの だろうが、対決が、前面に出ているので、動機が、観客の目に は、後ろに引っ込んでしまって、見えにくくなっている。半人半 獣なら、獣の獰猛さとあわせて、人間の心を持っているだろうと 明智は諭すが、恩田は、聞く耳を持たない。この場面でも、立ち 回りが、前面に出て来る。宙乗りの装置を利用して、立体的な立 回りを展開。最後は、舞台を上手から下手に、宙乗りで移動し て、人間豹(染五郎)は、姿を消す。 第二幕第一場「団子坂、明智小五郎の家」。花道のすっぽんから 現れた新内流しのふたり連れ。新内の甲高い、哀調を帯びた声 が、場内に流れる。本舞台は、明智小五郎の家。隠密廻り同心と して、市井では、菊人形師として、住んでいる。完成したばかり の菊人形が、2体置いてある(役者が、人形に扮しているのだろ う)。ひとつは、「十種香」でお馴染みの八重垣姫。人間豹が、 姿を隠してから、数カ月後。正気を失った神谷は、明智家に引き 取られている。小五郎の妻・文(春猿)が、お甲、お蘭に似てい ると言って、慕っている。商家の娘は、可憐に。女役者は、妖艶 に。そして、同心の妻は、颯爽と。春猿は、演じ分けている。神 谷を狂気に追い込んだ人間豹は、強気である。狂気に追い込まれ た神谷は、芸事、色事で、ふてぶてしかったが、後半は、繊細、 柔和に。染五郎も、加害者と被害者の、両極端を演じ分ける。春 猿と染五郎の軸と幸四郎と染五郎の軸と、今回の芝居は、このふ たつの軸が、見えて来ないと駄目だろう。この場面で、ひとつの 軸は見えて来た。 鳴りを潜めていた人間豹が、動き出した。菊人形師・小五郎の処 で働いている菊師・徳造(幸太郎)の孫娘が、攫われた。恩田の 仕業と見抜いた明智は、殺されたふたりの娘に似ている女房の文 を囮にして、人間豹を誘い出そうと文を笠森稲荷へ行かせる。 第二場「笠森稲荷」。谷中の切通しに差し掛かった駕篭に乗った お文。案の定、恩田が駕篭を襲う。三度(みたび)、毒牙に掛け ようとするが、駕篭の中身は、菊人形でこしらえた贋のお文に差 し替わっている。人間豹は、人形の首を引きちぎり、怒りを爆発 させる。3人の女たち(お甲、お蘭、お文)は、皆、人間豹に とって、理想の女では無かった。だから、首を引きちぎる。これ も違う、あれも違う。虚しい不満が、人間豹の心に渦を巻く。十 手を持った明智が駆け付けて、再び、対決となる。恩田を加勢す る大勢の乞食たちが、明智の邪魔をして、恩田を取り逃がす。人 間豹と乞食たちは、繋がりがあるようだ。 第三場「団子坂近くの一本道」。スッポンから登場した百御前。 妖気を漂わせながら、蹲っている。向こう揚幕から花道へと出て 来たお文。明智と計らって、人間豹には、いっぱい喰わせたが、 なぜか、百御前の「待ち伏せ」の罠に引っ掛かる。百御前にも、 なぜか、鉤爪がある。爪で傷つけられ、連れ去られるお文。ふた りは、スッポンから、異界の、文字どおり、アンダーグラウンド へ入り込む。 第四場「洞穴、恩田の隠れ家」。本舞台は、浅草・奥山の無気味 な洞穴。奈落からスッポンに掛けられた階段を昇って、縄を掛け られたお文は、百御前に押されて花道に出て来る。洞穴は、人間 豹と百御前、つまり、恩田母子の隠れ家だった。捨てられた赤子 を拾い集め、見せ物小屋の出し物(蛇娘、ろくろ首、首落し、大 入道)に変えるのは、百御前の仕業だ。乞食たちは、百御前の手 下だったのだ。そして、人間豹も、百御前の「作品」だったかも しれない。だとすると、人間豹の怨念の原点は、百御前にあるは ずだ。だが、人間豹は、百御前を憎んでいる。百御前は、人間豹 を作ったのか、産んだのか。恩田親子の愛憎は、近親憎悪なの か。暗黒のアンダーグラウンドで、繰り広げられる所業のおぞま しさ。お文に同情を寄せた蛇娘お玉(高麗蔵)は、神谷に化け て、お文を抱こうとした恩田の邪魔をし、恩田に絞め殺される。 第五場「浅草奥山の見世物小屋」。11月は、歌舞伎界では、顔 見世月。ここは、見世物小屋。役者の代りに、畸形のものどもの 顔見世ということか。洞穴の大道具が、セリで沈むと、そこは、 見世物小屋。舞台上部に横に張り巡らされている「一文字幕」と いう幕の高さが、いつもより、下に垂れ下がっている。舞台で は、大入道、首落し(男)、ろくろ首(女)が、登場する。今回 の芝居で、数少ない「ちゃりば(笑劇)」。「首落し」では、 助っ人の、刀で首を落す仕草にあわせて、男(猿若)の首が、前 に落ちるように見える。男は、落ちて来た首を両手で抱える。実 は、肩を上げ、首を引っ込ませる。上げた肩が、補助器具で、余 計高くなるように工夫しているのだろう。上げた肩と引っ込めた 首の「落差」が、藝である。「ろくろ首」は、幕の隙間から首を 出していて、三味線の音にあわせて、娘(横山)は、腰を屈めて いる状態から立上がって行く様を見せれば良い。こちらは、判り やすい。 さて、「エピローグ」(新作歌舞伎らしいタイトル)。クライ マックスは、檻の中で繰り広げられる雌豹と雄の黒豹の対決。ま ず、豹と黒豹の着ぐるみをつけた大部屋の役者たちの立ち回り。 とんぼを返したり、テンポのある所作が続く。途中で、豹は、お 文(春猿)、黒豹は、恩田(染五郎)に、入れ替わる。恩田は、 見世物として、憎いお文をなぶり殺しにするつもりだ。黒豹は、 雌豹の首に噛み付く。短筒を持って、お文救出に現れた明智と恩 田の対決。恩田と明智の間に、咄嗟に入り込んだ百御前は、明智 の撃った短筒の弾で死んでしまう。体を張って息子を護る百御前 は、人間豹の産みの親だったのだろうか。明智が、お文を救出し ている隙に、三度(みたび)人間豹は、逃走する。 大道具は、さらに、沈んで、「見世物小屋裏手」。普通より丈の 低い大道具(見世物小屋)の、いわば、「屋上」を隠していた一 文字幕が、通常の高さになり、やはり丈の低い「裏手」の大道具 を新たに見せてくれたのだろうと思う(つまり、それぞれ丈の低 い見世物小屋と裏手の大道具は、二階建てになっていて、洞穴の 大道具の上に載っていたという仕掛けだろう)。裏手の小屋の上 に逃げた人間豹。小屋の中から追って来た明智は、出入り口を邪 魔する網を斬って落す。百御前が、拾って来た赤子を吊していた 網が断ち切られて、赤子たちは、小屋の傍を流れる川に落ちたで あろうと人間豹は、非難する。自分の怨念の源泉は、捨てられた 赤子に代って、赤子を棄てた人間たちへの復讐心だと恩田は、嘯 く。ならば、恩田も、捨て子だったのか。百御前は、産みの母で は無く、育ての母だったのか。半人半獣。捨て子か、そうで無い のか。生れいずるの悩みが、半人半獣を生み出したのか。人間の 心を取り戻せば、恩田は、人間豹から、抜けだせるのか。科白劇 が、続く。火薬を投げ付けて、恩田は、四度目の逃走。舞台背景 は、黒幕が振り落され、明るい空が拡がる江戸の正月風景。遠見 には、富士山が見える。あちこちで、凧上げ。 凧上げの衆(乞食たちを演じていた役者たち)が、台車に大凧を 載せて、花道に出て来る。大凧には、宙乗りの綱がついている。 大勢が、本舞台に上がり、凧の糸を引くと、凧が、花道七三から 上に揚がる。大凧のなかから、恩田が現れる。「人間の心を信じ る」と叫ぶ明智を無視して、恩田は、大凧から、宙に身を投げ る。傘を開き、宙に舞う人間豹。不敵な笑い声を上げながら、宙 の道をゆるりと逃げて行く。五度目の逃走。紙吹雪が、宙の揚幕 から、激しく噴き出して来る。本舞台では、見世物小屋の大道具 が、セリ下がり、明智ら一統を載せたセリも下がる。無人の舞台 となる。 今回の芝居は、道具の展開は、見応えがあったし、大凧を使った 宙乗りもおもしろかったが、芝居としては、人間豹と明智の対決 だけという印象で、薄っぺらな感じが残った。幸四郎と染五郎の 軸が、対決だけで、終始した嫌いがある。遊びを含めた膨らませ が足らない。荒唐無稽さや悲劇の前の、「笑劇」(ちゃり)など の要素が、乏しかったので、早めに終ってしまい、これで、幕な の、という印象を一部の観客に抱かせたのかも知れない。つま り、南北のような、江戸の下層庶民の生活を活写するというよう な、芝居の筋の展開としては不要な、敢えて言えば、「夾雑物」 的な味付けが欲しいと思った。また、科白劇の場面が多く、言葉 が、所作より、先走ってしまっている。折角の、大道具のテンポ ある展開が、見応えがあるのに、スペクタクル感が、乏しいの は、惜しい気がした。再演の機会があれば、その辺りをもう一工 夫した舞台を拝見したい。 贅言:終演後、ロビーから外に出ようとしたら、開け放たれた玄 関の所に多数の紙吹雪が落ちていた。宙乗りを終えて、3階のロ ビーに染五郎が出た際、紙吹雪も、場内から外に押し出され、そ れが、ロビーの大きな吹き抜けを通り越して、落ちて来て、ロ ビーの床に溜まり、さらに、それが、退出する客のために開いた 玄関によって、巻き起こった風の通り道となり、玄関の付近が、 時ならぬ紙吹雪に見舞われたのではないか。まあ、そういう推察 だが、私の妄想は、違うイメージも沸き上がらせてしまう。つま り、舞台となった江戸の幕末期から、原作の発表された昭和初期 を取り抜け、現代の世の中に、人間豹は、三度(みたび)出現 し、師走の巷に迷い出たのでは無いか、という妄想である。近ご ろの、胡乱で、無気味なテロ行為は、戦争へ傾斜して行った昭和 初期を思い出させる。乱歩の警鐘か。「嫌な世の中になったもの だなあ」。- 2008年11月20日(木) 13:00:13
08年11月歌舞伎座 (夜/「寺子屋」「船弁慶」「嫗山 姥」) 「寺子屋」:子ども殺しに拘わるふた組のグロテスクな夫婦の物 語 昼の部の「盟三五大切」で、薩摩源五兵衛に殺される小万は、斬 られながら、源五兵衛を「おまえは、鬼じゃ。鬼じゃわいなあ」 と言う。夜の部の「寺子屋」では、戸浪が、夫源蔵の小太郎殺し の背を押すようにして、「鬼になって」やりましょうと言う。 12月の歌舞伎座では、女たちが、男たちを「鬼」という言葉 で、非難したり、叱咤激励したりする。 芝居だけでは無い。人は、長い人生の中で、鬼だと非難したり、 鬼になれと唆したりしながら、他人(ひと)との関係を続けて行 くものなのかも知れない。いや、人生の修羅が、そういうものだ からこそ、芝居という水面(みなも)に、人それぞれの姿が、鬼 になって、映っているとも言えるのかも知れない。鬼とは、私た ち自身かも知れない。偶然に過ぎないが、「源」五兵衛、「源」 蔵、皆、「源」は、己の中にあるということか。 「菅原伝授手習鑑〜寺子屋〜」は、国立劇場の前進座公演もふく めて、今回で14回目の拝見。松王丸は、今回、仁左衛門が演じ る。仁左衛門の松王丸は、3回目の拝見。「寺子屋」では、松王 丸と千代の夫婦と源蔵と戸浪の夫婦が、両輪をなす。ふた組の夫 婦の間で、ものごとは、展開する。今回は、松王丸以外の主な配 役では、千代が、藤十郎、源蔵が、梅玉、戸浪が、魁春である。 仁左衛門の松王丸の印象を軸に、数人の役者論をコンパクトに済 ませ、「テキスト再論」を試みてみたい。 仁左衛門は、首実検の前に、寺子屋の子供たちを選別させられる が、その時、「助けて帰る、(咳き込む)術(て)もあること」 と、秀才を助けるという本音を滲ませてしまい、誤魔化すための 咳き込みをしていたが、人形浄瑠璃では、「ありがたき御意の趣 き、おろそかには、(咳き込む)致されず」と、藤原時平への忠 義を強調ととともに、そういう己への自己嫌悪で、咳き込むスタ イルをとっていたはず。ほかに、「面改めて、(咳き込む)戻し てくりょう」という役者など、人それぞれで、いろいろ工夫して いる。 歌舞伎では、「奥にはバッタリ首討つ音、エイ(源蔵の声)、 ハッと女房胸を抱き、踏み込む足もけしとむ(けつまずく)内」 (戸浪と松王丸が、ぶつかりそうになり)松王丸は、「無礼者 め」で、左手で刀を杖のように持ち、右の掌を拡げて見得をす る。仁左衛門も、これを踏襲するが、人形浄瑠璃では、「けしと む内」「武部源蔵白台(しらだい)に、首桶載せてしづしづ出 で」で、この場面は、無い。つまり、歌舞伎独自の入れ事だが、 歌舞伎は、ここがハイライト。 梅玉の源蔵は、主人の子息に対して、当然ながら、敬語を使う。 「菅秀才の御首討ち奉る」。松王丸は、敵方の若君など呼び捨て にする。 仁左衛門型の首実検では、「松王首桶をあけ、首を見ることよろ しくあって」というだけの台本に対して、首桶をあける時は、目 を瞑ったままで、顔を上げる。顔が正面を向いても、目を瞑った まま。やがて、正面を向いたまま目を開けて、改めて、睨むよう にしてから、おもむろに、顔を下げて、初めて、首を見るという 所作であった(答案用紙の採点を、そうっと見るという体)。仁 左衛門の松王丸は、「むう、こりゃ菅秀才の首に相違ない(と、 源蔵に言う感じ)、相違ござらぬ(と、春藤玄蕃に言う感じ)。 出かした源蔵、よく討った」と、科白の隙間を見せずに、つつつ と一気に言う。 死に顔は、生き顔と顔付きが違う可能性があるとは言え、菅秀才 の顔を知っている松王丸から出た意外な「解答」にいちばん吃驚 したのは、源蔵だろう。ちょっと前まで、「一か八か」と己の命 を掛けて、ハムレットみたいに悩んでいただけに、「あたりきょ ろきょろ見合わせたり」(ええ、なに、これ)。 藤原時平方としては、松王丸より格が上の、つまり上司の春藤玄 蕃役の段四郎は、首実検で、問題の首を見ない。その代わり、松 王丸の反応を見届ける役なのだ。昔、一家で菅丞相に世話になっ た家の次男が、松王丸であり、一家とは、縁を切ったとは言え、 本心から時平方に忠義心を持っていないかも知れないと疑ってい なければ、役目は果たせない。それでも、「でかしたでかした、 よく討った」と、検分の「詞証拠」に、間をおかずに判断して、 言わなければならない。上司は、辛いよ。 梅玉の源蔵と魁春の戸浪。源蔵は、書道の力があり、菅丞相の側 近くに仕え、菅丞相の御台所・園生の前腰元であった戸浪と割り 無い仲になってしまい、勘当されているが、筆法伝授だけは受け たというから、若いけれど、有能のなだろう。戸浪は、「鬼に なって」と夫の背を押す辺り、有能な腰元(秘書)だったことを 伺わせながら(ふたりは、「職場結婚」)、殺された子どもの母 親である千代に同情もしている。現代でも、いそうな夫婦ではな いか。 藤十郎の千代は、「熊谷陣屋」の、直実の妻・相模ほど、わが子 への情愛を迸らせないけれど、安定感があり、千代の科白では、 場内のあちこちで、啜り泣いたり、目を拭ったりする女性が目 立った。菅丞相の御台所・園生の前は、孝太郎で、秀才は、息子 の千太郎。つまり、仁左衛門、孝太郎、千太郎と松嶋屋三代が、 揃う。悲劇の前の、笑劇(ちゃり)で、笑いを取らなければなら ない、涎くり与太郎は、松江で、脇を固める。 ★さて、今回の特別付録。12月のフランス人向けの講演のため に、「寺子屋」テキスト再論を試みてみた。外国人にも、理解し やすいテーマ設定なら、「寺子屋」をどう読むべきかということ で、試みてみた。そこで、テーマは、「寺子屋は、子ども殺しに 拘わるふた組のグロテスクな夫婦の物語か」という風に設定して みた。 京の郊外の片田舎のある一日。子ども殺しという、悲劇の幕が開 く。右大臣・菅丞相に敵対するばかりでなく、このところ、とみ に力を付けて来た左大臣・藤原時平は、菅丞相処断にあたって、 一気に菅一族皆殺しを企んでいる。密かに、協力者のよって、匿 われている菅丞相の息子・秀才の所在を嗅ぎ付けて、手下(春藤 玄蕃)を通じて、秀才を殺して、証拠の首を持って来るように武 部源蔵に命じる。ラブフェアーがらみで、主人の菅丞相から勘当 された身とは言え、それは、身から出た錆び。主人への恩義から も、秀才を殺して一族全滅にさせるわけには行かない。恩になっ た人の息子は殺せないと悩む。しかし、秀才を逃がして、手ぶら で報告しても、藤原時平に睨まれて、己の命もないだろう。誰か を身替わりにして、贋首を差し出すか。寺子屋に通う子供たち は、村の子ばかりで、とても秀才の身替わりは勤まらない。 「トゥビ− オア ノット トゥビ−」と、ハムレット並の難問 を抱えて、源蔵が、(春藤玄蕃一行が、出張って来ている庄屋か ら)戻って来る。 1組目の夫婦:武部源蔵・戸浪)なぜか、ちょうど、「この 日」、母親に連れられて、新たに入学して来た子供(小太郎)が いる。この子は、野育ちの村の子とは違って、品が有る。この子 を身替わりに殺して、首を権力者に差し出そうかと、源蔵は、苦 渋の選択を迫られている。妻の戸浪に話すと、「鬼になって」そ うしろと言う。悩んだ挙げ句、「生き顔と死に顔は、顔付きが変 わるから、贋首を出しても大丈夫かも知れない」、「一か、八 か」(ばれたら、己も死ねば良い)と、他人(ひと)の子供を殺 そうと決意する源蔵夫婦は、「悩む人たち」では有るが、実際 に、小太郎殺しをする(直接の下手人)、鬼のような、グロテス クな夫婦ではないか。 2組目の夫婦:松王丸・千代)ところが、もうひと組、グロテス クな夫婦が、登場する。先に子どもを連れて、入学して来た母親 (千代)とその夫だ。夫は、秀才の首実検役として、藤原時平の 手下・春藤玄蕃とともに、寺子屋を訪ねて来る松王丸である。 実は、源蔵の「心中」を除けば、物語の展開の行く末のありよう を「承知」しているのは、松王丸で、彼が、妻と計らって、源蔵 が、自分の息子・小太郎を殺すよう企んでいる。千代は、息子の 死後の装束を文机のなかに、用意して、入学していたし、松王丸 も、春藤玄蕃の手前、源蔵に対して、「生き顔と死に顔は、相好 (そうごう、顔付き、表情)が変わるからと、贋首を出したりす るな」などと、さんざん脅しを掛けながら、贋首提出に向けて、 密かな「助言」(メッセージ)を送っている。 松王丸には、「長男継嗣」最優先という封建時代に生まれた「次 男の屈託」がある。三つ子(長男:梅王丸→右大臣・菅丞相、三 男:桜丸→天皇の弟斉世=ときよ親王、次男:松王丸→左大臣・ 藤原時平)の一人で、ほかの兄弟が、幼い頃から家族上げて、世 話になってきた菅丞相と所縁の人に仕えているのに対して、自分 だけは、藤原時平に仕えている。その時平が、政治の世界で、こ のところ、一気に力を付けて来たこともあって、いっそうの疚し さに密かに悩んでいた(「松はつれない」という世評を気にして いる科白が、4回も出て来る)。松王丸には、世話になった菅丞 相の苦境に何も出来ない、いわば、マイナスの札を持っていると いうコンプレックスが有る。そのマイナスを一気に解消して、プ ラスに転じようと言うのが、自分の息子・小太郎の首を菅丞相の 息子・秀才の首に仕立てあげるという作戦なのだ。妻の千代も、 同意して、手伝っている。悩むことを通り越して、すでに、自分 の息子を殺させる「決意をした人たち」である。小太郎殺しの脚 本を書いた仕掛人という、これまた、グロテスクな夫婦ではない か。 ☆問題を解明するキーワード:「菅原=天神様」というキーワー ドで、グロテスクなふた組の夫婦の行動を解きほぐすと、物語 は、「祝祭劇」という正体を顕わす。「祝祭劇」の進行を司る司 祭は、松王丸である。 松王丸と春藤玄蕃の一行の登場。菅秀才の顔を知っているのは、 松王丸だけ。ヒヤヒヤしながら、源蔵が、偽の、身替わりの首を 差し出すと、意外なことに、松王丸は、菅秀才の首に相違ないと 保証するではないか。つまり、藤原時平に仕えている松王丸は、 就職先の権力者よりも、昔から、世話になって来た権力者の政敵 の方に、密かに、親密性を感じていて、実は、「菅丞相の隠れた 味方」だったということが、ここで、初めて、判るという趣向。 身替わりになった小太郎という子どもは、実は、松王丸の息子で あった、というのが、落ち。首実検では、桶の中から、恩義のあ る人の子息の首が出て来るか、はたまた、自分の息子の首が出て 来るか、という、どちらも、苦い味のする、ふたつの選択肢しか 無いという、苦しい状況に追い込まれているのである。役割を終 えた松王丸は、検死を条件に事前に交わした時平との約束に基づ いて、病身を理由に暇(退職、主従の縁を切る)を申し出て、許 される。「蘆の髄」から覗いた先に見える、唯一の希望が、退職 後の生活だ。 封建性の時代。人々にとって、ウェイズ・オブ・ライフのいちば ん至高な価値は、「家の継続」だった。「長子相続」の時代に、 松王丸は、長男の小太郎を死なせては、家の断絶を招くことにな るにも拘わらず、なぜ、息子を犠牲にする道を選んだのだろう か。それは、己の家の断絶より、更に、至高なものを見ていたか らでは無いか。「至高なもの」、それは、右大臣・菅丞相のモデ ル=菅原道真;天神様=学問の神様というところにキーワードが 有る。「神様」の系統の維持は、己の家の維持よりも、上位に置 かれていた。犠牲になる息子は、神への生贄であり、彼等にとっ ては、哀しみを突き抜けてでも、「めでたい」ことなのだ。己の 子どもを生贄とした「祝祭劇」。 ここで、この芝居は、「祝祭劇」の様相を顕わして来る。祝祭劇 の司祭は、実は、松王丸である。松王丸は、源蔵の(他人の子を 身替わりに殺しても、ばれない)「一か八か」という判断(生き 顔と死に顔では、顔付きが変わる。身替わりを細工しても、ばれ ないかも知れないし、ばれるかも知れない)が、どうなるかとい う一点は、不明なものの、それをも「予測」して(多分、こうな るであろう。あるいは、そうさせようと、伏線さえ張ってい る)、事実上、「すべての結末」を知っているのである。 *「祝祭劇」を別のドラマに翻訳すると、 ○テレビドラマで言えば、 松王丸は、チーフプロデューサー(仕掛人)兼主役、妻の千代 は、アシスタントディレクター、客演が、源蔵、戸浪の夫婦。松 王丸は、源蔵の心境という、ぶっつけ本番の部分(予想はしてい るが)を除いて、「祝祭劇」の起承転結を見越した台本を書いて いる。千代は、息子への思いを引きずりながら、アシスタントを 務めて、滞り無く、一部生のシーンの有るドラマを無事完結させ る手伝いをした。 ○能で言えば、 シテ:松王丸、ツレ:千代(悩みを突き抜けて、死後の世界と繋 がって行く人たち)。 松王丸の役割は、前シテ(検死官)、後シテ(司祭、仕掛人)と いうことである。 ワキ:源蔵、ワキツレ:戸浪(悩む人たち) 最後になって、事情を知った武部源蔵夫婦は、松王丸夫婦ととも に、小太郎の菩提を弔う。松王丸は、息子のお陰で、権力者との 縁を切り、菅丞相の妻も子も助けるという恩返しができたと、己 の心情をあかす。菅丞相の妻も、呼び寄せられ(妻を救出したの も、松王丸の手柄)、息子の秀才と再会するが、喜びもほどほど に、小太郎の回向に参加する。二重舞台の上に、菅丞相の妻子、 平舞台の上手に源蔵夫妻、下手に松王丸夫妻(直前にふた組の夫 婦は、居処替りをする。松王丸夫妻が、わが子の側に近寄る)、 そのさらに下手の駕篭の中に、小太郎の遺体が安置されている。 →「いろは送り」:「いろは書く子はあえなくも、ちりぬる命、 是非もなやあすの夜誰(たれ)か添え乳せん、らむ憂い目見る親 心、剣と死出の山けこえ、あさき夢見し心地して跡は門火に酔ひ もせず、京は故郷と立ち別れ、鳥辺野さして連れ帰る」という竹 本の文句が、大夫の美声で、綺麗に歌い上げられて、風情があ る。人形浄瑠璃では、人形に超人的な所作があり、ここがハイラ イト。 松王丸の策略とは? :1)息子を身替わりにする、2)その検 死(首実検)の判定者は、自分でする、というもの。いわば、 マッチポンプの構造。何故、そういうことができたのか。それを 成功させるための伏線=1)身替わり=息子を寺子屋に入学させ る。→妻の協力と息子の納得が必要。2)判定者=対立する権力 者側の身内(此の場合、「舎人」)になっている必要が有る。舎 人=運転手兼秘書から、首実検のできる検死官へ。権力者からの 信頼感が必要。永年の雌伏期間も必要だろう(獅子身中の虫、時 限爆弾となる。残置諜報部員、秘密情報部員、秘密工作員→軍の 戦略ではないか)→実行は、一度だけの、戦略。失敗は許されな い。目的達成の、最大の効果(処断された菅丞相の妻子を救出す る)を上げられる日を待っていた。跡を濁さず出で、検死後、病 気を理由に、時平との主従関係を断絶する許可をとっていた。→ 松王丸は、有能なスパイだったのかもしれない。権力者に後足で 砂をかけるような仕掛けをしておきながら、それに気付かせず に、夫婦とも姿をくらます。わが子を菅秀才として野辺送りする という「完全犯罪」。→それだけに、成功しても、虚しい松王丸 の「黒い笑い」。そして、その後、夫婦は、何処へ行くのか (「熊谷陣屋」=母の情と父の無念=の場合なら、歌舞伎は、直 実の出家。本行では、夫婦で、子供の菩提を弔う旅に出る)。 「(菅原)寺子屋」=母の情を抑え込み、父の情で、大泣きする =の場合は、取りあえず、ふたりで、野辺送りで、鳥辺野ヘ。そ の先、未定。「菅原」の初演の1746年と「熊谷」の初年の 1751年。初演の時期に5年間の差があり、それが、並木宗輔 の考え方を変えたのだろうか。それとも、父親の情から、母親の 情の優先へと、「進化」したのだろうか。 こうして見ると、本当に「グロテスク」なのは、政敵を断罪する だけで無く、一族皆殺しをしようと、政敵の息子殺しを命じた権 力者・左大臣の藤原時平ではないか、という思いが強まる。しか し、さらに、良く考えてみると、自分が仕える権力者・藤原時平 を欺いて、政敵に密かに親密性を抱き、贋首を権力者の手下に持 たせてやる検死官・松王丸の魂胆には、己の哀しみを突き抜けた 先に、権力者に対する、反抗的な「黒い笑い」が、あるように見 受けられるが、いかがだろうか。 「忠義」などという観念はなくなった現代日本の劇場でも、場内 から、共感のすすり泣きが起こることの意味は? :反権力の 「黒い笑い」を理解する人は、少ないかも知れない。なのに、中 年の女性を中心に、すすり泣きが、なぜ、今も起こるのか。→理 不尽な理由で、子どもや肉親を亡くした人は、普段は、心の底に 沈んでいる屈託が、非日常的な、歌舞伎の世界に漬かることで、 それを思い出し、役者の嘆きの演技とともに、「哀しみの共感」 の涙を流すのではないか。それにより、屈した思いが洗い流され るという「カタルシス作用」で、心が浄められ、その結果、生ま れた心のスペースに、明日からの生きるエネルギーが、補給され るのではないか。千代の科白:「思えば最前別れた時、いつにな いあと追うたを、叱った時の、叱った時の、その悲しさ。冥途の 旅へ寺入りと、はや虫が知らせたか」「死ぬる子は媚(みめ)よ しと美しう生まれたが、可愛やその身の不仕合はせ」などと観客 に泣けよとばかりの科白がつづき、身に詰まされる。 封建時代、武士の世界、家という制度の下での親子関係、家の中 でも、父親が絶対的な権力を握っていた。それでいて、父親も、 情を義理で抑え込んでいる。松王丸は、「忠義」のため、主人の 息子を助けるために、己の息子を犠牲にする。泣く妻をも抑圧 し、「泣くな、泣くな、泣くなと申すに」と叱りつける。小太郎 の最期の様子を源蔵から聞き、「笑いましたか」、健気だ、立派 だ、「でかしおりました」などとうそぶき、「泣き笑い」(六代 目菊五郎の工夫で、それ以降、いまも、演じられる)をする。そ れでいて、この場面には、登場しない弟の桜丸の名前を突然出 す。桜丸は、別の場面の、「賀の祝」で、菅原道真配流事件の きっかけを作った(足元を掬われた)責任をとって、自害してい る。殺された、というか、源蔵に殺すように、松王丸の側から仕 向けた息子は、「役にたった」(「持つべきものは、子でござ る」)と喜びながら、已に、自ら死んでいる弟が、「不憫だ」と 言って、懐紙で顔を隠して、大泣きする。 封建時代は、いまより、大人の論理が優先的なので、にっちも さっちも行かなくなると、大人の世界の構成員では無い、子供を 殺して、活路を見い出そうとするのでは、ないか。それでいて、 松王丸も、父親の情があり、弟の桜丸の名前を、いわば、出汁 (だし)にして(建て前)、息子の死を歎き悲しみ(本音)、時 と処をわきまえず、大泣きをしたのではないか。そういう複雑な 松王丸の心境や、あるいは、子を泣くす母親・千代の悲しさ=例 えば、理不尽なことで、子や肉親を亡くした人達には、「死別」 ということは、何であれ、身に滲みることがある=が、現代の観 客にも伝わり、歌舞伎座の場内の、あちこちで目頭を押さえる人 の姿が見受けられる。 「忠義」のため、他人の子を殺す源蔵夫婦、同じく忠義のため、 己の子を殺させるようにしむける松王丸夫婦、ふた組のグロテス クな夫婦の物語が、なぜ、260年経った、「忠義」などという 価値観は無くなったはずの、現在でも、上演されるのか。 ↓ 「忠義」にかわるものが、現代にもあり、それが、人間を抑圧す れば、人間は、何時の時代でも、己の命や、最愛の家族までも、 殺しかねない。「忠義」に替る、例えば、「倫理」は、時空を超 えて、普遍的なんで、倫理的に破綻した場合は、いまでも、この ような悲劇が起こる、ということか。「倫理」は、「国家倫 理」、「社会倫理」、「企業倫理」など、制度(システム)に関 わる倫理(規範)というように、具体化して見れば、判りやすい か。そういう風に、敷衍して考えると、「寺子屋」の「忠義」の 物語も、封建的な時代の、昔の話とばかり言えないのでは無い か。 歌舞伎は、封建時代に盛んになった演劇だけに、封建時代という 閉塞社会で、大人同志の関係が、窒息寸前まで、息詰まると、ガ ス抜き、つまり、カタルシスとして、子供が殺されるという話が 多い。いわば、子供を犠牲にすることで、「マイナスの活路」を 開くのだと思うが、実は、現代社会も、子供を含めて、弱者が殺 され続けているのではないだろうか。そういう意味では、「子殺 し」というテーマは、「弱者殺し」と読み替えれば、残念なが ら、いまの時代も続いているテーマではないのか。 * 小太郎が殺される=「菅原伝授手習鑑」(菅原道真=菅丞相の 子・秀才の身替わり) * 小次郎が殺される=「一谷嫩軍記」(平敦盛の身替わりとし て、父親の熊谷直実に殺される) * 小四郎が殺される=「盛綱陣屋」(盛綱・小三郎親子と高綱・ 小四郎親子。父親が、兄弟だから、子供は、従兄弟同士。父親高 綱の贋首を本物と偽って、時政(家康)の首実検の場で、小四郎 は、盛綱・小三郎親子の控えている前で、切腹する。盛綱は、黙 認する。 *大人の世界で、にっっちもさっちも行かなくなると、子供を殺 して、ガス抜きをする。子供は、いわば、隠し玉。封建時代だか ら、観客も、それで仕方が無いと思いながら、幼子の死に涙す る。観客も、泣いて、ガス抜き。 贅言:二重の時代背景。 「菅原伝授手習鑑」は、菅原道真の配流事件を素材。醍醐天皇の ときで、901年、藤原時平と対立し、太宰府に流される。近松 門左衛門の「天神記」が下敷き。劇中の時代は、平安時代、摂関 政治で、天皇に替って、公家の藤原氏が権力を握っていた。ただ し、歌舞伎で取り上げる歴史は、「通俗日本史」という、エン ターテインメントの、今でいう、「講談のレベル」の、史実。時 代設定や時代考証は、正確では無い。でたらめ。荒唐無稽。むし ろ、上演された時代背景が、本当の時代背景。→「菅原伝授手習 鑑」の初演は、1746年で、徳川幕府の中期。八代将軍吉宗 が、1745年に亡くなり、家重が、1746年に九代将軍にな るが、この人は、障害者で、言語不明瞭、精神薄弱で、側用人の 大岡忠光だけが、将軍の意向を理解したと称して、側近政治をし ていた。しかし、それより前、五代将軍綱吉(1080ー 1709)の治世。「生類憐れみの令」(綱吉は、「犬公方」と 陰口を叩かれた)が、庶民を虐めた。柳沢吉保が、側近政治で、 権力を握っていた辺りが、庶民には、判りやすい。歌舞伎を上演 する側も、観客の側も、時代設定は、平安時代だが、当時の「現 代劇」(あるいは、40年ほど前の綱吉時代の理不尽さを想定、 意識して)を観ていたかもしれない。 重量級の顔揃え「船弁慶」 能の荘重さと歌舞伎の醍醐味をミックスさせる工夫をした六代目 菊五郎演出以来、その形が定着している。「船弁慶」を観るの は、今回で、8回目。静御前と知盛亡霊を演じたの は、富十郎(2)、菊五郎(今回含め、2)、松緑(松緑は、四 代目襲名披露の舞台)、玉三郎、菊之助、染五郎。弁慶:團十郎 (2)、彦三郎、吉右衛門、弥十郎、團蔵、幸四郎、そして今回 の左團次。義経:時蔵、芝雀(今回含め、2)、玉三郎、鴈治郎 時代の藤十郎、薪車、梅枝、そして今回は、富十郎。舟長:勘九 郎時代の勘三郎(2)、八十助時代の三津五郎、吉右衛門、仁左 衛門、亀蔵、東蔵、今回は、なんと、芝翫が、初役で勤める。こ れは、祝儀の舞台などで、大物が、ご馳走で出るから、油断がな らない。ついでに、今回の舟子も、紹介しよう。東蔵、歌六、團 蔵。つまり、舟子チームが、かなりの重量級というのが、今回の 特徴。1階席の花道の真横で観ていると、判らなかったが、3階 の天井に近い席で観ていると、舟子チームの櫂の動きが、揃って いるのに驚く。普通、なかなかあわない場合多いのに、重量級の 彼等は、「間」の取り方が、巧いのだろう。手に持つ櫂の角度こ そ、揃っていないものの、動きの間が揃っているので、綺麗に見 えるのである。さすがに、重量級は、只飯を喰ってはいないと感 心した次第。因に、今回は、人間国宝が、芝翫、富十郎、菊五郎 と3人出演。これも、重量級。 代りにと言うわけだろうか、四天王が、今回は、松江、種太郎、 萬太郎、右近とフレッシュな感じであった。 前にも書いたが、「船弁慶」を論じる際に、基準となる舞台は、 私の場合、03年11月の歌舞伎座の舞台をである。富十郎の一 世一代の「船弁慶」で、静御前を演じた(但し、富十郎は、途 中、病気休演で菊五郎が、バトンタッチしたが、私は、富十郎を 観ている。当時の劇評には、次のように書いている(一部省 略)。 *「幕見席では、連日のように立ち見になっているという」)舞 台とあって、配役は、豪華だ。象徴的な例をあげるなら、舟長、 舟子の組み合わせが、仁左衛門、左團次、東蔵だった。おもしろ いのは、06年11月の新橋演舞場。亀蔵を舟長にして、松也、 萬太郎という、若い、というより、さらに初々しい組み合わせ だったが、櫂を漕ぐ舟子の若いふたりは、いかにも基本に忠実 で、櫂を漕ぐ手首をいちいち律儀に返しているのが判る(亀蔵 は、全く、手首を返さず)。そういう目で、舞台を観ていたら、 東蔵以下、4人とも、手首を返さずに、「漕ぐ真似」をしてい た。役者は、いくつになっても、所作の基本を大事にして欲しい と思った。これは、あらゆる演技に通じる大原則だろう。 今回は、手首の返しより、間の揃いに気を取られて、感心してし まい、これはこれで、おもしろかった。 義経一行の西国行きを阻止するのが、前半は、静御前で、後半 は、知盛亡霊。静御前は、能の前ジテ、知盛「亡霊」は、後ジテ の関係。前半の静御前は、知盛亡霊の化けた贋の静御前というこ とになる。義経にとって、前半は、いわば、「女難」。後半は、 正体を現した亡霊による、「剣難」というわけだ。「始終数珠を 揉み祈る」弁慶の本質は、一行の危機管理者というところにあ る。 弁慶「静御供いたし候は、何とやらん似合わしからず」、義経 「静を都にかえせとや」、四天王も弁慶の懸念に同調。義経「弁 慶よしなに計らい候へ」。やがて、静御前が、追い付いてきて、 曲折の末、義経「用意よくば乗船なさん」、弁慶「とくとく宿へ 帰り候え」、静御前「あら、是非もなき事にて候」ということ で、弁慶に阻まれて、静御前は、「名残り惜しげに旅の宿、見返 り見返り立ち帰る」。 後半、知盛亡霊は、すでに船出した義経一行の舟を大物浦の 「沖」で、迎え撃つ。花道七三。私のすぐ横で、菊五郎が、止ま る。下から見上げた菊五郎の目は、ライトを写して光っている。 血走っている。「波乗り」という独特の摺り足で、義経に迫って 行く。義経は、数珠を揉んで生み出す法力で悪霊退散を念じる弁 慶の後ろに隠れて、知盛亡霊を押し返す。真っ赤な口を空けて、 断末魔の叫び。倒されて行く者の悲しみ。悪霊ながら、滅び行く 者の悲哀を感じさせる。富十郎は、「其時義経少しも騒がず」 と、いつもの立派な口跡で、言う。その直後、長唄連中が、「其 時義経少しも騒がず」と重ねて、歌い上げる。だが、義経は、騒 がないで済むほど守護されている。なにかあれば、「よしなに計 ら」ってくれる弁慶が側に居る。全編を通じて、弁慶を軸にした 執拗な攻防こそが、「船弁慶」という歌舞伎演目の真骨頂だろ う。今回、弁慶は、左團次が勤めた。左團次は、背が高いので、 小柄な菊五郎と富十郎の間に割って入り、存在感があった。 下手のお幕から登場する静御前は、お決まりの、「能面」のよう な無表情のままである。実際、能面の「増(ぞう)」のような化 粧をする。顔を能面に見立てるのである。美女ながら、後の知盛 の亡霊という無気味さを滲ませながら、前半は、静御前として演 じる。舟に乗る前の一行のために、舞の名手である静御前は、大 物浦の浜で都の四季の風情を踊る「都名所」。舞と踊りが、綯い 交ぜで、難しい役だと菊五郎は、言う。菊五郎の静御前と知盛亡 霊は、貫禄があった。特に、知盛亡霊では、花道で、薙刀を振り 回すが、私の席では、薙刀の先で、座席に座ったまま、私の首も 斬られそうな感じがしたが(なにせ、この日の歌舞伎座では、す でに、小万、小太郎と、ふたつも首が斬られているのだから)、 そこは、さすが、菊五郎で、観客の心根を配慮しながら、配慮を 感じさせない迫力で、振り回していたので、感心した。 起(お幕からの弁慶の登場、続いて、花道からの義経と四天王の 登場)、承(お幕からの静御前の登場)、転(お幕からの舟長、 舟子の登場)結(花道からの知盛亡霊の登場)と、黙阿弥の作劇 は、メリハリがある。知盛の幕外の引っ込みでは、三味線ではな く、太鼓と笛の、「一調一管の出打ち」。「荒れの鳴物」と言わ れる激しい演奏で締めくくる。 一世一代の時の、富十郎の知盛亡霊には、厳しい長年の修練の果 てに辿り着いた自由自在の境地(老いを超越している闊達さ)を 感じたのを思い出す。菊五郎も、それに近づいている。静御前 は、一際、小柄に観え、知盛亡霊は、逆に、一際、大きく観え た。この変化が、「舟弁慶」演じる役者の藝の力だと、思う。 「嫗山姥」 三代目時蔵五十回忌追善興行。三代目とは、先々代時蔵のこと。 5人の息子に恵まれたが、子どもたちは、いずれも、歌舞伎役者 としては、大成しなかった。歌六、四代目時蔵、当代の父親。初 代獅童、萬屋錦之介、嘉葎雄。 「八重桐廓噺〜嫗山姥(こもちやまんば)〜」は、5回目の拝 見。いずれも歌舞伎座だが、鴈治郎、時蔵(今回含め、2)、福 助、菊之助。歌舞伎では、口数の少ない女形が「しゃべり」の演 技を見せるという近松門左衛門作には珍しい味わいのある笑劇 (ちゃり)である。 笑劇のシンボルとなるのが、お歌(歌昇)と煙草屋源七、実は、 坂田蔵人(梅玉)のやりとり。歌昇が、「おじゃったか」「煙草 屋(ぱっぱや)」「紙(紙子=八重桐のこと)たば(煙草屋)、 おじゃ」などと、口跡の良い、余裕の演技で、場内を湧かしてい た。また、錦之助の太田十郎とお歌と煙草屋源七とのからみも、 おもしろい。 大納言兼冬館の塀外の場面。やがて、花道から、黒と紫の「文反 古(ふみほご)」をはぎ合わせた着付け(紙子)姿の、恋文屋 (一筆で、叶わぬ恋も叶わせましょう)・八重桐が登場するが、 無人の塀内に聳える満開の1本の桜木が印象的。この塀が、自在 で、上下(左右)に動いて、閉じれば、塀外、開けば、館の一 室。木戸も、(道具方によって)塀外では、片付けられ、御殿で は、据えられるが、八重桐が、入り込んでしまえば、即座に、片 付けられるという、闊達さ。 八重桐の科白が「言いとうて、言いとうて」で始まる見せ場。別 名「しゃべり山姥」といわれる「嫗山姥」では、八重桐の物語の 部分を「しゃべり」で演じるが、私が観た舞台で、「しゃべり」 を忠実に演じていたのは、12年前、96年の歌舞伎座で演じた 鴈治郎時代の藤十郎だけで、時蔵も、福助も、菊之助も、いわ ば、しゃべらずに、人形のように、竹本に乗っての「仕方噺」と して、所作で表現していた。つまり、「しゃべり」という名の舞 踊なのだ。これは、三代目、四代目の時蔵が得意とした萬屋の家 の藝の演出であるという。今回は、顔見世興行に加えて、三代目 時蔵五十回忌追善興行であるから、これが、追善最大の目玉演 目。当代の時蔵も、竹本に乗って踊る。藤十郎のような「しゃべ り」の型では、今回登場した蔵人の妹・白菊、腰元・お歌などの 役柄は、登場しない。 八重桐(時蔵)は、故あって、自害する夫の坂田蔵人(梅玉)の 魂を飲み込むことで、己も怪力を持つという超能力者になるとと もに、妊娠し、後に、怪力少年・怪童丸(お伽噺の金太郎、後の 坂田公時)を産み落とすことになる。金太郎の母になる人の、 「金太郎伝説」を先取りするような芝居。女形の柔らかい身のこ なしと「常のおなごでなし」というスパーウーマンの力強さを綯 い交ぜにしながら、人物造型をする。 ほかの役者では、煙草屋源七、実は、坂田蔵人(團蔵)が、澤潟 姫(梅枝)を慰めようと、煙草の由来を話して聞かせる場面で は、煙草嫌いだが、女好きという太田十郎(錦之助)とが、絡 み、ちゃり(滑稽劇)となる。太田十郎を、文字どおり、煙に捲 く。嫌煙派の太田十郎に煙管の雨は、いじわるだが、これは、 「助六」のパロディか。このほか、孝太郎が、腰元・白菊、実 は、坂田蔵人の妹・糸萩を演じていた。女武道が、八重桐と白菊 とふたり登場することになるので、「しゃべり山姥」に忠実な藤 十郎の型では、白菊らを出さないのかも知れない。 贅言:2階のロビーでは、三代目時蔵五十回忌の所縁展。斜目向 きの三代目の写真。「三代目時蔵って、中村芝翫にそっくりと思 わない?」という写真である。親戚の多い歌舞伎役者の世界だけ れど、系図で見る限りでは、血の繋がりは、ないはず。横山大観 が、三代目に贈った金と白で描かれた「心神富士」という掛け 軸。奥村土牛が描いた三代目の「おわさ」(「弁慶上使」)の横 顔。「茨木」の三代目の隈取り。ほかに、15枚の舞台写真や楽 屋での、初代吉右衛門、三代目、先代の勘三郎という3兄弟の写 真など。このほか、一族の家庭での写真5枚。三代目襲名時の、 配りもの(配り扇、配り手拭)。三代目が、楽屋で使用していた 京都の象彦作の「蘭蝶蒔絵螺鈿鏡台」。家紋の「五三桐」が、透 かし彫りされている。演目の外題は、三五で、時蔵の家紋は、五 三。- 2008年11月16日(日) 10:02:53
08年11月歌舞伎座昼の部劇評 その3 「廓文章」 陰惨な芝居の後は、一転、明るく。「はんなり(華あり)」とし た上方和事の「吉田屋」。江戸和事の名作「助六」同様、「吉田 屋」は、無名氏(作者不詳)による芝居ゆえ、無名の狂言作者 が、憑意した状態で、名作を後世に遺し、後世の代々の役者が、 工夫魂胆の末に、いまのような作品を遺したのだろう。ポイント は、春の廓の情緒が、滲み出て来るかどうか。「盟三五大切」 が、付録付きで、長々と書いた上、「吉田屋」は、6回目の拝見 ゆえ、コンパクトに書き記しておきたい。 私が観た伊左衛門は、仁左衛門が4回(外題も、「夕霧伊左衛門 廓文章 吉田屋」)で、鴈治郎時代を含め、今回の藤十郎が、2 回(外題は玩辞楼十二曲の内、「廓文章 吉田屋」)。 松嶋屋型の伊左衛門と成駒屋型の伊左衛門(いまは、「山城屋 型」か)は、衣装、科白(科=演技、白=台詞)、役者の絡み方 (伊左衛門とおきさや太鼓持ちの絡み)など、ふたつの型は、い ろいろ違う。竹本と常磐津の掛け合いは、上方風ということで仁 左衛門も鴈治郎時代の藤十郎も、同じ。六代目菊五郎以来、東京 風は、清元。 仁左衛門の、花道の出は、差し出し(面明り)。黒衣が、二人、 背中に廻した面明りを両手で後ろ手に支えながら、網笠を被り、 紙衣(かみこ)のみすぼらしい衣装を着けた仁左衛門の前後を挟 む。余計に、ゆるりとした出になる。明りが、はんなりとした雰 囲気を盛り上げる。仁左衛門が、本舞台に入り込むと、二人の黒 衣は、下手、袖に引っ込む。今回の藤十郎の花道の出は、私の座 席が、3階席で花道が見えないので、判らないが、伊左衛門の藤 十郎が、花道七三から、本舞台に移っても、二人の黒衣が、下 手、袖に引っ込っだようには、見えなかった。 吉田屋の前で、店の若い者に邪険に扱われる伊左衛門。やがて、 店先に出て来た吉田屋喜左衛門(我當)が、勘当された豪商藤屋 の若旦那と知り、以前通りのもてなしをする。まず、伊左衛門 は、喜左衛門の羽織を貸してもらう。次いで、履いていた草履を 喜左衛門が差し出した上等な下駄に鷹揚に履き替える。身をなよ なよさせて、嬉しげに吉田屋の玄関を潜る。歌舞伎座の場内に は、一気に、江戸時代の上方の遊廓の世界に引き込まれて行く。 吉田屋の店先にあった注連飾りは、観客席からは、見えにくい紐 に引っ張られて、舞台上(手)下(手)に消えて行く。店先の書 割りも、上に引き上げられたり、舞台上下に引き入れられたりし て、たちまち、華やかな吉田屋の大きな座敷に変身する。下手、 金襖が開くと、伊左衛門が、入って来る。 この演目は、いわば、豪商の若旦那という放蕩児と遊女の「痴話 口舌(ちわくぜつ)」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の 能天気さが売り物の、明るく、おめでたい和事。先の「盟三五大 切」の陰惨さと出しものの、バランスをとっている。仁左衛門の 伊左衛門は、かなり意識して、「コミカルに」演じていた(「三 枚目の心で演じる二枚目の味」)が、藤十郎の伊左衛門は、阿呆 な男の能天気さを、「華やかに」演じていた。莫迦では無い、莫 迦に見せることが肝心。「夕霧にのろけて、馬鹿になっているよ うに見えない(よう)では駄目だ」と、昭和の初めに亡くなった 十一代目仁左衛門の藝談が、遺る。 仁左衛門は、伊左衛門に豪商の若旦那の鷹揚さ、品格を意識し て、演じていると言う。本興行で、11回目の出演。藤十郎は、 今回含めて、同じ11回目の出演、というから、ふたりとも、持 ち役である。藤十郎は、「鴈治郎時代と違うプラスアルファ」を 付け加えると言う。仁左衛門の味も、藤十郎の味も、どちらも、 捨て難い。 夕霧は、雀右衛門(2)、玉三郎(2)、福助、そして、今回 が、魁春。伊左衛門一筋という夕霧の情の濃さは、雀右衛門。色 気は、やはり、玉三郎。福助、魁春は、また、違う。それぞれ の、持ち味を楽しめる。魁春は、病身を強調していて、儚げで あった。 吉田屋の喜左衛門(我當)とおきさ(秀太郎)夫婦は、松嶋屋型 では、伊左衛門と夫婦ともども絡ませるが、成駒屋型では、おさ きは、伊左衛門と直接、絡んで来ない。我當、秀太郎の夫婦役 は、今回含め、3回拝見。なかでも、秀太郎のおきさは、4回目 の拝見。上方味あり、人情ありで、このコンビの喜左衛門とおき さは、安定感がある。我當の喜左衛門役は、本興行で、7回目、 秀太郎のおきさ役は、11回目という。落魄した伊左衛門を囲む ふたりの雰囲気には、しみじみとしたものがある。 秀太郎は、出演する度に、工夫をしているそうだ。今回は、「自 然体で、いい加減」ということで、おきさその人に自然になり切 るバランスを考えての出演らしい。大坂の遊廓の女将という風情 は、秀太郎が、舞台に姿を見せるだけで、匂い立つ。名前のある 4人の仲居、名無しの8人の仲居が、夫婦をサポート。仲居のお よしは、芝のぶが、演じる。いつも、爽やか。 いつも思うのだが、置き炬燵の使い方が、巧い作品だ。大道具で あり、持ち運びのできる小道具でありという、巧みな使い方をす る。炬燵蒲団の太い斜線の模様とともに、印象に残る道具だ。伊 左衛門の夕霧に対する嫉妬、喜びなどが、大波、小波で揺れ動く 様が、炬燵とともに表現される。巧みな演出だ。炬燵は、最後ま で、主要な居所を占めているので、注意してみていると、おもし ろい。 芭蕉の句。「住みつかぬ旅のこころや置炬燵」 掘炬燵と違って、どこへでも、動かせる置炬燵の妙味。放蕩児・ 伊左衛門の自由な存在感は、置炬燵が、象徴しているのかも知れ ない。炬燵を軸に、座ったり、寝たり、入ったり、腰を掛けた り。 阿波の大尽の座敷に夕霧が出ていると聞き、座敷まで出向く伊左 衛門。ちんちんべんべんちんちんべんべんという三味線の音に急 かされるように、急ぎ足。舞台の座敷上手の銀地の襖をあける伊 左衛門。距離感を出すために、細かな足裁きで、コミカルに奥へ 奥へと進んで行く伊左衛門。次いで、金の襖、また、銀の襖、そ して、最後の障子の間へと行き着く。座敷の様子を伺い、不機嫌 になって戻って来る伊左衛門。帰ろうとしたり、炬燵でふて寝を したり、待つことのいら立ちが、芝居の軸になる。「吉田屋」 は、ある意味で、「待つ芝居」だろう。待つことで、一芝居打 つ。 「むざんやな夕霧は」で、やがて、夕霧登場。病後らしく、抑制 的な魁春の夕霧。ふて寝の伊左衛門は、夕霧を邪険にする。伊左 衛門の勘当を心配する余り、病気になったのに、何故、そんなに つれなくするのかと涙を流す夕霧。伊左衛門も、受け入れる。黒 地に雪の枝と鶴などが、銀と金で縫い込まれた打掛けがから、瀧 に鮮やかな紅葉も色とりどりの模様の打掛けに着替える夕霧。冬 から秋へ逆戻り、いや、舞台の季節は、正月の準備とおめでた い。やがて、藤屋からは、伊左衛門の勘当が解け、夕霧を嫁にす ると身請けの千両箱を持った使いが来る。めでたしめでたし、と いう、筋だけ追えば、たわいの無い噺。竹本は、谷太夫を軸に3 人。常磐津は、一巴太夫の美声が、響き渡る。 「助六」が、江戸の遊廓・吉原の街を描いたとしたら、「吉田 屋」は、上方の遊廓の風情を描いたと言えるだろう。どちらも、 作者不詳。芝居小屋の下積みの、狂言作者たち。歌舞伎の裏表に 精通した複数の作者たちの憑意と工夫魂胆の集積の果てに、代々 の役者の工夫魂胆で、磨きを掛けられて、名作が遺されたという 意味でも、「助六」と「吉田屋」は、共通しているように思う。 (了)- 2008年11月15日(土) 13:17:53
08年11月歌舞伎座昼の部劇評 その3 「廓文章」 陰惨な芝居の後は、一転、明るく。「はんなり(華あり)」とし た上方和事の「吉田屋」。江戸和事の名作「助六」同様、「吉田 屋」は、無名氏(作者不詳)による芝居ゆえ、無名の狂言作者 が、憑意した状態で、名作を後世に遺し、後世の代々の役者が、 工夫魂胆の末に、いまのような作品を遺したのだろう。ポイント は、春の廓の情緒が、滲み出て来るかどうか。「盟三五大切」 が、付録付きで、長々と書いた上、「吉田屋」は、6回目の拝見 ゆえ、コンパクトに書き記しておきたい。 私が観た伊左衛門は、仁左衛門が4回(外題も、「夕霧伊左衛門 廓文章 吉田屋」)で、鴈治郎時代を含め、今回の藤十郎が、2 回(外題は玩辞楼十二曲の内、「廓文章 吉田屋」)。 松嶋屋型の伊左衛門と成駒屋型の伊左衛門(いまは、「山城屋 型」か)は、衣装、科白(科=演技、白=台詞)、役者の絡み方 (伊左衛門とおきさや太鼓持ちの絡み)など、ふたつの型は、い ろいろ違う。竹本と常磐津の掛け合いは、上方風ということで仁 左衛門も鴈治郎時代の藤十郎も、同じ。六代目菊五郎以来、東京 風は、清元。 仁左衛門の、花道の出は、差し出し(面明り)。黒衣が、二人、 背中に廻した面明りを両手で後ろ手に支えながら、網笠を被り、 紙衣(かみこ)のみすぼらしい衣装を着けた仁左衛門の前後を挟 む。余計に、ゆるりとした出になる。明りが、はんなりとした雰 囲気を盛り上げる。仁左衛門が、本舞台に入り込むと、二人の黒 衣は、下手、袖に引っ込む。今回の藤十郎の花道の出は、私の座 席が、3階席で花道が見えないので、判らないが、伊左衛門の藤 十郎が、花道七三から、本舞台に移っても、二人の黒衣が、下 手、袖に引っ込っだようには、見えなかった。 吉田屋の前で、店の若い者に邪険に扱われる伊左衛門。やがて、 店先に出て来た吉田屋喜左衛門(我當)が、勘当された豪商藤屋 の若旦那と知り、以前通りのもてなしをする。まず、伊左衛門 は、喜左衛門の羽織を貸してもらう。次いで、履いていた草履を 喜左衛門が差し出した上等な下駄に鷹揚に履き替える。身をなよ なよさせて、嬉しげに吉田屋の玄関を潜る。歌舞伎座の場内に は、一気に、江戸時代の上方の遊廓の世界に引き込まれて行く。 吉田屋の店先にあった注連飾りは、観客席からは、見えにくい紐 に引っ張られて、舞台上(手)下(手)に消えて行く。店先の書 割りも、上に引き上げられたり、舞台上下に引き入れられたりし て、たちまち、華やかな吉田屋の大きな座敷に変身する。下手、 金襖が開くと、伊左衛門が、入って来る。 この演目は、いわば、豪商の若旦那という放蕩児と遊女の「痴話 口舌(ちわくぜつ)」を一遍の名舞台にしてしまう、上方喜劇の 能天気さが売り物の、明るく、おめでたい和事。先の「盟三五大 切」の陰惨さと出しものの、バランスをとっている。仁左衛門の 伊左衛門は、かなり意識して、「コミカルに」演じていた(「三 枚目の心で演じる二枚目の味」)が、藤十郎の伊左衛門は、阿呆 な男の能天気さを、「華やかに」演じていた。莫迦では無い、莫 迦に見せることが肝心。「夕霧にのろけて、馬鹿になっているよ うに見えない(よう)では駄目だ」と、昭和の初めに亡くなった 十一代目仁左衛門の藝談が、遺る。 仁左衛門は、伊左衛門に豪商の若旦那の鷹揚さ、品格を意識し て、演じていると言う。本興行で、11回目の出演。藤十郎は、 今回含めて、同じ11回目の出演、というから、ふたりとも、持 ち役である。藤十郎は、「鴈治郎時代と違うプラスアルファ」を 付け加えると言う。仁左衛門の味も、藤十郎の味も、どちらも、 捨て難い。 夕霧は、雀右衛門(2)、玉三郎(2)、福助、そして、今回 が、魁春。伊左衛門一筋という夕霧の情の濃さは、雀右衛門。色 気は、やはり、玉三郎。福助、魁春は、また、違う。それぞれ の、持ち味を楽しめる。魁春は、病身を強調していて、儚げで あった。 吉田屋の喜左衛門(我當)とおきさ(秀太郎)夫婦は、松嶋屋型 では、伊左衛門と夫婦ともども絡ませるが、成駒屋型では、おさ きは、伊左衛門と直接、絡んで来ない。我當、秀太郎の夫婦役 は、今回含め、3回拝見。なかでも、秀太郎のおきさは、4回目 の拝見。上方味あり、人情ありで、このコンビの喜左衛門とおき さは、安定感がある。我當の喜左衛門役は、本興行で、7回目、 秀太郎のおきさ役は、11回目という。落魄した伊左衛門を囲む ふたりの雰囲気には、しみじみとしたものがある。 秀太郎は、出演する度に、工夫をしているそうだ。今回は、「自 然体で、いい加減」ということで、おきさその人に自然になり切 るバランスを考えての出演らしい。大坂の遊廓の女将という風情 は、秀太郎が、舞台に姿を見せるだけで、匂い立つ。名前のある 4人の仲居、名無しの8人の仲居が、夫婦をサポート。仲居のお よしは、芝のぶが、演じる。いつも、爽やか。 いつも思うのだが、置き炬燵の使い方が、巧い作品だ。大道具で あり、持ち運びのできる小道具でありという、巧みな使い方をす る。炬燵蒲団の太い斜線の模様とともに、印象に残る道具だ。伊 左衛門の夕霧に対する嫉妬、喜びなどが、大波、小波で揺れ動く 様が、炬燵とともに表現される。巧みな演出だ。炬燵は、最後ま で、主要な居所を占めているので、注意してみていると、おもし ろい。 芭蕉の句。「住みつかぬ旅のこころや置炬燵」 掘炬燵と違って、どこへで